1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 03:23:12 ID:ppzTSM4W
お伊勢に失地回復を祈ったが、叶わなかった神保長住カワイソス。
3 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 03:27:00 ID:7uNYg4az
信長にいいように利用されたかわいそうな一族。
4 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 03:35:16 ID:b+Bs5yDw
謙信も神保には結構苦しめられてるな
5 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 03:36:48 ID:eN4Nzhne
地元民なのに詳しいことはサッパリ知らないんだが、今の富山でいうと最大でどの辺まで神保領だったん?
6 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 08:14:40 ID:lQSmuBbX
西三分の二ぐらいと適当に言ってみる
7 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 17:14:37 ID:nbs/2Na8
ちんぽ氏
8 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 13:31:28 ID:WyQeOXDP
>>6 越後に近い東側は椎名氏が押さえてたんだっけ?
9 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 19:38:38 ID:d7ShBbzd
>>8 新川郡は長尾為景が守護代だったから元々上杉領じゃない?
10 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 15:03:51 ID:7N7riTiB
畠山家が守護で越中の神通川を挟んで右半分が椎名氏で左半分がチンポ氏が守護代として統治。
のちにチンポ氏が神通川を渡り対岸に富山城を築き東へ進出を果すと越中は大乱になり、
不利になった椎名氏が畠山家と長尾為景の援軍の救援でチンポ氏を撃破した際に長尾家が東半分の守護代になり椎名氏はその配下に組み込まれた。
11 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 16:07:47 ID:ekKgiAbB
高校の頃、英語の授業に20代前半の結構イケメンなアメリカ人教師が来た。
授業は一人一人アメリカ人先生に名前を呼ばれ、前に出てマンツーマンで話をするっていう形式。
先生には授業前に生徒の名前をローマ字に直したプリントを渡してた。
授業が始まると片言の日本語で挨拶をする先生に女子連中はキャーキャー言っていたけど
それを結構厳しい口調で注意するような真面目な先生だったので、みんな真剣に授業に臨んでた。
授業は順調に進み、結構人気のあった女子の「神保(じんぼ)さん」の番になった。
先生はそれまでやってきたように大きな声で彼女の名前を呼んだ。
「ジャアツギノヒトネ。ンーーアーー・・・ちんぽ!ちんぽサン!」
生徒は一瞬凍りついた。教室にいた全員が瞬時に「笑ってはいけない!」と思った。
でも、たぶん「ジンボ」と言っているんだろうけど、どう聞いても日本語の「ちんぽ」だったし
「それまで片言だったのに、なぜよりによって「ちんぽ」の発音だけがこんなにもネイティブなのか」とか
「なぜか「ちんぽ」に敬称を付けている」とか考えだすとみんな耐えられなくなった。
結局神保さん以外の全員が爆笑。神保さんは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
その様子を見ていたアメリカ人先生は状況が飲み込ていないようなのだが、
生徒の一人がみんなの笑いものになっている状況だけは理解できたのだろう
突然般若のような顔になりその爆笑をかき消すかのような大声で「シャァァラッップッ!!」と全員を一喝した。
その表情とテンションの凄さに、教室は水を打ったように静まり返った。
しかし先生の怒りのボルテージは上がったまま。
神保さんの肩に手を置くと「ナンデ?ナンデミンナちんぽをワラウ?ちんぽガナニカシタ?」
全員が「まずお前のせいだ。あと男性生殖器の名称を連呼するのをやめてください」と思っていたと思う。
その後、慰めようとしたのだろう、先生はやさしい口調でうつむいて座っている彼女に語りかけた。
「ちんぽゲンキダシテ。マエニキテクダサイ。ちんぽスタンドアップ!」
神保さんも笑った。
12 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 00:58:36 ID:mxrcYcRU
通字は「長」ですか?
13 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 01:04:43 ID:MPVqf8hS
でも神保ってさ、信玄にそそのかされて
よく謙信に楯突いてたよな
でも仮に朝倉が侵略して来て
信玄の村上みたいな立場になってたら
謙信に泣き付いてたんだろうな
そう思うとムカつく
14 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 01:07:38 ID:qOtBo8Q3
そんなん言われても・・・
15 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 14:45:42 ID:SKQ0N8cv
会津藩の家老、神保修理は末裔?
16 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 06:45:06 ID:meP5YQc5
>>15 二本松畠山氏に仕えた神保氏の末裔じゃね?
17 :
バロン曽志崎:2007/10/09(火) 00:12:38 ID:gcQS2y1f
神保氏張−利長(母は佐々成政の娘)−利重−利忠−利治−寿位=景顕=経周−利孝−長輝(修理)
「経周−利孝」あたりが少し自信ないけど
18 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 11:02:08 ID:Ffj/ew6A
長とか神保とか、織田政権には亡命者が沢山寄って来るね。
19 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 12:52:32 ID:r9thNesc
>>18 亡命者の寄ってこない政権(勢力)なんてオhルw
20 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 02:01:18 ID:iZYkfczN
神保って苗字の人いたけど子孫かなぁ
21 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 02:53:09 ID:KhUdDm7Q
東京の神田神保町の由来は旗本・神保家。
22 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 05:41:56 ID:Yls4GbIH
氏張の顔グラ、稲川さんに似てますね。
23 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 22:36:49 ID:KLlZDbs4
24 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 21:09:59 ID:tJund0Ji
神保長誠って凄かったらしいな。
25 :
人間七十四年:2007/11/03(土) 23:19:17 ID:J/rLmL86
神保長誠は凄かったよ
26 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 15:24:04 ID:o9HDYE9X
へえ、凄かったらしいんだ
27 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 18:11:55 ID:X1jA4vB9
28 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 15:02:57 ID:FC7n2tI6
幕府旗本神保家は氏張の子孫(氏張は実は畠山義綱の子)、二千石で下総香取郡の領地を持った
長職、長住らとはそうとう遠い親族
29 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 18:31:39 ID:Y+fDyF8C
>>28 >氏張は実は畠山義綱の子
『寛政重修諸家譜』が出典みたいだね。
ただ生年が1528年とすると、父は義綱じゃなくて義続の方が妥当な気もする。
30 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 18:49:29 ID:LIom4bzE
富山といえば椎名氏も滅亡してるしな。
富山最大の英雄は正力松太郎、角川春樹、藤子不二雄だ。
31 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 19:12:43 ID:V3C8fElz
トナミ運輸 読売新聞 角川HD どらえもん
凄いなあ
32 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 15:46:32 ID:5fvLmJme
>>29 >『寛政重修諸家譜』
その通りです
>ただ生年が1528年とすると、父は義綱じゃなくて義続の方が妥当な気もする
手持ちの事典では氏張、義綱、義続とも生年不詳(氏張、義綱は没年も不詳)ですが
仮に>生年が1528年とすると
…1491年生まれ(没1545年)の義総がしっくり行くかもしれませんね
どうなんでしょうかね
33 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 15:01:48 ID:2SLNVvLw
慶宗は義尹に供奉して周防まで行っているんだね
34 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 15:37:11 ID:CsX6lEel
下総香取郡1500石が氏張の子孫だね。
大和高市郡6000石の神保は紀州系かな?
35 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 18:33:30 ID:Ltka20VY
神保遠江守はそだね。
36 :
人間七七四年:2008/01/22(火) 15:28:17 ID:RbCXyuTK
紀州神保は何か事績残した?
37 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:04:24 ID:N6jN6PEg
ホンマかいな?
>神保氏張は9代能登・越中守護職畠山義綱の次男で、畠山家被官の神保氏純の
>養子と言う説もある。
38 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 02:30:15 ID:oH5Zwxko
義綱時代だと、どの程度の従属関係にあったんだろ?
本当に養子を貰ってるなら、結構親密だったのかな??
39 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 16:31:19 ID:7/VnFOK3
神保氏の出自に詳しい方、解説ヨロ。
40 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 14:19:45 ID:sPAodwFw
不詳だが、上野国多胡郡辛科郡神保邑が名字の地では、と言われる
41 :
人間七七四年:2008/02/15(金) 03:42:45 ID:SU3GWP9V
>>40 ありがとうございます。
よく出自不詳で済まされることが多いけど、一応推測は出来てるんですな。
42 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 16:53:00 ID:dzKUBRRm
上野と畠山の関係って何だろ?
43 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 16:04:58 ID:65Sge4IL
畠山庄は武蔵だけど 上野にも所領あったかもね。
44 :
人間七七四年:2008/03/18(火) 19:06:09 ID:ShmWMo5G
44get!
45 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 16:31:13 ID:i3wRRdUS
神保は畠山の譜代と言われるが 明徳年間以前は事績不明なんだよね。
46 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 15:20:07 ID:gGd03Ms2
明徳三年(1392)相国寺の落慶法要に、神保宗三郎国久が郎党として参加したという
47 :
人間七七四年:2008/04/30(水) 16:14:41 ID:tocvD0PN
神保は何時の間にか畠山から自立した感じだね。
48 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 17:12:18 ID:HuTtWqDf
紀州の方は義就系と政長系の争いの時 居たには居たんだろうが目立たないな。
49 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 22:31:45 ID:OsKqpzd7
神保長職はイケメン
50 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 08:39:11 ID:w9ga6aHd
51 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 20:25:29 ID:w9KfnQQx
享徳年間の争いでは義就派の遊佐某が弥三郎派(後の政長派)の神保某の屋敷に火をつけてる
52 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 14:45:23 ID:Cwm4Kt70
神保は弥三郎派だね 次郎左衛門尉とか越中守とか備中守国宗とか。
53 :
人間七七四年:2008/06/18(水) 22:11:45 ID:z3mEX5vZ
54 :
人間七七四年:2008/07/01(火) 15:35:40 ID:rFmHc+Uu
紀州で目立つのは湯河だね
55 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 14:10:10 ID:NvUmchJZ
湯川氏じゃないか?
56 :
人間七七四年:2008/08/01(金) 15:15:12 ID:VdtPoSzG
湯川とも湯河ともあるな。
57 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 06:05:07 ID:nP7CRgRX
神保氏とライバル関係だった椎名氏について教えてください。
58 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 06:53:31 ID:iI2sK1nr
分郡守護代椎名桔平は一向衆の後援で神保と共に畑山から独立をはかろうとして失敗。
59 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 14:11:16 ID:uO4hyxj8
>>11 その話って「新保さん」って奴のコピペじゃない?
でもよく今の神保って苗字はシンボって呼ばれたり
ジンボウって間違って言われたりしているよね。
自分の周囲の人は「神保=ジンボ」って名乗っているけど・・・
(戦国時代の正確な読みは知らないけれど)
「ジンボ」「ジンボウ」に関してはボとウの元々中間発音だったのかなぁ?
イとエの中間発音で昔の人が「越後」っていっていたように。
60 :
人間七七四年:2008/09/01(月) 15:28:00 ID:GteRPVEN
保なんかだらもとはジンボだと思うな。
61 :
人間七七四年:2008/09/09(火) 15:12:15 ID:8QfAcxku
>>57 遊佐が砺波郡 神保が射水郡婦負郡 椎名が新川郡の守護代。
小学3年のころ、日本史に興味を持たせてくれた恩師が神保朔郎先生だった。
63 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 15:27:16 ID:FN7Xdyz6
美濃には後裔がいるんですかね
神保先生は後裔を称しておられた。
65 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 19:32:03 ID:7FsYpVwh
越中が足りないって!
66 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 14:08:18 ID:MWovnlTG
何が足らんのですか?
67 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 17:46:16 ID:ZXTdoL2O
史料
68 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 12:56:22 ID:sNr344AV
風が吹くって!
69 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 12:57:15 ID:sNr344AV
70 :
主侍 ◆hVHEFl9Yhg :2008/10/17(金) 15:42:41 ID:XzqHBAiU
読み・書き・越中だって!
71 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 17:06:06 ID:1slG7f1Q
富山といえば田中耕一さんとか大洋横浜の進藤とか
72 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 14:17:32 ID:piN1Epug
横浜の進藤とな
73 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 15:47:47 ID:oL1UrIrA
正力松太郎とかいんじゃん。
74 :
人間七七四年:2008/11/10(月) 19:35:37 ID:S8owt2jV
斎藤弥九郎とかな
75 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 19:15:15 ID:b34wIF7O
二本松畠山家中には神保氏はいなかったのかな?
77 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 15:31:26 ID:SfUz80Qk
78 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 15:57:11 ID:c+eVEQD2
伊達政宗に味方撃ちで皆殺しにされたんだよね。ひでぇ話だ。
いくらなんでも、文字通り全滅なんてなるはずない。
悪意を感じる。
79 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 14:50:47 ID:d3UDjlZD
元禄期に猪苗代城代やった神保茂左衛門ってのがいるね。
80 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 15:08:01 ID:dn0kSmmf
各地にいて面白いですね。
81 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 22:50:10 ID:jZ8djwPr
結局、畠山氏ある所に神保氏ありってことか。
82 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 14:26:26 ID:8DcUcaAy
上杉あるところに長尾あり、と同じだよね
83 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 00:45:09 ID:7J7tPnQG
江戸時代の上杉家の家臣の長尾氏って何家ぐらいあるんだろうな?
84 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 15:51:25 ID:bHNvEW/r
白井長尾 総社長尾あたりかな。
85 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 15:06:06 ID:SLSpv5cd
白井は当初米沢では二千石だね
86 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 14:46:58 ID:4X7KIJKh
重役だね。
87 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 15:43:01 ID:1FV3cPjs
白井だっけ?足利だっけ?本家は。
88 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 15:59:05 ID:oJvomrFc
家宰をするのが本家とすれば、白井・総社・足利が該当する
89 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 20:11:51 ID:MdRIFcmx
チンポage
90 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 08:48:08 ID:B6uYIfer
直江景綱の跡を継いだのが総社長尾氏だね…殺されて樋口兼続が入ったが。。
足利長尾氏は由良氏が入って北条氏へ寝返ったし。
白井長尾氏は長尾景仲・景信・景春の三代が全盛期じゃないかな。
91 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 09:14:10 ID:aP5rJ6Hj
>>10 畠山卜山と長尾信濃守(為景)の間に頻繁に交わされた書状が有名ですね。
もちろん内容は神保越前守の謀反に対する卜山の信濃守への馳走要請。
92 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 20:37:49 ID:GZnmH9hW
>>90 直江の配下与板衆にも、倉賀野など上州系の連中がいるので、彼らは
信綱が相続した際に編入された連中なんだろうな
93 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 21:13:15 ID:0Yh30a4/
そういえば、直江信綱って本当に総社(高津尾)長尾景孝と同一人物なのだろうか?
長尾定明…祖父。生没年不明。1480年頃の人。
長尾顕景…父(異説あり)。生没年不明。1527年に隠居。
長尾景孝…本人。1545年に隠居。1581年死去?。
父が顕景の場合兄弟に憲景(1511-1583。白井長尾氏を継ぐ)、
景総(生没年不明。総社長尾氏を継ぐ)がいる。
生年に関しては、1500-1520頃と考えられる。
長尾景定(景貞)…父(一説)。総社長尾氏とされるが、確認できず。
直江景綱…岳父。1577年歿。享年70余歳とされるので、1500-1510頃の生誕。
お船…妻。1557-1637。景孝との年齢差は約30年〜約60年。
個人的にはどう考えても長尾景孝≠直江信綱なんだが……。
総社長尾能登守(景総と同一?)の息子のほうがまだ可能性として高い気がする。
1545年に隠居した人物が1557年生まれの女性を妻にするとか、かなり無理あるだろ。
94 :
93:2009/03/06(金) 21:13:58 ID:0Yh30a4/
あ、よく考えればスレ違いじゃんorz
93は無視してくれスマン。
95 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 14:49:06 ID:nmL2qUNg
さて神保に戻そうか。
96 :
人間七七四年:2009/03/27(金) 15:08:41 ID:dz+W8eOY
紀州の神保はどうだったの?
97 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 15:44:35 ID:7ggq2klS
遊佐は長教が目立ってるがね。
98 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 10:27:19 ID:+5k1fFZv
神保長職はイケメン・・・・・・将星禄ではw
99 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 15:12:16 ID:/8hQnSUq
肖像は残ってるんだろか。
100 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 11:45:29 ID:xzgS42UM
ないんじゃ。
101 :
人間七七四年:2009/05/03(日) 20:56:19 ID:z7S7OZAE
102 :
人間七七四年:2009/05/03(日) 23:25:44 ID:PTFmS08S
長誠は名将だからな
103 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 01:34:31 ID:xH877C67
めっちゃ藍染強調されている衣服ですな
つか歌舞伎スタイル入りすぎで肖像じゃなくなってる。
105 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 23:43:43 ID:siwvi4fc
実力の割には異常に地味な扱いだよなこの人w
106 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 15:48:23 ID:2xtTCKom
そんなに実力あるかい?
107 :
人間七七四年:2009/05/15(金) 20:07:40 ID:+4G0++kT
やはり後世になってから描かれたものなんかな
そらそうよ。
109 :
人間七七四年:2009/06/03(水) 12:51:22 ID:ItQywLuD
そういう話ではないんじゃ。
110 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 14:59:07 ID:IK2HgXQa
作者は?
111 :
人間七七四年:2009/06/23(火) 16:01:26 ID:6Te9dlEl
富山の本覚寺か。
112 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 15:25:25 ID:FPcI8FsV
佐々に嫌われたんだね 本覚寺。
113 :
人間七七四年:2009/07/13(月) 17:44:28 ID:VRyygLOk
旧領主系との揉め事だね。
114 :
人間七七四年:2009/07/16(木) 09:50:33 ID:U13R/jIg
通字は「長」で良いのか?
115 :
人間七七四年:2009/07/28(火) 15:21:33 ID:1bKxL0n0
長誠以降はそうかな。
116 :
人間七七四年:2009/08/06(木) 15:11:17 ID:Pgq6pcj3
通字にしては歴史が短いね
117 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 15:44:12 ID:RHrN3u8y
長誠が偉かったんだね。
118 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 15:01:29 ID:Rvsw0Ypt
そうでもないよね。
119 :
人間七七四年:2009/09/08(火) 16:01:02 ID:AmjIy5NQ
何かあったんだよ。
120 :
人間七七四年:2009/09/08(火) 23:19:03 ID:K/s2cO0C
長住を織田家に紹介したのは誰だろ?
121 :
人間七七四年:2009/09/14(月) 17:02:27 ID:OIg1fzWF
今度富山に行くけど、神保氏を紹介した歴史資料館とかある?
122 :
人間七七四年:2009/09/21(月) 16:08:26 ID:pEvZX7R2
富山市郷土博物館とか。富山城とも。
123 :
人間七七四年:2009/09/27(日) 21:27:59 ID:/zu4ZTGt
>>122 ありがとうございます。
サッカーの試合を見るのと同じくらい、楽しみにしときます。
124 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 15:57:00 ID:6CxcOmwY
秋の北陸はよさそう。
125 :
人間七七四年:2009/10/15(木) 15:29:55 ID:D6Mf0K41
雪が深いがね。
126 :
人間七七四年:2009/10/27(火) 15:36:36 ID:4HOxCiN0
紀州の方で見所はない?
127 :
人間七七四年:2009/11/05(木) 11:27:23 ID:pQHqt1+3
おおさかのじんでせいぎのひーろーぼくのまさむねがみかたうちでかいめつさせるわけないよ
うそつきちんぼがまさむねにさかうらみしてけなすためにしゅちょうしたんだよぜったいにね
128 :
人間七七四年:2009/11/06(金) 13:28:26 ID:JvGqZF6I
神保町の神保て伊達に虐殺された者の子孫?
129 :
奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/11/07(土) 03:04:05 ID:PC7A+riw
130 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 07:33:29 ID:PZ0oh3lo
131 :
人間七七四年:2009/11/07(土) 10:05:26 ID:ucRm6jPp
椎名桔平がライバル
132 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 15:21:11 ID:hIVxQgMI
旗本になれてるんだ。
133 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 08:41:31 ID:eG/aGvjZ
まあ良かった。
134 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 09:01:47 ID:tl+EREPn
前田の家臣ではなのね。
135 :
人間七七四年:2010/02/05(金) 22:15:41 ID:AIP4LxzI
神保長綱って誰だよ
そんな奴は存在しない
136 :
人間七七四年:2010/02/07(日) 04:22:13 ID:AD1rao6S
戦国時代のある頃、宗教の布教に20代前半の結構男前な南蛮人宣教師が来た。
布教は一人一人南蛮人宣教師に名前を呼ばれ、前に出て一対一で話をするっていう形式。
宣教師にはお祈り前に村人の名前を南蛮文字に直した写しを渡してた。
お祈りが始まると片言の日本語で挨拶をする宣教師に女子連中はキャーキャー言っていたけど
それを結構厳しい口調で注意するような真面目な宣教師だったので、みんな真剣にお祈りに臨んでた。
布教は順調に進み、結構人気のあった女子の「神保(じんぽう)さん」の番になった。
宣教師はそれまでやってきたように大きな声で彼女の名前を呼んだ。
「ジャアツギノヒトネ。ンーーアーー・・・ちんぽ!ちんぽサン!」
村人は一瞬凍りついた。室内にいた全員が瞬時に「笑ってはいけない!」と思った。
でも、たぶん「ジンポゥ」と言っているんだろうけど、どう聞いても日本語の「ちんぽ」だったし
「それまで片言だったのに、なぜよりによって「ちんぽ」の発音だけがこんなにも流暢なのか」とか
「なぜか「ちんぽ」に敬称を付けている」とか考えだすとみんな耐えられなくなった。
結局神保さん以外の全員が爆笑。神保さんは顔を真っ赤にしてうつむいていた。
その様子を見ていた南蛮人宣教師は状況が飲み込ていないようなのだが、
村人の一人がみんなの笑いものになっている状況だけは理解できたのだろう
突然般若のような顔になりその爆笑をかき消すかのような大声で「シャァァラッップッ!!」と全員を一喝した。
その表情と剣幕の凄さに、教室は水を打ったように静まり返った。
しかし宣教師の怒りの度合いは上がったまま。
神保さんの肩に手を置くと「ナンデ?ナンデミンナちんぽをワラウ?ちんぽガナニカシタ?」
全員が「まずお前のせいだ。あと男性生殖器の名称を連呼するのをやめてください」と思っていたと思う。
その後、慰めようとしたのだろう、宣教師はやさしい口調でうつむいて座っている彼女に語りかけた。
「ちんぽゲンキダシテ。マエニキテクダサイ。ちんぽスタンドアップ!」
神保さんも笑った。
137 :
人間七七四年:2010/02/21(日) 07:23:06 ID:ZgALtC0v
畠山の臣って著名な家多いよね
138 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 11:35:59 ID:wIJ7Df7s
越中神保の宿老クラスってどこの出身なんだろ。
「鞍河」は氷見の国人、「轡田」も婦負に地名があるけど、
「小嶋」や「寺嶋」に、「槻尾」に「一坪」だの、出自がわかんねえ。
139 :
人間七七四年:2010/03/19(金) 23:14:53 ID:D/cu6oVX
越中の地名じゃなかったら、
関東以来の譜代なんじゃないの
140 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 11:57:45 ID:a+m2PakE
新史料の発見とかないかなあ。
あまりにも史料が少なすぎてわからないことだらけ
141 :
人間七七四年:2010/05/15(土) 15:24:17 ID:g5Ennv01
142 :
人間七七四年:2010/06/07(月) 19:10:48 ID:88/7LBVA
神保氏の子孫てけっこういるよね
それなのに先祖のことがよくわからない一族l
143 :
人間七七四年:2010/06/27(日) 12:46:29 ID:wHiWg77v
>>140 近年の発見(広く紹介されただけ?)といえば、氷見の千手寺宛神保氏張寄進状があるかな。
掘り下げればおもしろい史料だと思うけど、政治史中心の神保氏研究の中じゃ取り上げられにくいのかも。
145 :
143:2010/07/16(金) 23:19:21 ID:WeqWPDux
まず原文。
神保氏張寄進状写
(『氷見市史』資料編4(通巻6)民俗・神社・寺院 より引用・一部改変)
奉寄進氷見金橋山千手寺永領之事、阿怒庄加納村之内、
月成公用参貫三百文、并拾疋之北市町屋口路橋之義者、如法経令寄付候、
依之、老親一道同拙夫逆修毎年法華之如法経弐部、
至盡未来、可遶給旨、現当珍重不可過之者乎、永代於子孫、不可(有)違乱、
然者先年寺島・名中両代、彼地就致寄進、長職寺内十一ヶ条之掟、
殊彼加納之公用、北市町屋口路橋等重而書載、五ヶ条之禁制判形之上者、
長久無侘之妨、全可有御知行者也、仍後証之状如件、
永禄九年六月十二日 神保宗五郎 氏張判
金橋山千手寺慧遍法印参
146 :
143:2010/07/16(金) 23:35:12 ID:WeqWPDux
先行研究じゃ、氏張の初出文書ってことで注目されてるのと、
氏張の父が「(入道名)一道(=氏重)」ってのが確認されたのが大きく取り上げられてる。
でもさ、見ればわかる通り、他にもたっぷり情報詰まってるじゃん。
例えば、「北市町屋口」ってことは、氷見町がこのころからあったって可能性を示してるかもしれない。
じゃあ戦国期の、越中の港町って何?とかって話ができる。てな感じで。
俺なら、「然者」以降の、寺島だの長職だのの記述に注目する。
神保家中の構造が少しだけ分かるかもね。
あ。需要無視して貼り付けてごめん。
また名無しに戻るわ。
147 :
人間七七四年:2010/07/18(日) 09:10:34 ID:3kdSt9Lk
>>143 読み下せる力がないのでよくわからんが、GJ
戦国越中の湊というと放生津か?
寺島・名中とあるが名中って姓かな?
本文中で「長職」と呼び捨てにしているということは、
当時すでに氏張と長職は袂を別っていたということ?
実に興味深い。
148 :
人間七七四年:2010/10/03(日) 19:31:03 ID:fN5NIDOV
神保長住の子孫ているの?
149 :
人間七七四年:2011/01/05(水) 00:49:37 ID:i0m7Dt8A
神保って「じんぼう」であってる?
地元の名家神保家は「じんぼ」なんだよな
150 :
人間七七四年:2011/02/01(火) 09:09:59 ID:PY+O6nIl
今日の長尾為影におびえるスレか
151 :
人間七七四年:2011/02/14(月) 23:04:23 ID:h59xGtKF
語りたいが誰もいない
152 :
人間七七四年:2011/02/17(木) 01:02:53 ID:WpAEtDXk
<●><●>
153 :
人間七七四年:2011/02/22(火) 01:07:01.85 ID:KSKF9wAJ
トエエエエエイ
154 :
人間七七四年:2011/03/21(月) 16:07:10.30 ID:zmw1t0Fo
完
155 :
人間七七四年:2011/03/21(月) 22:01:04.49 ID:nAr/7PJV
伊達政宗にヒャッハーされたのは何保さん?
156 :
人間七七四年:2011/03/22(火) 19:17:25.17 ID:17zm7/i4
チンポ一族不遇すぎるだろ
157 :
人間七七四年:2011/05/26(木) 18:51:19.07 ID:5CQKgPf6
158 :
人間七七四年:2011/05/27(金) 02:38:20.08 ID:RzEagmrW
神保町に屋敷持ってたのは伊達に撃たれた系統?
159 :
人間七七四年:2011/07/08(金) 00:49:34.80 ID:9S07/bkH
神保薄夫
160 :
人間七七四年:2011/08/26(金) 13:47:49.13 ID:QDazOluS
保守
161 :
人間七七四年:2011/09/11(日) 19:51:26.58 ID:65Fx+fYL
ここは椎名氏を語ってもいいんですか
162 :
人間七七四年:2011/09/11(日) 21:03:31.67 ID:9DfGAth9
163 :
人間七七四年:2011/09/11(日) 23:10:06.70 ID:lOT3ONqp
配下の国人や豪族を完全に家臣化出来なかったね
164 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 15:02:47.31 ID:0CRDN3DB
途中でヘタレた神保長職より、
反骨の椎名康胤が俺は好きだ
165 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 16:06:28.94 ID:Znujx5xG
>>164 武田側に付いたり、一向衆側に付いたりで節操がないような気はするがな。
166 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 17:07:32.54 ID:0CRDN3DB
>>165 武田側=一向一揆側なんだが。
椎名康胤は、宿敵の神保長職が上杉家に降伏して許されたのに反発し、
上杉から武田に寝返ったんだよ。
で、上杉に攻められて落城し、
一向一揆に合流した。
石山合戦に参加したり、
上杉時代には関東にも出陣している。
越中ローカル武将ではなくかなり行動範囲が広い武将
167 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 17:34:16.67 ID:Cd0TKhT6
石山までいったの?
知らんかった
168 :
人間七七四年:2011/09/12(月) 20:46:45.98 ID:0CRDN3DB
石山合戦から帰還後、
天正4年越中一向一揆の将として
上杉謙信と戦い蓮沼城で自刃・・・
169 :
人間七七四年:2011/09/13(火) 05:14:02.86 ID:z+PyFFEB
ちんぽながもと
ちんぽながすみ
170 :
人間七七四年:2011/09/14(水) 03:05:04.14 ID:T8VNhxXq
ちんぽ氏あげ
171 :
人間七七四年:2011/09/15(木) 01:25:46.14 ID:yX0/65Vv
甲賀五十三家の神保家も同族?
172 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 23:34:45.38 ID:/+1m1a4M
イケメン神保さんの肖像画持ってる人いませんか?
173 :
人間七七四年:2011/12/13(火) 22:42:18.77 ID:IQwU56NU
神保長誠は傑物
174 :
人間七七四年:2012/01/07(土) 20:53:24.54 ID:G3rrhRB3
神保長職、椎名長常の「長」はやはり畠山稙長の偏諱だろうか
175 :
人間七七四年:2012/04/11(水) 15:31:16.92 ID:0JpM1jnt
176 :
人間七七四年:2012/04/11(水) 16:18:24.50 ID:Z4cwUXI/
???「いいか、神保隊など最初からいなかったんだ。」
177 :
人間七七四年:2012/04/14(土) 08:39:19.03 ID:Eyjd3rj8
神保氏とか椎名氏って越後や能登勢とのからみで戦国期は語られる事が多いけど
飛騨勢とのからみはどうだったんだろう?
たまに内ヶ島氏や塩屋氏に攻め込まれたりしてたみたいだけど
178 :
人間七七四年:2012/05/17(木) 20:57:49.25 ID:FLwo4d6o
内ケ島は一向宗と同盟関係にあったからな。
塩屋は江馬の臣だっけ
179 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 07:35:05.79 ID:scC1ny5I
>>177 城生野城の斎藤氏が侵攻に耐えて頑張ってた。
越中の国人ではしぶとさはナンバー1かな?
昔、郷土史で籠城にまつわる言い伝え聞いたことあるけど、
調べてみたら意外と野戦もお上手ね。
180 :
人間七七四年:2013/06/03(月) 17:42:09.67 ID:R2QoE2qm
ちょっと尋ねたいんだけど会津に神保隠岐長利ってのがいるじゃない?それで父親が神保氏春って書いてあったんだけどこれって神保氏張のことですか?だとしたらなぜ親子なのに氏張の氏の字がついていないんでしょう?
181 :
人間七七四年:2013/06/03(月) 19:21:52.69 ID:1Y+8ziFO
>>180 「長」の字も通字っぽいから、それほど違和感はない。
親子というのも実じゃなくて、養子かもしれないし。
182 :
人間七七四年:2013/06/03(月) 20:50:02.60 ID:R2QoE2qm
回答ありがとうございます。自分の考えを言わせていただくと神保氏張は反上杉なのに対して、神保長利は上杉に仕えていることからこの親子は不仲だから氏の字をつけなかったのかなと判断していたんですが養子ということも考えられますね。
183 :
人間七七四年:2013/10/07(月) 00:18:47.38 ID:T0wAcxMY
神保長職・長住系かもしれない
神保長職はなかなかいい武将だった
185 :
人間七七四年:2014/05/03(土) 17:20:00.09 ID:93qCoVK2
神保長職
父慶宗の代に衰退した家を再興し、
一時は越中全土を統一する勢いだったが、上杉謙信に敵対した為に
戦国大名化は夢と終わる。
江戸時代には完全に忘れ去られ、軍記物にも登場せず、
長らく家臣の水越勝重と同一人物扱いされていた悲劇の武将(泣)
どうも幕府旗本になった庶流の氏張によって事績を抹消された疑いがある。
186 :
人間七七四年:2014/08/28(木) 07:42:23.49 ID:4qVOoT7z
大坂の陣で伊達政宗に撃たれた神保隊
187 :
人間七七四年:
富山市郷土博物館
企画展
「 富山城以前の富山 」 会期 12月13日〜3月1日
http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/kikakuhaku/list/h26/2604/2604.html 富山城は、天文12年(1543)に築城されたと考えられています。江戸時代以降、
富山藩(富山前田家)の本拠となった富山城ですが、戦国時代以前は必ずしも、当該
地域における政治・経済の中心拠点として機能していたわけではありませんでした。
「富山」という地名は応永5年(1398)に初めて登場しますが、江戸時代における
富山城下町の成立までの間、どのような歴史的特色があったのか、意外に知られて
いないのではないでしょうか。
そこで本展では、市内外の歴史資料を展示することにより、江戸時代以降に繁栄する
城下町富山400年の歴史の前段階、主に室町時代から戦国時代にわたる富山地域の
歴史的諸相の一端に迫りたいと思います。