戦国公家!近衛前久

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168中国人?
>>167
中国人の子孫といわれる島津家の始祖
惟宗 忠久と近衛家との繫がりからじゃない?。
169人間七七四年:2008/08/20(水) 12:38:49 ID:zmS3zTLU
>>168島津家って中国人の子孫なんだね。
日本の名門かと思っていたけど帰化した中国人の一族か。
まあ中国に一番近い県だから分かるような気がする。
170人間七七四年:2008/08/20(水) 19:13:21 ID:U4Y1zlL1
惟宗がいまだに中国人呼ばわりされるんだったら純粋日本人なんて・・・
171人間七七四年:2008/08/20(水) 19:22:58 ID:vAyBjRy1
レイシストに何言っても無駄。
日本人は日本列島から沸いて出てきたとでも思ってるんだろ。
172人間七七四年:2008/08/20(水) 19:26:23 ID:SesnynO3
ならどこから日本人と区別すんだよ…
173人間七七四年:2008/08/20(水) 21:59:26 ID:9YfCNKvB
開き直るスレ違いバカ
174人間七七四年:2008/08/20(水) 22:34:37 ID:Kx3kyFbE
島津が中国系とかどっからそんな話が出てくんだよw
れっきとしたゲルマン系だよ。系図でもそうなってる。
175人間七七四年:2008/08/20(水) 22:43:50 ID:SesnynO3
マヂで?超ヤベェじゃん
176人間七七四年:2008/08/20(水) 23:16:07 ID:qhnubqTG
いやユダヤだよ
177さきひさ:2008/08/21(木) 12:07:27 ID:ExdoDaEt
そもじらまろのネタをするでおじゃる!!!11
178人間七七四年:2008/08/25(月) 23:02:17 ID:7EGVxF0I
>>170
家系図で中国人の子孫て自分から発表してるじゃん
黙ってたらわかりゃあしないのに
179奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/08/26(火) 00:44:39 ID:tLLYkaR3
近代日本人の定義は、朝鮮併合以前か戦前で区切るべきだと思う。
180人間七七四年:2008/08/26(火) 00:45:10 ID:ttDF3EWe
いい加減他所でやれ
181人間七七四年:2008/09/08(月) 22:32:31 ID:0rNjXQa3
島津は自他ともに認める中国人の子孫じゃん。
日本人の名門の近衛家が、よく家臣として使ったね。
中国に近い薩摩だから、中国人の子孫が適任と思ったのかなあ?
182人間七七四年:2008/09/08(月) 22:35:28 ID:efwHKosz
>>181
日本語の読めないキミが日本人では無い事だけはわかった
183人間七七四年:2008/09/20(土) 15:37:06 ID:ciSUhzbo
前久は波乱万丈だよね。
184人間七七四年:2008/09/21(日) 00:24:52 ID:U12oS9nz
>>181そうじゃないかあ。
薩摩焼は朝鮮焼だから
薩摩は大陸の影響が強いから
185人間七七四年:2008/09/21(日) 23:00:08 ID:xQrjoYjU
チンギスハーンもウリの一族ニダ!ウェーハッハッハッ!
ってか?
186人間七七四年:2008/10/03(金) 14:44:50 ID:lPwGfVtd
なかなか開明的な人だよね
187人間七七四年:2008/10/15(水) 14:01:41 ID:YK0OFypP
曲者のイメージが。
188人間七七四年:2008/10/29(水) 15:21:37 ID:1xp7JDR+
影響力はあったんだろうな
189人間七七四年:2008/11/08(土) 15:32:55 ID:NsNqy6hH
大の旅行好き。
190人間七七四年:2008/11/18(火) 13:14:20 ID:rSEDC+ye
北は越後から南は薩摩までって、同時代にこれだけ移動した人いないよね
商人ぐらいか
191人間七七四年:2008/11/18(火) 14:41:13 ID:T6YbHpGN
石田三成もそうじゃないのかね。
192人間七七四年:2008/11/18(火) 16:25:37 ID:5sECOe/D
それをいったら西国の大名の大半は朝鮮半と(ry
加藤清正とか今のシベリア辺りまで(ry
193人間七七四年:2008/11/18(火) 17:54:54 ID:vu+4blV7
伊達政宗なんかも、東北から九州朝鮮半島まで。

まあ、南北朝の頃とかもっとダイナミックに移動しているけどな、大名も将軍も。
194人間七七四年:2008/11/25(火) 01:13:16 ID:XbDE+kCF
>>193
南朝方の親王たちの流転ぶりもすごいからね。
195人間七七四年:2008/11/25(火) 04:45:04 ID:G3t23vu7
赤松則繁なんて守護大名の一族から、倭寇になって朝鮮半島から東シナ海暴れまわっているなw
196人間七七四年:2008/12/03(水) 14:39:24 ID:TCpazuac
成る程、いろいろな例があるんですね
197人間七七四年:2008/12/11(木) 15:08:12 ID:3UPmBVZ+
海運は盛んだからね。
198人間七七四年:2008/12/25(木) 15:31:55 ID:ecn0GHgs
公家同士ではどう?
199人間七七四年:2008/12/27(土) 14:58:32 ID:ypSW9B7X
現職の関白で前久ほど長く京都にいなかったひともいないんだろうね。
200人間七七四年:2009/01/08(木) 15:16:15 ID:DieASzIH
一条房通とか下向した人はいるけどね
201人間七七四年:2009/01/09(金) 20:29:59 ID:bWZRoD8O
左大臣か右大臣か忘れたが、ヨーロッパ視察はいたよね。
202人間七七四年:2009/01/10(土) 15:08:02 ID:mwwZhI/a
岩倉さんですか?
203人間七七四年:2009/01/10(土) 16:58:35 ID:4A0knTk0
いえす
204人間七七四年:2009/01/15(木) 03:37:42 ID:jzSChMPm
安祥城のある志貴荘は、近衛家(藤原北家)の荘園だったので、
安城松平家(徳川本家)とつながりがある。

家康は、それを利用した。
205人間七七四年:2009/01/15(木) 13:04:10 ID:uDwgQNq8
三河守叙任は三河支配の正当性を確立するためには、どうしたって必要だからな。
そりゃ利用もするわな。
206人間七七四年:2009/01/15(木) 14:09:16 ID:a0thLFqc
利用された側のスレなんで、
どうして利用されたかを論じれば?
カネがらみなんだろうけど。
207人間七七四年:2009/01/30(金) 15:12:24 ID:ON11RZz6
三河守は今川や織田にも大人気
208まあ:2009/02/03(火) 19:12:52 ID:LEPj7eMo
>>205
三河守護の間違いですか?。
国司って平安時代までだけ名実が伴っていたように思います。
まあ鎌倉時代の相模守・武蔵守も名実が伴っていますが。
戦国時代はそんなに意味ないと思います。まあ守護もですが。
209人間七七四年:2009/02/03(火) 22:19:52 ID:vYUoHGxm
>>208
幕府の権威がゼロの時代に守護なんて価値がないわけですが。
210人間七七四年:2009/02/03(火) 22:59:05 ID:qpGInvpe
守護は超重要だろ。
天正年間までは。
211人間七七四年:2009/02/04(水) 01:04:13 ID:tfWp4tOk
戦国期は守護も官位も超重要。
戦国大名といえども合法性の衣をまとわねば、のたれ死ぬ。
212人間七七四年:2009/02/05(木) 21:50:47 ID:RLcCkSru
>>211
伊勢盛時くんって例外もいますがね。
子孫は相模守を世襲してますが。
213人間七七四年:2009/02/05(木) 22:46:06 ID:Nwomja3W
>>212
盛時一代の立場は、幕府から事態の収拾のため派遣された官僚ですよ。合法的。
次の氏綱の時代から官位を求めたりして、別の方向の正当性を求め始める。
214人間七七四年:2009/02/05(木) 22:47:06 ID:1jy2jXRI
>>212
早雲は出発点が足利・今川の被官という扱いだからな。
将軍や管領・有力大名の被官が守護大名を名乗るのも変だろう。
一国人が勢力拡大して守護大名を名乗らないケースとはわけが違う。
息子が北条を称して独立宣言をしたもののそれでも不足があったから、
相模守を名乗って文書主義の体制を敷かなければならなかった。
結局は永遠に「他国の兇徒」を脱することが出来ず、
豊臣の小田原征伐で関東中に見放される複線を自ら残していたわけだよ。
215人間七七四年:2009/02/05(木) 22:53:08 ID:Nwomja3W
その意味で日本中の大名から見離された豊臣氏は、まさに日本の兇徒ですね。
216人間七七四年:2009/02/06(金) 09:56:27 ID:31PYDRD3
前久が諸国漫遊していたから、
二代後は親王を迎えるハメになったのだろうか?
217人間七七四年:2009/02/06(金) 10:06:56 ID:qkBXnkng
前久は諸国奔走してお忙氏のわりには子供は4,5人いたんじゃなかったかな。
男子も後を嗣いだ信尹の他、上に興福寺一条院の門主となった長男がいたはず。

つまり信尹が頑張らなかったから・・・w
218人間七七四年:2009/02/17(火) 15:14:35 ID:VlZpSISR
血は断絶してんだよね。
219人間七七四年:2009/02/17(火) 15:30:57 ID:e/bOhjXf
女系では今までつながってるけどね

前久の子孫で一番有名人なのは今の天皇ご一家
前久→前子→後水尾天皇−(以下略)−今上天皇
220人間七七四年:2009/02/18(水) 11:22:27 ID:1sN0HQHo
女系で子孫とか言い出したら
天皇の子孫は数限りなくいることになるな。
221人間七七四年:2009/02/27(金) 15:30:39 ID:QNOR0pWN
直接関係ないが、鷹司は後年閑院宮(その後九条家)から入ってるんだね
222人間七七四年:2009/03/05(木) 15:17:00 ID:PBzGGAEI
九条はそのままなんだ
223人間七七四年:2009/03/17(火) 15:03:21 ID:FerD5uTL
多くの公卿が都から離れたんだ
224人間七七四年:2009/03/24(火) 00:48:21 ID:XO0J2mes
ねえねえ教えて、摂家と宮家
どっちが格上なの?
官職と身分はどう違うの
225人間七七四年:2009/03/24(火) 16:11:29 ID:dUCAMz3T
摂関家の方が上に決まって居るぞゑ。
分かったナッ!!!
226人間七七四年:2009/03/25(水) 00:01:34 ID:+2c5X4bU
>>224
官職(職務における序列)上では、摂関家>宮家。
身分(家の格による序列)上では、宮家>摂関家。
と思っていれば、当たらずとも遠からず。

玄人気取りで片手落ちの出鱈目を言ってんじゃないよ、
>>225ことナッちゃん。
227奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/03/26(木) 00:15:48 ID:uN/28wBv
皇別源氏と摂関家で見ると、>>226も正解ではないような。
228人間七七四年:2009/03/26(木) 22:40:51 ID:UtQoqc9x
朝廷の席次では摂関家>>宮家
229人間七七四年:2009/03/28(土) 10:48:25 ID:b02+5OMh
ただの勘違い君だろコイツは
世襲のくせに自分が一流の政治家だと勘違いしてる
信長とかは内心では馬鹿にしてただろうなぁ
230人間七七四年:2009/03/29(日) 22:37:07 ID:fKACxG8j
>>228
それが確定したのは徳川家康の仲裁の筈
それを文書化したのが禁中並公家諸法度
231人間七七四年:2009/03/30(月) 23:46:10 ID:U8wftcsv
じゃあ時代によって違うってこと?
皇族が摂政になったら最強ってことだね
摂家は皇族になれないから有得ないよね反対は
232人間七七四年:2009/03/31(火) 01:55:42 ID:UQcesagz
昭和天皇は摂政で皇太子だった。
今の皇太子も天皇陛下が体の御調子が御悪いので
内々に御相談されたが例のごとく「雅子が病気なのにやってられるか」
と断られたという噂がある。
233人間七七四年:2009/03/31(火) 13:29:56 ID:pxEA6Rsk
宮家から摂政には成れないだろ。
234人間七七四年:2009/03/31(火) 13:32:11 ID:WgVnYoTE
>>3
いや、近衛前久は公家だけど狩りよくやり、腕よかったらしいよ。
家康は狩のコツを教えてくれ、といっているぐらい。
答えて前久は和歌に狩りのことを折りこんだものを百贈った。
235人間七七四年:2009/03/31(火) 14:28:32 ID:zYeTYuVu
お歯黒しておじゃるおじゃると馬に乗る関白って想像できないね。
236人間七七四年:2009/03/31(火) 20:28:45 ID:c3kdr99g
>>235
馬術が好きだった関白というのもいたらしい。
二条良基が父・道平の乗馬好きについて書いている(「嵯峨野物語」)。
237人間七七四年:2009/04/01(水) 12:27:46 ID:m5TH6YtZ
戦国大名と違って暇なんだから、そりゃあ狩りも存分にできるだろうね
238希恵子:2009/04/08(水) 18:07:21 ID:NBFbGiy/
初めて投稿します。
近衛家について研究しています。
お詳しい方おしえてくださ〜い。
桜御所・近衛邸(同大・新町校舎)は、いつごろまで近衛家の所有だったのでしょうか?
京都御苑北西部に本邸が移転した後も、近衛家の所有地だったのですか?
下屋敷などがあったのでしょうか?
239人間七七四年:2009/04/09(木) 01:54:01 ID:FTOg0U4t
自力で研究してください
240人間七七四年:2009/04/09(木) 02:45:17 ID:x3ljn1bj
メールアドレスを書かなかっただけ2chってものを理解してるなw
241人間七七四年:2009/04/09(木) 11:27:40 ID:QCbKlkwi
だから、こんな奴、ただの調子こいたカスだって
242希恵子:2009/04/11(土) 18:15:22 ID:MsN90Zoz
いや〜ん
みんな、いけずやわ〜。
いや〜ん
243人間七七四年:2009/04/11(土) 18:19:44 ID:WFn0vpIZ
>>241
( ;∀;)イイハナシダナー
244人間七七四年:2009/04/21(火) 15:09:41 ID:Do/NlItY
行動的な方ですね。
245希恵子:2009/04/29(水) 12:44:25 ID:vy9Xl7eM
いや〜ん
いや〜んいや〜ん
結局だれも答えてはくれないのね?
246人間七七四年:2009/04/29(水) 15:25:02 ID:ghr3Yjhs
なんでこのネカマはそんな質問したがるのかね。
きもいから知ってても答えたくなくなるわ。
247人間七七四年:2009/05/11(月) 15:39:11 ID:8CD9U7UB
文麿や篤麿の伝記的なものでも読んだら。それとももっと昔か?
248希恵子:2009/05/17(日) 09:09:30 ID:K6GczjAe
いや〜ん
まだ誰も希恵子の質問に答えてくれてないし〜
いやらしい男子ばっかりなのね・・
249人間七七四年:2009/05/17(日) 09:34:08 ID:8R1265Aw
>>210-211
毛利元就は陸奥守のようなどうでもいい官位を貰っているのに
地元の守護は貰っていない。

足利義輝は、武田に長尾との戦争をやめさせる代償として信濃守護をくれている。
信玄は守護職を口実に信濃国内での対長尾戦争を続行するわけだが
これは幕府自身が守護職を飾り物と思っていた証左。
250人間七七四年:2009/05/17(日) 19:11:58 ID:TKygGibV
毛利元就じゃなくて、隆元の代に貰ってるけどね。
元就の代は無理でしょ。大内がいるんだから。
朝廷の官位は具体的な陸奥守とかじゃなくて、官位を貰うということ自体が重要。
それに毛利元就の官位を語るなら左馬頭の方が重要でしょ。

信玄の例は、合戦を続行する口実になるわけだから、守護が重要なんじゃん。
251人間七七四年:2009/05/17(日) 19:12:57 ID:TKygGibV
ごめん。右馬頭だった
252人間七七四年:2009/05/17(日) 19:48:46 ID:idtIRMUM
> 毛利元就は陸奥守のようなどうでもいい官位を貰っているのに

陸奥守がどうでもいいって…、正気か?
253人間七七四年:2009/05/17(日) 21:01:28 ID:u2ggLqlS
安芸より陸奥の方が格上だぞ
254人間七七四年:2009/05/18(月) 13:14:53 ID:ikpiSbJE
諸大名が官位を欲しがっていたことは、官位にメリットが付随したことを意味しない。
現代ですら何のメリットも伴わない勲章を欲しがる偉い老人は少なくない。

まあ、全く何のメリットも無かったわけではないけど>>211は大袈裟。
255人間七七四年:2009/05/18(月) 13:34:42 ID:bssJ+kyH
>>254
そもそも武士とは何かを理解して無い。
官位の無い武士は武士ではない。野党の類に過ぎない。
256人間七七四年:2009/05/18(月) 15:41:02 ID:XfT2cUug
>>254とは違って官位の重要性はもちろん認めるけど官位の無い武士が武士ではないとは言いすぎ。
鎌倉以降戦国に至るまで官位を名乗っていない騎乗武士は多い。
少なくとも武士の定義をきちんとしてからでないと言えない。
もちろん俺は諸大夫、侍の意味を知って言っている。
257人間七七四年:2009/05/18(月) 16:46:13 ID:ikpiSbJE
上総「守」とか僭称していた時代の信長は武士でないとw
江戸時代でも大半の侍は自官だがな。
258人間七七四年:2009/05/18(月) 16:52:15 ID:s8fheVBc
官職があってもメリットはあまりないが、
なかったり、格の低い官職を名乗るとデメリットがある。
そういうもんだと解釈している。
259人間七七四年:2009/05/19(火) 13:27:17 ID:aepTz+mK
>>257
親王任国は上総介じゃないの?
江戸時代の大名でも、領国と受領名が一致している国持大名は
やはりなにがしかの権威があったと思うなあ
中には常陸国主の徳川 常陸介 頼宣なんてのもある
他の大名もそうだけど、始祖の官職は国替えになっても世襲するんだね。
紀州徳川家は幕末の家茂までも常陸介だし。
260人間七七四年:2009/05/19(火) 14:10:50 ID:f6Fit6pX
官位を軽視する人間は、歴史の見方は粗雑過ぎるとしか言いようが無い。
本気で「戦国時代は実力社会」とか信じているんだろうな。
261人間七七四年:2009/05/19(火) 14:22:59 ID:BHcRVDf0
>>259
だから、信長が間違ってたんだよ。祖父江五郎右衛門への書状で信長は上総守の署名で手紙を出してる。
後の書状では上総介に直ってるから、誰かから注意を受けたものと考えられる。
信長公記内でも別人で何度も上総守と記述されている人がいる。
太田牛一も親王任国に関してよく知らなかったのかもしれない。
262人間七七四年:2009/05/20(水) 09:11:47 ID:VXMCQKAD
>>260
ゲームだと官位はパラメーターを補正するだけだもんな。
勲章とかそんなレベルにされているw
263人間七七四年:2009/05/21(木) 00:27:50 ID:KrDYJZgz
>>261
ド田舎もんらしい間違いだね
斯波の家臣の家臣クラスじゃ知るよしもないかw
264人間七七四年:2009/05/21(木) 08:05:57 ID:rKbHPBIe
近衛前久の男色相手の中では誰が有名ぢゃ?
265人間七七四年:2009/05/21(木) 15:14:34 ID:YQIoW4KV
>>264
有名人とはヤッてないんじゃないかね。ナッちゃん
266人間七七四年:2009/06/02(火) 15:06:44 ID:3SLbjkNd
常陸守とか上野守とかも登場するのかな。
267人間七七四年:2009/06/07(日) 15:45:30 ID:weNMA9BW
台湾守や琉球守は居たらしいね。
268人間七七四年:2009/06/13(土) 11:27:47 ID:QjYTnCzF
調べれば調べるほど、唸らされる
前久は凄まじく能吏で教養に溢れ
一方で豪胆で行動力のあった男なんだな
余裕で大河の主人公になれるわ、後は優秀な原作か…
269人間七七四年:2009/06/17(水) 00:03:31 ID:Zn7CQX8a
平気で足利家から貰った名を捨てるようなやつが?
二条家により朝廷を追われたやつが?
お調子者は大河の主人公はむりだよ。
270人間七七四年:2009/06/17(水) 00:06:29 ID:KYiR+I7T
足利の名は捨てた方が良いだろw
271人間七七四年:2009/06/18(木) 22:48:43 ID:GXyihcKT
前久が元服した足利義晴期は京都で将軍が少しは権威があった最後の時代だから
もっとも、義輝あたりになると武家では未だに「輝」の字をあり難がる奴がいたが、公家では日野輝資しか貰っていない筈。
272人間七七四年:2009/06/19(金) 23:29:56 ID:rHC3ChhJ
>>271
そんなことはないよ。
他にもいるんだけどな・・・。
273人間七七四年:2009/06/27(土) 15:46:00 ID:WpWwXdsN
公家が足利から貰うという発想が面白い
274人間七七四年:2009/06/27(土) 18:40:17 ID:i31hCh32
足利将軍家は武家の統領であると同時に、公家の統領でもあるからな。
275人間七七四年:2009/06/30(火) 22:58:29 ID:Pet58mRT
持明院統の皇室にとって足利家は近臣中の近臣だったんじゃないだろうか
官位の昇進は清華っぽいが
摂家よりむしろ
家に対する天皇家の恩情を感じる
近衛の替えはあっても足利の替えはない
みたいな。
276奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/01(水) 08:15:00 ID:2gq0D72U
室町期の摂家連中の諱。
277人間七七四年:2009/07/06(月) 00:02:12 ID:RR65cdVJ
将軍家からの偏諱には領地の安堵・承認の意味があるから
貰った名を捨てるということは
非礼極まりないな
278人間七七四年:2009/07/06(月) 00:07:24 ID:j4LnAQPE
将軍の権威にあやからねばならないのにその将軍様の権威が地の底奈落まで失墜してるからそれこそ無意味
279奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/06(月) 08:13:10 ID:stgG7IUw
失墜というのは下剋上の過分な宣伝でもある。
280人間七七四年:2009/07/06(月) 18:37:52 ID:f64YCn8L
将軍の権威はそれこそギリギリまで存続している。特に京都では。
281人間七七四年:2009/07/10(金) 10:01:58 ID:4Gyqgwg4
義維・義栄と、義晴・義輝・義昭の戦いって
応仁の乱の続きなんだな
最近知った。
282奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/11(土) 07:30:48 ID:47hzQ2+6
義尚と義視から始まって、その跡目を名乗った従弟だの甥だのが頑張って

義政┬義視─義稙─義維─義栄
    └義尚─義澄─義晴─義輝

こんな出鱈目な系図があってもある程度間違っていないという楽しさ。
283人間七七四年:2009/07/11(土) 09:15:57 ID:hWCSTz2x
>>281
応仁の乱とはまた別。義尚の急死からの流れだと考えたほうが。
284281:2009/07/13(月) 21:54:01 ID:P4yZjHEg
義視と義尚の相続争いと、斯波家畠山家の相続争いが絡みあったのが応仁の乱じゃないの?
282さんの系図は義視以降は正しいと思うんだけど
義澄の父の名が違うね。
285人間七七四年:2009/07/13(月) 22:30:34 ID:lsJ1iPaj
>>284
義視と義尚の相続争いってのは、応仁の乱が起こってから、顕在化してきたことだと
考えたほうが良いと思う。特に日野富子が義尚を将軍にしたくて山名と云々なんてのは、
アレは応仁記の創作だと考えるべきかと。
286奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/14(火) 07:19:11 ID:KmxNEBwR
>>284
誰を挟んだら成立するか教えていただけると有難いんだが・・・
287人間七七四年:2009/07/14(火) 13:29:24 ID:TzE2aium
スレ違いだからこっちの過疎スレでやれ

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1165676901/l50
288281:2009/07/17(金) 17:40:25 ID:wmm3d8Jb
>>286
挟むんじゃなくて義尚の場所に義政。
義澄の父は、ふつうに義政じゃないの?。同じ立場だというのと系譜上の位置は違うものだと思う。
289人間七七四年:2009/07/17(金) 21:07:11 ID:Q8MJAr26
>>286
山野野衾レベルなら分かるが、素人が、コテつけて浅い知識語ってんじゃねーよ。不愉快だわ。
290奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/18(土) 07:00:05 ID:3ymRoS4N
>>288
なるほど分からなくはない。
ただ仮にも公方の系図なので、先代が誰なのかをハッキリさせたかっただけだよ。

>>289
歴史についてちっとも触れない書き込みならラウンジにでもしてきたらどうだ。
291人間七七四年:2009/07/25(土) 15:11:05 ID:RN1Wy7Hw
複雑な要素が絡み合うでいい。
292人間七七四年:2009/07/26(日) 00:47:35 ID:Aa+EC9zR
とにかく固定うざい
293人間七七四年:2009/07/26(日) 01:11:59 ID:cREjXz9l
勝手にNG登録でもしてろよ。本筋に関係ないところでごちゃごちゃ言うお前の方がウザイ。
294人間七七四年:2009/08/01(土) 17:24:19 ID:vsXyI7yI
近衛前久って足利義輝や足利義昭と仲が悪かったんだね。
義惟、義栄派だったんだろうな。
きっと
295人間七七四年:2009/08/01(土) 17:34:54 ID:g9fnneno
義昭はともかく、義輝とは別に仲悪くは無いわな。
前久が越後に行ったのも義輝の代理という側面がある。
296人間七七四年:2009/08/01(土) 20:49:51 ID:kM50WMjT
親戚だし、個人的にも二人で一緒に酒飲んで騒いでるのに仲が悪いはずがないでしょ。
297人間七七四年:2009/08/01(土) 22:17:09 ID:64+H1xOl
義輝とは従兄弟であり義理の兄弟だよな
>>294は夢遊病か?
298人間七七四年:2009/08/02(日) 08:31:20 ID:5vD6a4Ve
義輝とは既に書かれてあるように緊密な関係だった。義兄弟であり、同志であり、友人だった。

義栄との関係は不明。
彼を将軍にするよう動いたのが関白殿下。

義昭とは険悪だった。
「兄の仇に従って義栄を擁立するとは何事だ!」と追放されている。
299人間七七四年:2009/08/03(月) 10:10:19 ID:CFcwz+2d
>>298
義栄を近衛前久は擁立したんだね。
織田派じゃなくて三好派だったんだね最初は。
300人間七七四年:2009/08/03(月) 10:48:21 ID:iH9wCiXy
そりゃあ織田が機内の勢力として定着できるなんて、当時誰も思ってないからな。
301人間七七四年:2009/08/03(月) 20:53:52 ID:AAKkDl6T
将軍の偏諱「晴」を捨ててもいいもかね?
302人間七七四年:2009/08/04(火) 04:38:58 ID:XuqmcL/q
>>299
義栄擁立には関わっていないとの異説もあるけどね。
303人間七七四年:2009/08/05(水) 20:16:27 ID:lGlo7zr2
近衛秀吉の偏諱を棄てない徳川秀忠は偉いと思います。
304人間七七四年:2009/08/14(金) 15:54:47 ID:wX8/JXIl
足利尊氏さんがいらしゃいます
305人間七七四年:2009/08/20(木) 14:48:50 ID:M1tcxzpy
むしろ元康が薄情なのかも
306人間七七四年:2009/08/26(水) 22:13:51 ID:vws2ZNpd
>>303
そうか
藤原氏として関白になったんだから
まさしく近衛秀吉だったんだろうね
秀吉は皇統だったそうだから
近衛家を継いでも特に問題無いけどね
江戸時代には皇子が直接
近衛家ついでるし
307人間七七四年:2009/09/04(金) 16:08:14 ID:LWXZlizS
他の人は継げないから不思議。
308人間七七四年:2009/09/05(土) 10:04:25 ID:WlkpldFs
信尋は前久の娘前子の産んだ皇子。
外孫。
309人間七七四年:2009/09/14(月) 15:41:37 ID:XC2Anjtq
今は細川さん
310人間七七四年:2009/09/15(火) 18:07:32 ID:RrJXo436
武士が近衛家ついでもいいの?
それも足利家の家老が?
今は家柄とか家の格式とかどうでもいいんだね?
311人間七七四年:2009/09/15(火) 19:14:03 ID:rE75/KLh
どうマジレスしたものやらw
312人間七七四年:2009/09/16(水) 14:08:52 ID:BMXTmoL1
戦国時代板なのに、バカなの?
313人間七七四年:2009/09/18(金) 22:37:57 ID:msgEhK4z
>>311
事細かに思ってることを全部マジレスしたらええやん。
314人間七七四年:2009/09/18(金) 23:03:27 ID:OQ6AMEc6
>>310
日本近代史板へ逝け
315人間七七四年:2009/09/24(木) 15:34:05 ID:feklRCbA
行動力は凄いですな
316人間七七四年:2009/09/30(水) 15:37:53 ID:4DM9zuCd
薩摩から越後までか
317人間七七四年:2009/10/09(金) 15:30:44 ID:SiAxJwNJ
移動は専ら船なんでしょ
318人間七七四年:2009/10/09(金) 17:41:45 ID:JDRwy+xi
そうでもないよ
319人間七七四年:2009/10/14(水) 14:55:41 ID:S/sfC/vf
結構歩くよね
馬かもしれないが
320人間七七四年:2009/10/16(金) 20:11:53 ID:lfThVbzo
明応の政変で亡命した足利義材なんて、雲水の格好で越中から長門まで歩き回ったらしいな。
321人間七七四年:2009/10/18(日) 22:57:08 ID:fOZIimd6
作り話を信じる香具師っているんだねw
322人間七七四年:2009/10/18(日) 23:53:50 ID:qJ8bat5+
>>321
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
323人間七七四年:2009/10/23(金) 16:08:50 ID:N0cMFcIm
義材は越前・周防・阿波かな
324人間七七四年:2009/10/30(金) 15:24:30 ID:VbNhB5qF
船でもいけるね。
325人間七七四年:2009/11/05(木) 15:34:36 ID:pOWbWbCY
公家は行動的でないなぞイメージでしかないんだ
326人間七七四年:2009/11/06(金) 19:35:16 ID:CukRqtZt
むしろ身軽な分動き回っている。
327人間七七四年:2009/11/14(土) 15:47:59 ID:jyCSqZPJ
よく旅をしてるね。
328人間七七四年:2009/11/19(木) 14:46:34 ID:2kxYfH0i
健康なんだよ
329人間七七四年:2009/11/25(水) 16:13:40 ID:cHMk97PG
祖父の尚通も長命、親父もまあまあだが前久は喜寿だからね
330人間七七四年:2009/12/08(火) 21:25:30 ID:D+1Jyugs
>>312
戦国時代の近衛家を細川京兆家の古い初期の分家が継ぐことは
ありえたのでしょうか?
331人間七七四年:2009/12/08(火) 22:27:32 ID:ZIl75+oN
マジレスだが、戦国語るには、前久視点とか、義昭視点、と言う方が明確だと思う。
そういうのってあんまり、小説や造り話でもなかったんじゃないかな。
記録も明解に残ってるしね。
332人間七七四年:2009/12/11(金) 23:21:26 ID:Rbg6BxC4
>>331関白太政大臣に将軍様か
当事者は公平に歴史を語れないんじゃない?
平公家の冷泉・山科くらいに語らせないと。
333人間七七四年:2009/12/12(土) 02:27:50 ID:CnJK+X9d
>>332
まぁ公平かどうかはともかく、事実とか記録しては価値があるだろうしね。
当時の日記でも、個人の肉声として貴重、と言う意見や、代々伝えられるもので人の目に触れる前提だった、とかいろんな言い方があるし。
だから、特定の武将に偏った研究というのよりは当時の記録がはっきりしてる身分のある人の視点で「この時点ではこうだった」
見たいなほうがかえって公平で明解じゃないかなってね。

特に前久なんてあの頃のオールスター全部にからんでるようなもんだし。
334人間七七四年:2009/12/15(火) 21:33:03 ID:0U6lIgk0
勸修寺晴豊なら岳宏一郎が長編を書いてる。「天正十年夏ノ記」だっけ。
淡々と熱い小説でおすすめ。
これを読んで、公家を狂言回しにより経済や文化を重視した戦国大河なら見たいなと思った。
335人間七七四年:2009/12/31(木) 14:00:28 ID:DfSUZFK1
読んでみようかな 文庫になってるの?
336人間七七四年:2010/01/31(日) 07:56:09 ID:nz/xdC9j
面白そうだね
337人間七七四年:2010/03/11(木) 09:50:02 ID:JLw3v+yX
前久の肖像画はありますか?
338人間七七四年:2010/05/07(金) 10:07:00 ID:PnY1ddMn
2カ月レスなしか
339人間七七四年:2010/07/31(土) 17:44:14 ID:c+6YL1jo
保全
340人間七七四年:2010/08/21(土) 23:23:57 ID:GC3AT2PY
長男は寺に入れて
次男に家を継がせたのはなぜだ?
341人間七七四年:2010/10/01(金) 09:46:57 ID:EsMl1+a0
残念ながら、このスレ、需要なす?
342人間七七四年:2010/10/05(火) 23:23:05 ID:dS6Xp7vh
やっと規制解除された…

>>340
近衛家縁の興福寺の座主が空席になり、摂関家筆頭を辞任する近衛家の当主としては
やむを得ずその当時唯一いた男子を僧侶にせざるを得なかった
『流浪の戦国貴族・近衛前久』(中公新書)にその辺の説明があったような記憶

ちなみに足利義昭もこの興福寺の座主だったが、形式的に近衛家の養子になっていたと思う
最も義昭の母は近衛家の出身なんですけどね
343人間七七四年:2010/10/07(木) 22:17:30 ID:ZnvZpzyv
>>342
兄の義輝もだけど
344人間七七四年:2010/11/29(月) 09:37:47 ID:mhILaY/f
肖像画はないのかしらん?
345人間七七四年:2011/01/30(日) 21:09:58 ID:iUmZsW2p
2カ月レスなしにつき保守
ネタない?
346人間七七四年:2011/01/31(月) 21:31:22 ID:kNf7zI8/
>>344
あったら見てみたいね。
想像ではでっぷりとした体躯の持ち主。
347人間七七四年:2011/02/01(火) 18:06:48 ID:/rb2JhDJ
全国にげまわって苦労してるから甘えん坊の世渡り上手ってとこか。
でっぷりというイメージじゃないな。
348人間七七四年:2011/02/02(水) 18:21:15 ID:bCW33IgX
謙信と組んで関東平定に関わったり、馬術や鷹狩りに秀でていたり、
個人的にはけっこう精悍なイメージがある
349人間七七四年:2011/02/03(木) 14:17:34 ID:3LEQfAy8
公家にしては武将みたいなことができた
って感じでちょっと無理してるイメージがあるんだよな。
あれだけ動き回ってるからヘタな武将以上に精悍だったかも
しれないが。
350人間七七四年:2011/03/03(木) 11:06:06.82 ID:qEUN/czC
>>347
節操なくあっちこっちしているが、逃げ回ってはいないぞ。
鷹狩が好きだったから太っているとも思えない。
351人間七七四年:2011/04/16(土) 16:58:21.31 ID:FWYRXImc
この1年、1月1レスのペースでも落ちないんだね
352人間七七四年:2011/04/30(土) 00:15:20.40 ID:fLq5qIEA
近衛前久って信長が好きだったの?嫌いだったの?
上スレで信長が亡くなってから随分年月が経っても追悼句会を催していた
と書いていたけど、信長が本能寺の変で亡くなってすぐ嫡男と共に公家達
と祝杯をあげたという記録が残っている。
353人間七七四年:2011/05/01(日) 02:52:10.01 ID:8DLIo5yp
えっ?
前久は本能寺の数日後には頭を丸めたはずだけど
354人間七七四年:2011/05/04(水) 22:35:46.54 ID:GLBkwE0a
出家は光秀が敗れた後じゃなかったっけ?
その後とんずらしてるし。
355人間七七四年:2011/05/05(木) 02:05:30.47 ID:7hcL3gJy
wikiだと、本能寺の変当日になっている>出家
356人間七七四年:2011/05/06(金) 11:33:36.28 ID:sLBLTMwu
後醍醐天皇の乱交
後醍醐天皇は鎌倉幕府がダーーイ嫌い
何とかして幕府を潰してやろうと密かに計画
でもって、作戦会議をするんだけど、そのカ
モフラージュに乱交パーティをしまくった
「朝廷は遊んでばっかだよーん」というのを、
六波羅探題(幕府が統括している警察みたいなもん)
にアピールするためであります

その乱交パーティは飲めや歌えやのドンチャン騒ぎ
スケスケの着物を若い女の子に着させてサービス
でもって、ひそかーーに倒幕作戦会議をしていた
のであります

が!倒幕計画に参加した男性が、妻にペロっとしゃべっちゃった
でもって、その妻が六波羅探題にタレこんだため、残念ながら計画はパーになってしまったのでした。そして隠岐に流され、兵庫の福厳寺にまで逃げてきて、楠木正成に迎えられるのでした。


357人間七七四年:2011/05/07(土) 02:32:05.20 ID:0H2kBQb4
ウィキちゃんは信用性今イチだからなあ。。。。
358人間七七四年:2011/05/07(土) 10:06:17.58 ID:iCNckxSe
だったら、橋本政宣とか読んだら?
359人間七七四年:2011/05/07(土) 10:27:31.28 ID:OzaHpK8s
>>358
高いよ
図書館に頼んでも断られたんで、買ったけど
360人間七七四年:2011/05/08(日) 21:42:54.74 ID:/zEx2QDF
>>359
俺のところは図書館に入れて貰えた。
361人間七七四年:2011/08/27(土) 04:16:08.85 ID:DskXgzwE
>>徳川の天下が定まっても信長の命日に追悼句会を開き信長を慕っている彼の
信長への思い入れはかなりのものだったようですね。

上記スレで↑とあるけどこの追悼句会に参加したメンツが気になるなあ。
この時期に集まるなんてよっぽど信長への思いが強い人間だろうし。

362人間七七四年:2011/11/10(木) 17:07:12.01 ID:aWykys8J
また菊亭か
363人間七七四年:2012/01/17(火) 15:15:58.00 ID:jtjByStT
天皇より若い関白ですか?
364人間七七四年:2012/03/16(金) 15:08:59.13 ID:DZy1+7tZ
晴嗣
365人間七七四年:2012/05/17(木) 14:50:44.50 ID:yJgflIIM
テス
366人間七七四年:2012/05/27(日) 20:25:14.64 ID:ElkVU+3z
直江の漫画に出てきたね
367人間七七四年:2012/07/10(火) 09:03:09.33 ID:PAt52rbB
大和和紀の漫画にも少し出てる
368人間七七四年:2012/12/28(金) 13:58:53.35 ID:vY+OxY/C
こいつが全国を転々としたから、
男系が息子で途絶えた。
369人間七七四年:2013/02/08(金) 14:47:47.07 ID:2IHiuVLW
あげ
370人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:l3jekCsy
ほす
371人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:pmCyQR1m
>>352
嫡孫と共に公家達と祝杯って記述はどこに書いてあったん?
372人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:PK0zIcpt
>>352
そんな記述があるんだったら、このスレの初っ端ででてきてもおかしくないがな
373人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:KY/2I9Zf
>>371
あぁそれ初耳。
俺も知りたいかも。。
374人間七七四年:2013/09/22(日) 16:19:32.90 ID:AnC5gjXE
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
375人間七七四年:2013/09/23(月) 13:50:27.92 ID:uPVRnCbW
>>371-373

>>352は明らかにガセ
前久に嫡孫はいない
376人間七七四年:2013/09/23(月) 15:01:00.95 ID:1S/xMsKz
>>352には嫡孫なんて書いてないが。
377人間七七四年:2013/09/28(土) 00:52:20.30 ID:DfqsGsRP
嫡男だろうが嫡孫だろうがソースが出なければ大した違いはないけどな
378人間七七四年:2013/09/28(土) 09:48:26.74 ID:hnJ2ay+u
>>352は2年以上前の書き込みである件について
379人間七七四年:2014/01/18(土) 04:21:21.99 ID:eHqaHCyp
age
380人間七七四年:2014/05/17(土) 12:36:36.15 ID:KBbAu0MZ
age
381人間七七四年:2014/05/18(日) 02:31:44.18 ID:oTVs8iQc
戦犯
382人間七七四年:2014/09/02(火) 23:55:51.92 ID:ajxK3x7F
19歳で関白ってすごいな
383人間七七四年
この時代は摂関家出身ならそういうレールが敷かれてる
…が、血を血で洗う戦国時代。関白になっても何の実権も権威もないわけで
前久が地方ドサ回りも厭わずいろんな戦国大名と交流したのはそういう背景もあったんだろうな
前久本人も他の公家と違って内にこもってぐちぐち言ってるタイプでもなかったし