941 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 23:16:00 ID:i7/pYlCs
吉原から先は岳南鉄道かな
最寄り駅はどこだろ?
明日の昼過ぎに行ってみよかな
942 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 02:27:07 ID:0Gtbp41I
昔は北条なんて地味で誰も気にしてくれさえしなかったのにアンチさえふえたったのは喜ばしい。
ほら、アンチ巨人ファンも巨人ファンのうちっていうじゃん。
アンチだって増えればそれが北条が外野にも注目されていくことにつながり、ひいては更なる研究と再評価につながるさ。
943 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 08:36:29 ID:/cIcA2v+
北条は行政の体制は素晴らしいけれど、
それが果たして民衆の生活によかったものかどうかは強く疑問に感じる。
なんかさ、北条=民想いの善政って公式が出来てるけれど、
北条の魅力はそうじゃなくてシステムの構築にあるわけなんだよね。
領民の幸せを第一に置いたわけじゃないけれど、
そこを誤解した一部のにわかファンが北条は税が安くて暮らしやすかったとか言うから、
「おいおい違うだろ」と本来アンチになるべきじゃない人までアンチになってる気がする。
例えて言うなら、信長はすごいけれど、講談や小説に描かれるような天才じゃないのに、
信長=天才のイメージで語る馬鹿に対してアンチが生じるようなものだな。
944 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 09:22:39 ID:EE0EAyal
>>943 だよな。
税率に関してはお隣の今川さんちより高いのもあれば低いのもあるし、
他国では戦時しか課さない賦役が北条においては平時も金納で課されたり、
一方、伊達の約半分の税率なんてのもあるしね。
当時の税制なんて全国規模で正確に解明されてないんだから、
伊達の約半分のやつなんか課税の単位が違う可能性もあるし、
一部をもって高い安い言うのはどうかと思うよね。
北条の税が他国に比べて安いと証明出来たら戦国史研究の有名人になれるよ。
そんなことよりも一門を増やして戦力にしている方が凄いと思うけどなぁ。
足利一門の宗家や今川家が出家させて一門を減らしてるのとは対称的だね。
945 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:37:24 ID:t8C0RdUD
民思いというよりは、関東諸将から目の敵にされていたために
政権基盤を民衆に求めざるを得なかったためで領民の幸せとはまた別次元だろう。
またその民衆の支持も、
マキャベリによれば古くから続く君主ならば生活を悪化させなければ支持されるが、
新興の君主の場合はそれでは不十分だそうな。
その不十分を補うために、北条はあの手この手で、
当時としては整った行政機構を創出したことのほうが特筆されるべき。
税が安い?だからなに?
946 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:43:52 ID:R0uaJTJy
北条は税体系とか行政システムの全貌が分かってる唯一の大名だって黒田氏が言ってたけど、滅んだ家なのにそんだけ史料が残ってるのは何でだ?
素人なんで、誰か教えとくれ
947 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:55:32 ID:kk5WKUU7
>>946 北条は戦国時代の文章行政の、最も早い実行者でありチャンピオンだったので、その
発行書類が大量に残った事。
また北条が滅んだ後徳川家がその行政機構を基本的に引き継ぎ、さらにこれが天下を取り
安定政権となったため、旧北条領はその統治下で戦乱に巻き込まれる事もなく、文書が散逸
することもほとんど無かった。
旧武田領も基本的に徳川の直接支配地域に組み込まれたんだけど、ここは北条ほどは
文章行政が進んでいなかったようで発行量が少ない(勝頼の時代になると増えるが)、
そこに違いが出る。
948 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:43:51 ID:LGYzyN/j
なんなのチャンピオンて(笑)
北条厨・・・(笑)
949 :
大和中納言秀保 ◆MtKiRaGd8. :2008/11/25(火) 22:21:12 ID:yf0QTcLS
武田征伐の時に
もっと、本腰を入れていれば甲斐(穴山分除く)ぐらいは
貰えたんでしょうかね?
950 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 22:21:59 ID:G3t23vu7
せいぜい上州どまりかと
951 :
大和中納言秀保 ◆MtKiRaGd8. :2008/11/25(火) 22:38:00 ID:yf0QTcLS
>>950 織田信長は瀧川一益を東国の取次にしたいので、
上野は譲れないのでやはり甲斐しかないのではないでしょうかね。
952 :
946:2008/11/25(火) 23:41:02 ID:zuJABZPn
>>947 サンクス☆
漏の友人で法制史研究やってるヤツに同じこと聞いたら、「ただの偶然」なんて見も蓋もない答えだったが、これですっきりした(笑)。
北条がそれだけ文書行政に力を入れたのはやっぱ余所者だったことが関係してるのかな? 武田の方は先祖累代の土地だから、旧来の慣習の延長線で統治したってことかな?
あと始祖・早雲が、近畿では必要性が言われながら抵抗勢力のせいで実現できなかった最新の行政技術を関東で実験しようとしたってことが理由だろうか?
長文スマソ
953 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 23:49:30 ID:G3t23vu7
>>952 まあ、早雲の伊勢家が幕府直轄領になった山城で、この新方式の統治システムを
実験、実行していた、ってのが大きいね。おそらくそれにもかかわっていた盛時は、
その成果をそのまま関東に持ってきた。
954 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 23:52:05 ID:G3t23vu7
>>951 上州は、結果織田領国の最東方になったため、東方担当官の滝川に宛がわれただけで、
先に北条が上州を確保してしまえば、滝川は甲斐におかれたと思う。
955 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 01:28:51 ID:TlwAUz55
>>954 北条が持っていた上野領も取り上げられているんですが。
956 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 04:30:08 ID:ZDdfPXxC
それどころか北武蔵すら取り上げられていて、下総もヤバい状況。
957 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 07:15:17 ID:yCoJnxw7
当時の紙は高級品だから民衆に圧制を強いていたな
958 :
仙台藩百姓:2008/11/26(水) 08:19:46 ID:Wak6m3vq
駿河の領地も取り上げられてるおね( ^ω^)
信長は初めから北条なんか相手にする気なかったお┐ (´ω`) ┌
武田討伐でも、なに勝手に取ってんだカス。と言う状況だったのでしょう( ^ω^)
959 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 13:50:47 ID:30PgMIAw
>>958 信長に最初から相手にする気がなかったというのが、最初から同盟者とは見ていなかった
いなかったというのならたぶんそうだろうね。
>>738にあるように、四国切り取り自由と
いっていた長宗我部に対してやっぱやめたと言い出したように、北条に対しても
最初から領土削りまくるつもりだったんだろうから。
960 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 10:40:12 ID:eLFkkvqR
____
/ \
/ \ / \ うんこうまいお
/ ⌒ ⌒ \
| 、" ゙)(__人__)" .) | クッチャクッチャ
\ 。` ⌒゚:j´ ,/
961 :
仙台藩百姓:2008/11/27(木) 12:29:51 ID:c+0EIWYh
>>959 まあ、周辺があらかた片付くまで現状維持という態度が見え見えだったおね
氏政の要望は一切受け付けなかった点、北条に対しては長宗我部以上に露骨だったけど( ^ω^)
962 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 12:45:00 ID:YpcGD58p
結果論になっていまうのかもしれないけど、その信長には我慢していたのに、秀吉の時は
何であんな態度だったんだろう。
963 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 13:26:32 ID:2msytMe2
関東制覇が見えたのと、
家康、信雄、政宗あたりをあてにしていたとしか。
964 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 15:36:35 ID:ZclJA5rO
いいれす
965 :
大和中納言秀保 ◆MtKiRaGd8. :2008/11/28(金) 01:26:46 ID:9BEuP6ts
>>954 北條は武田征伐の時に、
駿河・上野・甲斐の三国に出兵していたような気がします。
これを上野一本だけにすれば、
戦後上野と信濃二郡は瀧川一益ではなく北條に与えられていたかもしれませんね。
966 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 01:40:25 ID:pBU/5Cyx
甲斐出兵はよくしらんから言及は避けるが、
駿河出兵に付いては信長から褒められてる。
しかし上野出兵&調略については徹底的に無視されている上、
戦前よりの北条領を切り取って滝川に与えている。
どんなに活躍しても、上野に関しては取り上げられたと見る。
>>966 そうですか。
最初から織田信長は瀧川一益を
東国の取次として上野に置いときたかったんでしょうね。
私個人としては
北條が何処か一本に絞っていれば、
徳川に駿河一国貰えたように
北條に甲斐一国貰えたような気がするんですよね。(氏直は武田晴信の孫ですし)
968 :
仙台藩百姓:2008/11/28(金) 10:38:17 ID:J7oiJbFW
どこをどう見たらそう思えるのだか┐ (´ω`) ┌
徳川と織田の関係からしたら北条など天地ほどの差があるお
20年の同盟関係と10年以上の対武田戦を共にしてきた徳川が駿河一国なのに
織田の伸長を見て慌てて擦り寄って来た北条ごときに徳川と同じ待遇を与えると本気で思うのかお┐ (´ω`) ┌
実際、信長の応対を見れば分かるはずだお
関東は滝川を奏者とし、入り次第仕置きを始めている
織田一門入りや分国支配どころか滝川の下に位置付けられた訳だお
自立すらも許さぬ強硬な態度で、もはや分け前の領地云々どころではあるまいお┐ (´ω`) ┌
969 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 10:52:45 ID:ZhcjLYxy
どっちにしても北条に従ってた者たちが滝川へ次々と出仕してるのを北条は止められないから
上杉滅亡後に織田の本格的侵攻を北条は受けて、武田よりもろく内応だらけで即死だろうな。
なんせ滝川・川尻・徳川・佐竹・里見・蘆名が怒涛の勢いでフルボッコされ小田原城籠城策www
籠城してたら信忠・柴田・前田・佐々・森まで次々と合流してくるし。
毛利・長宗我部には信長・秀吉・光秀・丹羽らで充分だしな。
970 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 11:31:01 ID:RIysMa+a
織田の同盟者への思考は上杉に対する態度でもよくわかる。
信玄が死ぬまでは非常に丁寧な低姿勢な書状(「恐々謹言」などで通し、必ず花押付)だったのに、
その後は次第に適当な態度(「以上」で通して花押を省いて朱印だけとか)になり、
軍事要請を行うときはまた低姿勢になっている。
しかも長篠の合戦で大勝利するまでは東国大名への連絡は基本的に関東管領たる謙信を仲介していたが、
この頃からそんなもの知りませんと言わんばかりに独自に東国外交を展開。
また、謙信の家臣にも内部分裂をはかるかのような書状を送ったりと、実に油断が置けない。
その癖、自分が今攻められるとまずいと思うと、機嫌取りに国宝級の屏風を送りつけたりする。
こういう信長を同盟者だからと信用していたら、絶対に痛い目にあう。
971 :
大和中納言秀保 ◆MtKiRaGd8. :2008/11/28(金) 12:27:35 ID:9BEuP6ts
>>968 仙台藩百姓さん
私の「もしも」はかなり希望的観測ですね。
すみませんでした。
そういえば、
仙台藩百姓さんが言っていた
取り上げられた駿河の領土とは
具体的に何処でしょうか?
話は変わるんですが、
北條家の本能寺の変後の一連の行動には大義名分がないですよね。
確か柴田勝家に
織田家が一致団結して北條を征伐しよう
と書状で書かれていたような?
仮に変後、瀧川一益を攻めずに協力していたら
その後どうなっていたんでしょうね?
972 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 17:35:54 ID:pBU/5Cyx
>>969 お前の希望なら、チラシの裏へ書いて置け、な。
973 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 18:15:14 ID:oYtRlJPq
>>971 北条の支援で甲斐の国一揆がうまいことおさまったかもしれない。
徳川が信濃・甲斐に出兵する大義名分が失われたかもしれない。
ただ、北条は北武蔵まで滝川に分捕られていたのは変わらないので、
うまく立ち回って甲斐を手に入れ、北関東の諸大名とも関係を
保ち続けない限り、かなり辛い状況じゃないか?
まあ、不確定要素が多すぎて、想像すらつかないや。
974 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 10:54:54 ID:AsKxLDS0
あいつは煽りたいだけのカスだから相手すんな
975 :
仙台藩百姓:2008/11/30(日) 13:07:44 ID:PWR4HyU1
>>971 武田征伐の折りに奪取した徳倉、沼津、三枚橋、深沢などだお( ^ω^)
普通なら領有問題が起きるところだけど、北条は二週間に4回も貢ぎ物をしてご機嫌取りをした揚げ句
上野や駿河からの退去を命じられるという屈辱的な扱いをされたお┐ (´ω`) ┌
しかし氏政は大人しく引き下がったばかりか
信長公と仲良くなれますように、と神頼みをする有様
日本政府も顔負けの土下座外交だお(;^ω^)
976 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 14:40:16 ID:bx0Jnz/T
しかも信長との謁見も拒否られてたような。
977 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 14:40:58 ID:TGQ9wVVe
氏直と信長の姫との婚姻(婚約自体は済んでる)がとっとと滞りなく終って、
北条にとって良い日が来ますように
っていう願掛け文が残ってるんだっけかw
しかし秀吉に対して意地を通せば時代が見えないと罵られ、
信長に対して意地をまげてみれば土下座外交と罵られ、
氏政が可愛そうですw
978 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:16:05 ID:OWL4iGQm
小田原攻めのとき、意見をまとめて箱根から打って出て三島合戦を巻き起こして華々しく散ればここまでたかれなかったのにな。
結局は組織作りを間違えたんじゃないかね。
979 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:25:12 ID:xK97llqq
小田原の役が始まった後
北条家が秀吉に降伏出来たタイミング、というか猶予は有ったんですか?
島津、長宗我部も征伐を受けましたが降伏した事で生き残れましたが
北条は本拠小田原が囲まれるまで降伏しなかったので滅亡まで追い込まれたのでしょうか
小田原評定などと揶揄されてますが
氏政がもっと早く決断していたら、結果も変わっていた?
980 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:55:47 ID:TGQ9wVVe
名胡桃の前なら可能だったけど、その後は無理。
弁解の使者が弁解させてもらえずに幽閉されてるくらいだし。
981 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 19:00:32 ID:d3u5k4Yy
だから迎撃に出ればいいのに、伊達や徳川を信じきって、
籠城するから痛い目にあっている。
島津や長宗我部と同じように済むと思ったんだろうけれど、
少なくとも彼らは外に出て潔く戦っているよね。
982 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 19:03:01 ID:xK97llqq
>>980 そうなんですか
家康もとりなしてくれなかったんですかねぇ・・・
983 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:28:53 ID:frUDkWmv
迎撃でるといっても兵力差ありすぎだし篭城の方が戦い方としてまだマシな気がするがね
伊達徳川の動向がまだ不明ならなおさら。
勝率低いと思われるような戦い方選択するなら最初から戦わない方がよい
氏邦は決戦派だったけど他のメンツで抗戦派は篭城主張してなかったっけ?
984 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:36:24 ID:LlV9WEIp
横浜歴史博物館へ「戦国大名・北条氏と書物」を見に行きました。
小田原城の方が展示品も多く、楽しかった。
985 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 00:33:20 ID:1r8o/6x3
迎撃に出たところで、小牧長久手や沼尻みたいな陣地戦になってしまいそうだがな。
敵本体は北条本体で抑えるとしても、
北陸勢や関東諸将、或いは東北の諸大名はどうするよって話。
各拠点で支えつつ、本軍を適時投入して各個撃破というのが内線防御の基本。
北条はその基本にのとって、本軍を確保して防衛ラインでの疲弊を待ったわけだ。
問題は、その防衛ラインの兵力が少なすぎたことかと。
986 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 11:40:47 ID:TY8Kp5/B
小牧・長久手の頃もっと頑張れば良かったんじゃないのか
987 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 13:00:54 ID:4id9s1Aw
沼尻で対陣ではなく、家康を積極支援?
988 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 14:04:49 ID:LO/M5hi1
佐竹にカウンター食らわされそうな気がするんだが。
989 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 14:47:19 ID:bBuKpcGF
長丁場になると遠距離だけに疲労といい戦費兵糧などの賄い等大変そうだわな
おまけに得る物がないしな 秀吉徳川の戦いがいつまで続くかなんてそうそう予想できないし。
おまけに佐竹方は一統して結束力増してるからな
沼尻の時は関東のみならず奥州からも援軍来てたし。
まあ北関東の支配権固めるという方針が、特に北条の性格上も自然だろうな
結果論では悪かっただの良かっただのどうとでも言えるけど
990 :
人間七七四年: