信玄と謙信、どっちを信長は恐れてたの?

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1人間七七四年
どっちか?って言われたらどっち?
2人間七七四年:2007/08/20(月) 22:24:42 ID:TZx/ivj0
         l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
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3人間七七四年:2007/08/20(月) 22:56:34 ID:oNhF+xe0
信玄だな
信玄の「攻め」が強そうだから、信長は信玄を想う度に自分の尻をさすっていた
4takeda:2007/08/20(月) 23:04:07 ID:6o/MwJfu
謙信だろ。手取川の戦いで最精鋭部隊の柴田勝家
5人間七七四年:2007/08/20(月) 23:43:30 ID:WpNgLfuG
三方が原で徳川
手取川で柴田
どっちも恐れてたんじゃないかな?
6人間七七四年:2007/08/21(火) 00:32:11 ID:0idWALK3
恐れてたって・・・信長と他じゃ動員力が全然違う
7ゆうき:2007/08/21(火) 04:10:27 ID:T2czzYDQ
.信玄と謙信..は、信長に苛め刹ろされました。残念ですが。
8人間七七四年:2007/08/21(火) 05:15:09 ID:hjDJApHY
謙信だろう。
安土城も謙信対策
9人間七七四年:2007/08/21(火) 05:35:54 ID:gJXOw2Dh
同盟結ぶくらいだから、信玄でしょ。
10人間七七四年:2007/08/21(火) 06:25:56 ID:nouFoNIp
どちらかと言えば都志向の信玄かと。

謙信は結局最後まで関東にこだわってた。
最後の出兵準備も関東方面向け。
11人間七七四年:2007/08/21(火) 06:52:21 ID:JHYKOi2Z
信長は実はGacktを恐れていたんだよ
12takeda:2007/08/21(火) 13:20:16 ID:lqOy3214
最精鋭部隊に勝ったから、謙信
13人間七七四年:2007/08/21(火) 13:23:58 ID:2fMVAPyn
手取川戦は秀吉の失態もあって謙信への恐怖が薄れたんじゃないかな
姉川他であれだけ奮戦した家康が一蹴されるのと
援軍が逃げ帰った後精鋭が一蹴されるのじゃ
前者の方がやった相手に対する恐怖は大きいと思う

秀吉が勝家の援軍にちゃんと行った上で破られてたら状況的に間違いなく謙信
14人間七七四年:2007/08/21(火) 14:14:04 ID:bHf2yFpz
信長は両方を唯一恐れたって書いてある書籍がたくさんあるけど。
信玄とは外交作戦で何とか防げたし直接対決はしてないから。
対謙信戦〔手取川の戦い〕とか直々に信長は指揮はしてないけど
散々に打ちのめされて帰ってきたんだから謙信だろ。
15人間七七四年:2007/08/21(火) 18:39:34 ID:OrpL2Ryz
歴史の本には信長は信玄と謙信に出す書状は特に丁寧だったと書いてあった
16人間七七四年:2007/08/21(火) 19:02:00 ID:i5K/S8ut
濃尾両国を領有してたときぐらいまでは潰されかねんという「滅亡」の恐怖
天下に号令するようになってからは、勝てるけどこっちも大打撃は免れん
という「痛手」の恐怖

信長もさすがにマジで負けるとは思ってなかっただろ、あの国力だし
ただあの辺の大勢力とやるとなると色んなものを消耗するだろうし
天下統一も大幅に遅れるから、怖い存在なのは確か
17人間七七四年:2007/08/21(火) 23:11:16 ID:OrpL2Ryz
信玄と謙信はどっちがいくさが上手なの?
18人間七七四年:2007/08/21(火) 23:11:36 ID:6UUEBiKI
時代を占う上では信長の対上杉武田戦略はむしろ妥当と言えそうだがな
19takeda:2007/08/22(水) 11:43:04 ID:uebDnGSL
17へ、謙信
20人間七七四年:2007/08/22(水) 12:27:56 ID:Ey04SGCz
そっかー
謙信のほうがいくさが上手なのかぁ
21takeda:2007/08/22(水) 22:09:05 ID:uebDnGSL
謙信の兵は剛強で一人2殺。信玄の兵は忠実で、命令絶対尊守。
謙信の武将、死ぬまであきらめず。信玄の武将、名将だが、裏切る。
軍儀 謙信がきめる。他の武将が決める。



22人間七七四年:2007/08/22(水) 22:16:49 ID:WvDtxJj6
>>21
両方とも乱捕りするから織田家の兵のほうが規律は守られてる。
23人間七七四年:2007/08/22(水) 22:35:34 ID:6V2+FVe8
比べるまでもなく信玄だろ。
野心家で義理や人情に縛られないし、実際に織田包囲網の
最大の強敵だった。

謙信は、そっとしといたらかかってこなさそうだし、
戦略、政略性に欠けるからやりやすい。
まあ、武田、北条みたいに聖戦認定されたら一番やっかいな相手だろうが
幸いそこまで目の敵にされなかったから。
24人間七七四年:2007/08/22(水) 22:37:45 ID:WvDtxJj6
まあ西上作戦を決行するのが遅い。
25人間七七四年:2007/08/22(水) 23:57:15 ID:T28bEB88
信長包囲網が崩れた時点でどちらも単体では対して怖くないだろ。
信玄と謙信の両方同時には相手にしたくないな、ぐらいに思ってたんじゃないの。
しかも対決が伸びるほど信長が有利になるしな。
26その時歴史は動いたより:2007/08/23(木) 02:06:46 ID:UgqqmfZ6
信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。
近年の研究で、この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが
判明した。そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。
27人間七七四年:2007/08/23(木) 02:41:39 ID:nvyqi/OA
書状では媚売ってごますっておきながら裏では「謙信のあほう」って呼んでた
28人間七七四年:2007/08/23(木) 04:59:08 ID:14oBrne0
てか、信長が一番恐れた大名というか勢力は本願寺だろうな

29人間七七四年:2007/08/23(木) 14:50:37 ID:/neELOAT
恐れていたのは、人物の力量じゃなくて普通に背後を衝かれることでしょ
そりゃ誰だって嫌だわ
30人間七七四年:2007/08/24(金) 09:32:03 ID:hye41a4E
信玄と謙信がもうちょっと長生きしたら信長は危なかった?
31人間七七四年:2007/08/24(金) 10:12:04 ID:s0CkPpn/
信玄があと3年生きてたら織田は消滅してたかもな。本願寺と武田に挟撃されて生き残れるとは思えん
32人間七七四年:2007/08/24(金) 12:16:16 ID:NjuQl/5k
>>31
信玄があと三年生きてようが十年生きてようが残念ながら織田家は
潰れません。信長が暗殺でもされたら別だけど。
33人間七七四年:2007/08/24(金) 12:41:39 ID:sahaczsn
謙信が3年生きてた方がヤバかったのでは
越前が落ちるのは時間の問題だったし
近江まで侵食されたら分断される可能性も有った
松永、荒木、別所、波多野らが裏切る時期とも重なってる
そうこうしてる間に毛利も東進
武田も立ち直ってたかも
34人間七七四年:2007/08/24(金) 12:58:02 ID:iL9MS/rr
そんな遠征して後ろは大丈夫ですか?越前が落ちるのも時間の問題だった?初耳だなあ。
35人間七七四年:2007/08/24(金) 13:21:18 ID:sahaczsn
>>34
佐野や佐竹らが北条を挟撃してたし
厩橋も上杉側
今まで越後軍は五千〜八千程度しか三国峠を越えられなかったが
加賀の国人、首謀者の多くを被官化して膨れ上がってるから
二万前後を関東に割けたのでは(謙信自身が乗り込むまでも無い)
それで主戦場を北武蔵まで押し下げるのは可能

勝家が加賀攻めを再開したのは安宅等への放火だから
織田の勢力は安宅以南しかなかったという事
とすれば一乗谷攻めは早期に行われていたと思う

36人間七七四年:2007/08/24(金) 17:50:36 ID:n/kH1Jf+
>>35
でも史実では上杉軍は手取川の後なぜか越前に乱入せずに越後に帰ってるよね。
後背地の安定具合が気になったというのが状況から納得できる理由の一つだと
思うんだけど。君が「大丈夫」と思っても謙信はそうでもないっぽいよ?

あと、北陸一帯を一時的に蹂躙することは出来ても、江北の平野部でにらみ合い
の形を整えられたらどうしようもないでしょ。兵力は織田が圧倒的に上。やがて
上杉は帰郷して謙信不在の北陸道をまた織田が攻め上っていくよ。
37人間七七四年:2007/08/24(金) 18:52:27 ID:JyhXWHdh
信長にとっては信玄が死んだ時と謙信が死んだ時はどっちがラッキーな状況だったの?
38人間七七四年:2007/08/24(金) 19:03:24 ID:JxSxw/z7
>>36
毛利に別所謀叛・本願寺に一向一揆・根来衆に謙信。
そんな圧倒的に兵力は上なのか?
39人間七七四年:2007/08/24(金) 19:16:34 ID:IG+XUxQ7
信長が発狂したように朝倉、浅井、一向宗を弾圧したのも
信玄謙信の上洛を恐怖した反動だとも言われているね
尾張美濃のときはそういう傾向なかったでしょ?
40人間七七四年:2007/08/24(金) 19:19:10 ID:zR8w7TOo
>>36
後背地の不安定さが帰陣の理由ってのはあまり聞かない。
もう十月だから豪雪を考えたのと七尾〜末森〜手取と戦が続いたから兵を休ませたかったらしい。
手取川の後はゆっくり七尾に寄って、支配を固めた後12月にようやく帰国。
前田家の実性院には謙信が七尾城に帰った後、その家臣が大聖寺城を占拠した記録が残ってるそうな。
越前一向一揆で信長軍の大虐殺から加賀に逃れた越前衆も多かった。
1578年頃の越前〜加賀南端の支配は信長(柴田)にとって非常に不安定。
信長に対し恨み骨髄の越前衆が謙信と合流(加賀衆は既に吸収済)した場合、かなり厳しい。
41人間七七四年:2007/08/24(金) 20:10:06 ID:TT3keynZ
ありえないが信玄、謙信が急遽講和し足利幕府のためって同盟して東海道と中山道
を使って京に進軍したら織田を滅ぼせないけど信長を京都からは退去させられる。
42人間七七四年:2007/08/24(金) 21:19:28 ID:JXGOSzGU
大聖寺城ってもとから一揆衆の城で当時はまだ織田領ではなかったような?

良く取れば、一揆の城に謙信の軍が入った。
悪くとれば、一揆の城を謙信の軍が攻めた。
さすがに後者はないだろうと思うが、詳しく呼んで見たいんで、文章だけ
でも挙げてみてくれないかな?>前田家の実性院には〜
43人間七七四年:2007/08/24(金) 22:14:24 ID:n/kH1Jf+
>>38
上だよ?

一時的に戦線膠着させて対上杉に集中すれば軽く数倍の差が出るぐらいには。
決戦しなくても甲信方面に力を裂いて挟撃に出てもいいし。実際謙信没後の
話になるけれど、上野と北陸から挟撃しようとしてたようだし。

>>40
まあ北陸方面を一時的に制圧できた可能性については否定しないよ。たぶん
越後や関東でゴタゴタが起こって頓挫すると思うけどさ。でも織田家そのもの
をどうにかできるとは思えないなあ。
44人間七七四年:2007/08/25(土) 01:04:15 ID:ipeuWmXV
信玄と謙信って、ほんと信長にとって都合よく急死してるな
寿命といわれればそうだけどw
45人間七七四年:2007/08/25(土) 02:34:59 ID:oDQq3+NG
むしろ都合が良かったのは信玄謙信の方だろ。
直接対決してたら確実に織田に潰されてる。
その前に死ねたので晩節を汚さずに済み軍神やら何やらと神格化された。
結局しわ寄せは勝頼や景勝が食らった。
46人間七七四年:2007/08/25(土) 10:50:54 ID:xrPMgFdp
>>45
景勝は運が良く滅ぼされずにすんだよな。
47人間七七四年:2007/08/25(土) 13:02:38 ID:3xhL+WKY
>>43
でも「どうにかなってる」しな
あの時点で織田家から松永が離反してると見通しは暗い
さらに外圧がかかれば別所や荒木の離反も早まるだろうし
次から次へと離反者が続出するのは目に見えてた
48人間七七四年:2007/08/25(土) 14:55:04 ID:Yx6G7+0W
>>43
俺もそう思う。
信玄のときも生きてたとしても、経済力と各個撃破で
浅井、朝倉と弱い順に潰されて結局やられていた(武田本体は無事でも)
と思う。

それと、個人的には謙信自身に対武田、北条戦の時のような情念を
感じない。
49人間七七四年:2007/08/25(土) 15:08:50 ID:ENRy6lGz
>>43
一時的に戦線膠着させてって言っても、それができないで謙信に加賀まで出られたん
だろう。 謙信西進に合わせて松永久秀とかに謀叛されてる。
信玄の西進時も家康に遅れた援軍たったの3千。
戦略的に後手後手なのに、一時的に膠着させてとか言っても説得力ないよ。
その後も別所や荒木、最終的には明智と謀叛の嵐だしな。
常に掃討作戦とって、外周包囲を続けてるのも戦略的に苦しいとしか言いようがない。
叡山皆殺しとかやっちゃってるし、そんな簡単に都合よくは進まないよ。
50人間七七四年:2007/08/25(土) 17:36:54 ID:xrPMgFdp
信長が送った援軍が三千だったのは信長の勢力の国境を固めて他国に援軍を送れるような状態ではなかった。
51人間七七四年:2007/08/25(土) 18:02:32 ID:1ap8aC8W
まぁ、手取川南岸は結局織田方が確保して
謙信の加勢があったにもかかわらず織田の勢力圏はむしろ北上していたからな
このあたり、謙信にとっても一揆勢は直前までは敵だったから後背を任せきるには不安があったんだろう
52人間七七四年:2007/08/25(土) 19:24:09 ID:x0vC6rKB
>>51 俺 地理弱いけど上杉軍が制圧した大聖寺城て手取川よりかなり越前よりじゃね
もともと能登の守護畠山は信長派の長続連の傀儡で能登加賀は信長の勢力圏だと言っても
過言ではないのだからその大部分を失たのは勢力範囲の大幅後退じゃね。
53人間七七四年:2007/08/25(土) 21:34:00 ID:3L7Jer+l
>>49
織田家を圧迫しといて殆ど得るところなく撤兵した謙信さんを擁護する
のに説得力を持ち出されてもw

そんなん言い出したら「お前の主観はともかく謙信やる気あんの?」で
この話し終わっちゃう。

ついでに明智の謀反を別所、荒木と絡めるのは無理があるだろう、いくら
なんでも。
54人間七七四年:2007/08/25(土) 23:44:02 ID:Eh3e8v5O
>>45
俺もそう思う。

武田、上杉や他の大名もそうだけど考え方が古い。

例えば二人とも本拠地に引きこもっているのに対し、
信長は本拠地を戦略的価値のある所へ変更している。
他にも兵農分離や鉄砲など色々ある。

恐らく信長は戦う時期がくるまで頭下げて戦回避か篭城作戦で粘り、
時期が着たら一気に叩き潰す作戦だったと思われる。

まあもし生きていたら天下統一は遅れたと思うけど。

55人間七七四年:2007/08/26(日) 12:46:22 ID:5e/0by5h
背後に双方がいたからあまり東国を攻めることができなかった。
56人間七七四年:2007/08/26(日) 15:32:54 ID:hjHy/Pqz
この時代の鉄砲は野戦に於いて絶対の価値はないし、武田や上杉の騎馬がどれほどの
もんかは知らんけど、相対的に見て戦術的なものは互角だろうね。
結局は戦略・戦術の能力差によるところが大きいと思う。
一度の勝負で、敗戦側の国人離反が大きいだろうから、やはり会戦勝負となるだろね。

兵農分離は信長時代はあまり役に立ってない。信長自身がより多くの兵を出すことを
要求してるし、兵農分離して数を押さえる形になっては意味が無い。
それになんぼかの常備軍を持てたとしても、武田なんかは農閑期のみに兵を動かしてる
わけでなく、ガンガン農繁期に兵動かしてるから、たぶん決定的要因にはなりえないと思う。

秀吉時代はそういう部分が進んだ軍隊だったとは思うが、質的には家康軍のような旧態依然の軍隊の
ほうが士気も高く強かったという現実もあるわけで、一概に兵農分離による常備軍が
いいとも言えないとも思う。

57人間七七四年:2007/08/26(日) 16:50:41 ID:HMrty4j3
信玄も謙信も、信長より基盤を持ち先に戦国大名としてスタートしたのに
結局のところあっさり追い越された
同盟破りを仕掛けないと勝算が立たないくらいの差がついていた
本当に頼りになるかわからない義昭一派(事前までは謙信も信玄も態よく無視していた)、謙信に到っては祖父の仇である一揆と講和しないといけない状況に
むしろ信長を恐れていたがゆえの暴発
冷静に見れば、謙信信玄は生涯賭けても数ヶ国程度しか制圧できなかった地方大名に過ぎない
ガチでやったら国力差からいって成算がたたんよ
58人間七七四年:2007/08/26(日) 21:00:09 ID:5e/0by5h
武田、上杉の兵は徴発した兵だよね。
だから田植えの時期と稲刈りの時期には動員できず本国に帰さなければいけない。
なので攻略範囲をあまりのばせない。
織田の兵は農家の次男坊なんかを中心に構成し本場仕込にする。
59人間七七四年:2007/08/27(月) 00:00:41 ID:P4Fux36g
少し前のレスくらい読めよ

60人間七七四年:2007/08/27(月) 00:11:40 ID:5K+T4Aig
信玄謙信は当初の条件が信長より恵まれていたように
簡単に言っちゃっているアホがいるが、
甲斐と越後は土に根付いた独立心が強い豪族連合で
これをまとめるのは大変な能力と労力が必要だな。
地理的用件も周辺環境も圧倒的に信長のほうが恵まれていた。
甲斐越後を信長ならうまくはやく収められるかどうかは未知数だよ。
61人間七七四年:2007/08/27(月) 01:07:31 ID:YivZbFN+
確かにあの豪族どもをまとめるのは大変だ
62人間七七四年:2007/08/27(月) 01:19:06 ID:L8xJc4Fo
はじめましてどちらも怖かったでしょう!どちらかといえば信玄の方が怖かったのではないでしょうか(*^_^*)国境が隣りでしたし信玄が長生きしてたら多分信長はあそこまで領土を拡大するのは難しかったと思いますよ(^_^)v
63人間七七四年:2007/08/27(月) 01:24:30 ID:gKVrP7oZ
>>61
甲斐は血族関係が多いようだけど
そんなに大変なの?
信虎の時代で小山田ってかなり弱体化してるし
信虎に散々討ち破られた後思いっきり没落
府内に居を与えられ、郡内で政令一つ出すにも武田の了承が必要だったとか
甲斐は信虎の時代でかなり纏まっていて
越後は甲斐、尾張と比べようが無い位乱れきってる
64人間七七四年:2007/08/27(月) 01:44:00 ID:WfTgYjio
信長は独断専行型で、田舎の村社会武士をまとめたり
尊敬を得るのは無理。性格的にも無理。
信長は大金持ちで、傭兵を雇っていたし。
傭兵は契約関係なので、傭兵の機嫌をとる必要がない。
田舎の領主に生まれていたら信長は大成してない。
65人間七七四年:2007/08/27(月) 07:22:11 ID:BWT4AdA0
人間は生まれと教育で全然異なる生き物へと変化する。「信長は独裁型で
田舎豪族をまとめきれないよ」だぁ? 田舎で育てば相応のあしらい方を
身につけるよ、本当に優秀な人材ならな。

まあ何が言いたいかというと、「〜が〜に生まれたら?」ってイフは育ち
や親の人生まで綿密に設定しないとイフにならんと。

あと、信長だって尾張の豪族の一つで分家筋、英邁を謳われた先代が死に、
周囲に「狙い目」扱いされた上謀反の危機を孕む(というか実際起こった)
なんていう劣勢から這い上がってるんだがなあ。
66人間七七四年:2007/08/27(月) 11:05:14 ID:ajvJCNY6
信玄は「信長に見捨てられたら信玄は滅亡です」と書状を出して泣きついたりしているからな
で、和睦を取り持ってもらったら「例え日本半分を持つような身分になっても、信長を大事に扱う」とお礼したのに結局すぐ裏切り
謙信だって北陸一向宗を倒せず最後は信長を裏切る形で手を結んだ
信長が伊勢や近江一向宗を殲滅したのと対照的
実力的に見て、恐れていたとは思えん
せいぜい火事場泥棒的に背後を襲われるのを警戒していたぐらいでしょ
67人間七七四年:2007/08/27(月) 13:48:27 ID:WfTgYjio
>>65
人間は遺伝が70%。
信長は基地外と区別のつかない天才タイプ、信玄はなんだかんだいって秀才タイプ。
信長みたいな癇癪もちで基地外にしかみえないガキを信虎とか旧態依然とした
武田家臣団が嫡子にしておくとでも?
68人間七七四年:2007/08/27(月) 15:38:43 ID:1cxKzHeS
一行目とそれ以降が矛盾してるだろそりゃ。
69人間七七四年:2007/08/27(月) 17:09:39 ID:5K+T4Aig
信長が甲斐越後に生まれていたら、天下取れないでしょ
信玄謙信が尾張に生まれていたら、天下取れたかもね
70人間七七四年:2007/08/27(月) 17:19:06 ID:WfTgYjio
信玄謙信が尾張に生まれてても、「上洛」ってアイデアは生まれなさそう。
信長は新進奇抜な芸術家肌なのだよ。
最後まで周辺の豪族と小競り合いを繰り返して領土を広げるだけと思う。
71人間七七四年:2007/08/27(月) 17:23:46 ID:a2YnJKz9
信長が京都に近かったというのは運。
72人間七七四年:2007/08/27(月) 17:31:42 ID:WfTgYjio
> 最後まで周辺の豪族と小競り合いを繰り返して領土を広げるだけと思う。

これは信玄とか謙信だったらって話。
73人間七七四年:2007/08/27(月) 17:52:55 ID:Yh8edI2q
謙信は上洛してるじゃん
74人間七七四年:2007/08/27(月) 17:58:15 ID:WfTgYjio
謙信のは京都旅行。
わざわざ「」つきで「上洛」と書いた意味を理解してください。
最後にやらかそうとした上洛は信長の真似だし。
75人間七七四年:2007/08/27(月) 18:56:25 ID:YivZbFN+
>>63
すまん
俺は越後の事を言ったんだ
言葉足らずで申し訳ない
76人間七七四年:2007/08/27(月) 19:44:36 ID:5aTEeQmT
>>74
謙信は上洛する時5000の兵を引き連れてたそうだし
「関東の武威を持って幕府を建て直しましょう」
なんて事も義輝か前久に言ってる
上洛という概念は持っていた

どこまで本気か分からないけど
>>66
謙信は一向一揆(越中、能登、加賀の国人)に対して残虐行為は大して行ってないから
比較的スムーズに取り込めたんじゃないかと
手取川や景勝時代の対柴田戦では加賀衆が活躍してるし
その結束力は信長にとって脅威
一向宗のゲリラ戦&情報収集能力+謙信の侵攻&後詰めは機能していたと思う
77人間七七四年:2007/08/27(月) 19:58:31 ID:Yru7EdZx
謙信の二度の上洛って、単に上方との交流とかが目的なわけじゃなかったらしいね。
青苧の流通路の開拓とかも意図してたらしいじゃん。
戦も戦術馬鹿みたく言われるけど、川中島とか手取川とか見てても戦略的に
駄目にはとても見えんよな。 まあ他国切り取る気がなかったから、あんな
ちぐはぐな戦い方になったのかもね。
78人間七七四年:2007/08/27(月) 20:37:47 ID:v4N8Q/nh
切り取っても放置じゃ戦術馬鹿と言われても仕方ないよ
79人間七七四年:2007/08/27(月) 21:52:53 ID:wfS7/sQt
別に他国切り取らなくても十分潤ってたからな。
その点武田は他国を切り取っても結局金欠ジリ貧。
80人間七七四年:2007/08/27(月) 21:57:21 ID:BWT4AdA0
いやあでも食い扶持増えない戦に駆り出されて着々と牙を抜かれる豪族に
してみればたまらんですよ。上杉家において、重臣の謀反、内乱、暗殺が
やたら多いのもそれが原因なんじゃないの?
81人間七七四年:2007/08/27(月) 21:58:39 ID:tOqnP7ZI
>>78
切り取った関東や北信と越後とは峠で隔絶されてる
越後国内でさえ上越と揚北では言葉が通じないケースも多かったらしく
元々厩橋城を治めていた那波氏と同族である、北条高広を城代にした以外は統治が難しい

下手に越後の国人を切り取った城へ入れるよりも
地元の豪族に治めさせた方が死ぬまで守り抜くし、兵の集まりも良く、一丸となって戦う
だから村上に葛尾城を返し、落合一族に葛山城、広田に羽生城を任せた
謙信は付け城も多く築いてるし、放置ってことはない
ただ豪雪で彼等の救援が出来ず、その隙に奪い返されてしまうパターンが多い
信玄は一月でも出動出来るが、謙信は四月にならないと動けない
謙信は峠の豪雪だけでなく、大河の雪解け水にも阻まれてるし
この差が北信濃でも関東でも致命的だった
82人間七七四年:2007/08/27(月) 22:36:26 ID:tOqnP7ZI
>>80
越後の内情はもっと複雑
派閥が上杉、長尾、揚北って分かれてるし
長尾の中でも上田と古志に分かれ、さらに古志の中も二つに分かれてる
上杉の重臣だった大熊から見れば直江や栃尾本庄は陪臣(またもの)
上杉にとって家来筋である長尾、そのまた家来だから本来釣り合わない
よって常にお互いを侮蔑し、対立していた

揚北の中でも中条とその支族、揚北本庄とその支族が対立(中条VS本庄)
さらにこの宗家と支族が争って土地問題が止まらない(黒川VS中条)
揚北本庄では下克上が成功するも、繁長の代で再び取り戻したり(本庄VS鮎川&小川)
各地域グチャグチャで収拾がつかない

これら越後の国人達からすれば
一度自分達で没落させた三条長尾なんぞに心服する気も無く、最悪でも同盟という立場を守りたい
機会が有れば、もう一度没落させて上越の田畑を手に入れたい
政権内部では上杉派重臣と長尾派重臣の対立
景虎は大芝居、暗殺、何でもやって、三条長尾の復権
さらに親父が解決できなかった大混乱&大赤字を収束し、清算していく
その際には、春日山の再建より越後国人達の褒美(強化)を優先する事は出来ない
83人間七七四年:2007/08/27(月) 23:51:26 ID:6tEuw41Q
信長が恐れたのは今川義元だろ

それではさよなら
84人間七七四年:2007/08/28(火) 00:14:00 ID:f+eBPxx3
>>60
尾張には土地に根付いた豪族がいなかったとでもいいたいのか?
85人間七七四年:2007/08/28(火) 03:21:17 ID:e4X9/0gN
土に対する意識は尾張衆は低いだろ
どちらかというと金
派手好みで地味で実直な三河、越後、甲斐あたりの武士とは
価値観が根本的に違っていたらしいな
86人間七七四年:2007/08/28(火) 03:26:53 ID:e4X9/0gN
尾張は、商業が発展していたので
そういう傾向があったらしい。
中央集権的な信長にとっては、そういう気風は好ましい
87人間七七四年:2007/08/28(火) 07:40:30 ID:2vSfNhiG
おいおい、固有の土地防衛するために命かけた武将なんて信長の尾張統一
過程でわらわら出てくるぞ。「よそと比べて」を「まったくそうである」
と混同してはいけない。

司馬遼太郎にでも感化されたか?
88人間七七四年:2007/08/28(火) 12:21:41 ID:qAXC1uIz
謙信だって領土欲しがっているよ。
でなければ占領地に長尾家中の武将置いて支配したことと矛盾する。
しかし保持が只管下手だった。
越中なんて、制圧を何度かしているんだけど謙信が帰ると残置した家臣が再蜂起した一揆や豪族にボコられて元の木阿弥に
これの繰り返しでかなり時間と兵力を消耗した
そもそも関東と北陸、さらに信濃の三正面作戦をやろうって時点でもう戦略下手としか言いようが無い
越後一国すら謀反続出で固められるのは後半生になってからだし
89人間七七四年:2007/08/28(火) 16:43:58 ID:4XFqU6DF
ケンシンと対立した頃の信長に怖いもんなんてなかったろ。
90人間七七四年:2007/08/28(火) 17:36:36 ID:3A/ojkbV
>>88
関東と北陸と信濃、三正面作戦は仕方ないでしょ
1551年に謙信が上田長尾を屈服させても揚北衆が残ってるし
その翌年1552年には後北条が上杉憲正を追い出し、上野まで進出
さらに1553年には高梨、村上が信玄に追われて頼ってくる

後北条と武田が強大化するのを放って置けば、それだけ越後は追い詰められる
後北条は北関東、信玄は北信濃を侵攻する上で協力し合ってるし

一向宗は信玄の嫁と繋がっており、長尾にとっては祖父・能景以来の仇敵
越後自体、先代為景〜晴景らは国内を纏める所か、思いっきり求心力を失ってしまった
それを継いだ謙信は武田における信虎的役割も背負ってる訳だ
謀反が多いのは当然
91人間七七四年:2007/08/28(火) 18:52:39 ID:Z3il2evb
五十歩譲って尾張が商人気質でちゃらんぽらんだとしても
信長の主力は尾張と「美濃」であることを忘れるべきではない。
つーか美濃人の方が多いぐらいだ。あろうことか信忠まわりは全員美濃人。
美濃人も商人気質で刷新的だと寝呆けるならそれでも
92人間七七四年:2007/08/28(火) 21:53:13 ID:Jm3p+Cov
美濃に侵攻したあたりはすでに尾張統一間近なので、
そのころにはすでに田舎者にもわかりやすい強さと勢いが前面に出てた。
あと斉藤道三関係で、信長の人気は美濃ではそこそこあったんじゃないの。
斉藤道三は信長に「美濃は譲る」とかなんとか手紙出したんでしょ。
93人間七七四年:2007/08/28(火) 22:00:18 ID:bDsQoeEi
その手紙に効力があるなら義龍に美濃を奪われてないよな>道三
94人間七七四年:2007/08/28(火) 22:11:47 ID:Jm3p+Cov
あと、
@美濃は尾張より京都に近い
A中央にあり、頻繁に東西の戦いに巻き込まれる。
から関東の田舎と比べれば都会的な感じじゃないの。
下々はともかく、上層武士あたりはかなり揉まれている。
そもそも道三(またはその父)自体、商人あがりなわけで。
下克上が頻繁に起こっているところは武士が結構新しい気質を持ってる。
95人間七七四年:2007/08/28(火) 22:26:09 ID:xvcaulkz
はねる謙信逃げるとぶなが


越後の謙信が跳ね周っていた頃、信長はすでに飛行機での離陸に・・・
96人間七七四年:2007/08/28(火) 22:30:25 ID:Cn+sgBrj
>>95
そんな狂歌が伝えられてるくらいだから、よっぽど凄い敗戦だったんだろうね。
97人間七七四年:2007/08/28(火) 22:37:23 ID:Jm3p+Cov
手取川の戦いは謙信の書状一枚がソースらしいから
その狂歌も謙信の自作なんだろうね。
98人間七七四年:2007/08/28(火) 22:55:25 ID:bDsQoeEi
京都に近いだけで都会なら
直江津がある越後の方が遙かに洗練されてる罠
日本海側は都会なのよ
99人間七七四年:2007/08/28(火) 23:06:35 ID:Jm3p+Cov
都会とはいっていない。関東の田舎に比べたら都会的といってるだけ。
関東の田舎と比べて都会だからって、都会じゃないw

それに直江津ってw
それはまじれすですか。

100人間七七四年:2007/08/28(火) 23:32:46 ID:4eqGYTLN
当時の直江津は堺に次ぐ日本でも最大級の港
関税で謙信の遺産が27000両って凄いし
101人間七七四年:2007/08/29(水) 00:29:38 ID:2QVFb1BX
三津七湊は室町時代から北前船の近世まで続く情報と物産の密集地。基本的なコトだよ
102人間七七四年:2007/08/29(水) 01:08:20 ID:fKb31coq
まあ港は大名にとって垂涎の地だよな。
信秀も港抑えて富裕になったから伊勢修築費や朝廷に献金できたわけだし。
103人間七七四年:2007/08/29(水) 07:32:33 ID:OXnETQFi
港に金山、銀山なんて都合よく戦国の世に見つかったよな。
104人間七七四年:2007/08/29(水) 10:27:04 ID:AOWf/cYP
港とか金山とか銀山とかw
都会とは関係ねーし
港があっても、金山があっても大名独占
そんなところが都だの商業地だの思ってんのかね

それと堺に次ぐ??ないない。
田舎者はオラが村さが1位だべって変な伝承持ってるな。
105人間七七四年:2007/08/29(水) 10:32:32 ID:0sbEpblf
謙信も信玄も、信長より先に義昭に頼られたのに
あっさり要請拒否してるからな
和睦仲介すら双方が蹴った
そのために義昭は信長に頼り、結果戦国大名としては二人より弱小だった信長にあっさり追い抜かれる破目に
二人とも戦略眼が無かったんだよ
信長がでかくなってから慌てて反信長の野合に加わった程度の器量では、地方制覇すらできなかったのは当然
仮に信長を倒せても、今度は誰が後釜に座るかで混戦になっただろうね
106人間七七四年:2007/08/29(水) 11:42:08 ID:heklGl9I
信長は最初から足利幕府再興なんて考えてないし、
利用して自分が天下人になる事を考えたから受け入れたんでしょ。
下手に受け入れて上洛要請なんかされても周りに同じくらいの勢力はごろごろいるし
身動きなんか取れないでしょ。
ゲームみたいに攻め込めば終わりって訳じゃないんだからさ。
信玄も謙信もこの頃に将軍を利用して天下をなんて考えてないだろうしね。

107人間七七四年:2007/08/29(水) 11:46:29 ID:RABYe7bk
手取川の戦では信長はこれは勝てると踏んだんだろうな

信長は恐らく自軍の兵の強さを信頼していなかったはず。本願寺はじめなんども煮え湯を飲まされているし。
戦力で圧倒的でなければ戦をしかけない。
108人間七七四年:2007/08/29(水) 12:51:03 ID:XPlWpGSN
長期的視野にたっていた信長
近視眼だった信玄・謙信
その差だな
信玄謙信が幕府に忠実なら、それこそ信長と義昭が険悪になった時にアクションを起こしているはずだが相変わらず信長と同盟中
後になって目先の都合で裏切り、本人達は速攻病没したから良かったけど息子の代が苦労した
109人間七七四年:2007/08/29(水) 13:27:54 ID:RABYe7bk
天下人になったという結果からすれば信長の政治能力を信玄や謙信のそれよりも上に置くべきなのだろうな。
ただ信長も薄氷を踏むような危なっかしい道だった。どこまで計算した戦略だったのかは個人的には疑問。
結局信長も謀反で死に、息子の代で苦労している・・。
織田家は秀吉に乗っ取られ、武田家は瓦解。
次世代で家を保ったという点では上杉が上か

110仙台藩百姓:2007/08/29(水) 13:41:18 ID:LrYrKyBR
織田も一応大名として残ったお( ^ω^)
111人間七七四年:2007/08/29(水) 13:45:32 ID:AOWf/cYP
田舎者はいーなー。
わざわざつぶそうと思わないもんね。
苦労して攻略しても、土地は貧しいし、民も貧しいし民度も低い。
そういうのはそいつらの酋長にまかせておくにかぎる。
つぶすほどでもないしめんどくさい。従えばそれでいーか。
伊達とか島津とか旧族大名はみんな片田舎。
そんな感じで上杉は残りました。一向一揆超ウザ。
112人間七七四年:2007/08/29(水) 14:37:39 ID:Q+QrTAxu
そもそも一度は無視した足利義昭の唆しに乗る時点で、謙信信玄の器が知れている
義昭は将軍義輝殺しの張本人の三好氏とさえ組んだんだぜ
自分が将軍になった根拠が「不法に殺された兄の跡を継ぐ」というものだったにも関わらず
松永のように形式的にしろ降伏してきたわけでもない連中と組むってことは、将軍殺しを認めちゃったって事で自己矛盾を起こす
義昭は政治力はあるかもしれないが、結局不満屋で見境が無い
こんなのを盟主とした野合集団に加わったって武田上杉には何のメリットもないのに
113人間七七四年:2007/08/29(水) 15:29:17 ID:7Nhry0CI
後継者問題で一番駄目だったのは謙信だな。
家が残ったのは結果に過ぎず、本能寺の変が起こった幸運の産物。
信長のように家督を息子に譲ったり、信玄のように予め陣代として見習いさせたり(これが軍鑑で創作された勝頼陣代説の大元)といった後継対策を全くやってなかった。
114人間七七四年:2007/08/29(水) 17:38:37 ID:7ibHKvkH
信玄が信長倒し上洛は不可能という線(土地の総戦力差)が濃いが謙信ならできたかな?
115人間七七四年:2007/08/29(水) 18:00:21 ID:q364vptx
上杉のとこは養子二人どっちを後継者に指名しても内乱になってただろ。
116人間七七四年:2007/08/29(水) 18:05:52 ID:tYKaDkmp
震源献身のでかい器を凡人が語ってる時点で糞スレ決定だろ?
117人間七七四年:2007/08/29(水) 18:46:12 ID:P+qdsI5U
>>114
謙信ってのは関東でもそうだが
散々引っ掻き回しては大勢力を幾つも産み出す存在
太田資正なんて北条方の武将で常陸方面の攻略に従事してたのに
謙信が出てきた途端、岩槻城で北条を何度も撃退し始めるわ
他にも由良が伸張する上で足掛かりになる領地を分け与え、
里見&佐竹の強大化にも謙信は深く関わってる

もし北陸から謙信&一向宗が京滋を散々荒らし回った場合
それに呼応した松永、本願寺、さらには別所、荒木、雑賀・・・他多数らが
次々に信長を窮地に追い込む存在へと育ったと思う

天文年間に上州厩橋城まで落とした北条が、謙信の出馬によって一気に武蔵まで後退。
氏康の戦略が20年以上遅れたように、信長も又、大きく足を引っ張られてたと思う
最悪、恵瓊の予言(信長自滅)が早まっていた可能性も有り得る
118人間七七四年:2007/08/29(水) 19:14:10 ID:MjXO+bLK
謙信だけでなく信玄にしろ一度の遠征で信長を倒す事は不可能じゃないかな。
打撃を与えることは出来ても、なんだかんだで時間を稼がされてそろそろ帰るか
って感じになってたと思う。

信長は直接対決になったら篭城を基本に迎撃するのではないかと思う。
粘っている間に援軍が到着し挟撃することも出来るし、戦上手の相手には
平地で戦うより遥かにリスクが少ない。
家康も城から出なければ信玄がどんな策に出たか今となってはわからないけど
策にはまりあんなにあっさり負けることは無かったと思う。
時間を稼げばそこに向ける兵力も用意できるし、遠征軍がだんだん不利になる。
更にその間に自国に帰らなくてはならないような策を講じるともう。
謙信なんかは雪のことも考えると時間稼がれるのが一番困るはず。
川中島をみても相手が動かないと両者とも動きにくそうだし。


信長が大ピンチになるとしたら信玄と謙信が手を結んで(領地の不可も含めて)
同時に織田領へ攻め入る事だと思う。
ありえないとは思うけど。
119人間七七四年:2007/08/29(水) 19:51:42 ID:1NF1j8nA
信玄が出てきた時は敵に囲まれてる上家康がフルボッコされてヤバかったろうけど、
謙信なんてもう調子乗ってるウザい奴程度だろ
勝家にちょっと勝ったぐらいで舞い上がってるようじゃねw
120人間七七四年:2007/08/29(水) 21:56:35 ID:2QVFb1BX
つか信玄上洛の時の信長の指示は浜松じゃなくて岡崎に立て籠もれだ。
岡崎で足止めして、信長直々に2万の兵隊で信玄と野戦で勝つのが予想戦果だと思うぞ。
信長、野戦強いし。包囲網しかれてるから決戦で倒した方が時間が少なくて済むよな。
121人間七七四年:2007/08/29(水) 22:30:04 ID:K1mRBN+T
その時に信玄が死なずに信長と戦ってたらどっちが勝ったのかな?
122人間七七四年:2007/08/29(水) 22:40:07 ID:911vms3B
「天と地と」の謙信VS信玄一騎打ち動画。
謙信ファンは必見だぉ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm943921
123人間七七四年:2007/08/30(木) 00:42:28 ID:/+mZn8DO
信玄・・・猪突して鉄砲の餌食 フルボッコ死
謙信・・・夜襲で信長逃げる 大勝利
124人間七七四年:2007/08/30(木) 01:56:05 ID:OGY5eMcN
信長というか尾張兵は野戦弱いだろ
なんか信長厨多いね、ここ
125人間七七四年:2007/08/30(木) 03:03:15 ID:SxCgDN32
稲生の戦いで五倍
桶狭間の戦いで十倍
森部の戦いで二倍
天王寺の戦いで五倍

信長が直接指揮をして野戦で破ってる。
尾張兵が野戦が弱いとか司馬史観?
まあそれはおいといて、兵の強弱など関係ないし、誰も言ってない。
ただ純然たる事実として信長が強い
126人間七七四年:2007/08/30(木) 12:28:04 ID:wnSu9PVp
反織田連合は野合
信玄が慌てた朝倉退陣のように、それぞれの都合で勝手に動くから本当に織田への牽制になるかは下駄を履くまでわからない
本願寺のように反織田を煽りながら自分たちは単独講和、なんていうことやる坊主どももいたしな
謙信のケースでは、それこそ足絡みになりそうな反織田勢力は軒並み撃破されるか弱体化
信玄や謙信が織田を裏切って勝負に出たのは非常に危うい博打だよ
127人間七七四年:2007/08/30(木) 13:45:11 ID:6fj1xs19
>>126
追い詰められた本願寺は「毛利の許可無しに講和は出来ない」とか言ってるしな
三道併進策を推し進めてる毛利といい
朝倉が居た頃のダラけた包囲網より、各勢力の決意が違ってる
さすがに信長はヤバイと思ったのでは
肝心要の謙信が亡くなったのが一番痛かった
128人間七七四年:2007/08/30(木) 13:54:40 ID:GvcHCbXS
思ったかどうかは知らんが
謙信の時は、もう完全に勢力差が隔絶しているからなぁ
謙信に勝機があるとすれば、裏切り効果が続いているうちに全兵力を集中して一気にやるぐらいだけど
関東に出陣する、とか相変わらず戦略下手を露呈しているから死のうが結果は対して変わらんかっただろう
織田北条に挟撃喰らって終りっぽい
129人間七七四年:2007/08/30(木) 14:10:50 ID:nToeINQN
それにどうあっても所詮は「敵の敵は味方」の論理で集まった烏合の衆だよな。連携して行動なんて望めない。
130人間七七四年:2007/08/30(木) 14:40:58 ID:6fj1xs19
野合という面では松永、別所、荒木に叛かれる信長も同じ
旗色が悪くなれば離反者がさらに増加したのは確実
信長の内情も実は苦しかった
佐竹義重に手を焼いてる北条は当てにならないし
131人間七七四年:2007/08/30(木) 14:58:48 ID:cf+tMlVc
ちょっと質問します。謙信は手取川の頃は本願寺、一向宗と和睦していたのですか?
132人間七七四年:2007/08/30(木) 15:04:10 ID:cf+tMlVc
すみませんもう一つ。信玄の西上の際一向宗が謙信を牽制してたけど、
北条も従軍だけでなく上州とかに出陣して謙信を牽制したりしたのですか?
133Y ◆nzdGjBH722 :2007/08/30(木) 16:14:11 ID:5QLOEJhf
>>130
それを言ったら、毎回のように謀反人を出した謙信の立場は?
本庄しかり北条しかり、関東の奴らも謙信いなくなりゃ北条へ投降だもんな。

134人間七七四年:2007/08/30(木) 17:46:13 ID:gzEtuG5z
武田の上洛の時は織田は京都に入ったから兵力は相当だよ。それを
武田の上洛軍は撃破し京都を占領できたかな?
135人間七七四年:2007/08/30(木) 17:51:10 ID:L/aNqzlK
撃破し、京都を占領できても、木曽義仲現象が起こり、
田舎武士が京都人の金品財産の強奪、婦女暴行、やりたい放題になり
武田は長続きしない。

信長が公家をはじめとして京都の町人に絶大な人気を誇っていた
のは、自分の軍隊の統制にたいして極めて厳しく公平な
裁定を行ったから。さすが平家物語ヲタな信長。
136人間七七四年:2007/08/30(木) 18:00:10 ID:019gUZtk
>>134
早い段階で美濃まで攻め入ってれば戦況はわからないんじゃないかな。
相当の兵力も敵対勢力に裂いている訳だし、そんなに簡単に迎撃できないと思う。
その間に一向宗が連動するとかなりやっかいなはず。
その後武田が織田の主力部隊を打ち破っても、家康を破ったくらいの完勝でなければ
上洛する余力は無いと思う。
137人間七七四年:2007/08/30(木) 18:26:51 ID:oOPu2wac
>>131-132
謙信は天正4年に本願寺・一向一揆と和睦しました。
謙信が死ぬ少し前の天正5年12月23日に作られた「上杉家中名字尽手本」
(翌年の動員名簿とされたこともあるが最近は否定的)には、越中の一向一揆の
巨頭、瑞泉寺と勝興寺の名も末尾に書かれています。

信玄の西上時の北条の動きについては、謙信が元亀4年3月5日に蘆名家に
出した手紙では「前年12月に氏政は佐竹・宇都宮らと下野の多功原で戦って
敗れた、関東の大名にさえ負けるようでは俺に勝てるはずがない」などと
嘲笑しているので、他の関東勢との戦いに専念していたようです。謙信は
この頃越中の一向一揆との戦いに忙しく、関東出陣ができませんでした。
138人間七七四年:2007/08/30(木) 18:54:18 ID:jZwnBted
>>133
その本庄討伐によって逆に金山も人質も手に入れ、揚北支配が完了
懲りた本庄繁長が信長からの誘いを断わった書状も残っている
中条、黒川、新発田、竹俣、安田は勿論 同族の色部、鮎川ですら
謙信マンセー、本庄氏は孤立し敗北→失墜
自立志向が強かった揚北衆、中でも本庄宗家を完全に屈服させた

北条高広は、信玄&氏康の圧力に由良が脱落したのを受け、同調した〜
が、信玄死に、勝頼が長篠で大敗、由良の自立性が強まり、
さらには佐野&佐竹によって後北条が散々撃退されてるから
高広へは越後から後援一万でも送れば、何事も起こりえない

後北条が由良を降すのは天正十三年(謙信の死から7年もの後)
それまで金山城、館林城攻めでの後北条氏は佐野&佐竹同様、大苦戦
由良成繁の築いた勢力の大きさ、自立性が窺い知れる
139人間七七四年:2007/08/30(木) 19:44:14 ID:c2/kukjL
>>136
どんなゲーム脳だ、お前
140人間七七四年:2007/08/30(木) 19:57:41 ID:Vz3hRbQg
とりあえず同盟組んで
信長、信玄、謙信勢で現代の仏門背徳者細木数子を滅ぼしてもらいたいのだが。
141人間七七四年:2007/08/30(木) 20:20:11 ID:gzEtuG5z
じゃあ、謙信も武田と同等の戦力なら手取り川以降は
信長と総力戦でやはり負けたのかな?
142人間七七四年:2007/08/30(木) 20:27:18 ID:tZ/LCkVN
総力で潰すまでもなく越中の東端まで攻められてるから
143人間七七四年:2007/08/30(木) 20:39:44 ID:yBd1+J6c
お家騒動をした後の景勝の時だろ
144人間七七四年:2007/08/30(木) 23:07:15 ID:gzEtuG5z
謙信が死なず手取り川以降に京は占領できたかな?
145人間七七四年:2007/08/30(木) 23:59:53 ID:nToeINQN
無理だね。
146人間七七四年:2007/08/31(金) 01:21:57 ID:nIqCs0VE
仮に北陸道を連戦連勝で突き進み、京を制圧できても
すぐに手放すことになるだろうな
表向きは協力的だった関東ですら失ってしまったのだから
織田相手に京を確保し続けることができるとは思えないのが当然
147人間七七四年:2007/08/31(金) 01:38:40 ID:D28wDVnw
京まで攻め込まれてたら織田の完敗だよ。
148人間七七四年:2007/08/31(金) 01:39:32 ID:cT1OvQs7
>>147
そもそもそれが無理だろう。
149人間七七四年:2007/08/31(金) 01:53:40 ID:gfuVVCcF
手取川自体「その時歴史が動いた」とかで語られるような織田と上杉の
総力戦で織田完敗、って感じじゃないようだしな。

まあ北陸をどうにか出来ても、江北で手詰まりだと思うよ。平野部では
数にまさる織田の圧勝でしょ。数を調達できなくても拠点防衛で損害を
強いつつ釘付けにした状態で若狭方面から挟撃すれば第一次朝倉攻めの
再現になる。
150人間七七四年:2007/08/31(金) 02:12:26 ID:4sKNqPPC
そうはいっても信長はあらゆる勢力に恨まれてるからなぁ
謙信ほどの大大名が本気で上洛目指してくるとなると
どこから崩れるかわからんでしょ
信長が他大名に見られないほどへりくだった態度とっていたのも
そういう可能性を恐れていたんだろ
151人間七七四年:2007/08/31(金) 02:34:00 ID:i3zE3OF6
とりあえず近攻遠交って言葉をだね…
152人間七七四年:2007/08/31(金) 03:22:20 ID:EkqkxydW
信長はそれなりの勢力には取りあえずへりくだる
信玄謙信を特別扱いしていたわけでもない

世間で言う他大名って武田上杉との比較に徳川とか用いているからな
153人間七七四年:2007/08/31(金) 03:51:42 ID:iPdyZtLn
>>151
信長は手取川直後、上杉領と隣接した後も謙信にへりくだってたような
信長もさる者で、謀反が続出する事は分かっていた
これ以上包囲網が狭まれば織田軍が瓦解する所まで見抜いている
一方、謙信からすれば、北陸に織田の大軍を引き付け、
対陣を長引かせればいい
一向宗の手引きで奇襲を繰り返してる頃、織田各方面軍では謀反の嵐
とてもじゃないが播磨攻略どころじゃない
そこへ山陽道、山陰道、淡路〜大阪湾から毛利の大軍が来襲
154人間七七四年:2007/08/31(金) 04:27:03 ID:wKEkEnmu
それが上手くいったとして毛利の天下になっちゃうんだけど
155人間七七四年:2007/08/31(金) 09:12:00 ID:amKK6dlj
そうか、武田も上杉も織田が京都に入り金と兵力が増加されたあとは上洛しても
長期滞在や幕府再生は無理というので結論はOK?
156人間七七四年:2007/08/31(金) 13:16:33 ID:vmzbYpDs
実際には信長が他に手をかけているところをみて機会主義的に裏切り
しかもたいした打撃を与えられずに勝手におっ死んだだけで後世かなり評価される
逆説的に信長がどれだけ戦国のビックネームか証明しているだけのようにしか思えん
157人間七七四年:2007/08/31(金) 13:39:40 ID:mbQqyruN
信玄にしろ謙信にしろ。自分が主敵を既に抱えている状態でさらに信長に裏切りという最悪の形で喧嘩売ったわけだからな
勢力としての基礎体力が違うし背後が煩いという点も同じ
マトモにやれば織田の圧倒的有利
信長その人を討ち取るとかの幸運でも起こらないとね。その逆が起こる確率のほうがはるかに高いし
朝倉のようにある程度前戦しても最後は体力差で瓦解、がオチじゃね?
158人間七七四年:2007/08/31(金) 15:57:57 ID:PSdRQpkS
信長は家臣にぶっ殺されて自分も家も滅ぼしたんだから評価高すぎだわ。
急拡大しすぎで外敵どころか家中ですら至る所に火種抱えていたんだろ。
滅ぶべくして滅んだということだな。
信玄・謙信級の大名につつかれたらボロボロ崩れたんじゃないのか?
159人間七七四年:2007/08/31(金) 16:11:34 ID:i3zE3OF6
…で、崩れたっけ?
160人間七七四年:2007/08/31(金) 16:12:54 ID:xdRBMRN7
信長は信玄と謙信どっちが死んだ時がラッキーだと思ったのかな?
161人間七七四年:2007/08/31(金) 16:17:26 ID:ffwzu0jv
>>160
その二つを比べたら信玄だろ。
162人間七七四年:2007/08/31(金) 16:46:10 ID:GDguqLFi
時期的にも、戦略的にも、国を領国化(信濃、駿河)したことのある信玄の方が、相手としては怖かったと思う。
三河侵攻のくだりなんていかにも嫌らしい。

俺はあえて言えば信長信者だがw、少なくとも信玄が生きていれば、
桶狭間、刀根坂、天王寺に近い戦術的なミラクルを起こさなければ勝てなかったと思う。
163  |ω・`):2007/08/31(金) 16:54:49 ID:l8eAmrFf
それはない
164人間七七四年:2007/08/31(金) 17:01:01 ID:XiKG5l81
>>162
信玄が桶狭間、刀根坂、天王寺に近い戦術的なミラクルを起こすような戦いをするかな?
基本的に信玄は相手より多数の兵をそろえて戦うタイプだから
信玄にそんな奇跡的な勝利を求めるのは無理でしょ
165人間七七四年:2007/08/31(金) 17:42:51 ID:wVlvvqFn
よく読んでからレスしようよ >>164

>>162は、信長が再度、戦術的ミラクルを信玄に対し
起こさないと勝てないだろう、と言ってるよ。
あと、信長だろうが信玄だろうが、「基本的には相手
より多数の兵をそろえて戦うタイプ」だよ、戦闘指揮
官は。戦国大名に限らず、おしなべて奇襲に頼るのは、
そうせざるを得ない状況下だけです。正攻法も奇襲も、
どちらも上手いに越したことはないけどね。
166人間七七四年:2007/08/31(金) 17:49:52 ID:YTu/OYf/
>>154
謙信が南下してきた場合、信長はまた主力部隊を継ぎ込む。
そして川中島や沼尻合戦のような膠着状態に陥ると思う。
その隙に毛利が播磨勢力を糾合しつつ、畿内へと迫る。
(この間、信長を裏切る者が続出)

信長は謙信軍が雪に閉ざされるのを見計らい、
主力軍を西へと移動〜吉川、小早川、輝元の諸軍と対峙させる。
しかし、当然ここでも膠着状態に陥ってしまう。
(この間、信長を見放す者が跡を絶たない)

春になり、満を持して謙信がさらに南下。
毛利と対峙している信長の背後を急襲!!
その合戦中信長は味方に裏切られ、あえない最期を遂げる・・・
167人間七七四年:2007/08/31(金) 19:42:26 ID:bTrwyKHI
>>159
何のことを言っているかワカランが
家中から崩れたから、ヌッ殺されて家も没落させたんだろ。
168人間七七四年:2007/08/31(金) 19:43:31 ID:1XoXhRz2
毛利はやる気ないから
くだらない妄想は心の中だけにしてね
169人間七七四年:2007/08/31(金) 19:58:28 ID:wKEkEnmu
>>164はイヤミじゃないのか
170人間七七四年:2007/08/31(金) 20:12:09 ID:i3zE3OF6
>>167
ほうほう、信長は信玄や謙信級の大名につつかれて崩れたのか。いやいや、勉強になったよ。礼を言おうか。
171人間七七四年:2007/08/31(金) 20:20:25 ID:bTrwyKHI
信長厨w
172人間七七四年:2007/08/31(金) 20:27:34 ID:FSipNHR5
そもそも>>158は釣りだろう。
信長が家を滅ぼしたとか言ってるし。
釣りじゃなきゃ真性なんで、どっちみちスルーすべきなんだよ。
相手にした>>159がいけない。
173人間七七四年:2007/08/31(金) 20:41:52 ID:1XoXhRz2
>>172
だったらこのスレのほとんどは釣りということになるが
174人間七七四年:2007/08/31(金) 20:50:29 ID:FSipNHR5
んん?なんでそうなるの?
175人間七七四年:2007/08/31(金) 20:51:09 ID:i3zE3OF6
>>172
俺は>>171みたいなバカが食い付いてくるかなー、と思って>>159を書いたんだけど…
176人間七七四年:2007/09/01(土) 00:13:01 ID:mspkRM2p
信長信者ってゲーム脳だな。現実にはゲームみたいに
物事が計算どおりにいかないから、教祖様はヌッ殺されたんだろうに。
安国寺恵瓊坊主が信長の絶頂期に没落予言するぐらいだから、
信長は勢力拡張には成功したものの、織田家の内情は内外に敵が多すぎて、
ちょっとしたことで瓦解しかねない極めて不安定な状態だったんだろ。
第一勢力を築き上げた信長自身がそれに気がついていないわけがない。
それで信玄謙信に対しては臆病ともいえる対応をとって慎重にあたったが
両者が死んで慢心油断したところで、案の定破滅した。
信長の能力は認めるが、問題点を指摘する奴を馬鹿呼ばわりする信者は痛すぎる。
信長教祖様最強といわれなければ満足できないのかね?
177人間七七四年:2007/09/01(土) 00:27:45 ID:Zfmm8JjT
そんな餌で俺が(ry
178人間七七四年:2007/09/01(土) 00:32:53 ID:gSSOeEbO
>>176
同意。明智光秀に謀叛起こされるくらい不安定な組織で信玄・謙信に勝てる
わけない。
179人間七七四年:2007/09/01(土) 01:03:01 ID:aHDV5NXX
なんという自演・・・
180人間七七四年:2007/09/01(土) 09:09:23 ID:r6iHCXFv
謙信や信玄側からの贈り物や、書状の謙った文言はずっとスルーされているんだな
謙信は信長の趣味に合わせて自身の秘蔵の鷹を贈るなど信長に負けないきめ細かな外交をしているし
信玄に到っては「日本半分を持つ身分になっても貴方からの恩は忘れない」という書状まで出している
まともに考えればお互いを利用しようとしていたんであって、恐れているとかという幼稚な感情とは無縁だったろう
もっとも同盟をどう考えていたか、という点ではかなりの相違があったろうけどな
謙信は信長に勝頼を挟み撃ちにしないか、と持ちかけているが態よく断わられた
信長にとっては東方は同盟政策で抑え実力行使は畿内や西へ、というのが基本方針だったんだろうけど
謙信はもっと露骨に敵対勢力の背後を衝いてくれ、と思ってたんだろうな
181人間七七四年:2007/09/01(土) 10:27:32 ID:mmX45HAj
>>180
>信長に勝頼を挟み撃ちにしないか、と持ちかけている

勝頼が謙信に挨拶入れる前?
信玄としては「謙信は男らしい人間だから、若いお前を苦しめたりしない」と遺言で太鼓判押してるというに
182人間七七四年:2007/09/01(土) 10:27:55 ID:1MhTDAhP
>>180
やっぱ謙信から信長への贈り物って有ったんだ。
洛中洛外図屏風、ビロードマント、甲冑などなど。
信長から謙信への贈り物しか知らなかった。
でも謙信は狩りを好まず、鳥さえ食べなかったとも聞いた覚えが有るんだけどな。
謙信が信長に、勝頼攻略を持ち掛ける話は正直「よく言うよ」って思う。
自分も北条から武田の牽制を頼まれてたのに無視しといてw
ここらへんはもう虚々実々の駆け引きというか
双方どこに本心があるのか怪しい。
183人間七七四年:2007/09/01(土) 10:29:28 ID:Dmtex85h
織田よりも勢力差が小さかった後北条すら倒せなかった信玄・謙信が
どうやって織田を倒せる?
この二人、戦国最強という虚名とは裏腹に一ヶ国程度以上の勢力を滅ぼせたこと自体が無いんだよ
信玄の今川潰しだって桶狭間で弱体化したところをさらに徳川との挟撃で、だし
184人間七七四年:2007/09/01(土) 10:36:07 ID:Dmtex85h
>>181
それ後世の創作だから
謙信は他にも「信玄が死んでくれた、他の勢力の目が駿河に向えば良い」と信玄の死を慶ぶような書状を芦名宛に出している
後北条と関東諸豪族を天秤にかけて双方と同盟結んでみたり、しかしその不実さから双方より同盟切られたりと
かなりイイ性格しているよ、謙信は
185人間七七四年:2007/09/01(土) 11:46:18 ID:N6vVjQTw
信長は信玄(謙信)を恐れていた!→はるかに劣勢なのに信長をも恐れさせた武将だ、凄い!
信玄(謙信)は信長を恐れていた!→勢力比からいって当たり前……
後者はネタにならないから殆ど話題にならないのかとw
あと信玄・謙信側からの信長への贈り物は生き物とか紅花みたいな自然物が多いから、現存する可能性がほぼ無いということもあると思う
186人間七七四年:2007/09/01(土) 13:01:08 ID:vPIHWoBF
信長が恐れていたのは一向宗。
伊勢長島の対一向衆で、信長は、伯父やら兄弟、従兄弟の一族衆の大半、
重臣、家来の大半を失った。

これに比べれば武士同士の戦いはぬるい。
上杉とか武田とか信長にこれほど損害を与えたことでもあるの?
187人間七七四年:2007/09/01(土) 13:25:26 ID:BKCJcUim
巨大勢力相手に中小勢力が連合して対抗しようって手は昔からよくおこなわれてきたけど
実際にそれが成功した例ってほとんどないわけで
信長包囲網だって各個撃破されている
当時の通信能力からすると離れた地域の連中が合同作戦なんていうのも無理があるし
信玄にしろ謙信にしろ「反織田方が信長の足を律儀かつ確実に引っ張ってくれてようやく互角」程度だからな
188人間七七四年:2007/09/01(土) 13:44:41 ID:1MhTDAhP
>>184
あれは関東諸豪族(つーか佐竹と太田)がアホなんだと思うけど
佐竹って関宿の重要さが今一つ理解できてなかったのでは
落城寸前の羽生と関宿を救うのは越相同盟しかない状況
謙信は広田氏と簗田氏を救う為、北条と同盟するのは当然
救援する力の無い佐竹、散々ドジ踏んだ太田はこれに反対できる立場じゃない

一方佐竹は第三次関宿合戦でも散々救援を渋った挙句
あろうことか関宿城を北条へ渡す仲介役まで果たしてる
このような佐竹の裏切りを関宿城主・簗田晴助は終生、恨んだという
結果この関宿城が、北条による北関東侵攻の重要拠点になってしまった
もし仮に秀吉が数年でも遅れていたら、佐竹滅亡の因子になっていた

永禄〜天正にかけて行われた関宿城を巡る謙信と佐竹の対処を比較すると
謙信に理が有ったとしか思えない
謙信自身も有り得ない佐竹の判断に「天魔の所業か」と驚愕してるし
189人間七七四年:2007/09/01(土) 14:11:14 ID:VWVS+sHF
信長が一番恐れたのは朝倉義景さ
信玄や謙信が裏切った時には、まだしも信長は大規模な最終予備を確保していたが
志賀の陣の時には、主力すら朝倉勢らに拘束されていた
森可成・坂井政尚・織田信治らを討取ったのも朝倉
三河物語ぐらいしかソースがないから信憑性はアレだが、「天下は朝倉殿に」とまで信長は言ったとされる
ガチンコでやった朝倉と、同盟破りの火事場泥棒に走る程度の器量しかない上杉朝倉。どっちが上かは一目瞭然さ
190人間七七四年:2007/09/01(土) 14:16:48 ID:vPIHWoBF
長島一向一揆で討死した主な織田側の将

* 織田信広 (信長庶兄)
* 織田秀成 (信長弟)
* 織田信昌 (信長叔父)
* 織田信次 (信長叔父)
* 織田信興 (信長従兄弟)
* 織田信直 (信長従兄弟)
* 織田信成 (信長叔父)
* 氏家直元
* 林通政
* 佐治信方
* 平手久秀
* 伊藤重晴

こっちのほうがすごい。
191人間七七四年:2007/09/01(土) 14:20:35 ID:DR6Ub3sW
つまり
織田信長>>>一向宗>朝倉>>>(火事場泥棒の壁)謙信=信玄
ってことか
192人間七七四年:2007/09/01(土) 14:22:08 ID:O9NLzK4E
>>186
んじゃ越中、能登、加賀、越前の一向宗を吸収した上杉を相当恐れていたと
193人間七七四年:2007/09/01(土) 14:24:49 ID:DR6Ub3sW
>>192
生臭坊主と裏切り者坊主の野合
怖いかどうかは知らんが、汚物並にイヤなのは確かだなw
194人間七七四年:2007/09/01(土) 14:26:52 ID:vPIHWoBF

*織田信興 (信長弟)

叔父じゃなくて弟だった。

195人間七七四年:2007/09/01(土) 14:29:19 ID:vPIHWoBF
生臭坊主と「引けば地獄、進めば天国」と呟きながら
一心不乱に竹やりで突進してくる農民

怖すぎる。
196人間七七四年:2007/09/01(土) 14:45:54 ID:vPIHWoBF
信長がてこずったのは宗教勢力。
宗教にとちぐるった農民。
利害関係や損得勘定ですぐに折れてくる武士など怖くない。
畿内の武士なんて、どこも抵抗せずに信長の畿内平定を受け入れたし。
まだ「自由都市・堺」の町人衆のほうが、受け入れるか抵抗するかどうかで
もめたくらい。結局ここも受け入れで決着。
197人間七七四年:2007/09/01(土) 15:12:24 ID:vPIHWoBF
>>190の大半は、基地外農民の竹やりとか切れ味の悪い短剣に殺されてるから。嫌すぎる死に方。
198人間七七四年:2007/09/01(土) 15:20:03 ID:lZLVbqqg
そもそも信玄や謙信が本気で織田とどっちかが滅びるまでやり合う気があったかどうか疑問
周辺の利権を認められたら結構あっさり講和しちゃうんじゃない?
北条とかに対するのと同じようなもの
199人間七七四年:2007/09/01(土) 15:21:06 ID:7IuyDy1i
200人間七七四年:2007/09/01(土) 16:40:29 ID:VbL+D1/2
信長が最も恐れていたのは味方の裏切り
浅井の裏切りは骨身に沁みていた筈
それに信長の最期は安国寺恵瓊ですら見抜いていた
あれだけ敏感な信長だもの、気付かぬ訳は無い

信長が次に恐怖を抱いていたのは一向宗、雑賀党
要するに松永を謀反させた謙信、そして一向宗を抱きこんだ謙信
紀州を元気にさせてしまう謙信

謙信こそ信長が最も恐れていた大敵
だから謙信にペコペコしまくった
201人間七七四年:2007/09/01(土) 17:22:26 ID:7u/6d70a
武田2万五千スレがあるのに上杉は上洛可能か?スレがないんだが・・・
NHKいわく6万の軍勢を動員できたらしいぞ
だれかたてないのか?
202人間七七四年:2007/09/01(土) 17:46:05 ID:njMhp862
上洛する気が謙信に無いんだから仕方無い
晩年まで興味があったのは北条攻撃
一向宗と講和して信長を裏切ったのも関東攻めに一揆を動員するためとしか
上洛しようとしたらしたで、攻撃ルートが限られている上に水軍戦力もはるかに劣勢
成算が立たない上に意欲が感じられないんだから、実現性はゼロに近い
203人間七七四年:2007/09/01(土) 18:14:21 ID:vPIHWoBF
今川氏真も、領主としてやっていく気がないだけだからなw
204人間七七四年:2007/09/01(土) 19:49:34 ID:dq8ko3HK
>>201
「その時歴史は動いた」はKoei信者や講談好きの爺様を満足させることで
視聴率を稼ごうと法螺を吹き倒す番組です。
205人間七七四年:2007/09/01(土) 19:50:42 ID:/czl8bkU
上洛だけでよければ2度もしてますが。
206人間七七四年:2007/09/01(土) 23:40:31 ID:kAAC/udn
じゃあ俺が謙信に代わって秋に上洛してやるよ
207人間七七四年:2007/09/01(土) 23:58:16 ID:iQevpmuQ
朝廷も幕府もない京都なんて
208人間七七四年:2007/09/01(土) 23:59:38 ID:gSSOeEbO
足利義昭復帰ということで。
209人間七七四年:2007/09/02(日) 00:28:25 ID:YXRytZsj
信長は合理主義で会社経営者タイプ。
信玄謙信はニホンザルのボスタイプ。

ニホンザルはけっこう強くて怖い。
210人間七七四年:2007/09/02(日) 08:50:54 ID:gRj/Z86S
信長勢力はあえて例えるなら今の中国経済だな。
拡大は続け、オリンピック・万博開催と順風満帆に見えるが
さまざまな所でほころびが出ていて危うい。
信長の滅亡予言した安国寺の坊主も
そういう雰囲気を感じ取ったんじゃないのか?
211人間七七四年:2007/09/02(日) 10:20:43 ID:FgunW2qv
謙信の晩年の兵六万人動員説は信用できないだろ。
いいとこ三万・
212人間七七四年:2007/09/02(日) 11:02:33 ID:yXOkfnGH
信玄も謙信も信長より年長。故に信長は待ちの戦略を展開し、実際成功した。
信玄でも謙信でも無く自分より若く、内政・外交・戦術面で突出した才能を持っていた
伊達正宗を最も恐れていた。
213人間七七四年:2007/09/02(日) 12:08:52 ID:GRvgg5ES
>>212
こ れ は ひ ど い
214人間七七四年:2007/09/02(日) 12:17:17 ID:lNv8D9tR
陸奥守護職などという、何の伝統も権威もないモノを代々
大金つぎ込んだ末にありがたくちょうだいするような家の、
天正九年にようやく元服したようなガキをおそれていた?

信長嫌いの人でも、へそで茶が沸く話だねw
215人間七七四年:2007/09/02(日) 12:28:30 ID:W07BUL6u
今井絵里子って懐かしいね
216人間七七四年:2007/09/02(日) 13:32:54 ID:I3v1qO6F
このスレ釣り針がいたるところに
217人間七七四年:2007/09/02(日) 17:17:05 ID:u9aUyi/M
NHKのその時のやつの6万って数字はどっから出てきたの・・・?
6万で北条うてるのかよ
以前の10万でもできなかったのに
しかも北条は前より強くなってるしさ・・・
そもそも信長ほっといて北条なんかと戦ってていいのか?
謙信の意図が全くよめん
218人間七七四年:2007/09/02(日) 20:16:31 ID:AB0gSgXx
謙信は戦略下手っていうか、もう気まぐれで兵を動かしているとしか思えないレベルだからな
219人間七七四年:2007/09/02(日) 20:39:17 ID:J/xnzb9B
長尾景虎が越後一国をようやく平定した時、
北条氏康は伊豆、相模、武蔵、上野、下野の一部、下総の一部まで手に入れていた。
しかも、甲斐の虎と言われ甲斐、信濃の大半を領する武田晴信と戦闘状態であった。
この男がさらに北条を敵に回し、しかも一気に小田原まで押し寄せるとは!
常識有る皆様がその時代にいたら、到底予想できないのでは?
この勢いを信長は恐れたのです。
平氏を追いつめた木曽義仲、あるいは源義経を連想したかも知れない。
自分が平氏の二の舞にならぬように。
事実、手取り川の合戦までの謙信の動きは電撃的です。
この意外性と電撃的な動きが不気味です。
武田信玄は堅実緻密ながら遅い。そして意外性がない。
これが謙信ほどは恐くない理由です。
220人間七七四年:2007/09/02(日) 21:23:26 ID:5G+VAhJQ
そもそも信長と謙信の共通の敵である北陸一向宗・武田家は弱体化しつつも健在だった
双方の同盟はそれぞれに価値があり、破る理由は無かった
ところが謙信が急に効率的侵略に目覚めて(?)北陸制圧を開始したんで話はややこしくなる
能登に人質にとっていた上条政繁を帰す、という名目で畠山氏を攻撃
正当な畠山氏当主である春王丸は、謙信の攻撃のために七尾城で発生した疫病で死亡
さらに豪族連合体の典型だった畠山家臣の一部に手を伸ばし、寝返らせた
ここで反対派が頼れるのは信長だけだったので、間接的に敵対する材料が発生したがまだ致命的ではなかった
しかし謙信はここでまたブチ切れたかの如く、それまで袖にし続けた義昭派に突如組する
そこまでして織田に喧嘩売って一気に北陸の緊張が高まったのに、何度今度はその北陸から兵を引き抜いて関東攻撃するという
正直、何を考えているのかわからない気味悪さは周辺勢力は持っていただろう
一般人が通り魔を恐れるのと同レベル
221人間七七四年:2007/09/02(日) 22:23:51 ID:iCpGyxTR
>>220
>正直、何を考えているのかわからない
普通に考えたら分かるけど。
峠を越えて関東に討ち入るも、北条との兵力差、
関東に影響を与えられる月日など、当初から差が開いていた。

よって北条から奪い取った土地を関東諸侯に与え、共同戦線を張るも
次第に綻びが目立つようになってきた。
なら自身の力を溜め、大兵力を揃えた後反撃へ転じようって流れだろうし。
混乱越後を纏めたばかりの頃は、
既に北条&武田が目前まで迫っていたのでそんな余裕が無かった。
父や兄から受け継ぐ支配体制も0に近い混乱状態だったし。

力を溜める過程では一向宗と結んだ方が効率が良いし、兵も増える。
強大になった織田の足を引っ張っておかないと危険だと悟る。
ここらへんは本願寺と利害が一致しただけ。
222人間七七四年:2007/09/03(月) 00:34:47 ID:FjqajHd3
謙信って織田にぶっちゃけ勝つ自信あったのかしら?
手取川合戦の発言とか
223人間七七四年:2007/09/03(月) 00:41:27 ID:BIcz36gd
勝てる自信があったかは知らんけど、謙信は信長の下風に立つくらいなら
戦場で死んだだろうな。 そういう怖さはある。
幸村みたいなやつとは極力戦わんほうがいい。
224人間七七四年:2007/09/03(月) 00:55:38 ID:8vUOktCa
>>221
そうだね、
『戦略に一貫性がなく、先読み能力が皆無で行き当たりばったり、立てた
 計画の殆どが途中で崩壊し、あまつさえ味方放置で途中で投げ出し究極
 的には近隣の勢力全てを敵に回して無責任にも後継者問題という爆弾を
 残しておっちんだ人』
というのが読み取れるだけでワケわかんなくはないよねーw

でもね、本人の視点や後世のそれから見てワケわかってても、当時の人が
それを察せないと「ワケわかんない人」なんだ。理路整然と「他人の理解
出来ない理屈」で動く人は大多数から見れば狂人です。
225人間七七四年:2007/09/03(月) 01:25:40 ID:2Rat6pGW
謙信だと思う。 信玄の西上の時は三河国境の矢作川で滝川を使って迎え撃つ準備が出来ていた。対する謙信の西上の時は、柴田、羽柴、丹羽、明智、前田、佐々など主力を総動員して北陸に向かわせている。余程怖かったとしか思えない!
226人間七七四年:2007/09/03(月) 01:57:51 ID:MZPeJFuT
不思議ちゃんは怖いからねぇ
227人間七七四年:2007/09/03(月) 02:06:34 ID:ndsBPpuH
つーか、そんなわけわからん行動を取って余りある財力の方が怖いだろ。
それでも死後の遺産は武田とは比較にならん位あったわけだし。
228人間七七四年:2007/09/03(月) 11:06:16 ID:C4ZvR+pv
むしろ信玄や謙信の側が信長を恐れていたから
それまで無視するか敵対していた連中と野合までして織田に裏切り攻撃かけたんだろう
当時の視点で見れば、一生かけて一国切り取れば上等だった時代に一代で数十ヶ国にまで勢力を伸ばした織田のほうが常識を超えた存在
229人間七七四年:2007/09/03(月) 13:48:14 ID:F2uby8Da
謙信が一番恐れていたのは、佐竹義重公だろう
230人間七七四年:2007/09/03(月) 15:10:35 ID:O4zw6d32
信長が一番恐れていたのは松永久秀
謀反が起こると、明智やら丹羽やらの対北陸に振り向けていた家臣達を慌てて帰還させ潰しにかかっているぐらい
謙信なんてその程度と見られていた
231人間七七四年:2007/09/03(月) 15:14:45 ID:MZPeJFuT
釣堀スレ?
232人間七七四年:2007/09/03(月) 15:14:47 ID:nYCT/Ilh
久秀は謀反の常習者だったこともあって単に目を付けてただけでは
一番恐れてたのは宗教集団、ついで忍者集団ではないかね?
前者は働き手を無くされるし、後者は情報持ちだからって理由だからだが
233人間七七四年:2007/09/03(月) 15:59:08 ID:ki5DMlf8
信玄と謙信、どっちが人気あるんですか?
234人間七七四年:2007/09/03(月) 16:11:19 ID:CW0u7zeD
伊達を恐れていた。
当時奥州は未知的な土地であり、かなりの大国と思われていた。
その中でも信長を凌ぐ天才が現れたことを信長は最も警戒していたという。
それが政宗だ。
235人間七七四年:2007/09/03(月) 16:12:33 ID:3AVSehTT
>>233
信玄の方が上。
ただし、信玄と謙信の人気はその時代時代で逆転するので「現在は」信玄といったところ。
1970年代から80年代中頃までは謙信の人気が上だった。
1988年に大河ドラマ武田信玄が放送されてから現在まで信玄人気に繋がってる。
本屋とか行ってみ。
信玄を題材にした本は結構見かけるが謙信を題材にした本は少ない。
謙信の場合、信玄のライバルとして、または関東三国志の信玄・氏康とセットとして扱われてる物が多い。
再来年の大河ドラマ天地人で再び上杉人気が武田を上回る可能性は充分ある。
236人間七七四年:2007/09/03(月) 16:56:50 ID:ki5DMlf8
>>235
詳しくありがとう
そういえば子供の頃に信玄の大河ドラマを観たっけなぁ
今年の大河でもガクトが謙信演じてるから謙信人気も上がってくれたらいいな
237人間七七四年:2007/09/03(月) 17:03:26 ID:nIuCpkMT
>>235
>1970年代から80年代中頃までは謙信の人気が上だった。
へぇ、そうだったんか。
でも、なんとなくだけど、「謙信を題材にした本は少ない」ことと矛盾してない?
それとも、1970年代の本屋は謙信の本の方が多かったってことかな?
238人間七七四年:2007/09/03(月) 20:38:01 ID:S7k4UZNh
では、そろそろ答えを出そうか。
信玄在世中は、謙信より信玄を恐れた。
理由は直接領国を接していたから。
信玄は信濃から中仙道経由で一気に岐阜を衝くことが出来た。
織田領国が広いとは言っても畿内はまだまだ浮動票状態であった。
織田が三好から奪ったように、武田が織田から奪うことも可能。
敵味方がガチガチの近代戦じゃないんだ、戦国合戦は。
一戦の勝ち方次第で、浮動票がひっくり返る。
甲斐の虎が隣国にいて隙を窺っている。
これは恐いだろう。
信長も名将だからこそ、その危険性は知っていたのだ。

その頃謙信との間にはまだ越中、能登、加賀、越前、北近江があった。
しかし、信玄を牽制できる者は謙信しか居なかった。
だから信長は謙信にも気を使ったのである。
もっとも家康の方が信長よりも先に謙信と同盟を結んでいた。
家康は信長よりも更に圧迫されて急を要していたのであった。
この頃の謙信は恐いどころか、唯一頼れる味方であった。

信玄の死後、一気に浅井、朝倉を滅亡に追いやる。
更に将軍を追放し、一向宗とを皆殺しにする。
公然と同盟を破り遠く能登七尾城救援の兵を出す。
まさに信長増長の有様である。
謙信が怒らぬわけがない。

かくして最強の味方は最強の敵となった。
越後の龍と尾張の毒蛇はついに加賀に於いて領国を接したのである。


239人間七七四年:2007/09/03(月) 21:00:14 ID:tkPz/lDR
※共通の敵ということで対一向一揆軍事同盟を結んでいた織田家に
 なんの断りもなく一向宗と講和したのは「越後のアル中」です。
240人間七七四年:2007/09/03(月) 21:02:46 ID:+wU663tm
誰か>>234にレスしてやれよ
241人間七七四年:2007/09/03(月) 21:15:49 ID:UcK/TpfX
>>240
構ってやるだけが優しさじゃないのさ…
242人間七七四年:2007/09/03(月) 21:22:08 ID:MZPeJFuT
謙信は心底自分は毘沙門天に守られていると信じ込んでいるから
誰かを恐れるとかいう感覚はないだろう。
四万の北条軍に囲まれた佐野城入城のいきさつが本当なら並みの人間ではない。
243人間七七四年:2007/09/03(月) 21:35:29 ID:3AVSehTT
>>237
1970年代は1968年の大河ドラマ『天と地と』が放送された勢いをかって映画『戦国自衛隊』でも謙信が準主役扱いに。
ちなみに、この時の撮影で自衛隊が全面協力をしたのだが、その影響で今でも自衛隊の車や戦車には毘の文字が入る。
上杉謙信=義将=義戦とのイメージから自衛隊にふさわしいという理由もある。
明治時代末期から太平洋戦争終結時の間も上杉謙信の人気が高かった。
太平洋戦争時には物資不足などの状況下にありながらも謙信が主役の『川中島合戦』なる映画が封切られた。
日本軍=義のイメージを植えつけたかった連中に担ぎ出された格好。
謙信だけでなく上杉鷹山の功績なども教科書に取り上げられていた。
日本のやる事が正義であると正当化するために利用されていたのな。
その反動で1969年頃までは上杉・武田の人気が低迷していたんだよ。
1969年に映画『風林火山』と大河『天と地と』でお互いの人気に再び火がついたわけ。
244人間七七四年:2007/09/03(月) 21:55:34 ID:RwE9UqEF
信濃から岐阜まで衝くって言葉にすりゃ簡単だけど、とてもじゃないが現実味のない戦略
245人間七七四年:2007/09/03(月) 22:26:42 ID:4qA9XxTJ
 /             彡lll
 !-- .、    ,、、、、,,,   彡lノ 
 l,,,,,__ /   ___     'r''゙ヽ
. |`゙'' ./   `'゙'''"    .〉,l | 
 |.   ,'           //   地勢学的に西が重要
. ',. ,'           , r'   西を押さえれば
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |    黙っていても東は落ちてくる
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、   山猿は元康に任す
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T 
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |
246人間七七四年:2007/09/03(月) 23:09:15 ID:h02OQhrg
>>244
織田の美濃攻めは東側から浸食していった。
信濃から織田領の美濃を取れば、斉藤はむしろ味方。
上杉は元々武田を攻める気はなかった。
中仙道は幹線道路である。
現実味のある選択肢だと思うが。
247人間七七四年:2007/09/03(月) 23:31:58 ID:XvxBLier
>>246
上杉謙信が三国峠(関東行)や富倉峠(信濃行)に散々阻まれ、
大苦戦したように
信濃→美濃への侵攻も限界が有ったのでは
謙信は侵攻ルートがそこしかないから仕方ないけど
248人間七七四年:2007/09/04(火) 02:41:11 ID:HcJ0urse
>>246
尾張から美濃の東側を攻めるのと、信濃から美濃東部に攻めるのじゃあ違うだろ。
それから、中世までにおいて中山道の信濃から木曾を通って美濃に出るルートは、
大軍を動かすルートとしてはほとんど使われていない。
この時代によく使われた畿内と東国を結ぶルートは、まず東海道。他には中山道
だが近江から美濃に入りそこから尾張にでて東海道に入るルート。もう一つは北陸
から信濃に入って甲斐>東国、あるいは越後から三国峠を越えて関東へ。
木曽路ルートは笑っちゃうほどに無視されている。源平合戦でも承久の乱でも、
後醍醐の倒幕から南北朝まで、基本的に使われてきたのは東海道と北陸道。木曾
義仲なんて、木曾から美濃に出ず、まず北上して越後にでてから北陸を南下。
249人間七七四年:2007/09/04(火) 06:47:01 ID:OLvaDu73
>>248
関ヶ原の合戦時、東軍主力の秀忠隊は中仙道ル−ト。
織田が美濃を東から占拠したのは、いきさつもあるが武田阻止の戦略。
250人間七七四年:2007/09/04(火) 06:52:41 ID:OLvaDu73
謙信の三国峠越えは、峠越えそのものも大きな障害だったが、
それより3正面作戦による不利のほうが大きい。
武田は美濃に専念が可能だった。
経済観念が有れば、尾張60万石に加えて、
みすみす美濃55万石、伊勢60万石を信長にやることはない。

251人間七七四年:2007/09/04(火) 07:20:26 ID:tBGaPmyT
中山道みたいな隘路を大軍が通行しようとするなんて正気の沙汰には思えん
一度通ってこい
252人間七七四年:2007/09/04(火) 09:05:21 ID:jT0hM67S
信濃から美濃を攻める場合は中山道ではなく、下伊那から現在の恵那市上矢作町を
通って岩村城を攻撃するのが普通。元亀3年の武田の秋山信友隊の美濃攻めも
このルートだった。天正10年の信長の武田攻めでも信忠本隊がこのルートを使った。
木曽路は森長可らの先発隊が木曽義昌の寝返りで戦闘なく通過。
253人間七七四年:2007/09/04(火) 11:17:53 ID:9t0ul6IG
伊達を恐れていた。
当時奥州は未知的な土地であり、かなりの大国と思われていた。
その中でも信長を凌ぐ天才が現れたことを信長は最も警戒していたという。
それが政宗だ。
254人間七七四年:2007/09/04(火) 11:25:05 ID:spqMpsEJ
信長が生きてたころはまだ親父の時代。
255人間七七四年:2007/09/04(火) 11:29:14 ID:lCLRk17E
信長が初期に恐れていたのは氏真公だろ。
氏真公が万が一有能なら親の仇として滅ぼされる心配があった。
自分も若い頃ウツケと呼ばれていただけに、
氏真の評判を聞いていたとしても可能性を恐れたはずだ。
256人間七七四年:2007/09/04(火) 16:38:20 ID:UivBq6uS
伊達輝宗は織田信長とプレゼント交換とかしてラブラブだったYO
257人間七七四年:2007/09/04(火) 17:01:38 ID:8ZzawoK9
謙信は、人質を戻すといいながら実際は畠山氏を侵略
正当な当主を死に追いやって制圧しながら、名目だった政繁を仮の七尾城代にすらしなかった
この侵略に対して、畠山側からすれば謙信に屈する以外頼れるのは信長しかいない
謙信が侵略を開始しなければ、信長に頼る情勢もなかった
まして共通の敵という点では動かなかったはずの一向宗と勝手に和睦するに到っては同盟破りの非はどう見ても謙信にあるだろ
258人間七七四年:2007/09/04(火) 18:48:29 ID:KvUiN+Gl
信長は弱いからいろんな奴にビビってたんだよw

それにしても妄想レスが多いな〜w
ま、自分のひいきの武将なんだろうけどねw

>>253
そんな国の大きさもわからんような状態でなんで政宗だけよく
知られて恐れるんだよw
259人間七七四年:2007/09/04(火) 21:18:20 ID:a6bfP+uR
つか畠山や長に頼られた信長も困ったんじゃないか
当時の織田からすれば能登なんて直接支援できる位置に無い、
支援しようにも、加賀の一向一揆を突破しなければならないから
260人間七七四年:2007/09/05(水) 00:06:06 ID:PZmH9uoB
織田信長=バラモス
武田信玄=バラモスゾンビ
上杉謙信=ゾーマ
261人間七七四年:2007/09/05(水) 03:26:33 ID:VFhGlPQq
信長が謙信、信玄にビビりまくってたのは、いろんな文献から見ても確か。謙信、信玄は信長なんかまったく恐れてない。
262人間七七四年:2007/09/05(水) 03:41:23 ID:ctSBXu4V
伊達厨はなんだかほほえましいが、織田厨は目がいっちゃってて怖い
263人間七七四年:2007/09/05(水) 07:05:31 ID:fNF5q/UN
PCを通して相手の目が見えるらしい>>262の方が
いってると思うが。
264人間七七四年:2007/09/05(水) 08:10:04 ID:JMoIzcZI
>>261
一次史料でそうだったら納得する
まずどんな文献からそういうのが出たか教えてくれ
265人間七七四年:2007/09/05(水) 11:45:21 ID:CtzlBPt9
びびりまくってた?
畿内や本願寺といろいろやり合ってた時期だから余計な敵を作りたくなかっただけでしょ。



266人間七七四年:2007/09/05(水) 12:10:12 ID:ts4hFS4O
浅井朝倉が健在な時に上杉が浅井朝倉同盟軍に協力して越後から近江へ援軍
を出撃させていたなら織田家は滅亡していた。
上杉・本願寺・浅井・朝倉連合軍が近江を平定。
武田軍が遠江、三河を平定。
三好残党が畿内を平定。
伊勢を本願寺が平定。
織田は尾張・美濃に押し返された後、四方から総攻撃を受けて滅亡。
267人間七七四年:2007/09/05(水) 15:03:33 ID:GgdqY4DC
>>261
信玄坊主は信長に「見捨てられたら国を保てません」みたいな書状を送ってなかった?
268人間七七四年:2007/09/05(水) 15:39:08 ID:brjtQDWm
>>266
その当時、上杉は織田の同盟国ですが?
能登、加賀、越中が道をふさいでますが?
うかつに国をあければ関東が北条に取られますが?
武田信玄の性格的に上杉が手薄になれば越後を狙いますが?
一揆勢に特定の国を平定するだけの兵站は存在しませんが?

0点。勉強してからやり直せ。
269人間七七四年:2007/09/05(水) 16:33:44 ID:CtzlBPt9
>>268
相手にすんな、信長の野望での話しなんだろw
270人間七七四年:2007/09/05(水) 17:10:44 ID:AX1oc9ka
>>268
こう見ると越後は八方塞だったんだな
武田と講和しようが一方的に破られるし
北条と下手に講和したら関東全部奪われてしまうし
信玄と結んだ一向宗は国境付近まで迫ってくるし
こりゃ討って出るだけで精一杯だな
271人間七七四年:2007/09/05(水) 17:20:53 ID:PZmH9uoB
信玄が死ぬ寸前と謙信が死ぬ寸前ではどちらが強大な軍事力を誇っていたのですか?
272人間七七四年:2007/09/05(水) 18:21:14 ID:8XvNuJO0
>>271
謙信が死の直前、遠征すべく動員した兵は五万六千
さらに各地の兵を糾合しつつ進軍した場合、七万前後には膨れ上がったらしい
国内の金山&銀山も謙信の最晩年〜景勝時代に最盛期を迎える
一方、信玄の金山って晩年には掘り尽くされていたのでは
国力&遠征出来る兵力は謙信の方が上かもしれない
273Y ◆nzdGjBH722 :2007/09/06(木) 00:01:45 ID:HjvoQ/8V
>>270
そもそも反信長連合は一枚岩ではなかったから、なんだかんだいって利権が絡めばバラバラに行動するもんな。
武田信玄も同じ反信長連合の一員である浅井朝倉を自身の三河接収にいたるまでの信長の噛ませ犬扱いしてる。
そら、朝倉が撤退したとき文句言っても朝倉にそんなこと言われる筋合いないよなw
>>266は必死で信長はヤバかったみたいに言ってるけど、仮にこれが事実だとしても(そんなの在り得ないがw)
謙信信玄長政義景などなどがタッグ組んで始めて信長を倒せるという信長の強さの証明だなw
274人間七七四年:2007/09/06(木) 01:52:08 ID:F4jotSE4
>>273
>>266は外交コマンド→
同盟→拒否される→
貢物→好感度うp→
念のためもう一度貢物→好感度うp→
同盟→家宝要求される→
要求受諾→同盟成立
みたいに簡単に都合よく同盟を結べると思ってるんだろ

>>266の考えだと一番得しているのは、何気に畿内を手に入れた三好残党なんだなw
275人間七七四年:2007/09/06(木) 08:30:33 ID:41KIGWIT
つうか謙信が本願寺や北陸一向宗と交渉を持つのは天正三年六月頃から
畠山家臣団が、信長に支援を要請するずっと前
もう裏切る気まんまんだったんだよ
信長には単独では対抗できないから、祖父の仇だろうと何だろうと利用するし裏切りも平然とやる
後世の創作と違って謙信も立派にずるい当たり前の戦国大名
276人間七七四年:2007/09/06(木) 11:21:08 ID:0u8GWzo4
信長視点が多いけど謙信にしてみれば、
将軍家を大事にするはずだった信長が
将軍家をないがしろにし始めてたからなあ
一揆と講和したのは義昭が信長包囲網を作る為の指示もあったんだろ
277人間七七四年:2007/09/06(木) 11:44:44 ID:41KIGWIT
>>276
ありえん
義昭追放は天正元年のこと
しかもこの途中経過を信長はわざわざ書状で謙信に伝えている
将軍追放が理由なら、タイムラグがありすぎる
謙信は義昭の上洛要請を蹴ったように、決して幕府に忠実ではない
278人間七七四年:2007/09/06(木) 11:45:31 ID:41KIGWIT
ありえん、というのは謙信が信長を裏切った理由として将軍ないがしろにしたから、という点ね
279人間七七四年:2007/09/06(木) 11:47:22 ID:p6/4dUVH
>>276
元亀年間にその義昭が出した、信玄と講和して結んで信長と戦えという指示を
完全スルーした謙信についてどう思いますか?

>>273
そもそも、連合なんてものすらなかったと私は考えてます。信長と敵対して
いる連中がめいめい勝手に戦って逃げて講和してただけ。
280人間七七四年:2007/09/06(木) 12:28:42 ID:0u8GWzo4
義昭の上洛要請を蹴ったから忠実でないというのはどうかね
関東のことで手一杯の時期だし
謙信自身は信長と戦うにしても、あくまで関東を押さえてからだっただろうが

将軍の指示に従わなかったのは、まだまだ関東に謙信を頼りにしている勢力が多い中で
将軍の指示があったからといっておいそれと武田北条と講和なんてできないからだろう
関東で戦い続けた意義が根本から失われる。空気読んで言ってくれというところ
281人間七七四年:2007/09/06(木) 13:15:10 ID:bfqBwiYC
>>276>>277はどちらもおかしくないと思うよ
将軍家をないがしろにしたと、大義名分を掲げただけじゃないかな
282人間七七四年:2007/09/06(木) 13:30:45 ID:p6/4dUVH
>>280
では何故織田と同盟を結んだのでしょうか?
そが理由なら織田に対しては中立ってだけでいいでしょうに。
283人間七七四年:2007/09/06(木) 13:47:52 ID:1Y60cLD+
謙信が将軍家を重んじていたっていうことが、そもそも嘘だからな
織田信長が追放を伝達しようが対武田牽制を期待して同盟続行
義輝にはそれなりに心積もりがあったが、義昭なんかシラネが本音じゃないかね
ところが謙信が関東から北陸侵攻に関心を移したら利用価値がでてきた
だから従ったと
284人間七七四年:2007/09/06(木) 16:31:31 ID:AHBw7KxN
というか戦国大名なんてみんな実利のないものの為に金や兵を無駄にする
ような奴じゃないだろ。そういう南北朝時代前期の倫理で動くような古株
はとっくに淘汰されてるか小規模勢力に落ちている。
285人間七七四年:2007/09/06(木) 16:41:52 ID:1vwF7rzl
南北朝時代前期の連中だって倫理で動いてなんかいない
286人間七七四年:2007/09/06(木) 17:59:03 ID:ffajWrCW
>>275
畠山家臣団の内、温井氏と長氏が対立
それまで温井氏は上杉と友好関係を築いていた
越後にとって日本海航路を保つ為に欠かせない存在だった
一方で温井氏と敵対する長氏は別の後ろ盾を欲していた
そんな長氏が信長と手を組んだ事で、港などの協力を得られなくなる〜と危惧した謙信
これは越後の国運を左右する重大事なので、能登侵攻を決断する・・・って感じだったかと

あと上杉派の遊佐氏が以前より加賀一向宗と同盟関係を築いてたり
なかなか複雑
まぁ、いつまでも祖父の仇とか言ってたら
親父の仇(上田長尾、宇佐美、柿崎、揚北衆)は一体どうなるんだって事で現実味が無い
287人間七七四年:2007/09/06(木) 18:20:15 ID:yEcQYYcJ
>>280
将軍の指示でおいそれと武田と和与してるじゃん、元亀だったか永禄後期に
288人間七七四年:2007/09/06(木) 18:35:19 ID:zwq4KQNy
>>287
それは過去レスで出てくる「信長に見捨てられたら信玄滅亡」という手紙を信玄が出したやつかな?
永禄12年の和睦
仲介者は実質信長だからでしょ
義昭が上洛支援者を探していた時の単独の和睦仲介は、あっさり蹴ったし
289人間七七四年:2007/09/06(木) 19:06:09 ID:gW2y3OM3
>>288
謙信は蹴らずに一応応じたんじゃなかった?
また北条も上杉との和睦にはそれなりに前向きだった
ただ武田が断固反対したため上手くいかなかったんじゃ

まあ北条は謙信との和睦はメリット多いけど
謙信も武田北条たの和睦はそれなりにメリットあるけど
武田は織田と同盟今川と同盟北条と同盟で
ここで上杉と和睦すると攻めるところが無くなるという事であまりメリットが無いから
仕方が無いかもしれないけど
290人間七七四年:2007/09/06(木) 19:56:43 ID:u+5eupbj
>>283
謙信が義輝には義理を通していたが(忠誠であろうと利害であろうと、諸々込みで)
義昭はシラネってのは結構真理かも。

義昭自身、信長憎し我が身可愛しで兄を殺した三好一党とまで手を結んだような男だから
仮に講談にあるような正義馬鹿の謙信でも、そんな義昭に無二の忠誠を抱く方が不自然だろうw
史実の野心家としての顔も持ち合わせた謙信からしても、とても信用出来る男じゃない。
291人間七七四年:2007/09/06(木) 21:40:53 ID:yEcQYYcJ
>>288
つまり幕府への忠節でもなんでもないってことだろ?
幕府どうこうが問題じゃなくて、実力者の仲介だから
お前が何を主張したいのかいまいちわからん

>>290
義理というなら私的に関東管領になったりしないだろ
292人間七七四年:2007/09/06(木) 21:46:18 ID:DnV6ryFq
義昭は信玄を使って信長を攻め殺そうとしたわけで、謙信としては信玄がそれに成功したら
大きな脅威になる。また信長が義昭を追放したのも直接にはそれが原因だろうから、
その点で謙信は信長を非難する気になれないだろう。

ただ義昭が追放されて毛利に身を寄せてからは、上杉家文書にある毛利からの手紙に
義昭のことが時々出てきたように思う(いま手元にないが)。晩年、謙信が信長と手を切って
からは義昭のこともまた考えるようになったのかもしれない。
謙信は北条の傀儡の足利義氏の無事も心配していたような人だから。
293人間七七四年:2007/09/07(金) 06:10:11 ID:KfBVHFkd
>>291
関東管領就任は関東進出の大義名分にしか見えないわけだが
294人間七七四年:2007/09/07(金) 06:44:37 ID:Sx0H44Xb
関東管領就任が先で関東進出は付いてきた仕事だと思う。
元々から関東進出の意志が有ったとは思えない。
親の代から長尾氏の目は越中に向かっているし、既に武田との戦いを決めた後だし。
更に三国峠を越える不利も当然考えているはずだ。
それでも関東へ向かったのは、義務としか思えない。
295人間七七四年:2007/09/07(金) 07:32:04 ID:yP7p5kEW
>>293
それと舐められきった三条長尾のイメージを払拭したかった面があるね。
「守護代の癖に」「謀反人の息子」って侮りが越後国内に有ったと、
謙信の本には大抵書かれてる。
長尾の中でも三条は上田や古志より家格が低いらしいし。

ロマンという点では遠祖が結城合戦の際、色部を伴って関東で活躍した。
色部を唐沢山の城代にしたのはそういった経緯からだろうか。
他には管領上杉顕定による越後侵攻が語り継がれていた事も考えられる。
「関東を放って置くと酷い事になる」と、越後の老将は思っていただろう。
296人間七七四年:2007/09/07(金) 07:58:12 ID:S9UPNxzX
>>294
その点は異議がある。>>295も書いているように越後は関東と15世紀以来密接な関係に
あり、越後上杉家やその分家の上条上杉から関東管領を出したことも何度もある間柄。
享徳の乱では幕府から感状をもらった越後の国人も多かった(御内書案)。
将軍の感状や先祖の武功は代々語り伝えていただろうし、関東へ行くこと自体には越後の
国人にもあまり抵抗はなかったと思う。

一方、越中は能景が戦死し為景も戦っているが、為景が越中守護畠山尚順から越中東部
(新川郡)の守護代にしてもらったので、ここはそれで安定していた。
この守護代は景虎も受け継ぎ、地元の椎名氏を又守護代にして実質支配させていた。
景虎の初めての越中出陣は永禄3年でかなり遅い。これは越中中部の神保氏と椎名氏の
争いへの介入で、こちらの方が義務的な感じがする。

はじめ東部にしか権利がなかった越中で謙信の支配権が次第に拡大するのは、神保との
戦い→制圧→中部に拠点→西部の一向一揆が信玄に煽動されて加賀一揆といっしょに
中部に侵攻→制圧→西部まで支配拡大、という経緯で、結果的には信玄が謙信のために
支配権を広げてやったような感じさえする。
297人間七七四年:2007/09/07(金) 08:16:13 ID:nunj2Rwe
本気で関東を支配したいのなら、険阻な雪道をいちいち越えて出征するような状態を脱しないと
上野に本拠を移転するとか
でもそれをやったらただでさえ不安定な越後がぐちゃぐちゃになるだろうな
次善の策として家臣置いて支配させたら、謀反嫌疑で切腹とかもろ離反とかいろいろ問題起こしてくれるし
298人間七七四年:2007/09/07(金) 08:51:11 ID:U3BvivwJ
>>293
幕府、将軍に義理立てすればこそ、その承認もなく関東管領になったりしないといってるわけだが
親の許可なくても結婚できる成人でも、親の了解はとりに行くだろ
それと一緒
299劉邦:2007/09/07(金) 10:28:26 ID:jEP5XU5t
バラモス=石田 光成 ゾーマ=豊臣 秀吉
300人間七七四年:2007/09/07(金) 14:49:28 ID:KfBVHFkd
>>298
ただでさえ不安定な地盤の上に立ってるのにその上不安定にしないためのアピールだろ
こういうことを気にしないのは信玄ぐらいだぞ
301人間七七四年:2007/09/07(金) 18:10:22 ID:QRNaqYkT
>>300
お前のレスがずれてるのに気づかないのかね?
俺が言ってるのは>>290の義輝に義理立てしてるという主張に対して、義理立てするなら内諾を得る機会もあったにもかかわらず、それをせずに関東管領に就いた事から義輝に対しても義理立てしてたわけじゃないといってるんだ
目的はお前の言うとおりだろう
が、俺が言ってるのは目的ではなくて就任の手順について言ってるわけだ
ご理解いただけたかな?
302人間七七四年:2007/09/07(金) 18:30:18 ID:Jik4f410
でも関東管領という職の重みも捨てたもんじゃないぜ
どっちかといえば下克上組の長尾家の坊やが就任するってだけで11万ともいわれる関東諸勢が集結
百戦錬磨の氏康の持久戦術で敗退しなければ、そのまま日本を動かす大勢力になっていたかもしれん
303人間七七四年:2007/09/07(金) 19:33:47 ID:MDYcMwcu
織田信長は信玄と謙信、どっちが嫌いだったのかな?
304人間七七四年:2007/09/07(金) 22:40:21 ID:NXlQtNSN
>>303
信長本人に聞かないと分かるわけないが、
苦しい時期にありえない裏切りかまされて
家臣が叔母を強奪して、息子が拉致られたという事を考慮すれば
信玄には好印象はまずなかっただろうね
305線香花火:2007/09/08(土) 00:19:56 ID:BKnT6489
この時代の戦は今の戦争とはまったく違い、(噂や当主の人間像、領民の信頼)が大きいと思うのです。
単に(騎馬や鉄砲)の数だけでは無いのです。
今の人より、命を尊び人の怖いと言う感情も大きい時代だと思うのです。
逆に当主は女人の腹を割いて赤ちゃんと取り出したり、拷問したりの好き勝手にした人が居るのをみれば
当主には絶対的な自由感も感じます。
本題ですが
(信長が恐れたのは)
やはり、(信玄、本願寺)だと思います。
それは戦上手とかでは無く、仏教徒や民衆に影響力を及ぼす存在だったからです。
(謙信、北条、島津、伊達)は公家に近く言わば、政治家的に国に近く逆に反発民衆も多いのでは?
と思います。
戦がいかに強くても功名でもこの時代は情報源は足でしかないので分析するほどの
情報も少ないので力だけでは(信長が恐れる?)と感じるというより、情報が乏しいと思います
306人間七七四年:2007/09/08(土) 01:45:25 ID:++5MqQRS
武田家は各地に喧嘩売りまくり逆にフルボッコw
307人間七七四年:2007/09/08(土) 08:05:03 ID:X+E2Tmds
>>305
わけわかんねー理論だな
下克上の代名詞みたいな北条が公家に近いとか
一般的に重税で有名な武田が民衆に影響とか
308人間七七四年:2007/09/08(土) 08:57:11 ID:8tFBtHFk
そもそも信長に「恐れる」という感覚があったんだろうか?
14歳の時既に「この世で確実なのはたった一つ、人間はいずれ死ぬことだけ」と言い放ち
斎藤氏の刺客団の前に単独で身をさらして平然としていて
杉谷に銃撃されてもまったく動ぜず進軍しろと命じ
桶狭間や天王寺では多数の敵相手に身を晒して突撃している
馬鹿丁寧、という態度はあっても恐怖でガクブルする信長って想像できん
309人間七七四年:2007/09/08(土) 09:31:58 ID:mJVKnj1Q
信長の晩年は、牟田口廉也なみの愚将と化している。
家臣に反逆され、討ち死の末路。秀吉には開放感のみが
あったろう。
310人間七七四年:2007/09/08(土) 09:59:51 ID:0rtEuGcV
>>308
戦場で勇敢になるのは普通じゃないのか?
多分、あんたでも訳わからんままに勇敢だと思うぞ。
そして終わってから、傷が痛み恐怖が襲うわけだ。
想像力が豊かで緻密な男は必ず小心だ。
そしてそんな奴こそが生き残る。
浅井・朝倉の髑髏で酒を飲んだ時点で、既に精神は異常だ。
大敵が居なくなり緊張は解けた。
その時小心者の本性が現れた。残忍さも剥き出しになった。
その後現れた、更なる大敵。
それが謙信だ。
既に緊張が解け、素に戻ってしまった男には戦えまい。
だから自信は出陣出来なかった。
後は尻尾を巻いて逃げるか、それとも他の手か?
信長は暗殺を選んだ。

311人間七七四年:2007/09/08(土) 10:21:16 ID:mpLnKrv9
>>310
いや、髑髏酒は創作だからな?
同人サロンの該当スレに帰れ
312人間七七四年:2007/09/08(土) 10:58:26 ID:4wXFw80H
謙信も図太そうだ
銃撃されても平気で弁当食らってたりとかいう話がある
ただ、信長の度胸逸話と違って軍談レベルしか根拠が無いから創作という恐れも
313人間七七四年:2007/09/08(土) 13:20:52 ID:/0biCgnB
軍記物ってややこしいね。それを史実と思い込んでる人は結構多いし。
そういう層を作り出したのは罪深いことだな。
史実のみじゃ面白みにかけるからって上塗りしていったせいで
嘘が本当になって、本当が嘘と思われるようになった。
平家物語も創作・捏造部分を史実だと思い込んで、言い切る人がいるし。
314人間七七四年:2007/09/08(土) 13:36:46 ID:g9BVP4fu
虐殺かます奴はだいたい元来は臆病で、狭量な人物
315人間七七四年:2007/09/08(土) 13:59:50 ID:ndxxscRb
虐殺っていうと信長と政宗か
政宗は小手森、佐沼、高玉などなど結構虐殺してる

信玄と謙信はしてないね
316人間七七四年:2007/09/08(土) 14:28:15 ID:N4Rf0bC0
根切りなら信玄も謙信もやっているから
みんな臆病で狭量だな
317人間七七四年:2007/09/08(土) 14:38:17 ID:6178EAAh
信玄は志賀城で苛烈なことやってるな。
318人間七七四年:2007/09/08(土) 15:51:17 ID:jhqP+PYD
武田家と上杉家はどっちが由緒ある名門の家系なの?
319人間七七四年:2007/09/08(土) 18:18:11 ID:kWn4lD85
志賀で皆殺しにして信濃攻略に相当影響があったようだが
320人間七七四年:2007/09/08(土) 18:37:08 ID:ndxxscRb
志賀城は虐殺じゃねぇだろ
金山という職場を与えてあげた
あの時代に安定した職に就けるなんて有り難い事だったと思う
321人間七七四年:2007/09/08(土) 18:58:28 ID:MgHSfZDW
自分は謙信厨だが謙信の虐殺については遺憾ながら同時代史料がある。


天正2年?10月19日の謙信書状(太田資正宛)で、仁田山城を攻めて
「彼城ニ籠候者共、一騎一人不残、男女共ニなてきりニ成之候」
と書いている(『上越市史 別編1』1228号)

これを聞いた佐竹義重は謙信宛の書状で
「猿窪地御近隣、則被責落、男女共不残被討終之由、不始御刷、不及是非候」
と閉口した様子(同1230号)。(「御刷(あつかい)に及ばず」は意味がよくわからん)
322人間七七四年:2007/09/08(土) 19:08:41 ID:MgHSfZDW
訂正。「御刷(あつかい)を始めず」だった。意味がわからないのは同じorz
323人間七七四年:2007/09/08(土) 20:09:50 ID:WAYCdNnd
景虎時代にも黒滝一族を滅ぼしてなかったっけ?
324人間七七四年:2007/09/08(土) 20:20:12 ID:MgHSfZDW
黒滝の場合男女を問わず殺したかどうかは知らんな。
まあ黒滝はかなりひどいことをしたらしいから戦の習いというか、負けた一族はそういう覚悟を
しなければならんということでもあったかと。

戦国時代では非戦闘員もしていたので、武士であるかどうかを問わず男女なでぎりしたという
例で>>321を挙げたのだが、佐竹の書状から考えるとここまでするのは当時としても珍しいの
かも。(書状の意味が正確にわからないところがあるが)
325人間七七四年:2007/09/08(土) 20:24:48 ID:MgHSfZDW
また訂正ごめん
×戦国時代では非戦闘員もしていたので
○戦国時代では非戦闘員も籠城していたので
326人間七七四年:2007/09/08(土) 20:46:59 ID:0qTZcHFK
一族郎党で城を固めていたのか
それとも百姓・町人まで城に篭っていたのか
一言で「虐殺」といっても双方で意味が変わってくる
仁田山城は規模も小さいようだし
果たして民衆が入城していたのかどうか
327人間七七四年:2007/09/08(土) 21:11:02 ID:MgHSfZDW
>>326
なるほど。確かにそこはわからない。
ただ一族郎党であったとしても女まで殺すのは珍しいので佐竹がこれに触れたんじゃないか
とは思う。
328人間七七四年:2007/09/08(土) 22:46:43 ID:QiEjsED6
当時、近隣の者が軍隊から逃れるために城に避難することは権利として認められていた
そうだから、いたとみなしていいのでは?
329人間七七四年:2007/09/08(土) 23:09:59 ID:Hc3cxjLg
>>327
是非に及ばず を
よく「しょうがない」とは訳すけど
是非に及ばず=是非無し=止むを得ない だから

閉口や呆れを表現する「しょうがない」とは別物だと思う
つまり「お前はしょうがない奴だ」って語感と混同しがちだが
それは 是非に及ばず とは関係無い

是非に及ばず は
「今回はしょうがない」=「止むを得ない」って感情を込める時の言葉かと

しかし御刷を始めず ってどんな意味だろう
330人間七七四年:2007/09/08(土) 23:33:51 ID:MgHSfZDW
>>329
うん、是非に及ばずの意味はその通りだと思うけど、佐竹がわざわざこの件に触れているので
「やむをえない」という裏に「なんだかなあ」という嘆息みたいなのが聞こえる感じがした。
ことさら手紙で指摘しなくてもいい事柄だからね。(考え過ぎかもしれないが)
331人間七七四年:2007/09/08(土) 23:39:07 ID:MgHSfZDW
ただこれも結局「不始御刷」の意味がわからないから、飛ばしてしまってそう解釈しただけ
でもあるから、ここがわかるともっとすっきりするんだろうけどね。
いずれにしても男女なで切りの事実関係は変わらないが。
332人間七七四年:2007/09/09(日) 00:57:27 ID:AZNEJEcq
戦略立てるときは臆病なヤツのほうが、さまざまなケースを想定して
手を打つから、優秀な指揮官になれる。
作戦を実行する時には一転して恐れを知らず、敢行できるヤツが尚いい。

基本的には信長も信玄も謙信もこのタイプだったと思うが
謙信が豪胆ゆえにやや大雑把なところがある。
333人間七七四年:2007/09/09(日) 10:43:25 ID:TiGRmiXI
>>302
氏康に敗退?
適当な事書くなよ。

管領就任式の日取りが迫りこの後の季節的な問題もあった。
北条方の支城をすべて落とし散々懲らしめたので
撤退してはどうかと言う周囲の進言を受け入れただけ。
もともと侵略欲に薄い謙信にとっては、懲らしめるのが常に第一義。



334人間七七四年:2007/09/09(日) 12:34:13 ID:F/ZcJ1AR
支城落とせてない
地方の合戦では大槻合戦のように謙信方苦戦
このままでは兵糧不足と裏切りで負けるから、と佐竹太田が進言
謙信撤退して儀式を行う
その後北条の反撃で占領地を次々失う
謙信が奪った土地は簡単に奪い返されたが、逆に北条が奪還した領地は以後豊臣家に滅ぼされるまで北条領となったところがほとんど
謙信は占領地を万全にするために自分の従兄弟の長尾謙忠を上野に置いたが、裏切り疑惑で切腹とも誅殺とも
次においた北条高広一族も、裏切りや離反の動きを再三見せている
侵略欲が薄いんじゃなく、人選ミスで確保した土地すら不安定だったのが痛い
越中でも占領地支配を任せた部下が負けて失地、というケースを何度も続けているし
335人間七七四年:2007/09/09(日) 16:36:01 ID:VxsuaZGJ
簡単に奪い返したと言うが、もともとが上野まで北条方だった。
それがあっという間に小田原まで押し寄せられた。
謙信はその後直ぐに第4回目の川中島合戦に向かった。
その後武田と北条の共同作戦で、しこしこ取り返しただけじゃないか。
しかも信玄と氏康の連合のくせして一度も正面から戦おうとせずにだ。
偉そうな事は言えまい。
336人間七七四年:2007/09/09(日) 16:55:47 ID:42p5bvY6
>>334
長尾謙忠という人物は創作で実在しない
北条に厩橋城を奪われ、放浪していた厩橋賢忠に謙信が城を取り戻し、返した
しかし謀反の疑いがあったので城を攻め、賢忠は城内で病死
代わりに配下の武将を置いた

上野国北部にある沼田城まで北条一族を入れるほど関東を席巻したのに
厩橋同様、謙信に奪い返されてしまった
さらに武蔵岩槻、羽生、騎西、忍までが小田原包囲以降、反北条に
北条配下だった成田長泰、太田資正、簗田晴助らが離反、
逆に北条を撃退するようになった

信玄の箕輪衆切り崩し、豪雪により謙信の越山不可&雪解け水で利根川を渡れない
などなど、これら好条件に従って北条もジワジワ回復するものの・・・
謙信によって救援されていた里見に三船台で大敗するなど、散々苦労してる
337人間七七四年:2007/09/09(日) 17:00:43 ID:YONvJT2H
結果的に関東支配できたんだから戦略的には正しかったんでしょ
でも武田と北条がやっていることは基本的に「空き巣狙い」だし
謙信が出てきたときは好きなように暴れられたから微妙なところもあるね
直接対決したときの謙信の強さは認めていたんだろうね
338人間七七四年:2007/09/09(日) 20:29:29 ID:W+87hFXJ
>>334
>謙信撤退して儀式を行う

撤退したら儀式行えないよ。鎌倉でやるんでしょ、就任式は
339人間七七四年:2007/09/10(月) 08:41:13 ID:NPF/s5yz
信長は、謙信と信玄を恐れた振りをして騙していたのでは?
油断させていつか陥れてやろうと狙っていたような気がする。
武田勝頼もそれでやられたのでは?

しかし、謙信も信玄もその手は食わないだろうけど。
逆に騙したつもりで騙されるだろうな。
340人間七七四年:2007/09/10(月) 11:25:38 ID:7rd+aRhW
その手を食ったから、信長が単独では勝てない大勢力になるまで仲良しやってたんだろう
局地的に相手の弱味につけこんで優勢になれても、長期的視野がないから結局はいいところを取られる
これは対北条でもほぼ同様の展開
謙信は勿論、信玄だって今川攻めの際にまだ支配地を固めていないにもかかわらず徳川奇襲して包囲くらって信長に泣きついている
このあたり、信玄も謙信も目先の所領を取り合う地方豪族の延長線上から脱却できてないな
341人間七七四年:2007/09/10(月) 11:46:35 ID:lZJx7Nkk
>>335
>しかも信玄と氏康の連合のくせして一度も正面から戦おうとせずにだ。
つまり孫子以来の理想の勝ち方をされたわけだね。原因はやっぱり戦略の欠如・支配地統制の失敗か
342人間七七四年:2007/09/10(月) 12:23:03 ID:M+4tKttM
>>334
>このままでは兵糧不足と裏切りで負けるから、と佐竹太田が進言
>謙信撤退して儀式を行う
適当なこと書くな

佐竹太田は「氏康の篭城に追い込み手も足も出せないようにしたの
だから十分新管領としての威厳は示せた。
長期戦は季節時期と兵糧の関係で今回は難しいので一旦囲みを解いては?」
と進言したとか言う文書は残っているはずだよ、北条マニア君!
343人間七七四年:2007/09/10(月) 12:28:08 ID:D8GfRHMf
正面から大兵力が合戦すれば損害が馬鹿にならず勝っても元が取れない。
よって主力が主力を拘束している間に支隊で敵の薄弱な分隊を撃破し戦略的に勝利する。
皮肉にも北条を滅ぼした豊臣秀吉も得意とした手だな。
関東諸侯10万余、といっても所詮謙信の家臣ではなく同意によって指揮に従っている寄せ集めでしかない
結束力はたかが知れていた。
344人間七七四年:2007/09/10(月) 13:05:49 ID:ZCBoeVG/
>>340
いや、外交じゃなくて合戦の話だよ。
345人間七七四年:2007/09/10(月) 13:11:15 ID:2G+kbL6E
>>343
本城を包囲中に支城を落とすのは普通のことでしょ。
寄せ集めは皆同じ。
結束力だて皆似たり寄ったり。
有利と思えば意気上がり、不利と思えば言うこと聞かなくなる。
346人間七七四年:2007/09/10(月) 18:25:42 ID:qLtXO2e3
サッカーだとディフェンスラインをおもいっきり引いて
ガチガチに守るというのは、格下が明らかに格上のチーム
と試合する時にとる戦法で、プライド持った強豪チームは
恥ずかしくて、余程のことがない限りやらないよ。

そう考えると、北条と武田って謙信は格上だと認めていたともいえるね。
347人間七七四年:2007/09/10(月) 19:39:28 ID:OZBQAGTJ
>>346
川と兵站だろ
利根川の南側を固めておけば敵も容易には渡河出来ない
まぁその南側にある上杉方を駆逐できないまま氏康は死去する訳だが
方法は間違ってなかったと思うね
武田と共同戦線張っている内は、万単位の援軍が期待できる
関東諸豪族が謙信に味方した所で其々数百単位でしかない
越後軍自体八千前後、北条は単独で二万〜三万、
三倍強も兵力が違う
北条からしてみれば無理する必要は全く無い
勝負は初めからついてる
348人間七七四年:2007/09/10(月) 21:12:03 ID:Pr44JQ9A
>>346
ていうかサッカーじゃねえしw

まあ北条が「上杉は相手にしたくないなあ」と思ってたのは
事実かもしれんが、ことさら「格上」なんて言葉を使って
優劣付けたがるのはどうかと思うね。
349人間七七四年:2007/09/11(火) 00:11:22 ID:W+wq1BRW
ガチガチに守ったのは最初の時ぐらいで
それ以降は北条はガンガンに攻めているけどな
350人間七七四年:2007/09/11(火) 08:41:12 ID:WocDODd/
上杉厨のマンセー理論は噴飯モノw
でもプライドっていう点だけは謙信の本質を見ているかもな
兎に角気位が高く、そのためなら周囲を無視
謙信の短気さを表わす逸話は(凄さを表わす逸話と同じで)基本的に講談とか軍談レベルなんだが
その何割かが本当だとすると、かなり酷い人間
長期的な視野と冷静さを要する戦略性でまったく織田・武田・北条に遅れを取ったのも当然か
351人間七七四年:2007/09/11(火) 10:45:30 ID:jeg7uRIW
謙信の軍は、武田以上に中世的な豪族連合。
被官化・家臣団化は遅れていた。
謙信が本当に信頼できた兵は恐らく常備兵的意味をもつ5千程度だろう。
兵站能力に到っては越後一国すらまとめきれてないから関東諸侯を食わせるなんていうのは無理。
相手が織田だろうが武田・北条だろうが攻めきれずに後退→息切れしている間に反撃喰うという展開になるのは当然。
そして後世の創作の世界ではないのだから、決戦に強引に持ち込んだところで謙信に必勝が約束されていたわけでもない。逆に負けることも十分ありえる。
352人間七七四年:2007/09/11(火) 11:14:42 ID:N9XZAcbK
越後の国主らしい国主って謙信が初めてだしねぇ
為景も頑張ったようだけど
1514年・宇佐美一族征伐〜1530年・上条の乱勃発
「上越」って越後の一地域を纏め上たのは、この間だけ
前後は内乱に次ぐ内乱の繰り返し

それに比べ甲斐と相模は、信虎と氏綱の代でかなり進んでる
彼らの後継ぎたる信玄&氏康連合と対峙する為には
謙信一代で二代分(信虎+晴信)は最低働かなければならない

・・・無理
でも良くやったと思うよ
353人間七七四年:2007/09/11(火) 11:42:41 ID:an0F3GgL
>>351
貴方の言う中世とはどの時代まで?
常備兵ってどんな兵?
5000の根拠は?
何故関東諸侯を食わせることが兵站能力なの?

354人間七七四年:2007/09/11(火) 11:45:44 ID:G6Vvkwfz
意外と深刻なのが上杉勢の人材不足だよな。
柿崎とか北条(高広)とか有能なのは謀反気があるし。
忠実な河田は越中勢や、織田家の中でも無名の斎藤新五郎にボコられる程度。
謙信が出奔しても、その後を継いで統制できる人材が一門の中に不在。
これで有力かつ独立した作戦行動が取れる武将が何人もいる他の勢力相手にするのはきつい。
極端な話、謙信本隊がいい勝負しても他が崩れれば結局負け。
355人間七七四年:2007/09/11(火) 12:33:06 ID:EMPmXrh2
>>354
それに関しては、前半はともかく後半は謙信自身に責任がある。
男色に溺れて、嫡子や息子・娘婿を用意できなかった。
嫡子がちゃんといれば、御館の乱だっておきなかっただろう。
信長は嫡子含めて子供を結構設けて、有能な武将をその補佐につけた。
そういったことができなかった原因は、どう考えても謙信の男色狂いだろ。
356人間七七四年:2007/09/11(火) 12:34:08 ID:MacM1f+Y
つーか謙信の本領は金策なんだよ。
戦国時代のホリエモン、村上ファンド。
金の力にモノを言わせて趣味で戦争やってただけ。
莫大な経済力に村上も山内上杉も魅せられた。
あんだけ戦争やってても死後の遺産は信玄なんかと比較にならない。
357人間七七四年:2007/09/11(火) 13:22:04 ID:HUD6Vsns
>355
沢山出来た息子・娘を政略結婚に使いまくって相手を裏切りまくって
最終的に詰んだ武田さんとかいるわけだが。

越後内の勢力は強い奴ほど謀反気満々で
諸国から謙信頼ってやってきたやつの方が
最後まで上杉家に仕えたってのがなあ。
元々追い出された奴らだからいまいち強くないのもさもありなん。
358人間七七四年:2007/09/11(火) 14:33:01 ID:AKdnS/FA
>>355
謙信の寵童とされる相手は判っていないし
恋文すら一通も残っていない有様
第一男色に溺れたなんて資料は皆無
若衆を呼んで歓待したのは男色将軍・義輝
謙信は身分と上洛目的から言って否定的な態度は出来ない
さらに近衛は同衾したなんて内容は書いておらず
「若者が好きのようだ〜」と、あくまで主観に過ぎない

後継ぎ問題は上田衆と古志長尾の対立を孕んでいるから
非常にデリケートな問題
「ここまで領土を広げ、景勝と景虎と政繁を
其々この城へと配置したら、対立も起きまい」などという青写真を
死直前の大遠征前に描いていたかもしれない
しかし突然の脳溢血を予想できなかった
359人間七七四年:2007/09/11(火) 15:37:37 ID:8T6WEX8V
>>1  そろそろ盲点だらけの織田厨にトドメを指すとするかな


信玄が駿河を攻略するにあたっての武田包囲網、これを巧みに撃破
した一連の信玄の作戦を信長は恐れていただろうね。
何せ相模へ出向いて北条を一喝→再同盟組ませる→そのあとゆっくり今川を
蹴散らして駿河平定→せっかく謙信と同盟を結べた家康は恐々とする。
関東三国志って言われてるが、どう考えても東国は信玄が最強。
信濃攻略時は謙信相手に戦略勝ちをおさめるこの巨獣が西上しようとしている・・・・・


どんな理屈を述べようが、信長が信玄を心底恐れていたのは間違いないね
360人間七七四年:2007/09/11(火) 17:02:29 ID:p/A08orJ
信玄
361人間七七四年:2007/09/11(火) 17:45:32 ID:IacwbWFz
信長は武田にも上杉にもさほど興味がなかったように見える
と言うか東国自体に関心がなさそうだ
あれだけ陣頭で采配振るう人物がたった一度も自ら出向いていない
最後まで家臣や徳川に丸投げしていた
北条に対してもいい加減な扱いしかしていない
362人間七七四年:2007/09/11(火) 18:15:30 ID:0QIusVDp
>>361
信長が謙信へ贈った物は豪華な品々だから
それだけ必死になってるのが窺える
「貴方様が御上洛の暁には私自ら、扇子一本腰に挿して御出向かい致します」
なんて己を卑下した書状を謙信に送ったのは本当なんだろうか?
363人間七七四年:2007/09/11(火) 18:35:11 ID:IacwbWFz
>>362
金品で相手の関心が他所へいってくれるなら安いものだろう
おべんちゃらならいくら言おうとタダだし
足元固めるあいだ騙せればいいわけだから言ったもん勝ちである
結局武田も上杉も気付いてみれば手の施しようがなくなっていた
364人間七七四年:2007/09/11(火) 18:59:37 ID:0QIusVDp
>>363
だから興味が無いどころか
平身低頭し、なんとか敵対しないよう
あの手この手で御機嫌取りを行っていた、というのが真相
矛先が自分へと向かないよう必死だった
365人間七七四年:2007/09/11(火) 19:23:02 ID:K+2PUZuP
信長って謙信、信玄にはことさら慎重だよね
勝頼でさえなかなか直接対決しようとせず、慎重に当たったし
たしか勝頼に岐阜に侵攻されたときもわざと軍をゆるゆる進めて
味方の城を見捨てたりしていなかった?うる覚えだけど。。。
必勝できると確信できるまでは当たりたくない強敵だったのかな?
366人間七七四年:2007/09/11(火) 20:13:41 ID:MacM1f+Y
平身低頭は本願寺を始め当面対決しない相手に対しては誰に対してもやってる。
上杉武田だけが特別じゃない。
367人間七七四年:2007/09/11(火) 20:33:04 ID:atvRFdOs
その一方で家臣に対しては信玄謙信を馬鹿にしていたような話しもあるんじゃ
368人間七七四年:2007/09/12(水) 00:55:08 ID:5qzvpvAH
>>366
謙信だって関東屋形の奥方達や
大変な任務を引き受けてくれた越後国人に平身低頭してる
利害が絡めば誰にだって平身低頭する

実るほど頭を垂れる稲穂かな
369人間七七四年:2007/09/12(水) 01:08:33 ID:5uKssumV
信玄だって、信長にへりくだった手紙出しているしねえ。
370人間七七四年:2007/09/12(水) 06:57:05 ID:ajc22+Yr
>>366
じゃあ列挙出来ますか?
371人間七七四年:2007/09/12(水) 08:00:39 ID:M0ZvgR0d
>>370
朝倉
本願寺
武田
上杉
一番へりくだったのはどう考えても朝倉・本願寺です、本当にありがとうございました
372人間七七四年:2007/09/12(水) 08:22:09 ID:ykOmGhwL
「天下は浅井・朝倉殿が〜」だったかな?

信長は文書なり外交上で「自分なんかより貴方様のほうが…」って相手
を立てる振りして虎口を脱出したり油断させたりすることの多い武将だね。
373人間七七四年:2007/09/12(水) 08:31:05 ID:wwzciab/
謙信は、弱った武田を攻撃するのでさえ信長との挟撃を要請し断わられたら手がでなかった
信玄も、弱体化著しい今川を滅ぼすのにさえ、織田仲介による徳川との共同作戦を要した
(今川の崩れっぷりを見ると、単独でもあるいは容易かったかもしれんが)
一方、信長は殆ど単独で斎藤氏はじめとする諸大名を撃破していっている
実績を見る限りでは、恐れる理由があるとは思えん
どっちかっつーと「大国が小国に謙れば上手くいく」式の外交でしょ
374人間七七四年:2007/09/12(水) 08:52:04 ID:seRA6xZi
>>372
その内容は三河物語にしか書かれてないって聞いたが
375人間七七四年:2007/09/12(水) 11:11:31 ID:P7BDDrt9
諸条件を見れば、謙信も信玄も信長に勝つのはかなり難しい
にもかかわらず信長が丁寧だったということで、(当然、謙信信玄からの贈り物や下手に出た手紙は無視で)二人が凄い、ということになる
つまりそれだけ信長が戦国史の中で影響がでかかったってことさ
376人間七七四年:2007/09/12(水) 11:17:30 ID:k+tzc2lt
「尾張兵三人に三河兵一人」
377人間七七四年:2007/09/12(水) 11:48:38 ID:+8fK+Vxc
じゃあ四人集めればいいじゃない
378人間七七四年:2007/09/12(水) 13:57:27 ID:5X5/H40l
>>372
その朝倉への書状は信憑性が無いよ
379人間七七四年:2007/09/12(水) 20:56:09 ID:OrbJusPw
わざわざ恵林寺へ生死の確認させたほどだから信長はびびってたな
仕掛けにくい相手だとは思ってたはず
死を確認してから攻め込む辺り、想像出来る
380人間七七四年:2007/09/12(水) 23:44:36 ID:M0ZvgR0d
×びびってた
○確認してただけ

山賊の頭が死んで跡継ぎの家臣掌握の間に一気に浅井朝倉を片付けたかったんだろうよ
381人間七七四年:2007/09/13(木) 01:07:53 ID:oiv/3Hah
まあ実際戦ったら、信長もウンコもらして逃げていたわけだが
382人間七七四年:2007/09/13(木) 07:28:57 ID:hY1/sOHT
まぁ、うんこするところで倒れた大名がいるんだが、信長はうんこ漏らしそうにないな
大権現様なら漏らしたが
383人間七七四年:2007/09/13(木) 07:33:10 ID:fxkLM3Hd
当時の厠は書斎みたいなもんだしな
384人間七七四年:2007/09/13(木) 11:57:42 ID:MZHjR9nM
勝頼の時代なら信長でなくても倒せたんじゃね。武田の中がまとまってないんだから。
信玄を倒した信長なら最強もありだが、ヘタレっぷりな印象だ。
385人間七七四年:2007/09/13(木) 13:00:59 ID:z9ShASWY
>>384
武田の勢力圏が最大になったのは勝頼の時代
386人間七七四年:2007/09/13(木) 13:09:59 ID:uBbUev1N
>>384
信玄が何度やっても落とせなかった高天神城を落とした。
用兵術なら勝頼の方が上だろう。
ってか信玄の用兵術は有名武将の中では最下位クラスのへったくそなレベルだが。
387人間七七四年:2007/09/13(木) 13:52:38 ID:feuR7VO8
火事場泥棒的に信長の背後を襲っても、多少の領土を掠め取れただけ
それが信玄の限界
国力で言えば半分以下の徳川すら倒せてないしな
388人間七七四年:2007/09/13(木) 14:59:03 ID:oF7HzdGa
>>385
それがどうした?
北条が最大になったのは氏直の時代だが?
389人間七七四年:2007/09/13(木) 15:02:06 ID:oF7HzdGa
>>386
じゃあ信玄より上だと思う武将を言ってみろ!
390人間七七四年:2007/09/13(木) 15:04:21 ID:oF7HzdGa
>>387
信長だって国力10分の1以下の雑賀も倒せて無いじゃないか。
391人間七七四年:2007/09/13(木) 15:13:55 ID:VbGYR5L3
姉川見る限り、家康軍>>>>>信長軍
それが三方ヶ原では、信玄軍>>>>>家康軍

よって信玄軍>>>>>>>>>>信長軍
信長はウンコで済んだかどうか???
392人間七七四年:2007/09/13(木) 15:27:15 ID:fv6Gwva0
信玄が城を無理押しするわけないじゃんw
孫子いわく城攻めは愚作なんだからさ。

孫子くらい読んでから信玄のこと語れよ。
やれやれだな。これだから信長厨は困るよ。
393人間七七四年:2007/09/13(木) 15:27:17 ID:QR8dd4kO
謙信厨はそれなりに話は通じるが
信玄厨はどうにもならないな
394人間七七四年:2007/09/13(木) 15:54:50 ID:kvNTLRik
永禄12年3月、自身の同盟破りによる包囲網形成に信玄「信長を疎略に扱えば信玄は滅亡すること疑いなし」と泣き付く
元亀2年12月、信玄「扶桑国の過半を手中にしても信長を疎遠にしない」と助けてもらった恩を表明
これが史実の力関係
そして信玄は自分の言をあっさり翻して信長を裏切るが、結局天罰が下ったのか病没して武田家滅亡の原因に
対信長に限定するのなら、謙信以下だろうな
少なくとも謙信はここまでの借りを信長に作ってはいない
395人間七七四年:2007/09/13(木) 15:59:27 ID:by/Fxx3v
まあでも謙信とやりあう頃にはもう織田は滅びるなんてありえないぐらいの勢力築いてたし
どっちを恐れてたか選べっつーと信玄なんじゃないの
近所だし
396人間七七四年:2007/09/13(木) 16:33:39 ID:OrTbfaDo
>>391
姉川をみて言えることは 家康軍(+織田からの援軍)>>>>>朝倉軍 だけ。
397人間七七四年:2007/09/13(木) 17:40:06 ID:hY1/sOHT
>>391
姉川を見て言える事は、どこまで徳川史観が入り込んだのか解らない事
398人間七七四年:2007/09/13(木) 17:44:22 ID:fxkLM3Hd
三河物語で信長のヘタレ文書(天下は朝倉殿に)を創作したり
姉川の合戦でも三河兵最強!を創作したり
三河の連中って随分信長のイメージを貶めてるな
399人間七七四年:2007/09/13(木) 17:45:57 ID:fv6Gwva0
朝倉軍に押されまくるようじゃたかが知れてるだろ。
それは信長自信が一番良く分かってるから、いろいろ工夫したんだろう。
長篠の戦なんて、半分以下の兵力の相手に取る戦術じゃない。
よほど自軍の脆弱さに不安があったんだろう。 
さすがに、川中島以降の謙信軍との死闘を越えた信玄の軍とまともにあたったら
瞬間に木端微塵にされただろう。 
400人間七七四年:2007/09/13(木) 18:19:14 ID:cNt8wbuo
武田上洛スレみたいにこのスレでも姉川で荒れそうだな・・・
姉川で揉めるんならこのスレで議論しなされ
【織田・徳川】姉川の戦い議論スレ【朝倉・浅井】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1188559907/l50

>>399
上杉と不毛な泥試合をしただけの武田軍をそこまで評価するのなら、
織田軍が各地を転戦して様々な状況での戦いを経験したという事も考慮しないといけないだろw
401人間七七四年:2007/09/13(木) 18:24:50 ID:fv6Gwva0
不毛な泥試合をしただけではない。軍事的天才上杉謙信との12年に渡る
闘争に於いて、信玄も軍事的天才に昇華した貴重な戦い。
謙信がいたおかげで日本海にはでれなかったが、南下すれば簡単に海でられた。
それだけ、謙信意外の相手は雑魚だった。いや謙信との闘争は意味があった。

家康との戦いみれば、兵力差うんぬんではなく如何に軍事能力で差があるか
わかるだろう。その家康より脆弱な野戦軍しかもたない信長軍がどう信玄の軍を
打ち破るのか?  それこそ不毛な話というものさ。
402人間七七四年:2007/09/13(木) 18:55:38 ID:M5EXNZel
大国甲斐を受け継ぎながら信濃一国を奪うのに半生を費やし、
徳川と挟み撃ちで今川の駿河を盗み取るのが精一杯の信玄。

尾張半国から怒涛の勢いで天下に覇を唱えた信長、器量が違いすぎる。
403人間七七四年:2007/09/13(木) 18:58:59 ID:fv6Gwva0
嘘こくな。美濃平定に8年掛けてるだろ。 その後に謙信が朝倉の位置にいたら
信玄みたいなもんだ。
404人間七七四年:2007/09/13(木) 19:09:57 ID:cNt8wbuo
自身とと同程度の大国を7年程で攻略したスピードに難癖つける奴初めて見たわw
405人間七七四年:2007/09/13(木) 19:41:58 ID:hLFoWlU/
信玄は甲斐25万石の勢力で信濃45万石を攻略した。
信長は尾張60万石の勢力で美濃55万石を攻略した。

ちなみに謙信は、取り返されるのも早いが、取るのも早いぞ。
406人間七七四年:2007/09/13(木) 19:52:15 ID:jXxyr3Cn
>>405
謙信がすぐ取り返されるのは雪と峠に邪魔されてるからだしな
雪で謙信が越山出来ない一月〜四月までの間に
大抵の城は攻め落とせる
407人間七七四年:2007/09/13(木) 20:15:28 ID:SyLMsua1
>>405-406
学習能力がないともいえる
408人間七七四年:2007/09/13(木) 20:31:50 ID:cNt8wbuo
信濃45万石を攻略てw
409人間七七四年:2007/09/13(木) 20:35:51 ID:71Rs5FmV
だから海津城を攻めなかったんだろうな
落とした所で帰国すればアッサリ取り返される

まぁ後詰すら不可となれば、採り得る選択肢も限られてくる訳で
ここは乾坤一擲、野戦へと持ち込んで副将・信繁他数多討ち取って
恐怖心を植え付ける位が限界
410人間七七四年:2007/09/13(木) 20:58:40 ID:KF0EVdzh
武田23万石対諏訪4万石
武田25万石対高遠藤沢4万石
武田33万石対村上16万石(上田原の頃)
武田27万石対小笠原10万石(塩尻峠の頃)
信濃の勢力なんて村上は信濃の半分近くだけどそれ以外は皆1郡2郡程度の勢力

また上杉も武田より国力は低いし
今川が滅ぼされた時は
武田は既に80万石に対し今川は40万石ほどで、それに加え30万石ほどの徳川と共同
またこの時期には既に徳川は遠江天竜川以西をある程度手に入れちゃっているので
今川は駿河と遠江の過半で徳川と同程度の国力にまで下がっているかも

ただ北条は武田より国力上だけど局地戦で勝ったり駿河を奪い返したけど
滅ぼせたわけじゃないし

信長は継いだ段階で尾張の1/4
15万石ほどで70万石超の今川と戦いながら
同程度の勢力の清洲織田家を滅ぼし
今川に加え更に美濃50万石ほどの斎藤家を敵に回しながら
弟に打ち勝ち
一応尾張の半分を支配する岩倉織田家を滅ぼし
桶狭間で勝って
同程度の国力の斎藤家を滅ぼしたと
でこの段階で100万石超えたから単独で信長を上回る国力の相手はいなくなったため
これ以後の相手はみな織田よりも低い国力の相手となったけど
411人間七七四年:2007/09/13(木) 21:04:59 ID:RTjhxh9a
確か謙信は二回目に上洛する時も切り取った北信濃の領地をうち捨てて
行ったんじゃなかった?
412人間七七四年:2007/09/13(木) 21:36:47 ID:1zSbpGn9
二回目の上洛(永禄二年)の前々年が第三次川中島。
ここで疲労困憊するまで北信の地を駆けずり回ったばかりだから。
永禄二年の武田は晴信が剃髪したくらいで目立った動きはない。
413人間七七四年:2007/09/13(木) 22:13:33 ID:Te1I/2z9
>>410
そのとおり!
侵攻速度の遅いのが信玄の特徴なんだ。
安全志向が強すぎる。
歳をとらないのならそれでもいいがね。
謙信と比べたら全く遠出していないし。
上洛なんて10年かかるよ。
414人間七七四年:2007/09/13(木) 22:28:47 ID:Te1I/2z9
>>410
スレ違いで申し訳ないが、詳しそうなので質問(笑)
幕末に「甲斐100万石」なんて言ってるんだけど、なんで100万石?
415人間七七四年:2007/09/13(木) 22:33:13 ID:85c5zE1Y
>>413
安全思考のわりには、氏康の同意を得ずに駿河攻めて敵にまわしたり、徳川にちょっかいだして四方八方的に回したりしてるじゃないか
416人間七七四年:2007/09/13(木) 22:35:12 ID:lwKrkEBk
>>414
いろいろたして百万石なんじゃないの?実高というより通称みたいなもので。
例を挙げれば「加賀百万石」とか。別に加賀一国で百万石あったわけじゃないでしょ?
417人間七七四年:2007/09/13(木) 22:42:24 ID:MZHjR9nM
おまいら熱くなるのは構わんがスレチな発言が目立つぞ
スレタイよく読め
418人間七七四年:2007/09/13(木) 22:52:41 ID:Te1I/2z9
>>415
そうだよね〜。計算違いかな(笑)
>>416
なるほど
>>417
すまん
419人間七七四年:2007/09/14(金) 09:18:00 ID:f+jxQoVH
信玄はもう論外でしょ
手紙の文言で信長が信玄を恐れていた、というのなら
信長への文言から、信玄は信長に縋っていたという話でFAなんだし
しかもその相手をセコく裏切りw
謙信のほうがまだ芽があるが、これも直接勢力圏を接したのがかなり後年でその頃には圧倒的勢力差がついてたから
こちらも恐れていたとかは非現実的
420人間七七四年:2007/09/14(金) 13:49:28 ID:0j9eJl43
織田信長・・・正二位右大臣(明治に正一位追贈)
武田信玄・・・従四位下大膳大夫(同贈従三位)
上杉謙信・・・従五位下弾正少弼(同贈従二位)

官位で見るとこういう風になる
明治期に贈られた官位の差は、「天皇家に貢献」というポイントが評価されたから
(だから天皇即位式の費用を出した毛利元就も明治期追贈位は高い。信長と同じ正一位)
421人間七七四年:2007/09/14(金) 14:35:35 ID:yylpyHIq
信玄と謙信のどっちが凄いか?っていうスレなのに
信長はどっちも恐れてないとか身も蓋も無いことを言ってはダメ
422人間七七四年:2007/09/14(金) 14:45:54 ID:Oo4lGFT+
>>419
でも謙信って関東でも上杉八千vs北条三万くらいの兵力差で
散々引っ掻き回してたんだよなぁ
いや、三国同盟結んでる武田二万も合わせたら五万近くになってるな
不安定ながら謙信に味方する里見、太田は八千、佐竹は四千くらいか
上杉連合二万弱vs北条・武田連合五万
沼尻合戦でも北条八万vs佐竹・宇都宮・佐野連合二万で五分の戦いやってるし

上方だと毛利の大軍、本願寺勢力、雑賀、織田離反組などが味方するから
関東以上に泥沼状態になりそう
信長はそこらへんを見通して、謙信にゴマすってたんだと思う
423人間七七四年:2007/09/14(金) 15:33:18 ID:G6WwNI1m
2月7日 第276回 完成・戦国最強軍団 〜武田信玄・苦悩の生涯〜
4月4日 第283回 謙信恐るべし

NHK・「その時歴史は動いた」ではこうなってる
424人間七七四年:2007/09/14(金) 18:09:59 ID:NqL5CmkJ
離反組に暴れる余裕なんか無いし、毛利だって他の戦線抱えてんだしさ…ちと都合良く考え過ぎだろ。
425人間七七四年:2007/09/14(金) 20:06:49 ID:UWelBa0n
>>424
別に離反組の荒木、別所は暴れなくても兵を引き付けて置くだけで充分
毛利は上月城へ七万で押し出していたし
これと対峙していた秀吉&姫路の織田本軍も北陸から謙信六〜七万が乱入してきたら
そちらへ兵を割かなければいけない
426人間七七四年:2007/09/14(金) 20:13:37 ID:03hXgJjt
毛利軍7万w
上杉軍7万ww
織田軍は総勢何十万になるんでしょうねw
427人間七七四年:2007/09/14(金) 20:34:16 ID:UWelBa0n
>>426
越後春日山に集結した兵は五万六千
加賀まで軍を進めれば六〜七万に膨れ上がるだろう
織田軍は総勢十六万
これを中国戦線に七万、北陸戦線に七万、
他に本願寺、荒木、雑賀へと配置
離反者が増えれば、そちらへも兵を割かなければならない
428人間七七四年:2007/09/15(土) 00:56:14 ID:QgOK1Ljg
>>427
上杉がそれだけの総軍を集結して国許を留守にしたとき、北条が黙っているのか?
毛利がそれだけの総軍を集結して国許を留守にしたとき、背後の大友は?四国戦線は?

過去の上洛スレでもいたな、武田には朝倉や本願寺の勢力も足しておいて、織田には
何故か味方する畿内諸勢力を無視して徳川だけしか足していないとか。で、これだけの
兵力同時に攻めかかれば信長はひとたまりもない!とかなんとか。
429人間七七四年:2007/09/15(土) 00:57:03 ID:gIfEyYXN
>>395
信長は滅びようがないところから家臣にヌッ殺されて勝手に滅びちゃったからねぇ。
前にも書いたけど、安国寺の坊主は光秀の謀反を予知していたわけでもないのに
信長が滅び去ると予言しているんだから、既に至る所にガタが来てたんじゃないの?

信玄謙信厨じゃないがこの二人の晩年の軍事指揮能力や兵の強さは相当なものだと思うよ。
430人間七七四年:2007/09/15(土) 01:17:10 ID:FI5JgzV+
>>429
具体的に何かあるか
そこまで言うほどの信玄と謙信の軍事的実績
431人間七七四年:2007/09/15(土) 01:18:04 ID:TeGh5RAD
>>429
それ、単純に旧体制(毛利式国人連合)に慣れてる人物が信長のやりかたを
見て「危なっかしい」と思っただけなのがたまたま偶然光秀の乱があって
「予言」扱いされちゃいました、というのがオチなような。

明治の初期民権論者が「先覚者」扱いされてるのと同じ(彼らの活動時期に
民主主義なんぞ導入したら日本瓦解してた)でさ。
432人間七七四年:2007/09/15(土) 01:30:09 ID:hbYnESKx
>>429
信長は滅びたけど
織田が築いた勢力は滅びてない
433人間七七四年:2007/09/15(土) 01:38:54 ID:eiX8Jrp0
>>428
上杉家軍役帳で越後一国の動員数が基本8千程度と分かる
関東方面領土のの兵を加えても北陸の勢力下の兵力を掻き集めてもも五万集まるか微妙
え?さらに加賀まで兵を進めれば6〜7万程度までに膨れ上がる?ないないw

434人間七七四年:2007/09/15(土) 01:54:52 ID:i+HViQx1
>>432
三国志的には
魏と晋みたいな感じでしょ
こんなんでうれしいかw
435人間七七四年:2007/09/15(土) 01:59:03 ID:QgOK1Ljg
>>431
そういうのってありますよね。後世の知識から後付で意味が付け足されて予言扱い
される発言など。

逆の例を挙げると、個人的に、朝倉宗滴の信長評などもその類と思ってます。
436人間七七四年:2007/09/15(土) 04:11:56 ID:ZLhTxU9i
>>433
総兵力って軍役帳だけじゃないと思うが
武装商人だの傭兵集団だのが全国を渡り歩いてた
それらが金持ち大名に合力してた筈
謙信は銭儲け上手いから、かなりの兵力を集められたと思うよ
でないと三正面作戦なんかできっこない
毎年関東へと討ち出る度に国がガラ空になってしまう
437人間七七四年:2007/09/15(土) 04:40:17 ID:JYqoOxG/
それだったらより信長の兵力がとんでもねーことになるな。
438人間七七四年:2007/09/15(土) 11:21:17 ID:cqi16YtD
安国寺の予言は本能寺の十年も前の話
三年か五年の間に、という文だから予言は明らかにはずれ
時間を無視して当たった、なんていう予言は予言ではないよ
○○はいつか死にますよ、という予言が絶対に当たるのと一緒
439人間七七四年:2007/09/15(土) 11:22:13 ID:cqi16YtD
>>435
宗滴の予言の恐ろしさは、時系列までぴったりということ
伝えられる年月が正確なら、生きて見てみたいといった年は桶狭間があった時と一致する
440人間七七四年:2007/09/15(土) 11:33:11 ID:5tuOpEpn
安国寺の予言に関しては司馬遼太郎がやたらと絶賛したのが響いてんのかな
と思っている。冷静に読めば結構こじつけが含まれてるんだけれど。

「籐吉朗〜」の件とか、単純に「出世頭だけのことはあって優秀ですよ」と
言ってるに過ぎないのに、なぜか信長の後継者を予言したことになってたりw
441人間七七四年:2007/09/15(土) 11:35:07 ID:QgOK1Ljg
>>439
そういう解釈もあるというか通説だとそうなんですけどね。
ただ私の言いたかったことは、別の解釈もできるということです。

「あーんな傲岸不遜で下に対してブイブイいわせてるヤツなんて、どうせ長いこと
持ちやしないだろうなあ。政権が5年も持つとは思えん。どんな無様な死に様を晒す
か見物したいもんだ。ひょっとしたら教訓話につかえるかもしれん。」
とか考えながらの発言だったのかもしれない。可能性はある。というか、発言の時期
からすればこちらの方が正解なんじゃないかと思わなくもない。現代の我々はその後
信長がどれほどの業績を上げたかを知っているので、宗滴はまだ若い信長の実力を
見抜いていたのだ、凄い!となるけれど。でも隣国で舅という近い関係の道三ですら、
直接会って初めて信長の真価を見抜けたと言われるのを考えるとね。
442人間七七四年:2007/09/15(土) 11:43:03 ID:cqi16YtD
>>441
>下にブイブイ
もしそうならやっぱり予言でしょw
当時の信長は、別に下に厳しくしたことはない
むしろ日の当たらない次男三男の家臣と親しくして、民衆とも平気で接触した当時の上級武士として異例なほど「下に優しい」人物だったわけで
443人間七七四年:2007/09/15(土) 12:21:11 ID:0qxfxzQ5
そもそも総動員かけるのは良いとして
それを食わせるだけの能力が上杉家にあるの?
カネで兵糧を組織的に調達なんていうのは、豊臣秀吉が全国平定する過程でようやく完成させたシステムなんだけど
444人間七七四年:2007/09/15(土) 12:27:45 ID:kBLOC0+J
金は腐るほどあるけど、兵糧はどうだろうね。

でも織田領内で略奪しまくればいいじゃん。
445人間七七四年:2007/09/15(土) 12:53:08 ID:gp3ONqwt
戦国大名が動員する兵数と
一向衆が集まる兵数って開きがあるような
石高に比較しても一向宗は集まり方が違う
朝倉と加賀一向宗が戦ってた時も
一向宗二十万〜三十万(誇張だろうけど朝倉より圧倒的な兵力だったのは間違いない)
七里が暴政を行った為、「二万しか」集まらなかった〜とか
そんな一向宗徒を信長は恐れていたのだろうし
一方、謙信の軍が異常に肥大化したのも何となく想像できる
446人間七七四年:2007/09/15(土) 13:26:06 ID:yJqMzA58
安国寺の坊主の予見って、今回の安倍政権がじきに崩壊するって言うのと同じぐらい予見しやすい予見だと思うんだが・・・
447人間七七四年:2007/09/15(土) 23:07:53 ID:Ax9vbzmo
まともに戦ったら
信玄、謙信とも非常に厳しい戦い、負ける可能性が高い戦いになる。
とは考えたと思うが、信長の性格上
恐れていたというのがどうも想像できない俺がいる。
448人間七七四年:2007/09/16(日) 07:21:15 ID:Nfefml1X
信玄は自分より兵力の多い相手とは戦わない。
ならば信長が恐れる理由はない。
謙信は常に自分より兵力の多い相手と戦って勝っている。
信長にとって唯一「負けるかも知れない」と思わせる相手である。
449人間七七四年:2007/09/16(日) 11:41:18 ID:yzzfHJEO
織田信長??ってあの自分より年下で器量もたいしたことなくて、兵力も
はるかに劣る浅井長政に真正面から突撃されて死にそうになったアホのことですか?

武田信玄はそんな若輩者に負けそうになったことなんてありませんが何か?
てゆうか信玄は強敵ばかりに打ち勝ってきた男(老練の村上 謙信 氏康)
一方信長は義元以外は全て雑魚敵ばかりに苦戦してきましたね。
450人間七七四年:2007/09/16(日) 12:23:37 ID:O9zBt7fc
>織田信長??ってあの自分より年下で器量もたいしたことなくて、兵力も
はるかに劣る浅井長政に真正面から突撃されて死にそうになったアホのことですか?


あー、そうだね、正義とか言ってるバカちゃんの突撃うけて危うくやられかけたね。



…あれ?戦国無双の話だろ?
451人間七七四年:2007/09/16(日) 12:42:18 ID:thkwYScd
>>449
一万歩譲って貴様の言い分が正しいとしても、自分よりも強い奴を
敵に回してる時点で戦国武将として、経営者としてどうなのよ。

しかも負けてるしw
452人間七七四年:2007/09/16(日) 12:48:35 ID:xq66JvJs
>>449
そうだよな。確かに信長の相手は雑魚ばっか。
まあ唯一桶狭間は誇れるとこだろうけど、軍事面はまるで素人の今川義元相手の
勝利なんだよな。 大原雪斎あたりがいたらガキの信長じゃまあ勝てないだろうし。

朝倉義景は暗愚。 浅井長政はガキ。
斎藤ヨシタツは死亡。  まあ信玄・謙信も戦うまえに死んだし、超ラッキーボーイかもな。
運100だなw
453Y ◆nzdGjBH722 :2007/09/16(日) 13:16:20 ID:ZFqDmVWi
>>448
>>信長にとって唯一「負けるかも知れない」と思わせる相手である。
それなんて今川義元?

まあ信玄も運ついてたよ、あと10年長生きしてりゃめでたく天目山で自害して
そこらへんのマイナー武将と同じくらいの知名度だったろうに、
信長と戦う前に死んだおかげで、講談師とかがたくさん支持してくれるんだしw
454人間七七四年:2007/09/16(日) 13:57:01 ID:yzzfHJEO
>>451
ほらこれや、信玄を叩いてる割には何も知らないのがアンチ武田の醜い姿やね。
勝つ見込みがなければ敵に回したりするわけないやろ(笑)
謙信とも氏康とも最初から敵対するつもりで始まった戦ではない、信玄の戦略
の邪魔をした為にそうなっただけ。
信玄が信濃から越後へ抜ける戦略を抱いていたかなんて確証はないし、駿河は
氏康も狙っていたかもしくは今川を助けたかったか。
氏康が今川を助けたりしなければ信玄と敵対することもなかったんやな。
455人間七七四年:2007/09/16(日) 14:24:43 ID:fSLbhBlW
信長厨って煽り耐性ないなw

まあ信長にとって無茶苦茶幸運だったのは上方に
謙信・信玄・氏康が一人もがいなかったことだと思うよ
456人間七七四年:2007/09/16(日) 14:49:47 ID:d0GBXqwq
上方の謙信が六角
上方の信玄が龍興
上方の氏康が政康
457人間七七四年:2007/09/16(日) 18:10:31 ID:thkwYScd
>>454
「はわわ、敵対するつもりがなかったのに敵になっちゃいました!」

バカにしか見えねえよw
458人間七七四年:2007/09/16(日) 18:45:38 ID:YnwScbuc
戦後、日本が物量でまけたせいか
物量(=経済)優位論から歴史を見返す傾向ができたのはいいが
それでしかとらえられない人間が増えたようではある
こういったパラダイムにのみこまれた場をどうシフトさせていくか
こういうものは現行の体制破壊者、革命者であり、
歴史家はその後塵を拝す追従者でしかない。
つまり、うんこを分解する微生物である。
459人間七七四年:2007/09/16(日) 18:49:15 ID:yzzfHJEO
>>457
そう解釈しか出来ないのが低脳、普通以上の人間ならば誰でも理解できますねww
敵対してしまうのが分かってるんなら事前に手立てを考えるのが信玄ですww
包囲網をやられても逆に北条を裸にしたのが信玄の手腕(関東の大名 謙信などと通じ)

大体ねえ、3国同盟崩壊っつっても、先に直接信玄と敵対してきたのは北条だという
事実に関しては無視ですか?(笑)軍勢を動かして歯向かってきましたからねえ。
460人間七七四年:2007/09/16(日) 19:19:40 ID:Uxm+yMM1
>歯向かってきましたからねえ
これが脳の中身の全てを物語っているな
461人間七七四年:2007/09/17(月) 00:37:03 ID:vUjR+4ez
北条は小田原城なかったら確実に滅びてたんじゃない?
信玄にも謙信にも本拠を囲まれてる時点でこの二人より見劣りする・・

武田軍は、三増峠で北条を、明智城救援戦で信長をコテンパンに
破ってるから山岳戦はかなり強いでしょ。野戦でもかなりのもんだけど
信長も絶対に野戦に持ち込みたかっただろうね
462人間七七四年:2007/09/17(月) 00:40:45 ID:vUjR+4ez
犬居城攻略戦では家康も武田に山岳戦でメタメタにされてない?
463人間七七四年:2007/09/17(月) 10:35:45 ID:IS/PKPRR
武田って言うほど野戦強いか?
寡兵でなおかつ遠征軍の上杉に戦術的には押されっぱだったことを考えると・・
織田に野戦で勝ってるイメージがイマイチ湧かないんだが
464人間七七四年:2007/09/17(月) 13:31:38 ID:rNRTZA5/
信玄も謙信も、(講談は除いて)自分より兵数の大きな相手を破ったことはない
465人間七七四年:2007/09/17(月) 16:21:14 ID:4mLpDs/f
唐沢山城の後詰め戦は「佐野記」にも書かれてるし
多少誇張は有るだろうけど事実なのでは
この一戦で関東の諸侯が謙信へと靡き、小田原包囲まで繋がる
466人間七七四年:2007/09/17(月) 17:53:42 ID:tH4w7Tkb
>>463
勝頼だって馬鹿じゃないんだから、自軍が弱いと思ってれば
兵数圧倒的に少なく、しかも防備固めている相手に突撃しないだろw
武田軍の強さに自信があってこその長篠の敗戦だと思うね。
信長だって少ない弱小軍相手に防備固めてたらかなり恥ずかしいだろうに
467人間七七四年:2007/09/18(火) 08:22:49 ID:n6ypU4hN
>>466
少なくとも当時の勝頼と重臣が馬鹿だったから突撃したんじゃん
太田牛一も「むやみに前進しなければ破滅しなかっただろうに」と疑問を書き残しているよ
468人間七七四年:2007/09/18(火) 11:35:47 ID:uDXWPds8
劣勢を打破して勝利した戦国三大合戦(桶狭間・厳島・河越)に信長の名はあっても謙信信玄は無し。
なのに謙信信玄が戦国最強とかって何を根拠にしているわけ?
講談や軍談の影響のみ?
469人間七七四年:2007/09/18(火) 11:37:53 ID:9JXVR6TZ
だから〜織田徳川より圧倒的に少なくて、しかも防備固められても
勝てると判断できるだけの強さが武田軍にあったからそうしたんだろう。
弱かったらいくらドアホでも滅びる直前でもないのに玉砕なんかせんし、
信長もあんな待ちの作戦とらんだろう
470人間七七四年:2007/09/18(火) 11:42:36 ID:uxN5SkHV
そもそも信玄の代すら、兵力の劣勢を覆した例は武田軍にはほとんど無い
にもかかわらず自己の強さとやらに慢心して突っ込んだのなら、それこそ馬鹿の極みだべさ
信長は、例えば浅井朝倉と対陣したときでも熱心に野戦築城を行っている(虎御前山要塞には、防壁付軍用道路すら備えた)
優勢でも油断しない周到さ、執拗さこそ信長の本当の恐ろしさ
そこへまんまと突っ込んだのが勝頼以下の武田軍団
結果は惨敗、しかも親族衆が真っ先に逃げ出すという醜態付
471人間七七四年:2007/09/18(火) 12:14:10 ID:LhTffaN1
長篠城の押さえが壊滅して背後にも敵を抱えた武田本隊は退くに退けなくなっただけだよ
472人間七七四年:2007/09/18(火) 13:08:33 ID:RlP8lUk5
なるほどねつまり戦う前から既に織田が勝っていたって事か
どっちが風林火山やら
473人間七七四年:2007/09/18(火) 17:26:57 ID:ftUV41NL
いや、その説が本当なら、親族衆や勝頼が撤退できんだろ。
474人間七七四年:2007/09/18(火) 17:59:05 ID:9g6LK3EK
>>473
そうだね。 ほんとのとこは決戦主義の勝頼が無謀に突撃したってのが真相だろな。
475人間七七四年:2007/09/18(火) 21:36:46 ID:TQqrwJvz
・父、信玄が落とせなかった堅城「高天神城」を落とした。
・父が生前に徳川織田連合軍を打ち破り、家康を脱糞遁走させた。

勝頼が有頂天になって設楽が原の合戦に挑んだ事は想像に難くない。
重馬場・馬防柵・曇り空・鉄砲3000丁  VS  騎馬隊軍団では勝ち目はゼロである。

476人間七七四年:2007/09/18(火) 21:47:53 ID:zVFazMy9
つか信玄も大軍で寡兵を相手に、重臣討ち取られて自分も死に掛けた程の酷い敗戦をやらかしてる訳だから
壮絶な負けっぷりは武田のお家芸じゃね?
477人間七七四年:2007/09/19(水) 00:47:36 ID:fP2AI8Yi
信長みたいに間抜けにも取り立てた家臣に爆死させれた
うえに子供までヌッ殺されて、しかも天下まで奪われちゃう
壮絶な自爆っぷりも織田家のお家芸でしょう
478人間七七四年:2007/09/19(水) 00:49:40 ID:3K5k9XUv
信玄vs謙信スレのはずなのに
なんで織田に対抗意識もってんの?
479人間七七四年:2007/09/19(水) 01:25:46 ID:Pue7rrFD
>>473
できるよ。大規模な軍が前後に敵を抱えた状態で無傷に退却不可能な状態
=蟻一匹通さない封鎖体制を敷いた、ってわけじゃない。

チクチク削られて総崩れか一か八かの決戦かの二択で後者を摂った。
480人間七七四年:2007/09/19(水) 01:52:45 ID:XOvgP08c
>>318
>武田家と上杉家はどっちが由緒ある名門の家系なの?

超亀レスだが武田。
甲斐源氏の流れを汲む、普通に征夷大将軍になれる家柄。
何気に戦国大名では一番の名門のような気がする。。。
足利家を戦国大名に加えると足利だけど。
481人間七七四年:2007/09/19(水) 02:17:14 ID:u/8lAEQp
無知の知もない人間が大半で、それをまともに取り合うやつも多いと
話がむちゃくちゃだなw
482人間七七四年:2007/09/19(水) 04:11:56 ID:OBjYoShX
武田より名門はいっぱいいるだろ
483人間七七四年:2007/09/19(水) 08:20:58 ID:xLHUfXAE
>>420であるとおり、あっさりと織田に官位格式で抜かれているけどな
ってか毛利元就にも追い抜かれているよ(従四位上)
484人間七七四年:2007/09/19(水) 10:10:20 ID:s4c2yirO
名門とかで言えば一条はもっと格が上のような(貴族的な意味で)
武家の名門の話だと管領家とか五職とかのが上だろうし(足利政権的な意味で)
485人間七七四年:2007/09/19(水) 11:27:47 ID:Z+jp6j69
武田の自慢は、御旗楯無という財宝を継承しているぐらいだろ
これがあるからおれんとこはえらいんだぞ、と
486人間七七四年:2007/09/19(水) 14:23:59 ID:grZhYBaI
血筋を言えばどこの馬の骨とも判らないのに経歴詐称の織田徳川<<<<武田・長尾
487人間七七四年:2007/09/19(水) 15:34:54 ID:s4c2yirO
>>480
当時としては上杉のが上だろ
長尾だったら知らんが
488人間七七四年:2007/09/19(水) 18:08:36 ID:V/voPWee
武田は遡れば清和源氏に行き着くか
上杉は藤原北家
長尾は坂東八平氏だそうだが桓武平氏とは関係ないとか
足利も源氏の中では新田より下らしい
489人間七七四年:2007/09/19(水) 18:30:02 ID:LV6cztPi
鎌倉期は足利は将軍家御門葉として源姓公称を認められらが新田は認められなかったので
鎌倉期以降は足利>>>新田
490人間七七四年:2007/09/19(水) 21:24:07 ID:b5OidilP
>>483
信長は官位は恐喝で奪ったもの。家柄は馬の骨。


同じ清和源氏で祖は八幡太郎義家の弟、新羅三郎義光だが、
武田より佐竹が上位。
祖先が佐竹の義光の長男(義業)、武田は義光の三男(義清)の家系。
491人間七七四年:2007/09/19(水) 21:32:42 ID:b5OidilP
>490を訂正
信長の官位は脅し取ったもの。家柄は馬の骨。

武田・佐竹両家の祖は新羅三郎義光だが
佐竹は義光の長男(義業)の家系、武田は義光の三男(義清)の家系。
武田より佐竹が上位。
492人間七七四年:2007/09/19(水) 21:39:21 ID:rsDW9000
脅しとったもの???
官位につきませんかといわれて自分よりも部下に叙任してくれといったり
右大臣なんて官位を捨てて無位無官になったり
自分より息子に官位をやってくれといったり
「関白か太政大臣か征夷大将軍になりませんか」と言ってきた使者に返事ださずに帰したり
493人間七七四年:2007/09/19(水) 22:06:15 ID:LV6cztPi
名門連中をこき使う立場に立てたんだから信長の家柄が馬の骨とかどうでもよくね?
名門だって最初は馬の骨からのスタートだったんだし
494480:2007/09/19(水) 23:24:17 ID:XOvgP08c
>>491
thx
佐竹そんなに名門なのか。知らなかった。

>>493
まあそうなんだが、基本的に源氏の血を引かないと征夷大将軍になれない
不文律があったり、逆に足利は家柄の良さが推戴される大きな理由に
なったりと、中国と違い日本では家柄は案外あなどれない。
495人間七七四年:2007/09/19(水) 23:27:38 ID:UBX0Lpn/
>基本的に源氏の血を引かないと征夷大将軍になれない不文律があったり
そんなの無いよ
征夷大将軍で源氏の血を引いているのは鎌倉の源3代と足利15代と
自称源氏の徳川15代だけでしょ
496人間七七四年:2007/09/19(水) 23:40:59 ID:3K5k9XUv
豊臣さんのように一代で高貴な家柄になることだってできるわけだしな
497480:2007/09/20(木) 00:03:36 ID:mxB/YQt+
>>495,496
や、だから自称したり苦労して高貴な家柄にならにゃいかんわけでしょ。
徳川みたいに15代続くと箔がつくけど、最初の奴は権威付けに
苦労しなきゃならない。
その点中国みたいに、取り合えず敵を潰して皇帝になればいいのとは違う。

第一、本当に家柄が問題にならないのだったら天皇家が2000年も
存続しとる訳がない。

まあ、信長はそれ超えようとしたみたいだが。
498人間七七四年:2007/09/20(木) 00:12:11 ID:oSl5itTG
>>497
>基本的に源氏の血を引かないと征夷大将軍になれない不文律が
単にこれを訂正しただけの積りだが
499人間七七四年:2007/09/20(木) 00:38:48 ID:6AL/3Ryf
必要だったにしろ、血筋を僭称する織田豊臣徳川はカッコ悪
500人間七七四年:2007/09/20(木) 00:50:32 ID:vk7xUE+i
平清盛がほんとに源氏の血筋が疑われているらしいんだけど、
頼朝は大丈夫なの?
501人間七七四年:2007/09/20(木) 00:51:24 ID:vk7xUE+i
間違えた。
平清盛がほんとに平氏の血筋か疑われているらしいんだけど、
頼朝は大丈夫なの?
502人間七七四年:2007/09/20(木) 13:42:10 ID:VZQDiEUc
名門云々なんて、たまたまその家に生まれたら何の努力もなくてもついてくるもの
その点、実力で勝ち取った位階のほうが凄いと思うけどなぁ
まぁ日本は出自重視の文化で、戦国時代は例外なんだけども
503人間七七四年:2007/09/20(木) 14:25:55 ID:wV7C2M5J
>>499
武田や伊達などの名門もお金で官職を得ているんだけどねw

504人間七七四年:2007/09/20(木) 20:56:46 ID:1jMQ8vOp
関東管領って偉い地位なんですか?
505人間七七四年:2007/09/20(木) 21:25:55 ID:pD55Qxjr
>>501
つまり清盛=後白河の落胤説か?
頼朝はちゃんと源氏の血筋だけど
オヤジの義朝が父親から廃嫡されてた感があるから
元は弟の木曽義仲のオヤジの方が嫡男扱いされてたようだね
そのせいで義朝の命令で殺されちゃったけど
506人間七七四年:2007/09/20(木) 21:34:44 ID:vk7xUE+i
>>505
違う違う。伊勢の野武士説。
京都から離れて田舎にいって3代もたつと、ホント、わからなくなるんだってね。
清盛とか忠盛が平氏であることすら疑ってる人もいる。
奥州藤原は、ほとんど絶対に藤原氏の子孫じゃないし。
507人間七七四年:2007/09/20(木) 21:46:20 ID:pD55Qxjr
>>506
その説は初めて知った
508人間七七四年:2007/09/20(木) 21:51:25 ID:wV7C2M5J
>>506
俺も鎌倉時代は詳しくないから初めて知ったんだけど、
伊勢の野武士説っていうのは、頼朝の代から自称源氏ということ?
それだったら伊豆に流された事とか、伊勢の野武士がどうやって源氏の棟梁として関東の武士団に担がれたのか・・・
おもしろい説だからkwsk教えてください
509人間七七四年:2007/09/20(木) 21:52:26 ID:8GHSJxyJ
頼朝じゃなくて清盛でしょ
510人間七七四年:2007/09/20(木) 21:55:38 ID:pD55Qxjr
ただの野武士上がりに、官位ほいほい与えたりするかな?
出自に確証がなければ無理じゃないの?
511人間七七四年:2007/09/20(木) 22:00:30 ID:rL5nGKzm
無理無理。馬の骨の娘を天皇に娶わせることなど不可能
512人間七七四年:2007/09/20(木) 22:24:11 ID:vk7xUE+i
>>510
そもそも当時は武士の地位がすごく低くて、最上位でも7位8位
くらいなのよ。それ以上にあがったことが法外なことなんだから、
実力で武士がのし上がったら宮廷貴族は誰も何もいえなくなる
最初の例が平家だよ。
513人間七七四年:2007/09/20(木) 22:27:13 ID:vk7xUE+i
平家は家柄でのし上がったんじゃなくて、武力でのし上がった最初の例。
平家物語でも清盛の父はこれでもかってくらい公家にいじめられてる。
「武士が文字を読めるのか〜?」的な。
源義朝が雑仕女の常盤とか遊女と結ばれたとき、「牛は牛小屋」って
バカにされてたわけだし。つまり、下々は下々とというわけで。
514人間七七四年:2007/09/20(木) 22:40:04 ID:pD55Qxjr
牛は牛小屋とかってどの資料に書いてあるの?
515人間七七四年:2007/09/20(木) 22:42:42 ID:vk7xUE+i
平家物語の異本に書いてあったと思う。
516人間七七四年:2007/09/20(木) 22:44:42 ID:pD55Qxjr
平家物語か・・・
517人間七七四年:2007/09/20(木) 22:49:17 ID:vk7xUE+i
何か問題あるのか。あれに嘘があったとしても、当時の人が
書いてるわけだし、武士がどんなふうに思われていたか
わかることだと思うけどね。
518480:2007/09/20(木) 23:05:31 ID:mxB/YQt+
>>498

>>基本的に源氏の血を引かないと征夷大将軍になれない不文律が
>単にこれを訂正しただけの積りだが

あ、そういうことね。了解
ってそうなのか?
皇族がなる例はあるが、武家では源氏の血をひいてることが
将軍になる前提条件だと思うが。
文章化されとる訳でないし、たまたまなのかもしれんけどさ。
519人間七七四年:2007/09/20(木) 23:16:02 ID:pD55Qxjr
>>517
いや、武士が見下されてたのは知ってるし異論はない。
だた、そういう言葉がどの資料に載ってるのか知りたかっただけなんだ。
520人間七七四年:2007/09/20(木) 23:17:53 ID:UmA3izpq
>>518
皇族以外じゃ藤原とかもいる
あとはもっと以前の最初期の将軍達
521人間七七四年:2007/09/20(木) 23:27:56 ID:8GHSJxyJ
まず徳川が引いてないじゃん
522480:2007/09/20(木) 23:49:07 ID:mxB/YQt+
>>520
基本的に武家政権成立以後で絞っていいと思う。
要は武家で将軍になるのは源氏と当時の人が思っていたかどうか。

秀吉が、義昭の養子になろうとして、断られて断念したり、
源氏の血筋を名乗った(でっちあげでも)徳川が将軍になったり
個人的には源氏出なきゃダメという不文律はあったと思う。

当時の人が、源氏の血をひいてなくても無問題と思っていたなら
そっちの言うことが正しい。
まあ、本能寺の変の直前に、平家を名乗ってた信長を将軍に
任命しようとしていたという話は聞いたことがあるから
歴史を知ってる現代人が後知恵でぐだぐだいってるだけの可能性は
あるにはある。
523人間七七四年:2007/09/21(金) 00:35:05 ID:aL4BL8Av
>>522
まず秀吉が義昭の養子を断られたという説は林羅山の文章にしか出てこないかなり
眉唾なシロモノ。

おそらくそちらの指摘の通り、後世の後付でしょうね。しかも現代人ではなく、徳川
を顕彰するために江戸時代からの。秀吉の養子エピソードも、秀吉ごときが身分不相応
にも将軍を望んで断られた、それにひきかえ権現さまは由緒ただしい源氏の血筋だから
そんな工作など必要ないのだという秀吉のネガキャン&徳川マンセーの宣伝文書でしょう。
524人間七七四年:2007/09/21(金) 02:10:38 ID:q7pHrKo9
林羅山なんか曲学阿世の輩の代表格みたいなもんじゃないか。
525人間七七四年:2007/09/21(金) 02:14:58 ID:SWoK7hhV
いい加減血筋ネタうざい。
スレ違いだ馬鹿ども。
526人間七七四年:2007/09/21(金) 04:41:14 ID:v0wb9HD0
歴史にタラレバは意味無いけど、もしもオレが足利義昭だったら、
謙信を関東管領ではなく管領職に任命したよ
これで謙信の矛先が中央に向かう〜!
527人間七七四年:2007/09/21(金) 05:05:59 ID:v0wb9HD0
>>504

室町幕府

1将軍(足利家)
2管領(細川氏など三管領が有名)
3鎌倉公方(古河公方とか)
4関東管領(上杉家)
5探題(奥州探題なら伊達家とか)

です
528人間七七四年:2007/09/21(金) 09:59:43 ID:+51sOuNM
>>526
もしもオレが足利義昭だったら
謙信を管領ではなく養子にして将軍職を譲ったよ。
これで謙信が天下を統一。

オレは釣りでもして後生を ゆる〜りゆるりと楽しもうwww
529人間七七四年:2007/09/21(金) 16:35:21 ID:V8PrWDKY
義昭も評価が低いが、没落していた将軍の権威を取り戻そうと奔走した行動力と
各大名を巧みに利用した政治力はたいしたもの。
義昭や久秀は、信玄謙信の動向をもっと慎重に調べてから兵を挙げればよかったのにな。
530人間七七四年:2007/09/22(土) 18:19:48 ID:NGagyTXy
戦国大名の家柄や先祖について
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1190452733/l50
531人間七七四年:2007/09/24(月) 16:23:29 ID:+vde6EHP
実は織田信長は信玄や謙信よりも村上義清を恐れていた

って、そんな事はある訳ないよね…
532人間七七四年:2007/09/24(月) 17:24:03 ID:muPoPAFm
しかし信長も目をかけて出世させた二人のうち
一人は謀反起こすし、もう一人は家をのっとちゃうし、散々だね
533人間七七四年:2007/09/24(月) 19:31:37 ID:eYcokksw
>>532
家康にも秀吉にも本能寺黒幕説があるからなぁ・・・
よっぽど仕え難い主君で、
機会が有れば叛いてやろうと家臣達に思われてたんだろうね
534人間七七四年:2007/09/25(火) 00:26:36 ID:9gukd+36
去年、秀吉が黒幕のドラマやってたよね
535人間七七四年:2007/09/25(火) 01:08:42 ID:wiHEZbCr
謙信は領土欲が無いからな・・・。
但し相手にすると自分が死んでも構わないという位にやってくるから
周辺諸国の書状で謙信に不義な事をするなと書かれてる文章って結構あるよね。
信玄は西進中に没したから生きてたらどうなってたか見たくはある。
ifは無いけど謙信が手取川後5年生きてたら、
周りを巻き込んで織田大包囲網になってた気もしないではない。
その位影響力のある武将だったとは思う。
時系列は変わるけど織田はその時々でどちらも恐れていたのではと俺は思ってる。
もちろん逆も。
536人間七七四年:2007/09/25(火) 02:52:33 ID:vda0jRbB
>>535
謙信が三年生き、跡継ぎを指名していれば
畿内〜紀州を掻き回すだけ掻き回し、泥沼にしてしまったのでは
北条が1552年に上州沼田を落とし、伊豆、相模、武蔵、上野を手にしながら
実に22年間(1574年まで)にも及ぶイタチごっこを強いられたように
謙信が里見、佐竹の伸張を促したように
畿内でも謙信によって育てられる勢力が存在したのでは

そうこうしてる内に伊達が登場する
かえすがえすも謙信の死は惜しい
537人間七七四年:2007/09/25(火) 07:12:51 ID:u5IGI04I
>>535
越中うばってるし、信濃も信玄坊主から奪い取ってやるみたいな書状が残ってる
領土翌丸出し
関東管領で反北条の旗頭であり、古河公方を傀儡にする北条に対するには正当関東管領として義を呼びかけて関東諸侯の協力を要請するのが一番
政治的な理由すっ飛ばして表面だけ見るって言うのはお粗末じゃないか?

>>536
謙信が死ぬ前後なら既に幕府権威は相当弱体化してる
それも織田信長によって
となれば朝廷権威をもちいるしかないが、京を支配する織田に抗するような判断を朝廷がするとは考えにくい
多少長生きしたところで大勢に影響は無い
別の話になるが、跡継ぎはどう関係するんだ?
538人間七七四年:2007/09/25(火) 07:53:33 ID:UQH0XgWi
権威云々なくても基本的に謙信は奪い取った土地は
元の持ち主の一族に治めさせてるから
謙信に靡く連中も出てくる気がするがな。
越中は謙信も越中新川守護代だしなー。
揉めてるところを介入されて奪っても
一応大義名分あることはあるんじゃないか。
539人間七七四年:2007/09/25(火) 08:43:00 ID:JJ5TgUQm
支配下に組み込んでるんだから義でもなんでもないだろ
ってか旧支配者を置いて周辺を安堵するのなんて常套手段じゃないか
540人間七七四年:2007/09/25(火) 09:06:36 ID:UQH0XgWi
別に義がどうとか言ってないんだが。
謙信は越中新川守護代で、又守護代の椎名に要請されて越中に介入、
椎名と敵対していた神保を追い出す、
その後椎名が武田方についたので反乱として追い出すって流れだから
思惑はどうあれ大義名分は一応あるっちゃあるんじゃないか?と
言ってるだけだろ。
越中守護代になったのは謙信じゃなくて為景だしなー。
541人間七七四年:2007/09/25(火) 09:09:22 ID:JJ5TgUQm
>>540
ねーよ
神保攻撃の理由はそんな良いものじゃなくて「信玄と音信しているから」だぞ
その論法で行けば織田だって侵略されかねない
542人間七七四年:2007/09/25(火) 09:32:14 ID:UQH0XgWi
いやだからなんで椎名氏の存在無視すんの?
543人間七七四年:2007/09/25(火) 12:23:30 ID:RlJ/u6H2
大義名分は一応あるだろうけど
その程度の大義名分ならみんなあるんじゃないか
544人間七七四年:2007/09/26(水) 10:39:28 ID:ucFfLDxR
領土欲がなく義の為にしか戦をしないのが謙信の弱み
天下を目指してすらないわけだから
545人間七七四年:2007/09/26(水) 12:38:03 ID:LkeUFZqY
>>544
講談物読みすぎ
546人間七七四年:2007/09/26(水) 14:32:23 ID:sYMQs1Tt
>>544
能登でも畠山義綱復帰計画で奉行達に協力したり
義綱が中風を患い、徐々に支持を失えば
義春を立てようとするからな
能登の(極一部の)重臣は義綱を追放→義慶を暗殺までしてるのに
畠山氏へ行った謙信の義理立ては大したもんだ
547人間七七四年:2007/09/29(土) 00:59:44 ID:0lAp0kmb
義=義理かよ
548人間七七四年:2007/09/29(土) 04:30:00 ID:v6aAdnVm
もし信玄と謙信が仲良しだったら信長はどうなってた?
549人間七七四年:2007/09/29(土) 05:39:13 ID:GeRXeZna
子分になってた。
550人間七七四年:2007/09/29(土) 05:52:07 ID:W2UIi6dI
 ヒマしてた
551人間七七四年:2007/09/29(土) 06:47:20 ID:GeRXeZna
屁こいてた。
552人間七七四年:2007/09/29(土) 08:26:51 ID:LTzM9RRM
>>548
謙信、信玄に小田原北条氏は滅ぼされた。
織田信長は安泰。
553人間七七四年:2007/09/29(土) 11:08:24 ID:hUgIMVZe
>>548
小田原は抜けずに終了
結局はその後の武田上杉の仲違いの原因になりかねん
織田信長なんて相手が悪すぎて勝てるはずもない
554人間七七四年:2007/09/29(土) 14:14:33 ID:4XBqwqmS
さすがに同時上洛作戦なんてやられたらアボンでしょう
555人間七七四年:2007/09/29(土) 16:02:34 ID:MFRL1s4Q
@武田家と上杉家には、明確な家格の差が無い
Aさらに両家の実力は拮抗している
Bゆえに、どちらかが命令者となることができない

Cつまり完全な協力関係は不可能
Dついでに関東北条を信用して本国を空にするのも不可能(両者とも)

北陸で宗教勢力相手に戦わねば上洛できない上杉より、南下して東海道に
出られる武田のほうが有利かも知れんが・・・・
そうなると武田から見れば背後の上杉・北条が信用ならんし危険なわけで

武田・上杉・北条の3すくみ態勢を何とかせねば〜
信長の勝ちは動かんよな
556人間七七四年:2007/09/29(土) 16:50:58 ID:aRomcRcu
上杉武田北条の三国同盟になっていたら、どうなっていたんでしょうかね。
まー組むタイミングがないですが(笑
557人間七七四年:2007/09/29(土) 17:32:37 ID:FVCU+90x
上杉と武田が組んだら北条は即滅亡
関東勢は全て上杉か武田に吸収されるだろうし
その後北陸道は信玄と一向宗の関係から抵抗は少ない
北陸道と東海道から同時侵攻された場合
織田は滅亡必至
558人間七七四年:2007/09/29(土) 17:32:54 ID:vF2amcwF
信長は謙信と同盟できるなら自分が人質になってもいいって書状送ってる。

武田:姪
上杉:本人

人質に出す人物で判断すると明らかに謙信を恐れてるね。
559人間七七四年:2007/09/29(土) 21:20:56 ID:1RWrNS67
この話の本質は、

「信玄と謙信が同時に攻めてきたらどう対応するか?」


という 問い だね。
560人間七七四年:2007/09/30(日) 02:19:09 ID:dShKIb8H
北陸道から上洛して成功した前例が日本史にない。
一向宗などタチの悪い宗教勢力が巣食う北陸制覇は謙信でも困難。
上杉勢力の上洛というのは、いかにも非現実的。
近江北部〜若狭南部の山岳地帯で徹底防御で、織田勢力が防御に成功すると予想。

東海道に出て徳川粉砕して武田勢力が尾張、美濃まで来たとしよう。
そこで織田・武田が本気で激突すると思われる。
そうなるとなあ・・・武田は遠征軍で、補給線も長く、戦力に限界あるし・・
織田は本拠地で基本的に有利だし・・・
長篠の戦いが、何年か先取りされるだけになるんでね?

織田勢力は大けがするだろうが、結局防御に成功すると思いますです
561人間七七四年:2007/09/30(日) 02:30:31 ID:nsPu9qTB
なんで謙信が一向宗に止められている設定なんだよw
信玄と組むなら一向宗とは和解するだろうに
562人間七七四年:2007/09/30(日) 02:40:06 ID:AqIUZ5d1
>>561
北陸の一向宗は本願寺の意向無視な状態だから和解も無理だろ
563人間七七四年:2007/09/30(日) 02:56:20 ID:wSLWard1
まず信長ヲタを駆逐しないと。
564人間七七四年:2007/09/30(日) 03:50:03 ID:Q8QTPm9D
信玄だろ。ってか信玄の時は切羽詰まってブルブル震えてたらしいぞ。

漫画のセンゴクがそんな感じだったw
565人間七七四年:2007/09/30(日) 03:52:52 ID:0KFAMUdv
確かなソースがでたな
566人間七七四年:2007/09/30(日) 04:02:29 ID:9vF5wBi1
正直、信長って漁夫の利だけで
かなり弱いよね
567人間七七四年:2007/09/30(日) 04:56:10 ID:sDurDkVq
>>560
旭将軍源義仲
568人間七七四年:2007/09/30(日) 11:22:14 ID:O9cFH4e+
信長と信玄もしくは謙信どちらかとの一対一ならば
勢力差といい、戦歴といい信長の圧勝確実
しかし本願寺やら毛利やら朝倉やらとやっている時に後ろから裏切り攻撃されたらそりゃあ怖い
つまり信玄や謙信は信長の主敵の添え物としてなら恐れたということでしょ
一旦頚木が無くなれば無問題
信玄や謙信もそういったことを認識していたから、直接利害対立がおこった後堂々と、という形じゃなく裏切り攻撃をしたわけでしょ
569人間七七四年:2007/09/30(日) 12:23:51 ID:9vF5wBi1
>>568
は?謙信を裏切ったのは信長だが
その後は信長包囲網でブルってた
570人間七七四年:2007/09/30(日) 12:28:15 ID:4LoHp2Gb
>>569
ソースは?
謙信が共通の敵だった一向宗と手を結んだのが裏切りのはじまりでしょ>>275
それ以前に信長が何かした?
571人間七七四年:2007/09/30(日) 13:36:02 ID:9vF5wBi1
>>570
信長は書状で約束してたのに幕府を倒したからだろ

それで謙信がブチ切れた
572人間七七四年:2007/09/30(日) 13:50:40 ID:sFwdHKxS
国力・動員兵力って「帝国と同盟とフェザーンの比は、32:25:1」とか
「我がジオンの国力は、連邦の1/30であ〜る」とか言うけど、どんくらいの比率なのかね。

三方が原合戦開始時の信長を10として
武田8 上杉7 徳川5 北条7 毛利8 朝倉6 浅井5 本願寺10

長篠合戦開始時の信長を10として
武田6 上杉8 家康5 北条7 毛利8

そんくらいの比率かね?
573人間七七四年:2007/09/30(日) 15:37:25 ID:AqIUZ5d1
>>572
その比率は出鱈目すぎだろ
例えば武田は織田の半分の石高なのになんで8もあるんだ?
経済力をプラスすれば更に差は開き5未満は確実
瀕死の浅井と越前一国をまだ支配していた朝倉の差が1しかないのはおかしいし、浅井=徳川なんてありえないだろ

本願寺と織田が同等?なら同等勢力相手に戦い、なおかつ周辺に8やら6の勢力も相手にするとか不可能だろw
全体的に織田家を過小評価というか他の大名家を過大評価しすぎだな
574人間七七四年:2007/09/30(日) 17:58:43 ID:0DrYSKbD
>>567
木曽義仲を「成功例」として出すことに抵抗は感じなかったか?w
575中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2007/09/30(日) 19:03:24 ID:uQNjYiSv
木曽義仲は成功例として正しくないのか?
576人間七七四年:2007/09/30(日) 19:23:00 ID:wSLWard1
国力だけできまるんなら信長も苦労せん
577人間七七四年:2007/09/30(日) 20:57:27 ID:1/CE2Gw/
義仲の子供が捕まって殺されたのは埼玉の入間川の近く
578人間七七四年:2007/10/01(月) 01:18:53 ID:vrggFCv6
おらの村じゃ、堀右衛門 人柱になってしもた。
579人間七七四年:2007/10/01(月) 01:58:18 ID:gw1WVXjh
義仲も成功した例だけど
朝倉による志賀の陣も坂本まで来てるしな
580人間七七四年:2007/10/01(月) 03:01:41 ID:vEfRcs8M
裏切りとか信長が言うなよw そんなの信長の専売特許だろ。
でかくなりゃ包囲組まれるのは信長に限ったことじゃないよ。
581人間七七四年:2007/10/01(月) 11:00:24 ID:/PeXwYUZ
>>571
だからそのソースは?
だいたい幕府打倒が原因なら、裏切りまでのタイムラグがありすぎるだろ
幕府倒れた後も謙信は信長に「一緒に武田攻め滅ぼさないか?」と誘ってるし
明らかに謙信のほうが信長を利用しようとし、失敗したから恐れて裏切ったんだよ
書状のリップサービスより、行動のほうがはるかに雄弁だね
582人間七七四年:2007/10/01(月) 11:49:32 ID:vrggFCv6
だな。
織田軍あわてて総撤退。
583人間七七四年:2007/10/01(月) 12:01:58 ID:PSUbknOk
信玄も謙信も信長を裏切った途端に死んでんな
584人間七七四年:2007/10/01(月) 12:06:51 ID:vrggFCv6
信長、信玄謙信裏切った後、裏切られて殺されてたな。

惨めだな寿命まっとうできんで。
585人間七七四年:2007/10/01(月) 12:50:29 ID:07ISa5Qj
信玄は、信長に助けを求める時に「信長を粗略にすれば信玄滅亡」と書状に書いた
これも予言的中になるのかな?w
586人間七七四年:2007/10/01(月) 13:33:44 ID:vrggFCv6
ここで氏康の言葉をおもいだそう。

「信玄、信長、表裏つねなく・・・」
587人間七七四年:2007/10/01(月) 13:35:20 ID:4HQXnuJQ
>>586
それって出典何なの?
息子人質に出して、領土まで返したのに謙信に裏切られた氏康の台詞とは到底思えんのだが
588人間七七四年:2007/10/01(月) 15:02:49 ID:gyvsgj8q
信長から謙信を裏切ったというソースは結局1日以上待っても出ない
つまり謙信が信長を恐れて裏切ったということだね
祖父の仇と結んだのも、それほど信長を恐れていたから
589人間七七四年:2007/10/01(月) 15:05:49 ID:GPehgI0x
一日待ってもとか、強引なやっちゃなあ(笑
590人間七七四年:2007/10/01(月) 15:10:47 ID:g4VwE7P6
と、反論できない謙信厨が涙目でおりますw
真面目な話謙信から裏切ったということは書状のソース付で証明されているよ
(皮肉にも、信長が長篠合戦の勝利を謙信に伝えたのと同じ日付)
謙信がまず共通の敵だった一向宗と手を結んだのが尾越同盟破綻の始まりでしょ
それまでは向宗と武田家が緩衝地帯として両者の間に存在していたが
これで直接敵対関係になった。
591人間七七四年:2007/10/01(月) 16:26:35 ID:fZhQFtKS
タイムラグなんて意味がないわな
雪が降ってたから時間稼ぎしたのかもしれないし
いまの感覚で考えたらダメだろう
信長の裏切りで謙信自身が動くことになったんだよ
592人間七七四年:2007/10/01(月) 17:15:31 ID:4mGmIVwt
本心かどうかは知らんけど、謙信は
幕府を頂点とする旧来の秩序を守ることを戦の名目にしていたから
その幕府を倒したら謙信とは敵対することぐらい信長も知っていただろうが
いざ謙信と敵対したら、平身低頭してご機嫌取りの手紙を送った信長カッコ悪杉
593人間七七四年:2007/10/01(月) 19:01:32 ID:eVOd5Vyv
恐れたというか、ただでさえ敵が多いわけだから『これ以上敵を増やしたくない』
この程度のレベルだろ。5対1よりは4対1。
594人間七七四年:2007/10/01(月) 22:20:16 ID:B03/vm6I
信玄、謙信、信長、三角関係で恋愛してたら誰と誰が結ばれるの?
595人間七七四年:2007/10/02(火) 04:45:23 ID:T1tfoI0n
>>594
謙信の二穴を信玄と信長でシェア
596人間七七四年:2007/10/02(火) 08:26:22 ID:lwwuzqd9
一途な信長を、浮気癖のある信玄と謙信が捨てて泥沼となる昼メロ修羅場系なオチが目に見えてるw
597人間七七四年:2007/10/02(火) 13:11:47 ID:a9nAV+t3
謙信は義の人、というのは妄想
むしろ謙信ほど裏切りの激しい武将はいない
佐竹、里見といった関東豪族に北条相手にも裏切っている
甲越和睦も謙信から裏切ったくさいし
今更信長まで裏切ったとしても不思議とは思わん
598人間七七四年:2007/10/02(火) 13:25:24 ID:rZ+qZp8F
義つうのは筋目を通すことなんじゃないんかね。
不和から仲たがいした御大名がいるからと
それだけで不義理扱いするのもどうなんかなあ。
義理だかさをゲームのマスクデータとかと勘違いしてないか?
599仙台藩百姓:2007/10/02(火) 13:26:16 ID:6UKemTIN
裏切りだってお(≧ω≦)プーッ
600人間七七四年:2007/10/03(水) 12:26:07 ID:hVgI3F7Z
不義理どころか積極的に裏切っているからな
義が無いとかいう可愛いもんじゃない
むしろ梟雄だよ謙信は
601人間七七四年:2007/10/03(水) 14:37:28 ID:6a+3Xzvj
>>597
お前バカだろ?
佐竹が裏切ったんだろ
関宿を見捨てたのは明らかに佐竹
北条に久留里を囲まれたり、小田天庵に手を焼いてる時に助けてもらったり
散々世話になっておいて韓国みたいな事ぬかすな
602人間七七四年:2007/10/03(水) 14:49:16 ID:1e95ceyM
北条派勿論上杉より戦力の小さい佐竹の力不足が裏切りにあたり
共通の敵と勝手に謙信が手を結んだことが裏切りじゃない?
じゃ、謙信が小田原戦後に落とされた城に後詰できなかった時点で謙信の裏切りって話になるじゃん
603人間七七四年:2007/10/03(水) 15:58:20 ID:7FSVIig/
21 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/06/07(木) 03:52:59
長期戦の準備をしてるかどうかでしょ。

日本の戦国大名の戦なんて、ヤンキーの果し合いの延長みたいなもんなんだから。
力比べみたいなもんだよ。
川中島の戦いだって数日で終わってるでしょ。
武田、上杉双方、長期戦の準備をしてなかったから、山に陣取っても水をたたれて兵糧攻めにされなかったんだよ。
いちいち長期の水や食料を用意して喧嘩するヤンキーいないでしょ。

武田だって、兵力と兵糧に余裕があれば、山を包囲して、水を絶つよ。

戦術レベルで争っていた戦国大名(信長や秀吉は除いて)と、戦略レベルで戦っていた魏と蜀では事情が違う。
604人間七七四年:2007/10/03(水) 16:51:00 ID:boMIKey6
物理的に後詰めが無理だったのは裏切りとは言わなくないか。
上杉が北条と和議を結んでなければ滅ぼされた城があった。
佐竹はそれにブーイングしたが佐竹も過去には北条側に傾いた事もあった。
どっちもどっちだろ。
605人間七七四年:2007/10/03(水) 17:23:32 ID:CjwlIbuQ
梟雄謙信ってのもなかなか魅力的だな。
本性ばれずに、諸大名から慕われつつ大国維持したってんだとしたら松永弾正なんか足元にも及ばない天才だよ。
606人間七七四年:2007/10/03(水) 17:32:53 ID:/8RDEDl+
越相同盟せず、関宿が落ちていた場合(実際落城寸前だったが)
北関東へ北条が本格的に侵攻するのが三年も早まっていた
その分、佐竹や里見は滅亡の危機に晒された訳だ
越相同盟には関宿攻めの中止と撤退、周囲に築かれた砦の破却
これら多くの条件が盛り込まれ、直ちに実行された
越後側の柿崎景家が折衝している

一国に値する城、関宿城
北関東諸侯の為にも関宿城を守り抜こうとした謙信
裏切りどころか感謝されてしかるべき
607人間七七四年:2007/10/04(木) 13:38:27 ID:5knhAOVO
虚像と実像のギャップに耐えられない謙信厨の喚きって笑えるwwwww
まぁ佐竹さんはまだなんとか自己防衛できただけマシっすよ
里見なんか謙信の裏切りのために北条の手下になるまで追い詰められて、延々甲斐までいって徳川と戦わされたんだから
608人間七七四年:2007/10/04(木) 17:57:25 ID:CFwTx6J4
関宿落城が里見領の後退に繋がっている
まさに関宿城は佐竹にとっても里見にとっても重要な城だった

第二次関宿合戦の顛末は>>606の通り、越相同盟に救われた
第三次関宿合戦でも、その書状や活動から
謙信が真剣に関宿救援を企図していた事
これは羽生城自落を解き明かした史家・冨田勝治氏なども詳らかにしている

>>607の中味カラッポな史観はどうでもいい
「虚像と実像」なんてもっともらしい言葉を並べればいいってもんじゃない
609人間七七四年:2007/10/04(木) 21:40:31 ID:qajLZMST
>>606
そりゃ結果みればな
なんで北条が越相同盟に傾いたか理解してるか?
同盟しなけりゃ相当北条にとって苦境になる状況で、よりによって反北条の旗頭がなんで北条と手を結ぶのかね
610人間七七四年:2007/10/05(金) 09:32:52 ID:2ucYkDyB
理由をどうつけようが、裏切った事実には違いないじゃん>謙信
理由付けがあれば良いのなら、裏切りなんて存在しないことになるw
611人間七七四年:2007/10/05(金) 13:59:33 ID:YNp6xBno
>>609
信玄が出てくる前年には、山王山砦などが既に完成してるんだが?
いつ簗田晴助が水海城へ追い込まれるか、予断を許さない状況
北条と手を結んだのは関宿城の城主を維持する意図が内包されていた
これら要衝に対し、「落城する、しない」なんて賭けはリスクが大き過ぎる
何故北条と手を結んでまで関宿に拘るかと言えば・・・
仮に落城した場合↓がコレ
「義尭が死んだ天正二年、反北条勢力の牙城だった簗田氏の関宿城が落城すると、
北条氏政の房総への攻撃が激しさを増してきました。」

「天正2年(1574年)、反北条氏の旗頭・簗田氏の関宿城が北条氏に落とされ、
ここから北条氏による本格的な房総侵攻が始まります。」
といった有様。

謙信がなりふり構わず(確実に)反北条勢力の牙城・関宿を守ろうとする訳だ
それくらい里見や佐竹にとって重要な城である〜
と、謙信は理解できていた
612人間七七四年:2007/10/05(金) 15:24:19 ID:j9xInsap
謙信は度々謀反を起こされながらも、
子飼いの家臣にヌッ殺されるようなマヌケではないし、
信玄も自らは頻繁に裏切りを続ける一方で
躑躅ヶ崎の館のような無防備な館に住んで余裕かましても
取り立てた家臣に爆死させられるようなアンポンタンではなかったね
613人間七七四年:2007/10/05(金) 18:55:44 ID:GnqLpOp7
関宿城って武田における高遠城
上杉における飯山城みたいなもんか
大事な玄関口という
614人間七七四年:2007/10/05(金) 19:41:16 ID:bxj8eLG3
信長が一番苦しんだのは本願寺でしょ。
615人間七七四年:2007/10/05(金) 22:44:44 ID:uGfD7UyK
2ちゃんの戦国板では信玄と謙信、どっちが人気あるの?
616人間七七四年:2007/10/05(金) 22:47:01 ID:r6boM60y
>>615
21 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/06/07(木) 03:52:59
長期戦の準備をしてるかどうかでしょ。

日本の戦国大名の戦なんて、ヤンキーの果し合いの延長みたいなもんなんだから。
力比べみたいなもんだよ。
川中島の戦いだって数日で終わってるでしょ。
武田、上杉双方、長期戦の準備をしてなかったから、山に陣取っても水をたたれて兵糧攻めにされなかったんだよ。
いちいち長期の水や食料を用意して喧嘩するヤンキーいないでしょ。

武田だって、兵力と兵糧に余裕があれば、山を包囲して、水を絶つよ。

戦術レベルで争っていた戦国大名(信長や秀吉は除いて)と、戦略レベルで戦っていた魏と蜀では事情が違う。
617仙台藩百姓:2007/10/05(金) 23:21:41 ID:tePi2vTS
肝心な関宿城の簗田氏自体が越相同盟に反対してるけどね( ^ω^)
佐竹や里見同様に勝手な同盟に怒り上杉から離れて武田と結ぶ事となる
618人間七七四年:2007/10/05(金) 23:32:11 ID:vnVwaUzu
三国同盟が、

上杉-武田-北条だったら歴史が変わってたな
619人間七七四年:2007/10/06(土) 01:19:36 ID:nHszeQN5
>>616>>615の質問になんら答えていない件について。
620人間七七四年:2007/10/06(土) 01:58:59 ID:JEfJyskR
>>617
そんな人物だからこそ関宿に置いておきたかったんだろう
謙信も北条に協力するつもりは殆ど無かったようだし
越相同盟は有名無実(里見など反北条勢力は武田に付くし)

簗田は信玄と和したまでは良かったものの
アッサリと捨てられ、孤立する様はな・・・結局謙信を頼るしかなかった
が、ここで佐竹が謙信の提案する後詰めを断わり、関宿落城
この直後佐竹は北条と誼を通じる

ここで里見は一体何やってたんだか
621人間七七四年:2007/10/06(土) 02:54:20 ID:tIs8HMEQ
>>617
あんたは別スレで変な事を口走ってるみたい

123 名前: 仙台藩百姓 投稿日: 2007/09/01(土) 20:00:50 ID:29pYHf+M
相越同盟が関宿救援目的なわけないじゃんお( ´ω`)

【第二次関宿合戦】
「栗橋城、山王山を押さえられた関宿城はまさに追い詰められ、落城寸前の危機にあった。
この危機を救ったのは「相越同盟」の成立だった。」

「永禄十二(1569)年五月七日、北条氏照は柿崎和泉守景家宛の書状で、
山王山砦の破却と「山王山人衆」を引き退かせることを了承したと報じ、
翌閏五月七日には破却が行われた旨を上杉謙信に書き送っている。」
622人間七七四年:2007/10/06(土) 09:15:50 ID:CdBmk+ee
謙信と信玄、どっちが同盟を裏切った回数が多いの?
関東の諸大名のをそれぞれ一回と加算すると、謙信のほうがどう見ても多くなりそうだがw
623人間七七四年:2007/10/06(土) 10:07:41 ID:XEom8F8G
佐竹の裏切りが酷いな
>>622
それなら武田も甲房同盟や簗田らを裏切ってるだろw
624人間七七四年:2007/10/06(土) 10:12:32 ID:KShp1ydL
戦力不足で後詰できません、というのが裏切りなら
それこそ謙信は何回裏切りかましたことになるんだよw
謙信厨が庇いたいのはわかるが、下手なこというとブーメランするだけ
625人間七七四年:2007/10/06(土) 10:49:10 ID:h2Wq2Gkh
>>624
「戦力不足で後詰め出来ません」なんて
誰が、いつ言ってるの?
そんな話は聞いた事ないな
確か疑心暗鬼を抱いた佐竹の老臣達が原因だった筈
626人間七七四年:2007/10/06(土) 10:49:28 ID:amSg5Dyl
だいたい第三次関宿城合戦で佐竹が後詰を拒絶したのは、謙信が第二次の時に勝手に北条と同盟したからじゃないか。
そしてその越相同盟が破れた後。
反対押し切って同盟しておきなたら、手切れしたからって一度は見捨てた自分たちを駆り出そうとする。
これでへいこらするほうがどうかしてるよ。だいたい謙信自身が後詰に失敗してるじゃん。
佐竹は簗田氏を助命するために動いたが、謙信はその点何もしなかった。
これで佐竹の裏切りとは。
謙信を守る為なら時系列すら捻じ曲げる厨ファンに脱帽。
627人間七七四年:2007/10/06(土) 11:16:17 ID:h2Wq2Gkh
>>626
いや、上のレス
>>606>>608あたりを無視して喚いた所で説得力無いから
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Satellite/Sekiyado/index.htm
関宿合戦の詳細を知れば、土壇場で佐竹が裏切ったのは明らか
謙信は逆井城付近まで出てきてるにも関わらず・・・
以前読んだ本だと、この時佐竹は利根川の向こう岸、武蔵国に居たとか
自分とこの要衝が荒らされてるのにアホかと
上の顛末を読む限り、謙信は二次合戦&三次合戦ともに関宿を見殺しにしてない
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B0%97%E7%94%B0%E6%99%B4%E5%8A%A9
逆に佐竹は簗田親子から恨まれて当然
628人間七七四年:2007/10/06(土) 11:19:44 ID:amSg5Dyl
>>627
明らかじゃないじゃないか。
越相同盟を関東諸豪族が反対したのを蹴って北条と同盟。
この時点で謙信から裏切り。
仮にこれに弁明があるとしても、時系列を捻じ曲げる理由にはならんw
629人間七七四年:2007/10/06(土) 11:32:35 ID:h2Wq2Gkh
>>628
お前ね
親が子供に「ヨーグルトを食べなさいよ」と
「ヨーグルトを食べて胃腸を守りなさいよ」と
子供は「ヨーグルト酸っぱいから嫌だ」と食べない
この時無理矢理ヨーグルトを食わせた親は子供を裏切った事になるか?

謙信が「どんな手段を用いても関宿城は落とされちゃいけませんよ」と
「関宿城を維持して房総&北関東の勢力を保ちなさいよ」と
佐竹や里見、太田の馬鹿が「関宿なんかどうなったっていいから南下してくれよ」と喚く
まさに「親の心子知らず」だろこれは
630人間七七四年:2007/10/06(土) 11:39:45 ID:oJq9/rID
佐竹だって関宿後詰に出陣してるよ
しかし謙信のほうは足止め喰らったんで佐竹に呼びかけたが
佐竹方からすると越相同盟のような頭越しをまたやられたらかなわないから、と謙信と距離をおいた
どうなったっていい、なんて態度は見て取れない
出来事の順序を捩じ曲げただけじゃ飽きたらず、捏造までするのか謙信ファンは( ゚д゚)ポカーン
631人間七七四年:2007/10/06(土) 11:59:06 ID:xXzncFnm
信玄ファンも酷いが謙信ファンも酷いな。裏切りは戦国の華。やっちまったもんは仕方ないじゃん
632人間七七四年:2007/10/06(土) 12:04:03 ID:h2Wq2Gkh
>>630
出来事の順序を変えてるのはそっち
二次合戦真っ最中で落城寸前だった事に留意せず、越相同盟には反対する
しかも佐竹らは城を窮地から救う策を示していない
幾らなんでも関宿を等閑にし過ぎ

三次合戦時には後詰出動なんてカッコ付けてるが
佐竹は後詰め拒否と何ら変わりない決定を下した訳だ
だから簗田親子に強い不信感を抱かれたんだろ
633人間七七四年:2007/10/06(土) 12:11:09 ID:xXzncFnm
>>632
おいおい、嘘がばれたら出陣をかっこつけ扱いかよw
訂正。武田ファン以下wwwwwww
634人間七七四年:2007/10/06(土) 12:11:35 ID:qNz2BDm0
佐竹がアホという事はよく分かった。
635人間七七四年:2007/10/06(土) 12:16:28 ID:gi0VDjfF
謙信の裏切りは仕方無い裏切り
それに対する佐竹らの当然の警戒感はバカ扱い
これは良い厨ですね
636人間七七四年:2007/10/06(土) 12:17:55 ID:h2Wq2Gkh
>>630
大体謙信は岩槻、忍、騎西など武蔵の各城下を焼き払うなどして
敵の後詰めを牽制、
兵站を切るなど、北条方相手に大暴れ
その直後、関宿の後詰めへ向かおうとした
そこで「越相同盟のような頭越しをまたやられたらかなわない」
なんて思う方が異常

>謙信と距離をおいた
武蔵にかw
637人間七七四年:2007/10/06(土) 12:18:15 ID:Ljsnszon
>>635
謙信にも言い分があるってことだろ
638人間七七四年:2007/10/06(土) 12:20:56 ID:gi0VDjfF
>>637
でも裏切りは裏切りじゃないか
越相同盟が謙信の裏切りであるかって話をしていたのに佐竹が悪いとか言い出して
そういう事件の流れを入れ替える真似をした挙句、佐竹が関宿を無視したと嘘をつき
それがばれると今度は格好つけあつかい(でも出兵した事実は消せないw)
これを厨と呼ばないのなら、武田ファンすら厨ではないなw
639人間七七四年:2007/10/06(土) 12:26:13 ID:h2Wq2Gkh
>>638
出兵するのと後詰めは同じかよw
佐竹の裏切りなんぞ後詰めと呼べる代物じゃない
簗田の怒りを買った軍事行動は無視か?
640仙台藩百姓:2007/10/06(土) 12:26:16 ID:iZovLTxv
越相同盟で何もかも水泡に帰したのは間違いないおね( ^ω^)
謙信が先を見ず目の前の餌に釣られた代償だお
政宗公にとってはラッキーだったからよかったけど(≧ω≦)プッ
641人間七七四年:2007/10/06(土) 12:28:06 ID:9yvqxR6U
よくわからんのは、関宿城落城前の佐竹らの謙信への警戒を。あたかも越相同盟締結時のゴタゴタの時にやったように謙信弁護側が書いていること。
途中はしょったらそりゃ時系列入れ替え扱いされても不思議じゃない。なお、佐竹の後詰を無かったことにしようとして失敗した上、さらにそれを矮小化しようとしている点については全く理解不能。
642人間七七四年:2007/10/06(土) 12:30:38 ID:9yvqxR6U
>>639
引用されたwikiソースだと、不信感を買ったのは「上杉・佐竹」と書いてあるが。
息子が佐竹に敵対したのは足利の傘下に入ったゆえで私怨とは確定できんじゃん。
佐竹が簗田氏の助命を北条と交渉したのも事実だし。
少なくとも謙信を弁護したいあまり無茶苦茶言い出す理由はないだろ
643人間七七四年:2007/10/06(土) 12:37:46 ID:h2Wq2Gkh
>>641
誰もそんな事書いてないが?
>>632で越相同盟時に関宿落城を佐竹らが留意しなかった事
関宿城落城前に謙信への(ありえない)疑心暗鬼で後詰めを拒否した事
これを分けてるだろ
644人間七七四年:2007/10/06(土) 12:43:37 ID:9yvqxR6U
>>643
おーいw
自分が書いたレスもう忘れたのかー?

>>628

生憎だが、「どうでもいいから」なんて言い出したと捏造した事実を糊塗されてもこっちには理解不能なのには変わりない
645644:2007/10/06(土) 12:44:25 ID:9yvqxR6U
×>>628
>>629
646人間七七四年:2007/10/06(土) 12:46:59 ID:h2Wq2Gkh
>>642
>>627でまず
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Satellite/Sekiyado/index.htm
で関宿合戦の詳細、顛末を挙げ
「謙信が裏切った」だの、「関宿を見殺しにした」といった誤った見方
これを否定した上でwikiを貼った
よってwikiの「足利藤政を見殺しにした上杉・佐竹両氏に対する晴助親子の不信感は高まった。」
の一文に対し、「上杉は見殺してない」と弁護出来るだろ
しかし佐竹は弁護しようがない
647人間七七四年:2007/10/06(土) 12:50:50 ID:9yvqxR6U
>>646
だから越相同盟で謙信が関東諸侯を裏切って北条と同盟した
関宿後詰の不調はその結果であって原因じゃないじゃん
だから謙信の越相同盟の弁護にはならんよ
そうやって時系列をぐちゃぐちゃにされても理解できんわw
だいたい助命に奔走したことで、佐竹が裏切ったわけでもないといえるじゃん、その論法だと
648人間七七四年:2007/10/06(土) 12:53:36 ID:9yvqxR6U
あと、越相同盟後に武田と同盟に走った関東諸侯は佐竹だけじゃなく宇都宮・里見らも同様。佐竹の独り善がりではない。
649人間七七四年:2007/10/06(土) 12:57:30 ID:h2Wq2Gkh
>>644
二次合戦において関宿落城を救ったのが越相同盟という結果
これもかなり定着してる事実関係だと思うが

この関宿を救出する同盟に反対するのなら
佐竹らは、それなりにしっかりした対案を提示しないと
どこか「関宿はどうなったっていい」と思っているのではないか?と、
冗談半分に指摘されても文句は言えないだろ
650人間七七四年:2007/10/06(土) 13:08:01 ID:Vw6hZ+g2
北条が武田と殴りあうからって言われりゃ上杉にとっちゃ断る理由は無いわな。
関東勢にとっても北条が武田との戦争に目を向けてくれるのは悪い話じゃない気がするが
なんでそんなに嫌だったんだ?
651仙台藩百姓:2007/10/06(土) 13:30:09 ID:iZovLTxv
永禄11年に北条が関宿攻略を開始した頃
同月に三国同盟が破綻し武田が突然駿河侵攻を開始
今川支援を決めた北条の主力は駿河で釘付けになった
武田に苦戦する北条は関東まで手を出す余裕もなく上杉との和睦を図った
氏政は由良氏や松本氏へ書状を送り一刻も早い和睦を望んでいる
それこそ上野一国や武蔵北部ぐらいくれてやってでも和睦したかったわけだお
だが、こんな好機を逃すわけもなく関東衆は巻き返しを図るべく謙信に越山を要請
謙信「よし、わかった。同盟しよう!」
関東衆「ハァ!?」
トチ狂ってんじゃねーよ糞童貞がっ、と関東衆大激怒
至って真っ当な怒りである
そして反北条勢力はこぞって武田にくら替えしたのであった
652人間七七四年:2007/10/06(土) 14:05:03 ID:h2Wq2Gkh
>>647
勘違いしてるんだろうと思うが
>>628で書いた「どうなったっていい」は
佐竹が疑心暗鬼を抱いて利根川の向こうをウロウロしていた頃の
「関宿はどうなったっていい」じゃないよ

二次合戦で関宿は落城寸前、佐竹も里見も有効な手立ては打てない
そんな緊急事態を唯一打開する方法が「越相同盟」だった訳だ
しかし関宿維持に対し佐竹は、希望的観測を多分に加味しつつ
同盟に反対する立場を採ったと

その青写真は関宿の価値に比べ、軽すぎるんじゃないの?って事
「関宿は落城するかもしれないが、同盟には反対」
この佐竹らの意見を指して「関宿はどうなったっていい」と表現したまで

どこも時系列はぐちゃぐちゃになってない
653人間七七四年:2007/10/06(土) 14:14:25 ID:h2Wq2Gkh
>>648
謙信も武田の裏には大事な関東諸侯が控えてる為か
「武田には手を出すな」と指示したとも聞くし、
北条が謙信に対し要請した川中島への出兵もしない
謙信による武田への対応は北条が不信を抱くものだったと
つまり北条が苛立つほど謙信は動かなかったと

本庄繁長謀反の直後だけに信玄と馬首を並べる事は出来ないが
その意図は見え隠れしているだろ
654人間七七四年:2007/10/06(土) 14:16:06 ID:h2Wq2Gkh
655人間七七四年:2007/10/06(土) 14:16:45 ID:wo/1vIdg
安土城は誰を敵として想定してつくった城か?
それがこのスレッドの答え
656天下布武 ◆JlFF603BHA :2007/10/06(土) 14:18:13 ID:p9vDFr2F
じゃあ上杉謙信
657人間七七四年:2007/10/06(土) 14:55:17 ID:nHszeQN5
>>655
そうか?

ま、久々に話題が信長とつながったが。
658仙台藩百姓:2007/10/06(土) 15:13:49 ID:iZovLTxv
>>654
謙信が救援に来ればいいじゃん
その方が圧倒的に早いし
だいたい同盟に至ったのも北条の都合によるもので
武田が北条と手切れしなかったら同盟なんて有り得ない
結局まんまと北条の策に乗せられただけだお( ´ω`)
659仙台藩百姓:2007/10/06(土) 15:36:36 ID:iZovLTxv
しかも景虎を養子として御家騒動の火種を作るオプション付き
謙信アホ過ぎ(≧ω≦)プッ
660人間七七四年:2007/10/06(土) 15:40:09 ID:9HD76m9s
戦闘力は謙信2>信玄1

総合力は信玄3>謙信1

こんな感じ。 どっちが嫌だよ信長厨。
661人間七七四年:2007/10/06(土) 15:48:29 ID:WCgu62NB
謙信の総合力は、地道に一から二へと一点ずつ上昇せず、いきなり四になったり、また一に落ちたりするからな
662人間七七四年
まさに馬鹿とナントカは紙一重