1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 07:46:52 ID:DPbulE7F
初の2ゲト
3 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 07:47:39 ID:DPbulE7F
4 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 09:04:12 ID:wJ6ZnDD2
( ´゚ω゚` )
( ̄ー ̄)
6 :
人間七七四年:2007/08/19(日) 23:12:34 ID:ohFQzFZh
(=゚ω゚)ノ 乙でござる。
7 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 04:28:17 ID:nSLmuNLw
8 :
人間七七四年:2007/08/20(月) 21:29:52 ID:61vNgq6Y
(=゚ω゚)が(=゚ω゚)を使わなくなると困る。
おっちゃんは方言と罵倒で判りますけどw
10 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 07:48:07 ID:6YofpmJl
朝鮮出兵、関ヶ原の戦い、戊辰戦争などなど
薩摩の武士はどうしてあんなに戦いに強いの
ですか。軟弱な本州の諸藩とはレベルが違い
過ぎるような気が。
11 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 20:44:06 ID:d+gOJWdk
やはり風土と郷中教育でしょうなぁ。
村ぐるみ、国ぐるみで練兵教育を行っていた賜物でしょう。
これは日本ボーイスカウト創生期の参考にされたと言います。
政治的にも流通国家の琉球を武力支配していたので、ある意味小型帝国としての
国際情報力と異国支配支配のノウハウを持っていた。
12 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 19:19:57 ID:FclD2PQS
牛こねえな
13 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 21:49:04 ID:KFB4SKNH
でも西南戦争ではボロ負け
14 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 21:55:53 ID:XcHssg49
15 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 22:18:17 ID:LXy+msaw
16 :
人間七七四年:2007/08/23(木) 23:29:03 ID:aJ/Dzwst
17 :
白馬青牛:2007/08/24(金) 01:14:18 ID:6aaUFCDw
>>894 じゃけえ、早う畿内の博労馬云う根拠を提示しんさい。
近代史板でも同じコピーを繰り返しょったのう。
>>897-898 他の部隊じゃったら抵抗出来るんか?橘丸じゃあ戦闘云うたァ、
暴動になるわい。
>>10-11 朝鮮出兵でも、明との内通で遅れたんか。そりゃあ、このスレの@で
云うたか。なるほど国際情勢には巧みじゃが、朝鮮での武勲もお隣の肥後に
較べたら乏しいわいや。
関ヶ原でも決着が済んで、兵力を温存し敵中突破しただけで、戊辰戦争でも
越後の長岡藩相手に手こずったのう。軟弱な本州云うても、毛利や黒田勢に
勝ったことも無く、四国の土佐兵相手ですら正面攻撃が通用せず、
釣り野伏戦法の迂回戦でやっと勝てるぐらいじゃし。
薩摩の釣り野伏の遊撃戦要員、薩摩の野郎(悪党)も野戦は出来るが、
中国地方や近畿地方の籠城や攻城に器用な悪党と較べたら劣るよ。
異民族支配のノウハウ云うて人身売買、略奪、強姦が好きなことか?
ちいたァ(少しは)規律正しい分家の日向に学びんさい。
18 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 16:16:27 ID:vp0BD0r9
中国、韓国人は結局日本人より強いの?集団じゃなく個人個人で。
19 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 20:27:12 ID:QQDlKar+
(=゚ω゚) いきなり前スレのコメントへアンカーを打つとは、さすが牛
悪党なら東北のも強いだろ。宇都宮が攻めきれず和解した。
20 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 00:29:22 ID:yHm2ywV6
>>10 江戸後期、備中人の古松軒が薩摩武士の武風を賞賛。
>>17usi
その中国地方の悪党とやらを、けちょんけちょんに蹂躙した
上野国山名氏の時氏は強いって事でOK?
21 :
白馬青牛:2007/08/25(土) 02:29:44 ID:YDwUq7LB
>>19 東北の悪党云うてどがあな集団か?
>>20 ほう、上野国の山名氏が中国地方の悪党を蹂躙した云うんは何処の戦闘で?
上野の新田氏は、播磨悪党(因幡・丹波も含む)にボロ負けじゃったのう。
22 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 23:51:24 ID:yHm2ywV6
>>21usi
丹波・因幡は山名時氏にやられた地方でしょうよ。
悪党得意の城郭引篭もり戦法だろうに。
それより他を貶すよりも、毛利以前の広島地域に高名な武家が居たのかい?
昨日はID変らずじゃのうw
新鮮味は無いが、武田厨喜び組のネタ置いとく。
「甲斐・越後之弓矢天下一之軍士之由風聞」
(大和国興福寺蓮成院記録 釈迦院寛尊・天正十年三月)
24 :
白馬青牛:2007/08/26(日) 03:20:18 ID:m5Ir78wO
>>22 丹波・因幡が、やられた地域云うて戦闘例があったんか?
東国武士が領地貰うただけじゃろう。
安芸の高名な武士は以前も云うたよう、応仁の乱や船岡山合戦で有名な
吉川経基や平賀弘宗、平賀弘保。後の毛利の四国遠征に参加した
平賀氏は、河野氏から「御高名にして、比類なし」と武勲を感謝されたよ。
>>20 そういやあ、東国人は『人国記』でも大隈・薩摩を「忠義に因って死する
所の節を以て善とする工夫なく、唯武士は戦場に於いて死を致す者とのみ
覚えて、死するは論ずるべき様なし。」と、忠義に欠けるが、勇猛さは
好評価しょうるのう。
薩摩人作家の海音寺潮五郎氏が、「従来の日本人と違って坂東武士は、
荒々しくて勇敢で強情っ張りでね。そういうところは朝鮮的性格だと
思っているんです。」まあ、朝鮮的性格は薩摩の方じゃと思うが。
「京都の女は美しいけど、根性は実によくないのです。京女にひどい目に
あわされた坂東武士の話はずいぶんありますよ。」と、一方的に坂東を
誉め、京を貶しておられる。
その点関東人の京・畿内嫌いと共通しておるが、薩摩や関東は明治期の
ドイツ人、ベルツ博士薩摩型(庶民顔)が多く、上品な長州型(公家顔)
に較べ下品な顔で、京女にもてんかったんじゃろう。薩摩人でも、
渡来系顔の人斬り半次郎こと桐野利秋さんは京女にももてたらしいが。
25 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 09:56:51 ID:EODZ2WpX
>>24上
当時、守護として入国した武士は山名だけじゃないしな。
ところが全国でもあれだけの勢力に成長したのは山名時氏だけ。鳥無き中国の(ry
伯耆の名和一族、出雲の塩冶・佐々木、但馬の諸勢力、丹波の荻野、播磨の赤松と
時氏に鎮圧されたんだろ。
>>24下
チベットスレでも妄想乙
26 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 13:18:57 ID:hJ4DREWT
27 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 13:40:35 ID:5e/0by5h
薩摩、三河だろ。
28 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 15:26:01 ID:84c99Xsu
>>21>東北の悪党云うてどがあな集団か?
(=゚ω゚) あれ?えーと誰だっけ? たしか安東氏分派だった気がするが・・・
気が向いたら調べとく。はっはっは。
まあ、基本的に朝廷、幕府などの権力に刃向かう勢力や寺社の戒律から外れたヤツ
さらに所領を持たない無足御家人(浪人みたいなもんか?)は全て「悪党」と言われた。
「勘仲記」弘安七年には地頭鹿島氏と神宮大禰宜中臣氏の所領争いで
『弘安六年二月、則幹が下男を含む悪党達を不開御殿内に乱入させ矢、剣以下の
御神宝を奪い・・・」と有る。
いわゆる制外者(ニンガイシャ)だな。
29 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 16:48:40 ID:hJ4DREWT
30 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 17:51:05 ID:Fny7SADA
阿波
31 :
白馬青牛:2007/08/28(火) 00:05:53 ID:S7HBYlfB
>>25 戦闘例は挙げず、守護として入国したんが、鎮圧と同一視しょうる。
新羅系多胡郡に勢力を持った山名軍団が新羅の末裔ゆえ強かった云いたいん
かのう。在日新羅人云うだけで強いと妄想するんも関東人の方が妄想じゃ。
>>26 略奪好きの薩摩の芋侍にじゃ。
>>28 東国の悪党?東国に西日本のように職能集団が発達しょうったんか?
発達しょんなら、後北条氏が、わざわざ紀州の乱波の遊撃戦忍者集団を
招く必要もあるまい。戦場の焦土作戦で生じた奴隷民や農地を失うた農民を
にわか兵としたんが東国兵じゃろう。東国では、職能技術を持った個人の
兵法者は別として、基本的に農奴兵集団じゃけんのう。
32 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 00:16:33 ID:jiQORBVd
阿波は阿波おどりの規模で武蔵に負けた。 なので阿波<武蔵
33 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:15:20 ID:nNM6reqD
>31
>東国の悪党?東国に西日本のように職能集団が発達しょうったんか?
(=゚ω゚) だから職人だけが悪党じゃねーべ!つーの。
>後北条氏が、わざわざ紀州の乱波の遊撃戦忍者集団を招く必要もあるまい
(=゚ω゚) その紀州乱波の藤林家(もとは伊賀者)の伝書には、忍びは相州の盗賊から始まると
書いて有った気がするが?ちなみに風魔党は騎馬物見隊だからふつうに地元だろ。
北条の金山城攻めにはエタが案内者として活躍するが・・・兵士なのか?。
北条在る所穢多村有り。基本的には武具生産は賤民が担っていた。
皮革、砥石、薬品、灯心、、などの専売権を持ってたしな。
34 :
白馬青牛:2007/08/28(火) 23:43:15 ID:S7HBYlfB
>>33 技術を買われた職能集団と、にわか兵の農奴集団とは違うよ。
北条早雲が紀州から乱波の集団を呼び、その分派が風間党で、
上州箕輪の長野氏に属した。『北条五代記』。
海音寺潮五郎氏は、「忍者と音楽、この二つの技術が最も密接な関係の
あることの顕著な現れは傀儡子です。流浪民で定住しない。女は非常に
美しく売色をやるが、男は皆弓馬を使い、狩猟や漁をする。東儀・狛・林・
薗・岡等の朝廷の伶人の家があるでしょう。皆帰化人の子孫です。
遅れて来たやつはもう召抱えられない。貴族階級の中に入りこめば別として
、それが出来ないで生産的な仕事を持たないものを良民にしないのは、
古代どこの国だって同じで、これを雑戸として下層民にしたのです。
シナだって、朝鮮だって、日本だって同じです。この遅れて渡来したために
朝廷に収容されなかった連中が、音楽とともに忍びの術をもって来たのでは
ないかと思うのです。」
確かに朝鮮で賤視された契丹・靺鞨等北方民族に起源する禾尺・楊水尺
(後の白丁)も、獣畜屠殺を業として、女は色芸を業とする。日本の
傀儡子もその分派であろう。ただし彼らは、下層民であっても中世までは
自由民で農奴とは違う。
おお、続いてたんだ。
傀儡子についてだけど、2ちゃんねるの半島嫌いを踏まえた上で再確認。
3〜6世紀において、現在の朝鮮半島南部は『日本』だった。
36 :
白馬青牛:2007/08/29(水) 01:04:55 ID:YksFdL4b
>>35 2ちゃんねるは半島嫌い何か?そりゃあ政治版で論破されて、学問、文系の
諸板に逃げて来たネットウヨの「プロ奴隷」の連中のことじゃろう。
彼らの排外主義、ナチス的言動には毎度あきれるが、あんたもその一味か?
3〜6世紀、現在の朝鮮南部が日本じゃった根拠なんかないわい。
その逆に人類学的にも日本の土着系は渡来系に押しやられとるわいのう。
あたかも同じ島国でアングロ・サクソンに支配された英国のケルト系が
デンマークやドイツ北部まで「ブリテン」じゃった云うようなもんじゃ。
そがん妄想がまかり通るんは、可笑しげなことじゃ。
37 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 01:19:12 ID:4sV0ZAu0
広開土王碑
宋書
>>24usi
薩摩は普通に強いべ
>>32 公園路ワロタ
>>31usi
時氏は力で中国諸勢力をねじ伏せ、幕府に認めさせたという事だろ。
中国地方で英雄二人を挙げるなら、元就と時氏だろう。
勝手に新羅人で妄想しとるんはusiじゃろうて(^w^)(・w・)(´w`)
平安末の在地領主とか見れば、畿内のそれが農民的だが。
>>33(=゚ω゚)
『男衾三郎絵詞』にusiが好きそうな盗賊が出てくるなwあんなも同類だろう。
えた=安芸・備後
>>36usi
久々の噛み付き(´w`)
>>34usi
渡来人?潮五郎の空想か・・・北条五代記( ̄ー ̄)↓
39 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 01:32:50 ID:Zrml0MVh
結城=徳川)秀康卿仰せけるは、関東侍は馬上にて達者を働く由聞き及びぬ。
さぞ強き馬を好みつらんと。
朝倉犬也(北条旧臣能登守景隆 相州浦郷=現横須賀)承りて、関東の侍あながち強き馬を好まず。
ただ自力にかないたる馬をもっぱらに乗り候。
(略)
それ馬に乗りて遠路を行くは足を休めんため、軍中にて乗るは馬上にて
弓・槍を用に立てんためなるが故に、むかし関東にて戦場をいまだ踏まざる若き者は、
広き野原へあまた伴い出でて、敵味方と人数を分ち、旗をさし
弓・槍・長刀おのれおのれが得手の道具を持ちて馬に乗り、馬を試みんため鉄砲を鳴らし、
矢叫びの声をあげて喚き叫ぶ時に、勇んで進む馬あり、おくれて退り、驚きて横へきるる馬あり。
山へ乗上げ、岨の崖道を乗り、堀を飛ばせ、自由に働くようにと鍛錬いたし、
先陣にぬきんで駆引き達者にふるまい、勝利に得んことを専らにたしなみ候。
(略)
秀康卿聞こし召し、犬也も若き頃はさぞ馬鍛錬しつらん。
昔の面影をそと学んで見せよかしとの仰せなり。
犬也承りて、愚老七十に及び馬上の振舞かない難く候。しかれども貴命辞し申すにかえって恐れあり。
御遊興にそといにしえを学んで御目にかけ候べしと、
(略)
馬も心あるにや後ろをしたい来るを、また打乗って一散に走らせ、
槍を自由に使って駆回るを秀忠卿御覧にあって目を驚ろかし、御感斜めならず。
犬也、お召しにてあるぞと呼びければ、馬を静め近く乗りよせ飛んで下り御前に候す。
(略)
40 :
白馬青牛:2007/08/29(水) 01:44:56 ID:YksFdL4b
>>37 広開土王碑の倭は、日本か?中世においても倭寇が日本、朝鮮、中国人も
含むエスニック集団じゃったんに、古代において何でナショナリズムを
発揮するんか?倭人自体、鮮卑に討たれ拉致され奴隷民となった集団も
おるし、朝鮮半島の沿岸民は倭人じゃろうに。
南宋の国際秩序では、高句麗は驃騎大将軍、車騎大将軍と第二品で、
百済は、鎮東大将軍と第三品上で、倭(日本列島よりも朝鮮南部の伽耶)
は、安東大将軍と第三品下で、479年やっと百済と並ぶ鎮東大将軍に
並んだぐらいじゃ。『後漢書』や『魏書』で生口(奴隷)を献上した
漢の隷属民の倭が自力で急に強国になるわけもない。
>>40 倭王珍の安東将軍。まあ、大した将軍号ではない罠
ただ倭の王族や有力貴族も同等の〜将軍をもらってるから、格差が少なくゆるやかな状況。
usiが嫌がる「ヤマトは征服王朝ではない」という証拠にもなっちゃうなw
42 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 02:02:17 ID:4sV0ZAu0
>>37 >中世においても倭寇が日本、朝鮮、中国人も含むエスニック集団じゃったんに、
前期倭寇が倭人=日本人ばかりだったからな。
前期倭寇と似た行動を取る海賊を同じ名称で読んでただけ。
>漢の隷属民の倭が自力で急に強国になるわけもない。
尼子大内の隷属民毛利も自力で急に強国になるわけもないってか。
大体、韓国でも右翼とマスコミ以外は認めてるのに、今更何を。
43 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 02:04:01 ID:Zrml0MVh
同等っていうか大差ないってこと。
再びすれ違いへ邁進w
何で咬み付かれるのかわからんよ。
少なくとも朝鮮南部の難民がヤマトに同化しているのも、言語が共通していたのも事実だろう。
遼東より南の血が2〜3世紀あたりにヤマトに流入していたし、それらが流浪民の祖であるという
説を吐いたのは他ならぬ人物だったはずだが。
45 :
白馬青牛:2007/08/30(木) 00:25:17 ID:zNR/GVGL
>>38 薩摩は普通に強い云うて、普通云うことは相当強うなかった中レヴェル
云うことか?
時氏が中国諸勢力を力でねじ伏せた戦闘例を出さにゃあ。
新羅人の多胡郡の山名さん。源氏の八幡信仰からも同族で住みやすかった
ろうに。在地領主論こそ、儒教的農本主義じゃないか。領地を近代的概念で
色塗りしても意味がないよのう。
何で、えた=安芸・備後になるんか解らんが、その言は誤解を招くど。
ネットウヨの朝鮮人、被差別部落民排斥と同様に思われるど。
ほんま関東人は被爆者を愚弄したり、無神経じゃのう。
噛み付き云うても、わしゃあスッポンでも噛み付き亀でもない。
渡来人の何処が妄想なんか?西村真次氏は「安藤正次氏のクグツ=
Koang-taiと同源であるといふ主張である。既にクグツといふ語が朝鮮語と
同源であるとすれば、傀儡は朝鮮人、満洲人、従って日本人とも同種の
ツングース系のものと考へなければならぬ。」
>>39 関東人は、去勢しとらん暴れ馬に乗って集団騎馬運用が出来るんか?
まだ皆弓矢と馬を使って狩猟の生活を営んでいる傀儡子の方が、
武士階級より騎馬技術は余程上じゃろう。
46 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 01:06:28 ID:A0kNCZ3d
>>45usi
瀬戸内の海賊は屁タレさん(今昔)
鉄砲、馬、武勇⇒薩摩>安芸
山名被官の秩父氏族小林氏も強い。
新羅人?京都先住の秦氏もな。
つか多胡郡設置からから山名氏登場まで400年以上も経ってるし、坂東兵は実戦で磨かれた連中。
在地領主論の事じゃないよ。
(近世の)広島県域に「えた」が多いことを示しただけ。
傀儡子(笑)
牛車に乗ってるおでぶさん(笑)
47 :
白馬青牛:2007/08/30(木) 01:19:25 ID:zNR/GVGL
>>41 有力貴族の叙授が倭の分国状況を表すだけなんが、何で「ヤマトが
征服王朝でない」に結び付くんか?中国側は隋書でも九州の記述
ばっかしで、難波や飛鳥の記述がない。九州までしか視野がなかった
云うことじゃ。ほいから、列島征服者は確率論で、古墳時代の渡来人>
弥生時代の渡来人>在地縄文人になるよ。
>>42 前期倭寇が朝鮮で活動した時は現地の(賤視された)朝鮮人が多かろう。
倭人=日本人云う根拠もない。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/hss_ronbun/81/hatano.pdf P81に、田中健夫氏の『高麗史節要』の水尺・禾尺・才人の参加や、
倭寇の回数・規模の大きさから日本人より高麗人が主力であり、
高橋公明氏は済州島人の関与を云われる。(倭寇が朝鮮で騎馬の大集団で
あったこともその一例であると思う。)
韓国側は、我が国の関東人の主張と同じく農本主義史観ゆえ、海洋
多民族エスニック集団を認めてない。面白いのはP94、95の大内義弘は
「対馬島本朝鮮之地」として、朝鮮に返還するので、朝鮮側も行動を起こせ
じゃと。朝鮮に対馬割譲よ。いやはや、現代の政治概念を持ち込む
ネットウヨは、大内氏は売国奴ニダと吼えるんかのう。
尼子大内の隷属民?安芸国人の武力なしに大内氏は外征出来まいに。
応仁の乱〜船岡山合戦も安芸国人の武勲じゃわい。
韓国の右翼とマスコミが倭人=日本人と考えとるのに、今更何を。に、
訂正したほうが、良さそうじゃのう。
48 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 01:31:33 ID:A0kNCZ3d
からから成田のおてもやん
そうそう戦国の薩摩はトップクラスの強さだろうな。多分。
その薩摩の家久が「日本一の兵」と書いたのが真田なそうだが。
まあ、嘘つき馬術家の小笠原は最低レベルだがw
>>47usi
ゆるやかな連合政権(定説中の定説)
中国地方人って仲が悪いのねw
49 :
白馬青牛:2007/08/30(木) 01:48:25 ID:zNR/GVGL
>>44 朝鮮南部の難民がヤマトに同化したんじゃのうて、彼らが列島原住民を
支配したんなら解るが。日本列島の言語は新羅語より高句麗語に近かった
といえよう。遼東より南の血が2〜3世紀にヤマトに流入たァ一言も
ゆうとらん。北九州〜山陰の限られた地方にじゃ。(賤視された)流浪民の
祖は6〜7世紀の列島国家形成よりも以後じゃ云うたんど。
なんなら他板でわしの言から調べりゃあええよ。
>>46 おいおい、安芸は薩摩に負けたことなんぞ無いど。まあ薩摩は毛利・黒田と
本州の西日本勢に負けばっかしで勝ったことは無いよ。
まあ九州なら肥後>薩摩になろう。坂東兵の実戦云うて出入りじゃろう。
実戦とほど遠い集団で兵卒は駆り集められた農奴民じゃ。
なるほど近代でも関東の兵団が弱かったわけか。
騎馬技術なら傀儡集団>畿内>関東になるのう。
牛車に乗ったモンゴル〜高句麗より関東の騎馬技術が優れとった云う根拠は
見つかったか?
50 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 01:59:57 ID:A0kNCZ3d
戦国安芸は隠れ上手
傀儡集団<畿内<関東
馬上名手は牛車が嫌い。源義仲も平季武も平貞通も坂田公時も。
51 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 02:22:19 ID:qtlN11z8
>>34>北条早雲が紀州から乱波の集団を呼びその分派が風間党で上州箕輪の長野氏に属した『北条五代記』。
(=゚ω゚) ほう、そいつは面白い。紀州と言えば温泉だな。
>長野は武道家にして又、シッハ(乱波)という曲者多く抱えたり。是、馬盗人にして又、盗人に非ず。
>乱波は上野国にありて盗人よくせんさくす(良く詮索すか?)
>長野家舌波大将軍風車と申せしと有り。
この乱波大将軍風車とは相州普化宗宗和派の慈上寺の僧だと言われる。虚無僧寺だな。
慈上寺とは風呂寺で建長年間に紀州の法燈禅師が相州三崎に開き、
長野業政の招きにより箕輪に来ると有る。
http://www.chikuyusha.jp/syakuhatisyouki/96komusoudera/96top.html まあ、ふつうに修験者、山伏ネットワークの統領だろう。時宗ともつながっていたと言われる。
わざわざ紀州から馬盗人を連れてきたとも思えないしなw
>>35 (=゚ω゚) 日本つーか倭人の多い国かな?
新羅の瓢公のように建国に関わる倭人の伝説も有るな。
>漢の隷属民の倭が自力で急に強国になるわけもない。
(=゚ω゚) 倭国の人口と地理条件はあなどれないよ。倭寇を見ればわかるが
中国のどの地域へも出兵できる位置に居る。つまり倭と同盟を結べば敵を挟み撃ちにできるワケだ
つーか、あの帝国へは、ふつうに外交申し込んでも朝献になるだろ。
52 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 22:16:04 ID:G+YGAbes
覇権に興味ない。中国地方の雄でええって牛のレス見たことあるが
それって唯のお山の大将なだけちゃうの?
>usi
近代史板の忘れてたよ。
文章書くのめんどいから明日以降。
54 :
白馬青牛:2007/08/31(金) 01:27:13 ID:gkBKLM3Z
>>48 薩摩は、九州じゃあ(肥後に次ぐ)トップクラスじゃろう。
東国人も『人国記』で薩摩を誉めよるが、肥後を肥前よりも弱兵にするんは
可笑しげなことじゃ。東国と薩摩はお互いに誉めあい相思相愛でどっちが
勇敢な朝鮮人の気質に似とるんかを自慢しおうたらええんじゃないか。
秦氏、新羅直系はどっちかやら。蛮行自慢合戦ものう。
新興カルト宗教集団の好きな用語の定説じゃげな。宗教論じゃあ定説に
なるんか?
>>50 馬上名手は牛車が嫌い?ほう、関東武士は、牛車文化の高句麗や蒙古より
騎馬技術があったんか?そがいに自慢出来るんなら、こんなあ、
関東代表として、モンゴルへ行って騎馬技術を競うことよのう。
向こうは子供でもうまいけんのう。関東は騎馬の本場でお前等牛車のあった
文化は亜流であること証明してやる。と大物こいて、恥をかかんことよ。
55 :
白馬青牛:2007/08/31(金) 01:59:04 ID:gkBKLM3Z
>>51 紀州は乱波の産地じゃけんのう。関東は紀州と縁が深いんじゃないか。
西行から騎射を学び、紀州漁民の房総進出もある。紀州は関東の師匠じゃ。
ほいで、新羅に七宝と奴婢を献上した倭人は、伽耶か列島か判断出来ん
けど。倭国の人口は、列島で50〜60万くらいで、黄巾の乱と同時期の
倭国大乱で人口が減少したとなると、大勢の渡来人がおらにゃあ駄目
じゃろう。古墳期に500万くらいになったんも、渡来人のおかげ。
人口は小山修三氏の人口推計。地理条件云うても、東シナ海は
波が荒いので駄目。油の如き黄海しかない。日本が制海権を取ったことも
ない。しかも列島から襲撃しても現地民、特に現地海人を仲間に加えんと
遠征なんか出来ん。陸地思想の太閤秀吉は馬鹿じゃのう。
どうも昭和の参謀殿みたいな机上の楽観論じゃのう。
>>52 覇権や出世、栄達の権力欲が人を狂わせるんじゃ。秀吉が馬鹿になったんも
権力に溺れ、状況判断が出来んようになってしもうた。云うことじゃ。
覇権は卑しいよ。中国者の律儀を守りゃあええことじゃ。
それが中国地方人の仕事じゃ。
小山修三氏の人口推計を信用していいのか。
57 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 18:56:53 ID:VTka6mxF
>倭国大乱で人口が減少したとなると、大勢の渡来人がおらにゃあ駄目じゃろう。
(=゚ω゚) 戦争でそんなに死者がでるかね?大勢の渡来人が来たから伝染病が発生したのではないか?
アメリカ先住民もそれで減少したと聞くが?他に気候変動、災害などいろいろ考えられる。
>日本が制海権を取ったこともない。
(=゚ω゚) ではどこの国が制海権を保持してたんだ?日本に倭寇鎮撫の依頼をする必要も無かろう。
>西行から騎射を学び、紀州漁民の房総進出もある。紀州は関東の師匠じゃ。
(=゚ω゚) そうだな鉄砲は種子島から直接紀州根来を通して関東へ伝わった。
あと・・・前々スレから何度も言うが「西行の流鏑馬」は 『藤原秀郷流』 な。
58 :
白馬青牛:2007/08/31(金) 22:44:43 ID:gkBKLM3Z
>>56 小山修三氏の人口推定が信用出来ん云うんなら、どの点が信用ならんのか
具体的に云いんさい。
>>57 倭国大乱が勃発した頃の2、3世紀は中国においても日本においても、
世界の動向と一致して小氷期であった。日本の小氷期は厳冬、多雪、
冷夏、多雨によって特徴ずけられる。日本の歴史には歴史時代において
何回かこの小氷期が記録されているが、いずれも飢饉と動揺の時期で
あった。日本で<戦争と飢饉の世紀>と云われるのは15世紀であるが、
洛中の死者8万4千、室町幕府の基礎は脆弱不安定となり、応仁の乱に
発展した。また江戸時代においては1800年ごろ小氷期のピークが
あったが、極大部が天明の飢饉(1782〜87)と天保の飢饉(1833
〜39)に対応し、邪馬台国の時代も同様で、中国の黄巾の乱(184〜
193)と同様で、気候環境が悪化し、農業生産が振るわなくなり、内乱が
起きる。大乱が起きれば、それがフィールドバックして農業生産を阻害する
ことになる。というお定まりのプロセスであろう。後に続く。
59 :
白馬青牛:2007/08/31(金) 23:26:42 ID:gkBKLM3Z
>>57 確かに渡来人が来たから、結核菌など疾病が増えたとも云える。
中国でも、岡田英弘氏が、文献から黄巾の乱から半世紀をへた230
年代に、「戸口を計れば、住昔の一州の民にも如かない。」「民の数に
至っては漢の一大郡に過ぎない」ゆえ、事実上漢民族の崩壊とするんも
大げさで、戸口推計はあくまで文献で、事実とは云い難いが、中国でも
人口減少になったんは間違いあるまい。
4世紀以降世界的な北方民族の南下(ゲルマン、エフタル、五胡や
日本列島の渡来人もそうじゃ。)現象となる。
東シナ海の制海権は、概ね中国にあったよ。中国が内向きになる時代だけ、
列島民が活躍したわけじゃ。黄海の制海権は、高句麗、百済から新羅に
受け継がれる。日本人が唐から帰る時は新羅船に頼っりょったけんのう。
その新羅も朝鮮農本主義から黄海〜東シナ海の親分の張保皐さんを殺し、
引きこもって仕舞い、制海権は中国側に移ったわいのう。
西行は秀郷系でも紀州の佐藤氏じゃ。関東人じゃないど。
60 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 23:28:40 ID:9yDoNW2o
民族学とかわけわかんね
61 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 00:58:37 ID:Ev4OqTiv
>>51(=゚ω゚)
白浜温泉の観光スポットは広い脳・・・
『吾妻鏡』に長尾定景の郎従として雑賀次郎が出てくるね(西国の住人、強力の者)。
>>57(=゚ω゚)
>前々スレから何度も言うが「西行の流鏑馬」は『藤原秀郷流』な。
その通り。
関東の源氏・平氏・秀郷流藤氏で、勢力・伝統を最も有していたのが秀郷流藤原一族。
だから頼朝も彼らを無視できなかった。
そして秀郷流は軍事貴族としての伝統もあり、坂東平氏より京と密接。
京好きの頼朝としては魅力的に映ったろうな。
ただ秀郷流が尊重されたのは武家故実であって、実戦で頼朝を支えた武勇無双の武士は、
三浦党・梶原・大庭や土肥など相模の平氏、武蔵の秩父平氏、金子・熊谷・平山ら命知らずの党の連中など。
主に相模・武蔵武士が目立つな。
秀郷流では下総の下河辺行平(『吾妻鏡』=日本無双弓取)、都でも評判の日本一大力武者は畠山重忠(`・ω・´)
62 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 01:27:03 ID:Ev4OqTiv
西上野小幡一党 赤武者にて入替懸り来 関東衆馬上の巧者にて
是又馬可入行(てだて)にて推太鼓を打ちて懸り来
(『信長公記』)
坂東殿ばらは弓は上手なるもの 空立つ鳥を射て落といたり
さても上手や空飛ぶ鶴を落といた 若い殿御が翔け鳥射たる弓手は
さても射たのふ見事や弓の姿は
(『田植草紙』)
とら松殿のめしたる駒の毛色は 坂東名馬に虎月毛 金覆面の鞍おいて
明珍ぐつわに綾の手綱をゆりかけて 駒もいさんで御立ある
(土佐の虎松踊り)
63 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 01:23:23 ID:/w+5kZoT
>日本人が唐から帰る時は新羅船に頼っりょったけんのう。
(=゚ω゚) 遣唐使なら東シナ海ルートも使ったが?
ふつうに半島添いに行った方が安全だったという話しだよ。
東シナ海は風待ちが多かったし遭難も多かった。
>東シナ海の制海権は、概ね中国にあったよ。
(=゚ω゚) 後期倭寇の時代には世界はもう既に大航海時代に突入してるんだが・・・
>西行は秀郷系でも紀州の佐藤氏じゃ。関東人じゃないど。
(=゚ω゚) あー西行はたぶん京都生まれ。
佐藤氏は紀州に所領は持っていたけど住んでたかどうかは怪しい。
対して北面で同僚だった平清盛は伊勢産品で生まれで家臣も粗っぽかったようだ。
ところで頼朝が、当時69歳の西行から何を学んだって?
64 :
白馬青牛:2007/09/02(日) 22:27:23 ID:uJwIaN1v
>>61 下河部行平は、源頼政の郎党の家系にして「京都に馴れたる輩」じゃ
ないか。また空想の実戦か。関東武士に「出入り」はあっても組織的
騎馬運用は無い。坂東平氏を強調しょうるが、ほんま平氏の子孫か
疑わしい。例えば三浦氏は良兼、良茂、良文のいずれの子孫か?
まあ、為継からじゃのう。その前はええ加減なニセ系図で、創作したん
じゃろう。ほいで後世相模・武蔵のセミプロを美化した伝説を作ったんも
その流れか。
『人国記』『新人国記』じゃあ、相模の「栄ふれば、縁を求めて親しみを
なし、勢ひ落ちぬれば遠ざかり、権柄(権力)ある人をば、非をおおうて
称誉す。栄耀にまさる事なしと思へり。かくの如く風十人に八、九は
爾なり。」や、武蔵は「凡そ気に乗ると気に後るるとは雲泥万里なり、
然よれどもこの国風は、最も潔き風俗なり。」と相模の評価が低いが、
武蔵は勢いがありゃあええ、一発喰らわされら後手になるのう。
じゃが潔さはあるようじゃ。まあ、上総・安房や伊豆の方が強いんかのう。
65 :
白馬青牛:2007/09/02(日) 23:24:58 ID:uJwIaN1v
>>62 鎌倉以降作られた風評を、あたかも事実が如く誤認する坂東蛙君の
幸せ回路がまた始まったか。ほいで、
>>54の牛車嫌いの関東騎馬技術の
本流の証明は出来んのか?
>>63 日本の造船技術の拙劣、航海路の道を知らんか、船頭・水手の熟練度の
違いや、新羅が黄海の制海権を握っておった要因もあったろう。
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/column/page003.html ▼新羅船が9隻購入され、帰国の運びに▼から、
円仁一行も、新羅船で帰国したが、新羅人60余人も雇ったそうじゃ。
少し下に、張宝高(張保皐)さんのことも出とる。
ほいで、大航海時代の東アジアの制海権は明とポルトガルじゃ。
西行の弓馬芸能談は、海野幸氏、北条泰時、三浦義村ら東国武士に
影響を与えたんじゃないか。
そう云えば新日吉社方式の導入にあたって、的立役に指名された
熊谷直実さんは、不服じゃったそうなのう。熊谷氏は安芸に本貫を
移したけえ、処遇には同情するよ。
66 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 00:38:24 ID:sdqX4lV7
>>64 武人供給地としての坂東は、古代から中央と深いつながりがあるんだわ。
常にアンテナを張ってるのが当時の武士。小領主の熊谷直実ですら同様。
直実は平知盛の家人になる事によって、惣領・久下氏の従属下から脱却を図った。
「京都に馴れたる輩」=むしろ比企能員や工藤祐経とか。
行平は秀郷の末裔として故実の知識に長け、知勇兼備の将として頼朝の信任厚かったわけだが、京と武芸は関係ない。
近江出身の佐々木は相模育ちで武勇に長けた。
宇治川で活躍した下野の足利忠綱クラスの武士が京に居たかい?当然居ないだろ。
三浦氏は良文の子・貞道が祖=>50の平貞通。
母胎としての御浦郡の古代豪族などがあって、招婿婚により貴種の血統を内部に取り入れ発展。
平安時代の武者→武士は、そんな感じの繰り返しだよ。
結果、坂東土着人の血統が圧倒的に濃いが、貴種は貴種。それが辺境軍事貴族。
『新人国記』は越前人が元禄14年に刊行したもの。
紀伊 只利口を前面に顕し、実義露もなし
石見 丹後国に異ならずとして、偽り多くして実なる人稀なり
・・・など、近畿・山陰は散々な書かれようだな。
>>65 『田植草紙』と『信長公記』は室町・戦国時代人の認識だが?
西日本に分布する「虎松踊り」もルーツは戦国時代。
×弓馬芸能談⇒流鏑馬での弓
67 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 00:39:12 ID:sdqX4lV7
『今昔物語集』
↓三浦氏遠祖の東烏
「平ノ貞通、平ノ季武、(坂田か)公時」という摂津守(源頼光)に仕える三人の兵は、
「皆、見目キラキラシク、手聞キ、魂太ク、思慮有テ、オロカナル事無カリケリ」といった非常に優れた兵。
賀茂社の祭礼に、牛車を女房車に仕立て行く事にした。
だが、三人とも初めて乗る牛車の中で、死ぬほどに酔ってしまう。
(牛車の外から見ると)「東鴈ノ鳴合タル様」な声が聞こえてくる。「東人ノ娘共ノ物見」なのだろうか?
貧相で貧乏臭い牛飼童に身を任せ、大恥をかいて無意味な事だ。
この車で引き返したら俺達の命は無いな。人が居なくなるのを待って歩いて帰ろう。
平季武は後日、
「千人ノ軍ノ中ニ馬ヲ走ラセテ入ラム事ハ、常ニ習タル事ナレバ不怖ズ」
「猛キ兵ト申セドモ 車ノ戦ハ不用ニ候ナリ」もう懲り懲り、車の側には近寄らない。
同じく『今昔』の源頼光
若ク候ヒシ時、オノズカラ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候
>鹿などの狩猟を行っていた若い頃と違って、今の自分は在京が長いため(都の武者だから)
>狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。
68 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 01:57:09 ID:/OWTM43H
>65
>大航海時代の東アジアの制海権は明とポルトガルじゃ。
(=゚ω゚) 17Cの東アジア海上はマカオ租借したポルトガル、フィリピンを拠点としたスペイン、
インドネシアジャワ島を拠点としたオランダが入り乱れていた。
オランダは1624年台湾にて明軍と8ヶ月に渡って戦い台湾支配を明朝に認めさせている。
寧波の乱のように勘合符が無くなれば倭寇に戻るだけ。
後期の明国政府は鄭や王のような海賊のマージンを受け取る関係。
蒋介石も青幣を使ったから上海を制圧できたわけだしね。
>日本の造船技術の拙劣、航海路の道を知らんか、船頭・水手の熟練度の違いや
(=゚ω゚) 奄美や五島の海人たちはふつうに行き来していたようだが?
円仁一行のルートも 「五島→黄海」 への直行便だよ。
単純に東シナ海は現代でも遭難が多い。元寇の艦隊も鄭成功の北伐軍もヨーロッパ船ですら沈んだ。
遣唐使の時代ではなおさらだよ。
>円仁一行も、新羅船で帰国したが、新羅人60余人も雇ったそうじゃ。
(=゚ω゚) ふつうに考えれば壊れた船を買い換え、新羅商人の案内で帰ったほうが安上がりで安全だった
からだろう。船は大破し人材も不足していた。
>赤痢にかかっていた、船師(船長)佐伯金成が死ぬ。また、第1舶水夫長佐伯全継が掘港で死んでいた
>日本の朝貢第1舶に随属してきた水手、射手ら60余人の誰も彼もが、皆病いに倒れ苦しんでいる
>遣唐使は、天子から9隻の船を雇って修理することを認められていたが
>それに見合う新羅船を購入したようである。
・・・と書いてあるが?
69 :
白馬青牛:2007/09/04(火) 02:03:13 ID:avlUurx3
>>66 坂東は古くから武人供給地じゃのうて、徴発された農奴兵を供給。
行平は元来、頼政の郎党じゃないんか。宇治川?後世に書かれた
『平家物語』妄想は意味をなさんよ。
三浦氏は、良兼説(三浦古尋録)良茂説(尊卑分脉)良文説(続群書類従)
(尊卑分脉系図纂要)とあるが、良文と断言出来んし、どれもこれも
ニセ系図じゃろう。関東の中央権威にすがる性質は、古代から「天皇家の
子孫を強調する系譜が多いが、西国は独立性が強く天皇家との繋がりを
必ずしも強調してない。」(直木孝次郎氏)の伝統で、三浦氏も平氏の
子孫じゃとハッタリかましたんじゃろう。系譜や系図を額面通り
受け取るんは、神学の宗教論理で歴史じゃないど。その形態構造や
伝説モチーフから他の地域の系譜や伝承と比較検討し始めて生きて
くるんじゃ。文献や出土品も同じこと。
招壻婚は、実家出産が南奥羽、関東、北陸、東海、近畿の一部と南北の
九州西部、朝鮮半島に分布しとるけえ、それなりの根拠はあるのう。
他方近畿から中国、四国は婚家出産地帯で、沿海州諸族、満州人、
モンゴル人、漢人も婚家出産。
ほいでのう、坂東土着人云う概念を人類学的に説明せにゃあ。
寝むとうなったけ今日はここまでにしとくよ。
70 :
白馬青牛:2007/09/04(火) 22:17:00 ID:avlUurx3
>>66-67 越前人、関祖衡の『新人国記』は、『人国記』を手本にしとる。
『人国記』の著者は、京・伊勢を上方と呼ぶ地方ゆえ、東国人であろう。
じゃけえ、西国の方はええ加減じゃわい。まあ所詮知識人の偏見で書いた
もんじゃけえ、東国から離れた地域ほど出鱈目になろう。
後世の知識人が疑いもせず、額面通り受け入れよるが、知識人は何時の
時代も偏見に捉われた愚かな人達じゃけんのう。
室町・戦国時代人の認識云うて、どの階層を基準とした認識か。
認識なら『陰徳太平記』の関東勢は、城を守るのも下手で、長期戦も出来ん
ねばり強さも無い弱兵云う認識が、毛利家の上層部にあった云うことじゃ。
狩猟技術そのものは、生活者として山地で狩猟する吉野・十津河の連中の
方が上じゃ。都の武士は役人公務じゃし、その都に学んだ坂東武士は
ど百姓じゃ。傀儡の方が余程上じゃろう。
牛車文化の無い坂東は、馬に乗ることも下手云うことか。
じゃけえ、坂東の騎射技術が優れとると実証したいんなら、モンゴル、
いやチベットでもええが、「やあやあ、我こそは、坂東蛙なり。」と
口上を垂れて、坂東者の騎射技術を示しゃあええ。
71 :
白馬青牛:2007/09/04(火) 23:20:54 ID:avlUurx3
>>68 東アジア云うんは、東シナ海の制海権云うことじゃ。
17世紀のラテン系よりもゲルマン系の方が勢力を強めた時代のことを
云うとらん。17世紀は、オランダの1624年安平の占領
(オランダ人は、ゼーランディアと云うた。)もあったのう。
それ以前の時代から倭寇集団の小船じゃあ、制海権は無理じゃわい。
奄美や五島の海人は後で、遣唐使時代は航海技術から難しいのう。
東シナ海は荒海で黒潮は死の海じゃ。百済健在の時代なら、朝鮮、山東の
黄海ルートが使えるが。
新羅船は、伝統的な準構造船の延長の中、小型船で座礁する確率も低い。
日本船が、技術も無いのに大型船に拘ったことが問題じゃろう。
元来日本は、百済式半構造船の中小型船文化で、越文化の大型構造船の
文化じゃない。当時、海洋王国の新羅商人の案内の方がええし、新羅船の
購入も日本の帰国船より安心じゃけんのう。
▼はたして世界の三大旅行記か?!▼
に、円仁より同時代の新羅僧慧超の方が西アジアまで含めて世界的な
旅をしており、当時の海洋国家、新羅の栄光の時代じゃった。
それを支えたんも新羅の船文化じゃ。
72 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 23:42:10 ID:Qi341FX2
(=゚ω゚) 新羅船は陸づたいに行けるから安全だったと言う事だろう。
しかも季節風を知らない当時はほとんど人力だったしなw
ジャンクはもともと川船の発展形だから外洋に出てるような構造じゃないよ。
もっとも中国人はアフリカあたりまで改造大型ジャンクに乗って交易に出かけたがな
>新羅商人の案内の方がええし、新羅船の購入も日本の帰国船より安心じゃけんのう。
(=゚ω゚) だから68でそう言ってるやん。もっとも五島ルートをあの朝献物資を抱えて横断したら
どんな船でも沈むべ。
元寇がそうじゃん、どこの職人が造った船だい?現代船ですら時々沈むべな。
73 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 01:21:54 ID:f20cdmLg
>>69 皇族・蘇我氏・藤原氏と皆、東国人の武力に期待してたんだが。
平安後期の京でも著名だった頼光の【四天王】、あれも坂東人な。
『平家物語』の作者は京の人間だし。
usiは三浦党の強さに嫉妬してるのか(ナルホド)
招壻婚は中央貴族の伝統だろうに。
>>70 『人国記』の作者って誰だい?越前は近畿の方が近いのに。
『陰徳太平記』は毛利のオナニー本だろうよ。
吉野・十津河?笑かしてくれるね。狩猟文化は縄文以来、東国が本場。
牛車じゃ戦えませんよ〜
それと京の都はね。馬は競馬、弓は歩射と言える。
つまり弓馬が両立しない。
競馬(くらべうま)は貴族観賞用のお遊戯だし。
74 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 04:52:03 ID:0k4hOKAK
牛はことここにいたって、とうとう朝鮮人の素顔をあらわしているな。
久しぶりに見て笑ったY
白馬青牛氏は紛れもない中国 人だと思うがな。
76 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 02:12:26 ID:ykv5fnE7
広島人を装っているのが、カモフラージュであるのは以前から分かっていたし、
隠れ蓑に日本全体を揶揄する。見え見えだろう。
広島弁を操る朝鮮人などというものは関西弁を操る朝鮮人と同じくらいに存在するし、
標準語を体得した朝鮮人と同じくらいに存在する。
最初の頃は衣をかぶっていたが、第三段階になって哀れになるほどの
朝鮮人イデオロギー全開で呆れてしまうワイ。
77 :
白馬青牛:2007/09/06(木) 02:40:18 ID:JxPWgHlN
>>72 中国人は、特に江南は伝統的に楼船の巨艦主義じゃったよ。
中国のジャンク式は、縦帆で今日のヨットと原理的には同じで帆行性能が
良かった。五島ルートなんか海路の軸線じゃない。
元寇の東路軍の大型船は、高麗の伝統に無い船じゃろうに。
>>73 東国人の徴発された奴隷兵に期待しても、蝦夷に負ける程度じゃ。
足柄山の金時伝説や後世の『平家物語』で妄想たァ幸せ回路全快じゃのう。
三浦党云うて強いんか?勝手に平氏名乗って。
招壻婚は、フェミニスト女性史学者術語であるが、歴史学界でも、
古代〜平安期の招壻婚から、武家政権の鎌倉期〜江戸まで嫁入婚と
マルクス主義の発展段階説がまかり通っておるが、
>>69に書いたよう
地域の違いがある。河内の渡来人田辺史の娘は婚家で出産しとるし、
神話でも海神の娘トヨタマビメが、夫の山幸彦の住む陸上で産んでおる。
平安貴族は妻の実家出産で関東に近いが、近年の朝鮮も実家出産で、
古代から嫁入婚と妻訪婚の習俗両方が半島経由で流入したんじゃろう。
『魏志』高句麗伝に、「女家作小屋 於大屋後 名壻屋 壻暮至女家」
と、妻訪婚がある。民族学者の岡正雄氏は、「北方系種族が先住民を
征服して王権を形成する際、後から進入した種族は妻訪婚文化の先住民族
と通婚し、それをとおして妻訪婚文化が北方系の支配者の間に部分的に
採り入れられ、嫁入婚と結びつく特殊な婚姻形態が派生したと考えられる
のである。」西日本は、北方民族の嫁入婚の影響が強く、東日本や九州は、
朝鮮〜東南アジアの妻訪婚に近い。
また居眠りしょったわい。今日もここまでで寝るど。
78 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 15:01:30 ID:jVvS85OD
>>77 >五島ルートなんか海路の軸線じゃない。
(=゚ω゚) 遣唐使ルートは大きく3つ。
@「北路」半島経由ルート :初期のルート。これは新羅との関係悪化で中止。
A「南島路」奄美ルート :沖縄諸島伝いに南下し浙江省付近へ至る外海ルート。危険なので中止。
遣唐使船には新羅語の他に奄美語テキストも有ったとか。
B「南路」五島ルート :五島や坊津から一気に最短距離をつっきり大陸へ向かう。経費は節約できるが危険が大きい。
ベトナム難民なんか潮に乗って五島まで流れ着いてるから意外と不可能とも言えない・・・かもな。
http://www.gotokanko.jp/kentosi.htm 後期倭寇の頭目「五峰(五島)王直」こと『王直』が活動拠点としたのも五島。
ちなみに種子島へ鉄砲を伝えたのが王直の船に乗ってたポルトガル人。
>元来日本は、百済式半構造船の中小型船文化で、越文化の大型構造船の文化じゃない。
(=゚ω゚) 和船は基本的に人力で帆は追い風のみ。和船はカヌー(つーか箱)のようなわりと珍しい構造なので
ジャンクとか百済とはあまり関係は無いと思われ。構造的にはミクロネシアの大型帆走カヌーに近いと言われる。
新羅商人達のルートはわからないが、たぶん珍島、済州島経由ではなかろうか?
珍島、済州島も地理的に元寇、倭寇、いずれも前線基地となった。
>元寇の東路軍の大型船は、高麗の伝統に無い船じゃろうに。
(=゚ω゚) ここには高麗様式の軍船と有るようだが?↓
【高麗、戦艦大小九百艘を造船する】(高麗史列伝巻十七 一百四の十)
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm 1274年正月、蒙古は高麗に対し、日本侵攻のために戦艦建造を命じた。
高麗側では、蛮用(南宋様式)では手間もかかり期日に間に合わないので、わが国の様式にしたとある。
『若依蛮様、則工費多、将不及期』 『用本国船様督造』(高麗史列伝巻十七 一百四の十)
79 :
白馬青牛:2007/09/06(木) 22:23:14 ID:JxPWgHlN
>>73 『人国記』は著者不明じゃが、「すべて上方の内、別して京・伊勢の風儀、
女人の形相(容貌)最も善し。」と、伊勢を上方と呼ぶ地方の人間で
あろう。江戸期の司馬江漢は『人国記』の著者、信濃人説を唱える。
毎度、坂東ハッタリ物語でせんずりこいとるけえ、『陰徳太平記』をそう
思うんじゃろう。神機隊の時でも、小刀を返して貰うた恩義を忘れ、
喇叭吹く坂東人の人間性にゃああきれるよ。
縄文以来云うても、縄文人は狩猟民云うより採集民じゃないか。
東国の熊を指標とする狩猟文化と西の猪を指標とする狩猟文化は違う。
東国が本場云う根拠がないど。十津河の山地民の方が、関東の平地農民より
狩猟は身近な存在じゃろうに。ほいで牛車文化のあるモンゴル人と騎馬対決
で決着付けりゃあええじゃないか。『年中行事絵巻』でも、騎射があるんに
今更何をか。日本の騎射は上層階級の文化形態で、生活に騎馬を用いる
内陸アジアの人達と違う。その上層階級文化を都から学んで劣化したんが
坂東武士じゃ。
80 :
白馬青牛:2007/09/06(木) 23:32:15 ID:JxPWgHlN
>>74-76 在日認定は、嫌韓ネットウヨ(プロ奴隷)の毎度のパターンじゃないか。
朝鮮人イデオロギー云うんは何なら?東日本と共通する縦型長子相続の
社会構造か?九州と近い儒教文化要素か?
>>75 わしゃあ、紛れもない中国地方人。
>>78 『魏志』の頃から朝鮮〜山東の黄海経由の北路が海路の軸線じゃ。
新羅の海洋勢力が強く、遠慮し、こそこそと使うた南路や南島路は海路の
軸線じゃないでえ。漂流や漂泊が海路の軸線になる訳あるまい。
江戸期の『バタン漂流記』のよう漂流したら現地民に奴隷化されるか
喰われるよ。出来るだけ安全な航路を使うんが海路の軸線じゃ。
和船研究で知られる石井謙治氏も「九州と南朝鮮とは同一の技術圏に
あった」と。帆の問題は「非常に難しく」と石井氏も云われるよう、
推測になるけえ、明快な答えは出来んよのう。新羅商人は山東にも進出
しとったよ。高麗が南宋様式じゃあ手間がかかるゆえ、高麗様式にしても
人員搭載の為に大型船も作り、中型船の新羅〜高麗の伝統じゃない。
ようは、文献の文章から何を読み取るかじゃ。
ほいで、そりゃあ嫌韓サイトじゃないか。返書案に見る日本人の気概にゃあ
笑うたよ。元寇の時代に近代ナショナリズムを結びつけ、思想狂信者以外
こがあな文章は書けんと思えるほど、読んどる方は感情的自慰
ナショナリズムに赤面するぐらいじゃ。国粋思想で歴史を語る処、日本人と
韓国人は似とるよのう。
81 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 23:43:17 ID:yHjYEM8p
>>77 ・大宰府も東国防人の勇猛さに期待してるぞ(続日本紀)。
・平安期の『今昔』や鎌倉初期の『古事談』などにあるが。
>フェミニスト女性史学者術語
でもそんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!
王朝貴族の婚姻形態は婿取りだろうに。
婚家から屋敷と財産の一部を伝領。
地方で言えば婿の血統、嫁の財産だな。双方ウマー
>>79 なんだい著者不明かよw
熊?武士の狩猟は鹿。
鹿なら江戸初期の江戸近辺でも居たんだぞ。乱獲で減っちゃったがな。
関東の猪は明治に激減してるし。
「モンゴル」の名を借りないと東国に太刀打ち出来ないのか?(ナルホド)
日本は馬具からして独自の発展をしてるから、大陸と比較しても意味無し。
古代東北の革甲もそうだが、実戦の本場で最新武具が生み出されたのは当然の成り行き。
「武蔵鐙さすがにかけて頼むにはとはぬもつらしとふもうるさし」
82 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 00:09:50 ID:Upj8eWn3
>そりゃあ嫌韓サイトじゃないか。
(=゚ω゚) 解りやすいHPだからリンクしただけだわな。資料は別に問題無かったと思うが?
『若依蛮様、則工費多、将不及期』 『用本国船様督造』(高麗史列伝巻十七 一百四の十)
↑これに 何か問題でも?
>人員搭載の為に大型船も作り、中型船の新羅〜高麗の伝統じゃない。
(=゚ω゚) 遣唐使船も同じ理屈だよ。過積載が遭難の一因だと言われる。
和船は帆走が追い風のみのため、多数の漕ぎ手が必要だった。
だからますます大型化せざるをえなかったと言う感じだろうか?
>『魏志』の頃から朝鮮〜山東の黄海経由の北路が海路の軸線じゃ。
(=゚ω゚) 魏志の頃は半島にも倭人が鉄を取りに行ってなかったか?
ふつうに倭人の交易範囲じゃね?
>神機隊の時でも、小刀を返して貰うた恩義を忘れ
(=゚ω゚) なんで神機隊が渋沢の小刀を持っていたのかなぁ〜??不思議だねえw
>81
(=゚ω゚) 武蔵鐙は面白いですなあ。
ウチのじいさんも輪鐙は落馬すると足が外れず引きずられ危険だったと言っておりますた
83 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 01:09:16 ID:47B15/uY
>(=゚ω゚)
西洋式(鞍重視)と日本式(鐙重視)では、バランスの取り方からして違うと言うね。
usiが大好きな随身(京都)は時代遅れの半舌鐙、武士は舌長鐙(=武蔵鐙)ですな。
随身や近衛官人は戦わないからそれでもいいんだけどw
84 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 19:17:56 ID:Upj8eWn3
85 :
白馬青牛:2007/09/07(金) 23:16:05 ID:IXaGOT4B
>>81 えらあ、感情的に吼えよるが、具体的なもんはのうて、妄想に引き
篭もったんか。関東が騎馬文化があるんならモンゴルの牛車連中に
ひと泡ふかせんかい。武蔵鐙など独自の発展じゃのうて壷鐙の劣化
じゃろう。逆にモンゴルは実戦に乏しいんか?
>>82 『高麗史』の成立は、1452年で後世の記述じゃろう。元寇当時よりも
後世の見解であろう。
和船の帆に詳しいらしいが、追い風を受けて走るんなら横帆。中国の
ジャンク式は縦帆で、遣唐使船はどっちかいのう?
http://tokyo.cool.ne.jp/nara_hakken/kouryuu/isinsei.htm#up 遣唐使船の造船地帯の安芸国の人間としては残念じゃが、亡国の百済の
より、新羅の最新技術が優ったんか、893年の新羅船の購入、大宰府へ
懇願と、「新羅船はよく波行を能く凌ぐ」云う航海技術の差じゃろう。
86 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 23:38:56 ID:NIQeY94n
〇∧〃 モンゴル人の牛感⇒鈍重・愚鈍、誠実
/ > 劣化だと(笑
< \
87 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 23:47:47 ID:Awk8l4hf
>>85 日本史板、あるスレの自コピペ
>逃げ上手なだけで、大陸に君臨出来たわけないし。
>モンゴル馬は馬体は大きくないが持久力が利点、それを戦術に活かした訳だし、モンゴル人は騎射に巧みだろ。
>軍事面を含め優れた制度に、合理性、柔軟性、諸々の理由はあるんだろ。
京の馬具:京の唐鞍で元輔が落馬してるだろ(ピカリ☆福井商)
随身の競馬は尻で乗り回すわけだから、鐙を重視する武士的馬術とはまるで違う。
88 :
白馬青牛:2007/09/08(土) 00:02:40 ID:dbp0x/5g
>>82-84 倭人が日本列島の住民のみを指す云う韓国人と同類じゃないか。
さすが、韓国人と東日本人は農本閉鎖史観で似とるのう。
後漢書の鮮卑伝の鮮卑に拉致された倭人はどうな。
井上秀雄氏は「三世紀でも中国の知識人は倭人の確実な居住地は南朝鮮だと
考えており、『魏志』倭人伝は珍しい記事として、当時の人たちの好奇心を
そそったにすぎない。倭が日本列島をさすようになるのは五世紀以後の
ことで、倭国は北九州狗奴国(福岡地方)を指していたようである。
厳密にいえば、中国では大和朝廷を、「倭」と呼ばず「日本」と呼んで
いる。すくなくとも七世紀の中頃までは倭を新羅の地続きの任那地方と
考えていた。」
井上氏の南朝鮮の伽耶地方よりも、朝鮮南部の海人集団は倭人と呼ばれた
んじゃと思う。考古学的には、伽耶地方と北九州の甕棺文化人を倭人と
認定しても良いが、朝鮮〜九州西部の支石墓人も倭人でないとは云えん。
ほいで、広開土王の倭は、伽耶地方の北方木槨墓人の武装集団のことで
あろう。4世紀頃の気候寒冷化による北方民族の南下はゲルマン、
エフタル、五胡と世界的現象で、百済、新羅、伽耶や日本列島も同様で、
渡来形質が全国に拡散する。
小刀があったんは、渋沢さんが神機隊に討たれたゆえじゃろう。
西洋と日本列島の関東を比較して、内陸アジアを無視するんは、
関東人の毎度のパターンで、西洋の封建制を意識すれど、西アジアの
イクター制は無視する。馬術も西洋と日本しかないんか。馬鹿らしい。
>>84(=゚ω゚)
鞍の手形も関東発祥だと言われてるな。
室町期の京都の鞍は軍陣に適さない水干鞍で、関東のものは甲冑に耐える重厚な和鞍(倭・大和鞍)。
太田三楽斎や小幡心竜斎も、重厚で頑丈な鞍を使ってたんだろうな。
甲斐の武田武士もね。
>85
アッシリアとか有名なパルティアの安息式射法の時代じゃ、まだ鐙も発明されてないが、
日本の乗馬の風習だと鐙もセットで伝わったわけで、列島独自の創意工夫で発展した鐙を否定するという
トンデモusiの都史観はどーゆーこったい。
畿内武者だって壷鐙は敬遠するだろw
90 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 02:02:57 ID:Ng8Kk7u2
潘・国連事務総長「台湾は中国の一部」→日本政府「その解釈は不適切」と申し入れ
91 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 05:46:38 ID:9iauznRs
関東の騎馬文化にモンゴリュで対抗するとは
ヒロスマでは分が悪いからかなぁ
92 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 07:44:16 ID:begSQmMI
>井上秀雄氏は「三世紀でも中国の知識人は倭人の確実な居住地は南朝鮮だと考えており
>すくなくとも七世紀の中頃までは倭を新羅の地続きの任那地方と考えていた。」
(=゚ω゚) はいはい任那に居たのは倭人ね。ごくろうさん。
>後漢書の鮮卑伝の鮮卑に拉致された倭人はどうな。
(=゚ω゚) 未来の人間が現代の新聞報道を見て
「北朝鮮が日本人を拉致しているから日本は朝鮮支配下だった」と思ったら・・・アホやね。
魚も満足に採れなかったと言われる鮮卑が海を渡れたのかな?
93 :
白馬青牛:2007/09/08(土) 23:22:28 ID:dbp0x/5g
>>89 列島独自じゃ云うが、西洋の重い甲冑が西洋の独自な創意工夫で発展した
騎馬文化として誇れるんかと同じ問題じゃ。ステップの騎馬遊牧民にゃあ
通用せん。ユーラシア東西の辺境はおとぎの国の騎馬文化に過ぎんかった。
パルチアの軽装騎兵による安息式射法は、遁走しながらの騎射、迂回や
包囲し補給路を断つ等、戦術もステップ方式であると共に、甲冑を着けた
重装騎兵は、敵の矢の猛射に鉄の壁となり、軽装騎兵の騎射によって
陣形が崩れた敵に槍を持って刺突する。重装騎兵は装甲車的存在じゃ。
ほいで、鐙なんか騎馬の長時間の疲労を防ぐ利点はあろうが、騎馬文化に
必要不可欠なもんじゃない。裸馬に乗り馴れた人間なら鞍や鐙無しで乗り
こなすよ。
>>91 騎馬云うんは、日本ではあくまで上層階層の文化様式で、生活文化様式
じゃない。生活そのものに騎馬を必要とする民族と比較せにゃあ。
関東のは都の劣化コピーじゃ。広島と何の関係あるんか?騎馬は現代の
装甲車に相当し、兵の強弱に直結せんよ。
94 :
白馬青牛:2007/09/08(土) 23:58:40 ID:dbp0x/5g
>>92 任那におったんは倭人だけじゃのうて、韓人、漢人、後に北方民族もおった
ろう。内蒙古、遼寧におった鮮卑が、日本列島まで行って拉致するわけ
あるまい。倭人は黄海沿岸の漁労民じゃ云うとるんで。
魚を満足に獲れん?当時の鮮卑は遊牧民化しとるよ。後の契丹は漁労も
しとったよ。鮮卑拓跋部の故地に住んだ室韋に、亀や魚を獲る水室韋も
おった。慕容鮮卑が、山東に侵出したんは、海路か陸路か解らんが、
渤海のように海路も否定出来ん。
日本の渡来系で、鮮卑慕容部的要素が強いんは、坂上田村麿の祖でもある
新沢千塚古墳の東漢氏じゃろう。遼寧省北票県鮮卑墓の金飾りと新沢千塚
一ニ六号墳の金飾の類似、東漢(坂上)氏の神牛伝説も、ユーラシアの
牧畜民に発達した説話であり、坂上氏ハラ(腹)氏族制も、モンゴル系
ダフール族のハラ(哈拉)や、ツングース系ハラ(xala)と共通する。
日本語でも同胞をハラカラと云う。
名詞言語が似てるのは地理的に近いからノーカンね。
96 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 01:39:08 ID:VanuAwaH
>>94 の人物は
朝鮮人の古代栄華、妄想活躍を示す歴史資料なら
なんでも牽強付会、あちこちから持ってきて
宣伝工作する人なんだね。
結局侮日に目的があるんであって、広島云々は元からどうでもいいこと。
97 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 10:32:38 ID:TzyhVt90
98 :
白馬青牛:2007/09/09(日) 23:24:06 ID:46xsxQIu
>>95 名詞言語が似とるんは地理的に近いからじゃ?
地理的に近いんなら漢人にハラ氏族制はあるんか?
>>96 われが、嫌韓宣伝工作しょうるけえ、そう思うんじゃろ。
侮日云うんは、マルクス共産主義史観の自民族発展段階説と唱えよる
おどれらみたいなネットウヨじゃ。
>>97 じゃけえ、檀石槐が倭人を拉致した頃は、鮮卑が匈奴の故地を占拠
しとった草原の民となった時代じゃ。後の契丹も森林の民から草原の民に
徐々に移行しとる。モンゴル高原に覇を唱えた連中は元来草原の民では
なく、大興安嶺やアルタイ地方の森林の民がほとんどじゃ。
アルタイ地方からは、突厥、結骨(黠戞斯、キルギス)大興安嶺からは、
鮮卑(北魏など北朝、唐も鮮卑系)、柔然(西洋の北はバルト海、
西はドイツのエルベに達する地域を支配下に収めたアヴァールと同族説も
強い)、契丹(遼)、蒙古(室韋の蒙瓦室韋、モンゴル帝国、元)等、
ほいで農耕地帯を支配した高句麗、女真(金)満洲族(清)も含め、
狩猟・漁労の森林の民が遊牧草原人や農耕民を支配したわけじゃ。
99 :
白馬青牛:2007/09/10(月) 00:03:26 ID:arKnodXW
>>97 倭人慕容部?何じゃそりゃあ。縄文期からヒスイの勾玉の産地じゃった
糸魚川等の越地方は出雲勢力(高句麗、新羅系)が平定したけんのう。
高志(越)八俣の大蛇(おろち、ツングース語系でその地域の土地の人の
意味)退治じゃ。越から高句麗は信濃、新羅は北関東へ侵出したん
じゃろう。
http://www.genbu.net/data/ecyu/takase_title.htm 高瀬神社の由来に、「大己貴命(大国主命)が北陸を平定を終え、出雲へ
戻る時に、自らの御魂を国魂神として鎮め置いたのがはじめ。」
「また、一説には、祭神は高麗(高句麗)より渡って来た神であり、」
と、出雲も高句麗と同類で同じようなもんじゃ。
勾玉は越から出雲へ、出雲から新羅へじゃろう。出雲が越を平定し、
新羅はさぞ、ただ同然で勾玉を手に入れ喜んだことじゃろう。
>>93 甲冑じゃなく、馬具の話なんだが。
裸馬がどうした?
鞍・鐙は中国〜朝鮮〜4C後期の日本と、日本の乗馬は最初から鞍・鐙その他セットで持ち込まれた物なのに。
随身の競馬なんて、鞍が無きゃ話にならない。
その鞍も時代遅れの移鞍で、所詮は平安貴族の娯楽馬芸w
騎射は舌長鐙、馬上組討は鞍壷を深く仕立てた重厚な軍陣鞍(=倭鞍)が活きる。
だけど京都の水干鞍は華奢な鞍橋、「作の鞍」の五六鐙・・・・・
乗馬は上層階層だけでなく、地方の有力農民も乗り回してた。その上層も奈良貴族>平安貴族だな。
古墳時代から信濃や上野は馬と密接。あと『常陸国風土記』にも。
地方のハイレベルで粗野な技を、儀礼的で優美なものへ仕上げるのが京都の技。
「田舎頼み」は京のならい『方丈記』。
▽歩兵も強い坂東人(防人)
賊を防ぎ辺を戍るは、本より東国の軍に資れり。衆を恃み威を宣ぶるは、是れ筑紫の兵のみに非ず。
人勇健に非ずは、防守済し難し。望み請わくは、東国の防人旧に依りて戍に配せむことを。(『続日本紀』)
東男は 出で向かひ かへり見せずて 勇みたる 猛き軍卒。(『万葉集』)
▽騎兵の坂東人(授刀舎人)
この東人は常にいわく 額に箭(矢)は立つとも 背に箭(矢)は立てじ。(『続日本紀』)
102 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 01:23:07 ID:bl4TN7q+
>マルクス共産主義史観の自民族発展段階説と唱えよる
wareの素性がよーわかるヘリクツじゃ。
大物たれるなや。
103 :
白馬青牛:2007/09/10(月) 01:29:02 ID:arKnodXW
>>100 つまり関東武士は騎乗技術が下手じゃったけえ、鞍や鐙で乗馬下手さを
補うことが出来るんじゃ云いたいんか。
民俗学者の宮本常一氏は、「『年中行事絵巻』に見える公家たちの
馬の乗りこなしぶりというのは実に見事なものです。この人たちが、実は
騎馬民族の後裔だったのだということがよく解ってくるのです。
そういうものが東のほうへ来て、いわゆる鎌倉武士というものにもなって
馬へ乗ったことになりますが、やはり一人で馬を乗りこなすということは
少なかった。馬に口取りがついていて、馬に水を飲ませる馬柄杓のお供が
いた。なぜ馬柄杓を持たなければならなかったかのか。馬に乗ったまま
水を飲ませようとすると乗っている人が落ちるのです。これは乗り方が
下手だからです。馬に乗ることが上手だったら、そんなこと平気なはず
です。その程度の乗馬力しか持っていなかった。
本当に馬へ乗る高い技術を持たなかった人達が、東日本にはたくさんいたの
だといってよいのではないか。つまり乗ることも下手、車や犂をひかせる
ことも下手だったのです。ところが西日本のほうへ行きますと、こちら
では牛に犂をつけてひかせているのです。騎馬民族の後裔というのは、
そのあたりまで分布しているのです。」と、云われる。
東国は、粗野な技以前に乗馬下手じゃろうに。
104 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 01:52:29 ID:M4INz/JF
>>103 またusiが壊れたよ(爆)
性懲りも無く、騎馬民族信奉者にしてアンチ東日本で有名な宮本じょういち(1981年没)かorz
で、それ書いたの何年なんだ?
何一つ真実が無いじゃん。アホも休み休み言えって感じだよ。
落馬の藤原信頼は?信頼は公家としては武張った人物のようだが、所詮は王朝貴族だな。
平安末に、関東武士の真似をした平安貴族が牛車を敬遠し、馬ばかり乗る状況になった話が『方丈記』にあるぜ
その延長線上に出てきた人物が武芸狂いの後鳥羽院だろ。結局付け焼刃で底をみせたわけだが。
馬のくちとりは平安貴族も。京一番の馬名人の随身(近衛官人)も行ったのよ。有+龍=くちとり
105 :
白馬青牛:2007/09/10(月) 01:53:44 ID:arKnodXW
>>101 東国は朝廷の権威を借りた隷属民じゃけえ、独立心の強い、いつ新羅側に
つくか解らん者より東国奴隷兵の方が信頼出来る云うことを文献が表しとる
だけで、額面通り解釈するんは、顔と同じで関東人の特徴じゃのう。
東人が退却を恥じるんなら、遁走を恥とせん遊牧民の戦闘と全く異なり、
騎馬戦闘も出来んかったことを自白しょうるようなもんじゃ。
関東人は自爆が好きじゃのう。
>>102 大物垂れよんは、マルクス史観で東国武士を美化する関東の連中であろう。
平安期の奴隷制から鎌倉の封建制へじゃことの。奴隷市場で売り飛ばされた
関東人はどうなるんかいのう。奴隷制はその後もずっとじゃに。
左翼史観じゃ英雄の坂東武士を美化し、発展段階説に無理やり当てはめる
ことに熱心じゃけんのう。
106 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 01:56:29 ID:smNaFuHO
>>94 >倭人は黄海沿岸の漁労民じゃ云うとるんで。
何これ。どういう根拠だ。
107 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 02:46:01 ID:smNaFuHO
>>88 井上秀雄氏は「三世紀でも中国の知識人は倭人の確実な居住地は南朝鮮だと
考えており、『魏志』倭人伝は珍しい記事として、当時の人たちの好奇心を
そそったにすぎない。倭が日本列島をさすようになるのは五世紀以後の
ことで、倭国は北九州狗奴国(福岡地方)を指していたようである。
厳密にいえば、中国では大和朝廷を、「倭」と呼ばず「日本」と呼んで
いる。すくなくとも七世紀の中頃までは倭を新羅の地続きの任那地方と
考えていた。」
キチガイだな。
壱岐対馬を通って行ってるじゃん。
「漢書」のころから、「東南海中」なんだが。
「日本」は新唐書からね。
108 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 21:28:30 ID:NFmWW4gg
>>103 この人たちが、実は 騎馬民族の後裔だったのだということがよく解ってくるのです
根拠は?
それと、見事な乗馬技術を持つ公家が東に来てそれが鎌倉武士になった。
しかし彼らは乗馬技術が低かった。。。。。。。
人間って東へ移動すると馬の乗り方忘れちゃうんスか?
>>104は関東⇒ひなびたる武士(『方丈記』)
農耕民の畿内西国。宮中においては牛車なんて女の乗り物だったわけでw
>>108 常一に根拠なんてないよ。全て架空の想像w
『古事談』にも落馬する平安貴族の御曹司が出てくるしね。
今時、騎馬民族征服説なんてアレだし、藤原氏自体が『大鏡』では常陸出自と書かれてる。まして騎馬民族などありえん。
そもそも騎馬民族が列島に進出したのなら、畿内に騎馬文化が乏しく、信濃や上野に馬関係の遺物が多い理由も出来ないよね。
平安期の馬でも東北・関東・甲信は評価が高いが、畿内各国は国内でも最低レベル。
律令制下の貴族子弟(内舎人)に必要とされるのは、やはり見た目の美しさであって、弓馬に堪能な者は地方出身者に求められた。
DQNで乱暴者の王朝貴族はいた。ただ連中は武勇の輩などではなく、所詮はお坊ちゃん。
110 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 23:05:31 ID:CPJLIaf9
しかし散々論破され尽くした最高電波・宮本常一(民俗学者)とはな。usiにはがっかりだぜ。
>>105 退却を恥じる風潮は、日本人全体としての問題だろ。京都貴族は遊牧民か?w
『続日本紀』、大宰府の上言、「安からぬこと」の一つ。
東国の防人を罷(や)めしより、辺戍(へんじゅう)日に荒散せり。
如(も)し慮(おも)はぬ表(ほか)に、万一変有らば何を以(もち)てか卒に応へ、何を以てか威を示さむ。
安からぬことの二なり。
111 :
白馬性牛:2007/09/11(火) 01:25:32 ID:yaah4kzQ
今根拠を調べとるけぇ。まっとれや
嫌韓厨のネットウヨ共論破してやるけぇの ブヒブヒ
112 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 08:09:15 ID:VJjiQvWC
いんたーねっとでみたw
根拠が後かよ、まるで(ry
113 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 18:02:40 ID:R4GTVKCK
>越から高句麗は信濃、新羅は北関東へ侵出したんじゃろう。
(=゚ω゚) 新羅とか渤海とか大和の朝貢国じゃん。
海外遠征なんてしてたら自分の国が滅ぼされると思うがね。
ふつう勾玉は輸入後、再加工されると思うが。
>111
(=゚ω゚) きっ・・・きさま、偽物だな!!
本物の牛はオイラたちを嫌韓厨のネットウヨなどとは本気で思っていない!
>(=゚ω゚)
師団スレはトリ付いてるね。
115 :
白馬青牛:2007/09/11(火) 22:23:50 ID:PIeYYltD
連投がえっと(沢山)じゃのう。まず坂東蛙君からにしょうか。
>>100の補足じゃが、古墳期の鞍は前輪・後輪が立ったモンゴル式の
鞍じゃ。朝青龍の問題で、TVにモンゴルの乗馬の映像が出とるが
現在でも鞍が狭い。モンゴル人は時代遅れか?
肥前風土記など民間にも一時期騎馬習俗があったが、騎乗する人は
貴人(うまひと)という概念もあり、現在でも騎馬で狩猟する地域は
日本にゃあないど。
>>104宮本常一氏の「暮らしの形と美」1981年、
じゃが、『塩の道』に収められとるよ。まあ、坂東蛙君は、明治の学者
久米邦武氏や高橋昌明氏など、坂東武士が弱いとする人達は、
全部電波じゃ架空じゃ根拠ものう貶すけんのう。ほいで、
>>109今度は
戦国期水軍で鳴らした龍造寺氏の末裔である江上波夫氏もリストに加えた
んか?見た目と弓馬堪能さはどう違うんか?牛車文化を軽蔑するんなら
モンゴルへ行って蛙君自身の騎馬技術を披露すりゃあええことでえ。
ほいで蛙君は、真っ直ぐに馬を走らせることが出来るんか?どうかいのう?
116 :
白馬青牛:2007/09/11(火) 23:29:43 ID:PIeYYltD
>>106-107 井上秀雄氏がキチガイ?また井上氏の引用したろう。「『漢書』<地理志>
の「楽浪海中に倭人あり」仮に平壌に郡地があった楽浪郡から考えて
いただきますと、その海中に倭人がいるわけで、北側なのか南側なのか
さえ指示していないのです。漢人が船で行く地域を海中にあり、ですから
朝鮮半島自体でもよいわけです。『後漢書』によりますと「奴国は倭国の
極南海なり」一番南の端であると書いてあります。倭種族諸国の極南界の
国だと思った人がいたということです。日本史学界の定説はやはり
突飛な思い付き以上の価値をもたないものだと思います。『宋書』の
倭国伝で倭の五王を『記紀』の天皇に当てようと努力されてますが、
その気持ちは兎も角として、史料の性格に応じた解釈とはいえない。
正式な国書ですから、記載された五王の王名は、何らかの形で必ず残って
いるものです。ところが、『日本書紀』など日本側の史料には、五王の
名前が全く出て来ません。文献上でいえば手も足も出ないはずですが、
日本の学界では、動かし難い史実ということになっています。
歴史書は政治書の片われです。「おれは非科学的な『日本書紀』なんて」
とおっしゃることは自由ですが、外国史をやっている人間から見ると
日本古代史は『日本書紀』にひきずられています。」
と、日本史学界への皮肉は面白い。
ほいでのう、「日本」は『旧唐書』からじゃし、『旧唐書』には、倭人伝と
日本伝の両者がある。
117 :
白馬青牛:2007/09/12(水) 00:08:06 ID:eAw4moYJ
>>106-107 倭人考じゃったのう。三上次男氏は、満洲の考古学的考察から倭人は
濊(穢・ワイ)と同質の北東アジアの水辺居住民に対する総称的な
名称ではないかとされる。
松本清張氏は、穢も倭も漢語weiで、不耐濊(ワイ)の邪頭昧が、
出雲となったと、山陰や広島県にある四隅突出墳が注目される以前に、
云われた推理力には感心する。井の中の蛙の日本史学界の学者より
余程上じゃのう。倭人江南的要素を重視される江上波夫氏は、三上氏の
倭人=穢人説には、列島倭人の稲作の問題が解決されてないと批判的で
あるが、弥生文化の金属文化の満鮮的要素、倭人に穢人の血液がが
相当濃厚に混入した面では同意される。
わしは、日本列島と限定すれば稲作の問題も出て来るが、『後漢書』
鮮卑伝にあるよう、倭人の範囲は広く、列島の倭人も含め漁労民として
描いとるゆえ、三上説に近い。
118 :
白馬青牛:2007/09/12(水) 01:13:56 ID:eAw4moYJ
>>108 江上氏の騎馬民族説に一定の距離を置く水野祐氏は、戦前から唱えられた
「日本民族の形成・主流は鳥居龍蔵氏の「固有日本人」説(国津神系・
ツングース)西村真次氏の「原日本人」説、いずれも日本人の基本人種は
南ツングース族で、私自身も日本民族の主流をなす人種の要素の中に
南ツングース族の系統、いいかえれば騎馬民族の血液が濃厚に混じって
おると考えています。」とされながら日本の騎馬民要素の欠如を云われる。
古代の文献で騎馬戦を提案したんは、渡来系の田辺史だけで、中世の
戦闘も、馬から落ちて組み討ちし、近代でも「私の父は第七師団、旭川の
騎兵隊で、乃木軍で旅順、奉天と戦ったのですが、いつも兎に角日本の
騎兵は弱いんだといって、ロシアのコザック騎兵には絶対かなわない。
逃げた話ばかり聞かされていました。」水野氏ご自身も、独立守備隊の
従軍経験で、隊が騎馬隊を編成し、敵に包囲殲滅された経験から
「落馬する兵、馬を逃がす兵、もう混乱しちゃって、敵の一斉射撃で
全滅し、二度と騎馬隊はつくられませんでした。なにしろ向こうの騎馬の
連中は、裸馬のようなものにまたがり、後ろ向いて銃を構えて正確に
射って来るのです。小銃で。日本の騎兵はあんなこと出来ないです。
あんなものには絶対かなわないと思ってみていたのです。」
宮本氏は、家畜飼育の文化複合要素(馬・車・犂)から、欠落部分が多い
東国は、家畜飼育文化に乏しい云うこと。モンゴルや高句麗のこれらセット
になっとるが、西日本と違い、東日本は複合セットになっとらん。
>>111はわしの偽者じゃのう。
>>113は、日本側の史料で朝貢としても、
小西行長が、明の使者を秀吉に明側の朝貢使節と工作したようなもんで、
渤海や新羅側の史料にないものを自慰しても意味はない。
>>114偽者が
ようけ書くけんのう。
>>115 また戯言をw
木質素材を創意工夫した日本馬具(近世以前)と、現代の軽量な馬具を比較してどうすんだろ?
古墳期の鞍かwモンゴルと違うと思うが。
後輪(しずわ)の傾斜とともに馬上の運動性UP。唐鞍にも傾斜はあるけど?
重量のある甲冑に耐える頑丈な造りの鞍は、武士社会のいわゆる軍陣鞍。
室町期、東国発祥の馬術・大坪流が実戦的な軍陣鞍で、伊勢流などは水干鞍だな。
馬上戦闘と下馬戦闘主流。当時の東西の状況も見えるな。
で、実戦から離れた近世は重厚な軍陣鞍は廃れ、水干鞍全盛になるが。
古墳期から馬文化は関東甲信や九州が優越であった事実を無視か。都合が悪いから?
リスト?騎馬民族説はともかく、江上批判はしてないけど?
根拠も無い明治期の学者、旧佐賀藩士の久米は反徳川・関東の立場で否定してるんじゃん。
久米史観に対して京都大の上横手氏が批判してるが(2001年)、あれは高橋氏に対する批判か。
高橋氏は研究者多数から叩かれて、今じゃ意気消沈でダンマリか。
俺なんかよりもさ〜。
研究者のくせしてろくに馬のことも調べず、電波本を世に出したサラブ厨の川合とかあれだし( ´,_ゝ`)
強い弱い判断するにも、高橋氏や川合って運動能力を置き忘れて来たようなイメージの人なんだが。
この分野じゃ、元陸上部で怪力の近藤氏だろ(`・ω・´)
>>118 水野氏は将門らを見落としてるし、東北の英雄アテルイもな。
騎馬民族支持者・宮本の東西比較は感情入り過ぎで通説からそれまくりじゃんw
まあ西牛東馬など、宮本は嘘つきだな・・・
121 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 10:40:17 ID:/nnF8VNb
>>120 >東北の英雄アテルイ
出崎監督のアニメ版、みた。面白かった。
122 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 13:59:18 ID:Bsf9FqvF
アテルイが英雄ねぇ…
岩手出身の俺でもそんな風には思えないな
123 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 19:20:22 ID:Y5MR9nv7
(=゚ω゚) 阿弖流為や将門は祟り神としての英雄だろうね。
政治が廃れ世が乱れると怖い神様が天罰を為政者に下す。それに民衆は拍手喝采したわけだ。
古くは天神様から九郎義経。真田幸村、水戸黄門や赤穂浪士もこの系統ではなかろうか?
逆に世の治安を求めて金太郎(源氏)や桃太郎といった鬼退治がもてはやされる時代もあったとか。
>日本側の史料で朝貢としても〜渤海や新羅側の史料にないものを自慰しても意味はない
(=゚ω゚) 渤海や新羅には無いが中国には倭の方が大国だったって有るよ。
遣唐使の席順も大和の方が上位だしね。はい、ごくろうさん。
【 隋書 倭国伝 】
新羅、百濟皆以倭為大國,多珍物,並敬仰之,恒通使往來
「新羅・百済は、みな倭をもって大国にして、珍物多しとなし、
ならびにこれを敬仰して、常に使いを通じて往来す」。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm
124 :
白馬性牛:2007/09/12(水) 20:22:16 ID:1/vFIrXs
>>118 だから騎馬民族が日本へ大移動したっていう根拠は何なんスか?
>いいかえれば騎馬民族の血液が濃厚に混じって おると考えています。
血はちゃんと調べたのかな。脳内ソースは根拠じゃなく妄想。
近代の戦闘例を出し、古代の東西比較で東は乗馬ヘタというおまいさんの
時空を超えた論には感心したが、西日本の騎馬隊ならコザックのような芸当
できたのかい?
>>121>>122 アテルイは日本史上最初の本格的戦術家かもしれぬ。
>(=゚ω゚)
『新人国記』によると、常陸国は盗賊ランドらしい(メ゚ω゚)
殺戮ランド坂東でも本場中の本場・相模「当方滅亡」。上杉DQN。。。
>>124 蒙古人はA型とO型、ツングースB型、そして西日本はA型。
薄手の鞍具で、下馬戦闘。
126 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 22:09:46 ID:GwrYC23W
訂正:蒙古人はB型32%とO型32%(A23%)
127 :
白馬青牛:2007/09/12(水) 22:28:21 ID:eAw4moYJ
>>119 坂東蛙君は、だいぶ火病を起こしとるのう。
前輪、後輪の間隔の狭い鞍は、共通しとるし、唐鞍云うても唐は、北朝で
鮮卑系王朝じゃないか。じゃが、敦煌壁画の鮮卑系北魏の重装騎兵を
見るに、馬甲を着けても、鞍を着けとらんようじゃ。騎馬民族なら
騎乗上手で鞍は重視しとらんのじゃろう。古墳期から東国や九州南部で
馬を生産しても、献上され調教するんは、河内の渡来系じゃ。
江上波夫氏の牧民的性格が「日本では、だいたい線を引くと、静岡県の
半分ぐらいから、富山県ぐらいまでなんだよ。(フォッサ・マグナの
東西線のこと。)それから西と、特に畿内から瀬戸内なんだ。」
と云われたことへの反発か思うたわい。
久米氏や高橋氏を批判した学者は関東じゃあ英雄になるんか。
高橋氏を職能的武士論者で歴史修正主義者、(つまりネットヨウ扱いか)
と批判したんは、広島大の下向井氏らはじめ関東流マルクス左翼史観の
影響の強い人達じゃないか。
ほう、あんた馬のことに詳しいんか。運動能力云々なら
>>115で云うた
よう、蛙君は馬を真っ直ぐに走らせることが出来るんか?
陸上部に所属したらう騎乗技術が向上するんか?その相関性を伺いたい。
128 :
白馬青牛:2007/09/12(水) 23:33:58 ID:eAw4moYJ
>>120 水野氏の父は旭川の騎兵で、関東兵が苦戦したアテルイ兵と近い地域の
編成で、ロシアのコサック騎兵とレヴェルが違い全然勝てんかったん
じゃが。
>>124の質問じゃが、西日本でも当然騎兵じゃあコザック騎兵に
勝てんよ。コサック騎兵の師匠は、トルコ系カザフ遊牧民じゃけんのう。
カザフ人は、水野氏の独立守備兵が騎馬戦でやられたモンゴル人以上じゃ。
鈍重なモンゴル人は、知謀に優れ、快活な性格のカザフ人に戦闘力じゃあ
対抗出来ん。青海地方のモンゴル人は略奪され馬歩芳に頼った。
戦時中日本のスパイとして潜行した西川一三氏によると、馬歩芳
(青海省国民党軍、回族で、後に台湾に亡命し、中華民国のサウジ・
アラビア大使となる。)軍に参加しカザフ人討伐に参加したモンゴル人が、
「ハサク(カザフ)の奴、老幼婦女子を先頭に逃がして、男達がこれを
守りながら脱出しているのを追撃するのだが、馬術、射撃上手、精悍な
彼等には、さんざん手を焼いた。馬だけかと思うと、馬の横腹に隠れて
走って発砲して来る。馬を倒すと、後ろから近ずいた味方の馬にヒラリと
飛び乗り、ふたり乗りで逃げる。先駈けした五、六騎が思わぬ方向から
死物狂いで襲いかかって来ては走って行き、婦女子の団体に近ずくと
倒れた馬を盾として、ひとりのハサクが犠牲となって残り、死ぬまで発砲
して、私達の追撃をひとりでくいとめ、逃げて行く一行を私達から遠ざけ
ながら死んでいく。また前の一行に近ずくと、ひとりが犠牲の盾となる。
銃声の音がしなくなり、近ずいてみると、彼の体は蜂の巣のように射ぬかれ
ていて、実に勇敢というか恐ろしい奴だよ。さらに男だけでなくハサクの
女も、実にしぶとく抵抗して、奴等は人間ではないよ。としきりに
彼等の勇敢さを恐れると共に、彼等の勇敢さを讃えていた。」
129 :
白馬青牛:2007/09/13(木) 00:31:29 ID:JQ2b0DF0
>>120 カザフ人の戦闘
>>128の、これこそ、ほんまの騎馬戦の見本じゃが、
騎馬下手の日本人にゃあ真似出来ん。宮本氏の西牛東馬は、
農耕使用のこと。東日本の馬農耕使用は、馬は騎乗用で牛は車に引かせたり
農耕等力仕事に使用する北アジアの牧畜民には考えられん使用法じゃろう。
>>123 遣唐使の席順で、日本を上位にした云うんも『続日本紀』754年の
日本側の史料だけで自慰してもつまらんど。ご苦労なことよのう。
『隋書』の珍物が多いことから大國云うだけで、九州地方が実力的に
大國じゃったと判断出来まい。『隋書』は、井上秀雄氏が、「阿蘇山の
ことは書いてありますが、難波のことはちっとも書いてない」「日の出ずる
ところの天子云々も(日本史家は、)聖徳太子だといわれるわけですけど
『日本書紀』には出てまいりません」と指摘された通り、日本史家の
飛躍妄想が読み取れる書じゃ。ただし、『隋書』は北方民族要素の
同姓不婚や花嫁が火を跨いで夫の家に入る習俗が出とる。
この現象は江上氏の騎馬民族説やアメリカ人学者のレットヤード氏の
夫餘系の日本征服説に有利になるのう。
>>120は東馬西牛を認めない宮本と書こうとしたのだが、宮本も東=馬、西=牛と書いてるよう棚。
>>127 唐鞍と現代の鞍が同じだと言いたいのか?わけわからん。
軍陣(大和)鞍>移鞍>唐鞍 乗り難く、ピカリ元輔さんも落馬(宇治)。
畿内、河内国の牧は小規模な馬牧(森浩一氏)
更に、畿内の馬牧は西暦800年前後に耕地化されて消滅してる。
調教含めて地方の牧で行うわけで、畿内の近都牧は京へ送るまでの一時的な預かり所的な存在だな。
神戸系の職能論は左翼。高橋氏も左翼思想。
下向井氏は国衙軍制論。
近藤氏は現役アスリートとしての知識を研究に活かしてる訳で。
実戦と狩猟を全く考慮しなかった高橋氏は論外。
俺が経験から語れるのは野球だけだが、それが何か?
119の前半部分は至極当たり前に言われてる事なんだがな。
広島何たら師団最強とか断言するusiへ逆に聞くが、戦争体験者なのか?
川合康は鎌倉時代の馬を実際に見たのか?
宮本は落ちる鎌倉武士とやらを何から想像したのか?
つか、usiの合格ラインじゃ軍事史の研究など消滅する罠w
>>129 東日本=畑=馬=騎乗 西日本=田=牛
千葉県の馬乗り馬頭観音
131 :
白馬青牛:2007/09/13(木) 00:59:45 ID:JQ2b0DF0
>>124 人類学板のチベット、スレ等、他板でわしが再三指摘したことじゃが、
あんた他板は読んどらんのか?
形質人類学的にも、日本、特に西日本は北方新モンゴロイド形質が強く、
DNAやHLAでも日本人は北方系で縄文人よりも、渡来系の方が主流
じゃ。
>>125の蛙君は、血液型ならA型の多いドイツ人と日本人は
同族になるわい。白々しいトリックを使うとるが、蛙君の論に困ったら
引きこもって毎度井の中の蛙となる関東人的性質じゃけえ仕方ないよ。
そのやり口は、日本人全体が姑息な手段を使う民族と誤解されるゆえ
肯定せんが。蛙君は、藤原氏の祖先も関東人、人類の祖先も関東人に
したいんかのう。脳内ソースならわしじゃのうて、蛙君に云いんさい。
132 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 01:11:50 ID:In3BTDL3
>>131 おいおい酷い罵倒だな(´・ω・`)
血液型のデータは『NHK歴史への招待』水野祐氏(早大)の引用からパクったものだが
反江上説の水野祐(馬の少ない地域・畿内を占拠した不都合、なぜ東の馬産地を占拠しなかったのか?)
河内や山城の牧 中心をなしていたのは百済系の馬文化(森浩一1977)
134 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 20:43:07 ID:MYgxdtm8
そういえば牛他板で渡来系が日本を征服した証拠出してみろといわれ
逆に無い証拠出せって答えてなかったか?
135 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 21:29:34 ID:6gjJIB74
朝鮮人の言いそうな事だよ
136 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 22:04:15 ID:hzh7mw6E
>敦煌壁画の鮮卑系北魏の重装騎兵を見るに、馬甲を着けても鞍を着けとらんようじゃ。
>騎馬民族なら騎乗上手で鞍は重視しとらんのじゃろう。
(=゚ω゚) ちゃうちゃう、武装と戦術のの性質が違う。
古代以来の伝統和弓では鞍や鐙無しでは弓が膝にぶつかるのじゃ。弓の在り所は膝と鞍の間。
結果、ガニ股に馬の腹を抱えられる形になるわけだ。
>>119 (=゚ω゚) ほう、詳しいね。大坪流は伝系上は小笠原流から出た事になるのだが
源流は鹿島流だな。大坪慶秀の生国は甲斐か信濃ではないかと言われる。
若年より上野〜鹿島付近に住み、鹿嶋神宮にて神託を受けたとか
>古墳期から馬文化は関東甲信や九州が優越であった
(=゚ω゚) 中世より九州では佐賀の鏡山修験の馬市など山伏の馬牧も盛んだったようだ。
島原の乱にも阿蘇の修験が参加したらしいので軍事力でも有っただろう。
137 :
人間七七四年:2007/09/13(木) 22:13:41 ID:OVv1vzxc
で、どこが最強なのよ
武田上杉徳川島津が有力なんでしょ
138 :
白馬青牛:2007/09/14(金) 00:00:42 ID:Cw0/zPVY
>>130 じゃけえ、宮本氏は農耕利用における西日本=牛、東日本=馬と云われる
んで。下向井氏が「職能人論に立つ武士論は、今日、通説破壊=歴史修正
主義の急先鋒を進んでいる」に対し、高橋氏は「偏った国益論の横行や
戦争肯定、戦争への協力を当然とする現今の風潮にたいし、それらを容認
しない声をあげるところにある。」とされとる。歴史考察としては
国衙論者の方が教条的左翼じゃないか。関東人は、あんたにしても、顔に
しても、「つくる会」の元共産党の藤岡氏やドイツ拡張思想の西尾氏、
ネットウヨ同様、自民族発展段階説のマルクス史観の延長じゃ。
東西冷戦崩壊以降、教条的マルクス主義者は、国粋主義に転向したもんも
えっとじゃけえのう。両者は自民族優先主義や全体主義云う面で共通項が
あるわい。共産主義から国家社会主義へ転向した処で大して変わらん。
近藤氏は武器オタクじゃが、陸上しとったんが、何の参考になるんか?
実戦や狩猟云々なら民俗学的考察もいるし、他民族の戦闘や狩猟文化を
無視したら井の中の蛙になるわい。ワレは、当たり前じゃ、定説じゃ
カルト宗教集団信者みたいな空虚な言葉を羅列しとるだけじゃ。
わしが、戦争体験者のわけあるまい。戦争体験者の話を聞いた世代じゃ。
わしの合格ラインたァ何なら?軍事史の研究など消滅する云うんは
どがあな意味でか?戦闘体験者の話を聞いたもんとして、わしゃあ他板
でも前線で闘うた将兵の言こそ真実じゃ云うとるんで。
139 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 00:15:30 ID:PGRYu6M4
そんで広島の兵隊さん達がワシらは最強じゃったけぇのうと言ってたわけね
>>134 usiはどこまでもusiであり続ける
>>136(=゚ω゚)
ガニ股世界選手権とかあったら日本強そうだw
流祖・大坪慶秀の経歴は謎に包まれているらしい。江戸中期の『本朝武芸小伝』によると「上総人也」。
大坪流は鹿島から京へ出て、鹿島流から大坪流へ名を改めたというが、
関東の馬術流派だと八条流や人見流(常陸国太田)とか。
北条氏照旧臣で徳川幕臣(3000石)の中山照守(丹党・埼玉飯能)は八条流の系統。
子息3人も将軍家へ馬術指南する名人だったらしい。
彦根藩の馬役の神尾吉久という人は奥州出身(父は伊達家臣)だそう。
>>137 先進性、組織力の尾張織田を推しとくが
信長が小田氏治と一騎打ちしたら、あっさり首が飛びそうだけど、個人的武勇でどうこう出来る時代じゃないしね。
>>138 高橋氏風の解釈→氏真は蹴鞠名人だから、サッカーも名人だな。静岡だし(ry
141 :
白馬青牛:2007/09/14(金) 00:44:54 ID:Cw0/zPVY
>>132-133 どこが酷い罵倒なら。多面的要素から考察せんで、四つしかない血液型
だけで、人種分類が出来るわけあるまい。
水野氏は、東国の方が馬の遺体の出土例が濃厚とされるが、東国が
騎馬に巧みとは云うておられん。森氏は畿内では、百済系の河内湖等
川原での馬飼育、東国では高句麗系の台地や山麓の馬飼育とされる。
水野氏の唯一の騎馬戦の、渡来系田辺史も河内じゃし、甲斐、山梨県人の
五味文彦氏も、武士の起こりで、「721年の詔に「文人・武士は天下の
重んずる所」武士とは武官と同義に使われ朝廷に武芸をもって仕える
「帯仗の者」というほどの意味であった。
これら武士の供給源は、京都周辺の豪族、なかでも河内・摂津国の豪族で
あった。」と。
まあ、坂東は古代は奴隷兵、中世でセミプロ武士で、武士の本場の河内・
摂津の源氏に隷属した「奴僕のごとし」の坂東者連中たァ、違うわいのう。
>>141 水野氏は西国が騎馬に巧みとは云うておられん。
森さんは馬牧の大きさにも言及してるんだがな。
田辺史?東国の戦で騎馬の夜襲など腐るほどあるわ。
西国は一に九州、二に九州。
あのなあ、五味氏だって武官と武士の区別は付けてるぜ。
武官が形骸化して役に立たないから、地方出身のツワモノ=武者=武士登場となる。
その区別がつかないお馬鹿さんが川合とか野口。
高橋氏のセミプロ談義だと、頼朝挙兵周辺の数百騎を指すらしい。
佐々木、佐奈田、大庭、中村、土肥らがセミプロ?全く馬鹿らしい
143 :
白馬青牛:2007/09/14(金) 01:26:20 ID:Cw0/zPVY
>>134 「悪魔の証明」云うんは証拠がない云う方が証明せにゃあいけん云うたん
でえ。ネットウヨは馬鹿じゃけえ、「悪魔の証明」の意味をはき違えとる
云うて指摘しただけじゃ。歴史に完璧な証明など出来るわけあるまい。
わしゃあ、確率論から列島支配者は古墳時代の渡来系>弥生時代の渡来系>
縄文以来の土着民じゃ云うとる。
>>135 嫌韓厨ネットウヨは他に云うこと無いんか。まあ馬鹿じゃけえ仕方ないか。
>>136 騎乗するもんが、ガニ股になるんは当たり前のことじゃないか。
モンゴル人もそうじゃろう。モンゴル人は鞍から尻を浮かせて
乗ったら馬も疲れんし、騎乗する者も上下、左右に揺れずに走れるし、
正確に騎射出来る。必ずしも鞍や鐙を着けた状況で敵が襲うて来るわけ
じゃないし、裸馬でも射ることが出来んようじゃあ、和弓は実戦的では
無い云うことか?
>>137 強弱よりも、人身売買、残忍度日本一選手権じゃあ有力じゃろう。
>>139 広島に限らず、精強を誇る地域部隊も多いが、実績から広島じゃのう。
144 :
白馬青牛:2007/09/14(金) 02:03:37 ID:Cw0/zPVY
>>142 騎馬民族は一般的に夜襲はせんよ。パルティア(安息)も匈奴も
のう。水野氏はそのご存知じゃなかったようじゃ。田辺史の提案に
反対した近江朝中枢の人達の方が逆に騎馬民族的云う結果になる。
五味氏は、狩猟・漁労の山海の民が兵の源流とも云われ、まあ相模や安房
なんか漁民系じゃろう。後の西国の悪党や薩摩の野郎も山海の民じゃ。
武士の定義の仕方にもよるが、武士が元来武官じゃろう。
兵も職能的な者、奴隷として兵となった者は同一じゃあるまい。
「ツワモノの道、降人をなだむる」を知らん惨酷な坂東人がツワモノを
語るんも可笑しげなことよのう。惨酷な板東人は、武士道を知らん、
亜流武士の地に過ぎん。
145 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 19:18:42 ID:X5nCvS6d
>721年の詔に〜これら武士の供給源は、京都周辺の豪族、なかでも河内・摂津国の豪族であった
(=゚ω゚) 奈良時代?なにげに防人を無視してるのは気のせいか?
>騎乗するもんが、ガニ股になるんは当たり前のことじゃないか。
(=゚ω゚) 海外の馬術は基本的に馬体に密着する。特に膝は馬体を挟み込むようにする。
競馬を見ればわかるだろ。立ち透かしが基本なんて和式ぐらいだよ。
>裸馬でも射ることが出来んようじゃあ、和弓は実戦的では無い云うことか?
(=゚ω゚) モンゴルには鞍は無いのか? そもそも元寇は防塁と弓矢で防いだのだが?
イングランド長弓の例も有るように有効な兵器だよ。
>>140 (=゚ω゚) ほう、さすがに良い資料を持っちょるのう。
八條房繁は武州埼玉郡八條の上杉氏だったらしい。
幕臣は中山照守(加治勘解由)の系統。伊達家は八條流一色だったそうな。
小田氏治は小田機変流(応変流)だな。
鎌倉中條家に学び小田孝朝が完成させた。最も古い時代に成立した流派だと言われる。
小田応変流は江戸時代まで残っていたらしいのだが・・・残念。
146 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 21:30:12 ID:PGRYu6M4
>>143 同じ事言って色んな人からツッこまれていたな。
・証拠が無いから無いといっている
・無いという証明は出来ない。証明するものが何もない。だがそれでなぜ有る
ということになる?
・証拠が有るならさっさと言え。お前が有るという証明すればそれで済む話だ
こんな感じだったかと。まあ牛は「アホ共は同じことばっか云いよるのぅ」みたいな
返答しかしてなかったな。
やっとまともな返答返って来たと思ったら確率ね。何の確率だよ
人口比率で多い方が支配層ってことかい?
147 :
白馬青牛:2007/09/15(土) 00:33:10 ID:V0D0Wl3l
>>145 聖武天皇の騎馬護衛兵が、東西史氏や秦氏などであったが、蝦夷や
隼人などの在来民は、番犬扱いで人間と犬の中間ぐらいの扱いじゃろう。
防人も征服地の東国奴隷兵で、征服地の連中を味方につけ兵に採用するんは
、どこの帝国でもやっとることじゃ。
海外の馬術云うてどこの馬術なんか?日本と海外云う区分じゃあ解らん。
西洋は極端な重装騎兵の影響で、モンゴルと違い、尻を着けるじゃろう。
前輪・後輪の間隔が狭い蒙古式鞍で、モンゴルも鞍はあるゆうとるじゃ
ないか。わりゃあ、耳が顔から離れとるんか。蛙にしても関東人は
しばらくしたら同じ言を繰り返す癖があるが、その点ネットウヨと
同じじゃのう。関東人は本質的に共産主義者ゆえか。
>>146 同じ事云うとるんは低脳ネットウヨの方で。突っ込んで云うたんはわしの方
で、「悪魔の証明」は無い云う方が、無い云う証拠を提示することじゃ云う
たら、有る云う方が証明せいとの繰り返しで論理も糞もない幼稚園児じゃ。
その幼稚園児らに担がれて馬鹿げなこと云うたYAP?氏も可笑しげな
こと抜かしょったのう。まあワレも同類じゃろう。
わしゃあ、人類学、神話学、民族学等様々な考察から確率上云うたん
じゃが。ネットウヨらは、何通りでも解釈出来る文献に逃げる。
しかもその文献云うんも『日本書紀』が根拠じゃけえあきれるわい。
まあ、考古学者でも『日本書紀』に結びつけるよう出土品を扱う日本の
学者のレヴェルを考えると洗脳されたネットウヨを一方的に批判出来んが、
倭人は日本人と前提条件をつける自体で、ああ馬鹿じゃのう思うで。普通。
148 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 04:42:26 ID:ym8ROHUv
>>147 人類学、神話学、民族学等のどの部分でそう思ったんか具体的にいえよ。
それに確率上って事は自分でも確信が持てないんだろ?考察=自分の妄想
みたいなもんでそれこそ何とでも言えるw己のみそう思ってんなら構わんけど
それを歴史の事実みたいに語るのは良くないよ。己が満足するソースが無ければ
考察で無理やり事実とするなんてホンマ韓国人やなw
妄想爺さん妄想自慰ばっかしてちゃダメよ。
>>147 >聖武天皇の騎馬護衛兵が、東西史氏や秦氏などであったが
ワロスわろすワロス[^w^]
授刀舎人=東舎人=騎舎人
聖武が孝謙に授けた東人とは授刀舎人のことだ。後の近衛府官人の前身。
↓
▽騎兵の坂東人(授刀舎人)
この東人は常にいわく 額に箭(矢)は立つとも 背に箭(矢)は立てじ。(『続日本紀』)
150 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 09:31:38 ID:AOuTKWn+
>西洋は極端な重装騎兵の影響で、モンゴルと違い、尻を着けるじゃろう。
(=゚ω゚) 膝の話をしちょるのに尻の話しかいな。わりゃあ、耳が顔から離れとるんか。
尻を浮かすのは襲歩や速歩の時じゃないがか?
西洋馬術でも鞍にべったり座ったりはせんぞ。
競馬のモンキースタイルでも尻を浮かすが立ち透かしとは根本的に違うべな。
蒙古人はあくまで馬は道具の一種と考えるので一頭の馬を重用する日本騎兵とは
おのずと戦術が違ってくるべな
151 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 10:56:43 ID:AOuTKWn+
>>144 和田城合戦
多賀右兵衛尉、ただ一騎にてしんがりを務め、大槍をひっさげ山の曲がり角にて北条勢300を迎え撃つ
馬上7,8騎。徒数十人を叩き伏せ、その武威に北条勢の足は止まったという。
北条方、山中左衛門尉と伊達与兵衛が左右に詰め寄り同時に矢を放つ
左から射た山中の矢は外れ、伊達の矢は脇腹を突き抜けた。
外した山中は同僚達に笑われたという。
さて戦功の恩賞が与えられた。一番の賞は敵を一撃で射殺した伊達与兵衛。
第二の賞は山中だった。他の武士から意義を申し立てられたが北条氏康が言うには
「山中は強敵の射向いより雌雄を決しての振る舞い。同時に詰め寄ったのが幸いしたのだ」とした。
近習外様の面々はこの粋な仕置きを聞き「山中を嘲ったは心得違いであったか」と反省したそうな
めだたしめでたし。
(=゚ω゚) こーゆーのが戦国東国の弓馬の道だったのではないか?
152 :
白馬青牛:2007/09/16(日) 01:31:27 ID:cfkKPtqA
153 :
白馬青牛:2007/09/16(日) 02:24:56 ID:cfkKPtqA
>>149 また、コピーか。騎馬戦闘は敵から逃げて、誘い込んで包囲殲滅すること
じゃに。
>>150 西洋馬術でもイベリア(スペイン)式とブリティッシュ(英国)式は
違うし、まあ、日本で普及しとるんは、英国式の腰を上下させるやつ
じゃが、新大陸のウェスタン式の方が尻を着けとるのう。
モンゴル式の背筋は真っ直ぐから若干やや反らしぎみで、膝を締める。
(鐙がない場合も膝を締めんことにゃあ、ええ具合になるまい)
モンゴル式の「立ち乗り」と「立ち透かし」の違いは何か?
モンゴルの少年競馬で何頭も死ぬけえ、道具じゃ思うんじゃろう。
じゃが、自分の愛馬は大切にするもんじゃ。こんなあ、モンゴル人に
失礼な言い方するわい。
>>151 狩猟じゃあ、鹿には初矢の(最初に当てた)者を第一の功として、
(鹿は傷に弱いゆえ行動力が落ちる。)猪には致命傷を与えた者を
第一の功とする。
まあ、伊達さんが、初矢で致命傷を与え射殺したけえ、何れにせよ、
第一の功になるが、狩猟で誰が獲物を取れるかどうかは、技量より運が
作用するけえ同僚が笑うんは可笑しいわい。兵の道にあらずじゃ。
当然、北条氏康さんが、云うんが正しいわい。
>>141 最も伝統ある武門は秀郷流藤原氏。
源氏にとって最重要な拠点でもないのに、河内・摂津って笑える。
>>145(=゚ω゚)
埼玉郡八條とは八潮市なのね。広島カープ大竹の地元か。
今川旧臣で旗本・加々爪氏も扇谷上杉の支流。こちらはDQN上杉の遺伝子を受け継いだものかw
八王子城の猛将が勘解由家範。その二子、勘解由照守と備前守信吉(水戸藩家老)
成田長泰も兵法家だっけか
>>150(=゚ω゚)
>鞍にべったり
随身の乗尻馬芸とか、ロデオボーイの南あきなとか
>>151(=゚ω゚)
北条五代記ですな
>>153 いや、事実だし。
聖武が授けた東人=授刀舎人=東舎人=騎舎人
155 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 14:16:48 ID:GP2Fv/7j
新ジャンル:ソースは他板
156 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 21:40:31 ID:kyxYgh57
>153
(=゚ω゚) 外国人労働者を使っている馬牧でもモンゴル人は馬の扱いが荒いのでお断りの
牧場も有るそうな。日本とモンゴルでは馬の価値観が違うからだろう。
日本でもウェスタンもぽちぽち居るみたいじゃぞ。もちろん『ソースは他板』じゃ!
昔は裸馬にもふつうに乗っておったし村で一人くらいは立ち乗り出来るヤツが居たと爺さんが
言ってたので単に慣れと体力の問題だろう。馬産地ならもっと多かったはずだ。
立ち透かしは馬体に触れずとも操作ができる乗馬術と言う事だろう(たぶん?)
和鐙は足全体で踏み込めるので乗手は馬体から身体を少し浮かせた状態で安定させることができる
鐙の上に立ち上がっているので馬の上下動に影響されないし踏ん張りが効く
つまり馬上で乗り手の重心や位置を移す事ができる。足や腰の向きを変えられる等だろう。たぶんなw
157 :
白馬青牛:2007/09/17(月) 00:21:19 ID:0J/PTHar
>>154 板東武士美化派の五味文彦氏まで批判する処、教条的石母田マルクス史観の
影響が強いのう。坂上氏が「家世々弓馬を事とし、馳射を善くす」と、
東国の奴隷兵を比較してものう。
『年中行事絵巻』の騎射も、腰を浮かせる「立ち乗り」。
ロデオは、暴れ馬に落とされる板東武士じゃ。
>>156 モンゴル人お断りとした牧場はどこか。『ソースは他板』たァどこなら。
わしゃあ、日本が渡来系主流じゃ云うたんは、『地理・人類学板』、
『民俗・神話学』蝦夷スレ、『日本史板』の騎馬民族の過去スレで
云うとるが、ワレのソースたァ何なら。おどりゃあ人をなめとるんか。
日本人の恥さらしが。つまらんこと云うたら日本人全体に恥をかかす
ことになるんど。後の文の(たぶん?)じゃ糞もあるか。
ほんま関東人だきゃあ、腹あ煮やしゃあがるわい。
158 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:58:11 ID:crV18SF1
つか、とっくに青牛のキャラ、みんな飽きてんだどうなんだろう。
青牛もそろそろ気付こう。論破されてることも。
159 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:58:21 ID:bkSjr5Vd
(=゚ω゚) だからふつうの立乗りじゃぁ馬体の影響が直接乗り手に伝わっちゃうし
ポジションが固定されちゃうだろ?
馬上での自由な重心移動や足腰の向きを自由に変えられるってどれほど重要なのかわかってるの?
http://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/bajyoubugei.htm >鐙は舌長鐙。近世の鐙に比べ踏込分の丸みが少なく立ったままの上体でも体勢を保ちやすい。
>絵からも、しっかりと鐙を踏みしめてその上に立ち上がっているのがお判りになるだろう。
>丸みの強い鐙は、馬を乗り回すには、簡単に乗り手の重心や位置を変えられて便利だが、
>立ち上がっても同じように簡単に重心が移動しやすい為、重量級の大鎧で騎射を頻繁に行っていたころに
>丸みの少ないこの形が好まれたのは納得できる。
160 :
白馬青牛:2007/09/18(火) 00:31:12 ID:pEPoi4Hs
161 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 00:54:08 ID:zVKb1/KY
青牛涙目wwwwwww
162 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 01:32:14 ID:Xyuh//n2
>160 >鐙に頼るほど、騎乗者のレヴェルが低かった云うことか。
>143 >必ずしも鞍や鐙を着けた状況で敵が襲うて来るわけじゃないし、
>裸馬でも射ることが出来んようじゃあ、和弓は実戦的では無い云うことか?
>153>モンゴル式の背筋は真っ直ぐから若干やや反らしぎみで、膝を締める。
=゚ω゚) じゃぁ反対に聞くけどぉー、裸馬で膝を締めて立ち乗りして組み討ちとか打ち物できると思う??
>160
>乗馬日記
>今回の旅行の表(?)の目的は乗馬。 『筆者は乗馬に関しては全くの素人だが』 旅行前に1度だけ
>乗馬クラブの『1日体験コース』に行ってみた。
=゚ω゚) へえ・・・・・・ まぁ次の情報に期待。
>ほいで、
>>156のモンゴル人お断りの牧場はどこなら。
=゚ω゚) 競走馬の育成牧場だよ。でも2ちゃん情報だぜ?
意地悪してるわけではないが、お前さんにスレッドを教えて良い物かどうか・・・すごく悩む。
あ、追伸。確認してみたら他国の外国人労働者は使ってなかったようだ。たぶん。
163 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 04:05:09 ID:sqN9+H6H
>>152 おもわないよ。ソースは他板でゴマかすなよ妄想自慰さんよw
はよ渡来系が日本征服した証拠だせよー在日二世
164 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 09:00:49 ID:l+ejaSFe
ソースは他板とか斬新すぐるwwwww
半島が日本にとって失地だと思えばよかろ。
166 :
白馬青牛:2007/09/19(水) 00:34:09 ID:x1Fs5HQT
>>162 裸馬じゃないが、パルティア(安息)重装騎兵図では、馬甲を着けとるが、
騎乗者は鐙をはいとらんど。
http://ihbaa.org/mgl-f/t-mjoba.html 左の写真に、皿鐙を踏み「立ち乗り」スタイルが出ておるが、
鐙は、馬上で長時間立っても疲れんゆえ、皿鐙を使用するわけで、
元来、鐙自体乗馬下手の農耕民族から普及したもんじゃろう。
後の方に「側対歩」のことが出とる。
匈奴の騎兵をあらわした画像図は、明らかに側対歩になっとる。
ほいで、八幡太郎義家説以前に、日本馬など対洲馬や木曽馬なんか
側対歩の方が自然じゃろう。わざわざ調教したんかいのう。
馬だけじゃのうて人間も、西洋人と違い明治以前の日本人は元来ナンバ歩き
(側対歩)じゃった。
2ちゃん情報云うて、どこのスレか教えるんが何で悩むんのう。
確認じゃ、たぶんじゃは、ええけえ、どの板のスレか教えんさい。
167 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 01:08:19 ID:UB1zSClU
>また、これをも越えてバランスを取らなければならないほどの激しい動きの場合には、
>踏込み部の面積が広く装着位置がやや高めの鐙が、それを容易にします。
=゚ω゚) モンゴルでもおもいっきりアブミに頼ってるじゃん。
和鐙は踏込み部の面積はもっと広く、重心の自由度も進化している。
八幡太郎の馬術は迎来流だな流祖はヤマトタケル尊で鹿島流の基となった。
「側対歩」は現在でも宮内庁で調教してるよ。流鏑馬もたしか側対歩だろ。
みどりのマキバオーにも側対歩のモンゴル馬が出てくるが天然ではあまり居ないような書かれ方
だったが。。。?
ついでだがナンバ歩きは一部西洋人もやっていたぞ。
>どこのスレか教えるんが何で悩むんのう。
=゚ω゚) お前が荒らしかねないからじゃっ!!!!
168 :
白馬青牛:2007/09/19(水) 01:26:39 ID:x1Fs5HQT
>>163-164 ほう、また質問するが岡崎久彦氏に対しては何で在日認定はせんのか?
岡崎氏流の日韓同祖論に、「妄想自慰」、「証拠を出せ」やらの反論は
せんのんか?
今回は形質人類学的根拠でも云うとこうか。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html ■混血の進行■の図を見れば、渡来系が古墳期に全国に拡散しとるが、
中部瀬戸内や南九州は縄文土着民系が多く、人種的に日本人(渡来人)化が
遅れとる。広島は佐伯部の影響もあろう。じゃが、「ほとんどの地域の
人骨に何らかの渡来的形質が表れており、混血が進んでいたことがわかる」
「とくに近畿は古墳時代に多くの渡来人が来たことが文献に記されており、
その反映であろう。また関東・東北地方にも渡来形質はおよんでいる
ことは、文献に登場する近畿勢力の進出や渡来人の関東移住などとの関連で
興味深い。」
渡来系(日本人主流)が支配せず、人種的にも圧迫された在来縄文系が
支配者になった云う方が妄想に近いんは明らかなことじゃ。
169 :
白馬青牛:2007/09/19(水) 01:55:15 ID:x1Fs5HQT
>>167 文面を額面通り受け取りよるが、わしが挙げたんは左写真の乗り方や
側対歩に言及した部分で。鐙が農耕民族が発明した云うんも反江上説の
佐原氏の親分で江南派の樋口隆康氏の説じゃ。元来騎馬民族が
鐙を必要不可欠とせんかったんは、現地でモンゴル人と起居を共にした
江上波夫氏や日本軍の進駐し、騎馬隊が全滅させられた水野氏の裸馬の
言から解ろう。じゃけえ、「長時間」の騎乗が鐙で楽になる云うたんじゃ。
いちいち、幼稚園児並みの解説をせにゃあいけんのか。
ほんま関東人相手はたいぎいわい。成る程関東人が、文献を鵜呑みにする
癖もこがいな処に出とるのう。日本馬の側対歩なら、検索すりゃあ出とる
ことで。ほいで、ナンバ歩きの西洋人は、何時の時代で、どこの地域か、
その地域の生活様式はどうなんか?
わしが荒らすけえ、駄目じゃ云うんなら、最初からワレが書かにゃあええ
ことで。ほんま関東人は吐いた唾を飲むのう。
170 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 13:40:57 ID:DM24H1vM
>>168 そのインチキサイトのソースなに?他板?
171 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 18:47:52 ID:UB1zSClU
>日本馬の側対歩なら、検索すりゃあ出とることで。ほいで、ナンバ歩きの西洋人は、
>何時の時代で、どこの地域かその地域の生活様式はどうなんか?
>169
=゚ω゚) ひょっとしてこれか?
http://home.r07.itscom.net/miyazaki/garden/sokutaiho.html >専門家によると、戦国時代の絵図には側対歩の調教場面が描かれていることや、
>上下動の少ない側対歩を使えば馬上で弓を正確に射ることができることから合戦の際、側対歩が使われていた
>可能性が極めて高いという。
>上下動がないので弓を射るのに適し、しかも、弓を正面に射る時に馬の首や頭が邪魔だが、
>側対歩だと馬は、身体を進行方向に斜めにして前進できる。
=゚ω゚) ふつうに側対歩を調教していたようだが?
宮内庁主馬班の「調子乗り(側対歩)」の調教法も書かれているな
あー、ちなみに甲野さんのナンバ歩き理論は電波なので少し間違っておる。
動画を見ればわかるがあの人のナンバは思いっきり不自然。
ちなみに研究機関ではふつうに剣道家で常歩のデータを取っておったな。
172 :
白馬青牛:2007/09/20(木) 01:01:33 ID:9i46yNuq
>>171 日本馬もかっては側対歩したことや、山地を歩くうち馬自身が自然に
会得した要素もあり、水中写真でも、側対歩で泳ぐんは本能にある
云うことじゃ。モンゴルは調教して側対歩にするようじゃが、
側対歩の騎馬軍団構成の起源は解らん。もしモンゴルなら、
アルグン川の狩猟集団が牧馬を覚え、大興安嶺地方の山岳地の斜面を
利用するんに側対歩が便利であったんか、アルタイ地方のトルコ系集団から
学んだんかどうかじゃろうて。
甲野善紀氏について詳しゅう知らんが、どの動きが不自然なんか。
解るようにいいんさい。
173 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 01:14:16 ID:mMs9/b/f
スレを覗けば、また白馬問答かよw
つまらねえから他でやれよ
174 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 01:37:25 ID:GQydfsIf
>西洋人と違い明治以前の日本人は元来ナンバ歩き
>(側対歩)じゃった。
お前、死ねよ、マジで。
工作員も最近は手が込んでいるな。
中学生レベルの知能の持ち主が工作員になって、
一般人の労働時間につまらぬカキコを垂れ流す。
2chも駄目だな、もう。
175 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 01:49:02 ID:GQydfsIf
広島近辺で育ったか暮らしたかの朝鮮人の成人が、
カネを貰ったか、暇を貰ったか、
まあ、せっせと、つたない脳みそで書くこと書くこと。
日本社会の寛容さに感心しますわ。
本人はこれで工作しているつもりなのだろうが。
書けば書くほど化けの皮がはげてくる。
176 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 02:42:34 ID:/ixlTbGY
ウシそろそろうざいよー
177 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 09:01:41 ID:g2JYTrEq
178 :
白馬青牛:2007/09/21(金) 22:40:57 ID:m6Y5ba1U
>>174-175 岡田久彦氏に対する反論はまだか?どうもネットウヨの尊敬する岡田氏の
日韓同祖論を挙げたら、都合が悪かったようでヒステリックな反応が出て
来たのう。答えるまで続けようよ。岡田氏は、工作しょうる朝鮮人か?
日本社会の寛容さとやらで、岡田氏は日本人になったんか?
こんなら答えんかい。答えにゃあ話が先に進まんど。
>>177 低脳売国奴ネットウヨ怒られたじゃ、謙遜しょってどうすんない。
兵士は戦闘馴れするまで、3ヶ月はかかるよ。西南戦争の鎮台兵は当初
敵の突撃に逃げる雑軍じゃったが、戦闘馴れしだした日向、薩摩の
戦闘じゃあ緒戦の不甲斐なさを払拭しだしたよのう。
逃げる敵を斬り殺した薩摩軍も、後半鎮台兵が戦闘意欲が旺盛になって
逆に押されよった。走れる、走れぬより戦闘経験の熟練度の問題であろう。
養老猛司氏との対談で、甲野氏は、庶民でも忍者、猟師や飛脚は走れたと
云われたが、どうなんかのう。まあ、走ることも日常生活の利用度にも
よるけえ、武士階級が全て走れたとも云えん。
179 :
白馬青牛:2007/09/21(金) 23:09:44 ID:m6Y5ba1U
>>177 養老猛司氏は、日下公人氏との対談でも甲野氏を「解剖学的に我々が名前を
つけている筋肉が外からきれいに見えます。」と高い評価をされる。
動画を見たが、現代剣道と違い、剣を頭上に引かん処は、成る程のう、
思うたよ。わしも祖父から撃ち降ろしたら、引き上げちゃあいけん云われた
こと、喧嘩でも、バットや木刀で相手を投打し、その道具を引き上げた時、
隙が出来るけえ、そん時刺されたら終わりじゃ。
ほいで、作家の津本陽氏が松田隆智氏との対談で、「謎の剣士出会って剣豪
小説の世界へ」で、語られてた体験談も面白い。以下続く。
180 :
白馬青牛:2007/09/21(金) 23:36:21 ID:m6Y5ba1U
>>179の続き。
「昭和三十年頃ですかね。大阪の西印刷の道場で稽古してたんですよ。
そうしたら五十歳位のヒョロヒョロの人が来て、もう一人やや若い人と
二人で。それでボロボロの防具を着けて道場の上手に立って「誰か稽古
せんか。わし四段やねん」て言ってるんですよ。
そうしたら第一銀行の人で六段錬士の結構選手として活躍した、連続技を
得意としている強かった人ですが「ヨーシ」とばかりに。それで立ち合った
のだけど、竹刀がひっついてしまって離れないんですよ。ガチャガチャと
なって。普段なら打ち込んでガチャッとなったら、パッと飛び退ってから
バーンと打ったり、色々と技が出るわけですよ。それが何も出来ない。
飛び退ろうとしてもガチャガチャと竹刀が離れない。
それで道場の隅まで行くと、ポンと突いてくるからハッとして竹刀を払うと
、その瞬間に小手を取られるんです。
それで同じことを三回くり返して、すべて突きから小手を打たれて、六段
錬士の方が「恐れ入りました」と言った。それからまた五、六回やった。
終わって面をはずしたら六段錬士の方は顔が真青で汗をビッショリかいて。
とにかく突きから小手と、それしかやらないから、わかっているのだけど
やられてしまう。ベタ足で間合いもとらず、打ち込んで行くと竹刀が触れて
離さない。」
181 :
白馬青牛:2007/09/22(土) 00:05:20 ID:kYjAwxEq
「飛びのけば良いのだけど、それができない。突きから小手だとわかってる
から、突きは誘いだと思って小手を警戒しているとバーンと突かれる。
たまに運良く竹刀をはずすことができても、バッと足を掛けてバーンと
倒す。若くてごつい男が皆倒されてしまう。
それでその人が、道場の師範の人や巡査部長で五、六段の負けたことが
ないと、日頃から豪語している人たちに「一本稽古をつけて下さい」と
いっても、皆「いや、これから一寸用事があるから」とか言って稽古しな
かったですね。そのくせ後で「あれは邪剣だ。だから四段以上には
なれない」とか訳のわからんことを言って、自分をカバーしてました
けどね。そのことを僕は何十年たっても憶えていて、それを短編として
書いたんです。今はもう名も無く死なれたでしょうけど、ああいう人が
武道の世界にはいるんでしょうね。」と、云われた。
その剣士が昭和三十年頃五十歳ぐらいなら、明治三十年代後半生まれで、
わしの祖父や曾祖父の言からも、技量を持った人たちも多かった時代
じゃけんのう。戦前の初段が戦後の三段レヴェルじゃけえ、
四段云うたら相当なもんじゃ。
182 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 00:37:59 ID:Ag/AX9ni
>180 >竹刀がひっついてしまって離れないんですよ。ガチャガチャとなって。
=゚ω゚) ああ、津本陽の「孤独な武者振り」ね。昔読んだ。たしか水道局の人だろ?
近間で竹刀をひっつける人はわりといたよ有信館の中山博道とか。
現代ではそんなことすると審査で落ちるねw 古流では続飯と言ってわりとポピュラーな技だよ。
剣を頭上に冠らんのは「くねり打ち」と言う神陰流の技法じゃ。
甲冑を着けると兜の前立がおじゃまで振り冠れないから鹿島流では無構えから
円転させた勢いで斬りつける。香取流だと「巻き打ち」と言って肩上体側に振り冠る。
あるいは大きく上八相上段に構え一気に斬り殴る。脇(車)からブン回す。
幕末の千葉周作も、とにかく強く撃てと言う。戦場なら当然じゃろう。
だが甲野さんのように技が小さいと威力は出ないね。
ちなみに甲野さんが昔ちょこっと習った事がある剣豪国井師範。
甲野さんの技はこれが元ネタで、見ればわかるが力強さが全然違う。
http://jp.youtube.com/watch?v=BLHoBEjEVJg&mode=related&search= >後半鎮台兵が戦闘意欲が旺盛になって逆に押されよった。
=゚ω゚) 警視抜刀隊?
183 :
白馬青牛:2007/09/22(土) 01:33:06 ID:kYjAwxEq
>>182 ああ、昔の人は剣道の試合を実戦にほど遠い存在として馬鹿にしょった
わい。甲野氏は体の使い方で実戦云々じゃあるまい。剣術で曲芸が
出来ても、実戦はまた別の話じゃ。千葉道場の門下生の実戦での実力は
どうかのう?
国井師範の孫弟子にゃあ安藤組の森田雅氏もおられ、裏の世界でも
実力はあったろう。じゃが、米軍の銃剣術の拙劣さは国井氏の評価を
高めるもんじゃないのう。真横から銃剣の尾を出しちゃあ。
日本兵士なら、前進するよ。米軍はフットワーク戦術じゃし。
ほいで国井氏は、鹿島神流として馬庭念流の影響も強いんか?
鎮台兵は当時雑軍に等しく、警視庁抜刀隊や近衛兵が肥後での前半戦
活躍したろうが、鎮台兵も後半は戦闘馴れしょうったよ。
184 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 01:41:19 ID:sobSpL0P
最近のスクリプトは凄いんだな
185 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 02:00:25 ID:Ag/AX9ni
=゚ω゚) うむ森田雅の「闘いて候」は絶版じゃった。残念。
>米軍の銃剣術の拙劣さは国井氏の評価を高めるもんじゃないのう。
=゚ω゚) 米軍のフランス人銃剣術教官な。
ならお前さんなら真剣着装の銃剣術教官を『傷もつけずに一瞬で戦闘不能に』できるのかい?
・・・いや、ぜひおやりなさいw
186 :
白馬青牛:2007/09/23(日) 00:24:19 ID:kNUeC/xK
>>185 森田雅氏の「修羅場の人間学」は読んだよ。
喧嘩の駆け引きに触れられて面白かったわい。
ほう、米軍の銃剣術教官はフランス人じゃったんか。フランスは白兵主義に
代表され、フランス人は西洋の中でも勇猛じゃけんのう。
じゃが、映像の銃剣術は高度な技術とは思えんよ。
国井氏は、剣道、柔道、空手、ボクシング等の連中を傷つけず降参させた
技量は感心するよ。わしに?相手に傷をつけずに一瞬に戦闘不能は出来ん
のう。ほいで、国井氏は黒田泰治氏に真剣で決闘を申し込んでおきながら
逃げた云うんは本当の話か?何年か前武道板にそがあな話があったが。
まあ道場で強うても、場所を変えると必ずしも強いことにならん。
国井善弥氏の友人の陸軍中野学校教官で、自称甲賀忍者の末の藤田西湖氏も
相撲の小結雷の海を、道場で子供扱いしても、砂場でやったら稽古つける
どころか、さんざんの態で、「関取は砂場の上じゃあ強い。公衆の面前で
大失態を演じたのは、このとき初めてであった。」と、道場と場所を
変えての実戦はまた別物じゃ。
一領具足。
188 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 10:41:16 ID:MW5c70kv
>186
=゚ω゚) 砂場が実戦かいな。國井師範も相撲取りを道場で転がしていたらしいな。
もっとも相手は双葉山だったが・・・
>国井氏は黒田泰治氏に真剣で決闘を申し込んでおきながら逃げた云うんは本当の話か?
=゚ω゚) そりゃ、おもいっきり2ch情報だっちゅうに。
國井師範は空手家相手には空手。剣術相手には剣術。武器術相手には竹刀一本で相手する人だった。
黒田師範は試し斬りの名手だったので真剣と言う事になったが、さすがに周囲の
知人達に止められ、その話は立ち消えになったと言うのが真相らしい。
國井師範はその後も滝野川道場で相撲取りや893相手に他流試合歓迎の
スタイルを続けていたから逃げも隠れもしとらんじゃろ。
>映像の銃剣術は高度な技術とは思えんよ。
=゚ω゚) いや、良く見れ。最初に銃剣の表(敵の左手側)へフェイントを仕掛け、それにつられ敵が
剣先を払おうとする動作が入る。その時にはもうこちらの足は間合いギリギリに入り込もうとしている。
あそこからではもう銃床しか使えないじゃろ。
189 :
白馬青牛:2007/09/24(月) 00:20:30 ID:ybIzjKnX
>>188 砂場が力士にとって有利云うことじゃ。場所によっての問題じゃ。
武道板じゃあ黒田派と国井派がおって、どっちも言い分がある云うことか。
あんた国井派なんじゃのう。国井氏も道場から離れ、対戦する場所が
違うたら結果はどうか解らんで。
銃剣の切っ先で斬りつけるフェイントを使い銃床で叩くんは、西洋の
銃剣術じゃあ常套手段じゃないか。切っ先はボクシングのジャブで、
銃床はフックじゃ。
銃床を使うんなら
>>177の甲野氏の仗術の前方へ打った方が相手から
察知し難い。
>>182の、銃剣を横から、外から内へ打ったら相手に察知され
易かろう。最小の変化じゃないとのう。
190 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 00:29:00 ID:5B96tFyz
ここが生き甲斐なんだろうな・・・
191 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 02:15:07 ID:UREp+bT2
>>177 こういう、イカサマ師がマスコミでのさばり、
世間を惑わせている、
こんな日本は確かに衰弱しているよ。
192 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 03:58:21 ID:qAYkF9kI
>武道板じゃあ黒田派と国井派がおって、どっちも言い分がある云うことか。
=゚ω゚) ちゃうちゃう。お前さんの言う黒田派というのはマスコミオタだよ、
ネットでは大勢いるが現実の武道界ではあまり相手にされていない。
それに対して国井さんは多くの試合経験と実績が有る。
ただ、言動がケンカ腰だったので未だに嫌われている部分も多い、
特に嫌ってるのがケンカを売られた黒田先生のお孫さんで、この人がマスコミに発言権が有る。
オイラは実績しか信じないだけの話だ。
それに182でも言ったけど甲野さんの技法は國井師範のパクリだよ。
>外から内へ打ったら相手に察知され易かろう。最小の変化じゃないとのう。
=゚ω゚) 察知されるもなにも最初から先を取られておるのだから変化のしようが無い。
敵を動作に誘い込み動かして勝つ。柳生流活人刀の極意だよ。
>191
=゚ω゚) まあ、善し悪しですなあ。評価もできるけど怪しい部分も多い。
思いこみが激しいから逆にマスコミ受けが良いとも言える鴨。
193 :
白馬青牛:2007/09/25(火) 02:24:27 ID:septlBaq
>>192 国井氏の試合経験と実績も道場でのこと。藤田氏のよう場所が変わると、
結果は未知じゃ。実戦とは違う。国井氏は、剣道や柔道など現代武道に
噛み付き、馬鹿にしょったけんのう。黒田氏に喧嘩を売ったんは
国井氏じゃろうに、何で矛をおさめたんじゃろう?
甲野氏が鹿島神流をかじっただけでパクリか。
先を取る云うても、銃剣の切っ先は誘いで本質は銃床じゃ。
それを都合よう柳生活人刀の極意と解釈したら、極意の程度が低いもんに
ならんか。
194 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 22:40:21 ID:o6399JYo
↑ 本当に馬鹿だね。
↑ それは反論にならないな。
196 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 23:30:54 ID:32JwyypD
>193
=゚ω゚) しかし、おまいさんのソースは他スレのネタばっかしだな。
そんなに気になるなら実際に黒田、国井、甲野関係者に会って直接聞いてみたらどうだ?
ネット情報漁ってるだけじや某研と同じだぞ。
197 :
白馬青牛:2007/09/27(木) 01:03:53 ID:rG3JbZxL
>>196 他スレのネタじょのうて、今回は甲野善紀氏の著書を知人から借りて
コピーしたわい。「なにしろ微妙で高度な技法は、相手の感度や体の鍛え方
によって利き方に大きな差が出るものである。国井先生は、そういった点を
素直に指摘され、「日舞でもやっている粘っこい女は、相撲取りよりも
やりにくい」と述べられていたという。国井先生の武術家としての名声が
今日なお消えないのは、現役としての責任と名誉を背負った格闘技の選手や
他武道家と晩年まで実際に手を合わせられていたからである。」
素手の打撃系に対して「国井先生ほどの技術があったとしてもあるいは
対応が難しかったのではないかと思われ、(中略)現に国井先生も、
新体道創始者の青木宏之先生ー当時日本空手道松濤會の五段ーとの
立会いでは、向き合ってから構えを解かれ、はるかに年下の青木先生を
丁重にもてなされたという。」
国井氏も日舞の女性に技が利き難い、一流の空手家相手には、ご自身が
対戦を避けたようで、誰にでも技がきき、倒せるもんじゃない。
これらの例から黒田泰治氏に決闘を申し込んで、最終的に国井氏が相手の
技量を認め、自ら回避した云うことじゃないんか?
198 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 01:58:37 ID:lCSUWxNl
以前Dat落ちして戦国板の名物スレだったのに残念とか思ったらしっかと立ててあって
今も変わらず牛さん頑張ってるのみて
やっぱ思い出って美化するもんなんだなとしみじみ実感w
かわず君頑張って!
199 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 10:10:06 ID:PAeg6NVi
=゜ω゜) ま〜だ続ける気か? しかもソースは甲野さんの電波本…
国井師範は修業が進んだ武芸者に対しては「立合無用」で済ましてる
立合前に断ったのは澤井師範ぐらいじゃね
…もっとも当時は病床だったが
その後の青木師範の活動を見れば彼が何を求めて
やって来たか明らかだろ
剣には剣。拳には拳。心法には心法。修業には修業で返す。
それが国井流だよ
甲野さんの本に有るのはその実、勝ち負けの結果ばかりで
武道精神というものが無い。
200 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 21:55:21 ID:O4zRCiti
>198
=゚ω゚) ほとんど隔離スレ状態ですな。何かお国自慢ネタって無いっすかね?
202 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 22:13:21 ID:lCSUWxNl
>>198 このスレは素人が入り込む余地が余りないけどその分深い考察があって見て楽しむスレ
同じ情報からも観察の視点が違うだけで全く別の結論に達するのが興味深い
ただお国自慢という訳ではないが地元の松浦や竜造寺家の兵について
語ってくれると嬉しい
私の家が龍造寺家兼の子。龍造寺家門に仕えていたと祖父に聞いて
興味は持ったけど一般人には小説以外は難しくて・・・w
203 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 22:13:56 ID:lCSUWxNl
>>202 佐賀北には参ったわい
戦国初期の肥前国で、有馬貴純という武将が強かったらしいね。
205 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 00:39:06 ID:DW3ACmrD
近代化を推し進め戦国大名の礎を築いただっけ?
だが佐世保から佐賀にかけては未だに気性の荒いわりに意外と統制がとれた地域だから
兵卒としてはそれなりに優秀じゃないのか?
206 :
白馬青牛:2007/09/28(金) 01:09:20 ID:7KDBqoBG
>>199 甲野氏を、根拠ものうて電波云うてものう。
黒田泰治氏に対して国井氏自ら喧嘩売り、自ら矛を収めたんじゃろう。
大気拳の澤井氏に対しても、避けられたんか。中国拳法の北派武術に対し
国井氏が対応出来るか未知数じゃけんのう。
青木宏之氏の影響の受けた師範は、江上茂氏という、藤田西湖氏と同じく、
陸軍中野学校の教官じゃったそうじゃ。
青木氏は、江上茂氏の陸軍中野学校のエピソードで、「陸軍中野学校で
尾行練習をしていると、人込みの中で相手がふいと消えてしまうことが
ある。うろたえているうちに逆に後ろからぽんと肩を叩かれて
「おい、どうした」などと言われる。相手は尾行しているこちらの気を
完全に読み取っていたのである。相手のテレパシーを感知すれば、誰かが
後ろから攻撃してもわかるのではないかというのが(江上)先生の結論
だった。それで私は後方から木刀で打ちかかってくるのをよける練習を
した。」と、云われる。青木氏が神秘主義に傾倒し武術家ではないと
批判したいようじゃのう。甲野氏の批判も。あんたあ国井信者じゃわい。
207 :
白馬青牛:2007/09/28(金) 01:40:22 ID:7KDBqoBG
>>199 まあ、大陸打通作戦にて、広島第39師団で編成された桜挺進隊兵士は、
陸軍中野学校流の潜行術を学んで出撃したが、陸軍中野学校出身者よりも、
広島39D出身の兵士の方が、勇敢さ、戦闘勘、歴戦によって神経も
研ぎ澄まされとった。さすが歴戦将兵であるが、これはお国自慢板の
ネタじゃったわい。
>>202 騎馬民族説の江上波夫氏も、龍造寺隆信の次男家種の子孫、
肥後細川家の家臣となった系統じゃそうな。
>>205 大村聯隊。久留米師団の中でも勇猛じゃった。
208 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 02:32:32 ID:0iMyaa5q
>202
=゚ω゚) 佐賀といえば葉隠と餅すすり。どちらも命がけじゃのう。
以前TVチャンピョンで佐賀のオッちゃんが餅つき王に出ていた。
その時「戦国時代に急いで出陣する際餅をすすったのが発祥」とか言ってた気がしたけど
どうなんでっしゃろ?
小説と言えば龍造寺の化け猫が鍋島家に祟ったとか・・・うっ、こんな事ばかり先に思い浮かんでしまう
>206
=゚ω゚) お前さんだんだん自分の意見がオカルト化してきてる事に気が付かない?
字面ばかり追いかけるあまり、もう魔境に片足突っこんじゃってるよ。
>相手は尾行しているこちらの気を完全に読み取っていたのである。相手のテレパシーを感知すれば、
>誰かが後ろから攻撃してもわかるのではないかというのが(江上)先生の結論だった。
=゚ω゚) はいはい。以心伝心術ね。
国井さんは筑波の修行時代に身につけてるよ。ごくろうさん。
>青木氏が神秘主義に傾倒し武術家ではないと批判したいようじゃのう。
=゚ω゚) オイラはちゃんと「修行者」と言ったはずだが?
209 :
白馬青牛:2007/09/28(金) 22:26:09 ID:7KDBqoBG
>>208 わしがカルト化?国井信者の魔境に埋没しとるあんた方じゃろう。
文字面で解釈しとるんものう。以心伝心術も身につけた結果、
国井氏ご自身が勝てん相手を見抜いた云うことか。青木氏について
曖昧な質問したんはワレど。ほいで「修行者」云う抽象的な言葉で
返して来るわい。まあ、武術家は、カルト新興宗教に嵌まり易い。
植芝盛平氏が大本教信者となったように。武芸者、芸能人などの芸人は、
そういう傾向にあるんじゃないか。
>>207の補足として、肥前でも佐賀は久留米聯隊。
210 :
白馬青牛:2007/09/28(金) 23:11:47 ID:7KDBqoBG
話題を兵卒に戻して、織田軍団の前線精強部隊の美濃兵であるが、
http://homepage2.nifty.com/singingsand/miwa/kayakumino.html 信長に敵対した門徒側の美濃兵について書かれとる。
5.西濃地区の特異性
「美濃の国は西部の西濃から富山へ抜ける地帯は、戦国時代には
山賊が出没する無法地帯だったという。」「雑賀衆はもともとこの地から
の出稼ぎ者から構成されていたという。険しい山岳地帯をかけめぐることに
子供の頃から馴れていたからであろう。この伝説は第二次大戦まで生きて
いた。岐阜県下の1市5郡は福井県の敦賀の第9師団に属し、歩兵を主体と
する軍隊で、日本最強の軍隊とされていたことにつながっている。」
敦賀は聯隊はあっても師団はない。北陸兵の精強金沢第9師団のこと。
敦賀聯隊も日露戦争の旅順攻略戦で感状を授与された精鋭であるが、
岐阜県は名古屋師団の岐阜聯隊と共に福井県の聯隊にも属し活躍した。
北陸と美濃が縁が深いんは三河も含め共に古代新羅系が多かったせいか
のう。美濃や三河も傀儡子の産地であったことも無視出来ん。
じゃが、広島師団を無視して、日本最強はいただけん。確かに北陸、美濃
山岳兵も強いが。
211 :
白馬青牛:2007/09/29(土) 00:06:01 ID:OiADAYLz
日本最強師団で検索した処、弘前の石井果物店さんが出てきた。
http://www.rakuten.co.jp/ishii-fruit/owner.html 「廃藩置県で廃れる一方の弘前でしたが、それを救ったのが後に熊本師団、
広島師団と並び国内最強師団と言われた弘前第八師団」じゃと。
「当店も、もともとは軍隊御用達の果物屋でありました」と、伝統がある。
広島師団と並ばれても困るが、日本3強を自負する弘前師団は、顔も
前スレで高い評価をしよったのう。関東地方の兵団に属した伊藤桂一氏も
東北兵、弘前師団ファンじゃし、地元兵団が駄目な関東兵団は東日本代表
として弘前師団フアンがえっと(多い)いうことか。
まあ、弘前師団は実績は乏しいが訓練、演習じゃあ強かったようじゃ。
今まで弘前師団の黒溝台会戦に広島師団の活躍を無視する東北マンセーの
主張が目立ったが、ここの果物屋さん家は、武勲、実績の広島師団に、
軍の人の評価が先々代あたりから伝えられたんじゃろうか?
じゃが広島師団は、仙台や弘前の師団と縁が深いわい。
戦国時代なら、越後の上杉、福島の伊達(仙台師団)対
出羽の最上、他に津軽など小勢力(弘前師団)か。どっちが強いんかのう?
212 :
白馬青牛:2007/09/29(土) 00:23:11 ID:OiADAYLz
>>211は福島、磐城の葦名その他じゃった。伊達は元来山形で、
福島との混成で、後に宮城仙台要素もあり、仙台師団か弘前師団か
識別しにくい。
>usi
つーか師団話になってる件w
214 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 02:07:00 ID:ozMZJ0iO
>地元兵団が駄目な関東兵団
=゚ω゚) 世界最強のアメリカ海兵隊相手に最後の最後まで
闘い抜いたんだからそーでもなかろう。敵の大将もがばいたまげちょるばい。
「ペリリュー島の防備に打ち克つには、米国の歴史における最高の戦闘損害比率(約40%)を
甘受しなければならなかった。(米軍第1海兵師団が全滅)
既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて1万人を超える犠牲者を出して
この島を占領したことは、今もって疑問である」
(アメリカ太平洋艦隊司令官ニミッツ提督著『太平洋海戦史』)
≪諸国から訪れる旅人達よ この島を守るために日本軍人が いかに勇敢な愛国心をもって戦い
そして玉砕したかを伝えられよ≫
>青木氏について曖昧な質問したんはワレど。
=゚ω゚) ははは、オイラが牛君に青木先生や黒田さんの質問した??まさかw
ネットや本で探すより直接関係者に聞いた方が早いよ。
>213
=゚ω゚) うっ・・・しまった。牛の策に嵌ってしまった!
>210で織田の話を書くのかと思ったら、やっぱり広島師団になった事について・・・だよw
師団何たらの兵隊さんと、一応は戦士の武士とじゃ全く違うだろうにね。
216 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 04:02:31 ID:tOYOIj/P
usiという男は、いろいろ言ってても、
最後は鎧袖一触、
「朝鮮人の戦闘力は随一」
となるのだから、
何が結論なのかはアホみたいに瞭然。
よーやっとるわ
217 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 11:05:39 ID:ozMZJ0iO
>215
=゚ω゚) 西濃から富山へ抜ける地帯の山賊と言うと山伏、ワッハ(乱波)の類かな?
火薬ならたしか月山が最上級品。続いて北陸、安芸とかが上物として続いたと思う(記憶書きだが)
生産量が多いのは関東だが品質は下物だったと思う。
傭兵諜報員(乱波働き)兼鉄砲部隊として織田〜斎藤氏の間を行き来してたのが
前野・蜂須賀・稲田・坪内氏ら木曾川の川並衆。水運、境界線の者達だな。
織田の鉄砲同心だった坪内氏は加賀富樫の系統だと言う、
徳川軍相手に馬上から鉄砲を撃ち放って味方を援護したとか。
他に川並衆の河田家からは弓の名手が出たらすい。
218 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 18:51:35 ID:1IvdtViT
小野田小尉(中野学校)>>>>越えられない根性の壁>>>>>ピカ師団
219 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 16:21:51 ID:/lfR1gNs
褒章>>>勲章
220 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 18:48:08 ID:TB3OlZjg
>>215 そりゃしょうがないよ。全陸軍が広島師団並みに強かったら今頃アメリカは日本の属州だったのに。
牛が悔しがるのも無理はない。そう思えるほど最強広島師団。
開戦劈頭マレーで英軍を屠ったのも、中国大陸三千キロを打通したのもみなこれ広島師団の戦功だ。
他の部隊はその後をぞろぞろ物見遊山をしていたに過ぎない。
大本営の判断ミスでガダルカナルやレイテやインパールに広島師団が投入されなかったのは千載の悔いを遺す。
ガ島に惰弱仙台師団の代わりに広島師団が出向いていたら、マリンコどもは海に逆落としである。
レイテに虚弱東京師団の代わりに広島師団が出向いていたら、マッカーサーはまたまた「アイ・シャル・リターン」と叫ばなければ
ならなかった。
ビルマに口ばっかり久留米師団の代わりに広島師団が出向いていたら、米式中国軍は永久にビルマ国境を越えられなかった
だろう。また、無能北関東師団の代わりにチンドウィン川を越えていたらデリーの赤い壁に日章旗が翻っていただろう。
どれもこれも、広島師団を後生大事に温存してきた大本営の無能のせいである。
221 :
白馬青牛:2007/10/01(月) 00:06:42 ID:x4fBThI4
>>213-215 戦国と近代郷土兵団の類似は、『陰徳太平記』に「畿内や東国では、
一城を攻め落とせば、五ヶ所や十ヶ所もつぎつぎ没落する。
東国武士は、長期城を守りぬくことは難しく、久しくこらえることが
できぬ。中国勢は、少勢で城を守り、小をもって対陣すること、何百日、
何千日経るとも、士気衰え引くことはない。」
これが、中国地方マンセーのホラ話じゃないんは、近代広島兵団が証明し、
兵の気質として戦国時代から近代まで受け継がれとる。
>>214 ペリリュウ島は、緒戦の水際作戦で米軍を叩き、戦闘主導権が取れ優位に
闘うことが出来たんと、洞窟の自然要塞も米軍を手こずらせたわけで、
他の米軍を上陸させて戦闘し短期で玉砕した部隊より強かったわけでも
なく、何れにしろ、ペリリュウ島も負け戦さじゃ。
武勲のない関東兵団が負け戦さのペリリュウ島戦のみ誇るんも哀れなのう。
あんた青木氏や黒田氏側の関係者に聞いたことがあるんか?
国井氏の実力も道場以外未知数じゃに。
>>217=゚ω゚)
武田家の軍役だと、鉄砲は上手の射手を集め、一挺に玉薬300放とあるな。
>>220 そこまで書くとアンチ広島w
広島の何とか連隊がノモンハンで全滅というぞ。
>>221 何千日ってw
223 :
白馬青牛:2007/10/01(月) 00:56:56 ID:x4fBThI4
>>216 朝鮮人の戦闘力は、対モンゴル戦日本戦(文禄・慶長)で国が崩壊しても
士気衰えん兵の強さ、ベトナム戦争も勇猛振りを発揮したが、随一と
云うたことはないでえ。
>>218 現地民の食糧を強奪し、部下を犠牲にして生き残った小野田氏を崇拝する、
小野田信者が日本史板の小野田スレから来たんか。わしの書き込みが
気に入らんかったんか?小野田氏の個人崇拝は北朝鮮の独裁者崇拝や
顔の国井氏崇拝とどこが違うんか?
ほいで、ピカ師団たァ何なら。わりゃ、前線で血みどろの戦いを繰り返した
広島師団を馬鹿にしゃあがって。前線を恐れる陸軍中野学校卒の連中と
較べられる自体、不愉快なことじゃ。
>>220 広島第39師団は、大陸打通の侵攻作戦に参加しとらんよ。広島第39師団
から、陸軍中野学校出身者と共に特殊部隊の桜挺進隊が参加したけど。
広島第39師団は、宜昌防御戦の死闘じゃった。
224 :
白馬青牛:2007/10/01(月) 01:31:15 ID:x4fBThI4
>>220 続き。広島第39師団参謀長草野ニ郎大佐は、第11軍司令部に出頭し、
第11軍作戦参謀島貫大佐(後、防衛庁戦史室長)師団の状況を説明した。
「敵軍は第39師団の警備する襄西地区を突破すれば、あとは武漢に
殺到するのみ。師団はそういうことのないよう、各地区の精強を信頼して、
頑張る自信は持っている。しかし軍としては、もし、第39師団が玉砕した
場合でも、二段構えというものを考えておられるでしょうな」
「玉砕は困る。それまで心配していたら作戦はできぬ。ただ貴師団の精強に
信頼をかけ、運を天に任せて、軍の方針を断行するだけだ。」等のやりとり
があった。ほいで広島部隊が異例の連続感状に繋がるわけじゃ。
もし、大陸打通作戦が無かったら、予定通り名古屋第3師団、
仙台第13師団は南方に派遣され、広島第39師団は大本営予備として
上海に集結する予定で、大本営も広島師団を重視しとったとも云えるが。
>>222 ノモンハンの第71聯隊のことか。ノモンハンの後半は全国から兵を
集めた混成化されたよ。
225 :
774RR:2007/10/01(月) 11:22:23 ID:5wT9bMfO
真田鉄砲隊と村上水軍
226 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 20:33:47 ID:ejJIHWu+
>>220 =゚ω゚) すっ・・・スゴイ。2スレ半かかって牛がほざいてる事をわずか1レスで言い放つとは!
我々以上の牛マニアとお見受けイタしますた
>221
>あんた青木氏や黒田氏側の関係者に聞いたことがあるんか?
=゚ω゚) 電波本よりは遥かにマシな情報は知っているとだけ言っておこう。
>国井氏の実力も道場以外未知数じゃに。
=゚ω゚) 藻前、全然調べて無いじゃん。
國井師範はふつうに野試合や街頭でゴロツキを叩き伏せたのは日常茶飯事だよ。
ふつう森田雅なんて弟子に取らんだろw
森田雅の鹿島神流が何度も修羅場を脱するのに役立ったのは安藤組長の証言が有ったな。
その辺に関しては社会復帰された方々が存命中なのであまり言えない。
昔は國井、高松、上野といった実戦派の師範がゴロゴロ居た。
他にもウソかホントか米軍主催の格闘大会に飛び入り参加してレスラーを殴り倒したら
周りの米兵が拳銃を抜いたので隠し持った短刀を抜いて睨み付けたらそれを見た兵士は
たまげて逃げていったと言う伝説も有る。
ところで逆にお前さんにもう一度聞くが、真剣着装の米軍の銃剣教官相手に傷もつけず、自分もケガせず
竹刀一本で「日本武道は不殺の武道です」とGHQを納得させる事ができるのか?
真槍銃剣相手にそれができたらお前さんの言い分を認めてやる。できないヤツに言う権利は無い。
國井はその難題を見事に実現した。これは事実である事に変わりはない。
227 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 21:18:52 ID:rvJQD0YG
アッツ島も山梨の連隊だったな
228 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 21:27:24 ID:17NrFoWR
>>226=゚ω゚)
その人は時たま出てくる広島厨だな。
なんだこの流れ。
230 :
人間七七四年:2007/10/01(月) 23:48:15 ID:ejJIHWu+
>他の米軍を上陸させて戦闘し短期で玉砕した部隊より強かったわけでもなく
=゚ω゚) んーなワケ無かろう。
兵力14倍、航空機200倍、戦車100倍、重火砲1000倍
制空権も制海権も無く補給を絶たれ、食糧もない中で73日間戦闘が続き
自軍より多い被害を米軍に与え、米軍史上最大の犠牲者数を記録させた。
以来米軍はペリリュー島を『天皇の島』と呼ぶと言う。尊皇攘夷じゃのう。
>洞窟の自然要塞も米軍を手こずらせたわけで
=゚ω゚) 五百数十の地下壕と水府山の坑道は人力で拡張され整備されたものだよ
これを参考にしたのが栗林中将の硫黄島だ。
>>222 =゚ω゚) 夏場はやっぱり沼尻で花火w
一挺に玉薬300放とは弾丸300個と言う事なのじゃろうか?
早合での速射が一分間に3,4発。 20連射ほどで熱で硫黄が溶け弾が入りにくくなるので
径の小さい「劣り玉」を使うと有る。意外とめんどくさい。
でも天保年間の記録では朝7時から夕方5時までの間に数撃ち2000発と有るので
意外と撃てたようだ。
ただ、雑兵物語とかを読むと玉箱持ちの雑兵は足軽衆が無駄玉を撃つのを
ものすごく嫌がっているのを見ると、ちょっと萌える。
231 :
白馬青牛:2007/10/02(火) 01:19:56 ID:J10amhz8
>>226 国井氏に都合が悪いと一方的に電波本を決め付け、マシな情報とやらも
云わん。街頭のゴロツキじゃあ個人の差があるし、森田雅氏は、国井氏の
直接の弟子でなく、国井氏の弟子である橋本鎮之助氏に学んだわけじゃ。
北条氏の侍大将安藤式部の末とされる安藤昇氏は、武田氏家臣の末、
ご母堂は長州の吉田松陰縁者の花形敬氏の方を武闘派として評価されたん
じゃないか。安藤氏は「渋谷で酔った花形が森田にからんで口を挟んだ
沖野を花形が投げ飛ばし、止めに入った森田の頬を打った。森田は我慢
した。鹿島神流、日本刀を持ち出せば、血の修羅場は必至だったろう。」
と、云われたが、森田雅氏自身も花形敬氏に一目置いておられた。
花形氏と力道山氏のガンの付け合いで力道山は退散たことや、力道山は
絡んで来た安藤組幹部の一人に怒り花形氏にお伺いを立てたこともあった。
「敬さん、俺とこの男が喧嘩したら、どっちの味方につくんだい」
花形が、「どっちにもつかないよ」と答えた瞬間力道山の頭突きが炸裂し、
男は一発でフロアにのびた。
一方森田氏は、力道山が格闘技のプロなら、こっちは喧嘩のプロだ。
と、カバンの中に武器を忍ばせ路上でにらみ合いの対決で力道山の
方が逃げたようじゃ。伝説としては花形氏の方が知られとる云うか
安藤組幹部の中でも突出しとったんじゃないか。
232 :
白馬青牛:2007/10/02(火) 02:04:31 ID:J10amhz8
>>226 何回も国井氏を美化しとるが、道場と場所が違うと藤田西湖氏の同様
恥を掻いたか解らんし、戦場へ出たら烏合の衆の一人になるかも知れん。
道場自慢は何の足しにもならん。国井信者はカルトじゃのう。
>>230 ワケない云うても、宇都宮14Dの大陸の武勲云うて何なら?
関東軍の中でも戦闘実績もない弱い師団じゃないか。水際作戦で緒戦で
優位に立ったこと、洞窟は自然要塞じゃし、人工的な構築陣地はやられ
とるで。だいたい、硫黄島の109Dは混成部隊じゃったが健闘しとるよ。
混成部隊は日本の雑軍と中国軍にも嘗められたが、どこの師団でも、
弱兵関東兵すら、戦闘主導権と地の利があれば健闘出来る。
しかも最後は負け戦で、健闘しょうが、短期で玉砕しょうが負け戦で、
負け戦を誇るんは負け犬奴隷根性甚だしい。
233 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 00:22:00 ID:a1iiYTb8
>231
=゚ω゚) ほう、これは面白い。何という本じゃ?電波本読むくらいならこれを読んだ方がマシだろう。
電波本と言うのはだな。『日本人は明治以前は走れませんでした』とか言ったり
創作武道を古武道と名乗ったり。昔の剣豪は○○の法を学んだのでスゴイ奇跡が起こせたとか
カルト宗教まがいの妄想を飛ばす本の事じゃ。
>道場自慢は何の足しにもならん。
=゚ω゚) 相変わらず空想ファンタジーが好きじゃのう。
なら平時の訓練は全部無駄という事じゃのう。ご苦労な話じゃわい。
どこで訓練しようが基礎訓練は同じだべ。基礎が無ければ応用は効かない。これ常識。
規律も満足にできん軍は有事の役にはたたんべよ。
もう一度聞くが、真剣着装の米軍の銃剣教官相手に傷もつけず、自分もケガせず
竹刀一本で「日本武道は不殺の武道です」とGHQを納得させる事ができるのか???
言うてみい。
234 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 13:57:53 ID:7i7dSdj0
>>222 > 広島の何とか連隊がノモンハンで全滅というぞ。
それは、全てあなたの思い込みです。
>>230 宇都宮師団でさえ米軍をてこづらせた、ということであればペリリューに広島師団が配置されていたら米軍は皆殺しになっていた
だろう。下手をすると73日間どころか終戦まで持久できていたに違いない。
広島師団と宇都宮師団では、ヤンキースと楽天イーグルスくらい力の差がある。もしくはサッカーのブラジル代表と日本代表
くらい差がある。
235 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 19:04:00 ID:Ajr92CtK
あいつらはチキンだから南方行かないじゃん
『田植草紙』の故郷、新庄の中国大会出場を祝して(^w^)
坂東殿ばらは弓は上手なるもの
空立つ鳥を射て落といたり
さても上手や空飛ぶ鶴を落といた
若い殿御が翔け鳥射たる弓手は
さても射たのふ見事や弓の姿は
坂東武者は弓の上手、空かける鳥を射落とすそうだ。
え、落したのは鶴だろうなんて冗談は無し。ほんと素晴らしいんだから。
(新日本古典文学大系)
237 :
人間七七四年:2007/10/04(木) 05:43:11 ID:dB3mVmNa
> 朝鮮人の戦闘力は、対モンゴル戦日本戦(文禄・慶長)で国が崩壊しても
> 士気衰えん兵の強さ、ベトナム戦争も勇猛振りを発揮したが、随一と
> 云うたことはないでえ
この一言で素性がわかるし、
こいつが首尾一貫して主張しているのがこれ。
結局、
>>220 のような指摘がさらす矛盾は初めから計画的。
見え見えの工作だよ。
天正13年(1585) 信玄兵法の聞き取り
石原、孕石、広瀬、横瀬、西郷、曲渕、菅沼、辻⇒井伊万千代。
関西武士と関東武士が同数で戦った場合、大将の采配にもよるが、関西勢は五度に四度は負け戦になる例は、
信玄の時代より何度もあったと聞いている。
だが関東武士も剛勇ばかりではない。
関西武士も弱いものばかりではない。
第一に備えが入念でなく、物見を大事にせず、物見武者として選ばず、日頃物見の教育をせず、物見は誰でもできるものと考えている、
心無き者もいるであろう。
関西武士は物見に出ても敵情を、確り把握せず、敵を侮り高言を吐き、兵を預けても合戦になると、采配を振ること無く、
兵を残し一人抜け駆けをするのが手柄と思っており、一番槍を心がけるものである。
名将は一、二を捨て、三四をもって、勝つようにするには、敵の先陣を切り崩せば勝利を得ると心得、二、三の備えを切り崩し、
負け戦にするものである。
しかしながら年寄りも人によりけりで、戦場で預けられた人数の兵を、采配で巧みに操り、兵法に通じていると万人が認めるものなれば、
高知行で召抱えなされ。
そのような巧者の申すことなら、家中(井伊家)の若侍も納得するでござろう。
戦場で年寄りは、若侍と一番槍の巧妙を競うのは無理だが、城の留守居、国境の砦の守備を申し付ければ、敵より合戦の場数を踏んだ武功者なれば、
敵も早急には攻めてかからぬでござろう。
その時分信玄は近隣諸国の武将から、恐れられた大将であったが、諸国の高名で没落した武将の巧者な浪人を召し抱え合戦の話をさせ、
悪しきは捨て良きは採ることを、心がけたが、合戦には入念に準備してかからねば、勝ち戦は望めぬ、と信玄は常々申された。
(合戦騒動事典)
239 :
白馬青牛:2007/10/05(金) 00:46:18 ID:mFri2ORj
>>233 『愚連隊伝説』(洋泉社)、『自伝 安藤昇』(ぶんか社)
『修羅場の人間学』(祥伝社)の引用じゃ。
『愚連隊伝説』の森田雅氏と、新宿の銀行家のご子息で、グレン隊の帝王
加納貢氏の対談も面白かったのう。
鹿島神流を学び武闘派の森田氏が「加納さんの強さはだれでも知って
いますが、でも優しさの方が目立っちゃう。(加納氏が)小さな石粒を
ツバメにぶっつけたらみんな当っちゃって、フラフラ落ちてくるけど、
地面スレスレのあたりで蘇ってまたスーッと飛んで行くの。
(ひえー、佐々木小次郎だ!)ってビックリして俺もマネしてやって
みたけど、全然当んない。すると加納さんが、「おい、もうちょっと
小さい石にしろよ。万一当ったらツバメが死んじゃうよ」って。ああ、
これが加納さんだなって感じですよ。」と。
ほいで、甲野氏を余程嫌うとるのう。平時の訓練が全て無駄じゃ
云うとらんど。訓練と実戦はまた違う云うことよ。
規律も満足に出来ん軍云うて、軍紀厳正の広島師団と違い、関東兵団の
ことか?いや、熊本兵団も夜に初年兵に酒を持ってこさせたりしたけん
のう。広島師団じゃあ処罰の対象になるわい。
国井氏の美化を繰り返すが、道場と違い戦場じゃあ未知数で、
しかも戦場じゃあ相手を傷つけず、竹刀で押さえるんは困難になるのう。
240 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 01:34:43 ID:qpZc+0Bs
=゚ω゚) 信玄の物見武者に対する判断力はスゴス。
(永禄4年信州川中島合戦)
日出で霧ことごとく消えければ輝虎13000の軍勢にて近々と備えたり。
対する信玄公8000。たとえ勝ったとしても討死あまたこれ有るべしと武田の各々は思った。
信玄公は信州の先方、浦野という弓矢巧者の侍を物見に出す。
浦野帰って言うには「輝虎のき候(退き候かな?)」と申し上げる。
信玄「謙信が川を越え、この場で引き揚げるワケがないじゃろ。どのような様子で退いた?」と聞く
浦野「謙信は我が陣を廻りてたてきり、幾度もかくの如く候て犀川の方におもむき候。」
信玄「浦野とも思えぬカバチじゃのう。そりゃあんた車掛言うて、いく巡りめに旗本同士をぶつけ合わせて
一戦する時の軍法じゃあないかね。謙信は今日を限りと見えたりじゃけんのう。」
そう言って備えを立て直し給う。(「甲陽軍鑑」牛語適当訳。)
>239『愚連隊伝説』(洋泉社)、『自伝 安藤昇』(ぶんか社)『修羅場の人間学』(祥伝社)の引用じゃ。
=゚ω゚) おうサンキュ。今度探してみるわい。
修羅場の人間学と聞いて杉作J太郎を思い出すヤツはそうとうの歳じゃな。
>戦場じゃあ相手を傷つけず、竹刀で押さえるんは困難になるのう。
=゚ω゚) お前さんの脳味噌には竹刀で真槍銃剣押さえられるほどの人が銃剣使ったら
どれほどの事になるかと言う概念がスッポリ抜け落ちとるのう。
241 :
白馬青牛:2007/10/05(金) 01:56:17 ID:mFri2ORj
>>234 ノモンハンでの壊滅は、第23師団だけじゃのうて、旭川第7師団の
第26聯隊、第28聯隊も壊滅しとる。ロシアの資料では、ソ連軍の
損害も戦死・戦傷・行方不明者も含め2万4千になり、日本側の
1万9千人弱より多いことになるが、実際は日本側ももっと損害は
多かったろう。日本側の幸運な生存者は「敗北でも引き分けでもない。
相撃ちだ。」と云われ。ソ連軍指揮官のジューコフもソ連国防相時、西側の
記者に「ノモンハンは苦しい戦闘であった」と云う。
白兵戦じゃあ日本軍の圧勝で、ソ連側が劣等感を持ったのに、歩兵を
引っ込めて重砲戦と云う兵器の差が出る戦闘でしっぺ返しを喰らうた。
第23師団は、第64聯隊は熊本師団の兵、第72聯隊は久留米師団の兵、
第71聯隊は、広島師団、(歩兵第一大隊は福山、第二は浜田、第三は、
山口、砲兵は広島)で編成されたが、第71聯隊の戦死者数から見ても、
広島、山口、島根、鹿児島、東京、大阪、北海道、秋田、山形、愛知、
栃木等、全国の兵が含まれる。鹿児島第71聯隊史に、「緒戦の勝利、
白銀査千南の戦闘に参加した将兵(広島師団将兵)は、その後補充された
兵隊(関東軍諸隊兵)より勇敢であった。諸隊より幹部及び兵を個別に
補充し、直ちに戦闘に参加させたので戦力の低下来たした。」と、ある。
混成部隊化したら、郷土の横の団結が薄れ、戦力が低下するけんのう。
242 :
白馬青牛:2007/10/05(金) 02:20:53 ID:mFri2ORj
>>236-238 他板でも云うたが、狩猟の腕なら生活者として狩りをする、
中国地方の百姓>趣味の狩猟の板東殿じゃ。
関西武士と関東武士が同数で戦闘した実例たァ何なら?
具体的実例ものうて、自分が強いと思い込む関東人は哀れじゃのう。
そういやあ、宇都宮第14師団も戦後になって関東軍最強とぬかしとるが、
関東軍隷下時は、雑魚師団じゃったのに、ペリリュウ島の健闘が語られ、
一躍精強を掲げ、電波を飛ばす処、東国人のホラ吹き伝説は、武田信玄
以来、いや鎌倉政権以来か、甚だしいわい。関東武士が剛勇には
笑うたわい。個人的には関東も剛勇な者もおろうが、全体的には日本の
雑魚兵団に過ぎん。
>>242 usiがデタラメで否定しようが、中世の安芸や石見の百姓が坂東武士の弓射を称えてる事実が『田植草紙』じゃけん。
戦国広島人は京文化と坂東若武者に憧れすぎだなw
>>230 鉄砲玉のことでしょう
244 :
白馬青牛:2007/10/06(土) 01:03:46 ID:TqaDpZWO
>>243 『田植草紙』の編者が、『人国記』的な東国至上主義的先入観を持っとった
云うことじゃ。戦国広島人が、板東に憧れ?
『陰徳太平記』にある城を捨てて逃げる板東人に憧れてどうすんなら。
『人国記』は信州人なんだろ
また苦し紛れの思い付きで(笑)
『陰徳太平記』(笑)
東国人の武名に逃げるは西国の海賊なり(今昔)
246 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 02:11:44 ID:x2+0fy0p
冗談で言うが、
usiは朝鮮人でないとしたら、
小森タツクニじゃなかろうかwwwww
それはそれとして、
関東人と関西人を較べた印象としては、
両方を多感な年代に体験したものとしては、
関東=野蛮、血気盛ん、
関西=上品、丸く治める、
という観念がどうしてもあるね。体験的に。
牛は多分ビンゴの山奥のジジイで世間知らずかも試練がwwwww
関東人のほうが勇猛じゃよ、日常的にも。
もっとも、近年はどうかしらんが。
247 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 02:17:17 ID:x2+0fy0p
日常、喧嘩の光景を見る確率は、
関西<<<<<<<<<関東じゃね。
まあ、つい最近は知らんが。
それは事実。
しかしつい最近、
関東の某駅のプラットフォームで、
関西人が関西弁で粋がっている。
やっぱり、関東人は関西弁で粋がられると頭に来るようで、
関係ない者まで寄ってきて、
「なんじゃー」
とゆう感じで迫ってたな。
バカな関西人は、テレビマスコミにはやされて、
自分らの言葉がドスのきいた威嚇効果をもたらしていると勘違いしているらしかった。
とんでもない話での。
関西弁は大人しい女言葉。
最近のマスコミの調子乗りで誤認してしまった悲劇が
そのプラットフォームで生じて、
乗客みんな乗って誰もいない空間で、
1対1の格闘で、その関西人、ボコボコにされとったわwwwwwww
248 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 02:30:46 ID:x2+0fy0p
昔、大阪におったとき、
街でいざこざにまきこまれたとき、
相手が、
「お前、関東の人間か?」
と、聞いて来よった。
つまり、こっちが、そいつにとって意外に抵抗を見せる者だったからだろうな。
大阪の人間にとって関東人とは、畏怖の対象なんじゃな、と、そのとき思うた。
250 :
白馬青牛:2007/10/09(火) 00:37:15 ID:88taIM7O
>>245 『人国記』じゃあ、東国人は西国の海賊地域に一目置いとるのう。
>>246 まあ全文冗談じゃろうが、わしゃあ朝鮮人、被差別民でも無く、備後に
親戚はおるが安芸の者じゃ。関東より関西の方が気性が荒いが、あんたの
脳内妄想観念論は面白い。「関東=野蛮、血気盛ん。関西=上品、
丸く治める。」は、畿内文化人の受け売りじゃないか。
湯川秀樹氏も「日本では関西が弱くてね。東から北へ行くほど強いん
です。」と、東北最強説を云われる。
実戦の経験もない、福田中尉(司馬遼太郎)氏も、大阪兵の弱さとは、
お上の恐ろしさを知らない弱さです。東北の部隊が強いのは、封建的な
潜在体制や潜在意識が残っていたからです。庄屋、地主のような人が、
実に権威があり、そのまま国家権力の重みを持ってしまう。軍隊という
国家の恐い最深部に入ると庄屋の恐ろしさにおびえる百姓のような
気持ち。」と、半分封建制の強い土地柄の皮肉交じりで、武は野蛮と云う
兵が弱い文化地域を気取る畿内文化人の伝統を継続されとる。
実際、封建制の弱い地域の我が広島部隊は強かったし、逆に封建制の強い
地域の奴隷根性は独立心に乏しく強兵たァ云えんのじゃが。
251 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 01:10:26 ID:QlPLJECZ
>>250 そりゃそうだろ。同じ条件なら広島兵より強い部隊は地球上には存在しないんだから。
>>250 何だか知らねーけど、『新人国記』で気風を褒めてるのは九州だろ。
江戸・東京に近い南関東人は常に洗練されていったし、言葉の荒っぽさも薄まる罠。
人口も急増したし、田舎者が頑張る近代兵団なんか関係ねーw
三河から日本の涯に至るまでの東の地方では、一般に物言いが荒く鋭くて、多くの音節を呑み込んで発音しない。
(『日本大文典』 1608年、宣教師ジョアン・ロドリゲス)
253 :
白馬青牛:2007/10/09(火) 01:13:06 ID:88taIM7O
>>247-248 喧嘩の光景も関西>>>関東じゃろう。関東の殴り合いよのう。ありゃあ
子供の喧嘩レベルを見たわいのう。関西弁云うより大阪言葉が商人言葉、
女言葉で、現在の大阪人は、喧嘩になると隣国の河内弁を使う云うこと
じゃ。司馬遼太郎氏も、大和国北葛城郡の育ちで、河内人との喧嘩で、
毎度討ち負かされ、河内は楠木勢の板東の精兵相手の強さと兼ね合わせて
語っておられる。実際畿内は弱くは無いが、昔文書を残すんは文化人層
じゃけんのう。現代でも、司馬氏を始め、畿内文化人の書物だけが、後世に
残ったら、後世の人間も一般に畿内は弱く、関東や更に東北の方が強いと
後世の人たちは誤認する人も増えるじゃろう。
現在もそうじゃが、戦前全国の兵士が宇品港が出航した広島でも、
関東の兵士が関西の兵士より喧嘩が強い云う話は聞かん。
大阪の者が、関東人を畏怖する云うんも初耳じゃわい。
余程こんなあ(こいつ)、大阪で殴られよったんじゃのう。
254 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 01:13:31 ID:/OC+te+n
>249
=゚ω゚) ウチらの方言ではとても早口の関西弁には太刀打ち出来ないだっぴゃ。
もっとも江戸言葉は啖呵が効いてるが。
そういや三河人が「たわけ!」とか)「やったらあ」とか言ってるのを聞くと
時代劇みたいでちょっといいじゃん。じゃんだらりん。
>250
=゚ω゚) 『雑兵物語』でも東国人は西国の海戦能力に一目置いとるのう。
255 :
白馬青牛:2007/10/09(火) 01:28:02 ID:88taIM7O
>>252 また、畿内文化人の、兵は卑しい板東は東夷で言葉も粗野云う概念を、
関東優位に都合よう変換させる。ポルトガルの宣教師も畿内文化人の
概念の写しで云うとるわけじゃ。関東弁の何処が荒いんか?
水戸っぽの言葉を聞いたら普笑うど。戦前、関東の兵隊は広島弁を聞いて
喧嘩言葉と勘違いしたが、関東の言葉も大阪言葉と同様やおいのう。
楠木は地元だから強いっていうか、最初のは精兵じゃなく実戦経験を踏んでからだろうな。
関西弁は柔らかい。
usiの広島弁に笑うど。荒くもねーし可笑しいだけw
257 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 02:30:36 ID:/OC+te+n
=゚ω゚) うむ。広島弁と言えば菅原文太じゃけんのう。
癒しの関東弁は警視庁御用達だな。
おう牛っころきしょ、いしゃひとごどけっけめだぁちくらっぽいってっけど
ほぉたしょーどもねぇぬるだっけぇごどいってっからでれすけだっちぃんだよ。
〔訳〕
やあ、皆さんごきげんよう。ボクの名前はハックルベリーフィン。
ミシシッピーと間違えて利根川へやってきた。
258 :
白馬青牛:2007/10/10(水) 02:00:55 ID:d0rANwrH
>>256 関東人の観念論は、カルト信者の信仰と同じじゃのう。
河内の精兵は、古墳時代からの伝統よのう。そう云えば、板東武者も
河内源氏に隷属したわい。北関東の「べい」や「だっぺ」荒いんか?
ほいじゃあ、東北弁は北関東以上に荒いんか?
『人国記』よのう。九州じゃあ肥前、日向、薩摩を誉めとるが、
陸奥を「言詞卑劣なれども、勇気は日本に比ぶ所もあるまじ。これにより
無益の死をする者あり。」と、東北が一番勇敢なんじゃげな。
『人国記』を記したんは信濃人説が有力じゃが、信濃を始め東国人は、
東北に武勇で劣等感を持っとったんじゃのう。逆に畿内を根拠ものう、
ボロクソに貶す。東国文化人の強がり偏見は、畿内文化人の武や兵を
卑しむ伝統と共に、現代も受け継がれとるのう。
>>257 映画の『仁義なき戦い』菅原文太氏が主役じゃったけえ、広島弁の印象が
強いんじゃろうが、菅原文太氏は宮城県人じゃわい。
ミシシッピー川と利根川か。米国の西部開拓と日本の東国開拓の象徴的な
川の一つか?米国の西部開拓で、ミズーリ川を西に渉ると無法地帯。
ペコス川以西は法が無い。じゃの西部は荒らしい無法地帯のイメージが
あるが、実際は西部より東部、南部の方が荒々しい地帯じゃったように
米東部人が作った西部劇伝説じゃけんのう。日本も東国開拓で、
東国勇者伝説が出来た云う共通点があるのう。
259 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 19:14:57 ID:cf1bByny
=゚ω゚) うむ。南部の映画と言えば国民の創世とミシシッピーバーニングじゃのう。
>河内は楠木勢の板東の精兵相手の強さと兼ね合わせて語っておられる。
=゚ω゚) 「板東の精兵」とは宇都宮氏の事じゃろうか?まともに戦っておらんと思うが。
>北関東の「べい」や「だっぺ」荒いんか?
=゚ω゚) 旗本奴の六方詞でも、いっちょ聞かせて見るべいか。
イキとイナセでおっちょこちょい。義理と人情とやせ我慢。火事と喧嘩は江戸の華
それが江戸っ子の気っ風ってもんだぜ、べらぼうめ。
>菅原文太氏は宮城県人じゃわい。
=゚ω゚) もう広島でいいじゃん。朝日ソーラじゃけんのう。
260 :
白馬青牛:2007/10/11(木) 00:43:58 ID:OksTrUWA
>>259 『国民の創生』とは、サイレント時代でだいぶ古いのう。ミシシッピー
バーニングは最近じゃが、19世紀でも現在でもそうじゃろうが、
米南部の方は気性が荒い。決闘じゃあ相手の眼球や睾丸を切り抜いたり、
南北戦争で北部派と南部派に別れた中東部のケンタッキー等は、
治安判事から商人まで家族同士の反目、虐殺、暗殺で2800人が死んだ
そうな。
司馬氏の「関東の精兵」云うんは解らんし、そもそも関東に精兵が
おったんかいのう。他の板東勢が弱く、宇都宮氏だけ強かったんか?
太平記の楠木正成のリップ・サービスが根拠か?
江戸の六法(六方)、旗本奴云うより町奴の奴詞の「べい」か。
イキとイナセは江戸後期じゃないか。大阪の六法者云うたら
「灘波(白浪)五人男」じゃのう。
菅原文太氏は、「仁義なき戦い」で回を重ねるごと、広島弁云うか
呉の芸南方言が上達されたのう。時代はパーシャルじゃ。
>>253 殴り合いといえば、関東出身に名王者多し
>>259 じゃ、アンガールズで
>>258 >河内が古墳時代から伝統
なにそれ?w
河内源氏はマヤカシ。下級貴族として京が本拠で、猛き坂東の地盤(緩い関係)が命綱。
河内の地盤は京武者としての必要性から、家人養成所程度のものだろ(=強い支配)。
ズーズー東北弁は歯切れが悪い。東北に武勇で劣等感などない罠。
関東的な荒い「ぶっ○す」とか、「〜ろ」、「つっ〜」、「〜ー」、「〜だ」、「じゃん」、「べい」
標準語(=東京語)は近代以降に創られた言葉。
常陸・下野の方言は関東・東北の中間地帯ともいうが、神奈川とか西関東が荒い。
長野でも佐久地方は群馬に近いので、言葉が荒いといわれるそうだ。
近世だと身分の違いによる言葉の差があったというし、江戸でも高級武士と野卑な一般町人とで違う。
今に残る西関東のも中世の武士が使ったそれとは違うかもしれんな。
>>260 つか悪党厨の太平記でも、騎馬で強い坂東武者は描かれてるし。
広島の精兵は水軍以外で聞いた事ないな。近代兵団は武士のようなプロの戦士じゃないだろ。
262 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 19:21:49 ID:AFkS6EMm
>殴り合いといえば、関東出身に名王者多し
=゚ω゚) ガッツ!ガッツ!ビバガッツ!伝説の男〜♪だが自伝映画では「どついたるねん」に負けてるか
しかし芸人としては宮城のたこ八郎を越えたとオイラは分析しちょる。
やはりカコ良さでは白井義男じゃのう。
>他の板東勢が弱く、宇都宮氏だけ強かったんか?
=゚ω゚) 宇都宮氏は鎌倉北条家の治安維持部隊だよ。関東、東北のみならず全国の
悪党退治に出動している精鋭部隊じゃったな。
>時代はパーシャルじゃ。
=゚ω゚) むむっ!!3スレ目にして初の敗北感!牛恐るべし!
今日はT豚Sでレスリング中継があったとさ
ガッツはRデュランと戦ったのが凄いな
264 :
白馬青牛:2007/10/11(木) 23:59:54 ID:OksTrUWA
>>261 関東人の一般的レベルを云うたんじゃが、ボクサーになっとる。
関東の名王者云うたら、加納貢氏や花形敬氏などの実戦に強い喧嘩の
プロを挙げるんか思うたわい。
アンガールズは標準語じゃないか。
河内の史氏ら馬飼いや大和の東漢氏は弓馬の家柄で、板東のセミプロや
徴発された奴隷兵たァ違う。『人国記』じゃあ東北の武勇に劣等感を
持っとるのう。陸奥>越後>板東諸国じゃ。関東で歯切れがええ言葉は
江戸下町言葉ぐらいじゃろう。英国のロンドン、イーストエンドの
コクニーに相当するかどうか。まあ関東は女々しい言葉を使うけんのう。
板東武者は、米国の西部劇と同じ東国勇者物語に過ぎんよ。強かった根拠も
ない。広島県の精兵は水軍?まあ、当時の水軍の戦闘は、大陸の大型船の
船自体の戦闘と違い、白兵主義の要素が強いのう。
近代兵団は武士のようなプロじゃない?大爆笑じゃ。笑いが止まらんわい。
上層武士は、農場経営者で商人の性質が強い云うんなら解るが。
西日本の兵卒は職能傭兵集団の側面は強いが、東国の兵卒は徴発された奴隷
じゃないか。民俗学者の千葉徳爾氏は、武士の心の伝統精神は、「家禄に
依存した」武士より、「常に生きた野性生物と闘って生計を立てて来た
漁夫や猟人たちの間こそ、むしろ強く受けつがれて来た」と、される。
まあ、身分的に武士になるんは、堕落する一形態じゃろう。
>>264 >河内の史氏ら馬飼いや大和の東漢氏は弓馬の家柄
また南朝鮮系の渡来人か。結局それしかないのね。
河内や大和の極少馬牧で細々と・・・、蘇我氏や物部氏の家来同然の漢氏。
>女々しい
標準語が身に染み付いてるから。田舎の方言丸出しからすればそうだろう。
歯切れは相模。
>>67の東カラスとか
江戸初期の例で、坂東言葉は喧嘩のように聞こえたというぞ。
>職能傭兵集団、奴隷
意味不明
>野性生物と闘って
穢れを怖れぬ狩猟人の東国武者や九州武者の事だな。
現代人でも近畿地方は墓を忌んだり。
新人国記と人国記の内容は似通ってるんだろ。だとすれば越後>坂東とは読めない。
著者が信濃人だから、信濃を一番に挙げてるってことか。
新人国記じゃ近畿や山陰方面は散々に書かれてるだろうにw
その文だと千葉氏は近世武士を意識してるとしか思えないが。
266 :
白馬青牛:2007/10/12(金) 00:45:01 ID:lsNScILl
>>262 宇都宮氏の全国悪党退治云うて、行った諸国の一覧表は?
初の敗北感?何じゃそりゃあ。
>>261の近代兵団でも、指揮官クラスじゃあ、戦国時代を笑えんほど
じゃった。後方部で戦闘の責任を前線に押し付ける司令官、小勢を率い
大軍相手にどうにもならんのに、自分の死に花を咲かそうと、一人で
死ぬのが淋しいせいか、部下に自分と共に死んで呉れと頼む自分に酔う
指揮官等、軍や兵卒を自分の所有物とカン違いしとるセンスは近代じゃ
ないのう。西洋でも近代以前の封建時代は、封建領主にとって兵は
所有物で、アンスバッハ辺疆伯、カール・アレクサンダーは、
パリの女優クレーロンや、クレイヴァン夫人に夢中となって、
国庫を空にして自分の軍隊をイギリスに売り飛ばしたが、
自領の人間を売り飛ばして何が悪い。封建領主として当然の権利じゃ。
と云うわけで、ドイツの小国の国家及び人民は支配者の私有財産で
あるという例証であるが。西洋もフランス革命以前の後進地帯の
ドイツやロシア等の東欧は、そがいなもんじゃ。
日本も特に封建制の強い、後進地帯の東日本なんか、同じような領主の
私有物の奴隷兵じゃろう。
まあ田植草紙の故郷である中国山地なども、畿内や尾張のような先進地じゃないけどなw
そこに存在したのは豪農(地侍)と零細農民だろ。
268 :
白馬青牛:2007/10/12(金) 22:30:46 ID:lsNScILl
>>265 東漢氏は、新沢千塚古墳から鮮卑的要素もあり、南朝鮮の伽耶地方の
渡来だけで人口を増やせるわけあるまい。
河内の牧でも、東国の牧でも遊牧するだけの土地はない。蘇我氏も
百済人説や坂口安吾氏も高句麗説もあるのう。『日本書記』は、
後世書かれた文学書じゃが、まあギリシャでも歴史は文学から始まるので
歴史文献等は、作家が歴史小説を書くんと大差ない。当時の蘇我氏が
豪族か天皇じゃったかどうかまで解らん。
相模弁?そもそも関東の「つっ〜」「〜だ」のどこが荒いんか?
畿内文化人が野卑な言葉と考えただけで、近代広島へ来た関東兵の言葉が
女々しいと馬鹿にされたんものう、逆に関東人は、普通の広島弁に喧嘩か、
かん違いしょったぐらいじゃ。
西日本の職能技術集団と東国の徴発された奴隷兵は違う。
穢れの概念は、動物食を常用するモンゴルでも、動物解体んの時、大地に
血を流したら穢れる、とあるんじゃが。狩猟民要素なら畿内>関東
じゃろう。関東人は、シジミ汁の汁を飲んでもケチくさいじゃ考え、
シジミの身を食べん馬鹿がおる。命を取った生物に供養の気持ちもない
外道らじゃ。関東人に云わせると、ケチくさい畿内人の粗末にせん
食べ方の方が余程真っ当じゃ。
269 :
白馬青牛:2007/10/12(金) 23:39:33 ID:lsNScILl
>>265 そもそも、傷ついた動物や、弱者に温情を持つんが狩猟民の論理で、
間引きや僧侶、乞食を殺して自ら勇者と思い込む板東人に道義を求めても
無駄じゃと諦めとるわい。
『人国記』の「越後の国の風俗、千人が九百人は、人に負ける事を嫌ひて、
仮初にも勇を嗜み」と、相模の「科なき人に科を付けて謗りをなし、
非有る人にも、時めく人をば馳走常してこれを褒美し、常に栄花を好み、
好味を求めて酒色を弄ぶ風儀十人に八、九人かくの如し」じゃけんのう。
信州は「柔弱の人も、後には義理を知りて国風となるなり」と道徳心が
強いじゃの自己讃美じゃのう。畿内や山陰等の西国を根拠ものう貶すんは
東国文化人の一般的傾向じゃわい。
千葉氏の武士論は、戦国〜近世の武士を中心に、現代に残る狩猟伝承との
比較考察されとる。
>>267 中国山地は貧しかったろうが、東国縦社会ほど悲惨じゃないよ。
尾張は、物質的、織田氏が如く家臣団の組織形態も先進地帯じゃったろう。
じゃが、織田信長は、京町衆や堺の自治を破壊し、門徒衆に圧力を加え、
東国に隣接地帯の東海勢力として、東国的圧政を西に押し付けた
馬鹿暴君で、滅ぶべくして滅んだが、東国的支配は豊臣、徳川に継続された
けんのう。強権専制云う意味じゃあ後進的であろう。
まあ当時の先進地帯は、門徒勢力の強い北陸や三河一向一揆等が、
東国の縦社会と違うんは糸魚川〜浜名湖ラインの東西分岐点に求められ
よう、ほいで西の端で東に領地を得た徳川家康によって東西日本の
政治的統一が完了した云うことじゃ。東海地方は民衆は先進的じゃが
上層武士は、東国の影響を受け、政治支配には後進的じゃろう。
270 :
白馬青牛:2007/10/13(土) 00:25:04 ID:yjcwPfLN
日本の東西境界は、糸魚川〜浜名湖ラインとして、西洋は、東西冷戦時代の
エルベ川あたりか。東部ドイツはプロシア地方貴族の土地で小作農奴が
多く、独立自営農が育たんかったが、西部ドイツはそれと比べると先進
地帯であるが、英、仏の連中はドイツ自体、後進的じゃと。
ドイツで少々の違法行為でも市民が警察に通報するんは、社会的義務で
あると云う考えに対し、英仏の連中は、警察という公権力への密告は、
警察国家で、専制的全体主義のドイツ人のやることと眉をひそめる。
司馬遼太郎氏の大好きなオランダは市民社会を作り、ドイツは
違うんじゃろうか。ドイツの宗教改革やドイツ農民戦争もあったが、
日本の北陸や東海の一揆と比較出来よう。ドイツは西洋の西側か
東側か判断しずらい処。東日本は専制全体主義で、民衆は農奴で
東欧的、ロシア的な臭いが強い。道理で共産主義者や同類の板東人が、
関東武士がブルジョア的都の貴族や、都化した武士から、政権を確保した
関東武士万歳物語を喜ぶわけか。
271 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 01:52:50 ID:R8gmr4lC
>関東の名王者云うたら、加納貢氏や花形敬氏などの実戦に強い喧嘩のプロを挙げるんか思うたわい。
=゚ω゚) 関西きょくしんれんごうの渡辺二郎は極真ではなく日拳じやった。
もともと日本のボクシングを作ったのは渡辺勇次郎じゃのう。
実戦用の方言は鹿児島弁じゃろ。外務省も薩摩弁を暗号代わりに使用しておったそうじゃわい。
>宇都宮氏の全国悪党退治云うて、行った諸国の一覧表は?
宇都宮頼綱 : 奥州藤原氏討伐
宇都宮貞綱 : 『元寇』 鎌倉幕府軍総大将。
宇都宮公綱 : 楠木軍討伐
=゚ω゚) ふつうに鎌倉の治安維持部隊じゃが。
>そもそも関東の「つっ〜」「〜だ」のどこが荒いんか?
=゚ω゚) ふつうに喋っててもよく他の地域の人から喧嘩かとかん違いされるけどな。
おう牛ころきしょ、いしゃしとごどけっけめだちくらっぽいってげど
ほたしらばくってっがらでれすけだっちんだよ。
>シジミの身を食べん馬鹿がおる。命を取った生物に供養の気持ちもない外道らじゃ。
=゚ω゚) もったいないから殻ごと食え!
>『日本書記』は後世書かれた文学書じゃが
=゚ω゚) へ??
272 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 02:58:27 ID:4IDIPCWw
一回牛の脳内を覗いてみたいもんだ
多分三日ぐらいは楽しめる筈
273 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 18:17:24 ID:ADUqeeoH
まだやってるのか。
暇だから通報でもしてみるかw
274 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 18:21:37 ID:kt5uKf7g
たのんだぞ
275 :
白馬青牛:2007/10/14(日) 01:02:43 ID:wfC4GoiS
>>271 奥州藤原氏が悪党か?『元寇』戦の武勲は何か?全て宇都宮氏に限らんこと
じゃないか。
他地域云うてどこのもんが、柔な関東弁を喧嘩と勘違いするんの。
わりゃシジミの殻を食えるんか?わしゃあシジミの身を云うたんじゃが。
『日本書紀』が文学書じゃのうて何なら?宗教の経典か?
usiわろす
277 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 02:17:01 ID:3LrvEbul
>織田信長は京町衆や堺の自治を破壊し門徒衆に圧力を加え東国的圧政を西に押し付けた
=゚ω゚) 京町衆の自治とは法華一揆の事かいな?
一向宗vs法華vs南都北嶺の見苦しい宗派間の縄張り争いじゃないかね?
学生コミュニストじゃあるまいし堺の町衆が平和な自由都市じゃったと思うちょるのか?
京も堺も武器商人ばっかしぞね。
重商主義が常備傭兵を雇いいれても石原莞爾の言うように
『金で備われて来る兵士に対しては、どうしても専制的にやって行かねばならぬ。兵の自由を許すことはできない』
兵卒にとってはあまり平和とはいえん状況じゃったろう。
>全て宇都宮氏に限らんことじゃないか。
=゚ω゚) おまいさんが 『宇都宮氏の例を挙げろ』 と言ったんでないかい。相変わらずじゃのう。
278 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 02:24:19 ID:3LrvEbul
=゚ω゚) しかし牛はシジミの殻食えないのか?土光さんはカニの殻まで食ったらしいぞ。
藻前も土光さん見習って立派な牛になるんじゃぞ!
ちなみに今日のウチの晩飯はシジミ汁じゃったが、もちろん殻は捨てた。
寛文のころ、外舅江戸在番より庄内へ帰りて、江戸表繁盛のよし咄けるに、右外曾祖母の云、
江戸はさほどに繁盛なりたるや、昔初て江戸へ大阪より下りたる頃は、よし沼のみ多かりし。
日本橋と云所にて、刀脇差ぬきもちてわやわやといふもの有しに、乗物の内より供の若党に、
喧嘩がゆくにやと尋しに、いや刀を売買ふにて候と、答たりしと咄しけると也。
乱世の後にて、立ちながらも抜身を持て、坂東声にて応答などしたらんには、
畿内の声なれぬには、喧嘩とも思ひけんかし。
大坂にては、その比江戸ものを関東べい、関東ざアといひて笑ひたると也。
今大都会と成て、物言も華に変じぬ。
(『異説区々』)
畿内は言葉甚だ乱雑也。分て京摂は他方混じて野となること多し。
(『橘庵漫筆』=19C初頭、田宮仲宣)
280 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 18:43:31 ID:XPjskXZO
>>272 裏を返せば三日で飽きる程度と言うことか!
281 :
白馬青牛:2007/10/14(日) 22:18:31 ID:wfC4GoiS
>>277 信長によって堺や京の町衆自治が壊されたわけじゃが、学生コミュニストの
云うて、誰の意見か?町衆による合議制は、東日本縦社会の専制より
ましじゃろう。傭兵が西洋でも人身売買の品物じゃったんは、
>>266でも
封建領主による自国兵も売買したことを挙げとるで。西洋の例では、
農村が兵火に荒らされる。直接に兵火にさらされなくとも、戦費調達、
物資の徴発が厳しいことから喰うことが出来ん農民が増える。そうすれば
兵隊を募り易くもなる。戦争は戦争を養うもの。英国が、植民地アメリカの
反乱軍を鎮圧する為の軍隊で傭兵をドイツの領主から買いとった値段が、
2万9千人で7百万ポンド。
「好鉄不打釘、好人不当兵」良い鉄は釘にせず、良い人間は兵にならない。
近代国家以前の領民兵、傭兵等の兵隊は、概ね奴隷じゃった。まあ、
傭兵でも技術を持った職能集団は、売り込み先が多きゆえ、幾人かの
領主側と交渉出来るじゃろう。同じ傭兵でも農民が徴発された場合と
技術集団じゃあ違うわいのう。
282 :
白馬青牛:2007/10/14(日) 22:50:04 ID:wfC4GoiS
>>278 シジミの殻は喰えんが、カニの殻は油で揚げるか、殻を粉ぐらい砕いても
喰えるど。隣の岡山県人の土光敏夫氏は、財界には珍しい、質素な暮らしを
された方で、立派なことじゃ。わしも見習いたい。じゃがわしは、酒食に
溺れる悪い癖がある。反省すること毎度が現状じゃ。
間違うても太閤秀吉のような贅沢な見識も程度の低い人物をまねせんように
じゃのう。と云うてもわしに、贅沢する金が無いんは幸いなことよ。
明日から忙しいけえ、2、3日書けんわい。はあ、寝るど。
しじみ論争はusiの偏見w
284 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 23:58:33 ID:XPjskXZO
牛の辞書に反省と言う言葉があった事に驚いた
285 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 00:11:36 ID:/GCmAc0k
>281
=゚ω゚) それは西国の名主制の名残ではないか?おまいさんの言う農民の徴制も
西国では荘園の名主に徴税と人員徴集を拠ったのに対し東国では軍事態勢が確立したので
名主ではなく郎党や地頭になった。この西国荘園制からはみ出したのが牛の好きな西国悪党だろ。
東国では荘園なんて、その頃にはほとんど廃れておる。
富裕都市国家が兵役を嫌いプロ傭兵を雇うのはイタリア戦争の常道
ルネサンスイタリアでは奴隷(傭兵)が王になると言われたほどだ。
もっともルネサンス傭兵隊もスイスの長槍傭兵隊には手も足も出なかったようだが・・・
石原莞爾はこう続けておる。
>常備傭兵になりますと戦術が高度に技術化するのです。くろうとの戦いになると巧妙な駆引の戦術が発達して来ます。
つまり技術集団じゃあのうてプロ集団じゃ。維持するのに金がかかる。
17Cのフランス高官が言うには「スイス傭兵に支払う金額はパリからバーゼルまでの道を金で覆い尽くせる」
とまで言わしめた。スイス「血の輸出」だな。
>同じ傭兵でも農民が徴発された場合と技術集団じゃあ違うわいのう。
=゚ω゚) それは百姓をなめすぎ。江川太郎左衛門が泣いておる。
♪富士の白雪ゃ農ー兵〜♪
>282
=゚ω゚) おう、国のために働けよ牛!
>283
=゚ω゚) そうね。オイラはふつうに食うちょります。
usiが来ないと過疎る
287 :
白馬青牛:2007/10/19(金) 00:08:36 ID:KjW1To1U
>>283 しじみ論争はわしの偏見?わし自身や知人の関東食文化体験もあって云う
とることじゃ。ネットで検索したら、面白い見解も出て来るのう。
http://blogs.dion.ne.jp/solder21/archives/3694699.html 「師(三遊亭円丈)曰く、東京モンはしじみの身を食べず、汁だけ飲み、
名古屋人は身を食べるということだ。」と、なると名古屋人=狩猟民、
東京人=農耕民云うことか。静岡県でもしじみの身を食べたようじゃ。
>>284 わしが反省もせん傲慢な人間じゃ思うとったんか?
>>285 西国と東国の社会制度の違いは、荘園云う以前に、西国の横の一揆連帯と、
東国の縦の主従関係の惣領制の違いがあろう。荘園が崩壊しても、
新しく支配者が変わっただけで、主人と奴隷の関係は変わらん。
西洋では、英語でスイス・ガードと云えばスイス人傭兵じゃが、
ドイツ系の「ランスクネ」も同様、山岳傭兵で需要があったわい。
スイスの国自体が、1848年まで傭兵口入稼業をやりよった。
スイス傭兵の歩兵長槍部隊は馬上の騎士を引きずりおろして討ち取っよった
けんのう。
288 :
白馬青牛:2007/10/19(金) 01:24:07 ID:KjW1To1U
>>285 石原莞爾氏の最終戦争論で、「長年養って商品化した兵隊は非常に高価で
濫費することは、君主として惜しいので、なるべく斬り合いはやりたく
ない。」ことから持久戦になり、「なるべく兵の血を流さない戦争」と
云う牧歌的なもんがプロ集団と云えるんか?
金がかかる以前に、シェイクスピアの『ヘンリー四世』の150人の兵隊を
募る代わりに(独身者に徴発を集中して身代金を要求)300ポンド以上の
金を手に入れ(免役料を出した奴らの埋め合わせに雇い入れ)て員数を
そろえたよう、中国国府軍の徴発のやり方、将校が給料を着服するやり方
と同じで両者の違いは、西洋が近代国家の成立が早かっただけじゃ。
百姓をなめとるんじゃのうて、同じ傭兵でも無理矢理兵卒にされたんと、
錬度の高い戦闘技術を持って傭兵になった集団と分類する必要がある云う
ことじゃ。
289 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 01:07:54 ID:itQrH0e1
>ドイツ系の「ランスクネ」も同様、山岳傭兵で需要があったわい。
=゚ω゚) 『ランツクネヒト』ね。「Landsランド田舎-Knecht兵士」南ドイツの傭兵隊。
山地出身者も居たけどランツクネの大部分は都市部の流人、無宿人そして零細農家の次男、三男だよ。
騎士に雇われた無宿人部隊。ヨーロッパの悪党部隊じゃのう。
・・・つーかマジで悪党軍団だったようだが。
それに対してスイスは国家統制の出稼ぎ傭兵だな。
国家契約条項の中に「スイス兵は分散させずに一まとめにしておき本人が帰国を望めば
これを許可する」の条項が有る。
ハイジのおじいさん(アルムおんじ)もナポリのスイス傭兵隊所属じゃのう。
>「なるべく兵の血を流さない戦争」と云う牧歌的なもんがプロ集団と云えるんか?
=゚ω゚) 当時の傭兵は基本素人だよ。だからスイス式槍の方陣体形が多く使われた。
これならたいした訓練は要らないからな。
スイス兵はランツクネヒトの銃攻撃に破れ。ランツクネヒトは経済破壊によって衰退し
それらは軍律によって訓練された近代組織のオランダ軍プロ歩兵によって駆逐される事となる。
290 :
白馬青牛:2007/10/20(土) 22:58:25 ID:MbzmAPBt
>>289 東日本の無宿人と西日本の悪党を同一視出来んわい。社会組織が違う。
グィッチャルディーニは、ルネッサンス期の傭兵について、
「彼らは、一つの要塞を攻略するのに、一夏を費やした。その為に、戦争は
果てしなく続いたが、その作戦行動はわずかな戦死者を出すだけで、
ときにはまったく戦死者を出さずに終わることもあった」と、傭兵は
敵味方お互いにビジネスでやっとるわけじゃし、両者とも不利益なことは
せんよ。
ほいで国営傭兵と違い、封建領主の私兵の場合は、自己の運命が領主次第に
なるけんのう。傭兵にも様々種類があるわ。
江戸期、宗門人別帳から除外された者が無宿。
中世の悪党と比較しようも無いが、そりゃ社会組織が違うワイ
292 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 02:55:02 ID:ZHjarGIw
>ルネッサンス期のルネッサンス期の傭兵について
=゚ω゚) かのマキャベリが言う傭兵の「無血戦争」の事だな。
だがルネッサンス期の傭兵の場合、重装騎兵のみを戦力と数え、歩兵や兵站要員は
「人間ではない存在」ので無視される。実際の死傷者数はもっと多かったと言われる。
また強すぎる傭兵隊長は危険視され、政府や教会にマジで誅殺されたため、敵味方の隊長同士で通じ合い
契約期間(約半年)をひたすら消化する事に務めた。
もっともこのイタリア傭兵はフランス王率いるスイス長槍部隊によって駆逐されるのだが・・・
>東日本の無宿人と西日本の悪党を同一視出来んわい。社会組織が違う。
=゚ω゚) ??以前書いたと思うが北畠親房は
「諸国同時ト申シナガラ、当国ハ殊ニ悪党蜂起ノ聞ヘ候」と東日本悪党の規模の大きさを
示唆している。彼等は武家も多い。
usiが貶す近世の薩摩
▽『西遊記』 寛政7年刊行、著者橘南谿(1753-1805 伊勢国出身、京の医師)
薩摩国は日本西南の限りにて極辺境なるがゆへに、他国の人の往来も少なく
又、国境の関所堅ければ商人も入ること少なし、まして遊歴の人は猶さらなり。
其故に人民朴質にして絶て戦国の余習去らず、人々義烈をたつとぶ事天下無双にして他国の及ぶべきにあらず。
294 :
白馬青牛:2007/10/22(月) 00:28:35 ID:fbXoThL6
>>292 ルネッサンス期自体、重装騎兵隊「徒歩の小姓(騎士予備)と従者
(一部は馬と共に後退し、一部は長槍を持って騎士と共に前進する)」の
編成で。兵站要員は徴発された民としても、そがいな編成で実際の
死傷者数が増えるんか?
傭兵隊に迷惑したんは現地民で、徴発(略奪)と強姦と軍紀の弛緩した
集団じゃったけんのう。
横社会の合議制の西日本と縦社会の主従制の東日本の社会組織が違う
云うことで、悪党の形態も違う云うたんじゃが。
295 :
白馬青牛:2007/10/22(月) 00:40:27 ID:fbXoThL6
>>293 わしが貶す?儒教朱子学国家の薩摩じゃあ、門徒衆は、隠れキリシタンと
同様、隠れ念仏にならにゃあいけんかったけんのう。李氏朝鮮と同じ形態の
薩摩は、朝鮮的、朱子学的伝統から義烈をたつとぶ事天下無双じゃのう。
幕末でも伝統を引継ぎ、昨日は会津、今日は長州と腰が軽い。
まことに人民朴質な伝統よのう。
一向宗は檀家制度に感謝しないとな
297 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 20:56:27 ID:hSb/7aMK
>294
>重装騎兵隊「徒歩の小姓と従者。兵站要員は徴発された民としても、
>そがいな編成で実際の死傷者数が増えるんか?
=゚ω゚) 増えないだろうねぇ歩兵が少なすぎる。石原莞爾が言う商人に雇われた高価な兵隊がこれだろう。
でもシェナなんかは傭兵隊によって陥落してるようだし、まじめに戦ってたヤツもいたと言う事なんだろう。
それに流れ者の傭兵たちを定着させて戦わせないようにしたのが
元傭兵隊長のスフォルツァ公自身だったりする。
商業都市にしてみれば儲からない戦争は必要ないと言う事だろう。
悪名高きランツクネヒトですらドイツ農民戦争の鎮圧部隊に投入したら逆に寝返って農民の味方になって
反旗をひるがえした部隊も有ったという。
まぁ戦う時は戦うが、戦わずに済めばそれにこした事はない。
298 :
白馬青牛:2007/10/23(火) 23:52:37 ID:AOdxEEmy
>>296 檀家制度の懐柔策を採った徳川幕府に、何で感謝する必要があるんか?
>>297 儲からん戦争云々以前に、前の時代のジョン・ホークウッドらの市民に
対する掠奪、強姦もひどかったわいや。
ほいで、傭兵は後にスイスや南ドイツ、ウェールズ、スコットランド等の
山岳兵が多い。アイルランド兵の場合は山岳兵と言い難いが。
まあ支配者は同族よりも支配した地域の民を前線兵士に使うが、
英国は世界中に植民地を持ったけえ、後世は、インド兵やグルカ兵を
使うた。特にチベット系のネパール山岳民のグルカ兵は、現在でも
世界最強の評価もあるけんのう。
イスラム社会の軍人奴隷でも、コーカサスの山岳兵は評価が高かったわい。
299 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 01:13:08 ID:PLspQ+KO
=゚ω゚) ホークウッドはイングランド人じゃろうが・・・
ふつうに悪名高かっ・・・いや強かったのはドイツやボヘミアの傭兵だよ
もっともそんな傭兵、重騎兵たちも、オランダ国軍の歩兵、砲兵、軽騎兵、による
自在な機動力と組織戦、塹壕戦により駆逐される。オランダ独立戦争だな。
そして彼等はスペインからの独立を果たし1600年の日本へとやって来るワケだ。
・・・やれやれ、やっと繋がったわい。
そういやこの頃、黒田官兵衛は関ヶ原のドサクサにまぎれて近隣から兵を金でかき集め
領地を広げまくってたな。
300 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 07:04:06 ID:+PwQWSXC
301 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:44:16 ID:xQwlbqik
旧軍で精鋭といえば九州と東北の師団だったがなあ
303 :
人間七七四年:2007/10/24(水) 20:51:06 ID:xQwlbqik
>>302 講っていうんだよ
S学会は現代風にアレンジして広まった
檀家制度と講は特に関係ない
講に近いのは田植行事も。『田植草紙』などの
田植新庄クジ運いいな
305 :
白馬青牛:2007/10/24(水) 23:06:46 ID:Bi9R4pw9
>>299 ジョン・ホークウッドは、エセックスの革職人の倅じゃが、イングランドも
傭兵の産地で、海外傭兵輸出国じゃ。ドイツ・ボヘミア傭兵が強かった
んか?後世の第一次大戦のスコットランド高地部隊とドイツ軍の戦いでも、
スコットランド兵は強かったし、新大陸でも、英国のケルト系は傭兵として
ドイツに劣らず需要も高かったよ。ほいでそのオランダも、後世
インドネシアでは日本軍との闘いに逃げる闘志欠如じゃった。
まあオランダとイタリアは弱兵の評価もあるが、ガチンコで他国と戦闘した
場合は強いんか弱いんか解らんわい。
>>301 旧軍の精鋭といえば、世間の風評人気の九州と東北の師団に対し、歴戦の
実績を誇る実力の広島師団よのう。九州と東北の師団云うて、九州には
熊本師団(熊本・鹿児島・宮崎・大分の兵)と北部九州の久留米師団
(福岡・佐賀・長崎の兵)で、東北では弘前師団(青森・岩手・秋田・
山形の兵)と仙台師団(宮城・福島・新潟の兵)であるが、具体的九州と
東北の中でもどこの師団を想定して云うとるんか?その中で広島師団
(広島・島根・山口の兵)よりも実績のある師団があるんなら、具体的に
示さんかい。
306 :
白馬青牛:2007/10/24(水) 23:17:22 ID:Bi9R4pw9
>>302 ほう、全国的な檀家制度でも西国は格差の少ない横社会で、東国は地主と
農奴奴隷の格差のある隷属縦社会じゃった云うことか。社会基盤が
列島東西じゃあ違うけんのう。同じ制度でも風土の「性」が違うわいのう。
檀家制度は檀那寺である寺と個人(家)の関係だろ。
その上の本寺、さらに幕府や藩は君臨するが。
なんで東西の横とか格差だとか出てくるの?w
308 :
白馬青牛:2007/10/24(水) 23:58:54 ID:Bi9R4pw9
>>307 列島東西の社会組織の違いを無視して、うわべだけを見ても意味がない
云うことじゃが。
309 :
人間七七四年:2007/10/25(木) 00:08:08 ID:1R3NMOTL
>303
=゚ω゚) 講は現代の相互銀行の前身でもあるね。保険の無い時代には重宝だったのだろう。
幕末最強の経営コンサルタント二宮金次郎も信用組合方式じゃけんのう。
だがしかし、凶悪な講も有る。
ネズミ講は無限連鎖防止法により姿を消したけど、その方式は生き残り
現在は直接金銭を使わず品物を会員制で子ネズミを増やす『マルチまがい商法』となりもうした。
もし、その様な連中に「それはネズミ講ですか?」と尋ねてみて
「違います!そう言う貴方こそネズミ講って何だかご存じなのですか!!」と聞き返してきたら
そいつは間違いなくマルチ商法です。
ちなみにマンガのナニワ金融道でも同じ事をやっている(藁
>>305>ドイツ・ボヘミア傭兵が強かったんか?
=゚ω゚) だからそのドイツ傭兵が
>>287の「ランツクネヒト」だっちゅうのっ!
ボヘミア傭兵が強かったのはトルコと戦っていたから。
えげれすのホークウッドが戦に巧みなのは当時、英仏100年戦争が終わったばかりだったから。
オランダ兵が強かったのは国が貧乏でロクな傭兵が雇えなかったので
自軍を一生懸命訓練したからw
要するに戦歴と練度の差だわ。
まあ、彼等もカルヴァン派やフス革命の宗教革命の戦士であったと言えなくもない。。。かな?
>>308 宮本常一の粗い区分けだろ
それこそうわべだけだろうよ
田植草紙にも田主殿を称える歌があるし、田植行事も中国地方の縦社会を表してるよ。
時代が下るが、江戸後期・幕末の広島藩内で一揆・打ち毀しが頻発してる事実をどう説明するんだ?
安芸国内の一向宗寺院も、毛利と本願寺の濃密な関係以降に他宗から転宗した寺院が多いんだろうよ。
それに寺檀制度下において寺院数が飛躍的に増加した事実は全国共通のことだし、
だから安芸に浄土真宗寺院が多いからといって、安芸人が戦国以来の門徒だと言えない罠。
真宗寺院を中核とした講が存在したのが近世の安芸門徒ではあるが、かなりの安芸百姓にとってもルーツは葬式仏教だよね。
まあ以前usiが書いてた「(安芸武士が)門徒だから強い」だなんて屁理屈は通用しないって事だ。
311 :
白馬青牛:2007/10/26(金) 01:42:01 ID:981F4Esj
>>309 百年戦争のイングランドの弓隊とホークウッドの重装騎兵隊は違うけど。
オランダ兵が強うなったんは市民社会制度の影響もあろう。
>>310 宮本常一氏は文献の机上の理論じゃのうて、実際日本各地の農村を回り、
調査されとるよ。その何処がうわべなんじゃ?
宮本氏の広島県の地主と小作の家がほとんど見分けることが出来んのに
較べ、関東・東北の地主と隷属小作の格差社会、非平等社会の方が
可笑しい。誰かが富む者がおったら、それだけ貧しい者が増える。
ほいでも関東人は弱肉強食じゃけんのう。旅行してその土地の建築物を
見たら解ろうに。
全国共通を強調するが、一揆も社会形態や地域の風土によって異なる。
真宗王国の広島県や北陸は東国に多い間引きはせんよ。
http://www2.tiara.cc/~wakimoto/main/tadanoumi/eid9.html 安芸門徒の「進者往生極楽 退者無間地獄」よのう。
戦国以来の伝統じゃ。屁理屈は毎度コピーを繰り返えす蛙君の方じゃ。
戦国以来の伝統は北陸であっても安芸ではない。
安芸は毛利家中の侍。
313 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 23:45:53 ID:hoKbWGzS
格差とか差別って言葉すきだねぇ。そういうのって普段からそういう環境に
いる人がよく使うんじゃないの。なんか、異教徒の存在は認めない、自分らは
選ばれた人間だって叫ぶ連中と似たニオイするんだよな奴からは。
ま、そういう人種だったとしても納得だけど
314 :
白馬青牛:2007/10/27(土) 01:25:24 ID:fiy+C9K6
>>312 戦国以来の伝統は北陸にあっても安芸ではない。云う根拠は何か?
板東武士の末裔がほとんどの安芸の国人連合の傘連判状等は、西日本の
合議制、横社会の影響で、東日本の惣領から名子、下人の東国縦社会とは
違う。
>>313 格差とか差別?わしゃあ、格差について云うたが差別についてあんまし
云うとらんのう。異教徒云うて、わしが「日本女性は処女性を重んじない」
スレで福音派原理根本主義者をカルトとしたことに、反撥しとるんか?
聖書根本主義者の方が、「天国移送」でキリスト教徒だけが
選ばれて救われるじゃの、異教徒の存在を認めてないじゃないか。
道理で「選ばれた人間」云う言葉が好きなわけか。
まあ、宗教右翼が憎悪する共産主義国家じゃあ、人民の国家ゆえ、
人民の利益に反するものはないとして、労働者、人民のデモ(ネットウヨの
云うプロ市民の活動)が禁止されたわいのう。つまり共産主義も、
ネットウヨのファシズムも専制全体主義で、民主主義を否定したいん
じゃろ。歴史学でも歴史の必然と科学的法則を信条とする左翼史観の
マルクスと帝国主義的、合理主義実証史学ランケは共にヘーゲル流
弁証法の影響を受けたが、机上の理論で文献解釈するドイツ観念論で、
研究室に引きこもって、主観的な空理空論を、科学的法則じゃの、
客観的に検証じゃのと妄想を唱えるわけじゃ。
教条的右翼と教条的左翼は似とるのう。民主主義より突出した資本主義と
共産主義(労働者の代表の前衛と前衛の操り人形の大衆)も社会を
富める者と貧しい者と二分化する類似点もあるわい。
マルクス史観の石母田流鎌倉、関東武士マンセーも、その影響で関東武士を
美化する連中もマルクス左翼史観の臭いは強いよ。ネットウヨも同様に、
いや観念論に、新興宗教の影響も加わるけえ悪臭が強い。
あんたは、そういう人種なんか?
315 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 01:49:30 ID:JSvCx2bK
知らん。
316 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 21:03:06 ID:kHH6XopD
相変わらず牛は末枝端葉の事に無駄な単語をこねくりまわしながら噛みついてごまかすのが巧いな
317 :
人間七七四年:2007/10/27(土) 22:16:55 ID:YrA9e5bW
>安芸の国人連合の傘連判状等は、西日本の合議制、横社会の影響で
>東日本の惣領から名子、下人の東国縦社会とは違う。
=゚ω゚) へえ〜なるへそ、そうだったのか?勉強になるなぁ。オイラも調べてみよう。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%98%E9%80%A3%E5%88%A4%E7%8A%B6 【 傘連判状 】
傘連判状(からかされんぱんじょう)とは、江戸時代の百姓一揆などに代表される署名形式。
通常の連判状では最初に名前が書かれているものや上部に書かれているものが
責任者とされがちなのを回避して、皆が中心より放射線状に署名した。特に首謀者を隠すためでもある。
この独特な署名形式を拡大解釈して「一揆では加盟者全員が平等の立場であった」とする
主にプロレタリアートによる歴史認識が学校教育の場などで広まっている。[要出典]
=゚ω゚) がははははははは!最後の2行は、ちょっと笑った。
318 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 01:23:38 ID:bOOPv5J2
牛語録
プロ市民活動の禁止=民主主義の否定
319 :
白馬青牛:2007/10/28(日) 02:13:10 ID:ChAlkJDm
>>316 末枝端葉云々は、以前から騎馬民族スレ等で、わしに対し反論者が採った
つまらん常套手段じゃ。ほいでわしが誤魔化した云うんはどの部分かい
のう?具体的に云えーや。
>>317 最後の2行だけじゃのうて、全体の文が既に思想中毒に侵されとるわい。
加盟者が対等と立場で署名する合議制がプロレタリアにゃあ爆笑もんよ。
前衛たる指導者、独裁者がおらんのが気にいらんのかいのう。
>>318 民主主義じゃけえ、プロ市民だけじゃのうて、カルト宗教団体に率いられた
ネットウヨのプロ奴隷の活動も禁止されとらんよ。
320 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 09:04:55 ID:bOOPv5J2
特定アジアの犬となっての工作活動も自由だしな
321 :
白馬青牛:2007/10/29(月) 01:58:17 ID:x3fSRQfD
>>320 特定アジア云う言葉自体、ネットウヨじゃ宣言しょうるようなもんじゃ。
中華文化圏の台湾は、中国や朝鮮と区別し、なんで特定アジアに
含まれんのか?要は文化よりも政治思想で云うとるだけじゃろう。
政治思想で他民族を排斥するんは、思想中毒にかかった洗脳された
哀れな人間よのう。
前線で闘うた将兵は、日中双方敵味方の彼我に分れても、敵軍将兵の闘志を
尊敬し合うたわい。お互いの健闘を讃える。それが日本人の武士道
(他民族の将兵も誇り高き戦士であった。)じゃないか。
他民族排斥政治思想中毒患者のネットウヨは、日本人の誇りを貶めること
甚だしい。これらのネットウヨらこそ、日本人の誇りを汚す売国奴に
ほかならん。風の悪りいことよ。
322 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 08:29:24 ID:YNXJAeXd
選民思想丸出しの牛に言われても失笑するしか
しかし県外人の広陵以外ダメダメだなヒロシマ
>>311 常一は西国厨
>>314 北陸と安芸じゃ濃さが違うだろうに
真宗は実に葬式仏教向き
以前に書いた仙道一揆とか
324 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 00:34:30 ID:63J1vaMy
=゚ω゚) 新約聖書か・・・まぁあれ自体は選民思想に結びつくとは思わんが
イエスの過激なユダヤ教改革がいつの間にか他宗派否定になってしまったんだろうな。
大友宗麟は教会を建てるため寺社に火を放ったとか。うーむ。
>真宗は実に葬式仏教向き
=゚ω゚)ノ 教行信証発祥の地、坂東もお忘れ無く。
325 :
白馬青牛:2007/10/30(火) 00:44:33 ID:C52SuSeD
>>322 選民思想は排外主義のネットウヨの方じゃ。
>>323 高校野球秋季中国大会の県大会1位の総合技術高校が、下関商に9回表まで
6対2でリードしとりながら、9回裏にサヨナラ負けしたんが嬉しいんか。
まあ、残心が欠如しとった云うことよ。今年の夏の県大会決勝戦でも
紙一重で広陵に負けたわい。もし勝って甲子園に出よってもおよそ
優勝戦まで行くこたァ出来んかったろうのう。戦闘に必要な
「最後の五分間」の欠如じゃ。
そういやあ、宮本常一氏や江上波夫氏を援助した旦那は関東人の
渋沢敬一氏じゃったのう。安芸神機隊に討たれた渋沢平九郎氏と同じ
渋沢一族じゃ。
じゃけえ、北陸門徒、安芸門徒、三河門徒も含め濃さの違いが、
どう違うんか具体的に云わんかい。
326 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 00:54:47 ID:63J1vaMy
=゚ω゚) はははは。相変わらず渋沢平九郎一人に、てんてこまいじゃのう。
まぁ手負いの平九郎に脇差し一本で撃退されたのだから仕方がない。
>じゃけえ、北陸門徒、安芸門徒、三河門徒も含め濃さの違いがどう違うんか
=゚ω゚)ノ 教行信証発祥の・・・
>>324=゚ω゚)
茨城県民か?w
真宗は近世という時代に見事なシフトチェンジをしたよね。
>>325 つ如水、田植新庄がっかりだぜ。
だって著名な活動の北陸と違うやん。
安芸の同行講ってのも、近世小農の自立以降だろうよ。
葬式仏教たる檀家制度とも絡んで。
>>325=゚ω゚)
中央進出、カルト臭とともに勢いを増したからな(健康ランド)
延慶3年(1310)、『国牛全図』を置いとくか
「馬は関東を以て先とし、牛は西国を以てもととす」
329 :
人間七七四年:2007/10/30(火) 23:56:07 ID:38h9O8Ts
正体は特定アジアの犬だったか・・・
330 :
白馬青牛:2007/10/31(水) 01:40:11 ID:Zs9MAX4M
>>324-326 新約じゃのうて旧約聖書のことじゃろう。板東?関東は、特に茨城県は
儒教朱子学の発信地「水戸学」じゃないか。思想性が強い土地柄よのう。
テロリストの産地じゃし。広島人は、杉本五郎少佐のように、
天皇絶対主義であっても、自国絶対主義じゃないし、中国大陸でも
日本軍の掠奪を皇軍の恥とされる。元来現実重視の広島人は思想狂信者は
少ないよ。茨城人でも、桑島節郎曹長のように、日本軍の蛮行を隠蔽せず、
戦場の真実書いた方もおられるけえ、全ての茨城人が狂信者と云えん。
まだ、渋沢平九郎氏を美化したいんか。降伏せず暴れたけえ、安芸神機隊は
討ち取るしかなかったよ。脇差を返して貰いながら、神機隊を罵るんが
関東人の性格じゃけえ、恩義を知らん困ったもんよのう。
331 :
白馬青牛:2007/10/31(水) 02:06:26 ID:Zs9MAX4M
>>327-328 真宗自体が、東日本人と違い、家に神棚を置かず、病んでも祈祷せず、
間引きをせん近代的な宗派じゃった。近世以前でも合議制社会の西日本と
主従隷属制の東日本は社会組織の構成が違う。カルト臭なら朱子学の
影響の強い九州、板東じゃわい。
牛生産と馬生産は列島東西の農耕形態の違いで、モンゴル等の牧畜民は、
馬を乗馬用だけで農耕や労働に使わん。農耕民の漢民族は馬を農耕に
使う。儒教的長子相続も含め関東は、半中華人じゃのう。
西日本から見た特定アジアは、中国・朝鮮・東日本の朱子学三兄弟じゃ。
三方から包囲されとる西日本は難儀なことよ。しかも九州まで朱子学の
影響が強いけんのう。
>>329の排外ファシズム思想中毒患者さんよ、
わしから見た特定アジア(中国・朝鮮・東日本の朱子学三兄弟)の犬になれ
云うてもなれんわいのう。
332 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 02:17:54 ID:sFebMiCB
他県の人に率いられた肥後兵は強いぞ
肥後指導者の肥後軍はごみくず
>>330 広島人の中でもusiは異質のよう棚w
>>331 農耕牛の本場が畿内だろうに。
牛馬を酷使した京都の馬借・車借、酷いな(ノД`)
334 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 23:56:14 ID:KtilJF3a
様々な思想の否定は民主主義の否定だみたいなこと言っといて
自分は色々なのを否定しているな。民主主義者どころか独裁者タイプだ。
あー怖い怖い
335 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 00:47:41 ID:AziSQoQ5
>>331 =゚ω゚) ほう間引きか。長塚節だな。農村ではたしかに多いね。
だが水戸学は間引きを戒める学問でもあったぞよ。
『天より授かりたるたまものをわが物のように思ひ、生死を自由にするハいかなるこゝろぞや、
よくよく考へ見よ、わが身ハ父母のわけたる身、我が子ハ我みをワけたる身なれバ、
わか子を殺すハ、我身ころし、父母を殺すもおなじきに似て、天道において有るまじきことなり』(烈公)
烈公は百姓の像(農人形)を造り一汁一菜の質素な飯を食う前に拝んだと言う。
そういう人だから幕閣にも一目置かれたのだろうよ。
まぁ朱子学っつってもいろいろ有らあな。陽明学も朱子学から出ている。
朱子学も本来性善説を説く立派な学問だ。牛が好きなのは朱子学ではなく科挙の国家教学だろ?
336 :
白馬青牛:2007/11/01(木) 02:33:10 ID:JlPUO81o
>>332 東国偏見の『人国記』じゃあ肥後は評価が低いが、肥後兵は勇猛じゃけん
のう。近代においても、
>>211にもあるが、熊本師団は名高かかった。
熊本師団の中でも熊本聯隊と鹿児島聯隊は勇猛で知られるが、
特に熊本聯隊は命知らずで鼻息が荒かったけんのう。
>>333 わしが広島人の中でも異質?広島の風土に育った限り、広島人に他ならん。
モンゴル等の北アジアの牧畜民は牛を農耕や荷駄に使うが馬は騎乗用じゃ。
京都の馬借・車借が牛馬を酷使した云うて、どがいな根拠や?
>>334 「色々なの」云うて何なら?
>>335 間引きは漁村より農村に多く、西日本より東日本に多い。
真宗の影響の強い地域はほとんどないのう。為政者や思想家が、
どう考えようと、間引きをしたかせんかの結果の問題じゃ。
陽明学は、朱子学の影響も強いが、王陽明は、貴州の苗族が多い土地で
生まれ、李卓吾は、イスラム教徒の系統で、漢民族の思想と云いきれん
よ。中共では陽明学は評判が悪りいのう。陽明の哲学が主観的で、朱子学
の理を求める客観性から逸脱し、主観論は共産主義の科学的唯物論の
敵じゃけんのう。ほう朱子学が好きか。廃仏毀釈運動でもするんか?
科挙の国家教学は、現代世界中で採用されとるよ。試験制度は近代以降の
日本もそうじゃし。世界の中国文明化よのう。わしが、試験秀才を嫌うとる
んは、わかろうに。
337 :
白馬青牛:2007/11/01(木) 02:41:50 ID:JlPUO81o
>>336 途中寝よったけえ、間違えたわい。王陽明は浙江省に生まれ、
貴州の苗族の多い土地で静座瞑想し大悟して、朱子学の「性則理」に
変わって「心則理」の陽明学が生まれた。云うこと。
338 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 22:25:47 ID:AziSQoQ5
=゚ω゚) 静座瞑想はもともと江南朱子学の基本行法じゃからふつうに
朱子学派だろ?
もっとも九州の博多ラーメンと関東の博多ラーメンぐらいの違いは有るかもしれんがな
>朱子学の理を求める客観性から逸脱し
>、朱子学の「性則理」に変わって「心則理」の陽明学が生まれた。云うこと。
=゚ω゚) 『理』とは何だか判って言ってるのかな?
理屈や理論では宇宙の根本原理の『理』は語れないぞよ。
広島のお好み焼きと関東のもんじゃ焼きぐらいの違いは有るだろう。
>>336 人国記は信濃に文句言えや
馬は関東を以て先とし、牛は西国を以てもととす(国牛全図)
大抵、関東には馬多く牛少なし、関西には牛多く馬少なし(和漢三才図会)
『新猿楽記』
340 :
白馬青牛:2007/11/02(金) 01:44:21 ID:encXCX2q
>>338 『理』は、この世の法則性のことじゃが、朱子学における「性則理」は、
心(性+情)の「性」は、先天的に与えられた人の性質や、
後天的に教育知識によって得られる外面的な教化で『理』に到達するが、
朱子学は、「情」は人が本質的に持っておる内面的なもんで個人的主観と
する。陽明学は「心」の内面的なものこそ人間の本質で、外面的知識から
『理』を頓悟するわけでなく、経験と認識は不可分ゆえ「知行合一」云う
ことじゃ。内面を重視する姿勢はイスラム学者のイブン=ハルドゥーンに
見られる。公権威が感化と訓育をもって臨むと、人は畏怖と恭順のうちに
成長し勇気を損なう。遊牧民は教育や感化といった権力から隔たって
いるので、勇気を損なわない。国家的訓育、教育による抑制力は外部
からで、道徳心の強い遊牧民の抑制力は内面に生まれとるもんじゃと。
李卓吾もイスラム教徒の家系ゆえ、陽明学に傾倒したんじゃろう。
341 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 20:34:00 ID:P+sCEF0t
=゚ω゚) ♪真ぁっ赤な太陽ぉ〜萌え〜ている〜ぼくらーのハリマオ♪
日本の回教徒と言えば怪傑ハリマオじゃのう!牛。
あと、東京裁判で唯一の民間人被告人じゃった大川周明もおるのう。
朱子はおまいさんが思ってるほどお堅い偏屈ではないよ。
武学博士に幾度となく推挙され断り続け、禅を学び道学を極め
中央の命令をはねのけ貧民救済、地域教育を進めた思想界の巨人だ。
そして朱子学は偽学の禁により中央政府より大弾圧を受け禁止される。
そして日本の朱子学の最初の実践者は河内の悪党、楠正成だったとか。
どちらかというと反権力的思想ではなかろうかい。
>朱子学における「性則理」は心の「性」は先天的に与えられた人の性質や、
>後天的に教育知識によって得られる外面的な教化で『理』に到達する
=゚ω゚) そうではないんじゃない?
本来の『性即理』は人間の本性として最初から存在する。
「赤心」の言葉が有るが人間本来の性。つまり「天真」に近いと思うぞ。
342 :
白馬青牛:2007/11/02(金) 23:18:36 ID:encXCX2q
>>339 『人国記』は信濃人という東国人の偏見見解じゃろう。
「肥後の国の風俗、肥前に似たりといえども、その勇の甲乙を数ふるに、
百にしてその一なり。」、『新人国記』「武士の風俗は、肥前に替わりて
柔らかなり。」じゃと。文禄の役じゃあ加藤・小西に率いられた肥後兵は
イケイケ・ドンドンじゃったのに。
伊藤桂一氏は近代の九州兵について、「粘り強さはないが素質は良い。
もっとも九州といっても、熊本と鹿児島が中核になる。熊本人は竹を割った
ようなからっとした性格、鹿児島人は、小柄だが敏捷な薩摩隼人の伝統に
恥じない。第六師団の気質に対抗し、久留米師団は、炭鉱従事者の川筋気質
と肥前の葉隠精神が支えとなるので、理屈ぬきの行動性を尊ぶ。」と。
まあ、九州は古来政治的に、豊・筑・肥・隼人の国と区分されたが、
東シナ海側の隼人・肥・筑の気質が九州兵の勇猛なイメージじゃろう。
仮に熊本・鹿児島・大村・久留米の聯隊で兵員を構成した師団を作ったら、
より個性が強かったろうのう。
東国の馬は、主に農耕や荷駄馬用じゃけえ、馬耕民の板東人になろう。
>>342 信濃は京に近い
>東国の馬は、主に農耕や荷駄馬用じゃけえ
農耕?(笑)
騎乗用と荷駄用は違うよ。畿内産は騎乗レベル(上馬)もウンコだったが。
常陸国風土記で古代坂東人達が騎馬で筑波山に登ってるぞ。そういう伝統もあるの。
>馬耕民の板東人になろう
犂耕目的は近代以降だし、朝鮮牛の移入。
344 :
白馬青牛:2007/11/03(土) 00:36:36 ID:dfPl2YIr
>>341 ハリマオ、谷豊さんか。シンガポール攻略戦たけなわの頃、マラリアを
発病して亡くなられたのう。大川周明氏の東条英機氏の頭を叩いた映像が
残っとるのう。
朱子個人よりも、朱子学の影響を受けた方の問題じゃ。朱子学は、
現実よりも、攘夷思想性の強い排外性の強い性質で、周りの影響よ、
日本も現在でも、ネットウヨの排外思想の親分じゃけんのう。
反権力よりも反異民族じゃろう。
「赤心」は、孟子の「大人は赤子の心を失わず」からの引用で、朱子学
以前になるわい。
>>343 信濃は、フォッサマグナ以東で、地理風土から東国じゃ。
宮本常一氏が云われるよう、荷駄用に家畜を使うんはアイヌ人や東国に
発達したんじゃないか。騎乗よりも荷駄の要素が強い。荷駄の替わりに
騎馬武者を載せとるようなもんじゃ。騎馬用と荷駄用の分類はどう区別
したんか?犂耕「目的」は近代以降と曖昧な。犂耕は古代からあるど。
345 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 02:32:28 ID:Mj5sEGA5
んな無茶な
346 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 11:40:47 ID:MH7dmPkF
牛はインテリが嫌いなのか。
347 :
人間七七四年:2007/11/03(土) 12:34:57 ID:E/O5b0UV
>荷駄用に家畜を使うんはアイヌ人や東国に発達したんじゃないか。騎乗よりも荷駄の要素が強い。
=゚ω゚) 【道嶋嶋足(みちしま の しまたり】
奈良時代の武人。陸奥国牡鹿郡の出身。武事に通じ騎射を善くした。
牡鹿連道嶋一族は丸子姓で、もともとは関東地方からの移民であったと思われる
>朱子学は現実よりも、攘夷思想性の強い排外性の強い性質で、周りの影響よ、
>反権力よりも反異民族じゃろう。
=゚ω゚) まるで聖書やムスリムが異教徒を排除した事が無いみたいな意見じゃな・・・
>>344 騎馬と駄馬はセットで考える必要もあるな。ところが鈴木厨は全て駄馬にしたいらしい(川合もかw)
騎馬用と荷駄用を比較すれば、主に馬体からして違うだろ。
戦国時代における夫役としての駄馬と、一般武士が騎乗する馬とじゃ別物。
江戸時代、武士の乗用馬で10両前後と高価だよ。
江戸時代だから儀礼的な使用だが、いわゆる農耕馬とは違うな。
駄馬のサイズを江戸期の馬で比較すれば、西国の土佐馬のような小型馬サイズ(120cm以下)だろうよ。
それで畿内の馬は土佐馬(チビでも頑丈で粗食)より低評価と、、、
関東における犂耕は大正以降の朝鮮牛。
農耕馬は耕ではなく厩肥目的。そして農耕馬は近世が盛期でもあるしな。
関東=畑・牧・馬、近畿=田・牛
>>347=゚ω゚)
関東の丸だったのか。
お国自慢板のusiは名無しになったのか
350 :
白馬青牛:2007/11/04(日) 01:39:59 ID:GezYZCSY
>>346 インテリは、嫌いじゃのう。朱子学のエリート主義から、近代ドイツの
秀才登用、英国紳士の秀才軽視の方が、まだしもじゃが、英国の階級社会
制度は、いただけん。
>>347 道嶋嶋足の人骨が出土しとらんけえ、渡来系か在来縄文系か区別出来んが、
東漢氏や百済系と同一歩行じゃけんのう。確率上渡来系じゃないか。
朱子学の祖の朱熹は、女真の侵攻に憂いた攘夷思想じゃわい。
清朝の頃も、浙江省を中心とした江南地方に、頑固な朱子学派の文化人の
群れがわんさかじゃったのう。清朝のインテリ弾圧で「考証学」に転向
したんじゃろう。
考証学の功績は、客観的、科学的方法で近代文献学の精神に具現せされる
古文献にもぐりこむ実証主義であったが、当時の清朝に都合の悪い文書は
当然無視されるか、焚書処分じゃ。『四庫全書』なんかのう。
終戦後、日本の軍部が都合の悪い文書を焼却して、証拠がない云うのも、
その影響じゃろう。焚書と実証主義(為政者に都合の良い)はパラレルじゃ
けんのう。近代ドイツからのランケ流史学実証主義の19世紀の帝国主義も
同様で、こちらはヘーゲルの弁証法の影響を受け、科学的唯物論
(共産主義史観)とパラレルじゃ。文献史学実証主義は、客観性の乏しい
観念論で、権力者に近いエリートにとってのみ好ましい思考じゃろう。
351 :
白馬青牛:2007/11/04(日) 02:18:15 ID:GezYZCSY
>>347 焚書で証拠がないから、残った史料で判断する文献主義も、
考古学や民族学的考察や、戦闘事情は日記や証言で、現代では根拠に
乏しいものになって仕舞うた。
ムスリム云うても、税金を払らやあ、中世まで異教徒を排除しとらんよ。
近代は都市部から宗教原理主義が出て排外主義的傾向が強まったが。
キリスト教の方が、中世宗教思想的頑迷さが強かったろう。
>>348 騎馬用と荷駄用の分類?日本列島の小型馬は、西南諸島や琉球のトカラ馬や
ミヤコ馬に残っとるだけで、本州のほとんどは中型馬じゃろうに。
まあ、山岳地では馬体は小柄の方がええか。
関東は犂耕に乏しい云うんは家畜飼育文化にも乏しい云うことよ。
東日本の農耕における大量の厩肥を投入のう、馬の糞は醗酵する時に熱を
出すゆえ耕地を保温する機能があるけんのう。騎乗より農耕や荷駄用が
優先された根拠になっとるど。
>>349 帝国陸軍師団スレか。後で気がついたけえ、そのままにしといたよ。
>>351 近代になってから大きくなってるんだよ。
日向都井岬の御崎馬は現在130p以上だが、近世では4尺ほど(120cm)だったといわれてる。
伊予の野間馬も115〜125前後で小柄。
鎌倉材木座の馬骨128本の内、軍用と思われる馬の推定体高は概ね130前後〜140まで。
戦国時代の交通制度でも、東国大名の馬に対して西国大名の船と牛だな。
田と牛と犂耕、畑と馬と厩肥
353 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 17:13:18 ID:0tknotWK
牛に都合の悪いもの=ナンセンス
ってすごい理屈だな
自己正当化もここに極まれり
354 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 20:21:31 ID:hw5Zdf/R
351>ムスリム云うても、税金を払らやあ、中世まで異教徒を排除しとらんよ。
=゚ω゚) ズィンミーの事かな?
対象宗派は同じ聖書系教派の『啓典の民』(キリスト教、ユダヤ教、サービア教徒)のみだったよ。
[ズィンミーの人権とその制限]
・イスラム教徒に改宗を迫った場合死刑。
・信教の自由は保障されるが、ムスリムへの布教を行った場合死刑。
・イスラム教徒の女性とセックスを行ったことが判明した場合、死刑。
=゚ω゚) うーん、たしかに「排除」はしてない鴨w
もっともレコンスタキアに合わせて異教徒弾圧は当然行われたが。
350>確率上渡来系じゃないか。
=゚ω゚) というか・・・ それはオマエの『 カ ン 』だろ?
355 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 00:13:11 ID:rOWkVdbz
usiは東日本が嫌いなのか。
356 :
白馬青牛:2007/11/05(月) 01:34:51 ID:F6FkWcvQ
>>356 御崎馬はトロッターの血が。
木曽馬も近代に多少大きくなってる。木曽馬は知名度の割に歴史も浅く、その発展は農耕的要素が強い。
鎌倉材木座の馬骨は、当時の軍馬としての大きさで130〜135平均って話。
軍馬としての大きさは大陸の馬とさほど変わらない。秦でも130以上というそうだからな。
農馬としては4尺(120cm)が普通だから、サイズとしては小型。小さい馬は本州にも普通に居た。
ただチビでも、同じくチビの済州馬などよりは優秀。
土佐馬なども小柄だが力はあり、駄載に適していたという。
そんな小さな土佐駒に粗末な馬具でも、勇猛な長宗我部の一領具足は、馬上戦ったんだろうよ。
農馬としては小さい方が、百姓にとって餌が少なく済むので良い。
358 :
白馬青牛:2007/11/05(月) 02:11:59 ID:F6FkWcvQ
>>353 わしに、都合が悪い云うてなんなら?具体的に書けえや。
>>354 ズィンミーの批判的見解から云うとるが、中世においてキリスト教圏と
比較してユダヤ人に対して過酷じゃったんはキリスト教圏じゃし、
イスラム教徒がキリスト教に改宗せずキリスト教圏で暮らしたか、
イスラム教圏以上に、つらいじゃろうのう。もっとも西洋の騎士道は、
節度、恥を知る心、婦人崇拝等は、イスラム文化の影響じゃけんのう。
ほいから、本土日本人が形質や遺伝子から人類学的に渡来系の末裔が
主流で土着在来系が傍流なんは、明らかなことじゃないか。
>>355 東日本が嫌い?先祖が暮らした地じゃけえ嫌いじゃないが、残忍な
関東武士を美化することは出来んし、東日本は社会組織も縦社会じゃけえ、
そういう面も好評価出来んのう。
三寸(体高4尺3寸=約130cm)に足らぬ馬をばむかしより軍の馬にはきらふなりけり
乗下もまた扱いのやすきとて小馬を好む人とぞつたなし(武道歌選集 =゚ω゚)
360 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 23:43:56 ID:ZguQdTN4
=゚ω゚) はいはい、お呼びで。塚原ト伝遺訓抄(ト伝百首)ですな。
よく見つけたね。
・ 武士(もののふ)の 実(げ)に知るべきは 馬なれや 心掛けぬは愚かなるべし
・ 武士(もののふ)の 鎧の下に乗る馬は 癖あるとても 強き好めり
・ 馬はただ 普通に強く肝ぞよき 勝れる肝と無肝嫌えり
・ 武士(もののふ)の 狩り漁猟(すなどり)を好まずば いかなる事に身をさらさまし
・ 武士(もののふ)の 心の内に死の一つ 忘れざりせば不覚あらじな
361 :
白馬青牛:2007/11/06(火) 01:04:30 ID:6tryd2gH
>>357-359 「木曽馬の歴史」のタルパン系は、汗血馬と同類の中央アジア産で、
蒙古馬と違うが、モンゴルで鮮卑時代の重装騎兵から軽装騎兵に変化する
段階で選択的に淘汰されたんじゃろうか。ほいで、現在でも中型馬と
小型馬の区分がはっきりしとらん。御崎馬も小型説中型説があって、
森浩一氏は中型馬とされとるけど。
中国の馬産地の雲南は小型馬とされ、唐から宋代にかけて「山間を走破する
のに優れた駿馬」(唐の『蛮書』巻七)「蛮人死すとも馬を人に与えず」
(宋の周去非『嶺外代答』巻九)と、小型馬も荷駄用だけじゃのうて、
騎乗用に重宝されとる。川喜多二郎氏は、モンゴル高原の第1次騎馬民族化
(中型馬)、チベット系民族の第2次騎馬民族化(小型馬)と分類される。
西洋なんかは、重い甲冑の重装騎兵で大型馬の方がええじゃろう。
どうも、蛙君は体高の背丈がある馬が好みなんか?
362 :
白馬青牛:2007/11/06(火) 01:31:15 ID:6tryd2gH
>>360 ?
>>358の続きじゃが、近代においてもアメリカの黒人に対する扱いも
イスラム諸国から考えてもひどかったわいのう。今世紀の1960年代
アメリカのプロ市民(ネットウヨ用語)による公民権運動もあって、
だいぶ、ましになったが、人種排外主義の日本のネットウヨは、
kkk(クー・クラックス・クラン)と同類思想じゃけえ、当然プロ市民に
よる公民権運動に反対じゃろう。じゃが、日本のネットウヨも、アメリカの
kkkの連中から見たら有色人種(人類学的でなく、肌の色、白人の
創作概念)に過ぎんわい。「国民の創生」は夢物語になって仕舞うた。
>>361 用途による馬体の違いについて、usiの>342>344>351あたりに答えてるだけだよ。
本州産でも優秀な馬を乗用にしたのは当然だろ。駄馬は大きさも能力も違う。
たしかに中型・小型の区別は曖昧だけど、林田氏の分類(中型=125〜135、小型100〜125)に従ってる。
対州馬は中間型というが、元来は小型馬の部類だろうよ。
あと馬の能力が近世に劣化した事も想像できるが、比較的大きな木曽馬も軍馬としての能力は高くないだろうな。
雲南や四川の小型馬より日本の小型馬の方が能力も大きさも上。
肥前国風土記の白水郎も小型馬で騎射に巧みな連中だろう。
・・・小馬も子犬も子猫も小鳥も好きですが、何か?w
>>360=゚ω゚)
『ウマ駆ける古代アジア』からでつw
ほどほどの馬を好んだというのは『北条五代記』にもあるが、甲陽軍鑑にも似たような話はあるようだ。
体高4尺6〜7寸とか、140p以上になると扱い難いという。
364 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 00:25:55 ID:CcTSgGJc
>>358 昔はともかく今は西と東の社会制度が違ういわれてもわからん。
具体的にどこがどう違うのかいってくれ
365 :
白馬青牛:2007/11/07(水) 00:37:12 ID:wqHfZFq/
>>363 用途による馬体の違いがあったんかのう。武士の好みが、騎乗用に
優秀な馬と直結出来る根拠がないよ。雲南の小型馬の件もあるけんのう。
ほいで、また関東鎖国史観が始まったか。雲南や四川の小型馬より、
日本の小型馬の方が能力が上、云うんはどがいな能力で比較したんか?
まあ、騎乗者自身の上手、下手があるが、日本人は騎馬下手じゃけんのう。
水野祐氏戦争体験の話は以前書いたが、その程度のもんじゃ。
366 :
白馬青牛:2007/11/07(水) 01:35:57 ID:wqHfZFq/
>>364 「習俗の社会学」で東京人の加藤秀俊氏は、「現代の職場というものを
考えてみても、東日本ではどちらかというと、親分子分型になっていく。
ボスがいて、手下がいて、末端にチンピラがいたりする。タテ構造に
なっていく。それにひきかえ京都では、仕事をしていた時は、わたしの
先生もいましたが、関係は常に横関係の仲間という感じなのです。(中略)
東京と関西の都市をくらべますと、東京ははるかに後進的です。東京の
悪口をいわれると、東京人としてあまり愉快ではありませんけれど、
江戸についてのもっとも優れた研究を残された三田村鳶魚先生の
著作など読みましても、江戸というところは、けっして洗練された
都市ではなかったということがわかります。
(中略)浄土真宗というのは非常に個人主義的な宗教です。個人の祈りに
よって支えられているのです。もう一つ心学というものがあります。
だいたい、関東あるいは東日本には無縁のものなのです。心学というのも
西国筋の町人層の中では非常に強い支持者をもっていましたけども、
江戸の町人というのは、要するに御用商人の集まりですから、江戸では
花咲いていないのです。」つまり、近代的、個人主義的な精神は
西日本で、東日本は後進地帯であると云われる。
現代では東西日本の相互影響も強いが、風土は変わらんよ。
>>365 前提として地域による能力の違いがある。
【平安期・駅馬価格】
常陸 上馬500束、中馬400束、下馬350束
河内 上馬250束、中馬200束、下馬150束
>348で書いた→戦国時代における夫役としての駄馬と、一般武士が騎乗する馬
高価な、或いは各個人にあった馬に武士は騎乗したろうし、実戦から離れた近世の武士でも高級な馬に乗ったんだから。
農耕馬より大柄な馬体、都市生活、江戸では飼料代も年10両掛かったという例もある。
上手く言葉尻を捉えられたがw、中国西南部の馬は西日本の小型馬より小柄だろ。
で比較の事だが、大正期の済州馬と伊予野間馬の事。
日本人じゃなく、近畿や中国地方の武士が騎乗下手なんだろ。畿内は下馬戦闘だもん。
関東の騎馬戦術に対抗したのが城郭戦やゲリラ戦。でも地の利がないとな。東国武士は東西奔走して戦ってる罠。
着到から見ても鉄砲戦術の西だろ。
>>366 西日本都市は大阪の物真似に過ぎないという話があるぞw
江戸幕末にもなると言葉の洗練度で江戸>京のようだな。大都市邪険脳。
368 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 02:07:46 ID:lBThVbSD
=゚ω゚) 既出かな?
軍馬の条件(武者物語)
・合戦のおりは平地を良く走る馬を選ぶ。胴の短い馬は野山を行くのに適し
胴長く頭高くもたげる馬は良く泳ぐ。
・体高3寸(約130cm)、歳は7,8才で扱いやすく片手手綱で乗り回せる物
・若い馬、手に負えない馬はよろしくない。合戦場へ進もうとする馬を止めようとするさまは見苦しい
知らない。
既出じゃないよ。
370 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 04:48:03 ID:imrBAzKD
てかさ戦国時代の馬なんてポニーやんwwwww実際wwwww
モンゴルに代表される東アジアの蒙古馬は体高約125〜140p。
日本の中型馬も同程度。
アラブ馬はポニーサイズのボーダーライン上。
戦前のサラブレットは平均160p以下。
まあ、英語で分類するところのポニー(体高145〜148p以下)とホースで区別しても意味無いわ。
372 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 22:48:33 ID:CcTSgGJc
>>366 ただの自虐ネタみたいな感もするが・・・
それに日本は全体的に親分子分型だと思うけど。東日本の方が度合が濃いって
だけじゃないか?
373 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 01:11:06 ID:STaOMJnH
秩父鹿毛:七寸八分(145cm) ご存じ畠山重忠の愛馬
青海波:七寸(142cm) 頼朝の馬
生食イケズキ:八寸宇治川の先陣の名馬
鬼鹿毛:八寸八分!? 武田信虎秘蔵の馬
=゚ω゚) ・・・ホンマかいな?
つーか “いけずき” って変換できんがな。生口婁・・・ orz
木曽馬はわりとおとなしいタイプの馬だと聞く。
畠山重忠のような当代一の怪力で弓馬の名人は、4尺8寸近い「長に余るような大馬」も大きくなかったろうけど
肥えた馬を担いで急坂を降りるのは無理だ罠w
『太平記』の記述だと長崎や新田の乗馬などサラブレット級wさすがは太平記(´ー`)
木曽馬の歴史は、主に近世から盛んに生産されるようになったもので、
それも平安・鎌倉期の牧馬のような馬ではなく、各農家で馬屋と狭い範囲の馬柵で飼われてた。
家族同様に丹精込めて育てられたおとなしい馬で、乗馬向きではなかったそう。
375 :
白馬青牛:2007/11/08(木) 22:46:48 ID:2QdfMuD/
>>367 言葉尻じゃのうて、能力について具体的に云うとらんじゃないか。
大正期の済州馬と伊予野間馬のどこを比較したんか。ほいから四川、雲南の
小型馬との比較もせにゃあ。
関東の騎馬戦術?迂回作戦でもしたんか?騎馬戦の本場、内陸アジアじゃあ
当たり前のことじゃが、関東兵は遁走を常套手段とした例がえっと(多く)
あったんか?騎馬戦は遊撃(ゲリラ)戦的要素が強いど。鉄砲の時代でも
騎馬は後進的東国よ。
水野祐氏は、日露戦争に参戦した父の例として旭川の騎兵隊がロシアの
コサック騎兵に散々やられたことじゃが、旭川師団は、開拓民には
西日本人も多少含むが圧倒的に東日本出身者じゃ。東日本(まあ日本全体
じゃが)の騎馬戦闘の弱さを示しとるよ。
376 :
白馬青牛:2007/11/08(木) 23:22:08 ID:2QdfMuD/
>>372 自虐云うより東日本社会の真実じゃろう。神奈川県人の養老猛司氏も、
顔君の嫌いな甲野善紀氏との対談で、「基本的に日本は東の方が貧乏で
貧乏なところの方が官僚的な政治を敷きやすい。いまでも共産主義国家と
いうのは、どちらかというと貧しいところに発生してくるわけです。
豊かな西が、貧乏な東の官僚制に抑えこまれたのが江戸期だったのでは
ないか、という見方です。ですから、西と東の違和感みたいなものを、
おそらく江戸の為政者はずっと感じ続けていたんだと思うんですね。」
と、云われる。
まあ、東日本は北朝鮮のような共産主義が一番体質に合うんかも知れん。
昔から縦型隷属農奴社会で、同じようなもんじゃ。関東人の鎖国史観、
石母田共産主義史観の関東武士賛美は現代も蛙君にさえ受け継がれとる
んじゃけえのう。ほいで西日本の親分子分型は東日本型の輸入じゃ。
ヤクザ組織も東国発生じゃけんのう。
377 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 23:53:05 ID:STaOMJnH
=゚ω゚) 鉄砲伝来は西からじわじわ広まったワケではないよ。鉄砲先進国は九州じゃないかな?
北条五代記 十四 関八州に鉄炮はじまる事
相州小田原に玉瀧坊と云う山伏有。享禄はじまる年、和泉の堺へ下りしに、あらけなく鳴物の声する
是は何事ぞやととへば、鉄炮と云物、唐国より永正七年(1510年)に初て渡りたる
鉄炮を一挺買て、関東へ持て下り、屋形氏綱公へ進上す。
氏康時代、堺より国康といふ鉄炮張りの名人をよび下し給ひぬ。
根来法師に、杉房・二王坊・岸和田などといふ者下りて、関東をかけまはつて鉄炮ををしへし
=゚ω゚) やや時代が前後している感も有るが・・・ まぁ、鉄砲伝来以前からこの最新兵器は
ある程度は全国に知られていたのではなかろうか。
378 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 00:25:18 ID:9NHOz5eY
>関東の騎馬戦術?迂回作戦でもしたんか?
=゚ω゚) ふつうに騎馬集団による側面突撃、斬り込み、物見、などだが?
>旭川の騎兵隊がロシアのコサック騎兵に散々やられたことじゃが
=゚ω゚) 機関銃装備しちょる連中相手に互角に戦えるわけなかろう
>養老猛司氏も顔君の嫌いな甲野善紀氏との対談で
=゚ω゚) べつに甲野さんきらいじゃぁ無いよ。インキチじゃと言ってるだけだよ。
>顔君
=゚ω゚) ?・・・・・・・・オイラの事かい?
>>375 野間馬の減少、代わりに済州馬を移入した時のこと。
遁走は有名な富士川の惟盛。
畿内での騎馬は遊撃どころか南北朝期から下馬してるが。
千葉氏が指摘するように、戦で個人の力量に頼るのが日本人で、特に坂東人はその傾向も強いか。
『太平記』で描かれる楠木も指摘してる。
日露戦争って戦国から300年経ってるし、日本で馬の改良は長い間されて来なかった。
起伏に富んだ地形の狭い日本で、弓射騎兵・打物騎兵で戦う中世日本だし、体高130前後の国内中型馬で十分だったろ。
島国日本は国内で戦ってたんだし、国内で較べりゃいいものを。
北海道は名字の分布から見ても東北出身者が多いようだ。旭川限定は知らんが。
ていうか明治のデータによると、近畿地方は馬が極めて少ない。ロシアと比較する以前だなw
>>376 勝手に決め付けるusiの方が共産主義だな。
京文化と坂東武者と筑紫船に憧れる中国山地の百姓(田植草紙)
鎌倉の富裕さ(増鏡)
>>378 顔君にされたね^^
おめでとう
380 :
白馬青牛:2007/11/10(土) 01:41:50 ID:c5bvGW7T
>>377-378 九州は西日本じゃないんか。鉄砲隊集団も西日本から東日本へじゃろう。
騎馬戦術の基本は、匈奴の「利則進不利則退不羞遁走」
トルコ系遊牧民の「一斉射撃、逃げながら矢を放ち、突然の攻撃」
つまり戦場の進退において奇策縦横なことじゃ。
機関銃じゃのうて、騎兵としてコサックの実力の話で。
水野祐氏は、「とにかく父は日本の騎兵は弱いんだといってました。
ロシアのコザック騎兵なんかに絶対かなわない」ご自身の蒙疆守備隊での
体験から「裸馬のようなものにまたがり、うしろを向いて銃をかまえて、
ちゃんと正確に射ってくるのですね。日本の騎兵はあんなこと出来ない
ですね。あんなものには、絶対かなわないと思ってみていたのです。」
その乗馬上手のモンゴル人が舌を巻くのがトルコ系カザフ族。
「なにしろ馬だけかと思うと、馬の横腹に隠れて走って発砲してくるのだ。
馬を倒すと、後ろから物凄い勢いで近ついた味方の馬に飛び乗り、
ふたり乗りで逃げ去る。神出鬼没とはこのことだ。先駆けした五、六騎が
思わぬ方向から死物狂いで襲いかかって来ては走って行き、婦女子の団体と
近つくと倒れた馬を盾として、一人が犠牲となって残り、死ぬまで発砲して
きては私達の追撃を一人でくいとめ、前に逃げて行く一行を私達から遠ざけ
ながら死んでいくのだ。」これこそ本場の騎馬戦術じゃ。
381 :
白馬青牛:2007/11/10(土) 02:22:43 ID:c5bvGW7T
>>378 顔の絵文字じゃけえ顔君じゃろう。
>>379 野間馬の代わりに済州馬を移入して、どがいな能力を比較したんか?
日本の風土じゃあ下馬戦闘の方が合うわい。ステップやその周辺地帯じゃ
あるまいし。千葉徳爾氏は個の闘いを重視されるが、陳瞬臣氏も戦国期、
日本に鉄砲が普及したんは、個人の技を重んじ、誰の手柄か明確になる
もんを好んだとされる。板東人のは、抜け駆けがお好きなようで、
個以上にスタンド・プレーじゃろう。
島国日本で?文禄や慶長の役もあるが、まあ騎兵じゃったら明軍の主力の
遼東兵にゃあ勝てんわい。当時人口が少なかった旭川兵団の兵員は
仙台師団管区からの兵もおったけえ、東北色が強かったのう。
ほいでも、自民族だけの歴史、自民族発展史は、共産主義史観そのもの
じゃないか。
382 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 17:05:21 ID:B6KfAMDu
>>381 > 当時人口が少なかった旭川兵団の兵員は
> 仙台師団管区からの兵もおったけえ、東北色が強かったのう。
それで旭川師団は弱かった理由が分かったよ。ありがとう。
ドンゴリ仙台人なんか混じってたら、朝鮮人にも勝てるかどうか怪しいもんだ。
383 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 19:17:10 ID:976cLH9A
384 :
白馬青牛:2007/11/11(日) 00:01:34 ID:C5kR7nRA
>>382 旭川師団は、旅順攻略でも感状を貰うとるし、関東軍の中でも訓練じゃあ
弘前師団と1,2を争う存在で、弱かったと断言出来んよ。ノモンハンや
ガ島の実戦じゃああんましパッとせんかったけど。韓国兵もベトナム戦争
じゃあ精強で鳴らしたけんのう。朝鮮人との強弱は解らんよ。
>>383 西国の武士団が東国の影響を受けたんは鎌倉時代の東国武士団の西遷
や、近世も幕府の置かれた江戸の影響もあろう。
西日本=年齢階梯制・末子相続、社会的に横の関係で結ばれた集団
(網野善彦氏は、伊予の忽那系図や肥前松浦党系図から西国では惣領家は
見いだすことが出来ない。とされる。そういえば、河内源氏・摂津源氏も
本家、分家の関係ではない。)から、東日本=親方旦那制・長子相続制の
社会的主従の縦の関係で結ばれた集団の影響が庶民層の社会集団まで
出たんじゃないか。中世のアウトローの西の悪党集団は横の連合じゃし、
縦型のやくざの祖は江戸の町奴からじゃろう。東国近世的結合が、
江戸期〜近代にかけて西国に影響を与えたと考えとるよ。
385 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 00:43:39 ID:bM7tKt7P
それまでは西国には親分子分制度が無かったわけか。ほうかほうか
387 :
白馬青牛:2007/11/12(月) 00:49:22 ID:ylLAC4Ro
>>386 馬具が違うたら、騎乗者にどう影響するんか?近代において、
日本軍の騎兵とロシア軍の騎兵の馬具の違いたあ、どがいなもんか?
安芸に移住した東国武士も西日本的横社会に同化したけんのう。
中世云うて、中世をどの時代からに設定するか見解が分かれよう。
生田滋氏の云われるよう平安期とするか、マルクス共産主義史観のように
鎌倉期とするか、あるいはは南北朝期とするかよのう。
その「中世からの解体」云うんはどがいな説かいのう?
388 :
白馬青牛:2007/11/12(月) 00:52:30 ID:ylLAC4Ro
>>387 違いについては=゚ω゚)の書き込みがあったろ。
近代は使い慣れた和鞍を捨てた。
小農の自立。
ぼんくらって・・・
391 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 10:20:36 ID:1CkKO57G
自分が突っ込まれたらはぐらかして人にはソース!ソース!と言い続けるナイスガイ牛
392 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 22:45:16 ID:t9IzOpQ/
=゚ω゚) 馬具が違うと言うより馬体がでかすぎると古来の責め馬調教法が通用しないんだよ。
だから西洋では調教法に重点がおかれ従順で多芸な馬が重宝された。
慶応年間江戸幕府はフランス式軍制に改変。小笠原常定が騎馬調練を開始。
そして明治以降、陸軍はドイツ馬術を採用したらしいが北清事変で上海出兵したさい
騎馬の整列もろくにできず貧弱で凶暴な国産馬は列強諸国に笑われたと言う。
日露開戦にあたり陸軍省は豪州へ軍馬3701頭を注文したが・・・その前に終戦w
しかし3701頭って・・・ハンパだ。秋山好古はおフランス帰りだった希ガス。
騎馬鉄砲で有名なのが仙台伊達兵な。
馬に鉄砲と言えば夕陽と拳銃の伊達順之助を思い出すのう牛!
♪満州うぅぅ荒野〜♪竹にスズメは伊達男爵か
393 :
白馬青牛:2007/11/13(火) 23:58:08 ID:kWY6/bSv
>>389-390 使い馴れの問題以前に騎乗者の技術を考慮せにゃあ。
小農の自立か。東日本じゃあ戦後じゃのう。
ぼんくら(盆暗)=ネット用語のDQN。
>>391 わしが突っ込まれたらはぐらかして、云うてどこの文かいのう。
>>392 馬体、調教よりも、日本馬は去勢をしとらんけえのう。北清事変の頃は
どうにもならん。秋山好古は、日本騎兵に騎馬戦を避けさせたけんのう。
三菱財閥が小岩井牧場に繁殖牝馬を購入輸入したんは、日露戦争の後、
明治40年じゃたろう。伊予宇和島藩主系の伊達順之助氏か。
http://art-random.main.jp/samescale/056.html 下段の伊達順之助=張宗援の右の方に写真が出とる。胡桃沢耕史氏の
「闘神」はわしゃあ読んどらんのじゃが、若い頃からDQNじゃった
のう。次も伊達順之助氏について書こうかいのう。
394 :
白馬青牛:2007/11/14(水) 00:49:47 ID:tIZ/7L7G
>>393の続き。松田隆智氏と張世忠氏の対談から。
張 「日中戦争が始まった時、私は許蘭洲将軍の関係で軍隊に入った。
山東省督弁の張宗昌将軍の義兄弟の伊達さんは中国名を張宗援と名のり、
青帮の二十一代の徐鉄珊が総参謀となって山東自治連合軍を組織した。
伊達さんはそれ以前は満州で馬賊の頭目だったが精鋭を選抜して山東省に
やって来た。体格の良い貫禄のある人で、毎朝早起きをしては馬に乗って
周辺を一まわりするのが日課だった。」
松田 「拳銃の名人だったでしょう。騎馬の状態で電線を拳銃で撃って
切断してしまうのは本当ですか?」
張 「本当だ。拳銃の腕前は大したものだった。」
八極拳の武術家である張世忠氏については、
http://www.tcat.ne.jp/~boofoowoo_8/news1.htm に出ておるが、【波乱万丈の青年期】に、徐鉄珊氏、伊達順之助氏、
小日向白朗氏と、歴史の裏面に登場する人物達と交流があったようで。
騎馬の状態で撃って電線を切断するんは、相当の腕じゃのう。
395 :
白馬青牛:2007/11/14(水) 01:36:19 ID:tIZ/7L7G
>>394の続き。伊達順之助氏と広島第5師団との関連で、山東自治軍から。
「南満州及河北・山東の馬賊を集め、日本人の伊達順之助氏と名のる男が
指揮官だった。山東北部を本拠に、日本軍に協力した集団で、詳細不明だが
約4万人とされていた。師長級は日支(日本人と中国人)半数ぐらいで、
5・15事件の首謀者も居たという。昭和13年1〜2月頃は、第21聯隊
(広島5D、浜田21i)がこの管理を担当し、武器・弾薬・資金など
支給した。もともと日照(青島西南約95km)付近で、製塩により
自活させる予定だった。2月20日片野支隊(浜田21i)が南下中、
この軍(伊達氏の山東自治軍)は支那軍と交戦して敗れ、わが軍の
招賢城攻撃の勇敢さに感激して、100円を置いて日照に帰った。
(浜田第21聯隊史・大塚氏記述から)。
馬賊じゃあ、相手が支那軍であっても、近代軍隊に勝てんのは云うまでも
ないが、よほど「強剛の二一」こと、島根県の浜田聯隊の勇敢さに
感動したんじゃろう。
396 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 01:37:37 ID:T1XrXV8I
>>393 わしが突っ込まれたらはぐらかして、云うてどこの文かいのう。
391ではないが↑自体もそうだしな。あんたの色んなレスみて勉強
させてもらったわ。というかアナタ一体ナニモノデスカ?ただの文学オタク
・・・てわけではなさそうな気がする。
>>393 中世武士の馬術は幼少期からの訓練が必要だろうし、実戦ではいわゆる軍陣鞍を用いる。
日本の馬具は独自に培われた技術。それも関東を中心とする東国で。だからusiは嫌うw
近世馬は高級武士の移動用、ステータスシンボル。鞍は水干鞍全盛。
主流は木曽馬のような駄載や農耕。
そんな流れを受け継いだ騎乗に疎い近代日本人の能力で、人も馬も体格が違う外国と比較されてもな。
戦国時代でも馬上衆は限られた階層だろ。
里見や北条の馬上足軽など関東の軍役は馬と密接だが、でも着到の主流は歩槍。内陸アジア遊牧民とは違う。
だからって、畿内西国よりは↑↑↑↑↑↑
近世の百姓は結構浮き沈みの激しいシビアな社会。新たな富裕層も出てくるし。
usi自ら信奉する(電波)江上説を否定してる罠w
韓半島南部から入ってきた河内の馬飼は、去勢技術など持ってなかっただろ。
394と395はお国自慢板に貼れよw
398 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 22:41:37 ID:DbJPaxUX
=゚ω゚) 北条の足軽といえば関係ないが船足の速い船を『足軽舟』と呼んだらしい。
それが金太郎で有名な足柄山の舟材の語源だとか。伊豆水軍かのう?
>394
=゚ω゚) ほう満軍八極拳の張世忠老師と伊達順之助や紅卍会に面識が合ったとは
知らんかったわい。ただの中華料理屋のオヤジだと思っていたがwやるのう牛。
紅卍会は合気道の名付け親、出口王仁三郎や頭山の玄洋社との関わりも深いので面白い。
じゃがリンク先のサイト記事には重大な間違いがあるっ!
>雑誌「武術」の創刊とともに“八極拳ブーム”が起こり生徒が急増
=゚ω゚) “八極拳ブーム”が起きたのは『拳児』と『バーチャファイター』のおかげじゃ!
江戸城石垣の材料として膨大な量の伊豆石を、慶長〜寛永期に西国大名が船で運んだね。
その影響か慶長期の墓石は旗本階級でも不足していた模様。
相模国足柄上郡大伴郷、大友氏発祥地。
ベタだが伊東の湯は良いな。
伊東漁港近く、歩道沿いの甘い香りも・・・干物だけどw
伊豆ってトコは曇ってる日が多いかも。
400 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 11:46:53 ID:gVdPbEnP
さすが汚いな牛汚い
∧ ∧
( ゚∀゚) 近代広島は小作や被差別民の争論が激しかったか
_| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
402 :
白馬青牛:2007/11/16(金) 00:20:02 ID:AcV432so
>>396 じゃけえ、はぐらかしたじゃ思える文を具体的に書かにゃあ、わしゃあ
答えられんよ。アンタ一体ナニモノ云うても、わしゃあ広島のモンじゃ。
文学?嫌いじゃあないのう。
>>397 日本の古代〜中世の馬術は、渡来系の末で畿内の職能集団の弓馬の家の
技術じゃっただけであろう。外来文化の終着点の島国の日本に独自性を
求めてどうするんかいのう。韓国人と東日本人は、起源やら独自云う
言葉が好きじゃのう。日本人が騎馬に疎いんは、ステップ乾燥地帯と
違い、湿潤地帯じゃけえ風土的に騎馬は無理じゃ。人や馬の体格?
トルコ系やモンゴル系の遊牧民の人と馬は西洋と比べ小さいが、騎馬戦闘が
有効な古代〜中世じゃあ西洋より強かったで。ロシアのコサック騎兵なんか
は、トルコ系遊牧民の影響が軍事・社会組織的にも強い。
http://zarathustra-wins.net/cosak1.html ウクライナ・コサックについて「選挙、全員集会の合議制といった
平等な制度を有して、経済面でも平等主義的な社会であった。」と、
あるよう遊牧民的な民主的社会(海洋性の強いカリブの海賊も平等性が
強い民主的制度)と、縦型のロシア農奴社会と違う。
関東が、馬牧畜社会じゃったら横社会にならにゃあいけんのに、
隷属農奴縦型社会になっとるけんのう。
403 :
白馬青牛:2007/11/16(金) 01:00:40 ID:AcV432so
>>397 江上説の否定?古代の柔然すら去勢や家畜騎乗に乏しかったけんのう。
河内や大和の渡来集団を朝鮮南部に限定出来んよ。東漢氏は、鮮卑的要素も
強いし、列島大量移住を朝鮮南部だけの問題じゃない。伽耶自体も
楽浪木槨墓から北方木槨墓に変わっとるで。満州・朝鮮北部の連中の
南下現象じゃ。
>>393の胡桃沢耕史氏は、継体天皇の継体王朝を高句麗系と
考えておられたが、わしは、敦賀・越前は角杯の分布から、新羅・伽耶系も
無視出来んと思う。胡桃沢氏は、昭和17年秘密任務で大陸に渡り、
モンゴルにも行かれたので、「江上波夫先生が元祖ですけどね。」と
アルタイ系を強調され、モンゴルの歌も「司馬(遼太郎氏)君と酒を
飲むとよく歌うんだよ。」と云われた。胡桃沢氏のマフィアに監禁された
話やご自身の射撃の腕の話も面白かったわい。(松田隆智氏との対談から)
404 :
白馬青牛:2007/11/16(金) 02:03:11 ID:AcV432so
>>398 紅卍字会と植芝盛平氏の入信した大本教の出口氏、黒龍会の内田良平氏等
の関わりは深いのう。秘密結社の世界は謎がえっとじゃが。
関東軍の工作員であった時吉道仁氏は青幇に入幇されて、青幇員の
相互扶助について、綏遠特務機関の頃、風呂屋の青幇員の主人が、
「お前の家は町外れで不安だろうから自分の所へ移れ」と打診した。
「私は大丈夫だといっていたが、一週間もしないうちに、国民党軍の
襲撃があって多くの死傷者が出た。ところが、私のところには襲撃が
ありませんでした。風呂屋の主人が、事前に私の写真を重慶側に送って
いたんですね。青幇員同志として私に好意を示してくれたのでしょう。
その後、昭和十九年ですが、唐山の青幇の有力者から強制労働者として
送られる何人かの幇員を救出する方法はないかと打診がありました。
しかし、私は日本側機関に睨まれるので不可能だと申したのですが、何度も
懇請があるので、やむなく、「出発の前夜は警備が手薄になるから・・・」
と提案しました。一ヶ月ほどして帰宅したところ玄関口に多くの土産が
置いてあるんです。一年ほど後、土産を置いていったのは、私の入れ知恵で
助けられた人だと聞きました。(中略)こうして民族を超越して、いったん
契りを結んだ以上は親兄弟以上のつながりをもつわけです。」と、
相互扶助の精神は強いのう。
405 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 02:05:36 ID:XMtpfKTi
戦国の石高について知りたいんだが、100万石なら大体2万五千の兵を持てたらしいけど、100万石の半分の年貢だとしても50万石の収入あるわけだからもっと兵隊雇えたんじゃないの?
406 :
人間七七四年:2007/11/16(金) 07:38:15 ID:lilhQpMZ
エセ広島人が居て驚いた
>>402 中世畿内に渡来系で弓馬の家?そんな家無いんですけどw
そこで【西日本の牛】【東日本の馬】。
馬の少なかった明などは相当のウンコだな。
小国日本には結構たくさん居たが(宗岡高助の乗馬のような近畿の痩せ馬を含めて)。
>>403 文化の受容
408 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 01:18:12 ID:gQvpwGPT
>405
=゚ω゚) あー兵力の動員数か・・・なんか一万石で250人とかよく聞くね。どうなんだろ?
あまり詳しくは無いが手もと資料だと時代や兵装によって変わるようだ。
北条の軍役規定は200石で騎馬1騎につき5人(槍2、鉄砲1、馬の口取り1、旗1)だそうな。
だが馬や鉄砲(硝石)は高価だし遠征だと乗り換え馬も必要。
そうすると荷駄を含めると数倍−十倍の人数が必要とかw
かなり金がかかるなあ。
ただ雑兵物語とか読むと雑兵、陣夫が騎馬武者とか討ち取ってたりするし、
黒田官ベエみたいに浪人どころか女子供まで兵に雇うヤツもいたりするし
石高制が浸透したのは秀吉以降と言う話しだし単純に割り切れるのかどうか?
?詳しい人プリーズ。
後北条氏の軍役賦課基準は、貫高100貫文で約11人(馬上3人、鑓6人)の負担。
同じく陣夫役、40貫文に1人(陣夫1人+駄馬1匹)の割合かな。10貫に1人の場合もあるようだな。
慶安期の旗本の規定、9000石で軍役192人(馬上8)。小荷駄(陣夫)は9人9疋の負担。
1万石だと235人。
旗本の馬上は本人が抜けてたかな?足せば計9人。
元和年間の一万石で馬上15人、慶安は11人と減ってる。
馬上15・鉄砲20・弓10・鑓50。
411 :
白馬青牛:2007/11/17(土) 23:15:29 ID:GuD3UL20
>>406 あんたあ、エセ日本人か?
>>407 渡来系の坂上氏は「家世々弓馬を事とし、馳射を善くす」じゃが。
まあ、東日本人は共産主義史観じゃけえ、中世を鎌倉時代からに
したいんじゃろう。農業家畜としての西の牛と東の馬で、東国が
牧馬社会じゃったら、平等で民主的な社会を作ったじゃろうが、残念ながら
農耕に馬を使う隷属民じゃけんのう。
文化の受容も東国マルクス共産主義者らしい意見じゃわい。
http://www.bund.org/opinion/20041005-3.htm 「渡来人は縄文人に吸収された」−戦後歴史学の<民族主体性>論に、
出とる、マルクス主義者にして単一民族論者の関東武士マンセーの
石母田正氏の受け売りじゃろうのう。つまり教条的マルクス主義者や
共産主義者の転向組の藤岡氏らが執筆する「つくる会」とその手下の
ネットウヨと同レベルじゃないか。伊達順之助氏と交流のあった、
大川周明氏の日本民族起源論の方が真っ当じゃわい。
412 :
白馬青牛:2007/11/17(土) 23:50:41 ID:GuD3UL20
>>405-408 石高制は秀吉の検地以降の制度じゃし、軍役以外にも掠奪集団ら、
他の戦闘参加者も含めると正確が兵員数は解らんよ。
薩摩の野郎軍団もそうじゃ。家族を連れて従軍したようじゃ。
折口信夫氏は、「応仁の乱や大阪の冬の陣・夏の陣などにも寄り集まって
やって来ます。大勢をつれています。移動村落です。それが落ち着いた
のは江戸時代です。」と、村落単位の集団も含むじゃろう。
>>409-410 確か?慶安二年じゃったか。軍役の員数が軽うなったんは。
1万石で馬上10・鉄砲20・弓10・鑓30。
旗本の軍役に主人は含まんよ。
413 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 23:53:38 ID:5RoVbwT0
>>408 一万石で300人と俺は先生に聞いたが。
>>411 軍事官僚としての坂上氏は9世紀初頭まで。その頃の最強はアテルイ。
近衛武官として残った渡来系の秦・下毛野らの馬芸は娯楽競技の競馬(くらべうま)であって弓馬ではない。
形骸化した近衛武官は戦士ではないし、武力も期待されなかった(続古事談)。
弓馬の家柄は10世紀「兵の家」で、アウトローな無法地帯の関東で誕生した。
で、中央に進出し伊勢平氏のような軍事貴族にもなったろ。
農耕馬は江戸期が盛期であって、それも主として厩肥と運搬用程度にしか使えない。
農耕馬は小食な小柄馬が好まれたし、武士(軍役衆)の軍馬とは区別すべきだろうよ。
縦型社会の頂点は京都貴族。
マルクスなんぞ知るかw
>>412 馬上15・鑓30は元和2
江戸期の軍役規定は戦国期より非戦闘員が多く、鉄砲は戦国期ほど重視してないようだ。
600石の旗本で本人分を除いて(慶安2年)、侍(若党)3・甲冑持1・立弓持1・鉄砲1・鑓持1・草履取1・挟箱持1・馬口取2・小荷駄2。
これを維持するのは普通に無理だが、その内容も近世らしく儀礼的な印象。
415 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 02:22:47 ID:LYIxsg2y
牛はネットウヨが嫌いなのか。ならブサヨ側の人間か
416 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 04:09:52 ID:9GKwI8I8
>>409 =゚ω゚) いつもながらまいどサンクスです。
おおよそ50貫=200石で換算すると一万石は2500貫。
100貫文で約11人(馬上3人、鑓6人)の負担。と言うことは
北条家推定で一万石あたり275名? 数字的にはほぼ通説どおりかな。
まあこれは普段から家で召し使う郎従たちの
最低限の戦闘員数の規定だろうから状況によって変わった鴨。
さらに食料が1日あたり人間5合の馬が大豆1升。
400石あたり11人×馬3で、1升を1.5kgで適当に計算すると
400石=(11×0.5)+3=8.5升。×25=212.5升=319kgで
1万石で1日5俵かな?3日で1トンの計算だね。
つーかこの計算でいいのだろうか?w
さらにこの荷を運ぶ駄馬と人夫数名も飯を食うわけだが・・・
私は計算しない。
=゚ω゚) ちなみにウチの近所の店には「1斗2升5合」の
御商売益々繁盛絵馬が掛かっておった。
これは暗号である。この謎が解けるか牛っ!
417 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 13:32:42 ID:jrg4WMG4
徴兵募兵の実状ってどんなかんじだったの?
>>416=゚ω゚)
貫高と石高を比較するのは難しいが、1590年頃で100石に4〜5人程度の軍役負担のようだな。
1日玄米5合は平時で、戦時は米の量が増し1日3食にもなったようだよ。白米も食えたらしい。
419 :
白馬青牛:2007/11/19(月) 01:37:29 ID:MBj7x/Uj
>>414 蝦夷のアテルイと闘うた主力は、近隣の東国兵じゃないか。
遠江・駿河の新羅人700人の反乱に動員された関東七ヶ国の援軍も
人海戦術で鎮圧した処、新羅人も最強か?渡来系にも土着系にも苦戦する
関東勢の弱さか。渡来系から馬術を学んだ関東や東北蝦夷が、競馬なら、
馬柄杓を必要とする関東武士は馬上お荷物じゃのう。
関東がアウトロー無法地帯?米国の西部もカウボーイとガンマンの世界と
19世紀そう呼ばれたが、ジョン・ホープ・フランクリン氏は、
『武装せる南部』(1956)で、「西部のフロンティアがその最も
凶暴な時代と同時期で、南部の方が、武器の使用、決闘、自警団、
大衆リンチ等がずっと激しかった。なぜ、西部の暴力のテーマが
誇張されているのであろうか。」と。それと日本の東国アウトロー伝説も
同じことよ。畿内の文筆に携わる者が面白う、可笑しゅう誇張して
書いた文が後世に残るわけじゃ。「東国フロンティア物語」として。
農耕馬に荷駄を載せるんも騎乗下手な武士を載せるんも大した違いはない。
騎乗上手なら馬の口取りや馬柄杓は必要ないけんのう。馬飼育に巧みなら
乗り換え馬は牧夫がまとめて連れて従軍すりゃあ人夫もいらん。
身分制縦社会の京都よりも縦社会の関東・東日本の方が頂点に近いわ。
マルクス左翼史観そのものじゃないか。あんたの鎖国史観は。
420 :
白馬青牛:2007/11/19(月) 02:13:43 ID:MBj7x/Uj
>>415 ネットウヨは、米国のKKKや西欧のネオナチと何ら違わんじゃないか。
何でわしが、排外主義のファシストネットウヨを肯定出来るんか?
ブサヨなら、共産主義左翼史観の蛙君に云ええや。そもそもネットウヨの
方が
>>411の挙げた文にあるようマルクス左翼史観の継続者じゃないか。
ネットウヨは、民主主義も左翼認定じゃけんのう。
ぜひ北朝鮮に移住することを薦めるよ。米国のKKKに反対したような
プロ市民は活動出来んし、政府に対する批判も出来ん。
ネットウヨの理想国家じゃないか。
関東の人間なら昔から隷属農奴体制が身についとるけえ苦労はないが、
横社会に馴れた西日本の人間にとっては業なことよ。
>>416 櫛屋が十三屋(9と4、くしや)云うような語呂合わせよのう。
「御商売益々繁盛」は、5升倍(1斗、ごしょうばい)2升
(1升+1升ますます)升半分(5合、はんじょう)の語呂合わせ以外の
暗号でもあるんか?
421 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 08:29:13 ID:apQfiA5t
>>420 その熱湯浴はネオナチやKKKとはそもそもまるで違う、差別的だから同じ程度だろうが
世界で差別はむしろ当然でしかない
ネオナチなんかは実行組織
第一民主主義否定論者は居ない
by熱湯浴
422 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 12:48:26 ID:z8Jo3mFE
ウヨのあほさに涙目・・・
感情論しかないのに、ないからか?見下す相手がほしいんだよ。
極論しかできないし、ニュー速あたりだと数押せで自慰できるんだろうけど・・・
423 :
人間七七四年:2007/11/19(月) 22:09:22 ID:9kTtOqWz
=゚ω゚) 寛永10年度江戸幕府の軍役令だと
200石で侍:1、甲持:1、槍持:1、挟箱:1、小荷駄1、草履取:1、口取:2で計8人。
900石で侍:6、甲持:1、槍持:3、挟箱:2、小荷駄2、草履取:1、口取:4、弓:1、鉄砲:1で計21人。
1万石になると人数規定の記載が無く
馬上:10、鉄砲:20、弓:10、槍:30、旗:3となる。
馬上武者は最低200石以上だから、それを10セット揃える事になる。
500石以上は計13人で
>>414氏のデータとほぼ同じとなる。
=゚ω゚) 東西農耕と牛馬の違いは島原の乱にも見られる。
寛永15年からの牛の伝染病により西国地域の牛がほぼ全滅。
旱魃に加え耕作能力が低下し飢民は江戸まで流れてきた
これも西国飢饉の一因であったと言われる。
(東北はふつうに大雨と冷害だった)
>420
=゚ω゚) よくぞオイラの謎かけを見破ったな明智君。
他にも「望遠鏡にウサギのマークとはこれ如何に?」とか有るのだが
また今度にしちゃる。戦国に暗号は憑き物じゃけんのう。にんにん。
>>419usi
その常一電波は論破されたろ
>>109>>110>>119 律令的歩兵は弱小
>馬の口取り
口取りは貴族社会に見られる。舎人の「くとり」。
武士社会の馬口取りは容儀を整える意味でも必要なもので、もちろん全国共通。馬柄杓もだろう。
まぁ、畿内産の軍馬は関東甲信の駄馬より劣るしw
usiの東日本に対する偏見がマルクス史観。
地理人類学板の鎮西人ワロス
鯉のドラ1は前商出身の篠田か。多田野獲れなかったね。
捻り嫌いのusiとしては多田野は好みじゃないだろうな。変な意味じゃなくてw
>>423=゚ω゚)
江戸泰平の世だと、旗本の殿様も若党や中間より女中を多く雇ったり・・・
本来は精鋭であるべき大番組番士クラスじゃ馬も飼えないだろうし、軍役も糞も無くなるね。
426 :
人間七七四年:2007/11/20(火) 01:10:33 ID:wjI3UjaL
伝染病でusiが死ねば良かったのに
∧ ∧
( ゚∀゚) あと、
>>419の>畿内の文筆に携わる者
_| ⊃/(___ これって日本書紀の頃からだけど?坂東を重視する姿勢はね。
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
428 :
白馬青牛:2007/11/20(火) 23:04:49 ID:mOJnvj+2
429 :
白馬青牛:2007/11/20(火) 23:53:25 ID:mOJnvj+2
>>428のに、出んかったんがあったか。
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hon1.html じゃったかいのう。
>>423 寛永期の牛の伝染病で西国の牛がほぼ絶滅したかどうかは、遺伝子を
調べて見んことにゃあ解らんよ。寛永の飢饉は西日本だけじゃのうて、
東北地方にも波及しとるじゃろうに。
飢饉は小氷期には頻発しとる。15世紀には洛中の死者8万4千が事実か
どうか解らんが、戦国時代は小氷期によってもたらされたとも云えよう。
4世紀の氷期には、渡来系の大量移住もあったろうし、平安期の9世紀
頃には、西日本の小氷期に比べ、東日本は温暖化現象が起きて
西日本人の東日本へ殖民活動や温暖化による生産向上で奥州藤原氏や関東
武士連中の自立のきっかけにもなったんじゃろう。
430 :
白馬青牛:2007/11/21(水) 00:11:31 ID:t+zqjv61
>>424 論破されとるんは、蛙君の方で。宮本常一氏は、家畜飼育文化から
東日本は欠落部分が多いとされとるんじゃ。
確かに、東日本は蒙古や高句麗の牛車文化や犂を使う部分に乏しい。
東日本は、馬を荷駄や農耕に使う要素が強いわけじゃ。
舎人を馬の口取りと語呂合わせしょうるが、新羅の舎人も同じ意味か?
畿内に馬を献上した東国の方が駄馬を使うとったんじゃないか。
自民族発展段階説で完結されるんがマルクス史観じゃ。東日本の
鎖国閉鎖史観が相当するよ。
>>426 人を呪うようなことを云うんは、われが恥を掻くんじゃのうて、われを
育てて下さった、ご両親が恥を掻くんで。どがいな育て方をしたんか
云われるんど。自分自身の汚名よりご両親の責任になることを自覚せえ。
親不孝もんが。
431 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 00:13:29 ID:WRJoIPTJ
=゚ω゚) だから東北はふつうに冷害と洪水だっつーに。
あと、噴火も有ったかな? 西国は旱魃だよ。
東日本は耕作に馬を使ってたから被害はやや少なかった。
>牛がほぼ絶滅したかどうかは、遺伝子を調べて見んことにゃあ解らんよ。
=゚ω゚) そんなもん調べなくても記録にのこっとるじゃろ。
九州、中国ら西国大名が幕府にその旨を申告している。
>428
=゚ω゚) フランチェスコ上人は福音書しか読んでおらんでも悟りを開かれたそうな。
432 :
白馬青牛:2007/11/21(水) 00:28:05 ID:t+zqjv61
>>425-427 殿様の女色好みじゃろうが、戦国期のような男色(ホモ)ならええんか?
心配せんでも男色は、明治期には再び流行したよ。戦後は天下泰平時代が
続きよるけえ、男色の復権は難しい。あんたあ残念じゃったのう。
『日本書記』等の記紀が創られた時代は、東国ロマン伝説の時代じゃ。
5〜6世紀に書かれたもんじゃあるまいし。
433 :
白馬青牛:2007/11/21(水) 00:52:45 ID:t+zqjv61
>>431 冷害と洪水も旱魃も気候変動による現象云うことじゃ。
記録だけなら書き手の主観でどうとでも書けるど。
都合の悪りいもんなら、終戦時のように焼却して終わりじゃ。
『日本書紀』にしても、記録云うか記紀は、文学の一形態じゃけんのう。
飢饉の犠牲者を報告するんも戦闘報告の何人殺したかで、殺してもない
数が加算されるんと同様、飢饉の犠牲者数も正確じゃない。ただ飢饉が
あった事実だけが記録に残るわけじゃ。あんたも原理福音派聖書根本主義者
の一字一句を額面通り、解釈するんと変わらんじゃないか。
ほんま関東の連中は、妄想原理主義者がようけ(多い)じゃのう。
こんなあ、ローマカトリックの新約聖書の福音書解釈と根本主義者の
旧約聖書を文字通り解釈するんと混同しょうるわい。
>>430 牛車が使えたのはは道路が整備されてたからであって、『方丈記』では乗馬と牛車が反比例。
>>67 【関東・信濃】 馬牧=台地・山麓(広い) 高句麗系 畑作と牧(馬飼育複合文化=森、大林氏)
【畿内】 馬牧=川原(狭い) 百済系 田と牛
常一は絵巻の見方もいい加減で話にならないし、貴族に馬口取り(舎人)は付く。
なぜ、平安貴族は落馬するのだろうか?武士じゃない頼長だけがなぜ射られたの?戦わないのに?
頼長が豊原時秋に贈った馬は、鞍と舎人もセットだったようだな。
貢馬の制度は牧を武士に横領されて廃れた。貢馬といっても貴族に贈るわけだから、実戦に使わないコレクション。
京の軍事貴族は独自に奥州などから手に入れたわけ。
東国では熊谷クラスの小領主でも立派な乗馬を手に入れてたが、畿内の在地領主は体力の無い博労馬だろう。
>>431=゚ω゚)
富士山
>>432 そっち系の話じゃなく、彼独特のフォームの事よ。負担大きいから故障心配ね。
近世・近代のそれは薩摩武士。
東国ロマン伝説、新語キタアッ━━━━━!!!
▽保元物語(半井本)
(為朝)「清盛ナンドガヘロヘロ矢ハ、何事カ候ベキ」
(為義)「合戦ノ道ニ調練不仕シテ、不案内ニ候ナリ」
(為義)「嫡子ニテ候義朝ハ、坂東ソダチノモノニテ候間、弓矢ノ道奥義を極タル上、付随所ノ郎等、皆関東ノ兵者共也」
436 :
人間七七四年:2007/11/21(水) 21:50:18 ID:EI1qR/Kz
437 :
白馬青牛:2007/11/21(水) 22:48:12 ID:t+zqjv61
>>434 道路がのうてもモンゴルじゃ牛車を使うとったよ。
森浩一氏は、東国の山麓馬牧が広く、河内の川原馬牧が狭い云われとらん
じゃろう。森氏は「五〜六世紀ごろは、河内平野はわが国における馬の
文化の中心であった。」と、される。元来馬牧は水草を追うもんじゃ
ないんか。南満州〜朝鮮北部の山麓に住んだ高句麗自体、果下馬で
小型馬じゃったよ。中型馬は満州平原の夫餘かモンゴル〜西満州の鮮卑から
手に入れて重装騎兵が作れたんじゃないか。東国山麓の高句麗と共に、
関東低地平野部の新羅系の要素もあり、馬文化も日本海側から流入したと
考えられる。
一方河内の馬牧は、百済系云うても、東漢氏と新沢千塚古墳と鮮卑の関連も
あり、鮮卑、楽浪漢人、百済、伽耶の混合で黄海側の要素が強いんじゃ
ないか。
『年中行事絵巻』の貴族の方が見た目に騎乗姿が良いが、板東武者は、
源平合戦の絵巻でも馬が暴れて騎乗者が落ちまいと馬にしがみつき、
哀れな姿態じゃけんのう。これじゃあ、近代軍隊の弱いとされた日本
騎兵以下じゃ。騎馬戦闘の集団運用どころじゃないわ。
新羅じゃあ舎人は、豪族の郎党で大舎、舎知は上干、干と官位を持っと
るよ。馬の口取りから発生したかは、疑問じゃのう。
関東の実戦云うてどの戦闘か?具体的に云わにゃあ。出入りと戦争は
違うで。奥州や北海道の渡島等の馬を京都貴族が求めたことじゃが、
関東は馬の質が良うなかった云うことか?
安芸に移住した熊谷氏じゃけえ、熊谷クラス云いたいんかいのう。
まあ、セミプロじゃったんは、認めるが。熊谷氏が移住した処が、
安芸国漢弁郷(広島市安佐北区可部地域)じゃ。安芸に先に移住したんは
騎乗プロの渡来系漢氏じゃったんも面白い現象よのう。
438 :
白馬青牛:2007/11/21(水) 23:13:56 ID:t+zqjv61
>>434 そっち系は薩摩人に顕著じゃが、地域的に西日本の方じゃのう。
もっとも、江戸でも旗本奴や町奴らDQNは、その気も強かったんじゃ
ないか。男色は地域や時代と両面見んといけんが、戦前の昭和期では、
陸軍より海軍に蔓延しとったようじゃ。広島ヤクザを描いた
『仁義なき戦い』や日露戦争を題材とした『203高地』の脚本家、
新潟県人の笠原和夫氏は、広島県の大竹海兵団出身じゃったが、
海軍は「そっち系」じゃないと出世出来んと云われる。船の中の閉ざされた
環境か、海軍が薩摩閥が多かったせいか、それとも海軍がモデルとした
英国の紳士の男色習慣か、要因は様々あろうのう。
>>436 広島県の恥は、参議院議員になって無所属から自民党へ変節し、
反日分子発言をした漫画道場のK氏じゃないか。反日分子云うて、
ネットウヨの発言と同レベルじゃわい。市長選に落選してえかったのう。
>>437 京都貴族は馬にも乗ったがそれより牛車。モンゴル人は一にも二にも馬だから全く違う。
森氏は古墳時代から関東の優位性を認めてるよ。
高句麗の馬は小型だが、後に大陸から中型馬が入って来たろう。
それらが南下するなどして、朝鮮南部から日本に中型馬が入って来た。(日本書紀)
だから、信濃や上野の高句麗系の馬文化は中型馬。畿内のそれも中型馬だが、後世の評判は頗る低い。
絵巻なんてものは省略して描かれてるわけで、武士戦闘の場面で口取りが居ないのも普通にあるぞ。
貴族の見た目ってむくみ顔で肥満だろw落ちまいと馬にしがみついてるのは随身絵巻の近衛舎人だぜw
権太栗毛1200束、直実がセミプロなら教経や景清は高陽東か新庄か。。。
任那・百済系の漢氏(漢=韓)がプロ?戦闘が恒常化するのは東国だよ。漢氏は「兵の家」になれなかった。
>>438 京・奈良が本場だからな。それに較べりゃ信玄なんてかわいいもんだろw
浅間山の方が影響は遥かに大きいか ↓ココ
1083年(富士)1108年(浅間)1707年(富士)1783年(浅間)
富士や浅間も 何ならむ 君思ひねの 胸のけぶりは
441 :
人間七七四年:2007/11/22(木) 00:12:47 ID:Zden2UtC
>433
=゚ω゚) 寛永18〜20年の大飢饉は蝦夷駒ケ岳の噴火。
伊達領の洪水および冷害。五機内、中国四国の旱魃と虫害。
そして九州の牛死
これに先立つ寛永15年に九州筑後、豊前に始まる大量の牛死が発生。
国境を接する肥後、長門の牛もことごとく死んだ。
熊本藩は薬を注文しているが使うべき牛が死に絶えていたと言われる。
この事は萩藩毛利家も幕府へ報告すべきか黒田、細川らと問い合わせを
行ったと萩藩留守居役の日記に書いて有るそうな。
貴族は米中心の偏食、魚肉を忌み嫌い、都市生活者ゆえ新鮮な食物も摂取できず酸性体質。
運動不足で肥満、顔もむくみ、その容姿が絵巻に描き出されてるか。
地方からの食料に依存してた京都が飢饉に弱いのは当然の成り行き。
>=゚ω゚)
馬は日本>朝鮮だが、明治〜大正期に移入された朝鮮牛は和牛より力があり、役畜としての能力も高かったそう。
それで近代、関東でも耕起に畜力を利用するようになったのだが、牛の朝鮮&近畿と言えるか(usi激怒)
明治初期の肥後牛は体高111cm、それが品種改良で昭和初期には130cm前後まで体格アップしたんだってさ。
戦国時代、軍事物資輸送用に駄馬ならぬ駄牛も使われていたそうだけど、西国大名かな??
関東 筋肉労働者 濃味 辛味 塩分多
上方 知的労働者 薄味 甘味 塩分少
444 :
白馬青牛:2007/11/23(金) 22:52:35 ID:7Cjhucj2
>>439 古代モンゴル人は、馬の少ない室韋や初期の柔然のように、牛に乗って
掠奪した連中もおったよ。日本では、大国主命が牛に乗って北陸の越を
平定した伝説を持つのう。馬が少ない場合は牛に乗りゃあええ訳じゃ。
東国に牛車文化や犂文化が乏しい云うことは、家畜飼育文化にも
乏しかった云うことで、牛馬の区別以前の問題じゃ。
森氏は、馬具の出土が長野県(高句麗系)に一番多いことからじゃろう。
『日本書紀』は8世紀に書かれたもんじゃけえ、あてに出来んが古墳期に
中型馬が流入した確率は高いのう。
そう云やあ、関東武士の佐奈田与一は、馬が暴走して討ち取られたんじゃ
ないか。後世の物語文献で信憑性が薄いとしても、書かれた鎌倉期も
騎馬戦を実戦として運用出来んかった云うことじゃのう。
後の文も妄想を云うとるのう。じゃけえ、何回も聞くが東国の実戦とは
どの戦闘のことか?
445 :
白馬青牛:2007/11/23(金) 23:42:00 ID:7Cjhucj2
>>442-443 このスレのパート@でも挙げたサイトじゃが、
http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20061105/1162695442 ■「史論」間違っている論理展開
「以下は恣意的な事例選択により、間違った解を導き出した例。」
『ビジュアル源氏物語 第5号』の文について、
「平安貴族は短命」や「ひ弱な貴族」「屈強な武士」と云うのが、
如何に根拠の無いものか書いてあるが、蛙君もマルクス左翼史観の見解から
堕落した貴族を倒した関東武士云う前提条件(妄想前提条件じゃが)を
造って云うとるけんのう。貴族が魚肉を食べんかった根拠も無いしのう。
建前で魚肉を嫌うても、ほんまは江戸期のように薬喰いじゃ云うて喰う
ことも出来るけんのう。蛙君よ、貴族の便所址からの寄生虫から魚肉は
喰わんかった云う根拠でもあったんか?
シベリアの狩猟民族や内陸アジアの遊牧民も味付けは薄いど。
日本では、畿内〜瀬戸内食文化圏の味付けは薄い。ほいで関東人は
素材の味を知らん馬鹿舌と嘲笑すわけじゃが、逆に味付けが濃い云うことは
文明化云う面もあるけんのう。東国の長子相続制等、宗族概念も儒教色の
強い文明化とも云える。素材を生かす西国の食は野蛮人で、
関東はひ弱な文明人云うことかのう。
446 :
白馬青牛:2007/11/24(土) 00:03:54 ID:S9mpbMRn
まあ、陰徳太平記よりはマシ
>>443 モンゴル人は牛を馬鹿にして乗らないらしい。プライドが許さないと言って。
森氏は関東の馬型埴輪を重視してる。ついでに家畜についても。
与一は勇者。
>>440の噴火の頃も戦ってる。
>>445 前に挙げてた下らないやつか
>>446 今の朝鮮は小馬が残っただけで、畿内と似て牛の産地。
創意工夫が足らず大陸の物真似だろ。日本は独自に進化した。
塩について一応言っておくと。
関東と関西では関東のほうが内陸が多いぶん塩に飢えている。
>>443が挙げてくれているところだが、それだけに塩分の消費は少ない。
薄味の旨味の昆布には塩が多くなければならない。
旨味が強い節文化の関東は、漬物以外に多くの塩分を必要としない。
450 :
人間七七四年:2007/11/25(日) 01:22:02 ID:pi9mb2pf
=゚ω゚) うむ。これは本場長浜博多ラーメンの方が関東しょうゆとんこつより
あっさり味である事に通じる部分が有るかもしれない。食ったことは無いが・・・
替え玉を使うのが本場の味らしいがこれは立花道雪の
早合にヒントを得たのではないかとオイラは直感したね。と言うのはウソぴょん。
味覚と言えば本州の米味噌。愛知三重岐阜の豆味噌。九州中国の麦味噌だな
そういや老子が牛に乗ったのは何故かのう?
日本では徳一や長野無楽が牛に乗っていた。
そして我々はusiにのせられている。はっはっは。
誰うま(ry
452 :
白馬青牛:2007/11/25(日) 23:50:47 ID:TBqZatf0
>>447 陰徳太平記は、古老を尋ね聞き取りしたもんじゃ。あんたの云う妄想
文書と同一視すなや。現代のモンゴル人は牛にあんまし乗らんが、
古代の柔然はどうか聞いとるんで。チベット系牧畜民は今でもヤクに乗る
ど。下らんのは、根拠の無い蛙君の共産主義的関東マンセーよのう。
創意工夫の進化云うより劣化じゃないか。西洋や日本はユーラシアの
辺境部で騎馬技術が発達せんかった。独自云う言葉を使うんはマルクス
左翼史観の影響じゃろう。
>>450 わしゃあ、ラーメンは滅多に喰わんよ。博多の屋台の替え玉を遠き昔に
なったわい。うどん等の麺の汁にゃあ瀬戸内のイリコダシが一番ええ。
まあ、ラーメンたあ、関東のソバの方が好きじゃのう。難点は汁が
濃すぎで塩辛ろうて、後に喉が渇くことじゃ。
広島の沿岸部は米の白味噌を多用する。県北に行くほど、味が濃ゆうなる
わい。瀬戸内沿岸と違うて、県北のもんの味覚は、関東人並み馬鹿に
するもんがおるけんのう。そう云やあ、広島県北部や島根県はソバ食
文化圏じゃった。
453 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 01:10:29 ID:aB+q2zwK
=゚ω゚) 九州、西国は麦ミソ、甘口しょうゆだと聞くが?
瀬戸内は米ミソなんか?
現代の関東は信州ミソで、しょうゆは千葉だな。
醤油の元祖は紀州のたまり醤油で漁民とともに銚子へやってきたのが
ヤマサ濱口儀兵衛一族の初めらすい。
やはり特殊なのは天下人の八丁ミソ文化圏か
454 :
白馬青牛:2007/11/26(月) 01:50:42 ID:pgJs58Jw
>>444 大国主命のソースは
>>445 平安の貴族社会は穢れちゃうからダメなの
奈良貴族>平安貴族(タンパク、ミネラル、ビタミン欠乏)
平安貴族にキレやすい奇人変人が多かったのも納得。
>>452 毛利家臣の香川親子が毛利家臣の古老に聞いたか。で、元禄8年(1695)の完成と・・・
妄想関八州古戦録とかネタにしてないよw
456 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 01:30:03 ID:0z+eLJQs
=゚ω゚) 大味必淡、大音必稀かのう?京の着だおれ江戸の食い倒れ
とは言うが江戸っ子自体は薄味好みだったようだ。
(だが、じっさいの塩分は関東の方が多い)
感覚的に関西は見た目より「塩味」が強く、関東は「醤油風味」がキツイの
ではないかといわれる。
寿司なんか見比べると一つは保存と手軽さが有ったのかも知れん。
あと昆布は北前舟の関係上、関西が先に発達完成したためと言う説も有るな。
鰹節は土佐産と言われる。水上流通だな。
>妄想関八州古戦録とかネタにしてないよw
=゚ω゚) うっ・・・ すんません使ってますた。
=゚ω゚)
俺とusiはデムパ新人国記
京は水。
昆布は鰹節を使え(わ)ない貴族僧侶の食文化から発展した上方らしい。
鰹の話は徒然草にあるが、元来下等な魚だったのに世の中変わるもんだと。
北前含めて食い物は北海道最強。
458 :
白馬青牛:2007/11/28(水) 01:55:37 ID:bHPwwKl2
459 :
白馬青牛:2007/11/28(水) 02:22:17 ID:bHPwwKl2
>>456-457 ひねりよるのう。江戸の着倒れ、大阪の食い倒れじゃろうに。
東京人は、気取っとる人種じゃし、普段不味いもんばっかし喰うとるけえ、
値段の高い、高級な料理とやらを喰いたがる傾向は現代まで及んどるんじゃ
ろうかのう。
ほうよ、北の昆布、伊勢湾周辺の鰹節、瀬戸内のイリコよのう。
北海道の食い物がまずい云う逆説か?
魚に関しては瀬戸内が最強で、外海の魚は大味じゃが、
確かに北海道の昆布類は、最強じゃのう。
わしゃあ今日もガゴメ昆布の汁を飲んだよ。
昆布はグルタミンじゃけえ、イノシンの鰹や肉類の組み合わせも旨い。
海藻類ならメカブでも、西国物より東北物のほうが旨いのう。
460 :
人間七七四年:2007/11/28(水) 21:26:49 ID:LsQ44tb0
=゚ω゚) ひねるもなんも京の着倒れ、大坂食い倒れ、江戸の呑み倒れ
神戸の履き倒れ、名古屋の貯め倒れetc
特に江戸は着倒れ、食い倒れ、呑み倒れ、履き倒れ、買い倒れ何でも有りだ罠。
まあ、人口が多いからな。
>『お初穂(処女)はえびす様にあげる』のだと言ふ。
=゚ω゚) ほう、これは面白い。大国主命は縁結びの神でもあるな。
しかし「エビス様」ならセガレの事代主神や
同じ国造り神の、♪指に〜足りない♪ヒルコ神だと思うが
いずれも水の神、マレビトの神、福の神だな。
だが漫画書きの蛭子さんは賭けマージャンで捕まったが・・・貧乏神か?
もっともオヤジの牛頭天王(武塔天神・スサノオ)も蘇民将来では福の神とされるが
疫病と戦争を撒き散らす荒ぶる神でもある。馬との縁も深い。
駒ヶ岳の話は、どちらかというと牛馬は供物としての性格に思えるのだが?
若狭、越前の民は牛馬を殺して漢神を祭ると言う。
牛を用いた戦術だと木曾義仲か?
>>458 越と大国主はただの伝説か。ソースになってないよ。
塩辛い魚介類の干物など、堅くて消化の悪い乾燥食品が中心の副食。野菜・肉、鮮度不足。バランス悪っ!
米中心、甘い酒を大量に飲んで、飲水(糖尿)病の平安貴族。
お姫様は髪が臭いw
畑中心の関東は生産性が低い分、主食として雑穀も食ったろうし、弓馬狩猟は武士の生業、軍事訓練も兼ねた。
日々豊富な運動量で、新鮮な野菜・魚・肉を食った。
戦国武士の味噌は栄養価が高いけど、塩分取り過ぎのようだが。
>>459 江戸っ子も普段は質素、明治期から山の手と下町(江戸っ子)は仲悪い。
北海道は何気ない物でも美味いよ。
>>460 あのおっさん所沢か。青チアカワエエ( *^ω^)
牛が出て来るのは盛衰記かね。猛き義仲も牛車は苦手
>>67
拾い貼り
↓
NHK 知るを楽しむ 『歴史に好奇心』 教育テレビ 6月7日 午後10:25〜10:50
「藤原道長の食卓・衝撃の偏食」
平安時代、宮廷や貴族の祝宴で出された「大饗料理」は、第一に見せる料理である。
塩辛い「乾きもの」が多く、味付けはいたってシンプルだったが、素材の切り方、盛り付け方には異様なほど
神経を使った。
「この世をば我が世とぞおもう」の藤原道長は毎日のように大饗料理を食べ、糖度35パーセントという猛烈に
甘い日本酒を愛飲して中年期から糖尿病に苦しんだ。
しかも牛乳を濃厚なチーズ状にしたものにたっぷりと蜜をかけた「道長スペシャル」ともいうべきデザートを
手放せず病気を悪化させていく。見栄えは良いが多すぎる塩分と糖分で生活習慣病を頻発させた平安貴族の
食生活を描く。
463 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 19:28:46 ID:FBLxRpSp
ぶっちゃけこのスレ戦国板にある意味無いよな
牛の隔離スレとしては一応有用だが戦国話なんてほとんどしてないし
464 :
人間七七四年:2007/11/30(金) 19:31:49 ID:HGlWCSex
ココは異質な戦国板の中で更に異質な存在なのかもしれない・・・
今の日本史板は・・・
466 :
白馬青牛:2007/12/01(土) 00:25:39 ID:OqXjI1Ka
>>460 旨い物がなかった江戸に食い倒れ云うてものう。
蘇民将来、漢神みな渡来系じゃないか。
>>461-462 伝承の方が、史実を隠蔽し切れんけえのう。ほう、文化人類学的考察、
神話学はソースにならんのか?事物の本質は史料に残らんのじゃないか。
文献史料は、まつりごと物語じゃけんのう。
NHKの教育TV云うて、落語家の柳家花緑氏の見解をソースにしとるが、
柳家花緑氏は、考古学的考察でもしたんか?
平安期の十世紀頃から気候温暖化じゃったんに、、関東の生産力が低かった
たあ、わしでもよう云わんわい。関東でも低地平野部は弥生・古墳期以来
伝統の水稲農耕じゃないいんか?豊富な運動量なら徒歩で狩りをする
専門猟師じゃろう。平安貴族も板東のセミプロ親方階級も上層階級なん
じゃし、さほど違わん。
江戸っ子より、物や食を粗末にせん上方の「しまつ文化」の方が質素じゃ
ろう。シジミの身を捨てる関東人よりも。北海道も味覚音痴の関東人に
美味しい云われたら、複雑な心境じゃろうね。
467 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 01:04:04 ID:wMwe+TEX
史料に裏打ちされない文化考察や神話学なんぞ
トンデモ理論の温床や妄想にはなり得てもまともな論拠にはならんよ
468 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 11:51:44 ID:lTTNz1zU
>関東でも低地平野部は弥生・古墳期以来伝統の水稲農耕じゃないいんか?
=゚ω゚) いや、そうでもなかったかもしれない。
オイラも詳しくはわからんが古代関東の水田は「谷津田ヤツダ」だったはずだ。
当時の低湿地帯(現代の水郷)は日本最大の暴れ河川の利根川水系、
とても耕作などできない。
てか、風土記では内地の稲敷で藻塩を焼いていたりするw つまり汽水だ。
また、台地部に畑を開墾しようにも、茫漠とした原野と1mを超える酸性土壌
ローム層。火山地帯にお茶の産地が多いのはこのためだ。
茶産については修験の時に書いたが茶は酸性に強い。
北関東は軽石。大谷石や鹿沼土は有名じゃろ。つまり火山灰地帯だな。
明治の開拓記を見ても関東の台地耕作には失敗が多かったとの記録がある。
つまり馬牧ぐらいしかできなかった。
ちなみに上総カズサ、下総シモウサ、結城ユフキとは「ユフ(木綿)」の事じゃ。
九州の湯布院なども語源はユフからきている。
つまり桑科のような植物しか育たなかった。黒澤の用心棒の世界だな。
まともな作物なんて当時は谷津田以外では育たんかったと思うぞ。
469 :
白馬青牛:2007/12/01(土) 22:49:25 ID:OqXjI1Ka
>>467 史料崇拝は、宗教じゃのう。経典を読むように一字一句額面通り受け取る
んか?それこそトンデモ理論じゃないか。伝承、神話も、他民族と
類型説話があれば、近縁関係と判断するもんじゃし、説話類型から、
伝承物語が真実かどうかの話じゃあるまい。
戦国期の『人国記』も、畿内五国から東西辺境と、都から辺境に向かう
過程の気質の変化を書いとる訳じゃ。安芸の「気自然と狭くして」
駿河の「気狭くして」を対応させとるよう、畿内を中心にして、中国地方
と東海地方を対応させ、関東と四国西部や九州と対応せる構成になっとる。
そういう構成の癖を読む方が、単に書かれた文章を読むことより大切な
ことじゃ。蛙君も全体から推理して読む訓練せにゃあのう。
『人国記』は、近代郷土兵団の兵の気質の座標軸にもなったけんのう。
畿内は都会兵で信用できんし、関東は東都で都会兵化して弱兵に等しい。
九州や東北の辺境へ行く程、強兵云う実戦と関係ない思い込み見解が
風評を中心に構成されたわい。まあ、広島師団は、戦闘、実績をもって、
実力で最強師団を築いたわけじゃが、他師団は人気優先や、人気、実力も
パッとせん地域もあるけんのう。
470 :
白馬青牛:2007/12/01(土) 23:18:35 ID:OqXjI1Ka
>>468 利根川が暴れ河川でも農民は生産せにゃあいけんわけじゃし、
相模も水稲遺跡は弥生期からある。
関東の火山地帯の山麓馬牧も畑作との複合で、遊牧民の水草を追う生活と
違う。明治期でも犂耕作の普及度の低い関東農地開拓は、農耕技術が
必要となろう。桑科は、水郷地帯より山麓の畑作複合文化に含まれるん
じゃないか。
>>466 田舎者がほざいてろと(ry
神話じゃねーだろ、それ
三浦カズの運動量か?
472 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 01:07:29 ID:yxO6GBpA
>469
=゚ω゚) 牛の好きな畿内悪党か。
近江の甲賀とか、ちょっと外れて丹波の赤井悪右衛門とかカコいい
>明治期でも犂耕作の普及度の低い関東農地開拓は、農耕技術が必要となろう。
=゚ω゚) 単に地質の問題だよ。酸性土壌は石灰等で土壌改良しないとね。
水稲は作っても河川の氾濫ですぐ流された。
だから徳川が最初に行ったのが利根の治水。まあ、当時に田中角栄はおらんからのう。
>桑科は、水郷地帯より山麓の畑作複合文化に含まれるんじゃないか。
=゚ω゚) それは水郷部ではなく台地部分な。海抜10m程度のトトロの森が
葦原の水上にモコモコと広がっていた。
その境目の谷間に作られる小さな棚田が谷津田だ。
黒澤明の用心棒こと桑畑三十郎が、映画の冒頭で土埃の荒野を歩くと
延々と続く桑畑と絹織物の農家が見えてくる。そして博打とヤクザの喧嘩。
これは浅間や赤城の火山灰が積もって、ろくな作物が育たなかった
上州の風景だ。桑ぐらいしか育たない。
上州の山野の殺風景な情景が目に浮かぶよ
上州の桑が横浜を育てた。
精強な騎兵西上野衆、剣聖、海野能登
474 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 03:49:25 ID:YlsJBSo7
関東人はシジミ汁を捨てr
どkの学校で習ったんだ?とういうか、たかが数十年生きた程度で長く続いてきた
食文化を偉そうに語るな。関東人は味覚音痴だとかすごい失礼だぞ。親が聞いたら
悲しむぞ人様を平気で愚弄する人間になってしまったって。反省せいバカタレが!
475 :
人間七七四年:2007/12/03(月) 01:41:52 ID:paRrgvh5
=゚ω゚) あ、ちょっと書きそびれた。谷津田は水稲。桑畑は台地部な。
>473
=゚ω゚) むむっ。新当流、海野能登じゃな。
力は100人に対し、荒馬を御し、武田家に仕える。
沼田落ちのさい、敵、田口又左衛門押し来るを海野取って返し
これを一刀に下げ斬りに斬って捨てる。
さらに利根川郡内に名のある早業の剣士、木内八左衛門が打ち掛かる。
海野三尺三寸の備前長船を上段に構え、木内の突き入るを引き外し
唯一太刀に梨割りに仕る。 時に海野能登72歳・・・ 超人やねw
まぁ、オイラ的には林崎流の長野無楽を推しておこう。
476 :
人間七七四年:2007/12/03(月) 15:08:49 ID:7kqiBNyD
300の島津版映画化希望
477 :
人間七七四年:2007/12/03(月) 16:49:15 ID:lKHj1i/Y
>>469 少なくとも自分の脳内妄想を垂れ流すよりはマシだな
そもそもその辺のはあくまで「推察される」レベルの学説にしかならん
いいからお前は日本史板でお仲間とキャッキャウフフと戯れてろ
訳の分からん話題そらしで誤魔化してくるだけの卑怯者とまともに付き合う気はない
478 :
白馬青牛:2007/12/03(月) 23:08:28 ID:6aIswrKB
>>471 田舎者と違い贅沢で軟弱な関東じゃ云いたいんか?神話でも伝承でも
同じこと。現代に受け継がれた習俗と比較することも大切じゃ。
サッカー選手の運動量は知らん。
>>472 地質云うても、日本は酸性土壌がえっと(多く)じゃけんのう。
関東だけの問題じゃない。関東は谷住みの稲作民と台地の畑作じゃのうて
畠作民じゃろう。
>>473 シジミ汁じゃのうて、シジミの身を捨てる関東人の食物を粗末にする
精神を云うたんじゃが。戦前から関東はそうじゃったらしいのう。
わしの祖父の従兄弟は、確かに東京のKが付く大学出身じゃったわい。
ほいで、関東の味覚音痴ぶりも戦前から云われとったことじゃし、
失礼以前の問題じゃ。わしの親類縁者で関東で暮らしたことがあっても、
関東の食を誉める人がおらなんだよ。事実を云うて、わしの親が悲しむ
わけあるまい。まあ、あんた自身が謙虚になる方がええんじゃないか。
479 :
白馬青牛:2007/12/03(月) 23:45:18 ID:6aIswrKB
>>478の
>>473は×で
>>474○じゃった。
>>474 大正十五年生まれの山口瞳氏も、司馬遼太郎氏との対談で、「残念ながら
、瀬戸内や裏日本をバックにしている上方と違って、東京にはウマイモノ
がないんです。」やら東京人は「権威に弱いんです。それは私自身の中にも
あります。それに臆病です。五月の鯉の吹き流しで、ハラワタはない。」
と山口氏は、江戸の食が不味く、隷属社会のせいか権威に弱いことは
自ら認められた。上方人の司馬氏が、「小田原以東の家の屋根はイモリ
みたいな配色で、日光の建物は許せない。あんな田舎の建物はない。
浅草の雷門を見ると、よくもまああんなものが見えるところに人が住んで
いると思ってしまう。」と建築物の美意識の欠如も云われたわい。
山口氏は「京都は閉鎖的で田舎なり、テレたり恥ずかしがらん関西人は
臆面がない。それが耐えがたい。対陣関係において気の使い方に欠ける
田舎者は自己本位。」と云われ、司馬氏の攻撃に、旗色が悪かったのう。
ついでに
>>473 上州が精強?なわりにゃあ上杉軍の越後の百姓どもに隷属しょうる。
480 :
白馬青牛:2007/12/04(火) 00:01:23 ID:XuD2qZNQ
>>477 具体的な言もない、おどれの方が妄想じゃ。
わしゃあ、最近「日本史板」に行きょうらんのう。「考古学板」か
「人類学板」よのう。
訳の分らん(解らん)のんは、われの低脳さの問題で、わしに押し付け
られてものう。人に「卑怯者」云う言は吐く処、育ちもようない思うど。
最大の侮蔑語の「卑怯者」じゃ云われたら殺し合いにもなるんど。
そがん事も知らん糞外道かいのう。わりゃどこの人間なら?
こんなこそ親に恥を掻かせる典型じゃわい。
481 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 00:34:00 ID:DdgsLy8p
歴史地理学的に関東は江戸川鬼怒川を結ぶ線によって東西に分けられとした上で次のように言える。
東関東においては平野部はほぼ沼沢地であり、沖積低地にもほぼ手がつけられなかった。
耕作の中心は谷田地となり、結果として古墳の分布が非常にまばらである。
西関東においては古墳は密度が高く、その地域に稲作による強大な権力があったことを示している。
(ただし、武蔵野台地をはじめ台地部や古利根川の沖積低地には手がつけられていなかったようである。)
利根川と烏川流域の平野部には関東でも最大規模の条理遺構があり、稲作遺跡も多い。
相模を除いては谷田地を基盤とせず、鏑川では谷にまで条理遺構が及んでいるが、烏川、神流川ではそうではない。(小出博の説)
この東関東の後進性の結果として、在地領主の発達が遅れたが、後に都から貴種系の下向によって
小規模な領主が団結することとなり、後に東関東では貴種系の大豪族が分立することとなり、
西関東では在地領主が発達したことがかえって貴種系の大豪族の土着を阻むことになり、
西関東には中規模の豪族が多数存在することになった。(峰岸純夫の説)
後にこれらの中小豪族が白旗一揆として団結し、
関東管領はこの白旗一揆の勢力を基盤にしようとするが、戦国大名への成長には失敗した。
烏川、利根川の間の条理遺構地域を基盤としたのが、布留社石上寺別当、物部系の長野氏であり、
長野業正が古代の稲作遺跡もある地域をさらに開発して長野堰を作った。
しかし、江戸時代になると利根川東岸が豊富な伏流水を有するのに対し、
長野堰流域はその発展に伴い徐々に水不足に陥り、養蚕が発達することになった。
また、西関東の山間部には丘陵、山の斜面を利用した古代牧が発達した。
勅旨牧があったのは甲斐信濃上野武蔵のみであり、信濃滋野氏や武蔵児玉党は
これら古代牧の別当になることで武士団として発展した。
戦国時代には小幡氏が南牧、西牧を有し、『関東衆馬上の巧者』と言われた。
482 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 01:13:30 ID:tigft81D
>>478 お前や親類縁者の味覚がおかしいんだろw
それに風評なんぞあてにならんみたいなこと言ってたのどちらさんでしたっけ?
ほんと都合のいい脳ミソですね
483 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 01:32:09 ID:tigft81D
>>479 で、大正十五年生まれの山口瞳氏の云うておられることの具体的な根拠は?
>>478 地方から大量流入、独自の特徴は薄くなる。
地域レベルの伝承ねw
関東は酸性地盤。畑作中心、生産効率は悪い。
深川めし。K際武道大は魚が旨かろうな。
滝沢馬琴は京の味が嫌い。女・寺社・水は褒めてるけど。
関東から見て広島の存在など、別に意識しない。むしろ興味の対象外かもよ。
>>479 遼太郎がどうしたってw
長尾為景は上杉顕定率いる上州一揆に負け一時逃亡。
岡山や愛媛の兵は平安期から活躍してるが、広島武士は・・・東国御家人の移住以降な。
>>475=゚ω゚)
海野親子vs真田昌幸か。
弓馬主流の源平期は東国が弓の本場。船戦など徒歩で扱う打物は西国の技。
南北朝以降は馬上打物の時代。
で・・・・・室町・戦国期、打物(兵法)は関東の独壇場。やはり武の本場。
「上り兵法、下り音曲」
486 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 01:53:03 ID:/r93KQrk
>>480 牛程の親泣かせはそうそう居ないと思うぜ。だからもっと自信持てって!
まぁお前はこのスレから出ないでくれよな
他のスレや板で馬鹿にされるかスルーされてるのを見るのは哀れ過ぎるから
よし。ここは間をとって美濃最強で結論付けよう。
斎藤妙椿
489 :
人間七七四年:2007/12/06(木) 11:24:42 ID:7NMF0xjh
=゜ω゜) 清洲戦では信長の長槍が勝ってたようだ
道三も、それをわかっていながら対応してないところを見ると
信長の足軽はかなりの訓練を積んだんだろう
ただ馬は飼殺しが多く3里でへばったとか
490 :
白馬青牛:2007/12/07(金) 00:02:02 ID:wZgPbxGY
>>482-483 西日本の素材を生かす為に薄味を美味しいとするか、東日本の素材の味より
も「文明的」に濃味にするんが美味しいと感じるかは、幼い頃から形成
された味覚文化によるもんじゃが、日本では素材の味を生かす方に
価値観を置くゆえ、関東は味音痴じゃ云うとるんじゃ。
ほいで風評じゃのうて、食文化のことで。
山口瞳氏の云われることの根拠云うてもご本人が関東食文化で降参されとる
んに。
司馬氏が「牛肉でも大根でも、西のほうはその辺の八百屋で食っても
うまいが、関東は料理屋はべつとして、素材がなんといってもまずい。」
山口氏は「そのこと自体はまぎれもない事実なんです。銀座で二代続いた
小料理屋は十軒ありません。飲食店は全部、関西及び東京以外の人に
席捲されてしまった。もう、お手上げです。降参です。(笑い)」
まあ、西日本人の納豆嫌いを喰わず嫌いで、馴れると美味しいもんじゃと
普段弁護しとるわしでも、関東の食文化を西日本と比較されたら、
不味いと云う以外ないのう。
まあ、わし個人の罵倒なら兎も角、わしの親類縁者を馬鹿にするんは、
どがいな躾を受けて来たんじゃろうか。東日本の一般庶民は、躾が施されて
おらんかった。と、される宮本常一氏の云われる通りじゃのう。
>白馬様
牛は西、馬は東
関東大震災で壊滅
亀田
492 :
白馬青牛:2007/12/07(金) 00:31:11 ID:wZgPbxGY
>>484-485 地方からの流入じゃのうて、風土が人をつくるもんじゃ。
平安期は温暖化により、関東の生産も向上したんじゃないか。
上州か。越後百姓に蹂躙された関東の最も越後寄りの地域にあって
災難よのう。戦闘らしい戦闘もない平安期に活躍云うて何なん?
都の劣化コピーの関東騎射民がのう。そのせいか蛙君もここや他板でも
コピーが好きじゃのう。駿河・遠江の新羅人の反乱に人海戦術で
対応し、蝦夷にも同様苦戦した関東が強いんか?近代兵団でも、
東京や宇都宮の関東の兵団はどうかいのう。
兵法者は、名声を得て仕官すりゃあええ、猟官出世欲があるもんが
やるけんのう。音曲の方がスパイ活動やいざとなると遊撃兵となる
要素も含んどるけえのう。鉢屋賀麻党みたいに。芸能遊芸者の方が
兵法者より武士らしい。名声や出世欲も薄いけんのう。
>>486 わしに、この板から出な云うてものう。他板も面白いけんのう。
まあ、他板にもあんた程度の馬鹿がおるわいのう。
城・新田・長尾、関東武士が大量進出したのが越後。
西国の戦でも坂東人の力に頼ったのが平安期、戦闘らしい戦闘がなかったのは畿内。
中国地方は上野山名氏に蹂躙されたお寒いレベルか。
494 :
人間七七四年:2007/12/07(金) 14:18:55 ID:E7MqCUU/
=゚ω゚) 平安なんてわりと荒れてる時期じゃん
富士は噴火、疫病は出るし大陸では国が滅びる。
地方では将門、純友らのツワモノが独立を始める。
芋粥だな。
都もわりと物騒だったしね。
=゚ω゚) あ〜 あと昔の関東にも旨いもんはたぶん…有った…ぞ
鯉にドジョウに里芋にゴボウに猪に山鳩と…ハッハッハ
まぁ旨くなるのは江戸の屋台以降だな。
頼朝も黄門様もシャケが好きだった。
495 :
白馬青牛:2007/12/09(日) 00:26:34 ID:PHaFD5KX
>>493 越後百姓に蹂躙された関東勢の弱さよのう。平安期坂東人が戦闘らしい
戦闘をしたんか?帰化新羅人や蝦夷の反乱に兵力を動員して多勢をもって
小勢に当る人海戦術ぐらいじゃろう。
上野国多胡郡の新羅末裔軍の親方山名氏が、西国で領地を得たことが蹂躙?
まあ山名氏自体が中国地方を制圧するどころか、段々つまらんように
なったのう。お寒いレベルじゃ。
>>494 平安期は、西日本の方が荒れとったね。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_ab/2002Okhotsk/02/2100.html ■気候の変化と海水準の変動
鈴木秀夫氏の「八世紀になると、気温の立ち上がりが著しく、気温の高い
時代」で「九世紀末の日本の気候に、気温の低下があった」が
「「十世紀には温暖が東国の生産力を高め、西日本では干ばつがその前後の
世紀に比べて頻発したとしている。」
西日本に比べ東日本は恵まれた環境になっとのう。十四世紀〜十九世紀の
「小氷期」が日本の動乱の時代が始まり〜鎖国時代に展開する。
江戸の屋台が旨い云うより、江戸に食通ぶるもんが出てきただけじゃろ。
496 :
白馬青牛:2007/12/09(日) 00:37:04 ID:PHaFD5KX
J2(゚∀゚)くやしいのうくやしいのう
498 :
人間七七四年:2007/12/10(月) 23:34:10 ID:bmj4bwbS
>495
=゜ω゜) いつもながらの釣りじゃのう
将門、平忠常、八幡太郎への従軍とやっとるじゃろ
洪水が起これば土地争い、収穫が増えても土地争い
水不足だと土地争い、開墾しては土地争い
武装開拓コロニー同士の戦闘。それが東国だよ。
だいたい将門から始まり、大庭御厨まで平安の東国は土地争いばっかやん
もとは兄弟ゲンカだよな。
>>495 それは西国に移住し、西国で生まれ育った上野山名の子孫の事か。
西国の方が荒れてた?白馬様得意の妄想、虚言。
自力救済の中で戦闘に明け暮れた坂東と、武に馴れない畿内の仮武者。
『今昔物語』や『宇治拾遺物語』にも粗野で猛々しい坂東人が登場してくる。
東人に対する畿内西国人の印象。吾妻から美作にやってきた狩人のような。
農業生産性の高い畿内は逆に脆さも併せ持つ。
501 :
白馬青牛:2007/12/15(土) 00:02:38 ID:uCeLymKb
>>497 広島のサッカーも駄目じゃのう。広島第39師団(藤)の薄紫を
ユニフォームにしながら、どうもならん。同様にカープも広島第5師団
(鯉)の戦歴とは、大違いじゃわい。
>>498 釣り?土地争いの私闘と戦闘は違うよ。土地に対する執着は北亜細亜の
牧畜民と違い、板東は騎馬技術に拙劣な農民集団じゃった云いたいんか?
>>500 自力救済云う、マルクス共産主義史観に都合のよい妄想じゃないか。
虚言たあなんなら。わしが何時虚言を云うたんなら。何処の文か云うて
みい。『今昔物語』『宇治拾遺物語』は、関東をフロンティアとして、
米国の西部開拓物語のアウトロー伝説と同様、東国フロンテイア物語を
面白ろ可笑しゅう書いとるだけじゃ。『宇治拾遺物語』の「猿神退治」の
東国武士が退治する説話も、野蛮で荒々しい東国フロンティアを、
強調しょうる畿内文筆家の脚色物語に過ぎんよ。東国はセミプロか、
烏合の衆の雑軍じゃけえ、蝦夷や帰化新羅人に対して弱かったんかいのう?
まあ、十世紀の東国温暖化は、河内・摂津源氏が関東へ勢力を広げる要因に
なったわいのう。畿内の生産力ままならんかったせいかのう。
アイスクリームが返レス待ってるぞw
503 :
白馬青牛:2007/12/20(木) 01:20:55 ID:GGYSU3ad
>>502 最近、「地理・人類学」板に返答することがえっとじゃけんのう。
「考古学」板もほうよのう。
504 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 00:48:59 ID:xWxop9y6
=゜ω゜) やれやれ、やっとアク禁解除じゃ
>>478 >地質云うても、日本は酸性土壌がえっと(多く)じゃけんのう。
=゜ω゜) そう?このサイトだと黒ボク土に関しては、ぼろくそだけどな。
ttp://www.1brain.jp/2005/10/post_120.html ついでだが耕作地について、ひとつ面白い例がある。「地すべり耕地」だ。
これが意外と多い、山間部では耕地への転換率50%と言われる。
主に棚田だな。
地すべり地は新潟兵庫地区は水田。長野では畑に転用されているとか。
>>501 広島のサッカーレベルは結構高いぞ、脚色の白馬様よ。
>=゜ω゜)
災難だったね
506 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 11:33:52 ID:s0hMqv6c
>>490 482を罵倒するならまだしも東日本全体を愚弄するあんたは己の言
の矛盾に気づかない痴呆か、確信犯の卑怯者かのどっちかじゃのう
白馬様「広島の健脚」
…ケニアの留学生が楽しみ(  ̄ー ̄)
508 :
白馬青牛:2007/12/29(土) 01:05:10 ID:USJxiBtY
アク禁解除じゃのう。
おかえり。
510 :
白馬青牛:2007/12/29(土) 01:33:57 ID:USJxiBtY
やれやれ解除されたか。
>>504 そのサイトの引用元は解らんが、松井健と浅海重夫の研究による成帯土壌に
よると、関東は、西日本の黄褐色森林土壌帯と東北北部〜北海道の酸性
褐色森林土壌漸移帯じゃないか。
>>505-507 広島のサッカーレベルは高いんか?いやいや、旧国軍じゃあ、健脚は
島根県、山陰の連中の独壇場じゃろう。
>>506 東日本を愚弄?そりゃあ被害妄想じゃないか。わりゃあ、また卑怯者云う
言を吐く処、東日本の庶民階級の躾が教育されとらん云われる宮本常一氏の
言が正しかった云うことか。
511 :
白馬青牛:2007/12/29(土) 01:41:04 ID:USJxiBtY
早速、西国厨の常一とは流石だw
>>510 広島ユースに総体、それに国体も強いべ。
青森と埼玉の1年坊は凄かったよ。
513 :
人間七七四年:2007/12/29(土) 10:24:12 ID:XCYcJmKh
>510
=゜ω゜) 問題は生産力じゃろう。農は国の基なりじゃ。
どれだけの兵を養えるか?どれだけの金に換えられるか?
どれだけ備蓄できるか?どれだけ新しい技術を取り入れられるか?
作物は気候変動に耐えられるのか?流通は確立しているか?
これは文化の相違でもある。
江戸の記録を見てもサツマイモ一つ栽培できるようになるまで
国策で多くの研究が行われてきているしな、作物の普及と言うのは
意外と難しいのだ。また、それを金に換えるのも難しい。
例えば茶産と修験のルートにしても山伏が茶を貨幣(薬)として
流通していた由来があって初めて成立するのではなかろうかと
オイラは考える。
・PS
=゜ω゜) 日頃の行いが悪いからアク禁解除なぞくらうのじゃ。はっはっはっは。
514 :
白馬青牛:2007/12/30(日) 17:37:07 ID:Z4Nl/ed2
>>512 意外じゃったが、サンフレ決勝まで進んでしもうたのう。
>>513 江戸期サツマイモは、瀬戸内地域で主食じゃったし、飢饉から救うたよ。
日頃の行いの悪さか。わし自身反省すること毎度じゃが、なかなか
改めることが出来んのが人間の業よのう。
515 :
人間七七四年:2007/12/31(月) 01:04:39 ID:y6/rngxd
>江戸期サツマイモは、瀬戸内地域で主食じゃったし、飢饉から救うたよ。
=゜ω゜) いや、そういう意味じゃなくて、新規の作物の普及に関しての話だな。
サツマは里芋みたいな保存法だと東国では越冬できないんだよ。
たとえばトマトみたいな南米産の夏野菜は冷蔵庫に入れないし雨に弱いだろ。
肥料も水もほとんど必要としないし。作物の性質が根本的に違うんだな。
たったそれだけの事でも新しい土地で栽培するには
多くの研究が必要だったと言う話さ。
飢饉対策としてサツマ栽培は国家プロジェクトだったが、完成させるには
意外と困難だったようだ。
516 :
白馬青牛:2008/01/01(火) 00:40:37 ID:Zpbb358b
みなさん、あけましておもでとう。
>>515 サツマイモは、栗よりうまい十三里じゃけんのう。里芋の保存法の違いは
どがいなもんか?サツマイモは、まあ、栽培当初完成させるに困難じゃった
かも知れんが、現在じゃあ手間をかけんで出来る部類じゃないか。
そういやあ、わしゃあ、二、三日、里芋の煮物と薩摩芋を蒸したんを
喰うて、パンやパスタしか喰うとらん。米の飯にありつけん。
元旦は待望の餅が食える。うれしや、うれしや。ハレの日じゃけえ、
一膳だけの多少の贅沢よのう。
∧∧
(´∀`)
┏━━━∪━∪━━━━┓
┃ こちらこそ おもでとう ┃
┗━━━━━━━━━━┛
518 :
にゃんこ:2008/01/01(火) 01:24:25 ID:bdxovX2w
数版前の大阪書籍の裏表紙に乗っていた。図解で。
「水田は、丘陵地や山麓で興り、戦国時代に、平野部に移っていった。」
この辺の歴史は、イデオロギーが絡まないから、定説なんだろう。
確かに、大和の葛城や平群は山麓。明日香も丘陵地。
どうも、雨の多い日本では、取水よりも排水が難しくて、平野部は水田にしにくかった
らしい。
519 :
にゃんこ:2008/01/01(火) 01:25:37 ID:bdxovX2w
すまん、上記のネタ元は大阪書籍の中学校の教科書だ。
520 :
人間七七四年:2008/01/01(火) 02:33:37 ID:wZxAh5ue
=゜ω゜)ノシ あけおめっ!
>516
うちの地方だと里芋は土をかぶせるだけで冬までもつよ。
サツマは寒さに弱いので防空壕掘ってその中に貯蔵しないと無理だろ。
だから江戸の中頃まで普及できなかったんだよ。
ごぼうとか長芋とか在来種の保存はわりと手間要らずだわな。
米だってさんざん品種改良され化学肥料や農薬、栽培法が
研究されたからふつうに全国で作付けできるようになったわけだし。
もし北海道のキララとかを他の地域で作ったら未成熟のまま
極早稲より早く出穂しちゃってほとんど収穫できんと思うよ。たぶんね。
現代人が考える以上に農業は変化しているワケだ。
>518「排水が難しくて平野部は水田にしにくかったらしい。」
=゜ω゜) 現在の米どころは本来湿地帯が多いですな。
角栄以前の新潟の低地なんて凄かったようだ。
縄文時代のジャポニカ米は水田単作ではなく混作じゃったらしいとか。
521 :
白馬青牛:2008/01/01(火) 23:38:49 ID:Zpbb358b
>>517 おめでとうが、
>>516でおもでとうになっとったのう。
新年早々サンフレは決勝戦で敗退、昨年の広陵も決勝で駄目じゃったし、
広島のスポーツ界に明るい話題はないのう。広島兵団は旧国軍時代紙一重の
戦闘に勝利した過去の遺産に較べ・・・スポーツ分野は寂しいのう。
>>520 サツマイモは、温暖な地域のもんが美味しいのう。広島県でも県北の
冬季雪に閉ざされる寒冷地よりも、瀬戸内島嶼部の甘藷の方が美味い。
ゴボウもあんまし手間のかからん作物じゃわい。米か。わしゃあ有機米を
購入しょうるよ。じゃが、麦飯にする麦は高うつく。
昔は貧乏人は麦を喰え云うた広島県出身の総理もおったけど、麦飯にする
にも最近は逆に贅沢なもんになったわい。まあ副食の多い現代じゃあ、
白米でも江戸患いの脚気にならんじゃろうし。
縄文期の稲作は水稲じゃのうて、畑作農耕に含まれる陸稲じゃろう。
522 :
人間七七四年:2008/01/02(水) 01:03:13 ID:+uGlZgQk
=゜ω゜) 麦などは乾燥に強いからなあ。その結果が讃岐うどんだろう。
陸稲は水稲より乾燥に弱いと言われる。
人口と収穫量を考えると日本は水稲を選ぶしかなかったのだろう。
水稲は河川の氾濫原で作ってたんじゃまいかと言われる。
古代中国は粟食だったらしいからな。日本はヒエだな。
アイヌはヒエが主食だったと言われ冷害の飢饉にも強い。
最近はこれも健康食らしいw
523 :
白馬青牛:2008/01/02(水) 23:44:39 ID:Wzez7weF
>>522 うどん食文化圏は、畿内、瀬戸内と武蔵野うどん等の関東の飛び地に分布
しとる。渡来人の影響かのう。日本が水稲に適した地帯かのう?
イネ二期作が出来るほどの、温暖な地帯と違うし。
西日本の切替畑では、雑穀のなかではアワが重要視されたが、東日本の
常畑ではヒエの作付けが多かった。日本でも地域差があるよ。
最近は健康食思考のせいか、アワやヒエ入りの麺類等は、値段が高いね。
単純に、痩せた土地で育つ麦食文化だと思えばいいんじゃないのか。
もっと痩せてりゃ蕎麦に変わるし。
525 :
人間七七四年:2008/01/03(木) 00:27:06 ID:EmALHJmA
>日本が水稲に適した地帯かのう?
=゜ω゜) いや、水稲は陸稲より収穫量が多いんだ。日照りにもやや強い。
ヒエ等の雑穀は保存が効き飢饉にも強いが、やはり収量は悪い。
たしか虫害にも弱かったと思う。
狭い耕作地で手間をかけて収量を上げる・・・なんと日本的な耕作法じゃまいかw
>うどん食文化圏は〜渡来人の影響かのう。
=゜ω゜) あの時代にうどんなんて有るわけねーべ!
切麦うどんが食われるようになったのは室町以降。ラーメンは黄門様以降だよ。
てか古代中国の麺は「粟」の麺。稲産の華南だとビーフンつまり米麺だ。
小麦はふつう餅かすいとんだろ。
526 :
白馬青牛:2008/01/05(土) 00:55:46 ID:Bv63BMkd
>>524 稲作が不向きな土地は畑作でまだ奥地へ行くとソバとワラビが主食の
地域が終戦まであったと、宮本常一氏は云われるね。
>>525 日本は、稲作一毛作で、雑草との戦いで稲作二期作じゃないし、春から
夏にかけて米、秋から冬は麦云う共存地域と、中国の北部の麦耕作、
中国南部の米稲作地のように、地域による完全分化されとる地帯と違う。
うどん食文化圏は、うどんが室町期から、現代のうどんの原型云々の話
じゃのうて、大陸・半島の小麦文化の影響が及んだ地域のことじゃ。
華北は小麦を主食とする羊や豚の牧畜とセットになった地中海農耕の
影響を受け、乳利用が無い点を除き、農牧文化という面で、西洋に近い。
朝から小麦の饅頭を食すけんのう。華南は、米が主食で麺も米じゃし、
東南アジアもライス・ペーパーを作るが、日本は小麦文化も稲作文化も
断定的流入、完結しとらん形で流入した。常陸風土記の築波郡の新嘗祭の
穀物も米じゃのうてアワじゃった。片や小麦文化もパンのように引いて
焼く文化も乏しい。乳利用文化も定着せんかった。納豆やショッツルの
ような魚醤等、日本でも寒冷地の東北日本に多く残るが、西日本は
大陸・半島の文化が流入するゆえ、暖帯照葉樹林の古い食生活は、
冷温帯の落葉広葉樹林東北日本に残っとるんも皮肉なことよ。
527 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 15:49:19 ID:MMItistG
>日本は、稲作一毛作で、雑草との戦いで稲作二期作じゃないし
=゜ω゜) 基本的に夏場は、田畑どっちも雑草との戦いだよ。
ただ、夏の水田での雑草取りは死ぬほど辛いがな。
二期作は四国や沖縄でやってるだろ。単純に気温の問題じゃね。
>常陸風土記の築波郡の新嘗祭の穀物も米じゃのうてアワじゃった。
=゜ω゜) 「新粟(わせ)の新嘗」か?
常陸国風土記にはちゃんと水田の記載も有るが?
粟じたいはふつうに食ってただろ。粟麺は無いと思うけどw
ちなみに『新粟』には脱穀してない稲実の意味も有るそうだ。
新嘗祭は収穫祭の意味も有る。
米、粟の飯と粥。そして米の白酒・ヒエの黒酒を捧げる。
ちなみに高麗神社の神饌は麦な。
日本書紀では月夜見尊が来たので保食神は米飯や魚、獣を吐き出し
もてなしたが、月夜見尊は怒り保食神を殺した
死んだ保食神の頭部から牛馬が、額からは粟、眉から蚕、目から稗
腹から稲、○○から麦と大豆が出てきたそうな。
あれっ?麦が無いなあ・・・
うどん食文化圏構想の道は険しいのう。がんばれ牛。
528 :
人間七七四年:2008/01/05(土) 22:12:30 ID:MMItistG
=゜ω゜) あ、ごめん見落としてたw
×麦が無いなあ・・・
○ありましたよ牛君!
529 :
白馬青牛:2008/01/06(日) 00:30:06 ID:2CsRSXff
>>527 土佐の二期作も、近世から常にじゃあるまい。気候寒冷期は難しいのう。
全国の農村を歩き、見聞した宮本常一氏も、日本は一毛作地域と云われる。
アワ・ヒエ・イネ(陸稲)も照葉樹林文化の焼畑栽培段階で、水稲稲作が
後に続くわけじゃ。日本の西日本〜関東の暖帯の照葉樹林地帯の中に
小麦文化の要素もあった云うことじゃ。うどん食文化圏の関東の飛び地は、
地理学者の鈴木秀夫氏の引用じゃが、家筋を伝わる憑き物の分布で関東西部
は、瀬戸内文化圏の飛び地であり、関東西部のうどん文化も飛び地地帯を
想定される。躁鬱質と分裂質の分布からも、関東西部の高句麗人移住地帯は
建築も畿内的入母屋である等、関東西部に渡来人の要素が強いんじゃないか
とされる。わし自身も関東で、高句麗系?武蔵野うどんや上野に多い
新羅系?前橋うどんを喰うたが、北東アジアの小麦文化の影響を考えた
もんじゃ。ほいで、群馬県は小麦文化の影響のお焼きも美味しかったわい。
530 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 02:18:08 ID:qYweY7AG
=゜ω゜) すると、、、もんじゃ焼きはどこの小麦文化の影響なんじゃ?
531 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 02:56:11 ID:Bq2LzbWx
西関東への満州系民族の入植が七世紀、関東への麦作の伝播が十六〜十七世紀、
蕎麦文化圏vsうどん文化圏構図の成立が江戸中期以降。
これらを一緒にしようっていうのは無茶で、俗解にありがちな暴論だろう。
前橋うどんなんてものはまず聞かないが、元々、上野武蔵のローカル粉モノは
甲斐の『ほうとう』と同じく、うどんのルーツの『はくたく』直系の『おきりこみ』だ。
群馬で有名なうどんとしては水沢うどんがあるが、稲庭うどんと同じく地元では中々食べられない高級食。
ちなみに、稲庭うどんと五島うどんは製法的にこれまたうどんのルーツの一つ『索餅』直系。
こうやって見るとうどん文化と一概に言っても複雑で、一緒くたにして語れるのは現在の形のうどんが徐々に広まったと言うことだけだ。
さらに、上野の麦作は二毛作であり、戦国時代までには行われていたが、
本格化するのは江戸時代に土地と水が足りなくなって集約化が進んでから。
利根川流域や渡良瀬川による扇状地扇端は水が豊富な稲作が盛んな地域であり、
これらの地域で麦作が盛んなのは乾燥ゆえというより二毛作の発展によるもの。
逆に水が少なく江戸時代には桑作が盛んになる渡良瀬川扇状地や西上野山間部は麦作が盛んではない。
武蔵野台地の水が少ない部分の開発が進んだのも江戸時代に入ってからだ。
古代に発展したのは府中たる多摩川流域部分と後は武蔵野台地のさらに東の地域。
それより、まず第一に高句麗はともかく朝鮮半島に小麦食文化があるかねえ。近世だって高粱じゃないの。
>躁鬱質と分裂質
クレッチマーの気質分類なんて血液型による性格診断と同レベル。
古い心理学者の本で堂々と引用されていると信じてしまう人も居るかもしれないが
科学的根拠は全くない代物なので注意すべし。
532 :
白馬青牛:2008/01/06(日) 23:46:47 ID:2CsRSXff
>>531 西関東への満州系民族(高句麗)の入植が七世紀?高句麗の名をもじった
狛江もそうじゃが調布等多摩川流域に高句麗系の積石塚は5〜7世紀じゃ
ないんか。文献に現れる武蔵国高麗郡の高句麗王系は時代が下がる今来の
渡来人じゃ。
関東の麦作は、『万葉集』巻一二、一四の東歌に馬が麦を食べることが
出とるが、馬の飼料にも麦は必要じやったんじゃないか。
前橋でも距離の近いし、水沢の水を使うたら水沢うどんじゃろう。
むぎなわがうどんの祖とされるが、どがいな食い方をしたか不明じゃし、
関東がはくたく直系おきりこみ云う考古学的な根拠も無いのう。
世界の諸民族の麺文化類型から比較する以外無いんじゃないか。
稲作二期作の話が麦作二期作に変わっとるのう。
おいおい、朝鮮半島に小麦文化ないんか?朝鮮の平安道や黄海道は
麦作地帯じゃなかったか。南へ行くと米作地帯になる。『世宗実録』にも、
麦が貢賦の対象になっとる。豆やアワも税や俸禄の対象じゃのう。
キビ・コーリャンも朝鮮北部に顕著じゃが、特に北朝鮮東北部じゃないか。
何れにせよ、河北・山東・遼寧の「大豆・小麦・コーリャン地帯」の
影響を朝鮮は受けとるわけじゃし。どうも、あんた嫌韓サイトの引用で
云うとるんじゃないか?
533 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 00:13:41 ID:aZ6ss8J0
なんか全く関係無い話になってる。
534 :
白馬青牛:2008/01/07(月) 00:36:01 ID:s4VbkGwv
>>531 最後の鈴木秀夫氏が引用された日本列島の躁鬱質と分裂質の分布図は、
宮城音弥氏による考察。まあ、回答者が正直に答えたことを前提にしとる
わけで、その点だけ見れば、歴史文献が正直に事実を語っておるか?
と、同様信憑性も文献並みになるが、質問項目に回答者に地域性がある
以上性質分類の一つの根拠になりうる。科学的根拠?そう云えば、井上秀雄
氏が、日本史学者の人たちは、「科学的、客観的であるかにように装われ
ても、おれは非科学的な『日本書紀』なんて、・・・とおっしゃっても、
日本古代史は『日本書紀』にひきずられています。」と、云われたが、
古代史において『日本書紀』が非科学的な信仰材料になって、
考古学も『日本書紀』の記述に合うよう努力しとる。中世史でも網野善彦氏
ぐらいじゃないか。考古学、民俗学的考察も活用し歴史を論じられるんは。
多様な学問の要素から判断する方が総合的で誤差が少なく済む云うんが、
客観性に乏しい人文科学において大切なことじゃないか。
あんたの好きなマルクス共産主義史観の科学信仰から歴史発展段階説が
科学的歴史法則じゃ云うても、近代科学はあらゆるものを対象化する。
対象化する自分自身(主観に過ぎん)は、客観的に対象を考察する
神の視点に立たせる云う、つまり歴史検証をする個人作業は主観的見解で
あるのに、まして科学的客観性等あるわけないのに、自分の意見こそ
科学的客観性で対象化する理性を持ち、反論者は非科学的、感情的主観論者
と、定義する。共産主義理論の構造の欠点は人類学板でも書いたが、
(科学的と自慰妄想する)理性的為政者による、(非科学的で理性に
乏しいと勝手な判断じゃが)感情的大衆の支配じゃないか。
史料検証も個人的作業で(文献自己解釈妄想オナニーに近い)、主観的な
もんを、あたかも科学的、客観的と装い偽装する。
あんた、どがいな真意で「科学的根拠」云う言葉を選んだんか?
535 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 00:52:48 ID:LG3q+mHA
>『万葉集』の東歌に馬が麦を食べることが出とるが
>馬の飼料にも麦は必要じやったんじゃないか。
=゜ω゜) 馬が馬柵越しに人間様の麦畑の麦を喰って怒られたと言う歌の事かな?
人馬一体の東国兵の片鱗を見るようじゃ。
>どがいな食い方をしたか不明じゃし
=゜ω゜) 中国や半島では小麦餅とか粟餅だよ。まんじゅうとかワンタンの元祖。
オカボは雑穀扱いだった。
麺の食い方は奈良時代には日本に伝来していいる。渡来人も知ってたはずだ。
でも小麦麺食が広まったのは室町以降。
つまり食文化に影響を与えるほどの存在でも無かったという事じゃね?
>534
=゜ω゜) 長すぎっ!!!
536 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 01:54:14 ID:Nj+pr2S3
>>532 俺が言いたいのは渡来文化(あるとすれば)の流入と麦作の伝播とうどん文化圏の成立が
あまりに時代が違うので相互の影響がないってことであって後は枝葉末節なんだがね。
>狛江もそうじゃが調布等多摩川流域に高句麗系の積石塚は5〜7世紀じゃ
狛江は『古乃江』な。西関東の積石塚と言えば瀬戸岡古墳群くらいだ。
それ以前にこの手の『コマ』とか付く地名を渡来系の名残と考える論法において注意しなければならないのは
日本に日本人街がなく、中国に中華街がないということで、
それらがあるアメリカ西海岸で日本人や中国人がマイノリティーにすぎないように
コマとか付く地名のある地域はむしろ渡来系が少なかったと考えるべきだ。
積石塚は5〜7世紀っていうのは全国的な話であって、高句麗系のものというよりはただの流行だろう。
瀬戸岡古墳群はたぶん積石塚の多い甲信から伝わったのかもしれない。
麦が飼料に使われたと言う話と室町以降の二毛作による麦作の伝播は全く次元が違う話。
水沢うどんは製法が違う。おきりこみはほうとうとほとんど同じものだ。
朝鮮の小麦食文化については日本ではこのように時代ごとの変遷があるんだから
朝鮮においてもそのような変遷を視野に入れて書かなきゃいけない。
日本への流入という話よりそのような朝鮮での小麦食文化の論を進めるのが先と言うのが理想的な議論の形なんだけどね。
>>534 どうせこの手の俗流心理学なら宮崎音弥かそれに似たようなもんだろうと思って
宮崎を想定して科学としてインチキであるといったんだが、宮崎本人だったんだね。
宮崎というのは若い頃宗教的な問題で非常に悩んでいたが科学こそ確かなものだと思い、
やがて心理学を知って科学としての心理学にのめりこんだという人で
戦後も科学主義の立場から発言する文化人だった。
唯物論にもこの科学者として科学主義の立場から発言しているが、たいていにおいてマルクス主義と違いはない。
このように科学を信じ科学である故に心理学を信ずる宮崎にとって
心理学が科学としては否定され、クレッチマーの論も
最新の精神医学と合致しないということは丸ごと土台が吹っ飛んだに等しい。
宮崎が科学者として発言しようとするのも、その宮崎の論が影響力を持つのも
心理学は科学であるという考えがあったからだし、宮崎にその過信がなければこんな他愛もない論は立てなかっただろう。
科学的でないことには何の問題もないが科学という外観を装っているのに科学的でないことは非常に問題だ。
血液型性格診断がそうであるようにね。
牛君の科学が何だという大議論は全然読んでないけどきっと大変すばらしいものだろう思うので、
是非是非宮崎のような科学主義者とその言説を受け入れてしまう人間に批判を向けてくださいな。
537 :
白馬青牛:2008/01/08(火) 01:43:39 ID:zyt0aI8+
>>535 馬柵が人馬一体?馬飼育の遊牧民は馬柵を作らんよ。馬柵を作るんは、
農作物が大切な農耕が牧畜より生業になっとることを現しとる。
中国の北部は、朝から饅頭を喰うけんのう。戦前の満州でも、
饅頭を喰いながら、ニンニクをかじる。朝鮮人は朝は粥が多かったんじゃ
ないか。わしの親類に戦前、多門に朝鮮人を住まわせたが、朝は米粥を
喰うとったそうな。
麦の麺は、アジアでは日本、朝鮮、中国、チベット、内陸アジアと広く
分布しとることは事実じゃ。考古学上も残らんもんじゃけえ、何時からか
解らんのう。時代区分は難しい。文献だけじゃあ根拠に薄いけんのう。
仮に常食しとっても、市場に売られてなかったら、広まってない云うん
じゃ説明にならんし、文献や出土品にないものから、歴史考察は始まる
わけじゃど。食文化は影響するもんじゃ。影響を受ける方の選択もあるが。
538 :
白馬青牛:2008/01/08(火) 02:24:43 ID:zyt0aI8+
>>536 麦作は古墳期には、広い地域で行われたろう。小麦だけじゃのうて大麦も。
大麦の遺伝子は、表日本がE型、山陰、北陸、東北の裏日本がW型。
野菜のカブの品種も北陸の若狭湾〜東海の尾張あたりで東西に分かれる。
影響と選択や風土によって植生が違うことを考慮せず、時代段階説で
云われてものう。
渡来人がマイノリテー?
>>168の形質人類学的考察でも、多数派じゃ。
>>411の、マルクス史観は、自民族の発展段階説を取るけえ、旧共産国や
現在の北朝鮮のよう鎖国的閉鎖国家になるんじゃろうが、歴史や民族に
ついても、外来の要素より自民族主義に陥る。関東の上毛野も、渡来系から
天皇家に結びつけようと、必死じゃったんじゃないか。系図なんか
本人が源氏云うたら源氏にして貰うだけじゃ。その云うやり方はどこでも
あるが、特に貴種権威に弱い関東人の隷属根性が見えるのう。
ほいじゃが、あんた科学的云うわりにゃあ、ほとんど文献妄想じゃないか。
ほいで、わしゃあ「宮崎音弥」氏じゃのうて、「宮城音弥」氏のことを
云うたんで。
539 :
人間七七四年:2008/01/08(火) 02:47:14 ID:jXeP6Jpq
>朝鮮人は朝は粥が多かったんじゃないか。
=゜ω゜) 粥なんて世界中に有るじゃろ。
ヨーロッパで食われとるスープも粥の一種だよ。
オートミールは燕麦だべ、麦粥な。
ほかにも乳粥、蕎麦粥、豆粥、粟粥、ヒエ粥。
中国は華北の粟粥。南方の朝飯はモスバーガー。日本は南方系かもな。
>馬飼育の遊牧民は馬柵を作らんよ
=゜ω゜) ふつうに国土面積の違いだろ。
それとも遊牧民の影響を受けていないと言いたいのか?
540 :
白馬青牛:2008/01/09(水) 23:47:26 ID:YnfcyCje
>>539 南方の朝飯はモスバーガー?云うてなんなら?日本は、列島北東部を
除いて概ね暖帯の照葉樹林地帯で、植物や農業も中国南部や東南アジアと
似とる。東北地方や中部日本の高地の植物は大麦のW型や、ダイコン・
ゴボウ等、朝鮮、満州等の北東アジアのナラ林地帯系のもので、
犬やノネズミの遺伝子が西日本を中心に北方系で、人間も西日本の方が
東日本よりも北方形質じゃし、動く動物や人は西日本の方が北方系、
気候風土に根ざした植物系は東北日本が北方系云うことになる。
ただし、ねばねばの納豆等、中国南西部の雲南にあるような南方系
食習慣は、東日本の方に顕著で、アジアの古い食習慣は、雲南や東日本の
ような辺境に残ったとも云えよう。
>>535で中国や半島では小麦餅とか
粟餅云うとるが、日本でも、昔、米の白もちは贅沢なもんで、正月でも、
あわもち、ばんばらもち(きび入り)、だんご麦(ねばりの強い大麦)
もち、じゃないか。戦後でもメリケン粉もちじゃろう。
かもち(さつまイモと4分の1ほどのだんご麦で作る)、いがもち(麦や
粟に貴重な米を数粒つける)等が広島県じゃあ昔、普通の餅で、現代の
米で作った餅を頭に描いてものう。「絵に書いた餅」になるど。
541 :
白馬青牛:2008/01/10(木) 00:19:02 ID:/+Bltmq0
>>539 米は贅沢なもんで、わしも米を喰いすぎると馬鹿になる云われたもんじゃ。
馬鹿になるかどうか解らんが、白米だけじゃあ江戸っ子のように江戸患いに
なる。麦飯を喰わんせいで脚気になる。軍隊の食事は麦飯にすべしか。
広島県出身の総理大臣も貧乏人は麦飯を喰え云うとられるし、知能にどう
影響するか知らんが、米を喰い過ぎると馬鹿になるも、肉体や精神に
信憑性が薄いとは一概に云えんのう。
牧畜形態は、面積よりも生業の違い。西洋の牧畜は農耕主体の混合農業で
柵をつけるが、ステップ地帯は牧畜中心で柵はつけん放牧じゃ。古代日本に
おける遊牧民の影響は、梅棹忠夫氏や岡正雄氏の云われるよう、軍制、
支配者が列島に持ち込んだ王朝、社会組織であって、生業のことじゃない。
542 :
人間七七四年:2008/01/10(木) 00:50:38 ID:0byXw2u4
>米で作った餅を頭に描いてものう。
=゜ω゜) てか、『餅』をそのまま日本風の糯米の「モチ」と解釈するのも
どうかと思うが・・・
「餅」と聞いて月餅とか煎餅とかふつうに思いつかんかったんかい?
中国北方で食われているのはマントウ(饅頭)だろ。
酵母を使わず小麦を固めて焼いたのが古代の餅だよ。
餅→饅頭→包子→肉まん→月餅→ もみじ饅頭な、
うどんもこの饅頭の派生形と言える。つまり『索餅』だな。
543 :
白馬青牛:2008/01/12(土) 01:56:26 ID:X60coDAG
>>542 せんべえを普通に思いつかんか云うてもお菓子じゃけんのう。
もみじ饅頭までか。うどんも派生型で餅に分類されるんか?
穀物で作ったらみな餅かいのう。
544 :
白馬青牛:2008/01/14(月) 03:18:20 ID:S+duuG1c
アク禁じゃげな。
545 :
白馬青牛:2008/01/14(月) 03:20:09 ID:S+duuG1c
人類学板と違い、この板はアク禁にならんかったのう。
546 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 05:42:42 ID:ns+jSXqc
ちょっと科学に対してだけ意見を言わせてもらいます。
科学ってのは別に現在の定説らしきものを信じるものじゃないと。
科学はまず仮説を立てる、そしてその仮説を証明するために、実験やフィールドワークで
データを集める。仮説を検証してより確かなものに修正していく、というプロセスを
厳密に数多くやることが科学的な真理だと言える。
そりゃマルクス主義にしろ、血液型占いにしろ変な仮説はあったし、それをいまだに
すべて信じてしまうのは疑似科学になるけど、ただ失敗した仮説の「歴史」を知ることは
無駄じゃない。
多様な人間を分類したいという試みは・仮説は、現在でも様々になされているし、
現在の定説らしきものも10年先や20年先の未来で否定されてしまうのも多いだろう。
人間の思いつく仮説なんかは似たものが多いのだから、どう歴史と資料を読み返しながら
せめて自分の専門と思うところで、よりよい仮説を検証していくかが楽しいんじゃないw
白馬青牛さんも知識が豊富で面白いけど、どういう仮説というか問題意識を持っているかが
2chで書いたものでもまとめて、HPやブログに残した方がいいと思いますよw
547 :
白馬青牛:2008/01/15(火) 01:18:43 ID:bcnN2exm
>>546 科学は仮説の上に成り立ってますからね。多様なデータから全体的に
解釈することですが、地理学者の鈴木秀夫氏は天地創造の世界観を持つ
西洋などの学者は「世界は認識しきれないという前提から出発するから
私にはこう見えると主張し、その証明は本質的に必要なく、他の伝達手段と
して証明を利用する。日本の学者の、証明に対し信頼ないし幻想は、目に
みえている範囲のことをきっちり組み立て、目にみえないところまでは、
いずれ、きちっと知識が積み上げられてゆくと考える。欧米の陪審員制度
も、学問も「私にはこうみえる」ということであれば、一般市民も同じな
わけで、有罪にみえる人が多ければ有罪、少なければ無罪で、
日本では学識経験者が裁判にたずさわるのが当然と考えるが、
学識経験者が真理に近いという、信頼ないし信仰がある。」と云われます。
わしも、学問はあらゆるデータを集めて自分なりに構築することじゃ
思いますが、わし自身が知識は足りんと自覚しとりますから、
ブログに残す程の知識がありません。まだ幅広い知識が必要です。
548 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 02:04:11 ID:3kqhEdQL
=゜ω゜) なにげに陪審員制度で科学認識を説明してしまう牛脳は
読んでてなぜか江戸川乱歩のD坂殺人事件思い出しちゃったよ。
格子窓の向こうに見えた犯人の服は白か黒かそれともシマシマか?
その答えは牛脳だっ!!
>穀物で作ったらみな餅かいのう
=゜ω゜) 辞書ひけって。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%85 『「餅」は中国・韓国・東南アジアなどに多くの種類がある。
古くは主に小麦を粉にして平たく固めてから加熱した粉食のことを指していたが、
大麦、粟、トウモロコシなど他の食材を用いた粉食のことをも含めるようになった。
月餅や饅頭は、小麦の「餅」が発達・改良されてきたものであり、
麺類もその派生であるともいわれている。』
549 :
白馬青牛:2008/01/17(木) 02:03:32 ID:Pp6+5dhP
>>548 じゃけえ、陪審員制度についても、地理学者の鈴木秀夫氏の文の引用じゃ
云うて「」の中に収めとるよ。
ほいじゃあ「餅」云う用語より「粉食」を使うほうがええで。
わしゃあ「麺」を喰う時に、「餅」を喰うたあ云わんよ。
http://www.sanspo.com/fish/labo/monogatari/sakana_buri3.html フォッサマグナの図の下の指紋の図の右にも、鈴木秀夫氏の東の沢と西の谷
のことが出ておるが、列島東西の違いは、食文化でも、すき焼きの関西、
広島はヘカ(犂)焼き、関東は煮る牛鍋。西の方が律令制を持ち込んだ
人々は家畜に依存したと思われる現象は、西日本が牛肉消費量が高いこと、
東日本は納豆で、東日本の朝炊きの習慣と合うんじゃろう。
朝から米を炊いて、暖かい飯に、納豆と味噌汁なんか、東日本の風景じゃ
のう。広島なんか、昔は朝は芋か素麺汁みたいなもんで、朝から米をようけ
喰わんよ。その点東日本は贅沢なのう。わしゃあ今でも朝は芋、麺、粥、
パンじゃけえのう。
550 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 13:08:01 ID:Ovnxxee5
牛の田舎はどうか知らないが、朝飯に米を食うのは今や日本中で普通の事です
551 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 13:36:21 ID:CuA4CBPW
>東日本は贅沢なのう。
=゜ω゜) 関東平野全般で見れば、おそらく耕地面積では
日本最大規模だろう。治水と酸性土さえ整えば本来豊かな土地だ。
納豆は冬の保存食としての意味からやせた土地での生産が多く
関東全域で主食だったわけではない。まぁ、他の地域よりは多いけど。
どちらかというと東北の方が多いかもしれない。
また、納豆発祥伝説には木曾義仲や加藤清正のような
軍馬に関連する伝説も多い。
ついでに腐った芋の話。
たしか台湾には芋を腐らせた調理法が有るが、これは
毒消しの名残ではないかと言われている。
東南アジアのタロ芋が黒潮ルートで伝わり芋食の原形となったとか。
552 :
白馬青牛:2008/01/22(火) 00:48:24 ID:yS93mQ7O
>>550 現在は、東日本風に朝飯に米を食う家庭も増えたけんのう。
わしの祖父や祖母は亡くなるまで、朝はパン食で祖父の母は朝はさつま芋。
わしの両親は朝から米の時もあるが、パンの方がえっとじゃのう。
わし自身も朝から米を喰う方が少ない。
ほいじゃが、海外へ出て関東人が、日本人は朝から米を炊き、味噌汁と納豆
を喰う云う宣伝は東日本のことじゃけえ、日本人全体に押し付けるな云うた
こともあるが、何で関東の者は、自分たちの価値観が日本全体で普遍的と
思い、日本人の代表ズラするんじゃろう。困ったもんじゃ。それだけ
米食への愛着もあるんじゃろうね。
>>551 ネバネバ納豆は、東日本や雲南等に残存した古い食文化じゃろうね。
現在でも納豆消費量が多いんは、東日本以外は熊本ぐらいだけじゃし。
タロ芋の根菜文化が文化の軸線でない黒潮経由か解らんが、温暖な地域に
普及した農耕形態の一つであろう。
553 :
人間七七四年:2008/01/27(日) 13:12:01 ID:5tzm5PNA
結局、戦国時代の兵に限って言えば、越後、薩摩が東西の両横綱。
甲斐、土佐辺りが両大関ってことでいいのかな。
554 :
白馬青牛:2008/01/27(日) 23:31:01 ID:FWAnB1GA
>>553 薩摩?毛利勢や黒田勢に勝ったこともない。九州でも兵卒じゃあ、
熊本に比較すると今一つじゃのう。
越後も兵卒で陸奥・出羽や越前・加賀と比べ優ったと云える材料が
無いのう。
土佐勢は、毛利勢がおらん時に、伊予へ空き巣に入る程度じゃろう。
精強な中国勢と比べもんにならん。せいぜい薩摩と正面攻撃なら互角か、
それ以上じゃろうが、野伏り戦法に引っ掛かるよう、戦術面じゃあ
ぱっとせんのう。甲斐も関東で人身売買するだけで、兵卒が強いわけでも
ない。
どうも、上杉、武田、島津の戦国掠奪王を横綱、大関じゃの強いと
誤解しとるようじゃ。「精強は軍紀にかかる。」と、中国者の律儀の
伝統と全然違う。民衆を犯して強いと威張っても意味をなさんよ。
555 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 22:18:33 ID:wnvPZxaR
=゜ω゜) オイラ的には村上、松平、最上、高橋、金子みたいに
大国相手にがんばった連中も評価したいねぃ。
556 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 11:52:04 ID:HCCwJHGK
ま、薩摩は強いな
usiはアンチ薩摩でもある
558 :
白馬青牛:2008/02/01(金) 01:35:49 ID:ki0DhF5q
>>555 大国相手に頑張ったか。滅び(滅ばんかったとしても、少数で奮闘したんも
含め)の美学じゃのう。
>>556 九州ローカルで屈指じゃろうね。
>>557 わしが、アンチ薩摩?薩摩人の思想、主義と算盤勘定で結局後者を
選ぶ現実的判断力、行動力は嫌いじゃないよ。逆に肥後人なんか
薩摩人より勇猛じゃが、思想的自我云うか、頑迷さがあるけんのう。
結局戦国期も自ら統一出来んで、他所から来た者で治まる結果になった
けんのう。薩摩人は節操がのうて軽薄なが、現実的対応力、判断力に
優れとる。その点じゃあ大したもんじゃ。
usiに乗った上州人のレスがあったので
貼り
長野業正の一族の出羽守業親の嫡男 長野無楽斎(長野十郎左衛門業真)は、剣人達の間で名の知られた「居合の大御所」だったらしいね。
無楽斎の居合一流 無楽流は彼に師事した者から会津藩や仙台藩などに広まり、今日まで隆盛をみる夢想神伝流・無双直伝英信流が生まれたそうだ。
井伊家で功名いちじるしかった彼は木俣・庵原という代々主家に仕える名門に次ぐ家柄まで進められたが、寛永十三年頃に隠居、その後は牛にまたがって出歩き、出会う人みれば上下隔たりなく交わる事を楽しみ、生涯妻帯せず九十歳程で没したらしい
560 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 15:16:11 ID:YuwOR7Fn
=゜ω゜)ノ おひさ。
>>51や
>>450 にもちょっと書いたけど長野無楽斎は知られざる大物武芸者でござる。
「長野は武道家にて、長野長柄刀とて、柄をことごとく長くして差しけり。」
長柄刀とは林崎流長巻術より興った居合兵法の事ですな。
特に小田原北条の田宮流、長野家の長野流は現代の居合道統の大半を占めてます。
家臣であり剣聖の上泉伊勢守(大胡武蔵)公も孫に長野流を学ばせました。
ちなみに当時の小田原藩士の記述では
「小田原の藩士は多く長柄とて帯を胸間あたりに締め、柄の2尺もある刀を差し」
と有り、東国各地でも広く使われていたことがわかります。
>滅びの美学じゃのう。
=゜ω゜) 「お侍は死ぬのが仕事。百姓は生きるのが仕事」は雑兵の言葉。
つまり「もののふは死をたしなむ道なり」じゃな。
滅びの美学というより潔さの美学じゃまいか。
561 :
白馬青牛:2008/02/03(日) 00:48:28 ID:KfBhjzKM
>>560 「お侍は死ぬのが仕事」の割りにゃあ、上層武士や近代の軍上層部の
人たちは、逃げるんが得意じゃのう。徳川慶喜さんも前線兵士を置いて
お江戸に逃げろじゃったろ。滅びの美学も潔く死ぬんも同じような
もんじゃ。前スレでも山中鹿之助を例に云うたよう、残念じゃが、
中国地方にゃあ「潔さ」はないねえ。九州まで行くと「潔い」わいのう。
中国地方は「しぶとい」んが特性じゃ。
ニューギニアでも、玉砕命令が出ても、北関東の宇都宮兵団の兵士と違い、
島根県の浜田聯隊の兵士はあくまで「死中に活」を求め、戦闘をあきらめん
かった。
死を軽んじる勇猛な九州兵団、特に熊本や鹿児島の壮丁の熊本兵団
と違い、広島兵団の特徴は、「死んでは御奉公は出来ん。生きて、生きて、
生きぬいてお役に立つ。そうして死を恐れない。それでなくてはいけない。
死ぬことが一番やさしいのである。戦地へ来た以上、これから敵を撃滅
するために、どんな困難があるかも知れぬが、歯をくいしばって生きられる
だけ生きるのだ。そうして、やり出したら最後までやる。」
広島部隊が攻撃だけじゃのうて、防御戦に比類なき強さを発揮したんも、
こういう特性があったゆえじゃろう。
その雑兵は、死を急ぐだけで、勝利を奪取する戦闘を知らんと視える。
562 :
人間七七四年:2008/02/03(日) 13:28:04 ID:Fj8aMAh0
ものは言いようって奴ですね
>>560=゜ω゜)ノ
馬上巧者小幡赤武者の生き残り岡本半介、長野業正の孫・長野業実、上泉権右衛門?
小幡⇒岡本=上泉=長野=井伊家
井伊家の軍学・兵法と上州武士は切り離せないな
世上で赤備えといえば甲州武士の独壇場であり、井伊家のそれでもあるが。
564 :
人間七七四年:2008/02/06(水) 20:07:47 ID:k/EWw78N
>>559ではそうなっているけど長野無楽斎と長野民部業実って同一人物なんですかね?
565 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 01:27:28 ID:Auodj/4Q
=゜ω゜) 小幡と言えば、あずみの・・・じゃなくて甲陽軍鑑の小幡勘兵衛!
>564
=゜ω゜) オイラも知りたいっ!
たしかに向坂伝蔵とかぶる感じは有るかな?武芸伝書からは詳細は不明です。
=゜ω゜) ちなみに、ここふざけてるけど意外と詳しい。
http://www1.seaple.icc.ne.jp/kobuna/hyogo/tournament_entry.html 新陰流祖上泉武蔵守信綱(伊勢守秀綱)は小笠原宮内大輔氏隆の兵学に勝れ、よく軍配に達す。
岡本半助は小笠原家訓閲集を息子の上泉常陸介秀胤に習ったという。
上泉孫次郎義胤(上泉孫四郎)
長野無楽斎の弟子として居合の修行を重ね、上泉流居合の祖として知られる
上泉武蔵守信綱の三男、上泉源左衛門尉行綱の子として
小田原上泉屋敷に生まれた。初名は上泉大学秀秋。または岡村新之丞、民弥権右衛門宗重。
天正18年(1590)孫四郎13,4歳の頃小田原北条氏滅亡。
従兄の上泉主水佐泰綱を中心として、上泉一族は上州館林・越後春日山・会津・羽州米沢と転住。
長野無楽斎槿露もその当初はこの上泉一族と行を一にしていたものと思われる(上泉文書)
566 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 22:57:39 ID:R1SpBVtX
>>559のではずばり同一人物としていますが、そうでなくても長野無楽斎が彦根藩に家老として仕えたという話は
業実と同一人物であるっていう話でしょうね。いくら剣名が高くとも剣客業だけで大藩の家老はないでしょう。
或いは、混同されたのではないでしょうか。
長野業実は家康に小姓として仕えて後に井伊につけられ
武田攻め、小田原攻めで活躍したと言うことですから
もう片方で剣の修行をやり会津、仙台に流派を広めたと言うのは難しいんじゃないかという気がしますが…。
調べたら、彦根藩に詳しい人(与板井伊家に養子に入った人)が無楽斎について書いている様。
ttp://www.koutouclub.net/syushikankanchomokuroku.htm
567 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 00:28:05 ID:T7THJSAa
=゜ω゜) 会津、仙台に流派を広めたと言うのはたぶん上杉時代じゃないっすかね?
上泉主水が長谷堂で討ち死にした頃かな?
ウチの本だと長野十郎左衛門正次となっております。
永禄6年、箕輪落城後玉出に赴き林崎流居合を学び一家を成す。
最上の人、沼澤長政奥州にこの伝を残す。
また甲州武田の臣、土屋惣蔵が旗下の一宮左太夫照信は長野無楽斎から
伝へて一流を起こす。
568 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 01:52:54 ID:UdCT6E+X
天保年間にいくつかの寺で調べさせたらしい申立状によると
長野新十郎左衛門業通の次男で後の彦根長純寺開山・珠山玄宝の子で長野十郎左衛門業源が
後の長野民部業実だとか。
『十郎左衛門』が気になりますね。
569 :
人間七七四年:2008/02/13(水) 19:32:47 ID:cBZUgz7m
=゜ω゜) なるほど十郎左衛門正次=十郎左衛門業真。
すると長野無楽斎=長野業実=向坂伝蔵だったのはホントでしょうか?
向坂伝蔵はかなりの兵だったようですが?
>いくら剣名が高くとも剣客業だけで大藩の家老はないでしょう。
=゜ω゜) そうですね、ふつうはありえません。
江戸期の兵法指南は数10〜数100石ぐらいが普通です。
まぁ中には名人越後みたいに大名以上の人も稀に居たけど、
柳生などは関ヶ原以前から家康の旗本として活躍していましたので別格です。
外様の留守居役は幕府との取次ぎで宗矩にたいへん助けられたと言います。
家老職はある程度の政治的発言力を持たないと無理でしょう。
猛将井伊直政は関東入国のさい、北の要所上野箕輪に配置されたくらいだし
長野や、武田旧臣などは領国統治に必要だったんではないでしょか?
暴走牛 Y Y
こらへてつかあさい(・∀・)
571 :
白馬青牛:2008/02/17(日) 23:48:00 ID:qqZ7VCcN
>>570 暴走し節度を失うとるんはわれじゃ。こん糞外道が。人をなめるんも
ええかげんにせいや。
572 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 16:38:24 ID:QzwQLlDK
結局畿内の兵がいっちゃん強いな。
地方の風評は所詮コンプレックスによるもの。
田舎だという潜在的な負い目があるから、我がのトコが強いんじゃあと声が大きくなる訳。
573 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 18:51:17 ID:AUvq7QPW
=゜ω゜) まぁ、畿内は立地的に為政者から弾圧され、
強力な外敵に攻め込まれる立場なので、対外的に
目立った戦果が出ないのもしかたない。
でも甲賀の傭兵なんて全国的に有名だわな。
柳生萌え〜。
「甲斐・越後之弓矢天下一之軍士之由風聞」
(大和国興福寺蓮成院記録 釈迦院寛尊・天正十年三月)
575 :
白馬青牛:2008/02/18(月) 23:55:39 ID:LIf0QgvR
>>572 合理的な計算で行動する畿内兵のいっちゃん強いはないが、風評の弱兵でも
ない。我がトコが強いかは、戦歴、実績による。
>>574 糞外道云うて、こんなあ自覚しとるんか?
越後・甲斐に犯された、関東奴隷の劣等感か?
576 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 00:08:36 ID:7fQhRmGj
誰が客観的に見ても薩摩隼人だろ。数百の兵で関ヶ原中央突破。史上例のない比類なき武を見事に示した。
577 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 00:09:45 ID:oAwxnGCH
ランキングつけてみてくれよ牛
関東>関西>中部
みたいにな
>>576 >>20は備中商人古川古松軒の西遊雑記(18C後)
師団usiの罵倒より有益情報
579 :
白馬青牛:2008/02/19(火) 02:00:18 ID:hEAB+gmz
>>578 薩摩隼人?攻城戦も下手で、毛利、黒田勢に勝ったこともない。
どこに客観性があるんか?正面攻撃じゃあ土佐勢相手すら危ういもんじゃ。
対琉球でも苦戦し、九州でも勇猛さでは肥後に劣る。
関ヶ原で兵力を温存し、九州らしい短期戦闘で勇猛振りを発揮しただけで、
比類ない事でもあるまい。朝鮮でも加藤・小西の肥後勢が緒戦で活躍
したんと同じ。息が切れて、反攻された見事な負けっぷりも九州兵らしい
処よ。
>>577 ランキング云うても戦闘形態で変わるよ。どがいな戦闘でも順応出来る
中国地方兵は別格として、まあ、九州は対東北じゃあ分が悪りいん
じゃないか。戊辰でも薩摩は越後長岡藩に苦戦し、相馬方面でも九州勢は、
米沢藩やドンゴリ仙台藩にやられた。短期戦じゃあ違う結果が出るかも
知れん。
>>578 馬鹿げなこと云うのう。古川古松軒氏が実際に戦闘したんか。
580 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 13:38:49 ID:PuiYA+HC
581 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 16:00:36 ID:jHAH4Jlv
広島の奴ってなんでみんなこう、ネチっこいつーか自己主張強いつーか。
考えが偏ってる一方、人にもそれを押し付けてくるんだよね。
ラグビーやってる奴も同じような感じかな。自信過剰で暑苦しい。
まぁでもそういう奴らが集まったらいくさ場ではプラスにも働くのかな?兵隊としては。
目的意識をはっきり示せる指揮官が必要だけどね。この位置の人間は別のトコから引っ張ってきたほうがいいだろな。
582 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 18:21:47 ID:bQPnE/eW
=゜ω゜) おお!いっきに流れを元に戻してしまった職人芸。
さすが牛!やるなぁ。
583 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:29:10 ID:MYqZons+
戦に勝つのは兵卒の質だけじゃないんじゃなかろうか。
こんなヘタレに率いられてたから負けちゃったけど、
一般兵は物凄い頑張りましたみたいなとこはどっか無いのかな
584 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 00:47:26 ID:UY/76435
>>569 伝蔵の名は『彦根藩諸家異譜』にありました。
元祖十郎左衛門業実幼名伝蔵改民部、と。
天正八年に家康に小姓として仕えた後に井伊につけられたようで、その後
甲州新府若御子(本能寺後の北条との甲斐争奪戦か)以降大坂両陣までほとんど参加したとのこと。
特に小田原攻めでは篠曲輪乗取り(井伊隊だけが小田原城内へ攻め込んだ)で秀吉にも褒美を貰ったととか。
ここでもやはり十郎左衛門とあります。しかし無楽斎の名や剣の話はほとんど出ていない。
うーん、まだ謎としておくほかないですね。
585 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 00:53:52 ID:OsRrDUva
・・?お前達、播磨兵は無視でつか?
>>569=゜ω゜)
>>584 結果的に流れを豚切ってしまったな
すまんね
井伊家の侍由緒書も長野十郎左衛門の記述はあまり多くないか
小幡旧臣岡本半助の方は詳細だけど
587 :
白馬青牛:2008/02/20(水) 01:07:55 ID:1tvcPiv0
>>580 そっちにも書いとるが、兵卒の地域性の話題じゃないけんのう。
>>581 自信過剰つまり必勝の精神、上下よりも横の団結心、個々の独立精神は、
強兵を生む土壌になる。いかに広島の兵士が精強であっても、他地域の
兵との混成部隊じゃったら、日本の雑軍になるねえ。
命知らずの南九州兵も、他地域兵が大勢混じると、郷土の誇り、世間体を
気にせず、無理に命を投げ出さず、勇猛な特性も影をひそめる。
地域郷土愛があればこそで、大きい枠組みの日本じゃあ、郷土よりも
抽象的で、余所者同士なら勝手にせえ、わしゃあ知らんになるよ。
>>582 流れまで考えんよ。
>>583 指揮官より戦闘経験豊富な下士官や兵卒がおれば、局地戦闘じゃあ
カバー出来るけどね。戦略、大まかな戦術レベルじゃあ上層部の意向で、
拙劣な作戦でも、兵士は戦闘せにゃあいけん。こういう場合近畿兵は
合理主義が優先するけえ、戦意が急速に低下する事態も招く。
588 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 03:18:31 ID:OlMw9xLP
牛の進む道、それが流れとなり、スレを大きく変えていく
糞スレにな
589 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 17:56:42 ID:mQFNJbPz
八路でFAじゃん
質+量>>>>>>量>>>>>質
個の武勇が決め手になるのは古代まで
590 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 21:29:13 ID:Pe2clmG5
>>581さん確かに。
白馬なんたらのレスを見てると文章に抵脳さと歴史についての無知さがありありと出ています。哀れと言うか滑稽と言うか・・・中国兵がどんな戦にも対応できる?毛利軍の一地方局地的戦闘からの妄想でしょうか?
591 :
人間七七四年:2008/02/20(水) 21:37:48 ID:1jU3CAAd
>>584 =゜ω゜) いろいろありがとうございますた。
「三百諸藩家臣事典」によると
長野業真(ナリマサ)十郎左衛門。幼名伝蔵。上野出身。
戦歴も甲州若御子台、真田陣、小牧長久手、関ヶ原、
小田原の篠曲輪では秀吉より馬を賜ると、一致しており
たぶん同一人物なのでしょう。
無楽斎本人か、かなり近しい人物であると思います。
「長野は武道家にて、長野長柄刀とて、柄をことごとく長くして差しけり。」
が本当ならば林崎流の可能性は大いに有りますし。
また新たな資料を見つけたら次は長野スレあたりにあげておきます。
>>586 =゜ω゜) いえいえ、過疎ってたのであれでよいと思います。
牛も喜んでるしね。
592 :
白馬青牛:2008/02/21(木) 02:15:07 ID:BE3Xnjd7
>>589 八路軍の強さは、同志愛と団結心じゃのう。量の人海戦術は国府軍の方よ。
兵士として一人一人が強いんは広西軍じゃろう。正確な射撃技術と夜目が
きく、性格の獰猛さ。ネパールのグルカ兵やビルマのカチン族兵、台湾
山地の高砂族に劣らん世界的な強豪よのう。
古代云うてどこの古代か?中世の騎馬下手鎌倉武士と違い、
パルティアや匈奴は騎馬の集団運用じゃけんのう。
>>590 歴史についての無知云うて、あんたの歴史解釈たあ何なら?
一局地戦なら、上杉、武田らは一局地戦の典型じゃないか。
593 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 02:34:11 ID:V+phTbuK
ガチ無知青牛兄貴オッスオッス!!
594 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 10:00:45 ID:WCcsN+5y
広西軍は夜目がきく・・・痛すぎる妄想固定観念。武田軍、上杉軍共に局地戦。だが強い。何より当時の同世代人の認識がそうだったと言う事。肥後人が最も勇猛だとか書いてたね。葉隠に影響されすぎ。妄想と痛い自己中な無知さ。
595 :
白馬青牛:2008/02/22(金) 01:17:44 ID:Q5FAGiPg
>>594 >広西軍の夜目がきく。のどこが妄想固定観念なんか?そうじゃない云う
根拠でもあったんか?日本軍の夜目がきく場合は周辺視と暗調応の訓練と
経験で、部落同士が夜襲する広西人のような天性のもんじゃない。
武田、上杉が強い云う当時の同世代の認識云う根拠は?
文書を残すもんは、当時の文化人で、限られた層じゃ。
現代でも畿内文化人の司馬遼太郎氏や湯川秀樹氏の言だけが後世に残っ
たら、畿内人は弱かったと誤解する後世そう解釈する連中も出てくる云う
ことじゃ。これは以前にも書いたか。肥後人の熊本聯隊が薩摩人の
鹿児島聯隊よりも勇猛で命知らずで最も鼻息が荒かったんは、当時の
熊本師団(熊本・鹿児島・宮崎・大分の兵)に所属した方の言から、
明らかなことよ。肥前の葉隠れが何で出てくるんか?
596 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 06:14:51 ID:evDmhEAr
>>595 広西人が夜目が聞くのではなく辺境の人は生活に順応して夜目が効くようになる。天性だって。痛いな。なんだお前は戦国板で近代戦の話ししてたのか。すでにズレてんだよ、お前は。
597 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 06:15:27 ID:evDmhEAr
>>595 文化人のみ?兵士も農民も認識してる。何で織田軍の兵士は武田軍を必要以上に恐れてたんだ?どうして鎌倉以前から西国武者は関東武者を恐れたか知れ。屁理屈のみの滑稽で無知なやつ。
598 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 12:46:55 ID:JsbjnK5O
恐れてない
599 :
東海:2008/02/22(金) 13:54:24 ID:5nfiL2Wp
出身国別 明朝
最強兵卒 遼東鐵騎 韃軍 浙江兵 四川兵
時代 明朝后期
將領 李如松 痲貴 陳璘 劉綎
vs
小西行長 加籐清正 島津義弘 K田長政
600 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 22:41:27 ID:KR3Kq1XQ
=゜ω゜) おお、新たなる挑戦者だぞ牛っ ・・・てか、読めん。
601 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 23:00:07 ID:9aa+agrG
白馬の痴呆爺さん、自分は何でも知っていると威張りたいんだね。
少しでも賢く見られたいんだね。でも馬鹿は直らないよ。
>>597 確かにあの三河武士でも長篠の時は武田騎兵をかなり警戒していた節があるっぽい。
家康から重臣への書状で。
603 :
白馬青牛:2008/02/23(土) 02:05:07 ID:WU4hNvkR
アク禁したんは、関東の糞奴隷民じゃろう。
604 :
白馬青牛:2008/02/23(土) 02:12:40 ID:WU4hNvkR
>>597-601 糞奴隷民らが。糞奴隷民の関東を恐れる馬鹿がどこへおるんなら。
根拠のなあことぬかすな。
姑息で陰険な手段しか出来ん糞外道らじゃのう。
605 :
白馬青龍:2008/02/23(土) 07:00:38 ID:dh2KagFn
お前痛々しいな・・・
根拠は歴史に枚挙がない。分かり易い一例では平氏は鳥の羽ばたきだけで源氏の軍の攻撃と勘違いして総崩れになって逃げ出した。それほど関東武者の馬術と弓を恐れてたんだよ。牛くん、妄想が壊れたからってそういう態度は馬鹿を露呈するような物だよW
606 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 07:21:50 ID:uYbJJICV
栄華を極めた平氏が貴族化してたからだろ
607 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 11:13:24 ID:cavFl1wH
一代の栄華だけでそこまで貴族化するって京都の文化凄いな
608 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 14:20:59 ID:uYbJJICV
凄いのは京の文化じゃなくて清盛の出世と一族独占だ
【討伐軍】
寄せ集め集団+飢饉で米がない=士気低い
【状況】
自分達は数千しかいくなっちまったのに何万もの敵と対陣
【経緯】
何の理由もなくいきなり鳥が一斉に飛び立つわけないな→くっ…来やがったか…→包囲される前に転進
609 :
白馬青牛:2008/02/23(土) 21:44:20 ID:WU4hNvkR
>>597 織田軍が武田軍を恐れた根拠はあるんか?結果的に武田の敗北じゃ。
西国武士が東国武士を恐れた根拠もない。まあ、残忍な東国武士を
軽蔑したくらいじゃろう。
>>605 羽ばたきだけで逃げたじゃの、物語を史実と勘違いする低脳よ。
まあどうせ後世に書かれた、鎌倉政権に媚びる史料じゃけんのう。
>>607-608 貴族化云うて何か?都の貴族が関東のセミプロより戦闘力で劣る根拠でも
あるんか?
610 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 22:04:18 ID:NrKtvl+6
=゜ω゜) そりゃあーた、都の警護をしていたのが地方武士なんだから
数的に勝負にならんでしょ。
まぁ清盛は強かったと思うが。
611 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 22:31:51 ID:DNeuvG6j
まあそうは言っても平氏は東国出身だし、源氏は西国出身なんだがな
612 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 22:57:20 ID:RN0q8rw3
613 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 19:07:11 ID:oXgVgTf1
遅レスすまん。
>>99 >出雲も高句麗と同類で同じようなもんじゃ。
おいおい何が証拠なんだ?
神社の由緒書きなんて証拠にすんなや。
証拠にするとしても
「祭神は高麗より渡って来た神」と書いてて高句麗なんて書いてないだろう?
まさか四隅突出墳墓が証拠とか言うなや。
北朝鮮にあるとか言われる「四隅強調」古墳の詳細なんてわかってないぞ。
614 :
白馬青牛:2008/03/08(土) 02:00:03 ID:v1Kmq1f2
>>613 四隅突出墳は高句麗的積み石の方型墳墓じゃし、四隅突出墳の被葬者の
人骨は広島県北部の千代田町の「歳ノ神」「氏神正田」遺跡の人骨は
上顔示数、高顔から渡来形質じゃ。
証拠云う言語を使う処、わりゃあ嫌韓糞ネットウヨじゃろう。
未だに左翼マルクス史観の自民族発展段階説を唱えても意味ないど。
渡来者こそ日本人の主流で、土着民は傍流じゃ。
615 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 07:17:37 ID:kerJ0UYT
>>614 たったそれだけかよ。
渡来形質の人骨なんて弥生時代からいるんで何の証拠にもなんねぇよ。
俺が聞いてるのは高句麗だという証拠。
高句麗土器でも発見されてるのかよ。
あるわけないよ。
いい加減なこと言うな。
usi叩かれまくり
617 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 09:08:20 ID:ECKxxOQ6
>渡来者こそ日本人の主流で、土着民は傍流じゃ。
=゜ω゜) あいかわらずじゃのう。
アメリカインディアンがブーツを履いて馬に乗ってれば全部白人の子孫と言う事ではアルマイト。
まぁ、がんばれ牛。先は見えないが。
618 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 12:52:00 ID:rrbjx5ov
>>614 ついに白馬青牛が自らを在日チョンと認めたね!
619 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 22:53:28 ID:q6jkg4xx
白馬青牛
↑
こいつチョンだったのか。。。
ウザイわけだ
620 :
白馬青牛:2008/03/08(土) 23:34:19 ID:v1Kmq1f2
>>615 弥生期、渡来系人骨は、九州北部〜山陰の限定された地域に集中しとって
全国に拡散しとらんで。証拠云う言葉を使う処、やっぱしネットウヨ
じゃったか。出雲が松本清張氏の言われる出雲=耶頭昧、ヤツメの
穢集団でもええ。朝鮮系無文土器も出雲の原山、矢野遺跡で出土しとる。
どこがええ加減なんか?「証拠」云うええ加減なことを云いよるんは、
われど。われんは、「織田信長が実在の人物と云う「証拠」があるか?」
云うとるんと同じじゃ。おどりゃあ、織田信長が実在の人物じゃ云う根拠と
「証明」をせいや。「証明」出来んかったら、わりゃあええ加減なことを
云うたことになるど。
だいたい武蔵国高麗郡が、高句麗なんて書いてないゆえ高句麗じゃない
云うようなもんで、言葉遊びしか出来ん低脳ネットウヨが偉っそなカバチ
垂れな。じゃけえ、織田信長が実際に存在した人物じゃ云うことの
「証拠」を提示し「証明」せえ。
>>617 アメリカ原住民は新大陸で多数派でもあるまいし。カウボーイの
服装はスペインの影響が強いんじゃないか。新大陸で北上したスペイン
騎乗文化と北米移住のケルト文化の混合がカウボーイ文化じゃないか。
まあ西洋からの移住民が日本では渡来系に相当し、アメリカ原住民が、
日本では縄文系とも云える。
>>618 自己の意見と違うもんを在日云う処、自らネットウヨじゃ宣言しょうる
ようなもんじゃないか。まあ、ネットウヨは排外主義のマルクス
左翼史観よ。人類学板でも、どこの板でもネットウヨがしゃしゃり出て来る
のう。ほいで「証拠」「証明」じゃあ、幼稚なつららん言だきゃあ吐くわ。
621 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 23:50:19 ID:kerJ0UYT
>>620 朝鮮南部の土器なんて出てて当たり前。
楽浪の土器さえも出てるし。
が高句麗の土器なんて7世紀に入らないと日本から出てこない。
お前は「出雲と高句麗が同類」と言った。
何の証拠もない事を言うなハゲ。
もっとまともな事を言うハゲであれ。
お前は>614で「四隅突出墳は高句麗的積み石の方型墳墓じゃし」と言ってるが、「的」でごまかすな。
四隅突出墳に似た高句麗の古墳とやらの写真あるのか?
あるなら出してみろや。
「証拠」と言われて怒るのはお前が親韓クソネットサヨだからw
622 :
白馬青牛:2008/03/09(日) 00:23:21 ID:LsjGAmjg
>>621 高句麗土器が7世紀云うが、その高句麗土器の特徴たあ何か?
出雲も高句麗も穢も北東アジア系で同一じゃないか。
高句麗の積石も、平壌へ都を遷すと土塚が主流になるが、高句麗人が
楽浪郡を支配した「証拠」がないことになるんか?馬鹿らしい。
相変わらず「証拠」を多用しょうるが、わりゃあ早う織田信長が実在の
人物か証明せえや。わしの質問にゃあぜんぜん答えんのう。
織田信長の骨の写真でも見つかったんか?あるんなら出せや。
「証拠」云う言語を多用するんは、嫌韓ネットウヨの特徴じゃろう。
隠蔽好きじゃけんのう。わしが左翼?ほいじゃあ何でわれは、戦後マルクス
史観の自民族発展段階説を今更唱えとるんか?
623 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 00:43:12 ID:9MWM91rw
>相変わらず「証拠」を多用しょうるが、わりゃあ早う織田信長が実在の
人物か証明せえや。
織田信長であろうが豊臣秀吉であろうが、
数多くの文献があり、また彼等が関わった物証が残ってる。
(例えば秀吉が作った姫路城など)
したがって信長も秀吉も実在を証明できる。
で君が言った「出雲=高句麗」は、
文献も考古資料もない。
したがって証明できない。
>高句麗土器が7世紀云うが、その高句麗土器の特徴たあ何か?
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2000a_41.html 俺は専門家でないので特徴は分からないが、
高句麗にも独自の土器があるが、
6世紀以前の日本における出土例がないことが書かれてる。
反論があれば君が土器の専門家になって反論し、
その反論を証明せよ。
624 :
白馬青牛:2008/03/09(日) 02:12:14 ID:LsjGAmjg
>>623 >織田信長や豊臣秀吉であろうが数多くの文献があり、また彼等が関わった
物証が残っている?
人間が文献に真実を書くか解らんので「証明」にならんじゃないか。
物証も姫路城を秀吉が作ったと断定出来るもんがない。
それなのに信長や秀吉も実証出来る云うんは、歴史書や教科書に実在人物
として記載されとる云う前提に過ぎんけえ、証明したことにならんど。
結局「証明」出来んじゃないか。
ほいで、あんたが挙げたブログの文に「高句麗独自の土器はあったが」
と抽象的で具体的説明がないじゃないか。
わりゃあ人に因縁つけて、おどれは専門家に任すじゃあ逃げ口上を云う
とりゃあがる。糞外道が、偉っそなカバチ垂れな。
ほいで、織田信長とついでに秀吉の実存を「証明」せえ。
625 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 06:25:56 ID:Y2vbzgRD
めんどいから
チンギス・ハーンもイエス・キリストもアレクサンダー大王もいなかった
でいいよ
626 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 06:30:24 ID:Y2vbzgRD
高句麗って国も存在しなかった事でいいよ
627 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 06:51:20 ID:Q+4bgsH8
Hakubaセイギュウ
628 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 07:57:12 ID:9MWM91rw
>>624 織田信長や豊臣秀吉がいなかったと思うのなら、
聖徳太子非実在説のようにそれなりの論拠を出せば良いだけのこと。
そんな退屈なヤツが日本のどこにいるのだ?
>あんたが挙げたブログの文に「高句麗独自の土器はあったが」
と抽象的で具体的説明がないじゃないか。
ブログでなくて学術論文だ。
高句麗土器の事がどうしても聞きたければ学者に聞け。
「高句麗土器が7世紀云うが、その高句麗土器の特徴たあ何か?
出雲も高句麗も穢も北東アジア系で同一じゃないか。」
などと大昔の生半可な知識を基に自分で断定してるから恥をかくのだ。
もういちど言う。
高句麗土器は7世紀以前の日本から出ていない。
したがって出雲と高句麗はまったく関係ない。
629 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 08:04:28 ID:9MWM91rw
失礼、6世紀以前に訂正だ。
7世紀から出るという事。
630 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 08:30:27 ID:0JaleEpV
「ちんちん」まで読んだ
631 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 10:53:41 ID:DBXq3RPb
632 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 10:05:59 ID:FkEV75yr
糞寄生虫在日チョンの白馬青牛がウゼェな
ブサヨのくせにマルクス批判するあたり非常に韓国人に近しいものを感じる
出雲が高句麗とかアホの極みだな、いやキチガイの発言と言うべきかw
そのうち旧日本軍最強の兵士は朝鮮出身兵とか言い出すんだろうなw
633 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 07:59:19 ID:NiafCoYE
「143 :白馬青牛 :2007/09/14(金) 01:26:20 ID:Cw0/zPVY
>>134 「悪魔の証明」云うんは証拠がない云う方が証明せにゃあいけん云うたん
でえ。ネットウヨは馬鹿じゃけえ、「悪魔の証明」の意味をはき違えとる
云うて指摘しただけじゃ。歴史に完璧な証明など出来るわけあるまい。」
こいつはバカか?
まったく逆。
「積極的事実」(ある事実が存在すること)を主張する者に証明をさせるべきであり、
「消極的事実」(ある事実が存在しないこと)を主張する者に証明をさせるのは
妥当でない場合が多いということが悪魔の証明。
渡来人が日本を征服したというのなら、
征服したという側が証明しなければならいという事。
征服されてないという側が証明しなければならないなんてアホの極み。w
634 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 10:56:32 ID:NeLO/N76
Affirmanti incumbit probatio,non neganti
635 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 12:02:10 ID:NeLO/N76
戦国ぺでぃあ“青牛白馬”の項目
生年19??〜没年200?
共産主義者である松本清張を愛読し、革命戦士の異名をとる。
下らない神話からとったハンドルネームは青だが、思想は赤であるのは何かの皮肉なのだろうか。
在日コリアンである広島の老人は、過去に右翼から攻撃された経験があり、それを苦に精神を重度に病んでしまう。
その結果として、自分に攻撃的な相手は全て右翼に見えてしまうという被害妄想に更けている。
また、発言によく見うけられる右翼・マルクスといったキーワードは、過去のトラウマを克服しようとしているのであろう。
636 :
人間七七四年:2008/03/19(水) 23:44:44 ID:EraUyEjT
白と青が逆
637 :
人間七七四年:2008/03/19(水) 23:58:16 ID:oruNxqbO
こりゃ最強は丹波で決まりやな!
639 :
白馬青牛:2008/03/21(金) 00:33:43 ID:RZTYhxKx
>>628 わしゃあ、織田信長や豊臣秀吉が実在の人物じゃと「証明」出来んでも、
実在の人物じゃ思うとるが、ほいで、あんた織田信長や豊臣秀吉が
実在の人物じゃと「証明」しとらんじゃないか。あんた「証明」云うたが、
あんた自身は実在の人物か「証明」出来んもんは存在せんのじゃろ。
完全に矛盾しとるじゃないか。
わしが
>>547で鈴木秀夫氏の{物事の証明をめぐって}からの引用文を
書いとるが、鈴木秀夫氏は自分の講義に出席する学生に対して、
明治時代のある有名な人物の名を挙げて、その人が存在したことを
「証明」出来るか、と出題レポートを求めておられるそうじゃが、ほとんど
全員、「証明」出来ないと云う答えがかえってくるそうじゃ。
鈴木氏が何故このような質問をしたかと云うと、ほとんど学生が、
物事の「証明」は可能であると思っているからで、『物事の「証明」は
出来ないという学問の出発点を明確にしておく必要があるからである。』
と、云われる。
その学問の出発点すらも考えられんほどの低脳が如何に多いか。じゃのう。
低脳ネットウヨから研究室に引き篭もる学者さんもよのう。
文献とにらめっこしても、真理の探究なんか可能なわけも無く、
自己の検証云う主観的見解を、科学的やら客観的じゃの空虚な装飾言語を
並べて自慰するだけじゃ。海外へ出て「私は検証しました。あなたは、
証拠も証明出来ません。」云うたら、日本人の程度を疑われるわい。
まあネットウヨの場合は盗人や詐欺師が泥棒したり人を騙した「証拠」が
あるか。云うとるようなもんじゃけえのう。
640 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 01:13:52 ID:l9eD+6W+
=゜ω゜) ほう、ちゃんとファンサ-ビスはマメだな。さすが牛。
>638
=゜ω゜) うーん勉強になるねぇ信玄スレ。
641 :
白馬青牛:2008/03/21(金) 01:26:08 ID:RZTYhxKx
>>628 学者まかせじゃのうて、あんたあ高句麗土器が出た時期に高句麗人は
初めて渡来した思いよるんか?出雲の土器が吉備や近隣地域のものは
あるが高句麗と関係ない云うとるんか。土器は普通近隣交易地の
もんじゃ。墓も渡来者が現地民を征服しても現地民式になる例
(高句麗元来の積石塚から楽浪郡支配から土塚の採用と積石塚の併用)が、
あるけんのう。
http://members.jcom.home.ne.jp/3366537101/sub9-2.htm わしはブログにあるよう文献主義じゃあないが、出雲、日本海側の高句麗・
穢・新羅・伽耶の渡来勢力による、越地方、東山道、関東進出を肯定する。
美浜町の角杯須恵器など、渡来者の牛信仰に繋がるもんで、近隣交易品の
土器のようなローカルのもんじゃない。角杯は新羅・伽耶地方に顕著で、
鮮卑、中央ユーラシア、ロシア、西洋に繋がるステップルート経由で、
非中国的(由水常雄氏は新羅人のローマ文化と云われる)なもんじゃ。
継体王朝は、日本海の渡来系特に新羅伽耶系じゃ思う。
出雲と越。越の近年に伝わる習俗と総合的に考えると、そう判断する方が
全体像が視えよう。逆に出雲と日本海側の渡来系の関連を否定する要素の
方が少ないわいや。
642 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 01:45:13 ID:CYWWegNM
話題を勘違いしてるフリをしたり
長文でケムに巻いたり
他人のblogから意味の無い一文引っ張って主張の論拠をぼやかしたりで
相手に反論するだけ無駄と諦めさせるのが牛の黄金パターン
643 :
白馬青牛:2008/03/21(金) 01:52:53 ID:RZTYhxKx
>>632 わしゃあ在日じゃないでえ。他者を在日云うとんはネットウヨの特徴じゃ
のう。
>>152でも云うたが、あんたらネットウヨが尊敬する岡崎久彦氏は、
在日認定せんのんか?
>>411をもう一遍視いや。戦後マルクス左翼史観の
歴史学の自民族主体論、発展段階説を現代でも唱えとるんは、今や左翼
より「つくる会」に扇動されたネットウヨらじゃ。ついでに
>>428に、
挙げたブログも読んどけえ。
はあ、わしゃあ寝るけえ、以下の回答は次回のお楽しみじゃ。
644 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 09:40:02 ID:9ZFSu80D
>>639 >>641 >織田信長や豊臣秀吉が 実在の人物じゃと「証明」しとらんじゃないか
信長については信長公記(太田牛一) があり、家系図があり子孫もおり、信長ゆかりの神社仏閣もあり、実在を充分証明できる。
それでも証明できてないと言うのは単なるオマエの女々しい言いがかり。
>あんたあ高句麗土器が出た時期に高句麗人は
初めて渡来した思いよるんか
高句麗土器が出てない状況が、なぜ高句麗人定住の根拠になるのだ?
出てから初めて考慮するものだろう?
>美浜町の角杯須恵器
時代をずらすな。
君は四隅突出の時代の出雲=高句麗と言った。
角杯須恵器は5世紀後半だろう?
>継体王朝は、日本海の渡来系特に新羅伽耶系じゃ思う。
出土品のごく一部にA族のものがあったとて、
その古墳の被葬者はA族にはならない。
考古学の鉄則を無視するな。
645 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 09:51:49 ID:9ZFSu80D
>>641 あ、それとオマエが提示したブログは架空小説w
困ってとうとうトンデモないもの出してきたな(爆笑)
646 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 20:28:48 ID:vb1CjoCc
皆、何で白馬なんたらを相手するの?こいつは屁理屈の精神異常者!スルー、スルーWWW
647 :
白馬青牛:2008/03/22(土) 00:18:19 ID:BHRJZYmP
>>633 騎馬民族スレの一部だけ抽出する捏造癖は、直らんようじゃのう。
http://members2.jcom.home.ne.jp/yu-misawa/hibi/akuma.html をわしが挙げて、文中にある、「悪魔の証明は「いない」と主張する側が
使っちゃあ駄目ですね。」を説明したつもりじゃが、ネットウヨが勝手に、
つまらん逆説捏造した文章じゃないか。
>>635 松本清張氏は、石母田氏のような教条的共産主義者じゃないわ。
反権力の姿勢から共産党親派じゃっただけじゃ。もっともわしゃあ、
松本清張氏の著作は全部読んどらんし、愛読者でもない。
ましてや共産主義を美化出来るわけあるまあ。わしゃあシベリア抑留された
兵士の方の話を聞いとるんじゃに。共産主義のソ連は、今の日本の言葉で
ゆう格差社会の極致じゃ。労働の成果で黒パンの量に格差をつけるんど。
働かざる者喰うべからず、労働成果で多い者は、成果の報酬として喰う
権利があり、成果が少ない者は配分を減らし結果的に餓死させる
非人間性社会じゃ。その為旧日本兵の犠牲者の数が増えていった。
栄養失調の日本人に無慈悲なのう。そがん制度を美化出来るほどの
お人好しにゃあんれなんだわい。
648 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 00:53:06 ID:EuryRReL
>>647 >「悪魔の証明は「いない」と主張する側が
使っちゃあ駄目ですね。」を説明したつもりじゃが、ネットウヨが勝手に、
つまらん逆説捏造した文章じゃないか。
渡来人による征服王朝の根拠を出せという設問に対して、
征服してないという根拠を出せと言った君の言い分が「悪魔の証明」。
何言ってるの?
ボケてるのか?
649 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 00:57:44 ID:uo08n7X3
創価学会と共産党の橋渡しをしたのは松本清張ですが
650 :
白馬青牛:2008/03/22(土) 01:06:28 ID:BHRJZYmP
>>635 続き。排外主義の、あんたらネットウヨの方が赤い思想の継続者じゃろう。
わしゃあ在日じゃないし、右翼から攻撃された経験もないど。ほいで、
在日の者が多い右翼(広島だけじゃのうて、全国的に)が、在日を攻撃
するんか?どうも全文可笑しげな妄想文になっとるど。ほいで、広島の
右翼の有名な人物云うたら、競艇の方でも有名な岩田幸雄氏がおられた。
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/ys716/cid/2461/ このブロブに、なかなか興味深い内容も書いてある。
それと、岩田幸雄氏はお金も持っておられたけえ、広島へ来た文化人や文学
者のパトロンでもあった。小林秀雄氏、久保万太郎氏、今東光氏等、
岩田氏から小遣いを貰うて帰ったそうじゃ。
パトロン云やあ、例の安芸神機隊のとき云うたよう、渋沢財閥の学者でも
あり、政治家でもあった渋沢敬三氏は、江上波夫氏や宮本常一氏の
パトロンでもあった。じゃが、渋沢敬三氏はリベラル派で、宮本常一氏が、
戦争がすんで幣原内閣で渋沢氏が大蔵大臣をやられた時、渋沢氏は
「宮本、素晴らしいじゃないか。今度出来る憲法は、軍備を持たない、
戦争を絶対にしないということを誓うのだ。」宮本氏が軍隊がなくて
国家が成立するんですかと疑問を云われると、「敗けた我々にだけ新しい
試みとして出来ることだ。これほど誇らしいことはないじゃないか。」
と、答えられたそうじゃ。
ネットウヨは、リベラルではあるが共産主義者では無い渋沢敬三氏も
赤い思想云うんじゃろうか?
651 :
白馬青牛:2008/03/22(土) 01:31:45 ID:BHRJZYmP
>>640 ファンサービス?アンチの方がえっとじゃけんのう。
>>642 話題を勘違いせんでも、書いとる途中からこがいな側面がある、じゃの、
こがいな話があるじゃの、出てくるけえ、限定しよっても意味あるまあ。
対話たあ、そういうもんじゃ。
意味のないブロブ云うんは、あんたの考察力に乏しいだけのことで、
わしも幼稚な人間の程度まで下げられんわい。
あんたらに論拠なんか今まであったんか?都合が悪りいと「証拠」じゃ
「証明」じゃ空虚な言語を弄んで誤魔化すんはネットウヨの毎度の
パターンじゃないか。おどれらの脳足りんをわしに擦り付けなや。
はあ、寝るど。反響がえっとじゃけえ、また次回のお楽しみよ。
652 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 09:40:48 ID:EuryRReL
>>641 >出雲、日本海側の高句麗・ 穢・新羅・伽耶の渡来勢力による、
>越地方、東山道、関東進出を肯定する。
君がずっと関東奴隷民と言ってたのはこの事だったのか?
でも第一段階として、弥生後期の出雲への高句麗人の移住を証明できないよね?
という事で君の説は全部崩れたわけだw
653 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 12:24:10 ID:1eywRa78
証拠も出せない、証明も出来ない理屈に意味は無い
少なくとも考古学をやろうと思うならな
メンヘルとかν速板の方が向いてると思うよ
654 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 22:28:29 ID:7DLOrDav
最弱は長州と昔からきまっとる
655 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 22:47:45 ID:uo08n7X3
素人に殺されてるしな
656 :
人間七七四年:2008/03/22(土) 22:51:08 ID:JQayFNFT
=゜ω゜) 伊藤博文の暗殺剣萌え〜
657 :
白馬青牛:2008/03/23(日) 01:42:24 ID:Ufdfyfc5
>>644 信長公記が真実じゃ云う「証明」がないじゃないか。
文献は、為政者の業績ホラを吹いたか解らんし、文献に書かれてあることを
事実と受け止めるんは余程のお人好しか、低脳か?文献の一字一句を覚える
神学じゃないんど。歴史学の話をしとるんで。「進化論」云う仮説は聖書に
書かれてないので「証明」出来ない。したがって「進化論」は、嘘じゃと
宣言したいんか?家系図も源平藤橘好きなように捏造出来るど。
ネットウヨの好きな言語で「物証を示せ!」云うことになるわいのう。
あんたあ信長公記や太田牛一氏の解釈を「信じて」おるわけで「証明」
しとらんじゃないか。
土器流通は近隣地域のローカルなもんで、急激に変化がある場合は、
外来者の影響と考えられる。人類学的要素からは高顔系で土着民と
違う要素が出て来るわい。短期間で容貌まで変える云うたら当時整形した
「証拠」でもあったんか?高句麗人は楽浪郡を統治して現地民の墓制まで
採用したけえ、高句麗人は満州にずっとおって朝鮮北部に侵攻しとらん。
「証明」出来んけえ統治しとらん云いたいんか?
出雲=穢集団は高句麗に結びつく日本海側の勢力と視るんが妥当云うたが、
黄海側の根拠や現地民の発展段階説の根拠があるんか?
出雲の弥生期に尖兵的渡来集団がおって徐々に北陸〜関東へ進出したと
考えるほうが、北陸の初夜禁止の習俗と民俗学要素からも妥当じゃろう。
出土品を信仰形態か生活用具か考慮せず同一扱いにするんが、考古学の
鉄則?如何に日本の考古学会の隠蔽・捏造体質が顕著でも、そこまで
貶すこたぁ、あるまあで。
658 :
白馬青牛:2008/03/23(日) 02:11:47 ID:Ufdfyfc5
>>648 「いない」と主張する側、つまり征服王朝がなかったとする側こそ、
「悪魔の証明」よ。わざとらしゅうボケよんはわれど。
>>649 松本清張氏は、共産党親派じゃが、
>>647でも石母田氏のような教条的
マルクス史観者じゃない云うとるで。
>>652 関東奴隷民の成立は、越後百姓に犯された戦国期を想定しとるが、
古代から直姓における(西日本の豪族の君姓との違い)隷属制は
あったろう。
>>653 あんたら自体「証拠」なんか出したこたぁなあし、「証明」もしとらん。
まあ、人文科学に「証明」を求めることは出来んがのう。
あんたあ、ハングル板かオカルトの「宗教板」で、自身のカルト教の
普及でもしとりゃあええんじゃないか。
今日はここまでじゃ。
信長公記は否定するが、元禄8年の陰徳太平記は賞賛する山陽usi
古い年代の記述に問題ありの信長公記に対して、
著者の香川さんから見たら全てが昔話の陰徳太平記。
660 :
人間七七四年:2008/03/23(日) 02:55:56 ID:3pYkWfIW
>>657 >信長公記が真実じゃ云う「証明」がないじゃないか。
信長公記のどこが真実でなく信長の実在を疑わしくさせてるのか、
具体的にどうぞ。
>土器流通は近隣地域のローカルなもんで、急激に変化がある場合は、
>外来者の影響と考えられる
急激に変化がある場合とは何の事を言ってるのか分からないが、
高句麗人が定住した根拠言えと何度も言ってる。
何が根拠なのだ?
>「いない」と主張する側、つまり征服王朝がなかったとする側こそ、
>「悪魔の証明」よ。わざとらしゅうボケよんはわれど。
あったと主張する側が根拠を言うのが先だ。
それを言えず、ないと主張する側が根拠を言えという、
君の論理が「悪魔の証明」
おまえいい加減、アホをさらして悲しくないか?
661 :
白馬青牛:2008/03/24(月) 00:04:58 ID:buMlkD4c
>>659 今は肯定論や否定論の話じゃのうて、人物の存在を証明出来るか?
云うことじゃ。わしゃあ過去の人物の証明なんかようせんよ。
>>639で引用した鈴木秀夫氏が云われるよう、明治時代の人物の存在は
書簡はおろか写真すら証明にならん。「我々には証明ということが
出来ないのに、どうしてその人物が存在したといっているのかといえば、
それは信じているに過ぎない。抵抗があれば、書簡なり写真なりの
与えられたデータ、それに100年前という時間からみた蓋然性、
論理矛盾のないこと、さらに歴史学者の裏書きによって、存在したという
判断に決断をくだしているということだろう。しかし、それは信ずると
いうことと、内容は同じである。とくに、最後の歴史学者の裏書きは、
まさに歴史学者を信じていることである。」と、云われる。
ほいで、あたかも物事の証明が可能じゃと、傲慢で無知な馬鹿たれが
多すぎるわい。
>>660氏なんかその典型じゃないか。
陰徳記は、香川さんは古老を尋ね、昔の戦さ話を聞いて編纂したもん
じゃけえ、文献睨めっこだけじゃのうてフィールドワークしとるよ。
山陽地方の人間は、自らの足を使うて調べる実際型じゃけんのう。
662 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 00:09:15 ID:mZkZigBy
>>661 白丁雌牛
【信長の実在】
・文献資料がある
・信長ゆかりの多くの物証
歴史学では文献資料と物証が揃ってれば実在を証明した事になる
【弥生期、出雲への高句麗人の定住】
文献資料もなく物証もない。
よって証明されない。
それでも「あった」というのはカルト。
>>661 歴史上の人物なんて誰も見たこと無いし、本当は居なかったんじゃないの?
そんな風に言う人って近所のおっちゃんとかに居るねw
陰徳記でも寛文5年だし。
近世人と宮本(常)を重ね合わせる山陽usi
664 :
白馬青牛:2008/03/24(月) 00:51:33 ID:buMlkD4c
>>660-662 また、同じ言の繰り返しか。
>>661に鈴木秀夫氏の引用で云うたよう、
信じるんと証明は違うど。こんなあ、まだ信じとるんを、「証明」云う
絵空事の言葉を使うて、空虚な言を吐く。幼稚な云うか低脳よのう。
歴史学では、文献は真実を書いたと楽観的解釈も成り立たんし、
物証も信長の物かどうか解らん。
松田壽男氏が記録の扱い方でこう語っておられる。
「出土品や記録というものは、日記と同じことなんだよ。特殊事象だけ
が一部分しか残っていないということなんです。つまり、その書かれて
いない、手紙でいえば失われているーその事実というものはどうして
さぐり出し認識するか。そこに歴史の考える学問としての意味があるので、
これを忘れたら歴史は百科事典になってしまって教養とはつながらない。」
あんたにゃあレヴェルが高すぎたか。まあ文献と睨めっこばっかし
しとったら、文献を一語一句解釈する神学になり、歴史学からずれるわい。
カルト宗教ネットウヨだけに通用する論理、宗教論的解釈を歴史学に
持ち込むたあ、タコの糞が頭へ張り付いとるよのう。
665 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 01:12:35 ID:KUPjjepb
香川さんがいた証明と古老がいた証明、その古老が戦に詳しい証明
がないから偽書
666 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 07:26:38 ID:mZkZigBy
>>664 しかし女々しい男だな。
鈴木秀夫の話を引用したって何なんだ?
歴史が鈴木秀夫ってやらに決められるのか?
高句麗=出雲を証明できないから、
論点ごまかすために信長の実在を証明してみろと逃げただけだろが。
どこが武士の末裔なんだ、最低の男だな(笑)
667 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 21:32:53 ID:mZkZigBy
夜中に書き込んだら答えが明日になるんで今聞くよ。
>>639 わしゃあ、織田信長や豊臣秀吉が実在の人物じゃと「証明」出来んでも、
実在の人物じゃ思うとるが
思うとる「根拠」は?
ごちゃごちゃ書かずに単純明快に答えてくれ。
668 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 22:53:02 ID:pXwWUAu7
=゜ω゜) 「衝撃の真実!?信長や秀吉はじつは実在しなかったっ!!」
す・・・すげぇ面白いじゃん。そういう超常現象討論はオイラ大好きだねぇ〜。
669 :
白馬青牛:2008/03/24(月) 23:55:54 ID:buMlkD4c
>>663 歴史上の人物の「証明」は出来んよ。ようは存在したと信じるか
信じんかの問題じゃし。
近世人と宮本常一氏云う縦の時代で見るか、中国地方の地域人として
横に見るかじゃ。
>>665-666 歴史に「証明」は出来んよ。「証明」出来んかったら偽書なら、
陰徳記だけじゃのうて、歴史書物は全部偽書になるど。
女々しゅう「証明」云う、空虚な言を繰り返しょうるんはどっちなら。
地理学者の鈴木秀夫氏だけじゃのうて、
>>664じゃあ東洋史学者の
松田壽男氏の考える学問としての歴史学も引用して云うたよ。
また、鈴木秀夫氏の要約すると、「日本の学界の「証明」ということに
対する信頼ないし幻想は、目にみえている範囲のことをきっちり組み
立てれば、いずれ知識が積み上げられてゆくと考え、専門的なミクロの
分析にたける。
天地創造の世界観を持つ欧米の学者は、世界は認識しきれ
ないという前提から出発するから、その「証明」は本質的に必要では
なく、他の伝達の手段として「証明」を利用する。今みえている範囲の
事物の知識より、見えていない諸地方の知識を多く持つことの方に関心
が集まる。マクロな総合に秀でるのは当然と云えよう。」
また鈴木氏は日本の中でも、「東の学者は、分析、専門に徹する人が多い
多く、西の学者は大きな仮説を立てて学問を進める人が多いように
思われる。それは瀬戸内海には、朝鮮半島を経て渡来した大陸的要素が
濃厚であることに関わっているのではないだろうか。」と云われる。
まあ、日本の中でも日本史を専攻する人は視野が狭いけんのう。
地域的には、東日本の連中が視野が狭あわいや。
670 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 00:03:45 ID:TL1YJ9Zk
>ようは存在したと信じるか 信じんかの問題じゃし。
_| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|__| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|_| ̄|
|_ _|| | ̄ | | | | ̄ | |  ̄|
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l_j_j_j と) | | | / l_j_j_j と) | | | / l_j_j_j と) | | | /
671 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 00:18:04 ID:TL1YJ9Zk
>>669 おい、そこの白丁。
昭和天皇も歴史上の人物だよね。
「証明」は出来んのか?
672 :
白馬青牛:2008/03/25(火) 00:39:16 ID:cqlf7hO8
>>666-667 高句麗云うたあ、穢・新羅も含めた日本海側と出雲勢力の関連が
強い云うことよ。四隅突出墳やその被葬者が高顔であり、出雲神話の
国引きや、北陸の神社に残された、出雲と高麗(高句麗)伝承等、
今まで挙げてきとろうに。これらを総合的に視て、出雲が満州や朝鮮東部
との関係が強いと考えるが妥当であり、その可能性の方が強い。
あんたのように逆に無い云う方の可能性が低い云うことよ。
信長や秀吉が実在の人物じゃ思うとるんも、それと同じで可能性が
強い云うことじゃ。じゃが実在の人物じゃ云う「証明」は無理じゃわい。
>どこが(関東)武士の末裔なんだ、云うとるが、あんたあ戦国期上杉勢の
越後百姓に犯され、売り飛ばされた奴隷の末裔じゃろう。
論破されたら、「証明」云う空虚な言葉を使い現実から逃げる。
奴隷根性丸出しじゃないか。
>>668 信長や秀吉が実在したかどうか知らんわい。時代も違うけえ、自分の眼で
確かめたわけじゃあるまいし。実在したと「信じて」前提にする方が、
戦国期〜近世の全体的な歴史を考察するのに役立つけんのう。
673 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 00:44:27 ID:TL1YJ9Zk
>信長や秀吉が実在したかどうか知らんわい。時代も違うけえ、
>自分の眼で確かめたわけじゃあるまいし。
>実在したと「信じて」前提にする方が、
>戦国期〜近世の全体的な歴史を考察するのに役立つけんのう。
自分でカルトと認めたのですね、ありがとう。
674 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 00:55:35 ID:TL1YJ9Zk
>信長や秀吉が実在したかどうか知らんわい
君は「織田信長や豊臣秀吉が実在の人物じゃと「証明」出来んでも、
実在の人物じゃ思うとるが」 と言ってるよね。
その根拠を聞いてるのだが?
何で実在の人物じゃ思うとると言ってたのに、
実在したかどうか知らんわいと急に変わったのだ?
675 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 01:18:37 ID:1of5INfq
=゜ω゜) す・・・すげぇ!カルトはカルトでもデカルト命題的な複雑さになってきた。
我思う故に我有りじゃのう牛!
676 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 01:30:39 ID:YpQEVKra
要約すると
俺がルールだ!!!
677 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 14:08:27 ID:awayTU/T
牛の存在は誰が証明してくれるの?
678 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 19:30:43 ID:1of5INfq
=゜ω゜) 形而上的な牛の存在証明っすか?
「カラスは黒い」事を証明するには「黒くないものはカラスでない」事を証明すれば良いので
「広島最強を主張するする人物が牛である」という命題を証明するには
「広島が弱ければ牛では無い」事を証明すれば良いわけです。
よって、「広島が最強でなければ牛は存在しなかった」という事で良いと思います。
・・・あれ?違うかな?まあいいや。
679 :
人間七七四年:2008/03/25(火) 21:28:02 ID:awayTU/T
と、するとカープが優勝するまで牛は実在しない方向で
過去に作新が優勝したとか、江川って耳デッカが居たなんて話は信じねーぞ
681 :
白馬青牛:2008/03/26(水) 00:39:24 ID:szyaClJj
>>671 >おい、そこの白丁。かいの。まあ、瀬戸内の海人にゃあ、後に白丁と
呼ばれた、朝鮮半島の高麗期の賤民の禾尺、楊水尺等倭寇の一員でもあった
けえ、血も混じっとるかも知れん。瀬戸内だけじゃのうて、九州の海人や、
傀儡師もその系統かも知れんし、近世成り上がり大名の起源なんか、
白丁と大差なかろう。
昭和天皇とお話した経験がないけえ、わしに「証明」は無理じゃ。
昭和天皇の映像は影武者かも知れんし、逆に影武者でないかも知れん。
多くの人たちと同じで昭和天皇の存在を「信じて」おるわけじゃ。
>>673-674 カルトは、あんたら新興宗教集団の末端におるネットウヨじゃろうに。
信長や秀吉が証明出来んのに信じとるんは、多くの文献(我が中国地方の
陰徳記にも記述がある)から実在した考える方が歴史の全体像把握に
好都合じゃ。もし実在の人物でなかったら、日本に統一者はおったかや、
朝鮮やポルトガル人の記述も含め統合性に乏しゅうなるけえ、実在の
人物かは「証明」出来んが、実在した可能性が強いと考える云うことよ。
>>675 デカルトの機械論じゃのうて、証明論の話じゃ。
>>677 掲示板に、白馬青牛コテで書く者がおる云うだけでええじゃないか。
わしゃあ、わしの存在証明すら出来まい。
682 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 01:07:03 ID:YsbkMN3m
ならこれから君はどんな反論も出来ないわけだ。
なぜなら君が「信じてる事」を相手は「信じてない」でいいわけだから。
それでも君が言い張れば信心の押し付けになるからw
>瀬戸内の海人にゃあ、後に白丁と呼ばれた、
>朝鮮半島の高麗期の賤民の禾尺、楊水尺等倭寇の一員でもあった
けえ、
根拠は?
あ、失礼。
「信じてる」のだったねw
陰徳記を挙げるなら、フロイスの日本史で酷評される漏関白
684 :
白馬青牛:2008/03/26(水) 01:25:04 ID:szyaClJj
>>678 >「カラスは黒い」事を証明するには、「黒くないものはカラスでない」
と証明すれば良いのでと、短絡化言葉遊びしとるが、突然変異で
黒くないカラスが出て来たら、カラスじゃないんか?生物学上も、
両親とも黒いカラスで子の色が違うた場合はどうなるんか?
証明論なんか、そがん一標識で決めれるもんか?
どうも、関東、東日本の人たちは、事物が認識出来ると云う幻想的で傲慢な
思考回路が強いんじゃないか。まあ、範囲を広げて世界の各民族によって
思考法も違うじゃろう。科学史の伊東俊太郎氏は、「日本人は実証的だが、
法則とか理論、仮説をつくり上げるのに弱い。ユダヤ人は、フロイトでも、
アインシュタインでも実証よりも法則を先に考える。相対性理論は実験で
作ったのでなく、光速度一定という法のもとで理論ずけ、実証はあとから
です。ヨーロッパ人はユダヤ人と日本人のちょうど中間でしょう。」
と云われるが、日本の中でも総合的に仮説を立てる西日本と分析専門に
徹し、実証に偏る東日本の差異は鈴木秀夫氏の云われる通り。
ノーベル賞受賞者が西日本に多いことも、その一例じゃろう。
まあ、ノーベル賞を取った云うんも、頭の良し悪しじゃないが。
要は、日本の東西で思考法の違いがあり、世界の各民族でも学問思考法が
異なる云うことじゃ。
>>679-680 カープが優勝したら、わしが実在することになるんなら、早う優勝して
くれんかい。江川氏耳デカネタは、達川氏が云うとったのう。
作新と広商云うたら、昭和48年よのう。
685 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 01:29:05 ID:YsbkMN3m
「カラスは黒い」事を証明するには、「黒くないものはカラスでない」
と証明すれば良いのでと、短絡化言葉遊びしとるが、突然変異で
黒くないカラスが出て来たら、カラスじゃないんか?生物学上も、
両親とも黒いカラスで子の色が違うた場合はどうなるんか?
証明論なんか、そがん一標識で決めれるもんか?
どうも、関東、東日本の人たちは、事物が認識出来ると云う幻想的で傲慢な
思考回路が強いんじゃないか。まあ、範囲を広げて世界の各民族によって
思考法も違うじゃろう。科学史の伊東俊太郎氏は、「日本人は実証的だが、
法則とか理論、仮説をつくり上げるのに弱い。ユダヤ人は、フロイトでも、
アインシュタインでも実証よりも法則を先に考える。相対性理論は実験で
作ったのでなく、光速度一定という法のもとで理論ずけ、実証はあとから
です。ヨーロッパ人はユダヤ人と日本人のちょうど中間でしょう。」
と云われるが、日本の中でも総合的に仮説を立てる西日本と分析専門に
徹し、実証に偏る東日本の差異は鈴木秀夫氏の云われる通り。
ノーベル賞受賞者が西日本に多いことも、その一例じゃろう。
まあ、ノーベル賞を取った云うんも、頭の良し悪しじゃないが。
要は、日本の東西で思考法の違いがあり、世界の各民族でも学問思考法が
異なる云うことじゃ。
と信じてる老人がいます(笑)
>>684 ノーベル賞馬鹿は地理人類学板にいるな
奴が寄って来るから辞めてつかい
687 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 03:12:44 ID:G2v+T/pm
>>684 =゜ω゜) 「カラスは黒い」事を証明する論法ってーのは、カール・ヘンペルの「カラスのパラドックス」だよ。
言葉遊びではなく科学哲学の命題だべ。
>黒くないカラスが出て来たら、カラスじゃないんか?
=゜ω゜) 東洋哲学的には、たとえ白鷺の巣でも、巣立ってしまえば『カラ巣』じゃと
昔のえらい坊さんが言っておったそうな。
>わしゃあ、わしの存在証明すら出来まい。
=゜ω゜) 白馬は馬に非ず(by公孫龍)じゃと白馬青牛は牛に非ずじゃのう牛。
688 :
白馬青牛:2008/03/26(水) 22:52:12 ID:szyaClJj
>>682 反論と空虚な「証明」論は違うわいのう。信じる、信じんの二極分化する
処がカルト宗教信者のネットウヨらしい。
瀬戸内の海人と白丁の関係か。伊予の『豫章記』に、海士宿海らは、
鉄人を大将として三韓から攻めて来た士卒の残党の足の筋を切って捨てた
ものの子孫たちじゃ云う伝説がある。
足の筋を切って捨てた云うモチーフは、内陸アジアの牧畜民に顕著じゃ。
トルコ系の突厥伝説も足の筋を切って草原に捨てた子供が牝狼と交わり
懐妊した子供が突厥王家の阿史那氏となった云う、類似性モチーフが
ある。鉄人が鉄勒(トルコ人)かまで解らんが、以前このスレでも
朝鮮半島の倭寇が、済州島民や禾尺・才人等、賤視された人々を含む
集団であったことは、韓国で評判の悪りい田中健夫氏・高橋気公明氏の
見解を引用しとるよ。
ほいで、芸能・売春や狩猟・漁撈、獣畜屠殺を生業とした禾尺・才人・
楊水尺の起源は、契丹や靺鞨等のモンゴル・ツングース系とされる
戦前の西村真次氏の見解もある。朝鮮に流れて来たが、我が国の傀儡師の
起源でもあるんじゃないか。
689 :
白馬青牛:2008/03/26(水) 23:25:46 ID:szyaClJj
>>682 続き。朝鮮で賤視された才人白丁が傀儡師・日本の芸能民の租とする
滝川政次郎氏や杉山二郎氏の見解もある。
http://www.h2.dion.ne.jp/~signor/lib/lib04.htm 滝川政次郎氏の説は、『遊女の歴史』の項の解説にあるよう、教条的学者
に評判が悪く、左翼系学生に吊るし上げを食らうような内容ではあるが、
現代のネットの世界じゃあ「遊女の朝鮮起源説」を唱えたら、ネットウヨの
集団吊るし上げになるけんのう。何でまあネットウヨは左翼のまねが好き
なんじゃろうか?まあ左翼流の自民族発展段階説の継続者じゃけんのう。
戦後、シベリア抑留された方の、ソ連に恭順した左翼分子による吊るし上げ
体験も、同じじゃが、集団で個人を吊るし上げる陰険な手法は、左翼の
やることじゃと思うとったが、現代じゃあ左翼よりも、教条的な
ネットウヨに受け継がれたんじゃろうか?理論武装した左翼より低脳な
ネットウヨは・・・洒落にならんよ。
690 :
人間七七四年:2008/03/26(水) 23:47:43 ID:YsbkMN3m
>>688 >信じる、信じんの二極分化する処がカルト宗教信者のネットウヨらしい。
669 :白馬青牛 :2008/03/24(月) 23:55:54 ID:buMlkD4c
>>663 歴史上の人物の「証明」は出来んよ。ようは存在したと信じるか
信じんかの問題じゃし。
「信じるか
信じんかの問題じゃし。」
自分のこと言ってるんじゃないかw
691 :
白馬青牛:2008/03/27(木) 00:54:43 ID:c0zE36kS
>>686 地理人類学板の人らが、寄って来ても反論すりゃあええじゃないか。
ノーベル賞受賞者が、頭がええ訳でもないし。そう云やあファイアーベント
氏が書いておられる『米国の科学雑誌に、占星術否定宣言文に署名した
1割がノーベル賞受賞者でテレビ会社が、著名者にインタビューし、
なぜ署名したか聞くと、「占星術は非科学的だ。」と云う答えが返って
来た。では占星術についてどのくらい勉強なさいましたかと尋ねると、
怒りだして、「あんな占星術の本なんか一冊も読んでない。」と
答えたそうじゃ。ファイヤーベント氏が反占星術文献を、過去に遡って
調べ、14世紀のカトリック教会の教皇が、同じような宣言を出して
いたが、教皇の方は、少なくとも占星術を徹底研究し、肯定出来る部分も
あるが、全体的に否定的見解を書いているが、ノーベル賞受賞者は、
自らの権威に寄り、頭ごなしに否定した』どっちが詳しゅう考察しとるか
自ずから解ろう云うもんじゃが、欧米でもノーベル賞受賞者はドラマの
水戸黄門の印籠みたいに権威になる云うことじゃ。ノーベル賞受賞者の
お馬鹿振りや、世間にノーベル賞権威に隷属する奴隷連中が多いとも
云える。俗物は権威の称号を貰うと思考力低下の周りに眼が向かん、
裸の王様になるけんのう。
権力を手に入れても同様で、現在の政財官、戦前の上層将校、わしが
存在を信じる戦国期の信長や秀吉にしても、上に登り、権威と権力を
身に付けると馬鹿になる愚かしさよ。
東日本人がノーベル賞受賞者が西日本に多いことに反論せんのは、
東国流の権威への崇拝、専門家が偉いと思う隷属奴隷根性があるゆえじゃ。
専門家より仮説を広げる小説家の方が飛躍しすぎる電波があっても、
幅広い見解視野の考察云う側面もあるんに、東日本人は歴史専門家の方が
偉い思う権威への隷属奴隷根性があるけえ、じゃないか。
692 :
白馬青牛:2008/03/27(木) 01:32:02 ID:c0zE36kS
>>687 わしゃあ馬鹿じゃけえ、カール・ヘンベルの「カラスのパラドックス」は、
知らなんだが、科学哲学云うより、ドイツ人らしい論理のこね回しよのう。
ドイツ人はランケの史学実証主義やマルクスの科学的唯物史観を産んだ
土地柄じゃけえ、合理的・論理的でない直感を軽視しとる嫌いがあるのう。
693 :
白馬青牛:2008/03/27(木) 01:49:52 ID:c0zE36kS
>>690 ネットウヨは全文を読んで他者の云わんことを考える能力もないらしい。
文章の一語一句のだけ調べて、矛盾点を探しよるが、「証明論」を
前提にすりゃあ、主観的に信じる、信じんの問題じゃが、可能性が強いか
弱いかを「証明論」にすり替えて解釈するあんたの、杓子定規な低脳振り
も笑えるわい。前後の文や質問に対する答えの真意を解釈する読解力も
ないんじゃのう。わしの一語一句から矛盾点を広い出そうとして、
全文を読んで内容を理解しようと云う姿勢すらない。
ほんま、ネットウヨは左翼たあ程度が低い連中よのう。
694 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 02:03:04 ID:cdEtOmfH
他人の末枝端葉をつつくしか芸が無い牛がそれを言うか
まさに己の頭の蝿を追え状態
レッテル貼りと論旨のすり替えは牛の御家芸だろうに
695 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 05:56:23 ID:8DH7Zla0
696 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 17:42:34 ID:8DH7Zla0
>>693 >ネットウヨは全文を読んで他者の云わんことを考える能力もないらしい。
>全文を読んで内容を理解しようと云う姿勢すらない。
と2回も繰り返してるが、その全文とは
-------------------------------------------------------
669 :白馬青牛 :2008/03/24(月) 23:55:54 ID:buMlkD4c
>>663 歴史上の人物の「証明」は出来んよ。ようは存在したと信じるか
信じんかの問題じゃし。
近世人と宮本常一氏云う縦の時代で見るか、中国地方の地域人として
横に見るかじゃ。
-------------------------------------------------------------
とこれだけだよね。
君が言う「文章の一語一句のだけ調べて」というわけではないよな。
697 :
白馬青牛:2008/03/28(金) 01:44:01 ID:ZTmXLad4
>>696 全文なら、あんたの云うた意見に対しての言じゃけえ、あんたが
云うた文も全部載せにゃあ意味をなさんで。対話におけるわしの言を
載せるんならのう。木を視て森を視ん云うことになるわい。
あんたあ、森云う全体的にわしが云わんとすることは無視し、
木の写真だけ、写したものを切り取って載せよるようなもんじゃないか。
人物の「証明論」に関して「信じる、信じん」と、学問の考察においって
>>682の「信じる・信じん」の短絡化した二極分化は馬鹿げな云うて、
>>688で云うたんで。そがん処が、全文から全体的に云わんとする意図を
解釈する気がのうて、あんたが、一語一句から揚げ足取ろう云う意思が
明らかじゃろうが。ワザとらしゅう馬鹿げなことを云うのう。
698 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 01:46:46 ID:LPquShQi
>わしゃあ馬鹿じゃけえ「カラスのパラドックス」は知らなんだが
=゜ω゜) 安心せい。オイラも知らなかったからな。はっはっは。
>東日本人がノーベル賞受賞者が西日本に多いことに反論せん
=゜ω゜) ああ、西国の知性には東国はとても及ばんなぁ。
関東から出た世界的人材はこんなんばっかりだよ。自慢にもならんのう。
[日本のボクシング世界王者一覧]
東京出身:白井義男。ファイティング原田。海老原博幸。大場政夫。小林光二。
群馬県出身:小林弘。三原正。 埼玉県出身:西城正三。
茨城県出身:柴田国明。中島成雄。セレス小林。 千葉県出身:川嶋勝重
栃木県出身:ガッツ石松 福島県出身:大熊正二
神奈川県出身:花形進。大橋秀行。星野敬太郎。新井田豊。
東北も入れるともっと居る。
699 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 05:31:55 ID:plzuw4ww
文学と平和を除くと
東京3人┃京大5人
愛知2人┃東大2人
大阪2人┃東工大1人
富山1人┃東北大1人
兵庫1人┃
やっぱ頭脳の質では中国地方のしょぼさが際立ってるな
中国地方唯一のノーベル受賞者が平和賞の佐藤栄作
700 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 07:13:21 ID:TAXzbksR
>>697 >木を視て森を視ん云うことになるわい。
可能性の強弱はあるが「歴史上の人物の「証明」は出来んよ。ようは存在したと信じるか 信じんかの問題じゃし。 」
がおまえの「森」だろ?
学者の例を出し、「信じて」を>661で最初に出したのもおまえだ。
二極分化する処がカルト宗教信者のネットウヨらしいと最初に言ったのもおまえだ。
自分の吐いた言葉が自分に帰ってるのだ。
701 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 09:34:36 ID:rZ39lwwS
薩摩の郷中教育で捨奸が可能や件
最強梅!
702 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 15:36:24 ID:oItbCYtn
補給線が伸びきり、昼メシが届かないと騒ぎ出した仙台藩兵。
そこへ官軍の空砲が!
空砲一発におののき、震え上がる仙台藩兵。
あっけなく崩壊する仙台藩の軍勢。重装備なのに走って五里も逃げに逃げた。
この教訓が生かされてない。
703 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 17:49:10 ID:plzuw4ww
何に対してだよ>教訓
704 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 23:20:15 ID:fKcM11pv
>>699 山口出身者がフィールズ賞をとっているのにしょぼいか。
それにノーベル賞はとってなくとも、高く評価されてるのはいくらでもいるぞ。
ノーベル賞はあまりにもサンプル数少ないんで、引用文件数等を調べて出身地別にでも整理してから議論してくれ。
705 :
白馬青牛:2008/03/28(金) 23:32:36 ID:ZTmXLad4
>>698 ノーベル賞云々は西国と東国は思考方法が違うだけで、知性と関係ない
思うが。それを、関東出身ボクシング世界王者一覧を挙げるんは面白い。
>>699 湯川氏や朝氏、白川氏が東京生まれ云うだけで、畿内や岐阜育ちを考慮せず
関東人認定しとるのう。やっぱし権威好きな関東の隷属奴隷民は、
ノーベル賞学者を自己地域に関連する人物にしたいんじゃろう。
>>691でも云うたよう、ノーベル賞を受賞しても馬鹿は馬鹿じゃに、
「頭脳」云う処、余程権威が好きなんじゃのう。
まさか、世の中に優秀な個人がおる思うとるんじゃろうか?
中国地方は、研究室に篭るタイプの人間より、宮本常一氏のように、
自らの足で体験、考察された方がおられることは誇りじゃし、
官位や権威じゃの俗人や世間の評判なんかどうでもええよ。
我が広島県は、軍都ながら地元の広島陸軍幼年学校に合格するもんも
少なかったよ。初期は長州閥から山口県人が多数じゃし、昭和期は
岡山県人が多かった。広島は一癖も二癖もある前線指揮官と精強な兵が
おるけえ、それだけでええ。全然しょぼうないわいのう。
>>700 わしの云う森は、対話における流れを全体的に視ることじゃ。
言葉を吐いた部分だけを切り取り貼り付けても、揚げ足取り以外の意味は
ないど、云うたんじゃが。それを、あんた流の自己解釈に還元しよる。
あんたの脳内観念論的解釈は、新興宗教ネットウヨの毎度の回答パターン
じゃないか。自分の吐いた言葉が自分に帰るんは、空虚な「証明」云う
言語を使うたあんたのことよ。
706 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 23:57:26 ID:TAXzbksR
また論点ずらした。
>わしの云う森は、対話における流れを全体的に視ることじゃ
それは森とは何かを言ってるのではなく、
森の色を説明してるようなもの。
>あんた流の自己解釈に還元しよる
と言うなら、自分で「森」を4行くらいにまとめて言え。
信じる、信じないを言い出したのもお前なら、
それをネットウヨと批判したのもお前だ。
それは森は何かと言ってるではなく、森の色を説明してるようなもの。
707 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 23:58:35 ID:TAXzbksR
706の一番下は改行ミス。
708 :
白馬青牛:2008/03/29(土) 00:09:09 ID:CxFzLI50
>>702 仙台藩兵は、維新政府軍に敗れ、政府軍側の先鋒になった相馬藩兵と
戦闘して勝っとるけえ、空砲にビビルほどの弱兵じゃなかろう。
>>704 ノーベル賞など日本の地域性の思考法の問題で、頭の良し悪しやの問題じゃ
あるまいに、何で評価に拘るんか?山口県の幕末維新の人材など、出世欲の
強い採るに足らん俗物じゃが、
>>705で云うたよう宮本常一氏のような、
業績を残した方もおられる。それを関東人みたいに、権威に隷属奴隷根性を
持ってどうすんない。どがいな賞を貰うても優秀なわけでもあるまい。
ノーベル賞受賞者が、文字の読み書きの出来ん人より優れとる根拠も
ないわけじゃし。逆に戦前の国軍上層部など、知能指数の高い人間は、
現実を知らん馬鹿の集団にも成りうるたあ云えるが。
世の中に優秀な個人じゃ民族、地域民なんぞ、おらんよ。ただ思考法の
違いや得意とする長や苦手とする短所があるだけじゃ。
709 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 04:55:16 ID:M9HtNFHd
白川は9年間岐阜にいただけの東京人だろ
違うなら中高って米に留学してた帰国子女はアメリカ人か?
三つ子の魂百までも>朝永、白川
ノーベルに限って言えば東がどうの西がどうのじゃなくて京大が優秀なだけだ
唐突にノーベルなんか持ち出す辺りが広島人の極端な権威主義を端的かつ明確に表してるな
表現もいい加減だし
710 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 06:11:35 ID:Zvg+pmv8
そもそも権威持ち出し始めたのは当のusiでは無かったか
つーか東と西でどうこう言ってるが
住人の特性は地方毎、地形毎に更に細分化される上に
usiの言っているような特性は単純に東西を持って分けるには不適なものばかりだし
わざとやってるんだろうか
711 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 06:43:04 ID:kYtgWhhb
>>702 一体、何を言っているんだ?
朝鮮出兵時の伊達軍の兵站の逸話にでもケチをつけたいのか?
そもそも、戊辰戦争時の仙台藩兵がまるで士気が低かったのは、
戦う動機が曖昧で上層部に統率力が無かったからで、資質とはまた別問題だ。
一部に、細谷十太夫率いる衝撃隊のような精鋭もいたけどな。
あと、旧軍での仙台第二師団も精鋭だ。
712 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 18:56:25 ID:M9HtNFHd
広島人=二枚舌の権威主義
が証明されますた
こいつ小学校出てんのかな?
>>691〜705
牛がノーベル厨になってどうすんだよw
この板と日本史板のスレもヤツだろうな。探してみんさい。
>>698=゜ω゜)
世界的に著名なF原田。柴田も評価が高いらしい。
海老原は天才的に強かったというな。
714 :
白馬青牛:2008/03/29(土) 22:53:32 ID:CxFzLI50
>>706 全体的に視るんを森じゃ云うとるんに、何で森の「色」になるんや。
あんたあわしの言を自己解釈して観念論的にわしの言をこね回しよる
だけじゃ。
>>709 白川氏は10代の多感な時期を岐阜で過ごされた云うことよ。
米国で多感な時期を過ごした帰国子女もアメリカ人化しょうる。
京大が優秀とかじゃのうて、学問をする風土の問題じゃ。
東京人の加藤秀俊氏が、「東日本は、親分子分型、タテ構造になっていく。
京都では、私の先生もいましたが、関係は常に横関係の感じでした。
仲間という感じなのです。
わたしが教えているが学生とは年齢差がありますけど、若い仲間だと
思っている。しかしなかなか東日本の人はそう思ってくれないのです。
つまり、タテ関係でしか先生と学生という関係を考えず、横関係に
おきにくい。これは東日本の人間の持っている有利な点でもあり、
不利な点でもあるといえましょう。」と、云われる。
715 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 23:21:36 ID:VAo4IN5b
>>714 >あんたあわしの言を自己解釈して観念論的にわしの言をこね回しよる
>だけじゃ。
なら男らしく「森」を言え。
「(可能性の強弱はあるが)歴史上の人物の「証明」は出来んよ。
ようは存在したと信じるか 信じんかの問題じゃし。 」
でダメなのか?
「わしの云う森は、対話における流れを全体的に視ることじゃ。」
などと>705でそれらしくこね回してごまかしてるのはおまえだ。
716 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 23:50:23 ID:LQbMxPjG
>713
=゜ω゜) まぁ、帝拳とか協栄とかのプロモーションの強さも有るんだろうけど。
オイラ的には偉大なチャンプとは白井義男かな。
彼の偉大さはボクシング経験無しのユダヤ人トレーナー、カーン博士の偉大さでもある。
ユダヤ人は実証よりも法則を先に考えるらしいからのう牛。
もっとも、好きな選手と聞かれればダンゴ屋の輪島でOK牧場だが。
>711
=゜ω゜) カラス組ですな。正規軍の仙台額兵隊も函館戦争では大活躍ですな。
717 :
白馬青牛:2008/03/29(土) 23:50:31 ID:CxFzLI50
>>709 続いて、唐突じゃのうて、地理人類学板やお国自慢板等、ノーベル賞受賞者
を持ち出し、畿内人が、東日本人を攻撃する材料に使うとるけえ、
どがいなもんか思うて調べたんよ。それをわしは優劣の差じゃのうて、
風土に根ざした思考法の違いじゃ云うとるんで。それを東国人が権威主義に
従がうて、ノーベル賞の権威を認めて東京人誘致をし、反発しよる
だけじゃ。それと考古学も含め日本のアカデミズムの閉鎖体質の問題よ。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/This-Time-j.html チャールズ・T・キール氏の文で、[アカデミズムの閉鎖的体質]
「日本のアカデミズムは、閉鎖的体質で知られている。学生は教師を忌避
できない。下位にランクされる教師と学生は、上位にランクされる教師や
指導者の意見に従わなければならない。さもなければ、グループから排斥
されてしまう。(中略)自然科学部門のノーベル賞受賞者が日本に少ない
理由、殆どの受賞者が国外で研究活動を行ってきた理由、受賞によって
世界的に評価されるまで日本国内では無名であった理由、全てこうした
閉鎖的なアカデミズムの体質で説明できる。(中略)院に進む者も、
考古学の分野でしか教育を受けない。考古学と深い関連を持つ他の分野ー
地質学、年代測定、花粉研究、生物学、文化人類学、その他ーの学際的
教育を受けることもない。こうした狭量で、近親相姦的教育(中略)
[日本社会の体質的問題」「日本の高い地位に属する政治家ー官僚ー実業家達
の鉄のトライアングルから生じるスキャンダルは、やはり閉鎖的なシステム
から生じている。強いられる集団への従順、階層的な社会構造、秘密主義、
こうした日本社会の傾向は、まさに今回の考古学スキャンダルの究極の
原因の一面といえる。」
718 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 23:51:45 ID:7y9BirXG
>>714 加藤秀俊氏がそう言われたのね。でもね牛ちゃん、だから何って思うよ
それが何の証明になるの?
719 :
白馬青牛:2008/03/30(日) 00:39:05 ID:+m5ulj33
>>709 また続き。つまり日本の特に上層組織は、旧陸士出が世間を娑婆と
表現したよう、一般社会と自己組織内を分けて考える癖がある。
上層部でのうても、一般でも業界用語とやらを多用するけんのう。
特に東日本にその体質が強く、現在東の文化影響を受けとる西日本でも
困った現象ようのう。
>>710 わしゃあ、
>>714や
>>717で説明したよう、権威を持ち出しとらん。
権威に拘るんはあんたら東日本人じゃろう。広島人は権威を嫌うよ。
ほいで、日本の東西分類に不適云うんを具体的に云いんさい。
>>711 戊辰戦争に仙台藩は士気が低うなかったろう。米沢藩、相馬藩と共に、
筑前、伊予藩を撃破しとる。広島藩の神機隊や長州藩最強の岩国藩兵、
鳥取藩兵にやられて、後退しただけじゃ。
旧軍の仙台師団は、強弱は兎も角、軍上層部からは、広島、久留米、熊本、
金沢、弘前、旭川の各師団と共に精強とみなされとったよ。
師団の強弱なら風評は低いが、実力の強い姫路や歴戦の名古屋の各師団も
はずせんのう。
>>712 ネットウヨの証明が個人的主観によるもんじゃ云う説明か?
>>713 わしを、他板のノーベル厨と一緒にすなや。地域的思考法の違いで、優劣は
ない云うことよ。東国人で個人的に強い云うたら、佐藤栄作氏の用心棒でも
あった万年東一氏や益戸克己氏、安藤昇氏、加納貢氏、花形敬氏等、
愚連隊の人達を思い浮かべるのう。解らんかったらウイキで調べたら
ごく一部じゃが出とるよ。
720 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 02:34:08 ID:6M+bmLI9
「○○さんがこう言ってました!」
ってばっかりで人を黙らせようとする
牛が権威主義者じゃ無いってwwwwwww
一番権威に弱いのお前だろ
他人の文章の、しかも一部分からだけで
自説を展開するのは流石に学術としてどうかと思うぜ
今時高校生の読書感想文でももうちょっと頭使うぞ
あ、後上で東西で分けるのは不適切って出てたが
牛の言ってる東日本西日本は単なる関東地方と近畿近辺の対比じゃね?
まぁそれでもツッコミ所満載なのが牛クオリティだが
721 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 06:10:52 ID:svWpGrs+
流石に二枚舌は否定しないのか
自分は恣意的な引用するくせに(ry だもんな
722 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 06:16:01 ID:qf6AkRO+
>>708 > 政府軍側の先鋒になった相馬藩兵と戦闘して勝っとるけえ、空砲にビビルほどの弱兵じゃなかろう。
仙台人の捏造にひっかかった間抜けが約一名w
>>719 > 戊辰戦争に仙台藩は士気が低うなかったろう。
低くなくてあのざまなら、低かったらどうなっていたことやら。
広島と違って仙台は弱兵の名産地ですな。ついでにブスの名産地でもあるから男も女もダメダメだ。
723 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 19:21:34 ID:svWpGrs+
何このスイーツ脳
724 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 21:19:52 ID:J9QWevTg
仙台藩士はフル装備で20km駆け抜ける
全員が飛脚のような強靱な脚力をしていた訳ですよ
自衛隊も見習わないと!
725 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 23:15:19 ID:SuSKDSWY
=゜ω゜) 詳しくはわからないけど仙台額兵隊は休憩をほとんどとらずに進軍してたらしいです。
北陸の上杉謙信軍も驚異的な進軍速度だったとありますな。
たぶんガマン強いんでしょな。
726 :
白馬青牛:2008/03/30(日) 23:35:49 ID:+m5ulj33
ほんま他板でも同様じゃが、わしの反論者は抽象的な言が好きじゃのう。
>>715よ、こんなあ、人の書いたもんを読解する能力もないんか?わしが
云うた文をそのまま内容のない言で返しとるんじゃけえ意味をなさん。
じゃが最初の「男らしく」にゃあ笑うたわい。あんたあ糞ネチネチ男の
軟弱ネットウヨじゃけんのう。
>>718もまだ証明云う空虚な言を繰り返しょうる。
>>716 プロモーション云う以前に、ボクシングは興行じゃけんのう。
ユダヤ人は自己判断力から法則で仮説を立てるけんのう。経験や実験、実証
は後で辻褄を合わせるもんで軽視する傾向じゃろう。
イギリス人は経験則が強いじゃろう。ドイツ人は理論的実証を重視する。
その点、日本はドイツ流の実証主義を好む。実証主義は所詮個人的観念論に
過ぎんのに、実証云う権威理論を求めたんじゃないかのう。
727 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 23:40:02 ID:4h1TQDHu
>人の書いたもんを読解する能力もないんか?わしが
>云うた文をそのまま内容のない言で返しとるんじゃけえ意味をなさん。
だ か ら お ま え の 「森」 を 言 え!
何度言わすのだ、
こ の オ カ マ ハ ゲ!
728 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 00:07:32 ID:N2Hsm0g0
729 :
白馬青牛:2008/03/31(月) 00:19:04 ID:dyniuToP
>>720 「○○さんがこう言ってました!」云うて、実例を挙げただけじゃが、
何で人を黙らせようじゃ云うて自己解釈するんか?余程都合が悪いんか?
権威じゃのうて、日本の閉鎖的体質は、学会を始め、我が国の憂うべき
体質じゃないか。それを隠蔽したいんか?
松田壽男氏、
>>689の『遊民の系譜』の著者、杉山二郎氏との鼎談で、
江上波夫氏も「考古学者にもいるんですよ。出ても隠しちゃうんだ。
自分がわかんないことは。出ないことにしちゃうっていうのがいるん
だから。私はその先生と喧嘩して嫌われちゃったけど。(中略)
学者というのは、推論していって、点で繋げるのが学者の仕事だと思う。
全部ちゃんと軌道ができるほど材料が揃うなんてあり得ません。
(中略)日本の学者は、はっきり言うと教養が足らないんだよ。
わからないものはダメなんです。」
杉山氏「全部疎外してしまうんですね。」
江上氏「ものすごく閉鎖的なんだ。日本の学問の一番の弱点はそこに
あります。よそ者を入れないというのは、結局自分の中でもって安住して
おるということだ。安住を脅かされることを一番嫌うんです。しかし
学問なんていうのは、安住していたら発達はないよ、これは。常に動揺して
動いていって、初めて新しいものが出てくるんでね。」
これも一部分云うより、云わんとされる部分の引用じゃろう。
730 :
白馬青牛:2008/03/31(月) 00:58:43 ID:dyniuToP
>>720 続き。わしも、低レヴェルじゃが、他板や他スレで安住しとる連中に、
意見したら荒らすなじゃあ、来るなじゃ批判を浴びる処、閉鎖的体質は、
掲示板でも同様云うことじゃろう。まあ、あんたらが好きな閉鎖的で、
無能な連中が学術云う権威を云うても、高校生どころか幼稚園の
レヴェルじゃろう。抽象的な罵倒しか出来ん
>>721や
>>727-728らは、
その典型じゃわい。
ほいで、西日本と東日本の違いは宮本常一氏も指摘される
ところで、わしも引用しとるじゃないか。近畿と関東の違いと限定化
しとらんよ。
>>722 仙台人の捏造云う根拠は何なら?云うてみいや。徹底抗戦で士気が低かった
部隊なんかおったか?血みどろの戦闘をしたら誰しも必死になるわ。
ほいじゃあ、仙台藩や米沢藩らに負けた、筑前兵や伊予兵はどうなるんか。
まあ、東北勢相手に九州勢や四国勢はパッとせんけど。
広島が強いんは当然じゃが、仙台、東北の連中は、九州、四国相手なら
結構善戦するんじゃないか。
731 :
白馬青牛:2008/03/31(月) 01:11:18 ID:dyniuToP
>>724 鈍重で名高い仙台師団、東北兵に健脚を期待しても無理なことよ。
>>725 お国自慢板の帝国陸軍師団スレにも書いたが、行軍速度も広島師団の
独壇場じゃろう。
732 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 02:47:27 ID:cA7PNYx8
今度牛の家に泊まりに言って
AV大音量で24時間流しまくったり
PCの辞書をギャル語に設定するけどいいよね!
牛は閉鎖的な人間じゃないんだろ?
ついでに住所も教えてよ、外国人の友人と土足で上がり込むから
733 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 04:39:50 ID:fQ+23Ci6
仙台って
愚鈍かつ臆病者の、ドンゴリ気質は変わらんですね。
(戊辰戦争) 東北の盟主を気取り、リーダーシップを握りたがる。
しかし藩の意思決定が愚鈍で、結果新政府軍に時間を与え、
仙台に呆れた諸藩の離脱もあり、奥羽越列藩同盟の崩壊を招く。
またその兵士は大砲が「ドン」と鳴ると「五里(20km)」逃げる!
として失笑を買い、戦後に東北および江戸・薩長から「ドンゴリ」と
呼ばれた。
ドンゴリのせいで陣が崩れ、敗退した局地戦多数。
それに伴う東北諸藩&旧幕臣の犠牲は山のよう・・・
734 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 06:39:32 ID:DD2PhKma
広島師団なんか八路に木っ端だったろ
735 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 07:57:39 ID:6yQwYyEN
>>733 ガダルカナルでドンゴリしようとしたら、周りが海で五里も逃げられなかったので壊滅。
ビルマでドンゴリしようとしたら、久留米師団に「弱っちいのは邪魔だから来んな!」と藩祖政宗公が朝鮮で余りの弱さに加藤
清正から追い返された以来の快挙。
・・・・そんなドンゴリ師団に負けたオランダ軍ってどんだけ・・・・と思ったら実際に戦争やって勝ったのは第38師団でした。
ガダルカナルでも足を引っ張られたし、現代の名古屋・岐阜あたりの人が仙台人を軽蔑するのも無理はない。
736 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 22:05:22 ID:cA7PNYx8
OK、板の名前読んでから牛を連れてお国自慢板に帰ろうか
737 :
白馬青牛:2008/03/31(月) 22:54:06 ID:dyniuToP
>>732 ええわけあるまあ。わしの安住した生活を犯すもんは、敵対者と見なし、
仮に外国人の友人が女性なら、彼女を置いてあんただけ帰れ云うわい。
わしゃあ女性に対して閉鎖的な人間じゃないけんのう。
じゃが外国人の友人が男じゃったら、あんた同様容赦せんわいのう。
ほいで家へ上がった時、靴を揃えて外側へ向けんかったら怒るよ。
じゃけえ、外国人の友人と土足で上がり込むことを許すわけあるまい。
738 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 00:11:43 ID:HyKmTZPy
まだ白馬青牛とかいうのが癒着してたんだ
皆さん、広島のイメージ悪くしないで下さいね。
739 :
白馬青牛:2008/04/01(火) 00:43:18 ID:yAH5zCy6
>>734 八路軍、中共側が宣伝する平型関の戦闘のことか?
http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000362.html 戦闘で主力に立ったんは、八路軍じゃない。八路軍は、後方の補給部隊
(非戦闘員の自動車部隊と輜重隊で、宇都宮師団の関東の連中もおった。
護衛は1個小隊)を襲うて潰滅したんを(赤い襟章の我が歩兵部隊には
手を出さない)宣伝しとるだけじゃ。
日本軍、第5師団(福山聯隊は杭州湾上陸最先頭部隊で感状を授与される
活躍をしたよう、この戦闘に参加しとらんし、広島聯隊主流も北支の苦戦に
杭州湾上陸戦予定から、逆戻りし、忻口鎮の死闘に参戦したわけじゃ。
中共側は1970年代まで日本軍3千人壊滅が、現在じゃあ、1千人に
トーンダウンしとる。平型関の戦闘で中国軍は7日間の戦闘で日本軍を
壊滅出来ず、兵を退却させたわけじゃ。三浦支隊の基幹として善戦した、
浜田第21聯隊第3大隊(平岩大隊)は、寺内司令官から感状を授与
された。
日本軍の平型関の戦闘における戦死270名戦傷者800名余。
その後の広島5Dが前線で戦闘した忻口鎮の戦闘では、日本軍の戦死
1,651名戦傷者4,594名。太原攻略で、戦死889名、戦傷者
2,827名じゃ。日本側の資料じゃが。
中共側の八路軍の日本軍1万人と戦闘はありえんし、後方非戦闘部隊を
襲うただけじゃ。苦闘の末攻略した戦闘歩兵部隊が負けたように表現
するんか。死傷者も後の激戦に比べ少ない。
八路軍に木っ端にされたんは、後の関東地方の兵団で、中国地方兵の
多い、姫路110Dは、八路軍を壊滅しても負けたことはあるまい。
740 :
白馬青牛:2008/04/01(火) 01:32:23 ID:yAH5zCy6
>>735 オランダ軍は、弱かったけえ激戦にならんかった。
鈍重な仙台師団が、劣等感からか一番乗り拘り、仙台第2師団幕僚が、
軍司令部を動かし、仙台第2師団がバンドンの正式入城し、バンドを
攻略した静岡第230聯隊を謹慎させ、仙台師団側は、ガ島でも、バンドン
要塞攻略の手を使うてくれな」と厭味を云い、静岡聯隊を継子扱いされる。
ほんま仙台師団の幕僚連中は閉鎖的じゃし、
宜昌作戦でも、敵の当陽主要陣地を名古屋第3師団と共に攻略を予定
しとった冬季作戦で苦杯を嘗めた鈍重な仙台第13師団にかまわず、
小勢の広島第231聯隊だけで、当陽陣地を苦闘のうえ単独で
攻略した広島聯隊や宜昌付近に進出した福山聯隊に対しても、前線で戦闘
せずとも仙台師団は、一番乗りを、軍司令部と組み、姑息な手段を使うた。
まあ仙台師団は、他師団が流した血を、自分の手柄にしたい癖があった
けえ、仙台師団の行為を批判する人は広島でも多いよ。
じゃが、ビルマから雲南の負け戦さで、大ハッタリで強がる九州の連中と
比べたらどうかのう。
741 :
白馬青牛:2008/04/01(火) 01:36:18 ID:yAH5zCy6
>>738 わりゃあ、広島の者じゃあるまあ。広島人ぶりっこすなや。
742 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 03:33:11 ID:LYMzlOG9
>>740 九州人も、ドンゴリ師団の余りの弱さに絶句です。
これだったら、ラモウに攻めてきた中国軍の方が強いかもしれません。
743 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 05:59:54 ID:Hlp4GKuN
ガダルカナルなんて糞海軍に殺されたようなもんだろ
人は送れたけど武器と飯は沈められちゃいましたテヘッ
帝國陸軍は部隊の被害が甚大な方が敢闘精神旺盛とか評価される不思議組織だから
感状なんて不名誉なもん自慢すんなや
744 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 07:43:22 ID:I8wfjbnn
usiは杖で攻撃してくるぞ。
杖と石礫で朝青龍を倒す男だ。
746 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 16:28:05 ID:IUqjLusB
>>737 じゃあスレ住人の安定した議論を守るために
牛が排斥されてもしょうがないな
とりあえず回線切って吊れ
747 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 23:39:34 ID:oiYt/UfC
=゜ω゜) ふーん。やっぱ広島師団ってスゴかったんだなぁ。
これじゃぁパー路も関東も敵わないや・・・
それに仙台もダメダメだし・・・・・orz
・・・って、ハッ、=゜ω゜) !!4月1日じゃん!!
くそっ。牛とその仲間にだまされたか。
748 :
白馬青牛:2008/04/02(水) 00:30:18 ID:nkoSblvZ
>>742 拉孟を攻めた中国軍の栄誉第1師は強かったろう。第二次攻撃で
紙一重で退けた福岡第113聯隊も敢闘したのう。
ほいで、
>>735の熊本師団は清正キャラで仙台師団は、伊達政宗キャラとも
云えんこともない。仙台第13師団は、徐州会戦でも、最も激闘した
広島第5師団、姫路第10師団の何れかが、徐州入城を果たすんが筋
じゃが、激戦しとらん北上軍じゃったが、「敗走の敵兵などにかまうこと
なく、一路徐州へ突進せよ。」で、併走する名古屋第3師団、金沢第9師団
を欺き、抜け駆け徐州無血入城を果たした。伊達政宗ならやりかねん。
「抜け駆けは武士の狡知。功名が全て。宇治川の佐々木高綱の例を見よ。」
と、「武士は相身互い」を無視し開き直るキャラがあるのう。
749 :
白馬青牛:2008/04/02(水) 00:56:51 ID:nkoSblvZ
>>743 ガ島でも、勢いに乗る静岡第230聯隊を含む名古屋第38師団が
仙台第2師団に替わり主力攻撃部隊になっとったら、展開や結果も変わった
かも知れんが、歴史として、夜襲の仙台師団の異名を取ったエースが
やられた事実が残るだけじゃ。
感状もピンからキリまであるよ。軍司令官の意思一つで決まる部分が
あるけんのう。まあ常に前線で戦闘した広島聯隊は報告が遅れ、
幻の感状もあった。戦闘に忙しく、いちいち戦闘報告する暇がない。
じゃが、広島の部隊に関しては常に前線で戦うた成果じゃし、
不名誉なもんじゃあない。負け戦さにおいて、敢闘精神で感状を
貰うた例としては、拉孟の福岡第113聯隊じゃろう。
750 :
白馬青牛:2008/04/02(水) 01:21:45 ID:nkoSblvZ
>>744 強気弱気じゃのうて、当然の対処よ。
>>745 何でわしの武器を杖と石磔だけに限定するんか。杖で相手の足の甲を
打ったら有効じゃが、木刀や椅子で脛を打って相手の動きを止めても
ええじゃないか。朝青龍じゃろうと、一般人じゃろうと、攻めて来たもんの
料理は同じことじゃ。ほいで、料理の材料も武器になるけんのう。
出刃から皿、粉まで、使いようはあるど。
>>746 わしが居らにゃあ、安定した議論よりも妄想自慰スレになるけえのう。
他が排斥しょうと、わしゃあ云いいたこと云うよ。
751 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 01:52:57 ID:zcFAxauQ
>>750 高句麗が出雲を支配したなんていうオマエが自慰だろうが。
自慰学説を勝手に出すなボケ。
アホは氏ね。
752 :
白馬青牛:2008/04/02(水) 01:55:43 ID:nkoSblvZ
>>747 パーロ軍(八路)は、最後まで戦友同志を捨てんけえ強いよ。
蒋介石ら国民党軍は、忻口鎮でも山西軍の兵士を鎖に繋いで、後方で
督戦じゃけんのう。こがん奴隷的軍隊に嫌気がさして山西軍から八路軍に
転出し、訓練周到な山西軍を加えた八路軍は精強になったよ。
あの愚連隊右翼で鳴らした万年東一氏も故郷の弘前師団に所属し、八路軍と
戦闘されたが、八路軍を、「雲霞のようにやってきやがる。しかも死ぬ気で
かかって来る。日本軍も『生きて俘虜の辱めを受けず』っていったけど、
あいつらの方が日本軍より死ぬ気だったなあ。死ぬ気でかかってくる奴ら
にゃ勝てねえ」と、云われたよう、強かったことは事実じゃ。
後に八路軍に吸収された最強の称号もあった山西軍や、剽悍な広西軍、
蒋介石軍の精鋭鍛えられた栄誉第1師も強かったよ。
4月1日で誰が騙したんや。特別の日じゃ普通の日じゃ云う区別はせんよ。
753 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 05:32:44 ID:eTibmWDU
妄想オナニーレスばかりカマして議論してないのは
どうみても牛だってのは常識の範囲ですね
お前根本的に学問向いてないよ
754 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 06:22:05 ID:mCH3zyZG
相模育ちの近江源氏佐々木兄弟ツヨス
756 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 12:58:42 ID:pluTntIx
仙台って、表向きは気取った陰険なクズが多い。
757 :
白馬青牛:2008/04/03(木) 00:18:54 ID:T/WoB4rl
>>751 高句麗か穢か解らんが、日本海側の勢力が出雲を支配した可能性が
強い云うことよ。逆に土着人が支配した可能性は確率上低いよのう。
>>753 妄想自慰は、
>>751氏のことじゃろう。盗人が泥棒した証拠を出せ云う、
幼稚な言を繰り返すだけじゃけえ、議論にゃあならんよ。
常識云うて学問における常識たあ何か?あんた答えんさい。
わしが学問に向いとるか、向かんか解らんが、閉鎖体質の日本の馬鹿学者
よりましじゃ思うとるよ。
>>755 近江の佐々木(後世の近江源氏云うより渡来系佐々貴君)が相模育ち
じゃけえ、「抜け駆けは武士の狡知」を肯定した云いたいんか?
758 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 00:40:04 ID:8K26gY6I
>高句麗か穢か解らんが、
わからんのなら高句麗が出雲を支配したなどといい加減な事を言うな。
759 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 21:31:19 ID:xzoQYS+0
パーロ軍がバーロー軍に見えた
ところで、ここって戦国板だよな?
760 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 22:58:03 ID:njZHZJjd
>>735 ガダルカナルで勝てる師団があったら教えてほしいもんだ。
まあ、次に戦争が起きたら第六師団は後詰にでも徹した方がいいな。
他の精強な師団の皆さんが頑張ってくれるだろうから。
その間、今村均将軍や井上成美将軍の墓前で戦勝祈願でもしておくよ。
761 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 01:18:51 ID:JHwZN43b
>>759 USI板のお国自慢スレだろ、スレタイと板名ぐらい読め
762 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 16:22:20 ID:jKinvRIh
>>760 > ガダルカナルで勝てる師団があったら教えてほしいもんだ。
日本最強の広島第五師団に決まってるだろうが。
763 :
人間七七四年:2008/04/06(日) 01:27:39 ID:dl+QqdHX
広島師団なら余裕でガダルカナル守り切って逆襲に転じられたな
764 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 08:47:45 ID:nLX8qgdo
日本軍が総広島兵なら米軍に勝てた
もし将来戦争があるなら全員広島出身で固めるべき
765 :
白馬青牛:2008/04/07(月) 22:52:36 ID:+sfi5qmf
>>758 後に高句麗は、穢・沃沮・夫餘の地まで勢力を広げたけんのう。
じゃけえ、日本海側の勢力云うたんじゃ。これらの渡来系が出雲を
支配した可能性は高い。
>>764 日本軍が軍紀厳正をカラーとする総広島兵なら、日華事変は長期化せず
泥沼に陥らんかったかも知れん。九州や関東・東北等戦国期から人身売買
の盛んな産地の兵を使うと、蛮行の伝統を発揮し、占領地の市民の恨みを
買うけんのう。
「私らの部隊は、戦闘は弱いけど、悪いことでは天下一品だった。
だから鬼部隊と呼ばれてね。街に入ったら強い。なにしろ略奪た強姦は
お手のもので」と、東京101D兵士であったS田氏が云われる。
南九州兵で編成された熊本6Dは、東京兵団と違い、戦闘でも前線に出て
勇猛じゃったが、蛮行でも有名な赤鬼部隊じゃった。宇都宮114D兵士の
T所氏の言にも、捕虜の「耳をそぎ、鼻を切り、みせしめに女を柳の木に
縛りつけ、両足首にまきつけたロープを二頭の馬の鞍に結び、左右から
ムチをくれると股から乳房あたりまで肉が裂ける。それを部隊みんなで
見ている。中隊長もみてみぬふりだった。将校だろうと下士官だろうと、
文句をつけても『ウシロダマ(後ろ弾)だぞ』と、おどしちゃう。」
以前書いたよう、熊本6Dの兵士の蛮行を、深田小隊長が、兵らは「弾は
前からだけでない」と、云うので黙認した話と同様、九州兵や関東兵連中
の弱者苛めの暴走は止まらんじゃろう。歴史的伝統じゃけんのう。
766 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 23:03:27 ID:OpbyKqhS
>>763 そんな糞師団送るのは船腹と油の無駄
広島人なんか居ても居なくても同じような空気だからみせしめにピカ落とされたんだろ
歴史が証明してる
長崎は予定変更で落とされた可哀相な都市
767 :
白馬青牛:2008/04/07(月) 23:27:13 ID:+sfi5qmf
>>764 続き。東北兵は指揮官に忠実ゆえ、暴走はせんじゃろうが、命令許可が
あれば、蛮行に走る傾向にあろう。昨日の深夜云うか今日、日本TVの
南京大虐殺のドキュメントでも仙台13D会津の白虎聯隊が出とったのう。
宇都宮114D兵士のT所氏も南京城外で「仙台の輜重兵でひどい部隊が
あった。ぶった斬った首をずらりと道の両側に並べている。」
と、云われるよう東北勢も蛮行もひどいが、九州や関東も酷いのう。
768 :
人間七七四年:2008/04/07(月) 23:54:54 ID:mUwSkjVa
>>765 しつこいなぁおまえ。
高句麗が穢・沃沮・夫餘の地まで勢力を広げたのと、
出雲と何の関係があるのだ?
出雲から高句麗ゆかりの何が出土してるのだ?
いい加減な事をしつこく言うな。
769 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 07:47:18 ID:d0UpSsWf
>>766 いや、米軍は最強広島師団が対米戦に出てくるのが怖かったんだよ。
それで、その根源を絶とうと広島にピカを落としたんだ。
それほどの部隊を開戦劈頭に使った後は弱兵でもできる警備を終戦までさせていた大本営はアホ。
>>767 東北人は人間未満の存在なので、飼い主のしつけが悪いと蛮行をする。
770 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 11:05:41 ID:NxYaq4bC
>【大河】 直江兼続を語るスレ 5 【決定】
>
>569 人間七七四年 sage 2008/04/08(火) 07:38:09 ID:d0UpSsWf
>
>>568 >> 伊達にも見劣りする結果
>
>ダウト! また伊達厨の嘘八百か。
ID:d0UpSsWfは戦国板で東北蔑視と伊達罵倒の発言を繰り返している。
また、『あ』とかいうコテハンもこいつと同じである。
日本史板では会津と仙台を叩いている。
どうやら携帯で複数を演じることもあるようだ。
アクセスより解き明かしました。
771 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 13:36:27 ID:iNT52wcs
もう全世界の戦争を広島様に任せてのんびりしようぜ
772 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 16:06:30 ID:FJiATcrI
>>769 ヘタレは使い物にならなかったが故の大本営の英断だな
現代の派遣みたいな存在だったのが伺える良いエピソードだ
773 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 17:47:18 ID:RfdufD0f
=゜ω゜) 広島兵団の力でチベットをなんとかせい。
774 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 00:36:12 ID:v5tEYCnP
775 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 01:03:19 ID:fA+HyuHy
>>773 牛一人送り込めば最強広島廉合殺法でチベット独立も鎮圧も余裕だよ
ダライ・ラマを小指でひねってチベットの指導者になれるね
776 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 07:51:07 ID:ZwfRSgKO
あいつには小指ないだろ
777 :
人間七七四年:2008/04/09(水) 23:58:33 ID:GtvDbLUb
=゜ω゜) マジで?偶蹄類?
革命とは暴力じゃのう。
お気に入りの美少年へ贈ったのかッー
779 :
白馬青牛:2008/04/11(金) 00:19:05 ID:rnb2KQDt
>>768 まだ、つまらんカバチ垂れよるんか。
>>757で出雲を支配したんは、
渡来系の可能性が高い云うとるじゃろう。近隣生活圏で流通する
土器は、反論にならんよ。
>>769 米軍が広島師団を恐れた云うんは根拠に乏しいんじゃないか。
じゃが、広島県二世が多数40%を占める、広島系ハワイアンが多い、
米国日系二世部隊は強かったのう。
http://hawkeye.m78.com/regiment.htm <米陸軍第100歩兵大隊の発足>から、ブローニング機関銃組み立てに、
米陸軍マニュアルは16秒、フォート・ベニング士官候補生で11秒、
日系第100大隊は5秒じゃ。機関銃分隊の行軍速度でも、
白人部隊の平均時速2,5Kmに対し第100大隊は時速3,3Kmを
記録し、平均身長が160cmしかない日系兵士の身体能力。
以前このスレでも書いたが、広島系が多いハワイアン日系二世とテキサス
第2師団との部隊対抗の喧嘩(1942年11月、大隊編成の日系兵士は
小勢じゃった)。結果38名の気性の荒いテキサス兵が怪我で入院、
日系二世側は、止めに入ったMPに暴行を受けた1名のみで、喧嘩でも
圧勝した。広島県移民が4割を占めるハワイアン日系人にとって、
「Jap」という言葉は「戦闘開始」のサインであったようじゃ。
ハワイの広島県移民は他県人より同県人と婚姻関係を結ぶ傾向にあり、
郷土の伝統を受け継いだ日系ハワイアンが喧嘩でも強いんは当然のことよ。
他県人の移民が多数を占めておったら、違う性質になったんじゃないか。
780 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 00:37:59 ID:Q0AllUbY
>出雲を支配したんは、渡来系の可能性が高い云うとるじゃろう。
>近隣生活圏で流通する土器は、反論にならんよ。
カバチはおまえだ。
反論にならんよだ?
高句麗の土器が出てない時点で一つの説にさえならないだろうが。
誰がおまえと同じ説を言ってるんだ?
説にさえならないのに反論にならんよとはバカ丸出しw
781 :
白馬青牛:2008/04/11(金) 00:50:43 ID:rnb2KQDt
>>769 東北人を人間未満で、飼い主の躾が悪いと蛮行は、忠誠心の強い東北人の
性質でもあるが、人間未満は云い過ぎじゃろう。世界的に、諸民族に
優劣はない。長所と短所は、地域による得意と不得意があるだけじゃ。
>>773 >広島兵団の力でチベットをなんとかせえ。云うてもチベット周辺部は、
中央部の独立派と違う見解があるけえ、安易に口は出せんよ。
>>775 わし一人の意思で何になるんか?仮にチベットが独立しても、外の勢力に
発揮した国粋主義は、中共支配を許容した連中の排斥に繋がるけんのう。
安易に干渉出来る訳あるまい。
>>776 ♪あなたが、咬んだ小指が痛い。歌の文句じゃあるまいし。
>>778 お気に入りの美少年云うて、わしゃあ本質的に女の方が好きじゃ。
美少年にも欲情するんは事実じゃが。
世羅高校駅伝部の鎧坂で欲情したかッ
783 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 01:21:02 ID:BTD2/X/v
棄民されるのが広島人くおりてぃ
784 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 13:34:25 ID:q0ubIvKr
宮城県民の県民性
・自己愛が強く自慢大好きな気質。
・東北の中心という財産だけでなんとなく生きて来れたので、向上心がない。人の後を付いていくのが好き。
・なぜか「自分は優生人種。東北人扱いしないでくれる?」という意味不明の優越感を持っており、手下に対して差別気質。
・自分は東北の中心と心から思っているが、自分が東北のために何かやろうという気はさらさらない。
県民性の本の多くに書かれていること。『宮城人は自分の笠しか興味がない』
・ヨソの資本を最初は受け入れるが、飽き易く、飽きたら排除する傾向が強い。ラオックス・さくらやがすぐ撤退。
・言い訳が多く、やれと言われたことを難癖をつけて先伸ばす。挙句の果てに丸投げする。
・勝ち馬に乗るのは大好きだが、汗水たらして土台を作るのは嫌い。そういうのは全部他人まかせ。
人の作った土台に頃合を見て乗っかかり、人一倍マンセーする調子の良さ。楽天がいい例。
785 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 13:49:37 ID:BTD2/X/v
___
./岡山人 \
.| ^ ^ |
| .>ノ(、_, )ヽ、.| <あまり私を怒らせない方がいい
__! ! -=ニ=- ノ!__
/´ ̄ ̄ .|\`ニニ´/ `ヽ
{ .|__  ̄ ̄ヾ }
i;;',,, r---イ /|,、_,, ,',;:',i
.l;';',;,, } /;\ / ヽ / ,;,;;',;l
.|;;',;, } ./;;;,, \ / ;;;;;;ヽ ,,;;','i
i;',, / /;;,',';; ノ--, ',',;;::',',゙i ,,';';i
i;,'; /./,',',';;" / \ ',',',;;,'i ,;',i
/ / i 、 / ヽ ',;::'、| \
ヽヽヽヾ丿 〈 ヽ'' {////
```` ト, i | 、 i´´´
|',',;; } ! ',',;;i
|,','、 / ヽ',',','|
!;;', / !,',;,;'|
!'' { }'' !.
/ i, 〉 ヽ.、
彡、,,,-‐┘ └ュュュュ
786 :
人間七七四年:2008/04/12(土) 14:10:15 ID:4uKl94D2
>>784 これはまた随分好意的な書き方をしているな。真実はこの50倍酷い。
人間未満と言うか、日本に住んでいながら唯一チョウセンヒトモドキ以下なのが宮城県民。
787 :
人間七七四年:2008/04/16(水) 10:06:00 ID:3r5qGxn0
岡山といい
広島といい
瀬戸内海側は日本の恥部だな
地理人類学板の白馬様は暴れ放題だな
福岡人にも迷惑掛けるなよ
789 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 23:00:16 ID:ItRDxp/+
=゜ω゜) なぜに岡山と宮城が叩かれとるん?
790 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 17:03:53 ID:t8NtIGkj
広島様に逆らうから
791 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 17:39:15 ID:RML5nt/D
岡山が叩かれる理由
他県民の嫉妬 97%
県民の自虐 2%
その他 1%
宮城が叩かれる理由
県民がバカだから 40%
嘘八百言い訳百万を並べて他人を誑かすから 22%
産地偽装や建築偽装など県民性に問題があるから 18%
ブスが多いから 8%
テレビ東京系列がないから 6%
商店街の歩行者天国と道路の区別がつかないから 3%
東北の田舎の分際で畏れ多くも宮城(きゅうじょう)と名乗っているから 2%
宮城と宮崎の区別がつきにくいから 1%
792 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 19:04:18 ID:p87WjPum
どっちもあってもなくても同じ田舎なんだから仲良くしろよ
793 :
MATT:2008/04/18(金) 19:18:05 ID:mckeTZcv
神奈川県民は優秀。
理由は・・・分かるよね???もちろん。
794 :
人間七七四年:2008/04/18(金) 19:29:22 ID:k2y+uh1k
岡山人は自意識過剰だってのだけわかった
795 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/04/18(金) 23:56:52 ID:+5u3owrm
>>780 土器厨がまた同じ言の繰り返しよのう。
http://www.geocities.jp/putniki/amur/zatsugaku/archeology.htm アムールの早期鉄器時代の土器が,日本の弥生文化の土器と類似している
ことである。」と、ポリツエ文化(紀元前1000年紀から、
アムール南部や朝鮮東北部に広まった初期鉄器文化)の類似性は、
江上波夫氏の云われる「極東シベリアの土器文化は、たんに土器だけで
なく、それに伴った磨製石器や銅利器とともに、鋸歯文のある小型の
多鈕鏡などとともに、みな弥生文化を特徴で文化複合体をなしている。
極東シベリアと西日本の双方にあるということになる」
土器が民族移動に関わるとすれば、西日本はアムール〜北朝鮮の移住民
云うことになるのう。わしは、土器及び出土品が民族移住に直結せん思う
とるけえ、北方民族の日本列島移住は世界的な民族移動期の古墳期の方が
妥当と考えるわいのう。
>>782 世羅高校出身云うたらアンガールズの田中君じゃろう。
>>783 敗戦時逃げた連中と違い、広島39Dはシベリア抑留になったけえ、
棄民と同様よのう。
>>788 地理人類学板で暴れよるんは、広島に悪意を持つ関東人と喇叭吹きの
福岡の田舎者じゃ。
796 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 03:54:07 ID:tYh2libV
東京・港区のコンビニに刃物強盗 犯人の男は何も取らずに逃走
・17日、東京・港区で、男がコンビニエンスストアに押し入り、刃物で男性店員を脅した。
17日朝早く、港区東新橋のコンビニエンスストアに男が押し入り、男性店員に刃物を
突きつけて脅した。
防犯カメラの映像には、犯人と店員の「金を出せ」、「ちょっと開けられないよ。僕、岡山人」、
「岡山人?」などのやり取りが映っていた。
店員が「レジを開けられない」と答え、すきを見て店の外に逃げようとしたところ、男は
何も取らずに逃走した。
※テレビのニュースで流れていた映像では、店員の「レジを開けられない」セリフを聞いた男が
自らレジを開けようとした瞬間に、その店員がカウンターに上って「僕、キビダンゴォォ!!」と
叫んで、ヒビった男が逃げ出す…という様子が映っていました。
※画像:
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20080417011_p.html
797 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 19:18:54 ID:ieuOZn2m
>>795 全く反論になってないように見えるが…
話題そらしただけじゃね?
798 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 17:21:01 ID:mu5Xff9W
牛涙目w
って書くと「泣いてないもん!」と言い出すんだろうが
799 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 14:16:39 ID:8EcFDLml
牛の通った後には草木一本はえんな
800 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 17:10:00 ID:Mo9y3PWk
801 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 18:08:13 ID:8AhNs0yw
=゜ω゜) マジで?偶蹄類?
803 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/05/07(水) 00:27:37 ID:yHlleJHQ
>>797 全く反論も出来んのは、ポリツエ文化と弥生土器の関連性について、
意見を述べん
>>780氏じゃないか。
>>798 何が悲しゅうて泣くんか?
>>799-802 『ロシア人の通ったあとは、ウオッカの空瓶しか残らん。
ユダヤ人の通ったあとは、空のサイフしか残らん。
グルジア人の通ったあとは、男しか残らん。』
三番目は、日本の例に置き換え、
「九州兵の通ったあとは、男しか残らん。」と云えよう。
>>800 わしゃあ、ベジタリアンじゃないど。
>>801 偶蹄類?わしゃあ人類に属するよ。
804 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 04:20:13 ID:LXe9Xj+d
霊鳥類だろ
805 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 04:13:41 ID:3fans29z
人類に緑茶吹いた
さすが牛
茨城地震ガクブル(((=゚ω゚)))
>久しぶりに海の匂いを嗅いどったusi
おっちゃん山地の人かい
毛利の高田郡、吉川氏と田植草紙の山県郡か〜
重籐巻いたる弓のふりをしてな
坂東殿ばらの肩に掛からばやな
弓のふりして坂東殿御にほれたよ
何と言うても思うに寄らぬ我が身や
厳しいは坂東殿御の姿よ
807 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/05/09(金) 23:10:31 ID:1KbTwSGE
>>806 広島市の夕凪の香りじゃのうて、ほんまの海の磯の匂いじゃ云うことよ。
わしゃあ、県北山地の出じゃなあわいや。日本海の魚を喰う県北出身
じゃったら、わしが日本海の魚は大味で瀬戸内物に劣るじゃ自慢出来まい。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1192508367/ の>>351でも云うとろう。近い親戚のほとんどは県南じゃ。
東国でも板東殿の梶原氏を討った剛勇で知られる吉川(吉香)氏の
移住した山県郡で板東殿云うんも笑える。吉香殿に討ち取られる板東殿と
した方がリアルじゃないか。
まあ、広島県、芸備地方にゃあ東国系が多いことは事実じゃ。県北じゃあ
吉川、毛利、宍戸、山内、和智氏ら、県南の熊谷、武田、香川、白井、
金子、阿曽沼、天野、平賀、児玉、小早川、多賀谷氏らも東国系じゃのう。
808 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 00:07:38 ID:wCusp9tQ
>806
(((=゚ω゚)))ノ 安心めされよ。鹿島神宮には地震鎮めの要石が有るけんのう。
さらに保険は農協の共済で、我が村の分団は地区大会入賞じゃから
いつ大地震や北○鮮が攻め込んできても安心じゃ、はっはっは。
・・・でも水害には弱い。
809 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/05/10(土) 00:22:02 ID:S7rr9cwq
>>787-794 岡山人は「のふうぞう」じゃけえDQNの産地じゃが、
>>796は筋に外れ
とるんじゃないか。
http://punkhermit.jugem.cc/?eid=1952 岡山の調子者たち。に、戦前岡山の旧制中学、鈴木隆氏の引用が出とるが、
「少し当時の岡山中学生の不良像について触れておかねばならない」
「中学同士の喧嘩で、野球のバットを振り廻し、相手を死に至らしめた事件
があったし、一方ではゲートル巻きの商業学校の生徒の中に、内縁の妻を
持つ者がいたりした」下記に、関西中学(現、甲子園の常連高校)
吉備商業(岡山駅北付近にあったが現在あるんかのう?)と実名じゃのう。
やくざに「柔道の先生が咎めて刺された」「岡山二中OSMS団、吉備商
股子(サイコロ)団、岡拳「岡山拳闘(ボクシング)倶楽部」有志者、
全軍の統率者に、林長次郎(長谷川一夫)に、似た美男子の本職である、
いろは組の電気の松っつあん。」
ここに出とらんが、対戦者は「関西中学ラグビー部のラガーの半数は
日本刀を持ち、武器のない者は、統率者の関西中学出身の喧嘩名人
スッポン氏が自転車のチェーンやモンキーを貸与し、毛色の変わった援軍に
秀才を集めた第六高等学校柔道部二名が加わった」
岡山名物ぼんくら(DQN)物語。山陽道は広島、岡山とそういう面じゃあ
盛んじゃったのう。
810 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 02:04:19 ID:fKSPUgQ2
さすが世界でただ一人「人類」に属する牛は格が違った
スレの活気が戻ったのがわかるぜ
811 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 16:27:08 ID:wCusp9tQ
(((=゚ω゚))) 丑三つの村や八つ墓村、獄門島に悪魔の手毬唄。
映画で観る岡山は怖いのう。半分実話だし・・・ガクブル
武将なら明石全登、芸者では宮本武蔵や竹内久盛、高木馬之輔、羽賀準一とかがおるのう。
812 :
人間七七四年:2008/05/10(土) 17:12:29 ID:WtL9ZwY+
岡山が叩かれる理由
他県民の嫉妬 97%
県民の自虐 2%
その他 1%
宮城が叩かれる理由
県民がバカだから 40%
嘘八百言い訳百万を並べて他人を誑かすから 22%
産地偽装や建築偽装など県民性に問題があるから 18%
ブスが多いから 8%
テレビ東京系列がないから 6%
商店街の歩行者天国と道路の区別がつかないから 3%
東北の田舎の分際で畏れ多くも宮城(きゅうじょう)と名乗っているから 2%
宮城と宮崎の区別がつきにくいから 1%
813 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/05/11(日) 00:32:53 ID:3GvPhlbL
>>811 八つ墓村じゃの映画云うてものう。実話要素が強いとしても、奇妙な習慣
と前提条件を造っとるんじゃないか。関東の茨城なんか人妻不倫夜這いや
テロリストの伝統も強いのう。
東国人が記した『人国記』には、美作国の欲心深くじゃあ、備前国の上下
とも利根を先としてと貶しておるが、備中国の「侍を初めとして百姓男女
までも、勇気の義理を励ます心常あり。」の性質を受け継いでおる面も
あろうて。
>>809 例のOSMS団は、OS(オス)と発すると、MS(ムス)と答える。
意味はオカヤマ・セカンド・ミドゥル・スクール(岡山二中、OSMS)の
頭文字じゃそうな。対戦者の関西ラガーは六尺褌をターバン風に捲いて、
日本刀で武装する。
ほんま岡山人は、のふうぞうな(生意気な)わい。戦前から名高い
全国屈指のぼんくら産地だけあるわい。岡山を一方的に云えん広島も、
がんぼう(悪ガキ)の、ぼんくら産地じゃが。
814 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 02:32:26 ID:khmVwGQO
>関東の茨城なんか人妻不倫夜這いや
=゚ω゚) 筑波の歌垣のことかな?古代は都でも通い婚が一般的だったけんのう。
うらやますい話じゃ。
>実話要素が強いとしても、奇妙な習慣と前提条件を造っとるんじゃないか。
=゚ω゚) 津山三十人殺しの事件だよ。
それを映画化したのが丑三の村。てきとうに脚色したのが八つ墓村。
>テロリストの伝統も強いのう。
(((=゚ω゚))) 三菱銀行立てこもりの梅川や瀬戸内シージャックには負けるべさ ガクブル
815 :
人間七七四年:2008/05/11(日) 14:19:34 ID:s93rHb2S
テロリスト=奇兵隊
816 :
名無し迷彩:2008/05/11(日) 21:43:17 ID:0VdjLWzi
中国地方じゃ岡山県人は性格悪いって有名だよ。
817 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/05/12(月) 02:27:26 ID:QoIFxtPs
>>814 妻訪婚(通い婚)や実家出産は、九州南北に貫く地帯、京都、滋賀、
北陸から東海、関東地方と南奥羽に至る地域に顕著で、近畿や中国地方は、
例外もあるが多数は婚家出産地域じゃ。平安貴族は実家出産じゃが、
神話における海神のトヨタマビメが、山幸彦の子を海中でなく、夫の住む
陸上で産んでおり、河内の渡来系田辺史氏の娘は夫の渡来系西文史氏の家で
出産しとる。
妻訪婚と人妻不倫の関係に結びつけることは出来まい。地域による違いも
あろう。逆に嫁入婚の婚家出産地域でも、性の無法地帯(播磨や阿波等)も
あったけんのう。出雲は、大国主命は浮気が出来ても、妻の須勢理毘売に
不倫密通は出来んかったのう。
津山は関東と同様間引き(赤子殺し)の習慣があったのう。
テロリスト=広島人と云いたいようじゃが、思想的テロリストは、
朱子学の影響の強い茨城人に多かろう。
広島人は思想狂信性に乏しいよ。
>>816 広島でも、そう云うのう。山口県人が性格がええんに比べ岡山人は・・・
云うて。
818 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 00:51:45 ID:mV9PKpuc
=゚ω゚) ほう、ホモねたばかりではなく人妻不倫にも一家言あるとはさすが牛じゃのう。
するとイザナミの目玉や鼻から産まれた大御神たちはどうなるねん?
ちなみにトヨタマヒメの出産は浜辺の産屋ではないかな?
まあ、通い婚は母系社会のなごりだったところも有ろうわいな。
>テロリスト=広島人と云いたいようじゃが
=゚ω゚) いや「テロリスト=広島人」ではなく「劇場型凶悪犯罪=牛」みたいな意味じゃ。
思想的テロは自滅はしても女や年寄りを弾よけにはせんじゃろ。
819 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 21:03:39 ID:5RYOWj6Z
×広島=馬鹿
○牛=色々残念な人
820 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/05/14(水) 01:25:39 ID:NkXDMJDt
>>818 目玉や鼻が、わしの文と関係あるんか?
妻訪婚は母系社会云うたら双系社会の習俗とも云えよう。
犯罪を犯すもんは、特定の民族、地域にかかわらずおるが、思想的テロは、
地域の文化的背景や他地域からの圧迫もあるけんのう。
思想的テロも時と状況によって他者を巻きこむよ。追い詰められたら
自分の家族も巻きこむけえ厄介じゃ。
>>819 色々残念な人云うて、なんのことなら?
821 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 12:52:12 ID:s+GgDh7D
公明市議らに返還要求
宮城
多賀城市が提訴へ
--------------------------------------------------------------------------------
宮城県多賀城市の公明党市議の義母が、市議夫婦と同居しながら独り暮らしを装い、生活保護費を五年以上
にわたり不当に受け取っていた問題で、多賀城市は義母と公明党市議夫婦に対し、保護費の返還を求める訴え
を仙台地裁におこすことを決めました。同市議会は三十日、提訴議案を賛成多数で可決しました。
提訴は、市の保護費返還命令に公明党の根本朝栄市議らが応じないために踏みきったものです。議案は、根
本市議が退場したあと、他の公明党二議員以外の賛成で可決されました。
市が返還を求めているのは、約四百八十七万円。一九九九年五月から二〇〇三年六月にかけて支給した約千
二百十八万円のうちの四割分です。これについて市側は「要保護性が完全に失われているものではなかったし、
裁量的保護を適用した」(保健福祉部長)などと説明。九八年分については「時効」(同)としました。
議案への質問と賛成討論に立った日本共産党の藤原益栄議員は、提訴には賛成しながら、返還請求額が四割
にとどまっている問題で、「市議夫婦は同居の義母を十分に扶養していた。生活保護法の世帯単位の原則から
いって、実態は一円たりとも支給対象ではなかった」と指摘しました。
市民らは、保護費の返還を求めて住民訴訟をおこしています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-10-01/14_02.html
822 :
坂東無職:2008/05/18(日) 01:48:13 ID:G8P3nzO6
鳥居強左衛門最高!三河兵最強!!!
823 :
罵韓災:2008/05/18(日) 17:17:45 ID:SwB7Qds7
(((=゚ω゚)))ガクブル 巨大地震にサイクロン。
このままでは夏には水害が襲い伝染病が発生するであろう。
中共や軍事政権などでは役に立たん。
広島兵団の力で大災害から人民を救え!
825 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/06/05(木) 01:52:06 ID:VDnSU/tb
>>824 地震で多くの人たちが亡くなられ、ご冥福をお祈りします。
ほいで、四川省は広島県と友好提携を結んどるが兵団はまずいじゃろう。
826 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 13:16:46 ID:jhUKUkrC
韓国の観光
無愛想・不親切・押し売り・ぼったくり・日本語が通じない(韓国語)
宮城の観光
無愛想・不親切・押し売り・ぼったくり・標準語が通じない(東北弁)
オプショナルツアー
韓国
キムチと唐辛子尽くし・キーセン・暴走運転・タンが吐かれ、ゴミが落ちている道路
宮城
産地偽装牛タンに輸入毒牡蠣・仙台ブス・暴走タクシー・燃えるゴミが飾ってある仙台七夕
あなたならどっちに行きたい?
余談だが岡山の観光
晴れの国・親切な津山人・風光明媚な観光名所・地産地消の文化・教育水準が高い・標準語が通じる・テレ東が映る・のぞみが止まる
盗賊・夜討・押込・辻斬・自力救済
無秩序・無節操・格闘技キティ
ローカル局が無い・新幹線が走らない
標準語が通じない(茨○弁)
(((=゚ω゚))) へー、おっかねぇんだなよ大阪府茨木市。
おらいら関東でいがったっけない。
ローカル局ならAM茨○放送が有っぺよ。
東海原発臨界事故ん時も野球中継を続けたほど腹の据わった局じゃけんのう。
まあ、原発職員もバケツで放射性物質を注入できるおおらかさは
見上げたモンだよ屋根屋のフンドシじゃろうのう。
弓と矢とが無うては
常磐線には乗れんわい
車内の狼藉好むと人や思ふろう
(新田植草紙)
うし餌
正宗卿も戦国の最中に生まれ、殊に東方の夷にて、其比に勇猛の名高く、叱咤の威富る者なく…
…やさしき詩歌などにも志有りて、誠に文武兼備豪傑の大将といふべし。
(東遊記)
831 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 02:51:36 ID:1WxUMl0r
>>609 >>織田軍が武田軍を恐れた根拠
「武田と上杉の兵は天下一であるという噂があるので、武田攻めの準備は大変だった」
(大和国興福寺蓮成院記録・天正10年3月5日を意訳)
下のサイトの3月5日の最後の部分をよく読めやw
832 :
831:2008/06/07(土) 02:55:39 ID:1WxUMl0r
833 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 06:47:52 ID:hpP3ua0n
>>831 牛じゃねーんだから勝手な意訳すんな池沼wwww
>>826 他を見下して己を持ち上げようとする手法は、逆に己が見下されてしまう可能性
が極めて高い諸刃の剣。牛をみればよくわかるだろう
835 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/06/07(土) 23:53:51 ID:85/ZLSMz
>>830 餌でも喰うたろうか。
政宗卿が領地を治めし仙台兵は「火つけ、どろぼう、人殺し、
勝手しほうだい」にて、蛮行の名高く、叱咤は酒好きにして功名心強き
荻州師団長なり。
http://www.geocities.jp/yu77799/kyoudobutai.html 仙台の「歩一〇四物語」よのう。オギス師団長も抜け駆けで徐州へ
無血入城のアキスに入ったくせに、自分の師団の兵をボロ糞に
いえるもんじゃ。
>>831-832 「風聞」じゃないか。書物を記すもんは、『人国記』のように辺境兵を
誉める傾向にあるけんのう。それが近代兵団の風評(実績は別として)に
よる評価につながりよる。以前にも云うたが『人国記』じゃあ、
陸奥>越後>甲斐=関東じゃろう。まあ関東にとって天敵の越後兵は
「天下一」じゃ思おう。関東は蹂躙され、奴隷売買され、越後兵は
「勝手しほうだい」よ。自ら奴隷売買主の上杉謙信は「この兵の有様は
何事だ」じゃの配下に「お前は関東に行かれんぞ」なんぞ云うまいのう。
836 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/06/08(日) 00:19:44 ID:mR0dt3or
>>833-834 わしが勝手に意訳たあなんなら?他を見下して、己を持ち上げようとする
手法にしてもネットウヨがやることよ。わしゃあネットウヨと違うて
見下されようが、他者の判断にまかせるけえそがいなこたあ、どうでも
ええ。
あんたが、他人の評価ばっかし気にしとる小心者じゃゆうんが
にじみ出とる文章を書いて人に忠告してどうすんなら。
わしを観てどうじゃこうじゃ以前に、あんたの性根自体の問題じゃ。
837 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 07:21:10 ID:gHY6zcFM
東北では、盆や正月などにお萩(ぼた餅)と一緒に
豆打餅(ずだもち)を作って、仏壇や墓前にお供えし
先祖を供養する。
豆打餅は、文字通り茶豆をすりつぶして作った粒餡を
餅にからめた、東北では一般的な料理で、地方に
よって、ずんだもち、ぬだもちなどと呼ばれている。
しかしながら、仙台人(宮城県人)は、ずだもちのことを
甚太餅(じんたもち)と呼び、伊達政宗の家臣の甚太が
陣太刀で豆を潰して作った餅を正宗公に献上したのが
起源で、仙台から近隣に広まったと捏造しているのである。
誰だよ甚太って?!!!
このように、仙台人は近隣県の文化をぱくりったり、
劣化コピーしたり、捏造しまくっているのである。
=゚ω゚) そりゃ納豆起源説みたいなもんじゃろか。
東北だと木曾義仲、九州だと加藤清正起源。
しかし陣太刀でどうやって豆を潰したんじゃろ?
839 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/06/28(土) 00:13:34 ID:asa7oUh5
>>838 納豆起源はおそらく照葉樹林文化じゃろうけど、照葉樹林地帯の西日本より
も、落葉広葉樹林帯の東北日本に残存しとる。まあ九州は熊本も納豆消費の
高い地域ではあるが、概ね西日本は新しい大陸や半島の文化が流入する
ゆえ、古い食文化は東北の方へ残存する傾向にあるんじゃないか。
メカブ等のネバネバ物好き、濃い味付けと合わせて米食好きも、
東北日本の方が西日本たあ顕著じゃしのう。
840 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 07:13:22 ID:HqCa4qOA
帝国陸軍なら東北か九州か
ただ九州の部隊は略奪が多いのでも知られていた
841 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 09:04:07 ID:0y13QO8l
一番強そうなのは東北兵か、九州兵かな。
本気で怒ったら、寡黙に敵を瞬殺しそう。
関東とか関西とかは、口だけ威勢だけ良くて、
戦場で刀を振り回すような殺し合いなれば、いの一番に腰抜けてそうな感じ。
842 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/06/28(土) 11:51:31 ID:asa7oUh5
>>840-841 帝国陸軍の実力一番は、広島兵団じゃ。
帝国陸軍郷土部隊掠奪度ベスト3の中でも、九州>関東>東北じゃろう。
特に強姦度じゃあ九州兵の独壇場じゃ。東北兵も九州兵も寡黙に
敵の非戦闘員を瞬殺するわい。撲殺よ。弱者にゃあ強いけんのう、東北兵
や九州兵は。
まあ、東北や九州が関西相手に勝てるんは難しいとして、
九州兵対関東兵なら、九州の関東に対する劣等感で関東の方が勝つかも
知れんよ。関東人も対九州兵相手なら、組みやすいし、勇気百倍で
防人の用心棒代を払え、お前ら九州兵は関東に勝ったためしがない。
九州兵は劣等感で、命知らずの板東武者の猛攻に闘志を挫かれることも
考えられるけえのう。関東対九州なら関東が勝つんじゃないか。
843 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 18:15:51 ID:l/gPkkwW
844 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 00:52:10 ID:nzEXensS
>841
=゚ω゚) 桜田門外では薩摩人が井伊さんの首を取っちょるのう。
なかなか良い判断力をしちょるばい。県民性かのう?
ちなみにシャバで刀を振り回すような殺し合いなればオイラは逃げる事にしている。
そういやオイラの上司も後頭部に包丁傷が有ったが
用水路に飛び込んだが間に合わずに斬られたらしい。
現場では一瞬の判断が命取りになるけんのう。
845 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/06/29(日) 22:02:12 ID:KAXDV29l
>>844 桜田門外じゃあ、薩摩人の有村次左衛門が井伊大老の止めを刺しとる。
兄の有村俊斉(海江田子爵)は茶坊主上がりじゃ。茶坊主云うたら、
身のこなしも女性が如くで、あんこの尻を君主に提供する立場じゃけん
のう。
逆に井伊側は半数近うが戦闘せず、傍観しとるけえ武士の恥よ。
護衛するもんは、あんこの方が余程ええ。井伊大老は家臣の尻を
えっと掘っとったらえかったのに。男同士で女性の役割をするもんは、
男性の証明云うか、戦闘において男の鏡と云える行動を取るもんじゃ。
命を賭けてを守るんは男役のかっぱじゃのうて尻を提供するあんこじゃ。
忠誠心も尻の穴じゃけんのう。男同士の肉体関係を持たんで、誰が命を
賭けて守るんなら。その点男色王国薩摩は、合理的じゃのう。
じゃが有村次左衛門氏が瀕死の彦根藩士小河原某に一撃食らわせられとる
けんのう。それがもとで自害じゃあ「残心」に欠ける。
まあ、マトにかけたんが井伊大老じゃけえ使命は果たしたことになるんか
のう。
846 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/06/29(日) 22:27:42 ID:KAXDV29l
>>844 ほいで、テロリストの産地にして朱子学の影響の強い、水戸や薩摩は
ターゲットを殺害することにゃあ熱心でも、瀕死の者が襲いかかる
懸念にゃあ止めを刺す云うことにゃあ淡白なんかのう。
広島の兵隊やヤクザも止めを刺すが、関東のヤクザや兵士は拳銃の殺害でも
飛び道具のように使う。安倍譲二氏はそう云われる。
広島の者は拳銃を、引き金を引くドスじゃ思うとる。わしゃあ
戦争体験者からも、そう利用するんが本当じゃ云われたし、至近距離や更に
相手の体に密着させ射つんが本当じゃ。
距離が離れるほど殺傷率も下がろうに。関東兵が強姦した女性を背後から
射殺したんも、飛び道具として使用し、止めを決める道具としての意識が
薄いんじゃないか。
847 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/06/29(日) 23:06:34 ID:KAXDV29l
>>844 シャバで刀を振り回す云うて、戦前の右翼らがお互いに日本刀を振り回し、
相手の距離に到達せず、長時間頑張っとったことか?
戦争で前線におった兵士じゃったら、相手を殺害するんは簡単な手段じゃ
けんのう。
武道をやっとるもんが捕虜中国兵を素手で殺害しようにも、一撃必殺とは
いかんかったことは、戦前特務機関で大陸へ行かれた合気道の塩田剛三氏も
云われとるのう。武術家、格闘家より、百姓兵士のほうが、殺害錬度も
上じゃ。まさに一撃必殺じゃけんのう。
そういやあ、昨年広島の胡通りでも、通り魔事件があった。秋葉原のような
殺戮にならんかったが若い女性の方が重傷になった。その後のことは
報道せんようになったけえ知らん。
2、3名で犯人を取り押さえ警察が逮捕した云うことじゃが、
繁華街に不法自転車駐車が取り締まりで減少したことも問題があるんじゃ
ないか。不法自転車であろうと、襲撃者を撃退するんに有効な道具じゃ
けんのう。放置自転車を襲撃者の足元に投げ相手の動きを止めるんも、
有効な自衛手段じゃ。襲撃者を攻撃する場合は過剰防衛になろうがのう。
市民に襲撃者から守る権利を法で奪うんも可笑しなわい。まあ平和都市の
綺麗な街造りで、猥雑なもんを排除したいんじゃろうが、困ったもんよ。
848 :
人間七七四年:2008/06/29(日) 23:32:40 ID:nzEXensS
=゚ω゚) まーたホモネタかい!
至近距離や相手の体に密着させ射つんは処刑スタイルの撃ちかたの気がするがのう。
相手が素人か無抵抗だったんとちゃうか?
ちなみに水戸っぽはダーテーハーリー並み大型の軍用拳銃コルト44口径で
キチンと井伊さんをしとめちょるよ。
まあ・・・ 『腕の差』 だな。
九州の茶坊主上がりなら河上彦斎がおるのう。皇学、神風連じゃ。愉快愉快。
849 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/06/30(月) 00:27:55 ID:IExbL5r9
>>848 至近距離から射つほうが、確実に相手を殺せる。白兵戦でもそうじゃ。
拳銃は飛び道具じゃないんよ。相手との距離が離れるほど殺傷率が
下がるんじゃ。相手が抵抗しょうと無抵抗じゃろうと、最短距離が
相手の留めをさす最短距離じゃ。
コルトの口径が44と大きかろうが、相手と密着し距離を離さず殺すんが
常道じゃ。『腕の差』じゃのうて錬度と本人の決意じゃ。
水戸っぽは拳銃の使い方を未だ知らんのか。まあ思想性の強い水戸学の
朱子学からすりゃあ大した問題じゃないじゃろうが。
ニューハーフで去勢して男性を拒否した者なら兎も角、ぶら下げとるもんで
男性を喪失しとらんもんじゃったら、命を賭けて旦那を守るけんのう。
ヤクザでも確実に相手を殺害するんは、女役のあんこで、河上彦斎の
ような一見やさ男に見えるタイプじゃろう。
850 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 14:19:04 ID:T3Q3euKK
とりあえず日本語で頼む
851 :
人間七七四年:2008/06/30(月) 23:03:40 ID:kqd2dS5p
=゚ω゚) 井伊大老を撃ったコルトM1847っつーのは44口径、全重2kgもある超大型拳銃だっぺよ。
威力はグリズリーも撃ち殺すという357マグナムに匹敵すると言われる。
そんなん抱えて標的に密着できるわきゃねーべよ。
もともと日本で鳥銃が合戦に組み込まれたのも
戦場ではマン・ストッピングパワーが有効じゃったからだろう。
鎮西八郎萌え。
>850
=゚ω゚) えーと、日本語翻訳するとニューハーフのコルトは去勢されているので
飛び道具にならないと言う意味だと思う。
衆道とは死む事と見つけたり。葉隠ぢゃのう牛。
852 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/01(火) 01:34:48 ID:MVCzWk7O
>>850 日本語じゃのうて何語なら。じゃけえ、拳銃は至近距離ほど確実に殺せる
道具じゃ云うとるんで。
>>851 ほう、井伊大老の致命傷の銃撃説に変わったんか。内股を撃つんが大した
もんなんか?口径が大きいほど、破壊力があるけえ、少々急所を外れても
致命傷になるが、44口径でも確実に殺すにゃあ相手に密着して撃つんが
確実じゃ。遠距離じゃあ口径が大きい、破壊力が強い分反動も大きいけえ
マトが外れ易いデメリイトもあるけんのう。
拳銃は軽機関銃じゃあるまいし、遠距離で使う道具じゃないわい。
グリスリーに有効か知らんが、熊はナイフでも殺せよう。
刺したままにしとって、熊自身が刺さったナイフが抜き取れんことも
あるけんのう。冬眠で寝ぼけた穴におる熊ならまず斧で手を切断して
シゴをすることも出来るが不意に遭遇した場合は五分の戦闘じゃけんのう。
熊に対して口径の大きい拳銃で対処するにしても、下手に撃って負傷
さしたら、手負いの獣となり難しいど。出来るだけ接近して近距離から
撃つに越したことはない。度胸がいるが被我のサシの勝負よのう。
853 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 01:04:58 ID:PHZFgL8C
=゚ω゚) 体重120kg程度の月の輪熊でさえ槍を使うのに
体重3〜400kgのグリズリーにあえて接近戦を挑むとはさすが牛じゃのう。
ヒグマとじゃれ合うウイリーを思い出したわい。
854 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/02(水) 02:31:02 ID:H74oyHl9
>>853 残念じゃが、わしゃあ熊と勝負したこたあない。
槍は、白兵戦でも狩猟道具としても有効な道具じゃ。
江戸期民間で使うんは猪槍よのう。
ヒグマとじゃれ合う極真のウイリーか。ヒグマどころか人間相手でも
難しいのう。合気道の塩田剛三氏が日本軍の駐屯地で、武道の有段者が
捕虜の中国人を実験台にしたそうじゃが、簡単に死なん。捕虜の
「中国人は、目に日本人への憎しみを一杯にたたえ、この残酷なリンチに
耐えていました。相手がいつまでも死なないのを見てとうとうあきらめて
仕舞いました。相手の気力が充実している場合、普段では考えられない
ような抵抗力を発揮するからなおさらです。戦場における狂気が、
はからずも私にそのことを教えてくれました。
このエピソードのように、武道という素晴らしい文化も、使う人の心の
あり方次第で残虐な暴力行為に成り下がってしまうのだということを。
弱い立場にいる無抵抗の人間に向かって面白半分に叩きこまれる拳など、
もはや武道の名に値しません。」と。
(塩田剛三氏も軍の任務で人殺しが日常茶飯事の当時の上海へ行かれ、
フランス租界の大乱闘で割れたビール瓶を相手の顔面に突き立てる武勇伝も
もっておられたが、向かって来る相手じゃけえ、やもうえん。)
日本軍は、捕虜の無抵抗の者に対する残酷な行為をしたけんのう。
855 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 06:12:14 ID:5I2OKJN2
>>852 拳銃に限らず、何使っても距離が近い方が確実性があるに決まってんだろ
構える、狙う、撃つの動作を至近距離までわざわざ接近してから撃つ余裕があるなら
最初から文化包丁で十分だ白痴
856 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 10:01:53 ID:vVJ6feJU
>>854 スレ違い&捏造
アナタは在日でぷか?
中国人による残虐行為のが
酷かろうに…(T_T)
857 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/02(水) 21:59:26 ID:H74oyHl9
>>855 至近距離で、構える、狙う、撃つの教典通りにする馬鹿もおらんわい。
拳銃は口径が大きいほど引き金を引いたら、急所が少々ずれても、
相手に致命傷を与えるドスじゃ。遠距離から構えてた時点で相手も動く
わい。じゃけえ、出来るだけ相手を逃がさん近距離の方がええんじゃ。
>>856 塩田剛三氏の引用文のどこが捏造なら?
http://sassasa1234.seesaa.net/article/45339939.html この記事のコメントに、塩田剛三氏が陸軍大将畑俊六氏の甥であることや、
著書の「合気道修行」が出とるが、わしも「合気道修行」のP41と
P205の文を引用したんじゃ。
わりゃあ、自分で調べんで、人に捏造たあ何なら。わしゃあ在日じゃないし
デブはステレオタイプのネットウヨじゃろうに。
中国人の残酷さを馬鹿に出来んほど、日本人も酷いけんのう。
858 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 13:29:08 ID:IDgjA/hb
大口径拳銃を構えなしで撃つ馬鹿なんかいねーよ
反動で狙いも定まんねー上に肩ぶっこわれんだろーが
ハリウッド映画の見すぎ
859 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 13:31:23 ID:NrVxmQhJ
コンビニで「県対抗・戦国最強決定戦」」が出てるぞ。
860 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 01:04:14 ID:2gEoMbBp
広島のヤー公はロックマンってことか
861 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/04(金) 01:05:15 ID:85EUL+Og
>>858 大型拳銃で構えて撃っても、狙われるもんは動くわい。
大型拳銃で殴って、倒れた処を、直接胴体に当てて撃つ方が確実じゃ。
映画の見すぎはあんたじゃ。
862 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/04(金) 01:11:30 ID:85EUL+Og
>>860 広島のヤクザも、コルト45口径も使うたが、確率上至近距離じゃった。
その至近距離ですら、マトにかけられた相手は抵抗し動くけえ、
絶対は無かったのう。
863 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 01:16:18 ID:o6BbXP20
864 :
人間七七四年:2008/07/04(金) 22:15:09 ID:ONHbZIKi
最強は越後兵に決まってるだろ
865 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/05(土) 00:26:46 ID:JdWaWi1Y
>>864 越後兵は関東兵相手じゃったら強いのう。まあ関東甲信越限定なら
最強じゃろう。
866 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 01:01:01 ID:lbTxHMdR
馬鹿白牛って何だか可哀相だな。。。極度の依存症かアルコール中毒、もしくは薬物中毒じゃないでしょうか。。。
867 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 07:49:59 ID:CMVDE4c8
東高西低コンプレックスなんて西日本の田舎ではよく見る
868 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 08:31:21 ID:iivXNhpt
確かに中学の修学旅行で広島行った時、バスガイドさんが何か説明するたびに
「関東の方に比べれば田舎でしょうけど」
と付け加えるのが印象に残ってる
別に誰もそんな事どうでもいいし
自分の住んでる所と違うから観光に来てるのにね
869 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 12:35:51 ID:7+7uAxME
完全武装の仙台師団よりは、素手の広島師団の方が強い。
鉄パイプを持った九州師団よりは、素手の広島師団の方が強い。
まあ、そういうことだw
870 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 16:50:01 ID:BKk82aWA
越後兵は1人で関東兵5人に勝てる
毛利も謙信公を崇拝して使いをよこしたぐらいである
871 :
人間七七四年:2008/07/05(土) 20:12:48 ID:CMVDE4c8
帝國最強は一木支隊
信濃上野の木曽に惨敗越後
関東武士の移植地帯越後
上杉顕定の上州勢に攻められ逃走した越後長尾為景
歩鑓だらけの軍装越後
個人戦 甲斐・関東>越後
関八州古戦録の作者は越後上杉厨
873 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/06(日) 01:45:54 ID:BHNT3WSI
>>866 わしゃあ酒好きじゃけえ、アルコール依存じゃが薬中毒じゃあないど。
>>867 戦闘力は西高東低じゃけんのう。
>>868 その関東云うて東京の都会風景と絡めたんじゃないか。
広島の人間は北関東と東北の区別がつかん者もおるけんのう。
>>869 越後兵は仙台師団じゃったけんのう。越後の高田聯隊が中国軍に負けた
中島高地を広島聯隊は3分の1の兵力で守り抜いたこともあった。
じゃが完全武装や鉄パイプと素手じゃあ論外じゃろう。
>>870 毛利も謙信公を崇拝したんか?どがいな文体で?
>>871 さっき近代史板で中国のウイキを検索しとったが、旭川は出とらなんだ。
広島師団と金沢師団が最も強く、野蛮で剽悍なんは熊本師団じゃそうな。
>>872 蹂躙された劣等感よのう。越後百姓>関東武士及び百姓。じゃないか。
874 :
人間七七四年:2008/07/06(日) 07:22:55 ID:wqo9jQlL
牟田口(佐賀)杉本(福岡)富永(長崎)
流石、西日本は名将揃いだな
875 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 00:39:24 ID:Tgc6XI2X
>>832 関八州の謙信の扱いは強い馬鹿だから
謙信ファンとしては持ち上げたくないな
876 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/07(月) 00:57:43 ID:dbNtih81
>>873 の、中国ウィキの日本軍の兵団評価は、
>>774の近代史板の廣島連隊
スレに挙げたわい。
>>874 名将は今村均将軍を産んだ宮城県か。東日本の方が優勢かも知れん。
877 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 03:54:00 ID:wAZHNVmT
卑怯者しかいない土地柄が源田実のような畜生を育んだ
ピカは天罰だな
878 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/08(火) 00:54:57 ID:Z07azGLc
>>877 そがいな回答しか出来んのか。一体東日本人はどがあな教育を受けて
来たんかいのう。東日本は糞外道がえっと(多く)じゃのう。
879 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 01:20:42 ID:9i9PVetu
戦中、帝國における臆病者の代名詞が広島人だったのは納得
勇猛果敢な広島人は、自身は安全な所にいて前途ある若者を強制志願させ戦果軽微・被害甚大という無意味な自爆をさせる
これを畜生にも劣るド外道と言わずに何と言えようか
880 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 08:12:48 ID:Qg8QjYUA
>>795 何が「全く反論できない(>803で)」だ馬鹿野郎。
スレが復活してるのに気づかなかっただけだ。
ポリツエ文化と弥生文化の類似など、そんな古く大雑把な話をされても仕方ない。
土器は地域的にも時代的にも詳細に分類されてるからね。
事実を何度も言うぞ。
出雲に高句麗土器などかけらもない。
>わしは、土器及び出土品が民族移住に直結せん思う とるけえ
するよ。
大阪・長原遺跡からは金官伽耶の土器が多数出土してて、
伽耶からの渡来人の移住で間違いないだろう。
逆に韓国釜山・莱城遺跡、勒島遺跡などでは
九州系弥生系土器が出てるが、倭人の鉄採掘場であろう。
莱城遺跡では出土土器の94%にもなるからね。
881 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 23:58:07 ID:9i9PVetu
広島人を濃縮すると源田実になる
882 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2008/07/09(水) 01:51:07 ID:YKKhfgZN
>>879-881 相変わらず、臆病者の関東人の罵倒か。前途ある兵隊を
古参兵が訓練中に殺す関東兵団のことじゃろうに。
>>880 土器の類似なら弥生文化はポリツエ文化系になる。
ほいで、『後漢書』から奴国が倭人の最南端じゃけえ、倭人のほとんどは
朝鮮半島の住民じゃないか。その後、倭人の範囲は九州から日本列島と
広がって行くわけじゃが。倭人をあたかも列島原住民のように
誤解させる文を書くなや。
883 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 03:55:12 ID:vET05VuO
護衛なしで陸攻飛ばしてボコボコ墜とされる
装甲化の提案を「腕でなんとかできない奴はいらん」っつって軽戦闘機マンセーして熟練パイロット死にまくり
精鋭を引き抜いて俺tueee部隊を設立したが自己満で終わる
特攻隊を提案したら「じゃあお前1番機やれ」って言われ真っ青になって小便漏らす
政治家になってヤー公と結び付き私腹を肥やす
こんなDQN参謀はチキン大国広島ならでは
884 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 08:16:33 ID:J79vVjnO
>>880 弥生文化がポリツエ文化だなんだで論点をごまかすな。
君は出雲が高句麗に支配されたと断言した。
四隅突出墳墓の話もしてたから2、3世紀の話だな?
何の証拠もないのにいい加減な事を言うな。
発言を撤回しろ。
間違えてましたと書け。
なら広島出身のパフュームが可愛いので今回は許してやる。
885 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 08:21:02 ID:J79vVjnO
失礼、880でなく
>>882の間違い。
自分にレスしてどうすんだ…
886 :
人間七七四年: