◆◇◆幻の戦国大名 出雲尼子氏(其ノ五)◆◇◆

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1人間七七四年
2人間七七四年:2007/07/24(火) 08:56:18 ID:BGSHYQZn
3人間七七四年:2007/07/24(火) 09:55:38 ID:WzHNz2R+
>>1
乙ンデレ
4人間七七四年:2007/07/24(火) 12:50:41 ID:vApFPAZ8
4かの介
5人間七七四年:2007/07/24(火) 12:52:09 ID:vApFPAZ8
尼5
6人間七七四年:2007/07/24(火) 13:15:08 ID:6oIuQUCJ
早過ぎないか?
7人間七七四年:2007/07/24(火) 20:30:46 ID:6oIuQUCJ
○関連スレ
 【戦国屈指の】 毛利元就総合スレッド 【策君】:
 http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154094080/
 ◇◆◇西国の名門大名 大内氏◇◆◇:
 http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154888107/
 【六分一殿から】戦国山名氏【交代寄合】:
 http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151734735/
8人間七七四年:2007/07/24(火) 23:44:56 ID:sgcHaC9l
乙刈れ
9人間七七四年:2007/07/25(水) 00:02:45 ID:yYTLbYTa
>>7
この辺も

播磨赤松氏について語るスレ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153399640/
岡山県(備前・備中・美作)の戦国史
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171890434/

活動範囲が広いね
10人間七七四年:2007/07/25(水) 23:07:30 ID:27+3l7IS
戦国時代板のwikiです。
ご自由に利用してください。
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/pages/17.html
11人間七七四年:2007/07/27(金) 09:39:18 ID:wCcwaEve
12人間七七四年:2007/07/27(金) 09:49:39 ID:1MRrvA7x
13人間七七四年:2007/07/28(土) 00:55:30 ID:z8PA+8hL
14尼子経久を大河ドラマに!!:2007/07/28(土) 15:11:39 ID:yZE6Bmlm
尼子経久を大河ドラマに!

琉球の風は、沖縄県内の受信料支払い率が悪かったため、
その対策として企画された大河ドラマであった…

とすれば…島根県の受信料の支払い率が悪くなれば、
受信料の徴収率アップのため尼子経久が大河ドラマなるかも…

払うのやめよかな…と言ってみる…
ま、テロリスト鹿介でもいいがな
15人間七七四年:2007/07/28(土) 20:25:00 ID:M4eI5doD
山中“Che”幸盛
16小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/07/28(土) 21:42:09 ID:iBZjBsf+
↓上月城跡に行ったときに、尼子勝久公と山中鹿之助公、
上月城の篭城で散った城兵達に深い黙祷をしてきましたw

と、皆さんの尼子勝久公の評価はどんな感じですか?
(凡将?それとも名将ですか?)
http://p.pita.st/?m=gvmghnxt http://p.pita.st/?m=5yhjkquw
17人間七七四年:2007/07/28(土) 21:55:31 ID:1wUEwzB5
>尼子勝久

とりたてて功績があるわけではないが、
首謀者(立原&山中)がおめおめ生き残る中、
城兵の助命と引き替えに、責任とって切腹したのは偉かった
18名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 19:11:32 ID:dpjBj8Yt
切腹しても跡継ぎいなきゃ意味ねぇ
19人間七七四年:2007/07/29(日) 20:55:18 ID:5cxA7WZI
汚名を残すよりははるかにマシ。
20人間七七四年:2007/07/30(月) 09:41:31 ID:0+FanD2F
生き残って毛利に逆襲するのがはるかに良い。
鹿助は何度もそれを狙ってたわけだし。
21人間七七四年:2007/07/30(月) 10:18:41 ID:50brrbW/
>>20
鹿之助は正直すぎたために毛利に逆襲をすることができなかった。
22人間七七四年:2007/07/30(月) 22:08:48 ID:FS674Elb
立原は生き残ったけど、逆襲したか?
23人間七七四年:2007/07/30(月) 23:43:35 ID:yHap6Bzn
久綱の子も毛利庇護下で出家したよな
24人間七七四年:2007/07/31(火) 16:58:10 ID:F+MPC3DW
毛利に同情するよ。
世話まで焼かせて・・・。

しかし毛利が倫久辺りを対再興軍に充てたらそれはそれで
おもしろそう。再興軍の大半が自分の領地を取り戻したい
一心だから、倫久が来ようが、義久が来ようがどうでもないだろうが
倫久の采配が見てみたかった。
25人間七七四年:2007/07/31(火) 16:59:03 ID:xmLtqDV7
荒波の安倍号、どこへ…(上)「七難八苦…まだまだ改革」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=89802&servcode=200§code=200

> 「我に七難八苦を与えたまえ」
>
> 安倍晋三首相が自民党の選挙惨敗が確実視されると首相官邸のある側近に打ち明けた言葉だという。
>この言葉を初めて使った人は戦国時代、山陰地方の武将、山中鹿之介。主君として大名、尼子家が没落
>するや「必ず家門の再建を成す」と誓い、言った言葉だ。そうだったら、安倍首相が家門の故郷先輩でも
>ある山中の言葉をこの時点に引用したわけは何だろう。
>
> 安倍首相の言葉には「今度の惨敗で政治名門家の自尊心に傷がついた。決して、このまま退くことは
>できない。必ずその栄誉を再建する」という強い意志が集約されている。それは祖父岸信介元首相の
>長女であると同時に安倍首相の母親である洋子さんの意でもあった。そしてこれは29日夜、即刻「退陣
>拒否」発表となって現れた。


※この記事を書いたのは韓国人記者です
26人間七七四年:2007/07/31(火) 22:27:31 ID:k8rxyFPO
尼子残党軍の系譜なら、今回当選した亀井亜紀子女史が正真正銘の本物なのになー
まさに艱難辛苦を乗り越えた感じなんだが

安倍って山口だったっけ? ある意味いやがらせ?
27人間七七四年:2007/08/01(水) 03:26:29 ID:2RkovXWL
聞、臣住出雲者也。
今者雲出、陸奥叢雲者呑人、呑川、呑地、呑月山鳧。
掃山靄而見汝、吾但念、必擧尼子之家名、再興尼子之家門。
故請。

…願給與七難八苦於我。
28人間七七四年:2007/08/01(水) 09:43:22 ID:clr94enJ
>>19

そんなに勝久が憎いのか?
29人間七七四年:2007/08/01(水) 10:03:48 ID:2nDQfq+J
>>22
おまえさんは、逆襲するか・自殺するか の二択しかないのかい?
それはあんまりだよ。
30人間七七四年:2007/08/01(水) 10:23:31 ID:B/VKF8cN
後世まで御家・血統を残すのも、武士にとっては
立派な仕事だね。
31人間七七四年:2007/08/01(水) 11:36:55 ID:U5RnBbvj
勝久より鹿介の方がわからない。

>30
昭和の初めまで毛利の別邸に住んで
毛利にお世話になっていた尼子家はある意味すごいな。
なんで追い出されなかったんだろ?
32人間七七四年:2007/08/01(水) 13:45:57 ID:ITTxSEz4
江戸時代を通して毛利氏の家臣だったんだから
今更昔の因縁など持ち出すわけない
33人間七七四年:2007/08/01(水) 18:53:37 ID:U5RnBbvj
いや昔の因縁じゃなく、人様の家・・・しかも武士も廃れた昭和時代に
まで住んでて肩身狭かったりしなかったのかな?と思った。
家賃とかやっぱ払ってたのかな。
34人間七七四年:2007/08/01(水) 21:51:33 ID:bHh931cS
ニートじゃないんだからw
35人間七七四年:2007/08/01(水) 22:41:50 ID:IH9oLaJU
何でスレタイ「幻」なんだ?
36人間七七四年:2007/08/02(木) 01:09:07 ID:RIYQAy9c
案が出たから、
【八国守護】 尼子氏総合スレ 其乃弍 【中国の雄】
とでもしようかと思った矢先に誰かが三戦のスレタイで立てた。

スレタイからのみ言えば戦国板尼子総合スレ直系ではない。
37人間七七四年:2007/08/02(木) 01:25:03 ID:lXwMPpNw
つってもそれの前が幻の戦国大名っていうスレ名だったという話。
戦国板に移動して名前が変わった。

牛尾って経久追放に関ってたっけ?
38人間七七四年:2007/08/02(木) 04:46:20 ID:RIYQAy9c
三戦からの移民で総合スレ立てた身からすれば、ちと口惜しいというだけw
39人間七七四年:2007/08/02(木) 09:34:11 ID:PHxTvX+f
移民っつうか、埋め立て荒らしが発生して
その後なぜかこの板に建ってて困った
40人間七七四年:2007/08/02(木) 12:05:47 ID:RIYQAy9c
向こうは戦国物を邪魔扱いする事が多かったし、かなり荒れてたな。
板新設されたばかりでまぁいい環境だったし、趣旨にも合っておるかなぁ、と
41人間七七四年:2007/08/02(木) 20:08:24 ID:lXwMPpNw
なるほどね。
にしても前スレ地元民多すぎw
このスレ地元民何人いるんだよw
42人間七七四年:2007/08/02(木) 21:47:27 ID:Uokb85tN
とりあえず一人目 ノ
43普段はROM専:2007/08/02(木) 22:51:19 ID:cByhe8hq
44人間七七四年:2007/08/03(金) 02:28:55 ID:3BTNVHNX
ノシ
45人間七七四年:2007/08/03(金) 09:45:10 ID:0BSpCaRX
ノシ

>>40
三国志も戦国時代も分離して、三戦の立ち位置が微妙になったな
46人間七七四年:2007/08/03(金) 12:25:16 ID:3BTNVHNX
同意。昔はその手の板がなかったからな。
日本史・世界史板では手に余る奴らの需要が高まってた分もある
今は分裂して有志が離れていった事も相まり、ただの吹き溜りになりつつあるな

まぁこの話題はこの位で
47人間七七四年:2007/08/03(金) 13:11:06 ID:Fff+t1bU
ノシ

って結構多いな。
以前、前か前前スレに島大史学科の学生さんがおったけど
島大の史学科ってレベルどんなん?尼子氏についてとか史跡調査とかするん?
48人間七七四年:2007/08/03(金) 23:01:52 ID:MyKEmJ/8
( ^ω^)( ^ω^)
49:2007/08/05(日) 13:58:37 ID:r4Pl8Bao
出雲は神の国
50人間七七四年:2007/08/05(日) 21:42:04 ID:ArrnzyX0
再興軍の当主には新宮党の尼子誠久の四男の尼子勝久がなってるけど、
実は誠久の長男である氏久ってのが生き残ってて合流してる。
でもって一緒に自刃してる。

新宮党討伐のきっかけを作った人物とも言われているから鹿之介達も
当主として仰ぐ気にはなれんかったんだろうか。
というか、尼子が滅亡した時に毛利につかまることもなく、
それまでどこでなにをやってたんだろう。
51人間七七四年:2007/08/05(日) 21:48:17 ID:JdjdhLgC
浪人の基本の傘貼りに決まっておろうが!!

久幸の長男も氏久じゃなかったっけ?
52人間七七四年:2007/08/05(日) 22:56:28 ID:e4F08M1R
つ養子
53:2007/08/06(月) 15:19:48 ID:BxknSmKB
経久を大河ドラマにしてください。知らない人には、展開がみえなくて、面白いと思うので、是非大河ドラマに。
54人間七七四年:2007/08/06(月) 16:45:20 ID:9s6KvH1l
尼子三代でおk
55人間七七四年:2007/08/07(火) 19:37:27 ID:u2eNjPAK
いいよなー!尼子三代!
経久、晴久、勝久でおk?
56人間七七四年:2007/08/07(火) 20:21:21 ID:b9YLLi8Y
>>55
>勝久

 
「そんな餌に俺様が釣られクマ−−!!」

         \   ∩─ー、    ====
           \/ ● 、_ `ヽ   ======
           / \( ●  ● |つ
           |   X_入__ノ   ミ
            、 (_/   ノ /⌒l
            /\___ノ゛_/  /  =====
            〈         __ノ  ====
            \ \_    \
             \___)     \   ======(´⌒
                \   ___ \__  (´⌒;;(´⌒;;
                  \___)___)(´;;⌒  (´⌒;;

57人間七七四年:2007/08/07(火) 21:27:51 ID:u2eNjPAK
>>56
釣りじゃないっすよーw
義久だったら殆ど幽閉シーンになっちゃうでしょ。
ずっとお寺シーンで「…伝え聞く話では鹿介率いる一派が〜」
ってやる訳にもいきますまい。
58人間七七四年:2007/08/07(火) 21:55:21 ID:b9YLLi8Y
>>57
釣りじゃないとすると、君の尼子レベルはまだまだだぜ!
「晴久急死」から「第二次月山富田城籠城戦」までの流れで、
『神々の黄昏』じみたやるせなさを満喫すべし。
59人間七七四年:2007/08/07(火) 22:52:01 ID:u2eNjPAK
>>58
いや、個人的にそれはそれで見たい部類の話ですが、
(ていうか絶対録画したうえで全裸で生視聴レベルw)
鹿とか出さずにこのスレ以外のライト歴ヲタや
地元民がついていけるのか?という問題がありまして。

まぁ、妄想段階では変な縛り入れないほうがいいっすね。
スレ汚しすんまっそん。
60人間七七四年:2007/08/08(水) 09:49:55 ID:0gN3SuzC
60get!
61人間七七四年:2007/08/09(木) 12:05:23 ID:w7UswvIN
晴久急死と隆元急死はなぜ同時期?
62人間七七四年:2007/08/09(木) 22:57:48 ID:YA20KRSy
>晴久急死と隆元急死はなぜ同時期?

                        /
                 ぷちっ   /
         ∩___∩  .   从 /
         | ノ       ヽ      /
        /  ●   ● |  (=)ヽし
        |    ( _●_)  ミ/ ` ノ
       彡、   |∪|  ノ   /
         /   ヽノ     /  ノノ
         /         /
        /        /

           ムシャ         |
             ムシャ       |
      ∩___∩              |  ぷらぷら
      | ノ      ヽ        ((   |
     /  ●   ● |         J  ))
. ((  |    ( _●_)  ミ ・
    彡、   |∪}=) ,ノ ∴
     /    ヽ/^ヽ ヽ  。
     |      ヽ \ |
     |      ヽ__ノ


63人間七七四年:2007/08/10(金) 17:52:36 ID:nnYNlifl
謀多きは勝ち・少なきは負けるじゃ。それが戦の世に生きる男ありようだ!

64人間七七四年:2007/08/10(金) 20:59:48 ID:3sRDj2r6
>>63by毛利元就
65人間七七四年:2007/08/10(金) 21:01:17 ID:HqrX2tuf
ホントにそうなん?
66人間七七四年:2007/08/10(金) 22:35:35 ID:8gMIp21W
元ネタは「多算勝少算不勝」だね
孫子始計篇のどこかだったかな。

まぁハカリゴトが多ければ勝てると限らないのも、また戦国の常w
67人間七七四年:2007/08/11(土) 02:53:51 ID:CtL36kpt
本で読んだんだけど、猛将が多い山陰道方面には武勇にすぐれた吉川元春を担当させ、
謀将が多い山陽道方面に知勇に優れた小早川隆景を担当させたとか書いてあったんだけど、
結果論だよね?
68人間七七四年:2007/08/11(土) 05:24:37 ID:0NEFGgS/
経久公は、平和な爺で人生終わるくらいなら、血しぶきの吹き荒れる戦場で鬼となって
死するが本望とおっしゃられていたぞ。
69人間七七四年:2007/08/11(土) 18:05:13 ID:eOMQjmXq
お前らニコニコ見すぎだw
70人間七七四年:2007/08/11(土) 20:06:13 ID:hrWafg3T
>>67
結果論。
元々、吉川氏が芸北、小早川氏が備南を本拠とする豪族だから、
版図を拡大させるに当たって、地勢上山陰方面を元春、山陽方面を隆景が担当するのが自然。

猛将が多いとされる山陰だが、武田高信や南条・小鴨兄弟、山名四天王らは皆謀略大好きっ子だw
71人間七七四年:2007/08/12(日) 09:28:37 ID:9Yrhk1yY
吉川元春ってそれほど優秀とは思えんな。
吉川家臣団は精強な感じだが
72人間七七四年:2007/08/12(日) 16:23:33 ID:8LJocjMf
毛利が銀山を尼子と取り合いしてる間に桶狭間の合戦が起こっていた。
そして毛利が尼子平定後、大友や尼子残党に苦戦する間に織田は怒涛の勢いで上洛。

毛利がようやく中国平定した時には既に反信長包囲網は崩壊し、
織田の勢いは手がつけられない状態に。

全国に名を響かせた大内に続いて尼子をも下し、
もはや天下は我らのものと絶頂にあった筈の毛利はこの急展開にどんな気分だったろうな。
73人間七七四年:2007/08/13(月) 13:33:59 ID:E3dPbD5b
>もはや天下は我らのものと絶頂にあった筈の毛利
その妄想はどこからry

毛利は周防・長門征服後、大友、尼子、宇喜多・浦上、山名、三好等相手に
同時多方面作戦を強いられ、こっちを押せばあちらが押し返されるといった
泥沼にはまり込んでいる。

宇喜多と和睦し、三好は長曽壁に攻められて滅亡寸前、山名は内部分裂で
一息つけるようになったのが織田と敵対し出す頃

74人間七七四年:2007/08/13(月) 16:13:07 ID:8A56of8j
>>72
中国地方の平定すらされていないが?
72の言う中国地方って、長門以東〜ホウキ(変換めんどくせ)・備中以西なのか?
75人間七七四年:2007/08/13(月) 16:40:54 ID:bRVfWSwZ
76人間七七四年:2007/08/14(火) 09:44:56 ID:wqRDNvX6
三好は織田に滅ぼされた。
彫塑壁に滅ぼされたのは、残存勢力の十河
77人間七七四年:2007/08/14(火) 10:09:55 ID:cuRW3eBg
>>76
三好康長でググレカス。
それに十河は三好の基盤を継いでるんだから、
三好の残存勢力が十河ではなく、「三好」から「十河」に勢力の名前が変わっただけだ。
十河存保を三好と表記している資料もあるだろうが。
78人間七七四年:2007/08/14(火) 11:04:08 ID:wqRDNvX6
>>77
?だから三好の分家でしょ?宗家が滅んだんだから
その残存勢力でしょ?
79人間七七四年:2007/08/14(火) 14:21:01 ID:kxhQRNzZ
阿波の三好は義賢→長治→存保ラインで、織田に滅ぼされた訳ではありません。
内乱で長治が自刃した後、存保が勝瑞に迎えられていますので、
分家が残って抵抗しましたよ〜とは少し違うかもしれません。

スレ違いsage
80小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/08/15(水) 22:14:24 ID:EUcS/h1t
この盆休みに月山富田城跡と新宮党館などを散策!!
念願だった月山富田城跡に来れて、感無量でしたw
と、月山富田城跡の近くにあった尼子奥都城というのは、新宮党の居城だったんでしょうか?

↓月山富田城跡と尼子奥都城、尼子清定・経久親子の墓と尼子経久公&山中鹿之助公の銅像
http://p.pita.st/?m=bzrjkirw http://p.pita.st/?m=e5cwvsg0 http://p.pita.st/?m=e7vekgvw
http://p.pita.st/?m=dol8jbc8 http://p.pita.st/?m=q6llw2ui http://p.pita.st/?m=adwppzea
81さくら:2007/08/16(木) 01:05:14 ID:pFyOcIeY
尼子家のお墓(直系)のお墓がどこにあるのかを知りませんか?
82人間七七四年:2007/08/16(木) 01:15:45 ID:iK8kN8wC
>>81
直系子孫の墓石塔は、直系子孫の方々が直々に管理されているか、直系子孫の方々の菩提寺等が行ってる。
そこらにポンと置いてあったり、観光ルートに入ってたり、そうそう皆が知ってる物ではないぞw
83人間七七四年:2007/08/16(木) 14:11:31 ID:ApLzm3wA
>>80
奥都城というのは神式の墓のことです
新宮党館跡は尼子奥都城よりも南東側にあります
それはそうと貼られた画像がこれまたイイ!
84人間七七四年:2007/08/17(金) 00:34:27 ID:+i7haqrt
>>80
晴久公の墓がないようだが?
85人間七七四年:2007/08/18(土) 14:25:37 ID:cCr+t6rO
ヒドイハナシダナー
86小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/08/18(土) 22:50:12 ID:T0nQeyV7
>>83
ありがとうございます!!
“城”とついていたので、てっきり居城だったのかと思ってしまいましたw
(83さんに教えてもらわなければ、無知のまま終わってました…orz)

と、塩谷興久公の墓を見て思ったですが、興久が切腹して本当に経久は
落ち込んだのでしょうか?(半分諦めがあったと思うのですが…)

>>84
月山富田城跡に行った日の出雲旅行のコースが米子城跡→松江城跡→
出雲大社→鳶ヶ巣城跡→そして最後に月山富田城跡に来たのですが、
その時点で携帯のカメラでイロイロ撮っていたので、携帯のバッテリーが
三の丸付近で無くなったので、本丸及び晴久公の墓、そして興久公の墓が
撮れなかったわけですorz(オイラの目には焼き付いていますがw)
また訪れる機会があれば、絶対にカメラに収めたいと思ってます!!
87人間七七四年:2007/08/20(月) 01:37:01 ID:bmt1nCJN
鳶ヶ巣城跡ってメジャー?
画像ウプ希望
88小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/08/20(月) 21:49:54 ID:40HrOFMd
鳶ヶ巣城の城主をしていた宍道氏は、尼子氏&京極氏と同族とありましたが、
尼子氏と対立し、大内氏に属したとあるのですが(後に毛利氏に属したとも)、
対立した原因とかはあるのでしょうか?
(塩谷興久と同様、やはり所領問題なんでしょうか?)

と、87さんに↓の写真をw

○出雲・鳶ヶ巣城跡
http://p.pita.st/?m=0xulsoia http://p.pita.st/?m=pv5yifdt
89人間七七四年:2007/08/20(月) 22:18:27 ID:kiflc7YX
>>88
俺87氏じゃないけど乙!
二個目の田圃画像が凄く綺麗だったんで
俺も登ってみようかと思った


…けど、最後の写真で断念したw>あと1000メートル
90人間七七四年:2007/08/20(月) 22:43:53 ID:wFFUSLxd
>>88
>対立した原因
「吉田郡山城の戦い」で尼子が敗北した直後に、大内方へ寝返った裏切り者
「第一次月山富田城の戦い」で大内が敗北したため、一緒に国外退去
91人間七七四年:2007/08/21(火) 12:36:25 ID:lmPu9LH8
>断念した
なんというヘタレ
9287:2007/08/21(火) 22:47:46 ID:a22thrav
>>88サンクス!!
けっこうメジャーだったんだと感動した。
いい画像サンクス!
93小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2007/08/21(火) 23:25:03 ID:hKBbBNDu
鳶ヶ巣城跡の写真、喜んでもらいオイラ自身も嬉しいです!!
と、1000mとありますが、麓から山頂まで歩いて30分ほどで行けますので、
頑張ってトライしてみて下さいw
(山頂からの眺めは“本当に”素晴らしいですよ!!)

>>90
尼子スレor尼子好きの皆さんには、とても許し難き宍道氏ってところですね?
(ある意味、先見の明はあったのかもしれませんがw)
と、尼子家の運命を左右した合戦は、やはり“吉田郡山城の戦い”だったんでしょうか?


てなわけで、あまりコテが長居すると、スレの方々に迷惑になりますので
そろそろロムに専念させてもいますw
(近いうちに、尼子氏発祥の地・滋賀県の犬上郡甲良町尼子周辺に行く予定
 ですので、その時にはレポートを兼ねた書き込みをさせてもらいます!!)

最後に、宣伝で申し訳ありませんが↓のブログを始めてみたので
http://blog.livedoor.jp/honobono2007/
もしよろしければ気軽に見て下さい!!
(歴史関係の書き込みもしていますのでw)
94人間七七四年:2007/08/22(水) 00:15:34 ID:iloAbXsg
>>93
尼子の運命を左右したのは吉田郡山城の戦いもあるが
他に義久の問題、晴久の寿命、鰐淵寺、新宮党とかいろいろあるらしい。

井上粛清と同じように新宮党を利用しまくってから粛清すればよかったんだって
よく小説とかで見かけるが、その場合区切りってどこだよ
っていつも思う。

ところで尼子氏関係のオススメサイトってあります?
95人間七七四年:2007/08/22(水) 03:24:06 ID:vlpGhv0R
もう既に利用出来るだけする、なんて考えが浮かばないとこ迄行ってたのかもな
96人間七七四年:2007/08/23(木) 00:02:53 ID:tBajyJjo
>>93-94
吉田郡山城の戦いは収拾したからあんまり影響は…
もともと大内から売られた喧嘩だし。
アレを原因にカウントすると、経久時代の負の遺産とかも考えなきゃならんしなー
97人間七七四年:2007/08/23(木) 00:09:22 ID:ZO+tdYPX
毛利の勢力を備後・石見から駆逐して優勢だったのを台無しにしたような>>吉田郡山城の戦い
出雲攻めで守り勝ったとは言え、結局毛利に安芸・備後を制圧されたし。

仕方なく東を攻めるけど一時的な進出で終わって領地は大して増えなかったし。
一番は晴久急逝と後継の義久の「平和外交」だろうけどね・・
98人間七七四年:2007/08/23(木) 23:04:21 ID:VfjVeBa0
ちなみに鳶ヶ巣城の近くに、隆景が小早川家に養子にいくきっかけにもなった、
小早川正平が戦死した場所がある。一応墓か碑らしいものがある。
99人間七七四年:2007/08/23(木) 23:13:48 ID:a30Tcdt3
>>97
吉田郡山城の戦いの当時、石見は大内氏が優勢だろ?
むしろこの戦いののち石見の大内勢を撃破して銀山を入手するわけだし。
時間軸狂ってないか?
100人間七七四年:2007/08/24(金) 22:45:41 ID:c87w6VH0
>>97
小弐氏を滅ぼした大内が安芸・備後に押し寄せる
         ↓
尼子、石見・安芸で大攻勢。国人衆を多数味方に付ける
         ↓
よーし、パパ吉田郡山城を攻略しちゃうぞー

 
って感じだったような…、忘れた。
101人間七七四年:2007/08/25(土) 21:15:41 ID:T6Ui1HS2
パパwww
102人間七七四年:2007/08/25(土) 23:03:16 ID:VscrnXms
パパ張り切りすぎワロタ
103人間七七四年:2007/08/27(月) 10:23:36 ID:pFEibewc
吉野家w
104人間七七四年:2007/08/29(水) 09:43:38 ID:AGUWllhV
いつのだよww
105人間七七四年:2007/08/31(金) 10:28:42 ID:ZmS1y4tt
鹿之介を無双に出してくれ
106人間七七四年:2007/08/31(金) 10:53:14 ID:RY8ZnSBq
>>105
お前じゃ低能だから無理だなw
107人間七七四年:2007/08/31(金) 12:16:38 ID:D6OGtlRn
鹿介がでると余計なものがもれなくついてくるから
むしろ出ないで欲しい。
デザイン終わってるから、あのゲーム。
108人間七七四年:2007/09/01(土) 02:23:22 ID:spkmgo4w
>>106
あたりまえだろうがw
KOEIの社員なら可能かもしれんが
109人間七七四年:2007/09/01(土) 07:26:02 ID:wSmyyD9O
>>107
デザインも、設定もだろ。
十中八九、「忠義」だの何だの連呼する暑苦しくうざったいキャラに成り下がる。

絶対にセーラー服のチビデコキャラにはならないからな…
110人間七七四年:2007/09/01(土) 15:14:53 ID:Y1F494VN
そういうのを鹿に求めるんだったら、とりあえず尼子勝子で検索かけとけ。
ナックルダスター装備した鹿が拝める。
111人間七七四年:2007/09/02(日) 16:19:43 ID:UfxFYtXC
>「忠義」だの何だの連呼する暑苦しくうざったいキャラ

馬超かw
112人間七七四年:2007/09/02(日) 21:22:37 ID:NPAwn/Ep
長州の萩の町には今も尼子家ゆかりの人たちが多くすんでる。
尼子家滅亡の後多くの家臣が毛利家に吸収され広島に行き、その後関ヶ原で萩の町に
やってきた。
萩の町には大内、尼子といった毛利と死闘を演じた家の家臣の苗字が、今も多く残っているよ。
113人間七七四年:2007/09/03(月) 02:05:37 ID:RWaG69YF
まあ、一番濃いのは津和野なんだがな
114人間七七四年:2007/09/03(月) 10:45:22 ID:HRiiU6oU
おっと・・・・
115人間七七四年:2007/09/03(月) 20:02:31 ID:GLbdSUQf
晴久は明石城を落としたりしているけれど上洛するつもりだったのだろうか?
116人間七七四年:2007/09/03(月) 20:43:44 ID:y6Jx1fzw
向こうは上洛して欲しくなかったみたいだけどね
117人間七七四年:2007/09/04(火) 20:23:30 ID:08kDC3Ku
ぶっちゃけ幕府への嫌がらせが目的だからな
118人間七七四年:2007/09/05(水) 10:10:58 ID:sYDLQnlu
さすが尼子
119人間七七四年:2007/09/05(水) 21:53:07 ID:dAExBXnV
まさに人の嫌がる事を進んでやるタイプだな。
120人間七七四年:2007/09/06(木) 09:49:34 ID:3krDr/Lg
いやいや、尼子経久が幕命無視で国内の領主を
全員敵にまわした経緯があるからだろ
121人間七七四年:2007/09/06(木) 10:44:50 ID:DVzMRjPp
そうだ!
前田智徳だ! >>山中鹿介役
122人間七七四年:2007/09/06(木) 21:51:03 ID:xNRZ6Y7A
前田ワロタw
123人間七七四年:2007/09/07(金) 10:03:21 ID:eP/nZDQL
123get!
124人間七七四年:2007/09/07(金) 23:49:42 ID:T5u75b8r
最近長谷川博史氏の著書を読んでいないが
前スレ辺りで経久派になっていったねというレスを読んで
死んでも尚人を魅了する経久の凄さを思ったよ。
といっても戦国大名は現代人を魅了し続けているけどさ。
125人間七七四年:2007/09/08(土) 02:58:46 ID:N/Hm1FoF
>経久賛美
正直、藤岡大拙に対するリップサービスっぽい感じもした
126人間七七四年:2007/09/08(土) 10:34:48 ID:jvKVDT+A
>>121
( #^ω^)ビキビキ
127人間七七四年:2007/09/08(土) 12:44:50 ID:jWbQ3tAk
ハードボイルド作家の西村寿行氏が亡くなったんだね。
新宮勝久が主人公の「秋霖」は、時代小説としてはちょっとアレだが、
バイオレンスロマンとしてはおもしろかった。合掌。
128人間七七四年:2007/09/09(日) 00:02:13 ID:40Hhoq8d
新宮党は領民からの評判はどうだったん?
129人間七七四年:2007/09/09(日) 04:36:26 ID:QlzqaOG9
毛利は水道を掘りそこから攻めたが、なんと敵と鉢合わせになった。
白鹿城の落城が近くなると、尼子側が水道を埋めちゃいました。って大河の毛利元就
で言ってたけどどうなんだろ?そんな話聴いた事ないんだけどな。
130人間七七四年:2007/09/09(日) 18:50:21 ID:C/uZsn+P
>>129
「水道」じゃなく「隧道」(トンネル)な。
トンネル合戦なら駿河かどっかで武田もやってるが、例の少ない話なので戦国マニアはまず知ってる。
ちなみに毛利好き・尼子好きなら知ってて当然のレベル。
聴いたことがないってのは、目にした資料が少ないか、偏ってるかのどっちかだろ。
131人間七七四年:2007/09/10(月) 10:58:57 ID:MlPOF3nq
みなさん桑Cですね
132人間七七四年:2007/09/10(月) 19:18:26 ID:sn/un2ys
>>130
武田の場合は金堀衆を呼んだんですよね?
毛利も銀山の堀方とか使ったんでしょうかね?
133人間七七四年:2007/09/10(月) 21:01:54 ID:6AhB/F5/
>>129
白鹿城の地下での戦いは毛利が撃退されたんじゃなかったっけ?
でも地下でつながるなんて話自体が嘘臭すぎるので作り話だろうけどね。
134人間七七四年:2007/09/11(火) 21:36:02 ID:8T6WEX8V
尼子経久って?よく毛利厨が元就じゃ信玄になかわなくなった時に
最終兵器として出す足軽大将のことですか?(笑)
135人間七七四年:2007/09/12(水) 03:16:19 ID:S+tmN2XE
>>133
毛利方が穴を掘った目的は、糧道封鎖に次する城内井戸の地下水脈を断つ為だから、尼子方も馬鹿じゃない。
井戸から水脈を推察して穴を掘り始めるだろ。隧自体も蟻の巣状にあっただろうし。
どう見ても、尼子方の穴掘り目的は隧道内外の毛利方駆逐と水源の安全の確保な訳だしね。

まぁ、現実的に考えるとトンネルとトンネルが地下でかっちんこするなんてありえんわなw
136人間七七四年:2007/09/12(水) 19:37:23 ID:NdU6KzwG
>>135
タイムボカンシリーズだったら狙ったかのようにカッチンコするけどね。
137人間七七四年:2007/09/12(水) 21:58:37 ID:UElXHLRo
>>134 メガトン?
このスレでは経久の評価は、一般より低いですが何か?
つーか、毛利厨(?)がよく引き合いに出しているのは、基本的に晴久時代の尼子氏なんだが。
「優秀な経久が死んで良かったねー」とかほざいてるのは、武田厨(?)でもメガトン1人
138人間七七四年:2007/09/12(水) 22:39:08 ID:IVWowTZn
元就が晴久が死んだ時、一度で良いから旗本同士戦いたかったって
軍記物に書いてあったが、吉田郡山城戦の事忘れちゃってるぜ爺ちゃん。

毛利が本城との戦に長引いているのは晴久による謀略も
手伝ったんでしょうか?教えて先生!!
139人間七七四年:2007/09/13(木) 03:32:34 ID:M5EXNZel
>>138
山吹城は力攻めでは落とせない断崖絶壁の城。
ここを落とすには結局補給路の遮断しかなく、
その補給路を抑えるにはその経路からさらに背後の城が焦点に・・・みたいな構図。

忍原崩れではそこをめぐる戦いに毛利が敗れて銀山を失陥している。
逆に力攻めで決して落ちない山吹城は孤立すると即座に降伏・開城している。
140人間七七四年:2007/09/13(木) 09:46:38 ID:XsmjN5bp
本城はどうなんだろう
名将の類に入るのかな
141人間七七四年:2007/09/13(木) 20:39:08 ID:SRcsCUua
名将とも凡将とも言い難いがなぁ
142人間七七四年:2007/09/13(木) 21:04:54 ID:J90oXEG7
でものぶやぼだとめっちゃ強いんだよな〜。
前半は本城と晴久後半は鹿介。
143人間七七四年:2007/09/14(金) 11:55:19 ID:7gTcUgJD
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丶丶丶澁籬櫑櫑櫑櫑櫑櫑置丶筍綴綴諜冖丶丶三瀰欟欟欟欟欟覇
丶誕櫑櫑櫑櫑櫑櫑櫑欟櫑置丶勺朔薪丶丶丶丶勺欟欟欟欟欟櫑櫑
144人間七七四年:2007/09/15(土) 01:52:37 ID:oshAkp5U
144分の一スケールの月山富田城が欲しいお
145人間七七四年:2007/09/16(日) 20:41:26 ID:ao9O7WzS
>>143
すげぇw
146人間七七四年:2007/09/16(日) 22:17:11 ID:Kc2azMQH
最近、wikiの尼子晴久の項が、頻繁に更新されているんだが
「愛」溢れまくっているのは正直嬉しいものの、史料的な裏付けが薄い感じがして不安。
147人間七七四年:2007/09/16(日) 23:55:01 ID:PKJjjhdD
すまん、また改変してしまったw
148人間七七四年:2007/09/18(火) 00:03:57 ID:N/K2wy1v
wikiのアレいくらなんでも持ち上げしすぎている感が否めないな。
晴久の汚名返上はできるが、義久となると難しいよな。
149人間七七四年:2007/09/18(火) 11:57:17 ID:ojFYx0g0
新宮党の件は晴久に落ち度無い
150人間七七四年:2007/09/18(火) 18:26:56 ID:pzIB3gVD
まあ、晴久は普通に優秀なので、功績を並べると充分擁護になるんだけど

 
義久は…
151人間七七四年:2007/09/18(火) 20:36:19 ID:kLcvcLfF
義久とその弟達は、尼子の血統を絶やさなかったことだけが
唯一の功績
152宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/09/20(木) 04:13:22 ID:QJakwW0i
出雲の国人赤穴氏が尼子経久に服したのはいつ頃からでしょうか。
文書から推定すると、永正12年(1515)〜15年(1518)までの間のようですが、
具体的な年月が良く分かりません。

詳しい人良かったら教えてください。
153人間七七四年:2007/09/20(木) 08:51:26 ID:GPzVdK5h
うおお、出勤前に覗いたら濃いネタが…

>>152
むぅ? 文書のネタもとは何かな?
『戦国大名の領主層掌握について−出雲尼子氏を例として−』 だったら
それ以上の事は教えられそうにない。

あ、いかんそろそろ会社行かないと…
154人間七七四年:2007/09/21(金) 10:11:27 ID:b4hEx4kh
毛利に下った三刀屋家はどうなったの?
155人間七七四年:2007/09/21(金) 20:16:06 ID:k/afRz/4
徳川氏に謁見した事を輝元に咎められ
追放されたんじゃなかったかな。
156宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/09/21(金) 21:33:15 ID:2Ww15wDj
>>153
出典元は確かにそれです。
この記事の置文によると、永正12年(1515)2月に、佐波誠連が佐波氏の名代として
赤穴郡連を経久のもとに出頭させようとしたようです。
最初は経久により拒否されたようですが、郡連が、

「ともかくもと候へハ外聞も如何候間名代として罷出候、於旨儀者佐波へ御とゝけ
あるへきよし…」
と主張したので経久も対面したとあります。

この時点では郡連は佐波氏の家臣ですが、永正15年(1518)経久より知行安堵を
受けています。
この間の事情が知りたいのですが、やっぱ不明なんですかね…

↓ちなみに赤穴氏についてはここに詳しいです。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/akana_kz.html
157人間七七四年:2007/09/22(土) 08:16:15 ID:ZEfXaNrO
>>156
>出典元は確かにそれです。
んむ、なるほど。
『戦国大名の領主層掌握について』 がネタ元となると、
それ以外の情報源が必要やね。

すると、一次史料である古文書には、新たに発見されたものは無いはずなので、
新しい視点による考察の紹介になるか。

自分が知りうる限りでは、
長谷川博史 著 『戦国大名尼子氏の研究』 のP37 で

「永正15年以前に実現した塩冶氏掌握と、密接に関わっていたのではないか」

と、推測されてる。

 
>この時点では郡連は佐波氏の家臣
いや、家臣と言うより本家-分家の間柄。
赤穴氏は、本家・総領である石見国の佐波氏に従うとともに、
出雲国人として出雲守護・京極氏の守護権にも従う、「両属」の状態だった。
158宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/09/22(土) 19:26:02 ID:u2MVWRrs
>>157
なるほど、詳しい説明ありがとうございます。
良く分かりました。
『戦国大名尼子氏の研究』読んでみます。
159人間七七四年:2007/09/22(土) 23:42:33 ID:5cHENlJE
佐波隆秀age
160人間七七四年:2007/09/23(日) 23:33:38 ID:edz8S1us
当時の出雲には平城って無かったの?
161人間七七四年:2007/09/24(月) 00:17:28 ID:qpNO54VP
その当時がいつの当時かによる。
162人間七七四年:2007/09/24(月) 01:13:37 ID:l9Sp/w7K
戦国大名尼子氏の研究は2000年に出版されたんだよね?
にも関らず今じゃ手に入れるの難しい。
どんだけ尼子が人気が無いのかよくわかる。
163人間七七四年:2007/09/25(火) 10:07:32 ID:tZXcnHhS
(´;ω;`)かわいそうです
164人間七七四年:2007/09/26(水) 20:47:02 ID:TzqV0ahw
しかし、よく出家してた勝久を見つけられたよな。実は偽者だったりしてw
165人間七七四年:2007/09/26(水) 20:54:47 ID:T2gbynml
偽者だとしたら
「誰でも良かった、切腹させても問題ない」
という事で鹿介は生き残ったのか。

そんな事言ったら神西犬死だな。
166人間七七四年:2007/09/27(木) 09:49:07 ID:eJKoMRPb
微妙にひどいw
167人間七七四年:2007/09/28(金) 13:40:40 ID:WyQeOXDP
結局、反毛利勢力を糾合する象徴なら誰でも良かった気がするな。
168人間七七四年:2007/09/29(土) 15:37:27 ID:EakKkAiM
晴久が討ちもらしたとしても普通見つからないだろ。
まぁ家紋とかそれっぽいのを持っていたら話は別だけど。
もしかしたら自称だったのかもしれん。
169人間七七四年:2007/09/30(日) 00:38:15 ID:sQtKKJBK
自称?まぁさぁかぁ
170人間七七四年:2007/10/01(月) 10:28:14 ID:2TpEUKap
山名とは仲悪かったの?
171人間七七四年:2007/10/01(月) 11:17:11 ID:bgv7/yC7
>>170
16世紀に限ると、因幡山名氏である山名誠通や山名豊数・豊国兄弟とは一応協力関係にあった。
誠通は対立する但馬山名氏への対抗上後背に位置する尼子氏との協調関係は不可欠だったし、
特に豊国は下克上を狙う武田高信に対抗するためにも尼子氏とは良好な関係を望んだ。

16世紀前半
尼子+因幡山名誠通vs但馬山名氏

16世紀後半
尼子+因幡山名豊国vs武田高信+毛利
172人間七七四年:2007/10/01(月) 12:25:09 ID:oJ4/eN27
美作地方は完全に領していたのか
作州合戦では浦上勢を破っていますが、どうなんでしょうか?
173人間七七四年:2007/10/02(火) 01:36:16 ID:fRQH5NXD
8割おさえたけど、残り2割が浦上宗景についてた模様。
宗景の本拠地、備前にも尼子方はいたので、どちらが有利とも言いきれないが。
174人間七七四年:2007/10/03(水) 09:49:12 ID:yK27SurW
宗景って守護代だっけ?このころの国主は守護代多いなぁ
戦国期の守護代っておいしいな
175人間七七四年:2007/10/03(水) 17:57:15 ID:EtqLQNWR
兄貴の浦上政宗が守護代。

浦上宗景は、尼子の攻撃に対抗するため生まれた新興勢力で、基盤は国人衆の連合体
176人間七七四年:2007/10/05(金) 01:44:02 ID:6QHwrytL
十勇士を作った奴の感性が分からん。
実在も分からない奴よりももうちょい有名な
重臣を当てろよとか思ったりする
まぁ小説に文句言ってもしょうがないんだろうが。
177人間七七四年:2007/10/05(金) 19:35:56 ID:FFwyC5/j
>176
小説じゃなくて江戸時代だかの講談が起源では?
大衆向けの物語だから変わった名前の奴のほうが
当時はウケたんでしょう。
178人間七七四年:2007/10/08(月) 17:26:05 ID:65FKa/bM
>>176
あまり尼子におもい入れは無かったんじゃね?
179人間七七四年:2007/10/08(月) 20:05:14 ID:1JyP2kSH
>>176
真田十勇士の二番煎じでは?
180人間七七四年:2007/10/09(火) 02:17:49 ID:3uGhzl2l
>>179
逆じゃね?
181人間七七四年:2007/10/09(火) 03:06:19 ID:f+0pfoBJ
>>179
「真田十勇士」の成立は明治〜大正時代(「立川文庫」)だぞ?
勿論江戸時代に編纂された「真田三代記」などに彼らは登場しているが、
十勇士としてまとめられたのは立川文庫以降。
「尼子十勇士」(尼子十介・尼子十助)は江戸時代(「常山紀談」ほか)からある。
>>180の指摘の通り、「尼子十勇士」を元にして成立したのが「真田十勇士」と言われる。

そういや尼子も真田も十勇士の実在非実在について文献名を挙げて調べてるところがあるな。
182人間七七四年:2007/10/09(火) 07:38:13 ID:eoPbcUif
デッド・オア・アライブの介
183人間七七四年:2007/10/09(火) 08:01:27 ID:lMCyjAbb
じゃあ自分達で尼子十勇士選ぶとしたら誰にする?
立原久綱や神西元道あたりかな?
184人間七七四年:2007/10/09(火) 23:32:54 ID:/AWMeM89
亀井とか横道。あと一応奮戦したから米原も。
185人間七七四年:2007/10/11(木) 10:07:12 ID:mwOgec59
多胡辰敬
186人間七七四年:2007/10/11(木) 16:31:50 ID:HzmBeWdw
最盛期だと百万石ぐらいあったの?
187人間七七四年:2007/10/12(金) 11:30:01 ID:y6JqS6OE
無理

最大でも四カ国ぐらいしか支配してないし
188人間七七四年:2007/10/14(日) 16:10:27 ID:PBq0oQwW
11ヶ国守護じゃないの?
189人間七七四年:2007/10/14(日) 16:49:35 ID:QNsnqZzA
11カ国の守護職に任命された記録などないw
190人間七七四年:2007/10/14(日) 20:53:37 ID:XWRvChx5
そうか、遂に尼子も六分之一殿かw
191人間七七四年:2007/10/14(日) 23:31:20 ID:N2v/gUOe
11ヶ国の守護の記録はないけど経久は10ヵ国の国司に任命されてるな。
192人間七七四年:2007/10/15(月) 19:59:25 ID:80oVvffZ
初耳だな。ソース希望
193人間七七四年:2007/10/15(月) 21:32:09 ID:HobPgnvW
「雲陽軍実記」か何かで尼子経久が「陰陽十一州の太守」。
足利義晴から尼子晴久が八ヶ国守護職。
10ヶ国の国司ってのはオレも初耳だ。
十ヶ国というと毛利元就じゃなかったか?
194人間七七四年:2007/10/17(水) 10:18:01 ID:p/qR6hEP
>>188
山名ww
195人間七七四年:2007/10/18(木) 14:40:31 ID:b6+S0xRa
山名のあの衰退っぷりはすごいな。
山名がちゃんとしてればなぁ…山陰はもう少しマシだったかもしれないのに。

それにしても鳥取城は風呂焚きに使われたって聞いて涙が出ましたよ。
196人間七七四年:2007/10/18(木) 18:39:36 ID:rjwxdkoY
米子じゃあ
197人間七七四年:2007/10/19(金) 10:16:25 ID:+48D8OGO
山名は何であそこまで没落できるかね・・・・
198人間七七四年:2007/10/19(金) 21:06:05 ID:XxKBCWHf
祐豊が反撃してきたが?
法名・宗詮は痛いが
199人間七七四年:2007/10/21(日) 00:06:13 ID:j/yn9rze
祐豊は隠れた良将
200人間七七四年:2007/10/21(日) 01:01:49 ID:I85Vc/tZ
>>195-199
【六分一殿から】戦国山名氏【交代寄合】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151734735/
201人間七七四年:2007/10/21(日) 03:31:38 ID:DufSDu+K
経久誉めまくって、色々貰いたいな
202人間七七四年:2007/10/21(日) 03:42:18 ID:CRJKbbVf
>>301
扉から入らないほど大きな物だとザクザク切られてから送られてくるぞw
203人間七七四年:2007/10/21(日) 20:13:48 ID:1UB/Qzey
飯梨川の砂利が大量に201の部屋に届くとか
204人間七七四年:2007/10/22(月) 00:21:32 ID:fVDOFZhT
経久が松の木を送ろうとしたのは
松くい虫にやられてたからだよ。
ケチな経久がそうやすやすと人にあげるもんか!
205人間七七四年:2007/10/22(月) 10:02:02 ID:CzM4kKhB
>>204
ビキビキ
206人間七七四年:2007/10/22(月) 20:42:32 ID:VdhN7T67
そこまで褒めるのなら、たいそう気に入っておるのであろう。
誰ぞ204に城内の松くい虫を千匹程送ってやってくれ。
207人間七七四年:2007/10/23(火) 01:16:40 ID:jU27d+JO
スイカは皮が透けるまで食べる主義
208人間七七四年:2007/10/24(水) 10:03:19 ID:/C+nrlWs
>>206
(´;ω;`)かわいそうです
209人間七七四年:2007/10/26(金) 01:16:56 ID:+FaeHfWB
かなりの亀レスで申し訳ない。
前スレの
>399 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中[sage] 投稿日:2006/12/10(日) 13:51:54 ID:9YvaESC1
>ちと話は変わるが、刺賀岩山城が落城して多胡辰敬が死んだのが
>永禄五年一月五日だと本で読んだんだが、
>情報源となった史料が分かりませぬ
>良ければ誰かご教示くだされ〜

情報源見つかりました。「多胡系図」らしいです。(by出雲尼子一族)
でもこれだと永禄五年二月五日なんだよな〜やっぱ違うかな。
210人間七七四年:2007/10/26(金) 10:12:18 ID:mc5lXgm8
多胡さんは生きていた!
211人間七七四年:2007/10/26(金) 10:17:44 ID:4heTfK6z
第二次月山富田城攻めの互いの兵力はどんぐらい?
あまり差がなかったからあれだけ持ったのかなと
212人間七七四年:2007/10/27(土) 01:10:33 ID:fvMphCXQ
陰徳太平記によると二万六千らしいよ。
ちなみに吉田郡山城遠征時の兵動員数が三万。

晴久張り切りすぎだ。
213人間七七四年:2007/10/27(土) 01:16:26 ID:fvMphCXQ
ごめんごめん、互いだから
尼子軍の忘れてた。
尼子軍は約一万九百。
これも陰徳太平記ね。
ちなみに二万六千は毛利軍。
(毛利軍約三万で、尼子軍は約一万らしい)

本城が毛利にぬっ殺された時に尼子に戻った連中の中に
牛尾信濃守がいてワロタ。つか、松田まで寝返ってたんだな。
214人間七七四年:2007/10/28(日) 01:56:51 ID:0oo9aPbN
寝返り杉w
215人間七七四年:2007/10/28(日) 22:08:55 ID:ISn/6oTT
牛尾って尼子庶家ではないよね?
216人間七七四年:2007/10/28(日) 23:31:13 ID:2/hAEMtB
牛尾信濃守久信
太郎左衛門尉
毛利形となって後に天正14年討死 尼子晴久次男との説有

牛尾氏の由来
鎌倉時代、信州諏訪の豪族神(ジン)氏の一族で
中沢真直が所領牛尾荘に入った。
牛尾の地は大原郡海潮で、古代は得塩とも称し周辺に海水にちなむ地名が多い。
真直の子牛尾(中沢)信濃守の娘に、玉造の湯氏初代頼清の子が
娘婿として入ったのが佐世清信で、初めは諏訪姓を名乗ったが
後、大原郡の佐世に住み金剛城によって佐世氏を名乗った。
217人間七七四年:2007/10/29(月) 21:51:52 ID:ywV8pWqy
あああああああああああああああああっ!
大東の海潮温泉の!今気づいた!!!
なるほどー!
218人間七七四年:2007/10/31(水) 10:15:38 ID:ubNt0oYz
( ^ω^)?
219人間七七四年:2007/10/31(水) 12:30:12 ID:ajDlCTps
ゴメン、イミフでしたか…。
尼子配下牛尾氏と大東町海潮が繋がる事に今更気付いて驚いたと。
220人間七七四年:2007/10/31(水) 18:30:25 ID:qZ3jEC7v
>>219
今頃知ったのかよw
地元じゃ三歳のガキでも知ってることだぜ。
221人間七七四年:2007/10/31(水) 20:02:51 ID:ajDlCTps
大東では牛尾=海潮って有名なんか…
知らんかったす。
大東は桜井氏のほうが有名かと思ってたっす。
222人間七七四年:2007/11/01(木) 10:42:27 ID:fPCOSuiA
ある意味シャレだな
223人間七七四年:2007/11/01(木) 15:22:18 ID:Kq/TNmff
洒落者是如何?
224人間七七四年:2007/11/03(土) 00:32:35 ID:01yJIpXS
てすと
225人間七七四年:2007/11/03(土) 14:41:10 ID:GltqNR0U
>>220
そーい
226人間七七四年:2007/11/04(日) 21:37:35 ID:HCTPaHlJ
山中幸盛という本名が、世間に忘れられすぎなシカノスケ
227人間七七四年:2007/11/06(火) 10:30:14 ID:y/q9HuPm
尼子誠久はイケメン
228人間七七四年:2007/11/08(木) 09:59:54 ID:nhVSoNSZ
将星録限定じゃね?
229人間七七四年:2007/11/08(木) 17:13:16 ID:mE1Xm6IQ
お子守口と菅谷口から登城したことがあるんですが、
塩谷口から山中御殿跡までは前二カ所と比べていかがでしょうか?
遠くて険しい?
230人間七七四年:2007/11/09(金) 23:54:14 ID:ku4GleVR
きぶいしいです
231人間七七四年:2007/11/10(土) 08:20:28 ID:/m9BM+tM
御子守口も菅谷口も塩谷口も道は整備されておるゆえきびしゅうはない
晴久公の墓場付近からの搦め手に比べればの!
232人間七七四年:2007/11/10(土) 11:30:20 ID:6ytIwQ4V
あーやっぱり晴久の墓の近くって搦手だったのね。あれはちょっと自分には厳しいわ。
では今度は塩谷口から行ってみます。サンクす。
233sage:2007/11/10(土) 13:24:13 ID:Wjeiq22H
本当の搦め手は塩谷口ね
塩谷口は搦め手で尼子久幸の担当
菅谷口は大手口で尼子国久の担当
御子守口は町に出るだめの単なる横道
晴久の墓の道は最近の整備道なので山道

234人間七七四年:2007/11/10(土) 22:10:47 ID:BqZSOeRj
235人間七七四年:2007/11/12(月) 10:11:54 ID:PQAFEGu/
削除依頼出してるwww
236人間七七四年:2007/11/14(水) 09:55:23 ID:mwtGCRfe
最近のwikiは荒れるな
237人間七七四年:2007/11/16(金) 09:43:25 ID:7OOfeAMr
将星録のシカノスケはテライケメン
238人間七七四年:2007/11/20(火) 10:10:47 ID:9x5DhFxK
浅井長政もね
239人間七七四年:2007/11/21(水) 09:48:21 ID:569WfBuA
尼子誠久もイケメン
240人間七七四年:2007/11/22(木) 01:35:22 ID:rkMetnhs
241人間七七四年:2007/11/24(土) 00:14:47 ID:0lKKNLSh
ひでえwww
242人間七七四年:2007/11/25(日) 00:06:49 ID:U8Ui1CWV
WIKIはなごむねw
243人間七七四年:2007/11/26(月) 10:35:40 ID:nBJ+iPrm
これはないわ・・・・
244人間七七四年:2007/11/28(水) 09:55:28 ID:a5jOre4G
まだ消されてないなw
245人間七七四年:2007/11/28(水) 19:13:37 ID:121cexw0
246人間七七四年:2007/11/29(木) 01:09:40 ID:z45NRYaK
日本語不自由すぎてワロタw

県教委かなんかへの報告とかあるんじゃないのか?
247人間七七四年:2007/11/29(木) 10:29:56 ID:uEG2SbxS
はははこやつらw
248人間七七四年:2007/12/01(土) 13:38:41 ID:MyqJ+0t6
>>245
( ^ω^)シーッ
249人間七七四年:2007/12/01(土) 13:47:23 ID:ShcboAZt
八墓村の落ち武者に関する文献ってあるんですかね?
250人間七七四年:2007/12/01(土) 14:13:43 ID:pv5H3zsZ
>>249
あるけど門外不出だから人には見せられない。
251人間七七四年:2007/12/02(日) 03:11:28 ID:8OuH9uYY
>>249
岡山県の備前地方に尼子の落ち武者が祖先だと称する家が複数存在するのは本当。
新聞の地域欄やコミュニティ誌の記事のほか、それらの投稿欄を読むといい。
それが満足いかないようであれば、「岡山藩家中諸士家譜」を読んでみてはいかがかな?
「八墓村」も、一応舞台設定上は岡山県だし。

マジレスしてみたw
252人間七七四年:2007/12/02(日) 03:37:17 ID:PmhIwKkr
因みに、米子の福米地区は、元赤穴氏家老を中心とした尼子残党によって開拓、運営されていた。
だから、月山落城後の武士数家が集まってるし、今も住んでる。
郷土史なのに地元民殆どが知らない奴ばっかなのが残念だが。
253人間七七四年:2007/12/03(月) 09:44:31 ID:rA6NeemB
八つ墓米子
254人間七七四年:2007/12/03(月) 17:32:38 ID:1gPpy3aT
八つ墓村の舞台設定は備中山間部、新見周辺のとある村ですよ。
255人間七七四年:2007/12/04(火) 15:34:41 ID:AmoBOYul
名将 山中鹿之助買ってきた。
今読んでるのだが、やっぱり晴久は愚将扱いw
256人間七七四年:2007/12/05(水) 09:35:22 ID:rGguQT//
(´;ω;`)かわいそうです
257人間七七四年:2007/12/06(木) 22:25:06 ID:2u3tDEnD
謀略の天才毛利元就に翻弄される役所だからな
258人間七七四年:2007/12/06(木) 22:56:02 ID:xWC20HgZ
実際は、大して翻弄されて無いじゃんww
むしろ義久時代が一番ヒドかった
259人間七七四年:2007/12/06(木) 23:55:01 ID:YzTMq7Cc
やはり新宮党粛清=元就の謀略に引っかかった史観かな? ちょっと古い解釈だね。
260人間七七四年:2007/12/07(金) 09:32:03 ID:PnwtKHrz
しっかり史実を見れば、裏で毛利が調略した、なんて証拠は
出てこないはずだが
261人間七七四年:2007/12/07(金) 12:18:03 ID:0S8lF479
史実なんてどうでもいいと思ってるに決まってるじゃん
262人間七七四年:2007/12/08(土) 03:30:23 ID:v5dUPHyu
軍記物を書いた奴ってそんなに晴久の事嫌いだったのかね。
鹿介がなんであんなに人気があるのもわからないし、勝久がなんで
あんな名将扱いされてるのかもわからない。
263人間七七四年:2007/12/08(土) 05:03:20 ID:ehMr4Yo+
>>262
・鹿之助:判官贔屓/七難八苦/御家再興
・勝久:自ら切腹で潔い最期

萌えキーワードが多いな。
264人間七七四年:2007/12/08(土) 13:03:39 ID:Uf+ky/m5
七難八苦は伝えられてるところと実際は違うみたいだね。
「(憎い毛利元就に)七難八苦を与え給へ」が史実的に正しいようだよ。
265人間七七四年:2007/12/08(土) 17:06:26 ID:v5dUPHyu
それは初耳

>263
鹿介>切腹で潔い最期をした勝久>>(越えられない壁)>>お家を潰した上に切腹しないでのうのうと生き延びた義久
こんな感じか。
266人間七七四年:2007/12/08(土) 23:53:32 ID:VD0p6ZQu
血筋を残すのも大事だと思うが、玉砕して一矢報いるのはカッコイイよな
267人間七七四年:2007/12/09(日) 00:04:54 ID:Egv0hgal
出雲人らしくはないがな
268人間七七四年:2007/12/09(日) 00:27:39 ID:Go+nzc5j
>>264
七難八苦の逸話がねじ曲げられたのは、いつ頃の話だろ?
戦前の教科書に載ってたらしいから、明治以降の話かな??

>>266
滅びの美学は後世から見るのと、当事者とでは大違いだろうな。
269人間七七四年:2007/12/09(日) 02:19:50 ID:bxGOBzK6
多胡は富田城に戻らず自決しちゃったから
やっぱ当時から命より名なんじゃないのかね?

>>266
義久は血筋すら残してないからなぁ…(遠い目)
直系の家自体は昭和まで残ったけど
270人間七七四年:2007/12/09(日) 13:00:32 ID:OyMg6JlY
血筋残したのは義久の弟か?
271人間七七四年:2007/12/09(日) 14:50:09 ID:GUEHU9eY
>>264
>>268
元の講談の本にもよるが、
「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と「我に」がついてる文もあったように思うが。

講談から出たセリフに史実的云々も糞も無いとは思うけど。
272人間七七四年:2007/12/09(日) 17:29:32 ID:bxGOBzK6
>>270
そげ。
元知は子どもを生まなかったので弟の子を確か養子にしたはず。
273人間七七四年:2007/12/10(月) 00:59:09 ID:yfooqgHs
晴久の血筋は残った
274人間七七四年:2007/12/11(火) 10:19:05 ID:4bXNgb5J
( ^ω^)うむ。
275人間七七四年:2007/12/12(水) 13:36:20 ID:fb1MzR2w
本屋に 「名将 山中鹿之助」 があったのでパラパラめくってみた。
「かつて尼子は11州に覇をとなえたザマス!」 とかやってて (´・ω・`)ションボリ

史実ネタを生かした面白い小説は無いものか…
276人間七七四年:2007/12/12(水) 18:33:37 ID:KRrelaNY
史実ネタはよっぽど上手くやらないとつまらなくなるだけ
277人間七七四年:2007/12/12(水) 19:21:47 ID:B3K8Mndb
尼子が影響をもった地域は十一州なんだよな。
出雲・石見・隠岐・ホウキ(変換できんw)・因幡・
安芸・備後・備中・備前・美作・播磨

ところで、尼子詮久が播磨の赤松氏を攻めたときに通ったルートって、
吉川経基が播磨に出兵したルートとおんなじなのかな?
278人間七七四年:2007/12/12(水) 20:07:24 ID:LfnNvRsK
>>275
内容はそれだけにとどまらないぜ?
今までの鹿介小説と似たり寄ったりで、
経久・鹿介・勝久マンセー小説で後は全員ボッシュート。
勝久の姉美保と寝て新六が生まれたっていう設定。
しかも我ら山中一族ももとをただせば尼子一族であり
尼子の姫である美保と寝たらすばらしい子どもができるぜ。
っていう欲を持った山中鹿之助。
しょせん分家に過ぎんよ。鹿之助(´・ω・`)

尼子で史実ネタはほとんどっつーか皆無に等しい。
279人間七七四年:2007/12/13(木) 09:37:22 ID:+aCZ7m+W
(´;ω;`)
280人間七七四年:2007/12/13(木) 10:55:30 ID:1zwQWU+1
>>277
>影響をもった地域は十一州
むむ、すると草刈氏も因幡と美作の2ヶ国にまたがる大大名
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kusakari.html

>吉川経基が播磨に出兵したルート
どのルートかしら?
詮久(晴久)の播磨侵入は数度にわたってるけど、
まあ大体伯耆の日野郡あたりから南下して美作経由で北播侵入?

 
>>278
はじめのページで鴻池マンセーネタ炸裂していて嫌な予感はしていましたが、
「尼子の姫である美保と寝たらすばらしい子どもが」ってなにそのドリーム。
流し読みして助かった。俺心が弱いから精読したら憤死するかもしれん
281人間七七四年:2007/12/14(金) 03:35:52 ID:6/eksH+Q
>>280
十一州と二州を比較するのはいくらなんでもナンセンスすぎだろw
11ヶ国を列記するのは毎度のこととはいえ大目に見てやれw
282人間七七四年:2007/12/14(金) 18:21:03 ID:8crQ+wyN
日本史1000人の上巻に経久差し置いて晴久の紹介があった。
新宮党粛清=家臣・一門の統率のためって説明され
鉄により経済は安定していたなどかなり好意的に書かれて驚いた。
山中鹿介の紹介は無かったな。
283人間七七四年:2007/12/15(土) 10:54:17 ID:8uWBcjvy
シカノスケ無いか・・・・
284人間七七四年:2007/12/16(日) 21:30:20 ID:8aCEQ0Gl
(´;ω;`)かわいそうです
285人間七七四年:2007/12/16(日) 22:11:48 ID:a2ZLheD0
そうやって宗家の力を強化しようとして、
一時的に国の力をそいでしまい、
毛利に隙をつかれて滅んでしまったのが痛い。
せめて晴久があと五年生きていれば。

もっともこうやって一門衆の力殺いだ結果、
謀反や侵略で滅んだ国は結構多いけどね。
286人間七七四年:2007/12/16(日) 22:40:44 ID:8aCEQ0Gl
あのまま新宮党を放置していたら謀反を
起こされて最悪の状態に陥ったかもしれんけどね
287人間七七四年:2007/12/17(月) 00:17:11 ID:A/2u23ir
滅んでいるんだから、史実よりも最悪な状況はないだろw
288人間七七四年:2007/12/17(月) 01:38:44 ID:8eapHGAe
>>285
>一時的に国の力をそいでしまい、

んーそいでたかなぁ?
陶敗死直後の銀山奪取の動きとか見てると、
別段国力が弱まった感じはしないんだよな…。
新宮党健在時でも備後で敗北してるし。
権益大きい割には利用しづらいよ新宮党…

 
>毛利に隙をつかれて

つかれてないつかれてない。
粛正から毛利との戦が激化するまで3年ぐらい時間がある。
晴久が死ぬまでだと7年
富田城が落ちるまでだと12年
289人間七七四年:2007/12/17(月) 03:52:37 ID:9tds5NlJ
>>295
戦国大名化・中央集権化への過程で、一門・同族との権力争いは付き物だね
佐竹の山入一揆とか、長尾は為景〜謙信の頃、武田は信虎の頃か

力を持ちすぎた一門・外戚が、宗家にとって邪魔になるのは歴史の常じゃ
290人間七七四年:2007/12/17(月) 09:40:57 ID:3U74oxZe
>>287
おまえは何を言ってるんだ?同じ滅亡でも色々あるだろう。
宗家の血筋が根絶やしにされるとか。
もし謀反になった場合、史実より早く滅亡したかもしれないし
まぁ、可能性の問題だが
291人間七七四年:2007/12/17(月) 10:26:59 ID:Lr95go2c
でも謀反自体も軍記物の線を越えてはいないんだよな。
せいぜい主家への干渉ぐらいで。
晴久の後見役であるし、主家と同等の権力は持ってるし
土地が豊かな神門郡も持ってるし杵築大社と日御碕社の
境界争いにまで口を出してきてうざくなって殺しちゃいました。
っていう感じに見えなくもない。

>>288
銀山周辺国人の活躍がすごいよな。
特に本城は忍原でもそうだが、降露坂でも毛利軍の先鋒をかく乱し
撤退させてるからな。新宮党よりよっぽど強いんじゃないかと思う。
292人間七七四年:2007/12/17(月) 19:09:48 ID:A/2u23ir
>>288
>陶敗死直後の銀山奪取の動きとか見てると、

そりゃ大内が大敗して弱まっているから。
毛利にしても、宍戸は数千規模で、毛利全軍でも万いくかどうか、
いくらなんでも、尼子のほうが国力は上。

>粛正から毛利との戦が激化するまで3年ぐらい時間がある。

その粛清により、国人に同様が広がった可能性がある、
毛利の調略にのった国人衆の多さからすると、
次は俺が、みたいなことを考えた人が多かったんじゃないかと。
義久の戦略ミスも大きいけどさ。
>>290
いくらなんでも新宮党が謀反までせんだろ。
せいぜい主家の方針に口出しするだけ。
293人間七七四年:2007/12/17(月) 20:35:01 ID:qfY/7T5I
主家の意向と対立したら謀反に繋がるのは周知の通りだわな。

「萩藩閥閲録」に出雲国人衆の書状として、
新宮党が主家を蔑ろにしていることについて述べてあるヤツがなかったっけ?
294人間七七四年:2007/12/17(月) 23:42:33 ID:8eapHGAe
>>291
>晴久の後見役であるし、主家と同等の権力は持ってるし
>土地が豊かな神門郡も持ってるし杵築大社と日御碕社の
>境界争いにまで口を出してきて
充分に粛正フラグ立てまくってるような。
あと、富田近辺の新宮党本領と美作国内での権益、同名の一門衆という立場追加な。
…俺が当主なら速効で粛正する。

>本城は結構強い
このあたり俺の妄想だけど、本城が完全な尼子の直臣ではなく
出雲国人としての軍事力と、晴久との個人的な親密さを背景に山吹城へ配置されたのが諸刃の剣だったような。
晴久が死んだ後の尼子首脳部との連携の悪さを感じるにつけそう思う

 
>>292
>そりゃ大内が大敗して弱まっているから。
うんそのとおり。
でもね、「新宮党粛正で毛利と大内の対立につけ込めなかったんだ!」
というのが今までの通説だったのさ。
充分つけ込んだよ。益田氏とかも尼子と連携の動きをみせてたらしいし。
ここに新宮党いても大して変わらなかったと思うよ?

>その粛清により、国人に動揺が広がった可能性がある、
>毛利の調略にのった国人衆の多さからすると、
いや、あれは当時の戦国大名領国の崩壊時には付き物だから。
甲斐武田の素敵な滅亡ぶりからも明白。
つかもう少し国人潰しておくべきだったよな、晴久。

>義久の戦略ミス
あれは言われいているよりも重大なミスだったと思うんだ。
前線部隊が毛利への戦意マンマンだったのに、頭越しに和睦交渉しちゃったから。

>いくらなんでも新宮党が謀反までせんだろ。
いやもうあれだけ好条件が揃いすぎると存在するだけで爆弾なのよ。
塩冶興久の前例もあるし。連絡役だった嫁さん死んじゃったし。
国久はまだしも誠久は何するか分からないし。
マジ経久の負の遺産。

 
>>293
>「萩藩閥閲録」
激しく詳細希望
295人間七七四年:2007/12/18(火) 01:23:28 ID:/UypmtO8
>>294
書いた後やべ、フラグ立ちまくりwwwって思った。
義久の和睦は同意。
晴久が死んだ事によって国人達の動揺を防ぐための一時的な和睦
らしいが、勝手に和睦されたら最前線の国人・直臣たちは
喉もとに刃を突き刺されたままの状態で枕を高くして寝られんだろう。
毛利が攻めてきた時も義久は律儀に守って援軍を送らなかったしね。
(でも雲陽軍実記では倫久が軍を率いていたが)

晴久と同じ姿勢で臨んでいたら
たぶんそう簡単には滅亡はしなかっただろう。
本城と晴久の個人的な新密度が結構怖い所もあるが。

経久…負の遺産どころじゃないと思うんだが。
息子2人が謀反って…。
296人間七七四年:2007/12/18(火) 23:02:15 ID:H7eQ/ShM
もちろん経久は経久でいいところが沢山あるんだけれども。
郷土史家はそこにドリームをぶち込みすぎるから…
297人間七七四年:2007/12/19(水) 09:57:03 ID:vvbFBWOQ
郷土リーム
298人間七七四年:2007/12/19(水) 11:21:20 ID:2XedD8pR
対山陽最終兵器経久
299人間七七四年:2007/12/21(金) 10:34:54 ID:f5FH8BhK
なんという過疎スレ・・・・
300人間七七四年:2007/12/22(土) 21:29:11 ID:gA3IPmqj
300get!
301人間七七四年:2007/12/24(月) 14:38:54 ID:er/bkAof
出雲が強国になれたのは尼子のおかげ
302人間七七四年:2007/12/26(水) 09:44:50 ID:4S2n12o5
まったく、そのとおり
303人間七七四年:2007/12/27(木) 22:29:30 ID:S7uRbi0B
なんじゃ、この自演は!
304人間七七四年:2007/12/29(土) 11:18:18 ID:laNu0+SY
イイスレダナー
305人間七七四年:2007/12/29(土) 20:09:18 ID:UDwizDot
晴久の小説でも書こうかな
306人間七七四年:2007/12/30(日) 02:58:31 ID:DX80+1rQ
戦後レジームからの脱却!
307人間七七四年:2007/12/30(日) 11:10:43 ID:RlNHPgUx
中国東部の支配ってどんな感じだったの?
308人間七七四年:2007/12/31(月) 19:43:51 ID:eM/2WbMt
昨日からの雪で月山積もった?しばらく登城不可かね。
309人間七七四年:2007/12/31(月) 23:22:23 ID:Yzf5mGlk
そこを強行登山ですよ
310 【大吉】 【829円】 :2008/01/01(火) 00:22:34 ID:4SV+sNhm
.
311人間七七四年:2008/01/01(火) 02:03:32 ID:yonrb7va
ネタがないのでニコニコ動画

「尼子歴史シリーズ」
http://www.nicovideo.jp/tag/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
312人間七七四年:2008/01/01(火) 23:14:20 ID:ZaG1ak2o
あけおめんたいこ
313人間七七四年:2008/01/02(水) 03:57:52 ID:2w/j8Brm
やれ、めでたやな、
五十六億七千万歳〜♪
314人間七七四年:2008/01/02(水) 13:48:28 ID:GkxScR2m
月山は雪だった
315人間七七四年:2008/01/02(水) 16:43:56 ID:1utpROwi
富田城に初詣行ってきました。
今年こそ尼子家の出雲奪還が成りますように。
316人間七七四年:2008/01/02(水) 21:56:14 ID:XwU6AvQS
最近『毛利元就』(大河の原作)にはまって、尼子にも興味を持ってるが。
”8カ国守護”の時の各地の支配体制ってどんなのだったんだろ?
備後は毛利の支配が及んでるし、備前にも浦上や宇喜田が頑張ってるはずだし。
せいぜい兵を出して「俺に従え」「へへー」程度の支配か?
317人間七七四年:2008/01/03(木) 00:34:28 ID:ZFDt2K1R
『山霧』いいよね

>”8カ国守護”の時の各地の支配体制
とりあえず適当に

出雲−完全支配
隠岐−完全支配
伯耆−完全支配
因幡−一部を支配
美作−九割支配
備前−同盟者もいるが、尼子の攻勢の反動として浦上宗景が勃興
備中−新見氏など北部に強い影響力。南部は友好的中立
備後−毛利氏を中心とした大内氏勢力の範囲内。三次盆地を中心に攻勢を画策

※番外
播磨−極一部を支配
石見−極一部を支配

詳しい人添削頼む

 
>せいぜい兵を出して「俺に従え」「へへー」程度の支配か?
体制が多様すぎて一般化しにくいけど、大体そんな感じ
318人間七七四年:2008/01/03(木) 10:25:22 ID:OpOnWh4m
>>317
Thanks☆

やっぱりそうか。本国以外は在地領主にそのまま任せたわけか。
北条や武田は譜代を派遣してる(大内も北九州で杉氏を派遣)が、尼子は基本的にそういうのはやらなかったか。石見銀山に派遣した本城常光は例外ってことで。

あと確認だけど、因幡は山名分家を取り込んだけど、但馬の山名本家が絶えず介入してたんだっけ?
備中も北部の三村氏は毛利寄りだったらしいけど。他は大部分勢力圏か?

詳しい人頼んます。
319人間七七四年:2008/01/03(木) 13:18:25 ID:qhXWAINR
美作って9割も支配していたのか。
美作は侵略はしたが権力自体はそこまで
支配できなかった気ガス。
320人間七七四年:2008/01/03(木) 14:18:04 ID:OpOnWh4m
美作は赤松守護領国だったけど有名無実化して、三浦氏が最有力だったっけ?
浦上の力はまだ及んでなかったか?
321人間七七四年:2008/01/03(木) 14:34:00 ID:qhXWAINR
赤松氏の実力が大したこともないので
浦上、三浦、尼子の三つ巴だったような。
322人間七七四年:2008/01/03(木) 18:30:27 ID:vLu1qb6S
三浦は国人の中では最大勢力だといってもせいぜい西2郡程度だろう。8カ国守護の時は既にいないし。
残りの10郡にいた赤松浦上山名の抵抗勢力を尼子が一掃。
美作の大部分が尼子に従ったけど出雲伯耆から派遣された武将以外の
在地領主はいつ浦上に戻ってもおかしくない状態。

備前はほぼ二分されてて備前国内に限れば平地の多い松田(尼子)の方が浦上より
支配域が大きかったように思う。
最前線の直家が松田領を切り取っていくのは美作における尼子の衰退と同時期。
松田への尼子の後援が無くなったのも一因?
323人間七七四年:2008/01/03(木) 20:03:17 ID:OpOnWh4m
漏の知り合いの爺さん(名古屋在住)の実家は美作津山の名家らしいんだけど、家の古文書で「尼子が攻めてきて戦った」とかいうのがあるそうだ。
324人間七七四年:2008/01/03(木) 20:18:49 ID:OpOnWh4m
>>322
なるほどね。
「備前岡山の戦国大名と言ったら、宇喜多!」って認識だったから、ここまで尼子の力が及んでたとは思わなかったわけよ。
325人間七七四年:2008/01/03(木) 23:25:01 ID:ZFDt2K1R
美作国の話なら 「中山神社 尼子晴久」 でググッてみても面白いよ

>>322
>三浦は国人の中では最大勢力だといってもせいぜい西2郡程度だろう。8カ国守護の時は既にいないし。
幼児だった三浦氏の当主は、尼子に敗北した後、富田城に連れ去られてたみたいね。
その頃は、三浦の重臣だった牧氏やら尼子から派遣されてきた武将が共同統治してたみたいだけど
史料的な制約でよくわからんね。
当初は新宮党の影響が強くて、新宮党の粛正後は宇山久兼が監督してたんだったかな?

>松田への尼子の後援が無くなったのも一因?
あー、なるほど。確かに。
備前への援軍(浦上政宗にだけど)って結構頻繁にやってたね
尼子義久も大将で出陣した事があったような…

>>323
その古文書、持って行くべきところに持っていけば、すごい発見とかがありそうだ

>>324
>「備前岡山の戦国大名と言ったら、宇喜多!」
宇喜多が勃興できたのは尼子が攻め込んで滅茶苦茶やったおかげなんだよ。
あれで備前のパワーバランスが崩れて、浦上政宗が没落したり浦上宗景が独立したり
三村家親が攻め込んできたりと、状況が流動的になった。
マジ晴久台風の目
326人間七七四年:2008/01/04(金) 12:47:55 ID:MFbUUjnD
何やってんだよ晴久ww
327人間七七四年:2008/01/04(金) 14:53:48 ID:8USVxa1x
山陽破壊兵器・晴久www
328人間七七四年:2008/01/04(金) 16:03:02 ID:SddKDPRl
植田早苗介は備前の国人だよね?
何で尼子氏再興事業に参加してるんだろう。
329人間七七四年:2008/01/04(金) 22:37:10 ID:W+NxqINJ
>>325
三浦の幼主って家康の子供の頃みたいな境遇だったわけか。
いや、「家康になりきれなかった竹千代」って感じか。哀れ・・。
330人間七七四年:2008/01/05(土) 02:24:34 ID:ckrFLCG9
毛利元就も、尼子の起こした戦乱に乗じて台頭したといえるね
331人間七七四年:2008/01/05(土) 10:00:28 ID:C6PBpKxI
後の歴史を知ってる者からすると、出雲攻め撃退後に安芸・備後を攻めろよって言いたいけどね。
なんかもたもたしてるうちに、毛利が備後も押さえちゃうし。
結局その頃、尼子は東の方への関心が強かったのかな、上洛狙いで。
332人間七七四年:2008/01/05(土) 11:52:24 ID:ckrFLCG9
>出雲攻め撃退後に安芸・備後を攻めろ
やったよ?新宮党が三次氏を攻撃した。撃退されたが。
333人間七七四年:2008/01/05(土) 12:03:06 ID:vYvS+ypT
最強新宮党って肝心な勝たなきゃいけない戦いでは必ず敗退ってか撤退してる気がする。
334人間七七四年:2008/01/05(土) 13:47:02 ID:C6PBpKxI
内館牧子『毛利元就』より。厳島の戦いの少し前。

国久「8カ国をもろうたと言っても、備後、備中だけは実質的に毛利が支配しておる」
みつ「なんと?!では、戦って勝てば、父上に治めさせてやると?」
国久「ああ。父は戦い取る」

で、勇んで備後に出陣したら、若さ爆発の毛利軍に負けちゃいました、新宮党。
国久、哀れ・・。
335人間七七四年:2008/01/05(土) 23:54:56 ID:ckrFLCG9
>>333
備後に攻め込んでこいというのに、上手くいかないので美作行っちゃったりとか

 
>>334
『毛利元就』 大河脚本もいいけど、原作の『山霧 -毛利元就の妻-』 はさらに面白い
尼子ウワバミ、大内蝮、毛利蛙は震えてござる〜

>勇んで備後に出陣したら、若さ爆発の毛利軍に負けちゃいました、新宮党。
史実では晴久自らが出陣したんだな、これが。

 
※備後をめぐる動きの流れ(凄く適当)

出雲攻め撃退
   ↓
新宮党、三次氏(三次盆地の国人)を攻撃し毛利援軍を撃退したが、城から出撃してきた三次軍に不意を突かれて敗北。
   ↓
備後は大内氏の勢力圏に
   ↓
八ヶ国守護職
   ↓
晴久、調略をもって江田氏(三次盆地の国人)を寝返らせる。
   ↓
毛利氏を中心とした大内方連合軍が江田氏攻撃、晴久救援に出陣。
   ↓
戦線膠着、大内軍本隊が南部より接近。尼子軍撤退(戦略的な敗北)

 
こんな感じだったと思う。ツッコミよろしく
336人間七七四年:2008/01/06(日) 00:07:15 ID:apB6Lnaz
というかね、晴久って俺らが思うような 「あの時こうしておけば…」 って事はね、
ほとんど全部やってるのよ。このスレの古参住人はみんな知ってるけどさ。
実績も結構あげてる、大成功はしなかっただけで。

そのことをふまえないで、晴久の事を凡将だのバカ孫だの言う資格は、俺らには無いと思うんだ。
思うんだけれど、偉い郷土史家の人にはそれがわからんのです。
俺たち尼子氏を愛するスレ住人だけでも、晴久には
「良くやった。あんたは充分頑張ったよ。」
って、畏敬の念を持つべきだと思うんだ、個人的には。
俺は少なくともあの状況、あの環境下で晴久以上に上手くやる自信は無いよ…
337人間七七四年:2008/01/06(日) 00:12:47 ID:+JB1kjOt
新宮党を甘く見てはならぬ。
出雲では桜井宗適をブチ殺し、さらに寺社勢力を味方につけた弟の興久を蹴散らし、
伯耆では安芸遠征から取って返して武田を討ち取り、美作では虐殺略奪をほしいまま、
そのうえで余力を残して因幡を窺い、備後では山内を降し、三次盆地を席巻して、
安芸吉田に肉薄。
備後布野合戦では毛利勢を討ち取ること数知れず、後年の備後大月合戦では
新進気鋭の吉川元春勢を押さえ込んでつけいる隙を与えず…
新宮党の合戦がほとんどは補給に難点をもつ国外への遠征戦であるのに、
それにも関わらず、準備万端で迎撃体制を整えている敵方を打ち破るので
あるから新宮党の攻撃力は凄まじいとしか云いようがないよ。

新宮党の不幸は、国外の国人衆らにとっては祖国防衛戦ともいえる戦に
尼子遠征軍として駆り出される事が多かったこと。
残虐無比な新宮党の遠征には、黒人らは必死で抵抗するから、
新宮党が一時的には制圧できても、あとで必ず反逆する。

ただ、新宮党は尼子の先鋒隊としての役割を果たしたのみだから、
緒戦に勝てばそれで新宮党の役割は終わり。あとは本隊にお任せ。
尼子軍が肝心なところで完勝していないのは、新宮党のせいではなく、
尼子本軍の不手際なのよ。

美作一国を新宮党らで短期間に制圧できたのは神わざと言ってもいいと
思うよ。
信長が美濃一国を何年がかりで制圧したか、信玄が信濃を何年がかりで
制圧したか… それを考えてみればね…
尼子の一家臣の先鋒隊にすぎない新宮党が、たちどころに一国を制圧し
んだから、やっぱり新宮党は当時の最強軍団ですよ。
338人間七七四年:2008/01/06(日) 00:34:39 ID:apB6Lnaz
最近は、「吉田郡山城の戦い」 が回避可能だったか、不可能だったか
またなぜ、あのような形の大敗北となってしまったかを、皆と論じてみたい気分。

キモとなるのは、小弐氏を滅亡させ大友氏と同盟を結んで北九州の所領を盤石にした大内氏が、
反転して安芸へ攻勢をかけてきたという状況下で、尼子にどんな選択肢があったのかだよなぁ…

当時の大内氏の全戦力は、尼子氏のおそらく数倍…
339人間七七四年:2008/01/06(日) 01:27:54 ID:apB6Lnaz
>>337
おお、新宮党擁護派は初めてだ。たぎってきましたー

>出雲では桜井宗適をブチ殺し
初耳だけどソースなに?つーかこの時点で新宮党って無かったような…

>寺社勢力を味方につけた弟の興久を蹴散らし、
興久が鰐淵寺を味方につけた(らしい)のは、鰐淵寺文書から確かだが
新宮党が興久を蹴散らしたって、ソースなに?

 
あとの話は良く知らないので、他の人にパス
340人間七七四年:2008/01/06(日) 19:26:06 ID:wyww4Zln
>>337
歩く戦闘マシーン・新宮党
341人間七七四年:2008/01/06(日) 19:41:22 ID:h1wFRN3x
ここの人達レベル高いね。
尼子といい三村といい良い本がお手頃に買えないのが痛いね。
備中高松城や津山城には行ったけど月山富田城にも行ってみたいな。
342人間七七四年:2008/01/07(月) 01:59:20 ID:wxR5q5Qd
島根いいとこ一度はおいで
343人間七七四年:2008/01/07(月) 20:59:35 ID:3G5NyMMr
( ´A`)ぅうむっ。
344人間七七四年:2008/01/07(月) 21:10:20 ID:ZFhbHHaF
>>342
冬に行ったら士気が下がるじゃない。
345人間七七四年:2008/01/07(月) 22:47:41 ID:kySBU/xp
>>337
久幸=新宮党ならつじつまが合う
346人間七七四年:2008/01/09(水) 10:14:57 ID:Tb231EWK
\(^o^)/\(^o^)/我ら新宮党残党
347人間七七四年:2008/01/09(水) 10:49:04 ID:SF9b4way
顔文字が「オワタ」ですが
348人間七七四年:2008/01/09(水) 20:01:08 ID:BWBBRLL2
>>339
雲陽軍実記と陰徳太平記じゃないかな?
でもあれには新宮党ではなく、久幸、国久、興久としか書いてなかったはず。
同じく興久をけちらしたっていうのは雲陽軍実記で
興久の討手として久幸、国久が登場。興久の御守役の亀井利綱を破ったのが
国久だった気がする。
これも新宮党とは確か書いてなかったんだよなー。
国久=新宮党っていうことか?
にしても、亀井のカッコよさは異常。
349人間七七四年:2008/01/09(水) 22:36:58 ID:SF9b4way
>>349
なるほど、今確認したら「新雲陽軍実記(ハーベスト出版)」では
興久勢を新宮党がけちらしてるね。サンクス

それにしても雲陽軍実記と陰徳太平記の扱いは難しい。
美作方面での尼子の行動について興味深い記述があるかと思えば
晴久の没年がどちらも可能性の薄い「永禄5年説」になっていたり
350人間七七四年:2008/01/10(木) 09:29:42 ID:WuieOISH
陰徳太平記はあまり信用できん
351人間七七四年:2008/01/10(木) 11:10:08 ID:4o8bpp62
義久が晴久の死を隠したから没年が不明なんだっけ?
352人間七七四年:2008/01/10(木) 23:42:14 ID:1RuxtiRx
詳しくは不明
菩提寺じゃなくて月山山麓に晴久の墓がある事から、
密葬だったのではないかと推測されるぐらい。
353人間七七四年:2008/01/10(木) 23:51:39 ID:lKh2oJgi
>>352
晴久公の墓ってずっとあそこなのかねえ。
確かに目立つ場所って程じゃないけれど、
秘密にしておける場所でもないような。
354人間七七四年:2008/01/10(木) 23:56:51 ID:1RuxtiRx
永禄3年説の根拠は

晴久が発給した文書が永禄3年以前のものしなく、以降は義久の発給に切り替わる事。
「尼子義久家臣人数帳」に永禄3年12月24日死去とあること。

の二点かな?

 
永禄5年説の根拠は知らね
355人間七七四年:2008/01/10(木) 23:59:03 ID:1RuxtiRx
>>353
殉死者バンバン出まくったのか、まわりに塚がいっぱいあるし
密葬と言い切るのも難しいですわなぁ

風情があって、いい場所だしね
356人間七七四年:2008/01/11(金) 22:30:46 ID:qarwo687
キノコも生えてたお。
357人間七七四年:2008/01/11(金) 23:33:23 ID:i9rRl46e
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
358人間七七四年:2008/01/12(土) 00:50:03 ID:u129OFNd
いや、だからオワタはやめろってw
359人間七七四年:2008/01/12(土) 01:02:04 ID:ikV/HLNc
新宮党マンセーの新人尼子スキーだけど新人物往来社の尼子本とハーベスタ出版のやつは買いですか?
360人間七七四年:2008/01/12(土) 10:27:30 ID:uPlYY0cz
永禄5年説の根拠は
陰徳太平記に晴久が本城謀反を悔しがるシーンがあるから。
本城謀反は永禄5年6月だから、それまでは晴久は生きていたことになる。

陰徳太平記によると、晴久が本城謀反を悔しがる理由がふるっていて、
晴久の妾に「目黒某の娘」がいたところ、その娘を本城に嫁にやって、
本城と晴久は婿と姑(義父)も同然であるのに、その本城が謀反に及んだ
ことは許せない不義理であるとしている。

「目黒某の娘」は、そこらの妾とは違って、賢い女性だったので晴久は
とても気に入っていたそうだ。
晴久が若いころ、晴久の寝所に、晴久の従兄弟の宍道某が尋ねてきて、
他人ならば、普通は寝所には向かわせないところ、ほかならぬ親族の
従兄弟なので、誰も不審がらないで晴久の寝所に向かわせた。
ところが、宍道某は晴久に遺恨があって、晴久を斬るつもりだった。
晴久はタダならぬ宍道某の様子を察し、必死で寝所の戸を内側から押
さえて、宍道某を部屋に入れないようにしたが、宍道某も必死で戸を
開けようとする。
そのうち、戸が開かずに、不意に宍道某とともに戸が倒れこんでしまった。
そこで晴久は倒れこんだ宍道某に乗りかかり、どうにかこうにか宍道某
を押さえ込んだ。
しかし、宍道某は大暴れし、晴久は必死で宍道某を押さえ込んで「縛る縄
を早く持って来い、早く」と叫ぶが、寝所のことゆえ、女人どもはうろた
えて騒ぐのみ、寝所ゆえ、他に男はいない。

その中で、「目黒某の女」だけは、冷静であり、寝所にあった太鼓の縄を
ほどいて晴久に渡し、晴久はようやく宍道某を縛り上げることができ、そ
の夜のうちに宍道某の首を刎ねることができた。
晴久は、このように冷静沈着で賢い、「目黒某の女」をこよなく愛して
いたが、本城のために、やむなくこの妾を差し出していた。
晴久は本城を親族扱いしていたのに、その本城が謀反に及んだことを
非常に悔しがったということである。

これが永禄5年説の根拠とされている。
361人間七七四年:2008/01/12(土) 21:26:52 ID:HB1mO+Uk
陰徳太平記にも本城の裏切りについて書いてあるのか。
今度借りて読んでみるか。
陰徳太平記は見てきたように書くからすごいよな。他国なのに。
362人間七七四年:2008/01/12(土) 21:41:24 ID:ktNzk0ZU
毛利家臣が先代を誇るために書いたんでしょ?
363人間七七四年:2008/01/12(土) 22:13:02 ID:u129OFNd
晴久の死因ってマジ脳卒中なのかな?
脳卒中って遺伝に関係してるっぽいんだが
経久〜義久までそれっぽい死因無いよねぇ。
死んだタイミングがあまりにアレだし。
むむぅ。
364みつ:2008/01/13(日) 01:19:30 ID:+VsTFc+l
「銀の毒じゃw」
365人間七七四年:2008/01/13(日) 02:46:39 ID:6CIbFcM9
>>360
ふむぅ。
要約すると永禄5年説の根拠は「陰徳太平記」の記述でOK?
まー、話としては面白いけど、陰徳太平記には
「一休禅師脱糞」とかわけのわからん話が目白押しで、
そのまま、史料として使用するのは危険すぎるからなぁ…

なるほど、永禄3年説でほぼ確定している理由はその辺りか

 
>>363
母方の遺伝や環境もあるしなー

 
>>364
奥方、死んでる死んでる
万が一暗殺だとしても、犯人は側近の誰かでしょうな。
毛利とのヘタレ外交を鑑みても
366みつ:2008/01/13(日) 09:35:18 ID:J7iT2/O/
>>365
死ぬ前に手を打っておいたのじゃ。
「死せるみつ、生ける晴久を殺す」じゃww。
367人間七七四年:2008/01/13(日) 10:50:52 ID:6CIbFcM9
>>359
>新宮党マンセーの新人尼子スキーだけど新人物往来社の尼子本とハーベスト出版のやつは買いですか?
新人物往来社の尼子本って「出雲尼子一族」のこと?あれなら買いだね。
新人尼子スキーには丁度いい教科書。
ハーベスト出版のやつというと、「戦国ロマン広瀬町シリーズ」?
巻によってレベル差があるから選んで買うのがベストだろうけど、
コンプリートを目指すなら10巻買っても損はないかも。
あとは「戦国大名尼子氏の研究」とか、あちこちに散在する小論文を読めば、
多角的な視点で尼子氏について知る事ができます。

歴史学そのものについても、全体像が見えてくるかも。
それとともに、いかに市販の歴史物がウソ書き散らしたいい加減な構成か分かるようになって、
人生の楽しみが増えます。
368人間七七四年:2008/01/13(日) 10:52:13 ID:6CIbFcM9
>>366
ジャ−ン ジャーン♪
「げぇ、みつ!」
369晴久:2008/01/13(日) 19:24:18 ID:J7iT2/O/
ぬ〜ん、これしきのことでは負けぬ。
みつの罠、敗れたり!
370人間七七四年:2008/01/13(日) 20:33:14 ID:jo3m6Aug
やっぱ寒いからさ、トイレで死んだんだよ。
うちの親戚もトイレで尻を出して死んだ人おるし。
その上荒縄で尻を拭いていたからね。
371人間七七四年:2008/01/15(火) 21:52:15 ID:6zhz15o6
陰徳太平記を通読せずして信用できずとするは無体なり
372人間七七四年:2008/01/15(火) 22:17:56 ID:f3+AnWw+
陰徳太平記って3万円ぐらいするかな?

…図書館で読もう
373人間七七四年:2008/01/15(火) 22:26:22 ID:f3+AnWw+
さて、wikiの尼子晴久が日々進化している件について

だんだん執筆者の情熱と参考資料が噛み合ってきた模様。
やや、「晴久マンセー」の暴走箇所もみられるが、
全体的には大きく進歩している希ガス。
374人間七七四年:2008/01/15(火) 22:41:46 ID:01hImuzs
晴久マンセーなのか。
この調子で義久も頑張ってくれ。
375人間七七四年:2008/01/16(水) 00:58:11 ID:55G0nKaP
まぁ、世間一般(特にKOEI)の
貶められっぷりからしたら
多少のマンセーなどかわいいものよ。
376人間七七四年:2008/01/16(水) 13:21:24 ID:ZXIkf67a
最近の KOEI ゲームは史料考察とオッサン分が足りない
377人間七七四年:2008/01/16(水) 21:45:11 ID:2WfbKqHF
シカノスケはアッ――――!
378人間七七四年:2008/01/16(水) 22:20:40 ID:bTKiZvkR
図書館で『戦国大名尼子氏の研究』を読んだが、すごい知識が広がったよ。
尼子の領国支配の内実が分かったし、外征との関係も分かった。

経久の時代は、出雲の国人を掌握するために敢えて外征を繰り返した。
晴久時代は出雲国内をほぼ掌握したので、本国周辺の支配の深化を指向したそうだ。
晴久、見直したw。
379人間七七四年:2008/01/17(木) 02:01:55 ID:BUVirh4t
>>378
>晴久、見直したw。

おお、分かってくれたか、おっちゃん嬉しいわ。
あの本あとがきも傑作なので最後まで楽しめるぜ。

ところでその広がった知識でこいつを見てくれ

『おジャ魔だハルヒサ』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1694533
http://www.nicovideo.jp/tag/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
俺は正直ブチ切れたわけだが。
作者コメの

「■前回「晴久をもっと評価」とあったので今回は晴久メインです。
■毎回恒例、この動画は遊び心満載です。
つまり「遊びを遊びと割り切れない人には(この動画を見るのは)難しい」ということです。」

を読んで、作者の最初から予防線をはる肝の小ささと知識の無さと確信犯ぶりに脱力するとともに、
「■とても尼子家が好きなので作ってみました。」というコメに頭痛がしました。
どの面下げてそのセリフが吐けるのかと。

そして 「晴久=バカ」 認識の増殖に、なんか涙が出てきました。世の中ってせつない…
380人間七七四年:2008/01/17(木) 21:03:10 ID:Ip9h6j5N
>>379
まぁ、そう目くじらたてなさんな。
正直、晴久の動画上がってるだけでも驚いたよ。
他のはアウツだけどその動画はちょっと評価するよ。
無論「晴久=バカ」 認識はいただけないが、
「尼子」という知名度は上がってるわけだから
そこから興味持って調べるヤツも出てくるんじゃないかな?
381人間七七四年:2008/01/18(金) 01:13:21 ID:r5B5Li3V
>>380
ん、スマン。おっちゃん少し感傷的になりすぎてたかもしれん。

地方史家の手による経久神格化と、その反動として晴久がスケープゴートにされてきた顛末を知ってるだけに。
眼前で再演される 「生け贄の山羊」 の宴に、あっさりと激怒してしまった。

 
>「尼子」という知名度は上がってるわけだから
>そこから興味持って調べるヤツも出てくるんじゃないかな?

まさしく正論。完敗です。
かくいうおっちゃんも 「大河 毛利元就」 に触発されて調べ始めたクチだったよ…
382人間七七四年:2008/01/18(金) 08:33:00 ID:BJ1NjXuv
大河では元就からも神格化されとったなあ。
383人間七七四年:2008/01/18(金) 09:39:41 ID:FDa/odf4
大河にも罪はあるが、同時期に出た「将星録」もかなり悪どい
新宮党事件=晴久による統制のための粛清 だったのに、
変な歴史イベントのせいで・・・・
384人間七七四年:2008/01/18(金) 11:10:19 ID:NqnwHLC0
将星どころか以降の作品には大概粛正イベント出てきますがな。
しかも毛利の謀略扱いは規定事項で。

若い世代の晴久馬鹿イメージは講談準拠の肥のせいが大でしょうな。

ニコ動画でプロジェクトXばりの正史を流せばあるいは…
俺にはそんな能力無いのだが…orz
385人間七七四年:2008/01/18(金) 13:29:47 ID:leHuh8WT
だが肥の歴史イベント作製機能で尼子イベントをたくさん作ればいいんジャネ
386人間七七四年:2008/01/18(金) 15:10:36 ID:NqnwHLC0
>>385
ゲーム内の閉鎖空間で悦に入りたいわけじゃないのさ。
一般人の抱く元就に翻弄され続けたお馬鹿な人ってイメージが
違うんだよなあ、酷いなあ。って話さ。
387人間七七四年:2008/01/19(土) 00:03:44 ID:+KqLu/sF
>>382
大河には、時代考証に米原正義先生が参加してますから。
経久神格化は当然という気もしたりしなかったり。

 
>>383
やはりネックは光栄かしら
 

>>384
>ニコ動画でプロジェクトXばりの正史を流せばあるいは…

誰かこのクラス↓のを作ってくれないものだろうか…(←他力本願)

「組曲『今川氏真』」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1211849

 
>>385
俺、天翔記やる時はまず伯耆と美作を蹂躙してから西に向かうw

 
>>386
「毛利でプレイする時にはまずここを襲って」 といわんばかりの状態がシリーズ通して酷いw
そして、美作は赤松領さ!なんか東伯耆には流浪してたはずの南条おるし。
388人間七七四年:2008/01/19(土) 01:25:16 ID:B5N4xREl
晴久さんが別所倒して上洛していたら大内義興型の天下人になってたのかな。
389人間七七四年:2008/01/19(土) 12:20:50 ID:rcRDhdBR
>>388
中央のゴタゴタに巻き込まれてるうちに
大内毛利にお尻かじり虫されそうな…
むしろ三好あたりと同盟組んで瀬戸内を西進してたら…
390人間七七四年:2008/01/19(土) 15:24:52 ID:TTqWUCdm
>>382-384
元就主役だったら、「全部毛利の仕業!」的にしないと話にならないんじゃねえの?w
391人間七七四年:2008/01/19(土) 23:05:08 ID:+KqLu/sF
>>388
あの遠征自体が、戦略的に正気の沙汰ではないような。
まあ、大内と停戦結んでいたあの時点では東に進むしかなかったけど、
それにしても美作、因幡の制覇はともかく、あとの地域は放置したほうがよかったと思う。

遠征の目的が「領国の拡大」じゃなくて、「室町幕府への威圧」という時点でまず間違ってる。

そして、ああいう威圧とか敵拠点への集中攻撃というのは、経久の得意とした戦法らしい。
392人間七七四年:2008/01/19(土) 23:09:53 ID:+KqLu/sF
ああすまない、追加

>>388
>別所倒して上洛していたら大内義興型の天下人になってたのかな。

補給線確保できないので無理です。
どちらかというと、上杉謙信がやったような兵を率いての一時的上洛になると思います。
まあ、それでも宣伝を重視する視点では十分な効果がありますが。
戦略的には無意味。
393人間七七四年:2008/01/20(日) 13:52:33 ID:qpjmYZdV
山川出版社の『○○県の歴史』シリーズ読んだけど、島根県史の尼子の扱いがサラッとし過ぎてガックリ来た。
領国支配の仕組みは比較的丁寧に書いてあるけど、「尼子氏は〜」とあって、経久も晴久も個人名が出てこない。

鳥取県や岡山の部分読んで、最盛期の尼子のスゴサがよく分かったのに、本国のこの冷淡さは何?と言いたくなった。
394人間七七四年:2008/01/20(日) 15:02:02 ID:LaQiEGke
他国に力を入れすぎて疲れてしまったのです。
395人間七七四年:2008/01/20(日) 23:46:46 ID:Kbyz6OtE
「尼子駅」って、あるんだね。
近江鉄道で彦根の近く。
なんか感動した。
396人間七七四年:2008/01/21(月) 22:02:34 ID:yNo7rQG6
尼子はもともと近江源氏の佐々木一族だからな。
397人間七七四年:2008/01/21(月) 23:09:04 ID:yNo7rQG6
尼子が出た唯一の大河『毛利元就』のイメージがいかに歪んでたかと思うようになった。

”鬼のごとき”経久
”筋肉バカ”晴久

って全然史実と違う気がしてきた・・。
尼子を知るきっかけになったけど、染み付いたイメージは有害だ・・。
398人間七七四年:2008/01/22(火) 11:01:22 ID:qOG6t8Gd
あれはあれで良い面もある

晴久の急死から崩壊していく尼子陣営のくだりとか史実に近いようだし
あと、尼子のイメージカラーが黒で格好いい
399人間七七四年:2008/01/22(火) 17:07:54 ID:i62hg5HK
場面転換での月山富田城の風景がいっつも使い回しでワロタ
400人間七七四年:2008/01/22(火) 20:11:36 ID:W5U5OGqf
>>397
大河云々に関わらず一般的(というほどの知名度ないけど)イメージはそんなもんだよ。
401人間七七四年:2008/01/22(火) 21:10:50 ID:WjY4C7Xf
筋肉が出てくりゃまだマシなほうだろう
402人間七七四年:2008/01/23(水) 00:15:44 ID:OC2iE9Qm
>>399
そして、とりあえず太鼓の音と「えいえいおー」のかけ声が聞こえるw

まあ、戦闘シーンの使い回しぶりに比べればマシか…な?
403人間七七四年:2008/01/23(水) 22:05:20 ID:Ge8lYr1T
公方への嫌がらせで上洛を企てたのは晴久だけじゃね?
管領への嫌がらせで上洛したのは長慶さんがいるけど。
404人間七七四年:2008/01/24(木) 09:34:26 ID:hciCFuDq
嫌がらせツーか細川を追放しちゃったジャンw
405人間七七四年:2008/01/24(木) 22:59:43 ID:vtkcSdyn
大河なら元就の敵としての尼子は政宗の敵の最上よりは良く描かれてる方だろ。
義光なんてあまりに酷い描かれ方で山形市が抗議したらしい。
406人間七七四年:2008/01/24(木) 23:23:56 ID:ne2cVxOf
つか完全に毛利を食ってね?
407人間七七四年:2008/01/26(土) 16:13:01 ID:/WUObnjc
食うというほどでもない。
408人間七七四年:2008/01/26(土) 21:04:25 ID:af/WtBc1
食ってはいないだろw
409人間七七四年:2008/01/26(土) 22:36:49 ID:H+9N2NaF
尼子ってある意味幸せかもね。
滅んでも、鹿之助が10年以上再興運動やってくれて、後世では悲劇のヒーロー扱い。
間違いなく判官びいきの日本人の心をつかんだ(そしてこのスレがある)。

大内や大友はこれほど同情されることはありえんわなw。
410人間七七四年:2008/01/27(日) 00:27:07 ID:KbBQWtp7
>>409
残念。このスレでは鹿介好きな人は少数派です。

今は晴久派がメインかなー。

>大内や大友
大内は故地に、毛利がいすわっちゃったからねぇ…
大友はよく知らない
411人間七七四年:2008/01/27(日) 00:32:03 ID:xvzWFp1P
俺は晴久も好きだけど鹿も好きだよ。
412人間七七四年:2008/01/27(日) 13:16:32 ID:7uTx5IIt
義久はやっぱり好きになれんなぁ・・。せめて弟の秀久みたいな活躍があったらなぁ。
413人間七七四年:2008/01/27(日) 15:42:03 ID:YpblEJdE
晴久×誠久
414人間七七四年:2008/01/27(日) 20:42:17 ID:KbBQWtp7
誠久総受け
415人間七七四年:2008/01/28(月) 00:26:05 ID:2uki9KFA
>>412
秀久って何かやったっけ?
隆景相手に奮戦っていうことしか覚えてないや。
ほとんど活躍したのは倫久だし、秀久ってなんだろう。
416人間七七四年:2008/01/28(月) 00:59:05 ID:7pVLuQhw
尼子三兄弟にも晴久が存命中に三子教訓状を書いてればあるいは…
417人間七七四年:2008/01/28(月) 01:06:25 ID:2uki9KFA
義久が尼子山城任されていた所からして案外期待されてたんじゃない?
418人間七七四年:2008/01/28(月) 22:59:54 ID:JiwLqgwk
BookOffで別冊宝島の戦国大名の本を読んだが、尼子晴久の部分が相も変わらず「祖父の成果をつぶした三代目」とかデタラメな旧説書いてて、腹が立ったよ。
419人間七七四年:2008/01/29(火) 09:57:50 ID:k6AQ1nSD
旧説っていうか、昔でもそこまでボロクソの
評価してる本は少数派でしょう
420人間七七四年:2008/01/29(火) 11:10:09 ID:6eA+Ck6b
宝島なんてとんでも本と大差ないよ
ライターも糞揃い
421人間七七四年:2008/01/29(火) 11:27:42 ID:8JItjcau
>>418
まあその本のレベルを計るリトマス試験紙だと思えば

>>419
そうでもない
422人間七七四年:2008/01/29(火) 19:12:54 ID:+qcodhdK
井沢の逆説の日本史も晴久については馬鹿殿あつかいだな
元就の謀略に乗せられて陣地を変えたとか言う昔の講談レベルの逸話
まともに取り上げてる失笑物のあれだったが。
423人間七七四年:2008/01/29(火) 22:58:27 ID:8JItjcau
さすが井沢元彦。

しかしそんなレベルでも売れる本が書けるというのはある意味福音かもしれぬ
424人間七七四年:2008/01/29(火) 23:47:45 ID:+qcodhdK
元就の大内鞍替えも西国制覇への遠大なる戦略とかいってたな>井沢
俺なんかが見れば尼子から散々な仕打ち受けた上に経久高齢・嫡男急死・世継ぎ幼弱・
息子反乱というしっちゃかめっちゃかな尼子に見切りつけただけくらいにしか思えんが。
425人間七七四年:2008/01/30(水) 00:40:44 ID:49sjuGqS
所詮は結果論の二番煎じ
426人間七七四年:2008/01/30(水) 21:52:05 ID:kVvLYXYU
色んな本で「経久時代が全盛期」とか書いてるが、何考えてるんだろって希ガス。
「十一州の太守」なんて”水ぶくれ”もいいところだし。
そのつけを晴久が払ったと思うとなおさら不憫でならない。・・
427人間七七四年:2008/01/31(木) 18:36:49 ID:i1un2qPo
経久をプッシュするんなら、出雲大社大改造とか坊主集めまくって読経とか
瓜の実を皮が透けるほど剥くケチとか、気が付いたら備後で密談してたとか
ああいう破天荒な実話を投入した方が面白くてためにもなるのになー
428人間七七四年:2008/01/31(木) 19:58:21 ID:3G6WTUFn
>気が付いたら備後で密談
これってなんだっけ?
429人間七七四年:2008/01/31(木) 20:16:46 ID:i1un2qPo
細川高国と談合
430人間七七四年:2008/01/31(木) 21:06:57 ID:3G6WTUFn
>>429
おお、それか。サンクス。
あと天性無欲のなんちゃらも実話なのかねえ…。
ありえそうな気もするが、城内の木を持ってけてのは
ちとオーバーな気もするw
431人間七七四年:2008/02/01(金) 10:37:09 ID:H92+uA3q
細川高国は名勝
432人間七七四年:2008/02/01(金) 12:56:24 ID:LnRaleUy
最後は惨めだがね
433人間七七四年:2008/02/02(土) 22:24:28 ID:17yI+OvN
うひゃあ
434人間七七四年:2008/02/02(土) 22:25:00 ID:aHT5C73m
備中、美作で活躍した三好安芸守の名前
出自は?
435人間七七四年:2008/02/02(土) 23:32:41 ID:tdieH2ii


う○こ

ち○こ



ま○こ
436人間七七四年:2008/02/03(日) 13:53:31 ID:6jZ3pIdM
sage
437人間七七四年:2008/02/03(日) 23:13:20 ID:xBDvWXnK
>>434
知らない人だなー
三吉じゃなくて三好なの?
438人間七七四年:2008/02/04(月) 10:58:41 ID:qxJ3X/57
いぢめんなw
439人間七七四年:2008/02/04(月) 15:42:24 ID:/DDVv0gZ
いぢめてない、いぢめてない。

尼子氏の歴史自体、ここ数年のあいだに史料批判でガンガン変わってるから、
通説とか本当のところとか聞かれても答えにくいんですよ。
440人間七七四年:2008/02/05(火) 09:21:25 ID:xAJXR4JO
>>437
質問のしかたが悪くてすみません。
天分元年(1532)出雲国・月山富田城主尼子経久の美作侵攻が
始まった。
美作国に侵攻した尼子軍は三好安芸守を大将に美作中部の祝山
城を攻撃占拠した。美作国人衆は尼子の軍門にくだった。
 しかし管家党(菅原道真を祖先とする國人達)は抗戦し細尾
城を死守、しかし天文二年(1533)三月、再度三好安芸守の功
撃を受け城は炎上、管家党の多くは戦死した。
とあったので尼子氏に詳しい人居るかなと思い書き込んだ。
自分としては、赤穴氏(三善氏)か備後の三吉氏だと思うが
天文年間で安芸守を名乗った人物が見当たらなかった。
また、天文二年(1533)尼子経久旗下の三好久元が美作矢櫃
城を攻め、城主有本広家を破った。ともあるので、三好安芸
守と久元が同一人物かもしれないが?
詳しい人が居たら教えてください。
長文に成りすいませんでした。
441人間七七四年:2008/02/05(火) 13:57:53 ID:VQgZY2Ka
安芸守と久元は同一人物です。
442人間七七四年:2008/02/05(火) 15:16:10 ID:Iqt8Meru
>>440
その美作の菅家党って菅直人の祖先だったような
443人間七七四年:2008/02/06(水) 09:57:19 ID:OA8OK77U
マジかい・・・・・
444人間七七四年:2008/02/07(木) 10:20:22 ID:HCOXY26Y
444get!
445人間七七四年:2008/02/07(木) 14:18:47 ID:GU9Flo4j
やっぱ戦に敗れたらお遍路さんとかしてたんかな。
446人間七七四年:2008/02/09(土) 10:15:21 ID:aNfXfmZS
尼子って本当に近江源氏だったの?
447人間七七四年:2008/02/09(土) 16:57:57 ID:Ia50m0Eq
そう正真正銘の宇多源氏。
448人間七七四年:2008/02/10(日) 16:08:04 ID:C6lVZx0t
そうなんだ・・・・・  称宇多源氏は仮冒が少ない?
449人間七七四年:2008/02/10(日) 17:24:54 ID:SSpKVuea
そうだね。俺の家も宇多源氏だが、ほとんどの自称宇多源氏は出自がはっきりしている。
他の自称ニセ源氏と大きく違う特徴だね。
450人間七七四年:2008/02/10(日) 23:17:09 ID:zL4OGFSF
うちなんか宇多田光源氏
451人間七七四年:2008/02/10(日) 23:58:03 ID:3jen8rhE
( ^ω^)つまんね
452人間七七四年:2008/02/11(月) 13:00:33 ID:OuAjZXbR
おれも宇多源氏だぜぇイッヒヒ!
453人間七七四年:2008/02/12(火) 09:45:00 ID:7opOYQPp
>>452
(´;ω;`)アタマかわいそうです
454人間七七四年:2008/02/12(火) 14:31:45 ID:XxB5spOR
なんだみんな友達
手前も宇多源氏ですがなアヘアヘアヘアヘアヘ〜イン毛かよっ!
455人間七七四年:2008/02/12(火) 15:10:51 ID:JuWC34xn
うちも戸籍謄本の付票にちゃんと宇多源氏って書いてあります。
正真正銘の本物です。
456人間七七四年:2008/02/13(水) 21:03:10 ID:VbvvKkMA
層化、草加。
457人間七七四年:2008/02/13(水) 23:13:15 ID:vKMN7s/L
ぼくちんも宇多源氏ですムフフ。
458人間七七四年:2008/02/14(木) 00:20:32 ID:3/nxc5D7
公方への嫌がらせって
何が気に入らなかったの?
459人間七七四年:2008/02/14(木) 00:27:08 ID:OEbQShLL
自分を上洛戦に招いてくれなかった事。
新興勢力として無視されたから、道誉もビックリの
京都へ軍事力アピールをしたわけです。
460人間七七四年:2008/02/14(木) 14:15:00 ID:J+Of9PKA
丹後や摂津まで進出してたら足利将軍は手のひらを返してワシの父は尼子殿とか言い出して頼りまくるようになってたかもなw
461人間七七四年:2008/02/14(木) 23:58:29 ID:nVkWLQyT
播磨に本拠地移せば良かったのにね
山陰では天下は望めんよ
462人間七七四年:2008/02/15(金) 00:15:43 ID:TFA09zFN
地元に地雷が多くてそちらにいけないのです。
鰐淵寺を扱った論文読んだんだが、尼子が来たことにより勢力を
盛り返し、毛利が来たら弱くなり固定化してしまった。とあるんだが
鰐淵寺って何がしたかったんだろ。
463人間七七四年:2008/02/15(金) 23:43:07 ID:W6tla81F
信長なら焼き打ちして一気に上洛してるだろうに
464人間七七四年:2008/02/16(土) 01:01:10 ID:r82OTlqn
何のための安土城だと?
465人間七七四年:2008/02/17(日) 11:10:57 ID:X2R5hzZB
>>460
義秋ならありうるw
466人間七七四年:2008/02/18(月) 09:32:30 ID:Yiw4klN4
尼子家の婚姻関係は不詳が多い?
467人間七七四年:2008/02/18(月) 12:48:03 ID:fH7DxzTc
清貞=真木氏の娘
経久=吉川氏の娘
政久=知らん
国久=知らん
興久=山内氏の娘
晴久=国久娘
義久=京極氏の娘
経久の娘=両国造家
晴久の娘=松田氏
468人間七七四年:2008/02/18(月) 21:17:28 ID:ZE41M7lc
けっこう分かっている方だがな。
宇喜多とか浦上とか完全な滅亡大名に比べれば。
469人間七七四年:2008/02/18(月) 21:59:33 ID:l91REqEB
そうだな、意外と残ってるな
尼子倫久の家系が伝えたのか?
470人間七七四年:2008/02/18(月) 22:23:40 ID:D7hzpi2b
尼子勝久の子孫です。
471人間七七四年:2008/02/18(月) 22:36:26 ID:1E17OnSG
>>470
倫久であってるよ。
472人間七七四年:2008/02/20(水) 02:03:30 ID:wyzxwpNd
諸流の尼子でも、系図の混乱が少ないくらいだから
近江源氏系は系図偽造してもすぐバレるな
473人間七七四年:2008/02/21(木) 22:27:27 ID:N0vfON7t
どうせ仮冒するなら清和源氏に繋げようとするだろうな
474人間七七四年:2008/02/22(金) 00:25:25 ID:EQZ3+8zC
テラ家康
475人間七七四年:2008/02/22(金) 23:56:47 ID:/Nchz7Ba
「近江源氏佐々木一族が宇多天皇末裔」というのは
仮冒っていう珍説もあるな
476人間七七四年:2008/02/23(土) 22:32:59 ID:Aso9USDx
えぇ!?
477人間七七四年:2008/02/25(月) 09:32:53 ID:8nsGOFCZ
守護京極氏はグダグダで出雲をあきらめた感がある
478人間七七四年:2008/02/25(月) 11:38:22 ID:XAObeU1c
あきらめたというか、飼い殺し状態で守護権簒奪されたわけだが
479人間七七四年:2008/02/25(月) 18:09:26 ID:qpFwRpI4
幻の使い方間違ってるよ
480人間七七四年:2008/02/26(火) 19:17:42 ID:6v3neSq2
初代スレから気にはなっていたが、伝統だ。
慣用に幻の世とも言うし、儚くなったのも事実。皆解っているでしょ。
まぁ、現状のスレタイ代替案として、前スレの尼子氏総合スレに戻すのもありかもな。

自治失礼
481人間七七四年:2008/02/27(水) 09:43:32 ID:7MVXNwLe
惰性だな
482人間七七四年:2008/02/28(木) 17:08:43 ID:OGvY3I3b
幻は次回からいらないね
483人間七七四年:2008/02/28(木) 17:39:43 ID:dC0vXqQu
実在してんのに、最近は幻とか、伝説の味とか多すぎ。
これもゆとり教育の弊害か・・・
484人間七七四年:2008/02/28(木) 17:54:20 ID:Jhm18A7l
消えた戦国大名
485人間七七四年:2008/02/28(木) 18:14:04 ID:OGvY3I3b
「幻」っていうのは毛利厨が勝手に新スレ
建てたときから付いちゃったんだっけ?
486人間七七四年:2008/02/28(木) 23:36:11 ID:94n0WbQh
何となく幻って言葉が格好いいからこのままでもよいような。
まあどっちでも

なんだか「山陰」という言葉がよくないから「山北」にしよう運動みたいな

 
>>483
>これもゆとり教育の弊害
ゆとり教育以降、スポーツとかで活躍する人間も増えたがなw
たぶん勉強面でも、平均点は下がったが多様性は増してる気がする。
まあ、ゆとり教育の目的ってもともと一律教育からの脱却だったからな。
いまの状況はある意味いい傾向なんだが、マスコミが大衆を煽るから…
平均点なんてどうでもいいじゃないかと思う受験戦争真っ盛り世代だった俺
487人間七七四年:2008/02/29(金) 14:18:25 ID:M0wBTivm
幻!

尼子一族八ッ墓村
488人間七七四年:2008/03/01(土) 22:18:53 ID:kfPeJyku
( ^ω^)!?
489人間七七四年:2008/03/01(土) 22:25:39 ID:vytonklL
>>486
地方名変更運動してる奴らっているよ。
山陰から。
余計なお世話だっての
490人間七七四年:2008/03/01(土) 23:53:33 ID:uhcPko/6
道州制導入後の山陰の名称で尼子州が有力候補の1つに挙がってるみたいだね。
491人間七七四年:2008/03/02(日) 01:21:36 ID:BhmlixNs
マジ?w
普通に出雲石見じゃなくて?
492人間七七四年:2008/03/02(日) 03:27:11 ID:Q2OyeCcC
車のナンバーを『出雲』『石見』『伯耆』『因幡』にしてくれればよし
493人間七七四年:2008/03/02(日) 16:20:12 ID:vbcMMPwW
『隠岐』 涙目
494人間七七四年:2008/03/03(月) 09:38:13 ID:FMF8o3na
test
495人間七七四年:2008/03/04(火) 09:33:30 ID:yBYJq9dg
尼子が織豊時代を生き抜いたら、どうなってただろう
496人間七七四年:2008/03/05(水) 00:04:16 ID:uzFiH8GD
実際生き抜いてたじゃまいか。毛利に下りつつ。
497人間七七四年:2008/03/05(水) 09:48:58 ID:/UMTOot3
佐々木に改姓したのはいつ?
498人間七七四年:2008/03/06(木) 21:57:31 ID:mHQNymAa
江戸時代かな?
499人間七七四年:2008/03/07(金) 20:08:48 ID:W19HH89e
月山行く道中まだ雪残っとる?
久しぶりに備後から遠征したいんじゃけどね。
500人間七七四年:2008/03/07(金) 22:07:47 ID:U5HDZxKa
備後からなら、山越えが危険だろうな。

出雲国でも一番暖かいところに住んでるからよく分からないけど。
501人間七七四年:2008/03/07(金) 22:35:43 ID:W19HH89e
>>500
そうか…。400年以上経っても山陽道南部の人間には出雲の風土は厳しいかw
遠征はもう少しぬくーなってからにしようかね。
502人間七七四年:2008/03/07(金) 22:56:30 ID:7z+Z5gAO
山陰って意外と雪深いんだな
503人間七七四年:2008/03/08(土) 13:15:10 ID:oR2gUttf
備後南部?
鹿の首塚があるところやね?
504501:2008/03/08(土) 13:50:14 ID:M3l4B1tu
>>503
ビンゴ!地元の人達が手厚く葬ったそうな。
わずかな期間、義昭幕府のあった自治体です。
505人間七七四年:2008/03/08(土) 15:26:16 ID:qsc77WS7
先日富田城散策中に暴風雪で身動きがとれなくなり山中御殿にかまくら作ってビバークしました。
マジ死ぬかと思った。
506人間七七四年:2008/03/09(日) 18:28:29 ID:l47dIEIt
>>501
>400年以上経っても山陽道南部の人間には出雲の風土は厳しいかw
いや、出雲の風土ではなくて中国山地の高さが厳しいのだよ。
逆に、我々も南下しづらいし。
507人間七七四年:2008/03/09(日) 22:02:53 ID:Bo5SJz42
ウボアー('A`)
508人間七七四年:2008/03/10(月) 05:20:10 ID:mP129q4+
同郷の福山の人がいそうなので懐かしくてアゲてみる
509人間七七四年:2008/03/10(月) 20:51:38 ID:a6EAT+U9
シカノスケ大河はいつなんだー
510人間七七四年:2008/03/10(月) 23:28:45 ID:gZXY5Ub8
鹿介の墓って、
@備後鞆の浦の首塚
A備中高梁のローソン隣の墓碑(後の徳川幕府期のもの)
B備中高梁の胴塚(Aから南方向に直線距離でたぶん1`も離れてない所、かつここが殺害場所に最も近い場所?)
C鹿野町(現鳥取市内)の菩提寺の幸盛寺境内
これだけ?他にあった?
511人間七七四年:2008/03/12(水) 00:23:04 ID:RDAl2Cyu
無いような・・・・
512人間七七四年:2008/03/12(水) 22:59:20 ID:viQmdnbI
尼子もいいが広瀬町は安達美術館がオススメ
隣に、道の駅があるから小泉八雲の地ビールのみながら花見でもしなさい
富田城は桜の名所だからね
513人間七七四年:2008/03/13(木) 17:00:57 ID:BOftGMVW
政久と毛利隆元の評価を知りたい。
514人間七七四年:2008/03/13(木) 19:00:36 ID:setvHNDM
政久はどうなんだろう
文武に優れ将来を嘱望された武将と言われてはいるが余りにも若死にだし
その最期も・・・だしね
生きていれば興久謀反や新宮党のゴタゴタといった元をただせば経久の後を
継ぐ者は誰なんだ?という事に一因がありそうな内乱はなくなりそうではあるけど
515人間七七四年:2008/03/13(木) 19:52:01 ID:nuFuExTk
隆元の方は家督をついで内政を取り仕切ってて、その死後隆景がその仕事振りに
敬服したという話があるけど、政久の方はそういう実績とかあったっけな
516人間七七四年:2008/03/14(金) 00:55:01 ID:eL/724Wj
政久が生きてれば久幸が戦死回避できたのか
517人間七七四年:2008/03/14(金) 20:55:44 ID:sbVGTC9L
>>516
代わりに政久が戦死して総崩れとかw
まあマジレスすると、あまりに情報がないので想像すらできない。

 
ところで吉田郡山城攻めは、大内に対する攻勢防御という理解でいいんだろうか?
518人間七七四年:2008/03/15(土) 15:19:42 ID:bG1vaH/y
尼子天晴
519人間七七四年:2008/03/15(土) 19:40:32 ID:bb5T9I/4
>>517
と思うけどね
尼子から見れば備後国人衆、石見国人衆が味方で安芸吉川は縁戚、毛利領の向こうの
安芸武田も味方
ここさえ尼子方になれば最前線が安芸備後国境沿いの山地から一気に広島湾沿いになり
大内にかかる圧力はハンパない
逆に言えばこのちっぽけな国人領主(高橋氏の旧領合わせて国人領主としては大領だけど
尼子からみれば)が安芸吉田で大内方の旗を掲げている限り山陽道を西に向けて勢力を
伸ばせないわけだし
520人間七七四年:2008/03/15(土) 20:50:01 ID:A0Hr6ity
('A`)←政久
521人間七七四年:2008/03/16(日) 15:32:24 ID:QxUeldfi
>>519
なるほど、やっぱり情勢の判断としては郡山城攻めは必至かな。

そうすると、どうやれば勝利できるかなんだけど、
目標を 「大内主力部隊の撃破」 に絞ったほうがよかったんじゃないかと妄想。
あの戦いって、ある意味ミッドウェー海戦に通じるものがあるような。
目標設定を二個にして失敗しちゃったあたりが。
522人間七七四年:2008/03/17(月) 00:44:11 ID:EfghP8UD
本格的な冬が来る前に落としたかったんじゃない?
あとは長期間による遠征は軍の士気を落とすとか。
兵農分離がまだなので、長期化すればするほど畑の心配をする農民達が増えて云々とか
米原正義氏の本にあったような。
523人間七七四年:2008/03/17(月) 18:40:59 ID:NuSVxMoW
米が無ければいくさはできぬか
524人間七七四年:2008/03/17(月) 22:17:01 ID:JUTJ9TvL
そうすると犠牲をいとわず郡山を攻め落とすしかないか…
525人間七七四年:2008/03/17(月) 23:35:46 ID:oZwswum6
晴久は毛利を降伏させたかったんじゃないか?
と素人がテキトーなこと言ってみる。
526人間七七四年:2008/03/18(火) 13:11:31 ID:S3yV2iBl
>>525
降伏させても別段メリット無いしな。
前段階で吉川の和睦斡旋も尼子側から断ってるし。
527人間七七四年:2008/03/19(水) 21:51:08 ID:qlCwlEDf
尼子の宇多源氏後裔は仮冒で、実際は
古代豪族の末裔と断じている研究者もいるね
528人間七七四年:2008/03/19(水) 22:36:06 ID:6ouqosFY
この前、兵庫県の上月歴史資料館に行ったら
記帳名簿に鳥取県尼子勝久と記入してあった。
529人間七七四年:2008/03/19(水) 22:41:24 ID:0JqW8MYT
私は尼子勝久の子孫です。
代々ミドルネームに勝久を名乗ることになっています。
530人間七七四年:2008/03/20(木) 00:05:24 ID:AF3zoVQ+
尼子か 小さい頃から出雲の戦国大名の子孫とか言われて、親には珍しい名前だから新聞に載るよう悪さをするなとか …
俺の知ってる尼子は硬い人
531人間七七四年:2008/03/20(木) 18:59:45 ID:fX/Eg4jg
>>527
誰の説?
532人間七七四年:2008/03/20(木) 23:32:25 ID:eH3K+Zhi
>>531
おそらくココかと・・・・
ttp://shushen.hp.infoseek.co.jp/index.html
533人間七七四年:2008/03/21(金) 20:49:56 ID:/Iv3mLOx
「古代氏族系譜集成」…信憑性はどのくらいのものなんだろうか…
なんかボロクソ書かれているが↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1137830191/530
534人間七七四年:2008/03/22(土) 00:32:55 ID:WpX+Ji0+
「この系図は怪しいから、本来は古代豪族の末裔のはずだ」っていうのも
かなりおかしいよな。昔のことなんだから、資料の欠損・書き間違えも
有ってしかるべきで、裏づけが取れないからといって、ウソと決めかかるのも
おかしいし。しかも、古代豪族の末裔と位置づける際には十分な論拠を示さない。
矛盾に陥ってるよね。
535人間七七四年:2008/03/22(土) 01:51:33 ID:320L/HFv
ウチなんか、先代の住職が酔った勢いで寺台帳焼きましたw
周辺数十軒の来歴がパァw
中には松江藩から入植者監視のため送り込まれた名士の家とかもあります。
勿体ない。

まあこれは極端な例だけど、系図なんてまともに伝わるのは難しい。
でも尼子の場合は、なんたって守護代クラスの連中ですから、
周辺の古文書もあわせて、かなり信憑性の高い系図になってたような…。
京極氏の分族である近江尼子氏から、出雲尼子氏が分かれたのはほぼ確実でしょう。
536人間七七四年:2008/03/22(土) 12:46:08 ID:rLzQ/YKG
>>534
最近の傾向として、すぐに仮冒だと決めた上で、たいした論拠も無く
古代豪族とか国造の末裔にしたがる傾向があるよな
537人間七七四年:2008/03/22(土) 12:51:29 ID:MyF0qLie
>>536
古豪の末裔と断定する時には、大して証拠を示さないんだよな
よっぽど古豪が好きなんだろうな。

まぁ、史上において各地の古豪が急に消えているというのも
不思議ではあるが、系図に矛盾点が出た氏族をなんでもかんでも
古豪に繋げてしまうのは無理矢理だよな
538人間七七四年:2008/03/24(月) 21:02:00 ID:AoZMM6l4
>>535
( ^ω^)イイハナシダナー
539人間七七四年:2008/03/27(木) 22:02:00 ID:Ex8sTHQs
(´;ω;`)かわいそうです
540人間七七四年:2008/03/29(土) 10:02:23 ID:4HjKBETk
尼子は近江源氏じゃやあああああ
541人間七七四年:2008/03/31(月) 18:48:20 ID:k8cQhl95
>>533
古代豪族オタの妄想というかんじ
542人間七七四年:2008/04/03(木) 23:27:16 ID:/EpCUlw8
出雲にも小笠原一族っていたんだね
543人間七七四年:2008/04/05(土) 13:56:42 ID:s3oeM0Qs
出雲は知らないけど丸山城に小笠原氏はいたような
大朝町の東だったとおもうよ。
544人間七七四年:2008/04/08(火) 21:38:06 ID:SEg1VXJk
小笠原の繁濫は異常
545人間七七四年:2008/04/08(火) 22:20:33 ID:tEeGAJZO
ここ、ー 止めない。
過疎すぎ 
546人間七七四年:2008/04/09(水) 00:32:39 ID:P05uiqh4
緒形拳がぬらりひょんやるらしい。ある意味これも山陰ネタ。

http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080107-OHT1T00086.htm

それにしても水木しげるロードは風が強い…。吹きっさらしMAX
547人間七七四年:2008/04/11(金) 08:11:53 ID:fgo/PmIs
尼子氏って騎馬隊よく使ってたの?
548人間七七四年:2008/04/13(日) 10:39:28 ID:q9X/oKVy
>>510
備後東城町の徳雲寺にも鹿の墓があるよ
新宮等事変のとき勝久が僧となっていた寺です
古い勅使門とかあって,昔は格式高い寺だったみたい
549人間七七四年:2008/04/13(日) 13:20:27 ID:b+Y4euqV
>>548
知らんかった。今度行ってみます。
550人間七七四年:2008/04/13(日) 17:12:50 ID:XRxxbzjg
「島根県の歴史散歩」 新版が出たので立ち読みしてみたんだが、晴久の扱いが酷いこと酷いこと。
経久が「11州の太守」だとか、いつの時代の定説だよ orz
晴久時代すっとばしていきなり滅亡の話とか、他に語るべき事があるだろうがと小一時間(ry
この編集員、脳みそ腐ってるんじゃねーのか?
551人間七七四年:2008/04/13(日) 18:44:15 ID:Bhp1ONZl
郷土史家には経久厨が多いってことか。何の得があって?w
552人間七七四年:2008/04/13(日) 19:09:29 ID:XRxxbzjg
>>551
なんにも得がないんだよね、困ったことに。
「うちの殿様はバカでしたー」 と宣言しているようなものなんだが・・・
なさけなくて涙が出てくる。 少しは勉強しろよ。

「新宮党事件は元就の陰謀」 という旧説もしっかり載ってました、しかも一説とかじゃなくて「事実」として
553人間七七四年:2008/04/14(月) 21:31:24 ID:1GJewXsu
軍記の創作なのにね
554人間七七四年:2008/04/14(月) 22:18:43 ID:cs1qtPZC
>>552
そんならまだ八幡和郎の方がマシだね。『戦国大名県別国盗り物語』で

「勇猛だが制御しずらかった新宮党を粛清してから一気に衰退に向かった」

て書いてあった。後半があれだが、郷土史家よりは・・。
555人間七七四年:2008/04/15(火) 23:14:15 ID:YF8eoc9V
すまん
>>551のBhp1ONZlが気になるONZが
556人間七七四年:2008/04/15(火) 23:16:53 ID:ukoFHJph
晴久を貶す=経久厨の図式は成り立たない
557人間七七四年:2008/04/15(火) 23:42:39 ID:MHI9AyUT
執筆陣に、尼子に詳しい 原 慶三 氏もいるのに何でこんな事になったんだ…
558人間七七四年:2008/04/16(水) 23:21:59 ID:l+vnPS5J
最上家かな
559人間七七四年:2008/04/19(土) 00:00:26 ID:9boqAlg/
尼子の歴史捏造された\(^o^)/
560:2008/04/19(土) 19:42:44 ID:EOfrZTgo
顔文字、オワタにすんなって
561人間七七四年:2008/04/20(日) 10:10:13 ID:YLcB9O2l
スレの風物詩?
562人間七七四年:2008/04/20(日) 20:33:59 ID:Rt/iU0H9
地元では尼子晴久の評価はいまだ低い。
史料にふれる機会の多い研究者の間では尼子晴久の評価は高いが、年配の郷土史研究家の方たちは過去の否定的の評価のままです。
たまに歴史講座などで晴久について肯定的な話がされても、なかなか定着しないのが現状です。(新宮党事件など)
563人間七七四年:2008/04/21(月) 13:22:06 ID:cgzQ26qi
出雲尼子氏について語ろう
http://www.amezor.to/history/070307093629.html
564人間七七四年:2008/04/22(火) 23:26:32 ID:SwNU80rV
慶長3年の”全国総石高1851万石”がうその件
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1208861130/
565人間七七四年:2008/04/24(木) 21:19:59 ID:wefJfGCy
3000万石はあるかと思ってた
566人間七七四年:2008/04/26(土) 21:00:41 ID:SxR9GojT
鹿介は仮に尼子再興に成功したとしたら義久はどうするつもりだったんだ?
新宮党系の勝久と義久が馬が合うわけないから殺すのかな。
567人間七七四年:2008/04/26(土) 21:47:46 ID:Z4NM1nvX
義久は毛利にいるから帰ってこないだろ。
たぶん義久は義久で毛利の客将として残ってるだろうし。
義久が対再興軍として出てもおもしろいなとも考えたが
再興軍の殆どが領地奪回組だから、義久が出たとて変わらないか。
568人間七七四年:2008/04/27(日) 22:58:20 ID:9c7FK9z5
義久は毛利家の客将として70歳で天寿を全うした
569人間七七四年:2008/04/27(日) 23:24:04 ID:ZZgVCIKk
勝久だって鹿介に担ぎ上げられさえしなければ天寿を全うできたのにな。
鹿介は勝久を結果的に死に追いやってしまった事をどう思っていたのだろう。
570人間七七四年:2008/04/28(月) 12:10:51 ID:MT91kpPh
御輿が壊れちゃった (´・ω・`)
571人間七七四年:2008/05/01(木) 14:17:17 ID:z3SM32qI
( ;∀;)イイハナシダナー
572人間七七四年:2008/05/03(土) 01:37:36 ID:SsduppIc
よかねぇよ
573人間七七四年:2008/05/03(土) 02:24:27 ID:u9CniZnV
益田って独立守るためにかなり必死だったみたいだな。
嘘の伝令を乱発してるし、その伝令の内容も
「陶、吉見、益田、尼子が和議を結んだ」とか
若干現実味のあるような話。
ちなみに陶と尼子の同盟は有り得たらしい。
が、自然消滅した。
574人間七七四年:2008/05/04(日) 19:50:10 ID:e8dx4W4H
ほんの少しだが緒形経久 最後の切り札

ttp://www.youtube.com/watch?v=LTkABKz2yFc
575人間七七四年:2008/05/05(月) 16:03:42 ID:QdEsAnrp
経久かっこいいわ。
赤穴以外に踏ん張ったんだな。
576人間七七四年:2008/05/05(月) 21:51:46 ID:oGPZsxsS
経久萌え
577人間七七四年:2008/05/07(水) 23:39:48 ID:kKo61L7l
本庄常光age
578人間七七四年:2008/05/08(木) 21:24:27 ID:apG/myb5
出雲大社ネタで大爆発中

宮大工のヤン・ウェンリー
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1185261501/


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579人間七七四年:2008/05/10(土) 11:08:17 ID:n33dP+qD
>>578
ん?なんだ?
580人間七七四年:2008/05/12(月) 02:18:31 ID:WgkMVxYW
尼子家に茶の湯の文化はあったのp?
581人間七七四年:2008/05/15(木) 16:07:05 ID:fnH+HX4D
>>580
三刀屋弾正茶釜
582人間七七四年:2008/05/16(金) 03:42:02 ID:W94JlUqr
普通に、尼子天目の名前だせよ。
583人間七七四年:2008/05/16(金) 23:57:06 ID:MU2qfV4+
(´;ω;`)かわいそうです
584人間七七四年:2008/05/18(日) 12:09:52 ID:m9Tsp8v9
山口文化圏だったことは否めない
585人間七七四年:2008/05/20(火) 22:28:22 ID:FLu1oflq
大内の風下には立たん!
586人間七七四年:2008/05/21(水) 21:23:19 ID:NwqWrNP2
苗字 佐藤 順位1   全国世帯数474558

苗字 尼子 順位6223 全国世帯数380
587人間七七四年:2008/05/23(金) 23:21:12 ID:IR6ZjO8j
天昇記で誠久に裏切られたおw
588人間七七四年:2008/05/25(日) 21:35:53 ID:jswaCyRg
m9(^Д^)プギャー
589人間七七四年:2008/05/27(火) 19:49:44 ID:877n48Vf
第3回 2ちゃんねる全板人気トーナメント二次予選
<<戦国時代>>板は6/4日出陣
http://2ch.gepper.net/tour/t2/a9.html

詳しくは選対スレへ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211037643/
590人間七七四年:2008/05/27(火) 22:26:53 ID:frD/5SdJ
保守
591人間七七四年:2008/05/29(木) 16:59:50 ID:sXJv+X0F
誠久は生年不肖
592人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 23:08:54 ID:khydhtQE
実は晴久より年上っぽい
593人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 02:05:10 ID:mjeN0jjd
赤穴や三刀屋の事も思い出してあげてください
594人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 02:10:36 ID:2YnIFeqk
うん、月山はがっさんて読むムードをもっと醸し出すべきだな
595人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 02:53:54 ID:BDn9VK9/
富田月山城ってよく紹介されるが出自はどこなんだ?
ほとんどの資料に富田月山って書いてあり、サイトでもそう書いてあるし。

富田月山城は雅名であり、正しくは月山富田城である。
とわざわざ書かれた書物を読んだときは吹いた。
596人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 07:57:15 ID:JZIapz9k
『偉大な武将の居った城には敬意を表さねばならん!』
597人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 22:00:43 ID:SmZ7MgXX

( ^ω^)<偉大な武将の居った城には敬意を表さねばならんお
598人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 22:43:04 ID:/liSss8K
尼子は結局室町的な支配体制から脱却できなかった。
599人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/05(木) 23:26:48 ID:4cxEvzrF
中央集権狙って、新宮党を粛清したけどね。
600人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 00:44:36 ID:ijA1B+O2
>>599
でもそれで返って求心力が低下したけどね。
601人間七七四年:2008/06/06(金) 17:42:41 ID:NvdGrB6m
月山富田の城下町は栄えてたんだろうか?
つーか、そういうこと考えるのは見当違い?
602人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 18:45:58 ID:44iIn91v
よく知らないけど
たしか城下町みたいなものがあったけど洪水か何かで埋まっちゃったんじゃなかったっけ?
603人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 19:57:23 ID:d5UqJMWC
 日立金属さんて毛利だけでなく尼子にも関係しているんですね。
604人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 22:20:43 ID:c29qdxV1
>>600
求心力低下したなんて嘘だろ
家中の厄介者だったんだから
605人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 22:46:12 ID:4cuLeOw2
まあまあ、尼子と六角を勘違いしてるんだよ。馬鹿だから。
606人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 09:18:17 ID:iGD/vge7
結局新宮党の権限がでかすぎたんだな。
それ以上でも以下でもない。
607人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 13:04:01 ID:hgp+GdMK
でも晴久がいきなり急死して当主を支える有能な人間がいなくなった事を思えば結果的に新宮党は温存させておいた方が尼子滅亡は避けられたかもしれんかったね。
晴久も急死するとは思ってなかったろうね。
608人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 21:00:37 ID:2rVbOt6x
晴久のあの最後で、もし新宮党が残っていたら、確実に尼子は分裂してる。
609人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 21:01:14 ID:UyFzXrF+
そんなIFには大した価値はない
610人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 00:14:14 ID:eaTSrGsQ
そんなレスにも価値があるわけではない
611人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 03:29:29 ID:8IUD9ll9
>>608
興久の二の舞ですな

雲陽軍実記は新宮党を褒めるのか貶すのかどっちかにしてほしい。
家臣全員賛成なのに斬った後、その行為にケチを付けるって……。
612人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 04:27:06 ID:9W2nUQRE
新宮党が残ってたら、新宮党から入嗣&本家乗っ取りもあったかな?
若輩の義久を後見という形は十分ありそうだが。
613人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 05:49:10 ID:gdyME1Wl
そもそも義久の母が新宮党出身ですから、問題は新宮党に与しない側近ぐらいでしょうか
614人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 07:22:19 ID:u7W9Ilxh
中央集権化を進める晴久政権には邪魔だったが義久政権の後ろ盾として新宮党は有力だったんでわ?
晴久の奉行衆は殺されるかも知れんが。
615人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 10:58:48 ID:T7Lr9GHA
>>610
ガキかよw
616人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 11:14:29 ID:HVKrYRZg
>>614
なんか信玄亡き後の武田の状況みたいだな
617人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 21:41:38 ID:xu9kicyH
尼子家はちょっと身内運が悪すぎるよね。

それか個々のアクが強すぎるのか・・・。
まあ、骨肉の争いが常の戦国時代ではあるが。

せめて晴久を補佐するような兄弟がいれば、
すこしは違った展開になったのかなぁ・・・。
618人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 23:19:32 ID:YbjBA9GR
バランスが難しいよな
強力な権力と軍団でもって宗家を盛り立てるべきだが、
その力が大きくなりすぎると、お家にとっては邪魔な存在になる
(家の規模は違うが)武田信繁や豊臣秀長の存在は希有な例だと思う
619人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 23:58:04 ID:a2743C6e
経久の勢力拡大が急過ぎた
620人間七七四年:2008/06/10(火) 00:11:03 ID:ScW7tn8m
経久の勢力拡大といっても、尼子の支配はあくまで幕府より認定された各国の「守護職」としての支配であって、
戦国大名的な領国支配ではない。国人たちとの結びつきは弱いままなので、その体制は見た目と違って
かなりもろい物だった。
621人間七七四年:2008/06/10(火) 07:16:19 ID:63qPTxEY
武田氏末期に縁戚の穴山氏や小山田氏がどういう動きをしたかを考えたら
義久時代に新宮党が残っていたらというIFの答えは想像がつくな
622人間七七四年:2008/06/10(火) 13:16:43 ID:ScW7tn8m
室町的な守護大名の場合、血縁のある者のほうがむしろ競争者だからね。
623人間七七四年:2008/06/10(火) 17:40:22 ID:NykbGVvn
>>620-622
「戦国期守護」で尼子を語るのは一時期流行ったけど、最近はあんまり。
経久からして、守護に任命されていたかが不明だし。
塩冶氏の解体とかむしろ守護権を踏み越える行動のほうが多い。

「血縁のある者のほうがむしろ競争者」というのは同意
624人間七七四年:2008/06/10(火) 21:27:44 ID:ScW7tn8m
>>623
経久は出雲、隠岐守護に任命されてなかったっけ?

室町期の守護大名がやたら血縁同士で争うのは、幕府の大名統制方法が、嫡流と庶子を争わせて
守護任命者である幕府の求心力を高める、ってやり方一辺倒だったせいだろうなw
625人間七七四年:2008/06/11(水) 00:44:24 ID:4fEL31vn
>>624
確実に任命した史料はなかったハズ

あくまで周りの残存史料からの状況証拠らしいけど、
出雲、隠岐守護は京極氏で、経久は最後まで守護代だった可能性が高い。
626人間七七四年:2008/06/11(水) 01:01:53 ID:0xVOOJrr
>>625
確実に守護に任命された記録があるのは晴久の代になってからか。
627人間七七四年:2008/06/11(水) 08:45:57 ID:4fEL31vn
>>626
八ヶ国守護補任のときやね
628人間七七四年:2008/06/13(金) 23:27:22 ID:ski27ybJ
尼子に秀吉における両兵衛みないな参謀っていたの?
629人間七七四年:2008/06/14(土) 00:44:11 ID:xYR/8ti/
>>628
先ずその両兵衛が参謀だったかどうかということをよーく調べてみようぜ?
630人間七七四年:2008/06/14(土) 01:18:51 ID:3zId45V0
( ^ω^)ウボアー
631人間七七四年:2008/06/15(日) 11:20:15 ID:Pg57t0XR
宇喜多とかが勢力を伸ばしたのも、尼子の滅亡の空隙を付いての事だったのね。

しかし尼子義久は降伏後はすっかり毛利に飼いならされちゃってるな。輝元が秀吉に会いに上洛する時
「よかったらこれ関白に渡してあげて〜」って感じで家重代の宝刀とか送っちゃうのは、ほほえましいと言うか
なんと言うかw
632618:2008/06/15(日) 22:42:32 ID:TmtraNdL
義久、輝元、宇喜多秀家、この三人はキャラ被ってる。
いづれがどの家に生まれていても、結末は一緒っぽい気がする。

そういう意味で、両川や忠家のような存在が欲しかった。
633人間七七四年:2008/06/15(日) 23:17:41 ID:Pg57t0XR
尼子の子孫は江戸時代に入ると佐々木性に戻しているのね。
634人間七七四年:2008/06/16(月) 00:07:25 ID:4KMOrSh3
>>631
>宇喜多とかが勢力を伸ばしたのも、尼子の滅亡の空隙を付いての事

尼子がここまで強大な勢力圏を築いていたことは、最近まで分からなかったんだよねー
だから中国地方の戦国史(主に鳥取と岡山)には謎の空白期間が…
635人間七七四年:2008/06/16(月) 03:12:09 ID:WTd86VbD
>>631
(つД`)

鹿之助なんかは、完全に犬死にだったんだな。
まあ、御家再興に正当性があったかすら怪しいし・・・。
636人間七七四年:2008/06/16(月) 22:35:56 ID:DLJwlVQ+
>>631
そんなほほえましいのに、なぜ大西をぶった切った(自害申しつけらしいが)のかが謎だな。

危機感はない、何とかなる主義、長いものに巻かれる。
義久ってこんな感じだよな。
637人間七七四年:2008/06/16(月) 23:12:24 ID:6egX5DNI
>>636
毛利において待遇がよかった、ってのもあるんだろうね。
638人間七七四年:2008/06/19(木) 03:32:58 ID:ZKBkCbv6
>>631
氏真が晩年には家康と馴れ合ってるのと共通するものがあるな
639人間七七四年:2008/06/19(木) 09:41:29 ID:uSgiFN/H
>>638
氏真は親の仇・信長の前で蹴鞠の妙技を披露してる・・・。
640人間七七四年:2008/06/19(木) 11:02:37 ID:EklpyI9S
イイハナシジャナー
641人間七七四年:2008/06/19(木) 11:31:17 ID:xmMseLYo
>>638
氏真は家康の駿府人質時代から、かなり仲がよかったらしいぞ。
幼馴染みたいなものだ。
642人間七七四年:2008/06/19(木) 11:58:31 ID:uSgiFN/H
小早川隆景「出雲がおなつかしいでしょうね」
義久「ここが楽しいので、出雲のことは忘れましたよ」
643人間七七四年:2008/06/19(木) 12:39:34 ID:74gQrrL9
泰平に乾杯
644人間七七四年:2008/06/19(木) 12:56:09 ID:xmMseLYo
氏真も義久も、根本的に戦国大名というものが合わなかったんだろうね。体質として。
人でなしで卑劣であることを強要されるようなポジションだから、わからなくもないな。
645人間七七四年:2008/06/19(木) 18:08:47 ID:T97QLRKv
>>642
劉禅かw
646人間七七四年:2008/06/20(金) 01:56:52 ID:FJiZ+MnZ
>>644
生まれる身分・世を間違えたな
平和な世だったら名君だったかも知れない
647人間七七四年:2008/06/21(土) 01:24:28 ID:FeRiJy0A
>>646
育てられ方も多少は影響してそうだな
648人間七七四年:2008/06/21(土) 01:29:22 ID:umLd/UVg
まあどっちも、戦国大名の心得をきちんと伝えられる前に父親死んじゃってるしなあ。
輝元にはTHE戦国大名のお祖父ちゃんと、同時代でトップクラスの武将である叔父さん二人がついてくれたために
なんとかなっていたが。
649人間七七四年:2008/06/22(日) 11:40:31 ID:TxiVFs1b
晴久が急死しなければ・・・
国久と興久が生きていて、なおかつ本家を支えるような人だったら・・・
650人間七七四年:2008/06/22(日) 12:27:22 ID:grZHVCB5
まあ晴久の段階で集権化に失敗していたし、滅亡するかどうかはともかくとして、どうしたってジリ貧の
状態になっていっただろう、ってことは予測できるけどね。毛利と織田に挟撃されている状況だったわけだし。
651人間七七四年:2008/06/22(日) 19:06:48 ID:x4ZwFsWX
>>650
>毛利と織田に挟撃されている状況だったわけだし。
尼子が毛利と織田に挟撃されている状況っていつのことだい?
652人間七七四年:2008/06/22(日) 21:57:52 ID:WK8scN4Q
>毛利と織田に挟撃されている状況
滅亡していなければってことじゃね?
653人間七七四年:2008/06/22(日) 23:26:53 ID:cVTT5C/O
ぶっちゃけ状況悪ければ織田に恭順していただろう
毛利とは敵対するにしても
654人間七七四年:2008/06/22(日) 23:30:51 ID:grZHVCB5
信長の天下統一事業が進行している以上、いずれは織田に恭順するか毛利にひざを屈するか、の
二者択一を迫られただろうね。毛利よりも織田勢力圏に近い分。
655人間七七四年:2008/06/23(月) 22:12:50 ID:0lC3Bk9h
本願寺との音信もあったし、包囲網参加の可能性…よりも毛利侵攻が先になるかな。本願寺は天文一揆以降は、大名と和して同ぜす的な姿勢だったから武田が動くまでは連携ないだろうし(安芸門徒の煽動も断わってる)。
656人間七七四年:2008/06/25(水) 23:28:05 ID:mFIKPFGD
     |┃三        / ̄\
     |┃         |     |
     |┃          \_/
 ガラッ. |┃            |
     |┃  ノ//   ./ ̄ ̄ ̄ \
     |┃三    /  ̄   ̄  \
     |┃     /  <●>  <●>  \    ?
     |┃     |    (__人__)     |   
     |┃三   \           /
     |┃三   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
657人間七七四年:2008/06/26(木) 00:45:24 ID:Xy/Wy3pQ
ようこそ!
658人間七七四年:2008/06/26(木) 00:49:02 ID:L8e7nbkC
友達が尼子の家臣の子孫で、その家に伝わる戦国時代に実際に使ってたって言う鎧通しを見せてもらったことがある。
ズシリと重くて、実用武器特有の不気味さがあった。
659人間七七四年:2008/06/27(金) 00:09:02 ID:CsONSjJd
>>653
直家と同じ手段に出そうだな。
660人間七七四年:2008/06/27(金) 22:37:59 ID:EifhUxP6
問題は基本弱小勢力だった宇喜多にくらべ、尼子は中途半端にデカイことだなー
毛利と織田の挟撃に合う可能性も高い… 但馬山名の動きによるな
661人間七七四年:2008/06/27(金) 23:32:11 ID:H19y//ub
六角氏・朝倉氏のように抗戦かもな〜
この場合、やはり雲南・奥出雲あたりの国人衆の離脱率は高い
明のように、隠岐島に渡って抗戦するか…(明治の隠岐騒動自治政府みたいやな…)まぁ、隠岐氏が上陸許さんか、もしくは小山田みたいに誘う→背くか?
662人間七七四年:2008/06/29(日) 10:54:42 ID:HTdmheWH
さすがに両面に敵を作る愚は・・・・・
663人間七七四年:2008/06/29(日) 16:53:38 ID:v2luzxZf
664人間七七四年:2008/06/29(日) 18:14:25 ID:KNZvB1x3
>>663
非常にうそ臭い。
つーか尼子も残党の大部分は毛利に吸収されてるし。
665人間七七四年:2008/06/29(日) 20:47:24 ID:FBYijmv2
>>663
時期や場所はその通りと思われ。
但し出雲・因幡・伯耆のほとんどの地域が尼子残党に奪回されたという記述は過剰。
奪回されたのはそれぞれの国の一部でしかない。
尼子残党の動きが出雲・因幡・伯耆の全土に影響を与えたのは確かだが、
だからといって多くの地域が尼子残党に靡いたわけではない。

元が元就時代の毛利領が過剰ではないか? という疑問から発したレス群のようなので、
尼子残党の活躍を誇大に説明しているだけだと思う。
666人間七七四年:2008/06/30(月) 00:44:24 ID:4tQcBil3
ほとんど
残された史料が毛利側である以上は
毛利の尼子評価は過小評価気味なので
あながち大幅に間違ってるとも言い切れないんじゃないか?
宇喜多や織田の後援もあることだし。
667人間七七四年:2008/06/30(月) 08:40:27 ID:yk0qKf5P
> 毛利の尼子評価は過小評価気味なので
> あながち大幅に間違ってるとも言い切れないんじゃないか?

そう言うのは今までの資料評価を覆す、何か新しい発見があった上で言わないとあまり意味は…。
668人間七七四年:2008/06/30(月) 15:23:13 ID:jlzpEJLF
広瀬町発行の尼子史料集成みるかぎりじゃ、そんな快進撃を示す文書は…「滅んだから散逸した」と言うには無理があるかと
669人間七七四年:2008/06/30(月) 17:26:06 ID:fDFTt64M
滅亡前に毛利は月山富田城を年単位で包囲だしなー
出雲の国人が靡いてなければこれは出来ないだろう
残党蜂起時にしても、かつて尼子→毛利と寝返った国人が更に毛利→尼子は
その後のことを考えればきつい
670人間七七四年:2008/06/30(月) 18:22:24 ID:yk0qKf5P
だいたい尼子はその当主まで毛利に投降しているのだから、その方針に反発したはねっかえりの残党の勢力なんて
たかが知れている。
671人間七七四年:2008/07/02(水) 23:40:44 ID:ygmbrgoC
元就の措置は寛大だったと思う
芋武者の元春や熊谷信直らは斬首を要求してたらしいが
672人間七七四年:2008/07/04(金) 00:53:31 ID:P8lD+DTW
戦乱の時代を駆け抜けた武将列伝コレクション
尼子 経久(あまご つねひさ)
http://www.rakuten.co.jp/ningyou/770757/1041661/
http://image.www.rakuten.co.jp/ningyou/img10351716594.jpeg

どうなんだw
673人間七七四年:2008/07/04(金) 02:19:43 ID:5SXFqfjx
経久着用の鎧か兜って残ってたっけ?
そのフィギアはあまりに適当だなwww
674人間七七四年:2008/07/04(金) 10:22:11 ID:WxA87DQh
佐陀神社に奉納されてるって聞いたが…
675人間七七四年:2008/07/04(金) 20:11:52 ID:Q6K0XPWL
さういふフィギュアは、素体を傷附けないやう一旦彩色を落して、自分の好きなやうに塗るためにある。
676人間七七四年:2008/07/04(金) 23:53:31 ID:6tpYkVYF
     ____|||○|||___
    |―───┬───―|
    |  /    |    \  |
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     |___|──|___|

677人間七七四年:2008/07/05(土) 01:06:05 ID:qb2t7ySj
神魂神社にも着初めの鎧と伝わるのが伝来してるよ。あと、個人が所蔵してる伝・経久使用の軍配もあったはず。上杉謙信の軍配みたいに、柄の長い梵字つきのやつ。
678人間七七四年:2008/07/07(月) 00:41:26 ID:ctTu/+Gp
今月号のコミック乱増刊号に経久富田城奪回ネタがあるね。
679人間七七四年:2008/07/07(月) 20:50:02 ID:8C0Fl/zI
そういうコミック誌多いのね、最近は
680人間七七四年:2008/07/10(木) 16:44:38 ID:tTikPszE
昨日久々に「元就」のDVD引っ張り出して見てたよ。尼子はやっぱり緒方拳のイメージが強烈だわな。
腹心役の磯部勉は声がインディーだしw 経久に乗せられた(ドラマではだけど)武田元繁の宍戸開も
いい味出してたなあ。有田の合戦の際に棚引く幟の武田菱を見て武田信玄の親戚だったことも思い出した。
681人間七七四年:2008/07/10(木) 18:51:12 ID:pO1YtQBM
元繁は大した事ないザコ武将。むしろ元繁の息子が名将なのは意外と知られていない。
682人間七七四年:2008/07/10(木) 21:29:14 ID:3+VlPQZo
磯部勉は声優もやってるくらい声が良いからな
683人間七七四年:2008/07/10(木) 22:18:04 ID:aDwjTkQv
ウルザードカッコヨス
684人間七七四年:2008/07/11(金) 00:52:57 ID:NZWpAWEA
>>681
スレ違ひも甚だしいが、wikiの「西国の項羽」の異名の出典は何なんだらう。
結構当たってみるけど、出てこない。
685人間七七四年:2008/07/11(金) 08:23:49 ID:pN3wmRgS
ガセだろ…
686人間七七四年:2008/07/11(金) 18:25:51 ID:keAxlrJo
経久は船岡山でも活躍したらしいがよく義興を見捨てなかったな
毛利や吉川ですら帰ったのに
687人間七七四年:2008/07/13(日) 11:40:55 ID:ZToPVz//
              _,,,,,,,,,,
           ,,ミiシヾヾヾヾト、
           ,ミミ       ``゙ミi
           lミミミ       i}
          !ミミミ , =-,,ハ,,, i゙i
         .{:ゥリ ̄{’ _}-{  _}
          'ゝ:::: ´ ゙̄,_,,,, ̄l
          ∧::../,、__;_ ヽ| ポーニョポニョポニョ
  ,-ー''´ ̄  |  ヤ \::"' ー´ '--.,,_
/ ヽ     |    ヤ  \/i  ヽ   `''‐、
{\ ゝ    \ / l ,/;;;ヽ |   ヽ    ヽ
688人間七七四年:2008/07/14(月) 13:45:58 ID:H/tyvfMX
>>684
西国の項羽ってのは知らないけど
項羽の再来と謳われたってのは「安芸武田氏研究」って本にもかいてあったなぁ、、、小冊子みたいな本だったけど
689人間七七四年:2008/07/17(木) 22:22:38 ID:6vUVQ4a6
>>687
コーヒー返せw
690人間七七四年:2008/07/24(木) 01:59:47 ID:10RMS29X
福田(笑)


亀井(笑)
691人間七七四年:2008/07/25(金) 09:07:39 ID:wYts5g0w
そろそろ鹿介祭り?
692人間七七四年:2008/07/25(金) 22:46:57 ID:Ff0z5era
広瀬の男どもが、月山山頂まで一気に駆け上がって一番乗りを競うやつか?
693人間七七四年:2008/07/30(水) 21:08:26 ID:L11WYTwH
>>687
ワロスwww
694人間七七四年:2008/08/07(木) 09:32:37 ID:XIRDljz1
尼子経久もえキャラ化キボン
695人間七七四年:2008/08/12(火) 08:57:37 ID:xYs9xvRh
今号の 「怪」 に境港の戦国時代の話が載ってた。
もちろん信憑性は低いだろうけど、けっこう興味深い。

http://www.kwai.org/
696人間七七四年:2008/08/13(水) 01:35:34 ID:/dcWMJOC
出雲の戦国史、まったく元気がない

月山富田の膝元、安来市もたいして価値ないと思ってんだろうな…

石見銀山・出雲大社ばっかりだ〜

つまらん
697人間七七四年:2008/08/13(水) 08:50:48 ID:IPe1vibn
広瀬はまったりした良い町
698人間七七四年:2008/08/13(水) 17:04:39 ID:JYCOZCyq
銀山といえば、付近に面白い橋があるの思い出したよ
銀山を掌握していた歴々の武将の家紋がずらーっと並んでる欄干がある
勿論尼子の家紋もあったw

広瀬町も行ったよ。ちょうど去年の幸盛祭の頃だったかな
次は思い切って豪雪の時期を狙って行ってみたいwwww
晴久撤退ルートをできるだけ忠実に辿ってみたいんだが、
54号→432号でいいのかな
699人間七七四年:2008/08/13(水) 21:13:05 ID:3whNLyGN
>>698
雪道ドライブ大丈夫ですか?
近年さほど豪雪ではないにしろ
峠はチェーン規制あったり凄いですよ。
広島県の54号線で余裕じゃんwとか思ってると
島根に入ったとたんに道幅1/4になりますから(当社比)
700人間七七四年:2008/08/13(水) 23:11:14 ID:89Hj2vMn
>>699
ありがとう!島根の中山間住民だから雪や悪路は慣れてるよ!
わざと吉田へ回って撤退ルートを辿ってみようと思ったんだ

今までは木次経由奥出雲ルートや松江経由だったんだけど、どの道も険しいよな…
あそこまでの道のりが終始積雪してるかと思うと確かに気が遠くなるw
701人間七七四年:2008/08/17(日) 20:34:16 ID:QQIfxOqM
23日、広瀬かどっかで入場無料のシンポジウムあるみたいだな
702人間七七四年:2008/08/20(水) 22:23:26 ID:Zw0lWt9r
なにぃ!?
703人間七七四年:2008/08/21(木) 21:09:23 ID:dmkhEMep
尼子って京極庶流なの?
704人間七七四年:2008/08/21(木) 22:24:45 ID:dfDOb3KP
>>703
違うよ
705人間七七四年:2008/08/24(日) 10:20:49 ID:C/UNRWaB
尼子ネタも夏枯れしてるな
706人間七七四年:2008/08/24(日) 10:31:21 ID:B9t2JU0x
戦国の大勢力でありながら滅びたのに、いまひとつ悲劇感が薄いのは、当主が敵に降伏したあと
普通にそっちに仕えて、江戸期を通じてそこそこ幸せそうに生き延びたからだろうな。
その意味では今川に少し似ている。
707人間七七四年:2008/08/24(日) 17:49:56 ID:UYonG2oc
本拠地に乗り込まれて万単位を年単位で動員し続けられた時点で尼子に先はない
この月山富田城篭城で燃え尽きた感はあるしね
むしろ数年間もよく保ったと思う

708人間七七四年:2008/08/25(月) 11:58:31 ID:qvYtcPB4
義久は過小評価されるけどよくやったと思う。   親父がなあ〜
709人間七七四年:2008/08/25(月) 12:14:19 ID:3r+g0mtD
いや、晴久は悪くないよ、若いころはアレだったけど
710人間七七四年:2008/08/25(月) 12:28:26 ID:qvYtcPB4
たしかに元就の謀略が卓越しすぎてたけどね    新宮党はやっちゃいけなかった
711人間七七四年:2008/08/25(月) 16:42:02 ID:PH02m7l9
新宮党粛清に元就が絡んでたんだ?
新しい資料でも見付かったのかね?
712人間七七四年:2008/08/25(月) 19:56:29 ID:ZzwzkUIE
>>711
子供達の夢を壊さんでやってくれまいか?(;´Д`)
713人間七七四年:2008/08/25(月) 20:30:55 ID:vUP8tqnL
>>710
新宮等の件に元就は関係ないでしょう
まぁ、新宮党がそのままだったら
尼子家が内乱に突入してたかもしれないし
国久は倒してしかるべきだった
714人間七七四年:2008/08/25(月) 20:32:18 ID:CCZtRgXJ
>>710

「たしかに元就の謀略が卓越しすぎてたけどね(だからこそそれに対抗するために)    新宮党はやっちゃいけなかった」

って事じゃ無いのかね?
715人間七七四年:2008/08/26(火) 08:16:33 ID:CjmiD5IX
でも新宮党滅ぼした後も尼子勢力拡大してね?
716人間七七四年:2008/08/26(火) 11:55:04 ID:L5LVCqdg
新宮党を滅亡させて専制君主になれたからね。
晴久が死ななければ銀山は毛利の手に渡る事もなかったろう。
717人間七七四年:2008/08/26(火) 20:31:31 ID:qcUXacYl
うんげーわぎ

名前からして嫌らしい響き
718人間七七四年:2008/08/30(土) 22:56:53 ID:+Q1hAYqd
( ^ω^)??
719人間七七四年:2008/08/31(日) 00:01:44 ID:kPzDAv2a
雲芸和議

元就「なあ、そろそろお互い戦止めね?」
義久「よし、兵を引け」
元就「はんたーちゃーんす!」
720人間七七四年:2008/08/31(日) 08:40:55 ID:KjSnjNwd
はいすべった
721人間七七四年:2008/08/31(日) 14:09:21 ID:+I/WT5zX
ちゃちゃしか入れられない人っているよね。
722人間七七四年:2008/09/04(木) 00:36:42 ID:8iS7jzTK
>>719
石見尼子方国人「それだけはご勘弁を」
723人間七七四年:2008/09/05(金) 01:17:10 ID:xOZPQACQ
>>722
先代が急死した時点で尼子は実質的には滅んでたんだよ。
724人間七七四年:2008/09/05(金) 02:17:13 ID:e/VIPbkA
まぁ、そういう見方もあるね。
しかしこの和議が無ければ本城も下らず、
タコさんもあんな事にならんかった可能性は高いと思う。
725人間七七四年:2008/09/17(水) 09:22:07 ID:fU+hqwoX
タコタコっていうが本当はタゴだったなんてね…知らなかった。

義久の実力ってどうだったんだろうな。
尼子山城を任せられて、毛利に攻められ首をはねられ、はねた首は
どっか遠くまでふっとんだっていう逸話の持ち主だが。
城を任せられたならそれはそれですごいと思うんだがなー。(岡山だし半ば敵地だし)
726人間七七四年:2008/09/17(水) 23:42:00 ID:ZfILHzfx
首はねられたってのは初耳ですが
普通に月山篭城戦でも戦ってますもんねぇ。
能力はそれなりにあったかと。
しかし晴久急死で権力承継が不十分な状態で
毛利の偽柔和策に傾いた。と。
ある意味不遇ではあったのかな。
727人間七七四年:2008/09/19(金) 12:32:31 ID:uKYuc6aW
義久は備後に援軍として晴久から派遣された事もあるが
何にも戦果挙げてないんだよな。
偽柔和策も毛利との戦いをいったん止めて、地盤を固めるのを目的にしたとか言われてるし
晴久死亡を誤魔化した事も併せるとやっぱ晴久様様だったのかな。

ところで義久って何回戦陣に立ったことがあるんだろ?
728人間七七四年:2008/09/19(金) 20:11:45 ID:KIFF3/rK
地盤を固めるどころか地盤から崩壊してるしなー

>何回戦陣に立ったことがあるんだろ?
おそらく永遠の謎でしょう。
長谷川センセのおかげで、備後に派遣されたことが、
かろうじて分かったぐらいだし
729人間七七四年:2008/09/19(金) 22:57:21 ID:uKYuc6aW
月山富田城篭城戦と備後の援軍以外で陣頭で指揮執っていたというのが
軍記物含めないんだよな…。
主に指揮を執っていたのが、弟の倫久だし。
病弱説をどっかで見たことあるが、案外本当なのかな。
子もいないし。
730人間七七四年:2008/09/20(土) 00:48:49 ID:1+ZuK5em
義久の嫁は同行できずに、どこかで別れたんだっけ? 墓(伝承地?)が残ってたような…
731人間七七四年:2008/09/20(土) 01:01:10 ID:5tHIKLsp
嫁は落城二日前に死亡。
敵の慰め者になるなら死を選んだという説と病死という説がある。

別れたという話は雲陽軍実記。北の方と呼ばれ、京極修理太夫の孫。
朝山観音寺で義久の現世菩提を弔っていたが、神門郡と飯石郡の境にある庵に厄介払いされた。
732人間七七四年:2008/10/01(水) 14:53:13 ID:3lDHh/Xi
赦されるとは露とも思わなかった訳か。
733人間七七四年:2008/10/02(木) 00:40:51 ID:WgDLPcMI
残ったとしても女性はどうなるかわからないというのもあるんじゃないかと。
もし赦されると思っていなかったとしたら、義久は切腹覚悟という事になるのか。

手紙で隆景が大将が捕虜になるなんて前代未聞だ!!って騒いでたぐらいだもんな。
助かるなんて誰も思わないよな。
734人間七七四年:2008/10/02(木) 01:07:50 ID:1ZwzHorE
この時代の毛利家って、物凄い粗野で、残忍なんだよねー。
朝廷に出した手紙とかにも、いちいち「このたびの合戦で取った頸一覧」なんてリストつけたりしてる。
どういう敵だけに、いざ敗戦って時に絶望するのはわかるわ。
735人間七七四年:2008/10/05(日) 23:41:48 ID:yQWiIlk3
緊急浮上

本城常光は名将
736人間七七四年:2008/10/06(月) 00:10:02 ID:ABI5IBS8
↑ 具体的には…?
737人間七七四年:2008/10/06(月) 00:23:26 ID:dhgNU8ym
降露坂の戦いと忍原崩れと出雲先発隊以外で本城ってなんかしたっけ?

この3つだけで采配に関しては十分評価できるけど。
738人間七七四年:2008/10/06(月) 20:45:35 ID:zIS5h2Oi
     ____
   /__.))ノヽ
   .|ミ.l _  ._ i.)  
  (^'ミ/.´・ .〈・ リ  
  .しi   r、_) |  
    |  `ニニ' /     
    |   /
    |  /
    | /   
   //
   ||
739人間七七四年:2008/10/07(火) 03:07:38 ID:FO+ac8+y
緒形拳氏が……
740人間七七四年:2008/10/07(火) 08:03:26 ID:nSY0aaUv
尼子経久のご冥福を祈ります
741人間七七四年:2008/10/07(火) 12:09:15 ID:o/JYZVkg
この間epsonのCMに出てたのに…
あぁ・・・・もうだめだ・・・
742人間七七四年:2008/10/09(木) 23:26:58 ID:7EBJvwiI
10月25日26日は尼子フェスティバルと一族会らしいですぞ。
743人間七七四年:2008/10/10(金) 07:27:05 ID:f6FIG+Ax
744人間七七四年:2008/10/10(金) 22:55:25 ID:jQc5qg/6
745人間七七四年:2008/10/13(月) 08:27:28 ID:fOTBF86S
経久かっこよすぎワロタ
746人間七七四年:2008/10/13(月) 14:26:19 ID:L0Ne3+6G
蔵田直信の「ひぃーお許しをー」も入れて欲しかったw
747人間七七四年:2008/10/15(水) 01:42:03 ID:UB3ZosTP
よかったよん
感謝感謝^^
748人間七七四年:2008/10/19(日) 00:13:11 ID:65QXLd34
米原先生は入院中みたいですね。
先生がおっしゃってたよ。
749人間七七四年:2008/10/25(土) 16:26:53 ID:vUixtGwg
尼子フェスティバルはどんな感じ?
750人間七七四年:2008/10/25(土) 16:27:52 ID:o358G3Sk
そんなものあるのか
751人間七七四年:2008/10/25(土) 22:53:02 ID:zVvcbw18
あ、きょうだったっけ?
ポスターみかけて、気にはなってたんだが…
752人間七七四年:2008/10/26(日) 20:59:58 ID:Bw13gqrU
行ってきたけどすごい雨で3時間くらいで帰ってきた。
火縄銃撃ったり、尼子と毛利の和睦?みたいなのがあった。
行列やってる人ら寒そうだった。
753人間七七四年:2008/10/26(日) 21:54:38 ID:/DG8Sr6i
あぁぁ、行きたかった…('A`)
754人間七七四年:2008/10/26(日) 22:03:55 ID:/caskJkd
大河ドラマでの晴久の死に際、表情がすごかったな。目ん玉ひんむいて。妻に毒殺された設定だったが…
高嶋政宏ナイス演技。
755人間七七四年:2008/10/26(日) 22:43:24 ID:x6/9lxCH
>>752
天気悪かったんか
あんだけ宣伝しといて残念だ

でも行けてうらやましいっす
756人間七七四年:2008/10/28(火) 22:42:11 ID:tEiAba4X
757人間七七四年:2008/10/29(水) 09:29:56 ID:FIPGDpf1
ぶっっっ
758人間七七四年:2008/11/01(土) 13:52:18 ID:OLiW65WO
新宮党の禄ってどれくらいだったの
759人間七七四年:2008/11/01(土) 18:55:28 ID:PBUN7M+O
あまりにも史料が無さ過ぎて不明なんだが、
塩冶氏旧領の大半に加えてもともとの本領、
尼子氏領国内(伯耆、美作)に散在する新宮党領を併せると、
一国人クラスを超えた、シャレにならない規模になると思う。
760人間七七四年:2008/11/01(土) 18:58:06 ID:8otsF4EK
それだけデカイと粛清もしたくなるな
761人間七七四年:2008/11/02(日) 23:23:35 ID:utKYYD/o
実際、粛清しないとヤバかったんだと思う
晴久の嫁(国久の娘)が病死した直後に手をくだしてるし
762人間七七四年:2008/11/04(火) 16:57:36 ID:msFHTJvm
「新宮党」って言ったって、国久しか知らないクチなんだけど、他の有力武将って誰がいたの?
あと組織形態とか。
763人間七七四年:2008/11/04(火) 18:35:43 ID:tmnCsQcI
吉田郡山城攻城戦前
トップが久幸
以下
若頭 国久
顧問 誠久
若頭補佐 敬久、詮幸、氏久

久幸が死に国久が長になると、詮幸の所領を横領し詮幸が
晴久に直訴し、国久一党等は粛清。
その後詮幸が率いていたと言う説有だが、真実かは不明。
再興軍でも新宮党はいたらしくその時のトップが勝久の弟だったというが、これも不明。
764人間七七四年:2008/11/05(水) 11:31:36 ID:+10/0WSV
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm5063048
ニコニコで尼子に関するおもろいもん見つけたよ
765人間七七四年:2008/11/05(水) 11:33:16 ID:w/TEVTBv
766人間七七四年:2008/11/06(木) 20:19:40 ID:9X3tmBX4
尼子晴久の子孫が集うスレはここですか?
767人間七七四年:2008/11/06(木) 20:23:53 ID:XD3awMaP
このスレの90%が佐々木さんで構成されています。
768人間七七四年:2008/11/07(金) 17:36:32 ID:YM1SmIEb
歩く戦闘マシーン新宮党。
わずかな年月で美作一国を制圧し、多くの地を蹂躙しまくる血の気の多さ。

その源泉は何なんだろう
769人間七七四年:2008/11/07(金) 17:41:02 ID:MdlAUSIF
史書には出てこないけど、大規模な略奪を許可していたからだろうな。
武田や島津が強かったのも、略奪の利益分配が大きかった事が
兵の戦闘意欲を上げたそうで。
770人間七七四年:2008/11/08(土) 18:26:35 ID:dN9yiMHN
尼子素人だけど
全盛期に婚姻や養子で各地勢力を固めておけば
史実みたいにあっけなく衰退しなかったと思ったんだけどどうよ?
771人間七七四年:2008/11/08(土) 20:38:49 ID:6GQ2LIuK
養子→興久
婚姻→千家・北島、尼子国久娘は晴久室、国久の嫁は多胡氏、経久の嫁は吉川氏。
    晴久の姉は松田氏室
誠久の嫁って誰だっけ?
772人間七七四年:2008/11/09(日) 10:29:10 ID:xNTL+b8w
陶が謀反して大内新当主を大友家から迎える
地盤固めと反陶勢力の鎮圧で数年は国外には動けないと普通は考える
このタイミングでこその新宮党粛清は間違ってはいないと思う
東にも南にも尼子と正面から敵対できるような勢力は皆無だしね
問題は安芸の国人領主にすぎない毛利(一応安芸国人同盟の盟主的立場だけど)が
一気に陶ごと大内を飲み込んじゃったこと
これで大内が動けないとみての新宮党粛清による国内基盤固め策が裏目に出た
773人間七七四年:2008/11/09(日) 17:27:47 ID:mtag7iZy
陶といえば益田が陶と尼子の同盟の橋渡しをしていたらしいが、
あれが実現していたらさぞおもしろかっただろうに
774人間七七四年:2008/11/09(日) 17:36:46 ID:fpLUCQGR
利害関係が交錯しすぎてて無理だろ>陶尼子同盟
775人間七七四年:2008/11/09(日) 20:57:10 ID:UjKENCHg
陶尼子同盟 だと?いいかげんに、すぇ〜!

ナンツッテ
776人間七七四年:2008/11/09(日) 22:17:36 ID:mtag7iZy
でも実際陶は益田に感状出してるから
両者まんざらじゃなかったと思う。
777人間七七四年:2008/11/11(火) 00:48:18 ID:0XI+xEB9
浦上宗景や山名祐豊の動きにも対応することを考えると、
西への攻勢限界は、史実通りに大田市辺りになりそう。
本格的な侵攻は難しいかもしれんが、牽制ならなんとかなるかも。
778人間七七四年:2008/11/12(水) 14:29:47 ID:RrYY8XIC
益田って帰属ハッキリしてたん?
779人間七七四年:2008/11/12(水) 17:02:49 ID:wiSxQAxk
大内ベッタリのイメージがあるなぁ
780人間七七四年:2008/11/13(木) 00:33:25 ID:qocphgiw
独立だが大内より?
まー国人なんて利害で動くものですから、ハッキリとはわからんでしょ。
本人達は独立した存在であると思っている場合もあるでしょうし。
781人間七七四年:2008/11/13(木) 13:25:56 ID:S8SvpkaC
大内の支配体制も緩そうだね
782人間七七四年:2008/11/14(金) 11:31:07 ID:S9mYxPU1
http://page16.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u16357184
これってさ窃盗罪にあたらないの?
783人間七七四年:2008/11/14(金) 13:19:42 ID:HnS9gRKK
ていうか本物か??
784人間七七四年:2008/11/14(金) 14:11:47 ID:Iy2u4vGE
どこからどうみても一般住宅用瓦だろ。
こんなので騙されるやついんのかよw
785人間七七四年:2008/11/14(金) 14:12:06 ID:E6utkAlB
786人間七七四年:2008/11/14(金) 17:13:47 ID:+5J9yxU9
VIPに自称戦国マニア沸いてるわ、お前ら軽く凸してくれないか?
合戦で負けた者には首を切り落としてあげなければならないとか知ってる?
激痛から解放してあげる為だって。
あと、豊臣秀吉は指が六本あった。
当時の天皇は士気の上がった戦国武将を抑える力が無く戦国時代突入を阻止できなかった。
無敵の騎馬軍団風林火山武田軍は馬を感謝し食べてた。
朝までデキル奴だけで【応仁の乱】【戦国時代】について語ろう
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1226649392/


787人間七七四年:2008/11/14(金) 17:22:59 ID:vJRM9z5y
なんだこのコピペ?植民募集か?
788人間七七四年:2008/11/14(金) 23:12:04 ID:/Sj0bvfX
尼子の家臣団体制は結構もろいよなあ
それでも名の残る忠臣がいて良かった
789人間七七四年:2008/11/14(金) 23:55:29 ID:SFH5X0T4
【日本の選挙】        ∧,,∧
      /| ̄ ̄ ̄|    <丶`∀´> ←二重国籍
    /| ̄ ̄ ̄∧,,∧  (つロと )
   /| ̄ ̄ ̄|..( `ハ´ )  `u-u´
 /| ̄ ̄ ̄|....|φ  ∪ )←帰化  ∧,,∧
 | ̄ ̄ ̄|....|/ `u-u´       <    >←外国人参政権
 |___|/ ∧,,∧          ( o ∪
 ||    ||  (´;ω;) ∧,,∧     `u-u´
       ( つロと) <丶`∀´> ←偽装認知
        `u-u´ (∪  つロ_____
              `u-u/ = =  /|
                | ̄ ̄ ̄ ̄|  |
                | 投票箱 |  |
                |____|/

【外国人激増】国籍法改悪案の反対【日本破綻】★4
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1226616603/
790人間七七四年:2008/11/15(土) 01:18:01 ID:Bu6lpdzz
>>788
いや結構脆いというか、当時守勢にまわった大名は皆似たような感じで家臣団が崩壊してる。
甲斐武田とか今川とか。
791人間七七四年:2008/11/15(土) 01:39:05 ID:JUL2/4z8
織田ですら
792人間七七四年:2008/11/15(土) 02:14:32 ID:Bu6lpdzz
というか、月山富田城であれだけの籠城戦を繰り広げられたのはある意味すげーが。

大内の最後とか天目山とか見てると。
793人間七七四年:2008/11/16(日) 23:22:31 ID:ZF4p89r5
よほどの堅城だったんだな
794人間七七四年:2008/11/16(日) 23:50:59 ID:O52qHiz3
月山富田城に行ってみたいな。
でも松江から遠いんだよなぁ
795人間七七四年:2008/11/17(月) 00:05:44 ID:vs/U0IbE
>>794
ちけーよw
それともまさか歩いて行こうってのかい?www
796人間七七四年:2008/11/17(月) 00:21:09 ID:GgK1nYUe
未成年かぬ?
車あれば小一時間かからずに行けるのにのぉ。
行ったついでに蕎麦食って風呂入って帰るのが
俺のジャスティス。
797人間七七四年:2008/11/17(月) 08:17:08 ID:64zx04M0
>>794
東京から行った俺はどーなんだよww
798人間七七四年:2008/11/17(月) 09:29:41 ID:yXindDxH
>>794
ちょwww松江はちけーよwwwww
いいな、松江市民は。だんだんの舞台だし
799人間七七四年:2008/11/17(月) 12:21:57 ID:wF17IqU3
ぶっちゃけ公共交通機関がダメダメなので、観光客は行きづらくね?
800人間七七四年:2008/11/21(金) 23:59:48 ID:gJEndJrL
800get
801人間七七四年:2008/11/22(土) 08:13:29 ID:Yz9syGsG
イエローバス(笑)がなかなか便利だったよw
802人間七七四年:2008/12/03(水) 14:40:43 ID:TCpazuac
岡山住んでたから車で行ったんだ
803人間七七四年:2008/12/04(木) 00:12:43 ID:12syUVoz
尼子って騎馬兵少ない?
804人間七七四年:2008/12/04(木) 00:49:30 ID:Ik80sY2L
むしろ騎馬隊の存在自体が怪しい
尼子にではなく、この時代全般に
805人間七七四年:2008/12/04(木) 00:51:40 ID:QXKHsuQZ
>>804
それは戦国馬ポニー説あたりで捏造された、ゆがんだ戦国史観だわな。
806人間七七四年:2008/12/04(木) 00:55:44 ID:Ik80sY2L
捏造だったのかー
先生が騎馬隊はいないぞと言っていたんでそげかーって思ってたんだが

論文は読まんといけんな
807人間七七四年:2008/12/10(水) 22:38:06 ID:0axiOVEZ
個人的に晴久は無口で容赦無いってイメージなんだよね

三沢氏や新宮党での粛清を見る限り
まぁ新宮党は経久が専らの原因作って死んだから仕方無いんだろうけど
808名無し:2008/12/11(木) 23:09:38 ID:vIJ6fkRl
尼子って毛利にほ炉簿されたでしょ
809人間七七四年:2008/12/13(土) 01:14:15 ID:GasZSxv5
>>808
それを言うなら広家が居なきゃ滅亡してた毛利も悲惨ですね

ってことになる
810人間七七四年:2008/12/13(土) 20:07:52 ID:uUxvWZUl
室町時代にも「尼子義久」が居るって本当かい?
811人間七七四年:2008/12/13(土) 20:09:01 ID:igyG50rS
佐々木じゃなくて?
812人間七七四年:2008/12/13(土) 20:22:35 ID:uUxvWZUl
松田元成と縁組みしたっていう「尼子義久」が居ると松田氏のサイトに

でも俺では存在を突き止められなかった
813人間七七四年:2008/12/13(土) 20:23:36 ID:igyG50rS
突き止めたところであまり意味があるとも思えないしw
814人間七七四年:2008/12/13(土) 20:39:53 ID:uUxvWZUl
>>813
いや、この時期に尼子と松田が縁組みしてそれ以後、同盟関係にあったなら晴久が京を目指した時に
松田が一戦交えずに素通りさせた事に説明つくのかな…って
815人間七七四年:2008/12/13(土) 23:07:33 ID:BDhoKayD
普通に騎馬隊は否定されてるだろ?
騎馬兵は否定されてないけど。
兵科別の編成なんて出来ない時代だからな。
それらしき物が比較的出来たのは織田と北条位だし。
816人間七七四年:2008/12/14(日) 03:20:27 ID:bau1kUaW
3000騎の騎馬隊というのは3000頭の馬と3000個の鐙が必要で
更にそれの食料やら糞尿の始末もしなくてはならない。
山陰地方は山ばかりで、馬での戦闘は向いていない。
以上を考えると騎馬隊は少なくとも山陰には無かったと考える。

>>814
松田と縁組したのは晴久の姉しかしらんなー
817人間七七四年:2008/12/14(日) 04:12:15 ID:zBTHen9H
室町の義久については俺も分からないな。
818人間七七四年:2008/12/15(月) 20:06:35 ID:YaF32+A3
種子島伝来以前の対大内戦で火縄銃使ったってのは軍記物にありがちな誇張ですか?
それともリアルですか?
819人間七七四年:2008/12/16(火) 00:39:42 ID:5YCbXNeX
リアル。
なんで持っているのかは知らないが、もしかしたら氏康が
鉄砲(鉄はう(火包))に驚いたという逸話と同じ、中国式の鉄砲かもしれない。
という話がある。
820人間七七四年:2008/12/16(火) 00:42:37 ID:uHUJbZb6
まあ大内が中国から鉄砲輸入しててもちっともおかしくないしね。
鉄砲に限らず火薬使った兵器も当時既に使われてるし。
821人間七七四年:2008/12/16(火) 00:44:30 ID:ZdnBA/8y
投げて爆発する手榴弾タイプのやつか>てつはう
古くは元寇の時に使用されたとどこかで見た気が。
822人間七七四年:2008/12/16(火) 01:02:22 ID:5YCbXNeX
>>820
尼子もなぜか明と貿易してるぜ?しかも義久の時代が確定だから
米原先生の説だと経久の時代まで遡れるとか・・・。
いくらなんでも無茶だと思うが。せいぜい晴久までだろ。
銀山確保→明貿易かと。

>>821
それそれ。
竹崎季長が受けたやつ。
823人間七七四年:2008/12/16(火) 01:08:24 ID:uHUJbZb6
投石器で打ち出す炸裂弾みたいなものもあったそうで。
応仁の乱のときも使われてる。
824人間七七四年:2008/12/17(水) 07:23:25 ID:osOSVb9W
晴久の肖像画ってガチホモに好かれそう
825人間七七四年:2008/12/17(水) 09:39:57 ID:I5zGrWo0
津和野藩亀井家って尼子の家宰だったあの亀井家なんですか?
近江源氏佐々木氏の流れと聞きましたが。
826人間七七四年:2008/12/17(水) 09:50:41 ID:+Iyu/O2+
そうですよ。琉球守の亀井さん、
国民新党の静香じゃ無い方の亀井さんですよ。
827人間七七四年:2008/12/17(水) 22:17:39 ID:xWd+oKUJ
津和野は山中鹿介系列の尼子家残党が、最後にたどり着いたユートピアなんじゃよ
家老は多胡氏だし。
美作国の、三浦氏重臣だった牧氏とか、なにげに凄い連中がわんさといます。

もともと徳川が長州の毛利を見張るために、津和野に配置されたんだと思う。
明治維新では全然役に立たなかったがw
828人間七七四年:2008/12/17(水) 22:20:36 ID:xWd+oKUJ
>>824
>晴久の肖像画ってガチホモに好かれそう

色白でモチ肌っぽくて、ハゲでヒゲだからなー
そりゃモテモテだろう。
829人間七七四年:2008/12/17(水) 22:26:04 ID:XEJdy4su
しょうがねえなぁ。ほれ。

  )*(
830人間七七四年:2008/12/17(水) 23:02:12 ID:35M2xu+d
この流れw
831人間七七四年:2008/12/18(木) 01:02:17 ID:eG4pPZ54
某動画でも、色黒の元就と比べて驚きの白さだったな>晴久公
832人間七七四年:2008/12/18(木) 01:22:51 ID:qjjz5YSC
>>827
35万石に4万石を対抗させるなんてチャンチャラおかしい
833人間七七四年:2008/12/18(木) 01:25:35 ID:d26opDn8
毛利を監視も何も、それこそ幕府は幕末ギリギリになるまで毛利家なんて全く危険視してないぞ。
834人間七七四年:2008/12/18(木) 02:37:58 ID:2XSmuG+w
なんでキレてんのこの人達?
835人間七七四年:2008/12/18(木) 10:12:34 ID:ZPeN8QvR
>>831
次の洗剤のCMは決まりだな
836人間七七四年:2008/12/18(木) 13:32:50 ID:7MtRUv7v
晴久の肖像画って本当に晴久が書かせたやつなのかな?
837人間七七四年:2008/12/18(木) 17:28:12 ID:Uu5a4bh0
経久のはそうだが、晴久はしらんなー。
経久はわざわざ褒めてるし。自画自賛かいな。

のぶやぼの晴久は毎回イケメンというか渋面だよな。
838人間七七四年:2008/12/18(木) 20:10:58 ID:F8P1Do6p
のぶやぼの晴久はポワロ
839人間七七四年:2008/12/19(金) 01:16:38 ID:WlVGkafw
のぶやぼの晴久は確かに渋面ww

実際のイメージは渋い顔で合ってる気もしなくない
840人間七七四年:2008/12/19(金) 03:40:34 ID:6LaqHmxb
>>837
>経久はわざわざ褒めてるし。

「11ヶ国の太守」の方は、後世、佐々木家(尼子家)の子孫が書き込みさせたやつ。

「江の水を吸い尽くし」の方は、画像自体が京極政経の肖像ではないかという疑惑がある。
841人間七七四年:2008/12/26(金) 21:30:38 ID:pD7Cjw+f
なん・・・・だと!?
842人間七七四年:2008/12/27(土) 03:18:34 ID:b1sHQUb0
てかやっぱり晴久って無能なの?

wiki見るたびに毛利元就と経久マンセー記事が凄くて悲しくなる
843人間七七四年:2008/12/27(土) 10:36:59 ID:SP5LJO6j
wikiなんて相手にしちゃダメだよ
844人間七七四年:2008/12/27(土) 11:42:29 ID:ct9dECD3
元就と義兄弟で、吉田物語で元就に「長年敵対していたが、とうとう旗本同士での対決はできなかった」って
言わしめて、晴久が死んだとき元就は既に優勢(軍記で晴久が死ぬのは、銀山とられ米原が寝返り
本城が誅殺される辺り)だったにもかかわらず晴久の死を喜んでいる。
しかも軍記モノによっては、晴久を呪い殺そうとまでしてる。
これだけで当時晴久がどんだけ脅威だったのかわかる気がするんだが…。
陶や大友に対してここまでやったっけ?

エロゲーの晴久がwikiのコピペでウケた。
845人間七七四年:2008/12/27(土) 20:00:46 ID:b1sHQUb0
>>エロゲーの晴久

これってどういう意味?
846人間七七四年:2008/12/28(日) 01:11:02 ID:8UTn5v9v
晴久がエロゲーにでてるわけだが?
のぶやぼみたいにまた苦渋の表情で性格がBASARAの元就という・・・。
847845:2008/12/28(日) 01:22:54 ID:xyfo2k1t
>>846
すまん、タイトルを知りたかったwwww
848人間七七四年:2008/12/28(日) 01:31:08 ID:hbHvGQ4z
>>842-843
ちょw待てお前さん達
wiki の晴久のどの辺りが無能だと?w

アンサイクロペディアなら兎も角
849人間七七四年:2008/12/28(日) 10:08:21 ID:8UTn5v9v
>>847
ごめんwwww
戦極姫だ。
ありえないぐらいイケメンの渋面。
850人間七七四年:2008/12/28(日) 14:43:15 ID:lmMJuTgr
ちなみに晴久がwikiのコピペってのは、公式サイトの説明文の
「大叔父・尼子久幸から『短慮で大将の器に乏しく、血気にはやって仁義に欠けている』と評された」
という文章がまんまwikipediaと同じってこと
851人間七七四年:2008/12/28(日) 18:43:51 ID:3nkY/C3J
当時の晴久はそんなもんだろ。
否定する要素はない。
その後成長しただけで。
852845:2008/12/28(日) 23:01:27 ID:xyfo2k1t
>>851
死ぬまでの10年間は目覚ましい活躍っぷりだしね
死にさえしなければだけど
853人間七七四年:2008/12/28(日) 23:04:49 ID:Qoev2pa3
酷評しながら殿で命を捨ててみせた大叔父さんはツンデレ
854845:2008/12/28(日) 23:43:31 ID:xyfo2k1t
そういえば最近思ったんだが

義久が幽閉された理由って出雲国人の中には尼子氏側が意外に多かったからなんかね?
逆に君主人質にとっておけば、出雲の家臣達も言うこと聞くからという理由で幽閉したと思うんだが

実際はどうなんだろうね、義久暗愚説は揺るぎそうにないし
855人間七七四年:2008/12/28(日) 23:57:38 ID:xv/zPGOg
実際はどうなのかわからないが、尼子家中の大半が、割合スムーズに
毛利の被官化したのは確かだな。
856人間七七四年:2008/12/29(月) 11:40:58 ID:PC+DzTEs
>>854-855
とすると鹿の一派は一部のはねっ返りか?w
857人間七七四年:2008/12/29(月) 13:50:12 ID:fOwoVBv1
>>856
当主自身が降伏しているのに、それでも反毛利活動を続けているのは
はねっかえり以外の何者でもなかろう。
858人間七七四年:2008/12/29(月) 14:26:57 ID:m0S8/+ll
鹿介は尼子家より新宮党を再興したかったんじゃないか?
尼子家に忠誠を尽くすなら義久とともに毛利に仕えればいいだけの事だし、
仮に再興が成功していたら義久の立場は甚だ微妙なものになるだろう。
859人間七七四年:2008/12/29(月) 18:07:04 ID:7hF1LlfR
中国地方は佐々木一族がかなり多いから
毛利家も配慮したと思う
860人間七七四年:2008/12/29(月) 20:41:27 ID:RVF/34sV
だから義久を幽閉って形になったんだろうね。
単純に潰せば各地で反乱起きまくりだろうし、
減俸で存続させても隙あらば〜になっちゃうし。
861人間七七四年:2008/12/29(月) 20:57:50 ID:fOwoVBv1
幽閉って言っても、結構自由に行動出来たっぽいしね。
862人間七七四年:2008/12/29(月) 21:27:51 ID:xZwbILqT
そうか? 会いに行った家臣皆殺しにされたと聞くが
863人間七七四年:2008/12/30(火) 02:07:22 ID:GByKqKZK
で、結局尼子滅亡の原因は誰なの?
864人間七七四年:2008/12/30(火) 09:51:41 ID:Dn1DvlRY
俺はやっぱり雲芸和議だと思う。
しかし、義久も毛利にここまでコケにされて
恨み骨髄にならんかったんかねえ?
865人間七七四年:2008/12/30(火) 10:57:39 ID:2cXCuUzV
そんな状態なら晩年20年以上を毛利の客分の立場でのんびり過ごしたりしないさ。
866人間七七四年:2008/12/30(火) 11:01:57 ID:5swO1ae/
>雲芸和議
現場と経営陣の乖離が招いた失敗として、いまでも参考になる部分が多いよな。

逆に 「(通説の)新宮党事件」 が尼子衰退の原因としてビジネス書とかで重視されたりするのが不思議だがw
867人間七七四年:2008/12/30(火) 11:03:52 ID:Dn1DvlRY
>>865
その辺りがよくわからんよね。
義久にはそもそも覇気が無かったんかもな。
先祖や譜代の臣下への義理のみで
対毛利戦してたのかもねえ。
868人間七七四年:2008/12/30(火) 11:15:14 ID:2cXCuUzV
氏真と似たような臭いがするな。

氏真は信長の目の前で平然と蹴鞠を披露したり
徳川の高家取り立てを受けたりこだわりが全然無い。
869人間七七四年:2008/12/30(火) 11:26:17 ID:Dn1DvlRY
国久誠久粛清に関してはデメリットも多分にあったとは思う。
無論それが滅亡の主要因とは思えないけども。
ただ本城の代わりに石見の守備に常駐させるとか
伯耆や美作に転封させて半独立させるとかそういう方向性は
あったやもしれず…。
まぁ言うほど簡単で無いのは承知の助の話だけれども。
870人間七七四年:2008/12/30(火) 11:30:40 ID:Dn1DvlRY
↑すまん。
読み返したら新宮党粛清以前に銀山確保してるみたいだけど
そういう意味じゃないですので;;
871人間七七四年:2008/12/30(火) 12:38:26 ID:3rOFgHsW
尼子滅亡の原因は毛利を敵に廻した
ことではないですか?
872人間七七四年:2008/12/30(火) 13:05:11 ID:5swO1ae/
>>869-870
いや、銀山確保は新宮党粛清以後だけど。

現代でも勢力のある親戚の操縦って難しいぞ〜
オレも叔父とかとはコミュニケーションとれねぇし。
873人間七七四年:2008/12/30(火) 13:09:07 ID:XH8/frak
>>868
もし玄広恵探の遺児がいたとして、今川家の再興運動を
起こしたりすれば面白かったんだがな。
874人間七七四年:2008/12/30(火) 14:37:28 ID:kPchO+0a
幸盛が再興したのって陶が義長を迎えたのと似たようなもんじゃない?

どうでもいいが毛利についていくにしても、幸盛の身分じゃ随行できないだろ。
晴久の御守とか重臣クラスが多いんだし。山中っておまwwwwってレベルだろ。

雲芸和議って義輝の親族が仲介したんだよな。
それを毛利が知らん顔して、義輝の面子をつぶしたから
義輝も意地になって俺の面子をつぶすなという書状を送ってまた和議の仲介をしたんだよな。
義輝も大変だな。
どうやら義久が義輝にお願いしたらしいがしたらしいが、
義久に幕府を働かせるほどの力ってあったのか?
875人間七七四年:2008/12/30(火) 17:14:49 ID:GByKqKZK
>>871
お前は何を言ってるんだ?

>>874
所詮毛利は国人レベルの視野しか持ってないから…

義久は名前の「義」が義輝から賜ったものだしね、少なくとも晴久が義輝との関係は密接だったろうから
義久にも同じ役割を期待されていたかもね
876人間七七四年:2008/12/30(火) 18:34:42 ID:kPchO+0a
国人レベルでも銀山の金で天皇に献金し、その献金によって
天皇は即位できたからもしや元就は将軍<<天皇だったのかな?
とかも思うわけで。

その後義昭がやってきたのは皮肉だが。
877人間七七四年:2008/12/30(火) 23:47:30 ID:QUk8SK90
毛利と大友との紛争で、将軍から和議の斡旋がされた時、毛利隆元が
「毛利の得にならないのなら、世間でどう言われたってそんなもの無視したほうが良い。」
って発言しているな。
878人間七七四年:2008/12/31(水) 16:49:34 ID:ohVX2f8/
輝元「毛利の得にならないので関ヶ原には行きませんでした」
879人間七七四年:2008/12/31(水) 21:22:27 ID:bbz1sIE3
>>877
守護職はちゃっかり貰ってるしな

元就死んだ後の毛利氏は色々なツケが回って火の車だったのも納得行くよ
880人間七七四年:2008/12/31(水) 23:35:53 ID:EHqas3Uq
>>879
火の車になったのは隆元が死んだときじゃない?
881人間七七四年:2009/01/01(木) 01:26:03 ID:5+yZnfVb
>>880
隆元が死ぬ前から毛利宗家と吉川や小早川は歩調があってないんだよ

結局元就はそれらを蔑ろにしたから、輝元の代にはね…輝元が普通過ぎたって所もあるけど
882人間七七四年:2009/01/01(木) 15:16:38 ID:5Xi+5AOg
輝元はキレて粛清とかしなかった分マシだし
叔父もわきまえてるからまだマシ。
でも晴久は国久にぶん殴られなかったことを考えると
輝元も隆景もどうかと思う。
883人間七七四年:2009/01/01(木) 18:17:23 ID:vjxE7I6E
あした、雪ふらんかったら詮久文書みてくるわ(・ω・)
884人間七七四年:2009/01/01(木) 18:19:08 ID:vjxE7I6E
↑ 訂正:積もらんかったら (^_^;
885 【吉】 【1953円】 :2009/01/01(木) 18:57:20 ID:BSieZ64R
できたらあの寂しい場所でひっそりと眠っている本人に、線香の一本でもあげてきてつかあさい。
漏れは昨日鹿参り行ってきました。
886人間七七四年:2009/01/01(木) 23:25:10 ID:Qi2RTHp+
過疎スレとか言われつつ2年も続いて、そろそろ900スレか。いかに尼子を愛する人が隠れてたかってことだよなw。

ところで話変わるけど、毛利の山陰支配に尼子旧臣は動員されなかったのかな?
知ってる人頼んます。
887人間七七四年:2009/01/02(金) 00:05:56 ID:tW65vkT7
再興前だと神西氏が鳥取県の要所を任されてる。
888人間七七四年:2009/01/02(金) 00:28:31 ID:fqWEYyw2
佐世・牛尾は分からんな

むしろ重臣の大半は毛利傘下に入って、中老が再興軍に入ったって感じかな
立原とかが良い例
889人間七七四年:2009/01/02(金) 01:34:51 ID:tW65vkT7
佐世は倅が大坂城へ出張して行ったとき、留守を任されてなかったっけ?
山陰じゃないが。
牛尾は死んだっていう記録しかないよな。
三沢は家康に謁見して追放され、隠岐は吉川に仕えてた。
そういや亀井ってどうなったんだ?
890人間七七四年:2009/01/02(金) 07:42:39 ID:fqWEYyw2
>>889
すまん、佐世は毛利家臣だったな
牛尾一族の殆どが再興軍に参加して戦死してるしな、亀井に至っては投降前に自殺したんじゃない?

宇山は本当に誅殺されたのか分からんし

雲陽は尼子家臣の河本が書いたから正しいっていうけど、河本は大内義隆から名を貰ってるしな…
本当に尼子寄りだったかは微妙
891人間七七四年:2009/01/02(金) 23:16:20 ID:cWLOgMeG
亀井については水木しげるの先祖に裏切られて境港で討ち死にしたという興味深い伝説がある
水木しげるロード裏の八幡宮の由来が、もろに尼子方戦死者の慰霊
892人間七七四年:2009/01/03(土) 00:07:23 ID:PZatdbch
水木しげるの先祖と言うとやっぱ蔵3つの母方かなw

>>890
雲陽の信憑性は陰徳太平記以下wwww
陰徳記>陰徳太平記>>>>雲陽軍実記らしいが
どんぐりの背比べだろう。
でも興久謀反についてや、興久の西の丸においての化粧退治の話など
興久をけっこう取り上げている。
しかも意外に尼子方を持ち上げるような内容が多い。
まぁこんな奴に勝った毛利ってすごくない?っていうアピールかもしれないが。
ちなみに陰徳太平記は真実に近いことを書きたかったが、毛利から支援金貰っているんで
書きたいことが書けなかったという話があるそうな。
893人間七七四年:2009/01/04(日) 13:55:49 ID:hCelqDAx
>>892
いや父方の武良氏みたいだよ
水木さんの本名ですな。

陰徳太平記には一休禅師大活躍(しかもスカトロ)とかよく分からないネタも多いなー
894人間七七四年:2009/01/06(火) 12:43:28 ID:93ciIVfH
宇山は誅殺された理由が分からんが、誅殺されたのは事実
美作の尼子方国人宛に「宇山が死んだけど動揺するなよ」っていう義久の文書は残ってる。

でも平野が美作救援に失敗したといい、何だかんだで尼子義久も滅亡するまで策は尽くしたな
燃え尽きたってほうが正しいか
895人間七七四年:2009/01/08(木) 20:08:34 ID:SlOamuwM
晴久なら、忠臣を殺すなんてことはしなかった
896人間七七四年:2009/01/08(木) 21:34:22 ID:X/J3XNr3
国久・誠久「別に宗家を蔑ろになんかしとらんぜ?w」
897人間七七四年:2009/01/09(金) 02:32:37 ID:waZfufYd
>>895
晴久は忠臣とか好きそうだよな
光清が死んだときすごかったし
多胡なんか重宝しただろうさ
経久とは気が合わなさそうだ
898人間七七四年:2009/01/09(金) 08:25:55 ID:ionr4oHI
経久も忠臣は普通に重く用いるんじゃ…?
興久の反乱の件もそうじゃないかな?

義久を擁護するわけじゃないけど
篭城が続いて極限状態になったら
惑わされる事もあるんじゃないかと。
899人間七七四年:2009/01/09(金) 08:45:53 ID:UZ5nwWis
若い当主で家臣団との付き合いも短いなら
籠城も長くなったら猜疑心も強くなるでしょ。
900人間七七四年:2009/01/09(金) 16:58:34 ID:8aFhmSur
富田城籠城の話題が続いて、このスレも開城の悪寒・・。
いや、鹿之助の再興運動があったかw
901人間七七四年:2009/01/09(金) 21:36:43 ID:IjxoykTn
若さゆえの過ち・・・・
902人間七七四年:2009/01/09(金) 21:42:31 ID:zL89bYjj
何で
ああも急速に落ちぶれていったの?
903人間七七四年:2009/01/09(金) 22:07:01 ID:ionr4oHI
そこでやっぱり雲芸和議だと思う。

会社苦しくなってきた時に就任したばかりのボンボン若社長から
「ライバル社と話ついたから石見支店は支援やめます。
頑張りたい人は勝手にどうぞ」って言われたら
皆転職を考えるのではないでしょうかね。
904人間七七四年:2009/01/09(金) 23:27:01 ID:ionr4oHI
こんなイベントやってたなんて知らんかった…orz

尼子の里に鼕響く 伝統の「そろい打ち」 安来・広瀬
ttp://www.nnn.co.jp/news/090104/20090104005.html
905人間七七四年:2009/01/09(金) 23:31:00 ID:X5X1M4GZ
>>898
塩冶の乱は亀井は関係無いと思うな

むしろ経久の子供に対する認識の甘さが問題だったんだろうな
だから息子二人(国久・興久)はあんな結果になったんだと予測

俺には他人面だけは良い奴にしか最近思えんのだ
906898:2009/01/10(土) 00:49:04 ID:mhMVeCyb
>>905
亀井のみの視点じゃないっす。
ただの親馬鹿ならまるっと原手3郡(でしたっけ?)やってたと思いますし。

>俺には他人面だけは良い奴にしか最近思えんのだ
「だけ」つうのはちょっと酷評かも。
俺はいわゆる「なあなあ」の超上手い人って印象です> 経久
なあなあ統治ゆえに後を継いだ晴久の苦悩も偲ばれますがw
907人間七七四年:2009/01/10(土) 07:18:42 ID:cET4bPnS
>>905
いや、だから塩冶の乱は加増問題とかじゃ無いんだよ
むしろ西出雲の反尼子勢力に担がれて反乱を起こした、つまりは興久自身にも経久に対する不満や恨みがあったんだよ

なあなあというより権威主義
それが通用しないと気がついた孫の時には新宮党がでかくなりすぎてた
908人間七七四年:2009/01/10(土) 07:27:42 ID:cET4bPnS
ごめん>>906だった><
909人間七七四年:2009/01/10(土) 15:27:17 ID:BSoXgPbT
新宮党は国久の忠節うんぬんより組織としてのあり方自体がヤバかったからな
実質上国内最大の国人領主
粛清はやむをえなかったし創設した経久の責任も重い
910人間七七四年:2009/01/10(土) 20:32:25 ID:9YiZKpqH
塩治家は鎌倉以来の出雲佐々木の惣領だし
さらに室町奉公衆で
所領は守護不入なんだから
厄介きまわりない
911人間七七四年:2009/01/10(土) 23:42:11 ID:6GiYFEQM
>>898
言葉足らずですまん。
忠臣というより、命を捨てての玉砕とかが経久の考えとは
あわなそうだなぁという事です。
前スレで多胡は命は軽く名は重くというけれど、経久が聞いたら
(経久自身は長く生きたからこそ出雲の大名になれたから)苦笑いもんだよな
というレスがあったのを思い出したもんで。
912人間七七四年:2009/01/11(日) 23:54:52 ID:KgYstFGC
経久も出雲国人の連合領主みたいなもんだからなー

やっぱり守護職手に入れた晴久も相当な実力で上り詰めたのかね?
913人間七七四年:2009/01/12(月) 00:34:06 ID:Ko7jktJO
晴久に新宮党粛清は再評価されてるけど、上杉定正の太田道灌粛清も再評価するべき。
定正存命中は扇谷上杉氏の基盤は揺るいでいないし、
晴久にとっての新宮党同様に道灌は危険な存在だった。
晴久も定正も自分の死後に家が滅亡してしまったから悪く言われているのだろう。
914人間七七四年:2009/01/12(月) 00:37:16 ID:SFPqod9w
>>913
扇谷は道灌粛清のあと勢力をかなり削がれて、やがて伊豆に進出した
伊勢宗瑞に頼ってしまう羽目になったけどな。
915人間七七四年:2009/01/12(月) 09:18:54 ID:UHQvJ/zC
>>913
巨大になりすぎた家臣は邪魔なんです

個人的に宇山粛清もそれが原因だったんだと思うよ
916人間七七四年:2009/01/12(月) 13:18:18 ID:dEtxFaXW
宇山の書状って少ないから晴久の政権には組み込まれてない気がするんだよな。
亀井氏は奉行にまでなっていたのに。
粛清された津森は一応奉行に組み込まれてるし、他に逃げ出した中井だって奉行人であったし。

宇山の権力よりも宇山は毛利と繋がってたと考えたほうが自然かも。
津森も殺された原因が妻子を逃がしたところにあるしね。
重臣が敵方に妻子を逃がしたら、妻子を人質に取られている他の将たちを動揺させてしまうからね。

雲陽軍実記では宇山の次男も逃げ出しているし、津森の妻子も逃げいているから、
津森と宇山が妻子を兵糧を運んでいた道から逃がしたとか深読みしてる。
917人間七七四年:2009/01/12(月) 14:08:02 ID:UHQvJ/zC
>>916
佐世・亀井・中井・立原が確か重臣での奉行人だった気がするな
確かに牛尾と宇山は奉行衆に任ぜられてたとは聞かんな

じゃあ宇山って美作国人とかなんかな?
大半の美作方面の戦いでは総大将務めてるっぽいし、名前は久信だけど
918人間七七四年:2009/01/16(金) 13:43:01 ID:CP3IuPCX
しかし軍記物では重臣扱いだしなぁ…。

美作での活躍だと高田城戦で宇山久信は、城に入ってその守将となったが
城主宇山久信は太平無事に流れ、武運を怠っていたので高田城を開き退去した。
っていう、活躍をしてるね。
高田城戦の後は川副だか江見(江見説が有力)だかが担当してる。
江見氏は月山富田城落城まで親尼子派。
江見の活躍ってすごいのにほぼ無視されてるw
919人間七七四年:2009/01/16(金) 17:48:06 ID:si/kFkMQ
三浦氏総領は第二次月山富田城の戦いの時点で富田にいたから、
三浦氏の居城である高田城が、軍記通りの状況だったかどうか極めて怪しいけどな

備中の新見氏など、尼子家最末期まで運命を共にした国人は意外にいるな。
そのぶん西出雲方面のヘタレぶりが際立つがw
920人間七七四年:2009/01/16(金) 23:22:09 ID:CP3IuPCX
西出雲は救いようがねーwww
三刀屋、三沢は仕方ないにしても、石見国人より役たたずっぷりには涙目。
米原がダメすぎる。神西は奮戦した方・・・ともいえないよなぁ。
赤穴とか・・・。
921人間七七四年:2009/01/17(土) 11:02:07 ID:buHSY7bj
>>918
あくまで軍記物だから…

藤岡先生の発掘した史料に、宇山久兼が連署した奉行人書が無いから
個人的に俺も宇山は重臣じゃなかったとおもう

尼子奉行衆も…
佐世伊豆守清宗・森脇七郎右衛門尉久貞・立原備前守幸隆・本田豊前守家吉・目賀田新兵衛尉幸宣
牛尾遠江守幸清・河副美作守久盛・津森越後入道幸俊・河本左京進幸忠(河本隆政?)
多胡左衛門尉辰敬・中井駿河守綱家…etc

どう見ても宇山の名は一度も見られないし、筆頭家老は佐世伊豆守清宗だと分かる
奉行連署書での佐世の名前は異常なくらい多過ぎるwww
922人間七七四年:2009/01/17(土) 11:06:36 ID:buHSY7bj
連投スマン

個人的に津森が自害したのも毛利との和解を斡旋したからとか深読み
義久がそれに自分のプライドや「父・祖父の代の栄光ある尼子が云々」とかで揉めたのかもね

少なくとも美作では江見が最後まで尼子側だし、三浦も月山富田にいて美作牧氏も尼子側だったようだし
備中の新見・荘氏、伯耆日野衆とかも尼子側だから

義久にとってもそこまで進退窮まった印象は受けないな
923人間七七四年:2009/01/17(土) 21:24:22 ID:bP8oBvdy
話ぶった切ってスマンが

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E6%99%B4%E4%B9%85
>永禄2年(1560年)には、備中上房郡(現高梁市)にて毛利方国人三村家親と一戦を交え、これを敗走させる。

これってもしかして「因伯の戦国城郭 通史編」にも出ていた、「高橋表の戦い」のこと?
「因伯の〜」では九州高橋氏を攻撃した時のものとされてたけど。
この辺りの新情報が出たとなると伯耆方面の通史がかなり変わるので興味津々。
具体的には、三村氏(毛利方)の「永禄2年伯耆侵入説」が否定される。

これがなんで問題になるかというと、晴久死亡が永禄3年なので、
晴久生存時から三村氏の伯耆侵入を許していたとなると、
雲芸和議関連のゴタゴタが無くても領国崩壊した可能性が高いから。

ソースとか教えて偉い人
924人間七七四年:2009/01/17(土) 22:31:47 ID:buHSY7bj
>>923
そしたら日野衆大問題だな

大体新見氏と三浦氏・江見氏という障害が居るのにどうやって伯耆遠征するんだ…
925人間七七四年:2009/01/17(土) 22:45:13 ID:bP8oBvdy
>>924
三村が永禄7年に伯耆に拠点を築いているのは間違いないと思うんだけどね。
その前の経過がよく分からない。
926人間七七四年:2009/01/18(日) 00:18:33 ID:H2aBCpX8
>>925
一応毛利傘下に組み込まれた勢力扱いだからも、三村は
宇喜多・三村が台頭したのも尼子のお陰っちゃお陰
927人間七七四年:2009/01/18(日) 14:43:56 ID:H2aBCpX8
1565年4月1日に毛利元就が山田民部に宛てた書状に

「宇山飛騨守、自富田其境罷出之由…用心肝要候」とあるんだが、意味が分からない

教えて偉い人!

928人間七七四年:2009/01/18(日) 17:50:06 ID:ObBJnmoV
中略の部分に何て書いてあるか判らんので何とも言い難いけど、
宇山飛騨守が富田より境(国境)まで出ばってきたとのこと・・・・
用心することが肝要です

てことでいいんじゃないの?
929人間七七四年:2009/01/19(月) 00:42:28 ID:5LNzz1VQ
>>927
永禄6〜7年頃かなー

毛利の出雲侵攻真っ最中やね
930人間七七四年:2009/01/19(月) 12:50:19 ID:fmSGGTnh
>>927
元就得意の謀略ではないか!w
931人間七七四年:2009/01/19(月) 18:24:56 ID:ubakCsPs
山中が早く生まれてれば元就を戦場で討ち果たしたのに・・・・
932人間七七四年:2009/01/19(月) 20:05:02 ID:T2qqmSdH
早く生まれたら、その分歴史より早めに毛利に降伏するな。
933人間七七四年:2009/01/19(月) 20:12:19 ID:0Sb6i3C8
白鹿救援に宇山の代わりに行ってても
やっぱ負けてるかもねえ。
934人間七七四年:2009/01/19(月) 23:01:42 ID:Q2hJHkdF
むしろ山中自体が立場低いから何とも…

それなら秋上が横道が適当だったろうに
935人間七七四年:2009/01/20(火) 00:05:54 ID:ITEbAtOB
なんだかんだで再興軍って立場低い人たちの集まりだよな。
立原・横道とかいるけど基本的に長男じゃないし。
時代劇で言うと旗本の三男坊的な存在だし。
亀井・森脇・横道・津森・中井・本田・立原・川副・佐世がごっそり抜けたのが
痛いよなー。って森脇はいたが、森脇って山中らによって端に追いやられた
窓際族っぽいよーな・・・。でも一応奉行だけど、山中の書状の多さを見ると
どうだかと思う。陶晴賢みたいな感じだったんだろうな、再興軍って。
陶ならまだ重臣だからいいが、山中とかにあーだ、こーだ言われたくはなかっただろうな。
936人間七七四年:2009/01/20(火) 00:53:10 ID:12E9aiFb
牛尾!牛尾さん忘れてるよ!

それに

川副久盛・立原久綱は参加
本田豊前は安芸長田にて義久の付き添い
津森越後入道は落城前に自害
亀井氏は動向不明、茲矩は再興軍参加するには歳が若い
中井綱家も動向不明
横道正光は横道氏嫡男で再興軍参加
秋上の場合は武家流秋上氏の嫡流久家が再興軍参加

よくみると山中幸盛の山中氏が何で再興軍の重臣になれたかは意味が分からん
勝久を京都から連れ出したのが幸盛だったから、と予測

937人間七七四年:2009/01/20(火) 02:04:49 ID:ITEbAtOB
コレノリはさ、元々湯氏の出じゃん。
亀井とは全然関係ないよ。強いて言えば嫁が幸盛の養女であり
実父が亀井氏だったってだけだった気がする。
幸盛もただ単に妻が亀井氏の出だからってだけだよな。
で、再興軍初期は仲間たちに俺だって一応重臣一門と
箔をつけるために「亀井」を名乗ってたんだろうなぁ。
どう考えてもコレノリの方が上っぽいけど。(母が多胡氏)
938人間七七四年:2009/01/20(火) 17:11:20 ID:12E9aiFb
湯国綱のことな

湯氏自体は一応佐々木流塩冶氏と同族だから、再興軍の中じゃ位は高いだろう
939人間七七四年:2009/01/20(火) 18:49:29 ID:8kXHzbD/
つーかね。すでに主家が(一度は)滅亡してしまって以降、再興軍の中ではかつての家の序列なんて関係なくなってたんじゃね?
どんなに序列の高い家系だって浪人にまで身を堕としてしまってからは。
940人間七七四年:2009/01/20(火) 19:05:42 ID:/HHeI23s
尼子宗家は滅亡して無いじゃん。毛利に臣従しただけで。
941人間七七四年:2009/01/20(火) 20:26:55 ID:8kXHzbD/
ああ、ごめん。滅亡は語弊があったかな。『戦国大名として終わった』ってことな。
942人間七七四年:2009/01/20(火) 21:41:03 ID:ITEbAtOB
隠岐(兄)と秋上は重用されなかったから毛利へ降ったんだっけ?
943人間七七四年:2009/01/21(水) 23:23:17 ID:63RD1Ev3
本屋に今大河でやってる天地人の原作者が書いた
黒田孝高を主人公にした軍師の門という小説があった
中国攻めの描写が出てきた
毛利が敵対した相手として尼子の名前がちらっと出てきた
尼子経久という傑出した人物がいて晴久の代ににわかに家運が
傾きだしたということになっていた
小説での扱いはこんなのばっかりだな
944人間七七四年:2009/01/21(水) 23:33:29 ID:oyJTuR/B
だって尼子氏の研究者で晴久を評価しているのは
長谷川先生ぐらいじゃ・・・。
他はなんというか「吉田郡山遠征〜新宮党粛清」がネックになってるらしい。
でも米原先生は意外にも、経久には及ばないが、忍原崩れについて
触れていたし、そんなに非難していなかったような気がする。
945人間七七四年:2009/01/22(木) 00:04:43 ID:NJLNRwUv
>>923
御説は傾聴に値すると思います。

晴久死去の前年となる永禄2年には伯耆の河岡氏が毛利方となっています。
これより以前に日野山名氏も毛利方となっています。
河岡氏は,今まで尼子に出していた人質が死んだので,この機を捉えて
毛利方となったとされています。
毛利に内通すると同時に尼子氏に敵対すべく毛利氏に援軍増援を求めて
その結果,山田重満が手勢を引き連れて入城し,城を修繕していますの
で,その人質の死去については,尼子氏に遺恨が残る死にざまであった
と思われます。
さらに,毛利氏は河岡氏に対し,すでに内通している日野山名氏と
協力して尼子方の来襲に備えるように指示をしています。
これより先に毛利氏は日野山名氏の重臣から人質を取り集めています。
また,毛利氏は河岡城の重要性に鑑みて,山田重満のほか,三村氏に
もその加勢を命じています。
もっとも,日野山名氏は元就による本城謀殺のあと尼子方に復帰して
います。
なお,河岡城は,米子インターチェンジの近くに位置します。

なぜ晴久の晩年とはいえ,その存命時に伯耆の国人らが動揺し続けていた
のか,おそらくその原因は,当時の時代背景として,幕府が毛利・尼子・
山名の和睦を執拗かつ協力に推し進めていたこと,和睦実現のため幕府が
空手形の知行宛がいを乱発して,紛争阻止のために利益誘導していたこと
これに伴い尼子氏に和睦受入れの態度が見え隠れして,分国の端城の紛争
救済にはなはだ不熱心であったこと,毛利氏による実力行使による庇護の方
が手厚く感じられたこと,実現しなかったものの伯耆に対する山名氏の大
攻勢が喧伝されていたこと,尼子晴久(義久)の個人的な資質に魅力が感じ
られなかったことがあげられますでしょうか?
         ご批判待ちます。
946人間七七四年:2009/01/22(木) 00:13:48 ID:xNtOtBTl
大内が攻めて来た富田城攻防戦が未だによくわからんのですよ。
何故にあれだけ大量離反が出たんでしょうかね?
確か義隆に愛想つかせた説が有力視されてたと思ったけど、
地固めが違うとはいえシチュ的には毛利の時と大差ない気が
するのですけど。
もっと言えば秀吉の小田原攻めと同じように、
さしたる敵の援軍も無いし、もうここ落せば尼子終了のお知らせに近いわけで。
(そのまま勝てば恩賞期待できるし、寝返って勝っても基本防衛戦だから
さしたる恩賞も期待できないでしょうし。下手に負ければサヨウナラだし。)

余程の勢いで「晴久(及び新宮党)は健在なり!」を見せ付けた、
っつう事なんでしょうかね?う〜む。
947946:2009/01/22(木) 00:18:40 ID:xNtOtBTl
わぁ、時代だ大分ずれてすいません。
>>946はまたの機会で結構です。
948923:2009/01/22(木) 12:17:37 ID:ALQVjijV
>>945
>ご批判待ちます。
話を振っていただいたのはありがたいのですが、私はそこまで詳しくないのでなんとも…
申し訳ありません。
 
>永禄2年には伯耆の河岡氏が毛利方となっています。(後略)
この辺りのソースは、おそらく当時の古文書類になると思うんですが、
大抵の場合、年未詳だったような…
「因伯の戦国城郭 通史編」でも、事件の起こった年を確定するために、
既に年が確定している「九州での攻防戦(高橋表の戦いか?)」を基礎に据えたわけで。
永禄2年の事件とされたソースに非常に興味があります。
949923:2009/01/22(木) 12:26:04 ID:ALQVjijV
昨日見つけた濃いブログ

「資料の声を聴く」
尼子晴久(1)
http://zisaku.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-c4b1.html

ブログ主のプロフィールがほぼ空欄になってるけど、石見銀山攻防戦を調べた時の話とかみるに、
この人、原慶三 氏 じゃね?
950人間七七四年:2009/01/22(木) 16:52:37 ID:5sV1nCe5
>>945

>>その存命時に伯耆の国人らが動揺し続けていた
動揺って…元来西伯耆は尼子側で東伯耆の支配は波及的だから何とも
むしろ伯耆・美作くらいが尼子滅亡まで尼子方だったんだが

>>949
でも原慶三先生、前に島根県シンポジウムで「最盛期は晴久だ」だと。
ソースはこれ
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=505714006

951人間七七四年:2009/01/22(木) 18:19:44 ID:znf6m89n
自分も最初は原氏かと思ったけど、大田近辺の人っぽいよね
952人間七七四年:2009/01/22(木) 23:31:39 ID:ALQVjijV
>>950-951
うーむそうかのう? どうにも「忍原崩れ弘治2年説」を10年前に看破とか読むと…
原氏でないとすると、在野にこれほどの将が埋もれていたということでありそれはそれで。

ブログ主自身は晴久の評価が低いようですが、
この辺↓読むと、晴久の権限強化の苦闘ぶりが窺えて興味深い。
http://zisaku.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-db97.html
953人間七七四年:2009/01/23(金) 00:03:23 ID:VOXYssD9
hは抜こうぜ?
気にする人は多いから。
954人間七七四年:2009/01/23(金) 01:12:33 ID:nEF3lgwo
h抜きには特に意味はないからなぁ…
URL自体を貼付禁止にするんなら別だけど

まあ、VIPじゃないんだし、この過疎スレからサーバパンクは考えにくいが
955人間七七四年:2009/01/23(金) 14:25:34 ID:/tCtwPDQ
まぁ晴久さんは本当に良く頑張ったよ

だからって毛利元就に食われた駄目武将って書き方されるとね、むしろ毛利元就と互角に渡り合った将なんだから…
それを倒した毛利は強いって方が毛利厨としても気持ち良いと思うんだが

どちらにしても経久ばかり持ち上げても一次史料が物語るのは晴久の孤軍奮闘ぶりw
956人間七七四年:2009/01/23(金) 17:21:19 ID:rfpuU4lC
斉藤義龍みたいなもんだ。
957人間七七四年:2009/01/23(金) 23:42:03 ID:BT4fpkAB
最近,晴久を持ち上げることが流行っているみたいだけど,漠然と英雄視していいのかな?
俺なんかに言わせると,そもそも元就と互角じゃダメなんだよな。
晴久と元就では,もともとの家格も役職も格段に違うんだしさ。
958人間七七四年:2009/01/23(金) 23:53:12 ID:/tCtwPDQ
「互角」にしときゃなけいないんだわさ、諸事情で

尼子氏自体は宇多源氏名門でも、始めから出雲に在地してたわけじゃないし
そういう意味では地元の毛利さんが安芸一国平定するのと尼子が出雲平定するのとじゃ

スタートラインは違うと思うんだがなー…
959人間七七四年:2009/01/24(土) 01:23:25 ID:sirELonK
MURAJIさんとこのブログで
戦争の日本史 12
>>あと尼子家はかなり無理な勢力拡大をしたので、
簡単に崩れたのではないかと思えてきたり。

ってあったんだけどどうなんだろ?
960人間七七四年:2009/01/24(土) 08:35:23 ID:JyGKTfTL
>>959
それなら毛利・北条・武田も同じこと

尼子の場合は敵の本拠地への打撃、もしくは敵勢力への牽制・圧力理由での緩衝地帯を設けるための遠征だから
むしろそういった無理な外征が自分を駄目にすると気付いた晴久が石見銀山を背景に石見へ軍を向けている

一方的に勢力拡大したように見えるのはむしろ誤りで、実際にはそれだけの理由が存在した尼子の遠征方針



961人間七七四年:2009/01/24(土) 09:08:38 ID:KuwCqWmM
理由は存在してても結局は分を超えていた
962人間七七四年:2009/01/24(土) 14:32:12 ID:JyGKTfTL
>>961
うーん分を越えてたというかなぁ…
むしろそういう状況に尼子を追い込んだのが経久で、出雲を安定的に支配するためには仕方無い遠征でもあるし

尼子の出雲支配も経久期には危機的だったから、遠征は出雲支配という領国経営の一貫だから
分を超えてるという指摘は場違いだよ
963人間七七四年:2009/01/25(日) 21:55:28 ID:vwsFvHtE
史料から窺うのは無理だろうけど、やっぱり国人たちの間でもガンガン行こうぜ(古い語だが…)な積極派と、内心は無茶し過ぎだろって感じてる慎重派がいたんだろうなぁ。秀吉の朝鮮出兵の時みたく。
964人間七七四年:2009/01/25(日) 22:29:05 ID:amZHrGgN
>>963
国人なんてその時に自分達が如何におこぼれ貰えるかだからな

郡山攻めと富田攻めが良い例
965人間七七四年:2009/01/25(日) 22:46:55 ID:LsFHRAI2
あげ
966人間七七四年:2009/01/26(月) 20:35:59 ID:59hs+iX5
上洛成功して将軍を操れたら面白かったな
967人間七七四年:2009/01/26(月) 20:47:07 ID:3AaH0gaU
そのためには安芸をどうにかしないと
968人間七七四年:2009/01/26(月) 23:12:04 ID:eZa0I+i8
安芸なんて緩衝地帯以外の価値がないだろ
969人間七七四年:2009/01/27(火) 10:32:49 ID:iN5OZuLN
で、次スレまだ?
970人間七七四年:2009/01/28(水) 01:32:13 ID:V129cbbe
>>962
地元の国人を一致団結させるには遠征が一番って誰かが言ってたような
971人間七七四年:2009/01/28(水) 03:59:47 ID:MihyWage
>>970
越後の龍<何度も遠征したのにさっぱり団結しませんでした。
972人間七七四年:2009/01/28(水) 20:54:11 ID:RUsATScW
>「出雲尼子史料集」刊行後、出雲国の富田衆松浦氏の関係史料が東大史料編纂所にあることが知られた。

この史料、どんな内容だったんだろうなー
973人間七七四年:2009/01/30(金) 01:47:26 ID:JtnIpMzu
活字刊行されてない史料だと、閲覧むずかしいよな〜。

そういや、本屋で歴史読本を立ち読みしたんだが、来月は戦国特集で、尼子氏の担当執筆者は原慶三氏になってた。
974人間七七四年:2009/01/30(金) 04:49:33 ID:csblEuMk
>>973
wktkせざるえないwww
975人間七七四年:2009/01/31(土) 11:02:10 ID:UAIDCdxd
尼子誠久はイケメン
976人間七七四年:2009/01/31(土) 16:04:24 ID:NVx7bMhc
>>969
立てたよ

◆◇◆幻の戦国大名 出雲尼子氏(其ノ六)◆◇◆
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233385268
977人間七七四年:2009/01/31(土) 19:16:25 ID:mn0WVTvk
>>976
まことに乙じゃ、出雲佐陀城を与える。
978人間七七四年:2009/01/31(土) 22:16:12 ID:NqQubhXa
>>976
乙であるぞ。褒美に美作高田城代に任命せずる。
979人間七七四年:2009/01/31(土) 22:25:10 ID:l8Hmv/LW
埋め立て
980人間七七四年:2009/02/01(日) 12:45:46 ID:AGKaedAv
>>971
いや、謙信以前の時代と比べたら飛躍的に団結しているだろ。
981人間七七四年
>>980
「謙信以前」って、為景の時代はクーデターも起こしたし、当然関東管領や京都の細川晴元政権とも
関係が悪かったから、不安定なのは当然だしなあ。
「越後上杉」と言う意味では、上杉房定時代が越後は一番団結してるんじゃないかな?