1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 20:22:38 ID:q1CeW9qR
>>999 >強運だっただけの元就と、互角な相手とガチで戦って領土を拡大してきた信玄…
>信玄だって能力で評価してほしいと思うが
諏訪、小笠原、村上・・・そんなのと互角なのか、信玄は。
3 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 20:36:50 ID:08IqLUhB
甲斐の豪族連合盟主=信濃の地方豪族
という理論なのか
信濃の地方豪族たちは連合してきたかもしれんが
甲斐も豪族連合の上、ある程度しっかりした指揮系統があり
更に甲相駿同盟で後背の安全も確保してるのに
若気の至りということにしとくか
小笠原を破った時点である意味信濃を取ったとも言えるけどね。
5 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 20:55:10 ID:FNLXa8Q/
塩尻峠なあ。
小笠原も武田が村上に負けたと聞いて張り切って軍を動員したのに
一戦で再起不能にさせられるとは思いもしなかっただろうな。
6 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 21:11:10 ID:jeFt1e0+
>>2 まあ互角な相手(多分上杉とか北条)相手にも領土を拡大している訳だが。
織田に対しても美濃侵攻とかしてるが、あまり戦果があったとは言い難い。
より正確な言い方は、「上杉・北条などの強豪と戦を交えながらも着実に領土を拡大した信玄」と「運だけが取り柄(ry」となるだろうな。
7 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 21:16:02 ID:jeFt1e0+
というか信玄厨と思われかねない(俺は戸沢好き)レスしといてアレだが、なんで再建した?
あんまし書き込まないんだが、揚げ足をとる糞ばがりでウザいんだが
8 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 21:52:14 ID:q1CeW9qR
>>6 X 上杉・北条などの強豪と戦を交えながらも着実に領土を拡大した信玄
○ 着実に領土を拡大してから上杉・北条などの強豪と戦を交えた信玄
9 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 00:44:11 ID:oXalIFw4
え?このスレまだ続けんの?
10 :
仙台藩百姓:2007/07/01(日) 01:09:00 ID:CMdmr2dB
前スレ
>>991 >信玄だって甲斐一国程度で既に守護職貰ってるでしょ
↑・゚・(ノω`)・゚・。
11 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 03:27:22 ID:o7iKScQM
というより信玄は一進一退ぶりがなあ。
信虎時代に既に信濃南部まで勢力圏だったこと考えると・・・
武田の失敗は信玄自身の下克上な気がする。
12 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 05:28:39 ID:gKWEOSIR
どうして武田厨ってやっぱ大半は山梨県民なのは何故?
13 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 08:13:12 ID:vDovC3a3
マトモなネタを投下しても、メガトンに荒らされて有耶無耶になりそうだなこのスレでもw
14 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 09:13:36 ID:HGFgEyNX
>>12 いや、山梨県民だけじゃないだろ。
オレも昔武田信者だったよ。
信長の野望でパラメータが強かったからね。
織田 → 武田 → 島津・・・ の順で攻略するのがデフォかな
15 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 09:16:11 ID:AJGS2DJb
>>14 信長の野望はまず足利で統一する俺は足利厨?
16 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 09:20:35 ID:7uOUsi/v
>>11 信濃南部っていったって佐久の一部だよ。それも諏訪や村上と分割したから
その領域はそれほど大きくない。
信虎も甲斐を統一した後は中々領土をのばせずにいた。
17 :
晋3:2007/07/01(日) 09:42:52 ID:MWpbOjmn
武田信玄と毛利元就を比較検証する際、用心しないといけないのは、
両者の経歴だけで比較したら、毛利元就のほうが優れているだろう。
ていうか、経歴を単純に比較検討した場合は織田信長以上であり、
秀吉、家康以外は元就に勝てる経歴のものはいない。
でもそんな秀吉、家康でさえ信玄、謙信より優れているか、といえば
今の歴史学者からはあまり聞かない。
むしろ家康を信玄の劣化コピーという人さえある。
そこには人の評価を経歴だけで単純に比較することの危うさがある。
信玄・元就を比較する場合もそこに注意する必要があるだろう!
ただ、個人的にはやはり元就の方が優れていると思う。
武田三代(信虎・信玄・勝頼)の場合は順番が逆だったとしてもその事跡
にあまり変わりはないと思うが、毛利家における元就の貢献は絶大だからだ。
ただ、そんな元就も中国地方という、戦国時代突入が1508年(大内義興の京
への上洛)以降という平和ボケした地域において領土拡大すろのはさほど
難しくはないだろう。
18 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 09:43:57 ID:HGFgEyNX
そんなマニアックな遊びかたなら、
漏れは将星録の時、鈴木一族のみで統一したよ。
姫武将とか、動因しまくっても配下武将は10人程度だったかな?
しかも敵武将は一人も首を切らずに開放してね。
戦場に出現できる武将の数は5人までなのでこのようなことが
可能だった
19 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 09:56:23 ID:AJGS2DJb
>>18 天下創世ではキツそうだな…
とりあえず従属関係と言うのが耐えられない
20 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 11:26:49 ID:vDovC3a3
嵐世記なら諸勢力に媚売りまくれば小大名でも結構いける
21 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 11:35:52 ID:NgZfbOC0
元就なんて大友に戦略で大敗したカスじゃん
信玄は信長を震撼させた男
22 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 11:37:21 ID:NgZfbOC0
勝頼と輝元を比べればわかるとおり、後継者の育成の面で見ても
武田信玄>>>>>毛利元就
23 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 11:52:43 ID:HGFgEyNX
>>20 嵐世記は忍者ですよ。忍者のニセ情報で敵を退却させちぇえば、
どんな弱小勢力でも統一できるんだな。
>>22 で? まさか武田が滅びてないとでも?
24 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 11:56:53 ID:7uOUsi/v
>>19 天下創世は数の差の非情さというものを烈風伝ばかりやっていた俺に
教えてくれた良作。
リアルタイム戦闘で雪崩のように攻めてこられちゃ野戦ではキツイわ。
25 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 11:58:34 ID:vDovC3a3
>>23 はじめて知りました
後世の教科書になんて記述されるのやら、とか想像すると笑える
26 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:00:56 ID:AJGS2DJb
>>22 やっぱ義信殺っちゃったからなー。
あと毛利が生き残ってるのは本能寺の変のおかげじゃない?
>>24 ただ決戦で負けることはほとんどないから、とりあえず覇者レベルまでこぎ付ければどうにかなる。
27 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:13:18 ID:NgZfbOC0
その通り。
毛利が生き残ってるのは本能寺の変のおかげ。
これがなければどう考えても滅亡してた。
元就の遺産なんて信長の前には何の役にも立たなかった。
28 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:26:44 ID:w/1HVC4u
確かに武将としては勝頼>>>輝元だと思うが、
信玄は資質ある勝頼が力を発揮しにくい状態の後継者にしちゃったからなあ・・・
29 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:29:24 ID:ddi8bq+3
>>21 お前ちょっと大友について詳しく調べたほうがいいぞ。
超名君時代は元就さえも掌で踊らされるかなり策謀にすぐれた名将だ。
はっきりいって名君モードの大友なら北条・今川・上杉とか凌駕するよ。
ただいきなり一条も真っ青な暗愚になるのがまた面白い。
>>22 小早川・吉川は無視?都合よすぎる。しかも輝元を教育したのは小早川じゃないの?
>>26 いや、確かに毛利が本能寺に救われたっていうのは同意だ。
ただ勝頼は何度か織田と同盟を結ぶチャンスがあったわけで。
しかもかなりの厚遇で。それを蹴って逆に敵対行動を拡大しちゃったし北条との先見の差が。
元就は信長包囲網に参加しないで信長に敵対する行為をみせていない。
ってのも結構ポイントになると思うが。
30 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:30:39 ID:eKSYEujx
本能寺の変がなければ、生き残れる外様は、徳川ぐらいじゃね…?
後、佐竹、大友、龍造寺(鍋島)ぐらいかなぁ…?
31 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:31:42 ID:vDovC3a3
信玄が「信長さんに見捨てられたら私滅亡です」とかひれ伏しておきながら、都合が良くなったら裏切りしてしかし裏切り完遂する前に死去
こんな無茶苦茶な負債があったら後継者が誰でも織田に滅ぼされるだろ
本能寺で毛利は助かったというが、武田はそれ以前にガチで潰されてるじゃん
32 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:38:45 ID:AJGS2DJb
>>31 そういう問題ではない。
国力の差だけでなく、第一次信長包囲網に参加した武田と第二次から参加した毛利の状況にも違いはあると思うのだが
33 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:39:17 ID:Wm00kmj7
武田厨の煽りはワンパターンすぎてつまらん
瞬殺され方もほぼ固定だしwwwwwwww
34 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:40:00 ID:NgZfbOC0
もし備中高松に信長が到着したら、輝元は逃亡と両川は討ち死に。
逃亡の最中、味方は続々と裏切り、最後は僅かな共の者と吉田郡山近辺をうろついている所を捉えられ斬首。
首を晒されて終わりだったんだろうな。
35 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:50:12 ID:7uOUsi/v
>>29 元就が信長包囲網に参加しなかったのは元就自身がそれどころじゃなかった
というのが大きいと思うけどな。先見といえるのか。
それなら信玄だって北条との同盟がならずに戦い続けているうちに死去してれば
織田と戦わないで先見とかいわれてたのでは?
>>33 先に狙われた武田の崩壊の数ヶ月後に本能寺が来て毛利は助かったけど
時期がずれたり本能寺がなければ普通に滅亡だろう。
36 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 13:51:23 ID:WP2fPcXp
毛利西攻めたのはゆかりの地だったからだね
37 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 15:21:19 ID:HGFgEyNX
信玄は勝頼を育成した?
なんの冗談だそりゃ?
信玄は勝頼に重臣を退け、側近を重用しろとか教えたのか?
「人は城、人は石垣、人は掘」って言うことを信玄は
教えてなかったのだろうな。
38 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 15:40:08 ID:ofHnzVay
長坂はともかく、跡部は重臣じゃねえのか。
39 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 16:37:14 ID:Ck9axyVo
>>35 普通に滅亡するかは怪しい。
別に毛利が優れているわけじゃなくて単純に戦線が拡大しすぎるため。
極端な話、武田は甲斐1国と駿河半国で終わりだったわけで・・・
・・・ってか何で武田はあんなに裏切りがでたんだ?
信濃なんて高遠城以外ろくに戦う前から崩壊して後背地としての役割ゼロ。
甲斐にしてもわずか2週間で崩壊って脆過ぎるにもほどがある。
いくらボンクラが当主の毛利でも一門衆はもっと抵抗すると思うが。
40 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 16:58:36 ID:ddi8bq+3
よく言われるのは城を見捨てたからとかだよね。
あと状況が悪すぎる。
本願寺は話しにならんくなってるし上杉・毛利も織田地方軍相手に苦戦。
北条・徳川・織田相手に戦線拡大しまくりで只でさえ大苦戦のところに
織田本隊が大軍引き連れてやってきましたじゃ降伏寝返りしたくなる気持ちもわからなくはないだろ。
一方の毛利も状況はかなりしょっぱいが大友が耳川で惨敗して毛利処じゃないのと
四国勢も長曽我部相手にしてて毛利処じゃないと状況が恵まれているため
武田程急激な崩壊を起こすとは考えにくい。尼子・大内がこの前に乱を起こしてて復興勢力を起こそうとしないのも良い点
あとは毛利が何処で妥協できるのかと信長の采配次第では?
41 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 17:09:43 ID:w/1HVC4u
>>40 信長の采配次第も何も山陰・山陽と2正面から物量で押し切られてお終いなんじゃないか?
高松城に救援に来た毛利主力は1万数千程度だったんだろ?
羽柴軍(宇喜多勢含む)だけでも3万ほどいたからもうチェックメイト寸前
武田程のスピードで崩壊するかは実際になってみないと分からないが、
1年ももたない気がするな・・・
42 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 17:20:42 ID:NgZfbOC0
でも備中高松で降伏してたら安芸一国くらいは安堵されてたかも名
43 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 17:26:40 ID:NgZfbOC0
月山富田城とか三原城は簡単に落ちないだろうし、出雲や備後あたりで織田軍の侵攻を食い止めたかもしれん
44 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 17:41:59 ID:bGQC7qCD
毛利は備中高松で織田方と和睦する気があったからこそ
本能寺後の秀吉との交渉にも乗ってきたんだろ
45 :
山形義光:2007/07/01(日) 17:46:25 ID:89c62VAI
そんなに引いて守るほどあきらめ悪かったら武田の二の舞ですがな
46 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 17:56:28 ID:Ck9axyVo
>>41 とは言っても水攻めが可能だった高松城でさえ1ヶ月以上持った訳で・・・
三木城の1年半、鳥取城に4ヶ月。
山陽で三原城、山陰で月山富田城で篭られたら1年じゃ無理でしょ。
・・・もっとも毛利がへたれてさっさと降伏するだろうが。
47 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 18:05:47 ID:Ck9axyVo
>>42 備中高松で降伏していれば安芸周防長門石見は安堵されてた。
信長が「秀吉が勝手にやったこと」として撤回しなければ、だけど。
48 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 18:34:40 ID:fKy+YKFJ
関が原後に毛利が周防長門の2カ国になったのは
信長の腹案を家康が知っていたからと妄想してみる
49 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 22:02:25 ID:+eKnMvoL
>>47 光秀の恩賞は?
毛利はあと一押しで潰せる(→全領土が一旦手に入る)のに、わざわざ大封を与えてまで毛利を生き残らせるか?
50 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 22:31:41 ID:5atNsLwM
本気であと少しと思ってたなら本能寺は必然の結果。
光秀じゃなくても謀反するでしょ。
佐久間が謀反しなかったのが不思議なくらいで。
51 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 02:00:41 ID:wjEP7caS
>>50の意味がわからん?
光秀が何で、本気で後少しだと思ったら、謀反が必然になるの?
逆なら、わかるんだが…。
毛利は、まだまだ粘る。
→その間、丹波と坂本を取り上げられた光秀とその家臣は根無し草で、兵糧にも、窮する。
→将来に絶望
→謀反って、感じかなぁ…。
52 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 02:28:56 ID:hhO/Vl4j
毛利が生き残る可能性ってのがどうしても拭えないのは小早川が居るからなんだよね。
あと一族がわりとしっかりしてるのが多いしね。
どっかのコピペで見たけどどうして武田親族はあんなに死にまくりなのかと。
53 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 02:42:47 ID:lccm5xWx
信長の敵対勢力はどれも死にまくりですが
54 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 10:07:51 ID:T9jyu8Uv
>>44 毛利が織田と和議? なんの冗談!
織田にたてついた波多野の結末ご存知?
織田にたてついたが最後、毛利も波多野と同じ運命しかなかったんだよ
信長が死んで救われた毛利
55 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 10:30:02 ID:CuBmLj7z
信長が死んだのは幸運だったが、そこまで耐え抜いたのは毛利の実力
武田みたいに幸運が舞い込む前にボロ負けの挙句全滅してたら意味無いし
やっぱり信玄が「例え日本半分を制覇するような身分になったとしても、信長さんから受けた恩は忘れないよ」と書状ではっきり約束したのにそれを破った報いだね
信玄が死期近いのに完遂もできない裏切りかまして織田と早期に修復不能な関係になっちゃったもんだから……
56 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 10:38:53 ID:cyFbLfeO
いや、あんな3方向から織田・徳川・北条に攻め込まれればそりゃ滅びるだろ。
武田は第一次包囲網のときから参戦してるわけだし戦ってる時期も長い。
織田は信忠の軍勢だけで5万近いといわれ、さらに信長の本軍もついてくる。
武田とサシでも戦える徳川と北条も大軍を率いて同時進行。これじゃ滅びるだろ。
毛利も秀吉軍にさえアップアップだったのに信長の本隊が来ればそりゃ滅びるだろ。
57 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 10:40:54 ID:CuBmLj7z
>>56 だからそれは結果
その原因を作ったのは信玄でしょ
織田だけでなく、後北条にも不義理を働き徳川に不意打ちかましたのも信玄だよ
58 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 10:56:08 ID:cyFbLfeO
北条に対しては再同盟結んでいるわけだしな。
毛利だってそれをいったら織田を多方面に敵がいる状態で
敵に回し滅亡寸前まで追い詰められた。それらの確執は元就の代にある。
ぶっちゃけた話本能寺が無くあれで毛利が滅んでいればそんな言い訳通じない。
滅んだという事だけをもって片方だけを酷かったとするのは極論。
59 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 11:00:19 ID:CuBmLj7z
>>58 再同盟を結んだら確執が消えるんだw
そして、織田徳川に対する信玄の背信についてはスルーするしかないと
あと、誰も本能寺の変で毛利が受けた恩恵を否定はしてないんだが
なんでそんなに必死なの?
60 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 11:09:38 ID:cyFbLfeO
別に必死というわけじゃないんだけどなw
そんな事いったら大友なんてどうなるの?元就が背信を繰り返しまくった
せいで織田と呼応してるんだけど?w
他にも元就もあちこちの勢力に不義を働いていることは知ってるでしょ?w
尼子残党が随分毛利を手こずらせたことは知ってるよね?
不義なんてどの大名もやってるの。一方だけを酷いとして滅亡原因になんて
してられないでしょ。
61 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 11:11:43 ID:cyFbLfeO
まあ正確にいうと武田の外交に滅亡原因があるならそれだけの因子は毛利も
もってるという事。
62 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 11:30:43 ID:wjEP7caS
信長と武田、毛利を比較したら、話にならんね。
信玄、元就に余命10年プラスしても、勝てんのじゃない?
毛利が本能寺がなければ滅ぶor大減封なんて毛利厨だって否定しないだろうになんでそんなに必死なの?
武田は周囲を不用意に敵だらけにしたから急激な衰退を招いた訳でしょ?
北条だけでも敵にしなければまだ組織的な抵抗もできたろうに。
その点毛利は背後の憂いなく(大友に毛利と戦う余力はない)全力で戦っていけるのが容易に想像できる
訳だからそりゃ毛利の方が評価されるのは必定ってもんだろ。
>>62 煽り乙
64 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 12:17:59 ID:cyFbLfeO
いや、別にそれならそれでいいっての。
ただ耐え抜いたのが毛利の実力だのいうから反論したまで。
敵がいるのは信玄の負債というなら毛利にもそれはあった。
大友の力が減退していたというがそれは別に毛利の力じゃない。
それで評価されてもな。
65 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 12:23:15 ID:cyFbLfeO
さらに毛利も南条、上原、大森、生石、宇喜田と裏切りが
出ており崩壊の予兆は既に始まってる。
高松で秀吉軍にアップアップしてる状態なのに
信長の本隊が到着して戦力差が絶望的になれば
戦線崩壊も十分ありえる。全力で戦っていけるかは疑問。
66 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 12:37:11 ID:d/UDuQ5m
秀吉軍3万に対する高松城に対する全力の援軍が2万にも達してないんだろ?
信長本隊が来た時更なる裏切りが出てくるんじゃないか?
大友に毛利と戦う余力はないといっても、九州方面にある程度まとまった兵力を置いとく必要があるとおもうのだが
本領や各地要所にも国人達の離反を防ぐための兵力を分散させる必要があるだろうし
全力では戦えないんじゃないか?
67 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:04:29 ID:WepV7H0g
元就は別に信玄のように織田に背信かましたわけでもないしな。
戦ったのは完全に子供達の判断
どう見ても信玄とは違うじゃんか
日和見連中が出たのは元就のせいだ!というのなら
主原因を作った信玄のほうがやっぱり死期近くなってボケてたとしかw
68 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:12:28 ID:cyFbLfeO
元就が戦わなかったのもそもそも1571年までの段階では
元就もそれどころじゃなかったというのが大きいな。
その後まで生きてたらどうなっていた事か。
日和見というかちゃんとした裏切りなんだけどな。南条たちは。
尼子残党も大友もちゃんと元就からの確執で織田と呼応してる。
69 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:15:49 ID:WepV7H0g
>>68 信玄だって上杉と既に戦争状態で普通ならそれどころじゃないのに
自分から織田徳川に背信かましたじゃんか
つまり信玄は普通にそれどころじゃない、という判断もできないほどボケてたといいたいの?w
あと何度も繰り返すけど、劣勢を見て日和見したりする連中の話は別に良い
しかし、そういう連中が跋扈する主原因を作ったのは元就ではなく息子達
明らかに自分が禍根を作った挙句おっ死んで息子達に負債押し付けた信玄とは違う。
70 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:16:23 ID:cyFbLfeO
さらにいっておくと信玄の西上作戦の前に信長は
東美濃で武田と織田の両属の関係にあった遠山氏を
完全に織田の支配化に組み込むという事をやってもいる。
71 :
山形義光:2007/07/02(月) 13:17:32 ID:7+wBPIQo
四国勢って毛利とやりあった奴いないの?
72 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:22:12 ID:cyFbLfeO
>>69 とりあえず
>>70も一応見といて。
上杉との戦争なんて特に影響はなかったでしょ。一向一揆を絡みつかせておいた
のだから。実際信玄が西上作戦をやってる間謙信は信玄の脅威になりえなかった。
さらに何度も言うけど大友や尼子はれっきとした元就からの確執で戦っているという事。
さらには当時の有力戦国大名の多くが信長包囲網に参加してる以上
強大な織田と接してそれをどうにかしようという意思は元就にも十分生じえた。
73 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:26:06 ID:WepV7H0g
>>72 時系列をいきなり西進作戦に飛ばしてどうする
話逸らしか?にしては下手すぎるがw
上杉がたいしたことないのなら、信玄自身がガイシュツのような謙る外交してまで織田に仲介してもらう必要がそもそも生じないだろ
で、その織田にさらに裏切りかましたのが信玄
元就はこんな醜態見せてない
74 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:32:22 ID:cyFbLfeO
>>73 ん?「信玄がそれどころじゃないのに織田に背信かました」
といった以上西進作戦の事を話ているんじゃなかったのか?
だからね、北条・上杉が同時に相手になればそりゃ信玄も困る。
しかしもはや北条は再同盟、上杉は越中に絡みつかれてる状態なら
織田・徳川と戦う事もできるわけ。さらに
>>70も見といてね。
あと言っておくけど外交背信による不手際で失敗し将来への禍根を
残したというならそれは元就も同じ。反毛利勢力がいるのに
大友に背信を繰り返して結局やられ、将来にも禍根となった。
75 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:36:31 ID:XJbHSdw3
信玄信者が必死すぎて笑えます。
織田という巨大勢力に喧嘩売ったために武田は滅び、毛利もかなり追い詰められた。
その原因を先代の信玄が背信によってつくり、片方は当代の連中が喧嘩売ることを決めた。
基本的図式はいくら横道に話を逸らそうとすっきりしている。
これで同レベルですよって無理矢理言い立て続けられる神経に驚き。
実像の欠点を認められないのなら、武田ファンなんて辞めたら?
単なる厨だwwwwwww
76 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:53:46 ID:cyFbLfeO
>>75 いや、別に欠点のない人間だなんて思ってないよ。
ただ元就も欠点がないなんて思ってない。
勝頼にも一回信長から和睦を求められたことがあったと思うが。
それならそれも勝頼の責任になるのでは?
とりあえず信玄も元就も次代に禍根は残してるという事。
後継者も滅亡への道を歩んでもいるということ。
77 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 13:56:57 ID:XJbHSdw3
>>76 禍根をどちらも残している、というのは結構。
ってかゼロの大名なんてそうそういねぇw
問題は、信玄さんが残した数億円の負債と、元就さんが残した数百円の負債を無理矢理ごっちゃにしていること。
一般論持ち出すのは結構だが、底意が透けすぎてるぞ。
78 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 14:07:37 ID:cyFbLfeO
数百円だったかな?元就の負債は。
その後織田との争いで結局響いてくる所をみるとそんなに笑えないんじゃないか。
勝頼が信長と和議をして生き残り毛利がそのまま滅亡してたら評価は
逆になっていたんじゃないかね。
正直信玄が北条と争い続けているうちに死去したら織田と敵対しなかったので先見
とかいわれるのではとなると不可解に思うように、元就が争えない状況だったので争わなかった
のを先見とかいわれるのは多少不可解。
79 :
仙台藩百姓:2007/07/02(月) 14:09:20 ID:3QyFK5GR
どちらかと言うと信玄の方がまだマシだお( ^ω^)
包囲網には十分勝算はあったお
何よりこのまま織田の伸長を許していれば
いくら媚び売ってもいずれ食われるのは一目瞭然だお
少しでも先見性があるならば潰せる機会のあるうちに
動こうとするのは至極真っ当な事だお
手を拱いてズルズルと滅びの道を辿るよりは
死中求活で状況打破を狙う方がマシなのは明確であるお
80 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 14:09:57 ID:XJbHSdw3
>>78 都合のよいイフをいきなり複数持ち出されても。
ハァ?としかいえない。
信玄好きなのか、元就が嫌いなだけなのかどっち?
どう見ても感情論。
81 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 14:13:34 ID:cyFbLfeO
>>80 ま、それならそれでいいんじゃね?とりあえず俺は元就は好きだよ。
ただ元就がどう見ても織田と敵対できる状況じゃないのに
織田と戦わなかったから先見とか言われても不可解としか思えないだけだよ。
82 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 14:18:06 ID:y/uCuXRl
元就は国人クラスから一代で戦国屈指の大名家を作り上げ
戦においては武田元繁はじめとする勇将を劣勢の中何度も打ち破り、討ち取った
朝廷外交を重視し、官位官職を高めて威光を加え
老齢になっても先見性は衰えず、天下を望むなと子孫らに的を射た訓戒を残した
元就ほどの大名は、それこそ戦国期数人しかいないトップクラスの武将
比べられる信玄が気の毒
地方制覇未満レベル大名としては信玄もそう悪くはないのに
83 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 14:22:21 ID:cyFbLfeO
天下を狙うな、って本当にいったかどうかは疑問視されてなかったっけ。
当時は毛利も大忙しでそんな悠長な事をいってられる状態じゃなかった
と聞くけどな。
84 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 14:25:49 ID:y/uCuXRl
信玄が元就に勝っていないということを認められず
なんやかんやと文句つけずにはいられない武田厨
言うに事欠いて、思うとか伝聞とか
これはかわいそうな、と生暖かく見守るべきか?
メガトンといい、武田厨って面白い人が多いね
85 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 14:28:07 ID:cyFbLfeO
んじゃとりあえずその当時の資料でその言葉を言ったとされる資料って
なんかあるの?江戸時代に毛利が関が原とかで消極的だったことから
造られた話じゃないの?
86 :
長門 ◆q8GdomS4XA :2007/07/02(月) 14:37:11 ID:mmurkD5D
尼子残党ってワードが何回も出てるけどもう一定度全滅してるんじゃない?
信長が見捨ててね。
これ以上誰を担いで尼子を名乗るの?
87 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 14:48:42 ID:cyFbLfeO
尼子残党が信長に見捨てられてやられるまで毛利を手こずらせたことは
毛利の戦力を消耗させるのに役立った。
結局尼子がやられた後で別所も追い詰められて行き、
一年後には宇喜田の寝返りも起きるし、中国戦線は織田が押していく。
信長にしても尼子は捨て駒としての役割は十分果たしたし
毛利にしてみればそれだけマイナスだった。
88 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 17:50:51 ID:YY0Kfnz3
>>71 来島
備中境目の争いは3月下旬〜6月4日だが、隆景は4〜5月にかけて来島村上と戦っていて、
結局決着がつかないうちに隆景本人は高松救援に向かい、着陣したのが既に築堤し終わり高松城包囲の完成していた5月21日。
大友にも長門勢の大半と周防勢の何分の1かを割いていて、美作・備中半国も空にはできないため後詰には参加していない。
89 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 17:51:20 ID:s6f5HOVz
>尼子は捨て駒としての役割は十分果たしたし
そういう非常さが、荒木、小寺、別所などが謀反し、
やがて本能寺で倒れる結末になったわけだが
90 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 19:06:56 ID:lccm5xWx
↑
誰か日本語訳よろしく
91 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 19:15:47 ID:d/UDuQ5m
>>90 他のスレで本能寺が起きた原因=信長の教養の無さって珍説立てた奴いたじゃん
>>89はそういう事が言いたいんだと思う
92 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 20:11:30 ID:L+pCY7vb
>>70 一応いっておくと、遠山氏を両属でなく直接支配しようとしたのは武田も同じ。
どちらが先に手を出したかというのでなく、どちらが先に成功したかという問題だな。
それと信玄は、信長が遠山氏を直接支配におく以前から将軍や本願寺や松永と連絡を
取っている。この点を信長がどこまで知っていたかは判りませんが、信玄の織田への
敵対の決意は結構はやい。
93 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 21:11:24 ID:SxCcuoIP
本能寺の変がなければ信長は備中高松で討ち取られ、織田家が一気に崩壊しただけ
94 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 21:20:48 ID:/wPqEaii
しかし次代への禍根の話をしたら有名所は軒並み最悪に近いんだが。
御館の乱の謙信に本能寺の信長。
秀吉は言わずもがな。
暗君一直線の大友宗隣や新宮党の乱の尼子晴久。
信玄や元就の残した過言など、まだかわいいもんだ。
95 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 21:29:54 ID:hdEP9dh9
高松城のときは九州と四国方面も不安定で
全力救援できなかったそうだ。
個人的には秀吉以外の信長の部下が攻めてきたら
どうなっていたか楽しみ。
96 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 21:41:53 ID:SxCcuoIP
滝川や信忠や柴田だったら毛利に勝てなかっただろうな
97 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 21:43:07 ID:lccm5xWx
変なのが沸いてきたな
98 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 21:52:13 ID:/wPqEaii
正直秀吉じゃなきゃ勝てなかったでしょ。
水攻め+早期救援要請を他の武将にできたとは思えない。
佐久間氏の末路を見た後、結果ださないうちに救援要請出すような度胸など…
99 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 21:56:48 ID:SxCcuoIP
秀吉だって毛利に勝ち切れなかったからな
特に秀吉は元春にびびりまくり
100 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 22:01:37 ID:/wPqEaii
〉〉99
嘘は良くない。
鳥取高松とも秀吉が完勝したんだから。
101 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 22:20:24 ID:Xf6C2Dk9
>>98 どう攻略すればいいのか分からないなら聞きにくればいいのにそれもしない
と、言ってるところから失業者なら支援するが、ニートなんぞに飯食わせるかという感じ
>>96 この時一応秀吉の上司は信忠じゃなかった?
103 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 14:29:45 ID:lEIM5TaO
>>99 元春? プッ 秀吉が出るまでもなく、黒田孝高と羽柴秀長ペア十分ですがなにか
104 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 17:26:43 ID:NHRkvBcM
てかなんで元就と信玄の比較なのに元春とか秀吉の話なのかと
105 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 20:50:35 ID:qNISCvpb
元就には負けるから秀吉や元春と比較してるんだろ
106 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 20:52:29 ID:D07nnL/c
誰も秀吉や元春を信玄と比較してない件について。
107 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 21:05:22 ID:CF/vD9FG
ちなみに、秀吉より黒田の方が強いがなw
108 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 22:35:09 ID:Jt59ZleF
ブッちゃけ
元春>>>>>>信玄
隆景>>>>>>信玄
元清>>>>>>信玄
輝元>信玄
109 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 22:42:38 ID:D07nnL/c
煽り乙
110 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 22:53:15 ID:Jt59ZleF
信長と戦い、侵略を耐えたことは素直に評価してよいよな
武田なんて蹂躙された挙句滅亡で当主の首晒されて惨め
毛利は本領に足を一歩も踏み入れさせなかった
111 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 00:00:37 ID:/nBFoj3b
本能寺なけりゃ時間の問題
112 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 00:08:50 ID:PRuNfaxB
そう考えるのが普通だよね
113 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 00:14:04 ID:DdPJVALh
黒田如水や宮部継潤の言葉から小早川や吉川がいかに偉大だったかわかるな
彼らは悟っていたのだろうな。両川が健在の毛利には勝てないと
114 :
仙台藩百姓:2007/07/04(水) 00:16:03 ID:iRx6Satl
勝頼が一人ではっちゃけてたお陰で矛先が武田に向いたわけだし
毛利は武田と光秀に足向けて寝れないおね( ^ω^)
115 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 02:47:11 ID:tuibCEtI
毛利は遅かれ早かれ防長2ヵ国に閉じ込められる運命
出雲石見は明智光秀に約束された領地
116 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 07:17:09 ID:tFTdmLqq
>>110 安芸の山かよ、本領って。
というかさ、毛利と武田は信長と戦い始めた時期も違うし、第一スレタイは元就と信玄だし…
117 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 07:54:54 ID:7LQxP8sa
もともとの話の流れが、信玄の晩年の裏切り行為が家を滅ぼしたんだっていう批判に対しての話逸らしだからなw
武田厨はスレを見ればわかるとおり馬鹿の見本市なんで、スレ違いでは? というマトモな意見は何度も出たけどスルーしているよ
118 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 10:49:38 ID:tuibCEtI
119 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 11:11:41 ID:vG/vcNIB
このスレで武田側の立場に立つと、連日ループしてるやつとか、メガ豚とかと同一視されそうでヤだ。
120 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 12:15:20 ID:fH8JiNLi
毛利十八将
赤川元助、天野隆重、粟谷元親、
粟谷元秀、飯田元親、井上元兼、桂元澄、
吉川元春、口羽通良、熊谷信直、
国司元相、児玉就忠、小早川隆景、志道広良、
宍戸隆家、福原貞俊、吉見正頼、渡辺長
以上だけど、元就の身代わりになって討死した渡辺通とかは入ってないんだねー
121 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 12:20:04 ID:fH8JiNLi
武田二十四将って、絵図によって違いがあるから固定が難しいんだよね
最終的に裏切った武将を跳ねて勝頼を入れたりとか
122 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 13:40:16 ID:6XRy3M3M
123 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 14:10:51 ID:lc8NS/BW
>>117 毛利厨がかなり必死になってると思うんだけど・・・。
124 :
116:2007/07/04(水) 14:33:20 ID:tFTdmLqq
>>117 武田が滅んだから毛利の方が上って主張する一部の毛利厨の仕業だろ?
白を切るのもいい加減にしろよな。
125 :
仙台藩百姓:2007/07/04(水) 15:14:39 ID:iRx6Satl
>>120 なにこれ
全国マイナー武将ベスト18?(≧ω≦)プーッ
126 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 16:06:38 ID:tFTdmLqq
>>125 鈴木宗…いや、男じゃなくてさ、何かいたじゃん、伊達の…
誰だっけ?まあ桂も陶晴賢をだまくらかしてウザい、という程度の認識の俺だ、許せ。
127 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 17:44:09 ID:sDHPnX+q
清水宗治
128 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 22:28:00 ID:FOTcGxqK
両者を比較して、俺は思う。
内政
信玄>元就
外交(謀略、対外戦略含む)
元就>信玄
戦術(戦場指揮能力、戦術)
元就>信玄
野心、野望
信玄>>>元就
釣りという悪意は、毛頭ない。
話を本流に戻すためにも、大いに批判を求む。
129 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 00:24:33 ID:L9zyUrDh
元就は謀略で合戦の巧さが誇張されているが、多分信玄以上ではない。
ただその信玄自体どちらかというと戦略に重きをおいていた訳で…
130 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 01:01:30 ID:GY6IGkxz
>>128 野心、野望が意味不明
どういった基準・根拠で評価したんだ?
131 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 01:12:02 ID:lU+GKtaM
俺的には、天下への野心
信玄>元就
領土欲
元就≧信玄
てな、感じかなぁ?
132 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 06:55:10 ID:UW7RtN+W
本見てみると、元就は実戦指揮の達人という印象をうける。謀略家だと思っていたが、かなりのいくさ人だな。
武田は実戦で神だとイメージしてたが、実際は勝ち易きに勝つ堅実な人物だった。大変な名将
なんか異論ある?
133 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 11:46:28 ID:PSuC5flc
だから神なんだろ?
134 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 12:36:57 ID:hnbQ1GfB
実戦だと信玄は自分より兵数も少なく、体勢も悪い敵に何度も打ち破られ
あやうく殺されかけたことが何度もあるからね
勝ち易きを勝つって断言しきれない
むしろ、そこまでやっても躓くことがあるから
実戦指揮は苦手だったんじゃないの?
元就死にかけるような大敗したのって大内についていった遠征以外他にないの?
136 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 16:01:30 ID:2TaOUG2C
有田中井手は死にかけたんじゃないの?
三倍ほどの敵と正面からガチ
137 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 16:20:33 ID:lU+GKtaM
138 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 17:26:44 ID:Ky4MD3Aj
武田信玄の負けと言う戦は、上田原と砥石だが
これって先鋒の板垣の深入りでの討ち死にと、殿の横田の戦死だから
信玄は関係ないと思うんだが?
先鋒が勝手に深入りするとか、殿が死ぬとかそれは
その武将自体に問題があるだろ。
上田原は本陣が敗走したのは村上の方だし、砥石は
長い砥石城の攻城戦後の撤退中に受けた追撃だろ。
そんなに言うほどの敗北か?
139 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 17:35:28 ID:wUZHI8GW
そういうのを統率するのが大名・指揮官の仕事な訳だが
140 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 17:35:35 ID:Ky4MD3Aj
あと、思うんだが、
兵力の多い相手を打ち破るとか言っても、そのほとんどは
油断とかを奇襲するということであって、
軍団指揮が上手いとか野戦指揮能力があるとか、そういう話には
ならないと思うんだよな。
141 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 17:42:14 ID:Ky4MD3Aj
あれ?ウィキの砥石見ると、横田が攻城戦中に死んでるな・・・。
最近の研究で話が変ったのか。
142 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 18:21:57 ID:UW7RtN+W
>>140 アホなのかキチガイなのか知らないがあまりバカなことは言わない事だ。
おたくメガ豚かい?
143 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 18:39:15 ID:M61TLVW3
>>140その油断を見逃さずに攻撃を仕掛けて撃ち破るのも野戦指揮能力だろが。アホかお前は。
144 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 19:03:23 ID:PBOvcZhT
両方とも采配に長けているとは思えない。ガチンコで衝突して勝ったor負けた戦い無いからよくわからないけど。
奇襲は能力の一つではあるが、だからといって信長が野戦最強かって訳ではないだろ?
そういう意味で、元就が純粋に野戦上手いかっていうと違うと思う。信玄も微妙だし…
145 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 19:39:38 ID:ZzLT4yS0
元就の戦の醍醐味は、合戦自体も面白いが
合戦前の謀略・調略・情報戦にあると思うのだよ。
146 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 19:41:21 ID:UW7RtN+W
>>144 元就の野戦どれだけ知ってるんだ?
元就が弱いなら戦国に人無しと言っても過言じゃない。
147 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 20:11:56 ID:mZmpBuer
>>145 その通りだよな。槍を交える前に、
勝負を決めておくのが名将というものだ。
148 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 20:40:40 ID:TyL2pnIl
最も良いのは殆ど合戦をせずに勢力を広げる事だからな。
誰かは200戦以上してるみたいだが。
149 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 21:50:02 ID:mZmpBuer
150 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 22:07:02 ID:M61TLVW3
まあそりゃあどっかの誰かさんみたいに最初から大兵を率いていたわけじゃねえんだしなぁ。
尼子と大内との間で揺れる一国人に過ぎなかったんだし。
151 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 22:38:22 ID:h74wBrkY
>>148 というかどこまでを元就の戦いとするか。
また、合戦と扱うかで数が全然違う。
例えば郡山城篭城戦。1戦とも7戦ともカウントできる。
(大田口の合戦・広修寺の合戦・祇園縄手の合戦・坂豊島の合戦
青山土取場の合戦・宮崎長尾の合戦+五龍城防衛戦)
郡山城篭城戦なら元就指揮の戦となるが、大田口以下の合戦は元就指揮とは言い難い。
152 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 01:11:08 ID:LTK1Nn0A
俺が、一豪族だったら、信玄よりも、元就を選ぶなぁ…。
元就の方が、勝ち馬っぽいし、部下思いじゃね…かなぁ?
153 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 01:56:40 ID:ht6FJzzT
家族としては義弟殺し、子供は人質・養子のための道具。
幾人もの重臣や配下豪族が謀殺され(桂・渡辺・井上・吉川・小早川・本城・赤川・和智 etc)
・・・だめじゃん
154 :
長門 ◆q8GdomS4XA :2007/07/06(金) 02:24:22 ID:bs54+l23
>>153 親族を他家に送り込み戦力をほぼ無傷で手に入れるなんて最高の戦略だろ。
これはやってない大名よりやってる大名の方が多そうなんだが?
っというかそれはほぼ全部信玄にも当てはまり挙げ句信玄はそれらが比較的裏目に出てるんだが?
どう思うよ?
連レスですまんが元就が負け戦で死にかけたのって第一次月山遠征帰りの追撃戦以外ないの?
大友との戦い以外であんまり負けたって話しを見ないんだけど
156 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 02:44:12 ID:hCrcGi6f
>>155 降露坂の戦い、でググってみるといい。元就が本城に敗れた戦いだよ。
元就も危うく死にかけ、七騎が身代わりとなって戦死したとか。
毛利家が戦略目的をつぶされた戦いとしては有名な忍原崩れと府野崩れ。
相手はいずれも尼子。
157 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 02:45:26 ID:hCrcGi6f
>>154 比較的裏目にでてるかな?そうでもないと思うけど。
158 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 06:58:26 ID:Rc1lmuQ2
なーんだ元就って結構負けているのね
元春と元就生涯無敗ッテ聞いてたけど大嘘じゃん
信玄の方がまだ負け戦は少ない
さすが誇大広告王毛利家だな
159 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 07:26:40 ID:9VPrGQFg
>>154は諏訪を継いだ勝頼のことを言っているのかな?
小早川の事は棚上げかい?
160 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 07:41:34 ID:T8A8/JJh
161 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 08:05:51 ID:7Y26OE5N
どう見ても信玄のほうが負けてるし
最近は武田厨の煽りにささやかなキレすらなくなってきた
162 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 09:52:27 ID:lN6bdakb
163 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 09:53:12 ID:lN6bdakb
>>158 普通に負けてないじゃないか。武田キチガイの方の煽りなのかな?
164 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 13:25:59 ID:BZRyZ81f
信玄はといし崩れと村上相手の戦(名前ど忘れ)以外はあんま負けてない気がする
小田原も落とすのが目的じゃなかったし、川中島も引き分けとみるのが妥当じゃない?
ただ華々しい戦功を重点的にみるならば元就に軍配だろう
165 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 13:30:39 ID:OgXpu40X
上田原のほうが戸石崩れよりはるかに酷い負けじゃないの?
まぁ細かい負けが知られていないのは双方共通だけども
166 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 18:05:36 ID:MurA0Fw9
極論を言ってしまえば
5勝0敗の将より、9勝1敗の将の方が有能なのではないかね。
本当に単純化した上での比較だけど、0敗が+4で1敗が+9という計算になる。
だから負け数を気にしたりするよりは、戦功で比較するという方が自然。
信玄の場合はそういった戦術比較以前の段階、戦略において
負けても大丈夫な状況を作ってから領土を広げていったという部分が評価されてるのは最もな希ガス
戦術の比較になると戸石崩れとかマイナス材料なんだけど
戦略考えたら、あんな酷い負け方しても大丈夫な条件を作ってる信玄は凄いからな。
んで、元就の戦術が神なのは、勝率どうこうでなく有田合戦と厳島合戦での勝利で
有り得ない程の大きな効果を上げている事。
それこそ上田原や戸石崩れ並の負けをやらかして、重臣の二人や三人死なせちゃってたとしても充分お釣りが来る。
なんせ自分の数倍の国力を有する総大将を死なせてるんだから。
むしろ元就は逃げ上手な方で(あるいは部下が身代わりとなって助ける人徳か
敗戦による決定的な痛手は蒙ってない部類に入ると思うんだが、どうだろう?
意見をまとめると
戦術を戦略で引っ繰り返して勝利する信玄と
戦術で戦略を引っ繰り返して勝利する元就といった所かな。
167 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 18:18:56 ID:PDYZBfmR
元就を守って死んだ渡辺通もカコイイが
詮久(後の晴久)を逃がす為に敵陣に突撃して散った尼子久幸もカコイイ
168 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 19:41:32 ID:GTCVFifH
尼子晴久は結局、大名としてどんな活躍をしたんだ?
169 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 20:34:12 ID:PEVaTNjR
大名は小戦に負けても大戦では勝てて、どれだけ勢力を拡大できたかが重要だと思うんだ。
「どこどこで負けたから〜」とか言ったら、中国の英雄(三国志の曹操とか)とかも皆雑魚になっちゃうだろ。
ならば、毛利の方が優れてるといえないか?
信玄は大きな戦を繰り返しても結局大勢力との戦いは制せなかったんだから。
ちなみに毛利の周りは雑魚とかいう反論はなしだよ。
毛利に呑まれたから弱いということになったんだから。
それだけ毛利が有能であったということになると思う。
170 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 21:10:24 ID:jTBXarYO
相手が上杉謙信、北条氏康、織田信長だからな。
中国地方とは敵のレベルが違うんだよ
171 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 21:40:14 ID:3XrTVuhJ
毛利に呑まれる以前から弱体化や混乱が始まってただろうが。
だからこそあんな調略が成功したんだよ。
磐石の態勢の大友には劣勢だったことがそれを示してる。
172 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 21:57:13 ID:xDvkYOuy
>>170 ( ´,_ゝ`)プッ
相手が小笠原長時、諏訪頼重、村上義晴、長野業正の
豪族レベルの間違いだろ
173 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 23:06:45 ID:U6Jjd5RG
>>171 それいったら諏訪氏や小笠原氏は有能だった先代の死後衰退が始まっていたと言えるし、
今川なんてあからさまじゃん。
174 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 00:26:21 ID:UiNEKTpi
とりあえず信玄厨の頭の中では元就の敵は雑魚で信玄の敵は強いんだな。
まぁ謙信と義元と信長くらいしか大名の名前すら知らないんだろうけど
>>171 >>磐石な大友
ズコー
ヽ(・ω・)/
\(.\ ノ
大友家臣とか内乱起こしまくりなんだけどねww
九州への毛利の干渉も大友にまとまりがなかったからでは?
弱体化・混乱
大内→陶への政権交代はある意味奇跡に近いくらい混乱を最小限に食い止めれてると思うがどう思うか俺は聞きたい。
しかも大内・大友との争いを無くす一石二鳥な戦略は見事。
尼子も粛清の影響を感じられないし。寧ろ次代の暗愚が致命的。
今川氏真が出てきたと例えるのがよいかな。氏真に失礼だけど。
176 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 10:38:47 ID:TtjOf2ad
後々まで北九州では毛利・島津・大友それぞれの系統のバックアップを受けた有力国人層が争ってるしね
これは上野と同じだが、緊要地かつ古くからの名族が根を張る場所へのアプローチは難しいね
今日こっちの味方でも明日はあっちにつく、なんていう傾向が凄く大きいから
177 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 13:12:08 ID:J3ixyXej
>大内→陶への政権交代はある意味奇跡に近いくらい混乱を最小限に食い止めれてると思うがどう思うか
あれは普通に晴賢スゲーと思ふ
178 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 14:47:49 ID:Eu8jO7y5
大内尼子大友はじめ処々の勢力を弱小って?ゲームのやりすぎたじゃないのか
それに、弱体化してたから〜みたいな事いうやつ頭悪いのでは?
弱体化につけこんで勝利するのは見事な戦略だよ
武田信玄が勝てる戦に勝つ主義も見事なものだ。正々堂々やったらどうとかって、ガキみたいなこと言うなよな
179 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 15:29:32 ID:azu6AxKM
毛利厨は対大友、対秀吉のことを持ち出されると沈黙しちゃうね
そりゃー一方的に嬲り殺されたのだからしかたないが
180 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 16:34:45 ID:Jz7v/mR/
>>179 まるで、武田厨が対織田のことを持ち出されると沈黙しちゃうと同じだよな。
そりゃー一方的に嬲り殺されたのだからしかたないが
181 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 16:50:58 ID:azu6AxKM
>>180 武田は対織田徳川で結構善戦してますよ
もっとも信長を追い詰めたといっても過言ではない。
何人も有力武将を討ち取っているし
一方の毛利は秀吉に何人も重臣討ち取られているw
182 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 16:55:59 ID:7NKx/5DN
織田・徳川VS武田で織田方が死んだ武将なんて平手なんとかぐらいだろww
武田なんて長篠1回で織田に高坂以外の重臣皆殺しにされたからな しかも高坂が生き残った理由が参軍しなかったから
武田厨の妄想力は凄いな
183 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 17:12:56 ID:azu6AxKM
吉川経家や清水宗治がかわいそう。。。
184 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 17:23:03 ID:+0omzwDN
経家の鳥取城城主は雇われ城主だからな
それまでの城主が家族人質にとられて降伏を
決めたけど重臣達から総反発くらって夜逃げ・・・
重臣が毛利に新しい城主を寄越してくれと懇願
最初は別の人を送る予定だったけどごねられて
経家送る事になった。
秀吉としては、鳥取城落としたと思ったのに
降伏した城主が家臣に追われて夜逃げしてくるんだから
当てが外れたと思っただろうな。
185 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 17:26:52 ID:7NKx/5DN
鳥取城は中身が揃いも揃ってバカ揃いだったからな
城主の山名豊国はなかなかの人物で時流も読めていたが(普通に考えて妻子人質に取られたから裏切るはねーよ)他がバカで逃げ出した
吉川経家が来た時には兵糧が織田方にだいぶ売られていた そして兵糧攻め
秀吉は切腹すること無い と止めたらしいけど当時の人にとって城を落とされて国にノコノコ帰るのは恥だからな
186 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 17:29:24 ID:azu6AxKM
みすみす一族を見殺しにした毛利はアホだな
元春なんて秀吉にビビッて鳥取城に救援にいけないんだもんな
187 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 17:36:53 ID:Jz7v/mR/
>>181 もっとも信長を追い詰めたのは明智光秀でしょ。
その次は、今川義元かな。
浅野長政も金ヶ崎できわどいとこまでいった。
なんせ信長が京に帰還したとき、従う者はわずか10名って話だからな。
あと姉川の戦いもあるし。
他にも長島の一向一揆がもあるし、信玄なんてその次以下じゃね?
188 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 17:40:09 ID:7NKx/5DN
浅野長政・・
信長を追い詰めたランキング
1位:今川義元(文句無し!)
2位:朝倉義景(国力4倍の差がある織田を何度も追い詰めた)
3位:本願寺(朝倉とどっちを上にするかは迷うところ)
>>179 正直な話し最盛期の大友にそんな簡単に勝てる訳ないだろ。
信玄がやらなかった大国同士の戦だぞ?
義元・氏康が最大期の時に信玄が比較的短期でこいつらの領土奪うのは難しいだろ?
あの「一時期」の宗麟の采配は元就を越えてるよ。
あの「一時期」の輝きがあるからこそ宗麟は言いたくないがゲームでかなり評価高いんじゃないか?
因みにこの時期は龍造寺も大友に降ってる、阿蘇・伊東・相良は親大友って事で九州じゃ無敵だよ。
一応九州探題だしね…。格も名も大友が遥かに上。
尼子の蜂起がなければ九州の戦国史はもっと面白かっただろうね。
>>181 毛利も織田に善戦してますよね?海戦では一度圧勝してる訳で。
本願寺を支えた訳で少なくとも織田をかなり苦戦させてるよね。
>>183 また輝元次代の話し?
勝頼時代の武田親族も可哀想なのがいっぱいいますね
>>186 高遠見捨てた勝頼はアホっていってるのと同レベル
190 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 19:57:18 ID:vl7+AAJR
武田厨は何度同じネタで煽ってループさせる気だ
191 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 20:05:04 ID:Jz7v/mR/
>高遠見捨てた勝頼はアホっていってるのと同レベル
そのころは勝頼自身が見捨てられてたしな
192 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 23:46:21 ID:5ZOfFVYn
元就は大友に対して信玄が北条や上杉に勝った程度には勝っているけどな
最終的には豊前筑前の一部を領する程度になったとはいえ
信玄が上杉から奪った北信濃、北条から奪った駿河とそれほど変わらない
なのに元就が大友を滅ぼせなかったことをもって勝てなかったと言うのであれば
武田も北条上杉に勝てていないと言うことになるのに
193 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 08:25:04 ID:kalVcAz2
>>186 ちゃんと吉川は鳥取城に救援の部隊を派遣してるぞ
鳥取城の籠城戦が始まったのが7月10頃で7月下旬に
嫡子元長を派遣してる。
秀吉も毛利の援軍の足止めする為に部隊を派遣して対抗してる
元春は元長の増援要請をうけて9月下旬に出陣してる。
鳥取城の落城が10/25だから救援部隊到着まで
鳥取城が持たなかった。
194 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 09:50:35 ID:Ptq02DtH
吉川親子が鳥取城に間に合わなかったのは、伯耆の南条氏が敵対したため。
195 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 13:01:02 ID:J4zBx8WT
196 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 14:15:32 ID:8p1iSF+i
吉川元春は秀吉に戦略的に大負けしてるじゃん
何が無敗だよ。雑魚じゃん
197 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 14:16:17 ID:8p1iSF+i
董卓=信長
曹操=信玄
198 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 14:18:21 ID:Sg34X9JG
>>178 弱体化に付け込めないほど元就がバカだったらそもそも信玄と比較されないだろうしな
199 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 16:19:28 ID:IHHpRnVX
無敗云々とか、生涯数敗って大抵はインチキだからな
その武将が直接戦場にいなかった戦いはカウントしなかったりとか
で、貶めたい武将を対象計算にするときは、本人がいない負けでも加えるとw
信玄の勝率九割、信長七割説なんか露骨なまでにその例
200 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 16:27:27 ID:8p1iSF+i
毛利元就や吉川元春の戦の強さなんて過大評価もいいとこだよな
201 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 17:12:46 ID:XodJD+ge
202 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 17:31:50 ID:ajYAk1we
信玄の強さっていうと、二倍以上に兵力でかかりながら村上や長野にボコボコにされるレベルだからな
一度なら相手のまぐれともいえるけど、何度もやっちゃってるからなぁ
後世の、徳川マンセーのために余禄で過大評価されちゃってる武田家
ある意味ストレートに評価されない不幸がついてまわる
203 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 18:01:22 ID:8p1iSF+i
あの家康をボコボコニしてるんだから信玄は強いことは間違いない
家康を追い詰めた武将なんて他にいないわけだし
204 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 18:16:55 ID:hS+9ytpx
>>201 なんで信玄=韓信なんだ?過大評価しすぎだろ!!
と思ったら韓信ではなくて韓玄なのねww
205 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 19:14:23 ID:/yeJa7lB
206 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 20:11:01 ID:xGRJGbN0
>>202 上田原の戦いが2倍以上の兵力差?長野にボコボコ?
捏造ならもっとうまくやりなww
>>205 合戦の結果は当然だがその兵力差にもかかわらず合戦に引きずりこんだ手腕こそほめるべき。
もともと家康は篭城しようとしていたのだしな。
207 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 20:31:16 ID:r5OCIhQE
>合戦に引きずりこんだ手腕
織田と同盟してんだから黙って見てるわけにはいかないだろうが、家康はむしろ信長に
びびっていた
208 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 20:38:20 ID:xGRJGbN0
>>207 その信長からは篭城しろと言われていた件w
209 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 21:24:39 ID:O7l6yCFh
なら野田城でも引っ張り出して叩けよって話し
小田原でもあのまま引っ張り出して叩けば、そのまま駿河どころか伊豆相模も手に入ったぞ
箕輪城も同じく、何年もかける必要なかったのにな
結局武田の挑発に乗った徳川部隊の突出が原因なんだから、それを制御しきれなかった徳川の失点でありこそすれ、別段武田を褒めるようなことじゃない
それとも徳川のこのときだけえげつない挑発でもしたのか?
あんまり思いつかないが
210 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 22:14:33 ID:xGRJGbN0
>>209 >なら野田城でも引っ張り出して叩けよって話し
小田原でもあのまま引っ張り出して叩けば、そのまま駿河どころか伊豆相模も手に入ったぞ
そういうのを屁理屈と言うんだよww
>結局武田の挑発に乗った徳川部隊の突出が原因なんだから
三方ヶ原台地での話しなら、あの時点で撤退できるわけねーだろw
その前の浜松城から引っ張りだした話だよ。
それとも浜松城から勝手に出陣した部隊でもいたのかよwwそんなの初耳だけどな
211 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 22:18:11 ID:O7l6yCFh
>>210 ならなんで徳川のときだけ都合よく挑発でつり出せたんだ?
納得いくように説明してくれ
212 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 22:27:25 ID:Y20PL0sX
三方が原は戦略的に見てみたら家康の判断は妥当
信長の言うとおりにしてたら遠江での支配力低下は必至
別に信玄が引っ張り出したわけじゃないww
領主は民を守るのが仕事であり民は安全・富を享受する変わりに税を払う。
織田に籠城策を勧められても領主としては一戦やって領主の立場を見せる必要性があるわけだ。
只でさえ一向一揆を経験して領民の統制に躍起に成っているのにこれを
見過ごしては例え信長の作戦は成功して武田に勝っても後に禍根を残すことになる。
ここでは上手く家康をボコった信玄は中々ここでは上手くやったと思うが。
家康もちょっとどつくつもりが……って感じだったと思うが。
214 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 22:57:11 ID:kalVcAz2
家康は勝算あって出撃したんだろうけど
数が劣ってるのに包囲殲滅しようと鶴翼の陣で攻撃かけたからな
丘の上で魚鱗の陣に陣立てを変えて待ち構えられてるとは
思わなかったんだろうなw
215 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 23:44:32 ID:XodJD+ge
>>212 >三方が原は戦略的に見てみたら家康の判断は妥当
それこそ屁理屈だろ。
単騎で命からがら逃げなきゃならんくらい、
ヘタすりゃ死んでたわけだから、無謀というべき
216 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 00:33:08 ID:Mz4cUA8g
個人的な評価では
出撃して武田と戦おうという姿勢を見せたのは政治的には正しい判断。
しかし深入りしすぎて多大な被害を出してしまったのは戦術的に失敗。
217 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 07:15:11 ID:JBfz7kvk
>>215 だから戦術的には負けたんじゃないか
ただ、三方が原は武田の大勝といっているが実際のところ死んだ武将は織田の平手ぐらい
家康は死にかけたけど、重臣クラスは全く死んでない(酒井、石川、本多あたりは普通に生きてるし)
大勝というなら長篠みたいに重臣皆殺しにするか、一乗谷のように相手大名まで勢いで殺してしまわないと
218 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 09:35:14 ID:T4n0uarM
おまえらもうやめとけ
武将貶めるレスは全部メガトンだ。ちゃんしたレスしろよ、できないならROMってろよ
219 :
山形義光:2007/07/09(月) 09:46:40 ID:LRaIueEY
カクヨクの陣だと後方は逃げやすいとか?
あれはどうなの?
220 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 11:22:41 ID:/sddX87Z
>>217 さすが毛利厨、敵方を取り込むことせず殲滅がデフォ。
尼子残党を農民使って鉈や鎌で惨殺、怨霊がその土地に居座り
津山事件を誘発したのも全て毛利の仕業
221 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 12:51:29 ID:JBfz7kvk
カクヨク陣とかいう厨房な話もやめろ
あんなの実際にあったわけないだろ
兵士は農民だし 大体そもそもわざわざ陣形とかいうのを使う必要もない
222 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 12:53:56 ID:T4n0uarM
陣形はあるよ。ただゲームイメージで思ってるのなら、たしかにそんなものはない。
陣はあるでしょ
実際使われるのは2、3種って話しらしいが。
それとゲームみたいに劇的な効果は無いってことだね。
224 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 13:04:35 ID:JBfz7kvk
そりゃ関ヶ原の西軍みたいなのはあっただろう
でもそれ以上のはまず無い
カクヨクの陣っても長篠の織田みたいに横に長く軍を並べてるぐらい
後付けで魚鱗だのカクヨクだの呼んでるだけ
225 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 15:11:50 ID:UQMK5Swi
毛利は降伏した尼子当主の義久を生かしたまま客分として扱ってるじゃないか
降伏した義兄・諏訪頼重を騙し殺した信玄と一緒にするなw
226 :
山形義光:2007/07/09(月) 15:13:51 ID:LRaIueEY
嘘っぱち次郎三郎め
227 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 15:56:47 ID:41OIblZN
遅レスだが
>>179 対大友は戦術的には毛利が勝ってるだろ。
終盤は特に毛利方が連勝してんぞ。両川を投入した成果だろうが。
和議締結に関しては、本領の中国にて尼子残党の蜂起があったのが大きいし
毛利の九州への侵略失敗を全て大友の功績とするのは疑問が残る。
大友の勝ちと主張するにしても、戦略的に見た場合での結果論だろ。最終的に婚姻結んで和睦してんし。
ま、外交手腕では普通に宗麟>元就だったんだろーと思うがね。
なんせ戦場での負けによって奪われた九州の領土を、外交によって奪い返したってんだから
宗麟の駆け引きに関する能力は図抜けてる。
尼子残党の蜂起、足利将軍家の権威、と利用出来るものは全て利用して毛利の弱みに付け込んでるからな。
こと戦術に関してなら、門司城における小早川隆景の活躍なんかは見事だよ。
隆景は本質においては政治家だったんだろうけど、軍略もスゲーよな。
228 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 16:38:56 ID:B4iYE1T9
>外交手腕では普通に宗麟>元就
あれはサッサと大友と和睦して、内乱鎮圧に取り掛かった元就の判断も褒めるべきだとオモ
所詮九州は戦で一時的に奪った土地、和睦して大半を返してもプラス5がプラス1になるだけ。
だらだら未練を残さずに奪った領土を返上し、内乱鎮圧にも成功して失う物の無かった毛利は戦略的にも負けたとは思えない。
戦で負けてた宗麟が外交によって引き分けに持ち込んだって所だろ。
元就が明確に敵対した大勢力、尼子、大内、大友の中で元就に滅ぼされなかったのは大友だけ。それで十分。
229 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 03:10:37 ID:9Y1yyzaE
>>228 元就が九州に攻め込んだ目的ってご存知?博多がほしかったんだよ。
で、元就は博多を手に入れることができたのかな?
戦略と戦術、戦争と戦闘の違いを理解してからどうぞ。
230 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 06:58:02 ID:HovTYsuG
じゃあ大友の狙いは博多を守る事のみで、他の領土は毛利に奪われても良かったのか? という話になるぞ。
戦場においては毛利が勝利し領土を侵食していたからこそ、和議の段階で大友に返還する領土を有していた訳で。
戦前との領土比較を行えば、毛利は北九州の要地である門司城を奪い取ってる。
それは大友から見ればマイナスの結果であり、毛利から見ればプラスの結果。
「とにかく博多を奪えなかったら負け。博多さえ守れば他の領地奪われていても勝ち」なんて事はないだろ。
大友は領土を失ってるが、毛利は大部分を返還してもなお領土を増やしてる。
俺に言わせりゃ毛利の判定勝ちだが(もちろん博多まで手に入れてりゃ完全勝利だ)
失った領土の大半を取り戻し、和議を結んだ大友の外交戦術を考慮して引き分けが妥当だろう。
231 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 08:35:21 ID:wdTTL7lw
信玄はなんで駿河攻略時に、既に今川と北条を敵に回したのがわかった時点でさらに徳川に不意打ち奇襲くらわしたの?
桶狭間以来のゴタゴタで実質壊滅状態の今川はともかく、既存の敵に加えて徳川北条を敵に回したら大ピンチになることぐらい、わかるよね
信長に「あなたに見捨てられたら信玄は滅亡です」と講和仲介願い出したけど、単独講和能力すらなくなってたわけ?
232 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 09:31:48 ID:KuR65Rsg
>>隆景は軍略もスゲー
軍事の吉川、政治の小早川といった風に差別化されるのは主に隆元の死後の話で
生前は両川共に軍事方面で活躍してる。
233 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 09:42:13 ID:XN0FwW+9
小早川隆景はそもそも武将としての属性が強いからな。
234 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 10:12:51 ID:HovTYsuG
後方支援を担当してたのが隆元だったからね。
(邪推だが、元就が大事な嫡男を戦死させぬように、この役割につかせた可能性もあり)
隆元の死後は、隆景がその任を帯びる事となり、吉川元春が単独で戦線を支えるような形になった。
隆景は自らが「縁の下の力持ち」を代行する事で、初めて隆元の存在が如何に重要であったのかを身に染みて感じたという話。
235 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 10:13:15 ID:jBMxbnms
大友の立場から言わせてもらうと、毛利は大したことない
脅威度数は、島津 > 鍋島 > 秋月 > 毛利 こんなところ。
236 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 10:27:36 ID:HovTYsuG
毛利にとっても脅威度数が
尼子大内残党 > 大友
だったからこそ、九州で獲得した領地の大半を返還してまで和睦し
尼子大内残党とサシで向き合う必要があった訳で。
237 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 11:22:35 ID:+rxgzqXv
>>235 何年ごろの脅威だ?
島津なんて元就が生きているころは大友の眼中にあったかどうか怪しいものだと思うが
鍋島は竜造寺の家臣だし、秋月は毛利の支援を受けたから大友に抵抗できたようなものだし
238 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 11:24:23 ID:KuR65Rsg
時代も状況も地理関係も違うからなぁ。
海を隔てた外の大国より、内に抱えた豪族のが厄介という。
織田の脅威度数でもトップは浅井朝倉では?
239 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 12:06:08 ID:9Y1yyzaE
>>230 他の領土も、ほとんど大友に奪回されてますが。
個々の局面でみれば毛利の勝利は多い。戦術の勝利だが。しかし最終的には
大友は目的を達成し、毛利は目的を達成できなかったばかりか、何年もかけて
築いてきた戦果を全て失った。
大友にとっては防衛戦争で、毛利にとっては侵略戦争。戦争の途中経過では
領土を蚕食されたが最終的にはほぼ取り戻した大友と、多年の侵略でもわずかな
領地しか得られなかった毛利。
もう一度いいますが、戦争と戦闘の違いというものを学んでください。
そして、宗麟にせよ元就にせよ、大名に求められるのは戦闘で勝つ能力以上に、
戦争で勝つ能力です。(前者も持ち合わせていれば言うこと無いが)
極端な話、戦闘でいくら勝っても戦争で負けた例なんて歴史上いくらでもある。
世界史だったらレパント海戦とか、日本史でも長久手合戦なんてありますね。
240 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 12:26:09 ID:hG1nFdF6
横レスすまんが…。
>>239 戦争を、お互いの王を取り合う将棋のように、単純だったら、あんたの言う通りなんだが…。
毛利大友双方の痛み分けというのが、オレ流の見方なんだけどね。
毛利は、勿論、博多どころか、出費以上の戦果を獲得したとは言えないし。
大友も、防衛戦の費用は、マイナスで、おまけに、門司を取られたんだからね。
費用対効果で考えれば、どちらもマイナスなんだよな。
>>230が言いたいのは、そういうことじゃない?
241 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 12:27:08 ID:uVd78HhA
防衛とか侵略とかを戦国の話に当てはめると途端にうそ臭くなる
そんな価値観を持ち込むのなら、あらゆる戦争が不法私戦になる罠
242 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 12:46:43 ID:diEdrhVf
>>239 外交とかの戦略を駆使して相手を追い詰めて
最後に戦闘してトドメをさすのが戦争だな。
戦闘は戦争の課程ってことか
じゃある程度、戦闘をする前に勝敗は決している
243 :
230:2007/07/10(火) 13:51:43 ID:HovTYsuG
門司を奪ったのは結構デカいと思うが。
毛利が中国西端を押さえてるのは変わらずに
それと繋がる九州北端を支配するのを、九州探題の大友が認めた形での和議締結だからね。
中国〜九州間における制海権において毛利が優位に立つし
なんといっても無視できないのが、その影響力。
重臣の高橋やら旧大内派の豪族やらが元就と内通して蜂起した事件だってあったんだから。
九州に毛利の勢力を残したままの和議が大友にとってどれだけのマイナスであった事か。
戦費に関しては毛利も大友も同様だし
どう考えても大友の方がマイナスは大きかったんでないかな、と。
ま、俺の主張としちゃ「毛利の判定勝ちに近い引き分け」だったんだけど
>>240の言う「痛み分け」が一番正解かもね。
「毛利と大友を比較すれば、毛利はプラス、大友はマイナス」と言ってみたところで
「毛利も戦費に見合う程のプラスではなかった。結果的に見ればマイナス」なのには反論できない。
244 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 14:19:09 ID:KuR65Rsg
判定なら毛利はマイナス
大友はそれ以上のマイナス
つか戦場で負け続きだった癖に「和睦したけりゃ領土返せ」で埋め合わせする宗麟の外交術は神。
元就は元就で連勝してたから将軍家からの仲裁も一度は拒否したのに
尼子残党が蜂起したら、これまでに切り取った領土を返してでも引き上げなきゃならんかったんだもんな。
戦術=毛利>大友
外交=大友>毛利
245 :
仙台藩百姓:2007/07/10(火) 16:42:05 ID:h7PPF1fv
元就が散々苦労して大友の城を少しばかり掠め取ったわけですが
そんな大友も島津には軽くボコられてあっと言う間に瀕死
その島津も豊臣相手には無様に逃げ惑うばかりでした
所詮猿山で大将気取りの田舎者ですお(≧ω≦)ブププーッ
ネタじゃなく、毛利の脅威は宇喜多。
友好関係にあった三村を捨ててまで宇喜多と結ぶ。
謀反も許す。毛利はどうも宇喜多に弱いし甘い。
時代が違ったか。
248 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 17:36:30 ID:hG1nFdF6
>>246 もしも、本能寺の変の際に、直家が生きていたら
板立てたら、結構伸びるんじゃない?
天下取りは無理でも、中国地方東部の大大名になるんじゃない?
249 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 17:52:18 ID:nXpshcy2
宇喜多の「暗殺」という勢力拡大方法に限界が見える。
いや、明善寺合戦とかを評価してないわけじゃないんだが
実際、どの程度暗殺によって勢力拡大したかは知らんが、同じ暗殺で比較される松永久秀と比べると
そういった面で見劣りする。
250 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 18:07:35 ID:HovTYsuG
毛利の脅威としては宇喜多の方が大きかったというのは反論しない。
直家なんか、それこそ下克上の典型みたいな成り上がり方した英傑だしね。
両川ですら宇喜多の暗殺の魔手から危うく逃れたという逸話も残ってるくらい。
ただまぁ、何かと対応が甘かったのは織田に対する防波堤的な意味合いも大きかったと思うんだが、どうだろう。
「こりゃ勝てん」と判断するや否や、さっさと裏切って織田に臣従してる辺りが流石だけどね。
信者も認めてる通り、元就とはちっと活躍期が違う人物だけど。
ところで
>>245みたいなコテ名乗ってる奴が「田舎者」とか抜かすのって
やっぱコンプレックスの裏返しなんだろな。いと哀れ。
251 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 18:10:25 ID:Q6Y2a3Lv
日本人を生きたまま焼き殺されて謝罪も要求できない国とマスコミ
(あなたはアジア系アメリカ人によって日本が恐喝されている事実をご存知ですか)
原爆問題で大臣たたきをしているマスコミや広島長崎は、
加害国のアメリカには抗議らしい抗議をしていない。
正義の使い方が間違っている。
謝罪と賠償金を要求すべきであろう。
人を生きたまま焼き殺すなど、
従軍慰安婦の人権問題など比較できないほどの人権侵害である。
アメリカが従軍慰安婦問題で、中国韓国系移民の力によって政治力を振るって日本から賠償金を脅し取ろうとする美人局的行為をしているのとは雲泥の差だ。
原爆問題で日本がおよびごしなら、百年たっても日本は、アジア系アメリカ人によって賠償金を脅し取られるであろう。
原爆による人権侵害の提起は、アメリカが韓国の手先となって日本に行おうとしている謝罪と賠償金に対する牽制になるのだ。
直家公は岡山だから力を発揮できたと思っている。
中央であんなことやってたらたちまち滅ぼされる。
また、暗殺は生涯の敵をつくる。最後まで反抗した三村が一例。
スレ違いすまぬ。
253 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 18:33:57 ID:xCBSm88Q
>>201 曹操だったら川中島、つまり決戦クラスの戦いを何度もしたりせずに一発で制するからね。
>>229>>239 ゲーム的発想だな。
勝利条件を最初に定めて、それを満たせば勝ちという単純思考。
戦国において勝利というのは相手の土地を取らなければ意味がない。
防衛でも勝利と言える場合もあるが、その時は相手に大きなダメージを与えなくては意味がない。
多年の戦闘により大友も被害を被ったのだから、土地を取り返せてよかったねのレベル。
俺もこの前曹操云々言ってた様に(
>>169)、結局大きな戦には勝って領土をどんだけ拡大できたが君主にとっては重要だとは思っている。
その点ではあんたと同意見だが、大友が勝利には賛成できない。
254 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 19:05:00 ID:nXpshcy2
なんか最近、俺が書き込んだ直後にコピペが書き込まれるんだが…
255 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 19:36:07 ID:HovTYsuG
>>253 三国志の英傑に例えるにしても、流石に信玄=韓玄は酷い。
益州を制した劉焉辺りが近いんじゃないか。
軍事的なイメージで言えば公孫瓚でも良い。
ってか俺も
>>204みたく
「なんで韓信やねん。用兵の天才という意味なら元就のがよっぽど韓信に近いだろ」
と早合点しかけたな。
項羽と謳われた武田元繁も討ち取ってるし、元就。
国士無双ならぬ西国無双と呼ばれた陶晴賢を打ち破った毛利元就だが、意外とコレといった異名は無かったりする。
なんつーか倒した相手の異名が凄すぎて、それより凄いの付けられんかったんかね。
幼少の頃は安芸の麒麟児なんて呼ばれてたって話もあるけど、これもスケールが小さすぎる異名だから立ち消え。
甲陽軍鑑あたりじゃ山本勘助が「毛利元就これ即ち当代随一の英傑なり」とか言ってたけど、これも異名とは呼べない。
稀代の謀将とか、調略の鬼だとかいうのは後世のイメージから来るもんで、実際は戦場での働きの方が目立つ人だしな。
ちょっと寂しい。
256 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 19:44:43 ID:KuR65Rsg
みんな大好き信長さんだって異名といえば「尾張の大うつけ」ですよ。
257 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 19:58:30 ID:9Y1yyzaE
>>253 戦争とはなんのためにやるのかを知ってください。
例えるなら太平洋戦争のようなもの。日本は過程では大進撃して領土を大きく拡げ、
個々の戦場をみれば日本軍が勝利した会戦も多くあるが、最終的な戦争の勝敗は
問答無用に反論のしようもなく日本の負け。まあ毛利はそうなる前に講和で痛み別け
くらいで手打ちさせたが。
得失利益で考えればどちらも結果マイナスなのはその通り。しかし、戦争とは政治上
の目的を達成するための手段というのは紀元前から言われていること。
英仏百年戦争の勝利者は、フランスでしょう。たとえその過程で領土を半分以上
奪われ、多大な被害をだして収支すれば大マイナスだとしても。
258 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 20:00:17 ID:vjZhqiJV
毛利としては門司城があれば、また機会を見て
侵攻を開始しただろうな、尼子攻めのように
周りの豪族やら家臣やらを調略しつつじわじわと、
元就の寿命が来たのと織田の脅威で
二度と九州に目を向ける余裕が無くなってしまったけど。
259 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 20:15:58 ID:KuR65Rsg
>257
喩えが下手だね。
近代の国家間同士の戦争と
戦国大名同士の陣取り合戦とじゃ全然意味合いが違う。
毛利は大友に連勝してたのに、後方の内乱が原因で撤退を余儀なくされた形。
その弱みにつけ込んだ大友の外交手腕は見事だが
それでも豊前の一部は毛利に譲らざるをえなかった。
それだけ毛利が大友から勝ち取っていた領土が大きかったという事。
毛利の戦略目標が博多占領と断定するなら、大友の政治上の目的とは何だ?
九州探題としての防衛戦で、要地の門司を奪われたのは負けじゃないと?
毛利の判定勝ちと言われても仕方ない結果
260 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 20:32:23 ID:HovTYsuG
261 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 20:42:47 ID:xCBSm88Q
>>255 韓玄だとは思ってないですよw
>>257 日本軍の場合は敵の反撃によって押し返されたが毛利の場合は違うでしょ?
それに太平洋戦争は攻撃に出た時点でツーク・ツワンクに掛かったわけで、戦略負けしている。
パターンが違う物を比較に出しても・・・
こっちも例を出そうかな。
毛利の九州攻めでの講和は、攻城戦で門以外の入り込んだ城の一部を返したようなもの。
毛利は九州という城の内部にいつでも攻め込める状態にできたので勝利と言える。
262 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 20:46:20 ID:xCBSm88Q
>>260 毛利と大勢力との戦いと武田の大勢力との戦いを比較することにはじまって、今毛利の戦闘能力を検証しているのだから問題ないのでは?
263 :
255:2007/07/10(火) 20:51:48 ID:HovTYsuG
いや、信玄=韓玄については一連の三国志比較(
>>201からの流れ)に対して答えてみせたつもりで
直接253に文句をつけてた訳じゃないよ。誤解させてしまったのなら申し訳ない。
大友毛利比較に関してだけど、
>>260で誘導したスレでは
結果で勝ち負けがどうこうだけじゃなく、それぞれの合戦の内容なども語られていて面白い。
未見の人は一読するのをオススメ。
264 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 22:16:57 ID:ecrlJS//
宇喜多直家はなんで両川や輝元を暗殺しなかったの?
265 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 22:28:59 ID:KuR65Rsg
「しなかった」んじゃなくて「出来なかった」んだろ。
266 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 22:33:56 ID:0Istod90
暗殺ってそんな簡単なもんじゃないんだぞ
日頃から気をつけてない信長でも本能寺の変までしぶとく生き続けてたんだ
普通の大名を暗殺できるわけないだろ 天翔記じゃあるまいし
267 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 22:35:42 ID:ecrlJS//
直家公がなぜ元就亡き後の雑魚毛利を滅ぼさなかったのか謎だ
268 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 22:59:29 ID:xCBSm88Q
宇喜多×毛利スレでも作ってからやれよ。
毛利じゃなくて宇喜多主体にしたらスレ違いだぞ。
269 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 23:17:25 ID:9Y1yyzaE
>>259 大友の政治目的>領土を毛利から取り返すこと。博多を確保すること。
毛利の政治目的>九州の旧大内領とくに博多を手に入れること。
で、どちらがより大きく達成できたでしょう?
特に、博多の一歩手前まで進出していながら、最後に大敗してそれまでの
戦果をふいにしたことを思えば、敗戦とするしかないでしょう。ただ、それ
までの勝ち分が大きかったので、その貯金のおかげで門司は確保できたけど。
認識が違うのでこれ以上続けてもどうにもならないと思いますが、戦争と
いうのは領土のとったりとられたり以上のことが求められます。地方領主
レベルならそれでいいですが、大名ともなれば何故、どうして、なんのために
その土地が必要なのか、という観点から行われるものでしょう。私は元就は
大名としても非常に優れた人物だと思っていますので、ほとんど領地は取り
返され、戦略上の要地ではあってもわずかな領地が増えただけで「勝った!」なんて
思うようなちっちゃい小物とは思いません。
270 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 23:28:40 ID:gJh/PzzM
271 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 23:53:38 ID:xCBSm88Q
>>269 最後の大敗について詳しく説明するべき。
東が危うくなったので講和となったわけなのだが。
272 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 23:56:13 ID:CVj9SfS4
上月合戦(直家本人は病気と称して参加していない)の後、直家は帰陣の際もし岡山に寄ってくれたらもてなしますよと誘っていたが
密告者がいたため元春と隆景は美作を通って帰った。
273 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 23:59:08 ID:gJh/PzzM
毛利×宇喜多スレも立てようぜ
おれは立てれんので誰か頼む
前言撤回。宇喜多×毛利スレ伸びると思われたら立てて下さい。
275 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 00:10:39 ID:hnRNah3d
つまり直家よりも元春や隆景の方が一枚も二枚も上手だったということか
>>275 この事は中村三郎左衛門によって明らかになったため、
この事から直家元春隆景を比較する事はできない。
スレ違いで申し訳ない。
277 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 01:26:39 ID:jHnZpDCc
>>269 大友の政治目的が明らかにおかしい。
戦端が開かれる以前の北九州は大友が支配していたのだから
大友の目的とは「領土を取り返す事」ではなく「領土を守りきる事」。
取り返す必要があるのは、大友が戦場で負けて奪われたからに他ならない。
そして大友は、その政治目的を達成していない。
毛利本領においての内乱という好機を生かし、大半の領土を外交によって取り戻したが
それでもなお門司は毛利が支配した状況のまま。
つまり大友は防衛すべき領土を失ってる。それが講和を結ぶ前に比べれば少なくなっただけ。
逆に毛利の政治目的に関しては、ほぼ正しい。
そして毛利は、その政治目的を達成してる。
連勝で九州の領土を多く獲得し、講和の条件として大半を返還してもなお門司は確保した。
両者の違いは
「毛利の成功は、講和前に比べれば小さな成功」
「大友の失敗は、講和前に比べれば小さな失敗」
という事に過ぎない。
それは
>>269自体も認めてる。
「戦略上の要地」である門司を毛利は奪い取り、大友は奪われたと。
確かに博多は北九州における最重要拠点と言っても良いが
アンタが言うような「博多を守れば勝ち、博多を奪えなければ負け」なんて判定は
それこそ
>>253の言うようにゲーム的発想だと評せざるを得ない。
んで
>博多の一歩手前まで進出していながら、最後に大敗してそれまでの戦果をふいにした
とは何の事?
毛利の撤退が後方の内乱に対応する為だったのは過去レスでも語られている。
まさか立花家文書にしか記述が見受けられないような
「九州から撤退する両川の部隊を大友が追撃して大戦果を挙げた」って話か?
少なくとも陰徳太平記では無傷で撤退成功(立花道雪や高橋らがそれを見送って悔しがってる
そして両川が撤退した目的である山口の内乱も、そのまま駆けつけて迅速に鎮圧してる。
大友の史料にのみ記された「大打撃を受けて敗走した両川の部隊」を信じてしまったら
その後の内乱鎮圧へと繋がる両川の部隊移動と明らかに矛盾するんだが。
278 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 01:44:55 ID:vU61A4hA
>>269の言う、最後に大敗して…というのは外交戦の事じゃない?
279 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 02:01:52 ID:qx3lBvZz
川中島と似たようなものだろ
上杉の戦略目標は最低限越後の防衛、出来れば村上小笠原を旧領に
武田の戦略目標は信濃の統一、出来れば越後の領有
で15年ほど争って結果はどちらにとっても曖昧な結果に
武田が多少領土を増やしたぐらいで
毛利大友も15年ほど争って多少毛利が領土を増やしたぐらいと
280 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 02:02:16 ID:jHnZpDCc
外交戦考えても、大友の工作である足利将軍家への黄金送付などが功を制した訳じゃないからなぁ…
むしろ将軍家の調停すらも連勝中の毛利は拒否して
>>269の仰る通り「博多の一歩手前まで進出」した所で尼子残党の蜂起に見舞われてしまい
一度は拒否した講和を渋々受け入れたんだから。
「尼子残党の蜂起は、実は全て大友宗麟の計略だった!」なんていう
「本能寺の黒幕は足利義昭だった!」的な推測論でもぶちまけん限り、厳しい。
無論、その幸運を存分に生かして領土を取り戻せるだけ取り戻した宗麟の外交手腕がネ甲なのは認める。
それでも「大友は戦場で負けたが、外交で何とか引き分けに近い形に持ち込んだ」が精一杯の評価だ。
281 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 02:14:04 ID:vU61A4hA
まぁ、引き分けでいいんじゃない?
毛利の敗戦と主張してるのは博多さんだけみたいだし
毛利の判定勝ちとする人も引き分けなら文句ないみたいだし。
>>279 川中島とは条件大分違うけどね。
侵略した側の毛利が結構な重要ポイントを押さえてるのが厄介の種。
つか北九州攻防戦と比べるとスケールが違いすぎだw
282 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 07:30:57 ID:Re2nyhIJ
ちょっとお聞きしたいのだが、上の人が例に挙げている
百年戦争ではイギリスは要地カレーをついに確保したまま戦争を終結
させている。これがフランスの手にもどるのは1558年の事。
カレーはイギリスにとっては大陸への進出拠点として地理的要因及び
補給ルートの問題などでも理想的なものだった。
これほどの拠点を確保しながらも百年戦争はイギリスの敗北とされている。
同様に毛利・大友の争いは毛利の判定勝利といえるのだろうか?
詳しい人教えて。
283 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 08:45:57 ID:enNqC+x5
百年戦争前はフランスに広大な領地をもっていたのにそれを失ってカレーだけ確保しても・・・
284 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 10:51:04 ID:Re2nyhIJ
毛利も一時は北九州に大きな力をもったのにそれを失って門司を確保する状態になってしまったのでは?
>>284 北九州で失っても中国で領土の安定化と進出した訳だからマイナスにはならんでしょ
博多は確かにとれなかったけどこの地域の領主は直ぐに裏切る・鞍替えするからまだ後にチャンスあると考えていたのでは?
立花が入って来たから難しくはなるんだろうけど。
286 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 12:20:49 ID:yPpoZeoc
>>284 百年戦争前はイングランドはフランスのギエンヌ地方を領有していたのに対し
戦争後はカレーのみとなってしまった
毛利大友は1557年以前は毛利は九州に領土は無かったが
元就死亡時の1571年には豊前の一部を領有
戦争前後の状況が完全に異なると思うが・・・
>一時は北九州に大きな力をもったのに
って具体的に何?毛利が博多近辺まで進出したのは1569年の数ヶ月程度だと思うけど
その一時的な状態を指しての話し?
それに豊前筑前の反大友勢力はその大半が勢力温存してそのまま残っているみたいだし
287 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 10:03:01 ID:/rYZnhyI
つうか、対大友戦の時って元就は病気で実質引退状態じゃなかった?
一度は死にかけたぐらいでしょ(京から将軍家が派遣した名医のお陰で助かって、その後子供まで作ってるがw)
それが事後処理のために出張ったんじゃ?
288 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 19:13:04 ID:56sj9yQD
そもそも宗麟が信玄程度の名将だったらあんな状況には陥らなかったことは言える
289 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 23:23:01 ID:c6Iq4zwQ
宗麟は信玄程度の能力なら備えてるだろ
290 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 11:42:02 ID:EGA1ctkR
九州五ヶ国の太守になりあがったんだから、実績からすれば最盛期は信玄をあっさり超えている
しかし世の中晩年が悪いと低い評価しかされない
実際、個人の素行もかなーり問題があった人だしねぇ
291 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 12:17:58 ID:myLKaxo0
最盛期だけで語ったら三好長慶なんて敵無しだな。
292 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 12:35:13 ID:sXbnWFaI
最盛期が信玄越えてるのはともかく
成り上がったってのはちと違うな
293 :
長門 ◆q8GdomS4XA :2007/07/14(土) 12:49:24 ID:ePoMZvCp
最盛期の大友は龍造寺を屈して相良、伊東、阿蘇、等は親大友派である。
つまるところ薩摩の島津以外は最早大友に敵はいないという九州統一まであと一歩な状況まできてたし、
晩年や性格を差し引いてもこれだけの状況に持ってこれたんだからやはり大友はやり手だとは思う。
大友と武田を比較すると甲乙つけがたい。
294 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 13:35:04 ID:RRCGeTW4
そういえば九州って関東に劣らず鎌倉以来の名家が多いんだな
没落したのもたくさんいるけど、島津とか大友なんて元寇の時から名前が歴史に出てくる伝統持ってる
295 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 22:16:29 ID:kAXFirCd
かなり収束したな
296 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 00:19:43 ID:n6d7uj/O
似たようなスレが乱立してるし
語ること語ったからじゃないw
297 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 12:18:42 ID:WrIlpVMS
結論として、元就>>信玄でいいのかね?
298 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 15:33:55 ID:SzfzayLw
>>297 結論は「直接対決してないニ将の優劣を論ずるのは厨のやること」
299 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 09:56:02 ID:hqEPNZrO
結論『やっぱりどっちも凄い人』
でいいおね?
300 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 00:16:49 ID:+i84qi46
301 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 14:48:23 ID:JL2LrvVD
302 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 17:07:52 ID:njUmpy/4
結論は「どっちも凄いけど相対的に見ると元就の方が凄いのは明らかでまるで
イチローと松井を比較するスレのような信者同士の言葉遊びになっている」だろ
303 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 21:38:48 ID:IsA7BBF0
で、その先にボンズとかAロッドとかライアンとかクレメンスがいるわけね。
しかしネタが尽きて見事にとまったな。
304 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 23:03:06 ID:27+3l7IS
305 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 22:45:30 ID:/W5BGCYu
俺が思うには、俺は武田厨ではなく、西国大名びいきなのだが、
それでもずっと思っていたことには、武田はいかにももったいないことをしたと。
「桶狭間で今川義元が死んでから、武田が反織田の軍を起こす準備をするまで」
この期間、いったいなにやってたんだということ。
当時の武田領を見ると、
@地理的に、北も東も西も山脈で隔てられていて、次は南に出るしかない。
A大名を見ても、北の上杉、東の北条は強敵、南だけ弱い。(西は物理的に無理)
B経済力でも、武田の生命線である金山が枯渇したが、駿河には安倍金山があった。
Cさらに加えれば、海への出口としてもっとも出やすいのが、駿河である。
これだけの条件下で、生き残るにはいずれは南(駿河)に出るしかない、
という状況が明らかであったにもかかわらず、やたらと上杉との戦いに凝ってしまった。
同じ期間に、織田信長は今川に消されそうだった勢力だったにもかかわらず、
濃尾から近畿を席巻して、事実上天下を手中に収めたといってよいほどの勢力になった。
同じだけの期間において、かくも成長の差が出たというのは、
もちろん、近畿濃尾のほうが一円支配のための、経済的政治的条件が揃っていたためであるが、
ここまで実現したことの差が出てしまったという時点で、武田はこの時点で敗北したといってよいだろう。
上記に挙げた条件下では、「今川義元が死んで、氏真が後を継いだ」という歴史的転機にきちんと反応し、
しばらくは氏真の実力を見極めてからでも良いが、すぐに駿遠併合に向けて準備をすすめるべき。
上杉謙信とは外交革命により同盟を結ぶ(謙信は信頼できるし、上越国境に近い郡まで獲る必要はないのだ)。
北条氏康とは敵対関係になるが、割り切るしかない。西上州や東駿河を割譲してなだめることもできる。
もちろん、徳川家康が、遠州に手を伸ばす時間を与えない(この時期の徳川はまだ三河支配が未完了)。
これだけのことをやって、初めて生き残りのめどが立つというのに、
桶狭間の時に動かずに、人生の終盤に近づいてから織田攻めの軍を起こすなど、中途半端すぎるように思う。
長期遠征が不可能な農民兵で、(戦場での強さ以外の)すべてにおいて武田を凌駕する織田勢力を消すのは、
信玄晩年になってからでは手遅れであって、この時点なら、むしろ織田と同盟を結んで生き残るべきだったのだ。
なぜなら、この時期になると、もはや織田との総合力は時間を経るにしたがって大きくなるばかりであって、
織田と敵対関係にある以上、こちらが決戦を挑まなければならない側になるからだ(この焦りが長篠の伏線になる)。
もちろん、この期間を信玄も無駄に過ごしていたわけではなく、いろいろ実力を涵養していたのであろう。
しかし、この期間に織田はもっと早い勢いで伸びていった。その情勢も信玄には収集できたはずであった。
信玄は、優れた武将であったがゆえに、すべてのことを玄人的領域でこなそうとして、必要以上に極めてしまった。
反面、乱世を制するのにもっとも重要な「天の時」を見方につける機会を失ってしまったのだ。
(おわり)
306 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 11:01:49 ID:l7h2SILk
>>305 義元死亡時の武田が北条今川との同盟破棄したら信州は上杉に取られ、
甲斐は北条今川に同時攻めされ、という散々な結果になったと思う。
信玄に都合よく話が動くと思いすぎ。
ついでに謙信は自分の都合で関東の豪族を裏切って北条と同盟したり
織田家と同盟時に、共通の敵扱いだった一向宗と信長に連絡無く和睦
したりと割と好き勝手する人間だぞ。
307 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 00:10:35 ID:ID/AXti8
俺が言いたかったのは、生き残るために考えられるオプションは、
@早期の三・遠・駿の確保か、あるいはA織田との同盟非破棄か、2つだけだったのではないかということ。
どっちかにするならわかるけど、信玄坊主は、2つとも中途半端に手をつける結果になった。
早期の駿河進出がそこまで不可能かつ非現実的な案なのであれば、そのオプションは捨てても良い。
仮に晩年に駿河を得たにせよ、さらに織田勢力と戦争状態に入ってしまったのは、この点で中途半端。
信玄坊主がまだ若ければ冒険してもよいのかもしれない。
しかし、すでに平均寿命に近いにもかかわらず、死後の火種を残すようなことをしなけれよかった。
だって、ここが一番引っかかるところなのだが、武田兵が一度の遠征で織田中枢を破壊できるはずがない。
豪族の農兵に依存しているし、補給線も伸びきるので、複数年にわたって、繰り返し遠征が必要になるのでは?
繰り返してしまうが、信玄死後、武田は時間の経過と共に織田に差をつけられる運命を背負い込んでしまった。
そのため、織田と修復不可能な敵対関係にある限りは、常に戦いを仕掛けることを強いられることになるのだ。
国力的にも限界なので、国内の豪族・農民をかなり酷使することになるだろう。よって国力はさらに開く。
これでは、時間がたつだけ悪循環になる。
戦略上のフリーハンドは完全に失われ、滅亡を待つばかりだ。
長篠については、いろいろ言われるが、敗戦の遠因にあるのは、この焦燥感だと思える。
なぜ、名君信玄坊主が、このように戦略上修復できない制約を課すことを選んだのか、まったく理解に苦しむ。
そこまでリスクを冒して天下したければ、もっと早期から徹底的に動けばよかったと思うのは、俺だけでないはず。
信玄がベストの道を歩んだかというと、俺は賛成はできない。
こう考えると、武田、あと上杉もそうだが、地理上の制約が戦略の幅を宿命的なまでに狭めているな。
308 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 11:15:59 ID:tkMaUHL0
ちょっとざーと読んでみたが
>>156の認識は少しずれてると思うわ。
先ず「降露坂の戦い」だが此れは
>>260のスレの>46・47を見れば解るが
大友が九州で対毛利勢力の一掃を計って大規模な軍事行動を起こしたため
石見包囲網中だった隆元と両川の一角隆景の小早川軍を九州に向かわして、
実質元春の吉川軍で包囲という形になり(元就も居るが毛利家の当主は既に
隆元であり毛利家本隊は隆元に帰属してた)、その隙に福屋隆兼が謀反を起
こした為に包囲を解いて撤退したまでの事。ここで語られてる七騎坂の七将
の身代わりの話は大内の出雲遠征の時の話であり、後年歴史を知らない者が
勘違いしたと思われる(第一この時犠牲になった者は毛利の忠臣として幕末
まで祭られ、歴史的にもはっきりしているし、謀反をした元同盟者の福屋氏
は折り返してきた毛利により滅亡し、石見も翌年には温泉氏を滅亡させて本
城氏を取り入りって毛利に帰属させている。)。
当時の毛利家の状況は決して安定した戦国大名ではなく、前年(1560年)に
ようやく安芸守護に任命された新興勢力であり、大友や尼子の方がこの時点
(石見が尼子)ではまだ勢力的に上である。福屋氏も一家臣の謀反ではなく
大内滅亡後の2大同盟者の一角であり、その様な敗戦が許される状況ではな
かった。現に、忍原崩れでは元就自身毛利家はこれで滅亡すると狼狽しきり
だった。府野崩れの方は文献にどちら側(毛利、尼子)に対して言われたか
は甚だ疑問だ。援軍に駆けつけた毛利は確かに尼子に負けはしたが、当時の
尼子は上洛作戦もいとわない程の大勢力であり、毛利は大内の一武将程度の
扱いだ。然るに結果的に援軍作戦は成功し、尼子は上洛を諦め毛利攻めを決
断するきっかけとなり、遂には郡山城にて大敗北をきし天下の夢が潰えた契
機となった。「府野崩れ」とは尼子側に対して言われた言葉だと理解するの
が一般的な常識といえる。
武田信玄も毛利元就もほとんど似てるだろ
優劣比較して何になる
武田がどうだ毛利がどうだとかぶつぶつ言うことがお前らの仕事か?
自分自身の生活の質を改善することに注意を注げ
>>308 結局毛利が負けたのに後で勝ったから尼子に対して府野崩れが言われたっていうのはシュールな言い分だな。
>>243 ヒント: もともと旧大内領土がほとんど大友領土になった
予想される反論:
戦端がひらかれるまえにはすでに大友領土になってた
→これはバカの典型的な反応
長期的に北九州のほぼ全面放棄を強いられたことこそ問題にされるべき
開戦時点で放棄すべき領土は北九州になかったとか、
それゆえ百年戦争とこれこれで違っていたとか、言い訳するやつはチンカス
剣道とかじゃないんだから個々の一時的な戦闘の優劣を論じるのではなく、
総合的長期的戦略的な結果としてどうだったかを論じろボケ
北九州攻防戦は明らかに 大友 > 毛利 はガチ
わかったさっさと日常生活で行うべきことに戻って取り掛かれ
>>311 バカはほっとけよw
お前の頭のなかが崩れてるってーのw
毛利厨 ・・・ さすがに信玄厨よりはましだとおもったが、ここまで惨めだとはなw
所詮チンコしごきしかできないような奴が下手にゲームとかやりだすから
せっかく梅雨もあけるっちゅーに、こういった奴らが湧くのは正直見苦しいな
>>308 おまえなー まじウザイんだが・・・
どこそこの誰のほうがだれそれより勢力が上だったとか下だったとか
府野崩れがどっちに対して用いられたかとか用いられていないとか、
ぶつぶつわけわからんことを書き連ねるのがお前のストレス解消かwww
素直にインベーダーゲームでもやってりゃいいのに、
ほんとこうはなりたくない奴の見本みたいなやつやな
皆が見てるスレで自己顕示されてもまじウザイし、消えてくれへんか?
いっぺん会って殴りたいわ ほんまに
李舜臣将軍がこの時期に博多か長崎に攻め込んでたら
博多も北部九州も余裕で占領して今日には九州は日本領ではなくなっていますがwww
>>315 信玄厨ってこういう低脳しかいないのか?
>>317 ちゃんと読めよ
良識水準>毛利厨>>>>>武田厨
がもともとの俺の認識枠組みだ!
上の奴が湧け分からん失当なことを堂々とほざきよったから、
良識水準>>>>>毛利厨>武田厨
となったことを説明した。
武田厨も毛利厨も、
ほんとどうしようもなく惨めな奴らばかりなんだろうなって
社会のごみためのような奴らなんだってな
劣等民族必死だなwww
毛利が勝とうが大友が勝とうが、李舜臣水軍に攻められれば滅びる運命が決まっていたのに、
それをしない李舜臣将軍に感謝せずに、毛利大友どっちが上とかわめいてるんだからなwww
九州を攻め取られなくて感謝すべきなのに、
恩知らずにも羽柴秀吉が攻めたときは、のこのこ海を渡る恩知らずが毛利大友www
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321 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 11:42:57 ID:fetUH7Rj
>>315 俺
>>308じゃねぇけどよ。お前の方がむかつくぜ?会って殴りたいなら俺が代わりに会ってやるよ
322 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 22:44:28 ID:pVzAhadr
>>321 へぇー。お前バカはKOEIでもやってろよヴォケ。
おめでたく釣られてんじゃねえよバカ。
323 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 03:46:06 ID:1XSgA2wu
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324 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 09:20:51 ID:sj2BTn8o
メガトン来いよ〜
あぼーん
326 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 22:17:26 ID:aTVRh6O9
元就って50代でまだ一豪族だから(戦歴はもの凄いが・・・武田撃破に
尼子大軍を撃退、月山城撤退戦に対陶の厳島合戦。晩年の北部九州戦線に
旧大内蜂起鎮圧に尼子残党掃討戦。)内政評価で辛いのはちょっと酷かな。
実際は瀬戸内の補給線確保と山陰鉱産物利権(当時の鉄産出量1/3以上
と銀山)押さえているから充分な気もする。大内の玄界灘〜瀬戸内輸送網と
尼子の鉱産物と日本海ルート手に入れて一大流通を完成させてるし。江戸期の
北前ルートの原型。毛利以前は日本海ルートと瀬戸内ルートが繋がっていない。
327 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 23:30:48 ID:Vw7DpjSb
その元就も信長と比べるとかすんでしまうんだよなー
そしてその信長を震撼させた信玄はさらに凄いという結論になってしまう
328 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 23:56:42 ID:e4F08M1R
>震撼
したっけ?
徳川がボコられてたぐらいしか記憶に無い…
329 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 00:06:20 ID:65dTh5S+
>>328 それは妄想派武田厨の夢ですから奪わないで上げてください。
330 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 03:21:17 ID:pRwLNy3e
>>329 久々にワロタ
しかも徳川重臣殆んど無事なんだよな
>>330 犠牲に関して言えば、世間一般が大敗と取っている三方ヶ原よりも、
川中島の武田の方がよっぽど酷い犠牲なんだよな。
んで、バカな武田厨は上杉も酷い犠牲とか、領土抑えられたとかで
なんとか引き分けに持っていこうとするwww
332 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 09:48:21 ID:XGM0880h
まあ、実際目的だった北信濃を武田は制したからな。
戦争目的を果たした側を大負けともいえまい。
333 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 13:50:59 ID:8CnET40v
戦術的大敗戦略的辛勝
334 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 18:55:28 ID:65dTh5S+
>>331 いや、それはさすがにどうか?
もともと領土を取るのが武田の目的だったのだから、
目的を達成したという意味では確かに武田の勝利でしょう。
犠牲は多大ではあったが、
単純に大きな犠牲を伴った勝利ってことになると思うが。
335 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 20:29:40 ID:tIWwUx7f
>>334 武田の目的は北信濃防衛じゃないだろう
あくまで海を取ること
・北信濃防衛(最低ライン)○
・越後奪取×
戦略的には一応最低ラインは確保した
戦術的には戦国史に残る記録的大敗
336 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 22:38:42 ID:Q+ahdxpx
第4次川中島に関して言えば戦前は謙信の関東出兵の隙を付いて
武田は北信濃国境近くまで兵を進めていたのを
川中島まで押し戻されているから領土的にも負けのような
第1次から1568年までの一連の流れで武田が最終的に川中島支配して
領土増やした武田の勝ちというのであれば
三方ヶ原の戦いも1569年から1582年までの一連の流れでの一局地戦に過ぎず
最終的に領土増やした徳川の勝ちということになる
337 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 07:09:43 ID:mUyAlKUj
>>335-336 北信濃防衛って、そもそも当時はまだ北信濃を領土化出来ていないから。
越後奪取なんてとてもとても狙えるところまで行っていない。
逆に当時の武田の勢力を過大評価しているからそうなってしまうだけ。
当時の情勢は普通に北信濃の領有をめぐって武田と上杉が争っており、
結局武田がその地域を領有したのだから、当然戦争は武田の勝ちということになるよ。
それから、徳川といか織田・徳川が最終的に武田に勝ったという点に関しては、
疑問の余地なく全くその通りでしょう。
338 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 16:29:52 ID:HJB6f6Op
>>29亀レス
つか毛利が大友と戦い始めたのは、元就が齢70の頃からなんだがwww
疲労と老化ボケと戦いながらの元就と、大友フル活動を一緒にするなwww
339 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 22:34:30 ID:6kPJdiP9
>>338 もうその頃は隆元が、上にたってたと思うけど?
340 :
人間七七四年:2007/08/10(金) 00:53:12 ID:d0GIc4ku
隆元もうくたばってんじゃなかった?
341 :
人間七七四年:2007/08/13(月) 01:42:54 ID:g8b8ODXd
>>340 その頃隆元は既に死んでる。
でも、老化を理由にするのは相当かっこ悪いな。
342 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 00:45:45 ID:vtNnPIW9
大友に地の利があったってことでそ
343 :
人間七七四年:2007/08/14(火) 03:27:32 ID:0rfM8Uvh
かっこ悪いか?
知人の70を見てると、正常な判断でくたばるまで動き回って方がすごすぎる。
十分評価出来ると思うよ
344 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 05:15:38 ID:oqYxTLB7
毛利自体うざい きらい、つーか長州藩大嫌い
345 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 18:39:13 ID:0wCxkjh0
ぶっちゃけ毛利は小早川隆景と吉川元春を配下に収めたから大々名になれたのでは?
両川が敵に回ってたら国人のまま生涯を閉じていただろう。
346 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 19:00:07 ID:GjVYdbKo
347 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 19:14:32 ID:/LHbtEmR
このレベルでも4なのか・・・。
多分その内釣れた釣れたとか言い出すと思うけどね。
348 :
人間七七四年:2007/08/15(水) 19:17:15 ID:GjVYdbKo
謙信玄厨というLV5(MAX)の存在がいるからな…
349 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 07:52:34 ID:6YofpmJl
350 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 21:46:18 ID:RHRvu2p+
351 :
人問七七四年:2007/08/21(火) 22:18:16 ID:jGsE1UGc
元就さえ居なければ尼子が天下を取っていたのに、
と思う今日この頃
352 :
人間七七四年:2007/08/24(金) 01:44:48 ID:9bWQ/fAT
元就は一国人時代から名将の誉れ高く、
詮久の吉田郡山城攻めの際も、経久や重臣がこぞって元就侮るべからずと反対した程。
有田合戦に始まり、高橋氏討伐、郡山篭城戦、備後での尼子との攻防戦、
折敷畑山、厳島合戦と常に格上か互角の相手に勝利し続けた希代の将。
毛利を苦しめた大友も元就出陣の報を聞いた時は大慌てで逃げ帰ってる。
353 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 18:49:23 ID:2b2niqlT
武田、上杉、北条がいない安穏とした中国限定強豪・毛利 wwwww
354 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 20:46:41 ID:HGknuvhF
根拠もなく言い切るだけなら、
毛利がいなかったおかげで存続できた、東国諸大名。
って言い方も可能だと思うけどね。
355 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 04:34:13 ID:SfTqIn4a
毛利は海賊で版図拡大出来たんだろ? 陸路をどう拡張するわけ?
中国地方の丘陵風情が中部山岳地帯を縦横無尽にいけるとは到底思えんのだが wwwww
356 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 04:50:47 ID:SfTqIn4a
毛利: 大内尼子がインフラ整備したものを要領よく奪ったから既存社会を使えばいいだけだった
武田: 信濃は群立割拠、守護・小笠原の目の行き届かぬところ多し、武田は基盤から構築しないといけなかった
357 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 08:06:53 ID:pq2kO/oO
中部山岳地帯の大名だって山に囲まれた平地で内政したり戦ってたわけで。
何が悲しくて山の中を縦横無尽に翔なきゃならんのか
358 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 08:47:01 ID:dxNodC7+
>>356 その群雄割拠している中の一人で、支配領域も信濃の半分以下、
甲斐に及ばない程度の村上に何度も苦杯を飲ませされている信玄では、
信濃に統一的な勢力があったら、逆に征服されるだけだと思うよ。
359 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 08:51:40 ID:dxNodC7+
>>355 あと、大内攻め厳島の後は陸路で侵攻したし、尼子攻めも陸路ですが。
中部地域の状況だって
>>357のいうとおりだし、
そもそもそんな理屈を言うなら、海路で勢力拡大したことのない武田は、
瀬戸内沿岸では使い物にならないって事になってしまうが。
360 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 19:30:06 ID:SfTqIn4a
>>359 大内攻めも尼子攻めも敵方が衰退した後に力攻めせずに調略戦だろが。
真正面でぶつかりって武者入り乱れる川中島みたいな戦いがないから毛利は劣るんだよ。
361 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 19:42:55 ID:0lzGPGBR
衰退じゃないよ、調略による離間策だよ
362 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 22:03:28 ID:dxNodC7+
>>360 そんな戦力をすり減らすような愚かな戦いは、出来るここならしないで済ました方が良いんだよ。
現に信玄だって成功した戦略はことごとく調略を用いているし。
もちろん、調略を用いず正面から戦って勝つなら、戦術的に強いとは言えるわけだが、
そういう場合信玄は、上田原で敗北、砥石城で敗北、
川中島でも弟すら討ち死にするほどで戦術的には敗北、
上野の長野業正を攻めてことごとく敗退、とまるでよいところがない。
363 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 10:21:52 ID:43tozHMJ
毛利なんて島津程度にボロ負けするような大友とか雑魚四国諸に苦戦してるし
弱いだろw
武田は三方ヶ原やらで家康に勝ったり三河や遠近江のかなりの部分侵食したり
岩村奪ったり対織田戦線みりゃ武田>>>>>毛利は馬鹿でもわかる
織田の侵攻スピードが東と西で大違いだしな
364 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 12:04:33 ID:+uYfMvhz
メガ豚くんの再来を心から歓迎します
365 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 18:10:03 ID:plLQPTNN
>>363 いや、島津も大友も九州で数カ国を領する大大名だし、
信濃半国も持たない村上に負けたのと同じには出来ないと思うが。
毛利は四国相手になんて別に負けてもいないし。
それに織田の侵攻が西と東で大違いって、
毛利は残ったが武田はあっけなく滅ぼされたことを言っているの?
366 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 21:40:47 ID:KHq5loRH
武田の滅亡は有力国人の離反が原因だろ
367 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 10:11:57 ID:CzQcBLlu
>>365 武田と織田は割と早くから交戦状態に至ってるのに長篠以降七年も存続したのに
毛利は交戦わずか二年で播磨や但馬の方まであった毛利方勢力を物凄いスピードで
切り取られていって滅亡寸前まで追い込まれた。織田が対武田戦に手を抜いていたなんて
記録は全くないしはっきり言って毛利弱すぎる
368 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 10:34:14 ID:v++XlxbE
信長のことだから単に金山ぐらいしかないない山奥より瀬戸内海という国際航路の
奪取に力をいれただけじゃね?
369 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 11:51:05 ID:fe5OnljJ
>>367 それは単に調略だろ
播磨あたりの大名はいうなれば足利にしたがう大名のように形だけしたがってたんだろ
毛利の支配は織田方のように中央集権性の強いものではないから
織田方が強いと説得されるやそっちがとくだと裏切っただけ
まあ、信長の支配性にしても制度化されたものではない
つまり、信長は中央集権体制を確立しようとしていたわけじゃない
だから死後簡単に家来衆の専横を許してしまったね、しかも信長子飼いの
光秀に殺され、秀吉に遺産を奪われたという皮肉w
信忠も生きてたらあらたに子飼い家来をつくって譜代家臣に対立させ、家中をうまくまとめいった
だろうが、いかんせん信長のようなカリスマがあったか疑問だな
370 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 12:59:43 ID:CzQcBLlu
>>368 だからそんな記録は一切ないって。東日本だって信濃や越後、関東なんて肥沃な土地
多いし取るメリットは大きい。現に甲相同盟締結後攻勢に出る事ができてからは
本格的に攻め入り奪い上野に滝川派遣して東日本統治に力入れてる
>>369 形だけであろうがなんだろうが毛利対織田において毛利方の城を次々に落とされ
裏切られあっという間に侵略許したのが弱いっての。大体あの時代ここからここは
形だけの支配でここからここは本当の支配地なんて悠長な事言ってたら次々に味方
が減るし大体どこの大名も国人集連合に変わりないから毛利を擁護する余地なんてない。
そもそも武田と比べて調略に簡単に応じる奴ばかりって時点で弱いし。
371 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 13:01:11 ID:CzQcBLlu
甲相同盟締結後⇒甲相同盟決裂後
372 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 13:29:00 ID:fe5OnljJ
>>370 越後は肥沃じゃないよ、関東も石高が伸びるのは家康入国以降だし
それと、西日本は貨幣経済が発達してたことはまちがいない
それと、下の方に関して。
毛利は別に強くなるために戦ってたわけじゃないからね
元就の遺言に中国だけで我慢しとけってのがあるし
元就は領土をとったことに相当な罪悪感を感じている節がある。
毛利の優先事項は家名存続であって覇者足らんとすることではないし、
実際、その甲斐あって家が存続している。
これも一種の強さだろ
373 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 13:38:26 ID:CzQcBLlu
>>372 西日本が貨幣経済発達してようが信長が武田戦に手を抜いていたなんて
記録はないから。関東はあの時代から肥沃だ。石高から言っても兵動員数から言っても。
越後も謙信が経済発展させた。強くなるために戦ってないってのも弱い要素だな
あの時代なんてやるかやられるかだろそれが嫌なら戦国大名なんてやめちゃえば
いい。中国だけで我慢どころか中国すらスピード攻略されて滅亡寸前まで追い込まれれば
世話ないわな。遺言遵守なんてしてたら侵略戦争なんてしないだろ。実際輝元時代でも
あちこち軍派遣してんじゃん。関が原時だって中立守れず肩入れしたのに戦わず
大幅減封だし。
374 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 13:40:56 ID:t5YHbMuo
>>367 織田方勢力も毛利と宇喜多が結んでから僅か一年で備中(三村)と備前(浦上)を切り取られて、その後播磨進出まで許してるがな。
この辺りは毛利と織田の緩衝地帯だからかつての尼子大内間勢力の様に優勢な方に一気に傾く。
武田は織田と近くて緩衝地帯が少なかっただけでしょ。
375 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 13:46:20 ID:CzQcBLlu
>>374 岩村あたりは?あのあたりは小豪族がひしめきあってて織田武田の接触点になる
あの時代の支配なんて国人集連合にすぎないんだからそういうのはどこにでもいえる
武田なんてまさにそうだな
376 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 13:50:48 ID:pzcprsyb
武田は相手にされていなかっただけじゃないの?
織田は西に対しては美濃衆伊勢衆だけでなく時には越前衆なども動員していたけど
武田に対しては長篠岩村後は放置状態
377 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 14:07:00 ID:fe5OnljJ
>>374 毛利は本領には一歩も入らせてないよ
その前に信長が死んだからね
だからそのまま滅亡してたか、どうかなんて分からない
378 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 14:43:33 ID:CzQcBLlu
>>376 そういう事が書かれてる資料かなんかあるなら教えてくれないか
弱いとこから潰してくのが上策だしそっちの方がしっくりくるが
現に甲相同盟が決裂し、武田方に決定的に不利な状態になり勝てる状態になったら
しっかり攻め入ってるし
>>377 あの時代の支配体制なんてここからここが本領でここからここが単なる賛同者
とか悠長な事言ってたら味方が次々に減ってしまう
備中ライン突破後は裏切りの連鎖が始まるだろうな
毛利も武田と同等かそれ以上に地域の国人に依存してるしなり上がりって負い目もある
信長到着すれば毛利征伐も本腰と見られて国境付近の国人はわれ先にと
離反するだろうね
379 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 14:53:33 ID:pzcprsyb
>>378 >そういう事が書かれてる資料かなんかあるなら教えてくれないか
そういう事が武田に関してか西に関してかは分からないが
武田に対してなら岩村攻め後、武田の滅亡時まで織田が武田に対して軍事行動を
起こしたとする史料が無いから
西に対してなら、史料は信長公記に載っている
>弱いとこから潰してくのが上策だしそっちの方がしっくりくるが
弱いとこと言うより畿内の制圧畿内の安全確保を優先していると見るべきかも
武田領は畿内と比べたらどうしても落ちる
380 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 15:03:31 ID:CzQcBLlu
>>379 >岩村攻め後、武田の滅亡時まで織田が武田に対して軍事行動を起こしたとする史料が無いから
だからそれは根拠にならないっての。それは武田が簡単に崩せる相手じゃないからだろ
すぐになびくような毛利勢みたいな奴が少ないって事だ。
崩せる段になったら攻め入ってるし。畿内勢なんか弱いから簡単に潰しにかかった
ともとれる。三好とか六角とか波多野とか一色とか弱小勢力しかいないじゃん。
長篠時には畿内既にほぼ平定してたにもかかわらずその後やはり西に向かっている
やはり西側諸国の方が簡単に崩せる相手が多いからだろう。北陸戦線も上杉相手に苦労してたしな
381 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 15:09:18 ID:pzcprsyb
>>380 本願寺がそんなに弱い相手か?
織田家の大半を充てて対処しているように見えるが
ついでに畿内の諸勢力がすぐに崩せる?
年表読みなおして畿内の勢力にどれだけ時間かかったか調べてから言ってくれ
>だからそれは根拠にならないっての。それは武田が簡単に崩せる相手じゃないからだろ
根拠にならない可能性もあるが、織田家が滅亡時以外に主力で攻めたことも無いので
武田が簡単に崩せる相手ではないと断言することも出来ないと思うが
382 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 15:31:00 ID:CzQcBLlu
>>381 そりゃ包囲網とかあったからなあ…
でもみんながみんな強いわけでもないし東国に比べれば弱いというか小さい大名が
ひしめいてる地域だな、まあ要は武田相手にするよりローリスクハイリターンて事でしょ
383 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 15:40:06 ID:CzQcBLlu
弱い方から攻めるのは常策だよ 武田見ても今川義元死んだら攻めてるし
信長と武田は早い時期接触したにもかかわらず十年ついやしたが
毛利は二年程度であっという間に侵略された、これも事実
畿内平定後も東より西の方が早い侵略スピードであるのは明白
384 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 15:45:43 ID:2zzAWsoY
強い弱いは関係なく、単に甲斐という土地自体に旨みが無いからだろう。
そういう意味では↓には同意。
>まあ要は武田相手にするよりローリスクハイリターンて事でしょ
もし畿内勢力などより攻める価値があるんだったら、そっちに注力してるよ。
385 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 15:49:22 ID:xMvkuWc4
>>383 いわんとしてることはわからんでもないが武田攻めの状況と毛利攻めの状況は
まったく違うんだが。
386 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 15:53:46 ID:CzQcBLlu
>>384 いや強い弱いは関係あると思う 弱けりゃ潰してさらなる東国侵略への
ステップになるしそもそも天下ふぶって天下は西日本だけじゃないんだから
信濃や駿河、上野はそこそこ旨みあるし
387 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 16:23:50 ID:xMvkuWc4
>>386 東国侵略のステップっていうけど東国にたいした敵もう残ってないんだけど?
一応盟友の北条に無理して戦しかける必要もないし。
武田が長生きできたのは一向宗と一向宗を支えた毛利が近畿に存在したからだろ。
本願寺が降伏して近畿に敵がいなくなって大動員されて武田崩壊なわけだが?
無論これは毛利にも言えることでこれからさき戦力を集中してくる織田に毛利が
善戦できるとも思えないけど。
つまり
>>384がいうように
近畿勢力>>>>>武田・毛利であって甲斐や駿河を採りにいくよりはるかに重要。
そもそも
>>信長と武田は早い時期接触したにもかかわらず十年ついやした
信長は積極的に甲斐や駿河に攻め込むより近畿統一に力入れてたわけで5〜7年放置されただけでしょ?
388 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 16:55:48 ID:fe5OnljJ
東国は野戦 畿内は攻城戦とか陣城戦?ってかんじだよな
西国は相変わらず旧態依然としたかんじがするが・・
でも西国の中でも島津はとびぬけてる気がするなあ
鉄砲戦術と統率力の高さが目立つ
389 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 17:25:16 ID:tAxmAVjs
でも西側の国々の方がすぐ裏切る奴が多いのは事実だよな
武田方の国人が裏切ったのは大分あとの方だし(戦役負担増大うんぬん
織田方が武田に本格的に攻勢に出たのは御館の以降。
それまでは上杉謙信相手に結構苦戦してたぐらいだし
たいした敵がいないからステップにしないなんてのは妄想のすぎないだろう
ぎゃくに小さい敵の方がくみし易いし簡単に攻めれる
>信長は積極的に甲斐や駿河に攻め込むより近畿統一に力入れてたわけで5〜7年放置されただけでしょ?
これも妄想だな
歴史上の事実は事実としてあるわけで武田が強いから攻めれないか甲斐がショボイから
攻めないかは書かれていない。
390 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 17:37:34 ID:trbMikw9
>>388 そりゃお前の中のイメージなんじゃねえ?
信玄はもとより謙信に至っても殆んど9割近くが攻城戦だぜ?
あと毛利の野戦の凄さを知らな過ぎる。
元就の初陣野戦から始まり、尼子郡山城の攻防戦(これは大内が援軍に来るまで
亀になって守っていたんじゃない、10数回の野戦で敵の諸将討ち取った後に野戦
で決着がついた)、厳島も数倍の敵に野戦仕掛けて勝ってるし、よく言われてる
大友との攻防戦でも野戦ではほぼ勝ってる。その後の大内との野戦も吉川の芸術
的な野戦戦法で勝ってるしな、しかも何が凄いって野戦で勝って確りその後に、
基盤を創ってる。
上杉・武田の様に軍記物の中だけの野戦だと、勝った筈なのに何も得る物が無か
ったような結末にしかならない、だって造作なんだものm9(^Д^)プギャー!!
391 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 17:43:31 ID:trbMikw9
>>389 お前が武田や上杉の歴史も知らない馬鹿だと言う事は解った。
392 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 17:45:38 ID:fe5OnljJ
>>389 ないないwww
裏切るかどうかは血縁や妻子をとられてるかがポイント
武田は跡継ぎ問題で家臣の足並みがそろわなかったんだろ
それと長年の重税もあるだろうし、色んな要素は考えられる
それに武田攻めに積極でなかったのは
進入経路のなさにもよると思うぞ
東海道筋は家康がいるからそれを横断するのは憚られるし
むしろ緩衝地帯としての重要性がなくなれば家康は裏切る可能性もある
信濃は中山道だろ。道が狭くて大軍が入れないから
積極的な策が行えないのはある
西の方が攻めやすい
393 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 17:52:59 ID:fe5OnljJ
>>390 元就の野戦もすごいが戦術的な進歩という側面では室町から
ぬけてないかんじがするわけよ。駆け引きや知略面は戦国一だと思うけどね
毛利は信長の時代になると、たいした戦争おこしてないから印象うすいせいもある。
信玄は築城技術だとかそういうのあまりきかんし
東国は牧がおおかったろ、甲斐にしても武蔵にしても
だから騎馬ってイメージがつよいのもある
実際、畿内の城攻めは経済封鎖的な面もあったが
信玄はどっちかっていうと戦術面での攻城しかなかったかんじ
394 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 18:19:10 ID:uRJ3vuYq
>>389 久々に香ばしいのが沸いてきたなww
強い武田さんは長篠の敗北以降全く領土拡張出来なかったのも事実ですよね?
先ずは武田勝頼率いる武田がどれほど織田にとって本願寺以上の脅威になるのか語ってみろよ。
大した脅威にならないから抑えの徳川残して近畿の勢力とガチで戦えてたんだろ。
395 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 18:23:29 ID:QsUHhDrJ
>>393 戦国の築城技術といえば武田と北条が二大巨頭だろ…。
396 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 18:32:50 ID:xMvkuWc4
>>389 いやだから甲斐より近畿のほうがはるかに重要だっていってるじゃん?
本願寺がどれだけの勢力かわかっていってるのか?
強い弱いとかどうでもいいけど戦略上本願寺を倒して他の勢力にあたるってのが
当然の判断だと思うんだが違うのか?それとも武田が弱いと思うならなんで本願寺と武田の二方面作戦を
展開しないんだ?っていいたいわけか?
たいした敵がいないからステップにしないも何も奥州の大名とかもう結構織田に媚売ってるから戦もなにも
しないでも降伏してくる大名が大多数だよ。小田原攻めてる秀吉に挨拶してくるのと同じ状況に関東や奥州はなりつつある。
思ったんだがお前は武田の強さを妄想しすぎてないか?
長篠の戦以前ならそれもぎりぎり説得力をもったかもしれんがな。
1581年時に徳川単独で高天神をぼこぼこにされるようじゃなぁ
397 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 18:39:37 ID:fe5OnljJ
>>395 そうなのか?
付城、陣城の素速い築城で
相手の城の目の前に強固な城をつくり、城としての機能を無くす戦術ってのは
上方のいくさ職人の戦い方だったと思うけどなあ
武田、北条は自給戦用の城のイメージしかないぞ
398 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 19:23:50 ID:FC9y+gyA
元就は野戦の名手だよ。
初陣から、桶狭間なみの、大逆転の大勝してる。
399 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 20:19:50 ID:a6bfP+uR
信長が本当に弱い相手を場当たり的に攻めるなら
桶狭間後美濃を攻めずに三河や北伊勢へ行っただろうし
美濃攻略後、上洛などせずに、飛騨や伊賀に攻めただろうし
上洛後も、三好や朝倉を攻めずに他の勢力相手したかもな
武田が強いから攻めなかったのではなく重要度が低いからと考えるのが妥当だろうな
長篠後は徳川だけで十分抑えられるような相手だし
400 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 20:26:41 ID:QsUHhDrJ
>>397 付け城・陣城くらい誰でもやってる。毛利北条武田作ったものだって当然残っている。
上方の職人なんて江戸時代にできたフィクションにすぎない。
織田の付け城が素早くて堅固で凄かったんだっていうのはただのイメージでしょ。
401 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:44:52 ID:fe5OnljJ
>>400 あんまスレと関係ないが検索かけたらこんな意見もあるらしいよ
ー
攻撃・守備拠点としての機能を果たす要塞である付城を、本城級城郭の周囲にごく短期間に多数構築
して敵対勢力を孤立させるという戦法は、戦国末期から織豊期にかけて全盛となった。
織豊期の戦争は、一時的な勝敗を問題にするのではなく、占領地域を領国に編入し、さらには敵対
勢力の息の根を止める殺戮戦へと質的に変化した。付城群を有効に活用した戦術は、それに照応するものであった。
信長をはじめとする天下人達には、付城戦を遂行する資本と技術が蓄積されていた。付城戦には、
敵城を包囲する付城群が配置され、それらをつなぐバリケードとして逆茂木や土塁が普請され、
堀が伴うこともあった。したがって水攻めも、その一形態に属する。
ー
兵の強さを競うのではなく経済面と技術で勝ちやすきに勝つのが新しい戦い方だったんではないかとおもうんよ
反対に真田にしろ、家康の小牧長くてにしろ野戦での勝利だが
そういった小が大に勝つようないくさは東国の野戦の流れをうけたものかなと。
まあ、経験値がものをいうわけで野戦がすたれていけば野戦上手な系譜もすたれるわけで
結局一時的な気風にすぎないものだろうけど
402 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:49:28 ID:a6bfP+uR
小牧長久手は付城群の戦術じゃないか?
付け城を突破しようと不用意に兵を機動させたことで別働隊が敗れたんじゃないかと思うが
403 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 21:55:48 ID:fe5OnljJ
そら、戦術は広まるもんだから相手もまねてくるだろうよ。
結局、付城戦術と野戦采配と調略いりみだれが戦国末期の様相だろうけど
やっぱ野戦は一番難しいんではないかな
様式化されにくいし、かといって誰でも経験次第で学ぶことができる
404 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 22:12:36 ID:a6bfP+uR
>>403 広まると言うか
小牧長久手に関してはどっちも織田系列だから
405 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 22:32:59 ID:5ikIotVq
毛利の内政に関する良書って何かある?
今川・武田・北条と多少法整備や集権化の進んだ地方大国が好きだけど毛利さんの傘連判も気になって来た。
406 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 22:39:22 ID:trbMikw9
だいたい野戦なんて物は信玄クラスの武将からすれば愚者の戦法だと一笑しそう
なのに、何故か信玄謙信厨は野戦好きが多いんだよな。
信長は野戦を出来るような用兵のシステムを作って、島津は野戦の戦法を昇華し
毛利は弱小ゆえの野戦をして、信玄謙信厨は軍記物で野戦を演出した(藁
407 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 22:49:40 ID:trbMikw9
>>405 毛利は基本大内の政治を継承した見たいね。隆元は五奉行制などして中央集権に
したかったみたいだが、これは隆元の死で失敗している。まぁ元々失敗したと思
うね。
408 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 22:59:48 ID:QsUHhDrJ
>>401 そりゃ築城技術の問題ではなくて物量、そしてそれをどう扱うかの問題じゃないか。
しかもそもそも武田の築城技術をきかないってレスに反論したのにどんどん論点ずれてる。
毛利元就の月山富田城攻めは陣城群によって補給線を維持しようとする尼子方に対して
毛利がさらに包囲するように陣城群を築いて補給線を断ったという、まさに陣城対陣城の戦いだよ。
409 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 23:36:23 ID:fe5OnljJ
>>408 いや築城技術だよ、一夜城だとか短期間に城をたてられるのは
物量だけじゃないでしょ
田舎と比べて都市部には技術者が多かったってのもあるし
経済力をそぐための付城戦略が有効な都市が多かったていうのもある
需要もあったし人材もおおかったんでしょ
武田は治水整理はやっているが土木建築=築城技術とはいえない
そういったのは技術者一人が命令すればことたりるが
陣城構築は現場の職人の習熟が不可欠。
毛利にしても同じ月山戸田城は持久戦だが、たしか4年ぐらいかかってるだろ
要するに織田との違いは機動力というか職人芸的陣城構築の速さにある。
ちがいをいうなら、
戦線の膠着から必要性としてでてくる陣城(というか塹壕)が旧来の戦い
陣城をつくってから、守勢の相手方が城攻めしているかのような
攻めづらさを与えるのが新しい戦術。
410 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 23:40:59 ID:a6bfP+uR
かかった時間を言うなら石山本願寺丹波八上播磨三木と
月山富田城とじゃさしたる違いは無いと思うが
411 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 00:01:16 ID:YzYO5249
たしかに
本願寺と尼子のゲリラ的抵抗はにてるなあ
紀伊の勢力はまだ残ってるし信長はあの地域を完全にものにしたとは言い難いか
412 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 00:04:34 ID:50hvnl8F
>>409 流石は信玄謙信厨、臆する事無く反論に一夜城を持ってくるとは…
しかも月山富田城を間違えるのは有りとしても、戦国時代に築城の名手とされた
馬場信春の事を全く知らない。本当に武田好きの人から見ても痛すぎる限りである。
413 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 00:22:31 ID:YzYO5249
>>412 別に一夜でつくったとは言ってないがな
一夜城が完全な虚構というには織田方の陣城戦略は
三木城攻めにしても顕著じゃないか
いうなれば織田方の戦略思想が一夜城という形で現れていると思う
それと馬場信春は土木建築に詳しかったとしても
戦場でそれを活かすという考え方がなかったんじゃないかって言ってるの
武田は金山もってるし治水も築城もしてるから
お抱えの土木建築集団はいたろうが、
えっちらおっちら穴掘り、縄張りでしょ
そういうのは職人の業じゃなくて、一人のブレーンがいて
あとは労役のなにも知らない派遣農民がやってたってことでしょ
414 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 01:18:22 ID:4jbAeyM9
わかったわかった。俺が逐次投入するのでどんどん論点がずれて無駄なレスが増えちゃうんだな。みんなすまん。
>>388では論点が畿内となっていたものがいつの間にか織田、そして戦国後期に摩り替わっている。
とりあえずは論点を『畿内は攻城戦とか陣城戦』に戻して話させていただくと
陣城群作戦は毛利がやる以前に大内もやっていたし、それに対抗しうる尼子方の支城、陣城もあったので、
(つまり、双方とも築城技術が発達していた)
この点、旧態依然どころか織田に先行していたし、城の技術は山陰山陽では十分に発達していたといえるだろう。
東国についてはまず武田と北条の築城技術というのはその特徴がはっきりしている。城ヲタなら見ればこれは武田流だなとわかる。
武田流築城術やそれに近い言葉でググればいくらでも出てくるよ。
一例を挙げれば丸馬出で、これは真田氏にも引き継がれて大坂城の『真田丸』になっている。
畿内の、織豊系城郭においても武田流築城術は十分に通用したどころかその弱点を見事に補っている。
これを見ても畿内に比べて東国の技術が劣っていたとはいえない。
>>401 繰り返すが最初のコピペはそれは織田と戦国後期の話であって畿内の話ではないね。
>反対に真田にしろ、家康の小牧長くてにしろ野戦での勝利
もう出てるけど小牧長久手は陣城使いまくってるね。
で、真田が野戦で勝利?真田は岩櫃城など堅城を攻略しながら勢力を伸ばしたし、
第一、第二上田城合戦はその名の通り上田城が舞台。当てはまるのは天正壬午の乱くらいだね。
>>409 付け城で包囲するのって相手の拠点を奪わなきゃいけないんだから、単に城を築くスピードでけりがつくわけじゃないんだけど。
毛利元就は最初の拠点を得てから支城網が整備されていた月山富田城の包囲を一年で完成している。
対して織田の付け城作戦の嚆矢である小谷城攻めでは最初の拠点を得てから包囲まで三年かかっている。
最初の拠点を得て小谷城の動きを封じたのが偉いというならそれもそうだが、横山城は別に信長が築いたものではないし、
そのための陣城作りなら武田信玄も西上野でやっている。
築城技術者の黒鋤は半農だ。瓦師に関しては確かに都市部に技術者が多くて、織田が積極的に取り入れたもの。
だが陣城にはあんまり関係がないだろう。石垣の技術者にしても太田金山城のように石垣城は関東のほうがはやい。
これも陣城にはあんまり関係ないけどね。
>>413 武田のお抱えの職人の半分以上は築城職人。
415 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 19:44:02 ID:DWK/pd0z
あんま流れと関係ないが
>上杉・武田の様に軍記物の中だけの野戦だと、勝った筈なのに何も得る物が無かったような結末にしかならない
これ真理だよねー
創作物で上杉・武田は野戦の天才と美化されてるもんだから
「じゃあ何で、そんなショボイ勢力のままなの? 勝ったのに状況変わらんの? 無意味な戦に勝っただけ?」
って疑問がちらついて、フィクションと割り切って楽しめないとこがあったりする。
毛利は逆に、史実で野戦が最強レベルだったのに
明らかに上杉・武田以上に凄い結果を残してるもんだから
「毛利元就は戦の天才ではなく謀略の天才」
みたいな描き方なんだよね。
謀略>戦術ってのは間違いではないと思うが
どーもフィクションにおいては
上杉・武田=戦闘の天才
毛利=謀略の天才
って感じにキャラ分けされてる希ガス
なんか織田も「戦では上杉武田に勝てないが謀略では上だった」みたいな描かれ方多いしな。
戦は下手な部類だが謀略を駆使して生き残った武田の、政治家としての泥臭い執念や
逆境を跳ね除けて連戦し、どうかこうか広大な領土を獲得した毛利の軍人としての傷だらけの生き様とか
たまには史実に近い物語も目にしてみたいなー、と思う今日この頃。
…いや、毛利のフィクションのイメージは
「三本の矢」繋がりでホームドラマかなw
416 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 19:51:33 ID:YzYO5249
>>414 支城網と付城・陣城は考え方がちがうよ。
前者は、防御から何重にも壁をかこむ、城塞思想
後者はひとつには経済封鎖的拠点として、ふたつには
敵方の城に対するカウンターとしてのもの、
戦術・戦略両面を考えた攻城思想によるもの
しかし、概して地方の付城は戦線の膠着からくるもので
防衛・しかも多めに見ても戦術面にかぎられる。
それは、築城に時間がかかったし、経済封鎖というまで
経済の振興がなかったから。
だから、戦後に意味をなさなくなる臨時的なものが多くなる
>織田の付け城作戦の嚆矢である小谷城攻め
信長は美濃攻めに際して
小牧山城を築城してるが、これも美濃を経済的に圧迫させるためだった
て言われてるよ。陣城も一夜城に代表されるように
相手領地に城をくさびをうってじわじわ経済封鎖かけて
疲弊したところを攻めるってのを織田家はやってますよ。
あと、畿内って話だけど、織田からはじまって織田の家臣の割拠の時代って
意味だからね。織田が絡むまでの畿内は
戦というより将軍を擁したクーデターの連続だし
戦い方は西国といっしょ
417 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 19:54:28 ID:YzYO5249
もひとつ。武田にしてもなんにしても築城職人と言えば聞こえはいいが
たんなる土木作業を生業としているだけの人だよ
彼らが組合をつくって自治性をもったのが〜衆とよばれる。
そういうのって結局在地性が強く、融通がきかないもん
戦場に陣城普請にでばってきたのかどうか不思議だな。
要するに、馬場がそういうお抱えとの折衝をまかされてて
いくらか部下にもらってたってところだろ。
その職人の多さと需要の多さから畿内の築城職人部隊は
武田のはるか上をいっていたってところじゃない。
さいご。小牧長久手と上田城はいづれも守勢の戦いじゃん
しかも勝敗を決したのは野戦でしょ
城を攻めあぐねることと大敗はちがう
野戦の要は用兵
418 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 20:11:56 ID:UVmb2VQY
>>415 フィクションにおいての上杉武田の扱いには司馬御大ですら苦労してる
「如何に信玄が戦の達人であろうと甲斐一国を受け継ぎながら
他の国一つを奪うのに生涯を捧げるような男だ。
信長とは次元が違う」
次元が違うも糞も戦の達人って前提が嘘なんだから
実際に戦が激強だった信長や元就と比べて残した功績が少ないのは不思議でもなんでもないw
419 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 20:13:29 ID:YzYO5249
野戦ても、戦場に来てはじめて作戦たててるようじゃ下の下
大切なのは状況判断、そこからの帰結として情報収集
そこで初めて戦場の決定、誘導、地形の理、采配、統率、用兵、兵種
といったものが現実を帯びてくるわけで
いい道具はもちろんのこと、道具を適材適所する目ありきだわな。
元就は、状況判断というより、
意図的に自分の望む状況に誘導するってのが他とちがうんじゃないか
有能なビジネスマンでも、有能な社長でもなくて
有能な詐欺師に近い。
420 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 20:25:12 ID:DWK/pd0z
>野戦ても、戦場に来てはじめて作戦たててるようじゃ下の下
やー当時の技術で、そこまでハードル上げるのは酷じゃない?
戦国時代における野戦なんて、よほど重要な決戦でもない限り大半は遭遇戦な訳だし
(川中島ですら、遭遇戦説が有力として浮上してる)
毎度毎度「作戦」なんて大層なもんを考案してる方が少数派でしょ。
だからこそ「数の絶対性=兵数の多い側が少ない側に勝つという鉄則」があった訳で
信長の桶狭間が有名となり、信玄の研石崩れが有名となる訳。
信玄なんかも、その「数の絶対性」を確立して戦場に挑むという意味での「戦の達人」だったんだから。
元就の厳島合戦みたく
「少数で多数に勝つ為に、情報操作して敵の大軍を指定の戦場へと誘導し、援軍を引き込んで殲滅する」
なんて例が特殊過ぎるだけw
元就自身にとっても、生涯で有田合戦に並ぶ大戦果なんだから。
野戦で状況判断して作戦を立てれるだけで名将でしょ、充分に。
421 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 23:50:59 ID:k0dHu2J+
>>420 >信玄なんかも、その「数の絶対性」を確立して戦場に挑むという意味での「戦の達人」だったんだから。
それは信長や元就も、当然の如くやっているわけ。
というか、どちらかといえばそっちの方が多い。
信長や元就の凄いところは、それプラス、寡兵でも強かったわけで。
野戦ではほぼ負け知らず。
村上程度に野戦でボコにされた、信玄とはレベルが違うと思う。
信長の稲生合戦、元就の有田合戦のような真似は、信玄では逆立ちしても出来ないだろう。
422 :
人間七七四年:2007/09/05(水) 23:56:25 ID:50hvnl8F
>>420 だよな。
信玄の凄さは戦上手って言うより、そこに行くまでの過程の凄さだよ。
ぶっちゃけ甲斐、信濃なんて言うのは経済の流通から外れた地で地形、気候、物資
の全てに措いて不足してる筈なのに当時の流通の要だった上野や東海道を攻め取っ
たし、物量戦で敵に遅れを取る事は無かった。これは対織田に対してもそうだった
から凄い。しかも普通なら滅亡するような大敗退の後でも躍進を続けた。
そこら辺の事はスルーして軍記物の戦話ばかりするから嫌われるんだよ信玄厨は。
423 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 00:24:26 ID:GahSI4q/
古来の中国の諡にしても「文」は「武」より上。
強い君主なんて本来二流扱いだろうに、多くの歴史好きな人は強い君主像を求め
るんだよな。信玄が生きてたら嘆くぞ…まぁしかし、そこら辺が信玄の限界だっ
たとも言える。実際は病気がちで超一流の政治家で文化人だった信玄が虎のよう
なイメージで、政治家としては殆んど実績のない軍人の元就が文民政治家のよう
な扱いを受けている。流石は日頼様は死後の徳でも圧勝です><
424 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 05:35:41 ID:JfTblpov
信玄が超一流の政治家で文化人のソースってなんですか?
外交では頭下げる事ができないで結局周囲を敵だらけにした外交無能ってイメージしかないし
敵だらけにしたばっかりに戦しまくりで金山を堀尽くして
華々しい戦果を上げたとされる三方原でも徳川重臣を打ち取れてない
長男を抹殺して不和の種を撒いて約束破りはお家芸
425 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 06:49:26 ID:Manoqn7Y
>結局周囲を敵だらけにした外交無能ってイメージしかないし
その中でも領土を失わず、上杉北条に逆包囲網仕掛けたのは評価出来ると思うが。
というか周辺を敵だらけにするのは急に大きくなった大名の宿命だろ。
>金山を堀尽くして
ソースは?
>三方原でも徳川重臣を打ち取れてない
忠勝の叔父とか元忠の弟みたいな中堅は結構死んでる。
というか合戦で指揮官が討ち取られることなんて滅多にないし、10%の討ち死にはかなり大きい。
>長男を抹殺して不和の種を撒いて約束破りはお家芸 結果論。
426 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 08:34:54 ID:yEcQYYcJ
>>425 駿河失陥してるじゃん
しかも上杉北条は結びついてるし
427 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 09:01:26 ID:JfTblpov
周囲を敵だらけにしたのは領土を拡げた宿命じゃなく信玄のやり方が悪いからだろ
っで信玄が超一流の政治家のソース速くだせよ(´・ω・`)
428 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 09:58:48 ID:YJ172+Et
>>427 甲州法度次第を見ればわかるが
逃亡者が出ると同じ村の人間に負担が来るから
逃亡者が出ないように村人が相互に監視しあい
法度で逃亡者は何処までも追いかけると規定し
よその土地から来た農民がいたら訴えるように通告して
逃げても掴まるようなシステム
逃げ出して掴まって村に戻された村人は村八分にされると
それが怖いから誰も逃げ出さない
若しくはみんなで相談して逃げるしかない
でもそのような相談していたら密告しろ黙っていたら同罪にすると
このように効率的な収奪システムを構築したことは
統治者として政治家として超一流であった証拠になると思う
429 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 12:05:25 ID:0VUlsnmr
ワロタwww
430 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 15:29:43 ID:u+5eupbj
超一流、と言われると疑問が残るが(少なくとも信長や氏康よりは下だろ)
一流の政治家、というのは間違いないだろう信玄。
甲州法度についても「古代から前例のあるやり方。大半は今川の物真似」なんて指摘もあるが
それでも効率的な収奪システムってのは確かな訳だし。
外交については意見分かれるとこだね。
前半生はプラス、晩年はマイナスだから。
上杉相手に勝てないと悟って織田に懇願して和平結ぶなんて
イメージじゃ「信玄は信長に土下座外交して情けない」とか思う人もいるかも知れんけど
実際の成果として停戦出来るなら外交的な成功として文句ないところ。
もちろん元就は元就で軍事的才能のみならず政治力もあるのも付記しておく。
(こっちは朝廷への献金とか民政とは違う分野な功績が多いけど
431 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 16:09:47 ID:0VUlsnmr
>>430 一流の外交官は将来を見据えて今の立場なんて捨ててでも利を取るって物だ。
別に信長に頭を下げたことを責める奴はいないだろ。信長も朝倉に頭下げてるし。
432 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 16:50:22 ID:bfqBwiYC
>>431 頭を下げた事で信長は○○を恐れていた、なんてイメージだけが一人歩きしている
信玄が信長に出した書状のほうはイマイチ知れ渡ってないね
433 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 17:38:31 ID:u+5eupbj
つーか国力差を考えれば信玄が信長に媚びへつらってたのは当然だよね。
それを情けないだとか言うのはおかしいと俺も思う。
信玄は対面に捉われる二流の男でなく、優秀な男だったんだから
見栄なんて捨て去って実利を取った。それは賞賛すべき事。
逆に信長の方が、近畿制圧後も信玄(つか周囲の大名ほぼ全て)にも低姿勢だったのが
珍しいっていうか凄いと思うよ。
信長包囲網の際にも、その外交手腕が功を制して敵の各個撃破に成功した。
一番の強敵である朝倉と正面衝突の際にも、致命的な挟撃を受ける体勢にはならずに
遅めのタイミングで裏切った信玄が脇腹を突いても、頼みの朝倉との連携が取れずに手詰まりだった。
434 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 18:22:24 ID:yEcQYYcJ
>>428 どこの大名もやってると思うがね、人の固定は
そもそも、飢饉で農民が蕨で食いつないでる状況で新たに新税を課す奴のどこが一流の政治家なんだ
それで結局農民が逃げて行ってるのに
435 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 18:35:18 ID:gW2y3OM3
たまに講談的な本やHPで甲州法度次第は信玄の国造り国内統治の基本姿勢を示しているとか
書かれてるとこあるけど
甲州法度次第じゃ
税に関して農民との話し合いには応じない、但し村の人口の過半が死ぬか逃亡した場合に限り
一度だけ話し合いに応じるとかなっていて
民に対しては凄まじい基本姿勢なのに、その部分はスルーして
最後の信玄自身に対する規定だけ持って素晴らしいとか称えているんだよな
436 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 19:00:24 ID:JfTblpov
>>433 武田のどこが見栄を捨てて利をとった低姿勢なのか?
上杉にも北条にも最後まで強行を貫いて上洛を遅れさせただけではないか
最後は上杉に見栄を張りすぎた事を悔やんで死んでいった訳だか
437 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 19:43:39 ID:u+5eupbj
>>433だけど
俺が主に評価してるのは「織田に仲介を頼んで上杉との講和に成功した件」について。
この一件に関しては、信玄は明らかに見栄を捨てて利を取ってると思う。
信玄自身の基本姿勢に関しても、見栄よりは利を取ってると思うんだけどなぁ。
対上杉に関してだって、見栄もへったくれもない講和破りかまして何度も攻め込んでるし
今川は同盟国だし血縁関係にもある、という嫡子の訴えを退けてまで
「駿河所領」という利を求めて、当時の価値観においてですら最悪の裏切りをやってのけてる。
上洛が遅れただとかは「利を得られなかった」だけであり「利を求めなかった」ではないと思う。
むしろ領土欲などの利に目が眩むばかりに上杉北条らと敵対関係のまま
大局的な視野で物が見れなかったのだろうし
信玄自身、世間で言われるような「戦国最大最強の大名」でも何でもなく
「一地方で栄華を誇った100万石越えの大名」に過ぎないのだから、それが間違いとも言い切れない。
信玄という男は見栄(義理)を捨てて利(領土欲)を求めすぎたばかりに
結果的に武田本家衰退の遠因を作り、派手に散っていったのが特徴であり
それが分を弁えた手堅い成功者の元就などとは違った独特の魅力なのだと思うが、どうだろう?
438 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 19:51:06 ID:oPORp9Y/
武田は死兵 ひもじさがうんだパワーが戦国一
439 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 09:00:47 ID:S9UPNxzX
見栄と義理とはちょっと違うだろう。
甲陽軍鑑の話だからあまりあてにはならないが、晴信と景虎との対決の初期のころに
家臣たちが進言して
「越後は大国で景虎は強い。たとえ晴信公が勝っても落着は遅くなるだろう。景虎とは
和睦するように」と言ったという。
これに対して信玄は
「もっともだが、若い景虎が大国を持っているのに恐れて和解したら、信濃の他の部分を
短期間に取れても、近国他国では晴信が弓矢では景虎に負けたと取り沙汰するだろう。
これでは末代まで武田の家の恥だ」
と言って退けたという。(品二十九)
信玄が謙信との対決を続けた理由には
>>436も言っているようにこういう見栄や意地が
あったんじゃないかと思う。講和破りは義理の問題でこれはまた別の価値判断かと。
440 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 13:17:50 ID:9sq12lw1
信長が上洛とか畿内平定ばっか考えてるなら美濃平定後伊勢なんか攻めなくていいし。
飛騨なんて山がちで糞みたいな取り柄ないとこと上野や信濃、駿河を一緒にすんなよ
畿内とるのがそんなに重要なら畿内に大きな勢力を誇った三好とかなんであっさり撃退されたのか?
って話だ。信玄とかも諏訪から信濃北部向かうより伊那口から美濃方面むかって
畿内へいった方がいいじゃん。いくら畿内とっても国力がともなわければ三好みたいに
退治されるだけだろ。畿内方面優先に進行してない大名なんていくらでもいる。
尾農二カ国時代の織田が武田に正面から戦い挑んでも国力的に全然及ばないし勝てないだろ
つうか本願寺って摂津と加賀だけだろ?一向宗は確かに厄介だろうけどそんなに大騒ぎする
程か?石山は攻めにくくて厄介かも知らんが。実際畿内が小大名がひしめいている
感じだから攻めやすかっただけで一つのまとまったでかい勢力だったら畿内なんてむかえないだろw
武田は御館の乱起きて北条と決裂するまで長篠以降も全然徳川に城取られてないじゃん
緩衝地帯越えて敵を攻めてる例なんていくらでもあるし(中国地方とか)
同盟者の領地越えてる例なんて朝倉攻めとかまさにそれじゃん
441 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 13:29:30 ID:9sq12lw1
奥州の大名が信長に通じてきたのは信長が強大になってからだろ
その前なら東国進出する選択肢選んだって何も損はないし天下は西日本
だけじゃないんだから東西バランス良く勢力伸ばそうとするだろ 奥州だっていくらでも豊かな土地はあるしな
実際秀吉も東の家康は手ごわいとみて始めに御しやすい西日本から攻めたんだろ
毛利を二万程度でやっつけられる秀吉に寡兵で勝てるほどの野戦上手の家康を
野戦で完勝してる時点で武田と毛利の力差がありありと読み取れる。
長篠であそこまで完敗したのにその後なかなか三河や遠近江も取り返されず
七年も家が保てるってだけですごい。
普通なら毛利みたいにすぐ裏切りが続出して追い込まれるか朝倉みたいに
すぐ潰されるかどっちかだろ
442 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 13:35:53 ID:9sq12lw1
443 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 14:09:36 ID:bSxjNQ91
>>大きな勢力を誇った三好とかなんであっさり撃退されたのか?
そりゃ三好に統率力のある実力者がいなかったからだろ。
>>伊那口から美濃方面むかって 畿内へいった方がいいじゃん。
そんな狭い道をどうやって大軍を通していくのか?
今川が存在しているのにその道を通る危険性は?
信濃から岐阜に攻め込んで補給は追いつくのか?
>>畿内方面優先に進行してない大名なんていくらでもいる。
すべての大名が天下統一を狙って行動しているとでもお思いなのでしょうか?
>>一向宗は確かに厄介だろうけどそんなに大騒ぎする程か?
少なくとも武田なんかより遥かに恐ろしい相手だろ。
領内で騒ぎ起こされるは敵勢力と組んで対抗してくるわでやりたい放題。
実際信長軍主力が攻めに転じてる際に五分以上に戦えたのは本願寺だけなんだけど?
動員数も他の勢力と比べ物にならない。信長の弟も戦死させられている。
>>館の乱起きて北条と決裂するまで長篠以降も全然徳川に城取られてないじゃん
脅威の重みはどう考えても 本願寺>武田 相手にする優先順が違っただけ。
>>実際秀吉も東の家康は手ごわいとみて始めに御しやすい西日本から攻めたんだろ
大友が『関白秀吉』に助けを求めたから西を優先したんだろ?
これを達成できなかったら大友の救援を達成できなかったと関白の名が折れるからな。
それに臣従していた大国毛利が西にいるのもでかい。実際毛利は主力の中核として参加している。
>>奥州だっていくらでも豊かな土地はあるしな
あったところでっていう。そんな偏狭のど田舎に積極的に中央政権がすすむ必要もない。
>>普通なら毛利みたいにすぐ裏切りが続出して追い込まれるか朝倉みたいに
外様中の外様の宇喜田や南条が裏切ったところでそこまで激しい動揺はねぇよ。
武田みたいに主力が派遣されましたってだけで外戚がころころ裏切るような糞体制のどこがすごいのか。
444 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 14:14:15 ID:SuuLX8mT
おいおいマジレスしてやんなよ
可哀想なゲーム厨なんだろwwwwwww
445 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 22:37:21 ID:NXlQtNSN
>>440 >>尾農二カ国時代の織田が武田に正面から戦い挑んでも国力的に全然及ばないし勝てないだろ
尾張・美濃2カ国の時代という事は武田は駿河を手に入れていない時代という事か
どういう風に考えたら織田が武田に国力的に全然及ばないし勝てないのかな
石高でも織田>武田だし、経済面で見たら織田>>>武田じゃねえかw
446 :
人間七七四年:2007/09/07(金) 23:05:21 ID:r57PzUUN
>>445 尾張美濃二カ国時代ということは、信長は北伊勢数郡がプラスされます。
68年の上洛以前なら北伊勢八郡になります。
447 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 07:58:42 ID:X+E2Tmds
>>440 >畿内とるのがそんなに重要なら畿内に大きな勢力を誇った三好とかなんであっさり撃退されたのか?
信長が上洛した時は三好は大混乱の後だったからなー
それでも延々と1575年ぐらいまで畿内で抵抗していたけどな、
畿内が一段落したのでようやく本腰挙げて徳川支援したら長篠であっさり勝利と
>武田は御館の乱起きて北条と決裂するまで長篠以降も全然徳川に城取られてないじゃん
二俣諏訪原と重要拠点を奪われて駿河に攻めこまれているが
もう少し歴史の勉強をしたら
448 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 09:26:58 ID:6178EAAh
449 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 18:19:23 ID:dR+X/JKp
馬鹿晒しage
450 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 18:30:07 ID:ZO/HoQCP
・不利な側面ばかり強調し利点は語らない
飛騨なんて山がちで糞みたいな取り柄ないとこと上野や信濃、駿河を一緒にすんなよ
・関係ありそうで関係ない話を始める
畿内とるのがそんなに重要なら畿内に大きな勢力を誇った三好とかなんであっさり撃退されたのか? って話だ。
・無知丸出しの極論を取る
信玄とかも諏訪から信濃北部向かうより伊那口から美濃方面むかって畿内へいった方がいいじゃん。
・不条理な過小評価により間接的に他を貶めようと図る
一向宗は確かに厄介だろうけどそんなに大騒ぎする程か?
・ゲーム脳
東国進出する選択肢選んだって何も損はないし天下は西日本
だけじゃないんだから東西バランス良く勢力伸ばそうとするだろ 奥州だっていくらでも豊かな土地はあるしな
・釣りとしか思えないマジレスをする
毛利を二万程度でやっつけられる秀吉に寡兵で勝てるほどの野戦上手の家康を
野戦で完勝してる時点で武田と毛利の力差がありありと読み取れる。
451 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 20:46:02 ID:rxX0nURE
ワロタwwwwwww
452 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 22:42:18 ID:L8CNrB0E
453 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 22:53:27 ID:hOEheXax
畿内は経済力・石高とも圧倒的、ここを無視して天下は有り得ない。
一向宗は烏合の衆の伊勢長島勢させ信長の一門衆を大量に討ち死にさせている。
本願寺勢の要、雑賀孫一は僅か7万石で信長の10万の軍勢を跳ね返した。
454 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 23:01:41 ID:gRiba44M
なんで毛利対武田関連のスレが多いの?
元就と信玄は戦国時代を代表する二大英雄だからかな
455 :
人間七七四年:2007/09/09(日) 23:33:07 ID:ZO/HoQCP
信長相手じゃ完敗するけど元就辺りなら勝てんじゃないかなと儚い希望を抱いた
信玄儲さんが立てちゃうんじゃないかな
456 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 00:18:26 ID:PrP3vnq9
スレタイみればわかるだろ
元就厨が建てたのがw
元就単体じゃスレが保てないから
信玄を利用しただけ
457 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 03:44:49 ID:gFKcnb/s
458 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 12:12:49 ID:ZbNViNxA
つうかこの毛利厨北条スレで煽りまくってた基地外だろ
お前調子のっとんなよ煽りしか脳ないならROMって社会性を身につける事を推奨する。
こんな都合いいタイミングで単発ID が何人もわらわら現れて相手を貶めるレスするわけねぇだろボケw
どー考えて毛利雑魚ですからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そんな雑魚毛利を擁護するお前の脳ミソ死んでますからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
死んで来い自演毛利厨
459 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 12:18:57 ID:D8GfRHMf
信玄の場合、三国同盟を組んでいたから北上以外選択肢が当時なかったからっていうのもあるだろうな
西の美濃攻撃は、地理的に難しいし
今川はまだ桶狭間の打撃の前で、東海随一の大勢力
北条には政戦双方の達人である氏康が健在
当時の謙信は、まだ越後一国を統率できるかどうかというレベルだった
対決する場合一番楽なのは謙信
460 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 12:29:27 ID:ZbNViNxA
>>443 >そりゃ三好に統率力のある実力者がいなかったからだろ
だろ?ようは畿内持ってても雑魚は雑魚
>そんな狭い道をどうやって大軍を通していくのか? 今川が存在しているのにその道を通る危険性は?
>信濃から岐阜に攻め込んで補給は追いつくのか?
謀略でも使えばいいだろうが 今川は同盟者だし中継地点もどこにでも
作れ後に岩村とったくらいだしな
>すべての大名が天下統一を狙って行動しているとでもお思いなのでしょうか?
国力挙げないといえがたもてんだろうが畿内重要なら畿内目指せばいいだけ
天下目指して立って信玄みたいに今川との同盟破る等して畿内目指してる例
いくらでもある
>少なくとも武田なんかより遥かに恐ろしい相手だろ。
妄想乙本願寺なんて上杉や毛利に依存して堅固なとこ篭って
一向宗どもを使って荒らしまわってただけじゃねぇか
自力では大した戦力にはならん雑魚近畿勢www
>領内で騒ぎ起こされるは敵勢力と組んで対抗してくるわでやりたい放題。
>実際信長軍主力が攻めに転じてる際に五分以上に戦えたのは本願寺だけなんだけど?
他勢力に依存して堅固なとこ篭ってた割にはあっさり終わりましたね
>動員数も他の勢力と比べ物にならない。信長の弟も戦死させられている。
信長の弟が捨て駒にされたか弱かっただけだろうね
>脅威の重みはどう考えても 本願寺>武田 相手にする優先順が違っただけ。
妄想語ってんじゃねぇよボケ 根拠もねー癖に武田を滅ぼせなかった事に
都合いい理屈つけとんな馬鹿がwwwwwwwwwwwwwwww
>大友が『関白秀吉』に助けを求めたから西を優先したんだろ?
東国で助け求めた勢力はなかったんかね?佐竹とか
>それに臣従していた大国毛利が西にいるのもでかい。実際毛利は主力の中核として参加している。
東国だって臣従してきた所はあるだろ 東国侵攻先延ばしにする意味なんてない
西国中心思考の妄想をほどほどにしとけよ毛利厨
461 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 12:35:32 ID:ZbNViNxA
>あったところでっていう。そんな偏狭のど田舎に積極的に中央政権がすすむ必要もない。
んなもん九州とかも一緒だろうがw西日本中心妄想はやめろ
>外様中の外様の宇喜田や南条が裏切ったところでそこまで激しい動揺はねぇよ。
外様だろうがなんだろうが味方が次々減ってんのにそれを未然に防ぐ対策や
裏切る前に攻勢にでれない時点で弱すぎる
>武田みたいに主力が派遣されましたってだけで外戚がころころ裏切るような糞体制のどこがすごいのか
お前ちゃんと理解してねぇな 武田は軍役負担で国人の不満が最高潮に達してたの
三方面に敵抱えてたからな 毛利なんぞ織田とたいした会戦もせず
裏切り続出の雑魚集団とはわけが違う
462 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 12:41:45 ID:ZbNViNxA
>信長が上洛した時は三好は大混乱の後だったからなー
信長だって後に包囲網組まれてますね
>それでも延々と1575年ぐらいまで畿内で抵抗していたけどな、
中央追い出されて残党になっただけですね
>畿内が一段落したのでようやく本腰挙げて徳川支援したら長篠であっさり勝利と
お前ちゃんとわかってる?織田徳川方にも甚大な被害でてるだろうがw
二倍くらいの兵力さと高性能の鉄砲があり普通なら勝負にすらならなさそうだが
織田サイドの多大な死傷者、やはり雑魚毛利とは格が違う
あげ足とってよろこんでんじゃんぇよぼけwwwwwwwwwwwwwwww
463 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 12:50:27 ID:yVlvRuPy
三方に敵ってそれは武田自ら敵にまわした相手ばかりじゃないか
464 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 12:52:07 ID:ZbNViNxA
岩村の遠山家は武田方に通じてただろうがw
そこから西に向かえばいいだけだろw
手取川で織田を退けた謙信や三方が原で戦巧者の家康に大勝、長篠でも多大な損害を
相手に与えた武田
一方いいところなく家康にボロ負けする秀吉にやられまくる毛利
どー考えても武田、上杉>>>>>>>>>>>>>>>>>>毛利ですからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
東国大名>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>西国大名はガチですからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
西大名厨の痛い基地外妄想野郎は発言を控える事をお勧めします
西日本の戦闘力はウンコw
465 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 14:04:06 ID:H8Oxs9kO
スレもりあげ頑張ってるのは分かるけど
正直、あんた背中がすけてるぜ?
466 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 16:52:47 ID:SqTxEGKh
夏休みで暇だし大学友達いないし釣りでもしてみるか!
まで読んだ
467 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 18:26:49 ID:XcDkLyLS
家康にぼろ負けの秀吉・・・か。
久々にこの一文を見たわ。っというか久々にメガトンって奴の登場でつか?
468 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 20:26:44 ID:FKuF/Y4Q
いや、あいつは w じゃなくて w だったはずだが。
469 :
人間七七四年:2007/09/10(月) 21:53:16 ID:SqTxEGKh
大 爆 笑
とかな
470 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:07:40 ID:g2whOFlS
なんでこの手のヤツって似かよるんだろ
471 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:31:36 ID:OMb013rB
戦国の不文律
上=武>徳>北条>里見
杉=田>川>豊臣>島津>龍造寺>大友=毛利>尼子>大内
472 :
人間七七四年:2007/09/11(火) 00:42:34 ID:bQS6dnIU
ランクスレで思いっきり語って罵倒されてこい
473 :
人間七七四年:2007/09/12(水) 21:41:29 ID:kFLXVfG/
ランクスレで語れるほどの知識も無いだろw
474 :
人間七七四年:2007/09/14(金) 01:12:24 ID:1zI53cM5
泣けるぜ
475 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 22:00:26 ID:IwbBTAsa
毛利元就って確かに傑出した大名だとは思うが、やっぱ物足りない。
よく2つの大国に挟まれながらそれらに打ち勝って勢力を伸ばしてきた
っていわれてるけど、若い時の元就はそれら大内尼子の傘下にいたおかげで
生きながらえてきたわけだし、実際元就が本格的に行動(中国統一)を
起こした時ってすでに52歳の老練であり、相手の大国の大名は若輩者ばかり
陶晴方にしたって家中内部を散々元就にかき回されるような武将だった。
つまり皮肉るわけではないが元就はどこか勝って当たり前のような気がする。
いくらわずかな手勢で大軍を倒したっていっても、相手の武将がアホではあんまり
意味がないような気もする。
逆に武田信玄や上杉謙信などは、同等の力量をもった相手ばかりに打ち勝ってきた。
476 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 23:48:17 ID:JYqoOxG/
相手がアホて…
477 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 23:49:25 ID:eiX8Jrp0
>>逆に武田信玄や上杉謙信などは、同等の力量をもった相手ばかりに打ち勝ってきた。
同等の力量をもった相手ばかりに打ち勝ってきた?
wwwwwwwww
478 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 00:12:22 ID:csXxbiz5
>いくらわずかな手勢で大軍を倒したっていっても、相手の武将がアホではあんまり
>意味がないような気もする。
この意見には一理あるな、村上義清等は傑出した武将かもしれないが
相手がアホの信玄だからな。わずかな手勢で倒しても意味無いよなぁ。
479 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 00:56:25 ID:rPPQYpL+
元就の主な戦
有田合戦:対武田 安芸の国人衆を糾合し、毛利方の約4倍の兵力の武田を撃破
高橋討伐:対高橋 安芸・石見に一大勢力を持つ有力国人高橋氏を滅ぼす
郡山篭城:対尼子 尼子は中国8ヶ国の国人衆を大動員も毛利軍に連戦連敗
晴久侵攻:対尼子 尼子晴久の大軍を備後にて撃破
折敷畑山:対陶氏 陶先鋒の宮川軍(毛利全軍と同等の数)を殲滅
厳島合戦:対陶氏 毛利軍の4倍の陶晴賢の大軍を奇襲殲滅
防長攻略:対大内 1万の地侍の一揆軍・大内軍・尼子軍と3正面を同時に戦い勝利
出雲攻略:対尼子 背後から大友の侵攻を受けながら2正面作戦に勝利
480 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 04:13:15 ID:F4IyKv33
信玄も勝頼に三本矢教えてれば……内紛が起きそうだ
481 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 12:06:20 ID:yzzfHJEO
倒してはいないが信玄が戦略勝ちを治めてきた相手(強豪編)
村上義清・・・・・老練な戦巧者、これを見事信濃から追い出す
上杉謙信・・・・・信玄と近い世代で大国を築きあげる
北条氏康・・・・・同じく
毛利元就が倒してきた相手(強豪は無し)
陶晴方・・・・・・クーデターを起こし、敵の度重なる謀略を見抜けないアホ
大内義隆・・・・・上のアホに家を取られましたボンボン馬鹿ボン
尼子晴久・・・・・上のアホと大差無いほどのボンボン馬鹿ボン、家督を継いでから
たいして進歩無し
482 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 12:19:36 ID:O9zBt7fc
贔屓もいいところだな。西国無双と呼ばれた男をアホ呼ばわりか。強豪は無し?とりあえずその無知をなんとかしてから書き込んでください、よろしくお願いします。
483 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 12:48:53 ID:csXxbiz5
元就は安芸の半分に満たない国人領主から中国を掌握した男だもんな。
信長くらいじゃないと比較対象にならないだろ、せめて氏康。信玄じゃ論外
484 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 13:10:19 ID:d+9VS6uh
>>481 その言い方じゃあ、村上も上杉も敵の度重なる謀略を見抜けないアホ、ってことになるわけだが。
しかも、石高もどっちも武田より下だし。
にも係わらず武田は村上に二回敗退、上杉には勝ちきれず。
もちろん北条氏康には全く勝っていない。
なんか武田家の哀れさを強調しているようにしか見えないわけだが、そういう意図?
485 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 13:22:27 ID:5jrfyMGS
村上って
すぐれていたより
完全に信濃の地位を確立してて
地盤を気づいてたってとこでしょ
んで敵対する勢力も武田しかなく地の利を生かしたゲリラ戦法で
武田を苦しめた
信濃じゃ武田は信虎の代とかで恨まれまくりっと
486 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 13:29:47 ID:d+9VS6uh
村上は別にゲリラ戦なんかしていないが。
487 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 13:43:13 ID:yzzfHJEO
>>484 こりゃあかんわ、何でそういう解釈になるんかなあ?(笑)
君リアルで散々馬鹿にされてるんやろうね何かにつけて(笑)
戦に大事なのは、指揮官の能力=兵法>>>>>>>>>>軍勢の数
こんなのは小学生でもゲーム脳でも理解出来ることやのに(笑)
信玄は未熟な時期から強敵と渡り合ってきた、信濃平定も相模への威嚇攻撃
も駿河平定も全て強敵に勝手のもの。
元就は未熟な時期は大国の傘に隠れていただけであり、その後は若輩者にしか
勝っていないだけ。
488 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 13:49:45 ID:yzzfHJEO
信玄の功績
川中島で謙信を敗走させ信濃をほぼ手中にし、飛騨越中上州にまで
勢力をのばし謙信への備えとする戦略勝ち
駿河攻略を氏康と争い、包囲網を逆に氏康に仕掛け相模と駿河で戦に
勝ち、そして駿河を先に平定する戦略勝ち、氏康は小田原から出撃
するのが遅れてしまう(三増峠が先に終わった為)
元就の功績
・・・・・・・・・・何もないね、ただひたすら若輩者がおさめる国を
掠め取っただけ
489 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 13:50:14 ID:Wp7Fz6uu
戦いは数だよ、兄貴
490 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 13:54:31 ID:DL7k3+Kg
>487はナポレオンに喧嘩を売った
491 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 14:00:06 ID:rPPQYpL+
信玄が大苦戦させられた相手
村上義清・・・・・僅か10万石程の弱小領主、謀略にもかかりまくり
上杉謙信・・・・・親から越後を受け継いだだけでその国内でも果てしない謀反の嵐
北条氏康・・・・・謙信相手には防戦一方、しかし信玄相手なら野戦で真っ向勝利
毛利元就が倒してきた相手
武田元繁・・・・・元安芸分郡守護、大内に真っ向から反抗し5000の兵を集める
陶晴賢・・・・・・歴戦の武勇の士、数百年続いた大内を正面から攻め滅ぼす
大内義隆・・・・・名門大内の最盛期を築き上げ、山口を西の京と言われるまでに発展させる
尼子晴久・・・・・尼子の最盛期を築き、室町幕府をして恐れせしめ介入させた
492 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 14:33:03 ID:Oy023CNA
中国地方のマイナー争乱言われても他地域から見たらアンゴラの内戦ぐらいだしな
493 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 15:57:55 ID:bE1TRDzH
494 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 17:30:47 ID:yzzfHJEO
>>491←←まさしく西のはずれの田舎大名マンセー君wwwww
義隆や晴久なんてそんな高評価に値する大名ではないwww
ただひたすら滅亡を自らの手で招いただけのボンボン馬鹿ボンボンですww
ちなみに若い時の元就が信濃を攻略していたら間違いなく滅亡させられてましたね
家中をまとめきれてない当時の毛利であれば、敵の謀略に引っかかること間違いなし
山岳地帯で村上相手に勝てる見込みなんてゼロですねwww
いや、野戦で謙信にも勝てないだろうし、氏康あたりが互角じゃないか?
しかしいまだに氏康が信玄に勝ったなんて妄想を抱いてるとは恐れ入った(笑)
小田原撤退と見せかけてのおびき出し作戦なんて芸当は元就には出来ないだろうから
当然その厨にも理解出来るわけがないwwwwwwwwww
495 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 17:41:29 ID:yzzfHJEO
毛利厨が信玄と比較したい時の特徴(これは世間でも散々馬鹿にされてる)
わざわざ老練になった元就と若い晴信時代の信玄を比較して
元就は寡兵で勝った、信玄は寡兵に負けたと都合よく比較することしか出来ません
砥石城攻めは真田の功績とかいっておきながら、最初はその真田のせいで負けたという
ことに関してはスルー。
大内の傘下で戦が出来るにも関わらず、武功は元就のものと勘違いする始末ww
何より寡兵で負けるような敵しか回りにいなかっただけであり、レベルが低すぎる中国地方は
496 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 17:42:04 ID:nDTgdKIB
329:マンセー名無しさん :2007/09/13(木) 14:55:47 ID:FKG66eqr
在日が日本のメディアや広告代理店を乗っ取ると日本の企業も乗っ取った事になるよね。
日本の気に入らない企業は不祥事で徹底的に潰してく。
白い恋人、雪印、グリコ、森永
これで日本のお菓子と言えばロッテという構図。
森永も在日に嫌われてニュースで潰されたくないもんだから
娘がとうとう韓国人と政略結婚しちゃったよ。
ソニーもPS3の件で散々マスコミに叩かれたもんだから、
マスコミ対策でとうとう韓国人を社長にしちゃったよ。
こうやって日本企業が支配されていくんだね。
大企業で不正が全く無い会社なんて存在しないからね。
ちょっと調べればすぐに見つかりますよ。
メディアを支配すれば政界も支配したようなもの。
この前の参院選を見れば分かりますよね。
気に入らない政党を徹底的に不祥事で潰していく。
日本の政党もメディア支配している在日に嫌われたら大変だからやられたい放題。
あの大臣に絆創膏を無理やり貼らせたのは誰?
私を寿司大臣と呼んでくれ!なんて本当は言いたく無かったよね。
まさにやられたい放題。
なんかあったら不祥事で連日連夜の大バッシングの雨嵐ですから。
テレビと週刊誌と新聞は全て繋がってますよ。
広告代理店が指示すれば翌週には一斉に大バッシング。
497 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 17:45:50 ID:d5r+ctpb
>>494 そもそも信玄がなんで相模に飛び込んだのかが分からん。
小田原でも甲斐侵攻の計画があったらしいけど
駿河あたりで局地戦やってりゃいいものを
498 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 17:48:34 ID:yzzfHJEO
信玄と比較しなければ気が済まない間抜けな毛利厨の特徴 その2
武田側の資料よりもはるかに信憑性に欠ける上州や北条といった関東の資料
を安易に信じ込み信玄叩きする始末ww
冷静にどちらが正しいのかじっくり検分出来ず、必死になって「何か信玄を叩く
ネタになるようなものはどれなんだああああああああああああ(悔し涙)」
とばかりに感情的になるのが毛利厨ですww
499 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 17:53:52 ID:yzzfHJEO
>>497 北条勢が駿河に駐屯しながら他の関東勢ともみ合ってる内に北条を叩くチャンスだからだよ
北条勢を駿河から撤退させるのが目的の威嚇行動。
500 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 17:56:51 ID:6rPqU26s
>>砥石城攻めは真田の功績とかいっておきながら、最初はその真田のせいで負けたということに関してはスルー。
真田のせいで負けた?真田のせいで負けた戦いなんてあるのか?
501 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:02:08 ID:d5r+ctpb
502 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:08:49 ID:F4IyKv33
>>481 贔屓にもほどがある。
罠にかかった相手を間抜け扱いするなら村上だって謀略にひっかかる間抜けって事だろ?
しかもその相手に2回も負けた信玄ってなんなの?
っていうかそんな強敵と同盟しといてたいして領土拡大できてない信玄ってなんなの?
503 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:12:10 ID:yzzfHJEO
>>501 無策で仕掛けた行動ではなかったでしょう、信玄は関東での諸大名と通じ
将軍経由で上杉と通じてれば、駿河に軍勢を裂いている北条は裸みたいなもんだし。
>>500真田は元々対村上戦の先鋒みたいなもん、砥石崩れは真田のせいでもある。
504 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:19:01 ID:d5r+ctpb
>>503 でも高坂昌信は、この戦いを「怪我の功名」といってるしなあ
あまり計画性のようなものが感じられない。
505 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:35:34 ID:yzzfHJEO
>>504 そりゃそうだよ、本来北条なんて攻める国じゃない、西へ戦略を進める為に
同盟しておきたい相手。
しかし駿河を取る為にはどうしても北条を一戦する必要があったんでしょうね。
>>502またアホが一匹沸いてきたかww
どんな優秀な武将でも若い時期は失態してしまうのは当然のこと、だから義隆
晴久も仕方なかった、しかし晴方はアホですね、元就に敗れた時若くなかったのに
元就が倒してきた大勢力の将はあの程度ってことです。
村上が謀略に引っかかったから凡将だと言いたくても野戦で兵力差をおしのける程です。
信玄が版図を広げてないって?信濃と駿河はどうなった?
上州や相模なんて本来は平定するような国じゃないことぐらい勉強しろばーーか
他周辺国もわずかながら領土化している、まあ三河や遠州の情勢も勉強していなければ
「信玄はあの程度だあーだこーだ」とか言い出すんだろうけどね。
506 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:36:50 ID:6rPqU26s
>>503 砥石崩れの敗因は挟撃によるものなのになんで真田のせいでもあるんだよw
砥石崩れの敗因の一つに挙げられるほどのミスを真田はしたとでも言うのか?
それとも
>>将軍経由で上杉と通じてれば、駿河に軍勢を裂いている北条は裸みたいなもんだし。
www
507 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:38:14 ID:efSjGdka
武田VS今川 を見ていると武田が弱いのがよくわかる…
508 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:39:27 ID:yzzfHJEO
信玄が勝ってきた相手は、自らと同じく一国から広く版図を広げた名将ばかり
ちなみに村上義清も連合レベルでみればさほど当時の武田と力の差はない。
(武田VS村上とそれに組する信濃の豪族)
元就が勝ってきた相手は親の七光りを一つも生かせず衰退滅亡招いただけのアホ
509 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:44:13 ID:6rPqU26s
>>505 上野は対上杉との戦いで、信濃防衛の為にも攻略する必要があったぞw
510 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:54:01 ID:efSjGdka
>>508 信玄が戦ってきた相手
・上杉謙信(当時50万石 朝倉級の大大名)
・今川氏真(当時40万石程度 経済力を考えれば50万石クラス)
・村上義清(豪族)
・小笠原長時(豪族)
お前さー、豪族と大名がどれくらい違うかわかる?
支配力とか全然違うのよ、そんなのもわからないの?
おまけ
信玄が土下座していた相手
・今川義元(お金援助してもらってました 上杉との調停もしてもらいました)
511 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 18:54:57 ID:yzzfHJEO
>>506 あれえ??(笑)北条は上杉から援軍を送ってもらえたの?
駿河に駐屯していた軍勢はどうして相模に戻ってきたのかなあ?
それから信玄に砥石城まで出陣を促したのは前線の真田の情報
からでしょう、アホですか?
512 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 19:06:30 ID:yzzfHJEO
信玄を叩いてる連中がどれだけ甲信越にかんして無知で精神も幼稚かが
十分理解したが、基本的なこともいまだに理解出来ないところを見ると
どういう脳みそしてるのか見てみたいね。
・村上と争ってた時、信玄は信濃の他の豪族も同時に相手してました
・謙信は他国を領土化しないでも戦に無類の強さを発揮してました
・で??何で北条じゃなく今川をこっそり入れるわけ?(笑)
俺は元就と違って強敵ばかりと戦ってきた信玄の相手を書き込んだんだが
今川義元との関係は、北条と和議した辺りから逆転になりつつありました。
特に1550年以降は(砥石城陥落後)
513 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 19:13:51 ID:csXxbiz5
信玄の戦歴
上田原にて兵力に劣る村上勢に大敗、板垣を初めとする重臣多数討ち取られる。
信玄自身も負傷し無様に逃げる。
諸勢力が盛り返し数年かけて鎮圧、虐殺繰り返す。長篠敗戦後の信濃離反の遠因となる。
戸石崩れ、兵力で勝り村上勢は疲弊しており圧倒的有利な状況にも関わらず大敗。
将兵多数死なせる。
小岩岳城に奇襲をかけるも失敗。後年、その恨みか落城の際には降伏さえ許さず城兵500を
皆殺しにし、かつ、老人、女、子供に至るまでを奴隷として売りさばく。
討ち取った首を城に前に槍で突き刺し並べ降伏を迫り成功するも無抵抗の城兵1000人を皆殺しにし、老人、子供は
黒川金山に奴隷として連行し、女は女郎屋に売りさばいた。
村上との信州常田合戦で重臣小山田討ち死に。第1回川中島の戦いでは無様な撤退、甲陽軍艦では
お得意の捏造でごまかす。第2回川中島の戦い、夜襲に悩まされ兵糧も尽き結局今川に泣きついて
和睦にこぎつける。
第3回川中島の戦い 村上義清の守る飯山城を攻めるも失敗。
長野業正を攻めるが見事に失敗、その後3度挑戦するが全く歯が立たず無駄に兵を消耗する。
第4回川中島の戦い、毎度のごとく兵力では上回り遠征後で疲弊している上杉、圧倒的有利な戦い。
にもかかわらず信繁、諸角、山本等の重臣を討ち取られ本陣にも攻め入られる始末。
本庄と組して越後を攻める、大軍を擁しているのに少数の飯山城すら落とせずに撤退、
駿河方向に侵攻をシフト、嫡男は殺す←武田滅亡の要因の一つ
駿河興国寺に奇襲をかけるが見破られ敗退。深沢城攻略も失敗。2万5千もの大軍を率いて高天神城を攻めるが、失敗。
戦に負けた憂さ晴らしで強盗強姦略奪三昧、和平中の織田を平気で攻める、今川を裏切って
略奪をくり返し北条から同盟破棄される、結局は上野の大半を北条に取られる。
514 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 19:31:07 ID:yzzfHJEO
>>513 出ましたwwアンチお得意の最終戦法ww信玄叩きの万策がつきれば必ず
出てくるんだよなあ。
兵力差があれば正面突破で勝てると思い込んでるのがアンチwww
長野業正と戦ったのは嫡男であり、駿河の情勢の読めなかった義信ですww
515 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 19:33:29 ID:yzzfHJEO
武田信玄率いる無敵の軍団に対するオールスター様達ww
信濃の豪族は一丸となるも結局最後は武田軍によって潰されました。
上杉軍は川中島で最後に敗走させられました。
北条軍は武田軍にあっさりと武蔵相模への侵攻を許し、武田軍の
撤退に対し追撃するも結局敗走させられました。
東海道3国においても今川軍徳川軍に対し武田軍の圧倒的な勝ちでした。
信長は脅えてたった3千程度しか徳川に援軍を送れずwwwwww
徳川は野戦でかなわないと見て城に引っ込み作戦を展開するもじわじわと
追い詰められました。
ご覧の通りどんなにアンチが言い訳したくても歴史が証明しているのですよ
武 田 軍 最 強 と あっ!勝頼の話題に摩り替える
のは無しよ(笑)アハハハハハハハハハ
516 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 19:40:38 ID:O9zBt7fc
で、そんなにお強い武田はどれだけ領土を広げれたんですかねぇ?もちろんそのまま越後や関東、畿内まで支配下に収めたんですよね?なんと言っても最強なんでしょ?
517 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 20:26:49 ID:rPPQYpL+
残念ながら信濃を必死の思いで取った以外は、
信長が義元を討ち取ったのに乗じて同盟破って徳川と挟み撃ちで駿河を盗むのが精一杯。
一方元就は自分より強大な敵と戦い続け、僅か3000貫から中国10ヶ国の大大名に。
518 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 21:19:12 ID:bE1TRDzH
>>のは無しよ(笑)アハハハハハハハハハ
あれ? 大 爆 笑 じゃないの?w
519 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 21:49:00 ID:yzzfHJEO
クソ弱い弱敵を倒して自慢するのが毛利厨www
元就の中国統一には何の価値もありません、元就は信玄のように同等の能力
を持った相手に勝ったことがありません、勝てて当たり前wwwww
大内 尼子なんて元就の時代にはろくに国を維持できないただのゴミwww
強敵の邪魔を振り払って信濃と駿河を平定しつつ、更に版図を広げていった
信玄の方がどう考えても上だね、こんなの昔からの常識wwwwww
信玄のように強い大国同士ひしめき合う中いかに敵より抜きん出るかという方が難しいに決まってるんだよ
だから信玄は昔から高評価を得ている、知名度も高い。
元就のように元から弱体化している国を2つ制覇したことなんて何も価値はないのですよ。
だから元就はマイナー扱い、知名度低う〜〜〜〜〜
520 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 21:56:28 ID:yzzfHJEO
中国地方なんて地理的にも恵まれてるね、海のおかげで四国からも九州
からも攻め込まれる心配なし、てゆうか四国は弱敵だし、のうのうと中国だけに
専念出来る、そして中国内部は弱敵ときたもんや、簡単に平定できて当たり前。
陸続きの地形はそうはいかないんだよ、しかも武田領の周りは強い大国ばかりと
きたもんや、版図を広げるのが難しくて当たり前。
まあこんな基本的なことは中学生でも理解出来ること、君達2ちゃんネラーだけだね
いつまでも必死に信玄叩きにヘボ元就マンセーしてるのはwww
521 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 22:37:49 ID:Wp7Fz6uu
メガ豚ひさしぶりだな
522 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:01:26 ID:Kc2azMQH
相変わらずで何よりだ
523 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:18:39 ID:d+9VS6uh
>>511 戸石攻めが真田の情報からなんて話は、
この前大河ドラマで始めて出てきたものだが。
>>515 信濃の豪族は一丸になんてなっていない。
>>519 信玄は自分より弱い相手以外に勝ったことはただの一度もありません。
弱い相手に負けたことならあるけどね。
524 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:31:11 ID:yzzfHJEO
>>523 お前らって何度同じことを繰り返せば気が済むのか(笑)
信濃の豪族が一番敵視していたのは武田であり、その中心的
な存在が村上と小笠原。
上田原〜塩尻峠〜砥石攻めなど重要な合戦が続いた。
志賀攻めでは同時に上州からの援軍も相手にした。
元就が強い敵に勝ったことなんて一度もありません。元から弱体している
相手に勝ったことならあるが。それ以前は大国の傘に隠れていただけ。
信玄は弱い敵に負けたことなんて一度もありません、強敵には何度も勝って
きたけどね(川中島 三増峠)
525 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:41:21 ID:d+9VS6uh
>>524 上田原のとき小笠原は武田と和睦していて、
村上は単独で武田と戦っていたが武田に勝った。
塩尻峠では村上軍は参加していない。
526 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:52:24 ID:yzzfHJEO
>>525 誰が同時に相手してるっていったよ、低脳もそこまで落ちると
取り返しがつかないね。
上田原の後信濃の連中が武田に反旗を翻したのは事実、敵だらけ
な状況を信玄が巧みに抑えていったってだけの話
527 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:06:24 ID:nFJizqq3
元就の謀略もほとんどが創作だからな
尼子氏新宮党の尼子国久・誠久が粛清されたのもね
まー相当な運の持主だあることは確か
周りが勝手に自滅していってくれるからな
528 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:07:46 ID:2V4FQluN
>>526 お前、牽強付会って言葉知ってるか?いや、漱石枕流が正しいか?
529 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:08:08 ID:Qf3QojWN
そうそう、甲陽軍艦の後俺も俺もといわんばかりに、様々な軍記物が作られた
んだよなあ江戸時代に、甲陽軍艦は戦国時代から作られたし
530 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:44:00 ID:crV18SF1
元就=信玄
で勘弁してくれや
531 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:51:52 ID:EvGNRfzE
大国甲斐を受け継ぎながら周辺との小競り合いに終始した信玄。
一国人でありながら自分よりはるかに強大な相手を倒し中国を制圧した元就。
あまにり器量が違い過ぎる。
とりあえず信玄厨は信玄が4−5倍の兵力の相手に野戦で完全勝利し、
総大将をその一戦で討ち取り領土も飲み込んだ実例を1つでも挙げてみれ。
532 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 06:52:51 ID:RROtg71W
>>531には毛利の相手が弱すぎるというレスが3個以上つくことであろう。
以下スパイラル
533 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 08:55:41 ID:WawIb0s+
名将の元就に比べれば元就の敵は弱いだけで
凡将の信玄に比べれば信玄の敵は強かっただけなのにな
534 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 09:42:28 ID:eXB54uoD
>>526 自分より国力が弱い相手を各個に相手にしているのに、負けることもある。
それのどこが信玄の強さを証明しているのかな?
535 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 15:43:19 ID:EvGNRfzE
北条とは小競り合い、上杉は領土・兵力が武田よりずっと少ない。
村上は信濃の一豪族、今川は義元が桶狭間で討たれたあと空き巣行為w
一方大内氏は数百年間西国一の守護大名として君臨し、かの足利義満とも覇を争った家。
また尼子経久・武田元繁はこの大内に間然と反旗を翻し、
有田合戦時大内軍不在の中、武田元繁は安芸の国人衆を糾合し、大軍勢で一挙に安芸を飲み込まんとした。
ここに彗星の如く現われ武田元繁を討ち取り、尼子経久の野望を打ち砕いたのが一国人であった毛利元就。
やはて西国一の武勇と恐れられた陶春賢を撃破するなど元就の武勇は比類無きもの。
536 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 20:19:25 ID:UImCYR8J
なんでここって痛い厨しかいないの?w
537 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 21:32:08 ID:Eor4r1kB
オマエモナー
538 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 22:44:42 ID:HSutxBm2
元就>信玄はゆるぎないと思う
元就のみが唯一氏康公といい勝負ができる
まあそれでも北条氏康最強説は鉄板だが
539 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 00:51:54 ID:zVKb1/KY
信玄>元就はゆるぎないと思う。
540 :
1111111111:2007/09/18(火) 01:01:54 ID:OY9i6W/Q
ミンナ忘れてるけど幕末まで生き残ったのは毛利なんだよ
その辺宜しく
DNAを受継ぐにも能力の内
541 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 01:25:26 ID:2clvcUjc
確かに、四鏡戦争で幕府軍を粉砕し幕府支配の終わりを天下に示したのは毛利を継いだ長州藩。
薩摩藩は幕府が敗北するまで高みの見物してただけ。
武田なんて徳川の吸収して飼い犬になったのに、さすが元就は偉大。
幕府を撃破した長州藩士達の間では元就は神だったからね。
542 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 04:01:02 ID:SZ+J5SA8
>>540 > DNAを受継ぐにも能力の内
↑後継ぎに優秀な教育係を付けてやるのも大名の仕事 例え後継ぎがボンクラでも、そいつを支える優秀な家臣団を準備してやるのも大名の仕事 遺伝じゃなく大名としての能力
自分の死後を含む長期的な視点・対策の有無、それは武田家滅亡、関ケ原を迷走するも長州藩として残った毛利家との差
まぁ戦闘バカのスレだから判らないだろうけど なにせ世界最強、だもんね(笑)
543 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 08:47:41 ID:n6ypU4hN
毛利家は正月の儀式に「今年こそ徳川を討つか?」とかいう物騒な儀式をずーっと続けていたそうだからな
(本当ならよく幕府に潰されなかったもんだとは思うがw)
544 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 18:54:33 ID:zVFazMy9
つーか関ヶ原で西軍の総大将やってる時点で、徳川も可能なら潰したかったっしょ。
減封を受けても輝元が財政改革でそれを乗り切ってみせるなど
幕末まで続く毛利って家の在り方はなかなか面白い。
545 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 19:05:41 ID:RdUP8ucM
実質改易だったけどな
546 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 21:54:26 ID:FP5Ar65z
片や親族の結束を重視し明治まで続く毛利。
片や嫡男殺して結果的に上杉の家臣にまで没落する武田。
547 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 10:22:31 ID:ckJBrM96
毛利厨はキメェんだよ
二度とこっちくんな てか死ね
548 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 10:40:10 ID:vQnF1Mf9
生まれた場所も、生まれた年代も違うのに
何で無理やり優劣を決めようとしているの?
549 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 10:53:23 ID:nFa0mEeG
年代はともかく場所は違って当然だろw
550 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 10:55:30 ID:yasrXrhN
551 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 11:31:55 ID:5MrZN8Iy
>>550 >
>>548 > 同意
最強が好きだからでしょ 他と比べないと気が済まない 反論できないと最後は捨て台詞、厨の基本ですな
552 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 11:35:44 ID:5MrZN8Iy
>>547 > 二度とこっちくんな てか死ね
↑こっち??
比較検証できない、残念な方は隔離施設にお帰り下さい
553 :
人間七七四年:2007/09/19(水) 22:48:45 ID:wOojVNzT
>>544 やっぱり元就は凄いよな。
元就の英知は死後の毛利家の道筋まで描いてる感じだ。
だいたい他の英雄は一代限りだが、家康、元就、忠良(島津)辺りは
死んでも尚子孫の繁栄に貢献してる感じ。
毛利家の凄さは、関が原後の上杉を比べたら一目瞭然だよな。
なのに何故か今度の大河は「直江兼続」らしい。あんなのは本多と姻戚
関係結んだから生きながらえて、プライドも糞も無くなった上杉家の為に
鷹山が仕立てた亡霊じゃねえか。謙信や信玄自身も殆ど後世に亡霊だが、
直江兼続は無いと思うわ…コーエーの御蔭で凄い名将のようなイメージが
あるが調べれば本当に凄いカスで吹いた(笑
そういえば鷹山公は元就が助けた秋月家からの養子だったな。兼続も元就
様々じゃないか!
長尾上杉のお家芸は女系継承。
血を繋ぐという至上課題において、この点だけはどの家よりも勝る。
555 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 00:03:16 ID:wV7C2M5J
>>553 架空の人物を主人公にしちゃうんだぜ
今の大河ドラマはなんでもありになってるんだから諦めるしかない
以前よりも少なくなった予算、ジャニーズに侵食されて質が落ちた俳優陣
新作は隔年ごとに製作して、二年に一度、昔好評だった作品を再放送した方が普通に数字が取れそうだな・・・
556 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 02:54:27 ID:1IR/Hs0J
単純に領土拡張の程度を比較しても、毛利元就は武田信玄より遥かに上
武将としての総合力でも上だ
557 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 03:41:45 ID:kVF7ChkL
信玄厨が暴れないとちっとも盛り上がらないスレはここですか?
558 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 05:23:51 ID:A9u31bCi
>>557 そだね
比較的まともな話してても、両派の底辺が噛み合わない持論引っ提げ乱入 挙げ句捨て台詞吐いて豚ズラするスレです
ノブヤボでコム観戦にしたらどっちが先に死んだぜ!! なんて宣う猛者が降臨するのでは、と期待しております
559 :
仙台藩百姓:2007/09/20(木) 11:50:43 ID:YU0woI+2
>>553 総大将に祭り上げられて本戦では終始弁当食ってるふり
家康にまんまと騙されて大減封
超絶下策の毛利君のどこが上杉より凄いのか分からんお
輝元のアホさ加減かお?(^ ω^)
560 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 12:04:24 ID:+fX6OAxR
>>552 馬鹿か?w
お前のような揚げ足取るしか脳のない
まともな会話もできんチンカスゴミヲタ野郎はROMってろカスがwww
561 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 12:06:50 ID:+fX6OAxR
下手糞な自演しかできんゴミ毛利厨は死ね
562 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 12:08:52 ID:+fX6OAxR
秀吉二万ごときにやられまくった毛利が上杉より上とかどんな馬鹿だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
563 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 12:10:40 ID:+fX6OAxR
軍神の異名とる謙信が脆弱雑魚武者ぞろい毛利より下とか
どんな馬鹿だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
564 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 12:12:55 ID:+fX6OAxR
あれだけの領土がありながら何もできない糞雑魚喪毛利が
精強喪最上を短期間で滅亡寸前まで追い込んだ上杉より上とか
どんな馬鹿だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
565 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 12:14:04 ID:+fX6OAxR
>ID:wOojVNzT
馬鹿は発言を控える事をお勧めします
566 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 12:50:09 ID:QNm/iQhy
まあ、最上と交戦したら、毛利など一捻りだろうが。
567 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 16:11:39 ID:+fX6OAxR
西国大名厨は戦国がよくわかっていないただの馬鹿
商業圏ならではの、物事を損得勘定で測る思考のしみついた商人気質
脆弱武者の典型例 実際すぐ裏切る
西日本の武者が弱いなんて常識 弱兵の上に戦術ウンコ
こんな事もわかんない真性知障がいて困る
568 :
1111111111:2007/09/20(木) 19:37:35 ID:Sl6wU9p0
あのなぁ
結局武将の強さとは何たるかはその『お家』をいかに残したか
にかかっている
毛利なんかは明治後も公爵に列せられるくらいまでうまく生き延びた
(関ヶ原はやばかったようだが)
それに対して長男撲殺してそれほど有能でもない諏訪家の長男
に継がせて単なる国人連合軍にすぎなかった武田軍を信長という
天才によって滅亡させたのは他ならぬ珍玄じゃね?w
信長も結局は家は残せなかったがあいつだけは別格だしな 日本史上
珍玄は単なる地方大名のまあ強いくらいだろ
毛利は幕末までしっかり活躍してる
569 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 20:08:00 ID:dN6t8a2P
>>563 謙信が死んだ後の上杉なんて
柴田や森に追い詰められて滅亡寸前だろ
新発田も自立したし
本能寺がなければ上杉も滅亡してたろ
570 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 20:16:58 ID:iZsQjFUp
元就と信玄を比べるるスレなのに、
559と562は、元就の息子と孫を
引き合いにだすんだなw
571 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 20:51:21 ID:kVF7ChkL
死ぬ寸前で信長を敵に回した信玄
死ぬまで信長に敬意をはらった元就
信長は元就の葬式に使者を出している。
572 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 20:57:20 ID:FTfc6sZ+
信玄が残したのは負の遺産しかないからな
573 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 23:07:00 ID:YXGuX0w2
元就は死後すぐに従二位かなんかに叙せられているが
信玄は明治になってから
574 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 23:18:01 ID:OdkQ5vc3
>>559 あんたみたいな博識の方が上杉擁護に回るとは驚いた。
やはり地元贔屓が目を曇らせたか?(笑
先ず上杉と毛利比べて酷いと思った事の一つが直江兼続な訳だが、何が酷い
って@跡目争いで御家を潰しかけた事。A当主と同じような官位を求め御家
の実権を握り、忠臣を排して関が原で御家を潰しかけた事。B関が原後に当
主を家康の前に連れて行き土下座させた事。C国の財政破綻を尻目に自身の
派閥を拡大させた事。まあ、忠臣の皮を被りながら御家大事とはほんと無縁
だ。
隆景や広家の自己犠牲に比べたら取るに足らないわ。特に広家は無能者の烙
印に甘んじているが、手紙一本で御家を救った功績はそろそろ評価されても
良いんじゃないのか?関が原後の内政や跡目問題にしても兼続は言われてい
るような評価はとても出せない。それに比べて毛利一族の方は戦後の処置が
素晴らしい。一揆や粛清があった事で評価が低いが、それをあの時代に処理
しきった事の方が凄いわ。あの時代どれをとっても直ぐに御家断絶に繋がっ
た、上杉のように女達の枕営業で御家存続&結局問題は他人任せで処理は本
当に酷い。山内容堂が「大名で倒産した奴はいない」と後年豪語したが、上
杉は実質破産後に鷹山公(一応女系の血縁関係はあるが実際の所は怪しいも
のだ、鷹山公の当時は家系改ざんなど普通にあった)立て直してもう一度上
杉に返しただけだからな。
575 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 23:19:28 ID:OdkQ5vc3
従二位は上杉謙信だろ?信玄は従三位のはず。
576 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 23:19:33 ID:UmA3izpq
全く謙信はあんなに財政能力があったというのに
577 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 01:55:21 ID:pxIJ0lTV
上杉は海運の力を十分認識してたからな。
海を握り運用することが出来ていたからこそ、
あんな無茶な出兵をしても何とかなった。
578 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 08:46:32 ID:pxSikWzF
>>575 どっちも間違い。
謙信は従五位下弾正少弼・信玄は従四位下大膳大夫
明治期の戦国武将に対する追贈があった時に謙信は従二位を与えられ。信玄は従三位
579 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 09:11:49 ID:6Klx0CRj
>>569 御館の乱に乗じて攻勢にでただけだろうがw
上野、信濃、越中三方面からの侵攻+国内の離反者
こんな絶望的状況で粘れていただけでも強い
本能寺後の信濃抗争にも介入してきたくらいだし
佐々成まさを越中から動けなくした
580 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 09:24:43 ID:pxSikWzF
そりゃ敵の混乱に乗じて攻勢かけないほうがどうかしているだろうw
謙信だって勝頼の代になった武田を攻めようとしているし
(それでも単独で勝つ自信がないのか、信長に共同作戦を断わられると止めているが)
信玄にしろ元就にしろ、敵の弱り目に乗じているよ
スポーツやってるんじゃないから当たり前
581 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 13:00:14 ID:2JU3m0lH
結局、キリのない事になるから
信玄=元就
でこのスレ終了おk?
582 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 13:15:00 ID:YudTPlPf
んな訳ねーだろ 大 爆 笑
583 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:45:40 ID:KZa9AKMW
>>579 粘れてない、本能寺前の上杉は風前の灯、毛利同様あと半年もすれば服従だろ
584 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 22:14:40 ID:eBw3dXl5
585 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 10:00:18 ID:jw+NHfL1
>>583 粘れてるだろうがボケww
半年?毛利の国土に比べ三分の一程度なのに精強柴田軍、森軍、滝川
&国内柴田抱えて瞬殺されない時点で糞雑魚チンカス毛利とは格が違う
毛利程度なら瞬殺だろうな
>>580 毛利なんか弱み見せなくてもやられまくったがなw
>>568 勝手に幕末スレにでも行ってろハゲ
戦国時代でどれだけ武名を轟かせるのが重要なの
信長だけ特別とか都合いい解釈してんじゃねぇよボケがw
生き延びるかどうかは運の絡むし半端に強いと滅ぼされる事だってある
運も実力のうちだもんw
前田>>>>武田だもんw
ってか?馬鹿がwwwwww
586 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 10:03:19 ID:jw+NHfL1
>結局武将の強さとは何たるかはその『お家』をいかに残したか
>にかかっている
勝手に毛利側に都合いい前提作ってんじゃねぇよカスがwww
一条兼定>>>>>>>>>>>>>>>>>>>お前
この幕末厨がwww
死ねwwww
はガチ
587 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 10:07:06 ID:jw+NHfL1
信玄地方大名のまあ強いクラスって
どんな馬鹿だ
知脳障害はROM って壁とでも話しとけ
信長の野望でもやって毛利の評価低いww東国大名の評価たかいwww
って愚痴でもほざいとけ
588 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 11:01:03 ID:jw+NHfL1
>やはり地元贔屓が目を曇らせたか?(笑
あたかも自分が正しいかのように語るチンカス毛利厨
客観的な第三者の立場である百姓からみても毛利は雑魚
こんな事も理解できない奴がいるなんてビックリだわ
589 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 11:06:07 ID:ZVCm+sJz
武田や上杉は織田ごときに重臣討ち取られすぎww
どうやったらあんなにぼこられるの?wwwwwwwww
上杉なんて信長が車でもなく滅亡じゃん
本能寺に救われたな。
590 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 13:29:58 ID:7ULmdyGT
客観性って言うのは、事実を羅列してみてどうかって言う検証があってのものだ
が、どうも謙信玄厨は史実に疎いようで参るわ。
しかもファンタジーの間違った認識を正そうとするとファンタジーを上げ連ねて
反論してくるから手におえない(苦笑
591 :
仙台藩百姓:2007/09/22(土) 13:31:59 ID:MWlBeHx6
本能寺で救われたのは毛利も一緒だお( ^ω^)
592 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 13:48:13 ID:NGagyTXy
吉川晃司は毛利家の末裔
593 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 14:09:53 ID:16tobTOj
毛利厨がヒドい程釣れると聞いて飛んできました
594 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 18:08:29 ID:GnVqbiMA
上杉粘れてるって言っても一向一揆が頑張ってくれただけなんじゃ
595 :
仙台藩百姓:2007/09/22(土) 19:55:45 ID:MWlBeHx6
大江ごとき政宗公が軽々とぶち殺してるお( ^ω^)
596 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 20:02:13 ID:ZVCm+sJz
本領は無傷の毛利
毛利主力が出てくるとなきながらビビッて信長に援軍を求めた秀吉
信長出るまでもなく滅亡寸前の上杉
譜代にも裏切られて滅亡した武田w
戦うまえに土下座の政宗
597 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 21:32:28 ID:aml1JKov
そして10か国の領土を秀吉だけにメチャクチャにされた無能な毛利両川
598 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 21:33:51 ID:aml1JKov
結局秀吉を圧倒的戦力を持ちながらも撃破できなかった毛利
検証せえよお前ら。
600 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 22:41:22 ID:yYEOxqKF
おこられるうんこども
601 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 03:06:16 ID:ioXGlwE1
602 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 04:19:37 ID:6F4gWLfS
信長を唯一苦戦させた武将は雑賀孫一だけ。
いくら名将だの猛将だの言ってもこれが現実なんだから仕方が無い。
603 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 17:10:48 ID:fnrrS+l+
武将くくりなら信長を一番苦戦させたのは朝倉氏のよーな
個人なら義元かな
つか「苦戦させた」だけなら一杯いると思うぞ
最終的に勝ってるのが信長だし
604 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 18:10:58 ID:GRgOyiOK
信長は一向宗という勢力に苦戦したのであって個人に苦戦したんじゃないだろ
605 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 20:59:11 ID:fYgceQqQ
白馬青牛がいればおもしろいことになっていたのに
606 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 13:50:01 ID:IYdCud6x
合戦の強さとかなら信玄も元就も大して差が無い。
この二人で決定的に差がつくのは戦略面だな。
戦術的に対照しながらも大友に九州から追い出されるという前代未聞のへたれっぷりを発揮した元就
三国同盟などを構築したり戦術的には5分でも戦略で謙信を圧倒し信濃から追い出した信玄
明らかに信玄>>>>>>>>>>>>>>元就は言うまでも無い
607 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 13:52:02 ID:oLKWMSVO
608 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 14:41:59 ID:BMzyrv7q
>>606 駄目だこの餌…腐ってやがる……速すぎたんだ
609 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 15:36:33 ID:OiLSZIIc
>>606 大 爆 笑 www
などを使った方が反応してもらえるぞ。
610 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 15:42:36 ID:IYdCud6x
でも
>>606でいってることはあながち間違いではないよな
611 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 15:47:52 ID:Qnk/PCtg
>>610 自演ならIDかえるぐらいの手間かけろ
自分のレスであながちってなんだw
612 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 15:51:39 ID:yS4sZWRb
何度も越後に侵入しながらそのたびに上杉に追い出される
という前代未聞のへたれっぷりを発揮した信玄とか
程度に間違いではないな
613 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 16:57:54 ID:XncoRbc8
あまりに露骨すぎて釣りにしか見えない
起爆剤にもなってねーぞ
614 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 17:47:12 ID:IYdCud6x
大友のことを持ち出すと毛利厨は沈黙しちゃうなwww
大河ドラマでもなかったことにされてたしww
615 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 18:14:36 ID:Y7edfXnk
ここまであからさまな自演失敗をやらかしてもIDを変えない。
その潔さにだけは感銘を受けた。
616 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 18:24:03 ID:XncoRbc8
>>614 それをいったら武田だって上杉のことを持ち出すと目も当てられない
何が戦術では上杉が勝ったが戦略では武田が勝っただよww 北信濃防衛は武田にとっては最低ライン
武田の目的は越後奪取だろ 戦略では引き分け、戦術では戦国史に残る記録的大敗 これが正しい
617 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 18:35:00 ID:sOofZ1Ub
ID:IYdCud6xはメガ豚に憧れていてあいつの後を継ごうと考えてるんだろう
だけどメガ豚ですらしなかった自演失敗なんて馬鹿な事やらかした ID:IYdCud6xに跡目相続は無理だ、廃嫡いたすwww
618 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 19:52:11 ID:hIS0id6g
いやメガ豚はしっかり自演失敗もやらかしてるが。
北九州攻防戦に関しては痛み分けでFAだが
勝ったと言えるのはどちらかと言えば毛利。
大友は連敗状態で盛大に領土を侵食されて、尼子残党内乱という好機を以ってしても門司は奪回出来なかった。
結果、秋月を代表とする自立勢力の台頭を許し北九州は混乱。大友の没落の兆しが見え始める。
一方、毛利は侵略戦争の収穫が少なかっただけなのだから、目立ったマイナスは無し。
619 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 19:59:54 ID:IYdCud6x
侵略戦争で収穫が少ないというのは大きなマイナスだろww
家臣にどうやって恩賞を出すの?
そんなんだから秀吉が攻めてきたときに内部からどんどん切り崩されちゃうんだよww
620 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 21:28:04 ID:EjDt+igo
もう少し一人芝居を生暖かく見守ってやれよー
そしたら一人でもっと盛り上がった挙げ句、一人三役とかしてくれ…なかったかな?
だから検証せえというに。
622 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 23:29:05 ID:+EbK0RxL
>>619 >侵略戦争で収穫が少ないというのは大きなマイナスだろww
>家臣にどうやって恩賞を出すの?
川中島のことか?
あ、川中島はその家臣が大量に死んじゃってるから
恩賞もそっちの家臣のをまわせばokかw さすが信玄。
623 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 00:26:53 ID:D40sv3Ak
いやだから、
信玄=元就
「大 爆 笑」
は無知
624 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 02:03:14 ID:oVx4GoVj
大爆笑が確たる名言と成りつつあるスレはここですか?
625 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 18:12:27 ID:YsbHH1P3
政治 毛利=武田 外交面での失策はどちらも同じ、内政面は正直どっちも…
戦争 毛利>>>>>>武田
知略 毛利>>>>武田
野望 武田>>>>>>>>>>毛利
男色 武田>越えられない壁>毛利
これでいいじゃん
627 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 23:54:28 ID:EOj3l7b2
>>626 男色は洒落だからともかく、野望が意味不明じゃね?
>>627 天下を望むな、という家訓があったような・・・
629 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 00:00:21 ID:1f9Q7y6V
野望も重要な要素っしょ
信長みたく野望が大きかったから躍進できた男もいるし
元就みたく野望が控えめだったから生き残った男もいるし
信玄みたく野望が大きすぎたから家を滅ぼした男もいる
630 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 18:49:44 ID:CQRumAS6
信長が躍進できたのは能力が高いからだろ、野望は関係ない。
そして信玄が家を滅ぼしたのは能力が低かったからだろ、相対的に、奴の野望が
大きかろうが小さかろうが関係ない。
631 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 20:03:53 ID:k+NiK+W0
>>622 川中島の戦いは領土は取れたわけだから、一応武田の勝ちで良いと思うが、
武田は越後にも手を伸ばして、こちらについては確実に撃退されている。
これについては失敗した侵攻作戦と言い切るしかないでしょう。
つまり、信玄も元就も成功して領土を拡大できた侵攻作戦もあれば、
領土拡大につながらず、失敗した侵攻もあったということ。まあ当たり前の話だけど。
であるならば、成功の度合い、つまりより領土を拡大した方が、
その方面についてはより優れていたと判断すべきでしょう。
つまり、結局は毛利元就の方が優れていたといえると思う。
632 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 20:09:39 ID:1f9Q7y6V
微妙だよなー
川中島って、まず前提として武田側の方が人的被害が圧倒的に大きいというのがある
越後侵攻戦と考えれば問答無用で武田の負けだし
北信濃防衛戦と考えても、あれだけ被害を出しても領土さえ無事なら勝ちと言えるのか?
という疑問はある。犠牲の上での防衛戦勝利、か?
633 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 20:20:50 ID:Kfz8Yudg
第一次川中島の開戦前と、終戦後の領土にほとんど差がないんだから 家臣殺されまくった武田の負けだろ。 北九州攻防戦なんて、毛利が明らかに領土拡張してるのに引き分け扱いされてんだぞ。
634 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 20:32:58 ID:k+NiK+W0
>>632 いや、そもそも少なくとも四次川中島くらいまでは、
北信濃は武田の領土とはいえない状態だったのよ。
二次では武田家は川中島の北部に築いた城の破却に同意しなければならなかったし、
三次の時には北信濃どころか小県にまで攻め込まれている。
つまり、川中島の戦いとはそもそも北信濃の領有を賭けて、武田上杉が戦った戦であり、
最終的に北信濃は武田家の所有になったのだから、結論は武田家の勝利ということで良い。
ただしその過程で多大な犠牲と時間をかけたのも事実だから、
武田家の辛勝といったところが妥当でしょう。
>>633 一次の前なんてのは、ただ単に軍を進めたというだけで、到底領土としたとは言えない。
一次だけの結果を見れば村上の放逐には成功したが、領土化には失敗した作戦といって良い。
その後も北信濃を巡って何度も争っているわけだからね。
四次・五次まで経て初めて領土化に成功した。つまり、ついに勝利したと言うのが妥当かと。
635 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 22:02:34 ID:1f9Q7y6V
それはおかしな話
「村上の所領である北信濃が武田に奪われたから奪還する」が上杉軍の名目であり
事実、武田は北信濃を武力占領していた
二次や三次で上杉に侵食された領土は武田が保持していた領土
「北信濃は武田の領土とはいえない状態」というのは詭弁
村上を追い出し、武田が新たな支配者となっていた
侵略戦争で手に入れた土地なんだから、恭順に時間が掛かるのは当たり前だし
贔屓目に言っても「まだ武田の領土になったばかりで地盤が磐石ではなかった」くらい
その地盤も、12年近くも消耗戦やってる内になんとか固まったという所だが
それをもって「武田は川中島合戦により北信濃を獲得した」とは言いがたい
北信濃は村上から奪った土地
636 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 22:21:45 ID:HNCRxaPk
川中島関係は詳しくないから知らんが、その奪った奪ってないという問答の地域の安堵状なり宛行状なり提示すれば話おわるんじゃね
637 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 22:42:48 ID:87t/iDpd
信玄が戦下手なのはわかった
638 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 23:15:27 ID:/juL1dLX
>>629 元就が「野望が控えめ」………………………………………………?
どちらの元就さんのお話ですか?
639 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 23:16:34 ID:k+NiK+W0
>>635 確かに村上領の一部は占領したとしたとは言えるだろうが、
そもそも村上よりさらに北に高梨や島津といった国人領主がいたのだし、
現に二次・三次川中島発端となったのも武田軍が千見城・尼巌城といった、
川中島以南の城に攻勢をかけたり、川中島周辺の葛山城に調略を仕掛けたからな分けだが。
というか、逆に一次川中島の前に武田軍が北信濃を領有していたとするなら、
武田軍は瞬く間に瞬く間にそれを実現したということになり、その方が過大評価と言えると思う。
明らかに武田家に従わない国人領主が存在するのに、そこを領有していたことにするのは、
あまりにも無理があると思いますよ。
640 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 23:28:38 ID:k+NiK+W0
村上逃亡から一次川中島の戦いへの流れについても、
村上義清は1553年4月に本拠地を捨てて越後に逃亡しているが、
長尾影虎の援護を受け、その同じ4月の内に間髪入れずに反撃し、
一度は小県まで取り戻している。
また、その後影虎自身も信濃に侵攻して、筑摩郡や小県郡に攻勢をかけている。
結局どうにか村上義清こそ再度追い払うことに成功したが、
その状況で、一時的にでも北信濃まで領有したというのは、
むしろ過剰な武田贔屓による偏った見方と言うべきだと思う。
641 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 23:34:50 ID:DcQmZIh1
北信濃って言っても範囲広いぞ
もう少し正確に言わないと話しがずれるだけだ
北信濃が主に水内高井をさすなら謙信と戦う前は信玄は支配していたとは言い難いし
水内高井北部も村上の支配範囲とは言えない
ただ北信濃でも更科埴科は謙信介入前には武田がほぼ支配していたと言って良いと思うが
あと川中島取ったと言っても、ぶっちゃけ謙信介入前から信玄死去までの間に
支配範囲が四キロほど北上したに過ぎないからなー(注 川中島方面限定)
642 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 23:39:26 ID:DcQmZIh1
>>640 武田はその時点で更科埴科付近に領地安堵宛がいまでしてると思ったけど
また村上も1553年4月に一度城を取り返してまで追い出されて以降は
謙信がいる時に一時的に攻勢をかけるだけで土地は奪い返せていないと思うが
一時的に攻められてる状態を指して領有していないと言うことが出来るなら
例えば北条なんかは相模とかまで領有していないということになるんじゃ
643 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 00:02:06 ID:puHuVypP
>>642 小県や筑摩については一時的に攻め込まれてはいても、武田の領土で良いと思いますよ。
しかしそこまで攻め込まれるような状況で、北信濃は武田の領土でしたと言うのは、
さすがにおかしいでしょうと。
確かに更科埴科位が限度で、それより北については長尾と抗争中ってところでしょう。
そして最終的には飯田等信越国境沿いの一部の城以外は武田の領有になったと。
あと、4kmしか北上していないというのはさすがにどうかと?
二次の時点での長尾側の城であった葛山城から、最終的に上杉側に残った飯田城まででも、
20km以上はあるし、一次以前で武田が占拠した村上の旧本拠地葛尾城からなら、
ざっと50kmくらいはあったと思うけど。
644 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 00:07:34 ID:1rfZ6I03
>>643 犀川以北は微妙
確実に武田領と言えそうなのは犀川以南でしょ
1568年の飯山攻めでもいくつかの城を落としたものの取り返されるか放棄している
最も犀川以北が上杉領かと問われればこれもまた微妙だが
飯山以北は確実に上杉領としても
645 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 00:11:31 ID:+J7glJQ6
毛利元就がもうちょっと遅く生まれて
伊達政宗がもうちょっと早く生まれて
上杉謙信がもうちょっと長生きして
足利義輝が三好衆に殺されなくて
斎藤道三が、息子と仲良くて
なんてのが史実だったら・・・
戦国時代に、信長とか家康っていなかっただろうな。
たぶん
646 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 00:14:28 ID:ODyRPSiG
また変なのが来たよ、いや同じ奴か
647 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 00:53:19 ID:djoTB1fD
>>毛利元就がもうちょっと遅く生まれて
有田合戦に間に合わず、一国人で終了もしくは武田に滅ぼされる。
>>伊達政宗がもうちょっと早く生まれて
父親がしてくれた陸奥統一からやり直し
>>上杉謙信がもうちょっと長生きして
柴田にアッサリ滅ぼされて大恥
>>足利義輝が三好衆に殺されなくて
勢力均衡で京都の混乱はむしろ拡大
>>斎藤道三が、息子と仲良くて
名将義龍が急死したおかげで信長は美濃を攻略できた、微妙なところ
648 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 01:12:12 ID:XhJCbZho
元就があの時代に生まれなきゃ有田合戦で毛利滅亡してたのはガチ。元就なら浪人から尼子大内に士官しても大名になれそうだが。
政宗は先代の功績のお陰で50万石相当から飛躍出来た訳だから苦労するだけ。
謙信長生きは微妙。織田ないしは豊臣勢力に負けて従属するだろうが、後継者問題に対応出来れば後の上杉家の権勢は強まるはず。
義輝生きてりゃどうなるかな。信長の畿内制圧までの手間暇が増える大筋は変わらんかと。
道三が息子と仲良し=親子共に信長と仲良しと仮定すりゃ信長の上洛は早まる。どうせ義龍が急死するんなら龍興の代に力は削がれるだろう。
こんな感じの予想。
649 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 07:46:35 ID:puHuVypP
>>644 尼巌城とか、犀川以南でも第3次までは武田領ではなかった城も一部あるしね。
もちろん、川中島以北も確かに上杉領だったともいえないでしょう。
上杉に近いといっても独立した国人領主が存在していたわけだから。
それらの国人領主に侵略の手を伸ばす信玄、
その国人領主からの救援要請を受けて兵を出す謙信、という図式を取りながら、
実質的にその地域の支配権を賭けて両者が争ったのが川中島の戦いといってよいでしょう。
そして、最終的にはその地域の大部分は武田家の領土となったと。
ただし、膨大な時間をと人的犠牲を伴ったものであり、
元就のような劇的な領土拡大に比べると、いささか見劣りするのは否めないと。
650 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 11:32:19 ID:NdB4UPRJ
だから川中島の入り口から犀川付近まで
距離にして4キロから5キロほど北上したということになるのか。
ただ善光寺は信玄が本尊を甲斐に強奪したことでその権益手に入れているけど。
651 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 13:55:12 ID:GWTkT5wL
駿河から善光寺経由で越後ないし上野へ抜ける、当時の通商ルートの肝だったって背景もあるだろうね>川中島の泥仕合
652 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 14:14:52 ID:/zcKgwrK
毛利氏の生き残りと武田氏の滅亡は
織田氏本拠岐阜安土から
武田氏甲府へ、毛利氏安芸吉田への距離の違い
織田徳川と武田の衝突は勢力圏の境目で日常茶飯事
織田と毛利の衝突は本願寺がらみで一向宗を支援
しなければ毛利内部が持たないというやむなき事情から。
本願寺が対織田戦で撤退した後は毛利は自分たちを如何に
織田に高く売るかを考えて織田と戦い続ければいいだけ。
653 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 19:36:21 ID:puHuVypP
>>650 いやさすがに、川中島の戦い終了後には武田の勢力圏は犀川以北どころか、
越後国境近くにまで及んでいるでしょう。
例えば、1568年の侵攻の際には、飯田城は落とせなかったが、
水内郡の豪族に対してすら所領安堵や替地宛行等を行っていることが、
島津文書等で確認できる。
つまり、村上を追った段階からすれば、
ざっと4・50qほど勢力圏を北上させたということになる。
まあ、足掛け15年からの時間を必要としたわけだが…。
654 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 19:45:39 ID:VkMH3bMi
まぁ実際川中島での武田の被害がどんなもんだったかによるな(戦略的勝利)
本当に3000も4000も死んでるなら戦略的にも大敗だ
重臣何人も死んでる時点で戦略的にもせいぜい引き分けが限度だが、国力が疲弊するほどの大敗を喫したのなら…
655 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 20:27:40 ID:puHuVypP
>>654 最大の激戦といわれる第四次川中島の戦いのわずか2ヵ月後に、
信玄謙信ともに上野に兵を出し再び対峙し、武田は上野の豪族を降伏させたりしている。
つまり実際には、川中島の戦い直後ですら軍を動かせないほどの消耗はしていなかったということ。
それに熟練の重臣が死ぬのは確かに痛手だが、どこの家にも跡取りは通常いるのだから、
恒久的な国力低下には結びつかない。多少なりとも領土が増えて知行宛行が出来るなら、
それは国力増強になり、長期的には以前よりも勢力を増すことが出来る。
つまり、戦略的に勝ったといえる。
実際、武田が川中島や上野での多年に及ぶ戦の末得た土地は、
少なくとも20〜30万石くらいにはなるはず。
上杉との抗争以前の武田領が、せいぜい50万石くらいだったことを思えば、
武田家にとってはかなり意味があったといえるでしょう
まあ、毛利や織田のような拡大に比べると見劣りするのは致し方ないが。
656 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 20:40:30 ID:2LOSfZpC
>>653 >水内郡の豪族に対してすら所領安堵や替地宛行等を行っていることが
それは支配範囲をはかるという点においてはあまりあてにならない、
敵地を恩賞として与える、支配していない者が後にその地を支配することを保証するなど
その時点では空手形と言えるものも多々含まれてる
で1568年の水内への所領安堵や宛行等は武田が兵を引くと似たようなことを謙信もやっているしね
更に言うならお互い飛騨や越中にも同様に
でもそれを持って支配しているとはやや言いがたいし
657 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 20:46:34 ID:puHuVypP
>>656 しかし、実際その頃前後の武田郡の侵攻は、
飯田城や野尻城といった信濃最北端、国境付近の上杉方の城に対して行われていて、
それ以南で上杉方に属して武田と戦った城なんてなくなっているわけだし。
658 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 21:24:58 ID:puHuVypP
申し訳ない。ずっと間違えていたけど。
飯田城ではなくて飯山城ですね。
飯田じゃあ南信になってしまう…。
失礼しました。
659 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 22:50:24 ID:G7I1TBgI
>>655 戦国時代の領土ってば面より点と線だから、そういう意味では川中島や上野と
いう場所は単純に石高では出せない超重要地点だと思う。
ただ甲斐の武田が握るには荷が重過ぎるし、メリットも少ない。これが上杉や
北条なら物流の流れを支配できるから大きかったと思う。労を考えれば東海か
関東に出た方が良かったと思うね。結局甲斐と信濃がワンセット(血縁や先代
から受け継いだ領地、因縁等)だったのが信玄の不運だな。
660 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 00:42:02 ID:Jg2W4Yxh
>>659 関東に進出したら北条が黙っていないだろうし、東海に出ようにも全盛期の今川を相手にするのか?
661 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 21:45:58 ID:gdELkkU8
全盛期の今川なんて相手にしたら信玄は瞬殺されるぞ
大体そもそも義元の子分だからな信玄は…
662 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 21:55:56 ID:8pnxf4aH
信長の信は武田信玄の信だろ
それだけ信長が信玄を恐れ敬っていたのがわかる
どう考えても毛利より武田が格上
663 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 22:11:07 ID:WK/dEm2C
釣りだよな?
664 :
人間七七四年:2007/09/28(金) 22:16:43 ID:oX4pSCf3
しかも晴信ではなく信玄の信というところが程度の低さ表してるな。
信秀は予知でもできたんですかね
665 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 00:10:35 ID:NsFhp5/a
馬鹿が釣り知恵遅れがかかる
666 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 00:38:28 ID:16M5FImB
基地外は自分の無知を釣りと言い張る
667 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 12:47:36 ID:nUNbvY2f
武田信玄・勝頼は三方が原などで織田徳川連合軍の名のある武将を多少は討ち取っている
毛利は織田・秀吉方の武将を誰一人として討ち取れていない
どう考えても武田>>>>>毛利だろ
668 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 13:40:38 ID:8NQlR95I
だったら、
朝倉>>>>>>>>>>武田>>>>>毛利
になるな、その理屈だと
669 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 20:36:57 ID:nRCuf/He
名のある武将の基準って具体的に何を指すんだ?
670 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 20:37:32 ID:NsFhp5/a
そんなもんだろ。
朝倉は実際凄かった。
671 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 21:13:09 ID:16M5FImB
朝倉義景>>>>>>>>>>武田信玄>>>>>毛利輝元
なだけで、終生互いに警戒しあい敬意も表しあっていた毛利元就と織田信長の両雄を比べるのは不可能
672 :
人間七七四年:2007/09/29(土) 21:14:18 ID:16M5FImB
ごめん。よく考えたら毛利輝元>武田信玄だわ。
信玄なんかより下にしてごめんよ輝元。
673 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 01:23:26 ID:RC3SY4b3
輝元は戦(ってより決断力?)は最悪だけど内政はそこそこ優秀だよ
674 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 01:47:37 ID:FP2r4aL+
毛利なんて真田と同じようなもんだろ
武田が大内で
義隆がボンクラだから乗っ取ることができなかっただけの差
675 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 02:03:14 ID:w1uGEeFg
朝倉ってあの惨めな滅び方をした朝倉?
武田や輝元と比べるなんておこがましいよw
676 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 02:30:26 ID:AqIUZ5d1
>>674 意味不明だから誰か解説頼む
>>675 おいおい武田の滅亡の仕方なんて朝倉と同じようなもんだろw
もしかして武田ってのは甲斐武田家じゃなくて安芸武田家の事か?
677 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 07:14:26 ID:Ywtz0i7+
大名毛利と田舎武将武田じゃ比べるのに無理がありすぎ
信玄は早死にしたし、息子も自殺してお家断絶
笠原新三郎清繁の祟りだなw
678 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 07:40:47 ID:ilbB004t
安芸の山猿
679 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 09:30:17 ID:+6Qb7AMw
山となるとそれこそ甲斐の方が(ry
680 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 11:52:51 ID:9nlzflM8
どうみても中国地方自体、東北四国と並ぶ土田舎ベスト3です
東北と中国が本州最果てですからね^^
681 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 12:13:00 ID:zgVnU2LB
土田舎ベスト3なら明らかに甲信のほうになるじゃないか
中国地方は日本に古代政権が誕生した以前から活発な経済活動が行われていた地域
平家の勢力があった時代より大陸貿易の中心地
瀬戸内海の水運海運貿易も盛んで、文化度も高かった
現在でも日本有数の工業地帯の一つ・瀬戸内工業地帯を抱えている
682 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 13:11:02 ID:RC3SY4b3
甲信とかくそ田舎だよ。
中国地方はは京都に近いからかなり発達している。
戦国時代の関東の城って瓦とか近代的な設備が全くでないんだろ?
それくらい遅れてる
683 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 13:31:13 ID:l1Z8Yrc8
安芸武田は都会
甲州武田は田舎
若狭武田は都心
684 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 14:39:49 ID:WgoKZPPZ
俺も毛利贔屓だけど、今の議論は明らかに可笑しい。
そりゃ甲斐や信濃は山岳部が多くて全国的に見れば圧倒的に田舎だが、信玄の
本拠地は甲府盆地の中で文化的にも経済的にも圧倒的に都会ですよ。
当時の中国地方であそこまでの文化都市は数都市有るか無いかだろ?
ましてや元就にとっては全く関係ない。
元就の時代一族で信玄並みの都会暮らししたのは隆元だけじゃん><
685 :
人間七七四年:2007/09/30(日) 19:17:16 ID:mqMNGcao
どう考えても山口の方が数段も上です。本当に(ry
まぁ要するにド田舎の中じゃ一番発展してる(半分以上金山のお陰)有利な本拠地から出発して
豪族が支配するド田舎の甲斐信濃をへいこら平定したのが武田
中国地方の中じゃ田舎の部類に入る安芸から出発して
大大名の支配する都会の中国地方をなんとか平定したのが毛利
海路を活かして交易が盛んだった中国地方と
移動が困難で行商すらロクに訪れない山の中の甲斐信濃じゃ文化レベルに差があるのは当たり前。
むしろ信玄は、その生涯の終盤において、ようやくまともに大名の今川氏真に勝って
駿河という海に面した都会を初めて手に入れられたんだから
もっとその事を誇るべき。これは上杉北条との十年以上もの消耗戦なんか目じゃないくらい凄い事。
686 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 07:58:30 ID:tCpT1lfb
毛利の寡兵の戦も捏造じゃねー
こんなもの捏造だ
687 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 15:25:00 ID:c/RXBfoq
ふぁびょーん
688 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 16:37:07 ID:f7982CjJ
中国地方っていつからの呼称なんだ?
689 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 22:54:53 ID:AjzCLUER
近国、中国、遠国から来ているという説
だと延喜式以来ということになります
690 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 00:44:06 ID:aFnRQf4O
指輪物語の中つ国ってのはミッドランドの邦訳かね?
691 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 01:37:37 ID:cVoAdMGY
春日山、小田原、鎌倉、平井、この辺りは当時全国有数の大都市ですが。
692 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 01:39:30 ID:h1WJSOai
>>690 クウェンヤがEndor、シンダール語がEnnor、西方語の英訳がMiddle-earth、西方語の和訳が中つ国。
由来はミッドガルドらしい。
>>689 しかし延喜式だと山陰山陽のうち因幡・伯耆・出雲・備中・備後しか中国でないという不思議。
693 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 01:40:28 ID:aFnRQf4O
京にしくはなし
694 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 02:17:15 ID:VDfvc0dJ
7万石の雑賀孫一や烏合の衆のたった700人の伊勢長島一向一揆の切り込み。
彼らが織田に与えた損害のほうがはるかにでかいってのが情けないよね。
毛利も武田も。
695 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 02:41:46 ID:64JL4ZSq
毛利と武田はどっちが由緒ある家柄だったの?
696 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 04:48:22 ID:QLfNLfcQ
毛利は鎌倉までさかのぼれるくらい、実は歴史古いらしいが、そこまで
さかのぼると、ほとんど地侍レベルの地頭に毛が生えた程度の家柄らしい。
武田は・・・比較にならんね。源氏の名家だ。
詳しい話は誰か任せたw
697 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 18:52:14 ID:1OlhVLVO
698 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 20:10:32 ID:4f0SPzwm
毛利つうか大江氏の場合神話まで遡っちゃう
日本書紀の野見宿禰という相撲の神様が始祖という話
そこから土師氏→大枝→大江となったらしい
一族の大江匡房は源義家に兵法を教えたとされるから源氏とのつながりはかなり古い
武田の方は言うまでもなく清和源氏。清和源氏ってのは初代の経基と
二代目の満仲の親子関係はかなりの眉唾物だったりする
699 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 20:54:27 ID:FOVGmwSF
知識ある人多いね、ここ
スレタイに武田って入ってるスレにしては珍しい
700 :
人間七七四年:2007/10/03(水) 22:33:22 ID:zZ5Ps0Xz
まぁwiki見ながら書いてる文だが
701 :
人間七七四年:2007/10/13(土) 12:29:42 ID://51KH7D
なんでこんな糞スレがその5までいってんだよwwww
どう考えても元就の方が上だろwwwwwwwwww
702 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 01:57:52 ID:80iERg2+
まーどう考えても元就の方が上だから安心して議論できるというのがスレ伸びた理由かと
703 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 02:22:03 ID:/vrugPDx
>702
ちょっと待て。メガ豚君の貢献を忘れるな
704 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 02:25:36 ID:XqLKnPnw
前スレまでは結構濃いスレだったな
史実やら最近の研究やらと
705 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 02:38:05 ID:mIYVh0xb
武田厨が毛利を叩く口実
・陶や尼子程度に勝った程度デッテイウ
・所詮雑魚相手に領土を広げただけ
・中国は田舎
・大友程度に負けた
・上洛できないへたれ
・武将に華がない地味な奴等ばかり
関係ないのに出る話題・武田は信長相手に長篠以降も七年もったのに毛利は(笑)
毛利厨が武田を叩く口実
・三国同盟合ったのに拡大した領土は…?
・豪族連合にふるぼっこされてる
・結局滅ぼした大名は弱体化した今川くらいじゃないか
・手当たり次第に裏切り
・負の遺産を残しまくり
って感じかな
706 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 03:34:26 ID:XqLKnPnw
>>705 面白いのは前者は事実とは大きく異なるのに対し
後者は事実に近い意見ということか
707 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 18:00:32 ID:Gz3ZSsim
>705
>毛利厨が武田を叩く口実
金山、棒道など実際はよくわからないものも信玄の功績にして全力でマンセーってのもあるね。
まあ一応武田厨の「陶や尼子程度に勝った程度デッテイウ」って話を弁護すると、
最近の研究の厳島合戦
・陶の厳島布陣は予定の行動。桂元澄の偽装の寝返り、江良粛清の話は根拠なし。
・小早川隆景は村上水軍を率いて陶の水軍を倒してない。ていうか毛利側に援軍で来たのは来島のみ。
能島は陶側に味方。
・陶軍が20000は多すぎ。実際は陶と大内、あと宗像とか九州の国人がちらほら。
毛利軍も3000は確実にいた。
最近の研究の尼子晴久
・吉田郡山合戦は晴久がごり押しで始めたものではなく、計画されたもの。
毛利は活躍したが、大内の後詰も果たした役割は大きい。
・新宮党粛清は元就の謀略ではなく国久、誠久の継承争いが絡んでいる。
あと和智郷合戦では経久軍を毛利を中心とした国人連合はフルボッコにしてたりもする.
708 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 20:33:20 ID:DlwrMKhd
>>707 >・新宮党粛清は元就の謀略ではなく国久、誠久の継承争いが絡んでいる。
その内紛や私怨のフラグを利用するのが謀略や調略というじゃないのか・・・?
>最近の研究の尼子晴久
計画されたが、用間とかで筒抜けだったり石見路や備後路、宍戸氏への駆け引きが裏であったんだろ?
大内の後詰めを期待した上での少輔太郎を人質やら、陶氏との連絡もあったんだろ?
最近の研究も糞も最初からその説じゃねえか。
面白い新発見だな
709 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 22:56:06 ID:cdLxP0Hg
>709
>その内紛や私怨のフラグを利用するのが謀略や調略というじゃないのか・・・?
最近じゃ新宮党粛清に元就が関与した可能性には否定的。
元就の謀略って話も陰徳太平記の話だし。
>計画されたが、用間とかで筒抜けだったり石見路や備後路、宍戸氏への駆け引きが裏であったんだろ?
>大内の後詰めを期待した上での少輔太郎を人質やら、陶氏との連絡もあったんだろ?
あのさぁ・・・誰が以上の部分が覆ったとか書いたのよ。
自分が書いたのは今まで良く言われてきた晴久が経久の反対を押し切って初めたんではなく、毛利攻めは当初から
計画されていたこと、大内(陶)の話が過少だって書いてるんだけど?
710 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 02:01:58 ID:IQfcF0Ix
国久は別に無能じゃないけどね。
浦上やらとやりあって上手くいってるし。
次代が駄目すぎたけど
711 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 12:33:57 ID:5+ae/c0D
まぁ経久を持ち上げようとして晴久に責任を押し付けてきた感じは否めないな。
信玄と勝頼を見ても分かる通り、滅亡した勢力の先代は過剰評価されちゃうもんだ。
712 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 12:41:32 ID:5+ae/c0D
あ、
>>711に付け足すと
正確には尼子滅びたの晴久の代じゃなく息子の義久の代なんだけど
どっちにしろ元就との対立以降の尼子は
良いとこは全部経久の手柄にして(実際に経久は英雄だったけどさー)
悪いとこは全部晴久の罪にしちゃう(義久は年齢的に冤罪は被らない)
って感じに思えるから。
なんか無視しちゃって御免よ義久。
山中の反乱時にも、でしゃばらずに毛利傘下で尼子の家名守ったのは
不義理と非難されようと立派な事だと思ってるよ、俺は。
713 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 18:43:08 ID:dgvHzpk4
尼子の周りが敵だらけなのも毛利が尼子から去ったのも元はといえば経久のせいだもんな
晴久の責任といえばいきなり死んじゃったことだ。そのせいで雲芸和議という大失策
やらかすはめになったんだし
714 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 11:46:02 ID:1zBRabu+
ここで尼子の話をするのも変だが、武田ファンは全く尼子なんて知らないだろう
から言えば、尼子は実質晴久(詮久)の代から戦国大名として有名に成った。
今川で言えば義元、武田なら信玄、上杉なら謙信、北条なら氏康、織田なら信長
と当たり前のように言われるのに、尼子は何故か経久。
晴久が受け継いだのは上記の武将陣とほぼ同じくらいの相続です。11国の太守と
後年経久が言われるのは、江戸時代になって元就の10国の太守に1つ足して11国
と経久の肖像に書き加えたのが始まり、実際は晴久の8ヶ国守護(経久は出雲守護
ですらない)が正式な役職。晴久は経久から受け継いだ領地を増やしはしたが減ら
しては居ない、対毛利に措いて決定的な一敗地を期したが後年はそれを十分挽回し
ている。
715 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 12:14:29 ID:NIhGr4sb
>>今川で言えば義元、武田なら信玄、上杉なら謙信、北条なら氏康、織田なら信長
>>晴久が受け継いだのは上記の武将陣とほぼ同じくらいの相続です
その武将陣に開きがありすぎてどれと同じくらいなのかわかりにくい。
氏康なんか伊豆・相模・武蔵(完全ではないけど)・駿河の一部で70万石くらいは
引き継いでいたはずでは。
716 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 14:36:58 ID:Vco0l566
話をややこしくするのは晴久の治世を何処からと数えるかだな
経久は晩年どの程度政権運営に携わっていたのか
717 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 15:08:09 ID:1zBRabu+
俺も石高で言えば北条は違うとは思う。
だが戦国時代で重要なのは、面じゃなく点と線、そして権威や親族と言ったただ
石高だけでは計れないものの方が大きい。そう言った意味では氏康は上記の連中
と同じくらいのレベルだと思う。
晴久について言えば父親が死んだのは未だ4歳くらいの年だが、正式に家督を継い
で当主となった天文6年(1537年)で良いと思う。当時晴久は24歳、経久に至って
は80歳でその4年後には亡くなっている。元就(67歳)と輝元(11歳)の関係とは
少しニアンスが変ってくる。軍事権の移譲が家督相続の転機だと思うな。実際、晴
久は相続してから直ぐに自ら軍を動かし、経久が叔父と共に止めても独自に行動し
ている。
718 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 20:18:19 ID:gYcYUlrQ
糸冬
719 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 21:12:40 ID:SqvLUwHs
女台
720 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 01:45:20 ID:TTazeYcy
721 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 03:37:31 ID:0Z1vQjib
もう議論の余地なんかねぇよ!唐揚げすんな!
722 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 10:10:36 ID:kykwPoLD
輝元になら信玄は圧勝できるだろ
723 :
人間七七四年:2007/11/17(土) 18:32:45 ID:hh2HBfpO
外交や統治形態、合戦の陣立てなんかを比較検証するスレかと思ったら車板の厨スレと一緒じゃねえか。
試験じゃないんだからどっちが上っていうのは意味無いよ。
724 :
人間七七四年:2007/11/18(日) 05:34:57 ID:yNpYME87
>>722 勝頼には吉川元春や小早川隆景のような頼りになるおじさんいなかったなあ
これも不幸なところか
725 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 22:42:14 ID:2cPXTGkK
武田は優秀な家臣の数がすごすぎるよな。
信玄の人材登用は神レベルなんだろうな
武田に比べると毛利の家臣は無名でしょぼすぎる
726 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 23:12:50 ID:TPoKDwUb
ほうw、武田の優秀な家臣とその功績を列挙してくれるとありがたいな
727 :
人間七七四年:2007/11/27(火) 23:33:13 ID:c/CHUIHf
信玄が強くないと家康が困るもんな
ボコられた上に自軍も武田風にしたから
728 :
人間七七四年:2007/12/04(火) 22:07:05 ID:hSn5+Pgz
729 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 07:14:13 ID:jHMfWRYv
毛利って武田と比べる程の家じゃねえだろ?雑魚すぎ
730 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 08:15:05 ID:O8QP9e4T
>729
メガ豚君には遠く及ばないな
731 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 08:27:58 ID:MejHiDfk
732 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 19:39:01 ID:f1dApGGU
低脳ゆとりの証明である、アンチ武田信玄の思考(毛利オタ 北条オタ 信長オタなど)
大名として成熟した時期の元就54歳(厳島)と、大名としてまだ未熟な時期の信玄28歳(上田原)
を比較して、元就>>>信玄と背伸びしたがる始末wwww
駿河攻略の途上で行われた信玄の小田原攻めを、「信玄は相模を取れなかった」
としか解釈できない始末www
背後を見せた信玄を討ち取れずに散々に敗北し、おまけに駿河を信玄に取られた
事実には目をそむける始末www
周囲の大勢力全てに打ち勝ってきた信玄が最強なのは歴史的事実であるが、ゆとり
世代からすれば、「大勢力を滅ぼせなかった」としか解釈できない始末ww
謙信も氏康も信長も、生涯信玄を恐れて生きていきました。
733 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 19:59:34 ID:vYM3Uw0p
久しぶりにメガトン先生が降臨されたようです
734 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 22:48:53 ID:ARZ3M2wE
735 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 11:21:59 ID:HJgHQHry
メガ豚先生にしてはおとなしすぎるような気がする
736 :
人間七七四年:2007/12/26(水) 17:49:28 ID:gKyqe9iS
>732
無駄なんだよな、結局。
知識が足りない毛利厨がなにをわめこうが。
おとなしくしてればいいのにさ。
つっこみどころ満載のレスしかしないんだもん、アホ丸出し
。
737 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 23:26:00 ID:MC4HA6ck
天才と謳われる毛利元就の代表合戦
有田中井手の戦い ○毛利軍1千5百 対 ●武田軍7千
元就の初陣。 当時の毛利家の領土は3000貫といわれ、15000石〜25000石ぐらいといわれているほど少ないものだった。
初陣、そして圧倒的劣勢にもかかわらず圧倒的な戦力差を華麗な戦術ではねのけ、総大将武田元繁を討ち取り軍団を総崩れにさせる。
元就の天才ぶりはこの時から発揮されていた。
後世西国の桶狭間と呼ばれる。(状況を考えれば桶狭間以上の大勝利)
佐東銀山城死守戦 ○毛利尼子連合軍 対 ●大内軍
有田中井出の戦いで敗れた武田氏が尼子の力を借りようとし、友田興藤は武田氏の援助を受けて、桜尾城を奪った。
一方の大内義興は自ら出陣し桜尾城を包囲した。そして息子の大内義隆と副将・陶興房に銀山城を攻撃させた。
元就はまだ尼子方の武将だったので、銀山城を死守するようにと尼子経久に言われていた。
劣勢に陥った尼子武将。
見かねた元就は軍義で夜襲を提案、意表をつかれた大内軍は大混乱に陥り城の包囲を解かざるをえなかった。
吉田郡山城の戦い ○毛利軍3千 対 ●尼子軍3万
圧倒的な数の軍勢を率いる尼子軍を巧みな篭城戦でこれを撃退する。
その後尼子は衰退する。
折敷畑の戦い ○毛利軍3千 対 ●陶軍7千
山に布陣した倍以上の敵軍を下から攻撃し、大将宮川長房を戦死させ完勝を収める。
地理的にそして兵数的にも不利な状況ながら、総大将を討ち取るという完勝っぷりは元就、そして息子達の戦上手ぶりが垣間見れる。
宮尾城攻防戦 ○毛利軍5百 対 ●陶軍1万6千
圧倒的な敵の大軍の大攻勢に耐え抜き、厳島合戦への足掛かりを作る。
厳島の戦い ○毛利軍5千 対 ●陶軍2万5千
自身の頭脳を駆使して厳島へ上陸した陶軍を壊滅させ、西国無双と呼ばれた陶晴賢を自刃へ追い込む。
運だけの桶狭間とは違い、自身の頭脳を駆使した完璧な戦だった。
この戦だけでも元就の凄さが分かると思う。 この合戦後、元就は戦国随一の勢力になる。
領地300石から家督を譲られ一代で中国200万石西国の覇者に、この毛利元就
を無能とは言い過ぎではないだろうか?
738 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 01:53:56 ID:dIiGOunp
739 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 02:27:21 ID:DU24vBKU
ヒント:縦読み
740 :
人間七七四年:2007/12/28(金) 08:17:28 ID:PldGxLHE
。が最後の行としてくっついてる段階で、看過しやすい罠だと元就公なら仰ったでしょう。
741 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 12:52:37 ID:5lswyGBV
一番
742 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 18:20:31 ID:vl7fQmNB
まースレタイに元就の名前が先に出ている時点で、馬鹿な毛利オタが信玄と比較
することによって、強引に評価をあげようとしている醜い姿がみえみえ。
あらゆる世間の評価では元就ごときが信玄より高評価になることはありえないから
安心して(笑
海で隔離されていた中国地方のおかげでお山の大将でいられたという評価が変わる
ことは永遠にないよ残念だけど、信玄 謙信 氏康 家康クラスの勢力を伸ばせる
大名が元就の世代の中国地方にはいないのが残念だったね。
743 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 02:41:25 ID:Zdy9yEk7
744 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 11:54:08 ID:aEyGBdu7
745 :
人間七七四年:2008/03/24(月) 01:29:43 ID:Qsxr7i75
信玄厨が許されるの高校生まで
746 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 12:57:34 ID:SEgswXe6
元就>>>>【三本の矢の壁】>>>信玄・謙信>>>>【信玄堤の壁】>>信長
747 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 13:00:45 ID:SEgswXe6
信長>>秀吉>>【朝鮮出兵の壁】>>家康>>幸村>>三成
748 :
人間七七四年:2008/03/29(土) 14:02:25 ID:F0moMCEn
一番好きな戦国武将は毛利元就と答える俺ですら
戦国三傑>三好長慶、大内義興、毛利元就>武田信玄とか上杉謙信とか
だと思うぞ
749 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 21:16:20 ID:dfjtK5R3
三傑って正直どうかと思う
750 :
人間七七四年:2008/03/30(日) 23:14:34 ID:Ten02jYu
知識が微妙な俺が真面目に考えてみると三傑のうちまず
信長は言うまでもなく戦国で最も功績がある武将で実績から考えると
最も優れた武将だと思う
秀吉は初期が農民という時点で信長が死ななきゃ天下取りのチャンスすらなかった
わけだからチャンスを逃さずつかんだ優れた武将だと思う
家康はかなり優れた武将ではあるけど信長に勢力進行で
大きく遅れを取り(信長が異常)更に信長の死後も秀吉に天下を取られてしまったわけ
でありおまけに関白秀次を秀吉が殺したりしなければ天下を取れなかった
可能性が高いなどかなり運に左右された武将だと思う(運に左右なんてことはかなり
あるけど)なので三傑といっても家康は信長、秀吉と同格といえるような武将では
無いと思う
武田信玄についてまとめると
・信濃をほぼ完全に平定
・西上野、飛騨、駿河、遠江一部のを支配下において100万石〜120万石近い所領にした
・上杉謙信という宿敵がいたことにより所領拡大が遅れた(逆を言えば上杉謙信を滅ぼせなかった)
・徳川家康との盟約を破ったことにより武田包囲網に近い形になってしまった
毛利元就をまとめると
・国人から中国最大の大名まで押し上げた
・周防、長門、安芸、石見、出雲半国、備後、伯耆半国、備中、筑前の一部、豊前の一部
伊予の一部等だいたい180万石くらい?
・広大な領土にした反面尼子、大内の残党にあとあと苦しむことになってしまった
・厳島などでかなりの知力があることがわかる
・織田信長とは友好関係を保とうとしていた(中国だけで満足していて
お家安泰を第一に考えていたところが人によってはマイナスポイントかも)
まあスレ的に俺が結論を出すと
毛利元就≧徳川家康>武田信玄かな
毛利と武田だとまず初期の相手が違うんだよね
武田は三国同盟を結べるほどの国力はあり信濃に有力な大名がいなかったけど
毛利はもともとが国人でたいした国力も無かった上に尼子に大内という圧倒的な
大名がいたこの状況から勢力を伸ばした毛利元就はなんだかんだで凄いよ
さすがに信長や秀吉とは比べられないけど
751 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 16:51:11 ID:6ikZT5vG
家康は秀吉政権下でクーデターに成功しただけ、という印象は否めないねぇ
元就も厳島合戦前は実質大内の従属大名だったけれど、陶晴賢との国力差は関ヶ原の比じゃなかった
まぁ初陣の有田合戦での戦果だけ取り上げても戦術史に名を残す男だよね元就
信玄はぶっちゃけ親父の信虎のが凄い
752 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 11:06:53 ID:qjrd1wJC
元就なんて50歳くらいになって天才達がみんな死んだ後になって初めて地域の長老として国人を従えて目が出た武将だろ。
その年齢時は信長や信玄や謙信はみんな死ぬよ。
彼の強みは寿命だけ。
753 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 12:28:26 ID:RvKHhcGp
滅亡したから大内尼子はしょぼいイメージあるけど実際は大国だからな
よくもまあ1国人領主に過ぎなかった毛利は生き延びたものだと思う
大内は経久の勃興がなければ義興の代で北部九州〜石見備後までは確実に領国化
義隆の代で東を伯耆美作備前あたりまでは伸びる
尼子は西に大内がいなければ晴久の代で上洛を成し遂げていただろう
754 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 12:40:13 ID:GdmunYx3
755 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 13:37:26 ID:iq7excej
毛利元就と武田信玄が油ののりきった全盛期に同じ条件で采配をふるって対決した場合
地上では毛4:6武
攻城では毛6:4武
水上では毛9:1武
くらいだと思う
国作りでは五分かな
756 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 13:51:59 ID:1PJaL78S
忍原崩れとかで元就の軍事能力も叩かれてるけど
数千の軍勢と数万の軍勢じゃ率いるのに必要なスキルがそもそも違うって意見もある。
それを考えると
武田2万vs毛利2万だと武田有利でも
武田2万vs毛利5千で毛利の勝ちになりそうな。
757 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 13:55:23 ID:ZKI5081U
村上水軍は最強だもんな・・・多分
758 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 14:05:45 ID:za6ds8vk
過大評価しすぎ大内や尼子の領国経営なんてwww
毛利や北条も天下人の軍勢と決戦できるほどの統治じゃねーからw
759 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 14:08:47 ID:1PJaL78S
信玄の天下人と決戦も悲惨な結果になっただろうという
結論がすでに上洛スレででてるわけなんだが。
760 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 15:38:06 ID:D4jjrHDD
>>750 戦術能力で言えばそうかもしれないが、徳川家康の凄さってのは
政治と政略、政権運営能力にあるだろう。逆にその治世の安定性
で言えば三傑随一と言える。後世に残した功績だって幕府の土台
を築いた、という事では信長以下ではないだろ。
第一秀吉がチャンスを掴んだ良将扱いで、同じくチャンスを逃す
ことなく非常に短い時間で政権交代を成し遂げた家康がそれ以下
ってのはフィルターかかってるとしか思えない。あくまで時期を
逃さず、という点に限定すればね。
761 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 20:24:54 ID:T1KKhjsl
エイプリルフールだから信玄厨を装うのいくない!
装うならもっと頭がいい奴にやってほしい…
762 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 22:41:49 ID:O/bNpAax
>>760 俺も上から4行目まで完全同意
ただ家康が非常に短い期間で政権交代を成し遂げたと書いてるけど
確かにそこのチャンスはしっかり掴んだが
それ以外にも単純に戦国時代の1560〜は領土さえ広げればチャンスはあったわけ
なんだよね
秀吉には信長が死ぬ以外ノーチャンスだったと思うんだよ
厳密には謀反という手段もあるわけだけど
763 :
762:2008/04/02(水) 22:42:48 ID:O/bNpAax
書き忘れたけど
勿論信長が死んだときも家康にとっては相当なチャンスだったはずだしね
764 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 16:07:44 ID:8sm/nuiV
武田信玄が最強と言われるのも徳川が武田軍にボロボロにされたからだしな
765 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 21:48:55 ID:5ZlD8ugj
766 :
結論は出ておる:2008/05/05(月) 22:08:28 ID:+mvMI+Ue
で結局その徳川をぶっ潰したのは・・・毛利薩摩の連合軍
767 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 22:35:13 ID:MSbqKnNi
織田家の前に信玄の築き上げたものはもろくも崩れ去った
一方、元就が築き上げた毛利家の結束力は織田の侵攻に耐え切った
なぜこうも差がついてしまったのか?
768 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 22:43:47 ID:uEffw40p
信玄が残したのが疲弊した国力と近隣国との険悪な関係っていう詰み状態だったから
769 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 22:52:42 ID:uvxxJgBh
毛利だって本能寺の変がなかったら確実に滅亡だったけどな。
770 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 23:06:40 ID:rS42tsmr
初期:信玄C 元就A 氏康D 長慶B
戦略:信玄B 元就A 氏康A 長慶A
戦術:信玄A 元就B 氏康B 長慶C
戦闘:信玄A 元就B 氏康C 長慶D
謀略:信玄A 元就S 氏康C 長慶B
外交:信玄B 元就A 氏康A 長慶B
領地:信玄B 元就A 氏康B 長慶B
治水:信玄A 元就C 氏康D 長慶C
石高:信玄A 元就A 氏康A 長慶A
商業:信玄C 元就C 氏康B 長慶C
民忠:信玄A 元就D 氏康S 長慶B
資源:信玄S 元就S 氏康C 長慶C
家臣:信玄S 元就B 氏康C 長慶C
統制:信玄A 元就C 氏康S 長慶D
跡取:信玄B 元就C 氏康B 長慶E
引継:信玄E 元就B 氏康S 長慶C
隣国:信玄S 元就B 氏康B 長慶E
威光:信玄S 元就A 氏康B 長慶C
771 :
人間七七四年:2008/05/05(月) 23:11:08 ID:zXZ0IymQ
何これ?のぶやぼのパラメーター?w
772 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 01:09:12 ID:lPsL6A73
>>768 信玄が死んだ当時は国力もまだ疲弊してないし
北条とも同盟を結んでいる状態なんだけどな。
773 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 02:10:24 ID:5aasyAir
>>772 今川攻めで険悪になったのをなんとか応急処置した程度の関係じゃね?
浅井・朝倉と一端和睦した時点での織田家と両家の関係を『良好』とは
言わないように、結果から見れば火種は燻っていたと見るのが妥当では。
ついでに国力は『まだ』疲弊してなかった、というだけで道筋としては
財政破綻まっしぐらコースを歩いていたと言って良いよ、あのまま遠征
を続ける方針だったなら、という過程の上ならね。
774 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 02:34:00 ID:lPsL6A73
>>773 北条に関してはそれは難しいな。
再同盟後の武田は北条に対して対上杉の共同作戦を何度も行っているし
北条も武田に援軍を出している関係。そもそも北条は同盟していた上杉と切ってまで
武田と結んだのだし。
浅井朝倉と織田との関係とはまるで違うといえるだろう。
どんなもんだろうな。良くも悪くも長篠と御館の乱以後の北条との関係悪化及び敵対で
多方面作戦を余儀なくされた事が大きいと思うがね。この二つがなけりゃわからんよ。
775 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 02:53:26 ID:/7odbxZM
武田信玄の戦闘、戦術Aってどうよ?
それに相応しい実績があるとは思えないけど
776 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 04:03:47 ID:A7P6Talq
777 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 08:02:05 ID:X1DctyrY
そもそも大名は戦がうまいに越したことはないけど、
それ以上に自家をどういう方向へ発展させるかといったことの方が大事
戦をうまいけど政治はできないやつと、戦は下手だけど政治ができるやつだったら
後者が自然と生き残ると思うんだが
778 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 12:56:07 ID:kmFWRC0a
信長が死ななかったら毛利と北条のどちらが先に滅亡してたかな?
まー信長自身が明智を中国地方に派遣した後に出陣する予定だったし四国遠征軍もうまいとこ進軍していったら早々に毛利滅亡し、上杉の滅亡もあるだろうから北条討伐は後回しかな…予想の斜め上で家康討伐が先だったりしてw
信長の事だから九州や奥羽の諸将の降伏も許さないかもな。
779 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 13:25:39 ID:dvrLOIKz
780 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 13:40:20 ID:2ttdTPYi
>>778 毛利はじめ地方大名は大幅に勢力を削減されつつ生かされたんじゃね?
柴田や羽柴の与力として。
まあ武田は地方大名に対する見せしめとして可哀相な結末だけど。
781 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 13:55:24 ID:kmFWRC0a
>>780 あれで北条は完全にビビってたもんね。
上野や武蔵の豪族とかどんどん滝川の方へ臣従しても何もできないし、あのまま行くと北条は部下がみんな離反し空中分解してたかもしれんね。
782 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 15:55:12 ID:gV2mUaj7
783 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 16:04:30 ID:dvrLOIKz
低脳三好厨ってゴキブリみたいだよね
784 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 16:06:34 ID:p7RbHsVF
785 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 16:12:01 ID:dvrLOIKz
低脳三好厨は愉快犯じゃないよ^^
ただの頭の悪い人
786 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 17:04:26 ID:dvrLOIKz
>>782>>784 あっ!オマエらって(自演なので正しくはオマエ)
毛利元就総合スレッドで、散々、叩かれて逃げ出した残党だったのかw
どうりでw 低脳はどこでも負けてますな 残念ですな
787 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 17:10:43 ID:p7RbHsVF
とにかくageるのやめれ^^
788 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 17:18:51 ID:dvrLOIKz
あっ!
叩かれて逃げ出した人だ^^
789 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 17:31:50 ID:p7RbHsVF
てか三好厨って何?^^
790 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 17:49:12 ID:4KCVsdfh
三好厨とか言ってる奴は三戦に引き取ってもらいたいわ、ホント
791 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 18:04:04 ID:dvrLOIKz
ゲームばっかりのやりすぎで史実と講談の区別がつかなくなったバカの総称だよ^^
総じて、好き嫌いの結論先に有りきだけで事実を捻じ曲げて
贔屓武将を過大評価して、嫌いな武将を中傷するという悪質な行動が目立つ
また、結論に至る根拠を一切説明せず(できず)
また再三の指摘を受けても一向に勉強する意思もない。その代わりに
自演、粘着、荒らし。この3種類の行動で板住人に大いに迷惑をかける存在でもある
実際に、この板の人気スレの数々が、この厨の登場によって荒らされ過疎化していった事実があり
その一番有名な厨が三好長慶の厨であったことから
現在でも、その総称として三好厨と呼ばれている。
実際には北条厨、信長厨、信秀厨、秀長厨、毛利厨と、その派生厨も存在するが
その行動や幼稚な思考パターンの類似性が余りに偏ってるため
全て同一人物の単独犯だという説が根強く指摘されている。
よって、『全ての厨は三好に通じる。』『厨が1匹いたら三好厨は100匹いると思え』
このような格言が、この板で生まれたことでも有名
792 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 18:06:24 ID:4KCVsdfh
793 :
人間七七四年:2008/05/06(火) 23:12:38 ID:A7P6Talq
まあ、ある意味三好厨かもな。
794 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 01:23:16 ID:futeGIkt
>>791 三好厨の意味がよくわからないが
よう三好厨
795 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 18:34:00 ID:+V1Uoibf
>>792〜
>>794 おっ!昨日、毛利元就総合スレッドで
参考資料を持ち出して自分の説が正しいと認めさせようとしたものの
資料の内容を訊かれ、一言も答えることができずに
結局、何一つ中身を知らずに資料名だけ羅列していたことが露呈した
限りなく低脳で卑怯千万な三好厨じゃないか♪
どうしたの?落ち武者みたく、こんなところでコソコソ荒らしして?
元就総合スレには恐くて近寄れないの? かわいそうに・・w
「史実に基づいて主張、考察してる」と思われたかったんだよね?
でも、バカだから内容なんかコレッポチも知らなかったんだよね?
かわいそうに・・w
796 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 19:09:47 ID:uTkZO45r
うるせーぞアンティノミー
797 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 21:38:10 ID:DKGFVa6T
よぅ三好厨(笑)
798 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 18:01:59 ID:Zx3aUeer
信玄=謙信>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>>元就=信長
799 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 11:50:25 ID:OuiGE/mL
信玄>>>>>>>永久に超えられない壁>>>>>>>>>元就(笑)
異論は許さん
800 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 13:32:31 ID:yFXLOltM
Q:なぜ甲斐なんて辺境に人間が住んでいるのか?
A:生活に農耕を取り入れる頭の無い馬鹿が獲物追って辺境へと移り住んだから
そして充分獲物が捕れなくなってやっと農耕始めるものの土地を肥えさせる頭もない馬鹿な甲斐土人は土地の使用権を掛けて村どうしで争い、村どうしで強姦略奪放火
そんな土人ばかりの甲斐が発展するはずもない
そんな甲斐土人の口癖は「あそこは土地が肥えてるから」「あいつは運がいいだけ」
チョンみたいに他人を妬む前にまずはカスのような土人の先祖の事を考えて下さい
恨むなら野蛮で頭が悪くてカスのような土人の自分の先祖を恨んで下さい
甲斐のような貧しい国に生まれた信玄がスタートが不利だった?
それは君達の先祖の甲斐土人のせいです
他人の有利な点をブツブツ言う前に武田神社に行って手を合わせ「馬鹿で使えない私の先祖である甲斐土人が御館様の足を引っ張って申し訳ありませんでした」と謝ってきなさい
801 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 13:36:37 ID:9pCVVRZf
広島にも武田山がありますな。安芸分郡守護の武田元繁公の居城銀山城があったよう
ですね。元就公の初陣で呆気なく敗れ去りましたが。
802 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 20:43:03 ID:ktaVJTTE
信玄は家康を、謙信公は信長を完膚なきまでに叩きのめしたという実績がある。
一方毛利は秀吉にことごとく家臣を討ち取られ(または切腹させられ)て領土を失っている。
正直、格が違う
803 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 21:16:44 ID:yFXLOltM
>>802 まだこんな無知な奴が戦国板にいるのか
手取川の記録は謙信の一通の書状のみ
小競り合い程度を謙信が過大に語ってるだけ
織田家の記録にも他家の記録にも、現地の文献にも織上による大規模な合戦の記録はない
ちなみに信長公記には金ヶ崎や長島一向一揆の大敗もちゃんと記録されてるから、都合の悪い敗戦を隠蔽したとは考えられない
謙信とはそういう男だったのだよ
804 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 02:11:08 ID:joBS6hfc
805 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 03:41:45 ID:joBS6hfc
熊見川の戦いで織田軍は大敗しました。
信長公記に載ってないから否定デスカ?w
806 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 05:23:55 ID:2OAVoPss
>>805 織田軍の敗北=信長の敗北?
だったら謙信も相当負けてる事になるよな?
手取川はアル中のおっさんが宣う一通の書状以外に論拠があるなら教えてくれ
807 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 13:12:11 ID:G2n8qCyG
織田軍の敗北=信長の敗北
なぜこのように文章の流れを理解できずに非論理的に脳内妄想変換するのだろうか。
どこにもそんなことは書かれてないのに。
まぁ必死なのはわかるがw
808 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 13:32:27 ID:2OAVoPss
>>807 ん?
802と別人なのか?
だったら俺の勘違いだ
809 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 16:02:42 ID:RtQqJiSb
糞毛利信者は信玄と謙信にコンプレックス持ちすぎwww
世間の評価では
信玄=謙信>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>>元就(笑)だから
810 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 18:13:57 ID:2OAVoPss
>>809 これが
信玄厨←ゴマすり→謙信厨
の図
811 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 19:06:46 ID:hWDTpHoA
>>802が実にうまいこと言ってる
信玄→家康に完勝
謙信→信長に圧勝
毛利→秀吉に惨敗
この例えが三人の格の違いを如実に物語っているね
812 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 19:34:05 ID:joBS6hfc
813 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 19:43:09 ID:2OAVoPss
歴史ゲーム板ってのがあるから、そっち行けな
それでももう少し勉強してからじゃないとあっちの人に失礼だけどな
814 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 19:44:56 ID:877n48Vf
815 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 20:00:21 ID:b1JLCeyL
>>811は面白いな
信玄や謙信は個人で、元就でなく毛利ってトコがw
816 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 20:05:10 ID:2OAVoPss
>>812 お前、西上作戦のスレで呼ばれてるぞ
まともに議論するつもり無いのかって
知識無いくせにチャチャ入れだけする奴は何厨だろうが嫌われるぞ
817 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 20:56:44 ID:+nFs4HFC
武田‥信長に惜敗
毛利‥秀吉に完敗
上杉‥家康に不戦敗
だろ
818 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 22:31:37 ID:K7qpOHCJ
819 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 22:38:02 ID:G2n8qCyG
>>818 歴史難民板の
お前ら兵力や戦果を捏造し過ぎだろスレ
へリンクされてるだけだろ。
820 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 22:54:58 ID:K7qpOHCJ
ありがとう
821 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 01:11:28 ID:nHVrO3pn
>>737 お前は元就のそれらの戦績をまじに信じているのか?
千五百人でどうやって7千人に勝てるんだ!
相手の軍勢は女や子供のみの軍勢なのか?
ヨーロッパ(中世以降)の戦記と比べると日本や中国の
戦記には上記のような絶対的な戦力差をひっくり返した
戦記が多すぎる。
白髪三千丈じゃないが、疑って懸かった方がいいぞ!
大体元就は調略上手な武将なんだから秀吉もそうだが、
調略上手な武将はあまり戦上手じゃないよ!
822 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 06:27:56 ID:PCNS2WJ1
ほほう。
823 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 09:27:22 ID:9JUWr1PV
元就は民に重税課すし戦も強くないし
伸し上がれたのは年の功と
人を騙すことだけに長けてたってことかな
824 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 18:46:08 ID:vhXawEHH
信玄のことですね、わかります。
825 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 19:26:13 ID:br6TpN1r
>>821 どうやって、って早々に(運良く)総大将を討ち取ったのと元就が
救援に出た先の城兵がそれに応えて挟撃をかけたからだが。
多少の誇張はあるにせよ、猫の額のような領地を持つ地方豪族が
より大きな武田を食い、さらには中国地方一体を従属させえたと
言うのは事実。
君の意見(常識)に従うと毛利は武田に踏み潰される。が、そうは
ならなかったのが史実。ならそこには常識外れがあって然るべき。
826 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 22:56:57 ID:nHVrO3pn
昨年の歴史読本6月号だったか!?
に歴史学会の新説についての特集が
あり、そこでは厳島合戦での陶軍の
兵力は8千人との新説が紹介されていた!
それによるといままでいわれていた2万
の兵力は陶側が各地の戦線に配置した総数
とのこと(いわゆる桶狭間の今川軍が2万
5千人中の5千人のようなもの)
827 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 16:18:19 ID:D/ggQNI5
元就なんてただの猿だろwww
828 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 08:12:57 ID:2RllAiUb
百万石クラス大名の
大内を滅ぼし、
尼子を家臣にした大名
敵から援助うけたり、
子孫が敵だった
徳川と上杉の家臣になった大名
830 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 12:13:37 ID:VYzpZ95e
猿元就www
831 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 19:45:39 ID:lBOTsFZn
ぶっちゃけ関東の信玄のが田舎猿。中国は堺に近い分まだましだが
信長からみたら50歩100歩
832 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 21:05:42 ID:4DiyDBi5
中国が堺に近いってwww
近くねーよw
直線距離で大阪-東京600km 大阪-広島600km
まだ山梨の方がマシ
833 :
人間七七四年:2008/06/01(日) 21:12:35 ID:P4TNszrM
ヒント1:船
ヒント2:街道整備の度合い
ヒント3:応仁の乱後の大内氏の本拠山口の文化度はめちゃ高
834 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 22:29:06 ID:4DiyDBi5
ヒント1:船の行き来が現代で考えられているように必ずしも安全なものではない(特に瀬戸内海)
ヒント2:街道整備の度合いで中国地方だけ抜きん出てるなんて事実がない(ソース希望)
ヒント3:西の山口・東の小田原と言われ、文化度や発展度において中国だけが栄えていたわけではない
>>821 戦車90両、兵数6000、3ヶ月は持ちこたえてみせると言わしめたジットラライン。
戦車12両、兵数580の日本陸軍の前に1日で陥落させられましたが…
836 :
人間七七四年:2008/06/01(日) 23:20:30 ID:P4TNszrM
>>834 ヒント1:船は当時もっとも高速な乗り物です。しかも内海は難破の危険性極ひく
ヒント2:山陽道は太宰府に至る道として整備されて以来歴史が古い。開発度合いは東国の比ではない。
そもそも東国が整備されたのは鎌倉ができてから。それが東海道。あとの道は江戸期になって
江戸を中心として発展したもので、戦国当時は糞。東山道なんて秘境だな
ヒント3:小田原が城下町として治安が確保されそれがために発展したことと文化度は全然関係ない
関東にだって坂東の大学と呼ばれた足利学校を始め
鎌倉から平井にかけて高いレベルの文化があった。
山口以外は差なんて無いよ。
838 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 23:38:24 ID:5VgqpIOY
古来より東山道の方が東海道より発達してたぞ。
碓氷峠はあまりに有名。
上野国は巨大墳墓がある関東の先進地域だったんだぞ。新田と分家の足利があった両毛地域に比べれば南関東の方が大湿原沼沢地域と大河の洪水だらけの大秘境だよ。
東海道なんて江戸時代になるまで発達せんかったし豪雨があれば大井川とかはすぐ渡河不能になるし。
839 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 23:42:53 ID:4DiyDBi5
>>837 ヒント1:難破の是非だけで言っているのではない
ヒント2:戦国時代はその鎌倉時代のずっと後。誰も江戸時代に整備された道のことなんか言っていない
ヒント3:その文化度で言えば、山口が毛利領になった頃には街は灰になってる。当然、鎌倉や駿河に比べものにならない
840 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 23:44:20 ID:4DiyDBi5
841 :
人間七七四年:2008/06/02(月) 00:01:10 ID:DGzKvlSe
>
>>838 東山道にも難路アリ
だれが好んでそんなとこ行くか
それこそ猿しかいかねって
木曽路は山の中にあるっつうぐらいだからな
関東っつうか坂東だろ
とにかく山陽道>東海道>東山道
たしかに毛野の国がむかしあったのは知ってる
足利学校にも一目おいてるよ
鹿島神宮も霊験あらたかです たぶん
平泉もすごいです
なにかちがう文明圏をかんじるものがありますね
だから京文化というかんじはしないですね
京人から田舎猿とよばれるというよか、なんてエキゾチックなというかんじか?
842 :
人間七七四年:2008/06/02(月) 00:13:28 ID:DGzKvlSe
>>839 ヒント1:とにかく直線距離とか言ってたバカの論理はなくなった
ヒント2:歴史ある=それだけ人にふみ慣らされているしかも石見銀山に製鉄技術がある山陰には
山陽とバイバスを通す必要があるが、毛利領は山陽山陰どちらにも流れる川をもっている
から交通の要衝になっている。山梨よかよっぽど整備されてる
ヒント3:鎌倉や駿河は山梨ではない。しかも信玄は今川館を燃やしている。貿易もしてない。
毛利は水軍を使って貿易をしている
843 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 00:13:37 ID:Hwb7giiq
山々のある田舎だからって理由で否定かよ…アホか。
危ない平地なんかに住んでるやつはそんなに多くはない。新田荘とか関東が徐々に開発されて上から下へ降りて住むようになっていっただけ。東山道は活況だった。
関東管領上杉も上野国の平井城が本拠地だしな。毛利の吉田荘だって同じこと。当時は山の民や修験道が流通を支えていた。
全国的に高遠とかそういう山がちの場所で弥生人が大量に住んでたのが発掘されまくってる。
844 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 06:01:35 ID:/wPhqRx5
甲斐は関東じゃないからな。
>>831 でもその信長って
三好の料理人に田舎風の料理を出されたら大喜びで食べたんだよね。
信長も十分田舎大名。
846 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 21:08:55 ID:n6MvdaCE
>>842 ヒント1:その直線距離という定義に対して、大した根拠もなく反論したバカが、その理由を突っ込まれて論点を元に戻そうと必死
ヒント2:最初は街道整備なんて大きなこと言っといて、いつのまにか「人にふみ慣らされている」なんてショボイ規模に格下げされてるw
加えて、甲斐の金山のことは一切知らずに石見銀山を語る辺り無知が意地になってるだけということを如実に露呈してる。
ヒント3:鎌倉や駿河が甲斐でないと言いつつ、安芸ではない山口を最初に例に出してきたのはオマエ自身、ということに全く気付いていない
その指摘をオマエ意外の全員が感じつつ敢えて我慢してたのに、論破されると見境ないしそれを言う辺り、知識以外にも知能もないと判明
ヒント合戦とか、これは新しい
848 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/06(金) 00:54:29 ID:YwiQ7iVZ
849 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 12:02:27 ID:eSCtX3LO
水軍の機動力で、毛利元就
850 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 14:22:50 ID:dlaFNQ+f
まぁ毛利武田がぶつかるとしたら、どこでどうぶつかるかは別として、村上水軍による毛利への補給や武田の補給線の分断や海からのゲリラ攻撃があるだろうから、村上水軍黙らせるほどの水軍力を持たない武田は不利だわな
851 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 14:26:15 ID:8aAh7Twd
入道信玄は村上水軍に調略かけて切り崩しますが何か?
852 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 15:32:40 ID:dlaFNQ+f
>>851 上手く行けばの話だな
調略は上手く行かなくて当り前
上手く行けば儲け物
つまり普通は毛利有利
儲け物で武田有利って事だな
853 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 15:44:58 ID:IBEgj5YC
ていうか瀬戸内海の島を舞台に戦うわけじゃないんだから
どう考えても陸上戦は武田>>毛利なんだが・・
つまり普通は武田有利
儲け物で毛利有利って事だな
854 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 15:52:34 ID:dlaFNQ+f
>>853 武田が(その間の勢力をスルーして)毛利領に攻めるなら海沿いの補給線が重要になるから毛利有利
毛利が(同じくスルーして)武田領に攻めるなら駿河攻略までは毛利有利
その先甲斐信濃まで入るなら武田有利かもな
855 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 16:09:01 ID:IBEgj5YC
なぜ武田は、その補給線を
毛利が有利と分かってる海沿いでわざわざ行わなければならないのか?
相手が有利だと分かってるなら海なんか使う必要ないのに
856 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 16:29:37 ID:A8cxfblu
毛利厨が必死なのはわかります。
857 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 16:34:12 ID:dlaFNQ+f
>>855 海ではなく海沿いな
補給線を山道に選択するなら、それはそれで危険だけどな
それに船で兵を後ろに回されて山道の補給線分断、その軍勢のために信玄が兵を割いたら船へ戻り、他の補給線分断に向かう
神出鬼没の分断作戦に信玄は後手に回る
それをさせないために見張りや警護を増やせば本隊がかなり手薄になる
858 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 17:06:35 ID:IBEgj5YC
水軍のゲリラ隊は陸に上がればただの隊なんだよ
船で高速移動→敵の背後に回り挟み撃ちの形
これなら、まだ分かる
でも陸路を行く荷駄隊を狙い打ちするために船で移動。見つけて奇襲
この見つけ攻撃しようとすれば普通に陸上戦になるわけ
なら武田は最初から、そのつもりで陸で備えて進軍するのが普通でしょ
海沿いの道と言っても海上から大砲撃つわけでもないんだし
859 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 17:28:38 ID:dlaFNQ+f
>>858 山道なら潜んで奇襲
海路なら前後はさんで上陸し挟み撃ち
大切なのは信玄に兵を割かせる事と補給を不確かにすること
信玄と元就の兵動員数が同じだとしても海上が圧倒的に有利な毛利は城や砦に兵を残して一気に武田本拠を狙える
つまり武田は本拠にいくらかの兵を残しておかなければならない
はなから数的ハンデを背負い、その上補給線にまで兵を割いて、しかも補給もまちまち
そういう状況に持って行けば戦わずして勝てるということ
戦って勝つなら、三分の二の兵で守りに徹して、残りの兵で海路から武田本拠に攻める
その報せを聞いた信玄が退却すれば追撃に出る
860 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 17:41:51 ID:IBEgj5YC
じゃなくて
そういう船で撹乱ていう毛利一方的有利な状況に成り得るには
武田軍の前線が伸びきって補給路が、もともと、危うい状況だろ
だからこそ船で前後を挟んで上陸してうんたらかんたらと言えるわけだ
武田はそういう状況にならない為の進軍、攻略を心掛けるという考えはないの?
武田がそう一方的に毛利に都合の良い動きをしてくれれば、そりゃ毛利じゃなくても勝てるよ
普通はそういう場合、補給路が伸びないように、確実に手前の城を攻略するよう足場を固めて行くもんなんだ
そんな、補給路が伸びようがお構いなしに
なりふり構わず吉田郡山城を目指すような行軍なんかしない
861 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 17:46:37 ID:lG/RFDTH
昔の砂浜はとてつもなくデカイような
馬も無理だろうし上陸も大変そうだ
862 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 17:57:05 ID:dlaFNQ+f
>>860 たがら間の勢力スルーして武田が毛利領に入った場合、毛利有利
逆なら武田有利と言っている
周辺の勢力を攻略同盟言ったら武田VS毛利の関ヶ原で、信玄元就どっちが強いって答えではなくなるからな
863 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:04:38 ID:A8cxfblu
兵糧を運んだりする日や時間なんてどうやって毛利で知ることができんの?アホじゃね。
864 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:13:26 ID:dlaFNQ+f
>>863 どれだけの兵でくるのか知らんが、万単位なら補給もバンバン送るわアホ
何万人分の食糧何日分積んだ荷駄隊が何日の何時にいっぺんに出発するのかね?
865 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:16:00 ID:IBEgj5YC
>>862 分かってるよ
君の想定したいであろうケースを、コチラも最大限踏まえて話してるつもり
極端な話、中国地方と甲信越地方が接してるような状態を仮定してんだろ?
で、他の勢力の邪魔はされない。と
その状況下で武田軍が毛利領に進軍したら海を使って云々なんだろ?
でも、その作戦は違う。と言ってるの
武田が自ら不利になるような補給路を敵に晒したりはしない
そうならない為に、目の前の城から攻めるのが普通と言ってるわけ
866 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:22:33 ID:A8cxfblu
>>864 ふ〜ん
なら三方ヶ原後の信長も信玄の補給を狙って九鬼水軍で襲撃すれば楽勝だったのになぜやらなかったんだろうねw
867 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:22:43 ID:iLMi4rV8
設定自体がトンデモだけどあえて言うなら海路押さえてないと補給(路の維持)と
後方の安全確保が厳しいべ
毛利にしてみればどこでもいいがとにかく前線を形成しつつ水軍分派して海沿いの
小荷駄を襲撃(兵糧を奪うのではなく焼き払うだけ)
小荷駄が見つからなければ後方を放火してまわるだけでも効果大
襲う方に常にアドバンテージがあるため少数でよく、守ろうとすれば常に多数の兵が必要
わざわざ海沿いの陸路なんてつかわねーよと言われそうだが、当時の街道を考えれば
万単位で月単位の兵力展開をするのに山道onlyのほうがかなりの無理がある
868 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:26:40 ID:bIQydaKK
一点突破ならともかく面的に制圧していくなら侵攻路の限られる甲信と違って中国地方は相当分散させる必要がある。
少数分散で守るゲリラ戦に適した地形で毛利も半分以下の宇喜多に数年足止めされた。
この時も最前線の拠点への兵站確保に途中の小城を取ったり取られたりで苦労している。
869 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:28:50 ID:dlaFNQ+f
>>865 いや、隣接せずにありのままの勢力図で間の勢力が中立でスルーさせてくれる状況なら、の話
間に土地がなく中国甲信が隣接してるなら話は別
それでも武田が中国に入ってきて、山道を選ぶなら自領で兵を伏せ安い毛利のほうが有利だろうね
逆なら武田有利だろうが
870 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:33:52 ID:IBEgj5YC
>>867 そんな、いつ襲われても不思議じゃない危なっかしい補給経路しか確保できてない状態で
進軍しよう。敵地に乗り込もう。っていう大名は、その時点で敗れてる
水軍の奇襲に遭って!とかの次元じゃない
>>868 そういうこと。
つまりは敵地を侵略する前に、
まず兵站確保という当然のことが出来てはじめて侵略の目処が立つの
それをせずに無理から敵の城を落そう!敵地を蹂躙しよう!なんて計画自体が破綻してる
その特異で、武田一方的不利な想定でID:dlaFNQ+fは話を進めようとしてるから
根本的な部分で間違えてる。と、さっきから何度も言ってる
871 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:35:00 ID:A8cxfblu
ふ〜んなら耳川の戦いで軍船を引き連れた大友はなんで島津の援軍の背後を襲って兵糧を奪ってしまわなかったんだろうね。
872 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:38:17 ID:dlaFNQ+f
873 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:39:54 ID:IBEgj5YC
>>869 何それ?
じゃ、攻める方は甲斐〜安芸間を戦闘兵士から兵糧隊から何から何まで引っ提げて進軍しなきゃならないの?
で、攻めてる間に兵糧がなくなったら、喰うや飲まずで本国に帰らなきゃならないの?
そんなの武田、毛利関係ないじゃん
攻めた方負けじゃんw
最初から敵の兵糧切れるの待って籠城してりゃいいんだから。。
874 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:41:22 ID:iLMi4rV8
>>870 好き好んでそういう補給路しか確保できないのに進軍するわけじゃなくて
山陰山陽に攻め込んだ場合、城がそういう場所にある
但馬伯耆美作の山沿いを進軍した場合それこそ封鎖されて終わるじゃん
海に近い道を進むのは好みの問題じゃない
>>871 あのね・・・・前線と後方の距離くらい理解しようよ
今回の仮定は武田と毛利なわけよ
最短でも信濃遠江と播磨備前
大友と島津の前線と後方とは書くのも馬鹿らしくなるくらいの差がある
極端な話、毛利は武田領域の沖合いにある程度の船団(収容兵数500規模)を
およそ10用意するだけでいい
これを放置して進軍できればアホになるだけだし、遺漏無く対処しようとすれば
1船団に対し最低1000〜1500は必要
875 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:49:42 ID:A8cxfblu
ふーん手取川の戦いで柴田軍は朝倉とか若狭武田の軍船を動員して謙信の補給を切断しなかったのなんでかな?
景勝時代に織田軍がわざわざ飛騨から越中に入って戦うなんて危険なマネしなくても船団で越中の上杉軍の背後の兵糧を襲えばよいのにね。
そもそもそれなら戦国時代って鉄砲とか槍とかいらないじゃん。
軍船を大量に作る競争してればいいじゃんw
なんだ、結局毛利厨のオナニースレだったか。
さすがゲーム脳の机上の軍略w
876 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:50:09 ID:dlaFNQ+f
そりゃ攻めたほうが負けさ
元就も信玄も五分、武将も五分
兵の数も五分にするなら城を盾にしたほうが有利さ
野戦するなら元就としては海や海沿いでしたい
信玄としては山岳でしたい
でもお互い相手が有利な状況に乗り込むような事はしない
攻めた負け
だから最初からそう言っている
877 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:55:14 ID:Dlb2ob87
武田のもつ領域の海岸部は駿河しかないよ
しょぼいけど水軍もつくってたよな
878 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:56:37 ID:IBEgj5YC
>>874 あのね、海に近い路を通るな。山道を行け。なんて、そもそも俺は言ってないの
でも、どの大名も侵略する以上、あらゆるリスクを考えて最善のパターンで進むわけ
海沿いの路を進んでもいいけど、補給も間々ならない路なら、それは攻める以前の問題なわけ
つまり他の路はないか?もしくは計画に無理がないか?
こういう、ごく当たり前なことから練り直すわけね
だから君は山陽山陰がそういう特別な状態の地域だ。と、言いたいとしても
実際に毛利でも秀吉でも、そこで進軍して勝ってる以上
そういう常識では考えられない地域なんだよ!っていう話は説得性を持たないわけね
879 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 18:56:50 ID:dlaFNQ+f
>>875 船で来た敵を船で迎え討たなきゃならないならな
船で城や領土が取れるならな
880 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:01:51 ID:iLMi4rV8
>>875 君には・・・・もう呆れて何も言う気力もないけどさ
武田水軍と毛利水軍の規模と実績の差を考えて欲しいね
大人と子供以上の開きがある
>>876 毛利が攻め込んだ場合だと
金床理論でいけるかもしれない(少なくとも可能性はある)
前線を形成(攻勢防御)しつつ、武田の後方(東遠江・駿河)の沖合いに船団展開
(後方奇襲をするわけではなくポーズだけでも良い)
881 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:02:16 ID:IBEgj5YC
>>876 君は最初から、そう言ってないじゃんw
てか、全然違う意味のこと言ってるじゃん・・
850 :人間七七四年:2008/06/10(火) 14:22:50 ID:dlaFNQ+f
まぁ毛利武田がぶつかるとしたら、どこでどうぶつかるかは別として、村上水軍による毛利への補給や武田の補給線の分断や海からのゲリラ攻撃があるだろうから、村上水軍黙らせるほどの水軍力を持たない武田は不利だわな
852 :人間七七四年:2008/06/10(火) 15:32:40 ID:dlaFNQ+f
>>851 上手く行けばの話だな
調略は上手く行かなくて当り前
上手く行けば儲け物
つまり普通は毛利有利
儲け物で武田有利って事だな
882 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:07:20 ID:iLMi4rV8
>>878 だーかーらーさー
武田が遠征した場合、実際問題進軍路として使える「他の路」がないでしょ
そりゃ播磨でも備前でも伯耆でも海沿いを無視して行けるならいいけどね
武田vs毛利になった場合それは無理な話じゃん
883 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:11:55 ID:IBEgj5YC
>>876 それと、これは決定的に君と意見が分かれるところだけど
>元就も信玄も五分、武将も五分
これ止めてね。兵数や国力を五分と設定するのは、まだ分かるけど
人の能力まで五分にしたら、もう、訳わかんないから・・
人物の能力差だけは明確に差があるんだから
自分の分が悪くなった途端
>>852の意見を撤回させて
人物能力まで五分で引き分けみたいな締め方しないでね
信玄や武田家臣団が元就や毛利家臣団と五分なんて
武田水軍と毛利水軍が五分と言ってるようなもんだよw
884 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:15:27 ID:dlaFNQ+f
>>881 分かったよ
言い直す
最初に武田が攻めた場合を想定したかろ武田不利な
ただ、毛利が攻めた場合、毛利不利かもしれないけど武田よりマシ
885 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:18:55 ID:IBEgj5YC
>>882 じゃーさ、秀吉はどうやって毛利領を進軍したの?って
海沿いでも山沿いでもいいんだって。そんなこと端からどっちでもいいんだって
俺が言ってるのは
君の言った「中国地方だけ、絶対に船で兵糧隊が襲われる地域なんです!」
こういういい加減なニュアンスを前提に話を進めるところがおかしいって言ってるの
実際に毛利の城が秀吉に落されてる以上
兵糧隊が襲われずに攻める進軍方法が立証されてるってことだろ?
そんなに、俺、難しい話してるかな?どう?
886 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:19:15 ID:dlaFNQ+f
>>883 武田に甘くしたつもりだけどな
信玄亡き後の対織田
元就亡き後の対織田
圧倒的に毛利のほうが上なんだけどな
887 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:23:46 ID:dlaFNQ+f
888 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:26:00 ID:IBEgj5YC
何故そこで両当主が死んだ後の話を持ち出してくるのかが分からないんだけど・・
で、俺の記憶じゃ毛利が対織田で活躍できたのは木津川海戦だけだよね?
他に圧倒的毛利の方が上って、どんな風に圧倒的なの?
889 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:28:12 ID:IBEgj5YC
>>887 木津川海戦の被害が秀吉の毛利領快進撃の理由だった・・と?
真剣に言ってんの?
890 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:28:14 ID:iLMi4rV8
>>885 あのさ、羽柴軍の場合は全然違うじゃん
織田には九鬼水軍と来島水軍、淡路水軍があって播磨灘までは織田の海
毛利方の水軍が好き勝手に海を支配できてない
逆に第2次木津川合戦までは大阪湾まで毛利の海だったので本願寺に物資運び放題
端にも棒にもかからないような武田水軍と話が違うわけ
891 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:28:58 ID:dlaFNQ+f
>>888 武田が対織田で大した活躍できずに滅んで逝ったわけだし
892 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:41:59 ID:IBEgj5YC
>>890 三木城には海路兵糧搬入を試みるが、秀吉軍の包囲網を破ることはできなかったよね
で、干乾しに。
つまりは海からなら何でもできるって考え自体、あくまで毛利よりの話だよね
>>891 だから木津川海戦以外に毛利が織田に対して何か活躍できたの?って
893 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:48:28 ID:iLMi4rV8
>>892 「毛利なら海から何でもできる」と言ってるわけじゃなくて
「海で何も出来ない武田」と戦う仮定の毛利なわけでしょ
↑海で何も出来ないうんぬんはあくまでも武田水軍と毛利水軍を比べた場合の話ね
894 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:49:08 ID:dlaFNQ+f
>>892 だから毛利には木津川があるんだからいいじゃない
なんにも無い武田より上じゃない
895 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:50:25 ID:8aAh7Twd
毛利厨が再現ないバカなのは理解したw
つかさ大内義興が上洛して京で戦ってた時に三好之長を始め、なぜみんなわざわざ京都方面に向かわずに山陽道の兵糧を奪って補給を断たなかったの?
896 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:55:11 ID:IBEgj5YC
>>893 だから毛利に海で対抗しよう、勝てるはずだ。なんて最初から一言も言ってないじゃない
秀吉も同じように陸路攻略したわけだし
水軍の話だけで武田が中国地方を攻めるのは絶対無理みたいな決め付けがおかしいんじゃない?
って言ってんの。
>>894 だから、それなら結局、水軍の話であって、両家の武将の能力差の説明になってないじゃない
対織田で活躍した毛利は武田家臣団より圧倒的優秀なんでしょ?
で、その水軍の木津川海戦以外にどんな風に圧倒的だったの!?って聞いてるんだろ
897 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:56:11 ID:iLMi4rV8
>>895 仮定の武田vs毛利の話してるんだから、そんなの知らんがな
もし船岡山の合戦を揶揄したいのであれば京都をどちらが押さえるかに意義がある
戦いだからあんたの質問自体が馬鹿すぎる
898 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 19:59:55 ID:8aAh7Twd
なんつっても信玄は撤退する時でも名のある将に補給部隊を任せるほどだからな。
みすみす奪われるような状況にしてる時点で見事に囮の罠だよなw
捕捉され全滅が落ちだわな。
だいたい補給部隊が奪われて敗北なんて恥ずかしい負け方自体が瀬戸内海であったと言う前例はそんなにあったのかねぇ?
まずは論拠を裏付ける前例を挙げてから語れよアホが。
899 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 20:03:35 ID:8aAh7Twd
>>897 船岡山じゃねーよアホ
京都を押さえる?なら余計に京都から強制的に撤退させられるんだがw
900 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 20:07:26 ID:iLMi4rV8
>>896 あのさ
濃・尾・伊勢・近畿一円(およそね)を押さえる織田と甲・信・駿・西上野・東遠江の武田でしょ
敵対するにしても対処方法が違うでしょ
織田と敵対していた時と違って武田相手になら圧倒的に海を支配できるわけ
水軍の話だけで武田が中国地方を攻めるのは絶対無理みたいな決め付けをしたいわけ
じゃなくて、武田が攻めを持続できる方法が見つからないだけ
武田が攻め込んだとするよ
当然、毛利も正面展開して前線を作るよね
同時に、毛利は駿河遠江沖合いに水軍を派遣しました
前にも書いたけどこの船団はなにも上陸占領をするわけではないよ
小荷駄を焼くか周辺を放火してまわるだけ
あとは駿河湊を封鎖
武田はこれにどう対処できるの?
901 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 20:07:28 ID:IBEgj5YC
>>898 君の
>>875が結局のところ結論だと俺も思うよ
そんなに海軍が、補給断絶や敵の挟撃にズバ抜けてるというのなら
各大名、造船ばかり励めばいい話
でも、戦ってそれぞれケースが違うんだよね
その場その場で適した作戦が違うのに、何でも水軍だけで片付けようとする辺りが
すごくいい加減だと感じたよ
君の言うように毛利が実際にどんだけ、その水軍で敵の荷駄隊を襲ったのか
俺も聞きたいよ
902 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 20:14:13 ID:iLMi4rV8
>>901 だからさー
この武田vs毛利という仮定は本国を遠く離れた遠征なんでしょ
どっちがどっちを攻めるにしてもさ
本国と遠征先の距離が拡がれば拡がるほど後方かく乱が脅威になるだけの話で
それをするのにうってつけなのが水軍ってだけ
更にその水軍が比較するのも馬鹿らしくなるくらいの差があるってだけ
近畿一円丸ごと武田領とか信濃遠江の隣が播磨とかそういう仮定なら最初から
そういう仮定だって言ってくれよ
まるで話が違うから
903 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 20:19:13 ID:IBEgj5YC
>>900 じゃ、両軍5万が持ち兵だとしよう
その牽制役に具体的に毛利はどんだけ人員を割くの?
で、港でも浜からでも武田本国に上陸
で、近隣の村や港に火をつける。略奪する
その間、武田の守備兵や町の住民は、ずっと指をくわえて傍観してると・・
その頃、武田本隊は全軍、リスクを賭して何故か毛利領にいる
で、その前線まで武田本国からの荷駄隊が続いてる状況と・・
それを毛利の牽制役が焼き討ちすると・・
無茶苦茶じゃんw
こんな状況がまず有り得ないって言ってんの、何で未だに繰り返してんだよ
荷駄隊だけ後から延々と出発し続けるってことが、まず、おかしいし
百歩引いて、荷駄隊が絶えず武田本国から遠征先の中国地方まで出向いていたとして
何で、駿河沖ばかり進まなきゃならないんだよ?
他の国は全部、手出ししないと分かってんなら木曽路でもなんでも進めば済むことじゃないか?
904 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 20:33:02 ID:iLMi4rV8
>>903 なんだその両軍5万って。武田に5万もいないじゃん
半年間25000動員するだけでも家臣に借金するような家だぞ
というのは置いておいても
じゃあ適当に10船団に合計で5000割いたとするよ
まとまれば5000だけど基本単位は1船団500ね
2船団で駿河府中の湊を封鎖、3船団は毛利領との連絡維持と船団そのものの補給維持
残りは5船団ね
なにも守備隊のいる場所に上陸する必要はこれっぽっちも無いでしょ
東海道沿いの海なんてすべてこれ崖なんて皆無に近いんだから
兵の手薄なところに上陸して手当たり次第焼き払って近くの城の守備兵が駆けつけるまでに
船に引き上げる
これを延々と繰り返すだけだよ
905 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 20:46:45 ID:IBEgj5YC
じゃ、聞くけど
港や主要施設の周りには守備兵がいないとでも?
当然、いるよね。別に封鎖したけりゃしててもいいが
上陸はできずに海から様子見してるだけで、そんなに意味あるの?
でも、兵の手薄な浜や崖に上陸するのは勝手だよ
でもさ、せいぜい近隣の村を焼く程度で
陸路を攻めた軍が守備側の領地でやる乱取りと何ら同じじゃん
それのどこがそんなにすごいの?
領内深く侵略して城を落すでもなく、ただ沿岸限定の海賊行為なら
それこそ放置しとけば済む話でしょw
906 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:01:52 ID:IBEgj5YC
それと補足までに言っとくけど
信玄の最大石高>元就の最大石高だからね
石高だけ見れば元就の方が兵数を揃えることは不利なんだよ
でも、最初に兵数を同数と考えて・・って話だったから
それは大目に見て置いておいてもあげるけどね
907 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:06:22 ID:iLMi4rV8
>>905 あのさ遠征軍の兵はどこの出身者なの?
全員甲信とか言わないよね?
遠く離れてここは播磨か伯耆
そこまで行かなくても両家中間地点の大津あたりでもいいよ
風の便りにもたまに届く風聞や小荷駄隊の兵士からの話が漏れてくるよね
おらが出身地の遠江や駿河はなんでも毛利の水軍から略奪放火され放題だとよ
これを聞いて雑兵レベルから村役〜郷士に広がる脱走含むモラルハザードが
おきないとでも?
封鎖の利点ね
武田にとって唯一といってもよい海への出口である駿河府中の湊が封鎖されました、と
これまでは主にその駿河湊経由で甲信を始めとする本国属領で消費していた消費材が
以降はほぼ全て他国経由の陸路(しかも東海道沿いは実質使えません)輸送となります
北条の湊からかもしれませんが当然税が余分にかかります
越後直江津からかもしれませんが当然税が余分にかかります
木曽路を通ってかもしれませんが輸送そのものが量的には不安定です
これがどういう負担となってくるのかがわからないのなら話す事は何もないです
908 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:12:55 ID:dlaFNQ+f
何か凄い事になってるな
長期戦なら村上水軍シカトしてたら充分な塩取れませんぜ
909 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:13:19 ID:iLMi4rV8
>>906 別に大目にみなくてもいいですよ
史実において実際にどれだけの兵力をどれくらいの期間動員できたかで
考えればいいだけです
米ありきの石高だけで成り立ってないのは武田もそうでしょう
日本海瀬戸内交易路と銀と鉄の三者を合わせもったがゆえの毛利の経済動員力を
今更石高だけで考えてもそれはまるで意味のないことでしょ
910 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:22:42 ID:IBEgj5YC
>>907 苦しいね〜ww
精一杯おつかれさまと言っとくよ
略奪放火され放題なのは、戦になれば敵味方どこも同じ
給料貰ってる傭兵じゃないんだから
足軽兵なんて自分らも敵領内で乱取りすることが報酬で戦ってたのが戦国の常識
そんな時に武田軍だけモラルハザードってw
それと第一、毛利も敵のいない浜辺や岩陰から上陸して村々焼いて行ってりゃ
駿河沖だけで対象がなくなる。残った場所が限られてくれば警備がし易いからね
だから、そんなに被害の対象にもならない
で、港封鎖における他国からの輸入による税の話ね
もともと駿河は今川領ね。武田は山国甲斐なのでね。
そんな税如き言い出したら、昔の武田はどうしてたのか?と
で、いや、違う。重大な問題だ!と、君が言うのであれば
具体的な輸入商品と、他国から仕入れた時にかかる税、内陸経路で輸送した際の負担の具体的な数値説明
これらを詳細を持って説明してね
911 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:28:31 ID:IBEgj5YC
>>909 毛利の貿易で得る利益を具体的に示して欲しいんだ
なんとなくのイメージじゃなくてさ。
で、毛利の場合は一口に銀と言っても、ずっと大内や尼子の支配下であって
死ぬ間際まで尼子と石見銀山の争奪戦を繰り返してるのは周知の事実
そのことを考えれば武田の甲州金山は安定して武田の収入源になっていたんだから
石高以外の経済性を見ても武田が毛利に圧倒的に差をつけられていたなんて考えにはなれない
912 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:33:46 ID:IBEgj5YC
>>908 塩は播磨や大坂の商人からでも仕入れりゃ済む話
てか、君さっきの質問に答えてよ
ずっと待ってんだけど
913 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 21:48:38 ID:iLMi4rV8
>>910 あのさ理解できてないのかな??
自国から遠くはなれて遠征なんでしょ
東遠江から西遠江を攻めていたら駿河で略奪されましたとは
まるで話のレベルが違うことくらい理解できる頭はある??
大げさに言えば夜に見上げる星座の位置も山河の形も言葉も違う異郷にいるんだよ
まさか、まさかとは思うけどこの状況下で故郷が略奪されるのがどういうことかすら
理解できてない?
もともと駿河が今川領なのは知ってる
昔は昔でしょ
実際駿河は武田領として考えてるんだし一度他国の税のかからない輸送ルートを
得た消費材をまた余分に出費のかかるルートに切り替えざるを得ないんだよ
その差がどういう影響をもたらすかという基本的なことすらどうも理解されてないみたいで・・・
なんというべきか・・・かける言葉もみつかりません
>>911 利益ね
物産を当時の一大消費地帯である近畿地方に陸路に比べるとコストが0に等しい海路それも
異国・九州・山陽・山陰・四国と畿内を結ぶを瀬戸内海を支配する水軍
他国船の場合、帆別銭を徴収可能な水軍
これのもたらす意味すらわかってないみたいだね
なんか基本過ぎて書いてて馬鹿らしくなってきた
914 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:01:40 ID:DfKjNuUM
石見銀山は毛利が1562年に奪ってからは安定的に支配している
甲斐の金山もすごいだろうが、石見銀山は世界の銀産出量の3割を占めるほどだ
毛利家の懐が潤ってたことは間違いない
915 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:07:58 ID:DXWeX5N2
でも織田と戦って財政が火の車になったのは同じだな。
そこまで大きな差はないだろう。
916 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:14:04 ID:IBEgj5YC
>>913 素直に謝っちゃえば?
『具体的には何一つ説明出来ませんけど、何となくイメージで反論しました』
ってさ・・
ただの罵りあいや、戦国時代の常識を無視して
何でもいいから理由をこじつけて反論ってのなら、俺は降りるわ。不毛だわw
足軽兵の乱取りに関して、もっと勉強した方がいいよ
それと、結局質問には一切答えて貰えなかったけど
無税だからどうたらって言ってるけど
信玄の生涯において駿河を持ってた期間と持ってなかった期間
明らかに後者の方が長いんでね。そんなことも考えて反論材料にした方がいいよ
で、交易における利益ね
俺が双方5万にしよう言ったのも、武田家の石高(太閤検地前は石ではなく貫目で徴兵してた)で
実際に武田家は5万まで徴兵できるのが明らかになってるからね。それを基準に出したんだ
当然、石高で武田に劣る毛利が出せるかというと甚だ疑問だが、そこで君が交易の利益を持ち出したので
その石高や貫目と同じように、利益の数値を具体的に説明願っただけ
でも何一つ具体的に答えられないのなら、それも眉唾物かもね
ただでさえ仮定の話なのに、さらに根拠ないイメージだけで語られると、もう議論が成立しないんだよね
ただの都合の良い材料の適当なイメージ宣伝になっちゃうからさ
だから、もう終わりにしよう。おつかれ
917 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:27:27 ID:WPlzWhM+
なんで元就と信玄が海戦する話になってるんだ?
最強厨が無意味な比較をするというスレタイの意味を読み違えた馬鹿が居るのか?
ここはスキンクとアガマの優劣を決める様なスレのはずだが。
918 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:28:35 ID:Dlb2ob87
毛利水軍じゃなくて、村上水軍な
水軍は毛利の都合で動かせない、水軍に依頼して共同戦線をはるわけ。
つまり運命共同体としての結びつきが要求される以外での
水軍運用は毛利の勝手にできない。
村上が戦に勝ってもとりぶんがないなら、意味無し。
村上は博多攻略を優先させたかったろうな
919 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:30:45 ID:DfKjNuUM
武田と毛利の石高比較論か?
いつ頃を設定して言ってるんだ?
信玄存命時なら毛利の影響力は播磨や但馬にも及んでいたぞ
920 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 22:36:53 ID:Dlb2ob87
武田はダメな日本の縮図みたいな家だから元就に弄ばれて
囚われてケツの穴で奉仕でもしてるのが関の山かなw
921 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:02:53 ID:SJaMXjbF
>>920 言ってることが意味不明。
煽りでももっとましなことかけ。
922 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:14:39 ID:Dlb2ob87
武田厨はかなしいな
山梨が輝いてたのは武田以来まったくないからしょうがねえかw
923 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:18:45 ID:WPlzWhM+
日本人の地域対立を煽る韓国人かな?
日本語下手だし。
924 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 23:27:06 ID:Dlb2ob87
反論できないから、人格攻撃か。
武田厨やぶれかぶれだな
925 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 00:39:53 ID:pwUocwcB
>>924 そもそもお前のレスには内容がないから反論するところが見当たらん。
926 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 03:29:51 ID:IK+3LjDE
>>924 お前がゲーム脳すぎてまともに考える気もおきねぇw
妄想は楽しいか?
おい、暇人ども楽しいか
あぁ〜ん?
ぶるぁぁぁああああああ!!!!!
928 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 21:17:34 ID:ePjnFq8Q
>>892 そのかわり秀吉は播磨において陸路だけでなく海沿いにも兵を分散配置する羽目になった
もし武田と毛利が戦うとして、毛利水軍が圧倒的であるなら
武田が毛利を攻めるにせよ、毛利が武田を攻めるせよ、
毛利は海岸沿いから攻められる心配は無く陸路の前線に兵力を集中して大丈夫
それに対して武田は陸路で前線を維持するだけでなく海岸沿いにも守備兵を置いて守る必要がある
ただまあ武田水軍だって無力じゃないし守る分には地の利もあるから、一方的に武田が負けるってことは無いだろうけど
929 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 21:23:49 ID:ePjnFq8Q
>>905 駿河とかの港や主要施設の周りには守備兵を置かなければならない武田と
そのような守備兵は必要無い毛利
もし基本兵力が同じだとしたら、毛利の方がより前線に兵を集中できるってことじゃ
>領内深く侵略して城を落すでもなく、ただ沿岸限定の海賊行為なら
>それこそ放置しとけば済む話でしょw
短期決戦が可能ならともかく長期戦になったら放置とはいかないんじゃ
結局それは武田の国力低下、ひいては動員力の低下という結果を招くだけかと
930 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 21:44:25 ID:Qd/pZ4nW
水軍が天下取りますた
終了
931 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 21:46:54 ID:W7vYaEYJ
騎馬軍団ワロス
932 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 22:07:28 ID:QygcmEcp
てか、これ昨日から続いてる毛利武田の仮想対決だよな?
両者支持派の説明比較じゃ
明らかに毛利水軍全沈没してるほどに
一方的にやり込められてるようなんだけど気のせいかな
933 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 10:50:33 ID:E10MCA/V
>>932 自分には逆にみえる
毛利派は後方へ水軍まわしていわゆる囲魏救趙策もしくはスレッジハンマーを示し続けてる
水軍マンセー過ぎる気もするが隣国攻めではなく本領からお互いに離れた遠征だからこそ
有効という点はうなずける
武田派は羽柴の播磨方面での戦績示して反論したが水軍規模の違いからの差をあれこれ
指摘されるとそこは華麗にスルーし続けて結局武田がどう攻めれば勝機がみえてくるのかを
提示できないまま逃走
934 :
人間七七四年 :2008/06/12(木) 12:53:38 ID:PBmSq5ps
四国、九州、朝鮮、関ヶ原、毛利の動員力は他家と比べて抜きん出てる。
とくに朝鮮出兵後、他家が財政的に疲弊しているのに関ヶ原であの動員数!
流石は元就の遺産、石見銀山だな
実際、上月城の戦いで約十万動員してるし(武田には無理な話しだろな)
935 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 13:31:56 ID:Kga432+f
くだらねぇ
水軍あれば無敵なのかよワロタw
水軍で補給を断つなんてそんなの史実に存在してねーし。
ナポレオン時代からして現地調達がメイン。
旧日本軍も軍政を敷き原則は現地調達。
焦土作戦をやるならまだしも水軍ってw
当時の水軍は岸を見ながらの航行で各地の漁師や村人の監視で発見されて狼煙でもあげられ各砦や城や国人衆やらに通報されて捕捉全滅だよ。
上陸して補給部隊襲ってる間に浜辺に停泊させた船に農民が火をつけられたら即死亡だなw
やってる事は中入りと同じで誰にも見つからずに迂回なんてできない。地元水軍に見られるぞw
それに水軍で敵の通商路を封鎖なんてしたら豪商や国衆などの敵をまとめて増やすだけ。
しかも完全封鎖なんてできない。周囲の他国からの流入まで統制できない。せいぜい物価が高くなるだけ。
非現実的な話をしててアホだろw
936 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 19:09:34 ID:E10MCA/V
無敵武田でもなんでもいいけど結局どうすれば有利に運べるのかすら
まるで示せてないのがどうにもねw
937 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 20:13:02 ID:grFnMzUE
こんな見事なまでの泣き言久しぶりに聞いたw
この議論の発端はそもそも君が打ち出した
「水軍で後方撹乱できるし、補給路をゲリラ戦術で襲えるから毛利の方が武田より優勢」
っていう小学生並の妄想が原因だろ?
その愚策を完全に論破されて(何度も)、さらには仮想にしている設定自体無茶苦茶で
それでも食い下がらなければならない理由があるとすれば
それはただの君のエゴと無価値に等しい自尊心だけ。
これ以上ない完全な形での決着がついてる以上
当初の論点とはズレる君の一方的な要求に、皆が付き合う必要など皆目ない
むしろ、君は素直に自分の愚策を改め
懇切丁寧に指導してくれた皆に謝罪し敬意を表するべきだ
938 :
確認者:2008/06/12(木) 20:36:59 ID:sZJQgtTq
元就も信玄も寿命で死んだ分けですから、天が決めた必然です。
死ぬまでが彼らの実力なのです。
戦国の勝者は秀吉と家康ではないでしょうか。
939 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 20:59:19 ID:xQIkdK7G
>>938 その考えは正しいが、このスレに書き込むのは間違いだ
940 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 21:05:25 ID:G9fB81o+
俺の勘違いじゃなければ船で後方撹乱って南北朝からやってたような
941 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 21:56:54 ID:EYTXT2KM
信玄は子どもを殺したが、元就は仲良く育てた
そこですでに勝負がつい て ん だ よ!
山梨のイモ猿ども
942 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:01:40 ID:/15jIT7i
>>929 武田の同盟国・北条水軍がいるから武田が一方的不利とは言えない
>>940 熊野水軍だ
後南朝も熊野水軍を頼ろうとした
943 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:20:40 ID:TBd4WysY
なにこの妄想スレ^^;
944 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 23:27:24 ID:grFnMzUE
うん
毛利厨の痛い妄想がスパークするためのスレです
まあ所詮、毛利毛利騒いでも擁護派がこのレベルだから
945 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 23:39:57 ID:2R8ir3mC
しょせん毛利ww
ど田舎の山猿ww
946 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 23:42:56 ID:Ykhy+qN2
>>906 最大石高武田のほうが上かあ?
んで石高は太閤検地をもとにしているんだろうが、
毛利はかなり過少申告してるぞ。山口に移されてから検地したときは、
倍近い石高になってる。
>>911 石見銀山と、武田の金山では、産出量の桁が違う。
>>935 どうみても、押し寄せてきた黒人集は返り討ちだろう。
毛利水軍なら海賊にまで動員をかけ、小船まで含めれば、数百隻は軽い。
人員は万越えるよ。
>それに水軍で敵の通商路を封鎖なんてしたら豪商や国衆などの敵をまとめて増やすだけ。
逆逆主家に対して離反するよ。国人集は非常にそこらの機微は速い。
947 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 23:49:15 ID:2R8ir3mC
毛利厨=基地外
948 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 00:22:47 ID:bBXCcIts
>>933 なんで瀬戸内海の水軍が駿河まで来る作戦に無理がないといえるのかね。
秀吉の天下統一時代みたいな
統一体制もないのに駿河くんだりまで来るのが毛利に味方する村上水軍などにとって
有益といえることか。疲弊もするだろうし瀬戸内の覇権維持も大変になる。
水軍には水軍の利害があるということだ。
第一毛利はその水軍を用いても近距離の四国や九州もうまく制圧できなかった事は
どうとらえているのか。中国内部の戦いでさえ尼子とかとの戦いで重要になったのは
陸戦だ。その水軍使って後方撹乱とやらで本当に武田を屈伏まで追い込めると
思っているのか。しかも瀬戸内から駿河までという膨大な距離ならなおさら。
949 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 00:24:04 ID:ITSHbzAK
>>946 もういいって君
ハッキリ言って無知なんだよ。君の主張は
山口に移されて検地した時の背景ってどんなもんだったか知ってるの?
あとね、みんな分かってんだけど
毛利擁護派だけが気付かずにずっと声高に叫んでたのが
毛利水軍の規模ね
他の勢力は加担しないって設定を指定して来たのは毛利擁護派の方ね
でも、毛利擁護はずっと水軍の規模を、さも毛利が日本一の大水軍団みたいに叫んでるけど
あれは村上水軍の数ね。決して毛利水軍ではないの
で、毛利の純粋な水軍といえば小早川水軍ね
これは厳島の戦い時で、だいたい100艘。その後でも多くて200〜300艘くらいしかないの
木津川口の合戦とかも村上水軍とかが加わってはじめて5、600くらいなんだよ
もうね、好きで擁護してる大名なのに、その本人が一番何も知らないって
バカもいいとこ。
950 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 00:27:03 ID:bBXCcIts
>>946 仮にその水軍が万を超えたとして瀬戸内から駿河までという膨大な距離で
補給その他をどうやりながら作戦を長期に継続するのか聞いてみたい。
略奪に頼ろうとするなら沿岸防備を固められたらほどなく干上がるだろうな。
951 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 01:10:19 ID:VlOWMpY4
駿河湾の地理が分からず
上陸したら道に迷い
浜辺に行ったら船がなくなってて終了ですね。
海上も平地でも地の利というものがある。
952 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 17:23:55 ID:8ch0UACx
毛利領は過小申告
関ケ原処分も防長29万石だが
10年後36万石に高直し
片や甲斐は万年20万石
953 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 17:43:22 ID:WPm4s1DE
武田厨が過剰反応しててかわいいね
954 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 17:45:48 ID:R9PLaTm6
狭い中にリストラしなかった毛利家臣が密集して必死に開発したんだろ。
甲斐は将軍秀忠の子である忠長が入り、
のち徳川家光の三男・綱重を家祖とする。
家格は親藩で石高は25万石
甲府宰相徳川綱重の子にして正徳の治を演出した6代将軍徳川家宣の地。綱吉の養子になった際に甲斐は綱吉の側用人柳沢吉保が置かれた。
すなわち甲府徳川家は綱吉の館林家とともに御両典の御三家と並ぶ将軍家の連枝として高い格式をもっていた。
甲府徳川家25万石→35万石
955 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 17:52:36 ID:U2vqQILN
瀬戸内の通行税で毛利はうはうは実質石高72万石
浮いた分は、申告分から見積もった負担に計上されないから屈指の雄藩に返り咲き
毛利の水軍パワーすげえええ
一方そのころ、甲斐では鎮撫隊が惨敗を繰り返していたプゲラ
956 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 17:56:02 ID:nOkxHZQe
田舎のホモ大名の信者が必死すぎるw
957 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 20:57:28 ID:YK8Hg/lo
さて、どう計算したら実高72万石になるのか内実を詳しく説明してもらおうか。
958 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 21:10:15 ID:JjV6qPci
959 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 21:28:00 ID:E0VCOiHb
プゲラってひさしぶりに聞いたわ
960 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 21:53:58 ID:ITSHbzAK
厨のレベルでは
毛利厨も信長厨も大差ないことが分かった
どっちも板屈指の低脳だな
961 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 22:06:55 ID:YK8Hg/lo
962 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 22:36:16 ID:pCJSMdx0
それをさらに上回る武田厨
963 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 22:38:31 ID:VZ35VHl3
>>962 伊達と武田は異常な信者が憑きすぎ。
毛利厨とかまだかわいいわ
964 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 22:44:06 ID:YK8Hg/lo
965 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 22:51:41 ID:pCJSMdx0
盲信する大名同様敵を作るのが上手い武田厨
966 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 22:56:15 ID:3+zHU1+M
967 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 23:22:40 ID:YjV0RaA3
武田にしろ毛利にしろ間に畿内を挟んでるから直接対決なんて現実的ではないけど。
お互いに最大版図だとして、あえて間の国を無視していいのなら倭寇のような沿岸荒らし
するんじゃねーの?
武田にまともな水軍衆は皆無だからやりたい放題なんだし。
これは史実で見てもやられた明・朝鮮は国そのものの体力を減らした。
なにせ攻めるほうは手薄なところを襲えばいいだけなのに対し、守るほうは各地の警備兵を
増員して費用対効果で負担大。更に内部の不満分子も成りすましで便乗する。
968 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 00:03:06 ID:ZgZpkYEw
>>962 >>963 >>965 >>966 水軍で武田を屈伏させられる!とか寝言いってたのが
無理とわかったら煽りを書きまくってごまかすわけか。
大したお手並みだな。
心配しなくても信長信者はもとから敵だらけだから気兼ねなしか。
キチガイの多さなら信長信者がダントツ。
>>967 武田にもちゃんと水軍はあるぞ。
今川の水軍を継承発展させたものでなかなかのものだが。
倭寇の襲来は生活と結びついていたわけだが。
軍事作戦としてみた場合瀬戸内から駿河までという長距離がどうしてもネックだな。
毛利水軍が往復してる間に疲弊しそうだが。
ちなみに倭寇とよばれるものは初期を除けばおおむね中国人だから。
969 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 00:20:07 ID:5nvLBKNI
中国や朝鮮の広大な海岸線と武田領を比較にできんな
しかも汚職文官によって治められた国と戦国時代の日本とじゃまったく違う。
その地を詳しく知ってないのに水軍で遠征なんてしたら潮流に流されたり、船底が岩石に破られたり海が荒れたりで死亡だな。
船団の飲料水を確保する事すら難しい。
970 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 01:58:45 ID:TvwHP5Y2
971 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 10:33:28 ID:RtZn4xI0
武田の水軍というのは純粋な陸戦のしかも篭城戦で死んだ将とかいるくらい
海と無縁だったけどな〜
ざっと読んでだが毛利厨の主張は海上後方展開でおk?
距離とか考えると効果が疑問だがそれなりの説得力はある
遠征中に後ろでなにかされるのは圧力だろう
武田厨の主張はそれへの反論だけでどう遠征すれば活路が開けるのかがまるでわからないよ
ひたすら揚げ足とりしてるだけで満足みたいな
972 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 12:33:11 ID:GOQxKJgx
>>971 >ざっと読んでだが毛利厨の主張は海上後方展開でおk?
・・って、自分で自分の書いたレスに確認されてもな
>距離とか考えると効果が疑問だがそれなりの説得力はある
説得力ってことで言うと、騎馬軍団が城の石垣駆け上がってそのまま落城させる
って妄想と同じくらいだね
>遠征中に後ろでなにかされるのは圧力だろう
じゃ、実際は何もされないから圧力ないってこと?
>武田厨の主張はそれへの反論だけでどう遠征すれば活路が開けるのかがまるでわからないよ
結局、毛利水軍最強説は負けを認めたということでおk?
>ひたすら揚げ足とりしてるだけで満足みたいな
そもそも、揚げ足取られる前に崩壊してない?w
973 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 15:03:02 ID:3ONxRoPM
>>972 揚げ足取り決定です
次は内容のある文章でたのむよ
974 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 16:03:36 ID:RwvBshsd
975 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 17:22:18 ID:7b/UReGJ
偉大な元就公と甲斐のホモ猿を比較すること自体元就公に失礼
976 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 17:34:53 ID:3tGx3Gln
冷静に考えて7:3で毛利が勝ちってとこだな
977 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 18:58:25 ID:Ic/reuZ7
これ攻め込んだほうが負けだろ
978 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 19:25:55 ID:Sk7lfZn8
毛利厨ってアホ過ぎてワロタw
979 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 20:00:24 ID:CCWAx0RZ
>>948 駿河までくることになってんの?
なら途中は全ておとしているから、駿河までくるんだから、
問題ない。
海上封鎖は可能。
途中落としていないのなら、武田なんて相手にするわけがないから、
関係ない。
>山口に移されて検地した時の背景ってどんなもんだったか知ってるの?
知ってるよ、庭の柿木からも税をとったというくらいの酷いもの。
まあ約束反故にした幕府が悪いんだけどさ。
>でも、毛利擁護はずっと水軍の規模を、さも毛利が日本一の大水軍団みたいに叫んでるけど
村上が不可なら、信濃の豪族の半分くらいは不可だな。
>>952 正しくは52万石あったけど、
多すぎるということで、過少申告して7割の37万石になった。
幕末では100万石の大台にのっている。
980 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 21:14:22 ID:3ONxRoPM
毛利擁護も多少飛躍してる事を言う人もいるが武田擁護は揚げ足取って屁理屈こねるだけなんだよね。
問題はそこなんだよね。
だからイマイチ説得力がない。
だから客観的に見て武田が不利な気がする。
武田は打つ手ないのかな?
武田擁護派の方がんばって下さい。
981 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 21:22:10 ID:HC60BbZ7
次スレは
982 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 21:41:26 ID:3tGx3Gln
って おまえそれ若本だろ
983 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 21:45:09 ID:5nvLBKNI
バカバカしい。
なんで海に近い浜辺みたいな場所しか補給路にできないんだ。
まるで奪ってくださいみたいに補給を運ぶのか?それ罠だろ。
水軍が上陸したって船からそんなに離れた場所まで行けれないし。
通行路には柵や関所がいっぱいあるんだぜ。
敵が来るまでに逃げるとなるとロクな戦果もあげられない。
そんなに威力あるなら元軍の大軍だって楽勝で日本に勝てるな。
984 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 22:02:25 ID:fkwoQxRn
対織田で毛利と武田を比較すると両者の実力がよくわかる
一家臣にすぎない秀吉にフルぼっこの毛利
信長を震撼させた信玄
どう考えても武田>毛利
985 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 22:31:34 ID:qPzWOgwH
秀吉が毛利と戦ってる状況と武田の上洛とじゃ状況が違いすぎる。
信長を震撼させたっていう確かなソースを出せよ
986 :
人間七七四年:2008/06/14(土) 23:24:12 ID:fkwoQxRn
毛利は秀吉方の武将を一人でも討ち取ったのか?
987 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 00:15:12 ID:hEDbufbC
対織田は公平にいかないと…
信玄がいる時、毛利も戦局は優勢だった。(1578年ぐらいまで)
秀吉と本格的に戦う時は武田は信玄ではなく勝頼と比較しないと。
信玄が生きていたらなんて言うと元就が生きていたらになるから水かけ論になっちゃうよ。
中国地方の司令官は秀吉、北陸は柴田が有名だけ四国は丹羽だっけ?
織田軍の武田方面司令官てだれ?
知識なくてごめんなさい誰か教えて下さい?
988 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 00:43:46 ID:3Jwj1rui
あえて言うなら滝川かな?
北条に負けるようなヘタレだが。
989 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 00:55:05 ID:9zpDg7/F
負けたのは信長死んでからだアホ
990 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 01:03:30 ID:1oLn8CjS
織田から領土を切り取った実績のある武田
一方的に領土を切り取られた毛利
991 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 01:14:02 ID:3Jwj1rui
992 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 01:18:01 ID:ku3f5jqk
>>971 距離を考えると疑問といいつつ説得力あるといってる時点で
片びいき決定だな。瀬戸内海から駿河までどうやってくるのやら。
そもそも論理にすらなっていないものをつっこまれたら揚げ足取りとか言う時点で
どれだけ馬鹿なのかと。
簡単な話遠征してきたほうが負ける。それだけ。
>>979 なにその毛利にだけ都合のいい設定。
毛利がすべてを落しているなんていう設定はどこにもない。
そんなのがゆるされるなら武田が毛利領土までを制圧した状態で
仮想して戦えば100パーセント武田が勝つんだけど。
そんな都合のいい設定をいきなり付与して毛利が勝てるなんてどれだけ都合が
いいのかと。
>>980 瀬戸内海から駿河まできて後方を脅かし長期にわたって活動するという作戦だしてるのを
もって客観的とかいわれてもお笑いにもならないんだけど。
993 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 01:50:26 ID:+4Habm8x
994 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 01:51:47 ID:hEDbufbC
>>992 瀬戸内海から駿河まできて後方を脅かし長期にわたって活動するという作戦だしてるのを
もって客観的とかいわれてもお笑いにもならないんだけど。
違うでしょ
毛利擁護側の戦略に実現可能、不可能に関わらず武田側に全く戦略案がない事に「客観的にみて」でしょ
995 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 02:08:18 ID:ku3f5jqk
>>994 どんな無理な作戦で否定されまくってもとりあえず出しておけば
出してる側が客観的に優位だというのは暴論としか思えないような。
それなら武田側が「武田の金堀集を総動員して甲斐から毛利領土までつながる
トンネルを掘らせ、毛利の主だった将がいる城に地下から攻め入って皆殺しにすれば
武田の勝ちだな。武田最強!」とかいって毛利側がそれに突っ込んで否定されても
毛利側が案を出してなければ「客観的に見て戦略案のある武田が優位」といってもらえるのか?
それくらい無茶な理論だろ。瀬戸内海から駿河まで水軍送って武田を追い込むというのは。
996 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 02:50:45 ID:hEDbufbC
>>994 それが揚げ足取りだっての
毛利は水軍の活用を提案してるの対して金掘集って…分かってるでしょ?
そういう事いってるから武田は突っ込まれるんじゃないの?
言おうとしてる事ぐらいわかるでしょ?
いい加減察しろよ
それとも察してるけどそんな答えでしか返せないのか?
余計武田の立場が悪くなる。
頑張れよ
997 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 03:01:03 ID:ku3f5jqk
>>996 だから、その毛利の水軍活用とやらが武田が金堀衆で〜って
いうくらい馬鹿な理屈で現実的じゃないっていってるんだよ。
現実性があるとかいうならそれを立証してみなさい。
瀬戸内海から駿河まで水軍で長期にわたって活動し後方かく乱とやらをする
作戦のどこが現実的なのかと。
非現実的な事を指摘されたら揚げ足とりだといって逃げるのは
正直関心しないね。
正直君のレスには相手を揚げ足とりと認定している以外になんの具体性も内容も
ないんだけど。そっちこそまともな答えで返してくれよ。
998 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 03:15:50 ID:mF2LFvVX
毛利厨のバカさが笑えるw
999 :
人間七七四年:2008/06/15(日) 03:17:34 ID:snqfAHyk
毛利水軍という夢物語の妄想と一緒に沈没した方がいいな。
非現実的にも程がある
武田も毛利も無価値!
1000get!
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
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