【若狭】武田氏総合スレ上総】

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1人間七七四年
甲斐の武田ばっかりが武田じゃない!

若狭にだって、上総にだって、安芸にだって武田氏は栄えていた。
武田高信のことだって時々で良いから思い出してあげて下さい
2奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/25(月) 23:59:52 ID:la8kF5Ui
カッコが・・・
3人間七七四年:2007/06/26(火) 00:12:45 ID:uT8ajMrS
しまった、カッコが・・・・

だが、気を取り直して。
庁南武田氏の最後の当主武田豊信は、武田信玄の三男というのを
しばしば見るんだが、信玄の三男って夭逝してなかったっけ?
4宇喜多直家信者:2007/06/26(火) 02:52:32 ID:DY6XfkJQ
スレ主ではないが、失礼・・・

甲斐武田氏
安芸武田氏
若狭武田氏
因幡武田氏
上総武田氏
仙台藩士武田氏
水戸藩士武田氏
医家武田氏
土佐武田氏

これら皆全国に散った清和源氏武田氏の一族、いやはや・・・
5宇喜多直家信者:2007/06/26(火) 03:44:03 ID:DY6XfkJQ
>>3 連投すまぬ、

武田信玄3男は信之だな。1561年ぐらいに11歳で夭折してる。
この信之が秀吉に攻められ1590年自害した上総武田豊信と、
同一人物である、と上総武田氏系譜に記されてるらしい。 しかし信じるのはなかなか難しい・・・らしい。

不勉強なので、これ以外のこの事に言及してる資料は
知らない、すまん・・・
6人間七七四年:2007/06/26(火) 07:15:41 ID:kGMBkxzc BE:891044249-2BP(0)
武田繋がりで養子に出されたと言うやつだな。たいがいの資料はこの説らしい(真偽は別として)
ただ仮に武田豊信=武田信之とすると、甲房同盟がもっと面白くなるんだが…
7人間七七四年:2007/06/26(火) 07:26:39 ID:G36a08cw
北条対策か
8人間七七四年:2007/06/26(火) 10:13:13 ID:j0v4pMxB
>>6
伝承では仁科盛信が、息子を逃がす際に武田豊信が実兄であるとして
頼ったという話もあるらしいな
9人間七七四年:2007/06/26(火) 10:17:55 ID:j0v4pMxB
>>6
連投すまぬ
そうなると、信玄と里見の同盟を、信玄の息子が仲介した形になるんだよな
10人間七七四年:2007/06/26(火) 12:29:39 ID:YK3NSGo3
安芸・若狭 武田一族: 本: 高野 賢彦
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4404034202/
11人間七七四年:2007/06/26(火) 13:53:54 ID:Iv6wkHHB
関連

本家以外の武田家を語ろう!
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160787455/
12人間七七四年:2007/06/26(火) 16:08:02 ID:kGMBkxzc
>>9
そう。
史実でも、同族ということで武田信玄が庁南の武田豊信に仲介を依頼したらしい
13人間七七四年:2007/07/26(木) 16:19:08 ID:7glj90qq
実力行使で分家しちゃった上総の武田信長と、一時的には下克上してしまった因幡の武田高信が好きです。
14人間七七四年:2007/07/27(金) 21:30:44 ID:dFPSaPLO
熊川城は瓜生の松宮氏に攻められて落ちた。その後、熊川城は松宮氏の支城となった。
15人間七七四年:2007/07/27(金) 22:08:56 ID:ZjZqg5yD
そういえば、木下勝俊、利房兄弟は若狭武田氏の出自だという説を
見た事が有るんだが。
16人間七七四年:2007/07/27(金) 22:26:08 ID:TbrJDgP5
信玄が謙信とあんなに争う事になったのは、東海道は今川に抑えられていたから、京を目指すため日本海側に出て
若狭武田氏との合流を目指していたため、と言う説があるがどうなんだろ?
実際今川が滅びると日本海ルートはさっさと放棄してしまったようだが。
17名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:35:55 ID:cUsgyw1k
武田が上洛を目指すためなんて後世の虚構だろう
北信の領有を巡って謙信と対立していただけで、
武田氏は北信制圧に失敗している
18人間七七四年:2007/07/29(日) 22:58:09 ID:J2toWhmF
若狭武田氏を語るには、河内松宮氏と若狭松宮氏と加賀松宮氏を調べないと駄目でしょうな。
19人間七七四年:2007/07/29(日) 23:13:32 ID:J2toWhmF0
その他に、円覚寺管長を努められ、明治の禅を大きく展開された釈 宗演 老師が小僧修行をされた、若狭 高浜町の長福寺と若狭武田氏は、深い関係に有ると聞く。
若狭武田氏は、「殺 佛 殺 祖」の教えを説く臨済禅を信仰されていたのかも知れぬ。
20人間七七四年:2007/07/29(日) 23:17:45 ID:J2toWhmF0
因みにゲーム「信長の野望」で若狭武田氏でプレーしてみたが、けっこう強く、天下統一を果たしましたよ。
やはり、海を持っているという事は商売にも戦にも有利です。
21人間七七四年:2007/07/30(月) 00:33:09 ID:KVjA3sSx
これぞゲーム脳
22人間七七四年:2007/08/28(火) 01:07:27 ID:neoqShVP
>>4常陸武田氏が抜けていますよ。
23アステカイザーvsガンバロン:2007/08/30(木) 17:45:05 ID:eoqJCjEe
>>17お前、馬鹿じゃん。
24人間七七四年:2007/10/09(火) 22:25:45 ID:TtmNCgL/
ほりおこしあげ
25人間七七四年:2007/10/10(水) 00:25:06 ID:yxNO4mi6
武田に騎馬隊はなかったって本当ですか?
26人間七七四年:2007/10/10(水) 00:27:46 ID:RsAz88+/
若狭武田と合同するより上総武田と合流して関東制覇した方が楽だとおもふ。
27人間七七四年:2007/10/10(水) 01:19:39 ID:y1EJLS8f
九州探題かつ若狭・安芸・甲斐守護で上総・薩摩・紀伊・土佐武田家の
始祖である武田信武についてここまでコメントがゼロってどういう事?
武田といえば信玄より石和五郎よりも断然信武でしょ。
28人間七七四年:2007/10/10(水) 10:02:22 ID:VT3XZ3SH
ここが「戦国時代板」だからじゃないの?
29人間七七四年:2007/10/26(金) 13:45:59 ID:2ls9XleO
若狭松宮氏が織田信長に協力したから一向宗と朝倉を滅ぼす事が出来たんですよ。
30人間七七四年:2007/10/26(金) 15:36:34 ID:wOqwDUft
>>26
実際の所、遠縁の同族と交流とかあったのかな?
畠山みたいに本家と分家とかなら、合流論とか出てもおかしくないけど。
31人間七七四年:2007/10/27(土) 00:14:27 ID:Loqjy/FV
甲斐武田滅亡時に義統の弟が甲斐にいて殺されたという話があるな。
これだけじゃ根拠は弱いが多少の交流はあったのかも。
32人間七七四年:2007/11/13(火) 14:05:32 ID:SbqYkxVR
若狭の義統が?それは初耳だ。
33人間七七四年:2007/11/30(金) 17:11:54 ID:Y+SAZgg5
甲斐 若狭 安芸とも守護家だけど 室町期の格としてはどうだったんだろ?
34人間七七四年:2007/11/30(金) 21:58:32 ID:Cvt5mF0b
>>33
甲斐は15世紀〜16世紀初頭にかけては動乱の時代。
一族内で覇権を巡って抗争を繰り返し、関東に手を出したりしてはいるが、
甲斐一国すら治まっていない状態。
漸く安定を見るのが信玄の親父である信虎の代の治世終盤。

若狭は15世紀を通じて基本的に細川京兆家と結託して安定した時代。
しかし16世紀初頭以後頼みの細川氏が内乱により衰えると、
当然煽りを受けて衰退の道を辿るようになる。

安芸は分郡守護に過ぎず、若狭の分家としての立場でしかない弱小勢力。
さらに応仁の乱の西軍方であった大内氏が周防、山名氏が備後にいたため、
勢力を保持するのでやっとの状態だった。

格ってのが何を指すのかはわからないが、
中央政権が頼みにしたのは甲斐の武田ではなく、若狭の武田。
武田氏からすると嫡流筋の甲斐>若狭>安芸だったろうが、
幕府から見ると若狭>甲斐>安芸なのは明らかだろう。
35人間七七四年:2007/12/01(土) 16:10:50 ID:AjrA7A5g
>>34 詳しくありがとうございます。
36人間七七四年:2007/12/19(水) 15:46:01 ID:gXypFZhL
>>34
>安芸は分郡守護に過ぎず
南北朝期だけですか、安芸一国の守護だったのは
37人間七七四年:2007/12/22(土) 19:31:54 ID:627Moq7x
>>36
>>33の指す安芸武田氏が氏信〜信繁の前期安芸武田氏を指すとは思えず、
元綱〜信実の後期安芸武田氏を指すと思われるので、安芸守護時代は無視した。
前期安芸武田氏は若狭武田氏の安芸在住時代とも言われる。
武田氏の安芸統治時代は三期に分けられ、
前期は鎌倉時代、中期は若狭守護獲得以前、後期は若狭守護獲得以降
となる。
38人間七七四年:2007/12/31(月) 13:19:23 ID:U/n+27iU
足利義昭に付き従って鞆まで行った忠臣に武田信景という武将がいるらしい
若狭武田氏の兄弟らしい
母は六角氏らしい
39人間七七四年:2008/01/21(月) 15:06:09 ID:etxp1msU
若狭信豊の子か。
40人間七七四年:2008/02/03(日) 13:30:57 ID:E4YYH2oA
武田信豊の子が、義統と信景だっけ?
本能寺の変で明智方についたのは、義統の子・元明。
41人間七七四年:2008/02/17(日) 13:20:53 ID:PrL26V3B
桓武平氏系武田氏も語ろうよ!!
42人間七七四年:2008/02/18(月) 16:54:42 ID:QQoFmhHK
>>41 どうぞまず語ってみてくださいよ。
43人間七七四年:2008/02/20(水) 06:30:15 ID:NzMY3y1l
阿波にもいたよな?
44>>41ですが:2008/02/29(金) 16:08:29 ID:6n5p8vs5
桓武平氏流武田氏は何処をググっても出てこない。
45人間七七四年:2008/03/05(水) 05:37:56 ID:iJ8hl6Zj
上総の武田信長は、姓名判断だけで考えると
戦国最強だろうな。
46人間七七四年:2008/03/08(土) 07:43:46 ID:MajhIyln
小浜は若狭武田領だったん?
47人間七七四年:2008/03/08(土) 09:13:59 ID:3pHRgOtG
そうじゃないかな?
48人間七七四年:2008/03/24(月) 15:31:29 ID:ZvcuUJeq
後瀬山城(小浜市)に守護館があったから 本拠そのものでしょ。
49人間七七四年:2008/03/28(金) 15:53:41 ID:ySgCtRdz
>>45

同意
50人間七七四年:2008/04/11(金) 16:23:08 ID:9JoSNciM
>>49 本人は流転の人生だけどね
51人間七七四年:2008/04/16(水) 15:08:43 ID:1k92Rx52
熊川城の松宮家は最強だったらしいね。
52人間七七四年:2008/04/30(水) 16:17:07 ID:tocvD0PN
若狭の話か。
53人間七七四年:2008/05/16(金) 13:57:52 ID:VwxIsYmM
若狭はどうすれば勢力を伸ばせたんだろうね?
54人間七七四年:2008/05/25(日) 20:13:04 ID:HqjERy97
以前読んだ本によると、武田の嫡流は若狭(甲斐→安芸→若狭)で、若狭本家と呼ばれて
いました。京に近く幕府とも繋がりの深かった若狭なら、たしかにそうだろうと思いますが。
55人間七七四年:2008/05/25(日) 20:20:39 ID:HqjERy97
安芸分郡守護の武田刑部少輔元繁の譜代家臣で板垣繁任や伴繁清、その他一条・飯富などの名前が見えますが、
甲斐家の譜代の板垣信方などと同族なんでしょうか?
56人間七七四年:2008/05/26(月) 01:17:02 ID:EsUUFVdk
>>55
板垣氏・一条氏・飯富氏は甲斐のそれと同族と思われる。
信光・信時・信武・氏信のいずれかの安芸守護時代に安芸に下向し、
土着して勢力を敷衍させたものだろう。
伴氏は安芸武田氏の分家。「伴」は安芸国沼田郡にあった地名。
ほか、山県氏に関しては同族ではあるものの、由来は一条・板垣・飯富らとは異なる。
12世紀に美濃から安芸に下向した人物を始祖とするのが安芸山県氏、
14世紀に美濃から甲斐に下向した人物を始祖とするのが甲斐山県氏で、
両者とも美濃山県氏の分家に当たる。
57人間七七四年:2008/05/26(月) 01:18:59 ID:v1bgB2Ac
遊佐氏が河内、能登、二本松の畠山家にそれぞれいたように主家が分かれた際にそれぞれくっついてったんじゃないの?

山縣有朋の山縣氏と飯富昌景が継いだ山県氏も同族な気がする。
有朋の先祖が安芸武田家臣でその後毛利に仕えたってのは地理的にありえそうだし。
まあ根拠はないですが。
58人間七七四年:2008/05/26(月) 13:47:25 ID:9pCVVRZf
若狭本家5代の元信は歌人としても優れていたと聞きます。ほとんど京都にとどまって
将軍御側衆を勤めていたからでしょうが、甲斐や安芸とは違い、どこか洗練されたイメージが
ありますね。
59人間七七四年:2008/05/27(火) 20:23:45 ID:w9KfnQQx
歌道は若狭武田家のお家芸みたいなもの
義統以降はそれどころじゃなかったらしいけど
60人間七七四年:2008/05/31(土) 15:23:58 ID:Bo7oUSTZ
>>59
信豊も晩年は連歌などをしてすごしてたらしいしね。

そういえば、木下勝俊・利房の実父が武田元明って話の出展って
なんだろうな?時々「木下家に伝わる」みたいなことを言われてるのを
見るけど。
(そういえば、勝俊も歌人として有名だなあ)
61人間七七四年:2008/06/12(木) 08:45:04 ID:6cv/uj6J
>>30
武田信玄が上杉−北条の「越相同盟」に対抗して、
安房の里見との「房甲同盟」を結ぼうとした時に、
上総武田氏(庁南家)の武田豊信に仲介を依頼してる。

この武田豊信っつーのは信玄の三男という説もあるんだけど、俗説の域を出ない。
62人間七七四年:2008/06/12(木) 12:54:17 ID:mVF7Djd0
>>61
同族と言うことで、付き合いがあったのかな?
63人間七七四年:2008/06/16(月) 17:01:15 ID:bL9MyST/
上総家だと嫡流の庁南家より傍流の真里谷家の方が有名だよね。特に国府台合戦の
一因を作った小弓公方足利義明のパトロン武田三河入道恕鑑(信保)。この人の子供の
たちで跡目争いが第一次国府台を生んだ。
64人間七七四年:2008/06/24(火) 15:09:58 ID:I0faMHgZ
蒲生氏郷の家臣・岡左内って、若狭武田氏出身なの?
65人間七七四年:2008/07/07(月) 15:59:48 ID:lKsn8Lo/
若狭出身ではあるようだね。
66人間七七四年:2008/07/08(火) 22:59:37 ID:o9CyaYJQ
若狭って、もともとは一色氏の領国だったよね?
一色氏を丹後一国に追いやったわけだから
さぞ仲が悪かったろうね
67人間七七四年:2008/07/08(火) 23:33:36 ID:PHkdP154
たぶん底力は一色の方が上なんだろうけど、
若狭武田のバックには幕府やら細川やらがついてるから
一進一退のグダグダ展開に
68人間七七四年:2008/07/16(水) 15:15:17 ID:2CtcEbZa
越前の朝倉義景の母親光徳院は武田元信の娘だよね。元信は義景のおじいちゃんという
わけだ。だから、一族の逸見氏が謀反を起こしたときに朝倉氏が鎮圧に協力したんだね。
69人間七七四年:2008/07/26(土) 02:58:46 ID:74QoXQlX
そんな庶流まで一族認定するなよ
70人間七七四年:2008/07/29(火) 18:29:30 ID:JV+KC0x5
武田氏は若狭が嫡流、甲斐が庶流、安芸が若狭の分家。上総は右馬介信長に始まる甲斐の分家(嫡流が庁南、
庶流が真里谷)。
71人間七七四年:2008/07/29(火) 18:32:17 ID:JV+KC0x5
付け足すと、甲斐源氏は逸見氏が嫡流、武田氏・小笠原氏などが庶流。
72人間七七四年:2008/07/29(火) 21:14:28 ID:GFvbABJR
義光流ってくくりにすると佐竹氏が嫡流候補に名乗りをあげてきます
73人間七七四年:2008/07/29(火) 22:18:22 ID:33Nfjn1P
血統で嫡流認定する厨が多いのが歴史板
74人間七七四年:2008/07/30(水) 12:52:55 ID:r1pz+OeC
>>73 極々常識的なこと。
75人間七七四年:2008/07/30(水) 19:22:21 ID:+mFXniOq
>>74
それが非常識
76人間七七四年:2008/08/01(金) 23:45:08 ID:UWxhccKW
血統以外の何で嫡流認定するんだ?
77人間七七四年:2008/08/02(土) 09:14:28 ID:QwgH301c
普通は勢力の大きさや地位だろ>嫡流認定
血統で嫡流が決まるなら、こんな楽なことはない
78人間七七四年:2008/08/02(土) 21:14:30 ID:tM1lOMBt
>>77
アホだな。嫡流か否かは血筋で決まるに決まってんだろ。
家の勢力の大小は嫡庶とは別問題。
もうちょっと調べてから物を言え。
79人間七七四年:2008/08/03(日) 03:23:50 ID:TljYO3Cq
>>78
血筋上では直系の子孫であっても嫡流じゃない人物
血筋上では傍系の子孫なのに嫡流である人物

こんなのゴマンといる
80人間七七四年:2008/08/03(日) 11:31:17 ID:4ULN//az
朽木家なんかは嫡流が6000石、庶流の種綱家が10000石だな。
81人間七七四年:2008/08/04(月) 19:18:01 ID:eeqUwACI
庶流が嫡流扱いされるのは、嫡流がよっぽど没落してしまった時くらい。
82sage:2008/08/05(火) 12:07:08 ID:e1J1hJDW
伊予河野の家臣にも武田氏がいたみたいですが、
全然情報ありませんね・・・。
83人間七七四年:2008/08/06(水) 14:25:58 ID:UtyJmO3F
上総の情報が今一つですね。第一次国府台合戦の主原因は上総の真里谷家が作ったんだけどね。
唯一実力者として真里谷の武田恕鑑(信保)が親父の信勝(信嗣)とともに「上総守護、真里谷城主、
生実(小弓)御所執権」として資料にでるくらいで、あまりよくわからない。本家である庁南の武田宗信
(公方高基派)とも対立してたようだが。地元千葉の人で詳しい方いらっしゃいます?
84人間七七四年:2008/08/06(水) 20:32:01 ID:fhdjsq6x
安芸武田氏は江戸時代周防玖珂で過ごし今じゃ広島県呉市に大きな学園を持つ
85人間七七四年:2008/08/11(月) 11:01:29 ID:XQQHj2Cu
>>84 周防武田氏と呼ばれる一族ですね。
86人間七七四年:2008/08/11(月) 18:00:23 ID:tIwMb4Hz
現在末裔たちでは周防武田氏(安芸武田氏?)が一番隆盛なのかな?
87人間七七四年:2008/08/13(水) 01:48:56 ID:1yELIB1i
安芸武田信武は元弘の乱の時、どっちに着いたの。甲斐の方は六波羅攻めに加わっていたようだが
88人間七七四年:2008/08/26(火) 15:38:01 ID:lWBygrjP
北条時行に加担したって?
89人間七七四年:2008/08/27(水) 07:45:18 ID:Xy1Ox7Ny
千早城に釘付けになっている間に幕府が滅亡してしまって討幕挙兵した政義に党首の座取られたんじゃない
90人間七七四年:2008/09/05(金) 15:20:27 ID:ecbeUZF/
中先代の乱に加わったらしい。
91人間七七四年:2008/09/22(月) 14:27:03 ID:0QdpwvVO
信武だっけ。
92人間七七四年:2008/09/22(月) 14:40:41 ID:+qRnqCKu
武田山の銀山城を作ったのが信武でしたっけ?
93人間七七四年:2008/09/25(木) 13:53:40 ID:cs4aPgk9
小浜大統領が誕生しそうだ。
94人間七七四年:2008/09/25(木) 16:36:57 ID:Uu9VRSnv
>>93 ホワイトハウスは後瀬山城?
95人間七七四年:2008/09/25(木) 19:31:29 ID:QezfMQAi
>>10の本はあと1000円安ければ買ってもいいんだけどな
96人間七七四年:2008/10/02(木) 14:55:46 ID:KTA94XJ3
>>95 面白かったけど、甲斐家ほど資料がないため、ところどころに物足りなさも
感じました(特に安芸家)。乏しい資料をよく集めたという作者の執念に脱帽ですが。
97人間七七四年:2008/10/02(木) 18:03:50 ID:isTnq6Ym
なんで佐東銀山城って言うん?
銀が産出されるなんて話は生まれてから一度も聞いた事無いんじゃけど
98人間七七四年:2008/10/02(木) 20:40:37 ID:6hMyKssS
昔は産出したのではないか?
99人間七七四年:2008/10/03(金) 03:48:30 ID:Y/6KAob7
そんな語尾におじゃるつけそうな武ちゃんは、お断りニダー
100人間七七四年:2008/10/03(金) 03:51:14 ID:TCBnlzsQ
>>97
大森銀山で有名な銀鉱脈があの辺には通ってるみたいだから、平安時代以前は産出したのかもしれん。
江戸時代の民話では既に今は昔のこととして語られてたような気がする。
101人間七七四年:2008/10/03(金) 18:17:28 ID:6x6r8xel
なるほど参考になりました
子供の頃に水晶は時々拾って帰ってたんじゃけどなんで銀山って言うんか不思議だったんです
102人間七七四年:2008/10/16(木) 13:57:56 ID:qGU38Xci
民間伝承って事か。
103人間七七四年:2008/10/29(水) 15:08:48 ID:jd8g5iBc
実際銀山があったんだろうね。
104人間七七四年:2008/11/11(火) 15:01:03 ID:Q1nDgKn7
金山とも言われたんだって?
105人間七七四年:2008/11/20(木) 21:30:25 ID:zOAZKpkt
>>104
「かなやま」と読むけどな
106人間七七四年:2008/12/03(水) 14:23:43 ID:TCpazuac
安佐南区ってどんなとこ?
107人間七七四年:2008/12/03(水) 20:55:45 ID:cPMwGZ92
住宅だらけで公害型の店が集まっている場所があるところ
108人間七七四年:2008/12/03(水) 20:57:04 ID:cPMwGZ92
間違えた
郊外型でした
109人間七七四年:2008/12/04(木) 15:29:05 ID:AJeAFNFi
昔は山だったんだしょうね。
110人間七七四年:2008/12/04(木) 20:24:16 ID:hkKXrRci
今も山だよ
削りまくっているけど
111人間七七四年:2008/12/05(金) 00:46:46 ID:ZoyvaaQa
若狭武田は細川に味方して松永長頼に近江でぼろ負け。
112人間七七四年:2008/12/05(金) 01:15:29 ID:XK0VSYAz
丹羽長秀に元明が謀殺されて若狭本家は滅亡したんだよね。武田の嫡流だったのに。
113人間七七四年:2008/12/06(土) 11:55:22 ID:n3Dpaby4
>>112
木下勝俊と木下利房が実子と思うんじゃ!
114人間七七四年:2008/12/19(金) 15:13:06 ID:erYZjTgf
勝俊は元明の子なのかな?
115人間七七四年:2008/12/27(土) 15:29:27 ID:8e3CkzgR
よくわからないんじゃない
116人間七七四年:2008/12/28(日) 06:15:14 ID:nEgD/oeK
光秀は信豊の孫なのかな?
117人間七七四年:2009/01/09(金) 15:53:34 ID:bHNvEW/r
信統じゃない?
118人間七七四年:2009/01/09(金) 15:55:15 ID:bHNvEW/r
間違えた。信豊の孫。
119人間七七四年:2009/01/22(木) 15:07:55 ID:23Fa1Ljv
安芸は若狭の分家なのか。
120人間七七四年:2009/01/22(木) 21:29:50 ID:XbIawkvF
>>119
鎌倉末期から南北朝初期の安芸武田氏(安芸守護家。後の甲斐武田氏)と
室町中期以降の安芸武田氏は(若狭武田氏の分家)はやや異なるから注意な。
血統は同じなんだが(安芸守護家→若狭武田氏→安芸武田氏)、微妙に違うのだ。
121人間七七四年:2009/01/26(月) 20:48:04 ID:59hs+iX5
蝦夷柿崎氏も血縁?
122人間七七四年:2009/01/26(月) 22:34:17 ID:PBHZGadV
>>121
蠣崎氏は自称では若狭武田氏の出自としている(始祖武田信広)。
但し若狭武田氏の家系図に信広に該当する人物は見当たらない。
もし武田家の血縁であっても、若狭・安芸・甲斐の武田三家のような関係は存在していない。
123人間七七四年:2009/02/07(土) 14:46:12 ID:v88ZJqvv
俘囚の流れの館主ですってば。
124人間七七四年:2009/02/07(土) 17:12:38 ID:UcubaefV
>>123
その説はよく言われるんだが、典拠史料なんだっけ?
125人間七七四年:2009/02/13(金) 11:10:59 ID:8x3iVA1p
蠣崎氏の出自に関しては100%信用できる資料は存在しない

若狭武田説は蠣崎松前氏による自称であり、それを証明できる客観的な資料はないのが実情
俘囚説は武田氏出自説を否定する場合によく使われるが、
こっちは状況的な予想でしかなく、資料的な裏付けは存在しないと思った

で、他には南部関係の資料なんかを見ていくと、
蠣崎蔵人の乱に破れ蝦夷地に逃れたとされる蠣崎蔵人を祖とみなす考えも出てくる
この場合も武田氏の流れになるだろうが、傍流にもほどがいう感じ
126人間七七四年:2009/02/20(金) 00:01:03 ID:hYoOSLg2
たしか蠣崎氏は若狭武田氏に使者を送って挨拶してるな
127人間七七四年:2009/02/20(金) 06:46:32 ID:GJNIRag/
1548年とかですな>若狭に使者派遣
その後も何回か音信を通じているようです

元々小浜は日本海交易最大の拠点でしたから、
交易を通じて蝦夷地との商業的なつながりがあったことは間違いないでしょう
(これを元に蠣崎氏の出自を交易で蝦夷地に出入りしていた商人に求める意見も存在はするらしい)
蠣崎家が使者を送ったのもこの交易からのつながりではないかと思われます
128人間七七四年:2009/03/04(水) 09:08:29 ID:6ok0dzWv
先週かな?小浜の神宮寺で「お水送り」があったようですが、
神宮寺と言えば、まさに若狭本家が屋敷としても使っていたところですよね?
写真でしか見たことありませんが三門に武田菱の幔幕が掛かってた覚えが。
129人間七七四年:2009/03/05(木) 18:26:14 ID:gbYqiSS5
130人間七七四年:2009/03/06(金) 09:39:08 ID:Fc960ao3
武田広ってナレーターの人はどの系統?
131人間七七四年:2009/03/06(金) 20:05:56 ID:0Yh30a4/
>>130
十中八九関係なし。
132人間七七四年:2009/03/14(土) 23:36:43 ID:ayRGNdEr
相撲のニュースがあるとよく出てくる武田頼政氏はどこの子孫なの?
133人間七七四年:2009/03/15(日) 08:25:54 ID:b8TlFnQA
すみません、質問です。

上総地方に勢力をもっていた庁南武田氏、及び真里谷武田氏の人物で

・1582年当時に存命
・諱と多少の事績がわかる人物

上記に該当する人物っていますか?
どちらも最後の当主となった武田豊信(庁南)・武田信高(真里谷)くらいしか
わからなかったので
134人間七七四年:2009/03/16(月) 08:34:52 ID:zP6+JeXy
>>133
甲斐武田氏の仁科盛信の長男・信正が、甲州征伐から庁南に逃れて来ていたような。

あと、
庁南2代目の宗信の次男・白井信方の息・信勝(5代豊信の後見役)、
庁南豊信の長男・氏信(1590年の庁南落城に際して落去、のちに城下で帰農)、
真里谷信高の長男・勝房(のちに宮原義勝に仕えて下野足利に移住)、
こんなもんでしょうか。
135人間七七四年:2009/03/16(月) 20:08:07 ID:EQr2n8HZ
>>134
ありがとうございます。調べてみます。
136人間七七四年:2009/03/18(水) 03:24:15 ID:J4MJV/Go
>>135
そこらの図書館にあるかはわからないけど、
千葉日報社から平成12年に出た永嶋信恒『知られざる甲斐・上総史 戦国大名房総武田氏と信玄』って本が参考になるかと。
定価3千円。
137人間七七四年:2009/03/18(水) 08:13:42 ID:BCtt2xw4
>>135
以下の論文が上総武田氏研究の最新成果だと思います。

黒田基樹「上総武田氏の基礎的検討」(『袖ヶ浦市史研究』6号、1998年)
138人間七七四年:2009/03/18(水) 20:59:26 ID:ltJBdwIY
>>136-137
重ね重ねどうも。参考にして探して見ます。
139人間七七四年:2009/03/22(日) 18:49:34 ID:vbzrDbYH
若狭国主である京極高次の重臣で若狭高浜城主の佐々義勝って若狭武田氏の末裔?
だれの子ですか?
140人間七七四年:2009/03/27(金) 02:55:08 ID:K07yTQWK
南北朝時代の武田信武の正室は足利尊氏の姪らしいのですが誰の娘か判明しているのでしょうか。ネット上では高義の娘や側室二階堂氏の娘など出てるのですが、尊氏の近親て直義、赤橋氏、加古氏など子供自体が少ないんじゃ
141人間七七四年:2009/04/06(月) 15:46:53 ID:7ggq2klS
信武って人は甲斐では重要人物なんですね。
142人間七七四年:2009/04/07(火) 14:46:47 ID:Zvx9zW5p
頼朝公から武田に与えられた伊豆守の称号を受け継いでた若狭が
やはり武田の嫡流だったんですかね?甲斐は石和流の庶流だと訊きました。
143人間七七四年:2009/04/08(水) 17:34:30 ID:DuHhDkdS
佐倉城の追手門が庁南城の追手門らしいですね。
武田の城門だったんですね。
144人間七七四年:2009/04/08(水) 18:06:25 ID:DuHhDkdS
>>142 信虎は陸奥守、晴信は信濃守ですから、
代々伊豆守を踏襲した若狭は武田の嫡流で間違いないでしょうね。
145人間七七四年:2009/04/10(金) 10:36:03 ID:gLAkjXMv
>>136 著者は庁南家の後裔の方みたいですね。庁南が中心で真里谷家がどうしても扱いが雑な印象です。
真里谷は庶流なので致し方ありませんが、その本だと三代武田信保と三河入道恕鑑が別人になってますね。
大抵の本には同一人物(小弓公方足利義明のパトロン、房総管領)とされてましたが。
これは目から鱗でした。
146人間七七四年:2009/04/11(土) 21:54:33 ID:d7ulheaU
>>145 庁南の武田宗信は小弓公方と敵対する古河公方足利高基派ですな。
147人間七七四年:2009/04/17(金) 16:20:49 ID:WtQFNl5p
昨日、久々に『毛利元就』のDVD借りてきた。宍戸開氏演じる武田元繁がよかった。武田軍の
猛将熊谷元直(石田登星氏)がかっこよかった。元直といえば、頼朝の家臣熊谷直実の子孫。
元繁の後ろでたなびく武田菱のノボリが何とも言えません。武田家自体の家臣は福島信之くらいしか
(名も無き郎党役で蛍雪次郎、渡辺哲氏らが出ていたが)出ていないのが残念。譜代の板垣繁保、
伴繁清あたりが出るべきだった。ちょっとスレ違いだな。すまん。
148人間七七四年:2009/04/17(金) 20:52:32 ID:PBEGVdSK
age
149人間七七四年:2009/04/28(火) 13:30:52 ID:ANy+kRkQ
安芸は惨敗のせいで弱いイメージが。
150人間七七四年:2009/05/12(火) 14:12:23 ID:RZX3FFD4
元繁が痛かった。
151人間七七四年:2009/05/23(土) 15:01:07 ID:w/I2oP6Z
いい踏み台にされてしまった。
152人間七七四年:2009/05/23(土) 23:25:35 ID:6QXWsQOi
>>147  緒形拳氏演じる尼子経久に「武田氏(うじ)が望まないなら何も言わんが、甲斐源氏の名門武田が滅びていくのが
見るに耐えられない」とか旨いこと言われて大内に反旗を翻すんでしたよね。あれを言われちゃうと元繁も乗せられざるを
得ませんでしたな。
153人間七七四年:2009/05/23(土) 23:38:53 ID:6QXWsQOi
話変わりますが、若狭って地元小浜の人は武田の本家が守護だったことをご存知なんでしょうか?
以前に一度小浜へ行ったことありますが、武田関係のものが小浜駅前にも特に無かったもので。
154人間七七四年:2009/05/25(月) 12:47:41 ID:Wa0U6Evy
武田=甲斐(山梨)の信玄みたいなイメージが強いから
他の武田ゆかりの地に行っても扱いは小さいのが実情じゃない?
155人間七七四年:2009/05/26(火) 21:01:18 ID:RR2CaSyx
真里谷なんて
156人間七七四年:2009/05/28(木) 17:49:02 ID:7tE0ElM8
>>155 千葉の人は知ってるのかな?
真里谷武田三河入道恕鑑が房総管領(自称だけど)だったのを。
157人間七七四年:2009/06/08(月) 15:19:57 ID:DL1PELQx
公方自身が自称だからね。
158人間七七四年:2009/06/18(木) 15:05:52 ID:6/xDBmCG
古河も自称だったりしない?
159人間七七四年:2009/06/22(月) 21:30:45 ID:y0Jm4Q3d
>>153
将軍家と婚姻関係にもあったのにねー
160人間七七四年:2009/07/03(金) 15:14:10 ID:aRyI/uzz
義統の妻が義晴の娘なのね。
161人間七七四年:2009/07/13(月) 17:45:24 ID:VRyygLOk
その割にあまり幕政には参画してない。
162人間七七四年:2009/07/15(水) 21:10:16 ID:9q4qBK2c
>>161
隣国朝倉との抗争もあったし、朽木家みたいに避難所でしかなかったのかもw
163人間七七四年:2009/07/18(土) 09:50:46 ID:+819uXMN
安東氏の代官が置かれた小濱の湊を通じて安東氏の所領出羽、津軽、蝦夷地方面と連絡を取っていたようだ
164人間七七四年:2009/07/27(月) 06:39:17 ID:oPfhJvzI
甲斐武田氏の庶流で各地に散らばって「武田」を名乗らなかったけど
祖先は武田なんだよ、って勢力(旗に武田菱を使ったような)にはどんなのがあるでしょう?
例えば紀伊の湯川氏とか。ああいう感じの
165人間七七四年:2009/07/27(月) 22:50:21 ID:z8Q86YWE
>>164
一応南部や香曽我部も先祖は武田。
甲斐武田氏の庶流ではなく甲斐源氏の一流だが。
甲斐武田氏の成立と甲斐源氏の成立は別物だから、その点は注意しとけ〜。
166人間七七四年:2009/08/06(木) 15:13:22 ID:Pgq6pcj3
>甲斐武田氏の成立と甲斐源氏の成立は別物だから

どういうこと?、ご教授を
167人間七七四年:2009/08/17(月) 15:46:33 ID:RHrN3u8y
甲斐源氏が全て甲斐武田に非ずということかと。
168人間七七四年:2009/08/23(日) 22:47:55 ID:8cf9x2WG
パンダレベルの知能である俺にわかりやすく頼む
169人間七七四年:2009/09/01(火) 15:41:38 ID:cCTQDX+F
南部など甲斐源氏は武田以外にもってことか。
ttp://www2.harimaya.com/takeda/html/t_1zoku.html
170人間七七四年:2009/09/11(金) 15:19:24 ID:52RZ7+XQ
甲斐源氏の方が広い意味なんだ
171人間七七四年:2009/09/15(火) 01:38:42 ID:UWdONVrM
甲斐源氏は逸見氏が嫡流、武田や小笠原が傍流でしたね。
ちょっとざっくり言いすぎですが。
172人間七七四年:2009/09/15(火) 08:10:14 ID:q3aLGOz2
義光流の嫡流って意味になると佐竹氏が参戦してきます
173人間七七四年:2009/09/15(火) 09:08:17 ID:0lq9fS4a
えーと、じゃあ、甲斐武田とか若狭武田とか「武田氏」を名乗った勢力以外で
何か武田にゆかりがあって「武田菱」を使った勢力っていうと誰がいますか?
174人間七七四年:2009/09/15(火) 12:30:54 ID:UWdONVrM
佐東銀山城主武田刑部少輔元繁の譜代板垣繁保や伴繁清は武田菱ですが。
ま、これは当たり前ですよね。
175人間七七四年:2009/09/25(金) 18:22:29 ID:N2PZVWHk
>>174
熊谷、香川ほか安芸の国人多数を引き連れて強大になった元繁が
なぜ弱小国人の毛利の次男坊ごときに負けたんだろうね?
176人間七七四年:2009/09/25(金) 20:43:48 ID:GbW84MTp
>>175
あれは常々不思議に思うが、運が悪かったとしか言いようが無い。
熊谷元直、武田元繁が共に弓で射殺されるなんてほとんど奇跡。
射殺っていうか矢が当たって落馬して首を獲られただけど。
決戦を急いだっていう逸りが間接的な原因だとは思うけど、
一連の戦いで先陣の大将が射殺、本軍を率いる一家の当主も射殺、なんて、
かなり珍しい類例じゃないかな。
177板垣繁保:2009/09/26(土) 02:04:39 ID:hRo4/lJi
お、御屋形様!おやめください!毛利方の挑発に乗ってはいけませぬ!
178人間七七四年:2009/09/28(月) 17:57:09 ID:U3wOvoaO
>>176
そうですね。大河『毛利元就』でも、石田登星さん演じる熊谷元直がおびき出されて
あっけなく、そして宍戸開さんの武田元繁も単騎で毛利に突入して死亡と、あまりに
悲劇が重なってしまいましたよね。西の桶狭間(こっちの方が先ですが)と呼ばれる
合戦でしたが、武田が勝っていたら(大内に潰されたでしょうが)安芸統一くらいは
できたかな?
179人間七七四年:2009/09/28(月) 19:46:03 ID:6w7/WK7m
元繁の父親は若狭の武田本家当主国信の弟元綱だね。
元綱健在の頃は、安芸に侵入する大内軍を撃破してたんだが。
180人間七七四年:2009/10/06(火) 15:42:34 ID:Gpdlumbc
安芸統一とか何とかは考えてもなさそうな。
181人間七七四年:2009/10/07(水) 09:53:45 ID:qTKQfEUE
>>180
大河「毛利元就」中では、
「安芸守護の地位を取り返す」
(宍戸版武田元繁)と言ってましたね。
まあ、幻に終わりましたけどw
182人間七七四年:2009/10/15(木) 15:31:47 ID:D6Mf0K41
名門のプライドだけは高そうだね。元繁。
183人間七七四年:2009/10/21(水) 17:03:32 ID:fXFw4ZUJ
安東氏の若狹進出はいつ頃からなんだろう。
このサイトには1550年以前からとある。
http://proto.harisen.jp/minato1/nosiro.html
184人間七七四年:2009/10/31(土) 15:34:07 ID:P5a1oAuf
安東がか。
185人間七七四年:2009/11/01(日) 13:14:19 ID:SzHJ0B+8
あげ
186人間七七四年:2009/11/12(木) 15:48:25 ID:YDdTD4az
交易はずっと古くからしてるだろうね。
187人間七七四年:2009/11/24(火) 16:02:38 ID:SkeiEWnP
安東って鎌倉期から。
188人間七七四年:2009/11/29(日) 07:06:49 ID:6E6WaQfU
武田に戻ろうか。
189人間七七四年:2009/12/04(金) 22:06:25 ID:vf8qexle
若狭武田みたいなマイナー戦国大名は最初から天下をとるのはあきらめているわけで
その分張り合いがなかったと思う。
190人間七七四年:2009/12/06(日) 13:09:44 ID:t4noqVzj
朝倉に拉致されちゃったけどさ
頑張ってはいたんだよ
191人間七七四年:2009/12/17(木) 20:01:07 ID:zB3hBaQ5
織田も尾張半国のマイナー大名だったのだが。

でも信長が織田氏でなく南部氏とか宗氏とか隠岐氏に生まれていたら
天下は取れなかったろうなあ。
192人間七七四年:2009/12/18(金) 13:26:07 ID:jzmpQw1l
>>191
今は内陸部の津島が河港として賑わったから、それで潤って勢力を拡大できたんだろうね弾正忠家は。
だいたい守護斯波氏の守護代家の分家でしかない弾正忠家、特に信秀の功績が大きくない?スレ違いすまん。
193fushiana:2009/12/18(金) 15:04:20 ID:+sxr2brz
テスツ
194人間七七四年:2009/12/18(金) 18:20:50 ID:SI0cx1o1
武田家て元弘の乱で討幕軍に属したのですか?信武には幕府方とされてるが息子の項には討幕方の父に従いとあるが
195人間七七四年:2010/01/02(土) 11:47:07 ID:pyx+zGrj
当初は幕府方だろうね。
196人間七七四年:2010/01/02(土) 16:23:02 ID:UG15ecHm
正月休みはヒマだから、なにげにヤフーオークション見てたら若狭武田氏
の古筆切が出品されてたんで驚いた。
武田元信は三条西実隆とも交流のある文化人でもあるから伊勢物語を書写していても不思議ではないな。
197人間七七四年:2010/01/05(火) 14:56:52 ID:VTy3nijq
武田元信はじめ若狭武田家歴代は細川京兆家と親密な関係にあったらしいから、
都の公家とも親交が深いのは当然だろう
公家も頻繁に若狭国には下向してたらしいね
198人間七七四年:2010/01/22(金) 13:49:40 ID:Zob1cgUm
若狭武田氏は細川高国と共に没落したともいえる。
細川晴元流の下、丹波守護代の内藤氏を継いだ松永兄により武田家臣団は、
分裂させられてしまい・・・。
199人間七七四年:2010/01/23(土) 13:19:08 ID:kjuaZ7zV
若狭武田氏と勢力圏を接していた大名は朝倉以外ではどこがあるの?

200人間七七四年:2010/01/23(土) 15:10:39 ID:nwewwb3v
>>199
朽木氏や一色氏?
201奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/24(日) 02:46:09 ID:IqaaHjzH
大名を挙げよう。定義があいまいだが。
202人間七七四年:2010/01/24(日) 07:01:21 ID:4nUoUrV+
東隣が朝倉

北は海。


南と西に割拠していた大名は誰だろ?
203人間七七四年:2010/01/31(日) 11:28:25 ID:fZ1WJCIm
西は一色じゃダメ?
南は直接接してる大名はいないんじゃ?
204人間七七四年:2010/01/31(日) 13:16:14 ID:Z3LhBgPY
朝倉との関係はどうだったの?

別に悪くはなかった?
205人間七七四年:2010/01/31(日) 18:28:16 ID:1yR7GlzC
>>204
保護占領されて、当主は拉致されてますな。
206人間七七四年:2010/01/31(日) 20:43:29 ID:HOiBEWbr
丹後一色とって若狭武田は当主を殺して領国を奪った不倶戴天の敵
207人間七七四年:2010/02/02(火) 16:01:57 ID:jsLKcC3o
>>204
義景の母親が若狭本家国信の娘さんじゃなかったっけ?
ところで岩井三四二氏の最新作「城は踊る」の舞台が上総になっていて、武田左近将監なる
人物が出てきます。主人公の武将がその一族が籠る榎沼城を攻める話ですが、これは上総武田氏
(庁南か真里谷かは不明。おそらく庁南系、つまり嫡流の分家の設定かも)かと思われます。左近将監
(左京大夫とほぼ同意)なる人物は架空の人物でしょうが、さすがは岩井さん。マイナーな戦国の人々を
描かせたら一番です。
208人間七七四年:2010/02/03(水) 00:05:15 ID:udUtsiJP
残っている事績も少ないし知らない人も多いから、やりやすいというのもあるんじゃないん?
209人間七七四年:2010/02/04(木) 12:10:36 ID:5RhL3XQ1
上総武田氏の
「武田信長」
は名前だけは天下人っぽいな。
210人間七七四年:2010/02/04(木) 13:09:16 ID:NvIGHvo5
だけど放浪の人生
211人間七七四年:2010/02/04(木) 15:38:04 ID:ntHm8QJl
>>206
> 丹後一色とって若狭武田は当主を殺して領国を奪った不倶戴天の敵

それは知らなかった。

歴史好きでも無名大名のことはあまり知らないよなあ。

戦国期の隠岐氏や真壁氏のことを語れといわれても無理だしな。
212人間七七四年:2010/02/08(月) 14:09:28 ID:LlWKsV+V
>>211
武田家としては若狭が嫡流なんだけどね。傍流のの甲斐の方が有名になっちゃったからな。
213奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/02/08(月) 21:23:51 ID:LqbSyPNy
本貫に残ったのが嫡流という主張はどこから来ているんだろう。
214人間七七四年:2010/02/13(土) 06:23:20 ID:TBa0UuH3
>>211
足利義教の命令で若狭、丹後の守護大名だった一色義貫が暗殺され、
若狭国の守護職が将軍側近の武田信栄に与えられたのが若狭武田氏のはじまり
応仁期で東西に分かれて争うなど、地味な覇権争いをgdgdやってた

若狭武田の方が将軍や管領の受けはいいんだけど、在地支配力は元々の守護だった
一色の方が強かったりするからいつまでたっても終わらないし、若狭武田は将軍や管領との付き合いで
畿内の内紛にずっぽり首を突っ込んでいたから結局どっちも浮かび上がることはなく・・・
215人間七七四年:2010/02/13(土) 14:04:03 ID:+KZmI2vj
地味な覇権争い=昔のパ・リーグの優勝争いみたいなもんだな。
216人間七七四年:2010/02/15(月) 16:30:12 ID:z9auyPp9
>>214
将軍家に乞われて安芸若狭の守護(いわば栄転)になった武田家が分家を甲斐から送るなんてことはなく、
すべて嫡流が当地に移動している関係で若狭を武田の本家とする見方があります。安芸から若狭に移った
本家が代官として安芸に残したのが元綱や元繁などの安芸武田氏。
217仙台藩百姓:2010/02/17(水) 09:08:05 ID:DtTnQUPx
それは安芸武田氏の嫡流が若狭へ移ったという話しで
当時安芸武田氏が武田宗家だったかと言うのが問題の焦点などだと思うお( ^ω^)
218月孔雀:2010/02/17(水) 12:38:13 ID:JIKGRD1m
太閤さんは、何でも知ってるね^^
219人間七七四年:2010/03/28(日) 10:46:41 ID:wHN/EDSJ
若狭は京から近いからね
220人間七七四年:2010/04/20(火) 22:38:15 ID:HzmQf5Ry
安芸武田・若狭武田ばかり名前がでるけど丹後の守護にも武田家はなってるよ
とくに丹後最東端の加佐郡は戦国時代も武田家の支配下(影響下)にあったはず
武田家の家臣達が丹後加佐郡の方々に城を構え、ほとんど分郡守護状態だとおもう。
221人間七七四年:2010/04/21(水) 15:10:10 ID:0POZKOPJ
そういえば戦国時代の丹後って注目したことないなあ。
222人間七七四年:2010/04/21(水) 19:58:45 ID:Q/P1sd0h
【四職家】一色一族を語る【丹後・若狭】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183829686/
223人間七七四年:2010/04/21(水) 23:09:27 ID:RSu3muRX
こんなスレまでたってたのか
224人間七七四年:2010/04/23(金) 02:45:01 ID:vqhx7++K
松前氏や宗氏のスレもあるからな。

さすがに隠岐氏のスレはないが。
225人間七七四年:2010/04/24(土) 15:43:55 ID:GUqyDX1W
>>221
応仁の乱で西軍が敗れたのち一色家・山名家は領地に引込んでしまい
元東軍の細川・若狭武田に押されっぱなしで・・・みたいなかんじじゃ
226人間七七四年:2010/04/24(土) 16:38:59 ID:3hAWQ3ls
応仁の乱で西軍が敗れたとはいっても、惨敗ではなく降雨コールド負けみたいな感じ
だったからなあ…。どうなんだろ。
227人間七七四年:2010/04/29(木) 00:16:32 ID:QKGJxJfV
>>226
史実としてその後細川一家が京都を牛耳り
山名は山陰へ引っこんでしまったからねえ。
細川の後も、結局は細川の守護代あがりの三好の天下だったから、これも細川。
まあ三好も、斯波の守護代?の織田にやられちゃうわけだから
山名・細川より、斯波が偉いというわけ。
W
228人間七七四年:2010/05/04(火) 02:03:10 ID:x4+EtEAe
すごいスレがあったんですね
話では400年前、残ってる資料からすると享和(上野、群馬)あたりには武田氏ものです。
私のご先祖様はどの武田っぽいでしょうか?
229人間七七四年:2010/05/04(火) 14:58:12 ID:AuB/cImZ
上総国の武田氏は滅亡したんだっけ?
230人間七七四年:2010/07/22(木) 16:13:16 ID:oELI4Amj
wikiによると小田原征伐後に下野し、いまも血脈は続いているそうな
てっきり途絶えたとばかり思っていたよ
231人間七七四年:2010/09/27(月) 19:19:07 ID:bIiT6cwE
安芸分郡守護って武田の他の分郡守護は誰?
232人間七七四年:2010/09/27(月) 20:23:10 ID:wFVe1+VP
時期によって細川やら渋川やら山名やら
233人間七七四年:2010/09/28(火) 03:18:42 ID:hPklvHYl
安国寺エケーあげ
234人間七七四年:2010/12/21(火) 14:39:20 ID:R+LWUU+5
ほす
235人間七七四年:2010/12/21(火) 15:33:43 ID:Qtq2h7Mh
>>233
【僧で】安国寺恵瓊【大名】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152069507/
236人間七七四年:2010/12/26(日) 09:15:51 ID:hkgs5XPT
武田信長の人生はどこを切っても波瀾万丈すぎて大河ドラマにしても
尺が足りないくらいエピソードと戦いのてんこ盛り。
しかもほぼハッピーエンド。ドラマにしてくれる人がいないかね。
237人間七七四年:2010/12/27(月) 09:18:04 ID:ffI9kbQb
名前の上下を別にすればビッグネームになるけれど、いかんせん当人はマイナー過ぎる
238人間七七四年:2011/01/02(日) 11:40:48 ID:s0UtSI1e
とはいえミラージュブーム以前に、直江が大河ドラマになるとか言っても
信じた人はいないだろうし、石田三成が井伊より人気者になるとか、
長宗我部が女の子にキャーキャー言われるようになるとか、メジャーと
マイナーの概念なんて簡単に覆るものだからなあ
239人間七七四年:2011/01/29(土) 22:12:52 ID:3TtELkjv
保守
240人間七七四年:2011/01/30(日) 04:09:34 ID:peEWCtek
『武田信長』発売中。
241人間七七四年:2011/02/01(火) 10:27:31 ID:aP7Uf6vI
岩井三四二氏の「城は踊る」の舞台の上総榎沼城の城主武田左近将監は、
上総武田氏(庁南か真里谷)がモデルみたいですね。攻める方が里見方の青山信濃守。
武田側の軍師が北条綱成の玉縄城から来た僧籍(山本道鬼のような者か)。
国府台合戦も話の中にちらと出て来ますので、食いついてしまいました。
ちとスレ違いでした。申し訳ありません。
242人間七七四年:2011/02/06(日) 04:59:17 ID:7W5f202B
『穴山武田氏』発売中
243人間七七四年:2011/02/23(水) 09:15:21.42 ID:WDvGXJs2
う〜む
244人間七七四年:2011/02/27(日) 12:43:45.92 ID:o9vVTKnt
戦国武将から学ぶリーダーシップ  部下を”愛した”武田信玄 
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/news/1298773088/l50
245人間七七四年:2011/02/28(月) 11:20:56.67 ID:kM/xTMmG
>>241
私も読みました。非常に面白かった。戦の目的が…でしたが、それもあの時代にありそうなことで
大した大儀もない合戦がリアリティを与えてました。映画は無理でもテレビドラマにしてもよさそうな
気がします。
246人間七七四年:2011/03/04(金) 13:21:40.11 ID:V62r3WwZ
>>244
恋文を使った人心掌握術か?
247人間七七四年:2011/03/21(月) 22:22:29.84 ID:wgzyXpan
]
248人間七七四年:2011/05/03(火) 20:23:29.10 ID:C4ZLHkRy
保守
249人間七七四年:2011/08/09(火) 21:21:47.50 ID:S3JL+1Rv
甲斐、若狭、安芸、上総はそれぞれ交流とかはあったの?
250人間七七四年:2011/08/09(火) 23:42:21.81 ID:IkcuwltZ
上総武田氏の武田豊信は、武田信玄の子だという説がある。
251人間七七四年:2011/08/14(日) 03:18:04.57 ID:M5RDWn+B
武田元明に生き延びる道は無かったのだろうか
明智方でも首謀者の明智一族と斉藤利三、長浜城襲った阿HEY以外はほぼ許されてるのに彼だけ処刑
252人間七七四年:2011/10/30(日) 19:02:20.63 ID:WAPvMRTN
保守
253人間七七四年:2011/10/30(日) 21:00:26.65 ID:DtBkE+RN
のぶやぼがおかしいのは今に始まったことではない
254人間七七四年:2011/11/01(火) 00:50:30.56 ID:Wtohj9XO
>>249
安芸は若狭から派遣された代官的な存在だったから、一番血は濃い。
但し、室町殿足利義澄と足利義材(義伊)の争いで義澄方についた若狭に対して
義伊方についた大内氏(義興)に追随した安芸が結果的に本家である若狭
から独立した形になった。もっとも、その後元繁が尼子経久と共に大内義興に
反旗を翻すことになるのだが。
255人間七七四年:2011/11/21(月) 02:26:09.14 ID:GtvTFvH9
武田助信
親の敵に仕えた男
256人間七七四年:2011/11/25(金) 16:56:41.44 ID:gc4RCA+N
若狭武田氏は戦国時代には小規模ながらも水軍は持っていた?
257人間七七四年:2012/05/24(木) 01:21:53.82 ID:H1HbTdb6
保守
258人間七七四年:2012/05/29(火) 00:25:11.06 ID:TwedIGzX
武田元明の継嗣である義勝は武田姓をはばかり津川姓を称した。のちに津川義勝は親族である京極高次に重臣として仕えた。
259人間七七四年:2012/08/10(金) 20:49:38.70 ID:JzOErvH9
保守
260人間七七四年:2012/10/11(木) 17:49:48.90 ID:cTUZhuPO
そろそろ保守
261人間七七四年:2013/02/04(月) 02:17:58.49 ID:6NhjO4kc
262人間七七四年:2013/02/04(月) 03:01:00.68 ID:6NhjO4kc
263人間七七四年:2013/03/08(金) 19:29:53.34 ID:qQxQ/Emj
古裂会オークションに武田信栄の書状が出ていたが応永12年の日付だった
まだ生まれてないよw
三善氏系図という巻物に貼り込まれているようだが
別人か、あるいは三善氏が自己の権益を主張するためにのちに偽造したと見た
264人間七七四年:2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN ID:fJUK1EAy
そろそろ保守
265人間七七四年:2013/10/12(土) 23:26:02.04 ID:3ewuA1y2
義昭来た時に意地でも上洛すりゃ良かったのに
266人間七七四年:2013/10/13(日) 16:24:04.17 ID:mNadLa4+
若狭一国でどれだけの兵力動員できるのよ
てか隣の一色とずっと争ってるのに上洛する余裕無いでしょ
267酒井讃岐守忠勝:2013/10/14(月) 20:56:23.90 ID:+KrdAve9
酒井讃岐守忠勝12万5000石
よって、最大動員可能兵は3750人。
268人間七七四年:2013/11/09(土) 11:38:57.77 ID:p7DVYnoZ
義稙連れて上洛した時は一色をどうやって抑えてたんだろう?
269人間七七四年:2013/11/14(木) 17:18:23.97 ID:ryfLmhoU
>>268

不可侵条約を結んだ?
270人間七七四年:2014/01/22(水) 20:31:39.61 ID:VvbYEpdc
丸馬出の武田の城、諏訪原城の城ラマ。
http://mirai660.net/castle/suwaharajyoh_model.html
271人間七七四年:2014/03/23(日) 06:50:28.10 ID:PS8sIzMp
【高根城(静岡県浜松市)】
http://mirai660.net/castle/takanejyoh_model.html
272人間七七四年:2014/03/30(日) 22:02:17.89 ID:oNk3czD2
大岡城の城ラマ来てるね。
http://mirai660.net/castle/ookajyoh_model.html
273人間七七四年:2014/06/18(水) 19:39:46.42 ID:IB6y9uDT
そろそろ保守
274人間七七四年:2014/06/30(月) 18:45:26.78 ID:lKKHu/Mp
室町時代は直接室町将軍に仕えていた
若狭・安芸武田氏のほうが嫡流扱い
275人間七七四年:2014/07/01(火) 14:12:33.26 ID:ZSmYSylX
>>274

官位はどうだったのか気になる。
276人間七七四年:2014/07/19(土) 20:05:53.48 ID:dg1Uqqxw
そりゃ確かに家格自体は決して低くはなかっただろうけど
もう1560年代に入るか入らないか位の頃から
ろくに家臣も出仕してこなくなりかけてる状態で嫡流扱いも糞もないような…
277人間七七四年:2014/07/22(火) 16:12:44.70 ID:i5+MUBmh
>>276

実際の権勢はなくても、官位はそれなりに高かったのかどうか気になる。
278人間七七四年
賀正