1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 09:24:29 ID:GhwB06Mz
家康はただのウンコたれ
3 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 10:39:07 ID:5QbTWcKy
家康は運が良いだけの弱いものいじめ→それは違うよXαのループスレ
4 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 11:37:42 ID:VtrnsC2V
( ´゚ω゚` )
5 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 18:00:01 ID:u4GjZVrm
6 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 00:28:50 ID:hcJYypUA
戦国期を通しての達人ではない
秀吉死後の生き残りの中では達人
ということで終了
7 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 07:41:27 ID:mFHnt6P9
おまえらやる気あんの?
8 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 14:52:48 ID:aLbh2uja
もう飽きた
9 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 17:19:20 ID:JCoXB8cW
じゃ、結局家康は野戦の達人ってことでFAね。
10 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 20:15:17 ID:eB7uI8Nd
未亡人落しの達人ってことでFA
11 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 05:59:15 ID:pXYb87Do
小牧長久手だけが自慢なわけだが、その時点では秀吉軍と士気の差がありすぎるからな。
家康にとっては負ければ滅亡に直結する戦いだから、君臣ともに必死。美濃斎藤が
最初のうち頑張って信長を凌いでたのと似たようなもんだろ。秀吉にとっては準備不足の
段階で売られた喧嘩だからそれ以下かな?w
12 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 15:07:24 ID:T5qV5vZ5
そりゃ秀吉側からすれば、目の前の信雄・家康だけと違い、
まだまだ地盤が不安定な時期だったから、大局的に臨まなくてはならなかったし、
基本的に家康を踏みつぶす方針は無かったと思う。
そのためには早期の解決が必要であり、
降着する恐れのある局地戦は出来れば避けて政治的手当により、和睦・引き入れを第一にしていた。
確かにモチベーションは違うだろうな。
13 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 09:47:01 ID:EzrXA4HS
見苦しすぎ
与えられた条件で戦うしかないのがいくさというもの
そんな弁解、秀吉自身潔しとしないだろう
数で圧倒するやり方が通用しないお前は何者だと秀吉は思っただろう
14 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 10:14:17 ID:vn43EqDS
小牧・長久手は、完全な家康の勝利と言えるかというと疑問があるんだよね。
いや、無論、池田・森の首とったが、実際の主要な合戦って
それくらいで、後は対峙している位だった。
双方とも温存したわけだ。
家康は決戦をしたら負ける事確実だし、秀吉はそもそも決戦する
必要はないし。
最終的に信濃と伊勢も侵食されたし、政治的・戦術的に
勝ったとしても、戦略的には大負けだっただけどね。
15 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 13:16:35 ID:l8yaLDsE
>>13 戦略目的を達しているのはむしろ秀吉なので秀吉の勝ちと言っても良いのだが?
家康って小牧長久手で何を得たの?
16 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 14:14:58 ID:TzC1kesS
>>15 「秀吉に屈服することなく互角に渡り合った大名」
実際この功績があって豊臣政権も重鎮として存在する事に成功してますが?
秀吉は戦略的に勝利を得たが、
家康は家康で「容易に秀吉に屈しない男」という功績を得て、
これを根拠に豊臣政権内で織田同盟時よりも有利な地位を得たという事
双方得るものはあったわけですよ
何か問題でも?
17 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 14:31:03 ID:TzC1kesS
↑
読み返してみるとちょっと煽りっぽいレスだった
その点は謝る。スマソ
18 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 14:32:19 ID:dwPFPxWU
そんな曖昧なもんは戦争の目的にならんな。
というか、最初から秀吉に臣従するつもりだったのか?w
19 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 14:35:41 ID:TzC1kesS
>>18 わざわざ上げんでもいいものをw
簡単に臣従するつもりがないからこういう戦を起こしてるし、
それなりの戦果を上げて、講和後も秀吉に容易に臣従しようとしなかった
秀吉の側にしてもしぶとく粘るやつ相手にだらだらと合戦を続けるより、
周辺諸国を落とす方が効率よかっただろうね
20 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 15:30:23 ID:qG5oqC9N
戦略目的も達してない(何が目的だったのかもはっきりせんが)戦が自慢の種なんだから
大したことないわな。
補給部隊を護衛してて、物資は全部燃やされましたが敵の襲撃部隊に打撃を与えました
とか言ってもただの馬鹿なわけだがw
21 :
仙台藩百姓:2007/04/15(日) 16:42:48 ID:mVZ17zOD
局地戦で敵方の一武将を討ち取ったのが自慢とか
聞いてる方が恥ずかしくなるお(〃ノωノ)キャッ!
でも池田親子も満足でしょう
将軍様の唯一の自慢の種になっているのだから(≧ω≦)ブププ
22 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 19:01:20 ID:mqxFwMXv
>>20 結果的には秀吉は家康の実力を認め、多大な権力を与えてなだめておくしか
なかったわけだ。
23 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 20:08:53 ID:QmzD7Rqc
まだやってんのか
>>20とか、どんな武将や大名なら認めるんだ?勿論好き嫌い抜きでな
つうか、小牧長久手で、秀吉・家康両者共政略的な目的は充分達成してるだろ
24 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 23:42:51 ID:j+cTLrbC
小牧長久手もな
美濃はほとんど秀吉に寝返るし
伊勢伊賀は秀吉にほとんど制圧されて
尾張も犬山方面に侵入を許してるし。
秀吉が更に侵攻しようとして長久手まで兵を出したのを
倒したに過ぎないとも言えるからな
25 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 23:51:06 ID:9Obz8gPk
戦略的目的を果たしたというのと、後々で考えてみればなんとなく得だったというのを
区別できてないのがいるな。
26 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 23:59:53 ID:QmzD7Rqc
で、
>>25のような人が、評価する人物とは?
つうか、長久手の戦いの結果両者にもたされたものが
「なんとなく得」なんて評価してる時点で釣り以外のなにものでもないと思うけど
他人に区別がどうたら書く前に中学生の歴史の教科書くらい読んだら?
アマチュア歴史家もどきの本だけでなくね
27 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 00:12:42 ID:5y9EOQoW
>>24 数の上では秀吉は圧倒的に有利だし、
戦略上も最後は外交的に秀吉が勝利を収めるなど、
基本的に秀吉有利の形で推移していっていたけれど、
長久手後も蟹江城を奪取したりと織田徳川方はそれなりに攻勢を維持してたからね
秀吉にとっても「全て計算どおり」と進んでいたわけではないっぽい
>>25 この戦争の目的が秀吉討伐という意味では家康たちの敗北
逆に徳川を武力を通じて臣従させると言う意味では秀吉はこのときは失敗
御存知のとおり、秀吉が家康を臣従させるにはここからあと2年かかる
「後々考えれば何となく得だった」というのは少し意地悪な見方じゃないかな?w
少なくともこの時点で降伏せずに講和の形で戦いが終わったというのは大きいよ
まあ、「家康が北の将軍様顔負けの瀬戸際外交を展開しただけ」
と言えばそれまでなんだがw
28 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 00:18:49 ID:5y9EOQoW
>>26 君もね、そんなに熱くならない
このスレで話し合ってる事というのは、
史実から見える「評価」部分の議論で、
はっきり言って論者それぞれの心象によって、
史実の見え方が大きく変わってしまうものなの
小牧長久手についていえば、秀吉ファンからすれば、
「一時的に局地戦で負けたとはいえ、
最終的に外交的に勝利を収めた秀吉はさすが
家康の勝利なんて言うのは徳川史観に冒されただけの馬鹿」
とみたくなるものだろうし、
逆に家康ファンからすれば、
「戦争に負けたとは言っても秀吉に容易に屈しなかったのはさすが」
と見たくなってしまい、同じ史実とはいえその評価が大きく変わってしまう
はっきりいえばこんな議論、お互い永遠に言い合いしても、
どちらかが考え方を変えない限り永遠に決着がつかないものだよ
だから感情的に熱く議論してもお互い気分悪くなるだけだと思うよ
「それぞれこういう見方があるんだな」くらいの余裕を持たないと
29 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 00:26:16 ID:X3k1dVsS
>>28 >25の内容は、とてもじゃないが>28のような感じとは
読み取れないと思うがなあ
前スレも、家康嫌いだからヘボはいても>28のような内容のレスはなかったよ
30 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 00:36:47 ID:5y9EOQoW
>>29 >>25の真意は本人じゃないからわからんが、ニュアンスから見る限り、
「対織田・徳川戦争に勝利した秀吉や戦略的目的を果たしたが、
家康はこのあと秀吉になかなか臣従しないけれど、
それはあとから考えてみればそうだったというだけで、
家康の戦略的目的ではないのだから、
その点だけを見てこの戦争における小牧長久手における家康を評価するべきではない」
と言いたいのだろう
まあ小牧長久手の最後の方、家康たちが何を考えていたか、
逆に秀吉は何を考えていたか、この点を見極めないと、
評価の下しようがないと俺は思うけどね
とりあえず史実の大きな流れとしては、
1:信雄と家康が手を組んで秀吉に包囲網を敷いて戦争をふっかけて来た
2:秀吉は大軍を率いてこれを討とうとした
3:お互いにらみ合いのまま膠着
4:事態を打開しようと秀吉軍が動くも、家康の逆襲にあって果たせず
5:再びにらみ合いのなか、秀吉は伊勢など信雄領への進撃を開始
同時に雑賀衆に備えるなど包囲網の瓦解を模索
6:これに対し織田・徳川連合は蟹江城を奪還するなど反撃をする
7:秀吉、信雄と単独講和。家康も講和し撤退。秀吉戦争を終結させる
8:講和後なおも家康2年間秀吉に臣従せず
この間に秀吉、包囲網の瓦解を進めると同時に家康に自分の妹を嫁に差し出すなど、
対話路線で家康の懐柔を模索し、最終的に家康は秀吉に臣従
こういうことだよ
この史実から秀吉・家康双方をどう評価するのかは人それぞれになるから、
永遠に決着つかないと思うんだな
31 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 04:53:57 ID:7UVJdzE1
家康の戦略目的は豊臣一極支配の打破じゃないの?
秀吉の戦略目的は反秀吉派の懐柔もしくは殲滅だろ?
対応のオプションが複数ある方が有利で結局、なるようになった
32 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 06:12:18 ID:kcZPtB2Z
野糞の達人
33 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 06:22:36 ID:GoAjC+fm
天下相手にスカトロ
最終的にイニシアチブを取得
34 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 09:07:24 ID:e3IXGjj/
馬の骨家康はただのクソ漏らし。
家柄が悪いと下品よのう。
35 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 10:36:50 ID:0Ndd+nRc
傑出した人物達がみんな死に、結局歳的にもこの人しかいなくなった。
才能が有るわけではなく、家臣にある程度優秀な人物が多かったため
かろうじて天下を取れた。
残りカスというか、その程度の実力であったため
江戸時代に都合のいいように歴史が捏造されたと思う。
野戦の達人などもそのひとつ。
36 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 11:10:39 ID:e3IXGjj/
ところが、実際は野戦の達人でもなんでもない。
家柄の悪いタダのクソ漏らしにすぎない。
37 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 13:00:23 ID:7UVJdzE1
お前の家よりは良家だ
どあほう
38 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 13:10:59 ID:0Ndd+nRc
ところで家康が糞をもらして浜松城に逃げ帰ってきたとき、
馬の鞍に糞がついていたのでタレたのがバレたって本当か?
ということは衣服からはみ出て鞍についたということだが
これから推察できることは
1.よほど大量の糞を噴出したため衣服からはみ出てきた。
2.衣服の目が粗かったのではみ出てきた。
3.下痢だったため鞍がビジョビジョになってたのを発見されて匂がれてバレた。
以上の3通りの説が考えられるのだが、史料的にはどうなのか?
焼き味噌という言い訳をしたという説もあるのである程度固形であったとみなされ
1.2.の説の方が有力と考えられるのだが之如何に?
39 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 13:41:25 ID:1kSZbaTD
アンチ家康が作り出した脳内妄想でした
40 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 13:44:21 ID:7UVJdzE1
ということは以下の前提条件がおかしい
形状に関係なく視覚より先に嗅覚で気付く
41 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 13:59:11 ID:hO20S/bL
史実にて明らかなことだが、実は野戦の達人などではなく、
家康は家柄の悪いタダのクソ漏らし馬の骨にすぎない。
42 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 14:31:17 ID:0Ndd+nRc
>>40 そうなんです。状況的には普通はそうだと思うのですが、
>馬の鞍に糞がついていた ということをきいたので不思議に思ったのです。
43 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 17:23:37 ID:1kSZbaTD
実は伊達政宗も葦名との戦いで脱糞している
44 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 19:54:31 ID:Z5cVU64u
政宗のうんこたれ
45 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 20:26:57 ID:6o7E2MRg
釣りですまんがw
戦場で糞漏すのがそんなに恥ずかしいのかね?
辺り一面自分をぶっ殺しに来てる奴らだらけ
そんな中でわざわざ糞する所探して刀や槍を置いて袴脱ぐのかね?
いやはや皆様は豪傑でいらっしゃるw
少なくても漏れなら糞でも小便も漏らして漏らして漏らしまくるだろうねw
46 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 20:45:26 ID:DCWGjp5J
開口健がベトナムで戦闘に巻き込まれて数時間、尿意を覚えて
伏せたまま小便をしようと思ったのだが、ちんこが縮まっていて
引っぱり出せなくて往生したと書いていた
勿論、命が危ないのに肛門の括約筋が緩む筈も無く
クソなど漏らせるのなら、よほど豪胆だぞ
本多勝一によるエスキモーは、アザラシとかの猟のまえにクソをするらしい
俺はこれほど豪胆なんだとの証明らしい
だから家康がクソをしたのなら、安全な所まで逃げ
ホッとして漏らしたに違いない
47 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 22:15:53 ID:A+BHr83E
>>38 当時の軍袴は尻の部分が開く様になっていた
48 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 22:18:39 ID:j5I1YYnF
アッー!
49 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 00:34:21 ID:8uF7iG0g
スカトロ正宗公の凡才ぶり
50 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 00:36:17 ID:+Hyvdi/s
>>45 恥ずかしいだろ・・・
オマエと違って仮にも武士なんだぞ
間違いなく不名誉な事例だ
51 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 00:46:10 ID:8yGllMgm
だからそんな不名誉をなぜ知らしめたのかってことだよ
52 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 01:41:03 ID:8IMHnSvK
知らしめるつもりは無くてもバレちゃったらしょうがないんじゃね
53 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 01:54:57 ID:8yGllMgm
殿様の不名誉を言いふらす側近がいるか?
54 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 07:39:49 ID:8IMHnSvK
三河物語の三方ヶ原の記事によって有名になった逸話だからな>家康の糞漏らし
筆者の大久保彦左衛門は当時江戸幕府の中枢から遠ざけられ不遇を囲っていた状態、
大久保一族を失脚させた家康ら幕府最上層に対して複雑な感情を抱いてたとしても不思議じゃない
55 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 10:16:00 ID:o/pmeB+A
失脚させられたので
主君をウンコタレ呼ばわり。
さすが、徳川の家臣はひと味違うな。
56 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 10:20:41 ID:YEz801iA
>>55 そうそう、まったくの出鱈目書くなんてよほど根にもってたんだな
57 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 11:09:10 ID:+Hyvdi/s
58 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 11:42:53 ID:G7il/QJT
大久保彦左衛門の作家魂をなめすぎだろ
糞漏らしを信じるのはかまわんが、
信長の命令で信康を殺したという記述も信じろよ、アンチ諸君
59 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 14:27:39 ID:iqwGvUAc
大坂夏の陣では、兵力で優越しているのにかなり苦戦したからなぁ
敵方の奮戦を誉めなきゃならない面もあるが、徳川方の配置もあまり良いものじゃない
本陣側の第一陣に外様最大級の前田勢を持ってきたのはともかく、第二戦は前日の戦いで消耗した藤堂・井伊勢
前田勢が大野治房の強力な側面攻撃で拘束されたら本陣は裸も同然で、実際にその最悪の状況になってしまった
60 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 14:42:32 ID:KkUmiDZq
関が原だって布陣を見れば西方の圧勝。
小早川秀秋の寝返りや、島津・毛利の中立がなければ
またも家康は脱糞しながら駿府へ逃げ帰ってた戦だよw
それにしても石田三成の人望の無さは半端じゃねえな。。。
61 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 14:45:09 ID:6gb0mCH9
アンチはアンチスレにどうぞ
62 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 15:19:14 ID:o/pmeB+A
人望が無ければ
西軍挙兵もありません。
63 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 15:31:39 ID:D5QXeKbf
沖縄県の方へ(命に関わる注意事項です)
沖縄県での選挙ですが、どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります。
民主党の最大の公約は一国二制度(※)ですが、一度「一国二制度 沖縄」等で検索をお願いします。
この際、民主党のHPで調べても良いです。以下の注釈↓と矛盾することは書いてないはずですから…
※一国二制度
簡単に言えば沖縄を中国と日本の共有物にし、そこに3000万人の中国人を入植させます。
(つまり沖縄人口の 96% を中国人にして、実質、沖縄を中国人の居住地とします。)
さらに「自主」の名の下、沖縄で有事が起きても自衛隊は干渉できません。
3000万人の中国人が、少数派となった130万人の日本人に何をしても、です。
そして中国人の反日感情の強さは、ほとんどの日本人の理解を超えるものです。
今回の選挙で民主党が勝った場合、「自主」「発展」を連呼しつつ段階的に進めていくことになります。
自主と言っても、自主を認めるのが「住人の96%が中国人となった」後だということに気をつけてください。
発展と言っても、新沖縄の少数派となった「少数民族日本人」の発展ではないことに気をつけてください。
64 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 15:55:02 ID:gy+qeEWR
そもそも関が原の総大将は宇喜多秀家だろ。
65 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 16:39:59 ID:wLUtL8/g
というか
松尾山にすでに築陣を始めてた西軍諸将を蹴散らして強引に築陣した秀秋を
完全な西軍と見るのはどうよ。
66 :
人間七七四年:2007/04/19(木) 19:11:17 ID:8yGllMgm
蹴散らされた諸将って誰?
67 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 00:02:25 ID:70w8Vopa
そもそも脱糞なんて話を面白くするための虚構だろ
68 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 01:44:10 ID:/PQwTNop
うんこだけじゃないよ、しかみ図もそうだし
逃げる途中でお粥を食べたとか小豆餅を食い逃げしたとか
臭うぞ、で、その目的は? つうことになる
69 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 07:26:25 ID:1AXtj2Ps
よくもまぁ、そんな話信じてるよな。
三国志演義並じゃん。
70 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 12:10:04 ID:meUvGnSA
しかみ像は実際残っているし、
家康が生涯戒めとしたのはそれなりの意義があり真実と見るしかない。
うんこや食い逃げは本当だとしてもどうでもいいような話。
アンチが飛びつきやすいネタというだけのこと。
71 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 13:04:51 ID:/PQwTNop
だから粥つう苗字の人を知ってるつうのに…
命からがら逃げてるのに粥を食べたり小豆餅を食い逃げしてるんだぜ?
うんこするよりオカシナ話だろうが
そんなに危なかったのなら食べる暇なんてないだろう?
つまりそんなには危なくはなかったつう証明だろう?
72 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 13:08:51 ID:f/Bb/gZg
あるいは家康を親しみやすくさせるためのイメージ戦術
オレらの当主はこんなに気さくで人間的、だから支えてやろうぜ!とw
73 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 13:21:48 ID:Q+/GTd59
そりゃ君の知り合いが嘘付いてんだろw
74 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 14:55:59 ID:Qp//BA6d
だいたい直垂と袴と褌はいているのにその上から鞍にべっとりつくかよ。
焼き味噌とかいかにも豪傑振りをだすための物語的な演出でしょ。
75 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 16:02:50 ID:/PQwTNop
だから、命からがら逃げてるのとお粥を食べるのが矛盾している
つまり命からがらかお粥食べるのどちらがが嘘なわけだ
ところが実際に粥とゆう苗字を与えられた子孫が存在している
つうことは命からがら逃げたつうのが嘘になるわけだろう?
76 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 18:12:46 ID:1fh8XMV7
ならねーよw
77 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 18:35:17 ID:CULpnI2P
>>72 イメージ戦術ということを言えば、
神君家康公のマイナス面も書きましたよと
三河物語の信憑性アップのための記事だろう
78 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 18:59:17 ID:5SvEgnC+
粥川さんなら俺も知ってる
79 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 20:07:19 ID:NGKZDuNU
>71確かにそりゃ言えるね
銭追とかw
本当なら武田騎馬隊より婆さんの足が早い事になるねw
80 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 22:14:34 ID:/PQwTNop
三方が原から浜松まで、馬で飛ばせば直ぐだろうに
何で途中で粥を食べたり餅を食べたりうんこしたり
おかしいだろう?
81 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 22:41:47 ID:dAhQXGim
創作だろうな
82 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 22:44:30 ID:/PQwTNop
だから家康にお粥を出して苗字を許された家があるんだよ
だから苗字がお粥なんだって
そうすると、命からがら逃げたつう説が嘘になるだろう?
83 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 23:27:22 ID:ybxbIIjd
だから誰だよ、そのお粥って珍姓の奴は
そいつは家康に苗字を許されて江戸時代もずっとお粥って名乗ってたのか?
だとすると最低でも名字帯刀が許されるひとかどの武士ということになるな
(後年士分の身分が金銭で売買できるようになる江戸時代中期〜幕末と違い、江戸初期はそういうことには厳しい)
そのお粥家の初代はなんて名前なんだ?
84 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 23:31:05 ID:/PQwTNop
そんなに感情的になるなよ、みっともない
同じ市に住んでるよ、もともとの先祖は静岡県だよ、勿論
85 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 23:33:30 ID:/PQwTNop
あ、そうか、お粥の苗字が嘘だって言いたいのか?
嘘の苗字を名乗って家康の本拠地で無事に暮らせるとでも?
86 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 23:36:21 ID:ybxbIIjd
当代の話は聞いてないよ
資料に名前が残ってるであろう初代の名前を聞いてる
神君家康公に直々に苗字を与えられるなんて凄いことだからな
きちんと資料的裏づけがない限りその知り合いの捏造家伝ということになるぞ
87 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 23:38:44 ID:/PQwTNop
だから捏造じゃ生き延びられないと言ってるだろうがよ、ぼけ
家系図なんてあるかよ、街道沿いの百姓だぜ?
88 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 23:44:02 ID:ybxbIIjd
下らね
所詮は百姓の戯言か
そいつらが明治以前からお粥って名乗ってた証拠が無いと話しにならない
明治維新で苗字を持つことが許され、
縁もゆかりも無い徳川だの豊臣だの突飛な苗字を名乗る輩も多かったと言われてる
そのお粥がそのうちの一つでないとどうして断言できる
89 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 23:49:21 ID:/PQwTNop
一軒しかないからだよ、もとが
90 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 23:58:45 ID:dAhQXGim
普通に考えりゃ
明治に地域の伝説を利用して適当に名乗っただろうな
91 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 00:02:54 ID:jMM4RGVP
じゃあまあ嘘だとしよう、でもなぜ家康がそんな嘘を言ったのだ?
うんこしたとか粥を食べたとか小豆餅を食い逃げしてばあさんに追っかけられたとか
せこい嘘を吐く理由は?
92 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 00:04:38 ID:jMM4RGVP
あのな、やっぱ言っとくがな、明治でも地元でそんな嘘を言ったら
暮らして逝けないぞ? 田舎なんだからな
93 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 00:06:08 ID:+pMsMEjr
お話を面白くするため
94 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 00:09:58 ID:gC5zanKR
嘘をついたのは家康じゃなくて家康の敗走時の狂乱振りを嘲笑った民衆だろ
駿河は足利の連枝である名族今川が代々治めてた文化的教養の高い町、
そこを武力に任せて侵略してきた武田や徳川は甲斐や三河の田舎者だとして
駿河に長年住んでた者からは嘲笑されたという
特に以前支配してた三河人が駿河で威張ってるのを見るのは面白くなかっただろう
そういう徳川に対する潜在的な悪意がそういう伝承を生んだんだろう
静岡には家康の逃亡時に纏わる逸話が数多く残されてる
前述の餅を食い逃げした茶屋とか、家康が疲れてへたり込んだといわれてる石や樹木なんかは枚挙に暇が無い
95 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 00:16:55 ID:jMM4RGVP
バカじゃないの? 今川の元は吉良だよ、今川は三河の出だぞ?
本家をバカにする分家がどこにあるかよ、ぼけ
96 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 00:20:41 ID:gC5zanKR
はぁ?
今川の元は三河の吉良でも家康の徳川=松平とは関係有りませんが?
むしろ徳川は三河吉良氏を一度潰したある意味仇ですが?
97 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 00:42:02 ID:jMM4RGVP
だからそんなに徳川をバカにできるのか?
そのあとに江戸時代が三百年も続くんだぜ?
お上に逆らう百姓がいるのか? そら今川が統治しているのなら別だがな
98 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 00:47:32 ID:jMM4RGVP
まあいいわ、もう止めようや、お前が正しいわ
徳川家康はクソ、間違いないわ
99 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 00:56:29 ID:hMoPEjPp
真田幸村なんかの講談が出まわるような世の中
多少の悪口ぐらい普通に許容だろうな
しかも政治批判ではなく昔の話しだし
100 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 01:09:11 ID:jMM4RGVP
そんなことじゃなくてな、三方が原で家康側に重臣の死者がいないのが不思議でな
つまり世上で言われているような惨敗ではなくて、裏があるのではないかと
それを議論したかったのさ、それなのに、その可能性をことごとく否定されたのでは
話にもならんわな、夕暮れ近くになってからの出陣だっておかしいだろうに
夜戦を考えていたつう話もないしな、まあ、いい、おやすみ
101 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 01:09:46 ID:YJ018hYs
うんこで100まで伸びるとはさすが東海一の弓取りですね。
102 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 06:05:44 ID:LbfoRYfZ
江戸時代はある意味、武田マンセー時代だからな
103 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 09:59:45 ID:jOCZpygq
>>100 前に歴史群像で読んだのだが、粥のほかにも小豆餅やそうめんでも似たような
話があり、そういった家康の伝説があちこちに分布しているそうだ。
もしこれらが全て家康一人の話だとすると同じ時に家康が複数存在したり
している事になるんだそうだ。だからその本では三方ヶ原で敗れて逃げる
徳川軍の武将や兵士のエピソードが後年に家康のものとして語りつがれた
のだろう、と書いてあった。
それから三方ヶ原では織田の援軍の将である平手が討ち死にしているし、
徳川も重臣クラスは死んでないけど一武将なら相当死んでいる。
死者も千以上、つまり一割越えだったわけだし普通に大敗としていいと思うよ。
104 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 10:00:37 ID:okS5Y8Dz
ID:/PQwTNop=ID:jMM4RGVP
ボコボコだなww
105 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 10:08:19 ID:jMM4RGVP
なんだ、それじゃあ結論として家康は達人でもなくて
ただのクソ垂れだつうことか、まあ2ちゃんらしくていいが…
終了
106 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 10:21:16 ID:jOCZpygq
いや、そこまではいってないだろう。
家康は立派な武将だし偉大な天下人だよ。
でも三方ヶ原は大敗だった、ただそれだけの事だよ。
優れた武将も負けることはある。
家康も敗れた教訓を糧にして成長したというし、三方ヶ原だけでそんなに
貶める必要はない。小牧・長久手や今川との戦いなど家康が優れていた事を
示す戦いは他にもあるだろう。
107 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 13:02:38 ID:K9ZRTtlx
うんこ祭りの会場はここですか?
108 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 16:08:51 ID:oXqs8qEh
つまりはうんこ話は虚構だってことでしょ
終了
109 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 16:11:33 ID:rKqzOzdP
虚構だろうが、何だろうが子供向け漫画にまでうんこ話されているわけで。
110 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 16:45:16 ID:PEPCiZEM
というか、家康はウンコの達人でしょ。
111 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 17:22:16 ID:YfkJlSWv
ということで
うんこ祭り
開催中だよ
112 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 19:17:19 ID:7q03yum4
一人、必死な奴がいてワロタw
言い返せなくなったら今度は不貞腐れてるしwww
113 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 19:48:51 ID:oRkoYUKT
>>35 >傑出した人物達がみんな死に、結局歳的にもこの人しかいなくなった。
俺もそう思う。
家康って最高のタイミングで宿敵又は目の上のタンコブがことごとく死んでくれて
そのたびに領土を得、天下を得でいつも漁夫の利を得てるイメージなんだよな。
特に三方が原後の信玄の死なんて、当時の家康は三河も遠江も侵食され土豪は離散
ほとんど大名の体をなしてない状態で、滅亡寸前の状態だったもんな。
1、桶狭間で信長が今川義元を討ったおかげで三河を得る。
2、今川氏真×武田信玄×北条氏康が戦ってるドサクサ紛れに遠江を得る。
3、信玄が死んだおかげで滅亡寸前を回避。
4、信長の武田征伐のおかげで労もなく駿河を得る。
5、信長死後の無人の甲斐、信濃に侵入して火事場泥棒的に2カ国得る。
6、北条滅亡後に関八州を得る。
7、秀吉、秀長、秀次、豊臣家の中心人物がことごとく死んで天下取りの目が出る。
8、5大老唯一のライバルの前田利家が死んで天下が目の前に。
9、関が原の後、加藤清正ら豊臣家恩顧の大名が相次いで死んで豊臣家を滅亡させる。
ざっとこんな感じ。
114 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 19:57:05 ID:xMiSoe/1
>>113 運の実力のうちだが、その大部分は家康が不断の努力と
政治的な実績を積み重ねた結果得た成果だぞ。
115 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 20:07:52 ID:SpP5szo6
>>114 ただ、
>>113の記した数々の幸運無しで何処迄成果を
収めたかは何とも云えない。運を運だけに終らせない
のに才覚は不可欠だが
116 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 20:21:22 ID:xMiSoe/1
>>115 そりゃ、幸運はあるけどね。運のないやつは天下は取れない。
でも、家康はむしろ運に頼ってないほうだけどね。
たとえば、武田に惨敗したけど、じゃあ、信玄が生きてても信長に
勝てたとも思えないからね。最終的には、織田・徳川連合軍が勝つ
んなら、三方原で負けたって政略的には十分プラスだし。
織田の武田征伐で駿河を得たなんつうか、そこまでは徳川家が主と
して武田と戦ってたわけであって、棚ぼたどころか薄賞とっていい
くらい分け前が少ないし。
家康っていうのは、運もあるがそれ以上に不運に強いんだよ。
ほかの大名だったら潰れているような不運に耐えてごく稀にやって
きた運を掴むわけでね。
桶狭間の後、独立して織田についたのだってそうで、客観的にみれ
ば従属していた大勢力が一気に崩壊したわけだ。これって、別に
幸運じゃないし、むしろ滅びたって不思議じゃないわけだからね。
結果として徳川家の飛躍にはなったが、そういう方向にもっていった
のは家康の力量だよ。
117 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 21:49:49 ID:oRkoYUKT
>>116 確かに信玄が信長に勝てたとは思えないが、そうなった場合家康は信玄
に滅ぼされてる可能性が高いと思うぞ!
三方が原の前後信玄は二俣城、野田城と落としたが、これは前者は遠江
浜松城、後者は三河吉田城攻略を意図したもので、岡崎城にはすでに
足助城が前線基地としてあり、この2つの城を確保したことで信玄が家康
討伐を意図し動いていた証拠である。
事実、信玄亡き後の勝頼時代でさえも遠江の豪族はことごとく武田に寝返り
家康は武田に降伏するしかないところまで追い詰められている。
>徳川家が主として武田と戦ってたわけであって
勝頼が遠江に遠征するたびに家康は浜松城にこもってしまい、単独では
一度も勝頼と戦っていない。
それに武田と戦ったのは高天神城など本来は徳川領であるべき遠江の武田方
に奪われた城であり、積極的に駿河に侵攻し自力で獲得したわけではないぞ。
これではとても家康が主として武田と戦ったとは言えないし、棚ぼたと言わ
れてもしょうがない。
118 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 22:12:01 ID:xMiSoe/1
>>117 わけわかめなこといわんでくれ・・・。
そりゃ、信玄の死がなきゃ徳川は攻められたろうが、最終的に
織田・徳川連合軍が勝つんなら、家康が死ななきゃいいだけだ
わな。
高天神城をとったりとられたりしてたなんて、それこそ徳川が
主として武田と戦っていた証拠だろうに。信長としては、東方
で家康が対武田防備で戦っているから西進できたんんだからな。
119 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 22:26:25 ID:miQzZqgO
ま、三方ヶ原で惨敗した時点で徳川は風前の灯火だった訳で。
信玄が病にかからなければ、後顧の憂いを断つ必要性からさっさと滅ぼされてた。
これが家康最大の幸運である事は何の疑いもない事実であり、
三方原で負けたって政略的には十分プラスなんてのは判官贔屓の結果論にしか過ぎない。
120 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 22:44:17 ID:xMiSoe/1
>>119 要するに、家康が死なずに信長が勝てば、織田徳川連合軍の勝利って
ことになるんだけどね。
信玄が生きてたって、信長にゃ勝てないだろうし。
判官贔屓は信玄のほうだわな。
家康は信長が勝つとみて信長との同盟を選んだってこと。さらに、
三方原の後で徳川陣営が武田に転ぶって状況にもならなかったん
だから、その政治判断は正しかったということだ。
121 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 22:49:30 ID:oXqs8qEh
なんで信玄は信長に勝てないの?
むしろ信長が信玄に勝てないって言うならわかるが・・・
122 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 23:10:09 ID:oRkoYUKT
>>118 自国領内の奪われた城一つを奪い返すのに5年かかってるんだぞ家康は。
高天神城の城兵なんて千にも満たない寡兵相手にしてただけで、あたかも
武田軍主力と戦ってたなんて言わないでくれよ。
信玄が信長に勝てないのはわかるが、その場合織田徳川連合軍の勝利には
ならないって!
家康が滅ぼされるんだから連合軍なんてないの。
123 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 23:36:16 ID:MKZdmXBt
>>122 高天神城に勝頼が出兵した理由は何でかわかってるのかね?
アンチ家康君
124 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 23:39:00 ID:MKZdmXBt
>>122 つか
>>117程度の知識で得意げに語るのやめてくれるかね
お前が家康嫌いなのはわかったが、
お前の言うようなそんな弱小勢力すら、
大軍要しても滅ぼせなかった武田は、素晴らしい無能者の集まりですね
125 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 23:47:23 ID:MKZdmXBt
あと棚ぼたとか言い出したらID:oRkoYUKTの大好きな信玄はじめ、
成功した大名の多くにその要素はあるわいな
信玄の場合なら、
信虎が家臣団に嫌われクーデターを行いやすく、
隣国の諏訪は分裂状態でここに付け入りやすく、
砥石城で苦戦するもたまたま真田の内応策が当たって落としただけだし、
駿河に侵攻できたのも今川義元が思わぬ最後を遂げた幸運があって、
それにつけ入っただけ。しかも弱小勢力の徳川と協力してな
三方ヶ原の勝利もたまたま家康が飛び出してきてくれただけで、
もし家康が出てこなかったらどうなったかわからない
棚ぼた棚ぼたといいたいなら、贔屓目抜きで誰にでもあてはめて言うようにしような
126 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:01:25 ID:hPq2M16F
まだやってたのかこのスレ…
何度話題がループしてるんだよ
関ヶ原、小牧長久手、対武田抗争…
「運がよかっただけ」
「いや違う」
延々この繰り返しじゃん
こんなの史実を各人がどう理解するかによって、
見方は変わるんだから永遠に答えなんかでないっての
>>122 徳川と武田は三河・遠江領をめぐって抗争を繰り返してたのな
武田主力との決戦ではないけれど、
三方ヶ原後長篠を落とされたり、二俣奪還に向けて動きを開始されたり、
徳川もそれなりの抵抗を示してる
仙台藩百姓タソ曰く「家康は単独じゃ武田を追い出せていない」というけれど、
その追い出す追い出さないの争いをしてる状態だったわけだ
その部分をすっ飛ばして「主力と決戦してない」の一言で片付けるのは変じゃないかな?
127 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:06:15 ID:hPq2M16F
>>120 それは結果論だな
織田につくと家康が賭けたのは最大の博打だったと思うよ
武田に従属してもおかしくない状況だった
この場合の家康を評価したいなら、
「武田に勝てる信長についた政治判断が正しい」とかじゃなく、
中途半端にぶれることなく、織田に完全に従属して、
織田の力を借りながら武田の駆逐を図った家康の姿勢を評価するほうが妥当だと思うよ
「武田に勝てるから信長についた家康は正しい」という評価では、
これにID:oXqs8qEhが噛み付きたくなるのはわかる
128 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:08:07 ID:CT8/uTTl
>>112>>113 じゃ〜お前の高度な知識で凡人のおれにもわかるように説明してくれんかね。
ついでに大軍要すの意味もな!
凡人は大軍擁すしかわからんので。
129 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:11:58 ID:hPq2M16F
>>128 ID:oXqs8qEhか?
レス番間違ってるし興奮しちゃダメだ
馬鹿相手に興奮してレスしてたら議論がぐちゃぐちゃになる
こういうときこそ冷静に行こう
俺も意見した一人なので書いておくと、君の意見に問題を感じたのは、
「徳川は武田の主力と決戦してない」ということを根拠に、
「徳川は武田と戦ってない」というのは違うと考えた
君の意見を全否定するつもりはないからその点は誤解のなきよう
130 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:16:01 ID:hPq2M16F
>>124 >お前の言うようなそんな弱小勢力すら、
>大軍要しても滅ぼせなかった武田は、素晴らしい無能者の集まりですね
あのな、徳川単独なら武田は十分潰す力はあったんだよ
ただ徳川のバックには織田がいて、
これの力を背景に徳川は武田との抗争を繰り広げてたわけ
その証拠に、家康が二俣奪還を目論みはじめたのに危険を感じて、
高天神城に勝頼が大軍繰り出した時、
家康は単独じゃ迎撃できなかったろ
織田との同盟を強化して、これを活用しながら、
武田との抗争を繰り広げた家康の姿勢は評価するべきと思うが、
しかし「徳川単独で武田と戦った」と言うのはぜんぜん違うと思うぞ
131 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:17:53 ID:nLPCC/Ix
>>117 >積極的に駿河に侵攻し自力で獲得したわけではないぞ。
駿河に何度も侵攻しているんだが・・・
132 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:24:22 ID:hPq2M16F
>>131 信玄が死んだ後火をつけに行ったりしたあれか?
けど信玄死後、設楽が原までは、
基本的に遠江争奪戦という様相の方が圧倒的に強いだろ
徳川が奪われた城を奪還する、
武田が別の城を落とす、
この繰り返しだったわけで
「浜松にこもりきりで棚ぼた」というのも極論過ぎて違うし、
「武田領を奪うべく侵攻した」というのも違う
要は自領奪還のため、
織田との同盟を背景に武田と小競り合いを繰り返してたんだよね
これを「信長のコバンザメ」と評するか、
「織田との同盟を背景に戦った家康は偉い」と見るかは人それぞれだろ
俺は後者よりの見方だが、
家康嫌いにすれば、前者のように見たくなる気持ちもわかるから否定はしないな
133 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:35:51 ID:nLPCC/Ix
>>132 うんそれ
駿河に積極的に攻めれるようになるのは長篠後というよりは
1578年以降ってとこだと思うが
駿河西部の城を落としたりしている
134 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:41:02 ID:hPq2M16F
>>133 信玄死後、行動を沈静化した武田の動きを察してか、
長篠奪還、天方城攻略などを果たすけど、
その後の武田の高天神への猛攻には単独で迎撃できないなど、
設楽が原までは基本的に徳川は守勢だったからなあ
このことを
>>117は言いたかったんじゃないか?
135 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:47:27 ID:nLPCC/Ix
>>134 さあ
そうかもしれないし、単に知らないだけかもしれない
徳川も長篠以後は武田の主力と戦っていたのだし
136 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 00:51:30 ID:hPq2M16F
>>135 「家康は浜松にこもりきりで決戦してないから棚ぼた」
というのは極論だから俺も異議を唱えたが、
かと言って連日徳川が武田主力と決戦したというのも違うだろ
確かに設楽が原の戦いも徳川と武田の遠江争奪戦が原因でおこったものだし、
徳川が武田との抗争を維持していなければ起こり得ない戦いだったが
137 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 01:10:23 ID:CT8/uTTl
>>129 確かにおれの言い方が悪かったですね。
>>116の
>織田の武田征伐で駿河を得たなんつうか、そこまでは徳川家が主として武田と
戦ってたわけであって、棚ぼたどころか薄賞とっていいくらい分け前が少ないし。
に対しての反論のつもりで、駿河一国の恩賞が薄賞かどうかを言いたかったんだ。
穴山信君への内応工作にしても武田滅亡寸前という時期を考えると恩賞としての
評価に少々疑問に思ったわけ。
もちろん
「徳川は武田の主力と決戦してない」ゆえに
「徳川は武田と戦ってない」とは毛頭思ってない。棚ぼたも言いすぎでした。
それから家康は天正8年ころ駿河の田中城や小山城に苅田を行った程度で、
攻め落とした城はないと思う。
長篠以降に家康が落とした駿河西部の城というのはたぶん遠江の諏訪原城だと思う。
138 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 01:22:58 ID:CT8/uTTl
持船城があった。
天正7年家康の攻撃で落城後、武田がすぐ奪還。
139 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 01:25:19 ID:hPq2M16F
>>137 御丁寧にどうもありがとう
>>137の意味だったら、基本的におっしゃる事に同意だ
あとついでに言うと、今日のスレに火がつくきっかけとなった、
>>113のようにカキコする気持ちもわかる
家康の場合、自らの天才的手腕ですべてをきりひらく、というより、
相手の混乱に乗じて自ら策を施して美味しいところを全部掻っ攫うような、
したたかな抜け目ない行動をする例が少なくないよね
有名なところでいえば、関ヶ原までの経緯もそうだし、
あと本願寺への対策(東西分裂)なんかもそうかな
要するにね、家康って相手が隙を見せれば容赦なくつけ入って、
そっからすべてを掻っ攫う能力を持つ人なのよ
あとはそれを守り抜く能力かな
これはこれで立派な才能だし、運頼みというような楽なものではないけど、
「運だけじゃねえか」と罵りたくなる気持ちはわかるよw
140 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 01:39:07 ID:hPq2M16F
>>139のように書くと家康ファンが、
「そんなの家康だけじゃない」
と言い出すと思うので、付記しておくと、
「隙あらば奪い去る」という姿勢の他の大名と家康の大きな違いは、
家康の場合、これで天下取りをするまで成功し、
しかもそれが250年以上にもわたる長期政権となり大成功してるんだよね
英雄が強国を次々と己の力量でひれ伏させて天下を取った、というより、
「相手が弱体化した隙をついて、己の天下を確立させることに大成功した」
というのが家康の天下取りのイメージに一番当てはまる言葉だと思う
これを持って「家康は運の人」というのは変だし、
運が巡った際にそれを全て活用するには才能が必要なのはいうまでもないが、
ただ、一般的な視線でみるとあまりいい印象を受けないんだよね
みていてあまり気持ちのいいものではない。つかむしろいやらしい
それが家康への悪評の大きな一因となってるんだと思うよ
141 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 01:53:54 ID:Xspgl31o
相手の弱体化を突き自分が突かれないためには、自分が弱体化しないことが条件だろうね
コンスタントに戦力を保っているだけでもたいしたもんだ
142 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 02:04:18 ID:nLPCC/Ix
>>140 >「隙あらば奪い去る」という姿勢の他の大名と家康の大きな違いは、
>家康の場合、これで天下取りをするまで成功し、
これは結構真理かもね。
大抵の大名はある程度成長するとつけこめるような隙や弱みを持った大名が
少なくなって成長が困難になるけど
家康の場合は天下が定まってからもその機会とそれにつけこめるだけの実力があった
143 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 02:40:47 ID:9ggB8WR6
>>140 >>「相手が弱体化した隙をついて、己の天下を確立させることに大成功した」
この条件に当てはまる国を統一した人物なんて
家康に限らず、お隣の中の国の人物だって沢山いると思うんだが
世界史でみれば、もっと存在しそうだ
そもそも、家康が一般的にみて嫌われてるみたいに書く前提が
そもそも一般的じゃないんじゃ?
だからといって、好かれてるというわけじゃないよ。念のため
そもそも「相手が弱体化した隙をついて、己の天下を確立させることに大成功した」
ってのが、どうしていやらしいの?
そんなこと言い出したら、奇襲・謀略・相手の背後から戦闘を仕掛ける
これ全部いやらしく感じるか?
144 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:00:17 ID:9ggB8WR6
>>140 例として、たぶん一般人には戦国時代の人物で一番人気であろう、秀吉を例にだすけど
>>140の視点ならば、本能寺の変に乗じて、天下を確立した秀吉だって
相当いやらしく映ると思うのだがな。勿論自分はそんな側に組みしないけど
戦乱の世で天下とる人物は、だいたいあくどい事をしてるもんだ
自分の理屈を一般論化されてるように主張しなきゃ
家康嫌いの人なら、そんな視点もあるって程度で済ませられるんだけどなあ
145 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:00:20 ID:0ykGFoNY
>>143 なぜ嫌われるのか、アンチから見たイメージについて語ったのであって、
俺がどう思ったとかいう事ではない
そういう風に見えるから嫌われるんだろうな、という推測を書いただけ
146 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:03:51 ID:9ggB8WR6
>>145 それじゃ、「一般的な視線」なんて単語は使うべきじゃないわな
>145での前提があるうえでの書き込みなら>140の論評もある程度はわかる
147 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:05:01 ID:0ykGFoNY
>>144 けど秀吉は晩年が悲惨だろ
「あとを頼みます」と嘆願することしか出来ず、
しかも自身が築いた政権は、死後に徳川によって跡形もなく滅ぼされてしまった
あげく大坂城は埋め立てられるし、豊国廟は閉鎖されるし
秀吉の功績は江戸幕府によって徹底的に否定されてしまったわけよ
こういう「悲劇」があるから、秀吉の場合あくどいことをしてても、
それ以上に同情票が集まったりして、好感をもたれるのだと思うよ
逆に言えば、秀吉が家康のように長期政権を確立して死んだとなれば、
家康と同じように悪し様に罵られていただろうね
148 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:07:39 ID:0ykGFoNY
>>146 「一般的視点」の定義がなかったのがまずかったな
俺が言いたかったのは、
「善悪倫理観に重きをおく一般常識的にみて判断する」という意味で、
一般的視点、という言葉を用いた
一般に家康がどう思われているのか、という意味ではない
149 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:15:51 ID:9ggB8WR6
>>147 スレ違いの更にスレ違いになるけど、秀吉の人気は
農民でしかない藤吉郎が、色々な機知でトントン拍子に出世して
最後は天下まで取るからじゃないかと思うんだが
「一般人」は秀吉の晩年の失政の数々もたいして知らないでしょ
秀吉が同情票でもって、好感を「一般的」に持たれてる理由とは自分は思えないな
秀吉没後の悲劇じたい、秀吉の責任がかなりの部分を占めると思うしな
そもそも前提として「家康と同じように悪し様に罵られていただろうね」
がおかしい。家康って「一般人」にそんな嫌われてるのか?
日本史史上の超人気者である義経を殺した頼朝が一般的に
あまり良いイメージを持たれてないってのは、わかるんだが
150 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:19:59 ID:0ykGFoNY
>>149 秀吉が家康のように叩かれない理由の一つを言っているのであって、
彼の魅力すべてを語っているのではない
あと「一般人に悪し様に罵られていただろう」なんてどこに書いた?
アンチがそういう風に書くだろう、と言ってるんだよ
151 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:23:19 ID:9ggB8WR6
>>148 それを言い出してしまうと、何が善で何が悪かってなってしまうんだが
簒奪は悪で相続は善かってことになるよな
自分は、どうしても家康が嫌われてるってのは違和感がある
家康は人気がない英雄。ならピッタリだと思うけど
152 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:27:00 ID:0ykGFoNY
>>151 君も細かいなあw
別にそれはそれでいいんじゃないの?<人気がない英雄
けど現実にこのスレをみてもわかるけどアンチは少なからずいるわけだ
鈴木眞哉だの歴史研究家にもいる
でそのアンチはなぜそう考えるのかをその理由を考えているだけであって、
何が何でも家康を悪人にしなければならない、とかおもっとらんよ
153 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:29:43 ID:9ggB8WR6
>>150 いや、自分は秀吉が一般的に叩かれない理由として
秀吉没後の豊臣政権崩壊を挙げるのは、違うんじゃない?と指摘してるだけ
一般人は、秀吉の晩年の耄碌なんて知らないでしょ?
そもそも、家康だって、一般的に叩かれてるとはとてもじゃないが思えない
>>そもそも前提として「家康と同じように悪し様に罵られていただろうね」
このカッコの中の文章はID:0ykGFoNYのコピペよ?
154 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:33:03 ID:0ykGFoNY
>>153 だから「秀吉は一般人に叩かれていない」なんていつ言った?
勝手な誤読をいつまでも引きずらないように
悪し様にとかいうのはアンチが叩く、ということであって、
一般人がどう思うとかいうことではないの
繰り返すけど俺はアンチについて語ったのであって、
一般人の人気がどうとか言ってない
その誤解をいい加減解いてくれ
155 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:38:13 ID:9ggB8WR6
>>154 そもそも前提として「秀吉が家康のように叩かれてない」とか
秀吉が好感を持たれる理由に「同情票」があるってのが
そもそもおかしいと指摘してるんだけど
156 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:40:42 ID:0ykGFoNY
>>155 君は、
「一般人にそう思われてるのは違う」
と言ってたんじゃないんかいw
あと「同情票があるから秀吉は叩かれません」とはいってない
秀吉が家康より悪印象をもたれないのは、
その「同情」という要素も一つとしてあるんじゃないか、と言ってるの
157 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:41:15 ID:9ggB8WR6
>>154 ん−失礼。どうしても
>>140の文章の
>>ただ、一般的な視線でみるとあまりいい印象を受けないんだよね
>>みていてあまり気持ちのいいものではない。つかむしろいやらしい
ここで一般的って単語を使ってる時点で偏見を持ってしまったらしいわ
158 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:43:28 ID:0ykGFoNY
>>156 >秀吉が家康より悪印象をもたれないのは、
>その「同情」という要素も一つとしてあるんじゃないか、と言ってるの
先に言っとくが、これは家康嫌いの人の心理状況を推測してのことだからね
159 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 03:45:21 ID:S896D5Ft
日本史に興味を持ち始めた頃って
家康はすこぶる印象が悪く映ると思うわ
俺が小学生の頃、歴史に興味ある奴のほとんどが
家康は卑怯で嫌いみたいに言われていた
俺も小〜高校まではそうだったしなあ
だが、のめり込むと偉大さがわかってきて
「なんで昔はあんなに嫌いだったんだろう?」と思ったりする
160 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 10:07:50 ID:/PsVHxP5
話ずれているよなぁ。
ずれている上にずれている方の話題がループしている。
その2になってから野戦の話をしてねぁなあ。
せいぜい合戦の概要だけど・・・。
161 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 10:24:00 ID:XLHfD2ER
家康の法則:
>>159みたいなレスする奴の中の人はいつも同じ奴
162 :
仙台藩百姓:2007/04/22(日) 10:40:31 ID:dRB3wxYf
実際、家康は空手形濫発して開き直り決め込んだり
逆ギレしたり因縁吹っ掛けたり
独裁者特有の横暴さを見せてるお( ^ω^)
家康だけが陰湿な悪人と言うのは間違いだが
家康が陰湿な悪人であるのは間違いお( ´ω`)
163 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 11:00:55 ID:YKpGC8hn
馬の骨家康は陰湿な悪人。
164 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 12:34:51 ID:tj4ON0eB
>>161 同意
バレてないとでも思ってるんだろうかw
165 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 13:23:43 ID:S896D5Ft
初めての書き込みで「バレてないと思ってるんだろうかw」
なんて間抜けなこと言われても困るぜ
誰と同一人物だというんだ?
こんなに疑い深いんじゃ迂闊にレスできんな
ちなみに俺は家康厨でもアンチでもねえけどな
166 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 14:09:39 ID:XLHfD2ER
家康の法則
・何故か唐突に家康について語りだす
・昔は家康が嫌いだった
・今では大人になり、知れば知る程家康の偉大さが解る
・初めて書いたと主張する
・定期的に湧く
167 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 14:18:32 ID:oaLMiA9K
あと何でも家康の謀略と理解したがるのも忘れずに
けど今回の人は違うっぽい
168 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 19:05:19 ID:psdWDaFe
俺は通りすがりの第三者なんだが、家康ってじつはいい奴なんだぜ?
そのへんのところわかってくれよな?
169 :
仙台藩百姓:2007/04/22(日) 19:26:36 ID:dRB3wxYf
うん
自分に対しては優しい奴だったお( ^ω^)
170 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 20:35:18 ID:psdWDaFe
171 :
人間七七四年:2007/04/22(日) 22:34:50 ID:1NfPtK+n
172 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 02:21:37 ID:3BbhL88m
家に寄生して金品を奪うのがうまかった
173 :
長門 ◆q8GdomS4XA :2007/04/25(水) 04:32:48 ID:2hdAtBJS
そりゃ随分と世渡り上手だな
174 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 06:44:33 ID:+HeHxCH8
うん、ぶっちゃけ豊臣家の土地を恩賞と称して釣って、
伏見城を乗っ取って(当然伏見城にあった黄金もげっちゅー)して、
言いがかりの上杉討伐で豊臣家の金を使っている。
主家乗っ取りは、めずらしくないがここまであつかましいのは
珍しい。
175 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 11:54:21 ID:6/at08D+
やり口が陰険でセコい。
後世でこんなに嫌われるなら
最後まで秀頼を補佐して
ナンバー2の律儀者を通していたら
全く違う評価だったろうな。
176 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 20:50:17 ID:1vAG3mRJ
利家が更に地味になるじゃん
177 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 21:41:46 ID:SeVFkd4B
やり方が腹黒い。
二十年近くかけて、じわじわと豊臣家の首を締め上げる執念が恐ろしい。
途中で死んだらどうするつもりだったんだろう?
家康は70過ぎまで生きたけど、そんな戦国大名は稀だったし。
178 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 22:12:21 ID:QSxBdLou
そう思うと
長生きできなければ天下は取れなかった。
実力無しの我慢のタナボタ人生だった。
179 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 23:26:25 ID:TV6LlIel
>>175 三成は秀吉の生存中から家康を敵視しているので
家康が天下を狙わなくても領国に戻ったところを攻めてくるのは確実
その時に豊臣家は傍観しているだけで三成の行為を止めようなどと思わないのも確実
豊臣が家康を補佐する気がない以上は家康に豊臣を補佐するメリットが全くない
180 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 23:29:05 ID:Ll9PImdg
三成が単独で家康を攻めるとは思えないがね。
豊臣家を動かして、豊臣家として徳川攻めをするならまだ考えられるが。
181 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 23:44:21 ID:B1CKvPmt
>>179 三成が200万石あれば、家康が景勝にしたように難癖付けて攻めたかもね。
だけど20万石の独力じゃ無理だろ。よほどの大義名分が無い限り。
お前馬鹿じゃね?
182 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 09:37:36 ID:MaNIuHY9
>>179 三成が単なる謀反人になるだけだろ。
お前馬鹿じゃね?
183 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 11:13:41 ID:Knels2xp
>>177 秀吉の遺産を使いまくったのは淀君。
おまえ旧恩顧の大名だろって難癖つけて金を無心したり
同情を求めたりして見捨てられ勝手に先細りしただけ。
184 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 00:10:50 ID:8qXtaZns
>>175 戦国三傑から利家程度まで落ちるのはデメリットがありすぎだろ
奸臣や引き篭りを打倒して天下取った方が良いに決まっている
185 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 23:27:03 ID:th1GXsjM
家康は運だけ
秀吉にタネがあったら天下取れてねーし
186 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 23:40:14 ID:JUchoXGf
それ聞き飽きた。
もうちょっと違うネタにしろ。
187 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 23:51:22 ID:ODB3qa5s
軍神様や信玄程じゃなかったろうが、
小牧長久手見るかぎり相当野戦は上手だったはず。
188 :
仙台藩百姓:2007/04/27(金) 23:55:18 ID:WAi+w58B
長久手なんて普通の合戦だお
珍しくも何ともない
三方ヶ原や大坂夏の陣の方が珍しい合戦だお
世界史的に見ても珍しいかもしれない
189 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 23:56:23 ID:zFB8yap/
三方ヶ原のどこが珍しいのか詳しく
190 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 00:51:39 ID:Qo3JLPKb
>>188 今日はえらい元気だねえ
なんかあったの?
191 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 03:32:31 ID:jAC4wT43
>>188 というか仙台藩百姓名乗ってる割に
徳川・北条の関東武将に対するアンチ活動以外して無い辺りが
むしろ大阪人っぽい。
大阪夏の陣の家康の布陣は失敗だろ
あんな大軍を横に広げたら作戦をスムーズに伝達できるわけがない
その結果前線に混乱を招き真田・毛利にしてやられる結果を招いた
193 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 09:25:23 ID:pwkAj+Fx
>>192 あれは中央を囮とし、両翼で包囲する作戦
194 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 12:25:21 ID:zySKEiQ6
と前スレでも言い張ってたけど結局根拠無いから否定されてたよね
195 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 14:09:49 ID:pwkAj+Fx
>>194 そうかな?
大坂方は野戦陣地にいるであろうから、引きずり出さんといかん
196 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 14:34:14 ID:VIWOywUw
「戦国時代の大誤解」鈴木慎哉PHP新書
三方ヶ原の真相についての話。
家康は、武田軍の西上を最初から無視するつもりだった。
↓
物見と称して家臣たちが10騎、20騎と武田軍を見物しに行った。
↓
ついには、無視できないほどの数になった。(1000人ぐらい?)
↓
それで仕方なく、家康自ら、帰るように説得に行った。
↓
見物に来た家臣たち、そのまま行かせるのは悔しいので、投石したり野次ったりしていた。
↓
そのうちに武田軍と小競合いが始まった。
↓
もともと大した数がいるわけではないし、大した準備もしていなかったので当然敗北。
↓
家康も、逃走&脱糞。
197 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 15:07:50 ID:z8TPpWPv
実に信玄がツイてたかって話だよね
信玄信者鈴木は認めないが
198 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 01:54:45 ID:MZUPLnTf
圧倒的な大軍の武田軍を見物しにぞろぞろと行く徳川軍って・・・。
明らかにおかしくないか?
大軍の武田側に仕掛けられれば全滅の可能性もあるわけで、実際惨敗。
織田の援軍の平手も死んでいるし、徳川の武将達も結構死んでいる。
たいした人数じゃないとか無理ないか?
199 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 11:17:22 ID:Vt4wNnO7
>>198 >>196の説では、組織だった出撃ではなかったのだから、
たいした人数じゃないというのは、武田軍と比べてとか
家康の全戦力じゃなかったという意味だろ。
200 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 11:49:34 ID:MqpvEqFS
201 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 15:07:14 ID:3ik7y8jN
>>196が本当なら三河武士団の結束もなにもあったもんじゃねぇな
202 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 08:20:09 ID:nYVzUdU0
鈴木慎哉って随分前に日本史版で馬鹿にされまくってたけどな。
203 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 09:24:35 ID:huMeJ5ou
本当に鈴木なんとかが好きなんだね
204 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 10:50:43 ID:ltHNDc93
織田家の武将を討ち死にさせてるんだから
>>196みたいな無責任な戦だったわけが無い。
家康は一生懸命戦ってうんこ漏らしたんだよ。
205 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 13:34:06 ID:xtiJKghB
>>193 中央というより前面の部隊が乗りつぶされているのでおとりとは思えない。
大坂方で壊滅したのは真田隊だけだし。
206 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 15:15:53 ID:zTHon4S0
>>204 まぁ、織田との連合の手前、多少無理してでも上洛を阻止せねばならない立場にあったのは間違いない。
武田が籠城の浜松城を包囲してくれたら、苦しいかもしれないが一応足止めをさせて耐え抜いたら信長への義理を果たした事になるのだろうが、シカトされたんじゃ、面目丸潰れ。
焦ったから、あんな追撃になったんだろう。
207 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 19:07:54 ID:zE/SyXTw
別に深い思惑があったわけではなく
単純に誘い出されただけだと思うが
武田軍が背を見せて行軍し始めたわけだから
背後から食いつけば勝てると常識的に考えただけだろう
208 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 22:50:13 ID:V1FMC54k
>>196 いくら家康が嫌いだからってそんな間抜けな捏造話持ち出してまで貶めようとするなんてクズのクズだなお前は
209 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 23:01:23 ID:4p0i7bwI
>>208 屑はお前だ。
よく読め、
>>196は「戦国時代の大誤解」鈴木慎哉PHP新書から
三方ヶ原の真相についての話を紹介しているだけだろうが、貶
めているとしか取れないお前は、今すぐ回線切って氏ね。
210 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 01:17:14 ID:+snahyfb
↑の人は家康を貶めたいんじゃない
鈴木を貶めたい人だ
211 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 02:24:42 ID:vYv/qEsS
通説であろうが鈴木説であろうが三方ヶ原は
老獪な信玄が青二才の家康を叩きのめした戦であることには変わらない
212 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 10:26:58 ID:GEG7SzsU
いい加減あれだが、野戦の達人の定義として、
・政治的なものは含めない
・戦略も大戦略的なものを含めない
・戦役や作戦レベルの戦闘に関する技量とすると
と提案する。
確かに煮詰めていくと政治的なものや戦略
的なものも入ってくるのはしょうがないが、
あっさり野戦の達人という主点ぶっちぎってるのが多くて面白くない。
213 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 12:36:58 ID:10jxNk9t
>>212 だがそれが戦争だからな。
五部の条件の戦いなんて実際にはありえないし、
ありえないことを論じても意味が無い。
214 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 13:02:53 ID:rxsRwk8N
信長や氏康や元就のほうがはるかに達人っぽいと思う
戦場での武略で劣勢を何度もひっくり返し、負けても撤退戦の多くを成功させて損害を抑えている。さらに大軍を隙なく統率する手腕もあり
家康は小牧長久手以外ポイントが無いでしょ
215 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 13:32:32 ID:YiPtcetg
夏の陣で本陣を蹂躙されてるのがショボイ
216 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 17:01:28 ID:GEG7SzsU
>>213 いやさ、だから不利な条件だったら、こうして戦況を有利にしたとか、
有利な条件だったらそれを有効に活用したという議論を、
野戦に限定して話をすればよい。
野戦に限定するのであってそれ以前の政治的・戦略的条件をキャンセルするんじゃ
なくて、評価の対象としないといっているだけなんだが。
217 :
人間七七四年:2007/05/05(土) 21:26:02 ID:Aul6tJlK
>>209 ↑
この気違いなんでこんなに必死なの?w
218 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 00:35:05 ID:mRkce6sC
>>217 アホか、必死じゃなけりゃ基地外に見えないだろ。
219 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 02:54:11 ID:u69LA81x
謙信、信玄、氏康と比べたらかなり見劣りはする
三河武士が強かったのは確かだと思うけどね
220 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 03:54:00 ID:HriymoZ9
どれも大差ないと思うけど。俗説が真実なら氏康がかろうじて見栄えする
ぐらいか?
戦術的な手腕はともかく、十万近い諸侯連合軍を瓦解もせずに引きずって
大会戦繰り広げられる統率力は日本史上有数だと思う。
221 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 06:46:28 ID:HsyypG1I
ばかだなこいつ。
寄ってこなきゃいけないから群がってきただけの話で野戦の上手さと関係ねえだろ。
統率力あったらあんな間抜けな合戦になるかよ。
お前の理屈じゃ秀吉の方が遥かにすごいんだろうな。
まあそこだけは当たってるかw
222 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 08:14:11 ID:89ofHs3P
>>221 ただ群がってただけじゃ十万近い諸侯連合軍を統率はできないでしょ。
だいたい君の言う野戦の上手さってなんだ?
1対1で戦うこと?w
223 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 08:31:27 ID:LqXoiq3C
軍鑑だと時代背景(笑)もあって「家康は謙信に匹敵する名将」とかいわれてるよ
実際、具体的に劣勢を打破したとかの戦歴があまりないのになぜか強いというイメージが突いて廻るのは共通項
224 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 09:59:31 ID:pFR0GL29
仮に家康と謙信が互いに1万の兵でガチの戦したら、普通に謙信がかつと思う
225 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 10:02:33 ID:Q7TBFJg6
一向宗+それについた家臣らに完勝した家康
一向宗に生涯勝てず祖父の仇でもあるそいつらにへいこらした謙信
普通に家康が勝つだろう
謙信は小牧長久手のような1回程度の劣勢打破例すら無い
226 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 10:04:04 ID:sYJQdR9Q
>>222 そのわりにゃ、関が原で東軍は最初の方は無様だったな。
そもそも、第一撃が全て失敗する時点で、家康が後陣を
前に出して再編させるという事するべきなんだが。
いや、状況考えると、索敵攻撃を指示すべきだな。
つまり統率も取れて無かったし、野戦指揮官としての判断も
誤っていたと。
227 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 10:12:23 ID:upM8/6m6
>>226 家康直系軍ならともかく、その時点では諸侯の同意の元に推戴されていただけ
無茶いうなや
だいたい敵軍が既に陣を強いていて、それにあわせて布陣が済んでるのに索敵攻撃って……
228 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 10:29:37 ID:ppWSO6OF
家康は関が原時点では間違いなく日本の中で5本の指に入ると俺は思う。
ある時点の日本のトップ5なら達人で良いんじゃないの、
大げさだなぁって言うのが俺の感想。
それはともかく、家康ってあんまり大軍制御は上手くない気がする。
1万前後なら間違いなく有能だが、それ以上については今一かなって言う気がする。
まあ、全部俺のイメージでソースを求められても出せないけどね。
229 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 10:38:46 ID:sYJQdR9Q
>>227 状況しらんの?西軍の布陣が終わったのは5時くらいで
東軍は6時。おまけに雨やら霧やらで状況が分からん状態。
家康が本陣変えた理由も戦の状況が分からないのとあるし。
つまり、信じられない話だが、状態がよく分からずに攻撃したような状態。
それに、その原因は井伊直政の抜け駆けのせいでなし崩しで始まったわけだから。
まず、部下の統率はどうなのかという話になるんじゃね?
230 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 10:43:55 ID:upM8/6m6
>>229 だから無理だろ
索敵攻撃なんて近代戦ぐらいの話で、当時はそれ自体が一番槍として政治的に意味を持っていたんだから
後世の理論で文句いって批判している気になられても困る
231 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 14:28:04 ID:uaQLHok6
索敵攻撃と威力偵察の違いを教えてたもれ
232 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 15:18:52 ID:sYJQdR9Q
>>230 ・・・いや、井伊直政の言い分は物見。つまり、偵察なんだが。
つまり、布陣して偵察隊ばら撒いてる最中に空気読まずに、
偵察と称して、前にでて、一番槍の名誉を福島隊から奪い取って
いきり立った東軍が、後先考えずに全力で逝ったわけだ。
福島隊は一番近場の領主で、豊臣家の将でも中心的存在なわけで、
普通に一番槍なわけです。徳川家の武将が一番槍を奪うのは政治的
やばいわけです。
そもそも、徳川家の一番槍は本多忠勝だし。それぞれに悶着おこしている。
>>索敵攻撃なんて近代戦
言い方悪かった。
まあ当時の言葉風に言えば、最低限、物見を放って出来れば大物見で一当てしてから
殴り合いしろよという事だ。あいて陣地に篭ってるんだから。
233 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 19:55:44 ID:89ofHs3P
実際、関ヶ原の戦いに参加した奴がこのスレの中にいる。
234 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 20:14:54 ID:jjkwnsT7
戦歴としては非の打ち所無し。
劣勢軍で武田、羽柴と渡り合い、領土を保全。
状況判断にほとんどミスが無い。
関ケ原も大坂の陣もイニシアティブは確保
している。
235 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 20:19:36 ID:HsyypG1I
まあつまり、家康の上には人はいるが下にもいる、どっちかといえば上手い方だろ、でFAだな。
つまりスレタイの答えはNo。
んな事今更いわなくても周知の事実だけど。
236 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 20:54:11 ID:3+Ew2IUx
家康厨は小牧長久手を誇らしげに戦歴に挙げるけど
・秀吉が強気に拒否できない立場の池田がゴリ押し
・三河への横入れを行う奇襲作戦のはずが、先導すべき池田の
行軍路が明らかにおかしい
→つまりこの時点で秀吉が許可した三河への奇襲という目的に添わない指揮といえる
・奇襲部隊なのに攻城戦を開始
・池田隊が家康の奇襲により壊滅するも、本隊の三好秀次もこの報を知るのが壊滅後
という体たらく
・秀吉が別働隊壊滅の報を受け、援軍および家康本隊の居ない小牧山の家康陣への攻撃を急遽開始。
だが、はじめから家康本隊をおびき出す囮として連携するのならともかく、急遽行われた別働隊支援攻撃の為
予め予防線を張っておいた本多勢に苦戦し攻略失敗。
こんな池田隊の落ち度で勝手に自滅した戦いで秀吉に勝ったとか言い張るのは流石に違うだろと。
237 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 21:21:56 ID:NOBwH7Rf
三方ヶ原では、織田徳川合わせて1000人討ちとたれたけど、
小牧長久手では、豊臣兵を10000人討ちとってる。
これは家康が北条に送った書状に10000人討ちとったって書いてある。
三方ヶ原の十倍の被害を出した秀吉は家康を恐れ以後ただの一度も家康と戦ってない。
この戦いを一局地戦とか言ってる奴はただの馬鹿だ。
それと家康を糞もらしと馬鹿にする奴は低脳。
この話は大久保忠教が書いた三河物語にある話だが、忠教はこの時まだ13歳で従軍してない。
家康公が命からがら浜松城に駆け込んできた。するとこれを出迎えた大久保忠世が「お馬の鞍壺
に糞があるぞ。殿は糞をたれて逃げてこられた」と大笑いした。
注目すべきは、大久保忠世だ。忠世は三河物語の作者の忠教の兄だ。
しかも、その後に、
この時忠世は天野康景と謀って、勝に奢る武田勢に夜討ちをかけようと考え、家康公の許しをえて
全軍から足軽の鉄砲に馴れた者を集めると、負傷したり逃亡したりで、ようやく16人しか集めること
しかできなかった。そこでこれに自分の手勢百人を合わせて間道つたいに武田勢の夜営している
犀ヶ崖に出、突然鉄砲を打ち掛け鯨波のこえをあげたので、武田勢は慌てふためき、崖から落ちて
死んだ者数十人という。信玄は翌朝、兵を引揚げて北に向った。
とある。兄の大久保忠世が主君の家康を馬鹿にしたり、武田に夜討ちをかけ、信玄を撤退させたりと
大活躍のうそ臭さ満点の本だ。
大久保忠世の子忠隣の不遇に腹を立てた忠教が書いたネタ本が三河物語なので、これを信じて
家康を馬鹿にするのは止めてほしい。
238 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 21:41:18 ID:n9ogKE+x
近代戦じゃないんだから1万も殺せるわけないだろ・・・。
239 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 22:07:13 ID:HriymoZ9
>>236 秀吉が総大将でかつ現場にいる以上、部下の失敗は秀吉の責任。そんなん
言い出したら、桶狭間は今川義元じゃなくて進軍ルートを提案した部下の
せい、山崎の合戦は光秀じゃなくて崩れ立った先鋒のせい・・・といくらでも
責任転嫁できる。
秀吉の立場が微妙だったのを差っ引いても、作戦が池田の独断専行でない
以上失敗の責任は秀吉が負う。
240 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 22:12:17 ID:iOAMBA05
それ以前の長篠の戦いでも、武田が10000人の戦死者を出している。
ありえない話ではない。
241 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 00:19:22 ID:9MsVRxy3
>>239 なにいってんの?
三河への奇襲という理由で許可した進軍なのに
部隊長がおよそ奇襲とは思えないルートを通ってバレバレな上
勝手に攻城戦おっぱじめてるのに、秀吉の責任はねーだろ。
あるとしたら、池田勝入の敗戦でそのまま秀吉本隊が瓦解するとか
その後の対応策が問われる程度だろ。
義元に進軍ルートを提案した部下は義元の弱みでも握ってて
拒否し切れなかったりしたのか?
光秀の先陣が崩れたのは、戦闘なのに裸でマイムマイムでも踊ってたからなのか
寄り合い所帯で、秀吉より織田家では古参の池田の提案を断りきれなかった秀吉の
状況とはまた別だろ?
大体、池田隊壊滅しても戦局にはなんら影響してないしな。
242 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 00:22:02 ID:9MsVRxy3
却って目の上のたんこぶが無くなって、池田父子への恩賞がいらなくなったんで
秀吉としては都合がよかったとも言えるしな。
243 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 00:32:20 ID:9MsVRxy3
さらに
>>239の言うことを家康に当てはめると
中山道を経由して関が原に着陣しなければならない秀忠が
上田城に固執して結果的に遅参した秀忠に対して面会を赦さないほど
激怒したのも筋違いということになる。
244 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 01:39:11 ID:qKaM1xyB
小牧・長久手で家康が秀吉軍1万人を殺したなんて信じてる奴の方がヤバイ
245 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 01:42:15 ID:uVgc3+ij
戦略面では総大将の責任
個々の戦術戦闘面では
それぞれの戦場での指揮官の責任ってことじゃないの?
小牧長久手の例で言うなら
長久手の野戦で負けた責任は池田らにあり 家康>池田となるが
家康>秀吉とはならない
秀吉には別働隊を派遣した責任池田に任せた責任などはあるが
関ヶ原の例で言うなら
上田城で負けた責任は秀忠らにあり 昌幸>秀忠となるが(まあ実際には城攻めで落とせなかっただが)
昌幸>家康とはならない
家康には秀忠に別働隊をまかせた責任はあるが
上田攻めて落とせなかった責任まで家康に押し付けるのはおかしい
とこういうことでしょ
246 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 02:03:41 ID:qyxn7zoF
だろうね、関ヶ原でもしも家康が負けてたら同じように責められて然るべき。
だけど関ヶ原の場合秀忠が遅れようが、家康は結局勝った。
小牧の場合、別働隊が敗れたまま、和睦と言う形になってしまった。
その差じゃないかと。
247 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 09:27:19 ID:9PNq12EO
>>245 同意
小牧長久手での池田隊に、秀吉が岩崎城攻略や、家康本隊を小牧山の陣から
誘い出す目的で囮としての動きを命じていて、池田が忠実にその指示に従ってたのなら
長久手での野戦敗北及び小牧山陣の攻略を失敗した秀吉の責任。
だけど実際の目的は三河への奇襲なので、明らかに池田に過失がある。
家康も同様に、秀忠に上田城攻略を命じていたのなら、総大将に指名した秀忠
の能力不足であり、これは家康の人選ミスといえるだろう。
だけど実際の目的は針の穴のような敵拠点攻略ではなく、大決戦への参陣なわけで
それを忘れて勝手に攻城戦開始した秀忠の過失。
248 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 13:04:07 ID:zdtQuxNc
家康は戦争目的を果たせず
戦場から撤退して
人質を出してる
体面だけの「和睦」だろ
勝敗は明らか
249 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 13:55:50 ID:k21wjETt
戦前は信雄に人質出していた池田をはじめ美濃の諸将は完全に秀吉につき
尾張方面では何とか小牧で抑えていたものの
伊賀伊勢方面はほぼ制圧され
戦後は蒲生や筒井なんかが治めることに
長久手だけ見れば家康信雄は善戦したようにも見えるが
実際には美濃伊賀伊勢を失ったが何とか尾張を守りきった
だからな〜
250 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 14:30:03 ID:54cf0Bq8
池田は確かに能無しだ。
徳川軍に散々に打ち破られるような作戦を許可した秀吉も責があるだろう。
それは別として、あの中入れってのは本当に愚策なの?
徳川はほぼ総出で出張って来てるし、本拠落とされて尚且つあんな所に居なきゃいけないって、
敗亡は自明なんだけど。
徳川軍が陣に籠ってるから手が出せないわけで、家康が本拠救いにいくばくか部隊出せば、残って
る豊臣軍から相応割いて当てれば良いんだし。
間抜けな指揮官に任せて失敗したから愚策になってるけど、作戦自体は兵力の多さを活かした
スマッシュヒットとしか思えないんだけど。
詳しい人解説プリーズ。
251 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 15:34:53 ID:9PNq12EO
>>250 そもそも、発端は信雄が秀吉に対し臣従しなかった為に起きた戦で
秀吉は家康を滅ぼす必要は無い。
更に言えば、池田恒興は当初信雄側に付くと思われてた人物であり
少し前までの織田家家中では秀吉より古参の信長の乳母兄弟でもある。
羽黒での汚名返上への執念もあり、なかなか断りきれなかっただろう。
実際問題として
・別働隊を組織するならば信雄領の伊賀、伊勢への侵攻の方が効果的である。
(池田恒興敗死後蒲生氏郷が伊賀侵攻→信雄講和で決着)
・奇襲経路として、敵勢力下の尾張を通過するのは至難である。
奇襲部隊の問題(時系列順)
・岡崎への奇襲部隊にしては規模が大きい(秀吉の責?)
・奇襲路を秀吉と相談せず独断で決定
*村瀬作右ヱ門・森川権右ヱ門らと【近道】を相談し、「長久手を経て、祐福寺、明知街道」【武功夜話】
・家康の奇襲をまったく警戒した形跡がない(秀次、掘、池田・森)
・奇襲部隊としての性質を持つ軍勢が何故か【敵方の岩崎城付近を通過】し、岩崎城城兵に攻撃される
・秀次隊が白山林において家康本隊の急襲を受け早々に壊滅
・本来の目的である岡崎急襲を忘れ岩崎城を攻撃
・秀次隊壊滅の報を受け掘秀政が桧ケ根にて奮戦するも、家康本隊の参戦を警戒し早々に撤退
・岡崎城攻略成功の酒宴中に秀次隊壊滅の報が入る
・長久手で家康本隊と池田父子、森長可の部隊が交戦するも池田父子、森長可は戦死
・白山林の敗戦の報を聞いた秀吉は自ら2万の兵を持って手薄になった家康本陣を攻めかかるも
僅か500の本多忠勝率いる守備兵に攻めあぐね失敗。
・家康が清洲城に帰還した旨の報告を受け楽田に撤退、後に大坂城に帰還。
・蒲生氏郷隊が伊賀伊勢へ侵攻→信雄講和→家康は世子の於義丸を秀吉の養子に差し出す事で講和。
252 :
人間七七四年:2007/05/07(月) 22:22:11 ID:UjqjG392
家康も織田への義理立てから信雄に加勢したという経緯だから
秀吉を滅ぼす(?)必要はないだろだろうな。
今川から織田へ乗り換えたときも、
氏真に弔い合戦を勧めるという形で今川に義理立てを果たしている。
家康としては秀吉に臣従するにあたり、
小牧長久手の戦いは自分を高く売りつけるのに有効に働いたのは事実。
253 :
250:2007/05/08(火) 10:57:45 ID:FpDR/eWK
>>251 サンクス
なるほど、徳川潰しておけばというのは後世から見た感覚とは。
でも、あそこの秀吉ってちょっと他では考えられないほど抜けた感じがするんだけど。
それはまだ全軍掌握してないからとかいう由来とは思えなくて、例えば、それだけの規模の別働隊を
壊走させるだけの軍を家康が出してるのに、それに気付かず懐手でぼけっとしてたとか。
相手が陣から出るなんて千載一遇のチャンスなのに。
作戦起こしておいて、それに付随する対応が出来るような体勢作ってないって、なんか変。
池田を除きたくて、あえて戦死するよう仕向けたとかいう珍説みたことあるけど、それを肯んじたくなるほど
間抜けすぎる感じ。
254 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 13:43:32 ID:qF+HbHzT
池田を信雄陣営から引き抜く条件で濃尾2ヶ国だからなぁ
見殺し説とかの可能性は全く無いとは言えないと思う。
255 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 01:32:50 ID:gMlOgjJ+
本能寺の変の際の中国大返し。
賤ヶ岳の際の大垣からの急行。
これらを行うほどの人物が、目前に対陣して予想すらされる相手の動きに何もしない。
違和感ありありだ。
256 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 15:11:34 ID:FFR9kBHM
濃尾二ヶ国の約束っていうのは、実は
美濃、尾張二ヶ国ではなく
身の終わりだったという秀吉のジョークだったんだよ!!!
秀吉が頼朝に対して意識してる逸話なんかも残ってるしな。
257 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 03:30:15 ID:JMzL30kZ
はじめから秀吉は家康を潰すつもりはなかったんだろ
そういう戦を手柄話にされる家康はむしろ恥ずかしい
258 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 06:51:30 ID:AIEYAZE8
提案蹴っちゃうと折角味方に付いた池田が離れちゃうと思ったじゃない?
それ+秀次ちゃんの大将志願。
秀吉も頷くしかないでしょ
259 :
人間七七四年:2007/05/12(土) 14:30:18 ID:5GRcmoMw
史実より九州征伐が遅れたら島津が兵力を再編してしまって相当厄介な相手になるので、
東方へ兵力を割り振るのはありえない。
徳川を瓦解させたら東海甲信が北条の草刈場になって、一番困るのは秀吉だろう。
260 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 18:33:07 ID:0sDIxI+F
徳川家康の最大の業績は江戸幕府でしょ
軍事的業績は毛利や伊達に及ばん
261 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 18:39:16 ID:QEnnGssi
毛利元就は上だろうが、伊達政宗はない。
262 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 19:35:35 ID:OnAcKZC7
江戸なんて秀吉から押し付けられたわけだし、結局は果報は寝て待てを体現した人って事だね。
263 :
人間七七四年:2007/05/19(土) 23:39:05 ID:XEgLVvMv
その押し付けられた江戸を日本一の大都市にまで押し上げたのが家康の偉いところだな
まあ通説と違って家康入府前から江戸はそこそこ栄えており、
更に関ヶ原以降は配下の大名に命じて自分の懐痛ませることなく開発させてるから
全部が全部家康の功績ってわけじゃないんだが
戦争はそこそこ止まりだが政治に関してはさすがだな
264 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 23:35:41 ID:SGlKxviZ
265 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 23:46:15 ID:7kuzF+Ma
266 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 13:37:06 ID:WE1dNNen
267 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 01:14:39 ID:Wmwky73G
奸臣の暴走を瞬く間に鎮圧し
玉砕特攻を企む浪人どもを成敗して
日本を豊臣の圧政から解放した家康の軍事的業績は他の武将と比べ物にならないだろ
268 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 09:55:50 ID:sxfN5FrD
269 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 10:00:22 ID:Yn789oBb
家康は本当に野糞の達人
270 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 10:54:45 ID:tpgCCZ5g
騎馬武者による騎馬隊をこれまでの武将への付属から、組織としての組編制に転換したのは家康の大番が最初。
271 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 15:16:51 ID:8VGWKKoQ
三方ヶ原でまんまと釣り出されたあたり、達人というには微妙
大坂夏の陣でも真田勢に本陣への突入を許し危機に陥っている
272 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 15:48:22 ID:fs1dxDsz
殿!!オシメ取り替えの時間です!!
273 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 16:27:53 ID:IXnuS2BU
家康最強→えっ!でも家康は信玄に負けたよ
→あっ!そうか、じゃあ信玄最強→えっ!でも信玄も病に倒れたよ
→あっ!そうか、じゃあ病が最強→えっ!でも病は薬に負けたよ
→あ(ry
→よって熔鉱炉最強
274 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 00:24:05 ID:WxXySo3z
信玄は村上に負け→村上は真田に負け→真田は信玄に臣従→最初に戻る
275 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 08:41:49 ID:V0n7BrP9
最近の信長の野望だと異様に能力値高いよね
昔みたいに全能力80代後半ぐらいがピッタリなんだが
276 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 21:52:54 ID:zd8UXoLi
そうでもない、数値がインフレしただけで相対的にはあんまし変わらん。
277 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 21:55:57 ID:zx5HQmWO
家康は、軍事、政治、外交、経済、どれを取っても、ただの一流になった、というところだろう。
超一流ではない。
でも、どの分野も、取り敢えずはその域に達したのだから、まあ長生きした甲斐はあったわけだ。
野戦を始めとする軍事や政治については、信長や信玄など、身近に超一流がいた。
その後、外交や経済については秀吉という存在と張り合う形になった。
そうした別の存在が、家康という普通の人間を一流にまで高める効果があったと思う。
家康が、同時期および前後の人材に比べて秀でていたのは「学習能力」だろう。
小さい頃から人質に出され、またその先の今川家で雪斎に出会ったのが大きいだろうね。
誰よりも勉強が出来るようになった。それが天下を制した。
278 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 22:50:25 ID:y0TSw3oO
>>277 総ての面で一流というのは、幾つかが超一流よりも遥かにバケモノだぞ
279 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 22:52:36 ID:y0TSw3oO
>>277 総ての面で一流というのは、幾つかが超一流よりも遥かにバケモノだぞ
280 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 17:20:10 ID:BLJrmzyn
総一流>>超一流
281 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 19:30:30 ID:eevZxcqq
攻城戦より 野戦にするようにした。徳川軍は長期戦が苦手なんではないかな。城攻めは へたすると 挟まれるからね。
282 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 19:44:19 ID:sGRWjvRB
283 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 12:01:55 ID:uf5wUPsz
家康には秀吉ほどの戦歴が無いんだよなぁ
三河一向一揆相手の消耗戦ばっか。
それ以外だと
今川の先手としての尾張侵攻
織田の援軍として金ヶ崎
〃姉川
対武田gdgd戦争
高天神戦
駿河侵攻戦
小牧長久手
関ヶ原
代表的なのはこんなもん?
284 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 12:06:09 ID:JiVU/XB9
秀吉と比べてどちらが戦歴上かはわからんが
戦国時代の武将ではかなりの戦歴だと思うぞ>家康
間にブランクが有ったりするものの
桶狭間(1560年)から大坂の陣(1615年)まで半世紀現役だったというのは大したものじゃん
285 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 12:27:32 ID:uf5wUPsz
長生きした戦国武将なら家康位の現役の長さなんていくらでもいるとおもうけど。
朝倉宗滴なんか79歳(82歳説も)で病にかかり死ぬ直前まで戦場に居たわけだし。
家康の戦歴の派手さが無いのは結局ほとんど領土拡大しなかったからだなぁ。
信長や、信長旗下の軍団長の秀吉に比べて
侵攻戦が本能寺直後の混乱した甲信地方を濡れ手で粟で獲得した時位しかないんだよね。
大抵一向宗相手の領内での鎮圧戦か
武田の侵攻に対する防戦一方。
たまに織田に援軍に行くくらい。
信長の同盟者で西は攻められず、東は強国武田との板ばさみってのはあるけど。
まぁあの数カ国の領主から碌な侵攻戦をしないで頂点に上り詰めた手腕は評価されるべき。
気に食わない香具師も多そうだけど。
286 :
人間七七四年:2007/08/07(火) 00:08:35 ID:uYWzL0uO
家康は全然戦巧者のイメージが無い。
屈強な三河武士
東海道一の弓取り
ってのは後世の創作なんじゃね?
すくなくとも小牧長久手以前までは碌な戦績無いし。
小牧長久手で秀吉の別働隊の池田勝入父子らの首級を挙げた位で
関が原に至ってはすでに戦前の謀略で勝敗は決してたしなぁ。
戦略レベルでの事前工作の凄さならわかるけど、戦巧者ってイメージは無いな。
287 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 11:09:04 ID:xrPMgFdp
国土防衛は見事
288 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 14:11:53 ID:ENRy6lGz
家康っていうか、戦国時代はたいした戦術家なんていないよな。
中国の韓信や陳慶之、ヨーロッパじゃハンニバルやベリサリウスクラスの超名将
なんて一人もいないよ。 戦術レベルで言うとお粗末すぎてどうにもならんよ戦国は。
289 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 19:49:15 ID:ZUnTTOqA
紀元前の中国の記録を鵜呑みにしてるような奴に戦術が語れるとは思えんな。
290 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 20:02:44 ID:Dl0exVEz
結論は、
家康は運よく統一できただけ、かな?
291 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 21:07:36 ID:MI0n8XZh
>>290 戦略慎重、戦術大胆
前者は政治的行動とされて軍才と判断されず、後者もアドリブなので
緻密な思考の結果という評者が好むものではないので評価されない
と言うこと
292 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 22:25:39 ID:zyipnP/g
いざ運が回ってきた時にそれが活かせたのは努力の賜物だろう。
293 :
人間七七四年:2007/08/27(月) 13:12:35 ID:R+AA5PRc
戦争に強いことと天下が取れることはイコールじゃない。
相手が傘下に入れば戦争しないでも領土(と言うか勢力圏)は普通に増やせるし。
勢力圏の拡大が下手な奴で大大名になった奴は一人も居ない。
初期はそもそも土豪を傘下に入れられるかって言う競争。
自分も土豪と大差が無いなかでね。
294 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 09:58:17 ID:1sDQJ2zs
295 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 18:40:01 ID:Cn+sgBrj
陳慶之の事績は実はよく知らん。 でもあの戦歴は凄すぎる。
ということで入れてみた。 白起とか入れといたほうが格好付いたかな。
戦国の武将はここまで凄い感じはしない。
296 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 20:12:56 ID:bDsQoeEi
まあ最後には朱爾栄に負けて乞食姿で帰参するわけですが>陳慶之
中国で革新的な戦術家としては袁崇煥だな。
彼が退けたヌルハチは軍教科書に載るぐらいの巧緻さ。それを近代兵器を有効活用して破ったんだから韓信に並べても遜色なかろう
297 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 21:04:42 ID:2ml5E594
騎馬民族相手に正面から騎馬戦で大勝利して、
根拠地まで攻め込んでとうとう相手を滅ぼした李靖なんかも。
てかスレ違いだな。
戦国日本の英雄が中国や西洋の名将に劣る、とも思わんがな。
韓信やベリサリウスが戦国日本を統一できたとも思えんし。
298 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 21:25:15 ID:bDsQoeEi
それは同意
信長なんかは単純に戦術家としても戦国じゃピカ一だと思うな
日本史でも十指に入るだろう
299 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 22:20:51 ID:Cn+sgBrj
信長って戦術家としてピカ一かな? あんま軍事的天才というイメージがないんだが。
どっちかつーと、政治家的なイメージが。。。
300 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 22:56:51 ID:bDsQoeEi
信長の戦績を見れば陣頭指揮した戦は数が劣勢でも勝利してる
301 :
人間七七四年:2007/08/29(水) 00:12:43 ID:rfZlm+Wr
近代戦と比べるならともかく紀元前の戦なんぞと比較するのはバカバカしすぎる。
302 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 09:27:27 ID:r9Amq4Jt
大体春秋戦国時代に40万人も殺せるわけないだろ。
303 :
人間七七四年:2007/08/31(金) 22:23:02 ID:t/6cgkpV
アレクサンドロスにハンニバル・カエサルなんかは、普通にナポレオンとかと同じように
評価されてるけどな。
304 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 00:37:35 ID:A7DlVNkP
普通高校以上で歴史を学べば、
むやみに時代の違う英雄同士の比較をする事自体が恥ずかしい事だと気付くはずだがね。
数百年ならまだしも、千年以上前の戦いの記録が
戦術を精査できるレベルのものだと信じてる時点で小学生レベル。
305 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 01:14:59 ID:gSSOeEbO
303の4人は、欧州の4大軍略家だと軍事史レベルで普通に語られてることで、
俺が語ってることじゃないよ。
306 :
人間七七四年:2007/09/01(土) 22:54:42 ID:A7DlVNkP
>>305 世界三大美女とかと同じ。
それを真に受けて他の時代の英雄と比較して何の意味があるのか。
307 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 02:13:47 ID:xN6jMmWT
308 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 00:08:25 ID:BIcz36gd
309 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 10:36:47 ID:0adWES/k
同時代に実際戦った(とされる)人物同士なら評価できるが、
時代を超えた時点でもう無駄だろ。
ただ、その時代時代の英雄、豪傑としてカエサルやアレキサンドロス、チンギスハン
ナポレオンがその広大な版図を理由に特に四大征服者として有名なわけで。
実際に戦った例で例えれば
廉頗=白起>趙活
田単>楽毅
とかw
310 :
人間七七四年:2007/09/03(月) 21:10:19 ID:+wU663tm
311 :
人間七七四年:2007/09/04(火) 22:35:06 ID:kOf6Pl6p
312 :
人間七七四年:2007/09/06(木) 08:12:33 ID:VhahMIe6
自演の癖にw
313 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 12:19:18 ID:yHYbz/o7
織田、武田に囲まれたところで領土拡張は難しかったと思うが
家康が戦ったことがある大名を考えると
織田、今川、武田、浅井、朝倉、羽柴、北条、etc
コレだけの戦歴がもった人物はいくら戦国時代でも一握りだと思うので
後年の家康は達人とよんでも特に差し支えはないと思う。
314 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 12:37:26 ID:kBLOC0+J
達人とはとても思えないけどな。
後年野戦の達人なんて言われたのは、秀吉相手の小牧長久手で善戦したこと
によって、いいイメージが生まれ、関ヶ原をたったの一日で片付けたことで
衝撃が走ったからだよ。 俺らは上から見れるから、そうは思わないけど。
315 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 15:21:48 ID:87nq7L5n
ならどんな戦績を残せば達人なんだw
316 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 20:35:21 ID:Ax9vbzmo
>>313 についての一応補足ということで。
達人って深く物事の道理に通じてる人の事だよね。
だから戦を1度や2度経験したくらいで達人にはなれないわけだ。
なら長年死戦を一軍の将として経験していることは非常に重要だと思う。
317 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 22:03:23 ID:TES7kOss
>>315 信長、秀吉の戦績くらいあれば十分だろ。
>>316 だからさ
長寿の武将全員に当てはまるじゃんそんなの。
朝倉宗滴なんか家康より達人って言えるのか?
318 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 22:28:04 ID:mfIAZSz6
>>317 天正壬午の乱で自身の数倍の軍勢に対しイニシアチブを譲らずに対峙し、優位な条件を勝ち取る
小牧・長久手でもいえるが家康は負けない戦をする為のイニシアチブの保持を戦略目的としており、
実際にそれを実現し続けている。
目標を達成したものが達人なら家康は十分達人
319 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 23:13:34 ID:TES7kOss
劣勢な状況で勝って目標を達成できれば達人?
そんなカテゴライズならいくらでもいるじゃん。
というか三方ヶ原はなんで無視なん?
武田の進軍を防ぎきれないで散々に蹴散らされて
幸運にもかってに甲軍が引き上げただけだからなぁ。
それに小牧長久手は、別に秀吉は勝つ必要なかったからな。
あくまでも西日本平定が主目的。
320 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 23:23:26 ID:mfIAZSz6
>>319 三方ヶ原では武田軍は徳川軍の野戦戦力撃滅には失敗してます。
小牧の役でも同様、秀吉は結局のところ短期撃滅は不可能となり、
長期戦に切り替えるも西国の絡みでそれもできずに妥協しました。
321 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 23:40:42 ID:Ax9vbzmo
>>317 信長、秀吉くらいなら十二分に家康も達人と呼べるな。
316は313の補足だから316だけじゃなくきちんと読んでくれ。
朝倉教景のように一揆、地方勢力との戦いではなく
家康を達人たらしめたのは戦国時代を代表する連中と長年戦ったことが大きいんだからな。
因みに達人の意味をgoo辞書で見たら
「豊富な経験と長年の鍛練により、その道の真髄を体得した人」というのが出てきたぞ。
この達人の意味なら家康は当てはまるな。
三方ヶ原の事も言ってるみたいだけど
だからといって「達人ではない」とはいえないと思う。
「戦で負ければ達人ではない」なんて何処にも書いてないだから。
むしろ戦国末期、信玄なんては昔語りの人になっていたから
そんな人物と戦ったことがあるというのは
小牧長久手もだけど1600年あたりの武将達に
家康を野戦の達人として畏怖させ。
こんなスレ立たせる要因になったんじゃないwww
322 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 00:20:47 ID:IjaPrE6X
まあ信長や秀吉は野戦の達人なんて呼ばれてないもんな
323 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 01:07:56 ID:QqFs1FOw
>>320 え?別に徳川軍の野戦戦力壊滅なんて目標じゃないだろ。
というか、所要拠点のことごとくを甲軍に陥落させられて、
徳川軍が有利な場面なんて一度たりとも無かったわけだが。
>>321 信長、秀吉より戦歴の無い家康が比肩し得るわけが無いだろ。
せいぜい、微妙な立場の池田勝入を討ち取って
秀吉より家康が上なんてたわけた主張を言われても・・・。
324 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 01:09:50 ID:QqFs1FOw
×所要拠点
○主要拠点
325 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 01:14:37 ID:QqFs1FOw
>>320 おっと忘れてた。
あくまでも小牧長久手時点で、秀吉が一番重要視してたのが西国の平定。
実際、家康の世子を人質に差し出させた時点で秀吉の政治的勝利だろ。
というか、小早川鉄砲威嚇を信じてるような知識で良くレスできるよねw
326 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 01:50:47 ID:lRLOcz2F
>>323 「信長、秀吉くらい」という表現を用いたため
秀吉を貶めたかの用に捉えられたとしたら大変失礼だった。
個人的には特に上だの下だのという気分はなく。
同じくらいの高みに属しているものと思っていた。
それでは家康が戦歴で信長、秀吉とは比肩しえないという根拠を教えてくれ。
私個人としては上のように遜色ないと思っている。
また、達人か?達人ではないか?のスレだし、
戦積によって達人かどうかが決まるとおっしゃられているようなので。
戦積によってこの命題が求められるという根拠や
これ以上の戦績は達人、以下は達人ではないのような論理的な考えを
教えてくれると非常に嬉しい。
「達人」の否定ではなく。「達人ではない」を肯定するような。
327 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 03:17:12 ID:QqFs1FOw
>>326 信長、秀吉が領土拡大の為に多数の戦を繰り広げたのに対し、
家康の場合は西に同盟国織田、北に武田、東に北条と強敵に囲まれた
今川旧領を吸収後は、
一向一揆に悩まされ
三方ヶ原では武田軍に散々に打ち破られ
設楽ヶ原後の武田追討戦では主の逃げた後の駿河を平定するのがやっと
本能寺直後の混乱時に、甲信地方を火事場泥棒という濡れ手に粟
立地条件が悪いともいえるが、
天下をほぼ統一しかけた信長と、事実上天下統一した秀吉の戦歴に
家康がかなうわけ無いだろ。
328 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 03:26:59 ID:BC/+RdG/
火事場泥棒の達人だろ
329 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 08:19:33 ID:EfYwbfI+
>>327 天正壬午の乱を忘れるな
家康は戦略的には博打を打たない。戦術的には博打を打つ
この場合、派手な戦闘は起こらずにゆっくりと優位が移っていく
これは才能と言うより、状況への姿勢といえる
芸風が違うのに片方の視点でのみ判断するのは愚
330 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 10:03:39 ID:d+9VS6uh
>>327 そのレスを読むだけでも、
少なくとも戦歴については信長秀吉に全く引けを取らないと思うが。
領土の拡大という点では確かに遅れを取っているが。
それから、甲斐信濃は北条氏を打ち破って獲得したのですよ。
331 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 13:40:19 ID:UGGnZ1Ti
>>327 お答えありがとう。
その答えは自衛戦争の方が領土拡張戦争と比べたとき
戦績として捉えるに意味が低いという事だろうか?
私はどちらが上だとかは考えることが出来ない。
むしろ、長年にわたり武田などの外圧に屈しなかったこと
その様な状態の中、徳川家を守り抜いたことは評価に値するはずだ。
またその比較は戦略であり軍略ではないと思う。
また何故戦績によって達人であると決められるのだろうか?
先にも書いたが1600年以降の世の中、群雄達が次々に亡くなっていった時代で
家康以上に名だたる大名家と渡りあった人物が大名としてどの程度いただろうか?
そう考えたとき戦国時代の生き字引として
若輩の大名が家康を野戦の達人(家康の名声を高めた高名な戦が野戦のために)
として持ち上げたのは
至極当然のことではないだろうか?
この命題は家康が野戦の天才か?という問いではない。
もし、その問いならば間違いなく家康は天才ではないからだ。
天才というのは、信玄や信長等であって。独創性に富むものだ。
だが家康には独創性がない。
しかし、だからといって達人ではないとは言えない。
達人とは長年その道を探求した人物の事だからだ。
なのでやはり、晩期の家康というのは野戦の達人たる資格を持ち合わせていたといえる。
長くて申し訳ない。
332 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 13:48:28 ID:xq66JvJs
ああ、まあ達人と言われれば達人かもな。
でもこのスレタイの達人は、どっちかつーと家康は軍事的天才であるかどうか?
のほうが主眼なんじゃない?
あと信玄って独創的だっけ? 家康と近いってよく言われるけど。
それと天才に対する定義が少し恣意的な気がする。
333 :
仙台藩百姓:2007/09/16(日) 14:13:16 ID:8HYckU1V
甲信を手に入れたのも信長が死ぬ、それも突然殺されて織田家中が混乱する
と言う超奇跡的幸運が絶対条件だものね
織田家の都合によるもので、信長が健在であったらとうてい手に入るはずもなかったお
信長の力が二十数ヶ国まで及んだ中、家康は三河一国がやっと
遠江で勝頼の脅威に震えていたお( ^ω^)
信長とは比較対象にもならないとして、織田の軍団長達にも遥か及ばないお
334 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 14:18:33 ID:vqGHlR88
百姓は家康も嫌いなのか、つくづくわからん奴だ。
つーか徳川と北条が嫌いってもしかして関西人?
335 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 14:47:25 ID:UGGnZ1Ti
>>328 自分としては
>>6のような考えがあったので
軍事的天才=達人とは考えずにその主眼を
家康は野戦の達人か?というの置いて答えさせていただいた。
家康と信玄が近いというのは慎重な性格もだけど、
家康が信玄を私淑し多くを真似た点も大きいと思う。
信玄の軍事的な独創性についてだけ答えると
投石部隊など組織を作り出したり、
あくまで兵法書である孫子の考えを戦術として体現したことは
独創的であると思う。
また、自分としてはそういった独創的なものに対して
「天才」という表現しか表現しようがなかったので用いたが。
それを恣意的と捉えられても自分としては「天才」以外妥当な表現が思いつかなかったので
そういった部分を汲み取っていただけると嬉しいし。
他に妥当な表現があるのなら教えて欲しい。
336 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 14:49:06 ID:UGGnZ1Ti
337 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 14:53:08 ID:QqFs1FOw
>>331 敵領土に乗り込んで制圧、平定するのと、
自領の熟知した地形を利用して防衛戦を行うのとじゃ難易度は違うだろうし
そもそも戦争の回数が絶対的に信長秀吉と家康は違うだろ。
338 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 14:59:27 ID:xq66JvJs
天才に関しては、こういう文章を他所のスレで見つけたんで、天才の定義からして
人の恣意性によるんでどうなんだろうと思った。
>天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることのできる人ではない。
>誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである。
あと投石部隊は独創かもしれんけど、孫子読んで実行に移したら独創ってのは
違う気が。 兵法書読んで実行に移すのは、どっちかというと保守的な傾向な気がするけど
違うかな。 ってか他の大名も中国の兵書くらいは読んでたと思うよ。
339 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:05:55 ID:UGGnZ1Ti
>>338 それは戦略であって軍略ではないと思っているのだが
それでは、戦争の難易度が違うとした時
家康も敵領土に乗り込んでの戦闘
信長、秀吉であっても防衛戦を経験している。
それでも、家康が信長、秀吉を比肩できない理由は何だろうか?
あと、戦争の回数の話しにすると
五十歩百歩の話しに展開してしまうと思う。
それで多ければ長ければいいのかの的な話になるとまた朝倉宗滴の黒い影が・・・・・。
教景「俺各地ですげえ戦ったから、達人な」
俺「ちょっと黙っとけ」
>>338 天才ってそういうニュアンスなのか
非常に勉強になりました。
長い例えだけど日本という国はモノマネばっかりして独創性がない。なんて言う奴がいるけど、日本人としてそれはおかしいと思っていて。
日本という国は日本人に合うように模倣したものに改良を重ねリファインさせている。
コレって模倣のしたものが模倣されたものより高次なものになった時点で模倣ではなくなっていて。
つまりこういうのも独創性で、日本が世界的にも特許の申請が多い理由だと思っている。
コレを信玄にあてははめると、孫子というただの兵法書を
戦術として生かすために自らの考えによって作られた武田独特の軍団は
一つの兵法書という枠を超えて軍学になった時点で独創性と呼んで差し支えないと思う。
小中学校と同じ教科書を習った人間が同じことを考えるわけじゃないし。
でも教科書を使わないと勉強できないじゃないww
だから、中国の兵書をしっていた大名もいるとは思うけど
それぞれ違っていたと思うので保守的な傾向とは思えない。
保守的な傾向というのは信長や近世などと比較した場合じゃないのかな。
340 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:09:04 ID:QqFs1FOw
>>339 信長秀吉が戦争で勝ち取った領土がどれだけ広大かってのはわかってる?
東海道で四半世紀以上篭ってる小名とは明らかに差があるだろと。
341 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:11:45 ID:vqGHlR88
家康も関ヶ原と大阪の陣で同じ領土を得たのでは?
342 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:14:17 ID:QqFs1FOw
本気で言ってるの?
343 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:18:34 ID:UGGnZ1Ti
なら広大な領土を持つことが
野戦の達人の条件なのか?
後醍醐「なら俺、一回日本全部領土にしたから(ry」
俺「かってに出てくるな」
344 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:19:53 ID:QqFs1FOw
あーごめん、ちょっと煽りっぽいレスになってきちゃったね。
345 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:26:52 ID:UGGnZ1Ti
イヤ、伝えたいニュアンスは伝わってるよ。
家康は、信長秀吉に比べて領土の膨張がなく
危険をとして、領土拡張戦争を起こしてるかといえば疑問符がつくから。
その点を考えた時、信長、秀吉に比べると一歩劣るのではないかって事でしょ。
346 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:30:38 ID:UGGnZ1Ti
まあ、家康なんて、いかなる小説家でもその実像を掴みきれないような人物だし
ヨーロッパ的英雄の真逆の人間だからよく分からんよやっぱ。
タヌキだからねwww
347 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:33:19 ID:QqFs1FOw
野戦でどれだけの回数を戦い、勝利を挙げてきたか。
これじゃね?やっぱ。
○中国方面司令官としての戦
播磨(赤松、小寺、別所)攻略
備前、美作(宇喜多)服属
播磨三木城(別所)兵糧攻めにて攻略
但馬出石城(山名)攻略
因幡鳥取城(毛利分家吉川)兵糧攻めにて攻略
淡路岩屋城攻略
備中高松城を水攻めにて包囲
○織田家後継者争いとしての戦
山崎の戦い vs明智光秀
伊勢侵攻戦 vs滝川一益
賤ヶ岳の戦い vs柴田勝家
○家康との初対決
小牧長久手 vs徳川家康
348 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 16:44:59 ID:QqFs1FOw
>>345 一歩劣るどころか
荒れそうだけど敢えてランク付けするなら
信長、秀吉>元就>家康
位じゃね?
小勢力の村上義清に散々に苦しめられた武田に
手も足も出ない状態で散々に蹴散らされるくらいのレベルだし。
三河兵が精強とかって明らかに徳川史観の産物だし
甲信平定後の、武田旧臣吸収後からじゃないの?強くなったのって。
明らかに甲軍が三河、遠江に侵攻してきた時は弱すぎじゃね?
一言坂の戦い、三方ヶ原の戦いを見る限り、とても達人とはいえないほど
一方的にやられてるしなぁ。一矢も報いてない大敗。
349 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 19:33:36 ID:iest0Z/N
三河兵が強かったかどうかってのと 家康に野戦の才覚があったかどうかは別問題って気もするが
350 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 20:05:59 ID:7f+izMcX
>>347 ただのアンチ家康で秀吉マンセーだろ?
個人的感情むき出しだな
351 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 21:20:13 ID:/jHNtCAI
信長秀吉元就だと家康とは違って武田相手にも勝ちかねないような
戦績だからなー
>>348 >甲信平定後の、武田旧臣吸収後からじゃないの?強くなったのって。
むしろ弱くなってないか?
352 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 22:22:55 ID:EfYwbfI+
信長の相手は数は多いが連携がとれずに各個撃破
秀吉は信長の後ろ盾or遺産を受け継ぎ、物量で圧倒
家康は一枚岩で石高も上の武田家に、苦戦続きも何とか崩壊
を阻止
状況が異なりゃ、結果も異なる
353 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:29:48 ID:QqFs1FOw
>>350 なんだ、結局碌に反論も出来ずに、
とりあえず秀吉マンセーと言ってれば溜飲下がるのか。お前は。
>>352 武田が一枚岩?越後との争いもあるし
勝頼時代に高天神城も落とされてるし。
家康だって織田の後ろ盾が一応あるし。
354 :
人間七七四年:2007/09/16(日) 23:47:41 ID:EfYwbfI+
>>353 三好とか本願寺とか浅井とか朝倉みたいに多数連合じゃないでしょ
355 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:10:39 ID:Kh0NEr51
連合だと弱いのか。
というか、甲斐一国相手に壊滅に近い状態に追い込まれてるじゃん。
356 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:15:25 ID:60T5zeS/
>>355 うん、弱い。船頭多くしなんとやら
そうか、武田は甲斐一国で家康と戦ったのか
357 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:22:31 ID:Kh0NEr51
あーすまん甲軍ね
というか、信長は石高の数倍相手の連合軍と戦ってきたが
これでも連合軍は弱いと。
てか甲斐自体大小豪族の集まりなんだけどな。
中央に比べて豪族の力が強いんだが。
358 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:24:52 ID:60T5zeS/
>>357 うん、弱い弱い
指揮系統が一本化されてないと、一割以下の実力しか出せん
359 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:26:21 ID:Kh0NEr51
そんなに武田って強いんだ
360 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:32:19 ID:Kh0NEr51
じゃあいくら達人でも武田に壊滅に近い状態まで追い込まれてもしょうがないよね。
てかさ、相手が一枚岩状態で、優勢だった
って状況なら信長秀吉だっていくらでも経験しとるが。
361 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 00:37:38 ID:KdEeql7E
>>352 尾張統一の過程を考えれば
秀吉だって織田家臣時代の寡兵での戦果を考えれば
そんなことは言えないと思う
確かに状況は異なるけどね
秀吉信長の方が不利ってことで
362 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 08:09:39 ID:60T5zeS/
>>360 信長は今川、斉藤。
秀吉は良く解らん。
今川はかなり僥倖だから、斉藤は何年懸かったっけ?
363 :
人間七七四年:2007/09/17(月) 09:32:16 ID:60T5zeS/
364 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 10:51:53 ID:QzKZPyXB
ID:60T5zeS/の馬鹿っぷりに乾杯
365 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 08:03:31 ID:xK16N0VU
スレをずっと読んでみた。
家康を必要上に無能に見たがるヤツは大抵国力の差を無視しているのが気になった。
以下、俺のカキコは与太話だから流しておくれ。
戦場で倍の兵力の相手に勝つことはそこまで珍しくないだろうけれど(もちろん凄いことだけど)
国力が倍の相手を武力で併呑できる例なんてそうそうないだろうに。家康の相手って国力的に格上ばっかりじゃんか。
兵力の差はもちろんだけれど、それ以上に国力の差ってかなり絶対的だと思うんだけど。
大国が小国に武力侵攻されて滅びる(または押される)のって、
1、大国側に大きな問題点があり(後継者争いとか、内乱とか、自然災害とか)
2、政略的に(外交的にでもおk)小国に遅れをとり(例、包囲網等。注意小国側の主導とは限らない)
3、大国側がなんらかの事情で経済的に困窮しており、
4、謀略等で大国の国内が分断され(物流や、情報)
5、戦場において寡兵の小国に大国が大敗する(ことが何回か発生)
これぐらい重ならないと無理じゃね?w
信長が美濃を取れたのは斉藤側に↑の条件がいくつかあるからだし(それでもかなり苦労してるよね)
家康が、今川の領土をある程度切り取れたのも↑の条件に今川が当てはまってなかったら無理だったろうし。
対武田で徳川方が防戦一方なのなんて当たり前な気がする。国力2倍半ぐらい差がない?
それでも徳川が滅ぼされなかったのはやっぱり↑の条件にあるような問題点が
武田側にあったからだと思うし。とくに1と2が。
織田の後ろ盾、武田上杉北条の関係、信玄→勝頼の家督の不確かさ。あ、3、金山も勝頼時代だと掘り尽くしてるかもw
それだって問題点をある程度解消出来た時(または発生していない時)の武田は徳川をノシテル(三方ヶ原)
三方ヶ原当時の家康の立場に誰を置いても(信長だろうと秀吉だろうと元就だろうと、それこそ信玄自身だろうと)
徳川が武田に勝つことは無理だと思う。家康よりも被害を減らせる人物は居そうだけど。
個人の能力以前に覆し様のない状況(や国力差)ってのがあると思うんだが。
家康を天才だとは思わないけど、基本的に格上相手に戦いつづけて生き残っている時点で達人の
資格は充分な気がする……
366 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 09:43:26 ID:9nYLG5Dw
でもだからって、いざ武田が徳川領に侵攻してきたときは
ほとんど何も抵抗できないまま刈り取られてたけど。
せめてどこかの局地戦で勝ってるって状況すらないからな。
んで上の方でだれかが一枚岩云々言ってるが
代替わり直後の勝頼に高天神落とされてるし。
ぶっちゃけ徳川軍って弱くね?
367 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 10:32:23 ID:OCON1o0e
弱いってことはないだろうけど
異常な強さを持ってる毛利織田島津と比べると
戦場での強さが見劣りするのは確か
368 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 11:26:04 ID:1g6apuzR
>>365 尾張と美濃は国力的にはほぼ同等
家康が今川領を切り取ったのはともかく、滅ぼしたのは武田と共同作戦
369 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 14:23:22 ID:TBy4aGJ0
というか
家康が自身の率いる単独の軍団で勝った戦ってどれくらいあるのさ。
小牧長久手みたいな、奇襲部隊が攻城戦仕掛けるような
明らかに統率者に問題があるような時位?
370 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 19:14:10 ID:Wu4zhCJW
>>366 武田征伐みたいに崩壊してない
ギリギリ体制を維持できた
>代替わり直後の勝頼に高天神落とされてるし
逆説的にそれだけ統治機構が堅固だったと言うこと
>>369 それは総ての合戦にいえる
371 :
人間七七四年:2007/09/20(木) 23:35:12 ID:iFOPQXsL
>>370 家康は達人だと思う派だとおもうんだけど、それならせめて
>家康が自身の率いる単独の軍団で勝った戦ってどれくらいあるのさ。
これに回答しろよ。
まぁ徳川史観での姉川等を筆頭とした捏造も多そうだけど。
372 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 03:25:56 ID:/iEopTsi
>>371 家康は単独での戦はほとんど防衛戦だからねぇ。
信長との長期の同盟の影響も大きいか。
甲斐信濃侵攻時の対北条は?
小牧長久手は一応同盟者がいるか。役に立ってない気がするけど。
でも対戦相手が大抵家康より石高高いんだから単独で戦わないようにするのってむしろ当然な気が。
徳川が相手より兵力多く用意できた例があまり思い出せない(笑)
373 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 06:59:10 ID:CVt8JQXN
ろくに兵も集められないし
単独じゃろくに戦果もあげてないのに
なんで達人と主張する輩がいるんだろう
374 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 07:19:54 ID:/iEopTsi
その不利な状況ですら滅ぼされなかったからでしょ。
普通だったらとっくに滅ぼされてる。
375 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 08:32:28 ID:CVt8JQXN
つまり
今川義元に従って松平の家名を守り
今川義元が死ねば岡崎を火事場泥棒
武田と協力してかつての主家であり、かつ血縁を滅ぼし
織田信長が後ろ楯について武田に対抗し
ご機嫌伺いで信康を手にかけ
織田信長が死ねば甲信を火事場泥棒
秀吉に従って、内大臣まで出世し
秀吉が死ねば天下を火事場泥棒
なんだ、戦の達人じゃなくて火事場泥棒の達人じゃん。
しかも主家の混乱に乗じた。
376 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 12:23:08 ID:H7QtPMKJ
まさに理想的な戦国大名だな
377 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 12:36:06 ID:/iEopTsi
悪意を持って表現すればそのとおりだな。
(ただ、第一人者に常に警戒されそうな立場で生き残るのは並大抵のことじゃないぞ)
(義元も信長も秀吉もその気になれば家康の首を飛ばせる人物だ)
だが、それの何が悪いのかわからん。非常に現実的な行動だと思うのだが。
隙もなく混乱もしていない、自分より強大な主家や他国に対して強引に戦を仕掛けて
負けたらそれこそ笑い者だと思うぞ。
例えば今川義元健在時に反乱おこして鎮圧されてたりしたら歴史に名前すら残ってなさそうなw
耐えるところは耐え、動くべきときに動く。
機を見るに敏なのは達人の条件のひとつだろうに。
378 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 12:57:15 ID:CVt8JQXN
だからさ
戦略、調略の達人なら納得するが
戦の達人ではないだろ
って事。
甲信攻防戦で後北条と有利な条件で和睦できたのも真田昌幸の調略のおかげだし。
その後真田昌幸の所領を勝手に後北条との和睦条件にして離反された挙句、
討伐の兵を挙げたら僅か2000の真田にフルボッコにされるし。
379 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 16:59:24 ID:/iEopTsi
>>378 なるほど。話がかみ合わない理由がわかった。
戦略面と戦術面を完全に分けて考えているのね。
私は戦略面を無視して戦術のみを語るのはナンセンスだと思っていたから。
国力で負けていれば戦略面で取れる手段は限られてくるし当然それは戦術レベルにも跳ね返ってくる。
そうした不自由で不利な状況下でも生き残ったのだから充分に優秀だ、と私は考えていた。
相手も戦国時代を通しての強国揃いだしね(今川、武田、北条、秀吉等)
そしていくら、戦略面が優れていようと実技といってもいい戦術能力がダメなら滅びてるだろ、と。
状況を無視しての負け(三方ヶ原)や単独で戦ったことが少ないことだけを理由に評価を下げるのが疑問だったんだ。
いや、前提になる条件が違えば答えは代わってくるのは当然だな。突っかかって悪かった。
>討伐の兵を挙げたら僅か2000の真田にフルボッコにされるし。
現地に家康いたっけ? 指揮官鳥居元忠だったような。
でも、守りに入った真田は強いね。あれはガチだw
380 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 17:10:54 ID:CVt8JQXN
昌幸相手に鳥居と7000の兵で勝てると思って派遣したわけだしなぁ。
元々秀吉より古参で、信雄派だったのに、濃尾2国で口説いた池田の強引な
奇襲策を承認しなければならなかったのとはまた違うし。
これは家康が昌幸を甘く見ていた失態じゃないかな?
鳥居の指揮が問題だったって資料は無いし。
381 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 17:23:40 ID:/iEopTsi
部下のミスを最終的には社長が負うという意味では家康の失態。
でも、スレタイ的にも家康の戦術能力の減点対象にはならないね。
382 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 18:40:34 ID:CVt8JQXN
俺はそうは思わない。
鳥居に命じたのは、兵7000で上田城攻略。
明らかに真田昌幸を甘く見た家康の失態。
秀忠に命じたのは中山道を経由しての中央での合流。
独断で攻城戦を仕掛け、結果攻略も出来ず、決戦に遅れたのは秀忠の失態。
恒興に許可したのは、三河への奇襲策。
隠密行動前提の奇襲部隊が敵方の城下を通過し、討って出てきた城兵に手傷を負わされ、
激怒し勝手に攻城戦を開始し、戦勝の酒宴をする始末。
その間本隊の三好勢は家康の奇襲を受け壊滅。
その後家康に各個撃破され打ち取られたのは恒興の失態。
秀久に命じたのは、先遣隊としての役割。
功をあせり、増援を待たずして島津に挑み、敗走したのは秀久の失態。
任命した責任はあるが、家康、秀吉の意図する目的にそぐわない勝手な行動で兵を失うのは、
現場の司令官の責任だろ。
383 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 18:53:51 ID:/iEopTsi
>>382 ?
俺はおまえさんと同じことを言っているはずだが。
命じたのは家康だから責任の大本は家康というのは当然の前提として書いてる。
一行目で勘違いさせたのならすまん。
384 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 19:20:24 ID:CVt8JQXN
いや、だから
7000で昌幸討伐が可能と判断して、鳥居に命令した家康が、
昌幸の用兵力を見誤った失態だろと。
昌幸はつい最近まで甲信攻略戦で家康の味方として後北条相手に戦い、有利に戦局を運んだ結果、
甲信は徳川、上野は後北条という条件で和睦できた最功労者じゃん。
甘く見た家康の失態以外に、敗戦の原因ってあるか?
385 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:06:20 ID:/iEopTsi
>>384 それは戦略レベルの失態であって、戦術レベルの失態ではないと思っている。
だから、戦術能力の減点対象にならないと書いた。
私の言う戦術レベルの範囲は、軍配やほら貝で直接指揮できる範囲ないのこと。
部下に兵力を与えての遠征は戦略レベルの話だと思っている。
なので、
>>382で例に挙がっている池田の三河中入り作戦も、戦略レベル。
んで、池田が秀吉の命に完全に従って余計な道草をせずそれでも中入りに失敗した場合でも
秀吉の戦術能力の減点対象にはならないという線引き。
おまえさんの戦略レベルと戦術レベルの境目がわからない。
386 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:22:39 ID:qKJNXaDJ
>>385 >>384が言っているのは戦術的に鳥居&7000の兵で勝つこと可能という家康の判断が
そもそも間違っていたってことでしょ、多分。
戦術能力ある大名なら真田の戦術能力から考えて
もっと多数の兵か他の将を出していたはず、
部下に兵力を与えての遠征は戦略レベルの話だろうけど、
その兵を与える時に相手と自分の戦術能力を見極めることが出来なかったと言う点で
非難に値すると言うことでは。
真田攻めでの鳥居の指揮には大きな瑕疵があるわけでもないので
そんな無理な戦術行動とらせた家康は戦術能力が低いと言いたいのだと思う。
387 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:29:19 ID:C59mSzT3
戦略は特定の目標達成のために総合的な調整を通じて力と資源を効果的に運用する技術であり〜
wikiより
大名の立場なら、現場での直接指揮=戦術ってよりも
戦略
・対外政策
近隣地域への勢力拡大戦争の是非を協議
領国防衛に関する策定(普請、治水、糧道、糧秣備蓄計画等)
・同盟締結等外交政策
・領国経営等内政政策
戦術
・司令官の任命
・与える兵力、進軍経路の協議
・敵対大名への工作etcetc
あたりになるんじゃないの
つまり、大名と武将とでは、戦略、戦術の範囲が変わってくると。
秀忠の例だと
戦略
目的:中山道を経由し、徳川主力を来る決戦に備え上方へと導く
・上田城攻略の是非
1、目的地到達を優先するあまり背後を衝かれ、貴重な兵力を消耗する可能性の有無
2、多少損害と時間的な損失は出ても、後顧の憂いは除くべきかどうか?などなど。
戦術
目的:上田城攻略
・上田城攻略戦の指揮、部隊配置等
こんなかんじ?
388 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:30:19 ID:qKJNXaDJ
で小牧の方は
秀吉の立場から池田の要請を断ることは難しいのでこの場合はどうしようも無い気がするが
>池田が秀吉の命に完全に従って余計な道草をせずそれでも中入りに失敗した場合
は秀吉が主導した作戦であったのであれば、そのような作戦が可能だと考えた
秀吉の戦術能力に問題があるってことになるんじゃないかと。
九州攻めでの仙石や関ヶ原の秀忠の行動は、本来の作戦に従っていれば
失態は無かったはずなので秀吉家康の戦術能力の減点とはならず、
代わりにそのような行動を許してしまった秀吉家康の戦略能力や政治力人を見る目の
減点とすべきってことじゃないかと。
ID:CVt8JQXNの主張も矛盾無く成立すると思うが。
389 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 20:53:51 ID:C59mSzT3
俺ID:CVt8JQXNね。
帰宅したんで、携帯からPCに変更。
つまり、7000って数が2000の真田に対する家康の評価な訳よ。
極端な数字にすると
「お前ちょっと100人の兵を率いて1万の軍勢を破って来い。」
こんな命令出す大名は戦の達人じゃないだろ?って事。
たとえば真田を相手にするのが初めてだとか、真田が今まで
自分の才能を隠して家康を油断させてたとかならともかく、
信濃侵攻戦で後北条配下として北信濃を席巻した真田を調略し
一時的にでも味方として自分の組下で戦った訳だし、
後北条との有利な条件で和睦できたのは、真田の働きが無視できない位の
影響力を持つという事実があるにも関わらず、評価を完全に見誤った時点で、
家康の間違いだろと。
さらに付け加えれば、真田討伐の戦は鳥居7000の一回だけじゃないしね。
諸説あるけど、少なくとも2回は行ってるし、もしかしたらさらに数回行ってる可能性も
あるけども、結果すべて失敗に終わって、秀吉の調停まで敵対していた。
数千の兵力しか持たない豪族レベルの弱小勢力と真田を見くびり、戦をしかけ泥沼になった挙句、
寸土の領土も奪えず、真田に余計な恨みも買う始末。
しかも戦になった原因にしても、真田を侮りすぎたと思うし。
390 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 21:22:22 ID:C59mSzT3
ただ俺は、家康は戦上手か?と聞かれれば、
「それほど上手でもないだろ。上はもっと居る。」
という立場だが、
火事場泥棒と言ってるけど、機を見るに敏、チャンスを逃さない先見の目、
徹底した敵対勢力の討伐を実行する非情なまでの行為を行った自勢力の
安定化能力はトップレベルだと思ってる。
利家存命中に、彼我戦力を確認して、利家死去まで行動を抑えていた程の
慎重さも兼ね合わせてるし。
391 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 21:29:38 ID:C59mSzT3
392 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 22:12:21 ID:aL4BL8Av
あまり関係ないが
徳川の本能寺以後の甲信戦についてはあまり知られていないが真田昌幸ともう一人
衣田信蕃の功績が大きかった。
関が原の秀忠の遅参については、そもそも秀忠が出発した後の家康が当初の計画を
変更して予定よりも早く尾張美濃まで到達して、しかもその計画変更を伝える為の
使者が大雨で秀忠の陣に到着が遅れてしまったのが原因。つまり通信技術が未発達
な時代の不可抗力。だから家康も最初は秀忠の遅参に怒ったが、そもそもの原因を
しって勘気を解いた。(計画の変更が伝わっていないのではどうしようもない)
393 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 22:59:08 ID:5yPiIhWO
第一次上田合戦の徳川軍は1万2千であったらしい
但し、真田も直属2千の他に郷民6千余、上杉の援軍6千5百とかなりの数
徳川軍の出陣は7月19日だが、真田の引き伸ばし策で攻勢に出たのは
閏8月18日、ここで大敗をし、この報に接した家康は撤兵を下令。
命を受けた榊原、井伊は現地上田に23日到着し翌日、全軍撤収。
信州からの撤退は9月26日に完了。この間、井伊隊と小笠原・木曾勢との
間で小競り合い有り。
家康擁護派としての見解を言わせて貰うなら、上田討伐の判断ミスは
誤魔化し様が無いがその後、即座に撤退を命じる辺りは、それなりに
フォローできてると思う。
394 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 23:22:31 ID:C59mSzT3
たしかに秀忠軍の初期行動目的に諸説あるけど、スレチ気味なので触れなかった。
けど敢えて触れてみる。
説1:秀忠軍の初期目的はあくまでも目的は徳川主力の西方陣営との決戦への投入
○上田城攻略は秀忠の独断
最低限の兵を上田城の見張りに置き、本隊は先を急ぐべきと進言した正信の進言を容れれば
関ヶ原合戦は9/15、秀忠が到着したのが9/17だったことを考えれば、伝令が遅れても間に合った。
説2:秀忠軍の初期目的は信濃平定
家康が浅野長政に、秀忠の信濃平定への助力を要請する書状の存在
○上田城攻略は予定通り
その後、西軍の関ヶ原布陣を知った家康の命令変更の伝令が出されるが、
悪天候の為9/9に伝令到着。→遅参。
疑問1:上田城攻略に反対していた本多正信と攻略に賛成した大久保忠隣との確執の疑問。
*当初の予定が上田城攻略だとすると正信の上田城攻略反対の具申は不自然。
疑問2:反家康の上杉、前田利政の楔となる上田城攻略の重要性は理解できるが
上杉と対立する徳川方の最上伊達、押さえとしての結城秀康の存在がある上に、
三成率いる西軍主力との決戦に38000を欠くデメリットの方が大きいのでは?
さらに言えば、小早川、脇坂、赤座、小川、朽木、吉川の内応は確実では無い。
疑問3:上田城2000に対する38000という20倍程の兵力差
真田を牽制するにとどめれば、真田相手だとしても、寡兵でも十分
その分関ヶ原に戦力を集中する方がメリットが大きいのでは?
説3:主力温存説
疑問:どう転ぶかわからない程、関ヶ原での両軍の兵力差は拮抗し、
主力を欠いた東軍は西軍よりやや劣る兵力となるわけで、
関ヶ原で敗戦する危険を犯してまで温存する意味は?
395 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 23:24:28 ID:C59mSzT3
>>393 その辺の切り替えの速さは流石に家康 と思うけども、
対武田との一言坂、三方ヶ原について擁護派はどう思うの?
396 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 23:42:46 ID:5yPiIhWO
>>395 戦略的劣勢下で長篠の様な大敗でない分、まだ先が残った。
豪族の雪崩を打つような離反も起こらなかったからギリギリの
所で首の皮一枚を残したかと
397 :
人間七七四年:2007/09/21(金) 23:52:41 ID:C59mSzT3
あー、えと
戦の達人と呼べるような戦い方は出来てたのかなと。
豪族の離反がそれほど起きなかったのは家康の手腕だろうけども
一応このスレでは戦の達人かどうかを討論してるので。
398 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 00:06:39 ID:Zb/tGiK9
一言坂、三方ヶ原は政治的には必要な出兵だったかもしれないので
その是非はひとまず置いておくとして
戦術的には共にたいした被害を受けていないので兵力差を考えると
十分健闘したとはいえる
戦の達人と呼べるかは定義次第だろうけど
この程度の兵力差を跳ね返した武将もいるにはいるので
それらに比べれば取りあえず劣るかな
399 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 00:10:34 ID:gQC/bhyi
>>397 一言坂は前哨戦の段階で不利を察知し即座に撤退、
三方ヶ原ではかなり相手に嵌められたが、当初より一撃離脱を
想定したと思われその為、開戦は夕方で直ぐに日が暮れたので
壊滅は免れた。
400 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 00:55:00 ID:1wpdRwFn
壊滅的なダメージは免れて、その後に繋がったから結果的には敗北ではない
→壊滅するような敗戦さえしなければ戦の達人
って論法になっちゃわないか?
401 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 01:19:42 ID:yBr3bWMh
>>394 説2の疑問2と疑問3は別に矛盾しませんよ。
秀忠の初期目的は信濃平定だった。家康はそのつもりで送った。家康の勢力圏が東海道で
尾張まで達し、美濃が敵に取られていることを考えれば、攻撃するにも防御するにも信濃を
押えることは必要不可欠だった。東北戦線(上杉がどう動くか)もまだ不確定だったことも
あり、家康は江戸で周囲をにらむ(周囲の展開をみる)。信濃でも東北でも事が生じたら
そこへ赴けるように。
そこへ一番に動きが生じたのが尾張美濃の対峙戦線。岐阜攻略を見た家康は一気に上方へ
攻めのぼることを決意。そうなれば信濃に派遣した秀忠軍は決戦戦力として貴重だから計画
変更させて西上させようとした。しかしその使者の到着が遅れて、家康は決戦兵力を欠いた
状態で決戦することになってしまった。
「最初から最後まで計画通りの勝利だった」というような講談の発想を捨てれば、特に疑問も
ない展開だと思いますよ。詳しく追っていくと、関が原というのは両軍ともかなり試行錯誤
しながらお互い不慮を積み重ねた結果の遭遇決戦だったという説が近年唱えられています。
402 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 09:59:51 ID:gQC/bhyi
>>400 戦略的劣勢下で次に続ける様な状態を維持すると言うのも
一つの戦の達人の形ではないかと自分は思う
まぁ、講談のネタにはし難いでしょうが
403 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 15:43:44 ID:eWG83+Uw
戦略的に劣勢な状況下で勝利した武将なんていくらでもいるし。
404 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 17:23:36 ID:Nrt5csBB
関が原や小牧長久手のように、「野戦の結果を最大限戦略的に利用できる」
ことこそ「達人」の条件だと俺は思う。
例え十倍の大軍を撃破出来ても、それを戦略行動に繋げられなければ意味が
ない。そういう意味では徳川家康は達人だと思う。
405 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 20:59:30 ID:1wpdRwFn
>>404 それは政治手腕と言うんじゃ?
戦の達人
というのなら、やはりどれだけの敵勢力を駆逐できたかどうかとか、
何度も敵の侵攻を阻んだとかでいいんじゃね?
406 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 21:26:03 ID:yBr3bWMh
そのあたりは上でもあったけど、戦の定義をどこに置くかなんだよな。
戦闘(戦術面)に限った話なのか
戦争(戦略のみならず政治外交経済全て)の話なのか
私は通常特に断りがなければ戦闘のことだと思ってるけど。
407 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 21:35:32 ID:1wpdRwFn
そもそもスレタイは 野戦の達人か?
だしなぁ。
俺は、野戦でも攻城戦でも達人というには上が多すぎるだろ
と思うんで、野戦、攻城戦含めて 「戦」と呼称してるけど。
408 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 22:20:22 ID:g02fly0x
戦国時代の中でもっとも大きな野戦で勝った大将なんだから達人なんじゃね?
それ以上の細かい定義など自己満足以外の何物でもない気がする。
409 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 22:37:50 ID:Idp5uPn6
関ヶ原以前から既に評判だったのでは
410 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 23:00:09 ID:gQC/bhyi
411 :
人間七七四年:2007/09/22(土) 23:59:14 ID:yBr3bWMh
412 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 00:07:11 ID:bxr1mPU6
何がなんでも家康が最強じゃ無いと気がすまない香具師が居るな
413 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 00:13:25 ID:wbCbO/Ug
>>411 されるで
>>412 各々の立場を理解せずに、講談師が好む戦にしか目を向けない
連中が大すぎる
414 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 00:51:56 ID:2C5grVQu
何日も前から講談講談って同じ事ばっかり言ってるけどさ
実際問題、徳川史観でいいように捏造されてても、毛利・島津・羽柴・織田
あたりより華々しい勝ち戦が少ないのはどうしようもないべ。
未だに林羅山ら御用学者の説を信じて、家康はすごいと言ってる連中もいるし、
wikiにも平然と載せてる。
とはいえ、司馬遼太郎の影響で家康嫌いの連中もいるからどっこいどっこいか。
どっちにしても、好きな武将を盲目的に信仰してる人とはまともに議論も出来ないから
できれば少し冷静になって欲しいけども。
徳川御用学者に踊らされているwiki編集者
--------------
秀吉は「豊臣幕府」を開くために足利義昭へ自分を養子にするよう頼んだが断られた、という説もある
--------------
天正7年(1579年)、武田勝頼と内通したとして、信長の命により正室・築山殿と長男・松平信康を、
同盟関係維持のために殺害した。
理由は信長が嫡男・織田信忠より優れた資質を持つ信康に危機感を覚えたためと言われるが、
近年では家康と信康が対立したためという説もある。
--------------
ソースそのままをwikiから拾ってくる香具師も多いけど、wikiを鵜呑みにしないようにね。
415 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 01:09:45 ID:XdOngQ3H
徳川で誇れそうな野戦は
三河一向一揆-
今川との東三河争奪戦-劣勢だったけど引き分けに持ち込めたというか今川が撤退するまで粘りきった
姉川の戦い-徳川史観除けば負けなかった程度だがあの兵力差で負けなかっただけでも凄い
1575年の武田との対陣-兵力では劣勢だったが先に兵を引いたのは武田
1578年の武田との対陣-兵力では劣勢だったがそれなりに武田に損害を与えたらしい
天正壬午の乱-兵力では劣勢だったが甲斐を守りきった
小牧長久手-全体的に負けていたが、自身が率いた長久手では別働隊を破っている
関ヶ原-略
大坂夏の陣-略
416 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 09:25:21 ID:wbCbO/Ug
>>414 >華々しい勝ち戦
嘘とかそういうことじゃなくて、講談師が俎上に上げるのが
こういう解り易くて大逆転という話という意味なんだが・・・
417 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 18:35:22 ID:2C5grVQu
>>416 講談師に語られるようなわかりやすい華々しい勝ち戦が
徳川史観で捏造しまくっても少ない家康の戦歴じゃ
どうしても見劣りするなということが言いたかった。
さらに言えば
講談師に取り上げられるような華々しい勝ち戦にしか目が行かないようじゃ素人
玄人は例え敗戦でもその前後の経緯から、家康のすごさがわかるんだぜ
と、家康を必死に持ち上げてる香具師もちょっと冷静になれよと。
418 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 18:51:17 ID:H2tWccZY
>>417 そうは言っても、華々しい戦をしないのが家康の芸風なのだから、その視点で評価すると大した人物という感想を抱くのだが
419 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 18:53:35 ID:2C5grVQu
スレタイ見ろよ
というか芸風ってなにさ
420 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 21:50:52 ID:wbCbO/Ug
>>419 ん?戦略面において慎重な戦運びを好むと言う意味だし、それと野戦の達人と言う評価は矛盾しないと思うけど
まぁ、慎重な根回しを行ったその結果としての戦闘中には、大胆な指示をするからね。
厄介なのはココ、アドリブな上に戦略が慎重な分との乖離がありすぎて、捏造で片付けられる事が多いんだよね。
421 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 23:13:53 ID:2C5grVQu
>>420 慎重な戦運びを好む割には第一次上田合戦では負けてるし。
慎重すぎて浜松城に篭って二俣城はじめ東遠江、三河の一部を失うし、
勝頼には高天神城も落とされてるしなぁ。
>厄介なのはココ、アドリブな上に戦略が慎重な分との乖離がありすぎて、捏造で片付けられる事が多いんだよね。
わけわからん
具体例は?
422 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 23:14:42 ID:2C5grVQu
あーひょっとして、小早川に向けた鉄砲?w
423 :
人間七七四年:2007/09/23(日) 23:55:13 ID:wbCbO/Ug
>>421 拙いと思ったら、直ぐに後退したでしょ
武田の攻勢も、結局は武田征伐の様な崩壊は免れてますでしょ
>>422 関ヶ原なら秀忠勢が来る前に決戦を決断し、(一応の手当てをしたうえで)関ヶ原に進軍
自隊を最前線直後まで前進させている
個人的には小早川への鉄砲アリと考えてるけど、それ除外してもこんだけ
424 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 00:10:19 ID:l8VPqo5s
慎重な割には天野に負けたりとかか
425 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 00:13:32 ID:1C5HOBfU
>>423 戦ってみて予想外に強かったから撤退
→・昌幸を甘く見すぎていた
・慎重なのに、よく相手を確かめずに戦をしかける?矛盾じゃね?
>結局は武田征伐の様な崩壊は免れてますでしょ
信玄が病死した運もあるだろうけどね。
結局碌に対策も出来てなかったじゃない。
>関ヶ原なら秀忠勢が来る前に決戦を決断し、(一応の手当てをしたうえで)関ヶ原に進軍
>自隊を最前線直後まで前進させている
これ捏造なん?
鉄砲はアリって思える人って、よっぽど想像力欠如してると思うけど。
松尾山は標高300m超で、鉄砲の弾は無論届かないし、平時なら麓からの発砲音も
聞こえたかもしれないが、麓ではまさに合戦が起きているわけだし、どの発砲音が
自分に向けられているかなんて判別は不可能だし。
大体家康の手勢から松尾山の麓まで移動させるって戦争まっただなかの最前線ですけども。
一体どこから発砲したの?
426 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 00:24:38 ID:k3AHw7Hl
>>425 まぁ、甘く見ていたのは否めませんな。その点は慢心あったでしょう、人間ですし。
現状維持でも大したもんですよ、離反の雪崩が起きていないんですから
麓に前哨部隊が展開していると言う考え(山を城砦化してるならそれ位はしている)
連中が聞いて、報告すればOK
427 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 00:49:39 ID:1C5HOBfU
>>426 >まぁ、甘く見ていたのは否めませんな。その点は慢心あったでしょう、人間ですし。
だから達人って呼べないっていう意見なんですよ。俺は。
>現状維持でも大したもんですよ、離反の雪崩が起きていないんですから
現状を維持できずに東遠江をほぼ失って、城も取られてるんじゃん。
緒戦で敗退しまくってる家康を見限って降伏した城主は皆無とでも言うの?
>麓に前哨部隊が展開していると言う考え(山を城砦化してるならそれ位はしている)
低所から観測できる範囲なら余計どこから撃って来たのかなんてわかるわけ無いじゃん。
目の前ではまさに大谷と藤堂が激戦を繰り広げてるわけで。
そんな所に部隊配置なんてしてたら、流れ弾なんていくらでも飛んでくるでしょ。
428 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 01:28:14 ID:1C5HOBfU
ID:k3AHw7Hlはなんでもかんでも家康が完璧な武将じゃないと気に食わないみたいだから
敢えて煽るようなレスをすると
. -―- . やったッ!! さすが家康!
/ ヽ どちらの陣営に付こうか迷ってる秀秋に
// ', まさか鉄砲を撃ち込むなんて常人には思いつかない
| { _____ | 行動を平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
言いたいだけちゃうんかと。
まさにこの「鉄砲を撃つ」行為こそ講談師が好む捏造だけども。
429 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 04:22:55 ID:k3AHw7Hl
>>427 つまり一回もミスを犯さないのが野戦の達人の必要条件ということですな
武田征伐の様に戦わずして崩壊ではないでしょ
東軍後方を回り込んで松尾山に近づきとあるので、山を挟んで大谷隊の
反対側から打ち込んだ様に見ているのですが・・・
430 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 07:56:31 ID:1C5HOBfU
>>429 >つまり一回もミスを犯さないのが野戦の達人の必要条件ということですな
え?家康って第一次上田城合戦で生涯一回しか失敗してないの?
戦争回数が少ない割りに、久々の領土拡大戦争でいきなりミスしてるようじゃダメだろ
って事ですが。
>武田征伐の様に戦わずして崩壊ではないでしょ
あのね、長篠の合戦で多くの将兵が死亡し、また勝頼も喪失した兵力の
回復をするために、各豪族、領主に多額の税金やら鉄砲購入を命じたり
新府城を築城したりしてすでに人心を失ってたの。
木曽義昌の寝返りはそれが原因。
そんな武田がボロボロの状態の時の武田征伐と比較すること自体明らかにおかしいだろ。
>東軍後方を回り込んで松尾山に近づきとあるので、山を挟んで大谷隊の
>反対側から打ち込んだ様に見ているのですが・・・
まず、あなたの説の場合、時系列の問題が。
家康、布施孫兵衛らに松尾山への発砲命令
家康の本陣陣場野から、松尾山の東山麓まで、鉄砲足軽を移動
*騎馬ではなく、フル装備の鉄砲足軽による徒歩での移動
陣場野から松尾山は直線距離ならば1km未満の距離だが
大谷、脇坂隊付近を通過するため、大きく迂回した場合1km〜2km程度の
移動距離になる。
到着、発砲
麓の小早川先鋒隊が銃声を聞く
麓から秀秋の本陣まで移動し伝令
*標高300mの松尾山東側麓から、フル装備の足軽が山頂まで登山するには
30分〜40分の時間がかかり、騎馬兵でも10分〜20分の時間が掛かる。
二次史料(徳川実紀)によると(一次資料には、鉄砲を射掛けたという記述が無い)以下のとおり。
>午の刻、戦況が未だこう着状態なのに焦った家康は、
>汝は金吾が陣せし松の尾山にゆき。鉄砲を放て試みよと宣へば。
>孫兵衛組の同心をめしつれ山の麓より鉄砲うちかけしかば。
>筑前勢はじめて色めき立て麓へをし下せしとぞ。
正午に発砲命令を出して、正午に小早川が裏切るという、明らかにおかしな時間帯。
というか、ID:k3AHw7Hlはどこの史料から「東軍後方を回り込んで松尾山に近づき」って引っ張ってきてるの?
鉄砲撃ちかけたって記述がある黒田家譜にも東から〜なんて記述ないんだけども。
431 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 09:06:24 ID:k3AHw7Hl
>>430 初めての急速な領土拡張なんだから、何処かでミスはするものさ
そういうぼろぼろの状態には徳川家はならなかったという事
史書に書いてあるのは午の刻。あの当時の時間間隔はいい加減
なのだから、子の刻は正午の前後二時間として見なけりゃいかんよ
432 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 09:33:24 ID:1C5HOBfU
>>431 ID:k3AHw7Hl:「戦略面において慎重な戦運びを好む」
「慎重な根回しを行ったその結果としての戦闘中には、大胆な指示」
↓
慎重な戦運びを好む割には第一次上田合戦では負けてるじゃん?
↓
何処かでミスはするものさ 。だって人間だもの。
>そういうぼろぼろの状態には徳川家はならなかったという事
ボロボロ状態になった武田を攻めた武田征伐と、お互い無傷の状態から始まった武田侵攻を
比較してる時点でおかしいだろっていってんの。
さらに言えば、武田征伐は 織田、徳川、北条が兵を繰り出して孤立無援。
状況がまったく違うのに、武田は滅んだけど徳川は生き残ってるから家康は達人
とか言われても。
あのね
午の刻(11:00〜13:00)ってのはわかってるけどもさ
前後の記述から、家康が命令してから秀秋が寝返るまでの時間が
明らかに短いの。
てかどこの史料見てるのさ?
>史書に書いてあるのは
その辺の記述をコピペしてくれよ。
433 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 10:21:14 ID:k3AHw7Hl
>>432 あ〜あなたはミスをしない天才が達人と考えてるようなので
私とは捉え方が全然違うようです
これ以上はすれ違いになると思うので、逃げさせていただきます
関ヶ原の鉄砲に関しては届かないとか、聞こえないというのは
意味無いと言う観点から、兵理的観点のみで言わさせてもらいました
後ね、先程の時間計算式なら家康が命じて小早川に届くまで1時間
位で済みますよ
では、さよなら〜
434 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 10:38:51 ID:1C5HOBfU
ミスしないのが達人っていうんじゃなくて
貴方が語った家康像に意見してるんですが。
>先程の時間計算式なら家康が命じて小早川に届くまで1時間
一次資料、および二次史料をまとめてほぼ正確な時間を出した史料によれば
8時:戦闘開始
8時過ぎ:石田隊、宇喜多隊、大谷隊奮戦 やや西軍有利か?
9時:島左近負傷、小西隊劣勢、両軍拮抗状態からやや西軍劣勢気味に
10時頃:家康、自陣を前進 戦況は一進一退
11時頃:三成狼煙を上げる
11時過ぎ:島津に出陣要請するも断られる
12時頃:家康が小早川に鉄砲を撃ちかけるよう命令
12時頃:小早川裏切り
大谷隊、一度は小早川隊の攻撃を退ける
脇坂、赤座、小川、朽木寝返り
13時頃:大谷隊壊滅
13時頃:宇喜多隊壊滅
13時過ぎ:西軍壊滅
14時頃:島津敵中突破
15時頃:東軍戦勝の酒宴
>後ね、先程の時間計算式なら家康が命じて小早川に届くまで1時間
>位で済みますよ
小早川隊が松尾山を下る時間等考慮しても、1時間も掛かってたら明らかに無理があるわけで。
>関ヶ原の鉄砲に関しては届かないとか、聞こえないというのは
>意味無いと言う観点から、兵理的観点のみで言わさせてもらいました
意味不明 史書に書いてあるっていってるじゃん
ID:k3AHw7Hlはどこの史料から「東軍後方を回り込んで松尾山に近づき」って引っ張ってきてるの?
435 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 10:57:26 ID:fDORvhty
すげぇ逃げっぷりwwww
ソース出せって言われて出せずに逃走かよwwww
家康厨は適当な事ばっか言うんだな
東軍後方〜の下りは小説かなんかで見た希ガス
たしか問鉄砲の疑問を解消するため、独自の解釈を取り入れたフィクションって事で
436 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 11:31:49 ID:1C5HOBfU
鉄砲云々の記述がある史料は徳川実紀、黒田家譜くらいだけども
徳川実紀
孫兵衛とその手下に松尾山山麓より撃てと命じた
黒田家譜
前線にいる鉄砲兵に松尾山に向けて撃てと命じた
随分差があるわけで。
徳川実紀の方だと孫兵衛隊の移動時間の問題
黒田家譜の方だと距離、騒音の問題
んで東軍後方を回り込んで云々って史料はなんなん?
実際どんな状況で鉄砲撃ったんだろ。
437 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 12:26:03 ID:fDORvhty
全員が全員じゃないけど家康厨に無知が多いのはガチ
信長が信康の才能を恐れて殺害を命じた
将軍になりたい秀吉が義昭に養子縁組を頼んだが断られた
征夷大将軍は源氏しかなれない
家康は小早川秀秋に鉄砲を射って寝返らせた
もうね、何百年踊らされれば気が済むんだ?
438 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 12:36:09 ID:fDORvhty
言い忘れてたけど問鉄砲は研究の結果学会などでは否定されてるよ
439 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 15:06:42 ID:bPW+EUnt
個人的には秀忠遅参は家康にとって想定外の出来事だったと思う。
それゆえ関が原では西軍より劣勢のまま戦わざるをえなかったから素早く片をつける必要性に迫られた。
寝返りを促すために小早川の陣へ大砲を放ったりなどと多少荒っぽい手段も使ったりもした。
家康とて人間だから誤算が生じるなんてことは何度もあったと思う。
ただ、その都度アドリブ的な対応でそれらを修正できたあたりはさすがに天下を取った人物だったと言える。
それとは別に、三方が原で惨敗したあとに止めを刺されなかったのはなんでだろう?
信玄は自分の死期が迫っていたので若い家康にかまっていられなかったのか、あるいは別の理由があったのか・・・
440 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 17:47:37 ID:fDORvhty
大砲なんか撃ってねーよ
441 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 17:59:18 ID:Daw0v+cv
おおずつ・・・って変換できなかった。
442 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 18:15:26 ID:fDORvhty
大筒でもなんでも良いけど関ヶ原の問鉄砲は現在否定されてる
443 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 18:37:46 ID:S4shE4/i
学会厨の特徴
・何度も何度もくり返す
・常にソースなし
444 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 20:02:03 ID:SAG2Jarl
別に家康がヘタレでもかまわんと思うが、
ヘタレに負けた西軍の立場はどうなる?
運だけで東軍が勝てたのなら、
運だけで負けた西軍は情けなさすぎだろ
445 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 20:11:58 ID:1C5HOBfU
>>443 学会で否定されてるかはわからないけども
一次資料にはまったく記述がないから信憑性は薄いわな
というか
ID:k3AHw7Hlはどこの史料から「東軍後方を回り込んで松尾山に近づき」って引っ張ってきてるの?
これに答えてくれよ
ID:k3AHw7Hlも一切ソース無しじゃん。
俺はソース出して疑問を提示してるのに
>>444 戦の達人じゃない という立場だが、俺は家康は調略やら事前工作の巧みさは
すごいと思ってるし。
446 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 20:21:38 ID:SAG2Jarl
>>445 人望のない奴がいくら事前工作しても相手が乗ってくるわけない
戦の達人じゃないかもしれんが、人望はあったということだな
447 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 20:22:48 ID:fDORvhty
家康厨の特徴
・妄想をソースっぽく語る
・答えに困ると逃走
・ソースの提示を求められても逃走
・常にソース無し
・言いまかされるとID変えて荒らし
448 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 20:23:15 ID:1C5HOBfU
>>446 そうだね。
俺は人望がないなんて一言も言ってないし。
449 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 20:55:03 ID:fDORvhty
>>445 調略はたしかに凄いけど実行できもしない空手形だしまくっただけだしな
褒賞も豊臣領だから懐痛まないし
>>446 家康に人望があったかというよりどっちかと言うと三成の人望の無さが際立ってる
大名を集めるだけなら利家の方が家康より多かったし
450 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 21:12:32 ID:1C5HOBfU
>>449 空手形でも、それが相手にとって本物に見えさえすればいいんじゃ?
そういう政治力ってのは家康の得意とするところだと思うけど。
451 :
人間七七四年:2007/09/24(月) 23:49:48 ID:Qrs2LEfv
家康が戦の達人なら劉備もそうだろw
452 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 01:36:44 ID:ZcBV5iHk
>>449 空手形で釣り上げて文句も言わせなかったんなら理想的じゃん
453 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 09:23:36 ID:MT9X31co
有無も言わさず改易じゃん
454 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 12:26:34 ID:RlJ/u6H2
家康の場合は関ヶ原前までは律儀を装っていたからな
空手形も何回も連発すれば誰も信じなくなるだろうが
関ヶ原の時は前科が無いからみんな信じただろうな
455 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 20:32:07 ID:uIIb6DX+
>>447 で、学会のソースは?
>・言いまかされるとID変えて荒らし
学会厨の特徴に「イタイ発言を指摘されると火病」追加だな
240:人間七七四年 :2007/09/24(月) 05:10:53 ID:S4shE4/i
大阪じゃなくて大坂だろ
456 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 20:49:18 ID:MT9X31co
学会のソースって言われてもな
笠谷和比古以外で問鉄砲があったと主張する歴史学者は居ないんだが
機関誌なんかで、いちいち学会では問鉄砲は否定されました
なんて発表はしないから、お前自身でどこかの大学教授に確認すれば?
学会では、その説を支持する学者が少なすぎる場合は否定されてるのと同義だから
京子ちゃんの三職推任問題の説みたいに、いちいち学会で発表したりしないよ
あと東軍後方〜のソースも出せよ
史書によると
ってわざわざ書く位なんだからあるんだろ?
457 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 20:52:49 ID:MT9X31co
後、いいまかされて逃げたのはID:k3AHw7Hlじゃねーかww
458 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:07:58 ID:3E0xn8Lq
>>457 というか一次資料での記述が無い問鉄砲自体が学会で取りざたされるのかが疑問。
あーでも、秀吉は義昭に養子を云々とか、将軍になりたかったがなれなかった云々を
真面目に支持してる歴史学者がいるからな。
立花京子とか朝尾とか今谷位しかいないけど。
459 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:10:08 ID:d/lJxl8f
東西両軍がドンパチしている真っ只中が突っ切るより、その後方を移動すると考えるのは自然かと
460 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:11:22 ID:MT9X31co
うん だから東軍後方〜のソースを教えて
どこの記述からなのか
461 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:14:45 ID:d/lJxl8f
>>460 無いよ、兵理的に可能か不可能化のレベルでのみの考察だから
資料的裏付けは一切無し、できるかできないかのみ
462 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:16:42 ID:3E0xn8Lq
>>429 の書き方だと
>東軍後方を回り込んで松尾山に近づきとあるので、山を挟んで大谷隊の
>反対側から打ち込んだ様に見ているのですが・・・
>とあるので
って書いてあるのはどこからかの引用ですよね?
463 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:20:50 ID:MT9X31co
つまりソースも無い自分の妄想をあたかも根拠のあるソースのようにレスしたと
議論スレで最低な事しますね家康厨は
464 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:28:32 ID:3E0xn8Lq
小説家の井沢元彦なんかもそうだけど、
問鉄砲の逸話を、話を盛り上げるために取り上げる人も居ます。
ただ、一次資料にはまったく記述が無く、わずかに確認される二次資料でも
その場で撃たせた、山麓より射掛けさせた と統一されてない上に、一文のみの記述であるため
大筒(大鉄砲とも言う携帯可能なサイズのもの)を持たせたり
騎馬で移動させたり、様々な演出をしているけども、歴史的根拠はまったく無いです。
たしかに、東軍の勝利が確定する転機であるため、様々な方法が小説、漫画、映画等
創作の世界で取られてるけども、その辺はあくまで演出と見ないと。
465 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:34:21 ID:IZVDrvlC
というか>461 は逆になってるんだよ。
様々な資料をもとにして推測をくみ上げるのではなく、最初に結論ありきで
その結論に導く為にはどうすればよいかとくみ上げている。
466 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:36:38 ID:3E0xn8Lq
その論法どっかで見たなぁ
信長と十字架って本で。
467 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:42:10 ID:d/lJxl8f
別に、ただ否定論で「聞こえん」とか「遠すぎる」という意見のみへの反証に過ぎんので
資料的正否は、ま〜ったく考えておりませんので悪しからず
後、後方は家康隊陣場野時の陣形図からの判断なので
以上
468 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:43:11 ID:3E0xn8Lq
>>429 の書き方だと
>東軍後方を回り込んで松尾山に近づきとあるので、山を挟んで大谷隊の
>反対側から打ち込んだ様に見ているのですが・・・
>とあるので
って書いてあるのはどこからかの引用ですよね?
469 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:52:18 ID:3E0xn8Lq
あとね、
>>461の言い方だと
野々村四郎右衛門が家康目がけて馬を乗りかけて来たので切った。(徳川実紀)
の一文で、家康は実はこの時に暗殺されて移行は影武者だったのだ!
って主張してるのと同じ。
470 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 21:53:44 ID:3E0xn8Lq
×移行
○以降
471 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 22:03:07 ID:3E0xn8Lq
でも影武者徳川家康は面白いな。
フィクション小説は無理がある場合が多いけど、結構その気になってくる名作だと思う。
472 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 22:25:19 ID:MT9X31co
ID:d/lJxl8fみたいなのを筆頭に自分の妄想をさも正しい知識であるかのようなレスするカス多いな
しかもタチ悪いのが、まるでどこかからの引用であるかのようなミスリードを誘う言い回し
突っ込まれても開き直ってるしな
完全にマンガとか小説レベルの知識しか持ち合わせてないだろ
473 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 22:37:15 ID:3E0xn8Lq
俺はミスリードってよりも、東軍後方云々の一文のソースがすごい気になった。
調べた限り天元実記にもなさそうだし、黒田家譜にも徳川実紀にもそんな
詳細な記述が無いから、俺の知らない新資料かとwktkしたんだけどもね。
474 :
人間七七四年:2007/09/25(火) 22:48:04 ID:MT9X31co
実際あたかもどこかの資料の引用であるかのような言い回しをすると
自信がないレス者は引っ込むからなインディアンポーカーの駆け引きみたいなもの
秀吉は何故将軍にならなかったのかスレ
でも突っ込んでみたら
「ソース元はwikiに書いてある」
ってオチが過去にあった
475 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 09:16:02 ID:7OB1YsBL
ID:d/lJxl8fみたいなカスは死んでくれ。
個人的には秀忠遅参は家康にとって想定外の出来事だったと思う。
それゆえ関が原では西軍より劣勢のまま戦わざるをえなかったから素早く片をつける必要性に迫られた。
家康とて人間だから誤算が生じるなんてことは何度もあったと思う。
ただ、その都度臨機応変な対応でそれらを修正できたあたりはさすがに天下を取った人物だったと言える。
それとは別に、三方が原で惨敗したあとに止めを刺されなかったのはなんでだろう?
信玄は自分の死期が迫っていたので若い家康にかまっていられなかったのか、
あるいは別の理由があったのか・・・
477 :
人間七七四年:2007/10/02(火) 11:57:23 ID:Mwuc3lb4
城を攻める気が最初から武田方になかったからでしょ
蹴散らした勢いだけで城攻めてたら背後から織田方が来ちゃうし
戦略目標じゃないからスルーしただけ
478 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 14:41:23 ID:x+WDZe12
家康方圧勝とかほざいてるカスは
信雄、家康連合がどれだけ領土を失ったかとか
和睦の条件とか知らないんだろ
479 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 14:43:06 ID:x+WDZe12
家康方圧勝とかほざいてるカスは
信雄、家康連合がどれだけ領土を失ったかとか
和睦の条件とか知らないんだろ
480 :
人間七七四年:2007/10/05(金) 14:50:15 ID:x+WDZe12
スレ間違えた
481 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 00:23:43 ID:8sLbhqNx
お互いの戦略目的いかん
戦術勝利に何の意味もない
482 :
人間七七四年:2007/10/06(土) 00:24:17 ID:tutKldRn
>x+WDZe12
お前か、あちこちのスレで家康をけなしまくってるやつはw
483 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 12:52:06 ID:0duTHHBc
関が原は石田の作戦が無謀過ぎた。
8万からの東軍に対し、前夜急遽迎撃を決めた西軍はあまりに貧弱な陣容。
石田・宇喜・大谷・四将だけの4万いくかも怪しいあまりに少数(小早川ははじめから戦力外)。
裏切りが疑われていた小早川を含めると東軍は10万近い大軍勢で最初から自殺行為だった。
しかも西軍は畿内に関が原に未参加の兵力が10万はあった訳で・・
それを遊ばせたまま数時間で西軍を完全崩壊させた石田が世紀の愚将であったと言うしかない。
484 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 13:23:53 ID:CWKnBnoD
485 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 18:38:53 ID:bQ67ufhk
日本語も理解できないこの馬鹿は何?
豚厨ってこんなのしかいないよなw
486 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 17:28:09 ID:wkwnDLAj
>>484 それを言ったら小牧長久手では秀吉の手勢は失ってませんが。
487 :
人間七七四年:2007/10/09(火) 18:26:36 ID:I7sWnVi+
488 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 00:28:27 ID:NrK1cDe7
保守
489 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 13:04:17 ID:OSLdGqBF
家康厨ホイホイage
490 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 09:03:16 ID:bq2amv6F
家康厨ホイホイage
491 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 08:59:17 ID:lvXC4ug5
家康厨ホイホイage
492 :
人間七七四年:2008/03/21(金) 12:23:04 ID:uUPH4m41
493 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 09:38:02 ID:G6FBF/bW
金ヶ崎、姉川は捏造
武田侵攻時にはズタボロ
甲州崩れの時は駿河だけを穴山を使ってやっと制圧
上田では弱小勢力の真田相手にフルボッコ
小牧長久手ではアホな進軍した池田勝入を討ち取っただけ
なんでこんなカスな戦歴で戦の達人とか言い張ってんの?
494 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 10:04:35 ID:ydARvSWP
長篠の戦では、武田軍を奇襲攻撃で殲滅、甲斐を北条と取り合ったときは完全不戦勝、関ヶ原では西軍を反日で瞬殺、大阪でも圧勝。
なんで、これだけの戦歴の持ち主をカスなんて呼ぶ馬鹿がいるの?
495 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 10:07:20 ID:G6FBF/bW
反日ですか。チャンコロかチョンですね、わかります。
496 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 10:12:25 ID:ydARvSWP
事実を矮小化し叩きたいだけのチンカスだったか。
497 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 10:21:36 ID:G6FBF/bW
>>494 長篠では織田との共同作戦
勢力から言えば、主力も主導権も織田。
甲斐を北条と取り合ったのだって、真田のおかげで勝っただけだし。
その後真田領を勝手に北条に渡す約束して反目した真田にフルボッコにされてるし
関ヶ原や大坂は戦上手というよりはすでに政治力の勝負で、
実際に矛を交えて戦ってるのは徳川以外の連中だし。
498 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 22:36:00 ID:RLbpmx8t
>>493 長久手の迂回策は秀吉自身の策だし、池田恒興は特にミスはしてない
したのは家康の動向に全く気づかなかった秀吉と一撃で壊滅した秀次
499 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 22:41:37 ID:hJ5e7OXx
庭さんへの書状以外に秀吉の策ということを示す史料はあるのかな。
あの書状の内容も秀吉が命令を下したという解釈のほうが自然なものではあるんだが。
500 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 23:07:39 ID:RLbpmx8t
>>499 ルイス・フロイスの記録からも秀吉の策と読める
恒興から建策はあったかもしれないが、それに積極的なのは間違いない
渋ったという太閤記の話は後世の作り話でしょう
501 :
人間七七四年:2008/03/27(木) 23:13:44 ID:fgBNrprI
>>500 小牧長久手は置いておくとして、その他の戦歴に関してはどう思います?
502 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 01:08:00 ID:plzuw4ww
茶店の戦いでババア一人に追い掛け回されてる奴だろ
503 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 01:57:25 ID:q4az+UFm
池田勝入を殺すためにあえて秀吉が指示したんだろ
504 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 02:36:38 ID:w5Vo+Cuc
505 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 06:25:19 ID:5eoyLcjE
>>493 姉川は疑問は呈されてるが、否定はされていない。
武田侵攻は確かに大ピンチ。
武田崩れよりはその後の甲信争奪戦に注目すべき
上田攻めについては実は指揮官は三河武士だが、
兵卒は最近付けられた甲信兵という点を考慮すべき。
まぁ、家康が油断したのは事実。
506 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 11:35:02 ID:lwRgvnqu
関ヶ原当時で数万の兵をそつなく指揮できたのは家康くらいだろう。
あとはボンクラばかりしかいない。
507 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 17:10:00 ID:h5way/YA
てか関ヶ原は相手の三成が雑魚だったから話にならない
508 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 18:29:44 ID:BpBl7uU4
関ヶ原の合戦の推移を指揮といって良いものか
509 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 19:04:22 ID:2dwV+aM+
指揮してたとか言う割りに
先陣争いも勝手にやってるし
細川黒田は数で劣る石田に押されてたし
福島は宇喜多に壊滅寸前まで追い込まれてるし
僅か1000程度の島津軍に家康本陣の目の前を通過させて結果義弘を生還させてるし。
というか家康は指揮したというより、大まかな指示以外は個々の大名に任されてるだろjk。
510 :
人間七七四年:2008/03/28(金) 22:50:15 ID:8kosRjte
まぁ当たり前だわな
数千単位の小競り合いと数万単位の合戦で
同じ采配で行えるわけないわけで。
511 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 16:34:21 ID:mSskuSqO
つまり家康は別に数万を好きに采配して勝ったわけじゃなくて勝ち軍の頭だったってだけのj話。
関が原で采配がうまいとか言ってる気違いりはさすが豚厨のいつものレベルだ。
512 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 19:46:20 ID:sLpCRgZj
>>511 大統領と市長の差みたいなもんだ。
目先の物しか見えてないと目の前で施設などを作ってくれる市長の方が凄く見えるだろうな。
513 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 20:56:13 ID:Gg0lexwP
熊本城を作った加藤じゃなくて大工さんが凄いだけじゃん
みたいな?
514 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 21:27:38 ID:ddkGwv1E
関ヶ原につれて来た面子・東軍につかせた面子を考えれば
家康の調略・政治に関する能力は疑う余地は無い
だが、それと合戦の采配とはまた別の話
515 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 22:02:33 ID:sLpCRgZj
合戦と政治を切り離して考えられるのなんて小説とゲームだけ。
516 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 22:03:44 ID:SilG+tUM
西軍を野戦に持ち込んだのは家康の器量だし、そこで西軍にも
勝ち目がありそうに持ち込んだのも覚悟の上だろう
(そうじゃないと相手が乗ってくれない)
更に、実戦ではあえて敵陣に向け前進し、小早川に鉄砲を放つ
決断もしている
戦術戦略にわたってやれることは総てなしてる。
だからこそあの短時間でけりが付いたのである
517 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 22:04:12 ID:UxoylVdZ
では政治的に大勝利を収めた小牧長久手は家康の完敗というわけですね、わかります。
518 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 22:25:00 ID:SilG+tUM
臣従した一点で見ればね。その代わり豊臣政権下最大野党として不動の位置を占めた
負けても、失点は最低限に抑えたといえる
519 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 22:31:10 ID:tC12xzkk
小牧の役は信雄家康の連合の負けでしょ
ただし家康からしたらもっとぼろくそになると思ってたのに
信雄はともかく家康の領地は減らされずあんだけ名をあげたんだから
戦略目標以上のことを成し遂げたようなもん
520 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 22:41:20 ID:UxoylVdZ
信康亡き後の嫡男人質ですが
521 :
人間七七四年:2008/03/31(月) 23:01:38 ID:SilG+tUM
522 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 00:28:45 ID:AD/Dffpm
小早川に鉄砲なんて講談レベルのネタじゃないかw
523 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 06:46:57 ID:+zFrrP2c
>>522 論者は疑問のレベルで言ってるのであって、明確に否定したことは
実は一回もない
524 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 09:04:13 ID:OphqdQM4
常識的に考えれば、麓まで鉄砲かついで撃った所で小早川の本陣に聞こえるわけが無い
525 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 09:20:08 ID:G20Svkds
山頂の本陣からでは鉄砲音は聞こえたが、状況を把握できなかったから、山麓の部隊に使番を出したら、山麓の部隊からも使番が来て、途中で落ち合ったという挿話がある。
出典は関原軍記大成。
526 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 09:40:17 ID:OphqdQM4
関原軍記大成なんて二次資料の徳川実記なんかをまとめたただの資料じゃん。
一次資料に問鉄砲の記述なんて存在しないし、学会で問鉄砲があるなんて主張してる学者は居ないよ。
さんざん既出だから
>>422あたりから読み返して見ろよ
527 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 10:24:28 ID:G20Svkds
一次史料だけしか認めないのなら、総ての合戦の経過は不明となる。
一次史料には誰が、何時、何処で勝ったか負けたか書いてある程度で、どのような経過で行なわれたかは先ず書かれる事はない。
528 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 16:17:36 ID:6fKENdhu
二次資料以下のエピソードを全て認めたらとんでもないことになるが。
529 :
人間七七四年:2008/04/01(火) 20:28:15 ID:+zFrrP2c
一次史料も盲目的に信じてはいけない。宣伝・誤認・伝聞を考慮しなければならない。
二次史料の批判も唯批判するのではなく、根拠と何故そういう風になり、どのような過程で
そうなったかを精査する必要がある。
530 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 07:50:04 ID:8M4d8vQ0
関が原を避けてサワヤマに篭城して、
一方で大垣を拠点に補給路を立つことは出来なかったのだろうか。
北国って家康の勢力範囲だっけ?
531 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 09:08:21 ID:66iN3pUE
>>529 だからさ、
>>422から二次資料の記述のあやふやな点とか、問鉄砲を実際に行ったと
仮定した場合の問鉄砲の矛盾を指摘してるのに
>出典は関原軍記大成。
と二次資料を根拠に持ってきてるのはおかしいだろ。
さらに言えば、学会でも疑問視されている問鉄砲を持ってきて
>更に、実戦ではあえて敵陣に向け前進し、小早川に鉄砲を放つ
>決断もしている
とか言われてもハァ?としか言えんよ
532 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 10:32:04 ID:4eXd5wCD
>>531 問鉄砲がないといった史料があれば否定論にも説得力はあるが、そんなのは無い。
また、実験で確かめるには当時の状況を再現し、秀秋が何処にいて、鉄砲が何処から撃たれたかを確認し、聞こえるかを調べる必要がある。
それをしないで、「ない」というのは学問ではない。
あと、二次史料の否定は合戦過程が解らなくなる事とイコールである事を再度、言っておく。
533 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 10:36:05 ID:66iN3pUE
?
そもそも、問鉄砲がある前提で家康を達人だと言い張る
>>516に対しての反論レスなんだが
不確定なエピソード持ってきて家康の有能さを主張してる連中にまず言えよ。
534 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 11:18:29 ID:4eXd5wCD
さしたる根拠もなく、見た目の印象と二次史料であるだけで否定してるから
535 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 11:30:53 ID:+1Un3AUP
NHKの番組で実地実験のようなことをしてたような。それではありえないという答えが出てたかな。
536 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 11:56:19 ID:66iN3pUE
537 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 12:09:28 ID:4eXd5wCD
史料的な根拠がなきゃ
538 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 12:14:32 ID:66iN3pUE
一次資料二次資料ひっくるめて考察して、当時の布陣やら経過なんかを考慮した場合
明らかに問鉄砲の存在自体疑わしい
539 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 12:40:41 ID:+1Un3AUP
ないことを証明する史料的根拠とはいったいどういうもの?
540 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 13:32:04 ID:66iN3pUE
・まず一次資料にまったく記述が無いこと
関ヶ原という一大決戦の転機となった行為なのにまったく存在が確認されない
・二次資料での問鉄砲の記述が一致しないこと つまりあやふや
徳川実紀
孫兵衛とその手下に松尾山山麓より撃てと命じた
黒田家譜
前線にいる鉄砲兵に松尾山に向けて撃てと命じた
・松尾山と東軍前線までの距離が1.3km程度とかなり離れてる 麓の陣地跡までも1km弱
三次資料以下の記述では、家康が命じた鉄砲射撃で弾丸が秀秋の顔の側をかすめた
なんてトンデモも存在
・東軍最前線から撃ったとして射撃音が果たして聞こえるか
松尾山から一番近い最前線では大谷隊と藤堂隊が激戦を繰り広げてる最中
怒号ひしめく中での射撃音が果たして家康の意図する射撃音だと聞き分けられるのか
・時系列の問題
・家康が射撃命令を出したとされる時刻から秀秋が大谷隊へ攻撃を開始するタイミングが
明らかに矛盾する
541 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 19:35:09 ID:VXTkpXo1
問鉄砲肯定してる学者なんてほぼ皆無
嘘だと思うなら知り合いの大学生にでも史学の教授あたりに聞いてきてもらえ。
542 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 21:10:05 ID:LpzludNv
>>540 >・まず一次資料にまったく記述が無いこと
> 関ヶ原という一大決戦の転機となった行為なのにまったく存在が確認されない
既に繰り返し述べていますが一次資料に合戦の過程が書かれることはありません。
特に忙しい野戦では一々、書状や日記に細かな過程を書くゆとりはなく、精々が誰に勝ったか負けたか
後は、誰と戦ったとか何人討ち取ったかくらい
>・二次資料での問鉄砲の記述が一致しないこと つまりあやふや
> 徳川実紀
> 孫兵衛とその手下に松尾山山麓より撃てと命じた
> 黒田家譜
> 前線にいる鉄砲兵に松尾山に向けて撃てと命じた
後から、纏めたものだから細部が違ったり漠然とした表現になるのは寧ろ当然。
逆に全く同じではないということは、片方から引用しいたのではなく、二つのソースがあるということ
>・松尾山と東軍前線までの距離が1.3km程度とかなり離れてる 麓の陣地跡までも1km弱
> 三次資料以下の記述では、家康が命じた鉄砲射撃で弾丸が秀秋の顔の側をかすめた
> なんてトンデモも存在
麓まで鉄砲隊が前進したと考えるのが自然
>・東軍最前線から撃ったとして射撃音が果たして聞こえるか
> 松尾山から一番近い最前線では大谷隊と藤堂隊が激戦を繰り広げてる最中
> 怒号ひしめく中での射撃音が果たして家康の意図する射撃音だと聞き分けられるのか
松尾山は大谷と藤堂との合戦場だけでなく、その東方にも広がっている
そこから撃たれれば、別方向からの銃声と捉えることができる
>・時系列の問題
> ・家康が射撃命令を出したとされる時刻から秀秋が大谷隊へ攻撃を開始するタイミングが
> 明らかに矛盾する
当時の時間の感覚を考量すべき。一刻といってもきっちりした感覚はなく、太陽の位置から大体
の時間を決めていたのが当時。しかもこれらも後から思い出しての記述であることも留意すべし
543 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 21:31:23 ID:+1Un3AUP
どこから撃たれたかを銃声で理解できる程度の数しか関ヶ原には鉄砲隊はいなかったわけかwww
関ヶ原というのは部隊の鉄砲の装備率が随分と低い合戦だったんだね。
544 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 22:41:06 ID:VXTkpXo1
勝敗を左右する一大転機が細かな過程とかw
そんな重大な役目を負った鉄砲隊の所属が曖昧とか
>松尾山は大谷と藤堂との合戦場だけでなく、その東方にも広がっている
>そこから撃たれれば、別方向からの銃声と捉えることができる
東方から撃ったというソースは?
>当時の時間の感覚を考量すべき。一刻といってもきっちりした感覚はなく、太陽の位置から大体
>の時間を決めていたのが当時。しかもこれらも後から思い出しての記述であることも留意すべし
時間の感覚ではなく、問鉄砲あった派の連中が頼みとする出典では家康が命じたところたちどころに
秀秋が動き出したとある。
あきらかに不自然なのにそのあたりの経過は都合良くスルーなんですね
545 :
人間七七四年:2008/04/02(水) 22:44:19 ID:VXTkpXo1
大体家康本陣から松尾山山麓の東側迂回しながら移動するだけで十数km弱あるだろ
フル装備の鉄砲隊が移動して弾薬込めて発砲して、それを麓の兵が山頂の本陣に伝令を
走らせて、秀秋が出陣命令を出して大谷隊と戦闘を開始するのにどんだけ時間がかかるのかと。
明らかに秀秋の行動は西軍の勢いが弱まり旗色が怪しくなった最高のタイミングで投入されてる。
546 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 06:59:56 ID:gvmQ8LKQ
>>544 >勝敗を左右する一大転機が細かな過程とかw
はい、あんなのは細かな過程です。 使番がどこそこをに行った程度の価値。
>そんな重大な役目を負った鉄砲隊の所属が曖昧とか
家康旗下の鉄砲隊だけで十分。
>東方から撃ったというソースは?
西がふさがってんだから東から撃つと考えただけ
>時間の感覚ではなく、問鉄砲あった派の連中が頼みとする出典では家康が命じたところたちどころに
>秀秋が動き出したとある。
>あきらかに不自然なのにそのあたりの経過は都合良くスルーなんですね
そりゃ単に展開を端折っただけ。読み物で山下りるまで何分かかりとかグダグダ書いてあるもんなんてない。
展開が都合よく書いてあるのは、後から纏めたものだから寧ろ、テンポ良く書かれてなきゃ書いた奴の教養が
問われる。
547 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 07:00:36 ID:gvmQ8LKQ
548 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 09:03:49 ID:8FClBe0Y
>西がふさがってんだから東から撃つと考えただけ
すでに自分の脳内推測で語るなよ なんの根拠も無いじゃん。
549 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 11:06:19 ID:TsbrzGvZ
もういい加減その気違いに餌やるのやめてスルーしたらいいんじゃねえの
突っ込み出したらそんな1点じゃ済まないだろ
550 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 13:14:52 ID:2slECcXN
当時の鉄砲なんて、資料によれば10mぐらいの距離で打ち合ってたわけだろ。
どうやって、秀秋の陣まで届くのさ?
551 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 13:20:59 ID:8FClBe0Y
>そりゃ単に展開を端折っただけ。読み物で山下りるまで何分かかりとかグダグダ書いてあるもんなんてない。
話の展開の事を言ってるんじゃなくて、正午頃に鉄砲隊に発令してから実際小早川が動くまでのタイムラグが
殆ど無いと言ってんの。
午後一時頃にはすでに大谷隊が壊滅してんだから。
552 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 13:26:57 ID:ZYKdZl8+
というか、問鉄砲があったとしたら達人なのか?
事前工作の結果寝返ったというのと、鉄砲撃ったら味方してくれたというのでは
明らかに前者が格上。
苦戦していた東軍に味方してしまうほど家康の事前工作が有効だったということだろ
553 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 13:33:14 ID:2slECcXN
鉄砲を小早川の陣に打ち込んだなんてのは信じがたいが
半日で西国の大名の大半を一掃した関ヶ原の合戦は達人の域と言える。
これほど、一気に自分と敵対する勢力を一掃した話は世界でも稀な例。
見事と言うしかない。
554 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 18:52:27 ID:gvmQ8LKQ
>>552 先程書いたように当時の時間感覚を考慮すべし。
正午ならお天道様が真上で大体把握できるが、それから一時間をどうやって
認識するのかという話。第一、当時は十二支なんだから最大二時間のスパンが
生じてしまう。
555 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 18:57:04 ID:ygzpa1Fo
↑馬鹿はスルーしたほうがいいな
556 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 18:59:33 ID:cQ+IzzOX
557 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 19:02:53 ID:a9bGl0cj
このスレって一人だけどうしようもない奴が混じってるのなw
558 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 19:58:34 ID:gvmQ8LKQ
後、小早川の部隊は山麓にもいるので彼の部隊なら直ぐに対応できる。
559 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 22:15:38 ID:8K1yrV1H
マジレスしていいの?
江戸時代になるともっと細かくなるが、戦国時代ですら干支+上刻・下刻使って1時間単位で時間を刻んでたわけだが
560 :
人間七七四年:2008/04/03(木) 22:57:22 ID:cQ+IzzOX
家康厨って本当に頭悪いですね
561 :
人間七七四年:2008/04/04(金) 07:15:12 ID:NOPMYr1e
>>559 うん、あるね「辰に始まり巳午まで勝負付かず」
(関原軍記大成)とか
で、それが戦場でどれほど正確に認識されているの?
実際、「辰刻に軍はじまり。午の刻におよびてもいまだ
勝敗分れず」(徳川実記、出典天元実記…問鉄砲の項)
と書いてある史料もあり、どうにも適当感は拭えん。
当時の時間の不確かさを元に、あると書いてある記述を
否定するのはどうかと
562 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 14:51:06 ID:2mqcnBOR
馬鹿晒しage
563 :
↑:2008/05/02(金) 22:50:50 ID:Rj62/ifi
この馬鹿どうしたんだ?
こいつなんか誰も知りたくいもねえのに余計な自己主張してんじゃねえよ惨めなクズが
564 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 23:03:35 ID:GQiLK6t2
ID:NOPMYr1e乙
565 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 23:04:33 ID:RcvRwxQT
566 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 00:55:01 ID:kEVbWwPh
小牧長久手の戦い
改正三河後風土記を読め。服部半蔵、本多忠勝など活躍しまくり。
567 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 13:10:46 ID:XI9ZdAWp
568 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 22:42:45 ID:IkIK0aDZ
家康は野戦ではなく、野糞の達人です。
569 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 00:20:01 ID:x7fdW7Kp
三方が原の戦いで、死んだ三河兵はうつ伏せで倒れてた。
逃げてないとか資料にあるけど負けて逃げてるんだけど。
意地張れば全滅するだろうが。
570 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 00:22:17 ID:x7fdW7Kp
家康は、忍者雇ってるのに武田相手に夜襲、奇襲、火攻め、内部工作、暗殺とかいろいろ出来ないのかね?
織田の援軍が来るまでひたすら待機で、高天神城取られたし。
571 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 00:48:54 ID:e5NolHJo
忍者といっても、そんな使い方はない。なんか、コンピュータゲームと勘違いしてませんか?
572 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 07:04:11 ID:Itl1le1K
スパイ=007みたいな発想だな
573 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 07:09:15 ID:3qTnCN+S
美女をはべらせて、怪しい発明品を使うニンジャ
574 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 12:57:35 ID:x7fdW7Kp
575 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 15:49:41 ID:YZOhgr5d
>>574 ちょっとまて!
風魔だと?
実在したかも未だに謎の忍者集団(野盗集団?)の話をこの戦国板に持ち込むな!
たしかに風魔の通説はあるが、実在したかの決定的資料がない風魔の話を持ち出されても信憑性は無に等しいぞ。
576 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 23:08:00 ID:re7xTV9b
相手だって忍者抱えてんだろうから対策位してんだろ・・・
577 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 00:01:32 ID:jq59qew2
忍者っていっても今の興信所とあんま変わらんだろ
578 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 15:02:36 ID:6Sp4iF06
毛利小五郎行く所にコナンあり
コナン行く所に死体あり
最強の暗殺能力だな
579 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 22:09:34 ID:Bml+z5Cl
あれは暗殺とは言わん
580 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 22:22:07 ID:gy4tpWd9
服部半蔵自体がもう普通の武将になってたらしいから
つーかスレタイに戻すと
家康は勢力がある程度大きくなってからは基本的に総指揮官じゃないかね
だから局地戦術では各家臣の判断というのも大きいのでは
そこに本多・榊原をはじめ有能な人材がいたから総指揮でいいと
もちろんそばには戦略に関わった参謀格もいたし
それだけの人材を集められたのがすごいというのを見落としてはいかんと思う
581 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 23:07:57 ID:4k3ctQPn
まあ、家康が歴戦の名将の一人であることは疑いないだろう
ただ、家康が野戦の達人というのは、秀吉が城攻めの達人というのに対して使われている印象があるので、
少なくとも秀吉は超えたいところ
というわけで、当然このスレでも両者が対決した小牧長久手の戦いが議論されているわけだけど、
一度の戦いだけでは、その時の運不運もあるだろうし、
必ずしも決定的な判断の材料とはならない
ここは、家康と秀吉の、代表的な野戦を10個ぐらい拾い出し、
両者の総合的な戦績を比較した上で、
やっぱり家康は野戦の達人だね、という結論に持って行けるよう努めたいところ
582 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 00:04:50 ID:dIybnleR
結論ありきかよw
583 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 00:07:49 ID:Pr8qK03n
前半では、織田の援軍が来るまでひたすら武田の攻撃を耐えてただけ。
後半では、軍団が充実して断トツで強いと言える。
天才ではないけど、積み重ねた実力と言うべきか。
584 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 00:14:52 ID:dDhb7kyN
代表的なっていっても意外とないんじゃない
姉川・長篠は連合だったし、関が原は大して動いてない、
遠州の戦いは高天神・掛川って城攻め
駿河侵攻はあんまり語られてないからよく分からん
本多忠勝が57度の戦で云々と言われてても、小さい戦いも含めての数で
家康も似たような小競り合いで経験を積んで
それを見て野戦が・・・ということなんじゃないかね
585 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 00:17:28 ID:unSZLi5m
板違い
586 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 00:32:20 ID:c7oZCCj2
>>583 後半は小勢の真田に何度も煮え湯飲まされてるじゃん
587 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 07:37:11 ID:pMGigmc3
家康自身が指揮してねぇやん
大阪以外
588 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 13:05:08 ID:+mz0gQ7f
そんなん言い出したら家康厨の唯一の心の拠り所である小牧長久手だって秀吉自身指揮してねーやん
589 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 13:10:16 ID:tiM6OU5y
590 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 15:42:14 ID:eWH4L9sb
小牧長久手なんて、行軍中の部隊に奇襲掛けるという、負けるのが難しいぐらいの状況だったしな。
関ヶ原なんかでも徳川軍の活躍は全く聞かないけど、逃げる敵に追い討ち掛けてクビ稼ぎしようとして井伊直正なんていう
高名の武将が重傷負わされて結局死んだとか。
信玄謙信のレベルに無いのはまあ仕方ないけど、勝頼相手にビビって出られないとか、あんまり大したことなさそうだ。
591 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 16:35:33 ID:MS4erjud
>>583 は一体何の戦話をしてるんだ?
長篠の戦いか?
592 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 17:50:15 ID:OHuwv7vS
上田合戦じゃね?w
武田崩れ以降徳川単独の軍団で戦ったのってこれくらいだろ
593 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 19:09:02 ID:PwK1gSSN
>>590 先鋒隊が相手が全然気付かない様に機動し、秀次隊に奇襲した上に家康本隊が
池田・森隊と堀・秀次隊を分断するというナポレオンも真っ青な隠密機動戦
関ヶ原も岡山まで相手に察知されないなど、家康の才能は隠密機動にあるかと
594 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 19:09:40 ID:PwK1gSSN
595 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 20:18:24 ID:1UlKo6eJ
>関ヶ原も岡山まで相手に察知されないなど、家康の才能は隠密機動にあるかと
関ヶ原で家康が急に出てきて西軍がびびったっていうのは
単に三成が間抜けだっただけのような気が。
三万人以上の大人数が東海道を行軍しているのを察知できないなんて、
諜報活動においてははっきり言って無能としか言いようがない。
596 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 20:21:22 ID:Wvz1hIr4
隠密機動なんてのは敵失の恩恵
597 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 20:23:40 ID:PwK1gSSN
>>595 そうはいっても秀吉自身も小牧・長久手で、小牧山・小幡城と二回も気づかないという事をしている
つまり秀吉も諜報活動は無能ということになってしまう
598 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 20:52:42 ID:c7oZCCj2
奇襲部隊が岩崎城に攻城戦仕掛けていきなり行動がバレバレとは思わなかったんじゃ?
599 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 20:56:24 ID:c7oZCCj2
>>594 緒戦は単独で勝ってるけど、後半は真田昌幸等の地元豪族の働きによるところが大きいんじゃない?
しかも真田の切り取った領土を北条との和睦の条件にして裏切られて上田合戦で痛い目にあってるし。
600 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 21:30:12 ID:PwK1gSSN
>>598 その点に関しては、秀次が後ろから襲われるまで何も気付かなかった(ここら辺は少々怪しいが)
奇襲隊にも確かに問題はある
601 :
人間七七四年:2008/07/24(木) 21:31:44 ID:PwK1gSSN
>>599 それは依田を徳川家の人間として捉えるかの問題でしょうな
602 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 00:12:16 ID:0ki5M7TJ
上田攻めって野戦?
どうしても攻城戦・市街戦て感じがして
どっちにしろ家康本人が出て行ってないから参考にならないね
603 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 01:01:18 ID:pk1PKmFQ
んじゃ小牧長久手も秀吉関係ないよね
604 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 01:16:17 ID:s8MygIMK
大阪夏の陣で本陣潰走カッコワル
605 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 07:49:29 ID:PMQQ0ayp
小牧長久手は秀吉が本体率いて攻め込んでるだろうが。
>>603 馬鹿か
606 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 08:14:32 ID:7JUR5mzm
達人じゃ無いけど・・・秀吉君よりは強い位で良いよもう
607 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 09:46:01 ID:AnlZShwz
家康にとっての関ヶ原の戦いに相当するものが、
秀吉にとっての賤ヶ岳の戦いだと思う。
そこで、家康の関ヶ原の戦いでの指揮ぶりが、
秀吉の賤ヶ岳の戦いの指揮ぶりより上であると証明できれば、
城攻めが得意の秀吉に対して、野戦の達人家康を裏づける強力な材料となるはず。
608 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 09:59:39 ID:B67HgxrD
>>605 秀吉本隊負けてないのも知らないの?
自己紹介乙
609 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 10:27:28 ID:vHL33P0l
秀吉は稀代の駆け引き上手だな
戦、政略、調略すべてにおいて天才的な駆け引きをみせてる
家康は二手三手先を読んでる感じ
まあ結果論といえばそうかもしれないけど、先見の明はあると思う
610 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 10:59:18 ID:AxqsQhI0
>>608 秀吉は本隊率いて尾張まで、攻め込んだ。
池田、森に三河本国攻めるように別働隊を派遣した。
三河が混乱した所で、秀吉本隊が総攻撃する予定だったが失敗した。
これは総大将秀吉の責任なんだよ。
本隊は負けてないだって?秀吉の部隊が攻め込んで壊滅的に負けてるのは事実だろうが。
信濃での徳川vs真田昌幸の場合は、家康が直接指揮してないから家康の責任ではない。
秀吉は直接尾張まで出向いて、武将を何人も失ってるから局地的にも負けは負けなんだよ。
611 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 12:44:20 ID:7m0v74v+
>>610 なぁなぁ
真田ごとき鳥居、忠世、平岩率いる7000で十分と判断して派遣したのは家康本人だぞ?
直接指揮してないのは秀吉も一緒。
んで小牧長久手を都合のいいように解釈してるが
当時池田勝入は秀吉の直属の部下じゃなくて一時的に秀吉の味方になってるだけ。
関ヶ原で言えば家康と福島の関係に近い。
福島が関ヶ原で壊滅寸前まで追い詰められたのは家康のせいなのか?ってこった。
612 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:18:31 ID:g0SacPNO
もし、福島隊が壊滅して戦線が崩壊すればもちろん総大将たる家康の責任。
しかし現実には瀕死の体とはいえ正則は持ちこたえているのだから
家康の失点にはならないだろ。
613 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:23:03 ID:7m0v74v+
んじゃ鳥居は小勢力の真田に負けたから家康の責任ですね。
614 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:27:53 ID:AxqsQhI0
>>611 福島は一時押されてけど一応互角。池田、森みたいに死んでない。
池田が奇襲したいと言って、秀吉は元同僚で遠慮があるから許可した。
決断を下したのは秀吉。代表者が秀吉でその結果が全国に伝わる。
家康は信濃では合戦に参加してない。
秀吉は参加して総責任者なんだよ。お前は馬鹿か?
別働隊を率いてないけど、秀吉が現場の命令者、責任者なんだよ。
現場で指揮を取った者についての、能力や責任について言ってるんだよ。
根本的に理解が出来てない。細かいことでケチつけるだけ。
真田スレでもお前みたいアホに絡まれた。
615 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:30:50 ID:AxqsQhI0
家康は鳥居、大久保に真田攻めるように命令しただけ。
失敗すれば、徳川全体の負けになるけど、直接作戦指揮してない家康が戦が下手上手は関係ない。
616 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:31:50 ID:7m0v74v+
派遣軍団の規模等決定したのは家康ですが?
秀吉にしたって、奇襲を許可したのに進軍経路も勝入が勝手に決定してるし
城攻めとかしてる。
明らかに秀吉の影響力が少なすぎる。
これは現場の将が逸脱しすぎ。
勝手に信雄が講和したり信雄領が蒲生に切り取られまくってるのを家康のせいだといってるようなもんだろ。
617 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:42:23 ID:AxqsQhI0
>>616 だから、家康は信濃にいない。
秀吉は、尾張の最前線で指揮を取っている。
第三者が客観的に見れば、家康は昌幸に負けてない。
秀吉は家康に負けたと思われても仕方ないだろ?
秀吉に唯一勝ったという財産が家康にプラスになってる。
>信雄領が蒲生に切り取られまくってるのを家康のせいだといってるようなもんだろ
馬鹿か? 信雄の領土がどうなろうと家康の知ったことか。知恵遅れか?
618 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:48:00 ID:AxqsQhI0
619 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:50:48 ID:AxqsQhI0
別働隊率いてないから秀吉の責任ではないて、どこまで知能が低いんだよ。
620 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:58:28 ID:7m0v74v+
>決断を下したのは秀吉。代表者が秀吉でその結果が全国に伝わる。
だから対真田の軍団を編成したのが家康だろがよ。
真田征伐を決断して軍団編成したのは家康。代表者が家康でその結果が全国に伝わる。
>直接作戦指揮してない家康が戦が下手上手は関係ない。
そもそも、奇襲目的の部隊が勝手に即敵に発見されるような経路選択したり
奇襲経路に城の傍を通過してちょっかいだされて逆上して城攻めするような
当初の目的と違った行動なんかされたらその場にいない秀吉のしったこっちゃないだろ。
戸次川の戦いで、秀吉本隊が来るまで勝手に行動するなと言われてたのにその指示無視した
秀久のおかげで島津は秀吉より強いといえるのか?っつーこった。
そんなん言い出したら当初は信雄に肩入れすると思われてた立場的に微妙な池田勝入父子、
森の勢力が消えたおかげで美濃、尾張を渡さなくて助かったがな。
三好秀次8000程度の被害で。
そもそもたかだか2〜3倍程度の武田相手に、手も足も出ずに武田の部隊はほぼ無傷のまま遠州をほぼ
失陥したような戦下手に何を期待してるんだか。
621 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 13:59:52 ID:7m0v74v+
>>619 別働隊が秀吉の意図した行動をしなかったんだから仕方が無いだろ
戸次川の先遣隊も秀吉のせいだとでも言うのか?
622 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:07:27 ID:AxqsQhI0
>>620 お前とはこれで最後、もう相手にしない。
信濃での真田戦は家康は参加してない。
戸次川の戦いでは秀吉は参加してない。
小牧長久手は秀吉は尾張の最前線で指揮を取って負けたから責任が重い。
言いたいことを簡潔にまとめた。
623 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:07:58 ID:g0SacPNO
戸次川なら仙石の責任であって秀吉の責任ではない。
まあ家康の真田討伐同様、人選ミスということはあっても戦術・戦略能力云々とは違う次元の話し。
あと戦力差が二倍の敵に勝つってのは余程の事が無い限り勝てない。
武田最強とかは言わないけれども、それでも強国なのは間違いないわけで、
その武田相手に1/2以下で粘りまくってるのは十分評価に値すると思うがな。
624 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:12:17 ID:AxqsQhI0
>>623 俺が言いたいのはそれなのに、屁理屈つけられる。
直接作戦に参加しての戦略、戦術についていってるんだよ。
現場の指揮官としての責任について言ってるのに、戸次川の戦いとか信雄領取られるとか変なこと言う。
625 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:16:02 ID:dS/SC5Ga
とりあえず、小牧・長久手の戦いについては、
もう十分議論したし、家康は秀吉に勝ったということにしておこうや。
そうでないと、家康は野戦の達人という立場が根本から揺らいでしまうだろう。
次になすべきことは、家康は野戦の達人説の補強だ。
他の戦いでも、家康は秀吉よりも高い指揮能力を発揮しているという論証をしなければならん。
626 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:19:20 ID:7m0v74v+
>>623 うん、その話はわかる。
けど、小牧長久手の場合は人選ミス以前に、正式な配下じゃない池田勝入のゴリ押しという側面もあるし。
有利な防衛戦で4ヶ月間あちこちで敗戦しまくってるから粘ってるわけじゃないと思うけど・・・。
>>624 だからさ、秀吉自身が別働隊ではないし、勝入は秀吉の配下じゃない微妙な立場な人物だし、
奇襲目的にしては行軍がおかしいし、家康本隊を引っ張り出す囮なら、せっかく引っ張り出したのに気づかないとか
あまりにも秀吉らしからぬ戦いじゃん。
明らかに勝入の行動がおかしいのに秀吉の戦上手とか下手とか関係ないじゃん。
627 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:25:07 ID:iebsGQEU
別動隊が秀吉の指示通り動いて負けたのなら秀吉の責任
別動隊が指示を無視して勝手に動いて負けたのなら人選ミスではあるけど
戦下手とは言えない
628 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:26:33 ID:MSCxGHKE
迂回作戦が池田のごり押しというのは間違い
丹羽への秀吉の手紙から彼が乗り気なのは間違いない
629 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:28:56 ID:7m0v74v+
>>627 そうそう。
囮目的だとしたら、引っ張り出すのに成功したのにもかかわらず気づかないで壊走したり
軍監の堀秀政が家康の旗印を見て撤退とかってのがおかしいし
そもそも先行部隊の池田父子隊、森隊と、後陣の堀隊、三好隊と密な連絡を取り合っていないという
ていたらくだし、明らかに現場の責任者の勝入の指揮がおかしいだろ。
630 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:36:13 ID:7m0v74v+
>>628 例え秀吉の策だったとしても、勝入の指揮がまず過ぎるのは明らか。
631 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:37:16 ID:AxqsQhI0
池田に責任押し付けるけど、3倍くらいの兵力差がありながら有効な作戦が考えられなかったから
ダメ元で奇襲部隊とか編成したんだろ。黒田が不在だし。
632 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:46:29 ID:iebsGQEU
丹羽宛ての書状で秀吉の作戦って説が現実味を帯びてるけど
普通に考えれば奇襲作戦自体おかしいとおもうんだが。
長期戦は、補給線が長く勢力の大きい秀吉の方が一見不利だが、
この時点では実は領民と兵糧を根こそぎ動員、徴収してる家康の方がやばかった。
秀吉側にはまだ別動隊を組織出来る余力があり、実際小牧長久手後に氏郷が信雄領をおとしてる。
たしかに西方が不安定だが、家康程逼迫した状況じゃないから
わざわざ家康に対して焦って別動隊を組織しなくても良かったんじゃないかなと思うんだけど。
碌な勝ち戦を行なってない家康を舐めてたのかもね。
633 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:52:40 ID:7m0v74v+
>>631 一枚岩じゃなかったしな。
秀吉の勢力固めの最中だったわけだし、九州四国も越中も怪しいし、
どこか他の地域で劣勢になったら秀吉から離反する連中は多いだろうし
(特に信雄寄りと思われた池田父子と甥の森あたり)
積極的に出るのも慎重になるのは仕方が無いだろ。
それにダメ元だったとしても明らかに池田の指揮はおかしいと思わないか?
即発見されてるし、城攻めしてるし、周囲を警戒してないし、秀吉どころか三好本隊とも連絡を取ってない。
634 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 14:55:00 ID:iebsGQEU
あと、家康厨ってすぐに相手を知恵遅れとかって煽るのな
635 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:24:27 ID:MSCxGHKE
>>633 いや、別に
岩崎城は隘路を押さえる場所だから落とすのは当然
見つかったのはどうしようもないし、問題なのはその報を受けて小牧山を出陣した家康に気付かない秀吉
そして半数以下の敵に一撃で崩壊した秀次勢
636 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:27:33 ID:7m0v74v+
637 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:29:13 ID:7m0v74v+
>>635 勝手に進軍経路を決定して、その経路すら秀吉に連絡もしてない上に
勝手に城攻めして後軍が襲われてる間、城攻め勝利の酒宴してた馬鹿に問題がないと?
さすがの秀吉もフォローしきれないだろ。
638 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:32:07 ID:MSCxGHKE
そっちはもう議論は収束してるので
関ヶ原の問鉄砲も含めて
639 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:34:28 ID:iebsGQEU
問鉄砲信じてる連中は完全に漫画しか読んだことないだろ
640 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:37:02 ID:7m0v74v+
問鉄砲はさすがに講談レベル
鉄砲隊を松雄山山麓に派遣して弾ごめして発射して、山麓から秀秋本陣に届くわけないし
山麓の部隊が気づいて山頂まで駆け上がって報告したとしても、出陣命令が出るまでの時間がおかしすぎる。
正午に家康が命令して午後一時には大谷隊が壊滅してるんだぞと。
641 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:37:35 ID:MSCxGHKE
そういう脊髄反射は当該スレを読んでから、言いなさい
642 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:38:36 ID:7m0v74v+
お前問鉄砲が実際にあったとか史書にも山麓より〜とかデッチあげた家康厨だろ
643 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:39:30 ID:iebsGQEU
該当スレってどこ?
644 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:40:45 ID:B67HgxrD
>>623 野戦で2倍の武田軍相手に徳川軍が粘ったって、どの合戦の事?
645 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:43:47 ID:7m0v74v+
「松尾山山麓東より〜と史書にあるから、東から回り込んだ」
とか言い出したくせにその史書のソース要求しても全然ださなかったやつだ、思い出した。
646 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:46:16 ID:7m0v74v+
4ヶ月間、遠江で暴れられまくって東遠江を失陥して三河野田城も落とされた程度で済んだのは
家康にしてみれば粘ったほうなのでは。
まぁ信玄殺したのは家康の狙撃兵なんだろうけどw
てかそれと同じくらい信憑性ないぞ問鉄砲って。
647 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 15:49:26 ID:MSCxGHKE
問鉄砲がないという根拠がを総て否定したら、罵声だけになったやつもいたな
648 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 16:10:45 ID:7m0v74v+
妄想ソースが根拠とかおかしくないか?
649 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 16:13:17 ID:iebsGQEU
問鉄砲があったなんて言ってるのは2chでも一人だけ
650 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 16:14:32 ID:7m0v74v+
大体お前ソースも明かさずに、自分で計算してみたら問題なかったってレスして逃げたじゃねーか
651 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 16:19:04 ID:7m0v74v+
ってこのスレだったか
>>429で
>東軍後方を回り込んで松尾山に近づきとあるので、山を挟んで大谷隊の
>反対側から打ち込んだ様に見ているのですが・・・
であたかもどこかの史料から引っ張ってきたソースみたいな記述をして
ソースの提示を求められて
>>433で逃亡
>>647 >根拠がを総て否定したら
お前が逃げてんじゃん。
>東軍後方を回り込んで松尾山に近づきとあるので、山を挟んで大谷隊の
>反対側から打ち込んだ様に見ているのですが・・・
このソース提示してくれよ
652 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 16:25:52 ID:7m0v74v+
過去ログ漁ってみたけど、問鉄砲があったって主張してんのお前だけだな
しかもすぐ逃げるし。
今回もすぐ逃げるんだろうけどw
653 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 16:30:24 ID:iebsGQEU
654 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 17:32:24 ID:iebsGQEU
にげっぷりまで家康並
655 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 17:59:15 ID:Fq8oaTXY
>>561 ここから後で罵詈雑言、で逃げた奴に言われたくねーよ
656 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:02:41 ID:qJrWe/kW
関ヶ原の時間経過が不確かだとか言ってるやつはなんなの?
一刻単位でしかわかってないとか思ってるの?
657 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:06:09 ID:Fq8oaTXY
>>656 それ以上に不確かなんだけどね
時計のない世界なんだから
658 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:14:28 ID:qJrWe/kW
はー。
さすがに可哀想過ぎる。
いいか?当時の気候(霧の晴れた時間)、太陽の位置なんかの各史料の記述を元に
現在ではほぼ当時の両軍の行動が細かく解明されてるんだけど。
無論細かな動きなんかは記述にあいまいがあるからはっきりとはしないけどな。
大きな事象で複数の史料に記載があるようなものならほぼ正確と言っていい。
>>434 はの時間推移は多くの学者というか、全ての論説の基本になってる。
当時は時間が不確かだったとか言ってる時点で何も知らない馬鹿ってのは判明したな。
659 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:19:56 ID:iebsGQEU
流石にこの家康厨はキチガイと言わざるを得ないわ。
問鉄砲信じてるのコイツだけだしな。
660 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:22:32 ID:Fq8oaTXY
661 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:23:09 ID:Fq8oaTXY
662 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:23:54 ID:qJrWe/kW
問鉄砲自体虚構なんだから時間がおかしいのは当然だろが。
663 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:30:23 ID:qJrWe/kW
え、
辰に始まり巳午まで勝負付かず
辰刻に軍はじまり。午の刻におよびてもいまだ勝敗分れず
え、ひょっとしてこれ引っ張ってきて、実際はいろんな時刻で照るからはっきりした時間なんてわからんだろ
って言ってんの?
巳午
牛
えー
これって
8時から始まり、昼頃になっても勝負が付かず
8時に軍始まり。正午になってもいまだ勝敗分かれず
程度の誤差だぞ?
そもそも詳細な時間経過なんぞとっくに学者が解明してるんだけど?
大体時間記述云々なんか問鉄砲の有無に関係ないだろ。
664 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:31:31 ID:qJrWe/kW
ダメだこいつ。
どうせ言いくるめられると逃走するし基地外相手に正論語っても意味無いから
今後コテつけてくれ。NGに登録するから。
そうしてくれれば二度とレス返さないよ。
665 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:37:59 ID:Fq8oaTXY
>>663 鉄砲撃ってから、小早川攻めるまでの時間が短すぎると
否定派が言ってたんだけどね〜山降りるのに時間がないとか
で、その時間記述は適当というと「大体時間記述云々なんか問鉄砲の有無に関係ないだろ」
か
666 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 18:45:23 ID:iebsGQEU
一二時間程度変わった所で無理だからだろ
一時に大谷壊滅してるんだから、桃配山にいる時から指示しないと間に合わないだろ
お前の根拠のない計算だと可能らしいが
そもそも問鉄砲の矛盾は時間の整合性だけじゃ無い。
キチガイになにいっても無駄だろうが
667 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 19:21:07 ID:Fq8oaTXY
>>666 時間的根拠ないのはお互い様
そんなもん、実際に人数と地形を合わせないと分かるもんではなく、
そうでなければ史料は尊重させるべき
>一二時間程度変わった所で無理だからだろ
>一時に大谷壊滅してるんだから、桃配山にいる時から指示しないと間に合わないだろ
大谷が死んだのは藤堂仁右衛門と湯浅五助の逸話が申刻(午後4時前後)過ぎだから
その辺りなんじゃない
668 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 20:09:31 ID:pk1PKmFQ
そうとうキてるな。
家康厨ってこんなんばっかか。
晒しage
669 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 20:48:08 ID:NYCjzhNd
問鉄砲信じてるくらいの馬鹿だから仕方ないね
義昭に養子を断られたりしたと思ってるんだろ。
御用学者もここまで信じ込む馬鹿がいるとは予想できなかっただろうな。
670 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 21:37:58 ID:Fq8oaTXY
ああ、ついに罵詈雑言だけになったか
歴史は繰り返す
671 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 21:38:38 ID:pk1PKmFQ
コテつけてね
672 :
670:2008/07/26(土) 10:02:14 ID:FaQuQUk7
さて、何事もなかったかのように長久手に話を戻すと
秀吉の2回に渡る敵が移動したことを見落とした大ミスは否定しようがない
迂回部隊も何らかの連絡が来るだろうと思っていた故の油断だったろうし
一方、上田攻めは確かに家康の真田に対する過小評価はあっただろう
但し、一戦で負けた後は直ぐに撤退を命じているし、家康の武将も有力な
ものは死んでない
673 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 10:27:50 ID:nVUsXntt
>>672 昨日は池田のミスが悪くて秀吉に責任がないと何度も粘着されたけど、
結局黒田が不在だとあの程度の作戦しか出来ないことだろ。
東海道をまっすぐ奇襲ですぐ見つかるし。
太平洋側から九鬼の水軍。
佐々と前田が対戦中なので、同盟国の上杉に川中島から信濃を攻めさせる。
いろいろ出きるはずなのに、だらだらと睨み合い。
明らかに秀吉の失敗だろうが、池田はただの駒の1つに過ぎない。
674 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 10:32:39 ID:YyF0v3Ru
何らかの連絡がくるという思っていたから現地諜報や部隊間連絡が疎かになる?
よくわからん。
675 :
670:2008/07/26(土) 10:38:09 ID:FaQuQUk7
>>674 確かに周辺監視していないのは迂回隊のミスではあるね
より正確には秀次とその近臣のミスだな
で、それと同様、もしくはそれ以上のミスとして対峙中の敵が
移動したことを察知しなかった秀吉自身という事になる
676 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 10:43:11 ID:YyF0v3Ru
でも家康にしても万単位の別動部隊が陣から出陣したことを現地諜報がくるまでは気付かなかったんだよね。
そっちはミスでないのか。
677 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 10:46:57 ID:KqRMhl4s
現地諜報を得て、出陣して、ワンサイドゲームで勝てたことをミスだというのなら、ミスなんだろうよ。
678 :
670:2008/07/26(土) 10:57:51 ID:FaQuQUk7
>>676 第一報は地方人の通報だけど、二報は潜伏させていた伊賀者の情報ですから
この点は正しい忍者の活用法その一ですな
679 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 13:15:50 ID:bIZznFat
でも伊勢方面では勝っていて、最終的にこの戦争にも勝ったのだから秀吉の勝利じゃ
長久手の一局面だけ見れば徳川が勝ったと屁理屈こねることも出来るだろうけど
680 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 14:59:29 ID:7EdoGi0N
初めまして、長久手関連を少し調べているもので、失礼させていただきます。
戦線が膠着した状態で、兵力的に優勢な秀吉が別働隊を出したことは間違いじゃないでしょう。
楽田に本陣を上げ、圧倒的な兵力差で小牧の織田・徳川勢を拘束した上で、
織田・徳川連合軍本隊と同規模の別働隊に好き勝手をさせるというのは、悪くはない手です。
織田・徳川勢からすれば、小規模の迎撃部隊を分派してもいやがらせ以上のことは出来ず、
かといって本隊を別働隊迎撃に回せば、その間小牧の陣ががら空きになる上
(小牧を取られれば尾張北部は秀吉勢のものになるでしょう)、
秀吉別働隊と織田・徳川本隊が交戦中に、
圧倒的兵力を持つ秀吉本隊が援軍に駆けつけるという最悪の可能性もあります(そうなれば賤ヶ岳の再現です)。
そういう意味では別動隊の行動は秘匿できればその方が都合がいいが、
ある程度進めば織田・徳川勢に察知されるだろうと考えいたでしょうし、
その行動も岡崎城攻略といったギャンブル性の高いものではなく、
(岡崎に向かってると書いてるのは徳川方の資料ばかりではないでしょうか)
尾張北部東部の在地勢力の取り込みでも、織田・徳川方の小城を次々落としていくのでもいいでしょう。
(それはそれで織田徳川勢はじり貧になる)
もちろん、内応などが期待できるようなら岡崎城を狙ってもかまいませんが。
そこまではよくわかるんですが、
秀吉勢としては別働隊を出した時点で、
(秘匿するつもりがあろうとなかろうと)
それに対する織田・徳川勢のリアクションを徹底的にチェックしなければならない筈です。
しかし、合戦前日の織田・徳川本隊の小牧から小幡への移動を察知出来ず、
長久手当日の小牧での小競り合いでも小牧の陣がががら空きなのに気づきません。
直接的には前線の偵察担当者の責任でしょうし、
数キロ足らずの距離で対陣しているとはいえ、
敵兵力の把握は以外に難しいことはわかりますが、
当然注意すべき情報の収集が甘かったという点では、
楽田の陣のトップの責任が一番重いでしょう。
別働隊についていえば、織田徳川勢が動けば、楽田の本陣から連絡があると思っていたのかも知れませんが、
それ自体考えが甘いし、
また小規模部隊のゲリラ的襲撃も考えられるのですから、
三好隊の警戒および防御体制はいただけません。
(池田隊がすべきなのは前方警戒だろうし、それをきちんとやっていたかどうかはもはや知ることはできないだろう)。
私は秀吉の能力を否定するものではありませんが、
長久手のときには、秀吉方が皆「家康は小牧から動けない」と誤信していたように見えます。
もちろんこれは私の推測に過ぎませんが、
そう考えると、なんでああなったかが一番理解しやすいのではないでしょうか。
人物評価にはあまり興味がなにのですが、
家康についていえば優勢な敵にも戦いを挑むクソ度胸と、
自軍の行動を完璧に秘匿し、
勝ったあとは秀吉本隊が来る前にさっさと逃げた、
要領の良さを評価すべきなのでしょう。
681 :
670:2008/07/26(土) 15:21:59 ID:FaQuQUk7
>>679 少なくとも秀吉は家康を凄い奴と受け取る様にになったのだから
その点において家康にも得るところは大きいといえるでしょうな
単純に勝ち負けで済まない、猿と狸の化かし合いの始まりなんですな
682 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 17:03:31 ID:9dIsFQo0
嫡子を差し出してるけど?
683 :
670:2008/07/26(土) 17:05:11 ID:FaQuQUk7
684 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 17:28:13 ID:vmru+1Ug
やけに伸びてると思ったら・・・まとめは?
685 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 18:51:12 ID:KqRMhl4s
戦術は家康の勝利、政略は秀吉の勝利
何も変わりませんでした。
686 :
670:2008/07/26(土) 19:04:28 ID:FaQuQUk7
>>684 家康は戦略慎重、戦術大胆
それゆえ基本的に決戦は回避するが本当に慎重な時は大胆に行動する
また、徳川家の軍勢は機動力に強みがあり、家康自身の才もそれに沿っている
これは撤退時、例えば天正壬午の乱時における酒井支隊の信濃から甲斐への撤退戦
上田合戦の撤退などが上げれる
逆にその機動力が不要な攻城戦はその精彩を欠き、一般的な付城戦略が基本となり、
力任せな攻城は守将が勢いで圧倒されない標準以上なら苦戦・大損害を被る
そういう意味で家康が野戦が得意なのは間違ってなく、後は達人云々は主観で左右される
ものだから俺の主観では達人
以上
687 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 20:09:57 ID:nVUsXntt
秀吉の今までの圧倒的な戦歴からすれば物足りない。
留守中の信雄の伊勢領を取ったくらいで戦略では勝ちとかせこすぎる。
>>679 家康は2連勝してるだろが
688 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 20:22:09 ID:74QoXQlX
家康のような大名クラスが野戦の達人である必要はないよな
勿論人並み以上にこなせなくてはいけないけど
689 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 20:44:03 ID:nVUsXntt
>>679 この馬鹿は昨日から池田が悪い、秀吉はいいとかばってた奴だろ。
柴田、明智は完全に滅んで、島津、長曾我部は本国以外没収と完全に勝っていたのに
かなり譲歩して何とか傘下におさめたのに、勝ち勝ちと言い張る。
秀吉本隊は負けてないて、本隊から別働隊を派遣して壊滅的に負けてるのに。
秀吉贔屓過ぎる。屁理屈こねないで、1回くらい負けを認めてもいいだろうが。秀吉の子孫かよ。
690 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 21:16:13 ID:pY8+xL01
夏は馬鹿が多いな
691 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 21:30:09 ID:7EdoGi0N
家康が野戦の達人かどうかは疑問です。
家康派の方に罵倒されるかも知れませんが、
部隊の指揮管理はうまいし、
突発事態への対応力も優れていると思いますが、
独創的な作戦を発案する能力は、私が不勉強なせいかも知れませんが、
あまり思い当たりません。
強いていえば、長久手がそうかも知れませんが、
敵方がまさかやらないだろうと思っていたギャンブルをやっちゃうというのを、
果たして独創的な作戦といっていいものかどうか。
真田あたりが敵の意表をつくのとは少し違うように思えます。
(なお、部隊の指揮管理がうまくすばやい対応能力があるならば、
独創性がなくても「達人」であるという定義を取るなら、
「達人」といっていいかも知れません。)
一方家康は、戦うと腹をくくればきわめて積極的で、
それがうまくいけば綱渡りの連続のような長久手合戦の勝利になり、
(あるいは秀忠隊抜きでの関ヶ原の勝利もそうかもしれません)
失敗すれば三方原になるわけですが、
それらの個々の合戦の勝敗よりも、
可能な限り積極的な行動を取り、
作戦のイニシアティブを握ろうとする姿勢が、
秀吉子飼いの武断派の面々から、
徳川殿は合戦がわかってるという評価を受け、
それが武断派を味方に取り込み天下取りにつなげる重要なポイントになった事は間違いないでしょう。
家康にとって必要なのは「(三成などと違い)野戦がわかっている」という評価であって、
「野戦に強い」ではないでしょう。(まあ強いに越したことはありませんが)
そういう意味では、達人と見られるかどうかは、家康本人にとっては二義的な問題だったように思えます。
(もちろん、そういう問題について、現代の私たちが議論を楽しむことは大変結構だと思いますが、
望むらくは「楽しみ」の範囲から逸脱しないことを。)
692 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 21:34:43 ID:nVUsXntt
693 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 22:10:25 ID:nVUsXntt
野戦の達人は代表者は韓信かな。
三河兵は統率が出来てるけど、家康が野戦の駆け引きがうまいかと言うと手堅いけど達人といえるかどうか。
694 :
670:2008/07/26(土) 22:20:46 ID:FaQuQUk7
>>691 その点の戦略と戦術に対する姿勢の乖離が家康の戦術能力の
解明に大きな障害になってるのは事実でしょう
独創性というおいては家康は確かに乏しいといえるでしょう
そういう意味では天才ではありません
そういう意味で達人というのは天才寄りか熟練寄りかによって
認識に大きなずれを生じるのは致し方ないかと
ここのスレでは戦略面ではなくあくまで戦術面での才を云々
しているので、この点では独創性が乏しい家康を評価するのは
家康の行動が戦術と戦略は連動している面を含めて非常に
難しいのです
例えば、決戦回避は戦術才能に含まれるか否か
ですな
695 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 00:12:00 ID:9qMRADcT
家康は単に経験値があるだけで普通レベルだろ。
相手が秀吉だからと小牧長久手の局地戦の勝利を過大評価しているにすぎない。
家康でなくてもあの場合はああするしか無いだろ。
ほっとけば自領を蹂躙されて滅亡するだけだからな。
信玄には完膚なきまでに大敗しているし、数で圧倒しているにもかかわらず
真田にはこれまた2回も完膚なきまでに追い払われている。
はっきり言っといてやるが、家康は並、ただ徳川軍は忠実で実直地味な忠犬家臣に支えられてたから生き残れただけ。
信長や秀吉、昌幸や如水や維新、政宗にすら及ばない、長生きで運のいいだけのジジイ。
696 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 01:14:32 ID:job8Sy5l
達人なのに武田にフルボッコされたのは?
信玄死ななきゃ三遠失って徳川滅亡してたんじゃね?
697 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 01:25:20 ID:OVoiObsi
いやまぁその時期まだ達人じゃなかったと言うわけで悪しからず
698 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 01:51:21 ID:PqBHvteO
それで
>>623は2倍以上の武田軍相手に徳川が粘ったのがどの戦か言わないで逃げたの?
事実無根な捏造だから?w
699 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 02:14:10 ID:4lsDuIcV
家康は処世術の達人 専門分野に優れていると言う感じではない
700 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 06:34:32 ID:wdJJzy4M
家康の経験値は政治家としては母の離縁の思い出から、武将としては
今川家で受けた教育から出発してると思うのだけれど、本人が内心で
抱いていた大望はともかくまずは今川に仕える武士として教育された
のではないだろうか。
初陣を迎えた松平元信はいい働きをして三河武士の熱烈な下支えを正しく
結果へと導き、今川家を満足させた。三河武士も清康の再来を想起する
ようになり、励みとしたわけだ。
あくまで個人的な意見だけど、家康に天才性を見出すとすれば、武人もしくは
士官としての才能が最も開花が早く、また見えやすいと思う。
武将、統治者、外交家、謀略家としての家康は本人が永年研鑽を重ねて
伸ばしていったものなので、人によって大器晩成、秀才、熟練者、達人と
いろいろな見方や解釈があると思う。
701 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 07:01:46 ID:5hdt9UVb
将棋では平凡な手で勝つのが最上でな。
702 :
670:2008/07/27(日) 11:59:06 ID:KV481YM7
>>698 単純に国力の比較でしょ
因みに徳川家が武田家に勝った最初の例は
天正1年9月8日に長篠城を落城後、大須賀康高等が
後詰の武田信綱・山県昌景等と同国堀越で破った件、
703 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 12:37:22 ID:rX+lbBEg
>>701 最上義光が将棋上手と勘違いしたじゃないか
704 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 13:58:51 ID:job8Sy5l
>>683 いや、関係なくね?
庶子だろうがなんだろうが、信康殺害した以上、事実上の跡継ぎだろ?
705 :
670:2008/07/27(日) 14:16:03 ID:KV481YM7
>>704 いや、丁度その頃に秀忠が生まれている(自害の二ヶ月前)
秀康の母は築山殿の下女で、秀忠の母は国人の娘という出自の差があり
そういう訳で跡取りとは見なされていなかった
706 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 16:15:14 ID:Hckh1xM7
そこらへん微妙な外交の駆け引きという感じがする
秀吉は秀康のことを「信康亡き後の家康の息子で最年長、事実上の家康の嫡男を人質にとった」
みたいな感じで秀康を受け取って、その政治的勝利を宣伝した節があるし、
家康は家康で
>>705みたいな理屈で家中の和睦に反対する連中を納得させたんじゃないかと
707 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 17:18:07 ID:bGZyQMNj
そもそも嫡男じゃなかったから、家康も人質に出したんじゃないの?
秀吉の方から嫡男をくれ、ていう指名でもあったんじゃなければ、嫡男はやらんでしょう。他にもいるのに。
708 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 19:13:36 ID:KzWQlNuJ
下女に生ませた子供だろうがなんだろうが、子供取り上げられて乳母に託されて
家をおいだされたりした訳じゃなく、家康の室としての待遇を受けてるんだから
立派に継承権あるだろ。
後に、豊臣との友好関係を考慮されたとしても、他家を相続してても、
徳川の後継者の一人として支持した重臣だって居るわけだし。
俺が秀吉の立場でも、長子を選ぶ。
結局、秀吉に屈したと後世に思われたくないから生母を貶めたり、
家康に嫌われてたとかって事にしたんじゃね?
信康と築山殿を信長の命令でやむなく殺したとかってエピソードみたいにさ。
709 :
670:2008/07/27(日) 19:52:31 ID:KV481YM7
>>708 浜松城外に出て、本多重次の叔母宅で生んだとか、
信康の計らいがあるまで家康と対面しなかったとかあるけどね
こういう話が流布したものと言われればそれでお仕舞い
後は個人の印象任せでしょうね
後継者の話も流布したものであるかもしれないし
似たような例として織田信広がいるし
「家忠日記」「多聞院日記」には秀吉の養子としている
但し、秀吉も直ぐに元服させて、秀康とした上で三河守とするなど外交的
つばぜり合いが面白い
「越前黄門年譜」によると「大神君の御子の内、何れ壱人養子」とし、実際は
人質としている
これとは別に「寛政重修諸家譜」では「ご親族の内を」という事で異父弟
松平定勝を初め送ろうとしたが、於大の方に反対されたという
秀康が結城氏へ養子に出されていなければ、ちょっとは状況も違ってたろうな。
711 :
人間七七四年:2008/07/27(日) 23:52:11 ID:wdomvfmO
どちらにせよ、秀吉の養子になってるから大して変わらん。
712 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 13:25:34 ID:wqLiML1H
>>702 >あと戦力差が二倍の敵に勝つってのは余程の事が無い限り勝てない。
>武田最強とかは言わないけれども、それでも強国なのは間違いないわけで、
>その武田相手に1/2以下で粘りまくってるのは十分評価に値すると思うがな。
もしこれが国力の事いってるならこいつはあまりに無知蒙昧。
国力劣る大名が粘った例なんて掃いて捨てるほどあるよ。
秀吉軍程度の1強にならなきゃどこも専心なんて出来ないわけだし。
でもただこれは、単にこいつの戦略と戦術ごっちゃになっちゃう程度の知能の低さから来てる妄言だ。
国力なら納得出来ると思っちゃうあんたの理解もやばいんじゃないの。
713 :
670:2008/07/28(月) 20:43:02 ID:SrUZ6Pk1
>>712 粘った結果、良くて現状維持で悪くて滅亡の例は掃いて捨てるほどあるよ
結果、領土拡張に成功という例は少ない
後、暑いからといってオーバーヒートしていない君の頭?
エタノール冷却に換えたら
714 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 20:49:48 ID:b69/QyLN
尼子だって毛利だって一国にも満たない勢力からのし上がったんだけどね。
715 :
670:2008/07/28(月) 22:23:34 ID:SrUZ6Pk1
でも、大勢力が必ず越えなければならない道、中央集権化において失敗している
この点、比較的穏便にそれをなしえたのが家康
家康は私的には野戦の達人だが、決してそれだけで伸し上がった男ではなく、
寧ろ二の次、三の次程度のものではある
現代の政治家だったら卓越した寝業師だとは思う。
717 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 23:36:39 ID:V0i1DqeW
家康って風格があったと思う?
718 :
人間七七四年:2008/07/28(月) 23:51:50 ID:b69/QyLN
達人と呼ぶには小牧長久手と対北条(真田の手助けあり)と一向宗相手くらいにしか勝てて無いじゃん
719 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 00:16:45 ID:NNawzKeI
秀吉と、北条と、一向宗に勝てればたいしたものだと思うのだが。
720 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 05:46:00 ID:Hs1jmFC5
天正壬午の乱での家康なんて特に評価すべきところはないでしょ
少なくともこのスレ的(野戦の采配)に関してはね
小牧・長久手の家康はさすがだとしか言いようがないが
721 :
670:2008/07/29(火) 06:28:21 ID:u9Ols/Te
酒井支隊の信濃撤退戦とか黒駒合戦なんかは大したもん
家康直接指揮じゃないけど
722 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 13:46:42 ID:NNawzKeI
韮崎長城築いて亀決め込みつつ、裏で蠢動するあたりは評価できると思う。
まあ戦術能力ではないけど。
723 :
670:2008/07/29(火) 19:56:13 ID:u9Ols/Te
依田・真田の兵站切断は別として
あの当時、大規模な野戦築城による拘束は長篠からのトレンドなんでしょうな
これ以降も賤ヶ岳、小牧とあの戦いに参加していた武将はこれを活用している
石田三成も関ヶ原でこれをやってるが、これは戦術は戦略・政略に負けるという
大原則を証明した結果になった
724 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 20:00:51 ID:LVjTppKJ
単純に少数勢力が減って大勢力吸収されたりして結果戦争自体大規模にならざるをえなくなってるだけじゃね?
725 :
人間七七四年:2008/07/29(火) 20:58:56 ID:oF074MXB
みんな大きい戦しか見てないから話が変になってるんじゃないの
726 :
670:2008/07/29(火) 21:07:53 ID:u9Ols/Te
>>724 どうだろう、東北や九州なんかは同時代であるが同じ例は無いように見える
一番似ている沖田畷の戦いも障害は元からある湿地帯で後は柵と木戸程度らしいし
727 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 15:11:06 ID:c3QDple7
その辺は、地形の差じゃない?
728 :
人間七七四年:2008/07/30(水) 20:13:40 ID:qzI8rztC
経済発展による膨大な資金力を背景にした用兵が中央の大名には可能になったってことじゃ?
四国は相変わらず一領具足制度で、秀長の軍の装備を見てびびったというし、
島津だって似たようなシステムだし。
729 :
670:2008/07/31(木) 06:18:55 ID:2ilwCaBX
>>728 バックボーンとしてはそれが正しいと思います
730 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 06:14:40 ID:XKfxz0LM
関ヶ原での丁半博打の幸運の勝者である家康を過大評価しすぎ。
人よりちっとは悪謀の才がある単なる凡人にすぎん。
731 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 09:30:59 ID:Q1DCFCRs
偶然勝ったと思ってるとは・・・
732 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 12:43:40 ID:xS5xktbb
かなり偶然性は高いよ。もっとも、偶然のない勝利なんて人類史上ほとんどないけど。
少なくとも、かつての「勝つべくして勝った」というのは間違い。
733 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 13:14:20 ID:nkQnxBsY
734 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 19:21:38 ID:Cz36Btkn
家康の判断のおかげで勝った
って事にしたいから、問鉄砲なんかの逸話が捏造されるわけで。
735 :
670:2008/08/03(日) 19:46:41 ID:/NfIyNw/
岡山まで敵に気付かれずに着いて、相手を驚かし
関ヶ原合戦への道を切り開いた力量は恐ろしいものがある
736 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 19:55:41 ID:l6qz2kKu
関ヶ原戦は西軍の戦線後退と東軍の中山道移動によって生じた遭遇戦だろう。
岡山への移動と関ヶ原の本戦はなんの関係があるの?
まさか家康の風説流布で西軍が動いたとかいう与太話を信じてるのかな?
737 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 20:06:46 ID:QL0hKnx/
その真偽はさておき、
問鉄砲って、家康は心底あせってたって話じゃないの。
738 :
670:2008/08/03(日) 20:16:19 ID:/NfIyNw/
>>736 家康が急に現れ動揺→戦線後退→すかさず追撃
>>737 催促、それに家康は戦場ではいつも焦ってる
怒鳴る喚く爪を噛む刀を振り回す
739 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 20:19:35 ID:Cz36Btkn
>>735 なぁなぁ
そんな逸話なら秀吉の方が多いんだが
740 :
670:2008/08/03(日) 20:23:44 ID:/NfIyNw/
>>739 その秀吉を小牧山・小幡城で二回も出し抜いた家康
741 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 21:15:02 ID:Cz36Btkn
状況がちゃうだろと
当時秀吉が尾張につれてきた軍は旧織田がメインで構成されてるわけだから
動きが鈍ってもしゃあないだろ。
三方ヶ原でフルボッコだった徳川とはぜんぜん違う
742 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 21:18:51 ID:l6qz2kKu
西軍の関ヶ原への後退は秀秋の松尾城占拠に対応してというのが有力な説だろう。
743 :
670:2008/08/03(日) 21:20:43 ID:/NfIyNw/
744 :
670:2008/08/03(日) 21:29:21 ID:/NfIyNw/
>>741 前から占拠されてるのに、家康が来てから移動というのは
それが主で、小早川は従でしょう
745 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 21:29:29 ID:BB/+Pw08
小早川と、吉川があの位置に陣取った時点で家康の勝ち
ただ意外な西軍奮戦と、小早川の尻の重さが、家康の誤算
家康が博打を打ったのは、毛利が大坂から出るか出ないかの部分だけでしょう
でもこれは関が原の後の話になるね
野戦の話じゃ無いなこれ
746 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 21:35:44 ID:Cz36Btkn
>>743 お前も家康寄りで補正かかりまくり
秀吉好きなわけじゃなくて、秀吉も家康も同じくらい好きなだけなんだが
明らかに御用学者の風説を妄信して意固地になってるだろ
747 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 21:42:57 ID:l6qz2kKu
秀秋の新城の占拠は杭瀬川の戦いの最中だから家康の着よりも後じゃないの?
748 :
670:2008/08/03(日) 22:15:35 ID:/NfIyNw/
749 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 22:23:09 ID:E6jiV7KX
達人かどうかを秀吉との比較で語るのはどうかと。
別に秀吉に勝ったからって達人じゃないでしょ。負けたからって達人じゃないとは言えないし。
有名どころの武将も大抵一度は敗戦してるけど、負けた相手は必ずしも達人ではないと思う。
750 :
670:2008/08/03(日) 22:33:20 ID:/NfIyNw/
たつ‐じん【達人】
1 技芸・学問の奥義に達している人。達者。「剣道の―」
2 深く物事の道理に通じた人。「人生の―」
1.の奥義は怪しいけど2.の道理には通じていると思う
751 :
670:2008/08/03(日) 22:36:56 ID:/NfIyNw/
もう一つ
たつじん 【達人】
豊富な経験と長年の鍛練により、その道の真髄を体得した人。
前段は十分、後段は人によって評価は変わるな
752 :
人間七七四年:2008/08/03(日) 23:37:34 ID:FSnd81/I
お前みたいな豚厨は臭いからもういいよ
753 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 03:55:33 ID:OIXDd6yL
生涯でおこなった徳川単独戦で負け越してるかも知れないくらい戦歴が怪しい武将に
達人はねーよ
754 :
670:2008/08/04(月) 06:42:31 ID:9VgObWLt
達人を説明した項は面白いことに、勝たなきゃ駄目とは書いてないんだよね
野戦というものがどういうものか理解していれば、勝たなくても達人らしい
755 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 06:49:11 ID:OIXDd6yL
野戦というものがどういうものか理解していれば
領地の半分を4ヶ月で蹂躙されて三方ヶ原で手も足も出ずに惨敗し
小勢の真田相手に一度も勝てないわけですね
756 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 08:36:18 ID:5zXr4lpn
>>755 つまり本人が参加してなくても野戦の評価に関係するというならば、信玄が生涯をかけて築きあげたものを武田征伐開始から七年で攻略した信長が達人というわけですね
分かりますよ
757 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 08:40:44 ID:AjqSovEx
野戦はギャンブルなんだよ
大勝もあれば大敗もありえる
過去にどんなに負けても全財産を注ぎ込んだ大勝負に勝てば億万長者の天下人
家康ほど野戦のメリットとデメリットを知っている人間はいないだろ
758 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 09:44:55 ID:OIXDd6yL
>>756 三方ヶ原に家康はいなかったというわけですね。
流石です。
759 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 09:49:33 ID:5zXr4lpn
>>758 勝頼に横腹つかれるまで(それは数的に不利だからやむを得ないが)倍の相手に序盤は善戦してたんだから充分だろ
760 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 11:49:21 ID:ODpXSRmz
>>753 徳川単独で戦った相手の半分くらいは、国力が数倍離れているような相手ばかりなんだがな。
761 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 13:02:32 ID:Pa9vHsxk
>>760 信長の援軍が来るまで耐えてただけで、戦術があまり上達しなかった。
762 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 16:37:23 ID:1x1PzhGv
これって言われたの小田原後とかだろ。
戦国中期とかと違って手ダレも少なくなってきてた時代だから、まあ妥当ではあった
と思うけど。 戦国全体でみちゃうとちょっと疑問かもわからんな。
763 :
670:2008/08/04(月) 19:20:50 ID:9VgObWLt
>>761 具体的に戦国期の戦術がどのように発達したか理解した上で言ってる?
764 :
人間七七四年:2008/08/04(月) 23:27:19 ID:OIXDd6yL
>>759 陣形の有利不利関係ナシに、それまで善戦してたから達人なんですか
鶴翼はどこかが突破されるまでは強いけど、そんなこと関係ナシに
突破されるまで善戦したから達人ですか、すごいですね。
>>760 つまり生涯行った戦争の半分が少数、残りの半分が多勢だったと。
織田、豊臣家以外では結構普通のことじゃね?
毛利元就なんかはずっと大きな勢力相手に戦ってたんだけど。
765 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 01:28:27 ID:zTjhWnjT
>>764 本来優勢をもって少数の敵を囲う鶴翼で、倍の敵(しかも中央突破形の魚鱗相手)相手に善戦できるのは凄い事だぞ
突破されるまでて、初めから倍の相手に勝てるわけないんだから、それでも負けるまでやらなくちゃならんだろ
それとも浜松を出ずに三河で乱取りされるのを指を咥えて見てなきゃならんのか?
そんな事したら領民も家臣も家康から心離れていくぞ
負けを承知でも自ら軍を率いて討って出る事に意味があるんだろ
だから徳川は堅いんだよ
それでも自分が逃げやすい鶴翼の陣を敷くのが家康が狸たる所以
766 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 01:53:01 ID:zTjhWnjT
>>764 >有利不利関係なしに
こじんまりとした守りの陣形敷いたら囲まれて家康は死んでたよ
鶴翼を敷いたのは正解
その判断は充分評価される
信玄が川中島で方円敷いたか?
767 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 03:34:02 ID:TOtk97RR
>>764 >毛利元就なんかはずっと大きな勢力相手に戦ってたんだけど。
戦国大名への転化が遅いんだもの。
そら国人領主として大内や尼子の尖兵として戦っている期間の方が長いわな。
768 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 04:15:14 ID:UPl0wbhy
>大内や尼子の尖兵
所詮徳川も織田の尖兵
ってレスするくらい文章を恣意的に切り取って論点を逸らす池沼
769 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 05:13:02 ID:3tGi9qok
>>765-766 三方ヶ原で家康がすごいとか言う儲はじめてみた
結果負けても善戦したとか言うけど、武田方はほぼ無傷で徳川方ほぼ壊滅しとるやん。
更に言えば、見方ヶ原に出陣しなければならない状況を作ったのも家康自身なんだがな。
遠江を無抵抗で明け渡した結果。
770 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 07:05:24 ID:zTjhWnjT
>>769 合戦そのものでの死者なんていぜれの合戦にしても高が知れとるだろ?
死ぬのは大抵撤退時に後ろから突かれてのもの
原因を言い出したら結果も言わなくちゃ
徳川>武田領を切り取り、後に天下人
武田>滅亡
771 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 07:14:47 ID:UWK7fEI7
どれだけ後の結果あげてるんだ。
そこまで後のあげたら意味ないだろ。
772 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 08:32:49 ID:vg4NKRSs
773 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 09:35:12 ID:rS3aiOah
>>731 >偶然勝ったと思ってるとは・・・
小早川秀秋はどっちを攻撃するか迷いに迷っていたわけだから、
どう考えたって偶然の勝利だろ。
どう考えたら必然の勝利という論法が湧いて出るのか理解不能。
774 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 12:54:53 ID:X4jIOLaW
>どっちを攻撃するか迷いに迷っていたわけだから、
迷ってない
775 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 13:11:18 ID:zTjhWnjT
鉄砲は合図だろ
届く分けないし、届くわけがない鉄砲に恐れて裏切りるなんてあまりに不自然
今ここぞってタイミングの小早川への合図だろうな
776 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 13:22:02 ID:QvFaR0HR
777 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 13:46:30 ID:krbjlQR1
徳川厨フルボッコww
778 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 14:23:16 ID:h34jTuSf
三方が原で家康がすごいとか言ってる奴なんて、釣りでなけりゃただのバカ
779 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 14:28:10 ID:H5xzBvd/
凄いのはウンコの量です。
780 :
670:2008/08/05(火) 19:54:23 ID:UOhsGXSi
781 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 20:28:21 ID:QvFaR0HR
>>780 発砲煙w
絶対ありえない。
まあ狼煙だったら有り得るかもな。
とりあえず君は武田信玄と武田勝頼が同一人物だと思ってるようですね。
物凄い“大馬鹿者”ですね。
782 :
670:2008/08/05(火) 20:50:23 ID:UOhsGXSi
>>781 黒色火薬は煙が凄いのですよ、まさに煙幕
負けた後の損害の大きさが、双方で違いすぎる事を上げたんですけどね
信玄についても川中島や上田原でかなり重臣が死んでるような
783 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 21:27:29 ID:QvFaR0HR
>>782 川中島の戦いと上田原の戦いで亡くなってる重鎮なんか一人か二人ぐらいじゃね?
武田勝頼の長篠の戦いは酷すぎるけどな。
784 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 21:33:36 ID:GTHGsJpK
>>780 三方ヶ原では織田の平手も込みにすれば重臣級は4人も死んでるぞ。
重臣級でなくても名のある武将がたくさん死んでる。
立派に大敗。
785 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 21:39:45 ID:QvFaR0HR
連レスすまん
>>782 つまり、徳川家康と武田勝頼の戦上手さを比べてるわけだな?
三方ヶ原の徳川家康の惨敗と
長篠の武田勝頼の惨敗を、
まあ相手が相手だからな…
はっきりいって武田信玄は戦上手ではない
(石田三成ほど下手ではないが普通より少し下ぐらいかな?)
で、戦上手の織田信長が勝頼の相手。
もしだよ?、もしもの話だよ?
三方ヶ原の戦いの武田軍を織田軍にし、
長篠の戦いの武田軍を徳川軍にしたら
徳川軍の被害は相当なものになると思う。
786 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 21:45:36 ID:wfko+Rc3
徳川と織田が戦ったら 織田は負けるだろうね
平手の死に様も情けなかったし
787 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 21:47:20 ID:GTHGsJpK
生涯でほとんど勝ってる武将でも戦上手じゃないのか…。
長篠なんか鉄砲や柵や土塁備えてる兵力倍以上の野戦陣地に突撃したんだから
誰が守り手でも誰が攻めてでも相当な被害になると思うが。
788 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 21:48:45 ID:QvFaR0HR
789 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 22:19:38 ID:bExVcOZH
石田三成が戦下手・・・?
790 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 22:42:54 ID:wEbpK5j9
石田三成の場合は軍略や戦略が分からないのではなく
空気が読めない、態度がでかい、人による好き嫌いがハッキリと分かれるといった
人間性に起因する部分が大きいからな
戦下手というより表立って戦に関わること自体が間違っている人間
姿を見せない裏方ならば使い道はある
791 :
670:2008/08/05(火) 22:43:08 ID:UOhsGXSi
>>784 大敗だけど壊滅はしていないんだよね
平手以外は千人級の部将は死んでないし
792 :
人間七七四年:2008/08/05(火) 23:06:27 ID:GTHGsJpK
>>791 二股城を守っていた中根や青木や石川は無視かい。
戦自体も2時間くらいで徳川軍崩れて終わっちゃったしな。
793 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 06:29:46 ID:2edlmm87
家康にとっては戦闘開始時刻が日没寸前だったのが幸いしたな>三方ヶ原
夕闇と三方ヶ原周辺の地理を熟知していたことが
徳川家臣団の逃走に大いに利したということは想像に難くない
あれでもし戦闘開始時刻が午前とかだったら普通に
家康以下徳川の主だった連中武田軍に討ち取られてただろうな
もっとも家康自身敗走したときのことも計算に入れてあの時刻に開戦したのかもしれんが
794 :
670:2008/08/06(水) 06:32:32 ID:YO5Bo0Up
>>792 彼らは多くてニ三百程度の指揮官
三方ヶ原が早期に終わったのは夕方に戦闘を始めたからで
暗くなって崩れて退き、追撃されたが暗くて壊滅しなかった
795 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 14:51:45 ID:FUt5M7NV
三方が原て、浜松城からすぐの距離じゃないの?
逃げるのにえらい苦労したみたいだけど。
796 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 16:44:16 ID:6EX+N+OF
>>782 その発砲煙事態、松尾山麓はじめ至るところで上がってるんだけど?
797 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 17:03:48 ID:6EX+N+OF
>>782 更に言えば、自分の領内、しかも居城付近という家康にとって有利すぎる地理的条件で
重臣が死ななかったから戦上手とか頭おかしいんじゃないか?
それに千人級の部将クラスの重臣が〜とか言ってるが、しみったれの家康の配下で三方ヶ原に参戦してる
千人級の部将がどれだけいたと思ってるんだ?
>>785 勝頼は高天神城を陥としてるしね。
戦下手じゃないよ。
農民から過剰な税を徴収して豪族、一門衆に見放されるような内政下手、カリスマ不足等はあるんだろうけど。
>>789-790 忍城の事を言ってるんじゃ?
関ヶ原では石田隊は獅子奮迅の働きをしてるけど、左近や郷舎、舞兵庫あたりの力もあるんだろうね。
798 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 19:18:46 ID:Rp4Gpx6g
家康の場合、三方が原の敗戦を契機として戦闘能力上げていく要素が大きいわけで
その敗戦を理由に戦下手と断じるのはしっくりこない。
敗戦を生涯の教訓にできる人はそういないと思う。
それと重臣を失わなかったことは大敗の中から再起を期す意味では大きい。
799 :
670:2008/08/06(水) 20:06:18 ID:YO5Bo0Up
800 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 20:37:03 ID:6EX+N+OF
>>798 三方ヶ原以降でも勝頼に高天神落とされてるし
真田相手にフルボッコにされてるじゃん?
>その敗戦を理由に戦下手と断じるのはしっくりこない。
とは言うけど、逆に家康が誇れる戦歴って
小牧長久手の局地戦で別働隊を討ち取った事(しかも秀吉は主力を別方面に展開中)と
天正壬午の乱(中盤以降は真田等の働きが大、更に真田の所領を巡って対立してフルボッコにされた)
位しかないじゃん。
対照として挙げられる秀吉に関しては、江戸時代の御用学者の粉飾された経歴の家康と比較しても
同等の動員力を持った中国総司令時代の戦歴を見ても明らかに家康の方が劣るだろ。
そして、家康以上に戦の達人と呼べるような戦国大名なんてボロボロいるしな。
家康を達人と言うなら達人のラインが低くなっちゃうよ。
>>799 3人生き延びただけだよね。
そもそも家臣の俸禄ケチりまくってた上に、三遠二ヶ国しか持ってない微妙な大名だったから
千人部将(というか重臣と呼べる家臣)自体が少ないって事もある。
足軽大将クラスでも三方ヶ原で生き延びてさえいれば後々有名になった武将とかいたかもしれないわけで、
結果的に生き延びた連中が後々大身になって重臣扱いされただけで
三方ヶ原で失った将兵はカスだらけで、後の徳川発展には不必要だから別にOKって事にはならないだろ。
遠州切捨てて見捨てまくってどんだけの将兵を失ってると思ってるんだ?
織田の後ろ盾がなかったら滅亡する位のまけっぷりじゃねーか。
あと発砲煙とか脳内妄想を自信満々に語るなよw
801 :
670:2008/08/06(水) 20:45:14 ID:YO5Bo0Up
>>800 旗本先手役は全員生きている
本多、榊原、鳥居、大久保、大須賀
802 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 21:17:56 ID:2edlmm87
小牧・長久手だけは文句無しで凄いと思うよ>家康
この頃が戦術家としての家康のピークだろうね
それ以前の合戦は三方ヶ原は家康が死ななかったのがラッキーなくらいな大敗だし、
晩年の関ヶ原や大坂の陣は特に評価する気にはなれない
803 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 21:51:19 ID:Rp4Gpx6g
家康は大軍を手持ちに寡兵を圧倒する横綱相撲のような戦は得意でないと思う
関ヶ原ではわざわざ死地に飛び込むような戦い方をしている
子供の頃、石合戦を見て少ないほうが必死になってるから勝つと言ったそうだし
804 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 22:15:43 ID:nsNA93ds
>>801 家康の旗本連中なんか悲惨極まりないが。
松平記での戦死武将一覧。(大身は除く。)
本多肥後・鳥居四郎左衛門・岩堀勘解由左衛門父子・河澄源五・長谷川紀伊守・加藤次郎九郎・成瀬藤蔵・天野麦右衛門
江戸時代の幕臣によって編集された四戦紀聞での戦死武将一覧。
其外両旗奉行安藤木工助基能・米津小大夫政信を始め加藤九郎兵衛景元・
天野麦右衛門政景・宇野三十郎政秋・服部源兵衛保正・榊原摂津守忠次・
中根彦三郎・近藤宮内吉成・小川伝九郎・夏目長三郎・山田甚五郎重吉・
同角之丞・長谷川紀伊守正長・弟藤九郎英一・志村弥左衛門秀次・
中根市左衛門正直・門奈善三郎真友・渡辺十右衛門永・同新九郎・
鈴木伝八郎・弟又六郎・大村弥三郎・荒川甚太郎・権田久助・大橋刑部・
野々山藤兵衛政安・原田藤左衛門種友・杉浦次郎兵衛・大河内源五左衛門・
石川小太夫・河澄源五重経・小笠原新九郎康元・同三郎兵衛・秋山甚十郎・
松平弥右衛門・石川半三郎正俊・江原亦助・河合弥五兵衛・加藤比根丞・其弟源四郎・
松山久内・杉山久助・石原十度右衛門・原久蔵・平井新三郎・児島源一郎正重・同与助・同善九郎・
堀川彦作・小笠原七郎右衛門・大久保新蔵忠寄・外山小作正重・松平主税・木村弥七郎安綱等。
本来後方にいて旗を守護する旗奉行と家康近くの旗本とかまでごろごろ死んでる状況だぞ。
家康にしたって命が何度も危うくなって夏目や鈴木の身代わり討ち死にで助かっている。
家康は終生この時の恩を忘れずその子孫を優遇したくらい命の危機だったんだが。
805 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 23:16:51 ID:mAlhEzAb
こういう場合、こんな感じで戦死者の別名は省略し、代わりに立場を記すと
見やすいかも知れぬ。
本多忠真(欠城主。甥本多忠勝の後見)
成瀬正義(旗奉行、木戸城主)
鳥居忠広(しばしば軍監に付く。鳥居元忠の弟、十六神将の1人)
中根正照(中老、前二股城主)
806 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 00:04:25 ID:MeDMLdo0
>>803 関ヶ原の戦いで死地に飛び込んだのは石田軍の方だろ。
807 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 02:11:36 ID:GaUrJVKT
>>806 いや、家康の方。
伊吹山麓から南宮山までぐるりと敵軍に陣取られている中に飛び込んでるんだから。
一歩どころか半歩間違えば殲滅されかねない状況だしな。
もちろん小早川・吉川への調略に自信があったればこそだと思うけどね。
808 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 06:30:42 ID:MeDMLdo0
>>807 小早川隊、毛利隊、長宗我部隊が戦に参加してないじゃん、
実際に戦に参加して戦ってたのは中央の石田軍だけ。
徳川全軍団に中央の石田軍はかなり奮戦したよ。
この状態で徳川軍が死地に飛び込んだと言えるか?
さらに実際は石田全軍より徳川全軍の方が数でもうわまってたらしいしな。
809 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 06:50:26 ID:L0WpYiHg
810 :
670:2008/08/07(木) 07:18:39 ID:9NHZlwC/
>>804 >>805 その辺は大日本史料読んでるから理解しているつもりです
大敗とは自分でも思っています。
ただし壊滅は免れ、相手もそれなりの苦戦はしているから
一方的ではなかったかと
811 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 07:57:22 ID:6SeKPWWv
武田方は苦戦なんてしてねーよw
812 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 09:11:57 ID:dDHNxHjI
武田が苦戦したとかマジで言ってるん?
813 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 11:43:15 ID:EPMCCy+5
素人だけど教えてもらえます?
問鉄砲の話だけど、確かにあの戦乱の中、鉄砲音がどうして
自陣に打ち込まれたとわかるのか、距離も離れていた、時間の
差もあった、なんですけど、秀秋軍も山の中で固まっていたというより
人数多いしいろんなとこに兵がいたと思うのですよね。
だからその中の徳川本体に比較的近くにいた兵、測候かもしれないけど、
それが、こっちに放たれたものだ、みたいに理解してそれを幹部に注進した
というのはないでしょうかね。
こうすれば時間の差も理解できますし。
そして煙とか音の話ですけど、戦況を見つめていた以上は
どこで撃たれた鉄砲か、こっちの陣の近くの木がバサバサしたかも
しれませんし、音自体はすごい大音量ですから、それなりに
注目はしたのでないでしょうかね。
あれは、前線で撃たれた鉄砲じゃない、こっちに?
みたいな理解をしたとしてもそうおかしくはないような。
問鉄砲の是非、を問うというより、そういうことがあったとして
特に問題はなかったのではないかな、というぐらいです。
優しく教えてね。
814 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 12:02:14 ID:dDHNxHjI
>>813 >人数多いしいろんなとこに兵がいたと思うのですよね。
>だからその中の徳川本体に比較的近くにいた兵、測候かもしれないけど、
松尾山山麓から山頂付近の秀秋本陣まで、フル武装した武者が駆け上がって報告するだけでも
結構な時間がかかる。
二次資料によると(一次資料には問鉄砲の項目が無い)、家康が小早川に向けて鉄砲を撃たせると
直ちに駆け下りて西軍に攻めかかったとある。
正午に家康が発令して、午後一時には大谷隊が壊滅している以上
発砲→伝令→秀秋判断→西軍攻撃→大谷隊に一旦押し戻される→大谷隊壊滅
というのは時間的に無理がある。
あと上で発砲煙とか言ってるのもいるが、山麓では大谷と藤堂が激戦を繰り広げてるわけで、
発射音や発砲煙なんてめちゃくちゃあがってただろうし、視界も良くなかっただろう。
福島隊が押されていた関係上、桃配山から移動した家康本隊も前線にかなり接近してたし
そんな場所から合図の鉄砲を撃たれたとしても、発砲煙で鉄砲の発射された方向がわかるわけないし、
そんな前線付近から鉄砲隊に前線を迂回させて松尾山山麓に移動させた上で発砲させるのも
時間的に無理がある。
明らかに関が原は家康の判断で勝った。
決して小早川のおかげじゃありませんよ
というアピールのためのエピソード。
というか笠谷和比古以外で問鉄砲があったと主張する歴史学者は居ないんだが
815 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 15:22:07 ID:sfinciU+
というより問鉄砲がなぜ家康を持ち上げるための作り話なのかわからん。
あの話の通りだとすればどう見ても苦し紛れの策だろw
最初から小早川が裏切る手筈が整っていたほうが戦略としては上等。
問鉄砲自体は作り話である可能性大だが、
それは家康の判断をアピールするというより
小早川の裏切りを面白く脚色するためのものだったと思う。
816 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 15:24:11 ID:dDHNxHjI
家康の小早川の性格を見越した英断で関が原の転機となる裏切りを促した
とアピールしたいんだろ。
小早川のおかげで勝ったってのが一番徳川には不味いわけで。
817 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 17:34:54 ID:vd0IeyXC
>>814 なるほどね。
で、反論とかでないけど、フル装備してないような足軽もいただろうし
そういうのが駆け上がったらどうなんでしょう。
そして発砲煙なんだけど、名古屋まつりで火縄銃の実演があってよく
見るのだけど、確かに煙は出る。
ただ、5分もすれば消えてしまうし、数が多くてもそう、モクモクにはならないと
思う。案外たいしたことないんだ。
なので、視界とかそういう論はちょっと直接反論にはならないと言うか。
つまり、単発で撃つ鉄砲と違って、乱戦の中、まとめてある方向から
発射されたらそれが、何らかの意思、なんじゃありゃ、みたいに思うというのは
普通だと思うのですよね。
問鉄砲があった、という主張じゃなくて、無かった、という主張も
どうなのかな、という単純な疑問なので、優しく教えてくださいね。
818 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 17:43:41 ID:dDHNxHjI
悪魔の証明?
819 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 17:54:11 ID:dDHNxHjI
>>817 >で、反論とかでないけど、フル装備してないような足軽もいただろうし
そういうのが駆け上がったらどうなんでしょう。
フル装備じゃない足軽がいただろうし
という事自体おかしいだろと。
そも伝令兵で着物だけで参陣してるなんて物語で出てくるような忍者くらいじゃね?
装着してる装備でどこに所属してる人間かどうかっていう判断もしてるだろうし、
山麓とはいえ、敵が攻めてくる可能性のある場所で武装しない人間なんかいないだろと。
いや、居たかも知れないじゃん
とか言い出したらそれこそ悪魔の証明なわけで。
>ただ、5分もすれば消えてしまうし、数が多くてもそう、モクモクにはならないと
思う。案外たいしたことないんだ。
発砲煙で視界が悪くなるっていうんじゃなくて、何千人という人間が舗装もされていない場所で
目の前で動き回ってるんだから発砲煙だけじゃなくて砂埃だって舞ってるだろうし、矢だって
空を埋め尽くすほどという表現が良くあるけど、それほどじゃないにしても飛び交ってるだろうし。
>なので、視界とかそういう論はちょっと直接反論にはならないと言うか。
そもそも、視界云々は、コテが発砲煙とか言い出したから、そんなん合図にならんだろ
という意味での反論なわけで。
>つまり、単発で撃つ鉄砲と違って、乱戦の中、まとめてある方向から
発射されたらそれが、何らかの意思、なんじゃありゃ、みたいに思うというのは
普通だと思うのですよね。
そもそも鉄砲は個人個人が勝手に単発づつ撃つようなものじゃないぞ。
820 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 18:27:25 ID:c4bc2NE8
ところで達人なんて誰が言い出したの?
よくある、歴史家とか作家がなにげなく大げさに書いただけじゃない?
821 :
670:2008/08/07(木) 19:37:44 ID:9NHZlwC/
>>811 武田も数百人程死んでるようだけどね
姉川の戦い程度の戦果と結果じゃないの
822 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 19:53:46 ID:6SeKPWWv
姉川(笑)
823 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 20:22:55 ID:sfinciU+
>>820 「海道一の弓取り」とは言われたんだろ。
「城攻めが苦手」とも思われていたらしい。
なら得意な分野は野戦ということになったのかw
824 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 21:47:23 ID:chwg79Lk
織田徳川なら野村合戦だろうが!
825 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 21:54:14 ID:MqUaq+GW
本当にこいつは野戦が上手い、っていうのと比べたら、そんなにでもなくない?
どっぷり浸かった戦国ヲタじゃないんで書籍は読んでもすぐに忘れる俺
例えがなかなか出てこないがwww
えーっと、2つの大名家を壊滅に追い込んだ島津家久とか・・・
ただ家康はここで比較するならその上の義久の立場だからなあ
他には、誰か頼む(ノ∀`)
826 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 23:20:08 ID:pyi8+uNu
>>821 2万5千の側が数百死んで(被害比率約百分の一)
1万の側が千数百死んで(被害比率約10分の一以上)
これって一方的じゃないのだろうか。
2時間くらいで崩されちゃったし。
827 :
人間七七四年:2008/08/07(木) 23:20:15 ID:ANYg3ni6
小牧・長久手の際の秀吉が家康をそう呼んだとか>海道一の弓取り
純粋に家康の采配に感心した上での正直な感想だと思うが、
その時には東海道には家康しか大名が居ない、と突っ込みたくなるなw
828 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 00:05:52 ID:lIAS4cJX
829 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 01:24:09 ID:bdb+45PZ
経歴見れば一目瞭然だが野戦の達人なのは間違いない。
織田
↓
今川
↓
武田
↓
北条
↓
豊臣
自国より常に大きい敵と戦い続けて勝ち残った。
それで、十分だろ。
信玄が上だとか信長が上だとかそんな事は最強スレでやればいい。
別に達人が何人いたって構わないんだから、信長、信玄、謙信、秀吉、家康、島津義弘
このあたりは達人ってことにしておけば良いんじゃないの。
無理に家康を貶めたり持ち上げなくても良いだろ。
830 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 01:25:27 ID:6g2HX33T
後ろ盾があったればこそじゃん
今川、織田がいなきゃ滅亡してるだろ
831 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 05:50:07 ID:KDSru+HZ
832 :
670:2008/08/08(金) 06:40:48 ID:S1yNsGpj
>>826 それ出典は伊能文書だろうがこの手のものは宣伝が前提
甲斐国志なんか数千だし
松平記は500(無論これも怪しい)
因みに1000でも三増峠の北条勢(二万余内、3229人)より
数も比率も少ない。まぁ、この数値も怪しいが
833 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 07:19:31 ID:FHYygFOd
>>832 おいおい。そうやって武田が与えた被害は全部誇張扱いにするくせに
あやふやな徳川が与えたという被害数百は鵜呑みなわけ?
出典あるっけ?徳川が与えた被害数百って。
そんな言い方すればどんな大敗だってごまかせるだろうよ。
ちなみに三増峠は当時における信玄の書状では6,7千の北条勢に2千余りの
損害を与えたという事になっている。2万で〜は軍鑑ね。
834 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 09:01:29 ID:pRCdcNcJ
835 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 10:37:22 ID:tlvjTV7k
836 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 10:46:17 ID:Mu9qxkna
軍鑑だと三方ヶ原じゃ徳川勢100ちょい討ち取りじゃなかったか?
837 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 14:19:41 ID:SUYzhSOr
838 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 14:25:34 ID:1ImAM3hh
家康に都合の悪い事実なんて隠蔽されてるもんな
三千人は死んでるよ織田徳川は
839 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 14:48:23 ID:yUuA86Ov
足利養子エピソードとか御用学者の捏造に踊らされまくってる家康儲がかわいそうです
840 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 15:38:26 ID:JzEybMiZ
>>819 レス、どうも。
で、あくまで問鉄砲があったかどうか、ではなくて、あったとしても〜〜、という論に
ついての疑問なんですけどね、いいかな。
例えば戦い方に入ってしまうけど、最初は鉄砲、弓で相手の勢いをとめ、
そうして崩れたら肉弾戦と言うか両者入り混じりますよね。
この段階では弓も鉄砲も使えない、つまり鉄砲音はしなくなるわけです。
ご指摘の通り。
ただこの戦はあまりに大掛かりで、こちらの隊と隊が肉弾戦になっても、別の
隊と隊が離れたところで鉄砲からの開戦がありますよね。
そうするとまとめた音や煙が発生するわけで、これで全体の経過が
それなりにわかる、そして音がたえたら、肉弾戦にうつった、となって
またこれの繰り返しですよね。
で、ある程度の時間がたって、隊と隊の激突ではないようなところ、
本陣の近くかどうかはともかく、そうしたところで、まとまった鉄砲の音が
したら、これは、なんじゃありゃ、みたいに注意はひいたと思うのですよ。
まとめて「問鉄砲があったかどうか」ではなくてもしあったとしたら
「戦の最中に音で問鉄砲かどうかがわかるものだろうか」という論に
対しては「わかったとしても問題ないのではないだろうか」と思うわけです。
砂埃に関してもそうで、何百人単位の学校の運動会が砂埃で視界が
悪くなった、という話はあまり聞きませんし、そうだったかもしれないし
たたなかったかもしれない、つまり視界が悪い、というのもちょっと判断保留
ぐらいのほうがいいと思うのですよね。
矢に関してですが、これも遠矢、越矢、横矢、指矢、最初は
おっしゃるとおり空をうめつくすわけですけど、合い乱れてからは
こういった飛び道具は使用できなくなります。
この点からも視界が悪い、というのは保留にしておきたいのですよね。
問鉄砲があったかどうかは、専門の方の判断におまかせしたいのですが、
なかった、という感じの論の根拠に疑問があっただけでして、決して反論
とかいうのではありませんので、ご理解の程を。
本を読んだだけでは質問が出来ませんのでね。失礼しました。
841 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 16:00:56 ID:AY0/QdyB
ソナー員じゃねーんだから、どこらへんから発砲音が聞こえたか
なんて聞き分けんのは無理
東西南北程度の聞き分けができたら僥倖
学校のグランドじゃ万単位でも砂埃なんか高が知れてる
無意味な例え
全てが結論ありきの毒電波
論外
842 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 16:02:00 ID:AY0/QdyB
ソナー員じゃねーんだから、どこらへんから発砲音が聞こえたか
なんて聞き分けんのは無理
東西南北程度の聞き分けができたら僥倖
学校のグランドじゃ万単位でも砂埃なんか高が知れてる
無意味な例え
全てが結論ありきの毒電波
論外
843 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 16:04:59 ID:yUuA86Ov
糞コテは問鉄砲がある
という前提でその時の状況を「あった」ように解釈してるだけだろ。
二次資料には陣場野に本陣を移し、昼になっても戦況が動かないことに焦れた家康が
小早川に向けて発砲命令を下してから即座に小早川が裏切ったとあるが、
実際に過去の学者がさまざまな要因から割り出した、大谷隊壊滅が午後一時頃である以上
どうしても矛盾があるわけだ。
実際に小説なんかには、執筆者の独自の解釈で
携帯可能なサイズの大筒を用いて射程距離の矛盾をクリアしたりしてるが、
あくまでもフィクションに過ぎない。
そこに、糞コテが「発砲煙」などと出展もなしに妄想を垂れ流し
発砲煙の視認性なんて良くないだろというレスに長文で食い下がる奴もいる。
数百人規模の運動会(事前に砂埃が舞わないように水撒きだってするだろう)と
実際の万単位での戦争を同列に語るとか。
視認性がよければ狼煙や伝令の必要が無く、即座に意思疎通のできる手旗信号等で連絡を取り合えばいいのに
実際は東西両軍とも伝令兵が動きまくってるし、石田本陣からの狼煙での合図も記録されてる。
松尾山から家康本陣の動きや鉄砲隊の銃身の方向が事細かに見えるような状況を想定する方がおかしいわけで。
寝返り(小早川は東軍寄りだった云々はまた別として)を促すような重大な行為に
小早川側が確認できるかどうかも怪しい発砲煙での連絡などというトンデモ説を語ること自体ナンセンスではないのか?
844 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 17:29:41 ID:AtCE82J4
ただの傍観者ですが、
あの日、砂埃や土埃はあまりたたなかったのではないでしょうか。
845 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 17:35:38 ID:yUuA86Ov
敵味方押し合い、鉄砲放ち矢さけびの声、天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜となり、敵も味方も入り合い、しころ(錣)を傾け、干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う―
日中にもかかわらず暗かったみたいね。
846 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 18:35:01 ID:NX3ChJp+
>>838 あの数の中で3000も死んだら壊滅
あの頃のあの程度の武器でそんなに死ぬわけないでしょう
ましてやあの土地は溺れたりする川も無いただの荒地
847 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 18:41:08 ID:AtCE82J4
>>845 ありがとうございます。
前日の雨の影響を過大に考えていたようです。
出典をお教えいただけませんか。
848 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 18:43:03 ID:SUYzhSOr
徳川家康が脱糞するほど徳川軍は危機的状況になってたはず。
849 :
670:2008/08/08(金) 18:43:43 ID:S1yNsGpj
>>833 上杉家文章は小幡憲重以下500とあったな、誇張が酷いけど
後、家康の損害は伊能文書から1000以下なのは間違いない
原本信長記は300とあるな
850 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 18:51:56 ID:H7LOdRhV
>>843 細かくて申し訳ないですけど、数百人と数万人の違いと言うのは
戦いの面積の広さ、で割れば大体似たようになると思いますよ。
で、自分は、発砲煙での伝達、これには無理があると思います。
理由は同じで煙こそ方向なんて自由にあやつれませんからね。
すぐに消えてしまうかもしれませんし。
ただ、あくまで、戦いの前線ではない方向からの異様な音、連続発射音、
これがあった場合は、手旗などで、異常事態発生、は即座に知らせることが
できてもそれはなにか、については伝令兵が動く必要があったのでないか。
そして、銃身の方向がわからなくても、発射された方向の木、林、土塁、などの命中音で
どちらに向けて打たれたかぐらいは判断できますよね、なのでこれについて伝令兵が
動いたのではないか、とも解釈できます。
別に問鉄砲があってもなくてもいいのですけど、あくまで「問鉄砲は何の役にも立たない」
という論の根拠に対して疑問があっただけで。
なんかあ〜いえばこう、で申し訳ないのですけど、例えばある本で「木に邪魔されて
本陣はみえないはず」というのがあって、それならその木を事前にカットしておくだけなんですよね。
というか普通はそうして少しでも視界を広げるものでしょう。
つまり、いかにも文献だけからの解釈と実際の行動は違う、というか
論の根拠が机上の論理的に思えて仕方ない面があったのであえて質問させて
頂いたわけです。
具体的には、鉄砲の音、煙、距離、地形、こういうのを関が原が近くで
リアルに理解できるので、少し確認してみたかったわけですね。
有名な話ですが火縄銃の音なんかそれはもうすごいものです。
でも煙はたいしたことない、というか。
その場ではすごくても山の中腹からみるころには上空ではかなり拡散してるでしょう。
ちなみに小牧とか桶狭間とか全部登ったりしたことあって、実際にここから戦闘を
見たら、〜軍記、みたいな表現になっただろうか、とか考えたりします。
こういうのは、史料中心の教授たちからは、ボロクソ、で
「歴史とは妄想を語る学問ではない」なんて言われたりします。
こちらから言わせれば「歴史は暗記科目じゃないよ」なんですけどね。
関が原に関しては素人で、あくまで疑問をお聞きしてるだけですので、
どうか、優しく教えてくださいまし。
851 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 19:09:47 ID:yUuA86Ov
852 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 19:10:40 ID:yUuA86Ov
>>850 IDコロコロ変えるのは糞コテと同じ手法ですね。
ちゃんと第三者を装って自作自演しないでコテつけたままでお願いします。
853 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 19:39:35 ID:yUuA86Ov
>>850 >発射された方向の木、林、土塁、などの命中音で
そんなの聞こえるわけ無いだろ・・・・
聞こえたとしても撃ち込まれた部隊の混乱した悲鳴や怒号がせいぜいだろ・・。
更に言えばそんな怒号なんか松尾山山麓で大谷、藤堂がいくらでも出してるし。
>あくまで「問鉄砲は何の役にも立たない」
問鉄砲なんてエピソードは虚構。ただのプロパガンダ。
秀吉が足利義昭に養子縁組を断られたとかそんなのと一緒。
>具体的には、鉄砲の音、煙、距離、地形、こういうのを関が原が近くで
リアルに理解できるので、少し確認してみたかったわけですね。
そもそも発砲煙なんて言い出した馬鹿は糞コテただ一人。
もうこんな妄想説か語る必要なんて無い。
854 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 20:35:26 ID:AY0/QdyB
跳弾音を拾うとかどんだけ至近距離で聞き耳立ててんだか
夏厨数字固定の影武者は言うことが無茶苦茶だな
校庭で砂埃はたたない。故に関ヶ原でも砂埃はたつはずがない
とか頭おかしいんじゃねーの?
防塵効果狙って重い粒子の砂入れてる校庭と400年前の関ヶ原は同じ条件なわけ?
なんで最近の校庭は芝生にして緑化してんのかすら理解出来ないわけ?
面積がどうのこうの言い出すし
855 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 23:57:01 ID:LAL0LZ5n
>>849 おいおい。君自身でさえ誇張がひどいという上杉家文書500はうのみにするのか?
と聞いてるんだよ。それで信玄の文書は誇張で1000以下は確実、なんて片びいきだろ、と。
信長公記に徳川勢が「中筋を切りたてられ」敗軍に陥った事は書いてあるけど
徳川軍が300の損害を与えたとかあるいは300の被害を受けた、とか書いてないぞ。
信長公記で300の数字が出てくるのは「信玄が300人ばかりの水股の者を先に出してつぶてを打たせた」
という所だけだぞ。被害云々じゃない。
まさかとは思うけど信長記って小瀬の小説じゃないよな?
>>804で徳川武将がめちゃくちゃな数で死んでるのを見ればその郎党達も相当死んでるというのは自然だが。
第一家康自身が敗北からの帰還の後で恐怖に顔がひきつった姿をわざわざ描かせて
生涯の戒めにしたんだからどれほどの大敗だったかわかるだろうに。
856 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 00:44:19 ID:BAq8dZsj
857 :
670:2008/08/09(土) 10:19:32 ID:gYpPh/gr
>>855 いや、大敗したのは認めてます
問題はそれが壊滅的かどうかで
信玄がやろうと思えばそのまま浜松城を落とせて
家康以下が討ち取られてしまうぐらいなのかという点です
858 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 10:22:22 ID:kzNH0NZj
>>855 糞コテはソースも無しに、あたかも出展があるかのような書き方をしてミスリードを誘ってくるので注意
>>429 でも、
『東軍後方を回り込んで松尾山に近づきとあるので、』
とあるので
とあたかもどこかからの引用であるかのような書き方をして
突っ込まれても無視しまくりで
やっとこさ白状したとおもったら妄想です
だってさ。
多分ソースは小説とか漫画だと思うよ。
859 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 10:23:49 ID:kzNH0NZj
>>857 自分が1000以下は確実
とか言ってて、数字の矛盾を突っ込まれると
問題は壊滅的かどうかで〜
ころころ論点変えるなよキチガイ
860 :
タッキ:2008/08/09(土) 10:36:55 ID:xLHYv92C
>>852 仕事中で、パソつけたままにしておけないのでIDかわってしまいます。
コテはつけるようにしますね。
ただ、コテつけると荒れるとも聞くので遠慮してた面もあります。
さらに細かい質問もあるのですけど、どうもレスが2ちゃん的になって
きたので部外者としてはこのあたりで引いたほうがいいのですかね。
人格攻撃的になると荒れてしまうでしょう。
いろいろとありがとうございました。
861 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 10:41:49 ID:kzNH0NZj
>>860 運動会とか着弾音でわかるとか素っ頓狂な事ばかり書くようだから
嫌がられてるんじゃねーの?
んで質問するなら670って糞コテに聞けよ。
862 :
670:2008/08/09(土) 11:01:45 ID:gYpPh/gr
>>855 間違えました、隣の松平記の記事でしたわ
863 :
670:2008/08/09(土) 11:08:18 ID:gYpPh/gr
後、後方迂回としては資料によって異なるが射撃隊は福島もしくは藤堂から
鉄砲隊を借りている
そういう事は指揮系統上、必ず大将(正則・高虎)の許可を貰う必要があり、
当然彼らは陣の後方にいるから、陣後方を移動したと考えれる
864 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 11:10:37 ID:kzNH0NZj
その資料名を出せよ
徳川実紀と黒田家譜には無いぞ
三次資料以下のソース引っ張られても・・・。
865 :
670:2008/08/09(土) 11:19:11 ID:gYpPh/gr
関原軍記大成が駄目といわれれば、はいそうですかで終わりです
866 :
タッキ:2008/08/09(土) 11:26:32 ID:xLHYv92C
>>861 着弾音ってそんなに変ですか?
戦闘中ではない方面から異様な連続発射音、が聞こえたら注目しますし
1発や2発ならともかくまとまった数なら、当然、注意を引いてどこに
着弾したか、にも着眼したでしょう。
さらに、戦闘の様子を見守っていたわけですから、あちこちでそういう
見張り、斥候がいたのも普通と思われますよ。
あくまで、問鉄砲が合った場合、ですけどね。
運動会、というのは例えであって、面積に関してもおかしいですか?
局地的な何百人、と広範囲での何万人、では比率というか視界的に同じぐらい、という
あくまで例えであって、砂埃がたったとしてもそんなに長時間視界をさえぎるほどではない
ということですが。
逆にお聞きしますが、関が原の実地調査、どのくらいされてます?
867 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 11:27:31 ID:kzNH0NZj
868 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 11:30:53 ID:kzNH0NZj
>>866 だから、1を答えれば2、3どころか十も聞いて来る様な教えて君はうざがられて当然じゃね?
なんでお前の疑問を片っ端から解決してやらなきゃならないの?
>戦闘中で無い方面
陣場野が前線じゃないといってる時点で何もわかってない。
869 :
タッキ:2008/08/09(土) 11:41:40 ID:xLHYv92C
>>868 で、実地に行かれて、砂埃がたつようなとこかどうか、草もたくさんはえてた
場所も多いと思うのですが、そういうのは確認されたわけですね?
870 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 11:44:51 ID:kzNH0NZj
>>869 もちろん
ただ当時と草の生え方とか位置とか同じなわけ無いだろ。
あとさ
>逆にお聞きしますが、関が原の実地調査、どのくらいされてます?
お前聞いてばかりじゃねーか
871 :
670:2008/08/09(土) 11:45:45 ID:gYpPh/gr
久保島、彼の馬に乗つて、先鋒へ馳帰り、内府公の弓長布施孫兵衛・羽柴正則の
鉄砲頭堀田勘左衛門両人の鉄砲十挺づつ、松尾山へ向つてつるべたり
異本に、秀秋の裏切遅滞の時、誘ひ鉄砲打つべしと、内府公御下知あるにより、
藤堂高虎の陣より、鉄砲をつるべ懸けたりと記す
872 :
タッキ:2008/08/09(土) 11:50:25 ID:xLHYv92C
>>870 たぶんあなたの生まれる前から関が原に行ってますが、昭和2〜30年代までは
戦国とあまり変わらないような景色だったと思いますよ。
草の生え方や位置ですが、広範囲で何万人も戦うのですから
それこそほとんど問題にならない違いでしょう。
数年おきに現地にいってればこういう、生え方とか位置、なんて答えは
かえってこないはずですけどね。
873 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 11:54:20 ID:kzNH0NZj
>着弾音ってそんなに変ですか?
おかしいです。
水平発射で放たれても、有効射程距離内の標的に当たらない限りは
重力に引かれて落下するような鉛の音なんて怒号飛び交う戦場で誰も感知できません。
まして問鉄砲で撃たれた火縄銃は、標高300mの松尾山山頂に向けて放たれたと仮定すると
着弾音なんかしませんよ。
一体どこに命中するんですか?
それに山麓では大谷と藤堂が死闘を繰り広げていて、怒号、悲鳴等すごかったでしょう。
その先に家康本陣がある場合、音なんてかき消されますが?
>戦闘中ではない方面から異様な連続発射音、が聞こえたら注目しますし
陣場野は前方福島隊が崩れてるため、かなり前線に接近した状態です。
鉄砲発射自体不自然ではないでしょう。
山麓では大谷藤堂の(ry
>1発や2発ならともかくまとまった数なら、当然、注意を引いてどこに
>着弾したか、にも着眼したでしょう。
火縄銃の着弾観測とか不可能です。
874 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 11:57:25 ID:kzNH0NZj
>>871 山麓からってのは推定なわけね
>>872 数年置きに観測してれば400年前のこともわかるんですね、流石です。
ぶっちゃけ砂埃とかどうでもいいんですけど。
着弾音とかは完全に想像力欠如してる基地外発言だけど。
875 :
670:2008/08/09(土) 12:03:20 ID:gYpPh/gr
>>874 問鉄砲が「ある」事を前提に推論を重ねていますので、
福島の陣まで行くのならそこから更に足を伸ばして
山麓まで行ってもおかしくない
876 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 12:06:18 ID:kzNH0NZj
>>875 結論ありきで推論を組み立てる方法は立花京子先生がお得意でしたね。
藤堂の陣から撃たれて、秀秋が家康が怒ってる!と思うのもおかしいしね。
伝令が観測したなら、藤堂隊が攻撃してきたと報告するだろうしね。
その資料でさ、ただちに金吾攻めかかるみたいな記述あるでしょ?
877 :
タッキ:2008/08/09(土) 12:10:41 ID:xLHYv92C
>>873 レスども。
着弾音についてですが、有効射程距離内に木や林があった場合そちらに
向けてうっただろう、ということです。
頂上に向けてうったのではそれこそわかりませんよね。
ただ、威嚇、としてなら、斥候や見張りがいたでしょうし、木がバサバサとか
そういうことから「こちらに向けて打たれたものだ」という判断が
なされたのではないか、という意味です。
命がけですから、少しでも異常を感じたなら必ず報告したでしょうからね。
音、ですけど、これは前述のように怒号、悲鳴もすごいですが、鉄砲音も
すごい。
見張り等が注意をしていれば、必ず聞こえたであろう、と思います。
陣場野が前線に接近した状態もそうでしょうが、そのころは肉弾戦で
もう鉄砲を使う状態にはなかったでしょう。
前にも出てましたが、単発で使うものではない、のであくまで開戦初期用
としての鉄砲とするなら、あの時点での鉄砲使用は不自然だったでしょう。
もちろん、ゼロというわけではなかったでしょうが、前線に接近した場所、と本陣辺り
では発射位置も違いますし、やはり見張り等が「その不自然さ」を感じたのは
特におかしいとも思いません。
着弾観測、ですが、あくまで正確に、ではなく、ある方向に向けて打った、
ぐらいならかなり任意の方向には打てたと思います。
ちなみに、これらは前にもカキコしたことのくりかえしです。
論が戻っちゃったかな。
878 :
タッキ:2008/08/09(土) 12:15:31 ID:xLHYv92C
>>874 数年おきに、見てれば細かい変化はあるがおおまかな点では変わらないだろう、
という例えです。草の生え方にしても山や川の位置にしても。
拡大解釈して非難されても少し困ります。
着弾音、ですが、鉛玉が自然落下した音、はそれこそ聞こえないでしょうが
そうではなく、ある目標物にむけて打てば、という意味での2次効果音、という
意味です。
これは、前にもカキコしたので省略して単に「着弾音」という表現にしたわけです。
これなら、基地外ではありませんよね。
879 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 12:20:50 ID:kzNH0NZj
>着弾音についてですが、有効射程距離内に木や林があった場合そちらに
向けてうっただろう、ということです。
頂上に向けてうったのではそれこそわかりませんよね。
ただ、威嚇、としてなら、斥候や見張りがいたでしょうし、木がバサバサとか
そういうことから「こちらに向けて打たれたものだ」という判断が
なされたのではないか、という意味です。
命がけですから、少しでも異常を感じたなら必ず報告したでしょうからね。
火縄銃の有効射程距離を知ってて、小早川隊の斥候に気づかせるために木を撃つとか
言い出してるのならもう何がなにやら
880 :
タッキ:2008/08/09(土) 12:31:00 ID:xLHYv92C
火縄銃についてはあまり詳しくありませんが、直径1mのものに命中させる精度では
30m前後。
単に射程距離、なら7〜80m、よりももう少しあったように思います。
なので、方向に注意をむけさせる、きづかせる、という目的のみなら
十分だと思いますが。
881 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 12:34:46 ID:kzNH0NZj
>>880 そうですね。
んでそれを小早川の部隊が居る松尾山山麓まで80mの距離まで接近して発射させたわけですね。
もう小早川隊から牽制や攻撃されてもおかしくない距離ですね。
80mまで接近されて気づかないほうもおかしいけど、もうそこまで接近したら
あと10秒走り抜けて口頭で連絡すればいいんじゃね?
882 :
670:2008/08/09(土) 12:36:52 ID:gYpPh/gr
>>876 あっても変ではない程度の認識なんだけど
そちらも「ない」という前提で書いているでしょ
後、大成には鉄砲打たれて(もしくは時間を見計らって)決断し、下知した
と書いてある程度
883 :
タッキ:2008/08/09(土) 12:53:43 ID:xLHYv92C
>>881 ですよね、なので伝令を何度か出したのではなかったでしたっけ?
このあたりあまり詳しくない・・
でも小早川が動かない・・ので実力行使というか脅しというか、そうしたという
解釈なんですけど。
もちろん、小早川が逆に「家康が攻撃してきた」と勘違いして家康に
襲い掛かる可能性もあった、という説も聞いたことあります。
なんですけど、家康からみたら劣勢なので、そこは賭けだったんではないでしょうかね。
そして小早川が気付いてくれてたら、至近距離だし、これこそ
家康の狙いで、打ってすぐに引く、これで目的は達せられると思います。
話戻しますが、問鉄砲があったとしても「気付かないだろう」という論に
対して疑問に思ってるので、至近距離に近づいて気付いてくれたら、これでもう
十分なわけです。
881で言われてるように、「きずかないほうがおかしい」のなら「何か異常」
が発生してるということをきづかせただけで十分と言うか。
確認ですが、問鉄砲があった、なんて主張はしてませんからね。
「あってもきづかせることはできなかったろう、だから無かった」というのに
疑問があるわけで、「威嚇か警告か何か異常をきづかせることはできた」
ということが可能性として認められれば、それで十分なわけです。
884 :
タッキ:2008/08/09(土) 12:57:55 ID:xLHYv92C
余談だけど、京子ちゃんは「結論ありき」じゃなくて
「結論を異次元にワープさせる」のが得意ですよね。
今谷もそういうとこはあるし、どうして結論がSFになってしまうのか
不思議でした・・
885 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 13:42:31 ID:kzNH0NZj
>>882 問鉄砲なんて無理だよ
時間の矛盾もあるし。
>>883 >話戻しますが、問鉄砲があったとしても「気付かないだろう」という論に
対して疑問に思ってるので、至近距離に近づいて気付いてくれたら、これでもう
十分なわけです。
時間の矛盾という大前提の上で
んじゃその場で発砲すれば即気づくじゃん←聞こえないよ
山麓から発射すれば聞こえるじゃん?←最前線を迂回したら移動距離増えるよ
という話なんで、接近すればそりゃ聞こえるでしょ。時間経過関係なしにとにかく発砲音を聞かせたいだけなら。
っていうわけですよ。
正午に命令受けて、陣場野から藤堂隊を迂回して松尾山山麓80mまで接近して、弾込めして(早合でもいいけど)
火縄に火をつけて、木に狙いをつけて発射して、発射音を伝令が聞いて、松尾山山頂の秀秋本陣まで伝令に走って
到着する頃には石田隊が壊滅してるんじゃないの?
って事ですよ。
886 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 15:03:41 ID:HJ+lSBSo
もしかして松尾山城からの移動に1〜2時間かかるとか言ってるヤツか?
887 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 15:14:33 ID:kzNH0NZj
違う違う
888 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 15:48:26 ID:kzNH0NZj
そもそも、秀秋は最初から家康に書状を出してるし
伏見攻めも伏見入城を断られてやむなく参加したもの。
その伏見での戦功を三成が無視した事でその思いは余計に膨れ上がっただろう。
その為、三成主催の軍議には参加せず、西軍方の守る松尾山を武力で占拠し、
それを警戒して大谷も鉄砲隊を温存して秀秋に備えていたし、組下につけられた
赤座はじめ4将も秀秋を警戒する布陣で臨んでる。
関ヶ原当日は西軍の勢いがピークを過ぎた、東軍にとって一番ありがたい最高のタイミングで
戦闘を開始している。
その最高のタイミングで東軍に恩を売る為には手勢をいつでも戦闘参加できるように臨戦態勢を整えていただろうし
いざ東軍の敗色が濃くなって西軍に加担を決めた場合でもすぐさま目の前の藤堂隊に攻めかかれるように
してあっただろう。
松尾山下山にそんな時間かけるようなヘマは打たないだろjk
889 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 15:55:43 ID:HJ+lSBSo
>>887-888 あら、ごめん、すまんかった><
それと問い鉄砲の話は微妙なんだよね、大成のネタ元あるだろうから、それを見つけるのが先だと思うよ
自分は問い鉄砲はなかったと思ってるけどね
890 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 15:59:17 ID:kzNH0NZj
徳川実紀あたりでしょ。
問鉄砲なんて支持してる学者は皆無だよ。
891 :
670:2008/08/09(土) 16:38:56 ID:gYpPh/gr
>>890 徳川実紀の話は天元実記を基にしているとある
資料的に問答するならこの天元実記を考察するべきでしょうな
ちなみにこれ、公文書館にしかないならしい
892 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 17:34:56 ID:YUCFKI55
秀秋がもうちょっと長生きして小早川家を残してたらこの辺の疑問はたいがい解決してそうだな
893 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 17:44:51 ID:57kdXVVr
問い鉄砲がなかったという史観のほうが家康の軍事能力を高く評価できるけど
むしろあったというほうが冒険主義的ということで低くみられてもしょうがないと思うが
でもこのスレにおいては先鋭的な家康ファンはあったと頑張ってるわけかwww
894 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 21:41:01 ID:K1xPKGOI
秀秋が長生きしてもどうせ何癖付けて取りつぶしは免れなかったと思うよ。
武家からの尊敬は皆無、過去を語らせれば「当家のお陰で徳川の世に・・・」なんて
言う資格があるし、事実だから否定もできない。謙虚な家風に秀秋が鍛え上げるな
んて事もイメージできないw
所詮はどっちにしても外様。
895 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 22:14:17 ID:WF4mOwaW
>>862 松平記では究竟の衆300余討死、だったな。
改正三河風土記では究竟の士300余討死、だったな。
究竟とは最上至極の意味だ。そして士、という表現が使われている所が注目される。
士、とは身分の確かな武士に対して使われる言葉だ。実際
>>804などにおいて名前が挙がっているのは
身分のしっかりした名のある武士達ばかり。
上記を踏まえた上で訳すると「最上と言っていい優れた武士達が300余り討死」となる。
どうもこの300余りの中には郎党や足軽といった身分の低い戦死者は入ってないように思えるのだが。
徳川だってわざわざ自分達の損害を高く書く必要はないし、実際
>>804で挙げられてるだけの武将や名のある武士が
死ねばその郎党や足軽にも相応の死者が出てるはずだが。
武将が死ななくてもそういった下級の戦闘員には死者がでるんだから。
896 :
670:2008/08/09(土) 23:33:47 ID:gYpPh/gr
>>895 どうでしょう、何騎といいつつ総勢を示した事もあるし、どうとでもとれるかと
例えば、
>>804が士分で60人プラスして100人で郎党・足軽3倍計算で300人
300人士分で同じく3倍強で1000人
倍数は徳川軍は浜松城の出陣なので、後方要員はいないからこんなものかと
897 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 00:09:26 ID:eG016q58
>>896 んで君はどっちを支持するの?
上下に分けて書いてあるその300人と千人と。
俺は
>>804には普通に奉行とか旗本とか城主クラスとか大身の者とか入ってるから
郎党や足軽達を含めれば300余りじゃ少なすぎると思うんだけど。
後、後方要員って本当にいないのだろうか。当時の徳川に後方要員を抜きにして
一万近い兵力をだせたのだろうか。3千は織田の援軍だから徳川直属軍は7、8千か。
各地に守備兵力を割いてる事から見てもあの時徳川の出せた全兵力に近い気が。
898 :
670:2008/08/10(日) 00:28:10 ID:/bTcM3M/
>>897 一応、言いだしっぺなので上段、でも後段もありとは考えてる
後、この場合の後方要員は兵站関係を想定してます
899 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 00:39:04 ID:rTH/nwZH
>>898 いや、俺も後方要員は兵站関係を想定してたんだけど。
普通軍勢って兵站関係を入れて計算するもんだし。
それを踏まえた上で当時の徳川にしてみれば7、8千の兵は直属で出せた
全力の兵力なのでは、と。
900 :
670:2008/08/10(日) 01:02:51 ID:/bTcM3M/
>>899 自国領内、しかも日帰りできる場所ですから
兵站要員を連れて行く必要はないですから
901 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 01:09:49 ID:rTH/nwZH
>>900 そりゃ暴論だよ。日帰りできる場所であっても戦闘を想定している以上、
兵站要員は必要だよ。武具や火薬や玉や矢や衣類や雑用品抜きで戦えるわけもないし。
戦闘要員は自分たちの武具や装備や戦闘で手一杯な以上、それを運搬する兵站要員は必要だ。
902 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 06:05:33 ID:PuE9Z2py
長期の対陣になる事が想定されていたら糧秣の補給は必須だが、それ以外の物は
大して持って行ってないだろう。基本は領内での機動戦だから、武田軍の兵站部隊
に比べたらそれほど人員を割く必要はない。
三方が原と浜松城は1〜2時間だし、浜松への退路を確保すれば十分。一気に決戦
して武田軍の兵力を削ぐのが目的だし、三河に侵入されて蹂躙される前に祝田坂で
逆落としに攻めるのが目的だったから、そんなに多数を兵站に割いたはずないよ。
903 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 07:19:43 ID:T0F9qLE3
>>902 しかし予想以上にズタボロにされた徳川軍。
904 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 10:00:07 ID:weaOo6GG
自分の居城前でフルボッコってかなりかっこわるい
っていうか武田がすごすぎるだけかもね
>>855 小山田勢ってスパルタみたいだなw 300人で浜松攻めw
905 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 12:29:16 ID:MwuCIRnh
一端、締めにして仕切り直してくれるか。
俺個人はやy家康贔屓だがそっちへ乗り難いスレになってしまった。
個人的には家康が才能に恵まれた戦上手という評価でなくて別に構わない。
家康について、軍事についてはここが長所、ここが短所てなあたりから
もう一度始めてくれるとありがたい。
906 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 18:50:02 ID:s0tEzeoD
まあ餅漬け。
三方が原は、家康=野戦という通説を否定する最大の論拠だからある程度は
細部まで分析されてもやむを得ない。
戦いもそれほど多くないからね。
907 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 20:39:20 ID:R3SKFeH/
しかし武田びいきの軍鑑でさえ右翼の討ち取り首が100に満たないという事実
一体どの軍記物から桁が一つ上がったんだか
908 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 21:56:40 ID:KWniXrOq
甲首だけで100ならば、結構たいした数だと思うぜ。
当然の様に兵卒の首も入っているだろうけど。
909 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 01:00:59 ID:uixTjnxb
>>907 軍鑑では5千の兵を率いたという山県隊のあげた首を確か13としていたような。
そんで勝頼隊のあげた首を67くらいだったとしてたような。
真偽はともかく、その兵数や
>>804で死んでる武将達を見る限りとてもそれが打ち取った全部とは
信じがたい。甲首と考えるほうが妥当だと思うが。
ちなみに1千余り討取りは軍記ではなく、信玄が3方ヶ原あとに出した伊能文書に書かれてる事。
同時代資料だよ。
910 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 01:11:27 ID:Bp/oqY4S
雑兵は数限りなく討ち取られたんだろうなぁ
911 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 07:00:31 ID:IPhpvLMG
912 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 13:22:40 ID:OrnAAIHc
>>906 達人かどうかはともかく
三方が原は、家康=野戦好き・篭城嫌いを示す最大の論拠だろ
家康は北条や豊臣のような篭城策をとることが性格的に不可能なのは間違いない
小牧みたいに圧倒的兵力差がある場合なら我慢もするが
そうでなければ決戦場に突っ込んで白黒つけたがる血気盛んな人間という側面が家康にはある
だから野戦の達人というより家康の性格を満たす場所が野戦と言う方が適切だと思う
913 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 13:50:13 ID:kXtdX45c
まあ自分の本国にまで攻め込まれればそれは負けであるという厳しい言葉もあるし
攻め込まれるより攻め込むほうがいいに決まってる
914 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 15:04:32 ID:27DqvgGg
三河兵とか本多は褒めても家康には一切言及なし
武田から見れば家康などはなから眼中になしw
915 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 19:08:11 ID:3WZBVrtr
>>912 三方ヶ原は篭城嫌いとか関係ないよ
碌に遠州各城に援軍も送らないで城に篭ったままで
更に甲軍が居城の目の前を通過しても動かなきゃ
見限られて西遠江や三河の各城の守将がこぞって寝返られて
戦わずして一気に崩壊する恐れがあったからだろ。
周囲に敵を抱えてるなか派遣された織田の援軍も得て、乾坤一擲の一戦を交える覚悟で突っかかったが
ボロ負けして、手も足も出ないまま野田城落とされてさぁ徳川滅亡かって時に信玄死んで撤退したから
助かったものの。
916 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 19:18:46 ID:8F3q6sg9
だよな。絶対の守護者と思っていた家康が、信玄にかかれば手も足も出ず
籠城となれば、離反して信玄につくのは当然。
それに、如何に鉄の結束の家康軍団でも、本貫の地が蹂躙されたらつらかろう。
政治的には如何に信玄の罠としてもあそこで出るのは正解。
後の小牧長久手と同じ。
917 :
670:2008/08/11(月) 21:38:20 ID:NssHO82D
>>914 甲陽軍鑑で遠州を家康にやって同盟結めば、西国まで平定できたのに
と山縣辺りが言ってた気がする
918 :
タッキ:2008/08/11(月) 21:45:52 ID:SUDUxoY+
>>916 あの絵を描かせたことからも、一種の勝負として、わかって、出たのでしょうね。
少し話ズレて悪いけど、信玄って絶妙のタイミングで死にましたよね。
もちろん生きてても将軍宣下受けるほどじゃないけど、あの時点で信長は相当
ヤバかったはず。
結局長生きした家康が幕府開いてましたかね。
919 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 22:01:18 ID:8F3q6sg9
>>917 それも、軍鑑が監修徳川家って言われる根拠の一つの箇所だからw
信玄が来ただけであっさり降伏などすれば、それこそ徳川軍団は崩壊する。
そういう組織じゃないんだから。
920 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 22:12:28 ID:fFnzAOH/
野田城で銃撃したとかも徳川の苦し紛れの捏造だしねw
野戦でボロ負けトラウマの家康でした
921 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 23:10:47 ID:zMsOZCzW
>>920 勝利者だから何でも都合がいいように書いてるのか。
922 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 23:29:40 ID:BcwPRRab
信長が指示したとおり岡崎城に籠もって信長と合流して信玄を駆逐しても
遠州の人間は家康のことを信用しなかったのだろうか?
923 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 23:41:13 ID:3WZBVrtr
してないから東遠江は降伏したんじゃん。
924 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 23:53:19 ID:quT2N0Oo
野田城については、落城時に城主の菅沼定盈が武田に帰順せず
捕虜になってその後の捕虜交換まで粘ったりした方に注目してみる。
まあこれは家康の得点じゃなくて定盈が愚直に家康シンパだったって
ことなんだけどさ。
925 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 01:05:16 ID:98+4CGpg
武田がやってきたら武田に靡くような連中だろ
織田・徳川連合軍が巻き返したらまた徳川に靡くじゃんと思うが
926 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 06:33:01 ID:/mrsScH6
いや、その武田方に靡いていった奥三河衆たちの中で菅沼定盈は
徳川方で一貫してたわけ。
なんだか良くわからんけど宗家の田峰菅沼氏ら山家三方衆たちが
武田帰順を呼びかけても拒み続けた奇特な奴。
(最も野田城開城は奥三河衆で馴れ合った面もあったようだね。)
織田徳川が巻き返した時に連中が戻れるようにツテを残すのが
役割だと思っていたのかもしれないね。
実際、信玄の死という望外の機会がやってきて奥平親子みたいに
本音では徳川に未練のあった連中がヤマを張るためのツテに
なったわけだ。
まあちょっと横道に逸れたので元に戻すと、家康が戦下手で
あるのなら、定盈みたいなのを手元に繋ぎ止めるだけの力量や
政略を保持しようとした粘り強さが家康の長所としてより強調されて
くるんじゃないかな。贔屓の引き倒しだけど。
927 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 09:29:37 ID:tm8KW648
戦下手でも調略や戦略眼、カリスマがあれば関係なくね?
このスレで家康は戦下手だろって言ってる連中も、内政手腕や寝技には評価してる連中も多いし。
928 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 10:44:22 ID:eWqaISaQ
軍事センスは贔屓目に見ても水準程度だが、政治家としては文句なしの超一流
929 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 10:53:43 ID:1Iou1qa3
>>928 そうそう、軍事技術は信玄、謙信に劣るけどトータルでは2人より上。
930 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 13:07:11 ID:CBvBAUwZ
931 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 15:22:39 ID:eWqaISaQ
誰が言ってるわけ?
932 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 15:23:19 ID:tm8KW648
家康が戦の達人だって主張してるのはこのスレでも一人しか居ないじゃん。
933 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 15:24:11 ID:1Iou1qa3
>>927 家康は、信長が勢力拡大する前から家来のごとく従ってる。なかなか真似できない。
同じ同盟国で途中で脱落した浅井長政とは、先見性、執念、柔軟性が違いすぎる。
934 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 18:20:05 ID:AhYKE5pV
>>933 確かにその通りだが、
家康の幸運は、父の広忠が既に亡くなっており、主体的に意思決定できた事だ。
浅井長政の不幸は、暗愚の父久政が健在で、その愚かな決定に従わざるを得なかった事に有る。
935 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 19:48:31 ID:CFBdREqr
信玄に戦いを挑むなんて十分愚かだろw
結果知ってるから先見性なんて言ってるが
936 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 20:14:02 ID:CKm7vs1r
村上義清の方が家康より戦上手だろな
937 :
人間七七四年:2008/08/13(水) 16:20:25 ID:ApY/rkUf
武田信玄≧村上義清>徳川家康
938 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 16:28:55 ID:NAeMIZVR
家康試しに使ってみると信玄のヘッポコさが分かるよ
939 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 16:38:11 ID:NAeMIZVR
■家康は史上最低の将軍になった! Part9■
940 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 17:17:00 ID:o2BBcBH5
>>938 一体全体なんの話をしてるんだ?
家康を使う?
941 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 17:26:44 ID:NAeMIZVR
【トクガワ】いい度胸だぜ家康 part4 [
942 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 17:36:21 ID:OqoPBPEW
1だろ
ネタが無いなら3は立てるなよ
943 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 18:21:02 ID:NAeMIZVR
羽柴本家 徳川家 米沢上杉家 陸羽最上家 由利家 5
944 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 22:10:28 ID:qUM45mW7
家康の強さは、大将の采配というより個々の武将と兵士の士気と能力の合計だよね
人を育てるのが上手かったという話も残っているし
けど武田と戦ってる間は重臣たちが勝手なことして暴走するから苦労したんだよな……
945 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 22:28:34 ID:Hxqt6YMq
センゴクじゃないけど血の気の多い連中が多かったのかな
946 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 09:30:29 ID:PPV7eh9U
>>945 同じ愛知でも尾張と三河では気質が違うんだよな
現代でも三河のほうはガラが悪いというか、気が荒いというか…
方言やintonationもちょっとケンカ言葉っぽいんだよ
部活の試合とかで三河のほうに行く時、ちょっとコワイ
947 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 12:47:11 ID:nl+wL/Oj
>>944 なるほど!
徳川家康は野戦上手のはずなのに武田信玄に三方ヶ原で負けたのは“家臣達のせい”だからか…なるほど、なるほど〜
(ニヤニヤ)
948 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 13:34:34 ID:PPV7eh9U
単純に数の差だろ
949 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 01:44:05 ID:xn4D7yPl
徳川家康は戦国後期の戦基準じゃ戦上手かもしれんが、
戦国前期、中期の
織田信長、武田信玄、上杉謙信、北条氏康、毛利元就らと比べたら戦下手になる。
950 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 04:54:58 ID:kD8pG8aR
数の差あっても戦い方1つ、負けるにも負け方というのもある
あのあっという間の惨めな惨敗は、野戦の達人なんて恥ずかしくて言う気にもならない悲惨なものだよなw
まあそれを言えてしまうのが豚厨の知能の低さ、当然と言えば当然か
951 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 05:32:42 ID:87t89yip
遠州あっという間に繰り崩されたしなぁ。
織田がいなければ滅亡必至な状況に陥ってる時点で達人なんて片腹痛い。
952 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 07:29:41 ID:9t35UVof
953 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 09:28:32 ID:TFN109E6
若い頃から完全無欠、負け無しが達人か
(日本神話の)神様でもありえんな
954 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 10:31:34 ID:ReLHX7g8
大久保彦左曰く、三方ヶ原では城から出て武田の大軍と対峙した時点で目的は果たせた
渡辺守綱が、「このまま兵力を温存して浜松城に帰れば、武田の背後を脅かして味方を鼓舞できる」と進言、家康もその気になりかけた
ところが酒井忠次、大久保忠世(彦左の兄貴!)たち重臣が家康の後退命令を無視して武田軍に向かって突進、まんまと信玄の罠に嵌ってしまったという……
(三河物語)
家康の野戦の強さは優秀な指揮官と兵隊を抱えていたってこともあるんだろうけど、
重臣たちと合意ができないと物事が上手く進まないのは他の大名と変わらなかったのかな
信康切腹の原因が、信長型の独裁体制を目指した信康と、合議重視で家臣団の結束こそ必要と考えた酒井が対立したという説もある
955 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 13:04:16 ID:xn4D7yPl
家臣達をろくに指揮できない奴が「野戦の達人」とは片腹痛い。
戦は一人の頭の中でするもんじゃなくて団結してやるもんだろ。
956 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 14:27:12 ID:tIwBi0aY
太原雪斎の教育で独走的なことをするより、他人の真似をしろと家康に教育したらいい。
前半は普通の武将だったけど、本多を参謀に迎えてからは駆け引きがうまくなってる。
関が原は黒田長政の工作が大きい。大器晩成型かな。
957 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 19:29:31 ID:czK+GRUu
>>956 家康の家臣団掌握が完成したのは五ヶ国領有した辺りかな
他の大名は家康が政権獲るまでそれ以前の段階を終始したけど
958 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 19:30:31 ID:oWNl2yZv
戦上手というより根回し上手なイメージ
959 :
人間七七四年:2008/08/17(日) 21:34:38 ID:SjqAgW5g
信長・秀吉・信玄・浅井朝倉なんかと戦い、謙信とも外交があった。
関が原の時点では伝説の武将だよな、やっぱり
960 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 13:01:13 ID:ZD+5vhsl
>>959 信長の家来は、所詮サラリーマン、中間管理職みたいな立場だけど、
家康は一代で成り上がった貫禄があるだろね。
961 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 13:46:31 ID:YUJ+gTts
成り上がりといえば秀吉だろ
962 :
人間七七四年:2008/08/18(月) 13:56:26 ID:uO4hyxj8
>>959 同意です。関が原合戦の時点だと経験値は豊富だったから
戦術とか天才性とかとは「別の凄み」があったんじゃないかと。
ベトナム戦争以降とかの有名戦争で
負けor引き分けたことが多かったとしても
大体の有名戦争に参加して
それなりの戦果を出している現役老人将校を見れば
現代の30歳前後の軍人が嫌でも一目置く感覚なんじゃないかなぁ?
大坂の陣の時なんてそうだと思う。
963 :
タッキ:2008/08/19(火) 16:07:45 ID:6r2jlXd9
信長と戦った、と言うとちょっと違和感あるけど、言わんとしてることはわかるな。
織徳同盟の頃からなんらかのそういう、すごみ、一目置く、ってのがあったとまで
感じるわ。
964 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 17:57:39 ID:Kk23gfav
いや、普通に戦ってるじゃん
965 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 18:42:49 ID:6XW+0XXh
桶狭間のこと?
兵糧入れたりはしたけど、戦ったというのはね。
ちなみに十代の頃だし、たいしたもんだったとは思う。
966 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 19:38:19 ID:KLuSl2Ir
>なんらかのそういう、すごみ、一目置く、ってのがあったとまで感じるわ。
具体的に持ち上げる要素が無いから雰囲気で持ち上げるわけですね。
正直キモい
本人に会ったことあるんかと
967 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 20:32:46 ID:VrReevNi
>>966 織徳同盟は最後まで破棄されることが無かった。
これは戦国としては珍しいほう。
しかも結んだ時、どちらも20代の若者同士。
あの秀吉も、懐柔するまで親を人質に出すなど、四苦八苦。
最後は手を握って「頼候」。
具体的にありすぎて書ききれないぐらいなんだよ。
968 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 20:33:55 ID:KLuSl2Ir
利害関係が一致しただけじゃん
969 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 21:10:21 ID:VrReevNi
戦国の世は利害が一致しただけで渡っていけるほど簡単ではなかったでしょう。
大体、相手がどう思ってるかなんて確実なことはわからないし、下手に信じて
攻撃されたらおしまい。
970 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 21:21:00 ID:KLuSl2Ir
たしかに織田が一番やヴぁい時に徳川が寝返ってたら織田家は詰んでたけどな。
お互いに攻撃したら防壁がなくなっちゃうって状況で利害関係が一致して対等な同盟関係だったけど
武田にフルボッコにされてるうちに織田が地道に勢力伸ばして対等な関係から従属的な関係になってんじゃん
971 :
人間七七四年:2008/08/19(火) 21:23:12 ID:KLuSl2Ir
というかなんで清洲同盟の話になってんの?
>>963のコテが凄みを感じるとかヌケた事言い出したから突っ込んだだけなのに
972 :
人間七七四年:2008/08/20(水) 10:28:17 ID:j3VvnwfR
ところで、信長と家康が戦った、というのが今の通説なのか。
973 :
人間七七四年:2008/08/20(水) 13:48:40 ID:/P/+Pspg
家康厨は
池田勝入を討ち取る=秀吉より上か同等
佐久間大学を討ち取る=信長より上か同等
とか言っちゃう痛い子達です
974 :
人間七七四年:2008/08/20(水) 16:09:36 ID:lN/5ytWV
>>972 軍事衝突までは起こってないけど、
家康は水野領で苅田程度の嫌がらせはやってるみたいだな。
それを戦ったとか言うのはちゃんちゃらおかしいけどね。
たぶん決定的な事態は避けつつ、
双方に働きかけてみることでで双方を秤にかけていたんじゃね?
でリトマス試験紙は織田色に染まったと。
975 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 10:51:34 ID:DgJL4Ust
桶狭間以降、家康は織田領内で軽く軍事行動してる。
義元の仇打ちという建前や、織田と同盟するにしても自分の存在感を引き立てさせてる。
家康は苦労人だから、本音と建前や演出など若い頃からしたたか。
976 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 16:25:47 ID:vazDu/l9
なるほど。
軍事行動というか、単に乱戦の中で自分の身を守った、という
ぐらいに思ってたですけどね。
1560〜1562のあたりって、信長も家康も結構重要な時期で
決断もすごいその後に影響を与えたような。
本人たちはそういうのをどのくらい自覚してたでしょうね。
そういう意味で、一目置く、とかいう話は、その頃から
ある程度はお互いを認め合ってたのかな、とそんな
感じもする。
977 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 22:18:28 ID:DgJL4Ust
>>976 信長は、家康は思慮、分別があり自分についてこれるだろうと期待して同盟した
978 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 22:35:23 ID:Z+XjAer6
とすると、その時の信長の人を見る目は、明治維新までの歴史を象る根本と
なったわけだ。
どっちもすごいのぉ。
979 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 22:59:00 ID:bhbXIBB1
980 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 23:38:26 ID:Z+XjAer6
>>979 そう?
信長が、家康みたいな子供やっつけたたら、日本はどうなってたか。
977が言うような判断が結局1860まで影響を及ぼしてるのだよ。
変の当日に信長と家康は飲み会予定だったぐらい信頼しあってたわけだしね。
・・光秀めぃ・・
981 :
人間七七四年:2008/08/21(木) 23:57:17 ID:T/gU9I9E
いや、やっつけるとかどうとか余裕なかっただけなんだが、まだ夏かな
982 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 01:22:57 ID:ty0WMJiJ
>>981 うん、この夏は太平洋戦争以来の暑さの夏。
君たちのお父さんの生まれる前から、桶狭間や関が原歩いて
よくわかってるよ。
もちろん、小牧や長久手もあんまり変わらない。
岐阜城なんて、この暑さの中、歩いて登ってごらん。
歴史とは暗記科目じゃなくて、人の営み、ということがよくわかるから。
まだ遅くはないよ。
武将の名前暗記したり、兵数覚えたり、そんなのは関係ないからね。
信長や家康語るなら、まずは夏に名古屋おいで。
夏だぞ、夏。
983 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 16:54:43 ID:XVfgkmUJ
信長も美濃相手にきつい戦争やってるところだからなあ。
桶狭間についてはいろんな考え方が出来るが、
義龍がポックリいったのは間違いなくラッキー。
984 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 17:32:54 ID:ty0WMJiJ
信長は信玄の急死もだけど、そういう強運はあるよね。
美濃攻略の翌年に上洛できたのも、京は京での政変が偶然おきてたわけだし。
秀吉もだが、そういう強運を最大限に活用するというのがすごいんだろうけど。
家康だと、晩年関が原の後に、自分より年下の豊臣方の武将が次々に死んでるでしょう。
これは、暗殺、なんてのもあるけど、どうなんだろうね。
そういや利家も絶好のタイミングで死んでるなぁ。
985 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 20:00:51 ID:FSsyh2+r
986 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 20:08:28 ID:ty0WMJiJ
いや〜、最近のウィキはXファイル化してるなー。
ちょっと前に、暗殺、なんて言ったら「都合の良い時に死んだら全部暗殺ですか、妄想は
やめろ」とかすごかったんだが。
そういや、桶狭間もそういうのあったな。
あれも、新手の兵を疲弊した兵と間違えたのだったか、ラッキ以外の何者でもないな。
987 :
人間七七四年:2008/08/22(金) 20:24:00 ID:ua/LGEUv
加藤とか浅野、秀康は名護屋・朝鮮ときに梅毒もらったんだろうな
忍者より遊女の方が万倍怖い
988 :
人間七七四年:
大奥システムの理由のひとつに、性病予防がある、という説があって
感心したことがあったな。