1 :
人間七七四年:
今井宗久、呂宋助左衛門、茶屋四郎次郎など戦国期に活躍した豪商達。
また斉藤道三や小西行長のように商人から大名になりあがった人物。
戦国時代の「商法」「経営学」「交易のルート」など、商行為についての話題をここでしたいと思います。
また、合わせて「商人・資産家とされる戦国時代の人物のお金にまつわるエピソード」について語ってみませんか。
2 :
人間七七四年:2007/03/09(金) 21:31:11 ID:OFGfmnys
2ならガンバ大阪世界最強!!
3 :
人間七七四年:2007/03/09(金) 22:51:48 ID:4xrC0vUQ
戦国時代は商人と武士の垣根が低いな
4 :
人間七七四年:2007/03/09(金) 22:58:07 ID:m4WKt2DR
関ヶ原では九鬼水軍と戦った商人が居るくらいだからな
5 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 10:14:00 ID:kLOCGIm6
>>3 小西行長の影響かな
あとは堺が信長と抗戦したり
6 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 00:44:06 ID:8gfIiuQO
今井宗久は本能寺の変に一枚噛んでいる....。
ところで、もともと今井家は何の商売してたんだろ。
鉄砲屋しかイメージがない。
大坂の陣以後の江戸期にも繁栄続いていたのかな?
(小西行長の本家筋の薬屋は、江戸期も大坂で薬屋を営んでいた)
7 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 01:07:21 ID:y99GGXTJ
商人ったって、別に法治国家のそれじゃないんだから、元々武装もしてるし、盗賊が襲ってきたら
武士並みに勇猛に戦うのが普通だったり。
8 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 08:30:02 ID:HLxwnbsZ
( ´゚ω゚` )
山中鹿介のとこは酒→運輸
やり方によっちゃもっと業務拡大できたんじゃないかな
10 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 20:37:32 ID:H6IFKeay
江戸時代も初期の頃から、大名は借金してたそうですね。
階級は下の癖に、頭の上がらぬ存在だったんだろうなあ。
11 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 15:43:15 ID:Ad5Mm2uO
というかいつごろから商人が低く見られるようになってきたのか
いへやすは茶屋四郎次郎と懇意にしてたが
12 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 16:09:35 ID:givbKCCj
>>11 朱子学が広まってからでは?
蛇足だが次郎三郎と四郎次郎とが仲良しなのはある意味必然的といえる。
13 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 14:51:23 ID:HLBGFppm
『黄金の日日』のような大河ドラマをまた見たい
14 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 16:57:02 ID:/iFqkDHz
>次郎三郎と四郎次郎
なんでこんな変な名前名乗ってんの?
史板に聞きに行くのめんどいからおせーて
15 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 21:41:33 ID:iUtS93h3
268 名前:九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU [sage] 投稿日:2007/03/18(日) 20:18:01
太郎の子が小太郎で太郎の孫が孫太郎
次郎の次男が又次郎で次男の三男が二郎三郎
いわゆる「輩行」って奴だな
16 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 21:43:40 ID:W4P9XR5h
17 :
音楽奴隷 ◆5c/UstWSY. :2007/03/18(日) 22:02:13 ID:aeUHCC55
戦場掃除で儲けたってのは、本当なのかねぇ?
18 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 21:20:03 ID:722Ebcoy
転職武将>切支丹大名>二枚舌外交>最期は石田&安国寺と斬首
うまくやれば血沸き肉踊る大河にもなりそうなんだが>小西行長
19 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 21:32:42 ID:EMP7VS6E
主人公が敵方に殺される大河はいくつもあるが、力及ばず斬首、だからなぁ…
行長の場合だと最終的な救いが宗教になっちゃいそうだからまた扱い難しいし。
そんなら利休がいいんじゃ?
権力に求められるまま歴史の表舞台に登場するもその権力に一切屈することなく
己の信念を貫き茶の湯を究極の域にまで高め大成させた宗易とその悲劇
合戦描写が少なくなるかも知れないが
3話に一回くらい忠興が脈絡もなくブチ切れるとかにして臨場感を持たせる
ナレーションは山上宗二
21 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 08:30:55 ID:xZJmLXHe
利休だったら織部でへうげものを・・・
・・・いや、なんでもない
>>17 釘一本残らなかったらしいからな、売れる物は根こそぎかき集めていた
まあ、戦災の補填の一部くらいにはなるだろうさ
22 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 00:36:02 ID:ASY6ZRTh
23 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 01:39:57 ID:TzJhXJJf
戦国の堺って商人の共和国みたいなもん?
会合衆による合議制だし
24 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 23:31:31 ID:xaP68LGI
>>11 いつかって?
それは明治時代に江戸時代には存在しなかった
「士農工商」を宣伝するようになってから。
明治になって資本家と労働者の対立が激しくなってから
労働者が悔し紛れにその言葉を信じたがった。
リアル江戸時代には「武士」「町人」「農民」しかない。
考えても見ろ。農民より職人・商人が下なら
その下に被差別階級などいらないだろ。
25 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 02:54:29 ID:3nCNKLJO
>>24 農民の子の加藤清正や福島正則が大商人の子の小西行長を
「商人上がり」と馬鹿にしているところを見ると、
そういう"風潮"は有ったのかもよ
26 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 03:02:00 ID:kpZTbWa6
>>25 っていうか、体力バカは、よく知的だけど、運動神経の鈍いやつを
ばかにするようなもんだよ。
石田とか小西の経理系も、農民あがりの体力をバカにしてたみたいだから
単に種族の違うものを嫌悪してるだけでしょ。
27 :
人間七七四年:2007/05/11(金) 03:04:02 ID:kpZTbWa6
農民あがりの体力→暴力バカ
っていうか、福島・加藤の当時のDQNの意見を当時の風潮と
とらえるなんてあほちゃう。やつらこそ当時の風潮として
バカにされてたでしょ。
28 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 23:13:11 ID:M2cbMAYZ
29 :
人間七七四年:2007/05/23(水) 01:42:25 ID:PrDUaIJD
博多に並ぶ古い貿易港なのに十三湊の商人の記録って読んだこと無いな。
南部支配下に入ってから衰退してしまって
名前の残る商人が出てこなかったってことなの?
30 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 23:52:03 ID:SGlKxviZ
31 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 03:25:20 ID:+FhOatHU
道頓堀の人は中々波乱万丈な人生を送ってるね
32 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 21:51:02 ID:wgnj5smv
成安道頓だっけ。最期のあたりが好きだな。
鴻池は父親が波乱万丈すぎるんだよなぁ。
33 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 20:11:17 ID:O5mFCXR3
「我に七万八千貫文を与えたまえ!」ってやつだろ
34 :
人間七七四年:2007/08/16(木) 23:46:16 ID:lso+8U1C
>>23 全然違う。
だいたい日本では戦国時代どころか、最低でも室町から江戸時代まで、都市ってものの民生は
(村落もそうだが)ずーーーっと自治体内の有力者による合議で運営されてた。
上級権力が介入する事は殆ど無かったと言っていい。
あと、堺は基本的に三好氏の商業都市だけどな。最初信長に反抗したのもそのため。
バテレンが「堺は自治都市で〜」なんて、間抜けな報告書書いたのも、堺を指導していた
三好氏勢力が畿内追い出されたから堺の町衆がその自治のみならず、防衛や外交を
自分達でやらざるを得なくなったせい。それみてキリシタンバテレン勘違い。
35 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 07:14:30 ID:6YofpmJl
大名貸しは商人にとっては踏み倒される危険の大きい商売だ。
だが、鴻池のような掛屋を兼ねた大坂両替商はその限りじゃない。
大坂両替商は諸藩の蔵物販売や代金送金を行っていたため大名の方も借金をチャラに
出来なかったのだ。彼らがいなければ藩の財政も儘ならない。
さらに、大坂両替商は諸藩の藩札の信用を地方の豪商とともに受け持つ事も多く、
藩経済に対する影響力もなかなかのものがあり、
「大坂豪商ひとたび怒れば、天下の諸侯恐れるの威あり」と言わしめた。
36 :
人間七七四年:2007/08/26(日) 04:02:15 ID:rDIo3Ejm
>>17 それは戦場の死者の遺留品の掃除(強奪)は近隣の農民がやっていた。
そして骨董を扱う商人に売りつける。
いつどこで戦争があるか不明なんだから、それが効率的。
37 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 16:48:23 ID:oGz26LwK
あげ
38 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 17:57:00 ID:eOrcaiZE
商人から戦国大名になった(とされる)のは、斉藤道三と小西行長くらいか?
39 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 14:49:33 ID:EA09pJl7
40 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 00:11:04 ID:RUcDFe6Z
小西行長
41 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 14:50:06 ID:w7pLCVaH
42 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 15:23:49 ID:AC4t7AaM
この時代武士から商人になったのも多いな。
43 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 16:22:01 ID:4IaNQrlk
>>41 小西行長は、若い頃堺の小西家から備前福岡の魚屋(とどや)に養子に入り魚屋弥九朗とよばれていた。
魚屋は宇喜多家の出入商人でその縁で織田家(秀吉)との交渉の副使を任され、宇喜多家に仕えるようになった。
高松城水攻め時は船奉行を務め後に秀吉が宇喜多家に行長を請い秀吉の家臣になった。
44 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 02:04:24 ID:8wtz8bSa
トルネコ
45 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 22:17:36 ID:kbHjCSHa
茶屋四郎次郎
46 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 10:47:04 ID:2PCb0JDX
戦国期に東国で活動していた商人
武蔵:次原氏、長谷部氏、野中氏、山口氏
下総:福田氏、新井氏
安房:岩崎氏
駿河:友野氏、松木氏
甲斐:松木氏、坂田氏、田辺氏、田草川氏
下野:庭林氏
会津:梁田氏
47 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 01:56:02 ID:PJpZcXvt
友野氏あたりは駿甲の国境を越えて商売をしていたようだね。
連雀商人も広域で活動していたので、今川義元などの大名は
その統制を行っているよね
48 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 02:30:33 ID:N4IOjbb5
流通業者の確保による物資の安定供給は戦国大名にとっての生命線の一つだからねえ。
49 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 01:08:13 ID:WH76WNMm
>>48 商品流通を押さえるさらなるメリットが「税収」と「価格操作による利ザヤ」ですね。
50 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 01:12:33 ID:KMMByJPC
物資の調達のほうが大きい
51 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 01:14:57 ID:WH76WNMm
>>50 その調達「資金」をどうやって確保するかですね、肝心なことは。
52 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 01:41:08 ID:NtnQKeCx
この時代は関所がやたらめったらあるし船も橋も通行料がかかるし輸送費用が洒落にならない。
その上、盗賊が頻繁に出没し命の危険すらある。
53 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 04:52:24 ID:YCLGJmQ8
>>52 それは前近代の世界の共通項。
それでも、様々な物が千里の道を越えて取引されていたわけですよ。
54 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 09:20:01 ID:G359Osug
いつくらいから、米相場なんかの相場が始まったのかな?
55 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 10:48:25 ID:KMMByJPC
>>54 江戸時代です。
> 1730年に江戸幕府が、大阪堂島米相場会所に対し米の先物取引を許可したのが、日本での
> 商品先物取引の始まりである。これ以前にも、1568年に開設されたロンドン(イギリス)の取引所や
> 1531年に開設されたアントワープ(ベルギー)の取引所があったが、近代的な商品先物取引の嚆矢は
> 上記の堂島米会所といわれている。当時は現物の米の代わりとして契約数の書付けを交換し、
> 現在でも先物取引の契約数を「枚」と呼ぶなどその名残が残っている。
>
> 堂島米会所は、米を取引対象としていたので、当然、商品市場であるが、当時の日本で、米は貨幣的な
> 役割を果たしていたこと、金本位制と銀本位制が混在していたことから、米を仲立ちとして金と銀の
> 交換レートが実質的に決定されるという役割も持っていた。このことから、商品としての米よりも貨幣としての
> 米の側面が高く、実質的には商品市場というよりも為替市場として機能していたと分析する研究者もいる。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E5%93%81%E5%85%88%E7%89%A9%E5%8F%96%E5%BC%95
56 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 20:50:02 ID:G359Osug
>>55 おおっ。丁寧な説明ありがとうございます。
日本の大商人は大抵相場でその身代を作ったイメージだったので、いつ頃相場が始まったか知れて勉強になりました。
戦国時代は投資は投げ銀くらいだったってことなんですかね?
57 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 03:49:53 ID:ByVI+pDC
>>52 統治者にとっては旨味が多いですね。
街道や橋梁、港湾などを支配下に置けば、それだけで租税収入が得られますから。
58 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 19:03:03 ID:YNxqUHCg
収入は得られるだろうけど、実際はどうだったんだろうね?
毎年の台風による河川の増水や高波のよる被害、地震等々を考えると、維持や修理の費用がかなりの部分を占めていたんじゃないのかなと。
59 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 05:02:53 ID:/p88S2Je
>>58 維持・管理コストや普請の労働力をどこで確保するかですよね。
60 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 05:56:06 ID:/6fe4BVu
それらは軍事的にも防諜統制にも重要だから、
利潤の多寡に関わらず、厳重な管理が求められただろうね。
61 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 09:38:28 ID:W2CT4zmt
夫役という租税があってだな。
領民をタダ働きさせてたからそんなに維持管理費は掛からんよ。
62 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 14:40:00 ID:ZrJKyjBL
役人常設しないわけない
63 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 00:28:07 ID:N2FPWHKC
商人によっては大名クラスの動員力が出来るって本当?
64 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 10:11:25 ID:MrdiCSaE
基本的には無理
65 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 12:08:43 ID:Gr+/n/0H
国人領主兼商人ならある程度は
66 :
人間七七四年:2008/10/11(土) 17:53:13 ID:/3CFF7TL
>>61 そういう要素もあるけど、一般の単純労働者の賃金なんて当時は元々大した事無かったんじゃないかと。
(全体から見れば。)
それよりも、職人工人などの専門的な技術者(集団)を抜きに建築建設は難しいし、そっちの方の費用はタダってわけには。
普請関係の談合は江戸時代かららしいけど、袖の下なんかはこの時代もあったわけだよねw
67 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 07:52:17 ID:H7w8cSBq
>>66 職人工人は城下町に住まわせ、組織化する事で大名の支配下に組み込んでいったみたいだよ。
建築士にあたる頭脳は大名個人が持ってる事が多く、縄張りが出来ると浪人でも万石級のオファーがあった。
これは安土桃山以降になるから戦国時代かというとちょっと違うけど。
土木建築の技術は戦国大名にとってとても重要で、その有無が政治的評価になってたりするんだね。
でも治水の本格的な工事は安土桃山以降が目立ち、戦国時代にその例は少ない。
やっぱり軍備重視だと大規模な干拓や治水は出来ないからね。
名主の自主的な開発に任せるしかなかったのかな。
68 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 19:08:23 ID:4sgu2AoM
信玄堤は有名だけど、他はどうなんでしょうかね。
確かに、道頓堀とかの○○堀は現代でも残っているけど、安土桃山〜江戸以降のものが大半ですね。
69 :
人間七七四年:2008/10/14(火) 20:23:55 ID:KQ32uPK3
70 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 00:27:03 ID:RuVhJhZU
>>67 信玄の治水事業なども一代でやり遂げたわけではないしねぇ。
71 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 18:42:39 ID:5Q5tJwbL
河川に関しては、中世以来様々な勢力(寺社や豪族)の諸権利が入り混じっていていたから、中小の勢力じゃ調整が難しかったんじゃないのかな?
(河川航行にも関所はあったし、田畑への利用、漁業権的な縄張りとかの色々な取り決め。)
学生の頃、中世史やってた奴に色々聞いたんだが、酒の席だったんでうろ覚え。スマヌ
72 :
人間七七四年:
age