〜大坂冬の陣・夏の陣〜

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1名無し議論スレにて投票方法審議中
巨城落城と共に「夢は終わった」

ある者は死地を求め、ある者は浪人から成り上がろうと野望を抱き、またある者は没落した
名門の再興を賭け、戦い、そして散っていった。華々しくも哀しい大坂方将士達。

戦国時代最後の戦いにして最大の戦いをじっくり語ろう
2名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 00:23:20 ID:m1P7r30E
真面目に戦った人が少ないような?
3名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 00:24:07 ID:F0nTCAV9
夏の陣の事を色々と調べてみると
素人の私にはどうも真田信繁より毛利勝永の方が活躍しているような気がするんですが、
実際どうですか?
4名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 01:03:06 ID:EcleZTrG
土佐から泳いできた豪傑だが、
海坊主じゃ盛り上がらないからな。
5名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 03:08:22 ID:RRtWIHVz
( ´゚ω゚` )
6名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 16:47:37 ID:F0nTCAV9
毛利勝永の夫妻こそ、戦国最高の夫婦だと思う
山内なんか目じゃねーよ
7名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 18:00:47 ID:0ZVZ9bU0
毛利勝永隊の方が、信繁隊よりも多くの敵部隊を
蹴散らしてるけど、肝心の家康本陣を壊乱させたのが信繁隊なので、
そのインパクトの差で損した感があるね彼は。
8名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 18:05:13 ID:moPTiJs6
徳川軍を二度蹴散らしてる昌幸の息子ってのもでかい
9名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 22:06:10 ID:JCiRWB7n
夏の陣における天王寺・岡山合戦において幕府方は実際には茶臼山・天王寺・岡山の三軍編成。
そして茶臼山・岡山の両軍は天王寺の家康軍よりも大軍を擁している。
これから考えると家康は自身を囮にして大坂方主力を突出。そこを両翼で叩くという包囲戦を
考えており、結果その通りに進行したといえよう。

後、木村重成は自身が優勢でしかも待ち伏せしているのに井伊直孝に負けている。
これは井伊がとても強いのか、木村重成は実は大した事ないのか?
10名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 23:36:56 ID:B5OscYAj
>>6
木村夫婦だって!
11名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 23:40:18 ID:EcleZTrG
>>9
強いとか弱いじゃなくて、経験の差なんだろうな。
大将が突っ込んじゃいかんよな。
12名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 23:41:51 ID:F0nTCAV9
>>7
幸村は政宗も破ってるしなー
13名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 23:59:37 ID:/i5oZiKa
>>9
あれほど大坂方の本陣攻撃を警戒してた家康が自分囮にするとは思えない
まして圧倒的優勢なのにそんな馬鹿げた作戦考える奴もいまい
14名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 00:30:36 ID:yGbDfRte
毛利勝永って、衆道相手の山内忠義を欺いて大坂入りしたんだっけ?

>>9
自らを囮にする布陣とは、まるでローエングラム公みたいだなw
15名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 00:34:42 ID:7Wjn8pUR
木村が率いたのは大坂の生え抜き衆
井伊が率いたのは徳川の精鋭

実力差はいかんともしがたいでしょ
16名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 01:09:07 ID:G6IV5kxj
本多のせがれどもはしょっぱいけどw
17名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 02:07:48 ID:vqqJqBKm
大坂城、一度は徳川30万を退けた名城ナリ
18名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 08:55:04 ID:4oF5mYt3
ところで、徳川家康、徳川秀忠って何も堀を埋めなくても、もっと楽に大阪城を落とす方法もあったと
思うよ、例えば豊臣秀吉の小田原攻めを参考にして、大阪城の南に秀吉の石垣山城のような城を築いて
後は、ただ大阪城を包囲して後はゆっくり待て、大阪方の家臣を丸め込んで大阪城を無血開城はできなかったの。
約束なんて無視して大阪城開城後豊臣秀頼と淀は高野山追放すれば良いと思うけど。
19名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 09:26:13 ID:DbPktg18
>>13 >>18
大坂の陣時における幕府方は膨大な戦費で財政も逼迫しているから
なるべく短期決戦で済ませる必要があったのでしょう。
その為の冬の陣の謀略ですし、夏の陣も家康の「三日ばかりの腰兵糧」
も考えるとその間に終わられないとやばいと思ったのでは。

こう考えると、敵を一気に撃破する包囲戦術を考えてもおかしくないし、
自らの身の危険も最終決戦ならば多少の身の危険も覚悟の上であろうし、
何より家康は戦国一の逃げ名人ですから
20名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 11:57:43 ID:V7NzcXPz
思うんだけど、関が原の合戦から大阪の陣までの16年間は
全くと言っていいほど戦がなかったんよね?

仮に関が原の合戦を含む慶長5年の戦を経験した最年少が16歳くらいとしても、
大阪の陣で35歳近くに達していなければ実戦経験のない兵卒ばっかりだったって
ことなんじゃないの?

もちろん侍大将格以上で歴戦の老練な武士も残ってはいたろうけど、構成比率で
考えると、足軽なんかは戦場経験の無い輩もかなり多かったっぽいんじゃ?
怖いもの知らずの勢いは期待できるけど、多くの戦場を踏んだ人間がもつ独特の
勘やら経験なんかに欠けた兵も多かったろうね
21名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 14:59:28 ID:G6IV5kxj
三河物語とかだと書かれてあるネタだな
徳川はもう勝ち組みとして、良い生活を十数年送ってる奴とか
戦争やったこと無いやつらがヘタレすぎて嘆かわしいという・・・w
大阪方は逆転一発狙いで金で雇われた浪人が多いようだからね
徳川のまだ現役でいる歴戦の勇士というと渡辺半蔵とかだけど、超現場組だからそこまで重要じゃなさそう
足軽頭とかその辺の役職が長かった人だったはず
22名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 15:11:05 ID:5mSMGBWA
ばか淀が、あそこで停戦なんてしなければ・・・
23名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 18:09:13 ID:DbPktg18
>>22
無理無理、大坂方に至っては兵糧に加え、弾薬にすら事欠く有様だったんだから
半年持つなら兎も角、あのままだったら二、三ヶ月で干上がってるでしょうな
24名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 20:01:53 ID:XNzxQxdl
>23
その弾薬不足説が一番眉唾なんだがw

大阪冬陣の大阪方の推定保有鉄砲数は2〜3万丁
鉄砲購入費の2割を弾薬にあてると1丁あたり200発
和議時点で弾薬の半分を消費したとすると200万〜300万発の消費量か。
徳川方の兵1人を死傷させるに千発の弾薬を消費したという計算だな。

篭城戦で引き付けて撃つことのできる状況でそんな低命中率なんてありえない。
25名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 22:44:25 ID:DbPktg18
>>24
どこからそれだけの火薬を運び込んだかと言う話になる。
購入するとするならイスパニアからだろうが果たして、大坂から
それだけの火薬をどのようにして入手するのか?かなりの問題かと
26名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 22:49:56 ID:DbPktg18
27名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 23:34:39 ID:XNzxQxdl
>>24 >>25
回答サンクス。
夏の陣前に堺からの調達が難しかったのは承知している。
しかし、豊臣が鉄砲弾薬を調達したのは、冬の陣の前だからな。
親徳川といっても、露骨に鉄砲弾薬を売らないという行動をとったわけではない。
まあ、高値をふっかけたのかもしれないが。
そうでないと開戦直前に堺の商人が豊臣家に鉄砲弾薬を献上したというのが、つじつまが合わない。
ヤフーの投稿者は夏の陣前の状況と冬の陣のそれとを混同しているのでは?

あと、彼の記述内容の信憑性自体もあやしげなものだ。
淀川の水をせき止めるのに失敗した?
確か、天満川は歩いて渡れるほどに水量が減ったはずだが・・・・・
これは、貴君の書いたことではないかもしれぬのでここで語っても詮無きことだが。
28名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 23:37:03 ID:XNzxQxdl
>>24 ではなく >>26だな
自分にレスしてどうする (´・ω・`)
29名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 01:33:58 ID:eEvj8V1c
福島正則らから貰った兵糧だけでも10万の兵が1年は篭城できるかと
加えて備蓄米と買った兵糧などを合わせればそうそう困る事はないと思う
30名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 09:54:23 ID:KO1eQBlv
>>27
堺とはいえ町にあったものを徴発・買い付けした程度では大した量ではないと思うのです。
家康などは合戦が始まる前から度々火薬や鉛を購入している事実もあります。
とはいっても正直よくは解りません。負けたほうの記録なんて先ず残りませんし。
>>29
藤木久志氏によると幕府方・豊臣方双方共に米が高騰している様です。
後、雑兵物語によると一日に食う米は六合、一年にすると二石以上。
人員も兵員だけでなく女子供・逃げ遅れた町民も加えると相当数になるかと
31仙台藩百姓:2007/02/11(日) 11:20:11 ID:eEvj8V1c
後藤又兵衛を討ち取り真田信繁を蹴散らした
伊達軍の強さが際だってましたね
豊臣vs伊達と言っても過言ではないでしょう
32名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 16:08:56 ID:bVJi424Q
冬の陣で徳川と講和し、幕府軍が引き上げる時に、
一気に襲い掛かるしかない。
33名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 18:43:31 ID:Hx7kj+hU
それ何て垓下の戦い?
34名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 19:36:46 ID:nNv1maFy
固陵の戦いだろ
35メガトン ◆xfEWihaR6w :2007/02/12(月) 00:21:57 ID:vIlF30ni
>>18そう、クソ漏らしはそういう知略に長けた武将ではないのだよ
はっきり言って秀吉の朝鮮の役と変わらないね、大坂の陣というの
は、ただ民衆を虐殺しまくっただけ。
すでに事前の工作で豊臣家は機能してないも同然のところを、クソ
漏らしが無理に攻めただけ
36名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 01:21:35 ID:Xt2MpI4q
>>31逆じゃね?

ところで、幸村伝説はどこまで信じていいんだ?
37名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 01:22:14 ID:Xt2MpI4q
ごめん上げちまった。
38名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 01:27:59 ID:IF97aRQK
信繁+又兵衛+勝永+盛親+全登+重成=幸村伝説
要は全員分の武功を合わせたのが幸村伝説と見ていいんじゃないか
39名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 02:07:31 ID:Xt2MpI4q
>>38
本人と又兵衛・勝永・盛親はわかるが他はそんなに印象ないのだが…
40名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 05:13:08 ID:4MUeFpqM
>>23
食い物には困ってなかったらしい。夏になれば腐ってアボしていたかもしれないが。
41人間七七四年:2007/02/12(月) 07:55:23 ID:sE4Xr5fS
城攻めなんて、強攻は被害が大きい、攻囲は時間が掛かるとろくなものではない。
そういう意味では、城攻めが得意というのは戦争というのを勘違いしている人物の事を言うのではないだろうか?
42人間七七四年:2007/02/12(月) 12:08:48 ID:pkYk/2Za
        /::ヽ   やってくれましたね、みなさん…
          |;;:::::|   よく豊家千年の夢を見事に打ち砕いてくれました…
         |;;:::::|   虎之助の反応がありませんね…あなたたちが暗殺したんですか?
        |;;::::|   どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
        _ヽ::/____  それにしても、あと一息のところで母上が講和に応じてしまうとは…
       [;;;;;;;;;:::::::::::;;;;;]   左衛門佐には残念でしたが、わたしはもっとでしょうか…
      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  はじめてですよ…
     //     秀頼    \  このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
    /j/               ヾ、   まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
     l::||::::    \     /   |l  ゆ…
     |::||:::::::..  (●)     (●)  ||  ゆるさん…
    |::||:::::::::::::   \___/     ||  ぜったいゆるさんぞ虫ケラども!!!!!
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ   じわじわと助命嘆願してくれる!!!!!
     /\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ   一刻でも長生きしてやるぞ覚悟しろ!!!
43人間七七四年:2007/02/13(火) 14:37:22 ID:O9ntWpwm
浪人以外はどの大名家も豊臣には与力しなかったけど、
隠れて支援した家はあったよね?

福島家:兵糧米徴発を見逃し
毛利家:内藤元盛を派遣
44人間七七四年:2007/02/17(土) 21:37:37 ID:tz9k1+kv
大坂入城客将名簿
真田幸村   上田城主三万八千石昌幸の二男
長曽我部盛親 土佐二十二万石の領主。元親の子
毛利勝永   吉成の子で、豊前の内四万八千石
明石全登   キリシタン。宇喜多秀家の家老ながら秀吉直属の大名で十万石
後藤又兵衛  黒田長政の臣で、小隈城主一万六千石
仙石宗也   小諸城主秀久の子
石川康勝   数正の二男。信濃の内一万五千石
氏家行広   伊勢桑名二万五千石の城主
増田盛次   大和郡山二十万石の領主長盛の子
大谷大学   吉継の子
平塚左馬助  美濃の内一万二千石の為広の子
堀内氏弘   紀伊新宮二万七千石の城主、氏善の子
早川長政   豊後大分府内城主一万七千石
佐藤方政   美濃上有知 尾山城主二万石
南條元忠   伯耆三郡羽衣石城主六万石
寺西清行   越前内一万石
青山忠元   越前丸岡城主四万六千石宗勝の子
細川興秋   忠興の二男
木村秀望   吉清の子で豊後の内一万四千石
服部正栄   秀吉馬廻、越前の内一万石
45人間七七四年:2007/02/20(火) 21:18:20 ID:EP2XKsOs
>>44
一番の大身が盛親か。
46人間七七四年:2007/02/21(水) 00:14:40 ID:fHXde6Yk
>>38
別に盛親活躍してないけどな
47人間七七四年:2007/02/21(水) 00:22:32 ID:pe/ybOCH
死に際の台詞が歴史に残ったから、いいんじゃね。
48人間七七四年:2007/02/21(水) 00:32:02 ID:0VhtcZzG
>>46
藤堂隊に大被害を与えているのは?
49人間七七四年:2007/02/21(水) 05:11:16 ID:/O/EPR7F
>>48
ああ、あれ司馬の小説のお話だから。
50人間七七四年:2007/02/22(木) 00:58:12 ID:vruV4qz5
豊臣秀頼が徳川家康を倒す方法
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1172072217/
51人間七七四年:2007/02/22(木) 16:24:27 ID:s38pT0oT
家康の大坂出陣に際しての
誰を参陣させて、誰を江戸に置いてくるかの人選は完璧
これでは相当情勢が不利にならない限り
変心する大名は出てこないだろうな〜
52人間七七四年:2007/03/09(金) 22:05:00 ID:6KdbsZ29
大阪冬の陣で正攻法で大阪城を落とす方法ってある?
53人間七七四年:2007/03/09(金) 23:46:33 ID:XpU17n0t
>>52
兵糧攻め・投降工作
54人間七七四年:2007/03/10(土) 00:11:08 ID:UObKTKfH
仏乱機が炸裂弾撃てればとうに決着ついたのにな。
55人間七七四年:2007/03/10(土) 01:35:25 ID:mTwK4frp
>52
城方の兵糧が尽きるまで2年でも3年でも囲めばよろし
もちろんその間に場内へじゃんじゃん砲弾叩き込みつつ
56名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/03/10(土) 09:09:26 ID:eQVbuBBX
それやるとお金かかるから家康は謀略を用いた
たかが豊臣家潰すのにそこまで金をかける気は家康には無い
57人間七七四年:2007/03/10(土) 12:13:55 ID:UObKTKfH
何より家康には時間がないしね。
58人間七七四年:2007/03/10(土) 12:21:11 ID:ZmNZz5IW
あまり時間や金をかけると作ったばかりの幕府の足元がもろくなるしな。
勝ちが決まってるからこそ勝ち方が問題だったわけで。
59人間七七四年:2007/03/16(金) 01:25:25 ID:kpOHkrZc
真田もマンセーだが、
やっぱある程度読むと毛利勝永萌ぇ〜になるのは俺だけじゃないようだね。

もともと銀メダリストや銅逃した4位のオリンピック選手に感動する変な
奴だから、こういう影の地道な人間には泣ける。
60人間七七四年:2007/03/16(金) 02:22:02 ID:8ZSITWZD
史実は置いといて講談や小説の世界での扱いが妙に地味だよな。
やっぱり大坂の陣以前の経歴に派手さがないのがいけないのかね?

真田と後藤は言うに及ばず、明石はキリシタンだとか旧主秀家絡み、
長宗我部は元親から始まる一連のな流れでイメージや話が作られてるし。
61人間七七四年:2007/03/16(金) 03:49:23 ID:iMQszcFS
大阪城何度も行ったけど、惣構 外堀なかったら
攻め放題食べ放題。
新手のいない大阪方は戦功に走る家康の外孫や討ち死覚悟の本多あたりの敵ではないよね。
家康の難しさは味方のモチベーションをどうあげるかぐらいですわ…
でも家康の旗印をメタメタにした…もうちょっとだったね…
62人間七七四年:2007/03/16(金) 05:12:09 ID:mHfjVZ2M
♪真田と後藤は同期の桜
同じ大坂城の庭に咲く
♪咲いた花なら散るのは覚悟
見事散りましょ豊臣のため
63人間七七四年:2007/03/16(金) 10:46:08 ID:VJHEuJ36
今の大阪城は秀吉築城にあらず。
家康が立て替えたものである。
64人間七七四年:2007/03/16(金) 11:11:39 ID:YI0BXf2n
秀吉の大坂城は今の大阪城の4倍ぐらいある
65人間七七四年:2007/03/16(金) 12:21:55 ID:iMQszcFS
外堀埋めちゃったからねぇ…

66人間七七四年:2007/03/16(金) 14:39:43 ID:a587fV5T
本丸、二・三の丸でも、もう一回り広かったようだ。
最近庁舎の立替工事で豊臣時代の堀が発掘されたんだが、それが現代の堀の外側。

真田丸がこのあたりだ。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&tab=wl&q=
67人間七七四年:2007/03/16(金) 18:51:11 ID:kpOHkrZc
東照宮や江戸城(皇居)見ると空爆なり燃やしてやりたくなる情に
駆られるのは俺だけか?
葵の門見ると虫酸が走るんだが。
(ちなみに俺大阪の人間じゃないけどね。)
68人間七七四年:2007/03/16(金) 19:30:31 ID:M3CXDgAw
中2病かよw
69仙台藩百姓:2007/03/16(金) 19:46:12 ID:7mlKzq9b
日光東照宮は日本の数少ない世界遺産なんだから大切にするお( ^ω^)
破壊するなら家康の墓だけにするお
70人間七七四年:2007/03/16(金) 20:02:21 ID:9WwsDEIM
朝鮮人みたいなこと考えるのはやめれ
冗談半分とはわかっているが
71人間七七四年:2007/03/16(金) 21:49:30 ID:9CxSgAyN
大坂の陣で秀吉の大坂城がいかに堅固かよく分かる。
そこいらの武将が数万程度で攻めても落ちることはないということだ
72人間七七四年:2007/03/16(金) 21:55:08 ID:f8jWsqPL
外見は良いが中身を博物館にしない方が良かった。
73人間七七四年:2007/03/16(金) 21:56:09 ID:8ZSITWZD
幕末の一件で熊本城が名を上げたようなもんだな。
大坂の陣がなければ大坂城も「豪華な城」止まりだったんだろうけど。
74人間七七四年:2007/03/16(金) 22:05:30 ID:f8jWsqPL
数年前に大阪に住んでいたが、住んでみたり行ったりすると大阪城がどれだけ巨城だったかが分かる。
ほぼ市内全域だからね。
そりゃ家康も堀を埋めるよ。
75人間七七四年:2007/03/16(金) 22:15:12 ID:cMihzzKu
あれ?
一般には江戸時代の大坂城は豊臣時代の大坂城を上回る規模だったと言われてるはずじゃなかったか?
Wikipediaの記述でもそうなってるが
76人間七七四年:2007/03/16(金) 22:29:49 ID:8ZSITWZD
お前の中では天守の規模=城の規模なのか。
77人間七七四年:2007/03/16(金) 23:24:45 ID:/3uiQwLb
つうか冬の陣の時の大砲、よく弾が届いたな、まぐれか?
78人間七七四年:2007/03/16(金) 23:40:01 ID:9CxSgAyN
毛利高政だったか大砲技術に長けたやつがいて(朝鮮でも大砲でもって活躍したらしい)
新型の大砲でもって天守に撃ったんだっけ
79人間七七四年:2007/03/16(金) 23:48:08 ID:VJHEuJ36
話しが少しそれるが、秀吉の遺産がまだ大坂城の下深く眠ってるとの黄金伝説を聞いたことがある。
80人間七七四年:2007/03/17(土) 00:50:53 ID:+gBCzo6H
>>78
凄いな、照準とかないんだろう、当時は?
81人間七七四年:2007/03/17(土) 01:47:12 ID:Mq2qjbD/
射程さえ届くならあとは適当に
いい所に当たるまで撃ちまくればいいんじゃない
82仙台藩百姓:2007/03/17(土) 01:51:32 ID:275ig+1c
数撃ちゃ当たるってやつだお
どのみち当時の大砲じゃ100発200発当てたって実害は皆無に等しい
83人間七七四年:2007/03/17(土) 01:58:53 ID:TKIEr8TH
>>80
司馬遼太郎の城塞の受け売りだが、一応照準器もついてたらしい。
まぁ精度とかは大した事ないんだろうけど。
84人間七七四年:2007/03/17(土) 09:45:45 ID:+gBCzo6H
>>82
結局まぐれでok?
85人間七七四年:2007/03/19(月) 00:45:39 ID:9/veQgoU
家康って人はつくづく凄い政治家だと思うよ。
86人間七七四年:2007/03/19(月) 03:32:40 ID:dMD0iB5h
>>81-82
「弾幕」を張る考え方だな。長大な槍襖というか。
87人間七七四年:2007/03/20(火) 21:23:58 ID:4y+5SI3u
弾幕て守備側が張るもんじゃなかったのね
88人間七七四年:2007/03/20(火) 23:47:49 ID:zfCy9DMM
信繁「真田丸、段幕薄いぞ!何やってんの!」
89人間七七四年:2007/03/21(水) 01:34:41 ID:BZaOAQif
まぁ確かにザスパ草津の弾幕は薄いわ
90人間七七四年:2007/03/21(水) 02:00:04 ID:CAtDqYIQ
>>67 栃木人だけど東照宮とか嫌いだな。
家康嫌い。
早雲寺を燃やしたアホの秀吉の遺物が消えてなくなったのは評価する。
91人間七七四年:2007/03/21(水) 02:33:05 ID:2JrDhlRe
同じく栃木人だけど東照宮より日光街道が許せない、花粉症だから。

でも日光は今影薄いよな。
関東で鎮守っつうと将門公の方がパワフルなイメージあるから。
92人間七七四年:2007/03/21(水) 14:47:21 ID:u+aC/sQa
家康は、豊臣を滅ぼす余力あるなら、浪人使って朝鮮を征服して欲しかった
93人間七七四年:2007/03/30(金) 06:16:18 ID:xq8T+60N
大坂城炎上の時、莫大な豐臣財宝はどこへ消えたのか?
94退屈@親父:2007/04/02(月) 21:28:17 ID:+7f6TVp6


age



95人間七七四年:2007/04/02(月) 23:08:28 ID:/7UFMeS7
>>93
城内に乱入した幕府方に略奪され、焼け落ちた建造物から発掘された残りの財宝も幕府がボシュウート。
ポッポナイナイってやつよ
96人間七七四年:2007/04/03(火) 00:09:52 ID:655SLFfN
大阪城を攻めずにシカトし続けてたら、どうなったのでしょう?
97人間七七四年:2007/04/05(木) 04:50:19 ID:/PgKzunl
家康が死んだ後、豊臣が兵を挙げたら秀忠では幕府を守りきれずに崩壊してたと思うが。
98人間七七四年:2007/04/05(木) 07:58:04 ID:VBkjlKEv
なので、あと5年遅く挙兵するか、豊臣恩顧の大名が生き残っていた5年早く挙兵
するかのどちらかにしておけば…
99人間七七四年:2007/04/05(木) 11:12:33 ID:ZC4Ef6N8
大坂の陣のときに連動した紀伊の一揆は有名ですが、他では発生しなかっのですか?
土佐ではあったみたいですが
100人間七七四年:2007/04/05(木) 19:09:19 ID:mZ/Z/W3+
くだらん
101人間七七四年:2007/04/06(金) 05:33:00 ID:O70ROLVX
石田三成なら方広寺鐘銘の件も何とか交わせただろう
102人間七七四年:2007/04/06(金) 08:39:34 ID:2niPv/LY
>>101
ま、大坂の陣の時期に石田三成が生きていたとすると、恐らく関ケ原のころの前田や毛利級の存在感(大物)であるのはまちがいなかろう。清正程度がそのような扱いだから…
103人間七七四年:2007/04/06(金) 12:04:51 ID:MkH+BJw/
問題は十五年も佐和山に蟄居していられるかだ。
104人間七七四年:2007/04/06(金) 14:12:15 ID:UKB6u1dm
>>103
高野山で出家生活じゃない?
真田昌幸&信繁の場合は妻帯していたんで高野山じゃなく九度山だったけど、
三成なら単身でも高野山に送り込むはず…
105人間七七四年:2007/04/08(日) 13:47:31 ID:SV8JdTDn
なにこの過疎化
106人間七七四年:2007/04/08(日) 15:31:01 ID:MOduZeEL
大坂の陣スレって日本史板にあったのもそうだけど
あんまり人いないよね。
超有名だし戦国時代の終焉のような出来事なのに。
107人間七七四年:2007/04/08(日) 15:53:46 ID:xWKbj7Nf
>>106
みんな“終焉”が嫌いなんだよ。寂しくなるから。
108人間七七四年:2007/04/08(日) 16:10:39 ID:4kvdsqMJ
別に家康嫌いじゃないが、何となく大坂の陣の話をしてると嫌いな気分になって来るしな。
109人間七七四年:2007/05/03(木) 04:52:21 ID:/3ycIIjt
>>99
吉野、熊野でもあったようだ

>>108
大坂の恨みはかなりのものだったみたいだな
朝鮮通信使の通訳にまで家康の悪口を話したらしいし
110人間七七四年:2007/05/07(月) 04:21:15 ID:qyxn7zoF
大阪の恨みと言うより京都の恨み、ひいては関西の恨みだね。
豊臣の恨み・・・なんてのはタテマエ、
それまではどこまで行っても京都と公家は日本の中心で、利用はされても尊ばれる存在だったが、
江戸幕府以降は完全に江戸が中心になってしまい、公家も管理下におかれる事が始めて明文化された。
そのことについての恨みが一番大きい。

豊臣の恨みはついでみたいなもん。まぁ秀吉は公家や大阪京都を中心にした人物だし好感持ってるし。
111人間七七四年:2007/05/11(金) 23:56:21 ID:Ui2Yn4ol
漏れ、関東だが家康大嫌いだけど・・・。
江戸城だの東照宮だの聞くと破壊してやりたい気持ちになるが。
都道府県占いやったら案の定、京都府と出やがった
112人間七七四年:2007/05/12(土) 01:02:40 ID:gnfohGsH
東照宮じゃなくて豊国神社に行くべき
113人間七七四年:2007/05/12(土) 01:37:31 ID:WEhvfSF5
東照宮も豊国神社も普通に行かないな。
114人間七七四年:2007/05/12(土) 09:38:46 ID:Ay+Us1Fj
京都は在日Bの巣窟だしな
その占い大当たりじゃん
115人間七七四年:2007/05/13(日) 00:56:48 ID:bPWKEnvh
在日Bは人類では無いので除外。
116人間七七四年:2007/05/18(金) 21:29:08 ID:ZQwKEip3
兵糧攻めって城内に畑作られたら効果減るな
117人間七七四年:2007/05/18(金) 23:04:51 ID:IxtdJujk
場内に油田あったらどぅする?
118人間七七四年:2007/05/18(金) 23:13:51 ID:X5p9jZUg
>>116
微妙な影響だなw
119人間七七四年:2007/05/19(土) 11:55:54 ID:Dgfz712z
>>118
小田原クラスならもう100年は篭れるぜぇ
120人間七七四年:2007/05/19(土) 20:09:47 ID:t74JKpvS
>>119
1年も籠れなかったのに?
121人間七七四年:2007/05/19(土) 21:01:41 ID:jVlgGui1
>>120
やろうと思えばできたかも、、
説得に折れた感じだし
122人間七七四年:2007/05/20(日) 03:05:06 ID:owOci0VS
籠城人数と耕作面積、収穫量、収穫期までの時間によるんじゃね?
123人間七七四年:2007/05/20(日) 17:21:59 ID:OQDOOhFY
関東征伐のときに小田原に篭った人数は5マンだっけ?
大坂冬の陣で大坂に篭ったのが10マン、夏に集結したのが5マンだったっけ?
124人間七七四年:2007/05/20(日) 20:03:13 ID:3nfA4q5L
WIKIとかに、305門の大筒による一斉射撃が12月16〜19日にかけて行なわれたとあるが
徳川方はイギリスから弾丸重量18ポンドのカルバリン砲4門、5ポンドのセーカー砲1門に加え、
オランダから33〜41ポンドのカノン砲12門を輸入して使ったそうだ
残りの砲は1貫百匁の芝辻砲が多かったんだろうか?
豊臣方もフランキ数門で反撃したんだと

しかしカルバリン砲は中口径砲とはいえなかなかでかい・・・最大射程は6300mだそうだ
これなら本丸まで届くな
オランダから輸入したカノン砲はさらに倍の弾丸重量(大型だからといって射程が長いわけではないが)

ttp://en.wikipedia.org/wiki/Image:Bronze_Demi_Cannon_Culverins_Pmoth.png
125人間七七四年:2007/05/20(日) 20:04:45 ID:3nfA4q5L
あと興味深いレスがあったので貼り
けっこう日本も大砲を重視してたのかな?

186 :世界@名無史さん :2005/08/12(金) 01:13:00 0
1589年後北条氏は豊臣秀吉に対抗するため、
山田次郎左衛門ら領内の鉄砲鍛冶に発注した大砲は20門。
小田原攻めで秀吉が動員した大砲の推定総数は1000門超。
1614年大阪冬の陣12月16日に使用された大砲は305門だが、
国友村に対する徳川家による慶長12年から慶長20年までの
大砲の総発注数は947+α
大砲の原料である銅の当時欧州最大だったスウェーデンが
1632年リュッツェンの戦いで使用した大砲は何門だい?

それから、アルマダの海戦は悪天候によるイギリス版神風。
大砲を遠距離からバンバン撃ち込む近代的な海戦ではない。
また、アルマダ艦隊は海軍ではない。
126人間七七四年:2007/05/20(日) 23:06:58 ID:Z8KTy34b
>>121
無理だよ。
仮りに城内を耕作することでカロリーをまかなえたとしても、
栄養のバランスが悪すぎてどうにもならない。
127人間七七四年:2007/05/21(月) 09:54:28 ID:HnjkTeu7
>>126
三木城は2年も篭ってたからそこは何とかなるかもしれんが
精神攻撃で持たないかなやっぱ
128人間七七四年:2007/05/21(月) 10:42:16 ID:E5UUgw1j
南宋の襄陽は5年間の攻防戦だったけど、常に包囲されていたわけじゃないか。
ちなみに近現代だとレニングラード包囲戦が約900日で死者はソ連の発表で67万人。
一説には100万人。独ソ戦はすさまじいな…
129人間七七四年:2007/05/22(火) 00:26:10 ID:Ltwk3Hgb
モンゴル帝國のバグダッド攻囲はもっと死んでる可能性がある。
死者50〜200万という。
130人間七七四年:2007/05/22(火) 00:32:29 ID:si/LPPmf
ソビエトのWWIIにおける戦死者2000万人は前人未到。
131人間七七四年:2007/05/22(火) 11:53:04 ID:Ltwk3Hgb
モンゴルの中国侵攻前に5000万人弱だった中国の人口が
30年後の人口調査では900万人にまで減少した。
ブハラ、サマルカンド、バグダッドなど多くの大都市が大虐殺にあった中東でも
数百万人の死者がでたという。
132人間七七四年:2007/05/22(火) 12:01:02 ID:Ltwk3Hgb
さらにバトゥのヨーロッパ遠征でも虐殺は酸鼻を極め、
キエフ公国の首都キエフは街自体が地図から消滅した。
現在ロシア白人の人種遺伝子の1割はモンゴロイドに由来するほどだ。
133人間七七四年:2007/05/22(火) 19:48:56 ID:OpacGvl7
モンゴルは基本殺さない方針だったと聞いたが…。
134人間七七四年:2007/05/22(火) 23:23:16 ID:R0NR5JY2
わかったからここでは遠慮してくれ
135人間七七四年:2007/05/23(水) 00:33:25 ID:kczLu9x8
>>131
中国の人口激減は、戸籍から消えただけだろ。
136人間七七四年:2007/05/25(金) 08:29:45 ID:R2SOSq42
>>127
三木城は毛利方が実力で強行した補給や支援があったから、数年保った。
自給自足で完全孤立ではありえない話。
137人間七七四年:2007/05/25(金) 09:14:59 ID:4OuOH1Mh
>>136
そうでした 栄養補給はあったんだった
138人間七七四年:2007/05/25(金) 23:02:57 ID:EJT6MHQh
精鋭数十名を率いて八丈島に籠れば幕末まで籠城できたかもね。
139人間七七四年:2007/05/25(金) 23:46:06 ID:MljyzT+6
権威失墜もダメだろ
140人間七七四年:2007/05/27(日) 00:20:12 ID:4JM9FQ2k
戦国時代ではありません板違いです。

移動お願いします。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1178617683/
141人間七七四年:2007/05/28(月) 22:43:29 ID:UrOl1AdH
せっかく朝鮮出兵をしたんだから
遷都とかの名目をつけて朝鮮に移り住めばよかったのに
幕府もわざわざ外国まで追ってこないし
142人間七七四年:2007/05/28(月) 23:46:07 ID:oRqLgqpy
伝染病天国の朝鮮に移り住むとか何て拷問?
143人間七七四年:2007/06/17(日) 20:40:16 ID:MICmvFw3
夏の陣で毛利勝永が家康の前にいた部隊突破、真田幸村は松田忠直を偽報で振り切る
地図だけでみると伊達政宗と松平忠輝が幸村の近くにいるんだけど彼等は誰かと交戦中だったのですか?
真田と密約があってスルーしたってのは本当なんでしょうか?
144人間七七四年:2007/07/08(日) 13:20:29 ID:elRWCJ+k






■サッカー:U17日本代表、PK戦の末韓国に勝利

2007年6月23日午後2時、天安総合運動場で8カ国国際大会(U17)3位決定戦が行われ、
日本代表は韓国と対戦、PK戦の末勝利し3位となった。前半24分、水沼宏太の
ゴールで日本が先制。その後、韓国はペナルティーキック
からゴールを決め1-1の同点としたものの、その後PK戦にもつれこみ、7-6で
日本が勝利をおさめた

朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20070623000031













145人間七七四年:2007/07/29(日) 20:39:32 ID:5eBCqSSs
146人間七七四年:2007/09/03(月) 03:13:16 ID:U/AzcsPx
147人間七七四年:2007/09/06(木) 20:11:11 ID:12Q+hNdj
規模は全然違うけど、夏の陣の大阪方って長篠の武田方を髣髴とさせるんだよなー
長篠では左翼山形、右翼馬場が信長本陣を迂回包囲の作戦。

大阪の役ではこのスレの住人なら言うまでも無いけど、
左翼から毛利勝永、右翼から真田信繁が正面敵主力を迂回して家康本陣に突撃。

徳川方が大阪方中央を撃破するのと大阪方両翼が家康本陣に辿り着くのと、どちらが早いかの勝負。
大阪方の意思統一がされてさえいれば、大軍であるために情報伝達・命令に時間のかかる徳川方よりも、
各個で戦闘する(しかない)部隊編成の大阪方が有利だよな。

いや、惜しかったよ。
148人間七七四年:2007/09/06(木) 20:28:28 ID:P75Vauh6
それでも家康は逃げれそうだけど
149人間七七四年:2007/09/06(木) 21:16:33 ID:12Q+hNdj
そうなんだよね・・
実際真田隊は辿り着いたけど結局は殲滅されたしね。
ただ、真田隊が突撃を繰り返す間に左翼からもう一隊でも急襲していれば
チャンスはあったと思うんだ。

まあ、どれだけ家康旗本を崩しても家康を討ち取れなかったら負け。討死しかないけど。
150人間七七四年:2007/09/07(金) 17:33:02 ID:80rrW2Iq
開戦の発端となった鐘銘事件だけど、「家康」という諱を使ったから良くなかったわけだ。
格下の者が名で呼ぶのは現代でも失礼に当たるわけだし。
つまり、豊臣は家康に対して「お前なんてオレの格下だぜ」とタンカ切ったようなもの。
家康の名前使いましたがなにか悪いか?と当の清鑑和尚も言っているので、
決して徳川のイチャモンじゃないと思う。
151人間七七四年:2007/09/07(金) 19:31:05 ID:1i/74S8M
>>150
釣りの気もするが、突っ込むべきは豊家の大イベントに清韓みたいな田舎坊主を起用したことだな。
あとは家康が鐘を残している点。
現代人の感覚ではかれるものではないが、呪咀をするつもりは実際にあったかもしれないし、そう見られてたかもしれない。
幕府側の対応は、敵意がないというなら、敵意のない証拠として三条件のどれかをのみなさない、という話。
無論政治には裏表があるが、豊家はすぐに戦の構えをしたから豊家にも問題があるといえばある。
152人間七七四年:2007/09/07(金) 20:20:28 ID:80rrW2Iq
いえ、釣りではなく、真面目にそう思いますよ。

鐘銘事件が家康側のイチャモンだったら、そこは記録からは隠すはずでしょう。
それが幕府方の記録にも堂々とこの経緯が書かれているし、鐘も残しているから、
家康からすれば、
「豊臣家はこのように失礼なことをしてきたのであって、これがその証拠だ」
という意味合いで残したのでしょう。

俗説に言う「名前を切った」という文句は一切言ってなく、
「諱を使ったのが失礼だ」と幕府は抗議をしている。
それに対して清韓は帰国子女のような人で、そこらへんの感覚が分からなかったらしく、
「武家の諱はよく知らなかった」と言っているし「君臣豊楽」についても
「豊臣の繁栄を祈るのがなぜいけない!?」と噛み付いてきている。

当時名前は偏諱というしきたりも多く使われていたし、
蒲生賦秀すら、秀吉の諱を下に置くのを憚って「蒲生氏郷」と改名しているくらいですよ。
当時諱で呼んでいいのは上位者か敵対者のみ。
下の者が上の者に対して「諱」で呼ぶと「お前の下に着く気はない」と表明したようなもの。
153人間七七四年:2007/09/07(金) 22:48:12 ID:8KY/VQsR
だから当時の書状などほとんどが、味方の場合通称か官途で
人名は出てくる。まあ、尾崎局の書状などでは「たかもと」と亡夫が
呼び捨てになっているが
154人間七七四年:2007/09/07(金) 22:58:55 ID:80rrW2Iq
対外的には身内のことは卑下して呼ぶのが当時からの慣わしですからね。
現代でも、自分の会社の社長のことを対外的には「社長は留守です」とは言わずに
「○○は席を外しております」というものだからね。
155人間七七四年:2007/09/08(土) 01:24:53 ID:NbPLQQwP
>>152
ああ、そういう解釈か。なるほどね。すまんな。
実際俺も豊家側にはなにもなかったのか、ということには疑問をもっている。
南禅寺や五山を出し抜いて清韓に頼むのがな。清韓は熊本からでてきたばっかで中央には幅が利かないはずだし。清正に可愛がられてたってぐらいか。何らかの理由はありそうだ。
それに俺的には実際豊家にも不穏な空気があった気がする。鐘銘事件も家康が遮二無二滅ぼすために難癖付けたというよりは、最終交渉の位置にあるんじゃないかな。
156人間七七四年:2007/09/08(土) 15:15:29 ID:XfbCXk/U
>155さま
結局、豊臣側が鐘銘で公に徳川を格下扱いしたために、
徳川が怒って「格下はお前たちなんだよ」ということを突きつけて
「三条件の一つを受け入れて、臣従の証としろ」と言ったに過ぎないわけでしょう。
なのに豊臣は片桐を追放したり、浪人を雇い入れたりしたから、一気に戦争沙汰にまでなったという・・・
157人間七七四年:2007/09/08(土) 16:53:09 ID:NbPLQQwP
>>156
俺も表向きはそんなかんじな気がする。
まあ腹の中では公に格下扱いをされたことに怒ったというよりは、家康が老年なのに、豊家側に牢人と結び付きそうな空気が合ったのを危惧したんじゃないだろうか。
豊家が牢人を集めはじめたのは当時の交通で延期申し入れからわずか二十数日。この反応がいくらなんでも急すぎる。
158人間七七四年:2007/09/08(土) 20:56:06 ID:XfbCXk/U
うーん。
公で天下に「格下扱い」してきたのだから、それに対してだんまりしてたのでは、
面子が立たなくなるから本気で怒ったというのはあると思いますよ。
ただ、>155さまの言うように、大坂方の不穏な空気も見て取っていたでしょうから、
「この機会に、上下関係を徹底的に分からせる必要がある」というのが
鐘銘事件の真相ではないでしょうか。
159人間七七四年:2007/09/16(日) 21:56:25 ID:Y03i9UOq
 
160人間七七四年:2007/09/26(水) 11:07:12 ID:31EDB0gn
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161人間七七四年:2007/10/12(金) 14:22:32 ID:ATPO9yA7
島津義弘も上杉景勝も立花宗茂も福島正則も
「長宗我部のように知行無くば加勢したいわ」ってのが本音だったろう
別に裏切りたかった訳じゃなく。

勝っても、豊家が単独講和して
逆に自分らの領地だけ攻め滅ぼされる可能性が高いし
162人間七七四年:2007/10/13(土) 17:52:53 ID:LNhJkw0Q
関連スレ多いな
163人間七七四年:2007/10/15(月) 20:06:17 ID:g4hYU42y
それにしても・・・大坂の本を見てると、陣容を見ると関東方の武将の「・・・」なこと
代変わりしちゃって全然迫力に欠けちゃってつまんない
苗字だけだとそれなりにいめんだけどねえ
生まれるのが遅かったと言われてる伊達政宗だけが
変に大坂に時期が合っちゃってるけど逆に違和感が否めないし
他に有名どころで40代ぐらいまでのはいなかったの?
164人間七七四年:2007/10/15(月) 20:09:28 ID:g4hYU42y
ガーン

でも気にしない
165人間七七四年:2007/10/15(月) 20:32:33 ID:ik81MIRm
>>163
大坂の陣での伊達の戦跡はとても褒められたもんじゃないけどな。
166人間七七四年:2007/10/15(月) 20:38:31 ID:g4hYU42y
>>165
そうそう
だからよけいに寂しい
さすがあの伊達!・・・になってない
167人間七七四年:2007/10/15(月) 21:02:05 ID:wZs2Jsaa
伊達政宗と戦ったことは、敵方にとっては箔がつくことであり、名誉なこと。
おかげで上杉や真田らは、後世に名を残すことができたといってよい。
168人間七七四年:2007/10/15(月) 21:03:46 ID:UscSGUNV
あげるな下郎
169人間七七四年:2007/10/15(月) 21:40:10 ID:LCSv9ObA
>>163
人材枯渇で家康も、方面軍の大将を決めるのに困ったようだ。
また井伊軍の派手な若武者たちをみて、武田信玄の遺風が衰えたもんだと嘆いたとか。
170人間七七四年:2007/10/15(月) 22:14:56 ID:saiezV9Z
>>165
伊達家では左門が活躍した。何故悪い評価なのさ
171人間七七四年:2007/10/15(月) 22:27:08 ID:7MdprLS3
>>170
1. 味方に鉄砲一斉射
2. 道明寺合戦で1/8の兵の後藤基次隊に劣勢。なんとか撃破するも、
今度は援軍に来た真田信繁・毛利勝永らとの誉田の戦いでは押し戻される
172人間七七四年:2007/10/15(月) 22:30:02 ID:g4hYU42y
上の方にもあったけど
関が原からの時間差が兵力の質の低下を招いたのは間違いないよね

黒田長政は何やってたの?
173人間七七四年:2007/10/15(月) 22:34:53 ID:7MdprLS3
追加
3. 天王寺合戦ではなにもせず。茶臼山から家康本陣に向けて突撃した
真田信繁をただ見ていただけ。

>>172
冬の陣では江戸で留守居役。夏の陣は秀忠の陣の前に陣取っていたらしいけど、
詳細不明
174人間七七四年:2007/10/15(月) 22:39:58 ID:B4wwtWAZ
>>169
井伊は家康にぼやかれている程ではない
かなり突撃バカではあるが、これは両軍共通。
175人間七七四年:2007/10/15(月) 22:40:05 ID:g4hYU42y
>>173
黒田ほどの人物が戦況を眺めてただけなのかな
それとも何か理由でも・・・
176人間七七四年:2007/10/15(月) 22:51:29 ID:ik81MIRm
>>174
井伊直孝は
夏の陣…真田丸に突撃して大損害
冬の陣…木村・長曾我部を打ち破り、秀忠本陣を救援
ってことで、大失敗はしたものの、功を挙げているものね。
とはいえ、やっぱりバカだけど。

>>175
秀忠は大野治房隊に突撃喰らっているんで、黒田が秀忠の前に
陣取っていたとしたら、それこそなにやっていたんだろうという感じになるんだよなぁ。
177人間七七四年:2007/10/15(月) 23:43:49 ID:saiezV9Z
>>171
2と3は納得…
1は証拠がないはず
あれ?でもさ伊達家だけで8もあんのか
178人間七七四年:2007/10/15(月) 23:50:20 ID:ik81MIRm
>>177
伊達だけだと約1万だから、後藤隊の約4倍といったところ
179人間七七四年:2007/10/15(月) 23:56:07 ID:LCSv9ObA
>>176
家康は徳川譜代・直参に手柄を立てさせようとしたから、外様を後方へ遠ざけたといわれている。
180人間七七四年:2007/10/16(火) 00:04:02 ID:eJ/JbZHb
黒田伊達に計300万石超与えて他界でもすればまた関が原だな
181人間七七四年:2007/10/16(火) 00:08:36 ID:meGyoHpf
>>173
あれは真田の姫と引き替えの密約ですよ
182人間七七四年:2007/10/16(火) 00:24:49 ID:kkgm5sWa
>>179
そのわりに、前田は先鋒だし、藤堂は二番手だし、伊達は茶臼山に正対
しているし…
183人間七七四年:2007/10/16(火) 00:42:24 ID:hEei1B8o
>>181
ギャグかよ
妄想で評価されんのは嫌だ

>>178
しかもそのなかの重綱率いる分だけ
伊達の面子は揃ってない
184人間七七四年:2007/10/16(火) 01:32:19 ID:kkgm5sWa
>>183
ん? 伊達本隊も参加しているんじゃないの?
参考 ttp://tikugo.cool.ne.jp/osaka/kassen/domyoji-1-k.html

少なくとも道明寺方面の主力だったことと、真田信繁・毛利勝永には攻め
切れなかったことは確かだし、実話かどうかは不明だけど「関東勢百万と候え、
男はひとりもなく候」と嘲笑されたという逸話の対象だったことも確か。
185人間七七四年:2007/10/16(火) 02:13:40 ID:fg9SyTXA
>>182
最終日の合戦(家康本陣への突撃があった日)のことだよ
前田は先陣だったけど、外様を1人も前線へ出さないというのも変だろう。
186人間七七四年:2007/10/16(火) 03:09:01 ID:kkgm5sWa
>>185
最終日は岡山口で第二陣のはず
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/b/be/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%99%A3.png
なので、家康本陣が真田信繁・毛利勝永に蹂躙されたとき、岡山口から救援に向かえた。
187人間七七四年:2007/10/16(火) 06:42:33 ID:ydUlmUpT
>>184
>参考 ttp://tikugo.cool.ne.jp/osaka/kassen/domyoji-1-k.html

このHP(講談だらけ)など引用してる時点で馬鹿。この巻頭の年表も嘘だらけだしw

1601年4月26日 上杉家の家臣・本庄繁長、伊達政宗軍を破る(←w)  
1601年5月4日 黒田孝高、家康から所領と官位の昇進を勧められるが辞退する  
1601年5月24日 政宗の支援を受けて領地復興を画策していた和賀忠親が
南部利直に敗れて自害する(←w)
188人間七七四年:2007/10/16(火) 09:45:29 ID:fg9SyTXA
>>186
先陣の命は、前田利常に出されていた。
ところが越前・松平忠直に、勝手に先を越されたww
189人間七七四年:2007/10/16(火) 17:23:55 ID:X5dHzdUP
>>184
おかしいって気付けよ
家臣の数から考えても混雑の中合流すんのは大変。
簡単に動かない。

政宗位の立場だと下手に動けない。
どっち付かずで正解。十分やっていける力があるし。
190人間七七四年:2007/11/26(月) 00:13:57 ID:qok/eTJl
191人間七七四年:2007/11/26(月) 01:58:38 ID:lKyzlQIz
豊臣秀吉と蜂須賀正勝が生き返って、冬の陣前の大坂城に舞い戻れば大逆転はありうるのか
192人間七七四年:2007/11/26(月) 07:20:01 ID:6mkgeh70
頼みの前田も死んでるし、八郎も八丈島だし、
輝元も二ヶ国の地方大名だし、景勝も既に力がない。
今更は太閤はねーよ、って雰囲気かな。もう息子、孫世代だし。
三成については誉めるかもしれん。
193人間七七四年:2007/11/26(月) 12:50:42 ID:W/vnSAiT
まあ福島正則ぐらいは西側につくか
加藤、細川、池田、前田、黒田はどっぷり徳川体制につかっているから無理
194人間七七四年:2007/11/26(月) 13:22:17 ID:u04otHMK
福島正則と加藤清正は死に場所見誤ったね
大坂城で死んでたら、もっと評価上げてただろうな
195人間七七四年:2007/11/26(月) 17:45:41 ID:vc7CZ1Kv
いまだに黒田長政が江戸でステイさせられてたのがよく分からない
196人間七七四年:2007/11/26(月) 17:59:39 ID:ybzP3pPI
>>194
福島はともかく加藤は死んでる
197人間七七四年:2007/11/26(月) 18:53:16 ID:i0v9l9fr
関ヶ原で大手柄建てたし、それでまた活躍されたら恩賞として
領地を増やさなきゃいけなくなるし
そうすると黒田の勢力が強くなり
後々江戸幕府の敵となることを恐れたんじゃない
長政自身は親徳川だけど力を持たせたらどうなるか分からないし
程ほどの立場に置いておくのが1番だろう
198人間七七四年:2007/11/26(月) 20:11:32 ID:W/vnSAiT
大坂の陣の時、既に家康は老齢
出陣準備中に家康が急死したら史実よりは多少面白味のある展開になったかもね
199人間七七四年:2007/11/26(月) 20:14:08 ID:31z6soQm
影武者で誤魔化すと思うよ
200人間七七四年:2007/11/26(月) 20:55:47 ID:DJZKnSxD
>>197
大阪の陣は、大名達にとってはもう天下普請みたいなもの。
幕府のお役にたって当り前、恩賞云々を言い出せる関係にはすでにない。
一族の忠直にさえろくに賞してないし。
201人間七七四年:2007/11/26(月) 20:56:55 ID:7xSZ9xlX
>>197
怖かったのは“あの”親父の方だから長政はどうなんだろう

それと家康ほどの策謀家だったら大坂で活躍しても
なんだかんだ上手いこと言って大して加増しない可能性もありかと
202人間七七四年:2007/12/01(土) 00:35:09 ID:Oc8Cgefr
立ち読みしたら
冬での黒田の江戸滞留は、関が原後になぜか豊臣に接近したせいで、
徳川から疑いをかけられたと書いてあったが
なんかやらかしたの?なんで関が原が終わった後に?

それがあったことで夏前に徳川に貢物をしたおかげで
なんとか夏には大坂に行くことを許されたとか
ただし秀忠の部隊の中の一部として

なにやってんのよ長政
他に何か説あり?
203人間七七四年:2007/12/06(木) 04:14:29 ID:4ewsNgi4
>>202
豊臣方の謀略もあったかも。
それに長政とて、あの親父にしてこの子ありで、中々の腹黒者だったとも
聞くしさ。
何せ親父さんはご存じの通り、関ヶ原の折りに九州平定狙った男だよ。
その際、東軍側だった息子・長政に「何で関ヶ原を早く終わらせた!」と
怒っちゃったぐらいだから、黒田家の今後について何か策を与えていて、
それが徳川にばれちゃったのかも知れないね。
これも諸説紛々だけどさ。
204人間七七四年:2007/12/06(木) 13:50:32 ID:IrnXznJS
家康が死んでも秀忠体制がかたまりつつあっただろうから動静はゆるがなかっただろ
万に一つもの望みはない。裸城で滅亡寸前、どうしようもなくなってた夏の陣は特に
205人間七七四年:2007/12/11(火) 21:18:08 ID:2POn6HFc
大坂の陣の恩賞として加増を受けたのは本多忠政・忠刻父子、松平忠明、藤堂高虎に数万石程度。
206人間七七四年:2007/12/11(火) 21:25:20 ID:cC+hYYdc
竹中平蔵【びんぼうゆすりみたいな状態】になる

インタビューで竹中の担当の読売新聞記者が全裸で穴にバイブを入れたまま殺された?自殺した?ことなど
を、全部竹中にぶつけると【びんぼうゆすりみたいな状態】になった。

9.15 リチャード・コシミズ東京講演会 全編 (3時間24分)
【びんぼうゆすりみたいな状態】になった話は16分から
http://www.asyura2.com/

もと総理が過去に3人を殺した話もでてくる
207人間七七四年:2007/12/25(火) 05:59:58 ID:3sP62fxk
久々に爆笑したw

▼△▼茶々 ―天涯の貴妃(おんな)―▼△▼   
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196318826/69

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/12/22(土) 00:16:44 ID:lXuI3z16
結構笑えますよ。あくまでもフィクションとして楽しんでください。
真面目な歴史映画だと思って見に行くと失敗しますのでお気を付けください。



-----------------ネタバレにつきご注意ください--------------------
-----------------ネタバレにつきご注意ください--------------------
-----------------ネタバレにつきご注意ください--------------------










・大阪の陣が夏冬と分かれていない
・開戦前に最後の講和条件を出した家康の本陣に、秀頼と茶々が直接馬にのって数騎で現れ喧嘩を売る。
・血気盛んでイキりキャラ、啖呵きりまくって福島正則みたいな秀頼
・お江が何度も直接家康にくってかかる
・死ぬ直前の家康のくせに顔色も肌のハリツヤも良く、動きも機敏。
・秀頼が勢いよく単騎出陣し、爆破の嵐の中、敵陣へ駆け抜けていく
・味方の日雇い武将に優しすぎる茶々
・天守に近すぎる真田丸(真田の陣)
・全くキャラが立ってない後藤基次が意味なく登場し、速攻で討死(開戦後いきなり道明寺?)
・歯並びが悪く、無表情で口を開けば宝塚男優口調の茶々
・大阪城が爆発炎上しているのを見て涙を流して「負けた・・・。」とつぶやく家康
・幼い頃の千姫の歯グキ(ドラマ実写版ホタルの墓の子役の女の子)
・炎上する城を包む炎の縮尺に違和感があり、模型の大きさが想像できる
・鴨居より背が高い秀吉



208人間七七四年:2007/12/27(木) 01:30:14 ID:2mFM+FNo
マジ意味分からん映画だな、結構お金かかってそうなのに
209人間七七四年:2007/12/30(日) 22:50:36 ID:FIVeUGKR
>205 殿
あと、水野勝成も追加(三河刈谷三万石→大和郡山六万石)。
210人間七七四年:2008/01/01(火) 08:46:51 ID:AUbFJpIU
小笠原忠真は?
211人間七七四年:2008/01/01(火) 19:45:25 ID:4P+Vw7ie
上にもあったけど、大阪ノ陣の頃に伊達藩で真田信繁の子供たちを
預かったというのは事実で、娘は片倉家の後家になり、次男は維新後に
真田姓を復活して仙台真田家と呼ばれるようになる。

どうも真田と伊達は通じてた気がする。
あれだけ人数がいて真田隊を追わないのは不自然と思うし、
神保隊に対する味方討ちの件も妙だ・・・

政宗は豊臣の遺臣を保護したというし、
大阪の陣で豊臣が滅びた責任を徳川家になすりつけて失脚させ、
娘婿の忠輝を将軍に就けようというシナリオを詰めていたというのは事実かも?
212人間七七四年:2008/01/01(火) 20:38:53 ID:xAX+ktfo
そうかぁ?
じゃあ例えば伊達家で召し抱えた香宗我部の人らと伊達は特別な縁があったと思うか?
政宗が戦で役に立たないのは今に始まった訳でもないしw
しかも反徳川だった人たちを召し抱えて、そいつらが徳川の為に戦おうと思うかよ
213人間七七四年:2008/01/01(火) 20:48:52 ID:is6iP4nb
>>212
親が反徳川だったから子供も、って訳じゃ無い罠。
武士は御恩と奉公の相互契約な訳で、伊達家を主君とした場合その伊達家が徳川幕府の「御恩」を受けている以上
その臣下も伊達が徳川家のために「奉公」する事に参加する義務がある。それが主家の「御恩」に対する「奉公」だからだ。

戦国時代の武士を江戸期的な、もしくは現代的な観念で捉えるのは間違いだぜ。
214人間七七四年:2008/01/01(火) 23:08:58 ID:xAX+ktfo
そう言うもんなのか
でもやっぱ真田と組んでたってのは講談の世界でしかないだろ
てか何で真田信繁は徳川本陣を追跡できたんだよ
冬休みだからこそ知りたい
215人間七七四年:2008/01/02(水) 00:19:38 ID:NkEDZrQY
>>213
>伊達家が徳川幕府の「御恩」を受けている以上
>その臣下も伊達が徳川家のために「奉公」する事に参加する義務がある。

そんなもんどこにもありませんよ。どんな妄想ですか。

「坂東武者は主あって主に主あるを知らず」

これが封建制の大前提でしょうが。武士はすべからく主に従うのみ。
実際陪臣が主人を通り越してその主に忠誠を誓ったら支配体制は崩壊
するがな。明治維新での大義名分の一つに尊王があるが、これは下級
武士や諸大名が主である大名家や将軍家を通り越して天皇を国家の君主
としたもの。これがあると、当然毛利や島津が討幕運動しても「不義」
ではなくなり、諸大名は幕府の支配体制を簡単に否定できてしまう。
また、大名ですら家臣への支配力を失う(廃藩置県で実際そうなった)
ことになる。

 主家の家訓が幕府への忠誠というならまだしも、陪臣に幕府への忠誠
を誓う義務など微塵もない。

>>214
学生さん、冬休みくらい本を読みなさい。
216人間七七四年:2008/01/02(水) 04:03:50 ID:vTDv8b6S
>>215
君は人の文章を理解も出来ないのか。

>  主家の家訓が幕府への忠誠というならまだしも、陪臣に幕府への忠誠
> を誓う義務など微塵もない。

>>213のどこに幕府に忠誠を誓う義務と有る?
「その臣下も伊達が徳川家のために「奉公」する事に参加する義務がある。」
って書いてあるだけだぞ?直接の主君への義務だ。わかる?

あと明治維新は勤皇云々より幕府が諸大名への「御恩」を持続する力を失った事が
幕府崩壊の大きな要因だ。「御恩」を供給できなくなれば「奉公の義務」も解消されるからだ。
君のロマン主義的(つーか司馬史観だなそれ)を壊して悪いけどさw

あと廃藩置県は「近代化」への対応からなされたもので、武家や幕藩体制とは又違う理論や倫理の上で
成立したものだ。「列強の脅威」と言う強烈な恐怖の元でな。



はっきり言うが、君こそ「ちゃんとした」本を読め。
小説じゃなくてなw
217人間七七四年:2008/01/02(水) 22:06:10 ID:PNdwciXp
>>211
お家復興や姓を賜るのは別に珍しい事じゃないような
田村氏、支倉氏なんかもそうだったよ

てか史料自体創作だらけだし
218人間七七四年:2008/01/07(月) 12:07:22 ID:mjz6Kr2X
>>212
> 政宗が戦で役に立たないのは今に始まった訳でもないしw

小田原前の愛姫政宗だったら、一手で大坂を攻め落とせたんだが。
219人間七七四年:2008/01/14(月) 17:27:39 ID:GFc8XV+f
木村長門守重成は神
220人間七七四年:2008/01/14(月) 19:01:54 ID:w0AWB2nw
仏さんの間違いだろ
221人間七七四年:2008/01/14(月) 22:56:04 ID:gXTFHJ4m
政宗は純粋にやる気が無いだけだと思う。
大坂の陣でどんなに戦功を立てても加増は望めないから。
222人間七七四年:2008/01/15(火) 00:00:06 ID:mBGyrq/W
政宗と言うより、東軍は一部を除いて皆やる気ないだろ
223人間七七四年:2008/01/15(火) 00:06:13 ID:qmHDd9hv
>>222
幕府軍の諸大名は、幕府派遣の軍監が止めるのも聞かずに我先に攻め込んでいますが?
224人間七七四年:2008/01/15(火) 01:36:46 ID:2rDMj0OP
豊臣を潰しても摂津河内和泉しか得られないからな。一部は絶対に幕領になるわけだし手柄の一番乗りしたくなる
225人間七七四年:2008/01/15(火) 01:37:36 ID:2rDMj0OP
幕領→天領のほうがいいかな
226人間七七四年:2008/01/15(火) 23:16:53 ID:jrGUnf6e
>>221
たとえやる気満々でも結果は大差ないよ。所詮ドンゴリのご先祖なんだから。
227人間七七四年:2008/01/17(木) 22:54:01 ID:+wqCEuQP
大阪城の黒幕
× 淀殿・秀頼

○ 大蔵卿の局(淀殿の乳母)大野治長・治房母子
  右京太夫局(秀頼の乳母・淀殿の幼なじみ)木村重成母子
  正栄尼(淀殿秀頼の女官)渡辺糺母子
  常高院(淀殿の妹)家康の側室の阿茶の局とともに淀殿を調略する。
  織田有楽斎(淀殿の伯父)淀殿と家康・高台院の中継役。
228人間七七四年:2008/01/17(木) 23:02:40 ID:ZvLYsjHt
>>227
> ○ 大蔵卿の局(淀殿の乳母)大野治長・治房母子
黒幕じゃなくてバリバリの表に出てる主戦派だろ、こいつらは。
黒幕という言葉の意味を間違えてる。
229人間七七四年:2008/01/17(木) 23:40:25 ID:BI9M+8wF
>>205
淡路貰った蜂須賀家がいるぞ
230人間七七四年:2008/01/19(土) 14:41:22 ID:olXHgBrt
脇坂が中立なのが興味深い
231人間七七四年:2008/01/19(土) 14:51:33 ID:olXHgBrt
黒田だけでなく福島と加藤嘉明も江戸にいた
232人間七七四年:2008/01/19(土) 15:48:44 ID:0D1GL2cA
>>169
そりゃ人材(前線向き)も枯渇するよー
大雑把に関東行ってから(1591あたり)朝鮮行きは回避、関ケ原も他人の兵で
冬の陣は(1614)…ヤバス、軽く二十年以上も大規模軍事行動とってないw

この間に領国経営と豊臣政権をしきってきた政権運営モンスター家康の誕生ですよ
233人間七七四年:2008/01/21(月) 03:20:49 ID:/pKGkgjn
大坂方のほうが将に魅力がある気がする。
実は大野治房って結構すごいような気がするんだが。
234人間七七四年:2008/01/21(月) 13:52:53 ID:anRybYNu
勝ち方に差はあろうが勝ち自体は決まりきった戦で今更命や金を惜しむのは
まぁ当たり前っちゃ当たり前だし、そこら辺もう勘定せずに戦ってる連中には
華々しさで敵うわけもない。
235人間七七四年:2008/01/21(月) 14:09:15 ID:zyf+CrEm
大阪方の部将には、食い詰め浪人や一旗組みのいやらしさが非常によく出ている。
236人間七七四年:2008/02/09(土) 16:28:47 ID:wy+zpAq1
木村重成と水野勝成がたまにごっちゃになる
237_:2008/02/11(月) 09:44:53 ID:M1RfRguU
疑問だが、もし講和せず、大坂城の堀が埋められなかったら、大坂の役は
何年続いていた?徳川の被害はどのくらい?
238人間七七四年:2008/02/11(月) 10:32:38 ID:507szaCj
内部から裏切りが出て意外に早く崩壊したかもね。
239人間七七四年:2008/02/11(月) 10:58:26 ID:O+yZ+djQ
日本中まわり敵だらけなのに長く続くとは思わん
240人間七七四年:2008/02/11(月) 11:16:32 ID:+w66kKNV
真田幸村を過大評価しすぎだな
真田丸の戦いでは兵の半数は長宗我部盛親が派遣した兵だった
盛親は戦いの後に真田丸の戦いを幸村があたか自分だけの手柄と吹聴してると言
ってるし
241人間七七四年:2008/02/11(月) 11:29:18 ID:jolsyoIy
>>240
俺が見た事あるのは徳川方の伝聞的な史料だけだったんだけど
「盛親が言ってる」と明言できるような史料があるなら知りたい。
242人間七七四年:2008/02/11(月) 11:41:24 ID:BdJfObta
しかし、盛親の兵といっても、ほとんどはくっついてきた浪人衆でしょう、
別に盛親が育て上げた兵というわけじゃあない。無論本来の真田隊だって同じような状況のはず。
兵がそういう状況なのだから、その兵達が大いに活躍したなら、
それは現場で実際に指揮を取った指揮官が優秀だったってことになると思う。
盛親の兵は現場でも幸村の指揮下ではなく、あくまで盛親の指揮で戦っていたなら話は別だが、
もしそうでないなら、少なくとも現代的な見方では幸村が優れていたでよいかと。

まあ、当時の評価の仕方なら、盛親の兵の活躍は誰が指揮を取ろうと盛親の手柄だろうが。
243人間七七四年:2008/02/11(月) 13:27:08 ID:9ZFxUI/e
ただ、盛親の場合は元国主だし、家そのものが潰えているので
もともとの家臣郎党が一定数集まっているから、真田や後藤など
その他の連中の連れていた軍勢に比べれば元来の長我宗部
家臣団の比率は高いだろう
244人間七七四年:2008/02/11(月) 16:13:38 ID:UYLQ4FNw
>>243
二号前の歴史群像に後藤又兵衛の記事があって、彼はある程度の戦力を維持して出奔しているので
それが故に部隊組織がしっかりしており、彼だけ道明寺に予定通り到着した。とあるけど
245人間七七四年:2008/03/02(日) 05:08:22 ID:gyM9mSpl
【黒田】後藤又兵衛(基次)を語る【大坂の陣】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204401402/

秀頼様の為に参上仕りました。
246人間七七四年:2008/04/12(土) 12:29:29 ID:EaUNJOJQ
247人間七七四年:2008/05/05(月) 11:40:36 ID:dCp5QjGu
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248人間七七四年:2008/05/13(火) 14:26:19 ID:1d5vs75n
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249人間七七四年:2008/05/13(火) 21:32:02 ID:OE1FtIE2
何同じところに貼ってるんだよ…邪魔だろjk
250人間七七四年:2008/05/13(火) 22:15:13 ID:822ko3aw
大阪春の陣、秋の陣にならなかったのは、農作業に配慮してだろうか。
251人間七七四年:2008/05/13(火) 22:18:44 ID:2ofvalqF
>>250
気配りの達人、家康なら充分ありえる
252人間七七四年:2008/05/14(水) 08:54:55 ID:RyP8XaYT
前田利政以外にも大坂入城を断った武将はいたの?
253人間七七四年:2008/05/14(水) 09:26:42 ID:/TqLHo6J
真田と毛利を抜擢した大野治長はもっと評価されてもいいという意見も
後藤も実績アリとはいえ大名級じゃないし、木村も数多くいた譜代の中から良く見つけたな
254人間七七四年:2008/05/14(水) 09:27:45 ID:RrSCu7i8
島津とか福島とか加藤とか
255人間七七四年:2008/05/14(水) 11:05:37 ID:rk1+BA3b
>>250
なんか風流だな<春の陣、秋の陣
256人間七七四年:2008/05/14(水) 16:06:10 ID:Y2V3U72Q
>>253
治長の軍団再編成は、”傭兵団”を元に改革した気がするのだけど。
↑の方にもあるけど、真田幸村、長宗我部盛親、毛利勝永、後藤又兵衛、明石全登は
自前の部隊を率いて参加してる可能性が大きいよ。
長宗我部は「大阪御陣山口休庵咄」に兵五千率いて大阪城に入ったことが書かれてるし、
真田は真田丸を「自分の配下だけで守る」と最初は言ってるから、規模は大きそう。
似た状況の毛利についても人数はわからないけど、軍制改革で”大将”扱いされたのは、
それなりの部下を引き連れていたからだ、と思うな。

それに兵を率いないで単身参加した有名人は大野治房旗下に集められちゃってる感じだしね。
塙団右衛門もそうだし、家康が後藤又兵衛と並べて評価した御宿官兵衛もそう。

”抜擢”というよりは、現実に即した編成にしただけじゃないかなぁ、、、
257人間七七四年:2008/05/14(水) 16:47:09 ID:gw7BCCs/
>>256
まあそう言うことでしょうな。編成と言っても当時の豊臣家じゃ、やり方も限られるわけで。
258人間七七四年:2008/05/14(水) 17:01:00 ID:VJTZzfFO
>春の陣

みんな日和ってしまって戦場には誰もやってきそうに無いな。
259人間七七四年:2008/05/25(日) 21:11:27 ID:XBztrdgE
しかし大坂方の武将でかつての美濃三人衆の息子である氏家行広は目立たないなw
大して活躍しなかったのだろうか?
260人間七七四年:2008/05/25(日) 21:39:12 ID:mR2bpXbH
>>259
大阪の陣の段階で、69の爺様だぞ…
261人間七七四年:2008/05/26(月) 09:27:13 ID:R0FXJgN7
もっと年上なのも居たよなぁ
やっぱり最後の最後だから張り切ったんだべか
262人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 15:37:59 ID:dUAtEA+o
誰も攻めてこないからな。
263人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 23:49:04 ID:4btuYxxi
80を超えた三好三人衆の生き残りとかか。
264人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 07:06:09 ID:unTuJUN6
つーか家康自身かなりの高齢
265人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 13:51:31 ID:tewU1II5
>>256
ニートがどうやって自前の兵隊用意すんの?
266人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 18:44:16 ID:cH2mRzDX
>>263
三好政康だな。
88才で討死。徳川方はこんなじいさんでも殺すからな
267人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 18:53:13 ID:r7dgkvXf
>>266
馬鹿?
268人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 19:35:49 ID:0afw8T0k
>>265
だよな
全国の元家臣の浪人に号令かけるにしても当時じゃどこまで広がるか分からんし
>>256の「それなり」の数は本当にそれなりだったんではないかと

>>266
自分が死地に飛び込んでいっただけ
面かぶってたら歳なんて分からん
退屈な世の中に嫌気が差したんだろう
花房某もそこそこ高齢とかなんかで見たな
269人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 20:08:04 ID:KPHNQoyI
家康に突撃するときせめてさ1万は軍勢持たせてあげたかったな
270人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 20:22:18 ID:IeuOKDXJ
>>269
そんだけいたら逆に身動き取れなくなって、本陣に辿り着く前に撃破されそう
271人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 22:44:28 ID:ZeYk+fVT
>>265
戦国時代の浪人には、自分の体だけな人もいれば、自分の部下(私兵)は持ってた人がいるのよ。

例えば、豊臣秀吉にキリスト教徒だったのでハブられた高山右近も、
文禄の役では自前で名護屋まで出張ってお茶席とかしてた当時、
無職だしあまりにお金使うんで部下解雇するかどうか悩んでる(ルイスフロイス日本史)。
こういう傭兵を持ってる浪人(傭兵団?)は、いざって時に即戦力になるので、当時は結構優遇されたらしい。
(有力大名から捨て扶持とかもらってたり)

なので、同じ浪人でも扱いが違ってたんじゃないかなぁ。
272人間七七四年:2008/06/10(火) 11:59:48 ID:eSCtX3LO
ひとつ聞きたいんだが、大阪城は力攻めに任せたら
徳川勢の被害はどれくらいだった
273人間七七四年:2008/06/10(火) 16:01:31 ID:kZXkzfk8
淀の方さまは、女武将と言えるのか、どうか。
274人間七七四年:2008/06/10(火) 16:07:49 ID:4QpT7SEu
>>271
その浪人の食いぶちはやっぱり旧臣もちなのかな?
立花は宗茂の食い扶持も部下が頑張って稼いでたけど
旧臣だって家族とかいるから大変だろう
喰うに困って仕官して参加できなかった長曾我部旧臣や真田兄系をせめてはいかんよ
275人間七七四年:2008/06/10(火) 16:10:11 ID:ScW7tn8m
>>274
真田の場合は真田家の家長(兄)に従わなかった弟系こそ非難されるべきだろ。命令系統として。
276人間七七四年:2008/06/10(火) 17:18:21 ID:Axn63qjG
>>275
真田の場合、関ヶ原の時点で昌幸と信幸とで事実上別家でそ。
277人間七七四年:2008/06/10(火) 17:23:29 ID:ScW7tn8m
>>276
別家でも「一門」なわけだし。
278人間七七四年:2008/06/10(火) 20:27:21 ID:2E1EZwsD
>>272
真田丸のような突撃馬鹿かその後の地道な攻め方かで桁が違う
279人間七七四年:2008/06/10(火) 21:55:51 ID:wevf6UwQ
冬の陣の大坂城は、秀吉と黒田が心血注いで築城した最強の城だろうから、南方に真田丸もあるし力攻めじゃ落ちそうに無いな。
280人間七七四年:2008/06/10(火) 22:13:37 ID:pr3W63M9
>>277
儒教が流行るのはもっと後。
別家といっても主家と分家の関係じゃないから、命令系統云々は無関係。
281人間七七四年:2008/06/10(火) 22:40:56 ID:2E1EZwsD
>>279
あのまま大砲打ち込まれ続けたら士気崩壊するかと
282人間七七四年:2008/06/10(火) 23:55:32 ID:4QpT7SEu
でも当時の大筒ってたいして殺傷能力ないんだろ?うるさいだけで
命中率も悪くて天守の柱ぶち抜いたのは偶然の賜物と聞いたが。
だから女衆が必要以上にびびらなければうっせーなぐらいでやりすごせない?
諸将はそんな感じだとおもうし
参考になるとも思えないがこれに使われたブリキトースが家宝になってた藩が
幕末に使用した時は頭部に弾が直撃した敵兵士の鼓膜が破れただけで
ちょっとむちうったけど命に別条なしだったというし
283人間七七四年:2008/06/11(水) 00:28:12 ID:bI5q3q0x
>>282
人もそうだが馬なんかは音に敏感ですぐに影響が出始める。
よーするに四六時中騒音に囲まれてるとノイローゼになるんだ。
びびった女衆や戦闘経験の薄い連中が騒げばその分余計に影響する。
命中率は高くないとはいっても巨大な大坂城だ。本丸狙えばどこぞに当たる可能性は高い。
頭上から鉄のかたまりが落ちて来かねない生活なんてしたかないだろ。
反撃しようにも迂闊に城を出るわけにも行かない。
そういう諸々が士気の低下に繋がっていく。
まして後詰めのない籠城だから、基本的には長引けば長引いただけ自然と士気は落ちる。
おまけに戦線膠着しても内通者だらけだから流言飛語やら引き抜き工作やらやりたい放題。

出丸攻防戦が活発に繰り広げられて城方が勝利を重ねるとか、家康死亡とか、豊臣方に援軍とか・・・
そういう類の何かがない限り、城方はいずれ自壊すると思われる。
284人間七七四年:2008/06/11(水) 18:17:22 ID:nMSf9oQM
藤堂高虎が先鋒勤めたってのがな・・
まあ、小池百合子なんかよりはるかに芯が通ってるが
285人間七七四年:2008/06/11(水) 18:24:13 ID:0xVOOJrr
つーか、高虎もあくまで一代取り立て(しかも秀長に)なんだから、豊臣家が利害を超えた忠誠を
求めること自体が間違いだよ。
286人間七七四年:2008/06/11(水) 21:51:15 ID:YbqDrC5z
加藤嘉明はどんな思いで主君秀吉の宝だった大坂城を攻めたんだろう。
287人間七七四年:2008/06/12(木) 04:55:55 ID:UHWuOM3o
そうかもう一人の加藤は参加してたんだ
福島はともかく黒田すら江戸詰めになってたのに・・・
288人間七七四年:2008/06/12(木) 10:25:36 ID:ogzvB5/t
つまり加藤嘉明は、当時世間的には「豊臣恩顧」とは見られていなかった、って事でしょ。
289人間七七四年:2008/06/12(木) 15:22:25 ID:6E+87kt3
高虎は秀長に対してどのような思いだったんだ
290人間七七四年:2008/06/12(木) 17:26:36 ID:WgoXkJWd
>>282
大筒ってそんなにしょぼかったのか!?しかも滅多にない直撃で…。
たしかに天守の女達が黙ってればなんとかなったかもな。クソ金と手間の掛かる大筒なんてそう何発も撃てんし。
291人間七七四年:2008/06/12(木) 18:05:52 ID:ogzvB5/t
>>290
他人の書き込み鵜呑みにして結論を導いているのが笑止この上ない
292人間七七四年:2008/06/12(木) 20:39:09 ID:vgfR9gA9
>>290
備前島だけで100門、他んとかあわせれば300門は軽く超えてたかと
物量というのをまさに正しく理解している家康
293人間七七四年:2008/06/12(木) 21:37:20 ID:WgoXkJWd
>>291
おいおい、何がカンにさわったかしらんがそんなことでグダグタいうなよ。
294人間七七四年:2008/06/13(金) 00:21:55 ID:4cJ8CRtM
加藤嘉明の場合、父親が家康の元家臣で、三河一向一揆で父が家康に敵対したので
流浪の末に秀吉に拾われたので、豊臣恩顧といっても加藤清正・福島正則のような
親戚筋とはわけが違うからなぁ。
295人間七七四年:2008/06/13(金) 20:59:45 ID:y6utodce
>>287
嘉明は冬の陣江戸留守居で夏の陣は黒田といっしょに少勢で秀忠の下についてなかったっけ?
ただこれネットで見た時「と、言われている」ってついてたんで確証はない話なのかな
逸話を見た限りでは
秀忠「うふふ捕まえてごらんなさーい」嘉明・長政「アハハ待てよー」してみたり
年甲斐もなくハッスルしようとする長政を嘉明が叱ったりなかなか楽しそうだが
296人間七七四年:2008/06/13(金) 21:16:30 ID:Z2Xx4Yxj
嘉明は家光の鎧着初めの時の鎧親になっているくらい、徳川からは信頼されているな。
297人間七七四年:2008/06/14(土) 03:12:45 ID:rUZUG60Q
なんだこれは
298人間七七四年:2008/06/20(金) 07:49:38 ID:gr28ffy9
関ヶ原
299人間七七四年:2008/06/20(金) 08:07:32 ID:WVRRZLLz
>>294
じゃあ親父ごとうまいこと帰参してたら徳川譜代になれてたの?
本多正信みたいに
あとよく小説とかで「江戸留守居はわしだけか?・・・そうかわしだけか・・・」とか
福島がうなだれるシーンが出てくるがありゃ嘘だったんだな
ずっと信じてただまされた畜生・・・
300人間七七四年:2008/06/20(金) 17:56:26 ID:KPlnB2/o
>>299
まあ、徳川に帰参していたらそもそも出世しなかった可能性もあるわけで。
息子の代に改易されたとはいえ、大坂の陣の後には会津40万石の領主に
なっているのだし。

あと、豊臣恩顧大名でも浅野氏のように幕末まで大大名として存続した例は
あるわけで、息子の代で改易された両加藤氏は豊臣恩顧云々ももちろんあるけど、
息子の責任が大かと。

ただ、福島正則はお気の毒にとしか言いようがないね…
301人間七七四年:2008/06/21(土) 00:07:22 ID:H/CON6lr
加藤(嘉)は五万石ぐらいで残ってなかったか?
302人間七七四年:2008/06/21(土) 03:54:43 ID:li+2B9Nc
>>301
あ、いったん改易されてから、水口藩2万5千石で復活だね。
303人間七七四年:2008/06/21(土) 12:01:17 ID:AvnvGo1h
かつて長束正家がいたところか
304人間七七四年:2008/06/25(水) 22:03:30 ID:PDjiXW5P
その時歴史が動いた・大坂大虐殺はなぜ起こったか
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1214390975/
305人間七七四年:2008/06/25(水) 23:02:01 ID:nK1AzwQ8
その後秀頼が生きていて肥後熊本にかくまわれていたと言う話があるが
306人間七七四年:2008/06/25(水) 23:12:28 ID:A9rXzuB8
>>305
義経ジンギスカン説と変わらん
307人間七七四年:2008/06/26(木) 00:21:49 ID:HuiT6PBz
>>304
女強奪のところでアンチ徳川が多くてワラタ
でもやってることはどこも同じなのにね
308人間七七四年:2008/06/26(木) 14:17:17 ID:V7+Hsb3G
女強奪や偽首の類いは秀吉の朝鮮出兵の時にもあったらしい
原因は兵士の中にならず者が相当いたため

余談ではあるが、朝鮮半島で義兵闘争が各地で起こったのは秀吉軍内の兵士による無法行為への怒りかららしい
309人間七七四年:2008/06/26(木) 14:53:25 ID:ZQ486HIW
戦国時代でも乱暴狼藉はあったけど、ここまでひどくなったのは
朝鮮出兵以後なのかな? でも、関ヶ原関連で乱暴狼藉ってあまり聞かないしなぁ。
310人間七七四年:2008/06/26(木) 14:59:07 ID:fofPQlqX
市街戦というのもあるだろう。
311人間七七四年:2008/06/26(木) 15:05:24 ID:wxgvvpFJ
戦場になりそうな場所でうろちょろしてる民間人が悪い
戦地にいたらすべて戦闘員とみなすのは当然
312人間七七四年:2008/06/26(木) 15:36:48 ID:fofPQlqX
冬の陣は今福や蒲生といった郊外だったし、
町人からすると夏の陣は急に決まって攻め込まれた印象があるんだろう。
犠牲になったのは、旧東区あたりだが。
313人間七七四年:2008/06/26(木) 17:37:33 ID:/nxntOLy
江戸が攻められてたら同じことを>>311派絶対言ってないと思う

幕末の奥州列藩同盟の民衆とかも、結構ひどいことされてるなあ
さすがに女を奴婢にしたりはしてないが。
314人間七七四年:2008/06/26(木) 17:40:02 ID:L8e7nbkC
>>313
なんか変な大阪方へのシンパシー持ってるでしょ君w
315人間七七四年:2008/06/26(木) 17:50:39 ID:ZQ486HIW
>>313
会津の場合は官軍に味方する民衆も結構多かったけどね。
316人間七七四年:2008/06/26(木) 17:52:10 ID:L8e7nbkC
つーか会津は、藩内の農民は軒並み官軍に味方している。
何故なら会津藩からの重税で苦しんでいたから。
317人間七七四年:2008/06/26(木) 18:17:10 ID:FKakPJc9
たぶん>>310が妥当
荒地とか山間じゃなく城下の戦いなら町人はたくさんいただろうしね
ウヒヒなことができる女子供もたくさんいたはず
あとたまに軍規が厳しい云々いう話も、全体じゃなくて
決まった武将の元での話しじゃないかとも思う
○○という人は厳しかった、みたいに

実はごく最近、立ち読みで「実は戦後は奴隷狩りがあった」というのを読んだばっかりだった
これを知らなかったら、俺も昨日のテレビを見ながら別の感情になってたかもしれん
ギリギリで事実を知ったっていう
勝った側の金品略奪は知ってたけど、まさか人間までも、ってね
どの有名武将だっけな、略奪行為はやる気を起こさせるために、見逃してたっていうのは
武田信玄だっけ・・・
318人間七七四年:2008/06/26(木) 18:43:17 ID:fofPQlqX
これが農村なら、落武者狩りや、軍規違反の雑兵への反撃は日常茶飯事だったから、
こういうことにはならなかった。
319人間七七四年:2008/06/26(木) 18:59:06 ID:FKakPJc9
主君は生涯一人だけっていうのも江戸時代に入ってからってことだから
そういう武士の倫理観なんて薄かった戦国時代の兵の荒っぽさは想像以上だったと
320人間七七四年:2008/06/26(木) 19:00:08 ID:FKakPJc9
つーか織田軍みたいなのでなければ
まだ農民兵が多かったんだっけ
戦の倫理観なんて無いよな・・・
321人間七七四年:2008/06/26(木) 19:03:54 ID:CD2APO94
一応二君に仕えず死を選んだ武将が褒め称えられてる戦国時代
この頃から既に美しい死に様だったのだろう
322人間七七四年:2008/06/26(木) 19:15:15 ID:fofPQlqX
戦国時代は儒教的考えはなく、馬鹿な主君の場合、取って代わって宜しいという風潮。
323人間七七四年:2008/06/26(木) 19:19:36 ID:CD2APO94
いや一般的にはそうかもしれんが
現実に捕らえられた敵将に家臣となるよう勧めて拒否した
当時書かれた多くの美談の存在がある事実
まったく無いとは誰も言えまい
324人間七七四年:2008/06/26(木) 19:23:53 ID:FKakPJc9
そりゃもちろん人それぞれ
325人間七七四年:2008/06/26(木) 19:27:43 ID:L8e7nbkC
戦国時代でも主君への忠誠義務は立場によって大きく違う。
大雑把に言って、一族譜代は主君と運命を共有することを求められるが、そうでないものは
戦闘義務以上の忠誠は求められない。これは源平合戦の頃からの武士の不文律。

まあそれはあくまで不文律と言うか、常識みたいなもので、無論その範疇に入らない変わり者もいる。
江戸期は社会が安定して家臣も代々の物となり、そのほとんどが譜代のような物になったので、
家臣団全体に譜代義務が乗っかる風潮になった。
326人間七七四年:2008/06/26(木) 20:59:04 ID:Rxruxqse
歴史モノ好きで大河なんか結構見てたオサーンの折れ33歳だけど大阪夏の陣で
ジェノサイド行為があったとは正直しらなんだ。歴史の勉強でも此処まで
掘り下げなかったしドラマでも淀と秀頼が自害して落城した位の扱いだったからね。

大阪人の東京嫌いは単なる嫉妬と思ってたけど根底はここだったんだなと。
327人間七七四年:2008/06/26(木) 21:05:55 ID:ernZsO8W
ジェノサイド(虐殺)とはチト違うかと
大坂の陣がああなったのは、体裁とった降伏しなかった豊臣方にも問題ある訳ですし
その点、北条氏や徳川幕府は最後のケリは付けてますから
328人間七七四年:2008/06/26(木) 21:06:53 ID:IgmNk/D3
つか略奪するほうも武装した平民なら
略奪されるほうも武装した武装した平民な訳で
そう簡単には略奪できなかったとオモ
本当に弱い人間だけ搾取されたんだろうな
329人間七七四年:2008/06/26(木) 21:18:03 ID:Rxruxqse
まぁ浅い知識で徳川家康は「ええもん的」イメージがあったし幕府開いて
200年平穏期あったし、役者で滝田栄が家康やって格好よかったからイイイメージの
まんまだったんよね。
330人間七七四年:2008/06/26(木) 21:19:48 ID:lLgtUqvb
ジェノサイドではなく奴隷狩りの略奪行為だろうな
それでも十分悲惨だけど
>>328
大阪城の博物館にある金屏風みて来い
(ネットでもいい。一部見れる)武装なんかしてない民衆が徳川方の攻め手に
やられてる
331人間七七四年:2008/06/26(木) 21:24:51 ID:L8e7nbkC
大阪の陣のあと大阪を復興させたのは徳川幕府
江戸期を通して大阪の住民もかなり入れ替わっている。特に商人層
大阪には豊臣期から大阪に根付いた住人なんていうものは、ほとんど存在しないと言っていい。

大阪の反徳川感情というのは幕末〜明治に、立川文庫などで再生産された「新しい伝統」
332人間七七四年:2008/06/26(木) 21:40:10 ID:i0v8B4tS
昨日の松平氏もなんかやりにくそうだったね。
333人間七七四年:2008/06/26(木) 22:11:36 ID:oIxdyLbK
太閤さんの頃から大阪に住んでたという奴は嘘つきだろうなあ。
334人間七七四年:2008/06/27(金) 00:05:48 ID:jJXYuMi+
町民なんて、今の日雇い派遣のようにモノ扱いだったんだな。
335人間七七四年:2008/06/27(金) 00:10:23 ID:slnpkwQm
>>334
都市住民もどういうコネクションがあるかで立場が大きく違う。
336人間七七四年:2008/06/27(金) 00:45:16 ID:GboRiziR
内堀埋められた時点で、引越ししなかったのかね?
337人間七七四年:2008/06/27(金) 00:49:32 ID:slnpkwQm
>>336
大阪の住民も、まさかあの状態で豊臣家がもう一線やるつもりになるとは考えなかっただろうな。
338人間七七四年:2008/06/27(金) 01:04:46 ID:GboRiziR
やるとしても、もう少し経ってからと思ってたのかね?
家康が大坂攻めすると決断して、一月ほどで夏の陣だから、
末端の町人レベルだと逃げる準備もできないか。
339人間七七四年:2008/06/27(金) 01:59:09 ID:Mnu+dsQ9
>>331
江戸期は徳川イメージ↑
倒幕から徳川イメージ↓
情報操作で簡単に好き嫌いが流れるもんだね
家康が愛知の3傑で最低人気なのもこのせいだし
340人間七七四年:2008/06/27(金) 10:32:13 ID:o3QAaHwf
>>331
じゃあ豊臣時代大坂にいた人たちはどこへいったんですか?
341人間七七四年:2008/06/27(金) 13:19:24 ID:slnpkwQm
>>340
秀吉時代の大阪は、武士以外は秀吉によって京や堺、伏見、安土などから移住させられた商人たちによって
形成された新造の町。大阪が壊滅すると多くは元いた地や、徳川体制化の新興都市に移った。
信長の安土城下の運命に似ているね。

今の大阪の元は、幕府による大阪再建、徳川大阪上築城の時に畿内各地や伊勢などから集まってきた
人々だな。
342人間七七四年:2008/06/27(金) 16:23:02 ID:4MOvsvUu
石山本願寺自体が、商工業者も多数住む寺内町だったから、その延長で居住してる人も多数居たらしいが、
堺や平野、伏見からも多数掻き集めたからなあ。平野町、伏見町はその名残。
そのせいで、平野というか平野郷は寂れて、残った平野の連中は徳川方に全面協力したな。
343人間七七四年:2008/06/27(金) 17:56:40 ID:o3QAaHwf
>>341
大坂再建の後また舞い戻った連中も多いんじゃないの?
344人間七七四年:2008/06/27(金) 20:15:04 ID:LZQMgj3m
連れて行かれて女の人とか大坂城落ちた後どうなったんだろうか。
そこら辺の記録は残ってないのかね
345人間七七四年:2008/06/27(金) 20:36:56 ID:slnpkwQm
基本的に身代金で買い戻されるか、そうでないのは奴隷として売りに出されるか、だわな。>捕虜

ふと思い出したが秀吉の朝鮮の役の時、朝鮮の民衆が蜂起したが、あれは朝鮮王朝を追い出したから、ではなく
日本軍の略奪や暴力に我慢しかねて立ち上がった、ということだ。
しかしそれが秀吉の命令した「軍の綱紀粛正」に違反していたかと言えば、そうではない。
日本軍は日本の常識の範囲内での「綱紀粛正」を行っていた。略奪や乱暴も、戦国時代を脱したばかりの
日本人の感覚からすれ、十二分にコントロールの効いた「ささいなこと」でしかなかった。
しかし太平の世界に生きていた朝鮮人にはそれは通用しなかった。文化摩擦が起こっていたわけだ。

大阪の陣の虐殺云々も、そう言う荒々しい感性の世界に日本人がまだ生きていた頃の話。(そう言う戦国の風が
一掃されたのは五代綱吉の時代だとか。生類憐みの令で初めて「命を大切に」という倫理を庶民にまで広めた。)
346人間七七四年:2008/06/27(金) 20:41:05 ID:n6wPkOdy
>>344
後で幕府が解放する様に命じている
もっとも、あまり厳密には守られていないようだけど
347人間七七四年:2008/06/27(金) 20:50:17 ID:DLtVMIZR
信長の一銭斬りってすごいかもしれん
まあ実際はそんなことしてないでしょうがね
造られた美談でしょう
348人間七七四年:2008/06/27(金) 21:05:57 ID:eWVnc/2d
数万人のディアスポラか。
しかも同国人の手によってだから余計性質が悪い
349人間七七四年:2008/06/27(金) 21:42:55 ID:XEv5msUg
やっていることは戦国時代と変わらないけど、朝鮮出兵や大坂の陣の場合、
兵の数がとんでもなく多いので、被害がすさまじくなったという面があるのかも。
350人間七七四年:2008/06/27(金) 22:01:50 ID:slnpkwQm
>>347
秀吉の軍団も結局は信長系なわけで。その軍隊の所業は朝鮮の秀吉軍とそう変わらなかっただろうって事は
用意に想像できる。
351人間七七四年:2008/06/28(土) 07:04:09 ID:1mCcw/iT
欧州だってどこだって昔は、つーか同時代は同じことやってただろうに
日本だけ野蛮で倫理感がないとかどうんだけ日本嫌い史観だよ
つか民族や人種違うから日本以外のがもっとひどかったろ
日本は最後はまぁ同じだしで甘い甘い砂糖にコーヒー入れるぐらいの甘甘ちゃんだ
鬼の首をとったように大坂の陣では〜とか謙信は奴隷売買を主要産業に〜とか
カタッてる俺は世評に流されない違いのわかる人間(キラーン)って馬鹿はな何の?死ぬの?マジ死ねや
352人間七七四年:2008/06/28(土) 07:48:19 ID:ri9NJrmV
>>351
そりゃそうだけど、大坂の陣以前は国内ではここまで大規模な乱暴狼藉は
行われておらず、虐殺も信長がやらかした伊勢長島や越前一向一揆相手以外には
そう目立たない。

大坂の陣以降は戦争自体が島原の乱以降は程度でそれ以後皆無に等しくなるわけで、
どうしても大坂の陣での大規模な乱暴狼藉は目立ってしまう罠。
353人間七七四年:2008/06/28(土) 08:00:07 ID:ql9sxFow
毛利勝長最強
354人間七七四年:2008/06/28(土) 09:19:57 ID:3zjA60ct
城攻めで大規模な市街戦があったのって大坂ぐらいじゃない?
あの時代は城下も含めて大きい城自体が少なかったから
あの戦いが突出して目立つんでは
他にでかくて攻め込まれたっていうと小田原ぐらいかな
あそこは上杉が来たときも豊臣が来たときも篭城で
片方は撤退、片方は結果としては開城だし
武田も攻めてきたんだっけ
激戦の後落城だったらどうなってたかね
355人間七七四年:2008/06/28(土) 11:15:37 ID:DHiMVK3c
上田攻めは?
規模が違うと言われると終わりだが、市街戦というと大阪よりこっち思い出す
356人間七七四年:2008/06/28(土) 12:01:02 ID:7yHNqgyE
>>352
> そりゃそうだけど、大坂の陣以前は国内ではここまで大規模な乱暴狼藉は
> 行われておらず、虐殺も信長がやらかした伊勢長島や越前一向一揆相手以外には
> そう目立たない。

ここが先ず間違い
357人間七七四年:2008/06/28(土) 12:07:19 ID:4M18F0GW
>>355
攻めた側が尻尾巻いて逃げ帰った場合は略奪なんてしてる余裕が無いのでは
358人間七七四年:2008/06/28(土) 12:10:53 ID:bmaVGDvq
>>351はただの厨房だろうに、そんな烏滸がましいのを相手にするから…
359人間七七四年:2008/06/28(土) 12:37:55 ID:eEAB/YlE
>>356
しったかくんは具体例を書けないのですね、わかります。
360人間七七四年:2008/06/28(土) 13:00:23 ID:7yHNqgyE
>>359
…戦国の歴史をちょっとでも調べれば、どの大名にも非戦闘員を含めた虐殺をやったことはすぐに
出てくると思うが…。
有名なのでも武田の小岩岳攻城戦、伊達の佐沼城のなで斬り事件、等々。

君は無知なのかい?
361人間七七四年:2008/06/28(土) 13:09:12 ID:Ge6kJfaF
ドキュンの子孫って、絶対何人もの人間
殺害してるよな。
362人間七七四年:2008/06/28(土) 15:17:22 ID:eEAB/YlE
>>360
はぁ?
2万人殺した伊勢長島一向一揆、1万2000人殺し4〜5万人を奴隷にした
越前一向一揆クラスの虐殺はそうそうない罠。
363人間七七四年:2008/06/28(土) 16:24:23 ID:j4peEXVc
基本的に虐殺や強姦なんかは、戦国時代ではデフォだからね。
364人間七七四年:2008/06/28(土) 17:00:43 ID:eEAB/YlE
足軽による乱暴狼藉はそりゃどの大名にもあったけど、
問題はその規模でそ。
365人間七七四年:2008/06/28(土) 18:51:15 ID:uoF8IHOV
後はまぁ、言い方は悪いが「華やかさ」の違いってのもあるんじゃない?
366人間七七四年:2008/06/29(日) 14:21:48 ID:EKB/OoaZ
同一民族同士だから、なんとなく落城後は敵味方なく宴会でも
開くと思っていた私はゆとり世代・・・・・

しかし、同一民族で虐殺・人身売買ですか・・朝鮮民族とは
違いますね・・・
367人間七七四年:2008/06/29(日) 14:34:26 ID:KNZvB1x3
>>366
ゆとりにもほどがある
368人間七七四年:2008/06/29(日) 14:56:05 ID:7ptn2d36
関が原で改易されて浪人になった大名で徳川方で参陣して再興
できた武将はいますか
369人間七七四年:2008/06/29(日) 15:14:16 ID:0jfPuSql
立花宗茂あたりがそれに近いか
370中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/06/29(日) 15:28:00 ID:h/hRwuXP
立花宗茂かな?
371中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/06/29(日) 15:35:08 ID:h/hRwuXP
かぶってしまったか
じゃ、苦し紛れに前田利政とでもいってみる

でも、利政は大阪の陣では中立なんだよな・・・
372人間七七四年:2008/06/29(日) 15:51:25 ID:jE0RgJ25
立花宗茂も丹羽長重も当時から大名だったからなぁ。
あと、前田利政は結局大名に復帰しなかったし。
373中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/06/29(日) 16:09:45 ID:h/hRwuXP
本当だ!ちょいと勘違いしてたわ
374人間七七四年:2008/06/30(月) 16:42:33 ID:9oZ/3IFr
>>368
息子の代になるが筑紫氏
375人間七七四年:2008/06/30(月) 18:56:43 ID:DR4jqyuc
>>366
たいして戦闘も無く無血開城とか
戦場と離れた地域ならそれはあるかもしれんが
戦場の真ん中になったら田舎であろうと物は盗まれて家も焼かれるよ
逃げ遅れたら人間だってどうなるか
376人間七七四年:2008/06/30(月) 18:57:15 ID:DR4jqyuc
いや・・・さすがに宴会は無いか・・・
377人間七七四年:2008/07/03(木) 14:04:21 ID:vv380aId
あの屏風を黒田長政が描かせてたというのが興味深い。
長政は何を思って後世に残そうとしてたのかね?
378人間七七四年:2008/07/03(木) 14:25:39 ID:o25XEpLu
>>377
略奪・虐殺などの狼藉を悪行だとは考えていなかったってことじゃないの?
379人間七七四年:2008/07/03(木) 14:42:49 ID:wYO0yP9Y
だね。「武功」の一つとして考えられてた。
380人間七七四年:2008/07/03(木) 17:00:46 ID:GiHXSTAf
大阪の陣の折って、城内には多くの女中衆もいたんでしょ?

一部は淀や秀頼らに殉じたんだろうけど、他って落城後はどうなったんだろう
381人間七七四年:2008/07/03(木) 18:20:31 ID:XCyEpma4
普通に逃げたんじゃない?
382人間七七四年:2008/07/03(木) 21:05:19 ID:lrEfjBi/
ただまあ当然レイープはされただろうけどね…
383人間七七四年:2008/07/03(木) 21:11:13 ID:vv380aId
>>378-379
や、確かに屏風絵は自分や先祖の武功を喧伝する為の物だけど、
あの大阪城の狼藉みたいなのを記したのは他に無いわけだろ。
(ここNHKの受け売りだから、間違ってたらすまん)
たんに大阪の陣のような市街戦を描いたものが他に無かっただけなのか、
長政があえて陰惨な描写を描かせたのか。

>>382
淀の腰元の大阪城脱出記「おきく物語」なんてのがある。

384人間七七四年:2008/07/03(木) 21:15:10 ID:wYO0yP9Y
>>383
> あの大阪城の狼藉みたいなのを記したのは他に無いわけだろ。

普通にあるぞ。源平の時代からある。
一応言っておくけどNHKの「その時〜」はバラエティ番組。あの番組に都合の良いよう利用されて
怒っている歴史研究家はたくさんいる。
385人間七七四年:2008/07/03(木) 21:37:34 ID:vv380aId
>>384
そうか、スマソ。
長政も武功を書き残しただけか。
386人間七七四年:2008/07/03(木) 21:51:45 ID:lrEfjBi/
ただ、動員兵力がすごかった & 場所が大都会の大坂ってことで、
かつてない規模の狼藉だった可能性が高い。

単純に短時間での虐殺数でいえば長島一向一揆なんていう例もあるけど、
あれは女子供も相当数いたとはいえ、一応兵員が相手だしね。
387人間七七四年:2008/07/04(金) 01:50:30 ID:nfn7/piz
一揆殲滅は殺戮が目的だからとにかく殺すだけ
市街戦後は単に人が多いからいつもより規模の大きい略奪その他ってだけじゃないかな
388人間七七四年:2008/07/05(土) 21:46:45 ID:OQ0kzWKW
戦国ガチ世代だとこんなの何でもない事なんだろうけど
桃山〜江戸初期のゆとり世代になると戦争の悲劇になるんだろうね
389人間七七四年:2008/07/05(土) 21:54:24 ID:h0DSkPaf
ゆとりは江戸中期じゃね?
390人間七七四年:2008/07/05(土) 22:07:34 ID:2oIztn+T
江戸期も初期はちょっとしたことでがんがん殺してた。
日本の国に、今に通じるかたちでの「人道主義」が形成されたのは五代将軍綱吉の時代。
綱吉はそのために学問や道徳の普及を図ったり生類憐みの令で命の大切さを法的にも教えようとしたりで
一生懸命「意識改革」をやった。
391人間七七四年:2008/07/05(土) 22:20:27 ID:HSiVGRE2
http://www.konan-wu.ac.jp/%7Ekikuchi/nihon/okiku.htm
おきく物語の現代語訳 や ら な い か 
392人間七七四年:2008/07/06(日) 10:04:09 ID:da22CFrq
綱吉て何気に名君だったのか。。
393人間七七四年:2008/07/07(月) 20:42:36 ID:wAZHNVmT
いや、ただの皮肉
394人間七七四年:2008/07/07(月) 20:47:14 ID:HdN23lAf
綱吉は後世に良い影響を与えたと言う意味では名君だぞ。
市民生活に直に介入するタイプの政策だから庶民からは嫌われたが。
395人間七七四年:2008/07/07(月) 21:09:16 ID:ni4SNPSA
生類憐みの令あたりは「やりすぎ」感は否めないが文化面では名君と言っていいと思うぞ

てかいい加減大阪冬・夏の陣に戻らん?
396人間七七四年:2008/07/08(火) 18:34:32 ID:n6CZ8yGV
真田の突撃は実は大したことがなかったと言う話があるが
どうなのよ
397人間七七四年:2008/07/08(火) 20:41:30 ID:vdYRHIfS
どうもなにも講談だろ
398人間七七四年:2008/07/08(火) 22:01:00 ID:7+q8WMTY
家康本陣がパニクッたのは事実
旗奉行が進退を誤り、混乱させたとして閉門・所領没収食らわされている
399人間七七四年:2008/07/08(火) 22:01:42 ID:n6CZ8yGV
史実の方は? 
400人間七七四年:2008/07/08(火) 23:38:40 ID:1NnjawD4
史実は、家康が信繁の一太刀をサッと交わした。
二太刀目を浴びせようとしたところで徳川軍団屈指の精鋭旗本達が信繁に襲い掛かったため真田隊逃亡。しばらくして西尾なんちゃらに打ち取られたザコ
401人間七七四年:2008/07/09(水) 11:45:52 ID:f9Alp+v2
>>396
毛利勝永・大野治房の活躍があったればこそ
(というか、大名クラスの将を討っているのは毛利隊くらいのもんだが)

とはいえ、複数の記録から見ても相当家康本隊が切り崩されたと見ていいと思う
402人間七七四年:2008/07/09(水) 15:29:28 ID:ZQif3gBy
切り崩された、というよりは、徳川軍が浅野裏切りの風評により
「裏崩れ」おこして混乱している隙に本陣まて到達した、という方が。

まともに戦闘して進んでた毛利軍より先に到達してるしなぁ…
403人間七七四年:2008/07/09(水) 18:24:43 ID:1MikBUdi
真田隊突撃に関しては
凄かったという話だと、よくある真田持ち上げだと言われるし
実はそうでもなかった、だと、神君家康擁護ととられるし
難しいもんだな
404人間七七四年:2008/07/09(水) 18:29:05 ID:7CyMyOiZ
>>403
でもほとんどは講談ネタだしなあ>真田突撃

家康の旗本が動揺したのはたしかだが、だからと言って軍隊としての秩序が壊れるほどの
ダメージを受けたようにも見えない。

話半分と考えるのが一番かと。
405人間七七四年:2008/07/09(水) 20:53:28 ID:ckPeImOi
夢がないないよオマエラ…
歴史好きならロマン持とうや。
406人間七七四年:2008/07/09(水) 20:56:44 ID:7CyMyOiZ
夢とかロマンとか言い出したら学問的な意味で危険信号
407人間七七四年:2008/07/09(水) 21:03:20 ID:Pf2hDaml
玉砕突撃に浪漫を感じるかなんて人それぞれじゃないか
史実の真田だって充分浪漫を感じないか
408人間七七四年:2008/07/09(水) 21:30:28 ID:ckPeImOi
まあ人によって価値観が違うだろうが
歴史の原点的楽しみはやっぱり夢や妄想っしょ。
勿論行き過ぎは単なる電波になるが
シュリーマンなんかの話は俺は好きだな。
409人間七七四年:2008/07/11(金) 02:40:21 ID:HKIb3AdF
浪漫→ロマン→Roman→ローマ
410人間七七四年:2008/07/11(金) 03:34:40 ID:gqrlzxLY
その突撃で家康公が討ち死にされ、某所に葬られました
後年、秀忠公により移され、改めて葬られました
っていうのがあったよな
その葬られた場所に毎年秀忠が来ていて
その後、掘り返して厳重な警護で運ばれたというやつ
411人間七七四年:2008/07/11(金) 07:14:45 ID:HKIb3AdF
糸井重里が探してたやつだっけ?
412人間七七四年:2008/07/11(金) 09:09:47 ID:nm+y5XnB
>>408
シューリマンは遺跡発見したこと意外はすべて電波。
彼の仮説は全て否定された。
413人間七七四年:2008/07/11(金) 10:47:08 ID:PCi+oieC
夢がないとか子供かよ

不透明なことに対してあれこれ妄想して夢語りするのは結構
だが明らかに否定できること、立証済みのことに対してそれらを行うのはただのワガママ
414人間七七四年:2008/07/11(金) 17:37:25 ID:hIlWAR/r
シューリマンは遺跡壊した。
415人間七七四年:2008/07/11(金) 18:01:20 ID:Jvl+C+O9
シュリーマンが電波?

シュリーマンには商才と行動力があるだけ2ちゃんねらなんぞとは格が違うけどね
416人間七七四年:2008/07/11(金) 19:08:41 ID:PCi+oieC
自分は2ちゃんねらじゃないとでもいいたげなレスだな
見て、書き込んでる時点で俺もお前も2ちゃんねら

しかしなんで2ちゃんねらを引き合いにだしてまで褒めたいのw
比較する対象物が小物過ぎると全然説得力ないぞ
417人間七七四年:2008/07/27(日) 18:20:50 ID:3p1AouxZ
徳川軍の旗指物を立てて伝令の振りをしながらひっそり近づいたっていうのが真相みたいだね。
あっさり取り抑えられてその場で首斬られたらしい。
418人間七七四年:2008/07/28(月) 00:24:01 ID:gD5+6UO9
にちゃんねら、見てきたように嘘をいい
419人間七七四年:2008/08/04(月) 23:57:16 ID:5Ry6cjfq
>>417
姉川の遠藤喜右衛門を思い出す

シュリーマンに関しては、かなりアレなひとではあるし、無論
慎重な検討や評価が必要な人ではある。だがね、
勿論功績も大きいし、そのことをことさらに、得意げに言い立てるのは
あまりいい気分ではないな。
と、スレすまぬ。

420人間七七四年:2008/08/05(火) 11:55:43 ID:W5aveL2N
真田や後藤は国分で水野などを叩いてその勢いをもって奈良にいた本陣に
襲い掛かる戦略だったのだろうか?
421人間七七四年:2008/08/11(月) 21:42:30 ID:sDZLiaUs
>>212
物凄く今更だが…
伊達が長宗我部の遺臣を召し抱えたのは
大阪方の残党狩りのときに捕まえて徳川に差し出した縁から
徳川が伊達に預けて、それを召し抱えたんであって
真田のように保護したわけではない
422人間七七四年:2008/08/26(火) 14:01:02 ID:Bs+ST4bz
大坂夏の陣以降、関西(特に大阪)が関東(特に江戸=東京)に対抗心を持つようになり、
巨人対阪神のライバル関係を構築することになったという話があるが
423人間七七四年:2008/08/26(火) 14:22:17 ID:E6F4xgTV
なぜヤクルト対阪神じゃないのか
424人間七七四年:2008/08/26(火) 20:18:08 ID:ttDF3EWe
関東と関西の対立関係は、鎌倉時代からはじまっとる。
平将門まで遡ることもできる。
425人間七七四年:2008/09/11(木) 23:47:47 ID:vr9AgvD4
最強は毛利勝永だろ。
426人間七七四年:2008/09/12(金) 00:00:38 ID:hupkTq6V
なるほどね
427人間七七四年:2008/09/13(土) 03:22:46 ID:MBC3tg+d
関東が本格的に大きくなったのは鎌倉幕府からだろう
全国の兵を従える権利を持つ征夷大将軍が
いい感じに公家の影響も受けず好き勝手出来る広大な土地があった
政権確保にこれ以上好都合な土地はそうそうない

そして江戸時代になると逆転不可能なとこまで大きくなって
現在もそれが続いてる感じ
428人間七七四年:2008/10/10(金) 02:09:37 ID:QN9d0IGT
大坂の陣に参戦した武将の最年長と最年少はだれなんだろ?
429人間七七四年:2008/10/10(金) 06:33:32 ID:AdTSfeJ3

徳川家康
真田大助
430人間七七四年:2008/10/10(金) 06:43:55 ID:xpGpSdum
最年長は三好政康だろw
431人間七七四年:2009/01/30(金) 20:01:39 ID:r1Nb/eJV
>>421
でも大阪の陣で大阪方についてた坊さんを何回も断られたのにもかかわらず
自分の菩提寺の住職にまでしてるよな
ものっすごく頑強に拒んでたから実際に住職になったのは息子の代になってからだけど

伊達と真田は秀吉の朝鮮出兵で一時京都だったか?に駐屯してたとき隣どうしでかなり
意気投合してたらしいから密約とかそういうのはともかくわりと手心加えたとこは
あったのかも
432人間七七四年:2009/01/30(金) 20:33:35 ID:DRZN2RP6
ゲルニカ
433人間七七四年:2009/02/25(水) 00:30:40 ID:uCcBMEDf
ヤッターマン
「なんでやねん!大阪が首都?だコロン!」3月2日放送
一夜にして東京の街が大阪一色に染まり、ガンちゃんたちの口調まで関西弁になってしまう!
ヤッターマン基地へとタイムスリップしてきた直江兼続の情報により、この異変の原因が戦国
時代に現れたドロンボー一味のしわざであることを知ったヤッターマンは、正しい歴史を守る
ため徳川軍と豊臣軍が激突する大阪夏の陣へと向かう。果たしてヤッターマンはドロンボーを
打ち破り、日本の首都を大阪から東京に戻すことができるのか?
http://www.ytv.co.jp/yatterman/move.html
434人間七七四年:2009/03/17(火) 06:52:22 ID:MhIkFLuD
治胤
435人間七七四年:2009/03/17(火) 23:20:07 ID:FUssDaPX
なんで家康は国松を殺すのは仕方ないまでも
晒し首までしたの?

そんなに豊臣一家が憎かったの?
どうせ豊臣家は滅亡したし
さらし首にするメリットがいまいちわからんけど
436人間七七四年:2009/03/18(水) 14:17:38 ID:9Dse5UIL
>>435
かつての主筋とはいえ、大坂の陣のときは豊臣家は謀反人だから
437人間七七四年:2009/03/18(水) 18:24:04 ID:22B3g398
伊達って本当に戦で役に立たないね

後藤又兵衛に直接トドメを刺したのは伊達隊かもしれないが、実際は松平忠明と水野勝成と本多忠政が白兵戦で蹴散らして(若干一名蹴散らされてるがw)離散したこぼれた兵を遠くから遠方射撃してた程度だし、白兵戦には参加はしたが後半の落ち着いて来た時のみ

どう考えても伊達隊は後藤又兵衛を攻略出来てない
亀だが>>31みたいなめでたいのがいるし
438仙台藩百姓:2009/03/18(水) 19:23:33 ID:uckTZqOi
先鋒が蹴散らされているから片倉が仕方なく援護してやったのだお
木っ端大名は必死になってたようだけど政宗公は浪人づれなどどうでもよく
片倉の千名あまりが戦っていただけで伊達本隊はほとんど高みの見物していたに過ぎないお( ^ω^)
結局片倉が多数の首を挙げて伊達勢が活躍するような形になってしまったけど┐ (´ω`) ┌
439人間七七四年:2009/03/18(水) 19:39:40 ID:pxkfH+9p
>>435
さらしとかんと生存説が横行しちゃうから、
まぁさらしても流れるけどさらさないよりはまし
440人間七七四年:2009/03/18(水) 19:47:27 ID:22B3g398
>>438
伊達隊は伊達隊でも先鋒の別動隊であって本隊では無いんかったんだ…サンクス


でもそれだと本隊がピンピンしてるのに敵を追撃するのを要請した時『兵隊が疲労して銃弾が尽きているので…』と断ったのは変じゃない?
441人間七七四年:2009/03/18(水) 19:48:18 ID:9Dse5UIL
ドンゴリの捏造だもの
442人間七七四年:2009/03/18(水) 22:26:57 ID:AvnSg13i
ドンゴリと申したか
443人間七七四年:2009/03/19(木) 05:01:04 ID:yawH+qfc
秀頼と淀君も仮に生きて降伏になったら
やっぱ晒し首になってた?
444人間七七四年:2009/03/19(木) 06:10:44 ID:W49Zg7pa
秀頼は高野山送り戦後処理がついたら切腹
淀は出家させて空気化

ってとこじゃないかね

逃亡しなきゃ寛大な処置してくれるしょ
445人間七七四年:2009/03/19(木) 10:02:37 ID:tJQXPzcj
>>437
つーか後藤は三千弱の寡兵で朝っぱらから奥田とか松倉とかと散々戦って、奥田の首挙げてたのに
連携ミスで後続が現れないまま松平やら伊達やら圧倒的な大軍がワラワラ湧いてきて力尽きただけかと。
あの程度の兵力で朝から野戦してたら、そのうち大軍相手に潰れるのは当たり前。
そんな状況を覆せるのなんて神掛かってる(沖田畷とかの)時の島津家久とか位じゃないのかな。
伊達の功は認めるべきだが、力押しで潰しただけで、そこまでやたらと持ち上げる程の功ではないってだけ。
あそこで大局を考えずに死を選んだ後藤が、巷で持ち上げられる程の名将ではないとも思う。
豊臣方について死んだから有名になったけど、あの程度の武将黒田家や同等の家の家老には何人もいるし。
あと紀州方面とかでも似たように敗北を重ねたけど、あんな戦い方してた豊臣方が阿呆過ぎ。
446人間七七四年:2009/03/19(木) 10:24:02 ID:NsfByh/z
浪人衆は華やかに死ぬことが目的だからあれでいいんだよ
447人間七七四年:2009/03/19(木) 11:33:03 ID:TI5i7yCE
>>446
「やれるだけのことをやって散る」
覚悟の豊臣側浪人と
「参加しないと後が怖い。でもあんまり恩賞貰えそうにない
から、それなりにやろう」
な徳川方大名の意識の違いだな。
448人間七七四年:2009/03/19(木) 23:20:08 ID:aBKqtpD2
>>444
よくわからんが家康は豊臣家を死ぬほど憎んでたんだろ
秀吉の墓を荒らしてたぐらいだし

国松が晒し首までしていて、秀頼が切腹で終わらすなんて考えにくいのでは?

449人間七七四年:2009/03/19(木) 23:41:30 ID:bTvQv8lm
家康って仕事に感情持ち込むタイプじゃないと思うが...
まぁ、それとは関係無く天下人になってる人間が
無意味に民衆やら諸将に反感受けるような処理はしないだろ。

老衰した秀吉じゃあるまいし
450人間七七四年:2009/03/20(金) 00:43:41 ID:KdvVGIZI
最後まで抵抗した場合と降伏した場合とでは扱いは変わるだろ常識的に考えて
451人間七七四年:2009/03/20(金) 08:21:00 ID:S44hnK7E
>>447
浪人狩りは治安保持という面から大阪の陣が無くてもいずれは行われただろうしね
452人間七七四年:2009/03/20(金) 14:02:00 ID:LYrYOYCG
大阪の民衆はともかく
秀頼晒し首で反感を持つ徳川方の諸将っているの?
453人間七七四年:2009/03/20(金) 15:05:48 ID:OHTFFuCz
形式的でも徳川は豊臣の家臣筋。
主を晒し首にするのは非常に徳川の評判を落とす。
454人間七七四年:2009/03/20(金) 15:07:53 ID:MSA74fVx
そこで福島正則がキレなかったらいくら何でもチキン過ぎる
455人間七七四年:2009/03/20(金) 15:17:20 ID:YYtjJXCH
既に豊臣の時代は終わった。
主がどうの、とかいう意見ではむかうのなら、じゃあ織田を簒奪した秀吉に従ったこと自体どうなるという話。
456人間七七四年:2009/03/20(金) 15:48:14 ID:YYtjJXCH
方広寺の釣鐘の文字の件だって、言いがかりだと後世では思われているが
字を考えた当の坊さんが、そうでした、許してくださいと言ってるぐらいだし
幕府が禁制にしたキリシタンを領内で独自に認めたりとか、豊臣家にも落ち度は相当あったからな
457人間七七四年:2009/03/20(金) 15:56:24 ID:YYtjJXCH
説明不足だった。
清韓は家康の名を切っていれたのは意図的だったと認めたが、それは呪うためじゃなくて祝うためだった、といっている。
458人間七七四年:2009/03/20(金) 15:57:44 ID:uNsyaTxe
家康は将軍職を秀忠に譲っていて、利勝ら秀忠側近が幕府の基盤を磐石な
ものにする為に豊家を滅ぼしたかった、と思うのだが・・・・
459人間七七四年:2009/03/20(金) 15:59:52 ID:YYtjJXCH
>>458
豊臣家が従う態度みせてたら、強いて滅ぼすこともなかったんじゃ?
他にも幕府が専権事項、とした朝廷への官職斡旋も豊臣家は独自にやろうとしている。
明らかに幕府への挑戦、ととられても仕方ない。
460人間七七四年:2009/03/20(金) 16:03:44 ID:LYrYOYCG
>>458
滅ぼすとか秀頼切腹(=処刑)まではいいけど
さらし首にまでするかどうかだろ
国松はしてるわけだし

主筋の子供である国松を晒し首にするということは
相当ふみこんでいる
461人間七七四年:2009/03/20(金) 16:08:27 ID:uNsyaTxe
>>459
そう思います。
そして、少なくとも徳川には最初はら豊家滅亡は意図してなかった、と考えます。
462人間七七四年:2009/03/20(金) 16:13:58 ID:uNsyaTxe
>>460
個人的には国松の件は遣り過ぎと思いますが、二度の大坂の陣の最終成果として
豊家滅亡、大坂城を奪う事が幕府の権威維持に必要になってしまったのではないかと・・・・
463人間七七四年:2009/03/20(金) 16:33:13 ID:YYtjJXCH
秀頼の娘のほうは家康助けているしね
秀吉がやったような、女子供も含めて一族粛清、というのに比べればまだ納得いったんでしょ。
一番大きな理由は、もう幕府が磐石だったからだろうけども。
464人間七七四年:2009/03/20(金) 16:52:47 ID:HIJJo/CG
「反逆者」をさらし首にするのがおかしいとは思わないけどね。
さかのぼれば壇の浦の合戦で捕らえられた平家の総帥平宗盛は
息子ともども京の六条河原で斬首の上さらされている。
平家嫡流の生き残りである平六代も、一旦許されたが
頼朝の死後に晒し首にされた。
465人間七七四年:2009/03/20(金) 17:38:29 ID:EmeZBuOY
豊臣家を滅ぼしたかったのは家康じゃなくて秀忠のほうじゃないかと思う
家康は秀頼を救うためいろいろしているが秀忠は何もしていないし
大坂冬の陣の時も家康が和議を結ぼうとしているのに
総攻めをするように二度も強要して豊臣家を滅ぼす気満々だし
大坂の陣が起きたのは秀忠の力が家康の力を超えたから起きたんじゃないかと思う
466人間七七四年:2009/03/20(金) 19:14:17 ID:V7vxWsoJ
浪人や反幕府勢力に利用される可能性を考えれば、国松を生かしておくことはできない
467人間七七四年:2009/03/21(土) 00:49:02 ID:JrxdzUuC
当時の体制って
実質はともかくたとえ幕府を開いていたとしても、一応名目的には豊臣>>徳川だから
伊達とか仮に徳川の下についていても、一応は上司の上司って事で頂点に位置してるんだろ

いまいち家康が豊臣家を滅ぼすという対応に対して
その他の毛利とか伊達とかかつて部下だった連中がどういう感情をもってたのかがよくつかめない

秀吉が信雄を見下したのとは全然違うわけだし
468人間七七四年:2009/03/21(土) 01:17:12 ID:n04jhRkj
朝廷が徳川の方が上って認めてるししゃーないやろ

くらいの感覚じゃねかに

毛利にしても伊達にしても出自から豊臣臣下じゃねし
469人間七七四年:2009/03/21(土) 04:06:35 ID:6PYA9T9E
>>430
浪人にはあの爺さんは何って雰囲気だっただろうな、家康も引き抜いてやればよかったのに。
指揮さしてもらえたのかな、どんな最後だったか気になる。

冬の陣の功績で豊臣が毛利・後藤・真田なんかの浪人を300石で雇ったとか、そんな資料ないのか?大阪の陣・参戦のために貰った金だけで終わりとか?

和睦での浪人追い払いがあるがお前らならどう追い払うよ。
470人間七七四年:2009/03/21(土) 06:47:19 ID:I6h37o12
>>467
武士は領土を認めてくれる人を主人として仕えるわけで、
そういう意味では全国の大名にとって豊臣家はもうなんでもない存在なんだよ。
(家康・秀忠が将軍就任の際にそれぞれ全国の大名の本領を安堵している)
471人間七七四年:2009/03/21(土) 09:40:34 ID:ZuEZFE9y
>>470
現状の実権でいえば徳川幕府なんだろうが、その徳川家自体が豊臣に臣従していたわけで、何の落ち度もない主筋を滅ぼすのは、忠義を謳う武家社会に君臨する者として示しが付かないじゃないの。

それに豊臣家が全くなんでもない存在ってことでもない、江戸幕府が潰れたらその代替第一候補だし。
472人間七七四年:2009/03/21(土) 10:17:07 ID:Gd4iDMbn
>>471
主筋としての運営能力を喪失した時点で、主従関係は喪失したものと見なされる
上下がお互いの役目を果たしてこそ関係は成り立つ
473人間七七四年:2009/03/21(土) 10:36:10 ID:ZuEZFE9y
>>471
太閤遺言によれば家康政権はあくまで秀頼成人まで預けるって話だったんだが。
それでも徳川家に政権を完全譲渡するというのなら、それなりの手続きが必要。
実力主義で主家を蹴落としていいのは戦国時代の地方大名くらい。
474人間七七四年:2009/03/21(土) 10:41:56 ID:ZuEZFE9y
>>472
実権を持たない主は蹴落としていい、となると武家社会維持上非常に問題があるわけで。
ある大名が無能でなにもしないのなら、家老が新たな大名に成り代わってもいいのかい?
やはり示しがつかいない。
475人間七七四年:2009/03/21(土) 11:07:15 ID:iMEXXvhX
龍造寺と鍋島はその典型じゃないの?
476人間七七四年:2009/03/21(土) 11:19:35 ID:I6h37o12
>>471
>何の落ち度もない主筋を滅ぼすのは

この前提がまず成り立たないから。
徳川は外交によって臣従を迫ったけど、豊臣家はそれを頑なに拒絶したでしょ。
責め滅ぼされても文句言えないよ。


>>474
>家老が新たな大名に成り代わってもいいのかい?

良くも悪くも、それが戦国時代だから。
武士の主従関係は「御恩と奉公」が大前提。
御恩を施してくれるから奉公するのであって(その逆も然り)、
御恩を施さない主人に忠誠を誓ったりはしない(もちろん例外はある)。
477人間七七四年:2009/03/21(土) 12:09:56 ID:JrxdzUuC
>>476
当時の状況じゃかつての臣下だった徳川家に臣従なんてありえないと思うがなぁ
478人間七七四年:2009/03/21(土) 12:15:12 ID:mXixBLIl
>>477
征夷大将軍ですよ、徳川さんち★
全ての武家の棟梁!!!

皆、徳川の家臣です。
479人間七七四年:2009/03/21(土) 12:18:34 ID:Gd4iDMbn
>>477
幕府を開き武家の頂点となった時点で、徳川家と豊臣家の主従関係は解消されたと考えても良い
480人間七七四年:2009/03/21(土) 12:46:43 ID:ZuEZFE9y
>>476
そもそも豊臣は徳川の主筋なのだから徳川に臣従しなければならない正しい義理はない。
豊臣が自主的に臣従するのなら別だが。

家康は豊臣に何かご恩を貰う立場ですか?
豊臣の筆頭大老として反対派を潰して全ての実権を握って開幕。
豊臣家の「家臣に恩を施す」権能を横取りしておきながら恩を施さないから主として認めない、とうのはただの逆切れ。
481人間七七四年:2009/03/21(土) 12:53:18 ID:+Mh613/s
>>477
臣従がありえないなら、滅ぼされるのも当然では?

つうか、秀信が豊臣の臣下に納まってたことについてはどう考えてるの?
482人間七七四年:2009/03/21(土) 12:53:21 ID:n04jhRkj
で、文句があるなら掛かって来ればいいじゃない
と言われて掛かっていたら誰も味方してくれず
滅亡しちゃったわけなんだな
483人間七七四年:2009/03/21(土) 12:53:46 ID:ZuEZFE9y
>>479
武家のヒエラレルギーならそうかもしれない。
しかし当時の大名は朝廷から位官を受任される朝臣というヒエラルギーもあった。
秀忠が将軍になった際内大臣に任官されたが、同時に秀頼はそれより上役の右大臣に任官されましたが?(まあ徳川の斡旋だろうけど)
それに豊臣、徳川のW公儀体制もありえなくもない。
484人間七七四年:2009/03/21(土) 12:55:08 ID:y6fubxSZ
>>480
それ吉法師も同じこと言い出すだろうな
485人間七七四年:2009/03/21(土) 12:57:08 ID:ZuEZFE9y
>>481
一地方政権に過ぎなかった織田家と、朝廷を背負って日本を統一し治めた豊臣家とは一緒に考えられないのでは?
486人間七七四年:2009/03/21(土) 13:10:17 ID:JrxdzUuC
そういう意味で仮に豊臣秀吉が征夷大将軍になった場合
もう徳川の天下はありえない?
誠意大将軍にもなれないし幕府も開けないし
487人間七七四年:2009/03/21(土) 13:17:00 ID:n04jhRkj
関白と豊臣の姓はセットみたいなもんだから秀吉が将軍を選択すれば
豊臣とは違う姓を名乗っていただろう

んなんで、徳川は豊臣家康として関白政権にしちまえば大丈夫
488人間七七四年:2009/03/21(土) 13:47:29 ID:Gd4iDMbn
>>483
ああ、あれは公家と武家の冠位を分離して、後者は幕府の許可が必要と言う事にして
徳川が上になってます
489人間七七四年:2009/03/21(土) 14:27:48 ID:ZuEZFE9y
>>488
豊臣は公家ですから〜って言い訳した事件なかったっけ?

490人間七七四年:2009/03/21(土) 14:45:35 ID:KFPHtXhP
朝廷からは武家扱いされているね
491人間七七四年:2009/03/21(土) 15:06:06 ID:mXixBLIl
そもそも義昭に乞うてさえ将軍職に就けなかった

恐らく(金と権勢)によって、困窮只中の朝廷から関白を豊臣の姓とともに
拝領した・・・認識しているのだが・・・
492人間七七四年:2009/03/21(土) 17:33:15 ID:kwW2H0EW
>>485
主家をないがしろにしたという点では秀吉も家康も同じ。
織田は天下統一してなくて豊臣はしたから違うというのはへりくつに過ぎない。
主家から受けた恩の深さを考えたら、家康より秀吉の方が悪辣だと言うこともできなくはない。
ないがしろにされた側の織田秀信と豊臣秀頼に違いがあるとすれば、空気が読めるかどうかだな。
493人間七七四年:2009/03/21(土) 18:08:01 ID:KFPHtXhP
「自分が立てば皆味方してくれると思っていたら、誰も味方にならないどころか逆に諌められました」
だからな、恩があるといってもみんな外様で譜代なんかじゃないし、秀頼も随分アホだよね
494人間七七四年:2009/03/21(土) 19:39:09 ID:s624Q4Ws
さらし首するしないかを決めるのは秀忠なんだから
どう考えても晒し首は免れないと思うがのう

家康なら多少の同情から切腹で終わらせたのかもしれんが
495人間七七四年:2009/03/21(土) 19:42:45 ID:s624Q4Ws
>>492
家康の場合は、秀吉が死ねばいずれはって時期が来るまで待ち続けたと思うが
秀吉の場合は、信長が殺されるなんて夢にも思わなかったと思うがなぁ
つまり天下をとる準備も決心も全くなかったはずだし
どこで自分が天下を取ると決心したのかね
496人間七七四年:2009/03/21(土) 20:33:12 ID:6PYA9T9E
>>495
家臣どもはその歳でEDなのに俺はまだ現役だと思ったときから^^
歳のわりには元気だからいつかは天下椅子取りゲームに参加できる、自分が参加できなくても子孫が出来るように基盤を着々固ようとしたら天下掴めた。
497人間七七四年:2009/03/22(日) 12:01:28 ID:7Ymum0xP
>>496
変な妄想キモいよ。
織田家が天下とった場合、秀吉引退後の羽柴家は織田家(準)一門に列する家老の座は決定事項だったんだがね。
秀吉が秀勝を養子にもらってる意味すらわかってないガキはお呼びでないよ。
498人間七七四年:2009/03/22(日) 16:36:05 ID:/IC/t0NU
>>497
そこまで辛らつな言葉を吐かんでも。
お前だって秀勝の存在が意外と大きかったことを自力で調べ上げたわけでもあるまいし。
どっちがガキなんだか。
499人間七七四年:2009/03/22(日) 23:57:43 ID:e2YCPzsY
仮に秀頼が生まれずに秀次が後を継いでいたら
徳川の天下の可能性はほとんどなかった?
それともそれでも石田と家康の対立は起こってた?
500人間七七四年:2009/03/23(月) 00:14:51 ID:MjDknXFj
>>499
秀頼が幼君だから石田が出張ったわけで、秀次健在なら
豊臣系一族もあちこちに封土を持っていたろうし、今度は
家康対秀次の争いになったかと。
この場合は秀次の器量がものを言うが、晩年の秀吉のおかげで
豊臣は大名に恨みを買ってたわけだし、どうなったことやら。
501人間七七四年:2009/03/23(月) 00:46:53 ID:EuJfWWjP
>>492
秀吉は信長信忠に忠誠誓ったが、秀信にはしてない。
ゴリオシで織田家の家督相続させただけ。
家康は秀頼に忠誠誓っていた。
502人間七七四年:2009/03/23(月) 01:13:32 ID:EuJfWWjP
秀吉、家康ともに天下を取った経緯に共通点が多いわけで。
・主君の死亡後
・最有力家臣であって、天下への野心を覚え
・反対派との決戦で寝返りにより勝利
・朝廷からVIPな官位を貰うことで主家を天下から押しのける。
503人間七七四年:2009/03/23(月) 01:29:05 ID:N7CtyAPw
>>502
家康が秀吉と違ってミスったのは豊臣家を自分の膝元に置かなかったこと
大坂城西の丸も返上してしまった
504人間七七四年:2009/03/23(月) 05:15:06 ID:NA2pwrYr
>>503
でも、そうしなければ豊臣家の大老の立場から逃げられないと思う。
505人間七七四年:2009/03/23(月) 06:08:08 ID:sCaH+b+s
>>501
なんという屁理屈。
形式上は家康も秀吉も主家に忠誠を誓い、本領安堵を受けてるよ。
本心では両者ともに誓ってないが。
506人間七七四年:2009/03/23(月) 09:24:37 ID:EuJfWWjP
>>505
まさに屁理屈。
言い残すことなく横死した信長信忠
あれこれ遺言して死去した秀吉
この差は大きい。
507人間七七四年:2009/03/23(月) 09:33:17 ID:EuJfWWjP
まあ秀吉最大の誤算は家康が長生きしたことかな。
まさか自分の死後20年近くも生きるなんてw
508人間七七四年:2009/03/23(月) 09:36:36 ID:9IHhnONt
秀頼が生まれたのが最大の誤算なんじゃね
509人間七七四年:2009/03/23(月) 09:53:53 ID:NAZT9jtK
秀吉死後の政務は家康が取り仕切るように指示したのは秀吉なんだから、早死にしてもらったら困るだろw
510人間七七四年:2009/03/23(月) 10:31:17 ID:coUsf/Am
もともと秀頼は秀吉の子種がどうか極めて怪しいし
511人間七七四年:2009/03/23(月) 11:40:10 ID:VrlLbGDP
>>510
なんであれだけ女に手をつけておいて、ほとんど子供が
生まれなかったんだろう?
512人間七七四年:2009/03/23(月) 12:18:47 ID:coUsf/Am
明らかに不義密通の子だろ
秀吉と成人した秀頼では体格が違いすぎる
まだ秀頼が普通の体格なら遺伝したことはありうると思うが、こんな大きい違いだととても劣性遺伝というとしても難しいものがある
513人間七七四年:2009/03/23(月) 12:29:59 ID:9IHhnONt
それに関しては母方浅井の遺伝子の可能性があるということで
514人間七七四年:2009/03/23(月) 13:44:58 ID:srsswf+e
側室の数に比べて子供少ないってだけで、長浜時代から秀吉の子は何人かいる。
成人したのが秀頼ってだけで。
第一、不義の子ならいくらなんでもわかるのでは?
515人間七七四年:2009/03/23(月) 18:13:17 ID:zgcbeNBw
秀吉、死ぬ時に何で家康に御家を託しちゃったのかなwww?
ボケなのか、
家康を信じたのか、
家康が最大の敵と思って絡め取ろうとしたのか?
516人間七七四年:2009/03/23(月) 19:01:49 ID:2BvkgxyU
>>506
主人が急死したら主家を乗っ取ってもいいのか、なるほど。
517人間七七四年:2009/03/23(月) 22:37:25 ID:irzVwV7z
つ鍋島
518人間七七四年:2009/03/23(月) 23:38:23 ID:P9vGxv32
ちょっと教えてほしいんだけど
山岡荘八の本を読んで
家康が死ぬ時に人生の師は信玄公、信長公、太閤そして政宗だ
って書いてたんだけど
これって本当に言ったの?
それともこんな事家康が言うなんてありえない?
519人間七七四年:2009/03/24(火) 01:11:14 ID:L6/MGzcT
>>518
その話は間違いなく山岡先生の創作だろうね。
その面子の中に政宗が入るのはありえないw

ただ、家康が「自分が天下を取れたのは武田信玄と石田三成のおかげ」って
言ったという逸話なら、確かに存在する。

520人間七七四年:2009/03/24(火) 02:31:54 ID:jj8w2umH
>>515
死亡時では利家と家康で二大筆頭大老。
521人間七七四年:2009/03/24(火) 11:29:48 ID:wDGdxdUJ
家康は秀吉に力で屈服したわけではなく、いってみれば手打ちで家臣になった豊臣政権中の別格。
潰せないなら、優遇して頼むしかない罠。
522人間七七四年:2009/03/25(水) 08:33:43 ID:4FY4VXWy
つーか、秀吉はほとんど敵対した大名を潰してないだろ。
力を示して屈服させる方針で、実際潰されたのって織田家内で覇権を争った明智、柴田と
天下取り総仕上げの北条くらいのもんだろ。あとは東北の小大名とか。
秀吉は徳川家を潰そうと思えばいつでも潰せたけど、
家康もそういう秀吉の天下取りの政策をわかってたから強気の外交に出れたんだと思われ。
家康が別格なら島津も上杉も伊達も外様はたいてい別格だわな。
523人間七七四年:2009/03/26(木) 11:53:06 ID:zC5fCdmt
違うでしょ?
島津なんかは潰されてもおかしくないところを許してもらったわけだし。
上杉・伊達も家臣の礼を力を背景に取らせた。
が、家康には自分の妹や母を室や人質に差し出して、それからようやく妥協して家臣になってもらった相手。
明らかに別格。
524人間七七四年:2009/03/26(木) 11:58:52 ID:4t+K0IKm
上杉は秀吉の敵対勢力である柴田を牽制したり家康と敵対時も信濃に侵攻したりして
全面的に協力してたから優遇されるのは当然だろう。関東でも宇都宮は改易され
里見は上総没収。島津は大幅に領土削減された。
525人間七七四年:2009/03/26(木) 12:26:14 ID:NVRx+4qg
気付いたんだけど
戦国末期(1570〜)以降の主要な合戦に
すべて参加した著名武将って全国でも藤堂高虎ただ一人だけなんだな
526人間七七四年:2009/03/28(土) 16:33:33 ID:vCoft7bE
>>523
秀吉政権で秀吉から「別格」扱いされていたのは織田信雄だけ
小牧後の家康は上田の敗戦もあって信濃での影響力ほとんど失っていたから、秀吉の和解案は渡りに船だった。
家康が凄いのは一番高く自分を売りつけられるタイミングで従属という判断をしたことと、家臣をまとめ上げたことだぞ。
527人間七七四年:2009/03/28(土) 17:40:36 ID:mWvw0uf/
>>526
一門トップの秀長と同時に官位を上げられており、外様別格の座を得ている
528人間七七四年:2009/03/28(土) 20:11:56 ID:0PZYtxD9
てことは織田信雄に人並みの才覚があったら大老筆頭格で、
関ヶ原みたいなシチュで主導権を握るはずだったのかな。格だけなら元織田閥の首領だし。
それはそれで面白そうだな。
529人間七七四年:2009/03/28(土) 20:19:20 ID:0PZYtxD9
考えてみれば、小牧長久手で家康は株を上げたけど、信雄は下げたよね。
これが後の影響力の拡大に繋がってるわけで、家康もうまくやったな。
実際は戦略的には、信雄・家康軍は池田・森の別働隊を叩いただけで
肝心の信雄の本領を散々に侵食された上に紀伊などの同盟軍も切り崩されて大敗なわけだけど
家康は信雄軍の惨敗には我関せずで、うまくおいしいところだけもっていった訳だ。
これが別の方向に行って信雄が上手くまとめてたら後々どうなったんだろうな。
530人間七七四年:2009/03/28(土) 22:02:17 ID:eegw+1UD
信雄ができることといえば、自分の座を秀信に譲ることだろww
もうこの時点では秀吉は手を出しにくいw
531人間七七四年:2009/03/30(月) 20:42:34 ID:9VW0JTFo
>>528
つーか、信雄が大人しく旧家康領へ移っていれば
秀吉死後に織田が巻き返すシナリオも十分有り得たと思うんだよね。
532人間七七四年:2009/03/31(火) 02:23:03 ID:GUbDqzwS
家康は豪気なもので、地方にいっても加増されるなら上等、と考えてたからね。
「このままじゃ奥州までやられるぞ」と嘆いた家臣たちに、
「飛ばされてもさらに加増があればそれで十万の兵を養い、五万をもって上洛すればいい」と平然としていたそうだ。
533人間七七四年:2009/03/31(火) 11:17:49 ID:CfTtZR5M
>>529
それは言い過ぎだろう
信雄方の重臣木造具政・具康父子は戸木城で奮戦して蒲生氏郷の軍を撃退してるぞ
534人間七七四年:2009/04/15(水) 02:34:22 ID:aQ2kZH/H
豊臣家親衛隊の七手組って何かしたの?
535人間七七四年:2009/04/15(水) 16:11:41 ID:Tfn2PgU0
>>534
戦ってたよ。
536人間七七四年:2009/04/15(水) 16:47:18 ID:N7PIbVCe
冬の陣じゃ牢人衆の統率みたいな事をしてたみたいね。
537人間七七四年:2009/04/15(水) 21:11:43 ID:8v1gvpGz
橙武者
538人間七七四年:2009/04/18(土) 13:09:31 ID:CjE82gJS
あの人が海を渡って大坂に入城してればよかったんだよね。
立場的に総大将になったはず。
イノシシ系なので城に引篭もってないで京は占領してその後面白い展開になったろうね。
539人間七七四年:2009/05/16(土) 06:58:10 ID:T8TXe9EG
豊臣はなんであんなに金があったの?
540人間七七四年:2009/05/16(土) 07:07:55 ID:GCYunrSu
>>539
金山銀山の直轄支配
堺・博多等を窓口とした海外貿易
全国の蔵入地からの年貢収入
541人間七七四年:2009/05/16(土) 09:53:43 ID:LrzJ8vOo
つーか、金があったとも言い切れんなあ。
大阪冬の陣の講和後、牢人への手切れ金すらまともに払えず、そのため牢人が出て行かない
ハメになってるし。
542人間七七四年:2009/05/16(土) 14:06:38 ID:Kl8sV3td
家康の口車に乗せられて相当使ってしまったから。
543人間七七四年:2009/05/16(土) 14:11:37 ID:flWH6zy+
10万人って、軍役基準だと500万石相当だからなあ。
そんなに人を雇ってりゃ早々に破綻するわな。
544人間七七四年:2009/05/16(土) 14:52:08 ID:GszkdwEX
しかし家康は不思議だ
本当に滅ぼす気があったのか?なかったのか?よくよからないなぁ
545人間七七四年:2009/05/16(土) 16:19:19 ID:Kl8sV3td
豊臣家がいち大名に落ち着いて徳川家と良好な関係を保とうするなら残すつもりだった気がするが。
理由としては、関ケ原から豊臣家滅亡まで十五年かかっている。これは、最初から秀頼を滅ぼそうとは思っていないだろう。
546人間七七四年:2009/05/16(土) 16:34:55 ID:LrzJ8vOo
大阪の陣は結局、武士の朝廷への叙任権を幕府の独占という事にしたのに、
それにも拘らず豊臣家が自分のところの家臣を、独自に叙任させた事が一番大きいのだろうね。
幕府秩序の外に存在しようとした。
547人間七七四年:2009/05/16(土) 17:34:27 ID:Gh/AVivL
頼朝が自分の意向に逆らって直接朝廷から官位をもらった義経を滅ぼしたのと
似たような感じか。
548人間七七四年:2009/05/16(土) 18:14:38 ID:LrzJ8vOo
>>547
まあそう言うこと。しかも例の鐘銘騒ぎの真っ最中に。
これが幕府への挑発じゃなけりゃ何が挑発だ、ってくらいの出来事。
549人間七七四年:2009/05/17(日) 00:33:26 ID:5B4mYvbK
>>541
略奪された後の焼け跡の大坂城からさらに莫大な金銀が出てきたそうな。
浪人を解雇する金がない、というのは金を無心する浪人か幕府への言い訳と思われ。
まあ浪人も金をもらったら大坂を出て行く確証なんてないし。
当時屈指の都会を出て行くなんて非現実的。


>>545
秀吉が織田家(秀信)を穏便に天下人から降りてもらったように、
家康も飴と鞭を使い秀頼を穏便に天下人から降りてもらおうとしてたと思う。
飴 千との婚姻、右大臣就任斡旋、諸大名に大坂に挨拶するよう命令
鞭 関白は藤原家に戻す 天下普請命令 秀忠の将軍就任の祝いを命令
550人間七七四年:2009/05/17(日) 00:40:31 ID:idtIRMUM
> 略奪された後の焼け跡の大坂城からさらに莫大な金銀

それもホンマかいなって気がするんだけどねー。
大阪城の金銀ってのは、どうにも実態が見えない。
551人間七七四年:2009/05/17(日) 13:04:44 ID:ZZxONTeJ
>>549
城から出しても街に居られては意味ないし一部だけ雇うと反乱起こされると大変だ
552人間七七四年:2009/05/17(日) 19:01:38 ID:J1uJjLlc
見事に母屋を乗っ取られたわけだ
553人間七七四年:2009/05/18(月) 16:43:00 ID:YavGsdJc
冬の陣はともかく、夏の陣の前には完全に統制が取れていなかったものなぁ。
554人間七七四年:2009/05/18(月) 22:16:44 ID:cZdoLPY6
>>551
大坂の町=大坂城総構えじゃなかったっけ?
555人間七七四年:2009/05/18(月) 22:29:05 ID:2HMoPX05
街は外にも広がっていたはず
556人間七七四年:2009/08/31(月) 20:44:57 ID:SB0hntws
街はわやになったのだろうが町人たちはわやになるまで家に居たのかな?
557人間七七四年:2009/08/31(月) 20:58:46 ID:HK4aalzW
>>556
給金に引かれて軍役仕事をするため残ってた町人は結構いたらしい。
558人間七七四年:2009/10/08(木) 07:14:55 ID:Q43zSQVW
過疎り過ぎ
559人間七七四年:2009/10/09(金) 13:48:07 ID:X6AGEcPY
だね
560人間七七四年:2009/10/16(金) 00:57:21 ID:sxw4bU5J
戦国自衛隊大坂の陣〜なんて映画化しないかな
自衛隊が真田幸村と仲良くなって一緒に徳川幕府と戦うの
自衛隊の活躍で真田幸村は家康本陣に突撃出来るが自衛隊も一応に全滅。

やがて自衛隊は不思議な忍術、火を噴く鳥(ヘリ)、火を噴く箱(戦車)を
操る真田十勇士として後世まで語り継がれます。

川中島や関が原と来たら大坂の陣があっても面白いと思うな。
561人間七七四年:2009/10/16(金) 01:10:22 ID:lfThVbzo
淀が家康の本陣に単騎突撃した映画はあったな>大阪の陣
562人間七七四年:2009/10/16(金) 02:27:28 ID:sxw4bU5J
戦国自衛隊には必ず仲間割れが起こるから、秀頼や淀の方に情を持った自衛隊側と
歴史は歴史、変わる事を許さない自衛隊との間で分裂を起こします。

過去の戦国自衛隊では最初のは信玄が打たれたり、次は信長だったり、その次は三成だったり
して次は家康でも面白いかも。

大坂の陣での家康の死で秀忠は徳川家の面目を保つため大坂府の南宗寺に極秘で埋葬して翌年
家康が亡くなるまで影武者を立てる事を考えたりします。

まあ、映画ならではの物語だけど。
563人間七七四年:2009/10/16(金) 21:07:37 ID:siSi1hRZ
映画化しても毛利勝永は無視されちゃうんだろうなあ・・・
564人間七七四年:2009/10/26(月) 20:56:27 ID:boBg6/Bh
映画化したら毛利勝永は室伏兄貴で
あの隆々たる筋肉で乗馬姿とか・・・たまらん!
565人間七七四年:2009/10/26(月) 23:31:49 ID:JHe8fDU4
変態乙
566人間七七四年:2009/10/27(火) 09:54:48 ID:DAYADH8G
後藤基次は中村獅童でお願いしまつ
567人間七七四年:2009/10/27(火) 11:23:52 ID:LtVLiatj
宇喜多秀家がついに泳いでくるんですね、わかり(ry
568人間七七四年:2009/10/27(火) 11:30:27 ID:DIEsKnJ+

民主党は、財源が少ないくせに、
外国人優遇はそのままにしておく事が問題。
例えば、「高校無償化」は朝鮮学校も対象になるし、
外国人留学生に対し
1人当たり1年間に220万円の補助をしている等・・・
国民よりも外国人にお気遣いの民主党。
日本国民にとって百害あって一利無しである
外国人参政権をも認めようとする(これに関しては、公明党・共産党・社民党も)等、
民主党に任せておいたら
間違った方向に進みそうで怖い。

(因みに、「署名TV」の政治・政策カテゴリーで、
外国人参政権を阻止する署名活動展開中)

http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1249178084/
在日チョンは無税ってホント?

http://peachy.a-auc.net/korea/korea3.html
金の話以外にも様々な制度が在日を優遇

569人間七七四年:2009/10/27(火) 22:32:51 ID:tyIEaNPx
>>560ー562
漫画の戦国自衛隊では、西軍には自衛隊と自衛隊の装備で訓練した戦国兵が真田丸に詰めて、
東軍には揚襲艦「エセックス」擁する米軍が味方する。

確か狙撃銃で家康を狙撃成功するが、米軍ハリアーに痛め付けられて、最後はエセックスに服部半蔵らと自衛隊員が突入しエセックス爆破に成功するが自衛隊員も壊滅。

米軍は日本の乗っ取りを考えて東軍をも銃砲撃していたので、米軍も戦国武将達の人海戦術で全滅。

うろ覚えだがこんな感じ
570人間七七四年:2009/10/29(木) 09:18:37 ID:Mx0Om/Ik
>>541
払ったら出て行く保証もないね・・・
もらった金で大坂で遊ぶのでは?
571人間七七四年:2009/11/17(火) 11:42:15 ID:vPYu67/D
男気を取り戻した、秀頼が淀殿を追放して徹底抗戦するっていうifストーリの小説が読みたい
572人間七七四年:2009/11/17(火) 15:50:21 ID:2CXzq1MA
秀頼周辺の主戦派が、和平派の淀周辺を押し切って戦端を開いたのが大阪の陣なんだが。
夏の陣はそれこそ抗戦派が大阪を乗っ取ったようなもの。
573人間七七四年:2009/11/17(火) 23:23:48 ID:yrk+WJVG
>>572
未だに秀頼は何も出来ず、淀の方が喚き散らし、大野治長あたりが
真田幸村たちの足を引っ張る、という構図で語られることが多いからなあ。
574人間七七四年:2009/11/18(水) 01:55:26 ID:FE+WyjWu
むしろ何も出来なかったのは淀殿だわな。
冬の陣は物資が底を尽いた事もあって何とか和平に持っていけたけど、
どうにか大阪城を統率していた大野治長が襲撃されると、後はもう
主戦派と牢人の思うがままにされた。

秀頼が戦場に出なかったのって、淀が拒否したなんていうけど、実際は単純に、
秀頼自身が、戦場に出るのが怖かっただけだろうな。
575人間七七四年:2009/11/18(水) 10:04:11 ID:ySq7pNEQ
最後まで助命嘆願していたから余計出れなかったんじゃないの。
576人間七七四年:2009/11/21(土) 00:44:30 ID:NYVD2vOS
>>574
戦場に出たところで最高の大将首が出てきたってだけになるしな
だからこそ冬の陣で籠城戦を続けなかった事が大変悔やまれる
577人間七七四年:2009/11/21(土) 01:00:27 ID:wRuCMhhg
>>576
冬の陣は火薬弾薬がもう尽きかけてたらしい。あの時代既に、火器の支援無しで合戦なんて
不可能なんだから、講和するのも仕方ないだろう。
578人間七七四年:2009/11/21(土) 01:08:29 ID:ZFdY0YVZ
援軍の望みがあってこその籠城であったが
その援軍となるような者の望みがはっきり絶たれ
しかも城の堀まで埋めちゃってまた戦だからな
夏の陣はもう破れかぶれな戦だな
579人間七七四年:2009/11/21(土) 23:17:16 ID:53rPTGK8
同じ10万でも7万の篭城軍と3万の援軍なら全然違ったな
ありえない仮定ではあるが
大阪城なら東軍の3分の1で持久戦にはもっていける
580人間七七四年:2009/11/22(日) 14:13:44 ID:G5Oi7usH
今山の戦いという篭城軍が援軍の見込みもなく勝利した戦いがある
大阪冬の陣で豊臣が勝利することはやはり可能だろう
581人間七七四年:2009/11/22(日) 14:55:39 ID:FBteMuNO
相手が油断していればね
残念ながら幕府軍の総大将は油断という言葉が最も合わない人物
582人間七七四年:2009/11/22(日) 15:03:13 ID:G5Oi7usH
>>581
それでもその総大将が死ぬ可能性は常にあったぞ
大阪城と豊臣軍10万が健在なら秀忠総大将なら豊臣有利の講和になったはず
583人間七七四年:2009/11/22(日) 15:15:39 ID:FBteMuNO
そりゃ総大将が死ぬ可能性はどんな時にもあるでしょうな
584人間七七四年:2009/11/22(日) 15:18:55 ID:p3PkMTPF
秀頼がぽっくり逝く可能性も高いよな
585人間七七四年:2009/11/22(日) 15:33:10 ID:G5Oi7usH
家康は70歳という高齢というところにこの話の現実味があるんだよ
事実1年後には病死しているわけだし。
豊臣有利の講和となっても徳川幕府の勢力圏が鎌倉幕府程度になるだけだろうが
586人間七七四年:2009/11/22(日) 15:38:09 ID:p3PkMTPF
何をどうすれば豊臣優位の講和なんて物に現実性を感じるのかがわからない。
家康が死んだところで、既に組織としての幕府は機能している。
むしろ名実共に最高権力者となった秀忠への忠誠合戦で、豊臣に対して
さらに激しい攻撃を仕掛ける可能性も高いだろう。
587人間七七四年:2009/11/22(日) 15:44:29 ID:G5Oi7usH
>>586
秀忠が20万程度の軍勢で大阪城10万を力攻めしていたら返り討ちにあう
だけだろうな。秀忠はその程度の軍略しかない人間だよ
政治家としては相当才能があるとは思うが軍事は並以下
588人間七七四年:2009/11/22(日) 15:48:03 ID:p3PkMTPF
ただの希望的観測じゃん。
そういうのをIFの上にIFを重ねる議論と言う。
589人間七七四年:2009/11/22(日) 15:57:33 ID:G5Oi7usH
できたばかりの幕府で組織としては室町幕府程度かもしれんよ
島原の乱も後に起きているし
希望的観測でもなんでもない。大半の大名は家康個人を怖れて
従っているだけだから
590人間七七四年:2009/11/22(日) 20:31:16 ID:JoI6Urkq
>>585当時は74
591人間七七四年:2009/11/23(月) 21:26:18 ID:QnB6Nb0u
家康が豊臣家滅亡まで生き延びたのが全てだった
狸がさっさと死んでいれば日本は慢性的な戦乱状態が続いただろう
592人間七七四年:2009/11/24(火) 07:37:05 ID:TrGWBhDu
関ヶ原の頃ならともかく大阪の陣の頃じゃそれは無い
593人間七七四年:2009/11/24(火) 23:07:30 ID:6RyH9uMc
>>592
鎌倉幕府と室町幕府の中間のような勢力の幕府が全国をまとめきれず
騒乱が10年に一度の単位で起きるような世界になっただろう
島原の乱のような騒乱が慢性的に続き、和解したはずの豊臣家も
それに乗ずる機会をうかがう世界
594人間七七四年:2009/11/24(火) 23:12:30 ID:mpINyi4b
大阪の陣の前の段階で、豊臣家すら江戸の法体系に組み入れられてる。
それについて、昔から大阪に住んでいた老人が『全て関東風になってしまった』と嘆いた、
って記録が残ってる。

大阪の陣の豊臣家は既に、気持ちの上ではともかく実態としてはもはや、
一諸侯でしかなかった。
595人間七七四年:2009/11/25(水) 08:41:42 ID:92D/Zrwp
家康が死んだだけじゃ無理
秀忠も一緒に死ぬならまた違うが

既に動き出し継承も済んでしまってるし
596人間七七四年:2009/11/25(水) 16:47:44 ID:zFHrm28Z
もうちょい長生きしてればって有力大名が多い中、戦死謀殺病死する事なく
やり遂げて死んだのが家康の凄いとこなんでねぇの
有名な大名は滑稽なくらい用心深いエピソードが残ってるの多いし、松平は
詳細不明な早死に家系だったから絶対死なねぇって根性努力が他より抜き
ん出てたんじゃないの
597人間七七四年:2009/11/25(水) 22:55:29 ID:0qn8iDGB
>>595
秀忠が一緒に死なないと意味がないのが大阪夏の陣
冬の陣の段階なら家康死後なら動揺する幕府を総攻撃で鎮めようとして
大阪城10万を落とせず手痛い反撃を食らって豊臣有利に和睦
その過程で伊達や毛利の不戦が起こる
江戸幕府の勢力は関東から中部にとどまり西日本や伊達のいる東北は
不穏な情勢に
598人間七七四年:2009/11/26(木) 08:28:32 ID:p0lxeASN
冬の陣でも家康だけじゃ何も変わらない
必ず力攻めに走るとは限らないし本当に力攻めされて耐えきれるという保証も無い
599人間七七四年:2009/11/27(金) 01:17:46 ID:6Jqr/97A
冬の陣で家康を討ち取る事自体不可能に近い訳だが・・・

病死なら史実とたいして変わらず進むだけ
わざわざ力攻めに走る必要は無い家康の病死で幕府が揺らぐなんて事は史実でも無かった訳で
まぁ大阪攻めが一時中止になる事はあるかもしれないが
600人間七七四年:2009/11/27(金) 03:41:35 ID:IiICFUvM
IF話はどうせ堂々巡りになるだけだからもういい加減いいんじゃないか?
601人間七七四年:2009/11/28(土) 09:23:12 ID:LKdT8wdB
本物の家康は関が原で死んでたんだがな
602人間七七四年:2009/12/17(木) 11:30:31 ID:bndA3+6H
120万石復帰条件を出せば毛利あたりは豊臣方に入れるコトができたはず。
真田兄も弟が説得させればよかった。
603人間七七四年:2009/12/17(木) 11:31:53 ID:bndA3+6H
ってか大坂の陣で何で秀頼は福島正則に援軍頼まなかったんだ?
前田、島津はともかく伊達って・・・
604人間七七四年:2009/12/19(土) 05:46:19 ID:rUPvqI0V
福島は最後の手切れに兵糧渡したんだからもう十分豊臣のためにしてやっただろ
かつての家臣たちはもうみんなとっくにそれぞれの新しい道を歩んでいるんだから
邪魔をするな
ただ以前主だったというだけで
昔のことをいつまでもいつまでも恩着せがましく
自分の我侭にお前も付き合って戦えとかアホにもほどがある
図々しいんだよ豊臣は
根こそぎ滅びて当然
日本の疫病神
605人間七七四年:2009/12/19(土) 08:48:25 ID:+uC+MxIl
>>602
ほとんど空手形同然の約束されたって動くわきゃねぇだろ・・・

信之が何の為に関ヶ原で東軍に付いたと思ってんだ?わざわざ成算の無い賭けに乗って家を潰す訳無いだろ
606人間七七四年:2009/12/26(土) 20:41:03 ID:vx2EV2jQ
愛のために・・・
607人間七七四年
>>606

愛の為だったらダメだろ
奥さん平八っつぁんの娘じゃないか