今川義元が桶狭間で死んでいたら?

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1名無し議論スレにて投票方法審議中
信長が討ち死にせずに逆に義元を討ち取ってたら、
その後どうなったのか全く予想つかんよな。

義元の本来の目的も分からなくなって、
今頃2ちゃんでは「上洛目的だ」「いや尾張制覇が目的だ」とか、
どっちも間違ってる同士で無益に言い争ってたりしてね
2名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 15:11:41 ID:nkNFYY5d

          ゚v゚
        /⌒ヽ
        ( ^ω^)     ブンブンブーーーン
    〃 (⌒0",,''',,゙0⌒) ヾ
      (_#(≡≡)#_) ←義元
        (ノ(ノ
3名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 15:31:18 ID:TXHRBif6
( ´゚ω゚` )
4名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 15:33:56 ID:Q6VfF6kf
二番煎じどころか三番煎じだからなあ、この手のスレ
5名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 15:45:26 ID:h6l56Tzc
それだけ東軍スレの神っぷりが凄かったということよ。あのスレが板の歴史に残る神スレのは間違いない
6名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 16:20:22 ID:8qzuzZK1
こちらに移動の上、このスレは削除依頼を出してください。
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1169979531/
7名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 18:19:43 ID:8fk1WWO4
IF小説に今川義元が昼飯食べてる所を信長が奇襲攻撃して
討ち取って一気に日本を統一するってのがあったけど大笑いして読んだなあ
常識で考えれば織田は清洲城に篭城するしか手は無いでしょ

とろででフィギュアスケートの今川って選手、今川義元の子孫なんだってね
8名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 18:28:03 ID:TIvm4I3d
司馬遼太郎の国盗り物語なw
司馬って1867年に高知の田舎者が薩長連合を成立させて
幕府を倒すとか、バカな話ばっかり書いてるよな
9名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 18:28:42 ID:Q6VfF6kf
チラと考えたんだが、
東軍スレが成功したのはその後の天下を読みやすいというのも一因だろうな
10名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 18:37:30 ID:TIvm4I3d
1よ、今川義元公による日本史を教えてくれ
11名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 14:12:24 ID:HeTSUW4F
織田?ボコボコにしてやんよ
12名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 15:34:24 ID:p7AXsAng
今川義元が天才だったのは、氏真に軍事を統括させ元康に政治を統括させたからじゃないか?
普通は逆なんだけど、これがものの見事に成功した。
氏真には岡部元信がいたからあれだけの戦果を残せたんだろうけど、一週間で伊勢攻略できたのはそれだけじゃ考え付かない。
13名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 16:08:05 ID:HUzWclzP
今川御所は維新軍・アメリカ軍の二度の襲撃を受けながら幕府軍が奮闘して
430年たってもなお幕府は健在なのを見るに
腐敗の象徴室町幕府が健在だったら今頃アメリカ領になってたに違いなく鳥肌が立つ
14名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 16:12:07 ID:+fD9C1nP
マジレスすると義元は桶狭間で織田信長に討ち取られてるよ
15名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 16:15:04 ID:GitZ2f7k
ヨシヤボの信長の能力が低すぎ
智謀はせめて80台はあるだろ
16名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 17:34:48 ID:iwiK9Wph
「義元の野望」やってんだけど
漏れは織田信忠でプレイして信長が桶狭間で死んだ無念をはらす
シチュエーションが萌え。
ただ信忠が登場するシナリオは義元の寿命間近なんで 
氏真に代替わりしたら萎えるんだよなぁ orz
17名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 18:19:39 ID:949bO6EZ
マジレスすると義元は桶狭間で織田信長に討ち取られてるよ
18名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 19:50:09 ID:CY6TDonh
>>17
氏真「それなんてバーボン?」
19名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 21:07:11 ID:IwGQu/IE
>>17義元は桶狭間で織田信長に討ち取られてるってwww
んなわけないw
そんなアホネタにつられるわけねーだろ
と釣られてみる
20名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 00:31:09 ID:KTALbAPv
最近の小学生はPartスレ好きだな
21名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 00:33:36 ID:TnnZujR0
>>19
誰が天下とったんだっけ?
どういう過程だったかもkwsk
22名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 02:35:15 ID:UBOv91K2
よしヤボって1580〜の松平家康と岡部元信と朝比奈泰朝が独立するシナリオおもろいよな
23名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 09:21:22 ID:467vJ6vE
新撰組を叩き潰せなかったのがいたいよな。あれで、御所が滅亡。
24名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 11:45:27 ID:MZG2LBiv
>>23
あそこで新撰組叩き潰されてたら初代総理大臣は近藤勇じゃなく、誰になってたんだ?
25名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 12:52:22 ID:467vJ6vE
>>24
総理大臣なんていないでしょ。あえていえば今川氏慶
26名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 14:51:33 ID:FBOMezdr
斉藤道三が「我が子らは、みんなあの男の門前に馬をつなぐことになるだろう」って言ったけど
その後の今川2万5千に2千で突撃して当然撃退された後は
「やっぱり見込み違いじゃった」って言って息子の義龍に家督を譲っちゃうんだよね

ただ、今川義元は桶狭間で討ち取られていて、その後は影武者が…っていう珍説も根強いな

IF歴史物だと襲撃時に大雨が降った為に多くの部隊が襲撃に気がつかなかったってあるけど無理やりすぎ。
27名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 16:33:25 ID:WxnpgRAv
おもしろいと思ってやってるお前らに脱帽
28名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 16:41:56 ID:4BsS1meV
>>27
ここは初めてか?力抜けよ
29名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 16:48:41 ID:WxnpgRAv
>>28
ちくしょう、煽りに来たのに笑わせられたじゃねーか
30名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 18:42:26 ID:j5D7UMoW
朝倉のおじいちゃんも道三も信長を過大評価しすぎなんだよ
まぁ義元氏真親子じゃ相手がわるいわな
31名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 19:09:23 ID:6wABFieB
今川軍の特徴といえば、騎馬軍団と大砲だけど、大砲隊を率いた今川氏信の過小評価は異常
32名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 19:23:53 ID:QotEykVn
まだ騎馬軍団だの大砲隊だの義元記の記述を信じてる奴がいるのか
ちゃんと義元公記も読めよ
33名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 21:26:11 ID:AiDO+xj5
桶狭間で信長が死んだから有名にならないけど織田家の家臣って
結構面白そうなのが多いんだよな。
特に柴田、佐久間、丹羽、佐々、前田とかの部将クラスの人間。
織田信長の尾張統一戦で割りと戦果残してるんだよね。
結局1560年にみんな戦死しちゃってるけど
34名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 22:24:20 ID:N45kNcs8
あそこで討ち取られてたら今頃は静岡都じゃなくて愛知都だったのか
ちょww考えられん
35名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 22:27:06 ID:4BsS1meV
>>29
布団を敷こう。な!
36名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 23:39:23 ID:d3CRHjA+
「そうか…晴信が追従の願いに来たでおじゃるか。氏康あないしてたもれ」
37名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 23:57:10 ID:JIBAhXWv
>>26
桶狭間以前の時系列は守れよ
38名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 00:06:51 ID:p/4DqVr1
信長って…
なんか蟻みたいな兵力で、初代将軍義元の大軍勢に突っ込んで死んだアレ?
あんなマイナー武将、言われるまで名前も出てこなかった。
お前ら詳しすぎw
39名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 00:31:25 ID:aQL29ulv
一部にやたら持ち上げたがる奴らがいるからな
たしかに今まで言われてきたような単なる猪武者で無かった事は事実だが
だからといって「天下を取る器だった」とかほざいてる輩にはあきれる
40名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 01:32:05 ID:tdeB6hQG
>>39
でも実際、元康や義信なら最終的に天下を取れたという専門家や作家が多いくらいだから、信長がそういわれててもそれほどおかしくはないんじゃないかな
41名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 02:25:32 ID:rufpAtV/
信長って背中にちんぽの絵描いた着物着てた奴だろ
もし信長幕府ができてたら楽しそうだな
42名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 02:40:51 ID:zh1HqPu8
>>1
今ほどプロ蹴鞠がメジャーにならなかったかも
43名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 12:14:47 ID:E3iabRXH
あの時代に蹴鞠が庶民から武士まで普及するもんな
氏真は偉大だよ
44名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 21:24:05 ID:bWFTAZjM
おいおい義元がなったのは
将軍じゃなくて関白でしょ
45名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 21:36:09 ID:pvyinmGR
なんであんなに、岡部と朝比奈は仲が悪くなったの?岡部がけまりが上手くなくて、朝比奈がそれを笑ったからって説があるけど・・。
46名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 01:39:56 ID:IkJtPJRJ
よく資料として引き合いに出される『義元公記』って、どうやって読むんですか?
ぼくは「よしもとこうき」と発音しているのですが
47名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 07:33:19 ID:1SuKb2aK
>>46
それでも良いけど、「ぎげんこうき」と私は発音している。
48名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 12:22:17 ID:tzSR3wou
>>47
それが正解。何年か前のセンター試験に出題されていた
49名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 14:30:01 ID:fVo3gjGA
氏真がひろった農民上がりの木下籐吉郎って奴、結構役にたってたらしいな。なんか奴の草履虫の話しってる?
>>49
名軍師松下之綱の使い番から足軽頭をつとめたらしい。
実名が伝わらないのが残念です。
51名無し選出投票・投票日は2/11(日):2007/02/08(木) 15:35:56 ID:aMCZ5Y5m
>>42
日本の三大国技の一つだもんな。相撲、柔道、蹴鞠
52名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 16:26:36 ID:x+TkVvTO
氏真公が武田のお家騒動を止めたのって何年だっけ?
あの時飯富兵部が氏真を庇ってなかったらと思うと末恐ろしいよな
53名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 13:35:22 ID:6ctnpBKy
重臣武田の御家騒動が長引けばさすがの今川も揺らいだ。
あの時の氏真公の迅速な対応は今でも世界の指導者の手本になってるね
54名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 14:46:15 ID:Z/AO3SOo
サッカー好きのおいらとしては、
今川が天下とらなかったら2002年のW杯で
日本は優勝できなかったと思うよ・・・本当に感謝、感謝
55名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 15:01:26 ID:d0BshQeI
なにこの白々しいやり取り
56名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 19:46:03 ID:6ctnpBKy
>>54
蹴鞠の基本があったからトルシエジャパンは個人技が優れていると
評価されたんだね。
57名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 19:49:30 ID:XTZ2mPqX
>>56
え?ワールド蹴鞠の事を言ってるのかい?
国技だってのに今じゃドイツとかブラジルに押されてカナシス
58名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 19:58:40 ID:S0U/TPM1
>>57
最近の蹴鞠は「急に鞠が来たので」とかとぼけたこと言う選手もいるしな
もっと歴史を勉強すればそんなこと言えないのに。氏真公の爪の垢を煎じて飲めばいいと思う
59名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 20:46:32 ID:XTZ2mPqX
>>58
高校蹴鞠も勢力変化が著しいね
まさか国見高校の蹴鞠部があんなに早く敗退するなんて

下鴨神社の砂を袋に詰める姿が悲しかったよ
60名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 21:18:58 ID:kDdoaC+u
日韓wの時みたく、いびつボールを硬式球にしないとだめだね
あと代表メンバーより清水エスパルスのほうが強いというネジレ
61名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 13:48:33 ID:RnyGCfsm
>>1
当然松永久秀に盗まれた、三種の神器を義元公が
取り戻すこともないから天皇家はどうなっていたか分からない
62名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 16:15:50 ID:qdmrQoqa
>>61
松永といえば、その能力を買っていたとはいえ、氏真公もよく二度も許したよな。
あれってやっぱり松平配下の伊賀者で松永の謀叛の規模を完全に把握していたからなのかな。
三度目の時の対応の速さから言っても、松永が起つか起たないかという時に既に河内から兵を送り込んだのは流石としか。
63名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 16:40:04 ID:5w7gjfxE
そもそも信長が義元に勝てる確率なんて
ゼロに等しいじゃん
千歩ゆずって戦に勝つもしくは
義元を討ったとしても
氏真の第二陣にやられるのがオチ
もぅ糞スレたてるなとしかいいようがない
64名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 23:31:58 ID:zWFt1EkK
なにいってるんだよ、義元が丘の上に陣取って他の部隊から離れていた時に
真昼間というところをあえて意表をついて突撃すれば
雨が降って気取られる事なく接近できておまけに今川の陣営も乱れて
そこを突き崩して捨てられた塗輿を見て「旗本はこれだ」って気づいて
300人くらいで固まって逃げている今川義元の本隊を追撃し続けて
最後には討ち取れるんだよ。
そうすれば今川は屋台骨が揺らいで、松平も自立して統制力が落ちて
そこを武田とかに攻撃されて滅びるんだよ・・・。

65名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 23:47:16 ID:zWFt1EkK
自分で書いてて随分無理があるな、と思ったよ。
でも信長が勝つにはこれくらい無理しないとできないんだよ!
信長好きの妄言と笑ってくれい!
66名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 00:02:30 ID:ufhrmnTa
>>65
万が一その攻撃が成功しても武田とかに滅ぼされるは流石にねーわwww
67名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 00:03:31 ID:AAdIM9To
妄想興津・・・じゃなくて妄想乙
68名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 00:48:36 ID:I1FKKsSy
>>66
同意、武田ごときが氏真公に勝てるわけない
69名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 01:53:40 ID:RtKAknt0
そんなことないさ、信玄は1560年までは村上に負けてたり長野の箕輪城を
攻めて撃退されたりしてるけど、義元が死んだ場合、1561年には上杉と
川中島で戦国時代稀に見る大激戦を展開して北信濃を制圧し、
箕輪城を攻略して西上野を制圧し、義元なき後の今川を攻めて前から調略してあった
今川家臣達が次々と戦線離脱して各地の城も次々と落として一ヶ月余りで駿府を制圧して
急遽手を結んだ北条・上杉の前に一旦は駿河から退くものの、上杉を外部勢力を動かして
封じ込め、北条を各地で次々と撃破して牽制し、駿河を再び攻めて占領し、北条との同盟も
復活させて、義元亡き後勢力を西に勢力を広げていった織田信長と松平改め徳川家康の同盟に
対して西上の軍を起こして三方ヶ原でこれを撃破するも、進軍途中で病死して
後世に天下取りもあり得た戦国屈指の名将として称えられるんだよ・・・きっと。
70名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/12(月) 03:39:36 ID:hA1FmHnC
なるほど発想はいいと思うけど
外様とはいえなにげに松平家は優遇されてるし
徳川家康なんてダサイ名前で独立なんかしないよ

かりに元康が時勢を読めないバカで独立しても
武田が簡単に三国同盟を破るとは思えないなぁ
義信もいることだし


今川家が滅亡する確率より
俺が夏川純とセークスする確率のほうが高いよ
71人間七七四年:2007/02/12(月) 10:11:53 ID:xPLv/cGG
このスレは変…
信長は討ち死にしてない!討ち死には義元のほう!
見てると哀しくなってくる…
72人間七七四年:2007/02/12(月) 10:59:50 ID:+kAOhfTi
>>71
お前ここ初めてか?力抜けよ
73人間七七四年:2007/02/12(月) 11:11:48 ID:8OpVYqQP
>>71
たとえそうだったとしても織田信長は信包には勝てなかったよ。
まあ信長が勝ってれば斉藤も攻めては来なかったかもしれないけど。
74人間七七四年:2007/02/12(月) 17:40:48 ID:SV5sIXTS
>>71
汚い尻じゃのう
75人間七七四年:2007/02/12(月) 18:10:03 ID:51FGkyI+
>>71
ぶよぶよに太って汚い尻じゃのう。馬にも乗れんのじゃろうて
76人間七七四年:2007/02/12(月) 22:42:02 ID:oyPoHcKu
あの墨俣合戦の義元公の戦術には誰もが舌を巻いた。
竹中半兵衛が師事を乞うたが、病を治すことを考えて
やんわり断ったらしい。ま、有名な話だけどね。
77人間七七四年:2007/02/13(火) 11:12:37 ID:uB0Vsz11
佐久間大学が丸根砦から脱出した後、那古野城に拠って果敢に抵抗して
義元に、敵ながら天晴れと認められたんだな。
那古野城を明け渡す交換条件として信長の首級返還を申し出て、度肝を抜いた。
半年後に織田家そのものがとうとう今川家に降伏したけど、
外様陪臣から今川直属に引き抜かれた佐久間氏が、元主筋の織田氏より発展したのは、
あの敗戦での意表を突いた行動が高く評価されたからなのかな。
78人間七七四年:2007/02/13(火) 18:50:56 ID:KaxyqgeQ
>>68
いくら氏真が防衛の天才でも飯富昌景、諏訪勝頼といった名将を擁する武田軍団を倒せることやら
79人間七七四年:2007/02/13(火) 19:54:32 ID:E4I0AmFV
>>78
三郎兵衛や勝頼は氏真の下だったからこそ実力を発揮できた。
信玄の配下では一見凄い戦術家、猛将として名を馳せても、どこか危なさを感じる。
むしろ氏真が信玄に劣っている点は、内藤修理や原隼人みたいな人間の使い方だろう。
とはいっても氏真はもっと違うやり方で戦を進めたのだから仕方ないか。
80人間七七四年:2007/02/13(火) 22:59:30 ID:9TUhHeiN
「義元の野望」で織田信長でつかって頑張ろうと思うんだけど、しょっぱなから即義元に攻められるんだけどどうすればイイかな?やっぱ統率59じゃムリだわ笑
81人間七七四年:2007/02/13(火) 23:08:44 ID:hv46/1wv
鉄砲補正は信長についてなかったっけ?
82人間七七四年:2007/02/14(水) 01:38:41 ID:iGSBasL2
>>80
オレはいつも3回くらいクリアした後は
六角とか織田とかのどうしようもない国で始めるよ。
でも織田はさすがにきつい。周りが今川武田斉藤浅井といった強国だもん。
統率59、知能12じゃどうしろっての。ウツケ過ぎる。
83人間七七四年:2007/02/14(水) 03:09:37 ID:o6w0xcfj
知能てwww
84人間七七四年:2007/02/14(水) 07:59:05 ID:9WFpfLgW
一応若くして尾張半分を切り取った男だからなあ
知力はもっと高くていいと思うんだがなあ
85人間七七四年:2007/02/14(水) 12:54:36 ID:7pchImws
弟の謀殺、清洲城の奪取振りを考えると尾張の松永久秀って感じ。
そうそう、その弟信行だか信勝だかの息子が津田姓で今川家に仕えていたんじゃなかったっけ?
今川義元家臣人名辞典欲しいんだけど、絶版・古書でも見当たらないんだよなあ。
あれほど家臣団の詳細を網羅した本ないんだよなあ。
86人間七七四年:2007/02/14(水) 13:11:20 ID:L7oVh7V2
>>85
高校の恩師が持っていたから見せてもらったけど、全員の読みもついてるからいいな、あれ。
87人間七七四年:2007/02/15(木) 00:41:24 ID:sCDJQFta
>>1
富士山の噴火は止まらねーわ、東海大地震は頻発するわで
日本はどうなってたか・・・
地殻変動を即座に察知して静めた駿河守はまさに駿河の神だったな
88人間七七四年:2007/02/15(木) 02:18:00 ID:sHtp1rYG
普通に駿河沈没とかありえた時代だからなぁ
被害を出すどころか逆に経済をうるおしたらしい
89人間七七四年:2007/02/15(木) 18:39:17 ID:CWWvXgOf
大河で役所広司が演じた氏真はかっこよかった
90人間七七四年:2007/02/15(木) 23:05:17 ID:gocrUvvg
>>89
題名何だっけ?
91人間七七四年:2007/02/15(木) 23:57:49 ID:KKSa3Lpx
「今川2代」じゃなかったっけ?
大河は今川のマイナーな家臣まで主役にして一年かけてやるからなあ・・・。
おかげで史実じゃ全然たいしたことない奴が大活躍してた事になっちゃうし
ちょっとやめてほしいよなあ。
92人間七七四年:2007/02/16(金) 00:00:15 ID:7loOleA3
幕府成立直後の朝鮮出兵にはヒヤヒヤさせられたけどな。
氏真公はあの早期撤退で一時「怯将」と蔑まれたけど、歴史的には
正しかった。ただ、元康の「今川名乗り事件」だけが心残り。
93人間七七四年:2007/02/16(金) 00:01:24 ID:FguntYvq
>>89
いや、やはり大河なら山岡荘八原作の『今川義元』の義元役津川雅彦だろ。
94人間七七四年:2007/02/16(金) 10:39:17 ID:ch8/7cZP
>>91
いくら悪役だからって信長役がビーバップのキクリンてのもな・・・
>>93
今度反町がやるね映画だけど。元康役が今井翼で信長がペナルティーのワッキー。
で、注目の氏真は公開オーディションだって。優勝者には賞金10億だそうだ。
95人間七七四年:2007/02/16(金) 13:17:59 ID:CzWIBUlf
お前ら目を覚ませ。
信長なんか後の創作だろが。
96人間七七四年:2007/02/16(金) 14:13:57 ID:KkJYAtH7
ところで桶狭間の信長の行動には
「正面玉砕説」「迂回玉砕説」
の二つがあるけど正しいのはどっちなんだ?
97人間七七四年:2007/02/16(金) 16:01:35 ID:ch8/7cZP
微々たる事で資料が残っていない
98人間七七四年:2007/02/16(金) 17:24:59 ID:FguntYvq
義元公記を素直に読む限りは、玉砕というより、
一戦交えようと出陣したはいいが、撤退に失敗して討死した。
こんな感じだねえ。

玉砕説は、後の小瀬甫庵が脚色したらしい。
99人間七七四年:2007/02/16(金) 21:21:50 ID:hot7BN7I
>>94
映画は1部と2部に分かれるそうだ。
1部は花倉の乱から幕府成立まで。2部は義元公が逝去するまでで
クライマックスはスペイン、ポルトガルの連合艦隊を破った、
インド沖海戦だそうだ。
100人間七七四年:2007/02/17(土) 11:23:38 ID:szrUWiGN
早くもアカデミー賞候補だな
101竜田:2007/02/17(土) 11:25:42 ID:zjapPQYp
(´Д`)
102人間七七四年:2007/02/17(土) 15:17:41 ID:m7OCP0Ra
高天神城は世界初の五角形型の城塞だしな
欧米列強が義元公に追いつくのですら200年かかったんだよな
103人間七七四年:2007/02/17(土) 15:31:44 ID:onQIZdD/
>>102
その事跡、本当は義元公は噛んでないよ。
高天神城の原型を造ったのは福島氏で、当時は三紡星に近い形だった。
福島氏が花倉の乱で没落し、勝ち組である小笠原氏に高天神城が与えられてから、
小笠原長時が拡張して五紡星に近い形になったんだよ。
発案も設計も小笠原家中で済んでいて、義元公は工事完了後に訪問しただけ。
104人間七七四年:2007/02/17(土) 15:50:57 ID:UBUsICVF
まあ、他にも義元公の「鉄砲三段撃ち」とかそういった虚説って多いよな。
これは経済力が多くて兵力も大きかったから鉄砲の数が多くて
射撃が猛烈だった事から生まれたうそだな。
105人間七七四年:2007/02/17(土) 16:17:50 ID:szrUWiGN
誰よりも鉄砲の重要性を理解していた義元公だったから
諸説が入り乱れているね。あまり知られていないがマシンガンの
原型を発案したのも義元公らしいが完成までには至らなかった。でも凄い先見性
だと思わない?
106人間七七四年:2007/02/17(土) 16:21:27 ID:UBUsICVF
そういえば織田信長も鉄砲を重視していたとか。
美濃の斉藤道三と会った時は多くの鉄砲を持っていったとか。
義元公のような先見性だな。
もし桶狭間を逆転できたら結構天下とりに近づけたかもな。
ま、桶狭間を覆すのはまず無理だけどなw
107人間七七四年:2007/02/17(土) 16:48:54 ID:szrUWiGN
でも義元公も危なかったんだよ。もうちょっとで討たれるところだったからね
でなきゃスレタイのような疑問も起こるまい
108人間七七四年:2007/02/17(土) 17:03:32 ID:TYacFnEm
信長の悪あがきだろ
篭城のほうがよかったきがする
突撃なんて気が狂ったとしかおもえん
109人間七七四年:2007/02/17(土) 19:45:06 ID:VmtXS/q3
誰か今川史初心者の為に今川の出来事を解りやすく年表にしてほしいな…
110人間七七四年:2007/02/17(土) 19:48:52 ID:szrUWiGN
今川の伝令に化けた織田の刺客が報告する振りをして近づき、刀を抜いた瞬間
槍の名人である義元公の一突きで絶命した。
それに懸けていた信長は失敗を察知するも諸将を諌みきれずに無謀な突撃へ
だが多勢に無勢、単騎防戦するも討死。
歴史家の中にはそんな信長を評価する人がいるが、俺はアホ、うつけだと思う。
111人間七七四年:2007/02/17(土) 20:20:15 ID:BBNAZEPB
信長って親の葬式の喪主もまともに勤められず、慌てて焼香引っ繰り返しちゃったらしいよ。
とても義元公の足元におよぶとは思えないだがなぁ〜
112項龍 ◆urdfmZmGvk :2007/02/17(土) 20:44:08 ID:Lj/KO4t1
>>108
でもさ清洲城は山城じゃないから篭城には不利だろう
113人間七七四年:2007/02/17(土) 20:50:33 ID:NvSWTKti
>>110
伝令に偽装した梁田政綱が義元公を襲おうとしたけど、
顔見知りの松井宗信に討ち取られたってのは後世の創作?
114人間七七四年:2007/02/17(土) 21:55:55 ID:SS/qhqXj
>>109
1554 善徳寺の会盟
1560 尾張侵攻、織田信長を破る。その後、今川方は織田信長方の諸城を攻撃、
     清洲城を接収する。織田信長はこの戦いで討たれたというが誤伝で、妻子
     とともに伊勢へ逃れたと言われている。なお、この戦いで戦功をあげた
     松平元康は三河の旧領を返還される。

1561 正月、信長庶兄・信広が今川氏に帰順。この後も伊勢へ逃れた信長は尾張の国衆や
     一向一揆と結び抵抗する。

1563 三河松平領で一向一揆発生。鵜殿長照が救援に向かうも、到着前に鎮圧。
     七月には尾張をほぼ平定するが、この後も信長の煽動で尾張は安定を見ない。

1564 尾張にて、一部を改正した今川仮名目録を行き渡らせる(永禄の仮名目録)。
     同年二月・今川義元は尾張守護に補任される。なお、この年に今川氏仲裁により、
     甲斐と越後に和睦が成立する。

もう少し資料を集める。ちょっと待っててくれ
115人間七七四年:2007/02/17(土) 22:03:07 ID:wChfisdW
>>113
詳しいことは分らないが梁田政綱説は司馬遼太郎の小説だったかな?
世界的歴史学者の井沢元彦氏の論文では特に名前は出ていなかった。
116人間七七四年:2007/02/18(日) 00:18:37 ID:4euegHAd
>>114ありがとう。勉強になります。
日本の基礎を築き上げた義元公について学ぶのは日本人として当然だよね。
キリスト教と義元、氏真公の攻防なんかは、日本史だけでなく世界史でも取り上げるべきだよね。
117人間七七四年:2007/02/18(日) 14:25:44 ID:trinWSam
そういえば、フィギュアスケートで今川義元の子孫が活躍していたな。
今川信成だっけ?
118人間七七四年:2007/02/18(日) 16:05:50 ID:TfyXBZ2h
今川義元の先進性と軍事能力の高さは有名だが、良くないイメージである「策謀」については賛否両論なことも多い。
今川と三好に対しては、兄弟間で三好が紛争を起こし、三好長慶が隠居することで今川と和議をした。
しかし、その後も三好に対しての策謀はやめることなく、十河一存を動かし他の兄弟を攻撃させたり
兄弟を暗殺したり、松永を唆して謀反を起こさせたりして弱りきった三好を大軍で攻撃して滅亡させたのは
今でも義元が嫌な要素の一つだよね。
朝比奈あたりはドン引きしたんだけど、無理だったわけで。
119人間七七四年:2007/02/18(日) 16:21:25 ID:fLzj3sy9
117>>
誰かとごっちゃになってるぞ。
今川氏成ね。
120人間七七四年:2007/02/18(日) 17:21:11 ID:FGG06ZRg
>>118
なんでそこまで三好を滅ぼそうとしたのかは色々な説があるよな。
121人間七七四年:2007/02/18(日) 18:58:44 ID:HADoshBs
今川義元は日本史上に残る偉大な凡将ことお公家オタク様wwww

・東海一の弓取りとは偽りで実は家臣の太源雪斎に軍略はまかせっきり
・桶狭間で周囲の警戒に気を配らず奇襲を受け尚且つ神輿に乗り兵に担がせ
 て逃げようとする大マヌケ
・戦国の世にあって公家風の趣味ばかり持つお気楽人
・桶狭間であっさり負けた敗因を棚にあげひたすら信長は運が良かったなど
 と必死に反論したいが為史実にも乗ってないような妄想を抱く毎日の今川厨
・長い間本領の駿河の一部を北条に取られておき3国同盟によってようやく
 返還してもらう程大マヌケ
・織田や武田や北条の数多くの戦闘や周囲の強敵に対する強豪ぶりを妬み両家
 のわずかな失態を派手に持ち上げ「織田や武田や北条は過大評価である」と
 ほ ざく毎日の今川厨
・織田や武田や北条の輝かしい戦歴を妬み、両家のスレを散々に発狂して荒
 らす毎日の今川厨
・逆に今川の惨めさや失態を論じられると何も言い返せずに話をそらし織田
 武田北条のことに話をそらす惨めっぷりの今川厨
・織田武田を祭るような行司が今川には無いことを悔しがる今川厨

122人間七七四年:2007/02/18(日) 19:46:32 ID:D7tRbsl7
無粋な。

123人間七七四年:2007/02/18(日) 22:48:11 ID:jstZdeln
>>121
義元公の時代からこの国は自由な発言が出来るようになったし
思想、信教の自由も認められるようになった。
しかし、悪意ある教えを説く輩も多い。君も早く目を覚ますべきだ。
一度、世界遺産の駿府今川館へ行ってみたらいかが?
そのすばらしさに心が洗われるよ
124人間七七四年:2007/02/18(日) 23:30:13 ID:wh7OJdy4
この人のおかげで毎日今川焼きが食べられるようになったんだよね
125人間七七四年:2007/02/18(日) 23:33:33 ID:TiVB7oDg
今川焼きって毎日だときつくない?
126人間七七四年:2007/02/19(月) 04:05:43 ID:0n7Gt9Y0
義元新喜劇最高
127人間七七四年:2007/02/19(月) 05:20:12 ID:937a0d8v
諏訪勝頼の死因について詳しい人教えて下さい!

『義元公記(ぎげんこうき)』に
「元亀二年閏二月 勝頼公、駿府出仕」
「同月同日 勝頼公、同弟五郎没」

『甲斐後風土記』に
「元亀二年辛未 諏訪殿行方不定 法性院殿出駿大雲大居士」

とあるだけで、死因が判りません。一部の識者によれば、勝頼と
弟の五郎(盛信?)が駿府で暗殺されたとしていますが本当でしょうか?
128人間七七四年:2007/02/19(月) 07:29:42 ID:8GaPGP7u
119>>
浅田真央じゃないの?
129人間七七四年:2007/02/19(月) 09:50:30 ID:Pc0o0xvr
>>127
兄弟揃って同じ日とは驚きだ。暗殺だとしたらちと大胆だね。
義元公上洛後常に今川の遊軍を勤めた武田家になにがあったのか
130人間七七四年:2007/02/19(月) 16:15:51 ID:DHbV4L+u
>>127 >>129
信虎の時と同じように、武田=今川の共謀らしいね。
といっても、この場合は信玄嫡男の義信と義元との間らしい。
北に強敵上杉謙信、南に三国同盟の今川北条で進出する場を失った信玄が、
三国同盟を破棄した上で、今川家の駿遠へ侵攻を画策したようだ。
この頃には、今川は美濃近江から京都へと進出していたから、東海道はがら空き。

それに気付いた親今川の義信が勝頼謀殺を企んだ。
義信と信玄の間で、実際、武田家の方針について激しくやりあったらしい。
信玄はカリスマがあったらしく、父親の追放・暗殺は義信にとって難しかったようだ。
それがなぜ、勝頼兄弟謀殺に結びつくかと言うと、
当時、信玄は親今川の義信廃嫡を画策してたようだ。それを察知した義信が、
嫡子候補である勝頼兄弟を先手を打って消した。そのような流れのようだ。

実際、勝頼兄弟の死亡後、武田信玄の書状の数が激減・義信のは増えている。
信虎・信玄の二代にわたって、政変で当主交代が行われたと言えるんじゃないかな。
131人間七七四年:2007/02/19(月) 16:20:33 ID:DHbV4L+u
130追記。
〜ようだ。〜らしい。ばかりで申し訳ない。
今川家についての本で読んだ説なのだけど、本の名前を忘れてしまった。
なんだったかなあ。
132sage:2007/02/19(月) 16:50:05 ID:enucsU3S
桶狭間の戦いで勝ったのは織田信長です。
こんな事中学生の僕でも知っています。
皆さん、もう少し勉強したほうがいいですよ。
見ていてとてもはずかしいです。
133人間七七四年:2007/02/19(月) 19:28:14 ID:Pc0o0xvr
信玄は義信の廃嫡までして東海道が欲しかったのか。
確かにその頃の武田は金山の枯渇に悩んでいたが、そんな暴挙に
出るほど無能だったとは情けない。後世の創作に騙されることだった。
しかし義信はお公家の母を持ち義元公の姫を妻に迎えて、甲斐の山国
にはもったいないほどの御仁だね。信玄や勝頼みたいな田舎大名の
血しか流れていない者達に比べて品もある。
134項龍 ◆urdfmZmGvk :2007/02/19(月) 19:32:57 ID:0WZ/zJUj
>>132
釣り?
135人間七七四年:2007/02/19(月) 19:41:10 ID:8D9uj910
>>132
まったく最近の中学生は趣というものを知らんな。
136項龍 ◆urdfmZmGvk :2007/02/19(月) 20:10:18 ID:ylDydavJ
そろそろ義元が討たれていた場合の話をしない?
137人間七七四年:2007/02/19(月) 21:16:26 ID:Pc0o0xvr
義元公の超越した偉大さにスレ違いにまっしぐらだったな。
義元公が討たれていたら今頃似非将軍にマンセーしてたかも。
これでオケ?
138人間七七四年:2007/02/19(月) 21:46:35 ID:HVDtdnkt
義元が欲し、松永久秀が道連れにした名器「平蜘蛛」は、
蜘蛛の巣状の模様が入った鞠、というのは異論ないとしても、
それをもってサッカーの元祖日本説は無理だと思う。
139人間七七四年:2007/02/20(火) 18:46:57 ID:Usghkx83
えっ!サッカー静岡発祥説は嘘なの?
140人間七七四年:2007/02/20(火) 19:30:32 ID:A+hcTCrQ
いくら信玄でも義元存命中は駿河に手は出せなかったはず


141人間七七四年:2007/02/20(火) 20:26:43 ID:66V81bj7
>>139
ソウル府あたりの連中が勝手に言ってるだけだろ
氏真公もどうしてあんなところに出兵しちゃったかな
142人間七七四年:2007/02/21(水) 09:46:56 ID:4lmp3ji1
>>140
義元公が留守中に電撃作戦を展開すれば勝てると思ったのではないか?
次々と愚かな史実がでてくるな信玄坊主は・・・
143人間七七四年:2007/02/21(水) 21:09:28 ID:0RCNuRv9
俺は3代将軍の義光の方が、能力あると思うがな。お歯黒も似合うし
144人間七七四年:2007/02/21(水) 21:18:41 ID:sI5B7fjQ
幕府建て直しに成功した7代将軍今川義吉が突出してる
145人間七七四年:2007/02/21(水) 22:42:30 ID:4lmp3ji1
義吉は民主化運動を武力で鎮圧したじゃないか。
唯一かつ最大の汚点だな。
146人間七七四年:2007/02/21(水) 23:05:07 ID:r1HsUKyH
世界3大都市が駿府、ベルリン、ローマでなく
ニューヨーク、ロンドン、パリとかになってたかもな
147人間七七四年:2007/02/21(水) 23:45:19 ID:qsotZUH8
将軍一覧
初代 今川義元
2代 今川氏真
3代 今川義光
4代 今川義綱
5代 今川綱氏
6代 今川義宣
7代 今川義吉(のりよし)
8代 今川範宗
9代 今川義重
十代 今川義治
11代今川氏叔
12代今川義慶(よしのり)
13代今川義定
14代今川氏茂
15代今川慶範
16代今川義隆
17代今川義郎
18代今川義長(現職)  
148人間七七四年:2007/02/21(水) 23:48:33 ID:OYZULqjD
確かに将軍ではあるけど、それは形式なわけだから「象徴将軍」とした方がいいよ。
第二次世界大戦以降は「惰性将軍」とまで言われている。
明攻めをやめた後、日本国王認定受けているわけだからとややこしい議論はウヨが集まる板でやった方がいいよな。
149人間七七四年:2007/02/22(木) 00:50:54 ID:vruV4qz5
今川義元が天下を取れたなら
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1171066041/
150人間七七四年:2007/02/22(木) 02:41:16 ID:hF59YGSB
>>133さりげなく、マジな顔して信玄を煽ってる今川厨wwww
信玄が駿河攻略に踏み切った最大のは、クソ漏らしに駿河を取ら
れないようにする為に決まってるだろばーか
151人間七七四年:2007/02/22(木) 10:39:47 ID:jVjA7xG8
遂にメガ豚来ちゃった・・
152人間七七四年:2007/02/22(木) 11:41:00 ID:VvAAPE1Q
>>150
あほ
153人間七七四年:2007/02/22(木) 21:40:46 ID:/G+BbDqB
>>146
江戸だったりして
  ↑
オイ、オイ!
154人間七七四年:2007/02/22(木) 22:24:11 ID:NFWhkFvR
>>139 ウソではないが、蹴鞠を見たエゲレス人が本国で広めて
狩猟民族的にアレンジしたのがフットボール(サッカー)で、
その後欧州全土に広まり、南米にも伝えられたらしい。
その結果、蹴鞠とフットボールのルールやゲーム性がかけ離れてしまった
ため日本はフットボール後進国になってしまった。それ故に
蹴鞠がオリンピックの公開競技にすらならないのは我が国体育界最大の
懸念事項でもある。
155人間七七四年:2007/02/23(金) 00:18:55 ID:iWYyQDRQ
でも、今川焼き定食って毎日喰うと体に悪いって聞いたぞ
156人間七七四年:2007/02/23(金) 11:17:51 ID:dS00H0st
駿河飯は独特でしつこいものが多いが10年ごとブームが来るよな。
157人間七七四年:2007/02/23(金) 12:09:27 ID:Gqztg/Cm
義元─氏真─範英┬範明
    │         └範興
    └高久┬高如─重治┬伊氏┬範高
         └高寛─氏睦├勝秀├範主┬範房
                   └信方└範増└義泰─義範─義用─義順─義叙─叙人
158人間七七四年:2007/02/23(金) 12:48:41 ID:Gqztg/Cm
>>157は実際の系図です
159人間七七四年:2007/02/24(土) 02:22:40 ID:8p3ThJJN
てす
160人間七七四年:2007/02/24(土) 10:51:36 ID:8p3ThJJN
>>1
氏真公がいるからさほど混乱もなければ時代変化もなかったはず。
161人間七七四年:2007/02/24(土) 18:35:41 ID:61rQLjtg
研究対象に敬称つけるNAYO!と言いたいが
フロイスから地球の形を教えられてすぐにワープの可能性を見いだしたのはさすが義元公。
162人間七七四年:2007/02/24(土) 21:51:50 ID:DEJexg20
>>161 ・・・・・・・・・
163人間七七四年:2007/02/24(土) 22:02:53 ID:Vq6XXnAM
>>161
ワープってあれだろ?
軍勢を2つに分けて1手を背後に回りこませて敵をおびき出して
もう1手が正面で待ち構えて挟み撃ちにする作戦の事だろ?
あれはフロイス以前に義元公自らが考案した作戦だよ
164人間七七四年:2007/02/24(土) 23:05:41 ID:2jrsLE7h
>>154
どこまで歴史を遡っていじくりまわすつもりだ?
165人間七七四年:2007/02/24(土) 23:13:51 ID:DEJexg20
フロイスって駿府にある南蛮横丁の初代組合長のこと?
なんでも坊主のくせに鳥獣の肉を喰らってたらしいな。なんで義元は
あんな奴近づけたかな。
166人間七七四年:2007/02/25(日) 19:31:28 ID:uQhW+B2X
みんなー秋田かな?
167人間七七四年:2007/02/25(日) 23:04:03 ID:puTmYx+d
じゃマイナー大名の信長でも語るか
ほとんど資料がないけどWWW
168人間七七四年:2007/02/26(月) 00:09:47 ID:DSauXq9e
>>167
織田信長という大名自体はマイナーだけど、旧織田家臣はそこそこ知られてるんだよなあ。
今川家に組み込まれて名を挙げた武将が大勢いるからねえ。
特に、佐久間信盛なんか対今川戦での一族の活躍から贔屓目に見られ、重用。
三河一向一揆での松平元康支援、伊勢長島攻め。上洛してからは対本願寺戦と
一向宗との戦いでは名前がないことがないぐらいだからね。
義元からの感状の多さは旧織田家でピカイチじゃね。
169人間七七四年:2007/02/26(月) 01:18:00 ID:r1mzhcjG
今川は家柄的に将軍じゃなくて関白ジャマイカ
170人間七七四年:2007/02/26(月) 01:58:37 ID:OuaE9GtM
なんか織田討伐の際に犬山城の丹羽五郎佐、柴田権六なる守将おおいに奮戦て書いてあるけどこいつらその後どうなったん?
171人間七七四年:2007/02/26(月) 04:11:19 ID:t5xlzv2N
>>169
形式的には足利幕府を継いだ形だから征夷大将軍
しかし氏真以降は将軍、関白、太政大臣と三官をもらっている
172人間七七四年:2007/02/26(月) 04:25:38 ID:t5xlzv2N
>>168
たしかに織田家は信行の家系が小大名として残ってし
佐久間や丹羽や農民から福岡藩主になった
木下秀吉なんか有名だな
173人間七七四年:2007/02/26(月) 04:35:08 ID:9fA/zPVV
ただ義元が一番旧織田家臣で重用した佐久間なんて見ればわかるけど、
めざましい戦火は挙げていないのに忠実だという理由で西域の要である毛利領を結構与えられているから
実力主義で成り上がった木下家に対する押さえなんだろうけど、幕中にこいつらががんばってくれなかったら、
今川幕府は滅んでいたよな。佐久間家のおかげで今川家が存在するといっても過言じゃない。
174人間七七四年:2007/02/26(月) 16:03:36 ID:owzYDSTO
木下は城を落とすのに人文字を駆使して敵をかく乱させる事に長けてたからな
「援軍撤退」「隣城落城」「落人無視」などの文字で次々と山城を落としていった。
平城はイマイチだったけどね
175人間七七四年:2007/02/26(月) 16:49:44 ID:t5xlzv2N
木下の人文字は画数が多いと
義元公も木下をたたえられたらしい
ただ謀反の疑いや秀吉の野望をうざったがり
中央から遠ざけて九州にとばして外様あつかい
普代あつかいの佐久間とは正反対
176人間七七四年:2007/02/26(月) 20:05:46 ID:tAr6fghe
ちょっと時代がごちゃごちゃしてるな
木下を重用したのは氏真公でなかったか?
義元公の木下に対する印象は「あの下働きの猿面冠者」程度では
なかったか?義元公記を読んでないので詳しいことは分らんが
177人間七七四年:2007/02/26(月) 23:47:47 ID:Pm2KdzCb
松本加兵衞、竹中半兵衞、黒田官兵衞の三べえの下で働いたというから、取り立てられた時にはだいぶ年がいってたはず。>秀吉
子がなくて、一代で終わったんだっけ。惜しい。
178人間七七四年:2007/02/27(火) 03:31:01 ID:14gflex4
>>177
家名は存続してるよ〜。
秀吉没後、一度御家断絶されたけど、その功績が認められて後に旗本として家名存続している。
ひとつは、秀吉没後の御家騒動の原因となった養子の秀次系。
もうひとつは、秀吉の死後に生まれた実子の秀頼系。怪しいと言われてるけどね。
両者とも、旗本としては大身の五千石を与えられてる。
今も、福岡と名古屋に何代目かさんがいるらしいよ。
179人間七七四年:2007/02/27(火) 10:11:26 ID:LGjIsV7L
>>177
松本じゃなくて、松下な
180人間七七四年:2007/02/27(火) 13:50:28 ID:C9yX2Ine
何気に良スレ
181人間七七四年:2007/03/01(木) 00:01:51 ID:+cvQzN4+
>>1 かすてーらが食えない。
182人間七七四年:2007/03/01(木) 03:16:41 ID:9rJlsdPV
大老になったのって、岡部・朝比奈・松平だよね?
183人間七七四年:2007/03/01(木) 03:51:34 ID:pJ++fQGE
富士、蒲原

もなってる。一時的だけど。
184人間七七四年:2007/03/01(木) 09:11:32 ID:kX9iiv1p
そりゃあ大老だから、一時的なものだよ
185人間七七四年:2007/03/01(木) 09:12:59 ID:pJ++fQGE
沢山出していた、岡部家とかと比べると「臨時」みたいなものだし

後期になると大老が偉いとは言いがたくなってくる
186人間七七四年:2007/03/01(木) 14:50:22 ID:yOEd/DeR
でもさあ、氏真公が偉人だ偉人だって言うけどさ、久遠寺の鐘に文句つけてまで
新府城で武田家を滅ぼしたのはズルいと思うよ。『国氏安真』が名前を二つに切ってるなんて
言いがかりもいいところじゃない。

あ、・・・あ、でも義信の子の頼信は死なないで岩殿山に逃げたって説もあるんだよね。
187人間七七四年:2007/03/01(木) 16:49:02 ID:+cvQzN4+
いくら氏真公でもあの時代だからダーティな史実もあるさ
188人間七七四年:2007/03/01(木) 17:59:34 ID:PS1CVjIN
>>180
クソスレすぎるよ
結局信長がどうあがいても勝てない
今川に従うほかない
武田や北条も勝てない相手に勝てるわけがない
189人間七七四年:2007/03/01(木) 20:09:49 ID:UZoE0bTc
>>188
あえてIFを話すのも重要でないか?
この世にはいっその事、桶狭間で義元公が死んでいれば
我が家はもうちょっと・・・なんてどうしようもない事を
考える人はいる。
こんな議論が出来るのも義元公のおかげかもしれない。
190人間七七四年:2007/03/02(金) 06:21:01 ID:GEh3EBk4
あの今川幕府のネックだった北条家すら
小田原を明け渡し転封にしたがった
信長も義元公にこびてヨーロッパ先発隊になるぐらいの
先見の名があれば大大名として残っろうな
191人間七七四年:2007/03/02(金) 08:54:28 ID:1NC2shPR
若い頃、太なんたら斎っていう坊さんが身辺にいたらしいんだけど、
このあたりの記録って意外と残ってないんだよな。なんでだろう
192人間七七四年:2007/03/02(金) 10:02:20 ID:IvMkHOdn
太原は義元公の人生の師じゃないか。
義元公を当主につけたのも彼の尽力だし。
たしかに前半で死んでしまったから派手ではないけど、今川関連のドラマでは
必ず登場するはずだよ。
ドラマでやってた太源と義元公の死別のシーンは泣けたなあ。
193人間七七四年:2007/03/02(金) 13:26:37 ID:tMAYgUo8
おまいら織田を過大評価しすぎだろ!
信秀の代ならまだしも信長なんて尾張のうつけ殿だぞっw
194人間七七四年:2007/03/02(金) 17:08:20 ID:vl35MHBL
>>193
でも新作の「ヨシヤボ」の「智謀1」ってひどすぎない?顔グラもひどいし。
過大評価って言えば岡部元信の戦闘105だと思うよ。隠しパラあるから実際には
210でしょ。難易度低くなりすぎなんだよ。
195人間七七四年:2007/03/02(金) 18:08:10 ID:2bH5DS6f
岡部一族は強すぎるのが問題だよね。
義元政権で100万石超えてたのはやつらだけだし。(旧三好領の押さえ)
正綱、元信、長盛の三人の合計戦闘値は285だし。
196人間七七四年:2007/03/02(金) 20:21:51 ID:B8SHQl31
信長は美少年であったっていう記述もあるのにな
197人間七七四年:2007/03/03(土) 13:50:38 ID:/GIngjfU
玉砕とかって結構もてはやされるのに、安易な篭城策に出ずに乾坤一擲の大博打に出た信長に皆なんで冷たいかな。
うつけだうつけだ言われるけどやってることはそれなりだし。
198人間七七四年:2007/03/03(土) 16:58:37 ID:Wle72F9k
籠城で何ヵ月持ったとかの方がかえって武勇だったと思うよ
相手が相手だし玉砕覚悟なんて無策中の無策。
ただそれを勇敢と言う意見は否定しない。色んな見方、考え方があるから
199人間七七四年:2007/03/03(土) 18:17:03 ID:S0HEjAjA
いや、あれは義元公に誘い出されたわけでしょ。
義元公は野戦は得意だけど城攻めは苦手だった。当時健康面の不安もあったらしいし
夏の暑い盛りに清洲に何ヶ月も篭城されたら天下はどうなってたかわからない。
信長も勇敢と言えば勇敢だったと思うけど、そこまで見通す力がなかったのは
責められても仕方ないこと。ただ、脱糞しながら逃げたけどやっぱり死んじゃったってのは
気の毒すぎるよね。あと、林通勝の空城の計が義元公に見破られてそのまま場内に
雪崩れ込まれたのが致命的だった。
200人間七七四年:2007/03/03(土) 19:39:48 ID:Wle72F9k
お互いに週刊孫子の読者だったんだ。
201人間七七四年:2007/03/04(日) 18:49:34 ID:i/27R1UH
>>198,199
篭城しても同盟国含めた今川に対抗できるだけの援軍は期待できないだろうし...
サラっと打って出たことや、討死必死な状況で>>33みたいな家臣団から離反者が出
てないってのも信長がどんな人物だったかをを今に伝えてるとオモ。
202人間七七四年:2007/03/04(日) 19:33:56 ID:uPCQV3xq
その家臣団が活躍したのって尾張半国ローカルの話でしょ
その程度の武将なら戦国時代どこにでもいそうだがな
ノブヲタのマニアックぶりには敬服するわい
203人間七七四年:2007/03/04(日) 19:46:13 ID:BOmM+Frg
権威の二重構造を作り上げたのがこの時代で、
天皇抜きでも一応権威として成立しちゃうのがめんどくさいから天皇の方が歴史が深いから
将軍制は廃止しろよ。

人権も何も無いし、蹴鞠ばかりじゃどうにもならんよ。
204項龍 ◆urdfmZmGvk :2007/03/04(日) 20:30:20 ID:CtA39O1A
>>203
通報しました
205人間七七四年:2007/03/05(月) 08:29:12 ID:U/T18UaG
てかさ、桶狭間ってなんだよ?どこの話?
織田家がどうのって言うのだから、尾張か三河?
206人間七七四年:2007/03/05(月) 15:06:36 ID:PbbC7Y9z
まぁ小競り合い程度だからあまりメジャーではないが、
織田マニアにとっては大今川に立ち向かったなど
言って神話化されている。だから捏造も多い。
207人間七七四年:2007/03/05(月) 15:18:36 ID:wWGhZUaZ
まさか信長オタは初代将軍義元公を倒せば
織田が天下をとったなんて言い出すんじゃないか
それはあまりにも歴史をしらなすぎ
208人間七七四年:2007/03/05(月) 15:39:40 ID:wWGhZUaZ
>>203
あの時期義元公がいなければ天皇家が今に続いたかどうか
天皇家がなくても成立しちゃうけど
それでも天皇をうやまう今川家の忠誠はすごい
もっと評価されるべき
それなのに幕末の薩摩と長州ときたら…
209人間七七四年:2007/03/05(月) 18:39:04 ID:Uy/dKAn9
>>202
いや、そのあたり考察したいだけだが。
レッテル張りで思考停止するのは面白くないぞ。
歴史を楽しめなくなる。
210人間七七四年:2007/03/05(月) 20:19:34 ID:WvIIeOdU
>>209  だって比較出来ないじゃんwww
そもそも前田って何者?
211人間七七四年:2007/03/05(月) 21:10:19 ID:dynThBAL
織田戦なんてドマイナーな話より毛利・三好連合水軍を破った明石沖の合戦の話しようぜ
伊丹康直の活躍で大勝するんだけど、流れ弾で負傷した康直が故郷伊丹城で死ぬんだよな
212人間七七四年:2007/03/05(月) 21:17:27 ID:WhaRdTuP
>>208
確かに幕末の薩長はみっともなかった。
お互いが天皇家に娘を嫁がせようと争い大紛争になったからね
あの時、今川家が姫を嫁がせた上で主権を天皇家に譲らなかったら戦国に逆戻りした可能性まであった
と、主張する歴史評論家もいる。
213人間七七四年:2007/03/05(月) 21:24:03 ID:WvIIeOdU
伊丹は伊丹空港と同じ字だからイタミというのかい?
一般人には知るよしもない人物が多いよな。
さすが戦国ヲタは奥が深い
このスレも日本史板に移ってもいいかもね。
214柏原和泉守家興:2007/03/06(火) 01:09:06 ID:V489RewX
>>211
それって鉄甲船で戦ったやつだけ?
215人間七七四年:2007/03/06(火) 01:11:04 ID:Kbg3kYlQ
つか、よしヤボで織田信長の鉄砲の適性なにげいいのなんなんだwあのうつけ鉄砲隊もってたんかな!?
216人間七七四年:2007/03/06(火) 01:18:35 ID:7c13UR8/
忠誠なんてないだろ!が天皇信者の理論。
天皇家抜きに成立しちゃうし、主権は奪っちゃうしで
第二次で天皇家と違ってほとんど罰則を受けなかったし(それでも象徴という言葉だけが付け加えられた)
217人間七七四年:2007/03/06(火) 02:46:54 ID:L7+UMAJ4
太平洋戦争や第二次世界大戦なんかではあきらかに
今川家が裏で糸をひいてるからな
まぁ2chでもふれてはいけないタブーだけど
枢軸側の黒幕は今川家で連合国側は将軍の弟氏次が
黒幕らしい。以後このことにふれては命が危な
218人間七七四年:2007/03/06(火) 05:36:48 ID:pC0sRzaA
>>215
今川軍が400から500挺の鉄砲を清洲で接収したという記録が残ってるよ。
桶狭間戦を見てもわかるように、うまい使い方は見つけれていないけど、
多数の鉄砲を仕入れたという点だけは今川へのヒントになったのかもね。
清洲城であれだけの鉄砲を接収出来てなかったら、義元公の勇躍に少し狂いが出ていたかも。
219人間七七四年:2007/03/06(火) 10:28:32 ID:dRhZxdrs
国際的な話をすれば、史実の今川幕府による迅速な朝鮮討伐が行われず、
足利か織田かその次あたりの弱小政府がのこのこ出て行って長引いたあげく負けるw
220人間七七四年:2007/03/06(火) 11:07:18 ID:mXd4RPL2
おいおい、織田は桶狭間で滅びているじゃないか。
仮にあの場を切り抜けても天下になんかとどきそうもないのは
このスレで散々いわれているじゃないか。
尾張半国で終わった大名家によくそこまで期待できるな。
221人間七七四年:2007/03/06(火) 11:37:53 ID:dRhZxdrs
義元公がもし死んでいたらという仮想スレだから言ってるんじゃないか。
無敵の今川軍をもし仮に寡兵の織田が打ち破ったとしたら、
そのあと天下を取れないと思うほうが不自然じゃないか?
でもわからん。誰かが足利幕府を再興して、その勢いで朝鮮攻めるかも知れないし。
222人間七七四年:2007/03/06(火) 11:45:56 ID:sHSIAHJv
数年前にジャンプで連載されてた時代考証完全無視の漫画の影響だよなあきらかに。
織田厨は歴史を知らないうえに偏った知識を植え付けられてるからな。
あの漫画なんてタイトルだっけ!?
223人間七七四年:2007/03/06(火) 11:49:03 ID:jN7vLNUf
>>222 信長公記じゃなかったけ?かなりの内容だが
224人間七七四年:2007/03/06(火) 12:07:37 ID:dRhZxdrs
そんな漫画あるわけないだろが。
まかり間違って誰か書いたとしても、出版段階で絶対に検閲にひっかかるぞ。
義元公が討たれたなんて過激な妄想はよ、上様公認のこのスレ限定のお遊びじゃないか。

しかも漫画なんてものは、半島発祥の低俗な精神文化であってだな、
4世紀半近くも今川家の薫陶を受けてきた我が国に存在するわけないだろ。
幕府の外郭団体である世界今川財団が主催する、
歴史検定の一級を持ってるオレが言うんだから間違いない。
225人間七七四年:2007/03/06(火) 12:09:11 ID:mXd4RPL2
確か信長の側近だった大田牛一とかいうのが残した手記がもとだよな、
その漫画。どんな内容だったっけ?
226人間七七四年:2007/03/06(火) 12:15:11 ID:mXd4RPL2
>>224
マジレスだが、漫画の形式を整えているとされる最も古い作品は
1682年のフランシス・バーローの作品だそうだぞ。
半島発祥とかいうのは多分ガセだと思うぞ。
227人間七七四年:2007/03/06(火) 12:17:14 ID:dRhZxdrs
信長公記!
幕府初期に書かれた戯作な。
あれを知ってるとはなかなかの研究家だな。
だがアレは漫画なんかじゃないぞw日本人が漫画なんか読むものか。

織田が義元公を打ち破ってそのあと天下を取って云々という内容だろ。飛躍が激しくてかなりイタい内容だが、最後に史実の幕府忠臣・光秀公に討ち取らせて
ジ・エンドという構成はなかなかだな。
228人間七七四年:2007/03/06(火) 12:19:35 ID:dRhZxdrs
バーローというからにはそれはフランス人ではなくて半島人じゃないか。
もう忙しいからオチるぞ!
229人間七七四年:2007/03/06(火) 12:39:38 ID:mXd4RPL2
ひょっとして隣の国の方ですかw>>228さんはw
230人間七七四年:2007/03/06(火) 12:47:06 ID:mXd4RPL2
信長公記にある信長って相当強いよなw
3千の兵で1万5千の敵を正面から打ち破ったりw
義元公を打ち破った所も、信長が少ない兵で丘の上の義元公の本陣に突撃かけると
いきなり大雨がふって気づかれないうちに接近できちゃうんだよなw無理あるだろw
滅んだ大名に仕えていた牛一のやるせない気持ちが反映されているな。
231人間七七四年:2007/03/06(火) 13:52:46 ID:/X5SrdKj
>>224
見境の無い書き殴りはお遊びとは言わない。

無粋な悪ふざけ。
232人間七七四年:2007/03/06(火) 19:50:13 ID:nmi+ycDf
チョンネタイラネ・・・

このスレで「信長公記」とかいう逆説本の内容は語って欲しくない。
三戦板に逝ってくれ
233.:2007/03/06(火) 21:15:13 ID:XITYZngE
.
234人間七七四年:2007/03/06(火) 21:55:16 ID:L7+UMAJ4
さすがに信長に天下とりのビジョンがあったとは
考えづらいからな、義元公を討っても三好毛利武田
なんかの強国と織田が渡りあっていけるのか?
だから俺は今川に勝っても天下とれないとおも。
しかも「信長公記」は最後は源氏の明智家を持ち上げてんジャン
235人間七七四年:2007/03/07(水) 23:06:07 ID:I2GnPPVq
でも息子の信雄は相当優秀だったらしいぞ、氏真公と並ぶ人物だったかもしれん。
236人間七七四年:2007/03/08(木) 05:59:24 ID:QWGxJiFg
なんか、織田の話題が出てるみたいだけど
織田の系譜で一番有名なのは有楽斎長益なんジャマイカ?
有楽斎って名字を名乗ってたから、あまり馴染みがないと思うけど
茶聖の有楽斎長益って本名は織田長益といって織田信長の異母弟な
んだよな。
今じゃ表有楽斎家、裏有楽斎家を合わせれば茶道の8割方を仕切っ
ちゃってるし、清水の方には有楽斎女子大とかあるし。
織田の中で一番の勝ち組は有楽斎長益で決定だな。
237人間七七四年:2007/03/08(木) 10:42:10 ID:uUGDHPZ5
>>235-236
mjd?
どっちもあまり愛知県関係の資料に出てこないからてっきり別の家だと思ったのに・・・
でも、それにしても本当に信長とそんなに血が近かったの?清洲とか岩倉の生き残りって言う方がまだ信憑性があるけどなあ
238人間七七四年:2007/03/08(木) 13:03:00 ID:sepY5SYr
名将織田信秀には子沢山という話があるからな
まともに名前が残ってるのは信長、信勝、それに有楽斎くらいなもんだろう
ただし有楽斎は本当に織田家系かどうかは微妙なところだな。
自分で名乗ってただけだし。

239人間七七四年:2007/03/08(木) 15:54:32 ID:mE0nd1VN
>>234
明智ってわかりにくいw。
将軍家を継いだ(だれから継いだんだっけ?)義元公の配慮で土岐光秀を名乗っているな。
当時はさすがに浮かれたのか、吉良、渋川、斯波といった足利系の名家を多数
復興させているな。
徳川は新田だけど、南北朝合一以後は臣従しているからセーフ。
240人間七七四年:2007/03/09(金) 11:54:05 ID:DumfXIx3
義元公が絶大な勢力だったからよかったけど、源流の名家を復活させたら
跡目問題とかでまた応仁の乱みたいなことがおきたのではとの学識見解
もあったが、みな今川家に忠実だったね。偉大なる将軍さまだ義元公も氏真公も
241人間七七四年:2007/03/09(金) 12:20:06 ID:uAwPPUQ/
「信長公記」は今でいうパロディで
弱小織田が今川を討つ(ないないwww)
どんどん大勢力になり終いには武田も討つ(ありえないwww)
という史実から掛け離れてるからあの時代でも
OKになった。ただジャンプの信長公記はおもしろかた
242人間七七四年:2007/03/09(金) 15:15:51 ID:DumfXIx3
あのコロスケみたいな信長は可愛かった
243人間七七四年:2007/03/09(金) 15:41:28 ID:HB27n3mp
今度、同じ作者が太閤記って新シリーズ出すらしいよ!
244人間七七四年:2007/03/09(金) 16:50:45 ID:DumfXIx3
太閤ってなに?そんな単語歴史上存在してないが・・・
中国語?
245人間七七四年:2007/03/09(金) 17:02:52 ID:uAwPPUQ/
太閤記も漫画化か
これで木下厨が増えるなマイナー的存在だけど
246人間七七四年:2007/03/09(金) 17:23:20 ID:+9hNI4+Z
>>244
ノン、ノン、ノン。
太閤は関白を退いた人物への呼称。
247人間七七四年:2007/03/09(金) 19:11:44 ID:pn0N6amh
>>246
>>244の中国語っていうのもあながち間違いじゃないけどな

本来は摂政や太政大臣に対する敬称だな。天皇陛下に対する天子様みたいなものか
そう言った意味では上杉を見限って義元公を支援した近衛前久なんかも太閤になるよ
248人間七七四年:2007/03/09(金) 19:55:44 ID:DumfXIx3
太閤記は誰の話?近衛卿じゃおもしろくないよな。
木下厨って何者?
ごめん俺は勉強不足か?
249人間七七四年:2007/03/09(金) 20:04:23 ID:pn0N6amh
木下藤吉郎っていう、尾張の農民出身の今川軍中堅武将。
才能はあったし、武士とは違う発想から行う城攻めは中々のものだったんだけど
義元公に野心を見透かされて大きくは出世できなかった奴
立場で言えば榊原康政とかあの辺りと同格か少し下くらいで、かなりマイナー

その出身地から、太閤記では織田家に仕えてるんだが、元々木下は今川の家臣に仕えてるからなぁ
歴史にとらわれずに、純粋な異世界戦記ものの物語として読んだら、
俺みたいな貧乏人には中々夢があって楽しめるかもしれない。ギャグとしか思えない部分もあるが
250人間七七四年:2007/03/09(金) 21:15:37 ID:0i4AxFBn
そんな木下をクローズアップした作者のマニア振りに脱帽
251人間七七四年:2007/03/09(金) 23:44:28 ID:SyHjrQoH
ほとんど無名だから逆に好きなこと書ける、っていうのがあるかもね。
いま漫画になってる「トリイ」にしても、鳥居元忠なんてマイナーな武将が主人公の漫画だしね。
252人間七七四年:2007/03/10(土) 00:06:56 ID:64vtHqQ+
>>251
松平厨の俺からすれば元忠は人気が出て当然の武将
253人間七七四年:2007/03/10(土) 00:24:01 ID:5GQshIWB
今川包囲網を敷かれたときに、
六角残党に城を包囲されたとき、寡兵ながら逆に殲滅するなんて元忠tueeee
瓶割り鳥居は伊達じゃない!
254人間七七四年:2007/03/10(土) 11:19:34 ID:WitOQr4D
>>251の「トリイ」の作者が昔書いてたマンガってなんだっけ?
たしか今川軍の毛利攻めあたりから九州平定までを描いた作品だったけど…
文部省か何かの大賞もらってたよな。
255人間七七四年:2007/03/10(土) 17:42:24 ID:/HFe+qDj
マジレスすると玉置成実は伊達成実の直系
256人間七七四年:2007/03/10(土) 22:59:44 ID:J7AUCnHw
私が最近凝っているのは、地元の大名北畠氏の研究。
今川の盟友として、伊勢志摩伊賀大和の四カ国に威を振るったんだよねえ。
国司とは言いながら、伊勢の北半分には影響力がなかった。
それが永禄年間後半から、今川と結んだことで関・神戸や北勢の諸氏を支配。
義元の上洛に合わせて、伊賀の地侍を押さえ込むのに成功。
今川包囲網の危機にも盟友と共にし、大和を押さえる。
ウラー!! われらが地元の英雄剣豪大名北畠具教万歳!!
257人間七七四年:2007/03/10(土) 23:27:08 ID:64vtHqQ+
>>256
北畠の大和併呑は松永弾正の謀略の一端に過ぎないとか、共謀していたとかって説もあるけどな。
今でも義元公死去の後に北畠が天下を狙ったと言われるのもそんな説が関与してるのかな。
258人間七七四年:2007/03/11(日) 10:49:24 ID:X59icQHw
そんなに強い北畠も上記の信長公記ではひどい目にあってたな。
259人間七七四年:2007/03/11(日) 12:03:46 ID:mTE76Lkb
ところで桶狭間ってどこ?
聞いたことねえな
260人間七七四年:2007/03/11(日) 12:30:15 ID:xpmB8jht
愛知県豊明市にある標高65mくらいの山
信長が義元公に玉砕した場所の近くにある
261人間七七四年:2007/03/12(月) 00:32:38 ID:NhIj0yUL
信長・・・?
ああ、あの大名のくせに特攻隊長やって即死した奴ね
よくそんなマイナーな地名知ってるね
262人間七七四年:2007/03/12(月) 21:53:32 ID:XahsDkKo
桶狭間って一応今川軍史には載ってるけど
圧倒的な勝ち戦でしかも織田が勝手に突撃してきて一行にまとめられてるから忘れても仕方ない。
やっぱ今川家の歴史を語るなら相手が織田とかよりも毛利攻めや武田との最終決戦のほうが面白い
263名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/03/12(月) 22:17:15 ID:gYOcGXUt
>>262

武田は、確か義元公が上洛直後に、八方塞がりで血迷って、駿河侵攻したものの、
朝比奈勢に堅守されて攻めあぐね、最後は京から進軍してきた義元公に晴信自身が討ち取られた
のではなかったかしら。ここでいう「最終決戦」とは、武田残党のことでしょうか?
264人間七七四年:2007/03/12(月) 22:45:23 ID:+Ay6eLhl
天下統一後の今川に謀反を起こした晴信の勇気は称えたいが
どうみても狂って見える。現在も研究が進められているが晴信の
心中までは解明できないだろ。

最終決戦は駿河から退却する武田軍が身延山に籠ったときの話でしょ。
氏真公の本陣跡はいまや世界遺産だもんな。
265人間七七四年:2007/03/12(月) 23:28:01 ID:5ZAlGiXv
信玄坊主は今川傘下でも甲信上と東濃という内陸地しか持てなかったから、
あれだけ酷使するとなぁ。
しおかし武田が今川の天下統一に欠かせなかった存在だともいえるのが皮肉だな。
一説では駿河攻めに出陣した直後に晴信が病で倒れたっていう話もあるが、
駆け戻る氏真軍の足を遅らせつつ本隊を結集した勝頼の実力は中々だった。
義信軍が甲信を奪還してなかったり、義信まで謀叛していたらちょっと危なかった
かもしれないな。

でも、全てが氏真や、その幕僚の松平や庵原による勝頼に対する策謀だったっていう
一般的な説の方が俺は好き。
266人間七七四年:2007/03/13(火) 00:24:26 ID:llMTt/au
今年の大河ドラマ面白いよな
山本勘助って浪人が始め今川に恨みを抱いて復讐のために近隣諸国を放浪するも最終的には今川家の優秀な軍師になるって話。
最終回で毛利との戦いの途中討ち死にするらしいけどね
どう考えてもフィクションでしかないけど純粋に話を楽しんだらなかなかの作品だと思う。

だれか見てる奴いる?
267人間七七四年:2007/03/13(火) 00:53:36 ID:pfzg4/Em
>>266
原作者の出身地に住んでる
家から歩いて十五分のところに原作者の記念館あるよ

山本勘助ってあれだよな。今の駿府城の基礎を縄張りしたとか、
対三好の調略に当たったとか、実は元々は武田の密偵だったとか
色んな説あるらしいけど、実在はしたらしいね。
流石に小早川隆景がその死を悼んだていうのは嘘だと思うけど
268名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/03/14(水) 01:00:58 ID:ZxJkKQFO
もうひとつ疑問なのは、義元公上洛後に、雑賀衆があっさりと臣従している点。
確かに人間関係学の達人たる義元公の抜群の器量に魅せられたという
一連の解釈もそれなりに納得出来るものの、もうひとつ何かがあるような
気がする。根来寺の方へは、随分早い段階で調略が進んでいたというのは、
和歌山の郷土史家が発掘文書をもとに日本史学界に論文を発表して以来、
定説となっているが、この辺りとも繋がりがあるのでは。
いづれにせよ、3千の雑賀の鉄砲衆が、義元公の手足の如く、畿内、西日本を
駆け回ったことが、今川幕府の早期成立の原動力となったことは、もっと
着目されてよいと思うのだが‥
269人間七七四年:2007/03/14(水) 09:42:39 ID:pJuw3o/C
>>268
根来寺と本願寺が手を結ぶ前に熊野を手に入れたのが大きいだろうな
そして、それを可能にした財源だろう
更に今川ほどの財源がなければ、雑賀が一つの勢力につくことなんてなかったろうし
そう、考えると北畠との連携がなければ今川があの鉄砲に悩まされていたのかも知れないなぁ
270人間七七四年:2007/03/14(水) 10:41:16 ID:sBEmBJut
今川家の財力は桁はずれだからな。もともと先進的な楽市にみられる商業施策
と金山開発に加え、東海道を完全に掌握して、移動交易ルートを支配し、尾張の窯業を
保護したことが、覇者として他地域の戦国大名が足元に及ばない経済力をもった要因だろう。
271人間七七四年:2007/03/14(水) 11:40:58 ID:nwwozthk
最近ヨシヤボ始めたんだけど、織田家なんてあったっけ?
厨でごめんね
272人間七七四年:2007/03/14(水) 12:26:08 ID:sBEmBJut
>>271

尾張は国人や豪族が分裂状態だったので、パワーアップキットの
シナリオなら、プレイ出来るよ!
273人間七七四年:2007/03/14(水) 12:52:07 ID:GWQvxXXm
dクス
早速PK買ってきたんだけど、独立勢力扱いでプレーヤーは選択できないのね
1560年シナリオの最初のターンで滅ぼされて(´・ω・)カワイソス
みんなよくこんなマイナー武将知ってるよなー
274人間七七四年:2007/03/14(水) 13:42:15 ID:LUZE/Tmi
信長も智謀以外は能力値50〜60代キープしてるから
昔に比べりゃ扱いよくなってるぞ
初登場した天翔記の頃なんか目も当てられなかった
なぜか旧臣のはずの佐久間、丹羽、木下もデフォで今川家臣だったしw
275人間七七四年:2007/03/14(水) 13:46:13 ID:fidbnyWL
もう少し前の年代だと、斯波でプレイできるのにね。
でも、守護代風情の武将でやるのも乙かな。
276人間七七四年:2007/03/14(水) 14:05:10 ID:9xB9wg9/
土佐のうつけ、一条兼定タンといい勝負
妙に智謀が低いので印象に残ってるな>信長
277人間七七四年:2007/03/14(水) 15:39:31 ID:w1/LxXVR
古い話だが全国版で尾張と美濃は必ず最初のターンで謀反か一揆が起こって
たまに大名が死んじゃうんだよね。うまく乗り越えても浅井や
北畠に攻められて滅亡。凄く印象的。
278人間七七四年:2007/03/14(水) 17:48:25 ID:r2JfkR3D
全国版か懐かしいな。コンピューターが今川を担当すると史実に反して
北条、武田、上杉を次々電撃的に撃破していくんだよな。
レベル1でも中々今川は倒せない。
逆に今川でプレーするときはレベル5でも余裕で統一を果たせたな。
279人間七七四年:2007/03/15(木) 00:36:16 ID:iyhZhm4A
義元が信長に討たれる夢を見た
休んでいる処を思い切り襲われていた
荒唐無稽すぎて大笑いしたら目が覚めた
280人間七七四年:2007/03/15(木) 01:57:30 ID:1eA0LZaI
でも、もしも信長が義元を上回る天才で、桶狭間で義元を討ち、その時氏真が義元から
学びきっていなかったとしたら、その後尾州南半国の一奉行家がどう伸びてくかちょっと
楽しみでもあるな

義元の能力を上回ることが出来たなら、だけどな
281人間七七四年:2007/03/15(木) 10:35:57 ID:EyI36EN4
考えてみれば今川家さえ無くなれば誰が天下を取ったかを議論
するのがスレの目的だったな。でも信長は候補に挙がることはないと思うが。
282人間七七四年:2007/03/15(木) 20:17:04 ID:t/MimUas
少なくとも織田はない
桶狭間で今川軍を撃退できたとしてもその後武田やら浅井やら朝倉に敵うはずが無い

万が一義元公が信長に討たれたとしても氏真公がおられたから織田がやられるのは時間の問題。
なんたって今川には岡部や朝比奈がいるもの
283人間七七四年:2007/03/15(木) 21:09:18 ID:3jreOnUV
多分、義元公が討ち取られたとしても、ほぼ無傷の三河衆に蹂躙されてたでしょ
そういえば松平元康って今川の人質になる前に織田に拉致されてたよね?
誰だっけ、織田抑留時代の元康虐めて尾張平定時に処刑された奴
284人間七七四年:2007/03/15(木) 23:04:42 ID:5ttr5hxR
そんな奴どこ探せば名前載ってるんだよw尾張の武将なんていちいち
取り上げてる歴史書なんてないでしょw
285人間七七四年:2007/03/16(金) 09:24:41 ID:YMXsEiza
>>283
もしかしたら佐々内蔵助かもしれんね。
なんでも桶狭間で華々しく散って、松井宗信に「敵ながら天晴れ」と称えられた
佐々隼人正の弟だとか。マイナー過ぎて資料に乏しいけどさ。
286人間七七四年:2007/03/16(金) 15:32:15 ID:4otowP7N
スレ違いすまん。今川家の平均寿命を見ると義元は55歳(1574年)で死ぬ。
別のスレでは今川は天下取れないという結論だが
下のスレで意見を聞かせてくれ!
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161523192/l50


973:人間七七四年 2007/03/15 13:53:36 r1oADSSB
ここまでのスレのまとめ
今川義元上洛
→不安定ながらも畿内支配
→氏真の器量不足で外敵続出&内部不満噴出
→今川政権崩壊

さて、その後は…?

979:人間七七四年 2007/03/15 15:21:35 Fleu1waE
>>858のように今川義元の寿命を五十五歳とすると義元の死は1574年。
1574年と言えば史実で信長が包囲網の一角浅井朝倉を滅ぼし
信玄が死にようやく体制作りに着手できるようになった年。
そんな時期に義元が死ぬわけだがよく行っても上洛か今川包囲網の真っ最中に寿命が来るわけだ。
桶狭間があると仮定して義元が尾張経営に着手するのが1560年。
義元が自由に使える時間はわずか14年しかない。
上洛出来たとしても政権を築くことすら義元には無理だろう。
287人間七七四年:2007/03/16(金) 16:08:25 ID:ok8sRBRg
氏真公が器量不足とかってマジ笑えるwww
288人間七七四年:2007/03/17(土) 14:18:20 ID:pxcjMo4Z
そんな空想的スレに誰がいくもんか
289人間七七四年:2007/03/17(土) 14:36:48 ID:VoAbZETQ
日本がアジアで唯一ワールドカップ優勝の常連に組しているのが出来るのが
義元公と氏真公のお陰だと思う

もし義元公が桶狭間で打たれていたら
今頃日本のサッカーチームなんて二回戦にもすすめない
弱小クラスだっただろうよ

それにしても日韓ワールドカップの時は
本拠地、草薙球場で日本チームが
ブラジルを破って堂々優勝
大分前だが今でも思い出すたびに震えがでてくる
290人間七七四年:2007/03/17(土) 16:58:40 ID:nmst2tpk
>>289
日本つうか、静岡って感じだけどなw
さすがにお膝元ってだけあって、サッカーは盛んだよ。
代表の大半が静岡出身で、静岡のクラブや海外クラブ所属だもん。
海外の有名選手も、Jリーグはあれだが、静岡のチームならって言うくらいだもんな。
291人間七七四年:2007/03/17(土) 17:45:38 ID:wlcJBiHv
>>287
でも氏真公は治世の名君だと思うんだよ。
1560年時点で戦国に放り出されたら、もしかしたらということもあるぞ。
まあ織田に義元公が殺されることはありえないけどなw
心臓発作や脳溢血より、はるかに確率低いわ。
292人間七七四年:2007/03/17(土) 18:01:55 ID:2QQgKAuJ
ってか静岡県はいまだに今川家の直轄領ですよね。
現在でも人口の1%を動員出来るとの噂もある。
293人間七七四年:2007/03/17(土) 18:54:22 ID:l+KbwVIw
>>291
若い頃は連歌や蹴鞠にのめり込んでたらしいしね、氏真公
294人間七七四年:2007/03/17(土) 18:55:33 ID:l+KbwVIw
あ、正確に言えば一生の趣味ではあったけれど
若い頃は武芸や兵法に興味が無かったとか
295人間七七四年:2007/03/17(土) 18:58:52 ID:VoAbZETQ
しかしなぜ桶狭間の戦いなんてマイナーな戦をあげるんだよ
他にも義元公は信玄や謙信とも戦っているし
もっと他にも苦境に立たされた時期はあったんだが
桶狭間ってたんなる小競り合いだろ
俺、名古屋地元人だけど、織田信長なんて知っている人の方が少ないって
296人間七七四年:2007/03/17(土) 19:10:32 ID:VDemjV0W
そのマイナーなところを語るのが戦国オタなんじゃね?
でもまぁ桶狭間なんて語るネタ限られてくるけどな
297人間七七四年:2007/03/17(土) 19:12:16 ID:l+KbwVIw
義元公最大の苦境といったら信貴山攻めかなやっぱ
298人間七七四年:2007/03/17(土) 19:18:46 ID:FpT4VXgL
良く今でも
頭の悪い、後先考えずに突っ走るタイプの人間を
「織田者」


10倍近い敵にバンザイアタックを掛けて討ち死にした織田家が語源になっている
299人間七七四年:2007/03/17(土) 19:38:17 ID:ljNAIFP+
>>293-294 連歌や蹴鞠は相手の心理を読むには最適だったから。
孫子みたいな大衆書を世間の大名家は必死に読んでいたが、氏真公
は戦国という時代にある突発的事項に対処するため、読み、勘を
大切にしていたらしい。
その結果は皆が知るところだから今更ここで述べる必要はないね。

>>298 そういう意味か!なんで織田なのか分らなかったが、
語源は意外と単純だったね。
300人間七七四年:2007/03/17(土) 19:43:44 ID:mdDPS7wp
おまいら
お歯黒は使っている?
オススメのブランドあったらおしえてよ
301人間七七四年:2007/03/17(土) 19:58:24 ID:KcUeGb/O
麻呂は資生堂のお歯黒を使っているでおじゃる
最近は輸入品の粗悪品が手回っているようでおじゃるが
やっぱりお歯黒は国産でおJAL
こればガチでおじゃる
302人間七七四年:2007/03/17(土) 21:36:21 ID:TEQl9DZ/
もしあの状況で義元公が身罷ってたら、北条氏康が同盟破棄して攻め込んで来るだろ。
松平元康公あたりもだな、信長と親しかったりするし、ちょっと危険性がある。

信玄公がちゃんと援軍出してくれればいいが、あの人も史実見ても信頼度いまいちだし。
五年位で駿府明け渡して隠退、蹴鞠と和歌と茶会三昧になってたかも知れないぞ氏真公。
303人間七七四年:2007/03/17(土) 21:45:02 ID:5gZ8HFiV
お前ら「影武者今川義元」って小説知ってるか?
実は義元は桶狭間で暗殺されていて、以後影武者と氏真が陰で権力争いをするって筋書き。
今まで暗愚な敗将と言われ続けた織田信長をカッコ良く描いた珍しい作品でもある。
304人間七七四年:2007/03/17(土) 21:55:26 ID:pxcjMo4Z
既に廃刊だろうな
305人間七七四年:2007/03/17(土) 21:55:59 ID:TEQl9DZ/
ていうかあの時の実際の戦場は、田楽挟間っていう場所だったんじゃなかったっけ?

織田がそこで死んだので、棺桶に入ったという比喩から、桶狭間が通称になったのでは?
306人間七七四年:2007/03/17(土) 22:13:53 ID:KcUeGb/O
>>302
この織田者めが!!

忠臣松平元康が裏切るなんて絶対にない

義元公記にも

元康が織田に人質に捕われた時代は最悪だった。
信長はただの馬鹿と述懐している記載がある
307人間七七四年:2007/03/17(土) 22:32:45 ID:l+KbwVIw
>>303
颯爽とした若武者だったな
実際ヨシヤボでは大宝寺義氏に毛の生えた程度の雑魚扱いだし
一般の知名度なんか皆無だけど、短期間で尾張を殆ど統べた手腕は中々だとおも
最後の最後の大ペケやらかしたが篭城しても結果は同じだったろうしね
308人間七七四年:2007/03/17(土) 22:40:58 ID:l+KbwVIw
>>304
文庫版で復刊されてる
原哲夫がジャンプで漫画化してて、なかなか痺れた
滝川一益に主人公交代した続編の「SAKON−戦国風雲録」は原作無視しまくりで最悪だったけど
309人間七七四年:2007/03/17(土) 22:47:58 ID:TEQl9DZ/
駿河幕府の大老・北条家の末裔である、アイドル北条まさこが書いた「ほうじょの虫干。」が人気だな
310人間七七四年:2007/03/17(土) 22:48:33 ID:pxcjMo4Z
なんか信長の経歴にバラツキがあるな。
尾張統一だったり、半国だったり、桶狭間で死んでたり、生き延びていたり。
スレ主は死んだという一般認識でスレ立ててるが、詳しい人教えて
311人間七七四年:2007/03/17(土) 22:51:42 ID:TEQl9DZ/
知的な美貌が売りのほうじょたん。あのビキニ写真集で見た抜群のスタイルは圧巻
312人間七七四年:2007/03/18(日) 00:26:38 ID:Jcveiq7P
二代将軍・氏真公のご威信で世界に広められた、我が国の伝統競技である蹴鞠が、
妙なお笑い番組で、やたらと広い草っ原で大の男どもがあくせく走り回って、
日本が負けまくってる野蛮なギャンブルとしてパロディー化されて長々と放映されているが、
失礼だな。人格が疑われるな。
313人間七七四年:2007/03/18(日) 01:48:10 ID:472ql+bY
>>306
その時点から元康は忠臣でなかったんじゃないか?

通説では、元康が上野に転封されたことを不服として、関東の地侍(真田、結城、里美など)と結託して関東の乱が起きたと言われているが、今川の人質となっていた頃から恨みを抱えてたとも考えれる。
元康処断の後、瀬名姫の嘆願で再興した徳川家は、なんとか幕府に残ってるわけだけどさ。その後も結構優秀な人材を出してるし。

ところで、元康の軍司を勤めた天海が、桶狭間で落ち延びた信長だって話はまゆつば?
314人間七七四年:2007/03/18(日) 02:47:42 ID:c1OntUx9
>>313
これまた意外なところついて来たな
幼少のころ織田家に人質に出されていた元康が信長を軍司として使うわけないじゃん
万が一信長が桶狭間で生き延びて元康に仕えたとしても10倍近くの相手に体当たりかけた信長だぜ?
そんな無謀なことするやつに軍司が務まるわけがない

315人間七七四年:2007/03/18(日) 05:06:51 ID:VOvWdsHI
確か信長の息子のなんたらゆう奴が
氏真の将軍就任の時に蹴鞠を披露してた気がする
あいつ名前何だっけ?
316人間七七四年:2007/03/18(日) 05:27:02 ID:2l+n0vVy
織田有楽サイ
317人間七七四年:2007/03/18(日) 06:27:50 ID:9zritXEF
父の命を狙ったヤツの息子に…
氏真公の寛大さはいつでも驚かされるな
318人間七七四年:2007/03/18(日) 06:57:19 ID:Jcveiq7P
たしか写楽斎とかそんな名前じゃなかったっけ? カメラの名前にもなってるよな。
なにせ、信長が屠られた時にたった3歳だったからな。慈悲深い義元公が殺すわけない。

しかしあの時のは、蹴鞠というのは誤伝で、実は相撲だっただろ。田舎に蹴鞠はない。
しかもあの氏真公暗殺事件のせいで、将軍家は3代までで途絶え、執権政治になった。

とにかく、あのあとの武田、北条、松平による覇権争いが凄絶だったんだよな。
319人間七七四年:2007/03/18(日) 08:25:51 ID:VOvWdsHI
3代目暗殺した犯人が未だに不明という日本史最大の謎かあ
俺は飯尾一族あたりが怪しいと睨んでるんだが
320人間七七四年:2007/03/18(日) 08:45:07 ID:Jcveiq7P
駿河幕府の執権って誰だったんだっけ? オレ日本史の成績悪かったし覚えてねーわw
確かアイドル政子たんの「ほうじょの虫干。」に書いてあったような気はするが…
321人間七七四年:2007/03/18(日) 09:50:47 ID:xD0xQgW8
今川が実権を取り戻したのはいつだっけ?
322人間七七四年:2007/03/18(日) 10:36:39 ID:30NAfyhN
六代氏睦公の代だね
外戚執権の力を押さえ込んだ
まあ彼の治世は功の面と罪の面の差が激しくて
中興の祖とも、最悪の暗君とも言われてるけど
323人間七七四年:2007/03/18(日) 10:45:04 ID:VOvWdsHI
くじ引きで将軍になったのに、恐怖政治を敷いた魔王?
324人間七七四年:2007/03/18(日) 10:52:54 ID:30NAfyhN
>>323
誰かと勘違いしてます><
325人間七七四年:2007/03/18(日) 12:12:53 ID:ZHD2dxmo
>>322
氏睦公の出自は怪しすぎだな

でも、氏睦公の布いた賄賂政治も
もはや戦国の世では無くなった
あの時世の各地諸侯の勢力をそぐ政策として高く評価
されている。

現在の賄賂のイメージから、暗君とされているが
もっと再評価されるべきだろ
326人間七七四年:2007/03/18(日) 14:14:05 ID:UOkXMxMw
今川氏真は「天下蹴鞠」のハンコ作ったんだよな
かっくいい〜
327人間七七四年:2007/03/18(日) 17:22:11 ID:Jcveiq7P
黒船が駿河湾に来航したとき、無数の小舟で乗り付けて斬り合いに持ち込んだため、
ペリーたちの米軍は、碇の綱を切って退却したんだよな。あれは実質上の勝利だよな。
328人間七七四年:2007/03/18(日) 18:44:42 ID:wDGtY3E4
薩摩にイギリス艦隊が攻めてきた時なんか、鬼シマンズーの猛攻がカミカゼって言われたんだよな
329人間七七四年:2007/03/18(日) 19:24:49 ID:zglm6Cfy
初代・義元
二代目・氏真
三代目・松平元康(今川氏元)
4代目・松平信康(今川氏信)
五代目・氏昭
であってる?
330人間七七四年:2007/03/18(日) 19:54:45 ID:30NAfyhN
こうです
中学生以下ですか><

初代 義元
二代 氏真
三代 範以(執権 松平元康)
四代 直房(松平信康と品川氏高のに巨頭政治)
五代 氏堯(松平・北条・武田・品川間の権力争い) 
331人間七七四年:2007/03/18(日) 19:56:16 ID:wDGtY3E4
松平元康と信康は幕政を握ったとはいえ、将軍じゃなく執権だったのでは?
織田写楽斎(奇妙丸)らによる御前相撲での氏真公謀殺事件によって、
今川将軍家が一時的に衰退し、松平氏の執権政治になったんだよな。

だけど武田氏や北条氏の追い上げが激しくて独裁勢力になりきれず、
その抗争の隙をついて駿府譜代の幕臣たちがクーデターを起こし、
今川家による親政を復活させたんだろ。テストに出るよ。
332人間七七四年:2007/03/18(日) 19:57:22 ID:30NAfyhN
あ、品川高久でした;
333人間七七四年:2007/03/18(日) 19:59:57 ID:wDGtY3E4
>>330

確か教科書にそう載ってたような気がするから正しいのでは?
すまんが日本史赤点のオレには品川っていうのが誰だかわかんね
334人間七七四年:2007/03/18(日) 20:06:49 ID:30NAfyhN
氏真公の次男で別家を立てた人物
まあそれには松平親子の後押しが強いって話だけどね
直房公で将軍家の嫡流は絶えるから
氏堯公以降の将軍は大体品川家の家系から輩出してる
335人間七七四年:2007/03/18(日) 20:17:13 ID:wDGtY3E4
今川家の親政って言っても実際は大老や老中が取り仕切ってたわけだしな。
かろうじて、支配権力の名目まで奪われる執権政治の屈辱を返上しただけで。
執権松平氏も大老として抜かりなく政権に残って幕末まで健在だったし。
336人間七七四年:2007/03/18(日) 20:39:15 ID:Jcveiq7P
考えてみれば鎌倉幕府の再現みたいな感じだったな。北条さんもいるしなw
337人間七七四年:2007/03/18(日) 23:46:14 ID:ZIj7kFqf
って言うか、松平信康って誰だよ。
真康なら知ってるけど。
338人間七七四年:2007/03/18(日) 23:54:52 ID:8gDCcLaP
義元公股肱之臣
駿河の名将
朝比奈信置から「信」を一字貰ったんだよ

無論、桶狭間で自殺したやつから一字もらっているわけじゃないぞ
339人間七七四年:2007/03/19(月) 02:36:24 ID:q9dfB8nm
義元は桶狭間で
        う・ち・じ・に
                してるよ
その後の義元は
        か・げ・む・し・ゃ
                  だ
340人間七七四年:2007/03/19(月) 11:41:51 ID:ASyZnP3A
>>337
関東の名門結城家の養子になった結城真康ね
武勇に優れてたけど、ついにそれを発揮する場がなくて
不遇な人生だったらしいけど

>>338
仮にも一門衆の元康が嫡子の名を主君ではなく
本来格下の相手から一字取るというのは屈辱と考えたのか
(もっとも当時今川軍で八面六臂の活躍をした信置の武威にあやかったというのが真相なのだが)
後世の松平家の家系図では氏康になっているね
他の成人した兄弟は元康に嫌われていた忠輝を除いて
真康・真忠・忠氏・信氏・義直・以房・以信
と偏諱をいただいている
しかし九男の義直だけなんで義元公にさかのぼってるんだろうな?
341人間七七四年:2007/03/19(月) 17:11:34 ID:kL19gIIo
今川二代の再放送みたけど、やっぱり今川・武田・北条の連合軍が毛利討伐戦の時の回が一番すきだな。

実質上、天下分け目だったよな。
まぁ 上杉勢に蹴散らされる武田を氏真公が少数の兵で助けたのは勇ましかったからその回も良かったけど。
342人間七七四年:2007/03/19(月) 17:33:28 ID:r4IFMzaJ
どこかで聞いたのだが織田信長は桶狭間の合戦のときに
討ち死したみたいだけど実は死んでいないくてかつての友の
松平元康の側近になったと聞いたことがあるが?
343人間七七四年:2007/03/19(月) 17:35:11 ID:ASyZnP3A
>>342
例の天海=信長ね

344人間七七四年:2007/03/19(月) 17:36:45 ID:kL19gIIo
今川家が天下取ってなかったら、静岡はサッカーが盛んにならなかった。

さらに愛知県今川町が聖地となり、世界遺産には指定されなかった。

今川幕府がなければ、日本は世界大戦に破れていた。
345人間七七四年:2007/03/19(月) 17:38:16 ID:r4IFMzaJ
>>343
そんな噂があったとは驚きだ!
詳細を教えてください
346人間七七四年:2007/03/19(月) 18:09:26 ID:KrzpOnr8
俺歴史全然詳しくないんだけど、氏真公には興味がある。
誰か、スレタイ以降の年表書いてくれない?
347人間七七四年:2007/03/19(月) 18:50:14 ID:ASyZnP3A
>>345
『義元公記』には織田信長について、守護の斯波家の一奉行から尾張半国を仕切るまでになった父信秀の功績
信長の若い頃の奇行ぶり、そして桶狭間での無謀な玉砕についてしか記されていない。ここから見える信長は
まさに愚将としか判断のしようがない。しかし、最近信長はそれなりの器量を持った武将だったという説がある。

まず信長時代の尾張の勢力状況に関する資料は殆ど残っておらず、『義元公記』にもなんの記述もないため、
信長の器量を考えると、家臣の支えで父の手にした尾張半国を何とか維持していた程度という見解が一般的だった。
しかし、信秀時代には彼と争った尾張は対抗勢力は多かったが、義元公の尾張進攻以降、家名を存続している家が
一つも無い。合戦の形跡は無いし、義元公は降伏した相手を撫で斬りにするような方ではないから、守護の斯波家を
始めこれらは義元公の尾張侵攻前に滅ぼされていたと見たほうが自然である。つまり、実は信長は父の跡をついでか
らのわずかの年月で尾張を統一していたのではないかという説が近年有力になっており、一次史料などが見直されて
きている。また信長の器量についても斉藤道三が「わが息子達はうつけの馬をつなぐようになる」と評していたとい
う記録がある(信長の死後、「やっぱり思い違いだった」と述べるという後日譚は道三の没年を考えると確実に捏造)

ではなぜ、『義元公記』には信長の愚将の顔しかみえてこないのか?信長がいかな器量人であっても、義元公にとって
は路傍の石同然だし、信長をある程度の人物としておいた方がそれを破った今川軍の武威もこうせいにつたわるであろ
うから、今川家が信長の記録を抹消したとは思えない。むしろ犯人の有力候補となるのは、織田家で唯一大名家として
存続した信長の弟信行の家であると思われる。信行は兄と違い品行方正な人物で、尾張侵攻に際して信長の死により動
揺する家中をまとめ上げて、幼主奇妙丸(後の写楽斎)を立て降伏。家名と領民を守った賢君とされるが、最近、織田
家菩提寺の過去帳の弘治三年の頁に名がある信勝なる人物が実は信行ではないかという説がある。それ以降の織田家に
関する文書や書状にはに信勝はおろか信行の名は見られず、彼の永禄三年生存の可能性は低い。おそらく、信行と信長
の間に確執があって、信行は信長の手によって殺害され、後に家を再興した信澄が、叔父憎しの余り、信長の功績を抹
殺し、今川家にもそう働きかけたと思われる。また、織田写楽斎による氏真公暗殺事件も信長の功績抹消にかかわって
いると思われる。
348人間七七四年:2007/03/19(月) 18:59:42 ID:Kd/GmOL3
しかし、義元公って子沢山だよな。
1560年代に入ってから側室腹だが11男13女を設けている。
何か心境の変化でもあったのかな?
349人間七七四年:2007/03/19(月) 19:03:58 ID:ASyZnP3A
>>345
ここまでがかなり信憑性の高い話。ここからは話半分に聞いて欲しい。
伊勢の北畠中納言の日記に、「桶狭間で討たれた信長は実は、信長の元
近習でその数年前に歓喜を蒙って出奔していた前田又左衛門なる人物
で、本物は戦場を落ち延び僧形に身をやつして伊勢に潜伏してる。」
という噂がまことしやかに流れていたらしい(中納言自体は与太話と
一笑に付している。)。その話を膨らませたのが元康のブレーンの僧侶
で異常な長命で知られる天海が、旧知を頼って落ち延びた信長である
という説(一般的に元康の尾張人質時代は塗炭の苦しみを味わったとさ
れるが信長個人とは親しかったという説もある)。

天海の出自は会津の蘆名一族の支流という説が一般的だがそれにしても
謎が多く、歴史の表舞台に立つのが信長の死とほぼ前後するためそうい
う説が流れた。何といっても氏真公死後、執権・大老として権勢を振る
う松平三代を支えた怪人が今川家に滅ぼされた小大名というどんでん返
しが、話として面白いんじゃないの?
350人間七七四年:2007/03/19(月) 20:10:37 ID:ya6PP6Uo
物語としては面白いな
歴史小説家が喜びそうだ
351人間七七四年:2007/03/19(月) 20:14:40 ID:8jZ8lpcg
織田写楽斎の実名ってなんだっけ?
352人間七七四年:2007/03/19(月) 20:15:38 ID:ASyZnP3A
幼名は奇妙丸だけどすぐ出家しちゃったから俗名は無い
353人間七七四年:2007/03/19(月) 21:48:31 ID:kL19gIIo
しかし、義元公の最期の言葉が「雪斎待て、まだ昼間じゃ。」だったのが悲しいな。

まぁ氏真が蹴鞠の最中に心不全っつーのは爆笑。蹴鞠に生き蹴鞠に死んだ氏真だが、ヨーロッパ人は今のサッカーにおける4-4-2のフォーメーションが氏真の発明だって知ってるのかな?
354人間七七四年:2007/03/20(火) 03:02:51 ID:sWomYeRQ
でも義元公もエゲツナイことするよなあ
討った敵将の妹を側室にするなんて・・お市とか言ったっけ
お市との間に生まれた子供達って、その後どうなったっけ?
355人間七七四年:2007/03/20(火) 08:04:35 ID:awvYgQyD
お市の方はかなり義元公のご寵愛を受けたんだよな。子供たちもいろんな家を継いでる。
夜のほうも睦まじかったらしいな。「イク」っていう表現もお市の方の考案だしw
356人間七七四年:2007/03/20(火) 17:30:32 ID:yzrIV+Ft
ある歴史学者が言ってたけど、氏真公とお市の方は相思相愛だったようだ。
二人の禁断の愛は、歌舞伎にもなったし、戦前には映画にもなった。
当時、義元公も気付いていたが、御家のため黙殺していたらしい。
357人間七七四年:2007/03/20(火) 19:30:08 ID:awvYgQyD
義元公は、尾張侵攻の前に信長に恭順を勧めた時、お市を氏真公に娶ろうとしたよな。
ところが信長がそれを断ってきて、桶狭間で奇襲失敗して死んでからは 事情が変わった。

慈悲深い義元公は市の面倒を見ようとされたが、さすがに氏真公の妻にはできなかった。
それではあまりにも、滅ぼした敵である織田の血が、今川の直系に入りすぎるからだ。

それで義元公は、ご自身の側室としてお市の方を迎えられ、ご寵愛を加えられた。
義元公が52歳で亡くなられたのは、市を孕ませるための度を過ぎた閨事が響いてるよな。
358人間七七四年:2007/03/20(火) 20:40:37 ID:fc38XYM2
妄想スレは消えろ
359人間七七四年:2007/03/20(火) 21:02:23 ID:CbtF3iap
>>358
厳然たる歴史の事実受け入れられないなんてかわいそうな奴w
360人間七七四年:2007/03/20(火) 21:14:21 ID:fc38XYM2
今川厨こそ事実認めろカス
361人間七七四年:2007/03/20(火) 21:22:49 ID:fc38XYM2
今川ファック
362人間50年:2007/03/20(火) 21:24:11 ID:/+0nuvx2
結局、義元公は幕府開いただっけ?
363人間七七四年:2007/03/20(火) 21:38:51 ID:37JqG0cN
>362
今川焼きを売り歩いて全国を旅した人だよ。
364人間七七四年:2007/03/20(火) 22:26:33 ID:fIy/GvHU
ゆとり教育の弊害を受けた御子たちが出張ってきましたね(ry
春休み中にもう一度勉強しなおしなさい
365人間七七四年:2007/03/21(水) 10:25:11 ID:ODhz5xqM
ま、いつの時代にも今川アンチはいるからな
が、現実逃避が過ぎると、信長のように若くして犬死しちゃうから気を付けた方がいい
366人間七七四年:2007/03/21(水) 10:32:03 ID:31p6dSaH
レベルが低下してきたのはオレのエロネタが悪かったかw
367人間七七四年:2007/03/21(水) 22:05:15 ID:A9Es7xdy
今川焼きの普及で全国の甘党が生き延びた。
今川幕府の功績は大きいよな
ただある大きな飢饉の時に
「飯がなければ今川焼きを食べろ」
なんて姫様が言ったとか言わないとか‥
368人間七七四年:2007/03/22(木) 15:29:57 ID:N0z+GixB
違うだろ。その姫様は「この今川焼で飢えを凌いでたもれ」と
自ら駿府城下の民に施したんだよ。
369人間七七四年:2007/03/22(木) 21:03:43 ID:iA2YIq9T
>368
そういうことか(;_;)勘違いしてますた
やっぱり今川は偉大ですね。
370人間七七四年:2007/03/22(木) 21:41:36 ID:ia41n2WP
オイオイ、「今川焼き」って、降伏してこない敵将を徹底的に叩きのめすことだろ?
371人間七七四年:2007/03/22(木) 22:04:36 ID:7Y1aD8UK
まぁ 民に今川焼きばかり与えたせいで、一万人が糖尿になった「明暦の糖劇」はかなり有名だな。
372人間七七四年:2007/03/22(木) 22:11:33 ID:dKVQw/Yf
>>370
それは今川の徹底した攻撃を敵方がもじった言い方。
義元軍の今川焼を恐れた敵将は次々と降伏したわけだ。
もちろん菓子の今川焼が元なのは今更云わんでも・・・ねぇ。
373人間七七四年:2007/03/22(木) 22:23:24 ID:ia41n2WP
語源なんて単純で、今川がヤキを入れるから今川焼きだろ。日頃の練兵のたまもの。

それに、飢饉の時に飢えを凌げるくらいなら、菓子じゃないだろw
374人間七七四年:2007/03/22(木) 22:55:33 ID:J1tyo0Kw
今川焼きって江戸の今川橋の近くで売られていたから今川焼きじゃなかったっけ?
375人間七七四年:2007/03/22(木) 23:31:12 ID:jCan0PWj
元康が義元のために懐にいれて温めたから、今川焼きだろ
376人間七七四年:2007/03/22(木) 23:41:03 ID:zG/ZiKvK
今川焼きってギリシア火みたいな兵器じゃないの?
島津との対明貿易の利権争いが発展して発生した台湾沖海戦の際に使われたヤツ。
377人間七七四年:2007/03/22(木) 23:49:50 ID:3Vr3md3A
正直信長が桶狭間で討ち取られていたらコーエーのゲームの評価は散々だったろいうね。

織田家
          統率力  政治力 
織田信長     22     32   
柴田勝家     52     18
前田利家     42     38

ぐらいで終わりじゃない?

378人間七七四年:2007/03/22(木) 23:56:59 ID:3Vr3md3A
織田家 難易度 超難

評価
織田家は尾張の弱小大名で周囲を斉藤家、今川家、北畠家に囲まれて圧倒的に不利です。
配下の武将は二人しかない上に碌な能力じゃありません。
織田家が生き残る道は今川、斉藤のいずれかに従属して比較的攻略しやすい北畠家を攻略して勢力拡大を狙うしかありません。
379人間七七四年:2007/03/23(金) 00:49:16 ID:GVekJG9I
上洛の時に義元が作らせたんだろ今川焼きは
380人間七七四年:2007/03/23(金) 20:18:42 ID:gNQtLOWA
なぜ人により歴史観がバラバラなのか・・・

これも日本史教育が徹底されなかったツケか・・・
381人間七七四年:2007/03/23(金) 22:24:34 ID:DXiZb2uM
今川幕府とは・・・別名。富士幕府・東海幕府と呼ばれる。神君・義元公が室町幕府から将軍職を譲られたために完成した。
上洛前の配下には後の名宰相を出した松平。管領の朝比奈がいた。
天下統一の過程で同盟者だった武田に征西軍を北条に征東軍を任せ、今川本軍は畿内を完全に制圧した。
武田は信玄が反旗を翻すが、武田中納言義信が父・信玄を討ち義元に従った。
北条は東国を制圧した後に、関東管領として名を残すが、初期の頃は氏康が太田資正に討たれて弱小になっていた、しかし 義元公が援軍を送った為になんとかなったのだ。
382人間七七四年:2007/03/23(金) 23:43:53 ID:DXiZb2uM
武田は後に北九州を知行にし、初代の義信が中納言になったことから武田太宰中納言と称される。
北条は後に常陸を拠点にし、坂東の主となり、初代の氏政が大納言になったことから北条坂東大納言と称された。

長曽我部は四国を統一するのに今川の力を借りていたため、統一後に従順に従った。官位は土佐守ならびに左近衛少将であり、土佐少将と称された。
383人間七七四年:2007/03/24(土) 16:42:36 ID:8vi1ECF6
織田家のその後

織田信広 一向一揆で討ち死
織田信行 伊賀?表石1万石 実石3万石?
織田有楽 摂津5千石 のちに子孫が小大名
織田信包 伊勢5千石?
織田奇妙丸 (信長長男)出家

織田信雄 (出自不明) 上野5千石? のちに子孫が小大名
織田信孝 (出自不明) 北陸攻めで討ち死に


織田家は有楽や信雄など一芸にたけた人が多いな
信長も平和な時代なら文化人として生きたかも
まあ戦国大名としては落第点だろう
384人間七七四年:2007/03/24(土) 17:53:11 ID:qmKn+bfP
最近どっかの小説で木下籐吉郎が天下を制したとかいう内容のを見て爆笑した。
なんでも信長公記の続編とかいうふれこみで信長が暗殺された後籐吉郎が
名だたる家臣を討ち滅ぼしてついには天下統一して名前を豊臣秀吉に改めるんだとかw
大体豊臣なんて名字涼宮と同じで日本に存在しないのになに馬鹿書いてるんだろうな。
385人間七七四年:2007/03/24(土) 18:27:47 ID:OXtcNKJL
>>384
おいおい。豊臣姓は現在10世帯以上存在するぞ。
386人間七七四年:2007/03/24(土) 18:36:32 ID:ggKpY1/l
>>383

>織田信広 一向一揆で討ち死
甥の信澄が後を継ぎ、飯尾連竜謀反時、四国征伐、九州征伐などで活躍、
後に肥後宇土24万石を与えられている。

>織田信行 伊賀?表石1万石 実石3万石?
この人物は詳細は不明だが、義元公の尾張攻略以前に死んでいるはず。信澄の実父。

>織田奇妙丸 (信長長男)出家
織田写楽斎と言った方が分かりやすい。
氏真公暗殺犯として有名。

>織田信包 伊勢5千石?
>織田信雄 (出自不明) 上野5千石? のちに子孫が小大名
>織田信孝 (出自不明) 北陸攻めで討ち死に
そんな奴いたか?
387人間七七四年:2007/03/24(土) 20:21:18 ID:8vi1ECF6
>>織田信行 伊賀?表石1万石 実石3万石?
>この人物は詳細は不明だが、
>義元公の尾張攻略以前に死んでいるはず。信澄の実父。

間違えてました、たぶん信澄だとおもいます

>甥の信澄が後を継ぎ、飯尾連竜謀反時、
>四国征伐、九州征伐などで活躍、
>後に肥後宇土24万石を与えられている。

それは間違いでは?唐入りのあとならわかるんですが
さすがに織田にそんな大領与えないでしょう

>>織田奇妙丸 (信長長男)出家
>織田写楽斎と言った方が分かりやすい。
>。氏真公暗殺犯として有名。

冗談ばっかり〜騙されませんよ
388人間七七四年:2007/03/24(土) 20:40:16 ID:3KdCRYB3
>>387
氏真公は慶長19年に蹴鞠の最中に心筋梗塞で急死されたわけだが
その直前の勅使との会食の席にいた織田写楽斎による毒殺という噂が
当時からまことしやかに流れてるわけだ
389人間七七四年:2007/03/24(土) 20:42:15 ID:DZx+1x30
幕府の屋台骨を揺るがし、一時は松平氏による執権政治にまで将軍家を追い込んだ、
織田写楽斎による氏真公謀殺事件を知らんとはいかんな。若者の文系離れも甚だしい。

信長玉砕時に3歳だった奇妙丸を、心優しい義元公は殺さずに出家させたんだよな。
しかし、その寺の境内で相撲見物とは、氏真公も迂闊だよ。元康黒幕説もあるけどな。
390人間七七四年:2007/03/24(土) 20:44:34 ID:3KdCRYB3
信長玉砕時に3歳だった奇妙丸を、心優しい義元公は殺さずに出家させたんだよな。
しかし、その寺の境内で相撲見物とは、氏真公も迂闊だよ。元康黒幕説もあるけどな。

>あれ『今川実記』と当時の一次資料で食い違いがあるんだっけ;ごめん
391人間七七四年:2007/03/24(土) 20:52:43 ID:8vi1ECF6
おもしろい説ですけど(^^)ありえないです
392人間七七四年:2007/03/24(土) 21:51:19 ID:Q/FmDymE
>>388

普通に考えて、蹴鞠で心臓発作なんて起こすとは思えないよ。
サッカーとかいうのは伝播先の欧米で変形派生した亜流。

けまりって庭で円になってリフティングみたいのやるやつだよ?
その最中に死んだという説が本当なら、それは毒殺なわけだが…

写楽斎が氏真公を斬殺し、その場で元康に成敗されたんだろ。
「今川実記」って読んでないから、蹴鞠説の詳細はわからないが。
393人間七七四年:2007/03/24(土) 22:09:35 ID:lZKD06ok
「今川実記」と「義元公記」では歴史書としてどっちが良質ですか?
394人間七七四年:2007/03/24(土) 22:15:20 ID:3KdCRYB3
>>393
「義元公記」は義元公の祐筆の小田馬一が記したもの
「今川実紀(記は誤記だった;)」は嘉永年間に編纂された幕府公式の資料

確実性では実紀のが上
395人間七七四年:2007/03/24(土) 22:17:21 ID:3KdCRYB3
逆だ
義元公記のが上;
396人間七七四年:2007/03/24(土) 22:17:53 ID:Q/FmDymE
写楽斎って、悪口「しゃらくさい!」の語源になっているんだよな。
しかし、命を捨てて父親の仇を討ったことを潔しとする向きもある。

実は、この件では元康ないしは元康の重臣との間に密約ができていて、
その裏をかいた元康が口塞ぎのために写楽斎を討ったとも言われてる。

これを機に松平氏は執権として幕府の頂点に登りつめたわけだしな。
しかし、北条や武田が黙っていなかったことは歴史が示す通りだ。
397人間七七四年:2007/03/24(土) 22:20:01 ID:3KdCRYB3
>>396
その後の権力争いは氏真公の次男の品川高久の存在も見逃せないよな
398人間七七四年:2007/03/24(土) 22:28:08 ID:Q/FmDymE
北条と武田が結託して執権政治に圧力をかけたものだから、
松平氏は全権を掌握しきれなくなって勢力に翳りが生じた。

その隙に高久公はじめ今川譜代が挙兵して駿府と京都を制圧、
松平とも和睦しつつ将軍家による親政を復活させたんだよな。

でも将軍の直接の権勢は義元公のときが最高で、それ以降は
親政の谷間に大老が実権を担ったりしつつ今に至ってるんだよな。
399人間七七四年:2007/03/24(土) 22:42:47 ID:3KdCRYB3
そういや歴代公方っておおむね短命だよね…
氏真公の77歳が今の所最高だし(ただし御前相撲暗殺されたとすれば61歳)
400人間七七四年:2007/03/24(土) 22:44:13 ID:IF9LgzJR
世界大戦のときの今川将軍家はどんなかんじだったの?
日本史苦手な俺に教えてくれ
401人間七七四年:2007/03/24(土) 22:47:05 ID:3KdCRYB3
将軍家が陸海軍の暴走を抑えたから日本は戦勝国になったんじゃないか
しかしその後、朝鮮半島の近代化は成し遂げられたとおっしゃって
独立させたのは失敗だったな
402人間七七四年:2007/03/24(土) 23:06:00 ID:DZx+1x30
氏真公暗殺事件は82年だから、幕府は義元公の薨去後数年で二代将軍を失ったわけだ。
蹴鞠の最中にマリを落としそうになって心臓発作で亡くなったなんてのは落語の話。

明智光秀が朝廷との折衝を成功させて、執権政治の形で幕府存続となったんだよな。
高氏公による親政回復と国制改革によって、今川幕府は輝きを取り戻して今に至る。
403人間七七四年:2007/03/24(土) 23:08:57 ID:JimW4eD7
国益を損なう事無く、欧米の植民地支配打破のきっかけを作ったのは偉大だな
隣はああだが、東南アジアだとかなり感謝されてる
404人間七七四年:2007/03/24(土) 23:12:25 ID:JimW4eD7
高久公自体は将軍職には就いてないけど、品川家からは何人も将軍を輩出してるね
405人間七七四年:2007/03/24(土) 23:24:27 ID:DZx+1x30
ペリーの黒船を契機とする米冦を撃退、薩英戦争にも勝利し米英から賠償金を獲得。
しかし、清国とロシアは各個撃破してれば良かったのに、大戦に持ち込んで実質敗戦。

ヒトラーやムソリーニを説得して、賠償金を支払って早期降伏したあたりは流石だよ。
徹底的な殲滅戦法「イマガワヤキ」は、戦国60年越えた現在でも語り草になってるね。
406人間七七四年:2007/03/25(日) 02:17:55 ID:ijtGJ8uW
まずい、最初の方と話が食い違ってきてるW
407人間七七四年:2007/03/25(日) 02:50:04 ID:s6QwR6aw
終戦後の世界は、ロシアと清国がリードした。ロシア・清国ともに皇帝制を維持。
米英が慢性的な経済難に喘ぐ中、日独伊や仏などは順調に戦後復興に成功し繁栄。
408人間七七四年:2007/03/25(日) 07:39:46 ID:Vofw4Rc/
現在の今川家当主について誰か詳しく
409人間七七四年:2007/03/25(日) 09:39:58 ID:s6QwR6aw
常任理事会に出てるよ。ほかは両帝国と、共産化した米英、ドイツの総統がメンバー。
ロシア正教会やカトリックと協力し、イスラム世界との対話にも貢献しているね。
410人間七七四年:2007/03/25(日) 10:43:47 ID:WUboOMoy
アインシュタインっていうドイツ生まれのユダヤ人科学者が、
ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡ったという記録がある。

それを辿っていくと、どうも彼は「原子力」(核分裂)っていう、
例の大量殺戮兵器のもととなる原理の研究テーマを持っていた。

もちろん、彼自身はそのような忌まわしい殺人の目的ではなく、
人類の発展に貢献するための純粋な科学として考えていた。

しかし、それを亡命先のアメリカの政府や科学者が利用して、
「原子力爆弾」っていう恐るべきものを作り出したらしい。

それこそあの時に日本が、今川将軍家の優れた舵取りによって、
賠償金を支払って早期降伏しなければ、実戦使用されていた。

研究データと原料のウランが廃棄され、世に出ることのなかった、
原子力爆弾(別名「核爆弾」)の、正確な殺傷力は不明である。
411人間七七四年:2007/03/25(日) 11:25:16 ID:s6QwR6aw
亡命先が貧乏なアメリカだったために、実戦用の開発が遅れたことも幸いだったよな。
最初ロシアに亡命するつもりだったのが、チャップリンの誘いで米国にしたんだよな。

今川幕府がペリーの米冦を今川焼きで撃退し、莫大な賠償金を取ったのが大きかった。
今の常任理事国・日本があるのは、将軍家とチャップリンさまさまなんだよな。
412人間七七四年:2007/03/25(日) 11:57:20 ID:WUboOMoy
>>411

まとめると…

《常任理事国》

清国(皇帝制) ロシア(皇帝制) アメリカ(共産制)
イギリス(共産制) 日本(幕府) ドイツ(総統制)

《世界の宗教》

ロシア正教…ロシア帝国の国教で世界最大の教団 
カトリック…ドイツ、イタリア、フランス
プロテスタント…米国の公認教会(祖国基督教団)
英国国教会…国王退位に伴い共産党の管轄となる
イスラム…アフガンやイラクをはじめアラブ諸国
清国・日本…こういうのを何宗教っていうんだろ?
413人間七七四年:2007/03/25(日) 12:35:54 ID:s6QwR6aw
寺とかもあるけど、オレなんかが普通に教会行けてるってことは自由なんじゃないか?
共産化した米英は大変だよな。ロシア皇帝がペレストロイカ勧めても聞かないし。

とにかく、上様がヒトラーに降伏を決意させた、あの電話の録音は貴重な史料だよな。
あのあとヒトラーはユダヤ人に謝罪したし、占領を免れて統一国家を維持できた。
414人間七七四年:2007/03/25(日) 17:07:13 ID:AkX4Hjy5
考えてみりゃ上様のおかげで今の世界があるようなものなんだな。
一時松平に押されてたけど今川家のすごさは室町時代から変わってないな。
415人間七七四年:2007/03/25(日) 17:41:51 ID:WJP8iqDm
なんだかんだでお上を批判的に語ることも許されてるしな
416人間七七四年:2007/03/25(日) 18:14:37 ID:usXAeriC
>>415
今川家の施政で最も評価すべきはそこであると書き残したのって、
松平の分家の和歌山少将の主税頭頼方だったっけ?
417人間七七四年:2007/03/25(日) 18:53:37 ID:s6QwR6aw
大戦での上様の絶妙な幕引きのおかげで、その後の世界は大きな戦いもなかったよな。
清・露の大陸陣営、米英の共産陣営、日独伊の枢軸陣営の三大勢力が牽制しあってた。

特に米英の属領をめぐって一触即発の時期もあったが、バランスを崩せる国はなかった。
もしあの時、清が真珠湾を爆撃してたらと思うと恐ろしいよな。でも上様が阻止した。
戦争がなかったので、核兵器は一度も使用されないまま研究データと共に廃棄されたし。

アラブ諸国との対話も、正教会と日本が担ったんだよな。今はテロのテの字もない。
戦争と核の脅威のない今の世界になってるのは、本当に上様のおかげと言える。
418人間七七四年:2007/03/25(日) 19:25:57 ID:to3Rpslm
>>416
和歌山は品川高寛が賜っている。
松平頼方は越前葛野3万石(実高1万5,000石)の領主。
419人間七七四年:2007/03/25(日) 19:31:37 ID:WUboOMoy
インドとパキスタンを和解させたのも上様だったよな。
戦争もしたけど、後の平和のために貢献もしてるんだよな。

唯一朝鮮だけは、清の属国だったのに革命を起こそうとして、
皇帝直属の軍隊によって一ヶ月で攻め滅ぼされてしまった。

こんど征夷大将軍職を選挙制にするなんて言っているけど、
選挙なんてしないでいいよな。将軍はずっと今川の殿様でいいよ。
420人間七七四年:2007/03/25(日) 20:52:38 ID:s6QwR6aw
そう言うお前は、今度の第一回将軍選挙ではもちろん上様に投票するんだろうな?
421人間七七四年:2007/03/25(日) 21:03:10 ID:WJP8iqDm
その前に将軍職を公選にするかの法度改正の国民投票あるだろうが
422人間七七四年:2007/03/25(日) 21:24:22 ID:s6QwR6aw
今川将軍家の傍流が建てた富●写眞機が、こんど新製品の「写楽斎」を 売り出すよな。
あと、静岡茶の某メーカーが発売した「ヲーイ茶の湯」は不朽の大ロングセラー。

サッカーとかいう蹴鞠の派生競技に参戦した清水蹴球団は、抜群の戦績をあげている。
423人間七七四年:2007/03/25(日) 22:05:54 ID:AkX4Hjy5
「ヲーイ茶の湯」か…
今まで家で飲む物だった抹茶をペットボトルに入れて持ち運べるようにした画期的な新商品!
お茶って言ってもムギ茶や緑茶もあるけど俺はやっぱり抹茶だな。

これから暑くなってきたら常備携帯するようになるな
424人間七七四年:2007/03/26(月) 04:15:36 ID:N3Xhgsx8
一つ意見すると、サッカーは亜流だからといって、W杯本戦の予選リーグだけ出て、
決勝トーナメントには出場をボイコットしてるのはいただけないよな。中途半端だよ。

こないだも幕府の方針に抗議して、ヒデが突如の引退を表明したよね。気持わかるよな。
425人間七七四年:2007/03/26(月) 08:58:00 ID:s2vFRivo
ヨシヤボ革新で信長で始めたら、最初の襲撃義元統率118+14、知略120+10
(独自戦法「威光」)の15000と朝比奈泰朝統率98 知略92
の9500に対してどうやって凌げばよいのでしょうか?
しかも上級でやってしまっていて・・ 
迎撃しても氏真や元康の流言が確実に決まるし。。 
426人間七七四年:2007/03/26(月) 09:25:15 ID:w20kItQm
革新は花倉の乱シナリオでやると
今川が北条に潰されたりするから笑える
427人間七七四年:2007/03/26(月) 11:48:53 ID:2/87c1n8
>>425
そんなもん初級でも無理だよな
428人間七七四年:2007/03/26(月) 12:59:38 ID:w20kItQm
>>425
民族大移動で伊勢に殴り込めば何とかならないも無い
429人間七七四年:2007/03/26(月) 21:25:46 ID:gEw703RS
義元公がもう少し長生きしていたら朝鮮を踏み潰してしたものを
430425:2007/03/26(月) 21:53:10 ID:s2vFRivo
アドバイスありがとうございます。
今やってるシナリオは尾張併合です。
義元が攻めてくる前に北畠に全軍突撃・・しましたが、偽報で全く進みません・・
でもネットでは確かに信長でクリアしている方もいらっしゃるので方法は
あるはずなのですが・・
今川は名声1800なのでとても同盟なんて組んでもらえないし・・



431人間七七四年:2007/03/26(月) 22:08:58 ID:w20kItQm
烈風伝の時は織田でもかるくクリアできたんだけどなぁ…
432人間七七四年:2007/03/26(月) 22:24:22 ID:YDjVxbIq
一番すごいのは天皇家と将軍家を融合させ、幕府と朝廷を一つにした十代将軍今川氏仁と時の大老・松平仁康。

この二人がいなけりゃあ倒幕とか攘夷とかやっかいなことになっただろうな。
433人間七七四年:2007/03/26(月) 23:33:41 ID:PyBsAq6T
4代直房公死後の将軍位継承をめぐるゴタゴタにも興味がある。
執権松平家、北条家、武田家の絡み、それに駿河、尾張、紀伊の御三家の三すくみ状態も興味深い。
ところで氏堯公って結局誰の子だったんだろう。
一説に言われる、義元公三男葛山元貞公の曾孫説って本当だろうか?
434人間七七四年:2007/03/26(月) 23:57:17 ID:s2vFRivo
>>431 烈風伝って、確か織田は独立勢力だったから使えなかったはず!
435人間七七四年:2007/03/27(火) 00:26:53 ID:Adjyd+rw
武田信虎って、今川家家臣になって活躍したんだっけ?
436人間七七四年:2007/03/27(火) 01:00:38 ID:bxQAiMAe
>>434
PS版では独立勢力だけど、PC版では一応独立大名
当主信長は智謀は最低だけど、戦闘はそこそこで鉄砲が意外と強いので篭城すれば結構いける
シナリオにもよるけど、後に今川家で活躍した佐久間信盛もいるので、弱小の中では恵まれている方だと思う

ただ歴史イベントの桶狭間でボロボロになっちゃうけどな
437人間七七四年:2007/03/27(火) 07:53:23 ID:gB4jnp9+
弱小でもがんばれるのが群雄伝だよな
運がよければ武田と今川が潰しあってくれるし、信長も能力シャッフルで平均50前後まで持ってけるからな
佐久間信盛や滝川左近が引き抜かれた時は悲惨だったけど。
438人間七七四年:2007/03/27(火) 09:32:33 ID:S43z45ki
>>436
ドマイナーな局地戦のイベントなんて無かっただろ
信玄入道反逆はあったけど
嵐世記で作ったが
439人間七七四年:2007/03/27(火) 09:41:26 ID:S43z45ki
>>437
滝川左近って
桶狭間で奮戦して唯一今川の武将クラス(由比正信だったか)を討ち取ったってのと
その後尾張と伊勢でゲリラ活動展開したってだけで評価高すぎじゃね?やっぱ「影武者徳川家康」と「SAKON」のせい?
結局3年で討たれてるし(生存説あるけど)武力も智謀も80台超えなんてありえねぇ(智謀なんて朝比奈信置より高い)
440人間七七四年:2007/03/27(火) 09:43:01 ID:S43z45ki
>>439
間違った今川義元だ
徳川家康って誰だよ;
441人間七七四年:2007/03/27(火) 17:49:57 ID:jmVuqfZi
義元公の影武者してた草の者が、のちに功労を認められて領地をもらって旗本化した。
その時に義元公から貰った名前だろ。康の字ついてる けど、執権松平氏とは関係なし。
442人間七七四年:2007/03/27(火) 18:31:32 ID:gB4jnp9+
>>439
群雄伝は今ほど研究が盛んじゃない時代に作られたからな。20年以上前だっけか
そもそも智謀なんてない時代のヨシヤボだ。有名度に能力が比例するようなもんだし
そんな時代から評価高かったのは、天晴れな戦いぶりが民衆受けして広まってたんだろう
443人間七七四年:2007/03/27(火) 18:35:28 ID:S43z45ki
>>442
いや群雄伝だけじゃなくシリーズ通してよ
覇王伝までは猪武者だったけど、天翔記から急に能力評価高くなったよな
444人間七七四年:2007/03/27(火) 20:33:43 ID:sqC++zYH
左近って本名は滝川数増だっけ、あまりにも変な名前だよな。
そのゲリラ活動は「怒りのアフガン」って映画になってるよな
445人間七七四年:2007/03/27(火) 21:26:44 ID:G8gDA/gU
でも信長みたいに無能な奴でも家督継げるのだから、戦国時代も楽勝だな
案外能力あったりして
446人間七七四年:2007/03/27(火) 21:58:42 ID:S43z45ki
>>445
>>347みたいな話もあるからな
447人間七七四年:2007/03/27(火) 22:35:02 ID:qSKZAwqI
義元公が武士らしく戦い将軍になったが、氏真公は貴族文化を理解してたから朝廷から征夷大将軍だけじゃなく、関白と太政大臣ももらえたんだろうな。
さらに蹴鞠においては、前人未到の十試合連続ハットトリックしたしな。
今もFIFA本部にはペレと氏真公の銅像がある。
さらに監督としては十シーズン無敗とそちらもかなり素晴らしい。
448人間七七四年:2007/03/28(水) 01:06:24 ID:o5erZ2ik
>>445
一条兼定
449人間七七四年:2007/03/28(水) 22:18:04 ID:iSD+TEyn
氏真がサッカーの戦術で生み出した「Kemary」(ケマリー)はあまりに有名。

ケマリーは地面に落とさずリフティング〜パス〜リフティング〜パスで相手ゴールまで攻め込む高等技術。
日本はここ最近までケマリーを使用して負け知らずだった。しかし、海外サポーター達のツマラナイ!と言う指摘から日本は今大会にてケマリーを封印して戦い、準決勝でブラジルに破れてしまった。
これをベルリンの絶望といい、監督の今川元気(今川氏・浜松宮)「80才」監督はこれにて監督職を辞任。選手を四十才でやめ監督職は八十才で辞めることになった監督を皆が涙を流して見送った。
後任は今川真ニ(今川氏・越後宮)「34才」が就任予定。今川真ニは選手時代に今川元気監督に育てられ、今大会で引退した人物。
450人間七七四年:2007/03/29(木) 21:48:49 ID:xPh1i9ow
WW2最優秀戦闘機は駿河飛行機・今川真平技師の四式戦闘機「蹴風」だよな。
451人間七七四年:2007/03/29(木) 22:18:51 ID:dtYDsPQj
戦闘機なら大戦時の『駿河』とかが好きだな
欧米諸国から『イマガワファイター』とか『ケマリファイター』とかいって恐れられたやつ
452人間七七四年:2007/03/29(木) 23:20:54 ID:cyCKO382
負けそうになったアメリカが切羽詰まって原爆を積んだB29を日本上空に飛ばしてきた時
見事撃墜してくれたのも駿河だったよな。もちろん戦後明らかになった事だけどね。
453人間七七四年:2007/03/30(金) 01:29:07 ID:MerJzvTo
しかし隆慶一郎・原哲夫コンビの力で一気に鵜殿慶次郎氏益が有名になったね
454人間七七四年:2007/03/30(金) 01:31:18 ID:LcOw8sd0
機動性に優れた駿河だったからこそ必殺技の『今川焼き』でアメリカ軍を撃退することができた。
結局アメリカ軍は上様が講和なさるまで『今川焼き』の攻略法をみつけることができなかった。

講和後も駿河は日本海軍の主力戦闘機となり後の戦闘機や自動車なんかにもその技術が受け継がれた。
まぁ戦後の高度経済成長は上様の工業大国日本を謳った政策にもあるんだけどね。
455人間七七四年:2007/03/30(金) 05:08:52 ID:kBiHUk2r
しかし、上様の税はあまりにきついような・・
他の国はもっと貧しいと上様はおっしゃるが・・
456人間七七四年:2007/03/30(金) 14:50:59 ID:LcOw8sd0
北欧のスエーデンなんかは税率が日本より高いらしいな

でも上様はちゃんとした政治を行ってくださるから税もちゃんと払う気になる。
上様のおかげで日本は世界一位、二位を争う国になったんだぜ?
457人間七七四年:2007/03/30(金) 16:22:30 ID:ukzlrblw
しっかし、武田財閥が完成させた戦車「馬場」「高坂」はすばらしい。
たしか、名前の由来は上様の家臣の武田の臣下だったな。


日本の空母の名前は武田財閥がつくった「朝比奈」「松平」「雪斎」が有名だな。
458人間七七四年:2007/03/30(金) 22:10:24 ID:J84BwPmW
俺んちの漁船は織田丸…なんでも先祖が織田家に繋がるらしい。そもそも織田家がなんなのか知らないんだけどね
459人間七七四年:2007/03/30(金) 23:00:53 ID:ukzlrblw
織田かぁ 
普通の武将の家だな


今川はほとんどの大名家の領国を安堵したのに毛利とか織田はかなり攻撃されたよな。毛利は安芸の安堵はされたけどさ。ただ小早川と吉川は九州で戦死したのが毛利にとっては痛かった。
もっとも九州は島津のものだったから大名みんな苦戦したんだけどな
460人間七七四年:2007/03/30(金) 23:04:23 ID:qkZqAUzO
>>459
毛利と織田を並列するとはwwww
461人間七七四年:2007/03/31(土) 03:23:27 ID:DBXVSQmu
織田なんかと同列にされるとか毛利に失礼だな
例え結末は同じでも一時中国地方を支配した毛利と桶狭間で自殺した織田じゃ天と地の差

織田は勝手に潰れたけど毛利は義元公も苦戦したのに
462人間七七四年:2007/03/31(土) 14:16:36 ID:4y0B/IaL
このスレの意味が分からん





463人間七七四年:2007/03/31(土) 14:38:38 ID:b7N/5k13
>>462
いくら義元公の活躍が万人の知る所であっても研究は常に必要なんだぜ?
464人間七七四年:2007/03/31(土) 16:31:10 ID:Xom+0+PK
話が現在と掛け離れすぎ
織田写楽斎はねえよwww
465人間七七四年:2007/03/31(土) 20:20:23 ID:1msnWdZH
なあ、戦国の代表をホトトギスの歌で例えたやつ忘れたんだけど義元公は
鳴かぬなら…なんだったっけ?
466人間七七四年:2007/03/31(土) 21:13:52 ID:LThcVieC
義元公と元康、義信が読んだやつだな…度忘れしちゃった
467人間七七四年:2007/03/31(土) 21:30:04 ID:5zaOq4c3
>>465 やるなお主。

鳴かぬなら、それもまた好し、ホトトギス

だったかな?

大身の余裕か、寛大なのかいまでも研究されているね
468人間七七四年:2007/03/31(土) 22:27:23 ID:oMMnnO7J
>>467
あーそれだそれだ。すっかり忘れてたよ。
義信は確か

鳴かぬなら、自分が鳴こうホトトギス

だったよな。
469人間七七四年:2007/03/31(土) 22:37:10 ID:5zaOq4c3
元康のは有名で
鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス
なんだよな。結構意味深で、今川が潰れるのを待ち
ひたすら機会到来を狙ってたという意味なんだよね。
結局、執権ながら事実上天下人になったから、執念とは凄いね。
470人間七七四年:2007/04/01(日) 01:46:55 ID:LqJp7T7Q


        鳴かぬなら 品種改良 ほととぎす
471人間七七四年:2007/04/01(日) 04:29:50 ID:81MMng/W
今川=東大
武田=京大
徳川=一橋
北条=東工
472人間七七四年:2007/04/01(日) 09:08:59 ID:7bFs16lF
織田=東京造形大w
473人間七七四年:2007/04/01(日) 14:59:31 ID:YcT53p52
いくら妄想といえども義元が信長の奇襲攻撃で討ち取られたなんて無理ありすぎ
474人間七七四年:2007/04/01(日) 17:58:47 ID:IVwqu4nr
奇襲攻撃じゃないし。正面から堂々と攻めて今川義元が親衛隊を連れて大高城へ
逃げるのを追いかけて討ち取ったんだし。服部小平太が槍で傷を負わせて毛利新助が
討ち取ったんだよ?
475人間七七四年:2007/04/01(日) 18:42:32 ID:uXw3G2LQ
>>474
四月馬鹿乙
476人間七七四年:2007/04/01(日) 19:54:23 ID:40Vux+wc
>>474
大丈夫か?何かゴチャゴチャしてるけどw

テストに出るぞ〜
477人間七七四年:2007/04/01(日) 22:19:18 ID:IVwqu4nr
だーかーらー今川義元は田楽狭間で討ち取られたし跡を継いだ氏真は馬鹿すぎたから
家を潰したんだって。で、後に氏真は恥も外聞もなく親父の仇に茶器を献上して
目の前で蹴鞠を披露したんだぜ。あんなクソ評価に値しないよ
478人間七七四年:2007/04/01(日) 22:30:22 ID:Xpz1p1mi
鳴かぬならって言う奴なら北条氏政のもあるじゃん!

鳴かぬなら
餌をあげよう十姉妹(ジュウシマツ)

もはやホトトギスじゃないけどさ。
479人間七七四年:2007/04/01(日) 22:39:38 ID:2myqIq77
今日はエイプリルフールだし織田厨の妄想は笑ってスルーしようぜ

まぁたまに来る織田厨はいつもスルーされてるけどな
480人間七七四年:2007/04/01(日) 22:58:10 ID:40Vux+wc
>>477
お前さ、ひろゆきに迷惑かかるから政権批判は
違う形でしてくれ。ホント頼むわ・・・
481人間七七四年:2007/04/01(日) 23:07:09 ID:cnN4EZlN
風の噂だがひろゆきは母が織田信長の家系、父方が今川義元の家系と
聞いたことがあるのですが?
482人間七七四年:2007/04/01(日) 23:14:41 ID:IVwqu4nr
なあ…さっきからドアが叩かれてるんだけどどうしたらいいだろう。
なんか「公安だ!ドアを開けなさい!」とか言われてるんだけど……
どうしよう、氏真公はクソとかいうんじゃなかた誰か助けて
483人間七七四年:2007/04/01(日) 23:18:01 ID:cnN4EZlN
いまから>>482の家に突撃する。



     | 火風||/'     \
     | 不徐/ /  _◆_|             _______
     | 動/__ / - -||           /
     |  /__ / __  /|   ____<   侵す事火の如し!
     | 山侵/ \__| ̄| ̄  /      \\
     |  Λ 1  /___|  /    ●  ● |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ̄/ |_| /| |  |Y  Y       \        ____
      /___| |_| | |/ |   |       ▼ |      /
   / ̄| /| |_/  ̄ ̄  \/      _人_| o ○ |   強姦!
  /  /_ |_|_|イ              _/      \
  |      |   |                |           ̄ ̄ ̄ ̄
 |      /  /                |
 |     /  /             |  /

484人間七七四年:2007/04/01(日) 23:24:15 ID:IVwqu4nr
うは管理人かぎあけTおW
485人間七七四年:2007/04/02(月) 00:16:07 ID:IdOC5tF3
>>484はどうなったんだ?
寛大な今川家将軍のことだから
まさか死刑はないと思うが…
486人間七七四年:2007/04/02(月) 00:28:19 ID:uFVyY5Th
僻地につれていかれて労働くらいだろ
ちゃんと働いて心を入れ替えれば帰ってこれる
487人間七七四年:2007/04/02(月) 02:13:37 ID:UrZ6vaV9
今川の世は変えられないにゃ。
公安ことお庭番衆にはプライバシーもクソもないから今川批判はすぐ盗聴される
488人間七七四年:2007/04/02(月) 09:56:37 ID:hPQVkIye
な〜な
>>481がすごい事をいってる気がする
489人間七七四年:2007/04/02(月) 14:21:28 ID:p5SW9Oyg
>>481
風はしゃべらへんやろ〜おーじょーしまっせ
チッチキチー
490退屈@親父:2007/04/02(月) 15:07:45 ID:+7f6TVp6



age




491人間七七四年:2007/04/02(月) 19:28:01 ID:ic1UBcLB
>>481
今川はともかくとしてそんな没落した家の家系なんて分かるわけないだろ。
それに今川家の血統は詳しい参考本が出てるから調べればすぐ分かるぞ。
捏造乙
492人間七七四年:2007/04/02(月) 20:46:18 ID:UrZ6vaV9
今川家の家系捏造は罪になるから止めた方がいいぞぃ。執行猶予無しで懲役五年以上、懲役十年以下の実刑だからな
493人間七七四年:2007/04/03(火) 13:01:09 ID:8P8QhkUT
あげ
494人間七七四年:2007/04/03(火) 19:32:08 ID:MBsGhbFV
そういえばこの間新たに見つかった史料で徳川家康が焼き味噌だって偽って
氏真公に自分のうんこを食べさせたって記述があったんだけどお前等的にどう思う?
495人間七七四年:2007/04/03(火) 22:10:39 ID:axe12mTp
徳川家康?義元公の影武者だった奴がか?
496人間七七四年:2007/04/03(火) 22:11:56 ID:axe12mTp
徳川家康?義元公の影武者だった奴がか?
497495:2007/04/03(火) 22:12:52 ID:axe12mTp
あれ?スマン連投してた…orz
498人間七七四年:2007/04/03(火) 23:05:58 ID:7WczhaPB
>>494
それは資料ではなく50年前のタブロイド紙。
しかし当時からすげーこと書くな「駿スポ」はwww
499人間七七四年:2007/04/04(水) 12:43:26 ID:cZgr9O5v
コナン=新一
松平元康=徳川家康
500人間七七四年:2007/04/04(水) 19:27:01 ID:Hm+emP78
両方ありえない
501人間七七四年:2007/04/05(木) 11:31:54 ID:OLucKpBk
ついに将軍家が拉致問題に本腰を入れるらしい
502人間七七四年:2007/04/05(木) 21:05:14 ID:78WVceGn
かの国に今川焼を喰らわすか
503人間七七四年:2007/04/05(木) 21:14:59 ID:ylygYDA2
まさか今川焼きを発動するというのか…流石にまずすぎるだろ。
北朝鮮のあった場所がが丸ごと地球上から消えてしまうぞ…
504人間七七四年:2007/04/05(木) 21:46:26 ID:ECQBZFkf
核は禁止でも、今川焼きは禁止されていないなんてな・・・。
ある意味反則
505人間七七四年:2007/04/05(木) 23:11:25 ID:7MpUm0Fx
温厚な上様のことだしいきなり軍事行動はなさらないだろう。

まぁこれからも北朝鮮が上様に対して失礼な行為をしたら別だろうが…
その時は世界一位二位を争う我等が日本軍(今川軍)の今川焼きが炸裂するだろうな
大戦時にアメリカ軍でさえ打ち破れなかった今川焼きを最新設備を持った今の日本軍がやったら…
考えただけで恐ろしい…
506人間七七四年:2007/04/06(金) 06:26:22 ID:PVq4ykOD
今の幕府の最新技術をもって、徹底的な砲火殲滅の今川焼きを北朝鮮に食らわしたら、
北は消滅だし、南朝鮮の国土も、運良く残ったとしても無人の孤島になっちまうな…
507人間七七四年:2007/04/06(金) 20:49:30 ID:XZELvHHe
ここまで上様に堂々と対抗するとは北の将軍様とやらは何を考えてるんだ?

黒船でやってきたペリーも大戦中のルーズベルトやチャーチルも上様に対してここまで対抗しなかったのに…
北の連中はよほど自信があるのかただ単にバカなのか
508人間七七四年:2007/04/06(金) 21:58:17 ID:it3y545/
>>507
対抗なんかしてないでしょ?
ただ、拉致問題の解決に現将軍は命を懸けているから、同じ土俵に
上がってやっただけ。
それを奴らは計略の賜物だとか我が国は軍事大国だからと勝手に
思い込んでるわけさ。
乞食猛々しいよな。
509人間七七四年:2007/04/06(金) 22:54:28 ID:PVq4ykOD
政府開発援助の別名が「織田」っていうのは何でだろう?
「松平」とか「武田」「北条」でも良かっただろうに 。
510人間七七四年:2007/04/07(土) 00:11:59 ID:wicGEqWd
あれは「おーでぃーえー」って読むんだろ。
511人間七七四年:2007/04/07(土) 00:50:32 ID:nebBmNjt
それでもローマ字読みしたら『織田』になるのが気に食わないな
信長のことを指していないと意識してもなぁ…
512人間七七四年:2007/04/07(土) 02:14:23 ID:9M8p4ddj
よく一瞬で消し飛んだ弱小のことなんか気にしてるよなみんな
513人間七七四年:2007/04/07(土) 04:13:44 ID:wicGEqWd
でもさ、天正十年の氏真公暗殺事件で、歴史を動かす舞台に登場してくるよな。
信長の家来の佐々蔵人は、生涯を織田家に献げて「忠臣蔵」という講談になってるし。

戦後、信長の甥の信澄を家督、林・柴田を家老にして、いったんは家名存続したよな。
信長の三人の息子と弟たちは出家したが、後に信包は薬屋、長益は銀行を開いた。
514人間七七四年:2007/04/07(土) 10:06:39 ID:aDlh3wwk
織田厨乙wそれは講談の中だけの話だろ。
死んだ織田家に忠誠ったってどうやってww
信用できる史料に忠臣蔵なんて出てこないだろ。
515人間七七四年:2007/04/07(土) 10:51:41 ID:VKmUYjal
なんで>>1は桶狭間で義元が死ぬと思ったのか意味不明
っていうかツマンネ
516人間七七四年:2007/04/07(土) 11:43:08 ID:9M8p4ddj
>>513
現実の佐々蔵人は尾張時代の松平元康を虐めていたので
それを根に持っていた元康に腹切らされた人物

大体その講談自体ドマイナー
517人間七七四年:2007/04/08(日) 02:24:38 ID:ExVh63iy
なんで織田の話題になるんだ?
518人間七七四年:2007/04/08(日) 05:22:32 ID:r/x7FGU1
華開いた今川文化

スルガ銀行(駿銀)>長益銀行(長銀)
これ常識。小学生でも間違いようない。

リニアを導入した東海道新幹線「海道一の弓取り」に乗ったことない香具師は気の毒。

五十三次駅伝>箱根駅伝
これも当たり前。

静岡茶健康法>信包製薬
これも比較にならない。

蹴鞠>サッカー
文化度が違う。
519人間七七四年:2007/04/08(日) 09:46:34 ID:Gmkj7RB3
でも長益銀行ってなんとなく安心感あるよな
520人間七七四年:2007/04/08(日) 23:16:51 ID:EsItZWv4
最近じゃお茶が体にいいことが科学的にも立証されてより一層静岡茶健康法が広がった
ここ数年では静岡茶は日本国内にとどまらず世界中に広まった。
ロシア皇室や英国王室じゃ今川家の御紋が付いた静岡茶を直接日本から輸入して愛用しているのは有名な話

ただそれに便乗して茶の効能を謳った信包製薬の薬はどうも信用ならんが
521人間七七四年:2007/04/09(月) 16:21:39 ID:tQ0jlsEk
今川の毛利攻めの際、僅かな兵で今川に投降し、毛利を叩き潰した黒田孝高こと後の中国地方の統治者・黒田播磨少納言が一番大好き。
522人間七七四年:2007/04/09(月) 23:10:51 ID:65GTBe4Q
義元公が攻めあぐんでいた強国島津を後ろからつき崩した相良義陽も忘れないでくれ
523人間七七四年:2007/04/09(月) 23:16:29 ID:OKe7uFxd
黒田孝高が投降しなかったら義元公の毛利攻めももっと長引いただろうな。

天下が定まった後義元公は毛利を叩き潰した黒田孝高の功を認め姫路に領地を与えた。
黒田孝高は姫路城を大改修し中国地方を統治するにふさわしい白亜の天守閣を作り上げた。
播磨出身の俺としては黒田孝高の話が出てうれしいな
524人間七七四年:2007/04/10(火) 01:38:26 ID:LV2RMUvb
演義
525人間七七四年:2007/04/10(火) 21:06:59 ID:jAldwDGR
黒田孝高は死ぬ直前まで松平の勢力拡大を危惧してたね。
長い執権政治がなかったら今頃はちょっと違った国になっていたかな?
526人間七七四年:2007/04/10(火) 23:07:10 ID:y1LzihcY
島津家が日向から北に進攻中にバックからいったんだっけか?相良は、

ギリギリ領土を保ってた大友と龍造寺は泣きながら今川軍の武田義信に土下座をして助けて下さいと訴えたのはあまりに有名な逸話。
先遣隊の大将・武田義信は自分の草履の裏を二人に舐めることを強要したのはいただけないけど・・・
527人間七七四年:2007/04/11(水) 00:37:10 ID:b7Oj8+In
>>526
ちょwww義信は義に厚い武将だからそんなことしないぜ。草履の裏を
舐めるのを強要したのは義信付きの茶坊主の石田某とかいう奴。
義信に取り入ってもらう代わりに大名に好き放題していたけど
飯富虎昌に見つかって一刀のもとに斬り殺されたんだろ。ちなみにその時逃げ回った
挙げ句台所に隠れた石田某を刀で押し殺したのが彼の名刀「圧切長谷部」
覚えておいて損はないぜ
528人間七七四年:2007/04/11(水) 08:01:14 ID:ZXIwRvWP
何か込み入った細かい逸話ばっかりだな。
1600年あたりから現在までの、大まかな日本史概説を誰かまとめてくれよ
俺、不勉強で知らないからさ
529人間七七四年:2007/04/11(水) 13:32:57 ID:jlskEY24
ところで戦国MIYABIに出てくる信長の妹可愛くない?兄はただの雑魚NPCだけどさ。
530人間七七四年:2007/04/11(水) 18:08:16 ID:8Pj7qD7y
>>529
それ多分信澄
信長は出てすらいない
531人間七七四年:2007/04/11(水) 19:48:21 ID:UrhxXiT0
氏真公は美談に事欠かないが、教科書にも載ってる
山中鹿之介を拾った話が俺は好きだのう。
直参の誘いを断りあくまで陪臣であり続けたが、意を汲んでやった公も大したもんだわ。
出来れば主家が出雲に帰るのを見せてやりたかったな…
532人間七七四年:2007/04/11(水) 20:51:02 ID:8Pj7qD7y
鹿介自体は尼子家復興の前に毛利の罠に嵌って斬殺されるんだよな…
533人間七七四年:2007/04/12(木) 15:21:52 ID:M+eWXus7
今川義元公が天下統一をしたのは1585年の畿内の宗教勢力を従えた時であるが、
今川義元は既に1570年には征夷大将軍となっており、駿河に幕府を開いていたとする書物が存在する。今川氏真公は1573年に将軍になっていることから、義元は早々将軍職を辞して宗教勢力との戦いに身を投じていたかがわかる。
534人間七七四年:2007/04/12(木) 15:34:14 ID:M+eWXus7
将軍職の下に執権職があり、将軍を補佐した。執権は四管領(北条・武田・松平・朝比奈)から選ばれるのだが、殆どが松平から選ばれた。
九州が武田。中国地方が黒田。四国が長曽我部。近畿〜中部が幕府。北陸は松平。関東が北条。東北が朝比奈。がそれぞれ行政をしていた
四管領に黒田・長曽我部の二家を加えた六家を六大柱と呼称する。
535人間七七四年:2007/04/12(木) 17:52:14 ID:w/XwfP1f
義元公の唯一の失敗は毛利の処遇だよな
536人間七七四年:2007/04/12(木) 18:27:08 ID:M+eWXus7
毛利は黒田の与力として安芸周辺を支配したが、両川と称された元春・隆景を九州征伐で失ってしまう。
だが穂井田らによって家を建て直し、裏で畿内の本願寺を支援していたんだよな。これによって今川の天下統一は五年は遅れたと言われている
537人間七七四年:2007/04/12(木) 20:08:57 ID:7IpTdXNe
1560 尾張侵攻、桶狭間で織田信長を破る。織田信長はこの戦いで討たれた。
     その後、今川方は織田信長方の諸城を攻撃、清洲城を接収する。
     なお、この戦いで戦功をあげた松平元康は三河の旧領を返還される。

1561 正月、信長庶兄・信広が今川氏に帰順。
     この後も伊勢へ逃れた滝川一益は尾張の国衆や一向一揆と結び抵抗する。

1563 三河松平領で一向一揆発生。鵜殿長照が救援に向かうも、到着前に鎮圧。
     七月には尾張をほぼ平定するが、この後も滝川一益の煽動で尾張は安定を見ない。

1564 尾張にて、一部を改正した今川仮名目録を行き渡らせる(永禄の仮名目録)。
     同年二月・今川義元は尾張守護に補任される。北近江の浅井長政と同盟を締結。

1565 滝川一益と結ぶ伊勢の北畠具教を攻撃。義元公次男(北畠元顕)を
     養子とする事を条件に降伏。滝川一益は尚も抵抗。

1567 美濃を平定。斎藤龍興は伊勢長島へ逃走。
     三顧の礼で竹中半兵衛を軍師に迎える。

1568 足利義昭を奉じ、駿河、遠江、三河、尾張、美濃、伊勢の六カ国の
     総勢6万の兵力で上洛。六角義賢を撃破し、三好三人衆も逃走。
     管領に任じられる。

1569 義元公率いる今川軍主力が駿河に帰還した隙を突いて、
     滝川一益や三好三人衆、斎藤龍興ら共謀し、足利義昭の御所を襲撃し殺害。
     義元公5万の兵を率いて滝川らを撃破。
     幕臣、家臣より征夷大将軍に推戴されるも固辞。
     
1570 逆臣斎藤龍興を匿う朝倉義景討伐のため越前へ進軍するも、浅井長政の裏切りの為壊走。
     義元公も九死に一生を得る。(金ヶ崎の退き口)
     武田信玄謀反、武田義信駿河に逃れる。
     近江国姉川河原で浅井・朝倉連合軍を撃破。(姉川の戦い)
     滝川一益、三好三人衆摂津で挙兵。これに乗じて浅井・朝倉・延暦寺の連合軍が
     近江坂本まで侵攻。両軍は近江国志賀において対峙。伊勢長島も蜂起した。
     進退に窮した義元公は朝廷の調停で和睦に成功。

つかれた。誰か続き頼む。
538人間七七四年:2007/04/12(木) 21:13:19 ID:TzcfwM+Y
>>533
1575年の間違いだろ
義元公薨去が79年
氏真公暗殺?が82年だから
539人間七七四年:2007/04/12(木) 22:01:18 ID:7IpTdXNe
>>538
1575年義元公征夷大将軍任官。
1579年義元公薨去。氏真公将軍任官。
1582年近江坂本城主飯尾連竜謀反(氏真公自身により鎮圧)
1614年氏真公、織田写楽斎に暗殺される。
540人間七七四年:2007/04/12(木) 23:09:28 ID:VR8Oievo
今川義元の男色相手で有名な人物は誰がいますか?
541人間七七四年:2007/04/12(木) 23:45:15 ID:Z6bQeSxA
>>540
甲斐の信虎公以外で?
542人間七七四年:2007/04/13(金) 00:05:51 ID:5qz5AlNF
今川家は旧来の名家を滅ぼさなかった。その例が北畠・山名・一色・佐竹・伊達などであり、彼らの協力がなければ1580年での天下統一はなかった。
しかし、松平が執権になると些細な事で山名・一色は所領を奪われ五万石格にされてしまった。
松平は1567年頃?自身の拠点を越後にしてからは滅ぼされた長尾家の家臣を吸収した(一説にはこれ以前に長尾景虎を匿い、彼の養子になっていた)ため強力な兵力を持っていたため誰も逆らえなかった
543人間七七四年:2007/04/13(金) 00:44:40 ID:y6vgidTB
>>542
後半二行がまるで意味不明
元康は越後に足を踏み入れた事すらないわけだが
府中長尾というか長尾上杉家が降伏したのは1976年
武田義信と北条氏政に攻められて、既に養子に入っていた氏政の弟
景虎を当主にするって条件で越後の西半分のみ統治を許された
謙信は高野山に入って数年後死去、楊北衆は北条に編入されて奥州平定で活躍するよ

義信が「せめて本庄繁長とその郎党だけでも私の配下に」と義元公に直訴したのは有名な話
544人間七七四年:2007/04/13(金) 14:14:26 ID:5qz5AlNF
松平元康は子沢山だった為、諸将に養子を送りのちの松平体制の元をつくった。
北陸を本拠に移された当時は家臣は怒っていたが、元康は領土が増えるなら良いと言ったとされる。
この地域の金山が松平を支えたのだから彼はかなりの先見性があった
545人間七七四年:2007/04/13(金) 14:46:25 ID:SEKg5b64
元康よりも長男関口真康の存在が大きかったのをおまいら忘れてるな。
今川の血を松平に色濃く引くサラブレッドであり一門きっての猛将。
546人間七七四年:2007/04/13(金) 15:21:07 ID:o3wEp2DD
>>544
だから松平家は北陸には移ってないとあれほど…

>>545
ただ信康は統一後の二代執権として権力闘争に明け暮れるダーティなイメージも強いんだよなぁ…

真康というい方はよくされるけどあれは後世の系図にのみでてくる名前で
松平信康自体は真康とは名乗ったことがないんだがな

家督を継いだ時点で関口姓から松平姓に復してるし
547人間七七四年:2007/04/13(金) 15:36:25 ID:R29qTR1u
すぐ下の弟も真康だからそっち使われるとややこしいんだよな
548人間七七四年:2007/04/13(金) 15:45:56 ID:5qz5AlNF
松平元康って北陸に居たのかと思ってたよ!
東照宮様漫遊記のあの台詞(ワシは越後屋じゃっ!)は間違いなの?あの本のすっげーファンだったからかなり驚いた。
じゃあ松平ってどこ治めてたのさ!?
549人間七七四年:2007/04/13(金) 16:03:39 ID:R29qTR1u
三河は全て、鵜殿領 北陸と出羽の一部を任された北條と入れ替わりに、
松平が上野を本拠に武蔵、相模、伊豆の領主になる
直後に信玄入道の残党、真田兄弟の煽動で里見、結城らが反乱を起こすけど元康に鎮圧されてる
その後元康は、次男真康と四男忠氏を、それぞれ結城、里見の養嗣子にして取り込んでる
550人間七七四年:2007/04/13(金) 16:53:59 ID:SEKg5b64
井伊谷の一族はどこに行ったのかな。手元に史料がないんだ。
551人間七七四年:2007/04/13(金) 17:27:54 ID:2BEU95Sf
>>541
左様に御座る。
今川義元の寵愛した小姓や、
また念者の名前は何人ぐらい伝わって居りますかの?
552人間七七四年:2007/04/13(金) 17:33:33 ID:5qz5AlNF
この間 修学旅行で新府城見てきました!

まぁあの城を見に行くのは日本国臣民の務めだけど・・・行って良かったです!
氏真様の像はまさに戦国武将!!ってカンジでした。
でも 自分が好きなのは十代目の氏仁様ですけどね。
553人間七七四年:2007/04/13(金) 19:05:00 ID:dDYw/8Gr
>>550
井伊家は直盛の後、甥の直親が継いでいる。
直親は浅井・朝倉攻め、武田信玄征伐などで活躍し近江佐和山13万石を与えられるも、
1582年病没。跡は嫡男の直政が継いでいる。
554人間七七四年:2007/04/13(金) 20:55:59 ID:5qz5AlNF
北条軍の傘下に入っていた佐竹義重が俺は好き。
555人間七七四年:2007/04/14(土) 09:30:26 ID:rYG1es5Y
十代目氏仁は当時、先帝の落胤とすら言われた男であり、ときの帝の妹・金山殿と結婚したのちに、朝廷に圧力をかけて都を駿河に移させ、実質朝廷を支配した。
帝の系統が途絶えると、既に宮家が今川家に滅ぼされていた事もあり、金山殿が女帝となった。
晩年には嫡男が帝になったため、ここに将軍と帝が統合された。死後、太上天皇という称号を賜った。
556人間七七四年:2007/04/14(土) 12:50:47 ID:HYLZ/pSm
そういえば里見家ってどうなったけ?
地元の大名なので教えてください。
557人間七七四年:2007/04/14(土) 13:04:30 ID:RLUDJJPq
>>556
>>549

結局断絶したような・・・
558人間七七四年:2007/04/14(土) 21:27:16 ID:rYG1es5Y
里見家は松平家から養子を受け、御三家という称号を名乗っていたはずだよ。
里見松平家から嫡流松平家に養子に行った人物がいたはず。
14代目・松平家当主であり、16代目の執権:右大臣仁家(ヒトイエ)は里見松平家出身。
559人間七七四年:2007/04/14(土) 22:51:14 ID:i91relqk
>>555
>帝の系統が途絶えると、既に宮家が今川家に滅ぼされていた事もあり、金山殿が女帝となった。
妄想乙。
勤皇の志の篤い義元公が直宮の出家を禁止し和仁親王の4皇子に宮家を設立させて以来、
天皇の御子はすべて宮家を立てるなり、継ぐなりしている。
また、皇族の庶子の約半数は臣籍降下、または公家に養子に入っている。残りは門跡寺院に入っている。
そのため皇統は繁栄し、今では56宮家が現存する。皇統断絶なんてありえない。
560人間七七四年:2007/04/14(土) 22:57:14 ID:RLUDJJPq
公武合体なんて不遜な事義元公がやるわけねえだろw
そう言う奴らは米寇の時、一網打尽にされたはずだ
561人間七七四年:2007/04/15(日) 01:54:48 ID:1Awx0Xgy
そういえば朝鮮民国が日本の支配下にあった時今川家が一時的に傾いてやばかったよな。
562人間七七四年:2007/04/15(日) 02:15:52 ID:Xz5blVgL
二条城築城の普請で
京の女の顔をのぞいた男の顔面を
50m先から蹴鞠でぶち当てたさせたという逸話がある
563人間七七四年:2007/04/15(日) 21:01:33 ID:WJ4vJyoO
十代目氏仁かぁ。実際かれは都を駿河に移したが、他の公家に圧力は掛けてただろ。宮家にも次々に一族の娘を嫁がせたしな。
さらに実際に彼は太上天皇の称号を与えられている。
彼が駿河に築いた虹閣寺(永安寺)はすばらしく、
これを守る為に世界遺産という制度が出来たぐらいである
564人間七七四年:2007/04/16(月) 03:37:10 ID:3yLygs8a
北条と武田が争っていたとき
氏真公が仲介に入った時の話

北条氏照と武田勝頼を引き合わせて
氏真公は50m先の扇の要に見事蹴鞠が当たったら
天の意思と思って兵を引き上げよと言った
氏輝と勝頼はいくら氏真でもあんなところに蹴鞠が当てられる訳が無いと思って快諾した
しかし、蹴鞠は50先の扇に命中
両将はその芸術的なシュートにひれ伏し兵を引き上げた
565人間七七四年:2007/04/16(月) 16:15:30 ID:5tWj0wX3
>>564
武田勝頼ってwwwww
諏訪四郎は信玄の謀叛に組した猛将だろwwwwww
566人間七七四年:2007/04/16(月) 18:31:09 ID:ZVaZ1Ne9
義信と勝頼の区別もつかんとは…
謀叛に組した諏訪勝頼と仁科盛信は信玄誅殺後
それぞれ別の場所に蟄居させられてるけど同日に死んでるんだよな…怪しい
567人間七七四年:2007/04/16(月) 19:33:57 ID:5tWj0wX3
兄と決別して上杉を頼った信清を今川本家が目こぼしした理由も謎だよな
出家経験あるからとかでどうにかなる問題でもないだろ、信玄謀叛は

そういや盛信の実妹と氏真嫡男との婚儀は本当に残念だったよな。間違いなく戦国最大の悲恋
568人間七七四年:2007/04/16(月) 20:17:34 ID:ZVaZ1Ne9
>>567
それは講談の作り話
三代範以公が生まれたのが信玄入道謀叛の元亀元年だから絶対ありえんw
569人間七七四年:2007/04/16(月) 20:23:15 ID:ZVaZ1Ne9
>>567
あと信清って誰だ?龍宝?
570人間七七四年:2007/04/16(月) 20:41:00 ID:5tWj0wX3
>>568
生まれる前に決めていたとかっていう説も見たことあるが
でも確かに9歳も年が離れてたらないよなぁ

信清の号は龍宝じゃなくて玄竜
上杉の家臣になってる安田信清っていうマイナー武将
信玄入道の六男だか七男
571人間七七四年:2007/04/16(月) 21:58:59 ID:6WbjZ2MD
>>566
えらい前にもそんなレスあったけど、真相を
早く知りたい。
予想はつくが。
572人間七七四年:2007/04/17(火) 18:57:44 ID:fX2N/X7o
→571!そんな事はここで語る事じゃない!国家反逆罪になるぞ!
そもそも義元公が桶狭間で亡くなられるなんてタイトルが反逆罪の容疑がかかる。義元公からしたら桶狭間は単なる通過点でしかなかったのに。
三好戦争や毛利討伐ならまだわかるが・・・。
573人間七七四年:2007/04/17(火) 19:07:29 ID:7PaeBmA4
俺の友達が織田ナンとかが天下に覇を唱えるとか言っていた。
調べたら、桶狭間でボコボコにされた田舎大名じゃん。ありえねー。
アイツアホだw
574人間七七四年:2007/04/17(火) 19:27:15 ID:yauvKDWJ
>>572
安心しろよ
公方家は世界一、体制批判に寛容な政権だぜ?
if物の出版も認められているし、よっぽどの事意外は政権の暗部を語ることも許されている
575疑問:2007/04/19(木) 12:11:50 ID:r29if7eC
ところで、松平(三河大納言)・朝比奈(陸奥中納言)・武田(太宰大納言)・北条(相模中納言)・黒田(播磨小納言)・長曽我部(土佐小納言)が六柱なのは知っているが、岡部家はどうなったんだっけ?
576人間七七四年:2007/04/20(金) 21:43:52 ID:p0SKpahJ
age
577人間七七四年:2007/04/20(金) 22:01:43 ID:QCrs5n5/
岡部は獅子奮迅の活躍をして、松平信康に信の字を授けるなどしているところから今川家ナンバーツーであったとされる。
しかし、天下統一まじかの1565年には記述がなくなる。一説には毛利攻めに入る前に浮田某に暗殺されたと言われている。
578人間七七四年:2007/04/20(金) 22:10:34 ID:BbXHLYZi
>>575
ん?
北條はそもそも将軍家の領地を奪って発足したから後に改易になり、
その後は相模が朝比奈氏で伊豆が興津氏になったじゃまいか。
んで武田が陸奥に飛ばされて甲斐は庵原氏か。
岡部氏は朝比奈氏と共に遠江の半国守護だろ。
んで両朝比奈、岡部、庵原、興津の譜代五名家はいづれも参議だな。
少納言ごときと並べたら失礼にあたるぞ。
579人間七七四年:2007/04/20(金) 22:11:08 ID:APUtIrUA
>>577
75年の間違いだな
あと信康の信は朝比奈信置の信
580人間七七四年:2007/04/20(金) 22:14:21 ID:APUtIrUA
>>578
お前こそ何を言っているんだ
北条は北陸に飛ばされたが
武田は功臣として甲信三美飛の五ヶ国守護だろ
まあ義信は将軍家に忠実だったが次代が
松平信康と並んで専横に走ったのは残念打破
581人間七七四年:2007/04/20(金) 22:16:02 ID:APUtIrUA
>>580
あ、筑前の大納言領とはまた別にね
582人間七七四年:2007/04/20(金) 22:22:00 ID:BbXHLYZi
>>580
北陸の北條は執権北條の後裔を称してるけど、ちゃんと後北條に繋がってるみたいだね。
勘違いスマソ

武田の記述はメチャクチャだから駿河茶でも飲んで酔いを醒ましてくれ
つ 旦
583人間七七四年:2007/04/21(土) 23:57:49 ID:4FmcG1Cv
九州で武田の騎馬隊が島津の鉄砲隊に一度は破れた、耳川の戦いはかなり激しかった。
しかし、今川家の岡部の手勢二万の援護を受けて島津を叩きつぶした。(第二次耳川の戦い)武田はこの功績から太宰府を任される。〜義元公記より〜
584人間七七四年:2007/04/22(日) 00:00:57 ID:AZjFOQF7
武田は此れにより九州全土の年貢の一割の徴集権。そして甲斐・信濃・飛騨の領地を得たが、後の世に武田は多数の分家が出来てしまい混乱する。〜武田盛衰記より〜
585人間七七四年:2007/04/22(日) 00:09:40 ID:AZjFOQF7
近江進攻時反逆武田晴信
名君初代武田義信
暴君二代目武田真信
病弱三代目武田信健
ここまではいいんだがそのあとの武田は太宰と甲斐の派閥に分かれ四代目が二人になる。信健の長子・康信と真信の次子・信臣である。武田はここから弱体化してしまう。
586人間七七四年:2007/04/22(日) 00:30:11 ID:bxm+oLap
武田本家が分家のコンセンサスを得て内乱を沈静化させたのは19世紀入ってからだよね?
古い家には付き物だけど、武田は一族同士の争いが酷過ぎる。
駿河も介入する気全く無いし。
587人間七七四年:2007/04/22(日) 00:33:34 ID:4D8qDr0E
真信は幕閣で松平と並んで専横を振るった上
「真信御膳返し」の逸話のせいで
暴虐非道扱いされてるけど
実際はかなりの能臣だと思うよ
武田領には今でも彼の治世を称える碑文が点在してる
588人間七七四年:2007/04/22(日) 00:46:57 ID:jA0Aqrw8
御簾捲り
御膳返し
鞠潰し
は信真の増長ぶりと、松平信康の老獪さ
弟君・品川高久公の気骨、そして三代範以公の寛大さ(悪く言えば軟弱さ)を表すエピとして有名だよな
589人間七七四年:2007/04/22(日) 11:00:03 ID:7CpJMuBp
>ご自身の側室としてお市の方を迎えられ、ご寵愛を加えられた。

これで義元が氏真に殺されたんだよな。
親爺に惚れていた側室候補を取られたんだからさ。
それで早川殿との中は余計良くなったけど。
590人間七七四年:2007/04/22(日) 11:20:17 ID:4D8qDr0E
>>589
>これで義元が氏真に殺されたんだよな

どこの三文小説だよwww
これだからゆとりは…お二人を呼び捨てにしている時点で
どれだけ公方家を軽んじているかがわかる
591人間七七四年:2007/04/22(日) 21:21:12 ID:1EK6PyC5
義元公のご寵愛を一身に受けて、「イク」っていう表現まで考案した艶姫・お市の方。
義元公が身罷った時点で、まだ30歳にもなってなかったんだよな。エロい存在だよ。

そのあと明智光秀公に再嫁したんだよな。その魅力であっという間に虜にしちまったw
しかし怖いもので、織田写楽斎による氏真公暗殺事件に一枚噛んでたって噂もあるよな。
592人間七七四年:2007/04/22(日) 21:24:36 ID:NAmUkAAI
明智光秀?土岐光秀の間違いじゃねーの?
593人間七七四年:2007/04/22(日) 21:50:33 ID:1MiUYcSu
>>591 妄想乙 義元公の奥方が光秀に嫁ぐ訳ない
594人間七七四年:2007/04/22(日) 21:53:07 ID:1EK6PyC5
土岐氏は義龍公が名乗って以来今まで続いてるだろ。土岐の領地だったから岐阜県。
静岡茶の効能で健康を回復し、のちに幕府の重要な軍団長として働いた。

ただし政治的には光秀公が優れてた。暗殺事件後に朝廷工作で幕府を存続させたし。
それを考えると、妻である市姫が事件の黒幕だったっていうのはありえないなw
595人間七七四年:2007/04/22(日) 22:32:07 ID:AZjFOQF7
北条もお家騒動はあった。
芦名との交戦中、与力に付いていた佐竹に同士討ちで討たれた氏康
初代・氏政
二代目・氏直
ここまでは名君揃いだった。 氏直の養子三代目・氏盛と氏直の庶子・氏次が家督争いを起こしてしまい、家臣団や与力だった武将によって領土は分裂してしまったしな!!
596人間七七四年:2007/04/22(日) 22:39:18 ID:AZjFOQF7
特に佐竹や宇都宮、そして千葉氏は自家の旧領地を実質的に北条から奪ってしまった。里見は松平の養子に成っていたこともあり、即座に南総所有宣言したしな。
今川家も関東公方を潰した北条を恨んでいた事もあり、北条は相模・武蔵周辺しか所有を許されず弱体化したんだよな。
597人間七七四年:2007/04/22(日) 22:41:30 ID:4D8qDr0E
>>595
氏康は病による陣亡です><
直後に佐竹との同士討ちがあったから戦死にしてる小説が多いけど
598人間七七四年:2007/04/22(日) 23:13:50 ID:AZjFOQF7
↑そうだったのか!
私は佐竹の陰謀なのかと思ってましたよ。

結局 芦名も佐竹の仲介で降伏したから、氏康の死ってあんまり意味無かったなぁ。
599人間七七四年:2007/04/23(月) 08:56:53 ID:iKm0eA5I
光秀が義元公の側室だった市姫を与えられたのは、それだけ期待されてたからだよな。
市姫は義元公との夜の楽しみで洗脳されて、とても信長の敵討ちどころではなかった。

満28歳で寡婦にするにはもったいない美姫だったんだろ。光秀を動かすには格好の餌。
しかしこの縁組のせいで、正妻は娘を連れて南蛮寺に出家してしまったんだよな
600人間七七四年:2007/04/23(月) 09:13:58 ID:GrgNrgvV
光秀は当時としては珍しくかなりの愛妻家で
最後の最後まで辞退してたらしいな
601人間七七四年:2007/04/23(月) 10:27:29 ID:T6L2m5ZB
市の子供(明智日向守真秀)が光秀の子じゃなくて義元公の落胤なのは創作かな?
明智日向は後に品川姓を名乗ること許されてるから、本当は義元公の子なのかもしれないよな。光秀に嫁いで二月で懐妊が発覚したらしいな。
602人間七七四年:2007/04/23(月) 11:41:30 ID:iKm0eA5I
光秀の正妻だった女性は南蛮寺で洗礼を受けてガラシャって名乗ったんだろ
娘の玉は修道女になって、貧者の救済とキリスト教の普及に尽くしたよな
603人間七七四年:2007/04/23(月) 11:58:36 ID:T6L2m5ZB
↑意味不明
604人間七七四年:2007/04/23(月) 12:12:08 ID:GrgNrgvV
>>602
また講談厨か
市と光秀の正妻は姉妹のように仲がよかったというぞ
娘の玉が南蛮寺で出家したのは事実だが
605人間七七四年:2007/04/23(月) 12:49:05 ID:iKm0eA5I
講談だけじゃなく、ナントカ綾子っていう人の小説にも全く同じ話が出てたけどな。確かロシア正教の作家だよ。

それによると、一度は娘を連れて出奔した元妻が、光秀の臨終の床に立ち会って、
涙を流して詫びる光秀に対して、「神の愛で赦します」って言ったそうな。

それこそ涙なしでは聞けない話だよな。今川文学賞も受賞したし、映画化されて欧米にも受け入れられた美談だよ。
606人間七七四年:2007/04/23(月) 21:35:05 ID:tcnSVaSx
琉球事件でイスパニア艦隊を破ってなきゃ
キリスト教へのお目こぼしなんてなかったわな。
607人間七七四年:2007/04/23(月) 21:47:46 ID:vno2BhtU
とりあえず>>605に光秀の妻と娘の名を復唱してもらおう。

>>606
日本海軍の名前が世界に知れ渡るきっかけになったあの海戦だね。
608人間七七四年:2007/04/23(月) 22:18:06 ID:GrgNrgvV
国家の威信をかけた一大塩生に失敗した世界帝国イスパニアは
それをきっかけにどんどん斜陽の道を歩んでいくんだよな
609人間七七四年:2007/04/23(月) 22:26:42 ID:iKm0eA5I
光秀の最初の正妻はガラシャ夫人。俗名をヒロ子ともいうが定かではない。そもそも漢字が伝わっていない。
一緒に出家して後に修道女になったのが娘のお玉。彼女の洗礼名はマグダラのマリヤ。ガラシャだというのは誤伝。

ちなみに長岡忠興は彼女らの伝道で切支丹になったんだけど、父親の藤孝は氏真公と和歌で張り合った。
ついにはその遺恨で織田と組んで暗殺を画策したんだよな。人間の野心ってのはおそろしいものだよな。
610人間七七四年:2007/04/23(月) 22:45:52 ID:T6L2m5ZB
だが幽斎は関わっていないと言う説もある。

結局、彼にはお咎め無かったし・・・まぁ彼は帝からも大事にされてたから大丈夫なのかもしれないが、、
611人間七七四年:2007/04/23(月) 22:52:55 ID:GrgNrgvV
>>609
ヒロ子自身は出家していないと何度いったらわかるのか

いい加減講談脳治せよ
612人間七七四年:2007/04/23(月) 22:53:38 ID:T6L2m5ZB
九鬼・河野と言ったら世界の軍人が憧れる海軍の将!
九鬼ビールや河野ライスと言った食物がスペインの敵国で生産され、持て囃されたらしいしな。
ちなみにクッキーの由来は九鬼。九鬼氏の食料からヒントを得ているものだそうだ
613人間七七四年:2007/04/23(月) 23:58:56 ID:iKm0eA5I
ヨハネ長岡忠興はのちに立派な神父になったよな
でも神学校時代にお玉とできてたなんて妙な噂もあるw
それにしてもお市の方は義元公との間に三男四女を産み、
そのあと光秀公の嫡男を産んでる。衰えないよなー
614人間七七四年:2007/04/24(火) 00:24:12 ID:Q+7K09T5
>>612
中学時代の同級生で九鬼って奴がいたんだがあだ名がでクッキーだったな…(実話)

長岡神学校ってのは今でも駿府と京都にあるよな
確か長岡忠興の子孫が建てたんだっけ?
615人間七七四年:2007/04/24(火) 00:31:52 ID:iBS4m9qY
講談といえばおまいら「忠臣蔵」の佐々蔵人を首魁とした織田四十七士の名前言えるか?
かくいう俺は暗記が嫌いだからほとんど言えんがなw元々四十人は架空の人物だしな

蔵人と丹羽五郎佐、前田又佐、木下藤吉郎、池田勝入斎、平手駒之助、森長可は実在
ただし林佐渡の屋敷に討ち入ってみたら罠で、全員返り討ちに遭って死んだんだよな…
616人間七七四年:2007/04/24(火) 01:13:27 ID:u2rzZj1g
>>615

>丹羽五郎佐、前田又佐、木下藤吉郎

これはねーよwwww
617人間七七四年:2007/04/24(火) 06:32:55 ID:iBS4m9qY
信長が桶狭間に出陣した時に、林佐渡と柴田勝家が打ち合わせ通り寝返ったんだよな。
熱田神宮から駆け出して行った信長について桶狭間に辿り着いたのは、たったの47騎。

のちの「忠臣蔵」の7人と、森可成、滝川一益、佐久間信盛、内藤勝介、河尻秀隆、
蜂屋頼隆、生駒某、梁田某、毛利某、服部某らがその主要なメンバーだがほとんど戦死。

戦後の論功行賞で、信長の妻だった濃姫は褒美として勝家に与えられたんだよな。
この勝家が精力絶倫だったので、濃姫はほとんど子を産む機械と化してた感があるよな。
618人間七七四年:2007/04/24(火) 07:44:01 ID:eoxxLwL0
さてここで義元公の馬廻り衆の子孫が来ましたよ。
その馬廻り週のご先祖様が書いた桶狭間の戦いを主観で書いたという書物を
読むとこう書いてある「わが殿が尾張を攻めることを決定した(中略)休息していると
雲雨が降り始め雷の音が聞こえ始める、前方で騒ぎが起きていると思ったらあっというまに
単騎、義元様に向かって行った、某その武将の顔を見たがまるで毘沙門天が乗り移っている
ようだ」
もう時間がない、後で続きを書く。
619人間七七四年:2007/04/24(火) 11:18:13 ID:iBS4m9qY
林佐渡は織田家の取り仕切りを任されてたのに、討ち入られるとは大失態だよな。
代わって幼少の信澄の後見兼筆頭家老になった勝家の活躍が目覚ましかった。

しかし、織田の名がついてるとはいえ傀儡にすぎず、信長の一族はついてこなかった。
弟の長益・信包らは出家したし、子供たちも長じて氏真公暗殺事件を起こしたんだよな。
620人間七七四年:2007/04/24(火) 12:36:06 ID:+EWBvHRY
一番の出世頭は今川直臣に取り立てられた佐久間右衛門
621人間七七四年:2007/04/24(火) 12:39:03 ID:j+poDd5T
義元公が空を指差せば雲が割れ、雨が上がり、太陽が行く先を示したとされる。
氏真公が声を上げれば雷鳴は鳴り止み、龍が氏真公の機嫌を伺い。
今川の名を名乗れば、神は敬意を称して頭を下げる

今川将軍の威光が凄かったことを物語る童歌である。
622人間七七四年:2007/04/24(火) 12:52:47 ID:r9/izBof
織田旧臣で著名なのは、直臣としてかつての主家をしのぐ大領を得た佐久間
一藩の主となった丹羽、木下、反今川の急先鋒として各地で暗躍する滝川
信長天海説で桶狭間で死んだとされる前田
そして講談で虚像ばかり先行する佐々だな
しかし、その後も存続する丹羽や木下まで死んだことにするなんて・・・忠臣蔵の戯作者が両藩に逮捕、永牢にされたのもわかる
623人間七七四年:2007/04/24(火) 14:03:56 ID:iBS4m9qY
両藩に逮捕ってことは忠臣蔵の作者は二人いたのか
624人間七七四年:2007/04/24(火) 14:25:49 ID:GS5a+zgm
複数人いたって話しだぜ
625人間七七四年:2007/04/24(火) 15:23:13 ID:iBS4m9qY
義元に娶られ光秀に再嫁した市姫といい、信長の妻で勝家に与えられた濃姫といい、
織田関係にはエロい美女が多かったんだな。それらの家が子孫繁栄したのも頷けるよな
626人間七七四年:2007/04/24(火) 21:49:27 ID:35qxVOQ5
木下ってどんな武将?
聞いたことないんだが、
かなりマイナーなのか?
オレの勉強不足かもしんないけど…
627人間七七四年:2007/04/24(火) 22:07:05 ID:u2rzZj1g
>>626
農民から福岡藩主に成り上がった今川軍の中堅
>>172-176とか>>249
628人間七七四年:2007/04/24(火) 22:19:17 ID:GS5a+zgm
>>621
この童謡を聴いて義元公は激怒したんだよな
「帝に対して不遜である」って

>>626
尾張の百姓出身で織田足軽頭だった人物。
義元公幕僚の一人として知られる松下之綱の父親の代に奉公していた時期があって
その縁で松下家に再仕官、財務や調略、城の縄張り、城攻めなんかで活躍した人物
機転の利くユーモアのある人物で、九州攻めの一時期義元公が側で使ってた事もある
天下統一後に義元公が選定した名陪臣番付の日本七本槍にも選ばれている
陪臣としては破格の筑前に5万石の領地を得て、今でも地元では人気がある
ただ地位的には本多忠勝とか大道寺政繁と同程度の
地方ではメジャー全国ではマイナーな存在だな
629人間七七四年:2007/04/24(火) 22:58:29 ID:iBS4m9qY
勝家は信長の妻だった濃姫を娶ったので、土岐義龍と義兄弟になったんだよな。
静岡茶の効能で健康になった義龍の働きは凄まじく、まさに向かうところ敵無しだった。

竹中半兵衛とのコンビで、一時期は「天下布武」すら志したともいわれている。
でも最終的には静岡茶を贈った義元公への恩返しで、臣従の道を選択したんだよな。

勝家も相当なもので、再興した織田家を見事に盛り立てたよな。濃姫との仲も良好。
林佐渡は性格が悪くて、「サド」(S)の語源にまでなったよな。みっともない香具師w
630人間七七四年:2007/04/24(火) 22:58:38 ID:35qxVOQ5
>>627 >>628
レスサンクス!
福岡藩主まで立身出世したのか。
知らなかったのが、お恥ずかしい。
旧織田家臣は、なかなか優秀な人材が
揃ってたんだな。織田厨は粒ぞろいの
家臣から妄想を広げてるわけだ。
631人間七七四年:2007/04/24(火) 23:06:24 ID:GS5a+zgm
>>629
斉藤はすぐに一蹴されてるわけだが
妄想乙
632人間七七四年:2007/04/24(火) 23:07:10 ID:GS5a+zgm
最近ageていまどき中学生も嘘だって知識ひけらかしてる奴ってなんなの?
633人間七七四年:2007/04/24(火) 23:13:55 ID:r9/izBof
>>629
斎藤義龍は桶狭間の翌年に没、斎藤家は1567年、義元公に滅ぼされてます
小説と史実の区別は付けてくださいね
634人間七七四年:2007/04/24(火) 23:47:08 ID:iBS4m9qY
義元公は田楽狭間で信長を討ち取った翌月には、義龍に静岡茶を贈っているんだよ。
それを飲んだ義龍は忽ち健康を回復。将軍足利義輝に拝謁して土岐姓を願い出た。

しかし光秀や藤孝が妨害してすぐには許されず。義龍と光秀は因縁があったよな。
道三が義龍よりも光秀や信長に目をかけていて、その道三を義龍が殺したんだもんな。

しかし後に義元公が、義龍・元康・勝家を働かせて上洛した時、二人を和解させた。
その時に光秀は朝廷との間に立ち、足利から今川への将軍職譲渡を仲介したんだよな。

しかし長岡藤孝は三好・松永と組んで足利を擁立し、和歌で新幕府にやたら噛みついた。それで幕府は藤孝に対し細川姓を禁じたんだよな。幽霊っていうあだ名までつけてさ。
635人間七七四年:2007/04/25(水) 00:15:42 ID:mwMC63r6
>>634
なんの小説だよ本当
間違い認めろよ
>>537>>633見ればわかるが斎藤がすぐに滅ぼされたのは自明の理
小学生は歴史のお勉強とsageを覚えてから来てください
636人間七七四年:2007/04/25(水) 06:59:44 ID:NYqG96m1
すぐにって67年じゃ田楽狭間から7年も経ってるだろw
まあもし健康体の義龍が義元公に歯向かったらその位は抵抗したかもな。
でも61年に死んでしまったんじゃ、とうてい何年ももたない。

それより松永久秀のキムチ密輸と自爆テロの詳細を誰かうpしろよ。
三好、長岡、佐々木らとの連携はなかなか見事だったよな。
浅井朝倉や北畠などはどういう動きをしたんだっけ?
637人間七七四年:2007/04/25(水) 07:13:17 ID:XnTFO3av
>>632

嘘で知識って矛盾してるだろw
嘘なら知識ではないし知識なら嘘ではない。
638人間七七四年:2007/04/25(水) 09:35:48 ID:Ny97haNF
長岡、三好、松永も良いですが、
細川京兆家、阿波守護細川家のことも、
たまには思い出してあげて下さい。

今川様とは一応血筋では繋がっていた訳ですが、
一族で内紛起こして没落して歴史から消えてゆきました。

今川様の家臣として御仕えした家系が、
まだ存続しているのでしたっけ?
639人間七七四年:2007/04/25(水) 10:12:19 ID:NYqG96m1
義元公が市姫を側妾にされた頃、浅井は佐々木義賢の圧力に屈して同盟を結んだよな。
久政の長男の賢政は猛将で、義元公も手を焼いた。朝倉や北畠もかなり抵抗したしな。
640人間七七四年:2007/04/25(水) 10:29:09 ID:NBjhOXxv
>>629>>634
なるほど。
で、静岡茶って何?
中国かどっかのお茶か?
641人間七七四年:2007/04/25(水) 11:11:49 ID:NYqG96m1
たぶん義龍や勝家の活躍がなければ、義元公の天下はなかったかも知れないよな。
勝家は瓶割っていう姓も賜ってる。鎌倉時代の源氏庶流に遡る由緒ある名字だそうだ。

松平・武田・北条の執権家に次いで、土岐・明智・瓶割は幕府の中核を形成したよな。
642人間七七四年:2007/04/25(水) 12:16:41 ID:Ps/LoxIr
>>641がスレのレベルを下げる
643人間七七四年:2007/04/25(水) 12:53:40 ID:NYqG96m1
こういう板で個人攻撃をするほうがレベルが疑わしい
644人間七七四年:2007/04/25(水) 13:56:44 ID:cJQ2JF8y
だって静岡茶とか、義龍活躍とかありえないし、柴田なんて活躍度でいえば佐久間には遠く及ばないしネタにしても寒すぎる
お前あれか?「国盗り物語」にはまった俄か斎藤厨だろ
信長公記といいifものは規制して欲しいね
645人間七七四年:2007/04/25(水) 14:13:01 ID:NYqG96m1
道三を殺した義龍を嫌ってるほうが、斎藤厨・織田厨と呼ぶにふさわしいのでは?
646人間七七四年:2007/04/25(水) 19:31:12 ID:5xlkngQm
勝家の活躍に従って主家の織田家(当主…信澄)も復興してたんだが、
亜流の写楽斎が氏真公暗殺事件を起こすに至って結局改易になった。

本来は切腹のはずだったんだけど、功臣・勝家のとりなしが大きかった。
あの時点ではすでに甕割姓を賜って、幕府直臣になっていたんだよな。

これで織田の領土はなくなったんだけど、長益はのちに銀行を開くし、
信包は製薬会社を立ち上げた。やはりこの二人は商才があったようだな。

また、市姫の生んだ子供たちが甕割家や柴田家を継いでいくことで、
織田の血筋は今川時代にも色濃く受け継がれていたと言うことが出来る。
647人間七七四年:2007/04/25(水) 19:34:08 ID:mwMC63r6
功臣佐久間信盛の弟盛重は尾張攻めの時に戦死しているが
恨みを持たずに今川家に誠心誠意仕えた彼は偉い
648人間七七四年:2007/04/25(水) 19:35:08 ID:5xlkngQm
間違えた。勝家に再嫁して子を産んだのは濃姫
市姫は義元公の側室を経て光秀の二代目正室
649人間七七四年:2007/04/25(水) 19:59:20 ID:NYqG96m1
甕割姓の由来が源氏っていうのは明らかにデマだよ。どんな系図にも載ってない。
あれは勝家が佐々木・浅井との戦いで、出陣するときに水瓶を叩き割ったのが由来だろ。

あの戦は義龍と勝家の二人で勝ったようなもの。義元公と元康公は伊勢で足止めされてた。
あの時もし朝倉が敵に回ってたら危なかったかもな。
650人間七七四年:2007/04/25(水) 20:03:27 ID:mwMC63r6
>>649
義龍は死んでるって何度言えばわかるんだお前は
651人間七七四年:2007/04/25(水) 20:32:43 ID:5xlkngQm
林佐渡は信長の4人の遺児をさんざん虐待してサドの語源になったんだよな
いかに滅亡した大名の子弟とはいえ、やっぱり児童虐待はいかんよな…。

写楽斎(奇妙丸)なんかは性格のひずみを生じて氏真公暗殺事件を起こしたし、
茶筅丸と三七丸は出家してからもずっと兄弟喧嘩ばっかりだったよな。

天罰が降ってか、暗殺事件の巻き添えで元康公に誅殺されたんだよな。
悪人の行いは必ず悪人の頭の上に返るって聖書に書いてある通りだな
652人間七七四年:2007/04/25(水) 20:46:08 ID:mwMC63r6
>>651
いや確か本人は既に死んでる
殺されたのは御伽集に息子だったはず・・・
まあそれで家は断絶したからな
653人間七七四年:2007/04/25(水) 21:08:48 ID:NYqG96m1
写楽斎を和歌で焚き付けて暗殺テロに走らせた長岡藤孝ってろくでもないよな…
あんな香具師に和歌の弟子入りしちゃいかんよな。あれで信澄も失脚し病死だもんな。

織田4兄弟は悉く粛清され、残ったのは商人化した長益と信包だけ。武家としては断絶。
和歌といえは義元公に臣従の挨拶に来た朝倉義景は見ものだったよな。茶器も持参でさ。
654人間七七四年:2007/04/25(水) 21:28:13 ID:mwMC63r6
朝倉義景は美濃に落ち延びた斎藤龍興を匿ったため義元公に討伐を受け
信玄入道が掃蕩されたから泡食って龍興と文淋釜を差し出し降伏したんだよな
文化的素養の高さから会見の場で見事な和歌を詠み満座の喝采を浴びたけど
あまりに媚びた態度に領国に帰ってから散々罵声を浴びたのは有名な話
対する浅井義政(賢政)は降伏勧告を突っぱね自害して世間の賞賛を浴びたんだよな
655人間七七四年:2007/04/25(水) 21:28:49 ID:mwMC63r6
×美濃に
○美濃を
656人間七七四年:2007/04/25(水) 21:29:28 ID:mwMC63r6
×浅井義政
○浅井元政

だったw
657人間七七四年:2007/04/25(水) 22:04:55 ID:jyzRgYVq
統一後、朝比奈や岡部は松平・黒田にハメられて失脚してしまうが、これは自分の家柄が今川の歴代の重臣だった事に対する増長が原因である。
朝比奈は領有を許された東北も、斯波氏の一族の最上が鎮守府副将軍に成ったことで失脚していく。
658人間七七四年:2007/04/25(水) 23:08:48 ID:mwMC63r6
朝比奈は中央への影響力が殆どなくなったとはいえ
全国でも10位内の大領を存続させたのに比べ
岡部の凋落振りは酷すぎるな
659人間七七四年:2007/04/26(木) 11:16:13 ID:1EWUslzf
松永久秀は、殺人麻薬のキムチを密輸し、朝鮮に日本を売り渡そうとした悪党だよな
660人間七七四年:2007/04/26(木) 11:38:00 ID:HU71Wpw6
いくら松永が悪党でも日本人が扱える代物ではない。
不法滞在者が当時松永に嫌疑を被せたお得意の捏造。
661人間七七四年:2007/04/26(木) 12:11:03 ID:1EWUslzf
譛晏サキ縺ィ蟷募コ懊°繧我ケ?遘縺ォ險励&繧後◆讌オ遘俶欠莉、繧堤炊隗」縺励※縺?繧倶ココ髢薙′縺薙%縺ォ縺?縺溘→縺ッ窶ヲ
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662人間七七四年:2007/04/26(木) 12:12:45 ID:1EWUslzf
この文字化けはひどすぎるな
朝鮮からの害電波か
663人間七七四年:2007/04/26(木) 15:06:09 ID:1EWUslzf
自爆テロで朝鮮からの侵略を食い止めた久秀は英雄だよな
664人間七七四年:2007/04/26(木) 18:42:22 ID:IHBJT959
日本は朝鮮人に因る侵略の民族紛争当事国
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1166436963/
665人間七七四年:2007/04/26(木) 19:15:57 ID:VLXziXje
義元公の朝鮮人に対してのお前等人間って名乗っていいぞぃ。
って発言がなかったら今も朝鮮人は家畜扱いだっただろうな。
義元公が居なかったらチョンは人間って名乗れないんだから義元公に感謝しろ。
666人間七七四年:2007/04/26(木) 19:34:18 ID:MD5ym6g1
1560年桶狭間の戦い。義元、織田信長を破る。同年尾張をほぼ制圧。
1561年義元六万の大軍を率いて満を持して上洛開始。六角氏を破る。三好
逃亡。京に上り室町幕府再建を開始する。1562年この頃義元に室町幕府に変わって
天下を取りたいとの欲が沸き足利幕府と対立浮き彫りになる。1563年三国同盟崩壊。
武田公然と義元と対立。北条も武田に同意。義元三万の兵を率いて北条攻め。小田原
包囲するも失敗。1564年頃今川包囲網。あれ、この後史実ではどうなったんだっけ。
667人間七七四年:2007/04/26(木) 20:34:09 ID:Tu+NUuW6
自分が読んだ小説を読み返せ
668人間七七四年:2007/04/26(木) 20:37:24 ID:ScM/CGQb
669人間七七四年:2007/04/26(木) 20:50:08 ID:IHBJT959
>>665

義元公がそんな馬鹿げたことをおっしゃるわけがないだろ?
670人間七七四年:2007/04/26(木) 23:41:35 ID:MD5ym6g1
ねえーみんな。仮想戦記で信長が天下統一を目指す話やってるよ。それによると
桶狭間で義元を討った後、上洛するんだって。その世界じゃ英雄がいっぱいで出て
来て武田信玄、上杉謙信、北条氏康が凄い武将ということになってる。
671人間七七四年:2007/04/26(木) 23:49:42 ID:ScM/CGQb
>>670
信玄入道や氏康は凄い武将だっただろ
義元公が凄すぎただけで
672人間七七四年:2007/04/27(金) 02:28:46 ID:aBMOtP3Z
武田厨って本当にウザいな。
今川のスレなんだからお前らは出てけよ。
673人間七七四年:2007/04/27(金) 06:18:43 ID:9uIHqj5k
初代武田藩主晴信は名将だった。土岐義龍公とどちらが凄かったかは評価が分かれる。
中央での活躍度でいえば完全に義龍公だよな。晴信は越後長尾氏との私闘が多過ぎた。

晴信が病を得て、実権が義元公の娘婿義信公に移って武田の専横もようやく静まった。
晴信四男に諏訪勝頼っていう猛将がいて、武田二十五将の筆頭とされてるよな。
674人間七七四年:2007/04/27(金) 08:44:20 ID:CaDAl/44
またでた土岐厨w
675人間七七四年:2007/04/27(金) 11:59:27 ID:1qrAUO7T
義龍?中央で何した?道三を殺した数年後死んじゃったよな。
美濃の地侍にも次々裏切られたしね。まぁ今川の調略が凄すぎたせいでもあるが。
676人間七七四年:2007/04/27(金) 12:19:51 ID:hdZloY1M
田楽狭間の翌年には義龍は病死
義元公が終わり国内の整備や中央との工作を行っていたから
それから6年永らえたが、いざ攻め込まれると一瞬で消し飛んだよな
677人間七七四年:2007/04/27(金) 12:31:25 ID:31Xh8orI
武田晴信は初代藩主じゃねぇだろ。
晴信と勝頼は朝倉討伐の際に浅井と共に義元公に弓引いたんだからな。
結局、姉川にて晴信と勝頼は今川軍に破れ去った。
武田義信は義元公に忠誠を尽くして父を討ったんだから素晴らしいよ。
678人間七七四年:2007/04/27(金) 17:58:54 ID:OlL4ElcK
義龍は名前を変えて生きてたけど、武田以上は無い。
679人間七七四年:2007/04/27(金) 18:09:46 ID:31Xh8orI
晴信なんか所詮、俺は源氏だ源氏だって喚いていて大局が見えなかった人物だろ。

馬場・高坂・真田・斎藤らが義信に付いて晴信を討ったのは必然だったんだな。
680人間七七四年:2007/04/27(金) 18:19:28 ID:jmbkViXy
>>679
斎藤なんて武田にいたか?
四名臣なら工藤昌豊だろうし。
681人間七七四年:2007/04/27(金) 18:25:55 ID:CaDAl/44
>>680
工藤は大河の「武田義信」でもスルーされてかわいそう…
682人間七七四年:2007/04/27(金) 23:16:36 ID:RlEskYuT
内藤じゃないの?
683人間七七四年:2007/04/27(金) 23:25:46 ID:CaDAl/44
684人間七七四年:2007/04/27(金) 23:44:13 ID:Eg7BHnIw
>>682
あぁ、IF物の定番だよな、内藤。飯富昌景の山県姓とかもそうだし
三増峠で北条とやりあった時の戦功とか、上州攻めの時の戦功など
それぞれのIF作家によってタイミングは違うけど
確かに信玄坊主の旧跡を継がせるっていう褒賞からすれば妥当な姓か
685人間七七四年:2007/04/28(土) 08:50:00 ID:x9vcdJ7T
>>673

晴信の専横を、義元公は同盟者の立場から見過ごしておられたんだよな。
でも長尾を支援するために、奥羽上越列藩同盟ができかけたんだよな。
長尾、上杉、葦名、伊達、最上、大崎、葛西、南部、相馬、安東、津軽…

この動きが本格化して幕府の屋台骨を揺るがすことを懸念した義元公が、
服部半蔵に命じて晴信を暗殺させた、という噂は昔からあるよな…。
686人間七七四年:2007/04/28(土) 10:23:49 ID:Nn5a7bNb
晴信が死んだのが、越後長尾氏への総攻撃を企てた73年春っていうのが怪しいよな。
義元公の娘婿であった、U代藩主義信公も一枚噛んでたって話だろ。恐ろしいよな。

直後に輝虎は幕府から北陸探題に任命され、諱までもらって義虎と改名してるしな…
これで東北の諸藩の動きも沈静化したんだよな。義元公ご逝去の二年前の出来事。
687人間七七四年:2007/04/28(土) 10:25:21 ID:BaYSb17r
>>685
暗殺とかバカスwww
信玄入道は確かに独断で行動する事が多かったが
あくまで同盟者だったわけで今川家の内政外交に
干渉したわけじゃないから専横とはいわない
そして姉川で退廃した後、一度駿河に追われた義信が軍を返して
甲斐に侵攻し、自害させるんだよ
688人間七七四年:2007/04/28(土) 10:55:48 ID:x9vcdJ7T
すでに今川幕府ができてるのに勝手に他家を攻める
これを専横と呼ばないでどうするんだよ?
しかもそのせいで幕府が割れるとこだったんだぜ?

ご自分の健康状態から寿命を予期された義元公が、
将来への禍根を断ち切ろうと晴信暗殺を決行された。
国や家を守るには非常な決断力が必要という手本だよな
689人間七七四年:2007/04/28(土) 11:29:42 ID:Nn5a7bNb
列藩同盟はヤバすぎるよな…武田と同等の国力・軍事力を持つ長尾、旧関東管領の上杉、
化け物のような強さの葦名・南部・相馬、知略の最上、伊達・大崎・葛西らの名家…

これに牙を剥かれたら間違いなく長期戦になる。そうすれば南国諸藩が離反するだろう。
おそらく今川の天下は揺らいでいたぞ。その意味で晴信暗殺はまさしく英断だったよな。
690人間七七四年:2007/04/28(土) 13:15:05 ID:rvJOedr1
晴信は姉川にて敗北した後に頭を丸めて義元公に許されたのだが、義元公の為にも義信が暗殺したんだろうが。
691人間七七四年:2007/04/28(土) 13:34:10 ID:Nn5a7bNb
晴信が謀反したとしても、美濃が今川配下の土岐領だから、姉川まで来られないだろ?
ちなみに浅井が佐々木に従属したので、朝倉は賢政を見限って義元公についたんだよな。

ちょうど市姫は義元公に毎晩抱かれて女の喜びを知りはじめてた頃だw
濃姫も勝家に再嫁するし織田関係の女は性的に恵まれてるよな
のちの女系子孫の繁栄は目を見瞠るばかりで良かったよな
692人間七七四年:2007/04/28(土) 16:16:54 ID:Z7gN5tt8
そうですか
693人間七七四年:2007/04/28(土) 17:11:39 ID:zFwuMnx7
また「イク」と言う表現はとか言い出すんだろ?
694人間七七四年:2007/04/28(土) 23:21:44 ID:Nn5a7bNb
濃姫は勝家公に娶られてから、「信長はやはりうつけだった」と感想を残してるよな。
その点では勝家公が凄過ぎたんだけどな。おかげで甕割家は立派な跡継ぎに恵まれた。

あまりの睦まじさに子を産む機械なんて揶揄されたけど、よく勝家公を支えたよな。
さすが才色兼備のいい女だった。「マダム・バタフライ」として欧米でも有名だよな。
695人間七七四年:2007/04/28(土) 23:27:59 ID:rvJOedr1
晴信は実際に姉川どころかもっと東まできていたんだぞ?
土岐の軍勢なんぞ武田勢からすりゃあカス。
晴信は義元公が松平等によって操られているのだと解釈していたんだよ。だから反旗を翻した。
696人間七七四年:2007/04/28(土) 23:34:45 ID:rvJOedr1
晴信は岐阜まで来たときに、義元公に謀反の意味を理解して貰えない事に気付き姉川周辺まで退却した。
その時に義信の軍勢が松平の指示によって大垣を経て姉川にやってきて戦になった。
晴信は義元公の真の忠臣だったんだよ。死後、幕敵の扱いを受けた武田晴信だったが、14代将軍・氏詮のときに功と内乱の真意を分かって貰えて許された
697人間七七四年:2007/04/28(土) 23:35:33 ID:BaYSb17r
>>695
そもそも美濃を納めてたのが
斎藤龍興を討った後義元公が呼び戻した土岐頼芸だからなぁ…そりゃ消し飛ぶよ
698人間七七四年:2007/04/29(日) 00:53:06 ID:wjgfIWqb
姉川で戦ったのは、武田信豊ね。
信繁とともに討死したけどあっぱれなものだと言われている。

武田本隊は、
北条とともに駿河に侵攻したんだけど途中で北条氏康が裏切って甲斐に退却。
結局、今川、上杉、北条に攻め滅ぼされる。

こんな素晴らしい作戦をたてておいて、上野ごときで寝返る北条死ね。
699人間七七四年:2007/04/29(日) 22:12:00 ID:z/kuzzrE
武田義信は父親に付いていかなくて正解だったな。
かなりのキレ者だったらしく、父が反乱を起こす前に部下達を引き抜いて大垣に退却しちまうんだもん。
主力の譜代衆を連れてかれた晴信は名将・義信によって当然倒された。しかし、義信は後に姉川に父の偉業を記した石碑をたてたんだよな。
700人間七七四年:2007/04/29(日) 22:21:12 ID:mZOJ9Jz9
晴信にとっての救いは、諏訪勝頼が最期の最期まで付き添ってくれたことだろうな
勝頼を嫌ってたという説もある義信も、当時赤子だった勝頼の遺児、信頼を保護してるしな
701人間七七四年:2007/04/29(日) 23:13:50 ID:wSrZnGqj
>>700
ただ勝頼自身は仁科盛信とともに義信に消された確率が高い
702人間七七四年:2007/04/29(日) 23:44:27 ID:mZOJ9Jz9
>>701
勝頼は氏真公の信頼を受けていた時期もあるからな
義信と信玄の仲が一度落ち着いた時にぶつかったから、なおさら義信陰謀説が有力になる
ただ、盛信はともかく、勝頼が駿府で暗殺されたというのは少し信憑性が低い
本当にあの時勝頼が駿府からの呼び出しに応じたのなら、勝頼最期の地碑が遠江地域にあるのがわからない

まあ、つい数十年前までは信玄と勝頼といえば逆臣の代名詞だったからなぁ
武田氏ってなんか面白みがあるから、研究が進むことを願っているよ
703人間七七四年:2007/04/30(月) 00:06:54 ID:xtMDZ0E7
>>702
しかしここの住人も何度か指摘してるが
盛信と別々の地で同日に志望していると言うのは怪しいよな…
704人間七七四年:2007/04/30(月) 01:31:02 ID:kyjAbD5B
>>703
同日っていう説自体に疑問が残るけどな
晴信死亡後の武田軍が遠江で最期の一戦を行っていて、その戦跡に勝頼の碑がある
この戦いは通説での兄弟の死去より前だから、本当に勝頼が遠江で死んだのなら通説は間違いだろう
薩摩守盛信も自刃説、討死説など色々あるからなぁ
信玄厨の俺は、盛信は討死した勝頼の後を追って駿府で自害したと妄想してるww

ただ、義信の先見の明によって始末された勝頼を悼んで、碑を遺臣の誰かが建てたということも考えられるよな
705人間七七四年:2007/04/30(月) 01:36:48 ID:tT0r4hMm
何度も言うが、晴信反逆は松平の独裁から幕府を解放するためだ。
しかし、服部半蔵により松平に情報を取られてしまい、わざわざ義信を派遣され晴信は倒された。いくら父から離れていた義信でも父と戦う際に夜通し泣いていたのは余りにも有名
ちなみに武田はこの戦いでかなり戦力を失ったんだよな。
706人間七七四年:2007/04/30(月) 01:44:58 ID:xtMDZ0E7
>>705
何いってんだか
晴信謀叛のころは開幕してないし
義元公親政で松平なんて今川軍のエースとはいえ地位的には一門衆に過ぎなかっただろ
松平が増長するのは氏真公死後、それと対抗し将軍家の復権をはかろうとしたのが義信
まあその息子は信康とならんで専横に走るわけだが
707人間七七四年:2007/04/30(月) 08:09:58 ID:KK2gtCTR
みんな何を妄想してるんだ? 晴信が長尾氏を攻めようとして暗殺された史実に戻れよw
政虎を助けようとした奥羽勢の主力は、何といっても蘆名氏の会津藩だったよな?

あの時もし会津を敵に回してたら、幕府の根拠地である駿府まで危なかったかもな。
盛氏か最上あたりが誰か親王を擁立して、日本は後期南北朝時代に突入したかもしれんな
708人間七七四年:2007/04/30(月) 10:00:54 ID:tT0r4hMm
そもそも今川が幕府を開いていないとはいえ、あの時点で荒廃した京から親王を東の京・新府に招いていたんだぞ?
帝は亡くなられていたから親王が次の帝有力なんだから、今川家に逆らう将はほとんどいないだろ。
まぁ長尾は別だが・・・
709人間七七四年:2007/04/30(月) 16:06:55 ID:5Z3unzxA
なんであの時点で武田晴信は越後を攻めようとしたのか?
あれほど優秀な人がそんな後先考えず行動したとは思えない。
やはり義信を一日も早く当主に擁立したかった誰かの陰謀、計略に引っ掛かったのか?
勝頼、盛信暗殺もその延長なんだろうが、ちょっとあからさま過ぎたな。
ちょっと問題発言になるが、義元公は相当晴信を怖れていたのではないのか?
710人間七七四年:2007/04/30(月) 16:40:52 ID:xtMDZ0E7
お前消されるぞ…といいたいところだが
その可能性も否定は出来んな…義元公ほどのお方なら
義元公は才と度量のある人材を愛されたが…それらが野心を持つことは嫌っていた
しかし完全服従のポーズを取っていた元康が後年専横に走るとはな・・・
711人間七七四年:2007/04/30(月) 17:03:26 ID:5Z3unzxA
>>710
武田家とは同盟の間系、元康とは主従関係。その後懐刀とも言える信頼も得た
訳だし、義元公もそこまでは読めなかったでしょう。
専横的になったのは氏真公死亡後だし、義元公ご存命の頃から
元康もその様な野心はなかったかも知れない。
しかし、専横とは言うが結果として幕府の土台が固まった訳だから
あまり非難も出来ないと思うが。
712人間七七四年:2007/04/30(月) 19:04:51 ID:zStNDe2A
体制がしっかりしてたお陰でこの国は鎖国政策を転換する時も
大して争乱は無かったしな。技術革新も順調だったし、名実共に「眠れる獅子」だった。

隣の国はライオンっぽい猫だったのがバレて蹂躙されまくったけど。
713人間七七四年:2007/04/30(月) 19:11:52 ID:xtMDZ0E7
>>712
なんだかんだで存続してるのがフシギだよな…
本邦が大戦で失敗しなけりゃ…
714人間七七四年:2007/04/30(月) 21:55:48 ID:5Z3unzxA
鎖国ぅ?はぁ?どこの国の話?
こりん星?
715人間七七四年:2007/04/30(月) 21:58:03 ID:tT0r4hMm
713!なに言ってるんだ?我が国は上さまの今川焼きにより、米国や中国を叩き潰したじゃないか!
真珠湾にたいしての今川焼きはアメリカ軍に五年分の打撃を与えたとまで言われている
716人間七七四年:2007/05/01(火) 08:36:12 ID:BaKM7JHe
何を基準にしての五年分なんだ?
まさかタイヤキじゃないだろうなw
日本の現代史を整理するとまずペリーの黒船を接舷作戦で駆逐(米寇)
そのあと薩摩藩が英国艦隊を同様の作戦で撃破(薩英戦争)
米英から莫大な賠償金を獲得して日本は栄えに栄えた。
717人間七七四年:2007/05/01(火) 20:14:32 ID:McCGYyE8
でも如何せん島国であるわが国は、その後の植民地政策では
欧米に遅れを取った。
しかし植民地支配より平等な交易に利を求めた当時の幕府は
金銀の埋蔵量を資本に南洋からインド洋アラビア海まで海洋交易の
範囲を広げることができたわけだ。
>>716で指摘された、かの戦が出発点であり、元を正せば
義元公が天下をお取りあそばせた結果、われらはこのように
平和で豊かな暮らしが出来ているのだな。
718人間七七四年:2007/05/02(水) 09:09:04 ID:/J6b5C4a
欧米って何だよ? アメリカもイギリスも賠償金の負担で潰れかけたろ
今までわが国と共に世界をリードしてきたのは清国とロシアだろう

第二次世界大戦では両帝国が手強くて日本は敗戦国になったんだよな
上様が早期講和に向けてヒトラーやムッソリーニを説得したのは流石

現在の国連は清露日独仏伊の六カ国が常任理事だろ。テストに出るぞ
米英はキューバとともに共産化してしまって大変な道を歩んだよな
719人間七七四年:2007/05/02(水) 09:38:54 ID:nW3k9DWx
アメリカは日本に負けたことで南北戦争が再燃して大変だったよな。
日本に攻めて来たのは北軍(ヤンキー)が樹立した政府だったんだが、
戦争賠償金の支払いで財政が逼迫して立ち行かなくなったんだよな。

一時期、合衆国の連邦政府と、南軍すなわちアメリカ連合国が鼎立して国土が分裂。
共産主義を取り入れることで国家として再統合されたんだよな。
720人間七七四年:2007/05/02(水) 09:51:19 ID:/J6b5C4a
イギリスも同じく日本への賠償金の負担で国が傾いたよな。
まず最初に財政破綻と国内の批判をかわしきれず国王が退位。

大英王国は瓦解し、豪州などの植民地は手放さざるを得ず。
本土もイングランド、スコットランド、ウェールズに分裂した。

それに伴って国教会も解体、カトリックや正教会に吸収された。
アメリカ中心だったプロテスタントもなくなってしまったしな。
721人間七七四年:2007/05/02(水) 10:23:37 ID:it7Mrt4H
ヒトラーのユダヤ人弾圧は許せん。
722人間七七四年:2007/05/02(水) 13:56:47 ID:kn0HLZ+B
凄い方向に飛躍してるなw
もっとやれ
723人間七七四年:2007/05/02(水) 20:24:02 ID:xhjpq3MA
賠償金ってなんだよ、上様がそんな金受け取る訳無いよ、
ひどい誹謗中傷だ、ネット上だからって、何書いても良い訳じゃないんだぜ。
724人間七七四年:2007/05/02(水) 20:42:49 ID:nW3k9DWx
じゃ合衆国政府の衰退・南北分裂や、大英帝国の崩壊をどう説明するんだよ?
W杯だってイングランドとスコットランドが別々に出てるだろ。ベッカム知らないのか。

ウェールズで有名なのは、何と言ってもプリンセス・ダイアナ妃だよな。あの美貌。
ウェールズの領主のお姫様で、今まで独身を貫いて慈善活動に身を捧げてるんだよな。
725人間七七四年:2007/05/02(水) 20:47:43 ID:Tgo6ILWA
何を言ってるんだ。官僚の専横に決まっているだろ
上様とて万能じゃないんだ。特に少なからず欧色と混じってたせいで官僚化が進んだ今は特に
尤も、上様が様々な国の歴史から、子孫が暴走することを畏れて最高権限を縮小したのもあるが
726人間七七四年:2007/05/02(水) 22:03:13 ID:1cxI97Nw
しかし、今じゃ清国・英国の王室も上さまの血族だもんなぁ上さまのお陰で日本人が世界に認められて嬉しいよ。
それに、日本の武田重工製の戦車の馬場型や高坂型は世界の大半の国が使ってるしな。
727人間七七四年:2007/05/02(水) 22:07:26 ID:1cxI97Nw
英国の王室は氏真公に敬意を表してKemary朝(ケマリー朝)と名乗ったのは余りに有名。
世界ではキングオブケマリーとして上さまは呼ばれている。
728人間七七四年:2007/05/02(水) 22:11:53 ID:8brg2MGe
日米英三国同盟は今でも健在。新聞を端から全部読め。
誰だ米英が赤になったとか言ったのは。
729人間七七四年:2007/05/02(水) 22:50:13 ID:IL7EWl6J
>>727
勤皇の志篤い上様は不快に思われているようだが
730人間七七四年:2007/05/02(水) 23:20:12 ID:VCDbxsHY
しかし隣国のFIKA WorldCup2002JAPANのドサクサに紛れた
蹴鞠の起源は韓国です発言には笑ったな。
堅物の岡部総理が公式コメントで皮肉こぼすわ
あの上様ですら公の場で失笑してしまうわと酷いもんだった。

征韓論を「愚策」と取り合わなかった21代将軍に感謝だわ。
731人間七七四年:2007/05/03(木) 00:06:09 ID:BiG5+B35
>>730
ただ、当時の島津の心情を考えると、はけ口を用意してやる必要もあったかもな
九州の歴史は知らんけど、なんであれだけの力を持ってたのに幕府と仲悪いまま来れたんだっけ?
732人間七七四年:2007/05/03(木) 08:46:51 ID:ElrERup/
>>730
清や過去の支那王朝が朝鮮半島を併合しなかったのは自分たちの血が穢れるのを恐れた為だしね。
愛新覚羅家も朝貢は過去の政策引き継いだけどそれ以外は関わろうとしなかったのは賢明だった。

>>731
台湾だけじゃ不十分だったか?
733人間七七四年:2007/05/03(木) 11:26:33 ID:nTjN56Ln
ドイツの総統は上様の説得により清露への降伏に踏み切ったんだよな
総統辞任・ナチスの解党・賠償の三条件だけで実質は講和だった。

新政府はユダヤ人迫害を謝罪し、徹底して賠償と保護を行ったよな。
イスラエルの首相はアンネ・フランクさん(77)が長らく務めたし…

なにしろアンネさんはドイツとオランダの首相も歴任してるもんな。
平和の象徴で、三カ国で首相を務めた世界初の人物になったんだよな。
734人間七七四年:2007/05/03(木) 13:40:15 ID:/kfx74nM
世界で読まれている本の一位が今川仮名目録2007年版。
二位が聖書
三位は古今和歌集
まさか二位に聖書なんかがくるとは、古今和歌集より上なんて信じられないよ!
735人間七七四年:2007/05/03(木) 14:49:09 ID:yLpXIfEY
4位がアンネ元首相の「アンネの日記」、5位がヒトラー氏の「わが贖罪」だよな
南北戦争を描いた「風と共に去りぬ」もいいよな。今じゃ米国も資本主義に戻ったしな。

ロシアのツァーリはドストエフスキーが好きだそうだな。清の皇帝はやっぱり魯迅支持。
ちょっとマイナーだが、崩壊後のイギリス動乱を描いた「大聖堂」っていう小説もいい
736人間七七四年:2007/05/03(木) 15:25:28 ID:zTHon4S0
マジレスすると義元は桶狭間で毛利新助に討ち取られてるよ
737人間七七四年:2007/05/03(木) 15:31:38 ID:lB82d+7q
>>736 漫画と史実の区別ぐらいつけようぜ
738人間七七四年:2007/05/03(木) 15:55:00 ID:fL/c7F9P
>>736
ここのスレの中では義元様が信長に負けたこと自体がIF、そういうことだ
おや?こんな時間に宅配頼んだ覚えは無いのに誰かk
739人間七七四年:2007/05/03(木) 16:10:07 ID:r5jAAGMC
>>738
無茶しやがって…
740人間七七四年:2007/05/03(木) 17:04:45 ID:nTjN56Ln
>>735
「大聖堂」かぁ…

大英帝国が崩壊し本土も分裂した時の戦乱を題材にした小説だよな。
名貴族が攻め滅ぼされて姫様が×××されちゃったりするんだよな

高校の頃舐め回すように読んだぜ。あの気品のあるお色気はいいよな。
どことなく市姫や濃姫の運命とも似てるところがあるしな・・・
741人間七七四年:2007/05/03(木) 17:29:42 ID:4YA9huJW
名古屋にのぞみ止めてくれよ
742人間七七四年:2007/05/03(木) 17:35:34 ID:gmow+7GC
>>741
那古屋に新幹線は走っていません。
743人間七七四年:2007/05/03(木) 17:36:29 ID:gmow+7GC
>>741
那古屋に新幹線は通ってないでしょ。
744人間七七四年:2007/05/03(木) 19:19:56 ID:z1tbIRCm
去年愛知県職員に受かったけど、配置先が清洲だったorz
ここ平野なのになんでこんなに寂れてんだ!
数百年経っても未だ呪われてるのか?てかコンビニまで車で20分てどうよ?
745人間七七四年:2007/05/03(木) 20:21:25 ID:/kfx74nM
その代わり駿河はすげぅ大都市だよなぁ、都になって既に400年たってるが世界の都市でも有数の大都市だ。
氏真公が街づくりを京の全盛期の状態を再現したのが良かったんだよな、帝が寂れた京から駿河に遷都した理由がそれだからな・・・
746人間七七四年:2007/05/03(木) 21:21:32 ID:OspZ6zUI
>>745
帝は戦乱が収まった後、京へ戻られたよね。
しかし駿府は人大杉。政治と経済はやはり分けたほうがいいでしょ。
駿河一辺倒もそろそろ限界だわな。
747人間七七四年:2007/05/03(木) 23:05:12 ID:8oV/xN6B
静岡(駿河)都は世界で一、二を争うような大都市なのに隣の愛知県と言ったら…
なんで隣どおしであんなに格差があるんだ?

俺関西に住んでて中学のころ修学旅行でバスで駿河まで行ったけど途中通った愛知県は山と田んぼしかないようなところだった
世界の先進国家である日本にまだあんなところがあったんだな
748人間七七四年:2007/05/04(金) 04:43:17 ID:RvtU8gKz
駿河大学>>>>京都大学

駿大受からないヤツは全員、低学歴
749人間七七四年:2007/05/04(金) 04:44:31 ID:RvtU8gKz
駿河大学>>>>京都大学

駿大受からないヤツは全員、低学歴
750人間七七四年:2007/05/04(金) 05:48:39 ID:m1xtjJQB
愛知県のよさがわからないようではお前ら上様のお心がわからんのだろうな
何故愛知県を自然のままに残されたのか。そっちを考えるべきだろうに
751人間七七四年:2007/05/04(金) 08:21:01 ID:li+8xzRC
え!おれ浜松で充分都会と思っていただらあ、
駿府はもっと凄いの?
752人間七七四年:2007/05/04(金) 09:32:47 ID:m1xtjJQB
>>751
あぁ、愛知の西半分の話な

まぁ浜松は楽器やってる奴からすれば聖地だが
都市の規模では駿府には遠く及ばない
ロンドン都市圏に及ぶんじゃないかなって思うね
753人間七七四年:2007/05/04(金) 20:18:28 ID:emcQerxN
駿府は今だに城郭に囲まれた大都市だからすげぇ。
たしか人口が800万人いるんだよな。
鉄道はすべて地下鉄だから踏み切り渋滞ないし、高速道路も片側10車線だから渋滞がない。
しかし、上さまも天才だよなぁ。駿府は全体核シェルターにしてあるんだから。
754人間七七四年:2007/05/04(金) 20:19:48 ID:f4HrvDLC
そういえば富士山が噴火した時には如何するんだろ?
755人間七七四年:2007/05/04(金) 20:24:34 ID:f4HrvDLC
あと地震も。
756人間七七四年:2007/05/04(金) 20:41:42 ID:4gruF2R5
街全体が核シェルターなんだから富士山の噴火も地震も大丈夫だろ
757人間七七四年:2007/05/04(金) 20:44:41 ID:QZwZkk+N
義元公の代から少しずつ富士山を開発していて、もう噴火しないらしいぞ。今では何か国家機密が隠されてるって聞いたけど・・
あ、誰か来た
758人間七七四年:2007/05/04(金) 20:49:12 ID:mpy9zFwh
>>752
道路や鉄道だけはやたら整備されてるよな
普通ならそれに伴い商業も発展するもんだが…
まいなーだけど料理はそこそこ美味いんだよな愛知
海老ふりゃ〜って知ってる?
759人間七七四年:2007/05/04(金) 22:38:48 ID:emcQerxN
富士山には最終兵器の今川焼きの発射基地があるんじゃないのか?
みんなはなんかUFO目撃だとか言ってるがあれはプラズマ兵器だろうな・・・。たぶん。
760人間七七四年:2007/05/04(金) 22:43:46 ID:emcQerxN
ドーム型の大都市、地下は五十層にもなっているが一般人が入れるのは三十層まで。
それ以降は大名家か公家衆、そして軍人くらいしか入れない。
761人間七七四年:2007/05/04(金) 23:04:34 ID:U+M12NPn
つーか富士山が入れないのは世界遺産だからだろ。
762人間七七四年:2007/05/04(金) 23:07:37 ID:emcQerxN
あれは初代義元公が要塞として作ったから世界遺産だが、今も基地として使われているんだよ!
763人間七七四年:2007/05/05(土) 09:15:32 ID:fwSFy9OF
たしか、大陸の赤軍どもが富士山を爆撃しようとしたが嵐になって攻撃できなかったんだよな。
上さまは神風をも起こすんだよ。
764人間七七四年:2007/05/05(土) 10:25:22 ID:TXdzQ+Xk
神風の前に普通に撃退したよ。我が軍がどれほどの戦力か知らないの?
村長さんに怒られるよ。
765人間七七四年:2007/05/05(土) 14:38:40 ID:fwSFy9OF
ハリウッドじゃ毎年、違うキャストでKING IMAGAWAが作られてるのが今川家を敬っている証拠。

原作は太宰治原作・黒沢明監督作品の「唯一の王者」だがな。
766人間七七四年:2007/05/05(土) 19:43:59 ID:fwSFy9OF
帝は何度も上様に皇位を禅譲しようとしたが、上様は何度も断った。
その代わりに帝は上様に太政大臣・関白を永久的に保障なされた。
767人間七七四年:2007/05/05(土) 21:33:50 ID:TXdzQ+Xk
>>766
将軍家は関白太政大臣も兼任していたんだ。
日本は世界的にも大変珍しい、立憲君主制だけど民主主義国家で
いられる理由が分かったよ。アラブの国が見本にしているが、あちらはまだ
民主主義には遠いようだ。最近同盟国から将軍を大統領にしては?との
提案が有ったらしいが歴史を重んじる上様は否定したらしい。
我々国民も上様は今のままの方が良いと当然思っている。
768人間七七四年:2007/05/05(土) 21:37:40 ID:42IzyGhv
>>1
逆じゃないの?
769人間七七四年:2007/05/06(日) 06:42:41 ID:eq16NTIL
>>768
最初は恐れ多くも義元公が討たれたらの話をしていたが、
ここの住人は愛国者が多く今川将軍家を称えるスレに変わってきたのさ。
770768:2007/05/06(日) 12:28:12 ID:FaabAhz4
>>769
ほー面白そうだね。参加します。
771人間七七四年:2007/05/06(日) 12:35:03 ID:L+4c4Zmd
義元公が上洛戦の緒戦を懐かしんで桶狭間に出向いて、そこで亡くなったって伝承でもあるのかと思ったよ
772人間七七四年:2007/05/06(日) 17:44:38 ID:eq16NTIL
まぁスレ立て人が桶狭間の戦いみたいなドマイナーなものを
選んだ理由もいまだに謎なんだけどね。
773人間七七四年:2007/05/06(日) 18:12:34 ID:GIWo5A/x
本当は田楽狭間で討ち取られてたんだけどな。
そこで影武者と入れ替わったわけだ。
774人間七七四年:2007/05/06(日) 18:47:23 ID:d9twI0Jc
↑馬鹿か!敵兵はまったく近くにも来れずに上様の仕掛けた伏兵に叩き潰されてただろ!
775人間七七四年:2007/05/06(日) 18:52:41 ID:FaabAhz4
>>772
地元の方じゃないの?豊明人か?
おれも地元だけどメジャーだよ。
776人間七七四年:2007/05/06(日) 18:57:21 ID:jz8GBVLx
蝦夷地住まいの俺は愛知県がどこにあるかも知りません
777人間七七四年:2007/05/06(日) 20:12:03 ID:FaabAhz4
777
778人間七七四年:2007/05/06(日) 20:56:07 ID:9uojeCbr
また妄想サヨが湧き出したw
779人間七七四年:2007/05/06(日) 21:10:46 ID:d9twI0Jc
そもそも愛知県とか北海道って何だよ?

尾張国とか蝦夷々島なら知ってるがな。
780人間七七四年:2007/05/06(日) 22:01:46 ID:eq16NTIL
>>779
今はそうなってるの。
永いことスパイ活動お疲れちゃん。ゆっくり休めとの上様からの御言葉だ。
781人間七七四年:2007/05/06(日) 22:48:42 ID:d9twI0Jc
↑のヤツの脳が共産ゲリラの電波攻撃によって残念なことになってしまったようだ。
県なんていう制度なんか空想だろ!昔から国という制度は変わっていないだろうが。
782人間七七四年:2007/05/07(月) 00:07:48 ID:WnAo7ylG
上様が断行された廃藩置県という政策があってだな…
783人間七七四年:2007/05/07(月) 02:23:25 ID:Wqi+51VG
>>571
「思っていただらあ」ってどこの言葉だよwwwもっと駿河弁勉強してくれや。そんなんじゃあ駿河でも遠江でも、どこ行っても笑われちまうら。
784人間七七四年:2007/05/07(月) 07:03:00 ID:9AI1bD9W
>>783
とりあえずレス番を確認してアンカーを直せとの上様からの命令だ
785人間七七四年:2007/05/09(水) 06:23:11 ID:2g63CbV9
フランスの新大統領が上様に謁見したがってるようだ
786人間七七四年:2007/05/09(水) 14:15:24 ID:8FQyYwmr
桶狭間で勝ったのは信長だ、このインポ軍団が
787人間七七四年:2007/05/09(水) 15:53:12 ID:kk4UtQ56
インポではなさそうだぞ?








エブリタイムボッキーズだろ。
788人間七七四年:2007/05/09(水) 16:17:17 ID:rB+skzC/
全く最近の朝鮮民国のDQNぶりは目に余るな。
蹴鞠が朝鮮起源だの、今川焼も朝鮮起源だの…
同じような捏造を清帝国やロシア帝国にもふっかけて怒らせちまってるらしいし。
日本に対抗する為に軍備も増強中だとか。

まぁ日本海には世界最強の幕府艦隊が目を光らせてるから滅多な事にはならんと思うが、
日・清・露の間に位置する国としてもう少し慎んでくれないもんかね。
789人間七七四年:2007/05/09(水) 16:20:30 ID:2g63CbV9
>>786
歴史歪曲で荒さないで下さい。
790人間七七四年:2007/05/09(水) 20:06:30 ID:J3B0RbPE
791人間七七四年:2007/05/09(水) 21:57:20 ID:kk4UtQ56
まぁ海軍の九鬼氏隆中将と河野真直少将がいる限り朝鮮人に明日はない。
792人間七七四年:2007/05/10(木) 00:34:30 ID:xcVsZWUe
>>791 村上忠吉准将を忘れるな
793人間七七四年:2007/05/10(木) 15:38:35 ID:usFo/ulI
なんでも半島北部にはかなりの鉱物が眠っているらしい。
清やロシアがそれを狙って侵略を計画しているらしい。
半島から幕府に援軍要請が来たが上様は関わりたくないと断ったようだ。
ただ清やロシアは対馬や琉球も朝鮮領だと勝手に解釈していて
どさくさ紛れに狙っているらしい。
794人間七七四年:2007/05/10(木) 15:55:50 ID:usFo/ulI
途中で送信してしまった。

清やロシアとの戦に備えて海軍はさらに軍備を拡大してるようだ。
ただもうひとつの問題が半島からの難民だが幕府内でも対応は困難との
意見で固まってはいるが、人道上の問題なので発表できないようだ。
795人間七七四年:2007/05/10(木) 15:56:30 ID:fqCpdiVa
対馬は軟弱な宗元義大佐が防衛についてるから不安だよな。
琉球は琉球都督の島津義寿准将と、その父であり、南九州担当の鎮西探題副総督島津義尊陸軍中将がいるから負けはない。
796人間七七四年:2007/05/10(木) 16:25:01 ID:3kbp2Aoa
>>794
実は朝鮮王は地下資源の譲渡で清、露に屈したようだ。
そればかりか対日侵攻の先陣を買って出たとのこと。

戦は避けられそうもなさそうだ。防衛ミサイルも配備されたみたいだ。
797人間七七四年:2007/05/10(木) 16:33:01 ID:xpkqIqG6
>>792
村上閣下は代将から少将に昇進されただろう
だいたい海軍に准将などという位はない
798人間七七四年:2007/05/10(木) 17:04:24 ID:oj0GPnB/
特定アジアネタが多く出てくるとネタ切れという感じがするな、悲しいことだが
799人間七七四年:2007/05/10(木) 20:56:25 ID:Tyicy3X3
義元が長篠戦で活用した三段撃ち戦法ってデマなのか?
800人間七七四年:2007/05/10(木) 21:36:43 ID:usFo/ulI
>>799
長篠でぇ?
誰と戦ったの?
三段打ち?
鉄砲の三段打ちは今川軍ならごく普通に行っていたけど?
801人間七七四年:2007/05/10(木) 21:44:16 ID:nw5SVs3g
それは砲撃→塹壕戦→銃剣突撃の足軽戦法の事?
大筒と鉄砲の保有量と運用に長けていた今川家でなければ
16世紀にこんな戦法思いつかんわな。
802人間七七四年:2007/05/10(木) 23:30:46 ID:fqCpdiVa
たしか・・・対毛利戦のときに今川軍は堺・長浜で生産した鉄砲六万丁と大砲百門で毛利の先陣だった穂井田元清軍五千を半刻くらいで撃破したんだよな。
あまりの勢いに味方の黒田如水驚いて馬上の松平元康を見ると元康すら糞尿だらけになっていたほどだったからな。
803人間七七四年:2007/05/11(金) 15:43:33 ID:xB6TntPp
それは確か鉄砲隊を六列にして連発した、芸州の戦いだったな
804人間七七四年:2007/05/11(金) 16:49:24 ID:LR4CkdYj
まろは死なないでおじゃる
805人間七七四年:2007/05/11(金) 21:52:15 ID:xB6TntPp
毛利は穂井田を失った為に内部崩壊し、安芸や周防、長門を維持するのにも苦戦した。
吉川・小早川は毛利を守るための和平をするために必死だった。
806人間七七四年:2007/05/11(金) 22:59:24 ID:xB6TntPp
しっかし、結局上様は島津家が頼朝の落胤だって認められたんだな。
それと引き替えに島津の領国を薩摩・日向に限定したけど。
807人間七七四年:2007/05/11(金) 23:11:01 ID:bUP8a0Mz
>>1
意味不明
義元普通に死んでるだろバカ
義元生きとったら、再び大軍勢引きつれて、織田滅亡するっちゅうねんw
808人間七七四年:2007/05/11(金) 23:28:08 ID:Qliwon4I
ところで、話は変わるけど、昔アメリカが日本と戦争したって本当なの?
うちの祖父が、たまに昔話するんだけど、この話だけはうさんくさい。
メキシコとカナダの両大国に挟まれたアメリカが、
日本に歯向かったなんて嘘だよね?

じゃなきゃ。今みたいな友好関係は築けないよね?
809人間七七四年:2007/05/12(土) 06:48:36 ID:lr9FIFeG
米はペリーの黒船艦隊が駿河湾で幕府軍に大敗して(米冦)莫大な賠償を払ったもんな。
そのせいで政府が立ち行かなくなって南北戦争が再燃、合衆国と連合国に分裂したしな。

「リメンバ・駿河ハーバー」なんて、自分で攻め込んで来ておいて言うのはおかしいよ。
810人間七七四年:2007/05/12(土) 07:38:52 ID:CfZMwl4j
ロシア帝国のツァーリの軍隊の強さはやばかったよな
ポルゴグラードでヒトラーのナチスが大敗したんだよな
811人間七七四年:2007/05/12(土) 10:21:07 ID:+8BZlcFh
>>809
分裂は五年間程。経済、産業に勝る北部が結局話し合いで南部を併合。
メキシコの脅威もあった南部にとって渡りに船だったらしい。
その後着々と太平洋戦略を進め、また日本に戦争をしかけ破れる。
しかし、清、露の脅威を共通の懸念として英国を含めた三国同盟締結。
30年前、日欧米による太平洋大西洋戦略会議発足。今に至る。
812人間七七四年:2007/05/12(土) 13:06:23 ID:HDtQ0gQw
桶狭間が未遂に終わってたら、間違いなく織田は終わってたな
多分信長の性格からして自害してただろう
だが、今川が織田みたいに超スピードで全国平定したとは思えない
本願寺・毛利・島津といるわけだし
ロ―スピ―ドだと政宗が東北牛耳ってて、東北征伐もままならないだろう
上洛して幕府再興してたら別かもしれないが

幕府再興しない限り義元が生きてる時には天下統一はなくまだまだ戦国時代だったと思われる
813人間七七四年:2007/05/12(土) 13:26:54 ID:HDtQ0gQw
問題は武田・北条・上杉がどうなるかだな
信玄・謙信が死亡するのは確定として、以後長篠で戦死してない有名武将+真田+今川援軍で、武田有利かな
何10年後かに武田がが平定で間違いないと思う
だが、小田原落とせるかな・・・
武田・伊達・毛利・島津も東北、中国、九州平定して磐石なものとなってるだろうし
こりゃ全国平定どころじゃないぞ
814人間七七四年:2007/05/12(土) 14:01:19 ID:EAxvtib1
↑のやつは何をほざいているんだ?
815人間七七四年:2007/05/12(土) 14:47:01 ID:QBrOoN31
たぶん時空を間違えたんだろう
816人間七七四年:2007/05/12(土) 15:30:18 ID:k4Te87ei
上様はわずか数年で全国を従えたというのに・・・それをロースピードとは!笑止!
今川が急激な変化をしなかったから全国支配がはやくできたんだよ?
817人間七七四年:2007/05/12(土) 15:45:24 ID:+8BZlcFh
>>814
どっかの糞スレから来た妄想厨でしょ。
818人間七七四年:2007/05/12(土) 18:28:33 ID:HDtQ0gQw
はぁ(゜Д゜)?
これはこれは君達頭おかしいんですね^^
819人間七七四年:2007/05/12(土) 20:23:40 ID:+8BZlcFh
ゲーム厨は出ていけ。ここはお前の来るところじゃない。
820人間七七四年:2007/05/12(土) 20:53:56 ID:HDtQ0gQw
ニ―トだからって妄想はほどほどにしとけよ(゜,_ゝ゜)プッ
821人間七七四年:2007/05/12(土) 21:59:01 ID:k4Te87ei
今川家に対してかなりの侮辱だぞ!
日本を五百年近く治めている上様が織田にやられたなんて・・・。
お庭番衆に刈られるぞ!
822人間七七四年:2007/05/12(土) 22:02:38 ID:HDtQ0gQw
はいはい妄想乙(^-^)
823人間七七四年:2007/05/12(土) 23:00:12 ID:lo+7bX12
こんなのが生きていられるのも、上様のお陰だな
824人間七七四年:2007/05/13(日) 09:42:14 ID:H3tPLuca
たまに湧く嵐小僧は放っておいて、ちょっと教えて。
いろんな説があるが義元公は何年にいくつで逝去されたの?
825人間七七四年:2007/05/13(日) 13:14:16 ID:on53l2Dv
じゃあ、オマイラに聞くが歴史友達に上さまの事について熱く語れるんだね^^
(゜Д゜)ハァて言われぞ(゜,_ゝ゜)プッ
826人間七七四年:2007/05/13(日) 13:16:36 ID:4ziStFiw
構ってほしいのか?
827人間七七四年:2007/05/13(日) 15:02:06 ID:s8+abOJE
>>824
実は義元公が逝去されたのは1960年、ほんの数十年前なんだ
つまり義元様は

おかしいな、不思議と表が静かだ、ちょっと外を見てk
828人間七七四年:2007/05/13(日) 15:54:12 ID:H3tPLuca
>>825
まだ居たの?
>>827
もしもーし、おーい!まじでヤバイな
829人間七七四年:2007/05/13(日) 16:30:20 ID:xBq8IsdC
冷凍保存中
830人間七七四年:2007/05/13(日) 16:38:05 ID:H3tPLuca
いくら我が国の技術が進んでいたとしても400年以上前から
そんなこと可能なの?単なる都市伝説ではないの?少なくとも
マスコミや幕府広報からは発表されてないよね。
831人間七七四年:2007/05/13(日) 16:38:47 ID:4sXc+dqf
駿府に義元様の精子が10リットル保存されてるそうだ。
長脚になりたい、せめて子供は長脚にしたい女性がこないだ盗難事件を起こしてたな。
832人間七七四年:2007/05/13(日) 16:41:24 ID:4sXc+dqf
>>830
400年前に死んだのは影武者。
実際の所は1960年にご逝去されたと>>827が言ってる
833人間七七四年:2007/05/13(日) 16:50:35 ID:xBq8IsdC
マジレスすると1592年です。
遺体はミイラ化されて現在は冷凍保存なんだけど生き返る技術が出来るのはまだかなと思う。
834人間七七四年:2007/05/13(日) 19:52:23 ID:4iUUiILN
>>833
小さい声でスマヌ
義元公が蘇生したら都合の悪い幕僚が結構いるのではないか?
例えばあの陸軍大尉とか・・・
おっと犬が鳴いているwww
はい!・・・・・・ちょっちょっと!
835人間七七四年:2007/05/13(日) 20:03:37 ID:WslNOq9B
確かオランダのシーボルトとかいう外人が義元公は御存命だ!という書簡を残していたな!

しかし、その時代に義元公は生きているはずはない!既に逝去しているんだから。
謎は深まる
836人間七七四年:2007/05/13(日) 21:28:22 ID:H3tPLuca
>>827>>834が気になる。やはり機密には触れない方が賢明だな。
>>835
kwsk
837人間七七四年:2007/05/13(日) 22:18:26 ID:nA407jfI
「YOSHIMOTOがあと十人いたらアメリカは日本に滅ぼされていた」
アメリカの大統領は戦後そんなことを側近に漏らしていたという噂話がある

だが、そのYOSHIMOTOがご逝去されたはずの今川義元公という確証はこの世のどこにもない。
838人間七七四年:2007/05/14(月) 11:49:32 ID:udbV5JCk
米国は誰のことを言ったんだろう?気になるわ。
839人間七七四年:2007/05/14(月) 22:13:37 ID:ITijsGqk
少なくとも対米戦の指揮者が義元公というのはないだろうw
でもわが軍には今川戦法書という孫子の流れを汲みつつ時代に
沿った戦略を書き足していくマニュアルがあるらしい。
つまり米軍はその書物の存在は知らずに有能な軍師がいたのでは
と思ったのではないか。
米軍にとって今川幕府=YOSHIMOTO位の知識しかなかったんだろうな。
840人間七七四年:2007/05/15(火) 22:50:01 ID:rpK/wZbU
なんでも鑑定団で義元公の直筆が700万か、、、
案外安いな。
841人間七七四年:2007/05/16(水) 01:43:01 ID:wtj3DLT1
和歌の短冊だったら億行くらしいが、今回のは画賛だし肝心の絵が残ってないもんなぁ
842人間七七四年:2007/05/16(水) 10:18:44 ID:xhqryfLz
大変恐れ多いが義元公直筆の書状は全国に多数残っている。
義元公は大変筆まめで陣中見舞いをした百姓にも感謝状を贈ったらしい。
またそれを皆家宝にしたから多数残ってるわけだ。故にレア度としては
大変恐れ多いが低い。
843人間七七四年:2007/05/16(水) 11:43:57 ID:U6ukdp7p
値段にならない価値はあるがな
能書家としては松井宗信のが評価が高い
844人間七七四年:2007/05/16(水) 11:45:26 ID:qHVu6dzQ
信長に負けたデブのことをなんで称えてるんだよ
845人間七七四年:2007/05/16(水) 13:45:29 ID:xhqryfLz
また嵐小僧か
846人間七七四年:2007/05/16(水) 21:19:45 ID:tG6oub40
>>842
一応まじれす。

ホンモノは少ないらしい、よって価値があるとのこと。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/database/20070515/03.html

対尾張のある戦(名前忘れた)が終わった時期が明記してあり、
歴史資料としての価値もあるそうだ。
847人間七七四年:2007/05/16(水) 22:02:06 ID:wtj3DLT1
>>846
それでも80万か…

↓以降いつもの流れ
848人間七七四年:2007/05/16(水) 22:06:29 ID:4i/8y3pt
シーボルトとかいうヤツが出国の時に幕府に捕まったのも義元公の秘密を欧州に持ち帰ろうとしたためだった。
多分、ローマ法王は代々氏真公の信者だったから、父の義元公の秘密を本気で知りたがってたんだな。
849人間七七四年:2007/05/16(水) 22:28:23 ID:tG6oub40
>>846
蛇足、80万は本人評価額。鑑定士の値段は桁が違う。
(OPEN THE PRICEをクリックして)

850人間七七四年:2007/05/17(木) 19:45:29 ID:TjhQFVfF
テレビ東京?どこの国の局だよ!清国かぁ?そんなマイナーなテレビ局なんぞしらん。
駿河テレビや富士テレビ。テレビ三河、そしてケマリーズチャンネルならしってるが。
851人間七七四年:2007/05/17(木) 23:05:07 ID:JuyrGsVd
本人評価額80万とかいって結果700万か。
まぁ正直そんなもんだけど番組進行に問題があるな。
今の時代ローカルだからと云って逃げられる事は出来まい。
852人間七七四年:2007/05/18(金) 08:07:45 ID:ygELvixR
俺今度一級評定衆試験受けるんだけど義元公と今川焼きってなんか関係あったっけ?
853人間七七四年:2007/05/18(金) 11:31:03 ID:OqXY6BR5
そんなことも知らんで受けるのか?義務教育級の話だぞ
854人間七七四年:2007/05/18(金) 12:14:52 ID:P2OHDACi
今川焼きは今川家が誇る究極兵器かつ究極戦術。
お菓子の今川焼きはその状況をお菓子で表したもの。
小学校のときに最初にならっただろ
855人間七七四年:2007/05/18(金) 14:34:03 ID:OqXY6BR5
究極兵器は義元公が作ったわけではないから、対毛利で使った
戦術を説明すればいいんじゃない。でもそんな簡単な問題出るか?
超好景気でかなりの人不足だから評定衆志望も少ないのかな?
軍は相変わらず人気らしいが。
856人間七七四年:2007/05/18(金) 18:18:36 ID:P2OHDACi
馬廻り衆や小姓は今でも倍率一万倍っていうのはすごいけどな。

そういえば最近、雪斎僧正の子孫とかいうヤツがいたなぁ。無道っていうんだっけか?
857人間七七四年:2007/05/18(金) 18:35:04 ID:OzfPVosH
馬廻り衆や小姓は富くじで一億当てるより難しいといわれるもんな
なんとか就職浪人4年目にしてやっと地元尾張の下請けに就職する羽目になった俺みたいな奴もいるけど
858人間七七四年:2007/05/19(土) 00:27:40 ID:35NM3Dzs
>>856
そいつは織田無道といって駆け出しの頃雪斎の子孫を名乗って
パクられた香具師。
釈放後従来の織田を名乗り今度は「反!桶狭間」とかいう
仮想小説を出版して人気を博すも再び収監され今もなお
拘留されているインチキ坊主。
859人間七七四年:2007/05/19(土) 00:32:25 ID:SlueYhOO
>>858
莫迦いうな
寛大な御公儀がその程度のことで人間を収監するわけないだろう
860人間七七四年:2007/05/19(土) 02:55:56 ID:T69kekUt
確か詐欺の別件で拘束されるも裁判中突然心身喪失してそのまま精神病院に収監じゃなかったか?
詐欺事件が冤罪ぽかったらしく結局告訴取り下げになってたけどなぜなんだろう?
861人間七七四年:2007/05/19(土) 07:21:07 ID:A3ZtUXqE
今川焼きのルーツは初代将軍義元公にさかのぼる
上洛戦での徹底した殲滅作戦にこの名がついた
黒船戦争での幕府軍の攻勢もこの名で呼ばれる
第二次世界大戦中に使用された武器にもこの名がついている
862人間七七四年:2007/05/19(土) 14:48:28 ID:WcaaPbZu

おい、もまえら

そんな事より、
今日は桶狭間だぞ!

この時間はもう義元公は討たれてしまっていたのか?
教えて エロい人!
863人間七七四年:2007/05/19(土) 15:28:22 ID:sVfy4UbX
↑そもそも  意味不明
864人間七七四年:2007/05/19(土) 15:38:53 ID:EhA3ni67

1560年5月19日
桶狭間の戦い
865人間七七四年:2007/05/19(土) 16:04:12 ID:kV3GuENU
>>862
およそ450年前に今川軍の勝利で終わってるよ。
それとも毎年5月19日は何か祭でもやってるの?
今川軍と織田軍に別れて綱引きとか流鏑馬とかやってるの?
866人間七七四年:2007/05/19(土) 21:46:23 ID:35NM3Dzs
当時の今川軍に刃向かったことが余程うれしくて
祭りをやっている地域は全国に結構ありそうだな。
寛大な御交誼は民の楽しみにの一環だと認めてるけどな。
867人間七七四年:2007/05/19(土) 23:04:05 ID:WalF9LsR
義元公の戦績

合戦名 結果  相手
・花倉の乱         勝ち 玄広恵探、福島某
・第一次小豆坂の戦い 負け 織田信秀
・第二次小豆坂の戦い 圧勝 織田信秀
・桶狭間の戦い 圧勝 織田信長
868人間七七四年:2007/05/19(土) 23:06:08 ID:WalF9LsR
しまった
ずれずれになってしまった。
869人間七七四年:2007/05/20(日) 00:20:13 ID:EkQ5mqzI
ウホ
870人間七七四年:2007/05/20(日) 18:16:22 ID:XgJ0Ix+2
ところで武田信虎って駿府に立ち寄った後どうなったの?
871人間七七四年:2007/05/20(日) 18:21:36 ID:nuyuassU
>>870

客分で駿府に残った氏真公の軍資格、晴信の謀反に巻き込まれて逃走
伊勢で一揆の軍師とかもしてた
許されて甲斐に戻る途中の信濃で客死
872人間七七四年:2007/05/20(日) 23:52:52 ID:xhzuRBS9
今川家は九州制圧の折に先祖の偉業を巨大な石碑に遺した。

のちの世に人々がせかいから観に来たといわれる場所。今川大碑である。
873人間七七四年:2007/05/21(月) 00:03:58 ID:YHbgRsXF
そんな頃、隣の「信濃(長野県の辺り)」から 「村上義清」 という人が尋ねてきます。
話を聞くと、「信濃を治めてたんですが、武田信玄 に攻められて国を取られました。 たすけて〜」 と言います。
信義に厚かった景虎は、「それなら助けてあげましょう」と返答し、こうして甲斐・信濃を制圧していた武田家と、「川中島」という場所で何度も戦いを繰り広げる事となります。
有名な 「川中島の合戦」 ですね。

しかしその一方で、これだけ戦いながらも上杉家の領土はぜんぜん増えていませんでした。
上杉家は軍を進攻させて一時的に周囲を制圧しても、兵を引いた後にまた取り戻される、というのを繰り返していたからです。
これは、謙信の領土戦略の欠如と同時に、領土支配欲の無さもあったと言われています。
彼の戦争は信義や大義名分に沿ったものであり、領土を広げるためのものではなかったからだ、と伝えられています。


上杉 謙信は「義」に生きた武将として後世に知られています。
今川家が武田家に対し、「塩止め(塩の輸出禁止)」 を行いそれを周辺諸国に要請したときも、
「それで一番困るのは甲斐の国の民である。そんな事は出来ない」と言い、逆に甲斐への塩の輸出を推奨したと言います。
敵を援助する事を 「敵に塩を送る」 と言うのは、これが元になっています。
武田信玄 は死の床で、跡継ぎの勝頼に、「あんな勇猛な男と戦ってはならん。 謙信は、頼むと言えば嫌とは言わぬ。 謙信を頼み、甲斐の国を存続させよ」と遺言し、また北条氏康 も、
「謙信は請け負えば、骨になっても義理を通す。 若い大将の手本にさせたいものだ」と語っていたといいます

http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugi.htm




874人間七七四年:2007/05/21(月) 16:03:01 ID:SnBY2Ynv
>>872
メジャーな観光地なのになぜ過去形なんだ?
875人間七七四年:2007/05/21(月) 20:29:56 ID:PaIrjB38
>>874
有名かつ尊ぶべき碑とかってのは若い連中の興味から外れてきているからなぁ・・・
10代後半の駿府に行きたいという人の割合が低くなってきているのは由々しき事態だ
876人間七七四年:2007/05/22(火) 17:02:40 ID:miRNgcvC
日教組とゆとり教育がいけない。
たまに厨房どもがへんな書き込みするしな
877人間七七四年:2007/05/22(火) 21:15:46 ID:qWueG+SW
氏真公は先祖の了俊らの事を九州の大碑に書く一方で、
足利家のせいで亡くなられた人々(鎌倉後期〜室町終了までの亡くなった人々)を慰める為に足利家の一門として氏真公自ら大碑に経を書いたって言うのは創作かなぁ?
878人間七七四年:2007/05/22(火) 21:15:59 ID:QZuaVyBh
確か日教組とゆとり教育は三十年前に廃止されたはず、懐かしいものだな
今の日本の教育方針は上様お気に入りの教育再生会議主導の
男子三人のうち一人しか生きられないスパルタ方式ですよ

お陰で俺の息子は学校で態度が生意気とか言われて先日教師と生徒に嬲り殺された
まだ10にも満たぬ歳だったのに文句の一つも言えないこんな世の中なんて
…そろそろ時間通り奴等がドアを叩いてきたか、それじゃな
879人間七七四年:2007/05/22(火) 21:25:13 ID:qGFCJBSe
教育再生会議は今川家の崇高なる歴史の中で最も酷い汚点
880人間七七四年:2007/05/22(火) 21:36:43 ID:QZuaVyBh
878の妻です
夫は一人息子を失くしてからだんだん精神を病んでしまい
今の世に批判的なことばかり周囲に愚痴ることが多くなってしまいました
挙句の果てに上様を逆恨みするようなことばかり言って、世の中を悪く言っても仕方の無いことなのですのにね
ですので夫はこの度遠いところにある政府の矯正施設に投獄…あら失礼、
しばらくの間長期滞在することになりましたから二度とこちらに参ることはないでしょう
耳に壁あり障子に目ありと申します、皆様もどうかお気をつけあそばされるよう

ごめんなさいねごめんなさいね
881人間七七四年:2007/05/22(火) 21:42:44 ID:9lrnleCp
ゆとり教育じゃなくて私学優遇しすぎなんだよ。
私学は一応許可されたのが10年前だけど、そのせいで賄賂が酷い

矯正施設?それは初耳だけど今川の名を語ってるだけの犯罪組織が多すぎ。
ただのウヨクに監禁されだけで。監視国家ではあるけど。
882人間七七四年:2007/05/22(火) 21:45:59 ID:VeG4vTF3
上様は寛大だからよほどのことしない限り投獄なんてされないYO
883人間七七四年:2007/05/22(火) 21:46:41 ID:kKk8biei
>>878い〜!

>>879
しかし国(幕府?)のため、大切な子供たちを
今まで通り世界をリードする人材に育て上げるには
教師の皆さんも変わらねばなるまい。
国(幕府?)の根幹に関わる問題だからな。
884人間七七四年:2007/05/22(火) 22:14:36 ID:qWueG+SW
最優秀の教員に与えられる雪斎勲章は教員になった人々の憧れ。

上様から直接渡されるため、いつももらう側は感激して泣いてしまう。

三年連続して勲章を貰うと、今川一門の教員に抜擢されるんだからまぁ当然泣くだろな。
885人間七七四年:2007/05/22(火) 22:22:11 ID:9lrnleCp
私学優遇措置で、いきなり授業時間数を減らしだしたり教育勅語を廃止したり
売国奴と売金奴多すぎ。
886人間七七四年:2007/05/22(火) 22:28:44 ID:qGFCJBSe
教育再生会議は駿府の学生のことしか考えてないだろ
蝦夷地のアイヌ民族との宥和政策を掲げてきた今川家にあるまじき痴態
北海道開拓にあたった幕府第七師団の子孫として恥ずかしいぜ
887人間七七四年:2007/05/22(火) 23:49:13 ID:qWueG+SW
第七師団かぁ・・・幕府創設時に瀬名侍従氏俊が率いていた部隊がおおもとだったよな。。
888人間七七四年:2007/05/22(火) 23:50:11 ID:qWueG+SW
最近、Ok狭間とかいう言葉が流行っているらしいが、何故なんだ?分からない。
889人間七七四年:2007/05/23(水) 00:45:33 ID:uNPU55Ar
>>888
それは北条の傍系の元ボクサー、ガッツ八幡の一発ギャグ
890人間七七四年:2007/05/23(水) 07:57:46 ID:2muMaacF
つか、もし桶狭間で義元公が討ち死にしたとしても、
後継者に氏真がいるからなんの問題もない。
史実でも義元公は1562年の上洛後は、ほぼ隠居状態だろ?
義元公の役目は上洛まで。それはあの状態からなら氏真でも簡単に出来る。
軍事能力でも武田や上杉と互角の氏真率いる精強な今川軍団が尾張のこわっぱに二度不覚をとるわけがない。
強いて言えば、上洛が2〜3年遅れる程度だろ。
義元公の偉大なところは超大国の下地を創ったところ。
それは氏親にも氏真にも出来ないであろう偉業。
891人間七七四年:2007/05/23(水) 10:59:48 ID:cgZ/cLoc
>>890
そうでもないよ
確かに1562に一応上洛はしてるけど
京は既に荒れ果てていて
上洛=天下じゃないし
だからこそ、公家連中を駿府にかくまっていたわけで。

特に、その時の上洛は、
六角や朝倉などの由緒正しい大名達が一時的に今川家の顔を立てて
通したに過ぎない。

徐々に権限の移行を始めていたとはいえ、
実際には裏で彼らと戦っていたんだよ。
892人間七七四年:2007/05/23(水) 11:11:04 ID:r6edohmf
六角、朝倉が後に今川包囲網の一翼を担うしな
893人間七七四年:2007/05/23(水) 11:27:59 ID:0Oqom0+O
今川包囲網ですら簡単にやられただろ。
まぁ武田晴信の裏切りはやばいが・・・

一色と北畠、細川らは今川方についたんだから余裕だよ
894人間七七四年:2007/05/23(水) 14:11:58 ID:2muMaacF
上洛後の方面軍を統括していたのは氏真じゃなかった?
みずからも精鋭率いて北陸、東北を制圧したりしているし。
軍事の面では義元は最早相談役って感じ。
上洛から今川天下統一までは東は氏真、西は元康が軍事を担っていた。
でも義元もしばらく活躍しているから隠居状態とは言わないか。
895人間七七四年:2007/05/23(水) 16:47:21 ID:MEITBK5z
将軍職は激務だったからさすがの義元公でも戦陣に立つことは難しかったんだろ。
その代わり氏真公がその采配ぶりを天下に示すことができたので将軍家としては
この上ない結果になった。
896人間七七四年:2007/05/23(水) 22:57:55 ID:ge5zQqos
>>895
おいおい、飯尾連竜や朝比奈泰朝、岡部なんかの初期重臣団も忘れて貰っちゃ困るぜ。
天下取りが軌道に乗り初めてからの松平氏の躍進が凄いからついついその影に隠れちゃうけど、
朝比奈が信玄坊主の奇襲的叛乱>今川領東西分断作戦を掛川城で食い止めたからこそ、
今日の今川の世が有るってもんじゃねぇか。
897人間七七四年:2007/05/23(水) 23:36:06 ID:MEITBK5z
>>896
忘れてないよ!
その重臣たちを使いこなしていたのは、氏真公だろ?
彼らの活躍を知らない国民などいないでしょ。
俺の昇進に関わる問題だから禿げしく反論するがね。
898人間七七四年:2007/05/24(木) 00:45:42 ID:31uF9saq
東国攻めにおける北条の手柄を奪った、松平の悪質さは異常。

のちの北条瓦解を仕組んでいたとすら言われているからなぁ。
899人間七七四年:2007/05/24(木) 18:05:29 ID:rN0SBlXH
>>898
その位の奴だから執権になって将軍家を蔑ろにして、専横政治が出来るのさ。
義元公も奴の腹黒さだけは読めなかった。
900人間七七四年:2007/05/24(木) 23:15:57 ID:31uF9saq
義元公や氏真公が生きている間はまさに忠臣中の忠臣だもんなぁ。

しかし、彼らの死後に里見氏や結城氏、宇都宮氏に一気に養子を出して配下にしたりする早業!
朝比奈・岡部の両雄も元康・信康が死ぬまでは松平の影に隠れてしまっていたからなぁ。
901人間七七四年:2007/05/25(金) 20:59:33 ID:u4M6NQTu
子宝こそ国力。素晴らしきは精力。忍耐こそ権力。松平元康
902人間七七四年:2007/05/26(土) 13:51:34 ID:RwnPoEAz
今川の分家って駿府時代のときには何家になってたんだろ?
903人間七七四年:2007/05/26(土) 16:32:42 ID:E3lpnJwY
普通に今川だったでしょ
904人間七七四年:2007/05/26(土) 21:19:39 ID:RwnPoEAz
いや そういう意味じゃなくて、、何家あったんだろ?ってことじゃないの?
905人間七七四年:2007/05/26(土) 21:53:47 ID:xRpygAi5
>>904
歴史区分上は今だって駿府時代なんだぜ?
それこそ数え切れネーよ
906人間七七四年:2007/05/26(土) 22:09:12 ID:RwnPoEAz
確かにそうだが、、我が国が時々分からなくなるんだよ!
もしかしたら今川の世なんて夢の世界で、
本当は徳川某が幕府を開いていてそれは江戸幕府っていうものだったっていうのが現実なんじゃないかってさ。
907人間七七四年:2007/05/26(土) 22:10:41 ID:xRpygAi5
>>906
某の名前はともかく江戸はねーよwwwwww
埼玉県南部だか神奈川県東部だか千葉県西部のちっこい漁村だろ?wwwwwwww
908人間七七四年:2007/05/26(土) 22:54:39 ID:sxtnAKOq
>>906
ちょっと早いが夏休みもらって御前崎あたりで
バカンスした方がいいぞ。君は疲れているよ。
909人間七七四年:2007/05/27(日) 08:45:21 ID:mKao48DZ
今日は大相撲の千秋楽ですが、
今川杯を今川家の現当主が優勝力士に直接授与する噂があるよ。
910人間七七四年:2007/05/27(日) 10:20:51 ID:AYSqw/Vd
将軍杯でしょ。
将軍家は代々相撲よりサッカー贔屓だから、今回もご来場されないでしょう。
上様がスポーツ行事に出られるのは、サッカー将軍杯決勝と正月の箱根蹴鞠位か。
911人間七七四年:2007/05/27(日) 14:25:16 ID:xnVz3IlK
上さまは最近、フットサルやセパタクロウにも興味を持っておられると聞いているから、近々これらの競技を観戦するかもな・・・
912人間七七四年:2007/05/27(日) 16:27:35 ID:AYSqw/Vd
上様も御多忙に関わらず鞠系の運動観戦は積極的で在られますな。
913人間七七四年:2007/05/27(日) 16:28:15 ID:WXVbHEat
最近はエスパルズ戦の視聴率ひどいな……
WBCなんていう予選も勝ち抜けないベースボールのほうが人気だし。
昔は「清水・大鵬・今川焼き」って言ったものだが
914人間七七四年:2007/05/27(日) 18:16:41 ID:AYSqw/Vd
おい!エスパルスの実質的オーナーは上様だぞ!
口を慎め。二度とシャ場の空気を吸えなくなるぞ!
915人間七七四年:2007/05/27(日) 21:09:41 ID:xnVz3IlK
ジュビロは松平公がオーナーだが、いまは清水より人気らしいな
916人間七七四年:2007/05/27(日) 21:48:55 ID:9TPWLoLW
エスパルスVSジュビロの駿遠対決はいつも緊張感があるね。
誰も口にはしないが、あの頃の将軍家と松平氏の関係が
蹴球という代理戦争で続いているのかな?
まぁ今は松平氏が公家になっているから政治的には問題はないけどね。
917人間七七四年:2007/05/27(日) 23:22:37 ID:146rZSWY
>>916 毎回死傷沙汰だもんなぁ・・・ 観客動員が年間最高になるだけあって人多すぎるし
俺国土交通省の役人なんだけど
それを受けてついに北越新幹線の終着上田駅から富士川経由で駿河総合駅に路線が延びるらしい。
あとは摂美往復線の稲葉山から那古耶経由で駿河まで来るんだって。
それで松平家飛翔の地として那古野から岡崎までを再開発するそうだ。
それでまた駿河国際空港がデカくなるらしい。

そういう俺は今川vs佐竹の「水戸決戦」が好きです。
鬼義重が鉄壁の今川陣を3段のうち2段まで打ち破って、朝比奈との一騎打ちで討死って奴。
敵ながら天晴れだと思う。
918人間七七四年:2007/05/28(月) 22:05:46 ID:oPwN7Ays
>>917
まぁ、朝比奈の祖先は生前は鮫三匹を生け捕りにし、
死後は閻魔大王に地獄の道案内をさせたという勇者だからな。
鬼義重も剛勇の士ではあったが、相手が悪過ぎた。
919人間七七四年:2007/05/29(火) 12:21:30 ID:QUNb6Bp6
まぁ。義宣は先見性のあるやつだったから今川家に従順にしたがい、機会を狙い鬼真壁に助けられながらも北条氏康を謀殺しちまったんだからなぁ。
実質、下野・常陸・南陸奥を得た義宣は勝ち組だな
920人間七七四年:2007/05/29(火) 12:28:32 ID:QUNb6Bp6
朝比奈って水戸合戦のときの怪我がもとになって死ぬんだよな。
強力な佐竹に対して損害を受けている部下を助けるために鬼義重に一騎打ちを挑んだ朝比奈はすげぇな。
もともと北条が宇都宮・那須に苦戦してて援軍に来なかったから数が少なかった朝比奈隊は苦戦したんだがな
921人間七七四年:2007/05/29(火) 12:56:55 ID:Usx/hrwA
どんどん歴史が違っちゃうのがこのスレ。
氏康は陣没。
922人間七七四年:2007/05/29(火) 15:38:40 ID:bldT9rJo
歴史見解はいろいろだから
923人間七七四年:2007/05/29(火) 18:12:35 ID:QUNb6Bp6
氏康の陣没は有力な説の一つにすぎない。
奥州征伐の際に北条・佐竹・結城・里見・宇都宮・那須だったのに北条軍のみ奮戦し、夜に同士討ちを起してしまい氏康は負傷し、それがもとになり氏康は陣没したっていう説だろ。
924人間七七四年:2007/05/29(火) 18:19:11 ID:QUNb6Bp6
この同士討ちが北条弱体化を狙った今川・松平の謀略であり、後に大大名になっている佐竹が実行犯だというのが近年の定説。
奥州征伐の本陣。八溝山にそういう書物があるのが最近見つかったんだから間違いない。
佐竹義宣は後に常陸介兼右近衛中将にもなってる優遇ぶりも証拠といえる。
925人間七七四年:2007/05/29(火) 18:21:44 ID:Usx/hrwA
それにしては佐竹の話題が少ないね。没落したの?
926人間七七四年:2007/05/29(火) 19:35:04 ID:krcfQ9pd
同士討ちも何も死ぬ何年か前に卒中で一度倒れていたって話じゃないか
それを義元公の恩義に報いるため病を押して出陣したんだよ
同士討ちは佐竹の謀略だろうが氏康の死とは無関係
927人間七七四年:2007/05/30(水) 02:34:34 ID:rxoVUBVu
>>925
佐竹騒動があったからなあ・・・。
分家の秋田藩五万石は残ったが、佐竹本家五十八万石は取りつぶされた。
開幕以来、最大級の取りつぶしだぜ。
928人間七七四年:2007/05/30(水) 21:52:32 ID:rxYxvQ6b
佐竹のとりつぶしはやっぱり松平の謀略かな?
929人間七七四年:2007/05/30(水) 21:56:05 ID:rxYxvQ6b
満身創痍の氏康は佐竹による同士討ちの時点で死んでいた。
氏照が小田原に待機していて不在であった北条は戦上手の不在により同士討ちを回避できなかった。
北条は多くの兵を失い、後の没落に繋がった。
930人間七七四年:2007/05/31(木) 00:46:47 ID:hynnd8P6
里見松平・結城松平が大躍進したのは北条没落直後のことであり、なにか関わりがあったとされる
931人間七七四年:2007/05/31(木) 06:31:59 ID:pBk7P+ii
>>1
すまん、久しぶりにタイトルだけで笑ってしまったw
さすがにワザとだよなw?
932人間七七四年:2007/05/31(木) 13:34:43 ID:2DwZrxW/
>>931
あまりにも有り得ないことを語ろうとしてるからな
933人間七七四年:2007/05/31(木) 23:29:42 ID:hynnd8P6
今日、今川家旗本試験受けてきたよー!
超絶望的だよ・・・試験に義元公以後の将軍全員の名を書け!が出て出来なかった。
934人間七七四年:2007/05/31(木) 23:40:41 ID:1Cd8ZolL
>>933
逝ってよし
935人間七七四年:2007/05/31(木) 23:43:26 ID:hynnd8P6
次は馬廻り衆試験受けます。
936人間七七四年:2007/05/31(木) 23:53:17 ID:1evMbc7/
旗本試験に受かったら、子供に世襲できますか?
937人間七七四年:2007/06/01(金) 00:28:49 ID:ZPbfbJTl
旗本は無理、一代限りだからな。
まあ叙勲物の功績を立てれば華族になれる。
爵位は世襲可能。
938人間七七四年:2007/06/01(金) 13:58:54 ID:c4wTdKoU
ただし、旗本試験は御家人じゃないと受けられないぞ!
農民の場合、その地域で行われている郷士試験に受かって武士の身分になってから受けるか、軍隊に入るしかない。
939人間七七四年:2007/06/01(金) 19:18:26 ID:YcGjZ1Ib
そんな面倒な事をしなくても武士株買っちゃえば良いだけの話
940人間七七四年:2007/06/02(土) 10:48:28 ID:Ewf886TH
一代御家人株が一千万〜三千万
一代旗本株が五千万〜一億五千万

高いが家が栄えるなら良いよな・・・
941人間七七四年:2007/06/03(日) 16:27:56 ID:cQ/f8zl0
永代御家人株とか永代旗本株は買えますか?
やっぱり家柄なんでしょうか?
942人間七七四年:2007/06/03(日) 17:48:25 ID:xCgk90/H
買えるよ
家柄なんて幾らでも詐称できるし
943人間七七四年:2007/06/03(日) 21:13:59 ID:cQ/f8zl0
でも最近、武士並びに公家株売却禁止法度が出されてしまったんですよね
944人間七七四年:2007/06/04(月) 05:42:22 ID:S2kCa6zM
ちゃんと条項を良くよめ
家督の売買が禁止されたのは旧公家や旧大名であって、普通の武士は対象外だ
945人間七七四年:2007/06/04(月) 12:49:19 ID:MfS4uYMO
最近の上様の「だったら、YOU達も武士になっちゃいなよ!」発言は秀逸
946人間七七四年:2007/06/04(月) 20:38:46 ID:JXN/dqzU
まぁ武士でも農民でも最近は「とうし」とかいうのがハイカラらしいからね。
947人間七七四年:2007/06/04(月) 21:40:52 ID:MfS4uYMO
井伊伯爵家の祖にとんでもない女がいたと聞いたんだが本当の話かな?
948人間七七四年:2007/06/04(月) 21:56:49 ID:MfS4uYMO
さて、問題です。今川義元・氏真公の下で活躍した今川十六神将とは誰か?全員の名を答えなさい。
949人間七七四年:2007/06/04(月) 22:04:13 ID:cg8oR0Rc
>>947-948
パスばっかしてないで、自分で考えなさい
950人間七七四年:2007/06/05(火) 14:01:52 ID:hgi8ysMP
>>948
朝比奈
岡部
松井
安倍
松平
井伊
関口
氏真
北条
佐竹

駄目だorz
951人間七七四年:2007/06/05(火) 17:17:19 ID:pstU7DNm
↑北条・佐竹は入らないんじゃないか?
久野・葛山・一宮・瀬名・ 由比・吉田・山口・飯尾・三浦が神将の候補だった気がしたが・・・
952人間七七四年:2007/06/05(火) 17:31:16 ID:pstU7DNm
ちなみに堀越氏は功臣だったが、氏真公の次の将軍を決める際になにかの不手際をして二十万石の大名から旗本に格下げされたから神将には入らないとされている。
(幕府功臣百将画図には黒田孝高・佐竹義宣ら外様・反逆した功臣の武田晴信らとともに堀越氏の姿も見受けられる)
953人間七七四年:2007/06/05(火) 18:51:41 ID:u03kF/uc
「近世武鑑百人一首」
には敵対した大名・武将も入ってるよね
それこそ83首目に織田信長なんかもいる
954人間七七四年:2007/06/05(火) 21:44:21 ID:pstU7DNm
なぜ織田っつー地味なやつが入ってしまったんだかな。
955人間七七四年:2007/06/05(火) 21:48:32 ID:pstU7DNm
まぁ六角・三好の有名なのが入ってるのは納得できるが
956人間七七四年:2007/06/05(火) 21:50:11 ID:u03kF/uc
神保とか森田浄雲なんてのも入ってるしw
957人間七七四年:2007/06/05(火) 22:42:17 ID:yDvV6Wkr
駿府幕府開幕後の、
足利義輝がどうなったかご存知の方教えて下さい。
天寿をまっとうしたというのは聞いてますが、
詳細な資料が見当たらないんだよな。
958人間七七四年:2007/06/05(火) 22:57:30 ID:u03kF/uc
義輝は松永弾正に討たれたろ
あと少し上洛が早かったらな;
義昭はいろいろと反今川で立ち回ったが
反今川連合崩壊後は、毛利に亡命するけど
最終的にまた一条院別当で収まったはず
959人間七七四年:2007/06/06(水) 12:41:14 ID:VpFC71oG
今川が松永を京に追い込んだのが義輝が松永にやられた理由。
松永は将軍を人質にしたから今川軍は攻撃できなかった。
しかし、義輝が「私ごと松永を討て!」の指令を出したため攻撃が再開された。
追い込まれた松永は義輝と共に自爆して果てた
960人間七七四年:2007/06/06(水) 12:46:23 ID:VpFC71oG
松永が「毛利攻めの先陣を〜」と言っていたのを信じた義元の命を狙った事件が発端だったことから、今川義元の唯一の失策とされる。
これがなければ今川家は永遠に征夷副将軍として足利家を補佐していくつもりだったので結果的に今川を征夷大将軍にする遠因にもなった。
961人間七七四年:2007/06/06(水) 17:17:01 ID:IWbK394Z
確か松永に致命傷を負わされた義輝公は自慢の名刀でその場にいた松永とその配下の兵1000人を事もあろう二一人で斬殺したが
もはや助からぬと最後に殺した松永の持っていた茶釜に火をつけて松永の軍団を道連れに自爆したと文献で読んだことがある
たぶん生きてたら戦国最強の武者として名を残したかもな、将軍だけど
962人間七七四年:2007/06/06(水) 17:18:24 ID:IWbK394Z
×事もあろう二
○事もあろうに
963人間七七四年:2007/06/06(水) 21:51:21 ID:VpFC71oG
反町隆史演じる義輝が千十五人目を斬った後に死を悟り、自爆する間際に「義元!大儀であった!」って言う台詞に惚れて義輝ファンになった。

みんな、義輝死ぬなーって願ったもんだよな。

義元はこれを気に出家したんだよな。
964人間七七四年:2007/06/06(水) 22:10:48 ID:AvTXahOe
義元は出家したのか。将軍の中にプロテスタントもいたりゾロアスターもいたりするが、ほぼ無宗教の今川将軍が今の日本の無宗教気味を作ったといわれる。
965人間七七四年:2007/06/07(木) 20:03:40 ID:Tl/oJEw4
まあ流石に千人斬りは脚色なんだけどな
数十本の秘蔵の刀をとっかえひっかえで百人ほどは斬ったとされている
剣豪将軍の名に相応しいよな

そういや上泉伊勢守義綱って関東管領家が今川に吸収された後どうなったんだ?
966人間七七四年:2007/06/07(木) 22:50:45 ID:s/Xj27sh
信玄入道に長野業盛が滅ぼされてから都で弟子の育成をしてたらしいが
義元公の剣術指南にという三顧の礼を蹴ったらしい
967人間七七四年:2007/06/08(金) 00:51:49 ID:3mZh2WLu
そのせいで、日本の剣は廃れたんだよな。弓や槍が盛んなのはその後の日本には良かったと思うが
968大谷隊馬廻:2007/06/08(金) 01:46:21 ID:FjD3ZO9F
廃れたとはいうが
静岡で下火なだけで奈良や九州とかでは盛んだぞ
969人間七七四年:2007/06/09(土) 11:45:19 ID:1pTAV/pJ
種子島の大量生産により、戦国末期には槍も剣術もたしなみ程度になってしまったね。
刀は常に帯刀していたけど槍は本陣の飾りものに成り下がった。
970人間七七四年:2007/06/10(日) 17:02:35 ID:LlCsixMY
しかし過去何人もの俳優が義元公を演じてきたが、谷原章介が一番イメージに近いな。
971人間七七四年:2007/06/10(日) 21:27:36 ID:N5o3bScQ
松平元康役はやっぱ永遠の子役。内山君だよな。

つーか松平元康の子って長男の信康と次男の結城真康以外地味じゃね?
三男の里見の養子に入った氏忠とか只の凡将で雑魚だろ。
それ以降は名も良くしらんよ。確か。。一色と相馬あたりに養子に行ったと聞いたが・・・。
972人間七七四年:2007/06/10(日) 22:11:29 ID:mIOVU4C5
>>971
里見の養子になったのは四男
三男は真忠でたしかどっかの四国の小藩の領主だったはず…
まあ地味ながら及第点はもらえる程度の領主だったらしいけど
973人間七七四年:2007/06/10(日) 22:21:18 ID:N5o3bScQ
三男は真忠だったか、そういや氏忠って名は真忠が最初に貰うはずだった名だったなぁ、元康が恐れ多いからって(真)の字の方を戴いたんだったな。
里見に行った四男は頼康だったな。
五男が一色の名跡を嗣いだ義秀か・・・
六男が得川忠臣(トクガワタダオミ)でいいんだっけか?
974人間七七四年:2007/06/10(日) 22:23:36 ID:SaqZ85K8
信康って誰だよ 最近、歴史が目茶苦茶になってるな 上様が遺憾発言をした理由が分かる
975人間七七四年:2007/06/10(日) 22:24:08 ID:N5o3bScQ
つーか、六男以降は松平の分家として全部、得川になったんだよな。
松平は本家と三男しか名乗っていないはずだしな
976人間七七四年:2007/06/10(日) 23:00:34 ID:tEJdNv2h
国営テレビのアナウンサーに松平の子孫がいるらしいが、
どの系統かご存知の方いますか?
977人間七七四年:2007/06/11(月) 00:30:14 ID:YOGUMr/J
>>974
信康は元康の嫡男で二代目執権だろ
信の字は朝比奈信置の武勇にあやかったもの
978人間七七四年:2007/06/11(月) 00:46:23 ID:JqS4wu0G
二代目執権を関口真康と言ってる奴は教科書とか歴史漫画レベルの知識しか持ってない
979人間七七四年:2007/06/11(月) 01:02:03 ID:K/QOgjeI
朝比奈信置にあやかって長曽我部小納言の2代目も信親と名乗っているからなぁ。
軍神・朝比奈は今川家中無双の将だったんだろな
980人間七七四年:2007/06/11(月) 03:06:29 ID:9mTVOOsd
みんな織田が地味って言ってるけど
史実によると桶狭間では
豊かな資源の宝庫の尾張の大名の織田が
今川の数倍の兵を持ってたのに
贔屓にしてた百姓上がりのゴマすり家来の
愚策を信じて兵を分散して奇襲したから負けたんだぜ
まぁ最大の難所だろ名古屋県は今でも中心都市のひとつだし。
981人間七七四年:2007/06/11(月) 03:14:13 ID:JqS4wu0G
妄想乙wwwww
なんだよ名古屋県ってwwww名児耶なんて小さな町だろwwwwww
愛知県の西部は田舎だぜwwwwww

過大評価が嫌いな義元公に謝って来いお前w
982人間七七四年:2007/06/11(月) 06:12:41 ID:qYYBzYR+
寿桂尼にファンている?
やっぱり彼女の補佐がなかったら今川は天下を取れなかったと思うよ。
今川氏輝が長生きしてたら天下は取れたかというifも、おもしろそうだけど。
983人間七七四年:2007/06/11(月) 09:37:59 ID:YOGUMr/J
>>981
那古耶じゃなかったなか?
まあどうでもいいやあんなとこ
984人間七七四年
いまだに地方によっては松平憎しが強いところがあるね