57 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 19:19:45 ID:TcFnUcQZ
今川って何で関白ならなかったの?
58 :
人間七七四年:2007/08/25(土) 23:13:07 ID:cssHXIhD
源氏だったからでしょ
てか俺は氏真より松平の方が有能に見えるんだが…
まぁ義元様には敵わなかったと思うけど
59 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 16:50:34 ID:oGz26LwK
あげ
60 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 23:06:14 ID:x1W4aqnG
>>58 たしかにそう思えるような所もあるが、氏真もやはり傑物ですからねえ。
しかし、あの二人の関係というのもなかなか面白い。
氏真の狩場でこっそり狩をした家康が氏真の行列に行き会い「しまった」と思ったが、
何故か氏真の方が道をそれて隠れるような様子。後から聞けば、氏真の方も
家康の狩場に忍び込んでいたのだった…
なんてエピソードを聞くと、性格的にウマが合ったのが、今川−松平同盟が
長続きした理由の根幹ではないかとさえ思ってしまう。
瀬名姫というか築山殿の存在も大きかったと思うが。
61 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 02:09:30 ID:8KhCLWD6
保守しよう
62 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 06:23:22 ID:iSciDZub
良スレ保守有り難う
63 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 22:22:57 ID:h9zna8ej
>>60氏真公は随分と松平信康を可愛がっておられたもんな。家康と築山殿の子供だからかな。
そういえば世継の居なくなった信康の家系は誰が継いだんだっけ?氏真公の庶子?
64 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 20:05:57 ID:RPQRyUVN
保守
65 :
人間七七四年:2008/04/12(土) 13:42:00 ID:yeWAgKqN
66 :
人間七七四年:2008/04/12(土) 13:45:21 ID:yeWAgKqN
雪斉和尚としては松平元と氏真様はどちらができると思っていたんだろう?
67 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 15:26:36 ID:ulI0wwYy
東照宮御実紀に、海道一の弓取=徳川家康となっている。
今川義元のことと捏造したオワダ、静岡人はキチガイだぜ。
68 :
人間七七四年:2008/04/17(木) 21:25:25 ID:PS5cGCh7
今川家正史
1560年 桶狭間合戦。今川義元、勇戦空しく戦死。今川氏真、家中の統率を図る。
1561年 相模に後詰として出陣。今川家蹴鞠部隊が上杉謙信を強襲。三河で松平元康の不穏な風聞が立つ。
1562年 今川氏真、岡崎城に単身乗り込み松平元康と和解。
1563年 今川家の空白の五年間かが始まる。(政治・外交・財政・軍事の充実を図る。)
1564年 武田信虎、失脚。(今川家と武田家に激震が走る。)
1565年 武田義信、実父である信玄を甲斐から追放。今川氏真、信玄を幽閉。
1566年 斎藤竜興、今川氏真に誼を通じる。
1567年 織田信長、美濃平定。斎藤竜興、伊勢長島へ敗走。
1568年 織田信長、伊勢北部を平定。北畠具教、今川氏真に誼を通じる。
ここにきてついに今川氏真は父の敵を討ちに尾張に出陣する。
上洛目前の織田信長は満を持してこれを迎え撃つ。
舞台は運命の地、尾張国、桶狭間へ…。
注
蹴鞠部隊…鍛えられた脚力により戦国一の機動部隊(持久力も高水準)。
69 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 07:40:47 ID:Cpcb/lGh
いいかキサマら
人間には触れちゃならねぇ痛みがあるんだ
そこに触れたら後はもう
命のやりとりしか残っちゃいねぇんだぁ!!
70 :
人間七七四年:2008/04/19(土) 17:10:36 ID:IcFT5G9Y
第二次桶狭間合戦の概要
軍事(兵数は諸説有り)
尾張方面
今川軍の主な武将
今川氏真・朝比奈泰朝・岡部元信・由比正純・松井宗恒・安部元真・久野宗能・井伊直親・一宮随波斎など
徳川家康・酒井忠次・石川数正・大久保忠世・榊原康政・本多忠勝など
織田軍の主な武将
織田信長・佐久間信盛・柴田勝家・丹羽長秀・森可成・蜂屋頼隆・坂井政尚・水野信元・木下秀吉など
その他
美濃・南信濃方面
武田軍の主な武将(同盟軍)
武田義信・飯富虎昌・秋山信友・土屋昌次・原昌胤・木曾義昌など
織田軍の主な武将
織田信広・河尻秀隆・池田恒興・遠山衆
伊勢方面
同盟軍の主な武将
北畠具教・斎藤竜興・一向宗など
織田軍の主な武将
織田信包・滝川一益など
北信濃・関東方面(対上杉)
武田軍の主な武将
馬場信房・内藤昌豊・真田幸隆など
本拠地(留守居役)
駿府館…寿桂尼・朝比奈信置・岡部正綱・三浦正勝など
岐阜城…林秀貞・明智光秀(足利義昭から派遣)など
外交
今川軍の同盟国
武田家・北条家・徳川家・北畠家・斎藤家(協力者)
織田軍の同盟国
浅井家・足利家(注、将軍足利義栄とは対立中)
保守のための書き込み
71 :
人間七七四年:2008/04/21(月) 00:05:13 ID:UvZdUsBH
72 :
人間七七四年:2008/04/21(月) 00:15:11 ID:GWFQ26ga
泣けてくるスレだなぁ・・・
73 :
人間七七四年:2008/04/21(月) 00:21:50 ID:WardVfbv
神社仏閣を徹底的に弾圧し、彼らの持つ経済利権を奪い取ったからだ。
高野山の焼き討ち、一向一揆の虐殺。
宗教組織から軍事力を奪うことが、戦国を安定させるための方法だったのだ。
74 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 08:51:15 ID:6ul77EVy
75 :
人間七七四年:2008/04/23(水) 09:53:21 ID:rZlJCG7p
義元公は桶狭間で死んではいなかった!!
桶狭間で打ち取られたのは影武者だった
本物の義元公は僅かな供を連れて落ち延びていた
だが、その道中義元公を見掛けた村人たちに化け物と勘違いされ、六人の村人(僧侶との説もある)に蹴り殺されたのだと伝わる
宿場町赤坂の宿の名の由来は、坂道を蹴り転がされている義元公の血で、坂道が赤く染まったためとの事
76 :
人間七七四年:2008/04/24(木) 08:57:26 ID:88OzQ9+9
77 :
人間七七四年:2008/04/27(日) 08:25:26 ID:83Dv2Y1b
78 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 07:56:21 ID:Mcsd/1J8
79 :
人間七七四年:2008/05/02(金) 14:21:58 ID:vRTsoegc
やっぱ品川に改姓したからだと思う。
細木数子に占ってもらって。
80 :
人間七七四年:2008/05/03(土) 08:46:44 ID:Jxg9wIv6
良スレあげ
81 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 10:38:47 ID:EADeF4uI
82 :
人間七七四年:2008/05/07(水) 16:04:27 ID:eXXf+uz3
白いペレ
83 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 08:42:15 ID:Hkkx7E56
368:吉田都 ◆eYark0dJBs 2008/04/23 23:39:18 mXOT3rBx0 [sage]
>>367 そういや新幹線を作るときにも陥没させてたな
・・・トンネル上の道路をねw
84 :
人間七七四年:2008/05/12(月) 12:53:25 ID:QoYqaOtO
85 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 17:47:03 ID:3EOLPV11
>>13 ところが飯尾連竜は、氏ぬ間際に卵を残していた。
「息子よ…父の仇をとってくれ…頼むぞ…グハッ!」
卵は怪しい光を放ちながら、遥か彼方へ瞬く間に消えていったのだった。
二年後、人里離れた山奥で静かに雛がかえった。
「今川…キライ。必ず、ほろぼしてやる…!」
86 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 16:46:05 ID:DCuoT/yE
伊達「キセルはまだか?」
真田「クソッ。早くキセルと複合してえな!」
伊達&真田「キッセッル!キッセッル!」
四テンパイキセル
伊達「おお!」
真田「よっしゃ!俺の出番か!」
伊達「何を言っている!わしの出番だ。おまえは引っ込んでろ!」
真田「うるせえ!おまえが出るとたまに当たり図柄がいっぱい出て、打ち手が期待するだろ!」
伊達「だが、わしはその中に一つでもハズレ図柄があれば正確に止めれる!おまえは違うだろ!」
真田「何を言うか!キセルがついた時の俺の貫通力をナメるなよ!絶対に俺は当たり図柄を破壊するんだ!おまえにできねえだろ!」
伊達「なんだと!」
真田「やるか?!」
慶次「いい加減にしろ!おまえらの強さは誰もが知っている。醜い争いはやめろ」
伊達「む…」
真田「慶次殿…」
慶次「ここは俺の顔を立てて、幸村殿。引いてはくれぬか」
真田「…わかり申した。伊達殿…頼む」
伊達「いや、わしも言い過ぎた。次のキセルのときはお主が行くがよい」
真田「おぅ!任しとけ!」
伊達「小十郎よ…わしの隻眼は物を見ることができぬ…だが!人の心が見える!」
慶次「うむ。毎度ながら、打ち手の神経を逆撫でするこのセリフ…見事じゃ!」
伊達「余が伊達藤次郎政宗である!」
真田「おお!カットイン!これで当たりをほぼ否定だな!お
87 :
人間七七四年:2008/05/16(金) 13:22:22 ID:LLMPC/3q
鞠子がんばれ〜
88 :
人間七七四年:2008/05/17(土) 17:30:38 ID:W31Knuyk
89 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 23:52:00 ID:baCZVaOY
法主
90 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 16:38:28 ID:Vdlec9EW
91 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 17:29:11 ID:kw6UFCEZ
海道一の弓取と呼ばれていた時期が違う
92 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 19:43:15 ID:V1DlZdL9
小牧長久手で家康が大勝なんてそんな。
93 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 21:09:05 ID:fqZJcSjb
どっちが真の海道一の弓取りに相応しいかは分からんが
北海道一の弓取りはアイヌ人だと思う。
94 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 19:47:12 ID:rJqodcIk
95 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 15:56:54 ID:ctVikTO9
96 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 17:46:23 ID:53triRHj
97 :
人間七七四年:2008/06/10(火) 11:06:32 ID:t1kT0/qq
お前等は学のない中卒パチンカスだから
真田幸村がどんな人物かも知らねーんだろwww
好きな武将聞かれて前田慶次って言ってろよww
秀吉の前で傾いたんだぜ!!一人で城門突破したりスゲーんだって!!
いやマジで実在の人物だから!!100万石断ったんだぜ!!!か
98 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 23:42:04 ID:t/WZD6YN
>>97 「僕は高卒だけど、学がないでちゅ」と上杉軍の宇佐美爺。
山奥で変な卵を家にして暮らしてた幼い餓鬼…いや羽の生えた坊主を
家に連れ帰り養育し始めるのだった。
99 :
人間七七四年:2008/06/12(木) 22:46:30 ID:oMZPeEEv
飯尾連竜の残した子は、こうして宇佐美爺さんのもとで養育されたのだった。
100 :
人間七七四年:2008/06/13(金) 21:59:42 ID:03jtlPyU
孫のように可愛がってる童子を亀仙人・天海のとこに修行に出したいわ〜と
思う宇佐美爺。
奇しくも今日は、天海も面識があったらしい明智光秀が天王山で脆くも敗死
した日だ。
ふたりで桔梗の線香を上げて弔ったのだった。
101 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 10:40:41 ID:TYueCrcR
生きていた佐久間があげたのは杉線香だった。完
102 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 15:28:19 ID:jVehYJdw
信ヤボでは桶狭間直後に徳川を滅ぼして築山殿を奪回、本多忠勝に嫁がせて一門衆にし家督を譲るのが一般的。
103 :
人間七七四年:2008/08/26(火) 20:40:20 ID:k/rqL0mw
漢(おとこ)ならば、
氏真公を天下へ導けぇい!!
104 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 14:34:55 ID:BHitfdWl
セリエで?
105 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 14:02:15 ID:vlVmFiCg
そうてんろく(なぜか変換できない)の配下プレイで氏真様を統一直前まで導いたところで謀反を起こさせまくるのが楽しい
氏真様はなぜか配下武将と仲が悪いのでみなさん簡単に謀反してくれまする
自分が軍団長の城を全て独立させたりともうマゾプレイの極みでござりまする
106 :
人間七七四年:
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。