なんで今川氏真は天下を取れたのか

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1名無し議論スレにて投票方法審議中
天下を統一し今川幕府を開いた戦国最後の英雄今川氏真に付いて騙りましょう
2名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 01:02:00 ID:EIoMmN2D
( ´゚ω゚` )
3名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 01:14:33 ID:IALyJlYq
参考文献『天下を我に―戦国外交の雄・今川氏真』新朝社

4名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 01:32:00 ID:QFd03K6w
蹴鞠天下
5名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 02:13:28 ID:7lvRSIm3
美少年
6名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 02:27:20 ID:3UD+czz5
愛妻家
7名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 03:21:54 ID:gr/5Jge1
参考文献「窮地からの逆転 〜今川氏真を支えた十大武将〜」吉川弘文館

偉大な父、海道一の弓取りと謳われた義元を失った後の今川氏真を支え、
天下統一への道程をともに歩んだ武将・宿将たちの概要を知るには最適の書。
豊富な図説と丁寧な史料の解説により、氏真配下の綺羅星のごとき
武将たちの戦歴を彩る数々の合戦が鮮やかに甦る!
今川ファン必読です。
8名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 04:48:10 ID:Kav3UX76
セルティックの中村が生まれ変わりだと信じてる
9名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 12:20:22 ID:rqHdAaNg
氏真公は楽市楽座の奨励、徳政令、灌漑整備と内政能力に優れ
また類い希なる教養を用いて公家と交流し政治的立場を強化したのが大きい
ただ軍事・謀略面では優れていたとはいえず雪斎禅師以降、彼を補佐する軍師・参謀に恵まれなかったのが痛い
10名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 17:27:08 ID:5aeNgwot
氏真が一番凄いのは武田に見切りをつけたことだな
しかし桶狭間で重臣が何人も殺されたのにすぐに国を立て直したのは見事だ
氏真が凄いのは

1.武田に見切りをつけ武田を攻めて領土を奪い取ったこと
2.独立した松平とあえて手を結び織田の防波堤としたこと
3.織田との天下分け目の決戦で勝利したこと

天下統一なんて飾りに過ぎんよ
11名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 19:42:47 ID:Eh/zE6vz
しかし桶狭間で討死した重臣は、義元パパと同年代かそれ以上の齢の人物がほとんど。
経験豊富な老臣が亡くなったことは惜しいけど、
新当主・氏真と齢が近い世代へと世代交代があったことで、
若くてエネルギッシュな改革に取り組めた面があったことも事実だと思われ。
庵原元政→庵原忠緑(将監)
蒲原氏徳→蒲原徳兼
由比正信→由比正純
松井宗信→松井宗親
井伊直盛→井伊直親
久野元宗→久野宗能etc.
目も眩むような人材が、あの敗戦を期に一線に立つようになったわけだな。
12名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 08:32:54 ID:EFEEjORe
>>9 しかし天海僧正を招き入れる事によって今川家の弱点を補えたのが大きい
天海僧正の庵に氏真公自ら三度訪れ、三度目の訪問の際には魚釣りしている天海僧正を氏真公はただ静かに待っていたという微笑ましい逸話が残されている
また天海僧正は氏真公を試そうとわざと河原に履き物を投げ捨て拾わせようとしたが
氏真公は黙って履き物を拾い、その度量に感動した僧正は家宝である三略の兵法を譲ったとされ
氏真公はその兵法書を熱心に読み、『今子明』と呼ばれるまでの知謀の士に成長した
『男子三日会わざれど駿河の姫若子に非ず』という故事はこの逸話から来ている
13名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 13:43:12 ID:WhfzvRa8
雪斎のオールマイティな超人振りには及ばないものの、
特定の分野で補佐した人材は多い。

武田信虎:氏真最初期の軍師。軍の編成法を助言。
     後、武田家に通じたことが発覚し、追放。
一宮随波斎:信虎失脚後に台頭。兵の訓練法と心得を確立。
     今川軍の弓は日本一と恐れられる軍団に育て上げた功労者。
飯尾連竜:謀略で幾つかの政敵を葬った謀臣。少々小者なイメージはある。
     後、武田家に通じた疑いが持たれ、逃亡。氏真の意を受けた家康の追撃で斬られる。
本多正信:家康に反抗した一向一揆に加担した人物。一揆鎮圧後は松永久秀に仕えていたとも。
     氏真の一大名時代の後半に登用され、織田家潰しの謀略を行った。

ざっと知略四天王を登用順に挙げてみたけど、
四人中三人は忠義に疑問点があるな。アクが強い顔ぶれだけに。
14名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 22:16:24 ID:4T6BA2XW
信虎の動きは面白いよな。
何やってんだこのおっさん、て感じで。
15名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 10:29:49 ID:HHNhm+Kd
盟友・家康の嫡男である氏康の戦死は惜しまれたよなあ。
義理の甥に期待していただけに、氏真も相当に嘆いたとか。
織田と決戦・小牧の戦いで味方の辛勝の中、
よもやの流れ弾に当たるとは。
ある意味痛み分けの結果とする後世の評価もやむなし。
16名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 00:32:51 ID:Rl9yVTmH
そういや、桶狭間の後の氏真と家康の動きも謎だよな。
義元の仇を討つべしと迫る元康に対し、氏真はなかなか動かず。
ついに元康は家康と改名し、今川家から独立…と、
ここまで見ると、松平家は今川家と疎遠になり、小国の三河は
どこか別の勢力に接近するのが当然の流れだと思うが、
まさか独立後に対等の立場で今川松平同盟を結ぶとは。

この動きの裏には、氏真と家康の間で何らかの密約でもあったのだろうか。
17名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 10:27:41 ID:K4YH09bY
                やってくれましたね、みなさん…
       /;;;;;;;;;;;;;\    よく今川家の上洛への夢を見事に打ち砕いてくれました…
      /\;;::::::::::::::::::ヘ    元康くんが戻ってきませんね…信長くん達が裏切らせたんですか?
      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ    どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__   それにしても、あと一息のところで今川軍本隊が奇襲を受けてしまうとは…
     //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l    父上には残念でしたが、わたしはもっとでしょうか…
     |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l   はじめてですよ…
    〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕   このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
    /j/               ヾ、  まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
     l::||::::    \     /  |l   ゆ…
     |::||:::::::..  (●)     (●)  ||   ゆるさん…
    |::||:::::::::::::   \___/     ||  ぜったいゆるさんぞ虫ケラども!!!!!
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ  じわじわと蹴鞠技を披露してくれる!!!!!
    /\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ  一瞬たりとも見逃せないぞ覚悟しろ!!!
18名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 12:13:39 ID:Xsd13L/s
やっぱり可愛そうオーラででたからじゃね?
19名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 12:30:15 ID:tYqQkKjm
ほとんど勝ちが決まってたような戦で親父が討ち取られたんだから相当なショックだったろうな
その時精神的におかしくなってしまったと考えればその後のヘタレぶりも分かるような気がする
蹴鞠等への執着・没頭は現実逃避の一つだったんじゃないか?
20名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 16:53:38 ID:zrCPwteq
今川氏真「急に家督が来たんで」
21名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 19:52:55 ID:LmLVCGuU
まぁ蹴鞠の達人なら親父よりは身体能力あったんじゃね?
22名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 18:29:26 ID:u3bC23or
桶狭間で今川義元が討たれた後、氏真は北条氏・武田氏との同盟を強化しようと
考えるんだな。だけど、甲斐ではその隙に乗じた信玄が駿河を狙い、三河では松平
家康が独立してしまう。氏真は武田に関しては、まず信虎を幽閉したうえで、密かに
北条氏康や、駿河との同盟維持を考えていた武田義信とも連絡を取り合っていた。
そして、1564年に庵原将監・朝比奈泰朝らが甲斐へ侵入し、さらに北条氏照も郡内まで
兵を出してきた。信玄はそれに対応すべく兵を出すんだが、陣中で義信と飯富兵部に
クーデターを起こされて捕らえられて駿河、次いで小田原へ送られてしまったんだ。
23名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 19:38:27 ID:QWRyGs7M
>>16
恐らく松平=織田間の密約を逆利用したんだろう。織田としては松平を東海の盾に
したかったんだろうが逆効果だったな。美濃を制圧し、軍事力を整えてから今川を倒すつもりだった
あたりが流石に「うつけ」だね、桶狭間で破れたとはいえ、死傷者はそこまで多くないし、
氏真なら今川家の立て直しはそう難しいことではない、ぃゃ、重臣を多く失ったことでかえって
自由な政治体制を引けるようになり、また新参ながらも非常に優秀な部下を傍らに置けるようになった。
氏真が天下を取れたのはもしかしたら、桶狭間のおかげかもしれない。
しかし、桶狭間で勝ったのをいいことに何の戦略もなく美濃へ攻め入って、散々に負けて
足止め食らってる間に今川・徳川の両勢力に攻められて滅んだ信長は最高の愚物ともいえる。
24名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 21:28:55 ID:2FvWfKnD
ごめん、教えてほしいんだけど桶狭間って重臣誰かしんだっけ?
25名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/07(水) 22:43:17 ID:NH6cbTVU
>>11にもあるけど、一応桶狭間スレからも引っ張ってきてみる。
こんだけ当主クラスが死にまくったら、
家督争いあちこっちで勃発して当然だわな。
それを抑え切る氏真公はまさに名君。乱世の曉将。

松井宗信:遠江の豪族、松井家当主。
井伊直盛:遠江の豪族、井伊家当主。
久野氏忠:遠江の豪族、久野家当主。元宗?
蒲原氏徳:駿河の豪族、蒲原家当主。
由比正信:駿河の豪族、由比家当主。
庵原元政:駿河の豪族、庵原家の一員と思われる。
三浦義就:旗頭。今川家直属の家臣か?
藤枝氏秋:前備の指揮官。侍大将か? 藤枝の地を領する豪族の一員かも。
一宮宗是:1554年には同盟相手である武田晴信の軍事行動に協力するため、出征。
       今川家臣か豪族かよくわからないが、将としての地位が高かったことは確実。
26名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 04:23:13 ID:u9ktDi1E
氏真のすごさは蹴鞠しかできませんよみたいな顔して
オールマイティになんでもこなすからなぁ
外交政治軍政どれをとっても一級品
27名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 02:31:45 ID:WnQgC8Ko
確かに内政外交と一流だけど就鞠の氏真として有名すぎるからあんま歴史しらんやつからみたらただの就鞠うまいやつって一面しかしられてないからなぁ
28人間七七四年:2007/02/12(月) 22:32:47 ID:0k6gpmo8
剣術うまいって言っても信じてもらえないかもしれん。
やるだけのことはやってて、蹴鞠もうまいんだがなあ。
29人間七七四年:2007/02/13(火) 08:57:52 ID:eJyK8slg
織田水軍と戦った時、船に落ちてきた焙烙を即座に相手の船に蹴り返したらしいね。
30人間七七四年:2007/02/13(火) 10:41:10 ID:uB0Vsz11
旗艦に焙烙を投げ込まれるほど接近を許すようじゃアカンと思ったけど、
前線に立ちたがる猛将という一面もあったから、やむをえないかも
31人間七七四年:2007/02/13(火) 18:25:15 ID:eJyK8slg
家督を継いだときのごたごたしてた時だから、大将が前線に出て士気を鼓舞する意味があったんだろうな。
上杉謙信、武田義信と甲越駿同盟を結んで織田に対し優勢になってからは最前線には出ていない。
と言って後方でこもりっきりと言う訳でもなく前線で指揮してたけど。
代わりと言うわけか軍制改革で物見と伝令の数をかなり増やしたのがさすがだね
32人間七七四年:2007/02/13(火) 21:00:32 ID:cUbDA5ix
>>28何か授業中寝てるくせにテストはできる不良みたいな感じだな
33人間七七四年:2007/03/02(金) 18:44:32 ID:+5PqUyqg
皆にオススメ
歴史群像新書
坂上天陽
「異説戦国志 桶狭間に死す」
34人間七七四年:2007/03/04(日) 09:13:59 ID:Y7HjVvTJ
いや、よい歴史小説でした。当時の様子が生き生きと描写されてますね。
35人間七七四年:2007/03/04(日) 23:28:40 ID:3dNYB+cn
良かったです。異説というより、史実に則した、今川から見た桶狭間の戦い
と見て読みました。
36人間七七四年:2007/03/05(月) 14:44:02 ID:hfpJ0ZN+
>>1ゲーム脳乙
37人間七七四年:2007/04/02(月) 23:57:37 ID:UrZ6vaV9
コレハ桶狭間スレの派生ですかな?
38ザビエル(゜ゝ゜)つ†:2007/04/03(火) 00:08:42 ID:oTrTo7DF
氏真様のお陰で、我らの布教もはかどりました。日本の王様は偉大ですね。
39人間七七四年:2007/04/04(水) 08:47:21 ID:c2IJl9Sd
氏真公のインテリジェンスの前には、畿内一の数奇者とならした松永久秀も思わず見入ってしまい
平蜘蛛釜を落っことしてしまい割れたのに気付かなかったとか
それ以来今川の忠実な尖兵として働くんだから氏真公の教養の深さは恐ろしい
40人間七七四年:2007/04/04(水) 09:17:07 ID:mTgFrxIx
待て、それは教養じゃなくてカリスマとか威圧感とか
そういう類のものじゃないのか?
41人間七七四年:2007/04/05(木) 21:51:09 ID:ECQBZFkf
彼にはるばる会いにきたローマ法王も彼のカリスマ性に驚いていたらしい
42人間七七四年:2007/04/06(金) 14:13:27 ID:4Eo3asum
ローマに帰ったあと、教会の幹部集めて
「東に太陽あり。汝らも恩恵に浴すべし」と、のたまったくらいだからな
43人間七七四年:2007/04/14(土) 21:31:12 ID:rYG1es5Y
中国に向けて大軍を送り連戦連勝だった氏真公は、わざわざシルクロードを戦いながら通り、ローマに向かったとされる。
そのため 現在のシルクロード各所の壁画には氏真公が蹴鞠をしている絵がある。
44人間七七四年:2007/04/15(日) 07:13:14 ID:wMZgtCk/
だからサッカーW杯優勝国も日本・中国・タジキスタン・ウズベキスタン・アフガニスタン・
イラン・トルコ・ギリシャ・セルビア(当時ユーゴスラビア)・イタリア
の10ヶ国しかない。最近は欧州も強くなってきたけど178回大会までは日本の178連覇だったからな
若い奴らは知らんだろうがつい数十年前までは蹴鞠世界選手権って名前だったんだよ
45人間七七四年:2007/04/15(日) 21:07:54 ID:WJ4vJyoO
今でこそFIFAって組織がサッカーや蹴鞠を仕切ってるが、依然は今川蹴鞠連盟協会(IKRA)が最高機関だった。

平成生まれにゃ解らないかもしれないがな。
46人間七七四年:2007/04/15(日) 21:29:23 ID:4HiDxPIy
>>45
なぜ最高機関じゃなくなったと言えるんだ?
47人間七七四年:2007/04/24(火) 17:59:25 ID:iBS4m9qY
そもそも蹴鞠と擦過は別のもの。
あんなに無駄に土地と体力使うカルトスポーツを、日本の国技・蹴鞠と一緒にするな
48人間七七四年:2007/04/24(火) 21:04:04 ID:UHGmCnbV
かの名君上杉鷹山公が氏真DNAを持っていることは意外と知られていない
49人間七七四年:2007/05/23(水) 01:44:25 ID:PrDUaIJD
>>1
坊やだからだよ
50人間七七四年:2007/06/06(水) 19:23:55 ID:LT91eXmY
51人間七七四年:2007/06/13(水) 15:48:58 ID:zOJjEOGx
ここが次スレ?
52人間七七四年:2007/06/21(木) 05:05:37 ID:tv57YQq9
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150623242/

↑と統一しようぜ。あっちを盛り上げよう
53人間七七四年:2007/06/21(木) 11:19:39 ID:B3kAA7wV
はあ?
氏真って、義元の死後
蹴鞠と和歌に明け暮れて武田と徳川に裏切られて家を滅ぼしたやつだろ
何言っているんだ
54人間七七四年:2007/06/21(木) 14:07:41 ID:Tb+Cp7kQ
氏真公が天下統一してまもなく、畠山義慶が能登・加賀・越中にわたる反乱起こしたのは
先代義元様に滅ぼされた織田の一族に唆されたかららしいな
織田は信勝が三千石の旗本、信澄の代に二万石の大名に加増されてるのに恩知らずな奴らだ
55人間七七四年:2007/07/05(木) 17:40:08 ID:6WcG4lFe
このころになると左文字が妖刀化してくる
一太刀で50人斬ったそうだ
56人間七七四年:2007/07/10(火) 03:20:54 ID:o1hbcwtK
関ヶ原に信長が出陣していれば勝ったかも知れないのにな
安土で余裕こいてたもんだからあんなことに………
57人間七七四年:2007/08/25(土) 19:19:45 ID:TcFnUcQZ
今川って何で関白ならなかったの?
58人間七七四年:2007/08/25(土) 23:13:07 ID:cssHXIhD
源氏だったからでしょ
てか俺は氏真より松平の方が有能に見えるんだが…
まぁ義元様には敵わなかったと思うけど
59人間七七四年:2007/10/10(水) 16:50:34 ID:oGz26LwK
あげ
60人間七七四年:2007/10/17(水) 23:06:14 ID:x1W4aqnG
>>58
たしかにそう思えるような所もあるが、氏真もやはり傑物ですからねえ。
しかし、あの二人の関係というのもなかなか面白い。

氏真の狩場でこっそり狩をした家康が氏真の行列に行き会い「しまった」と思ったが、
何故か氏真の方が道をそれて隠れるような様子。後から聞けば、氏真の方も
家康の狩場に忍び込んでいたのだった…
なんてエピソードを聞くと、性格的にウマが合ったのが、今川−松平同盟が
長続きした理由の根幹ではないかとさえ思ってしまう。
瀬名姫というか築山殿の存在も大きかったと思うが。
61人間七七四年:2008/01/06(日) 02:09:30 ID:8KhCLWD6
保守しよう
62人間七七四年:2008/01/06(日) 06:23:22 ID:iSciDZub
良スレ保守有り難う
63人間七七四年:2008/01/14(月) 22:22:57 ID:h9zna8ej
>>60氏真公は随分と松平信康を可愛がっておられたもんな。家康と築山殿の子供だからかな。
そういえば世継の居なくなった信康の家系は誰が継いだんだっけ?氏真公の庶子?
64人間七七四年:2008/02/21(木) 20:05:57 ID:RPQRyUVN
保守
65人間七七四年:2008/04/12(土) 13:42:00 ID:yeWAgKqN
>>12
結局、天海僧正って光秀さんなの?
66人間七七四年:2008/04/12(土) 13:45:21 ID:yeWAgKqN
雪斉和尚としては松平元と氏真様はどちらができると思っていたんだろう?
67人間七七四年:2008/04/17(木) 15:26:36 ID:ulI0wwYy
東照宮御実紀に、海道一の弓取=徳川家康となっている。

今川義元のことと捏造したオワダ、静岡人はキチガイだぜ。
68人間七七四年:2008/04/17(木) 21:25:25 ID:PS5cGCh7
今川家正史
1560年 桶狭間合戦。今川義元、勇戦空しく戦死。今川氏真、家中の統率を図る。
1561年 相模に後詰として出陣。今川家蹴鞠部隊が上杉謙信を強襲。三河で松平元康の不穏な風聞が立つ。
1562年 今川氏真、岡崎城に単身乗り込み松平元康と和解。
1563年 今川家の空白の五年間かが始まる。(政治・外交・財政・軍事の充実を図る。)
1564年 武田信虎、失脚。(今川家と武田家に激震が走る。)
1565年 武田義信、実父である信玄を甲斐から追放。今川氏真、信玄を幽閉。
1566年 斎藤竜興、今川氏真に誼を通じる。
1567年 織田信長、美濃平定。斎藤竜興、伊勢長島へ敗走。
1568年 織田信長、伊勢北部を平定。北畠具教、今川氏真に誼を通じる。
ここにきてついに今川氏真は父の敵を討ちに尾張に出陣する。
上洛目前の織田信長は満を持してこれを迎え撃つ。
舞台は運命の地、尾張国、桶狭間へ…。


蹴鞠部隊…鍛えられた脚力により戦国一の機動部隊(持久力も高水準)。


69人間七七四年:2008/04/19(土) 07:40:47 ID:Cpcb/lGh
いいかキサマら
人間には触れちゃならねぇ痛みがあるんだ
そこに触れたら後はもう
命のやりとりしか残っちゃいねぇんだぁ!!
70人間七七四年:2008/04/19(土) 17:10:36 ID:IcFT5G9Y
第二次桶狭間合戦の概要

軍事(兵数は諸説有り)
尾張方面
今川軍の主な武将
今川氏真・朝比奈泰朝・岡部元信・由比正純・松井宗恒・安部元真・久野宗能・井伊直親・一宮随波斎など
徳川家康・酒井忠次・石川数正・大久保忠世・榊原康政・本多忠勝など

織田軍の主な武将
織田信長・佐久間信盛・柴田勝家・丹羽長秀・森可成・蜂屋頼隆・坂井政尚・水野信元・木下秀吉など


その他
美濃・南信濃方面
武田軍の主な武将(同盟軍)
武田義信・飯富虎昌・秋山信友・土屋昌次・原昌胤・木曾義昌など

織田軍の主な武将
織田信広・河尻秀隆・池田恒興・遠山衆

伊勢方面
同盟軍の主な武将
北畠具教・斎藤竜興・一向宗など

織田軍の主な武将
織田信包・滝川一益など

北信濃・関東方面(対上杉)
武田軍の主な武将
馬場信房・内藤昌豊・真田幸隆など


本拠地(留守居役)
駿府館…寿桂尼・朝比奈信置・岡部正綱・三浦正勝など

岐阜城…林秀貞・明智光秀(足利義昭から派遣)など


外交
今川軍の同盟国
武田家・北条家・徳川家・北畠家・斎藤家(協力者)

織田軍の同盟国
浅井家・足利家(注、将軍足利義栄とは対立中)


保守のための書き込み
71人間七七四年:2008/04/21(月) 00:05:13 ID:UvZdUsBH
72人間七七四年:2008/04/21(月) 00:15:11 ID:GWFQ26ga
泣けてくるスレだなぁ・・・
73人間七七四年:2008/04/21(月) 00:21:50 ID:WardVfbv
神社仏閣を徹底的に弾圧し、彼らの持つ経済利権を奪い取ったからだ。
高野山の焼き討ち、一向一揆の虐殺。
宗教組織から軍事力を奪うことが、戦国を安定させるための方法だったのだ。
74人間七七四年:2008/04/23(水) 08:51:15 ID:6ul77EVy
鉄道雑誌でオナニーする人いますか?
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/train/1201517103/
75人間七七四年:2008/04/23(水) 09:53:21 ID:rZlJCG7p
義元公は桶狭間で死んではいなかった!!
桶狭間で打ち取られたのは影武者だった
本物の義元公は僅かな供を連れて落ち延びていた
だが、その道中義元公を見掛けた村人たちに化け物と勘違いされ、六人の村人(僧侶との説もある)に蹴り殺されたのだと伝わる
宿場町赤坂の宿の名の由来は、坂道を蹴り転がされている義元公の血で、坂道が赤く染まったためとの事
76人間七七四年:2008/04/24(木) 08:57:26 ID:88OzQ9+9
77人間七七四年:2008/04/27(日) 08:25:26 ID:83Dv2Y1b
鉄道雑誌でオナニーする人いますか?
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/train/1201517103/
78人間七七四年:2008/05/02(金) 07:56:21 ID:Mcsd/1J8
◆ジェイアール労働組合 新潟◆
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/train/1201798250/
79人間七七四年:2008/05/02(金) 14:21:58 ID:vRTsoegc
やっぱ品川に改姓したからだと思う。
細木数子に占ってもらって。
80人間七七四年:2008/05/03(土) 08:46:44 ID:Jxg9wIv6
良スレあげ
81人間七七四年:2008/05/07(水) 10:38:47 ID:EADeF4uI
82人間七七四年:2008/05/07(水) 16:04:27 ID:eXXf+uz3
白いペレ
83人間七七四年:2008/05/08(木) 08:42:15 ID:Hkkx7E56
368:吉田都 ◆eYark0dJBs 2008/04/23 23:39:18 mXOT3rBx0 [sage]>>367
そういや新幹線を作るときにも陥没させてたな


・・・トンネル上の道路をねw
84人間七七四年:2008/05/12(月) 12:53:25 ID:QoYqaOtO
>>65
展開相乗は斎藤道三の後の姿である。
85人間七七四年:2008/05/13(火) 17:47:03 ID:3EOLPV11
>>13
ところが飯尾連竜は、氏ぬ間際に卵を残していた。

「息子よ…父の仇をとってくれ…頼むぞ…グハッ!」

卵は怪しい光を放ちながら、遥か彼方へ瞬く間に消えていったのだった。



二年後、人里離れた山奥で静かに雛がかえった。

「今川…キライ。必ず、ほろぼしてやる…!」
86人間七七四年:2008/05/15(木) 16:46:05 ID:DCuoT/yE
伊達「キセルはまだか?」
真田「クソッ。早くキセルと複合してえな!」
伊達&真田「キッセッル!キッセッル!」

四テンパイキセル
伊達「おお!」
真田「よっしゃ!俺の出番か!」
伊達「何を言っている!わしの出番だ。おまえは引っ込んでろ!」
真田「うるせえ!おまえが出るとたまに当たり図柄がいっぱい出て、打ち手が期待するだろ!」
伊達「だが、わしはその中に一つでもハズレ図柄があれば正確に止めれる!おまえは違うだろ!」
真田「何を言うか!キセルがついた時の俺の貫通力をナメるなよ!絶対に俺は当たり図柄を破壊するんだ!おまえにできねえだろ!」
伊達「なんだと!」
真田「やるか?!」
慶次「いい加減にしろ!おまえらの強さは誰もが知っている。醜い争いはやめろ」
伊達「む…」
真田「慶次殿…」
慶次「ここは俺の顔を立てて、幸村殿。引いてはくれぬか」
真田「…わかり申した。伊達殿…頼む」
伊達「いや、わしも言い過ぎた。次のキセルのときはお主が行くがよい」
真田「おぅ!任しとけ!」

伊達「小十郎よ…わしの隻眼は物を見ることができぬ…だが!人の心が見える!」
慶次「うむ。毎度ながら、打ち手の神経を逆撫でするこのセリフ…見事じゃ!」
伊達「余が伊達藤次郎政宗である!」
真田「おお!カットイン!これで当たりをほぼ否定だな!お
87人間七七四年:2008/05/16(金) 13:22:22 ID:LLMPC/3q
鞠子がんばれ〜
88人間七七四年:2008/05/17(土) 17:30:38 ID:W31Knuyk
>>13
一宮随波斎は磯野波平の仮の姿である。
89人間七七四年:2008/05/19(月) 23:52:00 ID:baCZVaOY
法主
90人間七七四年:2008/05/27(火) 16:38:28 ID:Vdlec9EW
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三

91人間七七四年:2008/05/27(火) 17:29:11 ID:kw6UFCEZ
海道一の弓取と呼ばれていた時期が違う
92人間七七四年:2008/05/27(火) 19:43:15 ID:V1DlZdL9
小牧長久手で家康が大勝なんてそんな。
93人間七七四年:2008/05/28(水) 21:09:05 ID:fqZJcSjb
どっちが真の海道一の弓取りに相応しいかは分からんが
北海道一の弓取りはアイヌ人だと思う。
94人間七七四年:2008/05/29(木) 19:47:12 ID:rJqodcIk
ふう・・・なんと美しい
http://b.pic.to/t489v
お松を笑わせろ
(°д°;)
95人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 15:56:54 ID:ctVikTO9
もののふチャンス
http://m.pic.to/qvoh7
96人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/03(火) 17:46:23 ID:53triRHj
女の子は笑った方がよいぞ(・∀・)
http://k.pic.to/xf26y
97人間七七四年:2008/06/10(火) 11:06:32 ID:t1kT0/qq

お前等は学のない中卒パチンカスだから
真田幸村がどんな人物かも知らねーんだろwww
好きな武将聞かれて前田慶次って言ってろよww
秀吉の前で傾いたんだぜ!!一人で城門突破したりスゲーんだって!!
いやマジで実在の人物だから!!100万石断ったんだぜ!!!か
98人間七七四年:2008/06/11(水) 23:42:04 ID:t/WZD6YN
>>97
「僕は高卒だけど、学がないでちゅ」と上杉軍の宇佐美爺。

山奥で変な卵を家にして暮らしてた幼い餓鬼…いや羽の生えた坊主を
家に連れ帰り養育し始めるのだった。
99人間七七四年:2008/06/12(木) 22:46:30 ID:oMZPeEEv
飯尾連竜の残した子は、こうして宇佐美爺さんのもとで養育されたのだった。
100人間七七四年:2008/06/13(金) 21:59:42 ID:03jtlPyU
孫のように可愛がってる童子を亀仙人・天海のとこに修行に出したいわ〜と
思う宇佐美爺。
奇しくも今日は、天海も面識があったらしい明智光秀が天王山で脆くも敗死
した日だ。
ふたりで桔梗の線香を上げて弔ったのだった。
101人間七七四年:2008/06/21(土) 10:40:41 ID:TYueCrcR
生きていた佐久間があげたのは杉線香だった。完
102人間七七四年:2008/07/26(土) 15:28:19 ID:jVehYJdw
信ヤボでは桶狭間直後に徳川を滅ぼして築山殿を奪回、本多忠勝に嫁がせて一門衆にし家督を譲るのが一般的。
103人間七七四年:2008/08/26(火) 20:40:20 ID:k/rqL0mw
漢(おとこ)ならば、
氏真公を天下へ導けぇい!!
104人間七七四年:2008/08/27(水) 14:34:55 ID:BHitfdWl
セリエで?
105人間七七四年:2008/10/21(火) 14:02:15 ID:vlVmFiCg
そうてんろく(なぜか変換できない)の配下プレイで氏真様を統一直前まで導いたところで謀反を起こさせまくるのが楽しい
氏真様はなぜか配下武将と仲が悪いのでみなさん簡単に謀反してくれまする
自分が軍団長の城を全て独立させたりともうマゾプレイの極みでござりまする
106人間七七四年
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。