1 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:
武田勝頼は愚将ではないと思う。
2 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 18:47:58 ID:0Pw+jN6U
俺も思う
3 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 18:50:10 ID:pXNkWXVD
愚将だったら長篠の後7年も御家は続かない
武将としては好き
勝頼って信長型の政策とろうとしたんだっけ?
んで、言う事聞かない恩賞目当ての馬鹿な家臣が長篠の戦で特攻して討ち死に〜。
( ´゚ω゚` )
7 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 19:00:42 ID:d7afxbGb
多か転じん城
8 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 19:13:12 ID:A4D6sXbA
新府城の縄張りを昌幸にしたのが偉いと思う。
無理な戦ばかりして疲弊させたって言うが
日増しに織田の勢力は強まり徳川や北条の動きだって活発なのに
じっと座していても状況は悪化する一方
自立し生き残る為には死地に活を求めるしか手段がなかったと言える
そうかもしれんが、あくまで「では無い」のレベルだろ。
確かに着々と織田家が勢力を拡大する状況じゃ対決は避けられなかっただろう。
だがしつように戦を重ね、その戦費を賄う為に税を重くし、民レベルでは信玄時代よりも確実に生活の質が落ちた。
信玄に成し得なかった高天神城の攻略を果たし、美濃にも一時拠点を確保した。
それは確かにある程度は評価出来るが、蛮勇がたまたま成功したレベルのもんだ。
信玄時代から仕え周辺諸国に名を知られる老練な家臣達の意見をことごとく無視し、自分の出身である諏訪家に縁のある家臣ばかりを重用した。
何かと父信玄と比べられるプレッシャーを除いても、やはり愚将「では無い」の範囲だろう。
諏訪家に縁がって誰?長坂?跡部?
13 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 23:02:11 ID:YJK+uQf4
上杉の跡継ぎ騒動で北条と反目したのもよくなかったな
うまくすれば上杉、北条と新三国同盟組めたかもしれない
で、じっくり国力をためつつ家臣団も世代交代させていき、団結を増す。
そうやってるあいだに信長死んじゃったりして。なんてな。
14 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 23:08:37 ID:gr7+vkir
信玄がいらぬことばかりしたから尻拭いが大変だったのよ
>>13 それをやると上杉が北条家の一員になってしまうから
自然に武田家は北条グループの傘下になってしまう
つまり、独立性を維持できないで
北条グループの対織田用の出先機関あ(盾)になり下がってしまう
16 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 23:21:22 ID:bYN022Ie
勝頼の勝はどっから拾ってきたんだろう?あと武田家臣に昌の字の多いこと多いこと・・・
17 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 23:24:41 ID:8Bk93rxK
3年は喪に伏し、対外軍事行動は出るな。
これが信玄の遺言だったな。
史実では勝頼は2年少しで禁を破り、設楽ヶ原で大敗→滅亡。
もし勝頼が信玄の遺言どおり我慢していれば天下の鉢は武田に回った公算が強い。
信長は本能寺で横死。
そして家康の役目を勝頼が。
こういえばその後どうなるかはこのスレの住人ならわかるだろう?
信玄曰く、勝頼は例式聊爾。家臣の意見を聞かない。
長篠に出てるね。凡将とは思わないけど。
むむ。
夜釣りか。
21 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 23:48:20 ID:YJK+uQf4
釣られそうだががまん
22 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 23:49:53 ID:8Bk93rxK
>>19 本能寺の変、ないしそれに類した反乱は必然的に起きたと思う。
信長の政権は長くは続かない。
あまりに急進的なやり方だったためだ。
いたるところで敵性分子を作りまくっていたからな。
実際、本能寺の変以前に松永・荒木に背かれている。
>>18 そもそも家臣がろくに勝頼に心服してないのがマズー
結果的に中央集権化に失敗
信虎の挫折が勝頼にまで及ぶとは…
「そのうち信長は謀反で死ぬから引きこもっていよう」なんて言ったらそれこそ家臣に見限られるって
25 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 00:09:00 ID:YwLwuB/l
>>17 色んな意味で勝頼より家康の方が一枚も二枚も上手だから出し抜けないと思う。
26 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 00:12:37 ID:G1peqksz
正論吐いたな
戦い続けたつけ
28 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 00:24:54 ID:BZKJ19Fx
家康って自分にとって統合が悪い人間が
最高のタイミングで死んでくれる能力を持ってるだけで
こんな能力あれば、誰だって天下取れるわな。
そんな餌でだれがつられるか!
30 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 00:34:17 ID:YwLwuB/l
その常に天下を取れるポジションにいられるのが家康の凄い所と釣られてみる
運も実力の内、とは使い古された台詞だな。
32 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 02:36:36 ID:l77cYFK8
誰も統合(トウゴウ)には突っ込まないの?
33 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 02:39:45 ID:V1EYJ541
>>28 秀吉はそんなに良いタイミングで死んだわけではないぞ
愚将というよりは凡将でしょうな
一国に値する武将ではあったが時代と相手が悪すぎる。
それとシンゲン
36 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 09:12:15 ID:6HGCowD9
>>25 個人の技量を重視しすぎ。講談やNHK大河の影響か?
それよりも状況が個々の武将に与える役目の方を見るべきだ。
>>17の設定では家康の出番はない。
史実では本能寺の後、家康は信濃・甲斐へ勢力を伸ばした。
が武田が健在である限り、それは無理。
勢力伸張を図れば、当然秀吉と勝頼は接近する。
攻守同盟を結んでしまうだろう。
だから家康は動けないはず。
秀吉が天下をとり、勝頼はその功績で五大老に。
この後は史実で家康が担った役を勝頼が担うこととなる。
で、天下は武田のものに、というシナリオ。
器量云々といった議論は信用できんな。
大方
器量が凄い→天下取った
というつもりだろうが、実体はその逆
天下取った→器量が凄い
という図式なのよ。後付の理屈なのさ。
能力はともかく運という能力値があるなら相当低い
重税と過大な軍役をかけないと織田徳川と戦争を続けられない国力の低下が深刻
かといって戦争辞めるわけにはいかない(信玄死後数ヶ月で上杉にまでそれがバレていて、徳川軍は早速攻撃はじめてくるし奥平氏らは人質ぶっ殺されても寝返るし)
有力な国人や寺社が乱立した不合理な領国システムからの脱却と、勢力で勝る相手との消耗戦を同時にやらなきゃならない状況がまず不幸の元
人質ブチ殺す時点でもう終わってる
何のための人質と思ってるんだ。
41 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 13:14:17 ID:ytzGf5pe
ぶっちゃけるなら、たとえ引き継いだ状況があったとはいえ
甲斐のみ安堵で信長に降伏しなかった時点で愚将決定
>>41 こいつはくせぇ!げろ以下のにおいがぷんぷんするぜ!
なんちゅう短絡的な。
44 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 21:45:28 ID:G1peqksz
ところで
「難儀でござる」はおもしろかったよ
45 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 21:58:55 ID:q4k9lrvV
武田家の滅亡の原因を作ったのは信玄だったが・・勝頼がかわいそうだったのは、家臣から城代か諏訪の領主としてしか
見てもらえなかったからだろうね、信玄の生前は諏訪四郎って名乗ってたんだろ?母親が諏訪氏の娘だったから、そもそも信玄が諏訪氏を斬らなければ
滅亡はなかったかもな。それと手元において帝王学を学ばせなかったのが失態でしょう。 あと信勝を跡取りにしたってあるから勝頼は正式には信勝の代理みたいだった
から家臣はなびかなかったんだろうね。
>>36 そのシナリオだと三河遠江は結局徳川領として残るので武田は史実の本能寺後徳川家ほどの
力は持ち得ない。
家康が秀吉の死後に突出した求心力を発揮した背景には他大名を圧倒する石高と小牧長久手で
戦術的勝利を得た三河武士団の実績があるのでその両方を欠いた状態では武田が突出した
勢力となることは有り得ない。
この場合の最大勢力は毛利家になるしな。
武田が滅亡しなくて、かつ本能寺の変からの流れがほぼ史実通りになった場合には
そのまま豊臣政権が続くか豊臣政権が崩壊した場合も決定力を持った勢力が無い中で
戦乱の世に逆戻りするかのどっちかだな。
史実家康のように豊臣政権の基盤をそっくり奪取するのはどの勢力にも無理だろう。
やはり武田が滅びなくても本能寺が起きたなんてのはおかしいよ。
どう見てもタイムスケジュールが大きく狂うしさ。
毛利を滅ぼして中四国を平定した後
「次は武田を潰しに行こうぜ」
という段階で本能寺の変が起きる可能性もあるしな
「宇宙意思の反作用」とかいうやつですかい
こりゃこりゃ
51 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 22:57:22 ID:f1RYk2wV
勝頼時代の武田の動向に
どれほど勝頼の意向が反映されていたか、疑問
52 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 23:29:12 ID:9POh+ONC
>>47 確かにこのシナリオでは武田は生き残るが、史実での家康ほどの力をつけたかはなんともいえんな。
秀吉の天下取りに協力するとすると、上杉と同じコースを歩むだろう。
上杉と同格となる。
で、秀吉が倒れた後はどうなるか?
これは予測の範囲を超える。
家康が秀吉と対決姿勢をとり、秀吉・勝頼の挟撃にあい、滅亡した場合。
このときに家康の役回りが勝頼にまわることになろう。
>>48 信長は急速に勢力を伸ばした。
が、その代償として旧勢力からの恨みを買うことになった。
政権は長くは続かなかった筈。
どこかでメルトダウンしただろう。
勝頼は信勝の後見人にすぎず、信玄の嫡子であるけど諏訪を継いだ武田一門なわけで。
同じ一門である穴山、家臣の反発は当然あるわけで、
信玄の遺言どおり武田家臣団をまとめておけば、設楽が原の失敗もなかったろうに。
遺言自体が捏造で、信玄死去2ヶ月後にはもう徳川の反撃が始まってて越後まで死去がバレてるのにマジでどうしろと……
うーん・・・、難しいですね。
駿河、遠江は諦めて、美濃岩村も攻めない。信長も家康も謙信も怒らせないことかな?
信玄を超えたいとか思わず、我慢我慢というか。和睦の道を探すというか。
信長が勝頼の首を蹴っ飛ばすこともなかったろうに。これも捏造かな?
設楽が原といい、家臣の裏切り、敵将にはコケにされ、人望がない故にと思うんですが。
強かったとは思いますが、いいイメージはありませんね。最後が悪いから。(勉強不足かもしれませんが)
56 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 18:39:20 ID:7k3O/GBf
>>53 勝頼は陣代じゃなくて正式に家督を継いでる。
陣代説は甲陽軍鑑?にしかなくて他の一次史料にはないヨタ話。
>>55 勝頼は本来他家を継いだ庶子だったからな。
それが急遽嗣子になったんだから武田家臣の支持はなかなか得られないだろう。
勝頼本人の資質よりも生まれついての立場が悪かったんだよ。
信玄が生前に家督を譲って勝頼に当主としての活動をさせていればまた違っただろうな。
もっとも時期的に隠居すれば信玄老いたりと他国から侮りを受けるとでも考えたのかもしれないが。
家継いだ時点で織田徳川上杉北条の包囲網だもんな
どうしようもない気が…
やっ兄と一緒に信玄追放しとくべきだったな
家継いだ時点では北条は味方だったのに
60 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 01:44:56 ID:pq3fWfm5
それなんだよ
61 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 04:10:16 ID:tKkJUE8Z
継いだ人間が信長だったり、秀吉だったり、家康だったり、景勝だったりしたと仮定して
どの人間が勝頼の立場として家督を継いでたら生き残れたか考えれば
自ずと勝頼の能力の程度が図れるのではないだろうか?
俺は信長だったら生き残れたと思う。天下を望めたかどうかは度外視するけどね。
交戦状態だった家康・信長と即座に和睦をするのは難しいかもしれないが
まだ余力を十二分に残した状態で信長との停戦交渉に臨めば
その時期の上方勢は、まだ四方に敵を残してたので一時的な和睦をした可能性はありえた。
四国のチョウソカベと同等以上の立場だったと思える。
その状態で家内の建て直し権力基盤の整備、粛清、国力増強を図れば
まだまだ生き残れたと推定する。
信長は勝頼と和睦しようとしたんじゃなかったっけ?
甲陽軍鑑がソースみたいだから真偽の程は分からんが
63 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 08:56:03 ID:6eTi9RZN
>>62 甲斐&信濃安堵で降伏すれば、他の有力武将と同じように幕閣として扱う
みたいな感じの降伏勧告を出したって話はどっかで聞いた
64 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 09:12:15 ID:ofbXatOy
28歳で家督相続なんて、戦国大名としては遅すぎるんじゃないか。
家来たちに、「勝頼に引き立ててもらった」という意識がわかないだろう。
名門・甲斐源氏が成り上がりの信長に頭を下げるのか?
しかも信長に喧嘩吹っかけたのは武田からという状況で
……とか思ってたんだろう
66 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 13:03:48 ID:tKkJUE8Z
信長としては勝頼と和議を結べれば
自領内の本願寺勢や中小の抵抗勢力を完全屈服させる余裕が生まれ
四国、中国、北陸、九州を一つずつ各個撃破できるのでメリットは凄く大きい
ただし勝頼が和議を結べば
後に家康と一益が関東攻めをする際や勝家が北陸攻めをする際に
与力をする事を命ぜられたり城を一時明け渡せと命令されたり上洛しろと
命じられたりする踏み絵は必ずある。
もちろん上洛時に騙されて殺害したり
明け渡させた城をそのまま接収するくらいの事を信長は平気でする人間なので
どこかで再度、矛を構えなければならないのだが
勝頼が信長と和睦する2〜3年の間に武田家内で反対派の粛清や
家臣の配置換え、北条家との関係強化に取り組み
いずれ必ず来たるべく上方-関東合戦の時に北条家を後ろ盾に
前線の藩屏として信濃・甲斐を徹底して守るか
逆に身も心も完全に信長に委ねて、いずれ信長に裏切られて領土の没収も覚悟で
毒を食らわば皿までで信長が東北地方まで完全統一するまで信長旗下の武将として
着いて行くかは勝頼次第かと思える。
しかしあの時点で信長・家康と戦線拡大しながら北条とまで事を構えるなどは
最初から論外で少なくとも勝頼の政治力は平均以下だと思える。
(秀吉が、勝頼の立場だったら巧みな交渉で駿河、遠州、美濃からの完全撤兵程度の
信長から見たら寛大な条件で和議を結べただろうと思う)
勝頼が和議を結べば、必ず不満分子が現れるのは必定なので
そこで鬼になって一罰百戒で反対派の筆頭を一刀両断し
威厳を見せ付けるというのが何よりも重大な仕事になる。
具体的には穴山や奥山を想定している。
67 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 18:30:17 ID:Q04sDle3
やはり武田が滅びなくても本能寺が起きたなんてのはおかしいよ。
どう見てもタイムスケジュールが大きく狂うしさ。
そう思うんならそれでいいんじゃね。
別に他人もそう思ってくれなきゃ嫌なわけじゃないんだろ?
大半の人間は単純にそこらへんの大きなターニングポイントを外しちゃうと
「俺予想」な妄想が行き過ぎて迷走するからあえて外さないんだろ。
69 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 18:37:35 ID:Q04sDle3
病死なら歴史が変わっても同じ時に死ぬというのは納得できるが、
事件なのに同じ時期に死ぬってのは変だよ。
本能寺の変は勿論、事件だしさ。
明智が信長を殺害する機会を得、ついでに信忠まで捕捉する
機会が到来するなんてのはよっぽどの偶然としか思えないが。
そもそも信忠を捕捉できる降参がなければ明智は行動に踏み切ったか怪しい。
武田が滅んでなければ信長も暗殺を恐れ軽率な行動は慎むと思うし、
信忠は武田などの監視のために東国にへばりつくと思うが。
ていうか信忠は武田討伐の成功を理由に家督を譲られ、
京都に挨拶とかのためにやってきたはずだが。
>>68 はあ「武田が滅びなくても本能寺の変が同じ時期に起こり信忠も死んだ」
とかいうほうがよっぽど「俺予想」だと思うんだが・・・・
そういやずっと前の三戦板で「織田信行が家督を継いだらどうなるか?」
というようなスレがあって、
ほとんどは「今川に潰されるだろう」というような予想だったが、
一人「歴史なんてものは一人の人間の能力で買わない、
信行が家督ついでもちゃんと桶狭間の戦いで今川は撃破され今川義元は死ぬ」
とか言った奴がいて物笑いの種になった。
「信行桶狭間」とか言われてたな。
>>63 甲斐&信濃安堵?
ありえない。
ほとんど所領削れてない。
せいぜい甲斐+諏訪群だろう。
>>71 長宗我部あたりの例を見れば甲斐一国もしくは甲斐国中で郡内は外されるかも。
郡内はそもそも小山田(ry
74 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 20:12:45 ID:xXz0LEmY
武田信玄こそ愚将。
75 :
72:2007/01/22(月) 20:15:26 ID:lrmhd9Qk
やっぱそうかww
77 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 00:47:03 ID:8oa/6YZj
>>66 勝頼の不安定な立場でそれは出来ないだろ。
逆に殺害されるか追放されて信勝家督で穴山が実権を奪うのがオチ。
78 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 00:55:40 ID:+6Zoz7bW
>>77 信長だったら、やっただろうなという事ですよ。
現に父親は弟に家督を継がせようとしてたし
重臣の大半は弟を擁立しようとしてて極めて不利な状態でも
家督を奪い取る事に成功したわけですから。
景勝だって家督相続をできると思えないほど不利な状況から
相手を滅ぼし、逆転して家督を継いだわけですから。
79 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 01:11:24 ID:8oa/6YZj
>>78 信秀は信行に家督を譲ろうとはしていないぞ。
それに信長が最終的に家中を掌握できたのは正室腹の嫡男だったというのも大きい。
景勝にしても勢力的には景虎と対等、血縁がある分初めからやや有利だった。
まあ金蔵と本丸をいち早く抑えたということが大きいがな。
勝頼の場合は本来庶子の立場から後継者になったから前の二人より条件がかなり悪い。
史実でも自分の元に権力を集中させようとしたものの重臣の反発を恐れて結局断念してるし。
勝頼の器量云々の問題というより生まれついての立場が悪かったわけだから、
仮に勝頼の立場に信長がいたとしても上手く家中を掌握できたかは大いに疑問がある。
80 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 01:15:54 ID:8oa/6YZj
あと
>>78=
>>66でいいのかな?
もしそうなら聞きたいんだが、穴山は分かるが奥山ってだれ?
81 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 01:16:24 ID:+6Zoz7bW
>勝頼の場合は本来庶子の立場から後継者になったから前の二人より条件がかなり悪い。
はて?勝頼より適した後継者が武田家に居たとでも???対抗馬になりえるような。
少なくとも信長や景勝よりは、相当有利でしょう。
82 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 01:19:29 ID:+6Zoz7bW
奥平と書こうとして、穴山と紛れて書き間違えたんだねw
「その時」だけじゃなくそこまでの流れの問題だろう。
信長でいえば生まれた時から後継者最有力だし。
84 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 01:34:50 ID:8oa/6YZj
>>81 嫡男の信長や謙信の養子の内唯一の血縁であり、上田長尾家の支持がある景勝から比べれば、
諏訪家当主として武田家中に有力な支持基盤を持たない勝頼はやはり不利では?
武田家中には義信事件のシコリもまだあるだろうし、
半ば部外者の勝頼が当主になることに抵抗感を感じる一門は少なくないだろう。
勝頼が織田に恭順あるいは和睦した場合のことを考えてみる。
北畠→信雄による粛正
神戸→信孝による乗っ取り
長野→信包の擁立
に見られるように敵対勢力の切り崩しに会い
武田→勝長による家督継承→勝頼・信勝粛正
>>84 勝頼は家督継いでるよ。信勝の後見人ではない。しかし継ぐべくして継いだわけじゃないから
家督者としての権威は信長なんかと比べて脆弱だったろうことは想像に難くない
87 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 01:50:48 ID:8oa/6YZj
>>86 ん?勝頼が正式に家督を継いだことは認識してるつもりだが?
しかし義信事件から信玄死去まで5年あるんだから、まあ事件のほとぼりがさめるのを多少待つにしても
どこかで勝頼に家督を譲って自分が睨みを利かせられるうちに次代への移行準備をしておくべきだったな。
庶子からいきなり当主になってもそりゃ家臣団がいうこと聞くはずがないわ。
>>87 詳しいとと思うのでちと聞きたいんだけどさ。
信長は信玄を刺激しないように武田に外交戦略してるでしょ?
勝頼との縁組とか信忠に信玄娘おまつを迎えたいとか。
勝頼次第(当主)で信長との関係改善出来たんじゃない?無理だったのかな?
89 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 08:05:17 ID:KB7xB84u
信玄死去前から、勝頼は陣代として武田政権の当主としての練習をつんでるよ。書状に名を添えるようになったから
これが信玄死後陣代でしかなかった、という創作の元ネタだと思われる
そもそも勝頼が家臣団に信頼されてなかった云々自体の根拠が例によって軍鑑しかないから、この一連の話自体が信用できるかって話でまず疑問
武田は家臣団が気に食わなければ当主追放すらできる国人連合主体の組織。本当に総スカンくらってたのなら運営自体ができないだろう
おそらく、信玄神格化したい小幡らがその失態を誰かに押し付けたい。だけど信玄以来の家臣団にそれをやると信玄自体が貶められるとかいう姑息な発想があったと思われる
>勝頼が家臣団に信頼されてなかった云々自体の根拠
軍鑑以前に天目山で明らかじゃん
>>90 「宿老の反対にもかかわらず信玄の遺言を無視した」とか「重臣達の意見を押し切って長篠で突撃命じた」とかは、明らかにそれ以前のこと
だいたい信玄の遺言からして、「明日は瀬田の橋に武田の旗を立てよ」みたいな戦争継続を言い残すものまであるし
ま、どっちも捏造臭さは一緒だね
92 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 11:29:43 ID:1AidF9Um
>>90 天目山なんてほんと最後の事もってきても仕方ないだろ・・・
それ以前から裏切りが相次いでいたのは勝頼の失策からだろう。
信玄時代から仕える家臣達の意見も聞き入れず、ひたすら戦い続けたツケ。
本当にちゃんとした当主だったら、降伏する事を選ぶべきだったと思う。
それに勝頼側近の奸臣とされる跡部勝資や長坂長閑斎は、史実では武田譜代の重臣
せいぜい重臣間の勢力争いの結果でしょ
>>92 降伏したくてもできない
信玄が徳川と織田相手に盟約破りの騙まし討ちかましてるから
信長は信玄のために謙信に信濃出兵を止めてもらったりと奔走してるのに裏切られた
穏当に降伏させてくれると思うほうがどうかしている
95 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 11:40:18 ID:1AidF9Um
>>94 穏当に降伏だなんて言ってない。勝頼切腹、所領も召し上げで違う国とかの条件になっても当主なら武田家を残す事を考えるべきだったと思ってる。
>>95 武田家存続だけが問題なら、脱出させた弟達が上杉家家臣あるいは旗本として残ってるじゃないか
跡部勝資は、信玄時代から当主の竜朱印状に連署するほどの側近
軍役は三百騎持ちで家中最大級
これを無能とかいうのなら、そんな家臣を残した信玄も問題ありということに
うーん、やっぱり
>79氏の>勝頼の器量云々の問題というより生まれついての立場が悪かったわけだから、
これにつきるのですかね。戦わなければ、内乱がおき。戦って権力集権化目指すのは当然なのかもね。
批判されるかもしれませんが、
信玄も信長も勝頼にはでかすぎる人物でしたね。他家に出されて悲劇的なことはわかってますが。
太郎義信が家督を継いでいたら義信と勝頼は信玄と信繁みたいな関係になれたかな?
色眼鏡なしで皆さんの意見を聞いてみたい。
御館の乱みたいになりそうな気もする。
101 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 21:00:44 ID:+6Zoz7bW
義信についてよく知らないからな。
何も言い様がない。
彼が親今川で信義に厚い性格をしており家臣からも慕われたとか
武将としても優秀だったとは聞いてるが
親父の影に隠れて人物像が細かく思い浮かべられない。
それは信長や家康の死んだ長男達についても同じ事が言える。
ただし義信が諏訪方を露骨に差別したり排除しなければ
勝頼の方から乱を起こしたとは考え難い。
義信が順当に継承してれば乱にはならないだろうな、勝頼とは正統性と
元来の立場が違うし(むろん義信が勝頼を排除にかかれば別だが)。
信玄が生前から勝頼を後継者扱いしたのを義信が簒奪した形とかなら
可能性はあると思うけど。
103 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 21:09:42 ID:3YVgyMpV
跡部 長坂がいなければよし
勝頼は冷静で優しい良将
>>89 運営できてないから織田侵攻時にまともな決戦兵力動員できなかったんじゃないか?
そもそも小幡はじめ軍鑑編者は勝頼時代から一世代後の旧武田遺臣団なわけで
詳細部分の信憑性はともかくその編集方針自体はほぼ武田遺臣の心情を反映している
と見ていい。その説のように信玄神格化のあまり捏造してまで勝頼を貶めたい空気が
旧武田家臣団にあったとすれば勝頼と家臣団の軋轢は相当深刻だったということになるな。
105 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 21:18:17 ID:WoEjfpQM
>その編集方針自体はほぼ武田遺臣の心情を反映している
という考え方もおかしいわけだが
107 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 21:40:43 ID:F2uhqwzl
柴辻俊六、平山優『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年)
そういや信虎のすべても出るな
甲陽軍鑑をどう考えるのかは人それぞれで結構だが、
取り敢えず跡部勝資は忠臣だと思うよ。
>>106 そうかね?
「編集方針に心情の反映が無い」なら軍鑑は公正そのものの記録という
ことになるが。
逆に「軍鑑編集に編者のバイアスがかかっている」とするならそれは編者の背景、
すなわち「武田遺臣団としての立場」しか有り得ないんだが。
もちろん個々の部分については山本勘助みたいに編者、もしくは編集過程で
貢献の大きかった人物の縁者を過剰に持ち上げるような種類の誇張はあるが
その辺は旧家臣団間でも妥協できる範囲だろう。
基本的に「甲州流軍学」なるものをぶち上げて旧武田系旗本の地位向上をはかる
意図がある書なわけだから武田遺臣団のコンセンサスと正面から対立するような
価値観は持ち込めない。江戸在住の武田系旗本の家には勝頼を直に見たことがあるような
隠居爺がまだ生きてる時代だからな。
>>109 跡部長坂やらの革新官僚系が叩かれる点もまた軍鑑が遺臣団の空気を反映してる
せいだろうな。武田家中としがらみの無い立場から書かれた書なら悪者にされることも
無かっただろうに。
111 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 22:57:39 ID:i6+q/2lZ
>>103 それは彼ら奸臣なのは甲陽軍艦のデッチあげだが。
もし勝頼が織田と同盟していたと思うと・・・
>>106 だから、遺臣 団 というのがおかしいといっているわけだが
114 :
99:2007/01/24(水) 07:47:52 ID:Jg9LEnIk
>>100-102 レスありがd
個人的には義信が家督を継いでいたら勝頼も無理に背伸びしたり家臣に見栄をはる
必要もなくて心が屈折することもなかったんじゃないかと思ってるんだけどね。
仁科信盛みたいな心栄えの爽やかなイメージになったのではないかと。
お互いの相性が悪ければ
>>100の言うように御館の乱みたいなったかもしれないし
>>101>>102の言うように義信が勝頼を排斥しようとする動きがなければ武田家中は
平和だったかもね。
>親父の影に隠れて人物像が細かく思い浮かべられない。
廃嫡されて死んでるから伝承も細かく残らなかったんだろうね。
武田自体が滅亡してるし。
あとは想像力で補って空想するしかないかな。
軍鑑は甲州流軍学の宣伝書だよ
この軍学っていうのがいかにアテにならないかは、現代では全く意味を失っていることからもわかる
孫子なんかは時代が変わってもその原則は未だに説得力を持ってるのにね
江戸期の〜軍学はほぼ頭でっかちの創作
116 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 18:48:50 ID:OxBa9rwa
武田義信はそれなりの人物だったらしいね。
30近くになった嫡男に家督も譲らず
揚げ句に廃嫡して死なせては家中が混乱するのも無理ないわな
118 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 19:52:04 ID:E9cv1oFS
早々と嫡男に家督を譲って出家でもしてたらどうなったかね。
少なくとも駿河への侵攻は無いし、領土の拡張は早い段階で止まっただろうね。
もちろん家督を譲った瞬間に天下獲りを諦めるくらいの決意が無かったら
家督なんか譲れなかっただろうけど。
大御所とか言って父親が実権を握ってるんだったら何も変わらず無意味だしね。
北条みたいにしとけばよかったんじゃないか?
信玄が左京大夫から大膳大夫へ官位移行した時点で家督を譲ってるみたいだけどな
勝頼→信勝にしてもそう。信虎・信玄ら父祖の官位移行と隠居の関係を慣例的に追うと
信勝の元服に合わせ勝頼は家督を譲っていたと推測できるそうだ
つまり天正十年にはすでに信勝が武田家督者に擬せられると、この隠居の動機を
推測することができる。すなわち織田の血縁者たる信勝を表に立たせることによって
勝頼は織田との講和を画策してた可能性が高い。
つまり当初から徹底抗戦の構えだったわけではなくて、勝頼は滅亡の寸前まで対織田外交において
武田存続の道を模索したが結果的にその方法も潰え、最期は八方塞がりで滅んだと
見ることが出来るかもしんない
121 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 22:21:53 ID:XsGM4pu1
なるほどね
122 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 23:34:13 ID:1+MJqc2M
義信の内儀は今川の女。
もし後見人の義元が健在だったならば、義信家督の目があったろう。
それでも信玄が家督を勝頼に、といえば、今川・武田の争いにもなりかねない。
信玄もそれは避けると思う。
勝頼の失敗はやはり外交だな。
上杉・北条とは同盟、少なくとも友好関係を保つべきだったと思う。
織田・徳川とは過去の経緯もあり、難しいだろうが、関係修復の努力はすべきだったな。
これは俺の推理だが、信長は東には余り関心がなかったのではないか?
征夷大将軍にでもなるというなら関東を実質支配する必要があるが。その気もないし。
むしろ西国方面へ進出し、海外雄飛。拠点も北部九州辺りに移す。
これが信長の構想なのでは。
すると勝頼には交渉のチャンスはあったのではないかな。
>>122 上杉北条とは御館の乱がある以上どっちかにつくしかないと思うが。
景虎側についてたらついてたで北条の勢力がさらに大きくなって寿命縮まる気もするし。
124 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 23:52:00 ID:5tsSYWCY
>>116 近年の研究でわかったらしいけど、実際、どんな点ですぐれていたんだろうね
川中島の時のミスは事実だそうだし
北条氏政は御館の乱までは武田贔屓で
織田との従属的同盟を決意して隠居するまでは
信玄風の花押を使用していた
127 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 02:05:08 ID:K6SS4jN1
御館の乱はどっちを選択しても正解は無いという、
武田にとっては迷惑この上無い話
129 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 04:16:35 ID:iF8s/P69
発想の転換で武田からも養子を出す
上杉方史料だと、逆に義信は謙信本陣を脅かすほど奮戦してたことになってる
御館の乱はどっちを選択しても正解は無いとは思うけど
この2つしか選択肢がないのなら
勝頼はどちらかというとベターなほうを選んだと思う
「どちらも選ばない」「両者の仲裁役になる」「両方捨てて織田・徳川につく」
という選択肢は当時は考えられないだろうし
何を選んでも結局全部ダメだと思う
132 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 19:03:38 ID:gZ7JP9Ak
難攻不落の高天神城を落として武田家で最大の版図を築き上げた時点でかなりの良将だと思う。
134 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 19:58:37 ID:K6SS4jN1
>>133 >>124がいうところの「川中島の時のミス」といったらこれ位しかないだろ。
講談か史実かは問題ではない。
135 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 20:14:52 ID:/wqFlK5d
結局、武田家も徳川をも屈服させる事も出来なかったってのが全て
国力の限界じゃないか
甲斐、信濃じゃ厳しいわな、現在でも交通の便が激悪なんだし
三河遠江とは比べ物にならん
まさしく親父に言えよ、って話だよな。
カツヨリ
138 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 12:27:26 ID:rlyQjdVo
勝頼のアナルにミミズ
突っ込んで
突っ込んで
突っ込んで
突っ込んで
中に出したいヨ〜ォォ
>>132 確かに高天神城は落とした。だが高天神城攻略を始め多数の軍事行動の結果、武田領の民衆の生活の質は下がってしまった。
戦を重ね、国の疲弊を招き、先代からの重臣の意見も無視し、結局は一門の武将にまで次々と裏切られ滅んでいったんだぞ?
良将ではないと思う。愚将ではないにしても、せいぜいが凡将っていったところだと思う。
>>139 信玄がはじめた戦の続きをやって破綻するタイミングにぶち当たってしまったわけだから
だいたい重臣の意見無視自体何度も否定されてるでしょ
もし本当に重臣の意向を無視していたのなら、信虎みたく追放喰らってるよ
>>139 合戦が増えて国が疲弊したのは勝頼のせいというよりも先代の信玄の責任のほうが大きいし
信玄があと10年生きたとしても勝頼と同じ事になってたかもっと酷い事になってたはずだよ
それで現代「信玄は凡将」という扱いになってる
142 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 01:02:53 ID:0879K7Un
金山が枯渇したのは勝頼のせいではないしね。
信玄時代の産出量が維持できたら国の疲弊は
もうすこし防げたはず。
勝頼の評価は難しいが武将として一流でも大名としては二流だと思う。
本来は源頼朝タイプの人間が求められたのに、源義経タイプに近かっただけだと思う。
追放どころか最後に見限られてんじゃんww
信玄が始めた戦いの続きって言うけど
遺言の 三年喪に服せ=国力回復に努めろって事だろ?
その遺言も理解できなかったなんて信玄じゃなくてもガッカリだぜwww
かってにやった長篠で大ポカやらかしたら言い訳出来ないってのwwww
信玄=日清・日露=世界への雄飛と台頭
勝頼=太平洋=ただのイケイケドンドン
もう勝頼信者の心の拠り所は金山枯渇説だけかwwwww
少なくとも信玄があと10年生きていたら
あの「長篠」はなかったとおもうよ?
144 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 08:59:21 ID:tYsHn+7X
金山の枯渇はどうしようも無いにしても、信玄が織田・徳川に侵攻して敵対状況を作ったにしても、
勝頼が当主を引き継いだ後で戦に戦を重ねて、その結果国が疲弊したのは事実だろ?
長篠でも、恥を忍んで戦闘前に撤退するか、織田軍本隊が来る前に総攻撃で長篠城落とすか、せめて劣勢になった時点で撤退を決意するのがまともな将じゃないのか?
大名としては三流もいいところ、武将としても二流だろうと思う。
信玄が存命してたら、少なくとも長篠では劣勢になった時点で撤退したと思う。
信玄信者の最後の砦は創作の遺言だけかよw
三年どころか2ヶ月後には徳川軍が反撃を開始して長篠一帯が奪回されている
だいたい信玄の遺言とされるものには「明日には瀬田の橋に武田の旗を立てよ」という戦争継続を訴えたものも伝わっている
病身にもかかわらず戦争に固執し、領国疲弊も省みなかった(信玄政権後期に特別税がずらずら新説されている)信玄の本当の遺言がどっちだったかは明白でしょ
もし、信玄が本当に劣勢になったりしたら速やかに退けるほど諦めが良い武将なら、自分の晩年に無理を重ねたりしないよ
>>144 仮に長篠で攻めなかったとしても第二次世界大戦のアメリカとイタリアぐらいの戦力差(まだ朝倉が潰されてない頃の織田ならアメリカと日本ぐらい)がある
長篠で織田信長を殺すしか武田が勝つ道は無かった そのまま続けててもジリ貧でそのうち負けたさ
147 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 10:52:35 ID:zrCPwteq
イタリアは戦勝国ですが?
148 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 10:56:30 ID:PA9NyK/U
第二次世界大戦でイタリアは戦勝国ではない
イタリア人達の感覚は
>>147だという話を聞いたけどな。
戦争が終わる前にさっさと降伏したからだとよww
151 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 12:11:13 ID:tYsHn+7X
まぁ実質的には枢軸側から途中で降伏した敗戦国だが、名目だけ見れば連合軍側=戦勝国だな・・・
152 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 12:44:17 ID:zrCPwteq
はぁ?イタリア王国はドイツ第三帝国に宣戦布告してますが?
要するに武田家が織田家に寝返ればよかったといいたいのかな…?
横レス
寝返るというか条件不利でも和睦するしかないだろう。
長篠で大敗、その後、外交戦略(まず北条との婚姻)に切り替えたんだからさ。
そしてお舘の乱、北条から攻められるという結果。
全て勝頼の器量が疑われたから、まず長篠が起こり、内部崩壊が起こったんでは?
信玄の甲州法度の次第の支配体制、勝頼にはその力はなかったんじゃないかな。
>>145 >2ヶ月後には徳川軍が反撃を開始して長篠一帯が奪回されている
上洛目的が通説なわけだがその点を考えると足利将軍から催促されて
兵を挙げざるを得ない状況だし(実際渋っての挙兵)
武田軍の目的が征服目的じゃなかったからじゃないの?
領土拡大目的だったら信玄が死んでもせっかく獲ったんだから
そこに留まるはず。
徳川軍が奪回したと言うよりはそこに執着する気が無く放棄したからだと
>特別税がずらずら新説
甲州枡などで減税を図っているので必ずしも
税を増やしている事にはならないと思うよ?
所得税を取らない代わりに地方税を取るみたいな感じで
156 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 16:01:07 ID:BoDiN/rG
>>155 放棄説はありえないでしょ。長篠には武田信豊指揮の援軍を送ったけど奥平氏の寝返りなどで阻止しえなかったのが史実
あと甲州桝で軽くなったのは本年貢だけじゃないの?棟別銭五百文に増額とか、そういう特別税の加増分との収支があう可能性は低いんじゃ?
信玄が死んだ後速攻和睦して
織田家でいい地位をつかむのが一番だったな。
そしたら上杉が滅んで武田は大大名になってたかもな。
158 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 17:10:55 ID:xrs585Qj
>>157 一門や重臣連中が承伏しないっしょ。
ただでさえ庶出の快く思ってないんだからさ。
勝頼が織田に従うなんて言い出したところでほとんどついていかないと思う。
結果的に能登畠山みたいに当主追放幼君擁立で国人連合政権になるかも。
>>152 そんなこと言ってたらルーマニアやハンガリーもドイツに宣戦布告してるが。
160 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 22:17:09 ID:0879K7Un
>>158 それを承服させるのが政治力だと思うんだよね。
力ずくでもだよ(謀殺だろうが騙まし討ちだろうが、どんな手を使ってもね)
勝頼には政治力は無かった。
>>160 それを言ったらただの「甲斐国人議会の議長」でしかない信玄のほうが
そういう力がなかったわけだが
162 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 22:47:24 ID:0x2es/5p
>>158 差宛、そいつはどうかな。
家臣にしてみれば自分の領地さえ認めてもらえれば国主は誰だってよかったはず。
一部の重臣は反発するだろうが、大多数の国人領主にとっては国主が誰であろうと問題はないはず。
163 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 00:50:35 ID:S4ZS1YQX
>>161 そんな事を言ったら関東の豪族連合の代表者である源頼朝だって
「そういう力はなかった」という事になる。
後のジンギスカンになるテムジンだって最初は権威など無かったし
秦の始皇帝だって、元人質で秦の血筋を引いてないという噂が立ってて馬鹿にされ軽蔑もされてた
最たる者は豊臣秀吉でしょう、考えうる限り最も血筋も家柄も悪く
デシャバリで下品で嫌われてもいたが、ありとあらゆる政治工作で
自分の権威を作り上げてしまった。
徳川家康ですら、元々の家柄は石川や酒井と、さほど格に違いが無かった。
164 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 00:54:14 ID:JoP4X3QN
>>162 たしかに国人領主からしてみればそうだ。
しかし信玄死去のすぐ後の状況では織田に降るよりも武田家を傀儡化したほうが
彼らにとっては自己の権益をより確保出来るのではないかな?
織田と臣従に近い形で和睦しても縮小は有りうるが領地が増える可能性は少ない。
>>163 自分のキチガイ発言があっけなく否定されたからと言って
そこまでムキにならんでもw
烈しくワロタ
167 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 08:29:39 ID:S4ZS1YQX
信玄は信虎より優れてたかもしれないが
勝頼は信玄より劣っていただろう。
信玄は父親を追放した後の権力掌握までの道程は実に見事だ。
168 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 12:49:00 ID:usEZgM36
勝頼と家臣団が戦争継続に傾いたのは、織田家を舐めてたからだろう
信長の動きは信玄最後の遠征の時には鈍くて、三千程度の援軍を動かしたのがやっと
勝頼政権初期の美濃攻撃でも、後詰ができず明智城を見捨てる形になっている
だから信長は及び腰、だと思い込んで強気になっても不思議じゃない。情報伝達が制限された当時のことだし
結局のところ、たまたま武田の攻勢時期が信長が他で忙しいタイミングでぶち当たった幸運に過ぎないと長篠で破滅するまで気付けなかった
169 :
。:2007/01/29(月) 16:03:35 ID:HNpn7Y2r
そだね。武田が攻勢優位だったのも浅井・朝倉・長島本願寺が顕在だった頃まで。勝頼が長篠で決戦にでたのは味方を次々と失った焦りかもしれない。
決戦前の書状では強気な発言しているが本心はどうだったんだろうね。オレが家臣なら「信長家康が雁首揃えて出てきた今叩かないとやばくね?」と進言したと思う。
170 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 16:27:14 ID:vo+6Tj6h
政治力じゃどうにもならない事柄を解決する最後の手段が武力
政治目的である我が儘を力ずくで押し付ける=武力による実力行使
最後の手段を取らなかった≠政治力がない
>>160の理論だと、意見の相違を武力で制する→政治力がある
結論ありきの暴論
馬鹿は死ねばいいのに
171 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 17:36:13 ID:i0TkQm+5
周りの家臣たちが愚将だったんだよ。
信玄の時代はほとんどワンマンだったから
信玄なしには何もできない動けない組織体質になってしまったんだと思う。
強力なカリスマ、求心力が消え去った組織でよく見られる事象だよ。
長篠の合戦は信玄時代の重臣の意向が強く何も出来なかったが
それ以降はむしろ勝頼の政治が実現できたはず、しかし信玄がカリスマ
だった反動で家臣の求心力が想像以上に弱まった。
172 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 17:47:08 ID:mq9mtyaT
で、勝頼本来の政治が実現できた結果が、一門衆にすら続々と裏切られた末の自害か?
信玄から引き継いだ状況故のものもあったろうが、並以上の将だったらもうちょっとマシな結末だったろ。
結論「よくても凡将」
173 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 17:58:51 ID:S4ZS1YQX
>>170 謀殺や騙し討ちまで武力だと言い張る ID:vo+6Tj6hは知的障害者
ID:vo+6Tj6hは死ねば良いのに
武田が滅んだのは勝頼よりも実は信玄のせい。
>>170 武力で天下を統一した秀吉さんも家康さんも
結論ありきの暴論を振りかざしたと言うことなんですね?
176 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 07:36:33 ID:vSPB0r0z
孫子曰く、必勝の軍はまず状況で勝ってから戦いに望もうとし、
必敗の軍は状況が不利なので戦ってから勝利を得ようとする。
秀吉や家康や信長の天下人の行動はそうだったな。
まあ、信長は桶狭間のような例外もあるけどね。
勝頼は政治的・戦略的な状況的不利を
しかも戦術的に不利な長篠で勝って跳ね返そうしたんだから
とんだアホとしかいいようがない。
堅固な野戦築城に篭る三倍の軍に突撃してどうすんだ?
武田と言えば孫子を兵法書としたので有名だが、
勝頼は孫子を読んでなかったんだな。
177 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 07:41:13 ID:vSPB0r0z
あと、孫子には「敵を知り、己を知れば百選して危うからず」というのがあるが、
勝頼は本当に織田徳川連合軍の状況を知ってたのか?
凄く怪しい。行き当たりばったりで突撃してたように見える。
178 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 07:42:11 ID:vSPB0r0z
「敵を知り、己を知れば百戦して危うからず」だった。
連続書き込み甚だしいが、
勝頼は味方の状況もわかってなかったな。
長期の対陣と長篠城攻めがうまくいかず損害を出し士気を阻喪している
軍勢を率いている事を理解してなかったな。
信玄も孫子を好んだ割に、その原則を活用していたとは言い難いからなあ
孫子を読む人間は沢山いるが、体得しえたのはほんの一握りってことだ
つまり織田軍は弱い、オレ達は強いという先入観に武田家全体が囚われていたってことだ
厄介なのはそれまでの戦績を並べれば、これは決して思い込みとは言い難い面があること
だから勝頼も歴戦の重臣達も信長の罠にまんまと嵌ったわけだな
181 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 08:16:52 ID:4W8q/dkn
何でそんな必死なわけw
>>176 信長だって政治的戦略的に不利な状況で戦術的勝利で一発逆転とかやってますよ。
勝頼との違いは、成功したか失敗したか。
ちなみに家康には、政治的にも戦略的にも不利な状況で二倍以上の敵につっこんで
さらに戦術的にも完敗という素敵な戦績があります(三方ヶ原)。
信長や家康だけを特別扱いして勝頼は責め立てる理由はなんですか?
183 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 12:26:08 ID:Xi27ciqR
勝頼は兵の将だったが将の将たる器ではなかった。
万一、彼の生まれた時代に信長の勢力が小さかった(尾張の半分)としても
家臣団すらまとめられない程度では、いずれ大事な場面で
部下に裏切られたり大作戦に支障をきたすのは目に見えてた。
>>182 世の中結果論が罷り通っているから
実は愚将ではない、というレスも多いが世間的には少数派だろう
ドラマや小説で流布したイメージは拭い難い
しかも勝頼を酷くかいた創作は江戸初期の軍鑑からだから根っこが深い
信玄の遺言が全てをダメにしたんだろ
家臣さえ全員まとまってれば誰が跡継ぎだろうが滅亡はなかったのに
ちっぐしょうー
基本的に統治の基本は御恩と奉公のバランス。
戦国大名として統制力を強めるには国人他の権益を取り上げることになるが
それに釣り合う何かを与えられなければ統制は崩壊する。
だから軍事行動で豊かな領地を切り取って配下に分配できる資源を増やすのは
戦国大名として生き残るためには必須の行動となる。
信虎が統制を強めつつ豊かだが強力な勢力の押さえる地域への
南下に拘って新領を獲得できなかったが故に追放の憂き目を見たのもそのため。
晴信が南下をあきらめて生産性は低いが小勢力割拠状態故に取りやすい北上に
方針を切り替えることでなんとか統制力を取り戻せたのもそのため。
勝頼時代には周辺はほぼ強大な勢力の支配下に入っており、新領の獲得は容易では
なかった。だがより厳しくなる情勢下では一層の統制力強化は欠かせない。
となれば国人から見れば一方的に抑圧するだけの主に見えても仕方がない。
思うに勝頼が本当の凡将で何の危機感も抱かず何もしない男だったなら
かえって国人層の好意を得られて軍鑑にも良く記述されたかも知れない。
上杉北条徳川に大きく領土を削られることになっても一応独立大名の形式を
維持して織田政権の臣下に納まることも可能だったかも知れない。
どっちかと言えば能力と気力があったが故にかえって危地に飛び込んだという感じだな。
武田に生存機会があったとすれば・・・・晴信時代に上野、北信濃などほっといて美濃奪取
に全力をかけるべきだったな。まあ、信虎の失敗の教訓が効いて一番弱いところから攻める
というのが基本方針になってたんだろうが。
だって木曽路通りづらいしなあ。
堺屋太一氏が書いていたが
信長は生涯の通産で見ると負け戦のほうが多いのに勝ち戦のほうが有名
ナポレオンは勝ち戦のほうが多いのに負け戦が有名
やっぱりイメージの問題だろうな
>>182 桶狭間はある程度は勝算があったんたが、
義元の位置を通報してきた奴もいるし。
そこに突撃するのは悪くはない。
勝頼みたいに野戦築城に三倍の敵がまとまってるのに
突撃するバカとは違います。
三方ヶ原はとにかく戦わないと旧今川家臣が離反しそうなのでしかたなかった。
桶狭間は実は今川軍 VS 織田軍+尾張の民衆の総力戦なわけで
「勝算があった」どころか負けるはずのない戦だったわけだが
負け戦が多いってもなあ、何があったっけ。
信長が城を攻めきれなかった場合には負けにカウントして、某軍神様が攻めきれなかった場合は数えてなかったり(小田原とか小田原とか小田原とか)金も男も女も掘りまくった某甲斐の虎とかさあ・・・
勝頼は将としては良だが、君主としては凡って感じだなあ。
誰かのもとで猛将と呼ばれてた方が本人としてはよかったんじゃね?
まあ俺の想像だけどもね。
てなると義信・・ってなるけどね。
ID:Xfoa0gtN ←コイツだめだw
>信虎が統制を強めつつ豊かだが強力な勢力の押さえる地域への
>南下に拘って新領を獲得できなかったが
娘を今川に嫁がせたのに南下に拘ってたの?
武田家は信虎以前からも後北条や今川に度々領内まで攻め込まれてるのを
なんとか撃退しているのでむしろ奴等とは向き合いたくないと考えたはず
その頃の情勢に比べたら長篠前の勝頼はまだ恵まれている方だと思うよ
>上野、北信濃などほっといて美濃奪取
上野は兎も角、北信濃は抑えて信濃全統治はしておかないと
内外的にも格好が付かないだろう。
甲斐・南信濃でかき集めたなけなしの国力から美濃奪取となると
成功しても地勢的に敵を増やしとことんジリ貧だ
と、そんな事よりあくまで「長篠」以外には
勝頼の評価基準はないと思うよ、同じIfでも
長篠で勝って領土を拡充していたら?という仮想戦記よりも
長篠に行かず国力回復に努めていたら?と思う方がずっと現実的な話。
まあ行った時点で勝頼の程度が分かるわけだが。
>勝頼が本当の凡将で何の危機感も抱かず何もしない男だったなら
>かえって国人層の好意を得られて軍鑑にも良く記述されたかも知れない
寧ろ武田家マンセー俺TUEEEEEしていたのが家中に勝頼だけだった
と考えると勝頼が本当の凡将で何の危機感も抱かず
いたずらに長篠へ赴いて惨敗した挙句その後も
無駄に新府城建設などと言う浪費と一門重臣を信用しない行為によって
見限られ哀れな末路を遂げたのも頷けると言うもの
何もしない傀儡君主だったなら
かえって国人層の好意を得られて軍鑑にも良く記述されたかも知れない。
いや、軍鑑はやっぱり徳川の正当性を出さないといけないから
どの道、俺達は愚将に無理やりつき合わされただけです
徳川様が来てくれて助かりました
って事にするだろ。
戦わずして勝つのが上策
戦って勝つのは凡作
新府城を焼いたのは浪費だな。
199 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 21:39:27 ID:ukU/9pOP
長篠は死にたがりのバンザイ突撃な件
200 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 22:24:30 ID:4W8q/dkn
>>194 引き込もってたら更に国力差が広がる
回復が見込める国力>織田の拡大なんか?
武田の国力がX回復したところで織田がX+α拡大したら更に状況が悪化するだろ
結果論で本能寺待ってればよかったってか?
包囲網が生きてる内に単独首位をなんとかしなかった親父のせい
当たれば粉砕、待てば我彼の差が広がる
あんなん詰みだろ
外交も行き詰まってたしなぁ
乾坤一擲で長篠城を落としていればあれだけの消耗はなかたったんだろうね
いずれにしろ詰んでるままだろうが
>>197 新府城は浪費以外の何物でもない
財政が厳しいのに概観に派手な金具をたくさんつけてて
焼け落ちた時には近隣の農民がパクリに来たらしい
長篠なんかあってもなくてもあんまかわらんだろ。
75年時点で織田と武田の差は圧倒的だしな。
どっちにしろ織田がそろそろ滅ぼし時だと思ったら滅ぼされる運命だし。
信玄も川中島の合戦で、ただ北信濃を防衛するだけのために
自軍より少ない上杉軍から壊滅的なダメージを食らってるしな
キツツキ戦法なんて失策以外の何物でもないだろ
205 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 16:31:05 ID:4NrvZQsQ
長篠で雨が降ってたら普通に信長倒せてただろ。勝頼は運がなかっただけ。
国力では織田が圧倒的に有利かもしれんが、兵の強さ戦感では武田が上。
武田最強騎馬軍団で蹂躙してやればあっという間だもんな
それでは釣れないだろう。
命中度は落ちるけど、撃てないわけじゃないし。
それに究極生物三河武士が居るし。
209 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 20:24:31 ID:4NrvZQsQ
織田は巨大なる敵ィィィィ!!友軍の到着を待ち、総攻撃をしかけるぞォォォ!
やっぱ勝頼様は素敵だ。
210 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 21:12:29 ID:TFgGE13A
正直信長に勝とうと思うなら北条 上杉 武田の三国同盟でも結ばないと勝てんよ。
それを勝頼の馬鹿が景勝に味方して北条敵にまわしたら滅びるのも当然だよ。
信玄ならたぶん北条との同盟を優先して影虎の方に味方しただろうに
で、北と南と西と東とから攻められる、と。
やはり武田は最強ゾォォォォォォ!
>>212 無双の勝頼はアホだけどお茶目でかわいいな。
村上義清初戦とか川中島とか、親父の方も大概な負け戦してるのにな。
この扱いの差は泣いて良いだろう。
今度のNHKのその時歴史が動いたで
武田家臣団の脆さについてやるな
信玄が本当に掌握できたのは最晩年になってからだという
勝頼なんて生まれながらにして宿命付けられたかのような忌児であり
竹だけとしての評価ならともかく
本人の評価が不当に低いのは残念だ
掌握しきれないままでも版図を拡げた信玄は凄いよな
信玄がやっと纏め上げ、
築き上げたものを引き継ぐ能力がなかった勝頼は
ある意味可哀想、無能に生んだ信玄こそお家崩壊の元凶!
諏訪御寮人を連れてきた山本勘助こそ武田家崩壊の元凶
信玄は合戦よりも調略で領土を広げたし
その功績は信玄よりも真田幸隆のよるものが多い
そんな簡単には釣れないだろう。
220 :
光流義 ◆IpSLd1HMDY :2007/02/04(日) 08:26:27 ID:NgEhGa7M
>>1 そりゃそうでしょうに
商人を登用しての財政改革を行い、それによって得た財源で鉄砲を意識的に購入。
さらに新規の人材登用にも活発で、実力主義の新しい武田家の編制を着々と推し進める
など、軍才だけでなく、政治面においても優れた手腕を発揮した非凡の人物であったと思います。
221 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 23:08:16 ID:Mw8zSqEd
222 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 23:17:04 ID:JeEQ1sHm
柴辻俊六、平山優『武田勝頼のすべて』(新人物往来社、2007年)
多分ね歴史的に見ていい奴が最悪。
きっと最悪な奴がいい奴なんだって。
これマジ。
全部逆転。
225 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 06:36:46 ID:ZpuZkCy/
つーか勝頼は君主じゃないし。
武田の頭領じゃないし。
武田の家督継いでないし。
先に諏訪の家督継いじゃったし。
家督は信玄の孫が継いで勝頼は後見人。
それで歴戦の山男達の君主たれ、家臣もまとめれない無能つーのはないわな
226 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/08(木) 07:15:50 ID:xI3sjT0K
>>225 ほとんど否定されてるような俗説を誇らしげに語るなよ。
商人から借金を行い、それによって得た財源を意識的に新府城に浪費
更に諌言する重臣を長篠で皆殺し、穴埋めに新規人材を太鼓持ちで堅め
小山田・穴山・木曽などの実力主義の一門衆すら着々と切り離す
など、軍才だけすらも無く、政治面においてもグダグダな手腕を発揮した
ある意味w非凡な人物であったと思います。
もうちょっと餌に工夫が要るな。
時系列を変えちゃダメだよなw
230 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 17:10:03 ID:pBXnbg9z
>>223 妹の菊姫に送った書状が米沢に何通か残されてるんだが内容を見ると本当に妹おもいのいい兄貴だよ。
景勝にも妹を頼むといった内容の書状を送ってるし。
人間的にはいい人だったと思う。
ただ他人から見て勘違いされやすい人だった様な気ガス。
>>210 それで武田家は北條家の下風に立つわけだなw
織田家と徳川家みたいな関係かw
232 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 17:58:17 ID:NRVPOuG8
徳川は天下取ったけどな
なんとか本能寺まで生き延びられれば
たとえ敗れても秀吉や家康なら助命したと思う
武田が滅亡してないなら本能寺の変は起きてねえよ。
>>234 そんなに断定は出来ないよ
再起不能と見れば討ち取るまで油断はならないわけじゃないし
滝川や川尻に任せとけばいいんだから
しばらくの間うまく潜伏できれば同じ状況になった可能性は高いだろ?
236 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 22:03:02 ID:jpNFRA30
>>235 あんたの方がよっぽど安易だよ・・・・
少なくとも信長と信忠が童子に討たれることはない。
237 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 22:11:47 ID:jpNFRA30
「童子」は「同時」ね。
で、病死なら歴史のタイムスケジュールが変わっても特定人物の死亡時期は変わらないだろうが、
人災や事故や天災だと歴史が変われば同じ時期に起こる可能性の方が低い。
まあ「本能寺が起こって信長が死ぬかもしれない」くらいならいいんだけどな。
あくまでそれは仮定の話しだ。
しかし信長は武田滅亡に執念燃やしてるし、中途半端なとこで部下にまかせて京都の方に行くとはとても思えん。
なにがなんでも自分で指揮をとって武田滅亡を見届けるのではないかな。
ましてや武田討伐軍の大将で武田滅亡後に家督を譲られて京都にきた信忠が
フラフラと京都までいって本能寺でやられるとはとても思えん、
>>131 勝頼が最初にとったのは「どちらも選ばない」「両者の仲裁役になる」だったけどね
結果一時的に休戦状態になったけど、結局決裂
休戦破綻と同時に厩橋城攻略に向かっているのに
仲裁とか説得力が有島一郎、、、、、
高天神城見殺しにしといて東上野攻略とかぶっちゃけアホじゃね?
北条の相手なんて上杉にやらしとけばいいのに
だってもうわかんないんだもん状態か
241 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 05:54:02 ID:kBbgl6U6
お館の乱で北条家の味方をするしか選択肢などなかったのでは?
それで北条家の風下について武田家と北条家・上杉家で数多くの政略結婚をして結びつきを強くし
織田・徳川と退治する事になれば北条家の援軍、上杉家により牽制が期待できるし
最悪の場合でも小田原城に逃げ込んで再起を図るという手もなくはなかった。
その時点で北条家と伊達家が親戚関係になりがっちり手を結べば
織田・徳川は易々と関東制圧もできないし。
>北条家の風下について
武田家臣団の内部崩壊の始まりです
ただたんに全方面から攻められるだけだろうなあ。
244 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 12:49:44 ID:XB+eOBlj
北条の援軍に期待とか絶対無理。
越後一国まるごと乗っ取れるという絶好の機会にさえ、
身内の景虎にすら満足な援軍送ってないんだぞ……。
そんな状態で、他の大名にどれだけのことをできるっていうんだよ。
長篠の敗戦直後に信長ではなく、家康に駿河割譲を条件(信長には信濃割譲)に
武田家の安泰を信長にとりなして貰うってのはどうよ?
助命と甲斐一国はなんとか安堵してもらえそう。
北条も上杉も頼りにならないなら、いっそ敵の懐に飛び込めってことで。
247 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 16:43:02 ID:d6i3DPBa
信玄時代から引き継いだ状況は仕方なかったにしてもさ、やっぱり長篠は勝頼の失策だったと思う。
長篠城落とせなくてその間に織田の援軍が到着してしまった。優秀なんだったら、その時点で撤退して兵を温存しとくべきだったと思う。
実際には挑発に乗り、織田徳川連合軍が待ち構える長篠へと向かってしまった。
その結果、数多くの重臣や兵を失った。あの敗北が武田の滅亡を5年は速めたと思う。
逃げたらジリ貧じゃないか
本当に優秀なら徳川への盟約破りの不意打ちから始まる父信玄の路線を全否定し、織田との修交に務めたはずだ
もっともその場合信玄路線を支持する重臣達との軋轢は避けられないがな
だがなんだかんだと信玄は諜略で勢力を広げてきた
勝頼は戦馬鹿でイケイケドンドンしただけ
その結果が長篠
謀略使おうにも相手は織田徳川でがっちりまとまっているし
畿内方面の反織田勢力は軒並み覆滅されてるし
使いようが無いべ
戦術レベルでは高天神城を落とす際に敵将の小笠原与八郎を破格の所領で寝返らせたりしてるから、必ずしも戦馬鹿というわけではない
状況が信玄死後の前後から劇的に悪化している以上、当主が誰だろうと敵対路線続行は自殺行為
その高天神城をあっさり見殺しにして
その間に東上野の雑魚相手に勝った勝ったと馬鹿騒ぎ
そんな『陣代』が、他の家臣にどれだけのことをしてやれるっていうんだよ。
勝頼は政宗よりも優秀
地の利と運が悪かっただけ
>>251 それは悪質な俗説
天正六年に自身が高天神城を救援して横須賀城(徳川方付城)を攻撃して入城するなど、攻防は数年続いている
その結果だから
>>253 天正8年9月の東上野出兵は?
天正9年3月に高天神は落城しちゃうわけだけど
なのに課役だけが鰻のぼり
そりゃ国人衆もやる気なくなるわな
高天神城将から援軍は必要無いって書状が届いてたんじゃなかったかね?
まあ、その時歴史が〜の上、記憶が曖昧なんだが。
信玄晩年に
謙信配下に越後に出兵するから謀反してと唆して→見捨てる
越中の諸勢力一向宗に支援するから謙信と戦って→放置
関東諸大名に北条と戦うからお前等も戦って→放置
浅井朝倉畿内諸勢力に今度岐阜攻撃するからお前等も戦えと言って→見捨てる
北美濃東美濃諸勢力に信長と戦うために東美濃に出兵するから寝返ってと言って→放置
勝頼が調略外交しようにも、信玄の時と違い多くの勢力が滅んでいて交渉相手もいないし、
信玄の行動で武田に対する信頼も減っているから、調略外交の手段が無かったのかも。
降ったら降ったでいつ暗殺されて嫁もボッシュートされるかわからんからな。
信長って名門にひどい奴だな、北畠に対しても武田に対しても。
家康秀吉よりは上かも知れんが、出自が卑しいからコンプレックスかな。
信長・・・名家をぶっ潰すのが快感
家康・・・名家を家臣にするのが快感
>>260 秀吉・・・名家の姫や奥方を妾にしたり強姦するのが快感
を忘れてる。
もし秀吉の猿に助けられていたら、勝頼の姫を差し出せと絶対に言ってきたな
>>260 つか勝っていけば、潰すか臣従させるしか無いじゃんw
信長の場合、息子に家を乗っ取らせる形で楽に取り込もうとしていたが
長野はともかく北畠はこっそり信玄と通じるなど違背を続けたから仕方ないんじゃね?
武田の場合は過去レスで出てるけど、一番辛い時に信玄包囲網を解く外交で奔走した恩を忘れて敵対してきた報復だろう
>>262 秀吉政権化の時に菊姫が人質として京都に出向いてるやん。
既に上杉景勝室になっちまってるけど。
女に見境の無い秀吉だから本当に欲しければ無理矢理にでも手に入れ様としたでしょ。
お市の方に対する執念とも思える想いからもさ。
景勝・兼続主従もその辺りを心得ていたのか菊姫の世話役(というよりもボディガードっぽい)として兼続の妻お船の方を同行させてるところが賢い。
266 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 14:49:31 ID:EeVfTC+1
まあ、このスレでもハッキリと指針がまとまらないのが、当時の武田家の置かれた状況だな
入もしない新府城を作ったから愚者だな
勝頼って「信」の字が名前に入ってないよね
太郎義信はともかく五郎盛信にすら入っているのに
何か理由があったのかな?
>>267 一応入ってたんじゃなかったっけ?
ただし4ヶ月ほどで放棄してるがな
信玄の負債が重くのしかかった二代目
初代が徳川時代の政治的都合から美化されたせいで、やっても無い悪事まで押し付けられた可哀想な人
いや、普通にね
272 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 23:18:39 ID:W3Pr+Xjx
新府城には完成と共に入城はしてたはずだが、
その後すぐ木曽が謀反→鎮圧するんで出陣→織田軍侵攻の口実作ってさようならで城放棄
勝頼は騎馬軍団で突撃するしかできない猪武者。
だって武力は高いけど知力低いから俺でも勝てる。
でもさすがの俺も政宗には勝てないかもしれないが勝頼なら余裕。
景勝を支援したのは失策じゃないの?
あの時点ではそうするしかなかったと思うけど
そもそも北条が越後に来たのは勝頼が退いてから3ヶ月近く経った後だし
春日山城だってなかなかの堅城。とてもじゃないが武田単独じゃきつい
織田徳川がいるから時間かけるわけにも行かない
新府城は後に家康が本能寺後の対北条戦で本営として有効に活用してるな。
とりあえず、充分な決戦兵力を用意できる状態においては信濃方面から侵攻する敵に対する
甲斐防衛戦の指揮拠点としてかなり有効だったようだ。
278 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 10:05:10 ID:lzuTNlFA
279 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 10:28:24 ID:vC57SPEt
長篠で織田徳川軍が到着した時に退却しなかったのは何でだろうね。
280 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:14:16 ID:cwl6dxKj
退却しようにも出来なかった説と
織田の調略で「武田が圧勝しそうな雰囲気作り」にはまった説があるね
281 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:19:21 ID:3PxnGvwd
282 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:26:40 ID:GUg/BMwy
>>276 甲斐防衛戦には有効でもあの場所はいかん
最終絶対防衛線を韮崎に敷くということは
信濃国人は見捨てますよということと同意に取られかねない
信濃国人の賦役で作っておきながら
283 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:44:38 ID:cwl6dxKj
織田を意識した防衛ラインが韮崎では遠すぎる
かと言って信濃国内に移すと北条への備えとして遠すぎる
駿府あたりがベストだったのでは
284 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:48:13 ID:zGT3WFCa
↑とりあえず山梨・長野行ってみればわかる
285 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 12:02:08 ID:vC57SPEt
>>280 知らなかった。
通説だと、織田軍が攻撃を仕掛けて来ない事から、
まだ兵数が十分じゃないと判断して、
早い内に叩こうと思って突撃した事になってるよね?
これが突撃した理由だと大将としては失格だと思うけど、
退却しようにも出来なかったって言うなら理由によっては評価が変わるよね。
どういう理由でそう言われてるの?
286 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 12:10:33 ID:EthoRHqx
>>273は納豆ダイエットに励む池沼
勝頼>政宗だから
287 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 13:41:49 ID:LFEyH/3z
鳥居強衛門を捕らえた15日遅くには織田徳川軍の後詰があること自体は察知していたはず
消耗戦が続くとジリ貧だと積極的に認識していたから決戦を志向したんじゃない?
これまでも信長はともかく家康を野戦で捕捉しようとして失敗して吉田城辺りに篭られる、ということがあったから
で、長篠城を落とす→援軍の目的が消滅した織田徳川軍が後退したところを追撃で打撃する、と考えていたと
しかし信長が放った後方奇襲の一手により全ての勝算は消滅
勝頼は史実では現場にいもしなかった長坂釣閑斎にそそのかされて無謀な決戦挑んだ間抜けと徳川史観のために貶められることに……
288 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 14:56:42 ID:vC57SPEt
>>287 でも、18日に織田軍が進軍を停止して20日には織田軍に向けて進軍してるよね?
で、長篠城攻略には別働隊を充てている。
長篠城攻略を中断して織田軍撃退を優先したのか、
別働隊で攻略可能だと思っていたのかは分からないけど、
後詰が来た事が分かったのに退却しなかったのはいただけないと思う。
“退却できない理由”があれば別だけど。
289 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 15:06:13 ID:LFEyH/3z
>>288 普通に勝てると思ってたんでしょ
信玄末期以来、武田は織田徳川に対して勝ちっぱなし
後世からみれば信長の入念な野戦築城とか鉄砲集中配備とかはわかるけど当時の武田側から探知できたとは思えない
勝頼と重臣団の先入観は実績に裏打ちされてただけにそれ以外の判断の余地がなかった
本当に重臣達が退却を進言して容れられなかったのなら、戦が不利になったときに穴山衆がやったように勝手に退却しているよ
豪族連合の武田では、重臣達の意見を無視した合戦なんて無理
信玄政権末期すら、二股城攻めあたりでも合議制やってたぐらい
290 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 15:39:56 ID:J3zmXQAl
長篠の戦いそのものは、退路を絶たれた結果起こった戦いで不可避。
だが、その退路を絶たれるまでの判断について、勝頼は責められている。
つまり、長篠の戦い自体は問題ないが、長篠の戦いに至る経緯が問題。
291 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 17:14:04 ID:vEqzQaHn
いや、至る経緯は問題ではないでしょ。
先のレスにもあるとおり、長篠城攻めは後詰として
織田・徳川をを誘い出すのが第一の目的と考えられるから、
勝頼としては計算どおりだった訳で。
292 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 17:21:32 ID:277neJ4L
総力戦望んでたなら、又は織田徳川が出張って来てチャンスがあると思ってたなら上杉と和議しなきゃ。
織田、徳川連合軍に勝てるわけない。2倍近い兵力に浅はかすぎだと思うねぇ・・・。
293 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 17:33:34 ID:wE/0uUSR
当時の織田は弱くて兵も急造で弱かった
武田の倍ほどいても負けた可能性もなきにしもあらず
294 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 17:33:38 ID:b2Vvb6D/
まずは徳川だけを潰す目算だったのでは?
295 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 17:54:24 ID:vEqzQaHn
そのへんはアレ。287、289のレスが参考になるのでは?
今までの経験から特に織田勢の戦意を低いと見ていた
武田勢は、後詰が出てきたところで長篠城を落とし、
退却する後詰を追撃して打撃を与え、吉田城あたりまで
付け入って攻め落とす考えでいたんでしょう。
296 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 18:15:45 ID:hrkV+SKM
>>287 徳川史観であればこそ主君の恥(勝頼のDQN振り)を書く訳にはいかず
本来長篠に居るはずも無かった側近にして忠臣の長坂をもって佞臣とし、
長坂ほどの重臣が勝頼を唆したとする事によって
一門重臣を蔑ろにした勝頼を少しはまとも描く必要があっただけ。
>>289 従来の織田vs武田の決戦と言うよりも長篠の包囲からの退却と考える
穴山隊の退却は一門衆として逃げ道を開ける役目を負っていた為と思われる
外様のはずの小山田隊も相当に奮戦したと言われているのがその証拠
なにより信玄がようやく纏め上げた家臣団の忠誠=主君主家に命を捧げる
を勝頼は長篠で一瞬にして費やしてしまった
しかも初めから退こうとする一門重臣達の意見を聞き入れなかったという
最大の背信で裏切って・・・。
信玄は合議制で家臣の長所を引き出し互いに意見を交わす事で武田家臣団を
腹を割って付き合える集団に仕上げたが
勝頼はお山の大将になろうとしてしまった。
297 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 20:26:30 ID:hgXwk/3x
>>291 だとしても背後への機動を許した迂闊さは責められるべきでしょう。
298 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 23:08:29 ID:5IqtT6gd
信長公記によると
信長は本隊を反対斜面に隠蔽したような記述があるから
武田から見ればそれほどの大軍に見えなかった可能性がある
299 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 23:49:59 ID:ePxgP/ul
>>298 そうなんだよね。
あそこで退却せずに突っ込んでいった理由として、
「相手は多勢だけど勝てるでしょ」じゃ、あまりにも間抜けすぎる。
「今はまだ織田軍が少数しかいないから攻撃を仕掛けて来られない。
それなら後続の部隊が到着する前に決着を付けよう。」
とでも考えていたように思えるんだよね。
ただ、それにしても確かな情報が無いのにも拘らず、
そんな博打を打たなければいけなかったんだろうか?
彼我の経済格差は、時間が経てば経つ程開く一方で
焦りもあったんだろとは思うけど。
300 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 01:12:52 ID:/kdUNJvO
いや、設楽が原で勝頼が交戦に踏み切ったのは
包囲下に置かれた(背後に回られた)事から来る受動的な要因であって、
戦略的な観点から進んで交戦したわけではないと思うぞ。
301 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 01:55:52 ID:H9w+Gmad
>>300スマソ、言い方が悪かったな。
織田軍と激突前の判断ね。
医王寺の本陣を出て、織田軍と対峙した事を言いたかった。
何故、後詰が来た事を知った時点で退却しなかったのかな、と。
流石に酒井隊に後ろを突かれ、家康隊も突撃してきた状況にまでなってしまえば
正面突破に活路を見出すしか無かったかも知れないけど。
302 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 07:19:27 ID:+mFx6+uR
二代目の中では優秀な方だよ
信繁>>景勝>勝頼、秀康、信孝、秀家>秀忠、秀次、秀信>信雄
くらいの格付けじゃないか?
303 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 07:55:14 ID:tbmMJ7+T
>>302 秀信が三代目な件。
信繁はどこの信繁?
304 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 08:30:30 ID:PmxOFDDB
305 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 08:36:36 ID:h6jr4HZv
真田?
306 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 08:45:35 ID:bFkHU+sW
>>292 和議してたよ。信玄末期からの甲越一和は史実としてなぜか知られないけど
もっとも謙信は信長に「一緒に勝頼攻撃しようぜ」と誘ってるから破る気まんまんだったようだが
>>296 退路を開くための退却なら、戦後にあいつら切腹させろなんて言われない
307 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 09:54:28 ID:eicobEM5
>>302 疑問点。
信繁?真田とか言うなよ?絶対言うなよ。
秀康?俺は結城秀康を2代目って言う人は初めてみた。
信雄、信孝、秀信も同様、ってか、信忠が既に継いでたの知らないだろ。
あれ?もしかしてネタにマジレス?それとも真性にレスしちゃった?
308 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 11:53:49 ID:8+VMbjWX
長篠では譜代や先方衆がバタバタ討死している反面、さっさと逃げた親類衆はほとんど打撃を蒙っていないといういびつな損害に
ここから勝頼と親類衆の不仲説が出たのかも知れない
普通に考えれば、譜代や先方衆は勝頼に忠誠を尽くして死んだっぽいんだが後年の徳川史観のせいで「それは信玄様を偲んで自殺同然に戦ったからだ」とされてしまっている
309 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 12:21:55 ID:wMItHQ3a
>>306 >退路を開くための退却なら、戦後にあいつら切腹させろなんて言われない
それ本当に史実かなー?
310 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 12:59:41 ID:+mFx6+uR
武田勝頼は愚将ではない Good将!
311 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 13:01:45 ID:+mFx6+uR
312 :
仙台藩百姓:2007/02/13(火) 13:06:24 ID:A8PwOnY6
愚将というより凡将
313 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 13:55:27 ID:n5iJaa/S
勝頼>政宗>景勝>氏政>信康>信忠>秀忠>秀家>信親>輝元>氏真>信考>信雄
くらいの格付けじゃないか?
314 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 14:16:08 ID:eicobEM5
>>311お前よりはマシだww
とりあえずは誰だよ信繁って。真面目な話。
まさかマジて真田とか言うんじゃねえだろな?
315 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 14:18:28 ID:jZDFQq4q
316 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 14:22:32 ID:p1OmrSfg
家康が作った江戸幕府の基盤を固めたっていう政の面でいえば、秀忠がトップじゃね?
まぁ秀忠軍の10分の1とも言われた真田昌幸の手勢に苦戦してるが・・・
戦:政宗>景勝>勝頼>信忠>秀忠
政:秀忠>景勝>信忠>政宗>勝頼
317 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 14:36:12 ID:+mFx6+uR
>>316 信忠の政治力は勝頼や正宗より上だったの?
秀吉と割合仲が良かったとか、本能寺の変で父親に殉じるような形で
戦死しちゃったとか、それくらいしかエピソードを知らないから
なんか、良いエピソードがあったら教えて欲しい。
318 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 14:40:20 ID:+mFx6+uR
良いたとえか分らないけど
第二次世界大戦に向けて突進した近衛文麿が
突如東条英機に後任を任せたのと
信玄が勝頼にした事は少し似てる?
319 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 14:58:51 ID:bRqGwxRQ
320 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 15:08:28 ID:p1OmrSfg
特に目立ったエピソードは自分も知らないが、本能寺の変まで尾張美濃100万石の織田家の家督をまっとうしてるとは思う。
政宗はお家騒動のごたごたを上手く処理できなかったイメージ。
勝頼は信玄時代の約定破りがあったとは言え、外征を繰り返して国を疲弊させたイメージ。
321 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 15:19:24 ID:vEpIvJuD
信忠なんて素でウンコだろ
信雄より若干マシってとこ
評価し過ぎ
322 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 15:22:56 ID:eicobEM5
そんな餌で俺がクマー(AA略
323 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 17:51:14 ID:7HQH23LF
武田勝頼は名将である
324 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 18:10:24 ID:SnTgF4FU
真田信繁が2代目だったら幸隆の存在はどうなるのかと。
それよりも信幸の存在が無視されるのは問題だ。
325 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 18:35:07 ID:MU/xaei3
その家系において最も有名有能な人間の後を継いだ者を2代目と勝手に呼ぶから
2代目に優れた人間がいないのは当たり前だな
もしいたとしてもそれは2代目ではなくなるからな
326 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 18:42:33 ID:eicobEM5
327 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 18:56:33 ID:+mFx6+uR
勝頼と同時代に大名家を継いだ者たちと比較すると
勝頼は平均よりは、やや優れた後継者だったろうと思う。
武田信玄が天下統一して権力基盤を整備して有能な家老を勝頼につけ
甲斐将軍府でも作り、二代目の勝頼に継がせてたら秀忠程度の能力は
示したのではなかろうか。
328 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 20:35:26 ID:dXymD77g
義信と勝頼と盛信だと誰が一番優秀だったかな
329 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 20:55:53 ID:+mFx6+uR
義信は家臣達を信服させてたというから、武田家の瓦解の可能性は少なかったかも。
でも義理がどうだとか、今川を助けるべきだとか最後まで変な事を言ってた甘ちゃんなんでしょ?
大名としての才覚がさほどあったようにも思いづらいんだけど。
330 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 21:03:19 ID:SnTgF4FU
>>329 平和な時代の殿様だったらよかったのにな。
江戸時代だったら名君になれただろ。
つか若いってのもあったんじゃないのか?
331 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 21:10:36 ID:MU/xaei3
>>329 >でも義理がどうだとか、今川を助けるべきだとか最後まで変な事を言ってた甘ちゃんなんでしょ?
本当にそんなこと言っていたかは謎
今川との断交が原因なら信玄はなんで68年まで駿河を攻めなかったのかということになるし
332 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 21:15:27 ID:qVMS6h1L
それで4年間も四方敵に廻したんだから義信で大正解
実際信玄の拡大戦略て場当たりに過ぎるわ
333 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 21:20:59 ID:MU/xaei3
今川攻めることはそれほど問題無いでしょ
問題なのは結果として徳川織田を敵に回したことじゃない?
もっとも65年の織田と武田の同盟が無ければ織田の侵攻はもう少し遅れるから
織田と同盟せず三国同盟堅持ではまた違った展開になっているかもしれないが
334 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 21:27:14 ID:qVMS6h1L
結果じゃないでしょ
諏訪との同盟破って攻め込むために高遠と同盟
その後その高遠とも同盟破り
これの繰り返しなんだから
想定の範囲内
335 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:15:04 ID:h+fY/YRH
徳川や北条を利用して今川を平和裏に抱きこむ事をくらいできたはずなんだよ
信玄がそうしなかったのは時間がなかったから、
そろそろ自分に死期が迫って来た事を予感してたんじゃないだろうか
336 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:24:57 ID:1VtWD1Gv
勝頼を飛ばして、信勝を跡目にすればよかったんでは?
勝頼を後見人みたいな形にしてさ。
歴史群像って本だと、勝頼は信勝が元服するまでの国主みたいなもんだとあったが・・
337 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:25:57 ID:YQgoGEtv
延命だけなら御館の乱で北条の味方してれば甲相駿三国同盟みたくなったかもしれないが
それでも長篠を戦った勝頼が好きだ
人物的には二代目タイプではなく創業者タイプだっただけに信玄の負の遺産も
相まって滅亡といった結果になってしまったんだろう
個人的には長篠版戦国自衛隊を見たいw
338 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:32:36 ID:qVMS6h1L
御館と長篠の順番逆
長篠でボロ負けしてもなお妹を差し出した北条を
わざわざ敵に廻した
339 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:33:57 ID:MU/xaei3
>>336 歴史群像はそこらの漫画レベルもあればちゃんとした考察文もある
文章書いているのが作家だったり史学科の教授だったり
内容にかなり差があるので注意
340 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:37:54 ID:h+fY/YRH
>>338 北条を敵にまわしたのは正しい判断だし
家臣団の総意でもある
341 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:40:34 ID:YQgoGEtv
>>338 順番はわかってるってば・・・
長篠は1575で上杉の跡目争いは謙信の死んだ1578だし
あ、俺の書き方が悪かったのかね
>>336>>339 歴史群像では確かに信勝が正式な跡目で後見人みたいな扱いとあったね
342 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:43:47 ID:SnTgF4FU
諏訪四郎勝頼ですから
343 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:44:26 ID:h+fY/YRH
真実は別として
勝頼が後見人っていう話のほうが定説になってるしね
344 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:49:09 ID:MU/xaei3
>>341 確かにあるね
他にも騎馬軍団とか信玄最強とかいろいろね
墨俣や3段撃ちも真面目に書いていたりするしね
345 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:51:15 ID:1VtWD1Gv
そもそも、駿河を攻めたのって、塩と金の獲得が目的だろ?
それに、北条か徳川が駿河を取ったら、四面楚歌の状態になって滅んだんではないか?
謙信と同盟して氏政とも同盟しなおせばよかったかと。
346 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:53:15 ID:h+fY/YRH
>それに、北条か徳川が駿河を取ったら
武田が今川の旧領を平和裏に接収するチャンスじゃんか
347 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:54:26 ID:1VtWD1Gv
三段打ちってのも、捏造のような気がしますが・・
いぜん、NHKの歴史番組でやってたが、鉄砲を打つ時には、既に馬坊柵の前くらいには、騎馬が来てたっていうのを
やってたよ。 それに、騎馬も三段打ちみたいに波状攻撃すれば、なんとかなったかと。
そもそも設楽原って沼地?みたいなとろじゃなかったけ?足を取られて狙い撃ちみたいなかたちで・・
348 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 23:57:13 ID:SnTgF4FU
>>347 いかがわしいと言われる武功夜話だと3段打ちは佐々成政がどっかの合戦で行った
2段打ちを参考にしたとか何とか言う話もあるね。
349 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 00:15:15 ID:HNHFXxjP
>>345 天竜川沿いに三河侵攻すりゃ今川領侵さず済むぉ
なんちゃって
それはさておき結局武田というのは信玄以来一貫して
周辺国で一番弱い奴を潰して領国化することだけで強くなったわけで
周辺大名の中で一番弱くなった時に滅亡したというのは道理と言えるな
350 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 00:17:51 ID:A64u73yt
>>347 三段撃ちの真偽はともかくとして、鉄砲の集中活用と
「馬防柵」と表現される陣城がミソだね。
単純な柵ではなく、高性能な野戦陣地だったみたいだよ。
地形的には東西に丘陵のある狭い回廊状の地形で、
東の丘に武田、西の丘に織田・徳川連合軍が陣取った。
彼我の距離がとても近く、酒井隊に退路を絶たれた
武田軍は、柵の外にでて鉄砲を射掛けてくる連合軍の
兵を突き放すために次々と兵を繰り出すしかなかったらしい。
圧倒的に不利な地形を見れば、武田勢は決戦を避けるから
いやでも突入せざるをえないよう仕向けた信長の戦略だね。
351 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 00:25:51 ID:2Dmo3Cyk
信長の優先順位としては木曾が裏切らなければ武田より毛利か長宗我部が
先だったんじゃないの?
352 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 00:37:08 ID:Ey0J7XFE
だろうね
武田の滅亡がもう少し遅ければ北陸での侵攻も停滞していた可能性もあるし
木曽は良いタイミングで裏切ったな
おかげで加増されたし
353 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 00:44:19 ID:HNHFXxjP
まあ木曾義昌は裏切るべくして裏切ったんだろうけどな
織田の侵攻は自己責任
東上野相手の美味しい勝ち戦の功績は武田一門譜代で独占
おまけに甲斐国内のみを守備する新府城のために諸役巻き上げられたら
いくら室が信玄の娘でも逃げ出すわな
354 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 01:10:01 ID:XKxqShY/
木曾からすれば「裏切った」と言われるのは心外だろうな
元々信玄の時代に強引に併合されたんだし
355 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 05:43:57 ID:1H5QejEv
馬は臆病だから音には敏感。
狭い地域で一斉に鉄砲を撃てば音だけでもかなり効果があったのでは?
と、云う考えもあるね。
しかも沼地となると騎馬隊は大混乱になってまともに戦える状態じゃなかったんじゃないか?
356 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 08:51:51 ID:zz/jVT+Y
つうか木曽にしろ穴山にしろ小山田にしろ縁組で武田家が一門衆に取り込んだクチ
信玄時代からその縁組相手の諏訪・今川を裏切っている武田家にいつまでも忠心を持つほうがどうかしている
結局、国人層は武田が利益をくれる間は従うが、そうじゃなかったらポイ捨てでしょ
逆に武田家あっての譜代・先方衆は当然必死になる。だから長篠でも奮戦した
357 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 11:36:53 ID:rYIEhtep
というよりも木曾との縁組は
国力差を背景にした暴力的で一方的な縁組だったからな
358 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 11:43:05 ID:zgb0AQSl
勝手な逃走だろうと退路を開くためだろうと、戦陣の中央主力を形成していた親類衆がロクに戦わず転進した事自体が大問題
数時間も織田徳川軍の射撃を受けつつ耐えていた前線部隊の士気が崩壊した典型的な「裏崩れ」
武田家の有力武将の「討死の地」がいずれも算を乱して撤退している最中で、鉄砲で殺されたのは山県ぐらい
組織的撤退ができなかったのが最大の要因
勝手な退却ならともかく、勝頼の指示によるものなら最悪の命令
359 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 12:09:15 ID:HDOqGYjg
裏崩れが起こったのは武田の中備?本陣?後詰?
360 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 15:21:18 ID:+tcwL7nK
ほぼ全域だろう
大日本戦史によると、親類衆は右翼の穴山衆・中央の信廉勢・左翼の信豊勢というように
全体の支えとしてそれぞれに配備されていた
しかし、これらからは全くといっていいほど討死が出ていない
武田信実が討死したのは鳶の巣山奇襲を受けてのことだし、望月信雅は勝頼直轄軍の前備
被害が明記されていない=サボタージュと断定はできないが、大打撃だったことを考えるとやっぱり……
361 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 21:09:03 ID:hn7Tkiu3
>>356 信虎の甲斐統一以前まで不仲ではあっても
穴山は先祖が一緒で小山田や木曽とは違うんだが?
>信玄時代からその縁組相手の諏訪・今川を裏切っている武田家に
>いつまでも忠心を持つほうがどうかしている
少なくとも信玄の祖父の代辺りから武田家の歴史というか隣国との関わりを
調べて見る事をマジお勧め
甲斐国中の弱小土豪にまで落ちぶれて内外から攻められてたんだから
手段も糞も・・・戦国時代に裏切りなんて日常茶飯事な事言われてもw
それに妹の嫁ぎ先だろうが嫁の実家だろうが攻めても当時は当たり前
関東管領が越後に落ち延びて家督を譲ろうが将軍が襲撃され討ち死にしても
誰も文句言わない時代だぞ?今川何某なんぞ滅ぼしても気になるまい。
その点じゃ長篠で奮戦した家臣があれだけ居るのだからまだマシな方だろう
(ただ逃げてる最中に狩られただけかも知れないけどw)
362 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 21:30:01 ID:rFRAvItN
だからこそ武田が場当たり的なんだろ
群雄割拠気分のまま図体だけデカくなった子供
勢力が集約されれば外交戦略も一新すべきなのに
自分の盟約破りは兵法だが
北条が今川に援軍出したり
織田が徳川に援軍出すのは卑怯とかなにそれ
363 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 22:21:07 ID:EkDbZWvT
>>361 先祖が一緒くらいで仲良くしなきゃならん理由も従わなければならん理由もないな。
364 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 22:56:55 ID:XgeSvCB+
365 :
361:2007/02/14(水) 23:06:28 ID:hn7Tkiu3
>>362 >北条が今川に援軍出したり
>織田が徳川に援軍出すのは卑怯とかなにそれ
卑怯とかどこに書いてあるか判らないので
誰へのレスか判らないけど
俺が信玄だったら自分も利のある方へ行くけど
相手もそのつもりで(自分を裏切る事も)おkって覚悟で行動するぜ
場当たりと言うが他にどんなプランがあるのかと・・・。
>>363 確かに穴山は先祖も遠いし甲斐の河内(かわうちって読むらしい)地方で
正確には国中ではないようだから
郡内の小山田と同じ感じだったんだね、スマソ
でもそれだからこそ
え〜、今流行りの「コ○モを産む○械」をやり取りしただけの
間柄(遠い先祖が一緒と言えば一応今川もか?)
を裏切っただけの信玄が度々スレでも非難されるのは判らないと思うんだ。
366 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 23:42:29 ID:JoLIAjRU
>それに妹の嫁ぎ先だろうが嫁の実家だろうが攻めても当時は当たり前
なら何の為に当時の人間達は婚姻関係結んだんだ?
>関東管領が越後に落ち延びて家督を譲ろうが将軍が襲撃され討ち死にしても
>誰も文句言わない時代だぞ?
幕府として機能してないからだろ。
人の情に拠る人質としての意味合いの婚姻関係と、幕府権威の無視は全く関係ない。
あと
>え〜、今流行りの「コ○モを産む○械」
こういう無意味に気持ち悪いことするのやめたほうが良いよ。
面白くもないし。
367 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 23:48:41 ID:KRkz48A6
ちんぽほしいのぅ・・・
368 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 23:51:48 ID:RCwtCi+b
>>361 >甲斐国中の弱小土豪にまで落ちぶれて
それ以前に、祖先が甲斐に流配にされて
しばらくして許されて流刑の地に残ったのが甲斐武田家の発祥
だから甲斐武田家っていうのは元々甲斐の土豪レベルの家なんだよ
369 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 00:07:00 ID:PdjBNWEe
んなこたーない
370 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 00:15:36 ID:8cIOqVKD
いや、本当にちんぽ欲しいんですよ・・・
371 :
361:2007/02/15(木) 00:19:33 ID:hHwuIwDZ
勝頼スレなのに話をそらし続けてスマン
寝るのでこれで最後、後はヌルーしてくだされ
>>366 幕府として機能が無ければ幕府権威を無視して良いと言うが
「人の情に因るならば」幕府が機能せず権威が失墜していても
忠義を尽くすだろう、それをしないのは利益がないからでしょ?
>何の為に当時の人間達は婚姻関係結んだんだ?
当時の主流が恋愛結婚なんて言う訳ないよね?
婚姻関係については当時は「利益」を得る為に結ぶものでしょう
だから自家に利益が無ければ縁故を断ち切っても良いだろう?
>>368 大元は流刑の土豪だが後には一応にも甲斐国守護にはなっているし
甲斐以外の守護も兼任していた羽振りの良い時期もある
372 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 01:16:22 ID:PdjBNWEe
甲斐源氏の嫡流が土豪扱いかよ
ひでーな
373 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 01:29:13 ID:bQm+REY4
同盟という「約束・契約」を一方的に破棄すれば戦国時代でも批難される。そこまでいかなくとも
同盟や縁組は友好関係を築くために行われるのだから、縁者を攻撃していれば信用は無くす。
信用を無くせば外交にも齟齬をきたす。それは政治戦略に悪影響をもたらす。
で、もう一つの幕府やら関東管領の話だが、この時代の主従関係は基本的に双務的契約だった
ことをお忘れなく。主君が主君としての務めを果せなければ、臣は従う理由はない。
374 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 02:15:05 ID:CEpid+wD
河内源氏三代目源義家(八幡太郎義家)の弟の源義光(新羅三郎義光)の子源義清(武田冠者義清)が
常陸国勝田郡武田郷(現:茨城県ひたちなか市)に土着して武田氏となるが、
のちに周辺の豪族たちと衝突し、裁定の結果常陸より追放され、甲斐に土着。
375 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 02:25:01 ID:jBIg4OqS
竜造寺隆信とか宇喜多直家とか違反の常習犯だな
彼らを見れば分かるがいくら利益といってもやりすぎて信用を失うことは
利益を失うことにも繋がるな
376 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 21:43:59 ID:CccHk940
当時数多くの大名が清和源氏の末裔を自称していた事を考えれば、由緒ある名門だろうが何だろうが実力がないとなぁと思う。
で本題。勝頼はまぁ愚将では無かったんだろうけど、どっちかというと主従の従であったほうが実力を発揮出来たんじゃないかな。
「主君」ではなく、「一軍の将」のほうが勝頼には向いていたと思う。
実際、当時の織田家に抗し得る事はたとえ勝頼が優秀な主君であっても難しかったと思う。
畿内をほぼ完全に掌握し、対上杉戦線は越中まで、対毛利戦線は安芸まで迫り、徳川を含めれば東海をも制している。
10万単位の軍団を動員出来る織田に対して武田の国力では対抗しようがない。
377 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 00:51:38 ID:2nSWbjqN
>10万単位の軍団を動員出来る織田に対して武田の国力では対抗しようがない。
だから信玄の時代には徒党を組んで包囲して叩こうっていう作戦だったわけだが
それが可能だった信玄の時代に信玄が死んでしまって包囲網が崩れたんだから
武田が滅亡した原因のほぼ100%が信玄の責任
378 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 05:46:48 ID:Qxd6eHbm
信玄が最後の出陣をした時にはもう包囲網は崩れかけたしなあ
包囲網に参加していた大名も自国内で争ったり疲弊してたりで
織田と積極的に争うというかんじでもなかったし
信玄がもう2,3年早く駿河をとってれば状況は変わったかもしれんが。
やっぱり信玄が死んだ時点で織田と和睦するのが一番だったんじゃないかな。
家中がうまくまとまるかが疑問だけど。
379 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 08:54:32 ID:7NOnz0rL
結局、信玄が今川を裏切った時の嫡子重臣粛清と
作戦中の盟約破りで徳川をその場で敵に回したこと
この二つが重い負債として勝頼どころか自分の晩年の無念の原因になったわけだな
「あくまでも武田と徳川の喧嘩です」ってことで信長にはギリギリまで手を出さなければよかったのに
380 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 11:27:30 ID:MV4B29FQ
急場しのぎの猫の目外交で都合次第ですぐに反故にする信長を相手に、
武田が和睦したとして、その後の展望はどうなるんだろう
武田家が目まぐるしく変化する信長の外交に柔軟に対応できるとも思えないし、
その間にも格差は拡大するだろうし、ある日を境に唐突に領土の割譲を強要
されて、従わなければ攻められるなんてことにもならない?
武田の領土って、信玄が死んだ時点で拡張しようにも殆ど頭打ちでしょ?
381 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 11:37:19 ID:EidaDHtH
猫の目外交はお互い様じゃないか
信長のほうが家康との同盟守りつづけてただけまだマシ
そもそも対上杉で苦戦して信濃攻略の完遂も上野進出も頓挫したから同盟破って今川攻撃しましょって時点で終わってるよ
382 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 12:04:37 ID:daHpjZ0E
上杉謙信が一番悪い
武田家を滅ぼしたのは謙信
383 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 12:19:45 ID:pcMa05pp
それは責任転嫁も甚だしい
384 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 13:25:58 ID:wh+yS7vW
具体的に謙信が一番悪いのか教えてくれ。
まさか川中島合戦で武田の邪魔したからとは言わないよな?
385 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 14:28:04 ID:dA1j6PNe
上洛途中で脳溢血で死んだからだな
386 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 14:31:35 ID:YySzBkZp
損得勘定なしにしつこく合戦を挑んでくるストーカー行為
信繁を殺害
義信を間接的に殺害
信長に乞われて上洛戦の邪魔
御舘の乱
ざっと考えただけでもこれだけあった
脳卒中でもっと早く逝けばよかったのに
387 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 17:44:57 ID:47x22W1h
謙信がもし近江あたりにいたら信長も上洛できず
武田ももう少し勢力を伸ばせていただろうに
388 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 18:07:05 ID:5p1FqFqx
もし謙信が近江にいたら自分の力を勘違いして三好にやられるか朝倉にやられるか斎藤にやられるか・・
あんまり変わりなかっただろう そして長尾家が朝倉家であったとしても信玄の勢力は変わらなかっただろう
389 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 20:57:08 ID:EDazHrKu
>>386 凄まじくひどい言いがかりだな。
領土拡大や遠交近攻の観点から見て、
村上と戦う時に背後に手を回さなかった信玄の失策以外の何ものでもないが。
上杉方は長野盆地を失陥したら本拠地が危うくなるんだから出兵せざるをえない立場だろ。
390 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 21:07:40 ID:RwQWpx23
検診が震源に同調するとは思えない
391 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 21:27:37 ID:04HfiPhI
結果論だな。
周囲への根回しに失敗したならともかく
してもいなかったという話だと、ただのアホだ。
392 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 21:37:28 ID:2k9o0bt3
393 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 03:04:38 ID:LV6b23LH
村上を逃がさず殺せてれば武田の歴史は大きく変わったな
394 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 04:25:30 ID:XXHnk6ih
武田に領地奪われたから取り返してくれって謙信のとこに駆け込んだのは村上だけじゃないし、川中島を始めとする上杉との敵対は避けられなかったと思うぞ。
上杉と敵対避けるなら、攻める前から根回ししてないと無理だろ。
395 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 09:53:52 ID:7YnPPiHj
佐久あたりを落とした段階で打診してれば
協力しないまでも不干渉くらいは引き出せたと思われ。>長尾
そもそもその時期、長尾と村上は決して仲が良かったわけではない。
(信州の豪族で長尾と関係が良かったのは高梨くらいだ。)
降伏させることもできず、といって皆殺しにもできず、
全部まとめて長尾方に追いやってしまったのなら、政治的には大失敗だろ。
396 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 11:59:29 ID:gCDfP4rN
上杉と織田と隣接していたのが運の尽き
その前は今川と北条が脅威だったし周りが豊かな強敵ぞろいだもんな
397 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 12:12:02 ID:3ejkOqFu
それとことごとく敵対したのはどこの甲斐の虎でしたっけ。
398 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 12:15:11 ID:lS9zlgCm
隣接したのは双方が拡張した結果だからなぁ
三国同盟の時点で桶狭間以後を予想できたとしたら、それは人間ではないよ
399 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 13:34:33 ID:WamxH6Qo
家康は三方が原で致命的な大打撃で滅亡寸前だったのにほとんど裏切り者が出ずに踏み止まったのに
同様に勝頼も長篠で一回負けただけで裏切り者続出であっけなく滅亡だもんな
この異常な差は結局のところ何だったんだろうね?
400 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 14:05:12 ID:XXHnk6ih
当主の器とかいうまた微妙なものを排除すれば
徳川=織田の後ろ盾あり
武田=周り敵だらけ
この差じゃないか?
401 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 14:24:46 ID:ofmvwR2L
本国からの距離が甲斐から三河遠江、木曽ではやっぱり遠いよ。
加えて配下領国が豪族の武田と、直轄に近い織田ではフットワークが違いすぎる。
いざって時に来てくれるかどうかってけっこー大事。
402 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 14:48:10 ID:z1becoTs
>家康は三方が原で致命的な大打撃で滅亡寸前だったのにほとんど
そんなウソつかんでもw
403 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 17:11:28 ID:s6J0BIkJ
404 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 20:35:42 ID:6hwnWpNw
あのまま上洛目指してたらどうなるかは意見が分かれるけど
あの後浜松城を落とされたら徳川あぼんなのは確実だろ
405 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 21:14:03 ID:hMWk8Utj
三方が原の徳川は甚大な被害は受けたものの壊滅的というほどではないし
直後には織田に大量の軍資金を与えられてすぐに立て直してる
406 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 22:33:48 ID:5GWFRunc
メガトン級大爆笑!!!!アハハハハハハハハハハハ!!
お前ら本当にお気楽な連中なんだねえ、当時の信長がどうして家康
に対して援軍を出し惜しみしていたかちゃんと理解してるの?
一向一揆、浅井朝倉畿内の連中など、四方に対する備えが必要な時
武田軍と全力で戦えたと本気で思ってるんじゃないだろうなあ?
信玄があのまま存命だったなら、三河と遠江の上半分を完全に領土
化された家康はほぼ間違いなく武田に鞍替えしてたと思うね、その
上最初に信玄が攻略するのは尾張=すなわち信長の経済力がある程
度損なわれるというわけなんだよ、尾張の当時の経済力は知ってる
よねえ、さあそれからだ!信長は指を加えて見ていられるか?
農繁期で一旦、甲斐に引き上げるとしても、領土化した部分は配下
の武将を(優秀揃いの)備えにしておけばいいしね、何より信長で
は信玄には勝てないだろやっぱ、百戦錬磨の信玄にはね。
407 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 23:17:07 ID:O52cdaT9
ごめん尾張に経済力なんてあるの?
生産力ならありそうだけど
まあ甲斐信濃よりは断然上だろうけど
あと、甲斐信濃から尾張に兵を動かすのにどれ位期間が掛かる?
美濃近江からだと何日かかる?
もしかして落とした城から即刻税を取れると思ってるの?
明日から尾張一国我が領土ってゲーム脳丸出し
408 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 23:18:01 ID:Lvdfl/8V
>>406 メガトンよ、頼むからコテつけてくれ
さもないと、NGで消せない
ああ、別のスレでID確認してるからしらばくれても無駄だぞ
409 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 23:28:15 ID:3ejkOqFu
>>407尾張に経済力あるの、ねぇ・・・・謙信や信玄厨の言い分として「尾張なんていう有数の経済地を領地にしてた信長に比べて初期の状況が悪い」ってのはお決まりなんだよね。
410 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 23:43:05 ID:tAFgh9Ch
尾張の経済力は全国で見てもかなり上位だったとは思うよ
でももっと栄えてた国もあるわけでね
上国に生を受ければ天下取れるってんなら簡単な話だよな
411 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 00:44:54 ID:dvnGAJxb
織田と今川の国力なんて、実はそんなに大きな差は
なかったって話もあるな。
412 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 00:48:38 ID:Cg8OydVg
慶長の石高だけで見れば
尾張:駿遠三=2:3ぐらいなんだけどね
国内の掌握度合いの問題と、
今川が尾張南部に手を伸ばしているので、
もう少し国力差はあったとおもう
413 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 01:56:35 ID:G6A9qfSQ
>>386 こういうアホがいるから武田信者は恩知らずと未だに言われ続けてるんだよ。
恥ずかしいからそういった見解はやめれ。
・ストーカー行為→信玄が奥信濃に拘らなければ謙信も出てこない。
・信繁を殺害→信濃の完全支配に拘った信玄の自業自得の部分がある
・義信殺害→武田家の問題だ。例え調略の手が入っていたとしても最後の判断は信玄が決める事。
・上洛の邪魔→信玄に脅かされながらも謙信は二度も上洛している。上洛出来なかったのは信玄の天運というしかない。
・御館の乱→景勝と講和を結ぶのを選んだのは勝頼だ。嫌なら断れたはずだ。
武田を持ち上げたいからといって責任を全て周りに押し付けるのは恥ずかしいを通り越して情けない。
謙信というか上杉には武田が滅んだ後に信玄の子やたくさんの家臣が身を寄せたんだぞ。
むしろ感謝すべきもんだ。
武田が滅んだのは天運なんだよ。もちろん信長があの様な亡くなり方をしたのもな。
414 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 02:38:44 ID:oerZ0YYT
>>409 信長の初期は10万石弱で回りが自分以上の
敵だらけだし織田家自体が負けつづけて下り坂。
甲斐一国引き継げた信玄より状況はわるいと思われ。
信玄が謙信と争いつづけるはめになったのは
やっぱり佐久を攻める時の根回しがないせいじゃまいか。
謙信にしてみりゃ佐久は春日山のすぐ近くだし
そこに敵勢力があったら安全を確保するのは難しい。
415 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 02:54:25 ID:vl7DLho6
そうだよ信長は終わり1国もってたわけじゃなかったし…桶狭間は凄い偉業だよ。
416 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 03:08:40 ID:ftYuDewr
土地が良ければそれだけ争いも激化するのは必然だしな
417 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 03:49:01 ID:PCqi09cj
というか、尾張が経済地として発展するのは、信長が支配して以降のほうが大きいんじゃないのか?
418 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 05:14:29 ID:fx+80WwG
つ信秀
419 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 07:17:19 ID:FAOFyUct
信秀もそうだが信定の代にも遡れるな。
結局、織田の庶家に過ぎず権力をさほど持てなかった関係上
新しい実力基盤が必要だったから、経済振興に力を入れていたんだよ。
つまり、信長の家の伝統だという事だ。
それに、濃尾平野は当時からかなり肥沃な土地だったようだ。
肥沃な土地で農業生産が高いからこそ、商業も発展する。
善光寺のような特別なものでも無い限り、甲斐や信濃ではそうそう経済発展は見込めないだろうな。
420 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 11:03:18 ID:hXqSyW2n
>>414 おまいは信濃国の地形について、重大な勘違いをしている。
論旨そのものは間違ってない。
421 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 11:53:19 ID:41Ymsxg7
>>413 アホはてめえだよ
謙信の存在自体が御館の乱の原因までを含めて邪魔だったのは明らかだろ
滅亡後に助けられたとか婚姻関係を結んだ景勝の時代じゃねえか
謙信はまぎれも無く武田家にとっては疫病神
こいつを避けてたら北信濃も上野も攻められないし困った奴だよ
422 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 12:01:25 ID:PCqi09cj
>>421 疫病神にしたのは、他でもない武田自身だろ?
自国の越後に近い土地を攻めてる武田に危機感・敵対心を持つのは当然。
根回ししなかった信玄のミスでFA。
423 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 12:11:00 ID:4YiKAddD
そもそも信濃侵攻で、あっちこっちに兵小出しして大負けするたびに支配が後退、という効率悪い戦略を選んだのは他ならぬ武田家だしな
信虎末期の外交を継承して戦略正面を一方に絞ったはいいが、より小さいレベルで多方面作戦やってりゃ世話無い
424 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 13:46:19 ID:44CiyCMP
425 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 14:03:58 ID:mlBFaaGM
というか障害を如何に乗り越えるかが当主の器量であるからして
原因を武田自身以外に求めるのは端からお門違いだろ…
結局それを乗り越えられなかったお前が悪いで帰結する
426 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 14:45:52 ID:o4dcykgf
勝頼は愚将ではないと思うなぁ。
信玄はあのタイミングで信長を潰しておかないと、武田が滅ぼされる
ことをわかってたから上洛軍おこしたんでしょ?
信玄が死んで、上洛断念した時点で武田が滅びるのは決定的だった
と思う。勝頼はよく信玄死後9年間も滅亡を遅らせたと思うよ。
427 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 15:41:01 ID:l4RQQH3E
東北地方か九州の当主だったらきっと大活躍して幕末まで残った
可能性が高いのに惜しいね
428 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 20:40:49 ID:twNjDH31
バ勝頼じゃ伊達か最上にやられておしめぇよw
429 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 22:27:43 ID:2a4A8LDN
430 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 01:00:05 ID:5073ZYAC
伊達や最上と比べたら勝頼は確実に上だよなw
431 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 01:15:02 ID:xfvJm5qS
政宗のうんこなんか勝頼公の足元にも及ばん
鼻くそ以下
432 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 01:43:10 ID://xrHLIl
伊達よりは確実に上だが、最上義光を馬鹿にするな。
433 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 10:00:24 ID:ISFkWZ8m
最上義光は運が悪かった。
本来なら伊達家潰せたのに・・・・
57万石もお家騒動(江戸期)で失っちゃうし・・・・
434 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 11:15:30 ID:ITz9epyj
もし武田家が生き残っていて豊臣か徳川が政権を握ったとして
石高は毛利の次ぐらいかな?
435 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 12:42:03 ID:UCpciQSI
>>433 失っても最上の血筋は生き残ってるから問題なし
要は血筋を残すのが寛容
436 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 15:00:40 ID:/OxU02he
437 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 17:19:02 ID:cQnV+/tx
まぁ状況にもよるが、上杉のほうが上にくると思うがな
あの時点でもう落ち目だった武田に、そこまで配慮はないだろ
438 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 17:38:37 ID:eUt9Fqx7
勝頼の墓から大量の経石
http://www.nhk.or.jp/kofu/lnews/04.html 武田氏最後の当主勝頼が亡くなっておよそ200年後に建てられた山梨県甲州市の墓から(こうしお経が書かれた石「経石」がおよそ5300個と大量に見つかり、研究者は「滅亡後も武田氏を慕う地域の住民の思いが大きく根付いていた表れ」と注目しています。
「経石」が見つかったのは甲州市の景徳院にある山梨県指定文化財の武田勝頼の墓で、この墓は信玄の4男の勝頼が織田・徳川の連合軍に敗れて自害し、武田氏が滅亡してからおよそ200年後の1775年に建てられました。
墓が崩れる恐れが出てきたため甲州市教育委員会が去年12月から調査していたところ、墓の土台の石組みの中から「経石」およそ5300個が見つかりました。
「経石」は大半が直径10センチから15センチの大きさで、供養のため墨でお経が書かれているほか、長さ25センチの平らな石には勝頼や正妻の北条夫人らの戒名が書かれています。
武田氏の歴史に詳しい帝京大学山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「信玄も含めて武田氏の墓の実態は解明されていなかった。
今回の発見で滅亡後200年経っても武田氏を慕う地域の住民の思いが大きかったことを表している」と話しています。
甲州市教育委員会は「経石」の文章の分析を進め、さらにくわしく調べることにしています。
439 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 18:09:18 ID:KghMlLoh
確かに武将としては愚将ではないけど、おふうの方や鳥居強右衛門を惨殺したのが
よくない。たしかに人質は人質を取った側の思惑が果たせなければ殺されても仕方
がない運命だが、もう用済みならわざわざ殺したりせず放ってやればよかろう。
鳥居は自分の命も顧みず、味方に信長の来援を告げたのだ。鳥居は命を捨てたのだ。
もし勝頼が武勇を貴ぶ大将ならば、そんな鳥居の勇気に舌を巻き、自分をたばかった
罪は許しがたいが、敵に与せず、味方を励ました鳥居の覚悟はその怒りを超越して
称賛にかわったはずだ。
ただでさえ人質は万が一のときは殺されるものと覚悟してきているわけだから、それを
殺さず開放してやったらどれほどの感慨を持つであろう。おそらく勝頼は敵からも味方からも
花も実もある大将よと絶賛されたであろう。
いかに人の命の安い戦国といえども、いやそんな時代だからこそ、命を大事に思う心に
人々は頭を垂れるものだ。
果たして、おふうを殺して、鳥居を殺して勝頼の株が上がったか。
因果応報。無益な殺戮はやがて自分の境遇に跳ね返って来るのだ。
勝頼の、城を追われ女子供を道連れにした惨めな最期を見ればそれは明らかだ。
天道おそるべしじゃ。
440 :
仙台藩百姓:2007/02/19(月) 18:23:20 ID:LqqlFlpa
勝頼って首になった後
信長に「ばーかばーかザマーミロ」って感じに棒で突つかれて
最後には蹴り飛ばされたんでしょ?
憐れなり(-_-;)
441 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 18:53:01 ID:mACJkTRD
最近勝頼に興味を持ったんですが、長篠の合戦において敵に「陣地構築」の猶予を
与えなければ勝てたと思うのですが、どうでしょう?
442 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:10:00 ID:1FQmLZcI
>>439 そんなの戦国の世ではザラだし
信長みたいな外道行為は行ってないよ
それが天道だとすれば織田一族はすべて根絶やしになってなきゃつりあわない
443 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:14:03 ID:qTN8KbaQ
>>441 38000VS15000で勝てるって勝頼どんだけ強いんですか
444 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:17:03 ID:ny25vxfw
武田勝頼が死なせた武将達
秋山信友、秋山光継、朝比奈信直、安倍勝宝、安部宗貞、跡部勝資、安中景繁、甘利信康、
雨宮家次、飯尾助友、依田信守、依田春賢、一条信竜、一条信就、今福昌和、今福丹後守、海野信親、
大熊友秀、大嶋長利、小原忠継、小原 広勝、小原下総守、小幡昌盛、小幡憲重、小山田昌行、小山田信茂、
小山田大学、鎌原之綱、金丸定光、川窪信実、葛山信貞、笠井満秀、小宮山友晴、高坂昌澄、高坂昌元、
五味高重、座光寺貞房、三枝守友、真田信綱、真田昌輝、諏方頼豊、常田春清、武田信堯、
武田信友、武田信綱、武田信勝、武田信実、武田信貞、武田竜宝、武田信豊、長坂光堅、土屋昌恒、土屋昌続、
内藤昌豊、内藤昌秀、名和宗安、馬場信春、馬場少輔、原昌胤、日向是吉、室賀信俊、望月義勝、
望月重氏、望月信永、望月信雅、横田綱松、横田康景、米倉重継、湯本善太夫、湯本九右衛門、祢津是広、
名和宗安、仁科盛信、山県昌景、山県昌満、和田業繁、
具将としか思えんがなぁ
445 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:18:36 ID:qTN8KbaQ
>>444 まぁ長篠の戦い自体が信長渾身の戦だからな
勝頼が悪いというよりそういう状況に追い込んだ信玄が悪い
446 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:29:13 ID:mACJkTRD
でも数だけで決まるなら、信長側が積極的に攻めていればすむような気がします。
例え倍の兵力でも単なる野戦なら武田が勝っていたのでは?
447 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:34:46 ID:FK9Dbx68
信長からしてみればとりあえず守りさえすりゃいい防衛戦
そりゃリスクは犯さないでしょう
448 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:47:06 ID:UCpciQSI
>>444 おいおい・・・「死なせた」というより、「勝頼を死なせた」奴が何人かいるぞ
449 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:50:15 ID:a/9gPuJo
>>444 さんざん否定された物をなぜ今さらまたコピペする?
恥ずかしくないのか?頭大丈夫か?
450 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:54:25 ID:a/9gPuJo
>>447 わざわざ信長本人がほぼ全軍に近い状態で主力を引き連れて出陣してるのに
守りの戦なんかするわけないだろ
武田を潰しに行った、
というか「武田叩き祭り」を開催しに行ったんだよ、頭大丈夫か?
451 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 19:56:45 ID:a/9gPuJo
>>446 織田が圧勝したのは撤退する武田軍との追尾戦だったから
織田軍は積極的に攻めてるよ
452 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 20:13:50 ID:y2JvHpdy
長篠MVPの酒井のおっさん格好良い結婚してーってことか
453 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 20:39:43 ID:aw0YxCjV
>>444 望月義勝、小幡昌盛は病気っすよ
室賀は家康に召し抱えられてるべ
454 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 20:48:15 ID:Z+nrwuYy
そういうのは、勝頼が苦労をかけたから〜
という意味不明な理屈をこねるに十万石。
455 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 21:04:33 ID:JbDPYMBu
今どき勝頼を愚将扱いしてる奴って信長の野望やり過ぎのイタい信長厨だけだろ
456 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 21:06:28 ID:eV2UliIE
457 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 22:21:24 ID:Z1PRoR2P
もし義信が信玄の後を継いでいたら武田は滅びなかっただろう
勝頼では信長の器量の足元にも及ばなず、村上義清クラスの猛将に過ぎない
内政に専念して国力を蓄え、家臣団の結束を固めて領地を守るべきだった
甲斐、信濃、駿河、飛騨、西上野を領する大大名として存続できた可能性が高い
上手くすれば秀吉と結んで徳川を滅ぼし、毛利に次ぐ大名家になれたかもしれない
つまり勝頼は義信に劣り、武田家を滅ぼした愚将
458 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 22:42:31 ID:Z+nrwuYy
あれ、廃嫡しちゃった人の責任は無視ですか?
459 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 23:01:38 ID:ZZ7bUxyN
ttp://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070219-159094.html 「武田勝頼の墓」から多数の経石
山梨県甲州市教育委員会は19日、同市の寺院・景徳院にある県指定史跡「武田勝頼の墓」から、
墨で経文が書かれた経石が約5400個見つかったと発表した。墓から経石が発見されるのは全国的にも珍しいという。
景徳院は、勝頼が自害した地に、徳川家康が武田家の旧家臣に命じて建立させたと伝わっている。
現存する墓は勝頼の死から約200年後の1775年に建てられた。同じ場所に正室の北条夫人と嫡男・信勝の墓もある。
帝京大山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「武田家にまつわる逸話が多くつくられるなど、
江戸時代には武田ブームが度々起こった。供養に大量の経石が使われたのはそうした時代背景も関係あるのでは」と話した。
甲州市教委によると、土台の石組みがゆがんで石塔が傾くなどしたため、昨年11月から墓の保存修理工事を開始。
翌12月、土台内から大量の経石が見つかった。大きさは数センチから数十センチとさまざまで
勝頼、北条夫人、信勝の戒名が書かれた約25センチ四方の平らな石も見つかった。
市教委は経石に書かれた文字をさらに詳しく調査するとしている。
[2007年2月19日20時40分]
460 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 23:14:29 ID:YyiuHQyU
川中島で信繁が死んだのが痛かったな。
あれがなければ、滅亡が遅れてたかもな。 信濃をある程度平定したら、美濃を攻めればよかったんじゃね?
謙信と同盟できるように、根回ししてれば・・
今川に援軍を頼むこともできただろうに。 まぁ一度塩止めされてるから、その影響が結構大きかったんでは?
ところで、信玄が駿河を攻める前ってすでに、信濃と甲斐の金山って枯渇してたの?
461 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 23:32:07 ID:JbDPYMBu
義信に嫡男が居れば良かったのにな
その子を補佐して信繁が渦中をまとめられれば理想的だったのに
462 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 23:42:13 ID:aw0YxCjV
上野なんたらの研究によれば子は何人かいたらしいぞ
463 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 23:51:36 ID:cQnV+/tx
愚将ではないが、良将でもない。凡将といったところだろう。
高天神を始めとして度重なる外征で一時的に支配領域は広がったが、領国が疲弊したのも事実。
誰かの配下であったなら、猛将と評価される事はあったかもしれないが、当主としての器ではなかった。
464 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 00:09:43 ID:8eSP3oqC
>>458 勝頼が素直に遺言を守って国内をまとめることに専念しておけばよかっただけなのに
義信が廃嫡されなければ徳川が今川を吸収して有力大名に成長しただろうね
465 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 02:23:36 ID:flTdjE4g
とっくにばれてるのに遺言守るもクソもあるかよ。
他には瀬田に旗を立てよだったか?
466 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 08:26:31 ID:Ha8kScsD
つうか重税での領民逃亡は信玄生存中(しかも信濃攻略途上)から(妙法寺記)
国内纏めるもなにも、武田家の財政自体がもう戦争で養う状態
それ修正しようと商人呼んだら批判されるのが甲州武士の後進性(っつってもこの部分は軍鑑だから当時本当にそうだったのかは不明だが)
謙信並に統治に嫌気がさして逃げ出しても不思議じゃない
467 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 08:32:14 ID:WHX4JCoX
【心の】旦那には絶対言えない過去4【奥に】既婚女性板
http://human6.2ch.net/test/read.cgi/ms/1168957905/ 7 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/18(木) 03:03:54 ID:iE8GVdnP
援交10回、中絶2回、デリヘル、ソープ1年、整形2か所
12 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/19(金) 22:43:01 ID:s7dkuHKN0
高校生の頃から喫煙。不倫経験あり。
旦那は私にとって7人目の彼氏。(旦那には3人目と嘘ついた)
酒に酔った勢いでワンナイトラブの経験あり。
25 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/26(金) 04:08:25 ID:IfNo5kNWO
中絶4回、イメクラ一年、二重整形、大学中退、性病2回、同棲3回。
45 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2007/02/04(日) 14:24:40 ID:PBhJa6V+0
自分の預金が旦那の年収の7倍くらいあること。
学生のとき、ちょっとした事業起こして大成功w そのことも話してない。
47 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/04(日) 17:16:59 ID:CaAW9Ko50
うーん。堕胎。母子手帳に記載しないといけないから…そこは糊で貼付けた。
義母にはバレているだろう。でも回数が…1回多いとは…永遠の秘密。
92 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/09(金) 23:46:04 ID:QRXcETQYO
セクキャバでバイト経験あり。援交しまくり時代もあり。ヤッた数は100人くらい。
私バツイチで今の旦那には元夫の浮気が原因で離婚したの。とか言ったけどほんとは逆。
好きな人できて夫捨ててのりかえた。浮気しまくりだった。
すごくいい夫だったのにすごく最低な事したって思う。
106 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/18(日) 09:56:13 ID:wIf/65Md0
半年前、万引きして捕まった事。嘘泣きして逃がしてもらった(^^v
468 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 08:32:37 ID:xyGDJP3V
わかった。
勝頼は逃げ出せばよかったんだ!
そしたら死なずにすんで江戸時代に高家になれた。
469 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 15:37:28 ID:tWFnxIpd
逃げたら落ち武者ガリガリされたと思う(´・ω・`)
470 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 16:50:23 ID:7LQyTB+v
471 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 17:19:09 ID:iLjacooE
逃げるのは簡単
常人なら逃げ出したくなるような絶望的な状況を最後まで
武田家を立て直そうと精一杯頑張った勝頼は名将
氏真や信雄はクソ
472 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 17:39:09 ID:lXRaeP+T
逃げるんでも徹底的に逃げ切った氏真は、あれはあれで見事なもんだ。
仇敵の懐に何度も入って、それでも生き延びたんだからたいしたもんだよ。
天目山合戦って、要するに「落ち武者狩りから逃げ切れなくてヤケクソの抵抗」ってのが本当のとこだろ?
473 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 18:04:16 ID:Q1swd44G
信長が勝頼親子の首実験をした時、信長が罵倒して、その後に家康が礼儀を正して、
若気の至り手でこのようになられてしまった、と言ったというのは、家康の仁心をたたえるために
江戸時代に作られた話との事。
本当は、実際に甲州征伐に出陣した、徳川家の批判さえ躊躇しなかった大久保彦左衛門が、
三河物語で書いた、その時の信長の言葉というのが最も信用できると、ある書物にあった。
「日本にかくれなき弓取なれど、運が尽きさせ給いて、かくはならせ給うものかな」
これが本当ならば、信長も勝頼を天下に名だたる武将と認めていたことが分かる。
義弟のシャレコウベにウルシを塗って酒盃にするような狂人でも、勝頼には
一目置いていたということだ。
474 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 18:12:19 ID:eTyBuVRP
>>473 基本的に同意だけど、最後の「酒盃にした」は戦後におそらくは小説から出てきた、
ソースのないつくり話だぞ。
475 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 18:20:49 ID:Xr6RyoFI
永遠に武田に嫉妬する引きこもりのアンチ武田厨(=今川厨)
・世間で大人気の最強武田信玄、最強武田家臣団、最強騎馬軍団
という華々しさに嫉妬し、ひたすら今川のしょぼさを後ろめたさ
に感じながら、武田を叩きたがる毎日。
・「史料を提示しろ!」この言葉を全面に押し出せば、武田ファン
は黙るとでも思ってるんだろうが、自らが史料をろくに調べもせず
ひたすら妄想だけで、武田の史実を捻じ曲げたがる程愚かな性格。
・基本的に今川を持ち出して武田にかなわないとなると、織田や北
条など他の大名を持ち出して武田叩きを開始、武田より優れている
証拠を理屈で何一つ提示出来ないアホぶりww
・武田の領土(甲斐信濃)の特性に合った戦略戦術軍の編成が他の
大名に出来るわけは無いのだが、それすらも強引に「他大名にも出
来たことだ!」などと嘘吹く程愚かな性格。
・大名によって軍略や政略外交なんてのはやり方に差があって当た
り前なのを、一々他大名を持ち出して屁理屈を言いながら信玄を叩
く毎日。
・戦略上の小さな合戦を、さも大々的に「武田の負けだ!」と必死
になる始末、例を上げれば武田と北条が駿河で対峙した時、武田は
状況の悪化から一端兵を引いたが、その時点で武田の負けと彼らは
言う、その後の三増峠などの合戦で結局武田が北条を抑えて駿河平
定を完成させた戦略上の成功を全く無視する始末www
476 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 18:21:30 ID:Xr6RyoFI
永遠に武田に嫉妬する引きこもりのアンチ武田厨(=今川厨)その2
・「史料を提示しろ!」とか自ら指摘しておきながら、結局提示して
やってもろくに読みもせず、ひたすら単細胞な脳みそで屁理屈と妄想
のみをぐだぐだと喚く程愚かな性格、おまけに「直接リンクするな」
だって 爆笑) もうここまで性格歪んでれば永遠に社会で生きてい
けないね。
・信玄が騎馬を活用した証明になる資料なんていくらでもあるのは事
実なものを、ひたすら全否定したがる程「武田には無いもの」と決め
かかる性格は幼稚園児そのものだ。
・あげくには、甲斐特産の馬のことまで否定する始末、傾斜を自在に
走れる筋力耐久力を兼ね備えてるのは甲斐の馬だけなのは事実なのに
それすらも否定する姿は哀れになってくる。
・仮に全国で甲斐の馬のようなのがあったとしても、信玄程軍略に活
用した人物はいない以上、武田の騎馬軍団のみがナンバー1であり、
オンリー1であったのは間違いないのに、アンチときたら「そんなの
信玄以外でも出来たことだ」と言う始末、基本的に誰でも出来るなど
という感覚してるアンチは見るに堪えないというか爆笑ものだこりゃ
477 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 18:22:23 ID:Xr6RyoFI
永遠に武田に嫉妬する引きこもりのアンチ武田厨(=今川厨)その3
「最強=武田の代名詞」この2文字は言うまでもないが根拠が十分に
ある、まあ単細胞人格破綻のアンチに今一度教えてやると
・諏訪 村上 小笠原 など強力なライバルは多かったが、結局それ
らの敵に打ち勝って信濃平定したのは武田である、そもそも信濃だけ
で70万石もあるほど版図が広い為一概に「時間がかかりすぎ」とも
言えないのである。
・信玄生前までは、甲斐と信濃が他国に侵されたことは無い、これは
有力大名の中で、信長家康謙信氏康義元などには出来なかったこと。
・東海攻略における、北条撃退 今川攻め 織田徳川撃退などがまさ
しく武田信玄とその軍団が最強と言われる所以であったと思う。
結局信玄の信濃攻略以降の列強は、武田軍に勝つことが一度も出来な
かったと言える。
・アンチからすれば「東海攻略に4年もかかって駿河しかまともに
平定していない」と言い訳するが、北条や上杉などのけん制があった
ことなどもう忘れているわけである、まあ叩く為のネタにしてるだけ
であろうが。
478 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 18:23:45 ID:Xr6RyoFI
479 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 18:32:58 ID:3mqR8mu0
コピペ連投して誤爆ほど恥ずかしいものは無いなw
480 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 19:42:59 ID:flTdjE4g
「武田」とみればどこでも連投したくなるんだろ。
馬鹿が無い知識総動員して書いたんだろうからな。
ちょっと突っ込んだらすぐ今川厨扱いだぞ。
まあ朝比奈とかはけっこう好きな武将ではあるがよww
481 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 20:08:57 ID:TIPJ3fcd
というかコテやめても、口調でメガトンっぽさが滲み出ている
482 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 20:15:20 ID:z+N4lFcm
>>474 酒杯が捏造なら佐々が信長を諌めたのも捏造なの?
483 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 21:58:26 ID:A3voWj/Z
岩村城で、嘘八百の説得に応じて降参、開城した秋山信友と家来衆に兵糧まで差し入れて
安心させた後に、全員捕縛、惨殺している信長なので、たとえ酒盃の話がフィクションだったとしても
あの残忍な性格をよく描写しているので全く違和感はない。
長坂などは、出頭したのに罵倒されて蹴り入れられて斬首されたんだから。
484 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 22:30:40 ID:mg/MWYyz
そういう野郎だから信長死後、誰も織田家を盛り立てようとか思わなかったんだよな
485 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 23:27:45 ID:tWFnxIpd
>>483 小岩岳城と志賀城も同じ様な事されたけどね。
男は全員惨殺。女は女郎屋に売却と
486 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 00:00:46 ID:cx99VZcl
>>483 そうやって講談の類のイメージを優先すると学問の真実からは遠ざかっていきますよ。
487 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 00:11:26 ID:fHXde6Yk
488 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 01:34:47 ID:4+yFYoUT
勝頼の頃には織田家と武田家の経済格差は相当なものだったはず
頼みの金山も枯渇してきたようだし
やっぱり信玄の代からいる重臣を納得させるには父を超えるようなことを
やって納得させてやりたいと思ってたんだろうね
ただその相手が信長ではねぇ・・・
489 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 01:45:50 ID:XXupo6NN
そりゃ、甲斐と信濃あわせても、尾張一国と同レベルだもんな・・・・
面積やゲームの所為で、信濃は広くて兵士も一杯、土地も一杯で価値デカイ!
ってイメージがが多いが、実際は広い割りに価値はなぁ。
上野やらほかの土地も山岳地帯がほとんどで、争ってまで得たいって領地は少なかったんじゃないかね。
信長にせよ、勝っても利する面が少ない武田は後回しで、利益のでかい近畿に進んだんであって、
別に言われてるほど信玄を恐れたとか、そういう理由じゃないと思う。
勝頼は徳川と同レベルの意味の同盟くらいしか、武田家存続の選択肢はなかっただろうな。
490 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 02:00:42 ID:SfhGYpIM
まぁ面積だけで言えば広いけど、山岳地帯の甲斐信濃と肥沃な濃尾平野の尾張じゃ生産力が違いすぎるもんな・・・
491 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 02:07:01 ID:vh1roUeT
現代の長野や山梨のイメージあるのに
ゲームやるとそんな風に感じるのか?
まあ多少は昔と今じゃ土地の使い方違うって知識も手伝うんだろうが・・・
信長の野望すげー
492 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 02:11:59 ID:DTYxyB+r
野望は人材が生産力に直結してくることも多いからなぁ
優秀で数もいる武田の支配地域の生産力は必然的に
最近は勝頼さんも結構優遇されてると思うけどな
493 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 02:18:25 ID:XXupo6NN
>>491 逆に文明が進化してない頃だったから、人がちらばってたイメージがあるのかねぇ?
除雪車もなく、品種改良もなく、交通網も整備されてなかったのだから、余計酷かったかもくらいに思うんだが。
実際、現代であの辺り車で走ったりすると、どこの主要市街も四方が山脈に囲まれてて、盆地、盆地に町があるっていう感じで、
攻めるのに手間取りそうなわりに、好んでほしがる土地でもないだろうなと、ありあり思った。
ちなみに信長の野望だと、どのシリーズでもほとんど建物やらの多さや生産力、人口的にも全国屈指の豊かな土地。
ただ、これはゲーム的に初心者でも楽しめるよう、武田や上杉の武将は強くしているということもあって、
それにあわせて、国力も強めの設定にしているという面もあるだろうから、一概に責めるわけにもいかない。
問題はそのイメージで史実まで語ってしまうことだろな。
494 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 06:23:51 ID:exaGHQpX
地図で見たら分かるけど尾張という国は面積で見たら三河の半分ぐらいしかないし
信濃と比べたら遥かに小さいわけだ
特に戦国時代だと埋め立ても干拓もしてないから現代の尾張地域よりもさらに小さい
地図だけで見ると仮に尾張の大部分が耕作地帯だとしても
(堤防が完成する江戸時代までは大きな河の周辺は耕作不可能だが)
信濃の耕作面積よりも狭いんじゃないかと思えてしまう
目の錯覚というヤツですな
495 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 07:15:06 ID:VQoGHBJU
自分もガキの頃は信濃>>>甲斐=尾張=美濃って、子供視点で見てたし、
そのまま歴史に興味も持たずに育った人は、子供の頃のイメージでも仕方ないのかなw
信長の最新作の革新でも、金山はあるし、重要な街数も全国最大でフル活用可能な超優遇な領土だし。
ところで、勝頼に殉じた「千人斬り」土屋昌恒の長男は、随分と優遇されてたんだね。
徳川に召し出されて、大名にまでなってる。
その後も、赤穂浪士の討ち入りの際、当時の当主が浪士の心意気に感じ入って、
密かに助力をしたみたいな話で、歌舞伎だのにまで登場してる有名人物だとまでは知らなかったわ。(土屋屋敷と吉良屋敷が隣だったとか)
496 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 13:08:49 ID:GS/NpWUA
過剰に残酷なのはどの武将においても大抵つくり話
織田信長、豊臣秀吉なんかは江戸幕府の関係から
かなり悪評をまかれてるから眉唾。
織田信長が残忍だってのもいいかげんな話。
それこそ武田勝頼が愚将というのと同じようなもの。
497 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 15:17:58 ID:FiOBs6Ox
>>496 んな事いっても比叡山・越前・長島などでやった大虐殺は事実だし
信長公記にも書かれちゃってるじゃん
498 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 17:49:00 ID:b0v75heU
>>489 苦労してまで手に入れたくない土地だから織田は武田と争いたくなかったんだろうね。
野沢菜って土地が痩せていたから出来た作物だったりするし、昭和40年ぐらいまで貧しくて米なんて普通に食べれない土地だったし。
閉じ込めておけば港がなければ先細りになると見越していたんだろう。
499 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 18:16:06 ID:3bgBe5l+
>>496 戦国時代に建てられた寺を改築する時に
「信長が一揆衆を大量虐殺しました」
って書かれた瓦が発見されたじゃん
作られた時期は安土桃山時代、発見された時期は昭和だよね?
幕府関係ないじゃん
500 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 18:31:47 ID:wIeUEltR
織田軍が恵林寺に到着し、住職が落人の佐々木六角をかくまったという理由で、
快川和尚以下全員が山門に押し込められ、生きたまま火をつけられ、焼き殺された。
これは、隠れなき事実であり、十分残忍である。徳川とか関係ない。
501 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 18:46:42 ID:AgwNi4P5
焼き殺したのは信忠の独断なんですが
502 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 18:54:24 ID:AgwNi4P5
>昭和40年ぐらいまで貧しくて米なんて普通に食べれない土地だった
キチガイ出現w
503 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 19:01:58 ID:zg14aCF0
>>499 瓦に書かれていた=真実
素晴らしいロジックですねぇ
504 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 19:07:02 ID:WUzVgR8s
>>503 お前はその瓦が作られて使われた経緯や瓦に書かれていた文章や
瓦以外の事実と符合する文献などを全く知らないから
そういうアホな事が書けるんだよ
少しは勉強しろよw
505 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 19:10:10 ID:myltK7wF
>>503 多数の文献で一致している「長島一揆虐殺」を
否定する材料なり文献なりを挙げて下さいw
506 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 19:52:55 ID:QSHySCEs
つうか長島一揆程度のことは当時とすりゃ残酷でもなんでもなくないか?
敵のこもる城をねぎりしたようなもんだろう。
武田信玄や秀吉も同じようなことをやってる。
長島一揆は一度降伏したようにみせかけて反撃するようなこともしているし。
残虐とするならば織田信長だけじゃなく大抵の大名は残虐。
507 :
仙台藩百姓:2007/02/21(水) 20:13:51 ID:jQIOhgRx
弱い奴が喰われるのは自然の摂理ですよね
虫でも知ってますよ
武田なんて弱い大名の下に生まれた人々は不幸ですな
508 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 20:30:06 ID:E5M7anSD
氏素性のあやしい野盗の末裔程度の輩でも、政事の中心から遠い位置にあれば
天下を夢見て周辺地域を荒らすのは容易な事、猿関白にひれ伏すまでは。
509 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 20:37:59 ID:QRYFha3e
とりあえず信長厨が狂ってることはよく理解できた
510 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 20:39:11 ID:ziTFSUBN
>>506 越前 40000人虐殺
伊勢長島 20000人虐殺
天正伊賀の乱 多数
比叡山 多数
いつ信玄と秀吉が虐殺したの?秀吉はむしろ懐柔策で一向宗をまとめた
んだけど
511 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 20:44:03 ID:FY6lGvqJ
512 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 20:49:55 ID:sI5B7fjQ
一向宗には非戦闘員とされる女子供まで皆殺しだからな
実際は戦闘員だったんだろうがね
でも、大量の女子供まで城内に入れて篭城する方も問題あるとは思う。
仮にも人を救う事を目的にする集団だからね
513 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 20:54:05 ID:zg14aCF0
514 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 21:35:23 ID:l7wFHueQ
すがすがしい後釣り宣言だな。
515 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 22:42:20 ID:/9axrdEP
織田軍が2週間かけて殺した一揆衆の数は
広島の1発の原爆での死亡者の数に匹敵するらしいんだけど
それだけ執拗に一揆対策に取り組んだ織田軍と
織田軍が2週間かかった仕事を1発の爆弾でこなせてしまう原爆と
どっちが残忍なのかって事が堺屋太一の本に書いてあった
516 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 23:08:34 ID:QRYFha3e
>>515 両方残忍に決まってる
ただ強いて言えば恐怖を与えずに一発で決めた後者のほうがやや残忍ではない
517 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 23:11:26 ID:FY6lGvqJ
まぁ元はといえば本願寺が悪いわけだから自業自得
518 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 23:18:00 ID:/9axrdEP
>>516 いや、でも
殺すのも重労働でなおかつ殺す側も殺される危険性があり目の前で人が死んでいく信長軍と
開発にかかった手間や時間や費用は別として、
飛行機ではるか上空から爆弾を落とすだけで人が何10万人も死に
殺す側には人が苦しみながらグロくなって死んでゆく姿が分からない原爆とでは
「人間を殺す」という感覚が違うんではないかと
519 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 00:55:53 ID:vruV4qz5
520 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 20:56:11 ID:Pxpa16n0
堅牢な馬防柵の背後に、馬も這い上がれない程の深い堀、そしてその背後には、銃眼付きの土塀。
こんな所に、まともに突撃したらたまらない、まちがいなく全滅する。
佐久間某のいんちき手引きがあったにせよ、なかったにせよ、馬場、山県ら歴戦の武将達は
即座に胡散臭さを見抜いた故、勝頼に決戦不要と進言した。
騙し討ち専門の信長の性質など、分かっていようものなのに、
結局あの足軽集団に対して、御旗、盾無もご照覧あれと総攻撃してしまった。
どんな手段でも勝てば官軍であると。
521 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 20:58:55 ID:j2xYoA7l
小説 本願寺顕如を読むと
織田軍が一向一揆を虐殺したのは明確な大将がいないから
全員殺すしかなかった とあるねぇ
たしかに普通の合戦じゃ責任者が腹を切れば開場するけど
522 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 20:59:01 ID:Kh2Dios0
>>520 再三再四書かれている事だが
長篠戦で武田軍が甚大な被害を受けたのは鉄砲の三段撃ちでも馬防柵でもない撤退戦であり
組織的な撤退が出来なかったから
523 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 21:00:15 ID:Kh2Dios0
>>521 ちなみに本願寺と一向一揆と長島一揆は別物で完全な別組織だから誤解のなように
524 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 21:07:36 ID:lHPCp8+X
信長自身が出陣してきたから、興奮して冷静な判断ができなかったかもしれないな
どうせ退却しても信長との国力の差は開くばかり、織田に対抗するためには二、三度は
織田に対して大勝利を納めなければ活路は見いだせない。
525 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 21:19:44 ID:lmqoU34+
織田と戦う前、上杉と同盟を結んで、
織田徳川連合軍vs武田上杉連合軍の決戦という
選択肢はなかったんですか?
526 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 21:33:00 ID:0/jsYNQf
ゲーム脳乙
527 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 21:41:06 ID:zLB1XW7Y
たとえ武田と上杉が組んだとしたって、勝てるか怪しいしな。
財政が厳しい中、大金かけて遠征してきた手前、槍を交えず引き返すに引き返せなかったのかねぇ・・・・・
528 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 23:31:03 ID:D2sBAY0o
>>525 1577年以降の情勢がまさにそれ
結果:上野〜武蔵〜駿河〜遠江〜三河〜岐阜という長大な戦線の出来上がり
529 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 03:18:22 ID:2lUXmRw/
>>525 謙信が関東にまだちょっかいを出している状況でそれやると
北条と敵対の可能性が出てくる
530 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:27:31 ID:Ebpsz36S
謙信は信長に勝頼を一緒に攻めようと手紙出してるくらいだからなぁ
甲越一和が成立しただけでも不思議なくらいなのに、共同戦線っていうのは無理があるんじゃ?
531 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 11:35:48 ID:CQ4FH/xk
謙信は先の読めない馬鹿だから
532 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 15:14:21 ID:typzG9zt
確かに川中島なんて、双方にとって益のない戦いだったわな
533 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 15:56:55 ID:U0MrELzc
534 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 16:09:46 ID:zu/+O9a+
謙信は同盟=自分に従属だと思ってるに違いない
535 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 17:53:51 ID:6C7/ckIn
どうみても勝頼>謙信だろ
536 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 18:10:03 ID:1v689iTq
>>535 謙信vs信玄 引き分け→謙信=信玄
信玄vs家康 信玄勝ち→信玄>家康
信長家康vs勝頼 勝頼ボロ負け→信長家康>勝頼
謙信vs信長 謙信勝ち→謙信>信長
よって、謙信=信玄>信長・家康>勝頼
これ常識。
537 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 18:33:58 ID:eXpXAYD9
> 信玄vs家康 信玄勝ち→信玄>家康
三方ヶ原で家康が信玄に引っ張り出されたというのは俗説。
それを除けば数に勝る武田方が勝利するのは自然の成り行き。
> 信長家康vs勝頼 勝頼ボロ負け→信長家康>勝頼
鳶ノ巣山本陣から有海原に出て行ってしまったのは判断ミス。
ただ、一旦前進してしまって、後ろを突かれたら後は仕方が無かったと思う。
> 謙信vs信長 謙信勝ち→謙信>信長
手取川に関してはその記録が僅かしかないので
それらの記録から想像するしか方法はないけど、
恐らくは柴田軍かその一部と上杉軍との小規模な合戦だと思われる。
少なくとも信長自身は加わっていない。
538 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 20:09:29 ID:preEaMjX
>>522 >組織的な撤退が出来なかったから
は?
そうできないような展開にしたんじゃないか。
野戦築城や鉄砲で織田・徳川が優位に戦を進め、
武田勢につけいる隙間を与えず、思うような展開ができなかったから、
撤退戦がうまくいかなかった。
つーか、そもそも長篠城が落ちず、鳶の巣砦が落ち、
織田、徳川の太平に挟まれる形になって撤退線が難しかったから突撃したんだけどな。
あんたの書き方ではまるで偶発的出来事みたいな言い方だ。
539 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 20:17:49 ID:eXpXAYD9
>>538 俺は
>>522じゃないけど、
長篠の問題は織田陣への突撃じゃなくて、
それ以前の進軍にあるわけでしょ?
進軍した隙に背後の長篠城攻囲部隊を酒井隊に殲滅され、
尚且つ後ろを取られた。
何で本陣を出ちゃったのかな、という事が問題で。
540 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 20:24:32 ID:tBOvB0LE
541 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 20:38:18 ID:yU7mnu68
軍事ならともかく政治からっきしダメのバカ謙信なのに、
ゲームなどで勝頼より謙信のほうが数値が上だったりすると頭にくる
542 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 20:52:35 ID:G7kb9dB6
>謙信vs信長
手取川っすか?w
543 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 21:18:31 ID:D5MLqmjf
>>541 無知な奴。その知識レベルだと信玄のせいで武田が〜〜とかってタイプだろ
544 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 21:34:19 ID:fIB6pK6N
金儲けとかはうまかったらしいな。謙信。
545 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 21:50:47 ID:preEaMjX
>>544 関東で大量に拉致してきた奴隷を
自ら差配して売りさばいたという逸話もあるしな。
でも、それは信玄も同じ、
ある城を落として城の生存者全員を
男は金掘り妊婦に女は遊女にして売り払ったとか。
546 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 22:33:15 ID:ELrtrReA
男を妊婦にするなんて人智を超えてる
と一瞬だけ思った
547 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 22:34:10 ID:h1u8d7l0
548 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 23:58:27 ID:/NEbhN80
>>543 相手にすんな
スルーしれ
ここんとここのスレに張り付いてる基地外だよ、そいつ
なんでもかんでも武田家が滅んだのを謙信のせいにしてるんだわ
549 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 01:15:12 ID:02I6hmyP
すべてのぶなががわるい
550 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 03:11:17 ID:hYSOBzdS
551 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 10:26:54 ID:4dWuwpYe
一つ言えることは、俺らじゃ長篠の判断について何も言えないということ。
まず当時の状況を知るのは両軍のみ。地形や軍の配置はおろか鉄砲や騎馬の数・使い方すらよく分かってない。状況が分からないのに勝頼の状況判断を考察することなど不可能。
また勝頼は歴戦の将であり相当の経験に基づいた采配をとったことは間違いない。机上の空論を振り回すしかない我々がそれを評価することは不可能。
議論したければすればいいが水かけ論になるか錯綜するのがおち。答えは出るわけがない。無意味。
552 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 11:49:09 ID:4qmqS2tY
このスレ無意味。
553 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 11:59:48 ID:VmOyNEhp
>>551 ちょ、おま、それこの板どころか歴史を語る行為を全否定w
554 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 15:03:30 ID:UHnRrid2
まあ、そうなんだよなw
結果だけを知っているからこそなんとも言える。しかし、大きな流れを
一人で変える事なんてできなかっただろう。
武田が滅びたのはただの必然でしかなく、どうにもできなかった。
555 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 15:19:39 ID:KU7YhAIO
設楽が原で綺麗に見事に散っとけば・・・・w
勝頼は愚将扱いにはならなかったと思うね。3段うち、突撃、撤退して最後は裏切り。
よく描かれてるやつじゃなく、長篠設楽が原描いた作品がみたいなぁ。
556 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 15:49:03 ID:4dWuwpYe
>>553 いや、例えば長篠なら鉄砲の数とか軍の配置、当時の地形、鉄砲や騎馬の使い方、兵制、外交情勢、そういった具体的なことならおおいに語る価値あるよ。
状況判断とかは具体的な状況を理解した上で初めて語れるものだろ。それに基本的な情報が共有されてないと議論も成り立たないし。
だけど今のところ鉄砲の数や騎馬の使用についてすら話が紛糾する始末。そんな状態で能力を考えようなんて無茶な話。合戦の展開などの具体的な状況を巡って話が延々とループするだけ。
戦国板には有意義なスレもあるがこういう無意味ならスレも多い。まあ議論が成り立たないという意味で無意味なだけで、人によっては面白いだろうしその意味では有意義だろうけど。
557 :
仙台藩百姓:2007/02/24(土) 15:50:12 ID:O190mUon
つまりは結果が全てだお( ^ω^)
558 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 15:57:05 ID:VmOyNEhp
信長の新戦術(三段撃ち)や騎馬軍団による突撃が無い長篠の合戦を小説やドラマにしてしまったら
それこそ、信長の策略に引っ掛かった馬鹿丸出しの猪武者として描かれそう。
織田陣攻撃が勝頼の一存では無く、武田家の総意って事になるなら
それこそ馬鹿丸出しの猪武者軍団として描かれそう。
559 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 16:34:21 ID:VmOyNEhp
>>556 信長公記に「千挺ばかり」というのを「三千挺」と加筆訂正されている物がある事から
鉄砲の数がはっきりしていない事になっているけど、
健勲神社本等の古い物ではしっかりと千挺ばかりとなっている。
江戸時代、より有名になった小瀬甫庵の「信長記」で三千挺とされた事から
「信長公記」の方も三千挺に加筆訂正され、
それ以降の写本では完全に三千挺にされたようだね。
まぁ、とは言え流石に千挺では少なすぎる。
牛一も正確に鉄砲の数を把握出来てはいなかったと思うけどね。
560 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 16:52:25 ID:CFnNHTLN
>>557 つまり、白装束で秀吉に許しを請うて生き延びた伊達政宗は負け組みってことでよい?
561 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 18:35:38 ID:tnYq5dMz
遅参といえば、政宗と秀忠
だいたい実力は同じかな、格は圧倒的に秀忠が上だが
562 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 20:29:43 ID:DVjNh3KH
長篠戦前に、信長が細川や筒井に鉄砲衆だけを動員させている書状が存在している
千丁無いし三千丁っていうのはその特別動員の部隊じゃ?
通常の軍役で動員した鉄砲隊なら、いちいち信長直臣から臨時の奉行出して統制する必要は無い
あと普通に動員した連中や徳川の鉄砲もあっただろうし
563 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 21:17:10 ID:HSigtYq5
以前読んだ書で、著者が恐らくは武田方で長篠に参戦した同名の武将の末裔の方であると推測したが、
ご自身の渾身の調査で、柵に突撃した武田軍は、織田方の武将のニセの内通により攻撃を仕向けられたものであり、
決して、勝頼が血迷って各隊を突撃させたのではないとあった。
おそらく、信長がバテレンから、欧州での砦における、攻め方が全滅した
コルドバの戦い?の内容を詳しく聞いており、真っ向勝負では士気において尾張軍は全く勝ち目はないが、
だまして完全防備の要塞に突っ込ませれば皆殺しにできるということで、用意周到に計画したとの事。
この戦には、家康も参戦していたので、後に幕府方の資料には真相は決して書かれなかったと。
もちろん甲陽軍艦も幕府公認の兵学書。
564 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 21:23:59 ID:KWi8h0UQ
別に
>>563に聞くわけではないが、
>真っ向勝負では士気において尾張軍は全く勝ち目はないが、
は笑う所?呆れる所?それとも突っ込む所?
565 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 21:46:19 ID:A/HVDmLm
正解はスルーするところだ。
566 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 21:49:12 ID:L/eyl6nO
>>564 突っ込むところ。「真っ向勝負では」でなく、「農繁期以外」だから。
567 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 22:09:12 ID:DKXgyC8e
史実長篠の合戦
武田軍の編成
騎馬隊 10000
歩兵部隊 3000
A織田・徳川連合軍
鉄砲隊 3000
歩兵部隊 25000
B両軍の死傷率
武田軍:90l
織田・徳川連合軍:5l
お前ら、このくらいなら納得するんだろw
568 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 22:10:37 ID:z59W17xh
どこの騎馬兵が一万人いたって?
569 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 22:12:50 ID:Vq6XXnAM
馬1万頭じゃ戦どころじゃないなw
わ〜わ〜できないよ
570 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 22:58:47 ID:UHnRrid2
馬1万頭もいたら馬糞処理が凄い事になるだろうな。馬1頭辺り1日に20kg程度の糞をする。尿も同程度で20kg程。
これが1万頭にもなると1日に400tもの糞尿が出る事になる。
それに人間の糞尿も加えると・・・・・((;゚Д゚)ガクガクブルブル
う〜ん、武田の陣はさぞかし香ばしい香りがしていたのであろう。
571 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 00:56:14 ID:yIPBhcgv
織田・徳川の主な武将で戦士したのは鳶の巣砦戦で
松平ナントカというあまり知られてない武将が一人死んだだけなのに対して
武田は大半の武将、豪傑が死んでしまったというデータがある以上。
「織田徳川も総統な損害を出した」とか「実は接戦だった」とかいう
見解は総統に相当に無理があるよ。
572 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 01:55:29 ID:KoUgi18J
誰もそんな事主張してないと思うが
573 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 02:00:05 ID:SsEnbb6a
>>570 実際少なくとも1000頭はいただろうから
40tは糞尿がでてることになるわな。
40tでも充分香ばしいと思うんだ。
574 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 08:44:18 ID:a1pEso4l
武田の編成は知らないけど兵農分離されてなければ騎士1に徒歩3〜7名じゃないの?
575 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 08:48:47 ID:H0zjxnd7
てことは人間の糞尿もすごい量だな
576 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 09:58:50 ID:ABWWBxrL
いや、口取り等を含めて騎馬隊なんじゃない?
まあ騎馬隊なんて言葉、ちゃんと定義されて無いだろうが
577 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 11:38:13 ID:wi7AM3+e
兵農分離がどういう状況を指すかに寄るが、
織田だって騎乗に対して従者が付くだろ
578 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 12:04:16 ID:NvNeVXH6
ところで織田方に内応者がいたから武田は突撃したと言う説はすごく無理がある。
まず、武田は内応者の裏切りを確認してから攻め込むようにしてきたこと。内応は常に騙しの可能性があるので当然のこと。確認がとれてないのに期待して突撃したとすればそれこそほんものの馬鹿。
それと内応は格下の側が生き残りを図ってするものなので、武田より格上の織田から内応者が出ることは通常ありえない。内応の話があっても余計に疑ってかかるのが当然。もし信じたならそれこそまごうことなき馬鹿。
しかし多数の合戦を経験してきた勝頼及び家臣団がそんなに馬鹿なわけがない。
まあここまでは推測に過ぎない。が、何より内応に関する資料的根拠が一つもない。内応の有無は各勢力の威信にも関わる最重要の話なので、内応の話があったとすれば何らかの資料に残っている可能性が極めて高い。
ということで内応説は説得力に欠ける。
579 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 16:13:45 ID:3ePraGSu
義信が生き残って、信玄死後に武田家を継承していたなら、
家臣の団結も、信玄時代と変わらなかったと思われる。
勝頼は譜代や親戚衆からすれば、余所者。とても主君と仰ぐことはできなかった。
あと義信には娘がいた筈だが、もし息子がいたら、嫡孫として家督相続したほうが、
勝頼が相続したよりも、良かっただろう
580 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 17:53:31 ID:lVaWxiuT
>>570 スカトロマニアのお前にはたまらんだろうな
それとは別に、自らの死後の政権の構想を持たなかった信玄入道氏ね
581 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 18:53:22 ID:LVHPQUrg
死後の事考えてないから氏ねってフレーズがなんか妙で気に入ったw
582 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 00:01:12 ID:8TGIR26Z
うまくいってるうちに問題点をクリアしないと未来の人が大変なことになるもんだな。
環境問題もほっとくと未来の人類が滅びることになるのかも。
いんじゃね?
どーせその頃には俺死んでるし。
って感じだったんだろうか信玄も(´・ω・`)
584 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 01:21:52 ID:NoON4Njg
まだ20代30代なら、生きてる間に人類滅亡or黄昏もあり得るぞ
585 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 15:31:15 ID:LEwVwKsn
勝頼はなんだかんだ言っても武田家を滅ぼした張本人。
言い訳したり、人にかばってもらえなきゃ何もできないただの死人。
こんな奴を擁護する必要はない。
地獄で永久に苦しみやがれ
586 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 17:59:05 ID:xTpUESaD
>>579 義信が生き残ってたら、越後にGO!で結局滅びたように思える。
587 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 18:07:24 ID:rU3Yyrhp
>>585 「武田家を滅ぼした張本人」は武田勝頼ではなく織田信長です
珍説を唱えたいのであればソースをお願いします
588 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 18:44:41 ID:fQBAGlAf
大坂城建てたのは?→大工さん
並みの屁理屈だな。
>>586 石高的にはそれほど格差があるわけでないし、
南の今川、東の北条と同盟が維持されるから時間はかかるだろうがまとめるんじゃないか。
徳川が伸張してきて武田に対してどう対応するかによっても変わるが。
589 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 19:12:11 ID:aMi1FMhV
>>587 いいえ、織田信長の方面軍の1つを指揮していた織田信忠が滅ぼしました
武田家滅亡の原因は
90% 武田信玄
5% 武田の重臣
3% 武田勝頼
2% 織田信長
こんな感じだな
590 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 19:39:03 ID:xTpUESaD
>>588 石高はともかく港の存在による経済力の差は大き過ぎだと思うよ。向こうは日本海最大の港所持だしね。
それに一向宗と完全に和睦してるし、どのみち武田は詰んでいたと思われる。
591 :
人間七七四年:2007/02/26(月) 19:40:42 ID:HSbVVe16
織田徳川と敵対するという外交方針をとったのは信玄だからね
592 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 08:33:35 ID:uqPMuJAw
>>589 カツヨリを擁護する場合、武田家は国人の集まりだから勝手な事は出来なかったって言うけど
信玄もそうだったんじゃね?
593 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 11:20:05 ID:1h5ZBD9M
勝頼のほうが立場が弱かったから。それも親父のせいで
陣代説は軍鑑の創作といわれているが、実際のところ信玄が生きているように見せかけた書状出したり独自の印を使えず信玄のそれをそのまま使ったりと勝頼の立場が弱かったことを示す史料は存在する
何しろ嫡子重臣粛清事件の後釜だからねぇ
594 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 12:01:28 ID:YZvYDy7z
そもそも嫡男を殺したのがバカ、飯富は死ぬし後の大量裏切りフラグまで立ててる。
595 :
仙台藩百姓:2007/02/27(火) 12:22:21 ID:2xW0dYsu
信玄も勝頼も無能だお( ^ω^)
596 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 13:42:35 ID:mrCaziTZ
断片的な事象だけでそうせざるを得なかった事情も分からないのに
馬鹿だの無能だの言ってる奴が馬鹿
勝頼は賢いお( ^ω^)
598 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 14:43:18 ID:FS3Nei3U
何故そうせざるを得なかったのか、正確な事情も分からず
断片的な事象から判断出来る事のみ取り上げて
賢いだの有能だの言ってる奴が賢い
599 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 15:25:11 ID:nFfh249n
>>592 信玄の就任は、
元々信虎の専制政治に代わって傀儡を作る事から始まってるから
勝手なことをできなかったのは事実だが
あの頃はまだ群雄割拠で、比較的容易に大きな領土拡張ができていたから
政治力を取り戻す事はできたと思われる。
勝頼の時代は、もう回りは大大名ばかりだったから、
少しの領土を伸張するにも負担が大変だった。
600 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 16:03:55 ID:0Kpnu9tJ
あくまで妄想だけど、勝頼の母親の諏訪御料人って一族を皆殺しにされた上で
さらに12才と幼かったのに信玄の妾にされて、14の時に勝頼生んでいるんだよね?
で、勝頼は諏訪を継ぐためにと定められていたわけなんだけど、これって母親もそのように教育していたんじゃない?
家族を皆殺しにされながら信玄に惚れるとかありえないし。
勝頼も「武田シラネ。ママンのために諏訪の跡継ぎとしてがんばゆ!!」とかって考えが基本だったんじゃない?
だから武田は滅びた。
つか、どうでもいい事書いてるが気にするな。
601 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 18:00:09 ID:0AJQGYF4
凡将を名将のように紹介するスレにあったな。そのネタ。
602 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 18:59:30 ID:mCsfPIgz
信玄があと10年長生きしていたら
現在のような名声はない
603 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 19:48:28 ID:+VKjaCbW
604 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 20:28:51 ID:0Kpnu9tJ
605 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 22:13:54 ID:MZthBM/6
一応、頼重の弟の頼高も一緒に切腹してる。
まああまり関係ないが。
606 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 23:05:51 ID:Ln7LWiq5
頼重の従弟の頼忠など一族は生き残ってるんだけどな
607 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 17:44:38 ID:eV38F4Pn
従兄弟か〜〜〜〜〜〜
608 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 18:39:23 ID:9bOz8fAS
>>600 当時、家族を殺されてあーだこーだなんて、あんまり意識ないだろ。
普通に親父が切腹させられても、子は普通に使えたりするし、主の命令で子供切腹させたりした時代だもの。
現代の思想で考えたら、それこそ人質に送られたり、政略結婚させられた実家への恨みはないのかって話になる。
609 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 19:03:06 ID:vvfS0Sn3
610 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 19:17:35 ID:7GLMcFQp
611 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 19:39:12 ID:9bOz8fAS
>>609 ん?長慶も、同族を討ったりしてるし・・・
>>610 やっぱり、秀吉は農民出身だったから、そこら辺の心構えというか育った環境が違うんでしょ。
612 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 19:55:02 ID:eV38F4Pn
>>608 そうだね。信玄公に惚れない女子がいるわけないもいんね
613 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 19:59:00 ID:9bOz8fAS
>>612 そんなこたぁない
信玄とか関係ないし、惚れた惚れてないって話じゃないだろ
614 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 22:29:52 ID:rznFfri5
615 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 03:45:43 ID:GxhGcj5Z
>>600 逆、あんな時代だったからこそ、個人よりも家が重視される時代であって、
当然嫡男などの概念は非常に重要だった。
だからこそかえって個人よりも家名の方が重くなるので、
そのためであれば政略結婚や人質などは当然という考えにもなる。
そしてそれがあるから家名の奪い合いになると中途半端な血縁関係がかえって
敵対関係を深める結果になることも多い。
616 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 07:01:58 ID:UCpN2pES
>>611 三好元長の最期について調べる事をおすすめします。
617 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 08:56:50 ID:4SYvauZn
618 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 09:56:53 ID:mKElZJin
元親はせっかく統一しかけた四国を一気に失ったショックもでかかったんじゃない?
四国の大半を諦めさせられた挙げ句、長男まで失った連鎖的なものだった気がする。
三次はもうそれこそ内紛に過ぎるしなぁ。
>>615 規範意識としては、建前としては、人質も政略結婚も正しいし名誉あること。
しかし建前として美しくても人間には情があるので悲しいこともある。
戦中日本で戦死は名誉でもやっぱり親は悲しいし本人も辛かったろう。
政略結婚や人質の裏には悲しみがつきまとうこともある。
620 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 11:18:16 ID:4SYvauZn
時代がどうこうより、実の父親殺されて喜ぶ娘はいないだろ。建前上はともかく
621 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 18:14:28 ID:vd40VviQ
>>620 戦国時代の武家の家庭での「親子」という関係が
現代の一般社会の家庭での「親子」という関係とは違うから
それはなんとも言えないのではないか
622 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 19:28:09 ID:1Ig1kBn0
623 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 21:06:48 ID:UAGtH2sp
>>620 父が亡くなったことより、諏訪家を残すという意味で武田を盛り立てても不思議じゃないかなぁ
624 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 23:40:49 ID:4SYvauZn
>>623 意味不明。勝頼が最初から武田の跡を継ぐために生まれた!なら分かるけど
625 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 00:39:44 ID:4NVWy8LS
>>624 623じゃないけど、武田の先方集として諏訪家を盛り立てるって事じゃないの?
家名を残すとか、そんな感じで。
626 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 16:58:27 ID:6wznIaXF
勝ち○ 松平信光 VS ×足利一族。
勝ち○ 松平長親 500 VS ×北条早雲 1万。
勝ち○ 松平清康(世良田二郎三郎) VS ×織田信秀。
勝ち○ 徳川家康 2万 VS ×豊臣秀吉10万。
勝ち○ 松平信康 VS ×武田勝頼。
松平普通に強い。イレギュラーがなければ、清康の時代に天下を取ってもおかしくないほど。
627 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 18:31:49 ID:pEbsPXQW
628 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 18:33:19 ID:pEbsPXQW
629 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 19:04:56 ID:9xXa99l/
オマエガナー
630 :
法性院:2007/03/02(金) 23:03:53 ID:OFXS9Tvv
信長めの猛攻に我が愚将も思わず昇天
631 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 00:47:18 ID:rel0v+9Y
オニロクかよ。。。
632 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 21:18:50 ID:IeyMxeAF
武田家の悲劇
近年の研究では、智勇兼備の武将で、武田家の重臣たちの間でも人望が厚かったという。
しかし父・信玄と対立した義信事件は武田氏のその後に暗い影を落とす。
例えば武田氏滅亡直前の1582年に穴山信君が勝頼を裏切ったが、
その原因の一つに彼は義信と親しかったためと言われている。
また、信玄の死後に老臣たちが勝頼とウマが合わなかったのも、
義信事件が一因でもある。言わば、義信事件は武田氏滅亡の一因にまでつながったのである。
634 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 22:21:09 ID:3A2kvPE8
戦術だけは名将。
635 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 04:00:53 ID:jj8VO3OI
長篠
636 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 06:53:02 ID:dzDpXxM0
長篠の合戦は戸石崩れの再来
637 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 13:12:30 ID:IOibxhA7
長篠は本陣を出て有海原に出るかどうかの判断が重要であって、
実際に挟み撃ちに遭ってしまってからではどうしようもないでしょ。
寡兵で大量の鉄砲が装備されている陣城を攻撃したって無理に決まってる。
638 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 17:07:12 ID:LCioshsl
勝頼が家康タイプの武将なら・・
まず動員兵力・経済力で勝る織田との直接対決は絶対に避ける。
織田信長に媚まくってでも対決は避ける。
だけど謙信がいなくなって内部分裂状態の上杉相手には鬼のように侵攻。
エゲツなく上杉を滅ぼし越後を武田領へ。武田勝頼は東日本の覇者へ。
奇跡的に「本能寺の変」でも起これば、織田家の内部分裂を利用しまくって
西へ侵攻。ドサクサに紛れて織田家の領土を一部掠め取る。
639 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 17:31:40 ID:qKQTNbAq
>>638 いつ頃から媚びるかってのが問題だよね。
下手な時期に媚びたら、重臣連中その他の手で間違いなく甲斐から叩き出されるだろうし。
設楽が原以降だったら勝長を返しても効果なかった位だし、意味ない。
上杉攻めも、前の年に北条夫人を貰ってるから、北条とは同盟を結んでる事になる。
北条がどこまで本気か分からないけど、とりあえず氏秀景虎を立てて頑張るって事になるだろうな。
武田に得する部分あるんだろうか…。
ここまででも結構問題あるけど、織田は抑えられたとして、徳川はどうする?
徳川をなだめるのは、相当大変だと思う。
640 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 17:42:10 ID:JBWTJqk6
北条と決裂したのが致命的だったな。長篠戦後に同盟を結べるぐらい
外交力があったんだからもう少し早くなんとかならなかったものか。
641 :
仙台藩土百姓:2007/03/06(火) 19:13:20 ID:P1j/lEDG
他人を当てにするようじゃどのみち終わりだお( ^ω^)
642 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 19:24:55 ID:QmBHTTL6
媚びたって格が下がるだけだな
信長包囲網のとき信長はかなりしんどかったし
徳川は武田に力押しされててやばかったけど、同盟を貫いたし
小牧でも信雄に請われて圧倒的な勢力相手に意地を見せてるから
勝頼がただ媚びたって情けない末路になるだけ
643 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 19:38:53 ID:qKQTNbAq
媚びるっていうか、和睦みたいな形にもっていけないかな。
確か織田とは和睦みたいな形にして、徳川だけを攻めるってのが史実での動き方だったと思うんだけど、徳川も含めると。
当然異常に難しいと思うし、何要求されるか分かったもんじゃないけど、可能性としてはどうだろう。
越相同盟は途切れていたんだし、氏秀景虎の奪還とかを名分にして甲相同盟を結ぶってのは一つの方向性としてはアリだと思う。
もちろん北条が武田の動きに危機感を持って越相同盟復活って可能性はあるけど、その場合は織田・徳川との関係を深めると。
多分俺が気付いてない問題とか結構ありそうなんだけど、どう思う?
644 :
643:2007/03/06(火) 19:43:59 ID:qKQTNbAq
×〜徳川も含めると。
○〜和睦の相手に徳川も含めると。
×越相同盟は途切れて〜
○対北条では、越相同盟は途切れて〜
抜けがあったので、補完して下さい。ごめん。
645 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 19:46:57 ID:mm4I0UWt
もともと勝頼は北条の要請で御舘では越後方面に向かったんではなかったっけ。
646 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 19:58:19 ID:1LHajptw
織田徳川と和議を結び北条と同盟組みゃ攻めるとこねぇだろ
いっそのこと山名豊国みたく家臣から追放されて織田を頼り
道案内して諏訪に凱旋を果たしたほうがマシ
647 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 20:01:09 ID:qKQTNbAq
御館より数年前、謙信がまだ生きている時代に織田・徳川・北条と和睦する。
北条とは婚姻を結べたらなお良し。
氏政の事だから援護してくれない可能性があるし、いつ攻めてくるか分からない恐ろしさはあるけどやらないよりずっとマシ。
織田も徳川もかなり危険だけど、上杉さえ倒す事が出来たら勢力が日本海側に広がり、奥州方面で勢力の拡大は出来るかもしれない。
更に、上杉攻め他で柴田と協力出来たら織田政権で強い味方が出来る事にもなる。
佐久間らの追放が起こるか分からないけど、起きた場合柴田の不信感を引き出す事も視野に入れられるかもしれない。
まぁ、多分そこまではいかないと思うけどね。
精々上杉攻め前後で降伏する位かな。
ただ、何の土産もなく和睦するってだけよりは、ずっと良いやり方だと思う。
おかしい部分とか、どうだろうか?
648 :
人間七七四年:2007/03/06(火) 20:26:11 ID:qKQTNbAq
>織田徳川と和議を結び北条と同盟組みゃ攻めるとこねぇだろ
だから上杉。
越相同盟は切れてるんだし、織田と上杉は…駄目か、1576年にならないと手切れしない。
それも、武田の行動如何によっては変わる可能性あるし。駄目だな。
どうにかなると思ったんだけどなー、豊国方式しかないのか。
649 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 02:17:21 ID:dfS/TENu
勝頼はセクロスが下手だったんじゃまいか。
だから家臣にみかぎられたのでは、
650 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 06:34:47 ID:qUg+hlky
あの時代アッーっていうのは義兄弟の証でもあったから一理あるかもな
651 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 07:27:11 ID:xYUbvtpf
勝頼「男色?冗談だろ?男同士でなんて俺はやだよ」
652 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 09:07:54 ID:mKLCjlYR
ガチムチ勝頼兄貴
653 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 14:24:41 ID:1WniMo54
>>649 いや、逆に抜群のテクを持ちながら、気に入った相手としかやらなかったのが滅亡の原因だったとか。
山県「うお〜〜〜〜なぜじゃ〜〜〜なぜワシを愛さぬ〜〜〜」
穴山「わしを愛してくれ!!!」
木曾「勝頼さまぁ〜〜〜〜ん」
勝頼「年寄りウザス」
内紛暴発
654 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 15:21:08 ID:wv5akP7/
勝頼がシローだとするとセイバーは誰?
655 :
人間七七四年:2007/03/07(水) 19:19:36 ID:xYUbvtpf
こんな所でfata出す香具師が居るとは・・・。
とりあえず、猫アルクが山県なのはガチ
私の実家は、静岡県の大東町という小さな町にあります。
大東町には、高天神城という戦国時代の山城があります。
戦国時代には激戦地だったといい、千人塚と呼ばれる塚などもあります。
昔の話になりますが、その高天神の近く、今滝という所に住む祖母が夢をみたのだそうです。
夢の中に戦国時代の着物を着たお姫様が出てきて、小笠川に架かる、とある橋の近くを掘りなさい、と言ったのだそうです。
祖母は、言われた場所を掘りました。
すると女持ちの小刀が出てきたのだそうです。祖母は今もその刀を大切に持っています。
幼い頃その刀を見せてもらったことがあります。
ぼろぼろに錆びた小さな刀で柄は真っ赤でした。
私が刀に触れると
657 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 18:04:07 ID:dcSlWpVB
わっふる!わっふる!
658 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 20:13:56 ID:H6IFKeay
勝頼と名乗る武田の甲斐もなく
いくさに負けてしなのなければ
659 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 22:02:28 ID:P38SzIJm
>>656 マジレスするともう合併して掛川市では?
昨年の11月頃に諏訪原城、高天神城、掛川城と
ハシゴしたとき、大東町教育委員会の立て札に
掛川市教育委員会のシールが覆ってあったよ。
660 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 01:15:42 ID:zHRlU+rQ
古いログのコピペなんじゃないの?
661 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 15:21:40 ID:Cifpndrl
畿内では一揆(雑賀・根来衆)の連中ですら3000丁といわれる鉄砲
を使って織田と死闘を繰り広げていた。畿内は文化的に進んでいたせいか
戦闘も先進的で、凄まじいものだった。その畿内の激戦を制した織田の
強さは異常。勝頼や武田の家臣達はもうちょっと畿内の情勢に
詳しくてもよかったと思う。
662 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 15:24:23 ID:a587fV5T
663 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 17:46:14 ID:iPg5g8P0
664 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 20:12:39 ID:f9rwNHjC
雑賀・根来の傭兵軍団を百姓一揆と同じレベルで語るバカがいるとは・・・・・・・。
665 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 20:17:44 ID:f9rwNHjC
>>661は一向一揆のことも良く知らないでこう言うこと書いてるんだろうな・・・・・・・・。
666 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 20:47:45 ID:KNzBhce5
完全にネタ切れだな。
というか、以前から酷かったが最近の戦国板の過疎っぷりは酷い。
667 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 00:15:29 ID:NIdhkX7U
668 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 01:50:18 ID:pHt/f6QL
別に過疎っちゃいないが、かといって
こんなマニアックな板が満員御礼でたまるかw
669 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 14:41:45 ID:FhegpgSu
愚将かどうかに長篠の後7年存続したってのは関係ないな
武田の所領の経済的や地理的な価値が他大名にとって魅力的ではなかったってこともあるから
670 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 15:02:51 ID:xVJjA1fk
いや、立ったばっかりの「戦国武将っぽい名前の現代人」
を抜かして一番の勢いのあるスレが「一行リレー戦国小説」の59.8ってのは酷いだろw
671 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 19:27:25 ID:DkLO02Dx
>>670 酷いと思うなら新鮮で興味深いネタを探すなりしてくれw
672 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 01:53:58 ID:CbuSB9tf
>>669 結局、そこに落ち着く気がするんだよな。
ただ、つまりは信玄が生きていようが、同じだったって感じで勝頼の性ではないと。
673 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 13:00:50 ID:/a40vKw+
しかし滅ぼしたのは他ならぬ勝頼。
武田ぐらいじゃないか?100万石近くありながら皆殺しにされた大名って
674 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 13:04:46 ID:Ai7tntcQ
北条さんも今川さんも最後は似たようなもん
675 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 14:10:48 ID:CbuSB9tf
豊臣モナー
676 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 14:54:58 ID:Anb8ui8L
>>673 >皆殺し
皆殺しって女子供も一族郎党全滅って印象を受けるから
武田家の場合にはそぐわない感じだな。
677 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 18:11:35 ID:OLnnm6z5
678 :
人間七七四年:2007/03/18(日) 20:37:54 ID:wzBhY51k
679 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 07:32:11 ID:fnIFi7RP
城がまとめて殉死したなんていくらでもあるだろ。
680 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 16:26:17 ID:B718fZgy
681 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 00:53:46 ID:IGKB9la0
>>676 生き延びた一族の子女
松姫、勝頼の娘、盛信の娘
竜宝の息・信道(道快)
上杉を頼った信玄息・信清
(嫁ぎ先にあって無事だった女は省)
682 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 20:08:51 ID:fKnDuL+m
683 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 20:43:03 ID:QF4PraEN
自演乙。流石武田厨だ
684 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 20:56:08 ID:JBtpeN6y
685 :
人間七七四年:2007/03/20(火) 23:17:09 ID:VQEJZQfR
まぁすぐ決め付けたがるのは低脳の証拠だから。
686 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 00:13:44 ID:B90+wDM6
「涙目」って言ってるヤツが一番必死で涙目に見える件
687 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 05:44:05 ID:97/s87Vy
「低脳」って言ってるヤツが一番必死で低脳に見える件
688 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 11:20:29 ID:wjTkuJLN
信玄の若い頃よりは能力は高かっただろうな
689 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 11:52:05 ID:FSAn/+mc
そら信玄の若い時と比べたら仕事量が格段に違うもんなぁ
信玄の若い頃の合戦っていうのは
年に1度のお祭り的な要素もはらんだ特別なイベントだったじゃないですか
それが勝頼の時代になったら生き残るために
常時奔走してなきゃならんという状態ですから
690 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 17:04:03 ID:/GigOi2u
だよな。レイプに略奪し放題の一大イベントだったんだもんな。
おかげで勝頼の代で一切に不満爆発で一気に滅亡だもんな。
691 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 19:01:25 ID:paddw8m0
今でも甲信は民度が低いよね
692 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 19:02:33 ID:73WRbJrZ
近畿ほどじゃないだろ。
693 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 21:59:57 ID:/GigOi2u
鹿児島や大阪に比べたら
694 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 22:01:29 ID:73WRbJrZ
まぁ九州みたいに生きた人間に火をつけるとかはないだろ。
どちらかと言うと他県から死体を捨てられる場所だよな。
695 :
人間七七四年:2007/03/21(水) 23:11:05 ID:xcFvnOCe
民度云々言ってるやつが一番程度が低いよ。
696 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 13:55:52 ID:70kLzAiT
53 :人間七七四年 :2007/03/22(木) 13:19:40 ID:sOnn/8aK
軍鑑は元々、小幡景憲が自分が作った軍学を流布するために高坂昌信に仮託して書いたもの
大筋の歴史的経緯はともかく、個別のエピソードでマンセーしている信玄他家臣団の話はまず眉唾と見ていい
同時に彼らを神格化するために、史実を捻じ曲げている例も多い
例えば奸臣扱いの跡部勝資や長坂釣閑斎は武田譜代で信玄時代から当主書状に連署してきた重臣。勝頼が贔屓した武将ではない
おまけに長篠合戦の軍議に当時甲斐で留守を守っていた跡部を登場させて勝頼はそれに唆された馬鹿、と書く始末
武田家臣団が壊滅させられたのは 勝頼と馬鹿な一部側近のせい だとしたい結果から書いた悪質な例
697 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 18:53:30 ID:2V3OwHeV
>>696 跡部・長坂は相当の実力だとは思うが、長坂はともかく跡部は長篠合戦に参加してたんじゃなかったか?
698 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 06:29:31 ID:iEwENo5V
甲信の愛想のなさだけはガチ
699 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 21:49:30 ID:722Ebcoy
1 長篠の戦いの参加人数と損害
旧説
武田軍兵力 一万五千 損失 一万
織田・徳川軍 三万八千 損失 六千
新説
武田軍兵力 八千 損失 千余
織田・徳川軍兵力 一万五千 損失 軽微
2 信楽原合戦の武田家臣の対応
旧説 信玄の老臣たちは優勢な織田・徳川軍との対戦に慎重だったが
勝頼が老臣への態度に憤ってたのと長坂・跡部の指示で御旗・盾無に誓って強引に決めた
新説 信玄の老臣も積極的に賛成した。
3 勝頼は軽んじられてたか?
旧説 軽んじられていた
新説 そうではなかった
4 小山田信茂は裏切ったか
旧説 裏切った
新説 そうではなかった
700 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 22:02:46 ID:6N3V9uTO
小山田は同盟者だのなんだの逝ってるのもいるけど、
武田と一体で活動してたのは間違いないし、土壇場で反旗を翻したのも確かで、それ理由に処刑されたのも間違いないからなぁ
701 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 22:55:46 ID:RfiZZEgt
武田と小山田は織田と徳川の関係と同じだからね
702 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 01:23:40 ID:VKji2b3d
>>701 それよりもはるかに主従の度合いが高い。
傍から見れば小山田は単なる家老にしか見えないぐらいに。
703 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 01:35:11 ID:CeEXEzO5
傍から見たんかいw
704 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 03:07:39 ID:RVBOvHtf
今川と松平の関係だろ
705 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 07:57:13 ID:2dTkcN72
小山田に限らず、譜代とはいえ多くの武将が斉藤と美濃諸将といった感じだったと思うが
信虎時代初期の武田家の小ささを考えれば、譜代譜代言ってる諸将はどこも譜代じゃない
そう考えると小山田なんて北条からちょっと仲良くしているだけの家臣。当時じゃ珍しいことじゃない
どうみても裏切りだろう。当時裏切りが悪だったとは思えんが
織田に処刑されたのも、土壇場で裏切ったこと以外の何らかの目的があったんじゃないかな
ちょっとばかし昔のこと過ぎて真偽は知りようがないが
706 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 08:01:10 ID:Gur5gyya
当時の国人が当主に従うのは、権益を保護してくれるから
武田家家中全員が信虎を見捨てたのと同じ
強いていえば信玄以来戦争と重税を受容しつづけたのにそれに相応しいリターンをもたらさなかったどころか、他家の進撃を招いた武田家側が裏切った
707 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 08:24:36 ID:3oAinK2n
>>704 それよりは小山田のほうがはるかに力が強いだろ。
北条にも臣従してたらしいし。
708 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 08:28:14 ID:xZJmLXHe
北条からも知行を受けていたのは確かだが、
信玄の小田原侵攻では武田側として行動しているところを見ると、
武田よりと見るのが妥当じゃないか?
まあ両属していたのは間違いないが。
709 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 10:08:45 ID:vQODjHa9
松平の本貫地は今川の代官に支配されているほどだから、従属具合としてはそっちが上
小山田の郡内領は甲州法度を拒絶でき最終的にも適用されたのは一部に過ぎない
最後まで独自の領国支配を行えるほど独立性が強かった
710 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 15:58:53 ID:RVBOvHtf
じゃあ織田と水野でどうだ
711 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 16:06:31 ID:vkzjV2vG
というか、従属の程度は別として、土壇場で裏切ったことには変わりないのにな。
同盟者に過ぎなかった!!とか、wikiだので強行に主張してるヤツは、同盟者なら裏切りの程度は軽いとでも言いたいのだろうか。
712 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 16:12:50 ID:bgJA+MnG
>>711 だね。裏切りなのは確定。これは家臣だろうが同盟者だろうが揺るがない。
713 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 16:13:44 ID:ySaMp3wt
>>711 程度以前の問題として意味合いが全然違うって事を理解しろよ。
714 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 16:18:48 ID:vkzjV2vG
>>713 裏切りに関して「意味合いが全然違う」って逝ってる時点で、ハァ?って感じなんだが。
715 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 17:12:24 ID:au/nQtWf
浅井が織田を裏切ったのはまだ納得できるだけの理由があったんだけどね
小山田は特にないね
716 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 17:58:10 ID:xl7TwOcr
武田信玄が死なせた武将
武田義信、飯富虎昌、原昌栄、日向昌成、横田高松、浅利信種、板垣信方、板垣信憲、甘利虎泰、甘利昌忠、
才間信綱、初鹿野忠次、初鹿野伝右衛門、大戸民部右衛門尉、小幡信高、小幡信尚、小山田信有、栗原昌清、
諏訪頼継、曾根周防、常田俊綱、長坂源五郎、諸角虎定、油川彦三郎、室住昌清、三枝新十郎、山本勘助
武田勝頼が死なせた武将
秋山信友、秋山光継、秋山親久、秋山昌成、秋山万可斎、朝比奈信直、朝比奈信良、安倍勝宝、安部宗貞、跡部勝資、
跡部勝忠、跡部重政、安中景繁、甘利信康、甘利晴吉、雨宮家次、飯尾助友、有賀勝慶、依田信守、依田春賢、市河昌衡
一条信竜、一条信就、今福昌和、今福丹後守、海野信親、浦野重次、浦野重秀、江間右馬丞、江間輝盛、大熊友秀、大嶋長利、
小原忠継、小原 広勝、小原下総守、小幡昌盛、小幡憲重、小山田昌行、小山田信茂、小山田大学、小山田行村、小山田弥助
鎌原之綱、加藤信景、金丸定光、川窪信実、笠井満秀、小宮山友晴、栗田鶴寿、高坂昌澄、高坂昌元、小菅忠元、五味高重、
座光寺貞房、三枝守友、真田信綱、真田昌輝、諏方頼豊、菅沼定吉、菅沼定忠、曾根河内守、曾根掃部助、曾根上野入道、
常田春清、多田常昌、武田信堯、武田信友、武田信綱、武田信勝、武田信実、武田信貞、武田信豊、長坂光堅、土屋昌恒、
土屋昌続、土屋貞綱、内藤昌豊、名和宗安、馬場信春、馬場少輔、原昌胤、孕石元泰、伴野又一郎、日向是吉、日向虎頭、
日向次郎三郎、室賀信俊、望月義勝、望月重氏、望月信永、望月信雅、三浦兵部助、向井伊賀、横田康景、米倉重継、
湯本善太夫、湯本九右衛門、祢津是広、仁科盛信、山県昌景、山県昌満、和田業繁、
勝頼は優秀な武将と言える。
717 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 19:51:30 ID:pZHdAdIA
キチガイは否定された物でも平気でコピペする
718 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 20:12:47 ID:xl7TwOcr
>>717 反論できないからって涙目で必死に書き込みしなくても・・・・・
719 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 20:42:45 ID:qkZqAUzO
>>716 意外と少ないね。勝頼にしろ信玄にしろ。
あと、小幡昌盛は病死な。時期的な関係で勘違いしたのかもしれんが。
で、その時代別の死亡者一覧がどうかしたのか?
720 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 20:57:24 ID:eEqhwWW+
病死もあるな。家臣団の亀裂は勝頼だけのせいじゃないないのに
必死にホラ吹いてるキチガイが言う事は、流石に違うwww
721 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 23:38:48 ID:xuNcEm7r
>涙目で
最近、これを常套句のように使ってる奴がいるんだよな
キチガイめいたレスが多いし、同じ奴が何度も一つ覚えに使ってるんだろうな
722 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 00:01:33 ID:xl7TwOcr
723 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 00:44:04 ID:dWuTwJ+u
>>721 涙目になってますとも。
笑いが止まらなくてwww
724 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 01:37:18 ID:XcAWKUcU
725 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 01:38:58 ID:RAluDyti
実際は・・・諏訪勝頼ですから。
726 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 11:04:45 ID:brka9wO3
キチガイの連続カキコか
727 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 11:30:01 ID:UxYxvd7J
おおよそこのスレに現れる基地外は汚病魔堕厨だろ、常識的に考えて・・・
やはり最近できた汚病魔堕スレでの基地がいっぷりを見れば
まず勝頼スレで必死に暴れる理由がよく判るw
だからある時は信玄厨を装って憎き勝頼を貶めて
はたまたある時は勝頼厨を装って信玄(武田家を)貶める
汚病魔堕スレが出来てからその傾向がハッキリしてきたww
物の見かたは常に一緒で裏切り者じゃない!とか同盟者だった!の繰り返し
!
728 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 11:57:41 ID:GLCUKwBV
729 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 12:03:37 ID:l/jk1XMG
730 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 12:09:07 ID:QMKret1k
がきはセンスない当て字がすきだね
731 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 12:23:28 ID:dT1iUFFY
米倉重継なんて竹束の発明者、とか怪しげな情報で持て囃されてるけど
要するに甘利家の同心頭に過ぎない陪臣クラス
ここまで範囲広げたらそりゃ名前ずらずら出る罠
732 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 21:29:11 ID:hdD2n0DD
>>705 小山田が処刑は、土壇場で裏切った不忠者という理由もあるだろうが
併せて武田の中核、総責任者の一人として看做されていたからでは?
もともと処刑リストに入ってたと思うんだよね。
733 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 00:03:56 ID:lIc5S/rg
NHKそのとき歴史が動いた・第283回
「謙信 恐るべし」
放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 NHK総合
番 組 内 容
越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。
しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、
助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと
特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。
この謙信を恐れたのが織田信長だった。
信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、
この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。
そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。
しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。
謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる。
そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。
謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、
織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。
ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。
信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。
734 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 01:04:39 ID:S6ujYTQD
諏訪出身の俺が来ましたよ。
小山田氏が裏切るよりも前に勝敗は決していたわけで、例え逃げのびても態勢をたてなおすことは無理だっただろう。
下手すりゃ郡内領も血の海。勝頼は織田に凄惨な殺されかたをしたはずだよ。
信茂は最期の最期まで勝頼に同行していたわけで、みかたをかえれば、
結局 一番最後まで勝頼を守り、
勝頼に 惨殺されるよりも名誉ある死を選ばせたのが信茂だともいえるのではないだろうか。
勝頼は好きだが、なにかと小山田のせいみたいな言い方をしてあげつらうのはどうかなあ。
735 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 01:43:45 ID:NYwGrMTh
一門衆をまとめる重鎮がいればな。
信廉や信君じゃな。
信繁が長生きしてたらもう少し上手くやれたのかもしれん。
それでも織田に勝てるわけはないが。
ま 全部信玄が悪いんだけどねw
736 :
仙台藩百姓:2007/04/01(日) 02:50:42 ID:d7PdRpAF
最後になって自分だけ助かろうなんて虫が良すぎるお( ^ω^)
だいたいみんな殺されてるのに今更寝返って助かろう思うのが間抜けだお
小山田は典型的な小悪党の小者だお
ある意味、無様な死に方して後世まで汚名を残したお陰で有名になれたけど(≧ω≦)プッ
737 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 03:27:57 ID:H906fgCI
政宗は中悪党くらいか
738 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 09:06:48 ID:7OZ/VJR5
松永久秀は大悪党
739 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 09:57:17 ID:Su/cZsnD
しかし実際同じ立場で生き延びようとしない奴がこのスレにいるのか?
740 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 10:34:37 ID:MiB4KVOj
小山田が同盟者だったら武田とは今まで二人三脚、
つまり織田から見れば「共犯者」になるわけだ
そりゃ許す気なんて毛ほどもあるまい
それなのに命乞いしても善光寺の露と消えるは必定ではないか?
もし勝頼と一緒に戦って死んでいたら甲陽軍艦で武田四名臣をも凌ぐ扱いで
勝頼もしくは武田家の刎頚の友として持ち上げられていたかもしれぬ上
徳川に拾われ永らく繁栄を享受できたかも・・・
身を惜しんで名を捨てた末路ではあるな^^;
信玄の葬儀で穴山等を差し置いて葬列四番手の剣持ちを任されるなど
信頼され重く用いられていた事が伺えるが
従来通り臣従の立場であったならまさに最悪の裏切り方をしたDQNでFA
741 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 11:51:41 ID:S6ujYTQD
過去の戦歴とぎりぎりまで同行している点をみると、信茂本人が自分の命ごいをしたとは考えにくいよ。
そういう記載がある史料は其々の日時に矛盾がある。
あまり知られていないようだが、織田と小山田の間にはこのとき「郡内不犯の約定」がかわされていて信忠はこれを守っている。
命ごいをしにいったのではなく、自分の死とひきかえに約定をとりつけにいったとみるほうが妥当。
742 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 12:40:41 ID:AfVnHwLM
領土ごいに行ったのか。
743 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 13:09:59 ID:S6ujYTQD
信茂の戦歴をみたら、このごに及んで命を助けてもらえるとおもうほど甘ちゃんのわけがない。
仮に小山田が甘ちゃんの小悪党とすると、勝頼はそんなのに騙される大馬鹿者になってしまう。
勝頼はそんな愚将ではないよ。
744 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 13:10:01 ID:nqxrXm2Z
長男人質に出して、自分が死んで、領地とりって不自然だろ。
自分が死んで長男に継がせるならわかるが・・・・解釈が小山田より過ぎ。
745 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 13:15:52 ID:S6ujYTQD
そう?
とりあえず約定があるのは史実。
746 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 13:24:01 ID:NRwanDBQ
>>744 でも命乞い説のほうが不自然じゃん
最終的に小山田の裏切りで武田が滅んだのだから
小山田にしてみればまさか殺されるとは思ってなかっただろう
下手すると本領安堵の他に褒美ももらえるなんて思っていたかも
747 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 15:47:41 ID:Jn0Efj51
小山田を批判する気にはなれん・・・・
748 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 16:56:49 ID:HuI5lFtW
まぁ嘘つきは信長の始まりって言うくらいだからな。
749 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 19:11:55 ID:MiB4KVOj
>>745 済まん約定ってどんな内容なんだ?
マジで知らなかったので書状などの原文を書き出して貰えないだろうか^^;
750 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 19:51:02 ID:tlSYLiBt
>原文を書き出して
ほら来たw
無理難題を押し付けて「出来ないならウソだ」と言い張るアホw
751 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 19:54:36 ID:13Xs0wWP
自分で史実って言ってる人間に無理難題ってのも訳分からんな。
とはいえ原文書き出せってのは俺も乱暴な言い方だと思うし、
どこに載ってるか示せばそれでいいんでない?
752 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 20:17:22 ID:7OZ/VJR5
普通は参考資料を聞くもんだがな
後は自分で調べる
参考資料をすらも示せないのは論外だが
753 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 20:32:35 ID:nqxrXm2Z
というか、根拠としてあげている側が、その資料を示すのは当たり前だと思うがなぁ。
その内容を確かめるとかは、まあ個人がすればいいかもしれないが・・・
そうじゃなきゃ、信憑性もクソもなく、誰かがあるっていったらあるんだみたいになっちゃうからなぁ。
少なくともソースを示すのは常識だろ。周知の事実レベルの話ならまだしも。
754 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 20:43:02 ID:nqxrXm2Z
もっとも、挙げにくくて原文なりを示すのが難しい資料なら、
名前を挙げても他の人がそれを調べるのすら難しそうだけど・・・
自分が読んでこう解釈したからこうっていわれても、元となる資料になんて書かれてるのか、本当にわからない状態では
悪いけど、頭から鵜呑みにはできないな。
まあ、調べろだの言われたらそれまでかもしれんが、
一般的じゃないネタを絶対として熱弁振いたいのなら、他を納得させるのが示した人の義務だと思うが。
それも示さずに、信じないのはおかしい的なのは変。
そんな資料はないって示せ、嘘だって証拠を示せっていうのは、悪魔の証明みたいなもの。
755 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 21:28:14 ID:7OZ/VJR5
バカか?
原文示せとの要求に対してそれは自分で調べろといってるんだろ
要求するなら資料名だ
756 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 21:48:16 ID:nqxrXm2Z
あまり一般的とは言えないレベルの話について、資料名を示されたところで、
そうそう各自で調べられる資料名が出てくるとは思えないんだが。
原文示してくれって言うのも、それを見越してのことだろ。
それとも、なんとしても調べて載ってないことを確かめない限り、それは真実だと認めろとでも?
757 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 22:03:42 ID:tvvYfKHh
↑まずは日本語の勉強から始めてください
758 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 22:12:33 ID:7OZ/VJR5
>>756 資料名すら出てきてないのに最初から自分で調べる努力放棄して偉そうにいえるかよ
でかい図書館いけば当れる
職員に言って取り寄せてもらっても良いし
それでも得られない資料を個人レベルで示せるわけ無いだろ
そもそもそんな疑うなら原文示されたところで「適当に書いてるんだろ」と逃げ討って終わりだろ?
759 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 22:15:14 ID:13Xs0wWP
ていうか俺らがここでわーわー言っても始まんないだろ。
745が出てきて史料名教えてくれるまでとりあえずここで終わりにしとかない?
760 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 21:18:40 ID:53PW1SgF
761 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 21:37:48 ID:kGYe28fi
それとも、なんとしても調べて載ってないことを確かめない限り、それは真実だと認めろとでも?
↑
まずは日本語の勉強から始めてください
762 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 23:56:40 ID:c7S7cwYl
まあまあ、749さんは純粋にソースを知りたかっただけでしょう。他意はないと思いますよ。
745さんがお返事を下さると有難いのですが…。いまのところ他スレにも書き込まれてはいないようです。
通りすがりのレスだけで争ってもいたしかたありませぬ。
そんな説も出たという程度で、参考にするにとどめておけば良かろうかと存じます。
直感でぱっと思いつくのは奥野高広「織田信長文書の研究」の編年天正十年の書状あたりじゃね?
あれ?違うっぽいな
765 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 13:54:31 ID:Z5Jr7/5i
勝頼は有能
ソースはコーエーの能力値
766 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 20:11:26 ID:2FGwkky7
wikiより遥かに信用できんなw
767 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 20:18:51 ID:mYIuKfuL
勝頼は有能
ソースは武田スレ
768 :
退屈@親父:2007/04/03(火) 20:19:27 ID:V4Wqev64
age
769 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 23:06:21 ID:PvUkPwv0
770 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 00:46:01 ID:zRpBF6z7
本
人
乙
771 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 03:10:46 ID:u8EfMJnJ
>>762 他に誰もしらない、ただ1人が書き込んだだけのどういう文書かどころか、ソースすらまったく不明のものなんて
参考に留めておく価値すら見いだせない。
772 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 03:13:32 ID:u8EfMJnJ
>>761 ↑
本気で言わんとしていることを読みとれないのなら、
まずは日本語の勉強から始めてください
773 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 08:40:56 ID:T/vQYlpe
それとも、なんとしても調べて載ってないことを確かめない限り、それは真実だと認めろとでも?
↑
まずは日本語の勉強から始めてください
774 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 12:29:03 ID:ng+vHTKj
うるせーバカ
775 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 12:49:30 ID:KiJZl/8+
それとも、なんとしても調べて載ってないことを確かめない限り、それは真実だと認めろとでも?
↑
今年の流行語大賞
776 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 15:56:38 ID:zCWdrik2
いくらなんでも、そろそろ罵り合いはやめろよ。
777 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 18:28:53 ID:9a0EpJkN
うるせーバカ
778 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 19:07:12 ID:u4gbzhHm
君達しつこい。
779 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 02:53:26 ID:7+Hd9wV9
だがそれがいい
780 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 08:36:55 ID:TDXxu161
あんまよくねーだろw
781 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 10:26:06 ID:MjVm1gyt
かなりよくねーしW
782 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 13:46:04 ID:+QOVvCsR
ブロント降臨
783 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 17:41:47 ID:kIBf89yu
784 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 00:55:28 ID:FFExNnjW
(・∀・ )っ/凵 ⌒☆チン
>>741 チン☆⌒ 凵\(\・∀・) まだぁ?
785 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 18:03:55 ID:3sRhe2bB
正統派、第一首位継承権者の
義信(信玄正室三条夫人の長男)が家督を継いでいたら…
織田の謀略にハマることもなくそれによって武田家家臣団の内紛が起きることも無く
順当に天下を取っていた可能性もある
これは羽柴が後継者の「秀次」を自害させて、側室の子、幼い「秀頼」に継がせ
結果、徳川に天下を取られた事例と同じですなw
786 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 18:07:45 ID:3sRhe2bB
成人した羽柴秀次が
秀吉の後継者として家督を継いでいれば
徳川がシャシャリ出てきた可能性は皆無に等しい
(もちろん、関が原の合戦、なんてものは起きもしなかっただろう)
秀頼君じゃあ、西国の大名たちをまとめられるわけも無い
(三成君じゃあ、ますますもって、できるわけもないw)
武田が滅ぼされた時と同じ手法でまんまと天下を掠め取られた豊臣家
787 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 18:09:11 ID:3sRhe2bB
『天下餅』
織田がこね〜
豊臣がこねし天下餅〜
座りまましに食う徳川〜
788 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 18:09:21 ID:xPqDoUAH
>>785 家康だって嫡男の信康を自害させているんだけどな。
789 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 18:17:30 ID:3sRhe2bB
勝頼は側室の子
あくまで諏訪四郎勝頼だからねぇ
790 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 18:30:59 ID:4/E2J+Yy
茶屋なんて死蝋のうえに痔瘻だぜ
791 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 22:52:40 ID:66pZ6438
792 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 22:53:48 ID:66pZ6438
>>787 さらに長子没後、後継者たる次男を養子に差し出してるな。
793 :
人間七七四年:2007/04/09(月) 22:54:51 ID:66pZ6438
794 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 02:01:13 ID:NUk1j/HB
795 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 08:30:22 ID:SMFzmY3m
796 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 17:12:29 ID:WL8jiz05
↑織田の謀略だろ
797 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 17:36:16 ID:ptgZmUUN
謀略じゃないだろ
その事件で徳川との同盟が終わったかも知れないのに
798 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 18:18:13 ID:HxCojQwG
>>797 当時の織田家に徳川と手切れになってデメリットがそんなにあるとは思えないが
799 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 18:37:14 ID:m8YnETKj
いまだに信康切腹が信長の謀略とか言ってるのか。
800 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 20:56:06 ID:WL8jiz05
内通の話がほんとだとでも?
801 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 00:40:41 ID:p+NUMNyc
>>798 メリットは皆無だがデメリットはたくさんあるだろハゲ
802 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 00:56:25 ID:zD5QRtrm
>>798 10万円持ってたら1万円はどうでもいいのか?
>>800 それ以前に信長が信康を殺さなくちゃいかん理由が無い。
暴君信康の振る舞いに困った徳川家臣による嘆願+
嫁(信長娘)の本家に対する訴えに後に退けなくなった
家康が泣く泣く抹殺したというのが真相かと。
803 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 01:27:28 ID:E68cnm9N
で、
勝頼君はどうなの、凡将なの?
804 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 02:38:55 ID:aDSA1rfA
いや池沼です
805 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 02:51:03 ID:J4386hrN
部将としては有能
元帥としては微妙
政治家としては今一
こんなもんでしょ。
806 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 05:23:57 ID:BgUFb3qV
まあ運だろうな
景勝なんかも信長が死ななくて1583年あたりに滅亡してたら
愚将と言われてたろう
魚津を救えず、新発田に反乱された挙句の滅亡になるわけだからねえ
807 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 07:17:28 ID:jFodY9cA
景勝は重税で民に恨まれたり、重臣達に裏切られたり大敗しまくって虐殺されまくったりしていないがな。
808 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 08:45:51 ID:w/XwfP1f
>>807 重税云々は越後だもん
新発田には裏切られてるし
809 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 14:18:16 ID:oXdmaOVk
銀河英雄伝説で言えばシェーンコップ
810 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 19:08:40 ID:JppuTjC2
勝頼公は優秀な将だよ。跡部や長坂長閑がてめーらの都合がいいようにつかったからいけねーんだろ。
811 :
仙台藩百姓:2007/04/12(木) 19:20:13 ID:RbfVDERB
勝頼は家康と互角だったおね
信長や政宗公には劣るだろうけど
その他の大名より劣るとは言い難いお( ^ω^)
812 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 19:30:09 ID:5VT5AJKR
勝
信
そ
813 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 20:38:49 ID:jFodY9cA
>>811 でも家康に敗北を重ねてゴリゴリ領土を削られ、最後は大敗しているんだけどね。
814 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 21:25:29 ID:+77gQydB
うわぁ、ネタにマジレスしてるよw
信玄の死後、犀ヶ谷で大崩れとなった山県昌景を救うべく、勝頼が側面
から兵を入れ、徳川勢を大いに切り崩し、63の首級をあげたそうな
(それに対する山県隊のあげた首級は13)
816 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 21:51:35 ID:GdRL12MW
もし義信が家督を継いでたら
名将として活躍したのかな
それよりも煙たがられて粛清の可能性が高いか
817 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 21:55:15 ID:+77gQydB
>もし義信が家督を継いでたら
義信が継ぐ状況=今川家健在、なので
徳川VS今川の戦いに兵を入れたりして
武田家は無用に疲弊して弱小国のまま
なので織田が本腰を入れて潰すような事もなく
弱小国として存続したかも知れんね
818 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 22:05:43 ID:ER5MaCQJ
織田が突出する前に、今川と武田とで徳川潰せてたら、まだ面白いんだがな。
819 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 00:40:52 ID:NdnBW3H7
>>815 >63の首級をあげたそうな
>(それに対する山県隊のあげた首級は13)
だから駄目なんじゃね?将帥として。
820 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 04:07:13 ID:XDL2EE9v
秀吉が「勝頼を生かして軍団長として使ってみたかった」と言ってたとか
まあ所詮そこらへんどまりの人だわな
821 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 07:21:05 ID:8egTIWOd
猪武者だから愚将とか天下人が天才とかじゃなくて
適材適所じゃなかっただけだろ、勝頼は
822 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 08:23:43 ID:XNI1WcUl
族の特攻隊長程度の人間なんだろ
823 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 11:30:56 ID:ocQZ+mhy
>>813 少なくとも長篠までは高天神城取るわ、足助城取るわ豊川流域を荒らすわ
結構押しているんだけどね。家康は武田方の天野を攻めたときでさえ大敗しているし。
長篠以後は何気に家康が領地を削っていくな。まあ、もともと徳川の領地で
信玄にとられていたのを取り返していくという感じだが。
それでも勝頼が出てきたときは家康は迷わず決戦を避けているな。
824 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 11:52:55 ID:0ChsJjoI
つーか信玄公が勝頼公を正式な跡取りとせず、孫の竹王信勝公を跡取りにしたから家中がまとまらず、長篠の結果を招いた。もとから勝頼公が正式に跡取りであれば老臣との対立も長篠の大敗も無かったと思う。
825 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 12:22:58 ID:1xDgfh+N
それ講談ベースの俗説だから
826 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 21:18:57 ID:0ChsJjoI
827 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 21:32:31 ID:7geOKAzT
>>826 勝頼が家督を継いだに決まっとるがな。
他に誰がいるよ?
828 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 21:36:50 ID:0ChsJjoI
>>827 老臣らとの不仲はなぜ?御旗、楯無の使用禁止は?当主なのに?
829 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 21:44:32 ID:7geOKAzT
>>828 勝頼が庶子から無理矢理嫡子に格上げさせられたのを気に入らないってのもあるし、
義信事件で一族が連座した重臣もいるんだから面白くはないだろう。
急拵えの当主じゃ重臣への睨みもなかなかきかないのも無理ない話。
御旗楯無の話は初耳なので何とも言えないな。
で、当主信勝陣代勝頼説の根拠は何よ?
830 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 22:19:22 ID:0ChsJjoI
>>829 信勝公の後見になり信勝公16歳になったら家督を継がせるように。と言うのはなにかの本にかいてあった。根拠にはならないが…あとで調べてみる。
義信事件のことだけど飯富源四郎昌景のことだよね?だったら信玄公とも不仲になるんじゃ?
831 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 23:23:04 ID:3Xdzg4C1
ID:0ChsJjoIはモノ知らなさ杉
832 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 00:31:08 ID:vAZ3CzD+
>>830 >だったら信玄公とも不仲になるんじゃ?
武田家中の掌握力が勝頼とは段違いだろ。「逆らっても無駄」と「逆らっても大丈夫」じゃ
態度が違うに決まってるじゃないか。
833 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 04:54:56 ID:sOjXa+fy
このスレを頭からちゃんと読めば0ChsJjoIのような見当違いの話は出さないよなぁ?
834 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 06:49:45 ID:dtjZM4rH
ID:0ChsJjoIの人気に嫉妬
835 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 08:09:00 ID:JWZBKbOO
陣代説否定はとっくに語り尽くされた話な訳だが。
836 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 10:33:37 ID:tcahd0Iq
後見否定説は捏造
837 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 01:27:46 ID:cfpRiB78
捏造
838 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 11:01:16 ID:IPuxwsde
信長が謙信に出した書状だと「勝頼は信玄の遺法を良く守っている、油断できない相手だ」と軍鑑はじめとする武田寄り史観で書かれたものとは全く別の判断をしているんだよね
839 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 11:23:52 ID:NNec7BXn
>義信事件のことだけど飯富源四郎昌景のことだよね?だったら信玄公とも不仲になるんじゃ?
いやいや、ここまで書いたら釣り丸出しだよw
840 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 11:47:19 ID:IPuxwsde
軍鑑の信玄遺言は
・勝頼は陣代、後継は信勝成人後に(当主を空白にする気か?)
・信長とは戦うな(自分から喧嘩売っておいて……)
・家康に注意しろ
・謙信とは和睦しろ(無茶言うな)
・自分の喪は三年秘密に(同上)
・でも明日は勢多に武田の旗立てて(どう考えても不可能)
……死期が迫って耄碌してたとしかw
841 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 13:41:00 ID:qWM3Jg9+
遺言うんぬんに関しては常識的に考えておかしい部分が多いね
信玄が勝頼のみに伝えた遺言なら武田家の家臣どころか重臣にさえも知る術がないのだが
重臣にも分かるように伝えた遺言としては内容が情けなさすぎるし
重臣たちには理解しがたい内容で、重臣たちへ配慮するような遺言もない
信玄が死んだ当時に創作された話だとしても無茶な内容が多すぎる
だからこの遺言は信玄の死後勝頼がやった事を見た作者が
だいぶ後になってから創作した話だと思うんだけどどうか
842 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 00:22:08 ID:JaAdCpkU
>>840 >・信長とは戦うな(自分から喧嘩売っておいて……)
>・でも明日は勢多に武田の旗立てて(どう考えても不可能)
これ、どう見ても矛盾してるよな・・・
843 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 12:51:28 ID:6YI/y1no
つまり降伏しとけってことじゃね?
844 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 17:58:43 ID:5vBcJNMI
三方ヶ原の後、信長が弱腰になったことがあったんじゃなかったっけ?
845 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 19:27:00 ID:KPAtb8g+
ないよ
846 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 20:48:41 ID:h8MUK7+b
同盟もちかけたこと言ってるんだろうけど
弱腰かどうかはまた別だな
847 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 00:47:09 ID:tJ0B14tM
信玄から徳川に援軍を送ったことを責められて平謝りじゃなかった?
もちろん、東美濃を攻めておいてそんな書状を送るなよ信玄って感じだけど。
848 :
人間七七四年:2007/04/23(月) 01:12:26 ID:cU1/Z6no
勝つより
衆道の方はどうよ?
849 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 13:51:58 ID:s+KvIlcg
まぁ信玄が死んだ時点で武田は終わりだったんだな。
ていうか信玄や謙信が信長によって毒殺されたとかTVでやってたんだがまじなのか?
850 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 13:59:22 ID:kn0HLZ+B
あの二人はタイミングがあまりにも良すぎたから暗殺したという噂が出ても不思議ではないな
本能寺の黒幕は家康や秀吉だった!とかの結果論とかと同じレベルの偶然だとも思うが
851 :
人間七七四年 :2007/05/02(水) 13:59:59 ID:49wYMo3m
再来年の大河で勝頼がどう描かれるのかが興味ある。
>>849 今のところ想像の域の話だ。
852 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 21:38:51 ID:+GigktcZ
どう考えても梅雪のことやろ。
853 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 03:40:40 ID:QC55F+fc
>>849 信玄が生きていようが、一気に挽回するのは難しかったとおもうが
854 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 06:13:49 ID:OeoSTuNR
武田家の資料として残存する記録は少なく、ほとんどが信憑性に欠けるものばかりである。
広く用いられている書物として「甲陽軍鑑」が挙げられるが、これも相当脚色されており、
史実としてはアテにならない。
855 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 07:25:54 ID:Y89/fTCC
>>854 お前の知り合いに嘘つきがいるとする
その嘘つきはウソばっかりついているのだが
そのウソだけを見るのではなく
ウソを言っている理由やその嘘つきの背景や
嘘つきになった理由などを考察すれば
ウソの中から真実が見えてくる
「歴史学」というのは信憑性の高い記録を鵜呑みにするだけでなく
事実かどうが疑わしい史料の中から真実を見つけ出す作業も含まれる
ウソもちゃんと作業を行えばその中から真実が発見出来る
856 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 08:33:27 ID:OeoSTuNR
嘘の中からは何一つ真実など見出せない。
なぜなら嘘は何処まで行っても嘘でしかないからだ。
そもそも歴史(古い過去)の真実なんてものは誰にも分からない。
だからといって歴史を否定するものではない事を付け加えておく。
857 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 12:17:52 ID:Z+G8CAvJ
まだまだだね
858 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 18:10:19 ID:+WsGly4P
>>855 「嘘」と「創作」は違うよ。
本当に上手い嘘とは0からでっち上げることではなく、
九割の真実の中に一割の嘘をまぜること。
859 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 19:03:48 ID:s1k4UowS
>>856 例えば、関が原の合戦から大阪の陣までの期間、
特に家康と秀頼の会見から大阪の陣までの短期間に
徳川家、特に秀忠にとって都合の悪いヤツが次々と急死している
記録によると「梅毒」となっている事が多い
ここから、ある真実が見えて来るだろ?
見えて来なくて「死因は梅毒」と鵜呑みにしてるんなら
もう何を言っても無駄なのでどうしようもないが
860 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 23:37:29 ID:JbQJ/aMK
>>859 お前秀忠スレで暴れて奴か。あそこで論破されて出て行ったと思ったらこんなところに…。
861 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 00:00:57 ID:7BOKEQlq
862 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 00:28:46 ID:4JM9FQ2k
863 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 00:44:44 ID:pY8wDMng
謙信は幕府復興をみてたから当時はまだ戦国時代
864 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 00:45:22 ID:4JM9FQ2k
滅んでいるので戦国時代ではありません
865 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 00:53:57 ID:pY8wDMng
固いやっちゃ
866 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 23:17:07 ID:z0TdB3YW
穴山だよ、穴山が悪いんだよ
後木曾と氏政
867 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 16:57:00 ID:5t5B42OT
勝頼は有能な人物だったと思う
戦上手だが人身掌握の能力が欠けてたと思われ。
今も昔も人間関係がすべてで、これが上手くない勝頼武田家は滅びたんだろうな
868 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 17:24:54 ID:ZD9WgEZ9
>>867 長篠の敗戦がある限り、勝頼を有能とする事には違和感がある。
織田・徳川軍の後詰を知った時点で即時退却するべきだった。
自軍は労兵で敵は新手。
また、織田・徳川軍がどれだけ大勢力であるかも知っていた筈。
敵はご丁寧に陣城を作って逃げる機会を与えてくれていた。
敵の兵力が間違って伝わっていたとか、
佐久間信盛が願えるという偽情報が伝わっていたとかあるけど、
何れにしても不確かな情報で危険な選択をして、
挟撃という最悪の結果を招いてしまった。
どういう理由があったにせよ、あそこは退却という選択肢以外に考えられない。
869 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 17:26:21 ID:ZD9WgEZ9
失礼。
×願える
○寝返る
870 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 17:44:33 ID:5t5B42OT
>>868 それは結果論でしょ
勝頼は戦は下手ではなかったと思う。
簡単に勝頼VS信長家康連合軍と言うけど
実際は色んな武将がいて軍議して勝頼だけの考えではないだろう
だから、そのあたりを纏めれなかった勝頼が人身掌握には不慣れな大名だなと思う所以。
871 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 18:03:20 ID:xCgk90/H
>>866 氏政は悪くないだろ。
あれは勝頼が悪い、
もちろん上杉と勝手に講和したからではなく、
景勝派と景虎派の和平斡旋に失敗した勝頼の外交手腕の悪さが最大の元凶。
872 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 18:14:01 ID:ZD9WgEZ9
>>870 自分は戦に反対していたのに家臣団に押し切られての決断ならなおの事大将としての器不足。
(実際に勝頼の書状などから、勝頼自身も好戦的であったと思われるが)
上でも書いたけど、どういう理由があったにせよ最終的な決断をするのは大将で、
その決断が誤っていたのは確か。
様々な情報から状況を判断して、正しい行動に導く事こそがリーダーとしての最も重要な役割。
それが出来ずに最悪の結果になってしまったのだから評価が低くなっても仕方ない。
無線連絡も出来ない当時で合戦の指揮の上手下手がどれ程結果に影響があるのか分からないが、
勢力拡大のスピードや高神城攻め等の理由から仮に勝頼を戦上手だと仮定しても
それが彼の評価を一流にする理由にはならない。
873 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 19:11:42 ID:5t5B42OT
>>872 自分自身甲斐国とは程遠い三河生まれなので別に武田家には温情とか贔屓する気もないし
率直に勝頼は愚将ではないと思うだけ。
確かに貴方が言われる通りでそれが定説だろうね
でも例え、あの時に撤退して自国に戻ってたとしても家臣団の人心は離れていったと思うし
遅かれ早かれ武田家滅亡は逃れられなかったと思えてしょうがない
このスレに則って勝頼が愚将か?という問いに素直に愚将ではないと思えただけで
悪い所もあるし良い所もあると思う。
874 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 00:36:35 ID:wIsHuhV9
俺も
>>873の意見に賛成。
徳川と1対1ならともかく織田との国力差は
もはやどうしようもなかったんじゃないかと思える。
それを信玄もわかってたから無理してでもの西上だったんじゃないかと。
それも何が何でも野戦に持ち込みたかったと俺は思う。
城を落とすには時間がかかりすぎるから。
だから瀬田に旗を立てよになったんだと思う。
勝頼が重税をかけたのもパワーバランスを維持するために
そうせざるを得なかったと思う。
それを領民に理解させてただけでも凄いこと。
そうでなければ経石が出てくることなんかありえない。
要するに1対1なら家康が戦いを避けるほどの武将だった。
俺はこのスレを読んでそう評価する。
875 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 17:49:08 ID:UK5blOk8
家中を纏め切れなかったのは勝頼本人の資質の問題よりも、諏訪家の人間として扱われていたために武田家中と馴染めなかったのが大きいと思う。
個々の戦いは巧いが外交のような大局的な面ではポカが多いのでどちらかと言うと戦略より戦術のほうに資質があったのかな。
義信が家督を継いで勝頼はその一部将として働いたほうが向いていただろう。
876 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 18:41:16 ID:Tw2ADXqJ
>>875 諏訪家に婿入りして武田家を継いだのがすべての敗因だったろうね
自分も同感で、義信が継いでいればまた変わっていたのかも
晴信、信繁のように強固な兄弟関係のように。
晴信も実父を追放してるんだから義信の事も許してあげれば良かったのにね
877 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 19:26:12 ID:CNr7d47V
義信が生きていたとしても
勝頼が独立しようとか武田を倒してやろうとかいう
謀反を起こしそうな気がしないでもない
878 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 20:41:30 ID:F72KX0Cu
>>877 それはないでしょ。武田の親族衆が勝頼についていくとは思えん。
なんせ、勝頼が当主になってすらついていかなかったんだからw
879 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 21:33:01 ID:k/8UbE9a
武田は信玄と信繁もそうだが兄弟間の仲だけは常にそれほど悪くないというイメージがあるな
880 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 01:04:22 ID:EPsckYoo
木曾と諏訪が織田方になってみろ
面白そうじゃないか
881 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 01:18:39 ID:bEZZ5wv+
義信が生きてたって、どーにもならんよ。
駿河すら所領じゃないなんて、お話しにならんし。
882 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 01:42:52 ID:o1S2UQPM
>>881の意見に賛成。
義信は損得と義理を天秤にかけると義理を選ぶ人間
そういう風に育ててしまった守役の責任だと思う。
それでは組織のトップとしては不適格。
まして自分の嫁さんが駿河から来ている以上
なおさら信玄が駿河侵攻を決めたからには
駿河侵攻に反対してはならない立場
公私混同と受け取られてもしかたがない。
883 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 02:52:36 ID:EPsckYoo
義信のクーデターが成功して信玄を駿河に追放
武田家は義信の物となる
今川家は頻繁に織田・徳川からの攻撃を受け
その度に今川への度重なる救援で武田は疲弊し離反者続出
そんな中、離反者達が諏訪勝頼を擁立し武田と今川を倒して
諏訪家が武田と今川の旧領を接収
・・・あれ?
884 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 04:20:40 ID:J24o4Meu
そもそも義信が今川に義理立てして謀反を起こしたってのは事実なのか?
何やら講談ぽいし、実際は信虎追放劇のように本人の意志以外に家臣団の権力闘争があった気がする。
885 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 06:09:28 ID:yFhOZpsw
単純に三国同盟を重視したのかもな
886 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 07:26:47 ID:bEZZ5wv+
>>884 どちらにせよ、それじゃスムーズに信玄から義信に権力の移行がなされないから、
勝頼よりも義信であるメリットが見えない。
887 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 08:36:39 ID:QQTKXsao
今日から禁煙する
御旗楯無も御照覧あれ
888 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 11:20:37 ID:QJRfe0LZ
>>883 でもその場合、家臣団との関係が史実よりも強くなる可能性があるよな。
889 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 23:32:58 ID:rj7ZJpRe
信玄の過去の負債を払わされている勝頼は
本当に不幸だ
890 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 02:01:18 ID:P5HEfD/N
>>889 義信事件というものの裏には、やはり一部の家臣団の
信玄への不満が隠されているわけだからね。
それを力で制圧、処分。
この事件を傍観していた他の家臣間にも
何らかの心的不安は残ったと思う。
そして、後をとるべき年齢の息子は諏訪四郎というすでに
他家の名跡を継いでいた四男だった。
甲府に迎えられても信玄に学ぶべき時間も少なく、
ついていない人生であったとは思う。
891 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 16:12:30 ID:wpF0j6tm
887、すってんのかよ
892 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 16:13:37 ID:wpF0j6tm
早くやめないと手遅れになりますよ。寿命が縮まる。
893 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 01:09:39 ID:v8a6GK+d
未だに勝頼が愚将だとか言ってるやつなんかいるの?
名君ではないにしろ、軍事能力はあっただろ。
こんなスレ「曹操は悪人ではないと思う」くらい意味ないだろ
894 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 02:19:35 ID:q/R5sLmK
愚将だお
895 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 07:32:23 ID:bZlnShSo
君主としては無能
将としては有能
896 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 09:31:36 ID:BLsgc142
j愚将だから長死ので大敗
897 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 09:55:13 ID:e2M5dfnt
そもそも本当に勝頼が原因の大敗だったのかな
死者は千人そこそこってのが今じゃ有力なのにあんなにばたばた将が死ぬのはちょっと
自暴自棄になった先鋒とやる気をなくした後備えじゃあどんな作戦を立てても・・・
898 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 09:59:12 ID:5BO61mFQ
せいぜい侍大将程度の器でね?
899 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 19:31:08 ID:Z6RUezho
総大将がちゃんとしていれば、衆や方面軍くらいなら十分に指揮できると思う
ただ総大将の器ではないな、外交下手だし
900 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 02:31:15 ID:TAoOeovH
↑ハゲド
信玄存命の頃の「諏訪勝頼」だったら高評価のままだったんだろうな
陣代になってからおかしくなった
901 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 12:13:13 ID:629LRpAg
陣代説って・・・w、いい加減下火にならないのかね。
902 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 14:10:25 ID:ev93O7qK
戦の最中に穴山が勝手に離脱し、武田信豊や信廉がそれを追って離脱、
中央がぽっかりと穴が開いた状態で両翼の重臣達が取り残されたと。最悪だな。
903 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 17:32:40 ID:qC3NVA1B
>>9 強い勢力に恭順すればよかったじゃん
そうすりゃ死なずに住んだ
とりあえず政治は低く智謀も低い武将だね
904 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 18:00:46 ID:54lV5jbL
ゲームの視点で語られてもw
905 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 18:06:38 ID:5mkZzvJj
徹底抗戦しかないと判じるほうがゲーム視点じゃないのか?
長篠あたりで降伏してれば甲信、若しくはどちらか一国だけ安堵される程度で支配下に入れる
906 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 18:38:44 ID:54lV5jbL
それがゲーム的な発想w
907 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 18:50:57 ID:5mkZzvJj
具体的なこと何一つ言わずにゲーム的な発想ね
戦わずに四カ国にまたがる領土が支配下に入るんだから無理やり戦う必要がない
むしろ無理やり戦ってなんとしてでも滅亡させなきゃならないというほうがゲーム発想
908 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 18:59:23 ID:S9NwZ1uT
秀吉の場合でかい大名は所領削ったり安堵したりして傘下に収めて、
あとから配下の武将や親族を大名に取り立てて分裂を図ったりする
例が多かったけど、信長の場合は周りがことごとく敵対していた
こともあって、攻め滅ぼすイメージが強いんだよなぁ。
傘下に収めるにしても、北畠のように最終的に完全に乗っ取って
重臣・親族皆殺しとか。
909 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 18:59:57 ID:osHUVeRr
>政治は低く智謀も低い武将
>長篠あたりで降伏してれば甲信、若しくはどちらか一国だけ安堵される程度
「信長の野望」のしすぎw
910 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 19:06:25 ID:osHUVeRr
>>908 信長の場合は旧勢力を一掃して新しい武士の社会を構築しようという考えがあって
そのために統一事業は無駄に時間がかかっていたわけで
信長が一生かけてもやっと達成できるかどうか分からない
ていうレベルの話だったけど
秀吉の場合はそれを大幅に妥協してとにかく統一する事だけを目的にしてる
まあそれとは関係なく、
長篠の合戦直後の時期に勝頼が信長に服従すれば・・・って
服従しなかったから信長の野望で言うところの政治力が0・・・って
「武田が滅びた」という結果だけを見てゲーム感覚で言ってるとしか思えない
911 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 21:08:17 ID:5mkZzvJj
>>910 お前のは小説視点じゃないのか?
旧勢力を一掃して新しい武士の社会って
長篠直後で朝倉も浅井も滅んで国数でも国力でも織田のほうが圧倒的
まして長篠で敗れてるんだから支配下に入るのは自然
譲って結果論だとしよう、結果論とゲーム視点は同一じゃないだろ
912 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 23:19:48 ID:KXO6DWP3
信長って自分に反抗した相手にもけっこう甘いべ
比叡山と長島一揆だけで信長=苛烈というイメージついてない?
913 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 23:22:16 ID:osHUVeRr
>>911 >国数でも国力でも織田のほうが圧倒的
数字で圧倒すれば勝ちなんて
まさしく「信長の野望」の発想じゃないかw
業界4位の企業は業界1位の企業に吸収合併されたいと思うか?
もしそんな社長がいたら役員会で社長を解任されるだろう
それが「常識」な、お前のは「ゲーム」な
914 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 23:42:56 ID:5mkZzvJj
>>913 >数字で圧倒すれば勝ちなんて
>まさしく「信長の野望」の発想じゃないかw
なんというか
命かけて領土争いしてるんだぞ?
数で負ければ当然不利になるし、当然命もなくなる確率のほうが高い
それを見越して支配下にはいるわけだが
>業界4位の企業は業界1位の企業に吸収合併されたいと思うか?
>もしそんな社長がいたら役員会で社長を解任されるだろう
企業と戦国大名は全く違う
例えにすらなってない
つうかお前のほうがゲーム視点じゃねえか
ゲームはどんだけ損害こうむろうがリセットで終わりだが、戦国大名は一族郎党の命すらも預かってるんだぞ
例えるならお前の家族全員暴力団と戦うか、財産全部渡して構成員になるかの選択だ
915 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 23:56:56 ID:djjtMieu
>>913 資本力の圧倒的な企業が敵対的TOBを仕掛けてきているとする。
大抵はそのまま吸収されるか、より大きな企業などに助けてもらう。
おk?
916 :
ソユーズ:2007/06/11(月) 00:06:08 ID:otRNm+aY
>>913とは別人だが、あえて言うなら
武田勝頼=会社の社長、国人衆=株主って
>>913は言いたいんだろ?
>>913の考えを引用するなら、業界4位の会社の社長が、
業界1位の会社に吸収合併するって言い出したら、今まで業界4位の会社を支持していた株主は
一気に業界1位の会社の株を買おうとするか、
「なんだこいつ、せっかく株買ってあげてるのに根性ないな。」と社長に不信感を抱き始め、
株主総会で社長は株主の支持を得られずに解任される。
そして「現社長があんなこと言ってるし、代わりに俺が社長になってやる!」って考える株主も出てくるわけでw
死ぬ死なないの差はあるが、こんな感じw
平たく言えば「今から落ち目になっていく会社を支持する人間が何人いるか?」ってことだな。
917 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:39:01 ID:e/10tU8u
だから、企業に置き換えるのは無理が有るんだって。
918 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:42:36 ID:YNlLT8BK
敵のほうが国力や兵力が圧倒してるからと言って
それに吸収合併されるのが果たして「正解」なのかどうか
第二次世界大戦でも日本はもっと早い段階で連合軍に降伏すべきだったのか
それで国際社会におけるアジア人の尊厳は保てたのか
919 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:50:25 ID:pUAKUmwH
>>916 あのさぁ、例えば落ち目の企業が大会社に吸収されたら株価はどうなると思う?
大掛かりな戦争を仕掛けて何の成果も得ずに撤退してしまえば、
彼我の経済格差も更に開き、部下からの求心力も低下してしまう可能性がある。
少々のリスクを負ってでも引き下がれない事情もあるだろう。
ただ、相手は石山戦争で最大の難敵を排した圧倒的勢力の織田家。
その織田家と徳川家が突撃してこずに陣城を作って待機してくれているんだから
その間にとっとと退却するべき。
その後に、他家と結んで織田家に対抗するか織田家の傘下に入れるようにするか考えるべきで、
智謀だの政治だのは如何にもゲーム的だけど、
大勢力に恭順すれば良いというのは別に間違ってない。
まぁ、相手が秀吉じゃなく信長って時点でそれも簡単じゃあなさそうだが。
920 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:55:28 ID:vX70E457
>>918 アジア人の尊厳を保つって、酷い釣りだな。
921 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:14:56 ID:YNlLT8BK
>>919 その理屈で行けば
織田信長は家督を継いだ段階で今川義元か斉藤道三の傘下に入るべきだったよね
普通に考えたら今川も斉藤も織田に潰せるはずがないんだからとっとと傘下に入るべきだった
入らなかった織田信長はアホ、という発想だよね?
922 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:50:20 ID:vqPSR2z0
>>912 信長にとって駒として使えると判断したら生かす
そうでない場合は親族だろうが降伏しようが殺す、それだけのことだ
923 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 01:58:04 ID:pUAKUmwH
>>921 桶狭間当時の織田家と今川家・斉藤家の経済力の差って分かる?
あと、今川家や斉藤家が尾張一国を攻めて支配しようとしていたとでも?
924 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 02:00:24 ID:YNlLT8BK
ID:pUAKUmwH ←恥ずかしピエロw
925 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 02:01:00 ID:pUAKUmwH
あ〜あ、結局そうなるのかw
恥ずかしいな、君。
926 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 03:30:17 ID:rfzlfZDA
ID:pUAKUmwH ←恥ずかしピエロw
923 :人間七七四年 [sage] :2007/06/11(月) 01:58:04 ID:pUAKUmwH
>>921 桶狭間当時の織田家と今川家・斉藤家の経済力の差って分かる?
あと、今川家や斉藤家が尾張一国を攻めて支配しようとしていたとでも?
927 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 03:48:30 ID:TM8+uY+o
>>923 家督をついだ時の話がなぜ桶狭間にとぶ?
928 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 04:15:42 ID:wJMO2c/3
ID:pUAKUmwH ←恥ずかしピエロは
責任を持って長篠の合戦当時の織田家と武だけの経済力の差と
織田家が武田を滅ぼして旧領を支配しようとしたという文献を出して下さいね
>>923みたいなのは相手の発言を封じるための汚い手段なんだよね
ほんとにこういうヤツを見てると腹が立つ
929 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 06:02:26 ID:amDxnSMo
930 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 08:16:57 ID:rEfPiZaA
>>921 そうじゃない?
そこで織田が出てくるあたりにコンプレックスを感じるが
931 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 11:00:16 ID:pUAKUmwH
>>928 太閤検地時の三河・遠江・駿河の石高が約70万石、尾張が約57万石、美濃が約54万石。
しかも、尾張は木綿の生産や津島の交易で非常に豊かだった。
信秀が朝廷へ4000貫という莫大な献金をしている事からもそれが伺える。
織田家と今川家にはそれ程の国力の差は無いんだよ。
桶狭間の時の事を言ってるんじゃなければ殊更に態々今川家に臣従する必要性が無い。
長篠の合戦当時の武田家は約130万石、織田家は約400万石、加えて徳川家も居る。
勝頼の頃は金山の産出量も減り、織田家は石山戦争に勝利して堺も掌握した。
経済力の格差は決定的だよ。
あと、武田の旧領を支配しようとしたかどうかも何も実際に支配してるしなぁ。
まぁ、そんなに興奮するな。
932 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 15:19:26 ID:GzBIjH5B
この恥ずかしピエロは
自分で「桶狭間当時」と言っておきながら
出したデータはだいぶ後の「太閤検地」か
チキン丸出しだな
はやく信長が家督と継いだ時点のデータくださいよホレホレ
933 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 16:42:45 ID:zalpkeuQ
ID:YNlLT8BKは発狂しまくっておるなぁ。あと、ID変えるのはうざいからやめろ。
934 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 16:55:44 ID:38RMbiId
おとなしく恭順しといたほうがぜったいよかったよね
なんで戦ったんだろうね
イノシシ武者の典型だわ
935 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 17:10:39 ID:ZYTBNqbL
>>931 じゃあ何故桶狭間であれほどの動員差が出るのか
信長じゃなかったらあの時点で織田は滅んでただろ
アホかw
936 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 20:46:31 ID:TpD/DlpJ
桶狭間のときは信長は尾張統一できてないジャマイカ
937 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 22:09:58 ID:xVt+ubVg
単純にまだ勝ち目がある、降伏するにしても粘った方がもう少し高く売れると判断して
その判断が正しかったのが桶狭間時の織田家で
形成判断が間違っていたのが武田家というだけのことじゃ
938 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 22:44:05 ID:TM8+uY+o
信長あ家督ついだ時の勢力は10万石あるかないかだろ。
939 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 22:51:49 ID:WExB8OKo
ID:pUAKUmwH ←恥ずかしピエロw
940 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 11:48:25 ID:ZA+yYx03
のぶちゃんは頭がいいから奇襲で倒した
勝つよりはアホだから正面から突撃した
天才とグショーの差
941 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 11:52:25 ID:5mTorzrt
そんなヘボい釣りじゃ盛り上がらん
942 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 14:53:24 ID:ZA+yYx03
といって逃げるしかないグショーをたく
943 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 15:33:44 ID:FRKV+N/m
と、池沼が吼える
944 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 20:41:10 ID:SZzQoVgZ
信長がいなかったら勝頼が天下取ってたね
945 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 21:13:53 ID:vpDlkIf/
そんなヘボい釣りじゃ盛り上がらん
946 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 21:29:12 ID:ZA+yYx03
アホの勝つより10000人vsノブちゃん軍10000なら
どっちが勝つかなw
947 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 21:32:35 ID:1ExdPc8m
そもそも勝頼がアホなんて何処をどうみたら言えるんだwwバカじゃねーのww
948 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 22:15:01 ID:mxLYf7tD
949 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 01:37:33 ID:MDq2oSc4
信長 B型
秀吉 O型
家康 A型
信長は天才
秀吉は凡人
家康は卑怯
950 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 05:29:00 ID:vt8DDA+T
勝頼は生まれた時代が悪かった
信長なんて破天荒なキャラが先に生まれていたから
織田との戦力差に対抗するのは、個人の能力の限界を超えている
織田家の圧力なく、順調に年輪を重ねていれば、どんな評価を受けていただろうか
もし、勝頼→信玄の順に生まれていたら、滅ぼされていたのは信玄だっただろうな
信玄厨は認めたくないだろうがw
951 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 05:51:28 ID:nBBL6IAG
人間というのは一人で産まれて一人で育って行くのではなく
周囲の人間や環境や時代の影響を受けて育っていくわけで
信長があのように育って成功したのも信玄や勝頼が育ったのも
個人の性質ではなく周囲からの影響によってそうなったわけだ
だから「勝頼→信玄の順に生まれていたら」などと仮定するのは無意味だし
その武将の評価は絶対的な物ではなく
同じ時代に生きた武将や先祖や子孫などと比較した相対的な物であって
「産まれた時代がどうこう」という言い訳も何の意味も持たない
952 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 06:42:18 ID:vt8DDA+T
溜息が出るくらいつまらない意見だな
仮定が無意味だというなら、2ch見るのやめた方が良くないか
楽しめないだろ
ただ、勝頼→信玄という仮定は乱暴だったな
極端な話、勝頼の立場に信玄がなっていても、織田家には対抗できず滅亡していただろう
953 :
人間七七四年:2007/06/19(火) 22:00:38 ID:NP3ALUBd
そりゃあ無能の勝頼が先だったら信玄が生まれる前に滅ぼされちまうわ
良くても河内は今川領に、郡内は北条に切り取られて風前の灯になって
信長どうこう言う前に滅んでただろうな
だから「産まれた時代がどうこう」という言い訳も何の意味も持たない
勝頼厨は認めたくないだろうがw
つまり
>>590おまいの言ってるのは仮定にもならない妄言だって事
それ位考えられないのかねゆとり世代って奴は
954 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 00:11:03 ID:lB/iUpXe
>>952 「仮定が無意味」だとは言っていない
「お前の仮定は無意味」と言っているだけ
>>953もアホな事を書いているが同一人物か?
まず、史実の勝頼が無能だとしよう
その「無能な勝頼」を作り上げたのは勝頼が育った環境に原因があるわけで
勝頼と同じ境遇で信玄が生まれたとしたら信玄も同じレベルの無能に育つわけだ
逆に信玄が有能だとした場合、信玄と同じ境遇で勝頼が生まれ育てば
信玄と同レベルの人間になるわけだから
「勝頼が先に生まれたら」という仮定の話は何の意味も持たないという事
ここまで書いてまだ理解出来ないのであれば
脳が腐りかけている可能性が高いので
ニンテンドーDSとかで頭の体操でもしたらどうか
955 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 01:20:59 ID:CZ117zco
>>953 だから、訂正してるでしょ
本当に言いたいことと違ったと
これだけ時間が空いてるのだから、一つ上の文は読んでほしい
>>954 全く正反対の書き込みで、同一人物に見えるのはちょっと解せないが
あと、上記したように、>950は>952で訂正した
悪口を言うつもりではないが、俺には、的が移動した後の場所を攻撃しているように見える
DSの脳トレは飽きたよ
文章の微妙な表現によるささいな誤解から嘲笑合戦するのはやめたいがどうか
あら探しばかりで嫌になる
俺はやめる
956 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 23:36:07 ID:zkiyHWDk
957 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 04:57:11 ID:IrdVEskN
勝頼→信玄の順に生まれていたらということは、
勝頼が信虎の息子ということになるけど、
勝頼は史実でも信虎に気に入れられたのか?
だめなら次男の信繁が武田家をついでただろうが。
それはそれで別の経過をたどって武田家は繁栄しただろうが。
958 :
人間七七四年:2007/06/22(金) 23:35:46 ID:ZoK6rjjZ
>>957 だいたい、たらればの出生話なのに
そのうえ親子感情まで推測できるわけ無いじゃん。
ちなみに勝頼は信虎の葬儀をきちんと執り行ったようで、
信虎葬儀のために僧侶を招聘した書状が残っているがな。
959 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 00:05:28 ID:/JQTJ9qJ
長篠の後で降伏すればよかったと言ってる人たちは弓矢をかけて争う
と言う意味がわかってないように思える。
戦争は一旦始まってしまえば、
双方に相当の疲弊若しくは勝者に戦争を継続することが
困難な理由ががない限り手打ちにはならない。
それ以外の場合は無条件降伏以外ありえず、
その選択を勝頼が取らなかったからといって
勝頼に政治力がなかったと言うのはあまりに酷だと思う。
まあ、書いてる連中は松永久秀あたりを優秀だと思っているのだろうが、
優秀かどうかは置いといて普通は節操無しとか根性無しとか言われて
蔑まれる事であろう事は言うまでも無い。
まして、松永の時と勝頼の時では状況があまりに異なる。
松永のときは回りに抵抗勢力も多く政権基盤も経済、軍事的基盤も
不安定だったため、松永が降伏を申し出ても本領安堵の望みもあったが
勝頼の場合にはそれは望めないことは明らか。
信玄が西上の前で申し出るなら強力な同盟者としてありえたかもしれないが、
勝頼がそれを申し出るならチャンスは信玄が死んですぐしかなかったと思う。
960 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 03:44:17 ID:OyxIyPH9
勝頼が有能無能の前に信玄が無能。自分が死ぬ前に国人衆の掌握と武田家・諏訪家の相続をしっかりすべきだった。武田家は勝頼、諏訪家は信勝に相続。国人衆をのさばらせなよう兵農分離の徹底と直轄軍の充実をはかるべきでこれは、信玄にしかデキナイ。勝頼は、ある意味被害者。
961 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 07:08:13 ID:jhS6Rho5
あんな土地で兵農分離とかできるわけないだろ
962 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 10:39:46 ID:OuNbcI+H
>>960 信勝に諏訪を継がせたら武田の後継は誰になるんだよ。
勝頼みたいに諏訪を継いでから武田に戻るなんてやったら二代続けて不安定な世継になるぞ。
963 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 12:01:32 ID:pqEHx73q
>>959 結局、勝頼スレの本題的な事はいつまでたっても
「武田家はなぜ長篠に(で)逝ってしまったのか」なんだよな
自分も同盟は信玄死亡後すぐが最も良いような気がする
あくまで三方ヶ原での徳川への勝利があってこそ
徳川より使えそう&信玄居なくなって不安定だから降ってきたと言う
判りやすさが逆に交渉を有利に運ぶとも考えられる
それで武田家が同盟派と強硬派に内部分裂を起こしたとしても
勝頼は信長を頼って降る、その後混乱状態に陥った武田家領内を信長に
各個撃破して纏めて貰えば武田家としては生き長らえたかも
長篠後手間隙掛けて落とすより遥かに効率的だから信長も賛同するはず
>>960 信長も秀吉も死後の家臣団なんてgdgdだよ
すべてがそうなる訳ではないが歴史の舞台の中央に近いほど
gdgdになる可能性は高くなっただけだと思う。
信玄が纏められなかったとしても勝頼はそれを纏めなければならなかった
有能無能は結果論だから信玄が無能で駄目でも勝頼が「本当に」有能なら
武田家を滅亡から救えたはず、と言うことさ
964 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 12:42:41 ID:/QzvwUqO
有能無能の度合いによるんじゃない?
中国の例を出すけど、唐王朝や明王朝の末期に有能な人間がいてどれだけのことが
できるのかと。
勝頼は有能か無能かと聞かれれば、有能な人物だと答える。しかし、長篠以降の
武田家の状況を打破するほど有能ではなかった、とも。
965 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 17:55:24 ID:Vs5EA2Yv
鈴木その子死後のトキノや宮路社長死後の城南電機の場合は
社長のワンマン経営がたたって社長の死後に倒産したわけだが
秀吉死後の豊臣家はこれに近い崩壊を見せたが
武田は合議制だったんだから代替わりしても大丈夫そうな気がする
966 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 00:56:44 ID:NXt1RP3I
例えば従属に近い同盟をする。
起こりうる景勝討伐で勝頼大活躍→養子送り込まれてその後殺される。
そんな未来が見えて仕方ない。
家康と違って勝頼は派手に活躍して逆に信長に潰されそうだ。
よくて甲斐には居れないと思う。
967 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 01:12:20 ID:z7AZDMuc
それ以前に、武田家が織田に従属に近い同盟を申し入れる事自体が不可能だわな
義信が武田家を引き継いだ世界で、勝頼が織田側につくというレベルならありうるが
武田家全体を背負った勝頼には不可能
968 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 04:27:59 ID:gjtGrbht
勝頼が継いだ時点で、織田にとって武田は「潰すべき相手」だわな
969 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 04:34:19 ID:Q7yhybLz
織田から見ても武田を従属させるには領土が大きすぎるし
交通の要衝が多いんでそのままでは残せないよ
甲斐1国の安堵で収まればいいんだけどそうも行かないだろうし
それで収まるくらいまでに武田が落ちぶれれば
織田からすればもう武田を残す必要は全くないわけだ
なのでどういう方向でどう考えても信長が生きてる期間に
武田を従属させるなんて事はありえん
970 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 05:59:20 ID:QsM0/T23
これが秀吉なら話は全然変わって来るんだけどね。
971 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 06:30:17 ID:6xfLATFi
とどのつまり初期秀吉のような中央の基盤が弱い状態なら従属という手段で体制内で優位に立ちつつ生き延びることも可能だが
信長のような強固な独裁体制が相手の場合滅ぼすか滅ぼされるしかない、か
972 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 12:08:24 ID:Kf7KxLzJ
織田との一時的な和解と停戦ならありえるけど
結局は長曾我部みたいに一方的に協定を破棄されて攻められるのがオチ
武田側からすればあとは停戦中にどれだけの事が出来るかが鍵になるけど
積極策のほうはもう打つ手は残ってないよね
973 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 14:52:56 ID:1XT8ZTP9
974 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 15:10:47 ID:WwhiAynd
>>973 武田方の下っ端の家臣を調略して
武田側が先に協定を破るようにすればいいだけの事だろうが
相手側の落ち度っつーのはそうやって作られるもんだよ
975 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 17:30:28 ID:FlxZnrKc
>>974 長宗我部の場合は9割方長宗我部に責任があると思うが
織田に落ち度があるとしたら長宗我部に攻められる隙を与えたこと
976 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 19:40:23 ID:8M2XOat1
長曾我部の部分だけに突っ込みを入れ
主旨からどんどん遠ざかるお前らワロスw
議論とかそういうのに全然向いてない人種なんだろうね
977 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 20:57:09 ID:02dXi+ac
>>964 >長篠以降の武田家の状況を打破するほど有能ではなかった、
誰がやってもダメだろ。
978 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 21:47:46 ID:e+/ohpXi
まず、長篠の合戦が起きるような状況、
つまり織田包囲網が解けて織田が1つ1つを大軍で潰して行ける状況になったのが
武田からすると致命的な不幸で、長篠以降で武田の再起はありえない
武田存続の話は長篠以前の状況で考えないとダメだな
979 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 21:49:09 ID:e8HbBxJV
>>964 長篠以降は反省して家来の言うことにきちんと聞いて、
信玄みたいに合議制にして老臣のいうことにも耳を傾ける主君に
変身してもやっぱり滅亡かな?
980 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 22:00:51 ID:yhlciA+N
織田との和議って方法があるけど、
対上杉、北条の先兵になっちゃうな。
981 :
人間七七四年:2007/06/24(日) 22:23:11 ID:e+/ohpXi
織田との一時的な和解と停戦ならありえるけど
結局は長曾我部みたいに一方的に協定を破棄されて攻められるのがオチ
武田側からすればあとは停戦中にどれだけの事が出来るかが鍵になるけど
積極策のほうはもう打つ手は残ってないよね
982 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 04:12:07 ID:Qw6tRlGc
上でいろんな人が書いているように
長曾我部が一方的に破棄してきたんだよ
ってかコピペ?
他にも織田は斎藤浅井武田上杉毛利と同盟相手に一方的に破棄されている
斉藤は義龍道三の争いの結果、毛利は三村浦上との関係で一方的というのは
当てはまらないかもしれないけど
983 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 04:29:32 ID:N/XhpGk8
ムキになってる所に申し訳ないが
話の主旨からすると、今は「どうしたら武田が存続できたのか」という話をしていて
その中で「織田との同盟や和議で武田の存続を図るのは難しい」っていう話をしてるんだよな?
誰が協定を一方的に破棄したかなんて事は主旨とは違うし、
君のその話を続けて行くと
「織田は一方的に協定を破棄しないので織田と同盟すれば武田家は存続できました」
という結論にでもなるのか?
ならないんだったら黙ってろよ
984 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 05:57:21 ID:Qw6tRlGc
「織田との同盟や和議で武田の存続を図るのは難しい」の前提の一つが織田は同盟を破棄してくると言うこと、
でも史実を考えれば分かるように必ずしもそうではない、現に徳川は同盟を維持している、
同盟は無理と考える話しの前提が一部間違っているのだからその点を指摘して
同盟による武田家存続の可能性を模索することが間違っているとは思えないが?
そして今までの議論を見れば分かるように長篠後どころか勝頼が継いだ時には
既に織田家を倒すことはかなり困難
本能寺が起きるまで待つという話しもあったが、そんな都合よくはいかない、
となると武田が存続するという方法は当面織田と同盟するとなると思うが
もっとも力関係は徐々に広がり、従属先手扱いになる可能性が高いだろうが
信勝は一応信長養女の子息で、松姫が信忠正室となっている可能性もあるかもしれないが
北畠は養子乗っ取り後一族皆殺し、神戸は養子乗っ取り後幽閉
筒井は光秀子息を養子に、三好は信孝を養子にとなっていることから
武田家も家名は残るとしても血筋はどうなるか分からないが
985 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 08:18:55 ID:AGX27ZfV
長篠以降織田と武田の力関係を考えると対等同盟をやるのはほぼ不可能に近く
仮に従属同盟できても武田勝頼と家臣団との間の結束はほぼ崩壊に近くなりそ
最終的に家臣団が勝頼または武田を放り出して織田と直接手を組むか
または反対に勝頼が有力家臣団を粛清して自立できなくなった主家だけ残るかといったところか
宇喜多以外軒並み壊滅した毛利と織田の中間地帯の間の連中を思い起こす
986 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 14:01:47 ID:PzrmrrIt
流れ無視なんだけどさ、あんまり呆れたんで書く。
堂門冬二の書くもんって、他作家の追随説だったり
誤った定説の焼き直しって昔からわかってたけど
未だに「勝頼陣代」を平気で書き散らしてるんだな。
987 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 14:21:27 ID:WfP3j4lM
北条の「織田の縁戚となって関東を織田の分国としたい」っていう申し入れを信長は承諾したようだし、
従属する事は全く難しいわけじゃないと思うけどな。
まぁ、天下統一が成ったあとにどうなるかは分からないけど、
そこまでいくとifの度合いが強すぎるような気がするし。
っていうような書き込みをさっきしたと思ったけど、書き込まれてないな。
vipのおっぱいスレにでもかきこんじゃったかな。
988 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 19:51:25 ID:jT3SJuMW
史実の武田織田ぐらいの力関係が一番従属し難いと思う。
もっとはっきりと力の差があれば織田からすれば滅ぼすまでも無いということになり、
武田からすれば従う他無いとなるが、
勝頼の代だと織田からすれば例え武田が従っても目障りな勢力で潜在的な敵、
武田からすればひょっとすればまだ何とかなるかもという望みを抱いてしまう。
あと仮に武田が織田に従っても家康並に信長に従わないと後で何されるか分からないような、
しかも信玄の代に思いっきり織田を裏切っているから、信用されにくそう。
989 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 20:01:49 ID:TvXhck9j
>>988 長篠で圧倒的な物量を前に敗れてるだろ
それで十分動機はある
北条も従属してる
それに武田晴信が裏切ったのであって、勝頼ではない
それで織田が不快感示すなら織田の娘を娶ったのがいただろ
そいつを当主にすえればいい
由良も北条も同じことしてる
990 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 23:18:45 ID:MGlseeRa
>>987 >北条の「織田の縁戚となって関東を織田の分国としたい」っていう申し入れを信長は承諾したようだし、
えーっと、
信長が死ぬ間際の頃の関東管領って誰だったっけ?
991 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 23:31:55 ID:Nw1SbWe3
992 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 01:22:36 ID:4CqdKvLg
>>990 一般的には謙信死後、関東管領は不在のはずだけど、何が言いたいんだ?
993 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 02:34:23 ID:pYbNh49+
自分の意見を「一般的」と言えてしまうキティちゃん登場w
994 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 02:37:23 ID:pYbNh49+
ちなみに
北条はまだ関東を制覇してもいない段階で
「関東全部くれ」という主旨で織田と同盟を図ろうとしていたわけで
実際に豊臣政権初期の頃に真田領クレクレと騒いでいたわけだが
織田が本当にこんな北条を最後まで残すと思うか?
995 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 02:38:24 ID:4CqdKvLg
>>993 は?
じゃあ、謙信死後の関東管領は誰がなったんだよw
996 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 03:25:32 ID:4CqdKvLg
>>994 同盟を図ろうとしていたも何も、同盟は成立してたしな。
上野は滝川に与えられたが、それに対して北条は大人しく従ってる。
少なくとも本能寺まではそういった関係が成り立っていた訳で、
それ以上の事は完全に推測でしかないわな。
997 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 03:35:32 ID:pYbNh49+
毛利との和解工作なんか
信長本軍が出陣するまでの時間稼ぎでしかなかった
信長と和議を結んだ側はなんらかの理由で
その和議を自分から破棄するしかない状態に追い込まれている事が多い
徳川はキチガイ級の忍耐力で耐えているだけ
998 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 05:41:10 ID:yFMrQBud
999 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 05:42:52 ID:eJ0HZcGX
>>997 >その和議を自分から破棄するしかない状態に追い込まれている事が多い
具体的には?
勝頼は神の子
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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