1 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:
今のトコ広島勢が優勢か?? 全国の勇者・猛者よ立ち上がれ!!
2 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 16:14:42 ID:9xtccwuK
2げと
3 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 16:31:38 ID:/E01luP7
三河か薩摩か越後か甲斐
4 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 16:41:31 ID:kERayIx0
乙!私は薩摩人ですが、寒い時は、頭も体も動きません。死にそう…女と布団で春まで冬眠してたい…と言う事で最強は譲ります…夏は無敵だがな!
まずは
>>1乙。
各々方、雑賀鉄砲衆と根来僧兵衆を抱える紀州(和歌山)もお忘れなく
紀州が最強かどうかは知らないが、精強で知られる傭兵集団を生み出した紀州もよろしく!
(^皿^)
6 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 17:49:47 ID:kERayIx0
(´Д`)
紀州梅最強
旨いぜ
7 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 19:57:52 ID:8E17xTRr
最近はハチミツ入ってる梅があるからなぁ
あれ嫌い
とりあえず戦国時代以外禁止の方向で
9 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 20:30:19 ID:At/tryt6
雑賀鉄砲衆に一票
推奨NGワード:牛
11 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 21:39:49 ID:HQHgy1Dc
12 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 21:41:35 ID:At/tryt6
↑なに言ってんのクレイジーですか?
13 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 00:50:14 ID:YSLqrGOa
紀州おもしろいじゃん。
本州初の鉄砲大量生産をした根来寺。陰流剣術の愛洲水軍、鉄船の九鬼水軍。
紀州忍者お庭番、倭寇、鯨差し、そして暴れん坊将軍w
・・・だがハチミツ梅は嫌いだ。(=゚ω゚)
14 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 00:58:07 ID:Blfd6pKa
じゃぁ紀州最強でいいじゃん。
でも6人以下又は女が絡んだ時は無敵のイタリア兵とかぶるような・・・
>>5を書き込んだ者だが、土遁の術(塹壕)と火繩銃のコラボで大いに織田信長陣営を苦しめた雑賀鉄砲衆
その他、根来流手裏剣術など飛び道具を使わせば紀州はかなりのモンだが、そんな紀州者の俺でも一目置くのが薩摩だね
特に薩摩示現流を東郷重位が薩摩に広めてから近接戦闘ではおそらく戦国最強だと俺は思うね
示現流だけでなく、捨て身の戦法『捨てかまり』なんてやってのける薩摩兵はただモンじゃねぇw
てな訳で離れて戦えば紀州が、切り合いでは薩摩って事でどーよ?
パート2にしてようやく戦国板のスレっぽくなってきたね。歓迎歓迎
17 :
白馬青牛:2007/01/12(金) 01:43:04 ID:sd9XRDL4
>>15 関東の後北条氏が、紀州の乱波を呼びよせ遊撃戦に活用したことから
かなりの戦闘技術は持っとったろうね。
薩摩は白兵戦よりも、銃撃戦じゃろう。戦国期島津軍は、上層武士まで
鉄砲を使うことは薩摩の『軍法巻鈔』に出とるんじゃないか。
「薩州の士卒悉く鬼神にはあらさる故にて、一人にて十人の敵に切勝へき
様はなし」と斬り込み攻撃にさほど自信を持っておらず、徹底的な火力主義
じゃろう。後の時代、剣の腕も喧嘩を売った薩摩藩士三人が安芸藩士一人に
やれれた。西南戦争でも薩摩軍より熊本隊の方が勇猛じゃった。
近代熊本師団でも攻撃力は鹿児島聯隊より熊本聯隊じゃろ。
薩摩の長所は戦国期において、徹底的な集団運用、白兵戦軽視の火力主義、
釣り野伏り(悪党戦法の輸入の可能性は強い。薩摩の悪党ごろつき集団で
ある野郎集団が担当したか?)による迂回殲滅作戦。薩摩人は合理的で
頭がええ商人気質。
18 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 01:58:04 ID:6KP7b2Tu
19 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 02:04:30 ID:ggBHMUPe
このおっちゃんはボキャブラリが少ないな
20 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 12:57:50 ID:YSLqrGOa
>>15 (=゚ω゚) 間違ってたらすまないが根来流手裏剣術とは「根岸流」手裏剣術
の事ではないだろうか?ありゃ仙台の上遠野流を基に水戸で造られた幕末の流派だわ。
示現流はもともと鹿島の流派だから戦国時代の兵法としては薩摩優位とは言えない鴨
21 :
OPS:2007/01/12(金) 13:39:26 ID:gnXa8wFe
最強の兵卒は薩摩島津か三河徳川。
尾張か三河に決まってるだろ
どっちが最強かと言われると難しいが
23 :
OPS:2007/01/12(金) 16:09:34 ID:gnXa8wFe
尾張は違うのでは?
24 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 16:22:00 ID:ggBHMUPe
尾張は弱兵で有名、三河は精強で有名なんだっけか。
26 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 18:04:49 ID:ggBHMUPe
有名とか理由になってない
27 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 23:30:15 ID:VuUHTxWA
普通に薩摩最強が常識だろ
戦国の世でも大活躍、江戸を過ぎても堕落せず明治維新の原動力となった薩摩兵最強
28 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 00:08:46 ID:eMTLB8G7
牛さえ来なければ良スレ
29 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 00:15:18 ID:F7fAfx26
豊かな国ほど兵は弱く、貧しい国ほど兵は強い。
尾張は比較的豊かな国だから、兵も弱かく、三河は貧しい国であったから兵が強かった。
貧しい国は普段戦以外でも生きることに必死だから、戦で手柄をたてることで暮らしが豊かになると考えたから戦でも死に物狂いなわけ。
豊かな国は戦以外でも十分贅沢な暮らしができたから、戦になると、死ぬことが怖くて弱腰になってしまう。
30 :
白馬青牛:2007/01/13(土) 00:19:18 ID:lEdnIB7T
>>27 朝鮮出兵のおり、明と内通疑惑がある薩摩のう。テルマ・カクセイ
(高麗おごじょ)狩りし、軍紀弛緩。江戸期においても一向宗を弾圧した
儒教民族じゃ。
じゃが、薩摩藩士三人がかりで一人の安芸廣島藩士に喧嘩を売って二名が
斬り殺され、一名は逃走する早業はお見事。堕落しとらんねえ。
31 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 00:26:37 ID:eMTLB8G7
牛は「戦国時代」の広島の兵卒が強いと証明できる一次史料を出さないよね
出す史料は時代が違うものと俗説的な物ばかりだし
廣島藩士五人がかりで一人の会津藩士に喧嘩を売って四名が
斬り殺され、一名は逃走したこともあったがやっぱ廣島藩士最強だよな。
>>15だが
>>20ゴメン
根来流手裏剣術は『釣り』だったんだよ
嘘だと思うならばググッてみてくれ
パタリロ絡みでかなり掛かる筈だから
まさか
>>20みたいな善良な者がかかるとは思わなかったのだ
本当にゴメン orz
34 :
白馬青牛:2007/01/13(土) 00:54:34 ID:lEdnIB7T
>>29 豊かな国が弱く、貧しい国ほど強い?ほいじゃあアフリカの内戦のある国へ
行って鎖に繋がれた奴隷兵になりんさい。三河?真田勢に手も足も出ん
かったじゃないか。徳川政権が出来た以降に強いと自慢してものう。
まあ、三河が弱いとも思わん。昔から傀儡子の産地じゃったしのう。
徳川家の先祖も徳阿弥さんも遊行僧(司馬で「ごろつき」の起源じゃ。
家康さんは偉うなったんで、逆に堕落しとるとも云える。
戦闘技術なら、先祖の徳阿弥>徳川家康じゃろう。
徳阿弥さんに指揮させ真田軍と戦闘したらええ勝負になったかも知れん。
遊撃戦が得意な悪党じゃけんのう。
豊かじゃろうが、貧しかろうが、いざ戦闘になったら敵味方の両者が、
命がけで闘うわけじゃ。人間の本能として。第二次大戦の英米兵も
豊かな国の兵じゃが士気衰えずに必死に闘うたど。豊かな国云うだけで
敵をなめる発想は先の大戦の参謀殿的発想じゃのう。
>>30 何度同じこと言えば気が済むんだか、壊れたスピーカーとはよくいったもんだ
ところで前スレでパソコン世代ってバカにしてたがあんたは団塊の世代ですか?
ちと気になったもんで。ちなみに私は団塊Jrです。なんかウチの超頑固団塊オヤジに
そっくりなもんでそんな気がしたんだが
36 :
白馬青牛:2007/01/13(土) 01:31:27 ID:lEdnIB7T
>>31 兵士の日記等の一次資料なんぞ戦国期に求めてものう。
馬鹿なことを云う。当時字を書いて家族に送ることが出来る層の比率を
考えや。近代においては、兵士の戦闘における感想の日記、手紙は
検閲つきで家族に送られたわけじゃ。自由に上官の拙劣な作戦を批判
したり出来るんは戦後になってからど。戦闘報告の資料なんぞ、
死傷者の数も正確じゃないし、部下が武勲を立てても上層部の連中の
武勲に書き換えられる事を考慮して読むんは当然じゃ。
第一次資料がどの程度真実が含まれるかは当時の人達の話や戦記にある
様々な兵士の感想を総合的に判断するしかない。人が生命を賭けて
敵軍と戦闘することを、体験談や兵士の感想を読まずして第一次資料を
読んでも妄想解釈になるだけじゃ。ましてや戦国時代においいて。
俗説的たァ何をもって云うとるんか。標語じゃのうて具体的に書け
云うとるんで。
>>32 そりゃあ何時、何処で、どがいな原因で?詳しゅう書けえや。
37 :
白馬青牛:2007/01/13(土) 01:48:53 ID:lEdnIB7T
>>35 何度同じこと?わしが云いたい台詞じゃのう。わしに対し罵倒する者の
同じ言の繰り返し無視し、わしに対して限定して云うんは超頑固者
じゃのう。あんた、親父さんに似たんじゃろう。団塊JRか。
まあ、わしたァ年下じゃ。
38 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 02:08:58 ID:WKO3jFxK
じぇーあーるかと思った
39 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 02:17:45 ID:eMTLB8G7
>>36 お前ここ何について語る板か分かってる?
>>31は前スレのコピペだが、戦国時代の史料は確かに近代の史料と比べると信憑性なんて低い。じゃあ逆に「戦国時代」の広島人最強を裏付ける根拠って何?
牛
>同じ言の繰り返し無視し、
ここは戦国板と何度も言われているのに無視してますよね。
皆さんが言われなくても守ってる雰囲気を壊すあなたの言には最早何の説得力もありませんよ。
>>37 じゃが、薩摩藩士三人がかりで一人の安芸廣島藩士に喧嘩を売って二名が
斬り殺され、一名は逃走する早業はお見事。堕落しとらんねえ。
わしが云いたいんはこの部分のことなんじゃがのう。
もう何度目かと。そんなことで広島が薩摩より強いなんて証明になると
思っているのかね。あと何が罵倒なのか具体的に云えーや。数々の批判・反論
のことか?あんたぁ自分への意見ばみな罵倒と受け取るたぁどうしようもないのう
大体そんなに罵倒されてると思うんなら、少しは自分にも問題があるとは考えない
んかのう。
牛さん広島弁てこんな感じかい?
>>41 広島人のオレから見ると途中まで
名前を記入してないのかという位に
見事な牛弁だった
お見事
2になってもまだまだ続く牛さんの人気に激しく嫉妬
漏れは牛弁を自在に操れる41の才能に激しく嫉妬
>>34 (=゚ω゚) クグツが盛んだと何故強兵になるんじゃ?遊行僧のメッカは熊野だべ。
時宗教団の同朋衆は室町の頃には東国藤沢の方だけど。
>>33 (=゚ω゚) いや、こちらこそ名無しで書き込むべきでした。根来流も歓迎っす。
江戸城防衛の百人同心隊も伊賀、甲賀、根来。
戦国以降も彼等は重要拠点で活動しておりますなあ。
強さが評価されない秀吉政権下の畿内兵が九州や四国、はては陸奥まで席巻してる
要するにそんなのは相対的なもの
どこが強いとか不毛
広島兵が強いのを証明するのに一次資料なぞ不要。強いものは強いのです!
47 :
白馬青牛:2007/01/13(土) 22:31:33 ID:ukso8qYZ
>>39 前スレのコピーじゃつまらん。織田信長が羽柴秀吉を中国地方へ、
柴田勝家を北陸へ、滝川一益を東国へ配置したことから、何処が強敵で
あったか理解できよう。中国者の律儀、戦闘における渋とさ、横社会でも
ある独立心の強い兵士じゃ。
>>40 戦国時代だけを考察して戦国時代が解るんか?視野を狭めるだけじゃ。
時代が違えど近代日本軍の性質は戦国期と類似性が強い。現地調達である
徴発や略奪。ほいで被害者の中国民衆は山上がりで避難すること等戦闘が
行われた地帯の現象は戦国時代を考察するええ参考になる。
皆さんじゃ?皆さんをダシにする者は、立場が変わると皆さんのせいにして
自分の責任を回避し逃げるよ。あんた風が悪りい(恥ずかしく、
みっともない。)なーか?自分を臆病者じゃ公表しとるんか。報告の為と
部下を置き去りにし、戦場を離脱する出世欲、自己保身の将校の手口じゃ
のう。じゃけーわしが、皆さん云うて多数の権威を借りて云う者を嫌う
とるんは、前スレや他板を見ても解ろう。あんたがわしの考えは気に入らん
云やあええんよ。
今NHK教育TVの特集やりよるけー、わしのカバチはちいと後、
また書くわい。
48 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 22:45:16 ID:GnBizC70
>戦国時代だけを考察して戦国時代が解るんか?
近代の軍隊調べても分からんと思うがな・・・
とりあえず、近代の話をせずに戦国を語って、くれないかな?
>>47 >織田信長が羽柴秀吉を中国地方へ、
>柴田勝家を北陸へ、滝川一益を東国へ配置したことから、何処が強敵で
>あったか理解できよう。
なるほど。じゃあ最強は北陸兵(越後の上杉)だな。信長存命の時点で羽柴軍>柴田軍
っていう反論があれば具体的に云えーや。
>戦国時代だけを考察して戦国時代が解るんか?視野を狭めるだけじゃ。
その通り。だが牛は結論がいつも近代なんだよ。近代に飛躍するだけして
戦国に帰結しない。前スレでも言われてなかった?自分の考えに固執して
耳に痛い他人の忠告無視し続ける将校って最悪だよな?反論があれば具体
的に云えーや。
>皆さんをダシにする者は、立場が変わると皆さんのせいにして
自分の責任を回避し逃げるよ。
と言ってるが、前スレから見てるオレが百歩譲って牛を擁護しようとしても、
牛だけがルールを守ってないんだけどな。この件に関しては「皆さん」は
事実だ。
>立場が変わると皆さんのせいにして 自分の責任を回避し逃げるよ
と言うが責任転嫁して自分の非を認めないのも>戦場を離脱する出世欲、
自己保身の将校の手口じゃのう。反論があれば具体的に云えーや。
次スレってここでええのん?
51 :
白馬青牛:2007/01/14(日) 00:15:01 ID:XMWQG/2k
>>41 この部分が余程気に入らんようじゃが、薩摩人が戦国期に火力戦法で
白兵戦が自慢するほどでもなかったんが不満なんか?
薩摩人のハッタリ癖に合わせられるかい。毛利勢や黒田勢に勝ったことも
無く、長宗我部と正面攻撃で圧倒した訳でもなく、釣り野伏せり側面攻撃
で、四国勢に勝っただけじゃ。広島をどうじゃこうじゃ云うんなら、
毛利勢を撃退して云うべきであろう。
ほいであんたの広島弁じゃが、「そんな」じゃのうて、「そがぁな」か
「そんとな」じゃ。「意見ば」は九州じゃろう。広島県東部の備後は
「ばー」を使うが「ばっかし」の意味で九州の「ば」たァ意味が違う。
「みな罵倒」じゃ思わん、一行二行でつまらんカバチたれる連中らの
事じゃ。何でわしに問題があるんかいのう。仲良し倶楽部のままごとじゃ
あるまいし、わしが人の意見に恭順せえ云うんか。左翼の少数意見を
多数の異議なしと封殺する手口を習うたんか?
>>47 戦国時代だけを考察するとなぜ視野が狭くなるのか具体的に云えーや
近代日本軍と戦国期のどこが類似性が強いのか具体的に云えーや
近代日本軍の話がしたいんなら軍事スレ逝けーや
53 :
白馬青牛:2007/01/14(日) 01:29:40 ID:XMWQG/2k
>>42 わしが指摘したよう、真っ当な広島弁になっとらんど。
牛弁たァなんなら?わりゃ人をおちょくっとるんか。こんなァ言葉の
使い方にゃあ、気ィつけいよ。広島人なら不文律で解ろう。
>>44 腸が煮えくりあがるレスばっかしじゃったが、まあ気分一新として。
傀儡子が武士、宗教家、芸能民の原型であり、地益物や通行税も徴集
されず、金融に携わることが出来、河川の用役権、鉱山の採掘権、
市の采配権まで持っており、傭兵集団でもあったこと。戦闘技術を
持つ集団で武芸の芸能の一部分じゃ。徴発された東国農民兵たァ違う。
遊行僧は、遊行乞食とも云われ、>34で途中書かんかったが、
司馬遼太郎氏は徳川家を放浪家系で、「放浪者のことを日本では賤民として
さげすんだ」とされるが、乱世に非農耕系の同一階級から出た者が、
大名、武士、庄屋、商人、宗教家、侠客から芸能、被差別民までなった
訳じゃ。農村社会でも西日本が契約関係で東日本が隷属関係であること、
兵士でも西日本は契約傭兵で紀州の集団等にみられるが、東日本は、
郎党、隷属農民の徴発で兵士の戦闘技術は疎いんじゃないか。
>>51 あんたぁ側面攻撃で勝っただけじゃあ云うとるが、気が利いていてズルくさい
と褒めてやらにゃあ。それとな、相手の裏をかくのは戦術の基本じゃし卑怯でも
何でもないよ。まさかたぁ思うが四国勢が負けたのは相手がズルしたからたぁ
思うとらんよね。薩摩の白兵戦が大したことなく広島が大したことあるみたいな
口ぶりじゃがその根拠はあるんかのう。近代日本軍の例じゃのうて、戦国時代の
例があるんか?それとな、三人で一人に負けたとかそがぁなのは論外じゃ。
>usi
ここまで黙っててやったのに、またそれかよw
56 :
白馬青牛:2007/01/14(日) 01:57:51 ID:XMWQG/2k
>>48 旧帝国陸軍について考察して云うべきで、調べずに解らんと思うじゃ
脳ミソがついとるんか?幼稚園児じゃあるまいし。
>>49 柴田が羽柴たァ上か?柴田の武勲が羽柴より上回っとる云う根拠は何か?
京都も秀吉に任され、田舎に飛ばされた柴田がのう。
ルールたァなんなら?わしがおどれの意見にスジをまげて恭順せえ
云うんか。おどりゃあ、思いあがるんもええかげんにせえや。
最後まで逃げ口上ぬかしあがって。わしが何時誰のせいにしたんか。
耳が痛い云うんはあんたが自分に恥じるゆえじゃろう。それをわしに責任
転化しあがって。ほんま、もののふの風上にも置けん人間じゃ。
強いかどうかは社会制度の違いじゃのうて戦闘実例で云えーや
当然のことじゃが戦国時代の戦闘実例で云えーや
牛語おもしろ過ぎてやめらんねえーや
58 :
白馬青牛:2007/01/14(日) 02:12:40 ID:XMWQG/2k
>>52 >47で書いとる文も読めんのか。糞馬鹿タレが知ったげな事云うな。
>>54 じゃけー、薩摩人の合理主義的長所じゃ云うて褒めたんに、因縁つけて
きとるんはワレど。>17でわしゃあ薩摩が火力重視じゃ云うたが、
こんなァ薩摩軍が戦国期白兵戦を重視した云う実例を挙げて云えいや。
>>57 直しといちゃる。
>強いやいなん社会制度の違いやのうて戦闘実例ち云えーや
>当然じゃが戦国時代の戦闘実例ち云えーや
>牛語おもしろ過ぎてやめらんえーや
>>5、
>>15、
>>33を書き込んだ者だが、俺にも一言だけいわせてくれないかな
牛さん、俺はアンタの事は嫌いじゃないんだよ
ここは戦国版なんだから、近代軍隊を引き合い出すのは止めようよ
それなりに分別のつく年齢でしょうし、それが分からない程馬鹿でもないでしょう?
そりゃあ牛さんが旧軍に詳しいのは個人的に尊敬に値するし、紀州の乱波を正当に評価してくれたのも嬉しく思っているよ
だから今度は牛さんの器量ってのをひとつ見せてくれませんかね?
アンタが広島弁で旧軍の話を引き合いに出す度にスレが悪い雰囲気になってしまうんだよ
悪いのは牛さんだけじゃないのは分かるけどさ
ひとつ、頼みますよ
61 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 02:50:53 ID:/bTBqq3K
じゃけえ廣島が最強じゃあ結論は明白じゃろうが。
おんどりゃあ文句があるんじゃったら根拠出して反論せえや。
わしゃあ実例も出さんと勝手なことぬかす人間は大嫌いじゃ。
思いあがるんもええかげんにせえや。
62 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 02:53:53 ID:3WCcsMon
牛は戦国時代と近代の違いが分からない池沼なんだよ><
63 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 03:04:14 ID:/bTBqq3K
>>62 わりゃ人をおちょくっとるんか。
戦国時代と近代の違いを考察して戦国時代が解るんか?
糞馬鹿タレが知ったげな事云うな。
>>58 中国民衆は徴収と略奪により山に逃げとったんが類似性なんかのう。
戦国から近代までいざという時には山に逃げとったというわけじゃな。
それが戦闘に役立ったとはのう。オメデトウと云わしてもらうよ。
ワレ根本的な勘違いしとるんが、ワシは別に薩摩が白兵戦重視したなんて
思うとらんがのう。ワレはどう思ってるんか知らんがワシは火力の方が
重要じゃ思うとる。じゃが薩摩が広島に白兵戦で劣るたぁ云えんよ。
その根拠は何か具体的に云えいやと云われても困るがのう。ワレも広島
が大したことあって、薩摩が大したことないみたいな口ぶりの根拠は何
かというワシの問いを見事にスルーしたしのう。
>>62 そんな事はない筈だ…、と思う…
でも牛さん、なんか意地になってる希ガス
あと
>>63&
>>64 インチキ広島弁で牛さんを挑発すんのは止めよーよw
いくら何でも牛さんが可哀相だろ? orz
ただし、これだけは言っておくが、俺はただ
>>1〜
>>14みたいな「おらが故郷のおクニ自慢」的な雰囲気のスレを楽しみたいだけなんだよ
俺だけでなく、他のこのスレの住人もそれを望んでいるだろうと思うがどうだろう?
66 :
OPS:2007/01/14(日) 08:35:47 ID:eRJIlkcE
>>24 尾張の弱兵は有名ではありませんか。
信長のような統率力を持つ者が現れ兵農分離をしたからじゃないですか。
尾張の弱兵なんていうのは俗説でしょ
大阪の八連隊が日露戦争中、一度だけ壊走したせいでその前後どれだけ活躍しようと弱兵呼ばわりされたのと一緒
織田・豊臣軍団の中核兵力の主要供給地で、あちこちの兵を打ち破ってるじゃん
68 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 10:16:46 ID:8pXXG+5k
海の男ってことで瀬戸内の島国
70 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 10:24:32 ID:8pXXG+5k
>>66 お前の理論だと謙信は義将、信玄は最強の騎馬軍団
何で先入観で物事を判断して思考停止になるんだろ
本当にそうなのか?まで発展させた理由をレスしろよ
有名だからってんじゃ厨房と同じレベルの思考回路じゃん
貧相な脳みそだな
>>53 (=゚ω゚) 確かにクグツ記とかだと賤民層がいっしょくたになってしまうな
たしか戦国期には長吏身分が確率していた希ガス。
もっとも幕末には弾左右衛門が甲州鎮撫に出兵しているから関東長吏の戦闘力は高いようだ。
無宿人(非人)と言っても元武士から百姓、工人、病人までいる。
例えば神人と言っても地衆に付き従った犬神人と関東の戦闘集団鹿島の神人では
勝負にならない。
全国寺社の山伏房も傭兵的戦闘集団の受け皿になっていたから傀儡限定はどうだろうか?
>遊行僧は、遊行乞食とも云われ
(=゚ω゚) まあ、僧侶は乞食が本分だから本来はそれが正しい。
特に時宗は墨衣を着ただけで尚更みすぼらしかったんだろう
山本周五郎は徳阿弥をそのものズバリ乞食坊主と書いてるな
>69
(=゚ω゚) 水軍イイじゃん。伊予、村上、松浦、熊野。 鵜戸神宮は武芸の聖地だ。
関係ないが一遍上人は河野水軍だったか?
73 :
白馬青牛:2007/01/15(月) 00:01:57 ID:shp2EC0t
>>60 近代軍隊の戦争を体験した人達の言から考察せにゃー、貧しさが強さに
直結する云う妄想解釈が出て来るんじゃないかと思う。命のやり取りは
近代も戦国と違いがある云うこたァのうて、旧国軍の将校が戦国時代の
気分で出世、功名に走ったことが、逆に問題じゃろうね。尊敬などと、
わしに対し過大評価じゃ思う。わしゃあ教養を持ち合わせとらんのです。
雰囲気を悪うするんは、前スレで旧軍の話題に持って行きたがった人が
おることで、お分かりじゃ思うんですが、悪党ごろつき云う、戦国時代の
兵卒に関連するものを書いたんもわしです。じゃけーわしが戦国時代に
関連したことを何回も書いたわけで、わしを批判する人達は戦国期の
東西社会構成や兵卒の出身階層を無視し、どうして戦国時代を語る事が
出来るんかと。郷土の兵卒は風土に関係し、関連出来ることなら時代を
問わず、前後あらゆる時代から考察した方が良いと思う。わしの度量
以前に歴史観の問題になります。あなたのありがたいお言葉には感謝
しますが、他者に合わせ自分の意見を封殺する考えはないんです。
74 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 00:09:37 ID:rRsGnoZt
じゃあ史板でやればいいじゃん
例えとして旧軍の話や史料を出してみるのは分かるが、ここはあくまで戦国メインで他の時代も総合的に語りたければ史板が適切だと思いますけど
あんたが人に合わせる考えがないのは分かった
だけど他人だってあんたの歴史観に合わせる必要なんてないんだよ。
かまってちゃんは相手してる限り粘着するよ。
放置してればそのうち消える。
77 :
白馬青牛:2007/01/15(月) 00:46:19 ID:shp2EC0t
>>64 民衆が山へ避難したんと、それが戦闘へ役立つ訳あるまい。
民衆は制圧者の兵士と生活起居を共に同じくする方が良い。
広島師団が国軍の仁義を守ったように。
薩摩が白兵重視した思わんのなら、なんで白兵戦云々にこだわるんか。
広島の安芸藩士に薩摩藩士が斬り殺された事例を云うたまでじゃ。
何をスルーせにゃあいけんのか。朝鮮の役でも加藤小西肥後勢に較べ、
歴戦に乏しい。九州征伐で負け癖もついとる薩摩勢を手離しで美化出来ん。
>>66 信長は、京都町衆の自治を破壊し、堺の自治にも介入し専制体制を作った
訳で、その結果自分に跳ね返る損害を計算出来ん愚物に過ぎん。
秀吉も朝鮮出兵に海上制海権確保を軽視する愚物になった。倭寇の
方が偉いわ。権力欲や出世欲に捉われ馬鹿になった典型であろう。
昭和以前から日本の上層階層は、出世して加わる者も含め愚かなのう。
>>67 大阪聯隊は日露戦争で壊走したか?どの戦闘で?
>>56usi
>柴田が羽柴たァ上か?柴田の武勲が羽柴より上回っとる云う根拠は何か?
これだから太閤記史観は困る。牛は武勲で比較したいのか?じゃあ乗ってやろう。
武勲の評価は領地だよな。柴田は織田家臣団で最も領地が大きかったんだが。
>京都も秀吉に任され、田舎に飛ばされた柴田がのう。
田舎に飛ばされたという意味が分からんが。牛は中華思想なんだな。牛の言う
「田舎に飛ばされた」が評価の対象になるならば、秀吉も「田舎に飛ばされた」
ことになる。
戦国時代になると論が急に稚拙だな。
79 :
白馬青牛:2007/01/15(月) 01:55:41 ID:shp2EC0t
>>66 書き忘れたが兵農分離は職能集団化した西日本じゃあ、ある程度
進んどったんじゃないか。悪党・ごろつきが非農耕集団から構成された
ように。
>>71 宿(非人)の長吏や山伏等が「柿色の衣」のいでたちであったこと。
柿色の服装は非人集団の、人ならぬものの服装であったこと。
セブリ・ノブセ(野伏)・後世のサンカ(元来広島県・島根県・鳥取県で
用いられ、明治中期以降全国に広まった名称)等、「一所不住、一畝不耕」
の「非定住・非所有」の定住せず、財産を持たず、耕さずの自由人であった
非農耕民から傀儡子ら芸能民・殺生人の武士(武芸も芸能の一種)や
宗教家の集団が発生したんじゃないか。大石慎三郎氏は、徳川氏(松平)や
真田氏を山賊とされる。「秋稲が実ると農民から年貢を半ば強奪し、
娘なども何人か召し上げては逃げていく。追っ手が来ても断崖絶壁の地形
から石を落とすと中に入り込めないところです。ですから蜂須賀小六は
夜盗ぐらいのところであっても別に不名誉じゃない。当時の大名はだいたい
そういうような類の出なんです。」と。
水軍云うか沿岸部は進取の気性があるけんのう。東国優先視点の畿内罵倒
中世の『人国記』でも上総は関東で二番に下がらんじゃ、安房も勇敢で
伊豆は気が乗る時、乗らん時も強いとしとるが、関東も、沿岸部の漁民系が
強いんか?鎌倉政権の伊豆の北条、戦国期安房里見の海賊衆もおったのう。
80 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 05:39:22 ID:sVJ9nPoc
島津?攻城や籠城に巧みでなく、中国地方では通用すまい。
正面攻撃も琉球で苦戦したように強くはない。持久戦が出来んことは
致命的なことじゃ。
http://www2.oiu.ac.jp/6/tukoitir/sei0020.htm にも「味方頗る死傷あり、」「終に敗られ、帯刀はしめ従士過半死す、」
等、まともに武器を扱える奴がない相手に苦戦しておるのでは。
>九州地方では通用しない。ほう、小早川(毛利)秀包は、秀吉の
九州討伐での武勲で秀吉さんから、太刀一振りを貰っておりますが。
九州の武士が、ヘタレで木偶の坊であったと自慢したいんか?
後に薩摩藩の武士が、芸州広島藩の武士に喧嘩で負けたことを
自慢したいんか?
尾張兵の長槍は有名
それは尾張兵が弱いからの苦肉の策だといわれてるが
実際に長い棒扱って比べてみな、長いほうが遥かに扱いが難しくて体力がいるから
戦国時代の白兵戦の主力は長柄衆だが、この技術体力での優越は鉄砲による火力増強と並んで重要
尾張兵や尾張出身武将の史実における戦歴は他を圧している
尾張兵が弱かったのは兵農分離がすすんでしがらみがなかったからじゃないの?
雇用主(信長)との関係が銭だけで他の大名の足軽のように地縁を引きずってて逃げれなかったとはわけが違うんだから。
兵農分離?w
悪党・ごろつき=非農耕集団=兵農分離
西日本は信長よりはやい時代に兵農分離が進んでいた
新説でました。
85 :
82:2007/01/15(月) 20:40:58 ID:Uo43O8sf
86 :
白馬青牛:2007/01/16(火) 00:38:14 ID:E4RUa0yS
>>78 土地所有の領地に拘る関東農耕民解釈か。「北条氏が蒙古来襲期の弘安四年
肥前守護になり、貿易船の発遣に大きな便宜を与え、千葉氏・三浦氏・
北条氏のように、房総・三浦・伊豆半島に本拠を持つ領主が、多くの
「海船」を持ち、海上での戦闘、交通に強い関心をもっていた。」と、
網野善彦氏は書いておられるが、東国武士も北条氏等の海上交通支配に
熱心じゃった訳じゃ。経済的利益を土地所有だけに限定出来んよ。
柴田の縄張り知行を、どう解釈出来るんか。石高は秀吉がやった検地を
せにゃー判断出来んのじゃが。後世の石高を当てはめて柴田が羽柴より上
じゃ云われてものう。あたかも石高制が織田家において成立しとったように
云うTVの見過ぎじゃ。ありもせん何石加増されたとか、空虚な話を真に
受けとるんか。経済的利益も秀吉が貰うた播磨より北陸が上回る云う
根拠でもあったんか?北陸からカスリを取るたァ瀬戸内ハイワエーの
播磨じゃろう。中華思想?宗族制が発達した関東の事じゃろう。
京都学派が縄文文明じゃの、関東共産主義的社会発展段階説を採り、
柳田國男氏折口信夫氏らの先住民説国粋主義に近いよのう。
わしゃは近畿的国粋派を全面肯定しとらんよ。誤解すなや。
農耕民は飢饉に弱い近畿人
88 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 00:56:21 ID:bjXPo2WT
>>86 こいつの戦国時代の知識の浅さが露呈したな
>>79 (=゚ω゚) 瀬戸の水軍だと村上三島水軍、河野水軍というと白村江や鉄人退治の越智氏。藤原純友の乱。
元寇の「河野の後築地」の河野氏。それから蝦夷道南十二館の河野政通とかがいる。
三島の鶴姫はマンガに有ったな。
関東は海だけでなく川や霞ノ浦も視野に入れたほうがイイかも。
後北条氏相手にまともに戦い続けられたのが佐竹と里見ぐらいか
里見は鎌倉を海上から制圧し上杉謙信を迎え入れ、里見はたしかにしぶとかったようだ
>>柿色の服装は非人集団の、人ならぬものの服装であったこと。
(=゚ω゚) むむ?柿渋染めが身分に組み込まれたのは江戸期だと思っていたが・・・?
これはオイラもわからない。
【柿渋スレ】
ttp://www.geocities.jp/nikido69/bbs/kakishibu01.htm >異類異形なるありさま、人倫に異なり、柿かたびらに六法笠を着て、
>烏帽子、袴を着し(中略)柄鞘はげたる太刀を佩き、竹長柄、さい棒、
>杖ばかりにて、鎧腹巻きを着たるまでの兵具更になし。(播磨国『峯相記』)
>「山伏」「癩人法師」の装束を「柿帷子」(かきかたびら)と言う。
>山伏の墨染の衣は野生の柿の実の柿渋と鉄分を含んだ泥をまぶして染めたものという説がある。
>歌舞伎の定式幕の柿色、遊女屋ののれんの柿色も非日常性の意味を秘めている。
(岡山藩のカワタ渋染め一揆)
岡山藩は天保13年に「穢多に対し無紋で渋染・藍染の衣類を用意して着用するよう命令した。」
>>財産を持たず、耕さずの自由人であった
(=゚ω゚) ?それってイイ事だと言ってるのか?
非人には落人や癩病人、破産者、罪人、逃散者もいるだろ。
>>86usi
>後世の石高を当てはめて柴田が羽柴より上じゃ云われてものう。
オレは一言も石高という言葉を使ってないのだが。
自分で勝手に領地=石高って設定しといて自分に反論するなよ。
信長時代の領地とは兵士の徴発権も含めた領地の支配権だ。
どこからどこまで領国の支配権を信長から委任されてるかってのが物差しだ。
ホントに牛は戦国時代に弱いんだなあ。
>中華思想?宗族制が発達した関東の事じゃろう。
何でも関東にこじつけるのはそろそろやめたら?見苦しいよ。
で、秀吉が一時期京都にいたことが「田舎の」柴田に勝ることの判断材料になる理由を早く教えてくれよ。
93 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 02:52:35 ID:avoQ5ypL
北陸が田舎ってw
94 :
北陸人:2007/01/16(火) 21:14:02 ID:mLDyqmgF
今でこそ田舎かも知れないけど、戦国後期〜明治維新までは名古屋と同じくらいの人口だったんだぞ。
明治期に日本の表裏が逆転してるもんね。
96 :
白馬青牛:2007/01/16(火) 23:42:41 ID:9z+VKLcd
>>90 ほう、河野氏が退治した伝説の鉄人将来か。『豫章記』による、海士達は
鉄人来襲で推古天皇のとき三韓から攻めてきた士卒の残党の足の筋を
切って捨てた子孫である。と朝鮮半島より、北方遊牧民の伝説に近い
説話じゃ。推古天皇の古代じゃのうて、朝鮮の楊水尺系の瀬戸内渡来移住を
反映したんかも知れん。
『人国記』でも伊予を、「関東の強盗、この国の海賊同じ業にして、武士の
風俗一段手強し」と東国人は一目おいとるのう。他に岡山西部の備中が
すべて意地強く、侍、百姓男女までも、勇気の義理を励ます心常にあり」
広島東部の備後も西備中の風俗で同類か。兎も角西国じゃ肥前を含め
海賊、漁民系の地域を勇敢としとるのう。東国人は。関東で漁民系が強い
反映じゃろう。一般的に漁民系が強いんは、『唐書』でも、満洲の
騎馬・狩猟系の粟末靺鞨たァ歩兵・漁撈系の黒水靺鞨の方がより勇敢と
しとるのう。西洋でもヴァイキングら海人が強い。まあ、スイス・
南ドイツ・ウェイルズ・スコットランド高地部隊の山岳兵は傭兵の
産地じゃし強かろう。気性の荒さは西洋でも内陸の町たァ港町じゃろう。
97 :
白馬青牛:2007/01/17(水) 00:49:23 ID:zDvOQUwO
>>90 岡山藩で穢多云う用語を使こうたんかのう?広島藩じゃあ革田じゃった。
名称も山陽道の茶筅が山陰道じゃ鉢屋と称する。ほいで、尼子経久の
富田城奪回に遊撃戦専門部隊の月山山麓に住む芸能集団、鉢屋賀麻党を
頼んだ。海音寺潮五郎氏も、忍者の元祖は傀儡子とされる。芸能集団の
戦闘技術は侮れん。
帳外の「無宿野非人」らの無宿と身分制度化された非人を同一視出来んよ。
他国他村の無宿野非人を追い払うんが警固役の革田の役目じゃ。
落人の全てが非人身分でもなく、伝染病患者は、被差別民より、無宿の
集団へ加わった方が多かったんじゃないか。漂泊者のサンカは非人身分
じゃないよ。沖浦和光氏説では、飢饉による無宿からサンカが生まれたと
近世起源説じゃが、木地屋との関連はあろうとされる。
財産を持つと自由人じゃのうなるよ。己にとらわれる物が出来る訳で。
わしが遊牧民好きなんは、彼らが何んもない処から権力を奪取したり、
王朝を作った事じゃのうて(高貴な精神から堕落したとも云える)、
彼らの精神的高貴さじゃ。日本の常民から離れた集団にも云えること。
近世の被差別民は制度化された訳で古の自由民と起源は近いが形態が違う。
制度化され常民に蔑視される悲劇も増大したんじゃけど。
98 :
白馬青牛:2007/01/17(水) 01:28:15 ID:9T0JtbpM
>>91 どこからどこまでの領国の支配権?領国の経済力、交易の利潤を無視して
農本主義で解釈する相変わらず関東共産主義史観じゃのう。
北陸なら敦賀の港市ぐらいしかカスリを得るもんがないよ。後世の加賀藩の
石高や明治期に金沢が六大都市であったことからの妄想じゃろう。
播磨の方が古代から交易交通路であったことを考えんたァのう。徴発権も
経済的に豊かじゃないとのう。秀吉が京都西国方面に投入されたんも
柴田勝家との差じゃ。山城から港へ城下町を築く形態の変化を
無視し、ようカバチたれるわい。関東の社会制度を云うたら、逆ギレして、
わしを論破したじゃの、わしが戦国時代に詳しゅうないじゃ、見苦しい
カバチたれるんは、あんたじゃ。ほいで柴田勝家の武勲が羽柴秀吉の
武勲より優れておった云う実例は見つかったか?
>牛
>>47で牛は自ら言ったことをすっかり忘れてしまってるようだ。
>織田信長が羽柴秀吉を中国地方へ、
柴田勝家を北陸へ、滝川一益を東国へ配置したことから、何処が強敵で
あったか理解できよう。
この問い答えてきたわけだが牛はまた論点ずらしに走ってるな。で、また矛盾ですか。
じゃあ百歩譲って
>>98によると秀吉は優秀だから経済的に豊かな京都西国方面に派遣されたんだな。
信長は経済で最前線の配置を決めたってこと?新説だ。
>>47は無視ですか。
ていうか京都西国方面ってアバウト過ぎやしませんか?
で武勲の評価はやはり領地しかないんだが。前に言ったけど。
牛はどうなの?教えてくれ。何度も聞いてるけど。
そうだな。滝川一益は伊勢が本拠地だから北畠→伊勢長島→伊賀→甲斐と行くのは当然だ罠
わざわざ西国へ向かわせる必要もない。
>97
(=゚ω゚) はて?部落に関する認識が微妙にズレているが?
穢多と非人の役目や職能がごちゃ混ぜな気がするぞ。西国は違うのか?
警固役の革田とは長吏の穢多の事だろう。長吏は捕方として非人だけでなく
百姓も追い立てた。まあそれによって、より差別は強まるわけだ。
敵の敗残兵や罪人を刑吏として使う場合がある。これは関東では非人頭車善七の
管轄となる。佐竹の家老だな。
>>漁民系の地域を勇敢としとるのう
(=゚ω゚) また新説かいっ?!
社会制度の違いで兵の強さに差がでるのか?
全く関係ないと思っているんだが。国力や武将・参謀が
優秀のとこが強いんでないかな。詳しくはわからんけど
あと、戦国って藩が国みたいなものだから西日本と東日本って
分けなくても隣県でも社会制度の違いって相当あったんじゃないの?
102 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 14:46:00 ID:DHBKYb2D
>>101 社会制度の違いっていうか兵卒自身の立場の違いって大きいと思う。
農兵なんかだと国許に妻子人質に取られてるようなもんだから、投降とか
は絶対しないだろうし、今でもおらが国自慢みたいなの多いから、おらが
殿様みたいな感じでは士気高かったようなイメージがある。
逆に住民の移動があまり制限されてないとこでは、そんなナショナリズム的
なものは薄いだろうし、劣勢になったらさっさと逃げる?みたいな。
でも、バブル期みたいにやればやった分だけ、っていう上昇志向は強くて
優勢、勝ち戦にはいけいけどんどんでやたら強くなる気がする。
あくまでイメージだけどね。
でも後者って織田軍や三好軍に共通のイメージじゃないかなって思うんだけど
103 :
白馬青牛:2007/01/17(水) 23:06:37 ID:izyHj/dl
>>99 どこが矛盾しとるんか。要因にゃあ様々な面がある云うとるんで。
一つの要素じゃのうて多要素から考察すべきじゃ。信長が経済だけで
云うとらんど。あんたァいっつもわしの言を短絡的解釈しよるわい。
京都西国方面を漠然じゃのうて西方方面に秀吉を起用した云うことじゃ。
領地云う方がアバウト過ぎんか。領地内の交通経済・鉱物等商工業の利潤を
無視し縄張りを広げるんじゃと短絡的なわい。信長死後秀吉と対立した
勝家も近江の交通路を押さえたかったんじゃないか。北陸だけじゃあ、
秀吉の経済力に対抗出来んけーのう。ほいで柴田勝家が羽柴秀吉たァ
武勲を立てた実例は見つかったか?
>>101-102 まあ参考までに石原完爾の論理を元に社会、経済と兵力の強弱をまとめると
・政治より軍事権力が強い国家は国民皆兵の決戦戦争形態だが
国が富んで傭兵が増えると政治も緩み持久戦争的なものになる。
[傭兵]
@小国家の重商主義だと掻き集めの傭兵が多く弱兵となる。
A大国家の軍閥だと常備傭兵になり戦術がプロ化し高度化する。
Bプロ化した傭兵は高価な兵となり出し惜しみするようになる。結果政治的持久戦争が増える
信長はAだろうか? Bは政治的にも軟弱化してしまう。
[徴兵(農民兵)]
・兵士の単価が安く大兵力を維持しやすい。
・プロとしての練度が低く高度な戦術がとれないが要点突破や単純な散兵戦で威力を発揮する。
まあ、戦の強弱は相対的に近隣の強弱やフィールドの広さによっても変わるからな。
なんとも言えないが。
105 :
白馬青牛:2007/01/18(木) 00:06:00 ID:0Ft/YQJS
>>100 伊勢より東の尾張の譜代の宿老の柴田が北陸で、同じ宿老の丹羽が素性の
知れん羽柴秀吉の格下になりお手伝いで四国へ行かされる理由は何か?
被差別民が穢多・非人・雑種賤民(茶筅、鉢屋の名称で竹細工・蓑・笊や、
歌舞伎・人形浄瑠璃の遊芸にも携わる。)と大別出来る云うことか。
縦社会の関東の被差別民処遇と違い、近畿じゃあ穢多と非人は上下の関係は
なかった。沖浦和光氏によると「広島藩の革田が他藩と比べ特に目立つのは
警固役で、郡内の要衝に計画的に革田集落を配備し捕方武術を習得させる
為に各地に道場設置し免許を与えた。犯人追捕に動員する費用は、村が
負担し、庄屋が命令権を持つ村抱えであった。」
「幕府領では、心中で生き残った者は非人手下つまり非人身分になったが、
広島藩では制度化されておらず、心中者の生き残りを頭革田の預かりとする
既定が見られただけであった。」
また、広島藩の革田がこと無宿人のサンカに対しては、「取締りに熱心で
なく、人間的な思いやりの心が手を緩めたのではないか。」とされる。
新説じゃのうて漁民が傭兵も兼ねておったことは宮本常一氏も云われる
こと。世界的にも農民より漁民の方が気性が荒い。兵の素質として、
気性が荒く、精神的にもタフじゃないとやれんよ。
>>103usi
>領地云う方がアバウト過ぎんか。領地内の交通経済・鉱物等商工業の利潤を
無視し縄張りを広げるんじゃと短絡的なわい。
ところが信長はしばしば完全に従属させていない未征服の土地さえも領地とし
て分け与えてるのだが。
播磨や北陸、甲斐なんてのは当時最前線だし「領地内の交通経済」なんて言わ
れても当の秀吉が遮断しまくってるじゃないか。牛の言いたいことは分かるが
この時代には残念ながら意味のない物差しだよ。というかあんた矛盾は認めろよ。
それでも違うって言うなら毛利の強さは関係ないってことになるけどいいの?
オレは
>織田信長が羽柴秀吉を中国地方へ、
柴田勝家を北陸へ、滝川一益を東国へ配置したことから、何処が強敵で
あったか理解できよう。
っていう牛の考えは悪くないと思ってるけどな。対織田軍で如何に戦ったか
ってのはその土地の強さの一定の物差しになると思う。そろそろスレタイに
戻らないと。牛、失礼だよ。
>>98 ほいで柴田勝家の武勲が羽柴秀吉の武勲より優れておった云う実例は見つかったか?
>>103 ほいで柴田勝家が羽柴秀吉たァ武勲を立てた実例は見つかったか?
これらは似ているようで巧みにすりかえられた詐欺まがいのひどい問いだ。いい加減にしろよ。
オレはやさしくてガマン強いから
>>78をもう一度言うよ。
武勲の評価は領地だよな。柴田は織田家臣団で最も領地が大きかったんだが。
これ以上に客観的に武勲を測れる物差しはある?
107 :
白馬青牛:2007/01/18(木) 00:46:57 ID:0Ft/YQJS
>>101-102 大陸中国において、横の同志的結束の強い八路軍と督戦隊が後方におった
国府軍の違いじゃ。上層部の将校や参謀等は前線を知らん。しかも優秀な?
上層指揮官に求めるんは人徳であって、戦術は前線の下級指揮官、ベテラン
の下士官、兵の手仕事じゃ。
おらが殿様の縦型封建制で勝てるほど戦闘は単純じゃないよ。
戦闘状況の流れ一つで士気に影響する。一下士官や一兵卒の判断で
戦闘の流れ、主導権が変わることもある。兵卒自体が戦闘知力や
命令を待たず、戦闘行動出来る能力がないと。それには封建制や権威に
屈する地域より民主的な風土の兵じゃないと駄目じゃわい。
結局当時民主的な軍隊であった米軍や共産八路軍(後の中共の天下で
専制体制になった)が、米軍は西欧や東亜の戦闘に勝利し、八路軍は
国府軍を台湾へ逃走させた。日本軍は軍隊の民主制でも負けとったよ。
>105
(=゚ω゚) んー調べてみたらやはり東西では部落の職業分類は違うようだ。
まあ、江戸期の分類では穢多頭弾左衛門配下に非人頭が居て非人頭配下に乞胸がくる。
この乞胸っつーのが軽業曲芸の河原者だわな。(猿飼のみは弾左衛門配下)
在方御用の時には非人は長柄のみだが、穢多は脇差し十手も差せた。
・・・ただし、戦国時代でも後北条氏は小田原衆所領役帳を作成し皮革職人に主従契約、
住居地の規制、行刑への関連づけを規定していたとか。
道の者もあんまり自由でも無かったようだ。
109 :
白馬青牛:2007/01/18(木) 01:56:14 ID:0Ft/YQJS
>>104 どっから引用したんか知らんが、石原莞爾氏の「最終戦争論」経済往来社
P5重商時代の傭兵は、新しく発展して来た国家は小さいので、常に沢山の
兵隊を養っていられない。そこでスイスなどで兵隊商売、請負業者から
兵隊を雇って来るようになり、そんな商売の兵隊では戦争の深刻な本性が
発揮できるはずがなく、国家の力が増大するにつれ、だんだん常備傭兵の
時代になる。軍閥時代の支那の軍隊のようであります。常備傭兵になり
ますと戦術が高度に技術化するのです。玄人の戦いになると巧妙な駆け
引きの戦術が発達して来ます。P6金で傭われて来る兵士に対しては、
どうしても専制的にやって行かなければならぬ。兵の自由を許すことは
出来ない。鉄砲が発達して来ると、射撃をし易くする為にも、味方の損害
を減ずる為にも、隊列がだんだん横隊になったが、まだ専制時代であった
ので横隊戦術から散兵戦術に飛躍することが困難だった。横隊戦術は高度
の専門化であり、熟練を要する。我々も若い時に歩兵中隊の横隊分列を
やるのに苦心したものです。ちょっとした地形の障害でもあれば、それを
克服することが出来ない。P7商売化した兵隊は非常に高価なもので、
濫費することは惜しいので持久戦争の傾向になる。P8フランス革命当時
貧乏国のフランス徴兵制度を強行しP9狩り集めて来た百姓に、高度な
戦術が出来んので横隊から縦隊散兵になったが、結果として地形の束縛に
原因する決戦強制の困難を克服し、用兵上の非常な自由を確保したのみ
ならず、散兵は自由にあこがれたフランス国民の性格によく適合した。」
つまり時代的用兵戦術変化で地域兵士の特徴じゃないよ。
110 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 04:05:28 ID:4KvfjYYj
ついに八路軍まで出てきたかw何板だここはwww
民主的ではないソ連もヨーロッパ・極東で勝ったがな
「○○だから勝った(強かった)」じゃなくて、勝った国の中から自分にとって都合のいい例を挙げてるだけで論外だな
お前の主張は全部これ
論法が一貫してるのは凄いが(悪い意味で)
111 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 07:16:20 ID:p6K5HEjq
頭の悪いやつは文章が長い。
112 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 07:23:45 ID:nitAAZE+
このスレットは糞スレに認定致します
やはり糞スレには糞なやつらしか集まんないな
オレは楽しんで読んでるが。
2ちゃんねるらしい良スレだ
114 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 10:14:10 ID:2XO5xHbu
ちなみに牛は共産主義をあまり理解出来てないようだな
>>109 こらこら、「地域兵士の特徴だ」なんて言っておらんだろ。
『社会、経済と兵力の強弱』をまとめたと最初に書いてあるだろうがっ!
・・・で、何か内容に問題が有るのかい?(=゚ω゚)?
116 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 18:00:36 ID:YUJvoLLL
牛敗走
117 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 19:14:55 ID:RHOCklcu
やっぱ島津は強いのでは
>>98usi
また人違いしてるのかw
取り合えず、織田と敵対してた上杉、毛利と立場が違うな。
柴田、羽柴と滝川の件。
119 :
白馬青牛:2007/01/19(金) 22:59:27 ID:juFQB6KU
>>106 まだ、ああじゃこうじゃつまらん言を云うとるが、柴田が朝倉領を得たんが
武勲か?対朝倉戦での武勲たァ何なら。何で詐欺になるんなら。信長の妹を
貰うたことも武勲に含めるんが客観的なんか。領土の大きさも前田、佐々ら
信長直属目付に配分せんといけん。柴田の実質の領地配分はどれくらいと
見積もりよって、云うとるんか。あんたの主観を客観性と云われてものう。
>>110 連合国対帝国主義云う図式を無視しとる。連合軍は、専制帝国主義
ドイツ軍と戦い、ソ連は連合国側に乗っただけじゃないか。
>>111 頭が悪りいわしたァ、根拠のない短文の方が低脳振りを現しよるのう。
>>114 あんたァ共産主義を理解しとるんなら、共産主義的解釈でわしに反論せえ。
>>115 その社会、経済も時代的変化が前提になっとるんじゃが。
120 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 23:07:10 ID:bOFOkt8j
kimokune?
牛さんが博識なのは認める。凄いなぁと関心もする。
でも安芸最強は無理がないか?
当時の文献で、甲斐、越後、薩摩、土佐、三河辺りは精強を謳われているが、安芸が特に強いとの評価は見当たらないのでは?
個人的には、甲斐の潰走しにくさが凄いと思う。
完敗かっ!
123 :
白馬青牛:2007/01/20(土) 02:10:42 ID:mrv+cFxm
>>121 浅井・朝倉勢を徳川の三河兵が倒した云うんも、後世の徳川側のハッタリ
じゃないか。激戦かどうか現在では判断出来ん姉川戦じゃが、織田勢の
後退による三河・美濃勢側面包囲作戦の可能性が強い。朝倉勢を籠城させず
野戦に引きずり出す戦法説からじゃが。側面包囲も三河勢だけでなく
美濃勢の活躍も無視出来まい。戦国当時の文献たァどの資料から引用
したんか?
甲斐について『川角太閤記』で、川角三郎左衛門が秀吉の言として
武田の軍法を田舎者の合戦の仕方としとるが、戦術的に東国が
後進地帯であったこと。笠間良彦氏は西国と東国で戦術に大きな差が
ついている。とされる。甲斐・越後・薩摩に関しては軍紀の弛緩した
人身売買蹂躙王国ではあったけどねえ。土佐などは河野氏の要請で
毛利軍が四国へ遠征した時も逃げとるのう。薩摩も毛利勢に勝ったことも
無い。田舎者のハッタリを精強と判断されても戦闘に実績がないとねえ。
>>123 時代の差、鉄砲の差。
笹間氏を引用するなら、騎兵戦術の東高西低。
125 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2007/01/20(土) 02:25:12 ID:rADcgIRh
>107
その八路に平型関で包囲され、壊滅的打撃を受けたのは広島第5の旅団だろ?
126 :
白馬青牛:2007/01/20(土) 03:01:40 ID:eGTbPOwj
>>124 南北朝時代の西国の悪党軍と東国の戦術の差。更に古代から大陸と接触が
強い西国と較べ東国はのう。戦術的に西高東低じゃったろう。
騎兵は、装甲的存在で兵の強弱に直結せんが、古代において満洲>朝鮮>
西日本>東日本か。家畜飼育文化から。戦国期において騎馬戦等やっても
後進性に過ぎんよ。
>>125 広島5Dに第5旅団はないど。第21旅団の後方の輜重隊(1個小隊護衛)
が八路軍の待ち伏せに損害を受けたんじゃ。しかも前線部隊の敵は
八路軍じゃのうて、国府軍じゃ。山西の戦闘で広島5Dの損害が多いんは
平型関の戦闘じゃのうて忻口鎮の山西軍、国府軍との激闘(山口聯隊は、
ほぼ壊滅状態に等しいほど犠牲者を出した)じゃ。そがーなことも知らんで
八路軍側の宣伝通り解釈するたァのう。
>>123 安芸最強といえる実績なんてあるのかよ?それと何がハッタリか根拠書けよ
アンチ東国の脳ミソのあんたに言っても無駄か。何でも西国優位の解釈に
なってしまうから。まあ田舎者はよく地元自慢するからねぇ
初めてここ来たけど不勉強なんでよく分からんな。
再び「貧しい国の兵は強い」という俗説を挙げてみる。
戦国期、飢饉で餓死するのが珍しくない地域の兵はモチベーションはかなり上がるんじゃないか。
>>29>>34も呼んでみたが兵器の質量で勝敗が決まる近代以降は違う話なんじゃないか。
三河は尾張ほど豊かでないにしてもそれ程貧しい国という印象はないが実際はどうなんだろう。
三河より真田や甲斐の方が貧しそう。
補足するけど別に尾張の兵が弱いとは思わないんだよなあ。普通というか。
あと東国は鉄砲の導入とか戦術はいくらか遅れてたかもしれんがそういうのも兵卒の強さに含めていいのかね。
指揮官の能力や地理的要因のような気がするが。
牛が戦国時代の芸州人が強いと言う根拠で毛利軍の四国や九州での戦歴をよく出すが、毛利軍の兵士で広島出身者の割合はいくらくらい?
個人的な見解だが、主力である吉川軍は山陰の出身者が多そうだし、小早川軍は現在は広島県だが当時は芸州と風習も性質も異なる備後やそれ以西出身者が多いんじゃない?
指揮官としては優れてると言う根拠にはなるが、兵士が強いと言う根拠にはならないと思う
>>126usi
根拠のない出鱈目に拍車が掛かってるなw
悪党は坂東騎兵の脅威へ対抗するための、城郭引篭もり戦法w
↓拾ってみたが、俺のレスではないけど。
@
長篠の戦いの「鉄砲vs.馬」を否定する新説って、根本的に
重要な史料である『信長公記』の記述に適合していない。史料
の使い方が非常に恣意的な気がする。
「三番に西上野小幡一党、赤武者にて入替り懸り来る。
関東衆馬上の巧者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を
打つて懸り来る。人数を備へ候身がくしをして、鉄炮にて
待請けうたせられ候へば、過半打倒され無人になつて引退く。」
A
ついでにいうと、西国では、馬を下りて戦うことが多かった
こともおそらく事実。これを、宣教師が見て、日本では乗馬
で戦うことがないと記述した。
B
東国勢が騎乗戦闘をしたのは事実のよう。
山縣隊を継いだ井伊家の本に騎乗戦闘についての注釈がある。
ついでに西国侍が馬をまともに扱っていないことに対する嘆きもある。
九州兵が北国行ったら最初の冬なんかつかいもんになんね
北国の兵が夏に九州行ってもちょっとあちーなーだけ
豪雪地帯の兵卒サイキョ
>>127 広島最強と言えば、広島が最強なんだよ。ハッタリでも何でもなく。
根拠なんか必要ないだろ。それとも君はエジソンみたいに「1+1=2」にも根拠を求めるのかい?
広島最強と言うのは、1+1が2であるくらい自明のことなんだよ。
135 :
白馬青牛:2007/01/20(土) 23:06:42 ID:4032k81Y
>>127 安芸は応仁の乱〜秀吉の時代の四国、九州征伐も武勲を重ね前線で闘う
とるよ。朝鮮の役も含め。江戸期の権力者徳川に融合したハッタリ物語を
根拠としてもねえ。東国優位の関東史観か。関東の田舎者はよう根拠の
ない地元自慢するけーのう。
>>128 室町期の小寒冷期の飢餓は、東国より西国の方が多かったよ。
飢饉で被害が多いゆえ西国が強かった訳でもないが。
農民から兵卒を徴発する東国方式を普遍的前提とされるが、兵卒の供給は
非農耕民のごろつき、悪党ら、折口信夫氏流に云うと「永住の地を持たぬ
集団の移動村落で、それが落ち着いたのは江戸時代です。」となるん
じゃが。薩摩の野伏集団「野郎」が家族単位で移動したこと。九州征伐の
黒田氏に家族婦女子が処刑されたこと。からも兵卒を構成する集団が、
土着農民でないことは当然じゃ。兵器の質量は戦力に大いに影響するが、
絶対値じゃないよ。そのことは東北・越後の仙台師団兵が武器が充実
しとっても中国国府軍に苦杯を嘗め、カノン砲等も無く兵器に乏しく、
仙台師団の半数以下の兵員でも広島部隊が中国国府軍を撃退したこと等、
実例もあることじゃ。
136 :
白馬青牛:2007/01/20(土) 23:58:05 ID:3aCFmSuW
>>130 吉川軍は安芸北部、石見、出雲の兵じゃし、小早川軍は、安芸芸南地方を
中心に、備後南部兵、宍戸氏は安芸北部、備後北部兵じゃろう。
天野氏や平賀氏ら国人領主は、安芸中央部の地元の兵が主力となる。と
様々じゃ。指揮官?概ね上層部に出世するんは愚者か、権力に溺れ愚者と
なる連中じゃろう。前にも秀吉も権力に溺れ倭寇より頭が悪いと書いたが。
日本の上層部は、現在、戦前、江戸期、戦国期に遡っても概ね愚物で、
反面教師の例として参考になるぐらいしか価値がないよ。毛利家にも、
元春さんや隆景さんじゃのうても、国人領主、国衆らの中にどれだけ多く
指揮官としても有能な人達がおったかも知れん。上層部の者は運良く、
出世したに過ぎん。越後人作家の坂口安吾氏が、郷土の直江山城守を例に
「本当に天分ある人間は、道をたのしむことを知り、本来の処世に於いて
は無策なものである。直接天下者の家来であろうと、又家来であろうと、
家来にニつはありゃしない。真の実力ある人間にとっては、そういう
ものだ。」と云われたことに、わしゃあ共感を覚えたもんじゃ。
出世欲、才能?で報酬で生きる人間を「こんなァ(こいつも)卑しい
のう。」思うんは広島人だけじゃあるまい。現状で良い、欲望は自分を
見失い愚かにするもんじゃ。欲望に捉われた英雄なんぞ役割が終わると
死んだり暗殺されるだけの存在に過ぎんよ。
137 :
128:2007/01/21(日) 00:02:08 ID:IXJWiOvE
牛さん丁寧にどうも。
この際だからもうちょっと教えて。
>室町期の小寒冷期の飢餓は、東国より西国の方が多かったよ。
これはどこかの資料にあるの?甲斐だと「勝山記」とかにしばしば飢饉の記述があるみたいだけど。
あと、近代戦は兵器が重要と言ったのは
>>34をみて「貧しい国の兵は強い」という自分の理屈を近代に
適用するつもりはないということのために言っただけです。
まあこの俗説に拘るつもりもないのでどうでもいいけど。
ところでこのスレでは出てこないみたいだけど本願寺とか強そう。
直江山城守兼続が天下の名将として挙げた二人が、
上杉謙信と大田資正。
>>135 それが最強といえる根拠かよ。近場の田舎大名とちょこちょこ戦ってんの
自慢されてもな。それと関東より中国地方のほうが田舎だ。関東人が田舎モン
ならお前ら土人か?それと仙台師団は勇猛って聞くが広島師団なんてさっぱり
だよな。まあ後方支援でちょっと活躍したようだけど
140 :
白馬青牛:2007/01/21(日) 00:46:40 ID:ZoY4Twml
>>131 悪党が籠城に徹し、関東方が騎兵云うんは大平記の引用解釈じゃろう。
大平記は南朝側の視点じゃ。播磨の悪党ら北朝側の視点じゃない。
城郭引き篭もり?城郭戦、防御戦に攻める要素がないと成立せんのは
近代戦の実例からも当然のこと。ほいで、馬柄杓や歩兵の速度に合わせる
拙劣な騎馬戦闘についての答えになっとらんど。戦闘行為は文化類型に
属することで、合理的手段を採用することではない。三河の徳阿弥も
山賊時代には遊撃戦のノウハウを持っとったろうが、後世の家康の時代は
真田氏の遊撃戦に手も足も出んほど戦闘技術も退化したように。
文化類型に染まっとらん悪党集団は本物の戦闘を把握出来た確率は強いね。
そう云やあ、明治維新後の白兵戦でも槍は白兵戦に最も有効な手段じゃ
ろうが、日本軍の銃剣のゴボウ剣は片方だけで斬る長刀の延長で両刃の
斬れる槍の延長にない訳で、実用性より文化類型が優先しとるんじゃろう。
ほいで播磨悪党より関東騎兵が優れておった根拠ものうてよう云えるわい。
播磨悪党軍よりも関東勢が騎馬戦に優れとった云う根拠でもあるんか?
また騎兵の役割が軽装騎兵の機動力によったんが戦国時代期における
世界的傾向じゃないか。ほいじゃあ関東の軽装騎兵の運用戦闘はあった
んか?歩兵の速度に合わせたら駄目じゃのう。
>>123牛っ『土佐などは河野氏の要請で毛利軍が四国へ遠征した時も逃げとるのう』
(=゚ω゚) 天正の陣の事か?
秀吉の命で小早川隆景軍3万余が金子元宅軍2千に攻め込んだ話だべ。
そりゃふつう逃げる罠w
もともと金子氏は親毛利・河野だったと言われるが主家長宗我部のために徹底抗戦。
「約を変じ強きにつくは男子の道に非ず」と言って弐百の兵と共に10倍以上の毛利軍と戦い
最後には金子軍の生存者がわずか十三名となるまで戦い玉砕、自決。
「昨日は長曾我部に頭を下げ、今日は又小早川に腰を折る。所せん肩をひそめて
世を渡らんよりは潔く討死をして名を後世に残すべし(金子元宅)」
隆景もこれを称え千人塚を建て弔ったとか。
強兵と言うのは3万の軍勢を言うのでは無く、こういう信念を持った武将と領民達を言うのではないかな?
>>141 〉隆景もこれを称え千人塚を建て弔ったとか。 強兵と言うのは3万の軍勢を言うのでは無く、こういう信念を持った武将と領民達を言うのではないかな?
禿同、折れもそう思う
144 :
白馬青牛:2007/01/21(日) 02:28:40 ID:ZoY4Twml
>>137 洛中の死者8万4千と15世紀の小氷期の飢饉、近畿、西日本は寛正の
大飢饉等、農業災害があいつぎ、応仁の乱に発展していった。云う
気候変動による山本武夫氏の解釈ですが、気候変動が4世紀の
北方民族移動や9世紀以降の東日本の温暖化により、西日本の飢饉と違い
東日本の農耕生産力が西国より上回り、鎌倉政権に繋がり、平泉の東北文化
が謳歌出来る状況にあったようです。気候変動からの考察です。
甲斐の人身売買に飢饉が関与するかどうか調べてないゆえ解りませんが、
戦さにおいて関東の奴隷を捕らえ、自国の生産に活用したことに違い
ありません。
>>139 関東は古代から人口は多かったろうが、近畿〜瀬戸内〜北九州の
海外交易地帯から見ると田舎者じゃ。糞田舎の鎖国史観の関東土人が
人口でカバチ垂れてものう。
坂口安吾氏は新潟より人口の多い仙台を含む東北について「いくら東北に
うまい物がないたってクジラの刺身をほめるとは、バカバカしくて仕方ない
のだが、鮎川でクジラの肉を食ってみると、決してクサイ物ではない」と
鮎川について褒めておられるが、「仙台や石巻には、東京の風も日本の風も
仙台的にゆがんで黒ずんで吹いているだけさ。」「東北は精神的に一つの
鎖国状態なんだね。」と云われ仙台人の反感を買うたようじゃ。
同じ仙台師団管区でも越後人は北陸人で東北人を低く見るんかのう。
坂口安吾氏は、同じ北陸人の辻政信参謀(石川県人)を戦地の将軍達の
酒池肉林に激怒し抜刀してパンパン屋に乗り込み遊興中の将軍達を振るえ
上がらせた清潔の士とされ評価が甘い。確かに辻氏は憂国の士を自負して
おられ、その通りであろうが、拙劣な作戦を立案し犠牲者を増やし、
自国民や他民族に対し人情に欠ける。
広島から見ると関東なんぞ・・・罵倒と誤解されるんでやめとこう。
仙台師団?忻口鎮で前線で激闘せずお茶を濁した第15旅団の(篠原旅団、
越後の高田、新発田)部隊か?後方支援は戦歴の無い仙台師団の専売特許
じゃろう。徐州もそうじゃ。仙台が勇猛?どこの戦闘で?笑いが止まらん。
145 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 04:22:08 ID:t0b91WNC
南北朝時代の北条方の関東兵と畿内の楠木、赤松などの悪党との戦いを例に出しても広島人が強いと言う根拠にはまったくならないと思うが…
いい年こいて挑発に乗りやすいんだね〜
自分で博識だと勘違いしている自負心の強い自惚れ屋さんだから仕方ないか
広島の中心で愛を叫んでいればいいさ!ところで広島からみた関東って・・・敵わない
と思ってんだろ?無理すんなって田舎モン。まあ東北・九州の師団の勇猛さは有名だけど
脳ミソに広島フィルターかかっているあんたの解釈聞くのもうウンザリだから俺の勘違い
ですたってことでいいや。
書いた事を読まずにレスすんのは失礼だと思う。
長文がんばってるんだし。
148 :
白馬青牛:2007/01/22(月) 00:26:11 ID:FDzjtaGB
>>141 天正七年の事等、長宗我部は毛利不在の時をねらい伊予へちょっかいを
出し毛利軍が来ると逃げることをを云うたんじゃが。伊予金子氏の潔さは
認めるよ。中国地方は潔く覚悟を決める壮快さは乏しいね。
出雲の山中鹿之助のように敗北を認めず渋とい。散り際を大切にする
日本的美学に外れるかも知れんが。
近代戦でもニューギニアの戦闘で玉砕命令が出た時、北関東の宇都宮
51Dの兵士が覚悟を決めても、広島5D浜田第21聯隊の兵士は
「死中に活」を求めるんじゃと決意したんと地域性の違いもあろう。
マレー作戦のおり、ジャングル戦で広島第11聯隊第3大隊本部が孤立し、
敵の火力戦で危機にあって、「もはや、これまで」と大隊長市川少佐以下
軍医まで刀を抜き、突撃敢行となった時、中田軍曹は大隊長の所へ行き、
側の軍医に、にたッと笑いかけ「軍医殿。軍刀で手術でもされるんですか」
黙って関の孫六(大隊長の刀)を納めながら「戦争は歩兵がやりますけん、
軍医殿は、メスでも研いどって下さいよ。」市川大隊長は各隊の
命令受領者も無く、兵は負傷兵ばかりの状況で「中田。このままじゃァ
駄目だ!」中田軍曹は「なァに。敵は今に茶釜ですよ。大隊長の突撃
なんざァ聞いたこともありませんよ!」とふてぶてしく言い「こらあッ。
うんこら、うんこら言うなッ」と、負傷兵たちにどなった。
このエピソードは、最期まであきらめてはいけんこと、一下士官が
大隊長をいさめ、口出し出来る広島部隊ならではじゃが、戦闘のベテラン
下士官の判断に狂いはない。戦国時代でもそうじゃろう。
150 :
白馬青牛:2007/01/22(月) 01:10:40 ID:FDzjtaGB
>>146-149 東北と九州の勇猛さ云うても、戦闘実例を挙げれんじゃないか。
じゃけー戦闘実例を挙げえや。
そのサイトのデタラメは、徐州作戦に参加したんは仙台13D(抜け駆け
無血入城で、誉められたことじゃない。)仙台2Dが徐州作戦に参加しと
らんのに、仙台2Dの戦歴に加えとる。チャハル作戦で正面で激闘したんは
広島5Dじゃ。東京1D、仙台2Dは中国軍を背後から襲う関東軍チャハル
軍団協力隊じゃったが東京兵団は途中兵員3分の1の損害で使いもんに
ならんかった。仙台師団は激闘せず無傷の進軍なんが自慢たァ笑わす。
これらの記述からええ加減なのう。「大東亜戦争 研究室」の方がまだ
参考になるど。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/home.html?
146をよく読んで駄馬鈍牛さん
脳ミソに(ry どれがデタラメでどれが正しいかって判断難しいよね。
もちろんあなたがデタラメな可能性だって大いにあるわけだし。
>>119usi
すまんな、牛。しばらく相手できなくて。オレも忙しくてなぁ。
お前の相手だけをしてるわけにもいかないのだよ。
>柴田が朝倉領を得たんが 武勲か?対朝倉戦での武勲たァ何なら。
牛はほんとに戦国時代を知らないな。越前は対朝倉戦の褒美じゃなくて
加賀一向一揆平定の前哨基地だろ。朝倉滅亡しても越前の一向一揆が残
ってたし。前にも言ったが信長は未征服の土地をよく分け与える。柴田
の越前入国時点で加賀はまだ一向宗がうようよしてるわけで。
時間軸がおかしいよ。で、上杉謙信が死ぬまで加賀の一向一揆を平定で
きなかったんだから北陸の兵ってすごいと思わない?
>何で詐欺になるんなら。信長の妹を貰うたことも武勲に含めるんが客
>観的なんか。
だから牛はほんとに戦国時代を知らないな。他の時期の歴史に詳しいのは
認めるけどさ。オレはそんなこと一言も言ってないよ。ていうか意味不明。
信長の妹を嫁に貰ったから領地が大きいってこと?それなら養子をもらっ
た秀吉はどうなの?蒲生氏郷の領地も広大だったか?
>領土の大きさも前田、佐々ら信長直属目付に配分せんといけん。
目付じゃないな。与力だな。与力は武将に属する。
言葉は正確に使わないといけない。
>柴田の実質の領地配分はどれくらいと 見積もりよって、云うとるんか。
意味のない問いだ。そんなこと言ったらよく働く部下を持つほど苦しく
なるなあ。秀吉も因幡、但馬、備前は見積もれないぜ。
そろそろ牛の意見を聞きたいのだが、まだ教えてくれないの?
154 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 11:56:41 ID:X9EJRuFc
>>151 その理論だとソ連の狙撃師団が強いってことか
戦国時代の話なのに昭和の話持ち込む馬鹿がいるのはこのスレでつね
156 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 14:29:39 ID:X9EJRuFc
いいえ、平成の人間に答えが出せるわけない馬鹿げたスレです
強い弱いじゃなくて好きか嫌いか、全部主観で決まる
時は遷り処は変われど
人類の営みになんら変わる事なく
神戸生まれ神戸育ちの俺は自慢なんて出来ないできないorz
159 :
白馬青牛:2007/01/22(月) 23:16:54 ID:Ddduz8dJ
>>152 わしゃあ
>>146を読んでも、つまらん内容のない文じゃ思うだけじゃ。
近代師団にこだわりよるようじゃが、九州兵の多くが眉間を
射抜かれ戦死したことから勇猛云う風評が出来た事や、以前にも話したが
東北兵を率いる指揮官が守る「命令を出したら、必ず解除を忘れぬこと」
東北兵の命令通り守る忠誠心が、世評に繋がったもんで、実績による
実力と世評の人気投票たァ違うよ。カバチがあるんなら戦闘実例による
実績を云えーや。よう云わなんだら「人気はあっても実力がなかった。」
ゆうことじゃのう。実戦例を挙げん、タコの糞が脳みそに張りついとんは
どっちかいの。デタラメか正しいか判断したいんなら戦闘体験者の戦記、
資料を読んで判断せえや。わしがデタラメ云う根拠も挙げず、可能性云う
曖昧な抽象的誤魔化しに逃げてもしょうがないど。
>>140 うしの南北朝話のネタが全て太平記絡みw
正成も円心も紛れもない名将だが、地元の利を活かした戦いで、
それ故に敵は戦闘員のみじゃないのよ。で、安芸国は関係ないがw
そして騎兵戦術を殺ぐ城郭戦がこの時代からだからな。
徳阿弥?伝説上の人物だがw真田は山賊じゃないだろ。
それで家康は出陣してないし。
源平の頃でも、常に従者がくっ付いてたわけじゃない。
16世紀の結城家は従者なしの騎兵一人で参陣してるぞ。十貫文一匹一領。
十五貫以上の身分でようやく、従者を付けての陣参が義務づけられてる。
戦国でも騎兵中心の軍役だな。やたらと突出しちゃう無法者が多いのは坂東武士らしいがw
(結城家法度)
衛府の桂甲に較べりゃ、よほど軽装じゃよ。
実用性より唐の物真似に終始するのが京じゃw
↑新法度
あいぬ君のかきこキボンヌ
162 :
白馬青牛:2007/01/23(火) 00:31:24 ID:D6kfJcmJ
>>153 やれやれ、「ほんと戦国時代を知らないな」を何回繰り返すんかのう。
そがーな虚勢張らんでもええよ。朝倉戦の褒美でないんなら、
武勲による領地云々も意味のない解釈になるのう。あんた自身の意見が
ころころ変わるんにわしが合わせる必要もないのう。くだらんよ。
ほいで与力を江戸期の幕府の与力の役職と勘違いしとらんか。中世期
「与力・同心は守護の被官にあらずして、兵役あるときは守護人の志を
通じて、被官同様に力をあわせ与することを、与力とも同心ともいう」
つまり守護人よりも大きい枠組みの織田家において、前田氏や佐々氏は
信長からの意で柴田に協力する者達と解釈出来よう。柴田氏の直系家臣
じゃない。
じゃが、北陸兵をすごいと思うんは真っ当な意見じゃ。たまにゃあええこと
云うのう。彼らの反骨精神は真宗王国北陸ならでは。前にも云うたが、
近代の金沢兵団も遭遇戦、短期戦の器用さに欠けるが、忍耐力があり
旅順攻略のような長期陣地攻略戦に実力を発揮したんは、戦国期以来の
伝統じゃろうて。長期戦じゃあ、衡陽城攻略で一回の総攻撃でほぼ
壊滅状態となった九州の熊本兵団よりも期待出来る。戦歴、実績でも
兵員の純朴性に類似点がある東北兵団より余程上じゃ。東北と違い、
自治権への意思、先進性があり北陸兵は、かなり強いよ。
信長の大規模な軍制を中世の枠組みに押し込める牛の新説にwww
164 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 02:58:20 ID:6pZOsGCq
158
山口組があるじゃないか。
そういえば、広島って沖縄とともに、山口、住吉、稲川が入れなかった土地なんだよな。
地元意識が強いのかもな。
あと、広島のイメージだが海軍、水軍が強いんじゃないか?
毛利水軍、呉軍港。
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
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広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
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広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・広島から見ると関東なんぞ・・・
毛利水軍は結局織田水軍に負けたじゃないか
呉の軍港は明治中期に海軍によって建設されたわけで広島は関係ない
戦闘体験者の戦記が本当に真実だけなのかね〜
鈍牛ちゃんのみた戦闘体験者の戦記ってどうせ広島出身だろ
わりゃ146のなにがつまらんのか具体的にいえーや
広島最強って書いとらんからか?
戦国はどれが強いかはよくわからんけど明智光秀が好きだ
168 :
白馬青牛:2007/01/23(火) 22:43:09 ID:h8HCfjeH
>>160 太平記は南朝側視点で赤松氏の記述は少ないで。地元いうても赤松軍は、
『峰相記』にあるよう播磨悪党は、但馬・丹波・因幡・伯耆を含んだん
じゃないか。城郭戦がこの時代と決めつけるこたァ出来んよ。古代から
山城はあった訳で。文献に記述が乏しいだけで決めつけちゃあいけんよ。
徳川氏の徳阿弥伝説も真田氏の修験道モチーフも説話類型として考察
出来よう。信憑性に薄い云うんなら歴史文献等ほとんど後世の権力者の
都合で書かれたもんで信憑性に乏しい。説話、伝承を否定したら民俗学、
神話学も世の中に不必要な学問になるじゃないか。真田氏が山賊で無い
云う根拠はあるんか?家康が出陣せんでも徳川軍の敗走に違いないよ。
従者が必要ないんなら何で機動力のある騎馬兵のみの編成をせんのか。
位が上がると従者をつけるんは戦闘の文化的要因に従ごうたんか、
組織的騎馬隊を運用する文化が関東になかったとも云えよう。
あんたも「突出しちゃう無法者が多いのは坂東武者らしい」云うて
騎馬戦闘に拙劣じゃったことを認めとるじゃないか。
実用性より唐の物真似?唐自体が騎馬民族北朝出身じゃし、北方騎馬民族と
戦闘馴れしとるんに。ほんま関東の田舎者は井の中の蛙じゃのう。
>>162usi
だろ?なかなかやるだろ?北陸兵。ということで、
>>39 >戦国時代の史料は確かに近代の史料と比べると信憑性なんて低い。
>じゃあ逆に「戦国時代」の広島人最強を裏付ける根拠って何?
>>47牛のレス
織田信長が羽柴秀吉を中国地方へ、 柴田勝家を北陸へ、滝川一益を東国へ
配置したことから、何処が強敵であったか理解できよう。
中国者の律儀、戦闘における渋とさ、横社会でもある独立心の強い兵士じゃ。
あれ?また矛盾ですか。
まあ「あんた自身の意見がころころ変わるんにわしが合わせる必要もないのう。くだらんよ。」
>朝倉戦の褒美でないんなら、武勲による領地云々も意味のない解釈になるのう。
もはやバカですね。 お前の時間軸がずれてるって言っただろ?越前8郡の領主
だった時期の柴田と播磨を平定し中国方面へ展開している秀吉って同じ時期か?
秀吉が中国方面へ展開した時期は天正8〜10年。同時期の柴田は加賀を平定して
能登、越中まで進出している。
冷静さを失って客観的な比較もできなくなったか?
>ほいで与力を江戸期の幕府の与力の役職と勘違いしとらんか。
この件は
>>163のおっしゃる通り。中世を通じて同時に多方面に兵を向けたのは
信長が初めて。
>つまり守護人よりも大きい枠組みの織田家において、
お前の勝手な解釈だな。より正確に書くなら「つまり守護人とは別の枠組みの織田家
において」だろ。この時期の佐々、前田は秀吉幕下で言うところの蜂須賀、宇喜多、
などと同等の地位だよ。「それでも昔からの織田家の家臣だから」ってのは織田家で
は通用してなかったのは分かってるよね?
ちなみに牛の言う>信長からの意で、に当たるのは丹羽、蜂屋、池田、それに
近江衆(蒲生、阿閉など)だな。
ほんと、牛は戦国時代を知らないな。
>>169 べつに白馬青牛氏の肩を持つつもりじゃないけどさ。
信長配下の諸将のなかで、本能寺時点での国持は柴田以外に
信忠・信雄・明智・滝川しかいないんだけど。
171 :
白馬青牛:2007/01/23(火) 23:36:42 ID:h8HCfjeH
>>164 地元意識は強いよ。呉軍港もそうじゃが、廣島も大本営が置かれ臨時首都の
役割じゃったし、全国の将兵が宇品港から外地に出征したよ。
呉・廣島がそれぞれ海軍・陸軍の軍都じゃった。
>>166 毛利水軍は藤本正行氏流に云うと織田水軍に海上封鎖されたんじゃろう。
藤本氏は桶狭間の奇襲も『信長公記』の創作とされ、ほんまに織田水軍が
戦闘に勝ったんかは疑わしい。
>>167 中隊記の様な戦記でも個人様々な見解があるよ。じゃが前線で闘われた
兵士の生の記録であることに違いない。まあ上層将校が部下の手柄を
自分の武勲が如き云い、戦後証拠文書を焼却し、現地民殺害を部下が
暴走した云う言い訳もあることじゃし。越智春海氏が「一人で手柄を
たてたような顔をしている者は、本当は戦場の後方で、ただウロウロして
いただけだ。」と皮肉を云われたが、その辺を注意して読まんといけん。
わしの戦記参考は広島出身の方が多いが、他地域の兵士の方の戦記も
取り上げとるよ。お国自慢板の郷土の英雄。帝国陸軍師団の前スレの
方じゃ。
>>146についても
>>159で答えとるよ。広島最強に不満があるん
じゃったら、広島師団の戦歴、実績と比較し広島師団より上回る師団が
あるんか具体的に云えーや。
>>168 元就まで待とう廣島武士、の安芸がないよ。
上野山名氏が切り取り御免の中国山陰地方( ^ω^)∩
本格的な山城戦がこの時期からで、13世紀の城郭は臨時的な施設。
歩兵中心の畿内僧兵がルーツに近いが、近年の研究を読むべし。
真田が山賊という根拠は?地理的に馬との関わりが深そうだが。
真田のケース、悪党のように引篭もって撃退したわけじゃない。
家康自らじゃなく、鳥居・平岩や保科・諏訪とかだし。
従者云々は日本全国で行われてた事でなんで坂東に括りたがるんだか
結城氏新法度は一騎駆けのこと。
唐の武具なんて古すぎて話にならないし、衛府の甲冑・武器・馬具は
都の精妙な技術力を要する贅沢品でも、実戦には向かない。
馬具も甲冑でも、日本の武具は独自の進化をしてるんだから。
それも東国の実戦で培われて、実戦に即したものが発生してる。
馬にしても畿内産の軍用馬は、東国産駄馬にすら遠く及ばないレベル。
木質の弓は日本の風土に根ざしたものだし、うしが好きな半弓にすると
木質だしおもちゃレベルになっちゃうがw
(=゚ω゚) まいど〜。 そういや
>>140へのツッコミ忘れてた。
ところで徳阿弥って新田系世良田氏の時衆僧だと思ってたけど山賊だったんかい?牛っ
>馬柄杓や歩兵の速度に合わせる拙劣な騎馬戦闘
(=゚ω゚) 以前から気になってはいたのだがそれって戦闘描写かい?
源平じゃ無いんだから騎馬戦はほとんど無い。崩れて逃げる敵を追い回すのに使うのが主だろう。たぶん。
まあ、戦国の終わり頃は乗馬に不慣れなヤツもいたようだが騎馬突撃が無かったワケでもない
雑兵物語では並中間新六の話にも東国勢の騎馬突撃が出てくる。右側面からの奇襲には有効だったからな。
>悪党集団は本物の戦闘を把握出来た確率は強いね。
(=゚ω゚) ??本物の戦闘とは何のこっちゃ? 悪党がどういう布陣でどれだけの兵站で
国土防衛や都市制圧できたのか言うてみい。
>播磨悪党軍よりも関東勢が騎馬戦に優れとった云う根拠でもあるんか?
(=゚ω゚) ふーん。播磨悪党軍ねぇ。
悪党がそんなに強いなら広島にも居たんだろうね。『今川氏の』世鬼忍軍みたいのが
・・・てか毛利水軍は伊予村上水軍な
>日本軍の銃剣のゴボウ剣は片方だけで斬る長刀の延長で両刃の斬れる槍の延長にない
(=゚ω゚) ??・・・・・・?またまた新説かい?
もともとヨーロッパでは充填に手間がかかるマスケット銃隊の援護にパイク兵を付けていた
パイク兵(槍隊)を兼ねる発明が銃剣だ。
だから日本で一番古い村田式銃剣はヨーロッパ式の両刃だよ。
168>歴史文献等ほとんど後世の権力者の都合で書かれたもんで信憑性に乏しい。
(=゚ω゚) こら牛っ!陰徳太平記の作者に失礼だろ! ぷんぷん。
戦国板なのになんで昭和の戦争の話が多いのさ。
常識的に考えればこのスレは戦国期における最強兵卒を議論するスレでしょ。
板違いうざい。
176 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 02:43:12 ID:k/zMs//J
>>174(=゚ω゚)
>源平じゃ無いんだから騎馬戦はほとんど無い。
そうでもないよ。
>>177 (=゚ω゚) そ・・・そうだったのかっ!!
179 :
白馬青牛:2007/01/24(水) 22:28:08 ID:HodpGTU2
>>169 何処が矛盾しとるんか?軍事・経済でも秀吉が勝家より上位にあったろう
云うたんじゃが。ええ加減つまらん虚勢を張んなや。ほいで、信長が
軍制を改革した云う根拠でもあるんか?藤本正行氏は信長の戦闘でも他の
戦国領主を違わんと云われたが、多方面に兵を向けた云う短絡的理由
じゃのうて、具体的に何処が変わったんか?与力は家臣じゃないど。
前田氏や佐々氏は能登、越中に領国を持ったが、信長から柴田氏の家臣に
なった根拠たァ何なら?他の戦国領主と違う特徴は何か?細川氏や筒井氏は
明智氏の与力であっても家臣じゃなかろう。戦国時代に詳しいんなら、
戦国時代を詳しゅう知らんわしに、解るように云うてつかい。
>>173 安芸守護に補任された山名満氏は、満氏の守護職に反対した安芸平賀氏の
御薗字城を応永十年から三年間攻めても攻略出来んかったのう。
じゃけー、山城戦がこの時期からと断定出来る根拠もないし、近年の研究
たァ誰の説か?地理的に馬と関わりが深いと山賊じゃない云う
理由は何か?従者は武士層において全国的じゃったろう。日本の風土じゃあ
騎馬戦に疎いようになる。それを京と違い関東の実戦などと云う妄想が
可笑しいんじゃ。
逆切れw
181 :
白馬青牛:2007/01/24(水) 23:36:33 ID:KW7rNzZF
>>174 徳川家系図についてふれた近衛前久書状 慶長七年ニ月二十日
陽明文庫蔵に、永禄九年朝廷に三河守任官を申請した家康に、
正親町天皇は、氏素性の明確でない者に官位を与えることを拒否された為、
吉田兼右に頼み藤原氏になり、関ヶ原合戦頃から源氏姓要求し新田流
得川氏に結びつけた云うことじゃ。大石慎三郎氏の云われるよう山賊生活
から成り上がったんじゃろう。
源平戦にも組織的騎馬兵運用も出来てなかったろうし、戦国時代はあんたが
云うように、鉄砲や弓足軽の飛び道具戦から徒士による白兵戦の後に
騎馬による追撃戦に運用した程度じゃ。
http://www.sengokushi.com/gote/b00200.html の中頃の図(甲州流軍学書)に赤色の騎兵が黄色の歩兵と行動を共にし、
騎馬兵が集団で行動する仕組みは解説されず、歩兵のスピードに合わせ
なければならなかった。武田騎馬隊など想像の産物じゃし、騎馬奇襲は
軽装騎兵による迂回作戦じゃないと難しいよ。右側面云うても敵の位置を
的確に把握し敵味方の前線部隊が交戦中じゃないと迂回作戦は成功出来ん。
騎馬戦闘員でない中間の話から騎馬戦云々を額面通り受け取れんよ。続く。
182 :
三河侍@名古屋嫌い:2007/01/24(水) 23:56:31 ID:un0VuHu2
足利尊氏が率いた九州兵と徳川家康が率いた三河兵が
天下取ったんだから、一番強い。その九州兵の中でも
戦国期に九州を纏めた薩摩兵が強いと思う。
広島勢が一番強いだと?関ヶ原のときの動き見ろよ!
とくに、その決戦の後だ。広島勢が強いなら、輝元は
別の決断がくだせれたんじゃないのか?少なくとも、
島津ぐらいの立場が戦後とれただろうし。まあ、多少
人間環境にも違いがあったがな。
秀吉も勝家も同じようなもんだっと思うが・・・
>>178 騎馬戦が得意で、集団歩兵戦が苦手な関東武士にとって
戦国後期は良い時代じゃないよね。活躍の機会は時代とともに少なくなる。
北条の足軽=歩兵でもないし、弓射歩兵を軽視したり、槍が短かったり。
上杉の軍役に弓が見えない摩訶不思議。
>>179 上野山名氏・時氏の孫が満氏。関東に関係ないね( ^ω^)∩
>近年の研究たァ誰の説か?
それを治承寿永期に求めちゃった、川合以外の研究者多数。
軍事訓練の狩猟が出来ない京都なのに?w
そりゃ、牛が好きな競馬・流鏑馬で従者は必要ないからな。
っても、都の弓射儀礼は歩射に長い伝統があるんだが。
>>180 弓歩兵が少ないんだよ、北条・岩槻太田の場合はね( ^ω^)∩
184 :
白馬青牛:2007/01/25(木) 00:45:50 ID:ftBws4Sy
>>174 続いて、悪党の兵站云う前に宇都宮勢の兵站は、楠木勢の遊撃軍に
奪われたんじゃないか。現地民の物資徴発に熱心な坂東武士の自業自得じゃ
のう。国土防衛云う領土確保云う面の世界で解釈するたァ、悪党軍団の
点と線の拠点確保戦術じゃ。悪党軍は山賊・海賊・芸能民等を含むん
じゃが、安芸は山地が多いせいか、「安芸ノ山窩ノ如キ是ナリ」
「サンカと云えば安芸だという通念が明治初期に出来上がっていた。」
と三角寛氏はサンカ名発祥の地として山陰の「雲・伯・石の三国」を示唆
されたが、「それに広島県を加えれば、その指摘は当っていたのである。」
と沖浦和光氏は云われたが、近世のみならず中国山地に漂流者の生活圏が
あったのではないか。尼子氏に協力した山地芸能集団の鉢屋賀麻党等は
その一例であろう。毛利水軍も伊予系だけじゃのうて、毛利時代の川ノ内
水軍や、小規模の水軍もおるよ。坂東武蔵から移住した多賀谷氏もそうじゃ
のう。関東に残った多賀谷氏の末は茨城県に多いんかいのう?
一番古い村田式銃剣が両刃じゃが、後に片刃になり日本の銃剣の文化形態、
伝統として云うとるんで。
http://www.xn.--u9j370humdba539qcybpym.jp/gunyoiyu/iyuken/index.html 「三十年式銃剣の特徴は、日本古来の刀剣形状の片刃であり、諸国銃剣の
先端が両刃になっているのと異なる。」輸入文化よりも文化の継続じゃ。
陰徳記は著者香川正矩さんが既成の文書だけじゃのうて、自ら古老を訪ね、
フールド・ワークした書じゃ。ほとんどと一緒にすなや。
185 :
白馬青牛:2007/01/25(木) 00:59:50 ID:ftBws4Sy
>usi
悪党 地の利。
安芸・備後は被差別民(えた)が多いし。
多賀谷は野与党だけどな。
>>181 (=゚ω゚) ふふふ。徳阿弥山賊説の説明になってないが、まあどうでも良かろう。
オイラも冗談で言ってるのだ。
甲州流軍学書なる図は歩兵の指揮者だろ、最初から騎馬部隊の説明でもなんでも無い。
雑兵物語にあるのは「ここを先途と戦うところへ味方は東国侍で馬には達者だ。
今日の戦場は地形が良いと頃合いを見計らって、選りすぐった騎馬武者三十騎を・・・」
つまり混成でその場で選抜した感じだな。まあ東国侍だからできた芸当だろう。
>敵味方の前線部隊が交戦中じゃないと迂回作戦は成功出来ん。
(=゚ω゚) 藻前、読んでねえだろ雑兵物語・・・
石原完爾も言っているが学者は軍人ではないので先入観をもって戦記を読もうとする。
だから「軍忠状に刀剣による死傷の記載が少ない」→「戦場で刀は使われない」
などというトンデモ説が出てくる事になる。
学者の話から騎馬戦云々を額面通り受け取れんよ。続く。
ああ、牛のあまりの暴走振りに最初の論点が見えなくなっているが、オレはあくまで
牛の
>>47 >織田信長が羽柴秀吉を中国地方へ、 柴田勝家を北陸へ、滝川一益を東国へ
>配置したことから、何処が強敵であったか理解できよう。
>中国者の律儀、戦闘における渋とさ、横社会でもある独立心の強い兵士じゃ。
に答えているだけであって柴田信者でも北陸出身でもアンチ秀吉でもない。
ただ牛のように太閤記のような勝者の歴史を鵜呑みにして、柴田のこれまでの実力
や実績を軽視し、挙げ句の果てには最強の秀吉に挑んだから中国兵最強とまで飛躍
してしまう牛の軽薄さに疑問を投げかけているだけだよ。
で、
>>179usi
>軍事・経済でも秀吉が勝家より上位にあったろう 云うたんじゃが。
何度も言わすなよ。
>>106をもう一度読みなさい。軍事ってなんだ?どの辺が上位?
ちなみに秀吉が勝家を上回るのは本能寺の変以後だな。変後の秀吉の行軍速度と
山崎の合戦の勝利で状況が一変したのは確かだ。
>藤本正行氏は信長の戦闘でも他の戦国領主を違わんと云われたが
藤本氏の言は戦闘だろ?軍制についても言及してるのかよ。
>多方面に兵を向けた云う短絡的理由じゃのうて、
短絡的という言葉で多方面展開を矮小化しようとしているが、上杉、武田、毛利など
の全軍を各方面で質、量で凌駕する軍の展開って凄くない?
>軍制を改革した云う根拠でもあるんか?
封建家臣団の再編成。 なんか試験を受けているようだな。
>前田氏や佐々氏は能登、越中に領国を持ったが、信長から柴田氏の家臣になった根拠たァ何なら?
あの。家臣と言ったことは一度もないんだけど。
>>153で「目付じゃないな。与力だな。与力は武将
に属する。」って言ったんだけどな。牛も
>細川氏や筒井氏は 明智氏の与力であっても家臣じゃなかろう。
ってオレを肯定してくれてるじゃないか。力が抜けたぜ。
もはや戦国時代に詳しい詳しくない以前の問題で話しになりません。
>>183( ^ω^)∩
(=゚ω゚) しかしすごいなあ。結城文書とかもオヌシかい?
>>184 >山地芸能集団の鉢屋賀麻党等
(=゚ω゚) 尼子じゃ!
>川ノ内水軍
(=゚ω゚) 武田じゃ!
つーか川内水軍は河川と湾内じゃね? いや、知らんけどさ
>近世のみならず中国山地に漂流者の生活圏があったのではないか
(=゚ω゚) 世鬼家は『今川氏』じゃ!
>ほとんどと一緒にすなや。
(=゚ω゚) 一緒じゃ!
>日本の銃剣の文化形態、伝統として云うとるんで。
(=゚ω゚) そう?
「日本軍の銃剣は片方だけで斬る長刀の延長で両刃の斬れる槍の延長にない」
と、牛説に書いてあったが・・・まあいいだろう。ふっふっふ。
>>182 三河兵は強いだろうが、せいぜい小牧までが精一杯だろう
もちろんその状態でも三河兵ばかりなわけじゃないし
関が原や大阪の役じゃ一兵卒の出身地の問題じゃないしな、それにかなり変わってるだろう
要するに、三河武士団が有能なんじゃないの?
尊氏詳しくないけど、足利一門と言えば三河武士だろ?岡崎の三河武士の館でも一緒にやってるし
191 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 04:27:42 ID:iF8s/P69
>>190 だったら16世紀日本全国兵卒選手権(総当たりリーグ戦)でもやらないと最強は『絶対』に決まらないな
信長の各方面軍の話題で、明智光秀に担当させた丹波兵も強いと言われるけど、
これは織田軍からみた相対的な評価なのかな?
あのへんはいまいち強そうなイメージ無いんだけど。
すまんまた昭和の話してしまうが牛
まずお前が広島が一番多くの実績と武勲を誇ったことを証明しろーや。
みんなに攻めこまれて牛を一瞬だけ同情したけど、考えてみれば全部自分でまいた種だよな。
最後まで責任とれよ。
しかしここまで牛の言ってることがいい加減だと牛の近代や古代、中央アジアの知識も怪しいもんだな。
おれたちが知らないことをいいことに
195 :
白馬青牛:2007/01/25(木) 22:24:02 ID:LqjQqQnY
196 :
白馬青牛:2007/01/25(木) 23:35:48 ID:LqjQqQnY
>>187 奥三河の風土からも、農耕で食える土地でなく山賊であったと
される近世経済史の大石慎三郎氏の説、『傀儡子記』の傀儡子集団に
おいて美濃・参河(三河)・遠江や播州・馬州(但馬)の輩に富裕者が
多かったこと、大久保忠教さんが『三河物語』で出自をバラしとるんじゃ
ないか。
甲州軍学の図が歩兵のみ表した根拠は何か。鉄砲・弓足軽を先頭に配置し
槍足軽・徒の歩兵が続き、その後ろの騎馬は後方で追撃戦に活用するんじゃ
ないか。雑兵物語は読んでないが、家綱・綱吉時代に書かれたもんで、
戦国時代の戦闘を忠実に表したとは云えんよ。選りすぐった三十騎で
たァどの戦闘の事例か?石原莞爾氏が言っている云うんは、どの書籍から
引用したんか?学者だけじゃのうて軍人も過去の戦闘を先入観で見とった
んじゃないか。真実か解らん桶狭間も戦前、迂回奇襲成功例になっとるし。
刀剣による死傷者の比率が少ない故、戦場で刀は使われないと断言した
人はおったか?兎も角、槍・刀剣による白兵戦は戦闘の決勝戦じゃし、
火力戦と違い、白兵戦に負けた方は勝った方に劣等感、負け癖がつくよ。
世界各国の軍隊でも、白兵戦訓練が行われるんは、そがーな意味があろう。
197 :
白馬青牛:2007/01/26(金) 00:09:57 ID:cqHfMgmq
>>188 じゃけー、秀吉の美濃攻略の一夜城はホラ話じゃろうが、浅井戦において
小谷城攻略、浅井方への内通工作までホラ話と決めつけれんよ。
かたや柴田勝家の、伊勢一向一揆戦や六角残党殲滅戦を上位に置くんか?
秀吉の戦闘巧者振りを本能寺以降に限定するんは、短絡的解釈じゃのう。
藤本氏は、戦闘や軍制云う組織も他の領主と基本的な相違はないとされる。
戦国時代はまだ兵力の動員数が物を云う時代じゃろう。兵力の確保と、
自軍の兵力の損害を少のうすることじゃ。ほいで信長個人で制度改革出来た
云うんは、信長崇拝のカルト新興宗教者の個人崇拝に等しい。戦国板は
個人崇拝者が多いね。個人崇拝したいんなら北朝鮮へでも移住したらええ
思うんじゃが。じゃけー与力は、配属された指揮官の戦闘命令に従がうが、
戦闘協力者で家臣じゃないんで。あんたを肯定した云う解釈をされるんか。
話にならんのは、わしが云いたいセリフじゃ。
198 :
白馬青牛:2007/01/26(金) 00:49:30 ID:cqHfMgmq
>>189 安芸武田氏に属した坂東千葉氏の庶流白井氏も、武田氏没落後毛利水軍
じゃ。多賀谷氏の場合は毛利氏に逆らい取り潰された。多賀谷氏の
本家も長州へ行かず、子孫は芸南地区で豪商となったが、豪商となったのは
安芸国人の分家、国人衆でも多い。広島城下や竹原の有力商人も、
安芸武田氏、平賀氏等の分家衆で酒屋、米屋、材木、両替商等に転進した。
武士(ヤクザ・任侠集団の延長巨大化)の刀を外すと農業よりも商業
じゃろう。シノギ・カスリからして。
日本軍の銃剣の片刃要素は槍使用に乏しかった幕末の傾向を引きついどるん
じゃないか。銃剣が兵士の士気に重要視されるんは、現代でものう。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2004/1213.html ただし、体罰をせず虐待に近い訓練をせんかった八路軍の例もあり、
このサイトの文を普遍的軍隊の性格とすることは出来ん。
訓練なしに精強な部隊を作れんことも事実じゃが。
199 :
白馬青牛:2007/01/26(金) 01:31:47 ID:cqHfMgmq
>>193 今村均将軍が広島師団について、「明治以来、このように多くの戦場に
やられた師団は、他にはなく、いつも赫々たる武勲を立てている。
こんな比類のない戦歴を、私のときにけがすようなことがあっては、
君国に対し奉り、又郷党父老に対し、かつ幾十万の師団の先輩に対し
申し訳ないことになるとの責任感が、身と心をひきしめた。」
とされるように、北支、南支と転戦し、ノモンハン事件のおり、関東軍では
役不足で、南支から満洲へ派遣され、停戦後南支に激闘した。
こがーな幾多の実績、戦歴は他師団に類例が無く、国軍のエースならでは
じゃ。悔しかったら広島師団級の戦歴と実績のある郷土師団を挙げえや。
>>194 何が悲しゅうてわしに同情するんか?わしの知識が乏しいんは云うまでも
ないが、>おれたちが知らないことをいいことに?知らんのは恥じゃない。
わしも知識に乏しいけー、調べたり、考察するんじゃ。その最初の段階で
ある、調べることを自ら拒否して何になるんか。自分は。何も調べん、
考えん低脳じゃ云うて人様に強調しとるんで。他人の知識を具体的な言も
のうて、批判する暇があるんなら、多方面の分野から考察せえ。
泣きごとはゆうなや。つまらんど。
200 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 01:54:59 ID:5C5m4cEy
ここは戦国板だからそれ以外はあんまり知らない、興味ないっていう意味で
皮肉を込めて牛に言ってるんだと思うぞ。
国軍のエースならではじゃ。悔しかったら広島師団級の戦歴と実績のある郷土師団を挙げえや。国軍のエースならではじゃ。悔しかったら広島師団級の戦歴と実績のある郷土師団を挙げえや。
国軍のエースならではじゃ。悔しかったら広島師団級の戦歴と実績のある郷土師団を挙げえや。国軍のエースならではじゃ。悔しかったら広島師団級の戦歴と実績のある郷土師団を挙げえや。
国軍のエースならではじゃ。悔しかったら広島師団級の戦歴と実績のある郷土師団を挙げえや。国軍のエースならではじゃ。悔しかったら広島師団級の戦歴と実績のある郷土師団を挙げえや。
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>>199 エースは米軍との戦闘は負けると戦歴に傷がつくから逃げてたんですか?
>>196 (=゚ω゚) ??おいおい、傀儡は定居無く当家無し、穹廬氈帳、水草を逐い以て移徙す
百神を祭り散楽百戯(奇術・曲芸)を良くし、弓馬をもって狩り、春を売り一畝の田畑も耕さない。
そういう物だろう?
悪党とは寺社荘園の越境土豪発祥が多い。つまり定住者、百姓だな。 ・・・たぶん。
>甲州軍学の図が歩兵のみ表した根拠は何か。・・・後ろの騎馬は後方で追撃戦に活用
(=゚ω゚) ありゃ
>>187 は騎馬の字が抜けていたスマンスマン。
×甲州流軍学書なる図は歩兵の指揮者だろ
○甲州流軍学書なる図の『騎馬兵』は歩兵の指揮者だろ
「騎馬兵は歩兵を指揮する上級者であり・・・」と、こちらのサイトにも書いてあったのでな。
ttp://www.sengokushi.com/gote/b00200.html >刀剣による死傷者の比率が少ない故戦場で刀は使われないと断言した人はおったか?
(=゚ω゚) 日曜歴史家の鈴木眞○先生しかおらんだろ。
とかく学者は先入観が強い。
>>109氏も引用している石原莞爾の『最終戦争論』にも帝大教授との
やりとりが載っているが参考までに。
>フリードリヒ大王の使った鉄砲とナポレオンの使ったものとは大差がないのです。
>社会制度の変化が軍事上の革命を来たした直接の原因であります。
>このあいだ帝大の教授がたが、このことについて「何か新兵器があったでしょう」と言われますから
>「新兵器はなかったのです」と言って頑張りますと、「そんなら兵器の製造能力に革命があったのでしょうか」
>と申されます。「しかし、そんなこともありませんでした」と答えぎるを得ないのです。
>兵器の進歩によってフランス革命を来たしたことにしなければ、学者には都合が悪いらしいのですが、
>都合が悪くても現実は致し方ないのであります。
>石原莞爾氏が言っている云うんは、どの書籍から引用したんか?
(=゚ω゚) ・・・お前本当に読んだのか?「最終戦争論」
>>198 >銃剣の片刃要素は槍使用に乏しかった幕末の傾向を引きついどるんじゃないか
(=゚ω゚) う・・・ またまた新説かいっ!
ひょっとしてオルファカッターの片刃も文化形態、伝統だったのだろうかっ?
つーか鑓の穂先は両縞や平三角とは限らず断面が錐みたいな正三角形も有った
戦場で槍はふつうに使われていたよ、禁門の変、上野の戦争、会津戊辰戦争。
新撰組だけでも原田左之助 、谷万太郎、近藤周平が実戦で槍を使っている。
彰義隊や警視抜刀隊、そして伊勢荒神山の次郎長一家の大政なw
>体罰をせず虐待に近い訓練をせんかった八路軍の例もあり
(=゚ω゚) 部隊という物は規律を見れば志気と練度がわかるものじゃ。
そもそも便衣兵なぞ使うヤツらはオイラは正規軍とは認めん。
205 :
白馬青牛:2007/01/27(土) 01:59:37 ID:9HP+RjS1
>>202 逃げた?師団単位じゃないが軍の要請で、福山・浜田の部隊は
ニューギニアでも米豪軍と闘うとるど。逃げた云うんなら久留米18Dの
フーコン退却戦はどうなるんか。八ヶ月持ったんか、元仙台2Dの
古山高麗雄氏の云われる八ヶ月負け続けたんか。菊兵団の犠牲者
3千700余名を1万人の英霊としたんは九州流の白髪三千丈じゃろう。
>>203 悪党は山賊、海賊、芸能民ら非農耕民、常民だのうて非常民の多い集団が
多いんじゃが。荘園の越境土豪云う根拠は何か?
歩兵の指揮官は物頭で、騎兵の指揮官は番頭じゃが、馬廻組の騎兵のみで
編成した訳でもあるまい。槍持・道具持等の雑役夫も連れた訳で歩兵の
スピードに合わせる外ないよ。東国に地盤を持った幕府でもこれじゃ。
石原莞爾氏のあんたが引用したんは、昭和十五年五月二十九日京都義方会に
於ける講演速記(同八月追補)じゃろ。石原氏は社会制度の変革により
横隊方式から散兵方式に変化したことを云われた訳で、兵器の進歩が
軍事上の直接原因でないとされとるんは第四節の前文を読んだら解ろう。
石原氏の学者云う言を飛躍させ、戦国期の戦闘まで全て学者の先入観と
するんは理解出来んよ。戦前の兵器によって戦闘が変わる云う解釈を
継続しとるんは、信長が政治・軍事・兵器改革を行ったと解釈する
個人崇拝者じゃろう。
エース師団は遊び駒ですか?
で、戦国でもやっぱり最強の兵卒は広島出身者?
208 :
白馬青牛:2007/01/27(土) 03:11:18 ID:9HP+RjS1
>>204 他板に書くこともあって忘れとったよ。幕末槍部隊が刀による
白刃攻撃より重要視されとった根拠がない限り、意味の無い言じゃ。
旧国軍の中でも、とりわけ規律の正しい軍紀厳正がカラーの広島師団を
褒めて貰うんは嬉しいが、八路軍は全体的に日本軍よりも規律正しかった。
世界に誇れるね。同民族の中国国民党軍はひどかったが。
便衣兵は、八路軍だけじゃのうて日本の挺身隊もそうじゃ。広島39Dや
弘前36Dでも挺身隊を投入しとるよ。
209 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/27(土) 03:28:32 ID:+Ns8l83s
旧日本軍で東北の農村出身者はきつ〜い訓練を楽々こなしていたんだと。日の出る前から畑仕事をし、夜遅くまで筵を織ってる田舎者には本格的な靴、キレイな服、彼らにとっては遅い朝、三度のまともな食事、と天国だったそうだ。
戦争での働きは知らんが。
210 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/27(土) 04:55:48 ID:F2XwlcFG
ガダルカナルに第五師団を投入すれば奪い返せたのに
フィリピンを第五師団が守備してればマッカーサーに奪い返されなかったのに
>>203 八路が取った捕虜はあんま犠牲もなく結構早く日本に帰して貰えてる
>>205 >悪党は山賊、海賊、芸能民ら非農耕民、常民だのうて非常民の多い集団が多いんじゃが
(=゚ω゚) つーか海賊や山賊はみんな非常民かいっ!
鎌倉期の機内悪党の派生の一つに宮座形、つまり東大寺、興福寺、伊勢、等の寺社荘園から
検地により追い出された「制外者ニンガイシャ」の越境土豪、手工業、芸能者山伏化が指摘されている。
寺社は伝統的に『杣』を持って、そこに製材木工の寺奴を常駐させ庄田に浮浪民を入植させていたが
手狭になると公田地域の原野を開墾させ。国司軍兵が来ると武力をもって追い払う行為に出た。
勝手に近隣の公地を開墾し見つかると寺社領の杣へ逃げ込む。
軍陣を結び国司の勢力を追い払う。ある種の一揆だな。
やがて荘屋は武装を始め「杣は犯過の類が隠居する地」と呼ばれるようになる。
さすがに困り果てた東大寺は幕府六波羅による中央国家権力による統制を依頼する。
これが後々に機内悪党が反幕府へとなるきっかけだと言われるらすい。
−以上荒井孝重氏の著作からの適当に要約じゃ。
つまり当初の悪党は百姓であり山賊でもあるワケだ。
そういや春日大社荘園の土豪柳生家も隠し田を見つけられ信長に領地没収されているが
そういう風習が彼の地では多かったのだろう。
まあ・・・詳しい事は素人のオイラが知るワケも無いがな。
そりゃそうと悪党が傀儡じゃと云う根拠は何か?
続きっ!
>石原氏は社会制度の変革により横隊方式から散兵方式に変化したことを云われた訳で
(=゚ω゚) 石原は『兵器の進歩によってフランス革命を来たしたことにしなければ、
学者には都合が悪いらしいのですが、都合が悪くても現実は致し方ないのであります』
と、書いている。
同じ資料を見ても実践者と学者では読みとる方法が根本的に違う事を石原流に言っているのだろう。
たとえ甲州流軍学書なる図に騎馬隊が無かったとしても騎馬戦の存在自体が無かったとは
言えないだろう。陣立ては時節、地形、人員によりて当然変化する。孫子の臨機応変だな。
武蔵村岡合戦では北条方の千葉軍に対し上杉景虎は現地参入の、
赤井、富岡、佐野、足利ら野州勢を先陣、北陸旗本勢を二ノ陣として当たったが、
鉄砲、槍にて突き合う中、野州勢は騎馬にて縦横に動き回り原胤繁陣頭の土気、東金の
両酒井を追い立て旗が散り散りになった。
その機に乗じて越後旗本勢が一気に攻め込み勝負は決したと言う。
もし越後流軍学書なる物が有ったとしても野州騎馬隊が記載されてる可能性は無いだろうw
>>210 > ガダルカナルに第五師団を投入すれば奪い返せたのに
> フィリピンを第五師団が守備してればマッカーサーに奪い返されなかったのに
そのことに思い至らなかった参謀本部は池沼の集団。
もっとも、最強第五師団を投入したところで他の東北・関東・九州出身のザコ部隊の戦線が崩れてしまうので最終的な勝利
には結びつかんのだが。
214 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2007/01/27(土) 18:41:23 ID:ZF4ue9h8
>205 おいおい、何で久留米18Dをひっぱりだすんだよ。牛は九州コンプレックスでもあるのか。菊龍の敢闘精神は、蒋介石が
賞賛していることくらい知ってるだろ?久留米18Dは特設師団だったが、何故天皇家の御紋章「菊」を頂くようになったかも。
コタバル上陸戦は、ハワイ空襲2時間前だから、菊18Dの攻撃で太平洋戦争に突入したことになる。広島5Dのために、陽動
してやったんだ。強い九州の仲間がいたことに感謝しろよ、牛。
広島5Dに限らず、現役壮丁で構成された常設師団が国軍の要なのは当たり前。別に5Dだけが強いわけじゃない。部隊ごと捕虜になったが
まあ、あれは仕方なかったな、許してやるよ。
216 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/27(土) 21:12:49 ID:ZSKYZnoe
ヲイヲイ 牛の近代誘導に釣られるなよ。。 戦国以外はスルーだぞ
皇軍ヲタはキモイ
218 :
白馬青牛:2007/01/27(土) 23:36:16 ID:wxyRu7rX
>>211-212 関東蛙君が引用した五味文彦氏は、給田畠(所従)・雑免田(免家の下人)
・公田(平民百姓)・山野河海(非農耕民)と構造モデルで分けられるが、
武士の出自は、狩猟民とし「平将門に率いられた東国の狩猟民、藤原純友に
率いられた西国の漁撈民、これら全てを狩猟民と呼びたい。山野河海を
活動の場とする民である。」とされる。関東平野部に狩猟民が多いか疑問
じゃが、関東沿岸部の漁撈民や東北・甲信地方の山地狩猟民から武士団が
構成されたんじゃろう。山野河海の民、更に芸能、商人、手工業者は
常民たァ非常民じゃないか。一揆は農民だけじゃない。悪党が傀儡じゃ
のうて、傀儡的要素が強い云うとるんじゃ。
あんたが引用した石原氏の京都義方会講演のそれは、第一章 戦争史の
大観、第四節 フランス革命の項じゃ。ほいで「ただし兵器の進歩は既に
散兵の時代となりつつあったのに、社会制度がフランス革命まで、これを
阻止していたと見ることが出来ます。」の後文は無視か。題名も忘れ、
勝手な想像力を膨らませよるのう。
迂回、側面攻撃は騎馬でのうても歩兵で可能じゃし、替え馬口取りまで
編成しとったのに、速度は歩兵に合わせとった云うことじゃ。騎兵だけの
集団運用など中央ユーラシアじゃあるまいしのう。
>>218usi
山地だけで狩猟が行われるわけじゃないし、縄文文化は東高西低。
武士の前身にあたる兵(つわもの)の本場は関東なんだが?
武士団の発生地を見てみろ。むしろ丘陵地が多いだろ。
それで交通の要衝沿いに広がっていく。
常陸や下総の地形考えてみ。そして、両国とも国内有数の馬産地。
甲斐源氏は常陸から。
甲斐は黒駒が著名だが、戦国期に至るまで馬文化で関東に劣るだろ。
信濃は村上氏など、高句麗系の馬文化も古いが。
平泉藤原氏は秀郷流。東北は鎌倉武士の勢力が蔓延してる。
武士の一揆は武蔵が著名だし、
うしが大好きな毛利の傘状連判状より古いものが(応永11年=1404)
陸奥にもある。伊東、田村、二階堂、猪苗代氏・・・仙道一揆。
西国、廣島、西国と誇張するほどの事でもないよ( ^ω^)∩
220 :
白馬青牛:2007/01/28(日) 00:23:58 ID:1oa5c8Ek
>>214 蒋介石総統の回顧録に曰く「中日戦争間、日本軍に占領された地域で、
最も奪還しかったのは、宜昌(広島39D防御)と南寧(広島5D防御)
である」じゃが菊・龍は負けたけーのう。負けた劣等感をなすりつけなや。
久留米18D(菊)は、特設師団からスタートしたが、年々現役兵が
入隊し、ロートルは久留米56D(龍)の方じゃろ。広島師団じゃあ、
広島39Dの方が広島5Dたァ現役兵が多かったよ。皇室の御紋を頂いた?
ほいで久留米18Dがマレー作戦で広島5Dの脇役たァのう。
陽動してやった?久留米聯隊はコタバルで多大な犠牲者を出し、使い物に
ならん茶釜じゃったじゃないか。広島5Dが緒戦のジットラ戦以降、
戦闘の連続で忙しい中、久留米18Dはなかなか動かずメルシン攻略に、
広島5Dから一支隊よこせと泣きを入れ、広島5D佐伯支隊が救援に
向かい、豪州一個旅団が佐伯支隊の来襲に気を取られた時に
大村第55聯隊が背後から奇襲したんじゃが、「陽動」したんは
どっちなら。感謝するんは久留米18Dの方じゃ。
広島師団最強の証拠は、何と言っても原爆の投下目標にされたことだろう。
最後の本土決戦に最強広島兵が少しでも出てこられないように、原爆と言う反撃不可能な方法で殺したのだ。
このことから、米軍が最も恐れていたのが広島の最強兵士であることは間違いない。
悔しかったら仙台や宇都宮に原爆落とされてみろよw
さすがに原爆ネタは引く。
お前が広島人ならなおさら
>>197usi
遅くなってすまんな。金曜の夜は酒盛りだったもんで。しかし相変わらず牛は逃げてばかりだな。
後出しジャンケン的な稚拙な反論はやめなさい。自分の首絞めてるだけだから。
>秀吉の戦闘巧者振りを本能寺以降に限定するんは、短絡的解釈じゃのう。
こういうのを太閤記史観礼讃という。お前の言う戦闘巧者振りを客観的に
比較するには直接戦ってみるしか分からないだろ?状況も作戦背景も違う
両者の戦闘振りを比較するなどバカの極みだな。だからその戦闘に対する
論功行賞の軽重で判断するしかない。そう考えると柴田の方が多いんだから
仕方がないな。
>藤本氏は、戦闘や軍制云う組織も他の領主と基本的な相違はないとされる。
>戦国時代はまだ兵力の動員数が物を云う時代じゃろう。
牛。反論する前にちょっといいか。お前が
>>162で中世の守護人の枠組みに織田家
をあてはめて話をするところか始まってるんだぞ。藤本氏の言を出して自分の説に
権威付けをして話をそらすなよ。それで藤本氏は戦国大名と守護大名を同質視して
るのか?牛の言う他の領主って戦国大名のこと?守護大名のこと?
お前はいつもそうやって自分を偽る。
で、兵力の動員数は領国の大きさにほぼ比例する。そりゃそうだ。だから領国を拡大
しようとするモチベーションが生まれる。ちなみに信長存命時の動員兵力は柴田>秀吉
なんだがな。
>ほいで信長個人で制度改革出来た云うんは、信長崇拝のカルト新興宗教者の個人崇拝に等しい。
こういう稚拙で見苦しい抵抗はスルーしたいんだが。ということは >秀吉の戦闘巧者振りを
っていう牛の言葉も個人崇拝になるね。いい加減子供みたいな反論はよそうよ。
オレは優しいから説明してあげるけど、ちゃんと信長の官僚機構が働いているでしょ?個人で
やったって言いました?秀吉個人一人で浅い方の内通工作したの?
くだらない応酬になるからやめなさい。こういう反論を恥ずかしいと思えるようになりなさい。
>じゃけー与力は、配属された指揮官の戦闘命令に従がうが、戦闘協力者で家臣じゃないんで。
じゃけー家臣って言ってないでしょ?
で、そろそろ秀吉が最強でそれに対峙した毛利が最強な理由を説明してくれよ。
ちなみに牛風に解釈すると佐々、前田に同等する宇喜多、宮部、南条は秀吉軍の頭数に入らな
いんだよな。
224 :
白馬青牛:2007/01/28(日) 01:12:39 ID:1oa5c8Ek
>>215 激戦し負けてくれれば、敵軍は褒めるよ。勝者の寛大さで。
弓張嶺の仙台2D兵士の恐怖心から発砲した件と宜昌で仙台13D兵士が
恐怖心から発砲した件は結果が違うが共通性があるね。
そのサイトの>F2000690じゃが、青森・弘前(岩手県壮丁)は、
仙台2Dじゃないよ。仙台2Dは宮城・福島・新潟の壮丁じゃ。
鳥取を含め山陰の兵は健脚に強いが、健脚の浜田聯隊を無視しとる。
広島5Dにおいて太原、南寧と数々の一番乗り部隊。
マレー作戦では上海にあり、広島5Dの行軍速度世界記録に余り貢献せん
かったが、ジョホール州から参戦し、ジョホール一番乗りに輝く。
浜田聯隊が緒戦から参戦しておれば、霞部隊の本領を発揮したろうに。
粘り強いはずの東北兵も防御戦じゃあ冬季・宜昌じゃあ散々じゃのう。
東北兵団にゃあ防御戦の実績がないね。防御戦は兵士一人一人の能力が
勝敗を左右する。防御戦にも比類なき実績を持つ広島師団の独壇場じゃ。
福井の鯖江も強いね。南京光華門攻略に。伊勢の津聯隊も京都師団にあって
衡陽城攻略に感状を授与された。逆に日露戦争での東京兵団(北関東
の宇都宮師団の兵もこの時代含まれとった。)は、露西亜軍の猛攻に
ビビリ、へタレ振りを露呈してしもうた。丹波は大阪師団の篠山聯隊、
京都師団の福知山聯隊と山地健脚部隊。
>>218 (=゚ω゚) ・・・ずいぶんおおざっぱな悪党派生論だな。まあいいけど。
しかし平将門まで悪党の系統になっちまうのか?どうりで板東武者は強いはずだ。
なあ牛っ! ふっふっふ・・・これだから牛いじりはやめられないw
>関東沿岸部の漁撈民や東北・甲信地方の山地狩猟民
(=゚ω゚) 関東平野内陸部にも鹿や狐の鳥獣はおったし鮎やシャケも遡るべな。
ちなみに奈良公園の鹿は鹿嶋神宮の御神鹿の子孫だわいな
>後文は無視か
(=゚ω゚) 無視もなにも戦術の変遷と学者との雑談なぞ最初から関係無い。
つーか組み合わせる必要もないな。
長い事戦国板にいたが素晴らしいスレだな
気付かなかった
煽りあいにみえたが微妙な馴れ合いもあって面白い
良スレ
227 :
白馬青牛:2007/01/28(日) 01:56:12 ID:1oa5c8Ek
>>219 縄文文化?本土縄文人は狩猟より採集民じゃないか。
関東でも縄文人より渡来系の血脈が多い。
高句麗系の信濃村上氏もそうじゃが、甲斐の大井氏も高句麗系じゃ
ないか。平泉藤原氏も人種的に京都人に近い。渡来形質が強かったゆえか。
伊予や安芸にも分流の多い武蔵の金子氏も平氏を名乗るが、高句麗系か?
東北への関東人移住は9世紀頃の気候温暖化の影響じゃろう。
ほう、傘連判状が東北にもあるんか?詳しゅう書いて貰いたいね。
じゃが日本列島の東西社会構成に違いがあることは云うまでもない。
>>223 論功行賞の軽重たァなんなら?兵力の動員数が領国の大きさと比例する
云う根拠は何処にあるうんか?秀吉の朝鮮出兵を馬鹿げとる、倭寇の方が
偉い云うたんじゃが。勝家と比べ秀吉が劣る部分たァ何なら?
おどれの妄想で勝手な前提条件を付け、稚拙でつまらんカバチ垂れとるんは
ワレじゃ。人を罵りょることで、自分が優位に立つと勘違いしとるたァ
哀れなことよのう。ほんま逃げとるだけのビッタレ弱虫さんじゃわい。
>>225(=゚ω゚)
常陸は鹿が多い。鹿島はまさに鹿w
江戸時代でも、吉宗将軍が池袋で大猪を獲ってるほどだしね。
関東の猪は明治初期に激減したらしい。
『田植草紙』の関東侍がそうであるように、主に射たのは鳥だろう。
結城朝村は、廣島の田植娘が憧れた若侍の典型的なw
>>227usi
秀郷流の母胎は下野鹿島氏など。藤原は貴種の種付け役( ^ω^)∩
平泉藤原氏は軍事貴族出身で、だから京・坂東・蝦夷の血筋。
仙道諸氏、一揆連判状
おどれ、ワレ、ビッタレ弱虫か・・・223氏と俺は目の敵にされてるなw
229 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 04:58:42 ID:zrCPwteq
230 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 08:24:01 ID:PLO2sbYu
ところで北陸兵て言うが、その北陸の兵士産地で一番の国はどこなんだい
231 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2007/01/28(日) 09:36:42 ID:NdETLKKt
220 まったく我田引水とは牛のことだな。コタバルは激戦だったが敵を撃破して目的を達成し十分軍の期待に応えている。大体、開戦劈頭に突進するのは、
古今東西、最精強な部隊に相場が決まってる。
18Dが5Dに感謝?その南寧で第5バカ師団長のせいで蒋介石に攻め立てられ苦戦に陥ったとき、九州菊18Dが救援に赴いて
助けてもらった恩義を忘れるなよ。ったく、広島マンセーなんだから。
>>229 日本史板のコテは廣島人が多いらしい。
>>230 北陸五国は本願寺への兵力供給地、番衆。あと、佐渡までも。
越後上杉は槍に長けたと思われる。
(=゚ω゚) 北陸兵強いね。
常州小田天庵と上杉輝虎(謙信)の戦いでは、小川を挟んで陣を張ったが上杉勢は
深田を乗り越えまっしぐらに攻め込んできたと言う。
小田家は武名の高い豪傑ぞろいで矢玉を飛ばし薙刀を振るって薙ぎ払ったが
越後勢は倒れた人馬を泥の上から踏み越え叫びながら懸かって小田軍を押し破った
>>( ^ω^)∩
そういえば現代でも千葉では鹿。栃木、茨城で猪の獣害が報告されてたかな?
234 :
白馬青牛:2007/01/28(日) 21:41:45 ID:aT/KXvmF
>>218 武士団の出自をゆうとるんじゃ。東西武士団共に山野河海の民であるが、
西国の悪党的職能集団と東国の主従制的社会とは違う。
鹿島は多氏の系統で漁民系じゃろう。
後文を無視し、文章の一部分をさも全文の解釈が如く云うとりながら、
最初から関係ないじゃ?そがーなんが関東流か。
>>228 関東人のレス見よって思うに喇叭吹く癖が強いようじゃのう。
坂東殿なら木の枝に止まっとる鳥を射って、飛んだ鳥を射ったんじゃ云うて
ホラ吹きかねんのう。
種付け云うて馬か。東国人は中央貴種の権威を借りにゃあ何も出来ん。
流離した貴種への信仰か。仙道諸氏の一揆連判状は、傘状に上下の差も
なく、対等な同盟契約なんか?云うて聞いとるんじゃが。
235 :
白馬青牛:2007/01/28(日) 22:55:25 ID:aT/KXvmF
>>231 広島・福山聯隊のシンゴラ、山口聯隊のパタニより久留米のコタバル
上陸の時間が早うなっただけのことじゃに、あたかも開戦で選ばれたような
ハッタリ喇叭を吹くんは九州人らしいのう。同じ兄弟師団の久留米56D
(龍)が第25軍の隷下にあって、マレー作戦に用無し扱いされたんは、
久留米師団の評価が低かった云うことじゃないか。
南寧の賓陽作戦(追撃戦)には久留米と近衛のマレー組も参戦したが、
逃げる中国国府軍を追うただけじゃ。南寧防御戦で闘うたんは広島5Dと
台湾旅団(後の熊本48D)じゃ。もっとも前線の戦闘は広島5Dじゃった
が。後方におっても広島5Dと苦難を共にして呉れた塩田旅団長の義侠心は
恩義に思うが、久留米18Dは追撃戦闘に移行した時で、恩を着せられる
こたァないよ。ほいじゃが今村均将軍をバカ師団長たァ何なら。
今村氏は昭和の馬鹿軍人が多い中、数少ない人徳を持っておられた
将軍じゃ。今村氏の広東で久留米18Dが占領した地帯は市民が避難し、
軍紀厳正の広島5Dが占領した地帯は兵士と住民が生活起居を共にしたと
云われたんが、気に入らんのんか。まあ九州兵は女子供ら弱者にゃあ
強いけんのう。女を見たら犯したがる性欲異常で日本軍の恥をさらし
やがって。
236 :
白馬青牛:2007/01/28(日) 23:14:29 ID:aT/KXvmF
>>233 関東人は、謙信の小田城攻略で奴隷市場の開設で売り飛ばされたけんのう。
越後の奴隷民じゃった劣等感か、えらい謙虚なのう。
やっぱし、坂東人は越蛇、(旧古志のヤマタノオロチ)に喰われた蛙か。
牛がいうようにどの時代も西高東低なら天下はずっと西国がとって、
首都も西日本のどっかだったと思うんだがな
(=゚ω゚) はっはっは。とうとう八岐のオロチョンまで逝ったかw
牛って空想ファンタジー系大好きだよね。
ヤマタノオロチは出雲牛頭に倒され、出雲は鹿島大神に国譲り。
天叢雲剣は板東武者に追われ安徳帝とともに海の中。
ああ残念。オロチでは関東には勝てないな。
必死に関東人を煽る牛。一方、軽くあしらう関東人
やはり役者が違うな。
>>234牛っ
(=゚ω゚) おい牛っ!いくら
>>218の論理がおおざっぱだからと言って、そんなに218をいじめるなよ。
218もかわいそうな子なんだよ。
つーか218の言う「平将門に率いられた東国の狩猟民」の本拠地とは鹿島沿岸から遥か50km以上
内陸部なんだが・・・
>関東人のレス見よって思うに喇叭吹く癖が強いようじゃのう。
(=゚ω゚) もっとすごいラッパ吹きを一人知っているぞ。
241 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 09:55:33 ID:vo+6Tj6h
中身が小学生で、コナンもびっくりなじいさんのこと?
なるほど。もしくはじじいに扮したこどもかもな。
>>227usi
おれはお前の質問がどんなに飛躍してようともいちいち丁寧に答えてやっているのに、
お前はおれの質問には一言も答えないな。分かんないなら分かんないって言えば
いいじゃん。この礼儀知らずめ。まあいいや。
>論功行賞の軽重たァなんなら?
そのまんまだ。支配する領地をどれだけ持っているかだろ?あと何回言えば牛の頭に
インプットされるの?この他に両者を客観的に比較できる物差しはある?早く出してよ。
>兵力の動員数が領国の大きさと比例する云う根拠は何処にあるうんか?
これは少し言葉が足りなかったな。当時の動員兵力は1万石あたり250人と言われてる
から。作付け面積に比例するんじゃない?まあ近江はやや例外的だが。
経済?確かに近畿地方の経済力は抜きん出てたがそれが動員兵力に結びついた事実は
はっきりしないな。信長の時代は言われているほど兵士は職業化していない。秀吉の
時代に入ってからだな。牛が米より経済力を重視するんだったら、もっと兵士が職業
化しててもいいんじゃない?その辺、牛は詳しいでしょ?
牛の
>>197で、藤本氏が
>戦闘や軍制云う組織も他の領主と基本的な相違はないとされる。
>戦国時代はまだ兵力の動員数が物を云う時代じゃろう。
ってのはそういう意味じゃない? また矛盾ですな。やれやれ。
>秀吉の朝鮮出兵を馬鹿げとる、倭寇の方が偉い云うたんじゃが。
意味不明。突如湧いて出たな。説明求む。
>勝家と比べ秀吉が劣る部分たァ何なら?
巧みな言い換えだな。また話をすりかえようとしている。客観的な事実だけを抜き出せば
例えば、天正2年の伊勢長島一向一揆のときに信長は総力を挙げて攻撃しているが、その時
秀吉は越前一向一揆の備えで江北に置かれている。だが伊勢長島平定後、長篠の戦いを経て
今度は全軍を挙げて越前一向一揆の平定に向かったとき、秀吉は明智と共に越前府中で一揆
勢を何千人と大虐殺したにも関わらず、越前8郡は柴田に与えられたな。
秀吉の実績よりも柴田の伊勢長島戦での実績を高く評価されたからじゃない?
>おどれの妄想で勝手な前提条件を付け、稚拙でつまらんカバチ垂れとるんはワレじゃ。
これは他の人からさんざん牛が言われてることだろ?恥ずかしいな。
>人を罵りょることで、自分が優位に立つと勘違いしとるたァ
>哀れなことよのう。ほんま逃げとるだけのビッタレ弱虫さんじゃわい。
と、牛が私を罵っております。後半は意味不明。日本語?
244 :
白馬青牛:2007/01/30(火) 00:22:08 ID:nHkhEOrO
>>237 天下云う権力出世欲等どうでもええが、江戸期においても経済力は
西高東低じゃったし、人種的にも西日本の渡来形質が全国に拡散した。
>>238-240 北陸の古志(越)のヤマタノオロチが出雲・高句麗の渡来勢力に
服属したんは、土着民が渡来系に服属したことじゃ。東国も西国や渡来系に
服属したんじゃが、戦国期の関東は古志(越地方)のオロチ(ツングース系
語で土地に住む者)の奴隷民じゃないか。残念じゃが関東はオロチの
奴隷じゃのう。
東国の狩猟民たァ五味文彦氏の表現で、東国の社会組織は農耕的縦社会を
反映したもんじゃろう。おどりゃあ、わしがいつ喇叭吹いたんなら。
わりゃ、言をごまかすなや。糞外道のマネさらしあがって、つまらん
カバチ垂れあがる。ほんま関東人は奴隷根性が強いわい。
245 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 00:33:05 ID:3ioa35gK
うわぁ〜 牛さんの飛躍は・・・ 藤子F先生のSF(すこし・ふしぎな)世界みたいだなぁ
246 :
白馬青牛:2007/01/30(火) 01:29:27 ID:nHkhEOrO
>>243 こん糞外道だきゃ、わしが丁寧の答えてやったら、何じゃ礼儀知らずじゃ。
人を愚弄する言を繰り返しあがるが、おどりゃあ、親から礼儀を教わらん
かったんか。勝手なカバチ垂れて、まあいいやじゃあ?おどれがようても、
わしの目の前で云うたら許さん言じゃ。ほんまこのスレはつまらん者が
えっと来よるわい。
おどれの領地=武勲は成立するんか聞いとるんで。はよゥ答えんかい。
自己妄想を客観的じゃ云う、根性が気に入らん。客観的云う根拠は
どっから来たんか?答ええや。1万石250人じゃぬかすが江戸期の
1万石の四捨五入した数を云うとるんじゃろうが、そもそも信長の時代に
石高制が成立しとったんか?勝手な前提条件付けあがるのう。
古代・中世の兵力確保から動員力が重要じゃないか。勝手に矛盾点を
創作すなや。秀吉が陸路からの攻略で、古代の交通路、朝鮮西南部の民の
協力なしに補給は賄えるんか。黄海は穀物輸送の重要ルートでもある。
倭寇(朝鮮の楊水尺・禾尺等も含む)の方が点と線の拠点確保で、
秀吉は面の確保を望むあたりは田舎者か、権力に溺れ馬鹿になった云う
ことじゃ。東南アジアに朱印船が往来する時代に、世相に疎い。
庶民の方が賢いんは何時の時代もそうじゃが。
柴田の伊勢・長島の実績たァ何なら?具体性がないど。
人がわしに云うたんが何じゃゆうんなら。人の意を当てにしよるんか?
糞ビッタレが。最後までつまらん文を書くわい。
>> 218
>あんたが引用した石原氏の京都義方会講演のそれは第一章戦争史の大観、第四節フランス革命の項じゃ
>題名も忘れ勝手な想像力を膨らませよるのう。
(=゚ω゚) 答えるのもすごーくバカバカしいのだが・・・タイトルはちゃんと
最終戦争論と書いているがね。
ちなみに石原莞爾の最終戦争論・戦争史大観の構成はこんな感じになっている。
【最終戦争論・戦争史大観】
『第一部 最終戦争論』
「第一章 戦争史の大観」 第一節 決戦戦争と・・・第四節 フランス革命
『第二部 最終戦争論質疑回答』
「第一問 ・・・、答え・・・」
『第三部 戦争史大観』
「第一篇、戦争史大観」 第一、緒論 第一節、戦争の絶滅
↑この第一部がいわゆる最終戦争論で昭和十五年京都義方会講演速記に追補を加えたもの。
その最終戦争論第一部第一章が『戦争史の大観』で、その拡大版が第三部の「戦争史大観」。
たぶん牛は『戦争史の大観』を『戦争史大観』と勘違いしているんだろ。
※石原莞爾「戦争史大観」序文
>昨年の末感ずるところあり、京都で御世話になった方々及び部下の希望者に「戦争史大観」を
>説明したい気持になり−(略)−出張先の宿屋で書きつづけ二月十二日辛うじて脱稿した。
↑この結果書かれたのが戦争史大観ね。
248 :
白馬青牛:2007/01/30(火) 02:17:07 ID:nHkhEOrO
>>247 つまらん言葉遊びすな。わりゃあ、10ページに収まる、
三の『戦争大観史』を引用した訳じゃあるまい。「第一緒論」「第二戦闘
指導要領の変化」 「第三 会戦指導方針の変化」 「第四 戦闘方式の
進歩」 「第五 戦闘参加の増加と国軍の編成」 「第六 将来戦争の
予想」 「第七 現在に於ける我が国防」となるんじゃが、時代による
戦闘形態の変化を語られたもんじゃ。「付表第二 近代戦争進化景況
一覧表」にも出とることじゃないか。ほんま、つまらんことォゆうのう。
>>246 お前鏡みたことあるか?
糞外道も礼儀知らずも、人を愚弄する言も糞ビッタレも全てお前に
あてはまっているよ。ワシの前ではとか言ってるがお前こそ人前で同じこと
言えんのか?そして許さんとは具体的にはどうするつもりなんだか言ってみろや
250 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 03:00:25 ID:4W8q/dkn
ダブルスタンダードなやつと議論しても得る物ないからやめれ
戦争史大観と戦争史の大観を間違えた挙げ句逆ギレする牛のあつかましさにwww
252 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 00:14:45 ID:R/vRtHsz
こうなるから嫌なんだよルール無視のモラル無しがいると
強兵の産地は九州じゃないかな。戦国、幕末、近代と九州人は強かった希ガス
253 :
白馬青牛:2007/01/31(水) 00:33:30 ID:TW1Tbuiz
>>240 忘れとったが、網野善彦氏は「『将門記』を見ても将門が移動する際には
盛んに船で動いてます。平忠常も、霞ヶ浦辺りの湖の船を全部自分の
ところに集めてしまうだけの力を持っており、」とされ、関東でも海河の
「水の世界」を無視出来んよ。
>>249 鏡は毎日見とるで。ええ男じゃのう思うて。わしにあてはまるじゃあ、
好き勝手なこと云よるが、わしゃあ、ワレみたいな糞ビッタレじゃないよ。
じゃが、わしも人前でいらん一言云うけー、誤解を招くことも無いたァ
云えんのう。許さん云々は、わしが判断で決めることじゃ。
わしが決断するんに具体的も抽象的もない。
>>251 わしの何処が間違えとるんか。石原氏の「三 戦争史大観」を読んだこたァ
あるんか?
>>247の顔の文の引用は、「一 最終戦争論」第四節
フランス革命の項じゃ云うたんじゃ。間違えとるんはワレど。
あつかましいんはどっちない。
254 :
白馬青牛:2007/01/31(水) 00:50:19 ID:TW1Tbuiz
>>252 強兵の産地が九州?九州ハッタリ節か。戦国期は、中国勢に通用せん
かったし、幕末白河方面で前線にあったんは広島藩と鳥取藩兵で、奥州勢に
負け、捕虜を無断で処刑するぐらいじゃろう。近代も広島師団の武勲に
較べたら戦歴・実績に乏しゅうて残念じゃのう。
九州兵は無抵抗の者にゃあ「最強」じゃった思うよ。捕われた者への
残酷さ、強姦、子供さえ容赦せん。これだけは、戦国・幕末・近代と
共通しとるのう。
別に広島と比べんでもいいじゃん。それと俺は九州人ではない
牛にとっては聖徳太子くらいから今現在までずっと広島人が最強かも知れんが
まあ少しは人の意見にも耳を傾けよう。
>>252 (=゚ω゚) 後藤新平が日本ボーイスカウトをたちあげる時、薩摩の郷中教育を参考に
したと言うから、わりと行き渡った野外教育をしていたんだろうねぃ。
>関東でも海河の「水の世界」を無視出来んよ。
(=゚ω゚) そりゃそうだ。
>>90にも「関東は海だけでなく川や霞ノ浦も視野に入れたほうがイイかも」と
書いてあるだっぺよ。はっはっは。
257 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 02:39:19 ID:LfiwzzVx
牛は居ない者として議論しない限り建設的な展開には100%ならないなw
同じ人間とは思えんw
塲は治まりましたかな?
どうも
>>256(=゚ω゚)さん、いつぞやかの紀州モンですw
皆様方、最強でなくとも結構です
ベスト3以内ともいいません
せめてベスト5以内に紀州勢(例:根来衆や雑賀衆)をいれてやって下さいね
m(_ _)m
259 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 04:40:43 ID:B3g8c+Yd
>>254 九州から大友に叩き出されて尻尾巻いて逃げ出してんじゃん
征伐したのは秀長だし
260 :
白馬青牛:2007/01/31(水) 23:52:58 ID:5M143fiA
>>256 「関」つまり、警固料(通行料)の徴収、縄張りに対する支配するんが
武士、悪党じゃ。網野氏が「一遍上人の通行の自由を保証した事実から
悪党が道の領主だったことを物語っている。」「海の関は海賊、
山の関は山賊、野の関は野伏が管理」を示唆されるように。
交通路の支配は、岸田浩之氏が云われるよう、毛利氏が「川の領主」で
あり、川の交通路を押さえたことも含め、地図を面的に塗る領土支配を
前提概念に解釈するこたァ出来んよ。
ほいじゃが、左翼リベラル派の網野氏が教科書的な教条的な農業中心経済を
唱えた、従来のマルクス左翼派に反論し、「陸の面、田畠からだけの
所領問題を考えていたのでは、日本の社会は絶対に分らない。」と、
されたんは快挙じゃ。関東流のマルクス左翼史観から逸脱した処、
さすが現実を考えられた甲州商人の末じゃのう。大陸思考から脱却した
河海や国際交流を視野に入れた海洋思考じゃないとのう。
>>246usi
遅くなったな。発狂して随分とわめき散らしてたようだが熱は冷めたか?
まあ熱は冷めたところでお前の自己都合脳には何ら影響を及ぼさないと思うけどね。
>おどれの領地=武勲は成立するんか聞いとるんで。はよゥ答えんかい。
>>106をもう一度見直しなさい。牛は
>>119で柴田の対朝倉戦での武勲は何か、
とか信長の妹を嫁に貰ったのも武勲なのかとか、全く見当違いの訳の分から
ないことを言っている。それに対しても丁寧に答えてやったにも関わらず
これですか。あなたカバチタレですね。
>客観的云う根拠はどっから来たんか?答ええや。
おれは年表に記されてある事実と地図しか追ってないんだけどね。牛みたいに学者の
威を借りて自分の妄想に合うところだけを抽出し、権威付けするようなことは一切
してないな。牛も学者の主観に頼らずにもう少し年表に目を通したほうがいいよ。
>1万石250人じゃぬかすが江戸期の1万石の四捨五入した数を云うとるんじゃろうが、そもそも信長の時代に
石高制が成立しとったんか?勝手な前提条件付けあがるのう。
分かった。分かった。じゃあ1万石100人でも50人でもいいよ。結果は一緒でしょ。
だけど牛の大好きな朝鮮の海東諸国記(1471年)に著された日本の国別の水田面積と慶長3年の国別の検地高が
各国でほぼ同じなのは何ででしょうかね?時期がこんなに離れているのにね。
>古代・中世の兵力確保から動員力が重要じゃないか。勝手に矛盾点を
>創作すなや。秀吉が陸路からの攻略で、古代の交通路、朝鮮西南部の民の
>協力なしに補給は賄えるんか。黄海は穀物輸送の重要ルートでもある。
そうだな。穀物輸送は重要だよな。だから米がどれだけ獲れるかは重要だよな。
それだけの米を生産するには面積が必要だよな。領地は大きいほうがいいよな。
米がたくさん獲れれば動員兵力も増えるよな。
で、牛は補給はどこから賄ってると思ってたの?ルートを確保すると勝手に運搬される
と思ってるの?もはやゲーム脳ですな。
>倭寇(朝鮮の楊水尺・禾尺等も含む)の方が点と線の拠点確保で、秀吉は面の確保を望
>むあたりは田舎者か、権力に溺れ馬鹿になった云うことじゃ。東南アジアに朱印船が往
>来する時代に、世相に疎い。庶民の方が賢いんは何時の時代もそうじゃが。
その馬鹿が中国地方に派遣された訳だから広島兵ってたいしたことないね。まあ現代でも
網野善彦氏の本を傍らに置いて満足している堕落した教条主義者も広島人らしいけどね。
だからと言って広島人全部がそうじゃないのは承知しているよ。
262 :
白馬青牛:2007/02/01(木) 00:16:08 ID:LUDji9Yz
>>259 立花城が陥落し、籠城兵士全員を助命し、城兵を警固を付けて
大友義鎮さんへ送ってあげた毛利軍の温情を忘れ、
大内義輝さんが、反乱を起こされ撃退する為、毛利勢が本州に戻ったんが、
毛利勢が尻尾巻いて逃げ出した云う、九州人の虚勢張り、ハッタリ物語に
なるんじゃのう。さすがは、恩義を重んじん人らじゃのう。
薩摩勢を撃退したんは前線で闘うた、毛利、黒田勢で秀長さんは神輿に
担がれただけじゃ。
263 :
白馬青牛:2007/02/01(木) 01:13:25 ID:LUDji9Yz
>>261 じゃけー、わりゃあ最初から領土=武勲云う前提条件を勝手に設定し、
領土=武勲が成立するんか云う問いに答えられんままじゃないか。
しかも関心なこたァ曖昧にしあがって答えてやったじゃ。おどれの傲慢な
態度は何なら。年表を読むんは学校の試験で歴史の考察じゃなく、
地図の色塗りは、近代領土国家概念を違う時代に無理やり当てはめた
独善的解釈に過ぎん。学者の権威じゃ、わりゃ馬鹿か。様々な学説から、
考察し自分の見解を云うんが、当然じゃにワレの勉強不足をわしが学者の
権威を借りたじゃぬかしあがる。
>海東諸国記に著せられた日本の国別と水田面積の慶長3年の国別の
水田面積が一致する云う解釈はどがーな根拠か?例えば安芸国についての
データを挙げて見いや。
そもそも、戦国期に米が主食云う根拠は何処から来とんなら?
その地を押さえる「関」の拠点支配がのうて、どがーに物資を確保
出来るんか?ゲーム脳はワレの妄想じゃ。秀吉も権力に溺れて愚者に
なったろうが、柴田勝家より愚者云う根拠もないわいのう。
網野氏を全面的に支持しとる訳あるまい。網野氏は反西国、東国優先史観
じゃ。わりゃあ本も読まんと、その場の思いつきで勝手なカバチ垂れ
あがるわい。堕落した教条主義者はおどれじゃ。
牛さん…、吠え過ぎ
少し冷静になれば?
権力出世欲ないくせに貪欲なまでに強さにこだわるんだな。
覇権争い負けたコンプか?
東北兵団にゃあ防御戦の実績がないね。防御戦にも比類なき実績を持つ広島師団の独壇場じゃ。
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267 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 11:19:20 ID:DARg57BC
>>262 なるほど、中国の腰抜け共は権力者の手先(君の大好きな縦社会的な先兵)になるまで九州に勝てなかったわけか
まだ廣島師団やってたのか?
広島はヘタレじゃのう。
織田の一部隊にいいように蹂躙され
媚び売って飼い犬にしてまらったまではよいが
弁当食ってるふりして大減封なんて笑い話しにもならん。
殿様もアホなら家臣もろくに補佐できん無能揃いじゃ。
所詮猿山のボスじゃのう。
毛利も山口に移されて二百数十年を経て山口化することにより飛躍できたのじゃろう。
>>213 牛といいこいつといい・・・
広島人とは仕事でもなんでもチーム組みたくないわ
手柄は自分のものにして責任はなすり付けられそうだ
271 :
白馬青牛:2007/02/01(木) 23:27:36 ID:3+j0oYa2
>>265 権力、出世欲は卑しいのう思うが、強さにこだわる云われても仕方ない。
広島は戦前から全国の兵士が宇品港から出征する地であったし、
旧制中学の少年でも各地から集まった兵士と喧嘩して負けようもんなら、
帰って家へ入れて貰えんかった様な土地柄じゃ。全国から集まった
「旅の者」に、負けるんは広島人の恥になる意識も強かったわい。
他地域の兵士がなんじゃ云うても、「旅の者」に嘗められてたまるかい。
覇権争いは、強欲な連中の思考じゃろう。
>>267 九州は中国勢に勝ったこともない地域じゃけんのう。薩摩征伐の前線は、
中国、四国勢じゃったよ。緒戦で毛利、黒田勢に負けた腰抜け九州勢が
ハッタリぬかしてものう。
>>269 織田の一部隊に蹂躙された云うて、東国奴隷民じゃあるまいし。
宇喜田直家の背信で秀吉が備前まで進出出来たんじゃないか。
毛利輝元さんは豊臣家へ義理を果たそうと内藤元盛を大阪城へ派遣したが、
結局事が露見し元盛以下ニ子まで殺されることになった。これを無能と
するか、中国者の律儀を果たそうとしたかは、見解によって違う問題じゃ。
功利的な有能、無能で判断出来んよ。毛利氏が山口(大内)化する
ことによって飛躍出来たんは同意じゃ。
>>270 広島人は、自らの血を流し武勲を挙げた訳で、手柄を自分のものにしたい
云々は、自分の陣地を守れんかった東北・越後の連中に聞けえや。
東北・越後部隊の失態の責任を広島部隊に任せたんは正解じゃが。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃ
ないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
272 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/01(木) 23:55:54 ID:DARg57BC
事実だから秀吉の犬になったってのには反論しないのか
人によって見解の違いあるのわかってんなら自分の見解押しつけんなよ
>>260 (=゚ω゚) まー普通に考えれば、峯相記で播磨の山にいたヤツらは
「異類異形なる有様人倫に異なり柿帷に六方笠に大太刀を履き・・・」とあるので
まあ、柿渋染めの柿衣を着た山伏ではないかと言われるな。修験者、僧兵の全てが非在地民とも限るまい。
だが悪党が道の領主という考え自体はハタと面白い。
此方と彼岸をかけるのが橋。橋と言えば念仏地衆教団空也上人。河原乞食に川の田んぼ。
丹波大江山の鬼退治は川の軍、渡辺党だ罠。
武装商人も悪党だったと言う話も有るな。そういや楠公の子孫で朝廷の魚屋が居た気がしたが・・・忘れた。
ところで一遍上人の時宗教団は高野聖(千手院聖)を取り込んで熊野を鎮守としていた。
時宗の本拠地は藤沢清浄光寺(遊行寺)だが、時宗本山「藤沢道場」が戦乱のため一時期、
北関東に移っていたりする。
水戸藤沢道場神應寺は時宗総本山として佐竹の諜報機関であったという説が有る。
>>271 (=゚ω゚) 毛利が飛躍出来たんは宍戸氏の協力が有ったからであろうが。
275 :
白馬青牛:2007/02/02(金) 01:52:05 ID:Sm5e//Cu
>>272 前線で闘うた中国地方兵が犬たァのう。秀吉の犬になって朝鮮で
カクセイ狩りした、性欲異常者の強姦魔は九州島の連中じゃないか。
>>274 播磨の悪党は、丹波、因幡、但馬の連中も含むよ。
柿衣は、網野善彦氏的に云うと『異類異形』の衣装で、非人集団であろう。
道の領主云うんは、陸路の内陸思考で河路、海路を含め「関」(通行料の
徴収)じゃろう。楠木氏が『上島系図』によると、伊賀宇田荘の上島元成
(北伊賀の悪党服部氏を名乗り服部治郎左衛門となる)楠木正遠の娘の
三男が観阿弥清次で、観世能の芸能集団と悪党集団の出自(山伏集団も
含め)は、同一階層であったろう。
佐竹氏に限らず時宗の僧は諜報活動要員であろう。
宍戸氏の協力は芸北、備北において大きなのう。じゃが芸北の宍戸氏だけ
じゃのうて、安芸各地の国人衆の協力も大きい。
>>275 (=゚ω゚) 上島文書か・・・資料的にはちょっと微妙だが面白いからまあいいだろう。
そういえば観世家も時宗の同朋衆だな。
ところで武田・細川管領と親交が有り、江戸期に毛利の筆頭家老だった宍戸氏と
他の安芸国人衆を同じレベルで扱っていいのかい? と、釣り糸を垂れる。ふっふっふ。
>佐竹氏に限らず時宗の僧は諜報活動要員であろう。
(=゚ω゚)
そんなレベルの話では無いだっぺよ。
時宗法主の遊行上人が全国行脚を引退すると入るのが「藤沢道場」、遊行寺だ。
つまり時宗の総本山。
その第32代遊行上人「普光」は佐竹氏族小野義高の二男だよ。
それほど戦国期の時宗と佐竹の関わりは深い。
>>34 >徳川家の先祖も徳阿弥さんも遊行僧じゃ・・・・戦闘技術なら先祖の徳阿弥>徳川家康じゃろう。
(=゚ω゚)
ほほーう。時宗の遊行僧ってそんなに強いのか。すごいんだなぁ〜
なんだかんだ言って牛もホントは関東は最強と言いたいのだね
時宗総本山の遊行寺って藤沢だよな。
278 :
277:2007/02/02(金) 22:37:05 ID:d4Ffn/Zx
って
>>276に書いてあるし・・・・。
脊髄反射スマソ。
>277
(=゚ω゚) そうだよ。神奈川県藤沢市。
神奈川の遊行寺が北条の戦乱(だったかな?)で焼亡したのが1513年
再び現在地に清浄光寺(遊行寺)が再建されたのが徳川時代。
その間100年藤沢道場は各地を転々としていたようだ。
水戸に藤沢道場(後の神応寺)が造られたのはそーいう経緯だす。
普光上人は『在住三十八年寛永三年(一六二六)五月二十二日藤沢山にて入寂』
とあるのコトヨ。
280 :
白馬青牛:2007/02/03(土) 00:29:33 ID:9PytPx/U
>>276 安芸宍戸氏は、江戸期の長州藩で筆頭家老じゃったんが、戦国期は
有力国人領主と対等の関係じゃ。
時宗に限らず遊行宗教者をどう考えるかじゃ。
折口信夫氏の云われる「日本の芸能・文学が、我々の板につき、我々の
ものになったのは、低い階級のもの、為事が認められ出してからのもので、
低い階級のものは皆宗教家です。これらの人々は、皆社会外の社会にいて、
無頼の徒です。平安朝末の法師たちの振舞いや、近代迄も社につく神人が、
山や川を越えて御札をくばって歩いたもので、その行動は無茶苦茶なことが
多かったのです。こうして近代の芸能にたずさわるものと、信仰生活にいる
人々の中にある部分と、武家のある階級は、皆一つであったと言うことに
なります」と、社会の外にいる低い階級とされ、杉山二郎氏は、
「遊侠の徒と遊行者」で「元来葬送儀礼に従がった人々は、穢れを一身に
負うその性格ゆえ、権威を蔑にして社会的通念から逸脱し易い。」と、
宗教者は、侠客・渡世人・博打・香具師と同じく法外の徒とされる。
宗教者の社会属性を捉えたレベルの話じゃ。
越後蛇族に蹂躙され奴隷民になった関東が最強の訳あるまい。
小まとめ:関東では群馬か栃木が最強。
(=゚ω゚) はっはっは。宍戸氏がその他国人領主と対等の関係じゃったと言えるのかい?
毛利は宍戸に勝てないのに支配する事ができるんかい?
と、釣り糸を垂れる。
犬神人や領主クラスの神人はどうなる?
>越後蛇族に蹂躙され奴隷民になった関東が最強の訳あるまい。
(=゚ω゚) でたっ!牛説。
たぶん・・・続くっ!
283 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 09:52:21 ID:j79Xw2Ua
何も豪雪地帯に、蛇族を降臨させんでも……W 冬場は冬眠ですか〜? ファンタジー思考は笑えるぞ ヒバゴン族さん
284 :
名無しさん@西高関係者:2007/02/03(土) 18:09:07 ID:kze2ALjn
広島勢って戦国時代には強かったの?
高松城の攻防のときに清水宗治を助けなかったじゃん。
スレ違いご容赦。
青牛殿、ステイツ一国だけがこれほど強国に
なった最大の理由は何処にあると感じられマス?
負けるとわかっている戦はしないらしい
さすが気が利いてて卑・・ズルくさい広島人
清水宗治って毛利宗家から見ると下級の陪臣じゃなかったっけ。
288 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 00:33:13 ID:KTALbAPv
289 :
白馬青牛:2007/02/04(日) 00:40:46 ID:eQyMZalc
>>282 宍戸氏が突出して力があった訳でもあるまい。
安芸国人領主は元来対等な関係の一揆契約じゃったよ。
支配、被支配の関係で考えるんは、縦型主従で解釈する関東人らしい。
神人も供御人であり、法外部の散所民集団。
関東人が、越後蛇族に犯され奴隷になり売り飛ばされたんが新説か?
>>283 蛇族が降臨する訳あるまい。降臨したんは、大己貴命の出雲勢力や
高麗人で、征服された現地民の古志(越・北陸地方)の八岐大蛇
(ヤマタノオロチ)と違うよ。
>>284 清水宗治さんの切腹の件は、安国時恵瓊さんと秀吉さんの絵図じゃろう。
>>285 >ステイツ一国だけが強国になった最大の理由?
ステイツたァ、どこの地域のことですか?
>>286 負けると思う自体、戦闘以前に気で負けとるじゃないか。
広島人は、東北・越後の兵から、こんな少勢では、防御は無理とあきれられ
ながら、宜昌も立派に守り通したけんのう。気がきかず、命令通りしか
戦闘出来ん地域の兵との差じゃのう。
タフな人であり博識であり
一文の得にもならぬのにアンサーを返す
謎多き方ですな。
↑どこがwww頭悪いなおまえwww
日本国内で身体能力の差なんてあるわけないだろ
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
294 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 11:49:37 ID:iBPsLaUp
何で戦国板で師団とかジャワ攻略とかって話してるんだ?
>>289 >宍戸氏が突出して力があった訳でもあるまい。安芸国人領主は元来対等な関係の一揆契約じゃったよ。
(=゚ω゚) おいおい、だんだん苦しくなってきているぞw がんばれ牛っ!
つーか毛利興元の安芸国人一揆契約には宍戸の名前は無いだろ
元就が領地の一部と娘を差し出してまで同盟を結んだ相手が宍戸だろ。
毛利輝元や吉川元長の嫁も宍戸だべ、ただの家臣じゃ無いだよ。
宍戸家は事実上の毛利一族だと思うがね。
せっかく安芸宍戸氏が強かったと言ってあげてるのに
宍戸が強いと何か問題でも有るのかい? ふっふっふ。
>関東人が、越後蛇族に犯され奴隷になり売り飛ばされたんが新説か?
(=゚ω゚) へぇ〜 で、どんな戦闘が記録されているんだい?
関東にも大己貴命の出雲勢力は来てたよ。でも戦闘能力は無かっただろうな。
彼等は『国造りの神』だからね。秦氏のような技術職だろう。
風土記には物部氏入植の記載は有る、こっちは軍人も含んでいるだろう。
>>294 (=゚ω゚) まあ、ファンタジーですから(笑
296 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 13:08:28 ID:iBPsLaUp
>>263usi
よっ!待たせたな、牛。連日宴会だったもんで。すまんな。
>じゃけー、わりゃあ最初から領土=武勲云う前提条件を勝手に設定し、
>領土=武勲が成立するんか云う問いに答えられんままじゃないか。
それはお前が未だに反論できないからだろう。おれはとっくに答えているんだが。
武士が武勲を立てれば恩賞がもらえる。恩賞は土地。武勲を立てれば土地が増える。
戦国武士の目的はより多くの土地を得ること。さらに中世から続く一所懸命に象徴
される武士の土地への執着。逆説的だが信長が分け与える土地にも限界があること
を見抜き、茶会の開催権等を領土の代替として恩賞に加えたこと。
納得がいかないなら早く反論してくれ。まあ反論できないやつはいつも前提論に走る。
そもそも設定がおかしいとか言ってな。牛こそ領土≠武勲が成立する根拠と武勲を客
観的に測れる具体例を出してくれ。人の意見にケチつけるのは上手いが具体的な反論
ができないのは相変わらずだな。戦国時代に、特に信長家臣団で領地を欲しがらない
武士の実例を出してくれよ。あ、ちなみに茶会の開催権は柴田も秀吉も持ってたからね。
>しかも関心なこたァ曖昧にしあがって答えてやったじゃ。おどれの傲慢な態度は何なら。
それはお前だよ。与力と目付け間違えたり、秀吉が播磨で遮断しまくってたのに交通経済
とか言い出したり、そもそも時間軸狂ってたり、って俺は粘着してもいい牛が曖昧にして
スルーしてるところを随分見逃してやってんだぜ。早く反論してください。
>年表を読むんは学校の試験で歴史の考察じゃなく、地図の色塗りは、
>近代領土国家概念を違う時代に無理やり当てはめた独善的解釈に過ぎん。
その学校程度の考察もできてないのが牛だと言いたかったんだが。時系列を追えない牛への
アドバイスのつもりだったのにな。地図の色塗りって何?牛が京都中国方面と言ってたから、
そんなに近かったかなと思い一応確認しただけだよ。
>学者の権威じゃ、わりゃ馬鹿か。様々な学説から、考察し自分の見解を云うんが、
つまりお前の意見はすべて2次資料、3次資料ってことだな。確かに専門家でもない限り1次資料を
扱うことは難しいが、年表くらい簡単に入手できるよな。考察というのは事実に対して、何故それが
起きたかという要因を探す作業だ。考察を考察してどうする。牛は年表に書いてある事実も追えないのに。
>海東諸国記に著せられた日本の国別と水田面積の慶長3年の国別の水田面積が
>一致する云う解釈はどがーな根拠か?
これは少し言葉が足りなかったな。すまん。面積が完璧に一致とは言い切れない
しかし引用は正確にして欲しいな。微妙にニュアンスを変えるなよ。ていうかコピペしろよ。
石=1093.2u 1u=0.0000001km2 町=0.00991736km2 で計算した。
まあ石盛もあるからすべてが1石=1反とは言えないところもあるが。
海東諸国記(町→km2) :安芸71.9 周防72.0 長門48.6 播磨111.5 越前176.9 加賀126.6
慶長3年検地(石→km2):安芸212.2 周防183,4 長門142.8 播磨392.5 越前546.6 加賀389.2
一見全然違うじゃないかと突っ込まれそうだが、慶長3年検地の面積は各国ともに海東の29〜39%の
範囲内で割増になっている。
ちなみに :安芸33%UP 周防39%UP 長門34%UP 播磨29%UP 越前32%UP 加賀33%UP
海東諸国記がどのような測量から割り出されたのかはよく分からないが、各国の対比は海東諸国記
においても実情を反映していると言える。海東諸国記が貴重な資料として研究されている理由はここ
にある。つまり俺が言いたいのは1万石で動員できる兵力が100人でも50人でも結果は同じってこと。
戦国時代を通じて安芸の動員兵力が越前の動員兵力に勝ることは決してない。播磨も然り。
石高制がないからとかそういう問題ではないな。論点をすりかえるのはもうやめろよ。
>そもそも、戦国期に米が主食云う根拠は何処から来とんなら? その地を押さえる「関」の拠点支配
>がのうて、どがーに物資を確保 出来るんか?
本末転倒とはお前のことだな。物資がなくてどがーに物を運ぶんか?米が主食じゃない?あぁ畑作が
結構多かったってやつだろ。で、どこから主食の話が出てきたの?
連投すみません。
1u=0.000001km2の書き間違い。申し訳ない。
299 :
白馬青牛:2007/02/05(月) 00:40:30 ID:YNqhrXSi
>>295 わしがだんだん苦しいじゃ、がんばれじゃあ、云うても、何が苦しゅうて、
何をがんばらにゃあいけんのか。わしゃは、あんたらの視点を狭める
井戸掘りやわしの文脈の揚げ足取りにつきおうちゃろう。云うだけど。
一揆契約は時代によって違うが、毛利氏・吉川氏・天野氏・平賀氏・
小早川氏・阿曽沼氏・高橋氏は概ね常連じゃろう。宍戸氏は毛利氏の
対抗勢力じゃった時代が長かったけんのう。
有力国人じゃないと宍戸氏が力がなかったように云うとるんは
あんたじゃないか。
戦闘記録じゃ云う華々しいもんじゃのうて、小田城陥落後の奴隷市場の
ことじゃ。
『国造りの神』が戦闘力が無いゆう根拠は何か?渡来系の秦氏は東西文氏と
供に、聖武天皇の騎馬護衛兵であったし、随身の家柄じゃ。古代において
技術職と軍事が分化しとる云う根拠はどこにあるんか?物部氏だけが
軍人を含むたァ妄想好きじゃのう。
物部氏より関東に地盤を持った防人徴発者、大伴氏も無視出来まい。
物部氏も蘇我氏(百済系か坂口安吾氏の云われる高句麗系か定かで
ないが。)に、滅ぼされ東国へ移住した可能性は否定せんよ。
大伴氏も東北利権を百済系や蘇我氏に近かった東漢系の坂上氏らに奪われ、
没落したのう。物部氏や大伴氏も渡来系の可能性は否定出来んけど、
新参渡来者にカスリを取られたのう。東北地方は古代から近世まで
百済系にカスリを取られたこたァ、民俗学板蝦夷スレに書いたか。
300 :
白馬青牛:2007/02/05(月) 01:25:42 ID:YNqhrXSi
>>297 あんたの宴会なんぞ知らんわい。また関東マルクス史観の領土主従制
解釈と前提条件つけとるんはワレじゃ。領土が関の支配、通行料の徴収を
無視しとる。時系列云うマルクス史観の発展段階説か。領土を色で塗る
作業で考察?おいおい幼稚園児か。
資料に第2次も第3次もあるまい。第1次でも、個人の解釈論になるんど。
こがいな言葉の引用はマルクス左翼史観の受け売りを鎖国的国粋的解釈する
ドイツ的大陸拡張思考の「マルクス・ネット・ウヨ」の受け売りじゃろう。
海東諸国記のどの項から引用したんか?慶長3年検地と重ね合わせたんは
誰の引用か?物資がないたァ何なら。畑作物も含め米も高う売れる商品
じゃないか。商品の確保と調達じゃ。自給自足のアウタルキー解釈は
共産主義史観賛美のマルクス・ボーイらしいのう。
起源と価値を同一視する牛の思考って単純でグロい
302 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 05:21:18 ID:3F/Zd07Y
単純 ×
歪んだ回路が一つしかない ○
奴隷がどうだとかぐだぐだ言ってるけど、今の倫理観念を古代とか
戦国時代に持ち込んで難癖つける牛って頭悪いの?
それは流石に失礼だろ
幸せ回路搭載型の人類なんだよ
>>299 (=゚ω゚) ん?オロチの話はどこに行った??
まあよかろう。オイラと藻前の仲だ。優しくスルーしといてやる。
つーか牛っ。東夷を平らげたのはふつうに倭武天皇(ヤマトタケル)だっぺ。
風土記信太郡の章では普都フツ大神が厳の鎧・矛・楯・剣、を身につけ葦原中津国の山川の荒ぶる神を和したと有る。
普都大神とはたぶん「フツの神」つまり石上神宮系統の武人勢力だろうな。
その後「孝徳天皇の御世に高向臣や中臣幡織田連を派遣し、足柄の坂より東を八国として・・・」と、続く。
その後も土蜘蛛、夜刀神との競り合いが続いているので完全制圧しているワケでは無いだろう。
>『国造りの神』が戦闘力が無いゆう根拠は何か?
(=゚ω゚) おいおい戦闘力が無いと言う意味ではない、当然武装移民であっただろうな。
実際、東国には出雲の神社は多いし祇園系の祭事も多い
出雲系様式の前方後方墳が関東に現れるのが5世紀頃。この頃大量に出雲氏族が入植したのだと考えられている。
ただ、ヤマトの管理下には置かれていただろう。少し面白い祭事を紹介してやろう。
なぜか東国東北、関東と鹿児島近辺に多い『浜降り』『磯出』という祭りだ。
山上の御神体を海岸まで神輿を持って行き、洗ったり直接海中に入ったり、競馬、流鏑馬をする。
【八朔祭】
8月朔日、宮ヶ崎鹿島神社の鉾と楯を大洗磯前神社に迎える。大洗磯前神社の主神は大己貴命、少彦名命。
太刀持ちを先頭に鹿島神社、雷神社の宮司は馬に乗り、代官、士卒を伴い神社の鉾と楯(鬼板)を護送する。
先行する偵察の従者の報告を受けつつ磯前神社へ向かうが途中『注連縄』が張られている。
先頭騎馬が注連縄を太刀にて切り払うなり後続の騎馬が喚声を上げつつ磯前神社へ突入。
社殿にて喚声を上げつつ楯を翻し祈願し、海岸に出て神刀を洗う。
そして帰路諏訪社に立ち寄り後、鹿島へ帰社する。
↑これは古代の再現祭ではないかと言われている。
夷には夷をもって入植させ国造りをさせたと言うのが実情ではなかろうかにらいかない?
続きっ!
>有力国人じゃないと宍戸氏が力がなかったように云うとるんはあんたじゃないか。
(=゚ω゚)
んな事言ったっけ?「毛利は宍戸に勝てないのに」とか
「宍戸氏と他の安芸国人衆を同じレベルで扱っていいのかい?」は言った覚えが有る。
まあ、早い話が『宍戸は強かった』と言う事だべ。
で・・・ 宍戸が強いと何か問題でも有るのかい? ふっふっふ。
>大伴氏も東北利権を百済系や蘇我氏に近かった東漢系の坂上氏らに奪われ没落したのう
(=゚ω゚)
で・・・その権威を誇った蘇我氏は結局どこへ消えたんだ?
大伴はふつうに平安時代まで大納言を輩出しているのだがな。
没落したのはさらに精強な東国武士団を都の貴族が雇うようになっちゃったからじゃ〜ん。
そういや坂上氏で思い出しちまったが、坂上田村麻呂といえば前スレで
男鹿の蝦夷『道嶋嶋足』に関する返事をまだもらっていないんだがな。
まぁ忘れたワケぢゃぁ無いとは思うが・・・
307 :
白馬青牛:2007/02/06(火) 00:37:15 ID:Knh4Frqw
>>303 今の倫理観で、古代や戦国時代に持ち込んで難癖つける?
古代人や戦国時代人を馬鹿にしとるんか?
『奥州後三年記』に源義光が「つはもの(兵)の道、降人をなだむるは
古今の例なり。」と兄義家に意見したが、義家は降人や女子供を
虐殺したよ。残酷なことよのう。義光の温情に比べ、義家は「兵の道」
外れた外道に等しい行為をした訳で、まあ、残酷で「兵の道
(武士の道徳)」を知らん外道坂東武士を連れとったけえ、義家個人を
責めてもしょうがないけどねえ。人倫の道に時代は変わりないよ。わしが
頭が悪うても、外道を美化するんは日本人の恥じゃ思うとるよ。
>>305 オロチの話?古志(越)の出雲勢力進攻は、、大己貴命が「此の地方を
平治し給ひて」(高瀬神社社誌)「此御神は高麗より御渡り」(越之下草)
と伝承にあるが、北陸地方の出雲を中心に広島にも多い四隅突出墳(方形で
高句麗的)が、北陸にも分布すること、能登の蝦夷穴古墳が高句麗様式で
あること。高句麗人は北陸から信濃、関東山麓地に進出したんじゃろう。
308 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 01:08:00 ID:MAEP1se2
19世紀の人間の資本主義から派生した思想を古代・中世の人間に無理矢理当て嵌めて馬鹿にしてるの誰だっけ?
鶏並の脳みそなのかこいつ
309 :
白馬青牛:2007/02/06(火) 01:17:48 ID:e6Ho4W4N
>>305 夷をもって夷を入植させ国造りさせた、夷云うんは当然土着系でのうて、
夷の渡来系が夷の土着系を支配し国造りさせた云うことじゃろう。
>>306 宍戸氏が安芸国人の中で突出して強かった根拠でもあったんかのう。
安芸国人勢の中でも戦さが強かったんは、鬼吉川・鬼平賀の異名がある
吉川・平賀勢じゃろう。宍戸勢も弱い訳じゃないが、毛利時代になって
大きゅうなった。ふっふっふ、云うてせんずりでもこいとるんじゃろうて。
蘇我氏が早いだけで、大伴氏も平安期、842年の承和の変の伴健岑さんの
謀反嫌疑で流刑、868年応天門の変で伴善男さんの放火とされて没落した
けどね。東国武士だけ雇った訳でもないのに、精強と強がるのう。
道嶋嶋足は、百済王敬福の手下で「金」の運搬者じゃろう。牡鹿の土着系
より百済系の可能性が強いと思うよ。「金」利権者の一員であり、坂上氏と
同じく百済系グループであろう。「嶋」を姓につける処も、百済か高句麗の
渡来系の可能性は強いのう。
>>300usi
ついに反論できずに発狂してしまったか。書いてあること殆ど意味不明なんだが
がんばって答えてやろう。あ、反論は随時募集してるよ、牛くん。具体例も添えてね。
>また関東マルクス史観の領土主従制解釈と前提条件つけとるんはワレじゃ。
>領土が関の支配、通行料の徴収を無視しとる。
お前は自分でどんどん論点をずらして行くからもうさっぱり記憶が喪失しているんだろう。
>>91の俺のお前へのレスをよく読むんだ。
>>91に書いてあることもう一度お前に言って
あげるよ。
「自分で勝手に領地=石高って設定しといて自分に反論するなよ。
信長時代の領地とは兵士の徴発権も含めた領地の支配権だ。
どこからどこまで領国の支配権を信長から委任されてるかってのが物差しだ。
ホントに牛は戦国時代に弱いんだなあ。」
人を意味不明な言葉でなじることばかりを考えているから墓穴を掘るのだよ。牛くん。
>時系列云うマルクス史観の発展段階説か。領土を色で塗る作業で考察?おいおい幼稚園児か。
で、前回から領土を色で塗る作業って何か聞いているのだが。人をなじるのもファンタジーですか。
恥ずかしいからやめなさい。
>資料に第2次も第3次もあるまい。第1次でも、個人の解釈論になるんど。
その個人の解釈も言えないやつがいうなって。ほんとに面白いやつだな、牛は。
俺が求めているのは牛の解釈、すなわち俺への反論だぜ。頼むよ!
>こがいな言葉の引用はマルクス左翼史観の受け売りを鎖国的国粋的解釈するドイツ的
>大陸拡張思考の「マルクス・ネット・ウヨ」の受け売りじゃろう。
うーん。俺は左翼であり右翼でもあるのか・・・。で、どの辺がマルクス的なの?
まあ、太閤記を鵜呑みにして秀吉最強、その秀吉に対峙した毛利最強!と思ってる
やつの歴史観の狭さにはかないませんけどね。
>海東諸国記のどの項から引用したんか?慶長3年検地と重ね合わせたんは誰の引用か?
牛の悪いところが出たな。その誰かが権威ある学者じゃないと納得しないんだろ?
教条主義者な上に権威主義者か。権威主義に走るやつは大抵心に抱くコンプレックスを
コントロールできない憐れむべき人間ですな。
>物資がないたァ何なら。畑作物も含め米も高う売れる商品じゃないか。
>商品の確保と調達じゃ。
ごめん。これには真面目に答えようとしたけど意味不明。もう少し説明してくれ。
物資がなければ買えばいいじゃないかってこと?
311 :
白馬青牛:2007/02/07(水) 00:27:39 ID:gH+7as3O
>>310 論点をずらしとるんはワレじゃ。
>>86をよう読めえや。
領土を色で塗るたァ、交通経済を領土的な面で捉えとるワレの視点を
云うたんじゃ。最初に東国鎖国史観をファンタジー云うたんは、わしど。
幼稚園児も、まね師じゃのう。
あんたァどの辺がマルクス的か自覚もないんか?
http://www.ars.jp/dokusho/book.96.html 石高が低いんが貧しいことにならんし、本来公家・寺社が、進んで港や
川筋の村を領地として確保する動き(わしは古代からその図式じゃったと
思う)。最後の方の文にもあるが、あんたのは、従来の関東流の
平安期までの奴隷制から鎌倉政権で中世封建制になった云う、
マルクス史観の発展段階説じゃ。ちなみに生田滋氏は平安期の9世紀を
中世の始まりとされる。わしも西洋や西アジア、東アジアでも中国では
五代、宋朝となり、渤海の崩壊、朝鮮の高麗建国と世界的並行現象から
妥当と思える。教条的権威主義的鎖国史観に留まっりょうるんは
あんたじゃ。誰の引用か明確に答えられんで、他者攻撃に転化する方が
劣等感を抑制出来ん憐れな人間じゃ思うよ。
商品の確保と調達は国家や地域領国の経済的基盤じゃないか。
米のような穀物や金、特に絹の布は対中国交易で高価じゃったろう。
物資つまり交換する商品がないと、買うことも出来んよ。その場合は
人間が商品になるねえ。西・中央アジアの交易ルートを支配した
チムールがフランス国王シャルル六世に宛てた書簡の一通に曰く、
「世界は商人によりてこそ秩序あるものたり得ればなり」は国家経済の
本質を現しとるのう。
312 :
白馬青牛:2007/02/07(水) 00:59:25 ID:gH+7as3O
お前は自分が荒らしだと自覚のない最もタチの悪い荒らしだね。
ここは戦国版だ。関係ない時代・国の話はルール違反だからとっとと消えろ
視野が狭くなるだとか、他者の意見に自分の意見を封殺する考えはないだとか
そういう問題じゃないだろ。自分が納得できなけりゃルールも無視していいと
思ってんのか?
好き勝手に歴史語りしたいんなら自分でスレ立てろ
【愚民ども】牛の歴史講座【よく聞け】エラそーなお前にピッタリ。失笑モンだけど
まああんたをネタにして楽しんでいるのもいるし過疎りはしないんでないの。
西日本だよ
大陸近し
蛮族の侵入もあるし。
考えればわかるはず
だから長崎は幕府領なの
お前の頭で考えても無駄。
知らない奴は口だすな
>>309 >夷の渡来系が夷の土着系を支配し国造りさせた云うことじゃろう。
(=゚ω゚)
おっと、、、すげえシンプルな思考回路に一瞬めまいがしちまったぜ!やるなっ牛っ!
でもまぁその意見にも一理は有る。当時の開拓の様子はこうある。
【箭括氏麻多智が郡役所西側の谷を開墾したとき夜刀の神の群れが妨害する。
麻多智は甲冑をつけ矛を手に、夜刀の神を打ち殺して追い払った。
そして山の入口に境界の杖を立て神の土地と人の土地を分け、自身は夜刀の神の祭祀者となり祀った】
まぁ当然だが現地人に対しては容赦ない武力行使は有った様だ。
ただ彼の武装開拓民たちが渡来系かどうかは知らん。
箭括氏麻多智については物部氏族ではないかと説がある。
>道嶋嶋足は百済王敬福の手下で〜〜牡鹿の土着系より百済系の可能性が強いと思うよ
(=゚ω゚)
つーか百済に無理クリつなげる必要もねえべ。結局推測だし。
道嶋=丸山氏だから和邇氏のラインじゃろうか?出雲海人系かな。
ワニは軍事的にはアマ系の息長や物部、吉備、春日に繋がるかもしれんが広がりすぎるか・・・
でもまあ道嶋の兵卒自体は蝦夷だろ。佐伯部みたいなもんだっぺ
>蘇我氏が早いだけで、大伴氏も平安期〜〜没落したけどね。
(=゚ω゚) そりゃ200年もたちゃー衰えるわい!
大英帝国だろうがローマ帝国だろうが何時かは没落するべえさ。
天皇の伴兵大伴一族は東北、関東の蝦夷を制圧しつつ吸収していく。
蝦夷は皇軍の行く手を「さえぎる者」として『佐伯サエキ部』と呼ばれ大伴の随兵となる。
その東国の佐伯部たちは安芸あたりの騒がしい土民どもを討伐する先兵となったようだ。
佐伯の地名が残っているらしい。
佐伯に武田に宍戸。先人達の苦労がしのばれる話だ。
もっとも毛利も関東出身だったが・・・
>宍戸氏が安芸国人の中で突出して強かった根拠でもあったんかのう。
(=゚ω゚) つーか「宍戸と和睦せよ」が毛利弘元の遺言だろ。
>(=゚ω゚)
佐伯部は常陸の出身かもかもよ。
範囲を広げれば佐伯部は、東海〜南東北あたりの粗野で力強い人的軍事力。
通説では、畿内王権に軍事的側面は極めて薄く、
畿内王権の先進的文化への受容を通じて、東国の小国家が服属したという事なんだが、
うしちゃんには通用せぬ。
物部あらかい大連みたいに、北九州に対しては軍事動員して勝ってるがね。
引き続きusiをよろしこ
317 :
白馬青牛:2007/02/08(木) 02:48:31 ID:mBkwA4VM
>>315 武装開拓民は形質人類学的に渡来系じゃ。縄文系土着民じゃないよ。
高句麗系は嶋岐連・嶋史と嶋がえっとおるのう。
あんたの文献解釈の方が客観性に乏しい推測論じゃないか。
文献じゃあ、何とでも偽ることも出来るけえ、考古学や人類学等多角的に
考察せにゃあのう。
安芸の渟田佐伯部は仁徳天皇の情を持っておられた鹿を殺し御贄として
献上した為安芸へ追放された訳で安芸の騒がしい土民を征伐と白々しい
作り話をすなや。しかも景行天皇の時に、蝦夷が騒々しいけえ、
安芸へ移した話と絡めて、捏造するんが関東流かいのう。
仁徳天皇のは猪名県の佐伯部で近畿地方の国巣も考えられる訳で、
東国蝦夷と決めつける事も出来んのに。
まあ、古墳期においても広島県は西日本の中でも縄文形質が強かったたァ
云えるよ。安芸国人領主や豪族のほとんどは関東・東北系じゃけどね。
吉川・小早川・天野・平賀・阿曽沼・山内・和智・多賀谷・白井・金子と
数えたら切りが無い。山口県の大内氏、愛媛県が河野氏と平安期以前まで
地元におった者が領主になったんと違うよのう。じゃが、関東の豪族も
古代には高句麗・百済・新羅等の渡来系や平安期の気候温暖化で
近畿地方から下向して領主となった者の末じゃないか。関東人の起源好きは
韓国人とええ対じゃ。人類の起源も関東人になるんかのう?
日本は島国であり人間も文化も外から来たんじゃが、関東鎖国史観じゃ
日本独自の文化を強調する。日本的の風土特徴はあっても独自の文化
なんぞないに等しいわい。
宍戸氏が突出しとった云う根拠が「宍戸と和睦せよ」だけか?単純極まる
発想もまた関東流よのう。
日本の風土的特徴あるのは日本独自の文化じゃないか?
牛も相当な起源好きだな。韓国人かと疑うほどに
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
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広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
広島部隊無く防御戦は出来んのう。手柄を奪うんは仙台師団のやり口じゃないか。徐州・宜昌の件、ジャワ攻略のバンドンの件。
>>316 (=゚ω゚) 毎度補足サンクスです。
そういや前スレで蘇我氏が東国の健人を使っていた事を指摘していたのもオヌシだったかな?
なにげに、さすがじゃのう。
>>317 >景行天皇の時に蝦夷が騒々しいけえ安芸へ移した話と絡めて捏造するんが関東流かいのう。
(=゚ω゚)
そりゃー鹿ぐらい獲るしマツリや歌垣もするだろうさ。防人とかも食料は自給自足の畑作現地調達だったしな。
当時の兵卒の扱いなんてそんなもんだべ。
まーあんまり難しい事は知らんが「サエキ」は景行天皇の時代に播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波に
配属され該当地域の国造の服属となり、その地の「塞ぎ(サエギ)」の任にあったたとある。
「塞ぎ」と言う職掌が宮廷防守と言われるから当地の役所、城柵の防衛なのだろうか?
俘囚蝦夷というのは維持するのに金がかかる。だから俘囚を移すと言う事は全国に経費を分担させつつ
俘囚勢力を分散させる意味もある。じっさい俘囚の乱は多かったようだ。
佐伯部を管理しておったのが中央政府「佐伯連」の大伴氏。
各地佐伯部は下級官吏「佐伯直」が管理した。
佐伯直は渡来系(蕃別バンベツ)の伴造が多かったので混同されるが、
通常の国造も佐伯部と呼ばれる場合も有るようだ。
讃岐佐伯直からは平安の超人弘法大師空海が出ている。
話は少しズレるが蝦夷は冶金技術を持っていたと言われる。
砂剥サトギ(砂鉄掘り)→サヘギ→佐伯サエキの説だな。
伊勢、常陸、備前、伊予、日向、豊後は水銀(朱沙)。安芸、長門は緑青。
また播磨、阿波、讃岐は鉄の産地でもある。
この軍用産鉄の国家統制が倭武天皇ヤマトタケルの東征の目的という説も有る。
常陸のサエギがまず伊勢に配属されたのはそのためかもしれないし違うかも知れない(笑)
塞鬼サエキには修験も関わっているようだが、長くなるのでやめとく。
続きっ!
>高句麗系は嶋岐連・嶋史と嶋がえっとおるのう。
(=゚ω゚) そいつらの事は知らんが道嶋はもともと丸山氏となっているようだな。
「嶋氏」つながりなら金鉱石の精錬は対馬の嶋にやらせていたと有る(698年)。
陸奥守の百済王敬福が奥州金山を開くのが749年。この人から日本の産金は始まったらしい。
だが彼の地の丸山氏がコマ氏と言い切れるのだろうか? 情報希望っ!
>古代には〜近畿地方から下向して領主となった者の末じゃないか。
(=゚ω゚) そもそも領主や氏族起源の話ではなく武家勢力成立の起源の話だ
オヌシの話が半島や大陸にズレる原因がそこにある。
>日本的の風土特徴はあっても独自の文化なんぞないに等しいわい。
(=゚ω゚) たしかに大陸文化は凄いし文字の智慧もすばらしい。だが日本に文化が無いとは思わない。
個人に人格が有る様に文化にも「格」というものがある。
品格という物は文字にも表せないし事物にも顕れない。極意とは睫に似たりだ。
あたりまえすぎて見えない文化という物も有るのだよドクターワトソン
>人類の起源も関東人になるんかのう?
(=゚ω゚) おお!すごく面白いギャグだ!今回の新説はこれにしよう。イカしてるぜ牛っ。
322 :
白馬青牛:2007/02/10(土) 01:19:00 ID:f9MSqEZ6
>>318 風土的特徴が、何で「日本独自」に結びつくんか?わしゃは、関東人の
ように起源論者じゃないよ。宗族制が発達した韓国と東日本人の云うこと。
>>320-321 景行紀のそれは、「昼夜喧嘩 出入無礼」で「五国佐伯部之祖也」になった
が、仁徳紀の摂津国猪名県から安芸国渟田に移住させられた「乃令有司
移郷于安芸渟田此今渟田佐伯部之祖也」と由来が違う。
製鉄技術は朝鮮南部の伽耶集団が広めた技術じゃろう。
その丸山氏が土着系云う根拠もないし、だいたい系譜など、ええ加減な
もんじゃ。徳川氏が、源氏系の新田氏系を名乗るんは1566年、
吉田兼右に頼んで藤原氏にして貰い、1602年近衛前久書状に
「義国よりの系図を吉良家より渡され候ての事」と系図詐欺は何ぼでも
出来るよ。道嶋氏は百済系グループ系で、青森県八戸市の鹿島沢古墳群の
馬具飾りが、高句麗系が多い長野県佐久市の東一本柳古墳や高句麗・百済系
の多い山梨県の八代町の御崎古墳の馬具と似ておることを考慮し渡来系の
可能性は強いであろう。
武家起源は、渡来集団や生業で云うと山野河海の非農業民じゃろう。
人類学的にも外来民が土着民を征服したんじゃが、何処がズレとるんか。
日本に文化が無いと云うとらんよ。外来文化の風土的適応じゃ。
それを「日本独自」云うんが可笑しいゆうことじゃ。
文化に「格」や優劣があるんか。中華思想が強いのう。
>>311usi
毎度遅レスですまんな。
>論点をずらしとるんはワレじゃ。
>>86をよう読めえや。
まさか牛に言われるとは思わなかったぞ。
>>86に対して
>>91で俺から一言も
石高なんて言葉を発していないと言ってるんだが。痴呆が進みつつある牛が
動員兵力が重要なんて言い出すから、間抜けなお前でもわかりやすいように
米で表現しただけじゃないか。
わかった。わかった。論点を戻そう。秀吉が柴田より上でそれに対峙した中国
兵が最強な理由を示してくれ。そろそろ頼んだよ。
>領土を色で塗るたァ、交通経済を領土的な面で捉えとるワレの視点を云うたんじゃ。
苦しい言い訳だな。むしろ交通を遮断された最前線での経済活動を示してくれ。ここでも
論点がずらしとると言われないように論点を戻すけど、牛は北陸地方より中国地方の方が
交通経済が盛んでその方面を任された秀吉は柴田より実力が上だとういうことだよな。
で、動員兵力が重要だというのに最前線の中国、北陸でどれだけ経済活動が重要だったの?
前にも言ったけど信長の時代はそれほど兵士が職業化していないぞ。牛はこの時期、金で兵
を雇ってたというのか?
>あんたァどの辺がマルクス的か自覚もないんか?
ないね。
>石高が低いんが貧しいことにならんし、本来公家・寺社が、進んで港や川筋の村を領地と
>して確保する動き(わしは古代からその図式じゃったと思う)。
お前が本で得た知識をすぐに披露したい気持ちは分からんでもないが、民衆の歴史を紐解いて
何か分かることがあるの?中国兵が強いと言う。論点をずらしとると言われないようにしてる
んだけどさ。お前の言いたいことはよくわかるよ。寺社と近江商人が結託して利権持ってたり
してたな。そういう利権を信長はどうしたんだっけ?信長が先駆者とは言わないけど。公家の
利権は戦国時代どうなったんだっけ?もはやアホとしか言いようがありませんね。論点がずれる
から他板をすすめるよ。
>最後の方の文にもあるが、あんたのは、従来の関東流の平安期までの奴隷制から鎌倉政権で中世
>封建制になった云う、マルクス史観の発展段階説じゃ。
なるほど。だから牛は戦国大名と守護大名の区別もつけらなかったんだな。論点ずらしとるな。
まあとにかく論点を戻しなさい。牛くん。まともな反論を一度もしてくれないのにブチ切れて
飛躍しまくるのはやめましょう。そしてここは戦国板でどこが最強か決めるスレであることを
忘れないようにね。
>>322 「五国佐伯部之祖也」って・・・
五国とはどこの5ヶ国を指すの?安芸は含まれないの?
>>322 日本の風土的特徴あるのは日本だけじゃん
長い歴史でそうなっていったんだろうけど、文化って新しい日々からはでて
こないの?起源じゃないと文化って認められないの?
あと下らんこと聞くが関東人が起源好きとする理由を述べよ
327 :
白馬青牛:2007/02/11(日) 02:17:41 ID:AuINEXEn
>>323 論点に戻して柴田の武勲たァ何か?何処が苦しい言い訳なら。
軍事的には兎も角経済的に交通を遮断した云う根拠は何処にあるんか?
兵士を金で兵を雇った?物々交換が主流の時代にか?
信長が関所のカスリを諸豪族、悪党集団から取り上げただけじゃないか。
公家の利権も、室町期においてもパクられとるよ。他板をすすめる
云うても他板のあんたと同じ鎖国史観の連中を相手にしょうるんじゃ。
本で得た知識以前に、本すら読まん、おどれは低脳かい。支配者、為政者の
事成を追うだけじゃあ支配者の年代記で戦国時代の歴史を考察することに
ならんよ。ほいじゃあ戦国大名と守護大名の区別を云うたらええじゃ
ないか。武田氏のように、守護大名から戦国期も大名じゃった者もおるん
じゃし。わしの文を揚げ足取りしょう思うて、支離滅裂な論点も定まらん
カバチ垂れとるんはワレど。まともな反論たァあんたの主観じゃ。
わしゃあ、あんたがまともな反論もせんのう思うとる訳じゃし。
>>324 「景行記」のそれは、播磨・安芸・阿波・讃岐・伊予の五ヶ国で、
広島県では、安芸西部の佐伯郡、廿日市市、広島市佐伯区・安佐南区・
安佐北区・西区中世以降の佐東郡を含めた地域に移住した者、西翼の
佐伯氏のことじゃろう。「仁徳記」の佐伯部は安芸東部の渟田、三原市の
沼田川流域に移住した東翼の佐伯部。
ほいで、こういう事情を知っとる岡山人は、広島人を蝦夷じゃ云うわい。
岡山人は古代吉備王国を自慢し、戦国期安芸が中国地方の盟主じゃったんに
ないか。反撥心があるんじゃろう。
岡山人がこのスレを見ても、広島と関東の蝦夷同士が争うとる云うて
笑うとるんじゃないかのう。
328 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 08:56:24 ID:VRBv1mMz
うしいぢり楽しそうだな。
329 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 14:46:56 ID:MgEb1zQK
長いレスは読み飛ばしております。
330 :
白馬青牛:2007/02/12(月) 02:17:17 ID:sdJd1B9Z
331 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 18:22:28 ID:YkokgVzp
(=゚ω゚) ほう、さすが牛だな。なかなかの資料だ。
それはたぶん渡来系蕃別の佐伯直の記録かもしれん。詳しいことは他板で聞いてくれ。
佐伯氏は蝦夷だけでなく中央の大伴氏。国造、伴造、佐伯直、が一緒くたに
なってるからややこしい。 ま、それは渡来氏族にも言えるだろうがね。
蝦夷の冶金技術については渡辺誠氏の名刀風土記という面白い資料が有る。
古代悪路王アテリイの時代より奥州蝦夷は砂鉄川(北上川支流)の砂鉄を使い独自の蕨手刀を
振るったと言う伝説がある。 これが日本刀の原型だわな。
蕨手刀は正倉院に一振り有るほか、ほとんどの出土例が岩手県近隣と有る。
『古刀銘盡大全』(1792)には安房派・鬼王丸派・文寿派の「奥州古鍛冶」が100名以上挙げられている。
いずれも承平年間930頃から鎌倉期のロストテクノロジーの名工だ。
安房派の「光長」は大和へ移住、「有正」からは古備前「正恒」が、鬼王丸が月山派の祖となったと言われる。
我が国最古の『観智院銘盡』(1300年頃)には「光長」に【浮周フシュ】の銘文が有ったという。
これは『浮周』=『浮囚』だと言われる。 つまり浮囚鍛冶(蝦夷鍛冶)だな。
藤原清衡は自らを「浮囚上頭」「東夷遠酋(東国蝦夷子孫の首領)」と供養願文に書いている。
『平泉誌』には「源将軍討賊時、都の刀工を召して此処に住まわしめ・・・」と有るが
これはやや時代が下がる気がするが、どうだろう?
ふう・・・やっと鎌倉に入ったわい。
332 :
白馬青牛:2007/02/14(水) 00:16:01 ID:7TSpCvIj
>>331 蝦夷の治金技術、砂鉄云うても、古代日本じゃあ鉄は最初は伽耶地方からの
輸入で、渡来系が日本列島に移住し各地で鉄生産したんじゃないか。
渡来人の韓鍛冶技術であろう。蕨手刀が日本刀の原型でもあるが、
突く直刀から斬る彎刀への変化は、9世紀頃から西アジアや中央アジアでも
そうじゃろう。シリアのダマスカスの剣等。
じゃが、現在のネパールのグルカ兵が使うククリ刀は、斬る方が内側に彎曲
しとる。鎌のように農具から、狩猟用にも、更に世界各国の兵士をして
恐怖たらしめる近代戦においても白兵戦にも使える便利なもんじゃが、
武器よりも生活用具から発展したんじゃないかのう。蕨手刀も、生活用具
からじゃないんか、ナタみたいに。
前スレに奥州藤原三代のミイラの人類学的考察を挙げたが、藤原清衡は
人種的には東北人よりも京都人じゃ。渡来人の形質が強いので
文化的蝦夷人であっても、種族的には蝦夷じゃないよ。
333 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 01:05:24 ID:XIZS57II
(=゚ω゚) いや、石上神宮のフツノミタマの剣も斬る方が内側に彎曲しとる。
鹿島神宮のフツノミタマの剣は直刀だな。
単純に日本刀が彎刀と言っても腰反りも多いから普通に直刀から発達したと
考えた方が自然だろう。もちろん彎刀はヨーロッパにも有る。
逆に直刀にこだわりが有ったのは武具や服装に細かい規定の有った中央官僚だろう。
まあ道具なんてもんは戦術や用途が変わるとガラッと変わっちまうもんだ。
なんでもかんでも大陸に起源を求める必要も無いだろうな。
薙鎌は水軍がわりと使っている。敵の舟を引き寄せるのに鎌や袖がらめ、十字槍
が使われたようだ。陸だと実用品も兼ねた陣鎌が有る。そこから武器として派生したのが鎖鎌だな。
そういや中臣鎌子は生まれた時鎌を狐から授かったと言う。これは農耕を意味するか
それとも古代の武具を意味するかは判らないがちょっと面白い。
鎌足の武芸は狐伝流と呼ばれ坂上田村麻呂に伝わり観世流となり現在諸賞流和術の
名で南部藩に伝わっているとか。
334 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 01:25:15 ID:BctTqw7u
軍事貴族は関東から京都に進出したつわものの家。
蕨手を馬上打物と関連しすぎると、下向井氏みたくファンタジーに。
usiとは関係ないけど。
>(=゚ω゚)
カバネは苗字・名字と違うからややこしい罠。
現代に続く苗字でも、同集落で同姓&同家紋の、親方(有力農民)と子分(小百姓)の関係なんてのは
ごく普通の事だけども、未来の子孫からしたら皆同族になっちゃうんだろうな。
335 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 11:39:18 ID:Z7qCbUHx
>>332 >藤原清衡は
>人種的には東北人よりも京都人じゃ。渡来人の形質が強いので
この人種的にどうこうって言うのは、どうやって調べたわけ?
渡来系と言っても千差万別だし。
336 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 23:35:56 ID:j+HROJuG
戦国に限って言えば、最強は三河で良いでしょ 天下取った実績が最強の根拠 他は弱くなくとも最強では無い
337 :
白馬青牛:2007/02/15(木) 00:05:02 ID:GFklHe4d
>>333 中央官僚は直刀にこだわりがあったろう。大陸や半島の影響もあるし。
道具(武器)が戦術・用途で変化するんは同意じゃが、大陸と断絶させる
必要もない。武術の流派は後世書かれたもので、信憑性がある訳でもない。
水軍が使うんは、「鎌」でも「藻切鎌」じゃないんか。
それと『伴大納言絵巻』にあるよう、検非違使の弓馬廷尉の違い、隋兵の
刀と鉾から打物つまり白兵道具は、罪人追捕の下級の放免に随兵に
使用されたんじゃろう。
>>334 軍事貴族は兵の供給地攝津・河内から関東へじゃろう。
打物戦闘は西国で、関東は馬射・組打ちに、こだわった云うことかいのう。
下向井氏たァ、広島大の下向井龍彦のことか?
親方小方の関東縦型隷属主従社会よのう。カマド・名子の血縁・非血縁が
周辺の子方になる社会制度の事じゃろう。
338 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 00:31:32 ID:+NBFW/Pi
>>337usi
再来週まで来れないから、まあいいや。
苗字ワケの事だよ。
339 :
白馬青牛:2007/02/15(木) 00:38:41 ID:GFklHe4d
>>335 前スレの
>>894に挙げた、埴原氏の多変量解析法による計測からじゃ。
埴原氏は奥州藤原氏が渡来系北方新モンゴロイドの形質が濃く、アイヌ説
を否定し、東北人より京都人に近い云われたんじゃが。
あんたが云うよう、渡来系の単一集団じゃなく、華北系の渡来弥生人や
東北アジア系の古墳人等様々な集団はあったろう。埴原氏は土着民と
渡来民との比較で、奥州藤原氏が渡来系北方系新モンゴロイドと云われ、
渡来系のどの種族かまで言及しておられん。
>>336 安定した江戸時代から三河強兵説が闊歩したんじゃないか。姉川の戦闘も
どれだけ活躍したか怪しいもんじゃ。攻城で真田も落とせん程度じゃろう。
340 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 00:44:39 ID:Bw5GpLRv
>>336 じゃあ足利一門といえば三河武士だけどどうなの?
今川とか細川とか戦国でも有名なとこが三河で興ったお家だけど
341 :
白馬青牛:2007/02/15(木) 00:52:06 ID:GFklHe4d
>>337 で、下向井龍彦氏と「氏」を書かんかったんは失礼じゃった。
>>338 補足として、天下を取った云うても三河人少勢で多勢の敵を倒し天下を
取った訳でもあるまい。実績は乏しいのう。
342 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 23:31:52 ID:gwNddN7G
実績に人数は関係ないと思うが
343 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 00:40:53 ID:3Fam/HlL
強い兵士の基準は何ですか?
相対的に比較する為には、何が必要なのでしょうか?
344 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 00:48:37 ID:hwlHn7DN
>>343 昔から戦が頻繁に起きてる地域かな?
相撲とか北海道や青森の力士が強いみたいに
盛んじゃないと
だから必要なのは
長い歴史の中での経験と血統?
戦だけでなく力自慢の祭りごとをやってる地域も
関係してくるかも?
345 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 00:50:48 ID:uNBUphpe
都会の祭りは廃れる
346 :
白馬青牛:2007/02/16(金) 01:59:41 ID:tOTr5Ua4
>>342 人海戦術で強いだけじゃあのう。
>>343 強い兵士の基準は、様々な要因があるので一言で云うことは出来ませんが、
八路軍のように横の同志的結合の強い部隊は、縦社会の忠誠心の強い部隊
よりも強いでしょう。上からの戦闘指示を待つほど戦闘は悠長に
進みません。兵士一人一人の独立心も大切です。封建的土地柄の兵士は
結果的に余り役に立ちません。
>>344 北海道や青森の部隊は近代戦でも実績もなく活躍出来ずに終わったのう。
東北北部の弘前師団の中では岩手・山形の部隊は優秀云う評判だけは
あったが。戦前、相撲の強さなら四国の高知聯隊じゃろう。
相撲が強うても、殺し合いの戦闘に役立つはずも無いけど。
戦闘にゃあ、精神的に気性が荒い土地柄でないと偶発的な遭遇戦に
対応出来ん。
戦闘体験者の云われる戦さは、「馬鹿で出来ず、利口過ぎても出来ず、
中途半端じゃ、なおさら出来ん。」と云われる。長い歴史と経験が
地域将兵に影響するんは同意じゃ。
他地域から蹂躙された地域の兵が防御戦に弱いのも、歴史的負け癖が
要因であろう。蹂躙された劣等感のない地域の兵は未知の戦闘でも
闘う前から勝者らしく振舞う。力自慢が役立つんは砲兵じゃ。
347 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 21:32:09 ID:5yOwkRmr
あ、やっぱり牛さんいるじゃん
348 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 01:22:20 ID:qDpDyJFQ
>>水軍が使うんは、「鎌」でも「藻切鎌」じゃないんか。
(=゚ω゚)
ほう「藻切鎌」と言うのか?オイラの武芸資料には薙鎌、舟寄せ鎌と書かれている。
たぶん時代や地域や各水軍によって違うのか、それともこちらの資料のミスかもしれん。
気が向いたら調べとく。
>>打物つまり白兵道具は、罪人追捕の下級の放免に随兵に使用されたんじゃろう。
(=゚ω゚)
状況によるだろ。貴族だって普通に太刀を佩いてたし。
ウソかホントか倭建と出雲建の太刀合わせとか中大兄皇子ら貴人も剣を使っている記載が有る。
垂仁記の時代には十種の品部として太刀佩部の記載が有る。
>>軍事貴族は兵の供給地攝津・河内から関東へじゃろう。
>>奥州藤原氏が渡来系北方新モンゴロイドの形質が濃く東北人より京都人に近い。
(=゚ω゚) 奥州藤原氏祖の藤原頼遠は下総国住人だよ。
奥州藤原は陸奥の俘囚長安倍氏の基盤を引き継いでいるから兵卒は蝦夷だろね。
俘囚長安倍氏→俘囚主清原氏(藤原清衡の養父)→奥州藤原氏
ついでに・・・
俘囚長安倍氏→安倍季任→水軍松浦党→第90代内閣総理大臣安倍晋三 (=゚ω゚)おおっ!面白い
そういや道嶋氏も安倍氏同様ナガスネ彦を祖にしていたか。
>>攻城で真田も落とせん程度じゃろう。
(=゚ω゚) ・・・つーか攻める必要すら無かった。オマケみたいな戦だ罠。
真田丸萌え〜
>>人海戦術で強いだけじゃあのう。
(=゚ω゚) 八路は・・・ いや、なんでもない。
349 :
白馬青牛:2007/02/18(日) 01:23:43 ID:+hSeLQYJ
>>348 「藻切鎌」は、漁具をそのまま武器としておる。
貴人が太刀を佩いた時代は、古代じゃろう。遼寧青銅器の高句麗系青銅剣
の重装矛兵の時代に、突く要素が強い剣を多用したと考えられるが、
平安貴族や鎌倉武士等は弓の比重が強いんじゃないか。
奥州藤原氏や秀郷流の祖は、京都貴族左大臣藤原魚名じゃないか。
人類学的にも京都人に近いことからも。じゃが系譜に信憑性はあるまい。
網野善彦氏は「大中臣氏の場合、摂関家との関係は伝承として
度外視しても、当初はやはり京の人ということになる。それは東国の
豪族的武士団の場合、清和源氏、桓武平氏、秀郷流藤原氏などにみな
共通している。京都の貴族の末裔の東国土着といわれる現象の、どこまでが
事実で、どこまでが虚構なのか。系譜学の深化を通して検討する余地は
なお残っていると私は思うが、」と云われたが系譜は疑わしいもので、
確実なものでない。常陸の大中臣氏の末裔は、
>>330に関連する
安芸国沼田荘新羅(真良)郷の地頭那珂氏もおったのう。
その大中臣氏は藤原氏と同系で、秦氏系じゃったりして。と云うのも、
983年東大寺の学僧「然が宋の太宗に謁見した時、姓は藤原氏を
名乗るが元来秦氏出身であるとカミング・アウトしとるわい。
秦氏(八幡信仰)=新羅=源氏で、百済=平家云うと坂口安吾氏説に
近こうなりよるが、民俗的には妥当と思える部分もある。渡来高句麗人が
多い地域、信濃に源氏が多く関東西部に平氏が多いことなど、
細部において検討すべき問題じゃが。
戦国時代じゃったら、島津氏、長宗我部氏が秦氏系新羅で、宇喜田氏、
大内氏が百済系となるんじゃろう。所詮日本人の上層部は渡来人じゃ。
蝦夷の兵卒は縄文土着系であったろう。
ほいで、人海戦術を多用したんは中国国民党軍で八路軍は遊撃戦じゃわい。
350 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 01:52:45 ID:egXvf89Y
牛さんは起源説大好きなんだね
351 :
人間七七四年:2007/02/18(日) 21:21:04 ID:4MRgNSdg
(=゚ω゚) んー武家、武力発達の話が、なんで民族起源説にズレて逝ってしまうのかな〜牛ぃ〜
まあ良かろう。オイラは関東人だからいい加減なので・・・いや、心が広いので許してやる。
「物の始めが一ならば国の始めは大和の国、島の始は淡路島、泥棒の始は石川の五右衛門
スケベェの始めが小平の義雄、博打打ちの始まりは熊坂の長範」・・・という名言があるが
氏姓というものは天皇が与えた物だからそっちで辿れば当然都に偏るべさ。
地方領主は都経由で嫁さんや養子もらったりするから遺伝的にも偏るべ。(たぶんな)
同じ母親(ハラ)から生れた兄弟の事を同胞(ハラカラ)と言う。つまり「藤原=フジハラ=不二ハラ」だな。
御落胤の始めは藤原不比等、玉の輿の始めは宮古姫、小野小町は京都極楽坂の門前で死んだ齢が三十三だっぺ。
秦姓は時代によって使い分けられてるからたぶん検証はできないよ。自称秦氏ね。
>>181氏も言っておられるけど朝廷と付き合うにはご都合主義の系図も有るだろ。
信仰で氏族が決定するなら全国の鈴木さんは紀州熊野出身という事になっちまう。
雑賀衆萌え〜
≫平安貴族や鎌倉武士等は弓の比重が強いんじゃないか。
(=゚ω゚) ススキ、コンドー史観?・・・まあいいけど。
合戦では弓がメインじゃが平時では貴族も太刀を使える人は戦っておるよ。
たしか今川双紙には「貴人の側と蹴鞠の席では無刀でいろ」と規定されてた気がする。
殿中ならともかく武家は外出時には帯刀するのが正装だろう。
≫人海戦術を多用したんは中国国民党軍で八路軍は遊撃戦じゃわい。
(=゚ω゚) つーか『人海戦術』って「敵を人民の海によって葬る」の意味で
もーたくとーが造った言葉ではないかい?
敵性人民によるゲリラ戦の展開がパーロの人海戦術だっぺ。
≫「藻切鎌」は、漁具をそのまま武器としておる。
(=゚ω゚) おお、そういう情報はありがたい。
352 :
白馬青牛:2007/02/19(月) 01:45:13 ID:dGmEk9TP
>>350 土着起源が大好きな関東人ほどじゃないよ。
>>351 武家、武力の発達たァ何か?律令時代〜鎌倉期に戦闘方法が発達しとらん
じゃろう。大陸の戦闘を知らん、むしろ地域ローカル戦に染まり退化したん
じゃないか。騎馬の集団運用が出来ん。重装騎兵と軽装騎兵の役割が
出来とらん。等様々あるのう。
系譜の真偽に、何つまらん語呂合わせしとるんかいの。鈴木氏が
紀州熊野に限定出来る訳あるまい。
http://members.jcom.home.ne.jp/3366537101/sub9-2.htm 中段の「信濃・甲斐の進撃」に、高句麗人ら出雲勢力の進出、高句麗系の
積石塚、799年高句麗人の改姓で、高句麗の王族を出す部族である卦婁部
の真老が須々岐氏。つまり鈴木であろう。戦国時代の信濃村上氏は前部
(灌奴部)の末裔と断定出来んが大いにありうる。
「山梨へ」で、789年の山梨郡の高句麗人改姓で姓に田井、玉井、大井、
中井と井をつけよる。武田信玄の母方は大井氏じゃったか。
高句麗人は、関東の武蔵高麗郡や狛江、相模の高座等関東西部に
多かったんじゃろう。
新羅人は利根川、荒川沿いか。荒竹清光氏の解説では。
じゃが、荒川下流域の檜前牧は、河内の馬飼育がそうであるよう、川原で
馬を飼育する漢氏、文氏や百済系(起源はモンゴル東部、満洲西南部の
鮮卑、満洲平原の扶余か)様式で、信濃や関東の山麓や台地で
馬飼育する高句麗(起源は南満洲山地)様式であろう。
353 :
白馬青牛:2007/02/19(月) 02:24:14 ID:dGmEk9TP
>>351 近藤氏の東国の近矢・組打ち戦と西国の遠矢・打物戦と特徴に違いが
あった事に反対か。ほう、近藤氏は東国優先史観じゃに反対か。
人海戦術は国民党軍のほうが圧倒的に多用しとるんは明らかじゃないか。
共産軍が天下取った後は、朝鮮戦争で米軍相手に旧国民党式に人海戦術を
取ったわい。混同すなや。八路嫌いじゃのう。まあ華北におった
関東兵団は八路軍に相当やられとるけんのう。宇都宮兵団の桑島氏も
『華北戦記』で八路軍が日本軍に対し白兵戦をして来たこと等、
書いておられるが、八路軍は射撃でも白兵でも来いじゃ。
八路の兵士の戦闘知力も優れ世界的強豪じゃわい。
354 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 17:00:25 ID:U965fkXM
確実なのは牛はスレタイと空気が読めないって事だな
355 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 17:08:06 ID:U965fkXM
あ、スレタイじゃなくて板違いだった
とりあえずここは戦国板だから^^
356 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 00:30:22 ID:Bde9Y6PU
(=゚ω゚) 渡来人が大陸式の重装騎兵や軽騎兵を展開して日本全土を支配する・・・と、
ん〜夢が有って良いねえ。はっはっは。
つーか山地湿地の地形でポニーな在来馬に重装騎兵やらせて馬体が保つんかい?
まあ、高麗の入植には小野氏や物部、大伴といった軍事氏族が付随していたみたいだから
それと兵卒の強弱はあまり関係無い気もするが・・・つーか高麗の所だけしか読んでねーだろ牛っ!
小野氏と言えば小野小町は京都極楽坂の門前で死んだ齢が三十三、
四角四面は豆腐屋娘、色は白いが水くさい。オラが秋田は美人の出ど〜こ〜か。
そういやリンク先に穴太衆の名称が含まれていた事の方が気になる
『穴太衆』は近江の石工で古代は古墳の石室。平安には比叡山の宿坊、墓石の製作をしていた。
そして戦国に入り信長の安土城の石垣を詰み、秀吉の聚楽第、家康の江戸城、駿府、名古屋、二条、大坂・・・
代表的な城普請に関わっている。
「駒井日記」には穴太駿河、穴太三河、穴太出雲の3人の記載が有るそうだ。
穴太衆って古いんだなあ
≫人海戦術は国民党軍のほうが圧倒的に多用しとるんは明らかじゃないか。
≫八路嫌いじゃのう。まあ華北におった関東兵団は八路軍に相当やられとるけんのう。
(=゚ω゚) あれ?以前言わなったっけ。オイラの師匠は広島の海軍軍人じゃけんのう。
つーか人海戦術の語源は毛沢東の人民戦争論じゃね?って話だったのだが。
まあ、正直どうでもいい。
357 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 14:20:06 ID:3+GCHr0J
古代日本国家をつくった日本を作った主役集団は、韓半島を経て渡っていった
北方遊牧民族出身の騎馬戦士だ
古代日本の執権層は渡来人だ
ソース:嫌韓流
牛も同じ考えなのかな。まあこの本は日本を美化しすぎな感じもしたが
358 :
白馬青牛:2007/02/20(火) 22:31:16 ID:5MF7ClP8
>>356 日本の風土で騎馬戦の可能性は低いが、渡来系が支配層であったんは、
歴史的、人類学的に明かで夢じゃないど。高句麗自体の軍事力があったん
じゃに軍事氏族たァなんなら?小野氏や物部、大伴もおそらく渡来系で
あろう。その物部氏も蘇我氏(東漢氏の武力にも頼ったろうが)に
やられたのう。高句麗系の移民、軍事、牧の東国への影響の項を引用した
だけで、わしゃあ、サイトの筆者の見解たァ違う。東アジア諸民族の
エスニック集団の倭人を日本人と見なしとる自体、わしゃあおかしい
思うとるよ。
小野小町が出羽出身と断定出来んし、秋田美人など昭和以降云われたた
ことで、当時にそがーな形容もあるまい。戦国期の石工が古代まで遡って
同一集団要素かどうか、わしの知識不足で解らん。
語源じゃのうて、実際の戦闘でじゃ。ほいで、あんたの師匠さんは、
広島県出身の方か?他県出身で海軍軍人として戦前呉におられたんか?
戦前呉にゃ他県からの方もえっと(沢山)おられたけんのう。
359 :
白馬青牛:2007/02/20(火) 23:30:44 ID:5MF7ClP8
>>357 古代日本国家を作った主役は韓半島を経て渡って来た北方民族じゃが、
純粋井な遊牧民出身の可能性は低い。日本文化は、遊牧騎馬文化や
乳製品利用文化にも乏しい。満洲で漁撈・狩猟・農耕文化と結合した
集団が渡来したと考えた方が良い。
ソースが嫌韓流じゃあのう。日本史板にも多いカルト集団じゃろ。
http://www.tokakushin.org/undou/no_net_uyoku/net_uyoku.htm ネット右翼の行動は、風が悪りい(恥ずかしい)のう。
1でも、警察に売るなど、日本人の誇りもない連中であきれるよ。
シベリア抑留でもソ連に同胞の日本人を売り渡した人達と同じじゃわい。
彼らこそ立場が変われば真っ先に祖国の人達を裏切る連中じゃろう。
どうせ、キリスト教原理主義(ファンダメンタリスト)、聖書福音派の
手下で踊っとるんじゃろう。
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Essay/Es030430.htm 詳しく知りたいんなら参考文献にある、グレース・ハルセル女史の
「核戦争を待望する人々」(聖書根本主義派潜入記・越智道雄訳)でも
読んだらええよ。わしゃは、20数年前に読んどる。
日本つまり祖国を愛する云うんは、欠点・恥部も認めそれでも愛するか
じゃし、恥部を隠蔽し美化しても世界中に恥をさらすだけじゃ。
360 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 00:31:48 ID:WR9srAKz
usiはサヨ風味なのかな
>古代日本国家を作った主役は韓半島を経て渡って来た北方民族じゃが、
これを主張してんのは韓国人に多いらしいが、牛って本当は韓国人なのか?
・・・と、こんなこと云うとネットウヨいわれそうだな。まあ左右どちらかに
偏らず色んな文献みるようにするよ。どれか一つだけ妄信しないように気をつけるよ
ちなみに牛は出身国別の戦国最強兵はどこだと思っているの?
361 :
白馬青牛:2007/02/21(水) 03:00:35 ID:4RRONBmG
>>360 ほう、わしが左翼かいのう。10年前なら右翼云われたこともあったのう。
ネットウヨが如き、カルト原理主義者の空虚な日本美化はのう。日本を
敗戦に導き、兵士と共にあるべき戦場から逃げ、戦況報告じゃと言い訳し、
責任を回避し部下のせいにする人達まで、まあ今でも政治家は秘書のせいに
する、だいたい日本のエリートは「ノブレス・オブリージェ」が無い。
上の階級に行くほど馬鹿が増える。彼らを英霊と崇めることも出来んねえ。
わしが誇りに思うんは前線で闘うた将兵じゃ。その将兵から敗戦時、
兵士からピンハネしたり、仲間を残して逃げたり、師団の経理金を横領し
豪遊した参謀等、美化出来んよ。左、右以前の問題じゃ。
韓国人は高句麗・渤海まで自国の歴史に加えとるが、満洲族の立場は
どうなるんか。北朝鮮地域も含まれとるだけに過ぎん。高句麗・百済・
新羅も日本人の先祖で日本人の国ゆうたら、韓国人はどう反応するかのう。
遺伝学的にも本土日本人は琉球人・アイヌ人より以上に朝鮮人に近いんを
ナチスの人種論で排斥する方が可笑しい。日本人と朝鮮人は歴史的に方向・
文化が違うだけのことじゃ。ネットウヨこそ自民族発展段階説の
左翼マルクス史観じゃないか。ナチス的国粋主義もマルクス主義も
ドイツ思想で似たようなもんじゃ。+朱子学的排外主義の攘夷論か。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
362 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 05:08:27 ID:/O/EPR7F
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
出身国別戦国最強兵は、前スレからわしが地元安芸じゃ云うとるよ。
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363 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 11:47:11 ID:P0nOouBf
桶狭間の信長も安芸兵が3割いたから勝てたって説が有力だよね。
昔から精兵として各地でひっぱりだこだったらしい。
イラク戦争の米特殊部隊にも広島系移民が多数いたようだよ。
364 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 12:12:47 ID:9AIKnNjJ
アメリカって広島人が開拓したんじゃなかったっけ?
365 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 01:23:34 ID:wUF8A58P
≫あんたの師匠さんは広島県出身の方か?
(=゚ω゚) 広島人じゃあ言うとろうが。えーと、
先生はたしか館山かどっかの海軍陸戦隊だったかな?
フロート付きの戦車でプカプカ海上を渡り敵の背後から上陸するという
本土決戦の特攻隊の生き残りだよ。
まあ、ピカが落とされ焼け出されたんじゃが先祖は浅野の家臣じゃ言うとった。
≫近藤氏は東国優先史観じゃに反対か。
(=゚ω゚) 優先史観でヒイキするほどセコいマネはせんわい!
≫蘇我氏(東漢氏の武力にも頼ったろうが)
(=゚ω゚) ああ東舎人ね。敵に背を向けぬ勇猛な忠臣だったらすいね。
「東人は常に云はく、額には箭は立つとも背は箭は立たじと云ひて、君を一心を以て護るものぞ」(孝謙天皇宣命)
東国蝦夷「佐伯部」に対して九州の「久米部」がいる。久米部は黥が有ったと言う、つまり隼人だな。
それらを統率したのが佐伯宿禰大伴氏。
より多くの異民族を配下に治めるのも中華思想だから、たぶん兵卒は蝦夷だろう。
東舎人は近衛(中衛府)。秦や漢人は外衛府の兵として区別されていたみたいだ。
大伴佐伯や阿倍氏をあえて無視するのが牛論だな。
>>363 (=゚ω゚) そうなの?織田家の毛利氏(森)の事?
366 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 01:24:28 ID:D2RJuu4K
遺伝子どうのこうの云おうと韓国人は外国人だしアイヌや琉球の人達は日本人
韓国人を同民族だと思ってないけど、別に差別しているつもりはない
367 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 22:19:10 ID:s38pT0oT
368 :
白馬青牛:2007/02/22(木) 23:02:25 ID:VNxqUGXh
>>365 あんたの師匠さんは、ピカに焼け出されたんと浅野家の家臣じゃ云われたん
なら広島市内の方じゃろう。わしの親戚(当時大学生)に、学徒動員で
戻って、ピカに会うて悲運にも亡くなった人もおるけえ、生き残られたんは
運がええ。
東国の舎人か。舎人の供給源「奴隷軍」の東国のイメージに東国優先の
網野善彦氏は反撥されたのう。じゃがオスマン・トルコのイェニチェリ
(トルコ語で「新軍」)軍団兵士もトルコが征服したバルカンの奴隷を
選抜した。西日本のいつ新羅側につくか解らん独立性の強い豪族より、
征服地である東国奴隷兵の忠誠心を重んじたんじゃろう。
清朝を建てた満洲族も漢民族を征服し、同盟軍の蒙古軍と征服した漢民族軍
を活用しとる。蒙古軍や満洲ソロン軍等は、古代日本の東西史氏や漢氏、
秦氏の天皇の騎馬護衛兵に相当、漢人軍は、征服された蝦夷の佐伯部や
南九州の隼人集団に相当するか。隼人は天皇の車駕が遠行し道路の曲がり
角で狗の吠声をまねる「わざおぎ」させられたわいのう。蝦夷ほど兵士と
して評価されんかったんは、新羅に近い九州ゆえ、忠誠心を信頼されん
かった云うことじゃろう。
369 :
白馬青牛:2007/02/23(金) 00:01:49 ID:1thryCDx
>>365 続いて、蝦夷の佐伯部に対して九州の久米部か。久米部の黥の習俗は、
東南アジアや朝鮮半島の辰韓人も観られる習俗で、久米部は朝鮮から
連れて来た連中かも知れんね。異民族を配下に治めるんは満洲族や
オスマン・トルコの例を挙げたが、英国もウェイルズ長弓隊等征服した民
であるケルト系を活用しとる。
阿倍氏は東北・北海道遠征した阿倍比羅夫もおるが、水軍渡来系じゃろう。
後の東北蝦夷の安倍氏が末裔かどうか解らんが。蝦夷の売る交易品が、
狄馬と共に俘奴(蝦夷奴隷)で、その俘奴が俘因つまり佐伯部になり
同族の蝦夷と闘うんは皮肉じゃのう。安芸に佐伯部が設置されたんは、
吉備や出雲の牽制で塞(さえぐ)役割もあったろう。運もあろうが
織田軍団に蹂躙されんかったんも、近代戦においても、広島師団が防御戦に
比類なき実績を持ったんも、古来「さえぐ」役割を与えられたゆえか。
「偶然の皮肉か、広島師団の防御戦。」
東国舎人の忠誠心や敵に背を向けん特徴は、関東兵団の「敵来襲、みんなで
逃げれば怖くない」と近代関東兵団に受け継がれて無いようで残念じゃ
のう。敵襲撃に近畿兵団の場合、合理主義が優先し逃げたんじゃけど。
近畿や関東の兵に信頼感が無かったんも仕方無い。戦闘実績に乏しい
東北兵の方が、防御下手でも死守、忠誠と東国舎人の伝統を受け継い
どるのう。戦闘下手でも軍や世評の信頼は厚い。
370 :
白馬青牛:2007/02/23(金) 00:27:57 ID:1thryCDx
>>366 国籍としてアイヌや琉球の人達は日本人じゃ。
本土日本人と違い、沖縄人と韓国人が共通する部分は時間厳守を守らん
こと。沖縄タイムや韓国人はケンチャナヨで済まし、韓国の汽車も
時間通りじゃないよのう。戦前世代の人達は、朝鮮人の戦後の行いを嫌うて
おっても、内地との違いぐらいで、琉球・北海道・朝鮮・台湾を区別せん
かったよ。完全な異民族としての意識じゃないねえ。
現在は、大東亜主義から国粋排外主義と白人隷属主義になったんじゃろう。
371 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 00:08:47 ID:vgaZWdUb
≫久米部は朝鮮から連れて来た連中かも知れんね。
(=゚ω゚) んー詳しくは知らんが、入墨してたっちゅうだけでそんなに簡単に言えるのかなあ〜
『後漢書、弁辰伝』では
ttp://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-mokuji.htm >弁辰と辰韓は雜居しており、その国は倭に近い故に全身に刺青を施している者も『少し』いる〜
(=゚ω゚)ん?・・・少し居る?
なんか「倭に近い故に」とか、倭人の影響を受けてるみたいな書かれ方に見えるのは気のせいか?
>弁辰と辰韓の合計二十四国で総計は四、五万戸。秦語に相似している。
>辰韓人は、子が生まれると石に頭を押し付け扁平にするので『誰もが扁平な頭をしている』。
(=゚ω゚)すると牛説では扁平頭な兵士の頭骨が九州で出土している事になるが。そうなのか?
魏志倭人伝では奴国が二万余戸。投馬国が五万余戸。
倭国の方がでかいし、卑弥呼以前の80年間乱が続き、かなりの武装をしている。
倭人の男は顔と身体に刺青を施し朱丹を身体に塗っている。
身体の刺青は大魚や水鳥を厭うためであり海洋民族的だと中国人(魏国)は見たようだ。
≫東北兵の方が、防御下手でも死守、忠誠と〜戦闘下手でも軍や世評の信頼は厚い
(=゚ω゚) 勝負は時の運。他者からの信頼は武徳の証。 非常に立派だとおもいます。
≫異民族を配下に治めるんは満洲族やオスマン・トルコの例を挙げたが
(=゚ω゚) ふつうそうするだろ。戦国時代の国内もそうじゃん 何か珍しいのかい?
372 :
白馬青牛:2007/02/24(土) 01:30:19 ID:hDRVYlNa
>>371 倭人の概念じゃが、「楽浪海上に倭人在り」と朝鮮沿岸部や日本列島の住民
を含む訳じゃ。倭人とは後世の倭寇が日本人・朝鮮人・中国人イスパニア人
まで含む海民のことで、朝鮮南部じゃあ韓人は農村部、倭人は沿岸部住民
云うことじゃ。
編平頭は古墳期近畿地方を中心に増えて来るが、弥生期の九州北部の
渡来系は中頭。南九州の縄文形質の人達は短頭、つまり隼人は扁平頭じゃ
のう。渡来系と在来系を分けるんは高顔が渡来系、低顔が在来土着系
じゃが、朝鮮南部でも高顔と低顔の両者が存在しとった。
投馬国が五万余戸・邪馬台国七万余戸云うて記述を額面通り受け取っても
のう。戸数は漢人が陰陽五行説の陽の数値である奇数を誇大値させた
もんじゃろう。人口・距離等誇張した表現で戸数は遺跡から
シュミレーションし仮定の数値を設定するしかない。
倭国大乱は黄巾の乱同一期の現象で飢饉・戦乱で人口が低下し、世界的な
北方民族南下時代に入る訳じゃ(ゲルマン・エフタル・鮮卑・高句麗・
日本の渡来系も含め)。楽浪と闘うた馬韓人の方が、漢に隷属し奴隷を
献上した列島倭人より戦闘馴れしとろうに。その馬韓も北方系の百済人が
支配するようになったわい。
兵法において「運も実力の内」じゃないか。と云うより被我の戦闘に
おいて、戦闘の流れで自らが「運」を奪取せんといけん。特に防御戦は
兵士一人一人の独立心、戦闘能力が勝敗を左右する。
忠誠云う縦社会の専制的隷属兵士より、横の同志的民主的結合兵士の方が
強い。中国大陸じゃあ国府軍より八路軍じゃ。
373 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 13:49:44 ID:RjPWd3GJ
≫渡来系は中頭。南九州の縄文形質の人達は短頭、つまり隼人は扁平頭じゃ
(=゚ω゚) ちゃうちゃう。
>辰韓人は『石に頭を押し付け扁平にするので誰もが扁平な頭をしている』
そう有るのだから形質遺伝の話ではなく「人為的な変形頭蓋」の風習が有ったかどうか証明されたのか?
それを聞いてるんじゃん?
≫戸数は遺跡からシュミレーションし仮定の数値を設定するしかない。
(=゚ω゚) それもあてにはならない。海人は田畑作ってたわけではないし
戦闘や忌諱による住居廃棄や転居の規模も含めると完全なシュミレーションは難しいだろう。
倭国の戸数が誇張なら韓の戸数も誇張と言う事になる。五十歩百歩だよ。
≫倭人の概念じゃが
(=゚ω゚)
初代新羅王に仕えた重臣、瓢公(ここう)も倭人だが【海を渡ってやってきた倭人】じゃなかったか?
海から来た倭人「瓢公」は新羅3王家全ての創世神話に関わっている。
四代目新羅王の「昔脱解」も海から来た事になっている。新羅版の国造り神話だな。
倭人は韓の外から来たんだろう。
「辰韓人は倭に近い故に・・・倭人に似る」と中国人の眼に映ったのだから文化的に倭人の影響を受けた可能性も高い
辰韓人は「秦」韓人。もともと大陸の系統だから、ふつうなら倭人に似るなどと書かれるはずもないんじゃん?
374 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 20:02:25 ID:RjPWd3GJ
(=゚ω゚) 訂正っす。
X 倭人は韓の外から来たんだろう。
○ 新羅を国造った倭人達は半島の外、海の向こうから来たんだっぺ。
375 :
白馬青牛:2007/02/25(日) 23:01:07 ID:oNTrE9Xn
>>373-374 人為的な変形頭蓋は、列島にその風習があったまで解っとらんよ。
まあ、逆にターバンの習慣じゃあ長頭になるんじゃろう。
環境的変化を云えば、池田次郎氏によると、米国移住のヨーロッパ移民が
長身・長頭になり、ハワイの日系人の場合、故郷の広島・山口の人達に
比べ、高身長・短頭になるようじゃ。
弥生期の大きな町は、海人による港市じゃないか。しかも完璧な
シュミレーションなどあるはずもない。じゃけえ遺跡から仮定の数値を
設定するしか手段がないんじゃ。ほいで小山修三氏の弥生期の人口60万、
古墳後期の人口540万となったんじゃ。
新羅神話か。新羅と倭人の関わりよのう。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/sinkan-siragi/siragi-sinwa2-seki.htm このサイトで、昔氏の説話が出とるが、瓢公を民族の確立してない
時代に日本人とする解説も可笑しいが、倭人は「七宝奴婢満載其中」と
宝物と奴婢を献上したんじゃろう。中国の史書で弁辰韓時代に新羅が
建国された訳ないが、日本の王権も古い時代は天皇の寿命を
100歳以上に伸ばすことで起源を古うしとるけえ、同じような
もんじゃ。新羅は金氏の金色の子箱が降臨したように、天孫降臨の
日本や北方遊牧民説話に近いよ。新羅支配者の渡来は北方民族南下の
4世紀以降じゃね。スキタイ・シベリア式北方木槨墓は。
南朝鮮の倭人系?は甕棺で北九州の渡来系倭人と同一文化で山東半島
あたりから海を渡って半島や列島へ来たんじゃろう。山東沿岸民も
倭人じゃわい。それと九州の縄文形質倭人の韓人系支石墓も朝鮮から
じゃのう。遼寧で鮮卑に拉致され漁業をした倭人もあり、倭人の
範囲は広いよ。
376 :
人間七七四年:2007/02/25(日) 23:11:34 ID:QdvPi0/S
文通でやれ
377 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 01:36:14 ID:xXVXwD17
>>372 > 中国大陸じゃあ国府軍より八路軍じゃ。
つまり、アジア人だけで言うと
広島師団>>>>>八路軍>>>>その他の日本兵>>>>>>国府軍、ってことか。
378 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 20:13:30 ID:76LfGxTI
坂東殿原は弓に上手成る物よ
そら廻鶴おいてはおといたよ
者の上手わそ廻鶴おといた
若殿かやかけ鳥いたる弓では
さてもいたのふみせたや弓の姿お(^ω^)
379 :
白馬青牛:2007/02/27(火) 23:58:47 ID:mBCwDADY
>>377 八路軍の中でも四川兵が強かったんじゃないかのう。
日本の師団でも優劣があるように、国民党軍の中でも強い師団と弱い師団が
ある。栄誉第1師なんかは訓練周到で強く、地方軍閥軍では李宗仁や白崇禧
広西軍なんかも強い。張自忠軍のように上下の信頼が強い部隊もそうじゃ。
日本で弱い師団云うたら、作家の陳瞬臣氏の文章から。
「かって日本軍は精強であった。日中戦争で捕虜になった中国兵が、
ーどうだ、もういちどやる元気があるか。と、日本兵に言われて、
ー101となら何べんでもやってやる。
と、答えたそうだ。日本の101師団は東京の招集兵が主体で、あまり
強くなかった。新劇の友田恭助もこの師団に属しウースンで戦死している。
101のOBに叱られるかもしれないが、この部隊は日本軍中の例外という
べきであろう。」と。
東京兵団の全てが弱かった訳でなく、東京27Dは強かったよ。
支那駐屯軍の頃は全国の現役兵が集まり、広島出身兵も多かった。
戦闘馴れしとるし、後に東京27Dとなり、兵員は関東一円のインテリ層が
多かったが、2・26事件の反乱者が希望し配属されたりして士気も
高かった。全国の兵も多いので関東兵団とも云い難いんじゃけど。
380 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 01:36:42 ID:8djN2h4K
>>375 (=゚ω゚) ふっ・・・ ツッコミ所満載じゃが、いつまでも遊んでると怒られるけえやめとくわい。
ところで
>>363氏の言う桶狭間の安芸兵ってーのはなんだったんでっしゃろ?
毛利家の事で良いんだろうか?それとも別ルート?
安芸兵はどうでもいいが織田家の毛利には興味があるのだぎゃ。
381 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 01:57:26 ID:3qzEoM+9
恒例のねたでは。
毛利と言っても色々あるようだから。
安芸といったら源平の頃は瀬戸内きっての屁た(ry
382 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 22:46:13 ID:8djN2h4K
(=゚ω゚) ところで桶狭間で今川の首を取った毛利新助(毛利良勝)って武者物語では
「森新助が討ち取り奉る」と有るけど乱丸の森氏つながりなのだろうか?
それとも、ただ単に誤伝?
383 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 22:54:21 ID:pXh5CubJ
相変わらずここは牛があっちこっちに話を飛ばしながら頑張ってるなあ
384 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 00:31:35 ID:ecTmwApj
戦国時代で頑張ってくれれば嬉しいのだが
385 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 08:35:56 ID:JuqkisPI
歴史難民いい加減、出てけよ。
安芸兵は最強じゃないことは証明されたんだからよ。
386 :
人間七七四年:2007/03/02(金) 22:36:46 ID:6zmDoZqs
牛は広島の次はどこが強いと思ってるんだろう?
>>382 森氏が毛利を名乗るのは単なる当て字。血縁はないよ。
388 :
白馬青牛:2007/03/03(土) 01:52:52 ID:l7cKmBtM
>>381 関東蛙君か?安芸が源平時代、瀬戸内きっての屁たれ云う根拠は何なら?
>>385 証明たァ何じゃのう、嫌韓厨用語じゃろう。あんたも嫌韓カルト教団員か?
>>386 どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵は別として、他の中国地方も
しぶとく戦闘する特質がある。東海兵は、歴史的に勝ち馬に乗っとった経験
から勝ち癖が付いとるけえ侮り難し。北陸や伊勢など一向宗の独立心、
横の団結も強い地域の兵卒も強かろう。また、兵卒の特徴は地域の歴史や
風土条件もあるけえ戦闘形態で強弱は違うが、一人の勇者がおれば後の兵は
続くだけの野戦より、兵一人一人の能力が戦闘の勝敗を左右する防御戦、
籠城戦の方が強弱の差がより出るとも云える。
389 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 02:00:32 ID:cnU+qhOk
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390 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 13:27:18 ID:PhhYUf/Z
>>382 毛利新助と関係あるかは知らないが、
安芸出身の傭兵集団らしきものが各地で活躍していたのは事実。
甲陽軍鑑にも砥石城攻めの寄手として安芸衆四〇〇の記述があるしね。
391 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 17:13:22 ID:9BDz7Gfu
>390
(=゚ω゚) ほう、傭兵とは面白い。
でも甲陽軍鑑の砥石城とは品第25の信州戸石合戦の事だろうか?
戸石合戦の章では安芸衆四〇〇は見あたらないのだが、他の章に記載されているのだろうか?
392 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 22:13:59 ID:UdDuwx8Y
へぇー 傭兵やってたんだぁ〜 セコく小銭稼いでいるなW 人の家に行く前に、まずは自分の家を統一しろよ
393 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 23:26:08 ID:IE9kI4Rq
野武士を皆殺しにするのは無理。
刀や小火器の時代だから。
394 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 03:25:56 ID:wKYTBHrI
何で「刀剣類や小火器」若しくは「刀や火繩銃」って書かないんだ?
395 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 01:18:43 ID:aGi3WX4j
>usi
▽北条家臣・上野国後閑刑部、後閑宮内の軍役、天正11(1583)年
計100人(馬上20、鑓40、弓10、鉄砲10、小旗持10、自身の指物持2、手明・馬添8)
▽上杉景勝(御城中様)の軍役、天正3年(1575)
馬上40、鑓250、鉄砲20、大小旗25、手明40=計375
▽村上国清(山浦殿)の軍役、天正3年(1575)
馬上20、鑓170、鉄砲20、弓5、大小旗15、手明20=計250
▽北条家臣、相模国中郡池田孫左衛門の着到(軍役)、天正9(1581)年
馬上20、歩鉄砲3、歩弓5、長柄鑓(2間半)22、大小旗持2、指物持1、歩者3
=計56人
▽武田家臣、小田切民部の軍役定、天正4(1576)年
馬上6、歩鉄砲6、歩弓6、長柄鑓(3間)19、持鑓(2間半)6、持小旗3
=計46人
▽北条家臣・武蔵国岩付衆太田(北条)氏房への着到、天正5(1577)年
馬上500
鉄砲50
弓40(馬上に候共、射手衆をば一所に集押べく候)
鑓600
小旗120
徒歩者250
徒歩走20
=約1600人(他に陣庭、篝、小荷駄)
396 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 06:00:14 ID:69KEQI49
牛も嫌韓厨だのチョンだのいってる奴らと同レベルか
397 :
白馬青牛:2007/03/12(月) 01:36:41 ID:foh4Ck/M
>>395 日本史板のコピーか。つまり歩兵中心の編成じゃろ。
>>396 排外主義、ネオナチと同類のネットウヨクや嫌韓厨と一緒にしてくれなや。
398 :
人間七七四年:2007/03/12(月) 03:41:33 ID:rExfsQzp
同レベル
399 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 01:27:29 ID:sfFJpeQF
>>397 だからusiが好きな越後の上杉と比較してる。
上杉は鑓、
武田は他氏の軍役定でも鉄砲弓の比率が高いし、規定が細かい。
北条は馬上に関して細かい。
400 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 03:39:33 ID:1YnhZ2En
普通に考えればやはり尾張最強なんだろう
尾張兵が弱く、三河兵が強いってのも、大久保彦左衛門
が三河物語に捏造記事書いただけだろうし。
弱かったら、あれだけの遠征続きに耐えられるワケない。
401 :
白馬青牛:2007/03/14(水) 01:53:05 ID:ECDDkv+v
>>399 その上杉軍に関東は蹂躙されとるじゃないか。
騎馬武者は、小荷駄の速度に合わせにゃあのう。
逃げる敵を追撃するぐらいしか騎馬の活用法はないよ。
>>400 尾張兵が遠征しても、前線で戦闘するんは征服地の現地兵じゃけえ、
尾張兵は督戦じゃろう。
402 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 02:04:49 ID:EQCRIMsF
>>401 上杉謙信は、北条氏繁を対陣で破れませんでしたよ
しかも本隊が関宿でかかりきりで、氏繁もそんなに手勢がないだろう状況で
上杉勢が小田原まで攻め入れたのは上杉が強かったからじゃない
関東諸将が関東管領に期待していたからだ
その証拠に、関東遠征のほとんどは上野と下野に限定されていし
北条が幾度か対陣してきても(北条が決戦を望まなかったのもあるが)何もできなかった
403 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 02:13:10 ID:0TYeiNva
(=゚ω゚)ノ おひさ。
>401
だから上杉軍ちゅうても反北条の関東武士団や、旧管領以来の猛将長野とかがサポートしとるちゅうねん。
越後兵が遠征しても、前線で戦闘するんは関東管領旧臣の現地兵もおるけえのう。
長野業政萌え〜
>逃げる敵を追撃するぐらいしか騎馬の活用法はないよ。
(=゚ω゚) ふつうに突撃もやっとるがな。
404 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 02:19:37 ID:Nobh+PT4
>>402 いや、小田原まで達することができたのは謙信の武功だろ。
謙信が関東へ出陣しなかったら(沼田より南へ攻めなかったら)、関東諸将だけで小田原城まで攻めれるのか?
405 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 06:01:35 ID:EOjSiCCP
極論を言うやつは馬鹿
そのまま返されたら何も言えなくなる
で、謙信だけで小田原城まで攻められるのかい?
406 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 06:23:42 ID:ISFzCqYD
狼に率いられた羊の群れは
羊に率いられた狼の群れより、強いって言うよな。
関東諸将は羊って言いたいんだよ
407 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 16:48:30 ID:Nobh+PT4
>>405 勝ち進んでいけば、おのずと兵は集まるもんだよ。
安芸最強説の次は、東国最強説ですかwww
408 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 16:55:23 ID:Nobh+PT4
「上杉が強かったからじゃない」というのも極論だよ
牛が大好きな安芸の情勢で例えるならば、1541年の尼子晴久の郡山城攻めが失敗した後、多くの国人が尼子から大内に寝返った。
409 :
人間七七四年:2007/03/14(水) 23:51:38 ID:0TYeiNva
>関東諸将だけで小田原城まで攻めれるのか?
(=゚ω゚) うむ。面白い。
謙信のカリスマぶりは驚嘆に値する。特に朽木城佐野の救出はカコイイ。これで関東兵のハートはゲッツした。
ただ、小田原城攻めに限定して言えば越後輝虎だけでも無理。
現に第二次遠征では北条を追いつめながらも武田の越後攻めパフォーマンス1つで引き返さざるをえなかった。
長野業政も言っているが、もともと北条攻めは、あくまで東管領と北条の戦い。
関東と越後の戦争と言う物ではない。
目的は新管領となる関白近衛公の関東動座執行。その執行者が上杉輝虎。
執行者上杉輝虎の呼びかけに集まった東国の将数が七十六名、軍勢は九万六千余騎。
これに対し越後、佐渡勢は一万七千騎と言われる。 (関八州古戦録)
どこまで実数かは知らないが、おおよそ4,5倍は居たと言う事だろう。 たぶん。
総勢11万3000余騎。
あまりの大軍団で街道は人馬で埋まり途中の砦は関東勢が力づくで押し破って行った。
先陣が大磯小磯で陣を張った頃、本陣は相州高麗寺の麓だったとか。
うーむ町が丸ごと移動しているようだw
410 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 02:43:25 ID:9iKIhrW3
409の言うように、「長尾景虎」では小田原侵攻は無理だったと思う
「関東管領」の威光に寄るところが大きい、それを理解していたからこその謙信の上洛であったわけだし
もちろん謙信の評価を上げる行動ではあるけど、
さりとて越後勢の精強さをあらわす例にはならない
411 :
人間七七四年:2007/03/15(木) 23:40:15 ID:aS4h+4iT
(=゚ω゚) まあ第一次小田原城攻め限定の話なので主力は関東兵になってしまったが
>>233にも書いたけど常陸小田攻めでは北陸兵自体は強かった様だよ。
越後勢は深田を乗り越え、倒れた人馬を泥の上から踏み越え叫びながらまっしぐらに攻め込み小田軍を押し破ったと言う。
正面突破、これぞ謙信の旗本。カコイイ。
412 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 01:52:08 ID:kziHh1+h
その割には臼井城では陥落寸前まで攻めておきながら城方の逆撃に潰走する越後勢の脆さは如何に?
413 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 11:06:55 ID:39AnznJb
(=゚ω゚) 佐倉の臼井城? 謙信一夜城とか有るそうだね。
まあ、背後からの挟み撃ち状態だったので潰走するしか無かったのかもね。
これは想像だが長槍主力の部隊というのは正面突破力、正面防御力は強いが他方向からの
圧力には弱いだろうしね。そうなっては腰刀のみで迎え打たねばならない。
戦術に英雄豪傑は不用だが、名を落とさぬと言う意味では役に立つ事も有る。
最上攻めで上杉は敗走するが直江軍の大将上泉主水憲元それを聞かず伊達勢300騎に対し
単騎で乗り出し斬り込んだ。それに前田ひょっとこ斎、宇佐美民部が続いたが最後上泉主水は討ち取られる。
負け戦でも名を上げれば後世、少年ジャンプで漫画化されるという良い例だ。
・・・あれ? 上泉主水って1コマしか出てこないの??
414 :
人間七七四年:2007/03/19(月) 22:58:12 ID:ynvcxQca
>>401 それ以前の時代、越後を蹂躙してたのが関東だが。
なんで小荷駄w
415 :
人間七七四年:2007/03/22(木) 22:31:40 ID:nfilnqfS
兵士が強いのは、越後、三河、薩摩あたりでは…? あとは指揮する将次第
416 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 00:58:09 ID:fVLg3CIY
東北もイイらしい。
417 :
白馬青牛:2007/03/23(金) 02:37:52 ID:lr5IcZgl
>>402-403 越後に蹂躙された関東の言い訳じゃのう。騎馬突撃云うて武器は何か?
>>415 越後は鈍重。三河は後世の徳川政権で美化された。薩摩は集団火力重視、
薩摩野郎の釣り野伏り戦法と近代的で弱くはないが、近代熊本兵団じゃあ
攻撃力なら鹿児島より肥後熊本じゃけんのう。指揮云うても戦国時代は、
組織された近代兵団と違い、土豪兵団が勝手に突撃するぐらいじゃろう。
指揮する将の比重は強うあるまい。まあ、近代じゃあ指揮官の拙劣さに
兵士が苦労した面が強かったのう。
418 :
人間七七四年:2007/03/23(金) 20:38:09 ID:fVLg3CIY
(=゚ω゚) ノ 牛おつ!
>騎馬突撃云うて武器は何か?
(=゚ω゚) そりゃ何でも有りだっぺ。槍、弓、太刀、鉄砲、金砕棒。 敵陣内に入っちゃったら馬自体も武器だわ。
だから自陣内で馬を離してしまうのは厳禁だった。
もっとも敵の陣形が崩れてなければ、無闇に突撃しても返り討ちにあうだけだろうけどね。
>騎馬武者は、小荷駄の速度に合わせにゃあのう。
(=゚ω゚) そりゃ兵站の話じゃね? 小荷駄、足軽を置いて騎馬だけサッサと行っちゃーマズイだろ。
それとも合戦地帯ド真ん中に小荷駄持って逝ったんかい?
419 :
白馬青牛:2007/03/23(金) 23:50:57 ID:lPqTuaGO
>>418 騎馬突撃の武器に弓の効力はあるんかのう。防御時なら静止騎射なら
有効じゃろう。重装騎兵であれば、敵の猛攻時に防御の縦となって、
攻撃時に敵陣が崩れんと突撃出来んのが常道で、敵陣が崩れた時は
槍騎兵も役立つと思うが、敵が槍衾を築いたら騎馬槍兵の活躍も出来まい。
正面ガチンコじゃのうて、敵の動揺から追撃する時に利用出来るくらい
じゃろう。重装騎兵が迂回、奇襲の軽装騎兵のように兵站から離れたら、
防御も担当する重装騎兵の意味がないよ。速度も小荷駄、つまり輜重に
合わせる外あるまい。
420 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 00:50:43 ID:TkJDXIYQ
(=゚ω゚) 重装騎兵とな??何でやねん。 すこしふしぎな牛ワールド。
>騎馬突撃の武器に弓の効力はあるんかのう。
(=゚ω゚) 日本弓術で矢を親指側につがえるのは馳射のなごりではないかと言われるから・・・ま、できるやつはできたんだろう。たぶん。
槍だろうが長刀だろうが馬上で振り回すと馬がヨタった場合が有るらすいから弓が特別不利とも言えまい。
陣形の崩れというのはイロイロ有る。攻め込むと言う事は陣形が延びやすいとも言える。 守る事は足が止まる(居付く)とも言える。
速い兵と遅い兵の移動速度が違うと陣形は崩れる。 正面に集中すれば脇が空く。 知に働けば角が立つ。 情に竿差しゃ流される。
そういう虚実をすみやかに衝くには速い機動兵器が良かった。それだけの話だろう。
421 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 01:47:55 ID:cTGdeMqC
越後兵が強いと言われるのは
内乱、一揆続きで戦争経験豊富というのもあるが
その「残虐性」こそ驚嘆に値するものだろ
一向宗皆御殺しといえば信長を思い浮かべるが
謙信が先駆け。一向一揆は皆殺し撫で斬りが越後勢のデフォ
この越後スタイルを他国にもっていったわけだから、そりゃ恐れられるわ
422 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 01:49:21 ID:ZzU/oEuH
で、結局ウシさんは、どこが最強だと思ってるの?
423 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 02:56:54 ID:u8XX5p20
そこで琉球ですよ。御殿手があるから
424 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 08:01:29 ID:lo7foQlb
牛は安芸至上主義者だよ
425 :
人間七七四年:2007/03/24(土) 13:22:38 ID:qbZuX9Gn
戦国薩摩と近代熊本を比べてどーするっていう話
426 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 00:26:42 ID:qJGh5dQR
↑それがこのスレと牛の持味 ふぁんたじーですから 広島は弱くはないが最強ではない! 今も昔もね ナゼなら陰徳太平記が基地外だから 以上
427 :
白馬青牛:2007/03/25(日) 02:00:30 ID:+6AO6fdW
>>420 馬甲まで付けたら重装騎兵じゃろう。馳射は軽装騎兵の役割。
軽装騎兵は機動力で迂回するんじゃけえ、後備の速度にあわす必要も
ないよ。
>>422 以前にも安芸じゃ云うたよ。
>>425 戦国の薩摩も野郎の側面攻撃じゃないか。
>>426 最後が以上云うて、何、発狂しとんなら。
428 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 02:39:30 ID:uIrQFXTL
とりあえず最強とはいわんが戦国時も
肥後兵>薩摩兵なのはガチだよ。
朝鮮出兵の先方役の二人が貰ったのが肥後。
当時から肥後は豊かで兵は優秀だった。
その為先方役を務める二人に分け与えた。
気候的にも瞬間的には全国一暑く寒さも適度にある。(京都に似ている)
その為地域への適応度はかなり高い。
しかし問題なのは「肥後の引き倒し」と呼ばれる独自の県民性である。
薩摩人のように「優秀な人に続け」というような性格ではなく
「出るくいは打て!」と言ったような協調性を強要し成功者の足を引っ張りあう性格である。
(集団行動には適している)
その為肥後出身の偉人は過去から現代もかなり少ない。優秀な人(司令官)を輩出できないのである。
(加藤清正も細川家も肥後出身ではない)
もうひとつの特徴が超ツンデレである。がこちらはあんまり関係ないんで省略。
他県の地位のある人物が肥後兵を率いればトップクラスの実力を発揮できるが
肥後人が肥後兵を率いたら悲惨な結果が待っているのは確実である。
指揮官の質
薩摩>越えられない壁>肥後
兵の質
肥後>薩摩
だと小生は思うのですよ。
429 :
人間七七四年:2007/03/25(日) 13:55:33 ID:FRQj6aqt
>>428 >肥後兵>薩摩兵なのはガチだよ。
の論拠が
>朝鮮出兵の先方役の二人が貰ったのが肥後。
>当時から肥後は豊かで兵は優秀だった。
>その為先方役を務める二人に分け与えた。
って
「薩摩も与えることが出来たが、肥後の方が優秀だから肥後を与えた」
証明をしてください
朝鮮人みたいな都合のいい解釈はお腹一杯です
上記の条件が成立しないなら貴方の論拠は無価値です
430 :
白馬青牛:2007/03/26(月) 01:29:19 ID:Ura46uDt
>>428 肥後兵の方が薩摩兵より勇猛じゃった。朝鮮の役の加藤・小西軍に
属し、猛攻を重ね、慶長の役でも敵の反攻に蔚山でも安芸兵と共に、
善戦しとる。薩摩とは較べようもない武勲を重ねた。
西南戦争でも、反政府軍でありながら、熊本隊は薩軍よりも猛攻振りを
発揮し、近代の南九州の壮丁で構成される熊本第6師団の勇猛さは
熊本聯隊のイメージじゃ。まあ、熊本師団じゃあ、鹿児島人より熊本人の
方が威張っとったようじゃ。まあ鹿児島人よりも熊本人の方が勇猛さで
較べたら一枚も二枚も上じゃ。広島兵団から熊本兵団に転出された方は、
「熊本人は排他的で顕示欲も強く、外様扱いされた差別はあったが、
豪快でさっぱりした処があり、故郷の広島県人と相通ずるものがあった。」
とされる。
肥後人は一人一党と表現されるよう、個人主義、独立心も強く、
同県人でも、安易に妥協せん処も広島人と似た特徴とも云える。
足の引っ張り合いで大集団は構成し難い面もあるが、他所から来た指揮官の
もと団結したら強い部隊になるよ。
>>429 何で朝鮮人みたいに云う言が出てくるんか?証明、証拠を出せ云う一言
コメントを繰り返す嫌韓厨と同じじゃないか?最近政治板で左翼連中に
毎度論破され、日本史板や戦国板に常駐するようになったんかのう。
431 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 02:29:58 ID:5zlj/B/1
>430
お前が朝鮮人みたいな都合のいい解釈してるからだろw
432 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 04:41:26 ID:J4/lH20K
A(肥後を恩賞)ならばB(薩摩>熊本)であるって論調なのに、
AがBを成立させる絶対条件になってない時点で論理的でない
誇大妄想は安芸・朝鮮の18番だというのが伺える貴重なサンプルである
433 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 15:23:41 ID:I5cBC/Xm
で……ある
434 :
会津人:2007/03/26(月) 16:43:49 ID:/0so2STj
やっぱり薩摩隼人にはかなわないよな。
会津武士だって戊辰の時は火縄銃で薩摩隼人に挑んで
そこそこ粘ったんだから強いとこありますよね!
435 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 17:22:17 ID:SEvZM99+
少なくとも戦国期では強いとは言えないな。
葦名は政宗に蹂躙されるわ、上杉は最上を攻めきれないわ
しかも両者とも、寡兵に負けているのがなんとも
436 :
会津人:2007/03/26(月) 17:29:16 ID:/0so2STj
確かに戦国期ではパッとしません。葦名盛氏は剣豪だったらしい
ですが・・・。上杉景勝も五大老のくせにパッとしなかったですね。
437 :
人間七七四年:2007/03/26(月) 17:56:23 ID:TiFWlo1o
>>1 普通に
武田兵>>>>島津兵>>>>上杉(越後)兵>>>徳川兵じゃないの?
438 :
白馬青牛:2007/03/28(水) 01:35:09 ID:OwXU892B
>>431 朝鮮人みたいな都合いい解釈か。血縁、族譜意識の強い朝鮮と似た
同族結合で家の意識の強い東日本の方が衆結合の広島を含めた西日本より
朝鮮と類似しとるよ。
>>432 ワレのそがあな文のどこが論理的なんか?
>>437 甲斐の武田兵が通用するんは東日本ぐらいじゃろう。越後より強いかどうか
疑問じゃが。
439 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 01:57:16 ID:fSXM/q1w
>>438 朝鮮牛キタコレw
西日本とか東日本とか関係ないよwお前が朝鮮臭いだけw
440 :
人間七七四年:2007/03/28(水) 23:45:30 ID:jKAyRUIw
微妙に馴れ合いなのかな、このスレW
441 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 00:24:02 ID:3XgKoQuA
(=゚ω゚) さようでござる。
442 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 01:30:08 ID:RGvVsNXW
江上スレが。。
443 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 10:24:01 ID:HCQ0CDLW
ただ古代から現代まで幅広く頑張っているが、広島最強は無い… これからも
444 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 13:44:53 ID:V5O/hQx5
現代で広島が何した?
445 :
仙台藩百姓:2007/03/29(木) 14:00:32 ID:/FGXgWhU
もみじまんじゅう☆
446 :
人間七七四年:2007/03/29(木) 23:14:08 ID:HCQ0CDLW
仁義なき戦いとか…
447 :
仙台藩百姓:2007/03/29(木) 23:22:01 ID:/FGXgWhU
もみじまんじゅう☆
448 :
白馬青牛:2007/03/30(金) 00:12:17 ID:Cd3Xetz4
>>443 嫌広島厨が、広島最強はない云うお経を何回唱えても意味があるまい。
449 :
人間七七四年:2007/03/30(金) 00:54:16 ID:1Pfk0tr8
嫌広島厨じゃないだろ
>>443はかなりの高評価。
江上スレのは偽白馬青牛か?
450 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 23:02:57 ID:OsjYMCZg
(=゚ω゚) 江上スレを読むと、なぜかなつかしい気がするのは、この小春日和のせいだからだろうか。
451 :
白馬青牛:2007/04/03(火) 01:27:28 ID:9GvRTyAt
>>449 最強じゃないんなら、2番もドベ(標準語じゃあビリ?)も一緒じゃ。
広島人は常にトップで日本代表のエースじゃ自負しとるよ。
【江上】騎馬民族スレは、偽じゃのうて、わし本人じゃ。
幼稚な低脳嫌韓ネットウヨクの発狂火病を相手にするんも面白いけんのう。
レベルを下げるんは仕方ないわい。
452 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 23:53:50 ID:3gSUSSZO
う〜ん・・・標準語じゃあ鳥取と言うかな。
453 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 00:15:39 ID:6O3H4cu+
あははー こいつが他スレでも話題に上がっている牛か(笑) スゲー広島フェチだな 同じ中国モノとして応援するぜ〜
454 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 00:24:43 ID:zRpBF6z7
携帯厨乙
455 :
白馬青牛:2007/04/04(水) 00:45:46 ID:5K4kqN/A
>>452 鳥取の因州兵は強いよ。戊辰戦争の時も相馬方面で広島の芸兵に次いで
鳥取の因兵(丹波兵も混じっておったろうが)は常に前線で奥羽同盟軍と
闘うた。近代でも鳥取聯隊の健脚は輝く。戦国期の尼子勢との戦闘や
秀吉軍に対する抵抗。南北朝期の播磨悪党軍も因幡(鳥取)と丹波は
悪党兵の産地じゃったけえ、鳥取も伝統があるのう。
>>453 人様に対し「こいつ」はあるまい。郷土の武勲を誇るんがフェチになるん
なら、広島フェチにじゃろうて。まあ、応援はありがたいよ。
456 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 01:05:53 ID:95Z3Nbix
気にすなネタ邪険能・・・標準語じゃあ野呂森士前田と言うかな。
おどりゃはok
457 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 09:37:40 ID:AXjOow+k
>人様に対し「こいつ」はあるまい。
語るに落ちたな。
458 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 00:44:55 ID:Ws6ha/Aw
(=゚ω゚) おお、戊辰の因州剣士の話題は聞いた事が有る。井蛙流だな。伊庭八郎の腕を斬り落としたというな。
ヤクザ兵法なら仙台烏組も良いな。まさに幕末の悪党兵法じゃわい。
広島は・・・しらんけど・・・
459 :
白馬青牛:2007/04/05(木) 01:05:23 ID:2pjVK5VA
>>458 井の中の蛙も大海を知りよる井蛙流じゃ。
井の中の関東の蛙君は、大海を知らん鎖国史観。
広島の安芸神機隊は前スレにも書いたが、庶民、農民主体の最精強部隊よ。
460 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 01:32:49 ID:HYyuKa/U
どうでもいいけど方言(?に説明書き入れなくていいよ
全部かなりの広域で使われてるのばかりだし
全く広島オリジナルとかじゃないから分かるってw
461 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 02:38:54 ID:4tG5ItvB
身体的に言うと、東北が一番体格が大きく重い。
北に行くほど同種の生物は大型化するから。
462 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 11:10:13 ID:QPJKQHUJ
463 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 15:20:03 ID:Il/+8FhQ
いくら強い広島人でも原爆には敵わなかった、と。
464 :
人間七七四年:2007/04/05(木) 16:10:45 ID:+QOVvCsR
宇宙からレールガン撃ち込んでやればよかったのに
465 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 00:03:14 ID:TYcVLjPC
>>459 >井の中の蛙も大海を知りよる井蛙流じゃ。
(=゚ω゚) いや「井の中の蛙といえども(雖も)大海を知りよる井蛙流」だっぺ。だから「雖井蛙流兵法」ともいう。
常に精進し自己の壁を打ち破れば井の中の蛙といえども大海を知る事ができよるという・・・
まあええ、過疎っとるから遊んじゃる。
適当な手元資料によると東山道先鋒は鳥取藩と土佐藩。
鳥取藩の参謀は河田左久馬(河田景与子爵)。
戦歴は甲州で甲陽鎮撫隊を撃破。宇都宮城攻撃。上野攻撃。小田原城攻撃、さらに仙台・・・ 良く働くなあ〜
特に磐城・広野は激戦だったそうな。
幕府遊撃隊長伊庭八郎(心形刀流)とは箱根(小田原)で戦う。相手は井蛙流の鳥取藩士梶浦清造。
伊庭と梶浦は互いに上段から斬り合い相打ち2度、伊庭は左腕を斬り落とされながらも梶浦の胴を斬り倒し
さらに一刀を加え山へ逃げ込んだという・・・ (=゚ω゚) あれ?伊庭の勝ちかな?
梶浦は脇腹から腸が飛び出たが運良く完治。隻腕の剣士伊庭八郎は五稜郭で戦死。
人の運とはわからないものじゃ。 のう牛。
466 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 00:09:16 ID:TYcVLjPC
(=゚ω゚) まちがえた・・・
X 雖井蛙流兵法
○ 雖井蛙流平法
467 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 00:32:33 ID:hkDHD0kz
>>459usi
>>465(=゚ω゚)
幕末の伊庭は、鉄砲を避けた時に左腕を斬られたとか、
高橋という者に不意を突かれて腕を斬られたとか、そういう話もあるそうだけど。
何だか知らないけど。
場所は湯本の三枚橋だそうな。
468 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 01:25:14 ID:hkDHD0kz
多摩にはネタも置いとくか。
これ上杉同様に弓が無いんだわ。
▽明智家の場合(天正九=1581年の軍役)
・100〜150石
計3人=馬上1、指物1、鑓1
・400〜500石
計11人=馬上1、指物4、鑓4、幟1、鉄砲1
・500〜600石
計15人=馬上2、指物5、鑓5、幟1、鉄砲2
・700石〜
計21人=馬上3、指物7、鑓7、幟1、鉄砲3
・800石〜900石
計25人=馬上4、指物8、鑓8、幟1、鉄砲4
・1000石
計32人=馬上5、指物10、鑓10、幟2、鉄砲5
469 :
白馬青牛:2007/04/07(土) 23:32:11 ID:jgciUpi/
>>465 広野の戦闘は激戦じゃったのう。七月二十三日安芸神機隊は、先鋒として
前進し、激戦して夜半に至れりという状況で七月二十四日に広野駅を占領。
ただし、神機隊の進撃が激し過ぎる為、総督府参謀より「進撃すべからず」
との命令が伝えられる。(さすがは後の近代兵団で発揮された進取の
広島部隊じゃ。健脚の鳥取因州兵も後塵じゃ。諸藩兵連合軍じゃなしに、
安芸広島兵対奥羽同盟軍なら、広島部隊の機動力、進取で、敵に冷静に
考える時間を与えんよ総督府参謀殿。)
二十五日から敵兵の反攻が始まり、二十六日に至り、猛烈な反撃を開始、
敵は大軍をもって本通と左右側面より広野宿を包囲して、銃丸は四面より
雨注して本陣の屋根や周壁を貫通し、釜の中にあるかのような状況と
なった。死傷者はぞくぞくと回送されても、これを収容する人家は焼け、
全て久の浜へ運ばざるえなかった。安芸神機隊は、陣地を死守して奮戦、
因州兵が後退した為孤軍奮闘の状態となっていたが、長州や岩国の兵が
海上より広野海岸に到着。ただちに神機隊右翼の海岸寄りに対峙していた
敵を攻撃し、この機を失せず神機隊は、正面の仙台・相馬等の敵と左翼に
対峙していた米沢藩の部隊に突撃し、更に進んで十余丁さきの敵砲台に突入
、これを奪取した。かくして奥羽同盟軍は広野を完全に放棄した。
火力戦に突貫抜刀白兵戦と勇敢さを発揮した神機隊も、四日四晩の連戦に
隊士も疲労の極に達していた。
「芸州兵は常に先鋒として戦ってきて、その消耗も甚だしく、相馬藩の
降伏以後は休養の命令が総督府より出されたにもかかわらず、官軍の要請に
より、ふたたび参戦することになった。」と、なった訳じゃ。
470 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 00:12:45 ID:5EacqMyg
(=゚ω゚) おお。ひさびさに牛絶好調だな
>神機隊の進撃が激し過ぎる為、総督府参謀より「進撃すべからず」との命令が伝えられる。
(=゚ω゚) しかし・・・解釈もいろいろ有るもんだ。
>467
(=゚ω゚) うむ、兄の言われるとおり伊庭の隻腕については諸説有る。
山田次郎吉の『日本剣道史』じゃと「八郎、慶喜公の御親衛となり−略−上野彰義隊に加わり三枚橋にて
左手を断たれた」とある。
それに対し堀正平の『大日本剣道史(まぎらわしいタイトル・・・)』じゃと河毛勘(後の武徳会弓術範士)の
目撃談として箱根戦とある。
さてさてどちらがホントやらw
471 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 01:12:23 ID:EBWE8KS+
武田毛利スレに関東叩いてる京都人が居るなw
印地が雅な訳なかろう(笑
>(=゚ω゚)
別冊歴史読本の徳川八万騎総覧見て書いただけだけどねw
江戸時代の旗本っていったら、1000石の身分でも馬一頭飼うのに四苦八苦してたくらいの都市生活者、いわば江戸の武家貴族。
大抵の旗本は家来も相当削ってるから、軍役も糞もないが。
472 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 21:51:45 ID:FcFHw7vk
広
島
人
が
原
爆
に
勝
て
な
か
っ
た
の
は
何
故
?
473 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 22:45:21 ID:5EacqMyg
(=゚ω゚) うむ、旗本もヘタに知行地持つと逆に大変だったようじゃ。小さな地方国家領主だからな。
適当に考察してみると
表高1000石取りの旗本が四公六民で年貢を取ったとして実質収入400石・・・だよな?
1石=米2.5俵=金1両=約10万円で適当に計算すると年収四千万円ぐらい?
それで領地経営や年貢取り立て運搬、軍役などなどの人員や経費をまかなうわけだ。
まあ、計算間違っててもオイラは知らんばい。
474 :
白馬青牛:2007/04/10(火) 00:30:55 ID:2xAsyNn9
>>470-471 安芸神機隊の攻撃は「兵は勢いなり」兵力より速度が重要じゃ。
神社に石を置くんは広島県でもあるのう。印地打は、『年中行事絵巻』に
印地紐を振り廻し投げるスリングもあり、雅云うより悪党・庶民も使う
武器じゃろう。飛礫打を記した『吾妻鏡』に、「関東に未だこの事あらず」
と、網野善彦氏は西国的な武器とされる。
西国の飛礫のあり方も正月十五日、五月五日、八月十五日などの行事と
日本(特に西日本)と朝鮮の民俗は酷似しておるそうじゃ。
広島も旧藩(江戸)時代、五月五日の行事で児童が「石戦をなせり、刀を
抜いて戦ひしことありき」じゃが慶長十二年に江戸に来た朝鮮通信使も
記しており、全国的に広まったようじゃ。
朝鮮は日本統治時代、特に今の北朝鮮地域じゃあ日本人に対し石を投げて
来ることも多かったそうじゃし、チベット遊牧民は石を投げ、スリングで
家畜のヤクを追うこともあった。モンゴルは馬飼育地帯ゆえ知られとらん。
朝鮮や西日本の牛飼育と印地、スリングの関係は無知ゆえ解らん。
475 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 00:35:31 ID:BuWS7RXO
広島に原爆が落とされたのは実は日本の要望だったらしい。
なんでもお荷物の広島人を新生日本に残すのが嫌だったとか。
476 :
白馬青牛:2007/04/10(火) 00:37:32 ID:2xAsyNn9
>>472 広島人は原爆を浴びても屈服した訳じゃないど。日本史板もそうじゃが、
こんなら腐れ外道関東人だきゃあ、ものの云い方を知らんわい。
477 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 01:10:09 ID:BTJj+k29
(=゚ω゚) スリング投石はもっと古いだろ、シュメールやロードス兵まで遡るし南米あたりにも有った希ガス。
あのミケランジェロのダビテ像が手にしているのもたしかスリングだ。
西洋では羊飼いの道具らしいな。
印字はたしか義経記に大陰陽師鬼一法眼(←武道界ではちょっと有名)の義弟で白川印地の大将なる者が
義経の命を狙う話が有った希ガス。
東国では武田の工兵隊が投石をやるな。水股衆だったかな?三保ヶ原で家康を挑発していただろ。
竹駕籠の投石器だった気がしたが・・・忘れた。
ん〜ほとんど記憶書きなのでちょっと怪しいw
478 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 03:18:59 ID:bDMjwGFO
>>473 米価換算は江戸→明治で大暴落してるので適当ではないと思う
賃金換算で、年収一億二千万
25人は雇わなければならないことを考えれば四千万ではなくこの位が妥当かと
千石は十分大身だしね
まあ江戸は物価が高いし、冠婚葬祭で見栄を張って要らぬ人を雇って、などやっていれば幾らあっても足りないとは思うけど
あと江戸時代、領主権を発動できる者の方が少数で、
たとえ知行地があろうと、年貢を取り、窓口となり、政策を実行するのは知行人ではなく藩だよ
逆に知行地へ行くのを禁止されている場合もあるくらいだし、大部分は書面上の領主に過ぎない
479 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 23:38:11 ID:eBFhKUfi
>>473(=゚ω゚)
徳川幕府の規定で、実収400石の計算になるな。で、単純計算で400両。
寛政期の『新編武蔵風土記稿』読んでも、村では百姓が飼ってる農耕馬がたくさんいたけど
物価もべらぼうに高い江戸で馬を養うのに、年10両ほど掛かるらしいからかなりの負担。
さらに口取りの中間も雇わないとだから、旗本の馬飼育は厳しい。
普通に侍身分最下層の若党で、まぁ年に6両ほどだから馬のほうが高価だな。
お殿様が大好きなお末のおにゃにゃのこだったら3人は雇えそうな(´・ω・)
>>477(=゚ω゚)
武田は歩弓・歩鉄砲でも、甲と具足を着せた上手の射手を集めてて、軍役負担も北条より遠距離攻撃を重視してるし、
むしろ馬上よりもこの部分で武田家の強さがあったんじゃないかと思う。
彦根の400年祭りに行って来たけど、井伊の赤備えは歩兵中心だったんだよな。これは近江だから普通の事か。
>>476usi
奈良人かもしれないぞw
480 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 01:28:07 ID:84UrgPcc
>478
(=゚ω゚) 補足乙!
まーたしかに米価は変動するな。現在でも米価は豊作続きだと下がりっぱなしだわな。
ブランド米はやはり北陸コシと宮城ササ強し!
日本の米の4割が大坂に集積されとったというが、そのため先物取引が大坂堂之島で発明されたワケだな
>政策を実行するのは知行人ではなく藩
(=゚ω゚) たしかに幕府は旗本の知行権行使は嫌がってたそうな。 まあ、少数の人はやってたみたいだが。
>479
(=゚ω゚) なるほど馬の維持費の方か。
農耕馬と違い軍馬となると馬小屋や馬自体の値段も上がるだろうしね。
幕末の貧乏旗本・・・いや、英雄の山岡鉄舟も馬には乗れなかったというが理由はそのへんか?
>軍役負担も北条より遠距離攻撃を重視してる
(=゚ω゚) 記憶だが当時の東国の鉄砲の量は驚異的に多かった希ガス。気が向いたら調べとく。
481 :
白馬青牛:2007/04/11(水) 01:36:05 ID:O2dQSMn8
>>477 スリングが古いんは当然で、問題は遊牧民から発生したんか、農耕民から
発生したんかじゃ。わしは今の処、遊牧の家畜飼育民説じゃ。
時代は下がるが南米アンデス高地民も家畜を追う生活道具として
活用しとる。日本じゃあ西国を中心にして、時代を経て東国へ伝わった
技法と思える。悪党の「サイ棒」もそうじゃろう。
東国に伝わり棒術も広まったんじゃろうけど。
482 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 04:00:12 ID:63o8b7+4
>>472 広島辺りの蛮族ごときが、当時の科学の集大成である原爆に勝てないのは必然ではなかろうか?
483 :
人間七七四年:2007/04/11(水) 23:38:29 ID:eSYf5oK4
484 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 00:08:13 ID:TaB7QhVM
ちょWW 原爆はやめれよ
485 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 00:29:35 ID:1C8HYec4
というか常識的に考えれば、狭い日本の中での出身国(地域)別で、さらに徴兵された農民兵に強い弱いの差なんてあるわけないだろうと、スレの主旨を否定してみる
強い弱いの差が生まれるとしたら、その大名家の采配によるものか、もしくは旗本とかなら個人の資質か
486 :
白馬青牛:2007/04/12(木) 01:24:45 ID:iiNjKxu+
>>485 徴兵された農民だけじゃのうて、勝手に戦闘参加した悪党、人身売買業者ら
も含んどる訳じゃ。戦場に行ったら大名家が采配しようと、止められんよ。
勝手に戦闘に参加した連中は、指揮を無視してでも独断行動し、旗色が
悪うなったら勝手に撤退するんが近代以前の戦闘じゃろう。
487 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 01:35:53 ID:0mcLz3wJ
>>481 (=゚ω゚) うむ、スリング投石はオイラも何度か挑戦してみたがすごく難しい・・・orz
やはり武芸者はシュリケンでないとイカン。
>悪党の「サイ棒」もそうじゃろう。東国に伝わり棒術も広まったんじゃろうけど。
(=゚ω゚) ほほう、またまた新説だな。棒の手なぞ世界中に有るだろうに。
すると奈良時代から続く鹿島神宮の「祭頭祭」の棒組も西国悪党起源かな?
『防人に棒術を教える西国悪党』なんてロマンがあってイイな。
たぶんフィリピン棒術「カリ」や「シラット」も、マオリ族の棒術「タイアハ」も西国悪党起源なんじゃろうて
つーか「サイ棒」って具体的にどんな用法やねん。
棒の形状、寸法、形、伝系がわかれば考察してやるから言うてみい
488 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 02:04:04 ID:bZWJYOuN
奉天に真っ先に突入したのは大阪第四師団
バターン半島攻略したのは大阪第四師団
コレヒドール島攻略したのは大阪第四師団
明号作戦でフランス・インドシナ駐留軍を降伏させたのも大阪第四師団
レイテで壊滅 東京第一師団
レイテで壊滅 京都第十六師団
ガダルカナルで壊滅した後雲南省でも壊滅 仙台第二師団
パラオで半壊 宇都宮第十四師団
ルソンで壊滅 姫路第十師団
名古屋?広島?しらん。
489 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 06:50:10 ID:nDEXoab1
羊に率いられた獅子の群れより、獅子に率いられた羊の群れの方が強いという歴史的事実により
(獅子が健在であるなら)
尾 張 兵 が 最 強
結論は出たから、あとは好きにご当地自慢でもしてなさいな
490 :
白馬青牛:2007/04/13(金) 02:12:36 ID:jq4TIm8a
>>487 新説じゃのうて、「サイ棒」が「棒使いや棒術などの武術に発展し」は
網野氏の云われること。
棒術のたぐいが世界に分布しとるんと同列に云うてものう。
何で鹿島神宮が出て来るんか。武術の由来伝承なんか、徳川家の系図と
同様後書きでも出来るもんじゃに、伝承を額面通り受け取りよるんか?
「サイ棒」も様々な形態があったろうが、『太平記』の八尺の記述となると
六尺棒より長大で、扱う技法まで知らんよ。あんた考察する云うて、
八尺の棒で人を打ったことがあるんか?確かに長いもんは有効じゃけど。
>>488 奉天で露軍を牽き付け最も激闘したんは広島5Dじゃけどね。
第一次郝穴作戦で、敵を牽制する任務に、広島第39師団と共同した
大阪第4師団が進出が遅れ、広島第231聯隊だけで、敵43師、15師に
大打撃を与えたこともあったか。他に大阪第34師団や大阪第68師団と
なると負けたこともあるんじゃないか。広島第70師団の戦記にも、
大阪の兵隊は辛い行軍の後は横たわっとる。広島70Dの兵士は、
宿営地に着くと周りの食糧になりそうなものを探す云う違いがあったが、
大阪師団は、サバイバル能力に乏しい面もあったよ。まあ関東兵団も
その面は近畿兵団と違わん、都市部の兵はのう。
491 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 03:54:28 ID:Ipj6p5Fh
(=゚ω゚) そりゃ「太平記の大矢が打ち根になりました」的な発想だなw
技法検証の証拠にも根拠にもならない。
だから何を根拠にそれが「東国棒術」の原型になったか言うてみい。
世界中の人が棒の手を使っちょるのになぜ東国人が棒術を知らんと言えるんか?
>あんた考察する云うて、八尺の棒で人を打ったことがあるんか?
(=゚ω゚) 無いね。九尺の槍、七尺の薙刀なら稽古した事は有るけど。
槍が折れたら「槍折れ術」薙刀が折れたら「薙刀折れ術」。つまり棒術となる。
それらを複合して使うのは可能。つーか棒術とはそういうもんだ。
まあ、たぶんサイ棒とは「砕棒」の事だろう。関東古戦録ではポピュラーな武器だ。
国府台合戦では太田康資は清水太郎左衛門という老武者の樫棒で太刀をへし折られたので
自軍に引き返し8尺の鉄棒を取って引き返し、敵を選ばず振り回し18,9人まで薙ぎ伏せた、と有る。
他にも真壁氏幹は六角削り1丈2,3尺の樫棒に鉄の筋金を鋲で打ちと有る。
西国だと作州岡山の日下取り手(捕り手)開山の竹内流が有るな。名流中の名流だ。
これは捕り手柔術として優れている。
492 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 17:28:27 ID:y5LyJX/3
メールかメッセでやったら?
493 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 22:48:05 ID:tj22fUR4
>>480(=゚ω゚)
常陸の佐竹の事?
北条よりは多いようだが、
永禄4年(1595)前後で、馬上210・鉄砲100・弓200・鑓358というのがあるが、当時北条は。。
常陸で鉄砲と言ったら、岩槻出身で太田嫡流の太田三楽も。
この人は馬上、組討、弓の名人だが(あと犬もw
それとも北条の大藤?権現山城?
>>490usi
鹿島は武術の聖地じゃろうて。
>>491(=゚ω゚)
伊豆の清水太郎左衛門は大力の持ち主で、『北条五代記』に三河武士に対して馬上で蹂躙しまくった記述がある。
金馬鎧の三河武者も討ち取られたという。
494 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 23:20:57 ID:i19gocdZ
>永禄4年(1595)前後で、馬上210・鉄砲100・弓200・鑓358というのがあるが、当時北条は。。
1595年に北条はねぇよw
まあ、永禄って書いてくれてるから正確な年号は解るけどさ
495 :
人間七七四年:2007/04/13(金) 23:31:44 ID:tj22fUR4
文禄の間違いですたw
496 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 00:55:03 ID:p6hZTJC6
っか歴史的事実から言えば三河兵だろ。 普通に 三河武士は最強
497 :
人間七七四年:2007/04/14(土) 23:47:20 ID:YGHsj0m/
>>493 (=゚ω゚) おおっ!清水太郎左衛門は北条五代記にも出てくるのか。いつもながらdクスでござる。
鉄砲といえば甲陽軍鑑品6に北条氏康12才の時、新兵器の鉄砲に驚き、それを笑われたので
氏康それを恥じ自害しようとしたが清水小太郎が思いとどまらせたとある。
太田原五郎三楽も品6に出てくるが松山一揆の伝令犬突破は前代未聞の名人技だと有る。
軍用犬の元祖だっぺw
(=゚ω゚) つー訳で、調べて来たぞい東国の鉄砲数。
北条vs佐竹、宇都宮、結城連合の『沼尻対陣』じゃ。
天正9年、管領謙信亡き後、武田滅亡、家康との和睦を経て北条の下野進出が開始される。
「奥羽永慶軍記」では北条勢8万。ホンマかいな?
対して宇都宮は佐竹に援軍を求め、義重は常陸、下野、陸奥の反北条連合2万(古戦録では7000騎)を結成。
天正12年栃木県沼尻村にて対峙する。
「国典類抄」によると、その反北条連合の鉄砲数は
宇都宮旗本:300挺(4手)、多賀谷:1000挺、結城:300挺(3手)、水谷:200挺、
皆川:300挺、壬生:200挺、芳賀:200挺、佐竹(総合):1400挺、常陸江戸:500挺、
真壁:200挺、額田:200挺、会津:300、岩瀬:100、小田・・・ 他、岩城射手衆:弓500
で、総数ナンと八千五百九十挺!! ・・・(=゚ω゚) 信じてイイのだろうか?
498 :
白馬青牛:2007/04/15(日) 00:10:08 ID:OGluzE5t
>>491 歴史に証拠はあるまい。証拠はあんたがタイムマシンにでも乗って
検証する外ないことじゃ。網野氏は印地打、サイ棒を西国の悪党戦法で
東国の弓馬と対比されとる訳じゃ。
わし自身は、職能集団が西国に典型であることから、印地、サイ棒や
東国の弓馬も西国の技術集団が本場じゃったと考える。
戦国期の遊撃戦も紀州の集団が北条氏の下で活用しとる。
技術集団は、戦闘だけに限らん。江戸期の安芸も漁法や木挽、瓦職人として
の技術で出稼ぎしとる。つまり職能技術集団の本場は西国で東国へ技術を
伝えたんじゃろう。東国の武術も戦国期頃じゃないか。
武士論も職能を重視する西国的見解と在地領主、国衙論を重視する東国的
見解と違いがあるが、列島東西の民族の違いでもあろう。
499 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 00:20:19 ID:Zgh8AWu9
>>497(=゚ω゚)
太田三楽は秀吉も認める知勇兼備の名将でありながらも、自ら馬上で突撃し、組討で討ち取った敵も多く、
逆に命を落しそうになった事も多々あり、弓で射殺した的も数知れず(太田資武状)、
しかし長男に岩付城追われる人の良さ、埼玉人らしい森士をも髣髴とさせる間抜けさw
ひっくるめて、武蔵武士の典型的人物だと思う。
やはり下野沼尻合戦だったか。
その戦については拠るべき物が後世の記録であり、北条の鉄砲数も混じってるらしいよ。
5,6倍の誇張があるんじゃないかと、永原慶二編の結城市史では述べてるよ。
>>498 >東国の弓馬も西国の技術集団が本場じゃったと考える。
そんな馬鹿げた事を言ってるのは野口実か川合康しかいないわけだがw
あっ、あと高校日本史講座の眼鏡の奴もかw
500 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 00:22:36 ID:Zgh8AWu9
的じゃなくて敵の間違い
的じゃ実戦経験ゼロ、馬場で遊ぶしか芸のない衛府のへっぽこ武官w
501 :
人間七七四年:2007/04/15(日) 01:38:01 ID:OkWLrMDw
>498 牛っ!
(=゚ω゚) 「根拠(理由)を示せ」とは言うたが「証拠を出せ!」などと誰かさんみたいなムチャは言わんがな。
武芸も芸の内だから唄や踊りと同じで見る人が見れば古来の『所作のなごり』を見つける事ができる・・・かもしれない。
例えばバレリーナに日本舞踊やらせても野球選手にソフトボールやらせてもクセが出るだろう、
似た様な動きでも違いが出ると言う事だ。
つまり網野氏とやらに伝系を見分けるだけの眼力が有るかどうかを問うただけの話しじゃ。
>東国の武術も戦国期頃じゃないか。
(=゚ω゚) 理論体系化されるのが室町期。騎射、組討ち、格闘戦は大昔から、ふつうにやっとるがな。
京都には大陰陽師鬼一法眼がおる。
>499
>北条の鉄砲数も混じってるらしいよ。5,6倍の誇張があるんじゃないか
(=゚ω゚) なるほど、やはり。
まあ、沼を挟んで陣城に籠もる作戦だったので通常より飛び道具は多かったハズだとは思う。
502 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 00:38:39 ID:5k1h2/Kz
どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵
どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵
どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵
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どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵
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どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵
どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵どがあな戦闘でも臨機応変に対応出来る広島兵
503 :
白馬青牛:2007/04/16(月) 01:19:13 ID:bA9CJsxu
>>499-500 西国の職能集団(弓馬も含め専門戦闘集団)と東国の職能未分化の
百姓集団(セミ・プロ)との差じゃろう。東国の徴発された戦闘も知らん
百姓たァ違うよ。
>>501 武芸も芸能の内には同意じゃ。武士と芸能民は、元来、折口信夫氏の
云われる「山野を漂泊し、農民を祝福することによって自ら衣食する、
芸術芸能売買の徒」であったろう。
『所作のなごり』も日本人の動作と西洋の動作も違う。戦前の銃剣術でも
ボクシング的なコンビネーションを重視する西洋と一撃必殺を信条と
した日本は違う。まあ、銃剣白兵戦では日本の方が強かったんじゃが。
現在のスポーツじゃあ陸上競技からして平坦コースと白人や黒人に
有利になるよう構成されたもんじゃろう。日本人の膝が「く」の字に
曲がった足を有効に生かす山地での競技やらがないのう。
中国人は椅子生活者じゃけえ日本人より対応出来るじゃろう。
西洋のスポーツをやるとクセが付き、あんたのやっとる武術もやり憎う
なろうて。じゃが琉球の本部御殿手は足を「く」の字にせず伸ばす流派
じゃのう。中国の影響か、琉球の山地の少ない風土からそうなったんか
解らんけど。
網野氏は武術の流派について述べておられるかどうかまで知らんよ。
東国で白兵道具の剣等が理論化されるんは、戦国期前後じゃろうが、
騎射等は鎌倉期じゃないか。
504 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 08:14:37 ID:hRtVMsiP
>>503usi
お馬鹿さんめ。
騎舎人、授刀舎人(帯刀舎人)。これ東国の富裕な階層で弓馬に堪能な階層から供出された
都におけるプロのボディーガード。
そしてその系譜を受け継ぐ近衛府の舎人もしかり。
つまりルーツは東国。だから、都からは何も生まれてない。
韓半島系の渡来系氏族の武力を除いてはね。
折口武士論は室町期にこそふさわしいもの。
>膝が「く」の字
早稲田の坊
505 :
白馬青牛:2007/04/16(月) 23:25:49 ID:L81QL7hd
>>504 独立性の強い同胞地域よりも、征服地から隷属民を徴発し舎人にした
だけのことじゃ。渡来系でも新参者じゃのう。
じゃが、天皇の騎馬護衛の渡来系の東西史氏や秦氏と宮門警備の門番の
俘囚の佐伯氏は扱いが違うた。鹿を射って追放された佐伯部は広島人に
なったけどのう。
都で技術を磨いた「京畿に馴れたる輩」が関東セミプロに戦闘技術を
教えたんじゃろうて。職能の成立された西国の影響を無視する東国
中華思想を繰り返すのう。
折口武士論が室町期に限定出来るんか?五味文彦氏も武士の起源は
公田の農民じゃのうて、山野河海の狩猟民や漁撈民とされる。
まあ、山野河海の集団も渡来系と土着系の両方の要素はあろう。
506 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 23:40:58 ID:wC+80G2H
>>503 (=゚ω゚)ノ 牛乙!
うどんディか・・・ちょっと気になるのだがオカルト系の武道サイトでネタ仕込んで無いだろうな?
上原先生は基礎技法自体は非常に良いと思うが、先生の技術を語ることによって持論を正当化しようとする
インチキマスコミ武芸者も相当数居る!まぁ、上原先生の責任ではないが、怪力乱心は語らずじゃな。
『所作のなごり』とは服装や兵装、戦闘フィールドの違いが形の違いとして残る意味で言った。
例えば「大鎧の時代と当世具足の時代」では構えの位置や振りが変わる。
「狩衣、大紋などが平服の時代と小袖の時代」では抜刀前後の所作が変わる。
「浜辺と山地、水田地帯」では歩法が変わる。「奇襲と立ち合い」では位が変わる。 などなど。
ウドン手の場合は日本の武器や那覇手の道具も多い、棒術は棍棒なので中華風だな。
唐手(空手)は読んで字の如くだからな。まあ空手は専門外なのでその辺にしとく。
膝を曲げると言うのは「骨盤の回転を使う歩法」と言う事じゃ、「難場歩き(常歩)」と言う。
まぁ平坦コースでも瞬間のダッシュなら日本人はトップレベルだよ。
サッカーや野球、スケートなど世界舞台で駿足をアピールする選手は居るだろ。
ダッシュ力を使う格闘技なら相撲の立ち合い。ボクシング。剣道。ラグビーとか有るな。
格闘戦の強弱や一撃必殺の信条と洋の東西や地域差はあまり関係ない。
米軍の軍用拳銃がネイティブやアジア人相手の時に38口径から45口径に切り替わったのと同じだ
相手がしぶとければ強い威力の武器でないと戦場では敵はマン・ストップできない。
>504
>膝が「く」の字。早稲田の坊
(=゚ω゚) すまそワカラン。教えてプリーズ
507 :
人間七七四年:2007/04/16(月) 23:44:07 ID:wC+80G2H
>505
(=゚ω゚) ループしとるからコメントしてやらん
508 :
人間七七四年:2007/04/17(火) 00:52:14 ID:LVjRrlcu
>>505usi
その地方の富裕農民から召集された舎人が、衛府官人のルーツ。
佐伯部のルーツは蝦夷じゃけんのう。
「京畿に馴れたる輩」→それ言うなら文筆系。比企氏もそれに近い。
↓早稲田で買った古本に出てたよんw
疑問は、武士階級がはたして何処から出て来たかであります。
武士階級は、平安朝の武官の階級ではなく、当時武官は結局文官と同じであって、
武士はそれとは違って、地方から出たものです。
武官・武士、この二つが調和したのが平家です。
(折口信夫全集17)
>>506(=゚ω゚)
なみあしりろん、俺には無理だわw
陸上で平坦以外だと、駅伝のクロカンってのもあるな。起伏のある長野とか長距離強い。
アメリカ系黒人がスピードスケートやったら最強だろう。
ボクシングにおける日本人は膝が硬い。韓国もダメね。
アジアで素材はタイと比。ノンタイトルで500万ドル男パッキャオ。
ラグビーは高校から始めても花園行けるなぁw
熊本工のピノ村
群馬出身の青いハンカチ
509 :
白馬青牛:2007/04/18(水) 00:26:30 ID:ZeoKovj0
>>506 オカルト系サイトは知らんよ。ナンバ歩きがアジアで見られんように
なったんは、軍隊の西洋式歩行の影響かのう。
作家の陳舜臣が、「中国人の歩き方(特に北方)は、まず踵で大地を
コツンとたたくようにして、それからやおら足のうらべたりとつける。
こうして歩くと、どうしても体がブルンブルンと動く。よけいな震動
なのだ。日本人は歩くとき、踵よりも爪先に力をかけることが多いように
みえる。抵抗がすくなく、よけいなロスを省こうとするらしい。」
と、されるが、日本人の「く」の字に足を曲げて動くんは、西洋人の足を
曲げず踵に重心を置く動作よりも、歩兵の戦闘モードになっとるのう。
北朝鮮の軍のパレードなんかドイツ、ロシア式の行進で足を極端に伸ばし
よる。ルール内の格闘技の強弱は解らんが、白兵戦はアジア人じゃろう。
ベトナム戦争でも、対ベトナム人に白兵戦に自信のない米軍は、勇猛な
韓国兵にお願いするしかない。
黒人は余り兵士に向かんのかねえ。イスラム社会の奴隷で、騎兵に優れる
トルコ人や歩兵に優れるカスピ海南西部の山岳地のダイラム人に比べ、
投槍を得意とする黒人奴隷兵は、トルコ人奴隷を中心とする連中に
大量殺戮されたりしたのう。
後の白人奴隷兵供給地は、コーカサス山地人も多かったが。
510 :
白馬青牛:2007/04/18(水) 01:13:30 ID:ZeoKovj0
>>508 折口信夫氏は賤視された征服された部族の威霊を持って奉仕し、それらの地
から差し出された族長の子弟である舎人が武士と云われるけんのう。
宮本常一氏も折口説にそって縄文系の山岳民の存在を指摘される。
ただし、宮本氏は関東地方など丘陵地の高句麗人と土着縄文人の混合も
指摘しておらられる。また宮本氏は地理・風土的考察から、
安芸の吉川氏の大朝庄や毛利の吉田、三河の徳川、肥後山地、薩摩の台地、
東海東部や関東西部等、全国的に平安期から戦国期まで山岳民の勢力が
概ね武士の源流と云われる。水田農耕民の勢力、平野部代表は、信長、
秀吉であると。
狩猟・畑作・林業者など山岳民から生まれた山城を築く武士勢力から
信長のように平野の農耕民の発想の平城で両者には組織から戦術まで
違うように云われる。(武士のもう一方の源流の漁民は別として。)
ほいで、文武共に「京畿の輩」に習うた関東は概ねセミプロようのう。
511 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 03:00:53 ID:LlruNb2b
牛って人カナリ痛いけど、戯れてる二人もキモい。
フツーに議論できる雰囲気がここには無いですね。
512 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 04:56:37 ID:wZbYyIe9
こいつ鈴木と同じ思考回路だ
513 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 23:45:56 ID:GEu0QPgS
>>509usi
西洋っていうか、現代人の歩行スタイルがつま先パワー重視、捻り最強。
>>510usi
ヤマトタケルみたいな征服説は完全否定されてるが、舎人が武士のルーツなのはおそらくそうだろう。
関東は丘陵地以外でも広域的な武士のルーツ。信濃や甲斐もだが。高句麗は信濃。
織田のルーツは越前国剣神社社家だけど。尾張武士と加地子・作徳。
山城の城郭は、馬術戦闘とは逆に西高東低だろう。
どの文献を逆さまから読んだとしても、『習った』なんて根拠は出て来ないわけだがw
高橋氏は武芸に堪能な在地領主=セミプロというが、
単に武士の用語を避けるのに必死なだけという、意味不明な一説明。
>>511 ヽ(`Д´)ノ ・・・テノハジョウダン
514 :
人間七七四年:2007/04/18(水) 23:53:04 ID:flM13CBY
(=゚ω゚) みろ牛、またまた怒られちまったじゃねえか。
しかし黒人兵とはまたおおざっぱなくくりだわな。単一部族でも無かろう。
以前アラブ人受刑者が膝を曲げて腿を上げる日本式行進に難儀する場面が有ったが、
彼等大陸人は基本的に体の使用法が違うのだろう。太極拳などもカカトから着地する形になっている。
駅伝と言えばマラソンに「コケちゃいました」の谷口浩美がいる。
ヒロミちゃんの走法は『引き手』を使った走法で、起伏の多いコースに適してるとは有森裕子の談。
まぁ、小首をかしげたまま走れるんだから上半身はあれで安定しているのだろう。萌え〜
この体軸を伸ばしヘソに引きつける求心力が『引き手』の動きとなる。サッカーの中田とかそんな感じな希ガス
包丁やノコギリを押して切るか引いて切るか。伸筋を使うか屈筋を使うか。それは体幹腰腹への
求心力の動きだろう。
>511
(=゚ω゚) ちょっと違うな。我々は資料が出るのを口を開けてずっと待っているのだが・・・
釣り師歓迎。活きのいい資料プリーズ
>512
(=゚ω゚) wikiを読んであまりに似てるので吹いてしまったわい。
515 :
白馬青牛:2007/04/19(木) 22:59:49 ID:SWVJ5E+r
>>513 ヤマトタケルの東征を完全否定も出来んよ。北方新モンゴロイド系の
拡散からして。オスマン朝は、支配下の東欧の少年奴隷のなかから、
身体頑健で、容貌・頭脳も考慮して選んで、イスタンブールへ送り、
イスラム教へ改宗させ知的学習や軍事訓練を習わせ各種の役務に
用いた。エジプトの奴隷兵のマムルークも、アラブの騎士道
(西洋騎士道の源流)の知識と弁別の文と槍と剣の武の両方を学ばせた。
支配した地の奴隷を教育して同化させ武士や文士にさせる。
王朝たァそう云うもんじゃ。
同胞者は支配者と同格意識が抜けず、何時裏切るか解らんけんのう。
日本の朝廷も同じじゃ。支配された東国の捕虜・奴隷民も畿内で文武を
『習い』教育され、東夷民族から大和民族に同化され、王朝の実直者に
なった云うことじゃ。
折口説の支配された民から武士が生まれる云うんはそういう面じゃ思うよ。
鎖国史観たァ世界史の事例で王朝の法則から判断せにゃあのう。
516 :
白馬青牛:2007/04/19(木) 23:55:17 ID:GciWeeDC
>>514 イスラム社会の黒人奴隷兵もアラブに近い地方のスーダン出身が
(タンザニアやモザンピークも含む)多かった訳で、黒人奴隷は過酷な
労働に耐えうると評判で多くは農業奴隷にされたようじゃ。
軍事奴隷には勇猛なトルコ人やスラブ人等が選ばれた。
イスラムの初期エジプトじゃあ黒人奴隷兵が多かったんはアフリカ大陸
じゃったことも大きい。
まあ、体の使い方は違うじゃろう。中国へ行って日本人か見分けるんも、
歩き方じゃないか。
517 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 01:13:32 ID:/f6k2QO5
牛って他人の意見は全否定だな
518 :
人間七七四年:2007/04/20(金) 07:44:40 ID:a9Uccer8
>>514(=゚ω゚)
なるほど引き手ね。ヤワラとか日本武道だと特に重要なんじゃない?
実戦でも馬上組討の場合、自分の鞍に引き寄せて首を掻っ切るわけだしね。
その谷口って選手はオリンピックでやらかしちゃった人だっけ?
日本の女子長距離選手もそんな感じはするな。須磨の小林タソは違うがw
>>515 俺に世界史の話されても。
タケル様は年代からして電波だろ。軍事介入程度。
519 :
人間七七四年:2007/04/21(土) 23:40:34 ID:Tq3IbQA/
(=゚ω゚) まあ、典型的な引き手格闘術は相撲じゃな。
マワシを使った似た様な格闘技はモンゴル、朝鮮、果てはスイス(ゲルマン系だったかな?)あたりにも有る。
だがクラウチングから出足ダッシュでぶつかり合う「立ち合い」が有るのは珍しいかも。
つーか平手打撃や頭突き有りのプロ格闘技自体が珍しい・・・
今や角界はモンゴル、スラブ勢優勢だがオイラ的には若貴兄弟の青森力士が最高じゃと思う。
あ、舞ノ海も居たか。
しかしなぜに青森か?ウチの爺様も兵士は弘前連隊は強かったと言うが・・・ねばり腰?
520 :
白馬青牛:2007/04/23(月) 22:36:34 ID:0EXkNOp+
>>519 ポリネシアンは押し相撲かのう。マワシを使う相撲はスコットランドでも
あるんじゃない。スイスはゲルマン語族と共にラテン語族もおるよ。
平手打撃も危ないね。脳震盪を起こすにゃあ拳よりグローブ打撃、
それたァ平手打ちでテンプルを打つ方がよりええ。頭突きは素手しか無い
場合、最も有力で危険ゆえ多くの格闘技で禁止されとる。
ほいで、昭和以降の弘前聯隊は岩手県の壮丁(兵士)で、青森県の壮丁は
青森聯隊じゃないんか。弘前師団の中では、弘前聯隊(岩手壮丁)と
山形聯隊(山形県壮丁)は純朴の気風から世評も高かったんじゃろう。
防御の激戦で、ねばり腰だけじゃあ、どうにもならんよ。孤立した陣地
じゃあ、仲間と離れた孤立感、いたたまれない不安感に襲われ、幻覚に、
さいなまれる(生きておるのは自分だけではないかと。)防者には自主性が
ない故、精神的に大きな負担がかかり、自己の情緒不安定に対する
自己克服精神が無いと内面的に崩れ去ってしまう。孤独に耐えうる
各個人兵士の独立心がないと。集団主義の東北兵に要求しても無理かのう。
何の話題なんだ何の
522 :
白馬青牛:2007/04/23(月) 23:38:53 ID:QIPtV0/2
>>519 郷土聯隊の特徴は師団以上に評価がわかれるじゃろう。
http://www.warmovie.com/bbs_log/log_02/index32.html の、中の方のNo.177氏の意見も東北兵の評価が高いようで。文中の
川口支隊は名古屋38Dで、福岡の歩兵連隊は、南方戦線で戦意のない
相手ゆえ激闘してない坂口支隊のことじゃろう。軍歴のある父親に聞いた
意見として精鋭部隊を、仙台、福井、広島、久留米、熊本、鹿児島あたりを
挙げ、大阪、京都あたりは弱いという評価とされるが、畿内は丹波篠山や
福知山の聯隊もおるけんのう。戊辰戦争でドンゴリ、鈍兵の仙台は、
相馬方面で最前線の広島部隊と闘うてやられたが相手が強すぎたゆえの
過小評価で、近代でも弘前師団よりも武勲のある仙台師団の中でも、
仙台青葉聯隊は、会津白虎聯隊や、越後の新発田や高田の聯隊に劣った
わけでもない。鯖江や敦賀の福井県の部隊が加賀金沢聯隊も含め北陸兵が
山陰兵と共に強いんはそうじゃろう。
広島、福山の広島県の聯隊が戦歴からも強いんは云うまでもないが。
九州は、肥前、筑後の久留米、肥後熊本、薩摩鹿児島と九州西側は、
見栄っ張りで朝鮮人に気質的、習俗で文化的類似しとるせいか評価が
高いのう。勇猛ゆうたら肥前の大村聯隊が抜けとるけど。
じゃが東海地方が無いんが不思議じゃ。駿河〜伊豆の静岡聯隊、
三河〜遠江の豊橋聯隊、美濃の岐阜聯隊もあろうに。平野部の尾張の
名古屋聯隊の好評は知らんけど。
523 :
白馬青牛:2007/04/24(火) 01:24:58 ID:8TqqEGU0
>>522の続きじゃが、「極道の部隊はダメ」たァ云えん。
極道兵も戦場で勇敢な人達もおられるし、アメリカで警察官が必ずしも
戦場で勇敢じゃない云う逆説かのう。
じゃが、指揮官と信頼関係を構築しとったら、特定の職業の兵士を弱兵と
愚弄出来んよ。様々な前歴のある兵士を部隊として団結されるんは
前線指揮官の人徳による器量に関わる。
特定の職種の兵士のせいにするんは指揮官の責任感欠如の問題になるし、
部下の不徳は指揮官の責任じゃないか。それが武士道じゃ。
どうもNo.177氏の最後の文はいただけん。
524 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 02:00:25 ID:gHN13s3J
戊辰戦争時の仙台の兵は地方知行制の影響で伊達家として一つにまとまって
いたわけではないので統率を欠き、振るわなかっただけ。
519が書いていることに疑問があります。
孤独に耐えうる各個人兵士の独立心がないと。
集団主義の東北兵に要求しても無理かのう。
についてですが、全国的に見てこの面で突出している地域が東北じゃないですか?
雪が降れば家から出られない期間を過ごすのですよ?
年中孤立しないようなあったかい地域とは違うのです。
仙台は昔から雪に埋まらない地域なので他の東北勢とは性格が違いますが、
関東とは違って、協力しあわなければ生きていけない風土のなか
強調しあうことがあたりまえなだけで、集団主義ではない。
むしろ、雪に埋もれている分、いまだに東北人は個人主義です。
集団が得意なのはむしろ東海地方じゃないですかね。
東北はそのまま信濃国みたいなものです。群雄割拠。
近代的戦闘で最も活躍するのはきっと大阪師団。猪突せず思考をする。
帝国陸軍的最強なのは関東・九州の師団。みさかいなく突撃する。
兵隊として有能なのは東海の兵。システム化された集団が得意。トヨタ式
防衛時に強いのは北陸兵。猪突せずに耐え抜く。
斥候に使えるのは都市部の兵。
525 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 02:35:22 ID:Y25cRhXi
(=゚ω゚) おっイイすねぇ。
戊辰戦争なら桑名藩なんかすごかったんじゃない?転戦しながらだんだん強くなってくる。
立見尚文とか出てくる。
524氏が言う様に仙台藩は兵を徴用するにあたって知行権に問題が有ったと言われる。
藩士それぞれが知行地を持ち、それを独自に統治する知行権を持っている。
藩内の小領主だわな。
伊達家の旗本と言っても知行2万石とかの藩士がいるレベルで、
それらがおのおの勝手に兵を集め指揮するワケだ。
新田開発とかには良いシステムだと思うが、近代軍には程遠い指揮系統だな。
戦場で動きが鈍いというのはそう言う所もあったのだろう。たぶん。
戦国時代なら伊達兵は申し分ないだろう。
526 :
人間七七四年:2007/04/24(火) 07:14:10 ID:lzb92Y0u
>(=゚ω゚)
相撲も古代では足で蹴り殺したりしてるよな。
武士の相撲は命の奪い合い、組討だから何でも有り。その組討相撲から和=柔(やわら)も生まれてるよね。
現代の相撲は都で発展した競技としてのお上品な相撲がルーツ。それでも平安期の相撲も荒々しいけど(古今著聞集)
青森は競技人口が多いからじゃないの。
逆に戦国時代においての尾張兵は、土地への執着の薄さが強さの秘密だろうね。
個人で東北兵に劣るとしても、やはり組織の強み。
527 :
白馬青牛:2007/04/24(火) 23:54:13 ID:j5inL+Xx
>>524 戊辰戦争の仙台藩兵が米沢藩兵より劣ったわけでもなく、政府軍に降伏した
相馬藩兵が先鋒となり、戦国時代に伊達氏に奪われた因縁の地
「駒ヶ峰」で279年間の宿怨をはらすため心機一転、軍を立て直し進撃
した。迎え撃つ仙台藩は駒ヶ峰一帯を最後の抵抗線ときめ、徹底抗戦、
激しい反撃に出て相馬兵は苦戦となり、広島藩ら政府軍が前線に出る
ことになった。以前にも書きましたが、政府軍の他藩が無暴とするも、
広島藩(神機隊)の抜刀白兵戦で敵陣を破った。
云うことです。仙台兵は、同じ東北兵相手の時は強いのう。政府軍でも
筑前藩や伊予藩相手には勝っとる。対福岡、愛媛相手なら自信ありか。
西日本の集村と東日本の散村の違いのことですか。関東や東北は「家」
の意識が強い主従・一族・郎党の縦社会で西日本の合議制横社会とは
異質です。隣の村が滅ぶと自分の領地が増え喜ぶんが東北日本型社会
じゃないですか。
東北兵の集団主義は、他板でも度々書いてますが、敵の猛攻に不安に
かられた兵士らが発射し、それが口火となって、敵影を確認もしないのに
夜通し乱射となったことや敵味方も確認せず、猛射して来ること等、
追い込まれた時の東北兵は、酔うとるんか、冷静さがのうなるんか、
危ないですね。
528 :
白馬青牛:2007/04/25(水) 00:59:00 ID:23H48cNa
>>524 特に防御戦では、攻撃戦以上に兵一人一人の戦闘能力が勝敗を左右
します。(守備する将兵の素質・各個人の志気の旺盛・独立独歩の
自立心・断固たる戦闘遂行の気概・白兵及び火戦の自信。)
個人が弱くて集団で強いなどあり得ません。
あなたは、実例もなく脳内妄想で地域兵の特徴を語ってますね。
兵士たちが、思考せずに猪突するようでは勝利から遠くなるでしょう。
広島師団、聯隊を率いた方たち、仙台人の今村均氏は広島人の粘り強さと
闘志並びに知力に優れ、気がきいていてズルくさい。とされ、
梶浦銀次郎氏は広島将兵の特徴を理知・機敏・剛毅と云われます。
地域兵士の特徴で云えば、北海道・東北・北陸は純朴・実直・
鈍重。じっくり攻める時は、強いでしょう。北陸〜山陰は純朴・実直に加え
健脚振りも発揮し、山陰、特に浜田は、遭遇戦にも強い。
温暖な九州・四国は剽悍・機敏。遭遇戦に強い攻撃型。関東は近代軍隊で
弱兵の代名詞でしたが、性格的には九州や四国に近いでしょう。
広島県は雪の積もる県北はスキー場も多く、九州の連中も沢山来ますが、
瀬戸内沿岸部は暖かいですし、北国や南国、田舎兵や都会兵の長所を
併せ持つ地域です。
529 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 01:16:32 ID:QX1Jsna8
>>526 (=゚ω゚) 畠山重忠は相撲で相手がマワシを取りに来た所ので両肩を掴んで肩の骨を砕いたとか言うねぃ。
恐るべし相撲組み討ち。
相撲組み討ちと言えば以前に武蔵の都築党を調べた時に源平盛衰記に、こー言う描写を見つけたので適当に抜粋。
武蔵国の住人綴党(都築党)の大将に、太郎、五郎とて兄弟二人あり。東国無双の相撲の上手、四十八の取手に暗からずと聞ゆ。
和田小次郎「恥ある敵を遠矢に射る事なし、寄て組み、腰の刀にて勝負せよ」とぞ云ひける。
綴は大力なれば、小次郎も藤のまとへるが如く、寄り付てこそ立直れ。綴の太郎は大力なる上、太く高き男にて、
かさに係りて押付てうたんとしけり。和田は細く早かりければ、下をくゞりて綴を打倒して討たんと思へり。
相撲は共に上手也。綴は和田が冑の表帯引寄て、内搦に懸つめて、甲のしころを傾て、十四五計ぞはねたりける。
和田綴に骨ををらせて、其後勝負と思ければ、腰に付てぞ廻ける。綴内搦をさしはづし、大渡に渡して駻けれ共、
小次郎はたらかず、大渡を曳直、外搦に懸、十四五度、曳々と推ども/\、まろばざりけり。
今は敵骨は折ぬらんと思ければ、和田は綴が表帯取て引よせ、内搦にかけ詰て、甲のしころを地に付て、
渚へむけて曳音出してはねたりけり。綴骨は折ぬ、強はかけてはねたれば、岩の高にはね懸られて、かはと倒る。
刎返さん/\としけれ共、弓手のかひなを踏付て、甲のてへんに手を入、乱髪を引仰て頸を掻落す。
(=゚ω゚) あー、誰か訳して下さい。
内搦とか大渡とか相撲系の技を使っとる様だ。決まり手は内掛け?
530 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 01:34:27 ID:QX1Jsna8
528牛っ>個人が弱くて集団で強いなどあり得ません。
(=゚ω゚) 有るだろ。数が少ないより多い方が強いに決まっとる。
良い武器を持ってる方が強いに決まっとる。疲れた兵より元気な兵の方が強いに決まっとる。
経験が少ないより多い方が強いに決まっとる。やる気の有る兵は強いに決まっとる。
そういうのを上手く使う将がいる軍は強いに決まっとる。
531 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 02:14:27 ID:1vAG3mRJ
規模が大きくなる程弱くなるイタ公の逆ってことか
532 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 02:32:46 ID:PjxdEBzT
>>528 一匹の獅子に率いられた百匹の羊は、一匹の羊に率いられた百匹の獅子に勝る
という格言もあるんだがな。
もちろん兵士の一人一人がより強いに越したことはないが、
それ以上に物を言うのが指揮官の質、指揮系統の効率、後方の整備など、
組織として勝っている方が勝つ。
良い例がローマ軍だな。
ローマが地中海の覇者となったのはローマの戦士が戦士個人として最強だった訳ではなく、
軍と組織力がずば抜けていたから。
533 :
人間七七四年:2007/04/25(水) 23:22:26 ID:QX1Jsna8
(=゚ω゚) そーね。たしか山本7平が戦後に孫子を読んで一番感銘を受けたのが
精神主義や個人の強弱に頼らない思想だった事とか言ってた・・・かな?←適当。
534 :
白馬青牛:2007/04/26(木) 00:20:15 ID:U4DWhZlg
>>530 強い云うたァ有利論じゃないか。
数は戦闘主導権を取れるかで絶対値じゃないが、経験豊富と戦意・志気は
その通り。
>>520でも書いたが、戦闘主導権のない防御戦では、
敵の猛攻で隣接陣地を見たら、敵兵が充満して、あたかも敵に奪取された
ような錯覚に陥り、奮戦しとるんは自分の陣地だけの感を抱く。
これは「孤立妄想」云う戦場心理の一現象で、士気を低下させる原因にも
なる。闘うんは人間で、微妙な戦場心理を無視した解説になっとるど。
>>531-532 一人一人は龍じゃが集団となったら豚になる中国人と違い、一人一人は
豚であるが集団になったら龍になる日本人云うたぐいの格言じゃのう。
中国人や韓国人はそう云うて他民族から蹂躙された歴史を、自民族は
個人単位じゃ優秀としたい願望もあるんじゃろう。イタリア人ものう。
確かに中国軍は射撃や手榴弾投下等は日本軍より上で、軍閥主体で他軍が
苦戦しても協力せん団結力に乏しい処もあったけど、白兵戦を含め接近戦
じゃあ日本軍の方が上じゃった。一面だけで中国軍一人一人は龍で
日本人個人は豚とされたらやれんわい。
戦場惨烈の極限では、前線の指揮官のわずかな言動でも部下に
重大な影響を与えるゆえ、「強将のもとに弱兵なし」と古来から
云われたんもこの点じゃろう。指揮官は内心恐怖に怯えても、
態度に出しちゃあいけん。精神的な面と部下との信頼関係が築けてこそ、
将たる資格がある。指揮官の戦術、戦略よりも重要な要素じゃ。
また指揮官が死傷した場合、下士官や古参兵が指揮する事態もあるので、
矢張り経験豊富な兵士の土台がしっかりしとらんとのう。
上が潰れて砂上の楼閣じゃ駄目じゃ。
535 :
人間七七四年:2007/04/26(木) 13:13:19 ID:ZKXIz+kr
将の下は佐、将が戦死するような戦場じゃ陸軍として終わってる
536 :
白馬青牛:2007/04/26(木) 23:12:42 ID:1Wps0YcN
>>535 第一次大戦に参戦した全将校の死亡率は、8〜9%と推定されとるよう
じゃが、山西省忻口鎮附近の激戦した広島5Dや支那駐屯軍
(後の東京27D)等を含め戦死1,651(将校60)で、
欧州と較べ将校の死亡率が高いたァ云えんのう。
ほぼ壊滅に近い山口聯隊の第3大隊じゃあ、将校は全員死傷して、
大隊長代理は曹長、中隊長代理は伍長、小隊となると2〜6名と云う
状態。大隊の戦闘員は約370名。これも大半は負傷者じゃった。
広島5Dは、日露戦争でも3人の聯隊長が戦死するほと激闘しとるし、
南寧戦でも中村少将(第21旅団長)が戦死、散華された。
激戦ともなれば、将校の戦死する事態になることもありうる。
指揮官が死傷したら、はい終わりじゃあ近代軍隊じゃないよ。
(それは詭弁の類なんじゃないか?あ、続けて。)
538 :
白馬青牛:2007/04/26(木) 23:52:05 ID:1Wps0YcN
続きじゃが、旧日本軍が全く近代軍隊じゃったわけでもない。
補給は現地調達(掠奪)じゃったし。中国国府軍に至っては、云うまでも
ないが。両軍とも戦国時代の延長であり、類似点も多い。
http://www.geocities.jp/kafukabj/sensou.htm 中段あたりから嵐部隊(京都116D)の体験談があるが、
衡陽の激戦で聯隊長二名が戦死されたことや、日本軍が大敗した、
し江作戦で戦死された分隊長が中国人に両耳を切られて、それが指揮官を
倒した証明になるらしい等、文禄・慶長の役の日本軍の行為と変わらん。
常徳城攻略も聯隊長は戦死、大隊長以下多数の死傷者を出す。とあるよう
弱兵とされた京都兵団も激闘の連続じゃった。ここの体験談は京都聯隊の
ものであろうが、京都兵団にあっても、丹波の福知山聯隊と伊勢の津聯隊は
優秀とされた。特に津第133聯隊の健闘は常徳城攻略や衡陽城攻略に
感状を得る活躍で、三重県も強いのう。
戦国期、一向一揆の激しい抵抗の伝統は健在じゃ。
539 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 00:43:08 ID:9Weh/HWo
水を差すようで悪いが、戦国時代の最強兵卒を決めるんだろ。
明治以降の近代戦争じゃないと思うが。
540 :
人間七七四年:2007/04/27(金) 07:54:26 ID:vc3WwuQI
541 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 00:14:12 ID:Nwuuagyj
(=゚ω゚) お、山野さんもおるのう。遊んでもらえて、ええのう牛。
一つ面白いと思ったのが
『京都兵団にあっても、丹波の福知山聯隊と伊勢の津聯隊は優秀とされた三重県も強いのう』
の所じゃのう。
三重や丹波と言えば伊賀者や酒呑童子・茨木童子を思い出すな。どちらも仁木氏が守護職じゃのう。ニンニン。
542 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 21:43:25 ID:ys7eu6KN
では伊賀国で決定!
543 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 23:14:49 ID:Nwuuagyj
(=゚ω゚) 京都は無視かいっ!
544 :
白馬青牛:2007/04/29(日) 00:32:38 ID:BH/Sp/6W
>>541 酒呑童子は、山の民の異境世界の物語になるけど、三重県は伊賀だけじゃ
のうて伊勢沿岸部の要素もあるけんのう。
三重県の神秘さは異常。
546 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 06:30:30 ID:JMoiuHy1
本願寺石山は全国から集まったみたいだけど、願証寺長島は伊勢・尾張の農民と地侍だろ。 信仰の力とは言えベースは強いんじゃないか? 伊勢
547 :
人間七七四年:2007/04/29(日) 17:01:20 ID:+PIdr/oL
エセ広島弁指摘されてファビョーん
548 :
白馬青牛:2007/04/30(月) 00:07:07 ID:awu8EMOE
>>547 世界史板で、エセ広島人がしったげに、わしに因縁つけてきャあがった
ことか?
549 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 00:44:11 ID:GVH3YOi7
550 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 10:31:47 ID:6zym7nph
>>539 何度言っても理解できない頭の良い人なのでもう諦めました
551 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 13:56:08 ID:m15qMusg
552 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 17:58:53 ID:8ef1DPjm
強兵は、熊本・愛知・広島・東北の諸県とあろうとも、
将才は薩摩に多い。西郷兄弟・大久保・村田・野津・大山・東郷・山本・伊東
黒木・・・・・・
553 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 20:17:12 ID:2c8JxG9p
ま、何れにしても広島最強ってこった。
支那派遣軍が全部広島師団だったら重慶まで行けた。
緬甸方面軍が全部広島師団だったらデリーの赤い壁まで行けた。
第17軍が全部広島師団だったらガダルカナルは海兵隊の墓場と呼ばれた。
そんな広島兵と対戦するのが怖かったアメ公は、広島にピカを落とした。
仙台や久留米や金沢の兵隊が強かったら、そっちにピカを落としていたはずだ。
554 :
人間七七四年:2007/04/30(月) 22:02:40 ID:m15qMusg
しかし「何れにしても」と主張は面妖な表現である。
もしも、白馬青牛氏の主張する内容に同調しているなら、これはおかしな事になるのではないか。
「何れにしても」という表現は、前段までの主張が前提となる。
何故なら、そこまでの論旨を総合して表現できるのは本人以外に有り得ないからである。
ID:2c8JxG9pは初レスであるから、よって本人以外が使っているとするなら不適切だと言える。
前段までの論旨を総合すると、ID:2c8JxG9p=白馬青牛になる。
この場合、ワザワザ名前欄を空白にし、IDを変えた事になるが、その理由は全くもって不可解。
自分の主張を通すための発言でありながら、他者に偽装し、なおかつ語調まで改めているからだ。
もしも、ID:2c8JxG9p=白馬青牛では無い場合、これはまたおかしな事になる。
自分の発言の前提を、文中において全く語っていない事になるからである。
ところで、朝鮮日報の記事を見ると、ヴァージニア工科大学で起こった銃撃事件の時のこと。
韓国人留学生の中には「これからは日本人と名乗っていくしかない」という論調があったという。
一体、何が起こっているというのか。我々は今後も目を向けなければならない。
555 :
人間七七四年:2007/05/01(火) 00:57:59 ID:Xq2KNYYN
>>544-546 (=゚ω゚) 伊勢は勤王の地、神宮の地でもあるな。神社の本拠地だ罠。
地理的には畿内と東国へのルートであり、猿田彦の案内が有り、ヤマトタケルの終焉の地が三重だ罠。
東国平定には伊勢から尾張水軍を従えて行ったと有る。
旧東海道は伊勢、伊賀から近江甲賀、山城へ向かう。陸路の拠点でも有る。
また吉野南朝勢力と伊勢北畠家、大和南都衆。
剣豪公家大名北畠具教の妻は六角家か、近江甲賀郡とつながる・・・かな?(←ムリヤリやんw)
>>555 ムリヤリじゃなかろ。
伊賀を中心とした山間交通路の発展と残存具合もなかなかに異常。
557 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 22:55:59 ID:kRIvAUH5
女子供も忍者な伊賀が最高だと思う
558 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 23:17:35 ID:ff/xBLAs
(=゚ω゚) そーじゃのう。ワシも山間交通路に注目したいのう。
伊賀越え奈良道は古代より続く伊勢の参宮街道じゃしのう。
大坂堺、奈良、伊賀、逆に辿ると神君伊賀越えのルートでも有るな。・・・たぶん。
家康は伊賀、甲賀、根来と、大量の忍びを抱えていた戦国武将でも有った。
既に聖徳太子の時代には大伴細人は伊賀(甲賀)の者という伝承が有ったとか・・・ホンマかいな?
大和は修験の開祖役行者の地でもある。三重の伊賀甲賀、四十九院も奈良時代の開基。
飯道山の修験の宿坊が多い土地であり
ついでに山賊も多かった。伊勢の山立ち、伊勢三郎義盛は萬川集海でも重要視されちょるよーじゃのう
関ヶ原で筒井の旧臣をまとめたのが大和春日の社人柳生石舟斎じゃな。
木津川には伊賀から大坂まで舟が通ったそうな。軍事的にも重要だねぃ。
食いねぇ食いねぇスシ食いネェその手は桑名の焼きハマグリと、きたもんだ。
559 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 23:22:10 ID:ff/xBLAs
>557
(=゚ω゚) うーむ、甲賀は伏見籠城では女子供を人質に取られて寝返ったんだったか?
もっとも後の甲賀同心山岡家は無視して戦い抜いた様じゃが・・・
山賊が多いというが、山賊は交通要所にしか現れないもんだ。
(人が通らなければ飢え死にするのかっつーことで)
田辺にいる身内の家で泥酔して、気付いたら尾鷲にいたことがある。
同乗していた妻によれば、途中で発破予告が出るような道を3時間くらい走ったんだと。
やはり高野山周辺にはなにかあるぞ。
561 :
人間七七四年:2007/05/02(水) 23:52:03 ID:Icdru5n+
>>529(=゚ω゚)
三浦の和田小次郎、17才とは思えないな。
>>558(=゚ω゚)
伊勢三郎義盛は義経記、平家物語、盛衰記でそれぞれ違ったな。出身は上野国か伊勢国。
伊勢と言えば伊藤氏。伊賀の伊賀氏と悪党。
562 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 21:25:18 ID:U+kNVO9S
宍戸某、石川五エ衛門、百地丹波…半分伝説だな伊賀
563 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 22:39:28 ID:V6/OKJK/
>>560 山賊が多いというが、山賊は交通要所にしか現れないもんだ。
(=゚ω゚) うむ。東海道の東には風魔がおったのう。海の要所では水軍がそのまま海賊になった。
山賊が多いと言うのは神君伊賀越えの加太峠だな。柘植から関までは山地が延々と続く。
家康に同行していた穴山梅雪は途中で村人に殺されてしまったとか。音羽郷一揆でも襲われかけたようだ。
付き従った面々は、あの「鈎の陣」の多羅尾氏、後に甲賀同心を束ねる山岡氏、柘植の福地、
そして服部でござる。ニンニン。
津田主水頭と有るが・・・河内の津田氏だろうか?根来衆?
>561
(=゚ω゚) うーん盛衰記にも出てたんか、萬川集海しか読んでおらんので知らんかったわいw
オヌシあいかわらずさすがじゃのう。
564 :
白馬青牛:2007/05/07(月) 23:49:23 ID:aT0hIvxR
>>551 空気入れとるんは、わしじゃのうて似非広島人の方じゃ。
>>552 薩摩人は、知っとっても知らんぷり出来る才能があるけんのう。
将に向くんは同意じゃ。
>>554 じゃけえ、
>>553氏は、わしじゃないんは解っとろう。つまらん観念論を
展開しても意味がない。ほいで、何で韓国が出て来るんか。
嫌韓ネットウヨク連中と同レベルか?
>>555 紀伊の熊野や伊勢漁民の伊豆・安房・上総・鹿島灘に至る進出のことか。
後北条氏の遊撃部隊や根来衆等、戦国期から、近世漁民の関東進出まで、
関東は、紀伊・熊野・伊勢の影響も強いじゃろうねえ。
>>558-563 山間交通路の通行税の徴収、「関」を支配した集団に注目したいのう。
陸路の「関所」と違い、海人の水軍・海賊集団の場合は「関」の大将自体が
通行料を徴収しに来る。「関船」に乗って「関の大将」がやって来たら、
警固料を払わんと、水軍護衛集団から海賊集団に変わるよ。
用心棒代も海人の重要なシノギじゃけんのう。カスリは当然貰うわいのう。
565 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 01:11:29 ID:p/2HsBGo
>紀伊の熊野や伊勢漁民の伊豆・安房・上総・鹿島灘に至る進出のことか。
(=゚ω゚) うむ。当然来ておったろうねぃ。 ・・・つーか何時代の話しなのじゃ?
佃島の漁師はたしか徳川が摂津国佃村から呼んだ漁民だったべ。連中も神君伊賀越えのメンツだったとか?
一心太助は三河じゃんだらりん。
上総・鹿島灘は古代より海の難所だから熊野水軍とかじゃないと渡ってこれなかったとか聞いた事あるが・・・?
詳しくはわからない。
ヤマトタケルや北畠親房も太平洋で難破したしね。そういや伊勢北畠は鹿島兵法とも深い繋がりが有ったかもしれんのう。
ちなみに「江戸っ子だってねぇ、神田の生まれよ!」の神田とは伊勢神宮の武蔵国御田からきている。
「何だ神田の高田のばばあ、三鷹聞いたか千駄ヶ谷」とは関係は無い。
>空気入れとるんは、わしじゃのうて似非広島人の方じゃ。
(=゚ω゚) 相変わらず大人気だな、しかし山野さんに広島弁を突っ込まれるとはさすが牛だ。
566 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 07:48:38 ID:Mz4Btuyd
567 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 15:07:35 ID:oNiYsHTd
広島以外は腰抜けかよ?
568 :
白馬青牛:2007/05/09(水) 00:54:08 ID:kO9ZUuRq
>>565 佃・大和田両村漁夫三千人余の移住か。
古代の航海技術で、黒潮は、いたしい(難しい)思うよ。
中世において、1336年、志摩国の阿久志藤内道妙の弟定願を駿河の
江尻に住まわせ、志摩の船頭を駆使し坂東と海上交易を行ったこと、
1347年南朝方の熊野水軍が薩摩を襲撃したこと、坂東丸という
紀州船の存在等、戦国末・江戸初期の和泉・紀伊の漁民が大挙して
東国へ移住するのも、こうした歴史背景があったゆえと、網野善彦氏は
指摘される。房総間に在りて漁業の旧家と称するものは、概ね紀州から、
紀州漁民は1675年仙台藩領までカツオの「ため釣り」漁を
しとる。1338年、北畠親房らの伊勢大湊から海路常陸は暴風に
会うたのう。鹿島も漁民系で兵法も漁民系かどうかまでは解らん。
紀州の和歌山県も明治以降広島・山口・福岡・熊本と共に
海外移民県じゃった。紀州人もダイナミックな連中じゃのう。
山野氏が、わしに、ねんだくりよったんは、だいぶ前のことでえ。
山野氏だきゃあ、タコの糞が脳みそ張り付いたんか思うたわい。
ほいで、わしゃは、山野氏の広島弁の方が若げな、ゆうたんじゃ。
まあ、山野氏が広島の地のもんか、どうか、解らんわい。
569 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 22:14:13 ID:blb9Cq/0
じゃあ陸地はともかく水兵はどこが強いの? 平戸に一票
570 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 01:10:57 ID:hwoR4UXA
(=゚ω゚) 紀州と言えば紀伊国屋文左衛門。紀文だな。はんぺん屋ではなくミカンの海運で財を成した。
嵐の海へ江戸へ向けてミカン船を就航させた。もちろん上方へも行く。
そのミカンは熊本・八代地方あたりから伝わったとの説がある。室町〜戦国期だな。
種子島から津田監物によって根来へ鉄砲が伝わったのもこのルートだろうか?種子島−紀州−堺だな。
ちなみに熊本の八代と言えば八代亜紀。おんな港町、思い出すのさ舟歌を〜 ・・・って関係ない。
>569
(=゚ω゚) 平戸と言えば松浦党!
ちなみに肥前安倍季任系の松浦水軍の子孫は、現在内閣総理大臣となって日本の陸海空軍のトップにいる。
571 :
人間七七四年:2007/05/15(火) 08:38:44 ID:hzt7CzVh
八代亜紀でオK?
572 :
白馬青牛:2007/05/16(水) 22:37:23 ID:I8zwdJMF
>>570 ♪歌い出すのさ 舟唄を
八代亜紀さんの「舟唄」はええのう。阿久悠氏の歌詞もええ。
現総理の安倍氏の先祖は知らんよ。
しみじみりーにお邪魔するよ。
574 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 19:34:20 ID:ZOfekr0n
広島&山梨
厨だらけの毛利vs武田スレは、usiが行くまでもないな.。
575 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 00:54:18 ID:YF7dop6F
(=゚ω゚) この星の八代亜紀はちょっとイイ。
宮城〜福島の沿岸一帯では熊野神社が多数分布し熊野信仰が盛んだと言う。
だとしたら熊野水軍(つーか商人)は太平洋の難所房総沖を越えてきた事になる・・・かな?
果たしてその熊野の布教は海路だったか陸路だったか?
紀州愛洲水軍に影流なる兵法(剣術)が有る。あの柳生新陰流の影流だ。
愛洲源氏愛洲移香斎によって上州大胡城上泉伊勢守へ伝わり新陰流兵法となり日本中に広まる。
愛洲影流そのものは鹿島を押さえる佐竹に伝わった。
倭寇の絶技として明国軍に研究されたので水軍でもかなり広まっていたのだろう。
そして流祖が上州にまで来ていると言う事は陸路での活動も活発だったと言う事か?
たぶん修験だな。
576 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 01:32:41 ID:XYq5xGTY
今北!そして追いついた
折角面白そうなスレだと思ったのに・・・
粘着キモヲタが沸いてるせいでひどいことになってんね
577 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 01:49:55 ID:YF7dop6F
(=゚ω゚) あ、書き忘れちょたばい。
影流発祥の地は日向の鵜戸の岩屋。修験の鵜戸神宮ですな。
日向倭寇は河野水軍、伊予三島水軍の系統か
578 :
白馬青牛:2007/05/20(日) 02:25:40 ID:Y1fy/XkB
>>575 熊野信仰も漁民系じゃろう。海路も黒潮を横断するんはきついじゃろう。
海辺沿いに徐々に移動したんじゃないか。
影流も漁民・水軍系の剣術のイメージがあるが、鹿島系も漁民系か。
上州の念流は農民系か?中条流はどうじゃろうか。
内陸部へ行くんも陸路だけじゃのうて河川の水路も考えられよう。
鵜戸神宮も海人系じゃろう。紀州海民が東国へ行ったように、
瀬戸内から九州へ行った集団も多いんじゃないか。
宮本常一氏によると肥前あたりも中世から瀬戸内の連中が行ったようじゃ。
江戸期、近世では、広島県の漁民が技術を買われ、よう九州西北部へ
出稼ぎに行った。
579 :
人間七七四年:2007/05/21(月) 02:08:23 ID:XgTFD9/C
(=゚ω゚) 上州は新陰流、長野流(居合)、法神流と、達人揃いだ罠。
だが念流はチャンポンだな。もともと鎌倉、鞍馬あちこちで数流派修行している。
念流発祥の地は影流と同じく日向の鵜戸の岩屋説も有る。
んー確か八幡太郎も九州で刀術を学んでいたような希ガス・・・?
中条流は八田氏系鎌倉兵法が家伝で念流によってまとめられた。
中条家は三河とも関わりが有るな。あそこも達人が多い。大河内とか奥山とか小笠原。家康もそうか。
580 :
白馬青牛:2007/05/23(水) 23:55:00 ID:YMD8OflF
>>579 上州云うたら、大前田英五郎や国定忠治と江戸期ヤクザのスターを
輩出しよったのう。
八幡太郎が九州で刀術云々は知らん。九郎義経が鞍馬で云うようなもんか。
家康が剣術・弓術・馬術など、武芸に精通しとった云うんも、
江戸期に作られた伝説じゃろう。
【義経流】
源九郎判官義経─三浦靱負胤成─永井主税助高光─三浦河内守行方─┐
┌──────────────────────────────┘
└和気十郎左仲時─山名造酒助宗時─赤松九郎義高─佐竹斎宮助忠正─井原番右衛門頼文
582 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 00:32:07 ID:oXXCPyZB
>>580 usiよ、蝦夷スレ落ちちゃったね。
義経は下総住人の源重頼に馬を習った(平治)
583 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 00:54:13 ID:u8OsYPYl
(=゚ω゚) 上州は江戸期に天領が多いので治安が地元民任せの部分が有ったから念流のような武芸が発達したんだよ
天領多摩の百姓、千人同心みてぇなもんだ。新撰組だな。
上州ヤクザと言えば木枯らし紋次郎。新田郡の産でさぁ。
江戸期の上州は浅間の火山灰で農業ができんかったから養蚕が主産業だった。
黒沢映画の「用心棒」の宿場では賭場が開かれ、農家は機織りをやっている、あんな感じ。
修験系の法神流からは近年、剣道十段の持田盛次が出ている。まあ、現代剣道の流祖みたいなもんだ。
戦国だと猛将長野家が居合を伝えている。現在の居合抜きは長野無楽斎の系統が多い。
その長野家に属していたのが新陰流流祖の上泉武蔵守信綱で、あの七人の侍のモデルになった伝説の剣士だ。
上泉信綱は甲斐武田から伊勢北畠へ、さらに興福寺宝蔵院、大和柳生を通じ足利将軍家へと兵法を伝えた。
このルートの中に三河の奥山休賀斎が居る。家康の師匠だな。
京都でも刀術が盛んだった様だ。義経記などにも鬼一法眼が白川印字達に刀剣で襲わせたりしている。
そういや水軍で思い出したが摂津渡辺党の渡辺綱の鬼斬丸だったか?
鬼の片腕を斬り落とした・・・まあウソだろうけど。他にも清少納言の旦那が盗賊を斬り殺した話とか有るし
当時から刀術と言う物が都市部でも護身術として重視されている例ではないかと思う
当時の都は意外とぶっそうだ罠。
584 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 01:33:10 ID:oXXCPyZB
あの辺りは中世以来の旧家が多いし、剣術も盛んだったろう。
甲源一刀流の逸見もそういった延長線上にあったのか。
井伊の赤武者もルーツは上州だろう。
彦根のひこにゃん祭り行っても武田、山梨、甲斐、武田だけど(´・ω・`)
井伊の赤備えは歩兵が多いようだが。
頼光の郎党カルテットは東鳥。徒歩打物&弓射の王者は為朝。
いにしえのDQNに出会える『殴りあう貴族達』
585 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 16:42:58 ID:mi2OMGO9
こう見てると広島発!って言うのは無いな
586 :
白馬青牛:2007/05/24(木) 22:45:54 ID:9mvAbhBu
>>582 ほうよ、蝦夷スレが消えてしもうたのう。義経が下総の住人に馬を習った?
具体的にどがあな技術を学んだんか?
>>583 『木枯し紋次郎』のう。中村敦夫氏の主演でTVでも人気があったのう。
http://www.geocities.jp/suiun_an/newpage139.html 大前田栄五郎、国定忠治も名主格、素封家の生まれと富裕層で、
『木枯し紋次郎』の上州三日月村の貧しい農家に生まれたドラマと実際は
違うようじゃ。まあ、『仁義なき戦い』で、戦後の広島ヤクザを取材された
脚本家の笠原和夫氏は、広島ヤクザが裕福な家庭の子弟が多いことを
云われとるんと同じかのう。全国的にも氏曰く「家が貧しくて腕っ節だけが
強いのが立派なヤクザになる、と思われがちだが、そういう男はちょっと
名が売れて小金も貯まると、すぐに好きな女と世帯を持ってサッサと足を
洗ってしまう。狂犬のような命知らずで暴れまくるヤクザは、たいがい
良家の出で、さして腕力のないような優男であることが多い。
そういう男の方がセコい打算もないし、欲も深くない。ただ意地ッ張りで、
嘗められたら許さない、という気性だけが強い。」と云われる。
大前田栄五郎は、浅山一伝流を学んだようじゃのう。国定忠治は何処の流派
を学んだんじゃろうか?
587 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 23:37:47 ID:OPousEMP
>>586 騎馬民族スレもないな。毎回立ててる人も消えちゃったね。
下総の重頼は『源義経』五味氏2004年、『源義経』近藤氏2005年でも紹介されてる平治物語の記述。
鞍馬じゃ習えない馬と弓だよ。
588 :
白馬青牛:2007/05/24(木) 23:41:10 ID:9mvAbhBu
続き。国定忠治は古代新羅人、吉井連の移住地の多胡郡吉井町の馬庭念流と
関連があるんじゃろうか。東山道、東海道の清水ノ次郎長、黒駒ノ勝蔵等
街道のカスリ、中世〜戦国期の「関」支配じゃわい。ほいで江戸屋虎五郎は
三河出身じゃそうな。
ヤクザ組織は、関東の親方小方の縦社会が起源じゃろう。西日本の横社会
の契約職能集団(網野善彦氏は忍者を西国的集団とされるが。)と違う。
平安期、渡辺党の関東移住者、箕田(源)宛、都の藤原保昌もネッ用語
じゃあDQNか。まあ、「源平時代頃までの武士と後世の博徒は、
いろんな点で似ている。」と薩摩人の海音寺潮五郎氏は云われたが、
「おひかえなすって、生国は」云々と口上や何処の住人か名乗り、
国定ノ忠治、清水ノ次郎長などと云うんも、相馬ノ小次郎、田原ノ藤太と
名乗るんと似とる。海音寺氏の云われる平安期の関東武士が、
十騎二十騎の「でいり」で、後世の領地争奪戦と違う牧歌的な?
戦闘じゃったろう。西国の戦闘職能集団とは違う伝統じゃのう。
>>585 広島人は、韓国人や東日本人のよう起源論にこだわらんよ。どうでもええ。
589 :
人間七七四年:2007/05/24(木) 23:50:59 ID:OPousEMP
念流って信濃発祥じゃなかったっけ?念阿弥とかいう坊さん。
殴りあう貴族達で一押しのDQNは道長卿。
まあ、貴族はあくまでも殺らせるのであって、自ら手を汚さない。死体はタブーだもんね。
590 :
白馬青牛:2007/05/25(金) 00:18:25 ID:5Tbp+fPJ
>>587 鞍馬が山じゃったこと、そこからの義経の伝説と弓馬の技術を同一視
されてものう。平治物語自体後世の記述じゃないか。
>>589 念流じゃのうて、新陰流の上泉伊勢守自体、信州金刺氏の末裔じゃないか。
源平期の手塚光盛や戦国期伊達家の片倉小十郎も。金刺氏は阿蘇の
大宮司家から出た舎人を起源とするようじゃが。伝説のたぐいで実際は
解らん。信濃なら高句麗系も考慮すべきでじゃろう。
関東人は、ほんま貴族嫌いじゃのう。石母田左翼マルクス史観の亡霊の
影響は強いようじゃ。
阿蘇と金刺諏訪の神官家は成立がほぼ同じだからどちらかが本家という事はないね。
片倉はおいといて。
592 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 00:33:00 ID:Mlzz1q8/
>>590 平治よりさらに後世の『義経記』では、重頼(堀三郎頼重)の重要性が消されてるんだわ。
上泉が金刺氏というのは俗説であって、実際は秀郷流大胡氏族。
信濃の金刺氏は信濃国造一族でしょ。だから高句麗渡来系氏族よりランクは上。
高句麗系は村上氏の遠祖だな。
関東ほど貴種に弱い地域はないよw後北条も貴種性をアピールしてるしな。
諏訪の片倉に温泉あり
593 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 02:37:49 ID:6O46z7g3
(=゚ω゚) んー、確か念阿弥は相馬氏だった希ガス。念大和尚のお寺が信州伊那谷に有る。
そのうちの一派が馬庭念流ね。
忠治は知らないが清水次郎長は柳剛流。槍の大政、平手は武士だべ。
>>584 (=゚ω゚) そういや長野無楽が仕えたのも彦根藩だったか?
甲州流軍学は事実上徳川の軍学だったからなあ、赤穂浪士萌え〜
>>581 (=゚ω゚) むむっ?福井藩伝義経流忍術・・・かな?
594 :
白馬青牛:2007/05/25(金) 23:31:39 ID:5Tbp+fPJ
>>591 古代に本家も分家もないんじゃない。東国は解らんが。
東漢氏のように兄弟同腹であろう。
>>592 川越重頼のどこが重要なんか?
系譜のどれが俗説でどこまで信憑性があるんか解らんよ。
実際秀郷流云うても、遺伝子を調べた訳でもあるまいし。
金刺氏自体、多氏系統なら新羅・秦氏かも知れんよ。諏訪神社の出雲神から
新羅あるいは高句麗の要素も否定出来ん。関東の上毛野氏も渡来系田辺氏と
同族じゃないか。少なくとも形質人類学的に関東へ渡来系が拡散したんは
間違えないし、土着系よりも渡来系の可能性が強い。
関東や甲信地方で八世紀末まで、甲斐190人の百済人や上野の子午足等
193人が改姓し日本風の吉井連になった方が珍しい。
信濃村上氏は、前方(高句麗、貫奴部)部黒麻呂の末か。
後世に源氏じゃの、好きな風に名乗ったのう。
関東は貴種権威に弱いのう。古代から西国の国造が君姓が多いのに対し
東国は直姓の皇別。西国の独立性が強い豪族よりも天皇家と結びつくこと
によってランクを上に見せたいたァ奴隷根性じゃないか。
595 :
白馬青牛:2007/05/25(金) 23:53:06 ID:5Tbp+fPJ
>>593 家系伝説など、琵琶芸人が敗者の美学を強調し平家村伝説となったと
同じく、ええ加減なもんじゃ。浄土真宗の信仰の厚い広島県は平家村が
ほとんどない。伝説の権威を借りる必要もない。
清水配下の大政や平手造酒は武家出身じゃったろう。
清水次郎長氏は柳剛流か。下半身への攻撃も気ィつけにゃあいけんのう。
うまいこというね。
平家落人の後裔を吹聴して止まない西飛騨の住人は、
廃仏毀釈と相俟って今でも仏を崇める習慣がない。
597 :
白馬青牛:2007/05/26(土) 01:02:43 ID:tReENceL
>>596 宮本常一氏は、仏教でも真言系が多い地域などは平家落人伝説が残るが、
浄土真宗系はほとんどないと云われる。
真宗地帯は、琵琶法師の『平家物語』に心を捉われんかった。
迷信よりも真宗への信仰の方が重要じゃったろうねえ。
598 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 01:05:00 ID:vYO0ajJl
>>594 河越太郎重頼じゃないよ。
>俗説
ウシは俗説が大好物だからなw
で、広島もあたえなのに。
>>595 今調べたら広島も落人伝説多いみたいだぞ。歴史群像L源平の興亡P96の図(松崎氏=成城大)。
>>596 熊本県は浄土真宗王国だが、中世に遡る寺院は殆んどないという。
浄土真宗って、ブラックバスとかザリガニみたいな繁殖力。
599 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 01:18:13 ID:vYO0ajJl
アンカーを難民板のアイドルにつけてしまったようだ↑
>>597
600 :
白馬青牛:2007/05/26(土) 01:54:29 ID:tReENceL
>>598 わしの俗説たァ何なら。ほいで、直云うて佐伯部の直のことか。
俘囚で身分の低い日本原住民じゃったけえ、しょうがない。
広島県の備北等は真宗の影響も強うないけえ、
間引きや平家伝説もあろうが、徳島の祖谷地方ほどじゃないよ。
熊本県は真宗王国じゃあるまい。同じ九州の薩摩や日向は隠れ念仏
云われるほど、弾圧されとった。真宗地帯は、安芸〜備後西部・北陸・三河
じゃないか。繁殖力が強いんはその通り。
>>599 難民板のアイドル?知らんよ。
601 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 02:40:47 ID:6BNCX+7R
(=゚ω゚) あー牛よぉ・・・ 今さらなんだが上泉伊勢守じゃなくて上泉武蔵守な、(『言継卿記』では大胡武蔵守)
柳生時代が伊勢守だったのでそっちで有名になったんだわ。まあいいけど。
弟の上泉主水は最上攻めでは直江勢3500騎の主将となり21の出城を落としたが最上・伊達連合軍の
反撃に遭った。上泉主水ただ一騎伊達勢300へ向かって斬り込み前田ひょっとこ斎らが続いたが、
夕暮れまで戦い続け上州武将の意地を見せてあっぱれ討ち死にした。
家康が武芸に精通しとった云うんも伝説じゃのうて事実じゃろう。足利義輝とかもそうじゃろう。
吹けば飛ぶような三河の小豪族だからなおさら熱心だったと思うぞ、当時の今川なら一流の師範に学べたはずだ。
>実際秀郷流云うても、遺伝子を調べた訳でもあるまいし。
(=゚ω゚) おまえが言うかっ(笑)
足利に住んでたから足利氏。大胡に住んでたから住んでたから大胡氏。牛込に行けば牛込氏だよ。
藤原秀郷−淵名兼行−成行(下野藤原姓足利氏)−大胡氏(大胡姓)
もっとも大胡氏は廃れたので上泉武蔵守は一色氏(源氏足利氏)の系統の大胡氏な。
>清水次郎長氏は柳剛流か。下半身への攻撃も気ィつけにゃあいけんのう。
(=゚ω゚) 柳剛流に限らず剣術で足払いは常識です。神道流や新陰流でも当然使うべよ。
602 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 04:26:17 ID:+t253euC
四国には良くある平家の落人子孫の知り合いがいるが、確かに周辺住民とは
県民性が違う気がする、良く言えば良家の姫のオーラももってるかも、
変わってるともいえるけど、頭の形も原住民とも違う、性格もなんていうか、
器が大きいかも、女だけど、近くの神社に護神刀もあるが、
鑑定したら何某の子孫とかの証明になるのかな。
603 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 05:06:31 ID:ICuQmoXO
山陽道には知略の人、山陰道には武の人、って嘘なのか、
近代の広島は凄かったぞ、駅周辺で女子高生がおっさんをカツアゲしてるのは、
平和な風景だそうだ。
604 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 08:49:25 ID:G5244+EJ
あはは カツアゲ。 切り取り強盗は武士の習いですから…
605 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 12:23:20 ID:JMwfdBVy
舩坂弘陸軍軍曹
宇都宮歩兵第十四師団宇都宮第五十九連隊石原中隊擲弾筒分隊長。
特別銃剣術徽章、特別射撃徽章。銃、剣ともに感状賞状数知れず。
剣道6段教士、居合道練士、銃剣道練士。
アンガウル島において擲弾筒および臼砲にて米兵を200人以上殺傷。
自らも股、腹、腕の三箇所に重傷を負いながらも敵将に一矢報いんと
手榴弾6発、拳銃一丁にて米軍指揮所テント群に数夜をかけて潜入。
前哨陣地を突破し単身突入するも頸部を撃たれて昏倒。
3日後奇跡の蘇生。
個人の戦闘記録としては唯一戦史叢書に載せられる。
606 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 12:24:47 ID:JMwfdBVy
最強の兵士
607 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 13:58:37 ID:e7nxIZaZ
そんな最強の兵士に率いられた「本のデパート 大○堂」も間もなく落城の時を迎えようとしていた。
608 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 23:25:31 ID:baKWbm/H
>>588 東日本人は広島人と違って最強にこだわってないよ。どうでもええ
609 :
白馬青牛:2007/05/27(日) 00:08:59 ID:EEKXLCK/
>>601 家康が武芸に精通しとっても、武術で曲芸のようなことが出来ても、
実際の戦闘でどれほどの者じゃったか解らんよ。
遺伝子と何処の住人か名乗るんと同一視してものう。
柳剛流が脛斬りで有名じゃったけえ、云うただけで他流派も足を狙おう。
相手が現代剣道風の正眼の構えの時にゃあ、下半身を狙うんは常道じゃ
ろう。ゆうか、子供時代の棒切れを持ったチャンバラでも喧嘩でも、
足を打つこたァ当たり前じゃないか。
>>602 平家落人村は、勢力争いに敗れ山へ、いにこんだ方じゃけんのう。
自らの境遇を平家に重ね合わせただけで、平家そのものと関係あるまい。
平家落人村は、山岳焼畑地帯でも水稲する等、谷住み族じゃろう。
焼畑地帯の元来の山住み族と多少違うようじゃ。
610 :
白馬青牛:2007/05/27(日) 00:59:41 ID:EEKXLCK/
>>603 山陽は知略の人か?近代広島部隊を率いた方が知的能力を誉められたよう、
広島兵団の将兵は知略に優れ、圧倒的な敵追い込まれても、自暴自棄の
思考停止にならず老獪じゃったよ。山陰も頑強じゃ。
近代の広島云うて、いつの時代かいの。駅周辺云うて、広島駅か横川駅か?
女子高校生のおっさんカツアゲ事件は聞いたことがないわい。
昔はよう男子中高校生の間でカツアゲしよったんがおったが、
最近は平和な風景で聞かんのう。
30年以上前の昔、広島百貨の裏(今は福屋駅前店になっとる)の川辺の
風景の一つじゃったが。
>>608 戦前から広島は全国の兵が出航する軍都じゃったせいか、他県人の者に
嘗められたらおわりじゃ。広島人は常に勝たにゃあいけん。
611 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 01:16:33 ID:rM15pDNm
ほぉ広島人は老若男女みんなそうなのか?
てーしたもんだすたもんだ
612 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 01:31:14 ID:qTCXH0/T
>家康が武芸に精通しとっても、実際の戦闘でどれほどの者じゃったか解らんよ。
(=゚ω゚) 足利義輝や北畠具教の例も有るから一概にはいえんよ。
「兵法知らずとも事足りる」とは言うが、ふつうに軍隊、警察でも格闘技は有る。
家康の戦歴を見れば無駄な兵法なぞやる必要もあるまい。
613 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 02:27:34 ID:n61bDKUo
家康のは後世の殿様剣法じゃないだろ。
水泳、薬学、馬術、いずれも本当に必要なことだけを黙々と習得することに熱心だった家康が、
ゴマすり売名剣客を手元において、虚飾を誇るとは思えない。
自らを権威付けるためなら、他にも歌学や茶道も盛んにやってたんじゃないかな。
614 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 13:13:03 ID:7kS0K9pM
いつまで在日右翼かまってんだおめーらw
615 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 20:34:22 ID:t/l2P1Nt
牛さん春から仕事で広島に来たんだが
広島の戦国武将て誰がいたんかの?
そこら詳しく教えてくれんですか
616 :
人間七七四年:2007/05/27(日) 21:16:46 ID:n61bDKUo
大内義隆毛利元就すれ違い
617 :
白馬青牛:2007/05/28(月) 01:52:42 ID:llT/yUqd
>>611 広島人全てじゃあないのう。
>>612 「兵法知らずとも事足りる」と関連するが、軍隊、警察でも格闘技はある。
ただ格闘技をやったら強うなる云うもんでもない。逆に弱あなることも
あろう。幕末の直心影流の今井信郎も剣の達者を斬るんは素人を斬るより
容易で剣術なんぞ習わんほうがええ、云うとられんかったか。
特に素手の格闘技に熟練したら、周りの武器を使う基本を忘れる危惧あり。
>>613 殿様剣法じゃろうと庶民の剣じゃろうと差はないよ。
実際に使えりゃあどっちでもええ。
>>615 応仁の乱で活躍した吉川経基、平賀弘宗や京都・船岡山合戦で活躍した
平賀弘保は安芸の代表的武人。
618 :
人間七七四年:2007/05/29(火) 01:38:11 ID:1q9DVqqS
>平家落人村は、山岳焼畑地帯でも水稲する等、谷住み族じゃろう。
(=゚ω゚) うむ。農作物と兵の関連というのも面白い。
茶の産地には修験との関わりが指摘されている。伊賀甲賀の木津河沿いも茶の名所だ。
禅の栄西上人が茶の種を蒔いたのが佐賀県背振山。これが九州の茶の始まりだと言う。
修験者は本来五穀栽培は禁止されている、だが例外的に茶産や馬牧経営はできたようだ。
山伏は薬呪として宿料がわりに茶を一袋置いていったと言う。税金としても通用した。
茶壺は備前焼が多かったそうだ。
>今井信郎も剣の達者を斬るんは素人を斬るより容易で剣術なんぞ習わんほうがええ、云うとられんかったか。
(=゚ω゚) ああ、たぶん言うだろうね、次郎長もそう言っているしオイラも道場ではそう言っている(笑)
だがそれは実戦の場数と個人の強弱の問題の指摘であって、兵法無用論では無いだろうね。
つまり道場試合稽古の弊害を指摘しているのだろう。近藤勇は試合には弱かったが実戦には強かった。
強くなる訓練ではなく負けない訓練。そう言う事だ。
使えないから必要ないのなら極論すれば軍隊には鉄砲が有れば徒手格闘技はいらない。
規律訓練は無駄。上下関係は害悪。装備や器具の整備点検は外注に回せばいい。そういう事になっちまうからな。
619 :
615:2007/05/29(火) 04:21:25 ID:rHjx5uks
牛さんサンクス
しかし誰一人として知らんかったなw
620 :
白馬青牛:2007/05/29(火) 23:27:14 ID:LOsVpv3u
>>618 兵法無用論じゃないわ。
某コマンド訓練、暗殺者評価のプログラムで、暗殺者自身の自律能力、
熟練度をテストした。訓練生は武装していない。机の向こうに人形が
坐って寸劇が展開。ところが訓練生は、空手、柔術を持ちい、武器を
持たない格闘訓練の授業で訓練されたよう、「主要部位への傷害」を
実行し、全員試験に失格した。
部屋に入ると、洋服かけ、重い椅子、事務机、文鎮、ペーパーナイフ、
事務機器等のあり、それらの武器を使えば対象者を殺せるのに。
「タイプライターを頭めがげて投げつけていれば、はるかにましな仕事が
出来るのに、なぜ空手など使うのだろう。武器を持ってないなら、
武器を持てばよい。身のまわりを見廻して、手を延ばしさえすればよいの
だから。武器をもたない闘いについても、自分が受けた訓練の中味の
おかげで、任務に妨げがあってはならないということだ。コマンドの
テクニックは、それは見事なものだが、決してそれだけを使っては
ならない。武器に対する本能をみがき、身のまわりの物品をみきわめれば、
どんな時も攻撃に役立てられるものを使う用意が出来てくる。」
格闘技をかじった者は得意の武術を使いたがる。素手でも剣等の武器を持つ
んも同じじゃ。武器の種類にこだわることもない。武に徹した達人は
至る処に武器あり。身のまわりの武器を使えにゃあ、格闘技に熟練
しよっても、武人たァ云えん。
そういえば段々畑と平家の落人には関連多いよ。
622 :
白馬青牛:2007/05/30(水) 00:16:13 ID:C+FrUGtn
>>218 続いて、「至るところ武器あり」は、部隊にも云える。
仙台第13師団、越後の高田第58聯隊が中国軍の敗れ、警備交代した
広島231聯隊が3分の1の兵力で防御し守りきった中島高地の戦闘でも、
兵士の創意工夫による、空瓶投下=ガラスの破片は敵兵の匍匐する肌を
切り、それが散ると目をやられる。
土塊や石=敵兵は手榴弾と思い込んで混乱した。
中国軍の人海戦術においても「防者に主導権はなし。」から一転、
戦闘主導権は広島部隊にありじゃ。ここらへんが、素質の違い、
「気がきいていてズルくさい」知力に優れ、老獪な広島部隊らしい処じゃ。
ちなみに越後の高田第58聯隊も仙台13Dから、高田(58)、
福岡(124)、奈良(138)の兵で編成された31D(烈)に移り、
(とりわけ越後健児の精強高田聯隊は、最も戦闘力を期待されとったが、)
ビルマで苦労したのう。(如何に高田五八の兵とて山砲三発では
如何んせん。)
装備や器具は自分で整備点検せにゃあ、よう扱えんよ。当然じゃないか。
論理飛躍から極論云われてものう。
623 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 00:18:30 ID:ARU1bzdM
>620
(=゚ω゚) 初歩的な訓練生の記録だね。常識過ぎて参考にもならない。
空手も柔術も本来なら身のまわりの道具を武器に使うんだよ。
茶碗や傘、鍋ぶた、座布団、箒や櫂、砂、布きれ、紐、お湯、何でも武器にする。
ちなみに米国警棒(ポリスバトン)に使われてるトンファは石臼の取っ手。鎌、ヌンチャクは農機具。
畳は楯として広まったという説もある。暗殺なら毒を仕込んだりいろいろ有るが・・・これ以上は言えン。
そして一番手頃な武器が自分の肉体だ罠。闇夜には効果的。
>621
(=゚ω゚) なぜ?
624 :
白馬青牛:2007/05/30(水) 01:04:21 ID:C+FrUGtn
>>623 初歩的云うたァ、訓練の成果が拙劣な結果となった。訓練を
額面通り受け取った訓練生の硬直化した思考がもたらしたもんじゃ。
その本来の道具を利用出来ん者が多かった訳じゃ。
毒の使用は白兵用武器なら皮下挿入出来るもんなら何でもええ。
手頃な武器が自分の肉体か。武術の素養がない腕力もない者が、
使えるんは眼部等の鍛えようもない主要部位攻撃もあるが、
素人が使えるんは朝鮮人の得意な頭突きじやろう。
ちょっとガツンと当てるだけでも、レスリングの浜口京子ちゃんが
やられたように鼻が陥没して入院と可愛そうなことになったが、
アッパー気味に食らわすとそれ以上にえっとひどいことになるよ。
食らわしたほうも額に歯がささる事態も計算せにゃあいけんし。
使うほうのデメリットもあるが有効な手段じゃ。
625 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 07:37:25 ID:IqMrP0nE
仙台1個師団より広島1個中隊の方が強いと言う罠。
626 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 08:44:07 ID:1ZCdGnlM
我ら奥羽の民は、広島人のように見苦しいまでに最強という肩書きにこだわらないけどね。
広島の兵が強い?なんぼでも言ってればいいよ、公開オナニーしてるのと大して変わらないから。
627 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 11:45:45 ID:lDS6K9cP
身贔屓牛は饒舌にごたくを並べるが、バイアスがかっているのでなかなか信用ならん。
628 :
人間七七四年:2007/05/30(水) 15:41:47 ID:HO2Wb30E
舩坂弘陸軍軍曹>広島1個中隊
629 :
白馬青牛:2007/05/31(木) 00:57:36 ID:EtWDDyND
>>626-627 公開オナニーして、バイアスがかかっとるんは、実績もないのに
実例も挙げず強いと妄想する東北師団じゃけんのう。
弓張嶺で「撃たれたら撃ち返すな」と言われながら、たまりかねて
撃ち返したら、ロシア兵が逃げて頂上を奪取し夜襲成功の仙台第2D、
宜昌で敵を確認せずに夜通乱射をした、陥落寸前の仙台第13Dも、
明暗分かれても同じパターンじゃないか。東北兵団のエピソードは
笑いがあるけえ面白いよ。おとぼけ師団は大阪じゃのうて仙台じゃのう。
>>628 ニューギニアの宇都宮51D高崎第115聯隊が、広島5D
浜田第21聯隊の将兵に戦闘を教えて貰うたように、船坂弘陸軍軍曹も、
常に最前線で闘うた広島部隊で戦闘技術を学ばれたら、もっと
すごかったろうに。弱兵の関東兵団ゆえ活躍が目立ったんじゃろう。
宇都宮師団「群馬の長脇差、野州健児、水戸魂」か。
まあ、北隣の仙台師団に馬鹿にされんようにしんさいや。
630 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 01:14:20 ID:WB9EHTd3
弱兵なんて、都のふにゃデブ随身が好きなusiに言われたかねえよ。
人国記って山陰を酷評してるようだな。
631 :
白馬青牛:2007/05/31(木) 23:33:52 ID:EtWDDyND
>>630 都のふにゃデブ随身云うて、当時の随身の身体調査でもしたんか?
関東人の都への対抗意識から、ありもせん身体調査を云うてものう。
人国記は、東国人の偏見で西国の山陰や丹波を酷評しよるだけじゃないか。
九州でも肥前を褒め肥後を酷評しよる。まあ悪党の産地丹波に負けとる
関東が、えらっそに云えることじゃあるまい。
東国人の遠地を知らん偏見人国記ではあるが、身近な関東はどうかいのう。
人国記じゃあ関東最強は上総か。対抗出来るんは安房か。関八州じゃないが
伊豆も評価が高いのう。じゃが陸奥の勇気に対して最高の評価、越後人も
勇敢とし、東国人は昔から東北や越後に対する劣等感があったんじゃのう。
古来から東北蝦夷よりも弱く、戦国期越後に蹂躙された関東人の
不甲斐なさよのう。なるほど、関東人が近代東北・越後で編成された
兵団を強いとする訳じゃ。
632 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 01:10:18 ID:BOKC/8bz
>>631 『随身庭騎絵巻』に描かれてる随身にデブが多いだろ。
ホモの大家・藤原頼長と夜を共にした秦兼任とかw
『枕草子』では、少し細いのが良いってあるけどね。まあ、武芸より容姿第一で選ぶのは事実だけど。
戦で大鎧を付けたら使い物にならないだろうし、その必要もないのが随身だけど
随身のは事実、儀礼的な馬場武芸でしかないし、時代遅れの移鞍と半舌鐙じゃね。
人国記は手元に無いからあれだけど、陸奥のとこは日本書紀的な作者の差別心が丸出しだったような。
近畿圏を貶してるが、長門や備中は称えてるな。
徒歩鑓マンセーの上杉、ルーツは相模(鎌倉・長尾)→京(長尾支流)→上野→越後。
城氏も関東だが、安芸と越後は関東勢力に侵食された点で似てるな。武勇は越後の方があったろうけど。
9世紀以前の東北蝦夷より強い地域など、当時の日本にはありませんぜ。西国限定なら鎮西、絞って隼人かな。
633 :
白馬青牛:2007/06/01(金) 02:24:19 ID:J+weiUar
>>632 絵巻でデブか。何じゃそりゃ。まあ貧者より富者を太って描くことも
あろう。ホモが可笑しいんか?戦国武将や近代でもホモは珍しゅうない。
笠原和夫氏も、「『日本暗殺秘録』をやった時も、福田赳夫総理の
私設秘書をやってた元・陸軍士官学校の少尉か中尉だった人ー対・中国
スパイ作戦をやったんですけど、この人に会って取材したことがあるんです
よ。これがまた、バーへ行くとすり寄ってくるんですよ(笑)。
いやあ、なんでまた、陸軍士官学校の人とか暴力団の組長というのは
男を見ると欲情するんだろうねえ。」
広島の陸軍幼年学校でもホモ話はあるが、珍しいことじゃない。
鎌倉幕府でも、随兵に選ばれるんは、譜代の勇士・弓馬の達者・容儀神妙の
三徳が必要とされ、二階堂基行も文士数輩ながら「容貌美麗」と
弓箭達者であることが評価され、実朝の随兵に選ばれた。
新羅の花郎も「容貌美麗」が大切じゃったんは同じじゃ。
関東武士団の「でいり」の儀礼戦闘が実戦じゃあるまいし。
日本書紀、人国記を書いたと思える中世の東国人、山窩を偏見で書いた
官吏も当時の知識人の偏見には違いない。
人国記で長門は褒めてないよ。城氏や安芸・越後が関東勢力云うて、
関東自体渡来人・近畿人に侵食されとるよ。越後榊原藩士が幕末喧嘩で
安芸海田庶民にやれれたよう、近代戦でも越後より安芸が強かったように
一度も越後が安芸に勝ったことなどないよ。実例のない妄想が好き
じゃのう。越後に強姦された関東人は。
9世紀蝦夷より強かったんは北海道へ移住した靺鞨オホーツク文化人も
あろうに。弱かったんは蝦夷と主力戦闘した関東ぐらいじゃろう。
鎮西・隼人を挙げる処、防人は関東で九州北部は関東より弱い。隼人は
蝦夷ほど、兵士として重要視されず宮門で犬のように吼えるだけと、
九州相手に優位ぶるんも関東人の特徴で面白いよ。
634 :
人間七七四年:2007/06/01(金) 23:27:41 ID:Uw+44rLZ
>九州相手に優位ぶるんも関東人の特徴で面白いよ。
(=゚ω゚) 誰かさんじゃあるまいし そんなアホな事せんわい。
まあ、絵巻もバカにできんよ。写真や文章より克明な部分も有るし
身なりや風習に関してはすごく貴重な資料だろ。逆に写真や文章の方があいまいな場合も有る。
読みとれるかどうかの問題だな。
635 :
白馬青牛:2007/06/01(金) 23:40:53 ID:J+weiUar
>>634 誰かさんたァ、東北に劣等感を持つ坂東蛙君限定云うことか?
ほいじゃあ、あんた『伴大納言絵巻』の随身を見てデブに見えるんか?
636 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 00:24:36 ID:eTJVy0uw
(=゚ω゚) ん?オイラに言ってるのか?
そーねー馬上の鎧を着た随兵はデブには見えンが強そうにも見えンなぁ。
なんか弓は持ってるけど(右手にな・・・)太刀や短刀を帯びてないのが儀礼っぽい感じで
やる気無さそうになんとなく見える。気のせいかもしれんが。
しかし周りに居る徒歩の放免共は今すぐ戦える体勢だな。すごく強そうだ・・・
637 :
人間七七四年:2007/06/02(土) 21:47:05 ID:quLgamZ6
広島ってどこにも負けたことがないの?
へー
638 :
白馬青牛:2007/06/02(土) 23:07:19 ID:NjVMZDjE
>>636 徒歩の放免に注目したんはええことじゃ。
『伴大納言絵巻』は、当時の時代じゃのうて、後世の後白河院政期時代の
絵巻であろうが、院政時代の隋兵を現したもんじゃ。
『前九年合戦絵巻』や『平治物語絵詞』よりも畿内放免の戦闘モードは
絵になっとる。弓馬と違い、太刀を佩く接近白兵要員じゃけんのう。
畿内・関東の上層武将と違い気合いが入っとるのう。
注目出来るんは放免の容貌が、渡来系と縄文系の両者が見られるが、
騎馬に跨る上層階級はほとんど渡来形質か。
江戸初期の島原の乱を描いた『島原陣図屏風』でも、武将は渡来形質で、
足軽は縄文系に描いとる。なるほど埴原和郎氏の指摘された通り。
意図的に描いたんかも知れんが、面白い対比じゃ。
639 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 00:48:24 ID:jwR8zPE4
>>633usi
随身は富者と言えない。飢えた近衛舎人たちが藤原為盛邸へ押しかけて(強訴)、騙され、糞垂れ流して逃げ帰った話が『今昔』にあるぞ。
貴族社会を真似したのが武士の男色だから。
鎌倉幕府の儀礼的な故実も貴族社会のそれを取り入れてる。それと家柄重視。
随身に要求されたのは容貌、物の哀れを理解する心、馬場での馬芸、音楽など諸芸。
とはいえ、それは昔のことで、院政期になると随身は「ろくでなし」に成り下がったと
『続古事談』→ミメワルク、能ナキモノ、心ギアサマシキモノドモナリ
【武士のルーツ】
下向した受領(貴種)が、地方富裕豪族の娘に種付けて、子供が生まれて、貴種は大抵京へ戻って、
子供は貴種として父方の姓を名乗り、母系の家で成長する。
更に同じ様な事を繰り返す⇒子孫繁栄
⇒京へ進出(京武者・軍事貴族)
隼人は騎射を好む風俗がある(『肥前国風土記』)
藤原広嗣に期待された隼人兵
日向は馬産地、薩摩も。
戦国島津家は東国大名より歩兵の割合は高いが、島津氏は馬術に異常に熱意を燃やした一族。実戦的な犬追物(島津鎌倉流)。
>>635usi
東北はハートが弱点。言葉も関東は攻撃的でしょ。
>>638usi
放免は戦士じゃない。昼強盗だっけか?
穢れオソロシスで都の放免
平安・鎌倉期、騎兵が活躍せんで誰が戦うw
640 :
人間七七四年:2007/06/03(日) 01:32:32 ID:fOEzWLlf
>弓馬と違い、太刀を佩く接近白兵要員じゃけんのう。
(=゚ω゚) いや、前九年合戦絵巻ではふつうに騎馬も太刀を佩いとるがな。
伴大納言絵巻ではなぜか騎馬兵が太刀を帯びてない。なぜだろう?室内捕縛を想定しているのだろうか?
放免は元は獄囚であったというな。
>日向は馬産地、薩摩も。
(=゚ω゚) 中世の阿蘇、豊前求菩提山では山伏の宿坊の多くには馬屋が付いていたようだ。
村落の持ち馬数が53頭。対して求菩提山伏集落では56頭。戦闘用の軍馬だと推定されている。
佐賀鏡山修験の山伏は馬市を開いていたとか。
九州の騎馬戦力は意外と多いかも
641 :
白馬青牛:2007/06/04(月) 00:33:41 ID:e2AdrQ6c
>>637 広島が、どこかに負けたことがあるんか?
>>639 随身が富者と言えないゆうより、9世紀以降の関東の温暖化の生産力の
向上に較べ、西日本は小寒冷期が続き、飢饉に悩まされたけんのう。
貴族社会の真似をせんでも男色は中央アジア・チベット・中国・朝鮮と
世界的にあるよ。西洋はタブーの時代が長かったが、パブリック・スクール
でお尻を鍛えた英国紳士、軍人さんも侮れんよ。
日本列島じゃあ、東日本より西日本の方が男色傾向が強いかも知れん。
東日本でも戦国期〜江戸前期かなり蔓延しとったけど。と云うのも、
明治初期少年愛が蔓延しよった地域が薩摩だけでなく、土佐や長州、水戸、
山形も挙げることが出来るが、仙台では知られていないと、
フリードリッヒ・S・クラウスの『日本人の性生活』に書かれておる。
建前上、中国や朝鮮と違い、男の売春や同性愛について日本人、政府の
布告にあるよう「避けようとする几帳面すぎるくらいの努力」をしたが、
どうせ嘘はバレるもんじゃ。「陸軍や海軍でだけ同性愛が蔓延して
いるのではなく、公的生活でもそれは一つの役割を演じている。」
と看破されたのう。続く。
642 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 00:53:34 ID:AAX07qai
>>640(=゚ω゚)
ほほう
>>641 東国に限った事ではなく、西国にも富豪の輩がいるのは当たり前。
ほもネタ続くんかい( ̄ー ̄)
643 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 01:23:14 ID:7tNmnnJi
(=゚ω゚) う゛っ・・・続けるんかい?
逃げの弾正そろそろ折口かな?
644 :
白馬青牛:2007/06/04(月) 01:23:55 ID:e2AdrQ6c
>>639 続き。江戸っ子の作家谷崎潤一郎氏は、少年愛を薩摩の芋侍がもたらした
と今東光氏に云われたそうじゃ。
「『好色五人女』の薩摩五兵衛に惚れたお万は男装して近寄ると、
オカマを狙うんだ。薩摩っぽは尻を覗う風習があるんだ。
だから俺の小さい頃は、決して戸山ヶ原などに独りで遊びに行くんじゃ
ないと警められたもんだよ。直ぐ近くに早稲田大学があって、
早大生に捕まるとオカマを掘られる。早稲田にゃ各地方から学生が集まる
だろう。頭のあんまり好くない粗暴な薩摩っぺが、この癖があるから
用心しろという訳さ。
俺にはその趣味はなかったね。江戸の下町っ子は思いのほか
早熟ているんだ。餓鬼の時から番頭と下女だとか、性的場面をよく見た
ものだから、物心つく頃から女に関心はあっても、男になど好奇心を
持つ筈がないじゃないか。」
それに対し神戸育ちの今氏は、美少年は手当たり次第で、ドスを懐に
忍ばせ下級生の稚児争いの喧嘩をやったそうで。
同じ神戸育ちの稲垣足穂氏は「白襟好みの少年騒ぎの刃傷沙汰は、
われわれが小学生であった頃にはまだちょくちょく耳にしたものである。
勿論、「稚児争い」の果し合いが主であったが、無体ないい寄りに対して、
少年側が相手を刺すというような事件もたまには見られた。」
それは大正時代以降少なくなり細々と続いた「衆道」は限界を迎えることに
なったとされる。
どうも西日本の方が盛んじゃったようじゃ。
645 :
人間七七四年:2007/06/04(月) 01:38:53 ID:HFzg8reb
>>641 > 広島が、どこかに負けたことがあるんか?
えーと、巨人とか中日とか阪神とか千葉ロッテとかオリックスとかに。
無闇に腐してる東北にある楽天とも辛うじて五分だな。
・・・つーか、ここ何年も負けの方が多くね?w
646 :
白馬青牛:2007/06/04(月) 02:08:52 ID:e2AdrQ6c
>>639-640 武士が地方から生まれた云う、石母田マルクス史観の影響から
派生した国衙論等を前提にした左翼史観の繰り返しか。
畿内の河内・摂津にも武士団はあるし、坂東で育った貴種も都で
弓馬の技術を競うたに過ぎん。母系も概ね渡来系じゃろうに。
関東人は土着主義者じゃのう。
『肥前風土紀』を正確に云うと、値嘉島(五島)の海人について、
「白水郎は、牛馬に富めり、容貌隼人に似て、恒に騎射を好み、
その言語は俗人に異なり」じゃろう。日向や大隈隼人と違い、
海民性の強い阿多隼人の一族?
推古紀二〇年の「馬ならば日向の駒」か。
島津家は鉄砲戦術で騎馬は時代遅れ。まあ先祖は渡来系秦氏云うことで
騎馬と関係ないとも云えん。庭でやる犬追物に実戦も糞もない。
放免はアウトローだけに、戦争じゃのうて喧嘩馴れしとるよ。
騎兵の運用は迂回作戦に有効じゃが、現代の装甲車的存在で兵の質たァ
関係ないし、騎馬なら太刀より槍・矛のほうがええ。
そもそも去勢しとらん馬に乗る日本の騎兵に集団運用は無理じゃ。
647 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 01:48:11 ID:SZNULq6Y
>庭でやる犬追物に実戦も糞もない。
(=゚ω゚) 今時の射撃場は室内やがな。どこでやっても上手いヤツは上手い。ヘタはヘタ。
「多年稽古の犬笠懸、今の用に不立ば、何時をか可期」(太平記)
648 :
白馬青牛:2007/06/05(火) 23:25:02 ID:qSIHePR8
>>645 何じゃ、野球の話じゃないか。
>>647 そもそも実戦はやってみにゃあ上手、ヘタは解らんのに、犬追物が
実戦的で、都の決まった的と射る騎射が実戦的でない。とする坂東蛙君の
論理が可笑しいんじゃ。チベット・モンゴルでも定まった的を射るんに。
ほいで、隼人の話の続きじゃが、美しい稚児(美少年)を神とする習俗が
薩摩・大隈に多いこと、北薩の出水の「稚児請し」などは、トリモチ稚児
云う美しい稚児が二人選ばれて二組に分れた侍組を統率し、戦陣の訓練で
鉄砲を射つ競技で、上手に撃った者は稚児様の盃を頂くが、大盃を頂いた
二才侍に他の二才連中は髪を引きむしって苛める。
小野重朗氏は「稚児様を恋慕い、思い焦がれるといった気持ちが濃い。
それが、稚児様から盃を一番に貰った同輩を寄ってたかって髪をむしると
いう幼稚な嫉妬的行為となって現れたものと思う。」
寛永十四年島原の乱が起きると出水地頭、山田昌巌は戦場に向かう為、
重要な出水を守るのに、十三歳の子息松之助を大将に任じた。
松之助は、美麗な稚児で、恋ひ焦がれた出水壮士の謡に、
「松さまを 小船に乗せて 歌て遣らふもの 本渡の瀬戸を」
それと、薩摩の馬文化云うたら旧藩時代のコマトイ(駒取り)があるのう。
稚児たちはアカベンと呼ぶ。稚児のアカベンの役は、馬群の中に入り
暴れる二歳馬を捕らえる。二才衆や中間の手助けを借り。
神である稚児が自身で馬を捕らえてこそ人々は安心して馬を飼うことが
出来ると云うことであろう。
649 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 01:01:49 ID:PLPT64QQ
>>646 武士が地方から生まれたっていうのは、武士=軍事貴族の説でも概ね当たってるし
古くは折口信夫も同様の説明してるだろ。
>>508 で、石母田領主制論は、武士を民衆の代表者として投影したマルクス主義。
左翼と言えるのは職能論の中でも、武士を近代日本の侵略戦争に重ね合わせて、
武士=ヤクザ、職業的殺し屋といった見方を展開した神戸系に代表される職能論だな。
だから、左翼=職能論という事でもないんだが。
都のヘッポコから習ったなんて事実は一切ないし、『吾妻鏡』の流鏑馬故実に関係した記事をこじつけで妄想しただけだな。
『今昔物語集』を読んでも、平安期の坂東兵=猛きつわもの、で一貫してる。
戦国武士は馬上槍、手槍。
>>646>>648 狩猟が第一。競技として、犬追物>流鏑馬
実際の武士社会の歴史がそれを証明してるんだが。
犬追物が行われる馬場は流鏑馬や笠懸のような細長で窮屈な代物じゃないし、動く的を射るという運動性を持った競技だから
静止的騎射の流鏑馬よりはるかに実戦的なもの。犬追物は狩猟同様、追物射。
騎射自体は馬上打物全盛の室町期には廃れてるけど、犬追物は室町時代も盛んだった。流鏑馬は鎌倉時代に廃れてるのに。
室町期の静止的弓射は歩射。
現在に至る流鏑馬神事が盛んになるのは近世以降。
650 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 01:26:57 ID:N/+Agx7A
(=゚ω゚) まあ、騎射でかなわないから畿内悪党は籠城したり山地ゲリラをしかけたわけだし。
>まあ悪党の産地丹波に負けとる
(=゚ω゚) すっかり忘れていたが一応ツッコミいれとこう
鎌倉幕府認定 『悪党の産地』 っつーのはふつうに東国に有るよ
関東で博打、狼藉を働く者に対し取り締まり令が出てる。いわゆる「悪党」だな。
猟師、漁労、無足御家人、非人、癩者、蝦夷。これらは悪党の部類だった。
その取り締まりを命じられたのが宇都宮氏族の御家人だったと言われる。
彼等は最大の悪党勢力奥州安藤氏へ悪党討伐にも駆り出されている
平家残党討伐に始まり安東、元寇、そして畿内悪党討伐だな。
>648
(=゚ω゚) ・・・またホモ話続くンかい?
そういや若衆歌舞伎も畿内での取り締まりはゆるかったから、お上の統制も関係有るかもしれん。
まあ、あっちはパトロンの坊主が多い・・・ いや、よそう。
651 :
白馬青牛:2007/06/07(木) 00:37:42 ID:1WeS13z6
>>649 武士が地方から生まれた云うより、地方の下人奴隷兵を兵卒にして、
上層武士は、畿内から下った連中じゃ。
>>510で云うたように、
折口説は、武家の源流を「征服なされた部族の根元たる慰霊を以て、
奉仕せしめられた」人達とされるが、武士の源流の一要素に過ぎん。
折口氏の武士=ごろつき説も職能論に受け継がれとるんは皮肉なのう。
在地領主論も国衙論もマルクス史観の影響が強いよ、戸田芳実氏等
職能人論に立つ武士論は、通説破壊で歴史修正主義と右翼扱いし、
読書人に与える影響、社会的責任云々と暗に高橋昌明氏を批判した
下向井氏もねえ。あんたも「京畿の輩」が「東国射手の本」であることが、
感情的に気に入らんのじゃろう。
『今昔物語』の文の解釈の仕方で猛きつはもの坂東兵か。非戦闘員を
殺害する坂東兵に「つはもの」の資格はないのに。
犬追物をせんでも、付近の山野で獲物相手の狩猟をすりゃあええことで、
庭でやるもんに実戦も糞もあるまい。静止弓射が実戦的でないんなら、
モンゴルやチベットの遊牧民の弓競技が実戦的でなく、彼らは拙劣な
技術しか持っとらんかったんか?井の中の蛙君は世界を知らんで
わめいとるのう。
>>650 騎射で畿内にかなわない坂東武士は、対平家戦に非戦闘員を利用で
手段を選ばんのう。西国の職能的戦闘員の悪党と東国の隷属縦社会の
アウトローを同一視出来んよ。
652 :
白馬青牛:2007/06/07(木) 01:23:35 ID:1WeS13z6
>>648の稚児神の続き、大林太良氏は、南方習俗の強い隼人とされながら、
「古代新羅の花郎の制度が形態的に近いんではないか。東南アジアには
戦士的若者組というのもあるわけですけども、女装の男子が、
アバンギャルドになるとか、精神的中心になるという例はあまりないん
ではないか。比較できるのはむしろ内陸アジアの方の例です。
中央アジアで半陰陽の祭祀が若者組の一つの中心になっている。
東南アジアの女装の男子のシャーマンは軍事組織との結びつきは出て
こない。」
新羅の影響は、秦氏系島津氏以前から、薩摩は肥君が出水地方に南下し、
川内川下流域に肥後の住民が移住させられ、大隈は豊前の住民が移民が
多い。豊前の新羅系の人々が、宇佐八幡信仰を持ち込み、肥の国、肥前・
肥後は新羅水軍と関わりが深いことも、考えられよう。
大隈隼人(日向隼人も含む)=霧島山信仰・畑作狩猟系と、
阿多隼人(薩南)=開門岳信仰・漁撈海民系と違いがあるが、
両者とも新羅の影響があったんではないか。
653 :
白馬青牛:2007/06/07(木) 22:57:27 ID:1WeS13z6
>>652薩摩の新羅系の影響についての続き。
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-51.html (三)新羅、秦氏、八幡神の信仰の広がり
▼島津氏が継承した新羅の民俗
惟宗氏とは秦氏で、源氏の鎌倉幕府の「新羅」系政権?と関連もあろうが、
名門の美少年を「稚児様」(ちごさま)と称し奉り、戦さには稚児様を
先頭に青年戦士団として戦場へ赴いたこと等、新羅の「花郎」と類似した
民俗であること。この民俗が最も残っていたのが国分と出水であり、
薩摩の中でも勇猛な出水兵児と名高い出水に新羅・加羅の六区分制度や
出水八幡宮祭礼が残っとったんも興味深い。
薩摩の武士道じゃのうて「花郎道」が残っとるんは、慶尚デイープ・サウス
の薩摩ならでは。むしろ韓国の慶尚道よりも薩摩の方が新羅系習俗
継承王国かも知れん。
654 :
白馬青牛:2007/06/07(木) 23:59:57 ID:1WeS13z6
薩摩の渡来系影響だけじゃあなんじゃけえ、土着隼人要素も挙げとこう。
http://www5.synapse.ne.jp/q9658/satumahayato-1.htm 「指宿と根占町など」に、
パチンコ店で儲かった時の反応で、「指宿はやっかみ半分、大隈地区は
一緒に喜んでくれる、鹿児島や北部の国分辺りの人は無関心。つまり、
指宿の人間は陰険、利己主義。大隈地区は陽気。鹿児島以北は個人主義。
これがその通りかどうか問題であるが、古くから指宿に住んで居る人達は
何となく思い当たるのではないだろうか。島国根性に代表される意地悪、
妬み、足の引っ張りあいは日常茶飯事。そのくせ権威に滅法弱いと
きている。鹿児島湾沿岸の人達の先祖さまは指宿を含めどうやら土着
縄文人のようである。」と。
下の方の「モレウの渦巻き」にも、
「大隈隼人が肥人(阿多の北で熊本)を使って、阿多隼人を圧した時期も
あったようであるが、大局的にもこれら三つの隼人を主体に、互いに融合
して後の広義の薩摩隼人を築いていった。」と土着優先解釈であるが、
「昭和の初めのごろ、中国と戦火を交えていたとき十八部隊というのが
あり、鹿児島県人で結成されていた。攻撃的で緒戦でかなり戦果を上げ、
この部隊は敵方でも有名であった。一方、守りをさせるとまるで駄目と
いう話もあった。」
十八部隊と云うんは鹿児島聯隊のことで、同じ六兵団の熊本聯隊は
西部十六部隊、ちなみに西部ニ部隊は広島聯隊。
まあ、戦国期から城攻め、籠城の下手な薩摩は、短期野戦の攻撃戦について
限定すると優秀じゃったろう。
655 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 00:56:38 ID:fgqEOgnF
そういや九州や東北の師団の名声を妬んで評判落としに精をだすのもいるなぁ・・・
ある意味足を引っ張る行為だな。こういうのを島国根性というんかいの?
656 :
白馬青牛:2007/06/08(金) 01:28:38 ID:rgn7zfsb
>>655 九州や東北師団の名声たァ何ない。その名声の戦闘とやらを実例を挙げて
云わんかい。実例も挙げずに、広島師団の武勲を妬んで足を引っ張る
行為じゃのう。こういうのを島国根性云うんじゃろう。
九州や東北兵団の評判も戦闘の優劣に関係ない、
猛攻精神や忠誠心じゃし。ただし東北兵団の忠誠心は疑問じゃのう。
命令違反で発砲する集団主義じゃあ錬度の低さを現しとると云えよう。
657 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 01:44:53 ID:VlaO4aqY
(=゚ω゚) まあ、ふつうに軍関係者は東北師団を挙げとったのう。
>>653 ほう宇佐八幡宮の祭神は神功皇后か、それは三韓とも縁が深い事じゃのう。はっはっは。
まぁ、新羅を建国したのは倭人なんだから倭の影響かもしれんな。
しかしいつから秦氏は新羅限定になったんじゃ?
658 :
白馬青牛:2007/06/08(金) 02:08:15 ID:rgn7zfsb
>>657 軍関係者云うて誰が挙げたんか。しかもどの戦闘を褒めたんか。
具体的に云えーや。
新羅を建国したんが倭人?東北アジアの倭人云うことか。まさか列島の
倭人じゃあるまい。新羅古墳の北方積石木槨墓・黄金文化もアルタイ・
内陸アジア、北方民族の南下じゃけんのう。新羅は高句麗・百済と違い
東北アジアの海民的要素も薄いので、倭人が支配階級の可能性は低い。
昔氏=倭人説もあるが、倭人は七宝と共に奴婢を献上しとるし。
逆にアメノヒボコやツヌガアラヒトは新羅・加羅人じゃろう。
人類学的にも南方の列島から北方へ拡散するなど考えられん。北方民族の
南下が世界的な現象じゃ。
ほんま関東人は井の中の蛙がようけおるのう。
坂口安吾氏の百済=平家・新羅=源氏や秦氏は新羅限定じゃのうて、
土木技術等チベット羌族的要素も考えにゃあいけん。渡来系漢氏や
西史氏も鮮卑的要素もあるけんのう。
加羅・新羅だけで日本列島の人口が大量に増える訳あるまい。
北アジア全体を視野に入れて、北方民族の南下現象を捉えることじゃ。
659 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 03:39:43 ID:XSHPTAFj
原ジャイアンツめちゃめちゃ調子ええなぁ〜〜〜〜
ちょっと勝ちすぎやで、ほんま。少しは負けてくれんとあかん。
わし、ビール飲みながら見てんねんけどな、最近岡田の顔TVにうつるたんびに何か
ため息ばかり出てせっかくの酒がしょっぱくなんねん。もう毎日こんな状態が続くと
わしノイローゼになるでほんま。。。。。。だけどアレだけは元気でビンビン立ちよるからな、
あっちの方でストレス解消や。。。。。これがまたたまらん。もうこれだけはやめられんわ。
話すと長くなるんでこのへんでおやすみや。皆の衆。
660 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 05:54:12 ID:UEdfGOAG
>>656 右にフラフラ左にフラフラが大好きな広島人は九州から叩き出されてますがw
661 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 17:05:14 ID:k2GLjjZm
662 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 19:35:59 ID:UEdfGOAG
おk
広島の893の携番教えて
663 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 20:37:12 ID:oyNOifDh
>>651 故戸田氏のどこが右翼なんだか。戸田氏も東国の馬、西国の船で書いてるな。
東北人の入間田氏が鎌倉武士と軍国日本を重ねたり、職能論でも行き過ぎた職能論者が左翼っていうか極左。
んで、適当に抜き出して文章作るいつものusiかw
犬追物といっても馬場武芸だからな。〜流なんてのは室町以降だしね。さらに遡れば武家故実なんてのも(ry
でもよ。頼光は狩猟が出来なかったから弓の技量に自信が無かったんだぞ。理由は在京が長いから。
現代のモンゴルやチベットと比べたところで・・・
痩せ馬&百姓武士の畿内だけど?9、10世紀から自力救済で弓馬を練ってきた東国と比べたら次元が違うんだよ。
>>658 坂口安吾かよw
自称頼朝子孫の島津が一貫して意識してきたのは鎌倉武士の精神だろ。薩摩嫌いの左翼系学者が多いわけだ。
江戸時代なのに残酷な犬追物に熱を入れてるのはある意味異常だけど。
戦国以前に安芸や毛利の武士が評判の史料ってなんかあるのか?
別スレで広島人が叩いてる武田にはあるけど(興福寺蓮成院の日記)
妻鹿豚って人が関東叩いてるから書かないけど。
664 :
白馬青牛:2007/06/08(金) 23:11:09 ID:rgn7zfsb
>>660 右にフラフラ左にフラフラが大好きな広島人?そがあなもんはわしゃは、
知らんが、その広島人を見てみたいのう。
>>663 戸田芳実氏は、左翼でえ。尾張群司百姓らの国司糾弾、人民闘争と
マルクス史観用語を使われる。
>>651は戸田氏等。と「。」を付けんかった
けえ誤解を招く文になってしもうたが、戸田氏ら国衙論を左翼として
書いたんじゃ。職能論に分類されるかどうかじゃが野口実氏も左翼で
あろう。適当に抜き出しとるんは、あんた自身の問題じゃ。
頼光が狩猟が出来ん云うんも、文献をあんた流に都合よう解釈した結果
じゃないか。モンゴルやチベット等の内陸アジアと比較せずに馬文化を
語っても偏狭自慰しとるだけになるど。畿内が痩せ馬云う根拠も
あい変わらず挙げんのう。また、マルクス左翼史観の元木泰雄氏らの
自力救済か。東国の「でいり」が自力救済云うんも笑えるわいのう。
坂口安吾氏の考察は隠蔽体質の学者よりましじゃろうに。
鎌倉武士の精神の残酷さが薩摩に伝わり、戦国期朝鮮でカクセイ狩りや
近代の第六師団にも影響を与えたと蛮行を自慢したいんか?
薩摩嫌いの左翼学者云うて誰んことか?評判の史料云うて何か?
坂東の残酷さを勇敢と解釈する自慰はせんよ。評判云うて仙台2Dの夜襲で
命令違反ながらたまりかねて撃ち返したらロシア軍が逃げて呉れて、
仙台夜襲師団のイメージが作られたようなもんか。
別スレは見とらんけえ知らん。
665 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 00:19:55 ID:Q/bJn4lj
>新羅を建国したんが倭人?
(=゚ω゚) 海から来た倭人『瓠公』(朴姓?)じゃよ。
もともと新羅は建国時に複数の王統を持っている。
【辰韓は古の辰国なり。。。弁・辰は衣服・居處辰韓と同じ。言語・法俗相似る。男女『倭に近く』また文身す】
つまり辰(秦)韓人は倭人の影響下に有ったと言う事だろうな。
半島南部は石器時代から日本本土人が往来していたし第二十五代百済王の武寧王も佐賀県生まれ。
王侯レベルでの交流も多かったはずだ。
>新羅は高句麗・百済と違い東北アジアの海民的要素も薄いので、倭人が支配階級の可能性は低い。
(=゚ω゚) おまいは海人族が支配者になると国民全員が海人風習になると思うちょるんかい
666 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 01:17:25 ID:cp4VXGSY
>>664 結局のところ、職能・領主制・軍事貴族・国衙とかを別個に分けて考える事に問題があるんだよ。
usiは日本史板のアンチ甲斐源氏厨と同じ考えなのかorz
それと稚児は薩摩に限らないが。
今昔物語の頼光↓
若い頃、はかばかしいとはいえないが鹿などを射る事もあったが、今は狩猟をする機会もないので、
狐を射ようにも矢がどこに飛んで行くか予想も付かない。
坂東武者は本当に残忍だった?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1138247458/ ・今昔物語集
「平ノ貞通、平ノ季武、(坂田か)公時」という摂津守(源頼光)に仕える三人の兵は、
「皆、見目キラキラシク、手聞キ、魂太ク、思慮有テ、オロカナル事無カリケリ」といった非常に優れた兵。
賀茂社の祭礼に、牛車を女房車に仕立て行く事にした。
だが、三人とも初めて乗る牛車の中で、死ぬほどに酔ってしまう。
(牛車の外から見ると)「東鴈ノ鳴合タル様」な声が聞こえてくる。「東人ノ娘共ノ物見」なのだろうか?
貧相で貧乏臭い牛飼童に身を任せ、大恥をかいて無意味な事だ。
この車で引き返したら俺達の命は無いな。人が居なくなるのを待って歩いて帰ろう。
平季武は後日、
「千人ノ軍ノ中ニ馬ヲ走ラセテ入ラム事ハ、常ニ習タル事ナレバ不怖ズ」
「猛キ兵ト申セドモ 車ノ戦ハ不用ニ候ナリ」もう懲り懲り、車の側には近寄らない。
667 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 01:28:01 ID:EwoXKrwH
668 :
白馬青牛:2007/06/09(土) 01:59:32 ID:RkjD4gC7
>>665 嫌韓サイトの受け売りか?つまらん。朴氏の伝説は南山の麓に稲妻が
走り、一頭の白馬がひざまずいて一個の卵があり、卵を割ると童子が
現れた。天子が降臨し国を建てるモチーフで北アジアに多い感生神話と
卵生神話が混じっとる。新羅のスキタイ遊牧民文化を無視して語れん。
http://park11.wakwak.com/~siori/sinwa.html の、中段の文に「扶余が支配者であった百済、高句麗よりも(日本列島の
支配者が扶余系とする江上氏や米学者レットヤード氏の説は別として、)
文化的に南方系の新羅の方がストレートに北方騎馬民族の黄金文化を
受け入れている」こと、他に古新羅のローマン・グラスやケルト的な
宝剣(三つ巴でもある)、天馬塚のアルタイ様式と漢化しとらん遊牧民の
文化が新羅には濃厚じゃ。新羅の支配者は4世紀以降北方から南下した
集団じゃったろう。倭人は内モンゴル〜朝鮮〜日本列島の漁撈民の総称で
列島に限定された根拠でもあるんか?百済王武寧王が佐賀県?
記述が成立した以前の文献など挙げても妄想になるだけど。
神話等、類型パターンとして諸民族との活用出来るぐらいのことで、
歴史的な史実を求めても意味がない。
新羅は内陸アジア的遊牧民要素が強く、百済・高句麗のツングースほど
水軍要素が強うない云うことじゃ。生活様式まで支配者を真似る訳
あるまい。被支配民も伝統の生活様式を続けよう。
669 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 02:08:00 ID:cp4VXGSY
670 :
白馬青牛:2007/06/09(土) 02:37:03 ID:RkjD4gC7
>>666 頼光が役勤めで狩猟する機会が薄かったことが、都人が狩猟に拙劣云う
根拠にならんし、それらを強引に結びつけるとしたら、電波になるど。
関東に牛車文化が今のところないこと等、関東の家畜飼育文化の
拙劣さを物語ってないか。高句麗やモンゴルも牛車文化があるよ。
そこらへんが文献解釈の問題じゃ。多面的文化要素から類型事項を
挙げて解釈するか、文献の自己解釈で自慰するかの問題じゃ。
坂東武者スレは過疎じゃけえ、単純に書いてやったよ。
>>667 李氏朝鮮に、慶賀使節を送った大内氏も含め九州諸国も朝鮮に
尻尾振り振りか。
671 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 12:19:54 ID:6d1XxW/z
>>641 負けたことないのに天下を取った事ないってある意味すげーな
672 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 21:50:54 ID:zvowkWIr
めがとんちゃんwarosu
>>670 頼光は権門である摂関家に、武を持って奉仕する軍事貴族・都の武者だぞ。
その頼光が狩猟に遠ざかってるんだからね。推して知るべしだろう。
「車ノ戦ハ不用ニ候ナリ」
牛車は戦には無用の物だと言ってる。当たり前なことだが。
>関東の家畜飼育文化の拙劣さ
東国の馬、九州の馬牛、中国の牛
近畿は?w
森浩一氏が群馬県出土の猪(赤ちゃん)の埴輪と、猪飼・犠牲獣の可能性を述べてるぞ。
まっ、狩猟文化は東高西低だしさ。
673 :
白馬青牛:2007/06/10(日) 00:53:56 ID:MEpdmnD6
>>671 天下を取るなどの、野心はないよ。日本全国は山口県に任して、
広島は、中国地方の雄でええ。
>>672 また畿内に対する関東の優位を表したいんか。
http://kkuramoto.web.infoseek.co.jp/hikakukoukogaku.html 中段のA藤原鎌足?に、阿武山古墳出土ミイラのデータから、渡来系
畿内型の短頭で大腿骨の強大、ほいで「左肘の関節の骨の突起は
スポーツ肘と同様で生前、弓の過剰な鍛錬にゆるもとと思われます。」と。
藤原鎌足の骨かどうか解らんが、畿内人は弓の鍛錬に熱心じゃったろう。
頼光も忙しゅうて狩猟をする暇がなかっただけで、畿内人が弓馬に劣った
根拠にならんよ。坂東武士の人骨から畿内の人骨より弓馬に巧み云う根拠
でも見つかったんか?
坂東が家畜飼育文化に拙劣なんは、今の処牛車がないこと、犂使用に
乏しい。関東へ高句麗人らが移住しても、家畜管理に疎い現地民化した
云うことじゃろう。狩猟文化は平地より山地の方が残っとるし、平地農耕民
の関東ど百姓が狩猟云々いえまい。しかも旅人や乞食を殺す等、狩猟民に
あるまじき行為じゃないか。「窮鳥懐に入れば、猟師も殺さず」
習俗的に間引きも含め農耕民じゃろう。関東を含め東日本は。
北東アジアの狩猟民のツングースは「動物を必要なく殺すことや金の為に
人を殺すのはオルマ(悪)と見做す。」狩猟民なら命を奪い食とするので、
獲物の供養を重んじ、関東ど百姓のような残酷なこたァせんよう。
674 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 01:23:35 ID:X7bFn8Hi
>>668 >嫌韓サイトの受け売りか?
(=゚ω゚) いや 『高麗王朝の正史「三国史記」』の受け売りなんじゃが。何か問題でも?
三国史記卷一・新羅本紀第一・始祖赫居世三十八年 瓠公者、未詳其族姓。本倭人。。。
>朴氏の伝説は南山の麓に稲妻が走り一頭の白馬がひざまずいて一個の卵があり・・・
(=゚ω゚) ああ、新羅の王系は朴氏・昔氏・金氏の3姓らしいね。
昔氏伝承。
【倭国から東北一千里の多婆那国王妃が妊娠ののち7年たって大きな卵を生むが不吉なので
卵を箱に入れて海に流した。箱は辰韓の老婆が拾い開けると中から一人の男の子が出てきた。】
♪もーもタロさん桃太郎さん♪指に〜足りない一寸法師〜茶碗の舟に箸の櫂♪ヒルコ萌え〜。
>まっ、狩猟文化は東高西低だしさ。
(=゚ω゚) 「木漏れ日の葉陰にいる小鳥に比べれば扇の的などたやすいはず」とは那須与一だったか?
675 :
白馬青牛:2007/06/10(日) 01:55:39 ID:MEpdmnD6
>>674 前にも云うたが、その昔氏も、七宝と奴婢を献上したわけじゃし。
狩猟文化も、熊を指標とする東北日本型。焼畑式山地農耕と狩猟や
林業をする中部・近畿日本型。焼畑・狩猟との歳時儀礼が並行して
行われ、猪を指標とする西南日本型。と分類出来るわけで、
東西日本の差じゃのうて、山地と平地の生活様式の違いじゃ。
遠矢は、吉野・十津河ノ指矢三町遠矢八町か。
676 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 02:28:29 ID:3CF+OvTt
>広島は、中国地方の雄でええ。
井の中の蛙、お山の大将
677 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 09:14:14 ID:8wHblHf7
>>676 何だ、広島って言うのは西の仙台みたいなド田舎だったのか。
じゃあ広島師団が強いと言うのもかなーり眉唾だねぇ。中国軍や開戦直後のイギリス軍だったら仙台や久留米の師団でも
勝てちゃうような連中なんだから。
678 :
人間七七四年:2007/06/10(日) 12:29:46 ID:HcdyoaCv
>>673 予想通りの言い訳がきたなw
戦国時代の広島が天下に興味なかったって何でわかるんだよ?
無理だと諦めてたってんならわかるけどさw
679 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 00:08:47 ID:OLaJ3rzQ
>>676 吹いたwwww
結局それなんだよなwww
680 :
人間七七四年:2007/06/11(月) 21:04:04 ID:5UNotyjW
>>677 別に広島だけで勝ったわけではないし
それにけっこう紙一重の勝利
681 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 00:07:59 ID:/CdyAv0Y
>>673 その時代の中央貴族は軍事にも携ってるから。一昔前の物部守屋大連とか歴とした武人だろ。
藤原氏がのし上がるための武力として期待したのが、授刀舎人=騎舎人=東舎人。
東舎人=東人、衛府武官のルーツだな。
で、鎌足は『大鏡』によると、常陸で生まれたとあるけどな。
本当に残酷なのはやたらに獲物を捕りまくった近世の武家とか、明治以降の乱獲とか環境破壊の方だろ。
>>675 縄文先進地の中部と、後進地の近畿。
>>674(=゚ω゚)
その話は知らないけど、与一を推薦したのは歴戦の兵・後藤実基。代々の源家家人で、在京武者かな。
682 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 01:32:36 ID:/CdyAv0Y
↑源氏相伝
>>673 関東は土壌の問題で残りにくいっていうじゃん。
上の方で薩摩を悪く言ったからフォーローしとこう。
岡山の人・古川古松軒は、『西風雑記』で薩摩の気風を賞賛してる。
683 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 02:19:14 ID:j19wdqjY
>>681 (=゚ω゚) ナスの与一の話は源平盛衰記っす。少し間違っておったけどw 正確にはコレ
祈念して、目を開て見たりければ、扇は座にぞ静れる。
さすがに物の射にくきは、夏山の滋緑の木間より、僅に見ゆる小鳥を、不殺射こそ大事なれ、
挟みて立たる扇也、神力既に指副たり、手の下なりと思つゝ
[訳]
(祈念して眼を開いて見ると、神の助か扇が座に静まっている,
物の射難い点から云えば、夏の山の木の葉隠れの間に見える小鳥を殺さぬようにして射ることだが、
それに比べて、挾んで立てたあの扇だ、まして神の力で今、風も鎮り扇の座も定まった、もうこっちのものだと思いながら)
>>681 (=゚ω゚) 遠矢なら本間孫四郎
684 :
白馬青牛:2007/06/12(火) 22:37:01 ID:VG4wgJNU
>>676-678 広島県は井の中の蛙じゃのうて、権力欲がないだけじゃ。山口県は大内氏の
時代から京都にちょっかい出しょうる。まあ安芸勢が京都船岡山合戦に
活躍することになったが、大内継続体質の幕末の長州藩も中央志向が
強いのう。地域事例から判断したらそうなるよ。
>>677-679 仙台13Dは、中国国府軍の冬季反攻に負けとるよ。救援したんは
広島39Dじゃ。宜昌でも陥落寸前広島39Dが救うた。
イギリス軍の開戦直後と、どの戦闘を比較して云うとるんか?
仙台2Dは、(広島5Dが激闘した南寧戦のような激戦にならずに済んだ
と今村均将軍が云われるよう)蘭印作戦で闘志のない敵を相手にした訳で、
しかも激戦のマレー・シンガポール作戦にゃあ参加しとらんのに、
どうして勝てる云えるんかいのう。負けそうになったら広島師団に頼る
云ういつものパターンか。久留米18Dもシンガポール攻略で大村第55
聯隊が英軍の逆襲砲攻撃で退却したぐらいじゃし、仙台2Dに近衛GDや
久留米18Dの変わりが務まったかどうか解らん。ガ島の敵陣を突破
出来ずやられたけんのう。名古屋38Dが主力じゃったらどがいな結果に
なっとったか解らんが。
>>680 敵味方双方苦しい激戦は、最後の5分間で勝負が決まる。
マレー・シンガポール戦の紙一重の激闘じゃった。
マレー戦でも、チャンピオンの広島5Dは他師団のケツを拭いた
もんじゃ。ガ島でも敵陣を一回でも突破しとったら戦闘主導権を握り、
善戦したかも知れんのう。
685 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 22:37:36 ID:mxLYf7tD
686 :
人間七七四年:2007/06/12(火) 22:38:32 ID:1vnd4GFe
鳥取県はどうですか?
687 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 00:42:47 ID:oMBbZa8Z
>682西遊雑記
>>683 太平記は平家の塗り直しが多いよね。
>>686 鳥取だったら俺らでも甲子園に・・・
鹿之助が因幡で憎まれてたって本当?
688 :
白馬青牛:2007/06/13(水) 00:44:09 ID:wc9kyerZ
>>681-682 その時代の蝦夷は騎兵じゃあるまい。渡来系の西史氏や秦氏は騎馬で
足軽が佐伯部等の国巣・蝦夷や隼人であろう。
鎌足が常陸か。鹿島の中臣氏伝説云々云われてものう。
形質人類学的に土着人の可能性は低いのに。
残酷なんは近世や近代だけじゃのうて、関東武士もそうじゃろう。
少なくとも狩猟民の伝統は薄い。東日本で、狩猟民の伝統が強いんは
近世のマタギ集団じゃろう。獲物を平等に分ける山分けが生きよった。
獲物を平等に分けるんは西日本でも狩猟漁撈を生業にしよる集団では当然の
ことじゃ。東日本の農村地帯の平等性に乏しい格差社会と較べ、芸備
(広島県)では、『地主と小作の家を見分けることが出来ない。これが
関東や東北なら、たいていそれとわかるのである。』と宮本常一氏。
東日本に民主制を求めても意味がないが、封建格差社会の伝統は、
狩猟民的じゃのうて、農耕民的性格じゃろう。
縄文時代の先進性か。梅原猛氏じゃあるまいし。
関東の土壌以前に、家畜飼育文化に重要な犂文化も関東に乏しい。
モンゴル系半農半牧民や満洲のツングース系も犂を利用した文化じゃ。
朝鮮や西日本迄が文化圏で東日本は家畜を荷駄用に利用する現地民文化の
影響が強かったんじゃろうて。薩摩はわしも好きじゃ。瀬戸内は昔、
芋が主食じゃったけえ、薩摩の芋焼酎は地元の食い物にも合うけんのう。
小魚から猪肉まで、つまみとして相性はええわい。
689 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 00:58:59 ID:oMBbZa8Z
>>688 物部氏に従属してたのが西漢氏ら河内の加羅・百済系豪族だったからな。
それより古く、五世紀の東国で馬具が多いだろうに。
隼人も騎兵な。足軽はないだろ。
狩猟も馬、何の史料だったけかな?あとで思い出してみよう。
んで、宮本常一は古いってのに。騎馬と駄馬=しゅう馬の党。
690 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 01:03:40 ID:oMBbZa8Z
狩りを好む人は、馬を以ってはじめとなす。若し馬無くば、何の美操か有らむ
691 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 08:00:06 ID:9K6117h6
>>684 広島に権力欲がない云う地域事例とは何か?
具体的に云えーや
692 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 14:30:01 ID:OWCbyFzT
広島は古来より腰抜けの代名詞だったから
身の程を知ってたへたれが広島人
693 :
人間七七四年:2007/06/13(水) 17:01:40 ID:+IPBh0Wq
>>692 それは、全てヘタレドン五里仙台人の思い込みです。
694 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 00:25:07 ID:2kRdC+L5
そろろそスレの趣旨に戻ってみては… 自分の地方の自慢なら聞いて楽しいが、人の挙げ足取りは続くと聞くに耐えない
695 :
白馬青牛:2007/06/14(木) 00:42:56 ID:tnljBhcD
>>689-690 東漢氏は物部氏より蘇我氏と関連が深い。物部氏や蘇我氏は渡来系か
解らんが、蘇我氏は、百済系木氏か?のう。坂口安吾氏は、高句麗と
関連付けておられるが、まあ天智帝天武帝以前は蘇我氏が天皇であっても
可笑しゅうはない。東国に馬具が多くとも畿内に献上する訳で東国の
習俗に騎馬要素が多い訳でもないよ。隼人が騎馬で朝廷に仕えた根拠は?
宮本常一氏に批判的じゃが、古い新しい云うて流行を追うても意味ないど。
狩りが騎馬に結びつく文化は、我が国では薄いのう。マタギが騎猟
するんか?
>>691 例えば杉本五郎氏などはそうじゃろう。
http:/ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E4%BA%94%E9%83%8E 「中隊長という地位が私の気持ちに一番よく叶っている。これ以上の
地位につきたくない」「兵とともに在り、兵と生死をともにしたい」と、
部下に対する愛情と、大義の伏字の権力者を容赦せず、軍部の腐敗や
軍紀の緩み(日本軍の掠奪行為は皇軍の恥と)まで批判された。
広島人の典型であろう。他に石田義顕少将(山口県人)の記された
広島聯隊の伝統に、広島の青年将校は、陸大入試に資質はあっても頭から
受験せぬ者も相当あったこと。カンシャクもちとか一癖もニ癖も
持ち合わせた人間が多かったそうじゃ。出世、権力欲なんか、
つまらん虚栄心に過ぎんよ。
696 :
人間七七四年:2007/06/14(木) 00:51:38 ID:qE1d0vgI
>>686 (=゚ω゚) 鳥取なら455あたりから数件書いてある。大藩だし戊辰戦争ではかなり強い。
697 :
白馬青牛:2007/06/14(木) 23:10:46 ID:tnljBhcD
698 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 02:42:41 ID:4qktH3HL
ウイキって…
699 :
白馬青牛:2007/06/20(水) 22:12:29 ID:DaLjoVgz
>>698 ウイキは、時々間違いもあるが、杉本五郎氏について書かれてあるもんは、
http://sizuka.at.infoseek.co.jp/tagi.htm を引用しとるせいか、ずれとらんよ。下段「第十七章 戦争」の、
「一度敵地を占領すれば、敵国民族なる所似を以て殺傷して飽くなし、
略奪して止まる所を知らず。悲しむべし、」「かくして今次の戦争は
帝国主義戦闘にして、亡国の緒戦と人に謂わんに、誰人も何んと抗弁し得る
ものぞ。国を廃頽に導くものは共産主義に非ず、人民戦線に非ず、
乃至社会主義にも非ず。(中略)亡国は底なき自己保存、飽くなき利己心に
あるのみ。」と、結果論から云うと、まさに亡国の緒戦になった訳じゃ。
700 :
白馬青牛:2007/06/20(水) 22:16:28 ID:DaLjoVgz
701 :
人間七七四年:2007/06/20(水) 23:28:47 ID:b6WxddT2
wikiをわざわざuikiって打つ意味はなんなわけ?
702 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 10:47:25 ID:pgXDCy6K
牛のレスはとりあえず で? だから何? といいたくなるのばっか
703 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 22:45:22 ID:WaC6mrXE
>>695usi
東漢(やまとのあや)と蘇我大臣、西漢(かわちのあや)と物部大連。
番上隼人。
献上っていうか、在地で使い込んでるだろ。だけど軍事上の運用は後世だから、
江上騎馬民族説の否定にも繋がる訳だが。
704 :
白馬青牛:2007/06/24(日) 01:50:03 ID:MuHdc0qT
>>703 蘇我氏が大臣か天皇であったか解らんが、土蜘蛛・蝦夷・隼人ら
原住民は、刺青や椎結でミズラの渡来系と違い差別云うか区別は
あったろう。江上騎馬民族説の否定云うて、江上説を多面的に
否定出来た論者はおらんよ。わしも、部分的には否定論者じゃが。
ツングースは騎馬より、漁撈水軍要素が強いんじゃないかとしても、
江上説じゃあ、西洋のヴァイキングも含め、騎馬民族の舟への転換と
されたら反論も出来ん。組織運用の面で、江南の越水軍より、
小舟のツングース水軍の方が日本的じゃもんのう。
家畜飼育、牧民組織の海洋バージョンとも云えるし。人類学要素から、
江上説より、渡来支配者層が多かったと云えるが、全体論から江上説を
否定するんは難(いた)しい。
705 :
烏洛侯国研究家:2007/06/26(火) 05:53:10 ID:QDrIGUR8
白馬青牛さん。もし宜しければ烏洛侯国とかっ仙洞について詳しく教えて下さい。
706 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 07:36:00 ID:0rsiINke
某スレその他、毛利厨の武田叩きが惨い。精兵主義の武田は強いだろ。
「甲斐・越後之弓矢天下一之由風聞、一大事之陣立也」
『蓮成院記録』 大和国興福寺蓮成院・釈迦院寛尊、天正10年3月。
(北条氏康評)
「文を表にし武を裏にし、刑罰清くして遠近服す。まことに今代天下無双の覇主也」
『明叔録』 南禅寺龍華院・東嶺智旺。蜷川氏。
>>704usi
方言に味があっていいんだって^^
707 :
白馬青牛:2007/06/27(水) 00:34:26 ID:aOGQYitr
>>705 烏洛侯はモンゴル系で後の室韋と地理・文化的に近い集団と思います。
室韋は、北室韋の狩猟集団や水室韋の魚や亀と取る漁撈民集団もおります。
どうも生活様式はツングースの狩猟・漁撈集団に近い要素もあり、
高原の遊牧モンゴル系と違いますね。まあモンゴル部族の起源も蒙瓦室韋で
森林狩猟集団からモンゴル高原更に世界帝国を作りました。
大興安嶺から満州は民族移動・征服の震源地です。
北魏王室の仙洞のことかと思いますが、鮮卑拓跋部も烏洛侯の地から
中国北部を支配するまでになり、隋や唐も鮮卑北朝系で同様の例じゃと
思います。現代はもっと南におった契丹の子孫とされる
モンゴル系ダフール族の地ですね。その契丹の地におったんが、
鮮卑慕容部で、遼寧や山東省にも国を作りますが、我が日本の新沢千塚古墳
に影響を与え、坂上田村麿の渡来系の東漢氏も鮮卑的要素が強いと近年
注目されています。坂上氏の伝説モチーフも神牛の教えで移住する牧畜民
的ですが。
戦国大名にむりやり「コジツケレバ」秦氏・新羅系は島津・長宗我部・
武田氏で、漢氏・百済系は大内氏と云うことになりますかね?
>>706 毛利厨の武田叩きは知らんが、人身売買の武田が強いんか?精強は軍紀に
かかる要素も強いど。越後と甲斐の比較なら越後に一票やってもええが。
708 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 21:44:15 ID:Jq1bKoDQ
こうだったな
「甲斐・越後之弓矢天下一之軍士之由風聞、一大事之陣立也」
>>707 武田は違うってのにw
島津は比企氏の血も流れてるよ。
709 :
小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2007/06/28(木) 10:37:06 ID:cLs9buxc
毒矢で鉄砲と戦ったアイヌ人をたまには思い出してやってください。
710 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 16:03:29 ID:zVdKM8qV
薩摩隼人
711 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 00:25:11 ID:T8vh42kp
>>706 >(北条氏康評)「文を表にし武を裏にし、刑罰清くして遠近服す。まことに今代天下無双の覇主也」
(=゚ω゚) おお、すばらしい。まさに文武両道だな。
古代文王、太公望に問いて曰く。
文王「1人を賞して100人に善を勧め、1人を罰することによって大衆を懲らすにはいかがすればよいか?」
太公望「賞する者は必ず賞し、罰は法に則り必ず罰する(賞信罰必)身近においてこれを行えば
遠くの地の者も自ずと罪を改めるものです」
天下美の美なるを知る。これぞ真の兵法だわな。
>>709 (=゚ω゚) アイヌいいね。蠣崎、武田とも毒矢で戦い、いいいところまで行っている。
そう、激しくいいいところまでいっている。
狩猟生活をおくっていたせいかだらうか。
713 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 00:56:34 ID:T8vh42kp
(=゚ω゚) そーね。幕末明治の資料では相手がヒグマとかだからかなり凄まじい狩りも有ったようだね。
腕を噛まれたのでそのまま切り落とし返す刀で熊をしとめたとか・・・
まあ、ふつうに漁労もしていたけど。
武田に対しては毒矢を打ち返されたり苦戦をしたようだ。(←記憶書きなのであいまい)
ま、アイヌにも住む地方でまちまちだからな。
耕作しているアイヌもいたからな。
それより、”いいい”(ry
715 :
白馬青牛:2007/06/29(金) 01:27:05 ID:hXmwqioE
毒矢文化云うたら、靺鞨・挹婁・女真〜アイヌとなるが、
東北のマタギに毒矢常用文化はない。北ユーラシアの遊牧民にもないが、
モンゴルの例は女真の影響と思われる。日本列島でも毒矢文化は知られ、
非常時には運用されたろうが、北海道を除く日本列島は伝統文化
じゃないのう。
716 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 01:41:27 ID:T8vh42kp
(=゚ω゚) 坂上田村麻呂が蝦夷の毒矢と戦っておるじゃろ。
たしかアイヌではブス毒は秘伝だよ。異民族には教えないはずだ。
それに猟法も違う気がする。たぶんマタギとアイヌの狩猟法は別伝なのだろう。
牛は毒矢文化とか言ってることがわけわからんからスルーする。
>>716 その書き方ではアイヌと蝦夷が同じというふうに思っているのだな。
つーか、本筋から離れてきたが、戦国期の日本で寒冷地戦闘できる
唯一の特殊部隊がアイヌだろうな。
アイヌが九州で戦ったら、湿度にやられて簡単に崩れるだろうな。
718 :
白馬青牛:2007/06/29(金) 23:05:03 ID:hXmwqioE
>>716 じゃけえ、『魏書』挹婁伝の「古之粛慎国之國也 善射 射人皆人
因矢施毒」じゃ。アイヌ人の毒矢文化も、おそらくオホーツク文化を
経由した東北アジアの狩猟文化の流入であろう。毒矢を秘伝として
教えんかった根拠があるんか?
>>717 わけがわからん云う、おどれの低脳振りも笑わす。
附子(ブス・トリカブト)の自生地帯は、東日本を中心に広がっとるが、
実用的狩猟文化要素から、東北以南は乏しい。
寒冷地戦闘?特殊部隊?何じゃそりゃ。夢でも見よるんか?
719 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 23:07:37 ID:NhWDbLCO
ぶっちゃけ、あんま兵の強さなんてないんじゃないの?
要は大将の器次第というかなんというか。
甲軍・越軍が強いってのも、謙信・信玄だからだろ。その親父の代も戦に
かけては優秀だったわけだし。
なんでも文化つけりゃいいってもんじゃないだろ。
喪前が自分で書いたように何の毒を使うかは動植物の分布によって左右されうるから
毒矢の使用種類によってどこそこ地方がが○○の毒を使う△△文化というのは
おかしいだろ。
わかるか?
だいたいオホーツク文化って何よ?
オホーツク文化と狩猟文化が併記されているけど、どっちがより大きいの?
それとも同等なの?
文化ちゅうのは何で規定されるのよ?
ケースによっては文化じゃなくて文明といったほうがいいときもあるんじゃないの?
つーかよ、2chのスレで己の妄想語っておかすぃか?
アイヌの強さが存分に発揮されるのは気象条件によるっていうことを言いたくて
下の表現にしたのだが、そんなにおかすぃかね・・・
>戦国期の日本で寒冷地戦闘できる
>唯一の特殊部隊がアイヌだろうな。
722 :
人間七七四年:2007/06/29(金) 23:40:16 ID:RFohIDCn
もういいだろこのスレ。いつまでなんとか牛って奴のオナニーにつきあってんだよw
確かにこいつはいろいろと詳しいのは確かだが、ぼくちゃんこれだけ知ってんだよってな感じで笑えるわ。
延々とオナニーライブやってんじゃねぇよ。
うるせー、チキンが
とりあえず、漏れが言いたかったのはアイヌも結構強いけど、最強じゃないよねってことでした。
725 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 00:14:25 ID:l/dvlh5s
>>718 (=゚ω゚) 毒矢自体は東南アジアでも使ってなかったかな?
毒矢っつーのは狩猟万能では無いのだな。速効で効くわけでもないから
猛獣には使えない。なにせ鉄砲でも危険な生物だ。まあ、毒矢が効くのは草食動物と人間ぐらいだろう。
もっとも現代の軍用銃も別な理由で猛獣には使えないがw
マタギかどうかは知らんが熊猟では槍を使ったそうな。弓矢も強弓でないと猛獣には歯が立たない。
726 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 09:02:00 ID:MLsdKnTK
牛さんのコギミよいオナニーも
小銀玉の煽り解説も蛙君の可愛らしさも
眺めるのは楽しめるんだがいかんせん勉強不足で
何を言っても怒られそうでこのスレには
半端な知識では参加しにくくはあるよな
知識なぞとるにたらんとオモ
大切なのは理が通っているかどうかジャマイカ?
728 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 22:36:38 ID:l/dvlh5s
(=゚ω゚) 私なんかいつも怒られっぱなしだ。はっはっは。
729 :
白馬青牛:2007/06/30(土) 23:35:15 ID:W3TopnbC
>>720-721 動植物の分布で左右される云うんは、どがいな分類かいのう?
オホーツク文化はアイヌやアイヌの基礎となった擦文文化と同じく
狩猟民云うたァ漁撈民文化じゃ。アイヌ人も狩猟民云うより漁撈民要素が
強い。
http://kamuimintara.net/detail.php?rskey=21198707t01 オホーツク人が、貝塚から魚骨が圧倒的であるが、豚飼育もあり、
ギリヤークよりもツングースの可能性が強いと思う。
『今昔物語』巻三十一に、蝦夷の安倍頼義が船に乗って北へ行くと、
千騎の騎馬の一群に会った云うんも、北海道か樺太か沿海州か解らんが、
騎馬軍団に遭遇したんじゃろう。
下段に、安倍比羅夫が粛慎(オホーツク文化人)に圧迫された蝦夷を救う
戦いが『日本書紀』も出とるが、毒矢のことは明確じゃない。
じゃが毒矢文化は、熊崇拝と共に靺鞨文化としてアイヌに伝わった
可能性が強かろうて。
>>725 東南アジアでも毒矢を使用する山岳部族は多いし、ブータン人の毒矢も
周辺民族を畏怖させ有名じゃろう。問題はアイヌの毒矢の文化流入が
ツングース圏の影響が強い云う話じゃ。
千葉徳爾氏の調査でマタギの熊猟は(古くは火縄)銃じゃろう。
冬眠しょうる熊なら斧でぶち殺すことも日本各地にあるが。
槍も心臓を突いたら有効じゃが、槍は猪槍のように猪猟の方が使用頻度が
多かったんじゃないか。
てっきり毒矢文化というのは○○人は毒矢に△△毒をつかうって意味の毒矢文化かと思っいたが違うようだ。
その勘違いの上で動植物の分布によって毒矢に使われる毒はオノズと限られてくる、ということを言ったつもり。
それで、牛は単純にアイヌ人は毒矢を使い、マタギは使わない、だからアイヌは毒矢文化
ということを言ったと改めてそう認識した上で言うが、
なんでもかんでも文化つけりゃいいってもんじゃないだろ。
巷にあふれまくっている○○文化論とか一緒だ。
文化、文明とはなんぞやという理解をした上で○○文化とか言っているのだろうか。
たとえば”毒矢常用文化”とのたまっているが、毒矢の使用の有無だけでそういっているのであれば
文化をつける必要があるのかどうか、もう一度検討してもらいたい。
でもって、
>狩猟民云うたァ漁撈民文化
この方言部分がよく理解できないが、アイヌ人が狩猟民より漁労民である要素が強いというのは
地域によって違うわけで、たとえば、白老や根室のアイヌが漁労がメインで、上川アイヌが狩猟がメインというのは
地形地理的な要素のみで完全に分けられるのは自明である。つまり海や川がそばにアルカないかだけでほぼ決まるだろう?
もっと言えば北海道は四方が海に囲まれ、鮭がのぼる川が無数にあるから漁労メインだろうな。
もっとも耕作も一部では確認されている。
結局はなんて言えば伝わるかわからんが
自然条件から、そこに済む人間の特性をつかめ(られれ)ばいいわけで
特にそれが○○文化だからどうこうじゃないと思われ。
例えば
>じゃが毒矢文化は、熊崇拝と共に靺鞨文化としてアイヌに伝わった
>可能性が強かろうて。
この熊崇拝もよそからもたらされたとも考えられるし、
もっと単純に北海道では食物連鎖の頂点に熊がいたからとも考えられないだろうか?
で、毒矢文化とやれもよそからもたらされたとも考えられるし
経験的にトリカブト毒を発見し、それを狩猟につかってのかもしれない。
もっともアイヌはアニミズムなんで、熊だけじゃないことを指摘しておく。
で、信濃も兵卒としては優秀な希ガス
ついでにスルーするって言ったことにたいして
>低脳振り
と発言したことに謝罪を要求するニダ
あと、2chで妄想語っていいのか悪いのかという点にも返答いただきたいニダ
732 :
白馬青牛:2007/07/01(日) 02:19:15 ID:QuRj5+27
>>730-731 ごちゃごちゃ長い駄文じゃのう。文化領域の区分を無視して、
文化人類学的考察が出来るんか?
北海道は本州ガループと違い、縄文期から海産物が主なるたんぱく源
じゃなかったか。
「アイトソープ食性分析から見積もった縄文人の食生活のパターン」
(南川雅男1990)では、草食動物(3,2%)魚類(30,8%)
貝類(3,9%)大型海産動物(48,7%)C3植物(13,5%)
で、北海道では、植物はきわめてわずかだった。と、される。
本土内陸縄文人のC3植物(74,8%)C4植物(10,9%)
草食動物(6,5%)魚類(2,3%)貝類(6,0%)と本土は
採集の比重が強い。オホーツク文化人も主に海産物に依存しよったんも
同じじゃ。家畜飼育も狩猟だけじゃあ食えんけえじゃ。
熊崇拝は北ユーラシア〜アメリカ大陸に広がっとる文化領域じゃ。
朝鮮の檀君神話もそうじゃ。アイヌのアミニズムも熊だけじゃないが、
他動物のトーティズムとして重要なんは何か書けや。
信濃も兵卒として優秀な部分はどこか、具体的に書かにゃあ。
じゃけえ、低脳振りじゃ云うたんじゃし、抽象的妄想に過ぎんじゃないか。
謝罪要求云うて、アジア諸国が日本へ謝罪を要求するんも理由があるが、
わしが、あんたに謝罪せにゃあいけん理由はあるんかいのう。
733 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 03:10:46 ID:C+d1gsQ1
覗き見と陰口叩く以外に何も出来ない無能な頭しかない癖にずうずうしく善人面する頭のおかしい偽善じじばばw
覗き見と陰口叩く以外に何も出来ない無能な頭しかない癖にずうずうしく善人面する頭のおかしい偽善じじばばw
覗き見と陰口叩く以外に何も出来ない無能な頭しかない癖にずうずうしく善人面する頭のおかしい偽善じじばばw
えー、ぶっちゃけ文化人類学というものを何の疑いもなしに信用することに問題があるわけと思っているわけで。
で、アイトソーブ食性分析とC3植物、C4植物について簡単に解説してもらえないだらうか。
こちらのレベルに合わせて簡単に書いてもらえると大変に助かる。
あと、トーティズムの意味がワカンネ。
あと、漏れがそう思うことに対して何でも具体的に書く必要は特にないと思う。
そのことに対して低脳というのは自分の価値観の押し付けにすぎないと思われ。
牛が漏れに謝罪しなければ理由は胸に手を当てれば自ずとわかるはず。
735 :
白馬青牛:2007/07/04(水) 00:02:50 ID:a3+KVLid
>>734 文化類型分類を否定出来る要素たァ何か云えーや。
C3植物とC4植物の区分なんぞ、自分で調べりゃあええことでえ。
http://www.nnn.co.jp/tokusyu/hone/060430.html に、あるよう、トウモロコシやアワなど(C4植物)と樹木やコメの
(C3植物)の分類じゃ。北海道の海岸部や日本海側も海産物の依存が
多かったろう。青谷上寺地遺跡からは、イノシシ・シカの骨をはじめ、
貝、魚骨、炭化米が多量に出土しとるが、コメには、まだちょっと遠い
時代であったことがうかがえる貴重なデータとされる。
トーティズムあるいはトーテミズムでもええが、「個人や集団が特定の
動物や自然物と神秘的な関係にあり、それに応じ個人や集団の行動が
規制される現象。」云うことじゃ。つまりワレが自分で調べんで、
わしにカバチ(文句)垂れよんは、わしの価値観の押し付けじゃのうて、
ワレの自分で調べん低脳振りの問題じゃ。具体性を無視し壮思うじゃあ
抽象的に書くんは、それこそ自己オナニーじゃろうが。
わしに何じゃかんじゃ云う前に自己の胸に手を当てりゃあええことで。
736 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 00:10:49 ID:nhzar0AW
日本には世界一足の速い兵隊がいる。
20`みちのりを重装備を担いでメシ抜きで全力疾走できる。
仙台藩士の血をひく仙台兵団こそ世界一である。
737 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 00:14:20 ID:av9vJTLN
補給線が伸びきり、昼メシが届かないと騒ぎ出した仙台藩兵。
そこへ官軍の空砲が!
空砲一発におののき、震え上がる仙台藩兵。
あっけなく崩壊する仙台藩の軍勢。重装備なのに走って五里も逃げに逃げた。
まあ、ヘタリア以下だな。
>>735 ある程度はわかっていたが、確認のために聞いただけ。
文化類型分類を完全否定はしない。
ただし、文化類型の差異が実際にどれだけ効いているのかを
数字で表されたものを見たことがない。
だから同じ分類型でも分類者によって結果が異なることが考えられる。
それって学問としてどーなん?ってこと。
あくまで目安に過ぎないと思われ。
そもそも文化の定義が各人によって差異があるね。
牛が言うところの文化と牛がよく例示する人の文化はイコールかどうかの疑問もある。
アイトソーブ食性分析は?是非教えてもらいたい。
C3植物、C4植物はカルビン-ベンソン回路で分類されるので
その答えだと半分しか本質を理解していないことと思われる。
それだと南川さんとやらが何故草食動物、魚類、貝類、大型海産動物、
C3植物、C4植物に区分したのか理解できているのか疑問。
青谷上寺地遺跡か。懐かしいな。
青谷上寺地遺跡は鳥取県東部にある遺跡で漏れも関わった遺跡だが、
コメにはまだちょっと遠いという結論があの遺跡から出されていただろうか?
漏れの認識とは異なるな。今の飽食のコメとは遠いというならよくわかるが
コメは普通に栽培されていたはずだぞ。実際漏れも発掘者一人して発掘したしな。
ただ、青谷上寺地を基にして北海道海岸部を演繹するのは適当ではないだろう。
青谷上寺地はあの時代の山陰を代表するものという認識のほうが適当ではないだろうか。
トーテミズムは神秘的な関係という日本語が漠然としている気がする。
で、牛がいうところのトーテミズムなら熊だけじゃなくしてフクロウもジャマイカ?
牛はいろいろな本から例示するのはいいけど
自分の頭で消化しているのだろうか?
何となく知識を借りてきて寄せ集めている気がしてならない。
もしそうなら無知よりタチが悪いよ。
この借りものの知識を示して、だからこうなんだ、というのが
価値観を押し付けているということを意味しているのだよ。
以下つけたしだが、文化、文明とは何ぞやというところを理解されていますか?
ネット上でもオホーツク文化とか見かけるけど、
牛は
権威ある人がこういったからそうなんだと鵜呑みにしていませんか?
常に疑って資料に当たっていますか?自分の頭で消化していますか?
もっとも漏れは2chでそんなことまで考えなくてもいいと思うが
牛のレス見てると牛自身はそうせんとあかんやろ
740 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 23:45:32 ID:qnS46Xjo
知識だけの童貞君みたいなもんか。
741 :
白馬青牛:2007/07/06(金) 00:45:05 ID:X2syl/C+
>>736 鈍重な仙台兵団が足が速い?都会兵と違いつらい行軍に耐久力はあった
ろうが、速度たァ別の問題じゃ。「鈍重を持って鳴る」名声のある
東北越後のノロイ鈍兵に速度を要求したら可哀想過ぎるわい。
>>738 人文科学に数字?なんじゃそりゃ。ほいで、文化人類学に分類者の視点で
結果が違うんは当然じゃないか。東西日本の区分をフォッサ・マグナで
分類するんも、地勢・習俗からそうでも、方言だけから見ると、三河から
東とするか、尾張から東とするか見解も別れよう。政治区分じゃあ美濃から
東国とも云えるし、京も東国や西国じゃのうて中間地帯とも云える。
京都も東海も東西移行地域で全体的に西に属するか東に属するかも
総合的に判断すべきで、わしは全体的に糸魚川〜浜名湖ラインを
東西境界に想定しとる。古代人の食生活は、出土した動物化石や貝殻が
実際に口に入ったものじゃのうて、腐らずに残ったものであり、遺跡から
植物化石が発見されるんは稀で、現代の狩猟採集民の食生活は、エスキモー
(イヌイット)のような極北民は例外として、植物資源が主たるエネルギー
源であり、多くはむしろベジタリアンに近いことから、現代より装備も
劣った初期人類が、植物資源に大いに依存せざるを得なかったと考えられた
ことから、骨に含まれる元素量を調べるアイソープ食性分析が利用される
ようになったんじゃが、ハッチ・スラック(光合成回路)でデンプンを
作るC4植物は、C3植物よりもC13炭素を含んでおる云うことで、
古人骨の組織に記録された直接抽出する方法の推定法で、どがいな学問も
そうじゃが、完璧な推定法なんぞなかろう。
じゃけえ、出土品も記録(文献)も全体の一部分しか語ってないし、
語っとらん全体を多面的要素から考察し全体像を構築するんが歴史・
学問じゃ。
ほう、あんたも発掘に携わったんか。じゃが、青谷上寺地遺跡にコメが
栽培されとったんと常食として口に入るんは別じゃ。鹿の骨や卜占法から
北方系文化要素が検出出来るが、必ずしも鹿を常食したとも云えん。のと
同じじゃ。あんたは一部から全体を認識出来る云う妄想に陥っとりゃあ
がる。トーテミズムの動物がフクロウでもええが、フクロウを尊ぶ部族は
どの部族か実例を示さにゃあ。
借りもんの知識以前に諸説を考察し、賛否が部分的出てこうが。
ほいで、全体像を構築するんは、わしやあんた自身がやることで。
借り物じゃろうとなかろうと知識の吸収の入力がないと出力も出んよ。
そがいな当たり前のことでカバチ垂れる暇があるんなら、あんた自身の
幅を広げんかい。権威ある人云うて誰なら。常に疑うんは当然じゃないか。
だいたい日本の学者の多数は学界縦社会で、官僚と変わらん、嘘吐き・
捏造・隠蔽をやらかすで。思うとるよ。
しばらく時間がほしい。
なんやかんやで、牛のスレが漏れの質問に答えてもらっているのかどうかを判断する時間を。
一レスずつの連投になるかもしらんが、牛のレスに対して、返答レス一つにまとめるのは
漏れの技量を超えるので、我慢しろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>741 >東北越後
まず、東北越後をヒトククリで語るのはナンセンスジャマイカ?
中国四国地方とヒトククリにされて牛は納得できるのであろうか?
それに、
>20`みちのりを重装備を担いでメシ抜きで全力疾走できる。
これを上回る例を出さん限り、否定できんだろ。
もっとも上記が本当かどうかの問題もあるが。
>>741 >人文科学に数字?なんじゃそりゃ。
人文科学すべてに数字による根拠を示せとは言わんが、
数字あるいは実物で示すことのできないことには
ある程度の信頼性しかない、ということを前提して牛は今まで語っているのだろうか?
足利尊氏の肖像と伝えられてきたものが実は高師直である可能性が高い
なんて最近言われているらしいが、このように歴史は実物あるいは
数字で示されない限り絶対とは言えない。
どうもこのことを牛はわかっていないように見える。
746 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 01:19:12 ID:4WoikCCu
(=゚ω゚) はっはっは。タマちゃんに遊んでもらえてええのう牛。
>毒矢を秘伝として教えんかった根拠があるんか?
(=゚ω゚) 毒矢と言えばオキクルミ。面白半分に毒矢を使うとくるみちゃんが嘆くのざぞ。
と言うのは冗談だ。
>毒箭に用いる毒のこと蝦夷と馴染んで心易なれども、毒のことは聞くとも教えず。
>言わないのは、蝦夷一同の守りと見えたり。(北海随筆)
>>717>アイヌと蝦夷が同じというふうに思っているのだな。
(=゚ω゚) ん〜?アイヌは製鉄はやらんじゃろ。蝦夷俘囚、倭人、佐伯が製鉄民族じゃと以前言った気がするが?
まぁ同国民だし文化的には被る部分も有るだろうけど。
>ほいで、文化人類学に分類者の視点で
>結果が違うんは当然じゃないか。東西日本の区分をフォッサ・マグナで
>分類するんも、地勢・習俗からそうでも、方言だけから見ると、三河から
>東とするか、尾張から東とするか見解も別れよう。政治区分じゃあ美濃から
>東国とも云えるし、京も東国や西国じゃのうて中間地帯とも云える。
>京都も東海も東西移行地域で全体的に西に属するか東に属するかも
>総合的に判断すべきで、わしは全体的に糸魚川〜浜名湖ラインを
>東西境界に想定しとる。
牛が言うところの分類者の視点で違うのはわかる。
牛が書いているように、習俗・言語なんかで変わるのはよくわかるが
漏れが言っているのは、たとえば方言という視点で区分するときに
ある人は三河を境に、ある人は尾張を境と言っており、またある人は
白河の南北で、などまるでバラバラでそれぞれ目的が違うから
そうなっているのかもしらんが学問的意義があまり感じられんね。
そんなんだったら、尾張とか三河とか固定せずに
だいたいそのへんで済ましゃえーやんけ。
で、ふと気になったのが地勢と習俗を何故同列に語っているのだろうか?
>>741 >アイソープ食性分析
今までいわんかったけど
アイソトープ食性分析な
あいそとーぷ
単に打ち間違いかと思っていたが、一回も正しく打たれてなかったから少し不安になった。
750 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 12:11:16 ID:q+UuRWwW
>>741 行軍速度が早いとは一言も言っていませんが。
仙台兵は”逃げ足”が早いのです。
751 :
白馬青牛:2007/07/07(土) 00:29:12 ID:AKIf3xLq
>>744 仙台兵団は、宮城・福島・新潟の壮丁じゃ。北国の兵が鈍重いう点で
共通しとるよ。中国四国は、広島兵団(広島・島根・山口の壮丁)、
善通寺兵団(香川・愛媛・高知・徳島の壮丁)、姫路兵団(兵庫・岡山・
島根東部・鳥取)からなるが、広島兵団は軍紀厳正いう点じゃあ、
近畿兵団ながら中国地方の兵も多く含む姫路兵団に近いよ。
四国は九州に近かろう。
20キロの全力疾走云うてどこの戦闘のことじゃろうか?
宜昌作戦じゃあ、仙台13Dの行動距離は広島39Dの80%も達せず、
しかもほとんど敵影のない平野部がその大半じゃったが、
広島39Dよりも一日遅れ。名古屋3Dは山地を進み、
敵第二軍に抵抗され、進撃が進展せず2日遅れ。
おかげで、名古屋3Dと仙台13Dの両師団で攻撃するはずの、本作戦の
主戦場、当陽陣地も広島39Dだけが激闘(敵主陣地は
ペトントチカを核とした堅固なもので、突破するには相当な困難が
予想されたが)攻略した。仙台13Dは鈍すぎたのう。
752 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 01:27:18 ID:67txpojv
加賀の百姓兵はある意味無敵
753 :
白馬青牛:2007/07/07(土) 01:30:21 ID:AKIf3xLq
>>745 その数字で現されたものの説明がないど。実物云うても証明は出来んよ。
肖像画も本人を描いたんか影武者か解らんし、文書が残っとった
としても、都合よう書きかえられたかも知れん。それを可能性が強い
云うんは、あんたが高師直と判断した歴史家を信じよる云うことよ。
可能性が高いんとしても実物か証明は出来ん云うことじゃ。
歴史まあ、科学でも仮説じゃけんのう。絶対云うんがどこへあるんかのう?
>>747 目的が違うても研究者の区分は考察材料になるし、学問的意義が無いじゃ
云えんよ。風土は地理性と歴史性が合わさって生まれるもんじゃろう。
風土の土は生活の基礎として自然要素と人間要素のこと。
列島東西の差異は、フォッサマグナ、プレートの影響から社会制度の
違い等様々な要素から考察せにゃあのう。
>>749 わしも、誤字脱字がようけあるわい。
>>741でも「鈍重を以って鳴る」に
訂正しとこうか。
754 :
白馬青牛:2007/07/07(土) 01:52:05 ID:AKIf3xLq
>>746 遊び云うよりゃあ、学問の基礎の説明話になってきたわい。
蝦夷の毒矢が秘伝云うても、和人と蝦夷の関係上のことじゃろう。
武器に劣る蝦夷にじゃけえのう。アイヌ人が隣接するサハリンのニブヒや
ツングース等毒矢を使用する民族に秘伝に出来んよ。彼等北東アジア系から
学んだもんじゃけんのう。
755 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 05:54:59 ID:3Ct2f2cW
(=゚ω゚) サハリンのニブヒって樺太アイヌのニブヒ族の事か?
756 :
白馬青牛:2007/07/08(日) 00:57:28 ID:ijEd7o/4
>>755 サハリンのニブヒは、新モンゴロイドで古モンゴロイドのアイヌ人と違う。
757 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 01:55:55 ID:84MYrYOv
(=゚ω゚) あ、ホンマや。アイヌ語族では無いんじゃのう。
で、ブス毒の北東アジア発祥の根拠は何じゃ?
758 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 21:41:28 ID:IU+WPvYB
>>750 仙台兵には前進一速、後進五速のギアがついているのですな。
やはり広島兵団最強。
広島師団が北関東第33師団の代わりだったらインパールは補給が尽きる前に落ちていた。
広島師団が仙台第2師団の代わりだったらガダルカナルは秋になる前にマリンコどもは逃げ出していた。
広島師団が北関東第51師団の代わりだったらマッカーサーは終戦までフィリピンにたどり着けなかった。
広島師団が第109師団の代わりに硫黄島にいたら、米海兵隊は硫黄島で消滅していた。
広島師団が第24師団の代わりに沖縄にいたら、八原参謀が何を言おうが米軍は海に追い落とされていた。
そんな広島師団を使いこなせなかった帝国陸軍は、欠陥組織としか言いようがない。
759 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 06:24:30 ID:hAeItvFT
仙台人に援軍を頼む時に注意すること
昼飯、つまり弁当を必ず手の届く範囲に用意すること
大砲の音でも怯まないよう、耳栓を用意すること
逃げ出さないよう、四六時中相互に監視させること
酒と女は好きなだけ与えること。但し仙台の原住民女性は避けること
仙台人一人に対し、他県民を二人以上添えること
歩行者天国と道路の区別を教えること
760 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 08:34:59 ID:VbQWQOmp
あはは 仙台兵の倍の量の他県兵って事は… そりゃ他県兵の援軍では?
761 :
白馬青牛:2007/07/11(水) 01:49:29 ID:9iUMHGoI
>>757 北東アジアの挹婁たァアイヌが毒矢文化が古い云う根拠があったんか?
細石器文化時代から、縄文文化は、北東アジアの影響を受けよるし、
毒矢文化がアイヌから東北アジアへ流入した根拠は何か?
日本史板のYAP?氏じゃあるまいし。
>>758 第33師団は、北関東だけじゃのうて、福島・新潟等の兵を含んでおった。
仙台第22師団も同じようなもんじゃ。
ニューギニアの宇都宮51Dは、広島5D浜田第21聯隊が高崎第115
聯隊に戦闘のやり方を教えた訳じゃし。
第109師団は、金沢109Dと誤解されるが、混成部隊じゃ。
自然要塞が米国の攻撃に耐えれたとも云える。
第24D(山)も苦労したのう。24Dは、松山・山形・旭川の混成部隊
じゃけど。仙台も東北の中で弱兵とも云えんのじゃないか。
762 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 04:58:13 ID:Snh1X/v7
>>758 広島師団にはモビルスーツでも配備されてたんか?
763 :
人間七七四年:2007/07/11(水) 15:32:52 ID:UcZo4pot
>>761 仙台兵って言えば、東北最弱だよ。東北最弱ってことは少なくとも東日本では一番弱いってことだ。
第二師団の戦功のほとんどは新発田・若松連隊によるもので仙台連隊はいつでもお荷物。
764 :
白馬青牛:2007/07/12(木) 01:09:52 ID:Im8BqyPD
>>762 モビルスーツ?何じゃそりゃあ。他部隊と装備は変わらんよ。
>>763 反仙台厨じゃのう。東北最弱が関東を含めた東日本最弱になるんか?
東北や北陸と関東なら、東北・北陸の方が強かろう。
仙台第二師団自体に戦功は少ないが、越後の新発田や福島の白虎部隊に
劣った根拠もない。幕末の相馬地方の戦闘で、ドン五里にやられ、
砲弾を奪われた筑前や伊予は、それ以上に弱いことになる。
仙台も他の東北兵、相馬藩等にに較べ弱かった訳でもないよ。
765 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 01:18:23 ID:ayiuQK3U
>>764 >usi
概ね東北は関東に対して負の歴史。
仙台っていうか宮城だと、昔から外人部隊の土地柄ではあるなw
766 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 12:25:31 ID:XxQHs4xG
戊辰戦争でいきなり裏切ったり、大砲の音に驚いて五里も逃げたり、救援に出動しても弁当がないと騒ぎ立てて撤退してみたり・・・
仙台兵はヘタリア以下。
767 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 22:09:45 ID:JphKmO8I
いつまで幕末の仙台兵の話をしてんだか。
もともと会津に対しての同情が発端で、だからと言って命懸けで戦うのも何か違うだろう。
士気が低いのはしょうがない。
一応、額兵隊や衝撃隊なんかもいたが。
768 :
人間七七四年:2007/07/12(木) 23:30:14 ID:YpECyHLN
(=゚ω゚) 仙台藩の衝撃隊と言えば黒装束の民兵隊、烏組じゃのう。
ちょっと萌えるねぃ。
769 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 00:58:30 ID:2fZLDz3H
カラスコ?
770 :
白馬青牛:2007/07/13(金) 01:08:37 ID:Ve64wGVf
>>765 関東は、越後の越蛇に対して負の歴史じゃのう。
宮城に伊達氏が山形から来た云うても三代たちゃあ、宮城の地元民じゃ。
>>766ー767
相馬藩が政府軍に降伏し、奥羽軍に銃を向けたんは、奥羽軍から視たら
裏切りになるが、占領されたら、しょうがないことよ。
親分格の仙台兵も占領されるまで健闘したんじゃし、九州兵や四国兵に
打撃を与えとる。よいよ、ドン五里仙台に負けた九州や四国が笑いもんに
なるじゃないか。戦闘は命のやりとりで、始まったら、士気の高低も
あったもんじゃないど。本能的なもんで、やるか、やられるかじゃ。
771 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 01:23:53 ID:hKHPqCQ0
仙台は戦するまでずっと平和だったから最初弱くてもしょうがないよ
と、仙台人の俺が苦しいフォローを入れてみる
772 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 12:56:51 ID:VabpWS1q
まあしょうがないよね。
主君が暗愚で重臣がスカトロマニア。部下は使えないドンゴリ。
これで勝てるならアメリカにだって勝てるよ。
773 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 13:25:11 ID:daTe9QwM
仙台藩士はフル装備で20km駆け抜ける
全員が飛脚のような強靱な脚力をしていた訳ですよ
自衛隊も見習わないと!
774 :
人間七七四年:2007/07/13(金) 20:37:19 ID:hKHPqCQ0
>>772 そういうなよ。ヘタレ度なら現代人の方がよっぽど高いだろ
775 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 00:07:55 ID:DrpePv+u
(=゚ω゚) まあ、長州だって最初から強かったワケではないからな。
緒戦を繰り返し、装備を揃え、兵の身分制度を取り払った。 言わば組織の活性化だな。
伊達家の敗因は組織が変わらなかった事だろう。戦国時代の組織と戦術で近代軍にかなうワケも無し。
まぁゲリラ戦ならふつうに強いだろ衝撃隊。
776 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 01:22:33 ID:042mZeDZ
>>770usi
猛将の越後長尾為景も負けたけどな。
伊達氏は奥州合戦の勲功で所領を得た常陸入道念西一族が始祖。
それで、葛西・留守(井沢)に探題大崎氏と。
777 :
白馬青牛:2007/07/14(土) 01:39:58 ID:XBBdM/8w
>>775 緒戦は最初の闘いで繰り返すこたァあるまい。
組織云々たァ、戦闘の決勝戦の白兵戦で芸州広島藩の神機隊にやられた
時点で勝負ありじゃ。神機隊が奪った砲を長州軍の要請で譲った
『芸藩志』とあり、仙台が武器、装備に極端に劣った訳でもない。
駒ヶ峰の戦いの時は、降伏した相馬藩兵や、新着の肥後藩490名らを
合わせ政府軍はようやく3千名程度になり、仙台軍の執政石田正親、
副将に参政石母田備後・松本虎之助・松本知之助を置き3千名に加え、
旗巻峠に鮎貝太郎平を総指揮者として1千200名の布陣じゃった。
兵力も仙台側の方が多勢じゃ。
仙台の組織や戦力が著しゅう劣った訳でもないよ。
778 :
人間七七四年:2007/07/14(土) 02:10:37 ID:DrpePv+u
>仙台の組織や戦力が著しゅう劣った訳でもないよ。
(=゚ω゚) 仙台藩家臣の知行権と指揮権については既出じゃ。
いくら頭数が多くても各地を転戦して来る兵と藩兵では練度は比較にならんじゃろ。
779 :
白馬青牛:2007/07/14(土) 23:25:15 ID:XBBdM/8w
>>778 転戦しとる云うても、広島藩の神機隊も、広野の戦闘が初めて経験した
本格的な戦闘、全面的な衝突じゃったよ。練度がさほど違うたわけでも
なあわ。
780 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 02:42:59 ID:WpVUZ5dH
>広島藩の神機隊も、、、練度がさほど違うたわけでもなあわ。
(=゚ω゚) ウソこけ。広島神機隊は長州討伐以前から用意された正規軍の精兵じゃろうがっ。
長州奇兵隊などをモデルにして洋銃の本格配備がされておった部隊じゃろ。
仙台藩の本格洋式部隊・額兵隊は結局戦争には間に合わなかったし
女郎屋で寄せ集めた博徒ゲリラ部隊の衝撃隊とは立場が違いすぎる。
「細谷烏と十六ささげ 無けりゃ官軍高枕」だ罠。
781 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 05:47:31 ID:/3dsuECW
戦力的には、広島神機隊の兵士一人が仙台額兵隊の兵士十人とほぼ等しい。
つまり、広島兵を1000人連れてくればほぼ仙台全軍と互角に戦うことができるわけだ。
それに加えて、薩長の兵が加わるのだから初めから勝負にならないのだ。
彼らが、一度として栄光の戦歴を飾ることのできなかった仙台師団のご先祖様だ。
一度も主役になれなかったという点では朝鮮民族と同質のものがある。
782 :
人間七七四年:2007/07/15(日) 11:36:24 ID:OFm3/mIx
しつこい
783 :
白馬青牛:2007/07/15(日) 23:50:19 ID:dA5VjDeY
>>780 どこがウソなら。わりゃ、ええかげんなことをぬかすな。
広島神機隊の結成や掃討追撃と本格的に前線で闘うたんは違うわい。
7月23日〜26日に至る、広野の激戦で神機隊は、44名の死傷者
(死者十数名)が出とる。8月20日、士官以下軍夫計193名の派遣と
なった訳じゃ。緒戦に犠牲が多いんは、戦場の常であるが、
広島神機隊は、「7月24日、賊の砲台を突貫し、抜刀攻撃で縦横に
斬殺し、我兵遂に先登、広野駅を占領。ただし神機隊の進撃が激しすぎる
ため、総督府より、「進撃すべからず」の命が伝えられる。25日朝、
敵兵は広野北西本通から、戦いを挑んで来たが、そのつど撃退。前線の
芸州・因州あわせて六百数十名に対し、同盟軍は十数倍に近く、入れ替わり
新手の兵を繰り出し猛烈な反撃を開始した。26日、因州兵が後退した
ため、神機隊は孤軍奮闘となった。しかし新たに戦線に投入された長州、
岩国の兵約400名が海上より広野海岸に到着。海岸寄りに対峙した敵に
攻撃をはじめた。その機を失せず、神機隊は左翼に対峙していた米沢藩の
部隊に突撃し、敵砲台を奪取した。奥羽同盟軍は広野を完全に放棄し
退いた。」銃弾の音で敵の遠近、弾道の高低等が解るんは通常3が月
実戦馴れが必要で、どの部隊も緒戦に犠牲者が多いもんじゃ。
政府軍(長州等一部の将兵は除いて)、奥羽軍の両者とも実戦馴れは
しとらんかった。じゃが実戦馴れしとらん前線の広島神機隊が、緒戦から
突進し、敵陣を奪取する処はさすが「進取の広島」ならではじゃ。
進取の広島・・・( ̄ー ̄)
785 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 01:53:38 ID:asFHiO/h
ところで、「薩摩藩士三人が安芸藩士一人に やれれた」
ゆーとりなさるが、このソースは何ですかいの。
教せえてつかーさい。
いつごろ、どこで、どういう成り行きで。
以前のスレが見れませんので。
よろしゅーお願いします。
786 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 01:55:09 ID:h582ai7R
(=゚ω゚) 仙台藩細谷カラスの衝撃隊は最初から30戦30勝だったというが・・・
たぶん幕末で戦歴が一番豊富だったのは長州だろう。
また、その周辺諸国も自然と近代戦に眼を開かれてきたと言うのが実情だろう。
広島藩は長州から教官を招いて兵の近代化を進めた。それが神機隊だろう。
武器、装備は長州繋がりで揃えやすかったし教官の諸戦歴も豊富だったはず。
仙台藩額兵隊は司令官星恂太郎の新潟出張を始め隊士の中途出撃などで下準備が遅れ、
隊士総出で銃弾造りを急いだが装備が間に合わず出撃出来なかった。
額兵隊の能力については函館戦争の通りかなりの強さ。
あまりの手柄に衝鋒隊に「先鋒を譲ってもらえないか」と懇願されるほど。
ttp://homepage3.nifty.com/ponpoko-y/iba-hachiro/hakodate/hakodate-02.htm
787 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 02:04:35 ID:h582ai7R
>785
(=゚ω゚) ちなみに渋沢平九郎は小刀一本で完全武装の神機隊を撃退!
788 :
白馬青牛:2007/07/16(月) 23:16:26 ID:CvBAVwWU
>>785 『甲子夜話』二十四巻第八話、文政六年(1823)三月二十八日の
こと。大森の路店にて、安芸藩士の刀が倒れて薩摩藩士3人の席に
転がったことから、薩摩の連中が因縁をつけ、鈴ヶ森で安芸藩士1人と
薩摩藩士3人が決闘することになった。薩摩藩士は1名は、袈裟に斬られ
死す、又1名は真っ向を斬られ死す。もう1人は右手を斬られ逃走した。
と云う事件。
>>786 教官云うて誰のことか?装備以前に奥羽軍は、広島神機隊に白兵戦で
負けとるよ。
>>787 渋沢平九郎は自刃じゃないか。死者を美化する為の「こじつけ」じゃ
ないんか。小刀で素手の小頭の片腕を切り落としたじゃあ、
その小頭が逃げた云うて関東弱兵じゃあるまいし。
敵に背を向け逃げるくらいなら奥州戦線に活躍出来んよ。
毎度、関東ほら吹き物語よのう。
789 :
人間七七四年:2007/07/16(月) 23:31:21 ID:OjXZNnb3
彦根藩関係の史料には、こんな感じのものがあるらしいな。
武田旧臣⇒井伊万千代
関東武士と関西武士が、同数で戦った場合、大将の支配にもよるが、
関西勢は五度に四度は負け戦になる例は、信玄の時代より何度もあったと聞いている。
790 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 00:57:17 ID:fe2JRQoO
広島のは史実で、関東のはホラ吹き物語・・・
そういうのってダブルスタンダードっていうんじゃないの?
791 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 01:24:33 ID:t8wTMA96
>>790 芸州人が書いた本であるならともかく、九州人が書いたのだから、
史実に近いんじゃないの。
「ええかげんにせんかい、おんどれら」
とでも言って斬りつけたんだろう。
手が早いからな広島人は。
792 :
白馬青牛:2007/07/17(火) 01:26:09 ID:/AR1+j/1
>>789 関西勢が五度に四度負け戦になる例を挙げにゃあ、ほら吹きになるど。
>>790 神機隊のは戦闘記で、関東のは自刃した個人を称え美化するもんじゃ。
同一視する方が可笑しい。
793 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 01:26:20 ID:t8wTMA96
>>788 の話を聞くと、桑畑三十郎の剣術のような光景だな。
腕を落とされたのはジェリー藤尾に似た奴か。
794 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 01:40:18 ID:fe2JRQoO
>>792 じゃあ神機隊が渋沢平九郎に小刀で切られたって事実は無いと?
795 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 05:38:02 ID:SwDVxTtC
流れは完全に新政府側にあって、
その勢いの中で広島の部隊が少し活躍したから何だと言うのかねえ。
薩摩藩士三人相手に勝った?そんなしょぼい話持ち出すなよ。
796 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 07:17:01 ID:4waBn6Sm
支配⇒采配
>>792 usiは散々法螺吹いてんじゃん。坂口安吾とかさw
>>795 平教経にあっさり降伏した安芸の沼田は稀代の屁タレで、伊予の河野は骨のある男(六箇度合戦)
てことで、安芸は根性無しになるど。
・・・こんな感じかなw
797 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 15:28:14 ID:t8wTMA96
戦後の広島のイメージは原爆平和運動でヘタレに見えるが、
それまでは強い軍隊を持つ土地柄として一目置かれていた。
そのことが今は意図的にか忘却されているだけ。
798 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 18:03:54 ID:FixgPAnh
やっぱ越後兵だな
遠征慣れしてるし、北国の雪の多い厳しい環境で育ってるから精強だ
太平洋岸の兵は弱い
799 :
人間七七四年:2007/07/17(火) 22:56:18 ID:fe2JRQoO
原爆平和運動がなんでへタレなのか理解できない
800 :
人間七七四年:2007/07/18(水) 04:31:36 ID:145jipy9
>>788 >その小頭が逃げた云うて関東弱兵じゃあるまいし。
(=゚ω゚) ん?神機隊の小頭は逃げてはいないじゃろ。失敬な!ぷんぷん!
渋沢平九郎は飯能の敗戦で腿に深手を負い杖無しでは歩けないほどの重傷だった。
百姓に変装し脱出を計った所を斥候の神機隊に囲まれ斬り合いに及ぶ。
まず小刀にて神機隊の小頭の腕を切断。背後の兵が右肩を斬りつけたので振り返りざま一撃し
さらに他の敵に斬りかった。
安芸兵はたまらず逃げながら銃撃。倒れていた小頭は『置き去り』にされた。
(=゚ω゚) つまり神機隊の小頭は断じて逃げてはいない!
恐れをなした安芸兵達は手負いの平九郎一人に対し小銃にて遠方より銃撃。
重傷を負い歩けなかった平九郎はその場で自刃した。
官軍は平九郎の首を取り槍に刺して凱旋したが、しかし「この首は討ち取った首でなく死首だ」と見破られ
平九郎の首は名も無き兵として晒された。平九郎享年22歳
(=゚ω゚) これぞ幕臣。カコイイなあ渋沢平九郎。良い話ではないか。なあ牛。
後日、芸州藩兵が黒山村で斥候中、変装した脱兵一人を糾問し戦闘に及んだたという証言を
医師の宮崎通泰が芸州藩の負傷兵より聞いている。
また、平九郎の小刀は神機隊隊長川合鱗三により義兄渋沢栄一に返されたそうな。
つまり渋沢平九郎の奮戦は神機隊側からの証言が元になっているので関東人のほら吹き物語ではないぞよ。
>教官云うて誰のことか?
(=゚ω゚) 志和町西蓮寺の神機隊碑の立て札にこう書いてあるそうじゃ。
>神機隊は西蓮寺を屯所とし、 もと長州藩騎兵隊に属していた木本荘平を教師として
>新旧流の訓練を行いました
801 :
白馬青牛:2007/07/19(木) 00:00:33 ID:abPKZvDX
>>794-800 神機隊の小頭云うて誰のことか。名前はどう云うんない。
仮に小勢の敵を前にして逃げたら、不行跡で処分されるよ。
神機隊の隊員は、田畑を処分して刀を購入し、あるいは妻と離別し、
財産を整理してまで、相応の覚悟で入隊した人も多い。神機隊は、
自費出兵を断行した隊である。志が高かった。軍紀に厳しく隊員の略奪も
処分の対象じゃった。神機隊の斥候の戦死者云うたら相馬藩武士達に
見つかり、末続村で討死した林熊太郎さん。同地の真言宗末続寺で供養
していただいて、ありがたいことじゃ。
ほいで、宮崎通泰が聞いた云う負傷した神機隊士の氏名は誰か?
川合三十郎さんが渋沢栄一に小刀を返した云う話が尾ひれがついて、
渋沢平九郎を英雄にしたい願望が、関東ほら吹き物語になったんじゃろう。
じゃけえ神機隊の証言云うて誰の証言か?
神機隊は、前線戦闘を想定したゆえ、木本荘平さんを呼んだんも、
他の芸州藩の農兵隊は治安だけの予備隊と異なる面があるが、武芸訓練のみ
じゃのうて、学問や修養にも力点を置いとるよ。
小頭を置き去りじゃ、恐れをなしたじゃ、八路軍相手の近代関東兵団じゃ
あるまいし。そがいな実例は関東の連中に多いが、広島兵団は、
負傷者を助け横の結束の強い部隊で、関東流の弱肉強食たァ違う。
渋沢平九郎の件でも関東流の解釈をしょうる処、関東人の創作じゃろう。
日本人全体が関東みたいな、敵に恐れをなす弱兵じゃあるまいし。
802 :
白馬青牛:2007/07/19(木) 00:27:48 ID:abPKZvDX
>>796 坂口安吾氏の考察は、縦社会の学界史家の連中の考察よりも自由じゃし、
参考になる部分も多い。司馬遼太郎氏よりも余程ましじゃ。
安芸沼田は、どっちつかずの態度を取ったけんのう。
広島は、関ヶ原でも似たようなもんじゃったのう。
確かに優柔不断な面はあるよ。近代の広島兵団もフィナーレは、戦闘行為
じゃのうて、あっけのう終わったんは、根性無しじゃのうて因果な宿縁よ
のう。
>>798 弱兵関東を相手にして、太平洋側が弱い云うてものう。
ほいじゃが、関東の庶民まで奴隷にし、売り飛ばす行為はいただけん。
弱いもの虐めの軍紀の乱れた越後兵は、精強たァ云えんよ。
遠征したけえ、近代高田聯隊は防御戦で中国国府軍に陣地を奪われた訳か?
803 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 00:47:01 ID:/SfRAbTV
『続日本紀』
この東人は常にいわく 額に箭(矢)は立つとも 背に箭(矢)は立てじ
『万葉集』
あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけき軍卒
804 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 00:55:50 ID:/SfRAbTV
>>802 >usi
そうそう、今は高校野球板にいるからネタか自コピペ程度しか出来ない^^
usiのは常にネタですけどw
805 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 02:53:36 ID:6m/lQ/fY
最強なのは
倭奴10万以上をわずかの軍艦で破った
李舜臣提督(世界四大提督の筆頭)およびその将兵
出身国で言えば 李氏朝鮮の兵卒が最強
806 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 02:53:30 ID:F1QNeKWG
>渋沢平九郎を英雄にしたい願望が、関東ほら吹き物語になったんじゃろう。
>じゃけえ神機隊の証言云うて誰の証言か?
(=゚ω゚) だ〜か〜らぁ〜 現場に居た東国人は自刃した渋沢平九郎しか居ないんじゃね?
地元民も平九郎の名前すら判らなかったんだし。証言出来るのは神機隊士だけじゃろ。
とりあえずお前さんが調べてみたらどうじゃい?隊長の川合さんあたりの証言は残ってないのか?
>李舜臣提督およびその将兵
(=゚ω゚) 李舜臣の将兵と言うのは、はたして李氏朝鮮出身の兵卒なのかな?
さやかちゃん萌え〜。
807 :
白馬青牛:2007/07/21(土) 23:11:49 ID:8ALvoU2W
>>806 仮に渋沢平九郎しかおらんかったとしても、振武隊掃討で神機隊の
死者が一人もおらんし、一人も討ち取れん渋沢平九郎の技量が
下手じゃった云うことなんか?
渋沢栄一氏が昭和初年、長沼旅館主人(振武隊掃討時の小目付長、
長沼主税助)さんに、「貴下は養子渋沢平九郎を打ち取られ由、
今回祭事にあたり、その遺刀の御返還を願えれば」との鄭重な依頼により、
在京中の川合鱗三(三十郎)の遺族に連絡、遺刀は渋沢家に返還された。
云う証言はある。
この話が事実としたら、遺刀を返して貰うた関東側が礼儀知らずの
ホラ話を広めて恩義を忘れた行為に出るとは、想像出来んかったん
じゃろう。返して貰うたほうが、返したほうを側を愚弄するたァあきれる。
ほんま関東の人間は、義理も糞もないんじゃのう。ほんま関東人は、
油断ならん。尻の毛を抜かれるわい。
李舜臣提督の兵士は半島西南の海民集団じゃないか。唐代東シナ海の
制海権を握った張保皐配下や平安期、九州を襲うた新羅水軍の末裔か。
808 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 00:52:46 ID:d7SF/hG/
>一人も討ち取れん渋沢平九郎の技量が下手じゃった云うことなんか?
(=゚ω゚) おいおい小刀、脇差しの威力なんてそんなもんだよ。ましてや相手は多人数。
トドメを刺してるヒマも無いべさ。
野戦で小太刀一本でそこまで戦えたなら技量うんぬんではなく胆力と気合いを誉めるべき。
ちなみに井上聞太は数十ヶ所斬られたが生き延びてるし、中岡慎太郎も2日ぐらい生きていた。
人間は意外としぶとい。
809 :
白馬青牛:2007/07/22(日) 01:52:46 ID:As1fV3hP
>>808 小刀、脇差でも、同じ関東人の芹沢鴨は、力士を斬っとるじゃないか。
トドメを刺さず、武人の名誉もあったもんじゃない。
小刀一本でも、相手の腹を刺しゃあええことじゃないか。
背後から背中を刺しても致命傷じゃ。
井上馨や中岡慎太郎を襲撃したんは武士層で喧嘩馴れしとらんよ。
じゃけえ、武術なんか実戦で必ずしも役に立つもんじゃない云うて
幕臣今井信郎の言として、前にも云うたことがあったか。
相手を殺るんと斬るんは違うよ。本人の決意じゃ。
止めをささんと相手を襲撃した意味ものうなるのう。
鉄砲なら至近距離か直接相手の頭へ喰らわしゃあええことじゃ。
チャンバラごっこや撃ち合いごっこじゃあるまいし。
作家の安倍譲二氏は映画監督深作欣ニ氏(茨城人)との対談で、
関東のヤクザは寝込みを襲うた時も布団から離れて発砲するが、
広島のヤクザは布団の上から馬乗になって相手のこめかみに銃を付けて
直接発砲する。関東で暴れん坊だった私も広島では子供扱いだものと
云われたが、関東と広島じゃあ、殺害方法も違う。
広島人なら、降伏した相手は温情を以て対処するが、いざ相手が襲うて
来たら止めを刺すよ。
810 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 07:20:36 ID:z4be3fNj
ヤクザかよ( ´,_ゝ`) あほくさw
811 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 08:34:34 ID:yjfXbY+b
兵卒や軍の事なのに、なんで広島のゴロツキの話が出てくるのやら。
まさか広島人は喧嘩最強とか言いたいのか?
812 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 08:43:56 ID:z4be3fNj
中国地方最強候補:山名時氏(群馬出身)
813 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 09:09:12 ID:d7SF/hG/
>809
(=゚ω゚) 小銃持った多人数相手にいちいちトドメを刺してたらやられちゃうやん・・・
腹や背後から背中を刺してるうちに、後からズドンだよ。
ヘタに刺しに行ってホールディングでもされたら逃げようが無いので犬死にだし。
こういう時は敵の拳や顔や喉の血脈を狙って虎乱に斬りまくって脱出するのがセオリーだ罠。
だから平九郎は腕を狙ったのだろう
もっとも渋沢平九郎は足を撃たれていので逃げられなかっただろうけど。
>812
解説希望
814 :
人間七七四年:2007/07/22(日) 17:16:35 ID:AsLW6Sj7
>>811 > まさか広島人は喧嘩最強とか言いたいのか?
いいえ。喧嘩だけではありません。兵士としても日本最強です。日本最強ということはアジア最強ということで世界でも五本の
指に入る強豪だということです。
広島兵1人がそれぞれ九州・東北の兵士5人、関東兵10人、仙台兵100人、中国国民党軍兵士1000人に相当しま
す。
815 :
人間七七四年:2007/07/23(月) 01:05:18 ID:FpVIhEd0
なんだってー
816 :
白馬青牛:2007/07/23(月) 01:07:25 ID:jdz7bpV1
>>810-811 前スレでも書いたが、戦国期の武士なんか折口信夫氏の云われるよう、
ゴロツキ、ヤクザの集団じゃ。カスリを取って生きるヤクザと武士に
違いはないわい。武士(足軽も含め)・ヤクザ・芸能民は同類で
カタギのやることじゃない。
>>813 相手が多人数なら、相手の顔に砂をかけたり、木や石、道具は何ぼでも
あらあ。武術の達人なら至る処武器ありじゃ。竹がありゃあ竹槍も作れる
し、相手を殺して武器を奪やあええ。最初から小刀を抜いたん
じゃあ、はあ、勝負はあきらめたんに等しい。背後に回られたんなら
自己技量の拙劣になる。狙うんなら喉より首の側面の血脈の方がええど。
昔の剣術や軍事教練でも、剣道の正眼から喉へよりも、刀を返し刃の方を
首の側面を狙う方が有効じゃったとされとったんじゃないか。
足を撃たれて逃げきれんのなら、せめて敵兵と刺し違えるぐらいじゃ
ないと。ほんま関東人は討ち取られた言い訳が好きじゃのう。
恩義も知らんと視える。
>>814 広島人は、世界の五指よりも精強世界一と自負しとったんじゃないか。
関東兵が仙台兵より強いんかのう?国民党軍も栄誉第1師や広西軍等
精強な部隊もあったけえ、必ずしも仙台兵1対国民党軍10にならんよ。
817 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 08:13:24 ID:8zyS/L/k
自負してただけね。
自他共に認めてたわけでなくジフ・・・
成程、昔から広島人というのは・・・
つか同じ日本人としてこっちが恥ずかしくなるからヤメレ。どっかの民族みたいだ
818 :
人間七七四年:2007/07/24(火) 15:09:29 ID:GEO4URwN
>>816 > 関東兵が仙台兵より強いんかのう?
少なくとも関東にはドンゴリアンはいません(笑) なお、仙台「以外」の東北兵は関東兵より強いです。
819 :
白馬青牛:2007/07/25(水) 01:55:23 ID:AdhbfZ8R
>>817 広島師団は、自負するだけの、実績があった云うことじゃ。
北清(義和団)事変でも、日本軍の代表として軍紀厳正を誇り、
諸外国にも武勲で劣ったこと等ないよ。
戦前の部隊の誇り=広島師団の誇りと云えるほどじゃ。
どこかの民族云うてどこの民族か?
820 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 02:06:17 ID:JNO0qfNk
>>白馬青牛
お前つまんねえよ!
821 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 02:24:21 ID:f3rLktcE
その諸外国より強いって事例ださにゃホラ吹きになるど。
822 :
人間七七四年:2007/07/25(水) 03:07:42 ID:ZHWgGI/r
この狭い国土で身体的能力の差なんてあるわけないだろ
823 :
白馬青牛:2007/07/26(木) 01:32:49 ID:BBzzljBs
>>821 北清事変でも、日本代表の広島5Dは、諸外国の英、米、仏、独、露らの
軍より勇敢じゃったし、天津城攻撃の死傷者数発生率は、参加4ヶ国(
日、米、仏、英)とも戦闘参加者人員の15%で、勇敢に突進した
日本軍(広島5D)も、退却又は回避した英軍も同率。諸外国の中で英軍
(グルカ兵も参加しとったか)は日本軍に次ぐ精強は自分達というん
じゃけど。
まあ、マレー作戦でも、英軍はグルカ・インドの勇猛な兵もおって、
豪州軍もおったが、広島5Dには勝てんかった。事例があることで
ホラ吹きにならんよ。
>>822 この狭い世界でも、身体能力の差はあろう。まあ、兵士を構成する風土の
兵士の精神性の違いも含め、地域によって強弱はあるよ。
身体能力云うより、同じ日本軍でも、郷土部隊によって、訓練の厳しさも
違うわいのう。
824 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 05:35:54 ID:3Z2VT/Wz
薩摩じゃないの?やっぱ。司馬では一番豪傑っぽいし、津本のあとがきも恐ろしいし、軍人とかの写真も強そうじゃない?まぁその程度の知識ですがw
825 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 07:55:06 ID:JBX0+TgY
直接対決して勝った事例をださにゃホラ吹きになるど
米、英、仏、独、露。
さあ今度はどんな電波でくるか
826 :
人間七七四年:2007/07/26(木) 11:00:32 ID:as9z9JUq
>>823 >この狭い世界でも、身体能力の差はあろう。
狭くないからあるんだろ
>まあ、兵士を構成する風土の
>兵士の精神性の違いも含め、地域によって強弱はあるよ。
ねーよw人種の違いでの強弱はあるが地域は無い
827 :
白馬青牛:2007/07/27(金) 01:03:39 ID:bN38R+MX
>>824 薩摩か。命知らずの勇猛さでは肥後に一枚も二枚も劣るが、戦国期から
白兵軽視の火力主義で合理主義者じゃけえ、近畿的合理主義者の司馬氏も
賛美されるんじゃないか。豪傑っぽいは作られたイメージであろう。
戦国期以来の伝統として薩摩は弱者に強いことにかけては最強であろう。
強姦部隊として名高いし。
>>825 マレー作戦の例も
>>823で云うとるが、電波はあんたに任せるよ。
>>826 日本列島も亜熱帯から亜寒帯まで広いど。ほう、人種の違いで強弱が
あるんか。その人種を構成するんも環境・風土じゃないんか。
例えば、現在世界最強の兵士と名高いネパールのグルカ兵も、
山岳の環境によって作られる。更にアジア南部の山岳民は、グルカ、
ビルマのカチン族、台湾の高砂兵、中国の広西兵等、身体能力の面で
云えば、夜眼がきくし、接近する時も足音を立てず忍び寄る。
これらが勇猛なモンゴロイド的人種的特徴云うより、生活環境で持った
もんじゃし、日本人は、周辺視や暗調音の訓練をせにゃあ、現地民の
夜襲に対抗出来ん。(周辺視は、夜間、視点を外して、15〜20度の
角度で注いでいると直視より見える、眼球の中心でなく、周辺部で視る
要領。暗調音は、暗い中で視力をならすことで、昼間明るい場所から
暗い映画館や暗室に入ると、当分見えにくいが、眼が暗さになれて
くると、よく見える。普通ほぼ20分でピークとなる。この両者とも
旧日本軍の夜間の斬込隊には必要とされていた。徳川家康が、少年の頃、
暗い中落ちていた針まで拾ったので、周囲は驚いた云う話がある。)
日本人は備わった能力、素質云うより訓練によった云うことじゃろう。
828 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 01:48:54 ID:7KJLBbFX
>827あほか、薩摩は幕末降伏すれば長州閥や土佐閥に降伏者達の助命嘆願してただろ。弱いヤツに強いって何情報だよ?
829 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 01:49:39 ID:/lWwz+3e
米・英・仏・独・露に5師団だけで勝った事例はよ出せーや。
世界一なんだったらそんなのいっぱいあるんじゃろ?
マレー戦は5師団だけじゃないじゃろ。おまいさん前に他師団の尻拭いしたいうとったが
じゃあ5師団だけで勝てたいうんかいの?
830 :
人間七七四年:2007/07/27(金) 12:43:12 ID:ApRYTjtZ
敵の弱きを攻めるは定石じゃね?
まあ牛は広島以外の人間が勝った事例には弱い者いじめ、レイプ犯で逃げるんだけどな。
831 :
白馬青牛:2007/07/28(土) 01:44:03 ID:53UGF+Vr
>>828-830 わしが、アホなんはは自負しとるが、あんたァどうな?
西郷隆盛さんが、庄内藩に寛大な処置を取ったんと、兵卒の蛮行は違うよ。
文禄・慶長の役で、蛮行に名高い肥後・薩摩は、後世の近代郷土兵団でも
同じじゃ。熊本第13聯隊も強姦し殺した女の太腿の肉を食べとるし、
深田小隊長は、兵らは、「弾は前からだけではない」」と云っており、
隊長が怒ったり打ったりすると、兵の士気をそぐから黙認した。
武漢作戦の田家鎮の戦いで、三日間で熊本第13聯隊は三千人が千人に
減ってしまう激戦であったが、、勇猛を以て鳴る熊本六兵団は、
肉を切らして骨を斬ったよう陥落させた。じゃが、岡村寧次氏も
強姦少なからずと、多発する熊本第六師団蛮行に閉口し、
漢口入城に風紀の良い宮崎の都城聯隊とした。
長沙作戦でも成功せず大敗となり荒れたんか知らんが、熊本第六師団は
若い女は強姦し殺したが、面白半分に妊婦の腹を裂いた。「俺達は
明日死ぬかわからんのに情けをかけてどうする。結局面白いから
やってみようと、三人で必死に抵抗する女をベットに抑えつけ、
その大きな腹の上部に包丁をあてた。あまりにもむごい生命誕生、
そして短すぎる一生であった。」他にも中国人の捕虜の肉を食べた話も
あるが、矢張り太腿の肉じゃった。当時の兵士は、
「私は軍人の一人として勇敢であった。だが、人間として許されないことを
して来た。私の耳の奥に、妊婦の絶叫がこだましている。」
『揚子江が哭いている』
久留米18Dの菊兵団もビルマで慰安婦を連れとるのに、女を見つけると
強姦して殺した者も多い。仙台13Dも南京での蛮行に及び、近畿兵団の
京都16Dもそうじゃ。広東でも久留米18Dと大阪104Dは、
現地民が逃げるほどで、軍紀厳正を誇る広島5Dと違う。
九州・東北・近畿等(関東兵団も排日女学生を射殺した事件もあったか)
酷いことするのう。残酷過ぎてわしも書くんがいやになったわい。
これが敵の弱きを攻める定石か。弱い者いじめで武士道もあったもんじゃ
ない。どこが逃げとるんか。レイプが日本人の誇りになるんか?
832 :
白馬青牛:2007/07/28(土) 01:59:16 ID:53UGF+Vr
>>829 話の筋を違えとる。彼等と共闘せしが、彼等に劣らざる活躍をした。
云うことじゃ。マレー戦でも九州の菊兵団はコタバルの一戦で、
犠牲者がようけで、使い物にならん。肉を切らして骨を断つ九州らしい
短期戦闘なら使えるが連闘にゃあむかん。近衛も救援をあてにするし、
エース広島5Dが疲労が重なり不眠不足になっても、連闘しかなかったよ。
833 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 03:25:43 ID:XzThls67
>831お前何言ってんの?鹿児島聞いてんのに何で熊本、仙台、大阪を書いてんの?しかも広島は軍紀厳正?すげーな広島にはレイプ犯もいなきゃ殺人者もいなかったんだ。しかも強いんだろ?最強だな。
834 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 09:31:22 ID:8Xib56oO
鹿児島と熊本は全然違うし、、、鹿児島と南宮崎と熊本の南端は割と似てるけど、北九州とは正反対。
現代のいろんな調査(方言とか人の性格とか)でも正反対だと出てるし
835 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 12:20:05 ID:DvOAWYQJ
仙台兵
兵力 ★★
武力 ★
知力 ★★
統率力 ★★★
逃げ足 ★★★★★★★★★★
精力 ★★★★★★★★★
レイプ力 ★★★★★★★★★★
韓国兵
兵力 ★★★
武力 ★★★
知力 ★
統率力 ★
逃げ足 ★★★★★★★
精力 ★★★★★★★★★
レイプ力 ★★★★★★★★★★
836 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 12:27:08 ID:7RotNspT
【日本軍による朝鮮兵の扱いマニュアル 】
一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭、体を叩いてはいけない。怨みを持って復讐する気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと 雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて 哀号!と泣き出す習癖があるから、 日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。
朝鮮軍司令部1904〜1945
古野直也著 国書刊行会より
【米軍による韓国兵の扱いマニュアル 】
1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。
2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。
3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。こちらが上と言うことを身体で解らせろ。
4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。
5.身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、後で身辺には気をつけて行動しろ。但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。
6.相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。重要な仕事は任せるな。
【 旧ソ連共産党による朝鮮の扱い方 】
1、頭痛の種になるだけだから関わるな
2、手段を選ばぬキチガイ揃いだから関わるな
3、関わるとこっちが痛い目に遭うから関わるな
4、関わってきたらウォッカ飲んで忘れようぜ
837 :
人間七七四年:2007/07/28(土) 13:48:14 ID:kL5tBdeB
>>832 実際に戦って勝ったわけでもないのに世界一とは笑わしよる。
マレー戦は広島だけで勝てたんかと聞いたんじゃが話の筋を違えてる
んはどっちじゃろうのう。
838 :
白馬青牛:2007/07/29(日) 02:40:12 ID:FCWrwtZG
>>833-834 広島師団でもレイプしたもんもおるし、良民殺害のあったが、
全体的に軍紀厳正で、それは隣の中国地方の兵の多い姫路師団でも
全体的に軍紀が良かった云うことじゃ。強姦で名高い南九州の熊本師団の
中でも宮崎の都城聯隊は風紀が良く、九州東シナ海側の東シナ人と違う。
九州西側は、東シナ人でも極南朝鮮人でもええが、久留米・熊本・鹿児島の
壮丁の気質が近いわ。
>>835 韓国兵は、同じ地方の九州西部・南部の兵に近いんじゃないか。
ベトナム戦争随一の勇猛さ(米兵じゃあベトナムと接近白兵戦闘出来ん)
や、壮丁の気質が、見栄っ張りで、虚勢を張り、短所の蛮行も含め。
>>837 実際に広島師団は、マレー戦でも日本軍の代表エースとして
英軍と闘うとるど。脇役の他師団と一緒にすなや。牛の糞にも段々が
あるよう、旧国軍師団でも段々があるわいのう。
>>837 勝てたか、と言われれば勝てたと言わざるを得ない。むしろ史実より早く勝っていただろう。
近衛師団なんてのは、英軍に対するハンデみたいなもん。
840 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 07:18:58 ID:4+D6LHrx
仙台人に援軍を頼む時に注意すること
昼飯、つまり弁当を必ず手の届く範囲に用意すること
大砲の音でも怯まないよう、耳栓を用意すること
逃げ出さないよう、四六時中相互に監視させること
酒と女は好きなだけ与えること。但し仙台の原住民女性は避けること
仙台人一人に対し、他県民を二人以上添えること
歩行者天国と道路の区別を教えること
>>840 そんなに面倒なら最初から援軍頼まないよ。
久留米・熊本・宮崎と一まとまりで語ることがまちがっている。
843 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:32:44 ID:DGp/689p
甲斐はどう?
広島兵
兵力 ★★
武力 ★
知能 ★
統率力 ★★★
白馬青牛力 ★★★★★★★★★★
ちんちんのサイズ ★
被爆力 ★★★★★★★★★★
845 :
仙台人:2007/07/30(月) 00:17:40 ID:lpYm1iUX
戦争起きたら強い広島人が弱い仙台人の分まで戦ってくらはい
イヤよイヤよ連れてかないでムリヤリはイヤよ
らめぇ
846 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 01:58:24 ID:aK0lhLiT
は、はあ、、、、、
牛はチョンなのか、、、、、
847 :
白馬青牛:2007/07/30(月) 02:31:57 ID:8gpgQfX7
>>844 被爆力たァ何なら。現在も後遺症で苦しんどられる方もおるんじゃ。
わりゃ、人に対する情も知らん外道じゃのう。笑いごとで済ませる
話じゃないど。ほんま、わしの反論者はくそ外道がえっとじゃのう。
>>846 朝鮮人に不満があるんなら、直接勝負すりゃあええじゃないか。
まあ、ワレみたいな、軟弱デブ男ちゃんの嫌韓厨のネットウヨが、
喧嘩して勝てる可能性は低いのう。軟弱酷使様にゃあ困ったもんじゃ。
広島勢は確かに強いがカープは弱いな・・・
849 :
848:2007/07/30(月) 02:37:46 ID:gMjZmtv4
また変な風に誤爆した・・・すまん。
850 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 02:53:20 ID:XYtzn03s
>>844 牛ではないが日本人として最低限の品性はもとうな?
直接被爆した大半の方は亡くなったし
戦後直後は被爆したと言うことで差別され
財産も奪われたりした悲壮な人等だぞ?
歴史に敬意を払わん奴は歴史板にはいらんし
民意が低い奴は日本にもいらん
猛省しろ
851 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 03:49:42 ID:oo8b7afJ
広島に移住したくなってきた!他の県が犯罪だらけのスラム街に見えてくる。きっと犯罪率仙台やら鹿児島やら熊本やら宮崎より低いはず!男は日本一有能だしね!!
852 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 10:31:19 ID:50brrbW/
中国兵は義に厚い
853 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 12:08:56 ID:50brrbW/
清水宗治
854 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 20:07:00 ID:Yyf/FVKd
>>838 > 広島師団でもレイプしたもんもおるし、良民殺害のあったが、
全体的に軍紀厳正で、それは隣の中国地方の兵の多い姫路師団でも
全体的に軍紀が良かった云うことじゃ。
「全体的に」って・・・。他人に厳しく身内に甘いんだな、お前。
ひとつでもレイプの事例があるんなら、師団全員がレイプ犯でない限り
他師団のことをレイプ犯呼ばわりしたらいかんよ。
お前の行為は被爆者をけなすバカと同じくらい卑怯で侮辱的で失礼だぞ。
855 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 21:42:45 ID:yLphZTKQ
>>850 さりげなく牛に日本から出てけとか言ってんなよwww
856 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 00:49:17 ID:VwdGgD2w
>軟弱酷使様にゃあ困ったもんじゃ。
ますますチョンの本性をあらわしたな。
広島郷土愛をカモフラージュに工作するなよかばたれが!
857 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 01:01:04 ID:ANGrJWb8
ネットウヨもネットサヨも似たようなもんだ。
なっ軟弱雑魚のデブ牛ちゃん
858 :
白馬青牛:2007/07/31(火) 02:04:48 ID:lDMb8w3Q
>>851 犯罪だらけのスラム街のどこがいけんのか?有能な人種・民族・
個人もおらんよ。広島人が軍紀厳正で、自己抑制の性格と戦闘では
強かった実績を持つ云うことで、全体的に優秀な人間などおらんし、
おる思うんはナチス排外主義のネットウヨぐらいじゃろう。
>>852 「中国者の律儀」と敵に対しても温情と仁義。
>>854 岡村寧次将軍は、何で熊本第6師団を強姦部隊と名指ししたんじゃろう。
同じ熊本第6師団の中でも宮崎の都城聯隊を占領地に置いたんじゃろう。
そこら辺考えてみいや。
ほいで、人様に「卑怯」云う言葉を使うた時点でわりゃ日本人じゃないど。
こがん他者を侮辱する言葉が他にあろううか。最近はTVの影響で、
「卑怯」云う言葉が軽うなったんか知らんが、絶対使うたらいけん
言葉じゃ。
>>856-857 ネットウヨ軟弱酷使の本性を著わしょうるんはおどれじゃ。
わしゃあ、おどれみたいなデブじゃのうて残念じゃのう。
それたあ、ワレが嫌いな朝鮮人と一対一で勝負したらええじゃないか。
まあ、こんな(こいつ)じゃったら、アメリカ人にも勝てんじゃろうのう。
こがあなもんが日本人面しても、風が悪りいけえ云うて、
外国へ移住させても、ネットウヨのゴミ捨てな!云われて、
日本人の恥の上塗りになるけえ、困ったもんじゃ。
859 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 03:02:01 ID:ANGrJWb8
卑怯な行為も強姦するのもアンタの祖国の民族のお家芸じゃんか。
やっぱり遺伝子レベルで組み込まれたものは直しようがないんだろうな。
あと不法入国者の子孫が日本人ヅラすんな。 な?
なんでアメリカ人が出てくるのか意味わからんが、いかにも朝鮮人のが強い
みたいないい方してるけど、素手での喧嘩なら分が悪いと思うが。
ウリナラは何でも世界一じゃなきゃ気が済まないのかねえ。
全く馬鹿につける薬はないとは良くいったもんだ。
860 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 06:11:17 ID:VH+AY/cQ
>>859 > 全く馬鹿につける薬はないとは良くいったもんだ。
そのようだな
861 :
人間七七四年:2007/07/31(火) 13:10:40 ID:rkDd9IXw
>>858 > 岡村寧次将軍は、何で熊本第6師団を強姦部隊と名指ししたんじゃろう。
そうか。岡村将軍の言葉が当時の民意なのか。歴史家の総意なのか。
一将軍が強姦部隊と言った記録があれば、お前も言うのか。
じゃあ久間が原爆落とされてしようがないって言えばお前も追随するんだな。
それとも岡村将軍って言葉を引用できるほど、人格者で軍人としても優秀なのか?
広島師団が優秀だと言いたいが為に他師団をレイプ魔呼ばわりするお前のどこが卑怯じゃないんだ?
お前はそれくらいのことをしてるんだぞ。好きで戦いに出たかどうかは人それぞれだが
立派に戦った兵士全員をレイプ魔呼ばわりするお前は日本人して絶対許されない。
お前が右翼だろうが左翼だろうが日本人だろうが外国人だろうが関係ない。
遠く故郷を離れ真面目に戦って死んでいったすべての兵士に謝れ。
862 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 05:44:12 ID:vR6TeirC
牛は一見、日本人風、広島人風な口をほざいているが、
中味は日本人全般への侮日を意識的にやろうとしている。
そんなの見え見え。
広島カープに達川という選手がいるが、かれは良い韓国人だが、
標準語を意識的に拒否して広島弁で通したキャラを作った。
彼の気持ちは分かるような気がする。
そのメンタリティが牛のような人物にも共通するんだろうな。
まあ、人格、才能、いずれをとっても達川の足元にも及ばんが。
863 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 05:46:04 ID:vR6TeirC
だいたい、
ネトウヨだの、嫌韓だの、国士様
だのという言葉自体が、工作韓国人の常套文句というのは
2chでは常識じゃんか。
864 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 06:51:34 ID:HEMJZu9O
ただ2chに毒されすぎてるのも事実だろ?
あの国で反日的な行動や非常識な行動をやってるのは事実だし
在日特権も鼻にはつくのは解るがここ数年の韓国人叩きは異常だぞ?
お前らの祖先、それもへたしたら意外と近い世代に血が混じってるかもしれん
その時になったらお前らは自分の血を呪うのか
MSNでも会社でもいいが直に接してみろ
おかしな事を言うこともあるが、それでも俺らと変わらん人間だぞ?
誤った認識や不自然に感じる言論には毅然と反論すべきだが
韓国人や在日朝鮮人ってだけで攻撃するのはただのイジメだぞ
レイシズムに毒されてる自分の書き込みをもう一度冷静にみてみろよ
韓国人なのが問題なのではない、行動が問題なんだ
だから牛の間違いを指摘するのは歓迎だし俺もするが
今の流れは見てて不愉快だ。
まあこういうと俺も在日認定なんだろうがw
漏れ、在日アイヌ^^
866 :
人間七七四年:2007/08/01(水) 23:59:38 ID:YOGp3FXS
(=゚ω゚) アイヌカッコイイ。
しかし江上スレをづーっとロムってるんだが、なかなか読み終わらないなあ・・・
867 :
白馬青牛:2007/08/02(木) 00:15:30 ID:RA+YOjTV
>>859-861 わしの祖国、郷土広島は、九州や韓国と違うよ。遺伝子的には
本土日本人は沖縄人より朝鮮人に近いわ。まあ、人種論で民族云々を
云う自体ナチスネットウヨらしい。戦前でも北部朝鮮人は、中国人や
ロシア人相手の喧嘩でも強かったよ。頭突きは体格差なしに決まるけん
のう。
岡村氏は、「第六師団などは、慰安婦を同行しながら強姦罪は跡を断たない
存在である。」と、兵士の証言は
>>831の通り。
何で久間氏の言に追従せにゃあいけんのか。岡村氏が優秀?
わしゃあ軍板の打通氏と違うよ。他師団云うて姫路師団の軍紀厳正を
誉めとるじゃないか。立派に戦った兵士全員に飛躍しょって、
何様のつもりか、日本人の代表面しとるが、立派に戦うたんは日本将兵だけ
じゃのうて前線で働いた慰安婦(日本人・中国人・朝鮮人)の方々も、
そうじゃし、敵味方に分れても、前線で戦うた敵将兵にも尊敬心を覚える
よ。逆に日本の将校で、敵を前に逃げたり、兵士のピンハネに熱心な
連中や、愚劣な作戦で兵士をして流血せしめた連中を英霊として美化
出来んよ。日本軍将兵の蛮行も同じく。日本人として義理も人情も
知らん外道が偉っそなカバチ垂れるわい。
868 :
白馬青牛:2007/08/02(木) 00:59:28 ID:RA+YOjTV
>>862-863 良い韓国人悪い韓国人云うんはワレの個人的見解じゃが、達川氏か。
彼は礼儀正しゅうて腰の低い、謙虚な人じゃ。
わしゃあ、その点失格で駄目じゃのう。
ほいで国士様じゃあレイシスト・ネットウヨにゃあ過ぎた言葉で、
軍板の「右翼/左翼扱いされた軍オタの集うスレ」に「酷使様」と
あったが、残酷で温情もない軟弱デブにゃあ、調度ええ言葉じゃろう。
工作韓国人じゃ云うて、わりゃ地元に在日の友人とかおらんのじゃないか?
http://moura.jp/clickjapan/noda/004/page2.html 富山生まれで呉で思春期を過ごした野田義治氏のエピソードも面白いが、
ご本人は、えっと(沢山)喧嘩するタイプじゃなかったようじゃ。
じゃが最後の方で、在日朝鮮人を喧嘩もしたが、同じ地域に住む
「仲間」という意識でしっかりと繋がっていた。昔は地域云う面も
強かったよ。
>>864 わしの間違い云う部分の強がりは兎も角、全体的には概ね真っ当な
意見じゃ。
869 :
人間七七四年:2007/08/02(木) 10:14:59 ID:ImAC/Bu2
>>868 ほざくない。
レイシストいうんはお前じゃ。
870 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 00:07:41 ID:IZj+94Z8
>868
(=゚ω゚) そう?
ワシの先生は、戦後のドサクサで一番タチが悪かったのが朝鮮人じゃあ言うちょったがのう?
なにせヤツらは日本人も中国人もみさかいのう虐めて暴れちょったっち聞いたがのう。
あいつ等は特にメチャクチヤじゃあー言うてたわい。
たぶん事実じゃろう。まず在日なら朝鮮人以外の意見も聞くべきだろうな。
もっともウチの近所に住んでた朝鮮人のオッちゃんは戦後裸一貫でのし上がったスゲエ人じゃった。
ワシはちょっと尊敬していたばい。
まあ、良くも悪くも大山総帥萌え〜。
871 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 01:10:21 ID:9/SJqVl2
>>813(=゚ω゚)
(鳥無き)中国地方を石鹸しまくり時氏さん
>>818 東北は関東に負けまくりじゃん
>>827usi
火力主義は近畿も
薩摩は古代から精強な部類だろ
>>838usi
エースって何ぞやw
>>866(=゚ω゚)
usiはアンチ岡安
872 :
白馬青牛:2007/08/04(土) 01:55:21 ID:PLZsKYsJ
>>870 戦後のドサクサだけじゃのうて、大陸でも日本が敗戦になったら、
収容所の朝鮮聯盟の連中が、昨日まで同胞じゃった日本人を売る
背信行為に出たよ。昨日まで、中国人から略奪しょったくせに。
中国人も日本軍の意を借り、横暴な朝鮮人には困りよった。立場が変わると
戦勝国面じゃ。お国自慢板で書いた、広島231聯隊、桜挺身隊の
悪兵とされた三村上等兵ら四名でサイコロ賭博中の三十人程の朝鮮人達を
襲撃し、「裏切り行為は許せんど。叩き殺して揚子江に放り込むど。」と、
どすの利いた声で、拳銃を突きつけ、親分の李を張り倒して、軍靴で
顔が変わる程踏みつけた。その間、他の人達は袋に場銭をかき集めた。
何度か朝鮮人の賭博開帳を襲撃したら、日本人会に対しておとなしゅう
なったそうじゃ。
戦後日本内地でも朝鮮人は暴れたが、威張れんかったんは土地は
広島県じゃろう。わしの親戚の人も、朝鮮人や豪州兵を、シゴ(始末・
叩きのめす)しよった。
極真空手の大山倍達(崔永宣)氏のことか?力道山(金信格?金光浩)と
共に、山口組系柳川組長の柳川次郎(梁元鍚)氏の弟分的付き合いじゃった
んじゃないん?
873 :
白馬青牛:2007/08/04(土) 22:40:06 ID:PLZsKYsJ
>>871 小刀を返して貰うた恩義を忘れて強がる関東人は哀れじゃのう。
関東も奈良期からの蝦夷征伐で東北に負けっぱなしじゃに。
薩摩は戦国期火力主義じゃが、薩摩が精強云うんは人国記の話か?
エースたァ主力であり、広島5Dがマレー作戦緒戦から最後まで
激闘し、宜昌作戦でも広島39Dがエース主戦投手であり、完投したが、
完投出来ん仙台13Dの救援で、広島39Dは押えの切り札役もやったよ。
http://www.epocaclub.com/hon3/02-hiyoko.html 華中で広島39Dがエースであったよう、華北じゃあ姫路110Dが
エースじゃった。華北にゃあ、後にピアク島で米軍相手に健闘した
弘前36D、大陸打通以降南下した熊本37D、独昆5、8旅団等の
関東兵団もあったが、姫路110D(鷲)は、軍紀厳正で最強を誇り、
八路軍を撃破したり、華北方面の司令官湯恩伯将軍も洛陽の堅陣を陥され、
撃破されたが、「日本軍中随一の勇敢な師団でした」と賞賛した。
姫路師団は徐州で広島5Dと共に激戦した姫路10D、ビルマ派遣軍
最強と伊藤正徳氏が評し、英軍リード大佐が世界最強と評した、姫路54D
等、姫路師団も強いのう。
874 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 23:26:21 ID:30mvQJF5
白 馬 の 祖 国 は 広 島 じ ゃ な い だ ろ。
875 :
人間七七四年:2007/08/04(土) 23:30:23 ID:30mvQJF5
>戦前でも北部朝鮮人は、中国人や
>ロシア人相手の喧嘩でも強かったよ。
そんな話知らんw聞いたこともない。
しかも朝鮮北部だの南部だの、お前の脳以外にソースのない話するなと。
戦争中に喧嘩の話が出てくる国はすでに負けているのですよ。
現実の戦争で負けているから、喧嘩では強かったんだ!サッカーでは勝った!
そんな話は敗戦国・虐げられた国には腐るほどある話
876 :
白馬青牛:2007/08/04(土) 23:46:07 ID:PLZsKYsJ
>>871 続いて、『陸海軍人国記』で伊藤金次郎氏は、「人国記の酷評」にて、
「姫路師団は、こんどの事変で鷲城の勇名を大陸にあげた。将兵の
「こないなことで、死にへん」は、いささかまが抜けていたとはいうも
のの、武勇は必ずしもま伸びがしてなかった。しかし昔の人国記作者は、
どうゆうものか、この士風を貶譏した。」新人国記の引用で、「古昔の
武士にも赤松党が如き、皆利心より出て、侍はなかなか是非に及ばず」や
丹波の風俗を「人の気ぜい懦弱にして、己を自慢し人の非をそしり、
ひとえに婦人の心根なり。すべて勇気少なく、世渡り第一の風儀なりとぞ」
について「人国記作者は、毒筆に流れ、深刻な酷評を随所に見受ける。
現に、丹波篠山藩青山侯が、私財を投じ、租税を軽くして一藩の子弟育成に
献身したほど、醇風美俗の興起につとめたにもかかわらず、人国記の作者は
例の、白眼をかたむけ」と、されるが、東国人は根拠のない偏見で生きとる
生物じゃし、赤松党に負けたせいか、勝てんかった相手の播磨・丹波を
貶すこと甚だしい。土地所有に熱心な関東武士に私心は無かったんか?
懦弱な相手に負けるほど関東勢は弱かったんか?おお笑いしたが、
人国記は自爆じゃのう。道理で小刀を返して貰うた神機隊を貶して、
自己の不甲斐なさを他者に転化する。ほんま関東人は哀れな生き物
じゃのう。
877 :
白馬青牛:2007/08/05(日) 00:12:28 ID:9MzIJZCP
>>871 岡安氏は、真っ当に答えず逃げとるように思うが。こんなァどう思うや。
佐原氏も日本人の腸管が長い云う根拠が無いと真っ当な意見を云われる
こともあるが、江上氏がおらん処で、騎馬民族説を論破してやったと
云うんは、武士道を知らん行為で、真っ当じゃああるまい。
手段を選ばん関東人なら、正当化出来るか知らんが。
>>874-875 論破されたら在日認定は、他板でもネットウヨのやり口じゃないか。
この板でも顔もそがんこと云うとる処、同レベルじゃのう。
わしゃあ、戦前世代の人達から伺った話じゃが、頭ごなしに否定し、
戦前世代の人達を貶める根拠は何か?
喧嘩に負けた方は劣等感が出来て、戦闘に役に立たんよ。
実際敗戦時中国軍の首実検で殴られた将校連中は愛想笑いをして
卑屈な態度を取り兵卒から馬鹿にされるんがおちじゃ。
ワレのゆう虐げられた国にある実例は何なら?弱い者が弱い言い訳を
して何になるんか?日本人は負けちゃあいけん。ワレ個人が弱い自慢を
して何になるんか。
878 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 00:20:40 ID:Gsq9cew1
>小刀を返して貰うた神機隊を貶して
(=゚ω゚) はっはっは。おおかた相手が渋沢栄一だったから返したんだろう。
返さなかったら首盗ッ人の小太刀泥棒じゃけんのう。
美談扱いされて助かったのは神機隊のほうじゃぁないか?
879 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 01:02:48 ID:vJCHoxgF
牛よお前自身は喧嘩強いんか?今はよぼよぼのジジイだろうから昔々のおとぎ話
でもいいが、朝鮮人や豪州人シコした話聞かせてよ。
880 :
白馬青牛:2007/08/05(日) 01:10:18 ID:9MzIJZCP
>>878 何がはっはっはじゃ。相手が渋沢栄一じゃけえ返した云う解釈するんは、
逆に関東人は地位や爵位を持った人物なら返すと思う隷属奴隷根性で、
日本全国に権威に弱い関東奴隷民の特質を押し付けるなや。
美談扱いじゃのうて、返した相手を貶す毎度関東人の武士の風下にも
置けん性質を拝見出来るだけじゃ。ほんま関東人は、小刀を返して貰うた
恩義を知らん。礼儀を仇で返す民族じゃけんのう。
881 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 03:52:18 ID:1EfcNbVO
在日認定は論破されたら云々じゃなくて、
臭いで分かるからだよ。
分かるんだよな、これが、実にw
882 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 08:24:36 ID:mK8/EI7C
広島、日本分断、騎馬民族説、妄想壁・・
在日が好む論をすべて網羅して主張しているのが白馬
883 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 09:37:03 ID:vJCHoxgF
それに加え俺様が一番、俺様がルール的な中華思想も持ち合わせているな。
つか普通広島、関東の人間互いに異民族だと思ってねーよ。自分の妄想押し付けは
止めてもらいたい。在日は異民族だと思っているけどな。牛がそうなのかは知らんが。
884 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 17:35:08 ID:KwtekS60
>876>877>880普段以上の暴走牛だなw
>>873 負けた兵の出身地は関東だけじゃないぞ。8世紀の蝦夷は当時最強。
東海・東山・坂東、もちろん現地東北兵も征討軍には含まれるわけで。
そして何より無能な藤原継縄、藤原小黒麻呂に紀古佐美。
ボコられるエースかw
>>879 素手で朝青龍に勝てるらしいよ(以前言ってた)
885 :
人間七七四年:2007/08/05(日) 18:15:59 ID:Gsq9cew1
>>880 (=゚ω゚) 紛失物を返しただけだからそんなに恩着せがましくしなくてもいいんじゃん?
首盗ッ人はいただけないが。
>つか普通広島、関東の人間互いに異民族だと思ってねーよ。
(=゚ω゚) 蝦夷俘囚古代佐伯の末裔ですのう。
>素手で朝青龍に勝てるらしい
(=゚ω゚) すごい!弟子にして下さい。
886 :
白馬青牛:2007/08/05(日) 23:47:30 ID:9MzIJZCP
>>874-875 わしの祖国は東国じゃあ思わんよ。風土が人を作る。補足として、
日本人が列車から手を振っても、石を投げて来る抗日意識の強い朝鮮北部と
腹の底は反日でも日本人を表面上歓迎する朝鮮南部は気質が違う。
>>879 豪州人は占領軍で来たんじゃし、はあ、とうに引き揚げてしもうたわい。
じゃが、気性の荒い豪州兵より現在でも犯罪を犯すが大人しい米軍
の方が残ったんはえかったのう。まあ、喧嘩話など、公然と云えん話も
あるけんのう。まあ、わしの文から読み取りんさい。じゃが今でも、
軟弱デブのネットウヨ相手に負けるほど、老いぼれちゃあおらんで。
今でもお椀一膳の飯じゃ。酒飲むんに、大飯喰らいじゃあ、節制が足りん。
出来るだけ生命を奪わんことじゃが、わしゃあ肉や魚、野菜も好んで喰うて
仕舞うわい、業なのう。
>>881 わしゃあネットウヨの臭いは文面からしか判断出来ん。
>>882 広島、日本分断、騎馬民族説、妄想壁が在日が好む論か?
在日が広島を特別好む根拠はあるんか?日本分断なら梅棹忠夫氏は、
在日になるんか?騎馬民族説の反論者は70年代韓国人の方じゃないか。
親米派ネットウヨの引用する人物にも、間接的に江上説に近い、日韓同祖論
を唱える人物もおってじゃ。実例を挙げん妄想癖はあんた自身の問題じゃ。
887 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 00:09:52 ID:1dO7RWXU
とりあえずネットウヨのデブ倒した実例なきゃあな。
実例なきゃ妄想だしな。妄想で強いといわれてもねぇ
888 :
白馬青牛:2007/08/06(月) 00:51:31 ID:KwAYcuAD
>>883-884 ほう、ワレの中華思想を自慢しょうるんか。ほいで、現代のマスコミの
影響で単一民族的な日本を想定しょうるだけじゃろう。
旧国軍が、地域壮丁で構成されたんも、日本人云う幻想より、
郷土の部隊云う意識が強かった云うことじゃ。在日も朝鮮人だけの集団で
構成された地帯と日本人が多い地域で育ったもんと、ズレがあろうに。
>>884 東北兵もおろうが負けた兵の多くは近隣関東兵じゃし、鈍重な東北に
関東主流で負けた訳じゃ。関東人にとって蝦夷最強な訳で、その価値観を
押し付けられてものう。無能な指揮官以前に無能な兵じゃ。人国記でも
東北を美化しょうるじゃないか。
わしゃあ朝青龍より下か?云うたんじゃが、いつのまに素手になりよっ
たんか。まあ、小心者の鬱状態のもんに勝っても意味がない。
むしろ、弱い人間として暖かこう視てあげんさいや。それが日本人としての
温情じゃないか。
>>885 事実を度外視して、返して貰うた方が、恩着せがましゅう云うとるんは
関東側じゃないか。広島人に蝦夷佐伯部の血が濃いとしても風土が違うよ。
人間を作るんは風土じゃし。
朝青龍は、戦人じゃないし、モンゴル人の鈍重で、他民族から蹂躙された
歴史の小心な性質が出ただけじゃろう。ほいで、逆に勝負に異様な執念を
燃やす。それだけのことじゃ。モンゴル人は集団を構成出来んと、
包で家族単位で生活しとったせいか個人じゃあ猫で、喧嘩以前の問題じゃ。
朝青龍を追い詰めちゃあ可哀想過ぎるよ。
ほいで、わしゃあ、今週数日は忙しいけえ書けん。
好きなようにみんな妄想でも書きんさい。
889 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 01:06:54 ID:WAHZcnVb
もう来なくていいぞ^^
890 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 14:43:27 ID:jVH4XdAK
>>886あなたの所の風土があなたのような人を作るんですね。
891 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 14:46:11 ID:6tIwT/eZ
そろそろ500KBっすよ
892 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 22:24:51 ID:zrbDabLO
辞刷れ医らね
893 :
人間七七四年:2007/08/06(月) 23:12:47 ID:Hx57s36I
単発で喚いてるバカはなんだ?スレタイも読めないのか?
それより何故関東の名が挙がらないんだ?
894 :
人間七七四年:2007/08/07(火) 01:24:03 ID:6QXTxYlW
>>888usi
鈍重は博労馬の畿内。
近代史板であいぬ君のスレを見付けたら、usiの妄想カキコが(さいぎょーw)
895 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 19:22:51 ID:c1RHyUmc
白馬と広島は最強ということでいいから、
広島の次に強い最強兵卒の話をしようぜ。
896 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 19:42:29 ID:UQy+MIpL
ピカドンともみじ饅頭しかないド田舎
897 :
人間七七四年:2007/08/08(水) 21:10:12 ID:8OpGLAui
部隊ごと戦時捕虜になって、抵抗ひとつしなかった広島の部隊を褒め称えるスレはここでつか?
898 :
人間七七四年:2007/08/09(木) 00:05:40 ID:ciPr/QQs
>>897 やつはそれが分かってて吼えまくっているのさ。
目的が分かるだろうw ネッ
899 :
人間七七四年:
気持は分かるが広島は何も悪くないからやめよう。
心身未熟な一人の人間が全ての元凶