1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
秀頼は秀吉の子供ではないのではないか。
側室が大勢いた中で淀の方だけが立て続けに2人も産んでいるのは不自然だ。
また秀吉が矮小な男だったのに対し、秀頼は偉丈夫だった。
顔も全く違ったようだ。
大野治長は淀の方と何度も密会していたようだが
彼こそが本当の父親では無いだろうか。
北政所も秀頼が秀吉の子供では無いと思っていたから
あんなにあっさりと家康に靡いたのではないか。
「秀頼の首」の鑑定結果によると、長顔で難聴だったようです。
目と鼻が大きく、顎の先もしっかりしてました。
確かに秀吉とは似ていないかもしれませんね。
一体どこに秀頼の首が現存してるというのか
秀吉個人とは似て無くても、母方からの遺伝もしくは隔世遺伝て事は無いのか?
淀の父親である長政はそれなりに偉丈夫だったと思うが?
成長期の栄養状態も秀吉と秀頼では雲泥の差だろうし。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 19:24:03 ID:qO1C4m1x
昭和57年の大坂城発掘調査で、豊臣時代の陶磁器、漆器、屋根瓦などに混じって一個の頭蓋骨が出土しました。
鑑定によると年齢は20〜30歳くらいで、頭蓋骨の右顎が介錯の際の打撃で割れていました、
近くから秀頼の愛馬・太平楽と思われる馬の骨も流出し、
これらの特徴と発掘された場所などを史書と照合した結果、豊臣秀頼の首であると言われています。
この頭蓋骨は、京都・清涼寺境内の「秀頼公首塚」に葬られています。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 20:14:38 ID:BG4NjttN
>>2 >>5 「秀頼の首」(木崎國嘉 共同出版社)は私も読んだよ。
貝殻を敷き詰めた上に首を置いて埋めてたから、首が残ってたらしいね。
「庶民の首ではない」って鑑定結果がでたらしい。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 20:30:12 ID:lTgUgCYW
( ´゚ω゚` )
×偉丈夫
○デブ
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 02:18:37 ID:RqsX/cnZ
まあ男は母親に似るって言うしな
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 03:28:26 ID:gJiTMzeG
実は淀君もその辺は感づいてて、しかも心当たりありまくりだったから
世間に秀頼を出したくなかったのかな。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 15:00:14 ID:92iQL+wI
山岡荘八の徳川家康で、秀頼の子供が処刑される処を高台院が見に行くのだが
秀吉に似てるか確認するのだが、淀に似てて、納得する。
秀吉の統一は天に愛されたから事出来た事、日輪の子とまで言っていた真に秀吉の子ならば
滅ぼされたり、首を切られるような運命に無いと。
英雄秀吉の子ならば滅びぬはず、と言う自慰的な妄想が怖いが、妙な説得力がある描写だったな。
大阪の陣敗走さた後に秀頼は薩摩に逃れて
大酒飲みで周りに迷惑かけまくって
80才位で死んだ。
って説の本を見た事あるよ。
秀頼は織田家の血筋が濃いだけじゃないの?
薩摩って伝説だけなら凄い数の落ち武者が居る気がするw
同じ辺境なのに陸奥とか蝦夷には落ち武者がいない件について
やっぱ寒いところはいやなのかね
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 16:40:49 ID:5pYR6FQp
18 :
姉小路宰相:2006/11/15(水) 16:41:19 ID:dUB9DDB+
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 17:43:19 ID:r98JdSG4
>>16 三成の子や幸村の娘、伊勢北畠の子孫も行ってる
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 20:46:19 ID:nUVbXuWj
くだらん!
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 20:50:54 ID:aEn93HPw
豊臣秀頼は祖父(浅井長政)の血が濃かったんじゃないの?
またこんな明治に語り尽くされたような話題でスレ立てて
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 22:20:40 ID:fz3XHOom
何十人という女と関係を持ったのに一人も孕ませられず
一人だけ、それも二度も子供を産む女というのはどう転んでも不自然の極み。
秀頼の首に、あと秀吉の骨の一部でもあればDNA鑑定できるのにな。
徳川が秀吉の墓を壊したんだろ。その時秀吉の骨もどっかに棄てたのかな。
真実を闇に葬ったのは徳川だ。バカ者めが。
家康の隠し子という珍説。
山岡?
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 23:39:11 ID:ptXv9ZUd
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 00:11:07 ID:9N5YDNpV
淀殿は炎の中で自害したのかな。だったら何も残ってなかっただろね。
まじでDNA鑑定してすっきりさせてほしい。
当時の秀吉もこのことを考えないはずはなかっただろう。
それなのに何故淀殿と秀頼を溺愛したのか、それが一番の謎だな。
>>28 当時の秀吉はボケ爺だからな、わかんなかったんだろ。
仮にボケてなかったとしてもせっかくの世継ぎなんだからもう誰の子でもよかったんじゃないのか。
自分が種無しということくらい自覚あっただろうし
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 00:57:06 ID:wFAGCoXq
秀頼や淀殿達が自決した大坂城の山里廓の倉は、大野治長が火薬で爆発させたんじゃなかったっけ?
遺骸があっても判別出来なかったかもしれない
秀吉の子、秀頼含めて少なくとも四人いるじゃん。何が種なしだよ
秀勝?いたかどうか知らないけど秀勝なんて幾つの年に名乗ったの?
?????
秀勝実子説と
長浜の神社に秀吉が納めた娘の息災祈願。
あとは鶴松と秀頼ね。
秀吉ってなかなか子ども生まれなかったんだよね。
だから秀次養子にしたんだよね。
>>34 亡くなったとされる秀勝の年齢と秀吉の北近江拝領の時期を考え合わせれば
南殿の連れ子の可能性だってあるのに、ひたすらまず秀吉の子ありきなのがな
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 13:10:09 ID:XfFSQI5K
茶々と、そういう関係になれる男性は限られてくるな…。
常に、おつきの人とか周囲にいるわけだし
>>24 何十人じゃ済まないだろう。
普通に千人切りいくかどうかの単位じゃねえ?
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 22:18:41 ID:9N5YDNpV
そうだよな、種無しか極めて受精率の低いひ弱な精子だという自覚ぐらいあったよな。
それを手放しで世継ぎ誕生と有頂天になるとは痛々しいことだ。
よっぽど切羽詰ってどうでもよくなってたのかな。
つーか、秀吉の娘ってなんだよ。養女じゃなくて実子なのか?
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 22:20:43 ID:9N5YDNpV
>>38 見落としてた。おれへのレスだったか。。。
側室の数は百人以下だったのでは?
千人いくかいかないかって、そんなに側室抱えたら財政破綻しそう。
>>40 いや、ネネが信長に言いつけた時も
側室に対しての嫉妬ではなく、秀吉が女と見ると見境なく
手を付ける事を愚痴ったんじゃなかったっけ?
あと、朝鮮の役の際、渡海した武将の妻女は見境なく大阪に呼びつけてたとか
言われてるよね。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 22:35:39 ID:GcVUXCld
この時代って精子が女の体の中で受精して子供になるって分かっていたのかな
400年前の人間のDNAなんてわかるのか?
10数年前でも難しいのに
体験的な常識として子種って概念はあるだろう
秀吉はアナルに挿れてたと予想
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 06:05:10 ID:f3xtn3V5
そもそも、秀頼は1593年8月生まれであり、前年より朝鮮半島に赴いていた(文禄の役)三成が
淀殿に子どもを産ませたなど、物理的に不可能である。
三成???
彼は普通に淀殿と不仲じゃなかったか・・・
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 06:18:13 ID:4TW+sScL
>>39 長浜時代に、石松丸秀勝の他に、娘がいたのではないか?、という説があるらしい。
実は秀吉が膣だと思ってたのは全部アナルだったとかか
それなら納得
あー、なるほど とな?
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 08:35:45 ID:w8HDj0Ad
淀と出会うまで秀吉はどうやったら妊娠するのか分からずずっと素股だった
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 12:29:34 ID:GdUa5TPt
別に誰の子供でもいいじゃん
どうせぶっ殺されたわけだし
>>53は野口英昭の死も自殺と言い張るんだろうなw
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 19:49:52 ID:f3xtn3V5
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 20:09:08 ID:zHiyKmRW
秀頼の父親が誰かということより、淀さんが誰とヤッたのかが知り鯛
だから家康だと(ry
実際、当時淀殿くらいの地位の女性が人目を忍んで男性に逢ったりセックスしたり
するのってどうやってしたんだろうか。夜中だって一人にはならないよな、普通。
目撃者だって居そう(本当に居るかどうかは置いといて、そういう話が出そう)なもの
なのに、伝聞調ではなく推測調の話しか聞いた事ないのも不思議なんだよな。
淀殿は自分の周りは腹心で固めていたから真相は解明できないかと
傍から見ると、大筒一つで和睦する暗愚そのものなんだけど
周囲の人間を信服させる力は持っている人だったみたいだ
大阪の陣終了まで、淀殿の近臣は淀殿を裏切らなかった
しかもその近臣というのが、北近江は浅井時代からの乳母(しかも何人も)だったり
乳姉妹だったりと、成り上がりの秀吉が淀殿を側室にしたことを快く思ってなさそうな面々で
淀殿が不義密通していても押し黙ってそう
鶴松を妊娠するまでは、淀殿は結構寂しく暮らしていたらしいし
目が届かなくても不思議はない気がする(側室だけでも16人だしね)
一人目の子供が出来た時、秀吉がつるっと騙されたんで
また次やっちゃったとかなのかな・・・・・・?
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 00:20:20 ID:iwT9bVIj
当時の記録に、秀吉死後に淀殿が妊娠していたとかいうのがあった気が
やりまくりってことね。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:22:14 ID:IbtJIjIH
別に城を与えられていたぐらいだから、老いぼれの秀吉は
そうとうあの若い女に溺れて盲目になっていたのだろう。
それほどまでに秀吉を虜にしたからには小悪魔的な魅力もあったのだろうか。
秀吉は側室は多かったが、淀へのひいきぶりは群を抜いている。
まるで玄宗皇帝の楊貴妃への異常な寵愛ぶりを見ているようだ。
どっちにしても食わせ物の女には違いなかっただろう。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:38:15 ID:IbtJIjIH
>>58 たとえば、源氏物語を例に考えてみよう。
あれは完全なフィクションだが、実際に起こすことは可能だから
作者が物語りにしたのだと思う。
当時の身分の高い女性には多くの世話係がついていた。
乳母や身の回りの世話をする少し年齢が上の女性や
同年代の話し相手の女性など十数人はいたと考えられる。
あの物語の中で、貴族階級の人妻も不義密通する逸話が多い。
それにはまず、ターゲットにした人妻を口説く一方で
人妻の乳母や一番地位が上の世話係の女性とも親しくなるという手順をとる。
口説くためには、外掘りから埋めるというわけだ。
そうしておけば、いざ人妻の寝所にしのんで行く時に
男の心情にほだされた乳母や世話係りの女性が味方になってくれて
上手く人払いをしてくれたり、見張りをしてくれたりする。
時には主人の留守中を見計らって男を招いてくれることもある。
日頃の手紙のやり取りも、それらの女性が間にたってくれるし
けっこう女主人に忠誠を尽くすもののようだ。
特に乳母ともなれば、女主人との付き合いは何十年と長いから
何かあれば咎めを受ける覚悟もあるほどの忠誠心を持っていただろう。
源氏物語では、帝の寵妃が宿下がり中に乳母の手引きによって
妃に恋焦がれていた男(主人公)が寝所に入るくだりもある。
そして、その妃は男との不義の子を帝の子と偽って産むことになる。
だから城を与えられ目の行き届かぬ淀なら尚更たやすく密通ができる。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 03:39:25 ID:iwCTm1F5
茶々こと淀は秀吉を怨んでる事を書いてる小説も多いしね。
子供生まれてからは、秀頼にべったりだし、論理観の無い女だったんだろうが。
当時からそういう噂あっただろうし、種なしの子供ってのは明らかにおかしい話だからな
秀頼が大坂で降伏せずに自害したのも、秀吉の子として死ぬには大阪城で戦って死ぬしか無かったと思ったのかもしれないなあ。
寧々が秀頼に対して案外薄情なのも気にかかるよね。
秀吉の一粒種だと思えば、寧々がもっと秀頼に情愛を持ってても良さそうな気がするが。
こないだ京都に行った時、小さな博物館で秀頼と寧々の間の手紙らしきものが展示してあった記憶があるんだけど
秀頼自身は北の政所に叔母のような親愛の情は持ってたとは思う。
66 :
名無しさん:2006/11/18(土) 05:42:41 ID:0aMqTPLx
秀吉は淀にお市を見ていたんだろう だから骨抜きだった
それといくら老いぼれでも自分の子かどうかはわかるだろうから
他人の子でも良いから豊臣を残したかった可能性もある
市の娘の子なんだから信長の血縁だし血が絶えるなら織田家に返す
積もりだったのかもしれない
>他人の子でも良いから豊臣を残したかった可能性もある
それだったら秀次でもいいのに・・・
というか秀次の方がずっといいのに・・・・
逆に考えるとさ、秀吉自身が淀殿と誰かの手引きをした可能性ってないんだろうか。
つまり「自分の子供」が出来ないなら「自分が跡継ぎにしたい血筋の子供」を作ろうとした可能性。
それだと周囲がどれだけ怪しんでも本人的には満足なんだから溺愛もするだろう。
秀頼は実は秀忠と兄弟くぁwせdrftgyふじこlp;@:「」
>>69 秀頼は姪と結婚したのか?
母親も姉妹だしヤバいな
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 15:26:02 ID:IbtJIjIH
>>68 昔あった秀吉を主人公にした大河はその解釈だったな。秀吉自らが淀と他の男との逢引を許して
生まれた子を自分の子として世間にお披露目をした。その相手の男というのは
その大河では三成ということになっていた。三成説が根強いのは何か根拠があるのかもしれん。
>>65 その手紙に興味が湧いた。寧々は実際のところ秀頼に冷たかったのではないかもしれないよ。
秀頼に情愛はあっても、淀の味方になりたくなかったのかもしれない。
最初に淀が産んだ子は寧々が手元で慈しんで育てていたらしいからね。
秀吉の子でなくても、受け入れて可愛がる度量のある女性だったのかもしれない。
ところが、二番目に生まれた秀頼を淀は頑として手放さなかった。
寧々としては、本当は秀頼を自分の手で秀吉の後継者に相応しい男に養育したかったのかもしれない。
だが、淀が手放さず秀頼ベッタリになって駄目母ぶりを発揮してしまったために秀頼は・・・。
秀頼が水戸泉みたいになったのを考えて、父親は相当大柄だったと推測
もともと浅井は大柄な家系だったそうだが、父親が貧疎ならあそこまでは行かない
秀頼は従姉妹と結婚している
前田利家だと言って見る
チャンスはあったはず!それに大柄だぜ?
武家じゃなくて歌とか書とかの先生かもしれないぞ
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 20:24:21 ID:iwT9bVIj
利家の息子とは噂になったみたいだね
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 00:55:10 ID:a6LbmnH5
確か両親の身長から子供の身長を割り出す計算方法があったよ。
子供の身長は、その公式で出した数字のとおりになるってよ。
推定身長からでも計算はできるはず。秀吉と淀だと不自然な数字が出るかもね。
そんな。両親が健康でも、代謝疾患あったら、巨人にも小人にもなるって。
俺も利家だと思う
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 01:56:20 ID:16bXzT9U
利家は幸村の女(秋月家)をもレイプしようとした鬼畜
>>77 俺の母親159cmで父親156cmで俺183cmなんだけど
どういう算出方法だと合うんだろ?
でも頭くるほど顔が似てるんで親子なのは間違いないんだが。
>>81 顔なんて他人でも似ることあるよ。残念ながらおまえの本当の両親は別にいる。
もしかしたら父親だけ違うのかもしれないが
俺181センチ、弟168センチなんだが?
>>83 Σ(´Д` )アッサリ!
で・・でもでも親父の昔の写真とか顔だけそっくりで背だけ小さくて笑えたぐらいだったよ。
>>84 俺の姉貴も155cmだよ。
>>85 チェホンマンの両親もチビだから、かんけーないとおもうぞw
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 17:40:34 ID:an7uvxVL
そんなもん成長期の栄養摂取でいくらでもかわるよ
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 18:10:05 ID:K5ti3M8X
秀頼の父親候補
大野治長→茶々の乳兄弟、現在最有力候補
石田光成→北近江出身。昔から根強い噂がある。
京極高次→従兄弟で妹の夫。よく恋愛関係のネタにされる。
前田利長→従兄弟の夫。小説でネタにされていた。
徳川家康→たぶん妄想
父親の噂のあるのってこのぐらい?
個人的には最有力の大野治長は違うと思う。
プライドの高い茶々が身分の低い大野との間に子を作るとは思わないし、
大蔵卿局に権力が偏るのを他の侍女が良しとは思わないはず。
最後まで侍女たちが離脱しなかったことを考えても、
治長と男女の関係はなかったと思う。
> プライドの高い茶々が身分の低い大野との間に子を作るとは思わない
そうか?
織田系って、人の身分にこだわらない印象があるんだが
むしろ気心しれた乳兄弟だからこそ、口裏合わせやすい気がするが
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 18:58:14 ID:X2s28w6W
豊臣秀次、片桐且元も追加
秀次が怪しいよね、だから殺されのかもシレン
秀次失脚後に出された御条に讒言はいかんっていのが入ってるけど
秀次がアレは俺の子だよとか言いふらしてたのてたのかもしれんな
跡継ぎを産んだからこそ、茶々が他の数多いる側室たちの中から抜きん出た存在になれたわけで。
そうなると、周辺の侍女たちも主人の立身のためにみな協力しそうな気もするな。
後々の大奥のようなシステムはまだ確立されていなかった時代の話だし。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 20:40:28 ID:g5IV/31v
どうみても秀吉の実子じゃないだろ。だから秀吉恩顧の諸将も多くが味方せず
滅ぼされた。その事実がなによりの証拠だと思う。
三法師はどう見ても信長の孫でしたが滅ぼされましたが
幼君について行く奴が居るほど甘い時代じゃなかったので
裏切られた等は参考にならない
家康と茶々のSEX!
例え、秀頼はが養子や捨て子であったとしても結果は同じだろう
秀頼と天草四郎が同一人物って話しもあるね
親子じゃなかったっけ。
>>81 おいおい顔なんてチョン見たらわかると思うけど
そっくり関係ない
中日の福留とチェホンマンと柏レイソルの南
3人ともチョンの血だけど顔そっくりだろ?
身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg)
秀頼は相当なキモデブ
相撲レスラーになれるぞこれw
こんなの可愛がってた淀は凄いw
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 01:19:33 ID:7PZ4IIuE
>>93 秀吉が淀をえこひいきし始めたのは側室にする前からじゃなかった?
並々ならぬご執心ぶりで側室に迎え、その直後から特別待遇。いくら市の娘だとしても度を越してる。
>>101 秀頼の画像を見たことあるよ。ヲタな感じで、かなりのキモメンだった。
実際、アキバあたりにいっぱいいそう。
2mもないのに160kgって凄いな^^;
苦しいってのに自分だけ腹いっぱい飯食ってたんだろうな
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 13:17:45 ID:KQvjtPag
秀頼デブだから家康の子って話はあるよ、関ヶ原以後、秀頼を庇ってきたのは家康だしね
秀吉死後のお相手は治長がしてたそうだしね、歌舞伎者に夜伽命じたりしてた話もあるしな。
まあそれらの話に確証は無いのだが・・・
秀頼の親だと、大野治長は実際怪しいね、幼なじみだしね。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 13:58:51 ID:7PZ4IIuE
父親は意外な人物かもしれんが、実際淀の相手は一人ではなかったのではないか?
もしかしたら秀吉の側室になる前からセクフレを何人も渡り歩いたかもしれん。
家康と茶々なら、体の相性はよさそうだ
キモス
>>104 うん、だけど秀忠は全然いい気持ちはしなかっただろうね。
秀忠は奥さんの影響もあって、羽柴家を潰せと叫んで意欲的だったし。
表面化はしなかったが、裏では徳川父子の確執があったと思われ・・・
まあ、正信の手腕もあったろうが・・・
鐘銘問題って家康が利用したんじゃなかったっけ?
秀忠が利用して豊臣家を潰そうとしたの?
そんな笑い話のような事で家康がつっかってきたのなら
どう考えても家康は秀頼をぶっ殺したくてぶっ殺したくて仕方のない状態だったと
普通の人は思うんだけど。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:44:06 ID:pca/TYah
相撲のバルトが197a170`くらいだね
色白っぽいとこも似ているか
>>109 ヒント)
@淀君とお江与の険悪の仲の状態
A淀君の家康に対する異常な執念
B天海和尚・藤堂高虎・柳生宗矩ら幕僚の暗躍
あまり強い根拠はないけど・・・
>>105 あのレベルの身分でそう簡単に密通なんてできるわけないだろ、常識考えろ
>>111の続き
C林羅山、崇伝和尚らが鐘銘問題を改竄して、秀忠と共に豊臣家に因縁をつけた
D最悪な事態となり、家康はもう往生際の悪い豊臣家を潰すしかないと観念した
・・・こんな感じかと思う。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:07:51 ID:7PZ4IIuE
>>112 そんなことはない。身分の高い人には高い人なりの方法で密通はしていたんだよ。
もちろん表沙汰にはならないようにはしているけど。そういや、千姫も後家になった後に
酒浸り、男漁りなどご乱行の限りを尽くしたというじゃないか。いや、これは極端な例だが
少なくとも普通に密通ぐらいなら多かれ少なかれやっていても不思議はない。
ところで家康は出戻りとか後家が大好きだったらしいとかいうね。
側室もそういうのが多かったんじゃないか?ならば、なおさらのこと。
それに、淀が秀吉の死後も髪をおろさなかったのは、そういうことも理由だったりして。
普通、たいていの女性は髪をおろすだろう?
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:21:17 ID:+/H539RZ
淀と江与って仲悪かったっけ?
お局が男遊びをして妊娠するような世相を詠んだ川柳は数多く残されてるらしいね。
「院殿もてんねき見える女医者」 「お局の名に近い子おろし」 「お局の女医者とはすまぬこと」
中条流とは堕胎を専門にする女医が江戸期に流行したそうだ。
豊臣秀吉の臣である中条帯刀が始祖であり、特に「中条丸」なる薬は水銀と米粉を混ぜ合わせ錠剤にしたお粗末な丸薬は
大ヒット商品となったそうです。
簡単に股開くのは日本の伝統だろ?今も受け継いでるし
>>118 それもあるけど。その他に隆慶一郎の「捨て童子・松平忠輝」・・・
それと新田次郎の「武田信玄・勝頼」の要素もちょっこと入ってる。
>>115 多分そうだと思う。でなきゃ秀忠が豊臣家を滅ぼす理由がないと思われ。
秀忠本人が秀頼を憎いと思ったかどうかはわからんけど、
お江与は姉の淀君とまとめて甥の秀頼のことを嫌っていたのではないかと・・・
秀忠が豊臣潰したの?
>>121 36・7歳という成熟した年齢を考えると、家康の老齢を考えると・・・
それは全く否定できないと思うね。
秀忠には天海和尚(随風)、林羅山、崇伝和尚、藤堂高虎、柳生宗矩ら
という素晴らしい自分の幕僚ブレーンもいるし・・・
きっと、秀忠は自分の時代が到来したと思ったのではないかと。
つーか本当に淀が産んだのか?
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 17:47:05 ID:WnQAIaM9
>>117 日本の女は伝統的にヤリマンだよな。
かつての農村なんか乱交パーティー状態。
平安時代の貴族もかなりのヤリチンヤリマンの集まりで
本当に乱交パーティーを開いた者達まで現れてお上の知るところとなり
その者達は島流しの咎を受けたという記録もあるようだ。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 18:06:35 ID:bYT9WEP0
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 22:01:00 ID:65u+MKD1
>>124 だったら、他の側室達も密通してた可能性あるじゃん。
お手つきの侍女とかなら、さらにその可能性大。
何で淀だけ??
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 23:22:26 ID:TYuU1TZG
>>115>>120>>125 淀は天下人たる秀吉の側室となり跡継ぎを生むことで、江与よりも優越していた。
その後、江与が夫の秀勝と死別した後、秀忠と再婚し、淀にとって良く分からないうちに天下が徳川家に移った。
そうしているうちに、江与の夫が将軍職に就任する事となり、「秀頼が家康の後を襲う」という淀の勝手な妄想が叶えられなくなった。
おまけに、自分は一地方政権の国母に成り下がったのに、江与は将軍御台所として淀よりも優越してしまった。
丁度その頃、秀忠、江与夫婦の長女である千姫が、秀頼に嫁入りするため大坂へとやって来た。
この娘の嫁入りに、身重の体に鞭打って江与がついて来た。
個人的にどういう思惑があったか知らないが、徳川家が「元主家に充分な礼を持って接している」という事を示すためだったのかもしれないし、
冷え込んできた豊臣徳川両家の融和を図ったのかもしれないし、ただ単に妹が姉に嫁入りする娘の貢献を頼みに来ただけなのかもしれない。
ただ、臨月の体で上洛し、そのまま向うで出産しなければならないほど、江与は無理をしていた。
「御台所(江与)はしきりに物語などをし給うが、御袋様(淀)は気色も変え給わらず」
その時の淀、江与の会見の様子である。
江与もそりゃ怒るわな。
ちなみに常高院(淀の妹、江与の姉)もその場に居たらしいが、そちらとはうまくやっている。その時生まれた子供を養子に出すくらいには。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 23:54:00 ID:PCwgSEFx
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 03:04:49 ID:tL1cWocu
>>126 淀はそもそも秀吉の側室になんかなりたくはなかった。
他の側室達のように喜んで秀吉の側室になったわけではない。
むしろ秀吉など早く死ねばいいぐらいのことは思っていたのでは。
世継ぎを産んで自分の栄達を極めること以外は考えていなかっだろう。
だが、普通にしていたのでは種無しの秀吉では無理。他の大勢の側室同様埋没し
ただ秀吉の性奴隷で一生を終わるだけ。こんな屈辱は我慢がならないであろう。
手段は選ばぬといったところではないか。
秀吉を裏切って不義を働いてた淀はひどいやつだ!
舌切って死んじまえ!
もう死んでるが
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 15:52:15 ID:a6wK+UoU
秀吉がちゃんとした栄養状態なら大男になる家系だと推測してみる。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 16:15:08 ID:f7+Md5tz
茶々の家系はすごいよな。
長政はピザだし市は巨体だし、茶々自身も大柄で
秀頼もボブサップのような体型だったそうだから。
いや武蔵丸だろ
ボブサップは素敵すぎる身体じゃないか
それなら威厳ありまくりw
>>127>>129 それが淀君とお江与の仲が険悪になる要因と思われ・・・
秀忠が妻の影響で直接、豊臣家を滅ぼす意志を持つきっかけになったのでは・・・
まあ、家康が淀君の情夫の可能性がないともいえないが。
ねえよ
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 00:44:25 ID:heUR3Nfy
ところで、このスレ大丈夫なのか?
個人の誹謗中傷が山盛りじゃないか。
訴えられるぞ。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 00:45:21 ID:heUR3Nfy
名誉毀損だらけだし・・・
家康と密通して秀吉を裏切った淀はひどいやつだ!
死刑にすべき!
若くてかっこいいのと浮気しろよ…
かっこいいかは分からんが若い
つ大野治長
>>129 それだったら淀と江与が口裏併せて豊臣家滅びてしまえ!ってのもありかも。
淀は内側から豊臣家を崩して、江与は旦那を焚きつけて外から滅ぼして、とか。
わはは・・・おもろい。けど、恐ろしい浅井姉妹。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:58:08 ID:dnqP/aO3
>>140 淀は土地(地名)なので、死刑にしたくてもできません。
すげーへ理屈だなw
淀君の「君」は娼婦に使う言葉だからつけるなとか言ってる奴?
娼婦みたいなもんだから淀「君」って呼ばれてるだけだろwみたいな
そもそも淀君っていう呼び方はどこから生まれたのかと・・・?
>>140 死刑もなにももう死んでるしね(笑)
>>146 少なからず存命している時には呼ばれていない呼び方だよ。
そもそも、淀城を去った時点で「淀殿」という呼び方は失効≠オてるはず。
筑前の死後に出家したらしいから、そのあたりからは「大広院」が妥当じゃね?
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 19:17:50 ID:jOAgcQBB
大広院って呼び方だとかなりイメージが違うな
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 19:43:57 ID:ie872JZX
ってかこの時代の男の価値観で
「俺は子種なし」っていうのはありうるのかな?
他人(例えば家康)からしたら「あの猿は子種なしプギャー」とかは
ある程度想像ついたかもしれないけど、この時代って子供出来ないのは全て
「女の不妊」が原因とされていた時代でしょ?
子が3年ないのは去れ、の時代だし。
他人事なら冷静に判断できる事でも自分のことになると「いやまさかw」ってのは
現代でもありうる話じゃないかなぁと思うんだけど・・・どうだろ。
あと淀が豊臣滅亡の原因のひとつというのもどうなんだろう。
家康が出した条件の「淀が人質になるなら責めないであげてもいいよ」という
のに対して淀自身は承知したという事らしいし(秀頼がそれに反対して大阪の陣勃発)
>家康が出した条件の「淀が人質になるなら責めないであげてもいいよ」という
>のに対して淀自身は承知したという事らしいし(秀頼がそれに反対して大阪の陣勃発)
これについてのソースはどこなんだ?
ソースっていうか
>>152は有名な話じゃない?どこで知ったか覚えてなくてすまん。
人質になるのは絶対嫌だってダダこねた って話しか知らん。記憶と全く逆だ
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 22:42:42 ID:ie872JZX
>>153 ごめん、どっかで何度か見た程度でソースは無理だ。
そのうちのひとつの話では淀自らが人質になるって話だった。
司馬亮の小説では人質になるのは絶対嫌だってダダこねた事になってたと思う。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:39:25 ID:6jtg3pWn
>>153 駿府記のことじゃないかな?
以前自分が前スレで同じ質問したときにそう返ってきました。
家康の側近が書いたらしい。
家康関係の書物はどの書物より信用ならん
模造幕府と言われてるぐらいだし
模造幕府って何?
淀がごねたのか秀頼がごねたのかはわからんが
とにかく豊臣家が突っぱねたのは事実
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:34:07 ID:TDGeKGEL
>>152 しかし秀吉の場合、あれだけ女好きでヤリまくっていながら子ができなかったのだから、さすがに秀吉の方に
原因があるんじゃないかと周囲はみてたんじゃないか?
だからこそ、茶々にだけ何故できたんだという話にもなっているわけで。
秀吉の側室には子持ちもいたし、秀吉と別れて別の男性との間に子を設けた人もいる。
そこらへんは現代人の感覚で論じてはいけないような気がする。
当時の医学知識は本当に低くて、普通に前世の業や母体の不出来で病気に
なると考えてた時代、明らかに因果関係があるからといって当時の人が
「肉体的な問題」と考えていたかどうかはまた別問題だろう。
まぁ要は憶測では話がこじれるだけだから、どちらにしろ主張したいなら
当時の史料に見える妊娠認識を論拠に持ってくるべきだと思う、という事で。
当時、子ができるには精子と卵子が合体しなきゃいけないってのはわかってたんでしょうか?
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 12:33:16 ID:E1ldtEGM
>>164 あれだろう?子持ちの側室とは、秀吉が若い頃に囲ったやつじゃないのか?
どこの馬の骨とも判らん身分の低い女じゃなかったかね。
いつものように遊んでいたら思いがけず女が孕んだとかで拾って側室にしたんだろう?
なんか、いまひとつ信用できないんだよな。本当に秀吉の子だったのか?
しかも、その子は3歳ぐらいで病死して、その後その側室が子を産んだという話もなく
秀吉の元を去ったのではなかったかな。
>>164がいっているのは、秀吉の側室には他の男性との間に子をなした女性もいて、女性が原因で仔ができなかったとはいえない
(原因は男性側である秀吉にある)てことでしょ。
>>166 実はこういう話がある。
ヒトの誕生について研究していた、とある男が精子と卵子は合体するものだと唱えた。
だが幕府の学者は「ただの汁と女子の中のものが合体するわけない」と言い、奉行は嘘つき男の処刑を命じた。
処刑のとき男はギャラリーに向かい「それでも合体している」と叫んだという。
秀頼は秀吉の子供じゃない。
でも本当の父親なんて淀以外に知りようがないわけで。
議論するだけ無意味
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 21:52:56 ID:PB0itUzj
↑
それでも一度勇気を持って奥さんを問い詰めるべきだよ
頑張れよ 自分の子だったらいいな
旦那の留守に子供が出来た女を「芋」と呼んでいたという話を聞いた事がある。
もしそれが本当なら、男と女あって子供が出来るという認識はあっただろうし
赤の他人から見たら、秀吉ほど女を囲っているのに子供が出来ないのを
「秀吉が無精子」と考えている場合もあるとは思うけど、
それを当の秀吉本人が認識できるかどうかというと別問題な気がする。
例えば現代でも夫婦に長年子供が出来ないと、
まず不妊症を疑うのは「女」の方。
妊娠するメカニズムが判明し、男が原因で不妊という事も一般的に
なってきている現代でも、子供が出来ない原因を一番最初に考えるのは女の方。
あの時代ならなおさら秀吉が「俺、子種ないかも」というようには考えないと思う。
周りがどう思っていたにせよ、秀吉本人がそう思っていなくて
茶々が子供を生んだら「ほらみろ、他の女が不妊だったのだ」と思うんじゃないかな
側室の9割が不妊というのも凄いな。
秀頼は幼名が「お拾い」だったっけか
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 11:29:07 ID:Eu4HBzve
昔は、精液が女の体内で人間になると思われていたらしい。上手く射精出来なかったりすれば不妊だと自覚するだろうけど
いちおう、長浜時代に子供がいたんじゃなかったか?それすらも浮気でできた
他の種というのならともかく、かつて子供をもうけた実績(?)があるのなら、
以後子供ができないのは女の責任扱いにされるのじゃないかね。
長浜時代の子供も秀吉の子って保証もないけどね
長浜時代にできた子供は羽柴秀勝だよな
勝の字が付いてる武将が実の父親だったりしてな
まあそれだったにしても勝家はないだろうが
豊臣ファミリーは生殖機能が乏しい。
秀次は子沢山だけど父親似だったのか?
長浜時代には娘も生まれてなかったけ? 起請文とかあったような。
秀吉の側室って100人以上いたそうだが。秀吉が毎日やってたとしても年に3回
ぐらいか?その間他の男ともできず?老齢の秀吉が毎日やってたとも思えないし
好みもあったろうし中には年に1回も相手にされない人とかもいたんじゃ?
やったとしても相手がじじいの秀吉。ずいぶんかわいそうな生活だな。
陰ではやってたのかな?
秀吉は老齢でも毎日やるだろ。
秀吉だぞ?
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:01:19 ID:bjuH9NXs
年に一回もやってもらえないのに一生涯飼い殺しで縛られているというのも地獄だな。
側室なんて数多ければいいってもんじゃない。子孫を残す目的での側室制度なんだから
ある程度の数の子供をもうけられる人数さえいれば良い。あとは蛇足、無駄。
100人に、それぞれ年に数回程度もない子種しか分配できないなら効率が悪すぎる。秀吉は頭悪すぎ。
>>183 ハーレムは男の夢、ってやつだ
効率だけじゃない
というかその側室100人というのはどんな史料からなんだ?
手を付けただけの侍女やら何やらまで含めるならその位いても不思議はないが
確認できる「側室」がそんなに多数いたというのは見た事ないぞ。
>>185 どっかの時代小説に載ってたのを誰かがwikiに載せたとかじゃないの
意外とこういうパターンはありそう
道頓堀で有名な安井道頓の妾が秀吉に気に入られて側室になったものの、
最初だけ手をつけただけでそのままだったってのが小説であったな、そういえば。
>>187 私も見た事あるな、その小説。
確か、妾3人いたうちの一番若い妾に野菜しか食べさせず
(野菜だけの生活をすると、体臭が芳しくなるという事で)
手をつけないままで秀吉に所望され側女として大阪城あがったけど、
秀吉はその頃お茶々が気に入りでそっちに入り浸り、結果その女は
秀次の妾として1度手をつけられ、その後茶々の侍女となったって話だったね
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 17:01:08 ID:P6gPSf/E
それが実話なら最も悲惨。
けど、美男だった秀次の手が付いた上に、
茶々の侍女になって秀次妻子惨殺を免れたのはある意味ラッキーかも。
192 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 13:34:00 ID:C9jl57fY
ところが大阪の陣まで淀に仕えていたら死ななければならなくなる。
侍女が茶々の命日に集まって法要を
営んでたそうだから全滅ってことはないのでは。
家康は別に侍女まで殺すような真似はしないよ
秀頼の娘や側室だって殺していない
男子を殺すのは致し方ないことだし
侍女が殺されるって事はないだろうけど、
忠義暑いのなら、多分女主人と一緒に果てるんじゃないかね。
もしそこで茶々が「生き延びよ」って言っていたなら
落ちる事も当たり前にあるだろうし。
>>194 しかし、秀次の末娘は大坂の乱後に首を刎ねられたんだよな。
!!!
198 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 23:52:30 ID:imMxsMSp
秀頼は生まれてこないほうがよかったのかもな。
そんなこと言ってやるなよ。誰にだって生まれてきた意味はあるんだよ。
現に秀頼の為に命をかけて戦った奴も居るじゃないか。
(´;ω;`)
全大阪が泣いた。
202 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 11:58:53 ID:xfgUKgpV
>秀次の末娘は大坂の乱後に首を刎ねられたんだよな。
どういうこと?秀次の妻子は全員川原で処刑されたんじゃなかった?
203 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 22:30:23 ID:CrM0tQYj
204 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 22:37:10 ID:j9+qzvpX
転載だけど。
> 119 名前:名無し議論スレにて投票方法審議中 [sage] 投稿日:2006/12/03(日) 15:35:42 ID:loKjQsao
>
>>116 > 秀次の末娘お菊は秀次事件の生き残り。
> 正確には、秀次の娘は四人のうち三人が生き残っている。
> 一人は真田幸村に嫁いでいるし、一人は梅小路氏に嫁いでいる。
> 母親は殺されているけど、娘は一人を除いて助命されたわけ。
>
> お菊は母方の祖父に預けられて成人して結婚。
> 大阪の陣で夫が大阪方についたので、彼女も密書を届けたりと夫のサポート。
> ↑無駄骨だったらしいけど。
>
> 大阪の陣で養父や夫が死んで、養家に身を隠したけど、
> 残党狩りで見つけ出されたお菊は処刑されてしまいました、と。
ついでに秀次の妻子は皆殺しじゃないよ。
第二(?)の正室の池田輝政の妹の若政所は助命されて池田家に返されているし、
↑にあるように女児は4人中3人は助命されている。
そして、生き残った女児2人は大阪の陣では大阪方に着いている。
>>168 むしろ秀頼がいたからこそ
豊臣の世から徳川の世への天下の移行が最小限度の被害でスムーズ
にいったんだと思う。
むしろ秀頼が誕生せず秀次健在のほうが秀吉没後の天下は
不安定な状況が続き、家康も突出する機会が無くで
もっと乱れた世になっていたろう。
206 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 22:42:55 ID:VjK5DxX3
>>164 長浜時代の二人の子も同一人物の妾が産んだ子で
ちと疑わしいんだよね。
>>205 確かに・・・秀次がいれば家康は場合によっては幕府を開けなかったかもしれないが、
じゃあ豊臣は安泰かといわれるととてもそうは思えんな・・・。
少なくとも秀次であれば、北政所派と淀派に分裂するようなこともなかっただろうな。
そもそも淀派という勢力自体起こらなかっただろうし。秀頼が生まれていなければ。
もし、織田信雄が天下を取ってれば30年以内に政権は瓦解して
第二次戦国時代は確実に起きただろうと思う。
豊臣秀次は印象が薄くて分らないが器量人だったのだろうか?
織田信雄や足利義昭より器量人であれば文句無く天下は磐石に治まり
戦国時代から天下泰平の世に確実に移行していっただろうし
また、それだけの器量がなければ、たとえ秀吉に殺されずとも
大老や奉行を御していくこともできず、派閥争いや権力闘争や
群雄割拠が再度起こり戦国の世に戻っていったことは想像に難くない。
肝は自派閥をどうせ作っていったであろう家康を断罪・征伐できるかどうかが鍵
家康を成敗できるほどであれば否応なしに天下は沈静化していったはずだし
結局、成敗できなくて放置・黙認という事であれば室町幕府と同じになる。
秀次は蒲生氏郷が「あの阿呆」呼ばわりだったからなぁ。
蒲生と前田が長生きしていたら蒲生の言う通り前田の天下だったのかも。
(形としては北条執権家に近い形態だったかも知れないが。)
秀長と堀秀政が長生きしていたら秀次でも支えられたかねぇ。
慶喜政権も直接瓦解するきっかけになったのは第二次長州征伐で長州に勝てなかった事だし。
いや、むしろ第一次長州征伐で厳罰処分を下し、国替えしてれば
もうしばらく徳川政権は持っただろうと思う。
しかし日本全体にとってはもっと悲惨な状況になった可能性が否めないけど。
212 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 14:24:09 ID:Gc53KXrY
秀頼自身は被害者?加害者?
秀チャンカワイーーー☆
214 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 18:49:41 ID:MM//tzUy
>>212 彼は必要な時に必要なことをせず、決断すべき時に決断しなかっただけの人。
だから加害者といえるほど「何かをした」わけでもなく、
また被害者と主張できる筋合いもなかった。
そういう人物に対しては、私は評価が低い。
まあ側室やら妾やらがわんさかいる状態で若い時分に子ができなかったんだから
(長浜時代に子があったが早死にしたと伝えられるとしても)、
秀吉がほぼ男性不妊に近い状態だったことは確かだろうな。
家康なんかは子の母が特定の妻妾に偏らないように、意図的に
一種の産児制限までしてる。
産婦人科医や不妊治療の経験者なら、淀の妊娠が奇跡だってことが
わかるんじゃないか?
216 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 21:05:07 ID:81dE/bPc
竹生島奉加帳に、秀勝(石松丸)と南殿の名前があることから、秀勝=秀吉の実子だと推測されてるだけじゃ?
長浜の妙法寺に秀勝の墓があることについて、小和田哲男氏は、秀勝の戒名は子供につける戒名なのか、どうか疑問視してるらしいね
217 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 23:45:08 ID:ahgA4Klg
>>215 完全な種無しである無精子症よりも、精子の数が極端に少ない人や精子の活動が極めて悪い
男性不妊の人の方が多いといえるよ。秀吉はこれにあたるだろう。
だからあれだけの数の女性と関係しながら、片手に余るほどの数しか女性を妊娠させられなかった。
若い時分よりずっと一緒だった正妻でさえ一度も妊娠することができなかったのに
老齢になってからの妾が、それも一度だけならまだしも、同じ女性が立て続けに
二回も妊娠というのは不自然の極み。だから浮気相手の子確定。
秀吉は高貴な女性が好きだからな。
時々案外普通に淀殿妊娠したんでないかと思うときも有る。
当時の高貴な女性って、「男の中の男の娘」で、本人も武芸に秀でているから
男性ホルモン濃度がかなり高そうなんだよな。
タイプ別にするとダイアナ妃みたいな。
非常に美人だけど、男装したら普通にカッコイイ兄ちゃんに見えるタイプ。
こういう人は、大抵、妊娠しにくい。
相対的に女性ホルモンが減るので
性周期が不確定で排卵の回数が極端に少なかったりしがち。
といっても、男性側の精子の出来が良く夫婦仲が良かったら
一生の間に2,3人は妊娠可能な場合が多いんだけどね。
あまり沢山子供が出来ても家督争いがややこしくなったりしがちだし
その位で普通は丁度いいんだろうけど。
こういうタイプを何人も抱えても、一人に裂ける時間が充分確保できないなら
誰も妊娠させることができず、不能のレッテルを貼られる可能性大。
秀吉の好みがそういう妊娠しにくいタイプの女性だったのが問題で
実はちょっと精子の出来が悪い程度だったのだとしたら
安産家系の淀殿ならなんとかなるかも?
つか南殿との子まで不倫の子認定したら
もう何でもありじゃね?
秀吉は何かしらの遺伝的欠陥があったかもしれないな
多指症だし、弟も種無しだったし
秀吉の性機能に関して何かしらの先天的欠陥があったと見る方が医学的だと思う。
221 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 12:42:44 ID:oyhZ63pg
>>218 逆だろ。
そんなこと言ったら農民なんて子無しだらけで、お公家さんは子沢山ということになるぞ
つーか、男性ホルモンが多いと妊娠し難いだなんてどこで聞いたんだよw
全然関係ねーよw
武芸の教育を受けたからって男性ホルモン増えねーし。
よくもまあデタラメをだらだらと書けるものだw
>>210 秀長が長生きしてたらまぁ基本的に実力面では一切問題はなかったろうな、
強いて言えば秀次が秀長に対していらん事考えないのと、秀長が秀次に従順であることが前提だけども。
なんと言っても存在がでかすぎる、頼れる叔父様なんていうレベルではなく、
要所の大和に100万石を持ち、日本中の大名に慕われ、信長家臣時代の中小部隊から
槍と采配を振り続け、10万の兵力を指揮出来る実力はそれ自体が比類ない。
この人物を秀次がどこまで扱っていけるか、というのは難しい、
明らかに自分以上の実力を持つ配下を認めて上手く使っていくのもこれまた
大変な器量が必要なことだからね。
また秀吉がいなくなると、どう見ても日本中に自分以上の存在がいない事が明白な中で、
秀長と言う人物は抑えていける人物なのか?というのも結局はわからん。
曲がりなりにも戦国時代を生き抜いてきた人物。
家康のように、実は野心家だったなんて事も無いとは言い切れない。
万が一そうだった場合、堀辺りじゃ止め得ないだろう、まして秀次なんぞ赤子の首を捻るより簡単。
>日本中の大名に慕われ
待て待て、秀長は意図的に裏方に徹していた部分があるから、当時のひとたちにも正当に評価されていない傾向がだいぶあるぞ。
本人もそれをよしとしていた部分があるし。
それにあくまで、秀吉あっての秀長だろう。補佐役として有能でも、トップとしても優秀かどうか、またみながついてくるかどうかは不明。
秀吉が閨閥の出来る事を読めてなかったのが痛い。
色々遺言を残したが、秀頼を北政所の養子にする事や
自分の菩提やら位牌は大阪城内の一室で北政所が管理する事や
淀や他の妾に対して北政所に絶対服従する旨も遺言すべきだった。
北政所が内政や大阪城の内務を取り仕切れば三成を押えつけられ
武断派と文治派の両方に対する重しの役目も出来た。
実際に秀吉は戦争と政務で、ほとんど近江には居なかったが
その留守の間、北政所が家中を万全に取り仕切り身内同士の争いや
謀反などが起きなかったのだから、秀長も秀次も大政所も千利休も死に
家中を治める人間として北政所しか居ないという事に思いが浮かばなかったのは
呆けてたためだろうか?
もう間違いなくボケてたか精神異常になってたかどっちかだと思ってる。
>>225 慕われていたってのは恐怖も意味もあるのでそれで十分。
また四国・九州平定戦のように秀吉なしでも確実に実力を見せてる合戦もあるので、
大和100万石の実力が揺るぐ理由は無い。その時点で秀次とは次元が違いすぎる。
もちろんそこから諸侯がついてくるかどうかは話は別なので、秀長が天下を取れるかと言うと話は別だが、
もうこうなってる時点でこのスレ的にはNGだろうと思うので、
まずは秀次が偉大すぎる叔父を扱いきれるかどうかということ。
>>226 北政所は過大評価されてるけど、
意外とそんなに能力があった人ではないと思う。
夫と同様、トップには向いてない人。
いや大きく違うところがある。それは、トップに向いてないという自分を客観的に見れてる点。
もしもこの点を見誤る人物だったとしたら夫が天下取った時点でもっと権勢を誇って自滅していたことだろう。
231 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 02:02:48 ID:IKDLn2K7
名無し議論スレにて・・・というのは何ですか?
教えてください。
淀よりマシなんじゃねーの?
北政所が大阪城の主になってれば、家康も野望を全面に押し出して政権獲りにいったかどうか怪しい。
しかし、家康が政権獲りに奔走しゴリ押しで豊臣家の領地を家康親派の大名に分け与えたとしたら
案外、北政所は抵抗もせず家康の好きなようにやらせてた可能性も否定できない。
芳春院のように家康に敵しえる人物が豊臣家には居ないと悟って
緩やかに家康に政権が譲渡されるのを生温かく見守ってしまった可能性もあるとは思える。
淀君のように後先を見ず、「絶対に天下は譲らん!」「全面戦争だ!」とは
やらなかった気もする。
源頼朝の妻だった北条政子のように
豊臣旗下の子飼いの武将の既得権益を守るために
徹底して鬼になり、後鳥羽上皇と戦った彼女のように
徳川家康を敵として戦う旗印となり
徳川家を崩壊させて万全な豊臣体制を築いた可能性もあるが
北条政子ほどの器量を北政所が持ってたかどうかは妄想の域を出ない。
大阪の陣が起きてから驚いて大阪に向かって追い返されたような人じゃなかったか
高台院が北条政子より器量あるかどうかはわからないけど、
「豊臣の天下」というものに固執していたかどうかだなーと思う。
今回の大河じゃないけど、「私とうちの人とで作り上げた豊臣家」だという
認識だと、そこまで豊臣という家が天下人であるというこだわりがあるわけもないし。
見性院のように「夫あっての一族」という見解だと、夫の死後さっさと
家を出る事にためらいはないという可能性もある。
個人的な考えだけど、高台院はそこまで豊臣の天下を欲していなかったんじゃないかな。
夫の出世は喜びだけど、それはあくまで夫あってのものであり
その後は誰が天下をとっても自分のあずかり知らぬ場所での話し、みたいな印象がある。
結局、北政所が行なったのは、自分の子飼いである浅野・加藤・福島・秀秋の
命の保証、所領安堵、既得権益の確保に微力を尽くした程度で終わってしまったのは残念。
豊臣家の天下に対しては覚めた目で見てただろうけど自分が可愛がった大名達を守る意識だけは
しっかりと持ってただろうし、実際に、それに沿った言動をしてたしね。
高台寺の隣にある高台寺掌美術館(入館料300円)では
秀吉が小田原陣中から北政所へ送った手紙やら
成人した秀頼が正月に北政所へ送った手紙を展示してたけど
それから推察すると淀君と北政所は激しく対立していたというよりは
将軍職が徳川家に奪われて以降は、淀君は秀頼を北政所(徳川家康に手厚く保護されていた)に
頼らせる事によって、秀頼の身の保全を保ちたい気持ちが表れてるように見受けた。
240 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:03:22 ID:aLbhNYsE
>>198そうですね生まれてこなければ、豊臣政権は秀次が引き継ぐから安泰していたと思う
241 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:06:22 ID:aLbhNYsE
242 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:17:15 ID:aLbhNYsE
243 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:21:08 ID:aLbhNYsE
>>236そんな考えに至ったのは秀頼が淀から生まれてきたからだと思う
244 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:32:25 ID:ZmcFShTl
>>242 しかし、北政所も言われているほど聡明ではないような。
結局子飼いの加藤、福島、小早川も改易だし
秀吉の墓も掘り返され、豊国神社も破壊されるしね。
せめて国松の遺体ぐらい引き取ればいいのに
側室の京極竜子が引き取って埋葬してるを考えると
北政所って意外に存在感のない人だと思う
っていうか当たり前、あくまで先代の正室というだけなんだから。
それにしては「意外に存在感があった」人であって、本末転倒だ。
高台院って、子飼いの武将から慕われていたせいか
必要以上に存在や価値を誇張されている感じがあるな。
(子飼いの武将SUGEEEEE=その母代わりもSUGEEEEE!!みたいなノリか?)
秀吉の恋女房であった事は事実だろうけど、
秀吉亡き後はその辺の妻子と変わりないと思う。
よーするにネネは素人のオバサンだった
>>244 家康の本性を見抜けなかった点では普通のババアと言われても仕方ないかも。
しかし家康が豊臣家の家臣の大半を騙す程の超一流の役者だったと考えれば
ネネがどうこうより家康が超人だったと考えざるを得ない。
249 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 21:35:51 ID:aLbhNYsE
>>248いや最初から知っていたらしい、ただ」淀殿が秀頼を生んだから豊臣政権がどうでもよくなったみたいだ
ある資料で、秀吉の死後次に天下を取るのは徳川だから徳川の味方をしろと子飼いの武将に言ったと書いてあった
>>249 いや。そうじゃないよ。秀頼うんぬんに関してはある程度悟ってたとしても
子飼いの加藤・福島・秀秋の改易を読めなかった点に関してだよ。
まさか改易されると知ってたら北政所は間違っても子飼いの大名たちに「家康に味方しろ」だなんて言ってないよ。
加藤も福島も家康の時代に改易されたわけじゃないし
秀秋は跡継ぎがいなかったし、そこまで北政所が面倒見られるかなぁ
西軍についたとしても新体制で後の代までの家の保証は無理じゃない?
252 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 21:51:10 ID:aLbhNYsE
>>250素人考えですまないが、多分子飼いの武将は徳川に味方していなかったら
滅ぼされていたと思う
改易させたのは家康の息子だろ。
つか家康自身も、もともと改易させるつもりがなかったっていう説もあるし
前田利長の場合は逆じゃなかったか。年常か?
255 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 22:23:56 ID:t1s30Cjr
「こんな巨漢が秀吉の子であるはずがない」って意見はよくあるが
治長や三成って巨漢なの?
それとも他の巨漢が父親なの?
浅井長政は巨漢で肥満気味だったそうで。
浅井長政が巨漢
お市の方も体格よかったらしいが
お市は小柄で細身だったという説もあったはず。
末娘のお江がまさにそんなに体型。
260 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 13:35:43 ID:w5tvQeX9
浅井長政は男前だったという説は?
身長や体重ならある程度は客観的に見られるとしても、美醜になると個人の
美意識の問題を含むから結局良く分からんとしか言いようがない。
女性だと分かり易いけど例えば現代だって「肥満で巨漢」でも力士みたいな
感じなら男前といって問題ないわけだし。
現在も貧しい国では肥満体の女性の方が美しいと評価されたりする。
アフリカでは太ってる女性の方が持てたと思った。
また平安女性の美の基準にもふくよかとかとかも(黒い長髪もだが)あったはず。
五月人形や金太郎モデルから判断すると武士も福福しい方が恰幅が良いと
判断されただろうと思われる。
秀吉のように背が低くて痩せてるのは見た目で損をしたと思う。
曹操は呂布から「このガリガリ野郎!」と罵倒された記録があるので
当時の中国でも痩せてる事は格好良くないというイメージがあったのかもしれない。
中国で痩せてる方が美しいという風に解釈され始めたのは清代からだと思われる。
清の皇帝は、それまでの王朝の皇帝と違い痩せてる者が多く
チャイナドレスとなった清の女性の服装も痩せてる女性には似合うが
太ってる女性には似合わない。それまでの中国女性の服装とは180度
コンセプトが違うので、多分そこで美的感覚の逆転現象が起きたのだろうと思われる。
ちなみに江戸中期は胸や尻のデカイ女性は鳩胸、出尻と呼ばれて馬鹿にされた。
>>260 杉浦日向子の本で読んだけど、江戸時代は力士がモテたらしいから、
戦国時代でも色白デブ=かっこいいって認識だったのでは?
つーか江戸期に作られた講談の方が多いだろうから、デブ長政=かっこいいってのは江戸時代の認識かもな
長政、肖像画でもピザってたよな。
265 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 20:25:17 ID:w5tvQeX9
ほう、そうですか。
ドラマなどに登場する長政は現代の感覚での男前で設定されているのか
わりと細面のイケメン風だよね。実際はピザ・・・そして秀頼もピザ。
こうなってくると戦国一の美女と誉れの高い市も怪しいものがあるような。
肖像画を見る限りは、はかなげな感じで美しいと思うが。
>>262 横槍入れてすまんが、清の宮廷婦人の服装は現在のチャイナドレスとは程遠いよ。
体の線がぼやけるほどダブっとしているし、漢服に比べて洗練されてない。
やはり遊牧民の実用性重視の防寒服なんだなと思わせる垢抜けない形態のデザイン。
266 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 20:27:18 ID:ciIY/neT
当時、梅毒が蔓延し子種が無い男が多かったらしいね
女好きの秀吉もしかり
夫が梅毒であるという事実を知るのは長年連れ添った寧々
となると、当時秀頼は秀吉の子であると認識されていなかったのでは?!
関が原の正則、清正ら寧々子飼いの武将の離反
うなずけるな
>>265 上でも言われているように、現代の感覚でピザだろうと当時の基準でどうだったかは
また別の話、てのがテンプレ解答。
市も同じで現代人から見てどうあれ、当時の人にとっては美人だったのも知れない。
むろん直接見たわけじゃないから結局はわからんのだが…というかこのての議論は
たいていそんな決着にしかならんから正直あんまり意味ないと思うんだけどな。
昔はピザが良いと言われてたけど
オクレ体型は昔も今もダメダメだな。
>>259 お市は小柄どころか長身だよ。
着物着てもおはしょりが作れなかったとか。
巨漢の長政と長身のお市の娘の茶々も大柄だったらしい。
信長も比較的長身だし、家系なんでしょ
>>228 秀次が秀長を抑えていくというより、秀長が秀次を守り立てていかなきゃならない立場だろ。
叔父と甥が争うケースとは、叔父が自分の子に継がせたい場合がほとんど。
なんのために秀吉が秀次を後継者にしたんだ? 一族の中に他に有力な後継候補がいなかったからだろ(秀頼誕生までは)。
秀長が秀次を押しのけて天下を奪ったとしよう。で、その天下は誰に譲るんだ?
そう考えれば秀長の方こそ、秀次を大事にしなければならない立場。それほど秀長も愚かじゃないよ。
秀頼デケーーーーーーーーーyyyyyyyyyyyyyyyyy
>>271 秀吉という天才が上にいればこそその論も当てはまるが、
秀次がそれに及ぶ事はあり得ない、その下にいるうちに秀長の心境に何が起こるかなんて、
誰にもわからんと思うが。秀長は秀次の弟を養子にしてるし。
また、秀次の周りにも勢力が出来てくる訳で。
家康があそこまで牙をむくとは当時の誰も予想できなかったろうし。
で、その秀次の弟に天下を譲るために、秀長が秀次から天下を奪うというわけかい?
豊臣家を割って、弱体化させてまで。
そこまで秀長が愚かだとは思えないがな。
豊臣家全体で考えてみなよ。
>>274 他の凡百の武将だったら、むしろそれまでの経歴で見ても裏切るなんて思わない。
だけど俺は秀長と言う人物の実績は決して人がいいだけの弟ではないと思うんだよ。
愚かじゃないどころか、秀吉に勝るとも劣らない能力を持っていたと思うんだよね。
それに比べて秀次は排除すべきではなかった、という以上の存在ではないのはもう明らかだし、
古今東西見てもここまで実力のかけ離れた身内同士で完全に巧く行ったケースって少ないんだよね、
そして必ず秀長に頼らなければ、大老らは抑えきれないのも事実な訳で、
そうである以上秀長が事実上の指導者になるのは目に見えてる。
そうなった時に秀次とその周辺の人物関係もあるという事。
だから秀長の方に、秀次を押しのける理由がないってことだよ。
秀吉にしても、秀頼が産まれなければあくまで秀次に後を託すしかなかったわけで。
秀頼が誕生したからこそ、秀次を排除してもかまわなかった。これも叔父甥の関係。
秀長が天下を奪ったとして、ではその後継者を誰にするか。秀吉があれだけ悩んで、身内の中ではまだマシな方だった秀次に
決めたその苦労を、また秀長がするだけのこと。今度は秀次という選択肢がひとつない状態で。
家康と秀忠も、能力的にはかなりかけ離れているが、それでも誰かを後継者に指名し、その者を守り立てていかなくてはならない。
家康が天下を奪ったのと、秀長が奪う場合とはまるで意味が違う。自分の首を絞めるだけ。
>>276 秀次は・・・というより秀次の周囲の人物が秀長を排除にかかる可能性があると言う事。
秀長が事実上秀次の上に位置してる限り、当然秀長の配下らの方が秀次の配下より力を持つ、
その中で諍いが起こらないとは思えない。
実際関ヶ原だって、豊臣家臣同士の争いが無ければああも家康に漬け込まれる事は無かった訳で。
要するに当人同士の仲などこの際関係ない。
それだけで言うなら争う理由などあるわけない。
でもそれは一大名、一武将同士での話、天下人とその宰相ともなれば話は全然変わる。
>>277 だからそうならないように、年長者の秀長が、後見役に徹するだろ。
秀次派と秀吉派がいがみあったのは、あくまで秀頼が産まれて秀吉が秀次をないがしろにしようとしたため。
キミは秀長を高く評価しているようだが、それならなおさら、息子溺愛した最晩年の秀吉並の判断力しかないということはないだろう。
秀次をたてるように、一歩身を引くさ。そうしなければ、豊臣政権自体が危ないのだから。それがわからぬ秀長でもあるまい。
関ヶ原はそもそも家康に対抗できる存在が豊臣家中にいなかったため。
それでも、後継者が秀頼ひとりしかいなかったから、織田家の跡目争いのように豊臣家VS豊臣家という構図にはならずにすんだ。
(本当は家康としてはその方がさらにつけこみやすかっただろうに)
隠居でもして引っ込むのならともかく、実務に顔を出す以上、そう簡単な事じゃない。
実際そういう身内の争いは大抵、本人同士は大して関係ないもんだ。
応仁の乱もそうだし。
応仁の乱は完全に後継者争いじゃないか。
秀長に息子でもいるなら、秀次を排除する理由(及び豊臣家が2派に分かれる理由)はあるが、そうじゃないから
秀次を立てざるをえないといってるんだろ。代わりがいないんだから、後継者争いになる余地がない。
そもそも、代替わりで一族の長老格の実力者が若い後継者を補佐するのはよくあることで、うまく機能した例はいくらでもある。
叔父甥でいうなら、保科正之はその好例だ。
天下人とその宰相では規模が違うといってる。
たかだか一大名家ならば俺もこんな事は言わない。
家臣団を見る限り豊臣家ならば大丈夫と出来る根拠が薄すぎる。
>>281 >応仁の乱は完全に後継者争いじゃないか
とんでもない、そんな単純な戦じゃないよ。
たしかに発端は室町将軍家と河内畠山家の後継者争いだけど、
あれほど長期間の大乱になったのは別の要因が絡んでいるため。
>天下人とその宰相では規模が違うといってる。
>たかだか一大名家ならば俺もこんな事は言わない。
ひょっとして保科正之知らないのか?
幼い将軍家綱を補佐し天下を治めた叔父(家光の実弟)だぞ。まさしく天下人とその宰相そのものなんだが。
それと応仁の乱が様々な思惑があったため(それと当事者たちにことを収拾する力がなかったため)あれだけ長続きしたのは事実だが、
それが豊臣家とあの時代にもあてはまる根拠は?
実際に、家康という出色の人物がいたから、豊臣家が揺らいだ後も元の戦国に戻ることなくわずかな混乱で天下は治まっている。
応仁の乱とは時代背景も何もかも異なっているんだが。
保科正之が宰相?
いくらなんでも過大評価しすぎでしょ。
100歩譲って宰相だったとしてもこの状況下での秀長と、
比較できる人物じゃないだろう。
んで応仁の乱と情勢が違うというけど、情勢が変わったのは
関ヶ原や大阪の陣を経た事で家康が大名家の植え替えに成功してるからでしょ、
破壊する側の家康はそういう合戦を望むところだけど、
まだまだ外様が元気なあの情勢で豊臣側がそれをやったら応仁の乱より
酷い情勢になる可能性すらある。それで豊臣家がもつのか?
おそらく中学生くらいなんだろうが、キミが負けず嫌いだというのとはよくわかった。
それと本当に保科正之のこと何も知らないってことも。
知らないなら、少しは調べてから書き込もうよ。まじめな書き込みにはまじめに応対するからさ。
それと、大名家の国替えの話なんて誰もいってない。後半の文章は(も)意味不明だ。
保科正之が家光や家綱に信頼されたのもわかるし、政治的に優れていたのはわかるが、
それでこの状況下での秀長と比較対照にするには過大評価が過ぎるだろう。
一体何が出来るの?、そんなに保科正之を評価するなら彼が裏切った場合
家綱の治世がどうなるかを聞かせて欲しいところ。
秀長が裏切った場合は秀次を潰すくらい造作も無いだろう。
>秀長が裏切った場合は秀次を潰すくらい造作も無いだろう。
それはそのまま豊臣家滅亡の道だと何度も説明しただろ。
家康が秀忠を裏切って潰すのは造作もない。だがそれになんの意味がある?
キミがいっているのはそれと同じ。
元百姓の成り上がりであるだけに
・譜代の家臣がほとんどいない(有力大名はほとんどが元同僚か、かつての敵。いいとこ与力くらい))
・一族&後継者が極端に少ない(子がいないのも致命的だが、一族でまともだったのは秀長と長政くらいしかいない一族)
これが豊臣家及び豊臣政権のウィークポイントであり秀吉&秀長が苦労してきたところ。
それをふまえた上で、秀長が秀次を追い出すことがありえるかどうか考えてくれ。
本人の意思とは無関係に派閥ができるといったが、それも家康秀忠親子に当てはまる関係だよ。秀長はそこまで愚かじゃないと思うな。
291 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 12:49:18 ID:ZjVuXOr7
会津
豊臣秀頼のスレはどこ行ったんだよ?
みんな、1611年に秀頼と家康が会ったときに
アホだと思ってた秀頼のオ−ラに圧倒され、
自分の生きているうちに豊臣家滅亡させておかないとやばいって思った話は、
スル−ですか。
>>293 あれは、自分が老齢である事で秀頼の若さに嫉妬したとか、次男秀康亡き後の家康の息子達(忠輝は除く)は、
脆弱(貧弱)な秀忠と、幼い三兄弟(尾張、紀州、水戸藩祖)しかいなかった点。秀頼が2メートル近い巨漢だった為。
まぁ、カリスマはその大木から自然と血統の流れで少しは出ていたんだろな。そりゃ、20前後の巨漢な青年を70歳の
老人が見ればびっくりするだろ。圧倒される感じでね。で、家康は大阪の陣に踏み切った訳だが最近では、秀忠が積極的
に本多父子や金地院などの謀略を利用して潰そうとしたみたいだね。実際、大阪の陣で大阪城で秀頼に味方する大名が
一人もいなかった点は徳川家康の器量のが遥かに上だと諸大名も思ってたんだろう。しかも、秀頼って、秀吉の子供じゃない
って事も薄々、皆知ってたんぢゃないかな。秀頼の最後の大名としての臣は、加藤清正と浅野幸長だけ。両人の死後は彼の
運命は死しか残って無かった。
295 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 17:39:14 ID:VGcQUiGF
秀頼が落ち延びて鹿児島に潜伏してたってのはどうなんかね?
296 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 17:45:09 ID:lCep5Acw
最新のDNA鑑定の結果では、身長170〜175cm、体重65〜70s、やや肩幅が広く、筋肉質な体型。
顔は丸顔で眉毛が太く、鼻はだんご鼻ということぐらいはわかっている。
家康のDNAと照合してみたらおもしろそうだ。
秀吉がちっちゃかったのに秀頼が大きいのは、なぜって言うのは、
栄養の部分が大きかったんじゃない。
それは、戦後の日本人の身長の伸びを見れば明らか。
戦前までは、
デブ巨体=金持ちの象徴
だったんじゃない。
好きなだけ好きなもの食べれる人なんて限られていた訳だし。
秀吉もさほど貧乏な生まれではなかったような?
血縁者の出自から考えると、土豪クラスだった可能性が高いみたいだし。
実際問題として、自分で農耕もし多少の経済的なゆとりもある土豪クラスが
一番体に良いもの食ってるよな。
>>290 288の質問に答えておこうか。
家綱には息子がいなかった。だから正之に野心があるならば、彼か彼の息子をその後継者として擁立させれば
容易に主家のっとりは可能だった。
実際、家綱の後には宮将軍を擁立しようという動きもあったくらいで、近親で実権も握っていた正之の家系に宗家が
移ることは十分にありえる仮定。正之が望まなかったから実現しなかったが。
少なくとも、実子のいない秀長には無理な方法だな。
で、秀長が秀次から天下を奪って、その政権をどうやって維持するんだ? 誰に継がせる?
ピザの遺伝子とオクレの遺伝子が戦ったら
ピザの遺伝子が勝つような気がする。
>>298 体によい食べ物って言うのは、飽食の現代人が考える発想で、
少なくても身長が伸びる事とは関係ないよ
>>299 他の老中はそれを眺めてるの?ありえなくない?
そうやって将軍家を巧く操ろうとして、弾き出された老中も多いというのに、
保科正之がそれ以上の存在とは残念ながら思えんが。
秀長とは固有の武力という点と外様の五大老に張り合いうるという時点で桁が違う。
巨体デブ家康のDNAの秀頼。
>>298 残念ながらそれはない。せいぜい雑兵あがりがいいところ。
ただ秀吉の親父の弥右衛門が蜂須賀小六の親父の部下だったことは
考えられる。たとえ苗字なしの極貧の小作人出だとしてもね。
いや、でも実際問題、出自が明らかになってないんだから
小作人か土豪かもわからないじゃないのか。
そしたら出自が明らかになってない奴ら全員小作人出身になっちまう
307 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 13:16:31 ID:eP4lHFTj
秀頼が誰の子かということと、
豊臣家が滅んだことは全く関係なし
>>294 >脆弱(貧弱)な秀忠
増上寺を掘り起こした時に、歴代将軍の遺骨も調べられたけど、
秀忠は身長160センチほどで、骨太のいかにも戦国武将って感じだったそうだよ。
時が経つ程、徳川将軍の骨は公家化し骨の細い弱弱しいものになっていったそうだけど、
一番古い秀忠の骨はきちんと残っていたらしい。
秀忠以降は公家化が進んだにせよ、秀忠は戦国武将としての
平均値はあったんじゃないか?
骨によると、体格はしっかりしていて、鉄砲傷もあり、勇猛だったのではと想像できるらしいよね。
信玄のように、体が弱くて安全な本陣でしか指揮を取らなかった人でも将としては有能な訳で
大将としての能力って、本人の身体能力とか、勇敢さだけじゃないんだよね。
>>304 信玄に敗れて、糞を漏らした直後に書かせた自画像では
家康は随分、痩せてるよね。その時点では、さほど太ってなかったと思う。
おそらく秀吉に屈する前後では太っていたが
その後、健康問題を真剣に考えるようになり養生訓に彼自身が書いてるように
肥満は健康に良くないという意識を持って老後はダイエットを実行していたのだろうと思う。
秀吉を油断させるために肥満を装い
死んだらすぐに痩せて長生きしただけでしょ
312 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 15:06:31 ID:5GDLb40+
家康は徐々に太っただけの話でないかい?
信玄と戦ってた時は激務だろうし、げっそりしてて、秀吉と手を結んでからは40代入って太りだしたのだろう
>>311 秀吉死後痩せて長生きって????
当時は多少太ってるが健康の証だろう。今とは食糧事情も違うし。
家康が健康の為に鷹狩りや、薬飲んだりしたのが長生きの証ならともかく、ダイエットとはw
秀忠が骨太??
>>302 実際にそうやって主家乗っ取りに成功した一橋家の例があるのだが。
定信が止めねば、治済はもう少しで大御所になるところだったし、他の御三家・御三卿にも養子・嫁を送って
そのほとんどの乗っ取りに成功。
少なくとも、秀長より実現性の高いのは間違いない。
固有の武力を持とうが、五大老に張り合えようが、秀長が豊臣乗っ取って、誰に継がせるんだ?
その答えをまだ聞いていないよ。秀長が死んでおしまいになるなら、そんな意味のないことを秀長がするわけがない。
だから秀次が秀長を扱いきれるかと言ってる、
正確に言うと自分の配下と秀長の配下の調整まで全部。
それができなきゃ争いが起きる可能性を否定する事などできない。
秀吉の下だけですら武断派・文治派でわかれてるのに、それにさらに秀長の直属の配下の権力が強まって、
さらに秀次の側近の権力も強まる、実際それも秀吉の虐殺に繋がった一つの要因だし。
これに江戸時代とは比較にならないほどに強力な外様大名の圧力が加わってくる情勢。
これらが丸く収まると思う根拠が欲しいんだが。
秀長が天下を奪って後継を誰に・・・とかそういう問題ではない、まず自身の身の安全の確保の問題。
それは既に
>>228の時点で言ってる。
上記に比べれば徳川家内での後継争いは所詮家康・秀忠・家光が100年かけて創り上げた箱庭の中での
争いに過ぎない、誰が継ごうが彼らにとっては可愛い子孫が継ぐ訳で。
>だから秀次が秀長を扱いきれるかと言ってる、
>正確に言うと自分の配下と秀長の配下の調整まで全部。
だからそれは、秀忠と家康の関係にもあてはまるだろ、と言ってる。
駿府に発言力の強い大御所(及びそのブレーン)がいて、江戸の将軍はやりくい立場ではあったが、それでも両者はうまく
機能して、同族争いなど起こっていない。
代替わりのたびに同族間の争いが起こっていたら、それは当事者がよほど愚かな場合のみだ。
317 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 18:30:08 ID:xKoH7J+D
え、本気で叔父と甥の関係が嫡子と先代の関係と同等だと思ってるの?
売り言葉に買い言葉で出た発言だと思ってわざとそこはスルーしてたんだが本気?
だとしたらもういいや、俺から何も言う事はない。
少なくとも、キミが主張している内容では差はないね。
実際に、後継者を指名しいったんは引退した先代が、再び実権を獲り戻したのが秀吉と秀次の例だ。
実績の大きい同族者の扱いが難しいのは、それが先代自身でも先代のブレーンでも違いはない。
違いがあるなら、どこがどのように変わってくるか具体的に指摘したら?
言ったろ。まじめに書き込むならまじめに応対すると。
武田家の勝頼と穴山梅雪の関係に似てるだろうな
もしくは勝頼と武田逍遙軒信綱の関係の方が、もっと近いかもしれない。
明らかに主君の勝頼より発言力が大きく心の底から勝頼を見下し
諸将の前でも御一門筆頭の座を明らさまにして尊大に振舞ってた。
そして、俺こそが武田家の家督を継ぐべきだという気持ちが噴出して
あっさり勝頼を裏切って織田家に信濃・甲府を献上してしまった。
でも人間のあくの強さとか考えると、穴山のような酷い事を秀長がするはずないし
人間ができてるから、きちんと甥の秀次に従って立ててただろうという事は
想像に難くない。多分、自身は以前よりも目立たないように発言も差し控え
官位なども返上して家督を子供(養子)に譲って出家した可能性も相当高い。
>>319 それが現実的かも。
しかし出家してそこまで実務から身を引いてしまったら結局外様連中を抑えられない、
かといって出家しても信玄のように号をつけただけでは出家の意味が無い。
難しい所だな。
>>320 もちろん外様を押さえつけられないんだけど
高台院のように諸大名への影響力は持ち続けただろうと思うよ。
本人の意思とか無関係にね。
なんだか本気で複雑な体制になってしまいそうだな。
収拾つかないまま次の世代へ持ち越してしまいそう。
もし北条政子のように外戚が生きていたら
たとえば淀君の父(浅井)や叔父が生存して家を保っていたら
豊臣政権内に侵食してきて官職や軍権を一族で抑え
家康なんか出る幕もなく
逆らおうモンなら七族まで誅殺したんじゃないかな。
実質的な日本の王が淀君になって、彼女の庇護下で秀頼が安穏と生活を送れた可能性もなきにしもあらず。
というよりかネネが子供を産めば済むだけの話だったな。
外戚の浅野氏が我が身を盾にしてでも絶対に北政所政権を守り通す事は想像に難くない。
325 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 09:09:27 ID:FcUGzuwB
ねねがこっそり浮気して他の男の子を秀吉の子として産めばよかったんじゃね?
それじゃまったくもって元の木阿弥だろ
淀より味方する大名は多そうだが
外様を抑えるというが、要は家康を抑えられるかどうかが一番のポイントだろう。
他はまだなんとかなるとしても。
秀長が生存していたとしても、せいぜい前田利家くらいの働きくらいだったかと。
家康が恐れていたのはあくまで秀吉だったしな。
釣ってるのかなあ。秀長と前田が同じ程度って。なんか反論するのも馬鹿馬鹿しい。
とどのつまり、秀吉が種なしだったのか、ねねが石女だったのか
どっちだろうか
330 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 09:21:40 ID:66H5iMqV
前者あるいは両方
ねねだけに原因があるとは考えにくい
あれだけの女とやったのに茶々しかデキてないんだし
南殿は?
332 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 00:26:56 ID:vzmziUu0
無精子症ではなかったんだろうな。一応、精子はいるものの数が極端に少ないか
精子の活動が極端に悪いかのどっちかだろう。だから運がよければ妊娠はする。
しかし、いずれにしても続けて二度も妊娠するほど受精率が高いなら上記のような
男性不妊の定義には当てはまらなくなる。相当数打って当たる程度の確率でしか妊娠できない
男性不妊の精子で同じ女が立て続けに妊娠するのは医学的見地から見てありえない。
それほど受精率が高いのなら、初期の段階で正妻であるねねが妊娠しているはず。
333 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 00:50:37 ID:2h0fg/5z
なんとなくだが鶴松は秀吉の子っぽいが秀頼は違う気がする。
鶴松が成長してれば日本史も変わってただろうね…。
鶴松が生きててもまだ10代だから関が原には間に合わない。政治的
影響は飾り程度で、実権もへったくれもなかっただろう。関白にするに
は幼すぎて朝廷も許可しないだろし。ただ鶴松も秀頼も生きてれば淀の方
がどちらか一方を三成に貸した可能性がある。そうすれば関が原で東軍に
ついた大名が西軍について西軍が勝利した可能性もあったかもしれないな。
鶴松が生きてたら朝鮮征伐自体が起きてない。
また秀次を関白にもしてなければ、彼に切腹させる事もなかった。
さらに言えば、三成が武功派武将に、あそこまで嫌われなかった。
秀吉は鶴松が死んだ後、半狂乱になって豊臣政権を自ら破壊する行為ばかりしたが
それらの愚行が無ければ人心も豊臣政権から離れず
家康の豊臣政権を切り崩す戦術があそこまで上手くいかなかったろう。
秀次一人が生きてるだけでも家康は傍若無人な行為はしずらい。
しかし鶴松が死ななければ秀次の関白就任も後継者の道も全く無いわけだが
秀吉は彼をどうする気だったんだろう?
公卿の一人として右大臣程度のポストを与えてそのまま置いておくか
もしくは、どこかしかるべき土地に数十万石を与えて三好秀次か
豊臣秀次か分らないが大名としてあげるか
もしくは、どこかの大名の養子として送り込み、蒲生秀次とか吉川秀次とかにして
地方へ追っ払っただろうか?
〜たら
〜れば
〜たら
〜れば
こればっかだね
利家はまだ秀吉死後豊臣を守るために家康に対抗しようとしたが、このスレでは秀長はとてもそんな器じゃないっていってる意見が
あるようだ。
秀頼がいなくて秀長が長生きしたとしても、秀長は豊臣家をまとめることもできずに秀次と不毛な同族争いして家康を喜ばせるだけだろう、
なんていってるくらいだ。
やたら秀長を過小評価している意見には首をかしげるが。
秀長は調整能力に長けた武将だったよね。
まだ、新生で先祖代々の家来も居らず
信長が次々とつけた武将を配下にさせられ
蜂須賀党のような、おそらく気性の荒い山賊みたいな人から
秀吉を上司とすら思ってない与力武将から内政のために登用した奉行系の
人まで様々雑多に居たのに、秀吉自身は東奔西走で安土・京・岐阜・尾張
その他様々な戦地に走り続け、その間の残された武将を喧嘩もさせず
丸くおさめ、なおかつ戦地でも、それらの扱いづらい部下を持ちながらも
並以上の戦績を収めた。これは十分に名将の評価は与えうるし
利家と比べても全然ヒケを取らない。
大軍を率いる武将の格というか能力から言えば
信長、秀吉、家康>利家、秀長>越えられない壁>秀次と見て良いと思う。
また、家内をまとめる調整能力を見れば、秀吉にすらヒケをとらないかもしれない。
治めるのが難しいと言われた大和の国を大規模な一揆や大虐殺も伴わず
なんとか統治する所までこぎつけたんだからね。
利家の方が徹底して一向宗の弾圧や圧政をして不器用な統治の仕方だったとさえ思う。
>>338 上の方の論争は秀長の能力や勢威を過小に評価してるもんじゃないよ。
まあ327はおかしいけど。
341 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 18:56:18 ID:nUb86iJF
「秀長」ではなく「小一郎」というほうがピンとくるのは俺だけかな?
>>340 そうかな。
秀長vs秀次をしきりに主張していた意見があったが、あれこそおかしいだろ。
327はどこがおかしいのかさっぱりわからんが。
しょうがないだろ、どの時代でも派閥争いは起こるもんだ。
ましてあの豊臣政権の状況で、当主が秀次じゃ。秀長がいくら優秀でも無理ある。
上で秀長が隠居してしまうかもしれないと言う意見があったがそれが一番ありえそう。
都合が悪いから無視、でしょ。
つまり秀長には豊臣家をまとめる力がないというわけか。
秀次と協力しあうのも無理な狭量な男と。
輝元を支えた両川のような立場は期待できないってわけね。
それこそ過小評価だろ。
張良や黒田官兵衛のように賢い者は
「天にニ日なし」を良く知ってただろうから
主君に少しでも自分が猜疑心を持たれる可能性を感じたので
身を韜晦して隠遁したのだろうと思う。
秀吉と秀長は肉親の上に精神的にも裏切る事や猜疑心を持つ事自体が
ありえない関係だったかもしれないが、秀次と秀長がそうだったとは
思いがたいからね。もし秀次が項羽のように親族にだけ物凄く甘いと
定評のある人物であれば親族は身を韜晦する必要もないが
多分、そんな事はないと思うので、秀長はおとなしく隠遁したでしょう。
それを持って無能なんて評価はできない。
それだったら上記の張良や黒田如水が無能で、ハンゾウや項伯や秀次が
優秀だという結論になってしまう。
でも、隠遁という話であれば秀次自身が一番すべき人物だったんだよね。
秀頼誕生を大袈裟に喜び、自らは「日本国を守るために防人をしたい」などと
九州か北海道への赴任を願い出るなり
「政治に疲れました、もう出家して余生を穏やかに過ごしたい」などと隠遁を申し入れれば
秀吉は喜んで認めてたんじゃないだろうか。
それでも、三成あたりが秀吉に何かを吹き込んで隠遁した秀次を殺害させる可能性はあるだろうけど
秀吉が死んだ後に偽書まで作って秀次を殺すほどの大胆な事を三成はできる人間でもないだろうから
多分、秀次自身は寿命を全うできたでしょう。
>>327が秀長の存在感を前田利家と同じ程度としているのは過小評価じゃないのか?
おねも旦那の留守中に浮気でもしてがきをうんどけばよかったんだな
秀吉は医学的見地から見ても面白い研究材料かも。
彼の死因一つをとっても、そうだし
実年齢に関しても疑わしい部分があるし
秀吉のSEX回数に比しての極端な子の少なさや
弟の秀長も子が出来なかった点や、秀吉が多指症であった点からも
秀吉の遺伝形質や染色体異常に関しても、彼のDNAが万一採取できたら
面白い研究結果が出るんじゃないかと思える。
小一郎には一応娘がいる。
でもって秀次の弟で秀保というのをその娘の婿として養子にしていた。
彼のDNAは採集不能だろう。
墓も骨も家光のアホがどっかに投げ捨てちまった。
たまたま兄が種無しだったのに合わせて子が少ないから小一郎も種無しって感じではあるけど、
小一郎は兄と違って側室などの浮ついた話も聞かないし、
経歴をたどってみる限り、実は忙しすぎて子を作ってる暇が無かっただけなのでは・・・と思う事がある。
>>327 狡兎死して走狗煮らる、の例はたしかにあるものの、漢の高祖はその代表例で、あそこまで
功臣が粛清されていった新政権は珍しい。
秀次が、高祖ほどに周辺を切り捨てていくと定評のある人物であればともかく、歴史を顧みれば
身内に優しく一族で盛り立てていく方がむしろ一般的。強大な敵が残っているならなおさらに。
まして秀長は調整能力に長けた武将で、その実績はキミが
>>339で書いてあるとおり。
秀長なら秀次を立てながら、豊臣家を支えて家康に対抗していくだろうと思う。が、仮に隠遁
するとすれば、自分が何をしても家康には敵わないときっぱり諦めた場合かな。
高台院のパターンだね。
>>349 全然。
秀吉でさえあれほど手を焼いた家康を、秀長なら翻弄できる、とはとても思えないからね。
いや、あくまで秀吉存命時は家康は完全に抑えてただろ。
秀長が総大将として100%実力を振るえるのであれば、秀吉と同じく家康を抑えることは可能だと思われる。
だが秀次の政権であってあくまで秀次の補佐としてという程度のものならば
それは難しいかもしれないし、変に秀長が秀吉同様の権力を持てば、史実の秀吉と秀次のように、
軋轢が生まれてしまう事もありうるわけで、彼の性格を考えると、そうなる前に隠遁する可能性も高いと言う事。
前田利家と比較する方がおかしい、実績が違いすぎ。
秀長云々じゃなくて家康にたいする過剰評価なんだな。
家康ならなんでもできるなんて考えてそうだ。
秀吉によって意図的に家康に対抗する位置に置かれた部分もある前田ですらあれだけ家康を
掣肘できたんだから秀長ならいっそうでは。
>いや、あくまで秀吉存命時は家康は完全に抑えてただろ。
どのへんが?
戦場では(局地戦とはいえ)負けて、搦め手でなんとか和睦させ、臣従させるのにも妹を送って母親まで送って、それでようやく
挨拶に来た家康を、半ばだまくらかして臣下の礼を取らせてとりあえずまとめて、その後も細心の注意を払い最重要人物として
扱っているぞ。秀長や利休たちの尽力もあったから知ってるはずだろ。
三河から切り離したり、石川数正を引き抜いたり、いろいろ揺さぶりをかけたものの徳川家はまったく弱体化せず、朝鮮出兵も
拒絶され、結局豊臣政権の中でも別格の存在のまま、最期も家康を筆頭とする五大老に秀頼のことを託す形にせざるをえなかった。
家康の最期と比べればどれだけ不安定な政権状況だったかわかるはず。
秀吉&秀長でさえ、そこまでするのが精一杯だったのに、秀次&秀長で、状況が好転する理由がないだろ。
逆に家康の側が史実と違い後継体制の移行が順調におこなわれた豊臣家に
どのような形で政権奪取をおこなえるんだろうかという疑問があるんだが。
つか家康がそういう動きをおこなえるもんなんだろうか。状況や条件は史実よりも
厳しくなってるのに。
それと家康は秀長と東国取次という役割も含めて政治的に近いという事実もあるし。
>>358 というか秀次の存在はこの場合マイナスにしか働かんと思われる。
存在する以上は秀次があくまで君主であって、秀長はそれ以上の能力は出せない。
スレ違いの話題はいつまで続く?
スレタイ通りの話題がちゃんと出てくるまで。
自演ぽいのが続く
365 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 23:43:33 ID:LL4CAUFn
「羽柴秀頼」と呼ばれることが殆ど無いのが不思議でならない。
本姓で呼ばなきゃいけない理由でもあるのだろうか
平頼綱みたいに名字が不明もしくは使ってなかったというなら話は別だけど。
>>352 家光って秀吉の墓だけでなく秀長の墓も荒らしたの?
367 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 02:34:44 ID:VnyQHHxF
秀長VS秀次の「たら、れば」を必死に論じている人たちは
何が楽しくて続けてるの?
368 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 06:18:46 ID:L+EBTGuj
秀長も最近再評価されてるけれども、基本的に温厚な官僚的な行政官タイプだと言われている。
秀長の司令官としての力量も、政治的戦略的なお膳立てを秀吉がしっかりした上での物だからな。
参謀も黒田官兵衛とか蜂須賀とか居るわけで。それに重要な政治的な判断も秀吉が行う訳だしね。
秀吉死後の豊臣家の政治的難色を乗り切るのは、もっと実行力の有るタイプの政治家が必要だと思う。
仮に秀長が長生きしていたとして、秀吉死後の派閥争いを押さえきれるのだろうか?正直、三成一人押さえられたか疑問だよ。
利家と大差無い役回りでないのかね?
旭姫を送ったのは家康が先に長子の於義丸(後の秀康)を人質に送ったからその返礼という形なんだが
朝鮮出兵でも渡海こそしなかったものの名護屋城の普請や大船の建造、
九州での出陣など大小様々な賦役を課せられてる
秀吉が豊臣政権下の家康を優遇したのは事実だが別にそれは家康を持て余してたとかそういうわけじゃなく、
変な言い方だが家康の人間性と実力を信頼してのことだろ
本当に邪魔ならそれこそ難癖つけて攻め滅ぼしてるよ
家康厨がいうことだから
>>367 その話はとっくに終わってる訳だが。
>>368 秀長は紛れも無く豊臣正規軍の総司令官になるわけだぞ、
その時点で何が変わるか、考えてみればわかりやすいだろう。
>秀長は紛れも無く豊臣正規軍の総司令官になるわけだぞ
反対むなしく朝鮮出兵で総司令官を任されることになる
秀長の立場では武断派も文治派も顔を立ててやらねばならんから
ストレスによって確実に病没するので秀吉より長生きできない
何も変わらないな
秀長の権勢は補佐役というイメージなど抽象的なものであったが研究によって明らかにされてきたものも多い。
その一つは、西日本全般における軍事指揮権や服属地への仕置き等の権限であり
例えば四国九州征伐において長宗我部島津などの戦後処理を秀長が行い秀吉がそれをそのまま
追認しているのもその一例である。
東日本に関しても北条外交について家康に意向を申し送ってるのがわかる書状などがあり、病がなければ
西と同様の権限を与えられていた可能性は高い。
確かに高いな、しかもそれが居なくなってしまったから、換わりに家康に東国を任せる形になった。
それが結果的に家康と東国とのつながりを強めてしまった。
375 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 05:11:18 ID:WLwzEBvP
当時の大阪城の事を想像すると、大阪城の豊臣家を動かしていた人は誰なんだろうかと思う。
名目はもちろん秀頼が当主なのは間違いない。
家老の守り役は片桐且元なのも間違いない、家老類としては大野治長兄弟や片桐兄弟とかが判断してたようにも見えるが。
淀君が女城主だったんじゃないのだろうか?。
あと有楽斎と信雄も親類としていたそうだが、権限があったのか無かったのか。(こいつらは大坂の陣の前に逃げ出してるから責任なんぞ無かっただろうけど)
仮にも家老で宰相であるはずの片桐兄弟が最終的に追い出されてるし、結局、淀君が政治判断の決定権もってたのだろうけど。
こんな物が豊臣家なのかって疑問も有るな。淀君の私物のような状態な感じが読み取れる。
秀頼哀れ(´д⊂)
>>369 いくら天下人でも、いくら邪魔な存在でも、誰でも難癖つけて滅ぼせるほど簡単じゃない。大物であればなおさら。
隙あらば弱体化させようとは狙っていたが、政治的に家康が巧みに交わし、表向きは協力して、重用せざるをえない形に
持っていっただけ。
信長に難癖つけられた時に、信康さえ死に追いやったほどの家康なら、そのへんはお手の物だろう。
実際に秀吉死後の家康の行動には、無駄もなければ迷いもない。
天下獲りのため、秀吉の死をずっと待っていた者の行動だね。その家康の人間性を、秀吉もかなりの部分は見抜いていたから
諸大名に牽制させようとして合議制の形にもっていったわけで。あまり役にはたたなかったが。
秀頼の立場は選択肢が少ないんだよね。
淀君とか侍女共に囲まれて育てば、どんなボンボンができるか誰でもすぐ解る。
仮に他家に預けられて男らしく厳しく育てれば、淀君の言うことなど聞かない、しっかりした政治家になる可能性もあったが。
利家や家康に預けて育てるとかの選択肢も、秀吉が死んだ時点で厳しい。
他家に預けられた秀頼が病死でもしたもんなら、毒殺と疑われて、大変な事になる。
そんな可能性が有るだけで他家に預けることも出来ない。
結果、秀頼は、15才になれば天下を秀頼に帰すなどと言う約束を信じさせられて育ったとか。
淀君は家康を豊臣家の家老程度にしか思わずに、単純に、天下を家康に奪われたと思って恨んでたのだろう。
まともな譜代の家臣が居ないことがここまで尾を引く物か。滅びる原因は内に有りだな
すべては淀の責任ってか?
あと淀君って呼び方は不快に感じるひと
結構いるみたいだからわざとじゃなければ
やめたほうがいいかも。
天皇に挨拶しない不届き者を征伐する、という理由で朝鮮に出兵した秀吉だぞw
秀吉くらいの独裁者になれば気に喰わない相手にいくらでも難癖はつけれるわけで
それこそ大坂の陣における方広寺鐘銘事件程度の言い掛かりでも構わない
存命中の秀吉が家康の本性を見抜いてたというのも疑わしいな
後世の我々からすれば家康が律義者なんて笑止千万だが、
当時の家康は巧みにそれを韜晦してた
太閤遺訓でもしつこいくらい「内府は律義者だから〜」を連呼してる
家康のことを秀吉が警戒していたとする積極的な史料を自分は知らない
だからといって全くの無警戒ではないだろ。
徳川は一応豊臣家の臣下だが、石高は日本最大の大名だぞ。
>>377 家康に預けていれば立派な三法師2号が出来ただろうに。
家康にそんな度量は無いだろ
頼朝の命を救った清盛の愚は避けようとするはず
度量というか性格的なものかもしれないが
383 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:57:29 ID:vE4nKGY5
>>365正確に言うと豊臣氏は継いでないよね。
豊氏長者になってないから。
>>378 淀君の君は遊女を意味してるからな。徳川は汚いな。
坂 崎 直 盛 宇喜多秀家の従兄弟だが、東軍について改易された男。
浪人中に自ら坂崎って名前にしたらしいが、実際は秀家が同じ宇喜多姓を
名乗るなって事だったらしい。後の、大阪城の千姫略奪事件も凄いものがあったなw
東軍は痛い奴が多かった。よって、負けた。
385 :
384:2007/01/10(水) 23:39:39 ID:aRZWPPpI
誤爆した。すまん。
「君」は遊女の「君」説もどうかなと思うが、結構最近説だしな、田端泰子って学者が言い出したことらしいが。
高貴な婦人を「君」ってつけるのは珍しくないし、まあ、呼び名だから時代で意味が変わっていくの物だが。
手元の小説の山岡荘八の徳川家康にも「淀の君」で通して有るね。
逆にいえばいつごろ呼ばれてた(呼ばれ始めた)のか分かれば
その時代の意味って考えてもいいんじゃない?
秀吉存命時に淀君って呼んでるなら尊称、江戸時代に入って
からなら卑称の可能性が高い、とかさ。
江戸時代の摂関家の姫が〜君とされることもあるから、
卑称とは限らないと思うけど。
389 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 13:29:44 ID:eJ9kyqm6
維新後の徳川誹謗の流れの学説かもしれんね、
呼び方が悪いから徳川悪いなんて言う論理の
>>382みたいな子も現れるくらいだしw。
結局淀君の呼称の初出及び定着時期っていつ頃なのかね。
本人死亡後だとしたら、良し悪しは別にしてそう呼ばれ始めた
背景なり理由なりが何かあったんだろうとは思えるけど。
ちなみにここでいう背景とか理由は彼女に対する個としての
意識を向けない範囲まで含めて、ね。
>>379 その「しつこいくらい」「連呼」している不自然さをみて、キミはなにも感じないのか。
信長存命時の秀吉は、家康に負けず劣らず律儀で、織田家に絶対の忠誠を尽くしていたぞ。
表面上いくら律義者を装っていても、一度目の上のたんこぶが取り除かれた場合野心ある者はどう動くか、
それを身をもって証明してみせた秀吉自身が、家康を警戒しないと、本気で思っているのか?
現に義元が死んだ途端に今川家に手の平返した家康だぞ。
それから難癖をつけて滅ぼす場合は、確実に勝てる見通しがついた上で動かないと、むしろ自分の命取りになる。
大阪の陣の場合は、すでに有力大名のほぼすべてが徳川家に従っていたという確固たる既成事実に加え、
豊臣家があくまで徳川政権を認めず、臣従することを拒否したから言いがかりが成立した。
徳川政権下での一大名家としての豊臣家なら存続することは十分可能だったが、秀頼や淀にそこまでする外交力が
なかっただけ。
秀吉はもちろん家康も信用しきっていた訳ではないと思う。
でも他の外様に比べればまだ信用できる存在だった訳だ。
で、結局もっと疑わしいそいつらの抑えの意味でも、家康を信頼しないと、
成り立たなかった。
この時点で無理がある気がする。
家康が秀頼立てた、事例も多いぞ。官位なんか秀忠の一個上を与えてたり。
秀吉の約束に従って千姫を嫁にやったりって、なかなか出来ないぞ。
当時天下人の立場の家康が、前天下人の子供の秀頼に官位や嫁をやるのは、懐柔してるようにも見えるが、結局次世代に不安を残すし
自分が死んだ後が心配で、とてもやれることでは無いと思う。
まあ最終的に死ぬ前に憂い絶ったが、それまでの15年は軽くはない。
これが律儀と言われてる処だろう
394 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 05:04:47 ID:H3WRUmTu
で、秀頼のパパは誰なのよ
395 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 10:56:44 ID:dAB1GCG8
その後、数代に渡って豊臣家が続いてたならともかく、
結局、秀頼の代で終わってしまってるし、自身は秀吉の子として生まれ、死んで行ったのだから
あんまり父親を特定する意味もないんじゃないか・・・?何かが変った、変ってたと思えない。
むしろその辺の考証は斎藤道三・龍興の方が面白い、スレ違いだからしないけどな。
そもそも性格的に、律儀な一面が家康にあったのはたしかだろう。
自分が認めた相手(義元、信長、秀吉)には、実直に仕えている。
しかしその対象はあくまで個人に対してであって、家に対してじゃない。
当人が死ねばそこまで。義理はなし。
むむ・・
398 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 19:06:56 ID:x4zHCgiR
秀頼については、ひ弱なひょろひょろ説と、デブ説があるけどどっちの方が信憑性ある?
399 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 19:28:51 ID:nzqP3mXA
美丈夫との説もあるぞ。家康は成人した秀頼と対面して自分が死ねば天下を取り返されると脅えて豊家滅亡を決意したらしい
400 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 19:33:50 ID:x4zHCgiR
美丈夫設かぁ。
秀頼がひとかどの人物であったとする方が話としては俄然面白くなるね。
実は死んでいない説もあるそうだし。
401 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 19:51:03 ID:nzqP3mXA
死んでない説は架空だとしても家康は大阪が浪人集めだす前は豊家を50万石以下程度で存続させる意思だったからね。もちろん国替えは必須条件だが。
402 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 10:08:56 ID:vPh2evz1
鎌倉にある秀頼の娘と秀吉の家族の墓を掘り起こして、遺骨を調べれば何かわかるかも。
子孫もいないし、やろうと思えばできそうなんだが
403 :
人間七七四年:2007/02/15(木) 10:36:09 ID:HCf+uFj6
てかそんな簡単に浮気できるもんなの?
そこらへん疑問。
404 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 22:09:21 ID:n4BENox4
秀頼が大坂城に拘ったのも、自分が秀吉の子で無いという疑惑が有ったからかも。
母親の貞操に不安というのは、子供として想像するのもかなり嫌な事だが・・・
大坂で戦って、死んでやるという事が秀吉の子供のしての義務だと思ったのか(血を関係なく生き方として)
と妄想してます
405 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 22:21:18 ID:EkVjj5Px
>>401 せいぜい10万石では?
しかも豊臣姓を返上させて。
406 :
人間七七四年:2007/02/16(金) 22:23:14 ID:v1hoMcIN
>>405 返上はいいけど、その後の本姓はどうする?
407 :
人間七七四年:2007/02/17(土) 00:26:21 ID:s113/BEm
408 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 21:32:00 ID:gM+DHk9g
>>404 あながち妄想でもないかもしれない。
夏の陣では淀や治長よりも秀頼の方がやる気満々だったと思われる説もあるし。
国替えを断固拒否したのも淀ではなく秀頼だったはず。
409 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 21:42:52 ID:1+AQ+jsn
淀って人は浅井、柴田、豊臣。兎に角想像力を掻き立てられる素材だからね
410 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 23:28:27 ID:iCv1DPfk
家康との会見以外は一歩も城を出なかったというが
政務や武芸の稽古すら皆無に等しいし
秀頼は普段なにをして時間を潰していたんだろう?
411 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 00:21:18 ID:gcxVC/lW
>>408 若気の至りって奴よ
まあオチンチンに毛が生えたころから侍女と槍まくって思い残すことはないだろうね
412 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 00:23:32 ID:gcxVC/lW
>>407 京大坂に隣接する国をまるまるやるかよw
413 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 02:08:35 ID:RcWCCXD5
仮にも武士の子なんだから武芸の稽古は結構してただろう、ニートじゃないんだし。
書道が好きだったってどっかの本に書いてあったな。
城から一歩も出ないのは、江戸の将軍もそうだだしね。
まあ豊臣家は秀頼にしか存続の証は無いからね。
戦乱の次代でも無いのだし、それはそれは大切に扱われていただろう。
414 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 02:18:03 ID:TdpYYtEG
そもそもその「城」てどの範囲なんだろうな。
「大坂城」って意味なら、その広さや設備だけで日常生活には十分な気もするんだが。
415 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 08:02:32 ID:x/b65K1j
>>403 大野は浅井家の時代から茶々に付き従ってたから十分あり得る
416 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 10:35:01 ID:pMgI+sMc
秀頼しかいなんだから、もしもの事があったら大変だものな
417 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 17:55:37 ID:0IlGcVez
かまぼこ王・秀頼
418 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 02:39:50 ID:UfAUsnAb
>>42 遅レスだけどワロス
ひょっとしたら毎回口に出していたのかもしれん
「あれ、おっかしいな〜毎回飲ませているのに〜」って感じで
淀殿はフェラを拒否したのだろう
419 :
人間七七四年:2007/02/27(火) 02:52:36 ID:JdR97uEz
>>412 実際に実現させない条件で釣ろうとする2ちゃんねらー家康の常套ともいえる手段
420 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 00:38:51 ID:+QWLGTyc
421 :
人間七七四年:2007/03/01(木) 04:24:23 ID:MVBwedSN
>>418 今昔物語に使用後の蕪を食べた娘が身篭ったという話があったね
422 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 04:14:51 ID:dPJV9yip
でっぷり太っていたのは祖父の長政に似たからか
423 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 07:49:43 ID:O2topJbj
この人に何か特筆すべき事績はある?
424 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 12:39:13 ID:qp6OWRmJ
あの家康があらゆる手段を講じて外に出そうとしたのにたったの一度しか外出させられなかった
現代社会を悩ます引き篭り問題の解決がいかに難しいことなのかを四百年前に証明した事績がある
425 :
人間七七四年:2007/04/01(日) 18:33:33 ID:TTcM/GY2
重圧かけて自殺に追い込むことが引き籠もり問題解決の糸口かよふざけんな氏ね
と、釣られてみる
426 :
退屈@親父:2007/04/02(月) 21:28:54 ID:+7f6TVp6
age
427 :
人間七七四年:2007/04/02(月) 23:06:41 ID:/7UFMeS7
>>383 秀吉の後継者なのに長者をついでないだとwwww
428 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 17:46:54 ID:xeJPGqUR
「君」ってつけるのは別に卑称じゃないんじゃない?
姫君とか若君って呼び方も戦国時代の前からあるし
源氏物語でだって「紫の君」って出て来る位だし
元は身分が高い人がつけてたのを
遊女やらが憧れでつけ始めたのかもしれん
あと戦に負けた平家の女性が遊女になったとき
教養として身につけてた琴やらをやり始めたのが
芸者の発祥とも言うし、貴族的な文化を受け継いでるのかも
429 :
人間七七四年:2007/04/03(火) 17:55:25 ID:Slb0IYVW
卑称かそうじゃないかはどうでもいいが、一体いつ頃から淀君って呼ばれるようになったんだろう。
少なくとも同時代の史料では淀君どころか位の高い武家女性を「〜君」と呼んだ例もないようだし
後世の俗称であろうことは想像に難くないが、具体的な典拠がよく分からん。
430 :
人間七七四年:2007/04/04(水) 01:20:52 ID:TJbWz5/0
>>428 >「君」ってつけるのは別に卑称じゃないんじゃない?
「小谷の方」を「小谷君」と、「松の丸殿」を「松の丸君」と呼ばないことに疑問を抱いてほしい。
431 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 09:05:33 ID:or6XOV2s
「茶々君」か「淀殿」であって、「淀(城)の女主人」に「淀殿」はNGだということでは?
432 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 09:06:34 ID:or6XOV2s
>>431 スマン間違えた。
「茶々君」か「淀殿」であって、「淀(城)の女主人」に「淀君」はNGだということでは?
スケトウダラなどの白身魚のすり身を主原料とし加熱により木の板(臭みのないモミ、シラベなどの木が好まれる)の上にゲル化させて製造した魚肉練り製品が好きだったらしいね。
434 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 18:08:51 ID:XVNehw33
たしかに秀頼は秀吉の子供ではないと思う。
秀吉には沢山の側室がいたが南殿と淀殿を除いては誰も秀吉の子供を生んでいない。
宣教師たちも秀吉には子種はないと疑っていたし、
何よりの証拠は秀吉死後の側室たち。
他家にとついで子供を生んでいるのが何人もいる。
お種さん(伊達正宗側室)や前田利家の娘摩阿姫など。
435 :
人間七七四年:2007/05/03(木) 22:25:42 ID:0B4iNi2Y
タイミング受精とか、情報が知れ渡ってる現代でさえ結婚10年目に子供がでけた、て事もあるし…分からんわい
436 :
人間七七四年:2007/05/04(金) 00:33:36 ID:d6+7qEmY
筑前による婦女暴行の結果できた人物なのか、
大野との恋愛の結果できた人物なのか
437 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 15:47:31 ID:vL7o1LCh
後世の人間に「あいつは子種が無かった」といわれるのって悲惨だなw
偉人でもそういう説が出てくると評価が下がる気がする
438 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 19:14:27 ID:Mi60HufR
父親候補は秀吉と大野ぐらいしか思いつかない…
439 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 19:41:47 ID:T8kGRvYg
とりあえず三成や家康の線は実証的にもほぼ完全に否定されてるな
440 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 20:26:07 ID:BXyBtQt+
家康実父説ってどんな根拠から発生したんだろう?
441 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 22:10:15 ID:VT7AVtxA
442 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 22:15:40 ID:O43VrOl0
443 :
人間七七四年:2007/05/16(水) 23:20:50 ID:Q50XxDsU
>>439 三成はともかく家康だったらそもそも関ヶ原も大坂の陣も起きないだろ
444 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 04:15:51 ID:nsIeSZIN
家康は実の子でも容赦ないけど、まあ秀吉の子だろうな。
南殿の間にも子がいるしそこまで否定したら
もう何でも自分の都合のいいように解釈できないか?
445 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 14:47:08 ID:AqfY6bbH
DNA鑑定でも数百年前の遺体ではきちんと信頼できる結果は出ないらしい
だからこの件に関しては永遠の謎だな
446 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 23:28:07 ID:f/reZSbR
血液型から分からないかね?
一応血液型は分かるらしいぞ(遺物から調べて分かるらしい)
明らかに生まれない血液型ならそれでも1つの証拠になりそうな気がするが。
447 :
人間七七四年:2007/05/17(木) 23:35:01 ID:8IgnChdQ
>>443 自分の子供だと気づいていなかったら同じかと
448 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 14:38:46 ID:oGlyQC6G
いつかタイムマシンで(ry
449 :
人間七七四年:2007/05/20(日) 19:07:44 ID:kynSVUG3
>>440 言われているほど仲が悪くなかったとかその程度
450 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 00:59:50 ID:LMQQeBQl
>>440 それが事実ならば家康が大阪を攻めても秀頼には手心を加えるかもしれない
もしくは大阪城を出ても悪いようにはしないかもしれない。
・・・・と大阪方に思わせるための流言が発端じゃね。
451 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 01:53:16 ID:PXHE8IEV
母親同様に知名度は異常なまでに高いけど
この人物に特筆すべき事績なんてあるの?
452 :
人間七七四年:2007/05/31(木) 02:44:01 ID:IApVLAWt
家康に殺されたというのが彼の最大の事績だと思われ
453 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 02:22:26 ID:QT4BRB3i
秀吉は本当にちゃんと子作りしていたのか?
側室といっても、
実際は臣下筋から預かった人質で、ヤッてなかったとか…
454 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 03:30:43 ID:kAdMbngz
っていうか秀吉ってなんかおかしくね?
指は6本あるし、顔はサルだし、子はいなさすぎるし、
遺伝子がおかしかったのかも知れぬ
455 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 06:25:59 ID:1mRY8ABL
猿と言うよりネズミに似てたって言うが
456 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 07:52:49 ID:qLzPdHP2
つーか中田氏してなかったんじゃねえのか?
それかマジに完全なる突然変異、進化か退化かわからんけど
457 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 11:53:58 ID:neiaKc9/
偉丈夫 こんな単語はじめてみた
大丈夫とは違うのか?
458 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 13:12:46 ID:IQKDAQEy
家康は秀頼を高く評価している
459 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 13:14:25 ID:A/WvG2mO
各種の才能はありそうだが、
使ったことは皆無なんだろうなあ。
460 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 13:18:49 ID:BIpj1cPG
461 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 13:39:22 ID:IQKDAQEy
秀頼はかまぼこを食い過ぎだというのは事実か?
462 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 14:14:02 ID:e3Iji6U9
>>458 評価も何も、評価できるような事は何もしていないがな>秀頼
評価に見えるとすればそれは家康の孫娘の婿へのまなざしだろ。
自分の孫の婿を悪く見ようとはしないものだからな、人情として。
463 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 14:48:11 ID:CwIWRPeB
>>462 大勢いるウチの一人にすぎないけどね。w
464 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 15:04:39 ID:IQKDAQEy
>>462 秀頼は父秀吉には及ばんがなかなかの男 (家康談)
秀頼が初めて牛を見て驚き、世間の笑いものになった
しかし家康は、誰でも初めて見たら驚くだろう、と言って 評価を変えなかったのも面白い
465 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 15:12:08 ID:zF6HWXTM
秀吉の姉の日秀だけは子沢山だけど
弟の秀長、妹の朝日(三度結婚したが)に子供が居ないのはおかしい。
日秀と秀吉は弥右衛門の種と言われ、秀長と朝日は竹阿弥の種という説もあるが
もしかしたら日秀だけが種違いの姉で秀吉、秀長、朝日は父方の遺伝子異常で生殖能力に問題があったのかなと思えなくもない。
466 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 15:43:49 ID:CwIWRPeB
>>464 三成の柿パスの話もあるし、家康って相手の立場をよく理解する人だったようだね。
467 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 15:44:55 ID:CwIWRPeB
468 :
人間七七四年:2007/06/05(火) 15:52:40 ID:QT4BRB3i
>>465 三好さんが精子たっぷり体質だったんだろう。
秀次は父親に似たんだな
469 :
ピザ頼:2007/06/05(火) 18:33:37 ID:IZzjLtmN
470 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 01:08:26 ID:B9KjSpTG
秀頼って頼朝から取ったんだろうな。頼朝のことを天下友達とか言ってたからな。
次男がいたら秀朝だったかな。つか本来鶴松が秀頼で秀頼は秀朝だったのかもな。
471 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 01:35:26 ID:HhJ0XG9v
>>462 >評価も何も、評価できるような事は何もしていないがな
家康もそう思ってたから侮っていたが、
実際会ってみたらなかなかの傑物で驚いた、という話でないの?
何もしてないが素質だけは色々とあったのかも知れぬ
開花する前に摘み取られてしまっただけで
まあ秀頼が大物だったほうが物語的には盛り上がるな
472 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 05:28:02 ID:f71Zm31i
秀頼が大物だったら堀を埋められてないよな。
473 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 07:08:56 ID:/gVUpkyg
>>472 最近の研究では、秀頼がわざと堀を埋めるのを黙認したと言う見方が強くなってますね
大坂の陣も家康と秀頼が前もって打ち合わせされていた出来レースというのも最近の研究結果でほぼ決まったようです
淀には全く発言権が無かったようで、陣の最中、家康に用意されたルートで淀を残して脱出したようです
この出来レースを知っていたのは秀頼と幸村の二人だったようで家康が晩年書き残した『家康語録』にも残っています
474 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 07:21:45 ID:c/CMghQx
ありゃ家康が上手だっただけだべ
才覚があっても所詮若造だし、戦国の世を生き残った海千山千の家康の前じゃ赤子同然でしょ
475 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 12:11:23 ID:gIv8gIly
その赤子を殺すために方広寺の鐘銘なんて子供の言い掛かりみたいな難癖を付ける家康・・・
大坂の陣の時の家康は寿命が近い焦りも有ったんだろうが、
関ヶ原の時に見せたような用意周到さが欠けてるような気がする
のこのこと前線に出てきて真田・毛利に殺されそうになってるし
476 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 13:24:15 ID:gtN77NH1
国家安康君臣豊楽
これは家康の名をまっぷたつにして、豊臣を君として楽しむと読めるWW
477 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 13:31:14 ID:t83GXptv
478 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 15:10:49 ID:c/CMghQx
わざわざそんなことしてやる理由がないだろw
実際はどうだったかわからんけど、家康には秀頼>秀忠に思えたんだろうなあ
だから自分の生きてるうちにとかなり無茶なことやってる
年取って弱気になってたのかもしらんが、確かに秀忠は覇気のあるタイプではなさそうだし
479 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 16:03:48 ID:jZuPaiHa
どう考えても秀忠は政治家として日本史上何本の指かにに入るほど超優秀。
秀頼ごときが比較してもらえるような存在じゃ無い。
鐘銘事件なんてやさしい『警告』だよ?牢人を既に集め始めていた豊臣家への。「火遊びは大怪我するから止めておけ」って
逆に物事を穏便に収めようとした知恵って言ってもいい。「反省」して「恭順」してくれればそれで事は済んだのだもの。
それをせず滅亡へ突っ走ったのが豊臣家の愚。
480 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 18:47:10 ID:gIv8gIly
秀頼との優劣はともかく、家康個人における存命中の秀忠の評価はそんなに高くない
将軍職は譲っても重要な用件は本多親子を通じて駿府の家康に伝えられ、そこで大御所に裁決されてた
更に秀忠は関ヶ原の時の醜態で軍事上の無能を天下に曝け出した後だったからな
家康が秀忠には豊臣家は扱いかねると見て強引な手で豊臣家を除こうとしたというのは有り得ない話じゃない
家康死後に秀忠が大大名改易みたいな辣腕を発揮できたのも家康が死ぬ間際に豊臣家を潰してくれたおかげ
481 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 19:14:29 ID:f71Zm31i
482 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 22:32:56 ID:HhJ0XG9v
>>479 秀忠が抜きん出た政治感覚持ってたことには同意するけど、
家康的にはそれでもまだ何か物足りなかったんじゃないのかな
筋金入りの戦国武将だし、秀頼のような強い相手にでも
分を弁えず噛みつく見境のなさの方が怖かったのかもしれない
ちょっとした歪みがきっかけで絶対的な優位が呆気なく崩れる瞬間を
何度となく目の当たりにしている御仁なのだし
秀頼に放置できない危険なものを感じたのは間違いないでしょう
鐘銘事件が優しい警告だったとは俺には思えないな
淀や秀頼が大人しく恭順することを期待するような楽天家じゃないでしょう
稚拙で強引だが効果的な、二人の性質を完全に見越した万全の計略だよ、あれは
483 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:02:54 ID:XYi2UoID
羽柴家に対しては武力攻撃と族滅を断行したわけだが
なぜ他の大名家を改易するに当たってはそうしなかったのか?
大坂の乱には羽柴家潰しの他に「公共事業」という現代的側面があったが
徳川は小早川家・加藤・福島・最上などを滅ぼす際になぜ戦をして
「公共事業」による経済効果を発生させようとしなかったのか?
484 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:14:49 ID:WoXVf09a
アホかお前は?改易=皆殺しと考えているのか?
豊臣は幕府の命令を全く聞かずに浪人を雇って武装篭城したから処罰しただけだ
その他大名には改易にしても滅ぼしてなどいない
加藤も福島も最上も子孫がちゃんと生き残っている
小早川は当主が死んで血筋が絶えたのでなくなっただけだ
485 :
人間七七四年:2007/06/06(水) 23:22:44 ID:gIv8gIly
大坂の陣は幕府にとっても参陣した諸大名にとっても非常な負担になったわけだが
何十万の兵力動員して豊臣家潰しても得られる領地はたった60万石で割に合わない
戦後も褒賞の少なさに腹を立てた松平忠直がキレちゃったりと色々大変だったんだぞ
「公共事業」だなんてとんでもない
486 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 00:10:32 ID:56UWO5WK
最初から潰す気ならあんなにダラダラ引っ張らないと思うが
487 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 00:34:49 ID:yikreNsL
徳川○康さん
「最初はぁ潰すつもりはぁ、なかったんだけどぉ。
あいつの息子、見た瞬間にやばいかもこれって思ったんだよねぇ」
以心○伝さん
「だってぇダチの○康がマジやべぇ、あいつに潰されちまう。お前さぁ喧嘩売っとけよ。
なんとかしろって。言われてぇ。ホントマジ勘弁して欲しかったしぃ」
488 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 01:18:17 ID:PZvMrcPl
家康がもっと早い時点で秀頼を処分しなかったのは
浅野幸長と加藤清正への遠慮からだと思うよ。
だから二人が死ぬやありとあらゆる難癖を秀頼に付け始めた。
もしあと5年早く大阪の役を始めれば肥後の清正、紀州の幸長が大阪方につき
下手したら尾張の正則まで大阪方につく。そうなれば尾張以西の西国大名の何割かは大阪方へ
また全国の浪人衆は喜び勇んで最寄の大阪方大名へ馳参する。
関ヶ原AGAINの可能性が無かったとは言えない(そうなれば幕府が勝っても秀忠政権の権威はボロボロになる)
489 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 01:23:16 ID:2GHwyE72
490 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 01:51:36 ID:nAGTCMS3
5年早く、5年遅い。
大坂の陣開戦を聞き福島正則がこう言ったらしいな。
491 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 04:42:26 ID:PZvMrcPl
どういう観点で見ても正則は裏切り者のヘタレだから何も発言する資格はないな。
清正は早く死んだおかげで正則のように末代までの汚名をかぶらずに済んで、或る意味ラッキーだった。
492 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 04:44:56 ID:PZvMrcPl
古田織部みたいに秀頼に殉じて大阪城落城後すぐに腹でも切ってれば良かったのにね。
結局、死に際を間違えて川中島に移封されるなど受け入れ難い恥辱を得てから腹を切ったので世間の笑い者で終わったw
493 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 05:14:25 ID:JJBla47o
大坂の陣の時は福島家に仕えてるというだけで笑いものになったそうだが、
後年幕府に因縁付けられて改易された時は割と世間は同情的だったらしい>正則
494 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 05:15:42 ID:yikreNsL
古田織部は秀頼の子を匿ったしな。ある意味偉い。
福島は毛利と同様に救援物質とか金品、武将も大阪方に派遣してるし、許してやれよ。
司馬遼太郎も福島正則は立場上出陣できなかったって言ってるし。
495 :
人間七七四年:2007/06/07(木) 06:21:32 ID:uVi7qqdV
>>493 弱い立場になると途端に日本人は同情的になるからな
秀頼が落ち延びた伝説が当時から囁かれてたってのは、
豊臣方に同情的な人間が多かったってことの証だろうし
496 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 00:07:53 ID:KX+JW692
>>485 >幕府にとっても参陣した諸大名にとっても非常な負担
それこそが公共事業的側面たるゆえんである。
幕府や全国の大名家が大金を支出することによって
現代でいうところの軍需産業などが活性化する。
羽柴家などは毛利元就のように調略を仕掛けるだけで潰せたが、
あえてあのような大規模軍事作戦を決行したのはそのためだと考えられる。
497 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 00:14:45 ID:glj5bfmP
>>484 幕府および徳川家に恨みを抱く者たちを生かしておいたから
江戸幕府は後にあっけなく崩壊したのだ。
毛利や島津を族滅しないでそのまま存続させるなんて
何を考えているのかと言わざるを得ない。
小早川も加藤も福島も最上も、生かしておいても何ら利点がない。
弟たちまでも容赦なく殺し尽くす恐怖政治の権化・源頼朝公ならば
主家はもちろん一族郎党にいたるまで皆殺しにしてしまうだろう。
498 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 00:32:36 ID:Ll0OF/Xs
そんなこと言い出したらキリがない
499 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 04:14:59 ID:20Bf9xyq
>>496 そんな危険な公共事業をしなくとも「名古屋城築城」
「江戸城の石垣、総堀の賦役」などの公共事業で
家康は外様大名の財産を散財させて景気対策を行なったが
それの方が100倍賢いよね?
その後も「木曽三川の堤防工事」「参勤交代」「大名家の鉢代え」など徳川家は常に外様大名の蓄財を許さず
大名家に散財させて公共事業を行なった。
そのため大名や武士どもは貧窮にあえいだが町民どもはどんどん豊かになっていった。
500 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 11:48:09 ID:bQTNFebO
> 大名家に散財させて公共事業を行なった。
最近の研究では幕府の命による「公共事業」に参画する事は、大名家にとっても
軍役に順ずる「お家の名誉」と捉えられていた、とされている。
501 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 13:38:55 ID:3gEMjGYH
2chで「最近の研究では」と言われてもフーンという感じ
お家の名誉ってそりゃ幕府に普請命じられて露骨に嫌な顔は出来なんだろw
表向きは「有り難き幸せ」と言いながらも内心では舌打ちってのが本当のところ
散財の為のお役目は避けれらないんだから、それならせめて軽めの普請が良いと
便宜を図ってもらうために幕閣に賄賂というのは日常茶飯事だったらしいがね
502 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 17:58:54 ID:20Bf9xyq
木曽川堤防工事では薩摩藩武家がいくつも破産して切腹しまくったからな
今でも彼等の墓が木曽川の方にあったはず。
どうせ従うなら喜んでやらせていただきますと言った方がそりゃ将軍への印象はいいよ。
でも薩摩隼人は誰しも幕府を恨んだし必ずこの恨みはいつの日か晴らすと
肝胆を舐めてたみたいよ。
503 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 19:15:16 ID:A44TMxpt
朝鮮で不毛な終わりなき殺し合いをさせられて餓死寸前に追い込まれるよりも
都市や河川の整備をした方が遥かに世のため人のためになるいいことだよ
豊臣にはそういう発想がないからすぐに不満が爆発して内部崩壊を起こす
504 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 19:28:23 ID:3gEMjGYH
都市の整備や堤防の建設みたいな公共事業は豊臣政権でも普通にやってたけどね
505 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 19:29:10 ID:UF95F/xl
小さい頃から栄養のあるものをたらふく食わされていれば
ガタイはよくなるよ。
秀吉の場合は超貧乏だったから小さい頃、満足に食事が
出来なかったから成長できんかった可能性が高い。
506 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 20:00:20 ID:bQTNFebO
> 豊臣政権でも普通にやってたけどね
大阪以外は普通にやってない。普請は軍政の延長線上ばかり。
民生の異常な軽視は豊臣政権の特徴。
507 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 20:13:03 ID:3gEMjGYH
そりゃ豊臣政権の政権基盤が畿内だったからな
大坂だけっつうかまあ大坂が中心なのは事実なんだが、
京街道や大和街道の整備や宇治川・淀川の治水なんかにも手を出してかなりの成果を挙げてる
関西における今にまで続く秀吉人気はこれらの公共事業に拠るものも大きい
無益な侵略戦争をした分相対的に民に還元される分は少なかったろうが、やることはちゃんとやってたよ
508 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 20:50:47 ID:20Bf9xyq
秀吉の建築道楽のために日本中の名木・大木が切り倒されて今も癒し難い痛手になってるんだよな。
樹齢数千年の屋久杉とか秀吉の命令でバンバン切り倒されたし
世界的に見ても貴重な自然遺産が失われたと思う。
509 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 20:53:11 ID:wg+eRV49
>>503 秀吉は、大名たちの知行地を加増して上げたかったんだよ。
徳川みたいに大名たちの力を削ぐために海外出征したわけじゃない。
そこのところを勘違いしていると思うぞ。
510 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 21:03:33 ID:MoGaALXg
縄文杉をバンバン切り出して建築用の資材にして
屋久島の自然形態が変化したのは秀吉の頃じゃなくて
江戸時代中期以降のことなんだけどな
有名なウィルソン株にせよ秀吉の時代じゃなくてそれ以降に伐採されたものだという研究者も居るくらい
無知乙
511 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 21:03:35 ID:20Bf9xyq
秀吉の素晴らしい点は経済政策があるよね
多くは丹羽長秀から召し上げた長束正家や
堺・近江・京・博多らの茶道つながりの商人どもが献策し
秀吉が果断に実行したものが多い。
特にゴールドラッシュに沸いた豊臣時代に金は死蔵してたら
たんなる金属でしかないという卓越した経済感を持ち
持ってる金は常に商人どもに貸し出しで大きな商売をさせ
畿内の街道整備、神社仏閣の復興、聚楽第、大阪城、伏見城、名護屋城の建設
運河の造成で持ってる金銀をばらまきまくった。
そのため関西地区は史上未曾有の好景気で沸き返った。
しかし逆に太閤検地、五公五民などで百姓は今まで以上に貧しくなり
ろくに公共事業も行なわれない機内以外の地区は所得格差拡大のために
貧民層が増えた。
512 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 21:05:33 ID:20Bf9xyq
513 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 21:07:41 ID:MoGaALXg
514 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 21:29:44 ID:YhltPetv
大坂の乱ほどまどろっこしい戦は他にあるまい
一気に大坂城内に突入して城主とその取り巻き連を討ち取りゃよかったんだ
千姫や常高院を犠牲にするのはやむを得ないだろ
北条貞時だって平頼綱一家を根絶やしにした際に
自分の娘を犠牲にしているのだ
515 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 21:40:44 ID:u/a69fAi
ウィキでも本格的伐採は1640年よりと書いてあるのはスルーなんだろうか。
随分偏った読み方するなあ
516 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 00:27:38 ID:bbC6r46R
「樹齢数千年の屋久杉とか秀吉の命令でバンバン切り倒されたし」の
「樹齢数千年」の部分を当然のように消し去り
拡大解釈して人を罵倒する ID:MoGaALXgも普通に気が狂ってるよ。
517 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 01:07:18 ID:RbrZvu19
自然保護なんて観念自体存在しない時代に行われた自然破壊の是非を云々しても意味はあるまい
518 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 01:14:25 ID:nw/vEirH
日本史上「自然保護」の概念が無かったのは近代から近現代の一時期だけだ。
519 :
仙台藩百姓:2007/06/09(土) 02:23:31 ID:3hnLZ469
言うに事欠いて自然保護とは呆れたものだお( ^ω^)プピー
おっと、思わず失笑が漏れてしまったお( ^ω^)プピー
520 :
人間七七四年:2007/06/09(土) 08:13:56 ID:qxJsDWcC
521 :
人間七七四年:2007/06/23(土) 23:02:30 ID:72fm0Jnk
治長は淀殿を秀吉の側室になる前から
親しくしていたとは思う。
愛人関係かどうか別として…。
522 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 07:57:11 ID:Cj55Vl3G
いったい誰の子だったのかしら?てか秀頼の子が天草四郎説ってどう?
523 :
人間七七四年:2007/06/27(水) 18:23:27 ID:y//7/TZx
秀頼に関するレスって誰が種付けしたのかってのがほとんどだよなw
みんなそんなに興味あるの?
つかわかったところで何になるんだ。
524 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 03:05:48 ID:iUZO8gZB
>>523 >つかわかったところで何になるんだ。
それを言ったら歴史スレの存在自体を否定する事になるだろw
推理小説読んだりRPGをするのが何になるんだという愚問と一緒。
525 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 03:27:37 ID:RdW5vt7E
山岡荘八みたいに
「秀頼は秀吉の子供じゃなくて淀君が密通して生んだ不義の子、
だから家康がそれを殺して政権を奪っても無問題」
という風に気休めにする人も居る
526 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 03:53:29 ID:Rhm5w9XB
石田三成のお子であったとか・・
527 :
宇喜多直家信者:2007/06/28(木) 04:30:42 ID:BMI26Zi5
528 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 06:07:15 ID:LNndRBX5
秀頼の生年月日から仕込んだ時期を計算すると、
秀吉が淀殿のそばにいなかった時期になる…
という説を聞いたことがある
529 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 06:46:47 ID:RdW5vt7E
秀頼の誕生日からの逆算で石田三成父親説が完全に消えたんだよ
(その頃三成は朝鮮出兵で渡海中)
秀吉は肥前名護屋に淀を呼び寄せてるし、自身もたびたび大坂に帰阪してる
秀吉が淀にタネを仕込むことは十分に可能
530 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 08:06:29 ID:zYJmWomq
当時から秀頼が秀吉のタネじゃない説はあったらしいが、
家康がそのこと持ち出して陥れようとかしなかったところを見ると、
本気でそんな流説信じてる人間は少なかったんじゃないかなーとか思う
531 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 09:41:21 ID:2QJkT8Nv
家康は豊臣家が徳川家に服従するのを
10年以上待ち続けたんだよ。
自分も老いてきて豊臣家が服従する姿勢を見せないから
豊臣家を滅ぼすに至った。
多分喜び勇んで起こした戦でもなかったと思う…。
ちなみに大野治長に徳川家の家臣になった治純がいるけど
残念ながら彼のことがよく知られていないんだよね…。
532 :
人間七七四年:2007/06/28(木) 09:58:41 ID:ZU4zDzDO
治長自信徳川の旗本の身分ももってなかったっけ?
533 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 15:29:12 ID:efhtlPIC
どんな言い訳をしても家康擁護は難しいな。
事実関係としては主君から涙を流して託された遺孤を惨殺した事実は変わらないしね。
534 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 15:36:46 ID:tVXJmA+e
>>533 しかし秀吉も最後はかっこわるいよな。劉備が孔明に託したみたいに、
「秀頼を頼みまする。しかしこの子が天下人の器でないようならこの子に
変わって天下を治めてくだされ」とか言ってたら家康は天下を奪えなかったんじゃ
ないかと妄想してみる。
535 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 15:51:04 ID:rNApb5RF
>しかしこの子が天下人の器でないようならこの子に変わって天下を治めてくだされ
林羅山の豊臣秀吉譜ではそのように遺言したことになっておりまするw
いくら幕府の御用学者とはこんな根も葉もない捏造をして学者としての良心が咎めなかったんだろうか
536 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 20:01:44 ID:efhtlPIC
あははは
秀吉「秀頼を頼みまする。しかしこの子が天下人の器でないようならこの子に
変わって天下を治めてくだされ」
秀吉の死後
秀吉に「この子が天下人の器でないようならこの子に変わって天下を治めてくだされ」と
言われたから俺が天下人!アイアムボス。俺の権力天下一いいいいぃぃぃぃぃぃ!」
と完全正当化しちゃったわけかw
537 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 21:38:09 ID:efhtlPIC
最悪でも秀頼の息子を御家人・旗本として取り立てて数百石を与え家を継がせるだけでも
後世の史家からの評価が全然違ったものになったのにね。
実際、残酷な易姓革命のイメージが強い中国でもそういう例が多い。
最も過酷な時代の一つだった三国時代でも漢の献帝や蜀の劉禅も食い扶持を与えられ
天寿を全うしてるものなあ。
538 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 22:04:23 ID:9VfLEyJg
>>535 >いくら幕府の御用学者とはこんな根も葉もない捏造をして学者としての良心が咎めなかったんだろうか
どうゆう意味?これが事実なら家康にとってマイナスイメージだからわざわざ捏造するとは思えない。
とゆうことは本当に秀吉はこう遺言したのか?それなら逆に家康尊敬するわw
539 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 22:39:54 ID:K6Y1h63a
>>537 淀殿が無駄な抵抗しなけりゃそうなってたかもナ。
540 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 23:46:49 ID:Wmwky73G
>>533 天下人の哀願はいかなる状況においても降伏しか意味しない
秀吉が泣きながら頼み込んだ時点で家康からすれば
「こいつは俺に降伏した」と軽蔑の対象にしかならない
降伏した分際で妻子がでかい態度を取り続ければ家康だって激怒するのは当たり前だろう
541 :
人間七七四年:2007/06/30(土) 23:59:38 ID:9VfLEyJg
>>539 「君臣豊楽 国家安康」に言い掛かりをつけて戦を始めるあたりどう見ても
徳川側から滅ぼしにかかってます。淀が悪女で馬鹿というのこそ江戸時代の
捏造ではないのか?そうでもしなけりゃ徳川に正当性がなくなるからな。
542 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 00:03:19 ID:UuEeieCY
>>538 何でこの捏造話が家康にとってマイナスイメージなんだ?
家康の豊臣家からの簒奪&主君秀頼を弑逆したことを、
古代中国の易姓革命に無理やり当てはめて擁護する話なんだが
如何にも頭でっかちの腐儒が考えそうな逸話でしょ
543 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 00:28:35 ID:KuuXogZG
>>542 >この子が天下人の器でないようならこの子に変わって天下を治めてくだされ
と頼まれたら普通は実行できなくない?本当にやっちゃったら家康はひどいやつだってことに
なるのが一般的な感覚では?だからそんな遺言が本当にあったとしても幕府側の
人間なら隠すだろうと思うのだが。
544 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 00:36:30 ID:UuEeieCY
実際に家康は酷い奴だからなw
羅山の創作では秀頼が天下人の器でないならば、という条件付でも
秀吉は家康への政権交代を承認してることになる
秀吉に秀頼の補佐を頼まれ、それを承知しながらも死後に露骨に遺訓を反故にして、
最終的には秀頼殺した史実よりは断然マシだと思うぞ
幕府が隠そうとしたのはむしろ秀吉の遺言の方だろう
545 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 00:43:16 ID:oXalIFw4
遺言とかwwwボケ爺の妄言だろ。
家康が守る必要などどこにも無い、だいたい秀吉自身が主君の織田家から
簒奪したようなものなんだから文句言う資格もない。そもそも戦国なんだから
やられるほうが悪い。
546 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 00:53:00 ID:UuEeieCY
おいおい、話の流れを読んでからレスしろよ
家康本人は豊臣家からの簒奪なんて大して気にしなかったろうが、
その後幕府の政権を運営していく人々にとって
家康の露骨な簒奪は如何にも都合が悪かったんだよ
幕府が儒教的論理で大名・旗本たちに主君への盲従を配下に強いながら、
その創始者が倫理糞喰らえだったら示しが付かない
だから古代中国の聖王の逸話をコピペして道徳的な非難を避けようとしたわけだ
547 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 00:59:34 ID:EOnugmn7
>そもそも戦国なんだからやられるほうが悪い。
でも実際見てみると、ガチで理屈抜きの下克上した奴って少ないんだよな
みんななんだかんだで小細工弄して自分の正当性主張してる
戦国だから下克上は当たり前、やられるほうが悪い、
なんてのは如何にも後世の人間の思い込みだと思う
やっぱり下克上なんて当人にとっても世間にとっても恥ずべき行いだったんだろ
548 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 01:58:00 ID:Au3Tgw8P
主殺しの明智光秀なんか当時でも圧倒的多数の人に全否定されてるものな。
冷静に見れば光秀の大義名分なんかいくらでもあるし
そんなに悪逆非道な人だと思えないが「全否定」だもんな。
当時も下克上が全面的に肯定されてたなんて全然思えない。
549 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 06:31:29 ID:F7vIArFx
下克上にまっとうな理屈がある例なんてある?
秀吉の奪い方は見事だとは思ったが、理屈に叶ってるとはやはり思わない、
結局、信孝も秀頼も同じく天下を取る器じゃなかった、嫌なら分相応の所に収まれとしか思えない。
むしろ関ヶ原から16年も生かしておいたことにこそ問題を感じる、家康の温情なのか不手際なのかは知らんけど、
光秀が否定されたのは、味方するに値しないその後の不手際の一点に尽きる。
550 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 06:56:40 ID:EOnugmn7
ないよ
だからあれこれ言い訳して自分の正当性主張する必要があったんでしょ
家康だって関が原のときは「秀頼のため」という大義名分掲げてたんだから
551 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 10:03:22 ID:Au3Tgw8P
>>549 >むしろ関ヶ原から16年も生かしておいたことにこそ問題を感じる
単に浅野幸長、加藤清正の死没を待ってただけでしょw
彼らが生きてれば20〜30%の確率であるかもしれないが
大阪方につく、そうすると福島正則や池田輝政なんてやつらも大阪方につき
再度、西日本の大名や徳川の治世に不満な大名が大阪方についで
「関ヶ原リターンズ」になる。
もう寿命も近いし家康はその事態だけは絶対に避けたかったというのは
非常によく理解できる。
552 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 10:03:48 ID:S2dI0UyO
承久の乱の鎌倉幕府や後醍醐に反旗を翻した時の足利なども
あくまで「君側の奸臣を取り除く」を大義名分として戦っている
だからって奸臣を取り除かれた君がそのまま君臨することなどありえない
「君側の奸臣を取り除く」は「自分が天下を取る」と同義の言葉だ
ただ直接言うと生々しいから言葉を変えているだけで当時の常識といっていい
だから家康が関ヶ原で「君側の奸臣を取り除く」と言った時には
一部の教養のないバカを除けば「俺が天下を取るけどいいな?」と言われたと理解している
それで多くの大名の支持を得て勝利したのだから正当性は問題ない
むしろ豊臣の悪あがきは日本史上でも稀有な部類に入るといっていい
こんなのに絡まれた家康のほうが可哀想だ
553 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 11:44:04 ID:Au3Tgw8P
>>522 絡みついたのは家康の方だろw
鐘銘問題とかストーカーの極致だわなw
伏見城呼び出しやら淀や秀頼の出仕を執念深く
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも粘着質性格全開で
絡みついてる家康のザマは尋常じゃねえ!
554 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:05:16 ID:0xovtYaE
秀吉の子供が淀殿の産んだ子供二人だけ、と思い込んでいるのは間違いだぞ。
当時の5才までの子供の死亡率は50%以上。
3歳までなら70%ともいわれていた。
現にお捨が3才頃で亡くなっている。
ねねも他の側室も妊娠、出産まではできても、流産、死産で
無事育ったのが秀頼ただ一人、と考えた方が自然だ。
だから淀殿が妊娠したことに秀吉自身も疑問をもたず、
全面的自分の胤だと信じ盲目的に愛情を注いだ、と納得できる。
でも極端に秀吉に子胤が少なかったとか、遺伝的に弱い精子だったという
ことは充分考えられる。
淀殿は安産・子沢山のお市の血を引く鉄の子宮を持った女だったんだな。
妹の於江与もその血を濃く受け継いでいるし。
555 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 12:36:39 ID:61xPEezZ
しかし実際に幼くして亡くなった鶴松が記録に残ってる以上、
秀吉に記録に残っていない子供が居たというのは無理が有るんじゃないの
特に天下人となってからは尚更だろう
可能性が有るとすれば長浜時代とかその辺じゃね
南殿に秀勝を生ませたと言われてるのもこの頃だし
556 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 13:34:09 ID:0xovtYaE
秀勝のものといわれている位牌が残っているんだけど
戒名からそんな幼少期に亡くなった人物のものではないそうだ。
当時は殿様の子どもであっても、死産や生後まもなく亡くなったら
墓もつくらず、位牌もないほうが当たり前だったから
天下人になってからもそういうケースならいちいち記録に
残さなかったと考えられるよ。そんな必用もないし。
いろいろ取りざたされてるけど、秀吉があれだけ溺愛したというのは
自分の子供と確証がもてるだけの環境で淀殿が妊娠し、妊娠しても
然るべきという思いがあったからだと思う。
女好きといわれた秀吉だけど、正式な側室は記録に残っているだけで
15〜16人。実は戦国大名にしてはさほど多いほうではない。
そのうち加賀殿みたいに大阪城内におかずに囲っていたのも
いたし、ほとんど夜伽をさせずに人質感覚で側においただけの側室も
いたかもしれない。
精力も衰えたであろう晩年の秀吉がそういう方面で寵愛をしたのは、
淀殿と京極殿がメインだったのかもよ。この二人は陣中まで呼んでるしな。
557 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 13:51:16 ID:GYi9YXXq
>>541 >「君臣豊楽 国家安康」
そりゃ交渉決裂した後の最終局面ジャン手遅れ。
558 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 13:56:00 ID:GYi9YXXq
>>553 相手は反抗する気マンマンなんだから
臣従させるか滅ぼすかどちらかしかないだろ。
559 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 14:53:54 ID:srFLASXA
>>552 正当性に問題があったから言葉遊びで糊塗する必要があったんでしょうに
誰もが真意に気づいても、それは気づかないフリをしているという暗黙の了解が前提
当時の家康には後年と違って豊臣を旗頭にしなければ諸将をまとめることなんてできなかったんだよ
だからその後十数年に渡って豊臣の存続を黙認するしかなかった
大阪の陣でも正当性なんてねじふせられるだけの力を持つに至っていたからみんな従っただけ
そこが家康のヒドさであり、すごさでもある
560 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 14:56:09 ID:Au3Tgw8P
家康厨って仮定の話や妄想に基づいた話が多いよな。
561 :
人間七七四年:2007/07/01(日) 15:02:04 ID:61xPEezZ
スレが荒れるから相手が厨だと思ってもあんまり挑発しなさんな
562 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 20:25:57 ID:m/TyUIGU
結局、秀頼のパパは大野でおk?
563 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 21:05:16 ID:+8cN2TqL
秀吉に決まってるだろ?
そんな怪しげな胤の子ならとっとと抹殺されてただろうに。
秀頼の誕生日は文禄2年(1593)8月29日。
十月十日前を推定すると、文禄元年(1592)10月20〜30日。
石田三成…文禄の役で朝鮮に渡海、このころ辛州山城の激戦で負傷。
大野治長…肥前名護屋城まで従軍、ちなみにこの時淀殿も肥前名古屋城にいる。
個人的には、秀頼は大野治長の子ではないと思っているが、治長がこの頃
淀殿と行動を共にしてるのが気になる。
あと、この年治長は所領1万国を領したと言う。
しかし言っておくが、俺は信じてないぞ。秀頼は秀吉の実子と思っている。
565 :
人間七七四年:2007/07/02(月) 21:20:18 ID:qrF5+hH4
当時から秀頼の種を疑う巷説は流布してたわけで、
にも関わらず猜疑心の強い秀吉が大野治長や淀殿を追求しなかったのは、
よっぽど秀頼が自分の子だということに自信があったんだろうな
俺も秀頼は秀吉の子だと信じているが、秀吉の自信が何に根ざしていたのかは気になる
566 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 08:38:59 ID:U656fk6c
淀殿周辺に秀吉かもしくは北政所の配下の侍女がいたからじゃないか?
大奥みたいに厳格に体系化されていなかったから、不義密通とか
何が何でも子種を!と無茶なことしでかさないように監視役として。
淀殿は淀城にいたし、北政所の管理下にもいなかったから当然そのぐらい
したんじゃないかな。
567 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 09:09:03 ID:U656fk6c
>>564 妊娠期間は10月10日というけど、一ヶ月は28日単位で計算するんだ。
つまり40週にあたる丸9ヶ月で、正常分娩の時期を迎える計算になる。
その計算だとその二人はどこにいたんだろう?
568 :
人間七七四年:2007/07/03(火) 11:26:44 ID:SdR+72jL
秀吉が亡くなってからの淀殿と治長が
愛人関係と言われても否定できない気がする…。
569 :
宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/07/03(火) 20:30:28 ID:MowoNZgM
570 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 01:46:08 ID:AE8MCcoW
じゃあ、秀頼のパパは家康なのか?
571 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 01:51:18 ID:bjZI2/V5
家康は秀頼のおじいちゃんだなも。
572 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 01:57:15 ID:HOW56scA
万が一秀頼が家康の息子だったら、秀頼と千姫の結婚は叔父と姪の結婚になるな
古代貴族みたいでキモイw
573 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 02:40:28 ID:AE8MCcoW
574 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 12:19:14 ID:yrRx/MaB
伊達成実の両親は叔父と姪だよ
この辺の時代でも別に問題視されてないんじゃない?
575 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 12:33:18 ID:2pyNQyrG
一代限りの近親婚なんて心配するほどの障害児は生まれてこないよ。
何代にも続く近親婚で初めて弊害がでてくるもんだ。
576 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 12:51:34 ID:HOW56scA
長宗我部盛親が兄である信親の娘を娶って家督を継ぐよう元親が決めた時、
家臣の比江山親興&吉良親実らが「同姓を娶るは畜生道と言われております、何卒御再考を」と諫言したと伝わってるから、
当時でも叔父・姪の近親婚を倫理的に問題視する意見は普通に有ったと思われる
あと秀頼&千姫は茶々、小督を通じての従兄弟同士でもあるからな
血のつながりの濃さは普通じゃない
577 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 16:04:19 ID:2pyNQyrG
そういえば将軍吉宗が先代の養女を後室に迎えようとしたら、
「血はつながらなくても形式上は兄妹になるので」
と大奥から猛反対をされ、やむなくその姫は島津藩に輿入れさせたという
エピなかった?実際の血の濃さよりも、形式にこだわったのかもしれない。
578 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 16:13:25 ID:AE8MCcoW
五代将軍の徳川綱吉が激しく儒教、朱子学の教えを国民に強いて
士農工商くまなく儒教的な道徳観念を持たされた結果じゃないの?
吉宗は終生綱吉に感謝して尊敬はしてたみたいだけど
朱子学自体は屁のように思ってたと思う。
579 :
人間七七四年:2007/07/04(水) 19:28:14 ID:loWBCrcV
秀吉お気に入りの侍女が実家に帰って結婚してしまい、
激怒した秀吉が侍女とその家族を殺してしまったことがあったらしい。
そんなに嫉妬深い性格だったら、
茶々と治長が噂になることすら許されなかったと思う。
580 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 01:37:46 ID:XKt3mD+5
嫉妬っていうより自分の威厳が傷付けられたと思ったんじゃないの?
自分の侍女が自分の裁可も受けないで勝手に自分すら知らないよその男の奥さんになってたわけだから。
むしろ先に結婚したい旨、申し送っておけば笑って許してたかもしれない。
ちなみに大名が自分の侍女を家臣に与え事自体は少しも珍しくないしね。
581 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 01:43:08 ID:g+Xo95VB
家臣への愛妾の下げ渡し自体は結構やってたみたいだしね、秀吉
まあ実際どれだけの女と実際に関係結んでたかはわからないけど
582 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 02:23:01 ID:XKt3mD+5
当時の奥の監視体制がどれほど厳しかったか知りたいよね。
江戸時代の大奥は結構、間男が入り込んでたと聞いた
特に歌舞伎役者とか美男の誉れの高いのは出入り業者を装って通わせていたとか
堕胎専門医の中条流が大流行し、その丸薬が飛ぶように売れた事も記録されている。
583 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 09:29:52 ID:qG+A49kb
男日照りの女中衆ならまだしも、現役で殿様のお相手をする側室たちには
監視の目が厳しかったんじゃない?
それにその手のプロの男たちと情事をすることはあっても
家臣の男を引っ張りこむことはしないんじゃ?
余談だけど相撲取りもかなりもてたみたいだね。
歌舞伎役者同様、男芸者といわれて、
そっちの営業も大事な仕事だったみたい。
584 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 11:26:03 ID:VckjC+zV
とりあえず江戸時代の大奥に比べれば全然警戒は緩かったと思われる
585 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 11:42:24 ID:XKt3mD+5
秀吉が小田原攻めに行った時に大阪城内の風紀が乱れてネネ自ら侍女たちに仕置きをした事もあったと聞いた
漫画の「へうげもの」でも(創作だとは思うが)そういう描写がある。
淀は淀城に居て浅井時代からの侍従で周りを固めてたなら完全監視は難しいと思う。
586 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 12:59:05 ID:rEAAxQ/U
近臣者ならわからないよね
淀が生まれたときから自刃するまで側に仕えた
大蔵卿局。
彼女の息子とかなら平気で淀と謁見できそうだし
誰にも疑われない
当時は、のいの江戸城大奥のような
厳密な男子禁制は引かれてなかったのだし。
逆に、厳密な男子禁制に守られていた江戸時代の将軍は、
子無しが多いしなw
587 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 13:22:34 ID:g+Xo95VB
密通可能かどうかよりも、むしろ淀が密通したという噂があれだけ流れてて、
それに対して秀吉や他の連中が何のリアクション起こしてないってのが謎
少なくとも大野治長自身は真偽はともかく噂が流れた時点でタダじゃすまないと思うんだが
588 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 13:28:15 ID:VckjC+zV
当時の噂は「あれだけ好色な殿下のお子様を淀殿だけ連続して産むのはおかしい、何か有るんじゃないか」
という程度のもので、大野個人の名前は挙がってなかったんじゃないの
つうか大野治長は最後大坂の陣で豊臣家に殉じたから特に記録に残り、
遡って秀頼の父親だったんじゃないかと疑われてるだけで、
関ヶ原以前は大蔵卿局のコネで何とか大名になったというだけの小者に過ぎない
実際に秀頼が密通によって生まれた子であったとしても他の別人の子供であった可能性もある
589 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 13:32:44 ID:g+Xo95VB
あーそっか
だったらただのやっかみでスルーできる程度のレベルだな
家康や他の大名たちも秀頼が秀吉の子だって疑ってなかったんだろうか
真実がどうかよりもそっちの方が重要な希ガス
590 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 13:34:33 ID:qG+A49kb
秀吉死後なら大野を可愛がっていたかもねw
でも秀吉生前は無理じゃないかな。
そんなことが簡単にできるなら京極殿だって黙っちゃいないんじゃ?
どうにか馬の骨男の胤をしこんで秀吉の寵を争ったかもしれない。
ほとんど関心をもたれていなかった側室達も豊臣の嫡男になれるならと
必死で胤をしこんだかもしれない。
逆に淀殿しか秀吉の子供を産んでないから、当時の奥制度もある程度
秩序が保たれていたんじゃないかと思えるんだけど。
591 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 14:14:01 ID:Ct4p1fAh
鶴松の死が1591年9月22日、秀頼の出生が1593年8月29日だから
確かに他の側室がそれを実行する時間はあるんだよな。
鶴松の時点で疑われていたとしたら逆に「疑いがあってもあの扱い」
を間近で見ることになったわけだし。
592 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 14:30:29 ID:g+Xo95VB
「淀しか子供生んでない」不自然さが
逆説的に秀頼が秀吉の子供であることの証明になりうるということか
593 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 15:32:31 ID:hKCjxj1x
じゃあ、子沢山の大名の子供達のほうが逆に怪しいかもしれないな
594 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 15:51:59 ID:g+Xo95VB
実際、秀康は家康から自分の子供じゃないのでは、と疑われてたと言うしな
まあ秀康の母親は淀とかとは全然立場が違うから一概には言えないが
595 :
人間七七四年:2007/07/05(木) 16:15:14 ID:XKt3mD+5
吉宗のパパは紀州藩主だったとされてるけど
ママンが他の男と作った子供である可能性は否定できないよね。
百姓が農閑期のアルバイトとして城内で奉公してただけだし。
596 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 11:35:04 ID:jkXurG3i
秀吉にしてみたら中途半端に実家に権力のある側室なら
淀殿や京極殿みたいに実家が事実上なくなってなんの後ろ盾もない姫に
子供を産んでもらったほうがありがたかったかもな。
三の丸や加賀殿に子供が生まれて嫡男になれば、どうしたって生母の
実家が重用されしゃしゃりでてくるし、織田や前田が台頭すると
血縁者の少ない豊臣家の命取りになりかねない。
そういう意味でも秀吉が淀殿や京極殿を寵愛したのかもしれないと思ったし、
597 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 15:12:20 ID:uSNRWrpa
でも本当は秀吉は寧々が子供を産んでくれれば一番嬉しかったろうと思うよ。
なんだかんだ言ってもとても正妻を大事にしてるし気も使ってるじゃない。
彼女の実家の浅野家に対しても重用してるしね。
なかなか老人になってから糟糠の妻に手紙を頻繁に出して御機嫌取りなんてできるもんじゃないって
彼の好きな能やら田楽踊りなんかも綺麗な側室じゃなくて寧々としばしば仲良さげに
あーだこーだ言いながら観賞してたし、政治向きな発言も多いに許し
留守中の城の仕置きは寧々と秀長に任せっきりにしてたようだしね。
598 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 17:17:09 ID:jkXurG3i
>>598 もちろんそう思う。
正室の出自が問題なのではなく、嫡子か庶子かが問題なわけで
ねねに子供がいたらどんなに淀殿の出自がよくても庶子扱いしか受けなかったはず。
現に秀頼誕生当初は秀次がいたので庶子扱いされ、ねねの元には置かれず
淀殿の元に置く事を許しているし。
淀殿への厚遇は手柄をたてた家臣への褒美みたいなもんじゃないかな。
ねねには「ねねが一番。淀はお拾いの母だから2番」みたいな手紙を書いていて
子なしで若くもない妻が一番だよ、と書いているからお世辞かもしれないけど
長年連れ添ってくれた妻への本音じゃないかな。
だからねねが淀殿への嫉妬から秀頼を疎んじていたなんていう
後年の検証は納得がいかない。
豊臣の後継者である秀頼を可愛がったと思うし、期待していたはず。
淀殿のことだって内心面白くないにしても、秀吉同様に豊臣家にとって
手柄をたてた淀殿を認めざるを得ないと思う。秀吉のフォローが
あれだけあるんだから、正室としての誇りも保たれていただろうし。
秀頼の側近である新派と、旧秀吉派(ねね派)の家臣団の政権闘争や思惑が絡んで
あんな結果になったんじゃないかと思うんだ。
599 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 17:29:26 ID:uSNRWrpa
ねねが幸長、清正、正則、秀秋らに「家康殿に味方せよ」と言ったのは
後世の創作だという説もあるね。
普通に無関心もしくは秀頼の味方だったとか。
600 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 17:39:07 ID:pks2ZdPb
>>598 実際世話焼いてたし、淀殿もねねのこと結構頼ってたしね。
家康との二条城での会見のときとか。
淀殿とは険悪な仲ではなかったし、
秀頼のこともそれなりに可愛がってたと思う。
疎んじていたとは思えない。
601 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 17:53:57 ID:uSNRWrpa
家康としては関ヶ原の論功行賞で、ねねに食邑を与えとけば
豊臣家正室からの許可もあって豊臣家功臣を粛清したと言い訳できると思ったんじゃないかな。
いわば天皇家の御料地を与えるのと同じ感覚だと思う。
602 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 22:38:38 ID:60YSUb6A
秀吉死後なら淀殿と大野が愛し合っても不思議ではないw。
603 :
人間七七四年:2007/07/06(金) 23:56:28 ID:L5GhfMz+
>>600 そもそも側室は所詮借り腹で、子供はあくまでも正室の子として扱われたからね
ねねも秀頼と一緒に過ごした時期があったはず
秀吉が死んであっさり表舞台から退いちゃったから淀殿が前面に出てきたわけだけど
家臣たちの間では秀頼の母親はあくまでねねという意識があったのかもしれない
604 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 09:52:06 ID:5r4Nd+IS
秀頼のことを思って大阪城をでて、家康に身近で秀頼のサポートをまかせる
作戦にでたのかもしれない。あくまで家康に臣従の立場をとらせているように
思う。それと秀頼側近に対する威嚇という意味もあったかも。
家康殿がいるからには、好きにはさせませんぞ、という。
淀殿が君臨し、政治に介入していたということを示す史料もない。
秀頼の御袋様ということで敬われていただけのようだ。
605 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 12:11:38 ID:fnx9fFe1
ねねは旦那が生きてる間は家政を中心として
政治向きの仕事も忌避せずそつなくこなしてたが
秀次の死、朝鮮征伐、夫の死を通して虚無感というか
もう政治向きな事には関わりたくないと単に思っただけだったかも
ねねの実家が北条家のような実力者だったら本人の意思と関係なく
北条政子のようになってたのかもしれないが
ねねにとっては子供も居ないし親戚筋や実家に天下を獲らしたい人も居ないし
秀頼にはちゃんと淀殿もついてるし、自分が居ても単なる邪魔者だと思ったんじゃないかな。
606 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 12:58:09 ID:fnx9fFe1
秀吉が秀次を信頼し切れず殺害した所までは仕方ないけど
秀頼の補佐人に自分と年齢のたいしてかわらない利家を選んだのは失敗だったな。
利家の命数まで知ってたら当然、秀吉は別の人を補佐人にしたのは間違いない。
最も信頼して可愛がってた秀家あたりに一時的に関白就任を許して秀頼を
秀家の後釜にすえるよう頼むとか出来なかったんだろうか
607 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 13:10:30 ID:5r4Nd+IS
秀頼が幼少だから豊臣の政権を牛耳るには先代の正室のねねがいなければ
かなりやりやすかったという側面はあると思う。
後家の発言権は意外と強い時代だったからね。
ねねを慕う有力家臣がいたのも事実だし、豊臣ではねねの親族が
取り立てられていたし、新秀頼派と旧秀吉派の豊臣の家臣間同士の争いが、
結果的にねねを排除しようとする方向にいったとは考えられるかな。
ただどっちの派も秀頼への臣従の意は変わらないわけで、
豊臣大事、豊臣安泰のアプローチの仕方が異なるのと
立身出世の欲も絡んで、関ヶ原で対決することになり、東軍に
豊臣恩恵派がつくなんてことになっていったのだと思う。
ねねは隠居しちゃったけど、いざという時は秀吉の正室として
駆り出されているし、家康がご機嫌取りをしているぐらいだから、
まだまだ豊臣への影響力は強いものだったということはわかる。
それは秀頼とはまだなにかしらパイプを持っていたということなんじゃないかな。
豊臣と完全に切れていたとは考えにくい。
ねねだって豊臣の存続ということを一番大事に思っていたと思うよ。
大阪の陣の寸前に、ねねが間に入って家康に交渉して
秀頼の処遇を家康に一任すれば豊臣の存続は可能だったと思う。
ぶなんなところで高家として生き残っていたかもしれない。
608 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 13:23:07 ID:fnx9fFe1
609 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 13:25:54 ID:fnx9fFe1
おそらく秀頼は漢字が書けたのに(揮毫とかするくらいだから)
あえて、ねねが読みやすいようにかな文字で書いてある所に
心配りというか気遣いが感じられる(いや、もしかしたら当時は女性への手紙は仮名文字が普通だったのかもしれないが)
610 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 13:31:38 ID:YGVBQxvc
秀吉の遺言に従って大坂を出たわけだけど
その後も
>>608のように秀頼・淀とのやりとりは続いてるし
邸宅の修築・増築なんかも秀頼名義で行ってるそうだから
関係はきわめて良好だと思う。
ねねも豊臣の存続を願ってたことは確かと。
611 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 15:25:56 ID:JFJadjx5
そりゃ自分の夫の家の滅亡を願うわけはないわな。
ただのし上がった後の覇王としての秀吉しか知らない淀と違って、
ねねは名家だろうと勢力が大きかろうと実力で排除してきた秀吉を見てきてるわけで、
その秀吉が死んだ後の豊臣家に天下を治める実力が無い事も冷静に分析できたんだろね。
612 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 22:41:31 ID:Lg7efh8g
伝統ある名家の出でもないし、一代でのし上がった秀吉を間近で支えてたわけだからな
権力の世襲という概念自体重んじていなかったのかもしれない
ある意味で最も戦国時代的な考え方のできる女性だった可能性がある
613 :
人間七七四年:2007/07/07(土) 23:55:34 ID:hcelmKRH
>伝統ある名家の出でもないし
スレ違いだけど、羽柴(木下)は実際にはかなり高貴な家のはず。
秀吉や秀長の幼少期にはすっかり零落していたには違いないけど、
まるっきりどこの馬の骨ともわからない出自の人物が
関白や太政大臣などの最高官職に就けるはずは無いし、
主君・織田信長に養子をくれるように頼み込めるわけが無い。
元々は、少なくとも織田家と同格(もしくはそれ以上)の家柄だったはず。
614 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 01:06:56 ID:UkFQ//YV
で、どこを縦読み?
615 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 02:17:11 ID:uVPlodk3
616 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 07:54:42 ID:Hx1kp2HN
大体木下家はおねの実家じゃ。
617 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 10:05:04 ID:CpJP06fw
秀吉は百姓の出身かもしれないけど、当時の武士は百姓兼任の場合が多い。
足軽クラスならとても扶持米だけでは食べていけないから百姓しながら
生活していた。
百姓も貧富の差が激しくて豪農だと武士の下っ端より裕福な生活が
できたし、身分制度が確立する前は、百姓が蔑まれていたとかでは
ないみたいだよ。江戸時代の農民とはイメージが違うそうだ。
秀吉が信長の家臣になっていた時点で苗字がないのはおかしいから
ねねと結婚する前にすでに木下姓であったという解釈もある。
618 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 12:17:29 ID:1o8DlmKz
秀吉死後なら淀殿と大野が愛し合っても不思議ではないw。
619 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 13:29:37 ID:c0lwjulX
>>617 一族の数が少ない
百姓兼任の武士出身の藤堂高虎は親戚結構いたのに・・・
620 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 18:00:57 ID:8tftJF2j
そういえば、この人は苗字で呼ばれることが皆無に近いよね。
平頼綱みたいに本姓だけで苗字が無い(はっきりしない)ならともかく
羽柴という苗字がちゃんとあるんだから。
621 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 22:38:03 ID:wPSGanAh
数百年の歴史を持つ源平藤橘と突然出てきた豊臣を同じように扱うことに
当時の人々が違和感を感じるのも無理はない
豊臣の天下が数百年も続けばそのうち違和感はなくなるかもしれんが
15年で権力喪失→30年で宗家滅亡では豊臣を苗字扱いしたところで誰も困らない
苗字が羽柴から豊臣に変わったと人々が考えても実害はないし
江戸幕府だってそれをただす必要もない
622 :
人間七七四年:2007/07/08(日) 23:30:28 ID:aeVJtmrS
父親である秀吉も、
「羽柴秀吉」じゃなく「豊臣秀吉」という呼ばれ方が
一般的なんだからそれに倣っただけだと思うが
623 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 01:37:29 ID:h/Bn+1qf
624 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 02:48:01 ID:6pAy2YBg
通称としては問題なすってことでしょ
625 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 08:01:01 ID:P6ybMyjk
「秀頼の首」(木崎國嘉 共同出版社)が事実なら、DNA鑑定で秀頼が
秀吉の子かどうかの検証は可能じゃないか?
秀吉の骨は明治になって、破壊された豊国神社に無造作に剥き出しになった棺
に入って放置されているのを埋葬しなおしたというから存在する。
両者の墓を暴いてまで調査の許可がおりるとは思えないけど。
626 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 08:18:58 ID:h/Bn+1qf
数百年前の遺体相手では信頼できる鑑定結果は無理っす
627 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 08:27:06 ID:P6ybMyjk
でもハトシェプスト女王は父親のミイラともDNA鑑定やって血縁関係の可能性
があったこともあって確定したんじゃ?
赤の他人か違うか程度の鑑定なら骨から鑑定できるんじゃないの?
628 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 08:32:15 ID:wkFueev2
>>627 乾燥地域は1000年以上たっても条件さえ良ければ上手くDNAが残る事もあるが、
日本のような湿潤地帯は、よほどちゃんと保存されていないと、100年前の遺体ですらDNAの採取は難しいと思う。
629 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 09:01:37 ID:h/Bn+1qf
http://www.japangenomics.co.jp/test/sample.html >太古の昔の「骨、ミイラ」等からDNAが発見されることから、
>どのようなサンプルでもDNA抽出が可能であると思われがちですが、
>そういったものは、親子であるかどうかなどを照合する際に用いられる核DNAではなく、
>ミトコンドリアDNAを用いて行われてい ます。
>ミトコンドリアDNAにおける鑑定は、ルーツを辿るような広域の鑑定は可能ですが、
>検査できる範囲が限られているため、親子鑑定などにおいては 、
>結果らしい結果が得られないことも多いため、
>核DNAとミトコンドリアDNAは、それぞれ別物の鑑定手段だとお考えください。
だそうです
まあ自分も面白そうだから駄目元でもやってみれば良いと思うけどね
豊臣家なら子孫が居ない分反対もあんまり無さそうだし
630 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 10:12:44 ID:P6ybMyjk
頭髪は残っていなかったのかな?
将軍家の墓を調査した時は秀忠のすね毛まで残っていたという。
骨同様にそこまで古いと髪の毛からのDNAの採取は難しいの?
聞いてばかりでごめんなさい。
631 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 13:12:06 ID:tfyxkOhy
ミトコンドリアDNAは母系遺伝で母から子供には遺伝されるけど
父から子供には遺伝されないよ。
(理由は卵子にはミトコンドリアが存在するが、精子には存在しないから)
632 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 13:47:22 ID:P6ybMyjk
>>631 なんだ、じゃあ科学的に秀吉と秀頼に親子関係があったかどうかは
証明できないんだ。
永久に謎のままだね。
633 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 14:05:24 ID:tfyxkOhy
>>632 いや・・・ミトコンドリアDNAは無意味だけどY染色体を
何かしらの方法で取り出せれば父子鑑定は可能だと思います。
ただし400年前の遺骨から抽出する事が可能かどうかという問題と
その遺骨が本当に本人のモノかどうかが問題になると思われます。
634 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 14:22:32 ID:P6ybMyjk
>>633 あそか、秀頼の首かどうかの確定がないんだよな。
寺ではそういうことで埋葬しちゃったみたいだけど。
江与の遺骨はあるので、そのあたりから母方の血縁関係を調べて淀殿の子供と
はっきりさせて、それから秀吉との鑑定をしないと意味ないな。
でも江与も火葬されて埋葬されていたし、鑑定はどっちにしても難しいだろうな。
635 :
人間七七四年:2007/07/09(月) 21:59:22 ID:anXqbUM5
明治まで太閤秀吉の棺が無造作に放置されてたってのもすごい話だな
だーれも全く手出さなかったのか?
雨ざらしでも腐ったりしなかったのか?
てか本当に秀吉の骨なのか?
636 :
人間七七四年:2007/07/10(火) 06:52:03 ID:UPXtBy5t
>>635 うん、秀吉の墓付近にまさに無造作に放って置かれていたらしい。
たぶん盗掘されて放って置かれたんじゃないか?
家光の時代に豊国神社は破壊寸前までいって、一部を残し取り壊されたんだって。
ねねが泣きついて本殿や墓は残されたそうだけど、子孫もいないので
荒れ放題のまま放置され続けた。立ち入り禁止区域みたいになってたそうだ。
明治時代になって明治天皇が日本の歴史に貢献した人物ということで
保護を始めるまで手付かずで秀吉の遺骨も丁寧に埋葬されなおしたとか。
指が6本あったかどうか確認して欲しかったな。
637 :
人間七七四年:2007/07/19(木) 20:59:59 ID:j1U1AVsS
子孫もいないって、親戚はいたんじゃないか?木下家定の家系は江戸期にも大名になってなかったっけ?
どうでもいいような下級武士のこいつらが出世できたのも秀吉の縁だろ?ヒデーやつらだ。
638 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 07:56:48 ID:SoFNmkdy
>>637 だって豊臣関係は徹底的に潰されたんだから。
旧豊臣派の大名だって有力大名たちはなんだかんだでお取り潰しや改易。
なんとか生き残った親族だって徳川への恭順を誓ったからなのに
秀吉の墓を建て直したなんていうことを幕府に発覚したら
難癖つけられお取り潰しになるかもしれない。
結局誰も触ることができずに放置。
639 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 13:08:12 ID:sNpJ5TuM
あれ、津軽は豊国大明神祀ってなかったけ?
640 :
人間七七四年:2007/07/20(金) 19:05:11 ID:SVRn0aWj
津軽や南部は現代でいったら北朝鮮みたいな場所なので
誰もここを潰して自分の支配下に置こうなどと馬鹿な考えを抱かない
641 :
人間七七四年:2007/07/21(土) 10:54:35 ID:Ibxm3wsT
名将の子には必ず不運な者が生まれるってのは誰の言葉だったか
やっぱり上の代が偉大だとプレッシャー凄いだろうな
642 :
641:2007/07/21(土) 12:18:38 ID:Ibxm3wsT
やべえ、書き込むスレ間違えた
643 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 23:25:15 ID:xN6jMmWT
644 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 08:16:47 ID:FdVFANH9
O野さんの子です
645 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 18:15:13 ID:Eoct4bIz
秀吉と秀頼の似ているところは、スケベなところ。
646 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 19:03:43 ID:unPCZziN
父親に「言うことを聞かない侍女の名前を教えなさい、おとと様が叩き殺してやるから」と
言われるような教育環境だったそうだが、精神はまともに育ったのだろうか
侍女に手を出して2人も子を産ませてるが
案外「言うこと聞かないと殺すぞ」と脅してヤったのかもな
647 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 20:08:24 ID:YAUrr5Jk
秀頼に乳母っている?
帝王学と言うか大将としての心得を教えられる人間が傍にいたのかな
648 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 20:40:37 ID:IIO+O64f
かなり学問に傾倒していたとは聞いたことあるけど、帝王学までいくとどうだろうな
649 :
人間七七四年:2007/10/14(日) 20:52:56 ID:YAUrr5Jk
夏の陣で最後の出馬もしないのは大将としての教育を受けてないって意味かも
淀の言い付けに従順だったとしてもそれも大将としては如何なものかってところだし
家康の場合の雪斎みたいな人物がいなかったのは豊臣の失敗だな
650 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 18:12:44 ID:FztL9y5+
お側に侍ってたのは雪斎じゃなく有楽や常真だしなw
651 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 19:57:01 ID:gPSXc6lf
最近の研究では、淀の方にはそんなに影響力は無く、主戦派はむしろ秀頼自身と
秀頼周辺の側近グループだったとか。
652 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 20:09:09 ID:JtwXwWl+
あと片桐且元
ボンクラ育成にもってこいだわww
653 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 22:04:17 ID:3j5QYXSj
有楽斎は正直一番嫌いだわ
秀吉や家康も嫌いだけどこいつはマジで虫唾が走る
654 :
人間七七四年:2007/10/15(月) 23:43:27 ID:/eyYHug2
世話になっときながらスパイして寝返りだもんな。
もともと織田が主家だからというのはわかるが
信忠あぼーんで織田が没落したのには
こいつにも原因があるわけだし。
655 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 00:22:31 ID:W+7f6Ge/
要するに「お前が言うな」と。
656 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 03:05:50 ID:eK2V3GFn
んなこと言ったって、生き残った以上、生きなきゃ。
657 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 04:35:57 ID:MARVMhx8
信長の遺族はどいつもこいつも…
658 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 05:33:17 ID:N3QZv8Ex
俺は「へうげもの」読んで以来、有楽が好きで好きで堪らない。
659 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 05:40:50 ID:ecHIaEbR
一応秀吉存命時には利長に家督譲った前田利家が秀頼の後見人っつうことになってたはず
利家がもう少し長寿だったら秀頼に武将としての心得
(槍などの武芸、財テク、人心掌握術、自分より強い相手には従う処世術などw)
を叩き込んでくれただろう
660 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 06:41:19 ID:UdOU8arU
時代的に戦国も終焉を迎えた(ことになっていた)んだし、
武将としての心得なんて今さら叩き込もうとか考えるかね?
秀頼の悲劇は立場は頂点でありながら現実は2番手という微妙な状態が、
幼少期の頃から続きながら誰もそれを教えてやれなかったことだと思う
まあそんなこと口に出して言える奴なんかいるはずないけどさ
661 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 12:33:03 ID:uC6WVkqf
>>651 秀頼自身の意見が主戦だったなら…
最後の最後まで自らは出馬せず戦は他人任せで落城してから千姫逃して助命嘆願て…
みっともないって自分で思わなかったのかねぇ
真田や毛利が突撃した日、まだ秀頼の予備兵力が城内に残ってたらしいけど秀頼出馬の上に全軍投入しても家康には届かなかったかな…
662 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 12:39:08 ID:YFKTRu51
一応、七手組と呼ばれる豊臣譜代の親衛隊が数千待機していたらしい
真田や毛利が突っ込んで敵陣を撹乱した後、こいつらが支援に入ってたら徳川方は苦戦じゃすまなかったかも
しかしそもそも譜代と浪人衆にしっかり連携しろというほうが無理
所詮は急造軍隊だしね
663 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 12:50:58 ID:UdOU8arU
実戦初めてだし、切り札投入のタイミングもわからなかったんだろうな
真田信繁と毛利勝永に出した指示からなかなかの判断力を持っていたことは伺えるが
その場その場での対応力ってのは場数踏まないと身に着かないだろ
664 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 13:00:32 ID:uC6WVkqf
豊臣恩顧の大名も真田や毛利辺りが相手なら戦いやすいけど
秀頼本人が家康本陣目掛けて突撃していたら秀頼を直接討つのにはかなりの心理的な抵抗があったろうね
豊臣全軍の士気も最高潮になるだろうし
妄想楽しいわw
665 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 15:02:57 ID:Fy7zPpcl
>>664 もしそれで秀頼を討った豊臣恩顧の大名が居たら
今の世でも永久に批判されてただろうなw
そして、秀頼と豊臣軍の勇姿は今以上に褒め称えられてた
そそくさと家康についた福島なら気にせず討ったかも知れんが
関ヶ原の秀秋なんて目じゃないほど叩かれてたはずだ
666 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 16:44:45 ID:UdOU8arU
福島も結局完全には豊臣への忠義(つーか世間体)断ち切れてないから無理じゃねえかな
667 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 17:27:44 ID:Fy7zPpcl
そういえば大阪の陣では米支援してたんだっけ
恩顧の中で真っ先に家康になびいた福島ですらそれなんだから
なおさら秀頼が出陣しなかったのが悔やまれるな
歴史通り、家康が勝って江戸幕府が開かれていたとしても
大合戦で主君を殺した奸臣達の総大将と言う汚名は免れなかっただろうな
ただ家康は捏造のプロだから抜かりなく嘘だらけの真実を世の中に広め
秀頼出陣などの真実は綺麗に闇に葬られてた可能性もあるw
または、秀頼が歴史上類を見ない暴君にされ
家康が泣く泣く正義の鉄槌を下したという超展開にされてるかもなw
やはり歴史は勝者のものだし都合の悪いことは残さんよ
668 :
人間七七四年:2007/10/16(火) 20:08:57 ID:eK2V3GFn
脳内で自己完結してりゃ世話無いな
669 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 14:42:27 ID:L7g2kqOe
福島正則は、裏切りを警戒されて江戸に抑留されていたぐらいなのにな
「自分たちが家康に恩を売れば豊臣安泰」(北政所に語ったとされる本心)という思惑が外れたせいでえらいアンチがつくのなw
670 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 18:29:54 ID:iZYkfczN
その話をしたと言われる期間に
ねねが恩顧の家臣と接触した事実はないんじゃなかった?
671 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 21:33:03 ID:+xoUJXce
ねねは早いうちに秀頼に見切りをつけてる節があるな。実家筋の浅野家のほうを大切にしてる。
672 :
人間七七四年:2007/10/17(水) 22:44:56 ID:1qG5A9kQ
成人後は福島や加藤とそれほど交流もなかったそうだし
金吾チャンを蔑ろにして秀吉に叱責されてる。
秀頼に関しては
>>671の言うとおり不仲ではないが
浅野と実家の存続を第一として距離を置いてる印象。
一般的に知られている朗らかで温和な女性像と
やや外れた一面も見受けられるね。
673 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 00:09:55 ID:cZ67MEiZ
「側室は借り腹で誰が産もうと嫡子は正室の子」というのが当時の慣例だが
どうもねねと淀に関してはこれは当てはまらないっぽいな
秀吉の死後、ねねは豊臣家それ自体に対して距離を置いてる感じがする
674 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 00:31:02 ID:/rql1Tp5
秀頼と豊臣家に対して距離を取った結果、淀が権勢を持った
淀が権勢をもった結果、秀頼と豊臣家に対して距離を取った
どっちなんだろうね
675 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 00:38:45 ID:if9/6yw5
>>674 「どっちも」って言うのが正確なところのように思うな。
あと、ねねは秀吉が織田家の部将だった頃はともかく、天下取ってからは既に、さほどの影響力を
持っていたようには見えない。
676 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 08:50:06 ID:WW4kXuK0
茶々がお拾いを生んでも、淀城を与えたりせずに
ねねの子として秀頼を育てていれば少しは違った?
677 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 11:22:54 ID:cZ67MEiZ
その程度じゃ何も変わらないだろうな
淀もねねも実際には大した影響力なかっただろうし
朝鮮出兵が失敗に終わってればどの道同じ結果かと
678 :
人間七七四年:2007/10/21(日) 02:51:46 ID:MxucxEiK
北条政子の演説だって実際は彼女の演説よりも
ここまで築いた豊かな生活をなくしたくないって言う
御家人の気持ちが強かったから自分たちに利のある鎌倉軍についただけで
ねねや淀が同じように大名に訴えかけたところで
豊臣につくより家康につく方が利があると思われてる以上
承久の乱の時のように、家臣が一致団結してくれるわけない
ねねは側室の子を育てようとしただけ
側室と子を鎌倉から追放し相続権の放棄を迫った政子よりは心が広いと思うが
乳母にべったりな嫡男より、手元で育てた次男を将軍にしたいが為に
自ら率先して嫡男を暗殺し、その子や妻と一族まで滅ぼした鬼母はそうはいない
あやうく於江がその二の舞になりそうだったが
679 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 12:47:45 ID:Dd/+y2op
>677
でもあのような悲惨なことには
ならなかったと思う…。
680 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 15:14:49 ID:u+WQxtVr
>>678 北条政子の例は全く不適切だね。当時の鎌倉幕府に「豊かな生活」なんかない。
それどころか御家人達は朝廷側からおいしいエサでつられてた。朝廷は北条だけ
を名指しで「朝敵」として狙い撃ちしてたんだよ。他の御家人達は鎌倉を
裏切った方が「豊かな生活」できるよ。鎌倉御家人達は武家政治を守りたいから
朝敵とされても団結したわけで、豊臣VS徳川にはそんな大義はないね。
どちらについても単なる「家」と恩賞の問題だろ。
681 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 12:25:54 ID:wQKUXAq6
>>680 だから武家政権を守る方が自分達に利があるから
鎌倉についたって書いてあるじゃん
682 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 13:07:34 ID:dDhUvnbb
豊臣と徳川の争いには、明かに中央集権派と地方分権派との確執があっただろ。
大名は徳川幕府の成立によって初めて法的に規定された義務とともに権利を持つ自治体と成った。
683 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 13:04:47 ID:LXu/80NH
秀頼は信繁に出陣を促された時に淀を突き飛ばして
戦場に出るくらい男らしいところ見せれば印象は全然違ったのに・・・。
すぐ討ち取られたかもしれないけどそれくらいの覚悟を見せて欲しかった
684 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 13:58:15 ID:i6LMmPDU
大阪城で大事に育てられすぎた坊っちゃんだから
それはしょうがない。
685 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 16:39:13 ID:GQEAF0bf
秀頼って身長が197cmで体重が161キロもあるなら
今で言うボブ・サップとほぼ同じ体格だぞ
筋肉の量は少ないだろうけど
そんな巨大な奴が刀や槍を振り回して大暴れしたら敵の兵も腰を抜かすだろ
当時の平均身長は今よりも低いんだし
686 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 18:23:51 ID:eXzcTIxq
>>685 デブは筋肉があってすら、ちょっと動くと自分の自重でスタミナが無くなりすぐにへたれる。
ましてや普段から運動しない奴などはw
身長197体重161が正しいとすれば、甲冑をつけた常態の秀頼はおそらく、10分も
戦闘行為を続ける事は出来なかっただろう。
687 :
人間七七四年:2008/02/21(木) 21:27:53 ID:w5O+htxc
秀頼は大坂の陣の後、頭部以外はメカニカルに改造されました。
688 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 10:29:54 ID:IjAj8b39
豊臣って名字の人今いないんだよね?
689 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 10:33:46 ID:j8WKQ/Lz
>>688 豊臣は名字じゃ無い。秀吉や秀頼の名字は羽柴。
豊臣秀頼と言うのは、家康のことを源家康と呼ぶようなもの。
690 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 11:37:03 ID:8AyrqpuM
秀吉は特別百姓を見下していた気がする。
自分が百姓から命をかけて出世してきた分、自堕落に見えたんだろうか。
普通の世間知らずの武家が見下しているのとは一線を画していたような。
691 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 12:04:58 ID:j8WKQ/Lz
秀吉の出自が身分の低い所からだったのは確かだが、百姓って言うのは少し違うかと。
実際秀吉自身が信長の配下になる前は、六角の家臣だったと言うもの有力な説ではある。
692 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 12:35:14 ID:Lf8SQQGX
どっちにしろ身分の低い出なのは変わらんよ
693 :
人間七七四年:2008/02/22(金) 23:56:50 ID:evDmhEAr
>>689 それ本当なの?当時の人達(大名、公家)はどう認識してたんだろう?
694 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 04:19:28 ID:TE6mm0QF
築山も淀も、徳川の都合で消された女性は淫婦姦婦と謗られるな
御用学者の浅知恵というところか
695 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 05:09:17 ID:4EKXQYXD
>>694 都合も何も生前の記録から評判は芳しくないがな。両人とも。
火の無いところに煙はたたねえんだよ。
696 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 12:57:29 ID:TE6mm0QF
本当に存命中にそんな噂がたっていたのか?
と常々疑問なわけだが
697 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 22:14:25 ID:gfcoVZ0w
淀は秀頼生んだときに不倫を疑う落首が流行ったと言われているな
やっかみが多分にあるだろうし、それ自体後世の捏造の可能性もあるけど
築山殿については聞いたことがない
698 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 00:10:12 ID:4JJyg/nL
エスパーニャとポルトガルの合力を得れば楽勝だな
当時エスパーニャとポルトガルは同君連合だったから
両国軍が連合して参戦してくれれば鬼に金棒
(当時の)最新兵器で幕府軍はたちまち壊滅だ
もちろん羽柴はキリスト教を解禁するなどの
返礼策を講じる必要があるが
699 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 09:57:22 ID:WmXYc1Yw
秀吉が必死に家康に秀頼の事頼んだ(史実なら)のが事実なら実子なんでないの?
秀吉自身のした事、家康の今川家からの独立を考えれば秀頼がどうなるか想像出来るだろうし。
でも、頼まずにはいられない親心なのでは。
700 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 11:17:04 ID:8655UYqG
秀吉が実子と思いこんでいたということと、実際に実子であるということは、イコールではないよ。
701 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 12:12:25 ID:o4/T35p7
ここで無意味に
>>68説をおしてみるか。絶対無いだろうけどな。
702 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 17:50:25 ID:extfW9jC
>>693 紛れも無い事実。
教科書とかは名字と本姓の違いをちゃんと解説しないから
どうしてもこの手の誤解が払拭できないんだよね。
703 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 18:15:55 ID:fmaH5a4L
信長も朝廷参内の時は平信長だしな。
704 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 18:51:06 ID:ohB0fK6Q
藤原とか源さんと言われるとどこの?ってなるけど
豊臣といえば秀吉さんとこでまず間違いないからねぇ
705 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 18:54:31 ID:Nisgk/6C
>>704 まあ関ヶ原までは、徳川さんも前田さんも毛利さんも上杉さんも細川さんも、みんなみんな「豊臣氏」
だったわけで。
706 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 20:05:20 ID:INoEeiof
あのさ、純粋に医学的な見地でさあ・・・
他の女性とは子供が作れないのに、特定の女性とだけ子供を作れるような、
相性というか、精子と卵子の性質というか、ありえるのかな?
または、激務が続いてる時期は、精力も衰えて精子が薄くなって、子供を
作る機能が皆無に近くなっていたのだが、ゆっくりと過ごすことが出来るように
なると、造精機能も復活して、精子が濃くなって子供作れるようになるとか・・
そういうことあるのかな?
707 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 20:52:42 ID:AhmCg/pa
>>705 毛利家まで本姓を変えさせられていたとは
豊臣姓は他の本姓では考えられない異常なものだね
708 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 21:20:00 ID:Nisgk/6C
>>707 そりゃあ秀吉は朝廷の官位序列とは別に、支配下にある武家に対して「豊臣ノ長者」として、
家父長の権威でもその支配を正当化していたからね。
709 :
人間七七四年:2008/03/03(月) 22:38:20 ID:TSqnBeKQ
足利義昭は秀吉を養子にすればよかったのに。
710 :
人間七七四年:2008/03/04(火) 15:54:10 ID:aCWAdjuy
要するに住所と本籍地みたいなもんか
711 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 13:46:40 ID:EPmczSgK
>>709 秀吉が頼み込んでも養子にしなかったんじゃなかった?
712 :
人間七七四年:2008/03/05(水) 14:01:57 ID:1l3rMtL5
実は秀吉は関白になったときは「藤原秀吉」だったのだが、朝廷のシステムとして関白就任は
「藤原五摂家の持ち回り」であったため、秀吉の血統で関白職を独占し続ける為には「新摂家」を
設立せざるを得なかった。そのために作られたのが「豊臣氏」
713 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 17:59:06 ID:2WP1h2OW
でも「とよとみのひでよし」「とよとみのひでより」じゃないんだよね?
714 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 22:22:51 ID:P3azCuSL
>>713 それこそが正しい読み方だよ。
ちなみに、この正確な読みが用いられた作品は俺の知る限りたった一つ、
「独眼竜政宗」第30話しかない。
715 :
714:2008/03/07(金) 22:26:43 ID:diHvvogk
かく言う俺も、2ちゃんに来るまでは豊臣姓を名字と勘違いしていた・・・
豊臣姓を使い始めてからは「羽柴秀吉」という名前では無くなったと
長い間思い込んできたので、初めて知ったときはかなり驚いたっけ。
716 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 21:57:31 ID:ipBFM7mo
.ノ′ } 〕 ,ノ .゙'┬′ .,ノ
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y
.,v─ーv_ 〕 〕 .| .il゙ 《 ._ .,,l(ノ^ノ
,i(厂 _,,,从vy .,i「 .》;ト-v,|l′ _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
l ,zll^゙″ ゙ミ .ノ .il|′アll! .>‐〕 \ _><
《 il|′ フーv,_ .,i″ ||}ーvrリ、 ¨'‐.` {
\《 ヽ .゙li ._¨''ーv,,_ .》′ ゙゙ミ| ,r′ }
\ ,゙r_ lア' .゙⌒>-vzト .ミノ′ 〕
.゙'=ミ:┐ .「 ./ .^〃 :、_ リ .}
゙\ア' .-- ,,ノ| 、 ゙ミ} :ト
゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ
〔^ー-v、,,,_,: i゙「 } .,l゙
l! .´゙フ'ーv .,y ] '゙ミ
| ,/゙ .ミ;.´.‐ .] ミ,
| ノ′ ヽ 〔 ミ
} } ′ } {
.| .ミ .< 〔 〕
.{ \,_ _》、 .{ .}
{ ¨^^¨′¨'ー-v-r《 〔
717 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 12:52:46 ID:+BaLtNyK
>>701 >>68 話を蒸し返すようですまんなア。
秀吉にとって重要なことは、子(秀頼)が織田の血筋であること。
自分の血筋は重要ではないこと(そうならなお良いが)。
織田の血筋=天下人、という理論。
それでこそ、織田の旧臣達も豊臣に忠誠を尽くすはず。
そこで
>>68もデタラメとも言えなくなる。
「お拾いは確かに自分の子だが、お捨ては淀が勝手に生んだ子だ」という秀吉の言葉。
当時から言われた、大野に似ている云々が真実味を帯びてくる。
豊臣にとって残念なのは、家光も織田の血筋として生まれたから、
秀頼の優位性が無くなってしまったことか。
718 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 15:30:12 ID:NWQx5P63
>「お拾いは確かに自分の子だが、お捨ては淀が勝手に生んだ子だ」
ごめん、上げ足とるようで悪いが、訳が間違ってる
太閤の子供は鶴松だったが、死んでしまったので次の(生まれてくる)
子供は淀一人の子供にしたらどうか
と書いてある。これは後継者に秀次がいるし、また早世しないとも限らないので
過度な期待はしていないだけだと思うが
719 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 14:20:12 ID:V7+Hsb3G
秀頼が大坂夏の陣の後肥後熊本にかくまわれて側室の女性との間に子どもを授かり
その子どもが天草四郎時貞という説があるが
720 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 16:11:22 ID:L8e7nbkC
721 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 11:08:33 ID:fHTtBolt
於茶々が信長と於市の娘で、秀頼は信長と秀吉両方の血を引くすげー子どもってのとおんなじようなもんか
722 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 20:05:55 ID:cuInTZEF
秀頼って凄いデブだったんだろ?
そんなデブをなぜ家康は恐れて滅ぼそうとしたのか分からない
723 :
人間七七四年:2008/08/06(水) 21:01:55 ID:NoGw078u
釣りにしても酷い
724 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 09:40:32 ID:IgiWuHu7
そりゃデブほど怖ろしいってことを、自分自身でよく知っていたからだろう。
725 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 08:31:44 ID:JnSJXeqs
726 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 15:51:54 ID:RncaQwV5
秀吉の遺骨はどうなってるの?秀頼の娘は尼になってるし遺骨とか遺ってないのか?
科学的な調査で検証可能だよね。
727 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 06:09:38 ID:3T2RsJN1
728 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 06:10:51 ID:3T2RsJN1
729 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 01:21:35 ID:a4cGZhx0
>>725 そもそも加藤・福島が北政所子飼いって自体が最近じゃ否定されてるだろ
本人をまるで訪れない子飼いなんているかw
730 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 09:05:49 ID:MJZUMugX
訪問回数で子飼いかどうか決まるのか?
731 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 23:15:52 ID:a4cGZhx0
>>730 没交渉の「子飼い」なんているかよw
北政所周辺は細々とした書状のやり取りとかも記録に残ってるのに
そいつらとは何のかかわりもない
732 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 18:11:17 ID:VWnFj6O4
秀頼の血は国松で途絶えたんだから誰が父親だろうと関係ない
733 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 18:14:21 ID:/LpgPX/C
薩摩への逃亡説のある秀頼だが、その当の薩摩では、貴種流浪譚のような美しい話は無く、
「大男で酒飲みでいつも食い逃げしていた秀頼」という、変な伝承が残ってる。
734 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 16:51:59 ID:HIfrtLCm
徳川の世に敵だった秀頼が逃亡してきた説があるなんて迷惑すぎるからな
ろくでなしにしてかわすしかなかったんだろうね
735 :
人間七七四年:2008/12/05(金) 01:17:45 ID:gZmq6gT9
>>91 >>92 あー盲点だった、その説。
秀次の継室(ウィキにはこう載ってた。正室、って書いてあるのもあるし側室ってのもあるけど)の一の台は秀吉の元側室だしね。
で、一の台の娘も秀次の側室になって、処刑される直前には秀吉がモノにしたとか。
ついでにネット情報で私は未確認なんだけど、ごめん。宣教師が、秀次が切腹になった理由として、秀頼は秀吉の子供ではない、と言ったからだ、と書いてるみたいだし。
三成説も強ち否定できないのでは?朝鮮出兵で九州の方に行ってたのは秀吉も同じで、淀殿を呼び寄せたりしたんじゃなかったっけ?
736 :
人間七七四年:2008/12/05(金) 04:57:06 ID:/HeJp866
>三成説も強ち否定できないのでは?朝鮮出兵で九州の方に行ってたのは秀吉も同じで、淀殿を呼び寄せたりしたんじゃなかったっけ?
三成が朝鮮に行っていた期間:1592年6月〜1593年9月
秀頼が生まれた時期:1593年8月29日
妊娠期間:280日前後(9ヶ月強)
物理的に無理(w
三成渡海期間は、熱心な三成研究をしている人のHPにあったもの。
この辺は当時の書状などからの計算と思われる。
737 :
人間七七四年:2008/12/06(土) 00:44:27 ID:xaeS/y4x
>>736 そうなのか。ありがとう。参考になった。
秀次説はどう?おもしろいと思うんだけど。
一の台は秀吉の側室だった頃の記録はあるのかな?寵愛されてたとか、されてなかったとか。
738 :
人間七七四年:2008/12/10(水) 23:13:57 ID:ofpJSe+d
739 :
人間七七四年:2008/12/10(水) 23:44:36 ID:O1fTnJFc
一の台・菊亭氏はもとは三条顕実の室。死別して秀次のもとへ。
そして、一の台が秀吉の側室だなんて初めて聞く。
「目をつけていたのだが召しだせなかった説」なら聞いたことがあるが
それも秀吉の上淫好みから出た信憑性のない醜聞的なものだと思う。
また一の台の連れ子のお宮の方が秀次の寝所に侍っていたというのは
「畜生塚」の由来の一つとも伝わっており、良く描かれている話だが
(母と娘と、両方と交渉をもったという事で)
処刑前に秀吉に召されたなんて話は初めて聞く。
740 :
人間七七四年:2008/12/11(木) 13:41:10 ID:FFMUYZNy
741 :
人間七七四年:2008/12/11(木) 20:58:49 ID:b2M/lRXK
>>739 実は私もお宮が処刑前に秀吉に、って話は最近初めて聞いた。嘘っぽいな、とは思うんだけど。
一の台が秀吉の側室だったって話は有名だよ。ただ、一級史料として残っているかは私も分からないから、このスレで聞いてみた。
これ以上はスレチになりそうだが、どう?創作の可能性が強いのかな?
742 :
人間七七四年:2008/12/11(木) 21:01:10 ID:b2M/lRXK
連投ごめん。
「畜生塚」の名前の由来って他にもいくつか伝わってる?もしあれば教えてください。
私はその親子で…ということしか知らなかったもので。
743 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 15:21:28 ID:Kw2eZUDT
淀はどんな教育したのやら
744 :
人間七七四年:2009/01/25(日) 21:43:18 ID:U4Mp9DGy
あげ
745 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 16:37:01 ID:bT/itrN7
本能寺の変が無かったら秀吉なんぞ信長の一家臣で生涯終えただろう
746 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 17:42:22 ID:Eu0Q92Dn
いやあ、粛清された可能性も結構あるぞ。
747 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 03:45:08 ID:RecZJXhw
>>174 そう。始めの子を“捨てる”って名付けて早世しちゃったから、次は逆に“拾う”にしたらしい。
748 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 04:06:02 ID:RecZJXhw
茶々ほどプライドの高い女が、お天下さま=秀吉以外に身を委せるとは思えないよ。ここにいるのは男の人が多いのかな?天下一の男に抱かれたら、それ以下の男とは無理。女ってそんなものよ。
749 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 06:35:58 ID:Sjllt2Vu
>>748 そりゃ愛人やってるような奴ならそうかもしれんが
父親と母親を早く亡くし、伯父の庇護はあってもまともな愛を知らないんだぜ
茶々もそれなりの若さなんだから、若くて逞しい男が良いだろ
体面だけの愛で満足出来れば、世の中に不倫なんか存在せん
750 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 09:18:20 ID:64wsNwtQ
つーか秀吉に似てる親兄弟も居ないだろ
751 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 02:16:41 ID:0En//biT
真田信繁が父親だった無茶なドラマがあったな
752 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 15:30:13 ID:W+ji79ei
大坂攻めの時、家康は秀頼を攻め殺すつもりだったの?
それとも条件によっては助命するつもりだったの?
753 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 16:05:03 ID:a9jqosZU
>>752 時期によると思う
冬の陣および戦間期ならともかく、夏の陣の決戦以後では、たとえ生きたまま捕らえても
死罪になったと思うよ?
754 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 17:41:19 ID:kTLXC1m1
最近秀頼生存説を信じるようになった。
いろいろ書籍も出ていてるし。
・大坂城に落城時の逃走経路が設置されいたとしてもおかしくない。
・夏の陣の後、海上通商路を使って大勢の浪人が九州に流れたそうな。
島原の乱で一揆勢が千成瓢箪を掲げていたのは、豊臣浪人が大勢混ざっていたから。
秀頼が九州に逃れた可能性大ではないか?
755 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 17:48:08 ID:a9jqosZU
ねえよ
756 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 18:43:21 ID:Ey7mHPkC BE:3627067199-2BP(0)
>>753 冬の陣の戦の後に助命したあと流罪か暗殺だろうな
757 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 18:47:57 ID:a9jqosZU
>>756 お前がどういうイメージを持っているか知らんが、家康という人間は暗殺と言う手段を使ったことが無い。
758 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 18:49:58 ID:WEM75V3X
タイミングよく死んだ奴は暗殺ってことでよろしく!
759 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 19:17:17 ID:oXqzHC/3
助命後に秀頼は八丈島に島流しで宇喜多秀家と仲良く火病させれば。
760 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 19:29:48 ID:FAG7AO8e
>>757 暗殺しないとか無能すぎるだろ(笑)
狸は効率悪いやつなんだな
761 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 23:44:16 ID:tGsp6ryk
スレタイで思ったのだが、逆に秀頼ぐらいしか子供がいないんじゃなくてさ。
秀吉、他にもたくさん子供できてたし、種もちゃんともってたんじゃないか?
出来てたけど、上から危険視されないように全部消したとか隠したとか。身元を隠させて偽名で自分の近くに置いたとか、可能性ないだろうか
762 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 00:00:47 ID:R5s/5I0k
ない、そーいう理由ではない
危険視されないためには実子人質として提出するほうがいいだに
763 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 00:03:42 ID:V2Yz14em
>上から危険視されないように全部消したとか隠したとか
信長が秀吉のガキを危険視しなければならない理由なんてない
>身元を隠させて偽名で自分の近くに置いたとか
世継ぎが山ほどいるならともかくいないのに隠してどうすんだ?
764 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 00:14:34 ID:mjSEsMr8
そうか。いや、ふと思っただけなんだ。
あり得ないかやっぱり
765 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 13:36:01 ID:oX1rm0Eg
つうかこの時代の武将で、侍女に手を出し捲くれる環境なのに子なしとか殆どいないってのが多いんだよね。
遊女から子が出来にくくなる性病が蔓延していたのか?
766 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 09:11:37 ID:Z4SEcCrX
たしかある歴史家の先生が、織豊期の武将に子無しが多いのは、
性病の蔓延の為だとすでに考察してたと思うよ。
767 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 12:32:39 ID:Ci51joxO
それがしに子がないのは童貞だからでござる
768 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 12:37:32 ID:reEl49IZ
信長・家康・元就・信玄など有名大名はだいたい子だくさんだよ
謙信とか勝家は最初から子作りする気がなかったわけだし
女を抱きまくってのに子供が生まれなくて困る秀吉の方が珍しい
769 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 01:47:37 ID:48wpC/Oq
>762
程度は違うが、利家、山内一豊、毛利両川も苦労してる。
770 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 16:38:17 ID:MYIyFahE
子供が出来ても今のように医療体制が整ってるわけでもなし、
長子鶴松も3歳で死んでるってことは「出来ても成人まで行く可能性がかなり低い」というのも1つの可能性なんだよな。
秀吉のDNAは「大きくなれば生命力も強いし高寿命だが、生まれてしばらくはかなり生命力が弱い」とかなんじゃね?
771 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 17:35:29 ID:19wRXfir
秀吉は全然高寿命じゃ無いが
772 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 18:42:00 ID:fQ/e3Gih
並みの寿命だな
773 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 00:39:46 ID:jLXbpgvN
>>765 育ちのよくない武将に子無し率が高い気がする
774 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 05:37:37 ID:Y8LgohSz
秀吉は種なしだろうが、他の武将が子供が少なかったりホモやガキに走ったりするのは違う理由だと思う。
たぶん昔の成人女性は、特に身分が高ければ高いほど化粧がキモい
だからよほど女好きじゃないとエチしたくならない
側室より正室に子供が少ないのもたぶんそんな理由
家康が身分の低い女性ばかり好んで子供作りまくったのもそんな理由では?
775 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 05:56:15 ID:UM73WblF
家康の場合好みではなく出産経験のある後家を迎えまくったから。あと信康事件以降旭姫を迎えるまで正室不在だったから
776 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 12:09:00 ID:c5+8+w4y
そもそも秀頼が秀吉の種じゃないって可能性あるの?
777 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 13:43:41 ID:Qe/HnRDK
秀吉は茶々が好きだったから
子供ができたということだ。
相性がよかったんだな。
あとはあるとすれば、
大野くらいしかありえないな。
いずれにしても
徳川家って
墓まで壊すってのはどうなんだろうね。
778 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 14:48:52 ID:yz5MCvYv
フツーに数多の側室がいるのに
淀だけそれも2回というのは不自然
淀以外その時期やってないのなら
話しは別だが。
779 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 15:52:04 ID:45gTEMVr
780 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 18:36:52 ID:4wVtWDpe
>>777 秀吉の墓は豊国神社となって、秀吉を祭ってたからネエ。
>>778 超オキニの女ならヤリまくって妊娠することもあるんじゃねえの?
子ができず秀元を養子に迎えてたTEL元なんて、家臣から奪った女との間に子ができてるし。
781 :
人間七七四年:2009/06/25(木) 18:54:12 ID:Dc46DBpm
おそらく秀吉と秀長の兄弟は百姓時代に重度のおたふく風邪にかかったんだろ。
だから種無し
782 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 09:46:29 ID:00mr2RlN
じゃあ淀がやっぱり大野と作った子ってことになるなあ
783 :
人間七七四年:2009/06/26(金) 09:47:48 ID:00mr2RlN
そういやドラマだと三成と怪しい雰囲気なのが多いね
独眼竜でも功名でもそんなだったな
784 :
人間七七四年:2009/07/23(木) 12:25:26 ID:xP5Wx8ys
葵徳川三代だと大野治長と密通してるシーンがモロあったような
785 :
人間七七四年:2009/08/04(火) 14:58:40 ID:tVJWxg4I
独眼竜では三成と淀が怪しかったな
786 :
人間七七四年:2009/08/09(日) 20:37:13 ID:DK8pOwkK
300人ぐらいの女とエッチしていたのに淀だけが二回も妊娠したのが不自然。
京極殿も相当のお気に入りだったみたいだけどこっちは子供は無し。
秀頼がデカイのは淀が大女だったので説明がつくけど一人だけ二回も妊娠したのは?
787 :
人間七七四年:2009/08/17(月) 22:26:58 ID:s1XFkQFn
不義の子ってするとすごく納得がいく
788 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 21:19:25 ID:5gwY5O6k
>>781が言うとおり
精子が極端に少なければ淀殿だけ、と言うのも仕方ない。
ナニが使えるのなら完全に死滅している可能性は以外と少ない。
789 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 14:11:06 ID:r3ET4Y8x
修理殿の一丁筆・・・修理はかなり達筆
秀頼の手蹟良かりし故
790 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 16:39:32 ID:ONicsfSu
秀吉の子供ではないだろう
791 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 17:43:58 ID:y7OSZT/7
秀吉がおねに「今度の子は淀ばかりの子でよろしくない」と
秀頼のことを書状にしたためているから、最初の子は秀吉に
似てたのでは?
792 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 17:46:15 ID:KjZNoDuP
>>791 それは「今度の子は淀 (の手元で) ばかり (育てられている) の子でよろしくない」
って意味じゃないの?
793 :
人間七七四年:2009/08/25(火) 21:02:37 ID:MXPqZc+T
側室の子供なら正室の養子に出すのが普通だと思うのになんで秀頼はねねの養子にならなかったの?
淀がごねたとしても秀吉の命令なら従うはずだと思うんだけど。
794 :
人間七七四年:2009/08/26(水) 08:58:18 ID:f8HSjIGQ
おねが嫌がったんじゃない
795 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 07:47:33 ID:JyYgBwtf
近江派が工作してそれをさせなかったんじゃないの
796 :
人間七七四年:2009/08/27(木) 10:19:19 ID:hBF7Hqyt
>>793 秀頼が誕生してからの豊臣は外征の失敗と粛清でボロボロだから
秀頼を養子にしたら豊臣が崩壊した場合に自分が助からなくなる
ねねも秀頼に対して嫌な予感を抱いていたんだろう
797 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 13:28:43 ID:tXIK14jK
↑
それでもまだかなりの貯蓄があった
恐るべし豊臣家
798 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 16:05:41 ID:OWkmXVSt
秀頼はおねの養子には一応なってるらしい。あと秀吉在命中おねと淀の仲は良かったそうな。
799 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 16:23:57 ID:Z3tYiPqS
淀は主筋の信長の姪だからな
800 :
人間七七四年:2009/09/02(水) 16:26:43 ID:bwVYPjUW
>>798 そりゃあ、秀吉の存命中は正室と言う立場なら側室達を纏めないといけないから気に入らない相手でも仲良くしないといけないだろ。
ねねの養子になっているならなんで秀頼は淀の手元で育てられたんだろう?
801 :
人間七七四年:2009/09/05(土) 01:00:05 ID:FLef/mna
>>797 出兵費や聚楽第などの建設費は主に諸大名が負担してたからな
自身はエグい太閤検地でボロ儲け
802 :
人間七七四年:2009/09/09(水) 21:25:16 ID:OKKt4Yq0
>>800 淀が嫌がったんじゃないかな。
しかし、こんな国を滅ぼすジョーカーみたいな血統の長女を
側室にした秀吉がアホ。色ボケも甚だしい。
803 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 01:58:23 ID:krE5m0wL
>>802 淀が嫌がったとしても秀吉の命令なら聞くと思うが。
女系の娘の淀じゃなくれっきとした信長の娘である三の丸殿に子供が出来たりしていたらもっと酷い状況になっていただろうな。
804 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 02:25:52 ID:ISb2m6bP
秀吉もよく考えたらとんでもないな
主家を乗っ取って、その娘まで側室にしてしまうんだからな
805 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 02:49:10 ID:mcTPnbxJ
×娘
○姪
806 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 04:09:44 ID:rfFYC1YT
三の丸殿は信長の娘だよ
807 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 12:12:29 ID:bZkS29Hy
>>757 単に証拠を残したことがないだけだろう。
ていうか「家康は暗殺という手段を使ったことがない」と
断言するのはなんだかと思う。
物事は「ない」ということを立証するのは極めて困難なので。
808 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 12:31:57 ID:hC/zdyi0
小早川秀秋なんかは結構暗殺臭いって言われてないか?
まあ証拠は無いんだろうけどね
809 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 12:50:22 ID:mcTPnbxJ
>>807 無いものは無い。「有る」を立証してから言うべき。
810 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 13:02:50 ID:hC/zdyi0
証拠の在る無しは一番重要だけど、伝承っていうのはその当時の空気を伝えていたりする物だと思うんだよね
バッサリと切り捨ててしまうのもどうかと思う
もちろん伝承があるから、それが真実だと強弁するのも間違いだが
811 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 13:12:08 ID:pS2R0B5+
秀吉は、市を気に入ってた 市との子供だったなら、成人してるし、関ヶ原もなかっただろう
812 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 13:13:30 ID:bZkS29Hy
>>809 いや「絶対ない」という証拠は出せないものなんだよ。
せいせいが「確実に暗殺したと言い切れるものはない」程度だし。
813 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 13:20:56 ID:mcTPnbxJ
>>810 大体家康が暗殺云々なんて話は、当時どころか明治になって成立したものが殆どだ。
814 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 14:09:14 ID:bgB2JlC0
いやいや、加藤清正や浅野幸長が相次いで死んだのは当時から暗殺の噂が立っていたんだって
歌舞伎の題材にもなっているんだぞ?
815 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 14:51:29 ID:mcTPnbxJ
>>814 歌舞伎の「二条城の清正」は、吉田絃二郎の作だぞ。明治どころか昭和だ。
816 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 15:59:56 ID:TWAvOb6a
清正毒殺ってよく見る説なのになあ
全部明治以降の説なのか。思い込みって怖いなあ
817 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 17:11:28 ID:cOx2ib6F
>>816 むしろ明治になったから話題に出せたともとれる。
818 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 21:06:51 ID:mcTPnbxJ
本能寺陰謀説みたいなもんだ
819 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 21:22:25 ID:/xiY5/n5
820 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 22:40:10 ID:+4kI4z6Y
毒殺説は別に明治以降の説ってわけでもないぞ。「摂戦実録」に出てくる話だ
ただ江戸時代には大っぴらに語ることができない巷間の噂だったというだけで
幕府が倒れた後に日の目を見たということだ
まあ俗説の域を出ないけどね
体制が変わったりすると人の見方も大いに変わったり、発掘されたりして大いに面白い
821 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 22:45:59 ID:mcTPnbxJ
>>820 「摂戦実録」の成立すら1752年じゃん。大阪の陣から100年以上後だよ。
822 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 22:52:56 ID:+4kI4z6Y
うん。民間に根強い説だから作者もあえて取上げたと思うんだよね
真実か否かは別としてね
823 :
人間七七四年:2009/09/10(木) 23:40:45 ID:YxUlMJfU
タイミングの良すぎる死だからな。当時の人々も勘繰りたくなるんだろう
豊臣恩顧の大名も長生きしていたら、家康も秀頼に付け入る隙が無くて
生きているうちに豊臣家を滅ぼすことができなかったかもしれないな
824 :
人間七七四年:2009/09/11(金) 00:18:31 ID:ZSwzemck
>>823 福島正則も加藤嘉明も黒田長政も、もし大阪の陣より前に死んでいれば、
「彼らが生きていれば〜」なんて言われたさ。
死んだ人間は責任がなくなるからな。どんな願望でも重ねる事ができる。
清正やら浅野やらが生きてたって、大阪の陣は起こったし、彼らが豊臣家に味方する事は
決して無かったさ。
825 :
人間七七四年:2009/09/11(金) 11:20:56 ID:9VprWvm8
豊臣恩顧なんて軽々しく言うけど、恩を貰ったのは最早20〜30年も前のことだろ
そんな大昔のことでいつまでも縛られたら実際の当人にとっては迷惑以外の何物でもないよ
加藤も浅野も豊臣の我侭に振り回され続けることの心労で倒れたんだろう
826 :
人間七七四年:2009/10/09(金) 01:51:09 ID:uGCOUNAm
毒っていうのは一回目でいきなり死ぬか
少しずつ継続的に盛るしかない。
毒まんじゅうだとしたら、数ヵ月後になって症状が表れたことになるけど
そんな毒なんてない。あれば教えて欲しい
それにそんな毒があれば薬物先進国の唐土で使われまくってるでしょ
あずみ的なものにしても当時の戦国大名を舐めすぎ
そんな不覚をとるような奴はいない
珍しいから水野忠重の例が有名なんでしょ
大体、そんなに暗殺者たちが強ければそいつらが天下をとってるよ
827 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 15:44:36 ID:QPIA34vO
三成は過大評価
828 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 18:19:16 ID:v6w6VQef
子種が薄かったは仕方が無い
正室が石女だったのは仕方が無い
老年期にやっと成人するまで生きられる子供が生まれたというのは仕方が無い
側室からとういのは仕方が無い
ただせめて滅亡した家の娘ではなく既存大名家の娘だったら、と思う
それこそ文字通りの藩屏になったであろうにね
829 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 18:34:19 ID:kjPs9m4s
藩屏とすべく浅井三姉妹のひとりは当時日本最大の大名の嫡男に嫁いだのだぜ。
830 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 09:31:47 ID:ET/DMXmy
末の妹は子だくさんだな
831 :
人間七七四年:2010/01/13(水) 03:36:37 ID:otAMSufq
>>825 現代でいうと中小企業で係長にさせてもらって別の企業から部長待遇で
誘いがあったので転職したらボロカスけなされたって感じ?
832 :
人間七七四年:2010/01/13(水) 03:49:08 ID:64mCZX0X
833 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 19:39:07 ID:AoUznQMz
だよなぁ
家康に秀頼を託したのは秀吉じゃん
全員で家康総攻撃とか遺言状でも残しとけよ!
834 :
人間七七四年:2010/02/11(木) 22:48:42 ID:v55zNbU+
いえーいやすい
835 :
人間七七四年:2010/02/19(金) 19:57:38 ID:ZBwKoNRb
ちょっとワロタ
836 :
人間七七四年:2010/03/23(火) 17:38:51 ID:YMdPxeJh
837 :
人間七七四年:2010/03/25(木) 22:24:38 ID:T5sj7aKk
淀は織田の血を引いているので、自分の子供に箔を付けるには持って来いだし、秀吉が恋いこがれていたお市の方そっくりだったらしいから、淀にだけ大量に中出ししていても不自然では無い。
また、秀頼が秀吉と比べかなりの長身だったのも、淀とその両親が長身だった事や、秀吉と比べ遥かに栄養状態が良かった事を考えれば、別に不自然ではない、
そして、淀以外にも秀吉の子を産んだ女は居るので、秀吉は種なしでは無かったと思われる。
838 :
人間七七四年:2010/03/25(木) 23:09:20 ID:qm/vO8yi
家康にも中出しされた雌豚
839 :
人間七七四年:2010/03/26(金) 01:49:41 ID:87ew18p8
全部無修正で性行為に関してもほとんど法律といえるものもないわけで
今では想像も出来ない
840 :
す@死:2010/03/26(金) 04:26:12 ID:84v7zpxu
200人近く側室いて
淀だけに2人も子供が生まれるのは おかしい
淀の性格からしても、なんとかして子供が欲しいから
違う男と寝て得た子供だろう
841 :
岸挑戦:2010/03/26(金) 05:46:59 ID:OuBjM3xN
秀頼の父親は大野だろうけど、淀殿が一番好きだったのは前田利長だと妄想する
842 :
人間七七四年:2010/03/26(金) 06:06:15 ID:lwhB5Hys
しかし秀吉が愚か過ぎるな
何百人という側室に子供がまったく生まれず、なぜか淀君だけが連続出産
どんなバカでも、この状態を見れば理解できるはず
こんなバカでも一時的にせよ天下を取れたのは、運と側近の力が大きかったんだろうな
朝鮮出兵といい、朝鮮人でなくともコイツだけは日本という国にとっても勘弁してほしかったな
843 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 00:21:35 ID:XINCky97
淀は石田とも寝ていた
844 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 12:57:09 ID:5htS/0nE
>>825 旧織田家臣や土豪の出ならともかく、
加藤福島は秀吉がいなかったら武士ですら無かったかもしれない
それを大した恩じゃないというのは親に産んでもらった恩なんかないと言ってる厨2病と一緒
845 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 19:20:26 ID:r73wat9W
昔は娯楽がないから一晩中ヤリまくりだろう
846 :
人間七七四年:2010/03/31(水) 01:46:47 ID:zk4gvJDN
>>844 >秀吉がいなかったら武士ですら無かったかもしれない
そうだとしても、それを20年も30年も言われ続ければ誰だって嫌になるわな
847 :
人間七七四年:2010/03/31(水) 10:13:37 ID:Fb3NexVR
>>844 まるで野球の育成枠やサッカーの下部ユース上がりは一生そのチームに忠誠を尽くすべきだ、
と言っているようだ。
現実には正則も清正も、引き上げてもらった分だけの恩は働いて返しているわな。
848 :
人間七七四年:2010/03/31(水) 23:42:19 ID:qhpBoKD4
そうかね。20代での大抜擢はそうとうなもんだが。
働いて返したといっても大勢に影響ない程度で、天下を大きく動かして豊臣の
ためになったようなことはしていない。
849 :
人間七七四年:2010/04/01(木) 00:21:25 ID:WMBc6q0P
清正の方は多才だから百石クラスかもしかしたら千石取りくらいには慣れるかもしれんが
足軽クラスから大名になるには相当な運がないと難しい
この場合、秀吉の運のおこぼれに預かったようなものだろ
正則は・・・・それこそ親戚じゃなかったら
酔って揉め事おこして死んでるだろw
850 :
人間七七四年:2010/04/01(木) 15:11:38 ID:l23SNEkL
当時の個人としての能力の評価は
正則>>>>>清正
なんだがな。
851 :
人間七七四年:2010/04/01(木) 18:33:01 ID:9dehWQJN
運がよかったとか悪かったとかガキくさすぎるわ。
852 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 00:37:36 ID:5d20Pf2r
>>848 当時の人生は50年もない
20代が若いとはいえない
853 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 01:03:21 ID:we2iwgU3
>>852 それは乳幼児の死亡率が高いから出てくる「平均寿命」
実際は幼児期を過ぎれば、おおむね平均して5,60まで生きる
854 :
人間七七四年:2010/04/02(金) 01:40:19 ID:PHDvjvht
山岡荘八曰く「家康と淀殿は一度通じたがそれっきりの関係だった」
855 :
人間七七四年:2010/04/07(水) 11:26:58 ID:LHtey9FF
>>844 秀吉は信長がいなかったら武士ですらなかったが
秀吉は信長の子孫に恩など返していない
秀吉がしていないことを加藤福島がやる義務はない
856 :
人間七七四年:2010/04/08(木) 01:15:24 ID:zRFF7WWQ
秀吉が居なかったら信長もあそこまでの存在になってたかどうか。
857 :
す@死:2010/04/08(木) 03:39:49 ID:sYE3nhr7
>>856 桶狭間の時は秀吉の力皆無だろ?
信長自信にも十分力はあったさ
858 :
人間七七四年:2010/04/10(土) 15:45:20 ID:IVkVuooi
秀吉の天下取りとって信長は必要不可欠だが
信長にとって秀吉はいたほうがよいくらいだろう
いなかったらスペックダウンした別の武将がその役割を果たしただけ
859 :
人間七七四年:2010/11/07(日) 09:42:38 ID:pqCGwbvn
保守
860 :
人間七七四年:2011/03/29(火) 22:00:25.24 ID:nvLGpUYl
秀頼は秀次の子と言う仮説をたててみる
根拠は無い
861 :
人間七七四年:2011/03/29(火) 23:09:09.35 ID:V7sNxdsa
帰れよ
862 :
人間七七四年:2011/03/29(火) 23:39:38.71 ID:VeiDKqDn
秀頼は、安禄山と淀の子だと思います
863 :
人間七七四年:2011/03/30(水) 00:30:01.03 ID:L5kzgLYq
右足が一本しかなかった
864 :
人間七七四年:2011/04/01(金) 01:00:40.42 ID:yPJxTRy+
秀頼は家康の子と仮説を立ててみる
根拠はない
865 :
人間七七四年:2011/04/01(金) 01:35:50.44 ID:62UdVtGC
義理の孫ではある
866 :
人間七七四年:2011/04/01(金) 15:09:18.22 ID:25hQRYnk
家康「松平の血統の者には、背中に葵型の痣があるッ!
この秀頼の首から下は…わしの祖父、松平清康の体なのじゃッ!」
867 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 14:10:43.93 ID:xZ9xhlId
とっくに白骨化してるよね
868 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 16:46:44.52 ID:T4zBUTx8
大坂の陣は家康の挑発でも淀殿の暴発でもなく。秀頼とその側近層の暴走によって起こった事。
869 :
人間七七四年:2011/05/25(水) 23:59:08.46 ID:Jf8/6WBX
実は秀頼は今川義元の生まれ変わりだった
870 :
人間七七四年:2011/05/28(土) 20:11:12.64 ID:2cipKot3
だいぶ前に、広告で秀頼のヨロイカブト(模造品)が売られていた。
カブトの前面の飾りが、額の両脇に炎がめらめら上がるようなデザインだった。
秀頼が奉納した実存のヨロイがあるのかもしれない。
871 :
人間七七四年:2011/05/31(火) 11:41:43.24 ID:wiHgvYta
秀頼って大阪城で甘やかされたピザデブなんでしょ
そりゃ大名達から見限られるわけやで
872 :
人間七七四年:2011/05/31(火) 20:54:44.57 ID:wIM6uHuj
わたなべ志穂という漫画家が書いた「華の姫」(チーズ!という増刊号)に、秀頼が登場してくる。
ものすごいイケメンで、頭が良い男だった。家康との面会では、見事な立ち振る舞いで、家康を圧倒。
同席した面々に、「やっぱり天下人だ」と思わせてしまい、家康は逆に、秀頼を抹殺することを決意
させてしまう。千姫が主役の少女漫画だが。
次回の話は、6月10日ごろ販売のチーズ!7月号増刊に載る模様。
873 :
人間七七四年:2011/05/31(火) 21:05:17.89 ID:wIM6uHuj
>>871 難聴で耳が充分聞こえなかったとしたら、人間としての影響力は大きく制限されるし、
(片方の耳は聞こえたと思うが)両耳が聞こえなかったら、自分の声もよく聞こえないので、
発音までおかしくなり、充分しゃべれなくなる。
耳と口が不自由なら、母の淀君なら、息子の秀頼を人前に出さなくなるだろう。
秀頼の頭蓋骨とされる首が、難聴の跡があったというのが気になる。ちなみに俺は左耳が不自由で、
聞こえないというよりは、聞き間違いが多い。
874 :
人間七七四年:2011/05/31(火) 21:15:47.16 ID:wIM6uHuj
ソース
http://books.google.co.jp/books?id=Of7oe4ENX8oC&pg=PA122&lpg=PA122&dq= 秀頼%E3%80%80難聴&source=bl&ots=8eakdQB1Oa&sig=D2JbLocGBisCplDGAII3CrXBHgA&hl=
ja&ei=-tnkTaezHYKyvgO8qaybBw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=4&ved=0CCQQ6AEwAw#v
=onepage&q=秀頼%E3%80%80難聴&f=false
秀頼が生まれた月から逆算して、性交日?を調べると、秀吉はそのとき九州の名護屋城にいたそうだから、
秀吉の子ではないらしい。
秀吉の血判状(これで確か血液型はB型?)と、秀頼頭蓋骨のDNAで、親子関係を調査できればいいのだが。
875 :
人間七七四年:2011/06/02(木) 13:35:02.26 ID:rzGJ/Ks9
>>874 秀頼は名護屋城の子だが、秀吉が朝鮮出兵の指揮を取るために名護屋城に入った際、
側室の茶々と京極龍子を名護屋城に伴なっている(史料に残っている)。
ちなみに、秀頼の頭蓋骨は信憑性がない。
京橋口三の丸跡から発掘されたと言うが、大坂夏の陣の当時、外堀は埋められていたために
三の丸は完全に城の外で、秀頼がいたのは内堀中に(本丸か山里丸)限られるから。
最近、山里丸で数センチにも積もった爆薬によって焼けた土が発掘されており、
秀頼自刃の地は山里丸でほぼ間違いないとされており、三の丸跡から発掘されるはずがないとされる。
876 :
人間七七四年:2011/06/02(木) 21:14:18.40 ID:/qXx2Xs/
>>875 サンクス!。茶々が名護屋城まで行ったとは初耳だなあ。ならば秀吉は身に覚えがあることになり、
秀頼が実子だと秀吉が確信してもおかしくはない。
秀頼の頭蓋骨は信憑性がないことについて、お見事な情報、ありがとん。
877 :
人間七七四年:2011/06/13(月) 08:48:00.66 ID:F1VT2bJk
>>872 チーズ!増刊号の「華の姫」、発売されたので、つづきを読んだ。
国家安康、君臣豊楽という鐘の銘文で、家康が言いがかりをつける場面となっていた。
秀頼は自害することで皆を守ろうとするが…、今月号の出来はイマイチだった。しょうがないかな。
878 :
人間七七四年:2011/07/19(火) 23:47:08.32 ID:gXEs0/cs
>>1 マジレスすると自分の精子からできなくても「子供」ではあることに違いはない。
879 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 10:22:08.35 ID:7aD6Tl2v
結局、秀頼は武勇に優れてたのか?統治能力は高かったのか?さっぱりわからん
880 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 16:39:23.10 ID:wE6Exqmh
>>879 秀頼の何をどう見たら武勇に優れて統治能力が高かったように見えるんだ?
むしろそこを知りたい
881 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 17:05:14.48 ID:NIOj/OOg
>>880 それなりに会議で発言してたんじゃなかったっけ
882 :
人間七七四年:2011/07/23(土) 18:43:44.66 ID:FQR0oXNk
>>881 それなりに会議で発言したら武勇に優れて統治能力が高いのかw
883 :
人間七七四年:2011/07/24(日) 01:10:23.06 ID:vyTTXp6Y
そういうのって本人の能力だけじゃないからねえ。
武勇はともかく統治能力なんて、血統や官位と言った権威と、その神輿に涼しい顔して乗っかれる気概が有れば
周りがどうにかしてしまうのではないかと。
884 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 09:56:35.70 ID:YBgkxeQp
885 :
人間七七四年:2011/07/28(木) 12:39:35.04 ID:R+4QAIcw
チーズ!2011年9月号増刊は、8月10日ごろ発売らしい。(月刊誌の方ではなく増刊号なので注意)
今度で完結編らしいから、秀頼が死ぬシーンだな。
ぶあつい少女漫画だが、エロ漫画でもあるので(華の姫はそうでもない)男が読んでも楽しめる。
886 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 02:17:35.10 ID:scgInLsZ
秀頼が生まれず秀次が健在だったなら家康の天下はあった
だろうか。
887 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 11:02:35.77 ID:upMjgwv6
無いとはいいきれない、朝鮮出征の幕の引き方次第
888 :
人間七七四年:2011/08/02(火) 14:24:50.26 ID:lr5r6NgA
そもそもそういうIFには意味が無い
889 :
人間七七四年:2012/02/04(土) 22:00:47.79 ID:G/Stjisl
密やかに保守
890 :
人間七七四年:2012/02/12(日) 19:17:07.51 ID:p/vZwXgo
秀吉の何十人もいた側室の中には
ほかの男の子を産んでから秀吉の側室になったもの
秀吉没後再婚して子を産んだものがいますので
畑が悪い説はあり得ない
秀吉は種無しで確定しょう(だから石女とバカにされた北の政所は悪くない)
淀はどっか別の男との子を生んだんでしょう
南殿も多分架空の人物だから氏素性不明でその後も不明ってことなんだろう
淀にだけ子ができたんで大急ぎで長浜時代にも子がいたけど死んだとねつ造したんじゃないか
891 :
人間七七四年:2012/02/29(水) 15:01:46.70 ID:2WHqJ9N/
豊臣秀吉がねね様にいいました。
「淀はこの度めでたく、わしの子をみごもったわい!!」
ねね様はしばらく考えてから、口を開きました。
「こんな話をご存じですか。
狙った熊は決して逃がさない熊撃ちの名人がいた。
ところがある日、急いでいたのでうっかりして、
猟銃の代わりに傘を持って熊撃ちに出てしまった。
そして熊に遭遇。彼はまだ傘と気づかずに猟銃のつもりで傘を構え、
ひきがねのつもりで傘の持ち手をバーンと引いた。
すると熊はパタリと倒れた。見れば心臓を銃弾が直撃…」
秀吉「そんなバカな!あるとすれば、その弾は他の者が撃ったに違いない」
ねね「そういうことです」
892 :
人間七七四年:2012/03/20(火) 23:48:35.39 ID:0aQHo2gI
893 :
人間七七四年:2012/05/13(日) 15:35:18.90 ID:RDbff37v
大野が父親説について、そもそも乳兄弟の恋愛ってありえるのか?
乳母一族が実の家族以上に結びつきが強く、夜の手解きも教えたのも確かだろうが、
育てた主君の出世は乳母一族の出世でもあるんだし、そんな危なっかしいスキャンダルを起こすのはアウトだろ。
乳母子って「家来として尽くす」というイメージが強いんだが、俺は他の男説を信じる。
894 :
人間七七四年:2012/05/13(日) 16:45:17.77 ID:x9urS4Yj
>育てた主君の出世は乳母一族の出世でもあるんだし
そもそも、秀吉が種なしだった場合、淀が出世するにはどうすればいいんだっけ?
895 :
人間七七四年:2012/05/14(月) 07:26:36.18 ID:iBJ919P2
仮に淀が秀頼産まなかったら、秀吉の死後淀は妹の縁で徳川家か京極家に引き取られただろうな。
896 :
人間七七四年:2012/05/23(水) 20:33:48.47 ID:uOFjeZwl
「おんな太閤記」では非実子説を感じさせる台詞があった
ねねが主人公だから非実子説を採ったものと推測
897 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 20:40:10.46 ID:qiO9ryYh
大坂冬の陣で秀頼が出撃策を採用していれば
もっと面白い戦いになっただろうに
898 :
人間七七四年:2012/05/27(日) 20:43:56.43 ID:2eYp7UVN
淀は秀吉に親を殺されているから他の男との子供を秀吉の子と偽って家を乗っ取るくらいやるだろう。
899 :
人間七七四年:2012/05/29(火) 05:33:30.09 ID:R6oY2uoV
問題はそれをバレずにやれるかどうか。
900 :
人間七七四年:2012/05/30(水) 23:40:59.70 ID:L2z2WECv
身長6尺5寸(197cm)
体重43貫(161kg)
これが史実の秀頼であるとされる。
当時の記録には、
「世に比類無き御太り」
と記され、宣教師の記録にも残っている。
自由に身動きがままならず、馬にも乗れなかったとされる。
大坂の陣において真田幸村から出馬要請が来てもこれが仇をなし出れなかったらしい。
また、途中まで出るものの、やはり城外に出る寸前で改め引き戻したとの説もある。
大の大酒飲みであったらしい。
また、秀頼は大坂落城の時に自害せず、薩摩まで幸村と落ち延びたという超有名な一説がある。
時の薩摩藩主、島津義弘は逃げてきた秀頼を匿い、長屋を与えたという。
また、義弘は家臣や薩摩の民にも「無礼のないように」とする触れを出していたという。
当時の薩摩には、6尺5寸43貫並みの超大男の目撃情報が相次ぎ、その男は酔っては街に繰り出し民衆に迷惑をかけていたという。
その男の名が「秀頼」であったとされる。
901 :
人間七七四年:2012/05/31(木) 12:55:41.73 ID:LtNA2mzK
後の西郷隆盛である
902 :
人間七七四年:2012/06/02(土) 16:31:51.10 ID:x92aGY6v
西郷が秀頼の子孫だったらおもしろいな
903 :
可愛い奥様:2012/09/05(水) 20:26:27.12 ID:Mu05dtO7
乳母の子だけでしょ?
そう言う事できる奴(大野君)が事実上の父親。
大野君は体格良かったんでしょ。
904 :
人間七七四年:2012/09/06(木) 16:44:21.80 ID:bqfjVVUV
摂政・大野治長
905 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 01:47:29.30 ID:98Rm+oYM
ドラマだと大抵相手は石田三成にされちゃってるよね。
906 :
人間七七四年:2012/09/07(金) 02:18:49.79 ID:ChnG9aqg
三成は朝鮮に居るから医学的に秀頼の父親にはなれん
907 :
可愛い奥様:2012/10/24(水) 21:00:44.33 ID:PSI1UIRJ
秀吉の子でないことは確かの模様。
最近なんとかという学者がいってたし・・・・・・・
908 :
人間七七四年:2012/10/24(水) 22:15:03.68 ID:vD8peV7l
秀頼の実父は利家
909 :
人間七七四年:2012/10/24(水) 22:23:15.07 ID:grU74UFj
>>905 葵・徳川では治長と出来てる演出だったな。
910 :
人間七七四年:2012/12/06(木) 00:06:39.93 ID:Lm0LQ0Yf
当時はまだ大奥みたいな女性だけの隔絶された空間は無いから
茶々も割とたくさんの男性と接する機会があったんだよな。
911 :
人間七七四年:2012/12/06(木) 02:55:27.24 ID:TY+uQ9i6
体格に関しては浅井長政の隔世遺伝だから何ら不思議ではない
…と、苦しい言い訳をしてみる
912 :
人間七七四年:2012/12/06(木) 23:56:17.78 ID:vfXXA5yY
>>200 現代人の感覚からいえばG・馬場が小錦みたいに太ったみたいなもんか?
で、顔があの残ってる肖像画のように軟弱マロ様丸出しだったら、
冬の陣の最初の顔合わせの時、後藤とか思わず「なんじゃコイツは!?w」と吹き出したろうな。
913 :
人間七七四年:2012/12/08(土) 23:54:05.31 ID:WuLxbyQK
秀頼の娘の墓って今もあるのかな?
その遺骸と秀吉の身内の墓の遺骸をDNA検査できないかな?
914 :
人間七七四年:2012/12/09(日) 00:13:57.07 ID:/daresv6
東慶寺や天秀尼・・・という名も知らないくせに
簡単にDNA検査とかいうなよ
915 :
人間七七四年:2012/12/14(金) 09:31:52.39 ID:3vGtEHPo
916 :
猿飛佐助:2012/12/30(日) 13:37:14.69 ID:HAlXVZ0k
まー俺の腹違いの弟だわ
917 :
人間七七四年:2012/12/30(日) 21:11:07.43 ID:NFtPzF6X
秀吉も内心は「俺の子じゃないかも」と感じてたんじゃないか?
918 :
人間七七四年:2013/01/05(土) 22:33:27.25 ID:VrlLrGBH
秀吉は大男に成長した我が子を見ずに死んだのが救いかもね。
見つかった秀頼の首というのが本物であれば、目鼻立ちも大きくはっきりしていたらしいし
秀吉の要素皆無なんだよな。
大野は長身の美男子だったらしいのでまだこっちの方がありえる。
というか大野以外考えられない。
一緒に同じ乳吸って成長して、一緒に2度の落城を経験して、一緒に秀吉に仕えて、一緒に秀頼育てて、離反者続出の中最後は一緒に死ぬんだぜ?
いくら乳兄妹の絆が強いとはいえ主従の関係は超えてるように思う。
純粋に愛し合ってたのに秀吉がかっさらっていって、それでも忍んで会ってたらうっかり子供が出来ちゃった、みたいな感じじゃないの。
関ヶ原前年の密通騒ぎの一つに、家康と茶々の婚姻をぶっ壊して茶々を連れて駆け落ちしたという記録もあるし。
あの緊迫した情勢でさすがにそれはないかなと思うけど、子も生しちゃうような仲なら本当にそれに近い事は実際あったのでは?
919 :
人間七七四年:2013/01/06(日) 02:10:20.26 ID:zSFoRaxZ
>>915 >茶々も大柄だったらしいぞ
それは史料的に立証されたことでは無いし。
伝茶々着用の衣裳から推定身長を出したとかいう話もあるが
それは当時の小袖や打掛の着用仕様の知識の無い人が検証した結果だったりするしね。
920 :
人間七七四年:2013/01/08(火) 18:30:42.10 ID:EWzOIM/T
「華の姫」(作 わたなべ 志穂)というフィクションの漫画によりますと、
秀頼は、秀次と茶々の子供、ということになっている。
秀吉は自分の子供ができないのを気にして、極秘でことを進めた。
出産後は、秀吉は自分の子じゃないのをわかっているのに、秀頼を溺愛。秀次は処刑。
921 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 02:02:01.25 ID:0gvY7IVi
>フィクションの漫画によりますと
そりゃ小説や漫画はあくまでも「歴史を題材にしたフィクション」だから
どんな設定も作者の筆一つで変貌自在に創作できるもの。
誰を父親にしようと作者の勝手。
むしろ「今までの創作に無い設定」で構成しないと、
作品としての売りが出来ない。
922 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 07:41:52.33 ID:GG+zSJOR
秀頼に関することが「華の姫」はたくさんあるよ。
作り話とはいえ娯楽のための漫画だから、
とっても読み易い。
秀頼の父が秀吉じゃないのを承知のうえで、秀吉も ねね も、秀頼を守っていた。
育った秀頼は、すげえハンサムの英才に描かれてたわ。
923 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 11:30:05.28 ID:KzNpA190
秀次事件と絡めれは
>>920みたいなのでも面白いんだけどどっちにしろ秀次の線はないんだよね。
茶々が名護屋にいた時にできた子だし。
受胎期間的にも秀吉が大政所の件で大坂に行って帰って来たあたりのギリギリ微妙なラインなんだよね。
なので秀吉の子でも辻褄が合う。留守中にはっちゃけちゃった可能性もあるけどw
924 :
人間七七四年:2013/01/09(水) 21:54:52.58 ID:GG+zSJOR
>>923はすげえな。秀吉も茶々も名護屋にいたときの受精?として、日数も合う。
秀吉はタネなしではなくて、精子の数が少ないか活性が悪いだけなので(現代でもそういう男はよくいる)
子ができないわけではない。
925 :
人間七七四年:2013/01/11(金) 02:07:57.18 ID:r+DHKj3d
予定日ぴったりに赤子が出てくるものでもないだろうから、
秀吉留守の時もあり得るのが想像をかきたたせる。
三成はアリバイがあるからシロとして治長が名護屋滞陣してるのがなあ。
他に父親候補にあがってる名古屋山三郎は名護屋に来てるのかな。
926 :
人間七七四年:2013/01/15(火) 13:22:46.72 ID:jCNJqBy5
>>924 秀頼受胎当時、茶々は名護屋城にいて秀次は京の聚楽第にいたから
秀頼は秀次の子でないことが確かというだけで、
名護屋城にいた男は秀吉一人だけではないからやはり父親特定はできない。
たとえば秀次の弟秀保なんかも名護屋城に駐在してる。
秀吉が死んだ直後の同時代史料に秀頼は大野治長の子だという
伝聞もあるくらいだし。
927 :
人間七七四年:2013/01/17(木) 16:27:29.14 ID:78Aq3uw2
秀次の弟秀保なんかも名護屋城に駐在?。
秀勝かと思ったわい。秀次の弟には秀保というのもいたんだね。17歳で変死。
豊臣家は、なんでこうも親族は少ない上に
早く死ぬのが多いのだろうか。
徳川家に政権が移るのも無理ねえや。
928 :
人間七七四年:2013/01/20(日) 21:41:35.30 ID:dg8fbq/7
藤吉郎の父ちゃんはいくつまで生きたんだろう
929 :
人間七七四年:2013/01/21(月) 02:09:45.89 ID:wAEtEsOD
朝鮮に渡らず名護屋城に滞陣してる武将も結構いるよね。
茶々達が住まう屋敷は大坂城よりはユルユルだろうけどはたして逢引まで出来たかね。
天下人の寵姫に手を出すって命がけでしょ。そんな度胸のある奴いたのかな。
>>926 大野の密通疑惑は秀吉死去翌年には取りざたされている。その時期からいきなり名指しだよ。
朝鮮人捕虜の看羊録や多聞院日記、毛利家宛ての家臣からの手紙にもあるからかなりのスキャンダルにはなっていただろうね。
どれも駆け落ちだの妊娠だの「こんなのが流れてて大野も茶々もよく生きてたな」レベルの内容。
密通がただの噂であれ当事者へそれなりの処罰がないのが不思議なくらい。
(実は大野の下総流罪はこっちがらみ?)
そんな浮名を流しながらも関ヶ原後はしれっと豊臣家に復帰して重臣になってるし、大野はやはり特別待遇だったのだろうな。
自分だったら、真偽はともかく密通疑惑がたった時点でビビって表出れないわ…。
930 :
人間七七四年:2013/01/26(土) 10:56:07.50 ID:5bbnSDoe
どれ、ぐぐってみる。
淀殿との密通 [編集]
当時より、治長は淀殿と密通していたとの噂があった。
“
一、おひろい様之御局をハ大蔵卿と之申し、其の子ニ大野修理と申し御前の能き人に候、おひろい様之御袋様と共に密通之事に候か、共ニ相果てるべし之催にて候処に、彼の修理を宇喜多が拘し置き候、共に相果てるに申し候、高野江逃れ候共に申し候よしに候、(後略)、
”
―慶長四年十月一日付内藤元家宛内藤隆春書状
なるほどな。読めんけど。
931 :
人間七七四年:2013/02/01(金) 12:21:44.14 ID:JmSHkFM2
ヨーロッパ王宮での王侯貴族婦人やらがおおっぴらに愛人をつくってるのを
黙認してたのと同じような背景だったんじゃないの。
たとえ大野と男女関係があったのが歴然としたことでも
それでも茶々を側に置きたいというような秀吉の歪んだ愛情もあって
天下人の寵姫たる茶々を世間的な制裁の矢面になんて出来ないだろうし
(この点は憶測)
932 :
人間七七四年:2013/02/02(土) 04:03:36.17 ID:ryH4epy8
多聞院日記では
「(慶長四年9月10日に)家康と淀殿が祝言を挙げる事が決まっていたにも関わらず、その直前に大野修理が淀殿を連れて高野山に逃げた」、と。
当時の噂を書き留めたのだろうから尾ひれ羽ひれにより微妙に違いがあれども、内容的には看羊録の記述も同様のもの。
キーワードは「秀吉死後翌年、家康が大阪城に入城する頃の事」「家康・淀結婚予定だった?」「(なぜか)宇喜多に匿われる」「高野山」
>それでも茶々を側に置きたいというような秀吉の歪んだ愛情もあって
そうだとしたら相当歪んでるな〜秀吉。真正のMだろうね。大野もある意味ドMだろうけど。
侍女が勝手に結婚して子供作った時には一家皆殺しにしちゃったというのに…。
933 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 19:46:18.85 ID:OjILTFg6
確かに「看羊録」には死期の迫った秀吉が家康を呼び、秀頼の母(淀殿)を
室として、政を後見せよといったという記述があるんだよな。
そして実際に「多聞記」には「十七日、(中略)大坂ニテ去十日秀頼之母家康ト祝言在之候、
太閤之書置在由候、大野修理秀頼之母ヲ連候、高野ヘ参候由珍重」
このとき、徳川家康57歳、淀殿31歳、大野治長31歳。
自分の愛妾に自身の死後は26歳年上のおっさんと再婚せよという秀吉も秀吉だが
(秀吉と淀殿の年齢差はさらにもっとあるが)事実だとしたら秀頼を守るためとはいえ歪んでるな.
淀殿が同年齢の大野治長と逃げたとしても仕方ないわ.
934 :
人間七七四年:2013/02/04(月) 21:20:47.37 ID:L5KvGNzM
頼りになる血縁がおらんからな、中古の妹を押し付けた過去もあるし
935 :
人間七七四年:2013/02/05(火) 22:38:01.35 ID:OFCMuNwb
秀吉は秀頼のことになるとなり振りかまわなかったようだから、秀頼の為に淀を家康の正室に送り込むのはありうるわな。
ただそうなると、家康×淀、秀忠×お江、秀頼×千姫、という三代にわたる濃密な血縁関係が。
もし家康と淀に子でもできたらどうなっちゃうんだろ。秀忠と秀頼の弟で…もう豊臣だか徳川だかわからなくなっちゃうよ。
936 :
人間七七四年:2013/02/06(水) 00:29:07.55 ID:/WtBwBKs
多くの妻妾の中で淀殿だけが妊娠したのは確かに不思議。でも同時に、他の女が
全員不義を働いていないというのもまた不思議である。
望まぬ形で秀吉のモノとなった者は数多いし、我こそが天下人の子を産むと
野心に燃えた女が他にいてもおかしくない。逸話では淀殿だけやたらガツガツ
行動してるけど、他はみんな霞でも食ってたというのだろうか。
また秀吉があれだけ怪しまれる要素満載の大野を殺さなかったのも不思議。
噂には気づいていただろうに。個人的には、秀頼は秀吉の子だと思っている。
937 :
人間七七四年:2013/02/06(水) 09:49:59.28 ID:ay0Cs0FS
>>936 しかしながら、秀吉の子を産んで立身出世、と思う気持ちが一番強かったと思われるのも淀だよ。
望まぬ形で秀吉の側室になった者はいたかもしれないが、
京極竜子(京極高次姉妹)、三の丸殿(織田信長の娘)、摩阿姫(前田利家の娘)
皆実家は健在で帰る家はある。恋愛結婚だったという秀吉の正室ねねも勿論実家は健在。
秀吉の側室たちの中で淀の実家・浅井家だけが断絶しており、淀には帰る実家がない。
豊臣家にしか居場所のない淀がそれを望んだとしても不思議ではないがな。
あと、大野の密通記録が流通するのはは秀吉の死後。
秀吉の生前、その噂が流れ、秀吉が承知していたかどうかは不明。
938 :
人間七七四年:2013/02/06(水) 12:13:47.82 ID:9sekY0Xz
>>936 >>937 秀吉生前は鶴松、秀頼共に「誰の子だよw」という落首がはられたりしてるくらいで父親名を記録したものは見当たらない。
庶民ですらそう噂してたのだから当時の城内、諸侯の間でも色々憶測はされてただろう。
茶々も大野もさすがに秀吉生前はそういう関係は匂わせていないだろうけど、乳兄妹だから傍からみて親密だったろうし疑われやすかっただろう。
秀吉の狂気に拍車がかかったのはその辺の猜疑心からというのもあったりして。
もし不義密通がばれたら一族郎党惨殺だろうし、側室は人質的な意味合いもあるので、主人への不義を自制する上でも実家の存在は大きいね。
秀吉の側室というだけでそこそこいい生活できただろうし無理して下手な博打は打たないだろう。松の丸殿は子を産んでなくても京極家にあれだけ恩恵をもたらしている。
ただ実家がなく秀吉死後の郷がないとはいえ、茶々自身旧浅井家臣を多く抱えてる身で2度も賭けに出れたものか?
男の方もそんな命がけの行為ができるのは余程の忠臣、かつ内々に事を運べる人物だろう。
そんな訳で、後世の憶測では、もし種違いだとすれば↑な事ができるのは大野くらい?しかも秀吉死後に密通の噂が立ってるし生前から関係があったのかも?!→大野が実父説になるんだろうね。
939 :
人間七七四年:2013/02/06(水) 21:28:15.84 ID:/WtBwBKs
>>937 そう、そういう顔ありキャラのお姫様達と名を連ねられたのは子を産んだからこそ。
北ノ庄城落城から鶴松懐妊まで淀殿の足跡はようとして知れない。つまり、子供が
できて初めて周りに認識される程度のモブキャラだったということ。
秀吉が本当に100人単位で女を囲ってたのなら、その殆どはこうしたモブだった。
現代まで名が残っていないだけで、本当はもっと登場人物がいたはず。淀殿以上に
因縁のある人がいたかも知れない。その中で彼女だけが行動を起こしたとするのは
やっぱり不思議。
>>938 親兄弟の敵に嫁ぎ、子を産む。正室vs側室。豊臣vs徳川。いかにも世間が好みそうな
題材が満載だからね。ボケる前の秀吉のアンテナは異常だったし、少しでもクサイと
思ってたら大野を名護屋に伴わせなんてしないと思う。
940 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 10:22:01.46 ID:79s02161
>>939 淀殿は鶴松出産以前から「兼見卿記」「言経卿記」などに
「大坂二ちゃちゃ方」「茶々御方」などと記録され、
大坂城に住む秀吉の側室として認知されていた
秀吉周辺は子を産まなかった側室でも名が残っているよ
竜子も三の丸殿も摩阿姫も秀吉の子を産んでいないし
秀吉に100人単位で側室がいたなどというのも史実ではない
941 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 13:56:54.20 ID:hXr43LMq
側室数百人とかいうのはフロイスが侍女達も側室だと勘違いして記録しちゃったとか。そのとき限りのお手付き侍女はいっぱいいそうだけどねw
100人側室待遇だと、その側室周辺の人間まで金銭的に面倒みないといけないからいくら秀吉でも破産しちゃう。
伊達家文書にある通りなら側室の人数は茶々も含めて14人みたい。あの秀吉の割には意外に少ない。
茶々は家柄的にもモブキャラ扱いできないだろうし、最初から正式な側室待遇じゃないかな。
個人的には、茶々の場合、政略のための側室と違って、秀吉好みの損得勘定抜きの愛人的側室な感じがする。
942 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 16:57:15.44 ID:Qn5zwJZn
有楽斎とか織田の血縁引込めるから織田家臣系の抑えには使えたんじゃないかな
943 :
939:2013/02/07(木) 20:03:45.76 ID:caWDNy24
>>940 それって淀殿本人か断定はできないんじゃなかったっけ?例え本人だったとしても、
単に話の説明で登場しただけで秀吉の側室としての記述じゃなかったと思う。
自分も秀吉が大ハーレムを展開していたとは思わない。でも上の方の流れがそう
だったから(というよりスレ自体がそれ前提で立てられているから)、それが本当
だったらちょっと疑問があると思ったんだ。
14人の内1人だけが妊娠するのは、不妊症の男性には確率的に何らおかしくない。
秀吉以外にもなかなか子供ができなくて、晩年にようやく授かったという武将はいる。
何回も書き込んで申し訳なかった。ただ以前から確たる史料もないのに名将扱いの
人物がいたり、その逆な人物がいたりするのを見るにつけ、創作のイメージが真実
かのように語られるのは悲しいと思ってたんだ。
もちろん400年前の事なんて何が真実か分からないけど、淀殿周辺はそれが顕著
だなと。後世の「どうせこんなとこだろ」「こうだったら面白いよね」という思いが
作用しすぎてる気がする。
944 :
人間七七四年:2013/02/08(金) 11:00:50.12 ID:yIe7/a27
>>943 「兼見卿記」「言経卿記」の記載は淀殿本人だろ
前者は大坂城二の丸にいると書いているのだし後者は大政所に会いに行く記述
いずれも秀吉の身内でなければありえない行動
14人の側室の中で茶々だけが懐妊するのは(正室のねねも合わせれば15人中1人だけ)十分不思議だよ
しかも伊達家文書にあるのは秀吉が天下を取った後の晩年の側室の数なので
若い頃には別の側室もいたことだろう
945 :
人間七七四年:2013/02/09(土) 05:03:19.98 ID:91DkNGlF
>>942 織田の抑えといってもお伽衆の有楽や信雄。。。
織田系では信包の娘が先に側室にはいってるし、浅井旧臣はすでに秀吉配下として定着済みでどちらにしろ政略的に弱いような。
茶々像が講談などで勝手に悪く描かれてしまっているのは本人に関する記録が少ないのも原因の一つだろうね。
歴史重要事項にからみまくってる割に三度も落城、特に最後は大坂城と共に全て燃えちゃったからな。
あの肖像画ですら後年描かれた本人かわからないシロモノだし、記録の少なさはまさに敗者の極み。
茶々か侍女の日記でも残ってたら400年も秀頼出生でモヤモヤすることもなかったろうに。
946 :
人間七七四年:2013/02/15(金) 21:01:44.28 ID:GGUq6G99
>>945 いや、秀頼が秀吉以外の種だったとしても
淀殿やその侍女が密通してできた子だと日記に書き残すことは絶対ないからw
秀吉周辺は北政所が所有していた手紙などが「木下家文書」に残っていることから
豊臣家女性たちのことは比較的あの時代としてはまだ残っているほうなんだけどね。
織田信長周辺の女性たちなんて、正室の濃姫がいつ死んだかも分からないくらいお粗末。
947 :
人間七七四年:2013/02/16(土) 00:42:05.68 ID:QtS+T+Lj
>>946 ○○と密会しちゃったテヘッ///とか日記に書いているかとかじゃなくて、
時代が違うから比べられないけれど、こちらも種違いが疑われていた崇徳帝が生母・待賢門院の周辺の日記や公式文書から不義の子説が濃厚になっているから。
記録から種付け期の所在と月経周期を推理して白河法皇との密会時期と重なっているらしい。
後世で月経周期や不倫時期まで暴かれちゃうのも本人達にとっちゃいい迷惑だけど、こういう類のネタはついつい下世話な憶測をしたくなるのもわかる。w
秀頼は記録も遺体もないから憶測であーだこーだ言うしかないけど、流れ的にはなんとなく大野っぽい気がする。
秀頼存命時から400年間も大野大野言われるのは徳川史観以外にも当時からそれらしき雰囲気があったんだよ。秀吉の異常な種の薄さや秀吉死後の大野の台頭、その後の豊臣家内での出世ぶりや最後の忠誠まで含めて。
あと、現代では理解できないけど乳兄弟って他が入り込めない何かがありそう。義仲と巴御前のような公私共の運命共同体的な。
948 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 14:40:48.53 ID:JsOPhDBS
>>947 だから、日記や公式文書にそんなこと残ってない。
待賢門院の場合は、一月のうち数日だけ、里帰りしている日があるので、
その日に崇徳天皇受胎日を合わせ、待賢門院の月経周期を無理矢理割り出している。
そもそも待賢門院の月経日の記録など残っていないのに。
崇徳天皇を白河法皇の子にしたい学者が無理矢理やってるんだって。
949 :
人間七七四年:2013/02/20(水) 23:42:49.82 ID:uUG65qtW
受胎想定期間内に里帰りしてる事実がある以上接触した可能性があるということだろう。そうあってほしい人がそうなるべく憶測するのも自由だよ。それがまったく素っ頓狂な憶測なら一蹴されて終わり。
藤原忠通との縁談が持ち上がったが璋子の素行に噂があったため忠通の父の忠実が固辞していることからも、それなりに噂が立つ下地がある。火の無いところに煙は立たぬ。
茶々の場合は茶々本人の素行以前に、まず秀吉は子種が無いのでは?という下地がある以上、当時の時点から噂が立つのはごく自然。出生直後から落書がはられているのだから徳川史観というわけでもなし。
可能性がある以上、まさか不義の子?というサイドから色々憶測するのも自由ではないかな。まあただの野次馬なんだけどね。
950 :
人間七七四年:2013/02/21(木) 10:23:50.66 ID:NtKvsAoK
>>949 崇徳院が白河院の種と言われたという伝聞が軍記物に記されるようになるのは
百年ぐらい後からだよ。すでに白河院も崇徳院も待賢門院もこの世にいない。
忠通は璋子と公家の密通の噂は記しているのだから、当時白河院とも噂があったなら記さないはずはない。
茶々の場合、秀吉の死後すぐ、茶々も秀頼も密通相手とされる大野も存命中から記録が残る。
待賢門院の例と茶々の例を一緒にできない。
茶々の場合、同時代史料にそういった噂が残るが、待賢門院は同時代史料には見当たらないってこと。
951 :
人間七七四年:2013/02/22(金) 23:16:31.72 ID:+hBTzK9w
>>950 崇徳帝は後世のこじつけの可能性もあるが、秀頼は秀吉の種無し疑惑に加え男女関係疑惑のある家臣の存在が当事者の存命中に記録されておりこじつけという訳ではない(それだけ当時から認識されていた。)ということね。
もう9割方大野じゃないの。これをまわりが面白おかしく不義の子にしたがってるだけとかいうのは無理な話。
952 :
人間七七四年:2013/03/07(木) 10:48:31.12 ID:DLxhOUw6
>>950 白河院政が全盛の時代に「崇徳天皇は白河院の子」なんて書いたりしたら
自分の身が危うくなるだろ。
だからそれまでは口伝だけにとどめておいて、白河院への憚りが完全に
無くなってから文書化したんだろ。
953 :
人間七七四年:2013/03/07(木) 12:36:40.93 ID:3cYQRGxT
954 :
人間七七四年:2013/03/10(日) 13:34:47.05 ID:0dtGSxLM
ねねが大坂城西の丸からあっさり出たのって
>>932に書かれてるように
家康と淀を結婚させ、秀頼の後見をさせ豊臣を守り立てるよう秀吉が遺言を残したからじゃないか?
秀吉が本当にそう言ったか定かではないが、家康が「殿下の遺言です」と話した可能性はある
秀吉晩年の秀頼の溺愛ぶりを知ってるだけに、ねねも疑いなく納得したはず。
夫の遺言に従い自ら身を引き、家康が淀を娶り大坂城に入ることが豊臣の為になると考えたのでは?
家康も、隠居場所として高台寺を与えることでねねの正室としての面子を立てた。
そう考えると、ねねが家康と入れ替わるように大坂城を出て
何の迷いも無く高台寺で暮らしてた理由が説明つくような・・・
955 :
人間七七四年:2013/03/10(日) 13:42:12.38 ID:0dtGSxLM
本当なら、秀吉は正室を体よく大坂城から追い出す大義名分を
家康に与えてしまったことになるが
我が子可愛さで暴走してた晩年の秀吉ならありえると思う
956 :
人間七七四年:2013/03/10(日) 17:35:12.80 ID:9d6Fdhl3
14人も入れば十分だろうw。
家康が忠輝を見て信康と似てるからうざいとか,お市は信長と似て
美男子とかお市の子が市とそっくりとかどーーー見ても秀吉には子種
に問題有。男色をしなかったのももう自分でも知っていたのかも。
957 :
人間七七四年:2013/03/10(日) 17:38:42.83 ID:9d6Fdhl3
例えばオマエラにラッキーにも14人のセフレが居たとする。
ナマで毎晩数年間やって誰も妊娠しなかったらオマエ自身
オカシイと今の医者は判断するだろう。
958 :
人間七七四年:2013/03/10(日) 17:43:52.96 ID:9d6Fdhl3
オレの姪や甥を見てもどーーー見てもその母親似(3人とも)。
もう諦めなさい。15年セックスしまくって子供出来ないんだから
そういう可哀想な秀吉さんでしたって事。仕様がない。
959 :
人間七七四年:2013/03/11(月) 10:34:42.68 ID:FdHbyN0d
>>954 確かに、大老筆頭とはいえ家康だけが他大老を差し置いて゛西の丸゛入りしたのは、他に何らかの特別な事情があったとする方がしっくりくる。それが淀との婚姻なら納得。
そうであったなら豊臣首脳陣や反徳川の前田や宇喜多などは相当危機感をおぼえたろうね。
淀との婚姻は秀頼すなわち豊臣家を手に入れたも同然であり、パワーバランスが完全に崩れ他大老奉行は手も足も出せなくなる。
密通事件の際に宇喜多が大野を庇った記述があるが、反徳川派の婚姻反対の意図もあったとすればすっきりするな。
960 :
人間七七四年:2013/03/11(月) 16:27:34.06 ID:X2uZVp9l
死ぬ前の秀吉が何より大事だったのは、淀やねねよりも秀頼だと思う
淀への歪んだ愛情というより、我が子への歪んだ愛情
再婚話が本当だとしたら、家康と再婚させられる淀の気持ちや
豊臣家から追い出される形になるねねの気持ちまで及ばなかったんだろうな
961 :
人間七七四年:2013/03/11(月) 16:43:26.69 ID:X2uZVp9l
高台寺で自分と秀吉の木像を作って2人を並べて暮らすって
微笑ましさより、ちょい病んでるものを感じたんだけど
最終的に豊臣家から追い出される形になったねねが
豊臣は自分と秀吉が2人で築き上げたものと自分を慰める為に作ったんじゃないかね
まぁ、コレは家康淀の婚姻を前提にした想像でしかないけどw
962 :
人間七七四年:2013/03/11(月) 19:46:04.29 ID:PD20Y2kn
>>954 家康の西の丸入りと同時にねねが入った場所は、京都新城
これは内裏の斜め前に秀吉が建てた豊臣家の城で秀頼が内裏で元服した時にも入った場所
朝廷の中枢部に建つ豊臣の城にねねが入ったことはむしろ豊臣家の正室の象徴であって
ねねは豊臣家を追い出されたわけではない
天皇の住まいの目の前に建つ豊臣の城・京都新城は当然徳川家康の気に食わず
関ヶ原の戦いのとき家康が壊してしまった
家康が高台寺を建てたのはねねの住まいを壊してしまったからというのが大きい
963 :
人間七七四年:2013/03/14(木) 00:59:39.63 ID:NQQwNE2d
へうげの家康と淀の結婚話ってもとネタがあったんだな
964 :
人間七七四年:2013/03/28(木) 17:49:09.46 ID:5lDhkFqN
>>963 へうげだと婚姻話の時期が違うみたいだな。
噂通り関ヶ原前に結婚したとして、もし淀に子供が出来たらやはり徳川の子だよな?
兄が秀忠、秀頼かぁ。また濃いのが兄弟だな。
965 :
人間七七四年:2013/03/29(金) 18:32:58.36 ID:trN3Q83P
でも家康が西の丸に入ったのは前田利家の死後・石田三成の蟄居中だろ
秀吉の遺命なら、もっと前に入ろうとしたはずだし、色んな記録にも残っているはずだ
966 :
人間七七四年:2013/04/03(水) 06:26:42.64 ID:zTCzE++u
ポシャったからああいう記録しかなかっただけで実際に結婚してたらもっと記録に残っていたんじゃないの?
祝言の日程までかかれてるというのは噂にしてはちと内容も細かすぎているような。実際その頃大坂でゴタゴタがあったようだし。
そしてそれがどんな形の遺言だとて、家康と淀の祝言なぞ反徳川は快く思うはずがない。利家、三成が健在なうちは家康もそうそう動けまいよ。
967 :
人間七七四年:2013/04/30(火) 08:12:00.79 ID:k7Rjeg/u
服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012年発行)
968 :
人間七七四年:2013/05/03(金) 22:48:53.50 ID:kGcfxbA9
>>962 縮小しただけで家康は壊したわけじゃない
しばらくは木下家の京都屋敷になってた
969 :
人間七七四年:2013/05/16(木) 15:23:02.93 ID:WLIP8Jm4
>>968 関ヶ原の年、家康の命で京都新城の破壊(石垣や櫓、南門の撤去)と
北政所の京都新城退去が行われたのだからどちらでも同じ
木下利房は備中足守藩主であり、子のなかったねねから高台寺円徳院も継承しているため、
ねねの所領や土地の管理はしていたが京都新城を私物として木下屋敷にした事実はない
970 :
人間七七四年:2013/09/15(日) 00:13:27.00 ID:IUNo1C5O
バカテスの木下秀吉について語りましょう。
971 :
人間七七四年:2013/09/17(火) 10:42:23.66 ID:QF1uYFXQ
保全
972 :
人間七七四年:2013/09/18(水) 14:11:52.26 ID:7yWBWFK/
973 :
人間七七四年:2013/09/18(水) 17:34:48.19 ID:7LKKlfwb
>>967 ここの住人はグダグダ書き込まずに
この本読めばほとんど解決すると思うが
974 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 19:12:24.28 ID:Age0Sa1r
test
975 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 19:14:57.05 ID:Age0Sa1r
test
976 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 19:23:34.10 ID:Age0Sa1r
test
977 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 19:56:06.83 ID:Age0Sa1r
test
978 :
人間七七四年:2013/09/19(木) 19:59:01.69 ID:Age0Sa1r
test
979 :
人間七七四年:2013/09/20(金) 10:33:12.78 ID:R/cXhO+B
980
980 :
人間七七四年:2013/09/20(金) 10:34:53.79 ID:R/cXhO+B
980
981 :
人間七七四年:
980超え