織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part2
1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
今川について考えるなら
まず信勝が家督継いでからどう動くか考えないとね。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 04:15:23 ID:sEfIIoli
足利義昭を奉戴し京洛から三好3人衆と松永を駆逐できうる大名が天下に一番近いんじゃないか?義昭が織田を頼る前は朝倉を頼っていたのだが信長がいないとなればどの大名を頼ると思う?
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 04:50:21 ID:dU+nUxny
佐久間のぶもりに一票
>>3 1568年と仮定するなら
九州は遠い
中国毛利は史実同様大友と争う可能性が高い
長宗我部はまだ弱小まずは土佐の統一
畿内は史実同様三好と争うか服属するかだが3人衆らを追い出す力は無い。
六角は三好に協力。
浅井朝倉は一向宗との和睦が早まれば・・・
それでも兵力的に上洛は厳しいな。
上杉は三国同盟が維持されているから史実以上に厳しい。
伊勢北畠案外大穴か、史実でも伊勢の中小豪族に一族送りこんだりしているから
今川の勢力伸張が遅ければ伊勢をある程度支配しているかも。
大和方面から松永と協力という手段もあるし。でも単独じゃ難しい。
斉藤は今川次第だろう。
結局今川次第ということになると思う、今川がどこまで勢力を広げているか
浅井朝倉斉藤北畠などをどうするかによって変わってくるし。
上洛の可能性が一番あるのは今川だが、
もし今川があまり勢力を広げていないなら
北畠浅井朝倉連合ということも可能性としてはあるかもしれない。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 06:04:45 ID:6iw8Ej2a
なんだかんだいって立ったんだな。
とりあえず
>>1乙。
信長が居なかったら、織田信秀が死んだ後、斉藤が尾張を分捕ってたんジャマイカ
そうすっと随分と国力が上がるから、道三、義龍の間にさらに勢力を伸ばした可能性もある。
美濃〜尾張に強力な大名が居れば、今川の上洛も少し変わってくるし。
>>1スレ立て乙
斎藤は後に龍興でどうなるかってのもあるけど
今川が上洛目指1960年なら脅威になりそう
龍興も義龍がもう少し長生きすれば少しは違ったのかな
斎藤が尾張も領有してればあの辺の勢力は随分変わったかも?
今川が1960年の上洛を思いとどまれば、義元が死なず勢力を維持したまま居られたかな
斎藤が龍興の代になれば尾張から美濃を今川が攻める機会もあるかも知れんし
逆に義龍の代までに周辺まで勢力を広げられれば、龍興になっても滅びないかも知れん
上洛思いとどまる事ないよ、もう少し待てば東海道新幹線で京都まですぐ着くよ。
信勝ってどんなだったの?
柴田あたりはうつけ信長を廃しようとしたくらいだし
そこそこ将来性あったんだろうけど
斎藤と張り合えたのかな
とりあえず・・・
何年間戦国時代を続けてるつもりだ。
1960て。
そうそう、19世紀中葉まで群雄割拠続けていれば、
流石に植民地化の危機もあるだろうな。
俺は「俺たちが戦国武将と認識している」人物では、
戦国を終わらせられないと思う。
江戸時代に平和に生きて死んだ誰か、ぐらいじゃないか?
うわああ…ハズカシス
アゲずにおいてくれてありがとう
12も、たぶん、密かに皮肉ってるレスだと思ったが
気付かない鈍さに乾杯。
まず信長がいなかったとして
斉藤と信秀の同盟は結ばれるのかどうか?
道三と義龍は争うかどうか?
信秀が死んだ時点での尾張の状況は
岩倉家が尾張上4郡の大半、織田信清が上4郡の一部
清洲家が下4郡の半分程度、服部が海西郡の大半
信勝が下4郡の半分程度に三河の一部でいいのかな
信勝に信光信広などが素直に従うかは分からないが・・・
帰蝶姫の輿入れうんぬんは変わるとしても、
織田と斉藤の同盟は有り得ると思う。
晩年の信秀は、北の斉藤、東の今川と二正面作戦を強いられ、
ジリ貧の時期だった。斉藤への同盟打診はこの解消を狙ったもの。
ひょっとすると信勝=帰蝶の縁組が見られたかもな。
ただ、信勝が道三の好意を得られたかどうかは、わからんが。
>>18 別の意味で好意をもたれたかもね、
弾正忠殿もコレでおしまいだな・・・と。
ただ道三の場合信長が居なければ、義龍との争いが無かったか?といえば
そうとも言えない部分も多いわけで、微妙だ・・・。
また信行だと義龍と仲が悪いとも限らないんだなこれが。
1555年以降がなんだか微妙な情勢になりそう。
>>19 信勝に清洲が奪えるのかという問題も・・・
信長並の対応が出来たかどうか、
信友に勝てたとしても信秀のようにナァナァで済ませる恐れも
>>20 どうだろう?信行の能力は信長に及ぶべくも無いが、
その代わり信行だと、信秀死後にあった多くの離反が信長ほど酷くはならないとも思う。
清洲奪取に関しても主に戦っていた権六は居るわけで、
まぁ何とかはなるんじゃないかとは思う、稲生の合戦を見ても
信行は愚かではあったが凡人ではないし、そもそも信長が凌いだ
「弟との内戦」と言う危機が存在しないので、やはり有利な面も多い。
が、そこまでだろうね、劣勢を覆す力があるとは到底思えない。
>>21 清洲奪取に柴田や末森衆ってかかわっていたか?
>>22 当初は断っていたはず、
ただ一応、清洲に攻め込んで、城まで追い込んだ成願寺の戦いは
大将は信行の代理で勝家が指揮をして見事に打ち破ってる。
信長が信行の兵力の磨耗をはかったとする説もあるけどね。
清洲に勝てたとしても岩倉がいるから
清洲と戦わないとしたら今川が攻めてきて信行が不利になったら
あっさり離反されたりしそうだし。
分裂状態の尾張に今川がどのような手段で攻めてくることやら。
斯波氏を保護したりするのかな
山口氏の例もあることだし、
政治的な切り崩しを利用するのは、間違いないだろうな。
>>24 義元の勢力拡大を見てると、速度は遅いけどコツコツ手を打ってる。
桶狭間の前には、尾張西部にも調略の手が伸びてるし、
信勝(行)が、信長なみの強力なリーダーシップを発揮できなければ、
武力衝突以前に切り崩される可能性もあるな。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 18:25:49 ID:Cwdej9pb
1590年、戦国大名予想配置図
奥州及び北関東 伊達政宗
武蔵、相模、房総半島 北条氏直
三河、駿河、遠江、甲斐 徳川信康
信濃 真田一族
越後、越中 上杉景勝
北陸及び近江、飛騨、美濃 本願寺光佐
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 18:30:45 ID:Cwdej9pb
紀伊、大和、伊勢、伊賀、尾張 雑賀衆
その他畿内 松永氏
山陰 吉川元春
山陽 小早川隆景
四国 長宗我部国親
北九州一円 鍋島直茂
南九州 島津一族
あくまで某雑誌であるシミュレーション小説家が予想したものなのであしからず。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 18:53:12 ID:QdApSjVl
信長がいなければ、秀吉も家康も早死にしたはず。
いまごろ朝鮮の属国になってニダニダ言っていたかも
それって誰?つか長宗我部国親って・・・
国親はいきなり長生きするんだなw
信長の畿内制覇と三好家の衰退、
長宗我部の躍進は表裏一体だと思う。
信長が居なければ、三好党は分裂しながらも、
一定の勢力は保っていられたのではないか。
三好が健在なら、長宗我部は阿波でつまづく。
むしろ一条兼定が政治に飽きなかったら・・・
松永も信長が居なければ3人衆に圧倒され滅亡していた可能性のある勢力だな。
また三国同盟が維持されて武田と北条の争いが無ければ
北条の関宿古河への進出が数年早まる可能性も
72年の佐竹宇都宮那須などの北関東での争いに間に合えば
勢力を一気に広げることも可能かも。
北条の北関東への進出が早まれば佐竹が東北へ関与する余裕が無くなるから
その分佐竹と激しく争っていた葦名盛氏が更に勢力を広げ、伊達の躍進の可能性が
減るかも。
とはいえ葦名はどのみち後継ぎ問題で弱体化して、後に政宗が史実に近い行動を
するかもしれない。
その時佐竹の勢力が史実より弱ければ伊達は史実より楽に勢力を広げられる上、
葦名の相続問題で義広が継がずに伊達小次郎が継いで摺上原の合戦が起きない
可能性もある。
義元が生存した場合の武田の動向も興味があるな。
北は長尾と膠着
南と東に強大な同盟国
下手すると甲信二国に逼塞してしまう。
信玄がどのように策を講じるか・・・
>>26 信長が居ない状況で徳川の出る幕は有るのか?
義元が戦死せず健在でも今川がそんなに早く消滅するかな?
今川に協力して美濃を攻撃する可能性もあると思う
東美濃の一部ぐらいもらえるかも
>>35 同意。
だが、あの某作家の推測とやらは、アテにならないというか、
語る値打ちが無いような・・・
今川がどこまで巨大化できるかはわからん。
わからんが、もし6〜7国の大身となったら、
配下の国人領主も転地されたりしうるんじゃないかな?
まぁ大内と同じような失敗はやるまいて
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 04:56:07 ID:7Xn23MqT
絶対今川氏真だ
義元はどっちにしろ低血糖だ
敗戦後の後継でなければそのまま一門家臣そのまままとまって上洛を果たしていたはずだ
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 04:57:49 ID:CG9CucnO
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` 、 (_人__丿 、、、 / ボクにも取れたかなぁ〜♪
`ー 、__ /
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信長がいなかったら都はゴーストタウンのままだっただろうな・・・・
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 19:06:39 ID:gbN41eZo
信長のすごいところは、三好長慶や大内のように、
京を抑えて将軍立てるだけで、自分だけうまい汁が吸えれば
いいやってところで、妥協していないところでしょ。
室町幕府というくくりを破壊して、信長ビジョンでの
新しい政体を模索していたわけだから。
そこまで考えてたから、天下統一へのベクトルが進んだというか。
三好三人衆や、久秀、今川や、武田あたりは、室町将軍を傀儡にして、
おいしい蜜を吸うぐらいで、終わってたんじゃないかな。
天下統一の意識を持つ人間がでるのは、もっと後になって出現ってところかなあ。
>>42 長慶は一時までは将軍権力ぬきの政権を構想してたんだけどね。
将軍の名によらず長慶の名によって裁判を行った記録とか、
長慶の政権のあり方を示す史料がけっこう残ってる。
でも戦いに疲れたのか、結局は断念して将軍を担ぐ方針に転換した。
それを一時的なものと意図したのか長期的なものと意図したのかは
転換から数年で長慶が死んでしまったのでわからない。
逆に、信長は最初は「京を抑えて将軍立てるだけで、自分だけ」
美濃にいながら「うまい汁」を吸う戦略だった。そうやって
将軍を操作することが簡単だというように、室町将軍権力の
しぶとさを過小評価してかかっていたふしがあると言う研究者もいる。
その戦略がうまくいかなかったので将軍を排除せざるをえなかった。
状況の変化が信長にビジョンの転換を迫った面もあるんだよ。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 19:54:23 ID:gbN41eZo
>>43 なるほど。
そういう資料もあったのね。
ただ、信長は、将軍を立てたとき、副将軍職(そんなのないけど)も
管領職も断っている。その時点で、室町幕府の構造の中に入ることは
拒んでいるわけで、将来的な排除をその時点で考えていたのでは?
とも思えるところです。
また、途中でビジョンを変えたということですが、「天下布武」の印は
岐阜制定の頃からですから、天下を統一する意識は、岐阜時代から
あったと思えます。結果、将軍家を排斥することも、ビジョンの中に
入っていたと考えるわけです。
その意識を、京に入る前からもっていた、ということがキモなのでは
ないでしょうか。
信長が強烈な個性の持ち主だったのは確かでしょうね。
入京直後の畿内統治は
・松永、和田、細川らの軍事力を義昭指揮下の守護相当の
ものとして配置
・寺社領安堵や徳政などの行政は幕府奉行人奉書の
形式で運営
など、明らかに間接統治の体裁が強い。
信長自身すぐに美濃に戻っており、畿内以外での軍事に
忙殺されたりしているので、管領にならなかったのが
どういう意図によるかは諸説あって、その事実からだけでは
ちょっと何とも言えないんじゃないかと思います。
>>39 氏真は軍事家としては実績皆無だが
民政家としては努力してるからな。
二代目としてはうってつけの人材だったかもしれない。
>>46 でも、大名になるからには他国との戦争はさけられないだろう。
そのときに決戦で勝てるのは難しそう。
家康も秀吉も勝負どころの合戦で勝ったからなぁ・・・。
畿内まで今川義元を侵略できたとしても氏真の時代になったら治めきれるとは思えない。
毛利がその頃には四国を制圧していると思うから毛利とガチンコで勝負したら、氏真が勝てるとは思えない。
それだけの圧倒的な勢力になれば大名自身の軍事的能力は
必ずしも必要ないですよ。
そんな守護大名てきな考えじゃ、斉藤道三や織田信秀のような家臣に乗っ取られる。
>>49 実際には劣勢の中でも乗っ取られなかったけどな
徳川家康の独立は?
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 00:10:50 ID:hU+nGVu+
武田信虎が上洛寸前の義元を殺して信虎のモノ!
>>49 駿河〜畿内まで支配するほどの勢力で、しかも
戦国大名としての基盤は確立済みの二代目と
たかだか数ヶ国を支配しただけの守護大名は
一緒には考えられないと思う。
まあ、実際にどうなるかはわからないけどね。
実は家康が三河で独立し、吉田を攻めたとき
今川が出した援軍の将が武田信虎だったりする・・・
今川義元も自ら指揮をとった戦は桶狭間ぐらいで
それ以外は家臣に任せていたりする。
朝倉や大友も大名自らが指揮をとる事は珍しく
有力家臣などに任せる例が多い。
守護から戦国大名となった大名では軍事に関しては
そのような例が多い気がする。
>援軍の将が武田信虎だったりする・・・
それは初耳だった!
一揆勢に参加したり、波乱万丈だな<信虎
しかも今川に協力しておきながら、信玄に
「氏真は惰弱だから、駿河を取るなら今だ!」って書状おくってるし。
まぁそれがばれて結局追い出されるわけだが・・・
>>54 武田信虎って、
息子に追い出された、あの信虎さんですかい?
このとき何歳くらいなんだろう。
元気なものですね。
息子より長生きしちゃうからなあ。
当然信玄の父親
他に武田信虎は志摩で九鬼氏の追放戦に参加したりしたこともあったと思う。
あとは上洛して足利義輝に謁見してその御相伴衆になったり。
>一揆勢に参加し
これは知らないkwsk
81だっけか。
勝頼の前で啖呵切ってから死ぬもんな。
武田家の男の中でいちばん面白い。
>>58 すまん、誤解を招く不正確な表記だった。
国人側に立って九鬼氏追放の件について「一揆」と表現した。
確か1494年生まれ
一応道三と同い年
元就(1497)より少々年上
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 10:27:27 ID:tGSzxJUq
義元が上洛して、三好と松永追い出して足利政権を傀儡化。
禅譲があれば今川幕府。なければ足利幕府存続。
これでいいんじゃね?
信長と同じ統一スピードで侵攻できると考えるのが、そもそも間違ってる。
今川上洛なんてのは、三方ヶ原の後に武田が上洛すると考えるくらい無理がある。
それはそうだね。
ただ、美濃までなら、あるいは信長より早い事もありえるかもしれない。
その後の電撃的な上洛は、義元の戦歴からは想像出来ないな。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 16:40:59 ID:X/GY84Ib
今川ばかり論議になっててループしてるね。
無理無理と言われてる、政宗の可能性を考えてみようw
伊達は東北の名家だ、植宗時代にはいまいちよくわからんが、奧羽はほぼ収めていた。
政宗時代には半分くらいになってるが政宗がミラクルで蘆名滅ぼし、結果奧羽の連中を
影響下に置いた。
ここまでは信長関係無いし、信長いなければ中央での統一的な動きは遅れてるし。
次は佐竹だ、蘆名の当主は佐竹の血縁もってきてて、それを倒したのだから。
佐竹はそれを防げなかった、北条とも同盟結んでるし、佐竹も敵無しw(とりあえずねw)
佐竹すら倒しすとかなり大きな兵力を動かせる事になる。
こうなると奧羽の小大名は政宗に逆らえないし、因縁の最上も伊達が自分の何倍もの大きさになれば
身内でも有るし、政宗が失敗起こすまでは打算強く交戦を控えるであろう。
だがここから先は大変だ、北条でかいし上杉もまあまあでかいし、武田も滅んで無いし、正直かなり辛い
だがここから日本の立て直しを狙う、信長の二番煎じと言われる政宗ならやってくれるはず!
まず、東北での連合を呼びかける、東北統一は実際かなり大変だが、身内の多い東北の
一体感を政策に打ち出してみる、南部とかは協力はおそらくしないだろうが、形ばかりで同盟に
入り後顧の憂いは絶てる。
その志は信長と同じ様な感じで天下布武みたいな感じで、勤王掲げてもよい
北条最上と協力し上杉破りを軍門に降らせ、近畿までの道筋を作る、北条は武田を押さえてる
蘆名攻めからここまでに10年かかったとしても、まだ35才だ、立派に近畿に討って出れる勢力を
東北に作り上げたと思う。
ただ次にやりたいのは本拠の中央への移転だが、そこはいまいちかもしれない。
本拠を前線に思い切って移さないとこれ以上は辛いと思う。
でも政宗も信長の真似ばかりしているなどと言われるが、信長のような可能性に満ちあふれているのだ!
頑張れ政宗!天下は目の前だ!
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 16:43:38 ID:pKFywhUu
政宗厨はホントにアホだw
>66は学生だろうし学生であって欲しいし、コーエーが大好きだと思うwww
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 16:56:21 ID:X/GY84Ib
>>65 今川ループに飽きてアホになって書いてみたw
でも義元とか信玄よりも後の世代のほうが現実性高いと思うぞ
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 16:59:00 ID:X/GY84Ib
>>68 学生の頃の純な心に戻って書いてみましたw
信長秀吉家康以外なら政宗だw!
>>66 面白くもないし寒いだけですよ。
ウケを狙ってるつもりだろーけど完全に滑ってる事に気付やカス。
消去依頼して来い低脳。 チラシの裏にでも書いとけDQN
政宗の手法には信長の模倣が見られるからな
信長無しにどんな武将になったやら。
しかし、大番狂わせがなければ、東国は北条・今川の二強はかなり固そうな。
特に北条。
案外、氏直あたりが天下人だったりな。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:06:54 ID:hU+nGVu+
伴天連が天下取ったれや
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:31:07 ID:VOX7lPF5
もし、明・朝鮮連合軍とイスパニア・ポルトガル艦隊が日本に攻めてきたら、日本はどう戦う?
もし、信長が死なずに天下取ったら、日本はどうなった?
ていうスレ作ってくれよ
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:38:48 ID:JpEtcGvG
地球の裏側から大船団が攻めて来るってのは非現実的だな。
キリスト教による砲力のバックアップの下、手先になった九州諸将が天下統一するならありえる。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:50:17 ID:VOX7lPF5
東南アジアやインド辺りに常駐してた船団という想定で
毛利は大友と織田の両面作戦に追い込まれないから、
かなり勢力を伸ばすだろうな。
北九州、四国、中国も播磨までは進出するのは確実だ。
神風到来で日本勝利、日本には悪魔がいると恐れて二度と侵攻しなくなる。 なんてね。
>>79 織田若しくは織田に代わる勢力がいなければ
1575年までで考えるならむしろ遅くなる。
毛利は備前備中東瀬戸内では三好と対立して争っていたのだから。
>もし、明・朝鮮連合軍とイスパニア・ポルトガル艦隊が日本に攻めてきたら、日本はどう戦う?
戦わずして勝つなニヤリ
三好も今川も織田いないと結構強いのな
三好は長慶や兄弟嫡子が早死にしちゃうけど
三好は全盛期が早いから無理。その後は強いというか対抗できる勢力が少なかっただけ。
>>84 68年の段階では松永を押さえこみ畠山を封じ込め
足利義栄を将軍にして六角とも同盟し
畿内をある程度支配している。
あのまま織田が上洛しなければ畿内を更に掌握した可能性は高いと思う。
ただ3人衆や康長なんかとの連立政権となって一致して協力とかは難しいかも。
1561年までに今川が三好に攻めてきたら
4兄弟の死亡なかっただろうし逆に好機かな(義興は死ぬかも
ただ1561年までに今川が京にくるのはありえないけど
1550年代の今川の軍事行動は
2年に1回ほど数千ほどの兵で一つの城・地域を攻めるぐらいだからなー
時間かかりそう
なんでこんな軍事行動が少ないのかは謎だが
足軽使わない戦だったら、それ以上やると国力が疲弊するんじゃないか?
雑兵=労働者なんだし
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 08:47:43 ID:i31zanaU
>>44 >副将軍職(そんなのないけど)も
あの〜
征夷副将軍という役職はありますけど・・・
足利直義や今川範政が就いてるわけで
>>44>>89 室町時代には常設じゃないけど副将軍は何人か居るね
元々は律令制下で大将軍や将軍に数人つけられたみたいだけど
信長包囲網の時には義昭が家康に副将軍職を打診したとか
律令制って確か明治維新まで正式には失効してない(多分)から、
副将軍って役職は建前上空席のままずっとあったんじゃない?
91 :
広島県民:2006/10/20(金) 17:08:39 ID:MbUu1r+9
天下は毛利がとる。
毛利の動員可能兵力から考えて九州方面に小早川隆景あたりが睨みをきかせて、吉川
元春あたりを大将にして三好、松永等を討ち滅ぼし、将軍を傀儡にして中央に威
を奮うのは可能と見た。
問題はその後、毛利輝元では天下の主としてはなはだ心もとない。おそらくこの
人物は下克上の時代でもあるし、毛利家家臣の有力な者に暗殺されるなどして
毛利家は混乱結局お家騒動の末、小早川秀秋あたりが主におさまるだろう。
その頃、東海地方ではかっては駿河、遠江、尾張、美濃まで勢力を伸張した今川
家が今川義元の急死後急激に衰退。新たな主今川氏真はやはり下克上の末家来筋
の有能なものにとって変わられ、その人物が東海地方随一の勢力をほこることと
なる。
そして毛利勢力とついには天下分け目の合戦をし毛利が勝利する。小早川は朝廷
から官位をもらい、四国の長宗我部を簡単に屈服させた後、九州に兵を進める。
九州の大友、島津等がいかほど強兵を率いてももはや敵するすべなくついに降伏
あとに残った東海以東の大名は全て平らげるのに多少時間がかかるかもしれない
が、だが屈服しなくてももはや小早川の天下は動かない。征夷大将軍となり小早川
幕府創立。よって最後に天下の覇者となるのは小早川と見た。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 17:13:07 ID:FEYFcCbT
実を言うと俺
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 19:14:26 ID:3L3t49SO
足利義輝が日本統一。足利幕府シーズンU。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 19:21:53 ID:2RS+plRh
>>91 ちょっと待てポマイ毛利の天下なら小早川秀秋なんていう人物が登場するはず
ないだろうが。
95 :
広島県民:2006/10/20(金) 19:26:36 ID:MbUu1r+9
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 19:59:49 ID:vVRmEpHN
i|!| |i┏┓! i!┏┳┓| |||i|!i| ||!i|| |||ii| ||| ||| |i||!|i│i!┏┓i!|
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|i|| ||i!i|| (_゜.,》.'(_゜,》)ミ ヽ ! | |!i||!|ii||!|ii|
i|ii / ,,__,ニ、、 ノ( | i|i!|i|
|i | Y~~/~y} `, ~ | そ、そんなー… |i
!. | ,k.,.,!,.,.,r| ,! く .!
i / <ニニニ'ノ \ l
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 21:22:32 ID:vaQkrFeI
当主 織田秀信
老中衆 井伊直孝 本田正純 黒田長政 片倉重長
筆頭大名衆 豊臣秀頼 上杉定勝 前田利常 毛利秀就 北条氏直 徳川家光 伊達忠宗 島津忠恒
軍務衆 加藤忠広 本田忠朝 細川興秋 鍋島勝茂 真田幸昌 九鬼守隆 蜂須賀至鎮 長宗我部盛親
政務衆 浅井井頼 酒井忠世 浅野長晟 加藤明成 山内忠義 増田長次 大友親盛 土井利勝
1625年、戦乱の世は幕を閉じ、老中・筆頭大名による合議制を取り入れた新政権。
三戦の「もし本能寺の変で信忠が生き残っていたら」スレで総ツッコミを入れられたやつじゃないか。
というか、どこぞのアホが光栄のゲームかなにかで天下統一したときの人材配置で
この後の世界ってどうなるってアホスレ立てたのが元
いや
>>97の話なんだが。もしかして元ネタがそっち?
そうか、スマソ。
>>1 1 どこも取れない
信長がいなかったら足利幕府が今川、武田あたりを頼ってた。
三国同盟で敵がいない今川が有力かな。
けど足利幕府の中央集権は無理、守護職地方分権主義で内乱続き
堺えごうしゅうが取ってたかな?貿易しながら西洋に学びながら中央集権制をつくってたかも?
将軍、天皇を担ぎ上げて。
そんな馬鹿な
下克上で商人(斉藤どうざん)が百姓(加賀一向門徒)大名になれた時代。
堺も独立国家だっただろう、その気になれば天下は狙えたはず。
信長みたいに将軍担ぎ上げられたらの話だよ。
「堺将軍」って知ってる?
堺幕府ってやつでしょ?
えごうしゅうとは別もんでしょ?えごうしゅうが財力だけに走らず、
貿易は勿論、鉄砲独占生産、米生産、貨幣流通して傭兵を大々的に持ったとしたら、
それなりに大名と戦えたでしょ?と思うんだけど?
今川は義元が頑張っても息子があれじゃ・・・続かないと思う。
氏真に直江兼続か片倉景綱みたいな人物が補佐にいればね。
氏真はかなり優秀な人物。後を継いだタイミングがわるかっただけ
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 21:19:46 ID:HxW3ZSHv
氏真に限らず、どこも二代目は危ういのしかいないよ。三国志だって同じだ。
傑物一代で統一できないなら、現状維持が精一杯といった所。
>>109 優秀だったのか? 蹴鞠以外でw タイミングを言えば氏真だけ悪い訳じゃあるまい。
>>110 傑出した2代目ってあまりいないのは確かだよな。
氏真も言われる程悪くは無かったはずだが。氏真スレ見てみなされww
2代目って・・・
代々の当主で最も優れたものを勝手に1代目にしてるから
2代目が大したことなく見えるだけなんじゃ。
そこは次代でも何でも読み替えれば良いだけ。
下らない突っ込みはやめようぜ。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 08:28:17 ID:QsKBSGDO
>>114 >>113は別に読み替えでどうとかなる話をしてるんじゃ
ないんじゃないかな。
> 傑出した2代目ってあまりいないのは確かだよな。
って言うときに、
「そんなことないよ!信長は信秀の傑出した2代目だよ!」
ってのが事例にならない意味で「2代目」という言葉を使ってるんだから
傑出した2代目が少なくなるのはある意味当然の帰結だ、
って言いたいんでしょ。
長尾為景→上杉謙信
武田信虎→武田信玄
伊勢宗瑞→北条氏綱
織田信秀→織田信長
毛利元就→毛利隆元
超曽我部国親→超曽我部元親
島津日新斎→島津貴久
>>115 まさにその通り
説明ありがとう
説明しなくても平気だろうと思ったけど
>>116みたいにいくつか例をつけとけばよかった。
他に伊達や佐竹今川三好なんかは有名どころの親も優秀だったりするな。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 19:33:21 ID:hkmKv1No
そもそも義元>氏真の固定概念がどうかと
衰亡の指針を示したのはそもそも義元
そんなこといったら、信玄も。。。
いや、信玄だけじゃなく皆そうなってしまうだろう
結局信長やら秀吉やらに勝てない流れを作ったのは同じことだし
多くの場合、力が頂点となった時点で既に衰退の原因は存在するもの
気づかないだけで
氏康と元就はしっかり次代に託したと思うぞ。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 09:55:59 ID:sAa5DhRM
>>122 そういう事じゃないんだよね
勢力の限界まで徴発した戦いで当主が死ぬと歴史的にも歯止めがなかなか利かないんだ
他に戦国時代の有名なところで豊臣、上杉、陶あたり
特に今川や陶みたいな討ち死には大概最悪な事になる
国家の安定を考えたら小競り合いの戦死や暗殺はまだ軽傷
そもそも信長という天下統一の理想を持ち、かつそれを具体化する方法を実施した人間が出てはじめて天下統一、という流れが出来たわけだろ
他の誰がいても、そのレベルに辿り着かなければ結局旧来の中世的な戦争が延々と続いてたんじゃない?
それこそ外国の植民地って落ちもありえただろう
するとー、信長の登場は必然か偶然かって話ですか?
信玄はずっとあそこにいてそうだな
金が好きだから
金と言うより(ry
シリアスホールが大好きさ
>>126 信長が出てくるまでは当時の大物大名でも天下ってゆー視野があったかは微妙だからな。
信長出現以降は周囲が淘汰されちゃってよく分からんし。
たとえば勝頼あたりは上洛の意志だけは有ったような感じだが、天下を目指してかというとなぁ。
個人的にはオヤジと比較され続けてキレたようなやけっぱちな印象すらあるw
信長のような大名の出現は状況による必然なのか、突然変異的な偶然なのか。
資質のある人間も生まれた場所によっては天下とか見える前に死んでしまうし。
>>129 勝頼はもちろん信玄ですら大義を掲げた領土拡張というのが適切では?
信玄の上洛ルートも徳川領に楔を打ち込むような側面が強いように見える。
勝頼の長篠敗戦はおびき出されたか徳川領経略が容易ならざる事態を迎えていたか
後詰を討たねばならんくらい退路が絶たれていたか、どのみち主力決戦する必然性は疑問。
信長がいなければ東日本はゆるやかなブロック化があのまま続いたのだろう。
今川も尾張侵攻以降は侵攻ペースが落ちるだろうし北条・上杉・武田は関東三国志で膠着。
西日本は元就の遺言にある「天下」をどう解釈するかによるがどうも京に長期滞在して
領国が混乱した大内家の存在が念頭にありそうなんで領土を拡張しても緩やかだろうなあ。
東から邪魔が入らない限り九州と瀬戸内海路の方が魅力的だからねえ。
信秀も京との繋がりは非常に大切にしていたけどそれは他の大名家にも見られるし
信長みたいに一代で、上洛ではなく天下統一っていう途方もない計画は普通思い浮かばんだろう。
三好長慶が1558年に義輝と講和せず名実共に幕府機能を代行していた状態が続けば
また新しい秩序を考えた、思いついた人物がいたかもしれないがそれがどんなものか想像がつかん。
三好長慶も天下を志向していた人物なんだろうな。
しかしいかんせん基盤がよわかったな。
基盤というより本人+兄弟+嫡男のじゅ(ry
義元も桶狭間で戦死した時まだ40歳なんだから、信長がいなかったらもっと長生きしててもおかいくない訳で、それならば氏真くんより優秀な跡継ぎが生まれてそちらが跡を継いだかもしれない。
優秀な弟がいたら、花倉の乱第二弾の悪寒
氏真は駄目な人なわけではないから
義元があんな死に方しなければうまく家を安定させたかもよ
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:19:07 ID:DgRwXpoP
それを無能と言う。名将と呼ばれる人は安定した家督相続なんて無関係に活躍しているべ。
合戦指揮でも槍働きでも芸術でも文学でも名を残せなかったその辺に居る俺のような凡人。
>>136 氏真の無能かどうかはまだ研究の余地があり評価が見直されているが、君の無能っぷりは考察の浅さから明らかだ
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:50:33 ID:DgRwXpoP
そこまでいうなら137の考察を聞かせてみな。
まぁよく分からんけど、名将ではない=無能ってのはどうかと思うぞ
無能=平凡って意味で使ってるなら知らんが
氏真には蹴(ry
普通に考えて、無能かどうかを議論される人物と天下は遠すぎる
そーか?
漢の劉邦なんかは、所詮沛のヤクザで当人は無能に近かったって言われたりするぞ
無能だから優秀な家臣に任せるしかなかったとかアンチ項羽の旗印にされただけとか
結構ひどい言われよう
好意的なものでも不思議なカリスマ性があったとかで、能力についてはあまり触れてない
結果を残してる人物と比べてもしょうがないよ。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 15:39:00 ID:E9FY+LT1
1576-*5 九州の大友氏、南蛮と手を結びキリシタン王国として独立を宣言する。
1576-*8 幕府は毛利家に命じて討伐軍1500を派遣する。→敗北
1576-12 今川義元死去。
1577-*2 細川幽細、幕府を見限り朝廷と手を結ぶ。→官軍となる
1577-*4 室町幕府15代将軍、細川軍に攻められ自害。幕府滅亡。
1578-*1 島津、大友に攻められ降伏。九州ほぼ統一される。
1578-*8 三河の松平元康謀反。今川氏真殺され今川家滅亡。
1578-*9 細川、三好家を滅ぼし畿内統一。
1578-10 松平、武田と戦い惨敗。
1579-*4 細川、毛利と同盟を結ぶ。
1579-*5 細川、松平を滅ぼす。上杉、川中島で武田軍を破る。
1580-*1 武田家滅亡。
1580-*4 細川幽細、征夷大将軍に任命される。
1580-*8 細川、四国統一。
1580-12 毛利が大友軍を破る。
1581-*6 大友家滅亡。
1581-*9 細川・上杉連合軍が小田原攻め。
1582-*1 北条滅亡。
1582-*6 細川幽細、本能寺にて家臣の明智光秀に殺害される。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 17:02:45 ID:CGg+W2yh
幽斎だろ
また意味不明な年表が出てきた…。
147 :
。:2006/11/02(木) 18:26:20 ID:IfqSLpOX
毛利だろうな。大名の輝元よりも吉川小早川が活躍しそう
>>144 んで光秀が天下取るのけ? 出来れば続きを!
だれが天下を取れるのではなく取ったかであるから
可能性が高いのは足利氏の幕府再興だろ。
なぜなら天下を望む武将が関西ではほぼいないし
まして幕府には一応敬意を示す大名のほうが多い。
今川が上洛して幕府を補佐すれば、浅井、朝倉も従うし
友好国である武田も応援してくれる。
まして今川には徳川の有能な家臣団がいるからね。
つまり足利氏に形式上担いで実権は今川が握る可能性が高い。
で義元亡き後、徳川が台頭してくる。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 09:36:57 ID:RxdEDJKj
んで担がれた足利義昭が今川(徳川)に不満を覚えて反今川(徳川)を各地の大名に呼びかけ包囲網を作るんだね?
義元が突然死んだりしなきゃ松平に力を蓄える隙はできないんじゃまいか
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:28:06 ID:fBT6jfZF
>>152 義元が有能だからこそ、家康以下の武将をどんどん
利用し、取り上げるとは思う。
ただ松平が力をつけても義元の生前中は手が出せないだろうが。
それに家康の嫁が今川の娘だし、息子も親武田、今川だろうから
反逆の芽は出にくいことは確かかもね。
そんな織田信長のような事ができると考えられる根拠は何だ。
秀吉は松下某の家来では一生家来のままだったぞ。
尾張等を制圧して勢力が拡大すれば今川家内での松平家の序列も
上昇はしただろう。
実際、あのまま桶狭間が順調に終わったら、元康の功績はかなり大きいものになるしね。
戦功をあげる→褒賞を受ける→発言力拡大
ここまでは分かるが、だからといって主家の実権を奪い取るまでは
相当のハードルが待ってる。
家康の能力が不足とは言わないが、状況が許すかどうかはわからない。
誰でも宇喜多や松永になれるわけではない。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:29:37 ID:oifAJYM9
>>154 秀吉の一家や周辺からしたら、そっちのほうが普通に幸せな人生だったんでは?
というのか気のせいか?
むしろ商人にでもなってたら政商という形で政治にもコミットできてたんではないか?
と思う。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:07:36 ID:LTVFUdfW
そもそも信長抜きの織田家がそんなにあっさり負けると言う根拠はない。
桶狭間時点で織田と今川にそれ程兵力差がなかった事も考えろ。
石高でいえば倍は違うのでは。兵力差がないとは?
兵力差が無ければ桶狭間はそれほど有名じゃないと思うんだが・・・
桶狭間の今川軍って諸説あっても全部で2万から3万じゃなかったか?
そのとき信長が集めた兵は4千から5千くらいだったはず
違ったっけ?
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 20:45:05 ID:oifAJYM9
織田家が結束して今川に対処できたかも考慮に入れないと。
信秀が死んだ時点で大きく分けて
岩倉織田家
織田弾正忠家
清洲織田家
犬山織田家
服部左京
とに分かれているからな
団結できなきゃ個々の勢力はそれほど大きくない
尾張統一は桶狭間の前年にほぼ達成されている
>>164 いやここは信長がいなかったらスレだから
信長がいなければ尾張の統一が可能だったかは分からない
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 21:45:45 ID:LTVFUdfW
んなこと無い。尾張統一戦で信長じゃなければ出来なかった事はないし。
信秀が居なかったらって訳じゃないし。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 21:53:36 ID:RxdEDJKj
信秀が死ななかっても統一出来たか解らんね!何故なら信秀は織田宗家と戦うより国外(三河とか美濃)に目を向けてたもんね?
まあ単純に信勝が継いでいる、斉藤とも同盟と考えて
まず清洲家と戦うのか?そして清洲家に勝てるのか?
また岩倉家との戦いも信玄とかなら無理して戦ったりしないような
兵力差。
また信長みたいに村木にいけるとか今川に対して有効な手段が
取れるとは思えないんだが、
山口の離反が無い可能性もあるが。
講談や小説等で語られているほどの兵力差がなかったというのは聞いたことがあるが
ほぼ同数なんて初耳だわ。そのへんくわしく説明してほしいもんだが。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 22:03:56 ID:RxdEDJKj
信勝が継いでたら終わり統一なんて夢のまた夢だね!今川が攻めて来たら籠城して降伏するか攻め滅ぼされるかで終わりだよ( ̄∇ ̄|||
史実の織田軍団で名をはせた武将のどれくらいが尾張制覇後の今川に仕えることに
なるんだろうか。秀吉なんかは松下之綱に再仕官としたりするのかもな。
>>164 尾張統一は桶狭間の前年にほぼ達成されている
全然されていない。桶狭間前は、尾張下四郡の内三郡を支配していただけ。
残り下一郡は服部君の支配地域で今川方、知多郡は飛び地。
尾張上四郡の一郡を支配していたか、信長に友好的な伯父さんが支配していたかのどっちかだった。
尾張統一ってーと犬山城攻めかな、1564年の織田信清を滅ぼしたやつ
支配権の確立ってだけなら、織田宗家の織田信安を滅ぼして実質織田家の頭領に
なったって意味で、1559年くらいで考えてもいいかもしれんが
で
>>168 斎藤との同盟はありえなくないか?
もし同盟できてたとしたら濃姫は信勝に嫁いでいる事になるけど、
それだと、道三に気に入られた事は前提なので、やっぱり義龍との不和は避けられないだろう。
かと言って同盟を結ばなかったら、もともと織田と斎藤はぶつかってた仲だし、
道三と義龍はやっぱりぶつかるかもしれないけど、信勝と仲良くする理由も無い。
桶狭間に突入した部隊や、事前の衝突に柴田や林といった幹部や有力豪族の名前が無い
織田軍は四方を敵と潜在敵に囲まれていた状況だから、使える野戦兵力は限られていたんだろう
このあたり今川は検地や楽市楽座・馬廻り強化といった改革を成し遂げた100万石の大名であり、戦略を整えて西だけに敵がいる状況を作り出していた
普通なら信長に勝ち目は無かった
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:40:53 ID:QzsRlMhD
かき集めた浪人や、馬廻り衆だけで突入したのかな。
なんかゲリラ戦みたいだな。
デアルカ
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 19:01:35 ID:LtioQRNi
今川や太源が偉人のように語られるのは家康や信長と絡みがあったから。
武田なんかはもっと分かりやすいな。神君家康を破った男だから強くなければならない。
今川が天下とるとかマジ笑える。
今川が偉人のように語られる??????
釣ってる?
上杉、御館の乱で景勝は勝てないだろーなー。
武田も織田との戦いで疲弊してないから、北条との義理を守るだろうし。
そーすっと、景虎が上杉を継いで、巨大な北条が生まれてたかも。
>>182 そもそも今川が強いままなら三国同盟は維持される
北条と武田は戦わない、北条と上杉は同盟しない
景虎が人質になることもないので御館の乱も起きない。
となるんじゃ。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 20:47:31 ID:mMhxbC6+
三国同盟もお互いの利害が一致している間のみ有効だった、と言うのは後の歴史の通り。
俺が今川義元だったら、尾張攻めにわざわざ自分が出向いたりしない
松平元康にやらせて、つゆ払いに
そんな甘い考えだったらあっという間に国なんか滅びるね
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 00:58:14 ID:tBcAzhFJ
義元の先陣に使われて、多大な犠牲を払いながらも領土は全く増えない。
それでも文句言わない三河衆乙
尾張に接する三河衆が、先鋒になるのは自然では
というか文句も何も、どう見ても松平家は義元に厚遇されていると思うが
「三河物語」とかでは今川の代官がかなり横暴を働いていたことになってるがな
まぁこれはそうしておかないと都合が悪かったのかもしれんが
元康はともかくとして、実質降伏者の過ぎない三河衆の扱いはぞんざいでもおかしくない
領土は増えなかったかも知らんが、家康が岡崎城に入ったのって
桶狭間で負けた時じゃなかったかな
岡崎城主が駿河に逃げちゃって、家康が代わりに入ったような
人質の元康の扱いが比較的厚遇だったのは、三河衆の慰撫の為だろ。それ以上の何者でもない。
松平旧臣が全部敵になったらやっかいだからな。
今川重臣と張り合う位置にいるってのは見当違い。
しかも越後の大名が突然関東管領になって関東はオレのものだと宣言するようなもの
尾張1国の大名が突然管領に任命されて近畿はオレのモノだと宣言するに等しい
斉藤義龍って不審死って話なかったっけ。信長が絡んでるかどうかは知らないが。
斉藤義龍、織田信行、今川氏真の三つ巴になったとしたら、斉藤が伸びそうな気がする。
>>195 なんでその3人の三つ巴になるんだ?
織田が信行なら、義元は死なないだろ
年齢からいっていずれそうなるだろ。人生50年の時代だからな。
伝奇小説やらの創作の世界では、信長の敵が急死したのは信長の魔力とか、その配下の妖魔のせいになったりしてるがなw
>>197 てゆうか、義元が相手なら、先に信行が死ぬだろう
義龍は信長より戦上手だから
>>200 基本的に防戦は楽。
てゆーか何某は戦上手と言うことはできても
誰より上手と比較することはできない。
と、いうか夭折してるんだからそう何回も戦ったわけでもないし
でも道三との対決では国人層のほとんどを味方につけるなど、政治手腕はあったようだね
国人層をまとめる政治力はあったが、
彼らを外部への戦争に駆り立てる、戦争指導力には欠けていた
斎藤家は浅井とも戦ってるのであしからず。
信長だけはつぶしたいところだが、
義龍がいた時期の尾張は信長の勢力も半分に満たない状況。
政治的な介入と小競り合いで様子を見るのは当然の策。
今川とも仲が良いわけでも無し。
またクーデター直後なんで、美濃内の父親の勢力の駆逐も忙しいし。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:30:11 ID:X7GrR5iF
おまえらは歴史をなぞる事しかできんのか?
義龍は浅井にも攻め込まれてるが、
信長にも、何度も攻め込まれてるな。
防戦はするが、反撃はできない・・・専守防衛主義?(ww
あんなバカデカイ国をクーデターで乗っ取って速攻で外に目を向けられるわけ無いだろ
ただでさえ八方敵だらけだわ、道三の影響で美濃は荒れてるわで。
ただ信長って義龍存命時にそんなに攻め込んでたっけか?
ないね。義龍時代の信長は、尾張国内の同族との合戦に明け暮れていたから。
で、ようやくある程度統一ができたら今川の大軍が。撃退したあともしばらく
は松平と国境で争い。一応の手打ちはすます。そうこうしていたら義龍死亡。
斉藤義龍は正室と嫡男が同日同所にて死亡って話があるじゃん。
自然死かどうかがそもそも怪しい
暗殺なら卑怯な手段だってことで敵方が宣伝するのでは?
暗殺されるのは恥だと思う、と言ってみる
今川義元の長兄と次兄も、
同日・同所で死んだらしいね。
当時、そうゆうことは、珍しいことではなかったんでは?
他に例があるのか? なかったら珍しいだろ。
どちらにせよ推測しかできないから、この話は終了だな。
流行病とかなら同時期にばたばた死ぬのもありそうだけど同日はな
暗殺としたら、たぶん毒殺だな。
信長、確かに怪しいけど、
道三派の残党がやった可能性もあるな。
それと、義龍の嫡男って、龍興じゃなかったの?
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 21:49:02 ID:MLK8K8T7
信玄は鉄砲での暗殺、謙信はかわやで刺殺の説があったっけ。
佐竹義重は暗殺防止に毎日寝所を変えていたって話もあったな。
義龍が暗殺でも不思議ではない。仮に長生きしていたら、無能じゃないんで土岐家の正当な後継者として地盤固めは楽だったろうに。
家康の殺害と影武者説もあるぜ
>>216 暗殺がそんな簡単にできたら戦なんて必要ないわけだが。
暗殺すれば戦の必要がなく、領土が手に入るって?どこのあほだ。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 22:55:38 ID:MLK8K8T7
その説は俺が作った訳じゃない。
大体だれも簡単なんて書いてないが。勝手に脳内で話を作らないでくれ。
毒味役や影武者が存在したことは事実。杉某が信長を狙撃したことも有名だな。最上騒動もきっかけは暗殺だ。
>>218 暗殺、意外と成功するもんみたいですよ。
宇喜多直家は敵の大将暗殺した上で攻め込むこと多い。
もちろん暗殺しただけでは無意味で、戦争しなけりゃならんけど。
大将が暗殺できればその後の戦争はかなり楽になるみたい。
暗殺を馬鹿にしちゃいけませんよ。
確率は低くても実際に起こるんだから。
>>222 ヤツと他の人物一緒にしちゃいかんよw
暗殺を使った策謀家は当然多いけど、これだけ節操無く、悪逆の限りを尽くした
暗殺の美学を見せた男は古今東西いない。
ただ最上義光は、合戦で兵が死ぬのを極度に嫌がる武将で、
そのため、暗殺が多かったと聞く。実際侮れないのは同意。
家康も史実では暗殺されたしな
関ヶ原で甲斐の六郎に暗殺されたってか?
家康は今川家の人質になってたときに一度殺害されてる
その後の家康はすべて影武者
最後の家康は家康15号
子孫の吉宗も疱瘡治ったら西田敏行なのにスルーだしな
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:41:33 ID:Mr6i6l3I
信長がいなかったら、多分年齢的に、今川義元ではないの?
信長がいなかったら家康、秀吉は出てきていないと。
でそのうち若さでどんどん伊達政宗が押し出してくる。
毛利は元就の遺言で中央をとらないから。信玄は寿命でその前に死ぬ。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:43:27 ID:pb3Nq7hI
伊達政宗なんて中央まで出てこないよ。ゲームじゃあるまいし。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:47:36 ID:Mr6i6l3I
いや、秀吉がいなかったらどんどん征服をつずけていた。
それに若さがある。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 03:05:04 ID:tXRx5Y+s
確かに信長がいなかったら天下統一は10年は遅れてたと思う
ということは政宗は若い分、俄然有利
奥州を制覇して、関東に臨む辺りにまで勢力を広げてたんじゃないか?
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 03:11:45 ID:QaCyeVqO
で、北条とぶつかってつまづく。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 03:15:54 ID:tXRx5Y+s
ま、佐竹や上杉を叩きに行くかもな
で、その辺りで中央を統一した勢力とぶち当たり
結局、土下座降伏
で、領国取り上げられて仙台の56万石くらいに落ち着く
奥羽をしっかり治める時間的余裕があれば、北条とも渡り合えるだろうけれどね。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 03:21:22 ID:alLfce9M
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 03:31:23 ID:tXRx5Y+s
政宗が奥州を統一してんなら、北条なんて組み易しだよ
しかし問題は、やはり
それ以外の中央勢力にやられるのは間違いないということ
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 03:59:06 ID:ch28aZgZ
じゃあ本願寺でいいよ
北条だって勢力伸ばし続けてるんだぞ
親切に伊達が南下してくるまで待っててくれるわけじゃない
島津も毛利も長宗我部も三好も今川も武田も上杉も
というか全勢力が支配力を強めるために日々動いてるわけだ
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 05:02:08 ID:Mr6i6l3I
人が結構重要だと思う。なぜ最初は今川かというと、信玄は義元の弟分だった。
なぜその後は伊達かというと、芦名を滅ぼしたとき、秀吉がいなかったら
こんどは佐竹と戦う。でも佐竹より芦名を滅ぼした伊達のほうが、国力は上になっている。
佐竹義重という猛将がいたが、政宗の勢いは織田信長によく似ている。
ここで問題は上杉だが当然武田、北条と争っていて伊達どころじゃない。
もし伊達が佐竹領まで併合したら、とうていそのころには北条は勝てない。
北条は北条で信玄が寿命で死んだら、当然武田勝頼と争っている。
つまり佐竹を伊達が倒すことがあったらその時点で国力も関東で一番になる。
またその時点で日本国では大大名であるから、伊達家ではないかと。
それを行う時間が政宗には十分ある。
これに対抗するところは毛利しかないが、ここは天下をとる気はないし、征服する意欲がない。
中央勢力は信長以外ではまとまらない。古いものを壊して突き進む新しさがなければ。
こう読んだんだ。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 11:45:54 ID:ch28aZgZ
>佐竹義重という猛将がいたが、政宗の勢いは織田信長によく似ている。
佐竹義重の名前出した意味は?
伊達と佐竹の争いもしらんなら口を出さない方が良いぞ。
政宗は佐竹の緩衝地帯と周辺の雑魚呑んだだけだから評価し難い。
寡兵の又兵衛なんかにはボコられてるし。
仮に関東進出しても北条の領土を削れるとは思えない。
つーかなんで北条と伊達が必ずぶつからなきゃいかんの?
史実でも合戦した事一度もないし、同盟組んでたんだから、
また徳川がどうなってるかわからんが、徳川か今川かいずれにしても組んでるわけだし。
東海、関東、奥州の最強同盟で、中央に乱入すればどんな勢力がいようと
さすがに負けるとは思われん。
佐竹、上杉を伊達が何とかしたらって前提の話なんじゃねの。
佐竹、上杉がつぶれるなら当然北条も肥大化してるって事がすっぽり抜けてるが。
上杉はわからんけど、佐竹は摺上原合戦でほとんど息の根止められてるんだから、
史実どおり政宗に潰されてると見て間違いは無いな。
ただこれも佐竹と直接ぶつかってるのは北条なんで、佐竹領は山分けに成るだろうけど。
関東制圧の最大の障害が佐竹だからな。むしろ北条の方がでかくなるよ。
北関東以北最強の那須氏が片めくらの障壁に。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 13:19:54 ID:tXRx5Y+s
北条は思われてるほど、強くない
伊達が特別すごいとは思わんが
もし、佐竹を敗れる力あるなら
充分勝てる
けど、その前に上杉だろ
根拠を言え根拠を、史実の合戦とか出して
>もし、佐竹を敗れる力あるなら充分勝てる
無理。脳味噌腐ってると思う。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 13:48:52 ID:tXRx5Y+s
状況を考えろよ
政宗が奥州統一して南下する頃には
中央にも大勢力が出来て、北条は史実通り西から攻められてる可能性大だぜ
で、佐竹は国挙げて全力で伊達に立ち向かうだろうが
北条は、その西の勢力と東の伊達から挟み撃ち
勝てるでしょ
ま、それ以前に北条事態強くないのは、事実な訳だが
>>252 では我々は宇宙意思によって生かされている存在なのですね、同務。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 13:54:05 ID:tXRx5Y+s
>>253 さぁ?そんなエホバみたいな事は他の板でしなよ
ま、北条の弱さと宇宙意思は因果関係あるのかも知れないけどね
>>254 さあ、おちんちんの皮を剥く作業に戻るんだ。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 15:16:46 ID:ch28aZgZ
>>252 >北条は、その西の勢力と東の伊達から挟み撃ち
その後どうなんの?
政宗厨きんもーっ☆
今川が〜三好が〜というのならば信長が家督を継いでからの時間の差があまり無いので
色々と予想も立て易いし、説得力も出てくるけど、
80年代に日本の勢力図がどうなっているかなんて想像もつかないから政宗が〜と言われても、
なんともピンとこないな。政宗を他のどの人間よりも突出した能力の持ち主だとも思えないし。
>>252 お前の想定だと上杉は潰れてるんだろ?だったら北条だけじゃなく武田も肥大化してる。
武田と北条は上野だけ考えても敵対する可能性たかいから、お前の言う中央勢力と北条は組むことになる。
事実、信長には関八州はお任せ下さいと親睦を図ってるしな。
ただ、信長がいなかったら天下統一は10年は延びたと言われてるだろ。単純な考えだけど1580年の10年前の中央に大勢力はない。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 19:16:03 ID:tXRx5Y+s
上杉潰れてるなんて一言も言ってないし・・
ただ、奥州統一して南下すんなら
どう考えても勢力の弱い上杉や佐竹から叩くのが筋だろ?
でも思うのが、オマエの言う通り天下統一は10年は送れるんだよ
そしたら、佐竹や上杉を滅ぼした後、伊達は北条を潰さなきゃ西に行けない
ただし、北条は東の伊達だけじゃなく、武田なり、他の中央勢力なり
西からも挟まれてるということ
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 19:52:30 ID:9KEYAqqq
佐竹、上杉が潰れるとしたら殆どが北条領になる。
もしそうなったら北条は天下人候補だ。
伊達は最上、相馬など目下の事をほったらかして中央目指すのか?
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 20:07:14 ID:tXRx5Y+s
いや、だから天下統一は10年は遅れるんだって
伊達は先に奥州統一が先だろう(ま、適当に南下はするだろうけど)
でも、その10年の間に上杉や佐竹が北条によって滅ぼされるとは思えん
だから北条は弱いというんだ
せいぜい関東一の勢力程度が関の山
安房の里見ですら残ってると思うよ
さすが政宗厨マジきんもーっ☆
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 20:18:58 ID:9KEYAqqq
なんか話があと付けばかりだな。初めからそうかけばいい。
伊達が奥州平定を優先させるとして、北条、上杉が現状維持って都合の良いシミュレートだな。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 20:28:47 ID:tXRx5Y+s
はじめから、そう書いてるじゃん
で、俺、伊達厨じゃないし
別に伊達が統一して欲しいなんて思っていない
ただ、あくまで北条の弱さから考察して
伊達は結構有利かな・・と
伊達だけが勢力を伸ばし、北条を弱いという等々、都合のいいように必死に政宗を持ち上げる姿はどうみても政宗厨です、本当に(ry
北条は関東統一は目指したとしても、以西への膨張を考えたかなぁ
今川・武田の同盟勢力がいるわけで。
信長が居なければ今川の急激な凋落もないわけで、三国同盟堅持上杉へは武田と共同で当たると読んだ方が妥当じゃなかろうか。
小田原のような守勢の城を築くあたり、北条が強いか弱いかはともかく、膨張志向は弱いんじゃないかと読むのはアリだと思うよ。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 21:00:35 ID:tXRx5Y+s
普通にそうだよ
そもそも、拡大路線まっしぐらなら
まず、里見を滅ぼせよ。と言いたい
でも、それすらも力及ばないのが北条クオリティー
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 21:13:04 ID:9KEYAqqq
里見、宇都宮、佐竹ら関東勢を吹けば飛ぶような雑魚と見るのはゲームやりすぎ。
北条は上杉との雌雄を分ける決戦を避けただけでイメージ付けられているが、ぜんぜん守勢じゃないだろ。
北条が弱いのは伊達厨というよりも信ヤボクオリティー
北条の動員体制の先進性
その他、いろいろ指摘されてるけどな。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 21:30:52 ID:tXRx5Y+s
>>269 いや、だからこそ
関東諸豪族やら上杉やらを北条が征服出来ないと言っている
何も好き嫌いで言ってるのではなく
事実そうだから無理と言っているだけなのに、理解しなよ
で、伊達の場合は奥州統一すれば
かなりの勢力になってるわけだし、北条と関東諸豪族の関係を利用できる
有利なんだって
また伊達か。なんで最上、相馬、安東、南部らを無視して関東平定に話が飛ぶのかが分からない。
またはなし変わるのかい?
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 21:42:41 ID:tXRx5Y+s
だから、いつ奥州無視して関東に話が飛んだんだよ。って聞きたい・・
こんなこと言って失礼だとは思うけど
バカなのか?
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 21:49:01 ID:9KEYAqqq
北条は10年天下統一が遅れても現状維持、そこへ奥州平定した伊達がさっそうと登場ってこと?
ありえないんで奥州平定せずに関東出兵と好意的に解釈してあげたんだけどそのままか。
三国同盟が維持されるであろうこのIFで一番史実よりも不利なのは上杉かねえ。
北条の関東平定戦が遅れたのは、
三国同盟の崩壊→武田との断交による影響が大きい。
今川健在、かつ同盟が維持されていれば、
里見、佐竹はもとより、上杉の勢力圏もどうなったかわからん。
信長のいない状況では北条の推移も
歴史どおりではありえないんだよ。
で、北条の武力は過少評価されがちだが、そう馬鹿にしたものではない。
>>275 自演並みの好タイミングで同意見の人がw
謙信が関東に根をはれなかった原因のひとつが
武田と北条を相手にした二方面作戦にあると思う。
伊達が奥州平定云々言うがよ、ゲームみたいに一旦従ったら唯々諾々と従うと思うか?
っていうかしつこいかもしれんけどあえてもう一度言わせて貰うぞ、
なんで同盟組んでる伊達と北条が戦争する事が大前提なんだ?
伊達は北条を潰さないと西に行けないとか言ってるけど、
信長の野望ですら最近では同盟国の領土ぐらい通れますが。
ゲームのやりすぎな上に、いつの時代のゲームをいつまでもやってんだよ。
あと、上杉領を上手く攻めれば北陸道から西へ行けるし、
何も同盟組んでて勢力も盛んで後ろの同盟も堅い北条家に無理矢理ケンカ売らんでも
いくらでも方法はある。
なんだかなあ。ゲーム的想像なのは・・・。
この流れの中に
>っていうかしつこいかもしれんけどあえてもう一度言わせて貰うぞ、
なんで同盟組んでる伊達と北条が戦争する事が大前提なんだ?
いつそんな事言ったんだ?しつこいかもと断りを入れるほど。
まあ北条を弱いとか政宗が奥州平定して、他は現状維持とか、考察とか偉そうな事言ってるわりに中身はただの政宗マンセーな人の方がゲームのやりすぎだと思いますけどねww
>>279 領国通過させて貰ったとしても飛び地になるし、今川領を縦断した先のような遠方の経営の難しさを考えても
そこまでして北条が西に興味を持つとは思えないんだが。
西に出るより目先の関東制圧が先でしょ。そのための三国同盟だし。
人のことを「ゲームのやりすぎ」とか言ってるわりに、発想がゲームになってるのは自分じゃないかと。
上杉をうまく攻めても、越後は取れたとしても越前方面は武田が出る方が早いと思うが。
同盟というのは、利害の一致があることが前提なわけで、利害がぶつかれば脆くも崩れるのは三国同盟を見て
のとおり。伊達と北条の同盟も北関東を分け合う形で領国が接したらどうなるかは分からないと思うけどねぇ
そういう意味じゃ、今川・武田の西進に冷や水を浴びせる北条の西進は同盟の成り立ちからして、その根幹を揺
さぶる事態になると思うが。利害関係が崩れてしまうし。
領国が接しているが故に成立する同盟と、領国が離れているから成立する同盟があるわけで、「同盟」でひっくくっ
て論じてるくせに他人を「ゲームのやり過ぎ」とののしる行いはいかがなものか。
奥州は豊臣の大軍勢に短期で呑み込まれたから、政宗にも同じ感じで平定できると思ってるんじゃないかね。
おいらは、北条については色々言ってるが伊達にはノータッチだからな。
奥羽の有力勢力だけど、どうなるかはわからん。南下政策は変わらないだろうとは思うけど。
>>281 上の方で・・・
>>244 っていうか日も変わって無かったからIDも変わってないし。
>>284 今川家を横切って北条家が西に行くなんてどこにも書いてないよ。
可能性として西に行けると言ってるのはあくまで伊達の話だけ、
レス自体伊達の話しかしてないよ。その同盟国としての北条の話しか今の所してない。
また、伊達も北条も関東・奥州の平定は楽じゃないし、それが上手く行ったとしても西国が気に成るという点で
利害は一致してる。伊達の目的は中央であって関東じゃないし、北条の目的は関東であって奥州じゃない。
ぶつかる意義が感じられない。
あと武田はそれこそ西を目指しそうじゃないか?信州と越後や三国峠付近を考えるに
そうそう簡単に越えられる所じゃないし、そこまでする価値もあるか微妙。
信州を押さえられれば後は西へ行きたかった所を謙信に尻尾つかまれただけに過ぎないだろう。
中仙道から美濃を目指せば遠くもないし。
伊達が一番天下人の可能性高いと思う。
まず、蘆名大崎葛西を潰して150万石でしょ。
2万以上の動員力で南部安東最上を瞬殺。
で、宇都宮氏を倒して関東侵入。
信長や武田のように方面軍を起き、北関東、北陸を伊達成実と出羽衆、南関東、東海を片倉、鬼庭で南下する。
中央の大勢力も伊達勢の量、士気に圧倒されて何もできない。
で、順調に1600年頃天下統一。
幕府を倒されないように薩長土肥の住民は皆殺しにし、耕作地帯にする。
伊達はスタートが遅すぎる。東北の覇者にはなれるだろうが、東北なんかに時間使うより中央目指さなければ意味が無い。
だが、最上など危険勢力はつぶさなければならない。時間がかかりすぎる。
おれは勢力の変転次第では
北条も天下争覇に参加していくと思うんだがな
関東を磐石に固めれば
あとはどこかへ進出先を求めるからな
信長がいなければ三国同盟は堅持
北条は69年からの武田との戦いが無いなら
下総制圧が数年早まる、佐竹と早期に激突
葦名は史実と異なり上杉佐竹に悩まされないため
下手したら南陸奥を統一して伊達は存在していないかも
>>290 史実での三国同盟破棄による武田信玄との数年の戦い
御館の乱に伴う武田との数年の争い
武田滅亡本能寺後の徳川との争いがすべて無かったとしたら
89年ごろには関東を統一できていそうな気もする
>>291 考えてみれば、三国同盟堅持だと、越相同盟も無いわけで、御館の乱自体無いな・・・
するとその隙を突いて上杉領を奪いのし上がった芦名氏が史実ほど膨らめるかどうかはやや疑問。
三国同盟が堅持されると仮定すると、
そこまで上杉が生き延びているかどうか、だよな。
信玄が選択できる進出先は北か西。
美濃は今川の進路を塞ぐので当たり障りが有る。
北になると思うのだが。
織田信長がいなかったら秀吉は浮かばなかったし、家康は100%確実に滅んでた
>>294 どう転んでも上杉は安泰
今川武田北条の方が先に死ぬから危ない
2代目がやばすぎる
>>294 と言っても義元もいくら信長が居ないとは言え巨大な尾張国を倒すには相応の手間もかかるだろう、
小豆坂の経験者である勝家らも居る訳だし。
その中で今川家も武田をそこまで抑える事は出来ないのではないか?
あくまで対等同盟なわけだし、美濃全域は問題あるにせよ、一部は領有を許す他無くなりそう。
または今川と合わせて尾張を侵攻して行く可能性もあるし。
信長が居なければ、武田と繋がる外交も無いわけで。
二代目とは?
氏政、氏真、義信
どれも暗愚ではないと思うが。
義元の寿命が不確定だからな
1577以降も存命なら、武田、北条に助力する可能性もある。
あと、俺が思う上杉滅亡は謙信存命中の話なので、
寿命うんぬんは勘案していない。
謙信存命中は戦で負けないから心配なし
北条は関東平定、武田今川は中央進出に向かう
謙信がどこに向かうかは武田今川の出方次第
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 04:02:09 ID:5pV6fYiz
>>286みたいな名参謀が太平洋戦争始めたんだろうな
>>285 伊達が西に行くだけならともかく、領土を切り取るの?
北条は通しても、今川も武田も通さないでしょ、そんなの。
本国と連絡がとぎれたらどうするのさ。身一つで戻れるような行脚ならともかく軍勢を率いていると万事休すだよ。
リスクが高すぎるし、拠点を確保したところで維持ができないよ。奥羽平定の方が楽じゃないか?
ゲームじゃないんだから。
>そうそう簡単に越えられる所じゃないし、そこまでする価値もあるか微妙。
>信州を押さえられれば後は西へ行きたかった所を謙信に尻尾つかまれただけに過ぎないだろう。
通過したいだけなら、南信濃を抑えれば中山道は確保できるじゃん。
北信濃で散々決戦やってるのに……そもそも来た品のに手を出したのは武田だし。
海の確保の問題もあるから取れるなら取るでしょ。上杉の弱体化って要素があればなおさら。
そうすれば西進する道が二つになって戦略の幅も広がる。
奥羽平定が楽、というのもゲーム(ry
>>300 上で北条と勘違いしてたり、話をぶつ切りにしてレスする癖はどうにかならんか?
俺のレスの根っこは「なんで同盟国で利害も一致する北条と伊達がケンカしないといかんの?」って事。
なんで奥州ほったらかして西へ急がなければいかんのよ、そこまでは争う利が無さ過ぎる、
その先の話「伊達が奥州を平定したと仮定した場合」の話だよ、初めから。
その時中央がどうなってるかはわからんけど、
>>244に戻るって事。
ずっと同じ事しか言ってない。
武田に関しては説明するのも面倒くさい、小笠原と諏訪と村上でググれ。
302の仮定する東海、関東、東北の同盟の盟主はどこなのよ。
中央に進出して切り取った領土はどうなる?きれいに3等分するつもり?
そんな事は無理。北条、武田、上杉が同盟と敵対を繰り返したのは領地が隣接していたから。
大勢力同士が隣接して何も起きない訳が無い。
つまり三国同盟堅持自体不可能って事?
だとしたら仮定が変わるから説明のしようが無い。
足利幕府が続いてた可能性って無いかな?難しい?
続いてた場合三好家が持ち上げた義栄だろな。
堺を中心にそれなりに史実よりは上手く行くかもしれない。
でもその三好家次第。
義昭は無理だろさすがに。
本願寺による一向宗政権になる可能性はあるんでしょうか?
京を制圧・復興して、将軍・天皇の権威を盾に統一事業を進める、
濃尾平野の農業・手工業地帯と京・堺の市場とを結びつける、なん
てことは、他の群雄には無理だな。特に東の戦国大名の構想は、
漠然と鎌倉幕府の再現を狙っていたんじゃないか。
>>307 他の宗派が黙っていない。
宗教を前面に押し立てた統一事業は無理だろ。
>>305 室町幕府を再建するには、三代・義満のように強大な奉公衆を
再編しなければならないが、京周辺の軍事力が相対的に地盤
沈下してしまっているから、仮にできたとしても無理。
>>302 別に、伊達が奥羽を放って西に行くなんて事は言ってないんだが。
伊達の拡張政策の先で北条とぶつかるだろうとは言ってるけど。
北条との利害の一致にしたところで、関東の諸勢力が間にあるから意味があるんであって、接触してもまだ有効な同盟
だとは思えないんだが。
伊達は豊かな南が欲しい、北条は関東平野が欲しい、じゃどこかで絶対利害がぶつかると思うが。
「同盟国だから仲良くするはず」、なんてナンセンスだよ。同盟にも色々種類があるって話しも書いたと思うが。
同盟組んでればケンカしないなら、三国同盟も崩壊しないはずだよ。
中央志向の高い武田が、越後越中越前を抜いて西に行くような勢力を傍観して放置しておくと考える方が信じられないんだが。
そもそも政宗の家督相続するのは84年だろ。ここにでてくる伊達家というのは輝宗の伊達家を
想定してるの?それとも政宗の生年も早くしてるのか?
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 10:38:52 ID:irubh05v
利害だけじゃなくて周辺勢力や地理とパワーバランスも見たほうがいい。
伊達が候補に挙がるくらいなら、まだ島津の方が可能性あるな。
島津には耳川、沖田畷、戸次川と信頼できる実績が豊富だし、九州統一は時間の問題。
対する毛利は20歳前後で家督を継いだ輝元。晩年の輝元は優秀だがまだ若すぎる。
両川は仲があまりよくない。力があっても100%は出せないだろ。
>>314 晩年の輝元の財政手腕は見事だね。
隆元が長寿を保っていれば、またいろいろ変わったかねえ。
毛利は天下を狙わない、なんて言ってはいるが、
実は元就死後も外征し続けている。
>>311 同盟にも〜って、一体伊達と北条の何を知っててそんな事言ってるの?
根拠は?担当外交官は?両国の歴史は?接触したら絶対ぶつかると言う根拠は何?
もっともそれだと摺上原合戦が終わった時点で何らかの衝突が無いと不自然だが、
それも別に無い。そしてそのまま秀吉に両方屈服する事になったのに、
何の根拠をもって言ってるの?
三国同盟が崩れたのだって原因があったでしょ?
それも挙げずに何故言える?政宗が関東に興味を示した事も史実には特に無いぞ。
何?その豊かな南が欲しいって、どの文章、またはどの合戦を元に推察したの?
どこかでぶつかるって具体的にいつを想定してるの?
俺は少なくとも上杉がいる間はこの両国があえてぶつかる理由は無いと考える。
その後は西の勢力次第。それでもやはり西の勢力がある以上は、無理な衝突をする根拠が薄い。
西もそれなりに屈服させた後と言うなら話もわかるが、そこまで話をパラレルに拡げるなら
もう予想の範疇ではないな。
史実では武田には越後への本格的な侵攻を行おうという動きもあったらしいけどね。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:21:44 ID:2d77zw8h
>>318 興味あるな。いつごろの話?
義元戦死前ならば、
武田にとって越後は有力な出兵先だったと思うんだ。
信玄ってバリバリ京にいくの考えてたんだろ?
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:29:04 ID:2d77zw8h
ある時点から、信玄の考え方が変化したと思うんだけど。
それは、桶狭間→信長の躍進・上洛→今川家の動揺
その辺りのどこかで。
はじめっから上洛思考ではなかったと思うよ。
伊達の話見ててちょっと疑問に思ったんだけど。
伊達は関東外征出来るほどの余裕があるんかいな?
大浦南部あたりや最上もいるし、大崎でも合戦が有ったよな、たしか。
もし伊達の勢力が広がっていくようなら黙っているわけないし
(隣の勢力が拡大する事を黙ってみているわけないし、遠交近攻という外交の基本から考えてもなぁ)
大規模に出兵するなら、近場を何とかしてないときついと思う。
史実で佐竹併呑をあっさり出来るような実力、当時の伊達にあったのか?
詳しい人解説ヨロ
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 17:33:11 ID:2d77zw8h
当時
っていうのが何時のことかによると思うんだけど
1590年会津併合直後の事を言ってるなら、
なんとも未知数だよなあ。
領地は広大で潜在的な力は大きいと思うけれど、
手に入れたばかりで統治も行き届いてないし。
上杉武田北条で三国同盟結べば10年足らずで天下統一、足利幕府の天下になったよ
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 02:11:04 ID:xtjw8kJg
最初に240を書いた者だが。。。
こんなに伊達で盛り上がっているとはおもわんだ。僕は伊達政宗ファンでも何でもなかったのだが。
出身地は毛利領だから。
伊達を書く前に今川って書いた。これは信長がいなかったらの話だ。
(誰かみたいに人の意見を完全否定する弁護士はいらないよ。ここは学会ではない、何も書けなくなるだろ。楽しく)
三国同盟は史実、武田は信濃を平定しに、北条は関東平定しに、今川は西へ向かう。
これが基本だ。当然厳しいのは上杉謙信だが、それでも信玄が生きている間は、領国を守っている。
信玄は今川亡き後、地道に大きくなったが、遠州を切り取ることによって大きくなれたとも言える。
それがないとすれば、ずっと謙信と史実以上に激突を繰り返していたかもしれない。
北条も里見、佐竹とてこずって、信玄よりは強敵を相手にしていない割には、さほど大きくなっていない。
また同盟なんて当てになるものではない。武田と北条だってぶつかっている。
みんなの意見を聞くと伊達はないのかなという気にもなってきたが。
かといて毛利は、元就あとも勢力を伸ばしているが、それは各豪族、小大名達に、自治権を残しながらで、
比較的自分の領土という意味では甘い。おかげで宇喜多などは後に国力そのままで毛利を裏切っている。
恨まれるから天下を望むなという遺言も、隆景、元春残命中では守っただろう。
歴史的に負けてもがむしゃらに戦争を繰り返している、信長や島津伊達が結局大きくなっている。
(いいか悪いかは別にして)だから若さで正宗としたのだが。飛躍しすぎていたかな。
ちなみに毛利両川は仲がいいよ。毛利の晩年の行政手腕は、輝元ではなく秀元が優秀だった。
ただ南部の話が出ていたが、当時北の大地は不毛だった。伊達が南部領をほしいかは疑問だ。
当時肥沃な大地は会津。
議論以前に自分の意見をまとめてくれ。
結局何が主張したいのかよくわからん。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 03:07:16 ID:RieT1+Nf
>>325 知識の元が
戦国ゲームか司馬遼の小説ぐらいに見えるな
小説だってもっとちゃんと読めばもう少し細かい所も見えてくると思う。
ゲームじゃ無理だろうが。
元が小説だってゲームだって良い。間違った情報じゃなければ。
ただ誰でも知ってる浅い知識を、さも尤もらしく語られると馬鹿に見えるから注意。
完全否定されるような事を言う方がなあ。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 09:27:02 ID:lAEpZo4s
弁護士→仕事で依頼人の利益を守る為
ここでの否定→誰の利益にもならないが、論理的に考えて妥当性がない為
否定されたくなけりゃ最低限の妥当性くらい持て
それが嫌なら黙ってルーズリーフにでも書いてろ
>>325 >かといて毛利は、元就あとも勢力を伸ばしているが、それは各豪族、小大名達に、自治権を残しながらで、
これは伊達についても言えるな
南陸奥の一郡程度保持している諸勢力をそのまま組みこんでいる
ただ伊達の場合はそれらがみな親戚だったりするが
豪族、小大名をいちいち潰していって直轄地にして領土を広げていく大名って誰?
竜造寺隆信あたりだろう>直轄領
なんとなく、信長公記の松永久秀の謀反時に幼い人質が見せしめに処刑される下りを思い出した。
簡単に裏切れるのはゲーム内だけだ
ゲームなら
「〇〇が裏切りました」
「(#^ω^)」
で済むがなあ。実際はそうはいかんし。
足利幕府はどっちにしても潰れていたか、もしくは権威を取り戻せたか。
もしくは傀儡政権か。
上杉謙信は関東管領の職に縛られていた
もしも足利義輝/義昭が機転を利かせて、
謙信を関東管領ではなく管領にしていたら、
謙信の戦いの矛先は関東ではなく畿内に向かっていただろう
室町幕府管領・上杉謙信なら、信玄や氏康とも和平協定(同盟)が結べたかも知れない
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 09:58:59 ID:Wz4W0WkE
縛られていたっつーか自分から縛られにいった
本来、高い身分を欲したのは信玄討伐の名目を得るため
ところがその名目に自分が縛られて関東と信濃の間で勝手に奔走して時間と労力を浪費
要するにその程度の器量。謙信が同盟を全うしたことが一度もないという身勝手さもあるから駄目だろ
>>338 長尾影虎が上杉家を相続した時点で、関東管領ねらいだし(w
釣りはいらんよ
あと、sageろ
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:01:51 ID:WGAUlZft
上杉は所詮謙信一代の勢力と思いがちだが、後継者さえはっきりさせればあそこまで弱体化はない。
謙信は協調性が皆無、あいつと同盟は無理
>>339 ちょっと違うだろう、
関東管領を欲しがったのは関東に攻めたかった(と言うか攻めまくってるけど)
口実を作るための方だと思う、信玄討伐の名目は村上義清を受け入れてる事で、
既に大義名分は無い事もないし。
後半は同意。
信濃に結果を残せなかったから関東にしたのかも。
武田が東海に進路を変えた事で信玄が北進を諦めたようなイメージがあるが、実際に諦めたのは謙信だよな。
関東管領として権威と武威を示すつもりはあったが、
領土を支配するつもりはなかった
だから制圧すると毎回、最小限の取り次ぎ役だけ残して、さっさと全軍撤退
この繰り返しだった
もしも謙信があと10年長生きしていたら、室町幕府の副将軍か管領として、
越後越前上野北信濃能登越中美濃山城丹波大和近江飛騨は支配していたかも知れない
謙信の跡目争いは無かったから、それで疲弊することもなかっただろう
>>346 無理矢理侵略しておいて、統治するつもりが無いって
領民からしたら最悪だし、山賊とまるで変わりないんだけどな。
上野の辺りはむしろ北条家に上手く動かされてる気がする。
>関東管領として権威と武威を示すつもりはあったが、
領土を支配するつもりはなかった
から
>もしも謙信があと10年長生きしていたら、室町幕府の副将軍か管領として、
越後越前上野北信濃能登越中美濃山城丹波大和近江飛騨は支配していたかも知れない
いやあ見事ですねー。
釣られすぎ
管領か副将軍に任じられたら喜んで畿内制圧に乗り出すだろうな
任じられない限りは制圧しないだろう
謙信とはそういう武将だ
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 08:52:26 ID:V8AgXpHH
命じられてもしたか怪しいよ
足利義昭に上洛してくれって要請された時、武田滅ぼしてから北条と和睦して上洛しますっていう寝言かましてるぐらいだもん
自分の実力をわきまえず、武田との和睦のチャンスも蹴った
要するに戦闘マニア
同盟を破りまくった経歴からしても信頼できる大名じゃないよ
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 10:29:23 ID:ZNeQNxig
自分は毛利かな?って思います。
武田、上杉、北条は、均衡しすぎて、そう状況は変わらないのでは?
毛利は、播磨地方は黒官が説得する以外は毛利に従う空気みたいでしたし
織田が居ないなら強大な敵対勢力も少なく京を目指せるのでは?
信長は特例で、やはり個人の能力云々より国力の強大や敵対勢力の有無の方が重要では?
信長がいなくても、美濃尾張間のバランスが崩れて
どちらかがどちらかを併呑したら一気に行くんじゃないの
斉藤龍興が天下を獲る可能性は結構、あったと思うな。
浅井を併呑すれば六角を無力化できるのでわけなく上洛できる。
背後を今川に突かれないかどうかだけが心配だが
今川の軍勢が駿河を出てから、龍興が
京都から岐阜へ防衛のために戻っても十分に間に合う。
>>352 毛利は所詮元就一代の勢力でしょ。ちょうど代替した辺りで九州最強になった島津、中央の勢力と当たらなくてはいけない。
とても全盛期の勢いで勝てるとは思えない。
> ちょうど代替した辺りで九州最強になった島津、中央の勢力と当たらなくてはいけない。
元就の死が1571年
耳川の戦いが1578年
沖田畷の戦いが1584年
毛利はねえ、土地に恵まれてた
中国の大名は雑魚ばかりで弱かったから領土拡大は簡単
この点は織田信長といっしょ
中国地方で強敵と言えば、かつての尼子経久くらいのもんだろう
あ、大石もあったか
対馬の宗さんとこの大石かもしれんね。
大内だ
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 21:00:22 ID:tateWkvF
信長の野望ってゲームおもしろいの?
面白いよ。
ただやるとゲームの知識で妄想してしまうが。
>>361 割と面白いけど、能力設定に関しては、
いろいろ大人の事情も混ざってるっぽいので
気にしすぎない寛容な気持ちが必要。
あと上杉謙信はどんなに好きでも最初は使わないほうが面白いかも。
>>361 キャラゲーが好きなら楽しめる。
コテコテの戦術ゲームやシミュレーションゲームを望んでいるのならば、スルーするのが吉。
シムシティー好きなら烈風伝だな。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 11:35:19 ID:j/mL/SnL
信長にしろ元就にしろ相手が弱かった論は結果論では?
のぶやぼの、滅ぼされた大名の扱いが酷いのの影響だな
当時の評判や国力は別。少なくとも一カ国以上の領国や数ヶ国の分国を持った大名が弱いとは到底言えない
それらを打倒してのし上った結果が強い勢力を作りあげたわけで
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 11:51:45 ID:FBWJKkCL
織田も毛利も鼻糞みたいな勢力から始まってるよね
武田や長尾がちょっと行き詰まったからといって相手関係が〜なんて恥ずかしくて言えない罠
毛利は最終的にも大した勢力じゃない。織田は足利義昭を使えなかったら簡単に上洛できてない。
366自体が結果論だね。
元就は、当時の勃興勢力だった尼子から敢えて離れて大内に乗り換えて躍進の機を掴んだ
信長は義元を討ちながらその遺領に拘らず美濃から畿内へ打って出る戦略をゆるがせにしなかった
目先の利益に飛びついて却って大局的に損した大名達とはやっぱり戦略眼が段違いだよ
元就は年の功
同じ年齢まで生きてたら他の大名ももっといろいろなことが出来た
>>369 尼子と手切れした当時は大内だってまだまだ強かったし
信長は元から美濃とも争ってたしなぁw
そういう結果から逆算した評価はやめようぜ。
目先の利益の積み重ねの上に成長がある。
>>371 信長は西(美濃)とも戦っていたが、東(三河・今川)とも戦っていた。
義元の死後、盟主を失って混乱する三河を併呑することは、すでに尾張を統一していた信長には、
比較的容易だった。並みの戦国大名なら必ずそうしただろう。
その目先の利益を捨てて、天下布武のためにはまず京都を押さえる必要がある、
そのためには西に集中する。家康を今川・武田への防波堤として育成する。
この戦略眼は確かにすごい。
例えば、戦略的にさほど重要でない川中島にこだわり、何度も謙信と戦ったり、
北へ攻めたかと思えば、東に、南に、また西に勝てそうな相手を攻めて、
結局、何をしたかったのかわからん信玄と比べてみれば、段違いの差があることは明らか。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:02:22 ID:gLDFVT52
比較的容易ってアホか。今川征伐が出来るならやってるよ。
あの時点では海とも山とも実力が不明な氏真がいるし、武田、北条の2強も黙って見てるわきゃない。
桶狭間の損害も義元戦死以外たいしたことない。現実はゲームじゃないぞ
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:12:10 ID:d4YB7WIZ
桶狭間後しばらくは今川や松平と戦っていたよね。
>>373大方同意だが、
>桶狭間の損害も義元戦死以外たいしたことない。現実はゲームじゃないぞ
おいおい。
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 23:21:49 ID:Nfb0qRSb
>>374 元康(家康)が手ごわいこと
講和に乗りそうなこと
から戦線を集約するいい機会だと思ったんだろうな。
昨日の敵を、いくら昔の行きがかりがあるとは言え
講和相手に選ぶというのは
なかなか柔軟な発送だと思う。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:19:18 ID:O03VgZTc
>毛利は最終的にも大した勢力じゃない。
最終的に
最終的に
最終的に
368自体が結果論だね。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:20:40 ID:UsgVd3oL
コーエー
>>372 おいおい、川中島は信濃の政治経済の中心の一つ、戦略上の要衝だよ。
ただ、信玄の戦略がかなりブレがあるのには同意。
信長が居なかったら足利義昭は誰を頼ったんだろうな。
義輝から最も信頼されていたのは謙信だけど少し遠い。毛利も遠いが義稙絡みで縁があるし無くは無い。
今川は逆に無い気もする。同族の実力者に権力も与えるとかえって危険じゃないか。
だから考えれば考えるほど明らかになるだろう
信長が天下を取れた最大の要因は立地(尾張)。
論理的に説明してください
>>380 >>同族の〜
ピンチに追い詰められたら
将軍家にとっては、ほとんどタブーにも近い後北条家にすら
アッサリ助けを求めた義昭がそんな細かい事気にするとは思えないw
もともと義昭は義輝と違ってすぐ僧籍に入れられてるから、父の世代の政争を見てない。
だから、将軍家の学問的な崇高さは知ってても、その裏側の政争的な部分は
恐ろしく疎い。今川家が助けてくれるとあれば、身内で実力者で言う事なしじゃん、
以上の事を考えるとは思えない。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 18:15:29 ID:uf5bGPsi
同族に対してはプライドみたいなもんがあるかもな。
北畠、一色、畠山には頼ってないし。
同族嫌悪、近親増悪は何も戦国時代に限った話ではないな
肉親や親類ほど裏切られたと思ったときの憎しみは強い
天下を取る、という発想自体がそもそも信長発だからな
信長が天下布武、つまり武家による天下=当時日本とされていた領域の一極支配を立案し実施しはじめてはじめてそういう流れが出来た
極端な話、信長以外の誰が天下を取っても室町幕府みたいな武家政権だけでも地方乱立、宗教団体も世俗に力持つ体制のままだっただろう
発想力と実行力の二つにおいて信長とその他大勢は超えられない差があった
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:58:07 ID:uf5bGPsi
本願寺を諸悪の根源みたいに考えてるようだがそれはちがうような。
反信長勢力が強力したから一大勢力になっただけじゃね。基本的には平和主義のはず。
叡山の高僧が糞なのは分かるが、何処にでも糞はいるもんだ。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:22:44 ID:BZbDRH0I
本ガンジー。
あっ、ガンジーと関係あるのかな?それとも鑑真か。
>>384 それは頼っても無駄そうだったからでは・・・w
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 02:07:39 ID:B0/kdvlu
400年近く年代が離れてるわけだが>ガンジー
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 02:37:19 ID:rWV3gn12
武家による一極支配(実質的なものも含む)なんて昔からみんな考えていたんじゃないの?
わざわざスローガンとして打ち立てたのが信長というだけで。
てか平清盛の時代から武家政権は続いてるが。
太原雪斎があと10年長生きしていればの条件で今川
その他の家臣では羽柴秀吉や竹中半兵衛の才を見抜けない
>>391 武家一極支配の思想と実行力があったら日蓮宗の僧兵のせいで京が焼けたり
後鳥羽上皇をして加茂川の水と比叡山だけはどうにもなんねぇよ、なんていわせないだろ
武家政権が成立してから一極支配を目指した行動が積み重ねられているのがわからないのかな。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:06:14 ID:JCjVfeWn
>>393 今川が反映する時点で
秀吉も半兵衛も出番が無い事に気づいてくれ
>>395 全然。むしろ鎌倉幕府も室町幕府も宗教勢力との融和に腐心してるじゃん
そもそも思想があったという根拠は?
そもそも鎌倉幕府の建設動機は、朝廷からの分離独立だしな。
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 16:02:37 ID:oONhvKJf
別に信長が何かやって朝廷のちからが弱まった訳じゃないよ。
日本には寺社よりもやっかいな朝廷というものがあったんだよね。
歴代の武家政権は権力の確立のために政治の場から朝廷の影響力を排除しようとしてきた。
室町時代の半ばまで武家と朝廷が争っていたくらいだ。
寺社仏閣への攻撃や武装蜂起する念仏教徒の弾圧だって信長以前から行われているし。
宗教勢力との派手な戦いだけを指して信長以前には武家の一極支配の思想がなかったなどというのは全く根拠がない。
高師直兄弟の発言や足利義満みたいな例もある。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 19:48:22 ID:K7Xmt3FY
甕割柴田に
貯め佐久間
猿面藤吉
どちへんなしの五郎左
一向宗はどの大名家とも交じり合う事できない勢力だと思うね。
戦略上、武田や毛利と結ぶことがあっても、天下統一する過程で100%ぶつかり合うと思う。
>>400 結局方法論と勇気と決断だよ
発想がなかったなんて言い出す奴は想像力が乏しい奴らだからほっとけ
単に目先の敵を排除してるだけであって、目標すら示してない話が根拠とはそれこそ想像力過剰ではないか?
結局、日本を長年戦乱的停滞に陥れた中世を超克しようとした意志と実力を持ったのは信長一人
半兵衛の出番が無いってどういう事だ?
普通に浅井客将のままだろ。もしかして浪人か何かと勘違いしてるのか?
りっぱな地方豪族だぞ?
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:43:23 ID:66r4RsLP
斎藤家で重用されなかった竹中は浅井家なら重用されるの?
秀吉というチャンスがなかったら一家臣で終わったかもしれない。黒田みたいな野心家は何処にいても頭角あらわしそうだけど。
秀吉(当時は藤吉郎)は今川の家臣の家臣だった時代もあるんだが。
もしかしたらずっと今川にいた可能性もないとは言い切れん。
そうすれば秀吉関係の人物は生きてくる可能性もある。
(まあそうなるとおね様の存在自体がなくなる可能性もあるが)
天の時。すべては時の運
猿楽師や茶坊主だって政権の中心に入り込める時代だ
もしかしたら秀吉だって勝ち馬に乗ればチャンスがあったかもしれない。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:25:37 ID:LOsfwlhX
秀吉が松下某の元を去った理由を考えてないのか。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 08:31:39 ID:YkUTxZDY
秀吉は百姓出身でしかも他国者だから有能であるほどいじめられた、と太閤記なんかの定番だな
実際、日本社会って保守的で今の感覚ではちょっと想像つかないぐらい余所者を嫌った風があった
信長の元にいかなければ出世どころか史書に名が出る程度にもなれなかったんじゃ?
停滞した中世から近世へと時代を動かしたのが当時としては異質の合理性を持った信長
極端な話、信長に敵対した大名達や勢力は時代に対する反動でしかなかった
百姓出身という考え方はちょっと気をつけたほうがいい。
あの時代、百姓と武士の区別は無い。
百姓がどうこうより、浪人であった事を重視した方がいい。
そして浪人や中間小者らの流動性は凄まじいものがあるからな、あの時代。
いや、浪人というより、一傭兵出身(傭兵豪族、野武士じゃなく)な事を重視した方がいいかも知れないな。
浪人というだけなら、武田家の重臣とかにかなりいるし。
いや、武田家でも足軽大将がせいぜいだよ>他国者
信虎が取り立てて二代仕えた奴もその程度。それ以上は有力国人とか譜代一門の現地組の独占
だから織田だけが当時としては異様な人事だったわけだ
武田は、信玄が結構浪人を取ってるんだよ。
原虎胤は他国浪人。
内藤昌豊は自国浪人。
高坂昌信は自国浪人。
山県昌景、馬場信春は、元弱小武士。
譜代家を継がせてるから、一見浪人に見えないけど実は大抜擢なのよ。
織田だって、秀吉は自国の浪人だし
明智は、足利が抱えてたんだし。
滝川は、一門衆という説がどこかにあった(扱い方が準一門らしい)。
森可成、村井貞勝とかは他国浪人だけど。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 12:28:54 ID:nle8xXpJ
信長がいなかったら…いまだに戦国時代…
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 12:42:30 ID:7zyZmoqX
リアルに竹槍vsB29ですかwwww
鉄砲次第。鉄砲で時代が変わった。
前田あたり有力。
尾張荒子からどうやって取るんだ。
>>416 【武田】2万5千で上洛【信玄】その44
からのコピペだが
828 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/19(土) 11:33:59 ID:Ndn2MTxg
こんな感じか?
春日はウホ
内藤は親が信虎の代の奉行
馬場は信虎の代からの重臣で甲斐の豪族
山県は先祖代々武田に仕えてる
小山田は大豪族
秋山は親が信虎に仕えている甲斐の豪族
土屋は金丸氏の出身で親が信虎に仕えてる
原昌胤は信虎の代から仕えてる甲斐の豪族
他国からの浪人
小幡虎盛は信虎に取りたてられた遠江出身
横田も信虎に取りたてられた伊勢出身
原虎胤も信虎に取りたてられた上総出身
多田も信虎に取りたてられた美濃出身
信玄が取りたてたのは山本勘助ぐらいか他国の浪人は
真田は信州攻略のためにって感じだし大熊も対越後戦略のためだろうし。
830 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/19(土) 11:45:58 ID:Ndn2MTxg
まあ織田も
秀吉光秀は別として
滝川は信秀時代
蜂須賀は豪族
と大半が尾張の豪族や各地の在地勢力、過去在地勢力だったものとかになるが・・・
でも森金森坂井みたいに尾張統一前に美濃出身の浪人を結構抱えていたか?
832 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/19(土) 13:20:40 ID:5T3w7D6G
>>828 馬場も、もとは教良石(?)とかいうわりと身分の低い家出身で信虎の代に
取り立てられて馬場氏を継いだと聞いたが。
833 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/19(土) 13:40:37 ID:Ndn2MTxg
>>832 その通り、教良石氏も甲斐の豪族
ただ信虎の代から重臣というのは言いすぎだったかも
馬場家を継いだのは信玄の代
837 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/19(土) 22:55:55 ID:Ndn2MTxg
他に信虎時代からの家臣として
板垣は武田一族
甘利は武田一族
飯富は武田一族 ちなみに信虎とは敵対していたが降伏
栗原は武田一族 信虎とは敵対していたが降伏
諸角も武田一族
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 19:45:15 ID:Jcb+xa0+
なんかこのスレの>>1を見たら最有力候補が今川になってるけど実際どうなの?
あの時点で今川義元の上洛が成功した可能性は?俺には武田信玄の上洛同様、不可能
に近いように思えるんだが…桶狭間で殺されなくても案外次の美濃あたりで
流れ矢に当たって戦死くらいがおちなんじゃないかな?
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 19:55:56 ID:hHRaVIC0
小牧長久手で榊原が書いた立て札の秀吉は野人の子云々の罵倒文を考えれば、当時秀吉がどうみられていたか分かる。
信長以外は内心同じように見てたはず。
>>422 いや、普通に今川だろう、三国同盟で後顧の憂いは無いし
足利家の親戚筋なんだから、途中の大名、豪族も黙って道を譲るだろう
譲らなかったとしても先鋒が三河勢かつ家に勢いがある
駿遠三に加えて尾張も支配することになるんだから
烏合の衆といはいえ兵力は圧倒的
ただ、上洛が成功したとして、足利将軍を立てて幕府の復興を唱えたとしても
周囲の大名、豪族は言うことを聞かないだろうし
上洛後は実力で周辺勢力を支配する必要はあるだろうね
>>424 三国同盟が維持出来るのかな?
急激に肥大化する隣国というのはいくら婚姻を結んでいたといっても、
あの時代でそこまで信用置けるものじゃないような気もするけど…。
それに駿府、遠江が拠点である今川家からすれば京都まで侵攻すると東西に領地が長くなる。
どのぐらいの期間で上洛をすると言っているのか分からないけど、
比較的短い期間での上洛を目指せば少し危険な気もする。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 20:46:04 ID:CXiTYHsa
義元が健在なうちはいきなり武田が矛先を向けてくるなんてことはないんじゃないか。
だとすると20年くらいは余裕があるからその間に東海と畿内周辺を安定させればいい。
北条だって関東の経営に専念したがるだろうし。
>>422 足利義昭を担いで上洛軍を起こせば、
朝倉・浅井、斉藤も協力するだろう。
史実で、
朝倉が協力しなかったのは、先祖からの因縁で織田に反感持っていたからだし。
武田はどこに進出するのか。越後か美濃か。
武田は飛騨口から進出して越中へ、そして越後だろうね。
謙信と徹底的にやるんではなかろうか。
まぁ、あの時点で今川が上洛する事はないけどな。
尾張を取れば、どれほどの力を得るかは想像に難くない。
東海道沿い海運完全制覇は、他の大名にはとんでもない脅威になるだろう。
あと、今川領は東国一の先進国だったから
烏合の衆は言いすぎ。
大内も何度か上洛しているが京都近辺に領地が増えたわけじゃない。
今川が上洛するとして、大内と似たような京警護で疲弊して終わる気もする。
織田勢力が無かったら、
毛利の名声が播磨を支配し、黒田のカンちゃん毛利家臣に。
安国JKとカンちゃんの外交官コンビで毛利拡大。
すまん、ただの妄想だ。
>>424 >足利家の親戚筋なんだから、途中の大名、豪族も黙って道を譲るだろう
>足利将軍を立てて幕府の復興を唱えたとしても周囲の大名、豪族は言うことを聞かないだろうし
矛盾してないか?
信長がいなかったら、例えば末期の北条氏みたいな地方独立王国的な色の強い勢力が何十年も割拠しあう状態になるだろう
どうも一勢力が飛びぬける要素が無い
436 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 10:35:51 ID:KuLQn2rX
>>430 東海道沿い海運制覇の為に、次に伊勢大湊を手に入れようとするんじゃないかな。
ところで今川義元はそんなに凄い将なのか?
まぁ、ほとんどは教育係である雪斎の手柄とは言われてるんだが、
今川家としては
全国に先駆けて「分国法」を制定し、家臣団を統制・近代化した。(全国で1番か2番目の早さ)
全国に先駆けて「楽市楽座」を行い、経済の振興に勤めた。(ほかには中央の六角がやってるが、東国では奇跡に近い)
東海道の大部分を押さえ、東国の海運(当時は輸送は海運がほとんど)を掌握
商人に多大な影響力を持ち、莫大な経済力を得ていた。
簡単にいうと、よく信長がすごいと言われているものは、ほとんど今川のパクリ。
信長と比べるなら、兵農分離してプロの戦闘集団を作った事を忘れないでくれ。
この板で兵農分離を褒めろなんて言ったら恥ずかしいぞ。
他のスレ見て勉強すれ。
>>439 当時の軍役を見ればわかるが、100%専業兵士なんて無駄も良いところ。
また利害の一致(武士:負ければ滅亡、農民:負ければ略奪)を計れる農民(地侍)の方が
金で雇われている傭兵よりも期待も信頼も出来るのが事実。
442 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 19:12:30 ID:Pc+43kez
農家に一人しか人間が居ないならまあそうだね。
伊勢盛時(早雲)は甥の今川氏親の後見人で駿河守護代を勤め今川の勢力拡大に大きく貢献したぐらいだから
今川と北条の同盟は一時関係が悪化したけど織田、徳川の同盟並に強固だと思う。
今川が強大化すれば元々家臣の立場だったこともあり北条は今川の勢力に合流するのではないかな。
>>442 現代の感覚ではかるなよ。
当時の最小政治単位は、個人ではなく村。
農村の生活を考えれば想像できるだろうけど。
445 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 22:10:06 ID:Pc+43kez
農家を村に言い換えても良いよ。意味は同じだし。
秀吉で例えると秀長以下兄弟は百姓で、秀吉は武家奉公。
信長を評価するのなら、個々の政策よりは独裁権の確立を見るべきだろうな
どんな大名だって、家臣団の合議や合意を無視できなかった時代に信長だけが欧州の専制君主に宣教師が例えたほどの権限を自己に集中させられた
後世信長の発案とされるほどの各種政策の効率性もそこから出てるんだろう
447 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 18:36:29 ID:Ta5+Q0p+
一つ断言できること
信長はほっといても家臣に殺されてた
448 :
熊次郎:2006/12/04(月) 22:53:53 ID:BQOwaBvL
中学校の教科書にも載っていたのに意外と知られていない定説
「日本人が、丘陵地や山麓の棚田から、平野部へ人口移動したのは、戦国時代
から」
この説を理解すると、信長観が変わるね。当時の農業技術では、関東平野に水田は
作れないから、濃尾平野に、日本一の新興水田地が形成されつつあったんだな。
しかも、この新興農村には一向宗が広まっていた。現代風に言うと
「信長は、20代で、日々成長する日本一の新興企業の社長になったんだが
、この会社には強力な一向宗労働組合が巣くっていた。」
てこと。こう書けば、
早くから天下統一を志したことも、一向宗を激しく憎んだことも理解できるよね。
449 :
熊次郎:2006/12/04(月) 23:02:07 ID:BQOwaBvL
と、なると信長がいない場合でも、濃尾平野の領主は、信長とよく似た
コースを歩まないと、勝ち残れないと思う。
まあ、たぶん、尾張は今川の勢力範囲になるが、尾張の国人層の結集に
成功した、川家中の人物が、今川家を乗っ取り、天下をめざすと
思うな。
まっ、家康だろうな。その人物は。
今川義元が生きていれば有り得んだろ。というかそんなことを勝手にやれば粛清されかねんと思うぞ。
451 :
熊次郎:2006/12/04(月) 23:36:02 ID:BQOwaBvL
義元と、家康の年齢差で自動解決。よっぽど長生きされない限り。
家康が尾張の支配を代行するの?
>>449 家康の道具的価値は、三河衆の統合でしょ?
なら、尾張は別の人に任せた方がよくない?斯波とか。
じゃあ天下を取るのは、斯波義銀ってことでいいかな?
信長が居なかったら1551年に信行が名古屋城と末森城を継ぐんだよな。
斯波義統は史実通り信友に殺されるとして、義銀は信長ならぬ信行を頼り保護される。
んで信友の清洲城は史実通り信光に奪わせるとして、信光もまもなく死去。守山城もげっと。この時点で織田の棟梁。
こうなったら犬山城、岩倉城なんて楽勝。
斉藤道三の娘と婚姻してるかどうか分からないが、1556年には道三は義龍に殺されるし斉藤は当面ごたごたで大丈夫。
尾張統一はむしろ信長が居ないほうが早いんじゃないか?
>>455 >こうなったら犬山城、岩倉城なんて楽勝。
勢力的にはその時点で五分五分ぐらいじゃないか?
457 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 19:37:12 ID:pwWf+aiq
信長と道三の会見が義龍謀反の遠因だとしたら
信長がいなかった場合義龍が謀反したら解らんぞ!
斯波義統と織田信光のも解らなくなるな。
>>455 まず義龍の謀叛はなくなるな
美濃は安定で勢力伸長の可能性アリ
んで圧迫を受ける浅井は泣かず飛ばずでその影響で六角巻き返し
またその影響で三好の拡大も鈍化…
と起こり得そうな事を並べてみたが互いの関係で切り離す事は絶対無理で必ず何らかの影響を与え合って全国に波及する
なんて感じで時代は歪みまくりで更なるイレギュラーは当然起こるわけで歴史は全部変わるよ
将軍家や三好家なんかの歴史は全て塗り変わるよ
セコい真理を持ち出せば、歴史は石ころ1個の場所がちょっとズレるだけで変わるんだから
もうちょっと奥深い推測しろよ、おまえら
460 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 20:51:28 ID:u3eljtlw
義龍謀反がないと言い切る癖に根拠が0の奴にそんな偉そうなこと言われる筋合い無い。
道三が土岐家の正統として義龍の生まれを利用したことや、謀反後に一色義龍と名乗ったのが創作だとでも言うのなら歴史は変わるかも知れないが、信長の存在で何が変わるのか?
461 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 21:09:40 ID:64Zy4tJP
>>460 僅かの事で人の運命は変わる事をわかってないのかな
例えば信長の後生まれになる家康は生まれない
信秀の行動も変わる事になるから周辺の人間の行動やせっくすする日取りも変わるからな
もちろん近い日時で類似の精子と卵子が結合して家康のそっくりさんが生まれる可能性もあるだろうが…
人の運命はちょっとした事で変わるのは現代も一緒
もっと環境や関係に敏感にって、普段から起こった事をちょっと振り返ってなぜどうして、タラレバを考えたりしていれば変わらないなんて思う事はないよ
>>459 義龍が道三を憎んでいた理由は、信長だけが理由じゃない。
土岐家の胤かもというのは眉唾だが、それ以前に義龍は道三に嫌われ、
信長どころか、年の離れた弟達の方ばかり可愛がり、
20代も半ばに入って弟達すら初陣を飾る年になっても初陣を飾らせてもらえなかった。
そのため、世間からも不器量者だと決め付けられ、弟達からすら嘲られたらしい。
そのため義龍が道三を殺す前に手始めに血祭りにあげたのはこの弟達からだ、
つまりは信長などいようがいまいがとっくに火種はできてたし、
公記にも「道三も老いて眼が曇った」と書かれている。
これだけ揃えば、義龍が黙ってると考える方が不自然だと思われる。
463 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 21:22:26 ID:u3eljtlw
そんな事は聞いてない。
義龍の謀反が無いという根拠を聞いている。
464 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 21:30:08 ID:64Zy4tJP
>>463 あるかもしれんし、失敗するかもしれんね
環境も変わるから道三だって義龍だって見る方向が変わるわけだから
俺からしたら必然と言い切る理由がわからない
あ、
>>461で家康など後生まれは生まれないなんて言ってしまったが、それを言ったらこのスレがどうにもならなくなってしまうから見なかった事にしてくれ
すまん
465 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 21:34:01 ID:u3eljtlw
つまり根拠ないのか。失敗するかもってのもどうせ根拠なしだろ。
思い付きを語り出すときりがないよ?
466 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 21:35:44 ID:64Zy4tJP
>>465 人間の行動原理がそんなに理路整然としているとでも思っているのか?
義龍は斎藤義龍ではなくて、土岐義龍だったんだろ?
>>467 それは、そうかもってだけ。はっきりはわからない。
道三が旧主から払い下げて貰った側室が生んだ子が義龍なので、
そういう推理もできるってだけ。また道三とは余りにも体格が違ったらしいので、
その辺からもそういう噂が立ったらしい。
ただ旧主の土岐頼芸も別に大きな体格してたとは聞かないし、
強引な手を使って旧主を追い出した道三が、義龍を正当な美濃の後継とするために
わざとそういう噂を流したという説もある。もしそうだとしたら、道三の策はそういう意味では成功したといえる。
また上に書いてるように道三から教わった事などない筈なのに、
弟らを素晴らしい手際で抹殺して、重臣らも隣国もことごとく根回しし、
あの道三を信長も間に合わないうちにここまで鮮やかに葬った手並みは、
紛れもなく道三の血のような気はする。
ただいずれにしろ義龍が本気で道三を憎み殺害したのは変わらないし、この事態に織田家は余り関係ない。
>>464 俺にはそんな幼稚園児も恥ずかしくてしないような言い訳言ってるお前さんがわからない。
何がしたいんだ?
470 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 22:08:57 ID:64Zy4tJP
>>470 すまん、俺の話のレベルがスレにそぐわない事に気付いた
楽しくやってくれ
471 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 22:10:36 ID:64Zy4tJP
信長が居なかった場合、変わって来るのは家督相続後という仮定に穴があるなら根拠と共に指摘すれば良いだけだよ。
その石ころ1つで変わるという人間行動学とやらで。
それが出来ないのは仮定を作れるだけの知識がないからなのに何を偉そうに語ってるのか。
473 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 22:36:33 ID:64Zy4tJP
>>472 終わらせるつもりだったが、そこまで言うなら持ち前の知識をもとにそれなりの推測を聞かせていただきたいな
既に正確な予測は不能な事を示したので、少々突飛な話だって構わんだろうから恥ずかしがらずに披露よろしく
455参照
>>474 つまり石ころ1つ程度じゃ世の中変わるわけがないという意見か…
わかった
悪者は去るよ
>>473 あのさ、確かに石ころ一個で変わってしまうのが歴史だが、
そんな事を行ったら事実と異なる仮定の話なんて一切出来ないのよ。
つまりあなたが
>>459でずらずら書いたことも全く無意味。
最初から仮定の話に興味なしって事だったならともかく、
自分からこのスレに無意味な書き込みをしておいて
>>470この発言。
正直あなた見ていてあまりにも恥ずかしいですよ。
人間のレベルが低いというのがよくわかる
>>476 趣向に沿わない発言をして悪かったな
ただそれだけ大口を叩くならせめて雨降れば桶屋が儲かるレベルの関係と環境の考察をしてくれ
>>475 あのね、石ころ一個で歴史は変わる、だから完全な推測なんてのは確かに不可能だが、
それでもそれなりの根拠があり、より説得力や実現可能性がある推測と、
そうでない推測ってものがあるのよ。
で、この場合は信長の存在以外にも道山と義龍の対立の原因はあったことを示して、
謀反は起こることを予想している方が、
あなたのように何の根拠もなしに、石ころ一個で変わるから起きないといい続けるより、
はるかに説得力がある。
悪者って言うか、率直に言ってあなたの行動は、
歴史的な知識があまりにも乏しくて話についていけないという状況にしか見えない。
>>478 考察してくれって、
少しでも羞恥心ってものがあるなら、むしろ自分の考察を披露すべきでは?
石ころ一個でも歴史は変わるが、
そうなる可能性が低い推測とより高い推測があるということくらいは分かるでしょう?
あなたの知識を根拠に推測すると、どうなる可能性が高いと思うんだい?
ちなみに個人的には
>>455の流れまでは支持できる。
むしろ尾張統一は早まる可能性のほうが高いと思う。
付け加えるなら、
道三と信秀の同盟は信長の存在の有無とはあまり関係のない、
家と家の外交関係で起こったことだから、
信長でなくとも、織田家の嫡男が道三の娘と婚姻していた可能性も高いでしょうね。
>>479 謀叛ってものの特異性を歴史の必然と考えるのもどうかと思うが確かにちょっくら中央の騒乱というより美濃全体を巻き込んだものだったから俺が思っていたより謀叛の可能性高いのかもな
ただ尾張の情勢が変われば謀叛までの道三の局面の決断と戦果も変わってくるから、果たして義龍が同じような調略の成果を得られたかどうか…
史実では道三が下手を打ち過ぎた面もあるから、歴史がズレれば内戦状態になってしまう可能性も高い
もし…
めんどくせぇ、俺の負けでいい
つまり信行次第では道三が尾張に攻込んで来るって話を言いたいのか?
政略結婚だから1548年に信行との婚姻はあるとして、1549年の正徳寺の会見もあるとして
この会見次第で1551年の家督相続以降は変わる可能性はある。
とはいえ、道三も1551年にようやく美濃を乗っ取ったって所。まるで斉藤家が磐石なのを前提で語ってるのが違和感ある。
信長は義龍に合戦で一度も勝てなかった
>>482 さっきっから気になってたんだが
そもそも長良川合戦の時の美濃の大名って誰よ。
486 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 04:47:08 ID:s/i0Tps7
家桶屋だけど雨降っても儲からないよ
信長はどっちみち家臣に殺されてたから天下は絶対に取れなかった
人に恨みを買いすぎた(人心掌握が下手だった)
人の恨みを買わないで勢力拡大できた大名なんているんか?w
それこそ無茶だわ
織田信長がいなかった場合、
信秀の後継者は信行で決まりだろうが、
信秀の死後、守護代信友が勢力を伸ばしつつあった。
この二人のうちどちらかが尾張を統一したか、
別の人物が統一したか、
あるいは、尾張統一できないままだったか、
いずれにしても、今川義元の本格侵攻を受けて、
桶狭間でこれを撃破できるのは信長以外にはいないと思うので、
結局、信長がいない場合、尾張は容易に今川傘下になっていく、で間違いない。
490 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 20:02:07 ID:OClfhBuX
尾張守護のシバ義統と守護代信友の対立は信長かんけい無い。
という事は信友が義統を殺すのは避けられないし、義銀が尾張実力NO1、2の信行を頼ってくるのはめにみえる。信光も主殺しに肩入れするとは思えない。
分からないで済まさずもう少し頭つかえ。
問題は信友に勝てるかだが
柴田がいるから勝てるでいいと思う
でも岩倉家に勝てるかどうか
また今川がちょくちょく攻撃してるがそれにどう対処するか
信長みたいに村木砦を攻めるというのは信勝には不可能だと思う
>>柴田がいるから勝てるでいいと
意味不明
>>492 清洲城の奪取自体は信光の力も要るし、信長の策も大きいけど、
一応その前の清洲との前哨戦では柴田勝家が独力で野戦をして勝利を収めて、
信長もそれを大いに喜んだとかあったはずだし、そういうことじゃない?
実際の野戦で既に勝ってる以上、形はどうあれ信長がいなくても勝てそうではある。
494 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 21:51:41 ID:54zl6cm3
政宗が生まれて来る可能性なんて無いと思うけどな。何でかって?
受精する可能性は三億分の一です。
というか政宗は「血的」にやばいんだよな。アレな子供が変わりに(ry
>>467 義龍が土岐を名乗ったのは一時期だけ
即刻斉藤に戻してる
496 :
453:2006/12/09(土) 22:25:18 ID:cKN+MjFD
>>490へのレスとしては
>>489(俺が書いたんじゃないけど)
いざ桶狭間に負けて尾張が今川傘下に入ったときに、
敵対していた織田やその同族(下克上)よりも、
主君筋である斯波義銀の方が、
尾張衆統合のための神輿としていいんじゃないかってレスだ。
父の義統は今川を頼ってたし、家格も文句ない。
なんでこんなに迷走するかな。
だれも君の話へレスしてないが・・
あ、そうなの?全部つながってるもんだと思ってたよ。
けっこう散文的なんだな。了解しました。
499 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 19:47:20 ID:HCM28+Mq
>>495 義龍は、土岐頼芸が隣の越前にいるのに、
実父として迎えるとか、
保護下において安楽な隠居生活をさせるとか、
そんなこと一切してないもんね。
500 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 20:00:40 ID:9D3tnVQo
逸話は想像すればきりがないが
本能寺の変
1 サルが自分の天下取りの野望に信長が邪魔でそれで明智をそそのかしけしかけ信長を討たせ
そして自分が明智をうつことで必然的にトップになった
2 家康が信長を邪魔におもい明智と密かに結託して信長を討たせた
明智の本心はやっぱり明智にしかわからないからな。多少のフィクションが許されるなら
こんな本能寺があってもいいんだが。大河の時代考証だって絶対的に100%その通りかっていえばどうかと。
信勝の織田家は今川に下って
斉藤龍興は武田に追われて
甲駿相三国同盟(旗下に織田松平)が義昭奉じて上洛
その後、関東の北条、東山道の武田、東海の今川、北陸の上杉、
九州の島津、四国の長曽我部、中国の毛利、そして本願寺
が日本の覇権を争うと言うところだな
信長が登場しなければ誰も天下取りなんて考えなかったに1票
まあ信長は天下を取れなくて実際に天下を取ったのは秀吉だけどね
信玄とかは室町幕府の副将軍・管領までの男
秀吉は信長の遺産を引き継いだだけ。
本能寺の時点で、天下統一までリーチの状態だった。
毛利は下る寸前、上杉は崩壊直前、北条は信長に誼を通じている状態。
上杉は武田が滅亡して、南からも攻撃される時点で詰みだな。
506 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 11:29:47 ID:ja7RKu3q
秀吉は仕官できず死ぬまで百姓だね・・
普通に考えると今川なのかな〜
507 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 15:05:55 ID:QSglzUuv
近代鉄砲戦術を駆使して島津が北へと駆け上る
508 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 22:17:53 ID:Bhvlmtau
細川京兆家(あるいは細川和泉上守護家)が室町将軍家を潰し、
自らが足利宗家となって室町幕府を中興した。
以上。
509 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 22:26:32 ID:qrdbe2/b
毛利はまだ織田とやりあう余力が十分あった
本能寺がなくても信長は毛利に討ち取られていたかもしれん
どう見たらそうなる。
>>510 パワーゲームばかりじゃないからね、かもしれないっちゃかもしれないだろ
まぁ歴史に必然なんて1つもないって事なんだけどな
かもしれないにいちいち突っ込んでいたらキリがない
討ち取られていたかも?という部分じゃなくて、毛利は余力があった、
というコメに反応したんじゃないのか?
513 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 06:31:46 ID:T9FZ9Pc4
織田は足利一門の仇敵
514 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 09:46:17 ID:NhhYLk01
仇kwsk
陶晴隆に裏切られなかった大内義隆。一番可能性があるべ。
>>515 いや、陶にやられたことと信長の存在に直接の因果関係はないから、
スレタイの主旨に合わないのでは?
517 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 20:10:39 ID:3wSP1rrS
陶晴賢か隆房って名前だったような。
それはともかく確かに大内は足利将軍から政権参加を要請されたり当時武家としては最高の官職を授与されてたから可能性は高いな。
官位は金の力だけどね
陶隆房=陶晴賢だけどね
義興は半ば天下取ったようなもんだったけどね
義隆は、信長がいなくても、陶に殺されることは既定の事実だし。
義興は、一時的に京都周辺を制圧しただけで、天下取ったことにはならないし。
まあ天下取ったって言うのは言い過ぎだろうけど
高国政権は義興の軍事力に支えられてたし
どこまで制圧したら天下取ったといえるんだ?
>>521 制圧領域よりも諸大名に号令をかけられるかどうかじゃない?
まあ、畿内全土の掌握は必須かな。
でも、畿内=天下って事でもない気がするんだけどな。
鎌倉幕府だって、江戸幕府だって東国だし。
むしろ、武士は東国で天下を治めるもの、って感じもする。
武士の頂点は征夷大将軍だし。
経済的なことを考えると、畿内の制圧は必要なんだろうけど。
そりゃ家康が征夷大将軍になって江戸に幕府を開いたからな。
それまでの京都の足利幕府、大阪の豊臣政権は近畿にあったから。
江戸時代に京都を支配したところで天下には遠い。
長曾我部か島津だろうね
日本の5分の1くらいを領土として動員兵力10万くらいになると
他がなびいてくるはず
島津は大大名毛利、長曾我部に囲まれててちときついかもしれん
義元も捨てがたいが武田北条が黙ってないだろう
釣れますか?
527 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 21:23:24 ID:irvcXH3p
陶が裏切らなかった大内がありなら、新宮党を潰さなかった尼子はどうよ。
こっちは天下とる可能性低そうな感じか。
528 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 23:08:07 ID:fzuSAEFZ
義元に天下取って欲しかった。桶狭間のアレでイメージ悪いけど結構がんば
っていると思う。
別にイメージ悪くないけど
>>527 どっちもなしだよ、スレタイは「信長がいなかったら」。
陶がいなかったらとか毛利がいなかったらというテーマならそれもありだが、
このスレとは基本的に関係ない。
531 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 16:03:04 ID:zLDhBX/4
>>528 織田信長がいなかったら、今川義元は、今ほど有名になっていただろうか??
有力大名だったし、分国法なんかも取り上げられてたから有名だろう。
個別の例では改革を行っても、結局歴史全体から見れば信長から秀吉・家康の系譜以外は中世体制
極端にいえばこの三人以外は反動に過ぎないとも言える
出た、ビジネス小説作家の受け売り。
尼子を経久一代限りといってしまったらいったら毛利の立つ瀬がないですよ
尼子がそうなら織田もほぼ一代の勢力だろうよ
弾正忠の家は決して勢力として小さくない。
信秀もなんだかんだで勢力拡大しているし、信長の基礎は間違いなく作ってる。
>>1 つーか信長は結局天下取れなかったし
畿内中心に勢力を拡大しただけの地域大名
光秀が裏切らなくても第2第3の光秀が現れて、
結局信長では天下は取れなかったよ
541 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 08:37:17 ID:si5P9KW0
>>531 あの最後がなければ大河ドラマになってもおかしくないくらい。
542 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 16:03:22 ID:5qCSwoM1
だれか最大勢力を京都中心に天下の実権を握っても、
鎌倉みたいに、足利幕府の執権とかに就いたと思う。
543 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 17:09:08 ID:FYM0xKEH
どこからか第二の信長がでるだろ。
あるいは秀吉が別なところに仕えて大活躍して主家をのっとって天下とるか。
秀吉は一代だと無理だろうな。
秀吉と高台院に息子が居れば、その代には天下を取れたかもしれないが。
秀吉は風除けになってくれるトップランナーが居たから天下を取れた訳だし。
今川が三好に勝てるかな?
どう見ても最盛期の三好家と当たるんですが。
>>545 三好家は最盛期じゃないよね。
今川が上洛するとしたら、
尾張を併合して10年後くらい。北伊勢もたぶん併合。
そうすると、駿河・遠江・三河・尾張・北伊勢、ざっと150万石。
義輝将軍が暗殺されて、弟・義昭が、朝倉経由で今川に来るから、
こいつを担いで上洛。 ←今川上洛はこの時に確定的
おそらく、朝倉・浅井・斉藤も協力。
信長の2倍くらいの勢力で上洛するだろうから、三好・松永は軽く一掃できる。
今川義元は織田信秀に小豆坂の戦いで一度は破れてる。
信秀が急死、織田の内紛がなければ今川の勢力伸張がスムーズにいったとは考えられない。
今川絶対主義のやつは今川に信長と同じ事が可能と思い込んでるだけ。
>>546 >三好・松永は軽く一掃できる
そのシナリオで行くと1570年代に上洛ですな。軽く一掃されたのは、内部抗争をして
いたからですが、久秀は信長が来たおかげで助かったようなもの。実際は三人衆と
筒井順慶に押されに押されて、滅亡一歩手前。従って、史実よりも有力大名の上洛
が遅れれば、確実に久秀あぼん。そして三好家はまた一枚岩になり、容易には崩せ
ない。更に、傀儡とはいえ、長くいることで新将軍義栄の権威も段々、定着してこない
こともないし、義昭という大義名分が期待できなくなる恐れも。それから当主の義継は
統率力がないと言われているが、1568年当時17歳。長ずるに従って、どう化けるか分
からない。あの鬼十河の息子で長慶公の養子なんだし。後、義元は伊勢よりは美濃に
進むんじゃないの?京を目指すのであれば。
>信長の2倍くらいの勢力
確か信長が上洛した時、6万〜8万だったと思うけど、朝倉が加わるのと駿遠三が一枚
岩なだけで、12〜16万人も動員できるかな?
>>548 > 確か信長が上洛した時、6万〜8万だったと思うけど
信長は、徳川・浅井の援軍含めても3万程度でしょう。
そのうち信長に命を預けてる数は1/10くらいか
信長がいなかった場合、本願寺勢力を廃除できる奴がどこにいる?
誰も廃除できなかったろーな
皆が皆、本願寺って潰す必要あんのか?
>>552がまったくもって正しい
そもそも戦う必要なし
敵対してた仏敵信長が馬鹿なだけ
結局、織田家嫡流は滅び、本願寺は健在
家康のようにうまく分離させるのが正解。
無理に潰すのも、下手に媚びるのも無理がある。
結局、信者同士でまとまらなくなって来るんだから、上手くついてやれば良いだけのこと。
家康も若い頃に苦労したからこそ理解したんだろうけどね。
ただ本願寺はともかく旧仏教勢力はなんとしても潰す必要あるな。
江戸期に寺社を役所的なもんにしたのが今の日本人の宗教意識の薄さの
一因になってる気がしないでもないんだよなー まったくの妄想だが。
もし信長のような人間が存在せず、織豊徳の流れがなかったらまったく別物の
日本ができてたかも
それを妄想するのが楽しい
五山十刹か
これだって潰さんでもええと思うわ、力を削げば
なんとかなるもんだとは思うんだよな、甘いか?
寺社領が多い大和も半ば押さえた長慶時代の久秀のように
本願寺というか一向衆は国を奪い戦国大名化して各地の守護及び戦国大名と抗争していた
戦わない大名の所領では寺がそれこそ有力豪族以上に権益を持っていた
排除しないという選択肢もあるが、それは旧態依然とした体制を続行したということ。政治軍事両面で遅れを取ってしまう
本拠地焼き討ちされた後に逃げた先で2度も攻められ、それでも生き残った本願寺
「石山に本拠地構えた本願寺」なら分裂を誘うなり懐柔すれば十分、どうせ潰せないんだから
鎮圧すべきは一向一揆、一向一揆は本来、法主(証如・顕如)の意思ではありません(天文の乱除く)
それから本願寺には適用されませんが「神明施入の地、悔返すべからず」という宗教観がありました
仏敵でもない限り大々的に攻めて所領切り取りなんてバカなことしません
もともと五山は落ちぶれ気味(つーか幕府にたかられすぎ)、
十刹は武家に保護・支配・搾取されている一面があります、地方の寺社は知らないが
一向宗徒が「国」を形成したのは蓮如が信徒の暴走にびびって早々に引き上げた加賀くらいしか思い当たりません
561 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 12:24:04 ID:OOQClprh
ふつーに室町将軍家が天下人であり続けたと思うが。
どの大名も本願寺、寺社勢力は力を削ぐ必要性があった。
守護不入といって今でいう治外法権みたいなもんがあった。
これを無くさない限り国平定は形だけのもの。
大名は懐柔するか鎮圧するかだね。
564 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 19:56:03 ID:MUBkcaU1
一向衆が勢力として残れるかは疑問。上無しを求める百姓、野武士と組織って相容れないから。
一時的に規模が膨れるだけだと思う。
加賀は百年くらい持ったよな?
>>554 信長が戦って教団の牙を抜いたから、のちに秀吉や家康が軍事力を使わずに本願寺を
分裂させて服従させることに成功しただけ。信長の成果抜きに秀吉家康の業績なんぞ
ありえん。
この三人は世代が近いというかほぼ同じなので比べられることが多いが、時代の流れ
があり後者は前者の成果と教訓を得た上で行動できたということを忘れられがち。
忘れてるか?それを踏まえた上で信長や秀吉、家康の良さをみんな考えてると思うけど。
>>560 あながちゲームのやりすぎとも言えない。
願証寺勝恵なんかは自分の事を長島殿と
称して、戦国大名気取りだったそうな。
敵がいる以上、結局誰かが統率をとらなきゃいけないからな。平時の単純な信仰ってわけにいかない。
矛盾が不振を作って一揆内一揆の切欠になる
570 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 09:27:38 ID:qyJHmYaA
なんだかんだ言って、不利になっても名分がなくても踏みとどまる軍隊って、
当時は信長と家康にしかなかったような気がする。金ヶ崎の退き口、三方ヶ原
のような状況になったら、他の大名では一斉に逃散→ご機嫌取り→主家の勢力
減退という足利幕府と同じ道を辿るのでは。
>>565 その間一揆内の指導権争いだの、一揆支配に対する一揆だので結構がたがたしている。
信長がいなくても地域の有力大名というのはいずれは現れるし、
一揆支配体制を堅持しようとする限り、そういった大名とも敵対することになる。
それに対して勝つのは難しいでしょう。
逆に信長という大きな共通の敵がいたからこそ、上杉や三好のように、
それまで敵対していた大名とも反信長で協力できたという事情もある。
>>570 金ヶ崎の退き口なんて一時的な局地的敗退に過ぎないじゃあないか、
いくらなんでもその程度でいっせいに逃散なんてことにはならないよ。
そのくらいで崩壊してしまうようなら、
武田家あたりだって上田原の後で崩壊することになってしまう。
「日本の富のほとんどはこの坊主のもの」という「日本史」の
記述は宣教師の偏見も入ってるんだろうが、
信長の目標が「天下統一」でなく「天下布武」である以上、
本願寺との対決はさけられないだろう。
新井白石から「日本から坊主の害を除いた。」
と褒められてる様に、信長の業績で一番大きいのは実はこれかも。
実のところ、姉川合戦の直後に越前と近江の一向一揆衆は朝倉と組んでもう信長に刃向い始めていた
少なくとも一向衆徒との信長との対決は不可避。何しろ仕掛けられたわけだから
本願寺がその動きを黙認していたのか密かに奨励していたのかは不明だが
先に圧迫を加えたのは信長の方なんだけどね。
576 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 13:23:37 ID:KHqjXZsD
信長と一向衆の対立は根深いよ
何しろ桶狭間合戦の時にもう伊勢の一揆が今川と組んで織田を攻めてたんだから
抗争の結果が本願寺の世俗的武力の大幅な減退ということになったのは信長ならではだろうけど、実際問題としてみれば武士団とほとんど変わらなかった一向衆と敵対しないほうが無理
穿った見方をすれば信長の本願寺本体への矢銭催促は、一向衆が自分に刃向うかどうかの試金石だったのかもね
それが受け入れられたから、信長は本願寺に平気で腹を見せるほど警戒を解いていたが結局は本願寺が仕掛けた
穿ちすぎ
578 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 18:37:07 ID:SB0Zxi3E
ていうか、因縁だの宗教だのより
「ここは治外法権です。税も納めません、捕吏も入れません」なんて土地
があるのは戦国大名じゃなくてもマズイと思うだろう。戦国時代日本では
それが一向宗をはじめとする宗教勢力だった、というだけのこと。
>>578 このスレで言う「天下」というのがどういうものか?
によるだろ。
室町幕府並みの「天下」でいいなら宗教勢力との妥協も可能だろうし。
信長の様な絶対君主をめざすならもちろん、
江戸幕府並みの統制力を持ちたいなら対決は不可避だろ。
江戸期に本願寺が分裂して、幕府の民衆統治の片棒を担ぐ程度に
なったのは信長との対決に敗北した結果だもの。
580 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 18:48:04 ID:7Kvb0906
律令国家の崩壊はそういった
封建勢力(=中間領主層)の台頭によって起こったわけで。
強力な戦時体制を作り上げたかったら、
これらを排除せにゃならんのは、当然と言えば当然なんだよな
581 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 18:48:42 ID:FkxEISZn
ていうか信長いなきゃ、本願寺以外、誰が天下取れたか聞きたいわ・・
北条家が武力の面で天下を取れたとはとても思えんが、政治の面で一つ興味深い事がある。
それは北条家も「新編相模国風土記」などの記録において、一向宗の禁止および弾圧が
確実に記録され、それにより破壊された寺院などまで記録されているのに、
何故か相模などで一向一揆と争っている記録が見られ無いこと。
弾圧がされている以上逆に言えば、確実に一向宗は入ってきていたというのに
ちょっと北の越後では謙信が代々苦しまされてると言うのにまるで息を潜めている。
また北条家の治世では中間搾取を極力抑えることをどこの大名よりも徹底していて、
寺社やらの特権はおろか、地主階級の特権も抑えていた、代わりに下々の税金を驚異的な低さに抑えていたわけで。
まさに旧仏教系からすれば相容れないはずだが、何故か動きが無い。
これは要するに、所詮は識字率もろくにないこの時代の宗教では、
煽動しようにも低税金で満足してる民を欣求浄土に向ける事は出来なかったのではないかと推察する。
逆に言えばどこの勢力でも北条家並に民政が発達してくれば、本願寺勢力は
ある程度おさまってしまうものなのではないかと、仮説を立ててみる。
北条の一向宗禁止はあくまで予防措置だったんじゃ。
>>581 だから今川が最短距離にいると何度も出てきているだろうが
搾取しないことで一向宗を抑えるとは斬新だね。
義元が天下狙ってたっていうのも結局は俗説でしかないんじゃないかな?
例え上洛して権力を握ったとしても三好と同じ結果か、あるいは本拠が遠いことから
謙信みたいにすぐ帰っちゃうことだって考えられる
587 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 19:27:04 ID:FkxEISZn
>>584 だから今川の政権維持なんて不可能だって
散々、議論され尽くしてきただろ
>>583 実際に潰された寺や改宗した寺がいくつもあるのに、
予防措置なんだよゴメンゴメンで済むとも思えない訳よ俺は。
だからこその仮説。
>>586 足利家が絶えれば吉良が、吉良が絶えれば今川がというほどの家柄だったから
天下のことは頭の片隅にはあったはず。
勢力も大きく立地にも恵まれていたしね。
上洛の名分がないからな。
あるじゃん。将軍暗殺が。信長がいなくても暗殺には関係ないんだし、信長がいないなら桶狭間も無い。
足利一門として宗家の危機に対処するのは自然な行動。
593 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 20:13:58 ID:xaqiv1vq
将軍暗殺は桶狭間の後だろ。
その通り。桶狭間時点で上洛の名分は無い。
つーかそもそも桶狭間の段階では今川家は尾張の平定に向かっただけってのが最近の説じゃなかった?
天下狙うにしてもその後じゃないの?
だから頭の片隅にはあったんじゃないのって程度さ。
領土拡大の果てにとか、機会があればいずれみたいな。
別に桶狭間は天下を狙ってやったなんて言ってるわけではない。
だろうね、それで順調に領土拡大が上手くいったとして、
中央で政変が起きた時点で天下が頭をよぎると言うのはありうる。
実際信長も天下を目指し始めたのはその辺だし。
598 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 20:38:13 ID:FkxEISZn
今川家に政権維持なんて無理
599 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 20:46:42 ID:SB0Zxi3E
最近、信長に関して「新発見!」とか騒がれてることって、およそ40年前
初版「織田信長」(鈴木良一 岩波新書)に大体書いてあることなんだよな
あ。学会や歴史学上では常識的なことなんだろう。司馬「天才」信長像は、
良かれ悪しかれイメージを歪めてきたな。
あと、信玄と謙信の「上洛」作戦を「全くの無謀、不可能」と断じているの
も痛快で良い。
つか当時の大名なんて殆どが地元豪族たちの代表であって
彼らの利害やら利権でがんじがれめになっているわけで・・
アベが総理になった途端、ヘタレたのと同じで自分の意思を押し通すなんてほぼ不可能
大名本人が独裁できた家なんてほとんどない
唯一、織田の場合は成立過程からして新興勢力だった上に、早い段階から信長本人が意図して
「上様が天下をおとりになったら自分たちの出世も思いのまま」という「共同幻想」を
家中にうえつける事に成功したから、あそこまで拡大できた
今川の場合、そこら辺で躓くような気がするんだよね
そもそもが守護大名上がりなわけだし
ありきたりな言い方をすると「古いしがらみ」がありそう
戦国時代を通して大名周辺に権力を集中させようとする大きな動きがあるのだよ
3傑だけじゃなくて伊達や武田みたいな古くからの勢力でもね。
602 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 20:58:15 ID:FkxEISZn
ありまくりだろうね
良くて中央にまで進出して朝倉等との連立勢力を築く程度
けど、長く持つとは思わんし
地方にまで力が及ぶとも思えない
603 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 20:59:30 ID:FkxEISZn
604 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 21:00:16 ID:FkxEISZn
今川単独では無理だろうけど3国同盟が中心になったらどうだろう?
北条は初代伊勢盛時以来今川家との関係が深い。
また武田も甲斐の守護大名としての性格が強いからある程度まで今川家が肥大したらそれに協力するのでは?
606 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 21:10:02 ID:FkxEISZn
義元死後は?
>>601 それは知っているけど
今川の中核を担っていたとされる
由比、朝比奈、葛元(だっけ?)なんかは
今川以前の地生えの大豪族でしょ
彼らから権力を奪い、中央集権化するのはかなり難しいんじゃないかな
家康は集権化させたじゃん。
609 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 23:18:14 ID:Nkwiy99T
緩やかな集権化か、急激な集権化かの違いじゃないだろうか。
今川は、寺院や家臣の領地に検地を行っているし
家臣の収入になる関所を廃止していたりしている。
桶狭間の時に味方した服部という人物は、長島一向宗と関係が深い人物でしょう。
そうだとしたら、今川と一向宗との間は良好だったということになる。
610 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 00:01:20 ID:hpJfY3+w
三河一向一揆の影響はないのか?
家康家臣って、相当な数が一向宗だったよね。
家康が国内の一向宗を抑えるのにどれだけ苦労したか・・・
612 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 00:23:36 ID:0VTwKL76
考えてみたら家康って、他の武将が苦労している一向宗を、若くして
抑えたんだからすごいね。どうしてなんだろう。
そこはほんとにどうしてなんだろうと言う感じ。
一番家康の中で凄い部分と言っても過言ではないと思うんだが、
一向宗=後の浄土真宗が絡んでる上に、そもそも徳川史観を作り出してる譜代連中の家にとっても、
微妙にほじくられたくない都合の悪い時期っぽくて、
いわゆる徳川史観の姉川などのような気軽なマンセーも出来ず
タブーと言うかなんと言うか淡々と流されてる印象、本多正信帰参のような美談だけが残り、
恐らく家康が行ったであろう鬼のごとき指導力があまり見えてこない。
騙し討ちしてるからじゃない
そんなレベルじゃない。
領民も真っ二つどころか旧今川勢力も合わせてバラバラになってるし、
義元急死の直後で今川重臣クラスの不満層もここぞとばかりに暴れてるし、家臣は家臣で本多とかだけじゃない、
鳥居や榊原など後の譜代重臣クラスがわんさか一向宗を掲げて寝返ってしまっている。
またその中には酒井のように、織田との同盟に関する不満から寝返ったものもいるようだ。
家康自身も逆に一向一揆の脅威を知ってか煽ってる面も感じられるし、
しかも元々松平はもともと浄土宗に関連する家系で、宗教的な対立構図もあったようで、
更には清康時代の松平一族内、内紛も合わせて勃発してもうドロドロ。
なんかもう小規模なイラク並の内戦状態。
これがコロッと解決して、三河衆の結束はむしろ世に有名なほどになっている。
家康が見事な懐柔策で功を奏したとか多少の逸話はあるが、これと言って何があったというわけでもなく
普通に鎮圧されてる。こんな上手くいっていいのか?っていう感じ。
家康は無条件で帰参を認めたから丸く収まったんだろ。
そんなにややこしい話じゃない。
>>581 本願寺以外って、まさか本願寺に天下を取る可能性があったとでも?
まあゼロではないだろうが、三好家にも押されてばかりの本願寺では、
今川や三好よりも明らかに可能性は低い。
多分武田や上杉よりさらに低いだろう。
618 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 20:44:31 ID:iIiCJfH6
>>616 帰参を認める以前に、家臣団の方が反逆に耐えられなくなったとみなすのが
妥当では。本気で家康を潰そうとしていたのは僧侶だけだったようだし。家
康のやせ我慢と寛容(少なくとも態度は)の勝利ですな。
あと、一揆を起こした一向寺は徹底的に破却、追放して拠点を根絶している。
実際に一向勢力が逐われるのを見て、家臣団が自分たち武士の力を再認識し
た、ということもあったと思う。
619 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 21:00:27 ID:0VTwKL76
つまり三河一向一揆とは、全国の一向一揆と違う一揆だったということか。
620 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 04:42:43 ID:aZeXhMBy
信長がいなかったら秀吉は秀吉だったのかな
松下家の足軽で終わりじゃ。
侍やめて商人にでもなれば成功してたかも。
>>621 信長とは関係なしで、松下家を辞去してるが。
秀吉だけじゃなくて滝川一益あたりも信長がいなかったら史書に名を残すことすら難しかっただろうな
中途採用組といえる明智も大名クラスにまで登りつめるのは無理だっただろう
もっともこの徹底した実力主義が却って強力な謀反人やら遺産横取り屋やらをも養成する結果になってしまったが
滝川は池田の一族だろ。一門に極めて近いので関係ない。
昔歴史読本かなんかに信長がいなかったらコラムがあったけど本願寺が中心とする宗教国家になってたという説だったな
信長の代わりに誰が台頭してもあの一向一揆勢力を覆すほどの実力者はいなかったということらしい
626 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 21:23:59 ID:BhPNP5rc
今川だって宗教勢力の介入を抑えようと努力してるし
信長以外にも、同じ事をする人が現れてもおかしくはないけどね
627 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 21:55:40 ID:2jLnjzM3
本願寺があそこまで持ったのは毛利水軍による補給や雑賀党の協力あってのものでしょ。
足利義昭のおかげ。補給路がなくなったら和睦はやかったべ。
他の者が信長程徹底的に弾圧できたかどうかと言えば、微妙かも。
信長が長島以降も定期的に撃滅弾圧を繰り返し力を削いだおかげで他の大名は
適度に利用したり信長に倣って抑えたりしているが、信長との対立以前の一向宗は
異常な勢力と影響力があった訳だし。
逆だろ、信長がいたからこそ、一揆衆はあれほど団結できて一つにまとまれたのであって、
それ以前の一向宗は局地的な一揆自体は厄介とは言え一つの勢力としては非常にまとまりが無かった。
本願寺勢力として王国建設なんて夢もいいとこ。
組織と一向一揆は相容れない以上、本願寺勢力がまとまろうとするところに権力が生まれ、
それに刃向かうもう一つの一向一揆勢力が分裂を繰り返すだけ。
本願寺から派遣された坊官と地元の一向一揆が衝突したりしてるからな。
そして本願寺からの派遣組が勝った
実際に加賀一国や能登・越中の大部分を一揆衆が抑えるほどに世俗的な組織になっていたわけで
九州でも暴れてるぐらいなんだから、名目上本願寺を頂点とした緩やかな宗教地方分権国家が成立したりして
>>629に同意
>>628 >信長との対立以前の一向宗は異常な勢力と影響力があった訳だし
三河や蓮如が去った後の加賀、長島については詳しくないんだけど
畿内では天文の乱以降、本願寺は為政者に懐柔されてて落ち着いてたし
一揆そのものに政治的、軍事的影響力はなかった、というか力を削がれてた
信長が寝た子起した感じがする
挑発されて法主と一揆が結びついちゃったりするし
門徒は法主国家を目指してたと言われるけど
それはただの現状の支配層に対抗するための合言葉のようなものでしかないと思う
蓮如の教えでは「門徒は皆平等」、だけど宗派の中にはしっかりしたヒエラルキーあり
法主国家なるものが成り立っても天下太平はちょっと無理じゃないか
>>631 一部を鎮圧したに過ぎない。
だが、とりあえず共通の敵が居る間はそれに向かって邁進するが、
それはあくまで本願寺が、信長という権力に対抗してくれるから、
昔にさかのぼれば旧仏教に対抗してくれるからこその一向一揆であって、
それが落ち着いて、本願寺に権力がつき始めればもう終わり。
それに反抗せざるを得ないのが一向一揆であって、例外は認めない。
だからこそそれを統一できるほどの能力が必要なのであって
独裁者どころか為政者もなしに宗教国家はありえない。だが一向宗はそういう組織とは相容れない。
本願寺にはゲリラ戦を行うことは出来ても独裁者として君臨する能力は無い。
それができるなら信長死後もああはならない。
加賀じゃ一向衆が為政者として惣を中心に政治してますがな
そこから上がった年貢は本願寺へわざわざ送られてるほど
当時の宗教組織を甘く見すぎ。領土や兵士すら当たり前のように持っていたんだから
無力だとか言ってるわけじゃない
天下とるなんてのは無理じゃないかという話
各大名家の重臣に一人でも一向宗徒がいれば影響力が
持てると言うのが宗教の恐ろしいところ。
>>633 >だが一向宗はそういう組織とは相容れない
なんで??
>>635 古代ローマのように、とにかく信者を増やしまくって
最高権力者さえ信者であるような状況になれば宗教国家の可能性は生まれるな。
そうなんだろうけど、実際それが当時の情勢でありえるかどうか
最高権力者とは言うけれど、天皇は神道
神道捨てたら天皇では要られなくなるんじゃないかね、分からないけど
室町末期に将軍と管領を擁した三好家なら一向宗の天敵、法華宗だよ
切支丹、法華経勢力の猛反発は予想できるね。
あと謙信みたいなカリスマ性を持つ大名の所も易々と分解はしないと思う。
>>639 天皇じゃない。天皇は権力ないでしょ。
例えば関白の秀吉、征夷大将軍の家康。
時の権力者って意味で。
ごめん間違えた。
638へのレスです。
朝廷権力がどんなもんかくらいわかってるよ
でも綸旨は室町時代もしっかり残ってるんだよ、その後もね
停戦和睦も朝敵指名もバカに出来ない
信長だって本願寺と和睦したのは綸旨が出たからじゃなかったかな
まぁ政治的な実権力はないけれど、錦の御旗と戦うのはきつそうだよ、畠山義就とかやられてるけど
田舎大名は官位ありがたがって大金貢いだりしてるしね
時の権力者の出現を待って、その後精神面からじわじわ攻めていく本願寺一向宗って図か?
それって一旦統一政権が出来てるってことだよね・・・このスレの話題の先の話にならないか?
>>642 そう。統一後の話なので微妙にずれる話。
ところで642は633と同じ人?
>>644 そうかー。ありがとう。
俺、蓮如はあんまり詳しくないんだけど
親鸞が説いた「平等」って、いわば宗教的平等だよね。
御仏の前で平等っていうか、念仏を唱える人を仏は差別しないって意味でさ。
少なくとも親鸞は政治的ヒエラルキーの存在まで否定してないと思うけど
蓮如の頃には変わってたの?
それとも愚民が勝手な解釈してるだけ?
事実として一向宗は法華宗に当時の本拠地を焼き滅ぼされて、
京から逃げ出しているわけだが。
>>625 その文を書いた人は実際の戦国時代の情勢をあまり知らないか、
そうでなければ、予め編集あたりから依頼されて、
あえてそういう文を書いたかのいずれかでしょう。
647 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 21:35:20 ID:IGi4M5dH
細川昭元
悪政がなければ信者は増えない
農民が一向宗に改宗するには命懸けのやけっぱち
食えなきゃ死ぬからな
教義をどう拡大解釈したって今の憲法解釈みたいな方便は無理がくるし、その無理が顕在化するたびに高僧と信者で揉め事が起きている
>>634 だから、反発が起きる。だから一向一揆は組織と相容れない存在。
その時点で既に上層部は本当の意味の一向一揆衆ではない。
俺は一向宗の宗教国家はありえ無いと言ってるだけで、仏教の事ではない。
650 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 14:38:21 ID:fX8+lsqz
一向衆・本願寺はそもそも教義とはすでにかけはなれてるよ
親鸞の説いた仏法は、南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも成仏できる、というもの。おもいっきりはしょれば
ところが本願寺は、親鸞が否定した僧侶に布施しなきゃ往生できない、逆らったら地獄という今で言うカルト的なことを言い出して定着させた
地方の一向衆に到ってはそこらの統一性すらなく、大雑把な共通認識で結びついてるに過ぎない
だからこそ本来の教義とは相容れない世俗的な集団と化したともいえる
戦国屈指の善政が行われていた後北条ですら一向衆の寺社を掃滅しなければならない事態に陥ったのは、彼らが全く政教一致を志向する集団となったからだ
現実問題戦うには金も米も矢弾も必要だ。戦には指揮官が必要だ。
一向宗を庇護する大名が居ないなら自分が武器を持つしかないだろ。
>>651 それはある
何しろ加賀では一向衆政権の搾取が酷くてそれに反対する農民一揆が起こってるぐらいだから
越前朝倉氏に何度も喧嘩売ってる財力はそこからだな
>>650 後北条は単純に各地の一向一揆を見て予防的に寺社を壊したり、改宗させておいただけで、
本来ならそこで起こるはずの一向一揆が全然起こってないので、
火種は大した事無かったと思われる。やはり善政の中で一向一揆は起こりにくいようだ。
>>653 それは普通に予防が功を奏したのでは?
だいたい一揆と善政と無理矢理関連づけるっていかにも左翼的歴史観でしょ
一揆といっても戦国期のそれは在地に武力を持つ連中の仕掛けた戦争も同じ。百姓主体じゃなくて武士や、はては他宗の神主すら一向一揆を指導してたんだから
神主やら有力武士が煽ったからって不満がない連中がついてくるとは思わんね。
逆に寺を壊したり改宗を迫っても蜂起する土壌があればいくらでも一揆が起きるはず。
>>654 徳川だって上杉だって予防はしてたぞ、でもそれ以上の勢いで一揆が起こって収拾がつかなくなった。
別に北条家はこの件に関してそれ以上の事はしてないが、特に何も起こらんかった。
戦争も同じで、単なる在地の連中の反乱だというなら北条家の関東ほど反乱の起こしやすい土壌もないと思う訳だが、
それでも起こらなかった。
これを左翼的と見るのは極端。
657 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 12:30:13 ID:Y909pdEe
なにその左翼的歴史観て
戦国板まで来て相手にサヨのレッテルを貼って自分の主張を正当化するなんて恥ずかしい奴だ。
>>656 徳川がどうやって予防するの?
ずっと今川施政下で、禁令を出す前に年貢取り立て問題で交戦状態に
そんな暇があったのか?
上杉だって禁令出したのは北陸一向衆と戦闘状態に入ったから(謙信の祖父が死亡した戦)
でまかせ?
虐げられた農民が善政を求めて蜂起なんていう可愛げのあるものなら、わざわざ他国に戦争吹っかける連中が出るわけもない
そもそも当時農民を武士と並んで搾取してたのは物流を抑えていた寺社なわけだし
信長の凄さは、これだけ一向衆に苦しめられながら宗派・教義の消滅は全く行わなかったという点
>>659 っていうか徳川は独立後、予防の面もかねて、本願寺の寺社勢力を抑えようとしてすぐに反発を受けた。
長尾の般若野の戦いも知ってるなら、それが越後での一向一揆ではない事だってわかるだろうに、
それに伴って為景は越後での一揆予防の為に禁止令を出したら思いっきり反発を受けてしまう結果になった。
北条家も同じく各地の一揆を見て予防の為に弾圧を始めているが、
北条家だけ何故起こらなかったの?何故素直に改宗するの?
北条はトライフォースにより安定した世界を保っているのだ
おk、それでいいよ、もう。
664 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 22:50:18 ID:Y909pdEe
宗教ってのは戦のなかでこそ必要なんだろうな。神の化身としてジャンヌダルクや上杉謙信といった英雄が生まれたわけだし。
てかジャンヌダルクと天と地との映画を観ただけだけど。オンベイシヤマンダヤソワカ・・
その宗教が世界で一番戦争の原因になるものだけどね。
卵が先か鶏が先か・・・
666 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 23:37:30 ID:BiJUBL5O
よく信長が初めて天下布武したとききますが、今川は何のために上洛しようとしたんですか?足利再興?
今川は上洛を意図していません。
鳴海、大高への補給と三河の制圧
それと、あわよくば尾張の南もちょこっとね
669 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 04:30:47 ID:x/I/6z21
670 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 09:13:17 ID:W/zxa+Jx
671 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 10:24:46 ID:oXFNu4IC
足利
672 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 11:04:08 ID:4x8r6sJI
>>669 信玄は謙信に敗れ氏康公の牙城を崩せず他に勝てそうな相手は西にしかいなかった
信長は本願寺や一向衆ともっとも激闘した大名だが、にもかかわらず長尾氏らのように家臣領民に信仰を禁じることはしなかった
このあたりの「それはそれ、これはこれ」という合理性が信長の特徴だろうな
信長といえば敵対者に苛烈、というイメージがあるが実のところ分さえ弁えればむしろ寛容ですらある
堺などの商人にしろこういった宗教者にしろ結局は信長政権で共存状態に入っている。中には武士を差し置いて代官にまで出世したものもいるし
このあたりが実は信長の躍進の秘密かもしれない
>>661 一揆が起こってない、というのは実は禁令の理由による
元々、後北条氏が信仰を禁じたのは武田の侵略に一向衆が加勢したから
つまり一揆として単独で戦ったんじゃなくて武田勢とともに行動したから見受けられないだけ
国府津の僧侶は武田に陣地を貸したために首を切られ、また本願寺文書の中には武田からの加勢の要請を伝える寺社からの手紙も実在する
退けば地獄だ、と信徒を死闘に駆り立てながら自分達は信長とちゃっかり講和して生き残る本願寺の坊主どもって実は戦国時代で一番汚い連中と違うか?w
地方の禁令でたところの寺院の中には看板だけ浄土宗に架け替えて生き残ったところもあるし。
「坊主の害毒」って洒落にならんぐらい酷かった。
坊主の立場を利用するために自ら坊主になった大名もいるくらいだからね。
こりゃ坊主共が天下とるな
まぁ最高の学問が寺にあった時代だからな
今で言う教授が高僧にあたる
それで勘違いしちゃう坊主も出るのも流れだよな
>>674 それ理由になってなくね?
そりゃ改宗迫ったり、寺社壊すぐらいだから、一向宗が居ない訳じゃない。
だけど、何故広まらずに、その程度で終わってるの?って事。
他の一向一揆の勢い見てたらありえんでしょそれ。
ましてや関東は親鸞の拠点だし、鎌倉時代が発祥とすれば聖地のようなもんだ。
普通なら伊勢並みに激しくなってもおかしくないと思うんだが。
>>679 左翼的とか騒ぎ出す奴が居るけど
結局は現政権に不満が高ければ一揆を起こすし
不満が少なければわざわざ一揆は起こさない。
より良い勢力に付くのが、一番良いわけだからね。
それに、一向一揆ってのは、別に狂信者が起こしてるわけじゃなくて
その土地の政権に不満がある奴が、実利から改宗して一向宗の力を借りてるだけ。
別に、元々一向宗を信奉してる奴だけが一揆を起こしてるのではない。
元来の一向宗が多いかどうかが一揆の基準ではないんだよ。
不満が無い奴がわざわざ反乱は起こさないってことだ。
>>679 だから武田家と一緒に戦争してたんでしょ
後年ならいざしらず、当時は甲斐22万石+アルファ程度の武田家がすでに東国有数だった後北条氏と互角に戦えたのは一向衆の加勢のためじゃないの
本願寺は、朝廷に莫大な献金をして皇族出身の僧侶が名乗る門跡の称号を名乗ることを許されるように工作したり
婚姻政策で武田氏や公家と誼を通じたり
明らかに世俗の地位名誉も求めて活動している
案外、政教一致の本願寺国家という確率が一番高いかも
少なくとも動員力経済力そして複数地方への権威という点で本願寺と並ぶ勢力は当時なかったわけで
はいはい、もう本願寺の天下でいいよ
684 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 10:17:18 ID:kynzHvXK
国教が浄土真宗
国民皆兵制度で、進めば極楽・死ねば往生という狂信的兵士を持つ
僧侶が経済的利権を握り貴族と武士と宗教者を兼ねる
嫌な国家だな……
というか坊主だの馬鹿にしてるが戦国時代に活躍した僧侶は多いよ。
利権なんて庶民から見たらどっちも同じ。カスも偉人もいるのも武家政権と同じ。
少なくとも宗教を知らない奴が宗教を叩くべきじゃない。
カルト信者乙
まぁ徳川幕府の骨格を作ったのも坊主だしな
688 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 16:30:16 ID:9KLHbyfo
本願寺が天下を取ると言ってる奴は、当時における一向衆と本願寺の構造的内部対立を知らんのだろうな
あほらし
689 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 16:49:17 ID:vmcCGuZJ
チュートリアル徳井を総理大臣にすれば全ては解決します。
天皇家はいりません。
M−1で彼が選ばれたのですから、
彼に統治させ、国家元首とすればいいのです。
そして、福田を副総理にしましょう。
チュ−ト>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>織田信長とその子孫の信成
>673
もっとも激闘した大名の1人ね
信長と同等規模で晴元も石山攻めしてるし、その前には山科本願寺を法華衆+山門+αをもって焼き討ち
ゆるい宗教政策とったのは信長だけじゃなく、その前に長慶もやってるよ
本願寺が対信長であれだけ戦えたのは、所謂包囲網に参加してた諸勢力がいたからで
本願寺+一向一揆の戦力のみじゃないからなぁ
対信長戦線を一緒に張ってくれる勢力がなかったら、もっと早くに石山で皆なかよく餓死
他のあらゆる一向一揆もそれなりに時間がかかったとしても鎮圧されてるし
本願寺と姻戚にあって生き残ったのは武田か
己の地盤を蚕食され始めたら、あっさり手を切りそうですが、晴信だし
>>690 じゃあなんで晴元や長慶の代で本願寺の威勢は衰えなかったの?
その頃は連携勢力だってほとんどなかったでしょ。三好氏が他ならぬ敵だったわけだし
>>690 >>632とか述べてるけど。
細川・三好政権は畿内政権なので地方なんて知ったことかってところじゃないの。
>>692 いや、それはおかしいでしょ
信長が寝た子を起こしたというが、元々地方の一向衆から信長に喧嘩を売ってついには本願寺本体が仕掛けたわけで
逆恨み的な信長憎しで一旦下火になったものに火がついた、というにはあまりに一揆の猛威が激しい
信長はフロイスの日本史などの記述から無神論者で神仏も来世も信じていなかったとされる
が、その日本史には信長のその宗教観は禅の影響からだ、とも書いてある
これが正確であるのなら信長の信仰は、「仏神は尊し、仏神に頼まず」とか「神に会えば神を斬り仏に会えば仏を斬る」という『剣禅』のそれに酷似している
また信長には若い頃、病気の父信秀の治癒を僧侶に頼み、その僧侶が絶対治ると請け負ったにも関わらず信秀が死んだことでその手の現世利益に激しい不信を得たという逸話も存在する
そんな信長からすれば、信仰する利益を餌に戦争吹っかけてきた坊主どももそれに踊らされる敵兵もかなり理解しがたい連中だったんだろうな
>>695 余りにも猛威が激しいとは言われても、一向門徒は押さえられてたし一揆もなかったし本願寺も懐いてたし。
方針が違えば、敵も異なってくる。
信長とやりあうのに、顕如は門徒を結集させたんでしょ?
三好に抵抗した宗教勢力は、真言宗根来寺門徒・僧兵くらいかなあ。
織田信長ではどう足掻いても天下は取れなかった
これは断言できる
699 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 08:05:20 ID:+ddNubd8
信長と本願寺はかなり毛並が違うが、実は重要な共通点があった
それは中世という体制に対するアンチテーゼを持っていたこと
天下布武というスローガンの元、雑多な権力と武力の乱立を大名権力の下に再編制しなおそうという信長
宗教的権威を背景に、既存の武家主導社会とは違った世界を作り出した本願寺
いずれも、慢性的な戦乱状態の原因となった中世的体質を引きずるほかの勢力には見られなかった
本願寺対信長の対決は、次の時代を創出し得る可能性を持った勢力同士の歴史的主導権争いだった
中世の悪癖の一つ、と現在は捉えられている座や市だが
実際問題として、個別の武力ないし権威が保護を与えなければまともに商売もできないほど世情が乱れていたのが戦国時代
いわゆる楽市楽座というのは、単なる自由流通主義ではなく大名権力が一括して防衛と警察権を保障してはじめて意味を持つことだった
その前提を満たした上での信長のやった関所の廃止等を含めた政策は、中間搾取の排除ということで民衆に大きな利益をもたらした
もちろん、信長は慈善事業でやっていたわけではなく自身の権力の元に統一度を増した領国の能力を飛躍的に活用できるというメリットが施政側にもあった
一方、本願寺・一向衆は武家主導ではない領国体制の確立という点では画期的だったが(日本は古来から宗教勢力が力を持っていたが、一ヶ国以上を実質支配し地方制覇しかねないほど世俗的勢力を持ったのは歴史的に稀)、
その内実は中世の混乱の元となった権力武力の乱立状態がそのまま取り込まれた遅れた体制だった
平安末期以来の武士政権の担い手という意味では信長は保守だが、既存の権力構造に対しては改革者
一方、武士を最高権威としない一向衆は日本史上新奇な存在だったが、その権力構造は中世的な保守
両者の対立は表面上のきっかけは桶狭間で一向衆が今川方の尻馬に乗ろうとしたような現象だが、異なる性質を持ちすぎた組織が並立する以上いずれ激突は約束されていただろう
即物的にみれば生産力=人口の多い地域の大名が勝つ、としか言えない。
よく楽座が誤解されているが
信長は他の大名に比べて楽座をしていたわけではない。
むしろ、楽座は一部の直轄領に限っていて、他はむしろ座を保護していた。
座は、寺社権力のまさに雑多な権力の象徴的な制度だが、信長はむしろ保護している。
>中世という体制に対するアンチテーゼを持っていた
という話は成り立たない。
>雑多な権力と武力の乱立を大名権力の下に再編制
というなら、北条はどうなるのか?
北条領内では、一向宗との対立がほとんど起きていない。
信長は分国法は作らなかったが、国掟はしばしば出している
その特徴は本年貢以外の徴税を禁止、関所で取る税の禁止、領主は共同で道を整備等の経済項目
信長が例えば大山崎の油座を潰したのは比較的後期になってからで、その改革は通説でイメージされるほど急進的なものではなかったが、明らかに中間搾取の排除姿勢が見て取れる
清洲・岐阜・安土などの歴代の直轄地だけではなく金森などでも楽市楽座は行われ、また安土のそれは分国中に伝達され配下の領主も倣っている
慢性的戦乱と雑多な税に喘いでいた民衆に安定と税の軽減を与える代わりに、自身の勢力拡大のための財力兵力を提供させる
その相互サイクルがあってはじめて信長は一代で勃興が可能だったんだろう
単に豊かな地域にいた、というだけならば信長以前の誰かが同じような成長をしているはずだ
なぜ、名将が数多出た戦国時代なのに信長だけが歴史を収斂する方向に動けたのか。それがわかれば、信長が居なかった場合にのし上る武将が発見できるかもしれない
704 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 10:12:03 ID:vUCl4vzR
温和で京からそれほど遠くなく生産力が高く交通の要衝であった濃尾平野を領地に持っていたこと
それ以外は偶然。
領地経営いったら、北条の右にでるやつはおらんで
合議があたりまえで、有力国人に振り回されるのが大名の常だったのにトップダウンを確立したのも信長の特徴の一つ。
ナポレオン曰く「一人の愚将は二人の名将に勝つ」。
信長は自力で一族や反対派を撃破し服従させて成り上がった叩き上げだからね。血筋だけのボンボン大名とは土台が違ったんだよ。
707 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 11:51:41 ID:3SXaAjXw
本願寺による宗教政治体制成立か
今川家の幕府テコ入れか
どっちにしろ慢性的な戦争状態はずーっと続きそうな
信長に代わる人材といえば、信長より先に一向一揆を領内から駆逐して権力の一元化に成功した家康とかが近世化やりそうだけど
信長がいなきゃ松平氏独立はありえなさげだしなぁ
708 :
OPS:2007/01/12(金) 13:43:14 ID:gnXa8wFe
>>707 確かに信長の桶狭間での勝利が三河松平氏の独立を許したし。
義元の息子の氏真は父には似つかぬところ多き。
信長の天下布武の概念、将軍追放を除けば基本的に義輝の跡目争いで
第二の応仁の乱とも考えられる、そう考えて東軍今川義元と仮定して応仁の乱を再現すると、
今川義元が尾張併合し、美濃を征服。義昭を擁立し上洛。義元は足利の縁戚で
室町幕府と折り合いをつけながら副将軍、管領あたりに落ち着き三好一門等と戦う。
そこに西軍毛利輝元らが参戦し応仁の乱のように10年ほど騒乱が続く。
いろいろあって天下を治めたのは義元が息子のように可愛がった松平元信(のちの徳川家康)であった。
今川が三河衆を先鋒に尾張攻め美濃攻めしたように、家康は上洛軍の先鋒となり京に入り
長く京奉行を担当し諸大名との関係を深め権力を強める。義元の死後氏真を操り史実の
三好に置ける松永のようになり信康とともに幕府で確固たる権力者になる。
三河で一向一揆を弾圧したように延暦寺、本願寺とも対立毛利とも西軍海戦を交えながら連戦。
朝倉上杉らは東軍に組みし室町幕府をささえつつ、毛利を抑え、急成長している島津とも交戦。
中国九州平定後は再び守護として今川一門が入る。あとは武田上杉と共に北条を討ち天下統一。
東軍?は室町幕府と連携しているのは分かったが、西軍は誰を立てているの?
三好と同じく義栄か?
そもそも参戦する理由が無いし、参戦するとも思えない。
西軍も実は影で義昭が操ってる
そんな事をできる器じゃないでしょ。
今川と組むのならむしろ北条じゃないかね?
早雲は浪人じゃなくて今川の後押しで関東に入った人物だというのが最近の説らしいし
両者は対立はしても結局すぐ和睦したりしてて、なんのかんのいって今川を最後まで見捨てなかったのは武田じゃなくて北条
>>713 義元家康コンビが長慶久秀のように将軍を傀儡にしようとして、それに反発した義昭が
史実のようにお手紙作戦で大名への蜂起を促しそれが連携して西軍に出来あがる。
まぁ信長包囲網だが、信長ほど敵を作らないので味方も居る程度。
あんまちゃんと考えてなかったが。家康は三河で一向宗を弾圧し、それに本願寺が対立
本願寺は篭城し兵糧入れるために毛利参戦。宇喜多別所も同調。
甲駿相同盟がどうなるのか、謙信が西軍に荷担するのか。朝倉浅井はどうなるか。
北条と組むなら武田と手を切ったりして、武田上杉同盟か。
つうかそんな連合政権、勝った途端に内輪もめやり出すだろ
そして戦国時代はエンドレス、と……
そうだな、脈絡ないな。そこはなんとか家康が頑張って欲しいが・・。
エンドレスで国内が荒廃してると、キリシタン将軍とかキリシタン関白とかできるんだろうか。
718 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 09:27:52 ID:45mh7A9J
武家の争いに辟易した民衆が宗教を求め、本願寺政教一致政権成立
あるいは西国のキリシタン大名に外国勢力が大々的に梃入れして日本植民地化
宗教を求めたとしても、
それが一向宗になる必然性は全くないわけだが。
>>719 現実問題として、一ヶ国以上を支配した大名すら稀だった時代にそれ以上の勢力を扶植し得たのは一向衆だけ
惣村構造を丸ごと取り込んだ点で、経済力動員力という点で他を圧倒していた
御文を朗読して布教する方式は多数の民衆に理解されやすく、仏教派としては比較的新興にもかかわらず信徒分布は全国に及ぶ
必然性は十分……と、いうより他に可能性がある勢力が少ないといったほうが正確かね
>>718 当時の西洋にそこまでの力はない。
日本まで大量の物資、人材を送り込む術がない。
マニラまですでに植民地化されてるのに?
宣教師のペドロ・デ・ラ・クルスはイエズス会総長に1599年にはこんな手紙を送ってる
『日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでもしも国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国
を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主としてその内の一島、即ち九州又は四国を包囲することは容易であろう。そして敵対する者に対して海
上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他日本人の生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろう』
>>720 その割りに法華宗に京から放逐され、その後の三好家との争いでも劣勢だったわけですが。
しかも一向宗が強かったからという話は「宗教を求める」根拠にはならないでしょう。
>>722 マニラなんて当時は小規模の部族社会があっただけ、
そういうところしか占領できなかったということ。
>>723 その報告が事実と異なり非現実的だから、その提案は却下されたんです。
725 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 11:26:56 ID:7XTHLoCG
>>724 ところが地方では長尾氏と朝倉氏に挟撃されながら逆に勢力を扶植するなど隆盛しているな
キリスト教勢力を先導者とした侵略は世界中に及んでいるのが歴史的事実。統一政権を成立させ、かつキリスト教を排除した秀吉の存在が信長不在という仮定に伴ってなくなるのなら前提条件は全く違ってくる
万年地方レベルの争いに終始し、ちょっと勢力拡大したかと思えば内輪揉め起こして弱体化を繰り返した武士勢力に比べればはるかに有力
じゃ、逆にそういった勢力じゃないとすれば誰が抜け出るのさ?
>>725 逆だよ対朝倉にも対長尾にも状況は劣勢になってきていた。
対信長ということで両者と関係改善をはかれたからこそ、
長持ちしたというほうが現実。
そして、キリスト教を先導者とした侵略なんてものは実際には存在しない。
この時期西欧の植民地にされたのは中南米だが、
その地域はまず軍事的に現地政権を打倒し崩壊させた上で、
統治政策の一環としてキリスト教が導入されたのであって逆ではない。
そして他の地域ではマニラのように小規模の部族社会くらいしか植民地か出来てはいない。
一向宗にしろ西欧勢力にしろ過大評価しすぎ。
>>726 どこが現実さ?
加賀から能登・越中飛騨へと拡大し、さらに攻撃してきていた側の長尾氏の越後でも騒乱を起こすようになったというのが史実じゃんか
キリスト教については……まぁ、君の主観と歴史は違うだけ。もう('A`)マンドクセ
>>725 それから、
ちょっと勢力拡大したかと思えば内輪揉め起こして弱体化を繰り返した
というのも正確じゃあない。
確かにそういうことも多々あったが関東の北条、中国地方の毛利、東海の今川等、
地域ごとの有力大名は信長の存在の有無と係わりなく出現しつつあった。
そういった有力大名の中からさらに一歩抜け出す者を考えたほうが、
現実を無視して一向宗だの西欧だのの可能性を持ち出すよりもはるかに現実的だ。
>>728 じゃあ誰が抜け出すのさ?
もういちいち歴史の年表程度の知識を並べて教えてあげるのもめんどいから、そっちの予測だけを聞かせて
>>730 信長がいなかったらという仮定なら、普通に今川の可能性が一番高くなるでしょう。
尾張まで制圧できる可能性はかなり高くなるし、三国同盟が崩れなければ、
斎藤相手にも有利に事を進められる。
不安材料は史実で少なくとも軍事的にははなはだ心もとかった次代氏真に、
代が変わったらどうなるか。
それから、加賀一向一揆が朝倉氏に敗れたのも謙信に攻め込まれていたのも史実だし、
キリスト教を尖兵とした侵略なんて史実がどこかにあると思っているなら、
それを挙げてみてください。
732 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 12:04:43 ID:A6FLv5x7
何百年も続いた中世の戦乱状態を纏め上げる歴史の流れを生み出せたのは信長のみ
信長は一代で起こり、その威令は島津・大友といった九州の大勢力間を調停するまでになっていた
何代もかけて一ヶ国と何カ国かの分国程度を領有できれば上等、という勢力ばかりの中で異例の成長
要するに凡人と歴史を動かす英雄の差というものは厳然と存在する
信長がいなければ宗教勢力や外国の影響までごっちゃになった戦乱が続いてただけ
末路は分裂国家の群れあたりじゃないか
それなんて信長厨?
凡人が何千人群れようと、一人の天才にはかなわないのが歴史的事実だ
凡人は歴史に翻弄されるだけだが、真の天才は己が時代を動かす。それも常人には真似できない範囲を
地球が丸いという理屈を、当時の日本人中即座に理解した合理性にしろ、数々の危機を打ち破った軍事的才幹にしろどれか一つでも凡人が持つことが難しい才能を幾つも保持していた
時代の尻馬に乗る程度ならちょっと有能な程度でも可能だが。秀吉にしろ家康にしろ、信長が起こした風に乗ったに過ぎない
735 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 12:44:23 ID:Y9TSQ516
この頃までに、スペイン人のコンキスタドールであるフランシスコ・ピサロは、1532年7月にペルー最初の植民都市ピウラを建設した。
2か月の行軍の後に、ピサロは兵168人と共にカハマルカに到着し、スペインの駐留に関してアタワルパと会談するため、
エルナンド・デ・ソト、ビセンテ・デ・バルベルデ神父及び現地人通訳フェリピロをアタワルパの元へ送った。
バルベルデ神父は通訳を通し、皇帝と臣民のキリスト教改宗を要求し、拒否するならば教会とスペインの敵と考えられると伝えた。
アタワルパは「誰の属国にもならない」と言うことによって、彼の領土におけるスペインの駐留を拒否した。使節はピサロの元に戻り、
ピサロは後に1532年11月16日のカハマルカの戦いと呼ばれるアタワルパ軍に対する奇襲を準備した。
スペインの法に従い、ピサロたちスペイン人はアタワルパが要求を拒否したことで公式にインカの人々に宣戦布告をした。
アタワルパがバルベルデ神父に対し、彼らがどんな権威でそのようなことを言うことができるかと冷たく尋ねたとき、
神父は聖書を皇帝に勧め、この中の言葉に由来した権威だと答えた。皇帝は聖書を調べ、なぜこれは喋らないと尋ねると、地面に放り投げた。
それはスペイン人がインカと戦うための口実となった。神父が神に対する冒涜だと叫ぶ声を合図に、射撃は開始され、
2時間にわたり6,000人以上の非武装のインカ兵が殺された。アタワルパは太陽の神殿に投獄された
先導勢力との協力の事例?
長文読む気にならないけど、
まず要所を抑える。それから侵略が始まると。
秀吉はアホだった。
長崎を宣教師の献上する大名が出始めてるぐらいだからなぁ
一向衆対キリシタン大名の頂上決戦とかになったらどっちが勝っても救われない
信長みたいに醒めた宗教観を持ってる人間は確かに当時稀だったな
>>736 単純に軍事力で勝ったと言うだけの事例ですね。
>>735 キリシタン大名的な存在が一切出てきてない気が。
キリスト教が先導とかいうならスコットランドあたりとかがそんな感じじゃなかったか。
どっちにしろ16世紀当時において、キリスト教の布教を許した為に、
それが原因になって西欧に征服されたなんて国は存在しない。
当時の欧州諸国が制圧できた地域は、
未だに青銅器文明の段階でユーラシアに比べ数千年も遅れていた中南米や、
さらに原始的な状態だったフィリピン等。
それらはの地域はまず軍事的に制圧され、その結果として独自の文明を破壊され、
キリスト教押し付けられたのであって、
先にキリスト教が布教されてその結果として征服されたわけではない。
キリスト教布教による西欧の日本侵略なんてのは、
幾らなんでも当時のヨーロッパを過大評価しすぎ。
宣教師の目的はおそらくまず純粋な信仰心に基づく布教活動であり
侵略の意図は二の次、三の次、人によってはかけらもないと思う。
ただ宣教師が各国の様子をいちいち母国に報告したり
場合によっては軍事的知識に乏しいくせに
>>723のような報告をするので
結果的にスパイと同様の役割を担っていたとは言える。
また、日本からすればキリスト教=西欧なので
日本にとっては宣教師個人の意図など介するところではなく
キリスト教の布教活動は侵略の一環に見えたかもしれない。
そういう視点の違いではないかな。
ただ、
>>725の「キリスト教勢力を先導者とした侵略」というのが
具体的に何のことを言ってるのか分からんのでアレだが。
例えばどこの話で、どういう経緯の侵略がそれに該当するのか説明してもらわんと。
743 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 19:50:53 ID:Y9TSQ516
>>742 >>宣教師の目的はおそらくまず純粋な信仰心に基づく布教活動
それは相当疑わしい。
http://www.gameou.com/~rendaico/nihonchristokyoshico/senkyoshico.htm 「既述したが、ザビエルの来日はキリスト教の伝来としてのみ見られているが、それは大いに誤りで、
ザビエルの個人的な親日的資質に拘わらず、イエズス会活動の実態は、宣教師の個々の資質をも包摂した
プレ・ネオ・シオニズム期の、キリスト教の宣教を標榜しつつ実はローマカトリックに潜入した改宗ユダヤ人マラノ
を主とした組織的な世界事情の諜報であり、それはいずれ西欧列強ないしはネオ・シオニストにより本格的に行われる
世界植民地化運動の先駆け的橋頭堡づくりであり、その足固めの役割を果たしていたのではなかろうか。」
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/812.html 「そうした中にカトリックの宣教師たちも霊魂の救いを目指して、アジアに乗り出して行ったのです。
彼らが求めたのは、霊魂の救いだけではなく、経済的利益でもありました。
ザビエルがゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てた手紙から引用すると、
「神父が日本へ渡航する時には、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような
相当の額の金貨と贈り物を携えてきて下さい。もしも日本国王がわたしたちの信仰に帰依することになれぱ、
ポルトガル国王にとっても、大きな物質的利益をもたらすであろうと神かけて信じているからです。
堺は非常に大きな港で、沢山の商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金が沢山ありますので、
この堺に商館を設けたらよいと思います」(書簡集第93)
「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述ぺたように、
堺の港についた時、持ってきたのが少なけれぱ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けが出来るからです」(書簡集第9)。
ザビエルはポルトガル系の改宗ユダヤ人(マラーノ)だけあって、金儲けには抜け目ない様子が、手紙を通じても窺われます。
ザビエル渡来の三年後、ルイス・デ・アルメイダが長崎に上陸しました。この人も改宗ユダヤ人で、ポルトガルを飛ぴ出してから世界を股にかけ、
仲介貿易で巨額の富を築き上げましたが、なぜか日本に来てイエズス会の神父となりました。彼はその財産をもって宣教師たちの生活を支え、
育児院を建て、キリシタン大名の大友宗瞬に医薬品を与え、大分に病院を建てました。」
不等なレートで日本の金が大量に巻き上げられたんだっけ。
>>743 それらの文章の742につき疑義を生じさせない。
まず上。よく読んでみ。「足固めの役割を果たしていたのではなかろうか」だろ。
俺とほとんど同じこと言ってるんだってば。
彼らの歴史上の意義や動きをについて書いただけだろ。
宣教師個々や会の目的については全く触れていない。
もし触れるとすれば彼らの標榜した「布教」を挙げるしかないから。
で、下。「そうした中にカトリックの宣教師たちも霊魂の救いを目指して、アジアに乗り出して行ったのです。
彼らが求めたのは、霊魂の救いだけではなく、経済的利益でもありました。」
つまりまず第一に霊魂の救い。加えて経済的利益、と書いてある。
742と何か矛盾するか?
>>743 そんな胡散臭いサイトをソースに力説されても…
747 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 01:50:26 ID:HuQkKwME
毛利が近畿を支配。北条が関東支配。上杉が西進して毛利と激突!西国は毛利派東国は乱世。
東海地方まで毛利が進撃!北条を討つ。
上杉が毛利に屈服する、毛利が関白並びに太政大臣になる。
その前に上杉がそんなに伸びる要素無い。
三好一族が短命でなければなあ。
751 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 04:02:02 ID:V1y7AaWx
上杉ケンシンLOVE
752 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 09:55:34 ID:gYq8nigo
当時の大名は豪族連合のボスで、地縁でがんじがらめ
ほとんどの大名は本拠地を終生変えてない。領土がかなり広がっても昔の本拠地から出ては帰って、という非効率的な行動を続けていた
これを打破したのが信長だ。尾張→岐阜→近江と多国間で本拠地移転を繰り返し、その時の戦略状況に相応しい場所を策源地としている
同時に地縁ではなく大名権力に依存した家臣団編制を行い、戦国期としては異例のトップダウンシステムを作り上げた
信玄や謙信が生涯本拠地一箇所にこだわり続けたように、旧時代の大名ではこういうのは無理
大内氏のように出張状態で京に出て本国が不安定化する事態になるのが関の山
信長以外に天下に王手をかけるのは不可能
本拠地を変えるなら武田信虎もしている、
北条早雲も興国寺城から小田原へ本拠地を移したし、
三好家にいたっては四国から畿内に本拠地を移していますが。
>>753 それってせいぜい生涯で一回程度じゃないか
しかもその子孫は移った場所を墨守してる
信長一人の革新性に到底及ばない
>>753 伊勢宗瑞の本拠は死ぬまで韮山。
小田原に本拠を移したのは北条氏綱。
756 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 10:57:10 ID:gltV7Edi
実力・合理性・天下を見据えたビジョン
これらを全て兼ね備えた人材は信長唯一人だった
志半ばで倒れた信長が天下人、と後代認識されるのは時代を変革した英雄だから
他人の敷いたレールの上を走るより、自分で道を拓くほうがずっと困難
757 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 11:00:50 ID:OEHLRmhS
歴史素人向けのビジネス小説家の歴史観をそのまま吐き出すのはとても楽でしょうね。
他の武将は領土が小さかったから本拠変えられなかっただけだろ?
信長みたいにケンシンやシンゲンが領土を持ってたら拠点変えるだろ。
759 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 11:35:37 ID:OpJiSLk9
本拠地を頻繁に移動しなくても天下を取った例もあるので
引越しが勢力拡大と強固に結びついているとは思えない。
当時はどこの大名も意思決定のプロセスがトップダウン方式に傾きつつあったので
この点に信長の特色を見出すのも難しい。
なんか、あっちこっちで
>信長一人の革新性に到底及ばない
こういう人間が出没してるんだけど、同じ人間かな。
信長の本拠地移転に関しては、清洲→小牧山は
褒められるかも知れないが
他に関しては、別に対した事は無い。
単に、信長の領土伸張の方向が偏っていたから本拠を次々移さざるを得なかっただけの事。
他の大名は、信長に比べて大抵本拠地の周囲に満遍なく領土を広げているので、
本拠を移すことはかえってマイナス。
信長だって、岐阜の次の安土はほとんど動いてない。
なぜなら、そこが領土の中央だから。
結局、領土の中心に本拠が無ければ、移転を繰り返す
信長が何度も本拠地を変えたのは、ただそれだけの事。
ただし、本拠の移転ができる事が大名権力掌握の象徴である事は否定できない。
761 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 12:57:43 ID:CEIAcNZb
地域はブロック化が進んだはず。
東北→伊達
関東→北条
中国→毛利
四国→長宗可部
九州→島津
これらの勢力は信長・秀吉勢力と接するのは1580年代前後になってから。
従ってこの時期までは勢力を拡大していたと見るのが妥当。
それ以外の地域では?
今川が上洛し、義元が健在であれば、武田・北条・今川の三国同盟もうまく機能する。
将軍を巡って武田・北条・今川と三好一党の間で駆け引きが。
義栄と義秋の二人の候補が双方の陣営に分かれて擁立される。
3石同盟包囲網で苦しむのは上杉。
で三好一党と手を結ぶ。
中央はこの2大勢力が攻防を繰り返すことに。
いずれにせよ、地域別ブロック化が進むことは流れからみて明らかだろうな。
762 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 13:11:58 ID:nCtLKEap
763 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 14:29:09 ID:kqxE0+vU
>>761 >ブロック化
だろうね。
だけど今川が織田、斉藤領を飲み込む分頭一つ抜け出す。
今川が全国支配を望む気風なのかいまいち分からないし。
今川が巨大化した三国同盟に上杉なんて影薄すぎでしょ。
太刀打ちできないと思う。
>>762 信長の根拠地なんだから、このifでは中部情勢はかなり動く
簡単には言えないでしょう
765 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 14:49:47 ID:CEIAcNZb
>>だけど今川が織田、斉藤領を飲み込む分頭一つ抜け出す。
当時は桑名あたりは湿地帯で東海道はここで行き止まり。
京に上るには中仙道に合流し琵琶湖東岸を沿っていくしかなかった。
当然斉藤家の領内を通るしかない。
これは俺の推理だが、斉藤家とは上洛前に話がついていたのではないか?
でないと、上洛の軍を起こす算段がつかない。
今川には中立をとって欲しい、と。
場合によっては合力し、斉藤家も上洛軍に加わったかもしれない。
そもそも上洛じゃないと(ry
>>764 でもかなり重要なのは間違いないんじゃないかな。
信長だけでなく「織田家」が無かったと仮定すればやっぱり斉藤か今川だろうけど、
今川が駿河・遠江・三河・尾張の支配に成功すれば一番有利だったんじゃなかろうか。
ただ、仮に義元が天下への野心を持っていて、
それに成功したとしても精々足利幕府の体系が少し変わる程度か?
768 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 16:17:25 ID:ZDy4SJ2M
信長一人で今川を撃退したわけじゃないよ。
尾張併合がえらいあっさり行くと仮定するのはおかしい。
>>768 織田がいなけりゃ水野は普通に今川に臣従してるだろ。
>>767 第二の大内義興になる。
義興とのちがいは、後背の不安がない事かな。
>>768 信長がいたとしてすら、
もう一度桶狭間で義元を討ち取れるかといえば、運の要素が強いから怪しいもの。
そして義元を討ち取れなければいずれはジリ貧になる公算のほうが高い。
まして信長がいなければという仮定の下では、
いずれは今川に占領されたと見るほうが妥当でしょう。
桶狭間が奇襲戦じゃないのは今や常識だよな?
774 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 17:59:47 ID:CEIAcNZb
>>767 義元が上洛し、将軍を擁立して中央の政治を牛耳るシナリオは十分可能。
ただその場合近隣勢力、浅井・朝倉・斉藤・六角・武田(若狭)あたりと友好・同盟関係を結ぶ必要アリ。
これは外交によって何とかなると思う。
三好一党と松永は将軍家に弓引いた過去を考えれば、当然討伐の対象にせざるをえない。
門徒衆は双方とも取り込もうとするだろうが、どっちにつくかは不明。
中央の形勢は混沌。
しかし義元の号令が天下隅々まで伝わるというのは極めて疑問。
地方は地方で勝手に戦をやってるだろう。
それと名門の出である今川氏では新しい政治は無理。
旧勢力と繋がりが多いからな。
利権で縛られている政党に新しい政治ができないのと同じ。
今川幕府体制は直ぐに崩壊するだろう。
>>773 桶狭間が奇襲によるものなのか勘違いして正面突撃をした事によるものなのかは問題じゃない。
重要なのは“もし、桶狭間が無かったら”という結果。
>>773 だから「義元を討ち取れるかどうか」を問題にしているでしょう。
777 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 18:26:06 ID:qdeCb6Rz
信長が居なかったら、16世紀のうちに戦国時代が終わったかが微妙だと思うんだが。
畿内の統一と維持が遅れれば地方を統一する勢力が盤石になって、益々混沌としそう。
義元や信玄が上洛出来たところで、彼らの生存中に天下統一は無理っぽいし、たとえ出来たところで室町幕府のような脆弱な政権になる気がする。
民間の生産力レベルがどの程度だったのか。
中国の春秋戦国や魏晋南北朝の分裂が長期に渡ったのは
広大な国土を統一できるだけの生産力がそもそも足りなかった、というのが有る。
信長秀吉による統一がきちんとした生産力を背景とした統一であったのなら
信長が居なくても比較的早く統一する勢力が出てきただろう。
生産力というか経済力の問題なら、「日本の富の過半はこの坊主のもの」である本願寺だなぁ
地位という点でも皇族並を勝ち取ってるし、動員力は百万石クラスの大大名に匹敵かそれ以上
問題は宗教組織が別世界を不輸不入で構成することは社会的に認められても、日本全般のトップに立つというコンセンサスが到底得られそうにないこと
それは本願寺光佐が信長のような人間に圧迫されなくとも武力行使にでて
自発的に権力を広げるということ?それとも加賀のように次第に大名は滅んで
日本全国で革命おきたみたいになるんだろうか。
>>780 可能性としては後者だろうな
本願寺が信長を奇襲した理由がちょっとはっきりしないから断言できんが
一向一揆が国一揆に発展し、すったもんだの末本願寺に年貢と番兵を出す加賀展開のほうがまだ……
本願寺の支配と武家の支配は何が違う?
打倒信長の目的が一致しただけだろ。長島や石山はそんなところ。
越前は一揆内一揆で自壊。
僧侶は来世の極楽を約束し、信徒はその代わりに奉仕する
宗教っていうのは要するに世界観の確定
利益の対立には妥協はあるが、宗教的思想だとそれは難しい
ある意味で本願寺本隊は利益団体として信長と戦ったから降伏できた
本気でやりやあい女子供まで戦ったという地方は根切りまで行き着いた
本願寺の坊主の誰かが積極的に聖俗一致で動くことを思いついたら悪夢だな……
784 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 20:27:01 ID:2UbHIb1b
一揆で出来たことは籠城とゲリラ戦だけで統率された大軍にはなってないべ。
しかも戦えない女子供老人が混ざってるから兵糧が続かない。
地方の大名なら乗っ取りできても上杉武田北条くらすの敵じゃなくね?
どの勢力にしろ、成長すれば反作用的により強く多数の敵と対立することになる
二度の信長包囲網を打破した信長並にそれを排除できそうな勢力ってちょっと思いつかない
信玄や謙信の死のタイミングが良かったとか言われるが、普通なら天満森で三好と本願寺・浅井朝倉と延暦寺に包囲されたあたりで潰されてる
>>754 三好は摂津に移ったあと芥川から更に河内の飯盛山に移していると思う
>>760 島津や竜造寺は?
787 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/14(日) 20:44:23 ID:W36lvA19
木曽義仲みたいに上杉か武田が上京するけど、
うまくいかず、そのうち自らの領地を北条に取られると思う。
で、毛利、北条共に上京する気がなく畿内はグダグダの第二次応仁の乱に。
畿内掌握した三好を信玄が滅ぼすが、義昭は野心のある信玄を警戒し同盟軍で遠戚の
義元を重用。しかし義元は義昭の器量を信ぜず、専制支配に次第に反発し独自に
朝廷に交渉し権力を強める、それを警戒した謙信は朝廷に信義を貫きつつも、
変わり身の心中はかりかねる義元と敵対。信玄もこれはしたりと加勢。
三好=執権北条、信玄=義貞、義元=尊氏、謙信=正成。
いや違うな。義昭じゃなくて義栄か、それで義元が義昭を奉じて南北室町幕府か?
自分で書いてて分からなくなった。無理のある当てはめ方だった。
まず、どのみち信長の関係無いところで「将軍義輝が暗殺→義昭逃げる(細川幽斎が)」は決まっている流れとして、
本来はココで
「細川幽斎が友人である明智光秀のつてをたどって信長へ」って義昭の身柄が動くわけなんだけど、
信長の存在がなくなった場合、ココで行き詰まるわけだ。
可能性としては
・六角(松永らと繋がってない場合)
・武田(若狭武田氏・お家騒動で動きが無い場合)
・朝倉(義景がやる気満々なら)
・斎藤(義龍謀反が起きてるならおそらく不可能、謀反が起きてなければ・・・?)
・織田(信秀が死んでない・濃姫が織田に嫁いでたら可能性あり?・今川から侵攻されてなければ・・・?)
まあ、義昭担いで上洛が成功するか失敗するかはさておいて。
藤孝次第なんだろうけど、
斎藤家は将軍家とはそれなりに縁があるね
792 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 01:44:49 ID:oOb69ezl
朝廷への献金額で考えれば大内、織田、今川、三好が候補に上がる。
この大国の中に守護代の奉行職程度の織田信秀が入ってる事を良く考えるべきだな。
内紛も無く継げる信行は今川なんかに負けはしないよ。
793 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 01:47:07 ID:7x0Nl8JD
尾張と三遠駿三国じゃ国力が違うおw
下手すりゃ美濃方面から武田に圧迫されるだろうし
下手しなくても無いから大丈夫だろう。あの上杉武田の泥試合は変わらないしね。
信行が内紛も無く継げるのか?
庶長子の信広だって後継者争いやろうとしてるし(あっさり信長に潰されたが)
一族間(信秀の弟達とか)の確執もあった
信秀は尾張の実力者ではあっても他の連中に対してはっきりした優越を確保していたわけじゃないから
今川に各個撃破ないし調略されるのがオチじゃない?
796 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 15:56:08 ID:oOb69ezl
信長を妙に神格化してる奴がいるが、信長の勝利は経済力の勝利だ。
同じ状況下で信行が台頭できない理屈は無い。
信長の真骨頂はその決断力と行動の早さだと思うがね。
798 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 16:39:33 ID:z6HqcCEK
>>796 物質至上主義で歴史を見たらいけないんだろうけど、
それでもやっぱり純粋な生産力は歴史を語る上で外せないよな。
>>796 尾張統一戦では物量で劣ることもあったんだが?
それでも勝ち上がったのは、信長の実力。
まあ、経済の重要性も認識していたのは確かだろうが。
801 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 18:57:26 ID:gmY/Kvq8
信長ですら、桶狭間の時には尾張の2割を侵食されていたのだから、
他だったら品野城・材木砦を取り戻せていないだろうから、3割+水野位
今川側だったんじゃないかと思う。
>>779 そんなものだたの誇大な表現に過ぎないよ。
本願寺が勢力を拡大するにはどうしても他の宗派との対立が避けられない、
法華宗にはかつて一度武力闘争で敗れているし、延暦寺等も侮りがたい。
加えて一向宗は各地で戦国大名と争っているが、
畿内では三好家に対して劣勢だし、加賀南部は朝倉家に敗れて制圧され、
越中も謙信に攻められて信玄に救援要請と、
一カ国以上を領する大名相手には終始劣勢に立たされている。
まあ、それでもそういった大名たちにもどうにか対抗していただけでも大した物だが、
とてもじゃあないが天下を握る云々といえるような情勢じゃあない。
少なくとも三好や毛利、桶狭間で敗れなかった場合の今川等に比べて、
天下取りの可能性は極めて低いといわざるを得ない。
>>796 信長が最も経済的に発展した地域を基盤にしていたのならそういえるだろうが、
信長を神格化するのもアレだけど、
信長でなくても同じだというのも極端すぎるだろう。
>>803 実際に信長の基盤が経済的に強固であったのなら
信長でなくても「遅かれ早かれ」その勢力は台頭しただろう。
いや、実際桶狭間以前の信長の支配地域が経済的に強固な地盤なのかは知りませんけどね。
>>804 当時の尾張はかなり経済的に発展していたのは事実らしいけど、
日本で随一というわけではない。
だから、尾張を手中にしただけで、
誰でも天下統一のさきがけになれるわけではないだろうと。
806 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/15(月) 22:17:20 ID:S1BltFLc
少なからず立地条件ってのはあったはずだよ。
信長が九州や東北の大名だったら絶対天下は取れなかったと思う。
太閤検地で尾張美濃で100万石前後だろう、信長時代でそれ以下だとしても
二国でそれだけいくのは畿内に無い。近江と大阪周辺は平地で農耕産業もあり、
堺等の商業も盛況だったけど、だからといって浅井や六角三好はそんな状況じゃないし。
信長の能力が前提で、それに尾張の立地条件が味方したということだろう。
しかし信秀が死んだ時点で
清洲家岩倉家に信清が離反し服部が割拠して
東から今川が侵食
信長は尾張の1/4程度からだろ
まぁそこは信長の能力が前提ってところな。
その状態で叔父弟を謀殺し7年で尾張統一、京堺視察の先見性、義元を討つ、
敵方の家康と同盟強行、美濃征服とこれだけやれるのは信長だから。そこに異論ない。
そのあと岐阜に居城移して経済奨励して常備軍つくれる背景に経済力が味方した。
尾張統一から美濃攻略を誰でも出来るってんじゃたまらないな。
美濃攻略に関しては、代替わりの隙を突いて三人衆を調略、即効で稲葉山城を包囲。
慎重に事を運び好機を逃さないって事は戦略的に非常に重要だけど、実行するのは困難。
>>799 その通り。基本的には国力がものを言う。
だからそれを覆した信長はすごいって話になるんだよな。
>>796は人の重要性を軽視しすぎ。
誰がやっても同じなわけないのは当たり前なのに。
812 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 01:15:17 ID:h8cAXmLO
信長がいなければ勝頼が意外と有力かもな
器量はたいした事がなくても他に天下が取れるほど
動きそうな奴は見当たらないもんな
お前は勝頼を器量がたいしたことないと言うのか。
815 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 08:06:58 ID:yGKQsdVj
信長のうつけ呼ばわりって一種の神話のような気がする
長宗我部元親にしろ、北条氏康にしろ武田信玄にしろ若い頃は家臣に馬鹿にされてたとか、うつけ者扱いされてたし
バカモノ→実は稀代の、少なくとも相対的にはその地域随一の才能をもっていたのを周りが理解できなかっただけ、という構図は出来すぎている
816 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 10:23:54 ID:0XauTj1R
毛利 長宗我部 島津 伊達 上杉 武田 北条の内乱になってるね
>>813 武田家滅亡の原因が全て彼の所為だとは思わないけど、
大名としての器量が
しまった、続き。
大名としての器量が“大した物”だとは思わないな。
戦上手ではあったかもしれないけど。
820 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 14:20:10 ID:2BSquW4r
信長がいなかったら尾張は潰され、今川義元は上洛。
中央を牛耳るけどそれは長くは続かず。
神話という意味じゃ
信長じゃないと尾張統一は無理、ってのは神話ではないのか。
822 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 16:02:46 ID:+N/5XRKZ
信長に匹敵する
軍事能力と指導力を持つリーダーがいれば可能だな。
ただ、信長の個人的利点として、斉藤道三の婿として、
家督相続後の数年間、支援を受けられたことが大きい。
>>822 軍事能力って国家の能力であって、個人の能力ではないでしょ?
個人の場合は指揮能力とか軍事的才能とか言わないか?
>>821 いずれは統一できただろうが、
あの時期にそれが実現したのは時には劣勢でも戦に勝てるだけの能力を持った、
信長あってのこととは言えるでしょう。
>>823 いや、そんな細かい言葉の使い分けはないと思うが。
>>825 俺も軍事的才能の方が良いと思うが、正直どうでもいいと思うよ。
827 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/16(火) 23:06:30 ID:2StpJ/Bs
>>812 3年は喪に伏し、対外軍事行動は出るな。
これが信玄の遺言だったな。
史実では勝頼は2年少しで禁を破り、設楽ヶ原で大敗→滅亡。
もし勝頼が信玄の遺言どおり我慢していれば天下の鉢は武田に回った公算が強い。
信長は本能寺で横死。
そして家康の役目を勝頼が。
こういえばその後どうなるかはこのスレの住人ならわかるだろう?
釣りにしてもひどい
毛利だろ、普通に考えて。
831 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 08:04:40 ID:HA8QgAlf
信長軍が義昭を奉じて上洛した時、一物一銭も略奪しない規律の良さが近畿の人々を驚かせた
一人だけ出た不心得者は晒し者に
中世で当たり前だった略奪誘拐に依存しない兵站と、部下を完全統御する規律
これこそが織田軍の本当の特徴だ
例えば信玄や謙信は奴隷市場の収益が無ければ軍を維持できなかった。信玄に到っては捕虜の妻女を部下への恩賞に当てて歓心を買う真似までしている
これらの規律の良さは、逆にいえば敵対すれば容赦ない攻撃も実施し得るということ
信長は動員形態という点では決して兵農分離を実現したわけではなかったが、兵士のプロ化=農閑期の半農半武民の出稼ぎ略奪的意識の撤廃という点では紛れもなく兵農分離の実践者だった
信長は義昭から勧められた管領職も副将軍も辞退した
代わりに経済要地の支配権を望んだ
実質を失った幕府官職とはいえ、名分としてはまだまだ大きな力を持っていたにもかかわらず(数ヶ月で崩壊したとはいえ、謙信は関東管領の職によって10万を超える軍勢を集めている)
多聞院日記によると、信長はまだ美濃を抑えないうちから義昭に合力して上洛しようとしたほど熱心な幕府復興者だった(これは斎藤氏の講和破棄によって潰れるが)が、その体制内に取り込まれることは拒否した
守護とか守護代とかの名目が罷り通っていた時代としては異例の価値観と政治センス
信長は他の大名とはまったく違う目線を保持していた天才だった
実質よりも名目で貫き通したのが上杉謙信だな
肩書きや大義名分で無益な戦を生涯貫き通した
奇しくも無くなった年齢は信長と同じ49歳
謙信「四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒」(辞世の句)
信長「人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢、幻の如くなり 一度生を受け 滅せぬ者のあるべきか」(幸若舞の敦盛)
ベクトルが違うだけで、死生観は似てるっちゃあ似てる
ちなみに、
菅原道真「駅長無驚 時変改 一栄一落 是春秋」
(駅長驚く無かれ 時の変わり改むるに 一栄一楽 これ春秋)
>>833 自分の価値観をほかに優先させようとするあたり似てるけど
名目を貫きとおしたのか?確か管領として打倒すべき後北条と講和して自分の為に戦った佐竹氏や里見氏を放り出したんじゃ?
836 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 11:18:43 ID:yn3zT8YJ
ある意味、実質と名目でバランスが取れていたのではw
ああ、バランスは取れていたな。
低いレベルでな
当初は関東管領としての仕事や(対関東)、
北信濃の小笠原村上らの庇護要請に応えていたが、
将軍の度重なる上洛要請と、信長が仏敵となったことで、
だんだんと中央へ関心が移っていった
謙信は、事実上の室町幕府ナンバー2の重臣だったからな(管領&古河公方あぼーんで)
>>838 ああ、つまり信長との同盟も裏切ったことになるのか
840 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 11:46:46 ID:k0BRy+ys
信長でなくとも尾張統一とか天下とかは、松下幸之助じゃなくてもナショナルが
とか伊藤敏文でなくともセブンイレブンが、の類であり得ないと思う。
信行の事跡が残ってないので実力は未知数だけど分からない以上IFでは除外
でいいんじゃないかな。
俺は信長の傑出したところはその「スピード感」にあると思う。当時の地方大名
の中で自分一代で全国に新秩序を打ち立てるまでの構想をするスピード感は無かった
ように感じる。とすれば、信長なしの場合、天下統一のタイミングを一世代か二世代
遅く見る必要があるんじゃマイカ?
1600年前後の状況を見て、信長なしでとすると、織田系、徳川系はないわけだから
伊達か島津か毛利か上杉か、三好?または武田か・・・
でも伊達、島津は遠すぎて×。武田は当主の個人的能力は?だが出生の事情で重臣連と
上手くいったとは思えん。毛利は輝元の情勢判断能力が完全に×。
三好は論外。上杉・・・当主の能力はそこそこ。直江もいる。
北条との蹴りが早めに着けば上杉関東勢力と畿内勢力とのぶつかりあい・・・
なんてイメージなんだが・・・・どう?
>>840 毛利輝元の状況判断が×って頭おかしい・・
842 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 14:29:23 ID:pKoj8wyp
>>841 はあ?×だろ、普通に
誰か輝元の情勢判断能力評価してる奴いんのか?
843 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 14:30:16 ID:UKngRUag
信長並に旧来の秩序権威を利用しつつ、それに取り込まれないというスタイルをもっていることが必要かもしれないな
特に豪族国人合議制だと利害対立の足絡みがついて駄目。完全ではないにしても、トップダウンがとれるぐらい大名に強い権限が無いと
844 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 14:50:41 ID:yn3zT8YJ
なんだよこの壊れたスピーカーみたいな信長厨は
845 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 17:06:31 ID:D1KAiwz2
信長がいなかった時の話をするのに信長についてはどうでも良い。
アスペルガーの織田の若さまなんてどうでも良い
信長と他の大名は、実力もそうだがスタイルが違いすぎる
信長がいない場合、泥仕合が延々と続いてそれこそ元寇みてーに外国が侵略してくるようなショックでもない限りまとまりそうも無い
847 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 19:28:54 ID:NETVpIkE
信長がいなかったら別の実力者がまとめるだけ
勝頼ねぇ。可能性があったら面白いけど。
恐ろしいのはインドとか東南アジアみたいに南蛮船の中継基地にされて
キリスト教信者利用されて、それをさらに大名が利用しようとして外国勢力引き込む
のが恐い。伊達政宗みたいな逆転を考える輩がいるかもしれないし、大友なんか実際に
利用しつつ当主が宗教に影響されてる人間もいるし。
それより尾張統一だけど、今川が支配という以外なら斉藤義龍支配もないか。
詳しくは知らないけど信友や信行を支援したりしたんだろう、すでに尾張統一前から
美濃とは交戦状態だし、信長でも7年ほどかかった国力の均衡が前提にあるし、
信長が凄いなら逆に信長がいないと尾張がまとまっていようと危ない。
でも龍興が継いだらやっぱ義元にやられて、義元が上洛できないと
氏真は武田の同盟軍になりさがり、天下人勝頼の可能性が!!
849 :
OPS:2007/01/17(水) 19:50:21 ID:rwZcx6hc
勝頼天下ということは武田の天下か・・・・
850 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 20:53:39 ID:1cRi+Q4D
>>827 史実の時系列:武田滅亡→本能寺
その通りだ。が信長の政権は長くは続かなかっただろう。
あまりに急進的なやり方だったためにいたるところで敵性分子を作りまくっていたからな。
実際、本能寺の変以前に松永・荒木に背かれている。
>毛利だろ、普通に考えて。
家格。これが大事。
武田は源氏の血を引き、足利・新田の次の家格だ。
家柄はこの時代重要だよ。
国人成り上がりの毛利が武田に並ぶには禁裏に多額の献上をする必要があるな。
>>849 勝頼天下ということは武田の天下か・・・・
実際天下は武田が取ったともいえる。
主家滅亡後、武田の家臣は徳川に任官したからな。
家康も戦いを通して信玄の軍略・政略の奥を学んだはずだ。
武田のDNAは徳川に引き継がれたとも言える。
勝頼が自重して苦しい時代を乗り越えたら・・・。
長篠を落とし織田が国境付近まで迫ってくる。
数に物を言わせ、織田の大軍が甲府にまで迫ってくる。
もはやこれまで・・・。と思った瞬間。奇跡が。
信長が光秀に討たれたのだ。
塩を引くように去っていく織田勢。
武田と秀吉が急接近。
秀吉の天下取りを条件に家康・柴田を牽制。
そして五大老の一人に勝頼が。
この後家康の演じた役を勝頼が演じて・・・。
ア、いっとくけど俺は武田房じゃないよ。
我慢すればいいこともある、って感じでIF戦史を綴っただけ。
851 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 21:01:37 ID:ypnAc0U2
戦国大名としては
ある程度筋目正しい毛利を差し置いて
詐称まるだしの徳川氏が天下を治めえたことは?
というか豊臣秀吉がいるじゃない。家康もいきなり源氏、早い時期としても
関東転封時点だっけ?三河守も実力でとれたし、信長だって義昭追放して実行支配で
右大臣辞しても三職任官得たし、家格は手段の一つでそれ以上ではないと思うけど。
あと勝頼が我慢ってスレ違うんじゃないか
853 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 21:30:23 ID:1cRi+Q4D
>>家格は手段の一つでそれ以上ではないと思うけど。
そのとおりだよ。家格以外の手段がないなどといったつもりはない。
>>詐称まるだしの徳川氏が天下を治めえたことは?
家康に匹敵する大名がいなかったからだよ。
毛利だろうが誰だろうがもそこまでのスーパーパワーならば天下は治めれる。
しかし家康も源氏長者になるためには大変な苦労そしている。
家柄がいいというのはそれだけで万の軍勢ぐらいの効果はあるのさ。
>>あと勝頼が我慢ってスレ違うんじゃないか
わかりきったことをいいなさんなってw。
854 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 21:48:22 ID:ypnAc0U2
今川の場合はまぁ、氏真が後を継ぐまでに
どこまで体制を固められるかだな
尾張平定後も快進撃続けて、圧倒的な国力を得られれば。
戦績を見るかぎり、氏真は個人的武勇はあっても
采配のセンスは余りないようだし・・・
そこを肩代わりできる片腕に恵まれれば、面白いかもね。
今川も三河の松平を利用したように、美濃攻めに織田の遺臣を利用するんじゃないか。
信友は滅ぼされるかもしれないが、織田一族の誰かをわざと従属させて家臣らを集めて
利用する。信長じゃないし根絶やしはしないだろう。信長も尾張はともかく、美濃衆も
優遇したから、義元も尾張衆までは優遇して利用するかもしれない。
そうすると氏真支えるのは結構尾張衆じゃないか。信忠が美濃衆なように。今川家臣で
有能なのが出るかもしれないが、案外柴田勝家とか佐久間信盛いきのこりそう。
希望的観測だが。竹中半兵衛はどうだろ。
一度は出奔した藤吉郎が許され出世した松下家に召抱えられて、
めくるめく出世をして氏真を傀儡にして結局、豊臣秀吉の世になったらつまらないが・・。
まぁ普通に考えて今川の世だろうが武田の世になろうが秀吉の出番は無いな。
856 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 22:07:40 ID:ypnAc0U2
>>855 家康が(忠実さはどうあれ)氏真の部下として働く限り、
彼の軍事的手腕は、重宝されそうだね。
氏真を傀儡にできる意欲と能力・血縁という立場を備えているとすれば、
尾張衆よりも家康(元康)かなあ。
秀吉はちょっと厳しいかと。
勝家や信盛はちゃんとした扱いを受けそうだが、
国人領主より下の身分の者を取り立てる事は、なさそうな。
おまえら、忠臣朝比奈泰朝を忘れてないか?
>>856 家康は当然出世するだろうなぁ、義元に目を駆けられて縁組されたのは史実だし
義元も松平利用するためにもどんどん優遇してったら義元死後は逆に恐い立場に
なるだろうなぁ。ただ、格式高い今川、そこは譜代が幅を利かせて三河衆は肩身
狭いままだろうな。そうなると、家康は井伊直政に敬語つかって頭下げるとかあり得るだろうな。
直政も若いし氏真時代の有力武将になりそう。
>>857 織田における柴田勝家みたいになって氏真の子を擁立した家康と対決して滅ぶ
859 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 22:43:06 ID:ypnAc0U2
>>858 確かに。
三河衆は、織田家で言うなら美濃〜近江出身者ぐらいの格か。
柴田・林らに相当する駿河衆に押さえつけられるだろうな。
>>857 家康の他に軍事的な手腕を持つ人もいるだろうしね。
家康は、よくて国持ちレベルかな?
それが三河である保障もないけれど。
>>831 一銭切りの事を言ってるんだろうが
あれは領内だけだから、奴隷市場の話とは全然関係ないし、
そんなのはどこの大名でも当たり前。
確か、京都で略奪の限りを尽くした話は、どこかに出ていたと思ったし
美濃攻めでの巨悪ぶりは常識だと思うが。
861 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/17(水) 22:55:18 ID:ypnAc0U2
>>860 >確か、京都で略奪の限りを尽くした話は、どこかに出ていたと思ったし
>美濃攻めでの巨悪ぶりは常識だと思うが。
kwsk
なんで根拠を示さずに信長の事跡だけは躍起になって否定しようとする奴が沸くんだ?
上洛時の京都占領時の話だとわからないほど文盲?
当時、長期遠征で略奪を一度もやらなかった大名が他にいたら教えて欲しいものだが、マジで
秀吉は当然信長以降だし
まあいわゆるその手の「軍規が良かった」系の話は
古今東西にたくさん有る、いわゆるお決まりのパターンなわけで。
仮に事実だったとしても格別信長が凄かったとは言えないんじゃないか。
当時他の大名は軒並み略奪し放題でした、なんて事実が有ればともかく。
864 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 14:55:37 ID:C7Fj3TI0
信長は楽市楽座を認めた安土でも、奴隷商人はぶち殺してる。信長躍進の秘密は、本年貢以外の諸税をチャラにするとか通行税無料とかの民衆負担の軽減かも。
幕末の勝海舟が信長について著書で触れているが、そこではまず第一に「賦税を軽ろしとし」と挙げているし。
勿論信長は慈善事業者じゃないから、信長にとっての利益になると踏んでやったんだろうが。
信長はその辺の汚さが無いから人気あるんだろうな。
謙信なんかは奴隷商売云々のきな臭い話があるんだけども
信長のエピソードを調べると、遠慮なく女子供含めて何万人も打ち殺す魔王の顔と、善政を敷いて家臣の夫婦喧嘩を仲裁したり先祖の罪で乞食になってる男を救済したりとマメな名君の顔が並立している。
このあたりの複雑な人格は好きになるにしろ嫌いになるにしろ印象にえらく残る。
まぁ、そろそろ本題に戻ろうか。
まあ逆らうものはとことん懲らしめ、従順するものにはとことん優しい
俺はそういう徹底した色分けが好きだな
869 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 15:56:24 ID:xqnyiStG
民衆負担軽減といえば北条氏
税を三つにまとめてしかも安い。最大の特徴は国人の横暴があったら北条氏に直訴しても良いと認めたこと
一族の間の争いが驚くほど少ないのも良い
だけど、どうも地方で固まって天下に打って出る可能性が低そう
まず今川や武田を打倒しないと西には出れないし……
870 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 16:05:46 ID:p5qNPEdy
結局、地の利や大義名分も重要だということだな。
桶狭間が無く、義元が尾張に食い込んできたとした場合、
家康はそのまま義元の良き家臣となったのだろうか?
この人って、信長と同盟中の時は異常なまでの従順さを見せていたのに
秀吉死後から別人のような狡猾さを見せるんで判断し難いよね。
872 :
自称・常陸介:2007/01/18(木) 16:44:04 ID:OfJ+36iT
家康は信長がいるうちは天下を取ろうとはしてなかった。
でも光秀がブッコロしてくれたから可能性ありやー。っつー感じになったんだろ。
織田には勝てないが他には勝てるってかんじだった
>>870 地の利や大義名分がないからこそ、民衆の支持を誰よりも必要としたのかもな >後北条
後北条は頑張ってみたけど結局関東の幕府関係の権威を全て取り逃してるもんな。
もう氏康辺りであまり気にしてない風にも見えるけど。
875 :
OPS:2007/01/18(木) 17:36:06 ID:1F6xuHTt
氏康は氏政が飯に汁二回ぶっかけたときに天下取りはあきらめただろ。
876 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 17:41:05 ID:Tf1Ab5hV
信長がいなかった場合、今川義元は難なく尾張を通ったでしょうから、
まず上洛は果たせたと思う。そして近畿は三好と今川の争いになっていただろうと思われる。
結局、最終的には今川家の勝利に終わるものの義元死後、家康が氏真を排除して今川家を乗っ取り、
結局は家康が早い段階で天下を統一していたかも。
豊臣政権下での家康の位置と今川での家康とは違うよ。確固たる後継者は居るんだから。
今川政権下で圧倒的なNo2という立場ではないから、豊臣の時のような事はしないんじゃないか。
まあ状況が許せば、史実のように氏真を見限りかねないけどな。
例えば義元が天下に号令出来る立場になったとして、
それは結局足利幕府の存続でしか無いよね?
前に出てたみたいに地方毎に大きなブロック分けが進んで
安定した政権になるなんていう可能性はあるんだろうか?
880 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 19:18:09 ID:p5qNPEdy
別に潰さないと統一できないわけでもないし
支配地域の生産力だけ考えれば十分統一できる勢力じゃないのか、尾張併合今川は。
>>874 氏綱の時点で将軍家の権威なんぞ無視してるだろう。
少しでも将軍家の権威を利用しようと思うなら、室町幕府に逆らうような執権北条家など名乗らずに、
将軍家に縁が深い伊勢家をずっと名乗ってりゃ良かったわけで。
883 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 22:14:11 ID:8Bk93rxK
地方はブロック化。
中央は今川vs三好の争い。
両陣営は地方勢力を取り込もうとする。
今川方につくもの、三好方につくもの、中立を保持するもの。様々。
将軍家の力は強まらず、いずれにせよ戦乱は絶えず。
この後は二つのシナリオが:
@大勢力同士の連合による関が原並みの決戦。
将軍家ないし朝廷を巻き込んで。いずれか一方の勢力が他方に対して討伐令などを下すに成功。
外交と政略で勝ったものが勝つ。
幕末の薩長vs会津のような形。短期決戦で意外な勝者になる可能性あり。
A忘れてはならないのが国際情勢。
この時期日本人の海外進出が目立った。If戦国史でもこれは続くだろう。
海外進出や交易で国力をつけた勢力が天下を制する。戦国が長く続くのが条件。
西国大名が有利。島津・毛利あたりか・・・。
信長が存在しないイフで、徳川(松平)が力を伸ばした場合、自分達が知っている
徳川幕府というものになるのだろうか。
家康って20歳位から信長と同盟を結んでいるから、その後の行動や発言には
もしかしたら信長の影響もあるかもしれない。家康の想像って結構難しいな。
信長が存在しなかった場合、史実の豊臣・徳川のような天下という思考が家康に生まれるのか疑問。
885 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 23:25:57 ID:ESSu5rvH
仮定がよくわからんが、信秀もいなかったことにして、
松平清康も討ち死にせず。そのまま尾張押さえて後世へ。
やっぱり家康が天下とる、と。
>>884 それはまぁそうかもなぁ。家康は先行者のいい所を取り入れるのが上手かったのは確か。
非常に日本人的といっていいのか、一流のアレンジャーって感じ。パイオニアである
信長がいないor桶狭間で死んでたら普通に今川配下の一部将としてすり減らされてただろう。
信長同盟時代の従順な姿や小牧・長久手での外交戦における圧倒的敗北。
とても秀吉の死前後の狡猾な彼とは結びつかない。
勿論、資質が備わってこその事だろうけど、
他人の大きな失敗を自らの糧に出来たのが大きかったのだろうね。
そう考えると、今川家中で勢力を伸ばし、主家乗っ取りが出来たかは疑問だね。
武田の騎兵隊が銃を本格配備して竜騎兵隊になる超展開で天下統一
信長がいなくても義輝死亡は変わらないよな、そうすると史実のように義元も義昭を
口実に三好排除を狙って上洛すると思うが信長じゃないという点で管領あたりに
なるんじゃないか。義昭の独断で、細川三好のあとに近畿に根を張ろうという感じ。
といっても本国は武田、北条があるので、駿府は氏真に任せて朝比奈でも誰でも
良いけど実力のある家老をつけて、本国防衛もするだろう。それだけに、朝倉と敵対とか
無理なことは尚更できないし包囲網なんてことにはならないだろうな。
可能性としては、そのとき東海道を再編して三河が家康から召し上げられたりするかも。
家康は義元の上洛軍に加わり史実と違って一向一揆対策に専念できず、他の奴が担当。
義元は家康の力を三好との戦いで使いたいし、召し上げられてもそこは家康、
江戸転封もあるし、強者に対しては「御意」とか言いそうだし。三河は氏真の家老が
収める。家老の軍事力も合わせて、三国で武田北条を警戒。家康は美濃か南近江のどこかに。
国替え、居城変更は信長だからというのも分かるが、合理性からいって義元が駿河から
上洛して天下に号令しようとするなら中継基地はいるし、六角は地理的に敵対するだろう
から稲葉山には入ると思う。単純な想像だけど。じゃないと謙信みたいに帰国したら義昭が
討たれたりして、義元が天下に号令というイフが成り立たないし、いきなり京に屋敷なんて
信長でも無理だったし。
890 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 09:18:27 ID:hVCsE22V
天下を取るためには上洛が必須、とか自然な前提としているが
実際には信長以前には京都を抑えた勢力が拡大の利に利用できることは無かった
大内氏のように本国を空けることになってしまい尼子氏らの台頭を抑えきれず、それを静めるために派遣した武田元繁にさらに裏切られて後年の没落の要因を作ってしまったケースもある
上洛して既存の権威にテコ入れして、しかも自分は官位を貰わず一歩離れた姿勢で利用するという信長方式が成功したから、歴史上の前提とされただけ
信長がいないというイフは、当然この信長方式という前例も無いわけだから、上洛を必要としない・あるいは上洛したとしてもまた別の方法での権威利用しか無くなる
誰が天下に王手をかけるか、以前にどのような形で王手をかけるのか、がまず決まらないと
891 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 12:20:42 ID:yPJeyYIA
足利義輝みたいにあっちこっちで争っている連中の和睦を仲介して調停者として幕府の存在感を回復。
その見返りに幕府に合力を求める。
義輝自身に実力が無かったから謀殺されちゃったけど、こういう路線が信長以外では現実的かね。
そうなると今川氏が将軍職を継いで、さらに手紙魔になるケースとかかな?。
吉良氏と斯波氏でくだらない格式争いした事を無視するのか?
今川を認める訳にはいかない勢力が山ほどいると思うが。
893 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/19(金) 13:41:02 ID:7SimGIIy
認めるわけにいかなくても吉良や斯波にはそれを訴えるだけの力がない
>>890 頼朝のように自身は関東に留まっていても自勢力の軍勢をいつでも京に上らせられる状態じゃなければ天下は取れないだろう。
日本は天下を取るのに京都に居る天子の承認が必要だからね。
>>894 それは逆で、
天皇は、天下を取った実力者に承認を与える。
天下を取るのに、天皇の承認は必要ない。
896 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 02:13:57 ID:LeDLa6Oi
天皇こそが天下人じゃないのか?
天皇は全宇宙を統べる不老不死の全知全能大創造神だぞ
897 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 03:12:46 ID:Q4Ijox1R
>>893 吉良や斯波を、今川と敵対する勢力が担ぎ出すという可能性を考えろ
898 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 08:29:59 ID:T1zIB6hC
もっと足利宗家に近い奴が全国にいるのにわざわざ吉良や斯波なんか担がないって
西は毛利、中央は三好、東海は今川として。
西毛利、、東今川から攻められて三好はない。播磨次第で毛利が有利だろうか。
上洛は四国、播磨から三好を攻められて。
900 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 19:58:27 ID:sOhkE5Y9
>>989 もっと足利宗家に近い奴が全国にいる
「全国にいる」?
詳細キボン。
901 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/20(土) 20:25:37 ID:/m8Vc5tT
信長の野望で信長即隠居→信長打ち首したら武田が90%くらいの確率で
全国統一したから武田
902 :
くるるん兄弟:2007/01/20(土) 20:58:53 ID:IkFXLT5s
三好は確かにやり手だが、松永が政権の中核に居るからアウト。その松永は、
たぶん傀儡政権は作れるだろうが、自らが音頭を取って天下統一・・・。とい
うのは向いてないと思う。
今川は義元本人はいいが家臣的に駄目。家康しか即戦力が居ないし。
徳川は織田の同盟者でなければ今川家中で暗躍するぐらいしか無理そう。
毛利は大友に食い付かれてるから微妙。
つーと武田ですか。
今川には朝比奈や岡部らがいますが。そもそも即戦力て、スポーツじゃないんだぞ。
家臣が駄目の理由も意味不明だし。
案外義昭が天下奪取しそうな予感がするがどうだろうか。
明智を重用したあたり、義昭には人を見る目があったと思うよ。
後ろ盾が信長で、しかも信長を頼ってすぐに信長と対立するように
仕向けられたからあっさちやられたけど、直属の部下を
育てる時間があったら、室町幕府がまだまだ続いたかも。
吉良を押しのけて実行支配でそのまま三河守になった家康がいるんだから
地方に置いては名分より実力が第一なのは史実、斯波も織田もそもそも
家臣格でも逆転できるし、信玄の信濃のように相手が担ぐ人間いようと関係無い。
それを後から名目を取得して大義を証明する方法で最もらしいのが朝廷からの
承認を室町幕府を通して得る方法、ただこれは地方においてで天下となれば
その室町を抑えて利用するのが一番だし、そうしない方がいいなら信長がやってる。
無視できない方法として上洛があるんだから、あんまり極論に拠って上洛自体の有無とか
斯波吉良とか無力な守護の存在を考え直しても意味ないと思うけど。
御所が絶えなば吉良が継ぎ
吉良が絶えなば今川が継ぐ
今川が絶えなば・・・斯波が継ぐ?
907 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 10:38:09 ID:gR9lo3Nm
無理。信長以外義昭の後ろ盾になってくれる勢力が存在しなかった
比較的好意的な和田氏や朝倉氏も庇ってくれるのがせいぜい
足利義栄が将軍位を確保して義昭あぼんでしょ
908 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 10:44:21 ID:Jcf086w3
俺が真実を教えてやる
キリスト教の定着&欧米の植民地化
えっと、カキコを見ると
今川家・一向衆・キリスト教勢力(キリシタン大名含む?)あたりが有力馬かね?
一向宗はありえん、所詮は権力に逆らう存在でしかなりえず、空中分解するのが目に見えてる。
むしろ信長が居なければ史実より小さな反抗で終わった可能性も高い。
途中で旧仏教とごっちゃにしてる奴が居たけど、概ね上記の意見で終わったはず。
キリスト教は良くわからん。
>>910 いや、それって再反論くらってどっちつかずのままじゃないか
当事者の片方乙!
912 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 17:15:45 ID:pKmB8EcT
越前の名将・朝倉宗滴は「あと3年生きて織田信長の行く末を見てみたい」と言い残していた。
当時まだ自立したばかりの信長の才能を遠い地から認めていたわけだが。
こういう逸話のある武将こそ信長の代わりに歴史を主導し得るだろう。
>>911 いや
>>802以降本願寺のレスは無いぞ、
お前だろ、本願寺主張してたの。
文句があるなら言ってみろ。
914 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 21:48:08 ID:71wOj5ku
群雄割拠が長く続き、やがて欧州のような連合国に。
束の間の平和を得るがバランスが崩れて各王国は崩壊してゆく。そして長く続く戦乱を生んだ武士政権に不満を爆発させた民衆による革命軍が。各地で呼応して武士政権は壊滅。主権は民衆にうつり民主主義の近代国家へ。
中学生の文章か
916 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 07:19:30 ID:7UCjfJeE
始めから信長がいないなら
斉藤(明智)
桶狭間で滅亡なら今川
917 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 08:24:45 ID:scmgYn7m
独眼竜政宗。 ナベケン政宗なら、信長いなかったら余裕で天下とってるな。
918 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 08:33:01 ID:ofbXatOy
滝川一益、明智光秀、羽柴秀吉は浪人のままなわけだから、彼らがどの大名に仕えるかで歴史が分かれるだろう。
それともこの3人が実力を発揮するためには、信長に仕官しなければならなかっただろうか。
一向衆だろ。加賀みたいな百姓持ちの国ができるなんてこと自体、そもそもそれまでの日本の歴史ではありえなかったこと
単なる自治組織が成長して既存の武家と争いはじめる現象は北陸だけではなく伊勢や紀州でも顕著
関東でも北条武田再同盟で禁令が解かれたら勢力あっさり回復してるし
地方の自治組織が名目上本願寺を頂くという、中世武家の将軍と大名の関係をそっくり移植したような宗教国家成立
で、キリスト教国と激闘してアジアの聖俗の覇権をかけるんだよw
920 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 12:38:38 ID:+AHMkEs/
>>919 一向宗過大評価しすぎ。キリスト教国のように人口ほとんどが教徒ならともかく
結局、加賀、伊勢、三河など特に限定された地域でのことに過ぎない。
上手くいっていくつかの地方勢力。法華宗や他宗が盛んな地域ではまず無理。
キリスト教が伝来したらかなりの数の国民がころっと入信してしまうような国柄
で一宗支配なんてできるわけがない。加賀の百姓持ちたる国を過大評価するのは
日本に革命史観を持ち込みたい腐れマルクス主義者だよ。
実際は当時全国で起こった国人による下克上に宗教の冠がのっただけ
921 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 12:46:54 ID:+RX1Tn1p
俺
>>920 過大評価を言い出せば、史実で台頭した信長以外を予想したら全て過大評価の未来図ってことになっちゃうじゃんかw
だいたいいくつかの地方勢力って時点でかなり有望株ジャン。他の大名はせいぜい一地方なんだから
923 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 14:37:45 ID:d14jcDwR
結局さぁ、このお題である程度シミュレーション出来るのは、元亀・天正くらいまでじゃない?
信長より世代が上の信玄・謙信・義元・氏康・元就とかは、寿命が足りんでしょ。
924 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 18:49:30 ID:l16DWXOt
篠原長房とかの可能性もあるな
また渋い所を。
926 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 20:53:07 ID:7UCjfJeE
信長の存在によって命を落とした大名以外はとりあえず除外だろ
今川に関しては2代目がアレだぞ
結果家康の独立(信康が生きてる)
がおきえる訳だが
武田・北条の存在する徳川幕府が出来ただけかも
君主の資質だけで統一候補から除外するのは酷い
928 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 21:34:09 ID:7UCjfJeE
↑良く読んでね
例えば武田信玄は 信長がいなければ上洛時期がもっと遅くなったはず
っていうかしないで謙信と潰しあっただけ
寿命も信長の存在に関係無いよね?
毛利も同じ
むしろ信長がいなければ大友をほっといて東を攻める理由が無い
寿命時の最大勢力範囲がもっと小さかったはず
三好・松永は 結果同じ末路だろ
そうすると
やっぱ家康有利じゃないかい?
斉藤道三→明智ラインも臭いけど
道三死ぬ前に義龍死ぬ事になるからね
過去レス読もう
いや、だからなんで二代目がアレだから家康独立、という風になるのかが分からない。
信長不在によって義元の代で今川が大きく台頭したならそもそも家康が独立できるか分からないじゃないか。
いくら君主(家康)に資質が有ったって周りの状況が味方しないなら台頭できないでしょ。
931 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 21:51:01 ID:7UCjfJeE
史実だからだよ
例えば、今川が尾張平定したとして。
家康は岡崎に帰されて岡崎城主に、3国同盟が崩れて武田、今川領侵攻。
それに乗じて家康独立ってこと?
だから今川にだっているって。朝比奈泰朝、岡部元信ら。それに桶狭間で死んだ連中も生きてるわけだし。
氏真は継いだ状態が悪かった。
桶狭間で義元が死なずにきちんと継げていれば家康が史実通りに行く可能性は少ないだろうよ。
それにスレ的に面白く無いだろ。
「実際に天下とったから家康が信長が居なくても天下とりますー」
じゃあねぇ。
「信長が居なかったら家康が天下を取れたか?」ってネタだけでも十分スレ一つは立ちそうだな。
尾張衆や美濃or伊勢衆で氏真のもと頭角をあらわしてくる人間もいるかもしれん。
家康は西を目指す、信玄、東を目指せ。なんてw
>>930 俺はふと思っただけだけど、暗君の場合は家康が直接傀儡にして支配というより
今川の中で権力争いが起きないか?それで今川が弱体化して松平が台頭ってことかな。
今川に従属といっても、その従属という根拠の当主の若き家康が今川領に住んでるとか
それによって三河衆の軍勢兵糧が今川方の城代によって利用されるとかいうことも状況が変わると思うし。
家康が天下に望みあるかは、まず義元が家康をどう見て、どうする気だったのか
推測するしかないだろう。当然、成長してそれなりの武将になれば家康に権限もたせる
部分もあるだろうし、嫁まであてがって、譜代に次ぐ位置にする気じゃないか。
桶狭間は家康を義元としても武将として自立させる瞬間っぽいけど。
あと信長がいなくても平手政秀はなんらかの理由で切腹してしまいそう。
仮に松平として今川の有力家臣の一人となったとしても
そこから台頭できるか、というととても予測できる範囲じゃない。
義元が死ぬまでに今川家の勢力範囲がどの程度広がってるか分からんしね。
氏真が暗愚という話自体が根拠無い。
許しがたい裏切り者の家康に保護されたり、怨敵信長に蹴鞠を披露したのはどういうつもりだ?
>>920 >腐れマルクス主義者
>腐れマルクス主義者
>腐れマルクス主義者
('・c_,・` )プッ
>>940 >裏切り者の家康に保護された
人格者である表れとも取れる。
>怨敵信長に蹴鞠を披露した
これがもし信長がやった事だったら、肝が据わってるとして賞賛されるエピソードかもね。
まぁ、どちらも文化人としての評価の現われだろうが。
スレがあるから一度見てみてくれ。名君ではないが暗愚ではないのがわかるから。
氏真が暗愚扱いされるのは、勝頼と同じで
徳川と徳川に組した連中を正当化する為にすぎないと思うね。
暗愚だから裏切ったんだ!俺は悪くない!ってね。
そういうのは曲解という。無理に良くみようとしてるだけ。
生き残った事だけで優秀扱いなら織田信雄、山名豊国、斯波義銀も優秀?
今川氏は桶狭間で当主のみならず、そのブレーン集団も討ち取られて失っている
岡部氏や朝比奈氏のような精強な武士はいるのはいたが、篭城戦以外では全く精彩を欠いていく
戦争したくてもできなかった、というのが実情じゃ?
一応、北条の対武田戦や織田に属しての長篠合戦に出陣してるから、戦争にでれないほど臆病者だったとかは無さそうだが
945 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 11:15:24 ID:3Jz3YzoL
そもそも信長以外に積極的に天下を視野に入れて活動しようとした武将ってほかにいるの?
上洛作戦にしたって信長の成功例を見ての後追いか横取り狙いばかりでしょ
946 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 11:16:47 ID:UZAC8ebQ
意外なところで、
長宗我部信親が取っていたであろう、と言ってみる。
947 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 12:46:58 ID:eEY29P8f
>>944 > 一応、北条の対武田戦や織田に属しての長篠合戦に出陣してるから、
これ、今川氏真のことですか?
すると、親の仇の信長に仕えるつもりだったのかな?
信長に蹴鞠を披露したという話もあるけど、これは就職活動?
>>946名前は長宗我部信親じゃなかっただろうねー。
氏真は長篠のときは確か家康に属してなかったっけ?
>>937 史実でも義元は桶狭間より前に、自分のめいの築山殿(瀬名)を
家康に嫁としてあてがって るよ。
結局、家康っていうか松平=徳川ってのはあるかもな、と思った。
ただ信長なしなら、かなり時間はかかったろうね。今川のもとでじわじわと
存在感を増し→義元の自然死→氏真の失策→家中分裂みたいな形で、過去の
北条早雲の役割を家康が果たし、→徐々に主家を侵食(鍋島みたいに)
で、ようやく独立の大大名。くらいでもう1600年くらいになってそう。
余命15年くらいでどこまでいくか、だけど天下統一となると秀忠(じゃなくて
信康とか秀康かも)の時代かな、と。こうなるともうIFで組立てるの難しいなw
そういうIF組むのなら別に家康である必要性は無くなるよね。
わざわざ家康選ぶのは単に後々徳川幕府を開いたから、ってだけでしょう。
家康の位置が格別他の大名よりも有利とは思えないし。
というか信長無しで家康がどう信玄坊主と対抗するの?
信長がいなくて三方原が起きていたとしたら降伏してたろ。
実際なかなか援軍を出さない信長にぶちきれて武田に寝返ると言った話があったくらい。
> 実際なかなか援軍を出さない信長にぶちきれて武田に寝返ると言った話があったくらい。
それって出自は甲陽軍鑑だよね?
実際の所は信長に何をされても文句一つ言わなかった小心家康を格好良く書いたんじゃないのかな?
別に信頼出来るソースがあるならスマソ。
956 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 16:27:09 ID:+6Zoz7bW
三方ヶ原の戦いの時は武田家135万石、徳川家45万石だっけ。
しかも1対1で戦っても武田軍の方が戦慣れしていて強かったりする。
てんで勝負にならないでしょう。
家康も信長への義理があるから武田家と戦ってるだけで
信長が居なかったら普通に武田と講和して尾張や岐阜へ攻め込んでるでしょw
まあ信長いなけりゃ今川がそこら辺治めてますから。
失礼。
>>955の話しは長篠だった。
ちなみに、三方ヶ原の経緯は
通り過ぎようとしている武田軍に対して5〜10騎くらいの物見が石を投げ始め
それに対して武田軍も石を投げ返してきた。
段々と人が増えていき、徳川方が1000くらいになった時に武田軍が足軽を繰り出して来たので
仕方なく家康が出て行ったって感じだったんじゃないかな。
武田徳川の今川領分割(大井川協定、協定違反)があったとしたら。
家康のこと、南下する武田に備え、北条との同盟強化。
はたして上杉、北条、徳川を敵に史実通りに三方が原までいくだろうか?
武田は苦戦強いられるんでは。
信長がいないという時点で大井川云々は有り得ませんので。
>>960 なぜ?信長が大井川協定決めたのか?
駿河侵攻にあたって、家康の同盟者である信長に信玄が口添えを頼んだだけだろ。
信長がいなかったら家康は信玄と組まないってこと?
信長不在なのに家康が駿河侵攻って状況がイマイチ想定しづらい気はする。
家康が駿河侵攻じゃなくて、信玄が駿河侵攻。
塩ほしいいいいいいいいい、水軍ほしいいいいいとか言われてるよね。
>>961信長がいないということは義元も死なずにってこと。義元健在で引き継ぎがきちんと出来ていれば家康の出る幕はない。
ってかスレタイ(ry
書いた後で話の流れと違った事を書いてしまったと後悔したのは内緒だ。
965 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 21:44:58 ID:LpkKy3xB
今川
信秀が死んでああいう流れになったから、信長が台頭した。
じゃあ、信秀が今川が侵攻してくるまで生きた場合はどうなるんだろとかの話もせねばなるまい。
信秀はあの場合どう動く?
そして信秀が50歳(ココまで平均に生きると仮定して)を迎えたときどうなっているかも興味は深いが。
967 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 00:32:19 ID:zKJ1QOiv
今川分裂後(京都押さえたとしても悪政だと予想)に、武田乗っ取り。
その部下に松平家が台等しそう。
疑問なのは、レスにもあったが、本願寺の存在。信玄は仏教重んじては
いたが、何かしらの争いがあった場合どうなるか。
信長のように、比叡山攻めや長島一揆殲滅の真似を出来たかどうか。
968 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 00:37:16 ID:C5IGllRo
今川の悪政が想像できない。
どっちかってと善政だろ。
>>968 同意、武田や上杉じゃあるまいし。
北条や徳川の後の政治の規範になってる部分もある。
>>966 信秀が生きてたら信長の家督相続がスムーズになって余計に天下取りの時期が
早まるんじゃないのか
971 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 01:12:32 ID:zKJ1QOiv
969.970
楽市楽座、関所撤廃、米ではなく貨幣を中心とした経済体制を
今川家はやらないだろう。とにかく税収・税収ってイメージ。
ましてや、軍制改革出来るかも疑問。ちなみに、どんな善性ひく
のだろうか。法整備?
>>966 信友信安とも敵対
信清も敵対服部も敵対
今川が本格的に動いてからの信秀晩年はひたすら勢力縮小の方向だったから
山口信勝の離反は無いとしても信長のような逆転は無理なんじゃないか?
逆転するだけの能力があるのならあそこまで追い詰められる前に何か手を打てたと思う。
お前は氏真を暗愚と思ってそうなイメージ。
暗愚だろ。
>>971 今川家は義元の代から楽市を敷いてたりする。
商工業と経済の発展なくして今川家は語れんぞ・・・。
ちょっと想像でもの語りすぎでは・・・。
>>971 おまえは物の見方が偏り過ぎ、イメージで意見を言うな、誤字以上に文章も変。
軍制改革できるかが疑問・・・?
斎藤龍興は国を失っても陣借りして信長と生涯対決した
それに比べると氏真は切り替えよ過ぎるような
まぁ、家と命を残したほうが勝ちともいえるが
斉藤が頼った先が信長と敵対してた、逆に氏真としては家康もいるし
死にはしないし、それなりに暮らせればよかったんじゃないか。
誇りもあるだろうけど、龍興はなにもしなけりゃどうなってたか・・・。
あと信秀が生きてたらってIHが増えてて混乱しないか?
今のところ、問題としては義元の寿命、義元が義昭をどうするかってとこが重要じゃないか。
寿命はもう分からないけど、寿命って男系の遺伝子を受け継いで父方がベースに
なるとかきいたから、今川の人間の自然死の寿命の平均だして義元の寿命を出せないかな。
俺はやらんけど。
IH→IF
天下統一するためには
・天下を統一するというビジョン
・それを実現し得る軍事力及び国力
・旧来の支配体制に新体制が勝るという説得力
・ぶっちゃけ運
絞りに絞ってもこれぐらいは必要だろう
>・天下を統一するというビジョン
自勢力がある程度大きくなってから初めてそういうビジョンを持つ可能性も有るから
あんまりそこを議論する意味は無いんじゃないか。
信長みたいな変態も居るけど、基本的に家康なんかも最初から統一なんてビジョン持ってなかったろう。
>・それを実現し得る軍事力及び国力
一番議論しやすいのはここだろうね
>・旧来の支配体制に新体制が勝るという説得力
良く意図が分からない 支配する力が有れば説得力なんて後からついてくるんじゃ?
>・ぶっちゃけ運
同意
貴様ら宇喜多直家を無視して天下一統を語るなどと失礼極まるではないか!
983 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 10:33:28 ID:PLEjJn1N
信長の場合は
・権威(最初は足利幕府・次いで朝廷の伝統的権威を利用)
・軍事力国力(最盛期で800万石と言われる支配領域を勝ち取る)
・統治の公平(将軍への裁判での贔屓目的の内奏の禁止・家中領内の綱紀粛正)
・大多数の民衆への利益(中間搾取排除・税の簡素化もしくは撤廃)
・実力主義人事(有能なら謀反人だろうが農民だろうが重臣並に任用)
まぁ、天下を取るために色々他にもやったわけだが。ここまでやってようやく王手レベルだからな
天下統一は地獄だぜーフーハh(ry
農民だろうが重用って秀吉のほかに例が無いだろ。
その一人すら他の大名では見当たらないな
秀吉・秀長(一時期信長直属だった)の二人もいれば上等じゃないの
あとは田中吉政みたいな秀吉政権下での陪臣クラス上がりしか
988 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 13:25:19 ID:HszBYcVc
>>987 あれは春日氏という国人上がり。半農半武の武士としては相当身分の低い層だったのは確かだがね
989 :
987:
>>988 秀吉も村長クラスの出身という説もあるし、大して変わらないような