16 :
白馬青牛 :
2006/10/12(木) 23:52:03 ID:mO1F9R9U >>9 それは、どの戦闘での事か?久留米の聯隊と大阪の聯隊だけじゃ
確認出来んよ。後半の文は、九州兵団と近畿兵団の性格の違いを
よう表現されておる。衡陽攻略で武勲を立てた大阪や京都の兵団が、
日本軍が大敗した芷江作戦で、「部隊はオトリとして使われる」噂が流れ、
古参兵の入院が相次ぎ(合理的出兵拒否)、戦闘に参加し生き残った
古参兵は、入院した兵隊から「何の為に参加したんか」と馬鹿にされた。
インパールでも安兵団を馬鹿にしたよう、九州兵団では臆病もんと、
罵倒されよう。
>九州はバカが多いから計算しないで突っ込んでいく。九州が強いか
弱いか別として、近畿兵団が軍感状を授与された衡陽攻略の、
九州の部隊は、久留米師団じゃのうて南九州の熊本師団じゃったが、
一度の総攻撃で兵の大半が犠牲になる無謀な猛攻をしとる。
確かに勇猛じゃけど、九州兵団は、仲間に対する見栄から無茶するね。
自己の生命の軽視から生殖本能が目覚めるんか、九州兵は慰安婦を
連れとるのに、強姦をする悪名で恐れられた。韓国兵の性格が類似する。
九州は儒教の影響が強いせいか、自軍が強かったとする白髪三千丈、
ハッタリ、隠蔽体質も強い。
高麗女狩りした戦国薩摩兵の性格は、近代九州兵団に受け継がれておるね。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 00:00:35 ID:9Xyjr+2+
都市部より、田舎の兵卒のほうが強い気がする。 純朴だから
18 :
白馬青牛 :2006/10/13(金) 00:25:07 ID:KSaCvxE9
>>17 田舎兵の純朴性は、指揮官にとって戦場心理の孤独感から逃れられ、
安心感を与えるんじゃろうけど、兵隊が指揮官に依存する状態は
好ましいとは云えん。強弱とは関係ないね。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 01:29:50 ID:NXYIcgTq
九州の兵=剽悍で攻撃力が強い 東北の兵=守りの戦いになると粘り強い 近畿の兵=弱いが目ざといので斥候向き
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 01:37:39 ID:Nwx9eBDE
>>19 中国もそうだよな
世界各国、共通なんじゃねーか?
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 01:52:59 ID:tn3hHwqV
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 02:16:37 ID:WB2I5THP
有名どころは 薩摩 三河 土佐 越後 甲州 あとはどこだろ? うーん 結局地域でなく指揮官によるでしょ。 士気かなり影響しそうだし。
24 :
白馬青牛 :2006/10/13(金) 02:22:53 ID:KSaCvxE9
>>19 実例じゃのうて、風評の推測じゃのう。また近畿兵団愚弄か。
九州の兵=勇猛で勢いのある時は強いが、攻撃は大雑把で渋とさに
欠ける。
東北兵=困苦に耐え、忠誠心に強いが、防御戦には強く無い。
鈍重で不器用。
近畿兵=合理的で始めから、勝ち目の薄い戦に退却するが、
戦闘能力は、数々の武勲から低く無い。民主的風土の影響か、
田舎の隷属農奴兵より、知力もあり。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 05:58:28 ID:Cm1G0UhL
戦国じゃ南海道や東海道にも精兵がいるよな。 でも旧軍じゃ東北出身と九州出身が精鋭とみなされているぐらいで 明治時代までに東北・九州以外は精兵じゃなくなったのか?
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 20:08:22 ID:dY0k2mg7
譜代、外様とかが関係してるのかね。 徳川期にノンビリ過ごした地域と、仮想敵国とされ緊張を持たれ続けた地域と。
山国の人はよく山道を歩き(甲斐、土佐など 平地の人は歩かない(尾張など これで差が出る
強いより弱いと言われてたほうが敵の油断誘えるし有利になりそうな気がするんだ
状況次第で変わるものさ 弱い弱い言われていた長州兵だって禁門の変では 当時全国最強と言われていた薩摩、会津相手に寡兵で押しまくったし 口先だけだと馬鹿にしていた肥後人も 西南戦争では薩摩兵以上の精強さをみせた
30 :
白馬青牛 :2006/10/13(金) 23:10:19 ID:rH+Yh4CY
>>25 あのねえ、旧軍で九州や東北の兵が評価されたんは、戦闘実績じゃのうて、
従順性じゃろう。都会兵は何時裏切るか解らん云う不信感が辺境農奴兵の
信頼に繋がったんじゃないか。実際の戦闘実績とは違うよ。
精兵云々文句があれば、近代戦で比類なき戦歴と実績を持ち、常に寡兵で
大軍と闘うた広島師団より、活躍してからの事じゃのう。
東海地方の名古屋師団の戦歴は、一級品で東北兵よりは強いよ。
第二次長沙作戦でも、熊本第6師団とエースの座を賭けて、争ったが、
名古屋第3師団、熊本第6師団、両者供に中国国府軍に敗北したけどね。
名古屋師団の中でも、精強部隊は、三河の豊橋聯隊、更に優秀なのは
静岡聯隊じゃろう。
>>29 熊本第6師団でも、鹿児島第45聯隊よりも、熊本第13聯隊の方が、
攻撃的じゃったそうな。長州、周防の山口の兵隊は、広島師団管区の
中では、精強と云うに、一番ほど遠い部隊じゃったが、戦闘において
上官に作戦方法を提案する等、知的能力も高いよ。
戦史小説とかの評価見ると 三河兵、土佐兵、島津兵の三強がずば抜けてるよな。 武田兵や織田兵は、兵卒単位としては弱い。
どうして白馬は戦国時代板で必死になって20世紀の兵士の話をしてるんだ?
尾張と三河なんてほとんど隣接してるのに強弱が表れるわけねーだろ。
尾張と三河は隣接してるから大して変わらない 三河と遠江は隣接してるから大して変わらない 遠江と駿河は隣接してるから大して変わらない 駿河と甲斐は隣接してるから大して変わらない 甲斐と相模は隣接してるから大して変わらない ・ ・ ・
駿河と甲斐は山を隔てているからどうかな。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/14(土) 00:48:51 ID:UA5wkRwo
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/14(土) 00:58:05 ID:JRtC3dEA
>>37 尾張と三河っていうより、岡崎衆と織田家の家風の違いって
感じだけどな。
>>37 愛知県民は尾張と三河で気質が違うのか?
地図上では密接しているように見えるけど一体何が両者を分けてるんだ
41 :
白馬青牛 :2006/10/14(土) 01:33:59 ID:GXILkl1C
>>32 20世紀の郷土師団、聯隊の性格は、戦国時代から受け継がれておるん
じゃないか。陰徳太平記に、秀吉の言として、「畿内の兵は、敵の勢いの
有無を推し量って、軽き進み軽く退く。」「東国の兵は短気ゆえ、
長い間城を守りぬくことは難しく、小勢でもって多勢に当るときも、
久しくこらえることが出来ぬ。」
「中国勢は、小勢で城を守り、小をもって対陣すること、何百日、何千日を
経るとも、士気衰えて引くということはない。」・
このように畿内・坂東より優れた中国勢を退治する為に、柴田・惟任・
滝川を始め、諸将多き中に、この秀吉を選ばれたことからみても、
信長様が、よく人を知る名将であること、明らかであろう。」と続く訳
じゃが、毛利側の資料で、秀吉の自慢話も真偽は解らんが、各地方の兵の
特質は、近代郷土兵団、聯隊の性質と類似する。近代広島部隊の活躍は、
小勢で大軍相手に一歩も引かんかった事、防御戦に一度も敗北したことも
無かった事。毛利側の資料であっても、戦国期の性質が近代広島兵団に
受け継がれた事を実証しとる。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/14(土) 02:24:19 ID:X6YmQ2vn
愛知県民は皆尾張と三河は違う、と考えている。ガチです
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/14(土) 02:32:39 ID:7jbalNhT
誰か白馬のじいさん隔離してくれないかな? 長野業政や真田昌幸を知らないようだし。
>>39 三河人と尾張(名古屋)人の敵対意識は凄いぞ、
特に年輩の方は。
陰徳太平記(笑)
陰徳太平記なんて、特に毛利に都合よく書かれているものを引っ張り出して、 何語っちゃってんの?広島のキチガイは。 難波戦記を持ち出して大坂の陣を語るようなもんだろ。
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150275919/l50 93 :白馬青牛 :2006/10/03(火) 22:33:40 ID:ocZpPCrC
>>71-84 琉球兵に苦戦した薩摩兵が強いんかねえ。薩摩の釣り野伏り戦法の
主力は、戦場で強盗行為もする家族単位で移動する野郎部隊じゃないんか。
遊撃戦は得意じゃろう。九州征伐の黒田勢が「近国の野郎のたねを断つ」
為、野郎の妻子も惨殺したんじゃろう。薩摩正規軍も長宗我部相手に
正面激突で苦戦しつつ退却した処を野郎軍団の遊撃側面攻撃にまかす戦法。
(薩摩人は遁走を恥とせん柔軟性があったことは長所じゃが、)
薩摩の戦法も長宗我部ら四国勢に通用しても、毛利、黒田勢には
通用せんね。
薩摩軍が蛮行で名を成したことは認めるよ。大友城下の者を売り飛ばし、
朝鮮出兵でも、テルマ・カクセイ(高麗おごじょ)を拉致したことも。
戦国期の南九州の伝統は近代熊本兵団(熊本・鹿児島・宮崎・大分の
壮丁で構成。)に受け継がれ、熊本師団は、女子挺身隊(慰安婦)を連れて
いるのに(中国姑娘)強姦すると悪名があり、占領地には、都城(宮崎)の
部隊を進駐させるよう苦慮したようじゃ。宮崎や大分なら兎も角、熊本や
鹿児島じゃあ、占領地の婦女子にとって恐怖じゃったろうね。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/14(土) 12:41:58 ID:6gsC0qVa
白馬はもっと戦国時代を勉強してからきなさい。 昭和期の話がしたいだけだろ?戦国板の住人には興味ないよ。
長州800は肥後5000に匹敵する
長州800の装備が凄かったからな
関東人は東京と埼玉で気質が違うのか? 地図上では密接しているように見えるけど一体何が両者を分けてるんだ
>>24 >困苦に耐え、忠誠心に強い
って、防戦の苦境では最重要な要素では。
55 :
白馬青牛 :2006/10/14(土) 23:08:01 ID:6pxRlgVs
>>46 『陰徳太平記』の記述が、近代広島兵団の性質と類似性があるのに、
根拠ものうて一概に否定出来まい。否定出来るんなら根拠を出せ。
>>48 戦国時代の勉強?あんたは、文献のみじゃのうて、民俗学、考古学的要素も
含め、戦国期の全体像を考察したんかのう?戦国期の人物の歴史を
調べるだけじゃあ、全体像を考察したことにならんよ。個人崇拝の
新興宗教に過ぎん。
>>54 防御戦の苦戦で重要なんは、「攻撃なら一人の勇者がいれば、他者は、
それに従がえば良いが、防御戦で、兵隊は、小陣地に数人に孤立するんで、
いちいち細かい命令指示をまたずに、各個人が自信を持って戦闘行動の
出来る能力が要求される。各個人が、磨かれ、鍛えられた兵士でないと、
そこが弱点となり、敵に抜かれる。」(広島第231聯隊。まるさ聯隊
戦記、遥かなる戦場から。)「防御は攻撃戦以上に兵一人一人の
戦闘能力が勝敗を左右する。」(梶浦元広島第231聯隊長。)
上官に従順な東北師団に防御戦を期待するんは無理じゃろう。
東北兵団は実際失態の連続じゃったし、防御戦に弱かった。
しかも歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した
実例も無い。実例のない地域兵団に防御戦は酷じゃったね。民主的要素の
強い地域の兵団で無いと防御戦は無理じゃろう。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/14(土) 23:18:57 ID:b3itxtI3
薩摩、肥後、博多、土佐、長州、紀伊、大坂、越後、信州、甲斐、仙台 なんか強そうなイメージあるのは、こんな感じかな 全然、適当だけど
常陸は古代から近代まで強兵で知られるのに自己主張が下手だからマイナー… まあ、常陸に限らず関東自体がそうだが 頼朝も尊氏も家康も武家の棟梁たる将軍達は皆関東で兵を挙げて天下取ったしね
>>52 埼玉は東京に住めなかった貧乏人、通称都落ちの巣窟
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 11:03:28 ID:i72vW9sN
>>52 新宿、渋谷、池袋、上野などの東京の主要都市を歩いている4割は埼玉人。
ちなみに格差社会と言われてるのは関東では東京だけの現象。
わかりやすくいうと世田谷区と足立区の平均所得の差などで
埼玉と東京というより23区内で彼らを分けているものがあるな。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 12:16:40 ID:8RifGC86
三河、越後の強兵っていうのはよく聞くけど。 主君に従う忠誠心、歴戦している点が強調される。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 12:55:06 ID:2439J7sC
たぶんどこが強いとかないよ。 単なる思い込みだと思う。 指揮する人物いかんでしょな。
同時代の興福寺の記録にも、武田征伐に駆り出される明智勢の様子を 他国立ち殊更遠国迷惑の由也、甲斐・越後の弓矢、天下一の軍士の由風聞、一大事の陣立也 と表現してるから、事実はともかく甲斐や越後の兵隊が強兵だと言う認識はかなり一般的だったんでしょ 信玄・謙信の死後でも甲斐や越後の兵が如何に怖れられたかがわかる
雑魚と言われた尾張兵も信長が指揮したら大活躍 正直、同じ人間なら差はない
同じような実力でも、方言による威圧感の差が出るとか?
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 16:06:07 ID:8RifGC86
体格・性格・経験が違えば、戦闘の向き不向きも当然生まれてくると考えるべき。 たとえば、越後兵は毎年のように雪の中を行軍し、鍛えられていた。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 17:05:06 ID:VO7/WpTT
薩摩隼人だから強いのではなく 戦で勝つことが出来たことで 呼ばれただけだろ 九州の中で飛び抜けて強かったらあっという間に 統一してた筈で 本州に攻め込めてない時点で 十人並み
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 23:14:59 ID:robZZs83
九州から攻め昇れなかったのは、そう言った戦略を持った大名が出なかっただけ。 しかし兵卒は強いぞぅ〜 関ケ原敵中退却なんて織田信長と尾張兵では想像できん! よく言えば蛮勇。悪く言えば馬鹿だもんね〜
織田軍は攻める時も退く時も島津なんて比較にならん なんせ慢性的に四面楚歌で打ち破り続けたんだからな
慢性的な四面楚歌じゃ全方面に強兵も弱兵も振らなきゃいけないから 織田軍の兵卒は強くは感じられないだろうな それだけ動員できる時点で十分軍としては強いんだが
指揮官と戦況が占める要素が大きすぎて、純粋に兵の強さを比較するのは不可能だな。
72 :
白馬青牛 :2006/10/16(月) 01:29:07 ID:Q3ofBn/s
強兵の産地が、上杉、武田、島津の人身売買がさかんな産地になっとる。
現地の住民を拉致し、略奪したことが、強兵になるんかね。
現地民に恐怖を与えたじゃろうけど。
>>68 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州人の、いつもの儒教的朱子学的白髪三千丈的、ハッタリ屋さんは、
ほどほどにせい。
>>68 >よく言えば蛮勇。
良く言ってないってそれ
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/16(月) 11:50:24 ID:4TjShfkx
肥後兵マンセー
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/16(月) 11:53:59 ID:AAjnhs5H
76 :
白馬鹿青鈍牛 :2006/10/16(月) 15:06:10 ID:m5B5ncvj
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
しかしあれだな。拉致、略奪、人身売買の有無で戦国期の兵卒の強さを決められてもなあ。 現代のモラルで戦国時代の兵卒の強さを問えるのか? それにモラルを備えた兵の資質=兵の強さなのか? 単に広島を持ち上げたいばかりに、周りを貶めてるようにしか見えないぞ。 尻尾丸出しだ。
>>76 四行も五行も同じことを繰り返し書くな。阿呆に見えるぞ。
てか戦国時代に備後や安芸の兵が強いってのは聞いたことが無いが
ホントに強いのか?
広島信者の電波にマジレス(ry
80 :
白馬青牛 :2006/10/16(月) 23:37:27 ID:5jzHF1Gj
>>77 モラルつまり、「精強は軍紀にかかる。」兵士の足を鎖で逃げれぬよう
撤退した農奴隷属体制の中国国府軍より、同志的結合を持った
共産八路軍の方が強い。封建的体質より民主体質であった方が強いよ。
>>78 安芸勢は、応仁の乱や京都・船岡山合戦で、鬼吉川・鬼平賀と武将、
国人部隊も武勲を立てとるよ。安芸門徒も、石山本願寺に織田軍包囲網を
突破し兵糧を送り、帰りの方が困難じゃが、犠牲を払いながら、
兵団が崩壊せず戻った云うことは、それ程精強じゃった云うことじゃ。
「進者往生極楽・退者無間地獄」の黄旗のもと、その精神は安芸門徒の
気概じゃ。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/17(火) 00:32:22 ID:wR0WOy+m
一に上杉二に武田三に徳川四に浅井・・・っていう遊び歌があった気がした。(確か十まであったけど忘れた。織田と朝倉がいたかな) 基本的に住んでる環境が苛酷なほど兵は強くなるって言うし、あとは戦争ってエネルギー使うから、食うもんも関係してたと思った。
体力とかの先天的資質はどこの地方もそんなに変わらんと思う ただ風土が生む気質の違いは確実に戦いに影響を及ぼす
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/17(火) 01:07:44 ID:JQsTCzBN
一般的に南国は、攻撃型。勢いに乗ると恐い 北国は、粘り強く持久戦に強い
中国でもそうだって聞いた事がある 江南の兵は粘りが無い
土地じゃなくて血の問題だよ 日本人全部イタリアに持っていったら全員陽気になったり イタリア人全部ロシアに持っていったら全員大人しくなったりはしないだろ 鹿児島県民と宮城県民入れ換えたら性格まで入れ替ったりすると思うか? 無論多少の影響はでるだろうが基本的には変わらないはずだ 日本人は単一民族と言っても多種の混血であり 地域によって各種の比率が違う それによって民族性の違いが出てくる
86 :
白馬青牛 :2006/10/17(火) 01:49:57 ID:eOpD+2Ru
>>83 確かに南国の兵は、攻撃型で勢いのある時の強い。
九州や四国の兵団はそうじゃった。
じゃが、北国の兵が、粘り強く持久戦に強いとは云えんよ。
近代の東北兵団や、戊辰戦争でもあっけなかったしね。
じゃが、不器用なんじゃが敵陣地をじっくりと時間をかけて攻める場合は
強いじゃろう。東北や日本海側の兵は、そうじゃった。
>>84 中国でも、北の山西軍は鈍重であるが、困苦に耐える。南の広西軍は剽悍、
獰猛。西の四川軍も強いね。
厨房でも論破できるような 根拠の乏しい主張しか出ないな。 不毛なスレだ・・。
常陸こそ最強 弾け方が半端ない 九州や東北は質朴精強など言う割りに実際はえらく打算的だ その点常陸人は打算も無視して突き進む強さがある 平将門は一族の争いから勢い余って関東制覇し新皇名乗ったり 佐竹は頼朝の討伐を受けたが山から山へとしぶとく転戦し ついに頼朝も留めを刺せず諦めて帰った 長倉氏は主家の家督争いから勢い余って関八州総出で討伐を受ける だが孤立無援ながら粘りに粘ってついに落ちず鎌倉府も諦めて引き返した 戦国時代も各勢力とも割拠し続け他国の直接支配を受ける事はなかった 明治維新も薩長土ではなく常陸から始まった 水戸藩は御三家ながらも大暴れ、多勢の犠牲者を出しながら突っ走る その余波で薩長土が目覚めるも、水戸藩は泥沼の内戦に突入 新政府での栄達も幕府擁護も知った事かとばかりに 戊辰戦争でも「諸生討伐」の為に出兵して諸生を追い回し 諸生党も会津落城後なぜか関東に逆走 「水戸城を奪い天狗討つ」と水戸城になだれ込み大激戦 ※天狗党=改革派(新政府側)、諸生党=保守派(幕府側) 明治6年まで戦い治まらず殆ど壊滅 幕末に於ける一番(無意味に)熾烈を極めた戦いと言える 近代戦ではペリリュー島で水戸連隊は2ヶ月以上に及ぶ奮戦の末玉砕 米軍上陸作戦史上最大の損害率を与える 米軍もパラオの人々もその戦いぶりを讃えた 「日本軍がいかに勇敢に戦ったか祖国に伝えよ」 と言うニミッツ提督が旅行者に宛てた石碑が残る
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/17(火) 17:41:47 ID:JqalOrQm
常陸兵。 ノーマークだけど確かに凄いなぁ 鹿島神宮を中心とした武の地域ではあるしね
>>89 そう
武術は常陸・下総あたりから派生したものが大半だからね
飛鳥時代に常陸鹿島で国摩真人が神妙剣を創案して以来
各武術形態が創られていき剣、槍、杖、薙、棒から
柔術、弓、手裏剣、馬術、鎖鎌、忍術に至るまで広がり
鹿島の〇〇使い、と呼ばれる各流派の武芸者が
行商人のように全国に普及させていった
島津の御家流で有名な示現流も常陸の笠間から伝わったものである
常陸は言わば武芸者集団
個人の戦闘力はかなり高い
だが、全くまとまりがなく非常に飽きっぽいと言う欠点があり
防衛戦はやたら強いが外征はグダグダになると言う特徴がある
91 :
白馬青牛 :2006/10/17(火) 22:19:17 ID:W7AoFcl+
>>88-90 常陸?越後の上杉謙信に、小田城を攻め落とされて、二十銭、三十銭で
売られた奴隷民か。
宇都宮師団(群馬、栃木、茨城)は実績が無いしのう。ペリリュウ島の
負け戦を自慢するしか無いんじゃろう。戦歴に乏しい関東兵団でも、
緒戦の水際作戦で有利にたった事と自然要塞ゆえ米軍が攻略に手間取り
2ヶ月もった云うことじゃ。防御戦にも強うない。
ニューギニアでも、広島5D浜田第21聯隊(島根)が宇都宮51Dに
防御戦闘方法を教えたぐらいじゃし、サワラケット山越えでも、
宇都宮師団は、行軍の辛さに軽機関銃はおろか小銃さえ捨てて、行軍し
乞食部隊同様になったが、島根の浜田聯隊は小銃一丁すら損じる者は
無かったので、中野宇都宮51D長は、「君達の部隊は羨ましい。」
全員あの難行軍を武器を捨てずに持っている」と賞賛された。
武器を捨てる北関東の兵士が、武芸者集団とはのう。武器を粗末にして
武器を捨てて、どうして闘えようぞ。北関東は武人向きじゃないだっぺ。
日本のイタリ○、常陸
>>91 usi
上杉の前身・越後守護代の長尾氏は、関東から越後に進出して勢力を拡げた家。
越後は関東出身御家人が多いし、関東の植民地みたいなもんじゃわい。
中世の史料、『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)にある。
「坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた」
というか小田城を常陸の中心地かなんかと考えてる鈍牛に誰も突っ込まんのか
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/18(水) 02:50:58 ID:EBR7Ze9B
痴呆にマジレスするのもなぁ… アホ牛がデタラメ言って他を必死に貶めても 広島が最強なんて事ありえないしwww
数百年のスパンというものを考慮に入れない当たり、アホ牛らしい。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/18(水) 08:37:11 ID:z7PDLXbE
広島って畜産関係が盛んだったっけ?
BSE感染牛が一頭ふらついてるみたいだがな
広島人から見ればその狂牛こそ悪質なアンチ広島だ。
牛さん、誰も納得してねぇみたいだぞ。つまりいつもの長文は説得力ゼロってこった。 まあ戦国時代のことをろくに知らんくせに他を貶めたり、論点ずらして近、現代に すりかえるやり方じゃ誰も納得しないのは皆承知なんだけどな。 ということで今のところ広島兵全滅じゃわいw
近代の話にしてもデタラメ言ってるけどw
広島市内とすると届出先は芸北家畜保健衛生所だな>BSE
103 :
白馬青牛 :2006/10/18(水) 23:12:04 ID:V8KpvMa/
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
云うたら関東蛙らが反論根拠を提示せず、一言コメントで罵倒を、
繰り返しあがるで。思うたら案の定じゃのう。越後蛇に喰われた関東蛙の
泣き声が今日は、雨じゃのうてもやかましいのう。こんなら関東蛙の
合唱団でも、結成して公演したらどうかいの。
>>93 関東は、古代から「人種的」に近畿地方、北方渡来系に征服されとるが、
関東は近畿地方や渡来人の植民地云うことか。越後蛇に喰われた蛙君。
鎌倉以降の資料で、弓射下手の関東武士が後世平家物語などの書物により
弓馬に優れておったように誤解され、書物を読む層に風評偏見として、
取り入れられただけの事。わしの言の方が偏見じゃ云うんなら、
『更級日記』に当時の関東は、葦や萩が高く茂り、馬に乗った人の弓の
先が見えんほどで、弓馬の術が発達するんか?遠くを見渡せん土地で
モンゴル人のように、視力5,0以上ぐらいの視力を得られるんか?
弓や小銃の射撃で、視力は大切じゃ。旧日本陸軍の兵士も射撃では、
中国人兵士に劣っておった。
平家降人や西行から都の技術を取り入れたら、武術の起源は関東なりと
水戸学的、つまり儒教朱子学的発想で文献妄想に自慰する。関東奴隷民は、
韓国と朱子学同士で起源論を争うほうが似合うっぺよう。
>>103 usi
征服じゃなくて、先進地畿内から進んだ文化・文物の受容を通して服従したということ。
征服じゃなくて、中央貴種の血を在地豪族が取り込む⇒招婿婚。
>『更級日記』の関東
それは港区三田のあたりだろ。武蔵の南端。広範な武蔵武士の発祥地から外れてるね♪
そんな辺境野原にも、弓を持った武人の姿が見える。
うしちゃん得意の悪質騙しw
>平家降人や西行
実戦の役に立たない流鏑馬だけw頼朝の都趣味だな。
『今昔物語』の源頼光
若ク候ヒシ時、オノズカラ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候
>鹿などの狩猟を行っていた若い頃と違って、今の自分は在京が長いため(都の武者だから)
>狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。
都で日頃行える馬上弓射は、馬場で行う静止的で単純な運動、流鏑馬や笠懸などしかない。
幅の狭い平坦な馬場で、都のお遊戯武芸⇒西行の武芸
実盛の言葉にあるように、坂東武者が強弓を自在にあやつり、強馬を訓練して人馬一体に乗りこなし、
恐れを知らない騎兵であったことが『平家物語』の他、『源平盛衰記』、『保元物語』などの記述からも
推察出来るのである。(1995年、愛知大・福田以久生氏)
105 :
白馬青牛 :2006/10/19(木) 01:19:22 ID:DoiE7YYT
>>104 ほいで、『とはずがたり』の鎌倉から岩淵まで原野を歩いた記述は
嘘か?浅草観音堂の馬に乗った者が見えんほど、荻が生えとった事も、
嘘と断言出来るんか?河内源氏に征服された関東奴隷民が、頼光の諸事に
忙しいんを都に技術が無いと誤魔化し、斉藤実盛も、富士川合戦に参加
しとった根拠はあったんか?
記述の推察?研究室で妄想し、諸学問の分野から考察する事を拒否した
学者は、戦前の作戦室で妄想し拙劣な作戦を立案する参謀殿と同じじゃ。
歴史は通説を疑うことから始まるんに、関東蛙君は、カルト信者のように、
文面を都合よう解釈する。ほいで関東武士の視力は10,0を下まわらんと
捏造したいんか?これじゃ人類の起源は関東と云いかねんのう。
縄文文明派は、そう工作したいんじゃろう。カルト朱子学的歴史観は、
理解出来んのだっぺ。
>『とはずがたり』 はいはい、下ノ道経由で武蔵国で一番の田舎を辿るコースねw 今で言えば鳥取島根だな。 北区岩淵、川口の周辺とか、ちょうど武士団不毛地帯じゃないか。 嘘って何の事だ?w 狩猟が馬上弓射術訓練に最重要だと認識出来ないのか?畿内武士も同じく狩猟が実戦に通じる。 この伝統は形を変え、形骸化しながらも江戸時代まで生きてる。 出鱈目で血圧上るよw
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/19(木) 01:42:33 ID:3fx04NaC
>>103 郷土を誇るならいざ知らず
あることないこと並べ立てて他を貶めるのが安芸の武士なのか?
大した武士もあったものだw
確かにそんな武士は他国にはおらんわ
それに一国内でも文化の形成と過程は異なるのに
お前はいつも関東だの関西だの一くくりにしてる時点で抜けてるんだよ
広島広島言ってる割には他国の威を借りなければ何も言えないのだなw
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/19(木) 01:56:08 ID:6yMtOf8Q
戦国板だよね? 戦国の大トリの関ケ原や大阪城接収で広島さん戦ってねーじゃん まぁ事情はあっただろうけど何だかねぇ
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/19(木) 02:00:44 ID:wVXNlueR
草が生えてるから弓馬の術が発展しないってどんな論法だよwww 安芸の方では馬場が存在しなかったの? それに視力云々て、騎射するのに眼が霞むほど遠くから射るとでも思ってるのか? マジで面白い事言うなwこのオッサン
陰徳太平記信者だからしょうがないよ。
てか、安芸の毛利自体、関東由来じゃないか。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/19(木) 13:09:25 ID:/Jvg3mML
中国勢は馬から降りて戦ったらしいね。下手だったんだね
神奈川県厚木市に毛利という土地が今もある。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/19(木) 14:16:47 ID:3fx04NaC
>>111 毛利氏、吉川氏、小早川氏、安芸武田氏、高橋氏
全て東国武士だな
畿内から東国に下向して土着し武士になった者達が
鎌倉幕府成立と共に恩賞を与かり支配したものだ
安芸は東国武士の植民地だなw
でも大江はもとは京でしょ
>>115 114の3〜4行目。
>畿内から東国に下向して土着し武士になった者達が
>鎌倉幕府成立と共に恩賞を与かり支配したものだ
前スレを嫁とか、過去ログを嫁とか言ってない。
自分のレス先くらいきちんと嫁。
大江氏は元々河内でも鎌倉で関東武士として飛躍したからね。 戦国期の田舎の豪族は自分の先祖と鎌倉武士とのつながりを切望したものだよ。
ごめん 畿内の字を見落としました 大江音人とか大江匡房のことが言いたっただけ
119 :
白馬鹿青鈍牛 :2006/10/19(木) 17:01:44 ID:9DXsUj9x
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。 昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。 昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。 昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/19(木) 17:10:22 ID:bRiyt6x1
広島の兵卒が、強いんなら、徳川勢に勝ってからいやあええのに。
広島が天下取った事実も他国人に支配されなかった事実もない
広島人としては狂牛のアンチ行為で広島武士が陥れられてるのが悲しい。 無論、坂東武者や薩摩隼人と比べられるのは厳しかろうが特に劣っていたという資料は見当たらないよ。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/19(木) 21:06:36 ID:6yMtOf8Q
そうなんだよね。 出身はどうあれ毛利一族という、すぐれた将の下に山陰、山陽、北九州まで席巻した実力は評価できると思う 問題なのは牛さんの他をまったく認めようとしない広島マンセーな所
124 :
白馬青牛 :2006/10/19(木) 22:11:47 ID:kcn/JGZ7
>>106 何で荒川沿いが関東で田舎地帯なんか。二条はわざわざ田舎を選んで
旅したんか?ほいで書いてある記述が嘘なんか?云う聞いたんじゃ。
騎馬に関わらず、狩猟訓練が実戦に最上であることは云うまでもない。
じゃが、武士よりも、専門の猟師の方が上じゃ。
あんたが引用した五味文彦氏の文から、朝廷に武芸を持って仕える
「帯仗の者」達について「これらの武士の供給源は、京都周辺の豪族
なかでも河内・摂津の豪族であった。」これらの武士が後に、
「東国に勢力を広げた」「頼義朝臣の威風大いに行はれ、拒捍の類みな
奴僕のごとし。」東国武士が平家降人から武芸を習う以前に、近畿地方の
武士に隷属しとるよ。狩猟訓練に形骸化はあるまい。
日本の風土で遠矢は向かんが、西国の方が遠矢の技術が東国より優れて
おった事に反論は無いか?視力の問題も答えとらんのう。
日本みたいに狭い国土で変化はありません、そりゃ北海道と鹿児島くらいになれば 少しはあるかもしれんが
>>125 アホか?おまえ
緯度で言えば10度以上差があるのに少しはあるかもしれんがって・・・
soreni隣近所の村でも風習が大きく異なる事だってあるのに
そもそも東国武士は畿内から下って来た者達だろ 同じものを指してどっちが勝ってるとか 気狂いも大概にしろと
>>124 >何で荒川沿いが関東で田舎地帯なんか。
この時代は、はっきりいって田舎です。
おまえ江戸時代以前の関東の中心地がどこか分かってんの?
129 :
白馬青牛 :2006/10/19(木) 22:52:54 ID:kcn/JGZ7
>>107 あることは兎も角、ないことたあ何か?具体的に云わにゃ解らんど。
他を貶める云うが、わしゃは、根拠ものうて貶めたことは無いよ。
安芸の武士は温情をもって降人を保護した(尼子や立花城の大友の
籠城した者の命を助け、城兵を大友氏に護送した。)事や、近代の
広島兵団が北清事変でも軍紀厳正で精強、世界に日本軍の誇りを示した
事等、郷土の誇りじゃ思うし、「中国者の律儀」安芸人の武士道じゃ。
わしが、他地域を貶める云う前に、自地域の武士道を云やーええじゃ
ないか。列島東西の文化が違う云うんは、風土的に大区分したが
小区分したら更に違いが出よう。他国の威を借る云うんは何処の文か?
あんたの抽象的な文じゃ、解らんど。
武士の定着していったの大まかな流れって 畿内→(蝦夷征伐)→東国→(鎌倉幕府成立)→九州/東北/広島 だよな 東国武士の分家が土地もらって土着したのが各地方の中心的武家勢力だし と思ったが大内氏だけ土着だったな。よって中国地方の純然たる英雄は大内義隆で決定 大内マンセー
131 :
白馬青牛 :2006/10/19(木) 23:25:14 ID:kcn/JGZ7
後の煽りは、負け犬の遠吼え、短文コメントでいちいち答えるのは、
面倒臭いが、ちいたー(少しばかり)答えたろうか。
安芸広島の国人領主は、山口や岡山と較べても関東武士系が多いよ。
関東武士系でも、広島の風土で育ったもんは、広島人じゃ。
武士団構成も傘連判状が如く西日本型の横社会制度じゃ。
奥州藤原氏が、人種的に東北人よりも京都人であっても、文化的に
蝦夷であったように、関東が近畿や渡来系の植民地であっても、
坂東人であるように。わしの血流に関東系が流れとっても、まぎれもない
広島人じゃ。人種的に北方渡来系に吸収された関東人が血脈にこだわるんは
朱子学的解釈なんかのう。
ほいで、
>>122 のような、にせ広島人まで登場して、広島を貶めとるのう。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
>>124 usi
普通の猟師は騎馬じゃないなw
鎌倉街道の下ノ道は、鎌倉から芝・浅草方面へ抜ける海沿い低地の道。
府中から菅谷方面へ抜ける丘陵地の上ノ道や、熊谷方面への中ノ道の方が開けてる。
弓馬に長けた精強な武士団を生み出した丘陵地、
秩父平氏・西・横山・村山・河越・比企・児玉・丹党…。
沼沢と原野に囲まれても、武士は高地に館を構える。
浅草の場合、周囲は原野や低湿地だが、海と千束池に囲まれた台地上にあった。
九世紀以来の坂東の兵は、だだっ広い関東平野で騎馬で広範囲に活動し狩猟する。五味氏も言ってると思うが。
>うし 文章を都合よく継接ぎするいつもの癖、どうとでも創れるしw 感情が先走りし過ぎで出鱈目ばっかw 日本馬の特性=勾配に強い。 これを最大限生かして戦ったのが坂東武士だな。五味氏も述べてることだよ。 ・五味氏が述べる【東国武士団】 季節を問わず、昼夜の区別なく、悪所にも馬を踏み入れて合戦を行い その日常は高度に訓練された戦士の生活であり、反面、西国の海戦には弱い。 ・五味氏が述べる【西国武士団】 季節の訪れとともに合戦を行う季節的な武人で、4・5月に集中。海賊的。 東国の年中の武人に敗れた。 源氏の摂津在住の郎党と、坂東兵の関係知ってるか? 弓馬に長けた坂東の兵を畿内在住の郎党として組織したのが、渡辺綱らの伝承に反映されてるか。 元木泰雄氏の指摘。
>>133 三連投失礼、一つ忘れてた。西国の遠矢な。
それは西国武士が得意な馬に乗らない「船の戦」で有効なんだろう。
平家でも太平記でも遠矢の場面は海だな。
馬上の弓射では余技に近い。笹間氏が言ってるよ。
関東=騎乗の伝統は、騎乗下手な安芸武士と違って戦国期でも生きてる罠。
五貫文の身分でも騎乗する結城氏、騎乗足軽の鉢形北条。
時代遅れでもあるが。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/20(金) 01:37:35 ID:KVWaiNk3
>>131 都合よく180゚も話し変えるなよw
畿内政権に支配された関東が畿内の植民地なら
関東政権に支配された広島は紛れもなく関東の植民地だろ
安芸で生まれ育った関東人が安芸人なら
関東で生まれ育った畿内人は関東人だろ
お前の言ってる事は話しにならんほど支離滅裂だ
安芸について簡単に言える事は
畿内と関東に支配され続けた土地に過ぎないと言う事だ
136 :
白馬青牛 :2006/10/20(金) 02:26:48 ID:vtY5kjRU
>>132-133 普通の猟師が、騎馬じゃないんは、東西日本でも如何に騎馬文化が
定着せんかったか。云うことじゃ。関東丘陵地の畑作農耕地帯を
武士団を生み出した地としておるが、相模の三浦、和田氏等は
海岸地帯の海民要素が強い。縄文期から動物タンパク質摂取も内陸より
海岸の貝塚民の方が多かったことからも、狩猟だけで生活出来る訳
あるまい。採集〜畑作が関東丘陵地の生業で狩猟は副業であろう。
都合よう後継ぎじゃ云うとるが、引用した文は五味氏の『武士と文士の
中世史』じゃ。P11「平将門に率いられた東国の狩猟の民、藤原純友に
率いられた西国の漁撈の民、これらすべてを狩猟民と呼びたい。山野河海を
活動の場とする民である。」とされ、東西の違いを云うておられるが、
両者は、P17の図3武士団のモデルで、非農業民に分類しておられる。
じゃが、五味氏のどの文から引用したんか解らんが、関東が季節を問わず
と云うのは、想定出来んよ。戦国期の上杉謙信が冬季に関東で略奪した
ように。西洋でも、東洋でも、近世前は季節的な武人じゃ。
西国の水軍も大陸の大型船に対抗出来んので海戦に弱いよ。弓馬戦も
東西日本供に大陸と比べ弱い。郎党も坂田金時のように東国人もおったが、
拾うて来た者を、秦氏の様な随身の家柄と同一視することは、
出来んよ。
137 :
白馬青牛 :2006/10/20(金) 02:58:48 ID:vtY5kjRU
>>134 西国の遠矢も船戦に限らんよ。「吉野・十津河の指矢三町遠矢八町」と
奈良県の山地民も遠矢を得意としとる。大陸のモンゴル人も遠矢が
弓術の基本じゃろ。ナーダムでも、遠矢が競技として受け継がれとる。
遠矢無くして、弓馬狩猟文化も乏しいんじゃがのう。旧日本軍兵士が
射撃訓練しても、より訓練されて無い(実戦は豊富じゃが)が、森林が
日本に比べ少ない大陸農耕民の中国人兵士に射撃で劣っておった事。
東西列島日本人は、射撃、弓馬に疎いよ。戦国期においても騎馬に
こだわる関東の伝統?も大陸では通用せんよ。
社会制度的に主従縦社会の関東は、外来者に征服された云うことじゃ。
関東武士が広島へ殖民しても、社会制度は、西日本むしろ封建要素は、
広島と比べ関東武士の殖民の少ない岡山の方が強いよ。
いっつも、わしの文面から内容を読み取ることが出来んで、わしの文面の
言葉尻を取って、云うとるが、ええ加減頭を使うたらどうかいのう。
>>129 ではお前が上で貶しめようとした常陸を例にとってみよう
佐竹は基本的に大義のない戦はしていない
そして敵対勢力を攻めても極力寛大な処置をとっている
白河氏や江戸氏のように攻め落としても緩い同盟関係を結ぶのみで領地をも返している
戦国期に佐竹のもとに集まった勢力の大半は元々敵対関係にあったものだ
それでも保護を求められれば受け入れた
領内統治についても評判がよく、現代に至っても佐竹は善政を敷いたと語られている
近代では例の水戸聯隊らはペリリュー島での戦いで
世界戦史上に名を刻む精強さを示し
米軍もその勇猛さを賛美した
そしてこの戦いで島民の犠牲者をたった一人も出してない
島民からの自発的な協力の申し出があったが
全て断り夜間に空襲をかい潜りパラオ本島に全員避難させた
日本軍全滅後帰島したパラオ人は悲しみ日本兵の遺体を丁重に埋葬してくれた
反日感情の強いアジアの中でパラオは希有な親日国であり
現代でも日本人以上にペリリュー島守備隊に畏敬の念を持ってくれている
お前はこう言う人達の心まで踏みにじる下衆な妄言を吐いて恥ずかしくないのか?
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/20(金) 03:24:39 ID:KVWaiNk3
牛さん ログ読んでて気になったのだが 俺は関東人の視力がよくなかったって話し初めて聞いたんだけど 何に載ってる話しなの?
おい狂牛、いい加減にしてくれ。 日本語もまともに読めないと広島を陥れてるのはお前の方だ。 あのな、安芸毛利の精強に疑いがあるとはそもそも考えてないがお前が痛いというのだ 戦術も教育基準も国力も違う大戦時の評価を戦国板で持ち出す痛い論法に 更に勇名を馳せた他国の武者を落とすだけで 安芸武者の覇を語るには実績も勇名も足りぬと言うのだ。 お前がやってるのは逆に安芸武者の評価を落とすだけのアンチ行為なんだよ。 あと私は南蟹屋在住の生粋の広島人だ。田分け。
アホ牛は数百年という時を無視できると思ってるから仕方ないよ。 こういう論法の奴っているよな、 他者を貶めないと特定の者を褒められない奴。 或いは自分では上手い比喩を使っているつもりで場を白けさせる奴。 まあ、いいや。 以後NGにするから勝手にやってくれ
同じ戦国板の地政学のスレでも同様の過ちを犯している件
牛は無視しないと不毛な流ればかりだな
>>36 を見ると軍板とかで構ってもらえなくて流れてきたんだろ
144 :
白馬青牛 :2006/10/20(金) 22:57:40 ID:txz++SIH
>>138 佐竹氏の祖は源義光じゃしのう。義光は、後三年の役で捕虜を保護するんが
武士道じゃと都の価値観を持っておったが、関東化しとる義家に
拒否された経緯がある。義光の考えが佐竹氏に受け継がれとったんかのう。
>水戸第2聯隊が、ペリリュー島の戦いで、世界戦史上名を刻む精強さを
示しとされるが、水戸聯隊の負け戦であり、水際作戦で主導権が握れた
だけで他部隊と比べ精強とは云えんよ。敵軍が健闘した部隊を
賞賛しとるだけの事じゃが、他スレでも云うたが、戦闘した兵士は、
弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。ニュウギニアで宇都宮51Dと
共に闘うた島根の浜田聯隊の兵士も戦闘の駆け引きの下手さや行軍の弱さ、
死中に活を求めるしぶとさに欠けるんは別として、北関東兵士の勇敢さは
誉めとるよ。パラオの島民との話は感動もんじゃ。
第2聯隊は、日清戦争で旅順虐殺で批難されたが、パラオでは、
日本人の誇りを示したね。じゃが、最後のこういう人達と、パラオの人達の
威を借りるんは筋道が違うとる。
145 :
白馬青牛 :2006/10/20(金) 23:43:53 ID:spXfbp6M
146 :
白馬青牛 :2006/10/21(土) 00:27:52 ID:5hFa4XjM
>>141 >数百年という時を無視。云うとるが、地域将兵の性格は、そがいに
変わるとも思えんのう。
http://fukubara.web.infoseek.co.jp/2006/2006_3_4.htm 朝鮮の役での戦闘も、熊本勢の猛攻や兵站を無視してイケイケは、
近代熊本兵団の性格に似ておる。勝ち戦も、負け戦も豪快じゃのう。
小西、加藤は肥後人じゃないが、指揮官も地域兵団将兵の影響を受ける
事も、ようある事じゃ。朝鮮住民を慰撫せんかったんは失敗じゃったね。
広島、中国地方勢が死中に活を求める戦闘を常に強いられたんは、
偶然の皮肉か。運命か。我が広島人の先人は激闘を常に克服して来た。
ほいで勇将の吉川広家さんが、関ヶ原のような、たった一日の戦闘に
過ぎんのに、裏切り者の汚名にされたんは、世間の評価が可笑しい。
確かに政略には疎かったであろうが。それだけで評価されとるんは、
過小評価の典型じゃ。文吏派は昭和の参謀殿と同じで作戦を企画しても
実戦を知らん。残念ながら、我が郷土の安芸武田氏出身の安国時恵瓊さん
も戦さを知っとらんかった。
>>136-137 中ノ道は違っとったか。
ほいでも、鎌倉街道の府中中心に上州方面、武蔵野丘陵で多数の武士団が派生しとる事実は変わらん。
山林原野湿地、川にも馬を乗り入れ戦うんじゃよ。平坦な馬場じゃないけん。
ほいで馬上、近距離で狙いを定め強弓を射る。基本は立鞍の前方射じゃ。
狩猟は日本史板じゃ。へっぽこ随身は日本史板じゃ。遠矢は歩射じゃ。
江戸時代の騎馬断絶期を考慮せい。千石の旗本でも馬すら飼えん。馬も呆けたわい。
大陸に固執しちょるんは、中華の奴隷民じゃからかのう。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/21(土) 02:16:38 ID:sCPvoNGz
>>144 またそうやって無理矢理他を貶しめようとする
水際作戦で主導権を握れたからって言うが
では何故他島の水際作戦ではペリリュー島ほどの戦果をあげられなかった?
それにペ島では500以上の洞窟を要塞化し水際での戦力損耗を抑えたから長期抗戦が行えた
大戦末期に負け戦云々など不毛もいいところ
11聯隊が終戦まで勝ち戦を続けていたとでも言うのか?
それに兵力消耗による消滅を兵卒の強弱に直結させるのは余りに安易すぎる
虐殺云々もさも第二聯隊が凶悪であったかのような口ぶりだが
広島師団で虐殺等により戦犯になった者が何人いる?
広島に限らず全国に言える事だ
地元の事を棚に上げて他を非難するなど余りに稚拙であろう
それと最後にパラオ人の威とか言ってるが
パラオ人が日本に威?
さっぱり意味がわからん
そろそろこの牛に構うの本当に辞めない? 脱線に付き合うだけ付き合ってスレ違いどころか板違いにまでなりつつある。 以後牛をNGワードでスルー
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/21(土) 02:39:37 ID:XpQctme5
とりあえず、佐賀。
陸奥、下野、常陸、武蔵、美濃、信濃、甲斐、越後、越前、三河、紀伊、近江、土佐、肥前、肥後、薩摩
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/21(土) 09:10:09 ID:NPE9CkHn
>>1 は面白いとこに目をつけたな〜と感心してみるw
1.信濃 2.甲斐 越後 3.三河 薩摩 4.上野 5.蝦夷(アイヌ) 6. 38.蝦夷(シャモ) 39.下野 40.武蔵 41.尾張 42.琉球
155 :
白馬青牛 :2006/10/21(土) 23:38:01 ID:D4/YJrkx
>>147 広島弁は、初心者のわりにうまいわい。
関東丘陵地帯の高句麗民移住地帯、武蔵野西部畑作地帯から関東武士が
発祥したことは、宮本常一氏も指摘されておられる。じゃが、相模の
漁撈集団の丘上がりの武士団も軽視しちゃあいけん思うよ。
平坦な馬場云うが、関東の方が平野が多かろう。騎兵の運用は、
退却しながら敵を自軍の有利な地帯におびき寄せ、包囲殲滅する戦闘で、
関東武士団が騎馬戦闘を理解しとったとは思えん。関東は引くことを
知らんようじゃ。狩猟は、山岳地方の文化で、平野の多い関東地方を
強調出来るんかのう。随身は、家元的文化要素じゃが、へっぽこじゃ
あるまい。秦氏は河内の文氏と共に、聖武天皇の騎馬護衛兵じゃったし。
遠矢は視力も大切じゃが、近矢は騎馬遊撃隊の臨機応変にかかる。
江戸期に馬文化が断絶したんなら、関東の馬文化も伝統的継続に乏しい。
大陸と比較せにゃー、鎖国史観に陥るわいのう。大陸の明軍と比較して、
日本軍の特性を考察せにゃあいけん。中華の奴隷民は、
朱子学の影響の強い、縦社会や水戸学思想の関東の方じゃろう。
156 :
白馬青牛 :2006/10/22(日) 00:44:43 ID:NSdtLmxI
>>148 わしは、北関東の兵団を誉めたと思うが?貶めとらんよ。皮肉を云うた
部分はあるが、概ね逆に誉めとる。
南洋の玉砕の島々は、敵を上陸させ、水際作戦を取っとらん。
ペリリュー島の戦闘と形態が違うよ。自然要塞が米軍の猛攻を
阻止したんが、他の玉砕の部隊より精強じゃったと根拠にならんよ。
他島で玉砕した部隊が弱かったと貶めとるんは、あんたじゃないか。
何れにしても、負け戦さは負けじゃ。日本的滅びの美学に甘えて、
我々は頑張ったじゃと、結果論を無視し、我が軍の拙劣さを、我々は
努力したと、情緒的価値観で隠蔽したいんか。
広島第11聯隊は、激戦の苦闘を重ねたが、戦闘で玉砕や大敗したことは
無いよ。戦犯の数を調査した事は無いが、戦犯は、即ち犯罪者か?
冤罪で処刑された方もおられるが、証拠文書を焼却し罪を逃れた人と、
同一に論じることは出来ん。全国に云えることだと断定しとるが、
逆に地域差が無かったと云う根拠を示して貰いたい。
地元の事を棚上げにしたか?原爆投下の時、米兵を市民がリンチした事は
地元広島の恥じゃ言うとるし、マレー戦後の不本意ながら華僑粛清に、
参加した方の苦悩や、逆に憲兵から、法を犯しても華人のスパイを
匿った広島5D第3大隊将兵の法よりも人情が大切じゃったと云う
日本人の美風も、『郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史』の前スレに
書いとるよ。
パラオ人が、日本人に好意を持っとることで、それに甘え、パラオ人の
威を借りとるんじゃないか。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/22(日) 00:58:55 ID:8hQrODeY
広島第11連隊は2個大体丸々捕虜になる帝国軍始まって以来の快挙を成し得た名誉の部隊だから 全滅するまで戦うような馬鹿はしないわなw 逃げた者勝ちが広島で言うところの精強なのだろう
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/22(日) 01:01:47 ID:0aF7ciDX
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/22(日) 01:21:20 ID:A2N5I8cJ
琉球が弱いと言われるのはやはり薩摩との戦のせいだろうか? だがもし郷土により兵卒に強弱があるならば薩摩隼人のみと戦をして負けたからとて最弱の烙印はないのでは?
一番大事なときに居ない それが広島クオリティ
スルーできないなら軍板か誘導乗ってくんね? はっきりいって狂牛並にうっておしい
163 :
白馬青牛 :2006/10/22(日) 02:07:37 ID:NSdtLmxI
>>157-159 広島第11聯隊や広島第231聯隊(ソ連軍の捕虜となる)は、
戦歴や実績で快挙を成し得た名誉の聯隊であるのは、その通り。
じゃが、戦闘で負けたことは無いし、逃げた事も無いよ。
ほいで、宇都宮第14師団は、徐州会戦の時、まさか逃げておらん
のじゃろうね?何しろ
>>138 世界戦史史上に、名を刻むと自負されとる
ようじゃし、まさか、前線で闘うた広島5Dや姫路10Dを無視して、
逃げるまねはせんと断言出来るんじゃろうね?回答して貰いたいのう。
>>159 薩摩は琉球に苦戦し、手を焼いとるよ。
http://www2.oiu.ac.jp/6/tukoitir/sei0020.htm 「味方頗る死傷あり」琉球側の計略に「帯刀はしめ従士過半死す」と
苦戦しとる。薩摩兵は正面激突じゃ、本領を発揮出来ん。
釣り野伏りの側面攻撃じゃないと。
>>156 お前どさくさに紛れていい加減な事言い過ぎだろw
サイパン、グワム、アンガウル、タラワ、テニアン…など全て水際作戦を用いている
敵の隙が多い上陸時に攻撃するのは常識的な作戦だ
しかし日本軍は制海、制空権を米軍に完全に掌握され
空襲や艦隊の援護射撃により水際作戦も意味を成さなくなって来た
だからペリリュー島ではそれまで余り行われなかった後退戦術を用いた
水際でできうる限りの打撃を与え、上陸を許した後は後退し徹底抗戦するというものだ
人工、自然の洞窟を整備し無数の地下陣地を敷いて組織的ゲリラ戦いを行った
これは予想以上の戦果を挙げ硫黄島ではペリリュー島を参考に更に大規模堅固な地下陣地を敷く事になる
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/22(日) 02:16:11 ID:8hQrODeY
>>163 俺は宇都宮師団なんて知らんわw
何故俺に聞く
>>138 の事は
>>138 に聞けよw
俺が知ってるのは広島第11連隊の2個大隊が
何の抵抗もせず米軍の捕虜になり司令部を大激怒させたと言う事だけだ
166 :
白馬青牛 :2006/10/22(日) 02:24:30 ID:NSdtLmxI
>>161 一番大事な時に広島部隊に頼るんか。依頼心が強いのう。
>>164 ほう、サイパン、グアムに水際作戦を用いたと云う根拠は何か?
敵をみすみす上陸させて敵の主導権で戦闘したんじゃないか。
組織的ゲリラ?具体的に述べられよ。負け戦さを自慢しても、
意味がない。我が宇都宮14Dはよう頑張ったで欠落した部分は何か?
敗戦を美化し、反省点も述べず、自慰し酔う精神は凄いもんじゃのう。
167 :
白馬青牛 :2006/10/22(日) 02:31:00 ID:5AOKv0sV
>>165 敗戦時に、捕虜になっただけじゃが、同様のケースで捕虜に成らず、
戦うた部隊はあったんか?司令部を激怒させたと云う根拠は、
何処の資料からそう断定出来たんか?詳しく述べて貰いたい。
>>165 広島兵を頼りにしたのは石田三成であって俺じゃねーよwww
散々広島兵最強の電波飛ばしといて一番大事な時に頼れば依頼心が強いだと
さっさと処分されろよ腰萎え患畜
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/22(日) 04:01:46 ID:8hQrODeY
>>167 広島第11連隊が捕虜になったのは8月3日だろ
お前は敗戦日も知らんのか?
同様のケース?そんなのあるなら教えて欲しいわw
こんな裁判沙汰になった著名な事件で資料も糞もあるか
事件に関する資料全部漁って異論があるなら書けよ
近代史をやりたいのならば、余所でやれ。 特にアホ牛、お前は問答無用で消えろ。
美濃衆は知勇兼備のイメージが強い。 尾張衆はなんか軽いイメージがある。 以上
広島と近畿が大好き 山口と山陰も好き 四国と岡山は少し嫌い 東日本と九州は嫌い 関東と東北は問答無用で大嫌い
太平洋戦争の話はアメリカに負けた時点で負け犬の遠吠えにしか聞こえないな 傷を舐め合って慰め合うのはどうかと思う
尾張兵は弱いらしい 商業が発達していたからね でも装備は鉄砲の配備率からしてよさそう 三河兵は強そう 特に忠義に厚い部分は高得点ではないでしょうか 薩摩兵は強そう 地方に行くほど強くなる法則ですね しかも鉄砲の配備率もかなり高いし 越後兵は強そう 鉄砲の配備率は低いけどカリスマに率いられ無駄口叩かない・石投げられても 微動だにしない部分とかかっこいい 甲斐兵はよくわからん 「甲斐の黒駒」とかいう名馬の産地で騎馬は強かったたしいけど
兵士一人一人の強さを出身別に数値で格付けする方法は無いんだよな 国ごとの戦争となるとどうしても支配大名の動員力、戦術、装備に影響を受けるんで4っつに分けてみた A 兵士一人一人は強くないが優れた大名が率いて他国を圧倒した B 兵士一人一人も他国より平均的に優れており、支配した大名も優れており他国を圧倒した C 兵士一人一人も他国より平均的に優れていたが、支配層が分裂したり暗愚だったため侵略を許した D 兵士一人一人は強くない上、支配層が分裂してたり暗愚だったためどうしようもなかった イメージでいくと A=尾張、安芸、摂津など B=甲斐 越後 薩摩など C=信濃、肥後、伊予など D=山城 伊勢 能登辺りか こういうわけ方どうよ
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/22(日) 23:33:50 ID:D4RiZ0q6
薩摩は勢力の拡大に時間かかりすぎてて たいして強くないだろ 立地条件から視たら並の勢力だよ あくまで九州人の中でだけで大威張りしてて欲しいよ。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/22(日) 23:41:15 ID:PXUEga73
薩摩人同士で戦ってたから拡大に時間がかかったともいえる。
基本的に田舎ほど兵が強いイメージは全時代を通してあると思う。
古くは西国より坂東とか、尾張より三河とか、九州四国、特に薩摩土佐とか。
>>175 氏の分類は、しっかり実例とか意見とかまとめながら話し合ったらすごく有効だと思う。
178 :
白馬青牛 :2006/10/22(日) 23:43:59 ID:2QU3wrOb
>>169 また、文面の揚げ足でしか反論出来んようじゃのう。わしは、
広島第231聯隊を含めて、敗戦時云う言葉を使うたんじゃが。
橘丸事件は、船上で捕虜になった訳で、他兵団のように戦闘に負けた
訳でも無い。あんたの司令部を激怒させた云う根拠を聞いとるんじゃ。
>>175 安芸が、兵一人一人が強くないと云う根拠はあるんか?
越後が強い?幕末の時、安芸に進駐した越後の榊原の武士は、
安芸の海田の町人と喧嘩して強かったんか?海田町民を恨む暇が
あるんなら、越後人も武を磨けえや。イメージ云う根拠の無い、
ファンタジーの低脳振りにはあきれる。なるほど、越後兵(高田聯隊)が、
兵一人一人の実力が反映する防御戦で負けるんは当然じゃのう。
ぐる貨幣
薩摩は戦国から近代まで最強と言われ続けたけど 強いと言われる根拠は何なんだろうね 全国規模での活躍って朝鮮出兵の時ぐらいじゃないか? 九州征伐でも関ヶ原でも敗走、大坂の陣は不参加なのにそれでも強いと言われるのだから 何かがあるはずだ
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/23(月) 01:19:26 ID:7BuX029q
薩摩人の自画自讃だろうな。 島津に暗君なしとかいうのも同じく。
島津君も伊達の次の次の次ぐらいには強いよ多分
じゃあ、大したこと無いな。 というのは冗談はともかく、 薩摩兵で特筆されるのは上の者に対する従順さらしいが。 だから多少無茶な命令でも普通に行動に移してしまうとか。 まあ、受け売りなので参考までに。
大河を好んで見る程度の無学の者なんですが 薩摩や三河の身をていしてでも主君を守ると言うのは 何か特別な理由があるものなんですかね? 戦死者の遺族に恩賞や勲功を多く与えたりとか 特別な教育制度・宗教を施したりとか スレ違いと言われたら素直に退散します。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/24(火) 10:41:31 ID:Y1U2d4sE
肥前兵は?? 葉隠の舞台でもあるし、今でも荒っぽいよ佐賀人は
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/24(火) 14:49:22 ID:LMRURANW
九州は宮崎人以外は荒っぽいよな
宮崎人は大人しいのか 気候が温暖だと性格も穏やかになると言うが 千葉とか静岡とか愛媛とか
長崎の松浦も大概にして温和なもんだよ
でもよく考えたら南国と言われる土佐は全然温和じゃないじゃん 誰だこんな説唱えたのはっ
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/24(火) 15:28:08 ID:Y1U2d4sE
国別の気質が決定付けられたのは、概ね江戸時代なんじゃないかな 島国根性とかも江戸の影響でしょ 土地が天領とか1国に1大名とか。 もちろん気候とかもあるだろうけどね
佐賀人は穏やかだと思うが。少なくとも鹿児島や福岡に比べりゃ。
>>184 田舎の兵はすれておらず、
よく言えば素直、悪く言えば批判能力に欠けているからだと思う。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/24(火) 16:09:02 ID:dfMFTUFp
まあ腕っ節とか、江戸時代だと相撲の強い奴が多かったとか 東京もんは貧弱ですう 正直上の広島弁の人は怖いなw
かごンま人は毎朝ちぇすとぉて丸太叩いてたんでしょ?
食べ物が乏しかった国が強いんじゃね? 土地が貧弱だったり冬が厳しかったり街道筋から外れて流通が滞ってたりで。
そしたら北東北最強じゃんw 冷害、大雪、山岳、飢饉 飢餓飢餓飢餓! 貧しすぎて戦できませんみたいな
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/24(火) 19:08:48 ID:+rcux8KN
おい牛、何で関ヶ原の後、精強な安芸人は黙って減封喰らったん? >広島、中国地方勢が死中に活を求められる戦闘を常に強いられた だったら何で抗戦しなかったのかな?「防衛戦」は得意なんだろww >我が広島人の先人は激闘を常に克服してきた そうだな、そんで関ヶ原のときは大阪城にいたんだよなwwwww お前の中では関ヶ原前の毛利家〜いきなり幕末なんだろうが ちゃんと37万石時代の頃も学ぼうなw 黒歴史にしないでさw
200!ところで、、、
>>199 戦国の東京人って・・・w
馬鹿レスに反応したまでだが
やはり
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/25(水) 18:03:28 ID:TsMTEe+V
>>184 「薩摩や三河の」とあるけれども
この場合 勢力図が変わらなかっただけのことで
日本中変わりなく「身をていしてでも主君を守る」と言うのは
大なり小なりあった。
たまたま 統治が長続きしただけのこと。
ご当地の方々からすれば自慢半分だろw
主君がいなくなったら食いっぱぐれちゃうもんね
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/25(水) 20:27:48 ID:7MXLl8kD
◆一概には言えないけど…強い弱いではなくて東北地方や北陸地方、信越地方等雪が沢山降る風土の人間は凄く我慢強いょ。 ◆これは、戦国時代や第二次世界大戦以外にも現代社会で働く人々にも当てはまります。激しいストレスと目標を達成するのに徹夜の残業…まさに戦! 関東や関西で大企業を経営している社長曰く『雪の多い北陸地方や信越地方の人間は辛抱強いからな〜』 昭和の時代に東北地方から沢山の集団就職者(上野駅に到着)がいた事はテレビやニュースでご存じだと思います 彼らは本当に粘り強い精神力で仕事に従事した。 ◆その人間が育った環境や気象風土が大きく左右すると思う!上杉や前田をみても分かるように雪が多く降る地方の兵隊が強いか弱いか分かりませんが…その粘り強さで大敗する事はあまりない。
戦国時代に限れ!!という声が聞こえるのは承知で。 二次大戦の直前ごろ、岩手(だったか他の東北の県)では甲種合格の率が高かったらしい。 その理由については、乳児死亡率が高く、徴兵検査を受けた時点で既に「生き残りの勇者」だから頑健な人が多いのではないか、 というように考えられていたらしい。 少しの貧乏なら、兵の強化につながるかもしれない。
>>207 信長公とは幼なじみなんだよな?あと丹羽も
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/25(水) 21:50:51 ID:32CgPtV3
将校、指揮官クラスは尾張でも兵卒は北陸人では?
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/25(水) 22:28:09 ID:GWJe4nIZ
宇喜多もなかなか強かったと思う。 将校に戦上手が多かったから?
211 :
白馬青牛 :2006/10/25(水) 23:17:33 ID:s8fNrOVm
>>184 主君と家臣の衆道、男色の関係もあるでしょう。
>>197 関ヶ原で戦闘しとらんのじゃに。意味の無いことを云う。
国衆も、秀吉の時勢から検地政策にもうんざりしとった。輝元さんが、
「殿下(秀吉)の御下地」と秀吉の威を借りることにも。国人領主や
国衆の連合体が崩れ、解散したと云うほうがええじゃろう。
江戸期の毛利家は、山口県の歴史じゃ。安芸兵が再び舞台に立つんは、
戊辰戦争の安芸農民兵で構成された神機隊の東北討伐(相馬、仙台)じゃ。
212 :
白馬青牛 :2006/10/25(水) 23:40:38 ID:s8fNrOVm
>>205 ところが、大敗しとるよ。例えば仙台13Dの冬季作戦。
>>206 岩手の兵は、山形の兵と共に弘前師団(青森、岩手、秋田、山形)の中では
強いとされとるけどね。弘前36D第222聯隊とかね。対八路軍に苦闘
し、ビアグ島で米軍相手に最期を迎えたが健闘した。
乳児死亡率が高いんは、貧困から間引きをしよったけんのう。生き残りの
強さに期待してものう。兵隊は育てて強うなるもんじゃし。
弱肉強食で淘汰しちゃあいけんよ。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/26(木) 00:44:10 ID:7sYwapT5
早速湧きわがった 余程やる事ないんだなコイツ 蛍光灯に群がる虫みたいな野郎だ
新手のアラシだな。ほんとに。
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/26(木) 07:43:13 ID:CjtKigg5
ここは せ ん ご く 板だよっ もしかしたら、万が1にも気付いていない可能性があるからね
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/26(木) 10:40:47 ID:E+7YCqi1
牛、明治のこと言っても意味ないぞ!!
白馬青牛さん江。 ここは戦国板です。 書き込むのであれば戦国時代のことにしてください。 戦国時代と近代を比較しながら書くのならまだしも近代のみというのは非常に不快です。 近代のみを書きたいのであれば軍事板に行ってください。 蛇足ではありますが自分は育ちが関東なもので広島弁が理解できかねるときがあります。 よろしければ標準語を多用してください。
同意 また同様に折角の良スレです。 荒らしを相手にしましょう
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/26(木) 22:41:21 ID:CjtKigg5
三河や薩摩など精悍と言われる兵士の地域は、田舎者ゆえに愚直なまでに指揮者に従ったから強いのでは? と、東北陸の少しだけ貧しい兵士が最強ってトコまで話が進んだが続けましょう
220 :
白馬青牛 :2006/10/27(金) 01:39:25 ID:wkYZXL+5
>>217 あなたは、何で人に指図されるんですか?いらん世話ですよ。
方言を使うんも個人の自由ですし、人に強制される筋合いは無いでしょう。
郷土の風土や兵士は、戦国期と近代は関連するゆえに近代の事例も
書いとる。戦国期だけに限定すると、資料や比較要素にも乏しく、
>>219 氏のような妄想意見のオンパレードになります。
指揮官に従順な兵が有能と前提条件をつけておられるが、広島5Dを指揮
された、東北仙台人であられる今村均将軍が、
「今更ながら広島人のねばり強さと闘志に感じ入った。」
「広島の青年達は「気がきいていてズルくさい」と云えよう。」と、
云われたが、東北人は「気がきかんで真正直(鈍重)」と云えるんかのう。
上に従順なだけじゃ、激戦で勝利する事は、難しい。
指揮官の人情と云うか戦場の孤独感を田舎兵の純朴性で満足させるだけの
事。広島部隊の様に老獪に(ズルく)闘う事が必要じゃのう。
まさに馬耳東風
あぼーん NGマジお薦め
まさに馬の耳に念仏
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/27(金) 08:35:23 ID:wqGCk5Jd
牛さん。 ココは、比較的少ない資料の中で皆が考え、時に妄想にツッ込んだりするスレなんだけどな 比較的多い資料が好きなら、自分でスレ立てるか、皆が言うように軍事板に行けば良いのでは。
祝!IDがフェラ! で、ついでに言わせてもらうが、自分の考えや妄想を補強(あくまで付け足しだぞ)するのに近代をちょっと出すのはまあ許せる。 だが人が戦国を前提に考えてるものを近代で否定しまくるのはいかがなものか。 まあはっきり言うと「空気を読め。愚か者。人を説得したければ、まず自分が信用されるように振る舞え。」 ということだな。岩波の名将言行録でも読んでこい。
荒らしはスルーが原則 牛をNG登録すればすむじゃないの? 中高生じゃないんだから 余計付け上がるだけじゃないの ほっといて楽しめばいいじゃない
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/27(金) 18:05:49 ID:mdcICXN8
>>219 に同意
「三河や薩摩など精悍と言われる兵士の地域は、
田舎者ゆえに愚直なまでに指揮者に従ったから強いのでは?」を考えると
指揮者が良かったから勝ち残る事が出来た事と
兵卒自身の資質の良悪 とが
混ざっていて しっかりと分別されていないぞ。
薩摩や三河の兵卒一人ひとりの資質の高さを現している話ってないから、
どうしても家康の言葉とか「領国の維持出来た事実」に頼っての書き込むことになる。
徳川の時代や明治の薩摩の政治家のおかげでの過大評価は好ましくない。
このスレの方に聞きたいんだが浅井旗下の湖北武者と呼ばれた兵卒は やはり勇猛だったんですかね?
>>228 弱い軍をやっとのことで倒した神君などであってはならない
戦国最強の江北荒武者軍団を蹴散らし、情けない尾張者の織田を救ってやった
我らが神君東照大権現様万歳!
そういや近江侍は有能だな 戦国期を通じてかなりの人物を輩出しただろ 単に勇猛なだけじゃなく知勇優れる人物が多いし
時代は限定してないみたいだけど姉川だとしたら徳川があたったの朝倉だったと思うが
愛知人は堅実で人事に厳しいと思うね(ケチとも言う)、芸事も盛んで古来職人の産地。 だから組織が強固で職人気質がある。 まあ、兵卒が強いというより組織が強固で技術指導が上手いという印象がある。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/29(日) 00:09:39 ID:4NaKVZff
やはり武将云々では無く兵士が強いのは薩摩! 関ケ原の退却は他の国の兵士では不可能。 維新討ち死にになってました
三河・近江には一向衆が多いから勇猛。
235 :
白馬青牛 :2006/10/29(日) 00:41:04 ID:sr8nWYMV
>>224 比較的少ない資料でも、宣伝で自地域を強兵としたかも知れんし、
後世の実例も必要になろう。皆が言うようにたあ、自分の意見で
わしに反論すりゃあええのにのう。わしに苦言を云うのに他人の威を
借りて巻き込んじゃあ、いけんよ。士道に反するのう。人を批判する
暇があるんなら自分に誇りを持つ行動をしたらどうか。
>>225 その前提条件が、どの書物から、三河や薩摩が精悍とされたんか?
その自我自賛文書も、実例から検討せんといけんけどね。
近代と比較するんは、近代の日本軍が、混成部隊は別として、郷土兵団で
構成されとった故、風土、地域社会組織の影響が強いと云うことじゃ。
まあ、わしが、空気を読む以前に、わしに対する批判で人に空気を
入れたりする方が好きなんじゃろう。人を説得する?自分が信用される?
わしの振る舞いに指図する、あんたは何様か?
名将言行録?そがいな物ばっかり読んどるけー、上層指揮官武将の
個人崇拝しか出来んのか。わしは、無名の前線で激闘した戦士こそ誇りに
思う方じゃ。上層指揮官も郷土性の基盤の上にある人物に過ぎん。
ゆえに、地域性が重要になる。このスレの「どこの出身兵士が強いか」も
地域性の違いを、近代も含め、郷土の社会制度の違いと地域兵員の個性も
含め考察する視点が必要であろう。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/29(日) 00:42:23 ID:4LZgXSmm
陰徳太平記w
>>234 一向宗か。確かに日本では馴染みは薄いが確かに信仰が厚い軍隊は強いな。
238 :
白馬青牛 :2006/10/29(日) 01:59:38 ID:sr8nWYMV
>>234-237 そう、東海や北陸では一向衆の活躍もあり、農奴状態の関東や東北と
違う社会であろう。市民が自治権を主張した近畿地方も、土一揆の活動も
無視出来ん。1496年美濃斉藤氏が、近江六角氏討伐による近江領占領
に抗して闘うた近江馬借一揆軍は斉藤軍を撃破、敗走させた。
三河は、古来傀儡師の産地であり、芸能流浪の民である要素も強いね。
一向宗や浄土真宗地帯の軍隊は、確かに強い。伊勢や北陸、郷土広島も
含め。進者は極楽で退者は地獄じゃしね。ただし、安芸は、領主との確執が
余り無い社会じゃった。
本願寺も島原も苦戦したね
言わなくても分かってると思うが馬鹿は放置な 餌をやるなよ
ん?
このNGワードはアレか?
>>239 島原はキリシタンだけ、ではないからちょっと参考にするには不適切じゃないか?
非キリシタンも原城には結構入っていたらしいから。
どちらかと言えば大坂の役に近いと思うが、
浪人衆のもう行き場のない、逃げ場のない悲壮感と精悍さに被って見える。
牛さんも学はあるみたいだし、今回みたいに空気読んでくれたら歓迎するよ。 ここは戦国板だし煽りあいより考察系として充実させたい。 宗教色の強い他の地域ってあるかな?
懲りずに農奴とか言ってるし。
丹波兵ってどう?やっぱマイナーすぎ?
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/29(日) 18:31:22 ID:4NaKVZff
兵の強さはワカランが名将が居た地には味噌の産地が多い。 仙台、越後、信州、愛知と 当時の兵卒の戦場食、米味噌と関係あるのかにゃ?
>>235 の白馬青牛さん江
>自分の意見で
>わしに反論すりゃあええのにのう。わしに苦言を云うのに他人の威を
>借りて巻き込んじゃあ、いけんよ。士道に反するのう。人を批判する
>暇があるんなら自分に誇りを持つ行動をしたらどうか。
己の意思で苦言を呈しましたが、返事が
>あなたは、何で人に指図されるんですか?いらん世話ですよ。
>方言を使うんも個人の自由ですし、人に強制される筋合いは無いでしょう。
と返されましたよ?
批判も賛同もなければそれは放置ですよ。
学のあるやつが農奴とは言わん。
もともと一向宗の発祥は東国でしょ? 親鸞が教行信証を書いたのも常陸国でだし常陸は親鸞の布教基地だった。 一向一揆を指揮し本願寺を坊官として支えていた下間氏は茨城の下妻市から来ていると言うし
249 :
白馬青牛 :2006/10/31(火) 00:36:18 ID:Ndx6l7zt
>>242 わしゃは、知識が足りん思うとるし、煽りのおかげで忘れとった事等、
事物を調べ直し再確認出来るゆえ、好都合じゃ思うとるよ。
じゃが、他人の空気までいちいち読まんよ。ほいでも考察系と
充実したいんは、同意じゃ。
宗教色の強い地域は西日本〜北陸、東海地方まで及んでおるが、それより
東は浸透しとらんのじゃないか。東日本の封建社会基盤が拒否したん
じゃと思う。
>>244 丹波兵は健脚力があるんじゃないか。近代の福知山聯隊・篠山聯隊しかり。
>>248 一向宗の発祥が東国?起源論に固執するんは韓国人と東日本人の特徴じゃ。
縄文文明1万年史観か?一向一揆が盛んな地域が東国よりも西であるのに、
東日本の社会構造から隷属農奴民に、自治権や民主制を求めても無理じゃ。
戦国期の宗教改革や宗教戦争は、西欧と同現象として比較でき、
近代国家形成に貢献したと思うが、東日本は隷属縦社会でその段階を経て
おらん。東日本は旧共産圏の東欧農奴社会と同じ社会段階を歩んだんじゃ
ないか。専制東日本社会に民主制度は早過ぎたんじゃないか。
>>248 が言ってる常陸と親鸞の関係は密接だろ。
一向宗だから強いとか言うのも憶測に過ぎないんじゃないか。
信長「(加賀越前の一揆の類)物の数にあらず候」。
安芸の毛利は同盟軍として本願寺に加担したわけで、門徒じゃないわな。
浄土真宗と安芸国は、江戸期の檀家制度の段階で特に密接になったのか?
>249 なにをもって東日本を隷属農奴民とする? そもそも一揆ごときに何時までも関わっているのは領主がヘタレだからだよ ろくな智慧も武力も持ち合わせていない証拠。 一説では日本の領主の封建制は税の徴収権に過ぎず、本当の意味の封建制は無かった という説もある。 頼朝がポックリ逝こうが実朝が暗殺されようが無問題。 「鎌倉殿=関東武士団の代表」であり板東武士は自分で主君を選び 武力でもって天下人にしただけだよ。それがずーっと続いてきた。
252 :
白馬青牛 :2006/10/31(火) 02:41:38 ID:RM3JKuu4
>>250 地域社会に浸透しとらんもんを語ってもねえ。
信長は、対石山本願寺で苦戦して無いんか?
兵糧を敵の包囲の中、突破した安芸門徒が参加しとらんと云う根拠は?
>>251 東日本が、隷属農奴であったんは、江戸期の村落の構成でも、
概ね、東日本は村の代表は世襲制で小作人も隷属小作。西日本は村の代表は
選挙(札入れ)で決め、小作人も契約小作。(宮本常一氏・長島信弘氏)
武士団の構成も、東日本は主従制隷属縦社会に対し、西日本は、合議制
横社会。宮本常一氏は松浦一揆にその形態が見られ、中世初頭から、
西日本は一揆契約による合議制とされる。
民主制の西日本と専制農奴制の東日本と区分せずして、戦国期の考察は
出来んよ。伝統的農奴東国兵の弱さは、権力に従順じゃった事もあろうね。
なにしろ、隣の村がつぶれようと、援助もせず、我が耕作地が増えるぐらい
に思うとるんじゃろう。共同意識も相互扶助の無い、連帯間のない軍、
部隊、集団は、弱いよ。弱肉強食の東日本兵は弱かったのも納得するね。
権力に従順じゃったモンが天皇や上皇を追い出したり、新皇を擁立すんかい? 土豪、土民に選ばれた権力者でなければ東国では潰されるがね。 自分の身も自分で守れん奴は生きていけん。 そもそも契約や談合で主従関係を成り立たせようとするんは商売人の根性じゃのう それは連帯感でもないし信義で動くとは言えン。 しょせんお雇い兵士を頭にして一揆を起こすレベルが関の山じゃのう。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/31(火) 05:31:18 ID:80JMiioP
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/31(火) 11:12:07 ID:4sm9zCel
甲斐>三河>薩摩じゃない(o^ー’)b
甲斐、三河なら間を取って信州。真田、諏訪、小笠原、望月はどうよ。 騎馬とゲリラは強いぞ。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/31(火) 13:44:59 ID:ooFVOP7s
強いと言われた甲斐、三河兵は幕末になってしまうと、あまりパッとしなくなってしまったのは何故? 指導者? 武器? 薩摩は強兵のままみたいだけど。 スレ違い承知で質問ですが
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/31(火) 14:02:06 ID:tH+Erfeq
幕末は兵器と兵学の強さと総大将・兵士の士気が そのまま強さになったんじゃろう。 薩摩・長州は上記の4点を兼ね備えていた。 兵器の点で見れば、薩長土肥幕以外は50歩100歩で論外。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/31(火) 15:41:36 ID:4sm9zCel
>>257 甲斐と三河は幕末では徳川譜代系の支配地になってたから軟弱になったんじゃない。その点薩摩は外様だから幕府に対抗してたから強兵だったんだよ(o^ー’)b
士気、練度、武装など様々な要素によって 同じ地域でも強さが変化するから一概には言えない 強兵などと言う定評はなかった長州だが 禁門の変では当時最強と言われた薩摩、会津などを相手に凄まじい強さを見せた 勇猛さでは薩会に勝っていただろう また、薩摩と会津は確かに強かったが、どちらも武装の差には勝てず壊滅した 幕府歩兵は長州征伐や鳥羽伏見では役に立たたなかったが 後の脱走組は各地で新政府軍を苦しめた
それは確かにある。どんな精兵でも戦略目標が無ければ戦力を集中できない。 これではどんなに強くても勝てない。 また精鋭ほど重要拠点、激戦区に配置されるため全滅、敗走したからといって 弱いとも言えない
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/31(火) 18:59:33 ID:vF9F2Xl0
旗印でびびっちまうこともあるから風聞ってのもバカにできないよな。
263 :
白馬青牛 :2006/10/31(火) 23:10:35 ID:axGkpgNP
>>253 権力に従順だないなら、天皇家を滅ぼしておったんじゃないか。
平将門も皇室の末裔として王権の権威を借りてないか?
古代から「西国は、君姓で祖先の不明なものが多く、天皇家との
繋がりを強調してないが、東国は、天皇家と結びつくことによって
権威を維持した。」と、直木孝次郎氏は云われる。
「流離した中央貴種」信仰が東国社会の豪族に強かったんじゃろう。
なるほど、関東人は権威に弱いのう。
契約や談合?で主従関係?じゃのうて同盟関係じゃろう。
商売人と云われるが近世以前の領主は商売人でもある。関東人を
売買した上杉謙信は奴隷売買の商売人じゃないんか?武田信玄も
そうじゃろう。近世の官僚化した、商業から分離した武士を前提に
云われてものう。関東のお雇い武家奉公人も、奴隷扱いする旗本奴に
対抗し町奴集団を作ったしね。江戸初期においても上下の連帯感は無いね。
いや、近代関東兵団でも、戦死する可能性が強い初年兵を私的制裁で
しごき、いじめぬいて殺す。弱者必滅、淘汰が関東流進化論か。
(戦闘馴れしてない兵は、戦闘へ出せば死んで行くと、関東的合理主義。)
隷属農奴社会の伝統は、残忍で憐れじゃのう。
卑怯者に言われたくはないな。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/31(火) 23:56:52 ID:Wzx7zOgX
憐れな程に関東に対する劣等感丸出しだなw 広島なんて二等国民がいくらあがいても 近畿や関東に勝るものなど何一つないのにw ドンゴリ仙台とでも張り合ってろ いい勝負だ
266 :
白馬青牛 :2006/11/01(水) 00:09:42 ID:7v36898d
>>254 わしは、広島人じゃが、
>>253 氏は広島弁をマネシしとるんじゃろう。
>>256 騎馬とゲリラ?ゲリラ戦が東国で一般化しとった根拠は?おそらく
後北条氏に呼ばれた紀州乱波等、西日本の戦闘法が東国へ影響を
与えたんじゃないか。引くことを知らん東国武士に遊撃(ゲリラ)戦が
出来るんかのう?遊撃戦は、近江の土一揆のように庶民が勢力を持つ地域の
戦闘法で、専制農奴地帯の関東で採用され難い戦闘法じゃろう。
>>257 「言われた」が根拠じゃ妄想に過ぎんが、それは兎も角、甲斐、三河、
薩摩を誰が強い云うたんか?詳しく書かれよ。『川角太閤記』では、
武田の戦法は田舎者の兵法で全国的に通用するもんじゃない。
秀吉は馬鹿にしとるんに、どこが強兵か?
>>258 戊辰戦争の対相馬軍の戦闘で奥羽同盟軍と前線で主に戦うたんは、
芸州(広島)と因州(鳥取)兵じゃ。安芸神機隊兵は寡兵の中、筑前、
長州兵の援兵要請にも答え苦労した。じゃが安芸兵は、相馬、仙台、
米沢藩兵らと戦い一度も負けとらん。むしろ駒ヶ峰の戦闘のように、
退却した新政府軍諸藩兵が驚き、嗤笑する無暴な切り込み白兵戦で、
農民主体の神機隊、隊士陣場松右衛門以下敵陣を占領した武勲も光る。
兵器は兎も角、東北東岸戦闘では、筑前・筑後・肥後・伊予・長州・
因幡と較べ、安芸農民兵の独壇場としても過言では無い。
権力に従順でないなら、天皇家を滅ぼしてた、っておかしくねえか? 権力振かざしたいやつが天皇の権威を借りるんだろ?しかも自ら擁立して。 まじ我田引水的だな。 あと毛利得意の苅田戦法も人身売買並にインモラルだったことを忘れるなよ。 もはや牛のは考察ではなくて優劣になってるな。だから嫌われるんだよ。
なぜそんなに広島をマンセーするのかがわかんねーな 最強の兵卒よりある意味きになるなw
>>252 殺生に寛容な親鸞の教えが、関東武士に受け入れられたのは自然な事。
ところで、親鸞と本願寺教団じゃ月とスッポンだがw
大坂の石山本願寺の門徒は九州から関東まで、全国から集まった集団だよ。
尾張はもちろん、相模・武蔵や越後からも門徒が番衆として参加してる。
毛利の家臣に門徒は多かったかもしれないが、織田方にも多かったんじゃないか。
逆に、本願寺勢=本願寺教団の信者だと言い切れるものでもないし。
門徒であったとしても、毛利氏の兵だな。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/01(水) 00:27:38 ID:Lnv7bix+
>>266 すまなかった。広島の兵が日本最強だよ。
これでいいかい?
>>266 日本史板にレスしたから。
まっ、戦国関東武士の騎乗術の優秀さは、尾張・三河武士の間にも知れ渡ってたわけだが。
戦国安芸の百姓も、坂東殿ばら(関東の侍)の印象をこう唄ってたのにw
↓
『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)
「坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた」
織田方の視点という点は差し引かなきゃだけど、『信長公記』
(近江の本願寺門徒、秀吉や長秀にとっては)物の数にて員あらず。
272 :
白馬青牛 :2006/11/01(水) 00:48:31 ID:yHN4WDji
>>265 関東に対する劣等感は、残念じゃが無いのう。
広島は、農奴関東より武勲はあるよ。関東が広島に勝てるんは、
人の多さと食文化に乏しく、兵隊も弱い事、妄想が激しく、
土着劣等感から、征服民の西日本人に敵意を持つ憎悪性には、
脱帽するよ。
仙台を馬鹿にしとるのう。確かにドンゴリ鈍重仙台兵であるが、
関東兵よりは、忠誠心も強うてましじゃろう。
関東人は相手の実力を見て、相手に心服するところがあるけーのう。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/01(水) 00:58:58 ID:Lnv7bix+
んで、広島から何人天下人って出たんだっけ? 俺の住んでる愛知県からは信長・秀吉・家康とたった3人しか出てないよ。 強い広島の事だから数十人は出てるんだよね? あと、今年はプロ野球をあまり見なかったから知らないんだが 日本一になったチームは確か広島だったよね? 甲子園でも広島代表校が毎回優勝か準優勝してたって事で間違いないよね?
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/01(水) 01:01:38 ID:VbWnP/aY
結局、どこが強いンだ?
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/01(水) 01:12:39 ID:VbWnP/aY
おまいらアイヌを忘れていやしないか?
厳島神社の神主家は、戦国期まで鎌倉系に乗っ取られたから奴隷神社なのかな?
安芸の享保三年一揆とやらで、土地集積の上層農民に虐げられて爆発した安芸農民は
広島奴隷民という理解でいいのかな?
毛利の傘連判状的世界も、毛利の勢力が拡大した時点では様相も変わってるよね。
宮本常一は西国史観の民俗学者で、1581年に亡くなった人だね。
>>273 帝京選抜出るよw
>>275 安東?
277 :
白馬青牛 :2006/11/01(水) 01:21:51 ID:yHN4WDji
>>267 中央王権の威を借りて東国武士は威張っとったんじゃろう。
>>268-270 実際に、安芸兵が強いんじゃけーしょうがないよ。
>>269 浄土真宗が殺生に寛大?関東流の都合のええ解釈論じゃ。
石山本願寺で関東・東日本から多く集まったと云う根拠は?
都合のええ毛利の兵じゃと云うとるが、関東人は、法華宗か
朱子学(水戸学)の名分論で妄想し韓国と争うとれ。
>>271 またネタ切れで、同じ言の繰り返しか。関東人と韓国人は
似とるのう。安芸人が日常的に歌うた云う根拠はあるんか?
西行や平家降人から騎馬技術を教えてと泣きを入れた
騎馬下手の関東人が。戦国期の戦闘に騎馬要素の比重が高い訳も
無く、野戦派の家康が誉めるぐらいのこと。家康は真田あたりに
苦戦しとる。西国での戦闘では通用せん。攻城や籠城戦闘の
比重が多い時代じゃのに。時代遅れの東国騎馬兵など、朝鮮に
出兵しても明軍の騎馬兵に通用せんよ。向こうはモンゴルと
闘うとったのに。土着妄想で世界に通用する訳あるまい。関東
ロデオ騎馬武者なんぞ。
近江の本願寺より石山合戦で信長は負傷してなかったか?
何で長期に及んだんか?
>>277 だから親鸞。戦国の本願寺は一種のカルト集団に近い。
諸国門徒参加の番衆、ソースは神田千里氏。
うしもネタ切れじゃんw『田植草紙』のは事実だし。
泣き入れたとか、明らかな捏造言って満足か?
西行の流鏑馬武芸は望月牧経由で信濃武士らの二番煎じあたり。所詮は馬場武芸。
信長に聞いてくれw
279 :
白馬青牛 :2006/11/01(水) 01:58:50 ID:NKvlkmT9
>>273 何が嬉しゅうて天下を狙わにゃあいけんのん。
山口県人は、大内氏が京都へ介入したよう、権力を望む部分が
あるけー、明治政権もその流れじゃが、広島人は権力志向が強う
ないよ。政治屋集団は別として。中国地方の雄でええよ。
広島の野球は今強う無いんに、何で大嘘を書くんか?
>>276 厳島神社が、佐伯氏から藤原氏になったことが、何で鎌倉の
奴隷になるんかか?安芸の一揆が上層農民に虐げられたと云うんも、
農奴社会の東国的解釈じゃのう。安芸の庄屋は他の村へ赴任する
行政官じゃったが、村落上層部と小作人の家を見分けることが、
出来んほど、村の家々の大きさ、様式が平均化しておったが、
関東や東北は上下が断絶した格差社会で、権力に屈する気持ちが
強いんであろう。
傘連判状は横の同盟関係じゃが後に毛利氏の勢力が突出し、
毛利氏が山口へ移って解散したと云うほうがええじゃろう。
宮本氏が1581年没?戦国時代の人にするんか?
280 :
白馬青牛 :2006/11/01(水) 02:19:57 ID:NKvlkmT9
>>278 カルト(原理主義)集団に近いんは、他宗に対する排斥から
日蓮宗じゃないか。浄土真宗における原理主義とは何か?
仏典を忠実に解釈しとる訳でも無い。どこが原理何か?
原理主義云う言葉も解釈出来んとはのう。
ほいで、諸国門徒番衆の人員数は見つかったか?
書物に載っておったら事実とは云えんよ。
どうせ知識人が書くもんじゃし。戦後になって、大戦当時の兵士の
見解が戦記に書かれ、上層部の報告文書とくい違いがあるのに、
近代以前に兵士が見解の文書に乏しい。
上層部が、敗戦時に証拠を隠蔽する為焼き払った部分を、
考察するんが歴史じゃないか。文書を一言一句、解釈するんは、
まさに、宗教原理主義に他ならん。歴史を宗教と勘違いしとるんか?
歴史解釈原理主義者なんか?
煽り合いと一方通行の優劣の主張のみ これが良板と呼ばれた戦国板かね。 どうしたん君ら? 正しい意見は受け入れて否定する分には資料を添えて巧く運営してたのに みんな熱病か?
>>281 広島の株を持ち上げようとして結果下げてる事に気づかない間の抜けた牛の相手に忙しいんだよ
そもそも
>>256 を
>>266 で「関東でのゲリラ戦」と言ってる段階で話が噛み合うはずも無しw
信濃望月家の騎射術に関しては
>>278 氏も言ってるのが正解だろう。
ちなみに西行は佐藤家だから「藤原秀郷流」ね。
277 >攻城や籠城戦闘の比重が多い時代じゃのに。
これは初耳w
東国武士は城を落とすのも上手かったよ、家康も上手い。
なぜ難攻不落の大坂城に真田丸が設けられたか考えればわかるでしょ。
つまり、薩州、甲州、三河あたりがつおいってことだな 薩摩隼人がつおいことは感覚的にわかる気がする
広島人は、郷土愛が強いといいますが、こんな人ばかりですか?
>>286 いいえ私を始め多くの広島人は郷土であったり人物であったりを自虐して
楽しむ人間のが大勢です。例えば遊楽施設もない癖に人だけ多い
カープってまだあったの?駅前なんとかせぇや、スラムじゃないか等
私の嫁さんはもうり?という程度。まあ女は歴史は結構こんなもんだが。
本気で嫌ってる訳ではないが牛さん位に熱烈に郷土を押されると何というか
むずがゆい。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/01(水) 18:28:05 ID:nJqWilm9
薩摩藩は統制力が強く、上士>下士>百姓の身分がその他の藩と比べ 異常なほど隔絶されていたって話をきいたことがある。 身分の完全分化と強力な統制って強い軍隊の基本だからその辺も影響 あるのでは。
今の鹿児島県民を見て、どうこういうのはおかしいと思うけど、統制とかそういうものではなくて、 なんか退くことを知らない強さっていうのかな、そんな感じを鹿児島県民から受けるわ。 全員がそうとは言わないけどさ
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/01(水) 19:08:36 ID:R3H10gpF
長淵剛とかWWW
逆だよ 薩摩は退く事をよく知っている 駆け引きの上手さで強いんだよ 至って政治的な行動をする 薩摩人は玉砕する事はまずないし 不利になると迷わず退却する 勇猛さを誇った軍団でも玉砕して潰えてしまってはそこで終りである 九州征伐でも関ヶ原でも徹底抗戦などせずに退いているし 幕末にも怜悧と言われた長州人の方が後先考えない猛勇さを示し 逆に薩摩人は至って冷静に行動した 西南の役でも不利な戦況で振り返ると 薩摩人はいつの間にか居なくなってると肥後人が閉口した話しが残っている 冷静な思考と進退の速さが薩摩のウリであろう
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/01(水) 21:33:11 ID:wBLybeof
と鹿児島県民が申しておりまするw
>>287 やっぱりそうですよね。
私は福岡ですが、福岡でも同じようなものですよ。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/01(水) 22:05:13 ID:vaEB/gtk
薩摩人はさっさと逃げる話は何かで読んだけど それが冷静かどうかはまた別の話でしょ。 冷静なら西南の役とかはないと思うんだけど。。。
295 :
白馬青牛 :2006/11/01(水) 22:57:20 ID:UC8vV5R8
>>284 関東は
>>256 氏によると、ゲリラ戦が強いんじゃそうなけー、どがいな
理由で強いんか尋ねたんじゃが。騎射術も都から学んだもんじゃし、
信濃の騎馬文化が高句麗系の影響が強いとしても、信濃はモンゴルや
高句麗と違い牛車文化が無い。牧畜家畜飼育の形態に欠落部分があるよ。
だいたい、日本は、口取りと馬柄杓が必要な機動力の無い騎馬軍は、
戦闘の呈をなしとらんよ。人が馬に乗せられておるに過ぎんのに、
それらを無視して世界に通用せん東国騎馬文化を語る。
暴れ馬を乗るんはロデオぐらいじゃ。ちいたー(少しは)世界の
騎馬、家畜飼育文化を考察して意見せーや。
攻城や籠城戦要素の強いんは西日本云うことじゃ。東国武士は城を攻め
落とすんが強い?『川角太閤記』で秀吉は甲斐武田の城攻め下手を、
田舎者の兵法としとるんに。家康も上手い?大阪の陣で圧倒的多数の味方
をもって攻略したんが強いんか?真田氏の戦闘は、遊撃、籠城戦の要素等
西日本的であるが、真田氏と修験道の関わり、真田氏の幸隆や幸村の
山伏に変装したモチーフ。楠正成が畿内山岳民と関わりが深いよう、
真田氏も、山伏ネットワークで西日本的戦闘法を学んだかのう。
真田氏のルーツを海野氏か西からの流れ者か判断出来んが、
徳川氏の祖徳阿弥が賤民視された遊行僧であったように、
西日本の被差別民との関連の可能性も民俗学的考察から否定出来ん。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/01(水) 23:20:27 ID:+9DsSshV
>>295 どこから学ぼうが強さには何ら関係ないでしょう
同じ術を学んでも強弱の差はあるし
本家をしのぐ事は珍しくありません
何故信濃の騎馬武者だけ高句麗やモンゴルと比較するのか理解に苦しみます
まして国内戦なのに世界に通じるとか通じないとかが何の意味があるのか分かりません
攻城戦に限らず戦では兵を多く集められるならそれに越した事はありません
少数で無理に戦う事など無意味です
真田や徳川がどうとか自分で判断できないとか言ってる事を何の意味があって書いてるのですか?
まーまーみんな。 落ち着いて話し合おうよ。 丹波兵についてを。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/02(木) 00:16:18 ID:IJtz7Rbh
丹波といえば栗とノムさんだが、 結構強そうだw
299 :
白馬青牛 :2006/11/02(木) 00:19:48 ID:TNwz7Gsv
>>287 同じ広島県人でも、あの地区の人間は気にいらんとかありますしね。
市長選に立候補したサテライト・漫画道場氏は、やっぱり権威欲の強い
地域の出身で(全ての人達がそうでは無い。)糞生意気で横柄な
外道変節者じゃが、広島人の恥を全国にさらしあがるんわいのう。
中国(地方)板並みの批判となった。
わしゃは、選挙でしか批判出来んしのう。云うんはありますね。
郷土意識より出世欲の強い地方柄だけあるわい。安倍総理の
兄貴分格のN川syunjiさんの息子も、友人と云うだけで推薦するんは、
如何なもんか。政治的ローカルな話になってしもうた。
続いて、広島駅前の荒神市場あたりがスラム?闇市の頃からの雰囲気を
残す広島らしい街ですよ。あなたも荒神市場で買い物をしたことはあるで
しょう。まあ、駅前も洗練され過ぎたと思いますよ。
広島百貨は、西武が撤退し、大型デパート福屋になったし。でも本屋が
広うなったけー良かったか。昔松原町のあの辺は、一般住居から売春宿
まであった、レトロな街じゃったんですよ。喫茶ムシカの方、駅前東から
猿猴あたりは昔の雰囲気が残っとりますね。昔の広島の老人の人達は
郷土意識も強かったですし、他県人と違うと自負されるんは、広島が、
全国の兵が出征した地で、他地方兵と比較して我々広島人は日本でも
特別なと云う自負でしょう。他県人には許されても、広島人が風の悪い
行動を取っちゃーいけん云うんがありますし。
丹波…哲郎? 丹波と言えば細川かな そして松永一族 で赤鬼 京に近いし応仁の乱以来ずっと戦乱が続いてきた 織田軍とは4年に渡って争う 光秀も苦戦したようだし強かったんじゃないか? よく知らんから適当な意見だがw
301 :
白馬青牛 :2006/11/02(木) 00:48:48 ID:TNwz7Gsv
>>296 本家をしのぐ?関東武士が?戦闘形態が、騎馬戦主体となっとったんか?
口取りや馬柄杓で馬に水を飲ませんと行動出来んのに?
世界と比較せんのは、東国流鎖国史観になって仕舞うよ。
日本の騎馬が優秀とするんは、日本のサッカーが世界屈指の実力を持つと
ホラ吹く様なもんじゃ。兵力動員と、また人海戦術好きの関東流か。
寡兵で多勢軍を相手に闘う事が無意味か?最初から成功例を否定しても
つまらん。兵士は、敵に対して必勝の精神で対峙する訳じゃし。
真田や徳川が自分で判断出来んことに意味があるか。と、つまらん事を
云うとるが、歴史は、文化人類学、民俗学、考古学考察を含め、
多面的に構築するもんじゃ。断定、判断まで出来んよ。
むしろわしに対する反論者が、強いと「言われた」と具体的戦闘実例を
云わず、妄想しとるんじゃないか。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/02(木) 01:18:53 ID:R/K6THnH
丹波といえば宮津 宮津といえば大江山 大江山といえば鬼伝説 だから弱くはなさそうだ
>>279 広島野球は時代遅れ、非力。大阪から集めてる広陵以外は。岡山>広島
表裏一体佐伯朝臣w
>頭庄屋罷免閉門、村役人交代制とあるんだが?幕末にも富裕層ら標的に一揆が起きてる。
>>280 cultが原理主義?合言葉「破門」で脅して門徒を戦に駆り立てる、いわば基地外集団といえる。
常陸の信徒が支えてた初期浄土真宗とはえらい違い。
ほいで…気に入らない専門家を叩く毎度のパターンw
>>301 京都のは江戸期の侍みたいに流派で縛られたような馬場武芸だってのw
律令軍団制を支えてた中央の軍事力も、東舎人に代表されるような東国の騎兵など。
畿内源氏の家人などは、武に堪能な東国兵から集めた形跡。
つまり東国から都に伝播してる。馬の産出量が違う。痩せ馬に乗った都の下級官人…。
去勢してないから馬丁が必要。そして全国共通。
>>295 だから〜 なんで「真田、諏訪、小笠原、望月」が関東のゲリラになるの?
>>256 も
>>278 氏も信州信濃って言ってるでしょ!
いったいどこに「関東のゲリラ」って書いてあるんだ?
305 :
白馬青牛 :2006/11/02(木) 03:16:47 ID:SdERLI4B
>>303 「日本史板」に、疫病が明治期じゃ云う、妄想を振り舞いとったが、
あんたあ、毎回馬鹿な事云うのう。野球じゃ関係無いことも並べて、
ご苦労様じゃ。浄土真宗が、禅宗や日蓮宗より権力との関係が、
一番薄かったし、関東で宗教改革の様な社会変革も無かった。
関東農奴民は、自治意識のない、権利意識もない、越後の奴隷売買
商人の謙信に売り飛ばされるぐらいじゃろう。
馬場武芸でも都に劣るロデオ関東武士か。まだ世界に通用せん騎兵じゃ
云うとる。関東の徴発された兵士は蝦夷より弱かったことが自慢なんか?
今日も世界的に通用せん、妄想オナニー東国鎖国史観全開じゃのう。
>>304 あんたが、信濃は関東じゃ無いと文化類型で語ればよいこと。
フォッサ・マグナ以東は文化類型で東日本に属すると考えとるが、
間違えと云えるんか?
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/02(木) 08:39:41 ID:67A+XWz/
牛さん。 まー言ってることは具体的で良いのだけケド、何故関東をそこまで敵視するの? 埼玉の女にでもフラレたんか?
フォッサ・マグナ以東は関東か・・・ すごいな関東文化圏
新潟ってどうなんだろ? 強そうな気もするけど・・・
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/02(木) 10:19:19 ID:0W/g0FT1
なんかいつも農奴とか言って得意になってるけど 現実問題として一番多くの披差別地区を有してしるのは中国地方じゃないか 全国の20%以上に当たる 正確に言うと中国地方と言うより広島に多い 現在でも400を越える披差別地区がある 都道府県別に見れば福岡に次いで全国二位になる 適当な事言って他地域にケチつけてる暇あるなら 地元の解放に協力でもした方がいいんじゃない?
山岳部とか局地の兵卒はどれも精強で大差ないと思うけどね。
どうして山地の人は強そうに見えるんだろう? 山地の人が仮に強いとしても、平地では強さを発揮できなかったりするんだろうか?
302さん。宮津は丹後じゃなかったっけ?大江山は丹波だけど。たぶん。丹波の赤鬼こと赤井(荻野)悪右衛門直正のいた黒井城の近くに住んでます。あと丹波で有名な人は…特攻隊の生みの親、大西滝治郎?中将かな。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/02(木) 14:47:26 ID:hDgQENMa
牛くんが都合良く無視した毛利の「苅田(=田畑を荒す)」戦法は、放火、乱取りに匹敵する戦場の狼藉です。兵糧攻めという名にかこつけた略奪です。 つまり人身売買をどうこう言える立場ではないほど毛利の戦法は卑怯だったって事です。 しかも大将自ら率先して雑兵にやらせるなんて酷いな。
>>312 村上水軍が大友に九州での奴隷の売買を認めないと脅されると
大友に従順になった経緯を知らないと見える。
九州でも島津北上時には凄い有様だったことも有名だし、何処も一緒。
それとも広島だけはなかったと言いたいのか?
盛大にアンカーミスw 312→305で
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/02(木) 16:30:39 ID:0W/g0FT1
それ以前に人身売買は古代から全国的にあったもので珍しい事ではない 弥生時代から生口や奴婢など奴隷と見られる存在が記されている 奈良時代の近江の記録(国司解文)では一人あたり稲千束で取引されたと記されている 又、日本記によると各地での略奪されて奴隷化された者達の記載があり 略奪されて奴隷化された安芸人数百名についての記録もある その後も人身売買の風習が続き、全時代を通して禁止令が出されていたが近代まで絶える事はなかった 戦国期に関しては人取りは軍略として各地で行われた 秀吉の九州での記録(九州御動座記)によれば 妻子までも売り払う者が居たと記されている 他に伴天連追放令の一項目に人身売買を禁じる旨が記されている事から 海外にまで売却するものが居た事が伺える
318 :
白馬青牛 :2006/11/02(木) 23:36:16 ID:zDySOv7I
>>306 関東を、とりわけ敵視しとらんよ。わしの先祖も関東武士系が多い故、
好んで批判しとる訳無いが、反東日本鎖国的史観の立場と列島東西
社会制度の違いから考察しとるだけじゃ。わしが、関東の女にフラれて、
楽しいんか。関東だけのことじゃのうて、わしゃは女にようフラれる。
>>307 わしゃは、東日本じゃ云うとる。
>>308 新潟は、東日本の中では強いんじゃないか。近代兵団でも、高田や新発田の
聯隊は、東日本屈指じゃないんか。広島と比較するとミジメになるが。
>>309 東日本農奴社会の庶民は、飢饉で喰われとる訳で、被差別民が存在する
キャパシティーすら無い憐れな社会じゃしのう。農奴社会は。
>>310-311 戊辰戦争で勇敢であった京都府下桑田郡の農民兵の「山国隊」もね。
甲府城を攻め、背後から甲陽鎮撫隊が襲って来ても屈せず、逆襲し
大勝利した。地の利が読める山国猟師の狩猟の延長の戦闘が、
幕府軍武士団を倒したね。山岳兵が勇猛であるが、海に接してない兵は、
進取に欠ける部分があり、海岸の砂浜で鍛える方が健脚に貢献する等、
様々な考察すべき要素はあるね。地域風土でも、平野の少ないピリッとした
隙の無い安芸兵と、山地も多いが、平野も広い間が抜けて、大雑把な
風土の東北地方の兵とは違うよ。
319 :
白馬青牛 :2006/11/03(金) 00:34:13 ID:lE03aBct
>>313-316 苅田戦は、平将門以来上杉、武田等、東日本の伝統じゃろう。放火、
乱取りそのものが、苅田戦の後におきる。
http://homepage.mac.com/takashisa/sengoku/sengoku.html この本は未だ読んでないが、東日本の民衆は憐れじゃ。
戦国民衆の視点で書かれた藤木氏も、東日本と九州の乱取りや人身売買の
例を多く書かれておられる。また、九州を除く西日本について、身代金に
よる人身売買は書いておられるが、それを持って全国的と解釈されとる
ように思う。毛利氏と武田氏の被官の扱いの違い、秀吉の拉致売買は、
「東国の習い」等、逆に地域差を現すもんじゃと思う。
弥生期のそれは、『東夷伝』の倭人生口。倭人は漢人の奴隷民じゃった。
日本記?は読んどらんけー、安芸人数百名の記録はどの項にあるんか、
提示して貰えんか?
苅田は、古代〜戦国期まであったが、近代以降も先の日華事変で、
日本軍、中国国民党軍もやっとったよ。憐れなんは、中国人民衆じゃ。
>>314 その資料は、手元に無いゆえ、確認出来んが、能島(あるいは来島?)の
水軍が大友氏の船や南蛮船を略奪した事じゃないんか。従順になったと
記されて無いと思うが。大友氏と三島水軍は交易相手で、水軍側が、
大友氏に朝貢した訳でもあるまいし。安芸でも労働力になる民衆拉致は
あったよ。じゃが、本場の東日本ほどでも無く、何処も一緒と云える
根拠も無い。武士団や村落の社会構成が違うゆえ、列島が同一に時代的
変化を辿ったとは云えんよ。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/03(金) 00:51:39 ID:ROv0C0EQ
新潟と広島比べてみじめになるわけがない
最近は牛さんがこのスレに必要だと思うようになってきたなw 意見には納得は出来ないんだが反証を出してきたり 明確な視点(一方方向だが)で語られてるのが小気味良い。 中国だけやなくてよその地域からもこう言う人がわらわらでてくると このスレは充実するな。
>>牛さん 関東での人取りも身代金や人質交換に根差すものですよ 秀吉は北条征伐以前に九州で度々人取りや人身売買の中止を命じている 無論豊臣の支配地域でも禁じた 「東国の習い」とは東国の特異性を示す意味ではない 藤木氏もその事に触れていますが 著書を読んでいるのならあなたも知っているはずなのに随分とセコい言い回しをするのですね それと東日本が本場などと言っていますが どのような根拠に基づいているのでしょうか? 事例など提示して頂きたい あと、広島が全国トップクラスの被差別地区保有県である事に対する見解を頂いていないのですが? そして西へ行くほど差別社会が広がっているのがほぼ定説になっていると見受けられる 現在も被差別人口の約80%は西日本に集中しています あなたの言う事は全く逆です これもどう言った理由によるものなのですか?
>>牛 >>苅田戦は、平将門以来上杉、武田等、東日本の伝統じゃろう。放火、 乱取りそのものが、苅田戦の後におきる。 苅田が東日本の伝統という根拠は?苅田は毛利の功城の戦法として小早川隆景 がはっきり記しています。全国的には、苅田は武士に付き従ってきた下人が行う 卑怯な行為で、大将自ら放火、苅田、乱取りを禁止する布告を出して厳しく取 り締まります。 しかし毛利は自家の攻城の戦法として苅田を記しています。つまり下人のやる卑怯な 所業を公認し、大将自ら指示して行っているということです。安芸兵は上から下まで 下人並みのモラルしかなかったということですね。 上杉、武田等〜と言うのなら、上杉、武田が苅田を正式な戦法として記している文書 を示してください。陰徳太平記並みのじゃ困りますよ。毛利は小早川隆景並みの武将が 悪気もなく記しているんですから。 気まずくなると起源説に逃げる牛も下人並みに卑怯ですね。まあ安芸の伝統なのでしょうが。 あと「放火、乱取りが苅田戦の後におきる」とは初耳です。もしそうだというソースを持っている のなら、放火、乱取りの引き金になる苅田は本当に卑怯な戦法ですね。
つまり東日本の伝統を安芸兵が学んだと言う事だろ
安芸の話はもう飽きた
326 :
白馬青牛 :2006/11/04(土) 00:26:07 ID:JgBgd6cm
>>320 実際日華事変でも、安芸兵の活躍に較べて、越後兵はミジメじゃった。
>>322 関東での人身売買が身代金変換もあったかも知れんが、東国農本主義では、
労働力確保の意味あいが強いんじゃないですか。人身売買を法で禁止
しても、人間と云うもんは、悪知恵が働くもんで、労働力を売り買いする
口入業者に転向すりゃええことです。
「東国の習い」は、藤木氏の云われる時代的なものじゃのうて、藤木氏は
民俗学的列島地域の社会構成も考慮せず、戦国大名なら、上杉・武田・島津
等、特定地域を例に偏って書いておられる。蛮行は近畿の松永の例も
あるが。毛利氏については、資料不足か、事例に乏しいんかのう?
リベラル派の藤木氏は、共産主義的な文献実証、社会段階論で書かれ、
民俗学的考察、フィールド・ワークに欠ける。
http://www2.aasa.ac.jp/people/kanare/1602.htm 最初の文に宮本常一氏の教えで「あるく・みる・きく」とあるが、
重要なこと。文献を漁るだけじゃあ、一語一句を額面通り捉える
カルト宗教になるよ。人間的経験がないと歴史資料はよう扱えんね。
最後のほうの文に、「東日本は有力な家を中心にそこに隷属する人たちで
構成されていた社会だ。これに対し西日本は、ほぼ同じ力を持った人々が
連携することで形つくられた社会を特徴としている。」東西日本の
社会構造を知らんもんが文献で妄想しても意味がないよ。
西国で刈田が行われていなければ、 長曾我部元親が伊予かどっかに攻め込んだとき、 刈田で全部刈るのは可哀想だから、半分は残しておいてやれ、って命令を出して 伊予の民衆からなんて慈悲深い殿様だ、と好感触を得た話はどうなるんだ?w 西国、少なくとも四国では刈田が普通に行われていたからこそ、この逸話があるんだろ。 牛、恣意的な情報の取捨選択は、恥ずべき行為だと認識しているか?
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/04(土) 01:43:58 ID:zE5voFjB
>>326 戦国時代の話をしてるんじゃないのか?
板違い
329 :
白馬青牛 :2006/11/04(土) 02:04:23 ID:JgBgd6cm
>>322 被差別部落のことを云われるが、被差別民も中世は、隷属した農奴で無く
自由民ですよ。傀儡子も「自ら進んで彷浪し、王公が居ることも知らず、
傍らに村長がいても怕(おそれ)たりせず、課役税金がかからず
自由を楽しむ。」
東国の江戸政権も、被差別民を縛り固定化した側面も強い。
あなたは、近代的解釈で被差別民を見る共産主義史観で解釈しておられる。
>>323 毛利氏の苅田戦の記述は何処からの引用か?蛮行の代表上杉・武田・島津に
ついて記されたものは多いが、毛利氏ものは知られとらんので、引用した
文書を提示せいや。
苅田を攻める側がだけがやった訳でも無い。戊辰戦争の時でも、
奥羽連合軍が退却する際、民家に放火し捨石にして逃げとるよ。
日華事変でも中国国民党軍も退却する際は同じく。
http://home.n00.itscom.net/hasegawa/tagami/gomado.htm 資料の信憑性は検討せんといけんが、1に奥州の者による人妻を含む
女性の略奪、7に上杉景勝が空気を入れた一揆勢が、苅田をやっとるのう。
苅田、略奪が身近であった故の事じゃろう。
ほいじゃが、わりゃは「卑怯」じゃ、人に対して絶対使うたらいけん
言葉じゃに、平気で使う神経は、ほんま糞外道じゃわい。われの地元じゃ
「卑怯」云う言葉が軽い言葉なんじゃのう。
>>327 土佐の例でもって西日本では普通とは云えんよ。西日本でも、
朝鮮の役で、略奪した薩摩と慰撫した隆景さんら安芸人を一緒に
されてものう。苅田も根こそぎ収奪する場合と次回の略奪、侵攻や兵站の
確保の為残す場合がある。人の情報がどうじゃ、こうじゃ云う前に、
わりゃ何処の文書から引用したんか?云えーや。
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/04(土) 02:15:43 ID:zE5voFjB
結局、広島が一番といいたいわけ? あなたのせいでスレがものすごく殺伐としているから どこかよそでやってほしいのですが
安芸国守護武田家って甲斐武田の分家だろ、というか一時兼任だったかな。 もともと甲斐国の影響下では?
>>330 同感です。
もうウンザリしてきました。
そんなに広島自慢したいなら、自分のHPでやったらいいんですよ。
周りに迷惑ですよ。
誰もありがたがってないです。
廣島・もみじ民 :2006/10/14(土) 02:01:15 ID:Trs+O0oK0
>>418 わしゃは、アンチ東国、アンチ縄文文明、アンチ江南派、じゃけど。
ベッキー(翁)さんにもアンチじゃのう。
アンチ東国だから、仕方ないじゃけぇのう
関東アンチが目的なら他に行け。 他スレの書き込みも見ると、どうやらそれが目的のようだが。
広島第五師団はシンガポールで華人処断の名のもとに虐殺をやらかした帝國陸軍最狂のDQN師団
みんなもNG登録しろよ
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/04(土) 23:54:29 ID:EOv1NuUI
それで、京都って弱そうな気がするけど、どうなんだ?
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 00:32:07 ID:FqBJ1/H9
京都たって山城やら色々あるからなぁ。
山城だって木津あたり国一揆の連中と洛中じゃ全然別物っぽいしなぁ
牛が無理矢理に京都擁護するよ。
342 :
白馬青牛 :2006/11/05(日) 00:47:45 ID:Cgv1uTr9
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 00:50:00 ID:B6dZeiW5
アホやこいつら〜夜中んなっても戦国武将の話しとる〜 発作か〜! 死んだちょんまげのおっさんどもの話でなんでこんな盛り上がるねん〜! 友達おらんのか〜! 爆笑じゃ〜!
思っただけで、そこまで言われるのはひどい気がする 別に討論する気はないのですが、あなたが荒らしというのなら そのレスはよくわかる
いや、腐っても鯛は鯛だから全国から一流武人を集めるくらいの事はできた。 洛中でも兵卒なら技術的にはひけは取らないレベルだったと思う。 北面や北嶺には精鋭部隊はいただろう。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 01:00:09 ID:fIE85erh
三河は、今川時代からの搾取と忍耐で団結力がある。 越後は、謙信の統制が厳しくて強い軍団が出来た。 甲斐は軍法による組織力ある。 土佐は一領具足で野生の強さがある。
なるほど。 山城はあまり雑兵というものが少ないように思ってた
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 01:03:15 ID:B6dZeiW5
アホやこいつら〜まだ寝んと戦国武将の話しとる〜 発作か〜! 死んだちょんまげのおっさんどもの話でなんでこんな盛り上がるねん〜! 友達おらんのか〜! 爆笑じゃ〜!
>>342 あ、ごめんまちがえた。
「甲斐武田家の影響下では?」ではなく「甲斐武田家の植民地では?」です。
失礼すますた。
>>345 全国から集めた武人を京洛の兵卒と呼んでしまうのはどうなんだ?
やっぱり、兵卒は他地域から見たら少ないんでしょうか?
352 :
白馬青牛 :2006/11/05(日) 01:48:05 ID:FWmpozPq
>>346 搾取による忍耐や統制、軍法による組織力、野生で強い軍隊が出来るんか?
妄想笑い話をしとるんか。圧制が兵隊を強うするんなら、兵士を退却
出来んよう鎖で繋いだらええじゃろう。中国国民党軍やソ連軍のように
専制体質の軍隊のように。笑い話が好きじゃのう。
>>349 安芸が武田の殖民地と云う表現も可笑しい。安芸は社会構成が
西日本型じゃ。安芸国人領主も、東日本系が多いが、国人連合も
傘連判状のように、横関係で、東日本の縦型主従社会とは違う。
ルーツを云うんなら武田氏も祖の義光は近畿系じゃし、形質人類学的にも
東日本の在来低顔、エラの張った四角顔の縄文系は、西日本や渡来系の
高顔の北方新モンゴロイドに人種的にも征服されとるよ。
え?縄文人は、西日本や渡来系に征服されたんでつか?初耳です。 幕末のコロリやアメリカネイティブみたいに海外渡来人からの伝染病で激減し したのだと思ってましたよ。 あと武田氏は普通に甲斐と安芸の守護職だし・・・人類学的ルーツ論じゃないでしょ。
>>352 友達もなく、話し相手もいないあなたは、
ここでしか話しができないかわいそうな人です。
ニートで劣等感にあふれたあなたは、
広島の自慢をすることで自我を維持しているかわいそうな人です。
以上、私のプロファイリングでしたw
リアルじゃ誰も相手にしたくないだろあんな奴w
>>牛 会話というか、コミュニケーションは 相手の意見を理解しようとすると共に、自分の意見を相手に聞いて貰えるように努力すること。 地方でならいざしらず、地方という枠のないネットで、 権利だ自由だとか言いながら改めない奴に、会話が成立する余地はないよ。 ふと方言が出てしまうならご愛敬だが、あなたのは嫌がらせ。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 03:37:07 ID:fEydiqk2
上杉謙信>織田信長>武田・毛利>北条 ・手取川の合戦で上杉勝利 ・長篠の戦で織田勝利 ・三増峠の戦いで武田勝利 戦国最強の越後軍団
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/05(日) 08:10:49 ID:z4GDL8Rz
うわ〜 で〜た〜短絡的極論。 待ってました でも嫌いじゃないなこういうの。 牛さん! これだよ!! ツッ込み所満載の発言に根拠を持って楽しく検証してあげる。 と言う訳で誰か↑↑ヨロシク
もうすっかり狂牛をいじるスレと化したな
>>352 の白馬青牛さん江
どこか頭でも打ちましたか?
本当に統制や軍法による組織力、忍耐や野生味という兵卒の強さの無い武装集団が強いとでも思うのでしょうか?
義勇兵や一揆勢でも一個の兵卒に気構えや搾取に対する忍耐や恨みがあるからこそ強いのだと自分は思います。
それこそ兵士を退却出来ないよう鎖で繋ぐようでは強い軍隊はできないでしょう。
他人の意見を良く聞きましょう。
その上でもう少しオブラートに包んで意見してみては如何ですか?
関東を悪意満々でけなしておいて、自分が痛いところをつかれたら卑怯と言うな、って・・www これじゃあ誰も相手できないと思うぞ。 ↑のような呼びかけは、もう何回もしてるのにな。
いっそ広島民国で独立すれば?
363 :
白馬青牛 :2006/11/06(月) 02:26:10 ID:PA8DAf5r
>>353 日本本土の縄文人は、渡来系に人種的に征服されとるよ。
伝染病は、弥生後期の青谷上寺地遺跡の人骨に見られるが、
古墳時代に多いゆえ、土着民が人口を減らした可能性は否定せんよ。
社会構造を無視し、守護職じゃ云うても意味がない。
>>356 何、人につまらん説教しとるんか。人に努力せいじゃ、自分の意見と
合わんもんは会話の成立する余地はないじゃ、拒絶しとるんはあんたの
方で。嫌がらせしとるんは誰なら。
>>357 妄想全開の鈍重越後君じゃのう。
>>360 あんたの、忍耐、野生味云うんは抽象的で推測に過ぎんよ。兵卒の強さは
訓練、連帯感、戦闘知力の要素が強い。
まあ、搾取に対する忍耐は、無批判な恭順性となり、恨みは、より弱い方へ
向けられる。兵士を精神的に鎖で繋げて逃げれんようにしたんが、
旧国軍の欠点じゃった。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 02:57:08 ID:X3IdKctA
牛乙! (=゚ω゚) ノ >社会構造を無視し、守護職じゃ云うても意味がない。 おいおい、ムチャ言うなよw社会構造で守護職を決める訳じゃないんだから。 >兵士を精神的に鎖で繋げて逃げれんようにしたんが、旧国軍の欠点じゃった つーか脱走兵は普通に銃殺じゃんw 戦争中ですよ。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 03:06:33 ID:TqTWqJjQ
牛よ、人の意見にケチつけてばっかいないで自分の主張してみたら?
>>357 だってちゃんとした主張なんだから。ケチつけるんならアンタはどう
思ってんだよ
366 :
白馬青牛 :2006/11/06(月) 03:11:24 ID:PA8DAf5r
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 04:00:52 ID:F88dH/q0
なんで日本の戦国時代の話に、支那の八路軍が出てくるのかねえ?
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 08:36:09 ID:nGg0aGM6
つまり結論は、旧石器時代から明治まで広島人は特に歴史上で活躍する事無く、日露戦争くらいからボチボチ活躍しだして、太平洋戦争を頑張ったと(^.^)b そして何故か中国共産党と仲良しこよしと言いたいのか… なら納得
それで、一番強いではなくて強め、弱めで考えると… 地方は強め、 畿内とか駿河とか都チックなところは弱め と見た
人格批判や考察抜きの煽り入れてる奴なんなの? スルー耐性ないな あぼーんにして自分らは自分らで語れないないのか? おまえらの煽りしか見れないぞ、全く。
で、やっぱり地方というか田舎の人は強いと思うんだわ
なんだ。出稼ぎの中国人だったんだ。 じゃ、これからスルーだな。
あと強い、と言うのも特化したものが有ればこそ。 瀬戸内なら海にたけ、関東なら騎馬、の様な具合に。 長短を考えないで、一元的に強い弱いを論じるのはどうかと。
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 21:00:30 ID:F02AyZBG
>>352 お前は馬鹿か?強い軍隊が出来るかどうかは、大名の指導力次第だ。
地域別の条件を生かすかどうかだよ。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/06(月) 22:47:28 ID:/kMBDnVu
戦前の日本の軍隊において、徴兵した兵卒の質を出身都道府県別に査定してみた記録によると、 全体レベルとしてもっともすぐれて精悍だったのは佐賀県からの兵士だったとか聞く。
377 :
白馬青牛 :2006/11/07(火) 00:13:31 ID:+yr1SaDx
>>367-368 戦国時代と近代の日本兵、郷土兵士の性格に相違性があるんか?
朝鮮の役でも兵站を無視し、補給に苦しみんだ事は日本陸軍もそうじゃし、
石田光成らと昭和の参謀、上層部も類似しとるんじゃないか。
http://world-reader.ne.jp/renasci/history/okazaki-060922.html に、地理、地形、風土を無視し、『机上の作戦を立てても現地では通用
しないのである。東条は陸軍大学での作戦の攻防の授業の延長のように
考えて指令するのが好きなのだ。東条は「戦争ゲーム」をしていた。』
「戦争ゲーム」と云うんは、八路軍の少年兵の実戦のそれとは違い、
日本の上層部は、机上の妄想で作戦を立てた訳じゃ。
上の方に、第5師団が『「広島鯉兵団」と呼ばれ、日本一の機甲兵団として
最強を誇った。』と出ておるが、歴戦・武勲から当然の事。現在のプロ野球
の「広島鯉兵団」(カープ)は、残念ながらさえんのう。
>>145 や
>>146 の朝鮮の役でも安芸勢は奮闘しとるし、日清戦争にしても、
緒戦から闘うとるど。中共の政治体制を誉めたことは無い。チベット侵攻に
しても。権力が出来るまでの八路軍は興味深いが。
ここは戦国時代板、おk? 日本近代史じゃないから、よろしく。 しつこいとそれ相応の対応とらせてもらいますので その話題にふさわしいところが他にあると思いますよ。 すみわけたほうがお互いにとってメリットがあると思いますが
379 :
白馬青牛 :2006/11/07(火) 00:41:05 ID:+yr1SaDx
>>369 近畿や駿河も弱いこたーないど。駿河・伊豆の壮丁で構成された
静岡聯隊は、歴戦の名古屋師団の中でも随一の精強じゃった。
二番目に三河の豊橋聯隊ぐらいじゃろう。静岡聯隊は、フォッサ・
マグナ以東の地域で一番強いかも知れん。安芸吉川氏もルーツは駿河で、
駿河時代から吉香は勇猛じゃった。それと安芸天野氏のルーツは伊豆。
駿河・伊豆は、山地が多い地帯でありながら海の進取性を持ち合わせた
優秀な兵士を生む。
>>373 瀬戸内の水軍も小型船戦法で大陸の水軍に対抗出来んし、関東の騎馬技術の
拙劣さも再三書いとるよ。世界に通用せん水軍や騎馬を自慢しても、
日本の恥になるだけじゃ。
>>374 強い軍隊が出来るかどうかは大名の指導力次第?兵隊を将棋の駒ぐらいに
考えとるあんたが、指揮しても失態するんがオチじゃ。上層部に無能な
人間が多いんは、戦国期も近代も変わらん。朝鮮の役でも明らかじゃ。
朝鮮の役か 朝鮮で奮闘という言葉がもっともふさわしいのはまあ泗川の島津勢だな 名島30万石の小早川隆景も碧蹄館や晋州城攻略で活躍してるな あとは黒田・小西・細川・立花・宇喜多・加藤清正あたりか で、毛利輝元以下3万は慶尚道で何をやってたんだっけ?誰かおせーて
381 :
白馬青牛 :2006/11/07(火) 01:01:22 ID:+yr1SaDx
>>375 徴兵した兵卒の質を出身地別に査定?何時、誰が、どのような査定を
したんか。また九州のハッタリ癖か。マレー戦で、脇役の
久留米第18師団が主役の広島第5師団に対しての嫉妬かいの。
>>378 歴史で、その該当時代を考察するには、過去や近現代の事例も考慮せんと、
全体像が構築出来んのは当たり前のことじゃないか。
しつこいとそれ相応の対応をとらせてもらいますじゃ?
わりゃは、人を恐喝しとるんか。柄が悪りいのう。メリットじゃ利害
なんぞ余計な世話じゃ。わりゃは、押し付けがましゅう人に強制すなや。
ほんま、あつかましい人間じゃわい。
わりゃ
そろそろ本気でそれ相応の対応を取ろうぜ。
わりゃ(笑)
385 :
白馬青牛 :2006/11/07(火) 01:21:33 ID:+yr1SaDx
>>380 泗川の戦いのう。島津勢の犠牲者が少ないんは、激闘じゃなかった
云うことじゃ。碧蹄館は、朝鮮の役の最大の決戦で平壌方面から
敗走した日本軍の死中に活を求めた戦さであり、較べようがない。
前線で苦闘した部隊と島津のように、高麗人カクセイ狩りを
やっとった部隊と一緒にされてものう。
毛利軍は蔚山で加藤を救援し共に籠城戦にしとったよ。
吉川勢の明軍を敗走させた功績も光る。
島津は、小国の琉球相手にてこずっておるが、得意のハッタリが
効かんかったんかのう。
なるほど、死傷率が低いと激闘ではなかった、という事ですか。 つまり、ザマでローマ側の死傷率が低かったのは激闘でなかったから、と言うことですね?
>>385 の白馬青牛さん江
死傷率の度合いで激闘か否かという判断をしてるようですが
泗川の戦い
・戦力
島津軍:7千 明・朝鮮連合(董一元)軍:三万七千〜二〇万
・死傷
島津軍:二百以下 明・朝鮮連合(董一元)軍:三万八千七百十七〜八万
連合軍の戦力を話半分としても損害は最小で一九.四パーセント。
最大で四〇パーセントと、連合軍は多大な損害を受けています。
「三〇パーセント消耗の原則」を用いますと連合軍は『全滅』しています。
最小の一九.四パーセントでも「二〇パーセント消耗の原則」がほぼ当てはまり、正常に機能しないことになります。
これだけの戦果を挙げた戦いが激闘ではないとは考え難いと思います。
しょうがないよ。毛利得意の苅田狼藉戦法じゃ無用な死人がたくさんでるからね。 ちなみに無辜の民を巻き込んだ「戦闘による」死人じゃないけどね。 しかも「碧蹄館の戦い」って小早川隆景が薩摩得意の釣り野伏せ戦術を駆使して 勝った戦いだろ。明軍に突撃して壊乱させたのは立花宗茂だしな。
関ヶ原で1500人が壊滅後、薩摩大隈2国になった島津が10日かけて琉球制圧して→苦戦となると 安芸兵には2日くらいで陥としてもらわないとな。苅田狼藉戦法でw
安芸人が粘り強いと言う事は証明されてるなw この数相手に連日よくやる。
まあ、牛君のハッタリはツッコミ所満載だから結構楽しんでいるよw もちろん都合の悪い所はスルーされてしまうので少し寂しいがw
まあ、あれだけ書き込んでも誰も安芸兵が強いと思われてない所が哀愁が漂ってイイんだよ ところでヤクザと武芸と総理大臣とカカア天下の国上州はどうよ。
継続は力なりというが曲がりなりにも認知というか受け入れられつつあるなw 確かに俺自身牛さんが書き込んでないと寂しかったりするからな 名物牛。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/07(火) 23:00:39 ID:j3mXzUXe
毛利は関ケ原も大阪も不戦敗の為に強さ測定不能。 強いかもしれんがヘタレと言うことで
第五師団も太平洋戦争の初期のアメリカとあたる以前では活躍できたが 後期になると空気的存在感で気づいたらソ連に降伏したりしたあたり、通ずるものがあるな
やはり島津でせう。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 00:41:57 ID:bh2Qc/ks
島津なら立花の方が戦国的には強い希ガス。
399 :
白馬青牛 :2006/11/08(水) 00:53:37 ID:yXA4zSMv
>>387 明・朝鮮8万死傷は、島津氏が高野山の供養石碑に8万人を討ち取った
云うんが根拠か?死傷者も戦闘員だけじゃのうて、「男女生子迄も残らず
撫で斬り致し鼻をそぎ其日々塩に致す」と民衆男女や赤ん坊まで含む数と
追撃で逃げる敵を多数殺したとしても、死傷者数は上増し数じゃろう。
じゃが、島津と明の関係は疑問点も多い。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/003/re_003_040326.htm 「鼻切り島津軍の蹂躙好きは兎も角、島津は明と内通しとった疑惑がある。
義弘氏が、明より豊臣政権に尽くす意思を持っておったように書いてあるが、
義弘は、秀吉に対し抗戦論者じゃなかったか。島津は、文禄の役で遅れて、
来るし、肥後にもちょっかいを出し、肥後侵攻意欲もあったろう。
薩摩人は、頭がええし、利に聡い商売上手。幕末でも昨日は会津、今日は
長州じゃ。平気で裏切る腰の軽さがある。南九州でも隣国の肥後や
特に日向の方が余程純心で、薩摩は商人気質じゃろう。越後商人、
甲州商人も名高いが、人身売買蹂躙三大王国は、商人気質が強いのう。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 01:20:56 ID:ajsmx7+m
ドン五里仙台人ですが、私自身逃げ足の速さには自信があります
401 :
白馬青牛 :2006/11/08(水) 01:25:05 ID:yXA4zSMv
おいおい。微妙に話をずらしてないか? 鼻削ぎ落としは首級の代替だろ?それを言ったら戦国時代の武士は全員罪人。 現代の倫理で過去の歴史を裁くのは考察でも何でもないぞ。 で、島津の疑惑を言う前に小西と明軍が共謀して、お互いに敵を討ち取った数を 本国にうまく報告したいから朝鮮人の死体を送りあったことも言うべきだな。 牛はまともに反論できないもんだから悪意に満ちた工作活動に忙しいなw
そこのトップページに思い切り坂東平氏の子孫たちの興亡て書いてるのがセツナス しかし牛のもってくるソースは陰徳太平記や通航一覧やらゴミ売やら説得力がありすぎて悶えるぜ >第六軍が小早川隆景、毛利秀包、立花宗茂、高橋直次、筑紫広門ら筑前の大名で編成され、一万五千の軍勢で渡海した。 >第六軍は釜山に上陸すると、全羅道を漢城に向けて進軍した。しかし、平壌まで戦線を拡げていた小西行長が明の大軍に >大敗を喫し、在陣奉行として渡海していた石田三成は、朝鮮半島の戦線が拡大しすぎていることを懸念、軍勢をいったん >漢城に召集した。文禄2(1593)年正月26日、漢城に集まっていた日本軍三万と李如松らが率いる明軍二十万が漢城 >郊外の碧蹄館において合戦し、大勝した。しかし、この合戦で得たものは何もなく、急速に和睦の話が進んだのである そのページによると碧蹄館では筑前兵卒が一番活躍したと書いてあるな。
>>402 捏造乙。碧蹄館の戦いの後に石田三成が立花宗茂に向かって行った言葉は知らないのか?
「今度当国在陣中、度々の御働は申に及ばず、中にも碧蹄館の先陣、抜群の御手柄なり、、、」
立花軍は緒戦で明軍を破ってる。常識です。
あと小早川隆景の書いた「永禄伝記」知らねーの?攻城戦で苅田が出てくるぜww
>>401 ざっと見てとりあえず5箇所くらい突っ込みたくなったw
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/08(水) 03:53:00 ID:bh2Qc/ks
牛乙! (=゚ω゚) ノ さあ遊ぼうか。
「立花宗茂」
碧蹄館の戦いでは、小早川隆景が「立花家の3千は他家の1万に匹敵する」と評するほどの
獅子奮迅の活躍により、鉄砲の速射や、奇襲戦を活用し、数を誇る明軍を撃破し、
多大な戦功を上げ、秀吉から感状を拝領した。
更に慶長の役の蔚山での戦いでは、明軍の十重十二重の包囲を受け加藤清正が
窮地に陥っていることを知ると、宗茂はわずか500の兵を率いて夜襲を行い、
明軍の包囲網を突破し、加藤清正を救出した。
加藤清正をして「日本軍第一の勇将」と絶賛させた見事な戦いぶりであった。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82 カッコ良すぎだぜ立花宗茂。なあ牛。
>>407 おいおい、牛は損傷率が高くなければ勇戦したと認めない奴なんだぜ?
立花宗茂が味方の損傷率を抑えて戦っていたら、
牛にしてみれば虐殺に他ならないんだよ?
まあ、世間ではそれを名将と呼ぶんだが。
盛 り 上 が っ て 参 っ た
牛のソース読んだけど、小早川秀包って見事な負けっぷりじゃね? うまく体裁整えて書いてあるけどさ。捏造してまであたかも立花が惨敗したせいにして。 で、牛はそろそろ近代戦を出してくるのかな?ここは戦国板ですよ。
おまいら牛すきなw 牛乙 牛に聞きたいが安芸以外の名将って誰がおるん?
なあ、そろそろ 牛 迷 言 集 を編纂しないか?w
700くらいいってからでいいんじゃないかw
415 :
白馬青牛 :2006/11/08(水) 22:11:20 ID:j7Er9lyX
>>402 現代の論理で、歴史を裁いとるんはマルクス共産主義史観による時代発展の
段階説で考察し、地域別に考察しとらん、あんたの方じゃ。戦闘を知らん
安国寺恵瓊さんも朝鮮の民慰撫派じゃったが、他地域はどうかのう。
小西も島津と同じく撤退交渉しとるし、越後人の坂口安吾氏も、小西行長と
沈惟敬の文禄の役の和議(商談)について書いておられる。さすが、
越後商人と云える洞察力で作家ながら、坂口氏の見解は感心させられる。
悪口を云われた仙台人は、坂口氏をボロクソに、けなすであろうが。
>>403-404 坂東平氏と起源論か。坂東の人種的に渡来系や近畿系に征服されたん
じゃし。筑前の大名云うても、
>>401 の桂、内海、粟屋、白井諸氏は
安芸の武将じゃ。今日も、立花の九州ハッタリ文書で喇叭を吹いとるのう。
それは後として、「永禄伝記」のどの項から引用したんか具体的に書け。
戦国武将にさん付けってなんか新鮮だなw 織田信長さん 羽柴秀吉さん
でも小西行長は呼び捨て。
418 :
白馬青牛 :2006/11/08(水) 23:07:59 ID:j7Er9lyX
>>407 九州立花ハッタリ物語が根拠か。秀吉からの個人感状が珍しいんか。
http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/iwami1.htm に、石見の吉見広行さんが、蔚山籠城戦での奮戦で感状を得たことが
出とるが、激戦の将士に感状は当然の事。小早川秀包さんは、碧蹄館の
功績で、5万5千石(実質7万5千石)の加増となったが、
義兄弟の立花宗茂さんは、対島津戦の功で13万石。ほいで碧蹄館の
功績が多いと云うんならどのくらい石高が加増されたんか?調べた処、
見当たらんので、是非加増石高を提示して貰いたい。
蔚山の話は、軍令に従がわず独断で蔚山の加藤を救援した吉川広家さんの
功績に、清正さんが、馬印を送った話のパクリか?蔚山攻防に背後から
明軍を襲い打撃を与えたんは、毛利秀元さんじゃし。蔚山の宗茂さんの功績
もハッタリなんかのう?兎も角九州の資料を検討する時は、白髪三千丈
が多いんで注意が必要じゃ。近代でも、『熊本兵団戦史』に第二次長沙作戦
の敗北の記述が無く、元熊本58Dの川崎春彦氏の58Dの犠牲が多かった
衡陽攻略を書いておられん。広島の『第十一聯隊史』が都合の悪い華僑
粛清を書き、その他の郷土資料でも宜昌作戦の敵性部落への放火や、
上官の命令で捕虜を殺害したことも素直に書いてあるし、中共側や国府軍側
の中国、台湾の資料と我が軍の見解等、広い視点で記述してあるんは、
郷土の誇りじゃ。深い考察も無い、薄っぺらなwikiを挙げても意味が
無いよのう。九州の隠蔽虚勢資料を引用しとるんじゃろう。
牛はどんな文献から引用しているのか挙げろ 話はそれからだ
ソース1:陰徳太平記 ソース2;そこらへんの都合のいいことがかいてあるサイト 以上
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 00:09:11 ID:3omrUn6c
まぁぶっちゃけ牛はすごいよな。 なんだぁかんだぁ良いながら誰かにかまってもらえてるし。 牛の人気に嫉妬w
>>415 >>402 をよく読め。「論理」じゃなくて「倫理」だ。狭い了見でしかものを考えないから
目が効かなくなったか?www
で、安国寺恵瓊を「さん」付けするほど敬愛しているようだが小早川隆景の遺言三か条を
知らないようだな。
「其二に曰く、安国寺と曰ふ僧は勝れて利口の大侫人なれば、人の国家をも覆すべき者なり、
彼が謀にくみし給はば、国歌を失ひ給ふべし、必ず愼みて彼に欺れ給ふべからず。」
まあ小早川は関東武士の流れを汲むから牛は嫌いなんだろ?
>>415 の後半は意味不明だ。負け惜しみか?見苦しいな。
碧蹄館の戦いの捏造も認めたら?反論するのに随分調べたんでしょ?
どの資料も立花宗茂戦功第一だったから苦しい言い訳か?
ちなみに
>>404 の石田三成の言葉は碧蹄館の戦いの宗茂の抜群の功績がすべて宇喜多
秀家の功に成ってしまったから三成自身が秀吉に口を利いて上げようと申し出て
る内容だ。立花宗茂は断ってるけどな。
自分の捏造と勉強不足を棚に上げて人にソース出せって言うのはマヌケだなww
423 :
白馬青牛 :2006/11/09(木) 00:37:59 ID:WGVlhGTS
>>418 蔚山城は何度か攻められてて、毛利秀元の蔚山救援は1597年12月から
98年1月の話で、立花宗茂は5月に救援してるんだがな。
郷土資料を全否定はしないが ある程度の確からしさしかないことは 頭に入れておいたほうがいい
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/09(木) 00:59:26 ID:uStWvvg4
牛乙! (=゚ω゚) ノ さあ今夜も遊ぼうか。
しかし最近、牛イジリがマイブームになっちまったなw
>>418 >広島の『第十一聯隊史』が都合の悪い華僑粛清を書き、その他の郷土資料でも
>宜昌作戦の敵性部落への放火や上官の命令で捕虜を殺害したことも素直に書いてある
これは素直に戦争犯罪じゃね?熊本兵団の作戦失敗や軍人同士の戦闘被害とは別次元の話。
刑事事件と軍事作戦は同列には語れない鴨。
んじゃ、また明日。(=゚ω゚)ノシ
牛語録 まとめ編 近現代の第五師団の功績→師団長・参謀の交代による影響は無視。誰が指揮しても広島県人は強い。 マレー攻以後の太平洋戦争の戦歴についてはスルー 戦国時代の毛利家の功績→兵卒の出身地(筑前・防長その他)は無視。大将・侍大将が安芸武士団ならどこの兵卒だろうと強い あと朝鮮の以降の毛利家のヘタレぷりもついでに無視 カープの戦績→残念ながら擁護しようが・・・
あ、そういや首の代わりに鼻を削ぐ場合はヒゲを少しくっつけておかないと 兵士の首とは認められない場合があったとか。 朝鮮の役ではどうだか知らないけどね。 んじゃ、お休み(=゚ω゚)ノシ
まあどっちに転んでも兵卒は九州兵という結論だな。悪かったな、牛。 釣り野伏せにひっかかった牛隊全滅
>>423 の白馬青牛さん江
「日置市伊集院町の歴史」を拝見しました。
追撃戦時の損害が二名のみというのは流石に信じられませんね。
もっと損害がでそうなものですが、
・戦闘可能な負傷者は損害には含まれてない。
・戦闘不可能な負傷者でも戦闘が終了した後に死ねば戦闘時の損害ではない。
これ位しなければ万単位の軍が戦って一方の損害が二百足らずというのは有り得ないと思います。
そう考えると連合軍の損害報告には戦闘不可能な負傷者が多数含まれているのかもしれませんね。
島津側の戦果を虚偽の報告や民間人で水増ししているとしても、連合軍側の損が報告のほうが四万以上も
数が多いのが気になりますね。
脱走兵と考えた方がいいのかも知れませんが、俄然数が多すぎます。
やはり島津側の報告には虚偽や水増しはそれほど無かったと考えた方が自然かと思われます。
>>423 の文はとても読みやすかったです。
無理にとは言いませんがこれからも願いしますね。
スレ住民にこう言う認め方をさせるコテもいるのか 力押しと言うか無骨者と言うか もはやみんな楽しんでるだろw
耕す土地の質
434 :
白馬青牛 :2006/11/09(木) 23:45:10 ID:hY+fIJVv
>>424-426 相変わらず、宗茂さんの功績による加増を提示せんのう。隆景さんや
清正さんが宗茂さんを誉めた話も胡散臭い。戦場での蛮行は、九州兵団の
独壇場じゃろう。慰安婦を連れとるのに強姦するは、このスレにも
書いたか。熊本第13聯隊輜重隊の○○○元伍長の記にも、戦闘で捕虜に
した少年兵を歩兵達が奪い取り、伍長の面前で刺殺した話がある。
伍長「それでも日本兵か。赤ん坊みたいな者を殺して気持ちいいのか、
無抵抗で降参した者を大勢で殺すのは卑怯だ。」
歩兵「第一線を知らぬ輜重隊が何をいうか。毎日毎日戦友が殺されてみろ。
口惜しくなるのが当然だ。仇を討つのがなぜ悪い、お前はチャン(支那兵)
の方が正しいというのか。」
伍長「俺はただ君達歩兵は日本の武士道と云うものを重んじているだろう
と思ったからなんだ。」
逆に云うと、九州の人でも、温情を持つ武士道を知る方もおられた云う
ことじゃけどね。
じゃが、北清事変(義和団事件)でも、世界に軍紀厳正を示した
広島第5師団を愚弄するとはのう。今村均将軍は、「南支攻略軍、
(久留米18D等)の占領した市街の多くは、広東をはじめ、市民が悉く
避難しているのに、仏山一帯(広島5D占領)は、日本軍と生活起居を
同じくしている。皆このようにあらねばならぬのに、正反対の状況を
呈しているものが多い。これは国軍の仁義にもとる、遺憾のきわみだ。」
「仁義」に厚い広島師団の戦闘は「仁義なき戦い」じゃないど。
伏字にする意味がわからん 牛も広島第5師団とやらを見習え
しかし広島第5師団とは凄いんだな 何でそこだけ突出して強いのかは疑問だが。
437 :
白馬青牛 :2006/11/10(金) 00:33:35 ID:BpinXvl+
>>427 辻政信参謀が作戦を立てた、山西省の戦い、特に忻口鎮では苦闘したよ。
山口第42聯隊は全滅状態まで追い込まれた。山口聯隊を指揮した
大場聯隊長も会津人じゃけー、非難の手紙が来たり苦労された。
辻さんはマレーでも机上の作戦を立て拙劣な立案に兵士は苦労したが、
前線将兵の奮闘で勝利した訳じゃし、師団の歴史にいつも名将に恵まれる
訳ない。また、名将の今村均将軍でさえ、南寧で敵に完全包囲された。
ほいじゃが、名将の条件は戦術より人徳の要素が強い。
マレー戦以後の浜田聯隊が宇都宮51D兵士に戦闘を教えたことも
書いとるよ。
>>401 に書いとるよう、朝鮮の役の小早川軍には、
安芸国賀茂、豊田郡備後も含む三原衆が多かったよ。兵隊も動員するんは
当然じゃ。三原衆は豊臣の養子の秀秋さんの代で、多くは安芸に戻るんじゃ
けどね。関ヶ原の安芸勢は、前線で戦うとらんし、云うても意味が無い。
牛は都合の悪いところはすべて無視するんだな。
>>434 >>相変わらず、宗茂さんの功績による加増を提示せんのう。隆景さんや
>>清正さんが宗茂さんを誉めた話も胡散臭い。戦場での蛮行は、九州兵団の
>>独壇場じゃろう。
話が全然繋がってねえw
加増が無いから功績を認めないってのも凄い論理だがw
440 :
白馬青牛 :2006/11/10(金) 01:25:26 ID:FhMnASQG
>>430 明側でも戦死者数は、勝った時も、負けた時も加算されるでしょう。
日華事変でもようある事です。明・朝鮮軍が泗川にどれだけ兵力を
投入したんか解りませんが、泗川に8〜20万とは考えられません。
http://www.h4.dion.ne.jp/~kosak/korea.htm に、よると、明・朝鮮連合軍は、4路に分かれ、中路軍と東路軍を合流で
3万6700で泗川の島津軍と戦い敗れたとされます。明軍も東路西路も
あり、中路の島津軍だけに大部分の兵力を投入することも出来んでしょう。
「鬼石曼子」と呼ばれたとありますが、近代の薩摩壮丁も含む、
熊本第6師団も「赤鬼」と呼ばれたようで、歴史的な因縁ですかね。
まあ中国人の云う鬼は亡霊や憎しみを持つ相手を表現する意味なので、
日本語の単純に勇敢なイメージとは違います。中国では、日本人を蔑視する
時には「小日本鬼子」と云います。戦前でも中国語の知識の無い兵士は、
鬼と云われ、我々日本兵が勇猛に思われとると喜んでおったそうです。
牛乙! (=゚ω゚) ノ 遅くなってごめんな、寂しかったろ。 ところで慶長の役でもやっぱ小早川秀包は加増されたんだろうね?どのくらいなのかな? 文禄の役の小早川隆景もやっぱ加増されたんだろうなー。 そういえば慶長の役で総大将小早川秀秋が敵中に斬り込み10以上の首級を挙げる大活躍 だったのに減封されちゃったね。 もともと『小早川家35万石は養子の秀包が受け継ぐはずだった』けど 羽柴秀俊(秀秋)が養嗣子となり、秀包は廃嫡、別家させている。これがて1591年だろ? (秀秋が養子となるのが1592年、家督を譲られるのは1595年頃だったか?) で、秀包が13万石に加増され独立大名となるのがこの頃だが・・・まあ、加増かねえw 立花宗茂はもともと筑後柳川13万石の直臣大名だし、本多忠勝の10万石とかと 比べてもこの辺が相場だったんだろうかね? もっとも小早川秀秋は最終的に51万石に加増されるからよほど精強だったんだね牛君! んじゃ、また明日。(=゚ω゚)ノシ
>>441 最近はおまえさんも来ないと淋しいよw
乙
牛、広島東洋カープの強さも挙げてくれ
>牛 加増恩賞主義の牛だったんだな。 まあ確かに碧蹄館の戦いでは立花宗茂の加増は0だね。その殆どが宇喜多の功績 になってるな。小早川秀包もな。 ちなみに立花宗茂が碧蹄館での早朝の緒戦で明軍と戦っているときは小早川軍は戦場 に到着さえしてなかったんだが・・・。宗茂が一度撃退した後にやってきて午後から の会戦には参加できた。 牛はその辺全部スルー?必死で話をそらすなよ。
>>440 の白馬青牛さん江
他所では三万八千の表記も見受けられましたが、大半が二〇万と表記しています。
上記のサイトでは総数が一〇万と少々数が少なく感じます。
また、「10倍以上の朝鮮軍を敗り〜」「李氏朝鮮と明の連合軍を退路が無く兵力差30倍〜」
と、表記しているサイトもあり、島津軍の兵力がどの程度だったのか気になりますね。
四千、7千、一万二千の表記を見つけましたが、仮に島津:連合軍の兵力差を一:一〇にすると
四千:四万、7千:七万、一万二千:一二万とかなり連合軍にばらつきが出ます。
流石に三〇倍は有り得ないと思いますので切り捨てますね。
両軍の報告から考えれば七千:七万ぐらいが妥当だと感じます。
損害報告を話半分と考えれば、また違った考えができるかもしれませんね。
446 :
白馬青牛 :2006/11/11(土) 01:40:12 ID:c2JVrA6E
>>441-444 加増云うても、関ヶ原の秀秋さんの背信加増まで同一視しとる。
秀秋さんの首級をあげた敵兵も戦闘員か非戦闘員か定かで無い。
慶長の役は、小早川勢より、毛利・吉川勢の奮闘じゃ。
隆景さんは、帰国後官位があがっとるし、秀包さんの加増を政治的な
もんじゃ云うとるが、隆景さんと別に所領を貰うとるし、他家から養子が
来ても、分家で10万石以下は普通じゃろう。秀包さんの武功が大きかった
と云えよう。
>>145 にあるよう、立花軍の偵察に出た斥候と明軍が遭遇し、
(斥侯・偵察以外が戦場に到着してないと云うんも笑わす。)
戦闘が始まり、(戦闘は机上の予測は出来ず、突然始まるのが常で
あるが、)結局、数に優る明軍に立花勢は後退する。秀包・元康・宗茂軍が
態勢を立て直し、側面攻撃で打開したんは、後のことで、その辺
全部スルーか?九州儒教朱子学的虚勢張りは、今日も健在じゃのう。
447 :
白馬青牛 :2006/11/11(土) 02:14:15 ID:8K0WXzhM
>>445 明軍全体の総数すら、20万あったかどうかも解りません。
中国人は遠い距離を万二千里と表現するように、自軍の数や戦闘でも、
被害が出た時(敵の被害に対しても)は表現を大きくします。
4路軍の中、東路軍の一部の兵力を加えても、10倍になるかは疑問です。
また、日本でも特に九州は、朱子学の影響が強いので、白髪三千丈的表現を
考慮する必要があります。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 02:25:06 ID:h4F677fq
攻撃は薩摩 粘りは越後 守りは信州 騎馬は甲斐 鉄砲は紀伊 水軍は安芸 団結は三河 意地は坂東 士気は加賀 気位は山城 自由は和泉 逃げは尾張 これで決まりじゃね?
自由とか意地とかどうやって比較するんだ? あと坂東って広すぎだろ
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 05:26:23 ID:ON88HeeZ
攻撃は越後で突撃が薩摩だな。 粘りは奥羽で蹴鞠は遠江。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 05:34:49 ID:dkL7UQNr
皆の衆乙! (=゚ω゚) ノ あ、牛君も乙。 >戦闘は机上の予測は出来ず、突然始まるのが常であるが その通り。だから先陣には最強の立花部隊が当てられたのだろうな 川中島もそうだが突発的な遭遇戦は全滅の可能性もある。未知の土地では特に危険。 「敵の伏兵を見抜く」と言われた宗茂の眼が必要だった。 ところで慶長の役でもやっぱ小早川秀包は軍功が有ったらしいね。どのくらい加増されたのかな? >448 兵卒レベルで言えば馬は信州ではなかろうか?馬牧が多いし
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 06:47:31 ID:ON88HeeZ
馬と鷹の名産地なら奥州だろうな。 確か伊達が織田に、駿馬や鷹なんかを送っている。 信長はその中でも、特に白鷹を気に入ったとか。
九州が朱子学の影響を強く受けてるって? ありねー
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 14:34:18 ID:YyZyHq8d
>>448 攻撃は薩摩…どうせ過大戦果だろ
粘りは越後…どうせ横田だろ
守りは信州…どうせ真田だろ
騎馬は甲斐…どうせ騎馬特性Sだからだろ
鉄砲は紀伊…どうせ鉄砲特性Sだからだろ
水軍は安芸…どうせ村上だろ
団結は三河…どうせ一揆>殿だろ
意地は坂東…どうせいざ鎌倉だろ
士気は加賀…どうせゲームで選ぶと本願寺だからだろ
気位は山城…どうせ将軍だろ
自由は和泉…どうせ商人だろ
逃げは尾張…どうせ多国籍軍だからだろ
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 15:13:56 ID:dkL7UQNr
>>455 どうせ無能なお前は、他人が上手くまとめてる事を嫉妬してるだけなんだろ
うどんは讃岐 餃子は下野
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 16:15:53 ID:YyZyHq8d
>>456 …どうせ肥儲なんだろ
どこがどう上手いのか説明してください
むしろ、ソースはどの資料なんですか?
武田さんは騎馬をそんなに運用していたんですか?
鈴木さんは織田さんより鉄砲を持っていたんですか?
坂東の意地って具体的に何なんですか?
織田さんは尾張兵しか使わなかったんですか?
あんな安易なレッテル貼りをして恥ずかしくないんですか?
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/11(土) 16:38:08 ID:dkL7UQNr
>>457 うどんは讃岐、採用
餃子は下野、採用
無能はID:YyZyHq8d、追加
正確にはスルー奨励IDがYyZyHq8d
戦国の馬は 関東>信濃>甲斐 だね。
>>458 ・貴方の批評よりよっぽど納得できますよ。
・まずは御自身で調べられては?
・武田騎馬軍団とまでいわれたのですから使ってないわけは無いと思いますが?
・大量に鉄砲を持っていればいいというわけでは無いでしょう。
雑賀のように代名詞になるような鉄砲集団が評価されたのでは?
・底力が凄いという事では?
・貴方はなにを言っているんですか?
・人のことを言えますか?
牛の好きな長州は兵は雑魚だが装備が優れてたから勝っただけだろ。 戊辰戦争は兵器の差があるから兵の強さの参考にはならんわな。 実際長岡みたいな小藩でも装備の優れたとこにはなかなか勝てなかったわけだし
464 :
白馬鹿青鈍牛 :2006/11/11(土) 18:29:08 ID:xrI7RRT/
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。 昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。 昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。 昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。 昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。 関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。 関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。 関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。 関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。 戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。 戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。 戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。 戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。
(=゚ω゚) ノ まあまあ皆の衆、せっかく纏めたんだから一つ一つ検証すればえーんでない? >鉄砲は紀伊 これは別に良いんじゃないか?最初の国産火縄銃は根来寺杉之坊惣門主 津田監物算長(楠氏、杉ノ坊算長)自らが種ヶ島に渡って鉄砲と火薬の製法を習い、 それを根来寺門前西坂本に住む芝辻清右衛門(堺鉄砲鍛治の始祖)に 製作させたのが最初で、これが後の津田流砲術になる。 根来の僧兵が約二万人。中には雑賀の土橋氏(泉識坊)がいる。相当な数だ。 明国海賊船の南蛮人により鉄砲が伝えられたのが1543年。 津田監物が阿瑠賀放至(鉄砲)を紀州に持ち帰った1544年。 事実上の日本砲術の始祖と言えるかな。 まあ、県民性と関係あるかどうかは知らないがw
466 :
白馬青牛 :2006/11/11(土) 23:07:05 ID:z9pJFf3f
>>448 根拠も実例もない妄想じゃのう。日本の馬の暴発する騎馬軍等、明の
李如松軍に通用せんし、安芸を含め水軍も古代から日本より造船技術の
優れた、伝統の朝鮮軍に通用せん。日本軍が得意とするんは歩兵しか無い。
越後兵が粘り強く戦い勝った実例も無い。
>>463 氏が装備云々を
云うとるが、長岡藩もガトリング銃(機関銃)を使いながら官軍に
降伏しとる。長州兵が雑魚なら越後兵は雑魚の餌じゃ。
>>451 イメージでのうて、実例根拠を云えーや。
>>452 先鋒を最強部隊があたるとは云えん。予備兵と交互に使う訳で。
野戦では遭遇戦がほとんどであるが、斥侯の偵察時点で全滅の可能性とは
大袈裟じゃ。宗茂さん云々は兎も角、敵の伏兵を見抜くんは、戦闘経験者の
「経験感」じゃ。秀包さんの加増は文禄の役のものであろう。
>>453 農耕馬として、東北の南部馬は江戸期を含め、ブランド馬じゃった。
467 :
白馬青牛 :2006/11/11(土) 23:54:36 ID:z9pJFf3f
468 :
454 :2006/11/12(日) 00:34:29 ID:2TqmF+TR
反論を。
まずは主張の変更、というか詳細です。
一般的に呼ばれる戦国時代という時代において
九州が朱子学の影響を強く受けていたことはありえないと。
>
http://www.wing8.com/dcity-yame/kurashinojiyoho/200111/con01.html これは八女の五條一族の話が主なようですが、そもそも南北朝時代の
話であって時代が違います。しかも朱子学の影響を受けていたのは南朝側
だけのようで、九州全域が南朝側だったら理解できますが、そうではないようです。
>朱子学の教育や影響が書いてあるが、特に九州西側の東シナ海
>沿岸は、東シナ海文化圏であろう。
これの真偽は知りませんが、このまま読み取っても九州西側だけであって
九州全域ではありませんね。
>
http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kikuchi/kanko/shisuikoushi_park/shisuikoushi_park.html 泗水孔子公園もある。
孔子公園に行かれました?これだけで九州に儒教の影響が強いとは言えないと思いますが。
長崎に関帝廟、天主堂、天草にも天主堂ありますよ。
>かって司馬遼太郎氏が日本は儒教の影響が中国・
>朝鮮と違い少ないとされ、ドナルド・キーン氏に薩摩の例を挙げられ、
>論破された司馬氏は、キーンさんに、うっかりした事は云えませんな。
>と誤魔化しておられたが、
こんな話知りません。で、知らないことを前提に、これは江戸に幕府が
開かれた後のことでしょうか?
それに朱子学=儒教ではないですよ?
朱子学の影響がいつのに儒教の影響になったのでしょうか?
>広島の仏教・浄土真宗的な慈悲や温情を重んじる精神
そうですか。知りません。
>九州の儒教・朱子学的思想精神
広島と九州を比較することに無理がありませんか?
九州は儒・仏・神・基が混在していると思います。
これは九州だけではなく、日本がそうかもしれませんが。
で、どうやったら九州が朱子学の影響を強く受けていることになるのでしょうか?
469 :
白馬青牛 :2006/11/12(日) 02:20:51 ID:kSYSOBml
おまんチョチョポリスぅー わしゃあチンボ逆むけになってションベンちびりそうじゃー 広島武士が最強の民族じぇけえのぅ
470 :
白馬青牛 :2006/11/12(日) 02:32:55 ID:P4mnWRJ9
>>468 南北朝時代から朱子学の影響があったと云うことです。民俗学的にも、
九州・南西諸島、と朝鮮半島の少なくとも南部を含む地域に特徴的に
分布する共通要素、長床鋤・打ち鋤・縄筵を下野敏見氏は東シナ海文化圏と
される。熊本は、何度も行きましたし、孔子公園にも行きましたが。
朱子学は、南宋の江南思想、道教の影響も強い儒教国粋思想です。
司馬氏とキーン氏のそれは中公新書を読まれると良い。
後に司馬氏は、薩摩人の作家海音寺潮五郎氏の薩摩式の葬式に金達寿氏が、
「あ、それ朝鮮式だ」と云われたことに、「朱子学の影響でしょう。
もっとも金達寿的古代史風に言えば、あすこは惟宗氏(秦氏)で、
朝鮮筋目だという説もある。」金達寿氏は「九州というと、一番日本の
中で我々の体質に合うようですね。九州人というのは、どちらかというと
慶尚道の人間に気質が似ているんじゃないかな。悪く言えばがさつだと
思うんだけれども」九州は、民俗学的にも新羅・伽耶の分れ、慶尚深南道
(九州慶尚デープ・サウス)じゃと思う。九州兵団と韓国兵の類似、
蛮行や向こう見ずの勇敢さ。薩摩人の海音寺潮五郎氏は、関東武士が
好きで、「従来の日本人と違って、坂東武士の荒らしくて勇敢で
強情っ張りは朝鮮的性格だと思う。」と、される。九州の方も朝鮮人を
勇敢な民族と思われるんで九州と朝鮮は相思相愛であろう。海音寺氏は
「儒教の教えが地球全体が小さな閉鎖社会になってしまった今日では、
大いに参考になるはずである。無限の前進をよしとするアメリカ的方式は、
儒教では淫ー恣欲過度として、中庸と反対の最大の悪徳とするのである。」
海音寺氏は儒教を強調されるが、広島人のわし等は、浄土真宗の教えです。
471 :
白馬青牛 :2006/11/12(日) 02:36:15 ID:P4mnWRJ9
>>469 偽者が、また出現しとるのう。意味がのうて、つまらんこたー云うなや。
>>471 お前がいなくても充分面白い牛だから消えろ。
新参には荒らしに見えるだろうがこのスレに限定すればコレはコレでいいんだw
金達寿にみたいな朝鮮起源主義者の与太話を出して九州人と朝鮮人を 一緒にされちゃあたまらんなw 朝鮮兵を勇敢だと思ってるのは朝鮮人だけだよw
九州と朝鮮が相思相愛? ハハ・・・
九州出身として朝鮮人扱いされれのはさすがに笑えんぞ牛
476 :
454 :2006/11/12(日) 16:13:33 ID:d5VApsXX
>南北朝時代から朱子学の影響があったと云うことです。
南北朝時代に朱子学の影響を受けていた五條一族がいたことはわかりました。
しかし、それが南北朝時代から戦国時代まで九州において朱子学が
影響を強く与えていたことにはならないと思います。
>民俗学的にも、九州・南西諸島、と朝鮮半島の少なくとも南部を含む地域に特徴的に
>分布する共通要素、長床鋤・打ち鋤・縄筵を下野敏見氏は東シナ海文化圏とされる。
なるほど、わかりました。これは具体例として農具をあげられたようですが、
ほぼ同じ気候帯で海を隔ててですが隣接している地域ではそうなることも道理だと思います。
しかし、これが、九州が朱子学の影響を強く受けていることとイコールにはなりえないと思います。
>熊本は、何度も行きましたし、孔子公園にも行きましたが。
それなら旧泗水町に孔子公園があることが、
九州が朱子学の影響を強く受けていた証拠にならないと思いませんか?
>朱子学は、南宋の江南思想、道教の影響も強い儒教国粋思想です。
そう断言されても、という感じです。〜と考えられる、と言われるなら納得できますが。
>司馬氏とキーン氏のそれは中公新書を読まれると良い。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121002857/sr=1-1/qid=1163314924/ref=sr_1_1/250-0991811-5006655?ie=UTF8&s=books これですか?
>後に司馬氏は、薩摩人の作家海音寺潮五郎氏の薩摩式の葬式に〜広島人のわし等は、浄土真宗の教えです。
海音寺さん一人で九州を代表するのは無理があると思います。
同様に司馬さんやキムタルスさんの言葉を否定することはしませんが、
それだけをもって九州は朱子学の影響を強く受けているとは言えないと思います。
阿蘇に阿蘇神社あり、島原・天草に天主堂あり、球磨・椎葉に御神楽あり、と様々だと思います。
朱子学の影響を受けていないとは言い切りません。
少なからず受けているでしょうが、それを強く受けているとは思えません。
広島の人だって、浄土真宗だけじゃないと思いますよ。
トリつければ済む話
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/12(日) 17:59:05 ID:T+blDHyx
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/12(日) 22:05:05 ID:KjjkcXyt
雑賀集ぢゃ
なんか雑賀衆の評価が高いみたいだね。 和歌山市民としてはちょっと嬉しいなw あと、皆様方ルイス・フロイスも著書に記述している根来僧兵衆もよろしくwww 空気読めずのレス、スマソ
木を見て森を見る牛
牛君乙! (=゚ω゚) ノ あ、偽ウシ君も乙!
>>466 >「斥侯の偵察時点で全滅の可能性とは大袈裟じゃ」
??斥侯の意味知ってるよね・・・? 立花隊は碧蹄館では第一陣。『先陣』です
まさか3000人の先陣が斥侯だと・・・?
斥侯の十時らは敵伏兵を蹴散らして後、すでに本隊に合流しとります。
碧蹄館では立花隊の「前備」十時伝右衛門以下500名は明け方に明軍の先鋒の
騎兵部隊2000と遭遇。突撃するも十時以下100名以上が死傷。
さらに宗茂二千の兵と明軍後続部隊が戦闘、手負死人二百余に及ぶ。
わずか3時間で死傷者1割。これは事実上の全滅覚悟の決死隊と言えるのではないか?
さらに宗茂軍3000は右側面攻撃にも参加している。
中央からは第2隊の粟屋、井上は6000で隆景本隊が続き。
左側面の秀包、毛利元康、筑紫の第三隊は無傷の5000人。
数字だけ見てもたいへんな奮戦ぶりだと思うけど?
>「秀包さんの加増は文禄の役のものであろう。」
つまり慶長の役でも小早川秀包は軍功が有ったのに加増されなかったと言う事でしょ
なら立花が加増されてなくても不思議はないでしょ。
484 :
白馬青牛 :2006/11/13(月) 23:58:52 ID:ZFd5icuG
>>476 司馬氏とキーン氏の対談は、それです。
>>470 の司馬氏、金氏の発言は、
『歴史の交差点にて』(講談社、司馬遼太郎・陳舜臣・金達寿)です。
風土と民俗の項から要約すると、
司馬「薩摩士族では長男が大事にされ、次男以下は板敷きかどこかで飯を
食っている。これはまさに朝鮮式ですね。ぼくのような西日本人(九州を
除く)は長男絶対制というのはわからないな。」
金「九州全体でそういう傾向があるといいますね。福岡の人の例ですが、
やはり長男というのはたいへんなものですね。朝鮮では財産は、基本的に
全部長男です。次三男はどうにもしようがない。」
陳「中国の場合はあまりやかましくないね。遺産の分け方は、中国では
平等に分けて、長男だけは祭祀料のプラス・アルファがある。」
宗族制の違いは、列島でも、西日本の末子相続、東日本の長子相続と
大雑把に二分出来ますが、九州の長子制は、中国よりも朝鮮の影響が
強いと思います。九州でも漁村は末子相続が多いんですが。
宗族制が発達した地域は、朱子学を受け入れる素地も強いんでないかと
思います。アイヌ人やモンゴル人は末子相続で、宗族制は、中華文明化
した要素もあり得るんでないか、その点から云えば、東日本人は文明人。
西日本人やアイヌ人は野人。九州は西日本と朝鮮の中間で半文明人ですか。
陰徳太平記と言い・・ww
486 :
白馬青牛 :2006/11/14(火) 01:14:49 ID:HMcjas1J
>>476 神道は、道教の影響も強いでしょう。天草・島原のキリスト教の影響、
隠れキリシタンや、一向宗を弾圧した儒教王国薩摩にも、隠れ念仏と
して信仰者は多かったでしょう。広島も、他宗の寺等多くあります。
しかし地域に対する文化、影響を考えると広島は「安芸門徒」風土です。
間引きもしませんでした。北陸も「北陸門徒」で、真宗風土でしょう。
岡山は「備前法華」に代表される法華宗。
>>482 わしは、
>>446 からの流れで、突発的な遭遇戦を斥侯偵察時に限定して
云うたんじゃが。斥侯は本隊に連絡せず、玉砕したらいけんよ。
決死隊云うて攻撃するより、敵を引き付け、左右側面に迂回し、
敵殲滅が目的じゃないか。途中から反転迂回するよりも、
中央で、勢いのある敵の攻撃を我慢する方が苦しいよ。
文禄の役、朝鮮の役全体で最大の決戦は碧蹄館で、互角に持ち込むことが
出来たが、慶長の役は、半島南端で苦闘した戦闘で両戦闘を同一視は
出来んよ。
>中央で勢いのある敵の攻撃を我慢する方が苦しいよ。 (=゚ω゚) ノ その通りだ。隆景本隊付きの粟屋、井上が参戦するまで中央を死守して いたのが立花隊。だから隆景は十分に陣形を整えることができた。 立花隊が退却するのは粟屋、井上到着の後。それまで一歩も退いていない。 少数の兵で多敵を足止めするには途切れず攻撃を続けるしかない。敵が防御を 固める事により動きが止まるのだ。これは決死隊でないとできない。 少しでも息を抜けば一気に攻め崩される。(粟屋隊のように・・・) PS.一向宗なら真宗浄興寺派の本山はもともと常陸の稲田草庵。 常陸二十四輩と下間氏も忘れないでね。
488 :
白馬青牛 :2006/11/14(火) 01:57:02 ID:HMcjas1J
>>483 「ささ男」か。そがいなんは、旧国軍の参謀殿や学者に多いタイプ
じゃろう。学問は、情報を、分析よりも総合的に解釈する事が重要じゃ。
穴があるんが当然じゃないか。それを恐れるんは、専門家として、
恥ずかしい云う自惚れがあるんじゃろう。経験や知識のデータも、
歩いて探さんとのう。机上の理論になるわい。事物を真正面から
捉えたら苦悩が増える。視点を変えて捉える方が面白いんじゃにのう。
「ささ男」は、根が真面目で洗脳され易いタイプじゃないんか。
>>488 あんたは正に旧国軍の参謀や学者に多いタイプだと思うが
490 :
白馬青牛 :2006/11/14(火) 02:27:57 ID:CULaBSEj
>>487 あんたー、何でも立花勢が強かったように見せたがるよのう。
戦闘で先陣だけ戦うて、後の者が高見の見物しとる訳あるまい。
到着たー、笑うたよ。退却せんと敵を引き付けられんよ。
あのねえ、攻撃する方が足が止まったらいけんのじゃ。この場合は明軍の
方じゃ。明軍が攻撃に終始しとる所に、迂回側面攻撃が効果をもたら
すんど。粟屋隊が攻め崩された?どがいな根拠からか。
ほいで、常陸に真宗の影響が強いんか?真宗の痕跡と社会的影響は違うよ。
491 :
白馬青牛 :2006/11/14(火) 02:30:29 ID:CULaBSEj
>>489 思い込みの強い、あんたの方が参謀タイプに近いわい。
牛さんはツンデレ
>>491 いや、さすがにあんたには負ける。
東日本への偏屈じみた思い込みはどうにかならないんかのう
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/14(火) 12:07:38 ID:WZxNI6LV
劣等感からくるコンプレックスじゃね?
>>490 (=゚ω゚) ノ 逆だよ真宗は東国の民衆、風土の影響を受けて生まれた。
>>493 同感です!!
こういう人間がインパール作戦みたいなのを起こすのです。
確かに。自分が一番正しいと思い込み、人の意見を聞かないのは破滅するね。 というか社会人としても失格だろう。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/14(火) 23:14:56 ID:jGQPyuCY
広島って強兵という感じはしないけど、ここまで資料を揃えて皆と戦える牛さんには脱帽。 願わくば東北、関東、中部、四国、九州の郷土自慢が対抗したら楽しいのにな。 とアゲておく
では東北の仙台自慢。 伊達政宗が有名だが、それよりフル装備で5里を駆け抜ける脚力と持久力 を持つ仙台藩兵が誇りです
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 00:42:38 ID:D86Ra0R3
500(σ・∀・)σゲッツ!!
広島の師団が最強ってw 歴史的には全く役にたってない犬死に軍の代名詞ですよ、少し風刺の効いた軍関係書籍見てごらん …広島人大ボラも大概にしとけ
500を過ぎてもオレたちを納得させられない牛は、ある意味最強。 ということで一番強いのは牛さんで決定!(ただし机上のみ)
>>501 それは、全てあなたの思い込みです。広島師団最強は世界の常識なのです。もっと広く世間を見るようにしてください。
圧倒的劣性からも負けん気で向ってくる牛に 相対しながらも親しみすら感じさせる良スレだったのに 急に厨増えてつまんなくなったな あのさ煽りでなくて頑強で偏った論に自分の知識で向っていけよ。 なら歓迎するから。 ただの煽りなら知識ないオレ同様ROMに撤してろ
505 :
白馬青牛 :2006/11/15(水) 21:21:51 ID:9r19ySfQ
中学生の頃の落書きで、「股間から多連装機銃が生えた体育教師」 を書いて、『バルチン砲』と命名した覚えがある。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/15(水) 21:35:45 ID:/YvN6xRp
やっぱり薩摩兵。 もぐもぐ風林火山でも強いよ! 大将が強いのは伊達だがな
>>504 お前は圧倒的劣性からも詭弁と電波で向ってくる伊達厨の相手を出来るのか?
今、牛さんを相手にしてるのは本当に優しい奴と相手を論破することに快感を覚える奴だけだ。
誰がこんな状況を作ったと思う?
>>504 お前の意見の方がこのスレには合ってない
黙ってれば勝手にくるだろ
荒らしはスルーと名なしに教わってこなかったのか?
電波か・・・たしかに伊達政宗は強かったけど、正確には東北の中では強かった って事だな。でも全国に名前を知らしめたのも事実だし仙台市民の誇りだよ。 坂本龍馬の方が好きだけど
どこの出身兵卒が強いか資料を提示しないとスレが進まないのは当然。 牛の相手が嫌なら、より多くのデータを提示するのが筋だろうな。 >509 伊達の兵士が強いというデータをもっと詳しく提示しないから電波扱いされてるだけだよ 気にする事はない。 仙台市民の誇りにかけて郷土資料をupしてくれ。(=゚ω゚) ノシ
>>504 牛も相当煽ってるんだが。むしろ牛は感謝すべきじゃないのか。
また牛来てないんか つまんないな
牛ーっ もういじめないから帰っておいで (=゚ω゚) ノシ 一緒に板東武者最強論を語り明かそう。
やめとけって。 奇矯屋んとこで毒吐きまくってるぜ。 牛の名前でググってみ。