932 :
【東電 74.0 %】 :2011/07/15(金) 23:50:49.13 ID:WdwJDIsj
そういやモンゴルはじめ騎馬民族の皆さんは騎馬戦闘しかしてなかったんですかね?
場合によっちゃ徒歩戦闘する事などは在ったんだろうか、と……
933 :
人間七七四年:2011/07/15(金) 23:55:19.29 ID:hsy2b/if
モンゴル騎兵団の編成は
3分の1が重装騎兵。3分の1が軽装弓騎兵、
残りの3分の1が戦場に付いたら馬から下りる騎乗歩兵でなんたらと聞いた
934 :
人間七七四年:2011/07/15(金) 23:57:36.62 ID:q6ZnPKyJ
蒙古兵士も基本、城攻めは降りて戦ったのでしょう。
最前線は異民族の投降兵だったかもしれないけど。
長城攻めは騎馬での機動を活用したという話しもあったようですが。
935 :
人間七七四年:2011/07/22(金) 20:24:07.28 ID:JUvvFhSL
御崎馬終了のお知らせ
天然記念物の岬馬を殺処分=伝染病感染で12頭―宮崎県
時事通信 7月22日(金)16時36分配信
宮崎県串間市の都井岬に生息する野生馬で、
国の天然記念物に指定されている「岬馬」(御崎馬)の一部が家畜伝染病の馬伝染性貧血に感染していたことが判明し、
宮崎県は22日、ウイルス検査で陽性だった12頭を殺処分した。岬馬の数は計85頭となった。
県によると、今年3月、宮崎市の日本中央競馬会の宮崎育成牧場で1頭の感染が確認された。
この馬が都井岬生まれだったため、今年4月から5月にかけて岬馬に行った血液検査で、12頭の感染が分かった。
馬伝染性貧血は、口蹄(こうてい)疫などと同じく家畜伝染病予防法で規定する伝染病の一つで、
県は陽性だった12頭を現地で隔離して対応を検討。
野生種は同法の対象外だが、昆虫がウイルスを媒介するため、感染の拡大を防ぐために殺処分はやむを得ないと判断した。
936 :
人間七七四年:2011/08/16(火) 08:36:28.51 ID:rFTLPbfI
937 :
人間七七四年:2011/09/17(土) 22:14:30.20 ID:KO1+lYUx
ポニーって言葉の罠で現代人が想像するポニーは小さいのは仕方ないよね
ちゃんと肩までの高さが147cm以下の馬をポニーと言いますって説明しないんだから
戦国時代の馬は肩までの高さが147cm以下ですって文と戦国時代の馬はポニーサイズって文じゃ受け取られ方が違うのは当然
938 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 15:56:49.93 ID:va2XMsUe
そう。ポニーと言われて想像するサイズではない。
当時の平均身長160センチ弱からすると可笑しなものではない。
939 :
人間七七四年:2011/10/27(木) 23:18:13.37 ID:kWE8ZaWc
現代人から見てもおかしなサイズではないと思う。
木曽馬の体高は平均で130cmぐらいだから、
乗り手の足の長さが130cm以上ない限り足が地面につくなんて事はあり得ない。
いや、馬上で足をまっすぐにする事はできないから、150cm以上かな?
940 :
人間七七四年:2011/10/28(金) 01:04:47.41 ID:G5MK7mnQ
海外で乗馬トレッキングコース走ったことあるけど
クォーターホースの体高でも枝で顔に切り傷できた
小型じゃないと森林なんか抜けられないわ
脚短いと階段状の岩場でもピョンピョン鹿みたいに飛び上がれるんだよね
下りはさらに怖いからデカい馬ではイヤだw
ついでにスタートダッシュの瞬発力は小型の方が速いくらい
ダッシュした直後に急カーブも曲がりやすいし
体重軽い方が蹄への負担も少ない
大型にこだわる理由はないと思う
941 :
人間七七四年:2011/10/29(土) 22:58:14.23 ID:WGkMcZx7
海外でも斥候や撹乱・急襲を任務とする軽騎兵は軽種馬だね。
まあ日本の木曽馬なんかは足回りが頑丈らしいので、
向こうの軽騎兵みたいに快速タイプではないかも。
942 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 11:42:30.00 ID:HGbriStF
木曽馬を戦国期の軍馬と一緒にするなアホが
943 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 13:54:29.19 ID:JRbKNXSe
戦国期の軍馬ってのの資料があるんかな?
後世の伊達正宗は、外国産馬の輸入をしたらしいけど。
どちらかというと、現代の木曽馬より小さく弱い馬だったんじゃないか?と思う。
944 :
人間七七四年:2011/10/30(日) 18:02:45.68 ID:A/1u7tl5
最初から武士の乗用馬として繁殖されてた、
リアル日向の駒、御崎馬にもっとスポットあててください。
木曽馬よりずっと走るのに向いてそうな体つきしてるから。
伝染病でもう85頭しかいないから、そろそろ絶滅しそうだけど。
945 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 00:28:09.26 ID:ZKSdRLed
946 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 01:59:43.87 ID:Xtk0Dpwf
御崎馬は交配やめたから江戸時代より小さくなってるんだってな
947 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 21:04:32.02 ID:syE//hh7
馬の体格も気になるけど、和鞍の装着の仕方がよく分からない
博物館で見るときは人馬との接触部分が取っ払われてるから(腹帯もない)
馬 - 布 - 鞍(木製)- 布 - 人
でいいんだろうか?
布部分は綿入れ状態じゃないと痛そうなんだけど、実際どうなってるのー?
あと鐙の形状、つま先がカバーされてるスリッパ状なのはスペイン式と同じだけど
踏みつける部分が平じゃないから、鐙の上には立てないよね?
その分、人間側は動きが制限されるし、どうやって馬とボディコンタクト取ってるんだろう?
狩野派の絵ではかなり踵が前の方に出てるフォームだし、様式乗馬のフォームと違い過ぎて謎が多い
948 :
人間七七四年:2011/10/31(月) 23:45:21.59 ID:ohdBcc0k
949 :
人間七七四年:2011/11/01(火) 19:46:02.58 ID:0Kim12l+
おお、分かりやすい動画ありがとう
甲州和式ってことは武田流かそれに近いものって考えていいのかな
駆け足初心者が練習する”立ち乗り”みたいな状態なのか
きっと膝の緩め方とか腿の使い方が違うんだと思うけど
馬格が小さめだと人間の方のフォームにも余裕が出るからできる感じ
ブリティッシュと完全に違うのは踵の使い方かも
鐙が逃げない構造だからつま先が多少下がっても大丈夫で
手綱の扱いはウェスタンみたいに緩めなんだね
手綱の素材まで分かってよかったけど綿の国内生産がほとんどなかった時代は大変だっただろうな
また博物館で鐙見るとき内側をじっくり確認してみるよ
蒔絵より鐙の内側や鞍の裏側見たいヤツなんて少ないだろうから非常に見えにくい展示なわけですが…
950 :
人間七七四年:2011/11/02(水) 01:20:00.29 ID:HWMxRTGb
951 :
人間七七四年:2011/11/10(木) 21:07:39.83 ID:YIMqTpm4
952 :
人間七七四年:2011/11/11(金) 02:21:13.56 ID:Z8PAfkRT
953 :
人間七七四年:2011/11/29(火) 01:44:52.38 ID:FOfsqZ+9
954 :
人間七七四年:2011/12/16(金) 00:34:02.27 ID:envhS+Lj
a
955 :
人間七七四年:2012/01/09(月) 21:06:24.59 ID:B4aywgG4
956 :
人間七七四年:2012/02/19(日) 03:31:33.71 ID:jw+XfI1t
結局一般的にポニーと言われて連想するのは
かわいいシェトランドポニーであることを利用した言葉のマジックだな
957 :
人間七七四年:2012/03/16(金) 17:29:30.48 ID:gvH+wZbM
マスタングとかカマロとかコンパクトなスポーツカーのことを
ポニーカーというのであった
958 :
人間七七四年:2012/03/18(日) 14:30:51.96 ID:m7E5xNY8
【明治19年における国別牛馬飼育頭数(第三次農商務統計表)】
▽馬50,000頭 牛1,000頭
北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉
▽馬50,000頭 牛10,000頭
青森、岩手、秋田、千葉、長野、新潟、岐阜、宮崎
▽馬10,000頭 牛1,000頭
山形、東京、神奈川、山梨、愛知、富山
▽馬50,000頭 牛50,000頭
熊本、鹿児島
▽馬10,000頭 牛10,000頭
静岡、石川、高知、福岡、佐賀
▼馬10,000頭 牛10,000頭
福井、徳島、愛媛、長崎
▼馬50,000頭 牛50,000頭
大分
▼馬1,000頭 牛10,000頭
滋賀、奈良、大阪、香川
▼馬10,000頭 牛50,000頭
三重、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口
▼馬1,000頭 牛50,000頭
京都、和歌山
959 :
人間七七四年:2012/05/11(金) 00:49:06.93 ID:y+gdF2rD
やっぱ関東のが騎馬で戦闘する傾向が強かったんかな?
960 :
人間七七四年:2012/05/11(金) 21:37:07.31 ID:3RSF1iug
日本の馬の中では最大級の南部馬が手に入り易かったから
関東では馬が多く使われてたんじゃないのか。
961 :
人間七七四年:2012/05/11(金) 21:46:47.37 ID:FyYs3FaX
馬の運用は大きさよりも量だっつーの
962 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 15:49:51.80 ID:vZAmwFpo
963 :
人間七七四年:2012/05/12(土) 19:03:57.56 ID:R098FdQJ
南部馬の純潔種は絶滅したはずだから混血馬かな。
一言断りくらい入れてくれてもいいのに。
964 :
人間七七四年:2012/05/13(日) 13:37:35.62 ID:axcV8hnD
南部馬は純血種でも140〜150cm、記録の上でデカい奴だと
サラブレッドと比べても劣らないお化け馬もいたみたいね。
965 :
人間七七四年:2012/05/14(月) 17:00:42.60 ID:RLlht0cO
オマンコ舐められクイーン、長野美郷
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966 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 19:31:54.64 ID:beCnwr4t
戦国時代の過酷な環境で育った馬は今では想像できないくらい野生的で荒々しいぞ
967 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 19:53:23.94 ID:G8LmGvRA
と、見てきたかのように言う。
単純に去勢してないからでしょ。
968 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 20:14:55.69 ID:1C1lOoPK
鎌倉時代から「名馬」の条件は悍馬(あばれ馬)だったり……
969 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 20:34:32.68 ID:tMrT0nmD
ていうか木曽馬は性質が温和しいことで有名なんだが
どっからそんな話が出たんだ?>日本の馬は暴れるばかりで騎馬隊編成は無理
970 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 23:13:57.37 ID:G8LmGvRA
フロイスが日本の馬は去勢しないから荒いねーと言ったからそれだけ
971 :
人間七七四年:2012/05/16(水) 23:23:05.72 ID:cIkgQSrg
木曽馬が大人しいと言われるのは、現代に残っている木曽馬が、
明治〜昭和のお百姓さん達が大人しさと扱いやすさを優先して
こっそり繁殖させていた農耕馬の子孫だからだろ。
明治時代の記録では性質がよろしくないと書かれているし
当時は木曽馬と言っても、その気性は様々だったのだろう。
木曾馬は西筑摩の山間の馬にして粗食に堪え剛健
能く山地を跋渉するに巧みなリ
體格は矮短、三尺七寸乃至四尺四寸にして頭は重く
眼は小に、頸は厚く躯幹長く、尻は傾斜して四肢軽細
関節強靭、蹄小にして其質堅牢なり
青毛多く駄用に適するも性質柔順ならざるもの多し
972 :
人間七七四年:2012/05/17(木) 10:27:48.68 ID:s5K1xAE6
そのフロイス自身が「騎馬侍は騎士みたいに落馬しても死なないし、すぐ体勢立て直す」
って書いてるのに鈴木さんは無視するんだよね。
973 :
人間七七四年:2012/05/17(木) 11:21:15.06 ID:Pfn0wDti
ひんひんお!
974 :
人間七七四年:2012/05/19(土) 14:40:30.00 ID:OiiYM48U
えーと、けっきょくこのスレは
>>1がだっせーってことでおk?
975 :
人間七七四年:2012/05/19(土) 15:01:36.51 ID:5zjZgNq0
614 :S字型金具 :2011/02/19(土) 01:31:36 ID:hlQDpnLA
1548年(天文17年)、ゴアの聖パウロ学院長ニコラオ宣教師がインドに来た日本人(アンジロー)から聞き取った『日本の世俗的な事柄について』のインド総督宛ての報告書。
私が日本の情報について閣下に送付した第一の文書においては、甚だ簡略にですが、私はその土地において行なわれている宗教と神の礼拝に関する主要な事柄のみをいくつか書き認めました。
その他の世俗的な事柄は、私の職業にそれほど相応しくなく、また必要であると私には思われないため、余り熱心に知ろうとしませんでした。
しかし、閣下が、私が前述の世俗的な事柄に関して質問するように私に命じていますので、私はたくさんの恩義を受けている方に従わない訳にはまいりません。
閣下の質問、日本人の間に、戦いが行なわれるかということについて、彼(アンジロー)が言うところによると、 ・・・・・
日本には、鎖帷子、胸当、兜、頤甲及び腕章があります。
彼等はまた腿や脚部に鉄でできた具足を付ける習わしがあります。
彼等は、エスピンガルダ(小銃)、弓、矢及び槍を持っています。
彼等はまたたいそう幅が広くてかなりの長さがある一種の鉾をも所持しており、それは私達のものと同様に柄に付いています。
彼等は私達が片手や両手で剣を持っているように、小刀と大刀とを帯びています。
彼等には卵型の革製の盾はありませんが、その代わりに金属の薄片で被われた革を常用しています。
それは左肩の上に、そしてその箇所に楯の代わりに結び付けられます。それは長さ三パルモ(66cm)、幅はそれよりも少し短くなっています。そして、左手は戦闘のために空いています。
これらの日本人が戦争に赴く時には、土着の兵士(現地人兵士)は各々胸当、兜及び革のあの手楯のようなもの、刀、槍、弓矢を持っていきます。
彼等は武器を運搬するのを手伝う小者一人、あるいは、私達の間に見られるように、彼等の地位に応じてそれ以上の数の小者を連れていきます。
この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。
そして敵を幾人か殺した時には、その首を斬って大将のところへ持っていくのが習わしです。そして、首を持参することができない時には、勇しさの証拠及びしるしとしてその耳を切り取って持っていきます。
日本の馬は、私達の馬と同じほどの大きさでがっちりしており、フランスの馬に似て太い脚を持っています。領主達は自分達の牧場に飼育のために数え切れないほどの雌馬を持っていることを誇りにしています。
日本の船はすべて小型であり、その最大のものでもカラヴェラ船ほどであり、丈が短く、私達の船とは別の様式です。すべての船は櫂で漕ぎ、ござ帆を持っています。あの土地に見られる強い風の時には、投錨する度毎に帆柱がおろされます。
日本の商人達はシナ人達と取引を行なっています。彼等は日本からシナに銀、武器及び硫黄や扇子をもたらし、シナからは硝石や多量の生糸を持ってきます。また同様に陶磁器、水銀及び麝香の固まりをも持って来ます。
日本人達はまたシナの下方、東にあるコレー(高麗)と呼ばれる別の人びととも取引を行なっています。
彼等はそこにも銀や貂の皮を持っていきますが、それは、同島にはそれが多量にあるからです。彼等はまた扇子をも持参し、朝鮮からは綿布を招来してきます。 ・・・・・
この島のいくつもの地方に大量の銀があり、僅かではありますが、金山も幾つかあります。また多量の銅、鉛、錫、鉄があり、鋼鉄も非常に豊富にあります。また水銀若干量と硫黄がたくさんあります。 ・・・・・
976 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 22:58:23.77 ID:cPdznH6o
>>971 気性が荒いくらいでないと戦では使い物にならなかったらしいぞ。
大人しい馬は臆病なんで火薬と怒号の入り混じる戦場だと
すぐに逃げ出そうとするらしいし。
977 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 23:06:00.29 ID:h5hU+fot
そんなこたない
978 :
人間七七四年:2012/05/20(日) 23:06:43.33 ID:HD1d/NdV
武田は牧で鉄砲を鳴らしまくって、戦場に出たとき鉄砲に驚かないように調教してたんだよな
979 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 11:01:04.68 ID:Q7+h7V32
>>976 >気性が荒いくらいでないと戦では使い物にならなかったらしいぞ。
で、それは誰に聞いたの?
980 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 12:38:40.72 ID:mmqziK5o
ま、歴史研究は人づての又聞きの集大成だもんなぁ
絶対に正解は無い
981 :
人間七七四年:
このスレが立った2006年と比べると鈴木信者は少なくなったよなw