織田信忠(1557〜1582) 信長の嫡男。 松永久秀の謀叛鎮圧や甲斐平定戦などで功を立てた。 信長から家督を譲られ、美濃・尾張の2国を領する。 本能寺の変の際、二条御所で自害した。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/21(月) 19:33:36 ID:polltyNq
2
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/21(月) 19:35:01 ID:polltyNq
2getって簡単だよねw これで5回めだぜ 皆は何回2取った?
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/21(月) 19:36:10 ID:WxrHtzvR
「こいつは奇妙な顔をしておる。名前は奇妙丸じゃ!」
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/21(月) 19:38:34 ID:6wbCQNqC
>>3 こんな過疎板で2getしても仕方ないじゃろう。
ニュー速や実況板みたいな人がいる板で挑戦した方がいいと思うぞ。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/21(月) 19:42:20 ID:polltyNq
未熟な俺はもう少し修行してから挑戦してみるよ そういう人がいる板教えてくれませんか?
VIPは簡単
なんとなく信忠と斎藤新五と森長可は仲良しのイメージ
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/22(火) 23:41:40 ID:i147eowe
こいつは大将としての器はどうなの?
織田信正は・・・
嫡男として育てあげられて実績もあるからな 父親みたいに諦めずに逃げるだけ逃げてみればよかったのに 残念だ
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/22(火) 23:53:33 ID:SYeTYVjT
こいつなんで二条御所なんかに居たの?
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/22(火) 23:57:56 ID:5NIHcUXq
武田信玄の愛娘『松姫』との婚姻が破談になってしまったけど松姫は一度も信忠の顔みてないのにずっと想っていたんだって。 生涯独身を貫いたらしい。一方の信忠はさっさと違う姫と婚姻したんだけどさ…
信松尼は信忠を弔ったというか、武田家の菩提を弔った気もするな。 出家したのは本能寺のあとだけど・・・
>>14 ゴタゴタした世の中から身を引いて、
穏やかに生きていきたかったんでしょうな。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/23(水) 09:33:00 ID:sougfzQX
>>13 信忠は塩川長満の娘と結婚した。
たぶん、その娘が生んだ子が「三法師」
結婚はしてねぇ ありゃ妾であり、三法師母でしかねぇ
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/23(水) 10:16:54 ID:oN9cjMQ4
つうか松はどんだけうぶなんだ 里を滅ぼされても気持ち変えないてすごくね
でも、信忠も武田滅亡後に松姫迎えにやらせてるしね
それ、たまに聞くけど事実なの?
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/29(火) 03:29:04 ID:bRZ+c/ER
迎えについては逸話や伝承の類だが(信忠からの迎えの輿が来るはずだったが 本能寺が起きたために来なかった。という記載のある文書(日野文書)もある) 寛政家譜内下嶋家のところで、松姫を信忠の許に送ろうと (彼女を伴って)尾張国に至ったけど信忠は死んでしまった。という 記載が見受けられるから、何にせよ、どこかしらで松姫と会う手筈に なっていたのではないかと思われ。 それが恋する女は何とやらで自ら信忠の許に行こうとして松姫から信忠に 言い出したことなのか(武田が滅んだ直後だからこの可能性は低いが) 信忠がもう待つのも妄想するのも限界、オナペットではなくリアル松じゃ なければ満足できんとばかりに独断で呼び寄せたのか、自分のかみさん同様に 実家は滅んだが実家の名は使える滅んでも武田家ということで信長もそれを 承諾していたのかまでは不明。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/29(火) 03:45:17 ID:+cDwIonX
全米が泣いた
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/29(火) 09:34:46 ID:tFgrc9b5
松姫は誰とも結婚せず、出家して我が道を生きたからこそ美化される。 武田マニアのオッサンの手に渡っていたら、 評価ガタ落ちであろう
高貴な血大好きの禿げねずみの手にも渡らなくてよかったと思うよ。 奴に渡っていたらそれこそ側室の中では血統的に公家を除けば 1、2を争う良さだっただろうがな…。 北條攻めの八王子城攻撃時に、真田もいたしかなりニアミスもしていたと いうのに見つからなくて良かったよ。本当。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/29(火) 11:52:57 ID:+sG1XI6J
織田武神伝読んだ奴は手を出せ
本能寺の変で、信忠が死ななかったイフは興味深い。 しかし、信長・信忠親子を屠った光秀が天才的と見るべきだろう。 その光秀の予想を超えた秀吉は、更なる天才だったのだろうが。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/29(火) 13:29:36 ID:05gCRStn
>>24 仮に見つけたとしても見て見ぬふりをしたんだろ
卑しい秀吉の手に渡るぐらいならといった感じで。
この時の豊臣側が真田・上杉・前田倅だったのも
幸いしたのかもしれん。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/29(火) 13:39:20 ID:rarj8l+9
信康が信忠以上ってのはマジかよ
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/29(火) 13:43:29 ID:7a1+lQPx
>28 それはいわゆる神君史観に基づく創作の可能性が高い・・・・・・
どっちも早死にしたから比較する事自体が無理だよな。
奇妙丸、茶筅丸の由来はいいとして・・・ 三七丸はなんでだっけ?
3月7日生まれだったから。
>>30 早死でも充分実績を残してる信忠の方がハッキリと上
信康切腹の原因といわれる書状を書いた徳姫は 後に徳川家から知行を与えられている。 信康の切腹は、徳川家にとって不本意な事柄じゃ なかったって事だと思う。
信康の件は伝わってる流れを見れば、家康の意思で処刑したのがわかる。 当然やるはずの助命嘆願をやっていない、家康が軍勢を率いて岡崎城に入り、信康とかなり激しい口論を行ってから岡崎から追い出した、 岡崎城で譜代の武田内通があり信康がからんでいた疑いがある、これだけじゃないけど、信康は謀反を企んでいた疑いが濃厚。 さらに獲物が獲れないと僧侶の首に縄をかけて引きずり殺したり、妾にばかり溺れる信康へ忠告した五徳の侍女が、口に手を入れられ引き裂かれて殺されただの 人間的に欠陥があった可能性もあり。たとえ嘘でもまともな人間がこんな逸話のこさないよなあ。
>>35 なんか、その逸話の残虐性は、
甥の越前の大名の人と似ているね。
>>36 豊臣秀次とかもね。
昔の人が考える悪口って内容が全部同じだ。
もっと言えば蒲生や最上が取り潰される時の当主もそんな事言われてるな。 ローマ帝国のネロとかもそうだし、こういうのは洋の東西を問わないのでしょう。 だから伝説に引きずられ無い、真摯な研究が必要ですな。こういうのには。
そういう人物だから滅ぶ
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/04(月) 21:56:28 ID:TT6vp66E
何事もそつなくこなした人物だから特に語ることもないよな。 派手なことが無いというか、松姫ぐらいしかないもんな。 あとはオヤジが過保護ぐらいか・・・・ 信雄みたいに阿呆とか信孝のように恐ろしい辞世の句でも読んでればな。
口引き裂いて殺すのは、安康雄略武烈という千年プレミアのネタ。
一時期、信長と仲悪かったみたいね。 本能寺の時、信長は最初、信忠が謀反したと思ったって話もある。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/05(火) 18:26:55 ID:douIWbhb
あれは仲悪かったというか、能に夢中になった信忠に信長が怒っただけだろ。 一過性のものだったみたいだよ。 結局4ヵ月後には信長から馬をもらったみたいだしね。
できた息子だなあ。 と思います。
若くして命をなくしたのがなにより残念。長生きしていればって思う。能力の全てを見せていない分、信忠には魅力を感じる。
本能寺の時まだ30ちょいだろ それで滝川以上の能力持っていたなら無茶苦茶凄いぞコイツ
まだ二十代半ばですが?
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/08(金) 02:20:03 ID:qQ32PI7U
本能寺の変の時26だよ。若すぎる死だよね
>>49 信長は合理主義者だから、多分責めないと思うぞ。
むしろ「なぜ逃げなかった!?」と信忠にあの世でダメ出ししてると思う。
なにしろ敗走時に1万人が100人まで減っても逃げ延びる、と誰かさんに評された信長公ですから、逃げ上手(単なる
ヘタレではなく)なのは恥だと思っていないでしょう。
>むしろ「なぜ逃げなかった!?」と信忠にあの世でダメ出ししてると思う 信忠「敗走時に1万人が100人まで減っても逃げ延びる父上が逃げれないのになんで自分が逃げれるんですか!」
長益は逃げたじゃん。
>>51 本能寺襲撃を知ってから二条御所が攻められるまでの間はタイムラグがあったのでは?
わざわざ場所を変えて女たちを落とす時間はあったんだから。
第一標的ではなかったのにわざわざ居残って戦った信忠諦めが良すぎ。
本能寺の変の時、信忠は相手が光秀だと知って『光秀であれば逃げ道を残す訳がない』と諦め二条御所に立てこもったらしい。 でも実際は逃走経路を封鎖出来るほど光秀に余裕は無かった。 信忠…痛すぎる選択ミス…
信忠を介錯した鎌田新介も逃げてるな。 意外とスカスカだったのかも。
真面目な性格だったんだろう
敵は鎌田や長益の首なんざキョーミ無いからな
一門の長益はさすがに狙いの一つだろ
>>54 自分もそれは痛恨事だと思う。ただ、そういえるのは全ての情報をしっている
後世の人間だからで、あの状況に追い込まれて外部情報がまったくなければ無理
のない判断だったと思う。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/09(土) 04:29:35 ID:8ugOp943
長益は凡人でヘタレだったから逃げれた 信忠は勇敢かつ優秀だったから踏みとどまった
死んだ優秀な人は、生きてる無能よりも働けない。
生きてる無能は害だけどな ああでも、物見や使い番ぐらいは務まるんだよな>やる気の無い無能
死にたかったんじゃないの。 真実もわからんのだから選択ミスなどと言えないさ。
死ぬ事に美意識をもっているかそうでないかの違いだろ
>>63 それを諦めてしまわずに適材適所で家臣を使いこなしたが故に、堀秀政は「名人久太郎」と呼ばれたわけだが。
見るからに不景気で暗そうで泣き顔が地顔な家臣には、弔問の使者を命じるとか。w
有能な怠け者は司令官にしろ 有能な働き者は参謀に 無能な怠け者でも連絡将校は務まるだろう 無能な働き者は殺してしまえ ゼークトの組織論だな
>>21 21を書き込んだ人、まだいるかな?
「日野文書」ってどういう史料なのか。
記述者とか成立時期とか、詳細わかる文書なのかね。
日野って、東京都日野市の日野かな。
市井の趣味人が伝説とかを聞き取りしたとかの類じゃないよね
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/12(火) 13:11:33 ID:7XiEYFzE
文書名が出ているのだからまずはググレ
今更だが、この肛門みたいなスレタイは何とかならなかったのか…
>>69 ああ、検索してみたよ。「日野文書」では当たらず
「日野宿文書」というものがあたった。
その内容には新選組関係のものが有、
ということくらいしかつかめないので聞いてみたんだ。
書き忘れ。 あと大分県日田での「日野文書」ってのがあるそうだけど。 そっちなのかな?
信忠と松姫の思慕はガチ
公家の日野家(富子を筆頭に室町将軍に次々嫁入りさせた家)じゃまいか?
明智光忠を狙撃させて重傷を負わせたんだよな。最後の粘りは凄い
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 19:39:33 ID:1KBs7BAz
保守age
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 19:50:43 ID:5bE2UwuA
信忠と松姫の恋愛については現代のネット恋愛みたいで面白いよな。 二人とも手紙のやり取りに夢中になって、 毎日のように早馬をやり取りして手紙を届けさせたという。 信忠が主にいた岐阜城と松姫が甲府ってのは 当時でも早馬を走らせればそんなにはかからない距離だからね。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/13(金) 19:55:57 ID:PTzJ0ppZ
ここで暗闇へのワルツを思い出す人はいないかな ポワゾンでもいい
>>79 ちゃんと結ばれればなぁ・・・・武田が滅んだとしても・・・・
おのれ、明智。
まず文ありきで恋愛交渉がはじまるわけだもんね。 今晩お待ちしています 今日は忍んでいくからね から 逢瀬の翌朝の後朝の文まで。
保守アゲ
その生母や、甲陽軍艦内の脳内妄想との解釈まででた婚約者や 三法師の母やら、 本人の件ではないところで議論が熱くなっていて、陰薄しw 信忠主役の小説もやっと書かれてきた最近なのに、哀しい男。
いや信忠マジカッコイイと思うんよ。 フロイスが伝えてる子供時代の信忠はカワユス。 こんなカンジで基本が信忠萌えなので、書き込みするのが躊躇われるだけっす。 あとヤツはボンボンだと思ってるので、大抵の信忠の解釈に抵抗があって 盛り上がれないのもあるかも。 偉大な父にコンプレックス云々って解釈が多いんだよねぇ。
信長は偉大な父どころか、 日本史上屈指の面倒な父親だろうけどな。 信長の跡継ぎ息子になぞ生まれてしまったら、 よっぽどの器量でも見劣りするだろうからなあ。
88 :
85 :2006/12/21(木) 09:22:37 ID:qK+3wxX6
>>87 徳川秀忠という好例もあるしな。武将としてはともかく政治家としては
一流なのにボンクラ、無能と…。
あけましておめでとう。 今年こそは信忠が人生の大半を過ごした岐阜城に行こうと思います。
家臣が欲しい物を褒美でくれる人。
【大名】 S+ 織田信長 S 徳川家康、豊臣秀吉 S- 毛利元就、尼子経久、北条氏康 A 武田信玄、上杉謙信、島津義久、三好長慶 B+ 長宗我部元親、伊達政宗、斎藤道三、宇喜多直家、北条氏綱 B 織田信秀、松平清康、島津忠良、真田昌幸 B- 今川氏親、今川義元、長尾為景、最上義光、朝倉孝景、鍋島直茂 C 長宗我部国親、龍造寺家兼、龍造寺隆信、長尾為景、蘆名盛氏、松永久秀、斎藤義龍、黒田孝高、藤堂高虎、島津貴久、大友宗麟、雑賀孫一、南部晴政 【家臣】 S 羽柴秀吉、明智光秀 A 石田三成、太原雪斎、羽柴秀長、朝倉宗滴、立花道雪、立花宗茂、柴田勝家、小早川隆景、鍋島直茂、黒田孝高、島津義弘、島津家久、太田道灌、北条綱成、真田幸隆、吉川元春 B 蒲生氏郷、高橋紹運、滝川一益、陶晴賢、前田利家、直江兼続、本多正信、長野業正、織田信忠、片倉景綱、太田資正、黒田長政、蒲生氏郷、甲斐宗運 C 高橋紹運、大谷吉継、松永久秀、本多忠勝、酒井忠次、下間頼廉、明石全澄、毛利勝永、島左近、前田利家 D 井伊直正、池田、原、山県、馬場、高坂、内藤・・・etc 最強スレのランキング 信忠家臣のBおめでとう
あんまし嬉しくないな……。 信忠が本能寺に向かったから本能寺の変が起きた訳で、家臣のBも仕方ないんだけど。 本能寺がなかったら、後の世では李世民のように親以上に称えられたんじゃないかな。 (親子といえども後々まで生き残った者の勝ち) まぁホントは事業起こした信長が偉いんだけどさ。 それにしても、一体何の用事で京都に舞い戻ったのやら。 殆ど兵も居ない所で会ったりしたら、権限分散してリスク減らしても意味無いじゃん。
>>94 一仕事(武田征伐)終わったしゆっくり茶でも飲んで休もう
ってところじゃないか?
信長からの呼び出しだし
97 :
三位中将 ◆CASVAL9Zfw :2007/01/09(火) 00:54:19 ID:g+Udzejw
あげーい
98 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/10(水) 17:19:54 ID:vE4nKGY5
そうだよね、スレあっていいよね。 当然、PHPの織田信忠読んだよね!
ってか、PHPや光文社の書き下ろしでしか主役になれない信忠。 信忠関連のスレは、前からあったよ。 いつも消滅したり、過疎っていったけどね。 本人より、その生母疑惑や婚約者・側室の謎のほうに 話題がいきがちだったし。
信忠小説は近衛も父・信長も微妙だった 先代にコンプレックス抱きまくってる二代目というパーソナリティ自体、近代的な感性だよね 戦国武将の俗に二代目って呼ばれる人達でそういうタイプって徳川秀忠ぐらいだし ああいうナヨナヨした信忠と、実際に果敢に織田家の軍団長として戦い 武田を瞬く間に責め、妙覚寺で峻烈な生涯を終えた信忠像が重ならないんだよな 俺としては適度に自信過剰で情が深く、颯爽とした信忠がみたいね 大体、信忠軍団だって斎藤新五や森長可とか若くてイケイケな人間で構成されてるんだし
新田次郎が描いた織田信忠像!
祟福寺の信長、信忠の墓石は同じ石で、二人分字が刻まれていて、位牌堂も二人一緒。 急なことで本人が指示した訳ではないだろうから、この配置は周囲の視点な訳だが。 お前ら一体どんだけ仲が良かったのかと。 こう、仲が良いと、多少のコンプレックスはあっても表に出てきにくい気がする。 なんぼ偉大な父でも、自分にとっては良い父さんでしかありえないというか。 逆に自分が一番親の有り難さ偉大さを理解しているとか切り返されるかもしれないけど。
まあ信長も肉親や親しい人には甘々な人だからな ただキレたり、嫌った人間にはトコトン残酷だけど その弱点が無くて家中の誰からも慕われたとなれば中々聖人君子かも知れないな
大身の直属家臣って、河尻秀隆と森長可ぐらい?
一様池田も付けられてたと思う。 場合によって、与力で滝川とか
106 :
そうだよな。クェス・パラヤと同じか・・・ ◆CASVAL9Zfw :2007/01/20(土) 00:57:01 ID:Y8LS6G1U
保す
信忠は尾張美濃の直轄地に加え甲斐信濃上野の3国を自由に動かせた 柴田を越えてるよな・・?
信忠が主人公のif歴史物ってない?
>>108 感想は人それぞれだと思うけど、織田武神伝のラストがちょっとあっさりしすぎ
というか、gdgdな感じが・・。
近衛龍春の織田信忠読んでるんだけど、百合は本当に美人だったんだろうか・・・
112 :
人間七七四年 :2007/02/13(火) 14:39:27 ID:O9ntWpwm
松平信康よりは下かもしれんが、徳川秀忠よりは優秀そうだw
113 :
人間七七四年 :2007/02/14(水) 13:43:22 ID:KMQjonV4
信康より信忠は実績も家柄もおそらく能力も上だろう 死に際も信忠のが上
114 :
人間七七四年 :2007/02/14(水) 15:34:02 ID:UV9W41vB
同意。
115 :
人間七七四年 :2007/02/15(木) 21:39:46 ID:yyDlTGQn
松村雄基主演でドラマやってくれぃ!白い褌をチラとみせながら太刀を振り回す 二条御所のラストを想像したら興奮してきた。親父は隆大介ね♪
116 :
人間七七四年 :2007/02/16(金) 09:46:12 ID:PLukb9Rr
>>115 馬鹿?
おんな風林火山厨は引っ込んでろ!
117 :
人間七七四年 :2007/02/16(金) 12:12:34 ID:otdy960+
>>116 信忠主役のドラマがみたいだけだ!ボケ!!
118 :
人間七七四年 :2007/02/16(金) 12:16:13 ID:PLukb9Rr
松村が信忠で、龍が信長なら、ただの「おんな風林火山」じゃん。
119 :
人間七七四年 :2007/02/16(金) 13:22:39 ID:v1jB2CFe
松平信康はアホ説濃厚らしいよ。 神君伝説は徳川マンセーの三河物語にしか出てこない、 関が原の時の「あいつではないわ。信康のことよ」も創作らしい。
120 :
人間七七四年 :2007/02/16(金) 19:42:11 ID:zGjK0Z5o
信康が優秀なら家康も殺しはしなかっただろうね。
121 :
人間七七四年 :2007/02/19(月) 00:23:05 ID:epaf1MJM
信康はアホではなかったんでない? 信長は娘を嫁がせるにあたって婿の器量を厳しく吟味していたし なんぼ家康の子でも暗愚なら徳姫を嫁に出さない気がするよ。 徳川との同盟は、信康と徳姫の婚約を待つまでもなく成り立っていたわけだし 少なくとも嫁がせた9歳の時点では、将来有望と思わせる所があったんじゃないかな。 殺された理由は、駿河時代からの家臣から三河の家臣に徳川内での勢力がシフトしたのと 西郷局が男子を上げたことくらいじゃないかと思う。 信長型の中央集権を目指したと考えられる信康と 信玄型の合議制を目指した家康では、政策的に全く異なっていたのも原因かもしれないけど ところで、甫安太閤記に「前田玄以を五奉行にしたのは信忠が重用していたから」とあることを今日知った。 信忠は賢将なので、その目に狂いはないだろうって 太閤記の内容なんであまりあてにはならないけど、秀吉、信忠になら仕える気があったのかな
122 :
人間七七四年 :2007/02/19(月) 18:09:36 ID:nCc++P1S
秀吉は信忠と懇意だったという秀吉側の史料が(ry
123 :
人間七七四年 :2007/02/20(火) 00:40:48 ID:TTHT+BKB
>>121 婚姻同盟は同盟関係をさらに強化する目的でやるものだし
個人の資質なんて関係無い。
124 :
人間七七四年 :2007/02/27(火) 17:25:42 ID:/3rw/Gz2
保守あげ
125 :
人間七七四年 :2007/02/27(火) 17:28:09 ID:/3rw/Gz2
アゲ
126 :
人間七七四年 :2007/02/27(火) 17:49:54 ID:U1kTvwYL
家臣の子にくれてやってるぐらいなのに 重要な同盟国にケチってやらないなんて事はないわな 信長にしてみれば家康の子はアホの方が嬉しいだろうし
127 :
人間七七四年 :2007/02/27(火) 21:15:07 ID:8VeF8F35
権力が盤石になってからは、妹や娘は処遇に口出しにくい同盟国は避けて家臣にやってるけどな 長曽我部なんか、娘でも妹でもなく、家臣の娘使って同盟しているし 徳川も、濃姫出産伝説が本当なら正室の娘はもらえず、側室の子だよね 死人に口なしが徳川常套手段なので、五徳が信忠と同腹というのも、どうだかと思う。
128 :
人間七七四年 :2007/02/27(火) 21:17:24 ID:BHEWw3+H
信康がアホか優秀かはあまり関係ないような気がするが… もちろん、織田家にとっても
129 :
仙台藩百姓 :2007/02/27(火) 21:35:37 ID:2xW0dYsu
政宗公が同じ歳の時は地方を切り従えて200万石の領主になっていた 信忠は親があれだけ大勢力を築いたのにも関わらず何とも情けないボンクラですな
130 :
人間七七四年 :2007/02/27(火) 21:51:12 ID:AXsagJ+M
>>129 伊達の最大領土って150万石じゃなかったっけ
しかも最初50万石だろ 有利すぎ
131 :
仙台藩百姓 :2007/02/27(火) 22:25:15 ID:2xW0dYsu
(゚Д゚) 織田は50万石どころか500万石以上あっただろ 何が有利やっちゅーねん
132 :
人間七七四年 :2007/02/27(火) 22:46:47 ID:7XEOVNV9
いつを基準にしてるのかまったく不明
133 :
人間七七四年 :2007/02/28(水) 20:30:50 ID:9aXnSreM
伊達家は三代に渡って支離滅裂な行動してる
134 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 00:29:21 ID:cHonXY9s
当主として活動した実績のある政宗と、実質的には織田家嫡男のまま死んだ信忠を同じ土俵で比較しちゃあダメだ。
135 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 00:31:32 ID:mKElZJin
政宗は大局と関係ない遠方の地でちょっとばかり活躍したからって、生まれるのが遅すぎたとか寝言言われて大変だよなw
136 :
人間七七四年 :2007/03/08(木) 01:42:01 ID:nW1/YPOC
仙台は戦国期の政宗と関係ないし
137 :
人間七七四年 :2007/03/14(水) 09:57:11 ID:emrFXJE/
織田信長は、次男信雄の側近に生母の親戚である生駒の関係者を付けていたし、 三男信孝の側近にも生母の親戚である坂や岡本の関係者を付けていたそうだ。 信忠の側近の中に、信忠生母の親戚が含まれている可能性は高いように思う。
138 :
人間七七四年 :2007/03/14(水) 22:29:10 ID:z4yjqadF
>>137 信忠の母も生駒という説もあるけどな
帰蝶が子を産んだって説も稀に見るから、その論理で言えば
美濃衆をつけられたってことから帰蝶が実母である可能性も・・・
139 :
人間七七四年 :2007/03/15(木) 00:12:13 ID:71lobdPV
話は変わるが 柴田に越前与える時の掟状の最後の条文なんだけど 「……我々を崇敬候て、影後ろにもあだに思うべからず、我々ある方へは足もささざるように心持ち簡要に候、……」 昔読んだ本を読み返している時に複数形になってることに気がついたんだけど この「我々」て、信長と信忠のことだよな。 いくら信長でも、柴田に、織田一門全員に対して足もささざる心持でいろとは言わないだろうし。 岐阜の頃の話で信忠と信長同居しているから、我々ある方は岐阜か。 というか、何度読んでもすごい文章だ。公文書で正面きってこんなことを書ける神経が解からない。 しかしこういうしょうもない文章にも信忠を盛り込む親バカさは流石だと思う。 信雄の伊賀攻め叱責の文章にも、何気なく「兄城介大切」とか出てくるよな。 もう信長の親バカエピソードは発掘しつくしたと思ってんたんだけど、意外に色々あるもんだなぁ。
140 :
人間七七四年 :2007/03/16(金) 19:35:59 ID:WrHh2IYd
だが親子喧嘩もしてるんだよな。 信忠が能に凝りすぎて道具を取り上げられ しばらく面会も許されなかった。
141 :
人間七七四年 :2007/03/16(金) 20:09:36 ID:sDdPHJCb
え?そういうプレイじゃないの?
142 :
人間七七四年 :2007/03/17(土) 19:47:18 ID:DkLO02Dx
>>139 ちなみに俺を尊敬しろってのは戦国大名の常套句です。
元就や信玄も言ってます。
143 :
人間七七四年 :2007/03/22(木) 07:14:52 ID:zOqK8kQ3
>>140 あれって何時の世にもある世代間ギャップだと思う
信長だって敦盛舞ってたんだし
信忠たって別に能で身持ち崩したわけじゃないからさ
今川のボンクラ息子とは違うだろ
父親「ピストルズのコンサートに行くだと!駄目だ!そんな不良に育てた覚えはないぞ!」
娘「パパだって昔プレスリーが好きだったくせに!」
みたいな親子喧嘩を天下人クラスの人がやっただけ
144 :
人間七七四年 :2007/03/23(金) 05:56:04 ID:NpNJ1Xwr
武田攻めで一族らをことごとく殺害し 快川和尚も焼き殺す。 そのわずか3ヶ月後の死。 因果応報という気もする。 それを言ったら信長は何人殺したのか見当も 付かないわけだが。
145 :
人間七七四年 :2007/03/23(金) 06:21:11 ID:q/sp1X0w
これは資料も何もない想像の話だから読み飛ばしてもらって構わないが 勝頼には思うところがあったんじゃないだろうか 偉大な父を持つ者同士 自身の手で決着を付けたかったんじゃないかと
146 :
人間七七四年 :2007/03/23(金) 08:45:01 ID:GUDOq3Br
とっとと松姫渡せばこんなコトにはならなかったんだよバカヤロー!! が正解
147 :
人間七七四年 :2007/03/23(金) 15:34:15 ID:Y9oKMZYk
んなあまいもんじゃないだろ。 松姫にはなんとか幸せになってほしかったが・・・明智の馬鹿野郎。
148 :
人間七七四年 :2007/03/23(金) 18:37:57 ID:udRPDhkY
本能寺は信長の天下を見てみたかったという思いよりも 信忠の将来を見てみたかったという思いの方が強いかもしれん
149 :
人間七七四年 :2007/03/24(土) 23:47:21 ID:uLc07CBv
>>148 同感本当にそうだと思う。信忠を将軍にして自分は将軍父前右大将として
官位体系から外れたところで好き勝手やりたかったのが本音なんだろうと思うな
右大将じゃなく右大臣の間違い
152 :
人間七七四年 :2007/03/25(日) 06:04:11 ID:+Tlvy+Oa
織田政権は徳川のような身分制度は出来なかったと思うから 実力のあるものが実力を発揮出来る場に立つことが出来る社会になっていただろうと思う それ故に徳川のような長期政権になる事も無かっただろうけど あと、キリスト教(当時のキリスト教はカルト集団)の禁止も鎖国(他国を植民値化していたイギリス、イスパニア等との国交断絶)も無かっただろうから 西欧諸国から日本を守る事が出来たかが気になるところ 鉄甲船とヨーロッパ艦隊、戦闘したらどっちが強いかだね
153 :
人間七七四年 :2007/03/25(日) 16:12:13 ID:nVPz6IXq
信長は政教分離に関してはかなり厳しいからキリスト教に関しては恐らく問題ない。 長期政権云々は江戸幕府も秀忠や家光でほとんどの基盤を完成させてるので家康だけの功ではない。 陸上戦闘に関しては地の利もある日本側が有利なので西欧諸国から守りきれるのはほぼ確実と思われる。 そもそも西欧諸国は兵站が長すぎて攻めるに攻めれないのではないか。 第一西欧諸国が攻めようとするなら鎖国時代に攻めてるよ。 西欧諸国が来なかったのは他で忙しかったからに他ならない。
154 :
人間七七四年 :2007/03/25(日) 19:28:00 ID:+Tlvy+Oa
>>153 その陸戦も国内のクリスチャンが蜂起したら本願寺のように厄介な事になるんじゃないかと
あと、宣教師が諜報員の役割を果たしている面もあったから
鎖国とキリスト教禁止があったから状況が分からず
遠路遥々日本に攻め込むにはあまりにもリスクが高かったと思われる
で、西欧諸国は中国進出の拠点を欲しがっていたわけだから
日本は軍備も豊富だしうってつけだと思うわけよ
なので西欧諸国が日本を狙った可能性はあると思う
これらをしっかり押さえられる政権になるかどうかは信長よりも信忠、信忠の嫡男の方が鍵になると思うから
信忠の将来を見てみたかったってのはそういう事
155 :
人間七七四年 :2007/03/25(日) 22:59:29 ID:y+yIeKwB
二条御所から前田玄以に三法師を託して脱出させたなんて 書いてる本があるが事実誤認もいいところだな。 そんなことが出来るなら自分が逃げてるし第一三法師など 連れてきているはずがない。 信長が本能寺に正室の帰蝶を連れてきてたというのと同じく ありえないだろ。
156 :
人間七七四年 :2007/03/25(日) 23:28:54 ID:nVPz6IXq
>>154 日本を攻めるには兵站の問題があるって。
補給港を抑えないとだめなんだが、琉球も朝鮮も明の保護国。
北方は遊牧民に怯えなきゃならんし、丁度ヌルハチ前後の時期に重なってこっちも不可能。
蝦夷がどうなるかだろうが、結構な雪国で厳しくないか?
157 :
人間七七四年 :2007/03/26(月) 03:30:11 ID:HbWLbc+w
>>156 そこで鍵を握るのが国内の宣教師達になるかと……
158 :
人間七七四年 :2007/03/26(月) 10:45:39 ID:QzmsC75S
>>157 国内宣教師が不穏な動きをしはじめたら当たり前のように締めつけるんでないかな。
国内宣教師勢力はアテにならんよ。
本願寺みたいな大勢力になる前に規制されてオチ。
信長はそこまで馬鹿じゃないし、信忠もそこまで馬鹿ではないよ。
それに秀吉に叛意が無ければ事が起こる前に止めるだろうし。
159 :
人間七七四年 :2007/03/27(火) 05:11:57 ID:rpUqcfv5
>>158 別に信忠に日本を守る事は出来なかったと言うつもりはないよ
むしろ守れたと信じたいぐらい
ただ、徳川政権のように最初から西欧諸国が諦めた状況は生まれないと思うから
その手腕を見てみたかったと
そういう意味での”信忠の将来を見てみたかった”ね
160 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 07:23:14 ID:LWt6vfw2
信忠主人公の大河作ったらウケそうな気がする 全体的にウケのいい戦国時代だし 松姫の話とか能の道具取り上げられた話とかネタになるものはあるし あと、利家とか一豊とかそうだったが 本能寺以降視聴率ガタ落ち その点信忠だと本能寺でさっくり終わりに出来る しかも今まであまりスポットを浴びていない人物だから 義経のような「またかよ」も無い
161 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 14:47:27 ID:AnyHlaSI
結構マイナーで講談的には無能扱いされてるので視聴率的な問題があって難しいのかも。 一番の問題は信忠主人公の有名小説が見当たらない事なんだけどな。
162 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 14:50:41 ID:0XlangSK
生涯が短すぎなんだよ ほとんど信長の話になる 多分後半まで信忠出てこないな
163 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 16:16:29 ID:LWt6vfw2
近藤の生涯も短かったし その辺は何とかなるだろ 有名な小説が無いのはいかんともしがたいが…… 講談的にそんなに無能扱いされてるか? そりゃ信長には劣るが
164 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 17:55:41 ID:tAmy9NkA
信忠物語、始めるとしたら、桶狭間あたりかな? 桶狭間の前夜、信長は早々に奥に引っ込んだらしいけど そこで奇妙や濃姫と和んでるとこから始めるとか 自体が緊迫する中、めっちゃ普通に家族団欒してそうなイメージがww 稲生の戦いでも良いよね。 戦いの後、一旦弟を許した信長。でも、その数ヵ月後に奇妙が生まれる。 弟は再度謀反の兆しあり。 何故弟が謀反を起こすか、信長も重々承知している。 美濃の道三が破れ、織田は四方を敵に囲まれた。 斉藤、武田、今川、すべて敵。 でも信長は濃姫を離縁できない。つまりあの状況下で信長が他国と結びなおすことは不可能だった。 信勝が信長に勝てば、美濃と結べる。家臣団もそこに賭けていたんだろう。 未だ嫡男も居ない信長は、自ら引くことはしないが、負けてしまっても構わないと思っていた。 だからこそ、謀反を起こした弟を許した。 ただそこに、信忠が生まれた。 幼い信忠を見て、信長は弟を卑怯な方法で殺す覚悟を決める。とか。 書き様によっては、結構ドラマティックになりそう。 合戦も多いから、ホームドラマ一辺倒にはなりそうにないし、結構良いと思うんだけどな。
165 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 20:07:25 ID:AnyHlaSI
・信康切腹事件が信長の嫉妬により起こったという講談補正。(信康神格化、信忠凡人化) ・信忠が能に傾倒し信長に叱責される事件。(信忠うつけ化) ・本能寺の変逃げればいいのに少ない兵数で二条城に籠るという戦略眼の無さ。 (実際は逃げれるようなものでもないんだが。信忠愚将扱い) これだけ揃ってれば無能扱いされてると思っても間違いはないと思う。
166 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 20:32:05 ID:BPXv4s+H
>>155 三法師はともかく、前田玄以はどこにいたんだっけ?
167 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 21:03:14 ID:t+KyrxmQ
二条城にいた前田玄以に脱出して岐阜に向かわせ、 三法師を岐阜城から清洲城に移すよう命令したんじゃなかったけ?
168 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 21:09:46 ID:4MEqrISN
「忍びの風」の信忠は格好よかった。脇役だけど
本能寺の変で織田側の最悪の大罪人は有楽ではなく村井春軒 本能寺のめっさ近くの宿舎にいながら真っ先に信長見捨てて一目散に逃げ出し 信忠のとこに転がり込んだと思ったら逃げられないからと言って二条御所籠城を献策 「村井山城は存在自体が大罪」スレでも立てたいくらい愚物
170 :
人間七七四年 :2007/03/29(木) 22:58:09 ID:t9wDby1V
村井のことはどうでもいい。何故なら信忠は本能寺で既に死んでいる派だから。 本城惣右衛門覚書だと本能寺の中にもともと居たのは3人。男二人、女一人。 男の片方が信長だとすると、片割れは信忠ぐらいしか思いつかん。 印象としては後で殺されたほうが信長だな。白い服着てて「上様」だし。 信長が最期に首の無い信忠を見たんかと思うと、戦慄するが。 あんま本城惣右衛門覚書の信憑性が高いとも思わんけど 本能寺については秀吉が文書の書き換えを命じていることもあり 残っている正規の資料をあてにするわけにもいかんところが痛い。 信長と信忠が親子水入らずで宿泊していたなら、彼らが「上様」と「殿様」であり リスクの分散の為にも、この頃の重役のように、要所要所は別行動とらないといけない 立場であることを考えると、外聞悪すぎなので迷わず隠すだろう。 秀吉だって信長の威光を利用したい訳で、架空の「変時に本能寺に居た侍女」を でっち上げるくらいは、お茶の子さいさいだろうし。 もしかすると村井は死人に口なしと泥を被されのかもしれないし、糾弾する気は起こらないな。 明智が二条に手をつけるまでのタイムラグも、既に信忠をしとめた後だとしたら納得が行くし。 前田だって、信忠が生きていたら、三法師を救おうとするよりも信忠を脱出させる術を 考えるだろう。(三法師が生きていても、織田が巻き返せる訳ではないことを考えると 普通の神経なら、幼児より殿を選ぶ。酷い話だが当時の乳幼児の死亡率を考えると当然。) 女一人は、濃姫かな。 はやくも6月6日に、崇福治に信長の死を伝えた手紙は、濃姫スレによると濃姫らしいが 資料にある通り日野に脱出していたなら、諸将が信長の死を信じることが出来ず 光秀につくのを躊躇っていた時期に信長の死を公表するのは、自殺行為だ。 手紙が濃姫のものでなかったと決め付けるのは簡単だが ここは濃姫は捕虜になっていた説を押したい。 トンデモダケドナー。 ・・・・・・本能寺に関する信頼できる資料が欲しいです。マジデ。 秀吉事実を粉飾すんなよー。 本城の方が真実に近いんなら、信長も信忠もそしりを免れたし、濃姫も捕虜になって 光秀に与したという汚名から逃れられたんだから、素直に「秀吉良いやつやん」と 受け止めるべきなんだろうけど。(まぁそうだとしても、恩を売っただけだろうが) そんな訳で、蓮台山阿弥陀寺には信長と信忠の遺体があると思うのです。 濃姫に信長の死を公表させようとしたら、最低でも信長・信忠の遺体を手厚く葬ることぐらいは 要求されると思うので。 といいつつ、一つ信憑性の高い資料が世に出たらそれで手のひらを返すわけだが。 本城惣右衛門覚書は原本が失われていて、詳細に検証されているわけでもなさそうだし。 案外そのうち信長公記の文面で合ってると納得できるようになるかもしれないしね。 (唯一原本が残っている1巻と、本能寺の描写のある15巻では同じ人間が書いているとは 思えない程文体の違いがあるので、最終巻を手放しに信じる気にはとてもなれないが)
171 :
人間七七四年 :2007/03/30(金) 01:31:34 ID:r2b5ueMe
実際は秀吉が謀叛起こして中国大返しして光秀が信長を守り切れずに死亡という可能性もありうるんだよな、恐らくこれは違うと思うんだが。 確定的に信憑性ある書物も無いもんだからいくらでも想像できてしまうのも本能寺を考えるのは楽しいんだけどな。
172 :
人間七七四年 :2007/03/30(金) 02:54:26 ID:uUmXRbKY
>>165 1番目なんか今や鼻で笑われる説だがな
信忠のイメージとしては信長の破天荒さと信勝の優等生ぶりの中間
いいとこ取りでもなければ悪いところ取りでもない
正しく足して2で割ったって感じ
173 :
人間七七四年 :2007/03/30(金) 03:16:02 ID:r2b5ueMe
>>172 だが山岡の家康をバイブルとしてたサラリーマン集団は鼻で笑われる説を今でも信じてるの多い。
また大河を見てる層はその層が多いってのが問題だ。
174 :
人間七七四年 :2007/03/30(金) 06:27:35 ID:WNHmpY0A
大河の「信長」でさえ信長が殺させたということになってたしな。 15年前の作品だから無理もないが。 もっともこれには信長が殺すよう命じたのではなく閉じこめるだけ では納得しないということだったし、酒井忠次も出てこなかったが。
175 :
人間七七四年 :2007/03/30(金) 09:20:56 ID:VPzt8+KX
そういや今夜、DQN一家の次男が信長を演じるらしいなw
しっかし本能寺の検証はネット上で結構充実してるな。
関係史料はだいたいのものが公開されてるし
>>170 そうすると当日吉田だか晴豊だかが二条御所を陣中見舞いに訪れたのは何だったのか
ということになる
しっかし本能寺の変はネット上でかなり検証されてるなあ
関係史料はだいたいのものが公開されてるし結構充実してる
>>170 中々面白い着眼。そうすると変当日吉田だか晴豊だかが
攻囲中の二条御所を陣中見舞いしたのは何だったのかということになるね
178 :
人間七七四年 :2007/03/30(金) 16:35:36 ID:/OimOU6q
>>171 本能寺に討ち入った明智兵の記録が発見されたからさすがにその説は否定出来る
秀吉が最初明智とグルだった可能性は否定出来ないけど
179 :
人間七七四年 :2007/04/08(日) 21:51:17 ID:SocKnqtX
三法師を岐阜から清洲に移すよう命じたのが事実とすれば やはり尾張が織田の本国で安全だという判断だろうか。 現に岐阜城は斉藤利尭に占拠されてるし。
180 :
人間七七四年 :2007/04/09(月) 03:59:26 ID:xCUK2KwI
それもあるかもしれんが 自分が育った環境で息子を育てたいってのもあったのかも? 奇妙も幼き頃は尾張に居たから
181 :
人間七七四年 :2007/04/24(火) 15:34:00 ID:yWfSf89/
もう一人、秀則って子供がいるんだね。
182 :
人間七七四年 :2007/04/26(木) 22:40:14 ID:HTif6uU0
>>170 遅レスだが信長の遺体が見付からなかったというのは
定説(?)のはずだが。
見付かったのなら明智方が晒し首にするはず。
それに男2人が信長父子なら家臣たちはどこに消えたのだ?
ただ公記にあるように信長が槍や弓で戦ったというのは
作者の創作ではなかろうか。
しばらく戦った後奥の部屋へ引っ込んで自害、遺体を隠す
などという余裕があったとは思えない。
実際の信長は謀反を知るとすぐに自害してしまったのではないか。
なお信忠に関しては一般に言われてる通りだろう。
183 :
人間七七四年 :2007/05/06(日) 15:29:23 ID:56TbfRlE
あげ。
184 :
人間七七四年 :2007/05/07(月) 02:36:19 ID:nb/Vghld
明智兵の日記が発見されたのは、10年位前になるのかな? あれで本能寺は人がほとんど居なかった事が解ったからな。 普通考えたら、信長の近習警護が居ても京都なら二百人程度だろうし、 さっちして逃げた奴もいるだろうしな。 本能寺に火を放ったのも、信長側じゃなくて、明智側だったけかな?
185 :
人間七七四年 :2007/05/07(月) 09:17:42 ID:BMqbQPhq
>>184 その日記のお陰で、秀吉が謀反&信長・信忠・光秀が死亡って珍説が完全に否定された。
186 :
人間七七四年 :2007/05/11(金) 00:05:49 ID:heGdJL/T
信長が信忠を後継者として他と隔絶した立場に置いたために 2人とも死んだことで織田政権は瓦解。 信雄、信孝は他家へ養子に出したり、本人らの資質のこともあるが 信忠だけを特別扱いしなければ秀吉に天下人を奪われることは なかったかも。
187 :
人間七七四年 :2007/05/11(金) 00:37:32 ID:fAP9FWfp
188 :
人間七七四年 :2007/05/11(金) 01:21:23 ID:kBkSV2AH
どっちにしろ、史実と一緒で信孝と信雄が争ってと、同じ結果だろ。
189 :
人間七七四年 :2007/05/11(金) 23:02:57 ID:7vJUq7Il
むしろ比較的早い時期に長男を後継者と定め 他の子供達を偏愛して権力を握らせたりしなかったのは正解と言えるんじゃないか。
190 :
人間七七四年 :2007/05/12(土) 10:07:29 ID:O18dQ3SM
正しい後継者教育だろうな。 序列も一応決めてたんだが、秀吉がねじ曲げただけのことで。 通常なら二人が死んだ時点で、秀信を後継者として、後見人として信雄がつくもんだろう。(序列的には) まぁ、それをやると信孝が納得しなかったから、後継者としての教育はきちんとできてなかったのかもしれんなぁとも言えなくもないか。
191 :
人間七七四年 :2007/05/24(木) 21:27:18 ID:EMtHUy5v
信忠と信孝が好きだ。 信雄は違う意味で好きだ。
192 :
人間七七四年 :2007/05/24(木) 21:41:52 ID:vxsjjV+G
信忠と勝長が好きだ。 信雄と信包と長益はもっと好きだ。
193 :
人間七七四年 :2007/05/24(木) 21:44:02 ID:oSm6DCVI
信忠と勝長が好きだ。 長益は数寄だ。
194 :
人間七七四年 :2007/05/24(木) 23:29:52 ID:Rdxy7r+4
信忠さんが好きです。 でも象さんの方がもーっと好きです。
195 :
人間七七四年 :2007/05/29(火) 13:15:36 ID:zVGyaRzX
もし信忠が生き残ったなら、おそらく大陸で人生を終えただろう。
196 :
人間七七四年 :2007/05/29(火) 21:05:08 ID:riMgHPfl
197 :
人間七七四年 :2007/05/29(火) 22:54:48 ID:xhhfWpZi
幕府の時代に入るのが早まっただけでないかと思えなくもない<if信忠生存
198 :
人間七七四年 :2007/05/29(火) 22:58:11 ID:7dHLELLC
東海三国なのと甲信も持ってるのとじゃだいぶ違うんじゃね、家康は
199 :
人間七七四年 :2007/05/30(水) 09:41:19 ID:+QNou8RU
徳川幕府じゃなくて織田幕府できただけじゃないの?
200 :
人間七七四年 :2007/05/30(水) 13:54:34 ID:uUm2rIEt
信長、信忠の時代は、国内で幕府…なんてスケールじゃ終わらないと思うなぁ。 外征に乗り出す匂いがプンプンする。 彼らが目指していたのは、皇帝制じゃないのかなぁ。 天皇は複数擁立するとかして、唯一無二の存在にしないとかさ。 まぁ、本能寺の変はこの辺りが臭いんじゃないかと思うな。 もちろん想像だけどね。
201 :
人間七七四年 :2007/05/30(水) 14:49:37 ID:+QNou8RU
信忠は後継者としては優秀に振る舞ってる感じだが、開拓者としてはどうだろうな。 正しくは未知数だろうが、信長ほど成功性を感じない。 二条城の振る舞いから考えるとだけどね。 信長なら、同じ状況で信秀が本能寺で討たれたら、即座に二条城から逃げてたとは思う。
202 :
人間七七四年 :2007/05/30(水) 20:35:32 ID:8hWeiFuO
>>201 なんかの漫画で信長が倅を可愛がりすぎたつってたな
そんな感じじゃね?だから信忠は逃げようとしなかったんじゃないの
もっとも逃げる隙があったのかどうかの正否はわからんが
203 :
人間七七四年 :2007/05/30(水) 20:45:19 ID:5CoQ1kvx
あくまで「逃げられたかも知れない」って話だからね。 信忠本人からしたら「お前ら現場にいて明智の包囲網を見てから物言えや」って感じかも知れない。 それとも、この場合、問題とされるのは 「無理と分かっていても、最後まで生存に賭けて逃げようとするべきだった」って所なんだろうか。 「逃げるのは無理だから潔く戦って討ち死にしよう」という信忠の姿勢が後継者として失格かなぁ? 程度こそ違えど、信長だって信忠同様に逃げるのは諦めて戦ったようだし。
204 :
人間七七四年 :2007/05/30(水) 21:20:56 ID:eLXmSu7t
ま、その通りね 状況的に見て逃げる方がロクな結末にならんと当事者なら考える罠 それよりも、二条城に居た連中が(一部例外を除き)奮闘したところに信忠の魅力があると思う 「来世では知行をやって報いるぞ」という青年信忠には、やはり人の上に立つ器量があったんだろう
205 :
人間七七四年 :2007/05/30(水) 22:25:23 ID:ZqWCeyZ+
確かに本能寺の際に堺見物をしていた家康も、忠勝に説得されるまでは自害する気だったもんなあ・・・ あのときも家康は本能寺で畿内のほとんどが明智になびいたと状況判断したのだろうな。 大和の筒井や摂津の中川高山とも親しかったし、丹後の細川は明智の縁者だから、 あの場合じゃ誰がどう見ても明智方だと考えるのも無理ないよな。 信忠が二条城で戦うことを選んだのも、こういうことを考慮した上でなんだろうね。
206 :
人間七七四年 :2007/05/30(水) 23:47:55 ID:+QNou8RU
そんな状況でも信長なら逃げそうな予感はするが・・・ ただ、信忠は後継者としてはこの上なく優秀だとは思ってる。
207 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 08:04:08 ID:iGFy6EML
>>205 あのロリ後家好きがそんな殊勝な事を言う訳がない
208 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 09:15:08 ID:ds6fOFar
「信長なら逃げた」はよく見るが、無いと思うなぁ その考えの論拠は多分浅井の裏切りの時に脱兎の如く逃げたからだけど 本能寺・二条城は明らかにそれより悪い状況だし
209 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 12:52:39 ID:2Ap/EPWz
たしか、明智方は本能寺と二条城を同時襲撃しなかったはず。 信忠が本能寺の一報を聞いてから、明智方が押し寄せるまで、結構なタイムラグがあった。 先に襲われた信長の方は逃げ出せる状況になかったかもしれないが、 信忠の方は全くチャンスが無かったとはいえまい。 現実に、有楽斎など脱出に成功した者もいる。 信忠の場合、数少ないチャンスを生かせなかったというより、生かさなかったという印象が強い。 だから、もし信長だったら…となるのだろう。 しかし、織田家にとっては、まさに踏んだり蹴ったりの出来事だったろう。 信忠までもが死んでしまったのだから。
210 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 16:01:16 ID:1Cd8ZolL
老犬あたりにとっては踏んだり蹴ったりだったかどうか微妙だけどな
211 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 19:09:57 ID:h3tvoJy4
本能寺が襲撃された時、信忠がいたのは妙覚寺だよ。 そこから二条御所に入った。 逃亡を諦めた信忠の決断については谷口克広が 新刊の中で「大きな判断ミス」と書いている。
212 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 20:51:29 ID:WdgmqgGa
まあ、そこらへんは結果論だからな。 実際、明智が逃げ道ふさいでて首とられたとあっては、その後の流れが変わる可能性もあった。 有楽斎と違って、信忠を簡単に逃がす気はなかっただろうし。
213 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 20:59:55 ID:1Cd8ZolL
筒井や細川が信長・信忠が生きていることを恐れ付かなかったっていう可能性がなくもないしな 二万近い軍勢擁してるんだから惣領を逃がすような真似はしないだろう。明智なら
214 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 21:01:51 ID:Se627/t/
信長が妙覚寺に居ても二条城に入りそうな予感 何しろ手元に軍隊らしい軍隊が居ないからな 逃げれんと考えても無理はない
215 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 22:13:46 ID:2Ap/EPWz
>>211 >本能寺が襲撃された時、信忠がいたのは妙覚寺だよ。そこから二条御所に入った。
そうだったね。指摘ありがとう。
>逃亡を諦めた信忠の決断については谷口克広が新刊の中で「大きな判断ミス」と書いている。
本屋に行ってみる。
216 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 23:22:09 ID:VJU3uOVU
逃げ延びた有楽斎や、三法師つれて逃げた前田玄以は、どうやって逃げたの? もし、京都の町屋の中に紛れ込んだのなら、 信忠は、まねしたくてもできないことだろうね。
217 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 23:37:12 ID:s93De8hQ
>>216 >三法師つれて逃げた前田玄以は、どうやって逃げたの?
三法師を連れてないからな。
一人ならなんとでもなったのかも。
前田玄以が三法師を連れて逃げたのは、本能寺の変発生時に、岐阜城にいた三法師を
清洲城に逃がしただけであって、京都から連れて逃げた訳じゃないぞ。
218 :
人間七七四年 :2007/05/31(木) 23:57:55 ID:b02vAgSl
>>212 その後の流れってなんだ?よく分からん。
有楽とて簡単に逃げられたんではなかろ?
有楽だからって見逃してもらえるわけでもないわな。
そもそも信忠と有楽の顔が分かる兵などいくらもいないだろ。
>>213 明智ほどの人物が同時に囲まなかった理由をどう考える?
大きな隙を作ってたのは事実だわな。
219 :
人間七七四年 :2007/06/01(金) 00:46:57 ID:LWygTo3u
坊主だからじゃね?
220 :
人間七七四年 :2007/06/01(金) 01:32:47 ID:qjLoMByi
織田家の棟梁で且つ時期天下人と有楽を比べられても。 実際信忠でなければ相手にもされないんじゃない?
221 :
人間七七四年 :2007/06/01(金) 01:50:21 ID:iKyY8K6j
有楽斎なんて、信忠親子、信雄、信孝よりさらに後回しに過ぎない。 信雄、信孝を討てない以上、見逃してもまったく問題のない相手。 しかし、信忠はまったく違う。逃したら、反明智ですぐに体制が整ってしまう存在。
222 :
人間七七四年 :2007/06/01(金) 07:40:25 ID:7n2jrmnT
>>218 さしあたりは信長殺害を最優先したんだろ
ただそんなこと知らずに明智が謀反って聞いたら
相当周到に根回しされてるだろうと考えても仕方ないと思う
有楽が逃げおおせたのは
>>220 ,221も指摘のとおり「ぶっちゃけどうでもいい」ってのはもちろん
明智軍が信忠にかかりきりになったんで追跡が遅れたってのもあるだろうね
信長が死んで信忠が逃げ延びたら、今頃『本能寺信忠黒幕説』一色だっただろうな。
224 :
人間七七四年 :2007/06/01(金) 22:08:29 ID:lGJBdL84
>>221 まあ確かに有楽は元々茶人だからな・・・仮に次期織田家当主にでもなったとしても、
才覚はしれてるから、明智も後で滅ぼせばいいと踏んだんだろう。
まあ序列的にも信雄、信孝、信包の方が上だから、生きてても大勢を覆すほどじゃないしな。
225 :
人間七七四年 :2007/06/02(土) 13:37:55 ID:OB3AboMk
>>223 武田侵攻で戦功立てたばっかじゃん、信忠。
なんか大ポカやらかして、その失敗を誤魔化す必要とかもない訳だし。
むしろ親父殺したりしたら、信孝や信雄に後継者交代の大義名分を与えちゃうだけだし
北条にやられた滝川みたく味方の動揺や敵の士気増大も生み出しちゃう。
流石に生き延びてても黒幕説は出てこないと思うが…
226 :
人間七七四年 :2007/06/02(土) 19:37:00 ID:9+bfTpRO
信忠「武田打っ潰した!俺って凄ぇーな! 織田家の家督じゃ足りないから天下布武も俺のものだぜ!」 とか 実は信長と信忠は不和で、信忠が武田攻めを速攻で行ったのはそれに起因 でもって、自分の実力を示すべく光秀を取り込んだ とか、そういう妄想はけっこう出てくるんじゃね?
227 :
人間七七四年 :2007/06/02(土) 20:27:43 ID:NjLAssnv
能道具を取り上げられたのに腹が立ったのでやった、今は結構後悔している
228 :
人間七七四年 :2007/06/02(土) 21:49:20 ID:OB3AboMk
んなアホなw と思ったけど、考えてみりゃ明智の謀反は折檻を食らった怨恨説とかも それと大してレベルは変わんないか。
229 :
人間七七四年 :2007/06/04(月) 20:09:40 ID:iq4+XRr6
>>218 >>222 信忠が妙覚寺にいたことは明智は知らなかったはず。
本能寺を落とした後、慌てて妙覚寺→二条御所と回ってる。
230 :
人間七七四年 :2007/06/08(金) 03:50:48 ID:6QWt5JrU
織田の長子は〜
231 :
人間七七四年 :2007/06/08(金) 18:28:40 ID:pBLFO74t
あまり知られてないが光秀と信忠の個人的なかかわり合いはどんなもの? 一益とは喧嘩できる程度は仲良かったらしいが
232 :
人間七七四年 :2007/06/08(金) 22:51:53 ID:EOPudeYE
まあ秀吉や光秀は一緒に戦ってるからなぁ 柴田だけは織田軍団での共闘が少ない
233 :
人間七七四年 :2007/06/08(金) 23:03:48 ID:OyPgk9iD
信長と光秀 秀吉と光秀 勝家と秀吉 この辺仲悪そうなイメージあるけど実は無茶苦茶仲良しだよな
個人的な仲のよさと政治的な仲の良さは別物だからな。
235 :
人間七七四年 :2007/06/12(火) 22:19:07 ID:+KrHmtTo
本能寺襲撃は本城惣右衛門覚書にもあるように 相手が誰だか分からなかった者が多かったようだが 二条御所包囲時には相手が信忠を始めとする織田方と 分かり戦意が落ちた兵も多かったとか。 そうしたことを考えると信忠が逃亡して明智方と遭遇 したとしても討たれたとは限らないかも知れん。 上にもあるように信忠の顔の分かる兵などいくらもいなかった ろうし。 元々明智軍の中で相手が信長・信忠父子と知ってた者は ほんの一握りだったし。すでに言われてるように家康を討つと 勘違いしてる者も少なくなかったようだ。
236 :
TRICKSTER ◆CASVAL9Zfw :2007/07/04(水) 18:53:10 ID:TusIqETB
あげぢゃ!
237 :
人間七七四年 :2007/07/08(日) 00:29:24 ID:TD5dAOvp
だけど、信忠が生きていればなあ〜 歴史は変わっていたかも知れない。 でも日本がどういう国になっていたかとても興味は尽きないわけだけど。
238 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 07:14:29 ID:psnRn7WO
信秀、信長、信忠ラインが好きだ
240 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 20:15:49 ID:Lepe2G1Q
>>221 5000以上の動員と、周辺の国から徴兵できる大儀を持った信雄
1万以上の合戦準備の整った兵をもち、周辺の領主を従える大義をもった信孝
京から数日のところにコレだけの織田家の戦力があるのに光秀もよくやったもんだな。
241 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 20:20:18 ID:P99pOjLh
>>240 整ってない整ってない
むしろ、明智の裏切りを聞いて兵が全然集まらなかったほど
242 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 22:08:57 ID:Lepe2G1Q
>>241 光秀が謀反を起こす前に、信孝の軍勢が雲散霧消するなんて予想ついてたとしたら凄いぞ
とりあえず、従兄弟を攻め殺すだけの軍勢は有った訳だし。
信雄も信孝も有事に際して空前の馬鹿殿だったのは光秀の幸運じゃないだろうか。
243 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 22:40:53 ID:D/OzltHv
信澄のことなら、暗殺とか謀殺といったものであって、 決して軍勢を使って攻め滅ぼしたわけじゃないと思うぞ。 それに、信孝の軍勢が離散してしまった件も、所詮急場こしらえのもので 余程統率力に優れてないと留めておくのは困難だろう。
244 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 22:43:37 ID:P99pOjLh
それでも信長なら・・ 信長ならきっとやってくれる・・・・ 逃げ出す兵を統率して、光秀を倒す まぁ信孝や信雄は所詮信長の1/100程度の能力しかないわけだからな 普通の奴は無理
245 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 22:51:34 ID:YRsObcik
光秀の青写真の中には信孝の霧散は十分あったろう 信長信忠家康を討ち取り東を空白地帯にし、混乱する信孝軍を撃破し兵力を吸収し 柴田・羽柴と戦う
246 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 22:52:21 ID:TfeBrO6e
濃姫スレの手にかかると、信忠が「御方」にあてた手紙も濃姫あてらしい。 まぁ確かに、通説の信雄あては苦しい。信雄は家臣だから、目上に向けて書かれた文体は変すぎる。 この「御方」宛ての手紙は、何故か真田家に大切に保管されていたそうだが 真田昌幸と信繁が関ヶ原後に高野山に出されているので、三法師経由で真田家に流れたのかなと思った。 武田攻めの時なんかだと、臣従したばかりの真田にああいう身内に宛てた手紙を渡すとも思えないし。 数え年3歳で父を亡くし、父のことをあまり覚えていない三法師に、昌幸や信繁が 武田攻めの時の信忠の思い出話でもしたのかなとか思うとほろりとする。
247 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 23:02:57 ID:3RypNJ6b
濃姫宛というより、濃姫を筆頭とした城の留守居役への報告みたいな方向で スレでは話しがまとまっていたと思うが。 あと、信忠が書いたものだが、書かせたのは信長ではないかとも。 それなら、書状の中で「信長」と呼び捨てにしているのも納得はできる。
248 :
バロン曽志崎 :2007/07/11(水) 23:24:47 ID:I17S0OBG
>>246 その文書は本来「小川文書」と称される物で真田家とは直接関係が無い。
現在の所蔵者が真田家(というより真田宝物館)というだけ。
「小川文書」にはその他「茶筅宛」文書が複数伝わっており、「御方」が
公家衆などの尊称としての用例(「兼見卿記」等)が確認出来ることから、
近年は北畠家の後嗣となった信雄宛(もう少し広く北畠家中宛か)と判断され
ている
249 :
人間七七四年 :2007/07/11(水) 23:44:16 ID:TfeBrO6e
信忠の手紙、原文が残っている訳ではないんだね。訂正ありがとう。 そんで、信雄のこと、形式的にはまだ目上として扱っていた可能性もあるんだね。 そういや信忠の元服が遅かったから、この頃は大分信雄の方が朝廷にもらっている位は高かったね。
250 :
人間七七四年 :2007/07/12(木) 00:43:50 ID:2SVDbtgS
信雄宛で「御方」でもおかしくはないんだろうけど なんか不自然な感じはするんだよな。 他にも信雄宛が「御方」になってた例ってあるんだろうか。
251 :
人間七七四年 :2007/07/13(金) 12:59:02 ID:E7ih/Bkz
信雄宛で「御方」はあきらかにおかしいよ。 信雄になら「北畠○○(役職)殿」と書くのが普通だろ。 「御方」と書かれているということは、宛名の「御方」とは誰かすぐ特定 できるからだろう。だとすると、初陣でもあった信忠が、合戦の報告を 濃姫宛で、留守居役も含めた城の人に伝えるためだと考えた方が自然だ。
御本所とかな。 確かに変だ。
253 :
人間七七四年 :2007/07/14(土) 22:49:11 ID:UUCMwa6g
信忠の介錯人は逃げ延びたんだな 信忠も、馬の骨を火の中に投げ込んで逃げれば良かったのに
254 :
人間七七四年 :2007/07/21(土) 16:15:17 ID:YTikehNN
信忠は、氏郷・忠興・長可・秀政らの同世代の生きのいい連中を 使いこなせたかな。
255 :
人間七七四年 :2007/07/21(土) 17:54:01 ID:foXH+Bmf
信忠は甲斐攻めで普通に滝川、河尻を使いこなしてたから使いこなせる可能性は随分高いと思う 滝川なんて秀吉ですら使いこなせなかったんだぜ
256 :
人間七七四年 :2007/07/21(土) 18:19:59 ID:rRJY5hys
確かに武田攻めの手際は素晴らしかったな。
257 :
人間七七四年 :2007/07/22(日) 17:42:53 ID:Di5Q2xH8
それなのに戦国史の泰斗と言われる高柳光寿が 「信康事件は信忠より優秀な信康を信長を怖れて 殺させた」なんてことを言ってたのは?だな。 しかもその後もそれを踏襲する作家らも多くいるし。 信長も信忠もいい迷惑だ。
258 :
人間七七四年 :2007/07/22(日) 22:06:08 ID:qcS0XvID
そう、それに信長に告げ口したとされている徳姫も。
259 :
人間七七四年 :2007/07/24(火) 15:59:28 ID:HyBBCzbr
信忠時代が到来した場合 津田勝長、斎藤新五、丹羽長重、前田利長、蒲生氏郷 が大身かな。血縁的に 後、弟の穴で森長可
260 :
人間七七四年 :2007/07/25(水) 18:56:30 ID:D+gvmfrf
>>259 羽柴秀勝も早死にしなければ加わるかな?
261 :
人間七七四年 :2007/07/25(水) 22:02:56 ID:ALHnN/XE
>>259 軍団的には
河尻父子と滝川一益は更に大きくなると思う
262 :
人間七七四年 :2007/07/25(水) 22:51:38 ID:IS02tATX
柴田→前田利長 明智→津田信澄 信孝→丹羽長重 滝川→津田勝長 って感じに準血族に軍団を引き継がせつつ縮小かなぁ 信雄と羽柴は思いつかないが あんまり近い血縁ってのは危険なんで信孝と信雄、次いでに秀勝は信忠時代に芽がないじゃないかと 勝長は元服まで人質で織田家中に人脈が無い+すぐ信忠預かりだから 例外的に兄弟では力を握りそうだが
263 :
人間七七四年 :2007/07/25(水) 23:00:26 ID:ALHnN/XE
>>262 勝長つーか信房は地理的に河尻の跡が適任じゃないかな?
秀勝は同じく養子になってる二人の弟とは違ってそこまででもないと思う
264 :
人間七七四年 :2007/07/25(水) 23:59:21 ID:IS02tATX
しかし河尻はまだ軍団長クラスじゃないからさ
265 :
人間七七四年 :2007/07/26(木) 22:20:09 ID:30oKPiRD
軍団という制度自体、天下がほぼ固まれば解消されるだろう
266 :
人間七七四年 :2007/07/26(木) 22:57:52 ID:SgvGQvPI
しかし頭っから解体しますよーといって納得させるほどの独裁権はない訳で
267 :
人間七七四年 :2007/07/26(木) 23:05:41 ID:0hlCI1SK
軍団はあくまで命令系統の効率化に過ぎない
268 :
人間七七四年 :2007/07/26(木) 23:19:55 ID:SgvGQvPI
しかし、そうやって配下同士の関係が密になっていくもんだ
269 :
人間七七四年 :2007/07/27(金) 13:25:41 ID:luqojiW0
>>268 お前の言ってる話は家康が一時期三河を酒井に任せていて
事が終わっても酒井が三河を持ち続ける というようなもんだ
信長は自分にとにかく権力権限を集中させたから指一本で崩れる
270 :
人間七七四年 :2007/07/27(金) 17:38:24 ID:8zKyk/T5
三河を持ち続けるんじゃなくて、人脈を持ち続けるといってるんだけど?
271 :
人間七七四年 :2007/07/28(土) 00:36:39 ID:JrIgy/JX
272 :
人間七七四年 :2007/07/28(土) 21:47:43 ID:vtJpoplO
いきなり軍団を解体するとどういうコトになるか 所々に不満が出る 彼らは別の誰かを担ぐ 担ぐのは自分たちの見知った、共に戦場で戦った大将 あるいは 自分の所領を奪われた大将自らが叛旗を翻す さながら明智光秀が本能寺の変を起こしたように 奇跡的な速度で秀吉が帰った為に細川も筒井も味方しなかったが そうじゃない場合はどうなることか ゲームの様に武将を鉢植えすることなど出来ない
273 :
人間七七四年 :2007/07/28(土) 21:52:07 ID:F9Eau+sS
>>272 それができるんだよ 信長はそれができる体制を整えた
だから信長は凄かった
大体佐久間軍なんて一瞬で解体されちまったじゃねーかwww
274 :
人間七七四年 :2007/07/28(土) 22:01:17 ID:vtJpoplO
佐久間の配下は他の戦場に回されたからね でもわかってる?解体ってコトは在る物を無くすってコトなんだよ リストラするってコトなんだよ?
275 :
人間七七四年 :2007/07/28(土) 22:04:43 ID:F9Eau+sS
>>274 みんな自分の領土に戻せばいいだけのこと
一応言っておくが明智の丹波攻めは与力として一時期あの丹羽さんがいたこともあるからな
信長の力をもってすれば領土も軍団も鉢植えをするが如く
276 :
人間七七四年 :2007/07/28(土) 22:12:03 ID:vtJpoplO
馬鹿か? それじゃあ結局領土が直轄地にならんだろうが 統一政権の課題というのは古今東西変わらず、如何に直轄領を増やすかにかかってるんだ 更に増やすのは簡単だが減らすのは難しい 故に少しづつ、相手の牙を削ぎ、孤立させ、最後に強行して土地を奪う 分割相続、縮小、召し上げの段階を踏むのが普通なんだよ
>>275 丹波攻めに丹羽や滝川が参加したのは、明智の与力としてではないだろ・・・
軍事力を集中させて敵を叩いたり、 指揮系統をまとめあげることが軍団制のメリット だから天下平定後に軍団は解体されるだろうけど、人脈は残るだろうね というか実際に豊臣・徳川の時代に何が行なわれたかを参考にすれば良い
秀忠は巧緻極まりない術で天領や譜代・親藩領を増やしていったな
>>279 それ影武者徳川家康
同じ軍団になってから仲良くなったのではなく仲良かったから同じ軍団になった例もあるがな(近畿管領明智軍とか)
その仲良し軍団でも光秀が謀反起こしたら見限った 他の軍団ならもう話にならんってとこだろ
281 :
人間七七四年 :2007/07/29(日) 21:03:43 ID:tGvAZi7U
……史実の秀忠・土井の改易の嵐を知らないのか?
282 :
人間七七四年 :2007/07/30(月) 15:24:33 ID:/TzbIEN2
>>280 信長は基本的に仲の良いもの同士を組ませているよ。
柴田−前田・佐々
羽柴−蜂須賀・前野・竹中
明智−細川・筒井
283 :
人間七七四年 :2007/07/30(月) 15:37:02 ID:KemATViS
>>282 どこからツッコめばいいのやら・・
柴田と前田の仲が良かったら賤ヶ岳で(ry だし
蜂須賀や竹中は最初から秀吉の部下じゃねーかww
284 :
人間七七四年 :2007/07/30(月) 15:54:20 ID:XcUEzuEa
政治上の関係を交友関係と同じに考えるほど愚かな外交はない 蜂須賀・竹中は寄騎だろ常識的に考えて・・・
285 :
人間七七四年 :2007/07/30(月) 18:47:55 ID:ZSfzh7HB
仲が良いから組ませるって、そもそも前田や佐々は 柴田を監視させるために付けられただろうが
286 :
人間七七四年 :2007/07/30(月) 19:06:46 ID:QcXoSfyM
でも、前田と柴田の仲のいい逸話はかなり残ってるよね。 佐々と柴田の仲のいい話は知らないが。
287 :
人間七七四年 :2007/07/30(月) 19:32:36 ID:o9vIrT/9
まあ仲良くなかったら賤ヶ岳の前田の裏切りを許すことは出来ないだろうな>柴田 あと筒井は見限ったというより様子見
288 :
人間七七四年 :2007/07/31(火) 23:31:44 ID:kQPxFpKZ
>>287 洞ヶ峠のことをいっているのならそりゃ間違い。
実際は明智が陣を進めて筒井を待った場所で、しかし筒井は城に篭って無視。
はっきりと明智を拒絶しているよ。
289 :
人間七七四年 :2007/08/01(水) 00:12:07 ID:LUPcgUhm
戦況が明智によくなったらホイホイお城開く為の籠城だもんね
290 :
人間七七四年 :2007/08/01(水) 01:10:32 ID:A+06Nsnt
それは仕方ないだろう、戦国の世の習いだよ。 光秀の友人という立場がありながら、光秀が優勢になっても篭城を続けるのは この時代の武将としてはありえない行動。部下への説明も出来ないだろう。 周囲が自分に同調して光秀に反撥するのを狙っただけでも、充分忠義は果していると思う。
291 :
takeda :2007/08/18(土) 00:18:25 ID:Ek4afxsX
akkkkkkkkkkk
292 :
人間七七四年 :2007/08/18(土) 03:33:40 ID:BIo42qqa
信忠は神
293 :
人間七七四年 :2007/08/30(木) 21:16:16 ID:ptHtcLhw
本能寺の時に、光秀は信忠が別の場所(妙覚寺)にいるとは知らなかったぽいね。 逃げられる可能性は無かったかな?
294 :
人間七七四年 :2007/08/30(木) 21:44:40 ID:5OU+5S+a
結果論で言えば、一緒にいた長益が生き延びているんだから、逃げれば間違いなく生き残れたと思って良いだろうね。
295 :
人間七七四年 :2007/08/31(金) 00:50:07 ID:FSipNHR5
首の重さが違う
>>295 確かに同じように逃げても長益なら逃げ延びられても、信忠では逃げ切れなかった可能性が高いな。
297 :
人間七七四年 :2007/08/31(金) 01:10:14 ID:oDQyW1ao
首の重さは違っても、逃げられたと思われ。 長益であろうが、もし捕捉していたら逃がすわけもない以上、捕捉されなかったと見るべきで、 長益と一緒にこっそり脱出に成功した段階で、史実の長益通りに逃げられた可能性が高いな。
298 :
人間七七四年 :2007/08/31(金) 02:14:37 ID:iRhG9FPG
信忠が妙覚寺にいるというのを知ったのは、本能寺で捕らえた捕虜(女?)からかな?
299 :
人間七七四年 :2007/09/01(土) 21:33:04 ID:BfDdhFg/
そういえば、長益ってどう逃げたのか具体的に書いてある資料ってあるの?
300 :
TRICKSTER ◆CASVAL9Zfw :2007/09/05(水) 00:33:57 ID:STBe3wK9
300
301 :
人間七七四年 :2007/09/05(水) 01:52:21 ID:iNjYw2zB
>>299 どうせ、妾の家で布団かぶって隠れていたんだと思う<長益
302 :
人間七七四年 :2007/09/05(水) 03:54:13 ID:G9+vdOVR
>>301 信忠に「大将なら、潔く腹を召されるべきかと」と迫って、自分は逃げたと聞くがw
303 :
人間七七四年 :2007/09/05(水) 05:28:33 ID:e27fm5AF
女装して逃げたのよクックック
304 :
人間七七四年 :2007/09/05(水) 06:26:14 ID:Q0w6buNJ
へうげもの乙
305 :
人間七七四年 :2007/09/05(水) 07:38:19 ID:tK5V1UaX
長益も明智のグルだったりして
>>294 問題はむしろ逃げた後じゃね?
近江方面に逃げても京極阿閉山崎とか明智派ばかりだし、安土は秀満が占拠している。
柴田も上杉方面で釘づけで、逃げるとすれば大坂の信孝のところくらいなもんだが、
信孝の軍も霧散霧消してるし、秀吉が中国で釘づけになる可能性が高かった以上
逃げてもいずれ明智にやられる可能性が高いとおも。
307 :
人間七七四年 :2007/09/09(日) 02:19:15 ID:e5Mrro2f
>>306 時系列めちゃくちゃ
安土を占拠したのは本能寺の変の後、山岡景隆が焼いた瀬田の唐橋を修復して渡った後
信孝軍が瓦解したのも(当主・嫡子戦死という形での)変の報が伝わった後
そもそも脱出っていう選択肢自体が思いつかないだろ
後世から見れば周囲への根回しも甘く、逃げおおせた連中もいる謀反だが、
実際混乱の京都にいて、京近郊の坂本・亀山を抑え、筒井細川を与力とする重臣・光秀が謀叛を起こして
すでにあの父・信長が殺されたとなれば、逃げおおせられないと悟るほうが当然
309 :
人間七七四年 :2007/10/04(木) 15:31:09 ID:KErRA3SK
信長直轄軍も甲信から帰還、中国攻めの為伊賀あたりを進軍中で、信長信忠死亡の報を受けて霧散したんだよな。 軍事官僚システムがなく信長信忠直結だったからこうなってしまったのか?
310 :
人間七七四年 :2007/10/06(土) 02:57:37 ID:NcXSYXiF
俺の中での脳内イメージ・・・ 織田信忠=すごいお人良し→配役は玉木宏がぴったり!
311 :
人間七七四年 :2007/10/06(土) 08:33:39 ID:k82a6DUj
たぶんみんなそんなイメージ 実際には ・信長と戦略のことでモメた ・本能寺の変の際信長に真っ先に疑われた 「謀反です!」「信忠か!?」 ・二条城では自ら刀を振るって奮戦
312 :
人間七七四年 :2007/10/06(土) 15:38:58 ID:Eb49smEH
>>311 いつまで三河物語の適当な捏造信じてるんだよ。
信長が織田家の菩提寺と定めてた崇福治の信長信忠の墓は一体化してるのに。
あんな権力者が親子で同じ墓に入ってるんだよ。
まぁ遺体はそこには無いが、信長が信忠を疑った証拠があったらそんな配置にする訳ない。
三法師が家督を継ぐのも厳しかろう。
313 :
人間七七四年 :2007/10/08(月) 23:41:50 ID:9KySO5G6
信長の「城介が別心か」という返しは謀反と言われて 「現在の京で自分以外に軍を持っていて動かせるのは信忠しかいないはず」という 認識からのものだと思う。 「自分に対して謀反を起こしそうなのは信忠しかいない」なんて考えからではない と思うな。少なくとも、以前からそんな思いを抱いていたのなら、信忠と一緒にいる のに自分は軍隊を持っていない状態でいることはやらないだろう。
> 信長の「城介が別心か」という返しは謀反と言われて > 「現在の京で自分以外に軍を持っていて動かせるのは信忠しかいないはず」という > 認識からのものだと思う。 んだね。武将として合理的で正しい思考だと思う。
315 :
人間七七四年 :2007/10/09(火) 02:29:53 ID:+B2FoMYy
話は変わるけど、信忠の元服が延びたのって、多分松姫除けだよな。 元服したら成人した証拠だし、婚約者が居たら、輿入れしないといけないもんな。 元々婚約だけに留めていたたのも、近い将来反目する可能性があると考えていたからで、 天下布武が信長の目標なのだから、武田とは一時的な同盟しか結び得ないし。 信忠は政治的な活動は既に始めていたし、元服せずに初陣させたことで 松姫を輿入れさせる気がないのが、暗示された訳だが 信忠初陣の小谷城攻めにかき集められるだけ軍勢集めたことから見ても 信長の描くシナリオは、小谷城を落として取って返してそのまま武田と激突、だったんだろうね。 実際には小谷城は落ちなかったし、武田にも人質を取られてしまったが。 人質なしで、浅井朝倉の脅威もなかったら、1572年時点でも良い勝負したんじゃないかな。 むしろ勝機は織田にあったかも? とはいえ、蓋を開けてみるまで解らない勝負なのは確か。 しかし、危ない橋を渡らなくても、嫁入りさせてからおいおい対立しても良かったんじゃないかとは思う。 そこまで松姫が嫁に来るのが嫌だったのかな? 親族に甘いイメージのある信長だから、嫁の実家を攻めるとか考えられなかったのかもしれないが。 武田と対立した途端に信忠を元服させているよね。解りやすい。 信忠も信長の息子だから、一連の意図を解っていて、松姫と文通生活してたんだろうな。 それでも松姫を惚れさせた訳で、どこか宇喜多直家を彷彿とさせるね……。信忠は暗殺はしないけど。 松姫についても、それなりに遇するつもりだっただろうし。
316 :
人間七七四年 :2007/10/14(日) 02:39:56 ID:T1rcqucH
>>315 >信忠の元服が伸びたのって、たぶん松姫除けだよな。
いや、最近には珍しいロマンチストなんだねwww
317 :
人間七七四年 :2007/10/24(水) 05:04:33 ID:YlXNvLPy
信忠って小説とかで美形描写される事が多いけど、実際にそう言う事を伝えてる文献ってあるの? 美男美女の家系だから信忠もそうだろうとか、松姫と美男美女同士の方が、より悲恋的だとかっていうイメージから来てるのかな?
>>317 織田家は美男美女の家系、ってイメージからでしょ。
319 :
人間七七四年 :2007/10/24(水) 05:31:30 ID:oKk/FIlI
やはり伝わってる肖像画は、江戸時代のものかな?
320 :
人間七七四年 :2007/10/24(水) 12:14:50 ID:eGnqc3oe
いわゆるお約束のような文句、
「織田家は美男美女の家系」ってヤツの
最古の出典というか、言い出しっぺは誰なのか
実はずうっと気になっている。
>>319 信忠の肖像・・・、大雲院にもあったな。
この夏の特別公開にわざわざ出かけたのに、
残念ながらパンフが行方不明だ。
321 :
人間七七四年 :2007/10/24(水) 18:44:38 ID:YlXNvLPy
大雲院の肖像画って父子セットのやつだっけ? 信忠が信長にそっくりで初めて見た時興奮した。 見たの本でだけどw
323 :
人間七七四年 :2007/10/24(水) 19:19:22 ID:oIXNjBvt
こいつは・・・なんていうか・・・('A`) いやまあ、当時の美醜は今と価値観が違うからな、うん
324 :
人間七七四年 :2007/10/24(水) 19:50:56 ID:xlxTZwre
子孫のアイススケートのあの顔から推測してはいけないのか
>>324 あいつはヒゲ生やしたら信長の肖像画そっくりになるな。
326 :
人間七七四年 :2007/10/24(水) 19:59:29 ID:WnL4IE/j
>>322 の信忠は26歳未満にしては、ふけて見えるな。
俺が以前どこかで見たのは、丸顔に父親譲りの鼻、目元はもっと凛々しかったが・・・
327 :
人間七七四年 :2007/10/24(水) 20:07:07 ID:N6rhAjHW
でもパッチリ二重だな
>>317 実際はかなりの美形だったはずなのに美形描写がほぼ皆無の井伊直政カワイソスw
>>327 信長にしてもそうだが女顔だったんだろうな。
信長も若い頃は女と見間違えるほどの美男子だったらしいし。
329 :
人間七七四年 :2007/10/27(土) 14:10:18 ID:pfv+5oNV
>>328 信長の若い頃は、「馬が馬に乗ってる」と言われるほど長い顔だったらしい
330 :
人間七七四年 :2007/10/27(土) 14:14:52 ID:Sk8uDqmF
それ何に書いてあるの?
331 :
人間七七四年 :2007/10/27(土) 18:33:52 ID:H+x/eZf0
丸顔の多かった日本では面長は美形の条件だったからね 今で言うシャープな顔立ちだな そう考えると美男子の概念は意外と変わってないのかね
でも肖像画の信忠は丸顔なんだよな・・・
333 :
人間七七四年 :2007/10/29(月) 07:49:53 ID:MOSGVi60
>>332 後世、江戸時代に描かれたものだからアテに出来ない稀ガス。
334 :
人間七七四年 :2007/10/29(月) 09:22:30 ID:YlGIECc9
ああいう肖像画は江戸時代に描かれたものが多い。 当時の当主の顔をモデルにしてるのかな?
335 :
人間七七四年 :2007/10/29(月) 12:26:27 ID:Vp6yesI1
岐阜城にあるという肖像も、信忠死後に描いたものだろう
336 :
人間七七四年 :2007/10/30(火) 20:25:44 ID:SAoq8Y8+
松姫に手紙とともに贈られたっていう肖像は残ってないのかな?
337 :
人間七七四年 :2007/10/31(水) 03:43:03 ID:h0M7IYhB
物語やドラマのエピをそのまま信じてる人が・・・
338 :
人間七七四年 :2007/10/31(水) 04:07:37 ID:Y8jDDEAG
別に実際に贈られたものが出てきても不思議はないけど
そういえば松姫と文通していて云々と悲恋に描かれることはよくあるけど、 あれってソースは甲陽だよね?実際はどうだったんだろう・・・?甲陽みたいにとはいかなくても それなりに信忠は一目置いていたんだろうかねぇ・・・。
おっと、上にでているな、スマン
341 :
人間七七四年 :2007/11/03(土) 19:02:25 ID:vPfWqtBb
もう一枚、有名な肖像画あるよね。 あっちの方が好きだ。
342 :
人間七七四年 :2007/12/03(月) 05:51:41 ID:5pYwt+wG
343 :
人間七七四年 :2007/12/14(金) 11:27:36 ID:dhIn9F0F
344 :
人間七七四年 :2007/12/14(金) 11:53:27 ID:djt4+HXT
26歳で自害にまで追い込まれて不運だよな。せめて与えられた二国のどちらかに滞在してれば後を継いで優秀な家臣達に助けられ統一もあったろうに…優秀な信忠なだけに残念だ。その息子秀信も傀儡状態で25歳で病没も哀れでたまらない。
>>344 つーか京都以外に滞在していれば、例えば当初の予定通り家康の接待に堺に行っていた程度でも
本能寺は起きなかった。
346 :
人間七七四年 :2007/12/14(金) 13:53:10 ID:djt4+HXT
いずれにせよ光秀は殺意満々だったから6月中には変は起きてただろうな。しかし信忠像は信長そっくりに描き過ぎだなWWW
347 :
人間七七四年 :2007/12/14(金) 15:41:07 ID:w5TyOgAr
殺意があろうと無かろうと実行に移すかどうかは別 光秀は稀代の謀将として腹黒さは天下に響いてるが 信長・信忠・家康が鴨葱状態じゃなけりゃ殺意は見せない
348 :
人間七七四年 :2007/12/14(金) 21:12:01 ID:Rh2X77O7
松姫を織田信忠が迎えたいと使者をよこしたというエピソードは 何の資料に出てくる話なの?
349 :
人間七七四年 :2007/12/15(土) 01:01:49 ID:5LnaczPv
>>348 >資料
・・・w、というほどのことも無い、
ただの家系図の粉飾だよ。
350 :
人間七七四年 :2007/12/15(土) 03:28:59 ID:xJ5csQ+v
信長が殺されたと知って信忠につけられてた兵は殆ど逃げちゃったんだよね つまり織田家(信忠)への忠誠心はその程度だったってことでしょ? 明智軍の中には信長を攻めたと知って戦意が無くなった人も居たと言うのに。
戦国時代の武士は死に戦はしないものだ。
352 :
人間七七四年 :2007/12/15(土) 11:07:11 ID:HdrIVjaL
353 :
人間七七四年 :2007/12/15(土) 13:08:20 ID:t0+eUwWX
信忠の最後の兵は逆に士気旺盛なんだけど
354 :
人間七七四年 :2007/12/15(土) 13:36:22 ID:LW0V7Qul
>350は一体どこでその(間違っているかもしれない)知識を仕入れてきたのか
>>348 甲陽軍艦にある話で脚色濃厚と思いながらも・・・これだけは史実であってほしいと思う俺がいるw
まあ織田家は奥向きのことは史料に残さないらしいから、真相は闇の中だな。
一応当時の一次史料にはそんな記述ないみたい。詳しくは
>>21 にある
356 :
人間七七四年 :2007/12/16(日) 13:04:26 ID:PRfgUxqH
信忠が生きていても 天下は治まっただろうか? 秀吉・家康が黙って従っただろうか? 勝家は従っただろうが・・ 次男三男が歴史から消されたのをみても、生きていても 謀殺されたと思う。
357 :
人間七七四年 :2007/12/16(日) 13:13:24 ID:m59iVXx8
勝家は従ったと思うな。論拠はないけどなんとなく。 信忠という正当な後継者がいて勝家が睨みをきかせてれば、他の武将もなびかないだろうし 秀吉家康もそうそう動けるもんじゃないと思う。
つーか秀吉なんてそれこそ織田のつけてくれた与力が無きゃ何も出来ないんだから、信忠が生きてて 織田家の指揮命令系統が機能している状態なら手も足も出せないわな。
そもそも所有石高が違いすぎるわな。本能寺直前じゃ秀吉の石高は56万石、以後でもせいぜい80万石程度かそれ以下 一方の信忠は軽く100万石を越えている、おまけに信忠が生きていては柴田池田あたりは 信忠側につく、こんな状態で秀吉に何ができるというのか。 家康にしてもすんなり反乱起こせるほど生ぬるい状況ではない。
360 :
人間七七四年 :2007/12/16(日) 23:29:40 ID:heg1j4vb
>>356 信忠が生きていた場合、秀吉は三法師擁立のカードが無くなるのでこの時点で芽はない。
家康も織田家が分裂してガタガタにならない限り何もできない。
架空戦記ならともかく、二人とも勝算のない賭けに出るほど無謀じゃないだろう。
勝家は史実でも天下への野心を見せなかったのだから、正当な後継者の信忠が生きていれば尚のこと。
信忠が生きていたら、織田家の武将筆頭格は滝川になっただろうな。
362 :
人間七七四年 :2007/12/17(月) 21:48:06 ID:4xQRJehH
森長可あたりもかなりの要職に就くだろ なんせ弟三人が本能寺で信長に殉じてるから同情もあるし元々信忠の信頼も厚いし 池田っつー後ろ盾もあるしな
363 :
人間七七四年 :2007/12/17(月) 23:42:07 ID:tu4GCPCx
斉藤新五郎も
364 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 00:35:00 ID:/jRIjAOL
信忠が生きてりゃ本能寺の変後の信雄の暴走&悲劇もなかったなww
365 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 00:51:22 ID:AZoJ4MuG
その後の織田政権について親父と話したりしてたのかな 既に家督は譲られてるし勿体無かったね
366 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 01:09:57 ID:Vyla/cAN
円満に家督相続させて珍しかったんですかね、その当時
367 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 09:36:04 ID:+ZgrbiZG
信忠政権が出来たと仮定した場合の第二世代で重臣になったと思える家臣 森長可、団忠正、堀秀政、細川忠興、佐久間盛政、蒲生賦秀(氏郷)、前田利長 黒田長政、(松平秀康、真田信幸)あたりか
368 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 11:52:05 ID:AZoJ4MuG
こう見ると忠興は世渡り上手だなぁw
信忠政権になった場合、上杉、長曽我部、島津あたりは滅亡する事になるだろうな。 徳川家は最大の大名として、徳川政権における前田家の様なポジションになるか。
370 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 14:36:33 ID:0vIyj9JB
371 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 15:42:40 ID:eE5y6fC5
>川尻 男色スレを見た後だとネタとしか思えない名前だな
372 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 18:19:19 ID:Fuideqyv
あと稲葉はどうだろ
373 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 19:39:09 ID:2ejZ/oQI
細川と黒田は系列が違うから厳しくないか?
374 :
人間七七四年 :2007/12/18(火) 20:00:09 ID:0vIyj9JB
細川は信長直臣で息子もその活躍を信長に褒められているほどだからいいとして、 黒田は羽柴の被官つまり陪臣に近い。能力を見込まれて抜擢も有り得ないことも ないが、さてどうだろ。
375 :
人間七七四年 :2007/12/19(水) 05:09:22 ID:n8aiLYvJ
>>374 秀吉が丹羽長秀死後、丹羽家家臣を次々一本釣りしていった
信忠が信長から権威委譲され、父が寿命をまっとうしたなら
信忠にとって内部で脅威になり得るのは秀吉と家康
両者を弱体化させるのは自然の理ではないだろうか
>>375 秀吉の弱体化なんて、秀吉から与力を取り上げればいいだけの話。元々地盤のある武将じゃ無いんだから
それだけで何も出来なくなる。地生えの大名である家康と同列に置かれるような存在じゃ無いわな。
だいたい本能寺の段階でも、秀吉の織田家の武将の中でのランクは3番手か4番手。
後に天下取ったから織田家時代まで過剰に評価されているが、「織田家の羽柴秀吉」という存在は、有能ではあっても
まわりが脅威を感じるほどの存在ではなかった。
377 :
人間七七四年 :2007/12/20(木) 00:00:19 ID:azGd1yMO
それ以前に信忠と秀吉って仲良かったの?
そこそこ仲は良かったんじゃない?
まあ仲は悪くなかったとは思うが、信忠政権下でも再び重用されるって程の関係でも無い、て感じだな。>信忠と秀吉 光秀もそうだが、信忠の視点からすれば既に旧世代の武将。
380 :
人間七七四年 :2007/12/20(木) 07:58:31 ID:h61TsfvD
三法師がいなかったらどうなっただろうね?(秀則もいたけど) 秀吉が大義名分として担ぎ上げる神輿がいないとなると状況は大分変わると思う
381 :
人間七七四年 :2007/12/20(木) 23:30:54 ID:00hRz9zF
>>367 丹羽長重も。
重臣の子で妹婿、史実での徳川からの扱いをみる限り有能な人物。
父親と同じようなポジションに収まりそう。
382 :
人間七七四年 :2007/12/20(木) 23:55:57 ID:+tqvdCXF
信忠も団のような馬廻から抜擢しそうな気がする 信長も塙直政を馬廻からイッキに大和守護に大抜擢したからな
383 :
人間七七四年 :2007/12/21(金) 08:48:32 ID:gQNaAjA7
秀吉の家は秀勝が継ぐだろうし、一門、中国地方の守りの要ってところで落ち着きそうだな。 徳川幕府における池田輝政のポジションに収まると。
>>383 秀勝が史実どおり若死にしたら、羽柴家は取り潰されただろうな。
まあ史実の方はありゃあ利用価値がなくなって謀殺されたんだと思うがw
385 :
人間七七四年 :2007/12/21(金) 11:14:59 ID:xmqFxs2M
>>384 織田家は子沢山だから秀勝が死んだなら
他の余った子や孫を送り込むという手も無くはない
>>385 何でそこまでして成り上がりの羽柴家なんぞをのこなさにゃならん?w
取り潰して織田家一門の領土を増やした方がいいだろ。
羽柴も明智も、滝川とかもそうだが、地縁や血縁、一門の力が弱いから、本人の実力以外に価値が無いんだよね。
だから利用価値がなくなれば速やかに取り潰すか、何の力ももてない程度の領土で我慢させられるかのどちらかに
なるしかなかっただろう。
>>386 光秀が日向守だし秀吉は筑前守、もしかしたら九州に転封されてたかもな
>>367 本能寺直前の動向を見るあたり一門衆だと織田信房(勝長)は
信忠政権下でもそこそこの地位もらえたと思う。まあ信忠与力ってことからの推測だが。
>>386 滝川は一門の力が弱いってこともないんじゃないか?
確かに秀吉みたいな実子がいないヤツは取り潰される可能性が高いとしても。
そういえば光秀の息子はどうなるんだろうな・・・僻地のそこそこの大名になって終わりか?
388 :
人間七七四年 :2007/12/21(金) 19:15:23 ID:6j1x2F6e
389 :
人間七七四年 :2007/12/21(金) 22:43:36 ID:DNdJuR7h
>>388 秋田城介は生前の最終官位じゃないからなあ。
出羽介→秋田城介→左近衛少将→左近衛中将。
390 :
人間七七四年 :2008/01/04(金) 18:20:58 ID:0LtiHwOv
信忠の場合は信長の後継者なわけだから地方に左遷はないだろww
391 :
人間七七四年 :2008/01/04(金) 18:33:38 ID:aAoP4/cf
>>345 ヒント:穴山梅雪の末路
家康ならやりかねん
392 :
たられば君 :2008/01/04(金) 19:51:43 ID:rl29DK21
信忠が生きながらえたら・・・ 三法師は信忠ではなく信正の跡継ぎになっていた
393 :
人間七七四年 :2008/01/05(土) 00:23:59 ID:17BamPS+
つうか、何がしかの問題が起きたまま子供たくさん作るだけ作って信忠が死んだら、 後継者争いがすごいことになりそうな悪寒がしなくも無い。
三法師は嫡子か否か。
395 :
人間七七四年 :2008/01/07(月) 13:53:30 ID:vI4ZvpRf
>>394 側室の腹でも、当主が決めれば嫡子では?
396 :
人間七七四年 :2008/01/07(月) 18:25:44 ID:g84+9ehG
その当主が三法師を嫡子と認める前に死んでるからな。
397 :
人間七七四年 :2008/01/07(月) 21:44:56 ID:ihJbeUbx
正室を迎えて男子が生まれなければ嫡子になったんだろう。
398 :
人間七七四年 :2008/01/07(月) 23:35:31 ID:DFXsnw5w
男子が生まれなく、なおかつ秀信と信忠が仲良かったら、だろうな。 どっかの家みたいに秀信追い出して他から養子、何てこともありえなくもないし。
399 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 01:13:04 ID:WyIWa2Cv
三法師という命名にした時点で、その時点では、三法師に家督を継がせる予定だったと思うけどな。 信忠の"菅九郎"は濃姫の実家の斉藤家の当主が九郎を名乗っていたからと考えるのが自然。 (信忠が濃姫の実子ではなく、嫡男に立てられるのが遅かったという説を主張する人間もいるけど それなら、何故池田元助が勝九郎を、佐久間信が甚九郎を名乗っていたのか説明つかない) 信長は、これが相当不本意だったようで、信忠以外の息子にはすべて三の文字が入った通称をつけている。 三法師は、そのものずばり、「三」が名前。そして長じてからは織田家当主の通名である三郎を名乗っている。 信長は子供の幼名には、自由気まま、トンチがきいたユーモラスな名前をつけているので 三法師は信忠の命名だと思う。個人的には家督を継がせるという、意気込みが感じられると思っている。 大体松姫なんか、武田が潰れたら用済みの存在。 そして、保守的貴族的な武田家と、リベラル庶民重視の織田家には相容れる要素が無い。 身分の低い人間を抜擢し、娘を家臣に嫁がせた信長が、嫡男の信忠の嫁に家臣の娘を望んでもなんの不思議も無い。 武田潰すまでは、正室を置けなかった→仕方ないからそれなりの家から側室を向かえる→三法師生まれたし正室不在で一生終える。 信忠が長生きしても、この路線は変わらなかったと思う。 そして、しつこく、三法師生母には森家の娘を押したい。 だって、それなりに根拠があるのは、森家の娘だけなんでしょう? 後は具にもつかない家系図だとか。 乱丸はよく岐阜と安土を行き来しているし、信長のお供でもなく、単身でお使いにも出かけているので 信長が「ワシが居たら仕事気分が抜けないだろうから、ゆっくり姉さんに会いに行け」とか思って お使いにやっていると考えると、楽しい。 森家の娘なら、状況証拠から考えて、信忠の寵愛を一身に受けていたと断言できるので それなら、信忠も幸せだっただろうなぁと思えるので安心する。
400 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 01:59:05 ID:VfEOWmwn
>>399 なんで信長が信忠の「菅九郎」を不本意に思うんだ?
あえてその名にしたように思えるんだけど。
なんで武田をつぶすまで正室が置けないんだ?
なんで三法師が生まれたら正室不在で一生を終えるんだ?
信雄や信孝は政治的理由で正室を迎えてるのに
なぜ嫡男の信忠が正室を迎えない路線なんだ?
401 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 02:48:53 ID:WyIWa2Cv
>>400 あれ、私の書込生きてたんだね。
何をNGワードに指定しちゃってるんだろう・・・・・?
菅九郎は不本意だったんだろうと思うよ。
最初「勘九郎」と付けて、その後すぐに菅九郎に改名しているけど
これは、「勘」の文字に非嫡出子という意味があるのを知って、慌てて改名したんだろうと思う。
信長は実戦実学一辺倒で教養はないけど、いくらなんでも信忠の曽祖父である西村勘九郎に
因んでこの名をつける予定だったなら、勘の意味ぐらい下調べしているだろう。
三方が原の直後に元服したから、美濃衆が動揺して離散しないように、引きとめ工作の一環だと思う。
武田は、倒してみるとあっけなかったけど、なんだかんだで強敵だからね。
「織田が甲斐を制しても、松姫さまが信忠の御正室」とか「信房殿とのよしみで逆に出世狙うか?」とか
諸将が甘い夢を見られるに越したこと無いよ。そんなこんなで武田を早々に見限る将が多かったのが
短期決戦になった原動力でもあるし。
倒す前には甘い夢を見させるとしても、国割りが済めばそこまで気を使わなくても大丈夫。
信長は、政略結婚は最小限で済ませているけれど、政略結婚がどうしても必要な場合はしている。
信長の親族を使った政略結婚は天正元年(1573年)が最後。それまでは必要だからしていた。
1582年時点では10年のブランクが開いているのに、今更信忠に政略結婚を迫るとは思えない。
森氏が三法師の母とすると、外戚である森氏が権勢を振るっているなか、他所から正室を迎えたら
家が真っ二つに割れる。織田家存続の危機になるのに、信長がそんな馬鹿なことをするとは思えない。
402 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 07:58:27 ID:ZP6LbIGl
とりあえず長文うざい
403 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 09:53:00 ID:dfoglUPe
森家の娘または縁者が三法師の生母という説の根拠って 家臣周りの状況証拠とか、墓所が可成と一緒ってことでしょ? 塩川の娘よりは、ましな説だとは思うけど、そこまで力入れて話す程でもないような?
404 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 14:01:59 ID:lRROfx2P
>「勘」の文字に非嫡出子という意味があるのを知って へー、はじめてしった
405 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 14:32:53 ID:Fsa6b1yk
中村勘九郎と同じ名前だと可哀想だから改名したんだよ。 いつもモゴモゴしたしゃべり方して聞いてるとイライラしてくんだよね。
406 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 15:42:01 ID:c3lyiqrj
>森家の娘なら、状況証拠から考えて、信忠の寵愛を一身に受けていたと断言できるので 一身に、ったって信忠には三法師以外にも別の女に生ませた息子がいた訳でしょ
407 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 22:20:27 ID:51mX++G2
>>399 >>401 ここ最近のスレでは、無謀な松姫正室説とか
松姫悲恋話をうっとり語っている人もないのに
話題にもなっていない松姫を出すのか、脈絡不明w
408 :
人間七七四年 :2008/01/08(火) 22:20:58 ID:wBL7iBfb
森家の娘だったら清和源氏の血筋という名門の家柄だし 兄弟の織田家での地位も高いから本当に三法師の母親なら とっとと正妻の地位におさまってた気がする
仮名と幼名を混同するのはどうなんだろうな。
410 :
人間七七四年 :2008/01/09(水) 11:25:37 ID:MjDwYIfA
光秀は何で信忠まで自害に追い込んだんだよ・・・。
411 :
人間七七四年 :2008/01/11(金) 18:55:24 ID:BkV5dG7C
光秀が肝心の所は抜け目がない天才だったって事
412 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 03:17:22 ID:66kUAuA+
信忠は本能寺の変の時に、親父の近くに居たから単なる巻き添えだろ。 家康と堺に行ってたら助かったのに運がないとしかいえん。
>>412 つーか信忠が京に入ると言う情報を聞いたからこそ、光秀は反乱を決意したんだろ。
414 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 12:44:30 ID:wRTfuFAW
信雄や信孝だったら光秀は逃しただろうね 後継者としてはあれだし脅威でも何でもないから
415 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 16:13:14 ID:66kUAuA+
信忠を過大評価しすぎだな。まぁ信忠スレだから当たり前かWW 信忠が京都にいなくても本能寺の変は起こってただろ。仮に生き延びても信忠じゃ天下は無理だな。 若くして死んだから生きてたら凄かったとか美化されてるだけだろ。 能力的には信雄とかわんねぇぐらいだろ
416 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 16:16:51 ID:VuZeVgTk
>>415 これだけ恥ずかしい奴は久しぶりに見たw
417 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 16:26:50 ID:66kUAuA+
>>416 じゃあ信忠の何が凄いんだ?
大軍で力押しの戦いしかしてないじゃん?しかも岩村じゃ相当にてこずってる。大軍で光秀や秀吉が支えてくれりゃ座ってるだけで勝てるだろww
信忠がスゲーなんて言ってるのはコアな信者ぐらいだ。二条城に逃げ込んで死んだのも間抜けな話し。
信長の足元にも及ばないだろ。
信長の嫡男だから周りが担いでくれてただけ。
信長ががいなくなって信忠だけになったら個性の強い能力主義の織田家臣団を凡将信忠にまとめられるわけがない。
信雄、信孝の二の舞になるだけだ。若く死んで美化されてるから信雄、信孝よりはマシか
418 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 16:44:07 ID:HKDaYSMs
話にならん0点^^
419 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 17:02:08 ID:kRZZhwbH
世間的には信忠って過小評価されるよな。 あっさり死んじゃったせいなんだろうか。
420 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 17:15:20 ID:VuZeVgTk
>>417 必死になるなって恥ずかしい奴だなぁ
自分がアホってのを晒して恥ずかしくないの?w
421 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 17:23:54 ID:66kUAuA+
422 :
|ω・`) :2008/01/12(土) 17:40:49 ID:37xulTKB
オソロシス
423 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 18:17:09 ID:cAdkEuq8
だいたい名将の長男で父を越えるもしくは匹敵したやつなんかいない、 信長⇒信忠 謙信⇒景勝 信玄⇒勝頼 元就⇒隆元 氏康⇒氏政 義元⇒氏真 この中では一番大器だと思う。
424 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 18:51:18 ID:hPALcYFY
名将だったかどうかなんて後の人間が勝手に決めることだからなあ。 信玄謙信氏康は、まず信玄が家康が直接対決して苦しんだというところから勝手に持ち上げられて、 それとライバルだった謙信氏康が続いて持ち上げられただけ。 また信長秀吉家康らの強大な勢力が生まれる前に死んでるため、 直接的に滅ぼされてないという時代的な幸運もある。 二代目の評価が悪いのは大勢力に屈服させられたことと、 その大勢力におもねる講談のせい。
425 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 19:06:43 ID:1Vsw2TZn
そりゃ歴代のなかで一番評価されるのを名将って呼んでるんだから・・・
426 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 20:15:56 ID:qaVFFUMt
>>413 その割りには妙覚寺に兵を向けるのが遅れてる。
居場所が信長と同じく、本能寺と誤認してたのだろうか?
427 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 21:40:00 ID:cegjb4JB
信忠の戦で手こずったコトなんてないだろ? 普通の城攻めにかかる時間を手こずるといは言わない
428 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 22:24:24 ID:M264I4JY
>>417 正式な跡継ぎとはどういう存在なのかをよくよく考えるべき。
日本に置ける天皇の存在の価値はどうだったのかを考えるべき。
429 :
人間七七四年 :2008/01/12(土) 22:43:49 ID:NDNwfS5A
とりあえず家康の息子の信康より 信忠が劣ってたなんてのは絶対に有り得ないってことだ
431 :
人間七七四年 :2008/01/13(日) 04:55:27 ID:q4k9C6ma
>>423 家康→信康が抜けてるのが気になるがWW
親子で優秀なのなら
黒田官兵衛→長政
細川藤孝→忠興
真田幸隆→昌幸→幸村
なども一応いるが戦国大名クラスだと確かにいないな
432 :
人間七七四年 :2008/01/13(日) 05:33:53 ID:246oYqhv
だいたい名将の子で父を越えるもしくは匹敵したやつなんかいない、 信秀⇒信長 為⇒謙信 信虎⇒信玄 氏綱⇒氏康 氏親⇒義元
433 :
人間七七四年 :2008/01/13(日) 22:08:24 ID:E268naGB
435 :
人間七七四年 :2008/01/14(月) 00:12:23 ID:XeuQTizv
436 :
人間七七四年 :2008/01/14(月) 08:18:54 ID:piWexh35
437 :
人間七七四年 :2008/01/14(月) 08:33:05 ID:XeuQTizv
438 :
人間七七四年 :2008/01/14(月) 10:08:45 ID:eeBeU3HM
>>437 流れ的に後継者くらいの意味合いだろ。
そのくらい汲み取ってやれ。
439 :
人間七七四年 :2008/01/14(月) 13:30:08 ID:PK+H99na
>>432 とりあえず義元だけは?になるけどな
親父の氏親より優秀かと言われてもそうとは答えられない
440 :
人間七七四年 :2008/01/14(月) 19:27:35 ID:KQz4MZ7s
441 :
人間七七四年 :2008/01/31(木) 12:54:31 ID:wD3sjtSk
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442 :
人間七七四年 :2008/02/10(日) 21:16:58 ID:iZoEcFvp
【織田信忠】…本能寺の変の際、二条城に籠らず安土に逃げる事も可能だった。明智光秀以上の兵力結集も…。日本史の流れを変えた人物であることは間違いない。
443 :
人間七七四年 :2008/02/14(木) 02:53:09 ID:5wsWLCje
272:人間七七四年 :2008/02/11(月) 14:01:33 ID:r3Zea4Gf 本能寺は信忠もグル 当然生き延びて家康に匿われ後に天海になったんだよ
444 :
人間七七四年 :2008/02/14(木) 05:59:53 ID:ygBWf9wq
>>443 だから天海はモンゴルから帰ってきた義経がなったんだよ
445 :
人間七七四年 :2008/02/23(土) 15:25:39 ID:EuJmd3Lq
本能寺で巻き添えくらったのは実は信雄で信忠は信雄としてその後は生きたんだよw
446 :
人間七七四年 :2008/02/23(土) 19:36:21 ID:FAWVPDRI
西郷どんが大陸に渡ってチンギスハンになったと聞いたが
447 :
人間七七四年 :2008/02/24(日) 21:18:51 ID:haPoy//I
三法師の生母は秀吉にどういう扱いを受けたの?
448 :
人間七七四年 :2008/02/26(火) 16:30:14 ID:LaM0zO8c
449 :
人間七七四年 :2008/03/16(日) 10:33:55 ID:Z0Hr15BE
ていうか嫡男なんだし逃げろよっていう
450 :
人間七七四年 :2008/03/16(日) 15:06:01 ID:3uIKEw2f
>>450 何事にも着実に根回ししてかかる事で有名だった明智が謀叛を起こしてるんだぞ
相当な馬鹿者じゃない限り逃げられないという結論に導かれるだろ(実際はそれが間違いだった可能性が高いんだけど)
ある程度粘れば悪天候で四国に渡れなかった運良く四国渡航予定組が気づいて引き返してくる→生存の望みが多少ある
と考えるのが往生際悪い人間としては最上級の手ではないのか?と思えるんだが
できる限り時間稼ぎを行って(親王二条城退去まで停戦など)それでギリギリまで抗戦してる
それに長益が逃げれたじゃないかって言うだろうが、長益が逃げられたのって信忠が粘ったってのもあるだろうし
信忠を討ち取るのと重要度が違いすぎるって面もある
実際逆だとしても長益に対して抑えの兵を置いて信忠を追った可能性の方がずっと高いだろう
451 :
人間七七四年 :2008/03/16(日) 17:27:36 ID:alzis9Yx
俺も、信忠が果敢に抵抗したからこそ長益こと有楽斎は混乱に紛れて逃げられたんじゃないかと思えるな ちょっと酷な言い方をすれば、信忠と長益では首の重さが違いすぎる 光秀からすれば、例えば信忠、信雄、信孝、長益の四人が射程圏内にいても 他の三人無傷で逃がしてでも信忠一人を狙っただろう。逆に、他三人が死んでも信忠が生きていたら謀反は失敗に終わる
452 :
人間七七四年 :2008/03/16(日) 23:35:40 ID:WLWon7F/
>>451 同意、酷な言い方でもなんでもない、長益のクビなど捨て置いてもなんら問題ない。
だが信忠を生かしてしまったらもはや光秀はそこで切腹するしかないぐらい致命的。
453 :
人間七七四年 :2008/03/17(月) 07:52:56 ID:KdeocvoN
454 :
人間七七四年 :2008/03/21(金) 00:24:49 ID:5HHMxFBc
顔をさらして戦うわけじゃなし、長益か勝長が影武者になって 親王二条城退去とかしている間に信忠を逃がしたら可能性もあったかもしれないね
455 :
人間七七四年 :2008/03/21(金) 02:39:09 ID:VLJ5nowf
だからさー長益が逃げられたのって信忠が抵抗して 寡兵で大軍の明智勢を三度も撃退したりと奮戦してる混乱の中で逃げられた訳じゃん。 それじゃあ影武者となった長益か勝長が兵を指揮して 信忠と同じように奮戦出来たか、と考えると、それは不可能に近いだろうと思える。
456 :
人間七七四年 :2008/03/21(金) 20:08:30 ID:+bax602D
奮戦するような奴なら自分だけ逃げないわな。
457 :
人間七七四年 :2008/03/24(月) 20:40:24 ID:AlBU7Dy5
四国方面軍に逃げても史実では瓦解してるんだよね 信忠生きてたら瓦解しない可能性も十分がるが、頼りになるのは丹羽ぐらいで 信孝・信澄は当時の世評で残酷人間と呼ばれてる 逃げるとして一番ベストなのは岐阜まで逃げちゃうコトだけど フツーに考えてその方面は明智の軍勢でビッチリだろ にっちもさっちもいかんがな、これ
458 :
人間七七四年 :2008/03/25(火) 02:17:23 ID:GWNVAOJo
縦に伊賀越えして伊勢まで逃げるってのはどうよw
>>458 注:伊賀住民は織田家に対する感情が最悪
460 :
人間七七四年 :2008/03/25(火) 11:38:59 ID:ggYsCGVb
日野へ逃れるという手もあることはあるが・・・
461 :
人間七七四年 :2008/03/25(火) 17:57:48 ID:wkWzZR4R
戦わずに逃げれば「生き延びる可能性はあった」と主張するのも分かるけど それなら徹底抗戦を決意して救援を待つ手の方がよっぽど「生き延びる可能性があった」と言えると思うよ 実際に信忠は少数ながら光秀に相当な苦戦を演じさせ 丹羽をはじめとする諸将が救援に訪れるまで持ちこたえていれば信忠の勝ちだった。 結果は衆寡敵せずに敗れてしまった訳だが、つまるところ信忠が逃げずに戦ったからこそ「逃げていれば…」という別の可能性が注目されるだけであり たとえ逃げていても捕らえられ斬首。そして後世では 「信忠は若くして名将と呼べるだけの軍才があった男だから、逃げずに光秀に抵抗していれば、何度か撃退してる内に救援が来てくれたかも知れんのに」 と言われていた公算の方が高いだろう。
462 :
人間七七四年 :2008/03/25(火) 22:31:34 ID:N9r6165T
昔の人間をああだこうだ言えるのは後世の人間の特権だからな 言われる方(特に馬鹿だ無能だと罵られる人間)は気分が悪いだろうが
「人生の最大の楽しみとは、豆を噛んで古今の英雄を罵倒することだ」 by荻生徂徠先生
464 :
人間七七四年 :2008/03/28(金) 01:08:25 ID:I4Au2nhx
信忠好きは近衛邸が嫌いな奴が多いはずだww 近衛邸がなかったら多少は状況が変わったんかな?
インタビューよろしいですか? 織田 いいよ、これから徹底抗戦だから、あんまり冷静に答えられないけどね(苦笑 :謀反を起こされてしまったが。 織田 まあね、明智さんらしいよね。ここぞってタイミングでズバッ、だからね。 :随分サバサバしているが? 織田 いや、自分の力で今の地位にいないとこあるからね。俺も成り上がりの二代目だし。 ボロが出る前にむしろって気はしてるよね。はっきりいって。 :明智光秀の謀反は予想していたのか? 織田 愛宕山で何かしてたって話は聞いてたけど、それで拘束はできないよね、さすがに まあ、恨みのある親父だけじゃなく、おれも見逃してくれない辺りは、あっ、ケチ!なんて思わなくもないけどね(笑い) :なぜ謀反を起こされた? 織田 羽柴さん絡みかなって気もしてるけど、断言はできないよね。背後関係まではね。 前科からいって、柴田さんだってやりかねないしね。 :今後天下は誰のものに? 織田 それも難しいよね。ただ三河さんじゃねえかなって気はするよね。 つーか三河さんも一枚噛んでるんじゃねえのかってちょっと思ってるけどね(苦笑) :最後に一言 織田 松姫、正直、迎えに行けずにすまなかった。今の俺には、失うものは何もない。 明智が攻めてくれば、とことんやってやる、みたいなね(苦笑) こんなもんでいいかな?あ、叔父が逃げるみたいだけど、気づかないふりしといてね
466 :
人間七七四年 :2008/05/28(水) 00:57:13 ID:rEXHxVsp
逃げれば逃げられただろうけど、 そこで逃げなかったのが信忠らしさだとは思うな。 弱さと強さの両面で。
467 :
人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/08(日) 00:30:36 ID:slYhiJep
京都中に明智の軍勢が溢れかえってる状況で逃げるの無理だろ〜。信忠の判断は正しいよ。逃げるの失敗して死ぬ確率のが高いだろ。結果的に逃げてたらとか思うけど、何の情報もない状況で万の軍勢に謀反をいきなり起こされたら諦めるだろ。
468 :
人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/08(日) 11:52:08 ID:vSWrNFIs
大将は最後まで諦めちゃ駄目だろ、常識で考えて……という石田三成が正解。
はげねずみきんか頭の禿同盟の前に屈するしか無かったのだろう
470 :
人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/08(日) 13:42:46 ID:slYhiJep
天下人、織田信長の後継者が途中で捕らえられて晒し首にされたら、それこそ大恥だと思うが。。
472 :
人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/08(日) 15:45:52 ID:0bFuAazp
生真面目な性格だったんだろうな
473 :
人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/08(日) 16:15:32 ID:GcmnadV3
信忠の奥さんが、秀吉の側室にされたのか つくづく秀吉は鬼畜のちびのコンプレックス野郎だな 許せぬ
474 :
人間七七四年@全板トナメ開催中 :2008/06/08(日) 17:28:36 ID:GcmnadV3
誰ぞ教えてくだせい 信忠の亡き後奥方は秀吉の側室にされたのか げすな野郎だな
475 :
人間七七四年 :2008/06/09(月) 02:43:46 ID:+npjooYG
476 :
人間七七四年 :2008/06/09(月) 10:21:56 ID:OnKrKUV/
>>474 信忠に確認されている正室はいないよ。
三法師も庶子が嫡男不在で嫡男扱いになっただけだし。
寛政譜では松姫が正室として載っているけど、
そんな事実はなかったようだし、
北条氏には、信忠室と伝わる墓が残っているけど、
それも正式な記録には残っていない。
側室も身元がはっきり分かっていると言われているのは塩河氏だけ。
それも、塩河氏子孫の出して来た史料によるので、
当時の一次史料では確認されていない。
だから、たとえ秀吉の側室になった者がいたとしても、
現状信忠の正室、側室であったとされる者はいない。
477 :
人間七七四年 :2008/06/09(月) 22:24:17 ID:GcVjM7vF
そうですか、鬼畜秀吉は綺麗と聞けば手当たり次第だったみたいだから 蒲生の後家にもしつこく言い寄ったみたいだし 信長の娘冬姫だろ 秀吉は家康に滅ぼされて因果応報だな
478 :
人間七七四年 :2008/06/09(月) 23:16:10 ID:w4qkd3id
冬姫の話なんて信憑性がほとんどないだろ
信長も信忠も、天下人だというのにその家庭はさっぱりわからない。
480 :
人間七七四年 :2008/06/10(火) 19:28:17 ID:VUtqj8I+
>>476 >北条氏には、信忠室と伝わる墓が残っているけど、
そういう記録が相模國風土記に書かれているだけのことで
墓も位牌すらも残ってねーし、北条氏管理でもねーよ。
第一、その記録って氏直婚約者の墓と伝わるが信忠室という
話も伝わるというだけのことであって信忠室と確定してないじゃん。
都合よく改ざんするなよ。
481 :
人間七七四年 :2008/06/10(火) 20:05:21 ID:TKfBcaTU
>>470 じゃあ関ヶ原で西軍についた諸将は大恥かきばっかだな
きこりに紛した奴なんかもう最悪
>>481 なんか色々ゆがんで捕らえすぎ。信忠に比すなら秀頼だろ。
483 :
人間七七四年 :2008/06/10(火) 20:59:26 ID:OCiKoo9u
秀吉に似てたという噂もあった鶴松は…? 夭折したから対比しようがないか。
484 :
人間七七四年 :2008/06/12(木) 15:17:57 ID:6E+87kt3
信忠の評価を語るにはあまりに早すぎる死やった
485 :
人間七七四年 :2008/06/13(金) 08:03:45 ID:jkgKcz3m
キリスト宣教師が書き残してる 秀吉に、綺麗な女性がいると噂聞き付けられたら奪いにこられると
>>485 バテレンどもはキリスト教への態度で人物描写を露骨に変える。
信長も秀吉も、キリスト教への締め付けをしだすと途端に俗悪週刊誌の見出し並みの誹謗中傷の
オンパレード。
487 :
人間七七四年 :2008/06/13(金) 17:57:10 ID:UvUMUXdj
下方弥三郎ってどんな奴?
488 :
人間七七四年 :2008/06/13(金) 22:59:14 ID:CLUdeVeI
489 :
人間七七四年 :2008/06/19(木) 20:23:47 ID:+PvA5ynL
490 :
人間七七四年 :2008/06/24(火) 10:16:49 ID:WYjbvqTC
26歳で正室がいなかったのか?
491 :
人間七七四年 :2008/06/24(火) 14:58:03 ID:Ld4rwvRF
記録には全く残っていないので、いなかったとされる。
492 :
人間七七四年 :2008/06/25(水) 17:55:29 ID:iWeGmMgW
まあ、だから松姫がどうのって未だに言われてるんだよな。
493 :
人間七七四年 :2008/07/14(月) 08:34:28 ID:B3t4Pz14
494 :
人間七七四年 :2008/07/14(月) 19:27:12 ID:u7Gn+SuD
>>488 南米ではイエズス会士が先住民を助けるため命がけで植民者と対峙したんだが
日本こそ江戸時代にアイヌに対し苛烈な日本化を行う尖兵として仏僧を送りこん
だからこのことが念頭にあってキリスト教聖職者が植民地の尖兵となったという
話をこじつけで作り上げたのだろう
>>494 ×南米ではイエズス会士が先住民を助けるため命がけで植民者と対峙したんだが
○南米ではイエズス会士が「キリスト教に改宗した」先住民を助けるため命がけで植民者と対峙したんだが
496 :
人間七七四年 :2008/07/17(木) 23:46:39 ID:OIxuAs6n
>>494 夜中に仏像のある所を襲撃して焼き打ちして神に栄えあれと大喜びし
日本の仏教関係者が戦乱で死ねばざまあみろと大喜びし
西国の人身売買にも関与したりしてたんですけどね、宣教師様達は。
497 :
人間七七四年 :2008/07/22(火) 07:36:01 ID:7RpBZOP9
498 :
人間七七四年 :2008/07/27(日) 14:14:57 ID:L3RIaFlq
利権が絡まない宗教があったら見てみたいもんだ
499 :
人間七七四年 :2008/08/01(金) 13:06:20 ID:N5xR5CTz
今日は楽しいうんち祭り! みんなでお尻を突き出して! いっせぇのぉでウンチブリー! 固いの普通のやらかいの うんちがいっぱい臭い臭い 出すもの出したら大声で 叫ぼよさぁさぁ 『うんちブリブリ〜ン!!!』 うんち祭りだクソまつり みんなでうんちをひりだして うんちの中でずるずるべちゃべちゃ のたうつのたくる臭い臭い うんちまみれになったなら あなたもぼくもうんちマン ついでにおならもひりだして もっと叫ぼよ 『うんちブリブリ〜ン!!!』 まだまだ続くようんち祭り うんち食べちゃえムシャムシャムシャ ついでにおしっこジョロロロロ… うんちお茶漬け完成だ ゲリとおしっこ混ぜたなら ウンチブレンド召し上がれ おっとクソカス浮いてきた これは風流、茶柱だ ウンチ食べ食べおしっこゴクリ 今日は美味しいうんち祭り
500 :
人間七七四年 :2008/09/10(水) 20:26:03 ID:7u71+zdv
過疎ってるな〜。 どうでもいいが、今年の3月の安土城跡博物館の展示見に行ってみた。 寺院への信重(信忠)名義の書状が、信澄の所領だから信澄が発行したもので 署名を間違ったのではと紹介されていた。 信澄の所領でも、信忠が書状出しててもいいんじゃまいか? なんせ嫡男様だしよ。 逆に、信澄が信忠の名前語ったりしたら切腹もんなんじゃなかろうか? 歴史家さんの考えることはようわからん。
502 :
人間七七四年 :2008/09/10(水) 22:37:32 ID:MYnAuVyi
信重の名前で出されてる書状って 延友佐渡守宛の奴?
503 :
500 :2008/09/11(木) 21:43:21 ID:PDMoKX9i
そうか、内容によるのか。意外だ。 現代の感覚だと公文書で署名間違えるとかありえないので、変な感じだな。 展示の書籍購入したと思ったんだけど見当たらないんだ。 だぶるかもしれないけど、今度買ってきて確認するよ。
504 :
人間七七四年 :2008/09/11(木) 22:18:56 ID:NK+kii1e
>>503 署名間違えるのは、あの時代でもないけど、解読を間違えていることはあるかもな。
505 :
人間七七四年 :2008/09/27(土) 04:03:29 ID:D68452Mw
>署名ミス 諱を軽んじるにもほどがある気もするw
506 :
人間七七四年 :2008/10/13(月) 18:22:16 ID:mmwTHlqg
自分の名前を間違える殿様って、、 普通に考えたら家督を継いでる信忠が書状を出しててもおかしくないだろ。って思うが。
507 :
人間七七四年 :2008/10/15(水) 12:37:34 ID:zJJrj8m+
筆跡鑑定すりゃいいよ
508 :
人間七七四年 :2008/10/15(水) 21:13:31 ID:aiHY28mz
本文は祐筆で署名だけを間違えたというの? ありえないでしょ、いくらなんでも。 信忠の名を使ったか借りた、または信忠本人かどっちかだろうね。 そういうのはちゃんと学芸員さんよんで聞いてみればいいんだよ。 筆跡なんて難しいことしなくても、見慣れてる人なら一発でわかるだろうから。
509 :
人間七七四年 :2008/10/23(木) 07:09:08 ID:PjC5az6R
結局どうなったんだ?その署名と筆跡の話。
510 :
人間七七四年 :2008/11/08(土) 00:51:30 ID:sqMt2PTv
すみません、信忠のについてを研究するためにはどのような文献を読めばいいのでしょうか?
511 :
人間七七四年 :2008/12/01(月) 15:41:34 ID:SfUz80Qk
512 :
人間七七四年 :2008/12/01(月) 16:29:08 ID:+mH0JqFc
何か信忠ってカッコいいよなw 俺も大好きだww
513 :
人間七七四年 :2008/12/01(月) 17:11:27 ID:qAtb1rJp
>>511 それ、武功夜話のエピソード満載だし、
読み物としての出来も今ひとつだし、
おすすめするには今ひとつだなぁ。
岐阜県市の書状などの史料でも読んだ方が
研究出来ると思うけど?
514 :
人間七七四年 :2008/12/01(月) 17:12:04 ID:qAtb1rJp
岐阜県市じゃなく岐阜県史だった。
515 :
人間七七四年 :2008/12/01(月) 20:37:38 ID:9j2sTE38
尾張織田一族って本に信忠のこと結構詳しく書いてたよ
516 :
人間七七四年 :2008/12/01(月) 20:47:59 ID:q9e/3HP+
織田家文章の翻訳全集本とかないの?三万円くらいなら出してもいい
517 :
人間七七四年 :2008/12/01(月) 21:38:14 ID:pz607TCj
518 :
人間七七四年 :2008/12/02(火) 01:47:41 ID:k1czei/P
>>500 それは書状の写しなので、写し間違いの可能性が高い。
519 :
人間七七四年 :2008/12/02(火) 01:57:22 ID:/dY0OGjL
>>511 考証倒れの近衛の創作なんて、勧めるもんじゃないと思うよ。
513の言うように、「小説」としても今ひとつだし。
520 :
510 :2008/12/02(火) 02:35:25 ID:y5imN3x6
凄い勢いでスレが伸びてるw 皆さんありがとうございます。 他は谷口氏の本や論文だと小島氏や渡辺江美子氏あたりでしょうか? 彼に関する史料が少なめなんで少々苦労してます。
信忠のキャラクターが見えてくるような資料って、ほとんど無いような。 武田征伐の時に、信忠隊に参加した諸将の家譜とかで間接的にわかるくらいか。 森家の奴とか。
522 :
人間七七四年 :2008/12/02(火) 08:22:44 ID:uO3b9/UK
大体、幼い頃の宿老すら分かってないもんな。
523 :
人間七七四年 :2008/12/02(火) 10:42:07 ID:9y9rAmUj
生母は誰が有力ですか?
524 :
人間七七四年 :2008/12/02(火) 12:03:51 ID:uO3b9/UK
後世に伝わるのは生駒氏だが、信忠生存中の史料からは確認出来ず。 江戸時代にはいってからの史料から出てくる説かな。 信忠自身の書状から推測出来るのは、 元亀2年に死亡したと思われる久庵慶珠という人物。 ただし、崇福寺に墓も位牌も残ってないそうで、どこの誰か不明。
525 :
人間七七四年 :2008/12/04(木) 12:21:41 ID:Gn3AX9N2
ここにレスでいいのか謎だが 時代劇なんかで足軽なんかが付けている織田旗の色が黄色 羽柴や佐々も黄色らしいが・・・ 当時の黄色って色はヒ素を使わずに出せる色なの? 数千本のヒ素旗とか過激に体に害のある旗だと思うけど
526 :
人間七七四年 :2008/12/04(木) 17:52:46 ID:LwJkJRrp
527 :
人間七七四年 :2008/12/20(土) 22:15:39 ID:x6dydoMK
>>525 キハダじゃないかな?
薬としての歴史も長いらしいし
528 :
人間七七四年 :2009/01/31(土) 12:40:24 ID:8Oz40ij8
岐阜人の俺としてはこいつの死は本当に惜しいよなあ
529 :
人間七七四年 :2009/02/01(日) 10:14:17 ID:wro5D+UU
お蘭で親子丼
お蘭はともかく、この人生きてたら森家はものすごい権力を握っただろうなあ。
531 :
人間七七四年 :2009/02/01(日) 11:45:14 ID:FAGx535L
直属部下の森長可や川尻秀隆。このあたりがな 義兄弟の蒲生氏郷は喜びいさんで信忠に仕えただろうに
532 :
人間七七四年 :2009/02/01(日) 11:53:16 ID:FAGx535L
あと村井親子も生き残り斎藤長龍のもと斎藤家の再興・・・ 夢、広がるばかり。
533 :
人間七七四年 :2009/02/01(日) 19:22:34 ID:/nGT1o2w
従三位中将信忠公なら必ずやっくれたはず。
534 :
人間七七四年 :2009/02/01(日) 19:27:40 ID:ufJE4pBe
武田家も、信忠と松姫の子で、再興されたと期待。
535 :
人間七七四年 :2009/02/02(月) 00:51:01 ID:1004V2FX
信長信忠ともに潔かったのは武田勝頼父子を晒し首にしたことが頭をよぎったんだろうね。 晒される自分の首を想像したんだろうね。
536 :
人間七七四年 :2009/02/02(月) 01:58:53 ID:jNKGfyFN
でも蒲生氏郷って本能寺が無かったら台頭は遅れたと思う あの後、上手に秀吉に付いたから会津という大封を得たわけで 織田政権が続くと、同じ信長の親族連中にはキャリアや覚えがめでたい奴がもっと沢山いるから
537 :
人間七七四年 :2009/02/02(月) 04:42:12 ID:37PmTlcr
なんで信忠は従三位左中将から官位上がらなかったの? 確か信長が右大臣辞めるときだか、信忠に譲りたいって言ったっていう記録なかったっけ。
538 :
人間七七四年 :2009/02/02(月) 10:24:54 ID:8Og31Or8
信長は朝廷を潰すつもりだったからもう官位に価値はないとみていた でもそんなことをすると北畠家の存在価値がなくなってしまうから 信長を謀殺した、つまりそいうこと
539 :
人間七七四年 :2009/02/02(月) 11:58:08 ID:bBFsGyj8
540 :
人間七七四年 :2009/02/02(月) 13:24:11 ID:myaK4oSe
信長は勝頼の首を杖で叩いて蹴飛ばしたとか。 首だけになったら辱めを受けるかわからんってのはあったろうな。 親子ともども辞世の句も遺体もなく炎に消えたのは潔すぎる。 あと信長は天皇制廃止とか、 自分が天皇になれるのかというレベルで問答してたらしいし。 信忠を征夷大将軍にしてもらえたら別にいいとか
541 :
人間七七四年 :2009/02/02(月) 13:42:16 ID:ZEwMmlKK
寝言は寝てから(ry
講談俗説の類を恥ずかしげも無く語っている連中って何なの?
543 :
人間七七四年 :2009/02/02(月) 18:11:37 ID:rttQK8B8
批判・史実厨は過疎スレだからなんか話題出せよ 死亡が早過ぎて、もしもを話すなら面白い人物なんだし
544 :
人間七七四年 :2009/02/12(木) 01:20:42 ID:o2dDXZhD
あの鬼武蔵を唯一コントロール出来たかもしれない人物 信長ですら鬼武蔵には手を焼いてるのに
545 :
人間七七四年 :2009/02/14(土) 12:36:51 ID:X+wJd1C5
将来の天下人確定路線の上司には鬼武蔵だって誠心誠意仕えるだろう 本能寺で生きていれば歴史はとんでもなく変わってたと思う 織田信忠本人の器量も大したものだったらしいし
546 :
人間七七四年 :2009/02/14(土) 15:05:10 ID:uh+M5RFC
武蔵が従ったイフは謎だが 秀吉がどうでるかが問題 信孝信雄に味方した連中は確実に不満無いだろうけど
547 :
人間七七四年 :2009/02/14(土) 20:18:11 ID:HUpCXxq9
>>546 でも信忠が生きてた場合、秀吉にとって切り札となる三法師擁立が出来ないからな。
案外、天下取りの野望を触発されずに織田家重臣としての栄達を目指したんじゃないかな。
史実で秀吉に付いた織田家臣にしても、正当な主君と成り上がり者じゃ前者に付く方が無難だし、
そうなりゃ秀吉にしたって史実のような強引なことは出来ないだろう。
まあそれから先は信忠の器量にもよるし未知数だけど。
548 :
人間七七四年 :2009/02/15(日) 10:11:50 ID:GmM0bh85
あと三法師は認めた嫡男じゃないからな 緊急事態のときには三法師しかいなかっただけで。 本能寺の時に信忠は何とか生き残って、 念願かなって松姫迎えて正室に、うまれた息子嫡男に・・・ってできたら 徳川系の旧武田臣との関係も良かったのだろうか やっぱ武田狩りしちゃったからダメかな?
549 :
人間七七四年 :2009/02/17(火) 02:21:14 ID:DnvX2eA1
>>548 >念願かなって松姫迎えて正室に
まさか、そういう説をマジに信じてる?
実際問題、天正十年の時点で信忠が松姫をどう思っていたかなんて
推測できる良質な史料は無いんだよ。
家臣の誰かが松姫を途中まで迎えにいった・・・なんて逸話は
最近はその家臣の家系粉飾と言われているじゃないか。
つーか信忠に関しては本当に資料がない。 その人物すらはっきり見えてこない。
551 :
人間七七四年 :2009/02/18(水) 18:23:03 ID:W+NZYi2x
連戦連勝なのになかなか評価されないところにしびれる>信忠 余裕で勝てると思われる戦を落とさず勝つことがどれだけ重要なことか。 そしてプレッシャーか。ホントに功がある嫡男だよこいつは。なぜ死んだ。
552 :
人間七七四年 :2009/02/18(水) 20:02:26 ID:31mk9lID
つかあの歳にもなって正室が居ないとなると 天皇家を狙っていたんじゃないかと
553 :
人間七七四年 :2009/02/19(木) 03:07:12 ID:wGpKeuwm
>>549 その話って、どこが出元かわかりますか?
まあ、仁科盛信に対して降誘したりしてるので、そこらへんからも
松姫との関係についての話が形成されていったのかもしれんが。
まあ、ロマンのある話ではあるけどね。
554 :
人間七七四年 :2009/02/20(金) 06:45:36 ID:klY5bO+r
なんかの本に書いてあってうる覚えだけど信長が家臣に信忠の評判を聞いたら「欲しいと思っていた物を褒美にくれる器用な殿です」って答えたらしい。 そしたら信長は「刀が欲しい者には茶器を茶器が欲しい者には刀を与えるのが本当の器用」だとか言ったとか。 俺なら欲しい物をくれる信忠がいいなって思ったWW
555 :
人間七七四年 :2009/02/20(金) 09:22:25 ID:TY+VhzfF
まったく同じ話が、信玄と義元だったり、元就と輝元であったりする。 たぶん、汁かけご飯と同じで、テンプレがあってそれを下敷きに作られた話なんだろう。
556 :
人間七七四年 :2009/02/20(金) 14:39:34 ID:IbVbDvTN
あのまま本能寺の変が起きなかったら、東日本は信忠が大将で攻めていっただろうねー…。
557 :
人間七七四年 :2009/02/25(水) 16:04:49 ID:5+UzBctn
>>554 んで滝川には茶器じゃなくて上野なんですね。わかります。
558 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 08:04:58 ID:lRaclu7S
滝川を関東に送らないで、欲しかった茶器を上げていれば、清洲会議の方向も変わったかもしれないのにな。 そうしたら、秀信なり、信孝なりの織田系統の天下が続いた可能性も十分にあったのに。
559 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 20:45:13 ID:kPdHoRk4
>558 清洲会議の方向をどう変える気? まさか信孝を当主にするとか?
560 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 21:30:25 ID:9JAs8Mgj
滝川おってもなあ。 丹羽さん謎の秀吉支持がある限り微妙くさい。 秀吉の力を分配する格の池田恒興やら森武蔵やらは すぐにおっ死んでまうしよ。 信忠が生き残ってたらこんな話には絶対ならなんだのになあ
正直信忠も、あまりたいした人間だったとは思えないんだけどね。 ぶっちゃけ信長の息子の中じゃ、信孝が一番優秀だったんじゃないかと思う。
562 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 21:35:32 ID:AJIRKsxd
信忠配下に紫母衣というのが有ったらしいという噂は本当なのかね?
563 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 21:38:04 ID:kPdHoRk4
>561 そうか? 滅ぶきっかけを自ら作るような人間だしなぁ。
>>563 まあ、あくまで自分が色々読んだ文献とかから考えた印象論でしかないから、
そうかと言われてもなんとも答えられないんだけどねw
ただ、信忠も、本能寺の時の、配下の連中が信忠置いてワラワラ逃げているのを見ても、
最近評価されているほどの器じゃないよなあ、とも思うわけですよ。
正直あの段階では、信長がきちんとした政権運営の組織を作っていなかった以上、
例え信忠が生きていても、結局織田政権は崩壊しただろうなーと、あくまで個人的に
感じてるw
565 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 22:39:11 ID:9JAs8Mgj
>>564 本能寺ってすげえ数が信忠に殉じたんじゃなかったか。
二条城は大奮戦で、反乱の去就もピンチだったんじゃなかったかたしか。
たしかに鎌田とか有楽とか逃げてるが、
村井親子始め斎藤長龍ら美濃衆がことごとく討ち死にして、
織田家の幹部がごっそり死んだんじゃねえの?
本能寺戦没名簿見たけどかなり名のあるやつが死んだみたいだぞ
566 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 22:46:09 ID:AJIRKsxd
面と向かって「出てきます」って言って出てったのは長益、玄以、水野忠重ぐらいじゃね?
567 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 23:04:14 ID:4mxkm8vg
>>564 逃げたのって鎌田や有楽ぐらいしか思い浮かばん
鎌田も信忠の首落とすまで付き合っているし
若い衆は戦意旺盛だったと日記にもあるし、
そんなに逃げられまくったなら明智の手勢を押し返すことはできないだろう
568 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 23:20:47 ID:kPdHoRk4
>564 逃げたのは名前が挙がっている長益、玄以、水野忠重、鎌田新介、 あとは山内康豊といったところか?
569 :
人間七七四年 :2009/02/26(木) 23:59:04 ID:VGkYR/ql
>>561 信孝配下の軍勢の連中も本能寺後ワラワラ逃げ出したんじゃなかったか
570 :
人間七七四年 :2009/02/27(金) 00:11:14 ID:uDC8suiT
571 :
人間七七四年 :2009/02/27(金) 00:50:48 ID:qizfu+SN
玄以が脱出したのって信忠の命令じゃないのか?
572 :
人間七七四年 :2009/02/27(金) 03:03:58 ID:PLw8gHMV
>>565 菅屋長頼や福富平左衛門のような、信長の側近といえるような連中も
多数信忠に殉じているんだよね。
573 :
人間七七四年 :2009/02/27(金) 05:05:57 ID:olANXknj
むしろ信忠の場合は逃亡兵よりも軍勢が集結してるんじゃないか? 二条御所の戦いの時には信長馬廻りなども集まって1500人程度は集まったみたいにも聞くが。 あの不利な状況下であれだけ戦えたのは凄い。
574 :
人間七七四年 :2009/02/27(金) 10:11:23 ID:VivwMF5n
織田政権の中枢がゴッソリ死んだんだよなぁ 二条城で持ちこたえるってのはかなり凄い
575 :
人間七七四年 :2009/02/27(金) 10:34:49 ID:8k8fm0qw
織田家が秀吉に乗っ取られた原因を探ると本能寺よりもむしろ二条御所の方が影響しているように思われる。 信忠とその幹部が悉く死んだ事によって、尾張・美濃は求心力を失ってしまった
576 :
人間七七四年 :2009/02/27(金) 13:17:11 ID:mjXESlrz
>>569 ありゃ、伊勢や紀伊から連れてきた雑兵だからな。
577 :
人間七七四年 :2009/02/27(金) 19:12:53 ID:eBAYPVTD
>>576 ついでに当日は信孝も丹羽長秀も2人揃って出張中でそんな日に知らせが来たもんだから大混乱。
ま、光秀もそこの所は把握してて狙ったんだろうが。
578 :
人間七七四年 :2009/02/27(金) 20:17:53 ID:nWz+vtrM
くそ親父 byの豚だ
579 :
人間七七四年 :2009/02/28(土) 09:18:35 ID:7zlbBCDp
明智軍を…
580 :
人間七七四年 :2009/02/28(土) 10:07:35 ID:cgbRpRQQ
もう光秀は信長じゃなく信忠が嫌いだから謀反起こしたでいいや
581 :
人間七七四年 :2009/02/28(土) 12:49:54 ID:1d+fCxDR
昔は有楽や鎌田なんかが京都を脱出という文を見ても「ああそうなんだ」しか思わなかったけど、 よく考えたら凄い話で。 ここらから光秀は徹底した計画でやったんじゃないって考えは導けるけど…。
582 :
人間七七四年 :2009/02/28(土) 15:30:52 ID:owIWcm8V
畿内で一番厄介なのは17000の四国征伐軍でそれの混乱を優先して信忠は討てればラッキーぐらいの感覚だった・・・とか
583 :
人間七七四年 :2009/03/02(月) 20:44:30 ID:wLxw9HOw
>>581 その人たちについても運が良かったとか言うけど、
逃走しようとして、明智軍に捕まって処刑されたっていう話も、全然聞かないしね。
584 :
人間七七四年 :2009/03/02(月) 21:17:52 ID:hsdhyJ9G
やっぱり単に信忠の包囲はザルだったって事だろう。 長益とかどうでもいいから見逃したとかそういう意味不明な意見よりよほど簡潔で納得できる。
585 :
人間七七四年 :2009/03/02(月) 21:49:27 ID:wjjCBI8h
信忠が妙覚寺にいるって知ったのは、捕虜を捕らえてからだろうしな。
586 :
人間七七四年 :2009/03/03(火) 13:52:38 ID:jZg+iIXu
逃げても実際は逃げられたか……とかいうけど、 実のところは、どう見ても逃げられたようにしか見えない状況なんだよな。
587 :
人間七七四年 :2009/03/03(火) 18:06:07 ID:iO+eYDXw
あの包囲の不十分さに加えて、 信忠自身が武芸などに覚えがある若い将だからな。 惟任謀反記に自ら二人斬り倒すと書かれるほどだから、 白兵戦の覚えがあったんだろう。 武田攻めでも最前線の経験があるし、本当に無念・・・
588 :
人間七七四年 :2009/03/03(火) 18:09:19 ID:gqaYY1tR
とはいえ、後世の自分たちは状況も結果も分かってるから、 逃げられたようにしか見えない訳だが、当時の混乱した現場にいた人間には それは分からない訳だからなぁ。 信長より信忠の方が好きなんで、長生きして信忠の治世も見てみたかった。
589 :
人間七七四年 :2009/03/03(火) 18:09:45 ID:gqaYY1tR
>>588 >長生きして信忠 ×
長生きした信忠 ○
590 :
人間七七四年 :2009/03/13(金) 12:33:26 ID:SAJqFaqw
信長の野望革新にしても太閤立志伝5にしても信忠の統率が78。 なんか78にしなきゃいけないor80を越えちゃいけない不文律でもあるのか? 統率武力知力政治魅力は、 85 80 70 75 85くらいは必要なのではないだろうか。 よくわからんけど。とりあえず今の評価は過小と思う。早死にがいけなかったのか・・・
591 :
人間七七四年 :2009/03/14(土) 04:03:36 ID:RE24ZiZm
本能寺の時の対応に賛否両論があるからだろな
592 :
人間七七四年 :2009/03/14(土) 08:45:52 ID:OR9jw0v6
>>590 自分もそれくらいはあって良いと思うけどね。
もっとも登場するシナリオ自体少なめだから、あんま影響ないっちゃないがw
武田でプレイして、松姫と結婚させるのに一苦労するのが、また楽しい。
593 :
人間七七四年 :2009/03/14(土) 14:48:58 ID:NPcZ2JZG
統率85は絶対過大。信長が作った有利な環境、恵まれた兵力、物資で常に自分より小さい勢力相手に戦ってただけで 苦しい状況で奮戦したとか鮮やかな用兵、戦術で強敵を破ったという経歴もない。 戦歴が豊富なのも織田が元々そういう環境にあったというだけ。
594 :
人間七七四年 :2009/03/14(土) 15:44:40 ID:kNhTzVwm
真に有能な武将とは勇猛無く奇勝も無く偶然も無い 「孫子の兵書より」
595 :
人間七七四年 :2009/03/14(土) 18:45:28 ID:SLHiaZdQ
佐久間信盛とか北条氏規みたいに、地味だが着実な戦いをする武将って一般的に過小評価される傾向が強いな。 「自軍の○倍の敵を打ち破った」という武勇伝はかっこいいんだろうけど
596 :
人間七七四年 :2009/03/14(土) 19:07:52 ID:rU8C2aRO
より強い相手に、より苦しい状況、不利な条件、より少ない兵でよりよい結果出せた奴が高い評価を与えられるんだろう
597 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 10:24:22 ID:4Jpk3+Wd
現場指揮官としてはね でも一番大事なのは有利な状況状態を作っておいて戦い勝つ事だと思うよ 信忠は大将なんだし
598 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 10:31:54 ID:mZwYCjpP
有利な状況は運が悪ければ作れないし運が良けりゃ作れる。 信忠の場合は完全に後者。信長が用意した有利な状況で常に戦うことができた。
599 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 11:49:43 ID:4Jpk3+Wd
運?相手より兵を集める事が?武装を強化する事が?相手より有利な位置取りする事が?謀略・外交で相手を不利に追い込む事が? 勿論、運も必要だけど運だけじゃ何もならない行動しなければ 与えられた物だろうがなんだろうが有利な状況を活かして確実に勝つ、大将として十分だべよ 最後に「運も実力の内」
600 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 11:58:42 ID:XeKSxqe+
何であれ事実として番狂わせを起こさせる事も無く堅実に勝ってますから。 無能な将ならば時に自軍の多勢さに寄った采配をして手痛い反撃を食らったりするもんだよ。
601 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 12:10:49 ID:aSCe8NsS
勝って当然といわれる戦を落とさず勝つことがどれだけ大変で大切なことかわからないとは。 桶狭間や第二次上田みたいな事例は歴史にいくらでも事欠かないわけで。 しかも信忠は浅井、雑賀、松永、荒木、中国、武田と歴戦転戦して戦果を上げている。 さらに惟任謀反記にもあるように、最後の二条御所は寡勢にも関わらず美濃衆や馬廻りを率いて大善戦をしている。 過大連中ひしめく中、信忠の過小評価には閉口せざるを得ない。
602 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 12:14:40 ID:iwXrt78G
織田厨は相当馬鹿だな 武装強化や有利な兵力用意できるのは織田家が恵まれてただけだろうが 位置取り?信忠は特別優れた位置取りした例なんてない ただ信長の用意した有利で恵まれた条件で戦ってただけ 運も実力とか馬鹿じゃね? 実力あっても運ない奴は埋もれるだけ 運ある奴は実力普通でも結果だす機会に恵まれる お前頭悪すぎw死ねよバーカ
603 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 12:17:54 ID:FIbRwRJM
小瀬甫庵に頼めば面白おかしくありもしない奇策奇略を織り交ぜて書いてくれるかもよ
604 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 12:18:21 ID:9mEsfG11
「人事を尽くして天命をまつ」 人為を尽くそうとしなければ運も何もない。 結果だけを見て運がどうこう言う人は、その運を掴む為に 事前にどれほどの営為があったのかを見ようとしない。
605 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 12:20:35 ID:iwXrt78G
勝って当然な戦なんて落とさなくて当然 過大連中で誰だ? 信忠みたいな織田家の強大さ依存武将をやたら贔屓してんじゃねぇよボォケ 信忠が過小なら過小連中だらけになるな 一門、しかも長男なんだから戦闘機会に恵まれるのも当然 大軍用意して常に織田家臣団とともに有利な戦闘状況で戦えただけ 信忠様はすごいんだもん w まけないんだもん w ってか? カスがwww
606 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 12:23:09 ID:iwXrt78G
は?信忠が事前にどんな営為したんだ?
607 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 12:54:27 ID:XeKSxqe+
火病だした奴と語る価値無し。お帰りはあちら。
608 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 18:50:30 ID:4Jpk3+Wd
古今、勝てると言われた状況で勝ちを落とした者の何と多い事か・・・ 不利な状況・状態から勝利を掴む者が居るという事は有利な状況・状態から勝利を落とす者も居るという事でもある 勝てて当然等という事はあり得ない
609 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 19:33:30 ID:R9UqV+E6
大国の世継ぎはそもそも寡兵で戦う機会がないからな
610 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 21:27:56 ID:yOKSY3fl
大軍持っててもそれを差し引いて余りある程よい戦果出せた奴は高い評価与えられるだろう。 信忠は中の上といった所の戦果じゃないだろうか。
611 :
人間七七四年 :2009/03/15(日) 23:06:32 ID:WcSvJtas
内通した木曽に即座に援軍を送るあたり、信長流の迅速な用兵術を心得ていたようだ。 木曽を巡る攻防で武田の命運は決したんだし
612 :
人間七七四年 :2009/03/16(月) 12:20:37 ID:q8oLcvO+
まあ点数やランク付けるのは無粋 信忠が参加した戦で躊躇したのって 播磨の秀吉救援の時くらい? ただ闇雲に突っ込む武将じゃないのは確か 「将 外にありて 主の言 聞かざる事あり」 兵法通りで意外に中央にいる信長の命に背く事が大井 結構現場第一主義
613 :
人間七七四年 :2009/03/16(月) 12:47:15 ID:tYAHSWb2
武田崩れの速度はとにかく異常。良い意味で。 天下の儀も御与奪!
614 :
人間七七四年 :2009/03/16(月) 21:39:20 ID:qxgG8Kfh
>>612 信忠軍が上月城救援に向かわなかったのは親父の指示さ。だから秀吉は京までいって信長に直訴している。
615 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 12:43:57 ID:FJ4okGbZ
武田攻めとか鮮やかだし 衛青や霍去病とかは武帝に精鋭部隊を与えられて匈奴を破ったけど 彼らはやっぱり中国を代表する名将として挙げられる事が多い罠 赫々たる武勲は覆せないし、同じく大軍の精鋭を率いてもボロボロだった李広利もいる
616 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 17:08:12 ID:yHPeyMJi
>>614 親父の指示ではなく秀吉が退却する責任放棄を
動かない信忠のせいにしただけじゃない?
それでも信忠は動かないけどねw
617 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 18:28:18 ID:9XXPHLKY
武田攻めでまともに抗戦したのは仁科くらいじゃなかったか? 松尾小笠原や知久、下条等伊那の諸将は次々に内応したし。 裏切りの連鎖が出て勝手に瓦解するほどだったが織田方でも一門の一人が死んでるし 死傷もそれなりに出てる。特筆するほどの業績とは思わないが。
618 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 20:12:47 ID:0IAimBZf
実は信忠って攻城戦しかしてなくないか? 野戦で指揮とった事がないよな? 大軍で力押しのイメージ 近い兵力で野戦で勝ってたらなぁ
619 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 20:29:59 ID:xlx8HI2W
二条城で明智勢を返り討ち、尾張へ帰って体制を整え、光秀と決戦、勝利。 するくらいの活躍がないと判らない人が多いんだな。
620 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 21:02:53 ID:yHvjTDFP
>>617 それだったらその武田に負けっぱなしだった北条は雑魚もいいとこだな
621 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 21:12:53 ID:s+vE3ALH
>>620 北条や徳川との戦いで疲弊しきってて後から大軍で襲ったから崩壊したんだが
時系列が滅茶苦茶だなw
北条は上野、下野の諸将が次々敵方に寝返って大変だったの。
元々旧勢力に連なる反北条色の強い豪族が多い地域だしな。
反北条連合が常陸南部〜下野南部〜下総〜東上野と積極的に攻めて来てて
戦力が集中できなかったから。雑魚とか意味わからん
622 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 22:11:38 ID:FJ4okGbZ
>>617 秋山は?
つーか高遠城は半日で落ちてるんだが、半日落城も普通の事か?
623 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 22:19:10 ID:yHvjTDFP
>>621 武田も西で織田徳川と戦闘している片手間で北条と戦っていたんだけどね
624 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 23:22:22 ID:8sGYupKS
>>622 秋山?岩村城攻防戦の時の事?
高遠に関しては圧倒的兵力差だしそこまで堅固な城でもないし数でごり押せるんじゃないか。
武田は持久戦に適した築城技術がやや遅れていたみたいな記述が『武田勝頼と新府城』
に書かれてたけど。
>>623 織田は攻めて来てないじゃん。徳川は高天神城放置したために落とされた。
北条も81年には長窪城を攻略し天神ヶ尾城、沼津城を攻撃したり
西上野の宇津木、白井長尾を調略したり反撃に出てるんだが。
いや北条と敵対以来主軸を対北条戦に切り替えてるのは明白。積極的に上野や武蔵、伊豆方面に
侵攻してるから。片手間なんてとんでもない
625 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 23:35:22 ID:0IAimBZf
信忠って有能か無能で極端に評価が分かれるよな。 本能寺の変での対処にしても意見が分かれるし。 だけど分からないからこそ魅力的な人物でもある。
626 :
人間七七四年 :2009/03/17(火) 23:50:45 ID:+97c2rpN
某ゲームだと能力値が60前後評価だな。 最近は再評価されたのか上昇傾向だが
627 :
パラメ厨 :2009/03/18(水) 00:15:49 ID:sZX1wD/1
政治 71 統率 73 智謀 38 教養 74
628 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 00:20:12 ID:mN0MHOH8
>>624 コーエーのゲームじゃあるまいし交戦中の大国に軍備の備えしないなんてこと有り得るか?
629 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 00:28:43 ID:8NNs+Hg9
国境に兵力貼り付けとくって発想のほうがゲーム脳かと
630 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 00:39:22 ID:zQzSPvl0
631 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 00:56:58 ID:8Of8O2gU
頭は悪いだろ 隙だらけの落命の危機に対応できなかったのだから
632 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 01:56:45 ID:WZ2InGOb
>>624 城というものを何だと思っているのか。
攻撃開始して半日で攻略なんてそうそうないよ。
ところで武田軍は長篠を圧倒的兵力差で包囲して半日で落とせたのか?
633 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 17:11:04 ID:MGA0nVap
>>628 そりゃ軍備の備えはしてるだろうがその前からの長篠の傷、越後出兵や北条徳川との抗争
による過度な軍役負担、新府築城による出費など財政はパンクしてたから
防備不十分だったとしても何らおかしくない。
>>632 だから同じこと何回も言わせるな。城つっても堅さや攻めやすさによるだろうが。
高遠町志でも見て確認してみろよ。織田方は数を生かして攻めれてるから。
信長公記だと高遠の城兵はわずか1000にもみたない。
周辺もすでに敵地で高遠は孤立状態
そうそうないよとか状況無視しすぎ
長篠城と同じ攻めやすさだと思ってるの?
お前頭悪すぎだな 状況も無視して長篠攻めと一緒くたにするとか妄想もいいところだ
634 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 18:32:28 ID:+TCrn9z2
高橋紹運あたりが高々600で籠城して時間稼いだのはスゴイとは思う しかし似たような状況で籠城して生き残った奥村永富や秋田実季や奥平信昌あたりはもっと評価されていいし 信長の野望などではこれらの連中は仁科より統率において後ろにされているのはなんだかなぁ あと数の多い方が数を生かして攻めるのは当然じゃね?
635 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 18:35:19 ID:5SkiyjQT
当然だわな。
636 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 18:40:53 ID:gNDukiGI
>>634 いやだから高遠城は後ろは川だが功城側が一度に多くの兵を投入できないほど
攻めるに難しい城じゃないと言ってるんだが。五万か六万かといった大軍なら
一瞬で蹴散らせるのもうなずける。
砦とか小規模な城なら大軍で攻めてすぐ落ちるというのはさほど珍しくないんじゃないか
637 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 20:06:53 ID:zQzSPvl0
>>636 を数字がスルト
織田信忠
統率40戦闘85知略11政治56くらいか?
638 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 20:39:53 ID:mN0MHOH8
数をそろえりゃ勝って当然、という意見が通るなら羽柴秀長も凡将だろう
639 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 20:56:57 ID:qXovxEaB
とりあえず信忠と似たポジションの武将を挙げて、そいつらと比べて評価してみたらどう? 例えば今川義元、羽柴秀長、石田三成、直江兼続、徳川秀忠あたり 共通点は「大軍指揮能力」「強力なバックがないと脆い」 この中だと秀長には劣る、三成とは互角、他の三人には勝ってる あくまで俺評価だが (何故三成と互角かと言うと、二条御所と関ヶ原、どちらもほぼ半日で崩壊してるw)
640 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 21:04:36 ID:tUeE2pVf
>>639 とりあえずお前二条御所がどんだけ絶望的かわかって言ってんのか。
あれはもう戦じゃねーよ。関ヶ原と比べるなんてナンセンス
641 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 21:13:37 ID:zQzSPvl0
信忠は全然逃げれたんじゃないのか? それをわざわざ二条御所に籠城しちゃったんだろ? 2000人とかで上洛してるなら退却するだろ 三成、義元のが全然上だろ
642 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 21:14:34 ID:mN0MHOH8
本能寺で光秀ごときに負けた信長はへタレということでよろしいですね
643 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 21:17:31 ID:zQzSPvl0
>>642 信長は脱出無理だろ
信長が信忠の立場なら間違いなく逃げてたな
644 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 21:25:25 ID:uMckCDMX
>>638 数揃えりゃ勝って当然とまでは言わんが兵多い方が戦い方の幅も大きく広がるし
ぜんぜん違う
秀長?まさに豊富な国力を生かした兵数・物資数に依存した采配しただけだと思うが。
645 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 21:42:10 ID:UNB0YGP1
というかねー、 高遠城攻防は信長公記見ればわかると思うけど もともと状況が絶望的な上、華々しく戦って散る事を選んだ 仁科が日の出と共に織田勢数万に突撃して4時間以上戦ってるわけよ。 もともと兵のすくなかった城方はこの激闘で大部分が討ち取られ、 残党が城に逃げ入り、織田勢はそれに乗じて乗り込んだわけよ。 だからこの戦いはほとんど野外戦闘みたいなもんで、 一日で決着がついたのを不手際っていうのは違うのよね。 むしろ野戦とみるなら千名いたかどうかなのに織田勢数万に随分健闘したと思えるが。 江戸時代にこの戦いをまとめた軍記では確か城方よりも織田勢のほうが被害が多かった ことになっている。 仁科が信濃のヒーローとして末永く語り継がれてる事からも 仁科は相当健闘したと思われる。
646 :
人間七七四年 :2009/03/18(水) 23:21:37 ID:qXovxEaB
大軍を与えられても徳川秀忠とか仙石秀久とか全然活用できない例もある訳で
二条御所を除いてそつなくこなしてた信忠の能力が低いとは思えん
まあ二条御所の戦い自体は悲惨だけど
決断次第で何とかならなかったか?と考えるとまた変わってくる
俺は本人の若さより滝川や森辺りのベテランと切り離されていた状況の方が要因として大きいと思ってるが
>>640 関ヶ原との比較は確かに極論だけど何か基準を設けたい所
例えば「生涯最大の敗北を喫した時の再起不能度」でいくなら
秀長=兼続=秀忠(退却)>三成(脱出のち捕虜)>義元=信忠(討死)になる もちろんこれも極論に過ぎんが
大封を不意に逃す木村吉清の空気っぷりも特筆モノ。
648 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 02:06:02 ID:9Rl7f+lX
>>641 それは現代人の知識があって言えること。
圧倒的な情報量を持つ未来人は、過去のどんな名将名政治家の決断にも
ケチつけられるという典型だな。
649 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 02:27:10 ID:qtlB3mQV
>>646 確かに
いつも補佐してくれる川尻か滝川が居ればな。
いきなり父親も死んで滝川、川尻もいなくて判断誤ったんだろな
650 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 05:30:29 ID:DNuZ8J7s
明智光秀ともあろう男が謀反するのに 京の出入り口を封鎖してないわけ無いだろ常識的に考えて・・・ まさか準備無しで突発的にやったとは思いもよらなかったんだろうな
651 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 09:26:41 ID:64yDpqew
>>649 川尻や滝川がいても判断はそう変わらなかったと思う。
状況は不明だわ、手元に兵はロクにいないわじゃあ、まずは落ち着ける
防御機構のある場所に向うのは間違った判断じゃあない。
連れてきた兵が京に分散していたってのが痛かったな。
変を知った時点でせめて一千の兵力があれば、もっと違う決断も出来た
だろうが。
652 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 10:15:27 ID:jdBfyz8r
>>651 まぁ仕方がない判断だな。
手元に兵は少なく謀反の規模もわからない状況じゃ
653 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 15:02:39 ID:c0MuoUBu
二条城の辺見たけど、あそこに明智の一万が来たって言われたらもう駄目だと思うのも無理はないよなあ 村井のじい様も二条御所しかありません!と言えばそれしかないなとなるのも自然か
654 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 18:56:03 ID:jdBfyz8r
ちなみに今の二条城と信忠の籠城した二条御所は場所違うぞ
655 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 20:00:37 ID:t+Rb/A8j
>>649 信長譜代とも言える連中は総じて絶望的かつ悲観的で
信忠付きの連中は戦意旺盛だったとあるから
河尻や滝川も居ても村井と一緒で無気力症候群でろくな進言もできないんじゃない?
つーか実際の本能寺後の滝川を見ても、奴が信忠の傍に居たところでどうしようもない
656 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 20:15:02 ID:ONfjJSiP
>つーか実際の本能寺後の滝川を見ても、奴が信忠の傍に居たところでどうしようもない なぜこんな滝川を否定的に見るかわからん。 神流川で負けて勢力失ったけどそれ以降も秀吉を伊勢方面で苦しめたり 秀吉対家康の時も秀吉方で佐久間正勝の留守を狙って蟹江その他数城を乗っ取ったり 頑張ってるのに(これは信雄方拠点の間近にあったため駆逐されたが)
657 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 22:13:09 ID:t+Rb/A8j
いやだってその神流川で 信長様死んじゃったけど戦ってみるよ。負けたけど人質解放するから好きにしてイイよ って判断をしたジャマイカ
658 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 22:23:01 ID:Qt4BZJIo
>>657 ??どんな判断をすれば良かったの?北条が倉賀野攻めて応戦したという流れじゃなかったか?
氏政は当方に相談するように、と言ってたけど両者の関係は本能寺前でも表面的にはなんともないが
内心は祇園返還の時とか北武蔵や東上野取られた件とかでギクシャクしてたし
信長死んでしまえばああなるのもおかしくないと思うが。
659 :
人間七七四年 :2009/03/19(木) 23:52:09 ID:t+Rb/A8j
そりゃあーた、本能寺後には秀吉つーベストな選択をした輩がおるじゃないですか つか関東方面は旧武田領がまだ安定してないから森長可よろしく兎角安全な所まで逃げ切ってもよかったんじゃないですか グダグダ孤軍になって戦うなんて下の下でしょ
660 :
人間七七四年 :2009/03/20(金) 00:05:26 ID:g/eASFvS
戦って逃げても戦わずして逃げても勢力失う事にはかわりないんじゃないか。 毛利は秀吉を追わなかったけど北条は上野を攻撃しそうだ。
661 :
人間七七四年 :2009/03/20(金) 00:28:30 ID:DGKooVAx
軍隊は瓦解したけど秀吉に合流したことでその後上手く立ち回った丹羽さんとかも居るが 今話題になっているのは滝川がどうすればよかったかではなく 滝川が信忠の傍にいて適切な助言ができたか、だ 滝川は本能寺後も武将としては才覚を発揮したけど、本人に戦略眼は無いだろ あくまで信長に使われてこその存在
662 :
人間七七四年 :2009/03/20(金) 00:57:01 ID:e7kS0v5u
伊勢に帰ることもせず、律儀に人質を解放と 岐阜への帰還をせず、親王を送り出すと 一益いても行動変わらんな
663 :
人間七七四年 :2009/03/20(金) 07:26:29 ID:fSX/u/dV
でも川尻と違ってちゃんと落ち延びてるね一益 一益居れば信忠が逃げられる可能性は出てくるんじゃね?
664 :
人間七七四年 :2009/03/20(金) 09:51:08 ID:/8NaGOdb
一益は領土蜂起して伊勢に逃げるとき、上野信濃の豪族の協力を得ている。 人質解放などがある意味恩義となったか。 まあ政治的利益ももちろあっただろうが。 上でも言ったけど、一益がいても手元に兵力という資本が無いのでは出来る ことは限られる。仮に一千ほどの兵力があれば「明智の包囲を破って近江に 逃げるぞ!」とか決断もできただろうけど。 それで実際にやってみたら「あれ?なんで明智の兵がいないんだ?」と成功した のだろうけどね。
665 :
人間七七四年 :2009/03/21(土) 09:19:59 ID:STN2MtY3
>>648 通信機器が無い時代に軍隊、ましては万規模の大軍を統率する大変さなんか想像するしかないもんな
本能寺の時だって、光秀の計画がザルで秀吉がすぐに帰ってくるなんて予想できるわけねえ
ああいう状況で即座にトンズラできるのは知性よりも本能の問題だろう
666 :
人間七七四年 :2009/04/11(土) 10:25:53 ID:QeSuhV/s
織田三位中将信忠は家臣の評判がいい、まじめで優しく温厚な人物像と、 武田狩りのような容赦ない命令も完遂できる冷酷な名将な人物像、 さらに若さとかなりの戦功といろいろあいまってなかなか想像し甲斐があるんだよな しかし資料が少ないんだ ただ生き残ってればそれだけで歴史は90度は変わったろうなあ・・・
667 :
人間七七四年 :2009/04/11(土) 15:53:39 ID:VuUUts30
日本史もしも?だかそんなタイトルの番組で一度だけ信忠が特集された事があったな
668 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 02:11:32 ID:+sO6aUdC
>>666 武田狩りってw
どうみてもごくごく普通の戦後処理じゃん。
徳川のプロパガンダから早う目を覚ませ。
669 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 02:17:04 ID:v3M+GeIu
いや織田家なら普通だろうが、戦国の常識としても苛烈だろう。 降伏者さえ許さず殺害したり、寺社まで焼き討ちしたんだからな。
670 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 02:17:34 ID:FOt7tlOD
>>668 でたでた、都合の悪い事は全部徳川プロパガンダw
671 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 09:17:12 ID:q8swutU+
はいはい、神君家康神君家康と。
672 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 11:27:08 ID:/SudXLMb
>>669 具体例挙げてもらえません?
>降伏者さえ許さず殺害したり
小山田以外に知らないし、この手の主家の首もって降伏は信長以外にも
認めずに処刑した例は戦国にあります。つまり、戦国の常識の範囲。
>寺社まで焼き討ちしたんだからな
恵林寺のことを言っているのなら、あれは降伏せずに逃亡していた
武士を匿い、引渡しを拒んだからやはり時代の当然。
降伏しないというのは敵対の意思を捨てていないということで、追跡
するのは当然の行為だし、敵対者を匿うというのは、同じく敵対の
意思表明とみなされるのは戦国の常識。
ついでに言うと、この時代の寺社は自前の経済力と武力を持つ一個の
政治勢力。現代の寺社の感覚で織田を非難するのは的外れ。
673 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 12:12:56 ID:TYX86R++
でも武田狩りくらい戦国では責められるものでもなんでもないんじゃ? 怨敵武田相手ならあれくらいやってもなあって感じ 信玄に同盟切られたタイミングが最悪だし 荒木も伊賀も比叡山も何だってやった織田家だ 信忠はよくやったしよく戦った。それこそGJ、でそれが 「天下の儀も御与奪」にもよく表れているではないか
674 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 12:14:12 ID:TYX86R++
もうちょっと言うなら武田家ってのが案外とういうかかなり人気大名家だから それをつぶした信忠の描写や印象が不当に薄められている感は否めんと言えば、言えるような
675 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 14:43:02 ID:v3M+GeIu
>>672 >小山田以外
これだけで異例だが。信長はそれまで降伏者を許している。
越前攻めの朝倉家家臣とかな。桂田なんかは守護代にしているぐらい。
依田信蕃らも降伏したのに殺されかけ、あやうく徳川に匿われている。
秋山信友も降伏したのに殺されたのは有名だな。
まぁどこまでが信長の意向で信忠の意思だったかは判別が難しいが。
>寺社
信長公記でさえ、武力で抵抗されたとかいうことはない。
無抵抗の寺社に咎、の疑いをかけて一方的に焼いただけ。
676 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 15:25:51 ID:/0OTrZ1s
秋山は織田とは遠山城の怨恨があるから無理だろ
677 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 15:26:59 ID:g30yBMZ0
何時の何処の話をしているの?>寺社
678 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 15:49:29 ID:t8NZrCNr
>>677 織田の武田侵攻、その後の残党刈りのときじゃないの?
有名な恵林寺のほか、栖雲寺などが焼かれている。
ちなみに、恵林寺攻撃の口実になった六角次郎義治は逃れ(既に逃げていたのか元々織田の誤認や口実だったのかは不明)、後豊臣秀吉に仕えている。
679 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 16:46:46 ID:/0OTrZ1s
平安末の荘園制から鎌倉、南北朝、室町って追っていくと寺社勢力の厄介さがウンザリするほど分かる 無力化させた徳川政権スゲーよ
680 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 19:33:51 ID:FOt7tlOD
農民にとっては、大名領に比べ領民の権利を広く認めていた寺社領の方が住みやすかった。
681 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 19:51:15 ID:QKMqd9B3
>>674 残党狩りの段階で、本能寺が起こってしまったというのが大きいんじゃないか。
あのまま、織田の支配が続けば残党の連中も召し抱えられたりして事実は忘れ去られてたんじゃないか。
682 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 20:18:27 ID:qWTp72I+
>>675 寺社については秩父で信玄焼きとまで言われる
信玄の行った焼き討ちの方がはるかに常識はずれだよ。
信長なんてある意味かわいいもんだぞ。まじで。
683 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 21:16:53 ID:FOt7tlOD
>>682 その比較自体が間違っていることがわからないかな?
684 :
人間七七四年 :2009/04/16(木) 21:19:37 ID:t8NZrCNr
>>682 いや、そう思うのならいいけどさ。
ある意味、というのは具体的にどういう意味?
685 :
人間七七四年 :2009/04/17(金) 01:22:40 ID:hFSuk59u
>>675 武力かどうかは関係ないんだよ。織田軍が追っている人物を匿い逃亡を手助けし
織田軍の使者を追い返した、という点でもう政治的に織田軍への反抗者になって
いるんだよ。
無抵抗とか当時の寺社を誤解しすぎだし、そもそも政治というものが判っていない。
686 :
人間七七四年 :2009/04/17(金) 01:33:44 ID:MC3q6x/Q
>>685 で、織田に対する広範な反感を残しましたよね。
いやあ、信忠という人は政治がわかっていないw
687 :
人間七七四年 :2009/04/17(金) 02:26:12 ID:hZMvEwwR
>>685 匿った人物がいた、という保証なんてどこにもないわけだが。
実際に、当人はいなかったし。
しかも抵抗してないし。
使者追い返した、なんて記述それこそどこから?
688 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 06:44:30 ID:dbqUZ3dp
優秀なのか凡庸なのかよくわからん人物だよなぁ
689 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 10:45:24 ID:+OhP6MHq
小山田は許せない
690 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 12:03:11 ID:M0asaIeU
信長公記見る限り、 織田は武田の武士を殺して首を持ってくることを推奨した為、 落ち武者狩りは悲惨を極め、毎日のように武田の侍が首を取られて 運ばれてきたんだそうだ。 もうとっくに勝頼も武田一門もあらかた殺された後なのに。 こりゃ恨まれると思うが。 実際本能寺あとに甲斐衆が蜂起して河尻を殺してるし 織田は相当恨まれてたと思う。
691 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 12:08:22 ID:M0asaIeU
>>682 敵対者にやったというなら織田も紀州雑賀とかで
随分悲惨なことやってるみたいだが。
焼き打ちは織田の常套手段だし。
692 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 19:11:55 ID:jjK3SffA
>>690 だが、信長も信忠も首取りを推奨するような禁制の類を
出したという形跡もないんだよね。
それに武田の旧臣を雇うなとも出していないし、むしろ雇う時は
注意しろって言っているぐらいだから推奨したというのは矛盾が
生じると思うのだけど。
新しい土地を治めるやり方的にみてもこれはむしろ禁じ手なわけだし。
693 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 19:41:23 ID:7z1Qcr60
>>692 んなこと言っても信長万歳の信長公記にしっかり
書いてあるわけで。
武田の侍殺して首を持ってきた者たちに黄金をやり、
これを見た織田勢が、先々まで武田の侍を探し回って首を持ってきたそうだ。
恵林寺事件と並行してところどころで、この武田侍の虐殺は続いていたそうだ。
わざわざ「黄金くだされ」と敬語で書かれてるから信長もしくは信忠が
黄金を与えていたようだし。
こういった手段は確かに新しい土地を治めるには禁じ手で、
河尻は本能寺の後であっさり殺されてる所からして、
甲斐衆は相当織田を恨んでる事がわかる。
ただ、この武田侍虐殺は4月3日の恵林寺事件と並行して書かれてるから
信長自身は4月2日の時点で甲斐を立って駿河からの帰路に入り、
信忠が甲斐の指揮を執ってる所からして、信忠の指示であったと見るのが妥当かも。
もちろん信長自身が、甲斐を立つ前に信忠に指示してった可能性もあるが。
694 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 19:43:55 ID:7z1Qcr60
しかし信忠が虐殺の指揮を執っていたとすると 信忠の政治センスには、?マークを付けざるをえんよね。
695 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 19:56:15 ID:D55PnO8R
そう?信忠存命中はまだもってたし、 信忠生きてたらまとまったと思える。 死んだからああなったわけで。 むしろ政治センスあったくらいじゃね
696 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 20:03:38 ID:gJ44A6sQ
「信長のいない信忠」という時期は存在しないので、どちらとも言いかねるな。
697 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 20:07:37 ID:7z1Qcr60
>>695 >>696 の人も言ってるけど、
信長が本能寺で死んだすぐ後に信忠も殺されてるので
信忠生きてたら、ってのはわかり難いし、
すぐさま反乱起きて国主河尻を殺してるような状態は
かなり危険な火薬庫だと思ふ。
信忠が指揮してやった虐殺が原因なら、これはちょっとアレだな。
698 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 20:19:31 ID:D55PnO8R
だよなあ。信忠だけ生き延びたらってのが想像なんだよな 織田は間違いなく信忠にまとまるだろうが 従う姿勢だった北条と伊達はどうするか。特に北条、てめえだよw 甲斐取りには北条のケツ持ちが不可欠…
699 :
人間七七四年 :2009/04/26(日) 20:56:37 ID:gJ44A6sQ
信忠と言うと吉法師の母も良くわからんくらい女性関係に付いては謎(まあ信長もそうだけど)だが、 小姓に美少年がそろっていたって話はいろんな所で見るな。 信忠はそういう美少年コレクションに関しては、世間でも当時かなり有名だったような印象。
700 :
人間七七四年 :2009/04/27(月) 01:36:31 ID:y71pJRw3
>>693 黄金をやるが推奨したことになるのかなと疑問。
例えば、ある人間が首を持っていったら金をくれるかもと思いついて
もって言ったら案の定もらえた。
その話がばっと広まって真似する人多数みたいな感じで。
信長公記は自分も持ってるけど農民を煽動(推奨)したという
ニュアンスではないような感じに読めた。
701 :
人間七七四年 :2009/04/27(月) 20:48:09 ID:wiukbYT7
>>700 たしかに。公開されている信長公記では
「首を持ってきた百姓に褒美を与えたら、他の百姓にも広まって残党狩が盛んになった」
とあるな。信長や信忠が懸賞をかけて布告したとはどこにもないね。
織田軍がそういった効果を狙って褒美を出した可能性はあるが、そもそも最初に
首を持ってきたのも真似して残党狩に参加したのも当地の百姓で、これを信長の
せいにしようというのは捏造にすぎる。
702 :
人間七七四年 :2009/04/27(月) 21:08:33 ID:g1rIpQoV
そう言う残党狩りを嫌っていれば何らかの対応取るだろうに。 いいほうに考えすぎ。
703 :
人間七七四年 :2009/04/27(月) 22:09:01 ID:wKrWvKdN
当地の百姓懐柔するほうが負けた武士を懐柔するより内政には効果あるだろ
704 :
人間七七四年 :2009/04/27(月) 22:09:54 ID:/M+EtpZJ
>>700 とりあえず、信長公記を見れば
恵林寺事件と並行してこういった武田の残党狩りが
発生して次々に首を取っていたとある。
こういった残党狩りを嫌っていたなら対処するはずだし、
そもそも戦闘終結したのに、こういった残党狩りが継続していた
という所が異常だと思うが。
首取りはなぜ継続していたのか?という所に底意がみえそうだが。
>>701 都合よく考えすぎ。
真似して残党狩りに参加したのが百姓だったとはどこにも書いてないが。
「見ていたもの」が首を取りに走ったとあるから、陣中にいて黄金を貰う情景を
見れたのは織田勢だったとみるのが自然だと思うが。
実際そういった戦闘終結宣言出しておいて、残党殺しになんら手を打たず、
しかもほめたたえて黄金与えて、残党殺しを激化させたのが誰だったと思ってるのか。
705 :
人間七七四年 :2009/04/27(月) 22:11:14 ID:/M+EtpZJ
>>703 百姓懐柔したというか、首を取りに走ったのは織田勢と見た方が
自然だと思うが。
てか結局本能寺あとで甲斐衆が暴発して河尻殺してるのに何を言ってるんだ?
706 :
人間七七四年 :2009/04/27(月) 23:54:33 ID:j7d5QTCg
>>704-705 >戦闘終結宣言出しておいて
残党というのは、正式に降伏もせず逃亡中→抵抗の意思ありの連中ですが?
降伏を受け入れたものたちは保護し、そうでなく抵抗を続けているものを
討ち取った。いったいこの行為に何の問題があると?
707 :
人間七七四年 :2009/04/27(月) 23:58:46 ID:/M+EtpZJ
>>706 正式に降伏、って殺されるのになんで出てこにゃならんのか。
抵抗も何も戦力はすでに崩壊し、殺される恐怖におびえて身を潜めてる連中を
いぶり出して殺す必要がどこにあったのかと。
708 :
人間七七四年 :2009/04/27(月) 23:59:37 ID:qW2Y0JZv
つうか、信公を書いた牛自身は武田討伐には従軍しとらんよ。
武田討伐の部分は帰還した連中から聞いた話を元にして書かれて
いるらしいから全てが全て正しいとも言えないんじゃね?
それに信長は常に戦後の乱盗りの類禁止を厳命していたはずだが…。
武田だけ例外というのはかなり苦しい。
あと嫌っていたらなんていう発想の方がぶっ飛んでるだろう。
嫌っていたとしても下手に禁制を強いて逆に反発を招く恐れを回避した
可能性も否定はできないと思うが。先のことを考えれば好き嫌いじゃなく
武田旧臣保護<<<<<<<旧武田領民の懐柔だから、領民が自主的に
やっているならなおさら止めるなんてことはしないだろ。
勝頼治世時、勝頼が信玄並に慕われていたのなら話は別だろうだがね。
>>705 河尻殺害自体が徳川の煽動によるものという話もあるんだが。
709 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 00:11:14 ID:VDtNehLg
>>708 公記にあるのを追ってけば
甲斐に入った織田勢は武田に連なる者を片っ端から探し出して
殺してる事を誇らしげに書いている。
盲目で僧侶だった武田竜宝まで殺されてる。
この状態じゃ恵林寺事件に至るまで所々で武田侍が殺されてたとしても
不思議な空気じゃないが。
領民に関してだが、
>>704 にも書いたが、どうも織田勢が残党狩りに精を出してると
見られるのだが。実際本能寺あとの甲斐衆の暴発から見てもそれが自然だと思うが。
そりゃ与太話だと思うが。
史実の家康は河尻を殺すどころか、河尻に逃げることを勧めてたはずだが。
そんで河尻が拒否して殺され、その後家康が武田旧家臣を派遣して事態の掌握を図る。
実際河尻とおなじような境遇だった森は武田領から美濃に撤退することで
難を逃れることに成功している。
家康のせいにするのってどうなんだ。
710 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 00:26:02 ID:pO1AnOht
>>708 > つうか、信公を書いた牛自身は武田討伐には従軍しとらんよ。
> 武田討伐の部分は帰還した連中から聞いた話を元にして書かれて
> いるらしいから全てが全て正しいとも言えないんじゃね?
じゃあ武田攻めでの信忠の活躍も否定しないとな。
711 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 01:38:59 ID:doFc1Lvq
つか武田の残党狩りはドコが悪いんだ? 同盟を裏切り、降伏もせず、最後まで敵対したのは武田自身だろ
712 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 01:54:17 ID:0me3WLHZ
武田は無駄に人気があるから、それを根絶やしにした信忠が不当におとしめられているのは気のせいではないな。 武田は狩られるだけのことを織田にしたのにね。信忠も戦国時代きっての大勝利だよこれは。
713 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:00:23 ID:VDtNehLg
>>711 先に岩村奪ったのは織田だろうに。
てか武田は勝頼時代には北条と敵対した時に
織田に和議を求めてるんだが。
門前払いされたそうだが。
てか残党狩りを開き直るなら甲斐衆の恨み買って暴発された事も
受け止めろ。それが信忠の判断だった事も。
>>712 気のせいだろ。どう見ても。
織田が先に岩村に手を出したんだとry
戦国時代きっての大勝利って…疲弊した相手が勝手に内部崩壊して
高遠城の千名程度を力攻めでつぶしたのがそこまで高いんかいと。
714 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:12:02 ID:doFc1Lvq
>>713 信長との同盟破って攻め込んできたのは武田信玄だろうが
その信玄の路線を続けたのは勝頼だし
そもそも甲斐衆の暴発は本能寺で信長信忠が死亡したからで
顕在ならキッチリ押さえつけていることが可能だろ
715 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:23:38 ID:VDtNehLg
>>714 だからその武田西上の前に
武田と織田の両属だった岩村を勝手に織田領に併合したのが織田だ。
その両人が死んだらすぐさま暴発してるような火薬庫が
健在で大丈夫だったかははなはだ疑問だが。
どっちにしろこんな火薬庫状態にしてるのは上策じゃないだろ。
716 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:26:21 ID:RH1VrHH4
景虎切って景勝選んだのに北条と和睦したくて仲介を親父が裏切った織田に頼むとかそんな虫のいい話…… 浅間大社で滅びるの分かってるけど降伏しないよって言った逸話の方がナンボもカッコイイじゃないか、勝頼くん
717 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:30:34 ID:doFc1Lvq
718 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:33:22 ID:VDtNehLg
>>716 なんだかな。
北条と和睦したくて、じゃないんだけど。
北条を敵とする為に織田のほうを安定させたくて
織田との和議を持ちかけた。仲介は佐竹。
断られたんで浅間大社の文言になる。
>>717 実際勝手にだし。岩村衆はこれに反発して対して戦わずに
武田勢に呼応したというのが最近の説。
719 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:39:41 ID:doFc1Lvq
景任の時代から武田の侵攻に織田の援軍を受けて守っているだろ>遠山氏
720 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:42:20 ID:0me3WLHZ
だいたい秋山は何を持って許されると思ったんだろうね 突然の同盟破棄から結婚戦略、さらに子供まで甲斐に人質に取る真似をして それに怒り狂わない大名はいないよ 逆桀やむなし
721 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:47:42 ID:VDtNehLg
>>719 むしろ遠山氏は織田につくよりずっと前から
武田についてたんだが。
景任は病死だぞ。武田に参戦もしてるし。
>>720 だから先に岩村奪ったのは織田だと言ってる。
秋山はそれを取り返しただけ。
722 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 02:49:56 ID:VDtNehLg
>>720 てか「許してやる、城兵もろとも命助けてやる」と約束しておいて
それを破って殺してるのに何言ってんだ。
信長の叔母のおつやの方も「敵であった秋山はこちらの約束をちゃんと守ったのに、
お前は約束を破ってだまし討ちにするのか!」と非難して死んでるし。
723 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 07:38:24 ID:B5CgZxv4
戦国時代じゃ約束の反故なんて珍しくもない・・・ 武田だってオトンの時代にやってたじゃないの そのツケが回ってきただけ
724 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 07:48:15 ID:pO1AnOht
織田厨ってホント自分に都合のいい世界しか見えないのね
725 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 11:26:59 ID:QdrsDrAi
726 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 11:45:38 ID:TPtUCIK5
>>718 それよそでさんざん議論したあげく否定された話じゃないか。
最近になってそういう説が主張されているのは事実だが、その説が認められた
わけではないとういのを無視して自分の主張に使うのはどうかと。
>>707 信長は、正式に降伏を受け入れた豪族勢力は助命して保護していますよ。
小山田にせよ、信長公記の処刑のリストも、あくまで逃亡したりしている
連中に対するものなんだが。
>>721 ある時期において武田についていたのは事実だが、その関係が未来永劫に
続いていたと根拠もなく見なすのは無理がある。
727 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 12:55:30 ID:QdrsDrAi
>>726 否定された?
否定されたとは思わないが。
結局武田側に遠山を前から攻めてる資料がないのと
同じく一方が武田に資料がないと言ってる飛騨攻め関連の事で
飛騨攻めを示してる資料を複数提示されて話がとまってたはずだけど。
小山田は降伏してきたけど殺されてる。
てかそんなにお優しいならみんな降伏してるはずでしょ。
実際問題として逃げた連中は殺されると思ったから逃げたわけだし、
実際恵林寺事件や残党狩りをはじめとして殺されまくってるのに
何を言ってるのかと。戦力は崩壊し、もはやおびえて潜むしかできない連中を
探し出して殺す必要がどこにあったのかと。
少なくとも西上時織田併合前に岩村が武田を離れていたとみるのは無理があるが。
728 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 13:26:36 ID:5ucS79IN
>727 岩村以外の遠山一族は織田についていたのに? 勝頼に散々あらされても織田方だったのに? 少なくとも秋山に攻められる直前の遠山は完全に織田方だった。 西上時織田併合前は両属だろ?
729 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 13:29:50 ID:2ZNgURqB
>>727 全部調べたわけじゃないが、勝敗が決してから下ったものに対しては容赦ないけど、勝敗が決する前に下ったものには結構寛大だよ。
時期によっても違うのかも知れんけどね。
730 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 14:13:59 ID:QdrsDrAi
>>728 だから、岩村は西上時織田併合前が両属、
そして西上直前に織田がそれを勝手に組み込み、織田領に編入された
これを秋山が攻めて岩村呼応ってな流れ。
先に両属してるのを組み込んだのは織田だろ。
>>729 まあ勝敗決まる前はそりゃ厳しくしてたら敵を利するだけだし。
731 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 15:13:49 ID:5ucS79IN
>>730 秋山を遠山が単独で迎撃したのにか?
織田からの後詰めが期待出来ずに岩村単独で和睦したのに?
武田派を排除する為に織田を引き入れたのだと思うが
732 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 18:11:08 ID:0BFZJhlk
>>727 探し出したというソースをまず出しなよ。
逸話を含めてね。
733 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 19:19:11 ID:QdrsDrAi
>>731 実際その遠山はあっさり下ってるからな。
当主死亡の後に織田軍勢派遣して岩村入って併合。
そしてそれに対して秋山隊(最近はこの部隊に秋山いなかったんじゃないかとも
言われている。)が信玄西上と合わせて進撃。岩村包囲。
岩村はこれに呼応して武田を迎え入れる、ってな流れ。
信玄の書状も岩村を味方につけた、ってな書き方だから。
734 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 19:28:42 ID:QdrsDrAi
>>732 なんだかな。信長公記。
「信忠が甲斐に入り、武田勝頼の一門・親類・家老の者どもを
尋ね探してことごとく御成敗」と誇らしげに書いてる。
盲目で僧侶だった武田竜宝もこのとき殺されてる。
恵林寺事件の後でも「ところどころにて成敗された衆」の名前があがり、
その百姓に黄金が与えられた事で、目の色を変えた「是を見る者」達が
武田の残党探しに躍起になり、名のある者を尋ね探して首を持参したそうだ。
735 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 19:58:42 ID:5ucS79IN
>>733 両属ってことはその勢力の中に織田派と武田派がいるってことだぞ
736 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 20:15:59 ID:QdrsDrAi
>>735 両属ってのは織田と武田の同盟関係の中間点として
両方に属してるって事なんだが。
勝手に一方だけのものにしちゃいかんだろ。
737 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 21:10:50 ID:pO1AnOht
両属ってのはもっと即物的に、半納といって、取れた年貢がそれぞれの領主に半分ずつ 納められる。
738 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 22:02:07 ID:0BFZJhlk
>>734 どうもありがと。
ただ、その書き方ではむやみやたらと殺しまくったと
いうことにはまずならんよ。
前半部分はごくごく真っ当な普通の戦後処理。
後半部分はどう読んでも褒美目当て領民の自主行動。
探し出したのも領民で織田指導ではない。
あと誇らしげに書いていて何か不都合でもあんのか?
武田方の記録ではなく織田方の記録なんだから当たり前だろ。
とりあえず織田憎しというフィルターを一度外してみたら?
739 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 22:09:39 ID:QdrsDrAi
>>738 誇らしげに書いてあるのは織田がこういった残党狩りに
罪悪感を持ってなかった事の証明にはなるな。
実際殺す意味があったと思えんし。
後半部分だが、原文では「百姓どもとして、生害させ、頸を進上」となっている。
百姓どもに生害「させ」たのが誰だったかは明白だと思うが。
そしてその百姓に与えられた黄金を見て目の色を変えたのは「是を見る者」つまり
陣にいてこれを見ていた織田勢だ。十分煽ってると思うが。
740 :
人間七七四年 :2009/04/28(火) 22:13:07 ID:kVi/Qhd8
伊賀や長島、比叡山と同じだな。 よっぽど恨み骨髄だったんだろうな。 しかし越前はそれ程でもないのが不思議だ。
741 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 05:16:02 ID:ImghE+Ag
根切りってやつですね。 惣村単位でやってくるゲリラ的な連中には、 武士同士の暗黙のルールが通じない。 いきおい、悲惨な殲滅戦になる。 当然、その一揆を利用した大名らにも、武士同士の合戦の作法を破った怒りがあったんでしょ。
742 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 05:24:36 ID:KURZYAm1
何をあほな事を。戦国大名は惣村を組織化したそのボスだし、 一揆を利用しない戦国大名はいない。無論織田もな。 信長が敵と戦う時一揆扇動している例なんていくらでもあるわ。
743 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 05:41:16 ID:ImghE+Ag
>>742 じゃあ具体例を。信長が一向一揆のようなものを扇動できたのか?
仏敵とまで全国に回状回されたのに。
744 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 05:52:15 ID:KURZYAm1
>>743 美濃攻めや伊勢攻めの頃からずっとやっておるわ。
最後の甲州攻めまでずっとな。>一揆を利用
つーか、君の言う「一向一揆というもの」を、どんなイメージでいっているのか知らんが、
一向一揆の中心である国人や地侍による連合、と言う意味で言えば、まさしくそう言うものを
織田も扇動しておる。
745 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 05:59:52 ID:ImghE+Ag
>>744 だから具体例。やっておる、というぐらいだから一件ぐらい普通にだせるだろ?
当然それは、織田が敵対したら根切り手段をとったような一揆だよな?
そこで勝手に一揆の定義をオマエ流で広げるあたり、やっぱり脊髄反射?w
746 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 06:17:39 ID:KURZYAm1
>>745 いや脊椎反射はキミ…
つーか
> 惣村単位でやってくるゲリラ的な連中には、
> 武士同士の暗黙のルールが通じない。
> いきおい、悲惨な殲滅戦になる。
> 当然、その一揆を利用した大名らにも、武士同士の合戦の作法を破った怒りがあったんでしょ。
と、君が勝手にした脳内妄想を
> 当然それは、織田が敵対したら根切り手段をとったような一揆だよな?
ここでいきなり事実のように認定しているのは何?w
747 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 10:06:57 ID:ywCZEOZM
>>741 織田も甲州で一揆を利用して武田の残党狩りを行い、
根来衆とかを戦力として利用してるんだが。
てかそもそも織田は比叡山にも本願寺にも領土奪ったり金要求したりで
自分で喧嘩吹っ掛けたような
もんだし、それで敵対されたのに
まるで提携しなかった事が正しいみたいな言い方されてもな。
748 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 12:53:56 ID:IqA1Qjk2
正当性うんぬんから言や、むしろ本願寺の輩のほうが不当に土地に割拠してるって事になりかねないか? 信長は一応室町幕府を背景に行動しているし
749 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 14:11:20 ID:ywCZEOZM
>>748 比叡山のほうは普通に土地を永らく認められてきた権利として
所有してたはずだが。
本願寺のほうは金を要求したな。てか本願寺に織田は土地を要求したのかは微妙な
感じらしい。ただ本願寺の書状には織田がいろいろ難題かけてきた、とあるな。
750 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 15:57:57 ID:FfmsJE0Z
建前でいうなら土地は寺社だろうと国人だろーと所有は認められるが 守護はそれらに対して税と軍役を徴収できる 土地→国人・寺社→守護では効率が悪いという建前で徴収分の土地に守護勢力が入り実質支配を行ってきたというのが中世の流れだし
751 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 16:26:26 ID:ywCZEOZM
>>750 織田はあの当時
本願寺のおさめていた地域の守護じゃないぞ。
しかも税じゃなくて献金だし。
いきなり来てなんでこんな大金吹っ掛けられるんだと
驚いたのは堺も同じで反抗してる。
比叡山の場合土地まで奪われたが。
752 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 18:22:11 ID:FfmsJE0Z
信長が副将軍や管領を蹴って幕府でゲットしたもの
753 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 19:53:21 ID:ywCZEOZM
だから税じゃなくて献金要求なんだが。
754 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 20:20:41 ID:FfmsJE0Z
税だろうと献金だろうと名前がちがうだけだよ。元々税は基本税とは他に不定期に徴収されるものだし あの時代に国司や守護に税を納めてるという観念そのものが廃れてるから
755 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 20:25:34 ID:ywCZEOZM
>>754 だから何度も言ってるが、本願寺に対しては
税を課す権利は特にない。
不定期ってわけでもないが。
守護への税は基本常態化したものだぞ。
756 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 20:50:04 ID:FfmsJE0Z
常態化した基本税とは別に、臨時で徴収するのが普通だよ
757 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 21:03:06 ID:ywCZEOZM
>>756 だから本願寺に対して税を課す権利は特にないはずだが。
本願寺は別に織田に従ってる勢力でもないし。
758 :
人間七七四年 :2009/04/29(水) 21:17:50 ID:EY7kQY1a
伊達政宗とかも小手森城で撫で斬りやってるよな。 一向一揆と信長の因縁は桶狭間のころまで遡るし。 (門徒衆の服部氏が今川と呼応して織田攻撃) むしろ講和結んだのにそれを破って伊勢一揆衆が襲ってきた結果大打撃を受けたことが直接の原因かな。 それでも越前では、弁明が理にかなっているとした一揆衆は許したそうだが。
759 :
人間七七四年 :2009/04/30(木) 00:59:44 ID:rdwrmgQ5
本願寺はちょっと前まで幕府ともケンカしてた勢力だし叩けば色々埃も出てくるんだろうな。畿内門徒の破門とか。 ぶっちゃけ巨大化した信長が圧力かけただけだろ。素直に幕下に入ればよし、入らないなら戦うよ、という。それだけの力の差があるし それが悪いとも思わん。良いとも思わないが、野放しにしておいたらそっちの方が信長の政治能力を疑う話になってしまう だって戦国時代だしな。武田との不戦同盟にしたって、直接軍事行動はしないからって政治工作までしないというのは人が良すぎるじゃないか ぞろぞろと中国人や朝鮮人を国内に入れている今の日本ぐらいお人好し過ぎる 宗教に関しては武力持たない限りは比較的寛容だったと思うが>信長 それこそ一向宗でも布教に努めるだけなら保護しているし、周りにケンカ仕掛ける日蓮宗は武器もってなくても嫌っていた 落ち武者匿った寺が焼かれるのも彼の行動からすれば当然かと。仕事サボっていた女を37564にするような人だし
760 :
人間七七四年 :2009/04/30(木) 01:39:34 ID:EqMMbB6h
>>759 女中処刑は異説あり。
もう一つ。信長のこの行為は、中世的アジールの否定という点で、
政治・宗教的に大きな意味があるんだけどな。
761 :
人間七七四年 :2009/04/30(木) 01:51:25 ID:eMWLTJKi
>>760 信長は政策として中世的アジールを否定したわけではない。
そう言うことより単純な、世俗領主の敵対行為に対する報復と考えるべき。
信長の行動に、無理やり現代的な解釈をつけていく事は感心しないな。
762 :
人間七七四年 :2009/04/30(木) 07:54:24 ID:ag7jfRLX
結局信長の話になってやがる
763 :
人間七七四年 :2009/04/30(木) 10:23:29 ID:FrOZcG9t
>>761 いや、そこまでは思っていないよ自分も。
ただ、比叡山の交渉とその結果の焼き討ちやこの恵林寺などの行為が、
結果として日本におけるアジールの否定に繋がっていく、といっているだけ。
意識的にやった政策でなければ評価できないってものでもないでしょうよ。
それと、信長の「アジールの否定」は古くから見られるよ。
それを政策としてやったのか、単に自分に逆らうヤツは的に叩いたのかはともかく。
764 :
人間七七四年 :2009/04/30(木) 18:50:41 ID:eMWLTJKi
>>763 古くから見られる説でも正しいわけではない。
アジールへの攻撃は、その中世ど真ん中から特に珍しい事ではない。
足利義教の比叡山焼き討ちは何なのかって話。信玄だって謙信だってやってる。
アジールはむしろ、江戸期の法治の進展の中で徐々に解消されたものと考えるのが
いいでしょうね。
信長個人が暴れた所で、世間的認識がそう変わるものではない。
765 :
人間七七四年 :2009/04/30(木) 23:57:46 ID:leG9QGrJ
>>764 単に寺社と敵対して焼き討ちすることと、アジール(俗世と断絶した聖域)の否定はイコールではないよ。
766 :
人間七七四年 :2009/05/01(金) 01:00:02 ID:YafMd8XC
>>765 信長はその
> アジール(俗世と断絶した聖域)の否定
を、やってないわけで。
767 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 02:39:23 ID:wlGBYsyl
>>759 その理屈で織田が圧迫して結果10年戦争になって
何度か死にかけたならそれはますます織田の政治がryと
なるんじゃないか?
実際当時朝倉を狙ってた事からして本願寺に喧嘩売る必要は
なさそうだけどな。
768 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 02:47:02 ID:1Ha+lvUS
>>767 本願寺は確か三好と関係が良好だった
その関係から織田に敵対した
769 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 02:54:03 ID:wlGBYsyl
>>768 直接的に敵対した理由は織田の難題からだぞ。
織田の大金要求→本願寺払うも不信感→織田と京都を追われた三好の残党が戦闘
→三好勢敗走、織田勢これを追って大阪近くまで迫る→
本願寺、これを見て前述の不信もあり、このままだと自分達もやられると危機感→
本願寺勢出撃、織田を野田福島で迎撃
ってな流れ
770 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 03:06:49 ID:SCHixyT7
結局本願寺取り込みに失敗した信長の失政なんだよ。 しかもそれから延々と10年も戦う羽目になって。 あれを世俗権力と宗教勢力の云々なんていうのは、信長への過大評価が過ぎて ギャグにもならん。
771 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 03:27:46 ID:TT8SmepX
朝倉狙っているから本願寺狙っちゃいかんという事はないだろ っていうかそのペースだと天下統一なんて夢の又夢だし 尾張美濃を制圧した時点で織田の勢力は抜きんでているし
772 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 04:15:40 ID:wlGBYsyl
尾張美濃を得た時点で100万石だけどな。 確かに畿内周辺には100万石に対抗できる存在はないけど、 浅井朝倉本願寺その他が連合してくると厄介。 だから志賀の陣で屈伏する羽目になったわけだし。 朝倉を一気に片付ける気だったんだし、本願寺を圧迫しとく必要は 特になかったと思うが。
773 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 07:13:48 ID:TT8SmepX
連合してくると……って実際に連合なんて殆ど上手く機能してないかった時点でな 信長包囲網にも言えるけど 連合や包囲網を過大評価しすぎ
774 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 12:59:07 ID:xI961kjQ
>>773 志賀の陣で屈伏してるのに
その言い草はないと思うが。
少なくともあれだけ苦戦しておいて
うまく機能してないなんていえんだろ。
志賀の陣じゃ完全に包囲網に織田が手玉に取られてる。
775 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 19:28:54 ID:ucDpqdLR
一回の和睦でここまで言われるのも有名税って感じだな 綱渡りにしろ結局信長を倒したのは彼の敵じゃなくて部下だった事実は覆しようはないのに 喧嘩売りまくって勝ち残ったからこそ、信玄あたりとは比べものぬならない 加速度的な膨脹ができたんだし鱈レバーの慎重論いってもな
776 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 19:37:21 ID:OggCh9M1
実際志賀の陣では屈伏してるからしょうがないじゃん。
もともと連合が機能してないとかいってる
>>773 のレスでしょ?
それに対する答えとして
>>774 があり、それに対する返しとしては
>>775 は
不適当だと思う。
信玄の場合は周りに北条や上杉という同格の強豪がいたことが
勢力拡大での障害で、織田も美濃に斎藤義龍がいた時は勢力拡大できてないじゃん。
777 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 20:28:42 ID:PdnjNren
ただ志賀の陣では朝倉や浅井も堅田の一戦では勝利したものの篭城するので手一杯でぎりぎりだったけどな。 信長も苦しかったろうが朝倉・浅井も手詰まり状態。
778 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 21:21:06 ID:nL58jJaj
六尺五寸義龍は生きてたら超有力候補だったかもな… あとそろそろ信忠の話しようぜ
779 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 22:02:17 ID:OggCh9M1
>>777 朝倉浅井は織田を拘束しとくのが役目で
他の戦線ではほかの包囲網勢が圧迫してて
織田はいい加減対峙してられず、まさに手づまり状態だった。
だからこそ朝廷を動かして降伏にも見える和睦たのんでる。
780 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 22:45:39 ID:TT8SmepX
>朝倉浅井は織田を拘束しとくのが役目 すげーお人好しだったんだな朝倉と浅井 織田が滅びた後は他の連中から旧織田領を貰えるとでも思ってたんだろうか
781 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 22:52:44 ID:gkb+FWzD
そうして織田を拘束して和議を結んだ結果。 朝倉は、堅田を含む湖西の占領地を放棄。後に無傷で織田領に編入。 浅井は、織田に奪われた旧領の三分の一を放棄。そのまま織田領へと。 織田軍の主力の矢面に立って一番苦労した朝倉浅井は、得どころか 損失しかありませんでしたとさ。
782 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 23:01:24 ID:OggCh9M1
>>780 つーかすでに比叡山にいる時点で織田の領土である
南近江にまで踏み込んでるんだけどね。
>>781 織田のほうは「朝廷や将軍家の事はなんでもそっちのおっしゃる通りに
致します!」と降伏に近い宣言してましたとさ。
これで織田の勝利だと思えるのが凄い。
783 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 23:23:27 ID:TT8SmepX
踏み込む事とそこを支配地にすることはイコールじゃないぞ
784 :
人間七七四年 :2009/05/02(土) 23:32:02 ID:OggCh9M1
実際あの時点じゃ占拠されてるし。
785 :
人間七七四年 :2009/05/03(日) 01:58:38 ID:iPvLoNTq
>>782 その発言、たしか三河物語にしか無いんじゃなかったか。
かなり信憑性がないな。
あと、口先では何とでもいえる。で、その後どうなりましたか?
信長は京から撤退して、朝倉が京の主人になったんですか?
ついでに言うと、別に織田の勝利とは言ってませんよ。ただ、朝倉浅井も
何も戦略目標は達成できていないので、こちらも勝利とはとてもいえません
けどね。
だから両者痛みわけ。得たものは織田の方が多い。それが具体的な評価かな。
逆に朝倉は何も得られず、失ったものも多い。
786 :
人間七七四年 :2009/05/03(日) 02:01:15 ID:iPvLoNTq
ああ書き損ねた。 当時の比叡山までを含む湖西は織田領なんかではないよ。かってに織田領にして 織田を負けたことにしないように。 湖西が織田に編入されていくのはこの志賀の陣を通して。 特に堅田はこの時期に織田に味方することを決断して、その後も一貫して変わらず。 朝倉が和議によって占領地を放棄して撤退した後、堅田を含む高島郡までの湖西が 正式に織田領へ。
787 :
人間七七四年 :2009/05/03(日) 06:37:06 ID:/aittQiz
ただ高島郡も全体が織田の支配下に置かれたわけではなく、朝倉・浅井方も混在していたようだけどね。
788 :
人間七七四年 :2009/05/09(土) 00:04:13 ID:xkfmbil6
規制解除
>>785 >>786 大変残念でした―。
三河物語じゃなくて織田自身の書状でしっかりと
その事を述べてマース。残念だったね。
湖西は織田領土だけど?
何のために六角追い払って比叡山の領土を困窮するまで取り上げたと
思ってるんだか。
勝手に負けて無い事にしないように。
堅田は一部が寝返って織田引き入れてそこから朝倉が反撃して
朝倉に占領されてマース。
実際問題として志賀の陣は朝倉浅井に対する織田の降伏宣言だから
朝倉浅井にしてみればもはや戦う意味がないので。引き上げたのも自然。
織田は約束破ったけどね。
789 :
人間七七四年 :2009/05/18(月) 02:36:24 ID:Qq1qqmB6
信忠スレなんだが。
790 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 15:37:01 ID:oKmLFyxp
話題がないから仕方がない 新作の信長の野望での能力はどうなることやらぐらいの話題しかない
791 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 16:14:08 ID:VbhDDZiR
>>788 で、降伏したあと織田はどうなったの?
領土を奪われたの?どこを?
むしろ朝倉や浅井の方が失っているんだけど。
せっかく占領した堅田も織田に取り戻されて。
792 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 17:04:48 ID:Ozcf15QW
>>789 信忠好きの俺としてはだが革新までの能力は過小な気が。
似た傾向の毛利隆元くらいの能力を参考に
85 79 69 77 鉄砲A 兵器A くらいくれると嬉しいんだがな。実際功績が高めなんだよな
793 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 17:57:34 ID:mfs3mPUB
残念ながらそれはない。現評価でも好意的な数値だと思われ。 武田攻めではわずか1000以下の仁科が抗戦しただけなのに5〜6万の大軍で 城外戦で4時間も戦われ武田方より多い損害だし一門の一人戦死させてる 他の戦績も信長が作った圧倒的有利な状況での大軍を使っての戦いがほとんど。 仁科が信濃のヒーローとして語り継がれてるから信忠は仁科に相当奮戦されてしまったといえる
794 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 18:05:06 ID:lyu4qj8q
信忠は一人の阿呆に異常に持ち上げられて過小評価が逆転して過大評価になってしまってる典型
795 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 18:07:46 ID:rHty54Sg
ぶっちゃけ信康とかのが有能な気がする
796 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 18:09:41 ID:Dx721VtV
まあ信康と信忠とでは、求められる有能の種類が別だけどね。
797 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 19:25:17 ID:/LUaY8C5
ていうか、三河物語を信憑性ないってどうよ?
798 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 20:50:51 ID:Ozcf15QW
>>793 あなたは武田好きそうな人だな。織田への悪意が感じられる
仁科盛信は現在
73 81 54 50 騎馬B
3000人で50000相手に頑張ったのはすごいけど
城側で城外4時間は別に評価に使うには困るぞ
ちなみに信忠が
78 72 59 70 足軽内政B 鉄砲A
大軍を擁しても負けている例は歴史に数多く、桶狭間だって上田だってそうだし。
大軍での勝ちは評価に数えないってのは暴論だ
799 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:01:17 ID:/LUaY8C5
戦国板で信長の野望の数値を使うのはあまりおすすめしないぜ。 どうでもいいけど、信忠の鉄砲Aは明智秀満の鉄砲Aと同種のものだよね
800 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:09:17 ID:Ozcf15QW
>>799 いや、話題がなくて信忠スレなのに信長の包囲網の話になってしまっていたし
次の信長の野望の話くらいしかないなあってなったからさ
悪かった
801 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:29:26 ID:/LUaY8C5
まあ、話題がないのはそうだよな。じゃあ、適当に話題ふるけど、 武田征伐後の論功行賞で武田の旧領は全部配下に与えられてるよね。 あれって、凄い太っ腹だと思うが、信忠は何を得たのだろう? 領地が与えられた家臣の旧領だろうか?
802 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:30:09 ID:/LUaY8C5
っと、家康の駿河は除くね。
803 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:38:49 ID:Dx721VtV
>>801 システムとしてはアレは全部信忠領で、家臣にはあくまで代官としての支配権しか
与えられていないと思われる。
804 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:40:11 ID:Ozcf15QW
>>801 信忠は美濃そのままだった気が。森武蔵がまさかの川中島20万石
森武蔵は信忠の若手親衛隊みたいなもんだからこれが信忠の分け前って感じだったかな
あと河尻の甲斐
本能寺で信忠だけ残ったら一旦放棄になるか…はたまた反乱すら起こらないか
これはイフだからわからないけど
805 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:49:39 ID:V2j9n/WO
>>798 信長公記見れ高遠城兵はわずか1000以下織田方は5〜6万だ。
仁科は城から撃ってでて戦ってる。あの始末じゃ80台与えるのは無理だな
別に現評価から下げよとはいってない。
でも圧倒的大軍で戦ってた奴ってのは寡兵の奴に比べ戦い方の幅が飛躍的に増えるし戦闘の主導権も握れるわけだから
ミスした奴は評価下がるのは当然だろう
信忠の戦績見るとミスといえるのは少ないが兵力差差し引いて考えても特段
806 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:51:01 ID:V2j9n/WO
>>805 特段するものはない。つーか高遠が3000とか城にこもって戦ってたとか虚言吐くのはやめな
信長公記にすらその様が詳細に書いてんのに。wiki信者か何か知らんがみっともなさ過ぎる
807 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:55:35 ID:+NqnN41a
桶狭間って先陣と勘違いして本陣突っ込んだらたまたま義元討ち取れた偶発性重なった突発事故みたいなもんだろ いわば自分が仕掛けたわけでもない罠に嵌って勝手に死んでくれたみたいなもの 上田合戦は真田が強すぎるだけだろ
808 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 21:59:29 ID:B4XYFUt+
織田厨は虚言癖が酷いから痛いよな 大軍で寡兵に苦戦したり負けくりかえしてんのって織田やら豊臣やら毛利やらの雑魚武将だけだろ まともな戦闘センスの持ち主ならそうそう相手が強くなきゃまけんだろうな
809 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:00:13 ID:/LUaY8C5
>>803 それは問題じゃないかな?褒美になってない。
森武蔵なんて旧領が弟に渡っているのに。
公記の他の部分と考え合わせても、彼らがその領地を受け取ったと
考えるのが俺は自然と思うんだけど。
その説の根拠となる資料にはどう書いてあるの?
>>804 信忠の近臣に領地を与えるのは褒美になるね。
でも、信長公記に記載がない信忠直臣の中堅以下の家臣にも
論功行賞しなきゃならないから、信忠にもなんらかの褒美が
必要だと思うんだ。
信忠が本能寺で生きててもやっぱり反乱は起こっていたとは思う。
ただ、規模も織田側の対応は違っていたとは思うね。
810 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:05:46 ID:Dx721VtV
>>809 > その説の根拠となる資料にはどう書いてあるの?
根拠と言うか、信長の支配システムがそうだから、そこから考えれば信忠も同じシステムを
取ったんじゃないかとの連想。
信長の家臣団は、あの柴田勝家でさえ北陸の支配権は、あくまで信長の代官としての物でしょ。
それは信長公記などからわかる。
信忠配下が、それとは違うシステムを取ったとも考えづらいもので。
811 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:10:06 ID:/LUaY8C5
>>810 その説聞いた事あるんだが、ちょっと詳細がわからないので説明希望。できれば、研究者も。
公記のどこをどう解釈してもなかなかそうはならないんだ。
精精司馬遼太郎の小説くらいしか思いつかない。
今回の場合でも、『名目上は』というなら理解できるが、
褒美に代官権を与えるだけじゃ、配下の武士を雇えないと思うし。
812 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:27:54 ID:Ozcf15QW
つーか仁科仁科騒いでるやつは歴ゲー板過大過小スレでも騒いでたやつか… えらいやつに噛み付かれた。戦国板にもいたとは。何か織田豊臣に恨みでもあるのか 仁科3000は別に根拠をもっていったわけでは無いから引き下がる、謝るが 仁科戦と信家の死亡だけをもって信忠の生涯戦績を否定しなくても良いだろうよ…
813 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:32:06 ID:Smw1b7Fd
戦績つっても結局残しやすい環境にいたってだけだろ 圧倒的大軍で寡兵の香具師を押しつぶすだけの戦してた奴が80台もらうの大いに違和感あるな 苦しい状況で奮戦した奴のが高い評価になるの当然だろ より強い奴により苦しい状況や厳しい条件、少ない兵でよりよい結果出せたら 評価上がるの当然だし(もちろん攻撃側と防御側の差も加味するが)。 信忠はおおよそ中の上ってとこでしょ。現評価で妥当と思われ
814 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:41:36 ID:ChLTFcLq
>>797 一水社から出ている「戦国武将常識のウソ」という本を
読んでみな。
三河物語がけっして全幅のおける史料ではなかったことが
述べられている。
もちろん信康切腹が信長の命令なんてのも
「松平・徳川中心史観」による捏造。
815 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:45:01 ID:Dx721VtV
816 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:48:00 ID:/LUaY8C5
>>814 まさか、そんな突っ込みどころ満載な本を薦められるとは思いもよらなかったが、
別にこの場合は全幅の信頼を置くべき資料だろと主張したかったわけじゃなくて
(というよりそんな都合のよい二次資料は存在しない)史料価値の否定はできんだろといった
程度の意味だったんだ。
817 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:50:41 ID:Dx721VtV
>>814 こういっちゃ何だが、一番信用のできないタイプの本出してきたなw
818 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:51:36 ID:/LUaY8C5
>>815 ありがとう。読んでみる。
しかし、池享といえば信長の兵農分離を否定してる人だったと思うが
(まあ、肯定してる人のがすくないけど)、そんな主張もしてたんだねぇ。
勉強になるわ。
819 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 22:56:05 ID:Dx721VtV
>>818 信長の、政策としての兵農分離って言うのは、今はもうほぼ否定されているね。
兵農分離の時期も、寛永の頃くらいまでぐっと引き下がってる。
820 :
人間七七四年 :2009/05/25(月) 23:12:38 ID:ChLTFcLq
>>816 >>817 大人気ないようだが、「突っ込みところ満載」とか
「一番信用の出来ないタイプ」ってのは、内容を
読んだ上で言ってるのか?
コンビニで500円で買える本だからとか言うんじゃ
あるまいな。
自分にはこの本にある、三河物語や信康自刃、
今川義元などの記述はしごくまっとうだと
思えるんだが。
どこが「突っ込みどころ満載」なのか、例を
挙げて教えてくれないか?
821 :
人間七七四年 :2009/05/26(火) 00:42:33 ID:kIA74w1K
>>820 先ず何よりも、著者が「戦国新説研究会編」、個人名が全く存在しない。
著述内容に個人の文責が無い書籍はそれだけで信用に値しない。
822 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 06:23:32 ID:SqnTrFtH
>>803 それはちょっと違う。森武蔵はちゃんと領地を与えられている。
独立大名とは違うのでそういう意味での代官と呼べなくは無いが、
(信長に収める税目はきちんと信長に収める義務がある。
また、柴田勝家は北陸全体の代官とも言える。)
基本的な年貢は彼らのもの(柴田で言えば越前の大部の領地)。
或いは組下の与力のもの。全部直轄領であるはずがない。
>>815 の書の意味もそんなところだと思うが。
佐久間信盛に与えられた水野領だってそんな処理がされている。
(佐久間の直轄領にして家臣を雇わなかったことを咎められているが、
これが織田の直轄領名義なら横領だ。悠長に譴責状だしてる場合じゃない。)
もし、本当に織田領が全部大名の直轄地名目なら、荒木村重やらが反乱した時に
信長が疑問を持つはずが無い。原因は間違いなくそれ。
それほど常識はずれの政策だ。江戸時代にも一切引き継がれていない。
823 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 13:02:56 ID:qyF0AOF4
四時間ぐらい普通だと思うが なんで四時間「も」なんて言われてるんだ?
824 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 13:27:40 ID:ZtOukGyb
1000以下対5〜6万で城外戦で四時間は普通じゃないだろw 関が原みたいな大規模合戦でも8時間くらいだしw しかも数刻戦ってたとかかれてるから一刻が2時間だから最低4時間という事になる ながけりゃ6〜8時間戦っててもおかしくないわけで。
825 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 13:45:18 ID:qyF0AOF4
尽く討ち取るなら、というか尽く抵抗するならそれぐらいかかるだろ 関ヶ原なんて勝敗決したら早々に四散したのに
826 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 14:05:40 ID:U6azSa/N
いや西軍東軍両方の死傷者合わせれば高遠の攻防の両軍死傷者よりいずっと多いっしょ。
827 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 14:06:41 ID:+liEFnnL
信忠軍の行動が鈍重だったのが目に見えるようだ。
828 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 14:30:49 ID:qyF0AOF4
>>826 そりゃ大軍同士だから死傷者数は多くなるでしょ
野戦って普通は二日三日かかるのが殆どだぞ。一日で片付く野戦は珍しいぞ
関ヶ原だって「うそー?一日で決着付いちゃったの!?」って声がアチコチで上がっているじゃないか
もっとも信忠の場合は数が数だから当然だけど、だからって半日以下が遅いって事はない
829 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 14:41:42 ID:3gHOEOa9
だから『数刻戦ってた』と書いてるから半日以下ってのが最低に見積もっての時間と言ってるだろうが 大軍同士で死傷者が多くなる戦いだから時間は高遠より多くなるの当然でしょ 2、3日かかってだらだら戦ってる戦なんてあったっけ? 対陣してるだけとか先鋒同士がぶつかっただけとかじゃないの? 主力同士がぶつかれば一日で片付くのがほとんどだと思うが。
830 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 15:48:25 ID:TJDhWgeq
書いてあるのだけ呼んだら信忠が戦ベタに感じてくるなぁ〜 やっぱ凡庸なのかね
831 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 15:51:04 ID:TJDhWgeq
読んだらの間違い
832 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 16:04:01 ID:TG5K1KBC
関ヶ原は地形上要地で軍を配しやすく日本史においては数度大規模な戦場になってるが 一日で決着がついた関ヶ原合戦は稀なケースだろう。あんまり参考にはならない 奥州から遠征してきたヘロヘロの北畠軍でも数日に渡って足利軍と対陣し数回に渡って戦闘を行い、一時期土岐頼遠が行方不明になるほどであったのに 鉄砲の存在を考慮に入れても関ヶ原合戦は早過ぎる。実際に戦ってたのがごく一部だから仕方のないことではあるが ドイツ人士官がいったように政略勝負だったからな。戦闘に参加しなかった各西軍の部隊に宇喜多、石田らの敗北後も戦線を維持する意思があったら 宇喜多らも落ち延びる事なく戦場で部隊再編もできただろうが(敗北は玉砕ではなく逃散だから
833 :
人間七七四年 :2009/05/27(水) 21:17:12 ID:ARofDZsf
思いつく限り主力同士がまともに激突して数日間戦いが継続してた野戦なんてなかなかないが例えばどれのことだ?
834 :
人間七七四年 :2009/05/28(木) 20:52:15 ID:tsJ2S294
葦名氏の田村攻めとか、和賀氏の藤倉合戦とか、最上氏の柏山合戦とか、戸沢氏の唐松野合戦とか 安東氏の猿ヶ鼻合戦とか、佐竹氏の藤岡合戦とか、伊達氏の会津合戦や安積合戦とか 信忠が秋田城介だったから東北縛りで挙げてみたが
835 :
人間七七四年 :2009/05/28(木) 23:50:30 ID:zbTeXbOY
つまり4時間は粘ったうちに入らんな。 だいたい織田側トップの信長から天下の儀御与奪の評を頂いてる以上 信忠の武田攻めを戦下手はありえねー。結果でも経過でも
836 :
人間七七四年 :2009/05/29(金) 00:57:28 ID:yrLOpOjH
意味わかんね。 四時間は最低に見積もっての話だ。 なんかやたら小規模なマイナー戦があがってるが、もっと大規模会戦でないの? 小規模会戦だと主力のぶつかりあいでも何日も戦い続けるのに大規模だとすぐ終わるというのも 変な話なわけで。 信長の戦下手は各地での敗戦が証明してる。信長は身内に甘いからな 信雄とか信孝とかも結構優遇してるし一門の武将らも然り 長島、斉藤、滋賀、東美濃、姉川、本願寺。 武田攻めの被害なんて酷いにもほどがある 50〜60倍の兵力差で城外戦であれじゃ戦下手とまでいかなくても戦上手とはいえまい 中の上といった所だろう
837 :
人間七七四年 :2009/05/29(金) 01:07:59 ID:Km/NYoK+
ほんの1000以下の兵で城外戦で織田一門を始め多くの死傷者だした事、ごくわずかな兵で最低4時間も戦ってた事、 仁科が信濃のヒーローとして末永く語り継がれてる事からも 仁科は相当健闘したと思われる。 関が原とか三方が原、長篠、姉川、小牧長久手、厳島、耳川、沖田なわ手、 河越の戦い、四万十川の戦い、摺上原の戦い、人取橋の戦い、神流川の戦い これら有名な大規模戦でも早いものでは数時間で決着がついたものもあり 最低4時間以上圧倒的に少ない兵で戦ってたというのはかなり健闘したといえる
838 :
人間七七四年 :2009/05/29(金) 01:33:03 ID:A7D0cQwO
まあ武田攻めは相手が悪すぎたのかもしれんから信忠を戦下手と責めるのは酷かもな 東美濃攻防戦やら上村合戦やら対徳川戦で圧倒的強さだった武田が相手でまともに戦ってそうそう勝てる奴はいないだろ 勝頼が無茶して寡兵で雨でぬかるんだ地面の中まるで城みたいな陣地の中につっこんだ長篠ですら かなり長時間戦われ、所々柵が破られまくってたし。 信忠は対武田以外では圧倒的大軍持ってたとはいえそこまで寡兵の相手に酷い被害受けたとかはなかったでしょ
839 :
人間七七四年 :2009/05/29(金) 01:37:17 ID:7lIkiMz1
安定感はあるが怖さには欠ける。無能・凡将ではないが名将まではいかない。 こんなイメージ。
840 :
人間七七四年 :2009/05/29(金) 01:40:47 ID:kqZ3Wnso
人取橋の戦いはむしろ芦名佐竹連合が圧倒的多数だったのに 政宗は城に撤退してこそいるが成実らが各個で戦線を維持し ついぞ夜中になってしまい戦端をストップした戦闘だからそこに入れるのは間違っている そもそも大規模な合戦というのは大規模な軍隊を展開できるだけの土地で行われるから ある程度時間が短縮されるんであって別段変な話でもない 大規模な野戦には「原」や「川」がついているだろう? で、信忠と仁科の合戦はこの大規模に展開しえるだけの土地に値するかというとそうじゃない そもそも甲斐国全般に言えることだが。そういう意味では奥州の合戦と比べるのも理に適っている ちなみに野戦で双方ないしは片方が奮戦すると八時間ぐらいはざらにかかる 広地で行われ、敗戦した側が少数で、しかも主力が逃散するという最悪の展開であった 戸次川の合戦ですら抵抗したごく少数の長曽我部勢を島津が押しつぶすのに四時間もかかっている 信忠が戦下手なら島津家久も戦下手ということになってしまう
841 :
人間七七四年 :2009/05/29(金) 02:04:59 ID:7lIkiMz1
ここで問題になってるのは主力同士のぶつかり合いがあった戦いで数日間にも及ぶ戦いがそんなに多いかどうかだ。
人取橋はその後の経過理由はどうであれ一日で決まったといえるだろ。
そもそも徹底的殲滅戦で夜にまたがって戦い続けるなんて普通に考えても無茶な話わけで。
大規模戦というのは大規模な軍隊が戦う分移動や戦闘に時間がかかるのは当然だろ
一度に戦える兵士と兵士は広範囲に存在する戦場に適した土地がない限り少なくなるのは自明の論理
高遠って信濃だが?信忠は大規模戦に適した土地ではないといっても相手は高々1000以下。
しかも狭隘の地で奇襲を喰らったわけでもなく、予め包囲態勢・戦闘態勢を十分整えての戦だ。
野戦で双方あるいは片方が奮戦した戦?それ即ち寡兵なのに大軍に対して長い間戦えるんだから凄い証拠だ
まさに高遠にあてはまるな。敗戦した側が少数って高遠の方が遥かに少数じゃん
>>837 にあがってる戦でも負けた側でも奮戦してるのは多いと思うが?
広い土地で戦うって事は一度に戦える兵士の数も増えるが逆にいえば兵が逃げる余地もあるから
追撃したりする手間がかかり徹底殲滅&徹底戦闘する場合時間がかかるんじゃないか
842 :
人間七七四年 :2009/05/29(金) 02:08:32 ID:7lIkiMz1
ついでにいうが奥州って山ばっかのとこで戦いがあったわけじゃないぞ? なぜそんな地域を限定して言うのかわからないが。後佐竹の藤岡合戦って沼尻の事?
843 :
人間七七四年 :2009/05/29(金) 03:36:24 ID:MGaWqJfD
岩村城の戦いでも信忠の陣のあった山の名前か何かに矢つくし山ってあるらしいな 名前の由来は信忠が岩村城に届かない距離から矢や鉄砲を射ち続けてたからついたらしいが。。
岩村城の周辺で小高い山というと、南側の丘くらいしか思いつかない。
845 :
人間七七四年 :2009/05/29(金) 15:32:39 ID:NTq0goIv
信忠憎しのあまり島津家久が雑魚にされてしまうw
846 :
人間七七四年 :2009/05/30(土) 10:33:43 ID:/29iDL6I
>>841 もうちょっと常識で考えたら
お前の頭の中では常に全力で不眠不休で合戦してんのか?
んな馬鹿な。もうちょっと外に出て身体動かしたらどうだ?
人間の身体なんてそう何時間もフルで活動できるようにできないし、梟のように夜目が効く訳じゃない
戦力は随時入れ替えながら戦うし、夜になったら引き上げてまた明日の戦闘に望む
そういうのを「主力同士がぶつかり合って数日間に及ぶ戦い」っていうんだろ
逃げる余地?追撃に手間がかかる?
あのなぁ、普通は勝敗が決すると早々に逃散するしソイツらをわざわざ追うことなんかしないんだよ
半農の国人衆を戦で根絶やしにしてなんの意味があるんだ?何のために軍隊を動かしているんだ?
人殺す為に戦争やってんじゃないんだよ。利益の為にやってるんだ。逃げたきゃ勝手に逃げろ
わざわざ追う理由が勝者の側には存在しない。孫子もいってるだろ、退路を断たれた兵士は必死に抵抗するからやめろと
逆に言うと普通は逃げるのに最後まで抵抗するから時間がかかるんだ
仁科盛信も長曽我部信親もそういう異常な状態だから後の世に名前が残るという訳だよ
847 :
人間七七四年 :2009/05/30(土) 11:51:41 ID:HCMipEGI
戦力の投入といえば関ヶ原で宇喜多がついぞ戦線を伸ばして福島を叩き潰せなかったのも 武将が明石と本多しかいないせいで兵隊の入れ替えがスムーズにいかなかったという話もあるな 名将の条件とはゲームみたいな華やかな陣形を組むことではなく処理能力であるというべきか 関ヶ原じゃ石田も小西も宇喜多も早々に落ちてるし、追撃戦は殆ど行われてないな 合戦より降伏した西軍の対処をしている。当然か 井伊隊が命令を受けた訳でもないのに島津に追撃して痛手を負うという馬鹿やってるが
848 :
人間七七四年 :2009/05/30(土) 14:49:06 ID:sXtlgdDU
小西さんも朝鮮出兵で戦力を多く失ったから 関ヶ原じゃ動きが鈍かったともいうね
849 :
人間七七四年 :2009/05/30(土) 18:50:00 ID:UYMTtDrM
>>846 おもいっきり間違ってるな
戦での戦死者は追撃時にもっとも多くなるのは常識なんだが。
退却戦に失敗して多く打たれたことが致命傷になった例なんていくらでもあるわけで。
野戦やるからには相手に大きな損害与えなきゃその後の利益も糞もない
それこそ優勢だったのに決定打あたえられなきゃ無駄としかいいようがない
850 :
人間七七四年 :2009/05/30(土) 19:51:02 ID:HCMipEGI
の割には宇喜多さん明石さん小西さん石田さん蒲生さん長曾我部さん毛利さんと 関ヶ原では随分生き残ったよね。島さんや大谷さんは追撃戦じゃないし
851 :
人間七七四年 :2009/05/30(土) 19:54:13 ID:rEqSiNFW
>>850 君は合戦と言うもの自体を理解していない。
852 :
人間七七四年 :2009/05/30(土) 20:13:58 ID:rlRK+WYT
>>849 退却戦が行われるのであれば相手方の指揮系統が生きてるわけで、再編成を行う余裕を与えないように
集結地点への追撃が行われるだろうけど、指揮系統を崩壊させて敵の軍勢が四散してしまえば自軍の兵力を
分散させてまで追撃はしないんじゃね。
ただ、戦争終結後には残党狩りなんかの武装解除は行われるだろうけど。
853 :
人間七七四年 :2009/05/30(土) 22:25:22 ID:/29iDL6I
戦後に各個に点在している郷々に圧力かけて潰す方が人的損害がでなくて済むからね 崩壊した軍にまで追撃して戦果を拡大させるっていうのは近代戦の思考、あるいは民族or宗教戦の思考であって 人=資源であり、富国強兵を戦闘の達成目的行われる中世近世の戦争の思考じゃない そもそも「大きな損害」などではなく「優勢だった」という事実の方が遥かに決定打なんだ それによって相手は盟主権を失って瓦解していくのだから
854 :
人間七七四年 :2009/05/31(日) 00:15:41 ID:m2DgMHWc
>>850 それは単に仕留めきれなかったというだけでしょ
東軍主力部隊は敗走する香具師らを追撃して多く討ち取ってるし
>>852 むしろ指揮系統が崩壊した状態のが相手に壊滅的打撃を与えるチャンスなわけだが。
撤退中というのは後ろつかれるわけだから全く陣形も整わず有利に戦えるでしょ
>>853 優勢が決定的になった方が瓦解や崩壊も決定的になるのは自明だろう
しかも敗残兵がもう一度結集して城とか陣地とかにこもられたらまた苦労する事になるし
855 :
人間七七四年 :2009/05/31(日) 04:12:35 ID:WXiq1b4H
敗残兵がもう一度結集できるような求心力や補給力が存在するならそれはまだ戦闘の決着がついてない状態だろ それこそ上で言われた人取橋と同じ。一日で決着がついたってのは後世結論から逆算した言い方 あの時点で政宗は戦い続けるしかないし、その準備もしている 葦名と佐竹も次に陣を解かずに続けて戦う準備をしている。それが諸所の事情で連合が引き上げたから 結果として戦闘が一日になったのに、一日で終わった戦闘というのは順番が逆
856 :
人間七七四年 :2009/05/31(日) 04:45:25 ID:WXiq1b4H
そもそもだ敗残兵が集結して城に籠もって籠城などと愚にも付かないことを言っているが ・援軍→敗戦後なので当然アテなどない ・兵糧→突発的に籠城したので充分な蓄えなどない ・士気→負けた後なのであるはずがない 籠城に必要な要素全て欠いているというのに何を持って城に籠もって抵抗するというのか? もはや抵抗などではなく遠回しな自殺以外の何ものでもない。攻城側は囲んでればいいだけ。苦労もしない 仁科が野戦で武田としての抵抗を見せたのを何だと思っているのか
857 :
人間七七四年 :2009/06/01(月) 19:12:43 ID:ExdAWfN2
そんなこと言ったら野戦で主力決戦で負けた大名は全て即効で潰されなきゃならん事になるぞ? 野戦で軽微な被害で負けただけの場合、国人の離反などは招いたとしても完全にそれだけで決定的致命傷になるわけもなく 城にこもられたり持久戦や局地戦がだらだら続くケースはゴマンとある そもそも求心力や補給力がまだ敵に残存してるかどうかなんて相手からしてもわかるはずがない それこそが後世から逆算した見方だろう 金ヶ崎撤退戦で信長が急いで浅井朝倉の挟撃を恐れて撤退したのが何よりよく物語ってるだろう 仁科が裏切りの連鎖で勝ち目ゼロになったから華々しく散るのを選んだのと ただ単に主力決戦で致命的被害も受けずに劣勢だった大名とを一緒にするなよ 大名そのものを討ち取れれば戦果内容としても特筆すべきで、その後の展開も180度変わるし
858 :
人間七七四年 :2009/06/01(月) 20:43:07 ID:gZdyHtk+
部隊が逃散するレベルの野戦の結果を軽微っていうのはおかしくないか? っていうか、例は沢山あるっていうなら挙げてみたら? 金ヶ崎撤退戦とか訳分かんないし。織田勢纏まって逃げている時点で求心力落ちてないじゃん なんでそんなに例を挙げるのが下手なの?
859 :
人間七七四年 :2009/06/01(月) 22:33:46 ID:HGHXpwrS
三船山の戦いとか、今山の戦いとかがいい例だな。致命傷を被ってたらもっと酷い結果になってただろうし。 撤退か逃散かなんて相手からすりゃわからんし。逃げる時はちりじりになってもその後集結したり残党になってゲリラ戦でもされたら かなり厄介だ。 金ヶ崎は相手を殲滅した方がいいから敵を挟撃しようとするって例だろ この場合の攻防だけで言えば浅井朝倉の方が優勢だし滋賀の陣でも勝ってるけど 決定的打撃にならなかったから結局負けた 耳川でも撤退戦で相手に大きな打撃を与えたからその後大友領内で反乱や離反などが相次いで 没落の大きな原因になったしより多くの部隊が無事逃げ帰ってたら(退却に成功したら)その後の展開も大きく変わるだろ 長篠や三方が原でも重臣が多く死ぬような大打撃受けたからその後の軍事行動に大きく傷を残している 神川合戦でも徳川の大被害はその後の信濃情勢(徳川勢力の信濃からの後退)に大きく関係している 撤退戦はそれだけ敵に多くの痛手を被らせるチャンスだから殿を任される武将はかなり能力を問われるわけだ 自分がまともな例出せないからって人にばかり押し付けるなよ 敵を殲滅するチャンスでもほっときゃこっちに寝返るからあえて殲滅する必要ないなんて のんきな事言ってたらそもそも決戦自体する意味が薄れる
860 :
人間七七四年 :2009/06/01(月) 22:40:44 ID:HGHXpwrS
自分がまともな例出せないの棚に上げて『なんでそんな例あげるの下手なの?』 とかいちいちこういう煽り文句つけるから無性に腹が立つんだわ 藤岡合戦で主力同士の対決なんてねえよw 田村攻めとかもよく知らんけど主力同士の決戦といえるほどのもんあったか? 相手が崩れたとしても他の外的要因によるもんじゃないのか もっとメジャーな合戦で例あげろや人にばっか押し付けて敵を壊滅させる必要ないとか 戦国時代そのものを否定するような意味不明な事いってんじゃねぇよタコが
861 :
人間七七四年 :2009/06/01(月) 22:46:15 ID:/8SzpipM
織田厨は自分の妄想やら思い込みを客観的事実と決め付けて議論に望んでる上に 無知や低知能を全く考慮しないで傲慢に押し付けるだけだからスレが腐るんだよな 個人サイトでも作って勝手にやってろ馬鹿が 首何個とりました、が手柄とされる時代なのに敵多く討ち取る大チャンスでも殲滅する必要ないとか意味不明な事ほざいてんじゃねぇよゴミが
862 :
人間七七四年 :2009/06/01(月) 22:49:28 ID:E4Uio6Us
指揮系統が崩壊してたしてないなんて判別不可能です 退却なんてちりじりに逃げようがどうしようがその後再び集まってしまえば何も変わらん
863 :
人間七七四年 :2009/06/01(月) 22:54:28 ID:VCzI2QFH
織田厨は態度が滅茶苦茶傲慢な上に人の話全く聞かないで自分の妄想や思い込みを事実と決め付けて語るからな
織田厨の方が全く具体例出せてないじゃん
>>837 にあるようにまともなぶつかり合いがあれば一日で決まるの普通だろ
だらだら続くのは小競り合いとか主力全軍の投入がされてない戦いだけだ
864 :
人間七七四年 :2009/06/02(火) 01:13:52 ID:DV6MO+8B
自演するならもっと時間差おいた方がいいんじゃない?
865 :
人間七七四年 :2009/06/02(火) 01:34:40 ID:QLUqGWwT
余りいじめるな。結構可哀想な奴だから
866 :
人間七七四年 :2009/06/02(火) 10:02:01 ID:9p3npG9d
三船山とか今山とかってむしろ相手の主張している「野戦によって求心力を失った戦」だよね。 とくに三舟山。野戦の敗戦で北条から離脱する国人がでて、あくまで北条に従った奴は簡単に各個撃破されてる。 ちょっとこれは例を挙げるのが下手と呼ばれても仕方ないレベルなんじゃないかな? 彼的には「野戦敗退=勢力滅亡じゃない例」なんだろうけど、そんな極端な主張は誰もしてないよね。
867 :
人間七七四年 :2009/06/02(火) 20:01:33 ID:OebJB96X
それなら野戦によって求心力失った部隊を相手が執拗に追撃して多く討ち取ったからなおさら織田厨の言ってる事は的外れになるだろ 三船山や今山で北条や大友の求心力が失われたのに相手は追撃する必要ないし 結局致命傷にならなかったから北条や大友の根本的崩壊にならなかったんだろ。 大将や重臣がこぞって戦死するくらいならもっともっと勢力図は入れ替わるだろ つうか織田厨の論理なら武田攻めとか離反の連鎖で勝利が確実なんだから残党なんて追討せずにほっとけよと。 その方が人的被害でなくてすむんだろ?既に求心力なんてゼロなんだから。
868 :
人間七七四年 :2009/06/02(火) 21:52:47 ID:9p3npG9d
だから野戦の結果と勢力の瓦解を連動させて考えてるの君だけだよ
869 :
人間七七四年 :2009/06/02(火) 22:15:21 ID:GDO8tVWM
利益拡大のため戦争やるなら相手敵対勢力を少しでも大きく瓦解させなきゃならんだろ 相手の指揮系統や求心力が失われてるような逃散状態なら大チャンスだ。 もう一度結集されて再戦挑まれたら非常に厄介だし相手から見て求心力が残ってるかどうかや 戦後こちらにつくか抗戦続けるかなんてわかりようもないし戦うからには相手を多く倒すのが戦だろ
870 :
人間七七四年 :2009/06/03(水) 00:13:38 ID:WEU7BtH4
大勢力の織田と小勢の武田の戦いで武田が敗れて再起不可能になるのは至極当然で 大勢力の北条や大友と小勢の里見や龍造寺の戦いで北条や大友が敗れても再起不能にならないのは当然じゃないか 彼我の戦力差を考えれば里見や龍造寺が得たものは非常に大きいのに、 武田と同じように北条や龍造寺が崩壊しないのはおかしいなんて言ったって誰も納得しないぞ?
871 :
人間七七四年 :2009/06/03(水) 01:07:00 ID:rxxQqnXg
だからそれなら相手を求心力失わせて崩壊させて徹底的殲滅により壊滅的被害与えるのはかなり大きな意味を持つって事だろ
872 :
人間七七四年 :2009/06/03(水) 14:04:02 ID:XEyXMtJ0
一度の合戦で小勢力が大勢力に大打撃を与えて その後小勢力は別の敵と戦い始めたけど 大勢力は失った求心力を取り戻せずに消えていった例なら知ってるぜ? 桶狭間の合戦っていうんだが マイナー過ぎてみんな知らないようだな
873 :
人間七七四年 :2009/06/10(水) 01:14:49 ID:0YASxLuR
今川が求心力を失ったとみるや手を斬って潰しにかかった人が居たからな
874 :
人間七七四年 :2009/06/14(日) 00:21:13 ID:D/RHI5j/
あれは実際は今川が上杉と内通してたから先手を打っただけなんだけどな 北条にも今川の滅亡は仕方ないことだといわれてるし
875 :
人間七七四年 :2009/06/30(火) 00:52:36 ID:n/ARA0Bc
>>821 通りがかりの者ですが。
「戦国新説研究会」は惟月太郎って人が主催してて、
個人名でも『織田信長 最後の新説』って本を書いてるようです。
ttp://asiabiz.jp/newsasiabiz/2009/05/post_6946.html 実は今日、エロ本屋で戦国新説研究会編「戦国を変える新説15」
をたまたま見かけてパラパラ見たら、
(自分には馴染みのある)諸説をわかりやすくまとめたものみたいだったので、
価格も安いので買って帰ったのです。
で、ネットで「戦国新説研究会」を検索してここにたどり着きました。
「戦国を変える新説15」については、秀吉の指6本説とか、
斉藤道三2代説とか、武田信玄の絵は信玄ではない説とか、まあ穏当な内容です。
876 :
人間七七四年 :2009/07/11(土) 12:35:11 ID:a+WDmgRx
>>874 馬鹿野郎、その前にでっかい狸がいるだろうが
877 :
人間七七四年 :2009/07/11(土) 12:45:11 ID:hWCSTz2x
878 :
人間七七四年 :2009/08/01(土) 22:25:55 ID:T18Nf8CH
「おのれ光秀め!だが、織田の血を次代に伝えることもわが使命。・・・玄以、玄以はおらぬか?」 「はっ、ここに!信忠様、この前田玄以、冥府への先導役ならいつなりと承りまするぞ・・・。」 「行くのは冥土ではなく安土じゃ!三法師の傅役、申し付けるゆえ、清州へ無事、送り届けよ!」 「拙僧が?では、殿は・・・かしこまりました!わが身に換えましても必ずや!・・・」
879 :
人間七七四年 :2009/08/01(土) 23:46:12 ID:SUfwVBGC
880 :
人間七七四年 :2009/08/03(月) 08:28:25 ID:qPlTcqX4
>>878 覇王伝だっけ?
信忠の知略39だったなww
玄以は諱か否か。
882 :
人間七七四年 :2009/08/04(火) 20:04:56 ID:W1326PG3
斎藤新五や毛利良勝は信忠の部下じゃないよね。 川尻、毛利、森、団は、部下だけど与力に近い気がする。 信忠の側近って誰だろ。
883 :
人間七七四年 :2009/08/04(火) 21:24:20 ID:MqV6Vh4u
その辺りまで寄騎扱いだと側近なんて下方とかしかなくなるだろ 柴田や羽柴なら兎も角、信忠なんだからみんな部下でいいだろ 全部織田家の家臣なんだから
884 :
人間七七四年 :2009/08/04(火) 22:58:34 ID:hUZIiTrK
与力というより付け家老でしょ 信長に対する平手みたいな感じの
885 :
人間七七四年 :2009/08/05(水) 01:47:51 ID:kW7vfpSF
最期でよくセットにされるのは村井親子っつーか村井春長軒だよな。 能力的にも知名度的にも格式的にも
886 :
人間七七四年 :2009/08/05(水) 21:01:25 ID:8x0Vumcr
坂井越中守は信忠の部下で城持ちじゃないよね。 一緒に岐阜城に居て妙覚寺まで来たのだろうか。
887 :
人間七七四年 :2009/08/06(木) 20:39:12 ID:rPkz5geA
888 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 21:04:58 ID:YMiYQYjk
信忠が明智軍から上手く逃げるには、どのコースを通れば良かった と思う? あ、有楽は逃げ切ってんだから同道すればいいのか。
889 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 21:08:33 ID:Gk7ap0wp
>>888 信忠が討たれたから有楽は逃げられたんだよ。
890 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 21:09:43 ID:UYdvqdHk
まず二条城に行くのが駄目だったか。あきらめの選択だからな
891 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 21:15:48 ID:6pekxzpN
>>889 ねーよ。
囲んでるのに信長の肉親を逃がす訳が無い。
まだ包囲しきれてない内に逃げた以外に考えられない。
892 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 21:53:53 ID:pPfiG5/2
二条城に信忠がいるのがわかってんだから、有楽斎みたいな雑魚なんてわざわざ探す必要なんてないだろ。 だいたい、有楽斉なんて本能寺の変から山崎の戦いが終わるまでになにかしたか?
893 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 21:58:36 ID:6pekxzpN
意味分からん。 武功があったとかそんなんどうでもいい。 数万で囲んでるのに二条御所から逃げ出す血縁の人間を「雑魚だから」で逃がすとか理由になってねーしw
894 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 22:06:27 ID:6pekxzpN
そもそも何故「織田の源五は〜」の狂歌如きを正当化する為に「雑魚だから逃がした」「どうでもいい奴だから無視した」とか 意味不明の事を言うのかが理解できない。
895 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 22:20:53 ID:MbcoaUKm
>>893 この時点で光秀が数万も二条御所に動員できるなら、秀吉に負けないでしょ。
896 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 22:21:41 ID:CYIJ+9CJ
有楽斎は女装でもして逃げたんじゃないのw
897 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 22:27:58 ID:pPfiG5/2
光秀にとって、第一の目的は信長と信忠を討つことで、次に重要なのは京周辺を掌握することなんだから 二条城から有楽斎程度の武将が逃げ出したとしても、わざわざ兵を割いてまで探し出して討ち取る理由なんて ないだろう。
898 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 22:32:56 ID:6pekxzpN
>>895 別にこの時点の動員と山崎での動員に大差ないと思うんだかね。
呼応した奴もそりゃ居るが秀吉の動きが早くて山崎までに光秀に合流したのは殆ど居ない。
>>897 どういsても明智が探索に手を抜いてたから抜けれた事にしたいならそう思ってればいいんじゃね?
899 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 22:33:37 ID:bCJGNlHx
大坂で兵隊を集めてた信孝が瓦解しているし 有楽が生き残ったところでどうにもらなん。実際織田家としてどうにかした訳でもないし 優先順位で言うならかなり低いだろ。親族なら誰でもいいってもんじゃないぞ 信長だって弟殺して生きてきたんだし
900 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 22:38:27 ID:6pekxzpN
一体どういうつもりで君らそういう意見を言ってるんだ?別に無理にこじつけなくても「包囲前に逃げた」が一番簡単でしっくりくるのに。 光秀にそんな手抜かりが有る訳が無い!って主張したいの?
901 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 22:40:46 ID:bCJGNlHx
複合的な要素を無視して原因を一個に絞る必要もさらさらないと思うがってだけ
902 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 22:48:07 ID:pPfiG5/2
信忠を討つのが目的の明智軍にとって、二条城に有楽斎が包囲前に逃げ出していようと包囲網を突破したとしても 明智軍にとってはたいした問題じゃないと言っているだけなんだが。
903 :
人間七七四年 :2009/08/11(火) 23:14:15 ID:YMiYQYjk
信雄や信孝はいいのか
904 :
人間七七四年 :2009/08/12(水) 00:40:35 ID:cT0jqxgq
>>898 いや、二条御所に動員できたのはせいぜい数千でしょ、といいたかった。
>>903 2人の能力や置かれている状況から、後から充分対応できるとふんでいたのでは。
実際に、2人の変直後の体たらくではとても光秀の敵ではないと思う。
→ なかよく連携できるとも思えないし
905 :
人間七七四年 :2009/08/12(水) 11:42:21 ID:wfy2LaaP
二人の弟も三法師もほんとに信長どころでない、信忠に遠く及ばなかったよな・・・ 信長も信忠も情けなくて草葉の陰で泣きたいくらいだったろう
906 :
人間七七四年 :2009/08/12(水) 13:01:25 ID:6d7hXCAs
前田利家が語ってるよな。 秀吉の夢に信長が出てきて、 「子供達が不憫じゃ。お前ももういいだろう、こちらに参れ」 とか言われて、秀吉が這いずって逃げたってやつ。
907 :
人間七七四年 :2009/08/12(水) 22:04:39 ID:6CTOzSDq
信雄は伊賀とかでもやらかしているので能力的、人望的にも後回しでも問題ない 信孝はタイミング的に考えれば瓦解してもおかしくないし(まだ信孝の名前そのものにネームバリューがない) ついでに自分の娘婿の信澄がいるから混乱するだろう このぐらいの算段はあったんじゃないか? 家康取り逃がした時点で明智が一番最初に想定した敵は徳川だと思う まさか秀吉が毛利と和睦してくるとは夢にも
908 :
人間七七四年 :2009/08/13(木) 08:18:09 ID:TnL53Nh/
>>906 夢に見るほど怖かったのね。
夢で「不憫」て言われるようなことをしてたのね。
909 :
人間七七四年 :2009/08/13(木) 12:42:17 ID:82CN1WoY
>>908 信孝殺害、信雄改易、三法師には秀を信の上に置く秀信だからな
信長公は仕方ないとしても信忠だけでも生きていれば
このような暴挙、させなかったのは間違いない。はずだった・・・
910 :
人間七七四年 :2009/08/13(木) 18:33:49 ID:TnL53Nh/
信忠は織田家当主だしな
911 :
人間七七四年 :2009/08/13(木) 23:33:17 ID:zSnJrvsI
というか信忠生きてたら三法師は織田家を継ぐことはできなかったんだから どんなもんだろうね。案外彼個人で見てみれば秀吉の存在はラッキーだったんじゃないだろうか
912 :
人間七七四年 :2009/08/14(金) 00:40:18 ID:EUwIWr2p
信忠が生きてても秀信(名前は変わるだろうけど)は順当に行けば織田家を継いだでしょうよ
913 :
人間七七四年 :2009/08/14(金) 00:47:56 ID:JDZn+L4g
正妻から嫡子が生まれればその限りではないだろ
914 :
人間七七四年 :2009/08/14(金) 01:02:05 ID:ts4kDRwr
信忠が生きてたら、どこから正妻を貰っただろうか?
915 :
人間七七四年 :2009/08/14(金) 01:53:14 ID:Xh0Bq5oX
秀信は庶長子だから家は継げないでしょう 信忠の兄弟でいうと信正がいるけど 信忠が正妻を貰うならよく言われているが内親王じゃないか?やっぱり 武田の松姫はちょっとロマンチック杉だわな
916 :
人間七七四年 :2009/08/15(土) 00:25:00 ID:ywp1vNbO
でも享年が26でしょ?正妻迎えるのが遅すぎない? 松姫に操をたててたとか考えると美談だが、何かきちんとした理由があるのかな?
917 :
人間七七四年 :2009/08/15(土) 01:30:22 ID:Koe7BhbZ
だいたい「松姫を諦められなくて正室を迎えなかった」ってのも、 後世の(現代の歴史作家や小説家)創作や、悲恋美談設定としての解釈だしね。 某歴史小説家は「こういう悲恋推測を自分は好まない」と書いていて、 自分もそれにうんうんとうなづいてしまったが。 信忠についてはそれ以前に武将としての史料も少ないわけだし、 閨房の事情なんて研究者の興味の外なんだろうと思う。
918 :
人間七七四年 :2009/08/15(土) 01:53:14 ID:l10MxbKz
まぁその辺は信忠の生母すら確定してないし
919 :
人間七七四年 :2009/08/15(土) 06:49:29 ID:PtaWcXj5
名目的にはすでに織田家を継いでいるのに、正室がいなかったっていうのは、確かに何かあったとしか考えられないね。 それが松姫かはともかくとして。
そこで「おんな風林火山」ですよ。
921 :
人間七七四年 :2009/08/15(土) 17:21:40 ID:1gp/szyV
922 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 20:28:09 ID:PB/pmcxf
武田の松姫って尼さんになって生涯結婚しなかったって本当?
923 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 20:42:23 ID:D0hnqO43
本当。 信松尼と呼ばれ、ひっそりと暮らしてたとも、徳川秀忠の隠し子(保科正之)を引き取って養育したとも言われている → 保科正之を養育したのは穴山梅雪の奥さん、という説が有力だが
924 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 22:08:48 ID:kBIp9Flv
あの状況下で逃げ切った有楽って実はすごくね?
925 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 22:17:25 ID:ndt+Y0c8
スカスカだったんじゃないの? 玄以も水野忠重も悠々逃げおおせてるし。
926 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 22:23:28 ID:UsvjnQYo
逃げられるのに逃げんかった信忠は 信長にとってやっぱ不肖の息子、ボンクラさん
927 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 22:27:11 ID:uWQ6FKw0
直前に討ち取った武田の末路が目に浮かんだのだろうか 信長に首級をぞんざいに扱われたらしいが 天下に時めく三位中将信忠がそんな扱われ方を認められるわけでもない 若き頃から帝王学をつまされた男の意地だなもう
928 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 22:32:12 ID:vAxVDjDC
信忠の性生活に関しては、女に関してはほとんど逸話がないのに、 美しい寵童に関しての逸話はやたら残っているので(信忠の小姓は美形揃いで有名だったそうな)、 あまり女に興味のないタイプだったんじゃないかとも思う。
929 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 22:33:38 ID:PB/pmcxf
>>923 サンクス、信松尼って信玄の信なのか信忠の信の意味も
混ぜてるのか興味あるね。
>>926 信忠にだけは包囲が厳しかったんだよ、きっと。
あぁでも、大将の顔わかる奴いないか。
930 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 22:38:08 ID:ndt+Y0c8
とりあえず信忠が腹切ってから逃げるのは無理だなぁ 下手したら御所から出れずに焼死するぐらいの瀬戸際。
931 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 23:03:42 ID:UsvjnQYo
いんや、逃げる時間は充分にあった。 村瀬なんとかってのがオヤジ殺されたって知らせに行けたってことは、 その時点で包囲されていなかったってことだしな。 オヤジの信長なら確実にトンズラしてたわ。
932 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 23:41:56 ID:JH5hMGMI
京都内を移動すんのと京都から脱出する事は全然違うだろ・・・
933 :
人間七七四年 :2009/08/17(月) 23:43:09 ID:PB/pmcxf
親父を見捨てたとか言われないため、あと秀吉の大返しに先んずる ためには、いち早く「父の仇を討つ!」って宣言しちまえば良かっ たんだよね。 どこの避難先でそうするかと言われても答えられないが…。
934 :
人間七七四年 :2009/08/18(火) 10:02:36 ID:1cbYGr5d
別に大阪で良いと思うが・・・ 信忠が生きてる時点で、多少功績を与えようが秀吉の自由度は遥かに下がる訳だし
935 :
人間七七四年 :2009/08/18(火) 11:58:50 ID:fpbcVGFN
昔は「悲劇の貴公子」という目で信忠を見ていたけど 最近の調査で、謀反発覚直後は逃げようと思えば逃げられたらしい、と分かってきたので印象が変わった 武田攻略戦や二条城での奮戦は認めるけど、それは匹夫の勇であって人の頭に立つものの行動としてはよろしくない 本能寺の変が無くても、戦を好むあまりどこかで不慮の戦死を遂げ信長より先に死にそうな気がする
936 :
人間七七四年 :2009/08/18(火) 19:55:45 ID:U5W+M8/R
>>934 大坂で信孝の軍と連合して信長の仇を討ってたか
その後、信忠は秀吉と中国へ、信孝は丹羽と四国へってか
937 :
人間七七四年 :2009/08/18(火) 21:42:40 ID:Zb311g6l
信忠と信孝の仲はどんな感じだったんだろう? 兄弟としての交流はあったんだろうか…
938 :
人間七七四年 :2009/08/18(火) 21:54:08 ID:AQoZMRDL
>>935 逃げないからこそ信忠なんだよ。
逃げたら有楽斎になっちゃうだろw
939 :
人間七七四年 :2009/08/18(火) 23:40:26 ID:1cbYGr5d
俺達は結果を知ってるから好きなように言えるが・・・ あの時、あの状況で逃げれるとの判断を下せるだけの情報を信忠は持っていない
940 :
人間七七四年 :2009/08/19(水) 15:32:57 ID:6z3FkvCx
明智軍一万三〜四千という情報は持ってなかったんだろうか
941 :
人間七七四年 :2009/08/19(水) 20:29:47 ID:53BBOrYR
光秀が1万数千の兵力を率いて中国戦線に向かったことは知っていただろう。 ただ、京都にいる軍勢が明智軍の全軍なのか、光秀に近い武将の部隊だけなのかは判断しようがないかも。 信忠は後者だと判断して二条城に籠った可能性もあるのかな?
942 :
人間七七四年 :2009/08/19(水) 21:19:56 ID:9AQ3FBlt
しかし兵500だっけ?一万の軍に攻められても数刻で落ちるのは早過ぎない? 誰か城門開いたのではなかろうか
943 :
人間七七四年 :2009/08/19(水) 21:41:18 ID:6z3FkvCx
>>942 隣の近衛の屋敷の屋根から弓矢を射かけたって話があるから、
そこから侵入してきたのかも>明智軍
944 :
人間七七四年 :2009/08/20(木) 00:40:26 ID:wcue+ICp
明智軍(数千程度)は完全武装してたけど、信忠側(500程度)は着の身着のままに太刀だけという状況だった。 ⇒ 二条御所自体も誠仁親王の住居のようなもので武器の常備などなかったらしい ⇒ 2重の堀を備えているなど、防衛設備はある程度充実 信忠自身が死を覚悟しているので、篭城するどころか自ら門を開いて明智軍に切り込みをかけるなど大奮戦してる。 この奮戦に手を焼いた(名のある武将も討ち取られた)ため、近衛屋敷から鉄砲・弓矢をガンガン射掛ける作戦に転じたらしい。 ⇒ 明智軍が苦戦した理由のひとつに、兵たちが相手が織田家中のお偉方だと気づいて狼狽してしまったこともあるとか 結局、飛び道具のない信忠側は対抗手段がなく、ここで観念→信忠自害となったみたい。
945 :
人間七七四年 :2009/08/20(木) 16:02:30 ID:9eGU0gxL
⇒ 明智軍が苦戦した理由のひとつに、兵たちが相手が織田家中のお偉方だと気づいて狼狽してしまったこともあるとか 明智の兵士たちは何も知らされてなかったんじゃないか。 彼らは悪くないな。
946 :
人間七七四年 :2009/08/20(木) 17:16:56 ID:XwKrJZxm
京の近くに織田家譜代の重臣さえ置いておけば・・・ 譜代ってだけで忠誠心はケタ違いに高いだろうに これを見た家康は江戸城の周囲にしっかり置いて備え十分にしていた なんで信盛追放したんだよ;
947 :
人間七七四年 :2009/08/20(木) 21:15:38 ID:+qE4RkEk
>>945 なし崩し的に「共犯者」にされてしまったって説はあるね。
「信長を討つ」って宣言してたら大混乱になるだろうし。
948 :
人間七七四年 :2009/08/20(木) 21:41:21 ID:VrzOwgAO
家康を討ちに行ったと兵達は思ってたんだっけ?
949 :
人間七七四年 :2009/08/20(木) 23:02:25 ID:9eGU0gxL
>>948 でもそれなら、信長は家康を堺見物になぞ出さずに、京に
引き止めといたはずだよ。
950 :
人間七七四年 :2009/08/20(木) 23:26:55 ID:VrzOwgAO
>>949 いや、明智兵がそう誤解したってこと。
京都で戦う相手と言えば、上洛してる家康ぐらいしかいないから。
951 :
人間七七四年 :2009/08/20(木) 23:45:15 ID:jEhfTekP
家康を、ってのも一説に過ぎない。 全軍にそんな命令を出した証拠もないし。
952 :
人間七七四年 :2009/08/20(木) 23:59:09 ID:50OBlFuf
>>946 林でも佐久間でも置いとけば変わったかもなあ・・・
953 :
人間七七四年 :2009/08/21(金) 02:29:27 ID:NExn+wfQ
>>952 京周辺は最前線でも何でもないから、常に兵力の動員を行ってるわけじゃないだろうから明智軍に対応しようにも
動員が完了する前に攻められて終わりじゃね。
だいたい、本当であれば明智軍が京周辺における信頼できる部隊だったはずなんだから。
954 :
人間七七四年 :2009/08/21(金) 13:02:59 ID:1crzTdbX
もっと京に軍隊置いとくべきだったな その場合、どの軍(武将)が適任だと思う? 林と佐久間は追放されていないから抜いてさ。
955 :
人間七七四年 :2009/08/21(金) 13:44:12 ID:MhJpZmNJ
>>954 そのあたりの譜代がいねえんだよな・・・
羽柴、柴田、丹羽、滝川、信雄、信孝、稲葉、森、河尻あたりは任務に就いちまってるし
本来荒木がしっかりしてりゃあいいんだがそれも謀反でダメ。
石山に置いておいた佐久間も追放でダメ。林もダメ。坂井と平手は死んじゃってダメ。
池田恒興は近かったが間に合わなかった。
そもそも近畿の明智を信頼してたのもあるが任せられる奴がいないな・・・
956 :
人間七七四年 :2009/08/21(金) 14:09:15 ID:g/3JFsqI
畿内に何かあったとき緊急対応するのが明智だったわけだしな。
957 :
人間七七四年 :2009/08/21(金) 20:14:03 ID:1crzTdbX
近畿で対応する為の明智軍が中国地方行っちゃったら、 軍隊全くいないじゃまいか 京都奉行の村井定勝(本能寺の変で戦死)にもっと軍隊 任せてりゃ良かったんじゃないか?
958 :
人間七七四年 :2009/08/21(金) 20:48:15 ID:F8MsQNLW
そのへんは、機内でほぼ問題はないと考えたからだろうけどね。 もう一つ、本来なら信長には、近江の一万を越える直轄軍があった。 通常なら何かあっても、救援軍がくるまで持ちこたえられるだけの十分 な兵力だったんだが、本能寺の時に、手元になかったのが不覚。 >京都奉行の村井定勝(本能寺の変で戦死)にもっと軍隊 これには同意。 たとえば、原田や長岡が抜けた後の南山城の軍事権を委ねてもよかったんじゃないかなあ
959 :
人間七七四年 :2009/08/22(土) 03:48:12 ID:m12Z46Xo
菅屋も越前行きが決定してたから無理だな。村井しか居ないか? 指揮能力の有る無しは置いといて。
960 :
人間七七四年 :2009/08/22(土) 04:00:43 ID:BgOZZ1aA
村井春長軒しかもういないな。まずその辺りの格式の人物が他にいない。 村井なら長門守もあるしその辺の抜擢には文句ないだろう。 戦闘タイプの人間じゃないが。予備兵力として預けておけばよかったか。 考えてみりゃ細川筒井と機内が親明智ばかりだったのも回り回って遠因になるとは皮肉なものよ
961 :
954 :2009/08/22(土) 04:00:44 ID:35qzn6EJ
962 :
人間七七四年 :2009/08/23(日) 14:08:00 ID:uOoIsDkd
村井に軍を任せるにあたって、誰か武将をつけるといいかも 知れないな。
963 :
人間七七四年 :2009/08/23(日) 14:33:11 ID:9XNMhU/+
964 :
人間七七四年 :2009/08/23(日) 14:54:27 ID:VmB4ESI/
譜代じゃないのは却下
965 :
人間七七四年 :2009/08/23(日) 16:18:02 ID:m8TGo+Yf
福富秀勝あたりが適任なんじゃなかろうか。
966 :
人間七七四年 :2009/08/25(火) 14:42:59 ID:y7OSZT/7
それなりに歴戦な奴がいいよな
967 :
人間七七四年 :2009/08/26(水) 11:08:17 ID:8DCOH6+n
と、なると、側近衆からの抜擢を考えると稲富秀勝、野々村正成、猪子高就あたりか? 特に野々村は吏僚・代官としての実務も武将としての活躍もあるから、山城に配置するのも いいかもしれない。 数年先の話なら矢部家定あたりの抜擢もあったかも。万見の戦死がなければ、彼が まず抜擢を受けただろうけど。
968 :
人間七七四年 :2009/08/26(水) 19:15:31 ID:K0h+4KvG
万見仙千代か
969 :
人間七七四年 :2009/08/28(金) 12:15:08 ID:/oHLJ1Nl
森蘭丸はまだ若すぎるか
970 :
人間七七四年 :2009/08/28(金) 20:39:27 ID:3e0O14f9
案外、丹羽長秀でよかったかも。 方面軍司令官にもなってないし、万見・矢部あたりが出てくるまでのつなぎとしてだけど。
971 :
人間七七四年 :2009/08/29(土) 00:14:43 ID:m4Akfrd6
>>970 推測すると、丹羽は四国方面での抜擢があったんじゃないかなあと思う。
谷口氏の評価は低いけど、でも四国方面軍で信孝の下に預けられた
武将の中では、丹羽が経歴、実績、領土(兵力)、織田家との縁戚、官位で
ダントツのトップ、他とは比較にならないナンバー2としか見做せない。
>>969 若すぎる&さすがに実績がない。まあ信長は若手を大抜擢するのもよくあるけど。
972 :
人間七七四年 :2009/08/29(土) 00:24:36 ID:F2XODRxQ
丹羽は信長が便利屋として使ってるからどっかに固定はしないだろ
973 :
人間七七四年 :2009/08/29(土) 02:46:39 ID:5QHHVMi2
丹羽は限りなく譜代の武将に近いから信長・信忠の身近に居れば…ってのは分かる 実際、信長も畿内には明智だけでなく丹羽も残していたわけだし 結果的に見るとその丹羽に任務を与えて本拠地から離した事が明智にチャンスを与えたと言える
974 :
人間七七四年 :2009/08/29(土) 05:30:45 ID:d47FNaL6
そろそろ信忠スレに戻るか。
975 :
人間七七四年 :2009/08/29(土) 13:17:32 ID:UMfo2kgq
信忠が父信長を尊敬していたのは間違いないと思うが、 反面政策においては父とは違う独自の色合いを出そうと していたという話もある。 信忠はどのような日本にしようとしていたのだろう?
信忠は真面目なイメージがつよいな
977 :
人間七七四年 :2009/08/30(日) 13:01:49 ID:xnK/va/X
信長と違って残酷無慈悲なイメージがある
978 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 17:56:58 ID:R0ykevD+
本能寺の変で信長が信忠の謀反を真っ先にうらがった事からも、 親子仲はあんまり良くなさそう
>>978 あれって創作じゃないの?
京都付近である程度の兵力を持っているの信忠が反乱をおこす以上に、中国戦線に向かったはずの
明智が引き返してくるなんてことが想像外だったと表現したかったんじゃないのかな。
その直前に、天下はお前に譲ると言われているんだけど 本能寺のエピは、注進を受けた信長が「謀反だと?しかし今の京に兵を動かせる者は 自分と信忠しかいないはずだが?」という認識からの発言でしょう。
まさか信忠?と思っちゃうぐらい明智の謀反は想定外だったって事だろうな。
983 :
人間七七四年 :2009/08/30(日) 23:55:34 ID:tb/dETzF
>>977 調べれば調べるほど最初の真面目な若様イメージが崩れていく。
もう踊り狂うイケイケのにーちゃんだったとしか思えない。
984 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 00:14:45 ID:u3nz7+eo
>>983 その辺は若い頃の信長と似てるんじゃない?
親父の方も、家来や近習つれて村祭りに紛れ込んで朝まで踊り明かしたなんてやってるし
985 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 01:47:38 ID:GkjM+ozH
いやあ、平時からあのノリではないだろ 戦になるとノリノリきゃっほう!だけど 割と信長系列の子供世代ってみんなそんなんだし 蒲生氏郷、黒田長政、細川忠興……etc
986 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 07:30:58 ID:D/rLyQUj
森長可とかも・・・
987 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 08:14:31 ID:duJIzDkK
信忠は信長に、踊りが過ぎて叱られているなw しかし武田討伐戦においては抜群の働きをした。 血の気が多い勇将だったのかな…。
988 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 11:37:38 ID:j9blF+Xc
>>978 書いてるのは大久保彦左衛門の三河日記だっけ?
989 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 14:44:59 ID:l5lYFVQb
家康の子が怖かったから信長が命令して殺したってのも三河物語だっけ?
990 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 16:02:39 ID:HK4aalzW
>>989 信康切腹に関しては、最近は「やっぱり信長から何らかの圧力があった」って説も
強くなってるぞ。
徳川家の中の紛争だとすると、信康切腹後に、粛清などが見られないのはおかしい、
と言う事だそうな。
991 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 16:51:32 ID:LaEBSNI5
>>983 現代なら毎夜クラブに通いまくってサイケ踊りまくってる若者だったかもなww
三木城攻めでも親父と意見が合わず陣を引き払ったりイケイケなのは事実かもな
992 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 18:53:57 ID:DnBDwbwo
>>990 でも、その後に、家康が信康や築山殿の死を悔やんだ・惜しんだ・弔ったという「行動」がないのがね。
二人(一方でも)の死が押し付けられた不本意なものだったのなら、誰はばかる必要のない立場に
上り詰めた時点で、そう主張して墓立てるなり盛大に供養するなりすればいい。
993 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 19:10:34 ID:HK4aalzW
>>992 誰はばかる必要のない立場って言っても、大阪の陣までは織田家は豊臣とも徳川とも近く、
また織田系の諸侯にも広い人脈と有形無形の影響力を持っていて、家康としても露骨に、
過去とはいえ信長の措置を批判して、織田家の人々を徳川政権に対して反発させるような真似は
出来なかった、少なくとも慎重であるべきだったんじゃないかね?
やっぱり徳川体制が完全に固まるのは大阪の陣だし。んで、大阪の陣が終わったら
家康はまもなく死んじゃうわけで、結局信康を弔う機会はなかった。
まあ、関ヶ原から大阪の陣までの織田家を、どう評価するかによる話だとは思うけど。
994 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 19:36:12 ID:DnBDwbwo
織田家に、家康を掣肘する力はなかったと思いますよ。 通説で言うのなら、信長批判は悪口の類でなく、正当な訴えになるのだから、 旧織田系大名だって、悪をなした現在力をもってない旧主の側について、 今権力を握っている正当性のある主張に反発する理由などない。 それと>990に関していえば、現在不明なのは「家康が信康を処断した理由」であり、 「信長が信康の死を望んだとする理由や史料」は皆無、という点は変わってない。 「徳川家内紛説」が弱くなったからといって、「信長命令説」が復活する理由は今は どこにもない。 もう一ついうのなら >粛清などが見られないのはおかしい これもおかしくない。とかげの尻尾きりで罪を一つに押し付けて、その他には類を 及ぼさないようにする、という処置はごく普通のもの。 例えば、信長は弟信勝謀反の後、家中を粛清していない。明々白々な反乱なのに。 その後に殺した後にも、旧信勝家臣団を粛清弾圧した形跡はない。 信玄も義信事件のあと、粛清はしていませんね。 もちろんこれらは個々それぞれに事情によるものですが、粛清がない=内紛がない とはならないということはたしかですね。
995 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 20:14:16 ID:HK4aalzW
>>994 信勝謀反は合戦にまで事態は進んでる。しかも最終的には彼を擁立していた
柴田、林が信長に完全屈服し、信勝は彼らに売られる形で殺された。
柴田、林が粛清されなかったのは、その「褒美」と考えられる。
義信の時は飯富虎昌、長坂源五郎、曽根周防守などが粛清されている。
まあ水掛け論になるとは思うけど、権力ではなく、当時武家社会にも、文化サロンでも、
大きな人脈を持って、ある種の世論形成の力を持っていた織田家の人々に対し、
わざわざ「家康は織田家に恨みを持っている」なんて疑念を抱かすのは、家康にとって
明らかに損だと、そう考えるわけですよ。
996 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 20:20:16 ID:AQ59sVYD
997 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 20:24:31 ID:LaEBSNI5
単なる徳川家の御家騒動説が有力だろ 織田を敵に回したくないから盛大な法要をしなかったって、、その時代の織田は5万石の小藩だぞ
998 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 20:25:10 ID:qrbZtz6j
>>996 乙です。
しかし信忠スレがここまで伸びるとは・・・
999 :
人間七七四年 :2009/08/31(月) 20:29:45 ID:DnBDwbwo
>>995 柴田や林だけが信勝派・信勝家臣団ですか?
>「家康は織田家に恨みを持っている」
うらみでなく、冤罪を訴えるということです。
何をはばかることがあるんですか?
そもそも織田家の人間につらくあたった秀吉に何もしなかった旧織田系
大名たちが、どうして今回ばかりは織田家側につくんですか?
それと、「信長命令説」の根拠となるような新資料でもあったのですか?
すでに言いましたが、「徳川家内紛説」が否定されたとしても、それで
信長命令説が証明されたりはしないんですよ。
順番が逆なんです。徳川家内紛説がでてきたから、信長命令説が否定
されたのではありません。当時の資料をあたったら信長命令説が立証
できなくなったので、じゃあどうしてと別に徳川家内紛説が考えられた。
将来、徳川家内紛説が否定されたとしても、それなら新たな説が考えられる
のであって、信長命令説に帰ることはありません。信長が命令を出した
とする資料が発見されない限り。
1000なら信忠もっと人気出ろ
1001 :
1001 :
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ー┬――─‐ァ
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゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
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i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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