織田信長は日本最高の過大評価

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1名無しさん@お腹いっぱい。

最近の織田信長の異常なまでの過大評価に、うんざりしている人が集うスレです。

スレ違いですので、信長信者は下の隔離スレに移動してください(笑)。
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152867533/
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 14:17:53 ID:fqfVVIi8
とりあえず2ゲッツ
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 14:39:50 ID:4N1k63Rj
ここがアンチ信長の隔離場所か
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 15:56:21 ID:polltyNq
確かにw
過大評価しすぎだな
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 17:24:19 ID:AQ3eU9Sa
信長以上に評価されるべき戦国大名って誰かいるか?

豊臣・徳川ぐらいしかいないだろ
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 23:16:34 ID:pfrqa05s
他スレで、コテンパンにされたアンチ信長厨が
泣きながら集まるスレはここですか?
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 23:19:22 ID:SOQus1t/
また武田厨か
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 23:20:23 ID:xZuNZ7l/
信長は毛利元就の次くらいの評価だな
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 23:23:19 ID:4N1k63Rj
アンチ信長厨は歴史上の人物では誰が好きなのか集計したいものだな
武田だったら笑える
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 23:23:58 ID:P/TBOeNl
火の上がった本能寺で蘭丸とホモセックスする余裕ぶりは評価しようか
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 23:25:47 ID:vlF6oWt9
誰か一人こうゆうポジションは必要
どっかに一つぐらいある
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 03:05:35 ID:UJkLqrmG
>>6
捏造お疲れです。
いろんなスレで論破されまくってるのは信長信者の方でしょう?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 07:54:51 ID:JPGNNWEN
客観的事実
○尾張半国から、最終800万石まで拡大
○後の天下人 秀吉と家康を従えていた

これに勝る戦国大名(武将)って、秀吉・家康以外にいるのか?
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 10:07:33 ID:Hby8Ks1a
ここはアンチ所なので一般人と信者は出て行ってください
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 10:19:47 ID:7VOeTjyT
客観的事実
○尾張半国から、畿内の点と線をかろうじて支配。
○戦費は恐喝(矢銭要求)
○得意の戦法は大量虐殺(とくに女子供をバーベキューにするのが好き)
○家臣の裏切りが絶えず、簒奪者秀吉と家康を従えていた
○家来に殺される敢えない最期

このバカ殿に勝る戦国大名(武将)っているのか?
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 13:02:31 ID:inhHoIU6
>>15
下には下がいるぞ!

・戦で信玄に大勝しながらも信濃を失うという前代未聞な成果を残す(実質領土を取られた謙信の負けw
・アホのように関東に侵攻し、味方は裏切り三昧。しかも土地取れず
・10万の兵でも小田原城を落とせずw憂さ晴らしに強姦略奪三昧
・佐野昌綱の城を10度攻めたが、一度たりとも落とせず
・気に入らない家臣の嫁を馬に紐でくくりつけ引きずり殺す。
・結局北条に関東のほとんどを奪われる。関東管領の権威を地の底にまで下げ、面目丸つぶれにさせる
・間違って味方の城を攻め、そのまま落とす。しかも城主を惨殺
・敵の支配地域に踊りこみ城攻め。結局抜けなくて惨めにトボトボ逃げ帰る。憂さ晴らしに強姦略奪を繰り返す
・無用にも味方の頭を殴って、離反される。
・神保、椎名ら越中の雑魚豪族に苦戦
・政治を顧みず、一向一揆を起こされまくり。鎮圧と虐殺にモタついてる間に他大名に勢力を伸ばされる
・渡河退却中の織田を汚く追撃し、戦果を捏造
・関東豪族を裏切って北条と同盟し嫌われる。その北条にも同盟破棄されるみじめっぷり
・醜い跡取り争いの御館の乱で衰退自滅、48にもなるのに跡取りを指名せず、領地の多くを失う
・家臣に反乱起こされまくり
・便所で糞尿にまみれながら昇天

他にもホモラブレターが全国放送で流された奴とかとんでもない重税を課していた奴とか周りの国全部敵に回した奴とか相手よりも多い兵で負け続けてる奴とか

この2人に比べればその程度ゴミよ!
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 16:46:47 ID:xkYVMOFK
>>16
信玄坊主にも通じる項がたくさん有るなw
さすがはライバルよww
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 10:08:15 ID:9oFu0Vqd
なぁ織田信長の最大支配域(西は因幡、備前〜東は上野)なんだが
どう計算しても800石はないぞよ?
しかもやや下った時代の太閤検地を元にして計算してるから当時はさらに少なかったはず。
太閤検地で約600万石だからたぶん500前後じゃね?
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 16:35:36 ID:3Cv2YMNI
800石は流石にあると思う
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 17:36:52 ID:C22YygBO
何か信長の人事面の評価が低いな
農民だろうが浪人だろうが取って、有能なら昇進させる
これをしなかったら秀吉、光秀、滝川なんてすごい武将は出なかった
配置も上手いし、ここはもっと評価すべき 他は多少は下げてもいいが

まぁ、これをやったから織田家は滅びたんだがな
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 19:39:38 ID:LTd5FmYz
>>20
でもあとの事を考えてない
そうすれば元々家臣だった連中から不満がでる
家臣同士が嫌い合ってればまとまりが弱くなる
てか最後の一行で台無しじゃねーか
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 20:11:51 ID:CA8zNSRt
なにしろ、家来に殺された有力戦国大名はこいつだけだからなwww
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 20:17:44 ID:C22YygBO
>>21
しかしこれをやらなかった武田は人材不足で滅んでるし ある意味物凄く先のことを考えていたとも思える
流石の信長も秀吉や光秀がいなかったらあそこまで領地を広げるのは無理
ある程度周りの大名が潰れて領土も広がった状態だったから秀吉も家康も統一できた 信長のやり方じゃないと結局難しいということに

結局信長包囲網で死ぬか、本能寺の変で死ぬかみたいなもんだろ んで信長は本能寺で死ぬ手段をとっただけで(しかもこれが画期的)
信長のやり方じゃなかったら絶対信長包囲網で潰れてるって
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 20:36:18 ID:LTd5FmYz
>>23
それだと今助かる方法を選んだのはいいが、結局あとの事考えてない事になる
その考えが無い限り評価は低い
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 22:24:42 ID:3Cv2YMNI
>>24にとって評価の高い戦国大名って誰?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 22:53:56 ID:TcIvWvFd
なんだかんだ言っても、一番領土を広げられたのは信長だろ。
同時代の戦国大名より優秀だったってのは明らかじゃないか?
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 23:03:40 ID:3Cv2YMNI
領土の拡大だけでいったら猿や狸の方が上では?

猿は家臣だった時代があるから微妙な線だが
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 23:28:17 ID:QSqNSS9C
猿も狸も信長がいなかったらあそこまで勢力は伸ばせませんから。
その辺のところは信長は偉大だと思います。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 23:34:18 ID:3Cv2YMNI
猿はともかく狸がいないと信長もあそこまで勢力伸ばせなかったぞ
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 23:40:23 ID:9GhozNPr
秀吉は別にそこまでいらない
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 23:57:08 ID:sougfzQX
結局、アンチの思考は>>15にあるように
「簒奪者、秀吉家康」っていう、権力者絶対悪の人民史観なんだよ。
まともに相手にするとバカみるぞ。
まあ、面白いけどな。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 00:07:43 ID:7oDjx0G0
>>22
大内義隆や武田勝頼とか忘れてないか?
最後は家来の裏切りで滅んでると思うが。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 00:46:20 ID:l993IK9N
>>32

バカですか?
大内義隆は本来の守護大名であって、戦国大名とは規定できない。
武田勝頼を討ち取ったのは織田の家臣で、家臣の裏切りも織田の内応策が原因。

有力戦国大名で、家来に殺されたのは信長(バカ殿)しかいない!
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:00:35 ID:SczZ5pqw
「信長公記」より、残酷シーンを抜粋

比叡山焼き討ち

 鎮護国家の大道場は、叫喚のるつぼと化した。織田勢は僧俗・児童・智者・上人の別を問わずことごとく首をはね、
信長公の御前に差し出した。また山上では名僧・貴僧の呼び声高い高僧たちとともに美女・小童のたぐいが数をも知れず捕らえられ、
御前に引き出されてきた。かれらは口々に「悪僧を誅伐なさるにおいては是非もなし。しかしわれらは助け候え」と哀願したが、
信長公は聞き入れず、彼らはすべて首を打ち落とされた。まことに目も当てられぬありさまであった。
 焼き討ちは完遂され、信長公は胸中のしこりをとりはらった。信長公の怒りに触れた比叡山の山麓には数千の屍が散らばり、
この世のものとも思えぬ情景が広がっていた。哀れなことであった。

※婦女子大量(数千人)虐殺・この世とも思えぬ風景
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:02:26 ID:SczZ5pqw
長島攻め
 観念した一揆勢は降伏赦免を求めてきたが、信長公は断固として許さなかった。
 信長公はかれら奸悪の徒を干し殺しにすることで、年来の乱妨狼藉の報いを受けさせようとしていた。
 そのような状態が続く中、8月2日夜大鳥居に籠城していた一揆勢が夜間風雨に紛れて脱出を図った。
 しかし織田勢はそれを見逃さず、追撃して男女一千ほどをなで斬りにした。
 長島の陣は、一揆勢の思いもよらぬ長陣となった。7月13日に貴賎数知れぬ男女が長島・屋長島・
 中江の三ヶ所に逃げ入ってからすでに三ヶ月が経過し、過半はその間に餓死していた。
 もはや抵抗する力も尽き果てた一揆勢は、9月29日ついに降伏開城した。
 降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
 しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、際限なく川へ斬り落としていった。
 織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
 心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。
 かれらは大軍の中を死兵となって荒れ狂い、陣所を切り崩し、御一門衆をはじめ数多の将兵を討死に追い込んだ。
 彼らは大軍の中を切り抜けて無人の陣小屋に駈け入り、そこで支度を整え、川を越えて多芸山・北伊勢口へ散り、
 そこから大坂へ逃れた。この失態をみた信長公は、残る中江・屋長島の両砦に対しては周囲に柵を幾重にも廻らして
 砦の男女二万人を取り籠め、四方より火をかけて焼殺してしまった。
 年来の鬱憤を晴らした信長公は、29日岐阜へ帰陣した。

※1000人をなで斬り・降伏した20000余人も砦に押し込めて、
 人間バーベキュー。信長は大量虐殺の成果に溜飲をさげる
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:03:16 ID:SczZ5pqw
長島攻め
 観念した一揆勢は降伏赦免を求めてきたが、信長公は断固として許さなかった。
 信長公はかれら奸悪の徒を干し殺しにすることで、年来の乱妨狼藉の報いを受けさせようとしていた。
 そのような状態が続く中、8月2日夜大鳥居に籠城していた一揆勢が夜間風雨に紛れて脱出を図った。
 しかし織田勢はそれを見逃さず、追撃して男女一千ほどをなで斬りにした。
 長島の陣は、一揆勢の思いもよらぬ長陣となった。7月13日に貴賎数知れぬ男女が長島・屋長島・
 中江の三ヶ所に逃げ入ってからすでに三ヶ月が経過し、過半はその間に餓死していた。
 もはや抵抗する力も尽き果てた一揆勢は、9月29日ついに降伏開城した。
 降伏を許された一揆勢は、めいめい船に乗って城砦を出ようとした。
 しかし織田勢は彼らに鉄砲を掃射し、逃げた者は白刃をもって追い、際限なく川へ斬り落としていった。
 織田勢の違背を知った一揆勢は怒り狂って死を忘れ、
 心ある者七、八百ばかりが裸体に抜身一本のみをたずさえて織田勢の中へ突入していった。
 かれらは大軍の中を死兵となって荒れ狂い、陣所を切り崩し、御一門衆をはじめ数多の将兵を討死に追い込んだ。
 彼らは大軍の中を切り抜けて無人の陣小屋に駈け入り、そこで支度を整え、川を越えて多芸山・北伊勢口へ散り、
 そこから大坂へ逃れた。この失態をみた信長公は、残る中江・屋長島の両砦に対しては周囲に柵を幾重にも廻らして
 砦の男女二万人を取り籠め、四方より火をかけて焼殺してしまった。
 年来の鬱憤を晴らした信長公は、29日岐阜へ帰陣した。

※1000人をなで斬り・降伏した20000余人も砦に押し込めて、
 人間バーベキュー。信長は大量虐殺の成果に溜飲をさげる
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:04:29 ID:SczZ5pqw
越前一揆掃討戦
 国中の一揆勢は壊乱し、右往左往しながら取るものも取りあえず山中へ逃げ入っていった。
 しかし信長公は殲滅の手をゆるめず、「押し進みつつ山林を尋ね探り、男女を問わず斬り捨てよ」
 と厳命したのであった。
 織田勢が進撃を開始した8月15日から19日の間に諸方から捕縛され引き立てられてきた男女の数は、
 記すところによれば一万二千二百五十を数えたという。そして信長公は御小姓衆に命じ、
 これら搦め取った男女を余すところなく誅戮したのであった。このほか国外へ奪い去られた男女もその数を知れず、
 生捕・誅殺された人々の数は合わせて三、四万にも上ると思われた。

※12250人を捕縛のうえ、合わせて3〜4万を殺す。
 山に逃げた人々も容赦なく探索し、残らず処刑。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:06:42 ID:SczZ5pqw
荒木一党惨殺
 12月13日辰の刻に尼崎近くの七松という地で百二十二人が磔にかけられることとなり、
刑場へ向け人質たちが引き出されていった。さすがに歴々の上臈衆であり、いずれも美々しき衣装を身にまとい、
すでに命叶わぬを悟って美しき姿で静かに居並んでいた。
 やがて、その身を荒々しき武士たちが引き掴み、あるいは母親に抱かせて台に引き上げ突き殺し、
あるいは鉄砲をもってひしひしと撃ち殺し、あるいは槍と長刀で刺殺して処刑していった。
百二十二人の女房衆が一度に上げる悲鳴は天にも響くばかりであり、
見る人は目もくらみ心も消えて涙を抑えきれなかった。処刑の様子を目にした者は、
二十日三十日の間はその有様が瞳に焼きついて忘れられなかったということであった。
 この他にも端侍の妻子とその付々の女三百八十八人と、歴々の女房衆に付いていた若党以下の
男百二十四人の合わせて五百十余人が矢部家定検使のもとで家四軒に押し込められ、
周囲に乾き草を積んで焼き殺された。男女は風向きに従って魚の群れのように上へ下へと並び動き、
灼熱の炎にむせび、躍り上がり跳ね飛び、その悲鳴は煙とともに空へと響きわたった。
その有様は地獄の獄卒の責めもかくやと思わせるもので、みな肝魂を失い、
二目と見ようとする者がなかった。

※直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
その惨状に誰もがふた目と見ようとはしなかった。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:09:19 ID:Dq1Lv1Uj
【殺人狂 織田信長】
・直臣の家族510余人を人間バーベキュー。
・織田嫡流(信長・信忠)は家臣の裏切りで殺される
・家臣に織田家を乗っ取られ滅ぼされる
・6000人も討ち取られながら長篠を大勝と捏造
・革新的と言われている三段打ちも捏造
・手取り川で惨めに惨敗
・信玄に怯え岩村城の叔母を見捨てる臆病者
・二万もの軍勢で秋山に翻弄される戦ベタ
・秋山との約束を破り城兵を皆殺し。生きたまま叔母の腹を割いたキチガイ
・侍女の不手際を許さず一刀両断。助命嘆願した僧さえも殺す
・徳川と連合を組みながら武田に大敗をする弱さ
・弱兵浅井朝倉に敗北
・朝倉に媚び諂い土下座をしてまで許してもらう
・それでありながら一方的に条約を破る卑怯者
・斎藤義龍に永久に勝てず敗北しまくりw 3戦全敗wwwww
・何度も暗殺されかけるカリスマのなさ
・長島攻めで足を狙撃されて苦しむ。惨め
・しかも百姓相手の長島一向一揆で大敗をする惨めっぷり
・700年もの歴史を持つ偉大な延暦寺を気に入らないからと丸焼き
・何万人も虐殺する異常な虐殺マニア
・松永に二度も裏切られる先見のなさ
・荒木にまで裏切られる人徳のなさ
・最後は重臣の光秀に殺されるwwww
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:18:00 ID:a93c+Oey
>>39を読むと

逆にそれ以下の実績しか残せなかった
上杉や武田、毛利なんかはドコまでダメな奴等だったんだろうとか思ってしまう
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 02:06:03 ID:b+jnbV1G
信長は明らかに異常だからそれなりの実績残せたんだろ
普通のことやっていては普通の実績しか残せない

盲信する人はいても、慕われ愛されるキャラではないな
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 02:31:18 ID:l993IK9N
【ふつうの人間が抱く疑問】
信長厨はなんでこうも「天才、天才」と得意げに語るんだろう?
別にあんたらが天才なわけでもなく、何をした訳でもないんだろうに。

【臨床医学的な解答】
心理学的に云う「ヴァーチャル・アイデンティティ」(仮想世界に自分を仮託する)
つまり、自分がゲームの中の主人公に置き換えられてしまい、その主人公が危機に晒される
(批判される)と、自分の存立そのものが侵されたという危機感に陥る。
したがって、仮託した主人公(信長)のライバルや仮想敵を攻撃することで、
危機を回避する心理構造。歴史解説書やPCゲームで信長厨になった人間は、大抵の場合
これに該当する。現実世界では惨めな自分が、信長となって天下を統一するという
仮想世界に生きるのが、彼らの唯一の癒し。病人だから大目にみるように。

【理論的補足】
なぜ信長厨に特有の症状かというと、単純な最強英雄願望がその底辺にある。
秀吉(信長の部下)や家康(同盟者)では、その英雄願望は充たされず、
ましてや他の戦国大名は、信長に仮託した自分の攻撃対象にすぎないから。
ついでに付記すれば、信長が天下統一の途上で斃れたことも影響している。
信長が生きていれば、この閉塞感のある世界も変わっていただろう・・・・、と。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 02:50:17 ID:HjuTjq7P
>>42
IDに出た数字の分だけ知行を貯めて百万石!
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156108949/

このスレにも是非書き込んでくれ
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 13:02:43 ID:/27NZFyk
つか信長が残虐とか言ってる奴は信長が謀反は1度までなら許し、本願寺はこの時代とことん悪くてどうしようもなかった
ということを知らないのかね しかも本願寺に至っては何度か信長を裏切ってるから圧倒的に本願寺が悪い
善政も敷いていたしな 信玄とか戦争しまくりで国疲弊しまくり、重税かけて国ボロボロ、周り敵だらけで終了

まぁ、いい人とは思えないが
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 17:52:03 ID:jCT1MlOY
そのくらいは知ってるだろ
何を価値基準とするかでいい悪いは変わってくるし、
そういうことではなく、やり方として残虐無比だということ

もちろん、そういうやり方でなければあの当時あれだけの実績は上げられなかったと思うが、
信長厨は何でもかんでも美化してマンセーするので、他の立場の人から見ると異様に思うわけ
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 18:33:26 ID:/27NZFyk
>>45
多分知らない奴が>>39
美化といえば究極系が信玄だろう
実際と現実が離れていれば離れているほど過大だろ?
例えば信長は実際には100のことしかしてないのに300評価されてるとしよう
んで信玄は250評価されてるんだ、でも信玄は3のことしかしてないのな
これもその人がどう感じるかだが少なくとも日本最高の過大評価はおかしいわな
今でもまだ信玄や謙信が信長より強いとか信長に勝てたとか言ってる奴の方が異様と思うがね
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 18:47:11 ID:l993IK9N
三方原合戦(元亀3年・徳川勢惨敗)の時に、佐久間信盛・水野信元ら織田勢が戦わずに壊走。
平手汎秀戦死(これも戦死の場所から考えて、戦わずに逃げてるところをアボン)・・・。

手取川合戦(天正5年・織田勢惨敗)の時に、秀吉は戦わずに戦線離脱。4万の軍を率いていた
柴田勝家は、急ごしらえの謙信軍に急襲され、ほうほうの体で撤退・・・。
爾後、天正8年まで加賀に進出できず。

いずれも、信長は後方待機。もしくはビビッて出てこず。
谷口克広氏「織田信長合戦全録」によれば、「信長の動静については、不思議なほどわからない」
どうやら、信長は信玄と謙信を「なめ」ていたわけではなさそうだね。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 20:19:31 ID:VEpUofo1
>>34
かれらは口々に「悪郵便局員を誅伐なさるにおいては是非もなし。しかしわれらは助け候え」と哀願したが、
純一郎公は聞き入れず、彼らは民営化された。まことに目も当てられぬありさまであった。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 20:30:05 ID:vTViPT8r
>>39
>・家臣に織田家を乗っ取られ滅ぼされる

滅びてないよ
つか、突っ込むべき箇所多杉w
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 22:29:41 ID:a93c+Oey
>>47
三方原合戦は直接戦ったのが徳川。

手取川に関してはもともと戦自体する必要が無くなって引き返そうとした柴田軍を
空気読めない謙信が襲ったんじゃないのか?
結局織田の重臣は誰一人死んでないし謙信はそれで何を得たんだ?

信長も謙信の空気読めなさには流石に恐怖したらしいが
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 23:59:12 ID:prTd0NeX
>>39
ほぼすべてにつっこめるな。
しかし「鉄砲三段打ちも捏造」って、、、。
今時、信長美化厨だって言わない事を、、、。
しかもこれ信長が捏造したと思ってるのか?  爆笑!!
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 01:24:05 ID:cQ6pbWAX
>>49-51
部外者だが、詳しく「つっこんで」批判してみたら?
なんか、論外で済ませてるのは見苦しいよ。
どんな再反論が来るかも楽しみなんだけど。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 01:55:07 ID:nZn68dLF
織田が武田に同盟を切られた後、今までは敵対していたクセに
織田は上杉謙信にお供え物などを送って同盟を組んだ。
理由は簡単、自分には武田に対抗するだけの力量があらず、
更に武田に対抗できる勢力が北条か上杉しかいないから。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 03:18:34 ID:yaunnBZv
武田みたく隣国全てを敵に回せばよかったのか?
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 03:49:14 ID:wEWv29VF
>>53
むしろそれは武田・北条・上杉を過大評価
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 06:40:49 ID:a8d7Tclj
>>47
能無し君、またコピペか
たまには外へ出ようね。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 14:04:56 ID:vfHGeTvd
抽象的な批判しかできないなら黙ってればいいのに
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 16:52:51 ID:URIa0QGA
>>53
信長包囲網がこれ以上でかくなったら困るだろ
要するに朝倉がもう1つ2つ出来ただけのことなんだよ
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 17:08:09 ID:URIa0QGA
>>53
まぁこれだけでは信玄が強く信長が弱いというのを盲目的に信じてるお前じゃ理解できないだろう
大体そもそも信玄が戦争上手いというソースが無い(信長は桶狭間や天王寺など寡兵で多数の兵を打ち破る戦いがある)
んだがこれについてはこの際問題ではない
重要なのは、信玄、謙信がどれほど脅威かということだ
浅井、朝倉にダメージを与え本願寺と和睦をしたとしてもそれでも危険は大きい こんな状態で新たに2万の兵が来られたら・・ これくらいなら倒せるが更にそれに2万の兵(謙信)が加わればどうだろう
流石に厄介だろう ――で、とりあえず来る可能性があるのは武田のみ 上杉や北条と組めば武田を抑えれるかも・・ となれば同盟を結ぶのは当然のこと 謙信だって色々大変なんだから(一揆とか北条とか武田とか・・)信長とは戦いたくは無い
北条ももっと北を攻めたいわけだし、要するに信玄包囲網はただ単に織田、上杉、北条の利害が一致しただけ 
大体そもそもお前な、上杉と武田と北条と朝倉と浅井と本願寺その他etc・・ を同時に相手して信長が勝ったらそれこそ日本最高の天才だぞ
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 15:56:13 ID:nWLcBpyl
むしろ最近の信長は過小評価されすぎ
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 23:32:21 ID:nZ5x3gTC
例えば朝鮮出兵に関して、秀吉の失敗をさんざん叩いておいて、
希望的観測を交えて、信長だったら、きっとこうして上手くできたはず、の類の意見を見ると、
やっぱ信長は過大評価されて、痛い信者を生み出しているなあと思う。

まあ、並みの大名よりずっと優秀だっただろうけど、
過大評価されているのは確かだと思う。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 00:19:17 ID:QXCau02L
信玄包囲網に北条が加わってないのでは?
織田徳川武田VS上杉北条今川

織田徳川上杉VS武田北条etc
だったような
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 00:20:29 ID:wr132lDs
>>61
同意
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 09:48:08 ID:Yld1wF+6
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:29:52 ID:BKCaT0XI
泳いで参った
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:30:47 ID:BKCaT0XI
スマン誤爆でござる
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 01:53:42 ID:JPt9A/Li
糞スレ乙
68名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 21:17:08 ID:h1nZ5ek6
>>33
大友義鑑
69名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 17:38:20 ID:aPd0t+CB
だ〜か〜ら〜、信長はあの頃によくいた気違いだって!
70名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 18:44:46 ID:4z9zasUV
政治家としては一流だよね
戦略家としては二流だね
軍事家としては三流かな
統率者としては四流・・
71名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 19:53:33 ID:aPd0t+CB
そして人間としては池沼
72バナナマン:2007/01/04(木) 20:16:48 ID:APWlaba+
信長は家臣が強かっただけだろ
73名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 21:31:12 ID:fsLewJg9
秀吉が信長を敬愛してたのは史実?

もしそうなら、信長が偉大な人物だったことは明白。
秀吉をはじめ力のある家臣が、あんな無茶苦茶な信長のやりかたに
従い続けたのは、それに見合う魅力みたいなものが本人にあったんだろ。
74名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 21:44:49 ID:aPd0t+CB
気違いだからいつでもオレがって感じで
75名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 21:53:25 ID:YVzzVAwt
>>73
本能寺の変の後にやったこと見たら、とても忠臣とは思えない。
自分が成り上がるために利用している、という気持ちが強かったんじゃないの?
従い、利用するに足る人物だったという意味で、十分魅力的だったんだろうけど。
76名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 21:57:11 ID:TCjbORDe
>>70
>軍事家
ぐんじかwwwww
77名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 22:50:17 ID:GDf706aa
信長が主君じゃなきゃ、秀吉なんか出世できなかっただろうし。
78名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 09:56:19 ID:UHXl2pRY
秀吉は信長が死ななかったら一生下で働いてご恩返すつもりだったんじゃないかな
ただ超現実主義者だから死んだら自分が取って代わるのが正しいと思ったまでで
79名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 13:50:57 ID:e9yj6bLP
信長も秀吉も互いに利用のしがいがあったんだろう。
信長にとっては、秀吉を配下に加えることで、覇業の大いなる助けとなっただろうし、
秀吉にとっては、自分が伸し上がる上で、能力主義色が強い信長に仕えるのが、
一番よかった。

ただ秀吉が、純粋に信長に忠義を感じていたかは大いに疑問。
でなきゃ本能寺の変後の織田一族にあの仕打ちはないでしょ。
80名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 23:00:21 ID:6aZ0/f/q
逆じゃね。
秀吉の感情が織田家ではなく信長個人に向いていたからだと思うが。
81名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 23:54:04 ID:nYcOcG58
>>80
同意。
仕えるべき人物だから忠義を尽くすんであって、その家族にまで
そうする余裕はないだろ、あの時代。
次代の主君になるしっかりした世継ぎがいたならまだしも。
82名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 14:25:00 ID:WOjzaaSj
てか、話変わるけど信長好きの上司の下で働くのってとても大変。ヴァ〜カじゃん?って感じになる。本屋行きゃ、その手の話は元就や信玄ばっかなのに…。
83名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 14:29:09 ID:DzEpAIpd
最近、気付いたんだけどKOEIの三国志より
ネットで流布してるフリーソフトの「戦国史」の方が面白い件について。
将棋も、以前は東大将棋(1万3800円)を借りてたが
フリーソフトのボナンザの方が強い事が判明して
複雑な気分になった。
84名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 14:33:54 ID:DzEpAIpd
信長は優秀だよ。良いと思ったものは躊躇せずに受け入れる。
それは制度だったり人材だったり多岐にわたっている。
また果敢だが、無理攻めに頼らず調略や謀略を駆使し
勝てる精度を最大限に高めて95%の勝利率を99%に高めて戦うような所が
凄いよね。辛抱強いし、慢心してない点が素晴らしい。
でも、人格的には駄目じゃんと思える点が多々ある。
少なくとも、俺は彼の部下にだけは絶対になりたくない。
卑怯で身勝手でズルくて嘘吐きでサイコパスで、まともに付き合うのは無理。
85名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 15:13:51 ID:VHWojcSw
「部下になりたい・部下になりたくない」っていうお前の考えの前に、
「部下にしてもいい・部下にしない」っていう信長の判断があって、「なりたくないからならない」じゃなくて「なれない」んだから気にすんな。
センター直前で偏差値50の奴が、東大に入りたいとか入りたくないって考えても、どっちにしろ入学出来ないんだから無意味だろ?
86名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 15:39:40 ID:DzEpAIpd
信長旗下の武将や信長に降伏した大名・武将を
東大生と同列に並べる池沼が居る件について
87名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 17:59:34 ID:OFrMPY5Y
>>86
池沼だなんて可哀相だろ。
85はたぶん信長がだいぶ前に死んだ人だってことを知らなかった
んだよ。
88名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 23:11:47 ID:dOoJq/+s
ERUSOSUK-エルソスク-記念真紀子
89名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 21:49:35 ID:LpkKy3xB
信長評価しない。
所詮、奇襲で勝っただけ。
清々堂々と戦わんかい。
只の人殺しや。
90名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/23(火) 21:56:53 ID:LpkKy3xB
森蘭丸が男色相手だったのか?
男色は武士のたしなみだったらし。
なんでたしなみだったのかな〜?
その辺の心理的なことが理解できないんです。
詳しい人いますか?
91名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 00:11:54 ID:dAd/WI0j
過大評価ではあるな
92名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/24(水) 01:42:51 ID:h+i5IPJ5
歴史を語るときにもし〜とか使うやつはあほだろ
93名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 13:18:09 ID:vQzh+ZRj
信長の本願寺への仕打ちが納得いかないって人もいるけど
じゃあどうすれば本願寺を駆逐できたんだ?
やつらをほっといて天下統一なんてできないよ。
武田や上杉みたいに頭下げるわけ?

叡山焼き討ちもほかにどんな方法があった?
やつらをほっといて大和を勢力化には加えられないよ。
しかも武装してるんだよ。話し合いなんて不可能。殺すしかないでしょ?
女子供も遺恨を絶つためには皆殺しするでしょ?

今と時代が違うんだから
今の価値観で話さないほうがいいよ。
94名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 13:20:56 ID:vQzh+ZRj
>>89

奇襲戦は桶狭間だけなんだけどなぁー。

たとえば僕らだって相手が3メートルはあるクマが相手だったらどうする?
絶対に逃げられない状況で。逃げたら殺されるっていう状況で。
何とか隙を突いて倒そうって考えない?
正々堂々と戦って死んだらそれこそ笑いもんだよ?
95名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 13:30:02 ID:iF8s/P69
クマ?ボコボコに
してやんよ
       
  ∧_∧   
  ( ・ω・)=つ≡つ
  (っ  ≡つ=つ
  /   ) ババババ
 (_/ ̄∪
96中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/01/25(木) 13:30:27 ID:MpSyN9Dg
>>84
伊勢では損害度外視でめちゃくちゃ力攻めしてさんざんな目にあってるが
97名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 14:09:15 ID:XCVNamZm
>やつらをほっといて天下統一なんてできないよ。

ほおっておくかどうかはともかく、江戸幕府の行政機構の
末端(寺請け制度)として、東西本能寺の存在は不可欠だったわけで。

>武田や上杉みたいに頭下げるわけ?

武田信玄は顕如の義兄で、もともと同盟軍。信玄自身も天台座主・本願寺信徒・法華経信徒・禅僧
上杉と本願寺の同盟は本願寺から申し入れた上杉優位(越中・加賀が配下に)の同盟関係。

>叡山焼き討ちもほかにどんな方法があった?

利権を奪うための焼き討ちだってこと、知らんの??

>しかも武装してるんだよ。話し合いなんて不可能。殺すしかないでしょ?
>女子供も遺恨を絶つためには皆殺しするでしょ?

当時の日本人は、ほぼ100%が武装していた。
日本人を皆殺しにするのか???

>今と時代が違うんだから
>今の価値観で話さないほうがいいよ。

太田牛一の当時の価値観でも「無惨」「目も当てられない」
と嘆いているわけだが??

信長の異様な殺戮癖が問題なのであって、天下平定の方法論にすり変えるのは
詭弁。つか、家来にヌツ殺された時点で戦国最低のアホ殿なわけだが。
98中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/01/25(木) 14:47:46 ID:MpSyN9Dg
叡山焼きの発掘調査から当時の伽藍消失の規模を想定すると
老若男女皆殺しまでの大虐殺だったとは言いきれないわけなんだよな
叡山の件を、信長が敵対勢力に対して行なった象徴的な事件ととらえる
人が多いが、上でも言われてるが別にそれ以外に信長はもっとえげつないことやってるし
いや宗教弾圧を大規模にやったのは信長をおいて他にないと仮に論点ずらしで反論を
食らうなら、足利義政という狂暴な先駆者や
山科本願寺を壊滅させた細川のほうが信長よりもっとえげつないことやってるわけだ

信長をマンセーするために比較材料を持ち出して信長の革新性を強調することは
逆に言えば信長の独自性を否定してしまう結果になるんだよな
99名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 16:45:58 ID:fQvxmSbe
94
話のすりかえ。
それぞれ考えの違いが有ってあたりまえ。

それより次の可能性はあるか?
信長は一人逃げて秀吉と合流したのですが、秀吉に殺された。
光秀に罪を着せた。

100名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/25(木) 17:10:56 ID:vQzh+ZRj
>>97

>>ほおっておくかどうかはともかく、江戸幕府の行政機構の
末端(寺請け制度)として、東西本能寺の存在は不可欠だったわけで。

戦国時代ど真ん中の話をしているのに江戸時代の話を出されても…
信長も本願寺自体を潰そうとはしなかった。
ただ武力を持って自分の天下統一に邪魔だったから攻撃しただけ。
当時おそらく日本で信長に次ぐ勢力だったでしょ? 本願寺って。
宗教をひけらかして何十万もの信徒を戦争に投入できるんだし。

>>武田信玄は顕如の義兄で、もともと同盟軍。信玄自身も天台座主・本願寺信徒・法華経信徒・禅僧
上杉と本願寺の同盟は本願寺から申し入れた上杉優位(越中・加賀が配下に)の同盟関係。

信長にはそんなコネはないわけだから苦労したんだろうね。
本願寺と妥協していたら武田みたいに天下は取れないわけだし。

>>当時の日本人は、ほぼ100%が武装していた。
日本人を皆殺しにするのか???

武装している民衆は自分の身を守るためであって
権利さえ守られれば信長を攻撃しない。
ただし宗教組織はそれまで持っていたいろんな利権を信長に奪われた。
彼らは信長に反発する。天下統一のためにはそれらを駆逐するしかない。

>>太田牛一の当時の価値観でも「無惨」「目も当てられない」
と嘆いているわけだが??

一般人と有識者との考えは必ずしも一致しない。
坊主であるのに学問はせず女を抱き略奪を繰り返す。
宗派が違うというだけで坊主同士が殺しあう。
民衆はキレる寸前。でも武力や破門されることを恐れて行動を起こせない。
そんななか信長がぶっ潰してくれた。拍手喝采とまではいかなくても
やりすぎだ・ひどすぎる・極悪非道とまでは思われなかったはず。

>>信長の異様な殺戮癖が問題なのであって

信長ほど優しい指導者もそうはいないと思うけど。
叡山にも本願寺にも事前に降伏を訴えているし
壊滅後も宗教弾圧はせずに布教は自由だと認めているし。
信長は本願寺に弟を殺されているのに。

>>家来にヌツ殺された時点で戦国最低のアホ殿なわけだが。

徳川史観に染まりすぎ。実力主義を掲げて社長の座を取って変わられるなんて日常茶飯事。
無論手薄な警備で本能寺に泊った信長の油断が最大の原因。
101名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 05:43:09 ID:hCTygcvc
叡山焼き討ちは仕方ないよ
武器持った坊主なんか駆逐されるべき
102名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 12:16:40 ID:e7XVEZmN
オウムみたいなもんか
103名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 13:13:56 ID:44twx1pc
信長擁護するわけじゃないが
女出入り禁止の山に女連れ込み中立を守れない
糞寺なんて燃やされて当然
104名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 15:02:27 ID:3Z1pnTtc
オウムは信長だろ、自身が狂った教祖の新興宗教なんだから。
既存宗教を批判して急成長したのも似てる。
105名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 18:03:33 ID:qfprTw20
長島とか越前とか、信者虐殺はしょうがないとして、他になにかひどい虐殺ってあったっけ?
106名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 18:41:52 ID:3Z1pnTtc
尼崎焼き討ちは悲惨だったらしい。
107名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/26(金) 23:24:52 ID:qfprTw20
あー、でも尼崎は裏切りに対する報復みたいなとこあるしなー。
甲斐ではどうだったんだ?色々やっちゃってそうだけどもw
108名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/27(土) 00:18:18 ID:NeTLj25o
甲州も皆殺しだな、過去において甲斐武田家に被官した者は雇用するべからず?
で、家康は信長の命令を無視して武田家の遺臣を抱える→徳川幕府の基礎。
信長の命令をそのまま実行した森と滝川、河尻は本能寺の変でアボン・・・。
で、家康も無慈悲な政治的粛正で織田の残党はもとより、豊臣を殲滅、つ。
武田信玄の合理主義と上杉謙信の果敢さに学んだ信長の戦略を、もっともよく受け継いだ
家康が天下泰平を切り拓いたと。
109名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/27(土) 08:50:54 ID:ShcSd8TU
戦国時代の本願寺は
創価学会が武装してるようなもの
110名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/27(土) 22:22:43 ID:NeTLj25o
>>109 基本的な知識、だいじょうぶか??

法華宗→信長も信仰した時期あり=その支持団体が現在の創価学会
本願寺(浄土真宗)→日本で最も信徒の多い宗派
宗派を問わず、戦国時代は武装(自衛)集団。
111名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/28(日) 00:50:19 ID:M4hbBqUt
>尼崎は裏切りに対する報復

まったく違うな。銅銭2000万枚の矢銭(恐喝)を拒んだ堺への見せしめに、
同じく恐喝を拒んだ尼崎の商人(女子供を含む)を大量虐殺だ。

つまり、
「殺されたくなかったら、銭出さんかい。ゴルァ!」(信長)
「いやです・・・」(商人たち)
「であるか。殺せッ!」(信長)
112名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 20:59:50 ID:XKIWlL1D
>無論手薄な警備で本能寺に泊った信長の油断が最大の原因。

信長厨房ってのは、信長が本能寺でヌッ殺されたことを
「油断」とか「偶然」とか言いくるめる(お茶を濁す)んだが、
まちがいなく織田嫡流が滅亡した史実から目を逸らしたいのか??
113名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 21:16:44 ID:/Y0iBaY4
政治力や革新的な発想、行動力はズバ抜けていたよな

ただ、戦は弱かった。
後、人心掌握も下手だった。
114名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 21:20:00 ID:5i73hBQG
人心掌握は下手だったが、
戦術に関しては極めつけに上手い部類だと思うぞ
115名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 21:26:43 ID:vCrydjpR
人の心を掴む事こそ上手かったと思うが。
プライドの高い光秀は例外として。
116名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 21:32:18 ID:5i73hBQG
一番といってもいいぐらい引き立ててやった秀吉に
死後こき下ろされているからな

「勇将ではあっても〜」と

直接接して来た人の偽らざる本音だったんじゃないか
働かせる=こき使うという意味では確かに良く使いえたと思うけどね
117名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 22:44:28 ID:gI5j5yh6
ようするに、直臣たちの率直な感想でも、迷惑このうえないアフォ殿だったと??
118名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 22:47:04 ID:5i73hBQG
>>117
君にとっては
信長のいない日本史の方が好ましいのか?
119名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 22:52:01 ID:gI5j5yh6
>>118
はぁ・・・・?? IFとか架空(希望)史観を排して、  
史実に肉迫したいだけであって、信長マンセーの虚構・誉め殺し史観
(小泉いらいの似非改革イデオロギー)がウザいだけなんですけど、何か??
120名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 22:52:06 ID:RdCVfmUf
もしも信長がいなかったら、間違いなく「信長の野望」のタイトルは変わっていたな
というか戦国ゲームがヒットすることも無かったかもw
121名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 22:53:40 ID:gI5j5yh6
>もしも信長がいなかったら

典型的な架空史観・・・つww
122名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 22:56:09 ID:RdCVfmUf
>>121
ゲームのタイトルが違っていたという結論が架空史観と言えるのか?
架空史観というよりも確実史観だろ?w
123名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 22:57:19 ID:5i73hBQG
ID:gI5j5yh6がやたら攻撃的な件について
124名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 23:02:58 ID:eXKgCqmL
信長=売国奴
125名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 00:13:08 ID:TRC1yP2Z
宗教を否定した革命児信長=虚像だな。
もともとは法華信徒で信心深い性格、数々の寺社を建立。
敵対者を虐殺しなければ、落ち着かない日々。何度となく家来に裏切られる。
そのあげくは、信頼しきっていた家来に殺される。

しかし、現代の大言壮語の政治評論家たちに、必要以上に持ち上げられる。
126名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/30(火) 00:13:51 ID:4W8q/dkn
>>123
痛い主張する奴の9割はダブスタだから構うな
ただのレス古事記だ
127名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/31(水) 00:29:37 ID:ukX2mOBp
無能だろ、家来に殺された時点で
128名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 11:13:57 ID:Qicijw3Z
織田信長を無能だという人間がこき下ろすために持ち出すのは
『家臣に殺された』だの『残虐非道』だといった極めて程度の低い視点。

『家臣に殺された』ことを無能とするなら
最終的に家臣である徳川に滅ぼされた豊臣家(豊臣秀吉)や
暗殺の疑いの濃い源頼朝や足利義満あたりはことごとく無能なのか?

大虐殺を行ったチンギスハーンやナポレオン、アレクサンダーやカエサル。
彼らもその一点のみで無能だと判断されるのか?
人物のひとつの視点でその人物を全否定するのはあまりにも程度の低いことだ。
129名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 13:28:10 ID:pmjjdxp6
戦国時代の価値観でも部下に暗殺されるようなのは名大将ではないよ
この時代に暗殺された武将は知られてるよりもっと多かったが、
それを恥じて病死や事故死として隠蔽していたらしい
無能は言いすぎだろうが、まぁ戦国最高の武将などというのは過大評価
130名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 14:19:51 ID:ZZ/zea06
暗殺や緊急時の対処を油断して怠っていただけだろ?
エスパーじゃ無いんだから情報も無いのに防げる訳が無い。
131名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 17:12:09 ID:/33zL7JF
私利私欲に走る奴は指導者として無能
裏切りや謀反で殺されるのがオチだからね
それを読める人こそ有能であり、それが徳川家康である

信長はただのエゴイスト
132名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 18:20:44 ID:Qicijw3Z
>>131

信長・秀吉は天才だと思うが
徳川家康は努力の人であって天才ではないと思う。

幕府を開くというのも頼朝のマネ。
幕府統制も室町・鎌倉の例から学習した発展系に過ぎない。
豊臣家の支配から独立する過程も
秀吉の織田家へのそれを参考にしている節もある。
家康が独自に考えて実行し成功したものはないひとつない。
そんな彼は天才とは呼べない。
133名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 18:40:47 ID:M/4RXW43
信長が独自に考えて実行した政策なんてあんのか??
幸若舞や女踊りの天才ってのなら同意するが・・・・。
134名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 18:50:57 ID:wqDv+cLt
>>133
ならば数多くある政策はそれぞれ誰の進言であったか挙げてみてくれないか?
135名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 19:00:33 ID:/33zL7JF
>>132
別にどちらが天才とか言ってるわけじゃないが、
ただ政治に関して信長・秀吉より優れているということは歴史が証明している
250年以上続いた幕府の礎を築いたんだからな

信長にあるのはカリスマだけ
136名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 19:07:21 ID:M/4RXW43
>政策はそれぞれ誰の進言であったか

誰かの進言だって?? 真似に決まってんだろ、ボケ!

●鉄砲隊の組織化=一向宗徒(雑賀・根来衆)に学ぶ。つか、長篠後も一向宗の鉄砲隊に苦戦。
●楽市=六角、今川などが先行。つか、当時は一般的に行なわれてる。
●兵農分離=公記にある弓衆の強制移住なら、一般的な旗本軍制にすぎん。
     軍役衆という意味なら普通の戦国大名。
●選銭令=平安末期から行なわれている。むしろ、独自の貨幣を作れなかった後進性がみられる。
※武田信玄は甲州金貨を畿内にまで流通させ、上杉謙信も独自の金貨を領内に流通させていた。
※選銭令を完全に実行できていたのは北条氏領内のみ。
●宗門焼き討ち=平清盛、足利義教、松永久秀らが先に実行。
●畿内貿易港の掌握=平清盛、足利政権の真似。滅び方も似ているが。
●サディスティックな大量虐殺や嬲り殺し=これが意外とオリジナルかもな。      
137名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 19:15:58 ID:wqDv+cLt
>>136
故人や敵のよい点を学んで生かすというのは立派な能力である。
結果的に君は信長が有能である事を認めたこととなってしまったわけだ。
138名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 19:21:41 ID:M/4RXW43
>>137
横槍入れるのはいいが、論点をそらすなよ。
ここ↓が出発点。

>家康が独自に考えて実行し成功したものはないひとつない。
>そんな彼は天才とは呼べない。

>信長が独自に考えて実行した政策なんてあんのか??

信長に独自性がない以上、比較論の中で「有能」とか云ってもむなしい。
凡人だが、優秀な努力家だったとか。表現の問題だな。
139名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 19:21:54 ID:6IVXWken
>>137
それなら家康も同様に有能なわけだが
140名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 20:47:49 ID:wqDv+cLt
>>138
控えめに言えばごちゃごちゃと。
過去の事例等からよいものとわるいものを選び、取り入れていくというのは高く評価されることだと言った。
こうやって色んなことを積極的に取り入れた彼は天才的だった。

君みたいなのにドラマの評論をさせてみるとどうなるか分かるよ。
「オリジナル脚本じゃないから駄目。」こう言うのだろ?
元々あるものを生かすということが実に難しいかがわかっていないね。

故人の例を使って成功している中国の英雄もみんなカスなんだろ?
風林火山なんて言って孫子の兵法ぱくった信玄もカスなんだろ?
昔の人間の考えた兵法を学んで使っている名軍師なんてカスなんだろ?
141名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 20:49:27 ID:wqDv+cLt
>>139
俺は元々家康が天才じゃないなんて一言も言ってないのだが。
142名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 20:50:26 ID:fczybKPG
信長が良かれ悪しかれ日本史上傑出した人物なのは確か
悪いほうに傑出したと認めたくない人は、過大評価しまくるしかない
143名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 20:56:20 ID:IzfoCds7
有能な軍人で、組織統率者で、政治家で、
子供には情のある父親だったが、
弟をはじめ家族親族と相克し、数十万人を虐殺した封建領主。

毀誉が両極端なところが興味深いんだな。
144名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 21:00:05 ID:TuQY8fPN
わかったよ。君の論法(>>140-141)なら、こうなのかい?

家康(すべての戦国武将に学んだ天才)
秀吉(信長に学んだ天才)
信長(信玄や謙信、その他の武将に学んだ天才)
信玄(孫子に学び、兵法を実践に適用した天才)
謙信(毘沙門天の啓示から兵法を学び、実践に適応した天才)
氏康(鎌倉幕府の政体を学んだ天才)
その他の武将(戦訓に学んだり、失敗を克服しようとした天才)

天才ばっかだねwwww
145名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 21:00:51 ID:IzfoCds7
天才って言葉があいまいなんだよな。
146名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 21:05:24 ID:wqDv+cLt
>>144
それで何か問題があるのか?(「その他」というのを除いて)
全員戦国期の英雄なんだから、天才なんだろうね。

ただし限度というものを知れ。
何だその「その他大勢」というのは?
歴史に多大な足跡を残した人間でなくては駄目なくらいわかれよ。
147名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 21:16:55 ID:fczybKPG
天才ということを言い出すと議論が曖昧になるから、こちらへ行ってくれ

http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152867533/l50
148名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 21:46:22 ID:Qicijw3Z
ある歴史博士が下したIQ診断結果が某サイトにあった。借用。

 坂本竜馬 IQ…175
 豊臣秀吉 IQ…162
 武田信玄 IQ…154
 小早川隆景IQ…153
 毛利元就 IQ…151
 織田信長 IQ…148
 石田三成 IQ…144
 伊達政宗 IQ…140
 徳川家康 IQ…135
 明智光秀 IQ…126
 今川義元 IQ…125
 北条氏康 IQ…124
 上杉謙信 IQ…119
 大久保利通IQ…117
 加藤清正 IQ…116
 前田利家 IQ…110
 小早川秀秋IQ…108
 福島正則 IQ…106
 西郷隆盛 IQ…*98
149名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/02(金) 21:57:28 ID:IzfoCds7
西郷・・・

小学校以来IQテストしてないが、
信長と同じ数値ってのは何だか、だな。
150:2007/02/03(土) 01:18:28 ID:03sWu0Ss
信長ゎ本能寺でゎ死んでなぃ明智も農民と幸せに暮らしました
151名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 08:23:10 ID:gqFtO63C
>>148
その博士、司馬遼太郎を見て診断してるなw
152名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 10:50:38 ID:HeTSUW4F
IQテストとか非科学的だなwwww
しかも、死んでるやつらに対する診断方法が謎wwww
153名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 10:52:39 ID:XkdQW6Tn
本人にやらせないでIQわかるのか。
154名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/03(土) 11:43:04 ID:MyXkVRDV
>>149
追跡調査によるとIQ140以上の人の人生って冴えない人が多いみたいだけどキミはどう?
学習知能に恵まれている分、対人能力が低かったりするらしいヨ
155名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 03:36:59 ID:Uzj8nvTi
坂本IQ:175wwwww
勝海舟じゃないのか。
156名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 04:05:08 ID:Yt45XRRU
>>152
山岡荘八の信長だったらIQ200超えそうなのにw
157名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/04(日) 23:29:14 ID:2e3CbkZs
晒し上げ
158名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 00:01:10 ID:W1XAdK2U
>>148
竜馬さんすげーww
159名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/05(月) 00:11:55 ID:KBMoc5sA
>>156
山岡壮八の家康なら300いきます
160名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 13:41:28 ID:VEdlsRnf
IQなんてまやかし
平均よりかなり高かった俺、バカだもーん
161名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 15:57:54 ID:Ya1e8ogw
IQの不足は集中力でカバーできる。
だから、龍馬なんかは、IQが高かったというよりは、
アスペルガー症候群だったとかいうトンデモ説の方がまだ信用できる。
162名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/09(金) 18:35:29 ID:mBQnPNf1
地味な側面だけど信長の治水政策って特筆すべきものあるのかな?
濃尾平野を安定的な農業生産地帯にするには揖斐、木曾、長良の三大河川
を何とか統制しないとダメなわけだが、漏れの知る範囲じゃ宝暦治水など
江戸時代に入るまでロクに手をつけてなかった感じだが。。。
163名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 04:13:33 ID:rte1uNj0
日本最高の過大評価は家康だろ。
戦国武将としては信長秀吉よりずっと格下だし
統治者としても秀忠家光のが優秀。
164名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 08:49:43 ID:5dAUkamH
>>163
天下を決めた関が原で勝利した家康が過大評価て

秀忠も家光も、家康の路線を守っただけ
しかも政治をしてたのは老中だから
165名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 09:50:21 ID:Fs+xc7Uj
>>163
うん、家康は過大評価だな
優秀な人間には違いないが、あの様な環境で生まれ、あの様な家臣団に囲まれて育てられたら家康の様な人間が出てきても不思議じゃない
信長や秀吉は優秀とか言うより存在自体が人知外で凡人が評価出来る対象ではない
166名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 10:39:10 ID:o4uxEEX+
信長秀吉は人知で測れない、
つまり神のような存在だから人間が評価してはいけない

・・・これ以上の過大評価があろうか!
167名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 12:52:06 ID:56CS1HoZ
ただの親の七光りで暴走したお坊ちゃまのヤンキーが、たまたま好条件が
整って成り上がったけど理の当然で自滅して、時代が平穏に移りつつある
時期だったから歴史が編纂される際に捏造が繰り返され、現在に至った、
そういうフィクションの中の人物だろ。曽我兄弟とか俵星ゲンバみたいなもの。

戦国初期に生きていたら、武田や松永とかに謀殺された地侍並みの一生しか
送れなかったろ。
168名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 14:28:19 ID:oLs/AtDn
いくらIQ高くても家臣に裏切られたら意味なし
169名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 14:37:05 ID:ISNxxL6y
>>163
禿同!
170名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 18:02:14 ID:hb1bCp9R
>家臣に裏切られたら意味なし

馬鹿の一つ覚えだなw
171にゃんこ:2007/02/10(土) 20:56:55 ID:4E92lMkV
葛城は山麓、明日香は丘陵地。藤原京と平城京は盆地の南端と北端。

日本の田畑は、山麓や丘陵地に多かった。戦国時代になってから、大河川下流域
や盆地中央部に水田ができて、新しい村や市が生まれた。
これは、検定に合格した教科書に記述された定説だが、ほとんど知られていない。

この時期、関東平野は畑や放牧地だから、尾張が最大の新興産業地域。

信長が父より引き継いだモノは、一般に思われているより、ずっと巨大だ。
現代に例えれば、高度成長期に20代でトヨタの社長になったようなものだ。
172名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 21:17:48 ID:ImAgO60L
信りんは足利義教に似てるね。
173名無し投票いよいよ明日2/11(日):2007/02/10(土) 22:51:57 ID:O0jRMJ4f
>>171
生涯献金額一位の大内義隆の約1/3の額をたった一回の献金で賄える織田信秀の経済力を見りゃ
津島や熱田といった箇所を持つこの地域が全国的にも
かなり潤っていたことの傍証になろうな

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174名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 01:50:46 ID:Q0hABCss
>>164
>天下を決めた関が原で勝利した家康が過大評価て
はい、過大評価です。午前の間は西軍がやや優位に立ち、
実際は薄氷を踏む思いであったはずです。勝負は水物ですから。

徳川幕府の統治も多くは織豊政権の影響、特に石田三成の
施策を受けついでいることが明らかです。

家康の出自も相当怪しく、近年の研究では系図の偽造に
必死であったことが曝露されています。


今一般に流布している歴史観は講談本や司馬某の物語に
依拠しすぎです。これだけ歴史小説が流行っているのは
日本くらいではないでしょうか。
175名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 01:58:29 ID:rxWJNDZ0
司馬の歴史観が強いからこそ、
家康は悪者にされてるんだろ・・・読んだ事無いのか?
176名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 02:07:44 ID:Q0hABCss
>>175
文盲のようなので、一言。
最後の段落は前段と異なる一般論を述べてるでしょ。
177名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 02:11:04 ID:rxWJNDZ0
お前さんの反家康史観も所詮司馬の影響なんだよといってるの。
178名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 02:21:11 ID:Q0hABCss
>反家康史観
わたすは別に家康嫌いじゃないですよ。
少なくともその政治的手腕は評価してます。

嫌いなのは捏造歴史小説とそれを崇める人達です。
司馬の小説なんて面白くもなんともないので、
通読すらしたことありません。
179名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 02:23:28 ID:rxWJNDZ0
通読すらした事無いのに面白くもなんとも無いのかw
180名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 02:25:38 ID:Q0hABCss
腐った果物を全部食べてみたりするのは
馬鹿のやることではないでしょうか?
181名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 02:43:58 ID:rxWJNDZ0
読んだ事も無いものを批判してる事自体、
とてつもなく恥ずかしい事だと言うがわからんようじゃ
歴史の前に社会性から学んだ方が良いかと。

「納豆なんて食べ物じゃありません、なぜなら腐っているからです。」

お前が言ってるのはこういうこと。
182名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 04:31:05 ID:ZjQEuIwM
腐敗豆ww
183にゃんこ:2007/02/11(日) 08:53:56 ID:TOkD5wwW
冷静になれよ。

「通読したことない」というのは、「読んだことない」と意味が違うぞ。

「坂の上の雲」を7巻まで読んでも、「通読したことない」なんだから。
 
184名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 11:47:39 ID:GHaAF/q9
司馬の歴史モノ義経≠ナ征夷大将軍についてのトンデモ認識には萎えたorz
185名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 16:37:06 ID:rxWJNDZ0
>>183
だから一つの物語を最後まで読みもせずに批判する事がどれだけ愚かなことかといってるわけだが。

後もうひとつ言うとコイツの場合それ以前で自分では司馬を大して読んだ事無いだろうけど、
所詮は言ってる内容から他の司馬に影響された反家康史観を並べてるだけに過ぎないから
余計に滑稽。

司馬を批判しながら肯定してる頭の悪い例、ただ批判するだけならわかるんだがね。
186名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 17:08:37 ID:Q0hABCss
>だから一つの物語を最後まで読みもせずに批判する事がどれだけ愚かなことかといってるわけだが。
わたすは文藝評論家ではないので、「物語」をちゃんと全部読んで評価する必要は
ありません。それは文学者のすることです。

司馬の作品を史文献として評価しようとしている ID:rxWJNDZ0 さんの方がどうか
しているんじゃないですか?
結果として主張の一部が司馬と重なる、それが何か問題でも?
187名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 17:24:40 ID:Q0hABCss
ちなみに外国人の目から見た場合、日本人の歴史小説、特に戦国物を好んで読むことは
かなり奇妙に見えるらしいです。電車の中での読書も外国ではあまり見られないし、
しかも、何故かサラリーマンは武将物を読んでいる。
そのことを知った外国の知人は、日本では未だに武士道が生きていて、
だから、太平の世であっても本性は好戦的なんだと結論付けていましたww
188名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 17:51:52 ID:rxWJNDZ0
>>186
俺のレスのどこに司馬を史文献として評価するなんていってるんだ?
俺はむしろ司馬の家康観は嫌いだから司馬史観を否定する事自体には賛成なんだよ。

ただそれを言いながら片方で家康に関する司馬史観を並べながら言ってるところがなんとも滑稽だから書いただけ。
いかにも物知らないバカが書いてる文章。司馬でもいいから少しは本読めよ。
189名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 20:51:48 ID:id6dDbcN
>>187
そりゃその外国の知人の認識がそうとうおかしいぞ。

で、それを聞いてキミはなんとコメントしたんだ?
190人間七七四年:2007/02/13(火) 10:09:30 ID:Eg/Eq51o
どうでもいいが、司馬はサンケイ新聞のヨイショ小説をはじめとして
時局迎合、牽強付会のオンパレードでもあるという側面を忘れちゃ
いけない。慶応大学で講演すれば早稲田の悪口を言い、山口県で
講演すれば福島の悪口を言い、もちろん逆の地に行けば逆のことを
言うっていう司馬のバランス感覚は有名な話だろ。

だから作品もリアルに見えて、軍神東郷元帥、靖国の銅像大村益次郎、
東照大権現神君家康公、貞女の鏡山内一豊の妻、といった戦前からの
偶像崇拝を理論武装するような代物が大半を占める。その理論武装も
都合のいい材料だけをことさら採り上げ、都合の悪い局面になると筆を
略すといった恥も外聞もないやり方で、実質的には張り扇をパンパン
鳴らす講談師のホラ話をもっともらしくしたものに過ぎない。

だから「関ヶ原」における家康の「勝つべくして勝つ」策略の数々などは
今の歴史学では大半否定されている。大阪城をバックに何年でも持久戦が
出来ると安心しきって内輪の主導権争いを続けていた西軍に対して、一度
負けたらオンポロ江戸城などろくに頼りにならない拠点しかなく、どこにも
逃げ場のない家康らが狂った攻勢に出たのがたまたま大当たりしただけの
サプライズだったという話をなにやら巨大な歴史の流れが家康に作られた
みたいなホラに仕立て上げたのが司馬であって、はっきり言って「司馬で
歴史に眼を開かされた」という奴はもうトランジスタや真空管をありがた
がっているのとおんなじ化石世代なのである。

ここで話をするならまずその辺を大前提にしてくれ。
191人間七七四年:2007/02/13(火) 11:17:00 ID:fouslOc5
信長は宣教師から天下統一の方法を教わってそれを実行に移しただけ。
尾張のうつけは本能寺の変の間抜けな死に方そのまま。
192人間七七四年:2007/02/13(火) 20:33:56 ID:B1SdXcs+
勝つべくして勝つ〜?
司馬の小説のどこ読んでそんな風に読めるんだよ。
司馬は自他共に認める大阪出身の家康アンチ。
作品だってそのままだろうがよ。
193人間七七四年:2007/02/16(金) 11:10:08 ID:9A7fgskl
>>192
だから三行以上の文章が読めない奴は口を出すなって
194人間七七四年:2007/02/16(金) 17:44:49 ID:I1LRVAFe
だからの前フリどこ?
195人間七七四年:2007/02/18(日) 02:28:05 ID:Reqw/4KW
>>112
油断なら油断でもいいんだが、これが田楽狭間の義元の事に
なると、「そんな油断をするような武将は…」とやり出すのが
なんというか…。
196人間七七四年:2007/02/18(日) 04:30:54 ID:OCBmFbhj
>>162
あの辺りは当時の技術でどうこうできるようなものじゃない。
あの辺りがどうにも出来なかったから信長の治水政策は大した事ないっていう評価を
下すとしたら、それは突進してくる新幹線を素手で止める事が出来なかったからと
いう理由でその人は腕力がないという評価するようなもんだ。
いわゆる御囲堤だって「片方の堤防だけ高くして尾張には何とか水を
流さない」という目的を辛うじて達成できただけ(つまり美濃や伊勢へは
流れ放題!)であって根本的な解決にはなっていない。
長島が天然の城と言われたのは伊達じゃない。
何とか解決したのは明治になってからであるが、その後もなお洪水災害は発生している。
ttp://www.cbr.mlit.go.jp/kisojyo/production/ryuuiki/suigai/main2.html
この辺りでも参考にしてくれ。

柴田や佐々は越前越中で治水事業をして成果を上げているわけだから
治水に対する意識やそれなりの技術はあったんじゃないのかなあ。
197人間七七四年:2007/02/20(火) 09:03:02 ID:AzIi+Ml6
>>187
イギリス人は知識人でもアヘン戦争を知らない人が多いらしいからな。
まあ日本で言えばガダルカナルやインパール作戦、日中戦争あたりの
情けない歴史だから無視したかったのかもしれんが…

アメリカ人にいたっては歴史が無いもんだから、日本でいえはジョン万次郎
渡米時代に当たるガンマンの時代が「神話の時代」に当たる。創世神話を
持たないので、その代わりがスターウォーズ・サーガになったっていうのは
よく指摘されているけどね。もっともそれも大半「指輪物語」のパクリだっ
たということがニュージーランド人によって露見してしまったわけだが。
198人間七七四年:2007/02/20(火) 12:50:38 ID:2ZmxNbh8
過大評価もなにも小大名の家臣程度の勢力からあれだけの版図と築いたっていう
実績ある人間が他におらんがな
199人間七七四年:2007/02/20(火) 23:27:09 ID:O1Kods3a
小大名の家臣の、そのまた家臣の足軽から天下獲ったっていう
実績ある人間ならおりますが
200人間七七四年:2007/02/20(火) 23:36:47 ID:X11ggyzN
その点家康は恵まれ過ぎで大した事無いな
東海に覇を唱えた名門の生まれの上
忠誠心MAXの有能な家臣団が付き添い
教師は名軍師、太原雪斎
201人間七七四年:2007/02/23(金) 06:43:00 ID:vuRDF+mO
>>200
>東海に覇を唱えた名門の生まれの上


えっ!?
202人間七七四年:2007/02/23(金) 10:06:24 ID:g/c6MC2F
松平清康の事言ってるんじゃ?
でも地域覇権までは握ってたっけ
203人間七七四年:2007/02/23(金) 10:08:36 ID:msvXIcHn
忠誠心MAXって‥‥‥一向宗相手の時家臣はどういう行動に出てたっけ
204人間七七四年:2007/02/25(日) 10:06:32 ID:b5M2R37u
秀吉・家康は信長の遺産が大きいから却下
205人間七七四年:2007/02/26(月) 11:57:15 ID:5i7/ij+x
織田閥が一方的に天下取り出来たからな、織田包囲網もスカスカで
三国志みたいに
毛利・織田・北条で西・中・東日本を三分すれば面白かった
206人間七七四年:2007/02/27(火) 10:02:04 ID:+HHVHko4
信長って結構女には優しかったらしいしな 秀吉の嫁には優しかったみたい
女子供を殺すような奴には見えないんだが 留守中の侍女も殺していないみたいだし
207人間七七四年:2007/02/27(火) 10:26:35 ID:PAUcSitV
生まれた時の境遇と死んだ時の境遇の違いを見よ。
信長 大名→切腹(間抜け)
秀吉 農民→天下人(知恵者)
家康 大名→大御所(堅実)
208人間七七四年:2007/02/27(火) 10:51:30 ID:jeN5bIA+
>信長って結構女には優しかったらしいしな 

「義残後覚」に北陸で女狩りをした記録が残ってるな。
浅井久政の奥方の指を5日間にわたって切り落としながら
惨殺したのも有名だしな。
209人間七七四年:2007/02/27(火) 11:14:11 ID:+HHVHko4
豊臣オタか 信長がいなければ豊臣もまたなかったぞ
210人間七七四年:2007/02/27(火) 11:16:58 ID:S25KmMAQ
史実的には秋山信友と婚姻講和したおばさんは手打ちなの?
信友と一緒に逆さ磔なの?
211人間七七四年:2007/02/27(火) 11:41:13 ID:09uQofOe
>>209
信長が居なければ、松平元康も木下日吉も
上洛を果たした今川傘下から天下を取った可能性はある
寧ろ信長に付くよりそれが早まったかもな?

どちらにせよ、信長が二人の天下の絶対必要条件なんて言い切れんよ。
212人間七七四年:2007/02/27(火) 11:41:16 ID:pTME1yMw
信長は家臣にやたら厳しい割りに身内に甘いよな
信雄が息子じゃなかったら絶対追放してんだろw
213人間七七四年:2007/02/27(火) 12:18:20 ID:eEccM2YS
家臣に厳しいというより、能無しの家臣が嫌いだっただけかもしれない
有能な家臣には結構甘い
それとあまり家臣に甘くし過ぎると下剋上される世の中だからある意味仕方ないとも言えなくもない
214人間七七四年:2007/02/27(火) 12:18:38 ID:35pfKqu6

「義残後覚(ぎざんこうかく)」の雑話集(怪談・奇談等)って、
主に妖術とか幻術とか心霊とかの逸話を記した伝奇物語ですよね。

うーむ。細木の占い本を、鵜呑みにしてもよいのだろうか……。
215人間七七四年:2007/02/27(火) 15:09:54 ID:jYYdQ7MC
信長の残虐行為の多くは江戸時代に書かれた小説が元になっていて事実ではないと言う説が最有
216人間七七四年:2007/02/27(火) 16:36:38 ID:S25KmMAQ
ヤンキー上がりでわがまま放題で育てられたお坊ちゃんが
社長の座に据えられたりすると、今度は途端に部下に
会社組織に対する日常からの絶対的忠誠を要求したり
休む間もない献身的な労働を平気で要求したりするんだよな。

だからちょっと新奇なアイデアを持ってくる若手社員が
出てきたりするとこれ見よがしに可愛がって見せて、それを
口実に功績が大きかったベテランを血も涙も無いリストラに
屠ったりする。それも十年も前の仕事上の失敗を口実に
したりする。社員もしばらくの間ならともかく、これじゃ
心身ともにスタミナが続くわけがない。
だから強引なやり方で事業を形だけ拡張しても、いつかは
社内から反乱の火の手が上がって、背後から斬られるのは
まったくもって理の当然、不思議でもなんでもない。
217人間七七四年:2007/02/27(火) 16:39:38 ID:S25KmMAQ
こういうホリエモンみたいな経営術というか割り切った生き方は、
年功序列で若手が自由に発言も活動もできなかった昭和の時代には
「遠い憧れの対象」にもなれた。周りの現実社会にはそんな生き方を
許す風潮が無かったわけだから。

でも今ではもう、そうした「売り上げが全て、成果が全て」という
即物的で人情も何もない成果主義による格差社会はありきたりな
現実になってしまっていて、そういうものが形だけ大戦果を挙げて
いるようでも、現実には何かに負われるだけの空しい人生しか
作れないってことが誰にもはっきり分かってしまった。

信長の人気っていうのは「ああいう生き方が遠いものだった日本社会」
ならではのものだったけれど、それはもうこれからは徐々になくなって
いくだろうね。現実に身近に降りかかってきたときの虚しさを、多くの
日本人が散々味わっているわけだから。

忠臣蔵や曽我兄弟とおんなじで、「かつて日本には信長に人気のあった
時代があった」っていうことになると思う。
いまの若者は曽我兄弟の何がいいのか全然わかんないでしょ?それと
同じことが信長にやってくるということだろう。
218人間七七四年:2007/02/27(火) 22:08:11 ID:neVLmYnh
武田信玄は今や過小評価になりつつあるね、アホな信長厨(作家など含む)
が度々信玄とことあるごとに、都合の良い事だけ述べて比較したりするもん
だから(兵農分離やら版図の大きさやら)。
大体最初から天下を狙って行動した人物とそうでない人物とでは行動に差が
あって当然なのにねえ。
仮に天下への野心が最初から信玄にあっても、上杉や北条との衝突は避けら
れなく、領土拡大は難しかったと思う、周りが強敵すぎた故の遅かった西上
だね。

むしろ信玄の魅力は、やはり孫子に代表されるように軍略や、家臣団の統率
山国ならではの内政手腕、列強を抑える為の外交など、3傑より先駆けて行
ったものは多い。
219人間七七四年:2007/02/27(火) 22:23:15 ID:NCLNu81X
>>215
待てよ、それらの残虐行為は信長公記に記載のあるもの
が多い。浅井長政らのハグダミ然り伊勢長島のなぶり殺し
然り。
これらは史実だろう。
220人間七七四年:2007/02/27(火) 22:25:58 ID:neVLmYnh
・アホな信長厨は、川中島の戦がわずかな領土を争うだけの不毛な戦という。
しかしそのわずかな所領を敵に与えてしまうことで更に南下される恐れがあ
るからこその川中島であるという考えに気が付かないのが信長厨www

・アホな信長厨は、信玄は今川と敵対して北条とも敵対した外交下手という。
しかし、弱体化した家をそのままにしておけば、北 条 方 が 攻 め 取
るという可能性に気が付かず、ひたすら信玄の行動をあーだこーだ言う始末ww
大体経済的な事情など考えても、駿河攻略は正当性がある。(塩止め阻止など)
221人間七七四年:2007/02/27(火) 22:50:08 ID:1KKFa7l3
>>216-217
リストラリーマン乙
222人間七七四年:2007/02/27(火) 23:02:10 ID:NCLNu81X
>>211
今川義元の上洛って桶狭間の戦いの時のことか?
あれは小瀬甫庵の創作であって現在はほとんどの学者が
否定しているぞ。
223人間七七四年:2007/02/27(火) 23:38:32 ID:UpprsSqR
>>218
>大体最初から天下を狙って行動した人物とそうでない人物とでは行動に
>差があって当然なのにねえ。
つうかそれこそが覇王と田舎大名の埋めがたい格の違いだと思うのだが
224人間七七四年:2007/02/27(火) 23:51:48 ID:neVLmYnh
>>223 その田舎大名に散々苦しめられたのはだ〜れ?(笑)
その田舎大名と一々比較したがるのはだ〜れ?(失笑)

225人間七七四年:2007/02/28(水) 05:26:26 ID:ZBB3sbR0
>>207
> 生まれた時の境遇と死んだ時の境遇の違いを見よ。
> 信長 大名→切腹(間抜け)
> 秀吉 農民→天下人(知恵者)
> 家康 大名→大御所(堅実)

慧眼
226人間七七四年:2007/02/28(水) 05:58:52 ID:ZBB3sbR0
>>217
そこで氏真に人生を学べですよ!
227人間七七四年:2007/02/28(水) 06:43:09 ID:4SDMUpOa
信長の最期ってあれは切腹とはいわんだろ。
まぁそもそも遺体は確認されていないんだが。
228人間七七四年:2007/02/28(水) 07:04:02 ID:1qPpoG/3
骨も出なかったとなると、女に化けて脱出したのかも知れんよ
229人間七七四年:2007/02/28(水) 15:37:55 ID:kn1QUvU3
仮にそうやって血眼の光秀軍の包囲網を突破し本能寺を脱出していたら、あの信長のことだ、ただちに安土城に戻って兵を上げ光秀一族を血祭りに挙げていたことだろう。
無事に安土城に着けば間違いなくそうしてるはずだし、京都から安土に戻る途中で落ち武者狩りに遭ったのなら、信長の首は明智軍に破格の高値で売られ、六条河原で晒されたはず。
やはり、野山で落ち武者の手に掛かるより、本能寺で武家らしく割腹したと見るのが妥当だろう。
実際、嫡男の信忠は二条城で割腹し、その首を光秀軍に取られないようにと床板に隠したその刹那、あまりの惨めさに介錯人が声を上げて泣いたそうだ。
遺伝子とは恐ろしいもので、多分、その父信長も同じような行動を取ったことだろう。
「是非に及ばず」とは、光秀の軍勢を見た戦争のプロは、もうワシは逃げられん。たぶん信忠まで討たれよる。わしとしたことが、なんたる油断であろう。
わしら父子のこの蘇我蝦夷・入鹿父子以来の油断ぶりを、世間が物笑いの種にしないはずはない。という悔しさから出たことだろう。
父子揃って京都で割腹とは桶狭間の今川義元以上の大間抜けよ!「驕る平家は久しからず!」と嘲われても仕方あるまい。土岐源光秀の笑い声が聞こえよる。。。うっ!!
230人間七七四年:2007/02/28(水) 16:16:06 ID:NI7/tvLp
是非に及ばずって誰が後世に伝えたん?
231中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/02/28(水) 16:21:34 ID:Ps9dvV+c
信長→女官→大田和泉
232人間七七四年:2007/02/28(水) 19:28:53 ID:LqiQcOjc
是にも非にも及ばないって、名古屋弁で

「どーもこーもにゃーがよ」

というファビョり状態のことなんじゃないかという気がするが。
233人間七七四年:2007/02/28(水) 22:53:06 ID:6BS21/Pv
もうどうしようもねぇ!
しゃーない!
234人間七七四年:2007/02/28(水) 23:00:08 ID:Ly4oaN/5
>>230
信長らしくないって誰かが言っていたけど
確かに、信長にしては諦めが良すぎる感じがする。
本来の信長は、万に一つの可能性でもあれば逃げようとすると思う。
235中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/02/28(水) 23:15:52 ID:Ps9dvV+c
金ケ崎の時とっさに逃げだしたあの信長に、その「らしくない」台詞を本能寺で吐かせてしまったことが
逆にこの台詞の重みを強くしリアリティが増してるんじゃないかな
236まさしげ:2007/02/28(水) 23:56:24 ID:VcvR0a5j
信長さんが、家来の光秀さんに殺されたんですが、あの時代、主人が家来に殺されるのは日常茶飯事。信長の油断だろう。というより、光秀を信頼していたとも考えられる。何しろ、京都近郊の坂本と福知山に拠点を与えている。それにしても、間抜けなことよ。
そういえば、金ヶ崎でも、妹婿の長政に裏切られたし。村重にも。どこか間が抜けているとういか、人に対する詰めがあまいというか。
信長は、独特の発想と実行力で広大な領地を征服した。宗教勢力に対する虐殺の繰り返しは、信長の民衆に対する恐怖心を感じる。
家康や秀吉にそれを感じないのは秀吉が農民出身だったり、家康が仏教に理解を示していたのとの違いか。
信長には欧米的な合理主義的においを感じるが、それがかれの疎外感をいっそう際立たせている。
 理屈でしか人や世の中を理解できなかった彼は、当時の日本人の支配観念を理解できず、最後は彼の支持母体であった自分の軍隊に裏切られた。
このような人物は、世界史的にもまれと思われる。やはり、天下統一は彼には無理だったと言うべきだろう。
237まさしげ:2007/02/28(水) 23:59:03 ID:VcvR0a5j
信長さんが、家来の光秀さんに殺されたんですが、あの時代、主人が家来に殺されるのは日常茶飯事。信長の油断だろう。というより、光秀を信頼していたとも考えられる。何しろ、京都近郊の坂本と福知山に拠点を与えている。それにしても、間抜けなことよ。
そういえば、金ヶ崎でも、妹婿の長政に裏切られたし。村重にも。どこか間が抜けているとういか、人に対する詰めがあまいというか。
信長は、独特の発想と実行力で広大な領地を征服した。宗教勢力に対する虐殺の繰り返しは、信長の民衆に対する恐怖心を感じる。
家康や秀吉にそれを感じないのは秀吉が農民出身だったり、家康が仏教に理解を示していたのとの違いか。
信長には欧米的な合理主義的においを感じるが、それがかれの疎外感をいっそう際立たせている。
 理屈でしか人や世の中を理解できなかった彼は、当時の日本人の支配観念を理解できず、最後は彼の支持母体であった自分の軍隊に裏切られた。
このような人物は、世界史的にもまれと思われる。やはり、天下統一は彼には無理だったと言うべきだろう。
238人間七七四年:2007/03/01(木) 00:00:13 ID:GBCRkKq5
2回言わなくていい
239人間七七四年:2007/03/01(木) 00:50:10 ID:szsUZc00
当時信長を悪く言う書物はほとんど無かったらしいし信長の悪行も仕方ない部分もあったのではなかろうか
240人間七七四年:2007/03/01(木) 00:52:26 ID:eCV7EdEu
>>236
>>237
文章の構成力つけてたらまたおいで
241人間七七四年:2007/03/01(木) 07:35:41 ID:KuqgGpnT
>信長には欧米的な合理主義的においを感じるが、それがかれの疎外感をいっそう際立たせている。

まぁ、イエズス会が信長のブレーンだったからそう感じるのは当然といえば当然。
242人間七七四年:2007/03/01(木) 10:41:49 ID:dirEXGDD
>>239
「当時」というのはどの段階をさすのか?
光秀が京を統治していたごくわずかの時期なのか、
信長の敵討ちを果たしたことを権力掌握の錦の御旗にしていた秀吉が
恐怖政治を退いていた時代か、
秀吉が打ち倒された徳川の時代か、

どちらにしても信長の悪口を知識人・政治家が自由に書き残しても
かまわない状況が、信長をリアルタイムで知っていた人間が生きていた
時代にそうあったとは思えないが。
243人間七七四年:2007/03/01(木) 10:53:10 ID:dirEXGDD
>>236
>信長は、独特の発想と実行力で広大な領地を征服した

発想のほとんどが、先人が苦労して実現できることを証明した
アイデアのパクリだったというのが今の常識だが。テレ東や
地方局が苦労していい番組を作ると、すぐフジや日テレが
無断でパクって大宣伝で自分たちのもののように喧伝し、
「やっぱりフジってセンスあるよねー」と言わせている
みたいなもんだろう。

>虐殺の繰り返しは信長の民衆に対する恐怖心を感じる。

これは分かる。若い頃のうつけとか功臣たちへの恩を踏みにじる
態度って、結局世間知らずの厨の行動としては実にありがちな
パターンでしかないんだよね。狭い自分の価値観にしがみついてるから
他を省みないで突っ走る「一見革命的に見える」行動も取れるけど、
しょせん世間知らずだから、世界には自分の理解できないものが
山のように存在し確立している。それを理解し呑み込んでいる大人には
少しも怖くないものも、理解できない子供には、気味悪く抹殺したくて
たまらない不気味なものに見えるわけだ。
ガキはともかくいい大人がこういう感覚を絶賛していちゃイカンと思うよ。
244人間七七四年:2007/03/01(木) 16:43:46 ID:u8Uz1UF5
「もしも信長が本能寺で殺されなかったら」
とか
「生きていたら何を成し遂げたか?」
とか、IFをもてあそぶバカもいるが、
歴史にIFはありえない以上に、信長は確実に殺されていた。
民衆や家臣から絶対に忠誠が得られない性格だったからこそ、
本能寺があったのであって、かりに本能寺で生きながらえたとしても、
確実に第二第三の本能寺(狙撃された時のような)が訪れていたであろう。
245人間七七四年:2007/03/01(木) 17:50:56 ID:UHSxcsRM
>>244
同意
ガチで天下を狙って無残に失敗した信長に史実以上の潜在力は望めない
まぁ名将ではあるが
246にゃんこ:2007/03/01(木) 21:07:31 ID:OyV+y48Q
1,封建時代の君主は、中央集権をめざす。そのためには、配下の諸侯のうち、
  政治力の低い者や評判の悪い者を粛正する。また、低い身分の者を取り立てて
  諸侯への対抗勢力に育てる。功を挙げさせても、報酬が少なくて済むし。
2,急激に勢力を拡大した場合、当然、新規召し抱えも急増する。

 これで、秀吉や光秀の抜擢の理由や、柴田と秀吉の不仲も、佐久間の粛正も
普遍的なものと説明できるね。

  
247人間七七四年:2007/03/02(金) 00:44:54 ID:suSBAnlT
日本最高の過大評価は坂本竜馬だろ。
248人間七七四年:2007/03/02(金) 08:23:58 ID:fbhmsHrK
イエズス会の手先だった信長(宣教師にしょっちゅう質問してたのが記録に残っている)
グラバー(英の武器商人)の手先だった竜馬。
やはり結局優れているのは、欧米か!
249人間七七四年:2007/03/02(金) 14:33:51 ID:IvMkHOdn
釣りにしてももうちょっとひねろうよ。
珍しい外国の人間に事情を聞いたりするのが手先という事になるのか?
250人間七七四年:2007/03/02(金) 14:56:35 ID:KYbs7NL4
まあ武士として名も無い竜馬が西郷・桂を引き合わせたと言っても、
今で言えば経団連の幹部が自民民社のトップを引き合わせたみたいな
もんで、大して意外な状況でもないんだよな。
そもそも「才谷屋梅太郎」だったらここまで受け入れられたかどうかw

どっちかというと龍馬も所属していたという、当時のフリーメーソンの
活動内容が知りたい。秘密結社とか陰謀史観じゃなく、じつはとてつもなく
大きく歴史に関わっていた組織というか運動体・人類規模の活動だったと
聞くとロマンが湧いてくる。
251人間七七四年:2007/03/02(金) 15:33:31 ID:xv8le0NV
典型的なアンチスレだな
根拠もなく叩く姿が痛々しい
252人間七七四年:2007/03/02(金) 18:37:31 ID:KYbs7NL4
根拠もなく何十年も持ち上げられたのだから、根拠なく叩かれ続けて
ちょうど釣り合うというもの。

一方的に捏造や誹謗をしていた人間ほど、いざ自分が同じ立場に立つと
「公平に」「双方の立場を併記せよ」と言い出す。見苦しいことこの上
ない。少なくとも日本の美徳の欠片もないw
253人間七七四年:2007/03/02(金) 20:06:51 ID:gu1DvChQ
そんな目には目を的な美徳日本にはありませんw
次は謝罪と賠償でも求める気ですか?w
254人間七七四年:2007/03/02(金) 20:38:52 ID:Xijo+hw7
どれだけ凄かったのかはともかく、崇拝してるのはDQNかゲヲタだわな
255人間七七四年:2007/03/02(金) 20:46:36 ID:8IroGEJZ
でも信長が当時誰にも出来なかったことをやったのは事実だろ
そこは評価してもいいと思うんだぜ?
256人間七七四年:2007/03/02(金) 21:05:06 ID:PpWyu77F
>>255
具体的には何?
257人間七七四年:2007/03/02(金) 21:11:37 ID:cgd5TBJl
チョンの巣窟みたいなスレだなwww
258人間七七四年:2007/03/02(金) 21:12:46 ID:mhHkisBO
>>255ではないが鉄甲船は独創的だな。
あと地名を変える。
259人間七七四年:2007/03/02(金) 21:22:22 ID:7SuLxbl3
戦後の日本という国、マスコミやら教育者からすれば、
戦前、戦後を区別しなければ現体制の前の体制である徳川家康を評価できない。
戦後の敗戦からの平和志向からは朝鮮出兵した豊臣秀吉も評価しにくいだろう。
戦後は新しいものが求められ今までの権威を打破するという価値観の中で織田信長は高評価を得たんじゃないかな。
あとは司馬遼太郎という昭和を代表するような大衆作家が信長好きの家康嫌いだったのも大きいかと思う。
楠木正成の例でもその時代によって人気が出たり、下がったりがあるし、
マスメディアがそうゆう操作をすることもあるんじゃないかな。
260人間七七四年:2007/03/02(金) 21:23:23 ID:8IroGEJZ
>>256
本拠地を頻繁に移すとか
比叡山焼き討ちとか
安土城築城とか
大阪に城建てるのも信長のプランだったんだろ?
261にゃんこ:2007/03/02(金) 23:56:00 ID:coEfN03w
信長の内治は、先進地の大名としては、常識的。
鉄砲装備も多いが、評判ほどでもない。
人材登用も、中央集権をめざす、急成長組織としては当たり前。

だから、決して「時代を超えた革命児」なんてのは、過大評価。人は時代を
越えられぬ。
しかし、現実に、「時代の流れにトップで乗れる」ことは、すごい力量である。
若者よ、10年後、日経新聞に載り、20年後に自民党を動かせているか?
現代史なら、匹敵するのは田中角栄だけである。








なお、鉄甲船もガセらしい。当時は圧延技術に難有りで。
262人間七七四年:2007/03/02(金) 23:58:44 ID:A5VIF++U
インチキ政治家を引き合いに出すおまえは死ね。

光ケーブル切って、それですぐ死ね。
263人間七七四年:2007/03/03(土) 00:02:13 ID:cLLsOl94
田中角栄は違うと思うぞ、信長は秀吉、家康といった実質的後継者がいるが田中角栄の実質的な後継者はろくな奴がいないw
264人間七七四年:2007/03/03(土) 00:09:01 ID:korQsIug
真樹子
265人間七七四年:2007/03/03(土) 00:23:56 ID:OtzLpCna
つーか無駄に中国に擦り寄った罪は重い。
266人間七七四年:2007/03/03(土) 07:28:59 ID:zC9xZt6r
>>260
恥ずかしい奴だな。
267人間七七四年:2007/03/03(土) 13:03:13 ID:9o7XiJVy
>人材登用も、中央集権をめざす、急成長組織としては当たり前。

当時それが織田家ほど徹底してできた家中が皆無だったから、高く評価されているのだが。
268にゃんこ:2007/03/03(土) 14:54:50 ID:AlRBa4BQ
267>

何を徹底できたの?

結局、織田家は諸侯連合政権であり続けた。人材登用も中途半端。中央集権は
わずか。
繰り返すが、信長は、「中世末期の中央権力」という枠は越えられ無かった。
269人間七七四年:2007/03/03(土) 15:22:01 ID:Bpz1mjbh
上杉や北条、そして織田、徳川同盟に囲まれながらも渡り合っていた武田信玄こそ戦国最強。
270人間七七四年:2007/03/03(土) 15:26:17 ID:9o7XiJVy
>結局、織田家は諸侯連合政権であり続けた。

諸侯とは?
織田家子飼い以外では、同盟組んでた徳川家くらいしか思いつかないが。
豊臣政権や徳川政権の方がよほど連合政権だろ。
271人間七七四年:2007/03/03(土) 17:18:40 ID:K9l5u+LL
林、佐久間、柴田、明智、羽柴、滝川、丹羽、筒井、池田、川尻、佐々、前田、森、蒲生・・・etc
272にゃんこ:2007/03/03(土) 17:29:12 ID:AlRBa4BQ
271が正解。

270氏は、たぶん、どっかの小説家の
「信長は、サラリーマン兵士からなる常備軍を・・・・」
を信じているんじゃないかな。
小説よりは、大学受験参考書を読んだ方が良い。
273人間七七四年:2007/03/03(土) 17:34:37 ID:9o7XiJVy
ならば直属の家臣と、同盟組んでる他大名家も同じ扱いといいたいのか?
274にゃんこ:2007/03/03(土) 17:43:06 ID:AlRBa4BQ
273氏よ

戦国大名とは、国人とか地侍といった、中小領主の連合体であり、君主はその
盟主に過ぎない。この国人・地侍を、領主や諸侯と表現される事も多し。


>ならば直属の家臣と、同盟組んでる他大名家も同じ扱いといいたいのか?

誰も「同じ扱い」などとは述べていない。
当然、配下の国人にも、譜代や外様等の区別はある。だが、どっちにしろ、戦国
大名は、その勢力範囲の一部しか自分の領地(直轄地)にできなかった。
戦国大名が、しばし、連合政権や組合と表現される由縁である。
275人間七七四年:2007/03/03(土) 17:54:31 ID:9o7XiJVy
その直轄領地の割合の高さが織田家の特色だろう。実質的なものも含めて。
秀吉のように相手を屈服させていく天下統一ではなく、基本的に滅ぼすか完全に取り込んでしまうやり方だからこそ
その影響力も強かったわけで。
完全に中央集権に至っていないのは事実だが、その目指していたものは他の戦国大名とは明確に異なる。
276にゃんこ:2007/03/03(土) 18:00:46 ID:AlRBa4BQ
275>
そりゃ、小説ネタ。
直轄地の大きな君主は、徳川秀忠が最初。秀忠による粛正(取り潰し)によって
初めて、ちょっと中央集権っぽくなった。ちょっとだけど。
信長の直轄領なんか多くないよ。多いとする史料があるかい?
277人間七七四年:2007/03/03(土) 18:03:22 ID:/y1+uoiM
博識なぬこたんだなあ。
278人間七七四年:2007/03/03(土) 19:09:26 ID:OtzLpCna
>>にゃんこ
レスに異論は無いが、アンカーをちゃんと付けてくれないか?
読みにくくてたまらん。

それともなんか意図があるの?
279人間七七四年:2007/03/03(土) 20:34:52 ID:wpNA2nOu
>>261
>人材登用も、中央集権をめざす、急成長組織としては当たり前。

>>268
>織田家は諸侯連合政権であり続けた。人材登用も中途半端。中央集権はわずか。

なんか微妙な言い回しだよなぁw
280人間七七四年:2007/03/05(月) 17:08:06 ID:JbJxS3be
横レスだが、にゃんこさんは>>268
>>信長は、「中世末期の中央権力」という枠は越えられ無かった
と述べているよ。それならそのいいまわしも別に問題はないんじゃない?
281人間七七四年:2007/03/05(月) 17:10:39 ID:m3xuOP7h
まあ素直に
「目指したけど諸侯連合止まりだった」と解釈すれば。
282人間七七四年:2007/03/06(火) 05:05:14 ID:5dq0rKbY
>>280
>「中世末期の中央権力」という枠
この言葉が曖昧なんだよなぁ。
同時代にあって他の大名に出来ず信長が出来たんだったとしたら革命児と呼ばれてもよろしかろうに。
283人間七七四年:2007/03/06(火) 10:28:53 ID:mXd4RPL2
超えられなかった、と述べられているがね。
284人間七七四年:2007/03/06(火) 11:25:14 ID:iIOGWkBG
本当に信長の「革命児」っていう神話は、「そう思いたかった
昭和人の妄想の産物」だったという事実が確立した観があるな。

いまだにいやそんなはずがないって言ってるのは、チャンバラ時代劇と
サラリーマン雑誌で育った世代で、信長の野望やって育ったガキの方が
よっぽど合理的で現実的な戦国期の把握をしている。時代は変わるねえ。
285人間七七四年:2007/03/06(火) 11:53:47 ID:dRIh/iKP
信長以上の実績のある大名がいないわけだから結局評価は変えようがない
全体的に上がるか下がるかの違いだけで
286人間七七四年:2007/03/06(火) 12:03:52 ID:mXd4RPL2
信長が戦国大名の中でトップレベルの大名であることは別に否定する人も
いないんじゃないか?
ただ「時代を超越した革命児」だとか「日本史上最大最高の能力と独創性をもった大天才」
とかいうのは過大評価だというだけで。
287人間七七四年:2007/03/06(火) 13:10:38 ID:RwYzrLpe
過大評価というか、信長自身自分を神として崇めさせていたくらいで、
信者にとってはほとんど宗教的な信仰の対象だから
信長を美化できればそれでいいのであって、公正に評価するつもりもないだろう。
288人間七七四年:2007/03/06(火) 13:33:09 ID:mXd4RPL2
なんらかの宗教的権威を自分につけて神格化するのは当時としては
他の大名もやっているしな。毘沙門天の謙信、不動明王や諏訪明神の信玄、
豊国大明神の秀吉、東証大権現の家康など。
289人間七七四年:2007/03/06(火) 14:49:01 ID:iIOGWkBG
>東証大権現

なんか現在においてありがたがられそうだな
290人間七七四年:2007/03/06(火) 15:04:26 ID:mXd4RPL2
間違えたw東照だった。スマソ
291仙台藩百姓:2007/03/06(火) 15:15:04 ID:P1j/lEDG
漏れもお参りしたいお( ^ω^)
292人間七七四年:2007/03/06(火) 18:33:51 ID:Okxbqdqe
日テレがたまにやってる日本人が好きな偉人とか止めてくれないかな。

甚だしいわ。
293人間七七四年:2007/03/06(火) 20:22:43 ID:dzYXs24H
視聴率取るためには考証なんて後回しだろ
294人間七七四年:2007/03/06(火) 20:58:58 ID:mXd4RPL2
そしてまた厨が量産される・・・この悪循環が繰り返されるのか。
295人間七七四年:2007/03/07(水) 00:33:00 ID:sqtbBT/+
歴史好き(特に若い子供の世代)を増やすのにはいい番組だろ。
お前らだってそういう英雄が誇張表現された大河ドラマとか小説とかみて歴史に興味持ったんだろうに。
で、言う言葉が「また厨が量産される・・・」かw
どっちが厨なんだか。
296人間七七四年:2007/03/07(水) 10:47:12 ID:GxZGL00B
どっちかというと
その時歴史が動いたとかのドキュメントと銘打たれてる番組のほうが悪影響
297人間七七四年:2007/03/08(木) 10:58:10 ID:bmABvzeB
「日本史探訪」「歴史への招待」辺りの時代と比べて、
俗説を検証するっていう視点がいまのNHK歴史「教育」
番組には決定的に欠けてるもんな。

ストーリーラインを作り話に頼っていても『風林火山』の
ドラマ辺りの方がよっぽど史実の精神に忠実だよ。
298人間七七四年:2007/03/08(木) 22:31:54 ID:Jos8fdSC
別に優れた戦国大名である信長に興味もつならそれでいいんだけどね。
ある程度の誇張や美化がはいるのは必然でもあるしな。
でも信長の場合はなはだしすぎるんだよ。しかも厨は他の大名の事けなしまくるし。
今は多少落ち着いたけど少し前まで上杉謙信や武田信玄がどれだけ
織田厨にぼろくそにいわれてたことか。信長は優れた大名だったけど別に時代を超越して
いたわけじゃないし、他の大名を貶める厨の姿は見ていてあまりいいものではないなあ
299人間七七四年:2007/03/10(土) 18:44:33 ID:SwrvFF11
気になってたんだが、信長の兵農分離神話ってどこから生まれたんだろうなあ。
なんか元になった資料とかあるのかな?
300人間七七四年:2007/03/10(土) 20:57:45 ID:WgwAbnNL
まだ整理してないけど、

「神話は常にそれを信じたい側の都合によって生まれる」

という所に秘密があると思う。
日本軍が満州に進出していった時期に「義経=ジンギスカン」説が
流布したのと同じような何かがあったんじゃないかと。
301人間七七四年:2007/03/10(土) 22:39:21 ID:MQWH//5X
桶狭間は正攻法で勝利、
長篠は鉄砲隊まで擁する武田相手に、家康との物量戦で押し切り、
部下達には諫言を求めたソフトな面も・・・・ってのが実際の信長だっけ?
302人間七七四年:2007/03/10(土) 22:52:13 ID:DD64rFsH
さすがに桶狭間は正攻法じゃないだろ。
考え尽くされた奇襲ってわけでもないだろうけど。
長篠もただ物量で押し切っただけってわけでもない。
三段撃ちでどうこうってのは講談だけど。
303人間七七四年:2007/03/11(日) 20:19:55 ID:f4eLklh+
その実際の信長、とやらも今の流行主流説にすぎないからなぁ。
304人間七七四年:2007/03/13(火) 19:59:10 ID:VrHcwYUA
wikiの信長のページは無批判すぎないか?
305人間七七四年:2007/03/13(火) 20:23:15 ID:+s+yt/Nq
「まず厨が作るWiki」は原則だが、問題は信長伝説が
大法螺だという事はわかる人はわかりきっているので、
今さら修正しようという人間が現れないということだろう。
306人間七七四年:2007/03/13(火) 20:40:10 ID:211q8wKD
なんかアンチのほうが捏造っぽくね?
307人間七七四年:2007/03/13(火) 21:46:42 ID:KKnuXGea
http://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1170384137/

織田厨が「刀根坂での信長の神采配」と騒いでいます。
皆様の加勢をお願い申す
308人間七七四年:2007/03/13(火) 21:51:28 ID:KKnuXGea
織田厨が「刀根坂での信長の神采配」と騒いでいます。
皆様の加勢をお願い申す

http://c-docomo.2ch.net/test/-/gamehis/1172366952/1-
309にゃんこ:2007/03/13(火) 22:01:43 ID:3U9LDAna
299>
300>

ひょっとしたら、日本中の自営業が廃業しまくって、サラリーマンばっかりに
なっていく時代の正当化のためだろうか。
310人間七七四年:2007/03/13(火) 22:06:27 ID:oL9LKgCN
>>にゃん
なんでそんなわけわからんアンカーの付け方すんの?
読みにくいよ。
311人間七七四年:2007/03/13(火) 23:43:49 ID:R1TJEdeB
>>307
なんか歴史ゲーム板って書き込めないんだよなあ・・・。
なんでだろ?
312人間七七四年:2007/03/13(火) 23:53:16 ID:R1TJEdeB
>>306
どこらへんが捏造っぽいと思うの?
あくまでも信長は彼以前に戦国時代で行われていた良い政策等を用いて
時代の先頭を歩いていたのであって時代を超越してはいなかったというだけの事だよ。
歴史上こういう人間は時たま過大評価される事がある。特に事業の途上で最期を遂げた場合は。
そういう意味では西洋でいうとグスタフ・アドルフなんかが近いんじゃないかと思うが。
313人間七七四年:2007/03/14(水) 00:45:24 ID:VzyluoNz
信長のオリジナルはないといいたいのかあんたは
314人間七七四年:2007/03/14(水) 05:33:40 ID:hMa1Yw9Z
正直な話、完全に信長のオリジナルなものってなんかある?
315人間七七四年:2007/03/14(水) 07:04:54 ID:Dg9K2p+s
オリジナルかどうかなんてのが重要だと思ってること自体がズレてるんだよ
政治や軍事は結果を出すことが重要でオリジナルである必要はまったくない

あの時代に大規模かつ効率的に政策を実行し、それが他の大名より優っていたから
織田閥によって戦国の幕が下ろされたってのは紛れもない事実

316人間七七四年:2007/03/14(水) 07:15:41 ID:hMa1Yw9Z
いや、だからこのスレの人間は基本的にそれを否定してないよ。
ただ織田好きの人がやたらとオリジナルに固執するだけで。
織田信長は優れた戦国大名で戦国終焉のきっかけをつくった人物ではあるが
時代を超越した人物ではなかったし、「日本史上最大最高の能力と独創性をもった大天才」
であったわけでもないという事。
317人間七七四年:2007/03/14(水) 07:25:25 ID:mWz995TC
>>316
あんた、こないだからしょっちゅう
>時代を超越した人物ではなかった
という言葉を旗頭にして頑張ってるみたいだけど、どこまでの表現(賛辞)なら許容範囲なんだ?

戦国時代で最も卓越した――はアウト?
戦国時代で有力だった――はOKか?
318人間七七四年:2007/03/14(水) 07:35:48 ID:hMa1Yw9Z
悪い、多少過剰反応だったか。
戦国で最も卓越した〜ならまあ許容範囲かな。
個人的には秀吉や晩年の家康がいるので戦国で有数の〜として欲しいところだが。
319人間七七四年:2007/03/14(水) 07:51:26 ID:c6asGf56
政教分離した時点で時代を超越しまくってます

320人間七七四年:2007/03/14(水) 08:06:54 ID:hMa1Yw9Z
一向宗との対立は天下統一を果たす過程で誰かがやらねばならない事ではあったと
思うが。偉大な事業だとは思うが、一向宗は別に日本の国教だったわけではないし、
全ての一向宗門徒が同調していたわけでもない。
政教分離という表現はあたっているのかな?仏教自体は江戸時代において統治システムの
一環に組み込まれるくらい、その影響は残っているんだが。
321人間七七四年:2007/03/14(水) 08:25:31 ID:EG71RDUz
武装蜂起する念仏教徒集団の鎮圧
浄土真宗本山の移動
322人間七七四年:2007/03/14(水) 08:45:54 ID:9kwB/+Ni
>>299
>信長の兵農分離神話ってどこから生まれたんだろうなあ。
>>300
>「神話は常に それを信じたい側の都合によって生まれる」

「警察予備隊とか災害救助隊なんかじゃなく、文民統制に縛られずに
自由に動ける軍隊を持つことが大切だ」という政治宣伝のために
「信長が勝ったのは独立兵を持っていたから」という誇大広告が
なされたのだとしたら、四十年代終わりから六十年代前半あたりに
なにか動きがあったはずだな。
323人間七七四年:2007/03/14(水) 09:29:35 ID:C4om8zEe
>>318
その秀吉と家康も結局信長の作ったレールが無ければどうにもならない。
324人間七七四年:2007/03/14(水) 10:31:20 ID:PaoejZmO
信長いなければ今川の傘下で家康がやはり天下奪った可能性もあるんだがなぁ
百姓のお猿さんの方も今川に仕官希望したことが有るみたいだし
325人間七七四年:2007/03/14(水) 10:50:26 ID:C4om8zEe
↑よくアンチにifを語るなと言う奴がいるが、これこそ典型的なifじゃないか?
326人間七七四年:2007/03/14(水) 10:54:59 ID:DDfyN13n
日本で宗教戦争が無いのは信長が宗教勢力の武装解除をしたから。
秀吉や家康は発展させただけ…
これだけでも充分評価しても良いと思うけど。
ちなみに、焼き討ちや門徒の殺戮なんて世界を見れば誰でも行っている事。
全然、残虐では無い。
327人間七七四年:2007/03/14(水) 11:00:04 ID:unHmYNIk
それを素直に受け入れられないアンチが居るのは、
信者の中にそれを「神とか宗教を恐れない信長は凄い」みたいな褒めかたをする人が居るからじゃないかな。
328人間七七四年:2007/03/14(水) 11:10:42 ID:C4om8zEe
>>327
そんなの言い訳にもならんよ、あいつらがムカつくから全否定してやるなんて歴史を学ぶ態度じゃない。
学ぶ気がないなら別にいいんだけどね。
329人間七七四年:2007/03/14(水) 12:25:27 ID:zwg5EnnN
>>304
あんなもん読むな(w
330人間七七四年:2007/03/14(水) 12:28:01 ID:4gxkJGl8
三英傑は共に時代の覇者として優れた人物だと思うが

>>323の書き込み内容に似たような事を目にする事がママ有るが

信長のレールに乗っただけっていうけど
逆に言えば、信長は、天下統一の基礎までしか出来ず
天下統一、泰平の世の基礎作りはできない人物どまりだったわけだ

家康は秀吉、信長がいなければ幕府建設など出来なかったろう
だが、秀吉、信長にはそれは出来なかったのが事実

意味ないんだよ、レールに乗ったかどうかなんて
いかな状況で有れ、状況を利用し、統治できるのが有能な人物
信長が畿内の先進的な政治を真似たように

信長が秀吉、家康より抜きん出た英傑にはならないと思うが
331人間七七四年:2007/03/14(水) 12:46:31 ID:2KFWF5sp
信長だってイエズス会の敷いたレールがなければ、天下統一など夢のまた夢だからな。
332人間七七四年:2007/03/14(水) 14:57:27 ID:qnSwdzNv
イエズス会なんて信長にとっては手駒の道具にすぎんだろ
333にゃんこ:2007/03/14(水) 23:06:46 ID:InwmZIHu
当時、ある程度有能な人物なら

1,検地をもっと厳しくして、動員兵数を確定させ、やがては兵農分離したい。
2,できるのなら、寺社勢力の経済力を奪いたい。ソフトに楽市楽座か、ハード
  に一向一揆と対決するか。
3,鉄砲欲しい。鉛弾は体内でひろがるから、殺傷力抜群。
4,小者に功を立てさせて、有力家臣に対抗させたい。中央集権をめざすため。

なんて、方向性は見えていたんだろう。
「信長のレール」じゃなくて、「戦国大名の成長」なんだよな。
334人間七七四年:2007/03/14(水) 23:30:34 ID:Dg9K2p+s
どの大名も無能で何やってもダメだから勢力拡大が
遅かっただけで信長は普通

ってこといいたいのか?
335にゃんこ:2007/03/14(水) 23:47:57 ID:InwmZIHu
教科書に書いてあるね。「戦国大名とは実力で支配した人」
戦国大名として10年維持できるだけでも、凡人ではない。
まして、武田信玄も毛利元就もあいつもこいつも有能だ。
しかし、地政学的に、信長が有利だったんだな。
当時は、日本人が、丘陵・山麓から大河川下流域に降りてくる時代。ただし、中京
以西。だから、濃尾平野こそ最大の新興農地・新興市場。
信長が尾張の多くを統一したとき、高度成長期に20代でトヨタの社長になった
ようなもんだったんだよ。ただし、日産みたいに一向一揆組合が強いので困ったが。
しかも、尾張は、西日本なみの経済力を持ちながら、東日本の縦社会体質が強い。
権門体制っぽさが少ないんだよな。
336人間七七四年:2007/03/14(水) 23:51:29 ID:24mr3Mt3
戦国末期において、格地域において統一政権が出来つつある中、
他地域に触手を伸ばして、ある程度成功を収めているのが信長。

他の大名は、地域の統一は出来ても、なかなかそれ以上進めない。
例え進めたとしても、一代では時間が足りない。
尾張という場所と、信秀、信長と続いたのが良かった。

信長が評価高いのはうなずけるけど、それ以上に秀吉こそ偉人。
337人間七七四年:2007/03/15(木) 00:15:03 ID:5LuVMvQI
信長は実像だけでも十分有能なんだから無理に神格化したり持ち上げる必要は
ないと思うんだがなあ。なぜに織田厨の人はあんなに攻撃的なのか。
他の戦国大名のいいところも評価して、その中の一人としての信長の長所と短所を見て
妥当な評価をするのがいいと思うんだがなあ。
338にゃんこ:2007/03/15(木) 00:18:04 ID:NPZccZtX
336>

そうだな。秀吉の方がすごいな。波があるけど、山崎では、宣伝。(天正記によると
大返しは半分ガセらしい。)。賤ヶ岳では速度。小田原では補給。と、兵理を
実戦から抽出して拡大実施しとるよね。すごいわ。
339人間七七四年:2007/03/15(木) 00:20:14 ID:eZuYkETq
厨が攻撃的なのはなにも織田に限らないが。

だからこその厨だし。
340にゃんこ:2007/03/15(木) 00:24:00 ID:NPZccZtX
338>

自己スレ

準備が無かったので、多くが脱落して、秀吉は1万余りしか、畿内に連れて来れ
なかったらしい。しかし、
「信長は生きている」といデマで畿内の諸将が光秀になびくのを防ぎ、
「秀吉が帰って来た」という報で摂津衆や四国遠征軍の1万数千人を配下に納めて
 山崎戦での主力とする。
神技やで。

しかし、調子に乗りすぎる時もあるけどな。

341人間七七四年:2007/03/15(木) 00:30:50 ID:G6IT6CMI
>>333信長以外にもやったはずというが実際信長しかやってない以上それはIFでしかない。
342人間七七四年:2007/03/15(木) 00:34:09 ID:ZZXTVpRr
尾張を統一して外部からの侵略を抑えたから経済的な利益を享受できたんだが
343人間七七四年:2007/03/15(木) 00:41:15 ID:5LuVMvQI
>>341
でも信長が甲斐に生まれていれば楽々天下をとったはずだと平気でいう織田厨も
いるんだよなあ。>>341に聞きたいのだが、武田は当時としても珍しい貨幣鋳造をして
いるのだが、信長が甲斐に生まれていたら同じ事をやらなかったと思うかい?
それはIFでしかないと切り捨てられるかい?一つの事業をやれるかどうかは
立地条件とかにも左右される。1と4は他の大名も結構やっているが、2と3は立地的な
条件が重要になる。能力だけじゃあないものもあると思うのだが。
344人間七七四年:2007/03/15(木) 00:47:17 ID:5LuVMvQI
>>342
武田信虎なんか甲斐を統一して外部からの侵略を抑えても
飢饉や水害に悩まされ、土地もやせてて、国内整備も未完成でおおわらわに
ならざるをえなかったんだが。結局これらの問題は信玄まで引き継がれ
その行動を絡めとることになる。
345にゃんこ:2007/03/15(木) 00:47:58 ID:NPZccZtX
341>

やってるよ、ほかの大名も。今川や北条は検地を厳しくした。差し出しだけど。
六角は楽市楽座を始めた。武田勝頼は長篠城を鉄砲でボコボコにした。
調べたら、こんなのいっぱい出てくるぞ。
346人間七七四年:2007/03/15(木) 00:49:56 ID:ZZXTVpRr
>>344
その分他国から攻められるリスクは低いな
347人間七七四年:2007/03/15(木) 00:54:40 ID:5LuVMvQI
>>346
あの・・・本気でいってる?
信虎の時代には北条やら諏訪やら今川やらに攻められて大変だったんだけど。
信玄時代に甲斐に攻め込まれなかったのは三国同盟を始めとする外交
軍事力の強化があるわけで。
348にゃんこ:2007/03/15(木) 01:00:58 ID:NPZccZtX
訂正。
六角は楽市。楽座はにゃんこは知らん。
349人間七七四年:2007/03/15(木) 01:03:18 ID:G6IT6CMI
>>343
だからそう言うのは意味ないんだよ。
実際信長はそこで生まれ育った以上甲斐に生まれたらなんてのはIFでしかない。
350人間七七四年:2007/03/15(木) 01:05:36 ID:G6IT6CMI
>>345
他の大名に1から4までやった奴はいるのか?
いたなら教えてくれ。
351人間七七四年:2007/03/15(木) 01:13:21 ID:fkZC/MsF
>>にゃんこ
なあお願いだから数字の前にアンカー付けてくれよ
なんかこだわりでもあんの?

独り言言ってるだけならともかくこういうスレでアンカーが見えないと
いちいちもどってレス確認しなきゃいけないんで物凄く読みにくいんだが、
352人間七七四年:2007/03/15(木) 03:04:22 ID:iP8oQkE5
NGにするといいと思う
353人間七七四年:2007/03/15(木) 04:37:43 ID:0TN5uIrp
>>352
でもココの主力だからなw
他スレみたら信長の戦術手腕褒めててただのアンチではないんだなぁと思った。
まぁ>>333のように「戦国大名の成長」というよく分からん表現するような奴だから気を付けないといけないが。
実際、それらの段階を踏んで成長できた大名なんて当時どれほどいたことか。
354人間七七四年:2007/03/15(木) 05:24:22 ID:1kDgRbae
武田信玄も虐殺行為自体している
355人間七七四年:2007/03/15(木) 09:04:19 ID:5LuVMvQI
>>349
その理屈でいうと信長の可能性は天下統一までいくものではなく、
天下を統一した秀吉や、強固な統一体制を作り上げた家康に劣る人物ということに
なると思うのだが。信長がいなければ〜というのもIFになるのだから。
356人間七七四年:2007/03/15(木) 09:47:22 ID:5jue/Bw3
天下統一の道筋をつけた創業者ってことと、現代人ウケする派手な振る舞い
を考えたら、最大限に評価されていい人物だと思う。
357人間七七四年:2007/03/15(木) 10:01:46 ID:5LuVMvQI
天下統一の道筋をつけた創業者ってことで評価するのはまだしも
現代人ウケする派手な振る舞いを考えて最大限に評価するというのは
明らかに過大な持ち上げじゃないか?
358人間七七四年:2007/03/15(木) 10:12:48 ID:XoYSqbeL
織田軍の鉄砲配備率が他大名より低かったってのは考えに入れといてな>「派手な振る舞い」
359人間七七四年:2007/03/15(木) 10:13:29 ID:fX8/Z4Zs
信長ですら>>333の1〜4を全てやったわけではないw
360人間七七四年:2007/03/15(木) 10:21:53 ID:5LuVMvQI
特に兵農分離はやってなかったっぽいしなあ。
361人間七七四年:2007/03/15(木) 10:37:33 ID:G6IT6CMI
>>355
そんなの信長死後なんだから劣るに決まってるだろ、しかし秀吉、家康は明らかに信長の手法を取り入れたし、元祖が二代目に劣るのは別に不自然じゃない。
そもそも優劣つける自体ナンセンス。
>信長がいなければ〜というのもIFになるのだから。
なぜ?
362人間七七四年:2007/03/15(木) 10:44:24 ID:5LuVMvQI
>>361
いや、君は可能性はどうあれ、実際そうである以上IFに過ぎないといっているじゃないか。
信長がいなければどうなっていたか、信長が生きていたらどうなっていたかという
可能性はあるが、実際に信長は本能寺で死んで秀吉や家康が天下を取った。
そうである以上信長がいない場合をいうのもIFという事になるだろう。君の理屈では。
363人間七七四年:2007/03/15(木) 11:14:01 ID:G6IT6CMI
>>362
ちょっと話しが噛み合ってないが
>信長がいなければ〜ってのは信長がいなければ何何がなされなかったってこと?
それとも>信長がいなければ〜は信長がいなかったらって意味なの?
364人間七七四年:2007/03/15(木) 11:58:31 ID:QL6TySho
信長って重商主義に移行しようとしていた日本経済を重農主義に押し戻した張本人だ。
365人間七七四年:2007/03/15(木) 12:01:57 ID:5LuVMvQI
>>363
君は他の優秀な大名も立地条件次第では信長に近いことができた可能性と
信長が甲斐に生まれていれば信玄に近いことをやったであろう可能性を
現実の事象からIFだといって否定している。
しかし君は信長がいなければ、そして信長が本能寺で死ななければ家康や秀吉の
天下も無かったという可能性についてはIFとして切り捨てていない。
現実の事象として信長は紛れもなく本能寺で死に、家康や秀吉が天下をとったにも
かかわらず。
それがひどく矛盾した話だと感じられるんだよ。
可能性を排し、歴史上の事象だけでもって信長を他の大名より優越しているというなら
それはそれでいい。しかしその場合信長も天下統一の過程で挫折した人物であり
家康や秀吉に劣るという事になるのでは?という事。
366人間七七四年:2007/03/15(木) 12:02:53 ID:ntKt2F6/
信長の実績は十分凄いんだが
それを「革新的」だの「独創的」だの「他には無い」だの
そういう言葉で褒めたたえてるのが気に入らない。
367人間七七四年:2007/03/15(木) 13:06:04 ID:G6IT6CMI
>>363
全然矛盾してない、信長の元、秀吉、家康が勢力拡大出来たのは事実、信長が死んでから天下を取ったのも事実、だからそれ以上のIFなど所詮意味ない。
それに信長が二人に劣るのは当たり前で、二人とも信長より長生きし信長の失敗や手法を踏まえてやっているのだから当然。
第一歴史にIFはないと散々言っていたのはアンチだし、それに立地条件で信長ようになれるなら、尾張にいた他の織田家はなぜ勢力拡大が出来なかったのか?
368人間七七四年:2007/03/15(木) 13:06:51 ID:G6IT6CMI
>>363→×

>>365→○
369人間七七四年:2007/03/15(木) 13:19:10 ID:5LuVMvQI
>>立地条件で信長ようになれるなら、尾張にいた他の織田家はなぜ勢力拡大が出来なかったのか?

ちゃんとそのことについては「優秀な大名も」という条件をつけたはずだが。
立地が良くてもそれを生かしきるには偉大な才能が必要だろう。
その意味で信長は紛れもなく有能であり優秀だったと思うよ。
しかしその君のIFを切り捨てる姿勢と文の論旨なら信長は最終的に家康や秀吉に
劣るという事でいいのかい? 俺はそれで構わんけど。
歴史上において統一の過程で死んだ信長について
それ以上を求めるならそれはIFを踏まえた可能性の考察になるのわけだし。
そうなると信長は戦国時代で最も卓越した〜という事にはならないと思うが。
370人間七七四年:2007/03/15(木) 14:35:08 ID:iP8oQkE5
>>358
織田軍て?
371人間七七四年:2007/03/15(木) 15:05:07 ID:iP8oQkE5
>>ID:5LuVMvQI
>君は他の優秀な大名も立地条件次第では信長に近いことができた可能性と
>信長が甲斐に生まれていれば信玄に近いことをやったであろう可能性を
環境ごと丸々変えちゃったらそれはもうIFの枠じゃなくて史実をベースにした2次創作
そんな大ざっぱなもの考察したところで何になる?

>信長が本能寺で死ななければ家康や秀吉の
>天下も無かったという可能性については
普通はIFってのはこういう風な、物語の分岐点で限定条件をつけてやるものだろ

>君は信長がいなければ、
信長がいなかったら信行が継ぐ
こっからの猿と狸の味付けはそいつの妄想次第でどうとでもなる
372人間七七四年:2007/03/15(木) 15:42:17 ID:5LuVMvQI
俺は別に2次創作の話をしてたわけじゃないよ。
もともとの話は信長の発展や業績には能力を超えた地域的な必然性や立地条件が
あったという話だった。たとえば武田には地域的なマイナス要因があり、それは
信玄の足を絡め取った。それはたとえ信長が当主であろうと同じであり足を絡め取られた
であろう、という話だった。当時の尾張は恵まれた経済力を持ち、土地も豊かだった。
そこに位置した信長は他の地域の優秀な大名がやりたくてもやれない事をやりそれは
織田家のアドバンテージとなった。もちろん尾張を統一し、それらをやった信長は優秀だが、
彼のやった政策の多くが彼よりも先に各地でやられたものであったことからもそれらは
戦国大名の発展におけるある程度の必然性を持った流れであったが、他の優秀な大名は
立地条件の違いなどからそれらを信長ほどにやる事はできなかった。という話であって
この場合の考察は大雑把なものでいいんだよ。2次創作みたいに物語をつける必要は無い。
それをIFだといい、IFは意味が無いと否定した人がいたから議論になっただけで。
373人間七七四年:2007/03/15(木) 21:33:47 ID:5jue/Bw3
どんだけ事業を発展させた二代目、三代目よりも、
道筋を作った創業者が偉大なのは明白。

スレの流れ的に一言・・・
歴史にifはつきもの。
それを考えるから楽しい。
374人間七七四年:2007/03/15(木) 23:26:36 ID:G6IT6CMI
>>369
時代が進めば劣るのは当たり前、平安時代の人間が現代人に劣っても別に不自然ではない。
第一、秀吉や家康がここまで勢力拡大出来たのも結局は信長の功績、三英傑の内二人は信長の遺産を使った訳だ、信長がいなければ秀吉、家康といった天下人は信長が存在しなければどうにもならないし、それは単純に劣るとは言えない。
>>372
信長以外ならじゃあ誰がやれたの?
ある程度優秀とか曖昧なのじゃなくて具体的に。
375人間七七四年:2007/03/16(金) 07:14:07 ID:Xu4pqfme
たしかに具体的に聞きたいな。
有利な状況があっても(もちろん不利な状況もあったが)、それを信長ほどに活かせた武将はいなかったのは事実なわけで。
376人間七七四年:2007/03/16(金) 08:05:32 ID:Dlh+tW7p
>>374
そういった過去の人間が後の時代において通用しうるというのは
その人物が後の時代でも通用できる、というIFを含めた可能性の考察になる。
過去において優れた人物が結局時代の変化についていけない、というのもありうるわけだし。
もともと可能性の考察を否定したのはそちらじゃないか。可能性の考察を否定して
歴史的事実のみで語るなら信長は本能寺で死に、死んだ時点での能力は信長の例を見て
また自ら時間と経験をつんで力をつけた後年の秀吉や家康に及ばない事になる。
可能性を考察するならまた別の解答がでるかもしれないがね。

それから信長のような時代状況、立地条件と立場ならおもしろい活躍をしてくれそうな大名としては
尼子経久や毛利元就、長宗我部元親、北条氏康、三好長慶、
地勢やしがらみという不利が消えるなら武田信玄や上杉謙信も相当おもしろいと
思うがね。それから誤解されてる向きもあるようだが俺は別に信長の能力は否定していないよ。
信長はまぎれもなく戦国トップレベルの大名ではあると思うよ。
ただ信長に多少能力で劣ろうとも条件次第ではおもしろい可能性を持ちえた連中も
いるということだよ。
377人間七七四年:2007/03/16(金) 09:20:10 ID:Oo6721X5
いずれにせよ、「信長は戦国最高の武将ではない」という「文言」は擁護派も認めた訳だな。
378人間七七四年:2007/03/16(金) 09:53:45 ID:WxvkPOgj
織田系以外の戦国武将は結局日本史に大して影響を及ぼさず皆死んで
いったってことで業績評価なら信長が評価されるのはまあ妥当だな

個別の手法評価なら信長以外にも評価されるべき武将はたくさんいるが
379人間七七四年:2007/03/16(金) 10:47:23 ID:lSOKQW+n
織田信長が戦国最強ではなくて織田信長系列が戦国最強だろうね。
信長は人の見る目がある天才ではあるな。
それで身を崩してはいるが。
380人間七七四年:2007/03/16(金) 10:49:51 ID:4B+JQXv8
となると豊臣軍団が最強だな徳川は武田系だし
381人間七七四年:2007/03/16(金) 10:58:45 ID:lSOKQW+n
豊臣は実質、織田の後継政権だろ。
徳川は分からんでもないが、戦国最強ではなく江戸最強だな。
382人間七七四年:2007/03/16(金) 11:23:02 ID:Dlh+tW7p
まあ、その織田の強さも地勢上からくる経済力に裏打ちされた物量や装備
という面も大きいわけだけどね。
383人間七七四年:2007/03/16(金) 11:40:22 ID:lSOKQW+n
地勢だけで勢力伸ばせたら三好や斎藤、その他の織田家でも伸ばせるよ。
土地が裕福だから負けたとか言い訳にもならん。
実際、信長は不利な状況から家督ついで斎藤や今川といった同等かそれ以上の敵と対峙してるのだから。
384人間七七四年:2007/03/16(金) 11:43:14 ID:Vp4wu53D
それを強さと言うんだが
馬鹿か君は
385人間七七四年:2007/03/16(金) 11:56:38 ID:lSOKQW+n
何で?
だいたい地勢上で言ったら初期の信長は不利も不利、危機的状況だよ、弟とは対立するは他にも織田家も存在するし、今川や斎藤も狙ってる。
地勢上なら凄く不利なんだけどね。
386人間七七四年:2007/03/16(金) 12:31:55 ID:Dlh+tW7p
信長系列が最強という話じゃなかったのかな。
信長が強いことはそれは否定しないよ。
だけど織田政権の武将が皆信長並の強さをもっているわけじゃないよ。
部将たちに兵を預け、各地で多方面に作戦を展開し、多くの敵を撃破し、
領域を拡大していくにおいては紛れもなく、経済力の裏打ちと物量があったという話だよ。
387人間七七四年:2007/03/16(金) 13:09:18 ID:Vp4wu53D
>>385
しらん
>>386
それを強さと言うんだが
馬鹿か君は
388人間七七四年:2007/03/16(金) 13:13:16 ID:Dlh+tW7p
>>387
>>379から始まった流れでは織田系列の武将たちを評価していたんじゃないのかな?
物量や経済力の裏打ちは武将たちの能力とは別の問題だろう。
物量や経済力を込みにするならそれは、組織としての強さだな。
389人間七七四年:2007/03/16(金) 13:24:43 ID:lSOKQW+n
>>388
単に経済力や物量、装備、なら本願寺が凄いよ。
それに包囲した大名を合わせればそれ以上だろ。
結局のところ信長の政治力、軍事力や光秀や秀吉等の諸将の働きの方が勢力に大きく影響していた。
390人間七七四年:2007/03/16(金) 13:34:43 ID:Dlh+tW7p
>>389
包囲網打破に武将たちの力が関与していなかったとはいわない。
しかし、包囲網はいまいち連携が取れていなかったし、
君の言う事を逆説的にいうなら包囲した大名達をあわせて辛うじて
織田を超えられた。それくらい織田家の勢力はあの当時では大きかった。
信長や武将たちは有能だったろう。しかし結局包囲網は一致した行動を取りきる
事が出来ずに各個撃破され、やがて多くの局面で織田方の兵力が上回る事になる。
織田の本軍ではなく、支隊にさえ大名達の兵力が劣るようになっていく。
仮に織田に経済力や物量の裏づけがなければ包囲網打破は厳しかったろう。
いかに有能な武将たちであろうとも。
そういうことを考えても包囲網打破は偉大だと思うがね。
391人間七七四年:2007/03/16(金) 13:51:15 ID:lSOKQW+n
>>390
確かに経済力や物量を裏打ちする力があっただろう、しかしそれは福将軍を辞退し早くから堺や大津等に目をつけ、更に駿河を無視徳川と同盟を結び上洛を念頭にしてたからだ、それは最初からあったのではなく働きかけで結局は得たものだよ。
392人間七七四年:2007/03/16(金) 14:11:45 ID:Dlh+tW7p
>>391
それらは信長の戦略であってそれは別に否定しないよ。
さすがに戦国トップレベルの大名だと思うよ。
でも今話されているのは信長以外の武将たちの事だろう?
393人間七七四年:2007/03/16(金) 14:15:23 ID:lSOKQW+n
>>392
「織田信長系列」だから信長も含む。
394人間七七四年:2007/03/16(金) 14:32:30 ID:Dlh+tW7p
それじゃあ今までの話の流れが変になる気もするなあ。
395人間七七四年:2007/03/16(金) 15:00:45 ID:bQqPrn5X
>どんだけ事業を発展させた二代目、三代目よりも、
>道筋を作った創業者が偉大なのは明白。

ということは信秀の方が偉大だな。
なにしろ総領息子のお坊ちゃまが、ヤンキーにうつつをぬかしていても
後ろから斬られる心配もない優雅な青春期を与えてあげられるくらい
安定した生活を遅らせられたんだから。

信長の時代って甲子園でいえばもう準々決勝・ベスト8くらいの頃で、
数試合勝つと日本一っていう位置なんだけど、そこに行くまでに十試合
くらい勝ち続けなければいけなかったのは父親や祖父の時代なんだよな。

だから領土を倍に増やしたっていっても、一試合勝てばベスト4から二強
になれるという状況による所大なわけで、何十試合も勝ってもしょせん
県代表どまりじゃないかって前世代を馬鹿にするのは勘違いなんだよな。
関東史も早雲・氏綱、氏親、信縄・信虎、為景らに各上杉が絡む時代が
なんかロマンがあっていい感じがする。
396人間七七四年:2007/03/16(金) 15:38:32 ID:WxvkPOgj
漫画や妄想小説の類を読みすぎです
397人間七七四年:2007/03/16(金) 20:31:53 ID:/U8UXP7M
57:名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/14(水) 17:16:53 ID:KDBLamUf0
 大阪府八○市にすんでるときの道徳の時間はひどかった。
Bの擁護をするために徳川家を非難してた・・・。
398人間七七四年:2007/03/16(金) 20:31:55 ID:B6Iz9cbH
信秀が優秀なのは分かるが、信長は何十試合も勝ち続けてる大名
399人間七七四年:2007/03/16(金) 21:45:15 ID:Um4QmC7R
信長は真っ向勝負は避け続けて、相手が不調のときを狙って勝ったら
あとは逃げ回るか弱い相手に矛先を向けるっていう綱渡りを続けて
「これこの通り負けていない」と宣伝活動に精を出していた粉飾決算の
ライブドアでしょ。

だからハリボテの「戦果・売り上げ」も簡単に崩れて、身内もアッサリ
裏切る。たまたま叛乱を起こされたというよりバブルがごく自然に
破裂したというだけのこと。光秀がいなくても数ヶ月のうちに自滅
していたことは確実で、たまたま秀吉が覇権を握ったんで捏造史観で
偉大なことにされてしまったけど、光秀が毛利か顕如にでも討たれてれば
ただのバカ、よくて松永弾正程度の扱いでしょ。
400人間七七四年:2007/03/16(金) 21:58:22 ID:dF8UgnM8
400
401人間七七四年:2007/03/16(金) 22:01:03 ID:f8jWsqPL
戦争の勝ち負けだけでそこまで落ちるのなら武田はどうなるんだ?
ある程度の過大評価は認めるが他の大名が出来なかった事を行い、家康の天下統一のレールを曳いたのは確かだよ。
402人間七七四年:2007/03/16(金) 22:45:38 ID:lSOKQW+n
>>399
勝てない相手と戦うなど愚策も愚策、お前は孫子をまったく知らないようようだ。
その上なんでもありの戦国時代に今の違法行為と一緒にする幸せ回路。
まぁ戦国時代じゃ、せいぜい足軽だな、お前は。
403人間七七四年:2007/03/16(金) 22:55:59 ID:f8jWsqPL
しょうがないよ。
399は歴史を知らないんだよ。(W
404にゃんこ:2007/03/16(金) 23:24:02 ID:JvYTnD4H
1,自分の支持者の要求をかなえる。かなえるからこそ、支持される。
  この場合は武士階級の要求。
2,自分の権力を増大して(中央集権に近づけ)安定した政権を作る。自分の
  権力欲と子孫の繁栄のため。

1と2を両立させていくためには、必然的に、より厳しい丈量検地、兵農分離、
鉄砲の増大、寺社の特権の廃止(楽市・楽座、一向一揆の弱体化)・・・等々を
絶妙のタイミングと技巧で実現していかねばならない。
誰がトップに立とうともだ。
有能な者なら、その時代に必要な政策が、見えるんだな。

405にゃんこ:2007/03/16(金) 23:27:33 ID:JvYTnD4H
404の続き

信長は、結局は、丈量検地も、兵農分離もできずに、道半ばで倒れたが、長生き
していれば必ず、実行したはず。そうするしか、権力を維持できないのだ。
ただし、政策の実行の急ぎ過ぎも、支持者の反感を買う。難しいものだ。
406人間七七四年:2007/03/16(金) 23:53:25 ID:Fwznasv7
この人って戦はうまいかも知れないけど、
戦の能力って評価すべき能力か?
歴史好きな人たちって戦いの能力も評価の基準にするけど、
俺に言わせれば足軽身分から太閤の地位まで上り詰めた秀吉の方が普通に凄いと思うな。
信長なんて戦いは凄いかもシレンが、それだけの男だし。
しかも部下に謀反を起こされて自殺すると言う最後を送っているし。
407人間七七四年:2007/03/17(土) 00:34:40 ID:Hwl0K1oz
>>406
戦上手だけであそこまで行くならとっくに長尾為景や武田信虎なんかでも信長になれるわ。
暗殺されて死んだから評価が低いなんて詭弁、カエサルは親友ブルータスに殺されたから評価が低いなんて聞いた事がない。
408人間七七四年:2007/03/17(土) 11:10:27 ID:p59gUQLB
●鉄砲隊の組織化=一向宗徒(雑賀・根来衆)に学ぶ。つか、長篠後も一向宗の鉄砲隊に苦戦。
●楽市=六角、今川などが先行。つか、当時は一般的に行なわれてる。
●兵農分離=公記にある弓衆の強制移住なら、一般的な旗本軍制にすぎん。
     軍役衆という意味なら普通の戦国大名。
●選銭令=平安末期から行なわれている。むしろ、独自の貨幣を作れなかった後進性がみられる。
 ※武田信玄は甲州金貨を畿内にまで流通させ、上杉謙信も独自の金貨を領内に流通させていた。
 ※選銭令を完全に実行できていたのは北条氏領内のみ。
●宗門焼き討ち=平清盛、足利義教、松永久秀らが先に実行。
●畿内貿易港の掌握=平清盛、足利政権の真似。滅び方も似ているが。
409人間七七四年:2007/03/17(土) 11:47:17 ID:FhegpgSu
自家の生き残りや繁栄しか考えていなかった戦国時代に天下布武って思想で行動し実践したでしょ
本気で武力統一しようとしたのは信長の前にはいないよ
410人間七七四年:2007/03/17(土) 12:48:24 ID:jDYB6rKz
足利義教の方が信長より数倍偉大。
411人間七七四年:2007/03/17(土) 13:12:48 ID:Zd82TQQY
科学の発達していない時代に、
「幽霊なぞ存在せず、ましてや輪廻転生など無く今生限りの命」
という考えを持っていたのが凄いな。
現代ですら信じている人も結構いるのに。
政教分離の先駆けだし。
412人間七七四年:2007/03/17(土) 14:42:39 ID:p59gUQLB
それって室町期の常識でしょ?
当時の草子類から宗教色が一気になくなって「説話」が事実上
絶滅しているってことくらい学校で習わなかったか?

しかし信長を「政教分離の先駆け」って…(絶句)

よそのスレでも「信長は鉄砲三段撃ちの開祖」とか、わざと人にバカに
されるようなことばかり言う奴もいるが、信長厨をアホに見せるための
釣りか?
413人間七七四年:2007/03/17(土) 15:45:16 ID:3m1wR1EN
比叡山だの本願寺だの法華だの坊主を
徹底的に弾圧できたのは信長ぐらいだよね

それが政教分離に繋がるかどうかはわかんねーけどさ
少なくとも坊主が政治に口を挿めなくはなったとは思うよ
414人間七七四年:2007/03/17(土) 18:26:19 ID:p59gUQLB
だから釣りか?
415人間七七四年:2007/03/17(土) 18:53:53 ID:as4BbqY5
過大評価かどうかは別にして、
信長がいなかったら戦国時代は史実よりも続いただろうね。
信長が泥を被る形で地均しをしたからこそ秀吉は
後を引き継いで天下を平定出来たし、家康はそれを簒奪して恒久的なものに出来た。
信長が戦国時代を終結させるための、尊い礎となったのは間違いない。
416人間七七四年:2007/03/17(土) 18:57:14 ID:NtpMKUGP
↑すごい釣りだな
417人間七七四年:2007/03/17(土) 19:53:59 ID:TWeewY2l
>>408
>●楽市=六角、今川などが先行。つか、当時は一般的に行なわれてる。
先行して行ってる大名は存在したが、一般的に行われてるとは言い過ぎ、
追随して行った信長も十分先進的と言える。

>●兵農分離
織田政権下では部分的な竿入検地が行われており、畿内では村切も見られたり、
特に越前では刀狩と合わせて百姓身分の武士化の禁止が通達されており、
漸進的にだが兵農分離は行われている。

>●選銭令=むしろ、独自の貨幣を作れなかった後進性がみられる。
信長の支配してた土地は広大で、京や堺など多くの商業地・交易地を持っており、
地域的な貨幣を作る意義は薄く、さらに領内全域に渡る貨幣を作れる程の金山も保有してない、
作れというのがそもそも無理であり、これをもって後進的とみるのは無茶な話だ。
418にゃんこ:2007/03/17(土) 20:50:04 ID:eAX9bxFc
>追随して行った信長も十分先進的と言える。

都会の大名として当たり前ではないか?もちろん、当たり前のことをキチンと
できるのは有能の証だが。

>織田政権下では部分的な竿入検地が行われており

「そういう学者もいる。」だろ。それは有力学説ではないわな。

>漸進的にだが兵農分離は行われている

408も部分的兵農分離を主張しているので、反論にはなっていない。

419人間七七四年:2007/03/17(土) 21:40:22 ID:TWeewY2l
>>418
>都会の大名として当たり前ではないか?もちろん、当たり前のことをキチンと
>できるのは有能の証だが。
都会の大名ってのどの範囲までが都会?
そして当たり前と言うならその都会の大名が全部楽市楽座をしてるって証拠だしてみて。

>「そういう学者もいる。」だろ。それは有力学説ではないわな。
学説つーか史料あるけど。劒神社文書では越前の寺社に縄打ちするぞっていう
文書が残ってるし、「指出」で隠し田が発覚したから「検地」するぞ、
ってのもあるな。

>408も部分的兵農分離を主張しているので、反論にはなっていない。
408のは「どこの大名でもやってる事〜」つー論調だろ、
俺は信長の独自性を書いたから、他の大名の事例でもって否定してね。
420にゃんこ:2007/03/17(土) 21:54:22 ID:eAX9bxFc
>当たり前と言うならその都会の大名が全部楽市楽座をしてるって証拠だしてみて

ちょっと読み間違ってるな。「当たり前」を誰でもできるわけではないと書いて
あるだろ。

>寺社に縄打ちするぞっていう文書が残ってるし、「指出」で隠し田が発覚したから
 「検地」するぞ

で、丈量検地をしたのかい?「税務調査するぞ」と「税務調査した」では違うよね。

>俺は信長の独自性を書いたから、他の大名の事例でもって否定してね

「公記にある弓衆の強制移住なら、一般的な旗本軍制にすぎん。軍役衆という意味なら普通の戦国大名。」
と408は書いてるよね。
事例ったって、軍役衆とか、旗本軍制なんてのは、戦国大名に普遍的にあるものだろ。
421人間七七四年:2007/03/17(土) 22:24:27 ID:7YghzR5y
要するに「天才」とか「独創性」「革命児」とかの評価は過大(現代人が期待する英雄像)
ってことだろ。むしろ信長の専横性と残虐性をもっと評価してもいいんじゃね?
ヒトラーやポルポトなんぞ、世界史的に目じゃないと。
422人間七七四年:2007/03/17(土) 22:55:28 ID:ohhW7VSw
当たり前の使い方おかしくない?

信長は世界史的に見ればちっとも残虐じゃないだろ
423人間七七四年:2007/03/17(土) 23:03:40 ID:p59gUQLB
信長厨ってどうして同じグレーゾーンを、他人が言えば
全否定、自分が取り上げれば全肯定みたいなバカな議論を
するんだろうねえ。

会社の会議でもこんな調子で人のアイデアを潰すことばかり
やってるんだろうか。残るのは自分の歪んだ妄想が現実に
否定されるのを自分の頭の中でだけ守りきったという哀しい
妄想でしかないのに。
424人間七七四年:2007/03/17(土) 23:28:12 ID:TWeewY2l
>>420
>都会の大名として当たり前ではないか?
って書いてるよね、当たり前っていうのは当然都会の大名は多々行ってるんだろ、
行ってないならばそれは当たり前じゃないんですが?
で、どこまでが都会の大名で、どれくらいの大名が行ってたの?

>で、丈量検地をしたのかい?「税務調査するぞ」と「税務調査した」では違うよね。
ハイハイ、縄打ち後の領土を宛がうって文書も存在するからしてますねと。
あと「縄打ちするぞ」って命令を出してるわけだから、
これを否定したいならばこの命令が中止されたっていう根拠を出してね。

>事例ったって、軍役衆とか、旗本軍制なんてのは、戦国大名に普遍的にあるものだろ。
だから村切、検地、百姓身分の武士化の禁止と信長政権下での政策を書き、
それは信長独自ですよ、戦国大名が普遍的な政策じゃないですよ、
と例を出して信長の兵農分離が>一般的な旗本軍制、ではないと説明してるですが。
これを普遍的といいたいなら根拠をお願い。
425人間七七四年:2007/03/17(土) 23:33:58 ID:AFts0nDd
>420
> ちょっと読み間違ってるな。「当たり前」を誰でもできるわけではないと書いて
> あるだろ。
誰でもできないことをした信長を評価しているんだよな?
ていうか408は一般的に行なわれてると言い切っているが・・・

信長が天下統一を果たしたとしたら
農民出身の秀吉や保守的・閉鎖的なイメージのある徳川とは
違う体制を作りそうな気がして、その異質さを評して「天才」と呼ばれるんだろ?
「天才」と呼ぶのを嫌う人はその異質さを虚像だと言っているんだよな?

俺はどっちでも良いや。非凡な人だとは思うけど。
426人間七七四年:2007/03/18(日) 00:37:07 ID:0ekvU9OD
どうでもいいが、織田の嫡流は京都で滅んだんだ!
大名家として、 な く な っ た ん だ!!
無能だったん だ!
427人間七七四年:2007/03/18(日) 00:53:45 ID:LdaGpeDf
お前の理屈ではほとんどの武将が無能だな。
428人間七七四年:2007/03/18(日) 01:20:42 ID:M/qkMjjh
武田信玄>>>秀吉>>>>>その他
429人間七七四年:2007/03/18(日) 05:35:31 ID:0Me43grN
>「当たり前」を誰でもできるわけではない
こいつ朝鮮人?
誰かこの変な日本語をちゃんとした日本語に訳して下さい
430人間七七四年:2007/03/18(日) 11:26:44 ID:365BMVTf
「日本でただ一人、いや世界でも数少ない鉄砲の大量使用、兵農完全分離、
 政教分離、まさに信長は時代を超えた大天才(ソースは漫画やドラマ)」
       ↓
 それらはみな他者が先に実施していたものと指摘される
       ↓
「良いものを誰よりも早く見抜いて取り入れる信長は天才」
       ↓
 当時の他の大名もそれらを実施していて特に信長が突出していた
 わけでもないと指摘される
       ↓
「信長の兵農分離などの数値が他の大名より下だという証拠でもあるのか」
       ↓
 いくつかデータを突きつけられる
       ↓
「べつに信長だけが突出していたとは初めから言ってない。揚げ足を取るな」
431人間七七四年:2007/03/18(日) 11:42:14 ID:iiq3Dxae
あまり2chで言われてることを信じないほうがいいよ
ここの板もまちがった常識がかなりあるからね
432人間七七四年:2007/03/18(日) 11:47:39 ID:t+5chpGM
個人的には、「兵農分離」も「鉄砲大量使用」もせず、だけど20年弱の間に機内を制圧した。
となった方が凄みがあっていいと思うけどな。
だって、言葉で説明できるってことは方法論として真似ができるってことだけど、
その功績を言葉で説明できないってことは常人では真似出来ない感性があったってことなんだろうよ。
433人間七七四年:2007/03/18(日) 11:49:42 ID:365BMVTf
出た!どんな経緯からでも結論は「常人では真似出来ない」!
434人間七七四年:2007/03/18(日) 12:02:16 ID:t+5chpGM
>>433
えらい早いレスだな。よっぽど俺の解答が嬉しかったのかw

ならなぜ信長が躍進できたか説明してくれるか?
435人間七七四年:2007/03/18(日) 12:06:08 ID:Xlrv+8k3
常人で勢力拡大出来るかよ。
436人間七七四年:2007/03/18(日) 12:07:03 ID:Xlrv+8k3
>>435>>433ね。
437にゃんこ:2007/03/18(日) 13:44:53 ID:vvns7ARd
「当たり前」のことを誰でもできるわけではない

例えばだ、不良債権の処理・リストラ・・・・赤字会社のすべき「当たり前」の
事だが、なかなかできなかったよね。今だって、「当たり前」にすべき消費税の
増税もできない。


432>

その通り。
438にゃんこ:2007/03/18(日) 14:05:15 ID:vvns7ARd
424>

>当然都会の大名は多々行ってるんだろ

世見間違いだよ。にゃんこ「当たり前のことがなかなかできない」とも書いて
あるからね。

>定したいならばこの命令が中止されたっていう根拠を出してね。

その前に、「実行するぞ」ではなくて、「実行したぞ」という根拠も出してね。

>それは信長独自ですよ、戦国大名が普遍的な政策じゃないですよ、
と例を出して信長の兵農分離が>一般的な旗本軍制、ではないと説明してるですが

あんたは「信長の独自」と主張し、私や408は「流れ」と主張している。
一部で兵農分離なんてのは、多くの国人や地侍だって、軍役衆と呼ばれる、
「「武士」+「出兵の固定化された従属民」」という形で実現している。

都会(私の場合、畿内や濃尾平野)を勢力範囲とした大大名である信長は
後期(40代ぐらい?)において、他の大名より半歩進んだ政策の実施
は当たり前だと思う。(もちろん当たり前の事も有能でなければ実施できないが)
それを「信長独自」ってのは、過大評価であって、「流れの先頭」ぐらいが
適切な評価だろう。あるいは、チャート式日本史「中世末期の中央権力」
なんて表現がピッタリだろう。


439にゃんこ:2007/03/18(日) 14:08:02 ID:vvns7ARd
まあ、程度の問題でんな。
440人間七七四年:2007/03/18(日) 15:43:35 ID:LjtuHled
>>438
あのね、リストラや不良債権処理は別に先進的でも何でもない政策な訳よ、
多くの企業が行っている事であるから。
で、戦国時代の楽市楽座が当時において当たり前といえるだけの事例を出せって言ってる訳。
都会の大名の範囲といい何も答えんねお前さん。

>その前に、「実行するぞ」ではなくて、「実行したぞ」という根拠も出してね。
だから縄打ち後の領土を宛がうっていう文書もあるって書いたけど?
つーか「実行するぞ」って命令があるのに、「実行したぞ」ではないから信じられないって
子供の言い訳かよ、命令があるのだから否定したいなら「実は行っていない」っていう根拠を出せ。

>あんたは「信長の独自」と主張し、私や408は「流れ」と主張している。
違うだろ、お前さんらは軍役衆とか、旗本軍制だけを見て他の大名も普遍的って言ってるだけで、
俺は信長独自の政策>>417で挙げた訳だ。
そしてこれらの政策も普遍的だと言うのならば、他の大名も行ったという根拠と例を示せって何度も書いてるだろ、
他の大名がやってなければそれは信長独自であり、それも示せないで「当たり前だと思う」っていうだけじゃ話にもならんぞ。
つーか「流れの先頭」は独自政策じゃない限り先頭にならんだろ。
441人間七七四年:2007/03/18(日) 21:56:57 ID:E5+yLexf
信長が津軽(他でもよい)の農村の倅であったら、ただの百姓扱いだが、
豪族の倅であったからさ。
442人間七七四年:2007/03/19(月) 14:48:23 ID:kDQSFKh3
にゃんこさんにおねがいがあります

返しのレスをする際にレス番号の前にアンカー>をつけると
専用のブラウザで戻るこなく当該番号のレスが見れます 
つまり(相手のレス番号)>と書くより
>(相手のレス番号)と書いてほしいのです

専用のブラウザを使って2chを見てる人にはとてもありがたいのです
専ブラ使ってない自分は関係ないから(゚听)シラネというならおm
443人間七七四年:2007/03/19(月) 15:05:25 ID:5dgLoX7T
>「実行するぞ」ではなくて、「実行したぞ」という根拠も出してね
…どうみても行政文書が出されたら実行されてるだろ…
…支配地域であるならば…
444人間七七四年:2007/03/19(月) 18:01:55 ID:27pDOJJ6
>441
秀吉だって信長以外の大名の下では
足軽頭が関の山だと思うが。間違いなく天下人にはなれまい。
445人間七七四年:2007/03/20(火) 01:50:00 ID:aptWC7Qi
ようするに、油断して家来に殺されたバカ殿、自称虐殺魔天王だろwwwwww
446人間七七四年:2007/03/20(火) 17:57:19 ID:TqlhfTkY
>445
自称か?
447人間七七四年:2007/03/21(水) 13:03:04 ID:J39epiWA
逆に言えば秀吉が光秀を殺し「主君のあだを討ったから」という理由で
天下を取ってなければ、信長も天下取りレースの途中で脱落した
いち大名として、松永、大内、陶あたりと同列の扱いをされていた
とも言える。

少なくとも今みたいに、なんでもかんでも信長が発明した、みたいな
カン違いミーハー人気を集めることは絶対なかったろう。
南蛮かぶれも新型兵器もみんな信長以外のだいみょうがすでにやってた
ことなんだし。
448人間七七四年:2007/03/21(水) 13:04:14 ID:wjTkuJLN
↑いつまで同じこと言ってんだよwww
449人間七七四年:2007/03/21(水) 14:19:11 ID:AGmh61Nn
今日我々が描いている信長像を作り上げたのは
明治35年当時の陸軍参謀本部が作成した『日本戦史 桶狭間役』によるところが大である。

この『桶狭間役』では、信長が奇襲攻撃によって今川義元を破ったと記述している。
ところが、『信長公記』では、真っ向からぶつかったとされている。

陸軍参謀本部にとって桶狭間の戦いを奇襲攻撃とした方が、軍事の指導書として好都合であったからだ。
では何故、真っ向からぶつかった説を採用しなかったのか・・・

それは、戦力分析をした場合、つじつまが合わなくなり、戦史として参考にならなかったからだと思う。
あるいは、『桶狭間の戦い=だまし討ち』となってしまうことを恐れたのかも知れない。

実は桶狭間の戦いの真相は「信長が今川義元に降伏するともちかけて、桶狭間におびき寄せ、いきなり義元を襲った。」
のではないかという説もあるのだ。

450人間七七四年:2007/03/21(水) 14:20:59 ID:AGmh61Nn
信長と一緒に歩んできて自分なりの新しい時代の展望が見えてきた光秀
ところが、天正9年6月『明智軍規』の制定の頃をピークとして、権力をほぼ手中にした信長の言動に対して

自らの理想とする天下の安定と信長のそれとが大きく異なっていることに気付き
そして、これを許すことができなくなって行ったのではないだろうか。

信長と一緒に歩いていれば、楽だった人生、それを許せなかったところに彼の悲劇が始まったのだと思える。
信長にしても、自分を咎めるために本能寺を囲んだのが、一番、重要視していた光秀であったことに

一種の安堵感に似たものを感じたのではないだろうか。
信長の死によって、戦乱に疲労困憊した日本は落ち着きを取り戻し、桃山文化という日本ルネサンスを迎えることになった。

もし、この変がなかったならば、信長による絶対君主制の日本国家が成立し、朝鮮の悲劇も、もっと早い時期に
もっと大きな規模で行われることになっていた可能性は否定できない。そうなれば、今日のような日本の存在もなかったかもしれない。
451人間七七四年:2007/03/24(土) 00:28:22 ID:wluRp9nP
NHKその時歴史が動いた 

謙信恐るべし
〜上杉謙信 信長が恐れた戦略家〜(仮)
平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 総合

長篠の戦いで強敵武田勝頼に圧勝した織田信長を妨げる障壁は、皆無となりつつあった。
ところが織田信長を恐れもせず、立ちはだかる人物がいた。かつて武田信玄と死闘を演じた上杉謙信である。
信長は、信玄亡き武田には勝った。しかし謙信健在の上杉は一筋縄ではいかなかった。。。
452人間七七四年:2007/03/25(日) 14:32:37 ID:v050324/
>>424
とりあえずいっておくと楽市を行った大名としては
六角、今川、斉藤、北条、などがあるといわれる。
そして今川においては義元の時代に既に「商売の役以上の負担をはらっても新規の商人
は認めない。それを取り次いだ寄親も処罰する」とわざわざ仮名目録に記されていることから
豊かな都会において新規に商売を望む商人は多かったものと見え、それはやがて大名達の楽市楽座という形で現れる。
つまり都会では楽市を望む声と、したほうが利益をあげられるという戦国大名の打算があり、
流れとしてはその成立はそれほど不自然なものではなかったとおもわれる。
にゃんこ氏のいう都会の大名としては当たり前、というのはこれを指すと思われる。

検地自体は北条・今川が熱心に行っているし、織田厨がよく兵農分離ネタで叩く武田も行っている。
越前の刀狩や百姓の武士化の禁止は、越前が非常に一向一揆の勢力が強かった為、
それへの対策として出された面が強く、兵農分離というかは疑問が残る。
織田で行われた村切りってどこの事かな?教えてくれるとありがたい。
453人間七七四年:2007/03/25(日) 18:20:19 ID:NmqMju8P
>>451
上杉謙信が軍略家となw
454人間七七四年:2007/03/25(日) 19:46:02 ID:v050324/
>>434
信長が躍進できた理由についていくつか挙げてみる。
1.信長自身の能力
政戦共にバランスの良い能力。総合力なら戦国時代トップレベル。
戦では結構負けや失敗もあるが優れた勝利も多く一流の武将であることは確か。
2.地勢的優位性
こう書くと信長厨が発狂しそうなので、信長と同じく一勢力から一国を制していった
武将たちと比べてみる。
武田信虎→他国の大勢力も退け苦難の果てに甲斐一国を統一するものの、
領土は飢饉や水害に悩まされ国内整備も
未完成で経済力も未熟。結局この問題の解決は信玄まで持ち越される。
甲斐という土壌で無理に集権化を進めた事で反発を受け追放
毛利元就→大内と尼子の間を行ったり来たりしつつ勢力を拡大する事に
生涯の大半を費やす。大勢力の干渉をうまくかわしつつ安芸統一を成し遂げたのは
54歳の時。安芸をとっても大内と尼子の大勢力に挟まれる状況は変わらず、
苦労しながらも機略を駆使して中国を制圧。しかしもう寿命は尽きかけており天下は狙えず。
(続く)
455人間七七四年:2007/03/25(日) 20:02:56 ID:v050324/
尼子経久→少数の手勢で名城月山富田城を制圧しやがて出雲を統一。
その後は国内整備に精を出す。もともと出雲は豊かな地形とは言いがたいが
鉄の増産・交易などにより国力の増大を図る。宗教問題も絡んでおり、その解決にも
力を注ぐ。勢力拡大に乗り出すのは50を超えてから。しかしそもそもその時代は
他国侵攻に乗り出す時代ではなかったという意見もある。大勢力の大内と渡りあいつつ
勢力を伸ばし、中国地方に大勢力を築きあげるも寿命が尽きる。
長宗我部 元親→貧しい土佐の小勢力から身を起こし、土佐を統一。その後も四国に勢力を
拡大していき、統一を目前にする。しかし四国自体が全部で80万石程度であり、
経済力も貧しく天下には届けず。豊臣軍に敗れる。
政治においても分国法や検地の実施など優れた業績を残している。
(続く)

456人間七七四年:2007/03/25(日) 20:12:51 ID:v050324/
彼らと比べるなら信長の尾張は非常に豊かであり、経済も発展している。
実力の裏づけと京都への道程がほどよいバランスを保っている。
尾張一国を制したのは偉大だが、そこで得た力は他の一国を制した大名よりもはるかに高く、
京都への道のりの面でも優位性があった。
3.信長自身の戦略
無駄が少なく効率的な戦略によって勢力を強大化させていった。
信長包囲網が作られた時点でもその勢力は他を圧している。
経済力の高い土地を集中して狙っていき制圧していった。
457人間七七四年:2007/03/25(日) 20:20:18 ID:v050324/
4.信長の政策
他国で行われていた優れた政策を積極的に採用していった。
それは信長が獲得した経済力の高い領土とあわさって大きな国力を生み出した。
あれほど多くの戦争を行いながらも余裕をもてるだけの経済力を作り出したのは見事。
5.時代的状況
美濃の斉藤家は若くて経験不足な当主でいまいち結束力に欠けた。
畿内の三好政権も分裂しており、全盛期の面影はなし。
畿内では信長が勢力を拡大しやすい空白状態が生まれていた。
458にゃんこ:2007/03/25(日) 20:51:07 ID:vAhtsuTj
>440

452氏が、にゃんこより、うまく書いてくれたので書くネタが無くなってしま
ったが、

読み間違いの指摘
にゃんこは、不良債権の処理を革新的政策の例としてではなくて、当たり前
だが、なかなか実行できない例としている。

戦国時代に、上級家臣の屋敷を城下町に建てさせていたこと。軍役衆という
、農村で戦闘員の固定化が進んでいたこと。(出典を出せ、などと言われても
教科書的知識なので・・・)
この先に、全戦闘員の城下町集住があることは、想像に難くないよ。

信長が総合的には「先頭」だったとは思うが、レールの上の先頭だろう。



459にゃんこ:2007/03/25(日) 21:29:53 ID:vAhtsuTj
>>458

書き忘れとった。
惣村が自治を望んでいた。つまり、「年貢は払いますから、武士は村から出て
いってくれ。」
これなら、後の、城下町の集住等の兵農分離は、既定コースだよな。
460人間七七四年:2007/03/25(日) 23:03:17 ID:d31N67Ea
土地的優位性と言うが、それこそ三好長慶の方が土地的に優位だろ。
一応長慶も「ある程度優能な大名」の一人だし。
だいたい京が空白なんて事はない、長慶死後三好三人衆が足利義栄を擁立し松永を完璧に追いつめていたからほとんど京は三好の土地と言ってもいいし、信長は義昭の誘いを受けなければ出番なんてなかったし。
461人間七七四年:2007/03/25(日) 23:47:23 ID:v050324/
まず言っておくと三好長慶の地盤は四国阿波と讃岐。
2つあわせても信長の尾張一国にすら及ばないよ。
美濃尾張で百数十万石持ってから京都の戦乱に乗り込んだ信長とは条件が違うよ。
三好3人衆については松永と三好義継と泥沼の抗争を繰り広げ、東大寺の焼き討ちも
起きている。これらの争いで勢力の衰退が無かったとはいえないだろう。
実際に信長がくると裏切りも続出し、とても三好長慶の時の統制された状態での勢力には及ばない状態だよ。
462にゃんこ:2007/03/26(月) 00:36:29 ID:jCN9s6S5
畿内は、権門体制(寺社とか自治都市とか)が強すぎて、ここを基盤とした
強力な戦国大名は成立しにくいんですよ。
だから、三好の支配は、ゆるやかなもので、ピンチに脆い。
463人間七七四年:2007/03/26(月) 06:07:24 ID:DQHUfrhn
なんだかんだで、結局、信長の評価は妥当なんだろ。
早く認めろよ。
464人間七七四年:2007/03/26(月) 07:58:45 ID:i36kPWNA
「日本史上最大の独創性をもった天才」
「時代を超越した革命児」
「信長には時代的・地性的有利は無かった」
「信長はゲームでいうなら全能力100」
「後年の家康や秀吉よりも信長が上」
「信長の政策や軍制でめぼしいものは全てオリジナルだ」
こういった評価は認められないぞ。
465人間七七四年:2007/03/26(月) 10:55:00 ID:J4/lH20K
括弧内のキャッチコピーはどこに書いてあるんだ?引用、若しくはアンカーかけてくれ

被害妄想的なつまらん劣等感が荒らしの原動力だったのか
466人間七七四年:2007/03/26(月) 11:22:46 ID:i36kPWNA
さんざん信長マンセーして反論されたら荒らし扱いか?
上記のキャッチコピーに類することなんて戦国板や歴史ゲーム板いけば
多くお目にかかれることでもあるんだがね。
だいたい俺がどこの板を荒らしたんだ?そっちこそ答えろよ。
信長の過大評価を指摘すれば荒らしなのかよ。
まさに宗教の信者だな。
467人間七七四年:2007/03/26(月) 15:14:34 ID:R5+7lcjV
他はどうでもいいが秀吉、家康が信長に劣るってのは納得出来ないな。
言ってる奴は頭おかしいんじゃないの
468人間七七四年:2007/03/26(月) 15:58:36 ID:+TFEoiy5
>>452
例がたった四家のですか、それで都会の大名としては一般的とするのは無理でしょう。
流れとして楽市楽座の流れがあったのは事実だが、歴史の流れで当たり前というのと、
当時の政策として当たり前の政策とでは意味合いが違いすぎる、
>都会では楽市を望む声と、したほうが利益をあげられるという戦国大名の打算
という打算を多くの大名はしていなかったのだから、先駆者に追随した信長は先進的とい
否定にはならないね。

検地単独で見ればそりゃ行ってる大名も居る、
大事なのは刀狩+百姓の武士化の禁止を同時に推し進めた大名は他に居ないという事。
兵農分離の目的は支配階級と在地勢力の整理が目的なので、一向宗駆逐の為に兵農分離するってのは
目的まんまなので、一向宗駆逐の為だから兵農分離ではないっていうのは違う。
あと村切の例は近江の村々、これは信長の発給文書なんか色々残ってる。

>>458
>不良債権の処理を革新的政策の例としてではなくて、当たり前
>だが、なかなか実行できない例としている。
じゃあ例が適切じゃないので意味がないね。

下の段は>越前の刀狩や百姓の武士化の禁止等等、の反論になってないし、
全戦闘員の城下町集住なんて江戸時代でも行われてない。
あと惣村は侍衆も含めた自治組織であり、別に武士と相容れない存在じゃないんですが、
それが村単位として村切が進められた結果に自治組織としての力を失ったのであって、
惣村が自治を望んで兵農分離を推し進めたというのは間違い。
469人間七七四年:2007/03/26(月) 16:43:33 ID:g1ZOgyab
>>464
あんた最後は絶対そこに落ち着くよなw
なんかその主張がしっくりこないと思ってたんだが、分かった。
尾張半国から畿内を制圧した、という最終的事実を曲げることが出来ないから
最後に落ち着く結論の表現がボヤけるんだよ。
マラドーナを批判する材料として「あいつは右足で蹴れなかった!」つって喜んでるようなもん。

「日本史上最大の独創性をもった天才」
→「独創性」という言葉を足すことでとりあえず「天才」性の否定を避ける。

「時代を超越した革命児」
→「時代」「超越」という言葉で誤魔化してるが「革命児」であることの否定はせず

「信長はゲームでいうなら全能力100」
→どさくさにこんなん混ぜんなよw
似たようなレスみたことあるが、これってあなたの言った「政戦共にバランスの良い能力」を評してのことな。
ちなみに信長の野望では100が最高値じゃないからなー。

「後年の家康や秀吉よりも信長が上」
→どう言う意図でこれを挙げたのか分からんのだが、
比べようがないだろ、ってことでここに挙げたんなら、ここで言わずにそいつ本人に言ってくれ。
時期も状況も違う三人の英雄を比べて誰が優れてるかなんて分かりっこない。

「信長の政策や軍制でめぼしいものは全てオリジナルだ」
→「全てオリジナルだ。」なんてこんな書き方してるやつ見たことないんだが。
ここ以外のスレでもし居たんだとしたらいい機会だと思って一個ずつ説明してやってくれよ。
470人間七七四年:2007/03/26(月) 17:24:04 ID:i36kPWNA
>>469
とりあえず>>469さんの結論にびっくりしたので>>468さんよりも先に返答させて
頂く。解釈が自分の見解と違う。
→「独創性」という言葉を足すことでとりあえず「天才」性の否定を避ける。
俺には正直信長が何の天才なのかわからない。偉大な人物が必ずしも天才である必要は無い。
応用して成果を出す事でも十分偉大な才能だし、英雄となりうる。
政治でも戦術でも戦略でもそれとも他のなにかでもいいから具体的に信長が何の天才か
挙げられる?
→「時代」「超越」という言葉で誤魔化してるが「革命児」であることの否定はせず
否定してます。信長の用いた政策・軍制のほとんどが先に行われたものだし、直轄地が特に
大きいわけでもないし、信長に革命的な要素を見出すのは難しい。
個人的には「時代を超越した革命児」はセットで述べたつもりなんだが。
→どさくさにこんなん混ぜんなよw以下略
天下創世では100がマックスだった気もするが。アイテムつければ上になったが。最近のでは違うのか?
過大過小スレみたら100基準で全能力限りなく100に近いのをつけてるのが
いたし、他のスレでもそんな事行ってる人ちらほらいるし、正直痛すぎ。

後はとりあえず保留。
>>468さんには今忙しいので後で答えさせていただく。


471人間七七四年:2007/03/26(月) 17:27:24 ID:i36kPWNA
あと追加。
>>尾張半国から畿内を制圧した、という最終的事実を曲げることが出来ないから
最後に落ち着く結論の表現がボヤけるんだよ。

別にこれについては否定する気はないし、信長は戦国トップレベルと何度も言ってますよ。
ただ過大評価が過ぎる事が多いので述べているまで。それじゃあ。
472人間七七四年:2007/03/26(月) 17:50:58 ID:2xKekbp5
あんたさぁ偉そうに言ってるわりには一番信長のこと気にしてるよね。
信玄、元就スレに信長が出た時の脊髄反射ぶり(笑)
しかも見当外れのことを言い出すし(失笑)
473人間七七四年:2007/03/26(月) 18:26:21 ID:+TFEoiy5
>>470
天才っていう言葉は「生まれつきの並外れた優れた才能の持ち主」意味なんだから、
信長が天才とされても別に間違いじゃないと思うけど。
戦略面では尾張半国未満から天下人扱いされる大勢力になったし、
戦術面では稲生・桶狭間・長篠・朝倉追撃と優れた戦いも多く、切り取った領土も広大。
政治では楽市楽座・(部分的ではあるが)関所撤廃などの先進的な施策をちゃんと取りいれ、
人材面では優れた人材を登用する等、政治センスも優れてた。
あとは広げた領土と天下統一間違いなしの勢力にまで織田家を育てたという結果論から考えれば、
当時に置いて「天才」という評価も過大ではないだろう。

同じく革命って言葉も室町幕府を滅亡させ、時代を天下統一へと急速に激変させた信長の存在は
革命児っていうのも間違いではない、何故なら革命って言葉には「先駆者・発見者」であるという意味は無い。

ゲームの能力値は遊びだと思ってるけど、信長の評価がやたら高いは、
他にやたら高能力の人物がいる反動じゃないかね。
474人間七七四年:2007/03/27(火) 22:45:16 ID:DZzq8Vdq
>>473
天才という言葉における基準の違いだとは思うけど
仮に信長を個々の能力において天才だとすると戦国時代に結構天才がいることになってしまう。
上で誰かがいってたけど個別の手法評価なら信長のほかにも評価される人物はいる。
戦術面では信長は結構負けや失敗もある。生涯ほぼ不敗の毛利元就や、島津義弘、立花宗茂といった
連中の方が戦術面では上に思えてしまう。特に元就。
戦略面では確かに見事だが後年の秀吉や家康がいる。
政治においてもセンスに優れていたことは認めるし一流なのも認めるが手法においては
同じような事をやった大名はいるし、地勢上できなかったのもいる。
大友宗麟・武田信玄・上杉謙信・北条氏康・徳川家康・豊臣秀吉・六角定頼・今川義元
といった連中は政治では相当な業績を残している。
政治・戦略・戦術全て一流でトータルでいうとトップレベルというのはわかるが、
個々でもって天才か?というと疑問が残る。信長は「英雄」ではあるかもしれないが
「天才」かは疑問。
(続く)
475人間七七四年:2007/03/27(火) 22:56:31 ID:DZzq8Vdq
同じく革命って言葉も室町幕府を滅亡させ、時代を天下統一へと急速に激変させた信長の存在は
革命児っていうのも間違いではない、

これなんだが、旧政権を滅ぼした事と新しい政権の基礎を作った事をもって革命児と
いうなら政権の数だけ革命児が存在してしまう。
家康は革命児だったのだろうか?なんかしっくりこない。
足利尊氏は革命児だったのだろうか?これもしっくりこない。
後醍醐天皇ならまだそういえるかもしれないが。
中国的な意味なら革命は文字通り王朝交代を表すのでそれでいいかもしれないが
西洋的な意味で文字通り新しい統治体制や時代を作り出したという意味なら信長は
あくまでも従来からの武家政権の新しいものをつくるレールを造った人物であり、
改革者とはいえるかもしれないが革命児かは疑問。
日本史において革命児といえる存在なのは武家政権を創始した源頼朝や明治政府の
元勲達じゃないだろうか。
476人間七七四年:2007/03/27(火) 23:17:44 ID:DZzq8Vdq
>>468
おそくなったがレスをさせていただく。
楽市に必要な条件としてはまず第一にその土地が豊かであること、
流通に適しており商人達が集まっている事が挙げられる。
これらの条件を持つ地域をとりあえず都会という言葉であらわしていた。
しかし戦国時代は厳しい時代で貧しい地域、つまり都会じゃない地域は多かった。
そういったところでは別の方法で財テクを行わなければならなかった。
南部領とかで楽市やったって意味がない。その他の多くの大名も同じ理由。
だから
>>打算を多くの大名はしていなかったのだから
というのは違うと思う。
後、楽市楽座を行い得る条件としては従来の権門組織とかが強くないことが
挙げられる。畿内政権が楽市とかをおこなわなかったのはこれが理由。
意外に思うかもしれないが信長も畿内の座の特権を保護してその代わりに
信長への服従と奉仕を求めている。
楽市楽座を行い得たかは先進性というよりも条件にあっていたかどうかが
重要だったと思う。まったく先進性がなかったとはいわんけどさ。
477人間七七四年:2007/03/27(火) 23:30:43 ID:DZzq8Vdq
刀狩りについて勝家が行ったのは信長政権の後期だったような。
そして他の地域で行われていなかったように思えるんだが。

>>兵農分離の目的は支配階級と在地勢力の整理が目的なので、一向宗駆逐の為に兵農分離するってのは
>>目的まんまなので、一向宗駆逐の為だから兵農分離ではないっていうのは違う。

といったってその政策が本当に一向宗対策として越前でしか行われていないのは
どうだろうか?信長のほとんどの領地では兵農分離は行われていないのでは
他の大名と大した違いがないように感じてしまうのだが。
まあ、後に大規模に行われる刀狩の芽を残したという意味なら先進的といえなくも
ないのかな?結果論的な論法になってしまうが。
478人間七七四年:2007/03/28(水) 02:07:04 ID:0dIW+C8u
言葉の定義のしあいか。薄々こうなる予感はしてたがw
>>474-475
>生涯ほぼ不敗の毛利元就や、島津義弘、立花宗茂といった連中の方が戦術面では上に思えてしまう
場所も兵数もシチュエーションも全然違う戦を比較してどっちが上とは言えんなぁ。
だって考えようがないだろ、信長だったら耳川の合戦は勝てなかった、とか想像していくわけか?
だいたい別に天才っていう名称は同時代に一人しか与えてはいけない、なんて決まりないからさw
現に宗茂は天才って言われてるし、義弘も天才だと思うんならそう言っていけばいいんじゃね?
俺も元就は天才だと思うしね。
戦略に関してもそう。秀吉は天才だと思う。ただ家康は思えない。
小牧・長久手のあと秀吉に戦略面で完敗してるから。
つまり、家康の戦略力は>>473の掲示した定義にある「生まれつき」のものではないから。

>旧政権を滅ぼした事と新しい政権の基礎を作った事をもって革命児と
>いうなら政権の数だけ革命児が存在してしまう
革命児と呼ばれるものとそうでないものってのは結局、旧政権を滅ぼした男の出自の差だろうな。
革命とは簡単にいえば下のものが上のものを倒す、ということであり、
倒した男の立場が低ければ低いほどいい。
信長は尾張半国が始まりの人物であり、この人物が時の政権を倒した、のだからつまり革命。
だけでなく宗教勢力の駆逐をしてるわけでこの段階で“従来の”武家政権とは言えない。
また、元は足軽の豊臣家を元は三河国主の徳川家が倒したところで革命とは言い難いわけだ。
滅ぼそうとしたあの時点でもう力関係は完全に逆転してしまっていたしね。
479人間七七四年:2007/03/28(水) 02:10:42 ID:vICdXGTF
革命にそんな定義無いわ。
480人間七七四年:2007/03/28(水) 02:16:54 ID:7D7SQ6ax
>>474
トータルでも個別でもどっちでも良いけど、戦術面で3人・戦略面で2人・政治面で8人
しか挙げれないんだったら総人口から見て天才と評して問題ない範囲だろ、
トータルで見たらさらに比較出来る数が減る、英雄も「才知に優れ常人には出来ないことを成し遂げた人」
って意味なんだから「天才」でないけど「英雄」だ、なんてのは君の語感の問題。
また革命って意味にしっくりこないのも君の語感の問題なだけ、
西洋的な意味でも革命(revolution)は本来「政府転覆」って意味だから。

楽市楽座については結局あんたが挙げた4家しか例がないわけ?
畿内とか従来の権門組織が多い場所であるし、いわゆる都会の大名連中
の多くが行えなかった、行わなかったというのならば行った人物はやっぱり先進的でしょう。
例え信長の楽市楽座が漸進的であったにせよね。

刀狩が信長政権後期の出来事である事に何か問題が?
そして越前での施策が主だったのは織田政権の兵農分離はまだ過渡期であったからでしょう、
一気に領内全土をやるのは優れた施策とは言えない。
ただし兵農分離の傾向は越前だけに見られるのではなく、近江の惣村の軍役状や年貢関連の文書
には惣村における侍衆=在地勢力の現象が見られるので織田家全体では緩やかに進んでる。
また一部地域にせよ施策が行われてるのは事実で、他大名とは明確に違います。
481人間七七四年:2007/03/28(水) 07:26:02 ID:EMPQT0Zz
天才だけが誉め言葉だけとは思わないほうがいいと思うけどな。
天才でなくとも、信玄、家康、氏康みたいな秀才タイプだって実績残してるわけだし。
482人間七七四年:2007/03/28(水) 07:41:19 ID:EMPQT0Zz
信長の一番の天才ぶりは、何と言っても政教分離政策だろう。
一向宗や比叡山などの宗派をことごとく殺戮したところ。
日本史上でこれがあったから、江戸幕府も政教分離体制が築けたわけだし、
その結果が明治以降の近代化の速さにおいて如実に現れたと言ってよい。
もしそれらがなかったら、日本は今でもインドやチベットみたいな宗教国家のままか、
中国やロシアやアメリカの一部にされてしまってた可能性が非常に高い。
信長のこれらの現実的かつ現代的な政策を大々的にやったということは、日本史上
類を見ないもの。信長の最も非情な側面でもあるし、個人的な好き嫌いはあるけれども、
現代の視点で見ても、やはり信長の評価は得てして相応だと思う。
483人間七七四年:2007/03/28(水) 08:49:19 ID:STWMCQHH
>>466
てめーは日本語が読めねーのか
>括弧内のキャッチコピーはどこに書いてあるんだ?>引用、若しくはアンカーかけてくれ
>引用、若しくはアンカーかけてくれ
>引用、若しくはアンカーかけてくれ
ソース提示できねーならほざくなカス
484人間七七四年:2007/03/28(水) 17:33:09 ID:o15IubS+
真言宗…
天台宗…
浄土宗…
浄土真宗…
曹洞宗…
臨済宗…
日蓮宗…
485人間七七四年:2007/03/28(水) 20:14:15 ID:jWkvDWnB
>>478
とりあえず天才かどうかだが、俺が思うのは歴史的な天才という人間が
一つの時代に一つの地域にそんなにたくさんいるのはおかしいだろう、って事だよ。
他国の歴史を見てみればば一つの地域、一つの時代に個々の分野で天才と
言われる人物は一人、多くて二人ぐらいだと思うのだが。
にゃんこ氏もいっていたが歴史上の人物というのは有能な人物だ。
その有能な中で他を隔絶した才をみせるからこそ歴史的な天才といわれる。
量の関係から戦術に絞って他国の例を交えつつ話してみるが
東方遠征の時代にはアレクサンドロスに比肩する戦術的天才はいなかった。
ハンニバル戦争ではハンニバルとスキピオ。楚漢争覇では項羽と韓信。
このように一つの時代、一つの地域において天才と称される人物は非常に少ない。
信長は結構負けや失敗もあって戦術的には比肩しうるかそれ以上と思われる人物が
何人かいるのに天才とよんでいいのか疑問に思ってしまう。
これは他の分野でもいえること。
(続く)
486人間七七四年:2007/03/28(水) 20:26:33 ID:jWkvDWnB
革命の定義についてだが>>479氏もいうように
革命の定義が妙に思える。
どんな王朝や政権だって始祖はそれほど大きな力や身分を持っていたわけではないと思うが。
秀吉がどんな出自だろうと秀吉没の時点では豊臣家は紛れもなく天下様で
それを覆しても始祖の身分が低いから革命じゃなく、信長のは革命だというのは
不可解だ。それにその理屈でいうと織田をのっとり自らの政権をつくり上げた
秀吉こそ革命児と呼ばれるにふさわしいんじゃないのかな?

487人間七七四年:2007/03/28(水) 20:44:11 ID:jWkvDWnB
>>480
上記とかぶる所もあるのだが、俺は歴史的な天才という言葉を少し重く考えすぎだろうか?
総人口で見るというのは非常に壮大な考えだと思うのだが。
当時の日本の人口は千数百万人だとしてそのうち比肩する人間を数十万人くらい
名を上げられないと天才となるのだろうか?
仮に君の理屈で言うと戦国日本には信長を含めて戦術では4人、戦略では3人、政治では9人もの
天才がいるということになるのだが。>>485でも述べたが他国と比べるとちょいと多すぎじゃないか?
天才が「生まれつき並外れた才能の持ち主」というように才能に重点が置かれるのに対し、
英雄は「優れた才能を持ち偉業をなした人物」というように業績に重点が置かれるから
俺からすると信長は「英雄」というのがピッタリだと思うのだが。
優れた才能=天才というわけでもないだろう。秀才や俊才、英才というのもある。
そして君の論旨からいうと家康も尊氏も革命児で政権の数だけ革命児は存在する
という事でいいのかい?なんだか革命児という言葉の安売りになっている気もするが。
(続く)
488人間七七四年:2007/03/28(水) 21:23:55 ID:jWkvDWnB
楽市楽座についてだが、もともとは畿内の寺内町や門前町において行われていた
もので戦国大名たちもそれにならっていった。制度自体は昔から存在していた
ものだよ。それを行えたかどうかは先にあげた諸条件が必要となった。
六角がはじめたのは1549年の事。斉藤道三も城下で行った。
そして織田が始めたのは1567年に美濃を制圧して加納において出したのが
有名だが、これはもともと楽市を認められていたのを追認したものといわれている。
他にも金森も寺内町でそこで認められていた楽市を追認したものといわれる。
信長が自ら楽市令をだしたのは1577年の安土じゃなかったっけ。
戦国大名として六角がはじめてから計算しても30年近くたってから出した事になる。
これって先進的といえるのかな?美濃の井ノ口の追認をカウントしても18年だよ。
もしこれでもって信長を先進的というなら六角、斉藤、今川などは超先進的になるんじゃないか?
489人間七七四年:2007/03/28(水) 21:45:48 ID:jWkvDWnB
さらにいうと
>>兵農分離の目的は支配階級と在地勢力の整理が目的
というのなら戦国時代において各大名家においておこなわれていた家臣団の
城下町集住はどう思う?これについては朝倉をはじめとして北条、上杉、武田、
大友、大内、今川などが行っている。こう見ると兵農分離は織田の専売特許では
なかったように思えるのだが。
490人間七七四年:2007/03/28(水) 22:12:56 ID:jWkvDWnB
>>482
信長は一向宗や比叡山を根絶やしにはしていないよ。
本願寺は江戸時代に家康の政策により東と西にわかれ、
それぞれ多くの系列寺を持ちながら江戸時代を歩んだ。
比叡山もそう。というか比叡山においては家康を支えた天海が叡山の僧侶だし、
上野に東叡山寛永寺がつくられ、徳川の菩提寺としてのみならず天台宗の総本山として
宗務の実験を握り絶大な権勢を誇っている。
臨済宗の崇伝は黒衣の宰相といわれるほどの権勢を誇った。
仏教は戸籍登録制度として江戸時代の支配体制の中に組み込まれ事実上の国教に近い。
寺社の管理は幕府の重鎮である寺社奉行が勤めていたのはよく知られている通り。
江戸時代と仏教の結びつきが強かった為に反動で明治には廃仏毀釈が起きる。
信長の本願寺との戦いはにゃんこ氏もいっていたように武家勢力の代表者としての
宗教勢力との間の権力闘争という形のタイトルマッチであって政教分離とは違うと思う。
もちろんそれに勝利した信長は偉大ではあったけどね。権力闘争であったと思う。
現に一向宗と戦ったのは信長だけじゃない。上杉、朝倉、徳川などもある。
松永や三好も宗教勢力との戦いを行っているね。
491人間七七四年:2007/03/28(水) 22:27:39 ID:0dIW+C8u
>>485
>信長は結構負けや失敗もあって戦術的には比肩しうるかそれ以上と思われる人物が何人かいるのに
だから、それ以上とか以下とかはどうやって分かるんだっつうの。比肩するか否かぐらいは分かるだろうが。
で他の分野でどう言えるんだ?
戦略では信長、家康、秀吉の三人しか名前が挙がってないが?
しかもこの三名の活躍時期は全部数年単位で異なりますよ?もちろん信長が筆頭。
政治の分野で九人名前を挙げてるが、この中で朝廷の重要性に気付きこれを利用した男はいた?
地勢上できなかった、なんて言うなよ。
京都に近かったら○○もそうしてた、なんて言い出したらきりが無いから。

>>486
俺は定義の話がしたかったんじゃなくてw
人の受ける印象としてそういう傾向があるっていいたかっただけ。
あんたが
>なんかしっくりこない。
>これもしっくりこない。
と自分の主観でつらつらと述べてくれたからそれに乗っかっただけ。
秀吉に関しては
>織田をのっとり
っていう文章でもう答え出てるよね。秀吉は乗っ取った。乗っ取るのは革命とは言えないだろ?w
492人間七七四年:2007/03/28(水) 23:01:56 ID:yb54aUNK
>485
他国の歴史上天才は少ないってのは、
日本に知られていないっていうだけでは?
例えば、ルネッサンスでダヴィンチは天才として知られているだろうが、
他にも著名な芸術家は多いし、向こうではダヴィンチ同様に天才と呼ばれているかもよ?
(むしろダヴィンチを天才と過大評価だという奴もいるかも知れん)
493人間七七四年:2007/03/29(木) 00:35:29 ID:bUCguwfI
>>491
>>乗っ取るのは革命とは言えないだろ?w

そんな定義無い、革命って何だと思ってるんだ?
494人間七七四年:2007/03/29(木) 18:25:51 ID:AFGKGRsF
>>487
天才と言う言葉に「歴史的な」という形容詞を付けたがるあたり重く見すぎだと思うけど。
総人口比も別に数十万人も挙げんでいいけど、たった3・2・8人しか比較人数を挙げてないし、
トータルで被ってるの0なんだからせめて100人位挙げてからそういう事言って欲しいね。
他国との比較が気になるんだったら時代区分で考えれば?島津義弘・立花宗茂と信長は活躍時期被ってないし、
家康・秀吉も被ってない、それでも気になるならトータルで考えれば信長含め1・2人に落ち着くさ。

だからそういうのは君の語感の問題に過ぎない訳、英雄も天才も
「優れた才能を持つ人間」っていう同じ定義も持つわけ、天才はそれが「生まれつき」
であるかどうか、英雄は「その才能で事績を残した」という形容詞が付くに過ぎない。
同じく秀才・俊才・英才も「優れた才能の持ち主」って意味なだけで、
君が「天才」って言葉に幻想を持ってるから受け入れないだけの話だ。

だから戦国大名たちも習ったっていうほどの先例は無いんだよ、
座は一括統制には便利だから大名は座を保護するだけ権利関係で潤った、
そこであえて諸条件を整えた大名は楽市楽座の方が利益は大きいと見込んだ分の先見性がある。
先進的かどうかは他の比較だから、他に楽市楽座をやった大名が殆どいないんで
十分先進的と言えるだろうね、同じく今川なども超先進的と言えるね。
あと安土を築城し始めたのが1576年、安土を本拠地に定めたのが1577年っていうのを考慮してる?
それまで岐阜を本拠として行動してたんだから追認で十分だろ。。

他大名の城下町集住を否定した事は無いし、兵農分離が織田家の専売特許と言った覚えも無い。
単に織田家は独自の方法を含めて、より先進的に兵農分離をしてたって話をずっとしてるんだけど。
495人間七七四年:2007/03/29(木) 21:21:57 ID:B4AyHd+4
NHK高校講座で信長のこと詳しくやってたな。結構面白かった。
次回も秀吉だから見よう。
496人間七七四年:2007/03/29(木) 21:38:21 ID:FJErBN+S
>>491
数年単位の区切りだとさすがに細かすぎると思うが。
明らかに同時代を生きた人物なのに。それだと比べられない人物だらけになる。

朝廷の重要性についてだが、
>>地勢上できなかった、なんて言うなよ
というか意味が無い。地域争覇に明け暮れている段階では朝廷の価値を使うことは
あまり必要でない。信長だって尾張美濃で地域の覇権を争っている段階では
朝廷を使っているわけじゃないんだが。
畿内に乗り込み抑えた事がその価値を生かす契機になったんだが。
それでもなお朝廷を使ったことでもって信長並と認めるというのなら
挙げた8人の中では武田信玄は信濃守の官位を、今川義元は三河守の官位を得る事によって
国内支配の正当性を得ている。上杉謙信も何度も上洛して朝廷の権威を利用して
国内統治のための権威づくりを行っている。徳川家康、豊臣秀吉にいたっては言わずもがな。
北条氏康も大田を懐柔するために朝廷から官位を与えられるように運動しているな。
自身も左京大夫をもらっているし。

さらに朝廷を使って自らの格を上げて領内統治の為に利用したという事なら
大内義興・伊達稙宗・武田信虎・北条氏綱・大内義隆・六角義賢・赤松政村
岩城重隆・大宝寺晴時・結城晴広・大内義長・伊達晴宗・斎藤義竜・三好義継
も朝廷に運動して左京大夫の位をもらって利用している。
まさかこいつらも信長並?随分増えたな。

後段に関しては>>493さんの言うとおり定義が不可解に思える。
まあ、これに関しては堂々巡りになりそうだから答えなくてもいいよ。
497人間七七四年:2007/03/29(木) 21:58:17 ID:FJErBN+S
>>494
>>トータルで被ってるの0なんだからせめて100人位挙げてからそういう事言って欲しいね。
トータルだと後年の秀吉や家康がいると思ってるよ。
それから百人あげるというのも随分な気がするが・・・。
つまり50人くらい人数が上がってもそれは余裕で天才なのか。
戦国時代に活躍した大名の多くが天才になりそうだな。
>>トータルで考えれば信長含め1・2人に落ち着くさ。
結局トータルになるんならそれって天才というのかな?
「信長はトータルの天才である。」っていうのかい?
信長はどの分野の天才なのか、というのが最初の話題だったのにトータルになるのかな。

あと「優れた才能」の定義が強引すぎると思うのだが。
君の理屈だと
「優れた才能」=「天才」=「英雄」=「秀才」=「俊才」=「英才」
なのかい?これらの言葉全てが同じ意味だというのはさすがに強引だろう。

楽市楽座についてだが、多分君は>>417の人だと思うのだが
>>作れというのがそもそも無理であり、これをもって後進的とみるのは無茶な話だ。
と信玄や謙信の金貨鋳造との関連において条件から信長を弁護しているのに
諸条件が必要だった楽市楽座については、それをしなかった大名達より信長が先進的だと
いっている。これって酷くないか?
それから君の論だと六角達は超先進的だったのか・・・。
良かったな今川氏真。長らく愚君といわれてきたが信長を超える超先進的大名の称号は今君に
輝いた。

兵農分離に関してはまあ、そういう認識なら納得できなくもないかな。
498人間七七四年:2007/03/29(木) 22:03:40 ID:AFGKGRsF
織田家の乗っ取りは織田家をどう捉えるかで革命とも革命でないとも言えるから微妙だよ。
織田家を政権=国家と捉えた場合は秀吉の乗っ取りは革命と言える、
けれども当時の織田家は全国的な支配権を持つに及んでおらず、行政機構も未成熟であり
一つの政権と言える体裁を持っていたかってなるとかなり微妙なライン、
だから織田家っていうでかい大名を秀吉が乗っ取ったと見るならば秀吉の行動は革命とは言えない。
499中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/29(木) 22:05:48 ID:/7EsixjR
明治の御一新がなぜ革命ではなく維新と呼ばれるのか。最近の中学では教えないのか?
500人間七七四年:2007/03/29(木) 22:26:15 ID:AFGKGRsF
>>497
トータルだと合計3人だから、君の言うところの1〜2人から+1人程度で許容範囲内だろ、
ただし家康・秀吉に信長程の戦術面での実績があるかというと微妙だと思うけどな。
またトータルでも天才は天才だろ、なんで分野別じゃないと天才にならんのだか不思議だし、
分野別と勝手に定義してそれに拘ってるのはお前さんだけと気付け。
まあ分野別でも戦術4人は元就・信長と義弘、宗茂は活躍期が全然違うから話して考えれば良いさ。
それから百人云々はたった数名しか挙げてない癖にウダウダ言うから、せめて数を上げてから言えって言ってるんだが。

天才には「生まれ付いての」英雄には「偉大な事績を残した」って形容詞が付くだけで、
天才・英雄・秀才・俊才が「優れた才能」を持つ人物って意味は共通してる。
それを君は自分の語感に合わないからって駄々こねてるだけ、君は天才って言葉に何を求めてるんだ?

信長には諸条件を満たせない理由がある事を俺は書いた、
これを酷いと言うのならば君は畿内の大名の諸条件を満たせなかった理由を、
確たる根拠を添えて書けばいいじゃない。
まあ信長は物理的理由(金山が無い)の面が大きく、
楽市楽座は制度的な面だからどの大名もやってやれない事は無いけどね。
501人間七七四年:2007/03/29(木) 22:47:00 ID:HWyz75te
>>496
「同時代」は生きたが「同地理」は生きてないぞ?どうやって比べるんだ?

朝廷に関しては、どう見ても俺の勇み足か。
信長は朝廷をデモンストレーションとして利用した。
という意識がまず頭を先走っていたみたいだな。
財政再建のこととか馬揃えのこととか言いたいこともなくもないが、
まぁ他の大名の任官運動について詳しく知らないのでこれはどう見ても俺が悪いよw分も悪い。
比較すらしてなかったんだからな。ちょっと面白そうだから今度しらべとくなw

あと、
革命児の定義(どうも誤解されてる感じだが)について
>答えなくてもいいよ
と仰るが、ここ割りと重要なとこじゃないか?
答えなくてもいい、ってことは、「まぁ革命児と呼ばれることもいいか」とあなたが思ったものと認識するが。
502人間七七四年:2007/03/30(金) 00:34:34 ID:7JWmlivP
NHKそのとき歴史が動いた・第283回
「謙信 恐るべし」
放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 NHK総合

番 組 内 容

越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。
しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、
助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと
特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。
この謙信を恐れたのが織田信長だった。
信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、
この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。
そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。
しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。
謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる。
そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。
謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、
織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。
ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。
信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。
503人間七七四年:2007/03/30(金) 05:07:44 ID:9Fx7UqZQ
織田信長=シヴァ神
504人間七七四年:2007/03/30(金) 05:13:38 ID:kBiHUk2r
別に謙信が10年長く生きてても織田の進撃がほんの少し
遅れただけで全然ピンチではない
505人間七七四年:2007/03/30(金) 05:14:14 ID:9Fx7UqZQ
因みに豊臣はヴィシュヌ
徳川ブラフマー
冗談さ
506人間七七四年:2007/03/30(金) 09:56:41 ID:4ymGkirL
えっと、このスレでは初めましてになります。
私は信長の評価に甲乙つけがたいので、評価のことは他所においておいて、
皆さんにお聞きしたいことがあります。
それは「わざと信長が光秀に自分を討たせた」という可能性の有無です。
いや、戯言だと流していただいても構いませんが。
507人間七七四年:2007/03/30(金) 11:36:07 ID:1zpsWloS
擦れ違い
508人間七七四年:2007/03/30(金) 12:11:10 ID:v530jfQz
加来コウゾウが歴史雑誌に寄稿して面白い事を書いていた
講演で信長をやると必ず経営者で信長ファンの人が来て長々持論を展開し
ウンザリするんだと。革新性が素晴らしいとか、誰でも同じ話だから。

>>506 『本能寺』でしょ
509中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/03/30(金) 12:31:01 ID:d8f1gWj/
>>506
信長は天寿をまっとうしていない
その一点においてのみ考えればどんな陰謀説だって真犯人にだって
可能性は存在する。もちろんおまえの言う自作自演説もね
510人間七七四年:2007/03/30(金) 16:18:32 ID:3KYDAr8O
>>485
>アレクサンドロス・ハンニバル・スキピオ
エパミノンダスの模倣応用じゃんって突っ込まれたらどうする?
この場合も先駆者がいたから天才では無い先進的ではない
と言うことにならないのだろうか

スキピオがハンニバルを破った戦いだって騎兵の差で
戦術的にはハンニバルのカンナエとほぼ一緒なのにあなたにとっては天才か
511人間七七四年:2007/03/30(金) 19:54:27 ID:n5FXdvuH
戦史上先人の蓄積なしに独創を発揮したヤツはいないとオモ
戦争が多分に社会的な行為である以上。

独創性をもって天才と呼ぶのは、戦術・戦略においては無理な話
512人間七七四年:2007/03/31(土) 00:13:35 ID:W5rocyEl
>>500
>>ただし家康・秀吉に信長程の戦術面での実績があるかというと微妙だと思うけどな。
秀吉は数倍の浅井朝倉勢を野戦で撃破していることもある。城攻めの上手さは言わずもがな。明智、柴田相手に見せた電撃戦も見事なもの。
家康にいたっては小牧・長久手。さらに晩年の家康は政治力や謀略、家臣団統制能力などが秀逸でトータルなら十分に信長と同等以上と呼びうると思う。

>>分野別と勝手に定義してそれに拘ってるのはお前さんだけと気付け。
470において
>>政治でも戦術でも戦略でもそれとも他のなにかでもいいから具体的に信長が何の天才か
挙げられる?
から始まった会話を、それにそって話をしているのにどうしてそういう言い方ができるのか激しく疑問なのだが。
>>それから百人云々はたった数名しか挙げてない癖にウダウダ言うから、せめて数を上げてから言えって言ってるんだが。

その上げるべき数とやらが百人近くだと?そんだけ並べるなら信長は戦国大名の中で凡庸以下だろう。俺はそこまで信長を貶めるつもりはないのだが。

>>天才には「生まれ付いての」英雄には「偉大な事績を残した」って形容詞が付くだけで、
天才・英雄・秀才・俊才が「優れた才能」を持つ人物って意味は共通してる。

それではそれらの才能は皆同じだとでも?天才の定義は古くから数多の定義が唱えられているのにそれらをすべて強引に切り捨てる姿勢には驚きだね。天才という存在は特殊性をもつ故にそういった定義が起こりうる。
それから秀才は努力して能力を得た場合にこう呼ばれる、英才は優れた教育によって醸成された才能の事。いずれもちゃんと定義はある。
いわば天才とは秀才・英才などとは一線を画するほどの特殊な才能であり、それが複数人いたらおかしいだろうってことだよ。一つの時代に、一つの地域に。

>>信長には諸条件を満たせない理由がある事を俺は書いた、
これを酷いと言うのならば君は畿内の大名の諸条件を満たせなかった理由を、
確たる根拠を添えて書けばいいじゃない。

いままで散々述べてきただろう。そもそも都会といえるだけの豊かさがなければならない、流通に適していなければならない、そして権門勢力が強くてはいけない、と。
畿内は美濃・尾張他百数十万石を持って乗り込んだ信長でさえ座の特権を認めたほどの土地だよ?その土地に根付き、彼らと付き合いながらやっていかねばならず、しかも信長ほどの裏づけもない畿内勢力にどうしろというんだ?

>>楽市楽座は制度的な面だからどの大名もやってやれない事は無いけどね
やって無意味どころか有害にすらなりかねない政策を無理にやってどうするんだ?
一つの政策が有効かどうかは状況によって変わる。条件も整ってないのに「やってやれない事はない」で無理にやって被害を出せとでも?それをしなかったから悪いとでも?

513人間七七四年:2007/03/31(土) 00:14:27 ID:W5rocyEl
>>501
>>革命児の定義(どうも誤解されてる感じだが)について
>答えなくてもいいよ
と仰るが、ここ割りと重要なとこじゃないか?
答えなくてもいい、ってことは、「まぁ革命児と呼ばれることもいいか」とあなたが思ったものと認識するが

上記のように家康も尊氏も革命児で政権の数だけ革命児が存在するというような定義も世の中にはあるみたいなので、
そこまで範囲を広げるなら仕方がないのか?
と疑念を感じつつもこれ以上やっても堂々めぐりになりそうだなあ、とおもってそう書いた。
話を続けるにはまず貴方の革命児の定義が不可解に思えてしまうんだよ。

514人間七七四年:2007/03/31(土) 00:16:06 ID:W5rocyEl
>>510
>>511さんの言う事もあるし、
さらにいっておくとアレクサンドロスとエパミノンダスの戦法は別物。
エパミノンダスのはあくまでも斜線陣形により集中した重装歩兵の密集突撃が主体。
アレクサンドロスのは歩兵・騎兵・散兵を組み合わせたオーダーミックス戦法。
まあ、アレクサンドロスの軍を作り上げたのは父親のフィリッポスだけどね。
俺がアレクサンドロスを評価したのはあくまでも戦術。すなわち戦場における駆け引きの能力。
戦略的には後手に回ることもあった彼だが、常に決戦でひっくり返していったその能力は天才としかいいようが無い。
ガウガメラ・イッソス・ヒュダスペスその他の戦いを見てもその戦術能力はあの時代を圧している。

スキピオの戦歴はハンニバル戦争だけじゃないよ。
マケドニア戦役を見てもその手腕は見事なものだよ。
ザマの戦いだってカンネーと大まかにみれば同じだけど細部はちゃんとスキピオの力が現れている。
突っ込んできた戦象をあっさり壊滅させたり、ハンニバル軍の第一列を見事に撃破してみせたり、
騎兵を遠くに誘導してその間に精鋭で突破を掛けたハンニバルを見事に凌ぎきったり。
天才といわれたハンニバルの打つ手に見事なまでの応手で答え、最終的に大勝利を収めた、
故にスキピオも天才と呼んでいいと思う。大まかにみればカンネーと同じようだが、
さまざまな駆け引きを駆使して天才ハンニバル相手にそれをやってのけたスキピオの手腕は見事だと思う。
まあ、ハンニバルにも騎兵の不利はあったけどね。
515人間七七四年:2007/03/31(土) 00:49:22 ID:H4VngCHj
>>514
>すなわち戦場における駆け引きの能力。
その理論を経済その他にも適用するなら
時代時代地理状況に合わせた経済政策を行ったのであれば
その政策が使い古された陳腐なものであっても
結果的に経済力を手にした者はその能力を天才的と言っても良いってことになるんじゃ

あとザマの戦いは
騎兵の優勢、歩兵の質的量的優勢がスキピオ側にあったのだから
誰でも同じことができるとは言わないが、
「優れた才能」を持つ人物なら可能なことだと思うが

ただアレクサンドロスは・・・
歩兵が質的に優れている、ペルシア側は寄せ集めという不安要素があるにしても
圧倒的ではあるな
516人間七七四年:2007/03/31(土) 02:04:42 ID:20U/vaFw
>>513
>話を続けるにはまず貴方の革命児の定義が不可解に思えてしまうんだよ。
俺もお前の革命児の定義に納得いってないところあるしな。
まぁ、定義のしあいやりあいなんてこんなもんだろ。
しかし
>革命児で政権の数だけ革命児が存在するというような定義も世の中にはあるみたいなので、
ホント嫌味ったらしい文章書く天才だよなw

で戦術家としてどっちが上とか下とか言ってるけど、
戦ってないのにどうやって分かるんだって聞いてるんだけどこれは?
517人間七七四年:2007/03/31(土) 17:04:09 ID:HIMjigcg
>>512
秀吉の明智・柴田相手の電撃戦は戦略単位での機動戦であるし、それでも戦術の実績は2人とも2・3戦しか挙げてないけど。
そして家康がトータルで同等以上だと思うんなら信長含めて2人で君の定義と合致するんでそれで良いんじゃないの。

だからその会話ってのはお前さんが「分野別の天才じゃないと認められない」
って一人息巻いてるだけ、トータルは違うなんていうのはお前さんの認識の問題に過ぎない訳。
あとお前さんは一回辞書でもひいた方がいい、天才が秀才等と一線を画すとされるべき才能なんていうのもお前さんの俺定義に過ぎない訳。
天才と秀才等の才能の優劣なんて何の根拠もないんだよ。
んで百人云々言いたいんだったらせめて数上げてからそういう事言えっての、20人位でもいいから。

述べてないでしょ、どの大名が都会かの定義にも答えず、具体的な史料も出さずに
「抵抗勢力が強いから」と言ってるだけ、主張したいなら根拠を出せ。
「〜の大名は〜という抵抗勢力が居たので楽地楽座が出来ませんでした」ってな。
また政策を有用にするための条件を整えるのが大名の仕事だろ、楽市楽座は制度面の規制に過ぎなく、
やってやれない事は無いというのはそういう事、信長は一部座を保護したが、
抵抗勢力が強いって君が言う畿内で楽市楽座を施行したましたが。
518人間七七四年:2007/04/01(日) 01:43:52 ID:TGvCaD3i
時間がないのでとりあえず>>517さんのに答えておく。

>>あとお前さんは一回辞書でもひいた方がいい、天才が秀才等と一線を画すとされるべき才能なんていうのもお前さんの俺定義に過ぎない訳。
>>天才と秀才等の才能の優劣なんて何の根拠もないんだよ。

辞書がお好きなようなので広辞苑から引用させていただこう。
@天から与えられた才能、生まれつきの優れた才能
A平均をはるかに超えて創造の先天的能力を持つ人

@はともかくAは明らかに秀才や英才の定義には存在しないものだよ。これでも同じだとでも?
それから古くから唱えられてきた天才の定義の一部だが
@「天才は狂気だ」byチェーザレ・ロンブロージ
A「天才とは一パーセントの霊感と99パーセントの努力」byエジソン
といったものがある。@もAも明らかに秀才や英才とは被らないものだよ。
これでも天才と秀才、英才が同じものだといえるかい?

秀吉についてだが、そもそも信長だって戦術的実績は10も20もあるわけじゃないだろう。
桶狭間・天王寺・稲生・長篠(これは戦略要素大)他いくつかかな。それにこの場合の秀吉もトータルで
見ているしね。戦略的なものを含んでもおかしくはないよ。信長だってその勝利には戦略的要素を
多く絡めて勝利したケースが多いわけだし。
秀吉の戦争の実績としては明智戦・柴田戦・金ヶ崎・箕浦合戦・虎御前・三木攻め・高松水攻め・
小田原攻め等かな。数でも質でも信長に劣らぬ秀逸なものだと思うが。

>>信長は一部座を保護したが、
>>抵抗勢力が強いって君が言う畿内で楽市楽座を施行したましたが。

逆だよ。一部座を保護したんじゃなくて一部で楽市楽座をやったというのが実情だろう。
座というのはむしろ無くては困る地帯というのが戦国時代では多い。
京都において大きな威を振るっていた座としては四府駕輿丁座がある。
これは主食物である米を一手に握り、非常に息も荒く、他の座に課役をつける事さえ
あった。もともと禁裏守護の一端を扱っていた連中の流れなので武力もそれなりにある。
彼らは京都の米の下落を防ぐ為に外部の米の流入を禁止する事までやっている。
(続く)





519人間七七四年:2007/04/01(日) 02:06:12 ID:TGvCaD3i
四府駕輿丁座は非常に大きな力を持ち、米座は「諸座の上座」として扱われた。
次に北野社の麹座と寺社の問題について述べる。
北野社の麹座は幕府のバックアップを受けて大きく威をふるった。幕府が北野社を
を使っての麹ついての専売を進めようとすると当時の酒屋の後ろ盾であった
延暦寺その他をはじめとした寺社勢力が反発し、1444年に文安の麹騒動が起きる。
これは結局麹座が敗北し幕府の支配力の低下につながっていく。
これにより寺社勢力の畿内における影響力が改めて強まる。
寺社勢力及びそれに関連した勢力の特権を奪うのは厳しいものだった。
(続く)
520人間七七四年:2007/04/01(日) 02:22:09 ID:TGvCaD3i
他にも紙・染物・衣類などにおいても座の権益を守ろうという動きの強さは
うかがえる。このような連中は寺社勢力をバックに持っていることも多く
強力な存在といえる。こういった連中を内に抱えていた畠山・細川・三好と
いった連中が容易に楽市楽座に出られなかったのは無理が無い。
下手をすれば文安の麹騒動みたいになりかねんし。解体するには外部で確立された
強力な武力が必要だった。
(続く)
521人間七七四年:2007/04/01(日) 02:45:37 ID:TGvCaD3i
信長と座の関係についてだが、信長とて座を目の仇にして行動したわけじゃない。
上記でも書いたが座は必要な地域も多いからだ。
朝倉氏を滅ぼしたあと、信長は朝倉氏の行っていた統制体制が崩れたので
越前で軽物座と絹物において強制的に座を組織させている。
越前の紙座についても同じような措置がとられている。
武田氏が保護していた紺座を徳川氏が保護したり、
上杉謙信が青芋座を援助して強化することによって重要な財源としたり、
武田勝頼が大商人を保護したり、むしろ座のようなものがなけりゃ困るという
地帯が多いのが戦国時代の一側面でもある。それなのにただ楽市楽座をしなかった事を
責めるのは酷というものだろう。

他の人についてはまた後で。
522人間七七四年:2007/04/01(日) 21:49:49 ID:TGvCaD3i
>>515
アレクサンドロスは一応父から引き継いだオーダーミックスに加え自ら率いる騎兵部隊を決戦兵力とするという彼独自の戦い方を行っているな。
それから信長が治めたところは基本的に豊かな地域が多い。美濃も尾張も当時の日本有数の豊かな土地だ。
もちろん彼自身は優れた政治家で一流であることは確かなのだが、飢饉や水害に悩まされ国内整備も未完成な貧しい甲斐を地盤とし、
それらに必死こいて対処しながら富国強兵を目指した信玄や雪国越後でありながら大きな経済力を生み出した謙信と比べると
環境的に恵まれた所が見受けられる。それでもって生まれた経済力の差だけで天才としていいかは疑問が残る。
業績でいうなら上記で述べたように大友宗麟・武田信玄・上杉謙信・北条氏康・徳川家康・豊臣秀吉・六角定頼・今川義元は見事な業績を残している。

ザマの戦いは一応スキピオのほうが歩兵では兵力が少ないよ。当てにならなかった新兵部隊の事を考慮しても
ハンニバルはスキピオの歩兵が疲れているところに狙いをすまして精鋭部隊を叩き込んでいてスキピオは苦戦を強いられたが防ぎきった。
でもまあこれはやはりハンニバルのほうが上かな?ハンニバルは精鋭を投入するのはもうちょっと後にしたかったみたいだけど
新兵部隊が使いものにならなかったからそうせざるをえなかったみたいだし。
ローマの歴史家達もなんだかんだいって祖国の英雄スキピオよりもハンニバルのほうを戦術能力では若干上と評価していたみたいだし。
そうするとハンニバル戦争ではノミネートされるのはハンニバルだけか。まさしく「ハンニバルの戦争」だな。
523人間七七四年:2007/04/01(日) 21:52:40 ID:TGvCaD3i
>>516
いや、本当にそう定義する人もいたみたいなのでそう書いただけなんだ。嫌味のつもりはなかった。失礼した。
>>戦ってないのにどうやって分かるんだって聞いてるんだけどこれは?

確かにそうなのだが、いくら戦っていないからといって一条兼定と織田信長が比肩すると思う奴はまずいないだろう。
戦歴からある程度の能力を類推し評価するやり方はよく行われる。信長は優秀な武将ではあるのだが、結構負けや失敗もある。
そして彼を戦国時代の戦術的天才としてノミネートすると他国の戦術的天才であるアレクサンドロス・ハンニバル・ベリサリウスなどを
比較対象とすることになる。信長は確かに優秀だがさすがにこいつらと比較すると戦術では荷が重いだろう。
戦国からノミネートし得るとすれば多くの戦いで兵力不利を覆し、なおかつ生涯226戦ほぼ不敗の毛利元就くらいだと思うのだが。
伏兵と奇襲を主としたその戦術的能力は見事の一言だと思う。
524人間七七四年:2007/04/02(月) 01:27:12 ID:C+k2UXoc
>>523
うーん、天才戦術家の定義に「負けが無い・失敗が無い」というのが前提条件としてあるのなら
毛利元就が日本代表になるかもしれんが、ただ、
信長の負けは綺麗な負け
なんて言うつもりは毛頭ないがw退却あるいは撤退をして「負け」と評するのはあまりにも酷。
実際、それによって軍事行動を起こせなくなる、というほどの敗北はないし、
果敢な軍事行動があったが故の20年で近畿統一があったわけで、優劣を付けれるかというよりは、
結局、戦の認識として元就と信長の考え方、あるいは立場の相違、という範囲を越えないと思うんだがな。
元就は攻め込まれることが多かったが、信長は攻め取る側の方が多い。こうなると戦い方も全然違う。
まぁ、元就はあんだけ攻め込まれておいて負けてない、っていう時点で怪物だがな。
525人間七七四年:2007/04/02(月) 06:06:04 ID:U4bpSJuP
元就でFA
526退屈@親父:2007/04/02(月) 18:41:50 ID:+7f6TVp6



age



527人間七七四年:2007/04/02(月) 19:22:03 ID:slZGVo7b
>>525
たとえば信玄の戸石崩れだが、これは信玄が村上方の要衝である戸石城を攻めたが
落とせず、引き上げるところを追撃されて大損害をだした戦いだ。
これは信玄万歳の軍鑑でさえ「不手際なる戦」といい、ほぼ全ての本で信玄の大敗と
されている。この戦いでも信玄は軍事行動をおこせなくなるほどの損害はおっていないが
大敗とされる。
信長の伊勢長島の第一次、第二次も基本的に良く似た流れで進み、第一次では
柴田負傷、氏家戦死、その他多くの損害を出し、第二次では宿老の林新次郎とその郎党、
林の与力であった賀藤次郎左衛門とその郎党も討ち死にし、人足や雑兵には凍死するものも
続出している。大敗といって良いと思う。
さらに信長は道三救援戦でも義龍に山口取手介や土方彦三郎といった名のある勇士を討ち取られ
森三左衛門可成も負傷し、そこで道三討ち死にの報告が入り軍が壊乱しかけるものの
まとめてなんとか退却している。これも負けの部類に入ると思うが。
品野城の戦いでは近隣の援軍を得た松平家次に逆襲され敗北している。
河野島の戦いでも斉藤勢に大敗している。
信長を貶めるつもりはないが負けといえる戦があることも事実。
それから元就は生涯の大半を大内と尼子という二つの大勢力に挟まれながら
安芸一国の統一に力を注いだ。
そして一旦大内に変事が起き、陶に対して1555年に反旗を翻してからは11年ほどで
大内・尼子の2つの大勢力を滅ぼし中国地方11カ国を制圧し、安芸一国に加えて
百万石ほど切り取った。攻めに回った時の戦い方も大したものだと思う。
桶狭間から信長は7年ほど掛けて同等に近い美濃54万石を切り取った。
信長が優秀なのは認めるが元就と比べると戦術的には見劣りがするように
思えてしまう。

ちょいと急用が入ってしばらく書き込めないかもしれないのでご容赦を。

528人間七七四年:2007/04/02(月) 19:27:04 ID:slZGVo7b
間違えた、>>527>>524さんにあてたものだった。スマソ
529人間七七四年:2007/04/02(月) 19:36:42 ID:MRu403EB
個人的な感想だが
元就は天才とは1%の才能と99%の努力って感じで
ありとあらゆる努力と油断の無さで戦術的に優れた結果を残しているが

信長は
森部や天王寺のような奇跡的な勝利もあれば
伊勢長島みたいな敗戦もあるし、
戦略的にも浅井に裏切られ金ヶ崎から撤退とか荒木松永明智に裏切られたりする一方で
確実に領土を増やしている
異常な才を示すこともあればそんな初歩的なミスをという
正に馬鹿と天才は紙一重天才は狂気みたいな
言葉に表現されるような天才振りだと思う

誉めてるのか貶してるのか自分でも分からないがw
530人間七七四年:2007/04/02(月) 21:13:22 ID:27VXBZ89
>>518
言えるよ、@という意味があるのだから「優れた才能を持つ」て意味において、
他と共通してるって何度も書いた通り。
またチェーザレ・エジソンの例を出してるが、エジソンが言った天才ってのは「genius」
ってのは分かってるよな、そして俊才や英才が「a genius」「genius」って訳されるのも知ってるか?
彼等は別に天才と他の言葉に区別をつけて天才と言ってるんじゃないんだよ。

秀吉の戦術で少数で多数を覆したのは箕浦合戦くらいだろ、それで戦術実績で互角とは言えんだろう。
戦略実績では互角であろうけどね、まあトータルってならそれで良いよ。
それでも100年以上続いた戦国時代に合計3人程度だったら、君の言う2人から1人増える程度だが?

で、座の一連について別に他の大名を責めてるんじゃなくて、
抵抗を排除して楽市楽座を限定的にせよ出来た信長は他に比べて先進的だったと言ってるだけ。
それから言っとくけど君は一切史料を挙げてない上に、
具体的に何処の大名が、何時楽市楽座を行おうとし、何処に妨害されたかを全く書いていない、
それで楽市楽座は都会の大名にとって一般的とか通らないからちゃんと根拠を書いてね。
531人間七七四年:2007/04/02(月) 21:16:22 ID:IGQWSe00
>>527
丁度、家康が秀吉死後に武士の棟梁として諸大名の支持を受けて台頭できたように、
元就にはそれ以前30年の積み重ねが国人衆に支持されたわけで、
当時ペーペーの信長が美濃を取ったことと、
中国制圧したこととを戦術的に比較することは出来ないと思うんだが。

まぁ、そろそろめんどくさくなったから、>>529が示したように、
>正に馬鹿と天才は紙一重天才は狂気
をして信長は天才、といっても言いんじゃね?w
元就は僅かな供で寺に泊まったりとかしないだろ?
自分の兵だけで越前突っ込んだりとかしないだろ?
膳棚ごと坊主切ったりしないだろ?
532人間七七四年:2007/04/02(月) 21:30:01 ID:zbV7RIL4
戦績で一番凄いのは、武田信玄の49勝3敗20分けだと思うが

元就の225戦???ってそれ全てが元就自身が戦場で指揮した
戦いじゃないでしょ(笑)しかも中国地方限定だし、敵に大大名も
少ないまた多くの戦は大内か尼子傘下での戦いだ、明らかに過大評価
だと思うよ。
533530:2007/04/02(月) 21:37:00 ID:27VXBZ89
>>518
あとアレだけ書いてなんだけど、多分次のレスは返さないと思うから
それだけ書いとくよ。
お前さんは「信長は天才じゃない」っていう持論を崩すことは無いだろうし、
他もそういう結論ありきっぽいから多分これ以上の議論は無駄だろうからね。
またそろそろ不毛な領域へと突入してるから、これでやめとくわ。
534人間七七四年:2007/04/02(月) 21:43:03 ID:RK3nCZKy
一向一揆ってやっぱり現代で言う創価みたいなモノかな?
535人間七七四年:2007/04/02(月) 21:50:04 ID:zbV7RIL4
あの時代一番有力大名(何カ国も領有する大名)が多かった戦国末期

いかに戦略を旨く展開しつつ敵を圧倒していった大名こそが最強!!
毛利元就は所詮西のはずれのお山の大将、織田信長は畿内の雑魚敵ば
かりにてこずり、生涯信玄を恐れていました。
武田信玄は、上杉 北条 今川 織田徳川などに対して一歩も引かず
に生涯を終えた最強の大名です
536人間七七四年:2007/04/02(月) 22:17:54 ID:MRu403EB
普通天才の定義に「負けが無い・失敗が無い」ということは無いと思うけどね
また経済政策にしてもそのほかの軍制などに先駆者前例があったから天才じゃないってのも
言い出すと多くの天才が天才じゃなくなる
537人間七七四年:2007/04/02(月) 23:13:20 ID:slZGVo7b
私は一つの時代一つの地域における「天才」という言葉を
それぞれの分野における他国の天才達と比較し得る対象として捉えていました。
それで「天才」といわれる人物が一つの時代、一つの地域に何人も存在する事に
違和感がありました。
戦術においては信長は結構負けや失敗があったことから元就と比べると劣るように思え、
天才と呼ぶことにためらいがありました。しかし「一つの時代、一つの地域において天才が複数人存在する」
という定義に立たれる方々もおられるものと見え、私も少し熱くなりすぎていたかもしれません。
しかし信長を天才と定義するならそれぞれの分野において
他にも天才と定義されておかしくない業績と能力をもった優秀な人物達がいたことを
信長好きな方々にご理解いただければ幸いです。

では上にも書きましたが急用があるのでしばらく書き込みを控えさせていただきます。
538人間七七四年:2007/04/03(火) 04:25:16 ID:W1rteKFx
織田信長最大の汚点はやはり本能寺の変
豊臣最大の汚点は朝鮮出兵
徳川最大の汚点は自分で領土を伸ばせなかった事
どいつが一番馬鹿なんだろうか?
俺は豊臣の失敗こそ一番痛いと思う
国を挙げて朝鮮行って負けて帰ってきたなんて
ナポレオンのロシア遠征に匹敵する愚行だと思う
539人間七七四年:2007/04/04(水) 10:29:29 ID:hyZkIUAL
NHK その時歴史が動いた 第283回
謙信 恐るべし
放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 総合

番 組 内 容

越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。
しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、
助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと
特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。この謙信を恐れたのが織田信長だった。

信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。
そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。
しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。
謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる。
そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。
謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、
織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。
ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。
信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。
540人間七七四年:2007/04/04(水) 12:38:07 ID:zSCN33eV
過大評価ランキング

国レベルでの最高 坂本竜馬、諸葛孔明(それぞれ日本史、中国史最大の過大評価)
時代での最高 武田信玄、源義経、劉備
Aランク過大評価人物 上杉謙信、伊達政宗、長宗我部元親、関羽、趙雲、馬超
541人間七七四年:2007/04/04(水) 22:05:46 ID:VxbQxBB4
元親とはまた地味な印象だが
542人間七七四年:2007/04/04(水) 22:37:59 ID:HMacwrzP
長宗我部は過大評価してるの司馬とコーエーだけだろう。

一般人は普通知らん。
543人間七七四年:2007/04/05(木) 02:16:14 ID:fCYGFk2q
ヘタレ信長、ボコボコにやられてたなwwwwwwww・・・wwww

NHKその時歴史が動いた 第283回
謙信 恐るべし
放送日 平成19年4月4日 (水) 22:00〜22:43 総合
番 組 内 容

越後の龍・上杉謙信。生涯70回以上の合戦でほとんど負けたことがない戦の天才である。
しかし、謙信の戦は決して私欲からではなかった。彼は、戦国乱世の秩序回復を本気で志し、助けを求められば労を惜しまず駆けつけた。
その一方で、争いをなくすために国を豊かにしようと特産品の開発に力を注ぎ、越後を経済大国に押し上げた。この謙信を恐れたのが織田信長だった。
信長が謙信に贈った「洛中洛外図屏風」。近年の研究で、この中に足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれていることが判明した。
そこには、必死に謙信に媚びを売る信長の心が透けて見える。しかし信長の勢力が大きくなるにつれて、両者の関係は崩れていく。
謙信は信長と対立する足利義昭や毛利氏から「反織田同盟」の盟主となる。そして加賀・手取川で最初で最後の頂上決戦を繰り広げる。
謙信は、この戦いで信長自慢の鉄砲隊を完全に封じ込め、織田軍の精鋭部隊を完膚無きまでに打ち破り、信長を窮地に追いつめた。
ところが謙信は その直後に死去。歴史は再び信長を中心に回り始める。
信長が恐れた武将、上杉謙信の知られざる実像に迫る。
544人間七七四年:2007/04/05(木) 22:52:14 ID:REzI8yTl
こんな負け方してるのにへとも思ってない信長がある意味凄い。
545人間七七四年:2007/04/06(金) 18:00:13 ID:0z4ZnvyP
「土下座はタダや!」
546人間七七四年:2007/04/07(土) 14:28:01 ID:cJyDvaKu
秀吉は立ち回りが上手いだけで、単なる信長政策の継承者
家康は鎖国によって日本の未来に致命的な発展遅滞を招いた
547人間七七四年:2007/04/07(土) 17:38:33 ID:QmTkmTMF
鎖国は家光だよ。
548人間七七四年:2007/04/07(土) 22:45:26 ID:CJlbeyAn
リアル信長の写真見たらワロタ
549人間七七四年:2007/04/08(日) 22:32:31 ID:UtoIPPOz
なかなかの色男では無いか。当時としては
550人間七七四年:2007/04/12(木) 01:03:08 ID:WC/pYFHW
保守
551人間七七四年:2007/04/12(木) 23:41:42 ID:kYbXl83M
過大評価というか正当に評価されるべきところがおろそかで、一部の間違ったイメージが一人歩きしてるというか。
たしかに傍若無人で酷い奴だったのは確かだが。
552人間七七四年:2007/04/16(月) 04:57:15 ID:htO0U4KI
駿河 遠江 三河 たった3国70万石でどうやって2万5千の大軍を
出せたのか。。3国同盟があるとは言っても守備にある程度の
兵力は必要だろうし、
1万5千ぐらいが限界だったんではないだろうか。
対する尾張は57万石。
太閤検地の頃とは石高も違うだろうけど、
同程度の兵力で戦えた気もするが。。
553人間七七四年:2007/04/16(月) 13:45:38 ID:nfjhG4ob
石高しか見てないんじゃ話になりません
554人間七七四年:2007/04/16(月) 17:48:04 ID:mHVxZBZ7
というか、それは疑問視する声もあるな。
信長公記の年代が桶狭間だけなぜか間違っていて(1560年が1552年)
その時信長が動かせたという兵力が1552年ぐらいに信長が動かせた兵力と
ほぼ符号するらしいな。2000足らずとか。
1560年くらいの信長だったら確かにもう少し動かせても
おかしくはないんだよなあ。
555人間七七四年:2007/04/17(火) 01:26:23 ID:yhGiop1q
>>552
動員外れたのは葛山ぐらいと聞いたこともあるが
一万石で300人の動員は普通の軍役で無理をすればもっと出せないこともないし
今川は前年から遠征の準備を始めているから多少無理な動員をかけれただけな気がする

そして織田の方が当時の尾張8郡中
海西郡は今川と結んだ服部など一向宗の勢力圏
海東郡は蟹江城を落とされたことで沿岸部は今川勢力
愛知郡は鳴海沓掛中村などの南東部は今川勢力圏
知多郡は鳴海大高など北部は今川勢力圏で南部は孤立
春日井郡は品野城など東部は今川勢力圏で
丹波郡の信清は半独立状態

その上で斉藤に備え尾張の南西部沿岸部東部の今川勢力圏にも備えるのだから
今川本隊と戦える兵力が数千になるのもおかしくはない

>>554
>信長公記の年代が桶狭間だけなぜか間違っていて(1560年が1552年)
本当にそれだけなら少しは可能性あるが、実際には年数の間違いは複数ある

>1560年くらいの信長だったら確かにもう少し動かせても
それはむしろ美濃攻め時の信長にこそ言いたい
556人間七七四年:2007/04/18(水) 23:30:54 ID:wnPHBm3F
>>555
今川って尾張にそんなに領土もってたのか。
それはそうと美濃攻めの時のいくつかの戦いの兵力も確かに変だよなあ
なんか事情あったのかな?それとも大田牛一が信長にハクをつけるために
少なくしたとか?
557人間七七四年:2007/04/19(木) 02:47:30 ID:vajQIykW
>>556
細かく見ていくとそんなってほどでもないと思う

海西郡は尾張の中でも最も石高が低い地域で天保期の石高だと他の郡の数分の一
それに服部は今川に協力はしているけど今川の支配下にあるわけではない
『信長公記』では河内郡と記されていたと思うが

海東郡も蟹江が落とされたとは言え周辺豪族が今川に協力したかというと・・・
また沿岸部の湿地帯で石高としてみても・・・だし
ただ沿岸部を押えられたことは痛いだろうな
伊勢湾も今川の影響が強く、今川は沿岸部はどこでも攻撃可能ということだし

愛知郡も今川の影響下にあるのは南東部の郡境周辺、ただ熱田に近いから
織田家としては非常に脅威

知多郡は水野などは今川に従っていないので織田の動員力とはならなくても
今川の動員に寄与しそうなのは北部のみ
『信長公記』では知多郡は今川のものとされているが

春日井郡は品野城など東部の外れは今川勢力下ではあるが
中部は?だし

今川が支配しているのは知多郡を除けばどこも郡境ではある
ただ各郡に侵入されている織田としては日和見豪族なども出るだろうし
各方面を警戒しないといけないので、結果として機動兵力があの程度になる
ということは十分考えられる

上洛スレで武田徳川領を完全に2分割しているけど
あれって中立日和見などの勢力が存在しないと仮定しているんだよね

また美濃攻めの兵力だが美濃攻めで『信長公記』に兵力まであるのは
堂洞の織田勢700〜800、斉藤勢3000ぐらいなので
他の戦いは筆者か作者が別人だと思う
558人間七七四年:2007/04/21(土) 02:10:22 ID:cBjaJ9WV
こーゆうスレを読んでて思うんだが
いくら戦国時代だからと言って
領土拡大の能力に優れているものの方がトータルでも
上だという議論はいいかげん飽きたな

こーゆう武力の強さ比較だけで人物を評価し
信長よりも元就、信玄の方が優れていると言う人がいる事自体が
信長はまだまだ過小評価されていると思う
559人間七七四年:2007/04/22(日) 01:23:19 ID:Pz81MyCO
??トータルで上といいたいのか、武力の強さを比べたいのかどっちなの?
元就や信玄を挙げる人は武力の事をいってるんじゃないの?
信長が他の部分で卓越していた事は皆否定しないと思うが。
560人間七七四年:2007/04/22(日) 15:51:14 ID:0mYK/MjB
>>559
トータルに決まってるでしょうが。
本当に総合的に信長が勝ってるっていう前提で
ここのスレが成り立ってるのかよ?
561人間七七四年:2007/04/22(日) 17:22:47 ID:YD76NrIb
武力というか軍事に関する能力戦術能力じゃ
信玄は元就信長には及ばないだろ
562人間七七四年:2007/04/22(日) 17:43:57 ID:Pz81MyCO
>>560
成り立っているんじゃないか?
でもまあ、時勢や状況が味方したのも事実だし、個々の業績なら他にも評価されるべき
人物達がいるっていうのも事実だろうし。
563人間七七四年:2007/04/22(日) 23:50:15 ID:0mYK/MjB
軍事、こと平野戦に関しては義久、信玄、謙信の3人が頭一つ出てると思う
次に信長ってとこかな
戦略でみた時は、信長、元就が頭一つでててあとは同じようなもんだな
564人間七七四年:2007/04/22(日) 23:58:18 ID:NbMY4+U9
信玄、謙信にどんな実績が?
565人間七七四年:2007/04/28(土) 17:25:39 ID:JzqXGykX
信玄は三方ヶ原
謙信は手取川
566人間七七四年:2007/05/01(火) 20:41:53 ID:fyowgdx4
>>8
モーリて何やった人かよくわからん
こっちのほうが過大評価じゃないの
567人間七七四年:2007/05/01(火) 20:47:34 ID:q0zbWiUa
信長は教養がない為に、本能寺で殺された人です。

568人間七七四年:2007/05/01(火) 20:53:16 ID:fyowgdx4
大勢力になるまでは乱暴ものでよかったとおもう
そうでないとああはいかないだろう
が大勢力になってからは人間関係大事にしておけばこうもならなかっただろう
569人間七七四年:2007/05/01(火) 21:25:24 ID:LNu7pj6P
>>563
義久ってどの義久?
570人間七七四年:2007/05/01(火) 23:05:44 ID:iWxMQWI1
基本、自分の代でアボンした人だからな。
571人間七七四年:2007/05/02(水) 08:58:31 ID:YpyUGCfG
マジレスすると信長より昭和天皇東条英機のほうがいっぱい殺人してるけど
572人間七七四年:2007/05/02(水) 10:14:53 ID:JEsG9Zny
その理論なら真澄と毛の独壇場だな
573人間七七四年:2007/05/02(水) 13:57:38 ID:s+KvIlcg
信玄と謙信のほうが評価されるべきだと思う。

あと真田とか毛利。
574人間七七四年:2007/05/02(水) 17:12:57 ID:Xk2naPTA
571へ もう少し史実を勉強しなさい!
575人間七七四年:2007/05/05(土) 00:46:39 ID:sCsyt1N7
【信長こそ世界史最高の英雄である事は明白】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1173806430/

↑誰かなんとかしてやってください
576人間七七四年:2007/05/05(土) 10:25:58 ID:lueqA4hE
世の中のこと本当に分かってますかー。朝倉、浅井、今川、斉藤、足利、勝頼
、六角、他多数、皆運悪く負けたから愚将にされてしまっただけ。もし武田も
上杉も信長に負けてたら愚将にされるんだろ。
577人間七七四年:2007/05/05(土) 19:37:31 ID:ZyexHd+Q
>>566
それはあなたが無知だからwww
578名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 12:12:19 ID:1FTimHd8
家柄とか先祖自慢する人うざい Part2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1163488146/
愛知の糞田舎でのいやな思い出。
織田の家臣末裔とかで、えらく威張ってる連中がいた。
そいつらは揃いも揃って、親子で公務員。当然縁故なんだろうが、
まあ六でもない碌でもない。
地域の行事に新住民を強制参加させ、家臣扱い。
忠義を示す新住民を見て、地域の有力者が殿様気分。

そいつらのガキが質悪くて、バイクを窃盗しようが、なんのお咎めもなし。
苛めも当然あり。学校の先生もそいつらの苛めはまったくスルー。

後にその糞ガキ、窃盗バイクで暴走中に、事故。運転してた
農協有力者の孫は志望、糞ガキは片足切断で障害者wwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

愛知県小牧市の職員で苗字が「林・丹羽・大須賀・野田・平手」
は怪しいな。
579人間七七四年:2007/05/18(金) 03:11:37 ID:UE5d7MV/
そういう奴はもっと無名な奴じゃね?
580人間七七四年:2007/05/18(金) 12:09:02 ID:/r9T41Tz
>>37
12250人虐殺 3万から4万人を奴隷捕虜にしたの間違いでは?(越前一向一揆)
「信長公記」にはそう記述してあるが?
間違いか?
581人間七七四年:2007/05/20(日) 11:32:54 ID:YcwAF/WI
軍略ではどう考えても武田信玄一人が抜きん出てると思いますね。
富国強兵を一番実践し、野戦の天才と言われてるが、生涯の戦の
8割方は城攻めに費やしている、そう一番勝つのが複雑な城攻めに
582人間七七四年:2007/05/21(月) 22:22:36 ID:P+BvuN78
でも天下を取れなかった。
583人間七七四年:2007/05/22(火) 01:40:47 ID:YryRHKDZ
城攻めに費やしてるからダメなんだよね
584人間七七四年:2007/05/22(火) 22:23:16 ID:HRsM7z3n
信長も頼朝もインドのアーリア系クシャトリアマラ族の出身だと聞いたが?
日本の武士制度はインドに起源があるとある本に書いてあるが
真偽の程は定かではないな。因みにマーラ=天魔
585人間七七四年:2007/05/25(金) 03:16:32 ID:7oZMF8zF
>>584
その本ってムー?
586人間七七四年:2007/05/25(金) 04:02:33 ID:Gym9qULi
>>585
違う ある民俗学者の本
うそ臭いけど
別の本にも書いてあった
その本によると信長は平氏の子孫で
平氏もインドのクシャトリアの移民らしい
つまり武士って制度そのものインドに起源があるみたいなことが
書いてあった。
587人間七七四年:2007/05/26(土) 13:52:59 ID:BqXs5NWW
>586
> 平氏もインドのクシャトリアの移民らしい
つまり皇室のルーツがそれだと?
588人間七七四年:2007/05/26(土) 23:17:13 ID:boDaNn/y
天皇の男系のルーツは知らんが、母がどの民族出身かで
皇族や、臣下に下った天皇の子孫の派閥が分かれているとかなんかどっかで見たような。
589人間七七四年:2007/05/27(日) 00:16:59 ID:a16YBDeN
皇室はヘブライ人だと何かの本に書いてあったけどうそ臭いだろ?
590人間七七四年:2007/06/03(日) 16:33:00 ID:5t5B42OT
過疎ってるスレにレスつけるのも何だが・・
織田家はまぐれだの戦が下手だったの言いたい事言ってる人間がいるが
実際、信長在命中であそこまで侵略して領土を広げたり戦を経験した大名家は織田以外いないでしょう。
守りの戦や攻めの戦を経験したのは織田家だけ。
運が良かったとかまぐれとか言う人間が家臣団を率いて実際天下を目指してみれば分かりそうなものだけどね
並みの人間では不可能だし、自分の領土すら平定出来ないと思う。
信長は天才と言うより時代が彼を必要としてただけで使命が終われば天に滅しただけ
武田や上杉北条すら出来なかった事をやった織田家はやはり過大評価しても足らないだろう
彼らの功績はあまりに大きい過ぎる。
591人間七七四年:2007/06/03(日) 21:28:23 ID:M00lmXSr
普通に総合的に信玄が一番抜きん出て最強だろ、大勢力を相手に
一番有利に戦略を進めてきたのは信玄なんだし、最強と言われるが如し
信玄は城攻めに費やしてるから駄目だとか言ってた馬鹿いたけど、相手
が信玄と戦うのが不利と見て篭城しまくってただけなのも知らずに信玄
を過小評価してるんだね。
そもそもあらゆる戦略を実行するにはは家臣が統率されてないと不可能なこと
信玄だけがそれを出来ていた
592人間七七四年:2007/06/04(月) 10:15:58 ID:Tw2ADXqJ
>>591
いや、誰も晴信を過小評価してる人はいないと思うよ
人をもっとも大事にした人物だからこそ強い家臣団と軍団を作れたんだし。
ただ時代が彼を必要として無かっただけで、晴信、勝頼親子はとてつもなく有能な人物だったんだろう
それでも時代と歴史は織田家を選んだって事で、武田家が劣っているとは誰も思ってない。
593人間七七四年:2007/06/04(月) 14:38:32 ID:EXdXPGXD
>>592
>>591は信玄叩きにもっていくための釣りじゃないか?
594人間七七四年:2007/06/04(月) 15:46:44 ID:Q9Ia99iN
信長って仏教になんか恨みでもあるのかな?
実は信長って先祖が神道の偉い人みたいだから
遺伝子レベルで仏教に対する恨みが刻み込まれてたかも
595人間七七四年:2007/06/05(火) 16:56:51 ID:yySipxPL
>>594
本音は信長本人しか分からないけど、仏教曽が武装して戦をする事が
許せないみたいな事を言ってたみたいだね。
武士の真似事をして武装して抵抗する僧侶軍団が許せなかったみたい。
596人間七七四年:2007/06/05(火) 18:30:39 ID:CltNz/Ox
>>592
時代が誰々を必要とかって・・・・あんまり小説家が言ってるようなこと
真に受けない方がいいよ。
信長死後、秀吉 家康と戦国は結局続いていくわけだが、本能寺から20年
かけてやっと天下が収まるよりは、信玄があのまま存命で東海〜畿内を併合
していき強い政権を畿内で築いた方が、信玄死後も政権を引き継いだものが
天下を治めやすいと思うんだが。
597人間七七四年:2007/06/08(金) 03:15:58 ID:DcwfKkjk
信長は悪者扱いされすぎだ!
598人間七七四年:2007/06/12(火) 18:06:33 ID:EitqbKh5
          _,,,,,,,,
        , - ' ゙    `` ‐ 、_,,,,,
      ,r'          /=ミ
     /           彡ll',''´
   . /             彡lll
    !-- .、    ,、、、、,,,   彡lノ
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   . |  |   | l     / /  |  |
    |  |   | ',   / /  l  .l
599人間七七四年:2007/06/12(火) 22:17:22 ID:HeAcEdN+
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175083072/44

44 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/12(火) 18:44:29 ID:7QjByRbd0
少なくともいえるのは、信長は日本史上最大級の英雄なのに対して、
曹操は中国の英雄のなかではかなり小物だってことだよな
そんな曹操と比べられるぐらい日本の英雄はスケールが小さい

まああえていえば、曹操は部下に裏切られて殺されるような間抜けではなかったというだけ
信長よりマシ
600人間七七四年:2007/06/14(木) 03:25:23 ID:LOseepHc
こういう空気読まない奴が人の上に立つと、世の中がすごい勢いで変わっていく
ただしそれがどこに行くのかはわからないし、代わりに軋轢や犠牲も大きい

アレキサンダーしかりヒトラーしかり
601人間七七四年:2007/06/14(木) 18:28:55 ID:KAmEuEN9
 信長の成功はある時点からはただのスケールメリットだと思う。畿内を征服し
尾張、近江、堺などの商業地域を押さえたこと、輸入火薬を独占したことなど。
 家督相続後しばらくは、斎藤道三の後援を受けていた。道三の兵を借りたり、
道三が義竜に討たれた直後に、弟信行、兄信広などに叛かれていることなどがあ
る。
 滝川一益はただの浪人でなく、信長の乳母子池田恒興の従兄で近江の土豪
出身、秀吉には被差別民の大親分説あり、光秀は東美濃の大豪族の一族。みな
抜擢ではない。
 桶狭間は堂々たる大軍同士の戦い、尾張をほぼ統一した織田は50万石余で
兵力は一万五千余、今川は70万石で同じく2万1千、ほぼ互角。
 城攻めが下手でたくさんの武将を戦死させている。兄弟近親親戚縁者を陰謀
でたくさん殺しているらしい。
 
602人間七七四年:2007/06/14(木) 18:35:45 ID:KAmEuEN9
 桶狭間時点で既に伊勢に勢力を広げていた可能性は?
603人間七七四年:2007/06/14(木) 18:46:33 ID:KAmEuEN9
 信長公記も信じられない。信長は自己神格化を図り、皇位簒奪を狙った
んだから、大げさな誇張のスーパーマン伝説を作りあげるのも当たり前。
 現実世界では優れたものが勝ち残るとは限らないし、勝ったものが自己
正当化の歴史を作り上げるもんだ。
 だから信長は優れた人物だとは思うが、日本社会では過大評価の持ち
上げすぎ。
 安土城のすぐそばに、信長祖先の出身地とされる津田郷があるんだね。
祖先は津田郷の商人兼水賊という説があるけど。安土城最上層の障壁画
は易姓革命を暗示させるものばかり。
604人間七七四年:2007/06/14(木) 19:06:15 ID:TrN957g0
織田信長を無能だという人間がこき下ろすために持ち出すのは
『家臣に殺された』だの『残虐非道』だといった極めて程度の低い視点。

『家臣に殺された』ことを無能とするなら
最終的に家臣である徳川に滅ぼされた豊臣家(豊臣秀吉)や
暗殺の疑いの濃い源頼朝や足利義満あたりはことごとく無能なのか?

大虐殺を行ったスターリンや毛沢東、ポル・ポト。
彼らもその一点のみで無能だと判断されるのか?
人物のひとつの視点でその人物を全否定するのはあまりにも程度の低いことだ。


・・・なんなのその人選・・・と思ったろ!
そうなんだよ。やっぱり大虐殺者はクズばかりということだ。
605人間七七四年:2007/06/14(木) 20:13:36 ID:8PLtH7pK
安土桃山時代のホリエモン
606人間七七四年:2007/06/15(金) 01:18:31 ID:SYIU1aq+
604 そうだね 伊藤博文も坂本竜馬も暗殺されているし
カエサルも部下に暗殺されてる、
信長最大の業績って秀吉や徳川を家臣に加えていたことだと思うけど
ジョンレノン(因みにこいつも暗殺された)もポールを発掘したことが
自身の最大の功績だと語っていた。
ウィキの暗殺された有名人一覧を見ろよ、
暗殺される有名人は伝説の偉人に多いケース
むしろ光栄な事
607人間七七四年:2007/06/15(金) 01:19:35 ID:SYIU1aq+
間違えた 偉人と呼ばれる人って非常に暗殺されてるケースが多い
だった
608人間七七四年:2007/06/17(日) 09:45:10 ID:Wj989Wzh
天下統一が目前に迫った時、
本能寺で光秀に襲撃されて自身の死が確実になっても、
無様に取り乱す事も無く、愚痴や泣き言一つ言わず、
最後まで毅然として死んでいった信長。

なんとカッコいい男だろうか。

年金行政の余りの杜撰さを糾弾されると、
他党の要人に責任をなすりつける安倍晋三のような卑劣無能な小者とはエライ違いだ。
609人間七七四年:2007/06/17(日) 09:52:31 ID:4U+3oIyi
年金問題は安部総理より歴代の保険行政の方に文句を言うべきだろう・・・。
610人間七七四年:2007/06/17(日) 10:19:31 ID:z9O2Rxn8
天下をとることも大切だけど、天下をとった後に天下を、どう動かすかが、一番重要なんだ。

信長が天下をとる事だけが目的なら、戦国大名や宗教勢力と妥協すれば、もっと早く天下はとれたでしょう。

でも、信長はそれをやれば、天下をとった後自分のビジョンの妨げになると考えあえて苦難な道を選らんだと思えるよ。
秀吉や家康は天下をとったけど、ビジョンははるかに信長ょり落ちるように思えるよ。

信玄や謙信は、たとえ信長ょり戦さがうまくても、ビジョンが信長より優れてるとは思えないよ。

仮に世界武将オリンピックがあった場合。

金を狙えるのは信長だけ、予選失格になるかも知れないけど。

信長の魅力はその可能性にあるんやないのかな。
611人間七七四年:2007/06/19(火) 03:19:16 ID:oHqeDMzx
宗教勢力と最初妥協して他の戦国大名を片端からつぶしていけば
良かったと思う。1565ぐらいに天下を統一し、天下統一過程と平行し
信長教を広め、その後5年ほどかけて本願寺を狩りまくれば良かったのでは?

612人間七七四年:2007/06/19(火) 10:19:58 ID:60D7nWqj
過大評価と言うか、確かに戦国時代の全武将の中で一、二を争う位置にいるとは思うんだけど、
あまりにも、“革命児”、“天才”な面が強調されすぎて、
同時代の誰もついて来れなかった、群を抜いた存在というのはちょっと違う気がする。

よく言われる楽市楽座とか、鉄砲の活用、家柄に関係ない人材登用、既存の権威の否定と言うのは、
信長に限らず、優れた武将は多かれ少なかれ似たようなことをやっている場合が多い。
逆に言うとそういう堅実な部分をきちんと押さえていたからこそ、信長は優れていて、あれだけの勢力を築けた。

実際の戦いでも、相手より多くの兵を動員した、堅実な戦い方が多く、あまり奇をてらったものは少ない。

それと、信長を否定的に捉える場合によく持ち出される残虐性だけど、
これも他の大名で似たようなことをしている場合が少なくない。
ただ、信長の勢力が大きくなり、その分虐殺の規模が大きくなった面があるだけで。

>>610
>仮に世界武将オリンピックがあった場合。

信長は本能寺の変に倒れ、結果としては天下平定ができなかったわけで、
信長だったらきっと〜していたに違いない、というようなのはあくまでも希望的観測の域を出ることはできないから、
結果的に全国平定を成し遂げた秀吉、長期政権の礎を築いた家康とは同列に並べざるを得ない。

でも三人の天下人とも、世界史視野となると、予選失格になってしまうだろうね。
613人間七七四年:2007/06/19(火) 15:26:31 ID:S03MWLJ0
じゃあ世界オリンピックがあれば誰が優勝するのかな!?
カエサルやアレキサンダー、ジンギスカン、ナポレオンと世界史的に名をはせた人がいるけど、そんな大した人物に思えないょ。
まぁ、信長にしろ彼らにしろある意味創作もあるし真の姿をしらないから水かけ論になるんだけど。
他の英雄は神の下に我がいて我が世界の民に立っ見たいな感じがするけど。
信長の上に神仏が存在しない。
そこが、一番の凄さだょ。
614人間七七四年:2007/06/19(火) 17:44:50 ID:f7hSmguG
無神論者だから凄いって?
信長は既存宗教は超越(というか、統治のジャマと認識)していたかもしれんが、
晩年は自らを神格化することに腐心した基地外一歩手前の人間だぜ?

その上、言うに事欠いてユーラシアの半分を組み敷いたアレクサンドロスや
チンギスカンが大した人物には思えませんか? そうですか w
極東の島国一つまとめられなかった人物が、400年もたってもなんでこうも
狂信者を生むのか、現代日本の七不思議だ w
615人間七七四年:2007/06/19(火) 18:44:10 ID:RK9X5jag
なんだかんだで結果を出せなきゃ意味ないからね。
信長の結果は、全国の半ばを平定しかけたけど、家臣の謀反で殺された。
本能寺で死ななければすごいことやったかもしれないけど、
あくまで、“かも”であって希望的推測の域は超えられない。
この点で、秀吉、家康と比べて突出しているとは言いがたい。

出自に拘らない人材抜擢、楽市楽座、鉄砲の利用、既存の権威にとらわれない政策、
確かにどれも優れた政策であったが、他の大名でも似たようなことをやっていた例が、
結構あるので、革命的とか、天才的とか、そこまではいかない。

信長は、確かに戦国時代でもトップクラスの人物であったと思う。
でも、稀代の革命児とか、史上最高の天才とか、極端な持ち上げられ方を見ると、
さすがに引いちゃうよ。

ユーラシア大陸の過半を制したばかりか、
数百年に渡るチンギス統原理まで広めたチンギスハーンと比べるのは無謀でしょ。
616人間七七四年:2007/06/19(火) 18:54:32 ID:misSK1Kt
モンゴルやらマケドニアやらって、決して指導者の有能性だけで周辺を圧倒したわけじゃないし
異文明との戦いと同一文明内の戦いを同一視して良いものやら・・・
617人間七七四年:2007/06/19(火) 20:19:27 ID:YNkDtBM0
モンゴルはもともと分裂していた遊牧民の集まり。
それを統一し統制された組織に作り直し世界を制覇できるほど
強力にしたのはチンギスハーンでしょ。
遊牧民なのに城攻めが上手いとかすごすぎる。
618人間七七四年:2007/06/19(火) 21:28:26 ID:h9v2gn9n
世界史的にも極めてまれな250年もの間戦争が起きなかった江戸時代の創始者である
家康は世界オリンピックがあれば優勝できる種目があると思う
619人間七七四年:2007/06/19(火) 22:19:51 ID:RK9X5jag
そういう点なら、隣の明の建国者朱元璋は?
貧農から身を起こし、群雄と競争に勝ち抜き、元朝をモンゴル高原へ追いやって天下を統一、
その後も30年近く在位し、徹底的な皇帝の独裁権力を確立し、
明朝がアホ皇帝を何人も輩出しながらも270年以上に渡って存続する礎を築き上げた。

重農政策を打ち出し、海禁策を採るなど、
後世からの観点では時代に逆行したとも受け取れる政策を採ったけど、
元朝末期の戦乱による荒廃からの復興という点ではかなり効果的な施策だったとも受け取れる。

清代の趙翼は「蓋明祖一人、聖賢、豪傑、盗賊之性、実兼而有之者也」と評している。
620人間七七四年:2007/06/19(火) 22:31:26 ID:YNkDtBM0
明は内面が結構悲惨だし戦争も多くやってるからなあ
平和度でいえばやっぱり徳川に軍配が上がるのでは。
621人間七七四年:2007/06/20(水) 00:15:36 ID:xC5gPwIE
>>619
出世度で見れば朱元璋はトップクラスにたてるんじゃないかと思う
劉邦と争うことになりそう
270年以上王朝を続けたってのは世界史的に見れば良くある話しで終わると思う
王朝の長さでいえば天皇家やローマ教皇カリフなどは別とすれば
ローマ帝国が一番長いか?

あと領土の広さでいけばチンギスハン
平和度なら家康かな
622人間七七四年:2007/06/20(水) 00:48:53 ID:nt+1MU5z
拡大スピードならアレクサンドロス。
623人間七七四年:2007/06/20(水) 02:01:08 ID:JaiIB9yk
次はティムールかな
624人間七七四年:2007/06/20(水) 07:53:11 ID:o+slZRea
このように世界史の英雄と比べれば、信長づれなどいかほどの評価であるべきか、
狂信者は冷静に考えるべし。
無神論だから凄いに至っては噴飯もの w
スターリン、毛沢東の足元にも及ばん。ポル・ポトと基地外度で比べられる程度だ w
625人間七七四年:2007/06/20(水) 09:11:02 ID:xUdcjhCd
スターリンや毛沢東を英雄扱いするのはどうかと思うけど
626人間七七四年:2007/06/20(水) 09:12:11 ID:xUdcjhCd
所詮天下ったって日本だろ?
627人間七七四年:2007/06/20(水) 09:42:20 ID:o+slZRea
>>625
貴方が言うとおり、「英雄扱いには疑問符のつく人間」と比べても、なお劣ると言うこと。
ただ、スターリン、マオについては生まれた時代がも中世以前なら、おそらく文句なく英雄扱いでしょう。
こいつらは現代人のモラルからは疑問符がつかざるを得ないだけで、マオなんて、それこそ明の太祖
あたりと対決させたい w
628人間七七四年:2007/06/20(水) 11:00:00 ID:1yZvYDok
中国の天下人のイメージ(あくまでイメージ)
秀才出来杉タイプ
 劉秀 李世民(2代目ではあるけど)

のほほんと天下取り
 劉邦 趙匡胤

残虐なる独裁者
 始皇帝 朱元璋
629人間七七四年:2007/06/20(水) 11:43:46 ID:SnaYTUi9
>>624の評価でフィニッシュだな
630人間七七四年:2007/06/20(水) 18:30:10 ID:BnMIrGPS
2007年6月9日リチャード・コシミズ 京都講演動画

http://video.google.com/videoplay?docid=-5531771243763964471&hl=en
631人間七七四年:2007/06/20(水) 19:33:45 ID:AX65yjYI
冷酷・冷徹・非情の典型
ヒトラー並みの殺戮者だわな

秀吉とは正反対
632人間七七四年:2007/06/20(水) 19:34:57 ID:AX65yjYI
鉄砲の三段打ちはサルのアイデアらしいが
633人間七七四年:2007/06/20(水) 19:44:29 ID:nt+1MU5z
そもそも三段撃ちなど存在しない。
分担して打つやり方はあったけどそれは雑賀や根来がやったやり方。
634人間七七四年:2007/06/20(水) 22:15:05 ID:MU5HjeDU
だいたい鉄砲で騎馬軍団を撃破したなんて、仮に実際あったところで、
チャルディランの戦いの60年も後じゃ、戦史上の意義なんてほとんどないしねえ。

実際は騎馬で突撃したわけでもないし、
鉄砲の射撃よりも城塞のような陣地に籠ったのが大きかったんだろうし。

そもそも信長が採った政策とかってのは、
他の大名が先に実施して成果をあげていたものを、真似たものが多い。
そのこと自体は信長の評価を損なうものではなく、むしろ信長の優秀性の証とも言える。
優れた政策を選んで真似ているわけだし。

ただ、世間的に、何でもかんでも信長が新しく考え出したかのように言われ、
革命児ともてはやされているあたり、
過大評価なのは確かではないかと思える。
635人間七七四年:2007/06/20(水) 22:24:09 ID:ifcEKh8V
>>631
秀次の一族郎党殺して反感を買ったり、他人の妻に手をだすお猿さんがですかw
>>627
信長は国を衰退させたり、思想を禁じたりはしてないぞw。
まぁよく居たよ、堀江とかと比べてほとんどこじつけで共通点を探したりする痛い奴w
636人間七七四年:2007/06/20(水) 22:35:49 ID:ifcEKh8V
>>635>>627ではなく>>625ね。
>>627
よく信長が生きていたらとか言うのは無意味なIFだとかアンチは言ってたなぁ、で、アンチは秀吉は今川に仕官しても天下取れただの、毛沢東やスターリンが中世に生まれてたら英雄とか言ったりw
637人間七七四年:2007/06/20(水) 22:37:29 ID:ifcEKh8V
再度訂正、>>635>>627は、>>627ではな>>625ね。
638orz:2007/06/20(水) 22:43:33 ID:ifcEKh8V
再再度訂正、>>635>>627は、>>627ではなく>>625ね。
639人間七七四年:2007/06/20(水) 22:44:40 ID:nt+1MU5z
もはやアンカーもまともにつけられないくらい錯乱してるのか。
640人間七七四年:2007/06/20(水) 22:47:28 ID:nt+1MU5z
しかも>>637>>638の内容同じじゃん。
641人間七七四年:2007/06/20(水) 22:52:33 ID:ifcEKh8V
>>640
く、が入ってなかった。
642人間七七四年:2007/06/20(水) 23:48:41 ID:MU5HjeDU
>>636
>よく信長が生きていたらとか言うのは無意味なIFだとかアンチは言ってたなぁ

でも、ぶっちゃけそうだと思うよ。実際、推測しかできないわけだし。
秀吉は何だかんだで全国統一した事実があるわけで、
信長が生きていたらできていたかも知れないけど、それはどうやっても推測の域を超えられない。

秀吉の統一後の政治や、外征の失敗は確かに褒められたものではない。
だけど、信長が統一していたらもっと上手くやっていただろう、
というのは、史実で信長が本能寺で倒れている以上、
どうあがいても(希望的)推測の範囲を超えられない。
643人間七七四年:2007/06/20(水) 23:59:24 ID:ifcEKh8V
>>642
文章を読め、IFがないと言ってるのに、他のことになるとIFをやるダブスタはどうなんてこと。
644人間七七四年:2007/06/21(木) 00:15:09 ID:Huccmw0c
IFか・・・
チンギスハーンが戦国期の尾張に生まれていたらユーラシアの覇王となったであろうか?
日本を統一できたであろうか?
もちろん彼の成し遂げた現実は変わらない
しかし全く別時代の別の地に生まれた人物の優劣を比較すること自体が既にIFであろうに・・・
645人間七七四年:2007/06/21(木) 00:21:41 ID:3FMr+m8n
>> ifcEKh8V
何がダブルスタンダード云々だ、この読解力ゼロの錯乱野郎は w

627は最初の一行で結論を言っいおる。「信長は現代の独裁者二人にも劣る」という評価だ。
この独裁者を英雄扱いするのは疑問符付きだが、歴史上の独裁者と「英雄どうし」として世界
オリンピックとやらで対決させたら面白いだろうと言っているのだ。
614からのスレの流れに沿ったお遊び発言だよ。これでわかったか、読解力ゼロの池沼 w

そんな妄想の世界ですら、信長ごときは朱元璋の前に立つことすら叶わない負け犬なんだよ。
646人間七七四年:2007/06/21(木) 00:49:30 ID:3irARb2Q
>>645
あのさ、何故織田信長はスターリンより、劣っていると分かったわけ?
直接対決でもしたの?
織田軍団と戦車軍団が戦ったの?
そもそも何故スターリンや毛沢東が中世で英雄になると分かった訳?
もしかしたらその辺の足軽に殺されてるかもしれないじゃないw
つまり、最初からそんなオリンピックは無意味だったんだよw
647人間七七四年:2007/06/21(木) 01:05:40 ID:3FMr+m8n
織田信長は尾張半国とは言え、れっきとした戦国大名。志半ばで、天下統一ならず。
毛沢東は小地主のせがれ。中共を立ち上げ、中華人民共和国を建国。
スターリンは靴屋のせがれ。レーニンの跡を襲い、ソビエトを米国に並ぶ大国とした。

歴史的評価で、信長が劣るとしてどこがおかしいのか、教えてもらおうか? >>646
648人間七七四年:2007/06/21(木) 01:12:28 ID:3irARb2Q
>>647
そりゃ後の時代の方が有利だろう、しかしそれだったら、現代のアメリカ大統領ブッシュが今の所一番強いw
つまり無関係な奴を比較して織田信長は弱いだの言った所で単なるオナニーしかならないw
結局の所一番強いのは未来人になっちまうw
649人間七七四年:2007/06/21(木) 01:13:24 ID:3FMr+m8n
ついでに・・・
>>つまり、最初からそんなオリンピックは無意味だったんだよw

俺は「そんな妄想の世界でも」と言っている。
無意味でもかまわんが、そんなお遊びの世界でさえ、信長は予選落ちだと言っているんだ。
何を鬼の首取ったみたいに喜んでいるんだ、このアホは w
650人間七七四年:2007/06/21(木) 01:16:47 ID:3FMr+m8n
あのなぁ、現代兵器を使って16世紀に攻め込む話なんかしとらんぞ。 >>648
スターリンや毛沢東の方が圧倒的に不利な生い立ちから這い上がって、大国を築いたと言っているのだ。
おまえ、頭大丈夫か?
651人間七七四年:2007/06/21(木) 01:17:24 ID:3irARb2Q
>>649
だからどうして予選落ちと分かったのw
実際に見た(妄想を)の?
652人間七七四年:2007/06/21(木) 01:26:01 ID:3FMr+m8n
これが最後ね。スレ見てる他の人ごめんね。こんなことになるとは思わんかった w

>>651
647と650をよく読め。意味がわからなければ、明日周りの大人に聞け。

オリンピックだの予選落ちだのは、「たとえ話」だ。
織田信長を評価するというスレの主題に沿って、>>647の俺の質問に答えてくれ。
653人間七七四年:2007/06/21(木) 01:33:18 ID:3irARb2Q
そもそも何で不利なら強くなるのw
それなら石ろくとかも世界的な英雄なのかw
歴史的評価って学者が「すたーりんはおだのぶながよりつよい!」とかやってるのw
654人間七七四年:2007/06/21(木) 01:54:08 ID:3FMr+m8n
ああ orz
強い、弱いの話ではないんだ。

君は中学生か? >>653
山川出版の「世界史総合図録」という副読本は高校からだっけ?
とにかくその年表を見てみなさい。
東アジアの欄、信長に関する事績は「桶狭間の戦い」だけ。信長の「の」字すら載ってない。
毛沢東という名前は1940年以降、頻繁にあがっている。
歴史的評価とはそういうことだ。

「年表に載ったら強いのか?」とか、アホなこと良いそうで怖いが w 
655人間七七四年:2007/06/21(木) 02:01:43 ID:Huccmw0c
なんだ
じゃ、武将オリンピックの結論出てるじゃん
もったいぶっちゃって

俺は見たことがないが、その
山川出版の「世界史総合図録」の年表に一番名前が挙がってる人物が
金メダル。歴史的評価最高の人物だってことだw
656人間七七四年:2007/06/21(木) 02:05:33 ID:3irARb2Q
>>654
なるほど山川出版の教科書に書かれてるから凄いのか!
うんだったら信長は楽市楽座したり鉄砲を大量運用した凄い人物だね!







wwwwwwwwwww
657人間七七四年:2007/06/21(木) 02:24:21 ID:Huccmw0c
さも客観的尺度であるかのように年表の話を持ち出しておいて

>>「年表に載ったら強いのか?」とか、アホなこと良いそうで怖いが w 

この一行で他人にはその年表を利用できないように逃げを打ってるところが
超主観的な話で、かつ卑怯な論法だなwww
658人間七七四年:2007/06/21(木) 02:34:45 ID:3irARb2Q
バカ殿2号誕生wwww
晒しアゲw
659人間七七四年:2007/06/21(木) 08:37:13 ID:8TU8UpQo
なんというかこれが信長厨だというのか・・・。
随分程度が低くなったな。前は結構レベル高いのもいたのに。
>>648がいっているブッシュ最強説だがブッシュはアメリカの大統領の息子で
強力な資産と地盤を持っていた。
初期状態の苦しさでいえばスターリンにも毛沢東にも到底及ばない。
後の時代のほうが強いとか有利とかいうなら信長も斉藤妙椿や源頼朝に
及ばないとか言われても反論できなくなるぞ。
660人間七七四年:2007/06/21(木) 09:15:14 ID:3irARb2Q
なるほど、つまり>>659が言ってることは家光や乾降帝みたいなボンボンは評価しねぇ、成り上がり者だけ評価する、ってかw
第一誰が強いだの比べ様に無いし、どういう条件で比べて、どうやって決めるの?
タイムマシーンで人物を集めて何処かで喧嘩でもさせるの?
考え方も違うのに、戦い方も違うのに、テクノロジーも違うのにw
661人間七七四年:2007/06/21(木) 09:22:25 ID:8TU8UpQo
動乱の時代における成り上がりと治世においてうまく統治したり発展させるのは
別の問題だろ。信長は前者に入るからその部類に入る人物と比べられる。
時代の違いがあるから結局は業績の大きさで客観的に見るしかない。
やった事の大きさで言えばスターリンや毛沢東が信長より上とはいえても
その逆はまずない。信長でスターリンや毛沢東に勝ってる所を挙げられる?
比べられないというなら信長を持ち上げる事自体に意味が無くなる。
662人間七七四年:2007/06/21(木) 09:33:52 ID:3irARb2Q
>>661
あのさぁ〜君は原始人と算数で勝って自分は凄いと思う人?
後の時代の方が優れてるに決まってるとか前にも言ってたよねぇ〜。
確かに優れてるよ、うん、毛沢東やスターリンの方が優れてるよ、だから?
なんだよw
663人間七七四年:2007/06/21(木) 09:43:29 ID:8TU8UpQo
なんか勘違いしてるようだけど俺はこのスレにあんまり書き込んでないよ。
>>後の時代の方が優れてるに決まってるとか前にも言ってたよねぇ〜
これは別人。
なんか後の時代の毛沢東やスターリンとくらべるから話の趣旨がかみ合わなく
なるんだな。平たくいえば業績の巨大さにおいて信長を上回る人物は
たくさんいるということ。後の時代だと君は文句いうだろうから信長より前の時代の
人物で比べるとたとえばチンギスハーンは信長よりも前の時代の人物だけど
身一つでのし上がり世界史に残る大帝国を築いた。朱元璋も同じ。
この業績は信長よりも圧倒的に上だろう。信長でチンギスや朱元璋に勝る所を挙げられる?
そして業績による評価をしないなら
信長が斉藤妙椿に劣っているとか言われても反論のしようが無くなる。
664人間七七四年:2007/06/21(木) 09:59:06 ID:3irARb2Q
前レスを1万回位読み返して欲しいけどまぁいいや、答えてやるよ。
チンギスハーンは13世紀に大きな業績を残しました、信長は16世紀に大きな業績を残しました、でもお互い戦ってない上、お互いの武器、経済力、技術力、発展度は全然違います、それ以前に時代が全然違うので比べ様がありません。
という訳で==議論終了==
665人間七七四年:2007/06/21(木) 10:01:46 ID:3irARb2Q
13世紀→×
11、12世紀→○
16世紀→×
15世紀→○
666人間七七四年:2007/06/21(木) 10:07:38 ID:8TU8UpQo
>>661>>659を何度も読んでみましたが
>>後の時代の方が優れてるに決まってる
なんて書いてないよ。このスレにあんまり書き込んでないし他のレスは知らない。
>>659で>>後の時代のほうが強いとか有利とかいうなら、と書いたけど
これは「後の時代のほうが強いと仮定するなら」という意味なんだけど。
時代が違うということで比較できないなら斉藤妙椿より信長が上とも
いえなくなるんだけど。まあとりあえずここらで切り上げとく。
667人間七七四年:2007/06/21(木) 10:10:12 ID:8TU8UpQo
ちなみに>>665は13世紀と16世紀でいいと思うよ。
今は2000年代だけど21世紀だしね。それじゃあ。
668人間七七四年:2007/06/21(木) 12:01:25 ID:MLbTUDaM
毛沢東やスターリンを英雄扱いするのはどうかと思うぞ
669人間七七四年:2007/06/21(木) 12:44:07 ID:TNDrPepv
要は、信長の実際の業績自体は、本能寺で倒れてしまって結局全国平定はできなかったわけだから、
実際に全国を統一した秀吉、長期政権を創業した家康と比べるとどうしても見劣りする。
秀吉、家康とも信長がいなければ覇業を成し遂げることができなかったのは事実だろうけど、
信長が本能寺で死ななくても、全国を平定をすることができたかどうか分からないのも事実。
いくら厳密に推論したところで、それは推論の域を出ることは不可能なのだから。

更に、世界史視野で見れば、チンギスハーンやアレクサンドロス、朱元璋なんかに比べると、
時代も条件も違うので一概に比べられないとは言え、
信長の業績が小さく見えてしまうのは、わりと普通の感覚だろう。

では次に信長の革新性についてだけど、
楽市楽座、鉄砲の運用、既存宗教の弾圧など、よく挙げられる政策については、
実際には他の大名らが実施した先例があって、信長はそれを真似た場合が多い。
これ自体は、優れた政策を選んで採用しているわけだから、信長の優秀さの証であり、
決して信長を貶めているわけではない。
よく非難の道具に使われる虐殺事例だって、権力者や英雄にはよくあることだから、
信長だけを貶める材料にはなり得ない。
ただ、何もかも信長が新しく考え出したかのように言うならば、それは間違い。

信長の考え方が柔軟で、先進的で優れていたのは間違いない。
実際にあれだけ勢力を伸ばした結果がそれを物語っているし、戦国時代でもトップクラスの存在。
ただ、信長だけが突出して優れていた、何者をも寄せつけぬ天才とか、
そこまで評価されると、明らかに過大評価と言うか、希望的推測が入りすぎている。
信長も優れていたが、他にも優れた人物が同時代には何人もいた。
三人の天下人を並べて、信長だけが突出した存在だったなんてことはない。
670人間七七四年:2007/06/21(木) 23:54:21 ID:Wa9Aqqi/
>>669

>信長が本能寺で死ななくても、全国を平定をすることができたかどうか分からないのも事実

天正十年、信長が暗殺されるあの時点で、
織田に経済力、軍事力で対抗できる大名は皆無。
光秀が叛意を抱かなかったら、全国統一は確実。

柴田VS上杉は柴田の勝ち。
羽柴VS毛利は明智&摂津衆の加勢で、織田の勝ち。
信孝・丹羽VS長宗我部は織田の勝ち。
北条は織田に戦意なし。関東以北も同様。
九州は問題外。

>信長も優れていたが、他にも優れた人物が同時代には何人もいた

信玄や謙信の事だと思うが、
彼らは戦術家としては信長よりは優れていたが、
信長ほどの卓越した天下構想を持っておらず、
政治経済戦略を含めた総合力では、信長が上。

彼らは土着性が強く、思考が前時代的。
新しい時代の担い手としては不適格。
671人間七七四年:2007/06/22(金) 00:17:20 ID:h8VR9V7g
天下構想って言ってもなあ。
信長が朝廷に対する扱いをどうするつもりだったのかでいろんな説が
でてしまうくらい信長の天下構想って不明確なんだよな。実の所。
天下とる前に死んじゃったから当然だけどさ。
思考が前時代的とかいうけど結局最終的に天下を支配したのが
よく保守的とかいわれる徳川家康だったわけだし、信長の業績の多くが
前任者のやったものであることから革新性について
疑問が持たれているのはこのスレを見ればわかるとおり。
正直信長を天下構想云々で新しい時代の担い手として特別扱いするのは疑問。
672人間七七四年:2007/06/22(金) 00:26:09 ID:/IHUySOw
>>670
だから物事には絶対は言えないって。
自分だって、本能寺の変時点の情勢を見れば、
多少の障害はあっても、7〜8割方以上の確率で、信長が全国平定を達成したと思うよ。
だけど、どれだけこまめに推測したところで、実際には信長は本能寺で倒れた以上、それはあくまで推測でしかない。
ほとんど確実ではあっても100%の確実は絶対に言えないってこと。

それと、他にも優れた人物ってのは、直後に書いてあるように、秀吉や家康を想定したものだけど。
3人の天下人とも、それぞれ長所短所があったわけで。
そもそも“優れた”と評価する場合は、何も天下構想には限らず、
地方に割拠し、その地方を上手く治めた場合も“優れた”と表現することはできるだろう。
673人間七七四年:2007/06/22(金) 01:39:57 ID:wIqm8M7D
>>671
信長の天下構想は対朝廷対策だけではない。
広義では日本の統治システムを指す。論点を矮小化しすぎ。

>信長の業績の多くが前任者のやったものであること

常識外れの長槍の使用、
戦略的最前線地点への居城の移転、
傭兵による常備軍化、
有力幹部に指揮させる軍団制とそれを補佐監視する与力の付与による多方面同時作戦、
大量の鉄砲購入と足軽鉄砲隊の編成、
朝廷の権威は利用するも、その官位体制からは離脱、
宗教勢力との徹底抗戦、
茶の湯のステイタス化、
門地に囚われない実力本位の人材登用、
経済的要地の直轄地化による経済力増強、
桶狭間などでの情報に重きを置いた褒賞、
乱暴狼藉を一切許さぬ厳格な軍律、
恩賞として与える領国に制限を加え、突出した部下の出現の阻止、
など、信長の革新性の具体例を挙げればきりが無い。

上記に列挙した多くが前任者が既にやったものとの意見は、
文部科学省による沖縄戦集団自決の軍の関与を否定した歴史歪曲と同類だ。


674人間七七四年:2007/06/22(金) 02:18:30 ID:wIqm8M7D
>>671
>思考が前時代的とかいうけど結局最終的に天下を支配したのがよく保守的とかいわれる徳川家康だったわけだし

家康が天下を取れたのは、
諸大名とのパワーバランスを利用した切りくずし工作が功を奏しただけ。
事実、家康に走った豊家恩顧の諸将の判断基準は「利」のみであり、
家康の保守性が彼らに支持されてたわけではない。

しかも関が原の勝利は小早川秀秋の裏切りのお陰。
それが西軍の裏切りの連鎖を生み、東軍の地すべり的勝利につながった。

家康は事前に裏切りの謀略を張り巡らしたが、
それはあくまで不確定要素であり、確実に裏切りが実行される保証などどこにもなかった。

しかも小早川秀秋は諸将の間では知らぬ者とて無い「愚物」であり、
こんな去就の定かでない危ない人物を当てにして「天下分け目の戦」をした家康の底の浅さが透けて見えるというもの。

関が原での家康の勝利は勝つべくして勝ったと言えるものではなく、
単に運が良かったにすぎない。

家康贔屓の輩は、結果論から強引にこじつけてまで、
合理的な必然性をでっち上げようとする。
だが、歴史には幸運や偶然で左右される要素が多分にあるのであり、
関が原での小早川秀秋の裏切りの閃きは、まさにそれである。

675人間七七四年:2007/06/22(金) 02:26:06 ID:NU379ztv
信長の性格にはついていけない
信長の部下としてはやっていけない
はぁ?
おまえら信長と会ったことあるのか?
権力者の政策と個人の性格はほぼ一致しない。
ましてや戦国時代で天下統一に一番寄与した人物。
荒行はやむを得ずしたことだろ。
秀吉や家康?信長の敷いたレールを走っただけの人物とただのコバンザメ。
やはり信長ありきだろよ。
俺はこんなことをできる人間は意外といい奴だったような気がするが。
676人間七七四年:2007/06/22(金) 03:33:14 ID:37iLywV3
ここで流れを読まずにレス

信長が他大名より圧倒的に優れていたのは、
初めて「天下を統一する」という意思を明確にもち、実行に移せたところだ
他の大名はせいぜい地方の覇者になることを目指していた時代に
信長は初めて「天下統一」という概念を打ち出した
信長がいなかったら、秀吉も家康も天下を取れなかっただろうし、
戦国時代の収束は相当に遅れただろうな

まぁ信長は過大評価だと思うが、同時代の英雄たちよりも
遥かにスケールのでかい世界を持っていただろうね
677人間七七四年:2007/06/22(金) 05:35:54 ID:j17/bm3K
信長を『日本最高の過大評価』なんていうこと自体が
信長を一番過大評価している気がする
678人間七七四年:2007/06/22(金) 10:02:49 ID:h8VR9V7g
>>673
>>広義では日本の統治システムを指す
んで信長は日本の統治システムをどうする気だったと?少なくとも1582年
の段階では功績のある家臣に土地を与えて領域支配を任せるという戦国大名として
封建体制として普通の統治システムなんだけど。
なんか独特の統治システムをやろうとしてた資料あるの?
なんというか釣りなのか小説家を丸のみしてるのかはしらないけど
長槍はどこの大名も使ってるよ。あんまり長すぎると使いにくいということもあるから
長さは家によってまちまちだけどさ。
居城の移動はもともと信長の父親の信秀がやってた事だよ。武田信虎もやってる。
北条家もやってる。早雲は興国寺から伊豆韮山へ。氏綱は小田原へ。
別に信長がはじめたものじゃないよ。
織田の軍団も他の戦国大名と同じく軍役衆で構成されてるよ。
軍団制と与力付与だけど武田も同じような事やってる。毛利も両川体制があるし。
大量の鉄砲と鉄砲足軽は雑賀衆や根来衆がやってるし。意外に思うかもしれないが
武田も川中島の段階で集団活用してる。
朝廷からちゃんと官位をもらってるって。天下の右大臣様だよ。信長は。
それまでにもいくつもの官位をもらって右大臣まで上ってるよ。
宗教勢力との戦いは信長の百年近く前に足利義教、その後も細川、松永、徳川、上杉、朝倉が
いずれも信長よりはやく行ってるよ。権力争いの一環だね。
(続く)


679人間七七四年:2007/06/22(金) 10:10:18 ID:/KJxSz28
ずいぶんと博学そうな>>673にお聞きしたい。

論点の矮小化云々はおいといて、具体的に対朝廷対策とはなんですか? 朝廷をどうしたっかと?
正親町帝に再三退位を迫ったが結局無視されただけなのでは? 馬揃えとかいろいろ圧力掛けたのにね w
第一、その「広義の日本の統治システム」とやらがどんなものであったのか、彼自身が何も史料を残して
いないのになんで貴方にそれがわかるのか誠に不思議だが、その中身もご教示いただきたい。

あと、全部聞きたいが多すぎるので、具体的な事例を挙げておられる中からいくつか。
史料を明示いただければ、自分で勉強しますから、それだけでもご教示いただきたい。

・その常識外れの長槍が実戦でいかほどのメリットをもたらしたのか、戦役名と共に教示ください。

・2〜5行目は織田軍の特徴としてセットで語られるが、要は年中どこででも戦が出来る体制を作ったと。
 その割には、唯一の同盟者の最大の危機(三方原)に3,000程度の援軍しか送れず、この前後の状況
 (いわゆる第一次信長包囲網)では、再三朝廷の綸旨、足利将軍の調停、なかんずく信玄の死によって
 救われた感があり、膨大なコストを掛けた割には、その実力に疑問符がつきます。
 この私の見方を覆す論がおありなら、教示いただきたい。
 
・天正二年三月、従三位・参議というそれまでの弾正忠から一挙破格の昇進。その後も大納言、内大臣、
 右大臣と職を受け、位は正三位。官職を辞したのは第二次包囲網突破に目鼻がついてから。
 これでは、官位体制を利用するだけ利用した、と見る方が自然では?

人材登用や経済力の扶養は前例、他例が豊富に存在し、オリジナルとは認めがたい。
よって歴史歪曲云々は、貴方の言の方が牽強付会と思われますがいかが?

茶の湯云々も、情報交換の場として出席者を制限していた結果、趣味・教養面では幼児同然の家臣達が
勝手に憧憬を抱いたように思えますな。
まぁ、これは私の漠然とした思いつき程度の論なんで、無視いただいても結構です w

最後に、信長が軍規を厳格にし乱暴狼藉を許さなかったことは、立派なことであったと思っています。
680人間七七四年:2007/06/22(金) 10:26:00 ID:h8VR9V7g
(続き)
茶の湯のステータス化はよくわからないけど、とりあえず室町の段階で
既に茶の銘柄をあてる闘茶というのがはやっていたよ。
門地にとらわれない実力本位の人物登用だけど
武田信玄の春日弾正、馬場美濃、上杉の河田長親、須田満親などがいるし
武田信虎は小幡、横田、多田、原を登用しているね。
才能ある人材を取り立てるのは他でもないわけじゃなかった。
経済的要地は他の大名も目の色を変えて争奪し直轄化しょうとしてるよ。
毛利と尼子の石見銀山争奪、大友とその敵対勢力との博多争奪。
桶狭間での情報云々だけど、信長公記では特に梁田の出番は無いよ。
信長公記によれば信長は今川本陣とは思わずに疲れた敵を倒すことを目的として
丘の上に陣取った敵に狙いを定め突撃した。
織田も結構焼き討ちとかやってるよ。
別に他の大名も自家の存続を脅かすほどの部下勢力をつくってなんかいないよ。
それでも織田家が信長死後にその軍団制の有力者間での戦いで崩壊した事を考えると
果たしてどうだったか。

681人間七七四年:2007/06/22(金) 10:32:23 ID:/KJxSz28
>>680さん

途中で割り込んだ形になり、申し訳ない。
682人間七七四年:2007/06/22(金) 10:32:57 ID:h8VR9V7g
>>674
つまるところ時勢を読みうまく手をうてば特に革新的でなくとも
時代の担い手になれると?それは信長にもまるごと当てはまることだよ。
信長のやっていった業績は前例があるものが多いし(これを選んで行ったのは
信長の優秀性を示しているが。)畿内には信長の台頭を防げる巨大な勢力が
存在していなかった。そして経済力豊かな畿内を制してその国力を元に天下を
目指していったわけで。運が良かったというなら信長もそうなってしまう。
ちゃんと好機をつかみ業績を上げたことは十分ほめられることだろうよ。
683人間七七四年:2007/06/22(金) 10:34:44 ID:h8VR9V7g
>>681
いえいえお気になさらず。
684人間七七四年:2007/06/22(金) 13:14:15 ID:wIqm8M7D
>>678-682
信長の天下構想に関して、君が対朝廷工作にしか言及していないから、
日本の統治システムという語を引用したまで。
それは、どう見ても矮小化以外の何者でもない。
俺は信長の思い描いた国家構想に熟知しているなんて一言も述べてはいない。

信長は一旦家臣に与えた領土は未来永劫統治させるのではなく、
戦略的必要性に応じて抜本的な封土の転居をさせている。
この方針に例外の家臣はいない。
封建制といっても、他の戦国大名とは根本的に異なる。

織田軍団の師団長は、固有の領土で養っている直属の家臣に加え、
戦略的必要性に応じて、信長から織田家本家の与力を貸与されて戦地に赴く。
信長は場合によっては、与力や師団長直属の部下を戦略的重要地点に機動的に割り振ったりしている。
他の戦国大名にはない制度だ。
こうして四方を取り巻く敵に対して、多方面同時軍事作戦を展開できたわけだ。
だから全ての戦線で充分な兵が足りている訳ではなく、
信玄侵攻時、家康に十分な支援ができなかった理由はそこにある。

長槍については、尾張統一前の若き信長が導入した事実を述べたまで。
それにより織田の兵に何か不都合が生じた訳ではないので、批判の対象には当たらない。

本拠の移転に関して、武田や北条を例にしているが、
彼らは猫額の領域の範囲内で移動していたにすぎない。
高次元の戦略眼から移転した信長とは根本的に異なる。
事実、信玄は最も版図を拡大させた晩年でも本拠は甲斐のまま。
北条も似たようなものだ。

雑賀根来集は、その規模で織田鉄砲隊に唯一匹敵した稀な集団。
それに比べて武田の鉄砲活用など、小規模且つ副次的機能でしかなく、
長篠の敗戦で、それは証明されている。引用する事自体ナンセンス。
685人間七七四年:2007/06/22(金) 13:15:04 ID:wIqm8M7D
>>678-682
官位に関しては、単に歴史的事実に触れているだけなので、
こちらから何か意見する事はない。

石山本願寺や比叡山延暦寺との武力衝突に関しては、
信長ほど大規模長期的且つ徹底的に抗戦した大名は存在せず、
完全勝利を治めた大名も信長以外にいない。
他の大名を引用するのは的外れ。

正親町帝との暗闘では、誠仁親王とその子五宮を取り込み、五宮を自身の猶子として、
正親町帝譲位後の布石を打っている。
信長の戦略通り光秀が備中戦線に赴けば、毛利は間違いなく滅亡し、
正親町帝の譲位は実現できていた。

茶の湯のステイタス化は、格段の戦功を挙げた武将にのみ茶会を開く資格を与え、家臣団の序列化の一助となった。
茶器をもブランド化して、限りある土地を恩賞として与える代わりに、
茶会の主人となれる資格と茶器を与えるというソフト戦略を考案した。
こんな大名、信長以外どこにいる?

人材登用に関しては武田の例を引用しているが、
秀吉や一益などのように、どこの誰とも分からない流れ者を大幹部の大名にまで引き上げたのは信長のみ。
武田では絶対有り得ない。武田では秀吉がのし上がれる余地はない。
この例示も的外れ。

経済的要地の獲得に関しては、他の戦国大名は信長ほど商業の重要性を認識していない。
だから信長の晩年、他の敵対勢力が束になってかかっても織田に太刀打ちできないほどの経済格差が開いた訳だ。
  
他の戦国大名の例を挙げて反証してはいるが、信長とは断片的に政策が似ているだけで、
その規模、成果、強度は雲泥の差がある。
例えて言うなら、野球選手というだけで、
日本のプロの二軍選手とメジャーリーガーとを同列に論じているようなもの。
極めてナンセンスだ。
686人間七七四年:2007/06/22(金) 13:37:59 ID:oFuIMV82
ていうかさ、天下人になったのは信長配下の秀吉と、織田の組下大名に近い感じだった徳川なんだから、やっぱ信長すげえんじゃね?とスレタイだけ見てレス。

本能寺なけりゃ、天下人はすんなり信長だっただろうしさ。
良いと思った制度を節操無いと感じられる位バンバカ取り入れるってのも結構凄えしな。
生み出すのだけが凄いわけじゃなく、それを取り入れて組み合わせで発展させるのも大事だよ(・∀・)
687人間七七四年:2007/06/22(金) 13:48:35 ID:NpUxJ3Fs
因があって果が生じる。
本能寺がそれまでの信長の結果
688人間七七四年:2007/06/22(金) 15:15:16 ID:/KJxSz28
なんかどっかで聞いたようなことばっかり長々書いていただいて、誠にご苦労ですが >>684

>>俺は信長の思い描いた国家構想に熟知しているなんて一言も述べてはいない。
知らないんなら、何を根拠に他者の論を批判できるわけ? 貴方の一方的思いこみでしょう。
信長なら凄い国家構想があったはずって。日本語ではそれは「妄想」と言うな、普通。

>>長槍については、尾張統一前の若き信長が導入した事実を述べたまで。
>>それにより織田の兵に何か不都合が生じた訳ではないので、批判の対象には当たらない。
この件は批判しているわけではない。常識外れの長槍が有効に機能した戦があったかどうか、
寡聞にして知らないから、史料を明示して教えてちょうだいと言ってるんだが? 
河原の戦ごっこだとか道三との謁見時に長槍見て向こうがびっくりしたとか、おとぎ話以外でね。

>>だから全ての戦線で充分な兵が足りている訳ではなく、
>>信玄侵攻時、家康に十分な支援ができなかった理由はそこにある。
兵の数も十分でないのに多方面作戦を企図していたと。それを実力不足と言っているんだけど。
張り子の虎の軍団制が、あんたには信長の凄さに見えると言うことかかな?

>>官位に関しては、単に歴史的事実に触れているだけなので、
>>こちらから何か意見する事はない。
いや、だから歴史的事実として彼の廟号は「正三位」総見院殿なんだ、と指摘してるのはこっち。
官位体制に依存してないと言ったのは貴方です。何をとっちらかってらっしゃるんだか・・・

まぁその他全部反論したいところだけど、もう面倒 w
貴方が、世間一般のいわゆる「信長厨」を超えるような知識も見識もないことは明白になったんで
レスは一切結構です。
689人間七七四年:2007/06/22(金) 16:21:04 ID:6gq8RJgR
まぁ見たことないオリンピックの順位を予想が出来たり、教科書を資料にするよりはマシだなw
690人間七七四年:2007/06/22(金) 18:19:14 ID:6gq8RJgR
なんか信長関連のスレって程、ループ、ループの連続だから新鮮身が無いんだよなぁ。
アンチやファンは似たような議論ばっかしてるし、全体的に人が変わりやすいのか。
691人間七七四年:2007/06/22(金) 22:52:17 ID:h8VR9V7g
>>684
なんというか>>688さんも言っているけど突っ込みどころが多すぎる。
全部に反論するのはさすがに面倒なのでいくつか。
とりあえず家臣を戦略的要地に配置するのは他の大名もやってる。
武田の例でいうなら春日は海津に、内藤は箕輪に、山県は駿河江尻城に
馬場は牧野島城に、秋山は伊那に、それぞれ配置され、それぞれの地域の
相備衆の指揮を任されてるよ。
拠点の移動だけど信玄の領域をみてもらえばわかると思うけど甲斐は武田の領域の
ほぼ中心に位置しており全体を統括するならむしろ望ましいはずだよ。
織田の鉄砲も別に主兵力だったわけじゃないんだけど。長篠が三段撃ちとか信じてる?
人材登用だけどなんで織田だけ特殊だと思うの?信玄の春日ももとは農民。馬場は下級武士。
謙信の河田は、謙信が上洛の途中で近江で拾って帰った人物だし、須田も他国からの亡命者。
信虎の小幡も横田も原も多田も他国の浪人から取り上げられた人物だよ。
近江の浪人上がりの滝川、尾張の農民だった秀吉、と比べてどうしてそんなに特殊と思えるの?
信長ほど他の大名が経済を重要視してないわけじゃないって。謙信は雪国越後で
商業の発展に努めあれだけ戦争したのに2万7千両の遺産を作った。
武田は日本経済史にも珍しい独自の貨幣を造ったし職人や商人を集めている。
大内氏や大友氏は海外貿易もやってるね。楽市楽座をやった大名は六角とか複数いるし。
織田が巨大な経済力を得たのは畿内・美濃・尾張という経済的に豊かな所を抑えたからだよ。
信長の父親の信秀の時に尾張一国ももってなかったけど朝廷に大金を献上してけろりとしてる。
2流チームが普通にやってた事を大リーグチームがやったからってそれは
大リーグチームの革新性を示してはいないよ。
とりあえず俺も>>688さんと同じでレスは結構です。
692人間七七四年:2007/06/23(土) 00:06:58 ID:Kw5zyO0o
登用に関してあえて反論すると、他の大名も登用は確かにしたよ、しかし多大な権限までは持たせなかった。
居城の移動は国単位の移動だから珍しいのでは、しかも三回も。
693人間七七四年:2007/06/23(土) 00:44:28 ID:fGyeuZAU
上杉の河田は謙信の側近として制札の発給などを始めとして統治に深く関わり
後に越中支配の重要拠点魚津城代となり越中方面の統括と取次ぎを行ってるよ。
春日は海津城代として北信濃を統括し、対上杉の最前線を担った。
いずれも重要な役目と権限を担ってる。
城に関しては北条は興国寺(駿河)→韮山(伊豆)→小田原(相模)
信長は小山・清洲・岐阜・安土か。小山と清洲は尾張だし、岐阜は斉藤の居城で
栄えていたのを使った。安土も天下が固まってきた事を意識して
京都に近い城が必要になってきた時期でもあったな。
ちなみに三好長慶も阿波→摂津越水城→摂津芥川城→河内飯盛山城と拠点を移しているな。
694人間七七四年:2007/06/23(土) 00:47:38 ID:scjHMczy
ぶっちゃけアンチが信長一人に対して様々な武将の名前を出して、個別に
「他にも同じことやってる」と主張してる時点で、信長スゲーって思ってしまう
結局、ある一点において信長と同様かそれ以上の人物がいても
トータルで信長に及ばないって結論か?
695人間七七四年:2007/06/23(土) 01:30:22 ID:fGyeuZAU
ま、それならそれでもいいんじゃない?
でもそれいったら信長のやってない事をやってる大名も結構いるんだけどな。
696人間七七四年:2007/06/23(土) 02:06:45 ID:iHBPWL6W
>>693
清洲→小牧山、ですな。

>>694
まぁアンチって言われ方に抵抗がないわけではないけど、俺も含めてアンチ達の殆どが
「同時代、トータルで信長に及ぶ大名はいなかった」ってことは認めてると思うよ。
あらゆる事績が信長の革新性、天才性の証左のように言われると、ちょい待ちってなる。
697人間七七四年:2007/06/23(土) 02:59:27 ID:Y5oNp9Y+
信長は、バランス感覚に優れた、とても要領のいい秀才なんだと思う。
戦国大名としてトップレベルなのは間違いない。
でなきゃ、あれだけ勢力を伸ばすことはできなかっただろうし。

ただ、新時代を切り開いた革命家とか、時代を超越した天才とか、
神格化に近いまでに持ち上げられ、
>>696の言うようにあらゆる事績を、その革新性、天才性に結びつけて解釈されてしまうと、
さすがにその部分については過大評価と見える。

別に過大評価だと主張するからと言って、信長の功績自体は否定するつもりはないし。
698人間七七四年:2007/06/23(土) 15:50:27 ID:SlLhc5QR
先陣にいた 「滝川一益」 や 「丹羽長秀」 と言った武将の部隊はあっという間に壊滅、「羽柴(豊臣) 秀吉」 の部隊も早々に撤退します。
勇将で知られる 「柴田勝家」 の部隊だけが何とか軍をまとめて反撃しようとしますが、すでに気勢を制されており、ボコボコにされて壊滅。
信長は夜明け頃になって戦場に到着し、残存の兵をまとめて対抗しようとしますが、その頃には夜通しかけてやって来た騎馬以外の上杉軍の兵士達も到着しており、そのまま圧倒されて軍は崩壊。
信長は近衛兵数十騎と共に戦場からの脱出を計りますが、上杉軍に追撃され、何とか美濃まで逃げ帰った時、近衛兵は数人だけになっており、自身も傷を負っていたと言います・・・








http://kamurai.itspy.com/nobunaga/uesugi.htm
699人間七七四年:2007/06/23(土) 17:00:47 ID:iHBPWL6W
近衛兵って w 
このスレの信長厨でも、さすがに皇族扱いする奴はいなかったな。
700人間七七四年:2007/06/23(土) 17:15:52 ID:0EW5Wh2t
そもそも手取川に信長は出陣していない。


それに手取川に関して具体的に書かれているのは歴代古案の書状のみ。
それでもそこまで詳細な合戦の様子は書かれていない。

>先陣にいた 「滝川一益」 や 「丹羽長秀」 と言った武将の部隊はあっという間に壊滅、「羽柴(豊臣) 秀吉」 の部隊も早々に撤退します。
>勇将で知られる 「柴田勝家」 の部隊だけが何とか軍をまとめて反撃しようとしますが、すでに気勢を制されており、ボコボコにされて壊滅。
>信長は夜明け頃になって戦場に到着し、残存の兵をまとめて対抗しようとしますが、その頃には夜通しかけてやって来た騎馬以外の上杉軍の兵士達も到着しており、そのまま圧倒されて軍は崩壊。

は何が出典なんだろうか。


さすが信長の野望のサイトにあれこれいうのもなんだが。
701人間七七四年:2007/06/23(土) 17:20:21 ID:eyjZnXDT
「上杉家の『甲陽軍艦』」の北越軍記かな?

しかしゲームサイトをソースにするとは
702人間七七四年:2007/06/23(土) 17:49:30 ID:scjHMczy
ソースというか、ネタを提供してくれたんじゃない?笑えるよねそのサイト
703人間七七四年:2007/06/23(土) 17:54:06 ID:iHBPWL6W
>>702
同意
704人間七七四年:2007/06/24(日) 03:47:25 ID:ZVGJEHp3
人材登用の例で春日や河田を挙げている人がいるが、信玄も謙信も末期の男色家だ
春日や河田のケツの具合に魅せられて地位を与えていたにすぎない
能力という点においてのみ人材を発掘し地位を与えたのは信長だけだ
705人間七七四年:2007/06/24(日) 08:43:44 ID:cjPePzxH
釣りだとは思うがなんという極論・・・。
信長だって森乱丸や前田利家と衆道関係にあった男色家なのに
なんでそんな事をいうのか。
信長厨の中ではなぜ信長はそうでなくて信玄や謙信は重度の男色家ということに
なってるんだろうな。信玄は正室・側室含めて数人いて子供も何人もいるのに。
706人間七七四年:2007/06/24(日) 09:26:13 ID:kc5xXuFW
>>688
信長の国家構想=対朝廷工作だとする君の主張こそ妄想だろうに。
信長はその生涯で朝廷工作だけに腐心していたとでも言うのか?
あまりにヒドいピンボケぶりだ。
こんな寝ぼけた主張してるのは君くらいだろ。
敵対勢力と一切妥協しない完全殲滅すり潰し戦略をやり続け、
天正六年右大臣を辞任して朝廷の官職から離れた事自体、
信長が理想とする天下統一後の日本をイメージできていた証左だろ。

四方の敵対勢力を一手に引き受けて抗戦し続ければ、兵が不足気味になるのは当然。
それでも持ちこたえ結局完全勝利を収めたのに、何故それが実力不足になるのか。
とても正気とは思えん。

「正三位」総見院殿って、信長が死んだ後の贈り名だろ。
そんなの秀吉が勝手にやった事で、信長本人とは何の関係もない。
それに正三位じゃなくて従一位じゃねーの。

度が過ぎる的外れなピンボケもここまでくるとヒドすぎる。
世間一般をはるかに下回る見識しかない事を露呈された醜態を自覚できてない愚かさは末期的。

707人間七七四年:2007/06/24(日) 10:29:16 ID:kc5xXuFW
>>691
信長の家臣配置は、拡大する織田勢力圏内を戦略に応じて機動的に転封させるという事であり、
家臣を土着化させる武田とは根本的に異なる。
そもそも信玄自体が甲斐に土着した大名であり、その領域拡大手法は甲斐を中心に据えたもの。
本拠を甲斐から移動させるつもりがない信玄に、高次元の天下戦略があろうはずもない。

長篠での織田鉄砲隊の三段撃ちを否定している論拠は不明だが、要点はそんな事ではなく、
武田が織田鉄砲隊の前で惨敗したのは紛れも無い事実。
つまり武田は鉄砲の有用性を理解していなかったって事。
旧態依然の騎馬隊に依存している武田では、新兵器の有効活用という発想は無いものねだりだし、
そもそも武田の財力では、織田のように大量の鉄砲を買い揃えるのは不可能。
独自の貨幣を鋳造したところで、武田の財力とはそんなもの。

武田や上杉の人材登用の件だが、
秀吉、光秀、一益など有能な人材を発掘し練磨し、
それぞれが単独で武田や上杉と対抗できるまでに育て上げた信長と比べると、あまりに小粒。
同じような事をしたからといって、レベルが違えば比較の対象にもならない。
分かり易く説明すれば、
人は誰でも走る事は出来るが、100mを9秒台で走れるスプリンターや42.195mを2時間弱で完走できるマラソンランナーは、
素人とは別次元の人間だという事。
同列に論じる事はできない。
織田と武田、上杉との関係も同様だ。

708人間七七四年:2007/06/24(日) 10:43:48 ID:wvEEItv2
>>706
レスは要らんって言ってるのにそんなに恥かきたい?

>>信長の国家構想=対朝廷工作だとする君の主張こそ妄想だろうに。
俺のカキコのどこにそんな主張があるんだ? 人の言をねじ曲げてまで貶め、自己の正当性にすり替える。
本当に恥ずかしい奴だな、おまえは。

>>敵対勢力と一切妥協しない完全殲滅すり潰し戦略をやり続け
だから、何度も正親町帝や義昭に倫治・調停を頼み、妥協しまくってるの。小説ばかり読まず、少しは史料も読め。
信玄が死に、謙信が死に、個別撃破できる状況になるまで、何度も
「もうダメです。天子の袖におすがり申し上げます。とてもかなわないので和議をお願いします。」ってやってるの。

>>そんなの秀吉が勝手にやった事で、信長本人とは何の関係もない。
正三位右大臣を受けたのは信長本人。従一位こそ、秀吉が勝手に朝廷に頼んで追贈。立花京子氏や今谷明氏
のように、「神格化構想を諦め将軍就任に固執した証左がある」と主張する学者も多いな、最近は。
まぁそのあたりは定説までいってないが、いずれにしても、官位体制から離脱していたなどというの完全な妄想だ。


>>度が過ぎる的外れなピンボケもここまでくるとヒドすぎる。
>>世間一般をはるかに下回る見識しかない事を露呈された醜態を自覚できてない愚かさは末期的。
お言葉、そのままお返しします w
709人間七七四年:2007/06/24(日) 11:09:10 ID:J34pZsuc
恥ずかしい奴っていっぱいいるよね、ここ、例えば教科書を資料に持ち出す世間一般とはかけ離れてる人とかw
710人間七七四年:2007/06/24(日) 11:31:25 ID:cjPePzxH
>>707
レスはいらないといったのにw
ここまで清々しいと逆に釣りじゃないのかと思ってしまうw

なんで信玄のは土着化で信長のは機動配置と思うわけ?
内藤は深志から箕輪へ、馬場も深志から牧野島へ、秋山は伊那から美濃岩村へ、
ちゃんと移転してるよ。動かない事を土着化というなら
信長の柴田や明智が越前や丹波で固定しているじゃないか。動かす必要があれば動かし
必要なければ固定して領域支配をゆだねる。特に特殊性はないよ。
いろんな方面への出陣に参加する?そんなの武田も一緒だよ。というか普通。

本当に鉄砲三段撃ちを信じてらしたんですかw当時の記録にそんなものはありませんよw
三段撃ちが言われたのは江戸時代に小瀬が小説として書いた信長記からですよ。
信長の祐筆を務めた大田が残した信長公記では鉄砲は千丁で特に三段なんて出てこない。
武田が敗北したのももともと兵力的に劣っていたのに後方の砦を奇襲で攻略され
数で勝る前方の信長の陣地に突撃せざるを得なくなったから。
それを信長は鉄砲を使って迎撃しつつ、足軽を出して追い崩していった。
それを明け方から未の刻(午後2時)まで繰り返し武田がすっかり疲れ消耗した所を
全軍突撃して壊走させたわけで。これは鉄砲以前に戦略による勝利。
ここでも結局多くの死者を出させたのは最後の突撃と追撃。
ちなみに武田の騎馬軍団もないですよw当時の戦闘は下馬戦闘が主体なものでw
乗馬戦闘がまったくないとはいいませんが、甲陽軍鑑にさえ「一部隊の中で馬にのって戦うのは
7、8人くらいで残りは皆馬を降りて後ろに引かせて戦った」とありますよ。
武田と織田の経済力の差は地盤としていた地域による差ですよ。信長による努力が
効果なかったなんていいませんが、それだけの努力は武田もしてます。
信秀の例をみてもわかるように尾張自体がもともと豊かだった上に
美濃や畿内も非常に豊かだったのでここを領土とした信長は他より大きな経済力を持てた。

それぞれ秀吉・滝川・明智が単独で他の大名と戦えたのは織田家の勢力自体が大きく
彼らに与えられた領域や兵力が大きかったゆえの事。いわば分母の問題ですな。
それが大きければ分子も大きくなる。信玄の春日や上杉の河田もその勢力から与えられた
権限や役割は決して小粒だなんていえないはずですが?
下の例ははっきりいって不適当に思えますがw信長はそんな圧倒的な差があるのに
信玄や謙信に辞を低くしていたわけですか?織田家の勝利のほとんどが兵力的に
勝ってのものであり、兵力的に劣っていた時は勝てなかったり負けたりしてるように
織田家と他の大名に経済力や動員力を除けばそんな圧倒的な違いはありません。

711人間七七四年:2007/06/24(日) 11:32:16 ID:kc5xXuFW
>>708
>>671
>天下構想って言ってもなあ。
 信長が朝廷に対する扱いをどうするつもりだったのかでいろんな説が
 でてしまうくらい信長の天下構想って不明確なんだよな。

これがその動かぬ証拠。自分の主張に責任もてよ。

朝廷を利用するのも戦略の一環だ。
足利義昭を擁して上洛したのも、義昭追い落としや窮地を脱するため朝廷を利用したのも全て戦略。
それの何が悪いわけ?
信長潰しのため朝廷を活用する術さえ知らなかった織田の敵対勢力の無能より、遥かにマシだっつーの。

天正六年右大臣の位を返上したのに、何故それが官位体制から離脱していないことになるんだ?
論外の阿呆か?
だから朝廷は、官位から離脱していた信長を官位体系に引き入れようとして、
武田征伐後、関白・太政大臣・征夷大将軍のいずれかへの就任要請をしたんだろ。
だが信長は、それを蹴っている。
官位体制に入りたいなら、何故右大臣を辞し、三職推任された時即座に受諾しなかったんだ?

君の主張は全く整合性がない。
よくもまぁ、ここまで支離滅裂なこじつけができるもんだ。
恥ずかしくね?
712人間七七四年:2007/06/24(日) 11:35:26 ID:cjPePzxH
>>711
ああ、そのレスしたのは俺だよ。
>>708とは別人だよ。>>708さんが答えてたからそこにはふれなかったんだけどね。
713人間七七四年:2007/06/24(日) 11:55:46 ID:cjPePzxH
>>711
せっかくだから答えておこうか。
信長の国家構想っていうのは結局その一部たる朝廷の扱いさえ
わかっていないのが実情といったわけ。俺は。
それで君も結局その他の信長の広い意味での国家構想なんてわからないと
いってるように、信長の国家構想なんて良くわからない。
>>708さんが上のレスで述べているように信長なら凄い国家構想があったはず、
と述べるのは希望的観測にすぎない。

朝廷の利用はこの時代他の大名も結構やってるよ。上杉が何度も上洛して官位や
大義名分を得ようとしたり、他の大名が官位を獲得して領国支配の正統性や
権威を得たりね。無能というが、結局の所信長が京都押さえているのにその敵が
どうやって朝廷を利用するんだ?朝廷だって動くに動けないだろ。

それから信長はその右大臣辞去より前に信忠に家督を譲ってるよ。
そして徐々にだが自分の代わりに当主としての仕事をさせるようになる。
それでも織田家のこの時点での当主たる信忠も従3位まで上ってるよ。
信長はこの時点では形式的には隠居の身だった。特に無官になった所で
織田家自体はしっかり官位体制に組み込まれてるよ。
714人間七七四年:2007/06/24(日) 11:56:29 ID:kc5xXuFW
>>712
自作自演は見苦しい。恥の上塗り。
715人間七七四年:2007/06/24(日) 12:01:17 ID:cjPePzxH
あのさ・・・もう一回IDと文体を上から見返してみ?違うってわかるから。
716人間七七四年:2007/06/24(日) 12:13:55 ID:kc5xXuFW
>>713
信長が朝廷の扱いさえ分かっていない根拠は何か。
急場を脱するため天皇を利用し、織田の利益のために動かしているではないか。
また誠仁親王とその子五宮を取り込み自家薬籠にして朝廷に深く食い込んでいる。
朝廷の扱いが分かっていない者のできる事か?
主張に全く根拠がないんだよ。

信忠の家督相続なんて、論旨と何の関係も無い。ボケ過ぎ。
朝廷官位は信忠だけでなく、秀吉、光秀など重臣達も戴いているが、そんな事はどうでもいい。
巧みに話をすり替えてるが、要は信長本人が朝廷官位から離脱したという事実だ。
それこそが、織田政権の国家統治構想と直結しているからだ。
717人間七七四年:2007/06/24(日) 12:19:53 ID:kc5xXuFW
>>713
自分自身が信長の国家構想が分からないからといって、
信長本人に明確な国家構想がなかったと決め付ける愚かさ。

君の論法だと、君の知らない事全てがこの世に存在しない事になる。
君は全知全能か?そうではないだろ。
718人間七七四年:2007/06/24(日) 12:27:58 ID:iejmO3eB
>>717
>>713を読み違えちゃったね
恥ずかしいね
719人間七七四年:2007/06/24(日) 12:46:26 ID:wvEEItv2
>>711
信長の天下構想に関する私の>>679のカキコは以下の通り。

>論点の矮小化云々はおいといて、具体的に対朝廷対策とはなんですか? 朝廷をどうしたっかと?
>正親町帝に再三退位を迫ったが結局無視されただけなのでは? 馬揃えとかいろいろ圧力掛けたのにね w
>第一、その「広義の日本の統治システム」とやらがどんなものであったのか、彼自身が何も史料を残して
>いないのになんで貴方にそれがわかるのか誠に不思議だが、その中身もご教示いただきたい。
博学そうな貴方にお聞きしたいとおたずねしているだけで、何かを主張しているわけではありません。
もう一度、冷静に過去スレを読み返すよう、お勧めします。


>朝廷を利用するのも戦略の一環だ。
>足利義昭を擁して上洛したのも、義昭追い落としや窮地を脱するため朝廷を利用したのも全て戦略。
>それの何が悪いわけ?
朝廷・将軍家を利用するのは善し悪しではなく、貴方の言うとおり、戦略ですな。しかし、なんの権威もない
のに利用しても無意味。だから、信長に限らず戦国大名はせっせと献金して官位をもらうと。

ちなみに、明との交易上必要だったとは言え「日本国王」たらんとした足利義満。南朝存命下の美濃の乱や
明徳の乱でも、のちの応永の乱でも、治罰の綸旨はおろか戦勝祈願さえ、一切朝廷の手は煩わせてません。
討伐に自信のない幕閣を叱咤し、 武家のことは武家で処理するとばかり、寄り合い所帯を率いて前線に赴い
てます。畿内反抗勢力におびえ、信玄におびえ、僅かばかりの援軍を送るだけで亀のように首を縮めていた
誰かさんとは大違いの雄々しさですね。義持ちも上杉禅秀の乱で、父と同様、朝廷の手は一切借りてません。
三代、四代が朝廷の権威を削ったのに、それを復活させたのはのちのヘタレ将軍代々と戦国大名達です。

ちょっと、蛇足が過ぎたので官位体制についてはまた、別項で。
720人間七七四年:2007/06/24(日) 12:51:12 ID:cjPePzxH
>>716
いや、だからね。なんか国語の勉強みたいだけどさ。
「朝廷の扱いがわかってない」っていうのは朝廷の扱いを信長が知らない
という事じゃなくてね。平たくいうと
「信長が朝廷をどうするつもりなのか具体的に確実に示すものが存在しない」
という事なんだよ。朝廷に深く取り込むのは権力者の常套手段。
藤原氏も平氏も足利氏も、古の天下人は皆朝廷に食い込もうとした。
娘とかを娶わせてね。信長にもそりゃ朝廷をどうしたいのか、という構想は
あったろうさ。でもそれがどんなものだったのか、どんな形にしたかったのか
具体的に示すものはない。君もいってるように朝廷に食い込んでいる事を見れば
結局の話それまでの権力者と対して変わらないと考えるのが無難でしょ。
君はそんなにいうけどさ、君は結局信長が朝廷をどうしたかったか示せるの?
確かな根拠を元に具体的に。それができたら多分君は時の人になれるよ。
多くの学者が出来ない事を成し遂げたんだから。

だからね、権力者が官位を退いて実権を握って統治するのは
特に不思議な事でもないんだよ。藤原道長だっておんなじことしてる。
さらに道長も新たな官位を宣下されたけど辞任してる。
これをもって道長が朝廷体制から離脱したなんていえる?
信長だってそうだよ。隠居してお屋形と官位の形式は信忠にゆだねた。
そして自分は身軽になって権力を行使する。これのどこが特殊なの?
この時点での形式的な当主である信忠はしっかりと高い官位を頂き、
他の家臣たちも官位を得てる。どうみても官位体制に組み込まれてるでしょ。
そんなにいうなら君は織田政権の国家統治構想とやらを示してくれよ
確かな根拠と共に。
721人間七七四年:2007/06/24(日) 12:56:01 ID:kc5xXuFW
>>710
長篠での武田の戦法は諸説あるので、ここでは保留にしておく。
織田方の勝因は「鉄砲以前に戦略による勝利」ではなく「鉄砲使用を前提とした戦略による勝利」だ。

信玄が行った小者のちょこまかとした配置転換など知らんよ。
そんなの全国の戦国大名がやってる事だろ。
ここでの論点は、
織田の急成長によって身代が大きくなった重臣達を、
根こそぎ縁も所縁もない土地へ転封するという信長の荒行だ。
この手法は、後に天下をとった秀吉が真似している。
当主の信玄でさえ甲斐の地に土着している武田家に、そんな事ができるわけが無い。

信玄や謙信にとって敵は織田だけだが、織田は複数の敵と同時に対峙している。
当然それだけ戦力は割かれるわけで、だから彼らとの戦闘は回避したかったわけだよ。
織田と武田、上杉とでは国力には大きな差があり、一対一のガチンコ勝負をしたとしたなら、
総合力で織田の勝ちは揺るぎない。

地理的立地という所与の条件を嘆いてみてもしょうがないだろ。
元々のハンディキャップがあっても、それを克服する手段を見つけ出すのが有能な戦国大名というものだ。
織田の兵は武田、上杉に比べて遥かに弱体だったが、信長はそれを銭で雇った常備軍で補い、数的優位で乗り切ろうとした。
自らのハンディキャップを克服できなかった信玄、謙信は、所詮それだけの器だったという事。
722人間七七四年:2007/06/24(日) 13:10:07 ID:cjPePzxH
>>721
なんというか・・・。
>>織田方の勝因は「鉄砲以前に戦略による勝利」ではなく「鉄砲使用を前提とした戦略による勝利」だ。
根拠お願いね。当時はまだ飛び道具として弓だって立派に使われてるよ。

だから、なんで信玄のは小物だと思うの?信玄のだって重臣で信長のだって重臣だろ。
内藤も春日も馬場も山県も秋山も皆武田の重臣だよ。しかも配置された所も
信濃・駿河・美濃・西上野と他国だよ。地縁なんてない。なんで信長だけ特殊だと思うの?
できるわけないじゃなくてやってるんだってば。

信玄も謙信も一応他方に敵はいるんだけどね。戦略で集中できる状態にしたんだよ。
結局国力の差だというならそれで人物にまで圧倒的な優劣をつけるのはおかしいでしょ。
戦略によってあわてふためくくらいの差ならなおさら。

織田が弱兵って・・・。織田が弱兵とか甲州兵が9倍強いとかそんなのありえません。
人間なんだから。銭で雇った常備軍っていう根拠はなに?
信長の軍勢も他の大名の軍勢も軍役衆で構成されてるってば。信長公記にも信長の
言葉として軍役という言葉は普通に使われてる。
信長の軍隊構造は別に他国と大きな違いがあるわけじゃない。そうなれば経済力や
国力が優位なほうが勝つのは自然。


723人間七七四年:2007/06/24(日) 13:17:59 ID:wvEEItv2
>>天正六年右大臣の位を返上したのに、何故それが官位体制から離脱していないことになるんだ?
>>論外の阿呆か?
離脱できるようになったから離脱しただけ。弾正忠を僭称(のちに追認されているが)までしてるんですけど。
上でも書いたけど、官位官職に利用価値があったからそうするんじゃないの?
価値もないのに、「俺は弾正忠だ」って名乗るアホはいないと思うんですが、違います?
 

>>679 を再掲します。
>>天正二年三月、従三位・参議というそれまでの弾正忠から一挙破格の昇進。その後も大納言、内大臣、
>>右大臣と職を受け、位は正三位。官職を辞したのは第二次包囲網突破に目鼻がついてから。
>>これでは、官位体制を利用するだけ利用した、と見る方が自然では
これだけ官位官職受けといて、あくまで「後に返上したから離脱してる」って仰るわけですね。
ああそうですか、としか言いようがない w

>>官位体制に入りたいなら、何故右大臣を辞し、三職推任された時即座に受諾しなかったんだ?
三職推任が朝廷から言い出したのか、信長サイドが言い出したのか、それが立花氏らの「将軍職固執説」
の論拠なんだけど、それはまぁおいといて。
三職のいずれかを受ける代わりに正親町帝に退位を迫ったのは定説ですから、お認めになりますね?
でも、正親町帝は退位しなかった。だから即座に受けなかった。それが歴史的実です。
正親町帝がどうしても退位しないから、官職を交渉材料に使った。十分、官位体制とやらに依拠してますね。
貴方が言うように「一切妥協せず」ってのなら、朝廷なんか、義満がやったように無視すれば良いんでは?

天正六〜十年時点で官位体制に信長が入りたかったか?って、それが論点なら、最初からそう書いてください。
そんな彼の最晩年、敵対勢力を圧倒できる状態になってからなら、そりゃ「そんなもん要らん」って思う方が
自然でしょう。それまで、どれだけお世話になっていようが、特に狡猾性の強い人間ならそう思うでしょうな。

貴方が私をどう思うが貴方の勝手です。私はもうお相手できませんが、どうぞご自分の主張をお続けください。
724人間七七四年:2007/06/24(日) 13:18:57 ID:kc5xXuFW
>>719
>>717を読めよ。
自分自身が分からなかったり、現在においても解明されていない事象は、それ自体が存在しない事になるのかっつーの。
君が信長の国家ビジョンについて、対朝廷工作にしか言及していないから、「広義の日本の統治システム」を引用したまで。
同じ質問を何度もすんなよ。

信長は利用価値があるから、足利義昭や朝廷を利用したのであって、
それを「なんの権威もないのに利用しても無意味」って、文章として意味を成してないだろ。
おいおいって感じ。いい加減にしてくれ。

足利将軍の事例に言及しているが、的外れのピンボケ引用はうんざりだ。
どーでもいいだろ、そんなこと。

信玄は信長のように、四方を取り巻く敵を一手に引き受け、
複数の戦線を維持させる能力があるのか?
上っ面で浅薄な物の見方しかできない哀れな人だな、君は。

725人間七七四年:2007/06/24(日) 13:20:06 ID:cjPePzxH
私もこれから外出しますのでそれでは。
726人間七七四年:2007/06/24(日) 13:41:04 ID:kc5xXuFW
>>722
織田が弱兵だというのは、つとに有名な話。
都合が悪くなると無知を装ってとぼけられてもね〜

戦国大名の優劣を測る指標は国力でしょうが。
家康が秀吉没後、天下取りに成功した要因もそれだけだし。
それで評価して何が問題なわけよ。

信玄の重臣達の身代や武田の支配領域は、織田のそれとは比較にならんでしょ、って言ってるわけ。
小者なら移動も身軽だわさ。

織田が長篠の戦場に大量の鉄砲を持ち込み、馬防柵を設置して武田の襲来を待ち構えてるのに、
何寝ぼけた書き込みしてんの?
弓なんて引用してるが、そんなん長篠の戦いの勝敗と何の関係があるんだ?
ボケ過ぎ。

727人間七七四年:2007/06/24(日) 13:54:08 ID:kc5xXuFW
>>723
右大臣という高官を辞任してんのに、わざわざ「弾正忠」という泡沫位階を引き合いに出すセンスは理解不能。

三職推任を朝廷から言い出したのか、信長サイドが言い出したのかなんて、どーでもいい。
信長がどの官位にも就かなかった事で答えは出ている。

信長にとって、朝廷は無視できない存在だからこそ、誠仁親王親子を取り込み、
正親町帝に譲位を迫ったんでしょうが。
分かりきった事を質問すんなよ。
毛利が滅亡すれば、帝は信長の譲位要求に応じていた。
その絶妙なタイミングで信長は暗殺された。

728人間七七四年:2007/06/24(日) 14:27:49 ID:W9rVm3SE
日本最高の過大評価は、坂本龍馬だろ。
ファンの中では明治維新は龍馬が中心で全てが動いたことになってて
恐すぎです。いつから始まったのか
この龍馬キャンペーンほど成功した例はないだろ
729人間七七四年:2007/06/24(日) 22:04:24 ID:cjPePzxH
>>726
あのねえ・・・。
尾張兵が弱兵だなんていうのは江戸時代に造られた講談だよ。
尾張兵が弱いとされる根拠とされる姉川なんて同時代の資料では
信長が苦戦したとか浅井兵に本陣近くまで切り込まれたなんて書いてないんだよ。
普通に野戦になって数の多い織田が浅井朝倉を撃退しただけの合戦なんだよ。
江戸時代では姉川の場面で、後に天下を取った徳川と将軍の血筋に入った浅井を
持ち上げたわけだ。ここら辺の事情を無視して無知とか言われても困る。

国力評価したっていいさ。でも信長がそれを得られたのは他の大名より立地において
有利だったからでもある。そこを考慮せずに圧倒的に上とかいってもねえ。

なんで織田の重臣がそんな大身で移動されてると思うわけ?
織田だって最初は小さかった。大身になってからは普通に固定が進んでるだろ。
越前の柴田、丹波の明智。明智が本能寺の前に毛利の領土に移封云々なんて
いわないでくれよ。信長公記にさえそんな事かいてないよ。
それに豊臣・徳川の時代に移封は普通に行われているのに
なんで出来ないと思うんだ?小身なら出来て大身ならできないなんて君の思い込みだろう。
しかも武田の重臣だってその分母から見ればなかなかのものなのに。

だからね。信長公記によれば信長がまず陣地を作って武田と相対し
その状況を見た後で作戦を考えているんだよ。「鉄砲を使うことを前提」になんか
してないの。それで軍議をして酒井を呼び兵や将を預けて武田軍後方の砦を
襲撃させた。これによって後方を絶たれた武田軍は織田に向かって突撃する。
それに対して飛び道具で迎撃し足軽を出して崩し、それを長期に渡って続け
武田を疲弊させるという事に関しては飛び道具は鉄砲じゃなくても弓矢でも
代替は利いたんだよ。だからこれは戦略の勝利であって鉄砲が前提になんか
なってないんだよ。鉄砲はその戦略の実施において役にはたっただろうけどね。
730人間七七四年:2007/06/25(月) 13:32:33 ID:ixDOibVZ
>>729
君さ〜、どの説を信じるかは君の勝手だけど、
思考停止で他人の説を妄信して当時の時代背景を無視するなんて愚劣もいいところ。

前記で、長篠での織田鉄砲隊の三段撃ちを否定しているが、
じゃあ、どんな射撃方法で武田を撃退したというのだ?
反証を示してみろ。
3000丁もの鉄砲を抱えた足軽が、各々好き勝手に射撃していたとでもいうのか?
織田軍は戦国随一の軍律厳しい組織だ。足軽が勝って気ままに行動するなんて織田軍では有り得ない。
しかも信長は何事にも事前に用意周到に準備を整える性質だ。
信長が立案した戦略に沿って、配下の武将の指示命令の下でシステマティックに射撃したのに決まってんだろ。
それが三段撃ちか四段撃ちか五段撃ちは知らんがよ。
人の主張を否定するなら、その根拠を示せよ。
誰々がこう言ってたからとか、あ〜言ってたからとか、そんな事を論拠にしても、
一部の他人の説を単に受け売りしているだけであり、説得力がないんだよ。

「鉄砲を使うことを前提」にしていないなら、何で戦場に鉄砲を大量に持ち込んだりするんだ?
しかも馬防柵までしっかり設けているっていうのに。
おいおい、だぜ。

鉄砲が急速に普及している戦国の世で、弓矢が鉄砲の代わりになるわけないだろ。
兵器としての有用性は弓矢なんかと段違い。
源平の世の戦法が、戦国の戦で通用するわけないだろっつーの。
信長は武田戦に弓矢なんて使うつもりなど毛頭ない。誰かさんと違って馬鹿ではないのだから。
自分の勝手な妄想を押し付けんな。

「鉄砲はその戦略の実施において役にはたっただろう」って、
鉄砲無しには戦略が成り立たないのが長篠の戦だろうに。
長篠こそが織田鉄砲隊を実力を世間に知らしめた戦だろ。




731人間七七四年:2007/06/25(月) 13:33:17 ID:ixDOibVZ
>>729
「尾張兵が弱兵だなんていうのは江戸時代に造られた講談」って、
そんな庶民娯楽が、歴史の一等資料と同等の信頼性があるわけねーだろ。
姉川の戦は、数で上回る織田・徳川勢が浅井・朝倉勢を「一方的に」圧倒したなんて初めて聞いたぞ。
おいおい、自分の都合で歴史をねじ曲げんなよ。

他の大名より立地において有利だからといって、誰でも勢力伸張できるわけではない。
信長だからこそできたわけよ。上っ面の見方しかできんのか。

天正十年武田家滅亡後、滝川一益は信長から上野・信濃の一部を与えられ、畿内から転封させられている。
大身になっても領土の固定なんて進んでないんだよ。嘘もいい加減にせいよ。
上杉・毛利が消え織田の領土が更に拡張すれば、秀吉・光秀・勝家などの所領の移封は当然あり得る。
一益だけが特殊な例ではない。

豊臣・徳川の時代に移封が普通に行われているのは、
過去の前例がある上に、既に天下は固まり、承諾しないと取り潰されるからだ。
戦国真っ只中の主従関係と混同すんな。

いいか、主人の思考・価値観は当然家臣達に伝播する。
甲斐の地に土着した信玄の意識は、武田家臣団も影響を受ける。
織田のような劇的な所領替えなど、武田には不可能なんだよ。
しかも信玄は、信長ほど家臣団に専制的な権限を振るえる君主ではない。
信長以上に家臣団に気を配り配慮していた。
そんな信玄が土着意識の強い家臣の国替えなどできるはずもなかろうに。
他人の意見の受け売りだけじゃなく、当時の時代背景を洞察して、自分の頭でちっとは考えてみろ。

これ以上恥の上塗りはやめておけ。

732人間七七四年:2007/06/25(月) 14:25:51 ID:koirujzz
長篠は729さんの見解で正しいだろう
あれは全軍突撃させるように仕向けた信長の策が見事にはまった。
砦のように構築された信長軍の野戦陣地に数で劣る相手が突撃すればそりゃ負ける
鉄砲(or弓)で威嚇しつつ兵を小出しにして攻撃、撤退、威嚇、攻撃の繰り返しだろう。
織田、徳川連合軍は完膚無きまでに武田を叩いたが、武田の抵抗も激しく
織田、徳川の損害も激しい。
織田は損害が大きくても早期に回復できる経済力を有していたが、武田にはなかった。
733人間七七四年:2007/06/25(月) 18:21:04 ID:I6HhWhh8
んん〜、その戦略解釈は間違いとか正しいとか言いがたいでしょ
なんで戦いのキモを無理に一つに絞ろうとするのか分かりません

鳶ケ巣砦を押さえたのは信長のその場における臨機応変な対応であって
鉄砲は最初から意図的に集めてる
この大量の鉄砲という裏打ちが無い場合に信長が武田の背後を押さえて
前進させる戦術を採ったかどうか分からないし、成功したかどうかもわからない
当初は、武田が撤退すればそれでよしって考えていたから陣中砦を構築して
進軍を止めていたのでしょう
武田のほうがノコノコ出てきたから背後を取っただけで
本来、戦いを避けようと思っていたのなら、よほどの自信がないと敵の退路を断つという戦術は採らないでしょ
味方の被害がでかくなる

>信長が立案した戦略に沿って、配下の武将の指示命令の下でシステマティックに射撃したのに決まってんだろ。
>それが三段撃ちか四段撃ちか五段撃ちは知らんがよ。
>人の主張を否定するなら、その根拠を示せよ。

根拠は、つるべ撃ちをしたという根拠が無いからでしょ
もちろん、「つるべ撃ちをしていない」など書いた史料もないけど、それは悪魔の証明ってもんだよ
それならば極端に言えば信長は核兵器を使った、魔法を使った、なんでもありになっちゃう
もちろん、絶対につるべ撃ちをしていないとは誰にも言い切れないけど、可能性としては
断然低いとしか言いようが無い
まぁ、朝倉との戦いで、ある局面では鉄砲と弓を組み合わせて、鉄砲を主としながらも
弓でその連射力の不足を補ったらしいから、そゆうやり方はしてたかもね?


734人間七七四年:2007/06/26(火) 06:06:50 ID:2bAeyTFz
>>730
なんというか・・・。織田厨版メガトンか?
>>じゃあ、どんな射撃方法で武田を撃退したというのだ?
>>反証を示してみろ。
>>3000丁もの鉄砲を抱えた足軽が、各々好き勝手に射撃していたとでもいうのか?
鉄砲の数は3000ではなく1000丁なの。ソースは信長公記。これは先にも書いたが
信長の祐筆として仕えた大田牛一が書き残したもので資料として信頼されてる。
これにおいては長篠での鉄砲の取り扱いは「信長様は千ばかりの鉄砲に
佐々・前田・野村・福富・塙の5人を奉行とした」ただこれだけだよ。
どこにも3段だの一斉射撃だのという記述はない。むしろ入れ替わり立ち代り撃つ方法は
むしろ手間がかかって非能率だし、戦場における射撃は仮に最初の射撃が一斉になっても
次第に個々の射撃になっていく。一々一番遅いものにあわせて撃つのを敵は待ってくれないからね。
>>733さんもいっているけど三段撃ちしたなんて同時代資料は本当にないんだよ。

だからね。弓矢は普通に使われているの。源平の時も南北朝のときも戦国時代も。
この時代鉄砲の威力は後世ほどのものではないし、弓は十分に役立ったの。
しかも弓のことを過小評価してないか?戦国でも弓による死傷は非常に多く
鈴木氏のように「戦国時代の主な攻撃は弓などの飛び道具」とまで極端にいう人もいるくらいだ。
さすがにここまで極端ではないけど弓が十分使われていたのは事実。織田家にも弓隊はちゃんとあったし
信長公記の著者の大田も戦場で弓を使って手柄を立て信長から褒美を与えられてる。
長篠以降も普通に弓は使われてるし、弓頭(弓の部隊長)もちゃんとある。

>>そんな庶民娯楽が、歴史の一等資料と同等の信頼性があるわけねーだろ。
>>姉川の戦は、数で上回る織田・徳川勢が浅井・朝倉勢を「一方的に」圧倒したなんて初めて聞いたぞ。
>>おいおい、自分の都合で歴史をねじ曲げんなよ。
んじゃ聞くけど、君の姉川で織田が追い込まれたというのは何を元にしてるの?
司馬さんとかの小説家じゃないのか?小説家は読者を楽しませる事がお仕事なんだよ。
だから講談とかを元にして史実よりもおもしろい話を書く。鵜呑みにしちゃいかんよ。
同時代資料でいくなら、年代記サ(変換できない字)節では「(浅井・朝倉が)横山へ
後詰として二手に分かれて押し寄せ信長は即座に両方を相手にして切り崩し勝利を収めた。」
信長公記では簡略化して書くと「双方が入り乱れて戦い終に織田がこれを追い崩し
浅井・朝倉方の武将を何人も討ち取り千を超える首を取った。」とあるだけ。
どこにも織田が本陣近くまで追い込まれたなんて書いてないの。尾張兵が弱兵だとも書いてない。

信長が優秀なのは誰も否定してないよ。でも戦国には他にも小国から大国に押し上げた実力者でも
地理的状況などから天下を目指せなかったものもいるんだよ。信長だけ特別じゃない。

だから、一益がそうであっても柴田や明智は全然動いてないだろ。というか
一益は関東に移されるまでそんなに大身だったか?伊勢に所領をもってはいたけど
武田の4名臣を鼻で笑えるほどの大身だったか?北信濃や西上野をまとめていた春日や
内藤を見るととてもそうは思えないのだが。移封にしたって出来たからといって
豊臣・徳川時代には普通に行われているし、だからなんだとしかいえない。
大身だから信長以外は移封できない、というのは君の希望的観測。

過去の前例ってなに?信長とかいわないでよ。他の大名だって普通に主従関係なら移封してるだろ?
統一政権は他の大名を家来にしてるのだからそれを移封させるのに何の不思議が?

武田に不可能も何も普通にやってるといってるだろ。甲斐にいた家臣を他国に移封してる。
駿河・信濃・西上野・美濃、皆他国だよ。なんでこれで劇的じゃないというんだ?
これで駄目なら信長のだって全然劇的じゃないぞ。まあ、移封自体は他の大名も
やっていて珍しくもないからそもそも劇的じゃないんだけどな。信長のも無論劇的じゃない。
君はどうも「信長が革命児」という先入観がある。小説家とかのが元になってるんだろうけど
それこそ自分で考えてないじゃないか。




735人間七七四年:2007/06/26(火) 06:45:56 ID:2bAeyTFz
間違えた
年代記サ(変換できない字)節
じゃ無くて
年代記抄節だ、スマソ。
736人間七七四年:2007/06/26(火) 09:25:28 ID:Hst/KRQO
信長は革命的な天才と言うよりは、要領のいい秀才。
実際、やっていることは結構堅実だったりするし、
そうやって着実に成果を出していったところが偉いところ。
737人間七七四年:2007/06/26(火) 09:51:58 ID:i1Jj/mFc
>>734
細かいことで申し訳ない。
牛一さんは槍働き一辺倒の人(この人は弓が得意だったんだっけ)ではないけど、右筆ってのとは違うんじゃないの?


あと、織田が弱兵というのは都市民より農民(肉体労働者)の方が戦には向いてるっていう、一般原則?的な話かも?
実際、我が国じゃ西南戦争や日清戦争で300年鍬しか持ってなかった農民が忍耐力、規律という兵士として重要な
素質に富むことを実証、「またも負けたか」で有名な大阪出身者中心の連隊が世間の誹りを浴びたりしてるし・・・

もちろん、徳川が「姉川は我らが織田殿の窮地を救ったのだ」の類の話を流布、三河武士神話の喧伝に相務めた、
ってことはあったでしょうね。
738人間七七四年:2007/06/26(火) 20:05:09 ID:aomDeLTt
>>737
何処に右筆の話しが?
あと大阪連隊の話しは日本史軍事などの板によると俗説らしいということだが
それに織田家もその軍の構成は他家とそう変わるわけじゃないと思うが
都市民農民というのはあまり関係無いと思う
739人間七七四年:2007/06/26(火) 21:48:16 ID:2bAeyTFz
>>737
遅レス申し訳ない。
太田が右筆というのは俗説だったか。失礼。

太田は堂々で弓で武功をあげて信長から関心されて知行を加増されてるよ。

日清戦争においては日本兵は強かったけど、西南戦争では随分薩摩武士に苦戦してる。
大阪8連隊は創立当時から終戦による解体にいたるまでよく戦った部隊で
その戦歴も悪いものでもないそうです。西南戦争においては結構な死傷者を出したみたいで
これを勇戦の結果とするかどうかはともかく、これが「またも負けたか」の始まりに
なったという人もいますね。まあ、近代軍史はそれほど詳しくないのですが。
織田軍団もとりあえず資料にある戦歴を見る限り特に弱いとは思えないですね。
寡兵で大軍相手に良く戦った事例もいくつかありますし。>>738さんもおっしゃってますが
軍隊構造も特に他国と変わりませんし、それほどの差はないと思いますよ。
尾張にも農民はいる事ですしね。
740人間七七四年:2007/06/26(火) 22:26:13 ID:i1Jj/mFc
>>739
俗説かどうかはともかく、側近く侍って仕えることと右筆とはまた職責が違うんじゃ?といった疑問であって、
寧ろこちらかお聞きしたかったという感じなんですが・・・ 

織田弱兵云々は、私の思いつき程度の話です。ちゃんとそれを明記しなかった私の書き方が悪かったので
ご容赦のほど願います。( >>738 さんも、同じくご容赦いただきたい)
軍役状には装備、引率兵数は規定しても、兵の出身階層まで規定してるわけじゃなし、兵質と言うことでは、
どこの大名でも同じようなもん(圧倒的に第一次産業従事者が多かったでしょう)だったとは想像してます。
741人間七七四年:2007/06/27(水) 01:46:58 ID:Qz9Z9wQs
>>733
戦場に大量の鉄砲を投入しているのに、「つるべ撃ち」をしないほうが遥かに難しいだろ。
勝手に可能性が低いと決め付けているが、
じゃあ、大量の鉄砲を使用して「つるべ撃ち」にならないような鉄砲隊の使い方を説明してみろ。

それに論点は鉄砲隊の戦術なのに、当時の兵器とは何の関係もない的外れな「核兵器」とか「魔法」とか引用する愚劣さは、
笑えるというより哀れすぎる。
742人間七七四年:2007/06/27(水) 01:48:03 ID:Qz9Z9wQs
>>734
信長公記には、織田・徳川連合軍が長篠の戦場に持ち込んだ鉄砲の「総数」が1000丁だと明確に記載されているのか?
記載されているなら、その箇所を貼り付けてみろ。
一斉射撃した総数が1000丁だという可能性はないのか?
明確な論拠を示せ。

「一斉射撃」を否定するなら、大量の鉄砲をどう運用したのか説明してみろ。
明確な反証させできないくせに、根拠無く否定すんな。

「入れ替わり立ち代り撃つ方法はむしろ手間がかかって非能率」だというなら、
大人数の鉄砲隊をどんな方法で運用するのが効率的なのか、具体例を示せ。

否定はするが、その根拠は明らかにしないのでは、単なる難癖、言いがかり、妄言の類にすぎん。
反論するなら、その根拠を明確にしろ。

「次第に個々の射撃になっていく。一々一番遅いものにあわせて撃つのを敵は待ってくれない」って主張しているが、
じゃあ「個々の射撃」になる前は、どんな射撃スタイルだったんだ?説明してみろ。
無様な墓穴掘り。みっともないぞ。

戦国の世にもなると、源平・南北朝の頃とは弓矢の有用性は格段に低下してんだろ。
弓隊はあっても、それは窓際みたいなもの。
戦局を左右する武器ではない。
そんな戦があるというなら、その戦の具体名を挙げてみろ。

まるで司馬先生の小説が、いい加減な歴史考証に基づいて書かれているかのような物言いだが、
表現手段でその内容を差別すんな。何故歴史を歪曲していると言い切れる?
「講談とかを元にして史実よりもおもしろい話を書く」とは、君お得意のでっち上げのレッテル張りにすぎん。
自分の勝手な都合で、人を根拠なしに中傷すんな。最低すぎんだろ。
そんな小説もあることは否定しないが、全てそうだと決め付けるのは、
主観で決め付けてレッテル張りをする、インチキ詭弁師が用いる常套手段だ。

しきりに同時代史料を自らの主張の根拠にしているが、
全文を引用せずに都合のいい所だけをかい摘んでいるところが君らしい。
姉川の合戦を記した信憑性の高い書物は、信長公記だけか?
743人間七七四年:2007/06/27(水) 01:49:17 ID:Qz9Z9wQs
>>734
織田の兵は弱兵なんだよ。
尾張が当時の有数の商業地帯であったため人の心が富を求める風潮が強く、よって命を惜しんで武を軽視する傾向が強いという風土もあるが、
最大の要因は兵農分離だ。
農民兵では閑農期にしか戦争できず、農村では働き手を戦争に取られ、収穫にも悪影響である。
上杉謙信が図抜けた戦闘指揮能力と強兵で知られる越後衆を持ちながら、遂には京都へ上ることが出来なかったのは、このシステムのためだ。
信長は戦闘活動と収穫高との安定化を図るため、傭兵を雇い専業化することによって常備軍を備えたわけだ。
彼らは戦が優勢な時なら有効に機能するが、一たび劣勢になると土地を基盤としない根無し草だけに諦めるのも早い。
だから信長は、織田の兵が他国の兵と同等に渡り合うため、遠くから戦えば敵に倒される恐れも少なくなるので長槍を導入したんだよ。

やたら古文を後ろ盾にしてこの点を否定しているが、
尤もらしい単語を並び立てて嘘をでっち上げるという君の詭弁論法は見透かされてるぞ。
じゃあ、織田の兵が武田・上杉と並びうる強兵だったという根拠を示せ。
書かれていないから強兵だったという理由は通用せんぞ。

滝川一益は織田家の堂々たる重臣であり、織田家内の序列は秀吉より上だ。
なのに一益の関東移封だけが何故例外といいきれる?
信長が一部の家臣だけに不合理不公平な処遇をするわけがないだろ。
そんな事をすれば、家中統制は利かなくなる。
秀吉、勝家の移封の件が信長公記にないのは、まだ実現していないから。単純な理由だ。そんな事も分からんのか。
だからといって、一益の国替えだけが織田家では例外だと断ずる君の意見は、誠に浅はか。
希望的観測をしているのは君なんだよ。

「他の大名は普通に主従関係なら移封」してないんだよ。
それは所領の小さい小者レベルの話。
織田家の各軍団長に委ねられた勢力は小大名以上であり、武田のそれとは比較にならんでしょ。

「地理的状況などから天下を目指せない」なんて当たり前。
いくら信長でも薩摩の島津家に生まれていたら、あそこまでの領土拡張は無理。
分かりきった事を一々書き込むな。

統一政権の諸大名の移封と、天下統一途上下での大名内の家臣統制術とは違うだろっつーの。
何でもかんでも一緒くたに混同すんな。

744人間七七四年:2007/06/27(水) 02:20:41 ID:xtSBdEf0
>>741
ああ、今川vs武田のところの粘着してた新種のメガトン君か
丁重に相手して損したわ

>戦場に大量の鉄砲を投入しているのに、「つるべ撃ち」をしないほうが遥かに難しいだろ。
いいか、まず君が、大量の鉄砲があると「つるべ撃ち」にしかなり得ないということを立証してみろ。
こちらは可能性を否定はしていないが君は断言しているんだろ。出来るはずだよな

>それに論点は鉄砲隊の戦術なのに、当時の兵器とは何の関係もない的外れな「核兵器」とか「魔法」とか引用する愚劣さは
ああ、君には悪魔の証明の意味が分からないかもしれないと思って例え話を書いただけだよ。
例え話かどうかも分からなかったのか、君の知性を買いかぶっていたようだよ。
この一文に関しては明確に謝意を表すよ。申し訳ない。
いいか、君は自分の論に対する反論が来ると、往々にして「では貴様が○○ではないことをを立証してみろ」と
相手に立証責任を直ぐにし始めるが一言で言って「甘えるなボケ」だ。
まず君が自分の主張に対する立証責任を負うのが当然だ。
君自身の論の正しさ、そしてこちらの反論のおかしさを貴様が立証してみろ。
君の言い方を借りるなら「つるべ撃ちしていないことはないことを立証してみろ」だ。

>>742
当人ではないがついでだから答えてやるよ。
さっそく使わせてもらうが、甘えるなボケ。
君が、3000丁の明確な論拠を示せ。反論のおかしさを示せ。明確にな。
反論を批判するなら、まず自分の論の根拠を明確にしろ。

以下、長々とご苦労だったが、君の戯言詭弁に対する答えは全部同じだ。
甘えるなボケ。
745人間七七四年:2007/06/27(水) 02:41:50 ID:Qz9Z9wQs
>>744
大量の鉄砲を使用していながら「つるべ撃ち」していない可能性って何よ。
有りえるのか?そんな事が。
各々の鉄砲兵が確実に一発ずつ順序良く撃っていたとでも。馬鹿すぎね。
説明できないのに反論すんな、と指摘しているんだよ。

自分の的外れな引用を棚に上げて、人を批判すんな。
「核兵器」や「魔法」が戦国の世と何の関係も無いのは自明の理だろ。

自分自身が何一つ自らの立証責任を果たしていないのに、他人を批判する資格がなかろうに。
根拠を示せないのに反論している自らのいい加減さ、論拠の無さを追及されると「甘えるなボケ」ときたもんだ。
上っ面の批判なら馬鹿でもできる。
出直して来い。


746人間七七四年:2007/06/27(水) 03:21:15 ID:xtSBdEf0
>>745
ほんと面倒な人だね。
揚げ足取りはよしてくれないかな。謝るから。
そこが君の論点では無いんだろう?
話をそらして逃げたいわけじゃないんだろう?

>大量の鉄砲を使用していながら「つるべ撃ち」していない可能性って何よ。
>有りえるのか?そんな事が。
話はシンプルだ。君が最初に主張した「つるべ撃ちにしかならない」論を
証明すれば決着が付く
水掛け論に摩り替えるな。

信長公記の一節を貼れだぁ?
そんなもん自分で調べて貼りやがれ
(馬鹿にされる前に書いておくと、貼れますが、あえて貼らないでおく)
そして自分の説の正しさが証明できたなら「どうだ、俺が正しいだろ」と言ってみろ
自分が間違っていたのなら、相手の反論が正しかったのなら「俺が間違ってた、申し訳ない」と謝罪してみろ
その責任は主張者である君が負え
それが議論だ。
まさに、甘えるなボケ だ。
君のは議論じゃないんだよ。
ただ逃げながら、水掛け論を挑んでいるだけ。
だから、毎度相手があきれて相手をしなくなるまで話が収まらない。
君が自分の責任から逃げるから。相手に責任転嫁して罵倒することしか出来なくなるから。
水掛け論にしかならないから。


さ、落ちますわ。
747人間七七四年:2007/06/27(水) 03:35:15 ID:Qz9Z9wQs
>>746
何一つマトモな反論が出来ず、駄文を重ねて見苦しく逃げ回っているのは君だろうに。

「貼れますが、あえて貼らないでおく」って、貼れない姑息な言い訳がミエミエだ。
見っとも無い。

「つるべ撃ち」をしたいが為に、戦場に大量の鉄砲を投入するんであって、
そんなの理に適った常識だろーが。
それ以外に大量の鉄砲をどう効果的に運用できるっていうんだ?
あるんなら説明してくれ。ま、出来ないだろうけど。
駄文を連ねて話をすり替えるのがオチだ。見っとも無い。消えな。

「水掛け論を挑んでいるだけ」なのはアンタ!

何一つ話の要点に触れず、どーでもいいタワ言で誤魔化してるのはアンタなの!
748人間七七四年:2007/06/27(水) 03:50:12 ID:mCtlfSDc
三千の鉄砲が一斉射撃って、ありえんのかね。
三千人の鉄砲隊が一列縦隊っていうのもないと思う。
戦列が一列なんてありえないし、
それぞれの部隊にもわかれてるだろうから、
三千の鉄砲が一斉に撃ってその後一斉に同時に弾込め、
なんて非現実的だよ。訓練による賜物かどうかは別にして、
結果として釣瓶撃ちのような形になるんじゃないかな
749人間七七四年:2007/06/27(水) 03:55:04 ID:Qz9Z9wQs
>>748
>三千の鉄砲が一斉射撃
>三千人の鉄砲隊が一列縦隊
>三千の鉄砲が一斉に撃ってその後一斉に同時に弾込

おいおい、こんな記述がどこにある?
でっち上げの捏造すんなよ。
750人間七七四年:2007/06/27(水) 10:05:52 ID:pHQcsSDU
751人間七七四年:2007/06/27(水) 10:40:42 ID:vAQqcm+O
>>744
>>746
私、あきれて相手をしなくなった者です w
ご承知のように、宗教というのは道理を越えた一線を信じるか否かで成り立っており、
既に強固な信仰を確立している人間のそれを覆す困難さは、歴史上の有名、無名の
殉教者が何百万という彼らの死をもって実証しています。もちろん、過去の宗教弾圧
者とあなた方を同列に見ているわけではないので、念のため申し添えます。

信長教は破防法の適用を受けることはないでしょう。実害はありません。
ほっときましょう w
752人間七七四年:2007/06/27(水) 10:59:56 ID:PJUOhe+C

ID:xtSBdEf0の負け
753人間七七四年:2007/06/27(水) 11:34:04 ID:xtSBdEf0
>>751
おお、あちらの勇者様ですかw
よくまぁ、あそこまで根気よく・・・
お疲れ様でした
しかし無駄ではありませんでしたよ
このメガ豚君の立証責任転嫁論法を明らかにしてくれたお陰で
取り扱いが楽でしたw
754人間七七四年:2007/06/27(水) 13:12:23 ID:JkgBftOO
>>751反信長教信者もあれだよな、教科書を聖典にしてあるはずもないオリンピックを妄想www
755人間七七四年:2007/06/27(水) 16:44:32 ID:Q4Wz/XAX
>>754
もはやそれを繰り返すだけだなwww
反信長教なんていうものは存在しないよwなぜなら偶像が存在しないからw
756人間七七四年:2007/06/27(水) 20:04:35 ID:Q4Wz/XAX
>>749
しかし、こいつはよくわからん奴だな。上であれだけ3千丁とかシステマチックに
射撃とかわめいていたのに
いざそれにそって話をする人間が現れると手のひらを返してる。分裂症か?
今川vs武田スレの奴も立証責任から逃げ回って相手のことを批判しつつ
それが終わると相手の主張を使ってたな。同一人物か?
757人間七七四年:2007/06/27(水) 21:27:10 ID:vAQqcm+O
>>753
たぶん、今川vs.武田スレのことなんでしょうが、そちらで書き込んだことはなく、人違いです。
私はそんな出来た人間ではありません。このお方と複数スレでやり合うなんて、とても無理ですw

ついでに言えば、このお方のは論法などというものではなく、信仰告白であり、百尺竿頭進一歩の
境地に至らないととてもお相手できるもんじゃない、と退散したわけです。
このスレに曹洞宗の方がおられて、皮肉に聞こえたらごめんなさい。道元さんは尊敬してます。
758人間七七四年:2007/06/27(水) 22:44:26 ID:JkgBftOO
>>755
偶像はなくても教科書と言う聖書が存在するじゃんww
>>757
だよな、妄想オリンピックを語る奴並に厄介だよなw
ねぇwww
759人間七七四年:2007/06/27(水) 23:01:34 ID:Q4Wz/XAX
そんな事いったら上の信長厨は小説を聖書にしてる奴もいるぞww

妄想オリンピックというけれど、業績比較ができないなら平宗盛より信長が上と
言う事もできなくなるんだけどなww
760人間七七四年:2007/06/27(水) 23:19:54 ID:JkgBftOO
まだそんなこと言ってるの?
つうか業績比較とかどちらが上って、とどのつまり誰が決めてるの?また脳内ソースか?
どこかの学者の論文でも持ってきて、誰誰が業績として優れてるとかないわけ?
有るわけねぇかwww
まぁ信長の小説を聖書にする奴が居たって教科書を聖書にする奴が消える訳じゃないw
761人間七七四年:2007/06/27(水) 23:49:54 ID:Q4Wz/XAX
また、ってなんだ。脳内ソースなんて挙げた覚えはないんだけどなw
誰と勘違いしてるのかは知らないがw
いや、いいよ。君が業績比較できないというならそれはそれでいいよ。
その代わり平宗盛より信長が上ということもできなくなる、という話だよw
762人間七七四年:2007/06/28(木) 00:24:22 ID:WiXLIfS9
だからどうやって業績決めてんのさw
業績とはいったい何を基準にしてるんだよw
ほとんど抽象的な概念ばっかりじゃないかw
763人間七七四年:2007/06/28(木) 00:27:30 ID:7FhnXFdF
その人物が歴史において残した成果だろ。業績とは。
どうしたんだw君の主張でもいいといってるんだぞw
ただ平宗盛より信長が上といえなくなるだけの話じゃないかw
764人間七七四年:2007/06/28(木) 00:57:32 ID:WiXLIfS9
なんだそういう事か、勘違いしていた、まぁいいや答えてやるよ、時代が違うので比較は出来ない、この一言ねw
765人間七七四年:2007/06/28(木) 01:56:11 ID:7FhnXFdF
そうだな。比較できないなら平宗盛より信長が上ともいえないなw
766人間七七四年:2007/06/28(木) 02:34:24 ID:WiXLIfS9
そうそう、朱元璋とかも信長より上とは言えないしw
767人間七七四年:2007/06/28(木) 02:59:46 ID:7FhnXFdF
そうそう、それが君の主張だったろw
平宗盛よりも秦の胡亥よりもジョン欠地王よりも信長が上ともいえないわけだw
768人間七七四年:2007/06/28(木) 03:11:55 ID:eX/rdGIk
ってことはお前らよりも信長が上とはいえないわけだw
769人間七七四年:2007/06/28(木) 06:48:45 ID:xoc4EP2n
なんだこの馬鹿の応酬合戦は
770小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2007/06/28(木) 09:56:51 ID:cLs9buxc
祈念カキコ
771人間七七四年:2007/06/28(木) 16:05:04 ID:zVdKM8qV
信長は天才と呼ばれるけど人格的には優れていない。
戦国に天才は存在しない。
772人間七七四年:2007/07/01(日) 04:45:26 ID:rMefdUAz
>>756
何を主張したいのか訳分からん。「分裂症」なのはお前自身。

>>748
>三千の鉄砲が一斉射撃
>三千人の鉄砲隊が一列縦隊
>三千の鉄砲が一斉に撃ってその後一斉に同時に弾込

は、こいつがでっち上げた創作っていう意味なんだろーが。

こんな記述はどこにもないんだから。
773人間七七四年:2007/07/01(日) 09:40:21 ID:7uOUsi/v
分裂症の意味わかってる?
とりあえず分裂症の定義をちゃんとして俺がどういう部類に入るのかちゃんと
説明してね。鸚鵡返しにわめくんじゃなくてそろそろ根拠の一つもだしてねw

>>772
記述に無いシステマチックに射撃とかわめき続けていたのはお前だろww
ちなみにその>>748の立ち代り方式は小瀬の信長記が元だろ。
江戸時代の講談でヒットしたから三段打ちというのが流布した。
せっかくお前が最初にわめいていた理屈にそって話をしてくれた人を
馬鹿にしてどうするんだよw
774人間七七四年:2007/07/01(日) 16:27:01 ID:rMefdUAz
>>773
先に書き込まれた他人の主張の要旨を、
違う意味へと捻じ曲げ歪曲している姑息さを追及したら、
「分裂症」という語を用い支離滅裂な駄文で糊塗しようとする卑劣さっていったい・・・

どこに、
「三千の鉄砲隊が一列縦隊となって一斉に撃ちその後一斉に同時に弾込め」
したなんて記述がある?
あるなら、その箇所を明示してもらいたい。できるのか?
「できるけど、敢えてやらないでおく」なんて書き込むなよ。みっともないから。

嘘に立脚した「砂上の楼閣」など簡単に崩れ去る。
もうそろそろ潮時だろ。君はもう終わっている。

見苦しい工作をしても、すぐにボロが出るだけ。いい加減気付けよ。

長篠での織田鉄砲隊の運用の件だが、
当該戦を詳細に記述している「改正三河後風土記」や「長篠日記」を参考にしていなのではお粗末すぎる。

数多くの鉄砲足軽達を有効に機能させるには、
軍の指揮命令の下にシステマティックに射撃させるしかない。
軍律厳しい織田軍では尚更だ。
記述にあるないの問題ではなく、常識の問題。
775人間七七四年:2007/07/01(日) 16:32:39 ID:ureYJmAD
くだらん
776人間七七四年:2007/07/01(日) 16:51:06 ID:+0aolxvL
長篠の鉄砲は3000じゃなくて1000丁だったって説もあるが、
それだと3万8000の軍勢に対してあまりに鉄砲の数が少なすぎる。
正直3000では、当時の平均的な大名家の鉄砲装備率。
九州や長曽我部に大きく劣るばかりか、
北条にすら装備率で大きく負けることになってしまう。
武田軍も軍役状からみる装備率からして、1000丁以上は鉄砲隊がいたと思われる。
777人間七七四年:2007/07/01(日) 17:00:05 ID:+0aolxvL
一族郎党で部隊を作っていた応仁の乱以前と違って、
この時代は備ごとに鉄砲組、騎馬組などと兵科を別け、指揮系統や部隊構成が定まっているので
数十人の組ごとに組頭の号令で射撃を制御していたと思われる。
一斉射撃の例もあるが、基本的には個人個人が狙いをつけ自分のタイミングで撃っていたようだ。
778人間七七四年:2007/07/01(日) 17:17:50 ID:+0aolxvL
もし織田の鉄砲が1000丁(+酒井忠次に与えた500丁)だとしたら、装備率わずか4%となり、
織田家は鉄砲導入において後進的だったと言わざるを得ない。同時代の他家の装備率よりはるかに低い。
織田・徳川連合軍は38000人もいなかったと言う説があるが、
戦闘員が20000人としても装備率7.5%。

同時期、鉄砲に消極的だった上杉謙信ですら戦闘員の5.7%は装備している。
武田家は7.1%、長篠以前では氏康期の北条家が11%。
沖田畷の竜造寺軍では25000のうち8000、32%が鉄砲。
関ヶ原時、最上家に援軍を出したときの伊達軍の装備率は40%。
長曽我部家は大半が鉄砲を装備していたし、島津にいたっては士卒のほぼ全員が鉄砲を装備していた。

ちなみに1581年の明智光秀軍団内の軍法では、装備率13.5%。
779人間七七四年:2007/07/01(日) 17:32:37 ID:7uOUsi/v
>>774
散々人に根拠を要求されて他人に転嫁しつづけてきたあんたが何をいってるんだw
自分でおれを分裂症っていったんだろ?文章構成からしてわからないかなw
指摘した俺に対して分裂症はお前と言い出してそっくりあてはめられるといいだした
以上定義と該当部分くらいしめせるよねwまた逃げたりしないでねw

あのさあ、誰と勘違いしてるのかしらないけどさ。そんなに人の説明を否定するなら
まず自分が示しなよw議論てのはそういうもんなんだけど?w
勝手に人の主張を嘘と断定した以上できるよな?w
俺がこれこれと主張してそれを否定するからには君がその否定される部分を
出さなきゃならないわけだけど?w都合が悪くなると相手に責任を押し付けて
逃げ回るくせはいい加減やめてねw君にこちらから提示してもどうせ逃げ回り続ける
だけなんだからw
長篠日記ってあの織田が6千討ち取られたという奴ですか?w
そんでどうシステマチックにやったのか説明してもらえる?
該当部分ももちろん出してくれるよね?w
780人間七七四年:2007/07/01(日) 18:01:07 ID:EbHM+ob8
>>779
ああ、俺と勘違いされてるみたいですねw

>記述にあるないの問題ではなく、常識の問題。

これの意味をよく考えてください。
「論拠があっても俺が認めなければ正しくない」
「論拠はなくとも俺は正しい」
と、言っているだけですからw

動かぬ証拠を突きつけられた犯罪者も、それを認ず、わめき散らすことは可能です。
「証拠が正しいという証拠を見せろ!」
「そのまた証拠が正しい証拠を見せろ!」
ってね。

自分は論拠を示さずに延々相手には論拠を求め、
どこかで揚げ足を取って勝利宣言。
「お前が間違っているから俺は正しい」式の幼稚な戯言。
こんなのに付き合うのは無駄の極地です。
根っからの卑怯者さんですから。
781人間七七四年:2007/07/01(日) 18:48:44 ID:7uOUsi/v
>>781
貴方も大変でしたね。こんなのを相手にして。
しかし上の奴があげてる長篠日記ってw写本に写本を重ねて実質的な成立は
確か明和年間ではありませんでしたっけ?
しかも長篠日記でいうならそれこそ鉄砲で一方的に決まった戦いじゃなかった
ことになってしまうのにw
改正三河後風土記にいたっては1833年成立ww
782人間七七四年:2007/07/01(日) 18:49:27 ID:7uOUsi/v
自分にレスしてどうするw>>781>>780宛てですw
783人間七七四年:2007/07/02(月) 23:47:54 ID:d9eQTQPZ
信長と信玄って戦のやり方似てるよな
784人間七七四年:2007/07/03(火) 09:34:43 ID:iXy3nNwO
優れた武将同士なら、自ずとやり方が似てくる場合が多い。

とりわけ信長は、他者の優れた政策、戦術を、
真似て取り入れるのに長けていたから。
785人間七七四年:2007/07/04(水) 14:31:57 ID:nzcs8AyH
最近の研究で、桶狭間は玉砕覚悟の奇襲を慣行し
今川義元の本陣とは知らず討ち取ったのは偶然だったことが判明。

長篠は、武田に攻められていた山城の援軍に向かい
雨天の中、衝突している。大量の鉄砲が使用されたとあるが
以降の戦で使われていない事・雨天だった事から
鉄砲を大量に取得していると吹聴することで諸国を牽制する事が狙いとされている

信長の経営手腕については優れているといえるが
戦面については優れた武将ではない。
786人間七七四年:2007/07/04(水) 15:17:04 ID:bzMyAyTT
>>785
奇襲ではなく、正面からの切り込みってのが最近の定説だと思っていたけど、
また奇襲説の方が盛り返してるんですか?
戦勝後「熱田大明神の神戦か」と信長が言ったらしい(信長公記)ので、「玉砕」
は覚悟してたかもしれんが・・・

あと長篠(正確には設楽原決戦時)が、雨天だったとする史料、教えてください。
787人間七七四年:2007/07/04(水) 20:03:29 ID:lc8NS/BW
まあ、信長公記では「敵は大高に兵糧を入れて、さらに丸根・鷲津で戦って疲れている」
と敵情を勘違いしてるな。
敵本陣と知らずに切り込んで捨てられた塗り輿を見て初めて「旗本はこれだ」
と言い出したわけだしな。
進軍途中で急に大雨が来た事もあって結果的に奇襲みたくなった、という
意味なんじゃない?
788人間七七四年:2007/07/04(水) 21:34:09 ID:bzMyAyTT
>>787
「村雨石氷を投げ打つように敵の面に打ち付け」たのは桶狭間山近くまで迫ってからでしょ。
中島砦からまっすぐ進軍してくる織田勢に、山の上にいた今川軍が全く気づかなかったとは
考えがたいんですが。もちろん信長公記の内容を全面的に信頼する、という前提が崩れたら
藤本説(正面切り込み説)も破綻、私の書き込みも無意味になりますが。

あと、松平元康が丸根砦の佐久間盛重を破り大高城に兵糧を入れたのも、飯尾(近江守)・
織田(隠岐守)がこもる鷲頭砦が朝比奈泰能に破られたのも、信長公記以前の歴史事実と
思っていましたが・・・   
789人間七七四年:2007/07/04(水) 21:43:02 ID:lc8NS/BW
いや、松平と朝比奈の動きはその通りだけど、
問題は信長が山の上にいる今川本陣をそれと誤認してることだと
いいたかったんだけど。文章が足りなかったか。失礼。
信長公記ではとりあえず家康はこの時に大高城で休息してるな。
790人間七七四年:2007/07/04(水) 22:14:21 ID:dJFop5lH
>>779
織田軍は弱兵ではない、とか
姉川の戦は織田方の一方的勝利だとか、
嘘八百並び立て、根拠無く他人を批判し、
説明を求められても何一つ有効な論拠を示す事ができず、
ただ駄文を連ねてるだけの卑怯者。馬鹿すぎ。

いいか、さきに「分裂症」という語を引用したのは、お前自身。
動かぬ証拠は>>756だ。自分で確認してみ。

お前は何か一つでも、自己の主張の論拠を説明したことがあるのか?
駄文をダラダラ書き込む事だけは一丁前か。

>長篠日記ってあの織田が6千討ち取られたという奴ですか?
だから、なんだ。

>都合が悪くなると相手に責任を押し付けて
 逃げ回るくせはいい加減やめてねw君にこちらから提示してもどうせ逃げ回り続ける
 だけなんだからw
これは、お前自身の事だろ。
自分の卑劣な所業を他人に押し付けんな。

こうして駄文を書き連ねる事により論点そのものを曖昧にして、
話を核心から外れた方向に誘導し、すり替えやはぐらかしにかかるインチキ野郎。

>>780
腐れ頭で創作した決め付けは愚劣の極み。
好き勝手な中傷なら、どんなクズでもできる事。
791人間七七四年:2007/07/04(水) 22:31:28 ID:lc8NS/BW
>>790
ぷっwあんたまた笑われに来たの?散々日を空けて書き込んで
結局得々と語ってらっしゃる自説の論拠は今日も出せないわけですねw
んじゃ聞くけど織田兵が弱兵だという根拠は何かあるの?ぜひ資料名だしてねw
どんな戦いでどんな弱さを露呈したとかも教えてねw歴史上の戦歴を見てる限り
特に弱いなんて思えないんだけどねw
姉川で信長が本陣まで切り込まれたなんてのは本当に記述ないんだけど?
否定するならその該当部分をだしてねwそれとも織田に討ち取られた浅井・朝倉の
武将達の名前でも書き込んで欲しいわけですか?w
だからねw俺は俺の定義で君を分裂症と書いたんだけど?wそれを君は
俺が特に書いてない短い書き込みからそれと同列だと抜かしたわけだよねw
だったらまず君がどういう分裂症の定義を持っていて俺がそのどれに該当するか
ちゃんと示してねw
ちゃんと論拠示しまくってるんですが?wちゃんと資料名まで挙げてねw
君はどうなの?w資料名は挙げない、相手に延々と聞き続けて自分の論拠は絶対に挙げない
の繰り返し。w今日も随分と書いちゃいるけど資料名や該当部分なんて一つもないんですが?
システマチックに射撃の論拠はまだですか?w
長篠日記の戦闘描写を知ってれば君の主張する鉄砲で一方的に決まった戦いだなんて
寝言ほざけないんですが?wまさか知らないんじゃないですよね?w
知ってるというなら長篠日記から自説の論拠をちゃんと挙げてねw
どう見たってあんたの事でしょw上にも書いたけど結局今日も自説の論拠は
ないんですねwそれで人に責任ばっか押し付けようとするのは卑怯のきわみですが?w
全然核心から逃げてませんよw逃げ回ってるのはあんたでしょ?wさっさと
この文中で聞いた分の論拠はちゃんと出してねw
792人間七七四年:2007/07/04(水) 22:42:30 ID:bzMyAyTT
>>789
あぁなるほど、信長は桶狭間山上の敵を松平勢と誤認していたという説があるんですか。

んで、敵陣に突っ込んでみたら、二引両の旗印はあるは塗り輿はあるはで、義元ぉぉ!
となったと言うことですか。それは存じませんでした。
793人間七七四年:2007/07/04(水) 22:56:55 ID:lc8NS/BW
>>792
?何かおかしいかな?藤本氏もその見解だったはずだけど。
とりあえず信長公記から出してみると「(信長が桶狭間山への出陣を周囲に止められて)
あの武者、宵に兵糧つかひて
夜もすからきなり、大高へ兵糧を入れ、鷲津・丸根にて手を砕き、
辛疲して疲れたる武者なり、こなたは新手なり。その上小勢なりといえども
大敵をおそるなかれ。」といってるんだけど。
794人間七七四年:2007/07/04(水) 22:57:42 ID:dJFop5lH
>>791
>織田兵が弱兵だという根拠は何かあるの?
上記>>743を読め。

>姉川で信長が本陣まで切り込まれたなんてのは本当に記述ないんだけど?
どの史料に記述がないってんだ?明確にしてみろ。

「分裂症」の定義など、この場ではどうでもいい。
勝手に辞書でも調べて確認しとけ。

>俺は俺の定義で君を分裂症と書いたんだけど?wそれを君は
 俺が特に書いてない短い書き込みからそれと同列だと抜かしたわけだよね
意味不明で無意味な駄文を書き込むな。
こんな駄文、社会じゃ通用しないぞ。

お前の史料の引用手法は、真偽不明な文を断片的に取り上げ、
どうにでも都合のいいように解釈してるだけだろ。

>システマチックに射撃の論拠はまだですか?
大量の鉄砲をシステマティックに運用せずに、どう機能的に射撃できるのか、
お前一言も言及してないよな。説明してみろよ。

>君の主張する鉄砲で一方的に決まった戦い
俺がどこでこんな書き込みをしたよ?
その箇所を明示してみろ。
お前お得意のでっち上げの大嘘かよ。



795人間七七四年:2007/07/04(水) 23:08:08 ID:PXPOwyng
>>794
農民兵は強くて常備軍?傭兵は弱いと
しかるに織田は傭兵を軍の主力として使っていた
だから織田の兵は弱い
と、こういうわけだな?
796人間七七四年:2007/07/04(水) 23:13:50 ID:lc8NS/BW
>>794
だからねw結局それ何の論拠にもなってないのw君の憶測w
結局俺が出せといった論拠は何にも出せないわけですか?w
まさか司馬小説から抜き出してきたんじゃないよね?w
織田兵が当時において弱兵といわれていたという資料と論拠はまだですか?
どんな戦いでどんな弱さを露呈したのかも早くだしてねw
信長公記って書いているでしょうが。何回いってると思うわけ?w
自分に都合が悪くなると意味不明ですかw結局君は散々人をあおりはするけど
論拠は何にも出せないんですねw
そもそも資料さえろくに出さない人間が何をいってるんですか?wそんな事いうなら
俺が要求してるあんたの自説の論拠を早くだしてねw
だから、最初にシステマチックとか自信満々で言い出したのはそっちでえしょ?
都合が悪くなると相手にばっか主張押し付けるのはやめてねw
とりあえず早くシステマチックの論拠を出してもらえる?wないんじゃないよな?
>>鉄砲無しには戦略が成り立たないのが長篠の戦だろうに。
>>長篠こそが織田鉄砲隊を実力を世間に知らしめた戦だろ。
>>730でまずこれ。>>707でも>>武田が織田鉄砲隊の前で惨敗したのは紛れも無い事実
と臆面も無く書いてらっしゃるんだけどw
さて相変わらず全然根拠を挙げない君にここまでしてあげたのだから
次はさっさと俺の要求してる論拠あげてね。これからはまず君が出すまで要求するから。
そうしないと質問も答えないよ。いい加減君の相手にばかり説明を押し付ける姿勢はうんざりなんでね。
797人間七七四年:2007/07/04(水) 23:16:30 ID:dJFop5lH
>>795
>農民兵は強くて常備軍
農民兵が常備軍な訳ねーだろ。
繁農期は農業に従事し、閑農期に限って従軍するパターンが、なんで常備軍になるんだ?
読解力不足も甚だしいな。
798人間七七四年:2007/07/04(水) 23:17:41 ID:bzMyAyTT
>>793
なんか「例のお方」のお相手中に割り込んで申し訳ないです w

私の藤本説理解は「迂回ではなく中島砦からまっつぐ進んだ」という進行ルートの部分だけで、
「歴史読本 昭和五十七年七月号」を直接読んだわけではないんです。失礼しました。

突撃前、いくら山上の敵を攻める不利があるとは言え、乾坤一擲、玉砕覚悟のはずの戦闘前
というのに信長の命令がずいぶん弱気というか曖昧だなぁと、信長公記で疑問だった部分が
納得できました。
799人間七七四年:2007/07/04(水) 23:21:46 ID:dJFop5lH
>>796
>姉川で信長が本陣まで切り込まれたなんてのは本当に記述ないんだけど?
どの史料に記述がないってんだ?明確にしてみろ。

都合が悪い質問だとシカトかよ。
おいおい、まずこの質問に応えてみな。
800人間七七四年:2007/07/04(水) 23:26:37 ID:lc8NS/BW
>>797
とりあえずいっておくと戦国時代の軍隊は軍役衆っていうので構成されているの。
大名は配下に土地を与え、その土地に応じた軍役を課す。
その構成はいろいろ。流れ者雇うこともあれば農民使うこともある。
ちなみに農民兵を良く使ったとされる信玄はよく繁農期に出兵してる。
限定されたパターンでは特にない。
801人間七七四年:2007/07/04(水) 23:27:03 ID:bzMyAyTT
>>793
追伸

信長公記ご指摘の部分は、信長自身は正確に敵情を知りながらも
(つまり今川本陣は戦闘に参加していない、どこにいるかわからない)
自軍を鼓舞するため、前線に立てば誰が見ても明らかな自軍の被害
状況だけを述べ、「敵は疲れているはず。だから勝機はある。」と言った
と理解してました。
802人間七七四年:2007/07/04(水) 23:27:26 ID:lc8NS/BW
>>799
信長公記って何度も書いているだろうが、本当に文章読めるのか?
803人間七七四年:2007/07/04(水) 23:46:16 ID:dJFop5lH
>>800
>農民兵を良く使ったとされる信玄はよく繁農期に出兵してる
してるわけねーだろ。必殺の大嘘。
そんな事をすれば、
農村では働き手である成人男子を戦争に取られ、収穫にも深刻な影響を与えることになる。

>>802
これも大嘘。
姉川合戦では、織田軍は弱兵故に朝倉軍に蹂躙され、徳川軍の奮闘により勝利を収めている。
その動かぬ証拠は、
お前と同類の説を書き記している人物も書籍も存在しないことだ。
戦国史の専門家で、お前のような主張をしている人物が一人でも存在するか?
一人もいねーよ。
専門家でなくても、それなりに歴史の知識がある人なら、
お前がこれまで主張してきた説など、笑止千万な愚論愚説にすぎん。
世の中が、それを証明してくれている。
804人間七七四年:2007/07/05(木) 00:04:34 ID:ROzyYRXQ
>>802
無様な墓穴を掘って自滅した間抜けなインチキ野郎。
いい様だ。
805人間七七四年:2007/07/05(木) 00:05:06 ID:/IWFT6Qt
>>803
あのねえ・・・。
人の主張を嘘という前にとりあえず論拠を示せといってるんだよ。
信玄の出陣時期をどれだけ知ってるっていうんだ?あんたは。
信玄の出陣時期は大抵繁農期どころか7〜11月にかけての作物が実り、やがて収穫される
シーズンに合致してるんだよ。例示ならありすぎて困るくらいにな。
甲斐武田氏研究に詳しい平山氏の著作でも読んでみろ。
そういった実りある時期に出陣する事は敵地から多くを収穫する事もできて
兵士達にも利益があったんだよ。

あのねえwそんじゃ聞くけど君の知ってる戦国史の専門家って誰?
司馬さんじゃないよね?w谷口克弘氏とかは普通に姉川の戦いが
そんな展開じゃなかったといってるけど?wとりあえず君がちゃんとした
専門家のちゃんとした説明において姉川が君の主張する展開だったと示さない
事には話にならんよ。そもそもそんな徳川の奮戦云々なんて当時の信頼できる資料で
どこにあるの?まず示してね。世の中というけど、君は本当に
君の期待する主張が全てと思ってるの?ほとんどの人は歴史に興味ないし
テレビとかで示す時は視聴率を出す為に面白く話をつくらなきゃならない。
作家は本を売る為におもしろくしなきゃならない。資料で読めばそういった
乖離が存在する事くらいわかるはずだが?
806人間七七四年:2007/07/05(木) 00:06:20 ID:/IWFT6Qt
>>804
なにいってるんだ?本当に信長公記には君の期待する記述なんてないよ?
勝手にいんちきという前に早く根拠を出してね。
807人間七七四年:2007/07/05(木) 00:19:57 ID:ROzyYRXQ
>>805
>信玄の出陣時期は大抵繁農期どころか7〜11月にかけての作物が実り、やがて収穫される
 シーズンに合致してるんだよ。例示ならありすぎて困るくらいにな
じゃあ、何故信玄が途中で没して挫折した上洛作戦は真冬に決行されたんだ?
ついでに、ありすぎて困るくらいある例示とやらを、二、三示してくれよ。簡単だろ。

>谷口克弘氏とかは普通に姉川の戦いがそんな展開じゃなかったといってるけど
その本のタイトルと出版社を示してくれよ。
お前の言う説が事実なら、
何故姉川の戦は織田軍の「一方的」勝利だと記している書籍が、どこにも見当たらないんだ?
織田軍は弱兵ではない、っていうのも同じだ。

>作家は本を売る為におもしろくしなきゃならない
じゃあ、あらゆる作家は本を売るために歴史を改ざんしてるとでも。
自分の大嘘が明らかになったからといって、他人に責任転嫁して誹謗中傷すんなよ。
どこまで卑劣なんだ?お前は。

808人間七七四年:2007/07/05(木) 00:20:03 ID:Idz0RCAl
おっさん臭いスレですね
809人間七七四年:2007/07/05(木) 00:21:14 ID:/IWFT6Qt
>>804
ああ、それと結局君が散々人に求めていた論拠は結局自分では何一つ
示せなかったという事でいいんだね?w
まさに無様すぎるいんちき野郎ですなw
810人間七七四年:2007/07/05(木) 00:25:44 ID:ROzyYRXQ
>>805
>甲斐武田氏研究に詳しい平山氏の著作
本当にあるのか?そんなものがよ。
あるなら、その本のタイトルと出版社名を明示してくれ。
それから「平山」の下の名前も頼むぜ。
811人間七七四年:2007/07/05(木) 00:30:43 ID:WiE6j6WD
私もほんの少しは歴史をかじっているつもりだが、805さんの言うこと
はもっともだと思うんだよね。歴史小説でなく歴史的事実を見つめるべきと
思うよ。
812人間七七四年:2007/07/05(木) 00:31:29 ID:/IWFT6Qt
>>807
いいよ。たくさんあるので少しずつね。
1542年の安国寺の戦いは9月19日出陣して9月25日に戦闘。
1542年伊那福与城はそのまま9月28日に攻めて攻略。
1543年の長窪城は9月9日に出陣し9月17日に城攻め。
他にもいくらでもあるぞ。連年こんな感じだからな。

とりあえず読みやすいのでは歴史群像シリーズ50の戦国合戦大全。
その中に谷口氏の記事がある。
ついでに君のいう書籍ってなに?どんなの読んでるの?
織田家に対して専門的に調べてる人はそんな尾張兵が弱兵じゃないなんて
そもそも書きもしないよ。だって弱兵という根拠自体があやふやなんだから。

だからね、君のいう作家ってどんな人よ。俺がいつ嘘を言ったんだ?
作家を貶めるつもりなんかないよ。作家は客を楽しませるのがお仕事なんで
講談とかも取り入れて面白い話を書く。立派なお仕事だよ。
資料だけでいくといまいち地味だしね。一回君は岩波文庫とか当たって
資料の現代語訳でも買ってみるといいよ。
813人間七七四年:2007/07/05(木) 00:35:21 ID:ROzyYRXQ
>>809
とうとう進退窮まって、全て他人に責任転嫁か。
何一つ説明できないお前がよ。
悪あがきもいい加減にせいよ。

世間に名の知れた大学教授の著作物には、
お前と同類の説など、どこにも記載されてねーんだよ。
歴史的一等史料を論拠にしている彼らがだ。
つまり、お前の説など妄言戯れ言にすぎん。というわけ。

お前がどんな駄文を書き連ねても、このロジックは覆せない。
お前の負けだ。インチキペテン師野郎。
814人間七七四年:2007/07/05(木) 00:35:37 ID:/IWFT6Qt
>>810
平山優氏。主な著作は「武田信玄」(吉弘広文館)など。
疑うならグーグルでサーチしてみな。
815人間七七四年:2007/07/05(木) 00:38:09 ID:/IWFT6Qt
>>813
あのね。とりあえず俺が示した平山氏はれっきとした学者だよ。
とりあえず君の主張通りの主張をしてる大学教授を一人でもいいから上げてみな。
そんなにカリカリするな。>>810を見る限り多少素直な所もあるみたいだから
とりあえず落ち着きなさい。
816人間七七四年:2007/07/05(木) 00:39:55 ID:Aj6lXOQe
>>807
ゲーム板でもNHKが放送してたとかでこんな展開が前あったね。
筆者が分かればググれば
「目からウロコの戦国時代 谷口克弘著 PHP研究」って
すぐ出てくるじゃん。
817人間七七四年:2007/07/05(木) 00:41:55 ID:ROzyYRXQ
>>812
そんなの領国近辺での小者相手の戦だろーが。
信玄死地の旅となった長期の行軍たる上洛は、農閑期の真冬に行われている。
これは、どういう事なんだ?
お前のロジックは破綻してんだよ。


818人間七七四年:2007/07/05(木) 00:47:37 ID:/IWFT6Qt
>>817
散々いっておいてそれかよ。
だからね、信玄だって最初はそんなに大きくなかったんだよ。
だから領国近辺との敵との戦いは十分大切なんだよ。
西上作戦が冬に決行されたのはそもそも信長包囲網が信長によってだんだん
追い詰められて来たから。包囲網が撃破されないうちに急ぐ必要があった。
別に冬だから攻めたわけじゃない。まあ、謙信封じという意味もあったかもしれないが。
信玄の代表的な戦いとされる強敵謙信との戦いも8月や9月に行われてることも
多いよ。
819人間七七四年:2007/07/05(木) 00:50:07 ID:7iRnFx6M
農繁期(収穫期を含む)に信玄が行った戦

対 諏訪頼重@桑原城 天文十一年六月〜七月
対 小笠原長時@勝弦峠 天文十七年七月
対 村上義清@砥石城 天文十九年九月 (砥石崩れとしてあまりにも有名)
対 長野業盛@箕輪城 永禄九年九月 (名族長野氏滅亡の戦いとして有名)
対 北条氏照&氏邦@三増峠 永禄十二年九月〜十月

もう面倒 w
勝頼だけど、有名度では戦国でも随一の長篠の戦いも五月ですね。
820人間七七四年:2007/07/05(木) 00:58:30 ID:ROzyYRXQ
>>818
>信玄だって最初はそんなに大きくなかったんだよ。だから領国近辺との敵との戦いは十分大切なんだよ
大敵相手の戦はどうなんだ?
わざわざ農繁期に戦をやるほど信玄は馬鹿じゃねーよな。
そんな時期に戦やって何の利があるってんだ?

>信長包囲網が信長によってだんだん追い詰められて来た
意味不明。己の大嘘がバレて頭に血が上ってるのは分かるが、
もう少し落ち着いて書き込め。

>包囲網が撃破されないうちに急ぐ必要があった
だったら、もっと早く上洛する機会は幾らでもあったはず。
意識的に真冬の農閑期を選んだのは合理的に理解できる。

821人間七七四年:2007/07/05(木) 01:07:32 ID:/IWFT6Qt
>>820
とりあえず>>819も見といてね。国力同等以上の北条との戦いでさえ
農繁期にやったと書いてあるでしょ。
さらに謙信との有名な川中島第4回戦は9月10日
第三回は3月から10月までやってる。
第5回は8月から10月まで。

あのー、本気?包囲網はこのころ大分信長によって追い詰められてるんだけど?
付け城を作られて浅井は締め付けられ、朝倉も連年の戦いで消耗してる。
信玄が死んで包囲網作戦が破綻した後で浅井と朝倉があっさり滅んでるところから
それはわかるでしょ?

信玄だって忙しかったんだよ。なにせ1571年12月までは国力対等に近い北条と
戦ってたんだから。1572年7月には飛騨も攻めてるしね。
準備を整えて状況が出陣に適しさらには状況的に猶予もなくなってきたのが
西上作戦の時期だったということ。

ちょいと席を空ける。やる事あるので。
822人間七七四年:2007/07/05(木) 01:23:50 ID:ROzyYRXQ
>>806
>なにいってるんだ?本当に信長公記には君の期待する記述なんてないよ?
じゃあ何故歴史的権威たる大学教授達は、お前の説と間逆の見解を著述して世間に公表してんだ?
これこそ、お前が大嘘つきのペテン野郎だという普遍的な根拠だよ。

まさか、お前の愚説が、一等史料を論拠としている大学教授達より正しい。だなんてホザくんじゃねーだろーな。
823人間七七四年:2007/07/05(木) 01:28:41 ID:/IWFT6Qt
>>822
とりあえず君の期待通りの主張をしてる大学教授の名前を一人でも挙げてくれ。
そういった史学の権威達が書いたあまり本屋とかでもメジャーな所には
置いてないはずだよ。地味だからね。何年何月何日の書状にこうあったから
こういうことがあり〜、っていう感じの本だから。好きな人しか買わない。
824人間七七四年:2007/07/05(木) 01:29:58 ID:/IWFT6Qt
史学の権威達が書いた本はあまり本屋とかでもメジャー向けな所には、だ。
失礼。
825人間七七四年:2007/07/05(木) 02:11:27 ID:7iRnFx6M
一般向けの概説書を多く上梓、TVにもよく出られた静岡大学の小和田哲夫教授。
ちょっとエンタテイメントに傾き過ぎの評価もある人ですが、それだけにこの件ではよい事例でしょう。

(以下、「戦国合戦時点 三省堂」による)
で、この人の姉川の戦いに関する記述ですが、信長公記ではわからない部分、例えばどっちが先に
戦を仕掛けたかなんかは、甫庵の信長記や松平記も引いてますが、こういう部分は「明らかでない」
と付言されていますね。一方、陣立てなどは六陣+信長本陣とし、十三段構の陣という表現は用いて
いません。
戦いの経過に関しては、最初は浅井方第一陣の磯野員昌の奮戦により織田勢は第三陣、四陣まで
圧されだし浅井勢が優勢に戦いを進めたが、横山城監視役を務めていた美濃勢が浅井の側面を突き、
これを機に一気に織田優勢に転じたとしています。織田勢の前半の劣勢を織田兵が弱兵だったから、
などとはひと言も書いておられません。単に「磯野員昌の猛攻」と記されています。

以上、素直に読めば寡兵の浅井勢奮戦及ばず、遊軍を戦場に投入する余裕のあった数的に優位な
織田勢が順当に勝った、ということではないでしょうか。
826人間七七四年:2007/07/05(木) 02:17:29 ID:7iRnFx6M
× 戦国合戦時点
○ 戦国合戦辞典

失礼
827人間七七四年:2007/07/05(木) 02:17:39 ID:ROzyYRXQ
>>805
>君の知ってる戦国史の専門家って誰?
小和田哲男、二木謙一、脇田修ってところだ。
小説家では松本清張。
上記四人の著作物には、お前のいう説に抵触している点など皆無だ。

>谷口克弘氏とかは普通に姉川の戦いがそんな展開じゃなかったといってるけど
単にこいつが間抜けなだけだろ。
例えば、今谷明は自著「信長と天皇」にて、
自己の勝手な決めつけ、思い込みで信長の施策を過小評価している。
つまり中には愚説を唱える間抜けもいるって事だ。
その愚説を真に受け踊らされてるお前も同類の間抜け。

>君がちゃんとした専門家のちゃんとした説明において
 姉川が君の主張する展開だったと示さない事には話にならんよ
「ちゃんとした専門家」で、
姉川の戦が織田方の「一方的」勝利に終わったと唱えている人物って誰よ?
谷口克弘だけか?
そもそも、お前の説を載せている書籍を探し出す事自体至難の業だ。
この事実が何を物語っているか分かるよな。
つまり、お前の説など世間では誰も相手にしない妄言って事だ。
麻原彰晃レベルのペテン師だよ。お前は。

>そもそもそんな徳川の奮戦云々なんて当時の信頼できる資料で
 どこにあるの?まず示してね
著名な大学教授達が、一等史料を基にした自らの著作で、それを証明している。
それで不満か?
じゃあ、お前の愚説の論拠は何だ?お前の妄想だろ。

>世の中というけど、君は本当に君の期待する主張が全てと思ってるの?
それでは、お前の主張が世間で受け入れられていない現実をどう説明するんだ?
つまりお前の主張など、常識ある人なら歯牙にもかけない論外の暴論にすぎん。

>テレビとかで示す時は視聴率を出す為に面白く話をつくらなきゃならない。
 作家は本を売る為におもしろくしなきゃならない。資料で読めばそういった
 乖離が存在する事くらいわかるはずだが?
また必殺のすり替え論法かよ。
論点はTVドラマのデフォルメではなく、厳然たる歴史事実の正否だろ。
こういう書き込みをするから、インチキペテン師だと揶揄されるわけよ。

>>811
>歴史小説でなく歴史的事実を見つめるべきと思うよ
あらゆる歴史小説が歴史的事実に基づいて書かれていないとでも言うのか?
馬鹿はすっこんでろ。

それから、書き込んだ行為自体に対して難癖つけんなよ。
文句があんなら、書き込んだ内容について反論しろ。
828人間七七四年:2007/07/05(木) 02:27:41 ID:ROzyYRXQ
>>823
>史学の権威達が書いたあまり本屋とかでもメジャーな所には置いてないはず
普通に書店の歴史関連の棚に行けば、ありとあらゆる著作物にお目にかかれるぞ。
どの本を見ても、
織田の兵が武田、上杉に匹敵する強兵だったとか、
姉川の戦では、織田軍が「一方的に圧倒」したなんて記述は無い。
あるなら、その本のタイトルと著作者、出版社名を教えてくれよ。
829人間七七四年:2007/07/05(木) 03:08:02 ID:/IWFT6Qt
>>827
とりあえず人の名前は出せるようになったわけだね。
後はその一方的な決めつけを何とかしようか。
その3人が君の期待するどのような論を述べたのかな?
その該当部分を述べてもらえる?
小和田哲夫はかなりエンターテイメント色が強いこともお忘れなく。

なんで今谷氏は正しくて谷口氏は間抜けなのかな?断定的すぎるよ。
それで今村氏はその著作の中で信長の最終的に朝廷をどうしたかったかとか
具体的に資料と記述をあげて述べておられるの?あったら教えて。
言ってしまうとそこらへんは大体想像の領域にならざるをえないと思うが。

君は下のほうで普通に書店に行けばありとあらゆる著作物にお目にかかれると
いってるが、それでいて至難の業とかいうのは矛盾してるだろ。明らかに。
わざわざ探しやすい歴史群像をあげてあげたんだから見てみなよ。
それからなんだかんだいって本というのはニーズによって造られることも忘れちゃならんよ。
信長をもてはやす風潮があればそれにそった本がたくさん造られるのも自明。

だから、その信頼できる大学教授が何の資料を基にしてどんな風に記述してるか
ちゃんと示してもらえる?君が勝手に断定して逃げるから話がこじれる。

受け入れられてない、というか普通の人は興味自体がないんだよ。それで
テレビや小説家とかが書いたおもしろいものを取り入れていく。ただそれだけの事。
資料を読んだりしていくとなんだかんだいって地味だからね。歴史って。
好きな人だけがそういった地味なのも読んで知識にしていく。乖離があるのは仕方ないさ。
君は結局俺の主張に対して論拠を挙げることも出来ず、ただ一方的に決め付けて
いるだけじゃないか。それで勝利宣言されてもね。

だからね、その歴史事実を明らかにするといいつつ君は一切資料名とか記述とか
あげないじゃないか。それで一般にはこう認知されてるんだ!とわめき続けて
無理やり勝利宣言しようとしてる。話をそらしてるのはきみだろう。

君のいう歴史事実って何?資料名とか挙げられない?小説家が客を面白がらせるために
フィクションを混ぜて書いたものを史実というのかい?せっかく忠告してくれた人を
馬鹿というのもいただけないね。

そんなにありとあらゆる著作物にお目にかかれるってすごい本屋だね。なら信長公記の
原文つきや現代語訳もきっとあるから今度かってみな。
とりあえずどんな本を読んだのか教えてくれる?小説とかじゃないよね?
とりあえず信長公記の現代語訳は新人物往来社、角川書店から出版されてるよ。
著者は太田牛一。訳者はそれぞれ中川太古、奥野高広。本当は原文であたるのがいいんだけどね。
あと「一方的に」とはいってないよ。俺。その部分示してみ。数に勝る織田が
勝利を収めた戦い、としかいってないよ。>>729とか見てみ。
830人間七七四年:2007/07/05(木) 03:21:00 ID:/IWFT6Qt
あといっておくと織田兵が武田、上杉兵に匹敵するほど強兵だとか
いう言い方はしてない。そもそも人間なんだからそんなに圧倒的な差は
ありえないといってる。
831人間七七四年:2007/07/05(木) 03:24:43 ID:/IWFT6Qt
あと戦歴を見てみればわかると思うけど武田兵も上杉兵も普通に
負けたり引き分けたりしてる。そんなに圧倒的に強いわけじゃない。
というかこの2つの兵が圧倒的な強兵といわれていたという根拠も
とりあえず尾張兵が弱兵というのと同じように不分明でもある。
まあ、強くはあったのだろうがね。信玄が後世に戦国最強とされたのは
天下を取った家康を破った事で江戸時代に持ち上げられた事も大きい。
832人間七七四年:2007/07/05(木) 10:18:20 ID:wUZHI8GW
>>797
ああわかったわかった
こうなら理解できるか?

農民兵は強くて常備軍?(傭兵)は弱いと
しかるに織田は傭兵を軍の主力として使っていた
だから織田の兵は弱い
833人間七七四年:2007/07/05(木) 12:37:27 ID:0TSNPZ31
本能寺の変=馬鹿
秀次殺害朝鮮出兵=天才
なんでこうなるの?
834人間七七四年:2007/07/05(木) 13:34:17 ID:eGWIWDHK
>>831
徳川マンセー史観ですね。
天下を獲った三河兵<三方ヶ原で神君を打ち破った甲斐兵<その武田と互角以上にわりあった軍神越後兵

個人的には、尾張の兵が弱いというのなら、その弱い兵を率いて天下を獲った信長スゲーと思う。
835人間七七四年:2007/07/06(金) 00:26:13 ID:FTYqhHxI
信長が凄いのは日本だけ
世界を見ると凄い奴いっぱいいる
あくまで日本国内で凄いだけ
836人間七七四年:2007/07/06(金) 00:37:18 ID:hCrcGi6f
>>836
戦歴を見る限りとても尾張兵が弱いなんていえないと思う。
ここら辺も徳川史観の影響なんだろうな。
「弱い尾張兵を俺達三河兵が助けてやっていたんだぜ!」ってな感じで。
837人間七七四年:2007/07/06(金) 00:37:59 ID:hCrcGi6f
>>836>>834当てだw悪いw
838織田:2007/07/06(金) 01:18:29 ID:FTYqhHxI
日本最大の過大評価でいいさ
義経も竜馬もいれてね
839人間七七四年:2007/07/06(金) 01:23:44 ID:RxTEzvT0
信長が天下布武の印判使い出してからなら、伊勢も美濃も兵を出しまくってるはずなのに、
なんで尾張兵だけ弱兵云々の伝説が残ったのか? という疑問は残るんだけど。

美濃は遠くは天武帝の大化の改新で大活躍したから、強いっつーことになってたのかなw
840人間七七四年:2007/07/06(金) 01:28:31 ID:RxTEzvT0
ごめん、壬申の乱だ。なんちゅう大間違いw
841織田:2007/07/06(金) 02:20:33 ID:FTYqhHxI
過大評価でもいいけど
俺をもっと善人扱いしてくれ
俺は賎民でも身分差関係なく接していたやさしい人なんだよ
勘違いしないでくれよ
842人間七七四年:2007/07/06(金) 18:48:10 ID:U6Jjd5RG
>>836
戦国から識豊期にかけての特に東国に関しては徳川史観がこびりついて、つい近年まで
それが学会レベルでもまかり通ってましたからね。
特に、一時期でも神君家康の上に立った人物とその後継者に関しては、家康を持ち上げる
ために様々な形で貶すことが行われてます。織田信長・信忠、豊臣秀吉・秀頼、今川義元・氏真、
武田信玄・勝頼などで、特にあからさまに貶められていた義元・氏真や勝頼などは近年に再評価
されるまでひどい有様でした。信長や秀吉もさりげなく細かいところでやられてますね。
家康が関わった部分は特に酷くて、金ヶ崎退陣やら姉川やら小牧の役やらと。
843人間七七四年:2007/07/06(金) 19:40:17 ID:tfTXM2CP
>>842
同意
844人間七七四年:2007/07/06(金) 23:14:15 ID:RxTEzvT0
>>842
信玄・勝頼親子だけは少々違うような気もしますが?

信玄=三千世界で唯一人、神君を野戦で負かした偉大な武将=三方原で負けた言い訳
勝頼=偉大な父の遺領を守れなかった愚か者=どさくさ紛れに甲斐・信濃併呑の言い訳
845人間七七四年:2007/07/07(土) 00:44:30 ID:/fNn/UUX
>>844
そうですね信玄だけは違いますな。家康と徳川家(部下含む)を持ち上げるために
マンセーマンセーマンセー。その負の部分は勝頼に押し付けられた。
846人間七七四年:2007/07/07(土) 17:42:44 ID:KqvqbXUo
・・・武田信玄に関するカキコが多いから別スレかと思ったw

秀吉が天下を獲ったから、日本史上で信長は自然と高評価になる
過大評価や美化している点もあるだろうけど、それは仕方がないと思うよ

講談とか有名税もあるし、天下人秀吉の主君だった人でもあるから
過小評価にしろというほうが無理じゃないかな・・・

ただ、安土以外の地元では、いまだ年配の方々に根強く反感を抱かれています。
この大量虐殺は日本史上でも恥ずべき行為なので
それを美化するような信長の物語とかはいただけないかなぁ。
847人間七七四年:2007/07/08(日) 01:29:55 ID:16/A4kJi
一向宗は病人の集まりだから信長さんの長島攻めは正しかったかも
「もう殺して欲しい」みたいな考えの奴いっぱいいたはず
848人間七七四年:2007/07/08(日) 01:42:54 ID:0sOaIXrD
なんという恐ろしい思考法だ・・・。
849人間七七四年:2007/07/08(日) 02:38:37 ID:CtHIyqZg
小和田氏と二木氏のために弁護するなら
まあ彼らに限った話しではないけど
一般人向けの番組書籍では作家としての面を見せているだけで
専門書ではアホなことは言わずにちゃんと学者としての執筆をしているから
嫌わないで欲しいなと思う
850人間七七四年:2007/07/08(日) 03:33:25 ID:nVZXbwUj
まぁ、芝辻俊六氏が風林火山の時代考証やってたりして
時代考証以前にアレだろ!?
ってのもあるけど、学者さん連中は歴史のエンターテイメント性を
決して否定してはいないんだよね
無粋に、史実と違う!とか喚き散らしたりはしていない
そこには功罪共にあると思うけどね。このスレを見れば分かるように
851人間七七四年:2007/07/08(日) 05:50:13 ID:JE+dBD7G
>>846
同様の書き込みに近隣の人でそんな事ないってレスがついてたけど
滋賀の年配の方で戦争体験みたく信長を強く意識してる人が多いの?
関東では新興宗教で信玄をだしに信長を貶めてるのもあるけど。

当時の宗教は寺内町や関所など強い自治権力を持っていて
集団で放火、殺人を繰り返し無抵抗の平和主義って訳じゃないよ。
信長の宗教政策はそこまで責められるものじゃないし
比叡山の件など規模はまだ疑問が残るんじゃないかな。
852人間七七四年:2007/07/08(日) 09:51:30 ID:LrbysQx5
>>851
846さんじゃないけど、宗教勢力は別として伊賀では恨まれてる
歯向かう気なかったのに、むちゃくちゃにされたって感覚らしい。
天正伊賀の乱から脈々と父母から子へと受け継がれて来たもんだだろうね。
853人間七七四年:2007/07/08(日) 14:07:58 ID:nc5J+yJB
>>851
比叡山に関しては同意だ、伊賀とか長島とかはまだしも、比叡山は焼かれて当然、
あそこまで肥大化したらもう誰かが滅菌消毒するしかなかった。
そういった旧仏教がのさばる事で国の発展を妨げる例などいくらでもある以上致し方ない。

何故か一緒くたにされるが、石山本願寺だってこの旧仏教に焼かれてるし、常に迫害されてきたというのに。
854人間七七四年:2007/07/08(日) 15:55:49 ID:hJqC3g6j
>>829
コイツ、ま〜だ性懲りも無く見苦しい悪あがきコイてんのかよ。
ここまで往生際の悪い奴も珍しい。
面白いからモグラ叩きのようにコイツが書き込んだ稚拙な駄文にダメ出しでもしてやっか。

>小和田哲夫はかなりエンターテイメント色が強いこともお忘れなく
なら小和田氏は歴史を都合よく改ざんしてるとでも?
そうなら、どこをどう改ざんしたのか指摘してみろや。
お前が口先三寸のインチキ野郎だからといって、他人までそうだと決め付けるな。

>その3人が君の期待するどのような論を述べたのかな?
俺個人の期待や思惑など関係ない。
彼らは的確な歴史研究をして、誰もが納得する見解を述べ、社会がそれを容認している。
彼らの公式見解は、お前の愚論とは百八十度矛盾している。
って事は、
お前が引き合いに出している資料が当該論題に不適当か、
もしくはお前が資料の内容を無視・改ざんして、単に資料名だけを挙げて欺瞞の道具にしてるって事だ。

>なんで今谷氏は正しくて谷口氏は間抜けなのかな?断定的すぎるよ。
 それで今村氏はその著作の中で信長の最終的に朝廷をどうしたかったかとか
 具体的に資料と記述をあげて述べておられるの?あったら教えて。
 言ってしまうとそこらへんは大体想像の領域にならざるをえないと思うが。
崖っぷちまで追い詰められて焦った挙句、文が支離滅裂(笑)。
「今村」って誰よ?
俺は今谷が正しいだなんて一言も述べてない。焦りまくって頭に血が上り日本語読めなくなっちまったか?
今谷のは浅薄な見解だから否定してるんだよ。読解力ないのか?
読者が独自の主観により読破した本の感想を述べるのは当たり前の事。批判する方がどうかしている。
それと史実の成否を論じるのとは本質が違う。
谷口に関しては、そいつの著述を読んでないので、
お前の指摘通りの内容が記載されているのかは不明だが、
仮にそうだという前提として意見すると、
信頼するに足る史料を考察すれば、お前と同類の歴史見解など出せる筈も無い。
だから谷口は紛い物なのだ。
そもそも姉川の戦いには他にも説があるにも関わらず、
何故お前は、それらを一切無視して谷口説だけに固執しなければならんのだ?
お前の愚行は「東スポ」の記事を真に受けて信じ込んでる阿呆と何ら変わらん。
人として終わっている愚劣ぶりだぜ。

>君は下のほうで普通に書店に行けばありとあらゆる著作物にお目にかかれると
 いってるが、それでいて至難の業とかいうのは矛盾してるだろ。明らかに。
 わざわざ探しやすい歴史群像をあげてあげたんだから見てみなよ。
 それからなんだかんだいって本というのはニーズによって造られることも忘れちゃならんよ。
お前、真性の馬鹿か?
お前の愚説が書かれている本を探し出すのが「至難の業」だって言ってんだよ。
どこにもねーだろ、そんな本。谷口某の紛い物が記した雑誌の一コーナー以外にはよ。
「本というのはニーズによって造られる」ってのには笑った。
まさに世の実態を知らない厚顔無恥の大馬鹿!
本は自ら社会にニーズを作り出す事により売り上げを伸ばしてるんだよ。
それは資本主義の原理原則だ。
嘘だと思うんなら出版社に行って聞いて来い。
855人間七七四年:2007/07/08(日) 15:58:53 ID:hJqC3g6j
>>829
>信頼できる大学教授が何の資料を基にしてどんな風に記述してるか
 ちゃんと示してもらえる?君が勝手に断定して逃げるから話がこじれる
そんなの自分で書店に足を運んで自分で確認してみろ。
大概の本には、お前の愚説など載ってないから、どれを選んでも問題ない。
>>744の「 甘えるなボケ。」を、そのままお返しする。

お前が己の大嘘を正当化する為引き合いに出している資料など、専門家も当然目を通している。
だが、お前と同類の説を著述している筆者が、雑誌の一コーナーしか割り当ててもらえない谷口某しかいない現実が、
お前の資料引用の手法が欺瞞・ペテン・インチキ・イカサマだと如実に物語ってるじゃねーか。
お前の愚説を支持している箇所など、どの本のどのページにも見当たらない事で、お前の愚説が嘘だと証明されている。

>受け入れられてない、というか普通の人は興味自体がないんだよ
視聴者が興味があるからこそ、
毎年NHKでは大河ドラマを放映し、年末年始には長編歴史ドラマが制作される。
馬鹿杉(笑)。

>資料を読んだりしていくとなんだかんだいって地味だからね。歴史って。
歴史全てを一緒くたにすんな。
今の論点は戦国。劇的で面白いからこそ、数多くのドラマ・映画・出版物が世に出ているんだろーがよ。

>好きな人だけがそういった地味なのも読んで知識にしていく。乖離があるのは仕方ないさ
全く意味の無い書き込み。お前の駄目さ加減を象徴する駄文だ。

>君は結局俺の主張に対して論拠を挙げることも出来ず、ただ一方的に決め付けているだけじゃないか
何度も同じ事書かせんな。
一等資料を基にして何年何十年も研究した専門家が、お前の愚説と矛盾した見解を示している事で結論は出ている。
お前のペテンの手法は上記下記に記した通り。

>歴史事実を明らかにするといいつつ君は一切資料名とか記述とか
 あげないじゃないか。それで一般にはこう認知されてるんだ!とわめき続けて
 無理やり勝利宣言しようとしてる。
>君のいう歴史事実って何?資料名とか挙げられない?
お前は己の大嘘を正当化するために、単に適当な史料名を挙げてるだけ。
それがお前の欺瞞の手口だ。
当該史料には、どこにもお前の愚説を立証する記述など無い。
あれば、同類の説を載せた書籍が世間に氾濫している。
だが、現実は谷口某を例外として、どこにもそんな本は見当たらない。
これ以上の動かぬ証拠はねーだろ。
お前の愚説が全然「一般に認知」されていない現実さえ理解できないのなら、
精神病院にでも行って診察してもらえ。


856人間七七四年:2007/07/08(日) 15:59:35 ID:hJqC3g6j
>>829
>小説家が客を面白がらせるために
 フィクションを混ぜて書いたものを史実というのかい?せっかく忠告してくれた人を
 馬鹿というのもいただけないね。
歴史小説が面白いか否かは、その作家の表現手法や文体に起因するものであり、
史実を歪曲しなければ小説自体が面白くならないと決め付けてるお前は、現実を知らない愚か者。
殆どの作家はきちんとした歴史考証に基づいて執筆している。
己がでっち上げた大嘘を貫き通すために、立派な作品を書き残している作家を冒涜する卑劣さは、羽賀研二並みだよ。

>小説家が客を面白がらせるためにフィクションを混ぜて書いたものを史実
そこまで他人の仕事や作品を冒涜するなら、
誰のどの作品のどの箇所で歴史の改ざんが為されているのか一例を頼むぜ。
但しフィクションを前提とした小説は、この限りではない。

>そんなにありとあらゆる著作物にお目にかかれるってすごい本屋だね。
お前は大型書店の存在さえ知らんのか?いったい何十年自室に引き籠ってるんだ?

>原文つきや現代語訳もきっとあるから今度かってみな。
 とりあえずどんな本を読んだのか教えてくれる
一冊か二冊程度の資料を読んだだけで、軽率に判断を下す愚か者。それがお前。
とりあえず書店に行って、長期に渡り研究をした結果出された戦国関連の本や、
それを基に書かれた様々な本を手にとって読んでみろ。
お前の愚説を支持する記述など、どこにも見当たらないのが実感できるぞ。
お前に普通の読解力があればの話だがよ。
857人間七七四年:2007/07/08(日) 16:31:16 ID:hJqC3g6j
>>729
>尾張兵が弱兵だなんていうのは江戸時代に造られた講談だよ。
つまり織田の兵が劣弱だったって事は、後世の庶民にまで浸透している常識だったって事だろ。

>尾張兵が弱いとされる根拠とされる姉川なんて同時代の資料では
 信長が苦戦したとか浅井兵に本陣近くまで切り込まれたなんて書いてないんだよ。
 普通に野戦になって数の多い織田が浅井朝倉を撃退しただけの合戦なんだよ。
それはお前が見当違いの資料を参考にしているか、もしくはお前お得意のでっち上げ。
織田軍は、磯野丹波守員昌の奮戦により、十二段の備えのうち十一段までも崩され、
信長本陣の目前にまで迫られている。
これのどこが苦戦ではないんだ?

長篠の戦に関しては、
>信長公記によれば信長がまず陣地を作って武田と相対し
 その状況を見た後で作戦を考えているんだよ。「鉄砲を使うことを前提」になんか
 してないの。それで軍議をして酒井を呼び兵や将を預けて武田軍後方の砦を襲撃させた。
支離滅裂だろ。
武田軍を眼前に捉えてから作戦を考えているようでは、どうしようもない。
こんな愚策を考え付くのは、お前か、織田信雄か、小早川秀秋くらいだ。
先に陣地を構築し多数の鉄砲足軽を並べて待ち構えている事自体、
「大量の鉄砲使用を前提」にしている事に他ならない。

>武田を疲弊させるという事に関しては飛び道具は鉄砲じゃなくても弓矢でも
 代替は利いたんだよ。だからこれは戦略の勝利であって鉄砲が前提になんか
 なってないんだよ。鉄砲はその戦略の実施において役にはたっただろうけどね。
弓矢ごときで武田の進軍を止められる訳も無い。
接近され乱戦になり白兵戦となると、織田の兵は武田の敵ではない。
だから信長は鉄砲という強力な飛び道具を戦場に持ち込んだわけよ。
鉄砲無しでは織田の兵は恐怖で武田に対峙できやしない。

858人間七七四年:2007/07/08(日) 16:46:38 ID:LcKAVFWc
>織田軍は、磯野丹波守員昌の奮戦により、十二段の備えのうち十一段までも崩され、
>信長本陣の目前にまで迫られている。

ちなみにこれのソースは?
859人間七七四年:2007/07/08(日) 17:35:09 ID:0sOaIXrD
>>854
ちょwww人の書き込みから一時間近く空けて書き込んで勝利宣言して逃亡して
数日空けて書き込んでおいてそれかよwwま、精々楽しませてもらおうかw

あのね、だからさ。小和田氏が君の主張に合致するどんな主張をいってるのか
ちゃんと示せっていってんだろw今日も結局出せないんじゃないよなw
エンターテインメント性を重視した作家の部分と学者の部分を両方持ってる人だよ
小和田氏は。
だから、君が今まで散々得意げに出してきた主張に合致するその人たちの主張を出せ、
といってるんだよw早く出してねwただ罵倒と勝利宣言のだしに使われちゃその人たちも
かわいそうだろw
今谷氏の名前に関しては打ち間違いしたかwしかしその後の文章まるで意味がないぞww
君はその信頼する史料とやらをどれだけ読んでるの?w谷口氏がちゃんと参考資料をあげて
主張してる事さえ知らないでただ罵倒してすますってなんなんだw
いいからとりあえず君のいうちゃんとした史料とやらを出してそこからの結論をだしてねw
そんで結局調べもせず、姉川の戦いに関する参考資料さえあげずにただ延々と罵倒して終わりにする気?w
はやく自説に合致する史料やら考察やらだしてねw
随分夢を持っていらっしゃるw全ての出版物がそうだとでも?w毎年、年が変わるごとに
その年の大河ドラマの主人公を取り扱った本が大量に出版されるのを見てまだそう思うわけ?w
出版は商売なんだよ。ニーズに対応して何が悪いのかね?w
ま、もちろんニーズを創造しようと頑張ってもいらっしゃるだろうがそれが全てでは無論ない。
ニーズへの対応こそ資本主義経済の原理なんですが?w
>>744さんは別人だよ。w残念ながらねw前にも同じ事言われてるでしょw
そんで結局どれ一つとして史料も主張もあげられないわけねww相変わらず罵倒しか出来ずに
相手に史料の立証を押し付けて逃げ回る君の見苦しさに乾杯!w
だからねwお願いだからこれ以上笑わせないでくれwwww
その興味をもたれる「歴史」君のいう劇的で面白い「歴史」というのが
どんなのを元にしてると思ってるの?w講談や歴史小説家がロマンや面白さを
加えたものだよ?w当時の資料を見ていくと「何年何月何日にこういうことがありました〜」
とか「あなたはこの戦いで敵を一人討ち取ったから感状あげます」とか
そういったのばっかりだよ?w大衆向けに面白くするにはどうしても作為が
必要になるんだってばwまさか大河ドラマが全て本当だとか思ってないよね?w
今年の大河の主人公の山本勘助なんて当時の資料では書状一枚に名前が出てくるだけですからねw
「軍師」じゃなくて「伝令」としてねw
(続く)
860人間七七四年:2007/07/08(日) 17:56:53 ID:0sOaIXrD
(続き)
そんで?w最近戦国史の研究は様々に変化してる事を知らないわけ?w
結局あんたの主張に合致する研究者とその著作と該当部分をだせないわけ?w
司馬遼太郎氏は研究者じゃないですよw
だから、そんなにいうならさ、信長公記でも見て姉川について取り扱ってる部分でも
見てみなよwあらゆる著作物にお目にかかれるすばらしい本屋が近くにあるんだろ?w
見てみればわかると思うけど本当に君の期待してる姉川の記述はないからねww
少なくとも「講談」と「史実」に乖離が存在する事さえ認めないような方に
精神の心配をしてもらう必要はありませんww
だからね、そりゃ小説家もちゃんと歴史考証はするさ、でも自分達の色を出す為にも
面白くするためにもある程度のフィクション性がどうしても必要なんだよw
同じ事象を取り扱ってもその作家の作品ごとに描写も雰囲気も違う事に何の疑問も持たないわけ?w
君の大好きな司馬遼太郎氏も同じ人物を取り扱ってるのに作品が違うとまるで
違った感じになるからwまさか「英雄児」と「峠」の違いも知らないんじゃないよね?w
司馬好きのくせにw言っとくけど全然冒涜してないよ。何度もいうけど作家は
お客を楽しませる作品を書くのがお仕事なのでねw
結局信長関連で大いに参考にされてる信長公記さえ読もうとしないでいってるわけww
わざわざ紹介してやったのにww
そんで君の主張に合致する著作物とその作者をちゃんとあげてねw勝手に放り投げられても
困るのでねw小説は駄目だよww
本気でいってるのかwww江戸時代には天下を取った徳川を中心として歴史が
つくられていったんだよw尾張兵が弱い、という話が江戸時代につくられてそこから
庶民に認知されていったんだよw当時の資料に特に尾張兵の弱さを示す所はないのww
だから、その12段を11段まで打ち破ったっていうのはどの史料を元にしてるのか
いってごらん?w同時代の史料にはそんなのないからねwもろに江戸時代の講談の
記述だよw
だからwww信長公記に普通にそう書いてあるんだってばw信長を語りたいなら
普通に読んでごらんってww
当時の鉄砲の威力を知らないわけじゃないよねwwまさかww
弓矢で無理といえるほどの圧倒的な差はないよw
無理も何も普通に鉄砲を撃ちつつ足軽を出して攻撃してるんだってのww
最後は普通に総攻撃してるしなww
861人間七七四年:2007/07/08(日) 18:53:06 ID:hJqC3g6j
>>859
 >ちょwww人の書き込みから一時間近く空けて書き込んで勝利宣言して逃亡して
  数日空けて書き込んでおいてそれかよ
いつ書き込みするかは。俺の勝手。
お前ごときに、とやかく言われる筋合いなど全く無い。

 >小和田氏が君の主張に合致するどんな主張をいってるのか
  ちゃんと示せっていってんだろw今日も結局出せないんじゃないよなw
  エンターテインメント性を重視した作家の部分と学者の部分を両方持ってる人だよ
  小和田氏は
「エンターテインメント性を重視した作家の部分」って何を指しての主張か?
だから歴史を歪曲してるってか。それを言いがかりと云うんだよ。
お前は難癖は付けるが、結局何一つ論拠を示さず説明責任を俺に押し付けてくるだけ。
何も説明できてねーじゃねーか。

お前や谷口某が間抜け、もしくはインチキ野郎という論拠は、
お前らの説を支持する書籍が皆無だという現実で証明されてんだろうが。

「谷口氏がちゃんと参考資料をあげて主張」って具体的に何よ?
同時にそれも書き込んどけ。都合が悪い点はシカトして、すっ惚ける卑劣な手口。ミエミエだぜ。

谷口の説が正しいのなら、何故同様の説を掲載している本がどこにも存在しないんだ?
谷口の説が正しくて他の説が間違っている根拠は何か?
お前の卑劣さは、自分の主張した説さえも俺に立証させようとしてる事だ。
何で俺が、お前のでっち上げた大嘘を証明せなならんのだ?

 >相手に史料の立証を押し付けて逃げ回る君の見苦しさ
 >自説に合致する史料やら考察やらだしてね
 >結局どれ一つとして史料も主張もあげられないわけね
だからお前のペテンの手法は、ただ体よく資料名を挙げているだけ。
そこには、お前の愚説を証明する記述など存在しない。
お前の論拠は、「ただ書かれていない」というだけ。
そこで、お前は己の妄想を押し付けてくるって手口だ。
お前の愚説など、どこの書店に行っても該当する本が全然見当たらない事実が、
お前の愚説が大嘘だと証明しているって何回も書き込んでるだろうが。

 
862人間七七四年:2007/07/08(日) 18:54:03 ID:hJqC3g6j
>>859
>大衆向けに面白くするにはどうしても作為が必要になるんだってば
でっち上げの創作話を捏造してるのは、お前。
「長篠では織田軍は鉄砲使用を前提としていない」とか
「織田軍は弱兵ではない」とか
専門家では誰一人主張していない大嘘を、
単に資料名を挙げる事で誤魔化し糊塗する手法はミエミエだっつーの。

 >当時の資料を見ていくと「何年何月何日にこういうことがありました〜」
  とか「あなたはこの戦いで敵を一人討ち取ったから感状あげます」とか
  そういったのばっかりだよ?w
それと、お前がでっち上げた歴史の改ざんとは何の関係もねーだろ。
お前は、この国随一の歴史の研究家か?

 >大衆向けに面白くするにはどうしても作為が
  必要になるんだってばwまさか大河ドラマが全て本当だとか思ってないよね?
また必殺のすり替えかよ。目下の論点は史実の正否だろーが。
ドラマの脚色なんてどーでもいいんだよ。

 >毎年、年が変わるごとに
  その年の大河ドラマの主人公を取り扱った本が大量に出版されるのを見てまだそう思うわけ?w
  出版は商売なんだよ。ニーズに対応して何が悪いのかね?w
俺がいつ商売を否定したよ。「ニーズに対応して悪い」なんて、どこに書き込んだ?
駄文をダラダラ書き込んで、話をすり替えるな。

ごく稀な例を大袈裟に取り上げたり、
一見関係ありそうで関係ない話を始めるのは、インチキ詭弁野郎の用いる常套手段。
863人間七七四年:2007/07/08(日) 19:39:46 ID:hJqC3g6j
>>860
 >小説家もちゃんと歴史考証はするさ、でも自分達の色を出す為にも
  面白くするためにもある程度のフィクション性がどうしても必要なんだよ
 >同じ事象を取り扱ってもその作家の作品ごとに描写も雰囲気も違う事に何の疑問も持たないわけ
 >お客を楽しませる作品を書くのがお仕事なのでね
作者の主観を織り込む事と、歴史の改ざんとは根本的に違う。
作家によって表現手法が異なるのは当たり前。
だからと言って、書き手によって歴史の基本認識が全然異なるって事はない。

じゃあ司馬遼太郎氏は、どの作品で歴史を歪曲したのか例示してみろよ。
言いだしっぺはお前なんだから、こんな事、俺に立証責任があるわけねーだろ。

そもそも、お前の愚説に沿った歴史小説が全く存在していないって、どーいう事なんだろうな。
つまり、見識ある人からすれば、お前や谷口の説など笑止千万な愚説であり、
こんないい加減な愚説に基づいて執筆すれば、作家本人が恥をかくだけだからだ。
尤も編集者にチェックされた時点でボツになるだけだけど。

事実、お前の愚説など、世間の誰も相手にしてないだろーがよ。
オウム真理教のような存在なんだよ。お前や谷口なんぞ。
出版社に持ち込んでも、あまりに愚劣すぎて門前払いが関の山だ。
お前の愚説に合致する書籍は、谷口が執筆した例の一冊だけか?

 >本当に君の期待してる姉川の記述はないからね
じゃあ、お前の愚説を裏付ける記述は存在すんのか?ねーだろ。
織田軍は、磯野丹波守員昌の奮戦により、十二段の備えのうち十一段までも崩され、
信長本陣の目前にまで迫られているっていう世間一般の共通認識を、お前どう説明できるんだ?
お前が愛読している以外の他の資料を元にした学説により確立された史実って事だろ。
 
 >少なくとも「講談」と「史実」に乖離が存在する事さえ認めない
ま〜た論題と関係の無い書き込みをカマすボケナス。
他人が主張してもいない事をでっち上げて難癖をつける手口。
お前の正体が垣間見える一文だ。

 >当時の資料に特に尾張兵の弱さを示す所はないの
お前の愛読書にないってだけの話だ。
じゃあお前の愛読書には、
織田の兵は、武田・上杉と比べても遜色ない技量があったと記述されているのか?
ねーだろ。
お前、あらゆる文献を参考にしたのか?
してねーだろ。

 >弓矢で無理といえるほどの圧倒的な差はないよ
個々の兵には圧倒的な差があるからこそ、信長は白兵戦を避けてたわけよ。
単なるお前の妄想。誰も相手にしない。

 >何も普通に鉄砲を撃ちつつ足軽を出して攻撃してるんだってのww
  最後は普通に総攻撃してるしな
当たり前だろ。壊滅的打撃を被り逃げ腰となった敵軍を追いつめるのは戦の常道。
ま〜た論点と関係のない駄文かよ。馬鹿が。

お前、ダラダラと駄文が長すぎる。
論点を絞って簡潔に書き込め。

864人間七七四年:2007/07/08(日) 19:41:15 ID:0sOaIXrD
>>861
上のほうで俺の書き込みが数十分間隔開いただけで「いいザマだ」とか
抜かしてたのはお前だろwww
俺が数日空けることがあっても勝利宣言すんなよ?w俺もお前と遊んでいるばかりでは
いられないんでなww
だからwまず最初にお前が小和田氏を上げたんだろうがwだからまず小和田氏の主張なり
著作なりでお前の主張に合致してる部分をだせw散々人に責任押し付けてきた
お前からこんな事いわれるなんて思わなかったぞwww
だからさ、谷口氏はちゃんと信長公記も増田家什書も年代記抄節も該当部分を出してるってのw
お前は早く12段を11段やぶったとかいう愉快な話の史料をだせw
都合の悪い所はスルーして相手に立証責任を押し付けて逃げまわるお前の手口はお見通しだぜww
だから、さwwお前の主張の根拠になってる書籍なり史料なりだせ、といってるんだよww
ありふれているんだろ?w簡単にできるよな?w俺はお前の要望にそって上では
信長公記や平山氏や谷口氏ややらあげてやったろwわかってないのか?俺が求めているのは
お前の主張の根拠なんだよ。自分の説の根拠を出させようとしてるのはお前だろww
だかあらさwwなんでもいいからそのお前さんの主張に合致してる書籍なりなんなりだしてみろ、と
いってるの。ありふれてるんだろw簡単にできるよな?w俺に武田信玄の出陣シーズンの具体例を
述べさせたことまだ覚えてるよな?お前もさっさと根拠をだせってのw
もはやwwなら聞くがその尾張兵を弱兵と主張してる専門家って誰かいるのか?ww
司馬遼太郎は専門家じゃないっていってるよなwちゃんとその専門家の名前と書籍をだせよなw
長篠で鉄砲に関するのもそう。ここまで散々人が研究者やら書籍を上げてやったんだから
少しはお前さんも示せw
だから、なんで俺が改ざんしてるって事になるのwそういった地味で簡潔な記述の史料から
どうしてドラマが演出されてると思うの?w作家さんたちが講談とかを元にしつつ
色をつけているからだよwむしろ一つも論拠挙げないお前さんのほうがはるかにいかがわしいってw
だから、最初に大河ドラマあげてきたのはお前だろwwやばくなったら論点そらしと
こっちに責任おしつけるのはいい加減にやめろww
おまえwwwニーズを作りだすのが資本主義とか抜かしてたろwww
自分の発言見返してみろww
つうかさ、もう本当の所釣りなんだろ?wwこんだけ人に文句いいつつ自分は一切
論拠ださないやつなんてはじめてみたんだがww
そうやって延々と逃げ回りつつ強引に最後に勝利宣言するのは自分から論拠を挙げられない奴の
常套手段w
>>856で小説をフィクションとした以上ちゃんとした史料とか書籍をあげられるんだろ?ww

つーかいい加減うざいので俺が今示せといった論拠をちゃんとあげないと
いつまでも要求するからな。俺が要求してるのは「お前」の論拠なんだからな
865人間七七四年:2007/07/08(日) 19:59:31 ID:TihSTI+P




 盛り上がってまいりますた



866人間七七四年:2007/07/08(日) 20:01:03 ID:0sOaIXrD
お前に要求するもの一覧
小和田氏の主張からお前の主張に合致している著作なり考察。及び該当部分。
姉川で織田が12段のうち11段を破られたという話の情報源。
世にありふれているらしいお前の主張に合致しているらしい書籍とその該当部分。
尾張兵を弱兵と主張しているらしい戦国史の専門家の名前と著作。長篠もついでに。
とりあえずここまで。他にも上を探せばいくらでもありそうだが・・・。
867人間七七四年:2007/07/08(日) 20:01:52 ID:0sOaIXrD
>>866>>865さんではなく>>861の卑怯者あてです。
868人間七七四年:2007/07/08(日) 20:26:49 ID:hJqC3g6j
>>864
結局、小和田氏に関する
 >「エンターテインメント性を重視した作家の部分」って何を指しての主張か?
の問いには、答えず仕舞い。情けない奴。
そもそも、それが何故お前の大嘘を正当化する根拠になるんだ?
己の大嘘に抵触する書き込みに関してはシカトか。

 >小和田氏の主張なり著作なりでお前の主張に合致してる部分をだせ
俺が過去に読んだ小和田氏の多数の著述の中で、お前の愚説に類似する記述が全くないって事だ。
それで悪いか?

 >谷口氏はちゃんと信長公記も増田家什書も年代記抄節も該当部分を出してるっての
基本的な質問だが、
谷口の説が姉川の戦いを描写する揺ぎ無い真実ならば、
何で誰も谷口の説を支持してないんだろうな。
どこの書店やどこの図書館に行っても、お前らが主張する姉川に関する説に沿った本など見つけられないんだけど。
姉川の戦いを記述している歴史資料は「信長公記」「増田家什書」「年代記抄節」だけか?
そんな訳ねーよな。
だから、資料名だけを挙げてハッタリをカマす手法は、
お前の十八番のペテンの手口だと主張してんだろーが。

他の歴史専門家も当然、谷口が論拠としている資料を見ている。
なのに百八十度異なる見解が出てくるって事は、
それ以外にも信頼するに足る資料が存在するって事だ。

 >俺が求めているのはお前の主張の根拠なんだよ
 >お前の主張の根拠になってる書籍なり史料なりだせ
世間に溢れている書籍が、その根拠。
お前が支持している谷口の説など、お前やお前と同類の阿呆以外誰も支持していない。
なんたって、お前はオウム信者と同類の荒唐無稽な異説を妄信する阿呆だからな。

 >司馬遼太郎は専門家じゃないっていってるよな
信憑性のある学説を基にして執筆しているって事だ。
それで充分だろ。
お前や谷口の愚説に沿った小説が存在しない事で、
お前らのデタラメぶりは実証されている。

 >なんで俺が改ざんしてるって事になるのwそういった地味で簡潔な記述の史料から
  どうしてドラマが演出されてると思うの?w作家さんたちが講談とかを元にしつつ
  色をつけているからだよwむしろ一つも論拠挙げないお前さんのほうがはるかにいかがわしいってw
  だから、最初に大河ドラマあげてきたのはお前だろwwやばくなったら論点そらしと
  こっちに責任おしつけるのはいい加減にやめろww
  おまえwwwニーズを作りだすのが資本主義とか抜かしてたろ
「大河ドラマ」という語を引用したのは、
お前の駄文の愚劣さを説明するのに有用だったから。
他に他意はない。
馬鹿げた言いがかりもいい加減にせいよ。
お前、論点から外れた駄文を書き込むな。
本筋と関係の無い話題が次々と湧いて出てくるのは、全てお前の駄文からだろ。
俺は、その愚劣さを証明してるだけ。

 >>>856で小説をフィクションとした以上
 >小説家が客を面白がらせるために
  フィクションを混ぜて書いたものを史実というのかい?
何自作自演してんだ?
駄文ばっかじゃねーか。
一人芝居してトチ狂ってんじゃねーぞ。
869人間七七四年:2007/07/08(日) 21:02:17 ID:hJqC3g6j
>>866
好きな書店や図書館にでも出向いて、どの本でもいいから適当に読んでみろ。
お前や谷口の愚説に沿う本を見つけられたら奇跡だな。
870人間七七四年:2007/07/08(日) 21:19:52 ID:JE+dBD7G
流れからして無駄レスになりそうだけど…
>>852
なるほど。信玄に対する長野県民の感情に近いのかな。
当方関東だけど戦争体験や関東大震災も聞かれたら話す思い出話で
積極的に語り継ごうって人は少ないから違和感を感じるんだよね。

>>853
武力行使せず自治権の放棄と武装解除は応じないだろうしね。
本願寺含め宗教だからって何しても許される訳じゃない。
871人間七七四年:2007/07/08(日) 21:23:24 ID:0sOaIXrD
>>868
はいはいw相変わらず根拠も出さずに延々と相手に立証責任を聞く
卑怯な姿勢は相変わらずですねw
お前がそもそも小和田氏をあげたんだぞ。お前の主張にあうとしてな。
だったらお前がまず説明するのが当然だろ。
それもせずに延々逃げ周り続けてるのはお前だろw
はやく小和田氏の主張からお前の主張に合致する著作なりなんなりだせよw
小和田氏のどんな本を読んだんだ?書籍名と出版社をさっさとあげてね。
そんでその著作の中でお前の散々ほざいてきた主張に合致する所をさっさとあげろ、
といってるんだよ。そんなにいうんだからできるよな?w
だから、な。そんなに人の説明を否定するからにはお前が史料を出せ、といってるんだよ。
お前の主張してる姉川で織田が12段のうち11段破られたとかいう話がどんな書籍や
史料にのっていてどんな記述をされてるのかちゃんと示せ、っていってんだよ。
「そんなわけないよな?」なんて何人に責任押し付けているんだ?さっさとお前の主張する
通りの論拠を挙げろ。まさか出来ないんじゃないよな?w勝手に人をペテンといった以上できるよな?
はずだ、じゃなくてお前の信頼できる歴史家とやらがどんな名前でどんな本を書き、
そこでお前の主張するとおりの記述をしているのかどうかさっさと示せ、っていってんだよ。
散々一般論みたく語っているくせに一度も示せてないだろ。お前。
世間にあふれてる、じゃないんだよ。ちゃんとその書籍の名前と著者と該当部分を示してみろ、
といってるんだよ。結局満足には一つもあげられてないだろ。
おまえさ、司馬遼太郎の小説本当に読んでるのか?
信長公記を読んでいたはずの司馬氏が長篠三段撃ちや姉川苦戦を描いたのはなんでだと思う?
そのほうが面白いからだよ。姉川で織田が普通に勝ったり長篠で飛び道具と防御陣地と足軽を
つかって長い時間をかけて武田軍をなぶったりする描写をするより面白いからだよ。
なんでそうやってわざわざ講談要素入れたのか本当にわからないのか?
司馬遼太郎氏はあくまでも小説家なんだよ。史実よりも面白い話を優先して書くお仕事の
人なんだよ。今に至る小説家も面白さを優先しなければならないんだよ。
それに司馬氏が小説を書いた時代では実証的な考察もまだまだ進んでいなかった
からな。長篠や姉川が否定されだしたのはここ10年くらいの事だ。当時の資料をもとに
精密に史実をたどる風潮が元になって長い間講談を織り交ぜられて語られてきた
戦国史をシビアに考察するようになった。人の話を否定する前に早く調べろ。
そんでどんな本を読んでどんな知識に触れたのかいい加減示せ。ただそうであるはずはない、
の繰り返しはうんざりだ。さっさと史料をあげろ。
あのな、一々大河ドラマとか講談満載の事抜かしてきたのはそもそもお前だろ。
それで説明されてやばくなると逃げ回る癖はいい加減にやめろ。
お前がどの作品で改ざんが行われたのか示せといいつつ
フィクションを前提とした小説は対象にしない、とかねぼけたこといってるから
こうなってんだろ?都合悪くなるとごまかすのはやめろ。

一言でいうなら「さっさと史料や書籍をだせ、論拠をしめせ」
こんだけ無駄に長く書いておきながらお前一つも論拠を示せてないんだぞ?
わかってるのか?さっさとまず>>866は示せよな。

あまりの愚論に答える気持ちも起きなかった>>863にも答えてやるからまってろ。

872人間七七四年:2007/07/08(日) 21:25:18 ID:0sOaIXrD
>>870の人
やっぱりこいつの相手してたら迷惑かな?
そうなら直ぐにでもやめる。普通の人の考察を邪魔する気持ちはない。
873人間七七四年:2007/07/08(日) 21:27:26 ID:0sOaIXrD
>>870以外の人も俺が>>868の相手をしてる事が
考察の邪魔になるようなら直ぐにでも書いてほしい。
皆さんの考察を邪魔する気持ちはさらさらない。
874人間七七四年:2007/07/08(日) 21:32:44 ID:y7R1Mm4x
>>854
俺、何人いるんだよwww
いい加減に気付きなよ、皆、議論の土俵を整えるために、君の妄想、歴史ファンタジーを取り払おうと
君へのお説教と教育と嘲笑を兼ねて書き込んでいるんだってことに。
だから内容がある程度類似して、同一人物のように見えるんだよ。
まぁ、君の虚栄心を保つためには反論者が一人であったほうがご都合がよろしかろうが、残念なことだな。
しかし、もともと「君」と呼んでもらえていたのに、いつ間にか「お前」に降格?してるしw
どこかの俺が君を怒らせてしまったのかい?
ってか、よく読むと>>779の前後で変わってるのか。
>>779はこの俺だよ。なんだ、この俺が怒らせてしまったのかw
まぁまぁ、この俺が書かずとも、他の俺の皆さんもとっくに分かってることだし、
そうプルプル怒って罵倒を浴びせながら粘着しなさんな。
俺は大勢いる俺の中でも比較的君に対して寛容な部類の俺だよ。自称だけどな。

>一見関係ありそうで関係ない話を始めるのは、インチキ詭弁野郎の用いる常套手段。
これは俺ではない俺に向けられたお話だが、ちょうどいい。

鉄砲3千丁の論拠は?
つるべ撃ちの論拠は?
当然、信長公記よりも信頼度のある論拠じゃないと手遅れだよ。

さ、君自身がインチキ詭弁野郎でないならば話を戻してちゃんと答えてくれよ。
答えられないならばグダグダ粘着せずに自身の主張を撤回、訂正して終了しろ。
君の数多い汚名のほんの一部分を返上するチャンス到来だ。
な、優しいだろ俺。
875人間七七四年:2007/07/08(日) 21:34:32 ID:y7R1Mm4x
ああ、>>779は間違えです
>>780に訂正です
876人間七七四年:2007/07/08(日) 21:39:27 ID:O7l6yCFh
>>872
別に好きにしたらいいんじゃね
にちゃんなんだし
877人間七七四年:2007/07/08(日) 21:43:57 ID:0sOaIXrD
>>876
確かにそうなんだが・・・相手の変な奴は余りにもおかしすぎて
まともな議論にならない。こんだけ長々と書いても具体的論拠の一つも
帰ってきやしない。「早く論拠をだせ」の一言ですんでしまうくらいに。
こんなのでスレを消費しまくって皆さんの意見交換の場所をつぶして
しまうのは余りに気が引けてしまう・・・。
878人間七七四年:2007/07/08(日) 21:53:15 ID:y7R1Mm4x
タイミングが悪かったかな・・・
私も彼をスルーするのはやぶさかではありませんよ。
彼は何か勘違いしているようですが、元々たまにしかここに来てませんし、
色々知らない知識や視点を学びたいってのもあってここに来ても
彼が相手では学ぶところがありえませんからねぇ。
879人間七七四年:2007/07/08(日) 22:01:43 ID:0sOaIXrD
>>878
あ、いえいえ。>>878さんが反論するのも当然ですよ。
向こうは一向に論拠をあげないのに、こっちの主張だけペテンとか
いんちきとか言われればそりゃ反論して当然ですよ。
>>874であなたの示された簡潔に論拠を聞き続けるというやり方は
非常に参考になりました。俺も以後このやり方でやろうかな、と思います。
ぶっちゃけ>>866にいくらか加えるだけで済んでしまいますからねw
880人間七七四年:2007/07/08(日) 22:04:38 ID:O7l6yCFh
むしろそういう馴れ合いチックなやり取りのほうが邪魔なんだが
スルーならそれでいい、相手するならそれでいい
見たく無いなら各人NGにする
それで解決だろ
881人間七七四年:2007/07/08(日) 22:06:08 ID:0sOaIXrD
>>880
そうですか。申し訳ありませんでした。
以後は気をつけます。論拠を簡潔に聞き続ける程度にとどめる事にして
おきます。
882人間七七四年:2007/07/09(月) 07:31:51 ID:SAlnACje
>>851
地元ではないのでわかりませんが、私が観光にいったときの印象では
やはり信長の行為を好意的にとる人は少なかった(というか、いなかった)
安土とそれ以外の周辺地域では、織田信長の政策で
貧富の差が熾烈を極めたようです。信長が統治していた当時は、
その政策から、安土から少しでも離れれば廃村に近い状態というほどの格差社会だったはず。

京都の民から慕われていたのは明智光秀で、信長でも秀吉でもなかった。
織田信長は強国にすることを第一にして民のことは省みない政策だった可能性が高い
883人間七七四年:2007/07/09(月) 07:32:35 ID:SAlnACje
もちろん今は違いますよw
884人間七七四年:2007/07/09(月) 07:44:25 ID:F/pmyuwi
現代の人気とその人物の評価とがどう関係するのか簡潔に述べよ
885人間七七四年:2007/07/09(月) 21:21:47 ID:/N/EdCeD
846
幕府は島原の乱でも大量虐殺してるけど
886人間七七四年:2007/07/09(月) 21:31:40 ID:3vnKeuMV
>>882
そもそも格差社会とか、現代的な価値観で測ると当時のほとんどの国と地域は格差社会になるな。
887人間七七四年:2007/07/09(月) 21:41:44 ID:MkfRFalb
>>882
民のことを顧みず、富国強兵が可能なんですか?

安土以外、廃村に近いほど追い込まれた近江の民、
慕っていた都の民、光秀の本能寺の一挙ではさぞ
喝采を叫んだと思うんですが、同時代、後世に
関わらず、その類の話が記載されている史料が
ありましたら教えていただけませんか?
888人間七七四年:2007/07/11(水) 17:17:05 ID:yPpoZeoc
廃村とか格差社会って一体何処だろう
ついでに信長の行為を好意的にとる人が少ない地域って何処だ?

まあ安土の建設に伴って街道を強引に安土城下へと変えたのだから
それまでの旧街道では廃れた村とか出ても不思議じゃないけど
889人間七七四年:2007/07/11(水) 21:22:52 ID:/TDpvetU
廃れたのは街道による村じゃなくて、
その街道の途中で甘い汁吸ってた旧仏教関連や座の連中じゃないの?
890人間七七四年
今夜のその時〜を見て論争しているお二方がどう反応するかwktk(見ていない?)