【戦国の日和見】小早川秀秋総合スレ【金吾】

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1名無しさん@お腹いっぱい。
小早川秀秋を語るスレです。妻の毛利家のスレはありますが、
関が原の最重要人物である小早川秀秋個人のスレはないので立てました。
最近では戦国自衛隊で藤原竜也が演じていたことでも有名です。


※ひより‐み【日‐和見】
「ひよりみ」を大辞林でも検索する
1 有利なほうにつこうと、形勢をうかがうこと。

関連スレッド
毛利家スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152171027/l50

【忠】小早川秀秋にカッコイイ台詞を言わせる【義】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150710661/l50

2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 23:07:59 ID:vPtUpNrm
                                   : __,,,,,,,,,,yww,,,,、    .l゚“''''z     l゚゚゚゚゚゚》
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3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 23:13:35 ID:7NZcTr4W
暗殺された人物。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 00:39:46 ID:6HZ8TSip
実は武勇はあるんじゃないかっていう話しだ罠
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 23:41:18 ID:6GMnUIMn
タマタマ潰されて殺されたって話もあるからな
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 01:08:42 ID:1AYlBlN6
それは源頼家じゃないのか?
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 01:14:22 ID:bogTaat+
有能だったか無能だったかは知らんが
豊臣家に対して愛憎入り混じったかなり複雑な気持ちを持っていただろうね。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:11:36 ID:TOfKt/Mw
同年同日同所、秀秋の兄弟2人も殺されてるので確実に暗殺されている。
悲惨な死因説がたくさんあるが、徳川が広めたデマだろう。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 23:20:26 ID:U1+y0OUL
キンタマつぶされたんだろ。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 01:18:04 ID:hgCukHQQ
戦国の日和見
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 20:22:29 ID:vbm4aTJ3
日和見ってそういう意味だったのかwww
秀秋にぴったりやがなwwww
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 20:30:03 ID:ufLpDFRJ
あ 暗殺う!?(´△`;)金吾カワイソ
誰がやったー!?お前かーー!!?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 21:50:14 ID:cPonGdQS
>8
>同年同日同所、秀秋の兄弟2人も殺されてる

俺この話は「梵舜日記」でしか知らないんだよなぁ。
比較、補足用の史料は何を使った?
さすがに一つだけだと論拠として弱いし。
14奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/27(木) 22:37:00 ID:O/Fe5H5/
木下兄弟のなかにその死者がいるのだろうか。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 22:57:39 ID:cPonGdQS
ちょっと訂正「梵舜日記」だと
「金吾殿備前岡山城にて死去、同月に兄弟三人病死なり」
とだけある。同日同所とは書いてなかった。ごめん。

>木下兄弟
木下俊定と木下某(外記、出雲守と呼ばれてる人物と思われる)らしい。
関ヶ原後に改易されて秀秋の所に来ていたようだ。
16奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/27(木) 23:04:02 ID:O/Fe5H5/
勝俊 1569〜1649
俊定 1574?〜1602.10.05
延俊 1577〜1642

あと誰だろう。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 23:08:55 ID:L13HOBrm
>>15
梵舜日記てのは結構信頼できる資料ですか?
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 23:39:48 ID:cPonGdQS
>16
利房 1573〜1637

>17
「梵舜日記」そのものの信頼性についてはあいにくと研究者では
ないので明確にどうこうとは言えない。

ただし豊国神社の社僧だった人が書いた同時代史料だから、
豊臣関連の情報に関してはそれなりにソース持ってそうだとは思う。

でも逆に言えばそれゆえ恣意的に書いてる部分もあるだろうし
だから上でも書いたように比較、補足の史料を知りたいわけで。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 10:52:55 ID:0pZfQyU+
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1141536641/880
>880 :水先案名無い人 :2006/07/05(水) 16:07:42 ID:zicj6S0w0
>秀秋「私は西軍だ!」
>秀家「・・・」
>秀秋「早く関白にしたらどうなんですか」
>三成「いや、先に東軍を攻めろよ」
>秀秋「この軍勢は、最大限守ってあげたい」
>三成「東軍と密約してるんじゃねえの」
>秀秋「どのようにして、その先入観を打ち破る事が出来るのか。本当に悩ましい」
>吉継「西軍ってことは松尾山から降りてくるのか?俺、藤堂隊と戦ってるぞ」
>秀秋「この一方的な攻撃。この風景。こんなところに軍勢を投入したらかなわないと感じるのは当然」
>三成「だったら西軍だなんて言うなよ」
>秀秋「一言聞いただけでガセだと決め付ける、卑怯千番、もっとも恥ずべき行為」
>吉継「寝返りのほうが卑怯だよ。早く降りて来い」
>秀秋「どのような条件をクリアすれば、西軍だと認める事ができるのか、知恵を貸してください」
>三成「おまえが西軍だって言ってるんだろうが」
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 18:07:16 ID:WWAg6C3h
>>19
なんだこれw
21あぼーん:あぼーん
あぼーん
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 22:19:27 ID:Pdn2BSoO
親父が優秀だっただけに残念。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 01:33:39 ID:4+fo1Abr
・・・・・親父?
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 03:14:36 ID:Mw1zkSog
>>22
親父て
木下家定??
25奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/06(日) 03:29:17 ID:YkTfp+H4
たぶん。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:10:57 ID:uHdNHuOk
89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:02:04 ID:uHdNHuOk
家康が本多正信に語る。
「豊臣家子飼の大名達、ああも無節操に裏切れるものか。喜ぶ反面、心が、冷えたわ・・・せめて三成のような家臣がいて、太閤殿も初めてうかばれたであろう・・・これからは我が徳川家、三成のような家臣に恵まれれば良いが。義、忠義の家臣にのう」
後世、徳川幕府は、朱子学を取りいれ、武家の倫理を厳しく見るようになる。



90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:04:04 ID:uHdNHuOk
徳川幕府が朱子学を取り入れたのは、石田三成の義のおかげといっても
決して過言ではない。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 04:30:13 ID:CO9zduxI
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 01:57:21 ID:nn6ATnH6
秀秋の同年代の大名の中では、案外そんなに愚将とも言いきれないんじゃないか。

裏切りのタイミングは絶妙で戦後加増されてるし、時代が戦国乱世だったら、
そんなに悪く言われないだろ。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:30:01 ID:pgUToJMB
オットセイ俳優に格好良く演じてもらったしw
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 00:36:34 ID:mCeksd1u
備後三原城の城下、匡真寺(現・宗光寺)の長老・義達などは秀秋に拝謁したあと、ひそかにその日誌に「資性駑鈍、しかも暴慢、お家滅亡のしるしか。悲しむべし悲しむべし」と書いたそうです。
また「あの、あほうさま」と、そんなふうにかげ口をいう者も小早川家にいた、とのこと。
(司馬遼太郎「豊臣家の人々」)

実話なら面白いけど
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 04:20:23 ID:ZFWLvv0/
>>30
司馬遼太郎の小説で、面白いと思ったところは先ず間違い無く創作と考えた方が良いです。
現実って、意外と小説にならないのね。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 21:48:42 ID:6HhBITez
少なくとも隆景ゆかりの人にはよく思われていないのでは。
体のいい乗っ取りなわけだから。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 00:01:07 ID:Wz4D34nv
まあ徳川方・豊臣方・毛利方からは良くは言われないだろうしな。
お家断絶になったら、もう擁護する人も無いわけだし。
でも決め手はあの肖像画だと思うw
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 03:28:09 ID:gFAKANwn
あとあの家紋も微妙だし。


いや、俺は好きだけどさ。可愛くて
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 13:19:35 ID:2fVHV535
鎌を交差させたやつだよな?
あの家紋、何か不吉というか怖いんだが・・・
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 09:58:38 ID:hyCdK8md
>>35
家紋なの? 単なる幟印だとばかり思っていたが。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 03:16:37 ID:V49mp4cm
秀秋と秀次



どっちが優秀だったの?俺は秀次だと思うが
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 18:42:02 ID:sEZXQ7KM
秀次の方が、マシなんじゃないの?
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 22:10:27 ID:EQd85R8F
この人、関ヶ原の後に佐和山城を攻めたんだったか?
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 00:53:52 ID:C/aLxVrB
そう、小早川が伏見城攻撃に参加した罪滅ぼしに、「佐和山攻めの先鋒をやりたい」って家康にゴマすって申し出たらしい。

それで、小早川を先鋒に田中吉政や、小早川に続いて、大谷に攻め込んだ裏切り組の脇坂・小川等と佐和山を攻めたんだ
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 18:29:54 ID:PNiMa6E2
>40
マリガト なんか寝返り組の点数稼ぎっぽくて嫌な感じだ。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 02:04:17 ID:0saKOZJo
>>41
でも、戦場に近いやつか陣営を鞍替えしたばかりのやつが先鋒を命じられるのは当時の定石の一つだから。
今川義元時代の松平家とか、摺上原合戦の伊達家での猪苗代盛国とか。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 02:42:47 ID:9vuWvo36
>>41
寝返った方は忠誠心を見せないといけないから。
一般論で言えば、誓紙、人質を出していても寝返ることもあるんだから、
何らかの方法でその真意を見せないといけないよね。

小早川の場合はいろいろ動いてた家老衆が戦後処理も睨んで
積極的に引き受けたのでは。
小川祐忠は同じように佐和山攻めまでやったけど改易だからね。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 07:43:39 ID:eVX3QqZ3
小早川秀秋、なんだかんだいいながら、日本の歴史に名を残したな。
明智光秀と二代裏切り者か。
でも、明智はある意味かっこいいし、ファンも出来そうだけど、秀秋はどうにもならないよなあ。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 10:45:55 ID:pFADveLJ
>>25
糞コテ消えろ
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 19:20:32 ID:n3NXOftN
隆慶一郎の「逆風の剣」(『柳生非情剣』収録)の小早川秀秋は格好良すぎでファンになりそうだったw
裏切り金吾のイメージがひっくり返ったよ。

実像はどうだったかは別にして(小説だし)、
割と情けなく書かれる事が多い人だからたまにはこういうのも良いかなと。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 19:45:16 ID:JiVFk2pv
小早川秀秋は、岡山に赴任後疾風のような勢いで城建てたり内政整備してるとこからも
有能な印象ある

関ヶ原の後は謎の死を遂げている武将が多いし
家康が甲賀忍者か伊賀忍者でも放って暗殺したのかなとか考えると面白いな
小早川なんか、関ヶ原では味方でも秀頼自体に反旗を振り上げたら即効敵方に回るし
消せるもんなら消しときたいわな

話は変わるんだけど、甲賀の里が今住んでるとこから車で一時間ほどの所にある
そこの展示会場見たら、速効性の薬以外も沢山あってびっくりした
大麻をお茶に混ぜ込んで薬中にさせるなんて手もあった
忍者達は大麻のことを「あほう薬」と呼んでいたそうな
大麻なんて毎日お茶に混ぜ込まないと意味ないよ
手の込んだことするな忍者……
「毒殺と伝わっていたが、実は癌だった」って人も多いけど
あれ見てから、発癌物質飲ませてたんじゃまいか、ホントに毒殺なんじゃないかと
思うようになったよ
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 20:28:45 ID:hFX0bBgf
実際同時代の人たちは秀秋の行動をどう思ってたんだろう。

現代人から見れば俯瞰的に史料やその後の流れが見れるから
単なる裏切りとも言い切れないけど、当時の人たちはそれほど
豊富な情報を持ってたわけじゃないし。

物語にあるように周囲からも呪い殺されて不思議じゃない位の
「裏切り者」扱いだったんだろうか?
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 15:32:22 ID:ZxNVt28J
>>48
味方からすれば「よく決断した!仕方ない!」
敵からすれば「この最低の人間が!」

しかし勝てば官軍というが、ここまで貶められた人物も珍しい
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 17:05:05 ID:srORcSrf
まあ子孫が居ないから叩かれやすいんだろうな。
江戸期に大名家として存続してれば、ある程度イメージアップ活動は出来たのかもしれないけど。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 19:55:22 ID:6+xHvZKr
ぶっちゃけお前らが英明の立場でも寝返るだろ
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 20:00:36 ID:aHfPm/x3
伊藤?
53金吾金吾って:2006/10/22(日) 09:04:36 ID:lkZWY5q/
俺を弁護してくれてるHPがある。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 22:36:25 ID:I5Pe1s9v
宇喜多に一発なぐられろ
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:00:41 ID:u24ETS5w
小早川KING秀秋
56金吾金吾って:2006/10/23(月) 05:47:13 ID:gF+tPOuO
>>54
宇喜多、えげつない家、
前田に助けられただけ。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 20:09:13 ID:jTPJLQCX
いやいや意味不明ですぜ小早川の旦那。
58金吾金吾って:2006/10/23(月) 20:11:29 ID:gF+tPOuO
>>35
あの家紋の由来なんざ、調べりゃすぐ分かるよ。
説明するのもうっとしい。
59金吾金吾って:2006/10/23(月) 20:23:02 ID:gF+tPOuO
>>57
直家=縁戚をも含む備前の豪族を暗殺により次々と滅ぼし、主家浦上氏
を圧迫するまでに成長。美作に進出した備中の三村家親に対しても
正攻法を避け、鉄砲による暗殺に成功。
秀家=陰湿なお家騒動。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 20:27:32 ID:jTPJLQCX
いやいやそれは勢力拡大に一番有効だったからでしょう。毛利とかもやってるわけだし。まあ秀家のお家騒動はどうもいえんけど。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 21:00:15 ID:P4+mwcqt
前田利家との差は寿命。
きちんと子孫が残れば名君とよばれてだろう。
62ななしさん:2006/10/26(木) 02:45:07 ID:VKFli8La
たぶん家康が秀秋暗殺には関与しているんだろう
家康は薄汚さでは日本の歴史上最悪じゃないかな
だが戦争を250年なくしたから偉業はほめるべきなんだろうな
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 00:09:41 ID:LvzLHH1C
きれい事で片付かなければ手を汚してでも片付ける、ってところか。
家康は多くのことを成し遂げた偉人、でも嫌い。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 18:03:01 ID:B5RLIaq0
まあ、血塗られてない英雄なんてそんなにいないだろ
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 15:24:51 ID:NPiZ9Yn2
かっこ悪い裏切りをしてしまったため、400年たっても、2ちゃんねるのくずニートに
までバカにされる秀秋。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 15:34:59 ID:6ltYp4Eo
これから先何百年もこんな扱いなんだろうなあ。
金吾ちゃん、アワレ。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:36:20 ID:iUXByb4O
現代の2ちゃんねらーまでをも
「まあ、金吾のやることだから(苦藁)」
と言わしめる人物なんて、ある意味凄いと思う。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:42:56 ID:uA36WpDE
金吾かっこ悪くないよ
裏切るのだって勝手だろう〜。主君大事の時代とは違う。

裏切り渋ったのだって、関ヶ原の東軍のしょっぱなの指揮のまずさ見ればアタリマエ
なんぼ家康に恩があっても、誰が負ける戦に手を出すかよ
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 20:17:25 ID:oifAJYM9
 たとえ西軍に加勢してても
今度は家康に助けてもらったのに恩を仇で返した恩知らずとして
後世に名が残りそうな気がする。

あと>>50
どうやら秀秋にか隠し子の家系が存続しているそうな。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 01:04:56 ID:aJBfYS7r
寝返るほどの恩でもない

どっちかっていうと秀頼が心配で徳川についたんじゃね?
西軍が勝っていたら、秀頼本人は無事だろうし、豊臣直轄領にも手はつけないだろうが
淀殿は完全に政治に口を挟めなくなり、秀頼から引き離されるだろう
三成は・・・・・・秀秋関白は秀頼成人までって言ってるけど
そのままなし崩し的に、秀秋に関白を続けさせようとするかもしれない
アンチ淀殿、高台院派の三成にとっては、高台院の甥で秀吉の元養子で実力充分の秀秋の方が
淀殿の子で、ぜんっぜん秀吉に似てない誰の子だよそいつ状態の秀頼よりも嫡流のはず
(小柄で痩身の秀吉の子がデブで大柄だし胡散臭いにも程があるわな)

慶長の役に秀秋が陣頭指揮していたのを三成が秀吉にそのまま報告した件については
上司の秀吉に報告するなって方が無理
秀吉は唐入りで、他の武将に対しては積極的に戦わなかったことを責めているし
詳細を報告したのは戦果をもとにむしろ秀秋を取り立て欲しかった可能性もないではない
秀吉が陣頭指揮するタイプの指導者に拒否反応があったので減封になったが
同タイプの蒲生氏郷は戦果があれば加増されていたし、減封が予測できていたとは思えない

秀秋は子供いないし(落胤はどうか知らないけど)、秀頼のこと可愛かったんじゃないかな
結城秀康も実の親より秀頼を取ると公言していたくらいだし、養子組は秀頼のことを可愛がってそうだ
どう見ても不義密通です状態なのに人が付いて来るのは、秀頼自身に人を引き付ける魅力が
あったからなんだろう (石頭の三成に通じるはずもないが)

なし崩し的に関白を続けたら、その後秀頼派と一戦交えないといけなくなるのは目に見えてるし
秀秋の本意ではなかっただろう
本人が期日を守るつもりでも、血統実力共に備えた人間が上に立つと人は集まってくるし
家臣が集まると続投せざるを得なくなる
秀頼を養子に迎えて外堀を埋めればどうにかなるだろうけど
いかんせん秀頼が名目上は主筋なんで養子にするのもままならない

最初の問題として、鶴松暗殺疑惑のある高台院の元に秀頼が置かれた場合
高台院が暗殺を企んだら、秀秋には防げないわな
西軍が勝てば秀頼は高台院の元に置かれるだろうし
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:06:12 ID:IN4SJrl2
「小早川秀秋=へタレ」という結論をはじめから用意するからいけないのだ。

英雄という結論を用意して語ろうぜ
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 18:22:57 ID:2nrwyGav
自分の決断一つで数万の将兵とその家族の運命が変わるんだから悩むのも無理ない。
家康に撃たれるなんてナメられっぷりがヘタレ伝説に色をつけたんだろう。
姓が変わっているとは言え、秀吉の親族にこの扱いだったわけだから後の大阪の陣もさもありなんなわけだ。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 21:23:41 ID:olQUpXgh
>英雄という結論を用意して語ろうぜ

英雄とまでは言えないが、愚鈍、凡愚ではないね。
先頭に立つ勇気あるし、和歌も詠んで、
何首かが、なんとか集という歌集に選ばれてるらしい。

74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 21:31:51 ID:olQUpXgh
>>68
>金吾かっこ悪くないよ
>裏切るのだって勝手だろう〜。主君大事の時代とは違う。

同意。

http://www.qmss.jp/strategy/condition/mitsunari.htm
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 21:59:07 ID:2ngGO8EE
秀吉が天下取ったために百姓あがりの親戚は大迷惑だな
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 22:52:01 ID:xCIam0Ik
>>70
ちょっと待て「鶴松暗殺疑惑のある高台院」疑惑はあっても
不思議じゃないが(どうやら長浜時代に秀吉の子を殺した前科があるようだ)
鶴松に関しては無問題だろ。
三成も秀秋も高台院が、そこまで浅慮とは思うまい。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 23:42:45 ID:s7P7TUgm
さぁ・・・・・・当時は子供が成人しないことはままあったし
子供がなかなかできない人にいざ子が出来たらその子は短命ってパターンも多かったので
もし秀頼が暗殺されても暗殺者が高台院なら解明されず疑惑で終わってしまうと思う

当時は今より子供が成人する確率は低かった訳だけど
実母と切り離されてニグレクト気味だったりすると
健康を損ないがちで、更に成人する確立は下がるだろうね
秀頼は天然痘に掛かったことがあるそうだし、日頃淀殿と離していたらその時に死にそう
病気になったら見舞うだろうけど日頃の健康づくりが不十分だとその程度じゃ無理
これは暗殺とは違うけど
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:49:00 ID:Po0cpPbx
秀秋は秀頼よりも軍事能力が高かったのは確かだな。
つか秀秋と同世代で関が原の時点に軍功の有る奴も少ないだろうし。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 23:34:15 ID:+b1VeG/i
>>30
司馬は秀秋大嫌いだからあてにならない
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 23:39:29 ID:dXhrNHpn
それから養子であるにもかかわらず家臣団をまとめて関が原勲功第一。
朝鮮でも活躍してるし軍事能力についてはそれなりの物を持っていたと思う。
つーか今の日本人が持ってる人物像は基本的に小説とかで固定されたイメージだからね。
秀秋は司馬に嫌われたのが運の尽き。
一豊みたいな卑怯者も司馬に気に入られれば大河の主役よ。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 23:45:57 ID:u0pvChGy
>>80
一豊?アホか千代が気に入られてるんだろ
あの小説の一豊は滅茶苦茶無能に書かれてて
最後は千代からも見放されるようなクズになってんだぞ
82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 00:28:07 ID:H/XDs3YL
すいません功名が辻読んでません知った被ってすいません
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 00:35:53 ID:H/XDs3YL
秀秋って結果的には関が原で領地めっちゃ増やしてるし普通に名将じゃね?
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 06:40:06 ID:pkos8ggl
秀秋。嫌いじゃない。がんばれ。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 07:05:32 ID:2/6Qwodo
秀秋優秀説ねえ・・・・

岡山での内政の功績 秀吉から優秀な家臣つかされてたし、家臣が有能だったと思われ
関が原で家臣まとめて参加 稲葉や平岡など優秀な家臣が・・・
裏切りのタイミング 本当に秀秋の判断か?
朝鮮での武勇 対象が先頭に立つなどあるまじき行動、それに部下が彼を戦死させないように群がって助けたらしいが。

まあ彼は宇喜多秀家や豊臣秀次と同じく
秀吉の管理下にあり、
優秀な家臣を派遣されてたので、
どれくらい本人が優秀だったかはかなり怪しい。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 10:56:52 ID:UgCJfyB9
その辺は有力大名の二代目・子供にはたいがい言える事だがな。

中には織田信雄や斉藤龍興みたいに家を衰退させた武将も居るから
その優秀な家臣の言う事を聞くだけマシだったのかもよ。
関が原の時は19歳の若造だったんだし。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 12:48:27 ID:v26ddX+H
その時代の家臣団は、上司が優秀じゃなかったら離れていくって
先頭に立つ指揮官を必死に部下が守るのは当然
ちゅーか、部下が必死に守ることを見越した非道な作戦なんですが
部下が必死に守ると解かってなかったら先頭になんて立たんて
自分を部下と同じ危険にさらして、軍を鼓舞することが勝利に結びつき
結果的に部下を守ることになるのでなければ、最終的に背かれるしな

秀次切腹後、厄介払いで小早川に養子に出された秀秋が
関ヶ原まで家臣をまとめていたことが奇跡なんだから、普通に優秀だろ
唐入り後、秀秋が減封されても付き従ってたんだぞ?
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 13:37:13 ID:IlSHRrdF
確かにね。稲葉も平岡もそんなに義理堅い人物じゃないから途中で見限ってもおかしくないけどそんなことはしてないし。
つーか>>85の通りだったらほとんどの武将にも同じ事いえちゃうじゃん
89名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 16:30:41 ID:2/6Qwodo
>>87
>秀次切腹後、厄介払いで小早川に養子に出された秀秋が
>関ヶ原まで家臣をまとめていたことが奇跡なんだから、普通に優秀だろ

じゃあさ。大阪の陣まで豊臣家がある程度まとまり
全国から10万の浪人が集まったのは豊臣秀頼が優秀だったからか?
秀頼や秀秋が優秀でなくても、
優秀な家臣が下にいれば家はまとまるよ。

>その時代の家臣団は、上司が優秀じゃなかったら離れていくって

それはあんたの思い込みだろう。説得力がない。

>唐入り後、秀秋が減封されても付き従ってたんだぞ?

まあ秀吉に秀秋を託され送られた家臣がいるからね。
秀吉の秀秋に対する怒りは豊臣家外様に対するものと同一視はできないだろう。
秀秋の家臣はいかに秀吉の勘気をといて和解させるか秀秋を守るかという事だ。
そういう事も含めて職務であり後見なのだし。
秀次切腹直前まで前野や田中は秀次に味方したしな。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 16:36:38 ID:2/6Qwodo
なんだかんだと言っても
かつては豊臣の後継も検討された秀吉の養子なのだし、
毛利家の分家で五大老小早川隆景の跡取りでもあるわけだし、
秀秋のような若造の能力に全てを託すような体制にはしてないだろう。
「本人が優秀」というのも能力的にはともかく
立場的な意味では当時としては屈指に優秀だろうな。
秀秋の家臣はそういうのについていっただけだろう。
91名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 21:04:46 ID:5zCd4k5s
秀秋ってホモじゃなかったっけ?
確か誰かを追っかけてたよな…誰だっけ…?
伊達の家臣だったはずだが…
92名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 08:33:30 ID:tpq5uWBW
ホモ?
片倉小十郎、また繰り返すのかよ。
出典提示してやってくれ。
93名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 08:49:56 ID:EMLm4w6N
当時の武士はみんなそうだった。
ただ秀秋の場合は「逃げられた」というのが情けない。
94名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 16:33:15 ID:FDR1qc75
豊臣家の養子ってなにげに仲良しなのかな。
秀家が豊臣に忠誠が高かったのは疑う余地がないし、秀康も秀頼は我が弟と公言して憚らなかったようだしね。
余程ねねと秀吉の教育が良かったのかなあ、そういえば秀忠も豊臣には親近感を持ってた見たいだね、改名しないし。
これで秀秋も加わって秀頼をもり立てればすごいよね。
でも秀秋も秀康も変死、豊臣は滅亡へ。
95名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 16:49:00 ID:of0BQeDI
この人、結局そもそも最初から東軍だったんじゃ?
少なくても自分で西軍とは思ってないだろ。
96名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 23:02:37 ID:32ExBPuz
どうなんだろう伏見攻撃に参加後、家康に内応を申し出て門前払いくってる。
その後は関ヶ原までうろうろ、関ヶ原でも曖昧な態度。
97名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 17:11:45 ID:d+c2rvPU
金吾裏切りの噂が出たとき
秀家は「金吾は太閤の養子なのだから西軍を裏切るわけが無い」と言ってたらしい
それを聞いたヨシツグが「秀家殿は甘い、奴は必ず裏切る、俺が兵を向けとく」と言ったそうな
そして結局裏切られ、それを知った秀家は「金吾だけは許さん、あいつを殺して俺も死ぬ」と言って
特攻しようとしたが明石に止められたとか
98名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 02:24:54 ID:S+yaobPY
何かそういうのもあって東軍は悪役扱いだよな
99名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 16:12:59 ID:/9BjLzpH
まあ、勝者は敗者の恨みを背負って生き残らなきゃならないわけだし。
勝つ、ということはそういうこと。
100前田 ◆MAEDAxMYTY :2006/12/30(土) 11:48:07 ID:kF2NaFWp
99が良きこと言った。
101名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/18(木) 16:55:58 ID:a6Q+VfeM
家老の「稲葉正成」って、美濃林家からの入り婿なんだな。
稲葉家に入ったのも、秀秋死後みたい。その嫁さんはご存じ春日局ね。

同じく家老の「平岡頼勝」の出自は不明だが、林や稲葉と同じで伊予の出かも。
伊予河野氏の家臣に平岡氏もいるし。
102人間七七四年:2007/02/22(木) 15:06:20 ID:zndSepVD
>>101
義父・隆景が伊予を治めていた縁なんだろうか?
103人間七七四年:2007/03/21(水) 13:31:29 ID:RSS2lufD
秀秋の肖像画が教科書に載れば大人気になると思う。
104人間七七四年:2007/03/26(月) 22:33:25 ID:fKsN0AKB
♪裏切り者の 名を受けてー
105人間七七四年:2007/04/13(金) 23:52:29 ID:NkCu7a5T
小早川家に入る前の評価はどうだったんだろ?
106人間七七四年:2007/04/14(土) 00:15:08 ID:VxDiWiYa
良かったと推測される
つーか厄介払いとはいえ
一ある兄弟の中から兄達を差し置いて小早川家に出されるくらいだから
少なくとも兄弟の中では一番利発だということになるね
107人間七七四年:2007/04/14(土) 04:15:54 ID:v/nrvNVu
秀家と秀秋を同系列で語るのはいかがなものかと。
西軍内では圧倒的に宇喜多隊強かっただろ。明石のおかげでもあるのかな。
主力の司令官クラスの武将が抜けてる宇喜多相手に突撃かけて
逆にずたぼろにされて(壊滅寸前)藤堂に救われ命からがら退いた福島。
小西隊が弱すぎたせいで小西隊を破った部隊に攻撃された為追撃がままならなかったが
確実に福島は死亡フラグがたっていた。
しかも鹿児島まで逃れれる運に
逃亡中に遭遇した農民(落武者狩)とのエピソード!
秀家は隠れた名将でござる
108人間七七四年:2007/04/14(土) 05:26:27 ID:QnlVmdj0
大名でなく武将としてなら勇猛な将だったと思うよ。
109人間七七四年:2007/04/14(土) 12:33:14 ID:A79g34QU
強かったんだけど優柔不断だっただけ・・・
110人間七七四年:2007/04/14(土) 21:35:58 ID:taOajJ0A
武将が使える主君を変えるってのは珍しくないけど、
戦いの当日に裏切るってのは珍しい気がする。
他にそういった事例はあるのだろうか?

あと、秀秋死後に小早川家が取り潰されて(子どもがいなかった)、
浪人した家臣たちが「裏切り者の家臣はいらん」と言われて
仕官ができなかった、って話は本当ですか?
111人間七七四年:2007/04/16(月) 02:14:09 ID:d/zb04hN
秀秋の無くなった同日同場所で他の兄弟も死んでるって言うのはどういうことだろう
112人間七七四年:2007/04/19(木) 14:53:40 ID:32Q9iSz3
>>89
>それはあんたの思い込みだろう。説得力がない。
主君押込めっていうのは戦国時代にも江戸時代にも
ありましたよ。実際一条兼定なんか追放されてるし
武田信虎も追放されてる。足利義材も細川に追放されちゃった。
あと牢人10万人は取り潰された大名家の家臣だとか
金に困った浮浪者が大阪城に入っただけ。
家臣に関しては微妙だな。これは関ヶ原合戦後になってしまうが、
秀秋が無能ならば押し込めて毛利から養子を迎えるという
方法もあったわけだし。

>>110
ちょっと秀秋の場合とは違うがある事はある。
大内・毛利による第一次月山富田城攻め。
出雲の国人が先鋒として富田城を攻めるも
気がついたらほぼ全員寝返っていた。
毛利は大内の殿となるが、渡辺通のおかげで命からがら帰還。
113人間七七四年:2007/04/20(金) 11:59:55 ID:Vgi3EOW7
19のアンちゃん攻めてもしょうがない。家康をおちょ食った事を評価してやってくださいまし。
114千田 ◆MAEDAxMYTY :2007/04/21(土) 23:36:32 ID:eiHC9+Ro
関ヶ原の戦いでは東軍を勝利へと導いた若き勇将
115人間七七四年:2007/04/25(水) 01:19:33 ID:EpLxAnkJ
同年代の武将は関が原関連が初陣って感じかな?
116人間七七四年:2007/04/27(金) 13:16:36 ID:byMeUcpI
まあ、九戸の乱のあとの合戦は、半島攻めしかないからな
117人間七七四年:2007/05/30(水) 18:01:33 ID:9WsLUieR
118人間七七四年:2007/08/06(月) 14:38:01 ID:6tIwT/eZ
学習漫画でも大概ヘタレ扱い
119人間七七四年:2007/08/07(火) 07:24:47 ID:J4CgsSRR
安部さん並にヘタレというか…
120人間七七四年:2007/08/08(水) 21:10:25 ID:ruEN92MD
ジャンプ版、影武者徳川家康での秀秋の扱いは酷すぎて引く
121宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/08/13(月) 02:42:12 ID:NWb7JfED
小早川秀秋の木像を本で見た。
肖像画とは違い、ふっくらした感じの顔だった。
122人間七七四年:2007/08/26(日) 05:13:27 ID:AbGE5DgB
つかさ家康の軍勢から発砲して松尾山に届く訳ないだろ。
むしろ松尾山に向けて撃った事さえ気が付かない筈、ずっと近くでドンパチ始まってるし。

何でこんな嘘話がいつまでも無批判にタレ流されてるの?
武田騎馬隊とかよりよっぽどタチの悪い捏造じゃん。
123人間七七四年:2007/08/27(月) 22:17:57 ID:5U6SbxxU
>>101-102辺りの件で、詳しい人いる?
124人間七七四年:2007/08/30(木) 01:19:37 ID:OC2D87Wt
一度で良いので格好いい小早川秀秋を見たいです
125人間七七四年:2007/09/09(日) 16:12:57 ID:HLZXv6bD
やっぱ子孫残さないと、いいように印象操作されてボロ糞なんだな。
126人間七七四年:2007/09/09(日) 17:42:03 ID:wbJHhKwW
>>125
あと家臣団な。武田家は滅びたけれど、その家臣団がごっそり徳川に仕えて
信玄の伝説を強力に保護保存。
127人間七七四年:2007/09/24(月) 18:57:56 ID:cbtzkeTl
木下秀俊
128人間七七四年:2007/09/26(水) 00:31:38 ID:pwcgi9IJ
木下家定の子供達の中では一番武将としての才覚はあったかもな
129人間七七四年:2007/09/26(水) 07:59:12 ID:GsCEa7gx
130人間七七四年:2007/09/29(土) 03:02:21 ID:ST4XNxF9
仮に秀頼・秀次が早世してたら、豊臣家を継いでいたのか
131人間七七四年:2007/09/29(土) 03:32:05 ID:SRks+kSX
>>130
秀勝・秀保が存命ならこいつらで、こいつらもやっぱり死んでたら
お鉢が回ってくるんでは?
132人間七七四年:2007/09/29(土) 21:04:40 ID:AKhyzw25
おねが秀秋を東軍に味方するように働き掛けたって話があるけど
裏付ける資料なんてあるの?

てか、おねは家康の味方なんかしてないよね
徳川の捏造話でしょ
133人間七七四年:2007/09/30(日) 01:52:43 ID:ESRz148J
>>132
実際には淀と連携して東軍兵士の暴挙から重宝の品を守ろうとしている。
家康に味方するとは考えにくい。
134人間七七四年:2007/09/30(日) 02:32:35 ID:WgoKZPPZ
>>132
捏造だと思うわ。当時のおねにそんな影響力が在るなら、三成などがおねに
対して何らかの行動を起こしてるよ。
135人間七七四年:2007/09/30(日) 17:31:24 ID:ZmbCxapO
>>132
何でそんなもん徳川が捏造せなならんのや。捏造する必要があるのは関ヶ原語のおねの方だろ。
最近の研究だとおねは三成に加担していた節があるようだし。逆に淀の方が中立派だったらしい。
136人間七七四年:2007/10/01(月) 18:02:05 ID:eEyNScbZ
平岡頼勝、稲葉正成、松野重元以外の家臣って誰がいたの?
137人間七七四年:2007/10/01(月) 19:49:25 ID:DuZrLhnq
>>135
は?
徳川は政権奪取を正当化するために、秀吉夫人おねの支持があったと吹聴したかった
おねは家康に天下を取らせたかった、だから豊臣恩顧の大名を東軍につくよう焚きつけたと
そうすれば東軍についた豊臣恩顧の諸将の顔も潰さなくて済むし
充分捏造したい理由になると思うが?

だからその風評を裏付ける資料があるのか気になったんだが?
138人間七七四年:2007/10/01(月) 21:32:40 ID:5i7s3sYC
>>135
家康が高台院を建てたり、おねから大坂城西の丸を貰ったりしているから、おねが反家康とは考え難い。
139人間七七四年:2007/10/19(金) 19:28:02 ID:LXOKQE/5
あげ
140人間七七四年:2007/10/20(土) 19:13:54 ID:LEftwg+E
この人もある意味“豊臣家”の被害者だよな。
141人間七七四年:2007/10/25(木) 02:06:07 ID:FoOKbG4V
もっと金吾について語ろうぜ!!
142人間七七四年:2007/10/25(木) 15:25:00 ID:awImvE0s
秀家・秀秋と豊家の二枚看板が加わる西軍、
どう見ても小牧長久手で秀吉を足蹴にした三河男率いる東軍より正当性があったのにな
143人間七七四年:2007/10/25(木) 18:48:40 ID:6P2uY3FI
この人の死因って毛利家の暗殺が疑わしいの?
144人間七七四年:2007/10/25(木) 20:58:45 ID:t9Qkk17V
疑わしいというか、数ある俗説の1つ。他にも
・元宇喜多家臣による暗殺
・徳川家による暗殺
・家臣を手討ちにしようとして逆襲された
・農民を手討ちにry
・大谷吉継あるいは関ヶ原敗者の祟り
・酒に溺れて体を壊した
・梅毒
とかいろいろある
145人間七七四年:2007/10/26(金) 01:09:30 ID:S5zt2STK
百姓に金玉を踏みつぶされて死んだという俗説だっけ?
146人間七七四年:2007/10/26(金) 23:13:11 ID:JxLEL3Z7
>>145
俺の脳内資料で言えば俗説。
確か秀秋の死因は養育係の名で木下家の系図に在ったと思う。
だいたいこんな感じ、日頃から気分が優れず、ようやく領内に帰って鷹狩に出掛
けるも、鷹狩から帰ってくると床に臥せて酷く苦しみだし、近習達が慌てて京に
知らせを送る。翌日は少し落ち着き安堵を見るもその翌日に死亡。数えで21歳。
年齢などは諸説があるものの、まだ二十代で病死の可能性は低い(当時は夭折は
多いがこれは圧倒的に十歳未満が多く、二十代の健康な若者が病死するには期間
が短すぎる)また、時折発狂するような苦しみ方から日射病の可能性を指摘する
本もあるが、秀秋の死亡時期は現在で言えば12月1日で在る事から日射病の可能性
は低い。一番打倒なのが食中り(時期的に何かのキノコ類が可能性が高い)では
あるが、秀秋のポストから考えれば危険な食べ物への周りの注意は其れなりに在っ
たはず。常識的に考えて毒殺が濃厚。(江戸時代にもなれば御家存続の為に藩主の
不慮の死は色々改ざんされもし伏せられる場合も多くなるが、秀秋の死は江戸幕府
が始る数ヶ月前であり、関が原から2年後である)
147人間七七四年:2007/10/27(土) 01:13:20 ID:nhyIvGPT
人物に関して言えば、肖像画のイメージとは異なり非常に好戦的で活動的な人物
である。又、現在のイメージの通り我侭、短慮で自覚意識の少ない人物で在った
と思われる記述も多い。高台院(北政所)はひどく秀秋を溺愛し度々金の無心に
応じ、秀吉と秀秋の肖像画だけは終生大事にしていたとの事。

「幼児期は聡明であったが、次第に酒と遊興に走り高台院を悩ませてると大阪城
下で噂に成った」とこれも同じ木下家系図に上記の人物とは別な人物が記してい
るが、年齢的に疑問が残る。(秀秋が大阪城内に居たのは10歳前後までである)
秀次事件に連座し丹波亀山城の居城から養子先の筑前名島城へ移る(当然でっち
上げである年齢からして現在の中1)。

朝鮮出兵で初陣を飾る。この時の事を後年色々議論される事も多いが、私見で言
えば秀秋に落ち度は無いと思う。秀秋の落ち度として言われる事を列挙すれば。
@自ら槍を振るい逃げる朝鮮人の一般市民に対し虐殺を行った。
A自らの持ち場を離れ、総大将としての自覚の欠如があった。
主にこの二点が良く言われる事である。しかし、経緯を見てみるとこれらの指摘
は可笑しい。@について言えば、秀秋は釜山城に居たので慶長の役にあった朝鮮
民衆に対する掃討作戦には加わっていない。(文禄の役も大量虐殺はあったが、
慶長の役では計画的に民族掃討作戦行われた。当然司令したのは秀秋ではない)
A秀秋は朝鮮への玄関口である釜山城を守って居たのであるが、釜山城から程近
い蔚山にて倭城を建築中に明・朝鮮連合軍が大挙して押し寄せ、加藤清正らが篭
城した。篭城をしたものの食料の補給は無く、秀秋より先に援軍に駆けつけた兵
数では到底太刀打ちできない状況で秀秋が釜山城より自ら駆けつけ事なきを得た
(この時の援軍の割合は、半数以上が秀秋の軍である)。当然釜山城は終戦まで
安泰であったが、この時援軍に駆けつけられず蔚山が陥落していれば、釜山城も
包囲され遠征していた他の日本軍は逃げ場が無くなり、全滅していたと言っても
過言ではない。この時@にあるように自ら槍を持ち民衆を(ryという指摘もある
が、蔚山城は倭城であり朝鮮の民衆が在住していた都市ではないし、明・朝鮮の
数万の兵に包囲されていた状況である。又、慶長の役に従軍していた日本の僧の
生々しい日記にも秀秋の虐殺に付いての記載は皆無で、逆にこの時敗走する敵軍
を追随しなかったとして清正以下日本の諸将は秀吉より後に咎めを受けている。
148人間七七四年:2007/10/27(土) 02:03:39 ID:H+x/eZf0
秀秋のような立場で早死にしたら悪評を作られて貶められるのは常だしな〜
149人間七七四年:2007/10/27(土) 02:15:56 ID:jUsY0SgN
小早川秀秋を脳内メーカーで調べたら頭ん中「私」しかなかった
150人間七七四年:2007/10/27(土) 04:55:17 ID:xkvWF84w
>>146
wikiに書いてある、↓を読むと毒殺かな?

>また、同年同日同所で兄弟2人(木下俊定、木下某)も死亡したという記述が「梵舜日記」にある。
151人間七七四年:2007/10/29(月) 13:26:56 ID:3q+hF0oF
まぁ秀秋は普通に名将の部類だと思うよ
国を治める能力も短期間でも魅せてるし

裏切りにしたって裏切る要素ありまくりだし(秀吉に超冷遇くらった)
家康に恩もあるし
秀秋の立場だったら8割の人は裏切ってるんじゃない?
152人間七七四年:2007/10/29(月) 22:38:04 ID:se4iqvU5
まあ関が原当時の年齢で考えたら、同世代の中では十分すぎる実績だしな。
あのまま西軍に居た場合のifを考えるのもなかなか面白い。
153人間七七四年:2007/10/29(月) 22:57:33 ID:/L1n1INC
初めから東軍につく気だったという割りに
態度が二転三転したから叩かれるんだろうな。
西軍として城を落としてみたり、関ヶ原では西軍の奮闘ぶりに
「ひょっとしたら西軍についた方が関白になれるし有利!?」と
東軍として攻めるのを躊躇して、様子見に徹して出遅れたり。
154人間七七四年:2007/10/30(火) 01:44:31 ID:GY8O7wP0
関白か…悩むな
155人間七七四年:2007/10/30(火) 02:35:27 ID:cKCj+XNF
秀頼が生まれた途端いらない子扱いされて養子に出されたのに
恩も糞もないわな
ねねが秀秋を可愛がってないことを咎める秀吉の手紙も存在するんだし
一瞬だけでも西軍の味方したことを褒めてあげてもいいくらいだ
156人間七七四年:2007/10/30(火) 18:37:32 ID:2dcfZjNN
>>149
同じ事考えてる人いたvv
俺も戦国武将で脳内メーカーやりまくったけど、藤堂高虎が恐ろしいよ。
157人間七七四年:2007/10/31(水) 00:16:20 ID:68z655uK
まぁ・・秀秋はもうちょっと見直して欲しいね
そして福島正則も別の意味で見直してほしいね

本来秀秋のようにいわれる必要があるのは
秀吉に超優遇されまくったくせに感情だけで豊臣を裏切り豊臣の有力大名を家康よりに先導していった正則だろうに・・・

しかもいうほど本人たいして活躍してないし
158人間七七四年:2007/10/31(水) 01:21:14 ID:SfzSJAhj
だよな〜。何故かネネが寝返りを譜代大名に促したことになって
嫉妬から豊臣を滅亡させた女と濡れ衣をかぶせられ批判されてるのに
実際に豊臣譜代大名を家康につくようを先導した福島は批判されず
逆に「私が家康に取り入れば豊臣家を守れるはずです」と
豊臣家を守るために犠牲になったという美談にすり返られてるんだから。
159人間七七四年:2007/10/31(水) 04:22:45 ID:8mjLbAbP
感情というか打算じゃないのか
160人間七七四年:2007/11/04(日) 16:17:21 ID:P51nWT+B
というかさ元々裏切り者(徳川家康)が創った歴史でしょ?
秀秋なんて誰が考えたってスケープゴードなんだが、何故か未だに裏切り者の代
名詞のまま。しかも、秀秋の関ヶ原に於ける詳細な行動など殆んど誰も気にしな
い。裏切り者って言葉だけが独り歩きしてる印象だよね。

伏見城では確かに秀秋の軍が一番活躍はしてるが、ここに至る経緯というのは実
兄が伏見城で守備して居り、叔母で養母に当る高台院の元に立ち寄り実父と恐ら
くは話し合って伏見城の攻め手に回って救出するしかない状況であった。他の兄
弟も東軍に属している。第一秀秋クラスになると西軍への忠義などと言う物は、
次元が低い物で、豊臣家の家臣が起こしたクーデターを如何に納めるかを豊臣家
の人間として考える役割である。そういう意味でも家康は当時は羽柴家康であり
同じ一門衆(小早川家も羽柴である)の扱いで、三成などは飽く迄も家臣と言う
意思が有ったのではないだろうか?

当然、伏見城で兄を救出した後は東軍へ合流する為に軍を動かしているし、西軍
の合議には一度も参議していない。同じく九州から上洛し西軍が敗れた後に東軍
に付いた鍋島などは、よっぽどたちの悪い裏切り者だがそのような批判に晒され
る事は無い。戦場で裏切ったと言うならば脇坂をなどの四将は、西軍の松尾山を
奪って去就をあらわにした秀秋に対する抑えで配属された筈なのに、戦中になっ
て裏切りを犯した事こそ責められるべきである。

結局秀秋が責められる要素があるとすれば、養子先の本家筋に当る毛利家を裏切
った事ぐらいしかないと思う。
161人間七七四年:2007/11/04(日) 16:38:07 ID:P51nWT+B
羽柴姓一覧でいいHPがあった。
>ttp://csx.jp/~nobuchika/HomePage/zz02o08.html
見てもらえれば解るが、殆んどが東軍である。
162人間七七四年:2007/11/04(日) 16:56:41 ID:P51nWT+B
>>161
これは間違いであった。
調べたら逆に西軍の方が多かった…
163人間七七四年:2007/11/04(日) 21:23:52 ID:62GoNh50
>>153
寧ろ最初からはっきり東軍で居てくれた方が三成は助かったな
西軍軍師の大谷もそれ込みで計算してくれるし史実のような全壊にはまず成らない
164人間七七四年:2007/11/04(日) 22:01:26 ID:ZD9HBy9c
大軍だから戦局に与える影響がハッキリ出るし世間の評価もそういうところから出来上がったんだろ
お家廃絶で都合よく悪者を押し付けられた面もあるし
165人間七七四年:2007/11/04(日) 22:04:11 ID:5hLtwSBf
どっかの関封鎖して
無理に東軍に行かさないようにしたけど
数は多いが士気の低いのが混じって
結局戦場では役立たないのがなんとも
166人間七七四年:2007/11/04(日) 22:33:57 ID:ahOMC+UE
>>163
そもそも三成は家康みたいに最終的な意思確認やったっけ?
無理やり西軍に参加させられた武将がかなりいたと思うんだが
167人間七七四年:2007/11/04(日) 23:41:55 ID:ZD9HBy9c
小山会議みたいに三成が大名を集める機会がなかったから参加の意思確認もできなかったよね
一緒に東軍の城攻めてる時点で西軍と見做されても不思議じゃないし

そもそも総大将は毛利輝元な訳で…
168人間七七四年:2007/11/05(月) 00:45:23 ID:So3n89gJ
小早川勢は門番を押しのけて、築城してあった松尾山に入城してる。
これをやる気と見るか、それとも(ry
169人間七七四年:2007/11/05(月) 00:49:19 ID:RCFzjKZW
兄と秀次が他界してる前提で
秀長なら、自身没後の豊家維持にどんな手を組むかって話は建設的だった

これは、木下遠縁か、いっその事公家を養子に迎えて
第二の秀次として再教育するってのが有効だったような
170人間七七四年:2007/11/05(月) 00:51:44 ID:RCFzjKZW
誤爆
171人間七七四年:2007/11/05(月) 10:54:52 ID:YaTemI0p
関ヶ原参戦武将で、昔はボロカスに言われてた藤堂高虎や石田三成が最近は見直されて
ファンが増えてるんだし金吾タンもそうなって欲しいもんだねえ。

逆に福島正則あたりは別の意味で正しい評価して欲しいわw
172人間七七四年:2007/11/05(月) 11:14:48 ID:9wZiROSW
金吾は評価のしようがないんじゃないか?
領民の評判も極めて悪かったから、吉良上野介みたいに
実は領地では名君扱いされてますた、みたいな話もないし。
173人間七七四年:2007/11/05(月) 12:20:02 ID:PbLQAop7
>>172
朝鮮出兵では加藤清正が明の軍隊に囲まれたのを救い出してるし
関ヶ原前でも城をせめて手柄あげてるよね?

そして一大決戦となった戦いにおいて絶妙なタイミングでの裏切りにより
負けが濃厚だった東軍を一気に勝利に導いた

その裏切りの理由もよくよく見れば
裏切ってもしょうがないよなぁ といえるくらいの超冷遇されていた

評価をする気になればいくらでもできるわけだがw
174人間七七四年:2007/11/05(月) 13:00:45 ID:9wZiROSW
>負けが濃厚だった東軍を一気に勝利に導いた

贔屓目に見ても西軍が頑張って互角状態、ってとこじゃないの?
あと金吾が裏切ったのも痛かったが、
それよりも決定的だったのは南宮山の毛利が動かなかったことじゃないかな。
175人間七七四年:2007/11/05(月) 13:12:41 ID:PbLQAop7
>>174
いや濃厚だよ
まず先方の福島勢が壊滅状態だったし
超活躍の宇喜多によって戦意が高まっていた

その状態がもうしばらく続いていたら日和見していた
チョウソカベ、吉川・毛利、島津が参戦する

東軍をぐるっと囲んでいたので
あの戦術からそれらが雪崩れ込んでいたら勝つの明白だろう?

裏切りさえなく全員が全員名目どおり働いていたら勝っていたのは西軍だったろうさ
176人間七七四年:2007/11/05(月) 15:00:37 ID:3pyjUT00
>>175
南宮山の軍が日和見していたというのも個人的には後世に創られた話だと思う。
又、島津も別に日和見していたのではなくそう言った陣形で有ったと思う。

小早川軍が決定打というのに関して言えばその通りで、よく小早川軍も戦場で
日和見していたと言う解釈は間違いだと思う。松尾山から八千の軍を降ろすのに
は、それなりの時間と準備が必要で(現在の地形的解釈で言えば、小早川軍全て
が山頂で集結できるスペースはなく、軍の前線は可也山腹から山麓へ集結してい
たものと思われ、又、山頂から山麓への道は狭く300mもある山頂から山麓までの
移動時間は1時間以上かかるものと思われる※現在でも普通に歩いても40分は十分
に掛かるごったがえした戦場では1時間では無理)大谷軍は元々関ヶ原中唯一堅甲
な砦を築いており正面からの突破では、小早川軍を包囲している四将に崩される恐
れがある。故に別働隊を大谷軍の裏へ回しており、家康本陣の移動を持って山頂か
ら降った小早川軍の行動は迅速であったと思う。

内政に関して言っても現在でも残る廿日堀や寺社への施策等、短い治世で成果を残
し、又、五大老で前年まで御家騒動等があった宇喜多の後釜としては非常に優秀な
治世で有ったと思う。同年代の武将としては、戦歴も非常に優秀で朝鮮出兵や関ヶ
原では独自に判断し後世の批評は非常に芳しくないが、個別に内容を見るとその優
秀な判断能力と実績に驚かされると思う。
177人間七七四年:2007/11/05(月) 18:08:36 ID:RCFzjKZW
・家康を二正面作戦の危機から救った【吉川】
・小早川が降りる前に、既に石田本陣は【黒田】によって危険域
・小早川に対応できていた大谷を壊滅させた決定打は、【藤堂】と内通していた【朽木赤座脇坂小川】

関が原に関しては
確かにそろそろ小早川伝説から脱却すべき時期だと思う
178人間七七四年:2007/11/06(火) 02:45:12 ID:OHOK523w
かなりの能力となかなかのしたたかさを備えていた人物だと思えてならない
年齢を考えると特にね
179人間七七四年:2007/11/06(火) 03:46:16 ID:nXaXXbbV
>>178
稲葉正成や平岡頼勝ら補佐役の存在が大きい。
朝鮮では突撃して太閤の怒りを買ってるから、資質としてはやはり軽率な所があったと思う。
180人間七七四年:2007/11/06(火) 10:12:52 ID:GE4VpiOR
質問だけど、秀秋が伊達家の片倉重長とホモの関係になりたくてストーカーしたのって本当?
181人間七七四年:2007/11/06(火) 13:17:27 ID:m4bG1miN
というよりは
あの当時はそういう関係は当たり前だった
182人間七七四年:2007/11/06(火) 14:22:41 ID:shJZ/Rs4
衆道・男色はともかくさすがにストーカーは当たり前じゃなかったと思うぞ
183人間七七四年:2007/11/06(火) 18:19:12 ID:V8K5lA5n
脚色されてる。
想いは寄せていたがストーカーはしてない。
184人間七七四年:2007/11/06(火) 18:32:27 ID:ZXxwW8t8
ストーカーしてなかったと言う証拠もないしあってもおかしくないかも知れないぜ!

まぁせいぜいしつこく言い寄ってみたけど結局フラレましたレベルの話なんだろうなと思うが
刃傷沙汰にもなってないしどうでもいいと言えばどうでもいいが
185人間七七四年:2007/11/06(火) 20:04:40 ID:bvi3/PGo
>>179
叱責は上の方で状況的におかしいとかなかったか?
186人間七七四年:2007/11/06(火) 22:01:11 ID:oR+C5zH6
>>180
状況から判断するとそれは無いともう。
秀秋と片倉重長が歳が近く、秀秋クラスの大名なら衆道は嗜みとして常識で
有ったと思うが、基本衆道は自分の小姓とするのもである(主従関係の強化)

秀秋と重長は恐らく面識は全く無かったと思われる。
秀秋が大阪に居たのは10歳前後で、京に居たのも13歳前後である。その後は筑前
に居り、重長は仙台に居る。片倉重長に関して言えば、大阪の役の折り政宗が頬
にキスをし先陣の労をねぎらったとある(この時重長はもう三十路である)。
政宗は非常に衆道に熱心で、只野作十郎との手紙のやり取りは有名である。又、
秀秋ではなく、殺生関白で有名な秀次とその小姓で絶世の美少年と言われた不破
万作の関係も強い衆道の絆を見て取れる。秀次の印象が強く、後年秀秋に掛けて
話が出来上がったのもと推測される。
187人間七七四年:2007/11/07(水) 00:10:25 ID:RMv1CxuL
色気もクソもない話だが、大名は天下人に犬のように仕えるべし、そのルールは当時
から絶対化していた。良いとか悪いとか関係なく、それが大名の生きる道になった。
戦術判断?治世?ダメ、いくら強くても全く足りない。松尾山で形勢観望と見られた
時点で、もう家康の心証悪い。天下人を不愉快にさせるとどうなるか、秀秋自身が一
番知っている筈だったが。
黒田長政みたくとにかく家康を信じきり奔走し、奮戦するのが正しい行き方だった。
小早川家が早々に潰されたのも、家康の同情がそれだけ薄かったから。
戦の趨勢以前に、天下人を秤にかけた時点で大名としては終わっていたと思う。
188人間七七四年:2007/11/07(水) 00:20:38 ID:KpLpdRBw
>>187
あの時点では、家康は天下人じゃないよ。
実力者ではあるけど、手勢は豊臣系武将で戦うほど困ってたし。
189人間七七四年:2007/11/07(水) 05:30:11 ID:DWvpf2GA
小早川毅彦がもっと大成していれば
いささか名誉回復の可能性があったのに
はたらけ!とか内田コーチ復帰したら何もするな!だもんな
190人間七七四年:2007/11/07(水) 11:46:01 ID:UP3Hf3XZ
金吾は早死してなくても
いずれ加藤とか福島みたいに難癖つけられて改易されてただろうな
基本的に豊臣系の有力外様は潰すのが幕府の方針だし
191人間七七四年:2007/11/07(水) 12:04:16 ID:RZ69CrLS
秀秋の赤い陣羽織って
宇喜多秀家からもらったものって説があるけど
秀秋と秀家って仲良かったの?
192人間七七四年:2007/11/07(水) 12:17:09 ID:OwkcfVzQ
>>187
それは今までの一般的なイメージで歴史を見ると疑問符だらけである。
先ず黒田などの徳川との姻戚関係大名を除いた、外様大名の筆頭は島津だが
その次となると秀秋になる。また、場所も備前という当時では第一級の地域
へ栄転している。これは一重に家康の心象がすこぶる良かったからであろう。

小早川の家臣団も、今までよく言われているような裏切り者の家系故仕官先
も無かったと言うのは誤りで、例えば主要家老の3名は一人は御存知春日局
の夫稲葉で後に大名になり将軍家の家老を歴任する名家になり、次席家老の
平岡も又徳川へ召しだされ大名となる。松野も田中家から大名格の石高を貰
い、田中家が没した後は同じく徳川へ召しだされ駿河大納言の家老として使
えてる。秀秋の正室は当時の裏社会(笑)の筆頭とも言える本願寺の分家筋
にあたる興証寺准尊(顕如の孫にして当時の本願寺勢力でも別格の家)の元
へ嫁いでいる(勿論、この正室は毛利の人間であり毛利との関係もあるが、
勢力が可也巨大なので徳川家の意向もあったと思われる)

他の没落大名では主家すら大名に復帰できた家は数える程しかない。この
小早川家家臣団の事例は他に類を見ない異例中の異例である。
又、小早川家ではないが、木下家として考えると更に秀秋の影響力の大き
さが見て取れる。
193人間七七四年:2007/11/07(水) 12:38:45 ID:OwkcfVzQ
もうここまで来るとあれだ、秀秋の失敗はあまりに優秀過ぎた事とそれを
隠さなかった事だな(笑

高台院が最後まで秀秋の遺品を大事にしてたのも「秀秋さえ居れば…」と
の思いがひしひしと伝わってくる。若年にして戦場では人も羨む大成果を
上げ、内政、外交、官位、家臣団、そして圧倒的決断力とどれを取っても
これ以上の新世代のホープは居なかったな(謎
194人間七七四年:2007/11/07(水) 15:12:01 ID:jMXwZz5O
>>193
優秀過ぎたかどうかは兎も角、家老共の再就職先から考えるに
秀秋暗殺は家老もグルだったんだろうな。
195人間七七四年:2007/11/08(木) 02:45:29 ID:0/Zup/aY
関ヶ原の合戦は、今まで思われているような展開ではない可能性がある。

関ヶ原に参戦した家康の側近板坂ト斎の『慶長記』によれば、石田勢が
大垣城を出たのは「筑前中納言殿むほんと風聞候、仕置いたずべきとて
、出られ候由」とあり、秀秋が松尾山を無理やり奪い取った時点で去就
を表し、西軍が大垣城を出て動かざる負えなくなったと東軍の首脳陣は
解釈していたと思われる。

西軍は大谷吉継を司令として、佐和山街道の封鎖を進めていた。古来よ
り城があった山中村に、簡易の砦を築きそこへ吉継が陣取り街道の入口
を吉継の息子達が塞ぎ、その直ぐ南西部に松尾山がありそこに城郭を築
いていた。

既に西軍内部では京極の例もあり、軍議には参議せず伊勢攻略の命令も
無視し独自行動を取っていた秀秋は信に足らない者との認識があった。
そして今回は建設中の城へ奉行を追い出し占拠するという暴挙に出たの
である。これを造反と言わずに何を造反と言えようか?

佐和山城は京、大阪への防衛拠点としては他に変るべき物が無い最重要
拠点である。その佐和山城への街道封鎖は西軍の戦略的重大事である。
大軍が通れる街道と言うものそう無いのだ、又、物資の輸送が困難に成
れば、当然篭城などは出来なくなる。故に西軍は松尾山占拠の報を聞い
て直に動き、東軍もそれまでの沈黙を破って西軍へ追撃を敢行し、関ヶ
原の遭遇戦へと成っていくのである。
196人間七七四年:2007/11/08(木) 02:46:34 ID:0/Zup/aY
大谷吉継は麾下の四将は松尾山を包囲する陣形を取り、同時に秀秋への
説得工作を行っている。石田三成はもう一つの若狭街道を封鎖するよう
に陣を取る。ここにも事前に堀と柵を廻らせて居た節がある。

西軍としては想定外の事態ではあったが、本来想定していた街道封鎖の
陣形を取り追撃してきた東軍へ備えた。西軍の基本的構想としては、こ
こで睨み合いをして増援を待とうとしたのではないだろうか?

現に西軍からの攻撃と言うものは、石田隊のみで他は全て防戦を決め込
んでいる。やる気がない云々と言われるが、平時ならともかく皆戦歴の
勇将達だ戦場でただ傍観したとは思えない。

最悪の場合一戦をして引いたとしても、街道は確保してるので撤退を見
誤まる事は無いと思っていたかも知れない。大垣城は落ちたとしても後
方の後詰めは十分にあるという意思も有った事だろう。一戦で負けたと
しても大局で負けることなどは有り得ないと思って居た。

だが、ここで更に想定外の事態が起きる!

松尾山を陣取った小早川軍が、東軍の追撃を確認し早々に下山し大きく
迂回していたのであった。本来、松尾山から佐和山街道へ下山する位置
には四将が配置されており、佐和山街道口には大谷木下の数千の兵が配
置されており他の下山道は狭く、又関ヶ原に出ようと思えば東軍の藤堂
や京極の前にでる位置である。

秀秋はその卓越した戦略眼から前に出るのではなく、後方より下山し更
には大きく迂回し大谷木下の数千の兵をやり過ごして、佐和山街道の司
令大谷吉継の本陣を後ろから襲撃したのである。本来、大谷吉継の本陣
は佐和山街道封鎖の為に造られた砦である。前面からの攻撃には強固造
られていた。そして前面からそこに辿り着くまでには二重三重の陣を崩
さねば成らなず側面には山中という丘もあり、迂回は全くの想定外であ
った。大谷吉継の本陣には人員も少なく後方からの攻めにあっけなく崩
れ去ってしまった。

佐和山街道口を守っていた大谷木下(吉継の子供達)も大いに動揺し、
陣形が崩れてくる。そして一番同様したのは大谷吉継の麾下の四将で
あった。退却口の佐和山街道を小早川軍に抑えられ退却不能となって
しまったのだ。「もはやこれまで…」四将は雪崩を打って大谷木下へ
攻め込んだ。佐和山街道の様子は小西や宇喜多にも見て取れ退却不能
の恐怖から軍が散漫しだした。小早川軍は一斉に下山をして退却口で
ある佐和山街道は完全に封鎖され、西軍は本来の退却口を失い総崩れ
となった。最後までオトリとして若狭街道を守備していた。三成にも
その光景は見えたことだろう。

ああ無情、天は何故このような天才を御遣わしになったのか?
その名は小早川秀秋!!
197人間七七四年:2007/11/08(木) 03:02:51 ID:fwKtjQui
そこまで持ち上げることもないが・・・
まぁもうちょっと見直して欲しいよなぁ

決定的なのはゲームと歴史漫画のせいなんだよなぁ
小早川のイメージは
198人間七七四年:2007/11/08(木) 04:14:03 ID:cbIn0BEo
西軍厨のネタ師ってトコか
199人間七七四年:2007/11/08(木) 23:36:38 ID:Evpl6lAr
せめて世継ぎさえ居れば、お家取り潰しはあっても暗殺はされなかっただろうなあ。
200人間七七四年:2007/11/09(金) 04:12:33 ID:Kt/xN9hx
何で?
201人間七七四年:2007/11/09(金) 16:13:50 ID:88rxJwwZ
いてもいつのまにか死んで取り潰されると思うが
202人間七七四年:2007/11/09(金) 17:22:47 ID:eO2NzqmU
詰り>>199が言いたい事はこう言う事だろ?

『取り潰された理由が世継が無かったからで、世継居れば秀秋を殺して取り潰す
訳にはいかず、もっと別な理由で取り潰された可能性が有るから殺されもしなか
った。』

とっまぁこう言う主張だ。しかし、豊臣恩顧の大名がバタバタと死んでる現状を
鑑みるに、秀秋ほど優秀な武将は速攻殺されたんじゃないかな?
203人間七七四年:2007/11/09(金) 19:33:17 ID:q5SFiRCu
>豊臣恩顧の大名がバタバタと死んでる現状
>秀秋ほど優秀な武将は速攻殺されたんじゃないかな

どう繋がってるのかわけわからん
恩顧連中は病死だろ
秀秋だって病死説の方が暗殺より有力
204人間七七四年:2007/11/09(金) 22:05:00 ID:H4zf0NT9
徳川家による暗殺説と宇喜田家による暗殺説どちらが信憑性あるよ
205人間七七四年:2007/11/09(金) 22:16:24 ID:7vi7MLpd
信憑性があるとは根拠がなければ言えないのだが
ネタの域出てない罠
206人間七七四年:2007/11/09(金) 22:35:26 ID:sTnoj5yL
>>203
兄弟が同日に死んでるのも偶然? 流行病の記録とか聞いたこと無いが。
207人間七七四年:2007/11/09(金) 23:06:37 ID:ohj9aSWr
「梵舜日記」の記述では、同月だが同日では無いはずだが
208人間七七四年:2007/11/10(土) 00:01:31 ID:ZjToDDCl
>>207
徳川が暗殺したかどうかなどは解る訳も無いので、議論しても無駄だが状況を
言えば

@秀秋の年齢は数説あるものの20代である。
A上方から帰国し、慶長七年十月十五日に鷹狩に出かけ暮に帰り床に伏せる。
B慶長七年十月十五日に兄の木下俊定が同所で死亡
C翌日(十六日)になるも酷く苦しみ近習達は慌て京(実父や高台院?)に
使いを出す。(危篤の知らせ?)
D更に翌日の十七日になり少し持ち直し、家臣一同安堵するも夜の明け方寅の刻
慶長七年十月十八日4時頃?に死亡(現在の暦で十二月一日)

「梵舜日記」ではもう一人の兄弟木下某が同月(十月)同所で亡くなっている。

小早川秀秋の死を伝える『梵舜日記』の記録

『十八日(慶長七年十月)天晴。政所の社参無し、次いで金吾殿(小早川秀桃)
備前岡山城にて死去、同月に兄弟三人病死なり、請人不思議と申す。』
209人間七七四年:2007/11/10(土) 00:28:14 ID:ZjToDDCl
C、Dは木下家の系図に書かれた文を参考にしており、当然系図は後書きである。

ただ書いた人は、道澄と言う人で関白近衛稙家の子にして秀秋の養育係を務めた
事もある当時の人物である(慶長十三年亡、謙信も帰依して越後へ下向した事も
ある当代一流の人物。)
210人間七七四年:2007/11/13(火) 15:27:50 ID:dSSWJGym
自分は普通に3人?とも病死だと思うな
医療が発達してないから若いながらの病死はさしておかしくないし、他2人は
知らんが秀秋の場合は一説梅毒で朝鮮出兵との期間の関係で理屈はあっている
見ると仮に暗殺を疑うとしたら毒だけど、普通秀秋の身分なら毒見がいるだろうし

なにより暗殺する理由がいまいち思いつかない
211人間七七四年:2007/11/13(火) 18:23:21 ID:TRna7UAw
暗殺の理由ならいくらでも思いつくけどなぁw
上にもでてくるけどうらみ積もった西軍の家臣が暗殺
基本的に豊臣の武将は取り潰しておきたい家康からの暗殺
212人間七七四年:2007/11/13(火) 20:57:22 ID:MAYrJhoy
>>210
梅毒説が取りざたされたのは一つには、秀秋に対する人格攻撃の面と共に狂乱説
への信憑性の補足の面があります。ただ、医学的に言えば梅毒が脳にまで障害を
及ぼすまでには永い期間が掛かり(一般的に10年以上)、又それ以前に様々な症
状がでます。以上のことから年齢的に考えて、秀秋が梅毒が原因で狂乱し亡くな
ったと言う事は考えられません。

病死説の主流は梅毒では無く、疱瘡(天然痘)であり正式な歴史的見解もこの疱
瘡という事に成っております。ただ、ここにも問題があり成人が疱瘡で死ぬには
期間が余りにも短すぎる事と、兄弟が恐らく同時期(『梵舜日記』の記録から読
み取って十月十五日から十七日の間に)亡くなっている事が上げられるのです。

暗殺説は永遠に謎であります、これが解明される事はこれから先にも無いでしょ
う。
213人間七七四年:2007/11/14(水) 09:54:58 ID:daCKGZHo
陰謀説とか好きそうだな
214人間七七四年:2007/11/14(水) 17:19:27 ID:XUh0KRjd
病だとした場合
症状からどのような病かわからないものだろうか
215人間七七四年:2007/11/18(日) 11:16:44 ID:tbWHk/YF
肖像画がいかにもヘタレっぽい感じに描かれてるから余計に過小評価されるのかも。
216人間七七四年:2007/12/06(木) 01:00:03 ID:9Fq270hO
肖像画って生前に描かれたものじゃないよね?
肖像画すら悪くかかれちゃって可哀想
217人間七七四年:2007/12/12(水) 14:12:08 ID:5z9fFzOG
朝鮮兵役モードから抜けきらない三成に嫌気がさしたんでしょ。
なーにいつまでも命令してんだよみたいな
218人間七七四年:2007/12/12(水) 19:02:44 ID:MAEM2/fQ
アホかw
219人間七七四年:2007/12/12(水) 21:10:41 ID:SFnjOhPn
大阪の陣あたりの2世・3世大名たちに比べたら、これでもマシな方だよな。
220人間七七四年:2007/12/13(木) 02:06:31 ID:PZI99wPb
肖像画以上にどこかの寺に残ってる木像はヒドイ情け無い顔だった。
なんでも虫歯が持病だったとかで、情け無い顔はそのせいだとか。

急死も意外と虫歯が原因かも知れん。
221人間七七四年:2007/12/13(木) 02:35:55 ID:3Pw0vQ1o
21歳で死んだ徳川家茂も虫歯が30本もあったそうだな
虫歯は放置すると脳に菌がいっちゃって十分死因になる…。
222人間七七四年:2007/12/14(金) 00:16:19 ID:6xvAGMVs
脳に菌が行く前に、寝れなくなって精神のほうが先にヤラれる。
そう考えると、虫歯も馬鹿に出来ないね。
223人間七七四年:2007/12/14(金) 00:27:24 ID:UAqEAulv
昔は虫歯でも命取りになるんだな。
歯磨きとかどうしてたんだろう?
224人間七七四年:2007/12/14(金) 00:28:03 ID:iZiAxm+I
つ【塩】
225人間七七四年:2007/12/14(金) 02:03:18 ID:b5cKT+kg
思ったら秀吉の息子(義理も含む)ってみんな有能なんだな。

秀頼←大阪の陣で家康が「秀頼をあなどるな」って言った
秀秋←ここでの評価
秀家←関が原の事実の総裁
秀康←家康よりも豊臣の猛将 

三英雄の中で一番子供に恵まれなかったって世間の評価だけど。


ちなみに豊臣を滅ばしたのは福島正則です。加藤清正はまだ評価できる。
その上、領地召し上げ+切腹自殺なんだから家康に楯突いて戦って死んだ方がもっと男として評価があがっただろうね。
226人間七七四年:2007/12/14(金) 08:56:20 ID:WWZYsU0a
一番「実子」に恵まれなかったのは事実だからな
あと秀次も入れてやれよ
秀頼の次に秀吉に血が近くて無難に跡継ぎ候補だったんだから


そして後半は明らかに蛇足
福島と加藤の差って大阪の陣の前に死んだか後に死んだかの
違いだけじゃね?
227人間七七四年:2007/12/15(土) 13:11:48 ID:cgysM0XD
>>227
二条城の会見のときに、正則は何をしたっけ?
警護の兵をだしたんだっけ?
228人間七七四年:2007/12/16(日) 19:24:19 ID:m6P5Gz0u
総大将に祭り上げられてしまった毛利輝元を救うために
吉川と小早川が家康有利に動いた、という解釈をする人はいないのか?
まあ、金吾ちゃんが毛利にそこまでする義理はないかもしれんけど・・・。
229人間七七四年:2007/12/16(日) 19:31:08 ID:070wIB+D
>>227
家康の命令を無視して上洛せず軍勢を率いて大坂城に待機
230人間七七四年:2007/12/19(水) 23:05:19 ID:bqHnKb8/
>>228
隆景亡き後の小早川家は毛利とは何の関係も無いしね
そもそも本来の小早川家は毛利家(大江家)とは全く関係ない家だけど
231人間七七四年:2007/12/20(木) 06:07:35 ID:ISJ1RdwE
なんで大江氏なのに毛利(源氏)なの?
232人間七七四年:2007/12/20(木) 13:12:32 ID:qv5AVyHs
>>231
毛利氏は大江広元の子孫だから本姓は大江氏だが、源氏とは何?
233人間七七四年:2007/12/20(木) 16:45:44 ID:ISJ1RdwE
清和源氏の流れを汲む毛利もあるんだけどそれとは無関係なんだよね?
234人間七七四年:2007/12/20(木) 16:47:45 ID:ISJ1RdwE
おっと自己解決したわ
235人間七七四年:2007/12/23(日) 01:15:20 ID:X5o/ooC4
羽柴家時代の正式名は「豊臣秀俊(とよとみのひでとし)」、
小早川家時代の正式名は「平秀秋(たいらのひであき)」?
236人間七七四年:2008/02/01(金) 14:54:25 ID:Y1JrUbcV
光秀のイメージは一昔前と比べるとだいぶ良くなったけど
秀秋のイメージが良くなることはほぼないだろうな
西軍の武将が人気あるのもあって
237人間七七四年:2008/02/25(月) 18:12:35 ID:lnIQf0uX
このままではDATしそうだ
秀秋人気ないっていうかちゃんと調べて評価してやってほしいなぁ

世間の評価は過小評価しすぎている
238人間七七四年:2008/03/01(土) 14:04:45 ID:3aPJnFYH
>>237
過小評価も仕方ない
秀秋はやたら毛嫌いしてる人が多いから
239人間七七四年:2008/03/01(土) 15:02:12 ID:19bSMyp5
>>236と被るが、戦国ヲタには三成や大谷吉継などの西軍武将が人気あるからな
彼らを敗北→死に追いやったというわけで毛嫌いされてるんだろう

でももし長生きして小早川家がずっと続いていたら、
ここまで悪いイメージにはならなかったと思う
240人間七七四年:2008/03/03(月) 17:40:53 ID:cFs3+1QN
その三成だって以前はドラマや小説の影響で
「秀吉を狂わせた君側の肝」みたいな見方が一般的だったんだぜ。
秀秋だってきっと見直される日が来るさ。
241人間七七四年:2008/03/03(月) 23:33:49 ID:2ufe1hzl
三成が見直されてきたのは
漫画とゲーム(無双とか無双とか無双とか)のおかげ

漫画やゲームですらろくな扱いされない秀秋は無理だろう・・・
おっと・・・2chで変えるか?w
242人間七七四年:2008/03/04(火) 00:51:41 ID:losNeva9
>>241
メジャーな作家がかっこよく秀秋を描いてくれればいいんだが。
「なんとひきょうな大将だろうか」(by 「物語日本史」池波正太郎より)
243人間七七四年:2008/03/04(火) 10:55:48 ID:PU3TUBPG
だったら俺達で秀秋主役の小説を書けばいい!
いや、正直前に日テレでやってたドラマ版戦国自衛隊が
秀秋が見直されるきっかけになると思ったんだがな・・・。
244人間七七四年:2008/03/04(火) 23:15:36 ID:1Kahq8tU
戦国自衛隊自体が作り物のお話だから、そこでいくらかっこよく活躍しても作り物扱いだろ…

>241
司馬遼太郎の関が原とか堺屋太一の大いなる企てとかじゃないの?
245人間七七四年:2008/03/04(火) 23:50:54 ID:VPIf2IsT
戦国無双で強く格好イイ決め台詞付きのキャラで出演すれば中高生にスグ浸透。
アトは腐女子が勝手に物語を膨らませてくれるので中高生がイイ歳になる頃には
秀秋は悲劇の貴公子になってるさ。
246人間七七四年:2008/03/05(水) 00:45:11 ID:BjqCUIoK
>>245
全く史実とはかみあわない能力にしている
信長の野望をだしてる会社に何を期待しているのかねw

それにあの武田、上杉すら一目おいた今川義元を色物キャラにするんだから
まぁまず間違いなく卑怯で臆病というイロモノキャラになるだろうな
247人間七七四年:2008/03/05(水) 00:59:07 ID:gCatclPc
無双の秀秋はプレイヤーキャラでは無いものの
けっこうキャラがたっていて、あのヘタレっぽさは
かなり好きだ
248人間七七四年:2008/03/06(木) 16:55:08 ID:RDbQWUy/
司馬遼太郎の「豊臣家の人々」だっけ?
自分はあれの金吾の章を読んで好きになったな。
249人間七七四年:2008/03/06(木) 19:03:53 ID:1Pja/EzK
>>248
そんな人いるのかw
結構ひどい書かれよう(アホ扱い)じゃなかったか?
250小早川秀秋:2008/03/12(水) 13:04:20 ID:gn6npxl4
宴じゃ!
251人間七七四年:2008/04/01(火) 23:31:18 ID:8u8qud63
正直さあまり労力に値する価値ではなかったよね。
家康は筑前から岡山に移しただけし。
252人間七七四年:2008/04/29(火) 01:00:36 ID:xHiluD72
秀詮の天正十年生まれは確定してるんですか?
253人間七七四年:2008/04/29(火) 09:05:22 ID:uM+6XiRS
>>247
ねね様の為に西軍東軍両方敵に回すわ服部半蔵と一騎打ちするわと大活躍だからなw
254人間七七四年:2008/05/08(木) 01:05:42 ID:qKRuMrIw
司馬遼太郎に限らず、此れから先も秀秋が良く書かれる事は無いだろうな。
一つ一つの事象を見ていけば戦国武将として別段可笑しい訳でもないし、寧ろ
バカボンを一同に会した中では最優秀の部類に入ると思うが、過去の固定観念
から開放されることは先ず無い。
255人間七七四年:2008/05/08(木) 02:33:10 ID:MXK5EsM9
可哀想に菜
256人間七七四年:2008/05/09(金) 06:43:04 ID:9ZzmwxxZ
ちょっと前の戦国自衛隊wでは善玉だったじゃないか
257人間七七四年:2008/05/09(金) 08:45:19 ID:EHZpTFUC
あげ
258人間七七四年:2008/05/09(金) 22:51:26 ID:EHZpTFUC
259人間七七四年:2008/05/10(土) 01:13:49 ID:6cRcmbzq
金吾の陣羽織かっこいいよなw
260人間七七四年:2008/05/10(土) 01:32:57 ID:HWi94ep2
金吾の天正十年生まれの根拠になる史料ってなんだか知ってる人いる?
261人間七七四年:2008/05/12(月) 22:04:32 ID:yBJttGkt
名将だろう。天下のキャスティングボードを握っていた外交戦術といい、
戦場における強さ、智略ともに群を抜いている
262人間七七四年:2008/05/13(火) 10:56:30 ID:RRUxyxEv
永井芳順 「金吾とお呼び 」

読んだことある人いる?
263人間七七四年:2008/05/13(火) 11:33:37 ID:+ZC/6Jp7
そうだw金吾ってよく考えたら生涯無敗じゃんwww
264人間七七四年:2008/05/13(火) 16:50:59 ID:3SwM+dwe
秀秋を雑魚とか言ってるやつをみると正直困る
265人間七七四年:2008/05/13(火) 17:33:20 ID:E0E2X+Tj
過剰に持ち上げる奴も困るけどな
266人間七七四年:2008/05/14(水) 01:00:16 ID:3SBFUIZo
でも石高のわりには連れてきた兵数多いな。
気合はいってるんじゃね、金吾は。
267人間七七四年:2008/05/15(木) 00:01:58 ID:Uk3RM08D
華麗にスルーされてるが>>195-196の検証を求む!
268人間七七四年:2008/05/15(木) 01:30:43 ID:oiC4Frcv
事実だろうし、島津が各々奮戦すべしといったのは、小早川すら抑えられなかったことへの半ば呆れての一言ともいわれている。
269人間七七四年:2008/05/15(木) 07:31:32 ID:XpeUV4EI
>>268
え、はじめて聞いた。
どこで言われてんの?
270人間七七四年:2008/05/15(木) 08:31:00 ID:oiC4Frcv
学研M文庫の真説関が原てやつとかに書いてた。
それによると西軍は早々に崩れており小早川が突っ込んだ時にはすでに西軍敗色濃厚だったという説。
271人間七七四年:2008/05/15(木) 19:52:38 ID:xPIMJocV
まぁ珍説はおいといて天下分け目の決戦の決定的な要素を握っていたのは小早川であることは
間違いがない
その立場あったのは偶然でもなんでもなく秀秋自身の判断の結果だ
戦国時代の武将としては過小評価されすぎだろうな
272人間七七四年:2008/05/15(木) 20:27:12 ID:GD5Y+NUL
小早川が勝敗決した後に突っ込んだというのは事実だろう。
でなければ、東軍勝利の大ヒーローになってたはず。
さわやま攻めで頑張ることもなかっただろう。
273人間七七四年:2008/05/16(金) 00:18:26 ID:hTfWnU19
>>272
「事実だろ!」と感情論で言われても困る。部隊が壊滅した順を考えれば
小早川の挙動が決定打だと思うがな。

確か>>195-196にあるように、大谷吉継の本陣は山を背負った「山中」と
言う名の「古来」からある砦を修復した陣内にあり、松尾山までの間には
佐和山行きの街道がありその街道には大谷隊(息子?)と木下隊、平塚隊、
戸田隊など数千が松尾山から佐和山街道に抜ける山道の前に、松尾山の峰
に配置された四将とは別に、配置されてたと記憶してる。

結果的に最初に崩れたのは大谷本陣で、大谷吉継は本陣の砦から600m程出
た形で討ち取られた。これは攻めて出て討ち取られたように言われるが、
実際問題600程度の部隊でしかも砦の中に居た部隊である。又、小早川本陣
が降る前に小早川の別動隊が迂回し大谷本陣に当ったと言うのをどこかで
見た記憶がある。小早川本陣が降り出して後に平塚隊、戸田隊などは応戦し
(本来ならば大谷本陣の前に当るはず)四将の裏切りで壊滅してる。

また、松尾山と佐和山街道の間に配置されていた、大谷(息子?)と木下は
それぞれ大谷本陣が壊滅した後に戦場を離脱している。その後は小西、宇喜
多などが順に壊滅していく。wikiに関ヶ原の配置地図があったがあれは大雑
把すぎて本来の配置とは少し違う。

小早川軍の別動隊が居たならば、降り口は関ヶ原の正面でも、佐和山街道口
でもなく全く反対方向からで、大谷本陣を守る数千の部隊を迂回し砦の後方
から襲撃した事となる。因みにこれは別に想像で言ってるのではなく、関ヶ
原の合戦経緯を解説してた本(題等忘れた)にあったと記憶している。
274人間七七四年:2008/05/16(金) 09:09:38 ID:e1Qqfr6l
だから273が通説だろうが、宇喜多が福島と互角(兵数を考慮すれば物足りない)
だった以外は各隊おされっぱなしだったという事実。これは動かしようがない。
遅かれ早かれ西軍は壊滅だな、という頃の小早川の裏切りで勝利のキーマンではなかった。
で、272の結論が導かれるわけ。
275人間七七四年:2008/05/16(金) 10:42:57 ID:Fp1Jyeyo
珍説振り回して、さも自分が正しいという奴はうざい。
276人間七七四年:2008/05/16(金) 12:26:35 ID:57v6LnCj
勝った東軍将兵からも
「あれはあまりにもヒドイ」と、その後八分にされたくらいだから、
ほんとに「卑怯この上なし」だったんだろ。
人格からして織田信雄以下だな。クズ。
277人間七七四年:2008/05/16(金) 12:33:54 ID:TDX+bRbk
>>275
普通に考えれば石田小西が壊滅するのなど時間の問題だと気付け。
278人間七七四年:2008/05/16(金) 13:35:26 ID:whmodLbz
>>276
ソース希望

そういえば家康公はなんで問い鉄砲なんて打ったんだ?

後、三度大谷隊に押し返されたのって秀詮卿がわざとやったのか?
279人間七七四年:2008/05/16(金) 15:01:07 ID:6y6tJn7b
>>278
三度押し返したと書かれているのは関ヶ原軍記大成、あれは奥平貞治の討ち死の脚色
問い鉄砲に関しては、一応あったのは間違いないが、家康の陣から放っても松尾山の秀秋へ届くことはないので、
何らかのパフォーマンスであったか、または別の意図があったのではないかと思われる
280人間七七四年:2008/05/16(金) 16:38:35 ID:whmodLbz
>>279
じゃあ秀詮卿は一度も押し返されてないんですね。

そういえば有名な秀詮卿を関白云々の誓詞も偽文書説があるようですね。
281人間七七四年:2008/05/16(金) 16:50:58 ID:TDX+bRbk
>>279
関ヶ原行った後、松尾山も寄ろうとしたが遠すぎたから断念した。
ま、鉄砲撃ったからって山からは見えないわな。
282人間七七四年:2008/05/16(金) 18:19:03 ID:6y6tJn7b
>>280
うーん、なんと言うか「三度押し返された」と言う話が脚色された話であって、
大谷勢に襲い掛かった秀秋勢が一度も押し返された事実はないのか?と言われたら、実際は「わからない」んだよね
何せ合戦の詳細を描いた信頼できる史料がないもんで・・・

秀秋を関白にする等々の誓紙は、書状自体が写ししかなく、また形式的に疑わしいのは確かなのだけれど、
直江状と同じで、それに類するようなモノはあったのではと考えられてます
283人間七七四年:2008/05/16(金) 18:23:48 ID:thoXVbM2
押し返そうが押し返されまいが結果は変わらんよ
戦略的にすでに勝っていたという証拠
284人間七七四年:2008/05/16(金) 19:12:22 ID:whmodLbz
>>282
そうですか、ありがとうございます。

私は関白云々の誓詞に秀詮卿たちが逡巡して出撃が遅れたという(桐野作人説)というよりは
秀詮卿たちがよりよい出撃のチャンスを伺っていって遅れたんど思います。

ただ遅れてことで 焦った家康公が問い鉄砲なんて意味不明な事をしちゃうんですけどね。
285人間七七四年:2008/05/16(金) 22:22:42 ID:hTfWnU19
早稲田の入試問題にまでなった小早川の裏切り時間が正午、その1時間後
には石田隊にまで波及している。

小早川の裏切り=下山開始ならば、小早川の本陣が峰まで下山仕切ったで
あろう時刻は最低でも1時間は掛かると思われる。

理由は松尾山の小早川陣屋跡から峰まで歩いてどのくらい掛かるかと言え
ば登山で40分程度である(http://tikugo.exblog.jp/5439089/
勿論、下山の方が速かろうが当時は戦場で下山道も狭いなかごった返して
訳である。皆さんも人でごった返すお祭りや駅などを思い出して貰いたい。
先ず普通に歩く時間で動く事はできない。

三度押し返されたと言う事が事実と照らし合わせて見ると、どれだけ荒唐
無稽な事であるかおわかり頂けると思う。寧ろこの事実を考えれば、珍説
と馬鹿にされた>>272の方が正しい。
286272:2008/05/16(金) 23:44:32 ID:e1Qqfr6l
支持者が現れてくれて嬉しいです。
実は、私は2000年9月15日前後に大垣・関が原界隈を徒歩中心に散策してみました。
それで感じたことがいくつかありまして
@当地の雨について
 ご存知のとおり、大垣は東軍が水攻めを検討しただけあって、降雨量の多い土地。初日も秋雨とはいえ夏の夕立のような雨でした。
 ビニール合羽も透けてずぶ濡れに…。
 当時の旧暦と1か月のズレがあるものの、夜間こんな条件で移動した西軍はいかに陣形有利といえど、士気・体力の低下著しく
 さらに着いたら休まず陣地構築と動き回っては、翌日の息切れも止むを得ないところだと痛感。
A南宮山
 雨の中登山。雨により沢のようになってしまったが、史実では三成が移動中単身現れたという説も
 あったので、同様の体験をしてみようと思い、断行。
 で秀元陣に到着。霧で大垣方面はよく見えず。関が原は距離があるうえ、木々が邪魔で全くみえない。
 こんなところにいる香具師をアテにする三成って…。が本音。
287272:2008/05/16(金) 23:45:21 ID:e1Qqfr6l
支持者が現れてくれて嬉しいです。
実は、私は2000年9月15日前後に大垣・関が原界隈を徒歩中心に散策してみました。
それで感じたことがいくつかありまして
@当地の雨について
 ご存知のとおり、大垣は東軍が水攻めを検討しただけあって、降雨量の多い土地。初日も秋雨とはいえ夏の夕立のような雨でした。
 ビニール合羽も透けてずぶ濡れに…。
 当時の旧暦と1か月のズレがあるものの、夜間こんな条件で移動した西軍はいかに陣形有利といえど、士気・体力の低下著しく
 さらに着いたら休まず陣地構築と動き回っては、翌日の息切れも止むを得ないところだと痛感。
A南宮山
 雨の中登山。雨により沢のようになってしまったが、史実では三成が移動中単身現れたという説も
 あったので、同様の体験をしてみようと思い、断行。
 で秀元陣に到着。霧で大垣方面はよく見えず。関が原は距離があるうえ、木々が邪魔で全くみえない。
 こんなところにいる香具師をアテにする三成って…。が本音。
288272:2008/05/16(金) 23:56:13 ID:e1Qqfr6l
B大垣城
 さすがに南宮山から歩くのは断念。だって遠いんだもんw
 大垣に宿をとったのでしばらく城近辺を散歩。
 ちっこい城というのが正直な印象で、ここで決戦したくなかった西軍の気持ちは納得。
 でもさ、だからといって断りもなしに勝手に関が原に移ったら毛利や長曽我部も辛いわな。
 東軍主力を目の前に相手にしたら山に登ってじっとするほかないだろう。
 約7万対2万だろ?
 関が原に逝かず南宮山攻め立てられたら勝ち目はないもんね。
 ただし、麓の寺を焼き払うといった動きはみせていたらしい。
289272:2008/05/16(金) 23:56:47 ID:e1Qqfr6l
B大垣城
 さすがに南宮山から歩くのは断念。だって遠いんだもんw
 大垣に宿をとったのでしばらく城近辺を散歩。
 ちっこい城というのが正直な印象で、ここで決戦したくなかった西軍の気持ちは納得。
 でもさ、だからといって断りもなしに勝手に関が原に移ったら毛利や長曽我部も辛いわな。
 東軍主力を目の前に相手にしたら山に登ってじっとするほかないだろう。
 約7万対2万だろ?
 関が原に逝かず南宮山攻め立てられたら勝ち目はないもんね。
 ただし、麓の寺を焼き払うといった動きはみせていたらしい。
290272:2008/05/17(土) 00:04:11 ID:AFc+SGeO
スマソ。
なぜか連投になっちまった。
続きは次の夜に。関が原と松尾山の話中心で。
291人間七七四年:2008/05/17(土) 00:08:57 ID:3THS/RYy
こいつは妄想満開の上ウザイときている。終わってる
292人間七七四年:2008/05/17(土) 01:32:14 ID:p07zpLYA
まぁ秀秋の場合、妄想厨無しに好評価に繋がる事は絶対に有り得ない。
しかし、『歴史的史実』が事実とは限らないのは常識である。
>>272の場合は秀秋に対して好感は持ってはいないが、実際に現地に赴き
史実と事実に向き合ってるのは好感が持てる。

※歴史的史実が事実ではないと言う事の例として『合伝流軍学』の話を
しよう。合伝流軍学とは薩摩に伝わった軍学で維新以後唯一実戦的軍学
であったと評された軍学である。この伝は上杉家の宇佐美や真田幸村な
どから伝承されたとされている。何故このような伝えと成ったかと言え
ば当時は幕府が甲州流軍学を採用したため学者(今で言う学会)は皆、
そっち系であったのである。始め薩摩に合伝流軍学を広めた徳田は合伝
流軍学の優秀さを説いて回ったが異端視され、仕舞には島流しに憂き目
にあったのである。武田や上杉でない学問は今で言えば、東洋医学やシ
ャーマニズムが西洋医学に対しているようなものである。結果として、
東洋医学が西洋医学的に検証してみたらどうかと言う、お墨付きを頂き
信用されるように合伝流軍学も甲越流のお墨付きを頂戴したのである。
293人間七七四年:2008/05/17(土) 02:16:05 ID:IzIyGGaC
>>272
でも家康公は秀詮卿を大変評価していたと思いますよ。

例えば
九月二十四日の家康公から秀詮卿宛ての感状に

「今後は我が子武蔵守と同等に思い接する所存」と書かれていますし。

更に、秀詮卿没後

遺臣の堀田正吉は直参に
平岡石見は一万石の大名に取り立てられています。

後これはあまり関係ないのですが、秀詮卿の兄延俊の孫俊長が書き残した「日出藩備志録」の中で、秀詮卿の関ヶ原での軍略を賞賛しているらしいんです。

以上、出典は全て
永井芳順氏 「金吾とお呼び 小早川秀秋心象紀行」です。
294人間七七四年:2008/05/17(土) 04:39:31 ID:2sHFnIzv
尊称をつけている奴は厨なので話半分
295人間七七四年:2008/05/17(土) 04:52:15 ID:IzIyGGaC
>>294
すみませんでした。以後は尊称など付けません。だから厨呼ばわりしたり、話半分に聞くのは止めてください。
296人間七七四年:2008/05/17(土) 10:15:56 ID:hcZ0SvBb
>>292
妄想や脳内補完無しで評価に繋がるなんて
有り得ない武将の最たるものは石田だと思う。
297人間七七四年:2008/05/17(土) 10:22:31 ID:W31Knuyk
>>296
明智光秀よりは戦術なんかも優れてたって評価も多い
主君を裏切ったわけでもないし・・・
298人間七七四年:2008/05/18(日) 01:57:28 ID:fmXJc25x
金吾、慶長の役で明軍に囲まれた小西を助けに行く、って言い出した立花宗茂に
「立花殿の兵はたかが三千だから何かあっても損失は微々たるものだもんね!」とか言ったって本当?
立花宗茂好きなだけに( Д )゜゜目玉ポーンしたぞ
299272:2008/05/18(日) 03:00:05 ID:dzFDh6tP
C大垣から関が原へ
 翌日は秋晴れ。
 電車で大垣より移動。まずは石田陣の笹尾山から。
 小高い丘ではあるが、ほぼ徹夜で大垣から武装して移動したのだから、ココを上るのにも苦労したハズ。
 関が原や南宮山なども一望できる見晴らしのよさ。
 実質上の指揮官としては好位置確保といえる。誤算は集中攻撃を黒田・細川・田兵らに喰らったことだろうね。
D島津陣跡
 北国街道を扼す小池村。この要衝を守るために鉾矢の陣で臨んだと碑に書かれていた。
 小兵力ながら、決死の覚悟が窺えるではないか。
 通説では、敵を追い払うだけで柵に篭もるだけだったとされているが、通常なら千人強で東軍に突っ込むはずもなく。
 退き口の際には半数近くまで兵を減らしていたとされているので、いわゆる「やれることはやった」のではないか。
 三成の出撃依頼に応じなかったというよりも、不可能だったというべきであり評価の見直しが必要な部隊の一つであろう。
300人間七七四年:2008/05/18(日) 03:24:43 ID:YOngZ5jh
>>299
あんたは秀秋贔屓でもないし、歴史的事実に妄想癖が強くでるタイプだが
歴史を探索する姿勢には敬意を表したい。

それに比べて糞なのが>>298だな、こう言う訳の分らん自称ファンが一番
厄介。宗茂が小西を助けに云々ってのは露梁海戦の事だろ?
秀秋なんて確かその1年近く前に秀吉から帰国の呼び出しくらって朝鮮に
は居ないよ。そのくらいな知識で宗茂好きだとか言われたらこっちが目玉
ポーンだぜ。
301人間七七四年:2008/05/18(日) 07:43:29 ID:hTMhfLng
小西じゃなくて加藤か?
302人間七七四年:2008/05/18(日) 11:16:37 ID:At3MUq5g
言ったの宇喜多じゃないか?
加藤スレにそんな感じの事書いてあった
303人間七七四年:2008/05/18(日) 13:38:44 ID:YOngZ5jh
…露梁海戦なら宇喜多もその頃には日本にいる。
つーか露梁海戦は太閤が死んで撤退する時の最後の戦いのお話だろ?
その海戦で李舜臣も戦死している。
先ずは出典をだせ、出典が解らないなら状況判断で、小西ではなく加藤
だと気付け、加藤ならば蔚山城の戦いだと言う事になる。
でっ蔚山城の戦いを良く調べてみてくれ。
304人間七七四年:2008/05/18(日) 18:02:41 ID:fmXJc25x
>>300>>303
そうなのか・・・ごめん、「どっかで聞いた」程度で喋ってた
不快にさせたなら本当にすまない。
305272:2008/05/19(月) 01:43:24 ID:Xb/XnO95
E小西陣跡
 西軍主力で平地に陣を敷いたのは島津とこの小西。
 ただし、陣地を構築するにあたり、障害物として小川を利用しようとしたのがこの地を選んだ理由かと思われる。
 初めに崩れだしたともいわれるくらいで戦意が薄いとも評価されるが、ほぼ同規模の兵力だった石田陣が丘の上にあったことと
 と比較すれば、地の利があるともいえないために致し方ないだろう。
F宇喜多陣跡
 本陣跡は神社がある。お清めをして手を洗ったところで気がついたのだが、島津は池のそば、小西は小川の付近
 そして宇喜多は湧水のあるところというように、水を確保している点が意図的なのか、偶然なのか?
 詳しい方、教えてください。 漏れは長期戦を予測しての意図的なものと考えた。
 さて、位置関係からすると兵数が多いこともあるが、横からみると西軍のなかでは突出しているようにみえる。
 松尾山方面から関が原をみると、宇喜多陣は正面付近にみえる位置。宇喜多が健在でいる限りは、西軍が優勢に見えたことだろう。
(石田・小西陣は松尾山からはみえる位置にない)
 通説にあるように、西軍優勢とみて秀秋が攻撃を逡巡したとするならば、正面の宇喜多隊の存在が大きいと思われる。
 もし、集中攻撃されている石田・小西が見える位置からみていたなら、東軍優勢とみて異なる判断も(早々に攻撃)もありえたか。
306人間七七四年:2008/05/19(月) 14:29:13 ID:rpcMQFAP
『看羊録』の中で秀詮って、兄弟の中でも劣っているとか、軽薄な人とか書かれてるらしいけど、詳しく知ってる人いますか?
それと秀詮って本当に上記のような人物なのでしょうか?
307人間七七四年:2008/05/19(月) 16:28:33 ID:t/tLSedW
>>306
姜は儒学者なので、儒学的な価値観・視点から語っており、
人物評なども、そういうバイアスがかかっているものとした上で読むといいかも
308人間七七四年:2008/05/19(月) 18:12:08 ID:eifsL58g
フロイスの日本史みたいなもんか
309人間七七四年:2008/05/19(月) 19:07:34 ID:4MkENeh+
兄弟って言うのはどちら側の兄弟なのかが問題かな?
姜と関係ある藤原?は確か隆景を高く評価してたね。
秀秋の実の兄弟ならば長兄は超ダメ人間だぜ?
逆に毛利(小早川)秀苞は宗茂と無二の親友にして義兄弟。でっ秀苞自身は
元就の子だから、それらの兄弟(義兄弟の宗茂含めて)連中と比べると人物
的には見劣りするね。

国によってというか昔の日本は、実の兄弟より家長内の兄弟を重視するから
ね。今でも任侠の人はそうだろ?任侠も元おただせば儒学的な思想に繋がる。
310人間七七四年:2008/05/19(月) 19:55:32 ID:cmsJLuHQ
侠は儒教と正反対の墨子の思想だろ?
311人間七七四年:2008/05/20(火) 01:30:02 ID:aBlvd0y0
だろ?ってお前…糞だな。あれだろ?墨家の漫画みて書き込んだんだろ?
実践儒学陽明学ってのを先ず調べろ。日本の任侠の思想的根本だろうが。
しかも墨家なんてのは二千年前に衰退してて日本どころか中国ですらそん
なの知らねえよの世界だろうが。よく調べて物言え。
312人間七七四年:2008/05/20(火) 01:54:57 ID:10TmjVps
記録が残ってないことと思想とは違うし
陽明学が日本で浸透したのは江戸時代以降で、民間の儒学的学問の側面が大きい
仁侠ヤクザのような疑似家族を作る構造と、道教的な要素が垣間見える陽明学は異なるぞ
本当に陽明学の書を読んだことあるか?
313人間七七四年:2008/05/20(火) 04:07:15 ID:8NcFouSV
ageてんだから察してヤレ
314272:2008/05/21(水) 00:08:16 ID:jh7RQMlT
G大谷陣跡
 山中にあり、一種の山城であったと案内にある。東海道線が脇を通り、まさに要衝。
 ロケーションとしてはやや後方に位置していることや宇喜多の大軍が前方に位置していることから
 藤堂隊が攻めかかった程度で石田隊ほど集中攻撃を受けなかったのは地の利が大きいといえる。
 小早川の攻撃を暫く凌いだといわれるが、松尾山方面からココを攻めるのは急な崖を登らねばならない
 ので、やはり地の利が大きいのだろう。また、早めに着陣して準備怠りないことや兵の疲労度が少ない
 点も、西軍各隊のなかにおいては有利な条件があり、善戦できた一因といえそう。
H松尾山方面
 関が原方面から東海道線を挟み、かなりの距離がある。
 山を降りるのに1時間、大谷陣まで2時間かかる、といったところか。更に、前日の雨で足場が
 悪かったのだから、移動時間は通常よりもかかったことだろう。当時最新型のLLビーンのトレッキング
 を履いて軽装の私でもかなり歩きづらかった。
 だから、昼過ぎに西軍に攻めかかったのだとしたら、8時頃の開戦後に決断したのであり史実で言われているほど
 躊躇して攻撃しなかったというほどでもないのではないか。
 これが通説と異なる私の率直な感想であったが、後に「真説 関が原」に出会い、そのなかの記述で西軍善戦説に
 疑いがあり、小早川の裏切り?は早々に発覚していたという説が紹介されていたことで自らの説にある程度確信を
 もった次第です。
 それに、南宮山の毛利にしても松尾山の小早川も、連絡手段が狼煙しかない状況で果たして連携
 して攻撃するのは難しい距離にいた。
 しかも、その作戦が伝えられたのが前夜遅くとあれば、準備不足は明らかで自らの倍以上の規模
 である強豪・徳川本隊に攻撃するのを躊躇するのは当然であろう。
 西軍サイドから見れば恨まれるところだが、状況から判断して彼らの動静は当然の帰結ともいえよう。
315人間七七四年:2008/05/21(水) 00:20:13 ID:egq+ZG0N
岡山時代に家老?の杉原重治が村山越中に刺殺された事件ありますよね。あれ秀詮が命令したとか言ってるけど、村山越中の杉原重治に対する私憤が原因で秀詮は関係ない気がするけどどうでしょうか?
316人間七七四年:2008/05/21(水) 01:35:58 ID:rze0/mnV
なんで関係無い気がするの?
317人間七七四年:2008/05/21(水) 15:19:46 ID:egq+ZG0N
>316
確か杉原を刺殺した村山越中を秀詮は追っ手を差し向けています。御家騒動とか秀詮が狂ったとか言ってるけど、実際稲葉以外家中を離れていない様ですし。
だから関係ないような気がするんですよね。
318人間七七四年:2008/05/22(木) 08:14:24 ID:xB/k1rVb
流石に50万石クラスの大大名に成ると、家中には様々な人関係が出来る訳で
秀秋の時代に家中で起こった事件まで責任を負わせるのは酷だと思うね。
しかも戦国時代から戦国初期は(いや江戸時代も綱吉くらいまで)大名家を
巻き込んだ家中での争い事は多い。

元々戦国の覇者である織田や徳川にしても、戦国時代は家中の分断を繰り返
しているし、秀秋と同時に生きた黒田長政や細川忠興などははっきりと史料
に残る形で、今や秀秋の悪評として伝え聞く以上の事をしているのだが別段
狂ってるとは言われない。

さて村山越中なる人物であるが、池田忠雄時代にスキャンダラスな事件の当
時者として同じ名がある。しかも豊臣の付け家老と言われている杉原某に付
いては確固たる史料がない。池田と言えば輝政の息子池田輝興の事を思わず
には居れない。従四位下を叙任した晴れやかなる日から僅かして発狂して
正室や侍女を次々に殺すという事件を起こし改易されている。

秀秋の話とされる話も実際の事実はどうなのかは甚だ疑問。
319人間七七四年:2008/05/22(木) 11:33:41 ID:/+AqMM1j
家中の統制は大名の仕事のひとつじゃ?
320人間七七四年:2008/05/26(月) 16:07:47 ID:nTPrxXTP
age
321人間七七四年:2008/05/27(火) 10:38:52 ID:iFt9QiVS
>>319
国替えってきついんじゃね?
322人間七七四年:2008/05/28(水) 15:25:54 ID:+BnfFkYl
小説とかドラマじゃ、秀秋が最後までどっちに攻撃するか迷って逡巡するうちに
家康に鉄砲うち掛けられて慌てて攻撃みたいな設定にされてるけど、

戦後の家康の手紙とか見ると、なんか予定通りだったんじゃないの?とか思えるんだが
どうなん?
戦域全般の最右翼、包囲や腹背に突撃するには勝敗の分岐点・決勝点でそれなりに
難しいタイミングでの攻撃が必要で、あまりにも分かりやすい信号じゃ西軍を裏切ること
が分かる可能性もあるから、あらかじめ鉄砲で撃ちかけるのが合図ってのが
ほんとのとこなんじゃなかったのかな?
プロの人どうですか?
323人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 17:49:19 ID:4LvY9QtX
桃太郎は小早川秀秋をモデルに作られたのはホントですか?
324人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 19:35:57 ID:cXlhUfVZ
嘘です
325人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 22:13:35 ID:XXCCo7Wq
小早川秀秋に関する悪評に関する資料ってないですかね。
短気でわがままなところがあったようですが、
……どうも、信憑性に欠けるというか
悪い方向に尾ひれが付き捲っている印象です。

>>318
村山越中は杉原紀伊守の息子に仇を討たれたのと、
臼井本覚という人物に打たれた二通りのケースがあるようです。
どうやら、別人のような感じがしますが。

326人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 23:11:33 ID:j23Vr1g7
なんで信憑性に欠けると思うの?(短気云々に関してだよね?)

悪評じゃないけど秀吉が秀秋に宛てた手紙で、身だしなみを
きちんとしなさいみたいな内容があったなあ…
327325:2008/06/01(日) 23:32:07 ID:XXCCo7Wq
福岡時代に乱行していたりとか
岡山時代の悪政のことです。
杉原紀伊とか、村山越中のあたりとか
通説を信じるのは危険という気がしたので、
このあたり、きっちりと調べたいところなんですが。

328人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 17:58:08 ID:iy8y8tLV
>>293
>金吾とお呼び

本人のかは知らんが以前これ関係のサイトで、ゲームから入った人が
軽いノリで書いた歴史小説の感想でしかないblog記事を無断転載し
史実では金吾は云々とpgrしてたのを見て引いたのを思い出した。
329人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 16:11:40 ID:+vAmVINL
小早川の寝返りの話だが、秀秋らは陣所跡のあたりにいたにしても、
実際のところ小早川勢1万5千は松尾新城の各所にいただろうし、
大谷陣への突貫まで本当にそれほど時間をくうのかな。
ちょっと前に上がってた話題で興味深かったけど
330人間七七四年:2008/06/10(火) 12:28:39 ID:eSCtX3LO
最低の無能男
331人間七七四年:2008/06/10(火) 21:42:47 ID:q5Dprcct
江竜喜信の「小早川金吾秀秋」読んだ人いる?
金吾の小説って少ないよな
332人間七七四年:2008/06/11(水) 18:19:03 ID:nMSf9oQM
精神云々というのは史実としてどうなんだろう
333人間七七四年:2008/06/11(水) 22:41:32 ID:5tFdxJB4
>>329
出陣、ってどれぐらいかかるんだろ実際。
普通にJリーグの観衆1万5千人くらいのときでもスタジアムから駅まで相当時間食うが。
適切ではない喩えだっつーのは承知で、人の数の観念としてあげてみた。
334人間七七四年:2008/06/15(日) 00:58:58 ID:RwlvBgOr
金玉蹴られて殺されたってエピソード読んだ時、悪いけど笑ってしまった。
史実かどうか怪しいらしいが、こんな話が作られるぐらい評判が悪かったんだろうな。
335人間七七四年:2008/06/18(水) 09:04:10 ID:i+6+3yxT
岡山城の改修などでは非凡な内政の才をみせているようだね。
軍事面でも無敗。
336人間七七四年:2008/06/19(木) 01:21:44 ID:t5YLIAUw
朝鮮の陣で秀吉から処罰を受け、筑前名島36万石を没収され、越前北之莊15万石に移封の処分を受け、秀吉死去でうやむやになった?
337人間七七四年:2008/06/19(木) 08:10:28 ID:eJWh4M25
家康のとりなしねっけ?
338人間七七四年:2008/06/19(木) 08:32:57 ID:4sqnNqZK
家康というか五大老の協議の結果?
339人間七七四年:2008/06/19(木) 11:20:48 ID:6Af2VKit
秀秋は佐和山も1日で落とした。
340人間七七四年:2008/06/20(金) 11:35:31 ID:3vdVLZuE
小早川家の祭祀は吉敷毛利が引き継いでいるの?
だとしたら維新後に小早川に戻さなかったのはなぜだろう?
341人間七七四年:2008/06/20(金) 11:47:28 ID:cA0x6aWy
>>340
いまさら戻す必要もなかったんだろ。
342人間七七四年:2008/06/20(金) 12:48:10 ID:JbEszfQO
伏見も落としているから秀秋は攻城戦の達人
343人間七七四年:2008/06/20(金) 12:59:51 ID:cA0x6aWy
>>342
両方城内の軍勢はごく少ないは援軍のあてはないは。
344人間七七四年:2008/06/20(金) 13:13:13 ID:/DRgaWqh
しかも佐和山は2日目に成立した講和を無視してだろ
345人間七七四年:2008/06/21(土) 19:37:11 ID:dbN4kAZH
謀略も巧みということか、金吾w
346人間七七四年:2008/06/21(土) 21:09:16 ID:5YCXHoYB
それで城内の女が絶望して次々と谷に身投げをしたんだよな。
谷に落ちても死に切れなかった女の呻き声が数日続いたとか。
347人間七七四年:2008/06/22(日) 01:53:05 ID:zG03o6IW
非情に徹することのできる金吾は戦乱の世でこそ生きたはず。
生まれてくるのがあと20年早ければ・・・。
348人間七七四年:2008/06/26(木) 23:53:35 ID:tTBuWLZm
見直したいよね、金吾w
349人間七七四年:2008/06/27(金) 17:37:45 ID:yFSO6WfO
信野望のように人生を数値化すると彼は運は万点だね。

天下人へ養子の時点でもう日本国中でもトップクラスの運。更には秀次事件
時には連座を小早川家の養子で回避、そしてその後予想された粛清も秀吉の
死で回避!

普通の人物ならもうこれで打ち止め、このまま一大名として時代にただ流さ
れるだけで終わるも、関ヶ原のビックウェーブ到来。
多くの大名が自分達の意思とは別に時代に翻弄されていく中、唯一自らの意
志で時代を切り開き見事成功しランクUP!そしてその後予想された粛清も自
らの死で回避!!
350人間七七四年:2008/06/27(金) 18:04:15 ID:slnpkwQm
ゲーム脳はよそ行ってくれないかね?
351人間七七四年:2008/06/27(金) 20:53:46 ID:mPgudvkw
秀吉に嫌われた時点で満点はありえない
朝鮮でも現場を知らないもうろく爺に叱責されたりとか不満たまりまくりだろう
352人間七七四年:2008/06/28(土) 23:27:55 ID:vPg7/bpz
>>273
決定的ではないだろ。
大谷に想定・対策取られていた小早川の裏切りでは足りず
想定外だった脇坂らの裏切りまでが合わせ鍵になっての決着。

小・脇どちらが欠けてもあそこまでの壊滅は無かった
353人間七七四年:2008/06/29(日) 00:25:09 ID:KNZvB1x3
>>352
> 大谷に想定・対策取られていた小早川の裏切りでは足りず
> 想定外だった脇坂らの裏切りまでが合わせ鍵になっての決着。

それも後世の軍記物の著述でしかないわけで。
354人間七七四年:2008/06/29(日) 20:57:37 ID:E/k7Wabz
秀秋は生涯無敗だな。
355人間七七四年:2008/06/30(月) 23:13:36 ID:7Jn5+/qG
そもそも三成の想定では秀秋は越前15万石に落とされて何の力もなくなっていたはずだった
それを家康が処分取り消しで領地を戻して恩を売ったから三成の想定が崩れた
秀秋が大軍を持っていた時点で西軍には既に想定外の事態なんだよ
356人間七七四年:2008/06/30(月) 23:31:27 ID:AJgLh3yU
あほか
357人間七七四年:2008/07/01(火) 21:52:56 ID:ZyfGXIeD
>>355
真田昌幸宛て書状では宇喜多一万八千に対し小早川八千として送っているな。
三成が小早川を過小評価した形跡はある。
358人間七七四年:2008/07/01(火) 21:56:45 ID:81LH0QXo
なんでそれが過小評価の形跡になるのか不思議・・・
秀秋が8千しか率いてなかったのかも知れないし、秀家の軍勢を過大に言っていたのかも知れないのに
359人間七七四年:2008/07/02(水) 12:45:16 ID:7+ZC7Es8
>>358
こいつ馬鹿なの?
360人間七七四年:2008/07/02(水) 14:36:35 ID:T9gxgQgX
たぶんバカでしょう。
361人間七七四年:2008/07/02(水) 20:10:18 ID:EhrhR1h0
>>359
真田昌幸宛て書状では宇喜多一万八千に対し小早川八千として送ったら、
どーして秀秋を過小評価になるのか説明してみろよw
362人間七七四年:2008/07/03(木) 13:29:01 ID:M0EB8jYW
バカを上塗りするなよ。
363人間七七四年:2008/07/03(木) 19:38:06 ID:rsnofp11
>>359-360のバカの上塗りですね、わかります
364人間七七四年:2008/07/04(金) 05:40:51 ID:ck1yKgwI
>>363
www
365人間七七四年:2008/07/04(金) 07:47:48 ID:o6gArraW
鏡みろよ、顔真っ赤だぞ
366人間七七四年:2008/07/04(金) 12:44:59 ID:wNwTJCHj
メル欄にageいれるのは低脳荒らしなのは過去ログでわかるから放置推奨。
367人間七七四年:2008/07/04(金) 18:34:56 ID:cwSHLd1d
>>365
自分?
368人間七七四年:2008/07/05(土) 00:22:55 ID:8zmTRAE4
>>367
揚げ足とるのはみっともないぞ
ちったぁカルシウムとれよ、顔真っ赤だそ
369人間七七四年:2008/07/05(土) 00:27:28 ID:2oIztn+T
馬鹿が馬鹿を馬鹿と呼ぶこのすれ
370人間七七四年:2008/07/05(土) 03:17:42 ID:bcy/Uo46
>>368
鏡貸そうか?
どうせブサイクだろうから、みたかーないだろうが。
371奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/07/05(土) 20:55:36 ID:Zj/sAGMb
毒殺説を信じてみたい。
372人間七七四年:2008/07/11(金) 15:46:39 ID:3L9tKEp6
>>363
こいつのせいで過疎
373人間七七四年:2008/07/18(金) 23:26:20 ID:IkIK0aDZ
お茶が入りましたよ。みんな仲良く!北の政所。
374人間七七四年:2008/08/15(金) 23:52:13 ID:pQo1Q5B3
小早川になってからの署名は平朝臣、それとも豊臣のどっちだったのですか?
375人間七七四年:2008/08/16(土) 08:30:28 ID:j5O8rChB
小早川の軍勢1万5千はどこからでてきたんだろう?
禄高からすると8千か9千が妥当だと思うが。
376人間七七四年:2008/08/16(土) 14:46:51 ID:tZvT/39E
小早川家が幕末まで存続していたら
秀秋の評価もよかったと思うのは自分だけか?
377人間七七四年:2008/08/16(土) 19:59:57 ID:YKBezq3o
>>375
1万5千は陸軍参謀部の歴史編纂が、黒田52万石をまんま秀秋52万石と勘違いして算出された数字
この件に関して日本戦史には注釈がついており、間違いだったと書いてあるよ

島津に課せられた100石につき3人と言う軍役からによる従来の計算すれば、筑前名島35万石の小早川勢は1万500
しかし三成の書状には小早川勢は8千

他にも安国寺を6万石の大名として扱ってるが、あくまで寺領と代官地なので、
安国寺は独自の軍勢、兵力を持っていなった
なので関ヶ原では毛利家の使僧として毛利の「組」と言う組織を借りて参戦してる
378人間七七四年:2008/08/20(水) 15:11:51 ID:UMXG1w3Q
懲りない香具師だ
379人間七七四年:2008/08/21(木) 17:41:27 ID:nA3clidC
>>376
よかったと思うよ。現在の前田家並には。
380人間七七四年:2008/08/24(日) 23:33:22 ID:tIlds6Qp
>>379
ちょっとの間に岡山城の改修工事で実績を残しているくらいだから名君になったかも。
381人間七七四年:2008/08/25(月) 10:59:14 ID:dByETRmn
実際秀秋って優れた人物だと思うよ
暗愚とかいうのは裏切りから来る偏見じゃないか
382人間七七四年:2008/08/25(月) 11:11:11 ID:57A4j0Cm
優れた人物は言い過ぎだろう
自ら槍を取ったり、家臣を手討ちにしたりというのは講談話というわけでもなく、
史書にも記載されていることじゃなかったっけ?
岡山城の改修だって早すぎるということは、無理をした突貫工事とも言えるだろう
383人間七七四年:2008/08/25(月) 12:03:09 ID:dByETRmn
自ら戦ったり手討ちにしたり突貫工事したりすれば優れてないことになるの?
信長も秀吉もやってんじゃん
384人間七七四年:2008/08/25(月) 12:52:26 ID:57A4j0Cm
>>383
敗北必至な乱戦でのことならともかく、自ら槍をもって戦うなど
日本軍の総大将たる秀秋がせねばならぬことでもあるまい
下っ端の功名にはなっても、総大将の功名にはならん
信長や秀吉が家臣を手討ちにしたなど、ついぞ聞いたことがないのだが?
小姓やなんかの逸話を持ち出すつもりかい?

秀秋が岡山で行った内政の事跡は、一様に暗愚とは言えないという再評価には確かに繋がるが
それを以って優秀扱いするのもどうかと思うぞ
君の中には暗愚・凡庸・優秀という言葉しかないのかね?
385人間七七四年:2008/08/25(月) 13:50:37 ID:5Acb/SrV
>>382
手討ちにされた家臣は家老の杉原重治のことですか?
突貫工事とは二十日堀(はつかぼり)のことですね。
この堀は従来の堀の外側に、その二倍の堀を、領民、家臣を動員する突貫工事によって
約二十日間で完成させたので、そう呼ばれています。
そして二十日堀で掘り上げた土砂を城下町の整備に使ったようです。
386人間七七四年:2008/08/25(月) 18:28:55 ID:XN/iYasL
やはり秀秋は凄い。
戦国の気風を廃れさせないために泣いて馬しょくを切ってみせたのだね。
387人間七七四年:2008/08/25(月) 21:08:38 ID:dByETRmn
名将だな
388人間七七四年:2008/08/26(火) 03:30:45 ID:RDa0dORz
名将といよりちょっと頭の働く梟雄だろ・・・
無論無能とは程遠いが優秀ってレベルでもない
389人間七七四年:2008/08/26(火) 05:47:04 ID:9Vre3gk7
小早川家には隆景の頃からの経験豊かな良臣が何人もいるだろうし、
秀秋の功績とされてる物も彼らの力による所も大きいのでないだろうか。
390人間七七四年:2008/08/26(火) 08:29:46 ID:thg9Wkau
その彼らを使ったのは秀秋だろ?
どんな良い道具も使う奴が居なきゃただのガラクタ
太閤の威をかさにしたとしてもそいつらに認められて使いこなしたんだから有能な方だろ?
391人間七七四年:2008/08/26(火) 10:13:40 ID:us2JM9LS
すばらしき金吾
392人間七七四年:2008/08/26(火) 10:31:49 ID:QuBHF3Dj
気持ち悪いなこのスレ
393人間七七四年:2008/08/26(火) 11:15:18 ID:VQZZON+4
なにをいまさらw
394人間七七四年:2008/08/29(金) 13:28:09 ID:/fa82eJU
小早川どの・・・愛しておりました
395人間七七四年:2008/08/29(金) 14:13:18 ID:WNSJqYAG
過去形か
396人間七七四年:2008/08/30(土) 14:58:21 ID:lMa34gJf
まぁ故人だし
397人間七七四年:2008/09/02(火) 19:47:46 ID:99erH2PX
日本ミステリーでは春日局によって買収された稲葉正成を操って毒殺させたらしいです。
398人間七七四年:2008/09/02(火) 19:49:11 ID:99erH2PX
日本ミステリーでは春日局によって買収された稲葉正成が秀秋を操り毒殺させたらしいです。
399人間七七四年:2008/09/02(火) 21:02:40 ID:fk3HB0Ij
>>397-398
こんなところにまで無知ないたい子が…






始業式でなんか苛つくことでもあったのかなw
400人間七七四年:2008/09/02(火) 22:50:44 ID:L/SK9B+/
よんひゃく
401人間七七四年:2008/09/03(水) 13:52:10 ID:ih8VIv8T
>>399
>>397-398は、テレ東でやった日本歴史ミステリーって番組の内容だよ。関ヶ原は春日局の陰謀だったんだと。
ちなみにその番組、長篠の戦は秀吉の捏造、ってやってたw
402人間七七四年:2008/09/03(水) 21:16:40 ID:1jx1Kh24
陰謀って何?
家光の乳母になる遥か前だけど…
403人間七七四年:2008/09/03(水) 23:25:21 ID:ih8VIv8T
つーか、家光すらまだ生まれていないw
404人間七七四年:2008/09/07(日) 10:35:10 ID:12X9IAnb
当時は、小早川家臣の妻・おふくさんでしかないのに
そんな人がどう陰謀を・・・
405人間七七四年:2008/09/07(日) 12:30:58 ID:LIaiiusD
当時20歳くらいか?>おふく
つか何を目的とした陰謀なんだw
406人間七七四年:2008/09/07(日) 13:09:49 ID:BT+LsTAa
まあ一部の自称歴史家の大好きな、結果から過程を作り上げる、って奴だなw
407人間七七四年:2008/09/08(月) 00:20:58 ID:KEyJURAK
>>402
なんか関ヶ原で、家康→春日→旦那→金吾という人脈で
西軍裏切らせた褒美で乳母に抜擢大奥筆頭になったとか。

…番組内での「旦那は婿養子だから春日のいいなり」ってのが、
個人的に涙誘われました……
408人間七七四年:2008/09/08(月) 00:54:58 ID:I4wSSkDG
>旦那は婿養子

え?
409人間七七四年:2008/09/08(月) 01:43:44 ID:ieB+rWDA
>>407
こじつけだ
わざわざ、ふくを経由させる意味がない
…仮に家康からエサを撒かれていたとしても、この微妙な政局をふく自身で判断できるはずもない
結局、合戦中の政局を判断するのは旦那であり秀秋に助言するのも旦那になる
410人間七七四年:2008/09/08(月) 18:16:21 ID:efwHKosz
> http://samidare.jp/naoe/note?p=log&lid=112085
>
> 大河ドラマ「天地人」のキャストが追加発表され、東京渋谷のNHK放送センターにおいて発表会見が行われました。今回は「関ヶ原の戦い」に関係する役柄についての発表となりました。
>
> 石田三成…小栗旬さん
> 淀君…深田恭子さん
> 真田幸村…城田優さん
> 小早川秀秋…上地雄輔さん
>
> また、語りと音楽を担当される方も発表となりました。
>
> 語り…宮本信子さん(女優)
> 音楽…大島ミチルさん

三成
http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/8737/87376284.jpg
淀君
http://grv.up.seesaa.net/image/fukada_kyoko_wall.jpg
幸村
http://stars.biglobe.ne.jp/mens/img/shirota-yu-3202-300-400.jpg
秀秋
http://www.japanmusic.jp/archives/newprofimage/kamiji.jpg
411人間七七四年:2008/09/10(水) 14:24:06 ID:3mauP7fA
音楽の大島ミチルしか評価できないな
412人間七七四年:2008/09/11(木) 22:28:14 ID:McQj6Epj
一番若いはずのキンゴくんが・・・
413人間七七四年:2008/09/12(金) 09:02:53 ID:Q69mC8sR
>>397-409
福田が辞めたのは、俺のおかんの陰謀www
414人間七七四年:2008/10/21(火) 08:11:31 ID:krnTL6kN
そうやって言ってたらまじで未来の自称歴史家とやらが過去ログあさって>>413の母親陰謀説立てそうだなwww
415人間七七四年:2008/10/21(火) 10:21:49 ID:Oekl9kgM
時代を動かした男、金吾かっこよすぎ
416人間七七四年:2008/10/28(火) 02:42:58 ID:njGADSZ4
戦国無双2の江戸の陣で、「やはり私にはこれしかできない!」とかいって、また裏切るのには吹いたw
417人間七七四年:2008/10/28(火) 02:50:01 ID:njGADSZ4
藤堂家は幕末で裏切った。
小早川家があったらそれ以上の裏切りをやってくれたんだろうな
418人間七七四年:2008/10/28(火) 07:39:00 ID:HH+zjeou
>>417
薩長と共同戦線を張ると見せかけて、
会津と通じて新政府軍の背後を強襲だな。
419人間七七四年:2008/10/28(火) 23:12:13 ID:i37XjbNj
別に小早川は裏切ったわけではなくブラッドリー効果が働いただけだよ
最初から三成なんかに投票する気は欠片もなかった
ただ世間体を気にして本音を出す機会がなかったに過ぎない
表面的な支持率に踊らされていた三成が間抜けなだけだ
420人間七七四年:2008/10/28(火) 23:15:35 ID:j+Fdfr9L
つーか、小早川が鉄砲の合図で裏切ったなんて説を唱えてるまともな研究者なんて今はいないだろ。

松雄山に着陣した時点で東軍だったし、鉄砲の催促もなかった。と言うか不可能。ってのが
今の一般的な説だろ
421人間七七四年:2008/10/28(火) 23:27:46 ID:YpdIJB+s

そんな説唱えてる研究者も問鉄砲肯定してる研究者もいない
正直、大したことと思われてないし、どーでもいいって感じだから
422人間七七四年:2008/10/29(水) 00:06:04 ID:pmgpC+ay
>>420
問鉄砲云々とかは正直些事で、研究者の関心は、その後の政治体制とか
だよね。実際問題として、バトルの内容よりも、それがもたらした結果の
ほうがずっと重要だし。

ただ、金吾の動向についていえば、伊藤盛正を追い出して松尾山
占拠したのは内通ありきと見て間違いないけど、明確に「東軍につく」
という動向を示したわけでもないし、両軍にとって気味の悪い存在では
あったとおもうが。
423人間七七四年:2008/10/29(水) 03:32:59 ID:70KcDmPM
こばやかわひであきんたま
424人間七七四年:2008/10/30(木) 00:15:44 ID:UpQ58WG7
>418
小早川家ならもっと凄い事やるってw
御所に攻めこむとか
425人間七七四年:2008/11/12(水) 17:04:57 ID:N+yKWgXh
ゲームの話ですまないが、コーエーの
ttp://www.saihai.jp/
この中の金吾が最初から東軍に組みしていた

優柔不断じゃない金吾って珍しいな
426人間七七四年:2008/11/12(水) 19:24:54 ID:Iz0ZnmJ+
>>425
その辺は、最近の研究結果に準じたのかね。

まあ単純にゲームの都合だとは思うが。
427人間七七四年:2008/12/04(木) 12:36:25 ID:8LjZY9/y
小早川秀秋は再三西軍の使者を追っ払ってるし、あてにした三成がアホっぽい
428人間七七四年:2008/12/05(金) 13:14:27 ID:gVovY89u
三成に秀秋を関白にする権限はあったのか。
429人間七七四年:2008/12/05(金) 15:54:04 ID:wKEAWBhZ
あるわけがない。
元官房長官が「お前を総理にしてやる」って言っているような物。
430人間七七四年:2008/12/05(金) 16:55:11 ID:I90868BV
当時の日本人は近代以降の如くに無様な西洋かぶれの植民地根性に成り下がっちゃ居なかったから
男色のほうが女色より崇高にして立派な営みだという真理を、しかと会得していたのだナッ!!
それに引き替え当節の日本男児たるや、軟弱下劣なヘテロ風情に成り果ててしまいやがって。
呆れ返るゼッ!!!!!
まったく。

O TEMPORA O MORES !
431人間七七四年:2008/12/06(土) 07:30:29 ID:TVybqlU+
秀秋が悪いみたいだけど、案外他の連中も悪いだろ。不戦の構えしてる奴等は同罪だと思うが。最初から不戦組が戦ってれば秀秋も気まずくなって早々に戦闘に参加したでしょ
432人間七七四年:2008/12/06(土) 14:25:54 ID://r8eI/u
>>429
小渕総理が急死した後、森総理誕生の時ってそんな感じじゃなかったか?
三人くらいで相談して決めたとか。
433人間七七四年:2008/12/06(土) 16:18:28 ID:nhLGCYwi
>>432
元官房長官でも、しかも野党だぜ?>三成
434奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/12/06(土) 22:37:27 ID:OFygudXK
官房長官なんてのはどういう評価なんだ。
せいぜい幹事長代理だろうに。
435人間七七四年:2008/12/07(日) 01:14:42 ID:58pSPRLc
元官房長官?幹事長代理?アホか

彼はバリバリの官僚なんだから、よくて事務次官クラスだろ
でもトップは浅野長政だったから審議官クラスか?
436人間七七四年:2008/12/14(日) 02:07:00 ID:5kIBSvxa
>>433
この場合は野党じゃないだろ。どちらも秀頼を担いでるつもりだからどちらも「自称」主流派だw
437奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/12/14(日) 02:20:26 ID:w2CSWy8v
斎藤十朗ってがんばってるよな。
438人間七七四年:2008/12/31(水) 06:21:56 ID:3eVELziK
>>435
小腸じゃないから、官僚ってのはムリがありそう
439人間七七四年:2009/01/04(日) 00:26:18 ID:YQLWksvL

19歳の男が裏切りを決断できたとは思えない
裏切りについては重臣たちの力が大きかったと考えるのが普通
没後、重臣たちは家康に優遇されてるしね、なんかある
440人間七七四年:2009/01/04(日) 00:31:13 ID:QI5j83zM
稲葉正成だな。
441人間七七四年:2009/01/04(日) 09:21:40 ID:phjE4baV
正月の大型時代劇見たけど、今までの小早川秀秋=家康の鉄砲にびびって裏切り
みたいな単純な描かれかたじゃなく、まだマシだったなぁ
一応苦悩する姿も描かれていた

http://imepita.jp/20090104/332790
442人間七七四年:2009/01/04(日) 15:57:29 ID:3kjl7ABA
>>440
平岡勝頼もだな
443人間七七四年:2009/01/04(日) 16:33:30 ID:0jfJtNoZ
小早川まりん7歳!?
444人間七七四年:2009/01/05(月) 21:48:30 ID:BaWcCndl
かなりの戦上手で内政もまずまず。
後世の扱われ方はちょっと可哀想な扱われ方だな。
445人間七七四年:2009/01/07(水) 17:28:22 ID:WB1D1Et0
>>444
そうだ
446人間七七四年:2009/01/27(火) 23:13:20 ID:KZkUEKOT
今年の大河ではどんな風に描かれるのか…
447人間七七四年:2009/01/30(金) 08:19:22 ID:Y5ltAS3J
つーか秀秋は、松尾山占拠した時点で既に、西軍は離れているしなあ。
そう言う事を小説とかは未だに反映しないのは何なんだろう。
448人間七七四年:2009/01/30(金) 18:44:39 ID:73ivTbYT
関ヶ原の時の軍勢15000って加増後の石高で計算してないか?
449人間七七四年:2009/01/31(土) 19:12:53 ID:yguh+1dL
だから注釈されて訂正されてるだろ>秀秋の軍勢
450人間七七四年:2009/02/10(火) 18:51:32 ID:WH6Ja/lK
>>448
まあそのへんはたいした影響ないだろ
451人間七七四年:2009/02/11(水) 17:25:53 ID:KHfmGq7v
靖国神社蔵の伝小早川秀秋所用の甲冑は、超巨大。胸板部分の厚さなど常人用のものの二倍近くある。身長180p超、体重百数十キロの相撲取りかプロレスラーのような巨躯の持主だったと思われる。
確かに秀秋のものか、疑いがいがないでもないが、甲冑自体は桃山時代のもので、作りも極めて高級、袖に桐紋、佩盾にかたばみ紋が入り、所有者が豊臣一門のものであったことは間違いない。
肖像はそれほど太っていないが、よくみると顎が二重。
452人間七七四年:2009/02/11(水) 21:13:13 ID:F1XB+OWF
天下の靖国が、裏切りの汚名を着た廃絶大名の甲冑をねぇ…

他の兄弟はどうだったんだろうか?
長嘯子とか延俊とか…
453人間七七四年:2009/02/12(木) 21:14:29 ID:TxJ7MOUb
秀秋って怪物か?
454人間七七四年:2009/02/12(木) 22:44:29 ID:H5CD+PAQ
秀頼だって身長2メートル体重170キロの怪物だからな
455人間七七四年:2009/02/13(金) 23:20:05 ID:nMdDd3n8
>>454
現実にそこまでいってたのかは風魔小太郎ばりに怪しいけど、ぽっちゃりで大柄だったのは確かだそうだからなぁ…
誰に似たんだろ?…浅井長政は大男だったというので隔世遺伝と言われていたが、もし淀君が信長の子という説が正しいとすれば…尤も、お市の方も大女と言われているが…ココまでくるとキリがないなぁ…(笑)
>>451
同じく秀秋も、誰に似たんだろうか…
おねが大女という話は聞かないしなぁ…
456人間七七四年:2009/02/14(土) 02:54:20 ID:9UZpQkbq
>>451
当時で180超ってそれが本当なら、なんかの文献にそれらしいことが載ってるよ。
もっとも俺は文献とか解らないけど、常識で考えてその「伝」って奴が疑わしいわ。
あと秀秋の肖像画のことがよく取りざたされるけど、あれって5〜7歳の時の肖像画だよね?
そんな肖像画見て「こいつは巨漢そうだ」とか「実に弱々しい」とか意味ねえだろJK
457人間七七四年:2009/02/15(日) 17:12:02 ID:GEIHE51d
秀秋って狂死&病死だそうだけど
毒殺説とかないんですか?
458人間七七四年:2009/02/15(日) 19:07:45 ID:Rllw6Ao9
毒殺説もあるけど、病死に比べると根拠に欠けるらしいな

確かに、金吾を殺す理由はほとんどないけどね
(全くではないが)
459人間七七四年:2009/02/15(日) 21:18:04 ID:zxrNdnAR
殺す理由が殆ど無いってことはないわ。
金吾ってばやっぱ当時の金看板だよ。
石高や位置もさることながら、知名度がピカイチだった。
輝元の上洛日記にもあるが、秀吉が輝元と謁見しても直ぐに退席し秀秋がその後秀吉の座に座って饗応の応対をしていた。
家康や他の五大老が上洛した時でも秀秋だけは一段高い席順もさることながら、朝鮮出兵にも参陣し万単位の直参の兵力を保有し豊家一門では間違いなく秀頼に次ぐ勢力。

勘違いされやすいが、今は豊家の直参だと思われてる大名の多くが、豊家以前に織田家の家臣団だったという意識が強い世代によって形成されていた事実がある。
だからこそ関ヶ原やそれ以後の徳川家の飛躍にも成りえた訳だし、打倒豊家をする限り秀秋の能力如何に関らず一介の大名として放置することは無かったと思うね。
460人間七七四年:2009/02/16(月) 02:32:38 ID:0iZEosxW
豊臣系で馬鹿にならない勢力だったけど
本人は養子に出されたことや秀吉からの叱責等で豊臣に不満を持っていて
自分のことを非豊臣とでも思っていたんだろうか
461人間七七四年:2009/02/16(月) 06:48:50 ID:S4xMyPnE
殺す理由を無理やりにでも見つけていけば、誰だって毒殺になるわな。
462人間七七四年:2009/02/16(月) 22:52:45 ID:I7OVYJ7j
恐らく年齢的にも当時の現体制には非常に反発を持っていたと思うよ。
まぁ誰でも経験することだが思春期〜大人に成りきるまでは、何でも理不尽なことに反発すると思う。
もともと秀秋の場合は秀吉の後継者として育てられてきた自負があるだろうしね。
秀頼が秀秋に頭を垂れることは決してないが、その母茶々(淀殿)とは8歳の時に対面し、当時は茶々は一介の側室として秀秋に一段下の席で頭を垂れてる。
あと個人の性格も肖像画や後世の造作の為に優柔不断でふぬけのような印象だが、実際は即断激情家タイプで他者の意見は全く聞かない人物が正しいと思うな。
463人間七七四年:2009/02/17(火) 16:26:29 ID:t9OWfgru
正直あの肖像画は酷いと思う。
464人間七七四年:2009/02/17(火) 16:50:22 ID:9rwWrsxO
ウィキペディアが充実してきたな。
465人間七七四年:2009/02/17(火) 18:52:26 ID:9rr/ub9H
あの肖像画はまるで女だ。

作家活動してたらゼヒとも『秀秋は女性』設定で書いてみたいトコだな^^;
材料も結構あるし…

…てか、誰か書かない?
466人間七七四年:2009/02/17(火) 23:24:05 ID:kICvddI4
>>463
京都の瑞雲院の木像も酷いよ。
岡山の瑞雲寺の木像は高台寺の肖像画や瑞雲院の木像とは全然違うよ。
467人間七七四年:2009/02/18(水) 09:26:15 ID:FOEPRmwz
朝鮮で大活躍だか失態を晒した記録は何に残っているの?
468人間七七四年:2009/02/18(水) 13:00:31 ID:L1VTmjqq
>465
>材料も結構

例えば?
469人間七七四年:2009/02/18(水) 22:45:12 ID:KLmpuNUh
>>468
…と言っても3つくらい?
(長文失礼…)
◎およそ男らしさのなさすぎる肖像画→後世に描かれたとはいえ…もしもこの肖像画が真実に近かったら…(フィクション)
◎子供がいなかった→父や兄たちは子だくさんなのに…もしも女性と交われない訳があったら…種無し以外の訳で
(もちろんフィクション)
◎詳細な履歴が不明
→おねにつながる血筋で、
兄たちは大名として残っているのに…裏切りの汚名とはいえ、兄たちの家に資料や逸話が残らなすぎる…もしも汚名以外で伝えられない訳があったら…(フィクションだよ)

いずれもこじつけだけど、
これだけ大枠があれば…
470人間七七四年:2009/02/19(木) 00:18:30 ID:Rb0ZA/ic
>>469
残念ながら子孫も居るし(羽柴秀行の系統で養父隆景の木造が大阪の旧家から見つかっている)、あの肖像画は幼少時代のもので持主は高台院だから後世に書かれたものじゃない。
秀秋の史料は足守木下家に当時の断絶大名としては比較的多く残っているよ。
471人間七七四年:2009/02/19(木) 02:53:47 ID:JEYVZx39
>>470
羽柴秀行の子孫の土肥さんが隆景の木像を大坂城天守閣に寄付したんですよね。
高台寺の肖像画が幼少時のものである根拠は何ですか?
京都の瑞雲院の木像と顔つきが似ているので瑞雲院の木像も幼少時ってことですか?
472人間七七四年:2009/02/19(木) 20:37:18 ID:UdXg4E+F
家臣も出来星揃いだね。
473人間七七四年:2009/05/10(日) 19:33:20 ID:e4v8WEkM
ねねと不仲って言われてるけど、ねねは秀秋に小袖送ったりしてたらしいな。
実際には、そんなに関係悪くなかったんじゃないかと思う。
474人間七七四年:2009/05/10(日) 20:15:21 ID:ZMhQRTAJ
おねにバカ扱いされたってのはよく聞くが、どうなんだろうな
金吾死後おねが金吾の肖像画を大切にしてたと聞いたことがあるし、
そこまで悪くなさそうな気はする

いい話スレか悪い話スレか忘れたが、
政宗が金吾の家臣を欲しがって、
金吾が景綱繋がりで片倉を代わりにくれたらいいよ、
って応答した逸話があったんだよ

で、金吾の片倉関係の話は息子の方に
金吾がアタックしまくったってのが有名だけど、
この二つの話は前者の話を金吾死後
後者に変化した、と考えるのは無理があるかな?

なんか妙な文章ですまん、国語力ないんだ
475人間七七四年:2009/05/10(日) 20:21:52 ID:Pf8Q3DKu
バカな子ほど愛しい理論
476人間七七四年:2009/05/11(月) 05:00:00 ID:gavytBI+
>>466
泣きそうな顔の木像かな?
以前テレビで見たことあるな。
なんでも虫歯が持病で、そのせいでそんな顔に作ってあるんだとかいう説明だった。
別に写実的な木像でもない風なのにアレはないな、と思ったわw
477人間七七四年:2009/05/11(月) 12:49:18 ID:/lHEWT1A
ねねは金吾に金子も貸してるね
仲が悪いというより、躾として小言が多かったんじゃないかと思う

政宗が欲しがった家臣は石母田だよね
金吾が重綱に一目惚れしたというのは、彼が死ぬ四か月前の話らしいけど

金吾が重綱をストーカーしていたって言い方はどうなんだろうなぁ
惚れたのは事実だろうけど、会いたいって言って政宗がOK出したというのがあんまり言われないのがなぁ
実際会えて無いんじゃなかったっけ?
478人間七七四年:2009/07/06(月) 22:35:30 ID:nm/BSv0D
何か知れば知るほど気になる武将…個人的に
479人間七七四年:2009/07/16(木) 10:59:14 ID:D7vKnloB
吉川はムカつくが秀秋は、
秀秋だから仕方ないよ、、うん。だって秀秋なんだもの、と思えるw
480人間七七四年:2009/07/16(木) 12:42:02 ID:m1PEhnkZ
俺男なのに秀秋がかわいく思えてきた…
尻を差し出す準備をすべきか
481人間七七四年:2009/07/17(金) 00:46:44 ID:ypBt2YG7
最近は(秀次と同じく)暗愚説も怪しくなってきたんだよな…
482人間七七四年:2009/07/17(金) 10:21:31 ID:W9WWTROC
暗愚でもなんでも無いが、早く死んだせいで変な尾ひれをつけられすぎた運の悪い人。
同時代的には「律儀な人」って評価があったらしい。
483人間七七四年:2009/07/17(金) 11:13:04 ID:zeOAboJ8
石田や小西、島津、長宗我部も同時代ですがw
484人間七七四年:2009/07/20(月) 21:19:44 ID:BDizGnDX
だから甘く見られたんだな
485人間七七四年:2009/07/21(火) 07:22:11 ID:LGfc5Sr9
大名としては、同じく一門衆の宇喜多秀家なんかに比べたらよほどまともだ。
486人間七七四年:2009/07/22(水) 02:18:12 ID:wYIu1QtO
宇喜多は血縁じゃないし、家中で騒動が続いてたし、何より直家以来の表裏比興ぶりが…秀家はともかく、家臣団はそれで戦国を生きてきたからな…
事実、坂崎出羽守は生き残りを謀った家臣に殺されているから、単なる司馬史観とも言い切れない…
487人間七七四年:2009/07/24(金) 03:14:31 ID:L9e2dSMB
(何で司馬史観が出てくるのか)ちょっと解らない。
488人間七七四年:2009/07/26(日) 17:15:39 ID:kO61o8cx
秀秋本人からしてみれば小早川は飽くまで養子先であって、自身の本流は
木下=豊臣だと思ってたと思うよ。
例えば他の毛利子息の養子達が最後は毛利に帰したがったように、信長の
子供(北畠、神戸)が織田に帰したように、関ヶ原当時幼少であった秀頼
に何かごとあれば豊臣の第一の後継者だし、そうならなくても室町期の風
習を考えれば第一の親藩として特別扱いされるものと本人以外も家臣一同
思ってたんじゃないかな?
故に家臣たちもただ、とろい君主を踏み台にして家康に媚びうるような感
じではなかったと思う。後年秀秋家臣団の多くが徳川家に優遇されたから
結果としてそう言った感じで書かれるんじゃないかな。
489人間七七四年:2009/08/09(日) 18:30:18 ID:32OKdisq
近衛前久書状に、小早川秀秋が裏切って、家康が勝ったと書いてあるな。

ただ、両軍の兵力は拮抗している(実は毛利吉川など内応しているため、東軍が圧倒的優位なんだけど)

490人間七七四年:2009/08/09(日) 19:08:45 ID:XcFpYsl+
大谷なんかは最初から金吾が裏切るんじゃないかと
思っているが

現実に金吾があのタイミングで裏切ったときは ありえね〜とか思ったんだろうな

三成もあのまま金吾が東軍に突っ込んでたら勝ってたな

残りの日和見してたやつらも東軍に攻撃して家康敗走
491人間七七四年:2009/08/09(日) 19:12:07 ID:NlTMtKLB
あのタイミングどころか、前日に松尾山に陣取った時点で明確に東軍なんだが>秀秋
492人間七七四年:2009/08/09(日) 19:41:14 ID:FLw/m/bx
吉川が裏切らず南宮山軍勢が参戦して
西軍有利になってたら普通に西についてた気がするw
493人間七七四年:2009/08/09(日) 19:46:00 ID:/ytkF/Hc
どんなに優秀だとしても
裏切り者という時点で
嫌われるよな。

494人間七七四年:2009/08/09(日) 19:47:12 ID:NlTMtKLB
小早川軍は開戦と同時に行動してるし。
大軍が松尾山の山頂から組織的に降りてくるには、丁度東西両軍の激突から
大谷軍襲撃くらいまでの時間がかかる。
495人間七七四年:2009/08/11(火) 09:08:12 ID:QJsBJOLq
養子に出されたとはいえ大毛利の分家小早川家
養父は5大老の1人
元は豊臣連枝で秀頼成人までは後見人かつ関白を約束

これで寝返る・・・という意味がわからないと三成ぼーぜんも気持ちはわかる
496人間七七四年:2009/08/11(火) 10:19:44 ID:4fJbjm4v
豊臣には減封されかけた恨みがあるが家康には庇われた恩があるという事じゃね?
497人間七七四年:2009/08/14(金) 02:50:28 ID:NHGQQRiG
家康は実際には特に庇っていないらしい…
叔母さん(北政所)とも仲が良くなかったらしいし…

いろんな意味で踏んだり蹴ったりカモ…
498人間七七四年:2009/08/14(金) 03:18:30 ID:5bVxuOAK
なら見方する義理もないじゃないか

やっぱ鉄砲の威嚇射撃にビビったヘタレか
499人間七七四年:2009/08/14(金) 07:33:37 ID:GJHgm8WX
三成よりは家康のが頼りになりそうと思ったんだろ
500人間七七四年:2009/08/14(金) 08:54:19 ID:/Er+7Lu1
つーか、鉄砲の音を聞いてから松尾山から降りてきたんじゃ、関が原の合戦には間に合わんよ。
大軍の運用を何だと思っているんだか。

小早川隊は合戦の開始段階から、大谷隊に向けて下山を始めたと考えるのが自然。
501人間七七四年:2009/08/14(金) 11:18:33 ID:Fyx/d58U
なんか一人必死な人がいるw
秀吉が明智討ちに大返ししたのも不自然なんだろうな
502人間七七四年:2009/08/14(金) 11:26:16 ID:GJHgm8WX
山の登り降りが大変なのは昔も今も変わらず
完全武装の数千人がそれをやるとなるともっと大変

少なくとも撃たれたから寝返ったってのはあり得ない
上までは聞こえないし届かないしね
503人間七七四年:2009/08/14(金) 11:41:28 ID:/Er+7Lu1
>>501
君に解るかどうか知らないけど、

中国大返しというのは、備中から畿内までの「移動行動」が早かっただけで、
その後の陣の構築から合戦への流れは、通常のものと変わらない、しっかりと時間をかけたものだぞ?

この当時の軍隊、特に大軍が、移動した形態のまま合戦行動に移れると言う発想が間違っている。
移動を完了すれば、戦闘体制というべき、備を編成し陣形を作らなければならない。
それは大軍であればあるほど時間がかかる。

それをせずに移動を完了した順番に攻撃なんて真似をすれば、組織力を発揮できず括弧撃破
されるだけだ。
秀秋がいくらバカでも、実戦経験のある武将が、そんな合戦の常識を度外視した戦闘行動を
とるわけが無い。
だいたい配下の武将がそんな命令には伏さない。

鉄砲で脅されて山から駆け下りた、ってのは、ドラマやマンガとしては劇的で面白いだろうが、
現実の軍隊運用として、そういうことはありえない。

小早川軍は多少急いだにしても、常識の範囲内の行軍をし、麓で陣の編成をした上で
大谷軍に攻撃した、と考えるのが、理性的な思考だと思うぞ?
504人間七七四年:2009/08/14(金) 12:17:25 ID:ozbu6Fiy
三成が嫌いだった
家康や秀吉世代が怖かった
505人間七七四年:2009/08/14(金) 17:00:23 ID:Ev3IVyZt
何にせよ再評価するのはいいが過大評価にならんようにな。
石田三成や武田勝頼は90年代〜00年代初頭の再評価が
過大評価になって結局最近また叩かれるようになったし
506人間七七四年:2009/08/14(金) 17:36:12 ID:QoKdNHkn
>>502
盆地で鉄砲の一斉射撃したら
かなり響くよ。
火縄銃の音はかなり大きい。
507人間七七四年:2009/08/14(金) 18:23:55 ID:QoKdNHkn
まあ、開戦開始から山を下りてたとしても、
それはそれで卑怯であることには違いないし。

味方であると言いながらいきなり背後から強襲
だからな。

508人間七七四年:2009/08/14(金) 18:28:19 ID:/Er+7Lu1
前日に西軍の駐屯部隊追い出して松尾山に陣を張ったんだから、西軍の味方であるわけが無い。
もし西軍がそれでも秀秋を見方だと考えてたとしたら、能天気にも程がある連中と言うより
他はない。
509人間七七四年:2009/08/14(金) 18:41:35 ID:QoKdNHkn
警戒に値するというだけで
それだけで東軍についたと判断する根拠にもならないよな。

はっきり東軍についたと宣言しているわけでもないし
態度が不鮮明であったことには変わりない。
510人間七七四年:2009/08/14(金) 19:48:08 ID:ozbu6Fiy
いやね
まかりなりにも金吾は豊臣の連枝
まさか裏切るとはね
511人間七七四年:2009/08/14(金) 20:34:54 ID:Ilx+PqIK
>>506
反響音なのに、誰が誰に向かって撃ったかわかるの?

秀秋については本人の能力の再評価だけでなく家臣団の構成とか家中の構造がどうなってたかも大きいのかなと何となく。
関ヶ原の頃には上層部は豊臣縁の武将が多くなってたんだろうけれど、
丹波以来の武将と後から付けられた武将の関係、意識の違いや
他にも毛利系やら九州の地侍やらいろいろ居て複雑な構成だろうし。
秀秋を支えていた山口宗永が独立大名になってしまったりとか事件(?)も起こってるし。

秀秋の家臣団を詳しく研究している人はいないんですかね?
小早川の跡を継いでその後の北の庄転封騒動に関ヶ原、岡山移封で間もなく断絶と
ずっとばたばたしてるのでまともな分限帳も残ってなさそうですけど。
512人間七七四年:2009/08/14(金) 21:13:09 ID:C4/mUcaw
山の登り降りが趣味なんだけど
松尾山から大谷陣まで1時間もかからないよ
たぶん30分でいける
513人間七七四年:2009/08/15(土) 00:09:15 ID:DHe6utbv
それじゃ鎧着て武器持って数千人で隊列組んでやってみたら?
一人でかかる時間は参考にもならんよ
514人間七七四年:2009/08/15(土) 03:27:27 ID:Yq/hXi93
古今東西軍隊の山中行軍など珍しくも無い
何を大げさな
515人間七七四年:2009/08/15(土) 05:26:49 ID:1JvLkRag
関ヶ原のときは18歳か。当時は既に成人だけど叩かれっぷりがかわいそうな気がする。
20歳にも満たないこれからという若者に完璧なやつなんぞおらんよ。
516人間七七四年:2009/08/15(土) 07:18:52 ID:DHe6utbv
>>514
うんそうだね
だから?珍しくないから時間がかからないとでも?
517人間七七四年:2009/08/15(土) 12:18:55 ID:Yq/hXi93
根拠もなく山を降りて攻撃するには時間がかかると言うやつが居るなぁ・・・

戦国時代、山の上に城を築いて駐屯したり、山の上に陣取りはよくあること
しおして、山下の敵を攻撃することも頻繁に起こってる。
しかし、そのことで時間がかかったとする記録は見たことは無い。

時間がかかったとか妄想してる暇があるなら
山を下って攻撃するには時間がかかったとする記録でも出せば。
518人間七七四年:2009/08/15(土) 12:22:42 ID:Yq/hXi93
>>517の訂正 3行目
×しおして → ○山上から
519人間七七四年:2009/08/15(土) 12:57:00 ID:hjUxRvFl
>>517
むしろ時間がかからなかったという連中こそ根拠が無いんだが。

キミが言っているのは攻撃にせよ防御にせよ、既に陣構えが構築されてからの合戦だ。
近代軍隊ですら、行軍の後まずするのは、防御を固めて攻撃態勢を整え、
その上で攻勢にかかるんだぞ?
こんなことは常識以前の話だ。
520人間七七四年:2009/08/15(土) 14:57:39 ID:HrYpBfyv
>>510
(形の上では)家康はまだ豊臣家と敵対してる訳じゃないし、家康と三成の内部抗争みたいなもんなんだから金吾が豊臣家を裏切った事には(まだ)ならないだろう…元々三成の味方だった訳でもないんだし…
521人間七七四年:2009/08/15(土) 15:34:33 ID:Yq/hXi93
>>519
>むしろ時間がかからなかったという連中こそ根拠が無いんだが。

ないことを証明しろというのは悪魔の証明。
時間がかかるとする根拠がない以上は、時間がかかったことを前提とした持論は成立しない。

>キミが言っているのは攻撃にせよ防御にせよ、既に陣構えが構築されてからの合戦だ。
>近代軍隊ですら、行軍の後まずするのは、防御を固めて攻撃態勢を整え、
>その上で攻勢にかかるんだぞ?
>こんなことは常識以前の話だ。

可笑しな常識だね。
戦いとは、必ずしも長時間をかけて陣構えを構築して始めるというものではない。
戦史をみれば進撃して間髪いれずに攻撃する例はいくらでもある。
敵の眼前で陣形を整えるために一々長時間をかけなければ攻撃できないようでは、歴史上の奇襲戦、急襲戦は成立しなくなるだろう。
522人間七七四年:2009/08/15(土) 17:19:15 ID:hjUxRvFl
>>521
いいか?奇襲って言うのは基本的にギャンブルであることも含めて、少人数でやる戦術だ。
少なくとも、松尾山に15,000と言われる大軍を擁する小早川軍が出来る戦略じゃないし、やる必要も無い。
そして現実に関が原の小早川軍がやったのも奇襲ではない。

戦略云々を語る以前に、キミは1万を超える軍隊の運用とはどういうものかを考える、
最低限の知識と想像力が必要だ。
523人間七七四年:2009/08/16(日) 02:25:24 ID:w5oEfYsF
>>521-522
軍略の話よか戦略の話しろ

速いか遅いかなんて、結局先の見通しを立てられたかどうかで決まるんだから…金吾が見通しを立てたかどうかは誰にもワカランよ…

予測は予測でしかないし。
524人間七七四年:2009/08/16(日) 15:06:40 ID:i3fKlq8J
>>522
おいおい、小早川勢は8000だぞ、しかも奇襲ではないんだが
8000が一斉に襲い掛かった訳でもない

以前から時間かかったとアホみたいな主張するのがいるが、
一切の証明もしていない、史料からも遺構からもね


小早川勢が全員まとまって松尾山城の山頂に固まって存在したとでも思っているのか?
戦略云々を語る前に、最低限の知識と想像力ぐらい持って欲しいもんだ
525人間七七四年:2009/08/16(日) 20:41:03 ID:hnqhGbwN
>>522
 ↑
何だ、この「オレは元戦国武将だ! 素人が何言ってんだ!」みたいな語り様はw
526人間七七四年:2009/08/16(日) 23:05:29 ID:Wa3En5M+
裏切りと言うから評価がぶれてくるんだよ

この時は家康も秀秋も豊臣家の為に戦ってたし
豊臣家の賊として豊臣家から処罰されたのは三成の方なんだから
形の上で裏切ったのはむしろ三成の方なんだよ
527人間七七四年:2009/08/17(月) 10:41:29 ID:vAxVDjDC
軍隊の行動って簡単に言えば、
例えば旅行に行くとき、3,4人が車に乗り込むのには10分もかからないだろうが、
修学旅行で1000人がバスに乗り込むには、集合、確認も含めて、1時間近くかかるって事と
同じだな。
528人間七七四年:2009/08/17(月) 13:12:38 ID:Kf1cUD5M
最初から集合して各所に配置されたんだけど
それは兎も角、時間かかった証明はまだ?
529人間七七四年:2009/08/17(月) 14:57:41 ID:vAxVDjDC
>>528
お前がひどい学校にいたって事だけは理解できた。
530人間七七四年:2009/08/17(月) 19:24:01 ID:eiPTP7Dd
↑このバカは何言ってんだ?

つか根拠も論拠もない夏厨の妄想話相手はホント疲れるわ
531人間七七四年:2009/08/17(月) 22:25:36 ID:ocB8fvab
行軍 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E8%BB%8D

行軍速度など考えると時間がかかったと考える方が妥当ではないでしょうか?
532人間七七四年:2009/08/17(月) 22:31:26 ID:zQsA9uTD
>>526
それはないよ。
どうみても秀頼が三成側に立っている以上、
三成が豊臣方と見るのが普通だろう。
秀頼直属の部隊も西軍として参加しているわけだし。

徳川はお題目で秀頼を支持しているにすぎない。
それを本気で信じる奴など
よほどの馬鹿か家康側の情報しか
入ってこない福島くらいだろ。

実質的にどちらが秀頼側を擁立しているのかが
明白な以上、「形の上では・・」など
裏切り者の卑怯な言い訳に過ぎない。


まあ、たとえただの内紛だとしても
態度不鮮明にしていきなり背後から
襲撃するなどの秀秋の行動が
好意的に思われるわけもないけど。


533人間七七四年:2009/08/17(月) 23:14:39 ID:f1ROcuxu
>>532
どうみても秀頼は三成側になど立っていないだろ
三成が豊臣方なんて三成信者の妄想でしかない

それに秀頼なんて豊臣の後継政策を粉微塵に破壊した邪魔者でしかない
仮に三成と一蓮托生になろうが守る必要なんてないわ
むしろ家康に徹底的に叩きのめさせて世の中の厳しさを教えてあげた方が良い
534人間七七四年:2009/08/17(月) 23:17:45 ID:zQsA9uTD
>>533
ちょw
三成どころか秀頼まで否定するのかよw
535人間七七四年:2009/08/17(月) 23:29:14 ID:f1ROcuxu
豊臣の2代目は秀次で確定して関白も譲られているし
秀次には男児がいるから3代目まで確定している状況である以上
秀頼など無用の長物で産まれた瞬間に自殺した方がいいくらいのゴミだろ
こいつのせいで大勢の人間の人生が狂わされたんだから、この世に生を受けたこと自体が犯罪だよ
秀秋だって狂わされた一人なのに平身低頭してガキのお守りなどできるかという話だ
むしろ家康を勝たせた方が混乱の結末としてはスッキリするよ
536人間七七四年:2009/08/17(月) 23:39:25 ID:JH5hMGMI
>>532
物資の援助も無く秀頼の名前も馬印も使わせてもらえず、本丸に入れてもらえさえできなかったのにそれは無い
537人間七七四年:2009/08/17(月) 23:41:26 ID:zQsA9uTD
>>535
なんか話がずれていないか。
秀頼が頼りがいがないというのは否定しないがな。

どんな経移であれ秀吉が秀頼を後継者にした以上、
秀頼=豊臣
なんだが。
豊臣に忠義を尽くしたいのであれば
その秀頼に尽くすしかない。
538人間七七四年:2009/08/17(月) 23:48:59 ID:zQsA9uTD
>>536
三成が挙兵したにも関わらず、討伐令が出ないばかりか
援軍まで出しているんだからそれで十分だろう。

徳川に明確な落ち度がなかったのに
ここまで三成に与しているんだから、
消極的な秀頼にしてはこれ以上ない擁護だ。

なぜいまさら秀頼が西軍寄りではないなどの暴論が出るのか。
539人間七七四年:2009/08/18(火) 00:01:02 ID:zdG/Wdhv
>>536
ソースだせ
540人間七七四年:2009/08/18(火) 03:35:18 ID:xBneIbAi
小早川秀秋が初めから西軍じゃないと
言う人もいるみたいだけどまずそれはないよね。
だって西軍の仲間と一緒に東軍の鳥居元忠のいる伏見城攻めてるじゃん。
誰がどう見たって西軍。

西軍であるにも関わらず家康が来たとたん
いきなり背後から西軍に襲いかかった卑劣な裏切り者。

どんなに好意的に評価しようとこれは覆らんだろ。
541人間七七四年:2009/08/18(火) 08:36:00 ID:1cbYGr5d
関ヶ原の戦の時は最初っから東軍と言う事だろ・・・

542人間七七四年:2009/08/18(火) 08:55:19 ID:rczTMb9I
>>540
日本語の読めない人?
543人間七七四年:2009/08/18(火) 08:57:27 ID:WbW/c3kn
そんな事言い出したら家康も挙兵してるのに討伐令も出されていない
それどころか家康は豊臣家を支える五大老最大の実力者にして
秀吉から直接秀頼の未来を頼まれている柱石
つまるとこ関が原はどっちも豊臣軍の内紛でしかなかった
そして結果的に豊臣家の裏切り者として豊臣家から処刑されたのは三成
豊臣家の忠臣たる東軍が賊の西軍を成敗し
大阪城を占拠し秀頼一族を人質に取り西軍に肩入れした西軍総大将の毛利家も減封処分
これが最終的に豊臣家の出した動かざる結論

実質的とか政治の世界では何の意味も無い
形の上の勝利、形の上の裏切り行為が一番大事なんだ
一度決まった勝敗は戦争どころかサッカーの試合も覆らない
そして結果的に裏切ったとされたのは三成
544人間七七四年:2009/08/18(火) 10:04:44 ID:1cbYGr5d
どんな事言ったって三成が既に罷免されてた事実も変わらんしな

545人間七七四年:2009/08/18(火) 19:22:32 ID:CgV1f/Np
>>541
時はってなんだよ?
関ヶ原以前も西軍なら
関ヶ原のときも当然西軍だと思うだろ。
事実当時のやつらはみんな突然裏切ったと
思ってるんだから。

546人間七七四年:2009/08/18(火) 19:29:59 ID:2QrSr0pw
>>543
関ヶ原以前の事情と事後の事情を混同してるな。

しかし、結果的にとか言われてもな。
そんな話だれもしてないだろ。
そもそもそんな事言ったら裏切って豊臣滅ぼしたのは家康だ。

ちょっと話かみあってないんじゃないか。
547人間七七四年:2009/08/18(火) 19:52:55 ID:Ndrhqho2
しかし、
「結果的に三成は処刑されたから裏切り者」
とか無理がありすぎるだろ。

そこまで三成を落してまで
秀秋の裏切りを正当化させたいかな。

548人間七七四年:2009/08/18(火) 19:59:20 ID:W8t/5irl
結果を求めて蜂起したのが三成だもの。
それが失敗すれば、敵対した人間はもちろん、空証文を信じさせられた人間も含めて
裏切り者とされるのは当然だわな。

つか、そういう認識を「三成を落としてまで」って言っている時点で、
既に考え方が偏ってる。
549人間七七四年:2009/08/18(火) 20:07:33 ID:MSKrtzzi
ねえ、秀秋って日和見主義って言われるけど、実は最初から東軍に就く予定で、
一応三成が関白につかせるって言ってるから『形だけ』西軍についたって説はないの?
550人間七七四年:2009/08/18(火) 20:15:50 ID:Ndrhqho2
>>548
勝てば官軍って事を言いたいのか?
それはそうだが、
その論理は後世の人間には
通用しない。それは仕方ないだろう。

三成が豊臣の裏切り者なんていっているやつ
どれだけいるんだよ?

事実世間の常識は
三成=豊臣の忠臣
秀秋=裏切り者
だろ。
珍解釈がはびこってるのは
ここのスレくらいだろう。


いくら形式だけ繕っても後世に評価されないのは
しかたない。
551人間七七四年:2009/08/18(火) 20:22:40 ID:Ndrhqho2
>>549
その説は結構主流だと思うよ。

とりあえず形だけ西軍についていたのは事実だけど、
秀秋の心の中まではわからないからね。
552人間七七四年:2009/08/18(火) 21:05:55 ID:MSKrtzzi
>>551
レスありがとう
何か秀秋の経歴を見ると秀吉や三成には相当恨みがあるから、
例え恩があってもそれ以上に恨みがあるのなら最初から東軍についてもおかしくないなと思って

もしかしたら東軍からの銃声で寝返ったってのも、銃声にビビったからじゃなくて銃声を合図として寝返ったのかもね
ま、今じゃ銃声で寝返ったってのは嘘の可能性が高いって言われてるんだけど
553人間七七四年:2009/08/18(火) 21:07:07 ID:A9akSnkO
西軍につかなければ殺されるから仕方なく西軍になっただけだろう
そう考えると単純に秀秋=裏切り者と評するのはどうかなと思う
西軍にならざるをえない状況に人を追い込んでおいて
裏切り者とするのはおかしいんじゃないか
554人間七七四年:2009/08/18(火) 21:45:34 ID:Ndrhqho2
>>552
銃声がきっかけではなかった可能性はあるけどね。
はじめから裏切るきっかけを探していたとも
解釈できると思う。

>>553
第一希望がかなわなかったのは
確かに同情に値するとは言え、
じゃあ、裏切ってないのか?と聞かれれば
やはり「裏切った」と答えるしかないわけで。

裏切自体をなかったことにすることはできないが
同情できる所を探すことは可能だと思う。

しかし、たとえ本意でなく西軍に入ったとは言え、
昨日の仲間をいきなり襲うという行為は、
なかなか好感持たれないのではないかな。
日本人が一番嫌う行動だよ。
555人間七七四年:2009/08/18(火) 22:30:53 ID:GmUAq7qN
その時の領地の立地で不本意ながら東西決まってしまった人達なんて他にもいるし…
鳥羽伏見と関ヶ原での裏切りと仲間追撃に好感持つのは無理だわw
556人間七七四年:2009/08/18(火) 23:34:53 ID:1cbYGr5d
松尾山の西軍叩き出して布陣してる時点で゛いきなり゛では無いな関ヶ原のあの時点では
557人間七七四年:2009/08/18(火) 23:43:11 ID:A9akSnkO
好感を持つ必要はないけどああいった行動をせざるをえなかった
秀秋の苦悩は理解してあげるべきじゃないか
558人間七七四年:2009/08/18(火) 23:49:55 ID:W8t/5irl
>>550
> 事実世間の常識は
> 三成=豊臣の忠臣
> 秀秋=裏切り者
> だろ。

どこの世間だか。大体三成の評価と秀秋の評価もセットじゃないし。
そういうのが「偏ってる」って言うんだよ。
559人間七七四年:2009/08/18(火) 23:53:13 ID:9ISQgmqE
東西のバランサーみたいなことやったのって…

     <丶`∀´> ←こんなのと一緒なんだぜ?
560人間七七四年:2009/08/18(火) 23:54:25 ID:Ndrhqho2
>>557
>秀秋の苦悩は理解してあげるべきじゃないか

それは理解するが、このスレの秀秋擁護は
異常なんだよな。

しまいには裏切ってないとかまで言い出す始末。
どこまで捻じ曲げるのか。
561人間七七四年:2009/08/18(火) 23:54:33 ID:W8t/5irl
>>559
お前がそいつが、バランサーやっていると信じているのが驚き。
562人間七七四年:2009/08/18(火) 23:55:18 ID:rczTMb9I
>>560
お前の西軍信仰が異常なだけだよ
563人間七七四年:2009/08/18(火) 23:58:56 ID:Ndrhqho2
>>562
なんだそのアホなレッテル張り?

反論できない馬鹿は黙ってろよ。

564人間七七四年:2009/08/19(水) 00:02:06 ID:alxrK7ck
>>561
バーカ
バランサー気取りで東西フラフラしてるのが一緒なんだよ
565人間七七四年:2009/08/19(水) 00:14:31 ID:q5uy5ZHI
アホとか馬鹿とか小学生レベルの書き込みばっかりだな。
566人間七七四年:2009/08/19(水) 00:16:35 ID:dwXHpgD7
秀秋を裏切りモノと言うが、返忠と当時言われてるんだが
何をもって裏切りと断ずるのか聞きたいね
伏見以来、伊勢侵攻に参加せず、松尾山城を占拠してるのを、いきなり裏切ったというのはどうかと思うが
567人間七七四年:2009/08/19(水) 00:27:49 ID:7pZEeGV4
>>566


西軍として参加しておきながら、
東軍についたと宣言もせずに背後から西軍に攻撃をかけたことに対して、
いきなり裏切ったと判断するのは至極当たり前だと思うが。

どんなに好意的に解釈しても裏切りでない
と判断するのは無理がある。

いまさらだと思うが。
568人間七七四年:2009/08/19(水) 00:30:56 ID:q5uy5ZHI
負け組みに付くのは家臣団に対しての裏切り。秀秋の判断は至極真っ当だな。
569人間七七四年:2009/08/19(水) 00:36:41 ID:dwXHpgD7
>>567
西軍についた、東軍についたと宣言してる大名いるのか?
みな行動で示してるが
570人間七七四年:2009/08/19(水) 00:38:00 ID:dwXHpgD7
あ、ついでに背後から西軍に攻撃も詳しく説明してね
571人間七七四年:2009/08/19(水) 00:45:49 ID:7pZEeGV4
>>569
秀秋は西軍として行動を示していたが。
西軍と思われてもしょうがないだろう。

事実、皆そう思っていたわけだろう。
秀秋は裏切り者として名を残しているわけだし。
つまり当時から裏切った武将として見られていたわけだろう。
それを今更裏切り者ではないという理由をこじつけるのは
無理があるだろう。
572人間七七四年:2009/08/19(水) 00:46:10 ID:4pJbEAt/
つーか、息子を立てて家康の北伐軍参加も表明していたのに、それを「裏切って」、
その家康の「背後から」攻撃しようとした三成…。
573人間七七四年:2009/08/19(水) 01:04:25 ID:7pZEeGV4
>>572
まあ、その三成と一緒に伏見城攻めたんだけどな。秀秋
574人間七七四年:2009/08/19(水) 01:19:01 ID:7pZEeGV4
あえて秀秋に理があるとすれば>>568
の点だろうな。家臣団のため

ただすぐに断絶しているから結果的に正しかった
と言いきってよいのかどうかもわからんが。

575人間七七四年:2009/08/19(水) 01:46:53 ID:dwXHpgD7
>>571
おいおい、答えになったないぞ
行動で示したというなら、伏見攻め以後、一貫として西軍の指示守ってないし、家康に詫状送ってるし、
東軍から軍監招き入れてるし、伊藤盛正追い出して松尾山城を占拠してるんだけど

思っていたとは、具体的に何のどの史料にあるわけ?
秀秋が裏切り者として名を残したともあるし、史料名でお願いね
確認出来るから
576人間七七四年:2009/08/19(水) 02:12:01 ID:7pZEeGV4
>>575
影で内通している話など言われてもな・・
内通していようが表向きは西軍として行動していたことに変わりはない。

そもそも秀秋が裏切ってないという資料が知りたいものだが。
秀秋が裏切りでないという珍説は聞いたことない。
577人間七七四年:2009/08/19(水) 02:14:58 ID:4pJbEAt/
>>576
いいからお前は他人に求める前に自分の説を補完する資料を出せ
578人間七七四年:2009/08/19(水) 02:15:21 ID:HIgfqx1p
質問に答えず質問で返すのは厨の証拠。
つか小早川秀秋を裏切り者と評した史料はないよな、当然ながら。
あったら是非知りたいものだ。
579人間七七四年:2009/08/19(水) 02:17:00 ID:4pJbEAt/
つーか、同時代の人には、むしろ秀秋は「律儀」って評価をされているな。
580人間七七四年:2009/08/19(水) 02:23:10 ID:7pZEeGV4
結局裏切りでないという珍説を証明する資料がないと
いうことだろ。

秀秋が裏切ったというのは既に定説だろうに。
いくらなんでも稚拙な論理だけで定説を覆すのは
無理があるというものだ。

581人間七七四年:2009/08/19(水) 02:26:10 ID:4pJbEAt/
>>580
誰も君の思い込みなんか聞いてないから。
同時代の資料から、秀秋が裏切ったと評価しているものを出せ、といっている。
582人間七七四年:2009/08/19(水) 02:28:40 ID:7pZEeGV4
だから裏切ってないという資料だせよ。
何の根拠もないんだろ。
583人間七七四年:2009/08/19(水) 02:37:46 ID:HIgfqx1p
ないと言う証明=悪魔の証明。
普通はあると言う側が証明するのが常識。

そして史料から秀秋を裏切り者と評したのはない。
あるなら史料を言えばおk。


これでまだ史料答えられなかったら、放置でいいのでは?
584人間七七四年:2009/08/19(水) 02:43:24 ID:7pZEeGV4
とりあえず世間では秀秋というのは定説は
否定できんだろ。百科事典にすら出てるくらいだ。
大方の資料では秀秋の寝返り、裏切りとしている。

どうせ「その資料自体が間違っているんだよw」
と言いたいんだろうがならば、ならばそれを示す資料を出してくれよ。
どのみち出せないだろう。

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)
Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84/
585人間七七四年:2009/08/19(水) 02:45:08 ID:HIgfqx1p
百科辞典が史料と言うのに驚いた。
586人間七七四年:2009/08/19(水) 02:45:37 ID:4pJbEAt/
>>583
ですな。一生懸命調べて出してきたのがヤフー百科事典じゃ、話にならない。
587人間七七四年:2009/08/19(水) 02:51:22 ID:7pZEeGV4
出したのにこれかw
こっちがいくら出しても、
信じられないというのであれば話にならんだろ。


とりあえず珍説を主張するそっちが出せよ。
何も出せずになぜ勝手に勝利宣言してんだ?
何も出せないのになぜそんなに偉そうに出来るんだ?
不思議でならん。
588人間七七四年:2009/08/19(水) 02:55:22 ID:HIgfqx1p
百科辞典でなく国語辞典で史料を調べるといいよ。
百科辞典を史料と言うのかも、学校で聞いてきなさいw

定説と言うなら、最低限、どの史料から構築されてるか知ってるのが当たり前だから。
589人間七七四年:2009/08/19(水) 02:58:40 ID:7pZEeGV4
>>588
そういう自分はなにも史料がないんだろがw

あえていうなら脳内史料だけか。
590人間七七四年:2009/08/19(水) 03:05:41 ID:7pZEeGV4
あえて言うならこれか。
秀秋厨はどうせ脳内完結しているだろうから
何出しても無駄かな。
都合悪いところは見たくないだろうしな。


※「関ヶ原町史 通史編上巻・別巻」(関ヶ原町)
※「日本の戦史6 関ヶ原の役」(旧参謀本部編 徳間書店)
※「武将感状記」(熊沢正興編 人物往来社)
※「関ヶ原合戦資料集」(藤井治左衛門著 新人物往来社)
※「図説 関ヶ原の合戦」(白水正編 岐阜新聞社)
※「関ヶ原の合戦と美濃・飛騨」(岐阜県歴史資料保存協会)
※「封じ込められた宇喜多秀家とその一族」(浮田丈男著 文芸社)
※「関ヶ原合戦回顧 西美濃と大垣」(大垣市文化財保護協会)
※「西美濃の名将 稲葉一鉄略年譜」(大垣市文化財保護協会)
※「西美濃 わが街No.267 関ヶ原合戦始末記」(月刊西美濃わが街社)
※「図説 竹鼻の歴史」(竹鼻町史刊行委員会)
※「関ヶ原合戦」(藤井治左衛門著 関ヶ原町観光協会)
※「関ヶ原 名所古跡」(関ヶ原町歴史民俗資料館監修 関ヶ原町観光協会)
※「戦国人名事典」(新人物往来社)
※「織田信長家臣人名辞典」(谷口克広著 吉川弘文館)
※「日本城郭大系 9」(小和田哲男・岡本柳英・吉岡勲編 新人物往来社)
※「日本城郭大系 10」(村田修三・小玉道明・巽三郎編 新人物往来社)
※「戦国合戦大事典」(新人物往来社)
※「関ヶ原合戦」(二木謙一著 中公新書)
※「福島正則」(福尾猛市郎・藤本篤著 中公新書)
※「完全制覇 関ヶ原大合戦」(外川淳著 立風書房)
※「関ヶ原合戦四百年の謎」(笠谷和比古著 新人物往来社)
※「関ヶ原から大坂の陣へ」(小和田哲男著 新人物往来社)
※「京の墓碑めぐり」(竹村俊則著 京都新聞社)
※「石田三成のすべて」(安藤英男編 新人物往来社)
※「大谷刑部のすべて」(花ヶ前盛明編 新人物往来社)
※「直江兼続のすべて」(花ヶ前盛明編 新人物往来社)
※「真田昌幸のすべて」(小林計一郎編 新人物往来社)
※「別冊歴史読本 真田一族のすべて」(新人物往来社)
※「別冊歴史読本 戦況図録 関ヶ原大決戦」(新人物往来社)
※「別冊歴史読本 関ヶ原合戦 激闘と戦略」(新人物往来社)
※「歴史群像シリーズ 石田三成」(学習研究社)
※「歴史群像シリーズ 黒田如水」(学習研究社)
※「歴史群像シリーズ 決戦 関ヶ原」(学習研究社)
※「関ヶ原合戦写真集」(安藤英男著 新人物往来社)



さて、秀秋が裏切っていないという
新説の資料が見たいところだが。
591人間七七四年:2009/08/19(水) 03:10:20 ID:7pZEeGV4
そもそも
西軍に組していたにも関わらず
西軍に攻めてきたことに対し、
裏切りもしくは寝返りと言わず一体なんと
言うのか?

これが裏切りでないという人は
歴史の勉強の前にまず国語の勉強をした方がいいのでは
ないか。
592人間七七四年:2009/08/19(水) 03:11:09 ID:HIgfqx1p
※「日本城郭大系 9」(小和田哲男・岡本柳英・吉岡勲編 新人物往来社)
※「日本城郭大系 10」(村田修三・小玉道明・巽三郎編 新人物往来社)




へぇー、ちなみに何ページに秀秋が裏切り者とあるのかな?
593人間七七四年:2009/08/19(水) 03:14:56 ID:HIgfqx1p
※「日本の戦史6 関ヶ原の役」(旧参謀本部編 徳間書店)
※「関ヶ原合戦資料集」(藤井治左衛門著 新人物往来社)
※「関ヶ原合戦」(藤井治左衛門著 関ヶ原町観光協会)
※「関ヶ原合戦」(二木謙一著 中公新書)


ちなみに、同じ著書あるんだけどね。
これも何ページか答えてね。
手元にあるのですぐ確認出来るから。
594人間七七四年:2009/08/19(水) 03:15:48 ID:7pZEeGV4
>>592
どうでもいいことをあげつらって楽しいか?

595人間七七四年:2009/08/19(水) 03:20:00 ID:HIgfqx1p
どうでもいい?
書いてあると著書名出してきたから、何ページにあるのか確認したいんだけど?

「関ヶ原合戦史料集」なんか、特に史料が記載されてるからね。
自分の見てる限り、ないんだけどw

596人間七七四年:2009/08/19(水) 03:20:29 ID:7pZEeGV4
とりあえず史料言えばOKと言ったのはそっちだろう。
後は自分で調べろよ。
さすがに何から何まで面倒見切れん。

とりあえずそっちの新説を主張する史料は
何ももらってないんだがな。
やっぱり無いものは出せんよな。

折角の脳内妄想スレに水をさした俺が野暮だったか
ということかな?
空気読めてないのは俺の方だったのかもしれんが
597人間七七四年:2009/08/19(水) 03:25:13 ID:HIgfqx1p
史料だよ、史料。
君が挙げた著書は史料ではなく書籍。

そして自分が手持ちにあると挙げた書籍には秀秋を裏切り者と書かれてはない。

なので、君は単に書籍をコピペしただけ。
これが、どんなに言い訳しても覆せない事実。
598人間七七四年:2009/08/19(水) 03:29:31 ID:7pZEeGV4
余計な御世話だとは思うが
やはり君には歴史の前に国語の勉強が必要だと思う。
裏切りという言葉の意味を知らなければ、
確かに秀秋の行為に裏切りの痕跡が見当たるわけもない。

とりあえず裏切りの意味は
辞書ではこうなっている。

これでも秀秋が裏切りという行為をしていないと
言い張るのであればもはや何も言えん。

うらぎり 【裏切り】

うらぎること。内通。内応。

大辞林

うら‐ぎり【裏切り】

うらぎること。味方を捨てて敵方についたり、
約束・信義・期待に背いたりすること。「―者」「―行為」

大辞泉



599人間七七四年:2009/08/19(水) 03:34:00 ID:HIgfqx1p
いいよ、君がどんどん無知晒して、捏造してるのがよくわかるから。
嘘を嘘で塗り固めても信用度0だしね。
600人間七七四年:2009/08/19(水) 03:42:31 ID:7pZEeGV4
捏造っておいおいw

とりあえず上の流れを見るに
秀秋が西軍として行動・参加したことについては
君も認めてる訳だろ?

それなのにこそこそ東軍と内通したと思ったら、
今度は西軍に攻めてきているわけで。

これを裏切りと言わずなんというのかと思うんだが。


また、いったいどこがねつ造なのか?
おれの持論は何もないよ。
秀秋が上記の行動をとったことはお互い認めていたはずだが。
とりあえず被害妄想はやめようよ。
601人間七七四年:2009/08/19(水) 03:54:09 ID:HIgfqx1p
君が秀秋を裏切り者としてると挙げた書籍に、そうと書いてない。
これ、捏造以外何者でもないけどね。


秀秋は伏見以降は表向き去就不明、松尾山城占拠して明確に西軍とは決別。
だから三成らは関白の条件出して、慰留引き止め工作しながら、
大垣退去して関ヶ原に移動した。

これが「関ヶ原合戦史料集」や「日本の戦史6 関ヶ原の役」にある史料で書かれてる内容。

君が裏切りと評価するのは勝手だか、当時の人間は誰もそう評していない。

まぁこう書いても見たこともない書籍挙げて捏造するくらいだから、
話聞かないんだろうけどね。
602人間七七四年:2009/08/19(水) 04:14:25 ID:7pZEeGV4
やはり国語の勉強の問題だな。

まず、お互いが事実として認めていることを整理しよう。


秀秋は西軍として行動・参加  ← 事実
その後秀秋は東軍と内通    ← 事実
関ヶ原で西軍に攻めいる    ← 事実

上記は事実としてお互い認めているはず。

そして、これらの行為を国語辞書で調べると、
「裏切り」と出る。他にどう解釈すればいいのか。

後、ここは君の思い込みなんじゃないか?

>松尾山城占拠して明確に西軍とは決別。

明確に決別したとはどこに書いてある?
不審な態度ではあるがこの時点では明確に決別したとは
言い切れん。


最も、たとえこの時点で東軍についたとしても
裏切であることに変わりはないんだが。
603人間七七四年:2009/08/19(水) 04:24:59 ID:HIgfqx1p
卜斎記や黒田家記には書いてあるよ。
君の捏造と違い、「関ヶ原合戦史料集」にもあるのでどーぞ。


というか、捏造した件、否定しないんだねw
604人間七七四年:2009/08/19(水) 04:29:31 ID:HIgfqx1p
あ、それと秀秋の行為を裏切りとしてる史料名早くしてね。
何度も書くけど、捏造君の思い込みの価値観からの観点なんて、
何の証明にもならないからさ。
605人間七七四年:2009/08/19(水) 04:39:17 ID:7pZEeGV4
>>603
いや捏造も何も、君も周知の事実を元にしているだけだからな。
ねつ造の入る余地もないんだが。
勝手に妄想するのはやめてくれないかな。

それで、秀秋が裏切りってないと主張する根拠
はなんなんだ?

まさかこれなのか?

>尾山城占拠して明確に西軍とは決別。

尾山城占拠など、その時点で裏切った可能性が高い
と言えるに過ぎない。


秀秋は西軍として行動・参加  ← 事実
その後秀秋は東軍と内通    ← 事実
関ヶ原で西軍に攻めいる    ← 事実

これを満たしているだけで既に裏切り行為が成立していることを
理解しているか?
これは国語の問題だぞ。
606バロン曽志崎:2009/08/19(水) 04:41:50 ID:Afk7M5if
「舜旧記」慶長五年十五日条
美濃堺(境)、於柏原、(中略)、合戦之由、(中略)、大谷刑部少輔(大谷吉継)打死、
金吾(小早川秀秋)殿依叛逆也、

「時慶卿記」にも似たような記事があったかと。
607人間七七四年:2009/08/19(水) 04:46:12 ID:7pZEeGV4
いくら同じ資料を見たとしても
言葉の意味を知らないんじゃ
らちあかない。

とりあえず、
これを100回くらい読んでくれ。

これでも秀秋が裏切っていないといえるのであれば
俺はもう何も言えん。
日本語が理解できない相手ではどうしようもない。

 ↓

うらぎり 【裏切り】

うらぎること。内通。内応。

大辞林

うら‐ぎり【裏切り】

うらぎること。味方を捨てて敵方についたり、
約束・信義・期待に背いたりすること。「―者」「―行為」

大辞泉
608人間七七四年:2009/08/19(水) 04:48:15 ID:eFRvE4/O
うふふ
609人間七七四年:2009/08/19(水) 04:48:33 ID:7pZEeGV4
秀秋を見直したいという気持ちはわかる。
しかしな、それも限度というものがある。

俺は、同情の余地があるというところまでは
認められるけど、流石に裏切りをしていなかったと
まで思いこむのは無理だわ。
610人間七七四年:2009/08/19(水) 04:52:29 ID:HIgfqx1p
同じ史料って、見てない捏造君に言われてもね。
秀秋は伏見以降の西軍の軍事行動に参加拒否ってるのは無視?
伊勢攻めへの参加を拒否してるんだけど。
611人間七七四年:2009/08/19(水) 05:07:34 ID:7pZEeGV4
>>610
秀秋の不可解な行動をいくら上げてもしょうがないと思うんだが。
ますます秀秋の優柔不断をさらすだけだろう。
秀秋の擁護になってないぞ。
612人間七七四年:2009/08/19(水) 07:14:48 ID:q5uy5ZHI
>>611
そっちは不可解の一言で済ますのかよw
613人間七七四年:2009/08/19(水) 07:58:03 ID:k5c9eJIj
秀秋に言わせれば表返った話
614人間七七四年:2009/08/19(水) 19:38:39 ID:Ceu/WGB2
不可解じゃないよねぇ
伏見城攻略の後は家康への詫びや黒田長政との交渉など、
はっきり東軍に擦り寄ってる

西軍への参加自体が意図したことではなかったから、当然と言えば当然だよね
優柔不断ではないよ、不可解でもない
615人間七七四年:2009/08/19(水) 20:17:13 ID:vGFs3VMv
あれだけ要求していた史料が
>>606で出てきている以上、
この話は既に結論出てるんじゃないか?

もう認めたら。
616人間七七四年:2009/08/19(水) 20:20:31 ID:JBpf+gpc
秀秋が西軍に積極的に関与して行動していながら
東軍に鞍替えしたなら裏切り者としてたたいてもいいと思うけど
実際は、脅迫まがいの方法で西軍に参加させられたわけだし
秀秋の行動は裏切ったといえばそうかもしれないのだが
そういった事をされても仕方のない方法で三成たちが兵を集めたのも悪いんだよな
617人間七七四年:2009/08/19(水) 20:51:01 ID:j7hqKSwU
家康にはかなわなかったんだよ 秀吉ですら手を焼いたんだから
618人間七七四年:2009/08/20(木) 02:17:10 ID:MF6b4lHI
西軍の将は、みんな三成に脅迫や行く手を阻まれ仕方なく西軍に参加したとかいう話だよね。
本当は東軍につきたかったのに。
三成は悪い奴だなぁw
619人間七七四年:2009/08/20(木) 04:10:44 ID:HZpYYTod
家康は秀吉の親戚であり秀頼の叔父であり五大老
対する三成には何もなく豊臣家に無用な内乱を引き起こした

豊臣家全体を考慮した結果東軍に付いたのはむしろ忠孝とも言える
620人間七七四年:2009/08/20(木) 12:06:51 ID:cm0I2cFH
三成ってスゲーな!
そこまで影響力があったんだぁー(棒読み)
621人間七七四年:2009/08/21(金) 23:43:52 ID:EHlSzfDl
弾劾状を作らせたり、士気はともかく軍を集めたりしているし
家康と戦う気がない奴がいくらいても誰も三成に正面から逆らえず内通という手段でしか反抗できなかったわけだから
三成が最早誰にも制御できない存在になってしまったのは確かだろうね
622人間七七四年:2009/08/22(土) 14:43:46 ID:lQrwAqcd
影響力があったから関が原の戦いが起きたんじゃないか
余り無知を晒すのは宜しくない
623人間七七四年:2009/08/22(土) 14:50:03 ID:HrVmvzs/
「影響力」の範囲をどうとるかによるな
624人間七七四年:2009/09/08(火) 14:05:46 ID:vDUa6wCw
毛利ってヘタレだよな。西の丸に入ったら落ち着いちゃって前線にこないんだから。
大将のいない戦ではね。
625人間七七四年:2009/09/08(火) 14:49:18 ID:aiKloSpN
某ドラマで、上杉の家来が三成をそそのかしたってやってました
626人間七七四年:2009/09/08(火) 16:21:27 ID:9ihNJIWS
最近だと本人は最初から東軍だったという説が有力になってるのか?
627人間七七四年:2009/09/08(火) 16:26:58 ID:CHKnariE
>>624
おっと! TERUの悪口はそこまでだ!
628人間七七四年:2009/09/08(火) 17:29:04 ID:nNQp/3Zz
>>626
どこを最初にするかで違ってくるがw
関ケ原布陣図で西軍に分類されているのには違和感を覚える
東軍寄りの中立(或いは東軍)だろう
松尾山を占拠した時点で、西軍からは離反している
629人間七七四年:2009/09/08(火) 18:26:42 ID:W3IMfEaD
>>624
ところが毛利は四国や九州の東軍領を思いっきり侵略してる
TERU元は意外に野心家
家康車ではやる気満々だし、むしろ家康は大坂城を離れたことで豊臣奉行衆
の離反を招いたことを考えれば、毛利本人は怖くて動けないんじゃないかな
630人間七七四年:2009/09/08(火) 18:39:22 ID:ZRgqCN4y
>>629
淀殿一派は明らかに東軍に通じていたしな。
631人間七七四年:2009/09/08(火) 18:53:30 ID:vDUa6wCw
>>629
蜜なりが候だったのかな。
大阪城起点に伊勢、伏見、大津、佐和山あたりを固めておけば大勝だったか。
632人間七七四年:2009/09/08(火) 18:56:55 ID:ZRgqCN4y
>>631
軍を分散させすぎ。逆に東軍にらくらくと畿内に侵入される。
633人間七七四年:2009/09/08(火) 19:35:27 ID:lQVD1p8X
畿内ねぇ
634人間七七四年:2009/09/09(水) 00:49:39 ID:+a8FbIu6
635人間七七四年:2009/09/09(水) 08:18:16 ID:Q1Xm/9FO
>>632
実際はもっと分散しちゃってるんだが。
大垣、伊勢、大津、大阪、田辺など。
636人間七七四年:2009/09/10(木) 20:12:29 ID:22tlNgW9
ねえ、秀秋は三成が関白にしてあげるって条件に惹かれて西軍についたっつわれてるけど、
五奉行の一人にすぎない三成が淀殿や他の奉行を無視し、
一度秀吉の養子になったとはいえ結局余所の養子に飛ばしたような奴を独断で関白にさせる事ができるの?
っていうか三成にそこまでの権限あるの?三成が勝手にやってるとしたら三成は家康の事非難できんでしょ

俺が秀秋だったらただでさえ恨みのある奴からそんな条件出されても疑う
関白なんて高い地位にさせてもらえるにしては総大将にもさせてもらえず西軍の指揮権も与えられてないしな
637人間七七四年:2009/09/10(木) 20:22:08 ID:MroECZfm
>>636
石田三成、小西行長、長束正家、大谷吉継、安国寺恵瓊の連名
638人間七七四年:2009/09/10(木) 20:27:13 ID:22tlNgW9
>>637
なるほど、秀秋を関白に推したのは三成だけじゃなかったと
じゃあ、秀秋にそこまでして関白に推す価値があったのか?
毛利に養子に飛ばしておいて?

まあ、秀吉の他の養子がいなくなった以上、
秀頼が大人になるまで関白を任せられる奴が一度養子になった秀秋しかなかったのかもしれんが
639人間七七四年:2009/09/10(木) 20:43:36 ID:MroECZfm
>>638
秀秋を西軍に押し留めようとする苦肉の策だったんじゃないの
他にも稲葉正成・平岡頼勝に十万石を与え、更に黄金を贈るともある
640人間七七四年:2009/09/10(木) 21:10:12 ID:mcTPnbxJ
つーか

> 石田三成、小西行長、長束正家、大谷吉継、安国寺恵瓊

こいつらに関白を約束されても、信用が一切無いよな。
秀頼のお墨付きがあるのならともかく。
641人間七七四年:2009/09/10(木) 21:14:12 ID:MroECZfm
>>640
前者四人は当時、関ヶ原にいた奉行人の重鎮全て、安国寺は毛利の名代という立場かと
宇喜多を抜かしているのは本人がへそをまげたのかな
642人間七七四年:2009/09/10(木) 22:11:14 ID:mcTPnbxJ
>>641
いやだから、所詮豊臣家の使用人に過ぎない奉行連中や外様の家臣が約束したからって、
豊臣家からのお墨付きなしに、当時豊臣家の家職と言っていい関白になれるなんて思わないでしょ。

つーかこれだけでも西軍の連中が、豊臣宗家の立場をどれだけ蔑ろにしていたかわかるというもの。
643人間七七四年:2009/09/10(木) 22:15:56 ID:MroECZfm
>>642
彼らとしては豊臣家の重臣として、主君が幼君であるので
代理執行人としての判断という体裁かと
無論、問題がないという気はないが
644人間七七四年:2009/09/10(木) 23:47:07 ID:22tlNgW9
>>639
いや、だからそれよそれ
秀秋一人を押しとどめるのに何故わざわざ関白職まで用意するのかって事
確かに味方が一人でも多ければいいのはわかるが、
関白職を与えてまでどうして秀秋を必要としたかって事
他の武将なんて人質とったりとか進路妨害したりとかそういう方法とってるのに

まあ、俺個人の考えとしては秀秋は関白職なんて信用してなかったように思えるけどね
何より豊臣に恨みがある立場だし
645人間七七四年:2009/09/11(金) 00:14:04 ID:TDV89lka
>>644
その書状を出したのは14日、つまり松尾山城を占拠した日
あそこを押さえられた衝撃は恐らく、家康着陣と同じ位かと
646人間七七四年:2009/09/11(金) 00:32:14 ID:HQMzKIDt
豊臣家に恨みがあったかどうかわからんが三成に対してはあるだろう
三成の諫言で領地を減らされているわけで
それを家康によって取り返してもらってるわけだから
豊臣VS家康なら豊臣についたと思うが
三成VS家康ならまちがいなく家康に付くだろう
647人間七七四年:2009/09/11(金) 00:38:29 ID:ZSwzemck
だいたい恩讐を超えて冷静に判断しても、家康が赤坂に旗印上げるまで、
家康軍の行動をまったく把握できなかったような、無能としか言いようが無い西軍首脳陣を、
信頼なんてできないだろうしな。
648人間七七四年:2009/09/11(金) 05:06:23 ID:nVwQ9voo
>>645
ちょちょちょ、それマジで!?
確か秀秋は西軍の武将を追っ払って松尾山を占拠したんだよな?
その後に関白のお誘いが来たってのか?

それじゃ通説とまったく逆じゃん
東軍に所属する武将を裏切らせようとしたって事になるじゃん
649人間七七四年:2009/09/11(金) 05:16:22 ID:nVwQ9voo
とはいえ、自分で言っててありえないって思えて来たな
敵を裏切らせるために関白のお誘いを出したって事は、
敵に所属する武将を関白にしようとしたって事になる
それがわからないほど西軍も三成もアホじゃあるまいて
650人間七七四年:2009/09/11(金) 07:43:51 ID:nYB1IGX7
>>647
それなら、上方での大蜂起を許し、小早川を拒絶して伏見城を落とされた
家康は…って話になるな。

>>649
でも実際そう指摘されてるからな。小早川軍の裏切りを牽制するために西軍
は関ヶ原へ移動したともいう。
651人間七七四年:2009/09/11(金) 09:02:17 ID:MpEb/MZu
空手形なんて何でもないからな。
空手形ではなくても、秀秋がそれを信じるかどうか。
あまり信じてはいなかったんじゃないか。
少しでも本気にしたのなら、「じゃあ、この戦いは俺の下知で動け」くらいの要求はしただろう。
三成らが断れば関白は嘘だとわかるからな。
652人間七七四年:2009/09/11(金) 09:02:44 ID:nVwQ9voo
>>650
小早川を拒絶したのは鳥居だぞ
島津も同じように拒絶されている
最も島津の場合は渋々西軍に移ったけどね
653人間七七四年:2009/09/11(金) 09:05:42 ID:nVwQ9voo
あ、そうそう、>>649の返事へのレスを忘れてた

小早川の裏切りを牽制するために西軍は関ヶ原にってのは小早川が西軍に所属してる事前提だろ?
俺が>>649で言ったのは、東軍に所属する武将を西軍に寝返らせるのに関白という餌を持ち出すのはあり得ないって事
654人間七七四年:2009/09/11(金) 11:20:48 ID:TDV89lka
>>653
それだけなりふり構わずということじゃないの
関白だけでなく重臣の加増や、秀秋自身にも播磨・筑前・筑後を与えると言ってるし
関白は知らんが、加増はなくもないかと
655人間七七四年:2009/09/11(金) 21:46:57 ID:3HFgqh7o
>>652
伏見城入城を拒絶したのは家康と鳥居の構想以上に西軍の規模が大きくなり、
敵ではないかと疑ったから。毛利勢に追い出された大坂城の徳川兵も追い返されてる。
656人間七七四年:2009/09/11(金) 23:59:03 ID:ZSwzemck
>>655
それは想像の範囲が大きすぎるような。
657人間七七四年:2009/09/12(土) 01:00:35 ID:it4o8NPW
伏見城は最初から落とされる予定だったというほうがありえない話だよ。
逸話ではそうなってるけど。
658人間七七四年:2009/09/12(土) 06:39:54 ID:zBaiUil1
そもそも本当に秀秋が西軍に属してたのかも最近じゃ怪しくなってるからな
自分の領地の周りが西軍武将に囲まれてるからはっきりと東軍に属する意思を表す事ができなかったために、
いつのまにか西軍に組み込まれてる可能性があるわけだし
西軍に属する武将は長宗我部のように無理に西軍に組み込まれた奴だって少なくないわけだしな
659人間七七四年:2009/09/12(土) 09:25:52 ID:SFPBnArf
小早川の陣には徳川家臣や家康とつながりの深い重臣がついてるからな。
ただ、西軍が優勢に戦ってしまったため、当日中盤まで動かなかったのは
史書に悪く書かれるように東軍にも悪い印象を与えてしまったんだろう。
660人間七七四年:2009/09/12(土) 10:30:09 ID:G5fEj6RR
>>659
> 当日中盤まで動かなかったのは

松尾山に陣取った時点で明確に東軍。
関ヶ原では小早川軍は開戦と同時に下山を始めている(でないと合戦に間に合わない)
661人間七七四年:2009/09/12(土) 11:31:56 ID:PDA4bMOb
>>660
山麓に部隊がいたんでしょ
662人間七七四年:2009/09/12(土) 13:31:13 ID:G5fEj6RR
>>661
軍隊行動って物を少しは理解しろ
663人間七七四年:2009/09/12(土) 13:45:18 ID:PDA4bMOb
>>662
普通の山城でも山麓と山上に分かれてるじゃない
664人間七七四年:2009/09/12(土) 13:56:09 ID:G5fEj6RR
>>663
> 普通の山城でも山麓と山上に分かれてるじゃない
山城と言うものは防衛に特化しており、山麓と山の上に分かれているのは
二段階での防衛のためだ。つまり、防衛のためだ。

小早川の場合、守備ではなく攻撃のための部隊な上、どういう戦況になるかはっきりしない段階で、
山麓に兵士を置いておく意味がない。即応性に問題が出るからだ。
秀秋の軍は状況がはっきりするまで、固まっておく必要があった。

だいたい小早川の軍の一部もしくは全部が松尾山の麓に陣を張っていたなんて記録は
一切存在しない。

「麓に〜」なんていうのは、秀秋がどうしても合戦中に裏切った事に「したい」人間の、
為の論、って奴だ。
665人間七七四年:2009/09/12(土) 14:06:43 ID:PDA4bMOb
>>664
攻撃の為なら尚更、即座に戦闘に加入できるように部隊を山麓に置くでしょう
南宮山でも先手の吉川は山麓の南宮大社にいたし、家康本隊も本陣は桃配山だけど、
部隊は街道上に展開している
本陣は見通しの良い山上に置くが、行動の自由を得る為に戦闘部隊は山麓に置くもの

藤堂高虎が小早川に緒戦で威嚇の鉄砲を打った所
山上から状況を聞きに来た使者が、山麓の部隊から来た使者と途中で会ったという
話はあるが
666人間七七四年:2009/09/12(土) 14:25:42 ID:G5fEj6RR
>>665
> 攻撃の為なら尚更、即座に戦闘に加入できるように部隊を山麓に置くでしょう

松尾山に滞陣した段階では、関ヶ原が戦場になるかどうかもわからないのに?w

たとえ小早川軍の一部もしくは全部が麓に移動したとしてもそれは、関ヶ原当日の
日が出てからだよ。それすら当日の霧で大いに難渋したであろう。
667人間七七四年:2009/09/12(土) 15:24:27 ID:kxp6PLdn
>>660
松尾新城占拠で東軍についたというのは同意だけど、開戦と同時に下山を始めてるってのは
初耳だけど、「じゃないと戦闘に間に合わない」以外にソースはあるの?
668人間七七四年:2009/09/12(土) 15:54:38 ID:G5fEj6RR
>>667
あくまで常識的な判断。

関ヶ原はその前日深夜の東軍の移動で急遽決まったような会戦、

小早川が西軍を攻撃するには、先ず松尾山周辺を索敵して、その上で作戦を立案し
各部隊に伝令、移動形態に備えを変更、そこからやっと移動、さらに下山してから
西軍に向けた備えを編成…、となる

軍隊行動なんて攻撃のための方向転換一つとっても1〜2時間かかる。
備えをきちんと形成しないと、ただの烏合の衆でしかないからだ。

小早川軍の人数を含め、それらを常識的な範疇で考えれば、小早川軍は
会戦した時間帯から移動を始めればだいたい、小早川軍の攻撃時間に間に合う、って事。

少なくとも「問鉄砲で知らせを受けて急遽」なんてのは話にならないのは確か。
669人間七七四年:2009/09/12(土) 17:01:57 ID:zBaiUil1
ここまで来ると戦国板じゃなくて軍事板のレベルだな
670人間七七四年:2009/09/12(土) 17:07:01 ID:a3kZNzs8
最初から東軍で迷いもしませんでした。
史料上の根拠はないけど、開戦と同時に動きました。
なのになぜか史書では裏切り者呼ばわりなんてひどいです。

・・・ってのもどうなんだろうな。問鉄砲なんてのは信じてないが、
なぜそういう逸話が挿入されるかというと小早川の動きがにぶかったのは
事実だったからだろう。
671人間七七四年:2009/09/12(土) 17:28:45 ID:G5fEj6RR
>>670
裏切と言うか、寝返ってはいるんだよ。
ただそれが合戦の真っ最中ではなく、その前日であったってだけの話で。

その前日の寝返り、と言う事実と、結果的に小早川軍がこの合戦のキーポイントを
握った事、あと関ヶ原合戦をドラマチックにしたいと言う後世の意識が、問鉄砲と言う伝承を
作ったのでしょ。

小早川家自体は取り潰されてて、どんな脚色をしようが文句を言われることが無いのも、
それを促進させた。(ここが前田家と大きく違うところだな)
672人間七七四年:2009/09/12(土) 18:03:17 ID:PDA4bMOb
問鉄砲はあったよ
673人間七七四年:2009/09/12(土) 19:29:56 ID:PDA4bMOb
>>666
秀秋が松尾山に入ったのは前日
674人間七七四年:2009/09/12(土) 20:13:49 ID:YnDo670w
西軍が関ヶ原に布陣したのも松尾山を占拠した小早川への対応と言われてるしね
675人間七七四年:2009/09/12(土) 20:31:41 ID:G5fEj6RR
関ヶ原のとき、東軍から小早川への射撃は二度あったらしい。

一回目は開戦時、藤堂隊よりの射撃。
「朝野旧聞褒藁」「濃州関原合戦答書」「一本関原軍記」「慶長記畧捗」などに見られる。
これは牽制、もしくは何らかの合図のためと思われる
この時の小早川陣の反応から高虎は
「秀秋心底疑処無」と言っている。

二回目は家康の命令で、福島正則隊から分派された20人ほどによる銃撃。
「黒田家譜」「関原物語」「関原記考」などにある。

これが後世言われる「問鉄砲」だが、おそらく進軍を早めろと言う合図であろう。

そして講談などでよくある、徳川の旗本からの問鉄砲なるものは、おそらく存在しなかった。
676人間七七四年:2009/09/12(土) 20:59:19 ID:YnDo670w
う〜ん・・
問鉄砲なるものがなかったというのと、開戦直後から西軍攻撃にかかった
ってのは別の話じゃないかな。
開戦と同時に動いたなんて史料はないからな。
東軍による鉄砲は攻める合図ってのはありえる話だけど。
677人間七七四年:2009/09/12(土) 22:35:17 ID:fOXlQT5v
>>671
三成が小山での家康みたいに「相手側に付きたければ行ってもいい」と言えばよかったんだよな
そうすれば秀秋も「家康に恩があるから」という理由で離脱して美談になる
だけど三成は度量が狭くて俺様に従え路線を取るから秀秋も内通せざるを得なくなるし
西軍も無理矢理に組み込まれた連中が不満を覚えて士気が低下し敗北する羽目になる
結局は三成の器量の狭さが全ての原因なんだよな
678人間七七四年:2009/09/13(日) 01:12:14 ID:MWOItsOO
そういう奇麗事が通じるかどうかだね。
挙兵時に三成がそう言えば小早川は家康のところへ行く・・なんてことが
できるかどうか。豊臣公儀の命令は「上杉を討て」から「徳川を討て」に
なってるわけで、上方にいながら「私は公儀の命に反してでも家康殿につ
きます」なんておおっぴらに宣言するのは難しかったと思うが。
679人間七七四年:2009/09/13(日) 11:57:11 ID:wvEif2f3
>豊臣公儀の命令は「上杉を討て」から「徳川を討て」になってるわけで

それは三成達が勝手に豊臣公儀を名乗っているだけで秀頼が直接命令したわけでもないからな
もちろん目の前でそう反論することは難しいだろうけど
自分達も豊臣の名を騙る一勢力に過ぎないという自覚を三成達も持つべきだったと思うよ
家康にだって秀吉本人から指名された大老筆頭として豊臣公儀を名乗る正当性は存在するのだから
680人間七七四年:2009/09/13(日) 16:52:06 ID:Rw0pJZ8A
>>670
動きが鈍かったから東軍からこいつは西軍に味方してるんじゃないのかって思われたのはあると思う
西軍からは一方的に仲間だと思われてるけど東軍と通じてるような妙な動きがあり、
東軍からは自分に味方するには中々行動に移そうとしない
結果両方から裏切り者扱いされるのは当然の結果ともいえるだろうけどね

小早川だって自分の領地が西軍武将に囲まれてるんだからうかつに動けなかったんだから、そこはしょうがないっちゃしょうがないが
681人間七七四年:2009/09/13(日) 16:54:01 ID:ExLf3VL0
「内府違いの条々」は三成が勝手に出したのではなく、豊臣奉行衆連署で出されている
から表面上は公的な家康弾劾状。これを勝手と言ってしまえば、家康への会津征伐の命
令も同じ。
682人間七七四年:2009/09/13(日) 17:09:11 ID:ExLf3VL0
>>664
ちなみに麓に陣を張ったというのは『寛政重修諸家譜』にある。
信ぴょう性はともかく。ただ、別にそうであっても無理はないと思う。
683人間七七四年:2009/09/13(日) 18:56:42 ID:D3rIz3S8
>>681
秀頼の名前がない以上正式とはいえない。

家康の会津征伐は秀頼からの親任の上、朝廷からも公認されていた。
三奉行だけの連署とはその重さが違いすぎる。
684人間七七四年:2009/09/14(月) 00:05:14 ID:kDRTLU9p
会津征伐を命じる書状にも秀頼の名前なんてないんじゃない?
重要文書はだいたい大老や奉行衆の連署だと思うが。いずれにしても
上方が抑えられてる以上、小早川が離反しづらい状況にあったのは確
かでしょう
685人間七七四年:2009/09/15(火) 17:48:06 ID:tbXo9r4c
秀頼が家康に与えたのは米
(淀殿)
上杉征伐に向かう家康に兵糧米を与えた事で、秀頼が征伐を認めた事になる訳。もし家康が負けても、陣中見舞なら秀頼の責任は問われない…三成が秀頼に責任は問わないだろうし☆

(米だったよね?…銭か?)
686人間七七四年:2009/09/16(水) 11:09:26 ID:3J3cllMN
会津征伐は豊臣公儀から離反した上杉を討つため豊臣家としての戦。
徳川家康はその総大将。秀頼が会津征伐軍に贈ったのも今で言う激励金で、
秀頼個人が出してるわけではなく、豊臣公儀として出している。
家康、毛利、宇喜多、前田みんな大坂を離れてるから、三奉行が豊臣公儀の
意思決定機関。彼らは当初、三成や大谷が密談してることもしっかり家康に
報告してるが、これは当然公的な仕事。
ところが、三成の挙兵に毛利や宇喜多も加担するとなると話は別で、奉行衆
は三成方についた。 「内府違いの条々」は三奉行の私的なものではなく、豊
臣公儀としての正式な檄文。「上杉征伐は家康が罪をでっち上げて行ったの
だからとりやめる。 討つべき逆賊は家康だ」という命令変更でもある。
会津征伐は正式な命令だが家康討伐は 勝手に出したものという論は成り立たない。
687人間七七四年:2009/09/16(水) 12:30:12 ID:CbcOPe67
>>686
軍事クーデターで首都を占拠した勢力の正当性をどう取るか、と言う問題じゃね?
688人間七七四年:2009/09/16(水) 15:03:14 ID:+CAkBN7N
そういうのはもう勝てば官軍でしょう
689人間七七四年:2009/09/16(水) 20:40:51 ID:HTZxs+xc
>>687
前政府の閣僚がクーデターした勢力に味方してるわけだからな。
北政所も宇喜多の戦勝祈願に同席してるし。
690人間七七四年:2009/09/17(木) 11:33:07 ID:7oEu+ngl
全然話変わるけど関ヶ原で秀秋配下の松野主馬が動かなかったって良く見るけど史実でもそうだったの?
691人間七七四年:2009/09/17(木) 12:05:07 ID:Cj7W0tiF
戦後に小早川家を離れてるから何かしらの反目があったんだろうけど、
関ヶ原の離脱を一次史料で確認できるのかどうか。。。
そのあと仕えた家も次々つぶしてしまってるけど。
692人間七七四年:2009/09/22(火) 01:12:19 ID:xMK/CjvP
小早川秀秋は武人としてはかなり優秀
内政も善政してるし
無能な奴があれだけの大軍指揮できるわけがない
早く死んだのも普通に毒殺だろう
前田利家、加藤清正とか家康と会ってからすぐ死ぬなんてタイミングが良すぎるとしかw

関ヶ原は毛利の無能ぶりが際立つなw
毛利と毛利の血筋でもある小早川が動いてれば圧勝してたし、政権も奪取できた
元就が天国で歯がゆかったに違いない
693人間七七四年:2009/09/22(火) 18:49:30 ID:Ng1E5iip
>>692
輝は西の○に入っておいて、すごすごと退散したのは何故?
694人間七七四年:2009/09/22(火) 20:10:57 ID:gC7gIed6
秀秋にすら嫌われる三成が悪い
695人間七七四年:2009/09/23(水) 00:28:08 ID:mloqRMv1
裏切ったんじゃない
表返ったんだ
696人間七七四年:2009/09/24(木) 13:40:03 ID:jdZiO9jE
>>692
あのじじいは愚痴ばっかいうから地獄で相当悔しがってただろうな
まあてめーの遺言のせいで積極性のない家になったから自業自得だわな 
畳の上で雪合戦して満足するような家にしちまったのさ
697人間七七四年:2009/09/25(金) 11:16:20 ID:+/ThTa+2
>>697
晴久乙
698人間七七四年:2009/09/26(土) 17:12:59 ID:zntc6VGI
関が原で最初は西軍が押してたなんて嘘だろうね
だから、たとえ小早川が見方についても負けてた。
勝つには奇襲しかなかった。
正攻法にこだわったアホな光成www
699人間七七四年:2009/09/26(土) 17:17:28 ID:f4hMG3HI
>>693
夜襲案も家康本隊が疲れていることが前提だけど、清州で丸一日休息しているから
そんなには疲れていないので、返り討ちにあいそう
700人間七七四年:2009/09/26(土) 17:22:55 ID:gKTVgodM
つーか西軍は、家康が旗印を立ててようやくその存在を確認したくらいなんだから、
東軍がどんな状態でいるかまるで把握出来ていなかった。
そんな状況で夜襲なんか出来るわけが無い。夜襲だって闇雲に攻めればいいって物じゃないからね。

所謂関ヶ原前夜の夜襲案って言うのは、島津が後世につくった創作だろう。
701人間七七四年:2009/09/26(土) 18:37:24 ID:5nkBeUsk
東軍が西軍の陣立てを全て見抜いてたかどうかも実際はわからんよ…
東軍側はいつでもいくらでも、資料を改竄して歴史を捏造する事が出来たんだから…実際、いろんなトコで軍記やら講釈やらが発生し中には史料として長く信じられてるモノもあるけど、大方は御用学者や就職活動浪人の作ったモノだし☆
702人間七七四年:2009/09/26(土) 21:23:11 ID:AbH11y99
おめーら金吾って言葉の響きがアホっぽいからぴったりと思ってるだろw?
703人間七七四年:2009/09/26(土) 21:53:25 ID:mFRQPbi6
謝れ!朝倉宗滴に謝れ!
704人間七七四年:2009/09/27(日) 05:40:12 ID:FD+F7yxy
>>702
三管領の一つ、畠山金吾家を馬鹿にする気か!?
705人間七七四年:2009/09/27(日) 13:00:09 ID:Afwdk8Nt
そもそも夜襲って効果あるんかいな。
講談やらでは定番ネタだけど。
706人間七七四年:2009/09/27(日) 13:21:20 ID:qfNz1O2k
>>705
相手の不意を突けば絶大な効果を挙げただろうな。
当時の暗闇の深さは現代とは比べようも無かった程、しかも、川や海などの近くでは山鳴り海鳴りで馬の足音が聴こえなくなるほど音が響き、近づいても気付かれにくかった。
そこへ不意を突いて攻め込むと、襲われた側は暗闇とそこに響く音への恐怖から心理的パニックに陥りやすくなり、時に同士討ちさえ引き起こす場合もあった。特に大軍は、仲間への安心感が逆に作用して大混乱に見舞われ、逃げる部隊に踏み殺される事も珍しくない

これらは、山奥でキャンプした事のある人なら近い経験をされていると思う…
707人間七七四年:2009/09/27(日) 22:40:12 ID:FD+F7yxy
>>706
失敗すりゃ命取りだけどな。
特に西軍のような、統率も取れていないわ索敵も下手だわって軍隊が、
やろうとして上手く行くものじゃない。

だいたいあの時期なら西軍の内実は、東軍に筒抜けだったはずで、
夜襲をやろうとすればたちどころに察知されただけだろう。
708人間七七四年:2009/09/30(水) 10:13:49 ID:yTb5qWpx
西軍が勝利してれば以後はもっと混沌としてたと思うな
家康の生死が重要である事にはかわらないが
709人間七七四年:2009/09/30(水) 12:42:18 ID:BttPouth
>>698
戦神義弘の助言聞いてれば良かったのになw
鎌倉時代から守護だった名門島津家に対する嫉妬がポッと出の三成あったとしてもおかしく無い。
710人間七七四年:2009/10/02(金) 23:17:55 ID:Y9rEeM/J
>>707
杭瀬川がヒントだろうね。左近や島津あたりがサクッと攻めてすぐ引けば成功しそうだ。
また、三成が大筒撃ち込んだらどうだったろうか。
711人間七七四年:2009/10/03(土) 00:24:04 ID:TmOiL+4O
>>710
> 左近や島津あたりがサクッと攻めてすぐ引けば成功しそうだ。
それじゃ夜襲にならない

> また、三成が大筒撃ち込んだらどうだったろうか。
めくら打ちかよ。
だいたい関ヶ原の三成の大筒は、ドラマや小説などでは、大筒ってだけでやたら過大評価されているが、
実際に威力を発揮したって記録は一個も無い。

現実には何の役にも立たなかったものと考えていい。
712人間七七四年:2009/10/03(土) 01:28:40 ID:tZVHyfnJ
>それじゃ夜襲にならない
は?

>現実には何の役にも立たなかったものと考えていい。
夜中に鉄球とんできたら混乱するだろ。

713人間七七四年:2009/10/03(土) 06:03:39 ID:mhfL7sYb
それがそんな有効的な戦術だったら歴史上で誰かしら使ってただろうな
君がコロンブスの卵を発見した可能性もあるが
714人間七七四年:2009/10/03(土) 07:08:38 ID:ld668ujB
>>713
大筒を野戦でっていう発想自体が当時としてはナンセンスかもだけど、特に馬なんかは暴れだしそう。
715人間七七四年:2009/10/03(土) 07:22:44 ID:6tg3Nub3
ただの鉄球だからね
殺傷というより驚かす方が目的だろうね
数十門纏めて射つならまた違うだろうけど
716人間七七四年:2009/10/03(土) 09:03:46 ID:rClvws2a
鎌倉時代なら有効だっただろう。
717人間七七四年:2009/10/04(日) 09:23:34 ID:1v9QLBHJ
夜襲してたらよかったぽい
718人間七七四年:2009/10/04(日) 11:45:35 ID:S6RuoUg7
「霹靂砲(へきれきほう)」だよ。
朝鮮の役で日本軍を混乱させた散弾砲。
三成隊が大砲でかなり時間稼ぎできたのはこれを使ったため。
719人間七七四年:2009/10/04(日) 14:25:45 ID:EyOoYpMF
>>718
> 三成隊が大砲でかなり時間稼ぎできた

そんな記録は一切存在しない。
720人間七七四年:2009/10/04(日) 15:01:51 ID:SRg9IeEl
>>718
そうなんだ。何倍もの敵を防いだ陰に新兵器あり、か。
721人間七七四年:2009/10/04(日) 15:33:39 ID:EyOoYpMF
1::効果的な戦術は模倣される

2:野戦における大砲使用は関ヶ原以後存在しない

1,2から得られる結論は、関ヶ原における三成の大砲使用は、効果的な戦術ではなかった。
722人間七七四年:2009/10/04(日) 17:47:19 ID:/8vZvTYf
>>721
1=2じゃないか?
逆にいえば、そんなに効果がないのならわざわざ持ってきて(城攻めに活用する
目的だった可能性もあるが)、野戦でいくつか配置する意味はないと思うが。
三成の陣は東軍の集中攻撃にさらされてたわけだから、十分粘ったといえると思う。
朝鮮の霹靂砲の可能性は笠谷和比古が指摘している。
723人間七七四年:2009/10/04(日) 18:00:52 ID:GkoqIPDw
>>722
兵力差は2倍で石田が守勢だから、それ程は特別ではないかと(健闘したとはいえるが)
野戦築城をしていたようだし
724人間七七四年:2009/10/05(月) 08:35:29 ID:LSzKhEEw
>>723
野戦築城といっても徹夜の突貫工事だから大したのはできないだろ
725人間七七四年:2009/10/05(月) 09:06:09 ID:1AQB1If1
それでもないより遥かにまし
726人間七七四年:2009/10/05(月) 10:49:50 ID:NYduEGeO
「関ヶ原の石田は大砲のおかげで〜」とか言っている奴には
「長篠は織田の鉄砲戦術で〜」って言っている連中と同じ臭いがする。

『新兵器』で『革命的』あるいは『画期的』な戦術を行ったから勝利、もしくは善戦したと言う、
ある種の革命的進歩主義史観w
727人間七七四年:2009/10/05(月) 10:55:25 ID:AB54OOsT
>>721
大阪の役でも長州征伐でも使用されてますが
728人間七七四年:2009/10/05(月) 10:56:50 ID:1AQB1If1
>>727
大阪役は攻城戦
長州征伐は何時の話だ
729人間七七四年:2009/10/05(月) 14:39:19 ID:MaxUJkL3
>>725
作って寝ないですぐ戦するリスクを考えればむしろマイナス。
730人間七七四年:2009/10/05(月) 14:40:22 ID:NYduEGeO
>>729
工兵というものの存在を知らないらしいな。
なげかわしい。
731人間七七四年:2009/10/05(月) 16:09:47 ID:4dybJRfC
>>726
大砲が全く役に立たなかったという根拠にもならないがな。
732人間七七四年:2009/10/05(月) 17:07:33 ID:siFOemfy
片倉に懸想したという話は有名だけど、
秀秋本人が最も寵愛した小姓は誰ですか?
733人間七七四年:2009/10/05(月) 18:13:33 ID:LSzKhEEw
>>730
石田にそんな余剰戦力があったとでも?
734人間七七四年:2009/10/05(月) 18:30:07 ID:1AQB1If1
戦国の軍隊なんて半分以上は非戦闘要員ですから
735人間七七四年:2009/10/05(月) 18:51:21 ID:NYduEGeO
>>733
軍役の事も理解してないのか…
736人間七七四年:2009/10/05(月) 22:03:42 ID:LSzKhEEw
>>735
工兵が関ヶ原当時から存在したという根拠は?
737人間七七四年:2009/10/05(月) 22:17:27 ID:1AQB1If1
黒鍬衆、金堀衆の存在が知られているが
738人間七七四年:2009/10/05(月) 23:11:22 ID:Hr9Vb8PL
秀秋 暗殺 キンタマ
739人間七七四年:2009/10/06(火) 00:44:57 ID:YCQ7ef3c
>>736
農村に賦課された雑役がどういうものかも知らんのか
740人間七七四年:2009/10/06(火) 02:37:06 ID:Z+EhRxl2
関が原前夜の状況からみて戦闘員も作業に参加したと考えるのが自然
741人間七七四年:2009/10/06(火) 10:48:44 ID:44PNh/LV
いつになったら秀秋の話に戻りますか?
742人間七七四年:2009/10/15(木) 00:21:47 ID:FqT2NqNe
みんな金ごネタ嫌いなのか?
743人間七七四年:2009/10/15(木) 02:53:11 ID:UBJAOeOZ
つーかもはや話題は出尽した感があるんじゃね?
このスレは十分役割を果たした。wikiの金吾も大分充実したよ。

こう言っちゃ可哀そうだが、今から100年経とうと金吾の評価が一般的に見直されて上がることは無い。

有能で忠臣であった三成とは決定的に違う(三成は江戸時代でさえ評価されてる)。
400年続いた無能、優柔不断、裏切り者の評価はこれからも未来永劫続く、それは歴史好きなら皆解っている事である。
(古今東西ユダであろうが、ブルータスであろうが裏切り者と烙印された者が許された試しなし)
744人間七七四年:2009/10/15(木) 03:06:49 ID:lJyHxuSm
尊氏は北朝や正成、光秀は信長、三成は家康の評価が下がれば相対的に評価されるかもしれんが
秀秋はいくら家康や三成の評価が下がっても評価が庶民的に上がる点はないもんな
745人間七七四年:2009/10/15(木) 12:22:17 ID:SEo8po3V
名将とか名君とかとは言うつもりはないな。
ただごく普通に鞍替えした、それだけ。
746人間七七四年:2009/10/15(木) 12:33:06 ID:4t8cFHUa
>>744
そのうち朝廷工作説やら南蛮陰謀説とかでてこないものか
747人間七七四年:2009/10/15(木) 12:52:39 ID:hqyuj7r3
>>744
> 尊氏は北朝や正成、光秀は信長、三成は家康の評価が下がれば相対的に評価されるかもしれんが
逆。そのへんは一方の評価が下がればもう一方の評価も下がる。
748人間七七四年:2009/10/15(木) 19:52:45 ID:UBJAOeOZ
おっおい、どうでも良いが尊氏が敵対したのは南朝だろうが…。
いつも思うが、お前ら本当に漫画やゲームの知識しかないカスだよな。
749人間七七四年:2009/10/15(木) 22:28:08 ID:4t8cFHUa
ゲームもってないけど
750人間七七四年:2009/10/16(金) 16:54:43 ID:QyDlM99L
単なるケアレスミスだろw
そもそも尊氏ってなんかゲーム出てんの?
751人間七七四年:2009/10/16(金) 17:41:45 ID:LZ4t60ww
>>750
知らん
752人間七七四年:2009/10/16(金) 18:10:01 ID:yhwImi4g
その昔、光栄かナムコあたりから出たよ>太平記のゲーム
753人間七七四年:2009/10/16(金) 19:55:58 ID:OEoDb4mq
尊氏は蒼き狼4にも出てたよ。70代の能力がひとつあれば優秀扱いされるバランスなのに、
政治・智謀が80代とチートクラスだが登場が遅くて使う機会はあまりない。
754人間七七四年:2009/10/17(土) 06:05:43 ID:G5XflZo1
>>750
取り敢えず本を読み、人の意図を読め…。
なんで太平記の漫画やゲームを勤しむヘビー奴が、北朝と南朝を間違える
と思うの?
戦国板でこのような(>>748)煽り文を見たら「戦国時代の」と言う枕が
ある事くらい読み取れよ、お前国語も出来てなかったろう?

尊氏が北朝なんてのは、三成が西軍っていうレベルの一般常識なんだよ。
ケアミスなんてレベルじゃない、完全に歴史の一般教養が欠落している証。

(※因みに尊氏が出る太平記のゲームは、NHK大河ドラマ「太平記」の影響
で当時ファミコンの次の次世代ゲーム機の一つとして注目を浴びたPCエン
ジンから出てはいる。又、漫画もさいとう・たかをの「太平記」などが出て
はいるが、当時NHKが大河ドラマに南北朝時代を題材にした事自体異例であ
った。天皇家に関わる重大事項が多いのでこの年代はメディアでも余り取り
扱われる事の少ない年代であり、過去においては皇国史観教育などで、尊氏
を逆賊として不当に扱っていた時代もある。南朝よりの「太平記」とは逆の
視点で書かれた古典に「梅松論」がある。)
755人間七七四年:2009/10/17(土) 06:07:57 ID:G5XflZo1
すいませんケヤミスしました!(笑)
756人間七七四年:2009/10/17(土) 09:14:43 ID:HMfKtPCo
ここ秀秋スレ
757人間七七四年:2009/10/17(土) 13:03:13 ID:HMfKtPCo
そういえば明日は命日だね
758人間七七四年:2009/10/22(木) 11:03:50 ID:W66Hu/lu
関ヶ原で秀秋は松尾山から関ヶ原に直接下りたふうに感じられるが、
そうでなく、裏手(こっちが大手のようだが)の聖蓮寺から妙応寺を経由して
山中に至るコースでないかと思う
759人間七七四年:2009/10/23(金) 00:53:26 ID:YPabc/3b
そっちのほうが自然だわな
760人間七七四年:2009/10/24(土) 14:18:05 ID:uu3VkzIx
>>758
そうなのか・・・
北へまっすぐ降りれば1.2km
その経路だと3.5kmもあるが、
北に布陣している脇坂等の寝返り部隊と衝突しないようにしたんだろうか。
761人間七七四年:2009/10/24(土) 15:06:52 ID:IyYDo8TE
直接関ヶ原にでると、大谷吉継本隊が阻止できなくなる
762人間七七四年:2009/10/25(日) 00:44:26 ID:8wkQtSjh
まさに横腹をついたんだね
763人間七七四年:2009/10/28(水) 07:49:43 ID:Cx9ZyyT4
金吾の陣羽織は格好いいよな。
764人間七七四年:2009/10/29(木) 17:00:05 ID:W+jaV+kt
生涯無敗、勇猛果敢な金吾
765人間七七四年:2009/10/29(木) 18:19:27 ID:kjoeLPrb
しかし人には恵まれなかったな。
766人間七七四年:2009/10/30(金) 09:33:01 ID:lKEdaXhG
>>765
生まれるのがあと20年早ければ天下人だった。
767人間七七四年:2009/10/30(金) 22:49:40 ID:53edxlF7
流石にそれはないなw

長生きしてればなにか成し遂げそうだと思うが
768人間七七四年:2009/10/30(金) 23:04:14 ID:PcM/kFvS
実際に秀秋は「律儀な人」(本多正信の秀秋評)ってことで、関ヶ原後も、家康を始めとした
幕府関係者から信頼されていたらしい。
返す返すも後嗣の無いまま死んだのが悔やまれる。
769人間七七四年:2009/10/31(土) 11:02:24 ID:SJNs7DiG
>>768
当時の21歳は子供いてもおかしくない年だよね、奥方は居たんだっけ?
770人間七七四年:2009/10/31(土) 13:49:29 ID:FllgryvG
>>768
朝鮮での活躍から、相当の評価を得ていたに違いない。
でなきゃ、大谷軍を瞬時に敗退させたりできないよな。
771人間七七四年:2009/10/31(土) 16:11:00 ID:eEBSJYnP
瞬時!?
772人間七七四年:2009/10/31(土) 19:02:04 ID:JNuwOpsf
上3人の兄貴はみんな長生きなのに下3人は短命なのが面白いよね
773人間七七四年:2009/11/01(日) 11:17:16 ID:00cquKNL
秀吉死後の徳川は絶対暗殺をやりまわってる。
小早川も暗殺だろう。
生きていたらとんでもなく厄介な人物。
774人間七七四年:2009/11/01(日) 11:50:31 ID:ClQDo+SD
>>773
佐和山を1日で落とすんだから強すぎたよね。
775人間七七四年:2009/11/01(日) 22:45:56 ID:c9jxKR7S
能が上手かったそうやね…三原で婚儀が開かれた際に婿なのに能を演じてしかも評価されたらしい…

つまり才能はあるが小心で律儀で経験を積む事で若くして評価されていった文武両道のナンチャッテ天才…だったんだろうな☆しかも太閤の身内…二条城の秀頼と同じく恐れられたとしてもあまり驚かない…
776人間七七四年:2009/11/04(水) 14:31:24 ID:aTGjmDEl
>>775
文武両道、土木の才能もあるパーフェクトなお方。
777人間七七四年:2009/11/05(木) 12:34:39 ID:58WvKa6H
スリーセブンなら今日はハッピー
778人間七七四年:2009/11/09(月) 13:47:33 ID:Gy0Jr9FG
>>773
暗殺されたんじゃ
779人間七七四年:2009/11/09(月) 13:56:11 ID:HQJ9NvdX
ここの人は小説関ヶ原の秀秋が好きそうだな。
780人間七七四年:2009/11/10(火) 10:50:31 ID:VIOGReSL
秀秋が松尾山に登っても誰も文句が言えなかったんだね。
781人間七七四年:2009/11/10(火) 21:18:30 ID:49xZdPk8
伊藤盛正は3万4千石の小大名だからなあ、文句を言ったとて相手にされんだろうな。
782人間七七四年:2009/11/13(金) 22:19:35 ID:vKRN3IVC
何だかんだ言っても、しっかり1万5千の軍勢を揃えたしな。当時の所領だけでコレだけ揃えるのは簡単じゃ無かったろう…家老重臣たちもそれを達成出来る力があったんだし。
しかも小早川旧臣の大方は隆景を慕って三原に帰ってるから、秀秋時代はほぼ秀秋派と豊臣家の連中でやってるんだよな…
783人間七七四年:2009/11/14(土) 02:53:04 ID:U0W/XTJH
偉大な父をもラクに超えてた
784人間七七四年:2009/11/14(土) 04:25:56 ID:58kgpTY2
ああ、木下の名を一時の空白があるとはいえ、江戸時代が終わるまで豊後日出の木下延俊を祖とする日出藩と共に、備中の足守にて保つ事となった足守藩初代藩主の木下家定は偉大だな。
785人間七七四年:2009/11/16(月) 11:59:01 ID:ks2ESKxE
>>781
伊藤はともかく、石田や宇喜多もね。
本来らあそこにいるべきは石田では?
786人間七七四年:2009/11/23(月) 10:47:12 ID:qrsoun6Q
秀秋と隆景の仲ってどうだったの?
787人間七七四年:2009/11/26(木) 10:35:20 ID:e5dRiRIX
>>786
愛人関係
788人間七七四年:2009/12/02(水) 22:35:15 ID:Lay/WCN3
裏切りなのかな、実際。
789人間七七四年:2009/12/03(木) 17:51:45 ID:dqjP58/4
>>786
どちらかと言うと隆景の方が避けてる部分はあるカモ…と言っても別に嫌ってた訳ではなく、腫れ物に触る心境だったんだろうな…豊臣家からも家臣団が来てるし、自身の健康問題もあったし。
小早川家臣団も、秀秋を嫌うよりは隆景を慕って三原に引き上げた感が強い…。もっとも、家臣団同士はかなり険悪だったらしいが…
790人間七七四年:2009/12/03(木) 18:17:29 ID:dqjP58/4
>>788
西軍から見れば裏切り
東軍から見れば当然の結果

秀吉の養子だったとは言え小早川家に出された時点で豊臣一門とは言えないんじゃないかな…
高台院も実質東軍寄りだし元々上杉征伐軍に参加する予定だったんだし…
791人間七七四年:2009/12/07(月) 11:52:07 ID:8colpQ27
・秀秋が関ヶ原の前日に陣地にいなかった


・三成とちゃんと話し合ってなくて松尾山に勝手にさっさと陣地とった


って本当ですか??
792人間七七四年:2009/12/07(月) 18:47:41 ID:RiS8lyk8
陣地…
→どうだろうね。さすがに考えにくいな…恐らく誰かがでっちあげたんじゃね?…事実だったとしても、主君が陣を離れるのを止めなかったか見逃したかをした家臣の方に問題ありそう…

松尾山…
もし実際に1万5千率いてたとすれば、数字で戦をしてる三成がぞんざいに扱うとは思えない…三成と打ち合わせ済みだったと考えるべきでは?
もちろん東軍と話をつけてあったかどうかは別問題…たぶんつけていたカモね☆
793人間七七四年:2009/12/07(月) 22:13:44 ID:9+8SWsBl
最近は高台院ねねが東軍支持だったってのは怪しいと言われてるからなあ
秀秋の兄弟たちも半分は西軍に荷担してるし
794人間七七四年:2009/12/08(火) 00:22:26 ID:xG+fsIoK
兄弟なせいで仲が悪い場合もあるのでなんとも
795人間七七四年:2009/12/09(水) 13:39:22 ID:EfX4saSU
>>794
真田みたいな分かれかたもある。
796人間七七四年:2009/12/09(水) 21:59:34 ID:TupmaKkU
戦場においては勇気も知略もあり
同世代では優秀な武将だったけど
自分の立場(豊臣政権あっての秀秋)や裏切り(と見られる行為)の影響
を考えることはできず、家康に利用されたお坊ちゃんてことなのかな
裏切りをして末路がよかった人物は少ないからなあ
797人間七七四年:2009/12/09(水) 22:32:28 ID:EfX4saSU
>>796
それは福島らにもいえるよね。自分が何処に立っているのかわかっていなかった。
798人間七七四年:2009/12/10(木) 02:32:47 ID:vj95kYP0
別に末路が悪かったわけじゃないんだが?
単純に跡継ぎがいないときに病死しただけで。
生きてれば大大名のままだった。
799人間七七四年:2009/12/10(木) 16:14:30 ID:vO+jVi0R
福島だって実際は本多正純の失脚に巻き込まれたんだしな。
何でも裏切りの報いにするのはただのオカルト。
800人間七七四年:2009/12/10(木) 22:16:48 ID:2XuRrmYo
>>799
かとチャンちは?
801人間七七四年:2009/12/10(木) 22:54:45 ID:vj95kYP0
>>800
どっちの加藤?
まあどっちにしても子や孫がロクデナシだった。
清正のところの孫なんか悪戯で幕府への謀反計画の書状作ったんだぜ?
救いようが無い馬鹿だ。
802奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/10(木) 22:59:37 ID:ZQhZLLhy
光泰と嘉明と清正を同列に語ってはいけない。
803人間七七四年:2009/12/11(金) 00:55:35 ID:c6dnWJ4L
加藤光泰が死なずに生きてりゃ関ヶ原では60過ぎか。甲斐24万石を有する歴戦の光泰はどうなってた事やら。


因縁付けられるのが浅野から加藤に変わるだけな気がしないでもないが。
804人間七七四年:2009/12/11(金) 01:54:46 ID:VzUEHzQ0
死後に家が断絶し、金玉けりつぶされて死んだだの
三成見に行って逃げ出しただの家康に脅されてやっと動き出しただの
400年たってもへタレ評価しかされないんだから
名と家を重んじる戦国価値観からみれば終わりはよくないだろう
805人間七七四年:2009/12/11(金) 10:55:52 ID:OQ8M4jqQ
>金玉けりつぶされて死んだだの
>三成見に行って逃げ出しただの
>家康に脅されてやっと動き出しただの

それが本当の話ならね
ちょうど「巨人はロッテより弱い」並に捏造されたのじゃなければね
806人間七七四年:2009/12/11(金) 20:37:43 ID:cBqAkqSd
>>804
> 金玉けりつぶされて死んだだの
> 三成見に行って逃げ出しただの家康に脅されてやっと動き出しただの

同時代の資料にはどれも一切存在しない。

小早川家と言うものが消滅して、何を言ってもその家、子孫からの制裁が無い、
と言う状況の中で作られた話に過ぎない。
807人間七七四年:2009/12/12(土) 16:34:49 ID:BEYnRD3W
そういや昔、小早川って名前のプロ野球選手がいたけど、あれ子孫かね?
808人間七七四年:2009/12/12(土) 17:58:07 ID:DwFBCdhh
明治になって再興された小早川氏じゃないかな?
809奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/12(土) 18:50:23 ID:H2EZwJRM
小早川毅彦は隆景や秀包、秀秋の血を男系で引いている可能性はゼロ。
小早川氏の庶流は沼田・竹原の両家督を隆景が継いでしまっており、
明治以降に小早川を名乗る家は正当な家督の継承者ではないし、
家督が認められる家は毛利一党から小早川三郎男爵家が名跡のみで再興したもののみ。

ややこしいけど三原の小早川さんは維新後の後追いしかいないんじゃないのかなあ。
810人間七七四年:2009/12/12(土) 19:31:32 ID:vvQezSEn
ふむふむ。
811人間七七四年:2009/12/13(日) 17:43:27 ID:NLD4zj7R
>>809
秀秋に関してはゼロと言うには早計過ぎる。
一応、土肥秀行という子がいたという伝説あり。
812奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/13(日) 18:59:02 ID:cqsxLX4f
念のためぐぐったら出てくるね>土肥秀行

庶子だし苗字土肥だしで、子孫が小早川の名跡を名乗っても家としては怪しまれまくりそう。
813人間七七四年:2009/12/18(金) 17:02:58 ID:6XXbNPBy
秀秋って強かったんでしょ?
814奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/18(金) 20:08:36 ID:/VJP60tm
ああ、最強と言ってもいいくらいに。
815人間七七四年:2009/12/19(土) 00:53:49 ID:Eu5Qg7ei
生涯無敗
816人間七七四年:2009/12/22(火) 16:04:39 ID:hhpfYZVN
>>809
元ボクサーの竹原慎二氏の方が本当の小早川家に近いような気がする
817人間七七四年:2009/12/23(水) 08:44:06 ID:sc5rCLb/
>>813
もはや秀秋の世代じゃあ、いくさ上手は時代遅れだよ。
例えば毛利勝永なんて稀代のいくさ上手だと思うけど、殆ど知られちゃ居ない。
逆にいくさ場ではイマイチな印象がある藤堂高虎のような者が武名を馳せる時代に成ってたんだよな。
818人間七七四年:2009/12/23(水) 15:08:25 ID:ISFABsmi
い、イマイチ……?
元は槍働きで出世した武将じゃないか、根白坂とか。
819奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/12/23(水) 18:41:44 ID:mW3p9W42
小早川秀秋常勝神将
820人間七七四年:2009/12/24(木) 04:22:47 ID:fb8jX8sK
高虎の槍働きはそこまで目立つ方じゃないだろ
家中に何人かいる豪の者程度
軍略も後年になって多少がんばっている程度
821人間七七四年:2009/12/24(木) 11:50:49 ID:7n08DeTz
藤堂家はやられ役だから
822人間七七四年:2009/12/24(木) 12:22:03 ID:Debm9dKV
>>806
そんな風説がおおっぴらにまかり通るような状況になる事自体
武士にとって壊滅的損害じゃないの?
823人間七七四年:2009/12/25(金) 12:06:00 ID:TtScnEBK
>>822
だからなに?
秀秋も秀秋の血統も存在しなくなった後で生まれた話なのに。
824人間七七四年:2009/12/26(土) 19:00:18 ID:3JzuTXul
>>820
生涯の前半期は滅んだ主君についていたからじゃないの?
825人間七七四年:2010/01/15(金) 10:02:11 ID:twhVEZa1
>>823
血は残らなくても名は残せるという事を悪い方向で証明してみせたな
826人間七七四年:2010/01/19(火) 02:33:02 ID:tYIxeObA
とある西軍武将て誰かな?金吾の子孫かわいそす

601 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 12:16:42
関が原法要の記事かなんかで、とある西軍武将の子孫が威張ってて
小早川の子孫を見下してたことが心底キモイと思った
たかが子孫ってだけで何なんだか
827人間七七四年:2010/01/19(火) 12:30:42 ID:q0s3Sfld
金吾の子孫?断絶された小早川家に子孫?

ググってみたが、
明治になって毛利家から再興した家と
側室腹の子が木下家に仕えたっていう異説レベルの話しか見当たらないが

その法要とやらに出ていた子孫って何者だ?
828人間七七四年:2010/01/20(水) 22:15:58 ID:YS4AajJ0
>>826
胡散臭い話し吹いてんじゃねーよ
829人間七七四年:2010/01/28(木) 02:08:07 ID:pJZzHBYz
秀秋は亡くなった後、火葬されたらしいんだけど
この時代に火葬されるって、遺体が相当酷い状況だったって事か?

それとも他に何か理由があるのか…
830人間七七四年:2010/01/30(土) 22:02:08 ID:henROq6k
>>829
昔はそれを毒殺or自害の根拠にしてたんだよな…
831人間七七四年:2010/02/20(土) 23:40:52 ID:sPWc0iwg
>>829
遺骨がいまも残ってるなら、DNA鑑定とかすれば死因が分かるんじゃない?

一般人が出来るのか分からないけど。
832人間七七四年:2010/02/25(木) 06:51:06 ID:XiO6diCM
金吾って火葬だったの?!!ショック。
…相変わらず悲劇すぎる。

金吾についてずっとずっと気になっていたことが…。
彼には“辞世の句”というものは無いのか?
あくまでイメージだが、もしも辞世の句らしきものが全くない、ということになると
数ある死因の説の中で「自殺」が有力にならんでもない気がする…

自殺して去る世界なんて、遺す言葉もないだろう。
833月孔雀:2010/02/25(木) 21:40:54 ID:oj/IbesT
北の政所さんを慰めた家康。

秀秋(←そんな名前でないだろ!)の養母は、ねねさん。
家康につくのは、当たり前。

淀君VS北の政所 これが、関が原の戦い。
834人間七七四年:2010/02/25(木) 23:59:04 ID:bVffUz1T
山口宗永・稲葉正成・平岡頼勝・松野重元・杉原重政、
大名が務まるような家老が5人もいて平岡以外とは折り合い悪いってどんな主君だよ
835人間七七四年:2010/02/26(金) 04:45:54 ID:vTXMMa2x
>>833
いつの時代からやってきたんですか?
加藤福島ら豊臣家臣より三成のほうが北政所と懇意だったわけだが
836人間七七四年:2010/03/04(木) 03:40:18 ID:4n3AvcBD
>>834
だからだろ?

若いボンボン社長&IT系若造たち(=豊臣系家臣)と生抜き実力派取締役たちのウマが合う訳が無い。
本来、それを取り持つのが養父隆景の責務なんだけど押し付け婿養子&豊臣からの目付役が押し寄せりゃ…しかもくたばっちゃうし。
837人間七七四年:2010/03/04(木) 03:45:38 ID:4n3AvcBD
>>835
ねねと親しかった…と言うより、茶々と親しくなかった…と言うべきなのカモね
838人間七七四年:2010/03/04(木) 09:43:19 ID:/Kt5K9VO
>>832
それは自分も気になっていた。
確か、秀吉がまだ存命している時に出席した茶会で披露した句が二句残っているが
それ以外、彼の句は見た事がないなぁ…(調査不足なだけかもしれないが)

ちなみに木下家の系図によると
「鷹狩りに出掛け夕刻に帰ってきた後、突然気分が悪いと臥し次の日の夜に亡くなった」
と、書いてある。

この系図が一次資料と言えるのかどうか分からないが、本当なら酒の飲み過ぎや精神的なもので
体はボロボロだったのかもしれん。
839人間七七四年:2010/03/05(金) 09:21:44 ID:nmCxKf4v
>>838
やっぱりすか!うーん、知りたい……
一金吾ファンとして、気にせずにはいられん問題だな。

ちなみに茶会で披露した句、ってどんなの??
メモりたい。

840人間七七四年:2010/03/06(土) 13:33:01 ID:idtBQgp/
>>838
「鷹狩りに出かけ〜」がある木下家の系図の文章が載っているのって
『ねねと木下家文書』山陽出版社
という書籍でしたよね?
841838:2010/03/06(土) 23:13:36 ID:V5igS8hR
>>839
数年前に見たんですが、その当時はあまり興味がなくて手元に書き残したものがないんです…
お役に立てず、すいません。

でも確か桜について書いてあったと覚えています。


≫840
お察しの通り「ねねと木下家文書」です。
秀秋の書いた書状も数点記載されているので、秀秋ファンなら買って損はない書籍です。
842人間七七四年:2010/03/12(金) 05:18:27 ID:BOf/kgvT
>>840
その本調べたら、まだ自分が生まれてない年に発行されててビビりましたわw
欲しいなあ。
嗚呼…金吾ってこんな素敵なのに、何であんま注目されないんだろ。。。

そいや、金吾についても一つ聞きたいことが。
あの有名な鎌模様陣羽織って、誰かから貰ったものだって聞いたことがあるんだけど、
その“あげた人”って誰なんですかね??
秀吉・・・?
マユツバだが、宇喜多なんてのも聞いたことあるんだが…
843人間七七四年:2010/03/13(土) 21:12:44 ID:2ksWg9Ps
>>832
>>839
>>842
こいつ腐女子臭いな
844人間七七四年:2010/03/14(日) 12:16:55 ID:f1kN1zwi
>>837
往来や書簡交換も頻繁だったし、養女縁組してるくらいだから親しかったんじゃね?

茶茶が浅井家だから近江系武将に祭り上げられてたというのがよくあるヨタだけど
三成達近江人が旧主筋と見てたのは浅井じゃなくて京極だったらしいね
845人間七七四年:2010/03/23(火) 00:55:01 ID:sUpmCRPf
そりゃそうだ。北近江は京極、南近江は六角。
846人間七七四年:2010/03/25(木) 00:45:03 ID:Uxf9bCrU
現在の解釈じゃあ関ヶ原を”淀君VS北の政所”と見るのは時代遅れ。

淀君も北政所も与り知らぬ所で起こったというのが正しいだろう。
首謀者は石田三成をはじめとする文治派の五奉行で輝元、秀家の西国大名
ならびにキリシタンが加担したとの見方がある。

このスレでは何度も述べては居るが秀秋の立場で言えば、裏切りと言われる
筋合いはない。誰が敵で誰が味方か見定める時期は有っただろうが、秀秋が
裏切った言われるとすれば、養子先である小早川家に対してであって、秀秋
個人の立場で言えば、自身は豊家で有り毛利やましてや家来筋の五奉行等に
裏切られたなどとは言われる筋合いはない。

豊家が対徳川に動いたのは飽く迄も関ヶ原以降である。
847人間七七四年:2010/03/25(木) 01:40:29 ID:Uxf9bCrU
この人はやっぱ高貴な存在なんだよな。

輝元の上洛日記では秀吉と初めて謁見した時、秀吉は挨拶を済ませた後は
退席し饗応の席では秀吉の代わりに秀秋が上座に座り、家康や利家が一段
低い所で輝元を饗応してる。小早川に養子入りの際には輝元が態々出向き
舞を踊って饗応している。

関ヶ原の当時では家康も秀秋も豊臣朝臣であり、家康が豊臣の名乗りを止
めたのは関ヶ原以降、詰りは同族で石田三成などとは決定的に立場が違う。

例えばこの時(関ヶ原で)、西軍が勝ったとすればどうなったか?
恐らくは豊臣氏は1つに纏まるどころか分裂する事は目に見えてると思う。
家臣団でさえ羽柴氏下賜されてる毛利一族は可也の脅威であるし(福島や
清正はもとより蜂須賀、堀尾、黒田など股肱の臣まで下賜されず。関ヶ原
の後に喜々として福島や清正、池田などが名乗ってる)、宇喜多秀家などは
宇喜多を名乗る事も無く羽柴秀家か豊臣秀家を名乗って通していた我こそは
豊家の後継者くらいに思って居たかも知れない。

豊家正統の秀頼が未だ幼少で豊家自体盤石ではない状況下、他の豊家を担ぎ
上げ謀反を起こした家臣団(五奉行)がどれほど危険な存在かは一目瞭然。
敵の真っ只中を九州より全軍を持って進行し、関ヶ原にて華麗に一掃した秀
秋こそは真の義将にして古今無双の勇将だろうっと妄想してみた。

しかしそんな事は400年経っても誰も言ってくれない可哀想な金吾ちゃん…。
848人間七七四年:2010/04/06(火) 11:18:15 ID:Xl+mW0je
金吾は名将だお
849人間七七四年:2010/04/07(水) 11:58:25 ID:FnzP28ta
金吾ォ〜 金吾ォ〜
850人間七七四年:2010/04/07(水) 16:45:45 ID:6aELQQjl
>>847
お前自信が面白半分で書き込んでるんだから、他人が同調してくれるわけないだろ
851人間七七四年:2010/04/07(水) 21:14:27 ID:bts8naZ9
金吾という響きに、アホっぽさを感じてる連中が多いのがここ
852人間七七四年:2010/04/08(木) 00:24:31 ID:DJcCSu+q
中納言だからたいしたもんだよ
853人間七七四年:2010/04/09(金) 05:53:12 ID:FrjXGNeV
>>850
そういう言い方するなよ。
少なくとも自分はある程度同調してる。

“金吾が西軍についていたら、またも百年の混乱と激動が起こっていた”
実にありえる話だから、徳川が必死になって日の本を結んだんだ。

そのくらい、豊家家臣は団結力に欠けすぎていた。そう思う。
854人間七七四年:2010/04/09(金) 23:06:50 ID:h+XtEcEL
所詮カネでつないでた連中だから、金の切れ目が縁の切れ目だったんだろ
855人間七七四年:2010/04/17(土) 04:11:50 ID:CrWG054C
ちょっとは評価してやれよとは思う
朝鮮征伐では大活躍して秀吉に怒られたりさ
領地の統治は見事に若年のくせに活性化させて

関ヶ原では裏切ったとはいえ勝利に加担した

裏切ったとはいえ裏切られてもおかしくないことを
秀吉にされてるんだしさぁ・・・

失敗したところなんて一つもないぞ
856人間七七四年:2010/04/17(土) 09:50:55 ID:tIeHblr7
関ヶ原合戦の当初から東軍として行動すれば問題なかったのに
昼まで傍観していたのが両軍に悪感情を抱かせた
857人間七七四年:2010/04/17(土) 13:12:06 ID:yzmDB9Il
ぶっちゃけ柴田勝家を裏切った前田利家のほうが悪人だよなw
あちらはお家が残っているからか、悪評は聞かないがw
858人間七七四年:2010/04/18(日) 21:03:40 ID:OoX1ePt/
>>855
成功者に対する妬みだろうな。
859人間七七四年:2010/04/18(日) 21:39:59 ID:JISZwdd8
>>856
合戦当日という意味なら当初から東軍だぞ。
戦闘開始が正午までかかったのは、山を降りて陣形を作ったためだ。
軍隊の移動はそのくらい時間がかかる。

むしろ合図があっていっせいに西軍に襲いかかったなんて信じている奴は、
軍隊行動というものをまるで解っていないと言わざるを得ない。
860人間七七四年:2010/04/18(日) 22:07:03 ID:kx3SM31B
>>859
いや、福島隊の最初の小競り合いを合図に攻めかかる予定だったが、霧で状況を掴めずににそのまま
機を逃したという話が「朝野旧聞ほう藁」にある
ちなみにこの福島隊の小競り合いは井伊・松平隊の銃撃より前の話
861人間七七四年:2010/04/19(月) 01:09:38 ID:pLGWgnKK
西軍を追い出して彼処に布陣したんだしな
合戦中の寝返りでは無いね
862人間七七四年:2010/04/19(月) 01:15:41 ID:BNeJa/7t
まあ関ヶ原の前日の時点で、西軍は組織として崩壊してるしな。
あんな負けるべくして負けた合戦も少ない。
863人間七七四年:2010/04/21(水) 00:15:09 ID:M3otNOV+
>>859
何で「合戦当初から下山を図り、正午までかかって下山すると
攻撃に参加した」とする史料がないんだろうか。そこは疑問かな。
小早川氏が断絶したといっても、秀秋の離反に主体的に関与したと思しき
稲葉正成・平岡石見は大名に取り立てられているわけだし、当初から
東軍について行動していたら、わざわざ彼らにとっても都合の悪い話に
する理由はないだろう。

あと、山の上といっても、松尾山は軍事施設としてそこそこ整備されてた
ようだし、小早川勢全軍が山上にいたわけでもなく、おそらく相当数は
山麓の郭に陣取っていただろうし、その辺もちょっと腑に落ちない気がする。
まあ、秀秋の向背が怪しいっていうのは、少なくとも西軍首脳も認識してたよう
だな。安国寺恵瓊も輝元に当てて「此地雑説(=秀秋離反のうわさ)」を注進
してたようだし。
864人間七七四年:2010/04/21(水) 00:36:45 ID:1YyCd9U3
>>863
> 何で「合戦当初から下山を図り、正午までかかって下山すると
> 攻撃に参加した」とする史料がないんだろうか。

小早川家が断絶したからだろうね。
だから記録も散逸した。
865人間七七四年:2010/04/21(水) 02:17:58 ID:61lf9OQJ
>>858
世間中から蔑まされ酒を飲んで狂死した「成功者」に嫉妬?
866人間七七四年:2010/04/21(水) 02:42:20 ID:1YyCd9U3
>>865
そう書かれているのは江戸期以降の軍談講談だぞ。
むしろそんな事を信じているキミの知的レベルが心配だ。
867人間七七四年:2010/04/22(木) 20:43:12 ID:0SIR6fcv
>>864
だけど、関ヶ原に参陣した大名はいくつも残っているし、
秀秋寝返りに関与した稲葉・平岡も大名に取り立てられてる。
秀秋が早々に旗幟をはっきりさせてたら、なにかしらに言及が
あってもいいはずだが、そこらへんはどうなのか
868人間七七四年:2010/04/25(日) 20:52:11 ID:3PScBHqR
自分らが大名なるために殺した奴のこと書き残すわけないだろう
869人間七七四年:2010/04/26(月) 07:48:37 ID:9UqkLSwV
なんか仲が悪かったみたいだしなw
870人間七七四年:2010/05/07(金) 12:08:05 ID:S6v7asEm
金吾の有名な赤い陣羽織って、どうやって手に入れた物なのか
知ってる人いる?
あれの生地って、当時かなり高級な物だったんだよね。
誰があんな秀秋しか着れないデザインの物を作ったのかと…。

自分で、ってわけではないよね?
871人間七七四年:2010/06/07(月) 22:38:38 ID:QmyYt/LB
普通は自分で作るんじゃないの?

逆にどういう経緯でどこに寄贈されて現代に至ったのか気になる。
872人間七七四年:2010/06/11(金) 05:12:08 ID:3tzB8xSA
>>871
そういうもんなんか〜。
小説とかの創作物で“秀吉から貰ったもの”とか書かれてたりすることが
あるみたいだから、本気にしてしまったよ。

確かにどうやって今に残ったのかも気になるけど…
え、てか博物館に展示されてるのってレプリカじゃないの!?
873人間七七四年:2010/06/11(金) 15:49:32 ID:Wx2rlxuV
小早川が「裏切り者」とされ始めたのはいつ頃からなんだろうな
同じポジションの脇坂・朽木らは特に声高に言われてるわけでもないし
家康としちゃことさら裏切り者と貶める必要はないんだよな
そもそも豊臣恩顧の武将がこぞって東軍についてたから、
変に貶めるとそっちに飛び火してえらいことになりそうだし
普通に備中貰ってるし、その時点では特に悪評がたってたようにもないし
874人間七七四年:2010/06/12(土) 03:18:46 ID:nCg1FY3y
このスレ、面白いな
勉強になった
秀秋の見方、だいぶ変わったわ
ただ一つだけ・・・
いくら300Mの山に15000の大軍勢を布陣させていたといっても
その展開、出動に4時間もかかるとするのは少し苦しいかも
それでは陣を構えている意味がないというか
迎撃に専念ならまだしも
現に大谷隊に攻め懸かったのは正午過ぎなんだし
やっぱり言われてきたように、秀秋に日和見というか逡巡するところはあったと思う
875だぅ:2010/06/12(土) 03:30:19 ID:VCXrMkr0
>>873
小早川にとっては加増でよいことかも知れないけど
毛利宗家に取っては自分の所の領土が減封された戦犯だから
嫌われるのは仕方が無い

てかなーんで金伍みたいなこわっぱがキャスティングボート握っちゃったんだろうね
876人間七七四年:2010/06/12(土) 11:54:03 ID:dg/UgF2I
そりゃ、こわっぱはこわっぱでも、太閤殿下に連なるこわっぱだったからでしょう
877人間七七四年:2010/06/14(月) 03:03:44 ID:BGM9CyBc
>>874
四時間とは言わなくとも、行動を起こして攻め掛かるまでに一時間程度は要したとみていいと思うがなぁ
実際俺も行ってみたけど、伝令を走らせても、小早川陣から麓までどれだけ急いでも30分程度はかかる山ではある
んで、松尾山の降り口から藤川台の大谷隊の陣地までは普通に歩いて2〜30分かかる
部隊行動を伴うならもう少しかかってもおかしくはない
これは松尾山の麓に布陣していた前提で、タイムラグがまったくないとして、の計算だから、
中腹くらいに陣取っていたなら二時間くらいはかかっていてもおかしくないとは個人的に思うよ

ただ、松尾山の小早川陣地って結構しっかり作ってあって、支城と呼んでもいいくらいにはなってるし
あの作りなら兵を入れていたと考えてもおかしくないと思う
まさかその日の夜に大垣を出てくるとは思ってなかっただろうし、そうであれば麓に展開している意味はないんだよな
秀秋が西軍が移動してきたのを知ったのが当日の午前二時くらいだっけ?
まだその頃には雨が降っていて、その後には朝まで霧が出て、
東軍が関ヶ原まで出てきたのを知ったのはおそらく戦闘が始まってから、
少なくとも東軍が布陣を完了して、伝令を貰ってからだろう
霧の山道を行軍するのはあまりにも危険なので、霧が晴れてから行動を開始したと考えると時間的に辻褄は合うんだよな
あと、問い鉄砲はどちらかというと小早川より脇坂らへの合図として放たれたものだと思う
どう考えても小早川陣からではあの鉄砲の意味はわからない
878874:2010/06/19(土) 04:06:17 ID:1JN+P5+3
>>877
なるほどね。
単独、軽装でも山頂の本陣から大谷陣地辺りまで行くのは
最短でも1時間程度は掛かるわけだね。
ということは、装備した軍勢を陣形を想定して下山させ、
それから大谷隊に突撃となると
最も出撃しやすい部隊でも1時間半から2時間位は要しそうか・・・
勿論麓に布陣している場合は、山腹の各郭に収容されてる場合の条件とは
違ってくることだけど、伊藤を追い出しての松尾山占領だし、
その時点では東西の主力は大垣と赤坂だから、
あなたが推測されるように城内の郭に収容している可能性が高いね。
そこで、関ヶ原に西軍が布陣し出したのに気付いた時点でなのかは不確かだけど、
遅くても東軍も関ヶ原に進軍していることが分かった時点では
秀秋軍も陣の展開を想定し準備にかかったと思われるかな。
それが赤坂出発の午前2時から僅か後に察知したのか、
関ヶ原に到着後、あるいは布陣し終わった後であったのかはともかく、
霧が晴れるまでは秀秋の出陣意思決定、各部隊の出撃準備は出来ても、
郭を出ての下山行軍は確かに難しかっただろうね。
ただ、実際の戦いにおいては、いくら吉継が小早川の寝返りを想定して
予め予備部隊を配置していたとはいっても、
小早川勢のほとんど10分の1程度、既に早朝からの戦闘で疲弊している小勢に
かなり押し戻されたというから、
松尾山の麓で万全の布陣を敷いて出撃したのかどうしても疑問が残る。
秀秋以下、兵の戦意も含めてね。
俺は途中からの横槍参戦にもかかわらずこの小早川勢の戦いぶりは、
秀秋の「迷った末の決断」に原因がありそうかなと思ったんだけど、
少なくとも時間が掛かり過ぎていることを以ってそう判断するのは
検証不足みたいだね。
本当、実際に現地を訪れている人の意見は参考になる。
ありがとう。

879人間七七四年:2010/06/21(月) 00:15:40 ID:6rA7Kmrg
正直日本史って系列だって小学校から教えて貰うから何の疑問も無く受け
入れてるけど実際は戦国時代ですら確固たる史料での検証とか難しいよね。

関ヶ原に関して言えば秀秋が戦場で裏切りって言うのは島津義弘の後年の
覚書で家臣がしたためてたと思う。あと当時の公家の日記で秀秋が裏切った
という噂があるが(まだ東西の戦況の情勢も解からずただ東軍が京へ攻めて
来るという噂の段階で)信じられないとか書いてたと思う。
それとは別に、家康の側近が書いた日記には石田三成が秀秋が裏切ったので
仕置きする為に軍を関ヶ原に移動させていると言うのがある。

まぁ状況から考えて、西軍の多くは秀秋は味方だと思っていて上層部(三成
吉継)は裏切りを黙ったまま軍を動かしてたんじゃないかな?
東軍の方は既に人質は愚か軍監まで3名?入れてたくらいだから、秀秋は東
軍という認識を持って関ヶ原に移動した西軍を追撃したと思う。

秀秋自身から見れば既に東軍への加担は決めており、西軍の配置は自身の包
囲網に見えたと思う。

>>878の大谷隊に対する認識は少し違うと思うね。
俺も脳内資料で言ってるだけなんで正確さに欠けるが、大谷吉継本陣は確か
に600程度で丘の上に陣取っては居たが、戦闘には参加していなかったはず。
代わりに甥などが数千の兵で下で戦ってたはず。結局甥などは関ヶ原から逃
げれたが吉継本人は丘から下りて街道中央で壊滅してる。この間僅か30分程
度。状況から考えても押し戻したというより、撤退に失敗したと言うべきじ
ゃあ無いかな?小早川隊はその後1時間後には関ヶ原を横断して石田隊の追撃
にまで回ってる。
880人間七七四年:2010/06/21(月) 15:45:15 ID:lerAAyra
>>879
なるほど、松尾山の小早川隊を攻めるつもりであったなら、あの布陣も意味が変わってくるかも
夜の内に大垣を出ることで東軍本隊の目をくらまし、南宮山と大垣の守兵で東軍本隊の足止めをしつつ
その間に松尾山を奪還する方針だったのかもしれん
すでに松尾山を半包囲している北陸勢と、その後方に陣取った宇喜多・小西勢
兵数のやや少ない島津や黄母衣衆は本陣である笹尾山の近くに配置してあるし

とすると、松尾山を中心に西軍の布陣を見る限りでは、やっぱり西軍総大将は石田三成という認識だったのかね
881人間七七四年:2010/07/20(火) 15:09:55 ID:72Dt+416

友達の苗字がたまたま「小早川」なんですが、本人は
「歴史上あんまりイメージが良くない名前だよね。。。」と恥ずかしそうにしています。
その子を励ましてあげられるような、
小早川秀秋にまつわる良いエピソードって何かありますか?
882人間七七四年:2010/07/20(火) 20:43:24 ID:sVpfzDm9
>>881
隆景や秀包、遠祖の土肥実平など、いくらでもいるだろ
883人間七七四年:2010/07/21(水) 01:00:39 ID:E25alM1T
小早川秀秋の直系子孫などいない
沼田小早川や竹原小早川の子孫や分家筋、明治後に小早川へと復姓した秀包系の子孫なら
秀秋のイメージで語ることはない
つまりその友達は明治後に姓をつけたなんちゃって小早川
縁などかけらもないのでイメージを気にする必要は全くない
884人間七七四年:2010/07/21(水) 09:24:42 ID:Y0XFOifC
>>883

>>881にもわざわざ「たまたま」と書いてあるように、
誰も実際の血縁関係など問題にしていませんよ。
885人間七七四年:2010/07/21(水) 22:30:24 ID:UtTfPf4E
>>881
リ_・リつ「ラブプラス+」
886人間七七四年:2010/07/29(木) 02:16:51 ID:kX4fzNfY BE:2675434368-2BP(2555)
備前では内政頑張ってたみたいだが美作にはあまり手が回ってなかったみたいだな。

森家入領の時まで一致団結すれば数千人規模で動員できる旧態依然とした土豪勢力が幅を効かせてて兵農分離が進んでない。
検地も出来てなかったんじゃないか?
887人間七七四年:2010/07/29(木) 02:29:00 ID:By+VEJv6
>>886
しかしまぁ、時間もなかっただろうしなぁ
どっちかっていうと宇喜多時代が・・・っていう気もする
888人間七七四年:2010/07/29(木) 03:02:41 ID:kX4fzNfY
浦上時代は美作在地の国人連中が自前で統治してたみたいで家臣団として整備されてなかったし、
宇喜多直家もいわばそいつらに「協力」してもらって宗景を打倒した立場な訳でそういった体制に口出し出来たとは思えない。
当然、宇喜多時代は表向きは正式な家臣であって武士だから太閤検地の影響は全く受けない。

ついでに美作の連中はあまり宇喜多の家政に深く関わってないのも関ヶ原後に士分を失っても幅を効かせてた原因になったかも。
金吾もあえて火薬庫をつつく気にもなれなかったかもしれないな、色々と微妙な立場だし。
889人間七七四年:2010/07/31(土) 08:03:57 ID:dVO6tAKa
小早川家は美作の元宇喜多勢力をどう扱ってたんだろうな?

森忠政の入領拒否の経緯を見る限りでは結構、融和的な政策で取り込もうとしてたように感じる。
対する森忠政は信濃でも地元の有力者を全然雇わなかったどころか厳しい検地で燻り出して徹底的に叩き潰した。
890人間七七四年:2010/07/31(土) 13:16:39 ID:tmKB7t2n
小早川も、遅かれ早かれ国人連中には厳しい態度を取らざるを得なかったとは思うけどね。
それを擦る前に死んじゃったわけで。
891人間七七四年:2010/07/31(土) 22:38:29 ID:PJ6lhRhl
隆景の代からの家臣に美作出身者がいたのは有利な条件だったんだろうね。
難波氏とか平安から続く備前美作の名家の末裔だし。
892人間七七四年:2010/08/01(日) 02:26:26 ID:F+4PlYt6
美作統治の筆頭はやっぱり入領拒否拒否一揆首謀者の難波なのかね?

あの一揆ってさ美作太平記だと「それまでの権益を森家に認めさせる」為の一揆なんだよね。
宇喜多も小早川も改易されて実の無い土豪層に成り果ててしまったので利害が一致したって所なのかな。
一回でも森家による検地が行われればみんな仲良く帰農しなきゃいけないし。
893人間七七四年:2010/08/01(日) 02:30:42 ID:F+4PlYt6
拒否がくどくなったがまぁこれぐらい森家の入領を拒んでたって事で・・・w
894人間七七四年:2010/08/16(月) 00:12:26 ID:wbX9oxLi
保守します。
895人間七七四年:2010/08/19(木) 09:07:51 ID:LBsTVjeh
以前話題になったが、木下家系図で秀秋の最後が

「鷹狩りに行き、夕刻に帰ってきた後、突然気分が悪いと床に臥し
次の日の夜に亡くなった」

と、あるが…秀秋の命日は10月18日。これは新暦にすると12月1日になる。
11月末から12月の初めに鷹狩りなんて行くのか?

時期的に動物はあまりいないと思うし、備前(山陰地方)って雪も降るんじゃないかと。
896人間七七四年:2010/08/19(木) 11:38:07 ID:EaK8bLhI
>>895
備前は山陽、というか岡山の南っかわあたり
今でいうなら岡山市から南がそれにあたる
岡山城周辺は山も近いし、鷹狩りに行ったのが本当なら近郊と考えていいかな

今よりもう少し寒かったと仮定しても、11月末〜12月初頭には雪はほとんど降らないと思う
今じゃ真冬の2月でもたまにしか降らないし、
戦国〜江戸初期でも雪が降るのは新暦で年明け以降(旧暦12月)くらいじゃないかな
瀬戸内海沿岸ほどじゃないが山陰や山陽でも奥の方とは気候が大分ちがってあったかい方だと思う
897人間七七四年:2010/09/09(木) 18:19:39 ID:NG2xVzTx
保守あげ
898人間七七四年:2010/09/09(木) 19:35:25 ID:nk3057IR
>>896
室町時代後期はリトルアイスエイジとか言われてたけど
江戸時代初期は暖かかったんだろか
899人間七七四年:2010/09/10(金) 09:59:46 ID:sjIm3CNW
当時は今よりは雪が降ってたはずだよ
岡山界隈でも昭和の頃まではまだ今より沢山積もってた
900人間七七四年:2010/09/10(金) 10:20:02 ID:xeuXm/j1
桃山期くらいから徐々に暖かくなってきたのは確かだろうな。
901人間七七四年:2010/09/10(金) 18:34:41 ID:UlC8jg3q
>>899
リアル岡山市内在住だけど、
今より気温が10度以上低くなければ12月頭に雪が降るってことはないだろうなぁ
確か今の岡山市の11月平均気温が11〜12度くらい、12月でも7〜8度なんだよな
当時でも雪が降るなら12月の半ばすぎくらいだろうと思うよ
902人間七七四年:2010/09/11(土) 13:34:18 ID:OW9TVU+L
>>901
雪グニの私からしたら、何も地上で0度以下になってなくても雪ぐらい降るのは常識なんだが。あるいは、釣られたか。
903人間七七四年:2010/09/11(土) 18:33:33 ID:98W8AOYo
BASARAでネタキャラにされたせいで、
金吾とか軽々しく呼ぶアホが多くてウザい
904人間七七四年:2010/09/11(土) 23:54:18 ID:lEA9YjIs
絶対悪扱いだったこれまでと比べると愛されてるじゃないか
905人間七七四年:2010/09/12(日) 07:29:38 ID:HoWODum/
>>902
すいません、雪なんてほとんど降らない地域で生まれ育ったので…

あの後、自分でも少し調べたら鷹狩りって天候にはあんまり左右されないらしい。
よほどの吹雪や大雪でない限り出来るとか。
906人間七七四年:2010/09/12(日) 20:26:37 ID:ke31kkpp
嫌な愛され方だけどな…
岡山出身の俺としては変な方向に走らずそっとして欲しかったわ
907人間七七四年:2010/09/12(日) 21:11:05 ID:gkUq2H3H
>>902
雪国では気温が10度近くあっても雪降るのが常識なの?
3度以下くらいじゃないと雪は降らない地方なのでびっくりした
908人間七七四年:2010/09/13(月) 22:25:53 ID:hIMiD5r7
>>907
あのね、平均気温てのは毎日同じ気温なわけじゃないだろ。急に寒い日もあるわけ。
って釣られたか?
909人間七七四年:2010/09/14(火) 02:59:56 ID:V6dapXP8
>>908
いや、それにしたって地元民が体感として
「よっぽど今より気温が低くないと新暦で12月頭に雪は降らないだろう」と言ってるんだから信じてやれよw
同じく瀬戸内沿岸の隣県住みだけど、11月末〜12月頭には雪が降るほど冷え込むことはないと思うぞ

当時の11月末〜12月頭の気温が今の2月くらいならわからんでもないけど、
当時との気温差を分析してるような資料見ても、いいとこ3〜4度くらいしか変わらん
あの近辺なら、雪が降り出すのは12月半ば〜末くらいでFAだと思うぞ
910人間七七四年:2010/09/14(火) 06:45:36 ID:05cbF9Ir
江戸時代の前後は世界的に見ても気温が低い時代だから
新暦12月上旬でも1月くらい冷え込んだかもしれんじゃないか。俺よくわからんけど
911人間七七四年:2010/09/14(火) 13:50:01 ID:x7oboGfU
>>910
と思うよ。そういう今との比較したら、赤穂浪士の討ち入りの時に雪はおかしいとか、西南戦争の時に薩摩に雪はおかしいとかきりがない。
912人間七七四年:2010/09/14(火) 22:59:01 ID:V6dapXP8
>>910
小氷河期真っ最中の1800年代でも、今との気温差はだいたい最大で2〜3度程度のようだ
http://www.geocities.jp/srkhayasi/kikou3.html
これでいくと今の12月末くらいの気温なので、やっぱりまだ降らないと思うよ
そもそもが雨の少ない地域でもあるしな
913人間七七四年:2010/09/15(水) 11:42:30 ID:4ewH/jjv
>>912
今だって予想外の天候になったりするだろ。季節ハズレの雪とか降っても何ら不思議はない
914人間七七四年:2010/09/15(水) 13:46:52 ID:DxNnXmgS
>>911
でも、北薩〜鹿児島くらいなら大雪も全く有り得ない話でもないんだよね。
915人間七七四年:2010/09/16(木) 01:49:06 ID:RjGfXGsK
>>913
ちょっと落ち着けw
>>895は備前を山陰と間違えてるから(実際は山陽)12月頭は普通に雪が降る時期だと思ってるんだろ
それに対して>>912は「季節はずれの雪」なら降るかもしれないが、
もう普通に雪が降る時期かといえばそこまで寒いわけじゃないって言いたいんだろ

実際気温が7度くらいのうちは日常的に雪が降る時期ではないのは確か
山陽地方で積もるほど雪が降るのは今なら2月くらいで、もともとそれほど降る地方でないのも確か
12月頭なら気温的にはまだ11月と同等と考えていいから、まだ雪が降る季節ではないでFAだろう
916人間七七四年:2010/09/16(木) 17:44:33 ID:QOq1KsIP
>>915
てか、天気について知らなすぎ。
寒気がくれば急に雪が降っても何ら不思議はない。
平均気温とかはこの際関係ないんだが。
917人間七七四年:2010/09/18(土) 21:26:25 ID:O7dg4WWY
>>906
岡山城に腐った人達が現れないか心配だわ…
他所では痛絵馬の被害とかあるっぽいし
918人間七七四年:2010/09/19(日) 16:57:56 ID:cRN5HjPi
秀秋は若いから、その恐れは充分にある
919人間七七四年:2010/09/22(水) 17:51:05 ID:dKIRVwhW
歴ゲ板にもくっさい連中が寄り付いて空気変わっちまったしな〜
マジで腐は氏んどけよ
920人間七七四年:2010/09/22(水) 23:41:46 ID:c3cMrlP+
例のゲームの本スレ見てみたら「金吾」を幼名だと勘違いしてるのが、何人もいた。
おいおい……
921人間七七四年:2010/09/22(水) 23:49:38 ID:Qam7hPH4
>>916
そういった降雪ならなんらかの記録でも残るんじゃない?
今年はいつもより雪が早かったとか
922人間七七四年:2010/09/24(金) 13:22:16 ID:+7qBm82o
>>921
お天気日記なら書いてたかもな
923人間七七四年:2010/09/25(土) 06:23:39 ID:4zps4z32
>>921
五月なのにあられが降った〜とか
爺、婆、赤ちゃんたくさん凍死した〜とか、室町期の日記にあるものはある
924人間七七四年:2010/09/25(土) 13:11:46 ID:L8g5+TT+
>>923
いや、そういうのはその年のその日の記述じゃないと意味ないだろ
毎年毎年同じ天気なわけはないし
925人間七七四年:2010/10/07(木) 17:04:34 ID:FDazzYoM
>>924
その場合は三倍でなく、五倍以上に膨れ上がるかと
926人間七七四年:2010/10/10(日) 19:40:22 ID:ycEUarJm
雪国の人の雪が降ったと九州やら瀬戸内の人の雪が降ったの感覚が違うのかな
鷹狩ができなくなるくらいなら数十センチの積雪が必要なんだろうけど
福岡では白いのがパラパラ振ったくらいでも雪が降ったっていうけど
10センチ積もることなんて数年に1回あるかないか
12月でもほとんど降らんし積もることはまずない
瀬戸内は雨が少ないからもっと積もらないんじゃないか
927人間七七四年:2010/10/11(月) 11:57:34 ID:fz5XzRi1
そりゃあ違うだろう
仙台、東京、金沢、広島、東京と父親の転勤についていってあちこち住んでいたことがあるんだけど
広島は東京よりも雪に弱かった記憶がある
と言うか雪に無防備&無知
5cmくらいの雪が2〜3回降るか降らないか程度だったがチャリ通でこけて捻挫した友人とかいた
雪なのにチャリだぞ
普通乗らないw
そいつが変わってるわけではなくて学校のチャリ置き場に普通にチャリがたくさん置いてあった
928人間七七四年:2010/10/11(月) 23:23:08 ID:L/B4bh1W
天候ネタは、もうそろそろ止めないか?
どんなに続けても結論出ない気がするし、気になる人だけ
当時の資料を元に調査すればいいんじゃ……

ところで、秀秋直筆の書状ってどこかで展示してないかな。
929人間七七四年:2010/10/25(月) 23:35:08 ID:jkxbSDOS
930人間七七四年:2010/11/06(土) 10:52:06 ID:bZj4Dicz
保守
931人間七七四年:2010/11/19(金) 14:20:16 ID:qkz4IGYJ
戦国時代では裏切りなんて日常茶飯事だったのに
932人間七七四年:2010/11/21(日) 19:34:17 ID:9OnBKUHD
あげ
933人間七七四年:2011/01/25(火) 02:55:00 ID:8Dz29bo6
>>931
『だから秀秋の事を悪く言わないで!』とでも?
934人間七七四年:2011/01/25(火) 03:50:29 ID:evnCFH0s
関ヶ原後すぐに死んで子供が居なくてそのまま消滅だから言われっぱなしだが
最初から東軍で戦闘加入が遅かったのも自分を高く売り付ける為のような気が
日和見で優柔不断どこら確固とした自身の意思での行動なんでね?
とんだ狸野郎だわw

失敗した事と言えば若死にした事位なんじゃ
935人間七七四年:2011/01/25(火) 09:57:28 ID:nPtjU+S9
>>933
秀秋が非難されまくるの不思議じゃね?
936人間七七四年:2011/01/25(火) 23:16:01 ID:ItuIgEeW
>>935
例えばさ鳩山由紀夫とか天才な訳ですよ。
東大→スタンフォード大Ph.D. →大学助教授→国会議員→総理大臣
万人に一人とかの確率じゃ無い。
ランダムに十万人集めてオーディションしてもこれ以上の経歴の持ち主は居ない。
まさに一千万人に一人出るか出ないかの天才。

でっ付けられたあだ名が”ルーピー”。
もうね下は小学生から上はジジババまで、空き缶拾ってる乞食にまで馬鹿にされ
海外でも馬鹿にされる、夫婦揃って貶された。
ランダムに十万人集めてオーディションしてもこれ以上世間が馬鹿だと認めた人物は居ない。
万人に一人とかの確率じゃ無い、まさに一千万人に一人出るか出ないかの馬鹿。

秀秋も大きく見ればそういう事なんだと思うよ。

937人間七七四年:2011/01/26(水) 00:40:46 ID:1wNMiBMG
>>936
ルーピーと比較とか秀秋に謝れ!!
大体秀秋って端から東軍寄りだし松尾山に強引に布陣した時点で評価されるべき
938人間七七四年:2011/01/26(水) 09:16:34 ID:qH4TiSlU
鳩山と比較するのは流石に気の毒かな・・・・・・せめて与謝野で
939人間七七四年:2011/01/29(土) 12:25:44 ID:zAw/WBHI
>>936
学問の才能と政治の才能は別物だからね
信長・秀吉・家康よりも学問ができる人間なんて大勢いるだろうけど
そいつが天下人として世を治められるわけでもないでしょ
940人間七七四年:2011/02/17(木) 04:54:38 ID:z6Qhbr8n
>>934
妄想は脳内で
941人間七七四年:2011/02/21(月) 18:23:35.37 ID:Hzy7ewq9
>>940
じゃあ秀秋の何がどう具体的駄目なんだ?
942人間七七四年:2011/03/21(月) 19:06:20.14 ID:TUcpDQ+D
鳩山は大一番で失敗した人
秀秋は大一番で成功した人
943ヒップでダダーン:2011/03/29(火) 20:34:12.42 ID:VeiDKqDn
朽木、小川、赤座みたいに連鎖反応的寝返りを起こしたセコい連中もいるわけですよ
944人間七七四年:2011/04/02(土) 22:31:39.60 ID:BZSV4XmP
おそらく 秀秋は 偽メール自殺した人みたいなタイプだったんだろ
945人間七七四年:2011/04/02(土) 22:49:54.68 ID:rpC88kSn
てか宇喜多の兄貴は元々信頼してなかったんだよな
別の所置いといた方が良かったのでは
946人間七七四年:2011/04/02(土) 22:58:34.87 ID:MOtmM8qr
>>945
大兵力を抱えた豊臣家の親族大名を領国に追い返すわけにもいかないだろう。
伏見城攻めは普通に参加してたんだから、内通していると断定できる状況でもないし。
大兵力持ったままで大坂に残したりしたら、逆に怖いし。
947人間七七四年:2011/04/03(日) 07:10:53.76 ID:lpiAd4fK
>>935
裏切って何を成したかなんだよ
秀秋は結局関ヶ原での裏切り以上の功績を歴史に残せなかった以上
裏切り者の肩書が真っ先に挙げられるのしょうがない
948人間七七四年:2011/04/03(日) 08:41:42.94 ID:vtmLwPdx
早死にしたから仕方ない
949人間七七四年:2011/05/03(火) 18:54:01.14 ID:Jv7eREcy
関ヶ原のためにこの世に生を受けたんだろうな。
950人間七七四年:2011/05/16(月) 10:54:52.13 ID:VkDd38qR
いちおう関が原後、宇喜多統治下で戦国期とさほど変わらない旧態依然のままだった備前美作に
土地政策などで徹底した近世化を持ち込んでいるわけで、やる気も能力もある大名だったと
考えられるだけになあ。
951人間七七四年:2011/05/27(金) 16:49:41.18 ID:boAE/SoM
ただ人としての方向性が斜め上だっただけなのか
952人間七七四年:2011/06/04(土) 20:39:15.87 ID:XCmmMxWg
長生きしないとダメだな
953人間七七四年:2011/07/19(火) 12:41:30.21 ID:cHBewAlF
裏切りなのか、みっつが思い込んだだけなのか
954人間七七四年:2011/07/19(火) 15:03:56.38 ID:Iofh7WfM
近世岡山の礎を作った小早川秀秋
近江八幡の礎を作った豊臣秀次

二人とも治世の能臣、乱世の凡愚だったんだろうなあ
955人間七七四年:2011/07/19(火) 23:18:26.47 ID:Sj600Njf
凡愚は言いすぎじゃね?
956人間七七四年:2011/07/20(水) 01:01:26.44 ID:14I1CrOB
どっちも無能だの凡愚だの言われるほどの失敗はしてない
957人間七七四年:2011/07/21(木) 06:47:44.48 ID:8+d7BAIS
つ 小牧長久手
958人間七七四年:2011/07/21(木) 08:26:51.35 ID:AVszR6cv
経験不足な奴に大軍での中入りを成功させろという方が無茶な話
物見を出さなかった事にしても部下達のアドバイスもフォローも無かった訳で
第一、たった一回の失敗で無能だの凡愚だの言われたら世の人間全てがそう言われる事になる
959人間七七四年:2011/07/21(木) 08:33:26.93 ID:/3KGuooN
信長や家康も無能・凡愚だなw
960人間七七四年:2011/07/21(木) 10:46:53.07 ID:b9Uno/8+
>>957
小牧長久手、特にあの三河中入りは秀吉主導の作戦だってことは既に証明されていると
言ってもいい。
あれは秀吉が自分の失敗を秀次に押し付けただけだ。
961人間七七四年:2011/07/21(木) 11:35:02.40 ID:BGkgbtWo
池田と森がアホだっただけ
962人間七七四年:2011/07/22(金) 01:15:27.35 ID:VfFgu89G
秀次人気に嫉妬
963人間七七四年:2011/07/25(月) 07:18:37.79 ID:Yzb2Nw5l
次たつか?
964人間七七四年:2011/07/25(月) 07:27:15.71 ID:cind7MEE
大河に出てるの?
965人間七七四年:2011/07/25(月) 08:57:30.68 ID:yx0j/lhY
>>963
次スレ欲しいな。
秀秋について好意的な意見や見解が聞けるし、秀秋について語れる場って全然無いからなぁ。
966人間七七四年:2011/07/25(月) 11:26:12.00 ID:bbn8Ec0d
>>965
次スレ立てるなら
豊臣家総合スレのほうがよくない?
秀秋以外にも小吉秀勝や秀保や瑞竜院日秀とか纏めて語るようなやつ
967人間七七四年:2011/07/25(月) 12:12:15.16 ID:j+NdmBhQ
>>966
賛成
968人間七七四年:2011/07/25(月) 23:08:00.56 ID:Yzb2Nw5l
結局秀家くらいか、ほうけに尽くしたの「
969人間七七四年:2011/07/26(火) 14:40:07.76 ID:0/qYNJ8B
>>968
別に秀家は、豊臣のためには尽くしてないだろ。
970人間七七四年:2011/07/26(火) 20:03:16.83 ID:GngZtLR0
秀吉と寧々の養子・養育の中でも断トツに可愛がられ愛しまれたのが豪姫。
次が秀秋。他は言うほど愛しまれては居ない。
とにかく養子としてはこの2人は別格。

秀秋は後年秀吉に子が出来た為、邪険にされ疎遠になるが、寧々の方は秀吉
の肖像画と共に秀秋の肖像画を遺品として持っていた事を考えると、唯一の
子という認識があったと思う。
971人間七七四年:2011/07/27(水) 06:53:04.82 ID:/bi4huvY
豊臣家の人々養子編【秀:次勝保秋家康忠元包宗】

で、次スレお願い。
972人間七七四年:2011/07/31(日) 14:30:18.30 ID:hcL8mbN/
秀次有能説ってどこから?
973人間七七四年:2011/07/31(日) 16:43:22.68 ID:27QM8Dgn
>>972
無能説の反動。

「言うほど無能じゃなかった」→「じゃあ有能だったんだ!」

っていう極論から極論へのありがちな転移
974人間七七四年:2011/07/31(日) 19:58:08.20 ID:cVpdffpb
別に有能説って程でもないでしょ
今川氏真と同じでやるべきことはやっていたと言ってるだけで
975人間七七四年:2011/08/01(月) 03:29:41.52 ID:/w2Y35VR
治世の能臣て書いてたからさ
976人間七七四年:2011/08/01(月) 11:27:50.82 ID:dtgReVxu
内政で実績あげてたし
諸大名も統御してたじゃん。
むしろ小牧長久手の敗北以外に欠点や失点を上げることが難しい。
977人間七七四年:2011/08/01(月) 11:45:24.98 ID:jEFymBmi
秀次スレでやれ
978人間七七四年:2011/08/01(月) 22:11:15.61 ID:TXDOG1t0
974と976どっち?
979人間七七四年:2011/08/02(火) 20:45:10.31 ID:xYzU7Ch5
>>978
あの時代、あの年齢、あの世代だと実績が飛びぬけて優秀。
年齢的に言えば石田三成の嫡男と同級生だが、関ヶ原当時の三成の子など
は初陣もまだで爺や乳母に連れられてあたふた逃げるのが関の山だった。

性格に難があるとの記載も多いが、戦国時代と今を同列に考えて語るのは
どうであろう?
信長、政宗は言うに及ばず信玄・謙信・氏康・元就・家康・宗麟・早雲・
経久・長慶・道三・利家・義隆・義元・隆信・義光・晴政・長政・忠興…
まぁ上に上げた将達はみな一応に家臣団と争うか若き日に問題行為を起こ
した者達だ。これらの者達の問題行為から比べたら秀秋の行為など子供の
我儘程度である。
980人間七七四年:2011/08/02(火) 21:30:30.06 ID:xYzU7Ch5
ああごめん秀次ね、秀秋と勘違いした。

wiki見る限り秀次は無能じゃないね。
ただ天下の器じゃあ無かったんだろう、小牧・長久手はまだ16歳だった事
を思うと仕方がないが、同じ年齢くらいの秀秋は蔚山城の救出作戦を見事
成功させ初陣を飾り生涯無敗だった事を考えると名将の器でもないね。
981人間七七四年
過去名将、名宰相といった人物でさえ、選択を誤って殺されたり冷遇されるなんてのは
日常茶飯事だったからな

後知恵があれば、自分の次の関白の座は必ず秀頼とその子孫に継がすように
秀吉にいこませるような言動を取らなかった時点でアウトだとわかるけど


でもそこまでの処世術を持った名将や名宰相って意外と多くなかったりするよね

秦なら李信、前漢なら蕭何、張良、陳平あたりかね


あれ・・・前漢のあの粛清の嵐で結構生き残ってるな・・・
韓信ェ・・・