1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
最強はやっぱり近江・美濃・尾張がスリートップか?
合戦とか武将ネタ飽きたんでそこら辺語ってよ
国別・大名別の経済政策なんかも織り交ぜてみよう
山城
^^^^^^^^^^^^^^^^^終了^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 00:03:47 ID:ZSQKpWmB
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 02:17:09 ID:JOLiFaa6
経済的に発展した国は訓練面や装備面で有利
でも民はやる気ない
今でいうアメリカや日本
貧乏国の民は装備も訓練もロクなもんじゃなく死ぬ可能性が高いが
勝てば略奪で大金稼ぐチャンスなのでヤル気満々
今でいうアフリカ諸国
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 03:14:18 ID:teS07Ay1
三河武士とか国によっての兵の強さはどっから来るんだろう?
大戦中は「田舎=百姓=強い」「都会=モヤシ」だけどこの頃は関係ないよね
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 04:12:43 ID:36fFMZ+x
国の強さだろ?
経済力の事じゃないの?
幾内、近江、美濃、尾張、武蔵が強いのは、当たり前過ぎるから、
案外とか隠れてとか探さない?
出雲とか?そこそこの国高プラス鉄
てなかんじじゃだめ?
最強の国の定義を決めにゃいかんよな。
石高による動員兵力なのか、経済力なのか、輩出した武将なのかとかさ。
はたまたそれらを総合して国の強さと呼ぶか…
おいおい、最強織田軍と盟友松平家に奥州の弱小大名が喧嘩売ってきたよ…
しかし当時の辺境の大名はどんな感じだったのかね?
「畿内の近くであれば我が家も天下を狙えたのに!」とか思ったかな?
井の中の蛙大海を知らず
されど、空の深さを知る
案外国と言う単位なら、陸奥かもな。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 10:42:10 ID:t6CS12sM
>>9 蒲生氏郷の名言やね。
一番といったら…
広さは陸奥ぴかいち
キャッシュは和泉
石高は近江か武蔵か陸奥
風流と人口は山城
べつの意味では安房がNO.1
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 14:45:42 ID:tDgvkAJR
尾張は弱兵で有名だったろ。常備軍や火縄銃・槍隊などの装備や組織力など考慮しないとな。
同じ近江でも六角の南近江より北近江の浅井の兵の方が強いと思うが京極時代後期は弱そうだしな。
地侍や国人のやる気次第かもな。
尾張は弱兵と言われるが、それを、裏付ける物は何も無い。
それは、越後、甲斐にも言える。
ホントに強かったのは徳川家臣団とそれに率いられた三河兵
一向一揆、島津軍の薩摩兵といった忠誠心、精神面から強い兵だけじゃない?
甲斐兵、越後兵、尾張弱兵、美濃兵だの強いと言われてる兵をあげればキリが無いが
どれも確かに裏づけが無い。坂東武者はガチだと思うがな
精神面以外での強さの源泉って例えば?組織や制度や訓練方法が独特だったとか?
坂東武者が強いと言われた。
鎌倉前期は、一般に原野が広がり、農地もそれほどなかった為、
狩猟が盛んで弓術に優れ、馬の産地でもあったため、馬術にも優れていたから。
まぁそれに中央から見たら、辺境の蛮族=勇猛果敢がなかったとは言い難い。
蛮族(中央視点)は皆そんな評価だし。
例、隼人、熊ソ、坂東(東人)、エミシ。
連投悪いが。
↑を書いていて思ったんだが。
結局↑の蛮族を全て武力制圧した、中央が一番勇猛果敢で野蛮で強いんじゃねーか!
そうか。
国の強さ、兵の強さは戦術、戦略で違うのか。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 10:45:04 ID:lmhr2Qyr
>>20 後は、武将の指揮能力や、それぞれの国の相性じゃね?
いくら三河兵が強いといっても、2度も真田にボコられているし
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 10:54:15 ID:aadEPOEF
いくら兵が強いと言っても、所詮は武将らに駆り出された農民、百姓であって、
職業軍人のような兵士、足軽は当時存在せず。
また、大名同士の城攻めや、野戦の多かった地区たとえば上杉、武田、北条らの
戦さが絶えなかった上州(群馬県)あたりの農民が当然ながら強い。
それと、相当の昔から強いのはあと信濃(長野県)の農兵も強かったろう。
それらの兵(農民、百姓)を率いる大名上杉、武田が強く家臣の能力も高いのは、あたりまえ。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 11:15:25 ID:S2sUmZ36
やはり大将みずからが前線で命を的に指揮するとなると格段に戦闘力があがるな!
あとはカリスマ性も付随するな。『この人のために死ねる』とか『このお方のお役に立ちたい!誉められて名をあげたい』みたいに思う兵卒が必要。
立花道雪や高橋紹雲指揮下の兵卒なんかは戦闘力高そう。
親譲り立花宗茂の軍も明の大軍の猛攻で平壌城が陥落して小西軍が大敗走した後で兵卒心理もびびってるだろうところ漢城北部での前哨戦で明軍を敗走させてるから兵卒の信義を勝ちとってる必死の強兵を作りあげてるな。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 11:43:44 ID:gbnDzLIF
呉起の指揮する軍は最強の秦軍をたびたび撃破したがやはり兵卒を実の子のように接し恩を与え、食事も同じ物を食べるくらいの事はしないと強兵中の強兵は作れんな。
>>18 中央の武力制圧なんてなかった。
夷を以って夷を制す。
天皇のいる山城に近い大国が最強 じゃないか
兵の強さ?そんなものは地元民の誇りによって何とでもいえる
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 22:57:10 ID:TOfKt/Mw
薩摩兵が最強ですよ。
【郷土食が支えた最強の島津軍団】
戦国時代、勇猛で強い軍団といえば、武田信玄の甲州軍団、上杉謙信の越後軍団、三河武士(徳川軍団)があげられるが
忘れてはならないのは命知らずの島津軍団である。秀吉、家康でさえ島津と戦う事を避けたほどだった。
島津一族を強力な戦闘軍団につくりあげたのが、島津中興の祖、島津日新斎忠良である。
日新斎は、古代国家の頃、その荒々しさで都人に恐れられた熊襲の子孫、隼人族(猛人ともいう)
を家臣としてとり立てて、軍団の核としていた。
この島津軍団の兵糧のひとつに「ちまき」がある。ちまきは本来保存食で、兵糧などの携帯食料として使用されていたが
薩摩のちまきは一風変わっていた。
(中略)
薩摩のちまきは、灰汁でつくることから「あくまき」呼ばれる。ゆうに二,三ヶ月はもち、しかも高カロリーなのだから、理想的な食料だったのだ。
また鹿児島の特産品「かつお節」も高タンパク、ビタミンB郡を多く含み、保存性の高さはピカ一。「武教全書詳解」にも
「かつお節は、薬にあらずといえども、時にして飢えに及ぶときには、これを噛めば性気を助け、気力を増し、飢えをしのぐのみならず、役に立つものなれば
必ず用意すべき事なり」とある。
鹿児島県では、豚や鶏は、歩く野菜といって食べてきた。これら古代以来の野趣に富んだ郷土食が、薩摩武士の体力を強靭にし、最強の島津軍団を支えたのだ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:04:12 ID:wqR6f/0V
やっぱ忘れちゃいけないのが摂津加賀越前伊勢の一向一揆
>>28 数が多かったというだけだろ。
虐殺の対象になるような輩が強いとは思えんが・・・
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 15:33:45 ID:r19Lb5Hk
薩摩兵、甲斐兵、陸奥兵、越後兵
↑ハングリー精神があるので強そう。
まぁ、地方の兵質に特徴はあるかも知れん
牧の多かった武蔵・下総の武者は馬術に長じていたことであろう。
>>31 陸奥・出羽・上野・常陸・相模・下野・上総・信濃なども。
常陸は武術が盛んだったな
その歴史は神話の時代まで遡るし
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 02:41:03 ID:LTGoB9TV
近畿はなぜか弱い扱いを受けてるね。足軽発祥の地なのに
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 04:37:38 ID:kQa+uUeV
近畿は歴史上ずっと弱かったかと。
対戦中も一番使い物にならんのが多い地域だったとか。
戦国時代も畿内兵は四国兵(強いとされてた)が来るとびびったらしいし。
すまん、ソースはとっくに忘れちまったが、そうゆう記録が残されてる。
経済が発達してる地域の兵は弱いってことじゃね?
>>35 なんとなく理解できた。
喰っていくために戦わなきゃいけない地域に比べたら弱いだろうな。
死ぬ危険を冒さなくても生活できるなら、誰しもそっちを選択するわけで。
37 :
白馬青牛:2006/07/24(月) 02:21:57 ID:IB5zWX/D
>>31 関東の馬文化も、都の影響が多いでしょう。
>>35 近畿が歴史上ずっと弱かった、対戦中も一番使い物にならんのが多い地域
だったと云う根拠は?湘桂作戦でも近畿兵団は、九州の熊本兵団に優る
とも劣らぬ活躍(衡陽で感状を授与される)をしておりますが。
まあ、日本の近畿と関東の兵は、中国国府軍も弱いと思うておったことは
否定出来ませんけど。
>戦国時代も畿内兵は四国兵が来るとびびったらしいと云う記録文書の
出典は?いいかげんなことを云うと西日本人全体がほら吹きになる。
>>36 戦闘を有利に進める為には、兵士一人一人の戦闘能力(錬度・知力・志気)
も左右しますよ。喰うや喰わずの封建的上に対し忠誠心の強い従順な
辺境兵よりも、封建的、社会的圧迫の少ない地域の兵の方が、戦闘の
駆け引きと云う面では巧みでしょう。
圧制・専制等社会的強圧や屈辱的従順さが民族・集団を弱くすることは、
イブン=ハルドゥーンも『歴史序説』で指摘しておりますね。
37が言ってることは微妙にずれてる希ガス
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 14:25:02 ID:wDd8M2zm
国というか死を恐れない真宗がある意味最強
畿内の兵が弱かったという通説は、日露戦争で武器も捨てて壊走するという醜態を一度見せたためでしょ
それ以外の戦歴は、決して他地域の兵と遜色ないけど。一回ついた評判を覆すのは大変
尾張の弱兵も似たようなもんじゃ?江戸時代の姉川の講談や創作あたりが原因かねぇ
風評被害だろ。
神話までさかのぼれば
吉備も出雲もクマソも隼人も東夷も制圧されてるしな。
平将門の乱も、中央が制圧軍送る直前に終わったし。
>>42 なるほど
37はあちこちで基地外オーラを撒き散らしてる池沼かw
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 18:26:17 ID:5uHLXoMK
有名武将を輩出できなかった哀しい県(移住してきた武将は除く)
栃木県
富山県
石川県
鳥取県
愛媛県
宮崎県
沖縄県
マイナー武将を出してきて反論するのはなしね
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 18:28:12 ID:jHL1+OzP
沖縄って当時外国じゃんw
>>44 栃木には水谷正村が居るよ。
ところで・・宮城って誰かいたっけ?
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 18:58:29 ID:DS4qkhtA
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 19:05:14 ID:ZNOBoR6n
出身地別の兵隊の強い弱いなんて都会生まれのボンボンか田舎生まれのガキかの問題。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 19:15:54 ID:L594/EbZ
栃木には山上道及もいるじゃないか
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 19:39:11 ID:h0X16l51
鳥取には山名氏がいるからどうかな?
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 21:40:39 ID:iE3RgjXv
>>44 逆に有名武将を輩出した県とその武将を挙げてくれないか(移住してきた武将は除く)
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 22:55:13 ID:jHL1+OzP
愛知県
織田・豊臣・徳川
最強じゃねぇか
>>44 栃木:宇都宮成綱・芳賀高定・大関高増・大田原資清
富山:
石川:畠山義総
鳥取:
愛媛:能島武吉
宮崎:伊藤義祐
沖縄:日本ですらないので却下
>>46 蟠龍は常陸
マイナー武将のオンパレードなわけだが
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:23:26 ID:tsdOVkSe
蝦夷、奥羽に有名武将なんていたか?
愛知、山梨、長野、新潟、山形
↑一般人も知っている超メジャー武将を生み出した県
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:29:39 ID:I78YUid9
南部とか津軽は
>>53の将たちと違いなかなかだと思う。
超メジャーなら
広島もいれとけよ
鳥取には山名豊国がいるだろ
かなーりマイナーだけど
広島(安芸国)って戦国くらいしか人物が出てないらしいね。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:43:13 ID:TETUQTmw
山名豊国という凡将を生んだ鳥取の土壌に現在に至る根深い負の連鎖を感じるのであります
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:53:58 ID:m14yURdX
紀伊(和歌山県)も有力な戦国大名がいませんよね?
最強決めるなら有名武将じゃなくて有能武将じゃなきゃダメだろ
有名=有能とは限らん
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:26:14 ID:/6lELBzw
紀伊の有名武将
鈴木佐太夫
雑賀孫一
>>64 コーエー厨お決まりのそれかよ。
新宮の堀内氏は。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:43:20 ID:tD/j34Ii
薩摩が最強という結論だったか
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:44:18 ID:qxif18K4
雑賀孫一って実在の方だったのですか?
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:57:36 ID:/6lELBzw
だから新宮の堀内なんかマイナーだろうが
そんなの知ってるのは重度の戦国オタ
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 01:08:48 ID:qlsEToaJ
風魔小太郎とか柳生十兵衛みたいなやつか。
71 :
白馬青牛:2006/07/26(水) 02:06:17 ID:PdvNyBbx
>>42 何でわしが、事実を云うたら、アンチ東日本になるんかいの。
>>43 基地外オーラを撒き散らす?わしに対する反論者が実例を挙げれずに
困った時、わしに対する個人罵倒、人格攻撃をしとる訳じゃがのう。
もしかして、その一人か?池沼と云う人物は知らんし、わしゃは、
池沼姓じゃないよ。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 03:08:19 ID:QySIHSUJ
九州限定なら
戦だけ(戦バカ)なら肥後
総合は薩摩
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 03:16:32 ID:2mHNd6N+
大体有名武将の輩出云々では愛知最強でFAなんだから
兵士の話しようぜ
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 03:37:36 ID:fb9g5M54
>>60 だって戦国時代の優秀な広島人は山口に移ったから
今の広島はただのでがらし
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 04:46:20 ID:uTNreUdN
埼玉の武将
扇谷上杉...
>>71 まず31に対してのレスは
・31は「武蔵・下総に牧が多いから馬術に長じた」と言ってるのに都の影響を持ってくるところがずれてる
次に35に対してのレスは
・35は「ソースはとっくに忘れちまったが」と言ってるんだから「出典は?」と求めるのは愚か
先に結論が出てるのをわざわざ聞き返す必要なし
最後に36に対するレスは
・前半はまぁ、一理あるでもないが終わり二行が問題
『歴史序説』読んだことあるのならわかるだろうが、あれは
「辺境の強兵が文化の中心(都)の弱兵と戦いそこを占領して支配階級になる。
だがその辺境民たちもやがて都文化に毒され弱体化し、新たな辺境民に攻められ、取って代わられる」
と言う内容だ。
その本の大筋を無視し。自分の都合のいい一部分を取り出して書くのは論外
そして「西日本人全体がほら吹きになる」と言う一文だけで充分アンチ東日本というのは見て取れる
少なくともここはあんたの来るところじゃない
巣に帰れや
広島=毛利元就、吉川元春、小早川隆景
岡山=北条早雲、宇喜多直家、明石全登
山口=陶晴賢
島根=尼子経久、山中幸盛
鳥取、、、、まじで浮かばない
78 :
白馬青牛:2006/07/26(水) 14:55:17 ID:5EDhEDT2
>>76 馬術に長じていたのであれば、馬柄杓を使うんか?流鏑馬も
都の文化じゃし。
『歴史序説』(森本公誠訳)で、「辺境、強兵、弱兵」云う言葉は使われと
らんよ。badwは乾燥地帯「田舎や砂漠」じゃし、遊牧民(田舎)とオアシス
農耕民(都市民)の事で。文明、社会性を述べたものじゃ。ほんまに読んだ
んか?ほいで、第2章〔六〕に、
「公権威が厳罰をもって人民に臨むならば、人民の勇気ある精神
(自由の気風)は完全に失われる。抵抗できなくなるほど、厳罰を行うと、
疑いもなく勇気を奪い卑屈な心が生まれる。」
それは、封建度、社会的隷属度が強い東日本に当てはまりそうじゃのう。
何で先に結論が出るんか。ほいじゃ、あんたは、自己の偏見と先入観で
結論を決めて、異なる意見の存在は排除すべしと云うわけか。ほいで、
わしに、来るところじゃない巣に帰れや云うて吠えとるんか。
思想統制国家じゃあるまいにのう。どうも東日本人の発想は理解し難い。
>>78 逆逆
文化の影響を受けていようが受けていまいが強さには関係ない
仮に技術として都のほうで優れたものが発明されたとして関東に影響を与えたとする。
同じ技術ならば馬術に長じたほうが強いと言う道理。
常に新しいものが生み出され続けているならともかくな。
『歴史序説』の言葉は今回の論議に必要な言葉に置き換えただけ。
日本の地方を論ずるに砂漠なんて言葉を使うのはおかしいでしょ?
そんなカチコチの頭じゃ議論なぞできはしませんよ?
それに東日本が「封建度、社会的隷属度が強い」と述べているがそれはなぜ?
貴方の中では常識でも一般的には常識ではありませんよ。
それにあなたがいくら『歴史序説』の文を用いても文献としての意見は「田舎や砂漠が強い」なんだから。
『歴史序説』を持ち出した時点で貴方の判断は誤った。
上記のことから
>、あんたは、自己の偏見と先入観で
結論を決めて、異なる意見の存在は排除すべしと云うわけか
と言うのは貴方にこそ当てはまる意見ですな。
ここでオウム返ししか能がないって切り替え視するなら別の言い方で反論してもいいけど?
それに貴方は俺を東日本の人間と決め付けているようだがなぜ?
俺は生まれも育ちも中国地方なんだが?
そういう「自己の偏見と先入観」で俺と言う人間を決められても困るわけだがw
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 15:16:36 ID:fSFxjR1n
国で比べるならやはり経済力でしょ
兵の強弱なんてほとんど無意味だし
>79
痴呆爺にムキになるなって。
お前、親とか祖父母の介護したことないだろ?
痴呆をまともに相手したら心が持たないぞw
>広島の爺さん
はいはい、あなたの言ってることはすべて一片の曇りもなく正しいですよ。
みんな納得して心から信服してますよ
満足したらおうちへ帰りましょうね〜
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 18:11:25 ID:GvNcHB9v
>>56長野は最強の部類とは言い難いんでないか。
山形はご存知伊達家を出して王衆を席巻してるね、強い納得!
越後は上杉、謙信時代は外敵侵入は無し、景勝の時は葦名と北条が先っちょだけ入っただけだから強い、納得!
山梨は武田を出しました。甲斐の国は言わずと知れた強国だから説明不要
愛知…天下人はみんな愛知人です。はい、すごい国です
広島は………………
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 18:30:19 ID:fSFxjR1n
まあ、愛知以外は全部やられ役だからな
愛知>その他
でいいんじゃない
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 18:35:08 ID:EByNrvdl
>>82 超メジャーな武将だろ、長野の有名な武将といえば
まあまあ有名じゃないか、少なくても鹿児島の武将よりはな
山形は伊達家を出してないぞ、拡張された側
独眼は山形から輩出されたが
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 20:58:41 ID:eEXOHB+e
最強は民衆の自治統治された和泉(堺)だろう
86 :
白馬青牛:2006/07/27(木) 00:49:11 ID:Tel1v1fi
>>79 あい変わらず抽象的な文章で具体性に欠ける。関東の方が馬術に長じたと
云う根拠がない。馬術に長じておったなら、西行の弓馬談に、東国武士は
感心したんか?
東日本が社会的隷属度が強いのは、宮本常一氏の指摘しておられるし、
逆バージョンでは関東優位史観の網野善彦氏は(主従制は東国に発達)
認めておられたんでは。まあ、網野氏の西国は帝国主義、差別主義と氏の
思想性と東国被害者意識で語られるのは残念じゃけど。東京で生まれ育った
加藤秀俊氏も『習俗の社会学』で、東日本は親方小方制度の縦社会は、
横関係の西国と異質な後進地帯とされる。浄土真宗の個人主義的精神も、
東北には遅れて入った事も指摘される。東西日本に社会的に違いがないとは
誰の説か。一般的常識とは東日本的常識か。
『歴史序説』における、田舎とは遊牧地帯で、第2章の解説文(1)は
無視かいの。ほんまに読んだんか?田舎が農村と違うことは明らかで、
遊牧民が都市生活者であるまい。遊牧民の支配権力からの隷属度の低さを
云うとるんに、田舎が強いとは読解力が無いらしい。
遊牧民でも奴隷化されると都市民と同じく。同地域でもスペインの例と
して、暴政のもとに奴隷化され、お互いを見棄てる隷属民(先の大戦の
敗戦時の日本軍もその類型に入るか)と、連帯意識を持つ集団の違いを
述べてある。
わしは、東国史観に反論しとるんで、排除しとる方はあんたじゃ。
じゃけえ、>76で自分の吐いた唾を飲んどるじゃないか。
生まれも育ちも中国地方なら方言でたれえや。蝦夷スレでも、東日本人じゃ
ないとか云うとったのう。東国人は平気で嘘を吐くので、信用出来んよ。
87 :
白馬青牛:2006/07/27(木) 01:04:28 ID:Tel1v1fi
>>82 上杉、武田?東国ローカルで強いと云われても、西国とでは戦術に差が
あるので、雑魚じゃろうのう。愛知人だけで、全国に動員する兵力を
賄える訳もあるまい。じゃが、愛知人権力者の被支配者に対する強権振り、
恐怖政治をもたらした部分には感心するよ。
>>86 東国人は平気で嘘を吐く
これは何の本に書いてあったのかなお爺ちゃん?
まともなソース無いなら「自己の偏見と先入観」と解釈していいかな
平気で嘘を付くのは西国人と聞いたが
特に島津の戦績の誇張なんて白髪千丈だよね
薩摩最強でごわす
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 10:30:45 ID:SHRNeaFU
うはっ
ここにもじじぃが出張ってるのかw
池沼はスルーで行こうぜ
基地外相手にしてるとこっちまでおかしくなるし荒れる原因になるぞ
あの加齢臭きつい卑怯者に目を付けられてしまったなこのスレ
「強さ」と「東国」にコンプレックスありまくりだから気を付けて
>>86もみじうし
また人違いしてるな。>79の人は俺じゃないし。
94 :
白馬青牛:2006/07/28(金) 00:10:23 ID:HSNBd5OC
>>88,89
「東国人は平気で嘘を吐く」とその通りに、本に書いてある訳あるまい。
一語一句に揚げ足を取られてものう。ほいで、島津氏の薩摩は儒教じゃし、
誇張を好むのは、その通りじゃが、東日本も水戸学や会津藩等儒教朱子学の
影響が強かろう。まあ、>92氏のように卑怯者という言葉を人に対して
平気で云う神経は理解出来んし、強さじゃ、東国にコンプレックスじゃ、
氏自身が西国に嫉妬や劣等感があるんか知らんが虚勢を張りよる。
宮本常一氏は、東日本で財産の多い者は我に見習えと言っている。西日本の
場合は村全体が良くなることを考える。主従関係が強い社会は嫉妬も強いと
云われたが、その傾向にあるのではないか。わしが会うた東国人の感想を
述べると主観的見解になるけえ、批判的な見解は云わんが、傲慢じゃのうて
虚言を云わん、人情のある東国人にも中にはおったよ。逆に西国人の中にも
つまらんと思える者もおる。
>>93 すんませんですのう。ほいじゃけど、名無しさんじゃあ、誰が書いたんか
解らんよ。
頑張ってるね。
>>94 本に書いてある訳い?ひょっとして。それではただの詭弁でしかないだろう?
根拠の無い論はただの妄想、ただの空論だぞ。
それに東日本の一般の人に対する侮辱でしかないな。
何てったって何の根拠も無しに「東国人は平気で嘘を吐く」なんて
レッテル張りをしたんだからな。
>>96 日本人は大陸人よりは分別があるってコトだろw
>>97 構うと居着くぞ?
構ってちゃんは構わぬが良かろう
100 :
1:2006/07/28(金) 16:25:20 ID:BHzT0Tbi
>>100げっと、正直ここまで来るとは思わなんだよ感無量
さあ、方向性も流れも無視してドンドン盛り上がって下ちい
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 17:03:41 ID:YaJNJNJi
では流れを無視して
>>27で薩摩は鶏や豚を食べてた!
て、話ですがその他の地方では食べてなかったの?
鶏はどこでも食ってたが豚はあまり食わなかった
犬を好んで食ったのは薩摩ぐらいだと思うが
江戸で犬がいなくなると薩摩人に掠われたと言われるぐらい有名だった
>>102 今の日本国民の一部が韓国人を犬食いだといって馬鹿にする感覚に似てるかもしれんなそれ
江戸町民にしてみりゃ薩摩なんてど田舎の外国もいいとこだろうし
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:08:58 ID:w1BBumrd
犬を食べてたのならもしかして【ぬこ】も?と思い(猫の歴史)で
調べたら基本的に(綱吉の生類憐れみの令)までぬこは家の中か
繋いで飼うのが当たり前だったらしい?
ぬこを食べてた話なんてある?
>>103 チョンは異常だから馬鹿にされるんだろw
ぬこは雑食悪食でまずそうなイメージがある
緊急時はともかく好き好んで食べてたってことはないんでないか
107 :
白馬青牛:2006/07/29(土) 00:55:23 ID:LTNtFBEj
>>97 「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史 其の弐」で92氏と思えるレスで、
実例を挙げることが出来ず、結局宜昌の仙台13Dの失態を誤魔化し、
根拠ものう、広島39Dを愚弄する者が、嘘吐きでないと言い切れんよ。
自らの嘘吐きを他者のせいにして、謝罪を要求したいんか?
>>98 日本人=西日本=自由、民主、開放的、海洋性。大陸人=東日本=専制、
閉鎖、独裁、内陸、大陸国家と云う分類か?まあ大陸でもツングース民族に
嘘吐きはおらんよ。大陸でも東日本と同じように宗族制が発達した中国・
朝鮮や農耕化した中央チベット・中央アジアのオアシス都市民は、
その傾向も強い。薩摩は海洋的文化要素もあるが、東支那海文化圏、
儒教文明圏の要素も強い。
>>102-104 犬食は、朝鮮文化に近い薩摩のみでなく、日本でも喰われておった。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/society/inunikusyoku.htm 江戸寛永期の『料理物語』にも犬料理があるが、弥生〜明治まで犬食は
当然のこと。
犬は江戸時代食ってただろ。
猫はどーだろ・・・・
なんか猫は煮るとアクが半端じゃない量出てきて収拾つかなくなると読んだことがある。
静岡の清水のあたりはイルカの肉がスーパーに並んでることがある。地元でも
好んで食べると言うほどでもないが驚いたよ。
110 :
白馬青牛:2006/07/29(土) 02:22:30 ID:b+j0W5qp
>107は、大陸でも東日本のように宗族制が発達したところは、
専制制の傾向が強いと訂正。
>>108 広島第231聯隊の戦記でも、炊事の肉を猫に奪われたことから、
「リンゴ箱を仕掛けて猫を捕らえ、皆でその肉を食うたが、泡立がひどいの
には閉口した。」とある。
猫は完全な肉食獣
犬は雑食
昔から日本人が食べていた動物の肉には
花や植物の名前が付けられている
鶏=柏
狸=牡丹
馬=桜
人間と同じ赤い血が流れている動物を食べるという行為は卑しいとされ
食卓で動物の名前を出すのは生々しいので嫌われていたからではないかと思う
ジョジョによると、肉食の肉はまずいらしい
魚食はセーフ?
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 09:50:11 ID:19Ne3TIi
まあ猫の場合はネズミ捕ってくれるしそれなりに大事にされてたのでは?
犬や狼なんかが増えすぎると家畜を襲われるから処分してたって事もある
のでは?
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 09:59:22 ID:7xUcVYxl
ってか甲軍・越軍はなんで強かったんだろ?
薩軍は、いまのソフトバンクとか見てたら分かる気がするけど。
気持ちが強いのかな?体が強いのかな?
不思議だよね。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 11:00:06 ID:uLgO05pS
甲軍(ヴァンフオーレ甲府)
越軍(アルビレックス新潟)
どちらも昔の心技体は失われたようですなぁ〜
福岡と薩摩じゃ遠すぎると思うが
>>115 新潟のスポーツは何やってもだめだろ。
山梨に失礼だ。
>>115 甲府はともかく越後武者は殆ど国替えで山形に移ってるじゃん
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 19:56:09 ID:hi6MiRAF
岐阜
122 :
白馬青牛:2006/07/30(日) 01:22:24 ID:yigh4XeA
>>111 馬=桜・猪=牡丹・鹿=紅葉ではないか。牛肉の場合はヘカ喰いとか、
犂等の道具の名前を付ける。
>>114 何処の地域と比較して?また越軍や甲軍に犯され、奴隷化された
関東人に回答を願いたい。東京師団でも、甲府聯隊よりも佐倉聯隊の方が
今村均氏の云われるよう、優秀で強いとか言い分はあるじゃろう。
>>118 貧しい土地の軍隊は封建的要素の強い、卑屈な奴隷性を持っておるので、
さほど精強とは云えんと思うんじゃが。強いと云う実例があるんなら
挙げて貰いたいもんじゃ。
>>120 概ね土着民であろう。
>>122 どこをどう読んで関東になるのか。広島モルモット人頭おかしい。
>>107 >>97へのレスについて言っている意味がわからない
とりあえず根拠もなしに東日本人に対し嘘つき呼ばわりした事謝罪しな
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 05:30:17 ID:IZaDXMHd
天下人クラスの有名武将を複数輩出したのって愛知だけのような
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 07:00:50 ID:xnLLOKjo
↑↑↑↑↑
だから何?って話なんだがな
まあこのスレでそりゃなしか
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
中学校の同窓会に行こうとしたら
「中学の時のクラスメートや先生に、愛知のキチガイ脳糞古川だなんて、わかったらどうする。
みっともない。
愛知のキチガイ脳糞古川の身で、同窓会なんかに行くな!」
と怒られた。
「同窓会くらい、いいだろう」と反論したら
「親の言うことが聞けないのか!」と玄関先から、家の中に
押し倒された。
脳糞古川だと、同窓会にも行けないのか?
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 17:55:13 ID:GhuQDlxL
紀州紀の川筋の傭兵軍団は戦国最強との呼び声が高い!
雑賀衆 根来寺 粉河寺
九州人は軍人には最適て大久保利通云ったって何かで読んだ。
やはり薩摩最強!九州男児は戦闘民族
131 :
白馬青牛:2006/07/31(月) 01:51:49 ID:ME+hqva6
>>124 >97へ言っている意味がわからないと誤魔化し、揚げ足取りで
謝罪要求か。会津の長州に対する思考と同じで、被害者意識を語られても
のう。どうも宗族性の発展した、極東3国(中国・朝鮮・東日本)の
発想はどうも理解し難い。『歴史序説』については、
http://www.orient-matsudo.com/ogawa.html http://www.orient-matsudo.com/ogawa.html#2 の、2・イブン・ハルドゥンの『歴史序説』に、都市民(オアシス農耕民)
や遊牧民の「誰にも支配されない自由」道徳的に高く質実剛健。
宮本常一氏の云われる隷属よりも契約で小作となり、自らの副業を持つ
西日本と、自由度の薄い隷属し卑屈度の強い東国社会とも分類も出来よう。
4・砂漠とオリエント宗教にも、遊牧民の生活は、倫理性、つまりモラルが
非常に高い。高野山や比叡山の山奥にこもる事(山岳信仰も西日本的思想)
は、満洲ツングース系の老人が俗世間のわずらわしさを嫌って、家族と
離れ、山で孤独な世捨て人として余生を生き続けることとも、
「ニコライ・A・バイコフ著、樹海に生きる」共通項がある。
>>126 山地と云えば、愛知県出の大名はねえ。つまり紀州や阿波の祖谷等の
山の民を虐殺した。強権支配は現地住民を畏怖させ、弱体化させる手段で
あろう。武将を誇っても、町衆の自治権や一向一揆の弾圧も含め、
弾圧・専制体制を促した面は大きい。
>>130 そうだな九州人が最強だ!
んでだな、このスレに変なのが居付いちゃったんだよ。
そいつを最強の九州人がなんとかしてくれ。
我輩は頼りにしている。
133 :
白馬青牛:2006/07/31(月) 02:02:44 ID:ME+hqva6
>>130 九州は戦闘民族と云うより、概ね朝鮮半島と近い儒教民族要素が
強い。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 04:36:01 ID:IIQGMnyI
>>白馬青牛
日本語でおk
九州と東北は非日本だと思ふ
>>136 そんな事云わないでおくれ
東北人だって日本人の誇り持ってるんだから!
次生まれ変わってもまた日本人がいいな
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 02:46:28 ID:zbJlLFlI
どうせなら次は別の星に生まれ変わりたい
>>131 お前の云ってること誰が理解できんだよw
>>107で仙台とか広島とかいきなり云われてもわけわからねえよバカ
ボケの介護は家族にしてもらえ
141 :
白馬青牛:2006/08/02(水) 02:15:56 ID:IA5lwXjx
>>137 野球の話?他板でも云うとったが、現時点野球の弱い広島をけなして、
溜飲とはねえ。
>>138 東北人も日本人として誇りを持つ?>92の言に誇りを持てるんかのう。
>>140 いきなり云われて解らんのじゃったら、他板をスレを調べりゃええじゃ
ないか。理解出来んと云うおどれの低脳さをわしのせいにしとるじゃ
ないか。まあ、わしの文章力の無さも、反省するけどね。後の文は余計な
お世話じゃ。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 02:29:55 ID:zIztGITT
>>白馬青牛
空気←読める?
>>141 どこにあるかも分からんのに一々探してられっかバカ
本当に自己中ジジイだな。そら家族にも嫌われるわ
>>141古豪うし
牛の産地で騎乗下手だった西国人の子孫だから、
悔し紛れに古豪広島師団自慢で溜飲下げるの誰だろう。
古い学説と好都合な説をごちゃ混ぜ、捏造。
時代遅れの精神が、このうし文章と一致してる。
↓
>一点を取りに行く野球、精神野球は、広島師団の進取、必勝の精神と共通項なんかも知れん。
関東でそんな軍隊野球は、関東各地から好素材集めて迷采配の内弁慶モリシ浦学ぐらい。
亀田ジャッジ=うしちゃんw
>>142 亀田ジャッジ=うしちゃんw
wwww
牛ちゃん関西人世界チャンプ誕生オメデトウ!
さぞかし誇りだろうね
本人おらへんやん。
>>145 パンチない、スピードない、膝硬い、打たれ弱い、ローブローw
偉大な世界チャンプは関東人か沖縄人。
間違った
>>144 しかし見事に文全体に禿同!
牛の広島マンセー史観は今日の判定くらい胡散臭いしなww
これからお前は八百長牛なw
関西は強いよ
大戦期の大阪の兵隊は最弱って扱いじゃなかったか?
なんとも言えないよ
第四師団は日清戦争で留守だったし(一応半分は混成旅団編成して台湾にでてるけど)
日露でもパッとしないからそんな謡とかができてしまったんだろうね
だいたい徴兵検査はどこも同じ基準だし、大阪だからと言ってヘタレしか
居ないわけじゃない。河内とか和泉の荒くれ男児から徴兵すれば別に他に
劣らないだろうし。
実際大戦期の戦歴は詳しくないが日露でも南山の死闘で第一師団(東京)第三師団(名古屋)
と共に攻撃し、一旦攻撃が停滞してたときに活路を開いたのは第四師団だし
キッチリ戦歴調べていけばまあ弱いこと無いんじゃないの?
155 :
白馬青牛:2006/08/05(土) 00:08:23 ID:pkI640WY
>>144 野球の次はボクシングか。そういやあ、あんたボクシングをしよったん
じゃろう。わしゃは、ジャッジじゃないし、興行でやっとることを
云うてもしょうがないが、日本人の多くが判定に異議を唱えたことには
感心した。まだ我が日本がそういう気持ちを持っとることに。
>>152 元仙台第13師団の関幸輔氏の「おとぼけ師団」と大阪師団に対する
罵倒が出とる。たいして強うもない仙台13Dが他師団を
よう批判出来るのう。東北人は近畿兵団を喜んで貶めるが、
わしのように東北師団が強くなかった。と事実を指摘すると実例もなく、
感情的人格攻撃の罵倒を繰り返す。いつもの事じゃが。
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08d06.html#01844 マレー作戦の兵力について出ておる。広島5D(鯉)はイギリス師団より
かなり強く、久留米18D(菊)や近衛GDも、やや強いと99号氏は
評価されるが、広島5D将兵の評価によると、近衛GDよりも、
バッテン(九州弁をもじっておるが、久留米師団のこと。)の方が
欠点は色々あるが、やや上じゃないかとの事。広島5Dはエース師団で
マレー・シンガポール戦を全戦を通じて戦闘した。
で、それのどこが戦国時代なの?
>>155うし
ボクシングの判定なんていい加減なとこあるが、亀田のは酷すぎる。
スポーツでそういう場合の日本人って他国より正直だろ。マナー良いし。
別に驚く事もないと思うが。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 03:37:53 ID:LC2Ng7rc
戦国時代最強は秦
総合的に近江が最強だと思うが
一国で78万石、鉄砲鍛冶、石積み職人は山ほどいるし
琵琶湖水運、東山道、中山道、東海道の結節から生み出される商業利益も膨大
大津に拠点を置けば馬で30分で上洛できる
160 :
白馬青牛:2006/08/06(日) 01:09:16 ID:cHk/Pua+
>>157 スポーツの場合はそうじゃろう。海外での日本人のマナーについては
賞賛出来んでおる。それはわしの個人的経験で一部の人達と云われれば、
全員を調べることも出来ず、何とも言い難いが。どうせ興行じゃろうと
醒めた眼で見るわしと違い、スポーツにおいて不正を嫌がる日本人が多い
ことに、多少気分が良うなったと云うこと。
白牛は放置しろよ。
日本史板の有名な電波なんだから。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 03:19:43 ID:Paj67X5A
最近は騎馬民族説のスレにも来てないみたいね
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 03:46:24 ID:v0ykVFAV
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 03:48:30 ID:+Zo7eUI7
>>159 俺も近江最強だと思う。地理的にも畿内に近い方が絶対有利だし。
ただ、畿内近郊の近畿地方の大名は領地が細かかったり、権力闘争に忙殺されたり、競争率が高かったり
とかで、どれも短命なんだよね。初めから近畿地方にいた大名家でその後生き残ってるのなんて
かなり少ないしな。周辺大名が畿内を制圧するのがベストだべ
近江より雑賀のが強そうに見えるな。
畿内西国の利点は鉄砲。
>>162 別スレに健在だよ。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 09:45:25 ID:rUDfH+JZ
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 09:55:32 ID:rUDfH+JZ
戦国時代各国の兵士の強さ
尾張 1
美濃 2
三河 5
甲斐 10
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 09:56:41 ID:rUDfH+JZ
尾張兵三人が三河兵一人に、三河兵三人が甲州兵一人にそれぞれ匹敵する
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 10:02:42 ID:yHLVWihM
(●ω・`)戦いは数よ!弱ければ圧倒的、数で踏み潰すのみよ!
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 10:03:49 ID:rUDfH+JZ
訂正
戦国時代各国の兵士の強さ
尾張 1
美濃 2
三河 3
甲斐 9
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 10:26:42 ID:rUDfH+JZ
松平は元々は群馬県出身だったっけ?里見氏・山名氏とかと同根で新田家系だよね。
たしか鎌倉公方の足利持氏を非難した上杉禅秀の乱のみぎり関東を去ったとか。
くじ引きに参加できなかったばかりに将軍になれず永享の乱起こす持氏カワイソス。
この時期から早雲登場前夜までの関東武士は戦乱続きで強兵っぽいが…早雲が伊豆侵攻した頃には関東武士は疲れ果てて嫌気がさしてたような気が。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 10:39:46 ID:rUDfH+JZ
西欧人にとって日本の奴隷市場は革命的なものでした。
なんと通常の1/3の価格で売買できたのです。
もちろん、日本の人買いが「買え、買え」と西欧人に押し売りしてたのがありますがね。
このときのアフリカ人奴隷が現在で20万円くらいで売買されてたようですが、日本人はなんと6万円です。
「こんなに安くていいんか!」と思ったでしょうね。
西欧人と日本人の奴隷の観念が違うのです。
西欧人にとって奴隷とはモノ同然の犬猫です。
日本人にとっては「債務」を抱えた同じ人間です。
つまり「債務」さえ完済すれば同じ人間に戻れるのです。
売値が「債務+利益」ですから、通常の奴隷より価格が安いのは当然ですよね。
始め、西欧に寛容だった豊臣秀吉が急に「西欧排斥」の態度に変わった原因もここにあるのです。
海外でいつまでも強制労働を強いられている日本人の存在を秀吉は知りました。
めっちゃ怒ったようです。
西欧人にとっては人身売買は「所有権の移転」です。
日本人にとっての人身売買は現代でいうと「派遣社員」に近いのです。
「債務を完済するまでが奴隷であって、一生奴隷なんてありえない」と思うのが日本人共通の観念でしょう。
1587年にこの問題は外交問題となり、ポルトガル政府は苦慮したようです。
言い訳はこうです。
「あんたらが買え買えというから買ったんであってどうにもならなかった」
だそうです。
なんとなくわかる気がしますがね。
対応策は海外に存在している日本人奴隷の売買を禁止しました。
しかし、もうスペインはおろかアルゼンチンまで日本人奴隷がいたそうですからもうどうにもなりません。
http://ameblo.jp/syamo0001/entry-10007074564.html http://ameblo.jp/syamo0001/entry-10007164593.html
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 11:21:43 ID:B3sZAr2P
>>55 沖縄の有名武将に
与那国島の女酋長・女傑のサンアイ・イソバという人物がいる。
2mを超える巨体とその怪力で大剣を振り回し、
同時に強い呪力を併せ持ちさまざまな呪文を唱えたという。
戦略・戦術指揮官としても四人の弟に
それぞれの軍を率いさせ蜘蛛の子のように操り、
八重山に侵攻する琉球王国の侵攻軍もゲリラ戦法で打ち破り、
八重山の島々の中で唯一、琉球王国と対等に講和を結ぶことに成功したという。
さらに内政も抜群で与那国島の自給自足促進のために大量の農地を開かせ産業を奨励したりした。
ようするに個人武力、戦略・戦術能力、内政、外政、オカルト能力
全てにおいて凄い力を誇った女酋長であったという事だが、
あくまで伝説的人物であり偉業も伝説的なものである。
ただ与那国島においては女性の地位が異様に高く、
女性が家族の家長となるのが代々ならわしであったのは事実。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 11:54:26 ID:cL7T4puY
>>172 徳川=松平は、自称・源氏。
奥三河のただの豪族だよ。
武家の家系図なんて、ほとんどが、オレオレ家系図=自称・家系図。
朝廷と関係が深い氏族などでないと、高い官位がもらえなかった為、
高い官位をもらう為の、家系図を偽造しての出身の自称が多かった。
徳川家康=松平家康も、三河守の官位をもらうときに、松平姓で頼んだら、朝廷から断られたので、
得川氏の子孫を自称し、名字を松平から徳川に変え、三河守の官位を得た。
http://www2.harimaya.com/aoi/tokukeiz.html
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 15:48:52 ID:YMwWpKNg
世良田神社ってあれうそ?松平清康は世良田二郎三郎と称したときもあるとか???
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 18:35:38 ID:yOInbDdv
信濃が最強だよ。信玄に二度土をつけた村上義清、
そして真田家を輩出。
武田家は甲斐という小国の国主だが甲斐の2/3しか領有していない。
残りは武田の親類で武田とは対等な同盟関係にある小山田の領地。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 19:07:33 ID:f/X6thVp
甲斐が強かったのは地元においてだけ
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 19:38:46 ID:6DhPEDmr
村上義清か
戦は強いが一本気すぎなんだよなあ
無駄に清廉潔白なところが信州人の悪いところ
※真田は上州に落ち延びてから腹黒になったことに注意
181 :
白馬青牛:2006/08/07(月) 00:22:38 ID:xjHXy1n1
>>171-173 九州の奴隷売買をもって、西国が奴隷売買の本場とはのう。
長崎だけでなく、平戸も奴隷交易市場とした重要な地じゃった。
日本の奴隷形態についても、西洋とイスラム社会でも違い、イスラム社会
では、奴隷でもマムルークのように上級将校に成る者や、商人の代理人と
して遠隔地での取引に活躍した奴隷もおった。
日本も地域による違いがあり対馬の永代奴のように、生きておる限り、
永遠に奴隷として過ごし、対馬から船で脱走を試みた者も途中で捕まり、
連れ戻され隷属状態におかれる。東北地方の名子制度も無条件の服従関係で
成り立っておった。どこが派遣社員なんか?日本人の共通観念と云える
訳あるまい。隠蔽、捏造する人達にとって共通観念であり、事実を
隠蔽するのが日本人なんか?日本だけが独特と妄想する鎖国的独善思想を
云われてものう。
東日本は大きな大地主の家に小作人が隷属し、西日本は、期間において
契約により労働する。その東西区分は名古屋あたりと宮本常一氏は
云われる。西日本でも四国の土佐や九州の西部や南部は、固定制化された
社会も多い。先の大戦時まで、「唐行きさん」や「天草娘子軍」も同胞の
日本人に、「いい仕事がある」と騙され、東南アジアに売られ、幸運な
人達は華僑や現地民の妻になったが、他の方々は、第二次大戦勃発まで、
肉体を提供し、生活の糧を得ておられた。
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 01:53:57 ID:3Smw5NKB
誰だよこんな奴呼び込んだの
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 02:02:43 ID:QqBOhc6h
つーか奴隷の話は全然スレ違い。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 18:31:24 ID:smvEPRek
レスするたびに袋叩きに遭う牛さんカワイソス
>>184 考古学・お国自慢に戦国・日本史板。
古代・中世・近世・近代・現代。数多くのスレッドで東国罵倒し叩かれる。
それが牛さんクオリティー
その牛さんと、ひそかに友人だった過去があったりする。
>>173 派遣=奴隷に泣けた。
正確には、請負派遣=奴隷だけど。
189 :
白馬青午:2006/08/08(火) 19:50:07 ID:adG+KJJM
諸君、わしが天才であることはわかって頂けたかな?
天才と紙一重ほど違う事は理解している。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 21:00:31 ID:bCx5HFdx
太平記を思い出すと、
陸奥最強!って気もする。
兵卒は鬼だよ。
>>181 壊れたスピーカーみたいに同じ事ばっか云うねこの人
195 :
白馬青牛:2006/08/17(木) 14:40:07 ID:8ui6cD1l
>>189 しばらく、おらん間に偽者が現るか。
わしゃ、自分を天才じゃ思うとらんよ。
お帰りw
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:33:55 ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 20:27:21 ID:eyshkXa9
越後兵が最強だよ
寒さに強い北国武士ほど強いのは世界共通
えっえっー???
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 08:56:23 ID:t0KmxSUP
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 14:22:18 ID:8YadazeG
あまち
毒吹き矢は強そうだがなw
205 :
白馬青牛:2006/08/24(木) 23:08:22 ID:9yfxk8gs
>>199 東日本ローカレで、越後兵が最強と云われてもねえ。
北国武士ほど強いのが世界共通とする根拠は何かねえ?
北国の兵士に特徴的なのは、鈍重であるということじゃろう。
中国でも山西軍のように華北兵は、鈍重で精悍性に欠けるが、
困苦欠乏に耐える長所もあった。
冷帯と違い暖帯の南の兵は精悍で、大陸の中国で云えば、日華事変に
おいて広西軍は獰猛な部隊じゃった。明代でも華南の苗族や土家族で
編成された土兵と共に広西省の狼兵は明軍の虎の子の精強部隊であり、
明代、対倭寇戦に武勲をたて、清末にベトナム国境でフランス軍を撃破し、
イギリス軍を崑崙関に撃破した。後に崑崙関は、広島第5師団が広西軍・
国府軍が南寧戦で激戦し死守した地でもある。そう云えば、仙台第2師団、
越後の高田聯隊や新発田聯隊は、冬季作戦で広西軍に負けとったか。
広島第39師団が救援し穴を塞いで良かったね。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 23:25:12 ID:a93c+Oey
だからここは戦国時代板だと
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 00:48:05 ID:a467UOEj
うしちゃんの主張って広島最強だったっけ。畿内最強だったっけ。
208 :
白馬青牛:2006/08/25(金) 01:41:25 ID:K+VKwDT/
>>206 戦国時代であろうと、近代であろうと、地域の風土性は変わらん。
風土も地域の社会組織性と共に将兵の性質を作るので重要じゃ。
>>207 畿内が一概に弱いとは云えん、云うた訳で畿内最強と云うたことは
無いんじゃけど。
薩摩の勇士が最強に決まってる。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 02:17:22 ID:X9Kxpiel
百姓にも勝てないヘッポコ侍が何を言う
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 03:21:20 ID:kMsO+1UC
結局赤備 武田騎馬
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 03:42:38 ID:1tdH6WDa
結局赤備 群馬騎馬
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 03:47:51 ID:wEWv29VF
地元でしか強くないという
会津最強。
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 09:57:42 ID:JKTJSvv4
>>205 >北国の兵士に特徴的なのは、鈍重であるということじゃろう。
鈍重であると言える根拠はなんだ?
自衛隊の駅伝では、東北方面隊と第6師団が優勝しているんだが、
南の方が精悍じゃなかったのか?
都合のいい所だけ取りあげて話しているけど、
始皇帝や劉邦は北方で力をつけて王朝を立ち上げたし、
三国志でも、南の呉や蜀を北の魏が圧倒した。
清も北から大陸を統一したっけな。
中国の南方出身の部隊がそこそこ活躍したからって、
それがどうした?という話だ。
士気や気候や地形や指揮官や兵站やその他諸々を無視して、
手前勝手に師団の強弱を語られてもねえ。
兵の強さなんて地域差ないよ
いかに訓練と教育を施されているかと言う事でしょ
あとは実戦経験
大戦中日本軍は白兵戦強かったけど
正直訓練してない日本人が白人や黒人相手に喧嘩して勝てる見込みは限りなく少ない
体格差が圧倒的だもん
地域差があるなら人種による体格差ぐらいでしょ
中国は昔から北>軍人、南>文人
南宋の最後を支えた張世傑が北方軍人なところからも垣間見えることだが
219 :
白馬青午:2006/08/25(金) 18:23:41 ID:cpY1VLoc
わしの意見に反論するでない。黙って話を聞けばよいのじゃ。
チラシの裏にでも書いてろ。
270 名前: 名無し三等兵
広島第五師団の越智春海元陸軍大尉が「マレー戦記」で書いていたが
日中戦争当時から太平洋戦争にかけての当人の見聞として、大阪の部隊と
組むと必ず苦戦させられるのでどこの部隊も大阪の部隊と組むのは嫌がって
いたというな。
まぁ本人は大阪でも工兵部隊は頑張ってくれてマレー戦ではお世話になったと
フォローしてるが。
だいたい当時の人の感想はそういうのが多いんじゃない?
少なくとも大阪の部隊が勇猛果敢な精鋭で、他の部隊から頼りにされていた
というような話は聞いた事が無いし。
>>208 >戦国時代であろうと、近代であろうと、地域の風土性は変わらん。
>風土も地域の社会組織性と共に将兵の性質を作るので重要じゃ。
ではもし日本が戦争に巻き込まれたら、戦闘に向いた人間が多く作られる風土性の
広島からは沢山兵隊を送り出したほうがいいな。期待してるぞ。鈍重な東北人は
足手まといになるからお留守番してます。
現代に地域性の差異なんてそこまであるのか?
224 :
白馬青牛:2006/08/25(金) 22:37:46 ID:b8+SayYq
>>205 は、ローカレでなくロートル。仙台第2師団でなく仙台第13師団と訂正。
>>215 >鈍重であると言える根拠はなんだ?
仙台2Dの指揮官であった多門二郎氏も認めておられるではないか。
何で駅伝が出てくるんかわからんが、始皇帝の秦は、元来羌系遊牧民じゃ。
劉邦のライバル項羽は楚じゃろう。春秋戦国期から楚は強いよ。
江南の呉・越を制覇したのは、呉・越が弱兵であったせいもあるが、
最後まで秦のライバルじゃったし。他の華北諸国も楚と対抗出来るほど
じゃなかったし。清(満洲族)に対し、最も勇猛に戦闘したのは、
苗族じゃったが、満洲人が中国制覇に活用したのは、西北部、長安の都の
あった陝西省の連中じゃった。まあ支那軍の強い兵士の地域では、青海〜
陝西、山西の西北地区、山東も強い。南では、湖南、広西、雲南。
人民解放軍の兵士が最も多い四川もね。西の羌系、北のトルコ、モンゴル、
ツングース、南の苗系と少数民族の多い地域は、漢人も影響を受けたんか、
これらの地域の兵士も強いね。
近畿人叩くのは結構だけどさ、それは日本史が日本史じゃなくなってしまうんですけど。
じゃあ東日本蔑視、近畿優遇のじいさん黙らせて
228 :
白馬青牛:2006/08/25(金) 23:29:06 ID:jwIkoncd
>>216 実戦経験は必要じゃ。部隊が編成され緒戦に犠牲者が多いのも、
そうじゃと云えるけどね。白兵戦は戦闘の決勝戦じゃし、これに負けると
負け癖が付き、それからは負け犬になって仕舞う。じゃが、何で日本人が
白人や黒人に喧嘩で負けにゃあいけんのか?米国日系移民の部隊も
テキサス第2師団と喧嘩して、小勢ながら勝っておるではないか。
部隊対抗の喧嘩で負けた者に戦場でも活躍に期待出来まい。
広島5Dが青島で海軍の連中をシゴ(ぶちのめした)したんも同じこと
じゃ。(余程不祥事なんか、広島5D長であった今村均氏も青島事件に
ついては言を避けておられる。)
ほいじゃが、喧嘩に体格差も糞もない。あんたあ、白人か黒人と喧嘩して
負けたんか?われの奴隷根性からそう思うんか?闘う前から負けとる
ようじゃ勝てんよ。あんたに体力に自信がのうても、女性であっても、
相手の鼻っぱしらに頭突きを喰らわすことは出来るじゃろう。身近にある
もんなら利用出来るよ。砂を相手の顔のかけ、道具(武器)にて、その時の
状況で相手の足を殺すか、脳天を一撃して戦闘力不能にしてあげるか、
(致命傷となる後頭部や脳挫傷となる可能性の強い側頭部の攻撃は、
過剰防衛となる場合があります。)兎も角相手に主導権を奪われたら負け。
不良外人が喧嘩の場所を指定したら、場所に着く以前に勝負を決めたれい。
あとは必勝の精神じゃ。あんた、戦闘者である日本人として風が悪う
ないか?わりゃ、しゃんとせい。奴隷根性は持つなやと云いたい。
どうも最近の日本人は、他人種に弱い軟弱者が多いようじゃ。
>>222 広島人は運動能力が低い
期待しないのが吉
>>229 いやいや、>228で広島人の強さが分かった。期待しているぜ
大したもんだよ、俺は爺さんだろうとこんな人と喧嘩したくない
231 :
白馬青牛:2006/08/26(土) 00:02:15 ID:Y/222dL/
>>218 山西(中国西北部)は将を生み、山東(中国東部)は相を出す。
や、河北人粗野、河南人文雅。と云う諺もあるが、実績・実例で検討
したい。
>>219 また偽者が現るか。
>>221 そのことは、お国自慢板「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史」の方に
書くよ。
>>222 それは、お国自慢板の郷土の英雄。帝国陸軍師団スレに書いたよ。
>>225 日本列島における人種の南北逆転現象(西日本は北方系、東日本は、
北方系であっても南方形質要素も増え、辺境部は南方形質の縄文系)に
ついても、日本史板に書いとるよ。弥生人というより古墳人も含め北方系
新モンゴロイド。各師団の戦歴を調べたいんなら、図書館か古本屋で
戦記を漁るか、防衛庁公刊史を調べるか、ダイジェストで足りるネット
よりも詳しく、自分の足を使うた方が良い。
>>230 広島人が黒人よりケンカで強いとか言ってるようなもんだよ。
妄想うしのおっちゃんが勝てるわけねーし。
てーきょーにレイープされた広島だよ?
普通にありえないからw
>>232 ハッタリっつか喧嘩なんて大抵ハッタリで相手ビビらせた方の勝ちじゃないか?
うしが黒人と喧嘩した事あるかどうか知らんけど、まあ適当に広島人強いねー
凄いねー頑張ってーっでいいんでないかな。喧嘩強くないと戦場で活躍できない
らしいし
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 00:23:56 ID:fouvZ96T
西国人のイメージを落としてる事に気づいているのだろうか
それと軽いツッコミ
>>228 >何で日本人が
>白人や黒人に喧嘩で負けにゃあいけんのか?米国日系移民の部隊も
>テキサス第2師団と喧嘩して、小勢ながら勝っておるではないか。
たまには勝つ事あるだろ
お前ら叩きの為の叩きになってんぞ。
このボケ爺さんと同じで理屈なんぞ幾らでもつけられるって根性だろ。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 01:28:32 ID:fouvZ96T
結果だけ見れば尾張・三河が最も強かったんだが
東北と九州でどちらが強いか?って事になると正直わからん
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 01:53:32 ID:xc26LwJr
だからそれは組織の強さだろ
個人能力に極端な地域差なんてあるわけない
全国ほぼ同レベルだよ
日本人て意外と戦闘大好き民族なのかな?
新聞で見た日中韓の若者に戦争になったらどうするとのアンケートで「戦う」
が一番多かったのが日本。やはり先祖のDNAか
普段はペコペコ頭下げてるけど
いざとなったら戦う民族なんだよ
現代の若者の言う事なんか当てにならん
学校や仕事もろくに勤まらない程度の根性で軍人が勤まるわけがない
無知だから何の考えもなしにそんな事言えるんだよ
次にまた大戦が起きたら日本はおしまいだな
つうか戦争なんて起きなくても既に終わってるか
>>241 >「世も末だ。未来は明るくない。賄賂や不正の横行は、目に余る。」
>-----古代アッシリアの粘土板 B.C.2800頃
>「子供は、暴君と同じだ。部屋に年長者が入ってきても、起立もしない。親にはふてくされ、客の前でも騒ぎ、食事のマナーを知らず、足を組み、師に逆らう」
>-----ソクラテス
>「最近の若者は、何だ。目上の者を尊敬せず、親に反抗。法律は無視。妄想に耽って、街で暴れる。道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる。」
>-----プラトン
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 08:01:18 ID:FrGGymvr
S 上杉謙信
A 武田信玄 毛利元就 織田信長 島津義弘(義久弟) 真田幸村
B 斉藤道三 尼子経久 山名宗全 北条氏康 徳川家康 伊達政宗 真田昌幸
C 豊臣秀吉 長曽我部元親 大友宗麟 龍造寺隆信 柴田勝家 本多忠勝 蒲生氏郷 宇喜多直家
D 浅井長政 明智光秀 前田利家 加藤清正 福島正則 蘆名盛氏 佐竹義重
強さランキング
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 08:09:39 ID:xcNboDuR
>>224 へー、師団の名前を間違えていたわけか。
広島師団の武勲もどっかの師団のと見間違えたんじゃないの?w
ロートルさんだしww
で、その多門二郎氏がいつどこでそれを認めたんでしょう?
また、その人が認めたとして、それを鵜呑みするのもどうかと思うけど?
他にも2〜3人、そういう事を言っている人がいればわからなくもないが。
勿論、やっかみでの批評は省いて。
>始皇帝の秦は、元来羌系遊牧民じゃ。
だから?南方系じゃなくて北方系であることに変わりないだろ。
>劉邦のライバル項羽は楚じゃろう。春秋戦国期から楚は強いよ。
南方の方が精悍だと言うなら、呉・越が楚に遅れをとるはずはないんじゃないの?
まあ、全部北の秦に飲み込まれるんだけど。
>清(満洲族)に対し、最も勇猛に戦闘したのは、苗族じゃったが
どこも抵抗したって、最後には破れているだろ。
てか、中国のさらに北方の蒙古が、その精強さをいかんなく発揮しているのは
世界史を見れば明らかだけど、
鈍重で精悍性に欠けていてはできないことだよなw
北国の兵士は弱いんじゃなかったっけ?
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 08:22:01 ID:fPeshML0
>>239 世界史レベル、又は世界の軍事評論家からは、日本人(日本兵)最強説が根強い。
第二次世界大戦で特攻作戦を組織化したことで、勝利の為に死ぬことを厭わない
民族、組織の為に死ねる死兵を持つ国として、世界の軍事関係者に恐れられている。
まあ、クレイジーの代名詞にされてるけどね神風。
まあ、これ以上強い兵はいないだろう。
その次に強いのがロシア兵だというのが、世界軍事史の定説。
そして、ペリー来航以来わずか50年ほどで、当時最強クラスと言われた
ロシアバルチック艦隊を撃破しえた根本的な原理は、100年続いた戦国時代である
ことは言うまでもない。ちなみに信長があのまま天下を取っていたら
ヨーロッパ諸国に先駆けた絶対君主制が成立し、産業革命の波にも乗り遅れず、
世界の覇権を争い歴史は大きく変わっていたかもしれない。
秀吉の朝鮮支配なども、戦国史のレベルでは否定的に語られるが、近代史の視点を
導入すれば評価も違ったものになると思われる。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 08:37:26 ID:xcNboDuR
>>231 山西は西北じゃなく、北と言って問題ないところだろうに。
この阿呆はまた都合がいいこと。
陝西を西北と言うならまだわかるけどな。
あと、山東も東じゃなくて北東。
東と言うのは江蘇あたりだろ。
>(西日本は北方系、東日本は、北方系であっても南方形質要素も増え、
>辺境部は南方形質の縄文系)
あのさ、また都合がいいこと言ってるけど、
関西人と九州人てだいぶ違うんだが、
なんで一枚岩であるかのごとく語ってるんだ?
また、あんたによると北方の兵士は鈍重で精悍性に欠けるらしいが、
西日本が北方系の人種の影響を受けているなら、
根本から話が矛盾してくる事に気付かない?
>>245 前半は同意
しかし信長以降はただの妄想だな
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 08:39:37 ID:rfj/1v4t
当時の尾張兵は戦国最弱って聞いたぞ。だから助け合いがメインなんだって。
統率する武将のカリスマと戦闘力があれば部下もがんばるだろ。
九州では島津義弘。奥州の伊達政宗は知勇兼備。
>>248 九州に限るなら家久じゃね
それ以降なら義弘で納得するが
>>231うし
まぁ、畿内の渡来人が半島から大量に移住してきたのは学会の常識。
畿内に限らずだが。渡来人が一番多いのは先進地の畿内。
古墳時代の渡来人(帰化人)なんて、まさにそうなのにさ。
>>238 地域によって、得意戦術の違いはあったろうな。
安芸人は守備に強かったそうだけど(byうし)
狂牛病問題ってやつか?
253 :
白馬青牛:2006/08/26(土) 23:20:28 ID:paq5RC0L
>>232-233 何で高校野球の話になるんか解らんが、黒人に劣等感でもあるんか?
黒人と喧嘩して負けたんか?つまらん。ハッタリで喧嘩したことしか
無いんか。勝負を決意をした人間にハッタリは通用せんよ。
>>235 たまには?何じゃ、そりゃ。日系兵士と米軍2Dの喧嘩(1942年
11月)について書いとこう。冬期訓練の為、ウイスコンシン州に
キャンプ入りした第2師団の到着は軍隊につきものの部隊対抗の喧嘩に
発展する。事件の発端は第2師団のテキサス出身の兵士が、第100大隊
の日系兵にからんできたことだった。一般にテキサス人は気性が荒いことで
知られる。師団対大隊、人数比で12対1の劣勢だが日系二世兵士は
テキサス兵に対し一歩も引かず、大乱闘に発展した結果、日系二世の
第100大隊の圧倒的勝利に終わった。重傷者は、米第2師団37名、
日系兵1名。このトラブルは、キャンプ・マッコイ始まって以来の不祥事で
あった。日系兵日系第100大隊は、白兵戦でもドイツ兵を恐れさせ、
ドイツ軍の銃剣攻撃を逆に撃退する等活躍し、日系兵部隊は大統領
部隊感状を何度も授与され、米軍隋一の精鋭部隊と評価された。
254 :
白馬青牛:2006/08/27(日) 00:01:08 ID:vGfwieYr
まあ、日系人部隊が広島県出身の2世が最も多く占めるので、精強で
あるのは当然じゃ。
>>244 多門二郎氏の『日露戦争日記』のP41で、仙台2Dが、鈍いと評判が
あったことを書いておられるが、元高田58聯隊の平久保正男氏の
『真実のインパール』でも、P35の新潟出身兵士の特徴を、
迂鈍であるが忍耐力の強い愛すべき兵士、P52の鈍重ながら忍耐力を
長所とされておられ、奈良編成部隊を軍規の悪い連中と新潟出身兵士の言で
近畿兵批判をされておられる。鵜呑み以前に、郷土広島の将兵の話でも、
東北兵の評価は、鈍重。インパール戦で歴戦の越後健児の高田第58聯隊は
高く評価されたらしいが、日華事変でも仙台13D時代、中島高地を敵軍に
奪われたこともあるし。
後に昭和16年の年末、警備交代した広島231聯隊は、
高田聯隊の三分の一の兵力で中島高地を守りぬいた。
>>253うし
高校野球もケンカみたいな部分ある。危険だし。秘密の裏世界もあるしなw
ケンカなら厨房の頃はしてたよ。黒人と?あるわけない。
運動能力が低く非力でも、はったりさえあればケンカに勝てると思ってるの?
日本人が黒人に勝てるみたいな妄想…格闘技経験者か、パワー体力があるとかならともかく。
女に鼻どつかれた位じゃ効かねーよ。身長差はどうするw
うしさん、うしさん、おいたばかりしてるとちんちんがかいかいになりますよ。
日本史板にお帰り下さい。
読み返したら牛ちゃんが言ってるのは、勝負を決意した人間は強くてはったりは通用しない。
そうじゃなくてケンカにはったりは重要だろ。通用するレベル内じゃなきゃお笑いだが。
牛ちゃんの場合、砂があるとか武器があるとか仕込みが出来上がってるよねw
攻撃しか頭にない。かわされたらどうするよ。
守備に強いという安芸人も牛ちゃんには当てはまらないようだ。
どうせgdgdになってるなら、いっそ牛はどこが旨いかを語ればいいと思うよ
259 :
白馬青牛:2006/08/27(日) 00:41:31 ID:5+YyZ1ZI
>>244-246 風土とは、人の要素と土地の要素を表すもんじゃ。西日本が人種的に
北方渡来系で南方的暖帯照葉樹林気候に適応したと云うこと。
>蒙古が世界的に精強さをいかんなく発揮?西方に遠征した時は、トルコ系
遊牧民が前線で闘い、元寇では高麗兵が多かったろう。近代の軍隊と違い、
隣接する地帯の兵を前線に置き、蒙古人は後方で督戦する役割じゃ。
蒙古人が鈍重であることは、西川一三氏が『秘境西域八年の潜行』で、
青海省のチベット系タングートが精悍無比、激しい性格で、「鈍重な蒙古人
とは強い対照を示している。」とされ、「隣同志に住んでいる蒙古人と、
タングートの両種族を見ると、大自然がどれ程人畜並びに風俗習慣、性格に
影響を及ぼしているかが痛感されて面白いものである。」
「蒙古人の家畜のラクダの温しいが小心な性質は、蒙古人を表わし
タングート人の家畜のヤクの、精力的で獰猛な性質はそのまま彼らの性格と
なっている。漢人の家畜のロバの体に似合わない重い荷に耐え、その上疲れ
を知らない辛抱強い性質が、漢人の性質になり、敏捷な動作で鋭い感じを
与えているが、この上なく意地悪いラバの性質が、回教人(中国のイスラム
教徒)の性質となっていることを物語っているではないか・・・」
260 :
白馬青牛:2006/08/27(日) 01:26:36 ID:5+YyZ1ZI
>>246 山西を風土的に西北の黄土台地に含めたんじゃが、東の江蘇省は淮河以南で
江南じゃろう。近畿、中国に次いで九州北部は中部地方と共に渡来系形質の
多い地帯に属すんじゃないか。それと、古代モンゴル人に騎馬技術を教えた
トルコ系(カザフ人等)は精悍と西川氏も書いておられる。馬歩芳の
カザフ討伐隊(回教軍、蒙古兵、タングート兵の混成部隊)に参加した
モンゴル人は、カザフ人を「馬術、射撃の上手な、そのうえ精悍な彼等には
散々手を焼いた。なにしろ馬だけかと思うと、馬の横腹に隠れて走っていて
発砲してくるのだ。馬を倒すと、後から物凄い勢いで近ずいて行った味方の
馬にヒラリと飛び乗り、二人乗りで逃げる。先駆けした五、六騎が思わぬ
方向から死物狂いで襲いかかって来ては走って行き、婦女子の団体に近ずく
と倒れた自分の馬を盾として、ひとりが犠牲となって残り、死ぬまで発砲
して、私達の追撃をくい止め、逃げて行く一行を私達から遠ざけながら
死んで行く。近ずいてみると、彼の体は蜂の巣のように射ちぬかれていて、
一発二発ではなかなかまいらない。実に勇敢というか恐ろしい奴だよ。
さらに男だけでなく女も、実にしぶとく抵抗して、奴等は人間では
ないよ。」と騎馬技術の巧みなモンゴル人も顔負けと云ったところか。
261 :
白馬青牛:2006/08/27(日) 01:56:39 ID:kk0kglvX
>>245 世界的精強と云えば過去の日本軍はそうじゃが、現在においても
精強とされとるんは、ネパールのグルカ兵。ロシア兵は、鎖に繋がれる
奴隷兵で、支那さんよりも弱いよ。世界的に八路軍、李宗仁の広西軍、
国府軍の栄誉第1師等、ツンゴピン(中国兵)も強いけどね。
>>250-251 学界の権威を借りても意味がないが、形質人類学、DNAやHLA遺伝子
でも近畿を中心にした西日本は渡来系。
毛利側の資料の『陰徳太平記』(現代誤訳)を引用すると、秀吉は、
「畿内・坂東・中国の兵は、野戦においては優劣を分け難いが、
こと城を守ることにあっては、中国武士がはるかに勝っておろう。
このように畿内・坂東より優れた中国勢を退治する為に、柴田・惟任・
滝川を始め、諸将多き中に、この秀吉を選ばれたことからみても、信長様が
よく人を知る名将であること、明らかであろう。」とあり、秀吉が
ほんまに、そう語ったか解らんが、後の広島師団の比類ない防御実績から
実証されたとも云える。
262 :
白馬青牛:2006/08/27(日) 02:48:02 ID:IXOZR8oJ
>>255-257 喧嘩に運動能力や非力じゃ言い訳がましいのう。身長差や格闘技も
関係ない。壁に向かうて自分の鼻から助走して突撃してみりゃあええよ。
あんた、ボクシングやっとっても、禁じてのバッテイング(頭突き)の
威力は解らんのか?ろくに喧嘩しとらんのじゃのう。彼女がおるんなら
思い切り頭突きを食らわしてもろうたらええよ。自動車事故でも
フロント・ガラスを壊し、飛び越える威力があるんじゃにのう。関東人は
駄目じゃ。朝鮮人の方が白人や黒人にびびらず、頭突き(パチキ)を
食らわす。広島じゃ朝鮮語の影響か、パチ食らわすど云うとったか。
かわされたことは、生憎ないけどね。相手を戦闘不能にするのに、
あまり時間はかけられんじゃろ。数秒一撃じゃないとね。
武器は砂に限らんよ。酒飲んどる時は度数の強い酒を相手にかけりゃええ
ことじゃし、カウンターの椅子がはずれるんなら、利用出来る。
灰皿があったらなお便利じゃ。相手をシゴ(処理)した後はその場を、
退散するのみ。シゴして何人か気絶させといて、それを肴に酒飲んどる者は
腕っ節が強うても喧嘩馴れしとらん者じゃ。相手が味方を何人呼ぶか
解らんのに呑気に酒飲む神経は理解出来んわい。こういう相手には、
体力が衰えようと負けるこたあない。隙を見せたら終わりじゃ。
そういえば、幼稚園児の頃の喧嘩の武器は石が最初じゃないか。
すぐ勝負を決めれるし。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 07:23:34 ID:omZTRqDn
学校で教えてる人も来るんですねここ。
>>261如水うし
『陰徳太平記』ってw江戸泰平の世に長州藩士が著者の軍記物でしょ。
秀吉、関東武士と野戦してないし。
既出だが、一級史料『信長公記』で太田牛一から見た関東武士。
>関東衆馬上の巧者にて
中世の史料、『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)にある。
「坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた」
・大伴家持
あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけき軍卒
額に箭(矢)は立つとも 背に箭(矢)は立てじ
まっ、卑怯な振る舞いは岡山以外の中国人と半島の人に任せるよ。
>>262やくざうし
妄想乙。能動的な運動と、受動的な運動の違いが理解出来まつか?
牛ちゃんは本物の暴れ牛だったか。前科何犯?w
>>262 若い頃の話してんのか?よくいるよな若い頃の武勇伝自慢するじいさん
アウトロー板に仲間ウジャウジャいるからそっち池
黒人ぶちのめした自慢話でもしてこい
>>245 亀だが
日本人は兵は最強だが仕官が・・・と言われてるな
日系兵士が強かったのは簡単に言えば家族を人質に取られているからだけどね
>>262 アホだな
戦闘に関するあらゆる技能を同レベルと条件付けるなら
身長ウエイトがあるほうが強いのが当然だろ
お前の議論は自分に技能があり相手に技能がないと条件付けてるから
最初から間違ってるぞ
267 :
白馬青牛:2006/08/27(日) 17:11:44 ID:JBF/R047
>>264 『陰徳太平記』は、毛利家だけや特定の個人崇拝の書物でなく、
闘った相手も賞賛しとるよ。中国地方人らしいバランス感覚じゃ。
『陰徳太平記』の秀吉の東国評価。「東国武者は死を恐れず『かかる』と
いう言葉ばかり知って、『逃げる』ということを知らぬ。しかし短気ゆえ、
長い間城を守りぬくことは難しく、また小勢でもって多数に当るときも、
いったんは勇に任せて対陣するが、久しくこらえることができぬ。」
中国勢は、「小勢で城を守り、小をもっておおいに向こうて対陣すると、
何百日、何千日を経るとも、士気衰えて引くということはない。」
秀吉は、『川角太閤記』でも武田の軍法を田舎者の合戦と馬鹿にしとるよ。
だいたい、都から弓馬を学んだ東国武士に騎馬技術もあったもんじゃない。
>>260のカザフ族と比較すりゃあ解ろう。遁走しながら突如攻撃等、神出鬼没
に馬を操るんと口取りを付け、馬柄杓で水を飲ませ、馬に乗せられとる
お笑い坂東武士じゃ。鎌倉以降弓馬に巧みというイメージがついたんに
過ぎんよ。大伴家持の言の背に矢は立てんと、昔から東国武士は騎馬戦闘の
本質を理解しとらんかったようじゃのう。
毛利氏も坂東武士やん。
269 :
白馬青牛:2006/08/27(日) 17:34:01 ID:vdKeKwjH
>>264 残忍な関東人が中国地方人を批判出来るんかのう。岡山人は例外か。
>>266 日本人の兵、下士官は優秀で、将校、特に参謀は愚者という評価じゃろ。
日本兵の家族が人質に取られとったんは事実じゃが、それを持って
強かったと解釈したいんは東北人。自らの封建的体質で全てを解釈する。
喧嘩に議論も糞もない。身長や体重のせいにしてもしょうがないよ。
そういう強弱じゃのうて上手、下手の問題じゃし。あとは必勝の心じゃ。
122 :無名武将@お腹せっぷく :2005/07/26(火) 09:47:26
陰徳太平記を引用して「当時は・・・」てのはまずいんじゃ・・・
123 :無名武将@お腹せっぷく :2005/07/26(火) 12:28:12
本城の悪評って事実なんかな?
それとも創作?
124 :無名武将@お腹せっぷく :2005/07/26(火) 13:50:18
陰徳太平記なんて信用できんわな
125 :無名武将@お腹せっぷく :2005/07/27(水) 06:43:33
>123
>本城の悪評
監修・毛利氏の陰徳太平記に何を求めろと?
>>269 >残忍な関東人が中国地方人を批判出来るんかのう。岡山人は例外か。
要するにどっちもどっちって事だろ。お前も自分の事棚に上げて相手批判ばっか
してんじゃねえよ。
>日本兵の家族が人質に取られとったんは事実じゃが、それを持って
>強かったと解釈したいんは東北人
だから決めつけるなw同じ日本人だ。東北人も広島人も大して変わらん。
それともお前の頭の中じゃ同じ日本に住んでいても、広島に住んでいれば
広島人、東京なら東京人みたいに一つの都市を一つの国みたいに考えいるのか?
お前正直他の地域の事同じ日本だと思ってないだろw特に東北地方
だから東北に生まれた奴らは奴隷根性が染みついているとか、中国地方の人間は
しぶといとか平気で云えるんだろな
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 21:20:00 ID:v2oDMkIy
>>267 毛利は関東の相模から安芸に移ったんだろうが。
それに、豊臣は関東に移った家康に滅ぼされるし。
最強は周防と長門だろ
>>269 >喧嘩に議論も糞もない。身長や体重のせいにしてもしょうがないよ。
>そういう強弱じゃのうて上手、下手の問題じゃし。あとは必勝の心じゃ。
これは他の民族にも言えることだから反論になってないといつ気づくのだろうか
幼稚園児と会話してるみたいで疲れる
>>271 >中国地方の人間は
>しぶといとか平気で云えるんだろな
これは事実だな粘着荒らしぶりを見ればw
>>267極道うし
また懲りずに京都妄想をw
武士の根源は騎馬狩猟民なり。
現在の武士発生論における重要キーワード「狩猟」。
狩猟と実戦が武芸の本質。都の騎射術(平坦な馬場しかない)も東国からの伝播。
九世紀、北東北の蝦夷から騎馬技術を踏襲しても、牛の産地西国・京都から習う事なんてない。
西牛東馬だよ。
【駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、他の畿内200束
日本馬は去勢されてない暴れ馬。馬丁が付くのは全国共通だわ。あほですな。
家持が歌に詠んでる勇敢な東国(坂東)兵↓
「あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけき軍卒」
「額に箭(矢)は立つとも 背に箭(矢)は立てじ」
この場合、歩兵だな。騎乗身分は限られた富裕層だ。この時代は尚更。
276 :
白馬青牛:2006/08/28(月) 02:34:21 ID:nTFv2vr/
>>271 同じ日本国籍人と云うことで、広島人と東北人では形質人類学的に人種、
更に文化、習俗、社会組織の形態が違う。同民族とは考えてないよ。
>>272 奥州藤原氏が形質人類学的に現代東北人より現代京都人に近く、
渡来系形質を持っておっても文化的に蝦夷であろう。元来毛利氏は
京都から関東へ下向した。毛利氏に限らず安芸国人衆は概ね東国系で
あるが、中国地方へ移住してからは、文化的に東国人ではない。
河内源氏も東国へ移住した連中は、人種的に西日本人でも、文化的に
関東人となったんと同じこと。まあ東日本でも上層部は、人種的に
西日本系、渡来系が多いんじゃろうけど。
>>274 喧嘩を議論や反論にならんじゃの、云うてもしょうがない。
突発的に起こるもんで、決められた通り試合するスポーツとは違うよ。
>>275 ほいじゃあ、蝦夷は何処から騎馬技術を学んだんか?
西日本経由の渡来系か?オホーツク文化人か?まさか列島独自で騎馬習俗が
発祥したとでも?狩猟文化は列島全域の山地にあるもんじゃし、
実戦とは、騎馬戦闘の技術も知らん同士の、お笑い東国武士の私闘の
ことか。西行の弓馬談義に関心する必要もあるまいに。関東や東北の
人達がモンゴル人やトルコ系等の内陸アジアの狩猟遊牧民に、我々は
騎馬狩猟民なり。と自慢しても、向こうは、じゃあ、ノネズミでも
射ってみなさい。(視力5,0がごろごろおるステップ地帯の人達と違い、
近距離で弓を射つ東国武士に出来るんかね。)騎馬の運用法も知らん
連中がねえ。お笑い騎馬狩猟民と云うほかない。
>>276 多少ルーツが違って文化、習俗、社会組織の形態が違っても同じ日本人ですが?
お前の理屈では都会の人と田舎の人は異民族か?雪国とそうでない国は異国か?
住んでいる場所違えば条件違ってくるんだから、生活風習だの違ってきて当たり前。
そういう違った人達全て日本人なのだよ。それは認めているのか?だとすると
異民族というのは
>>271の通りかな。なんにせよ器の小さい奴
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 14:07:29 ID:ciSp4qxD
>>276 関西も中国も九州もそれぞれ別民族だなw
>>276 騎馬狩猟民は地方の富裕層。西日本でも当てはまる。
騎射術は地方で磨かれたという事。狩猟が出来ない都で騎射は磨けない。
秀郷流藤原氏は、中央藤原氏と下野国在地豪族との混血。そして血は下野のが濃い。
平泉藤原氏は、軍事貴族(藤原経清)と俘囚勢力との混血。
また、実戦に疎く流鏑馬しかない西行かw馬と関係ないし。
藤原魚名―藤成(伊勢守)―豊沢(母下野鳥取氏)―村雄(母下野鳥取氏)―秀郷(母下野鹿嶋氏)
秀郷流藤原氏は関東下野発祥。都に進出して鎮守府将軍も輩出してる。軍事貴族。
藤原兼光(足利,小山,平泉藤原祖)も鎮守府将軍。
坂東、都、それに俘囚勢力とも関わりがあった。
10世紀、坂東出身の軍事貴族が東北に進出してる。混血も進んだろう。
下野から都に進出、弓馬での狩猟から離れ、体も華奢になるかもな。中央貴族の血も入るし。
・奥州藤原のミイラ(参考:富士大教授,七宮氏)
清衡⇒華奢な体型で手も小さい。父の藤原経清(都の軍事貴族出身)の血を受け継いだものか。
基衡⇒小太りでがっちり型。首の太い猪首。
秀衡⇒腹の出たがっちり型。首の太い猪首。母系の蝦夷の血か。
>うし
また連投になっちゃうけど、
>>267『川角太閤記』の秀吉発言は
民俗学の千葉徳爾氏が言ってるけど、古来の戦法に縛られた武田や上杉の兵法という事だろ。
組織戦vs個人技重視でもある。
北条の武蔵鉢形の小前田衆の足軽だと、その半数が馬上なくらいで(1570年)、
さらに騎乗の足軽を増やそうとしている。
裏を返せば時代遅れではあるが。
282 :
白馬青牛:2006/08/28(月) 23:34:59 ID:hHS52Brs
>>277-278 西日本から独立したいのは、東日本じゃないか。網野氏のように。
http://homepage2.nifty.com/abecin/05libri/0509libriamino.htm 反西国史観の網野善彦氏は、東国については自立、独立とされ、
西国は差別的、侵略的とされる。西国の天皇制は大嫌い。
西日本に征服された東日本の恨の意識が丸出しの偏見があるが、
海民好きのせいか、従来の東国共産主義的見解よりも、広い視野で歴史を
捕えておられることは評価できる。まあ宮本常一氏の影響もあろう。
じゃが、宮本氏の東日本が如何に民衆を圧迫した社会であったかを
わざと無視し、西日本の被差別部落が多いので差別的とされるんは、
やっぱり思想性か東国優先鎖国史観の枠を超えてないね。被差別民以前に
隷属民であった東日本人の民衆は、地域差はあろうが概ね農奴に
過ぎんかったのにね。東日本人にとっては、心地よい史観じゃろうね。
283 :
白馬青牛:2006/08/29(火) 00:20:19 ID:nvXZjnLy
>>279-280 騎馬狩猟民という概念(騎猟の児)が富裕層にだけ当てはまると云う
根拠は?奥州藤原氏の人骨が土着民であったという根拠も示してない。
埴原和郎氏の多変量解析法による分析で奥州藤原氏の三人が移住地の
現代東北人と離れ、現代京都人にもっとも近いという結果が出てるのに、
東国土着の血を強調したいのは見苦しい。関東や東北も蝦夷、縄文人の
直系でもないのに。縄文人の直系に近いのはアイヌ人。琉球人も考え
られるが。出来るだけ外来の血を薄く見たいのは被支配民の劣等感からか。
>>281 千葉徳爾氏の解釈はそうじゃ。氏は折口信夫氏の影響もあろう。折口氏の
賤視された被差別民、芸能、淫売業者の集団の土着被支配民から、都市化
した「ごろつき」から武士の起源を求めることから、千葉氏も、土着の
縄文系を重視し、狩猟・漁労民集団から武士の起源を求める考えで、
東西の戦法の違いにさほど注目されておられん。
組織戦闘でないと騎馬戦闘にならんよ。関東武士と違い『逃げる』ことを
恥とせず、柔軟な思考で戦闘せんと騎馬組織を運用出来んよ。
えたひにんなどが西国に多いのは・・・
>>284 残念ながら、それは東国の文化が江戸時代初期まで後進だった証左にしかならない。
>>282 >西日本から独立したいのは、東日本じゃないか。
そんな奴いないからww大体、東日本は西日本の属国でもなんでもないから
その設定からして可笑しすぎwあんま笑わせるなwww
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 01:06:01 ID:HcAPkd13
牛って頭悪いの?
なんで中国地方の人間が近畿自慢をするのやら。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 19:44:53 ID:AabMrtDX
後北条氏の氏政、氏直の時代になると、関東の兵隊は
戦いになれていなくて弱かったとの事。城に籠るのは
得意だったけどね・・・坂東武者の名が・・・
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 20:08:29 ID:HcAPkd13
佐竹とかはバリバリの現役だろ。
それに、羽柴の大軍の前じゃどうしようもない。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 20:33:16 ID:AabMrtDX
すんません。常陸の名家佐竹さんを忘れとりました。
でも常陸の佐竹さんところは戦に強かったのですか?
>>288 思いつきで言われてもね。
ソースはコーエーか。
それとも関東嫌いの司馬遼か。
>>282組長うし
畿内王権の征服なんて、通説じゃ否定されてるな。せいぜい軍事介入レベルだろ。
東国の方が馬具・武具の副葬品がたくさん出てる。軍事的基盤地帯だから。
組織であろうとなかろうと、騎兵戦術が有効だった事実。西船東馬。
>>283構成員うし
つ財力。
俘囚、関東、畿内の混血だって言ってるだろ。奥州藤原の系譜を無視かよ。
>>285 それはちょっと違う。畿内権門都市のケガレとキヨメ。
>>288 つ
>>281
293 :
白馬青牛:2006/09/02(土) 00:16:42 ID:OAHdDnSD
>>292 通説じゃ、定説じゃ、新興宗教じゃあるまいし。また捏造したいんか。
東国の胡服、騎馬習俗が西国より早いと云う定説は、知らんね。
近畿経由でなく、山陰、北陸を経由して高句麗の馬文化が
関東へ流入しても、牛車が、欠落しておることから、全体でなく、一部の
文化流入であろう。
人類学的に東日本人は、西日本か渡来人に征服されたと云うこと。
奥州藤原氏が混血にしては、関東、東北の縄文的、原住民的要素が無さ
過ぎる。基本的に西日本系か渡来系。
東国と西国の違いは、ケガレとキヨメと云う抽象的な問題でなく、
東西社会制度の違い。東国人が籠城戦に弱いんは、
>>267
だれかぷらっとさんにも突っこんでやってください。
けっこう寂しいだす。
>>293 聞いた事もないことネツゾウ珍説ばっかりw
牛車?平安時代以降だと思うんだが。西牛東馬。
古墳時代後期から関東信濃甲斐が畿内を圧倒してるわけで>馬
東西殺生観の違い⇒ケガレ⇒京都発・被差別民。
陰徳太平記w
東北人支援
【日本書紀】
日高見国・・・・・勇み悍し
東の夷は識性暴び強し
その東の夷の中に、蝦夷は是尤だ強し
【続日本後紀】
弓馬戦闘は夷獠の生習
【続古事談】
近衛舎人は弓矢を具すといえども、武勇には及ばぬ者なり
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 16:29:37 ID:DuDFz+2W
戦国日本最強とまでいくかどうか知らんけど
立花道雪・高橋紹運・立花宗茂を輩出した大友が凄く感じる。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 19:54:50 ID:XHJ4gKy/
まぁ間違いなくトップ30には入るよな
300 :
白馬青牛:2006/09/02(土) 23:47:33 ID:8nqNxdoL
>>296 わしゃあ、何回も書いとるが、何処を捏造したんか具体的に云えいいや。
http://www.chunichi.co.jp/hold2002/kouko/k20011205-1.htm 七世紀後半からも出土しとるのに、「牛車」が平安時代以降とする根拠が
解らんよ。後文も毎度同じ主張を繰り返す、関東お笑い騎馬軍団の
スローガンの繰り返しじゃないか。
>>297 弓馬戦闘の「夷獠之生習 平民之十 不能敵其一」中国でも、匈奴や
女真に対する漢人の文書も北方系1に対し漢人10。南方の越人に
対しても、漢人百と雖も越人一、二に当らじ。ともあるが、十や百対一も
文書の常用句であり、越も強国とは云えず、何時も負けておるではないか。
騎馬の運用が奇襲であると理解しとったんは、壬申の乱の時の文氏のような
河内の豪族だけじゃったろう。常用句を文字面通り、勇敢じゃったと
解釈する東国人の知能の低さもあるが、文献を考古学や人類学的要素を
無視し、文献の文字面を額面通り受け取り、同じ主張を繰り返すんは、
低脳振りを現しておるに過ぎん。人類の進化論は、聖書の記述にない。
人類の起源は、アダムとエバに始まった。と極端に云えば、進化論を
否定することにもなる。文献至上主義の関東史観か。ほいで、蝦夷の
騎馬習俗の起源は何処か?明確にしとらん。
>>293 例えばおまいさんが好きな古代史の水野祐氏。
西国より東国に騎馬文化の濃厚な点を指摘して、江上騎馬民族説を否定してる。
牛車の事は知らなかった。朝鮮から伝わったのは確かだろうけど。
壬申の乱は美濃尾張伊勢の兵、さらに甲斐の勇者。東国兵の活躍が大海人の勝因。
百済加羅系の馬文化を持ってた河内の渡来系豪族、この時期までが全盛期だろ。
東国に依存して、河内の馬牧は減らされていく。
考古学を無視してるのは、馬牧と牛牧の関係や古墳遺物とか無視してる牛ちゃん。
長野の高句麗系積石塚、群馬の馬形埴輪。
奥州藤原氏は母系として俘囚(蝦夷)の血が受け継がれてる。
俘囚だってアイヌじゃない。都と蝦夷を人種的に明確に区別する必要なんてないだろ。
蝦夷,東夷の「夷」=弓+大で、勇武の弓師・弓人。高橋富雄説。
実証は出来ないが、東北の馬は北からの流入も指摘されてる。戸田芳美氏とか。
史板の牛レスと同じ内容か>弓師
【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束
『田植草紙』(鎌倉〜室町期)
戦国時代の安芸の百姓も、これを唄ってたわけだ↓
坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた
303 :
白馬青牛:2006/09/03(日) 01:34:30 ID:z01Konlt
>>301 わしゃ、水野氏の日本人は騎馬も海軍も歴史的に拙劣と云う考えや、
壬申の乱の河内の馬飼いの奇襲作戦に、近江朝が奇襲作戦を否定したこと、
先の日華事変で日本の騎兵が騎兵技術に乏しかったことに、同意した訳で
水野氏の縄文期から馬が日本に生息したかは疑わしい。
聖武天皇の騎馬警護兵に、渡来系の東西史氏や秦氏が護衛に当ったが、
蝦夷を含む佐伯氏や南九州の隼人集団も宮廷の足軽門番の
役割しかない。隼人は遠吠えをして時を知らせるに至っては、
人間扱いして無いね。馬牧と牛牧の区分とは何か?
関東の馬牧も官営牧場じゃないか。農耕牧畜文化として、全体から
判断せんといけんよ。高句麗やモンゴル系の北魏の牛車文化が
東日本では乏しい。東国の東南アジアの農耕民に近い馬文化は、関東現地民
の北方渡来系の騎馬文化を拒否するもんじゃったんかも。
都と蝦夷の人種は、古代において違うが、
徐々に上層部から、西日本系や渡来系の流入で、東北人も縄文直系の
アイヌ人よりも北方渡来系の形質が増えたと云うことじゃろう。
東北の馬が、蝦夷を圧迫したオホーツク文化人(粛慎)としても、
黒水靺鞨は、騎馬よりも歩兵中心じゃったし。蝦夷の騎馬よりも
優れた騎乗技術はあったろうが、草原地帯の騎馬軍団じゃないしのう。
>うし
近畿史観全開だねw
九州の隼人は騎馬に巧みなんだが?九州、日向薩摩は西国有数の馬産地だし。
中央の衛府の人材は地方の富裕層だぞ。
寄進された私牧が官牧になっただけ>官牧
軍団制の騎馬も自弁。つまり、無名の牧が諸国にたくさんあったわけだ。
通説:日本に騎馬流入の初期は、牛馬を農耕に使ってない。
306 :
白馬青牛:2006/09/05(火) 01:02:15 ID:scC3ZzT/
>>304 日向が馬産地であったんは、馬産初期の時代で、その後関東、東北と
移って行く。各地方で飼育した馬を河内や摂津の馬飼い集団が
調教し直し、都へ献上した可能性も否定出来ん。地方の富裕層も都で
弓馬の術を競った訳じゃし。隼人が騎馬に巧みかどうかは別として、
関東と比較すると、戦国期の島津氏の釣り野伏り戦法なんかは、
歩兵中心ながら、逃げることを恥とせず、臨機応変で遊牧民の戦闘法に
近い要素もある。かたや関東人は、「かかる」ことは知っても「逃げる」
ことを知らん。こういう融通のきかん連中に騎馬戦闘を期待しても無理
じゃ。騎兵の本質を理解しとらん。関東ど百姓の戦法は、お笑い騎馬集団
に過ぎん。馬柄杓で馬に水を飲ませにゃ、乗った人間が落ちるほど、
乗馬技術に拙劣じゃに、中央アジアの遊牧騎馬民族の人達に、
蝦夷や東国の騎馬は巧みなんです。と自慢出来るんか?
近畿地方(河内・摂津)から遠矢の技術、騎馬技術をもっと学んだ方が
えかったね。騎馬流入期の初期と期間限定ではないが、後期古墳期では、
「まぐわ」が出土しとるよ。おそらく馬でなく、牛犂農耕かと。
http://bunarinn.gozaru.jp/kinnki/osaka/kinomoto.htm 通説じゃあ、定説じゃあ、カルト宗教信者みたいな言じゃのう。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 03:03:01 ID:dGdtvR87
久しぶりに覗いたら牛さんまだいた
>306うし
>日向が馬産地であったんは、馬産初期の時代で、その後関東、東北と移って行く。
それ、畿内の牧だろ。ワロス
>各地方で飼育した馬を河内や摂津の馬飼い集団が調教し直し
畿内の近都牧は地方から貢上された馬を置いとくだけの牧。調教も地方でやる。ワロス
>地方の富裕層も都で弓馬の術を競った訳じゃし。
また流鏑馬。ワロス
>馬柄杓で馬に水を飲ませにゃ、乗った人間が落ちるほど、乗馬技術に拙劣じゃに
衛府のへっぽこ武官だろ。ワロス
つ斉藤別当(『平家』)、三浦浄心(『北条五代』)
309 :
白馬青牛:2006/09/07(木) 01:03:47 ID:azKSdmqp
>>308 馬ならば「日向の駒」。後に、山地の輸送に適した九州の小型馬よりも、
重装騎兵に適したタルパン系、関東、東北の中型馬を重視した。
買主である近畿人が、淀川流域の牧にしばらく放牧したことは、
河内、摂津の馬飼育の技術に頼ったとも考えられる。
馬柄杓で馬に水を飲ませると、馬の姿勢が低くなり、乗馬下手な
関東武士は、馬から落ちて仕舞うんじゃないか。ほいで、口取りと
馬柄杓がないと。一人で乗馬出来んほど拙劣じゃった云うこと。
最後は、実際に戦闘に参加した可能性の低い斉藤実盛の言で、関東人は
我々は勇敢であったと自慰しとるんか。妄想がたくましい。
なるほどねえ、関東人は思考法も硬直しとるらしい。ほいじゃけえ、
近代戦でも関東の兵団が、中国兵から弱兵と馬鹿にされる訳じゃろうのう。
>実際に戦闘に参加した可能性の低い斉藤実盛の言で、
>関東人は我々は勇敢であったと自慰しとるんか。
って、実盛は北陸の人なんだが・・・?
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 01:30:26 ID:HjJg7GR8
牛さんの脳内では日本は関東と関西の2つに分けられてるみたいw
312 :
白馬青牛:2006/09/07(木) 01:35:15 ID:azKSdmqp
>>310 斉藤実盛は北陸人じゃが、実際に富士川の戦いに参戦しとるという
根拠が見つからん。
313 :
白馬青牛:2006/09/07(木) 01:46:17 ID:azKSdmqp
>>311 社会制度、集団構成で、横社会の西日本と縦社会の東日本は違う。
民俗学的に両者が違うことは、宮本常一氏や長島信弘氏も指摘されて
おられることじゃし、日本を単一社会と決め付ける方が可笑しい。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 01:49:54 ID:Fe/0zsg3
硫黄島が最強だと思うお
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 02:51:47 ID:HjJg7GR8
>>313 むしろ2つだけに分けてる事を笑ってるんだが
>>309うし
全部まとめて、あほかw
日向の駒に甲斐の黒駒。
六世紀の関東や信濃、畿内を圧倒する武具馬具の古墳遺物。つまり東国>西国。
日本国内で馬が重要視されて、牧が多く設置されだしたのは七世紀後半頃からだろ。
つまり律令制以降。その頃は河内の渡来系豪族は衰退してるわw馬飼なんて過去のもの。
口取りの話は、妄想民族学者の宮本常一だろ。口取りは全国共通だ。
斉藤実盛は北陸から武蔵長井(妻沼の辺り)へ入った人。
実盛の話を肯定的に受け取る学者は大勢いる。虚構の中の真実。
縦型社会は自力救済の世界で生まれたもの。騎馬狩猟民の坂東武士ならでは。
>>309牛ちゃんよ
『平家』の実盛:例えばちょい古いけど↓ 他にもネタ持ってるよ。
実盛の言葉にあるように、坂東武者が強弓を自在にあやつり、強馬を訓練して人馬一体に乗りこなし、
恐れを知らない騎兵であったことが『平家物語』の他、『源平盛衰記』、『保元物語』などの記述からも
推察出来るのである。(1995年、愛知大教授・福田以久生氏)
結城家臣の場合、わずか五貫文の武士でも主家結城氏から馬を貸し出され騎乗する。
十貫文の少禄武士なら一疋一領。自弁で騎乗する。
鉢形小前田衆の足軽は半数が騎乗してた(1571年)。
戦国期でも騎馬を重視していた事は、『北条五代記』の結城秀康と朝倉能登入道の逸話で推察出来る。
『北条五代記』の成立は元和年間頃だから、『陰徳太平記』より百年近く早いな。
毛利すれと定ちゃんw
318 :
白馬青牛:2006/09/07(木) 23:09:37 ID:VGACH9T+
>>315 文化領域を小地域に区分すれば、更に分けれるが、生態学的、
地盤プレート、民俗の違いから、糸魚川〜静岡中部のフォッサ・マグナが
列島東西の区分であろう。
>>316 「太刀ならば呉の真刀」「馬ならば日向の駒」推古天皇の言葉。
この時代、刀は、中国の江南製が良く、良い馬は、東国じゃのうて、
日向と云う認識があった云うことじゃ。馬の質の良さと大量生産とは
違うよ。宮本常一氏は、『年中行事絵巻』の公家達の馬の乗りこなしの
見事なもので、この人達が騎馬民族の後裔とわかるが、その公家の後裔が
関東平野で武士化しても、多くの者が馬を乗りこなせんかったんは、
田が小さくイコール乗馬下手、車や犂をひかせる事も下手とされた。
確かに『年中行事絵巻』の騎手は、モンゴル様式に腰を浮かせ、
馬を水平に走らせ騎射しとるが、関東武士の絵巻物は、暴れ馬で、後ろ足を
高く蹴り、中には、落馬せんように馬にしがみ付いておる絵まである。
ロデオじゃあるまいし。ロデオが、人馬一体の実戦の騎馬とは笑いが
止まらん。
東国の縦型社会は、西国の同じ文化を共有する社会と違い、
支配者が西国・渡来系で、原住民と文化的相違が強く、原住民を
奴隷化したんが大きな理由じゃないか。
319 :
白馬青牛:2006/09/07(木) 23:25:03 ID:XERl+Lt9
>>317 東国人は、実盛の虚構に溺れとる。東国武士優越史観者もね。
集団を構成出来ん騎兵、退却して、相手をおびき寄せ、縦に伸びた敵兵を
側面部隊が叩く。こういうのを騎馬運用の機動戦法じゃ。
東国人は、そういう技術も無く、知能も低く、融通がきかんけえ無理か。
戦国時代においても騎馬を重要視したんは時代錯誤も甚だしい。
如何に戦闘技術に疎い連中であった事か。東国では通用しても、
西日本では、通用せんよ。
日本のは「騎兵」などと言える代物ではないですから。
目糞鼻糞を笑うってやつですか
>うし
また江上騎馬民族説支持者の宮本常一かwいつの話だよ。
おかしいな?藤原頼長は戦に参加してないのに流れ矢で死んだな。お気の毒に。
都の公家が馬場で遊ぶ用の馬はおとなしい奴ね。もちろん東国で調教し送られた馬。
武士が好んで用いた荒馬なんか使わない。
常一のは話にならない。現在のキーワード「狩猟」 。
>馬の質の良さと大量生産
まさにこれなんだが。河内の安い馬、痩せ馬。
【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束
>>281
323 :
白馬青牛:2006/09/08(金) 01:52:05 ID:UYkDkv+I
>>322 馬を服従させる技術が調教じゃないか。暴れ馬じゃ、戦闘の役にも立たん。
家畜を飼育する技術に疎かったことを自慢するとはねえ。
朝鮮半島の馬も暴れ癖があるとイザベラ・バード女史も書いておられるが。
「狩猟」は、東国武士だけがして、西国の武士、あるいは公家がせんかった
云う根拠はあるんか?
平安期は、関東や九州より、特に馬格の良い東北の馬を求めたことは
事実じゃが、馬の使い方は乗馬用より、荷駄用に駅馬の馬借らが使う
要素が強い。
宮本常一氏は、馬に荷をつけて運びそれを人間が引っ張って行く。
人間が乗る場合でも口取りがつく。馬に荷をつける習俗は、全国的にあるが
特に東日本に多く、騎馬民族とは違う馬の使い方とされ、蝦夷の朝廷に
対して、馬の献上数が多いが、アイヌ人も馬や牛を飼っても、
農耕・牧畜用でなく、家の宝物として飼っておった。
そういう習俗が東日本にずっとあったが、西日本では、牛に犂を付けて
引かせる。騎馬民族の後裔がそのあたりに分布している。と、される。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 02:06:18 ID:qKbtxiri
牛さんの長文を毎回全部きちんと読んであげてるここの住人の優しさに泣いた
>>323ウシ
敵の死体を踏み越え、馬丁を引きずりながら進むような気性の荒い馬を、武士は乗りこなす。
都の公家じゃ振り落とされる。
都じゃ狩猟は出来ない。するなら外に出ないとな。
輸送用の馬は駄馬。
牛の農耕は西国の粘っこい土の水田と密接。騎馬民族のわけねーだろw
>>318デムパ
武士の弓射も基本は立鞍の前方射な。それも平坦な馬場じゃなく臨機応変に扱う。
西と東でもいいし、三河と尾張でもいいんだが
日本の中で二地域(地方)を比較したときの差異って
いったいどれだけの有意差があるのか、
いや、ない。
>うし
生態学的に中央地溝帯で東西に分けられるなんてことははない。
地盤とプレートは別物だが、並列させて書く根拠は?
そもそもがうしが拠り所にしている人たちの著作にいったいどれだけの
信憑性があるのか?
>>327 少なくとも宮本常一の話題は信憑性ゼロだよ。
江上騎馬民族を信奉してる宮本常一(1981年没)、昔過ぎるw
中世軍事の研究の進展は、亡き常一せんせの知らない最近(特に2000年以降)の成果だしね。
社会制度ね・・・縦社会だ横社会だといわれても具体的にどのように違ったのか
説明無いからよくわからん。あと西国武士のほうが強いそうだけど、源平の戦とか
東国武士の圧勝じゃなかった?
瀬戸内では義仲も関東勢も苦しんでる。
東大の五味さん他が言うように、西国武士は海賊的要素を持った武士で水軍が強い。
逆に狩猟民的な馬文化の要素が少なく。陸上の戦は苦手。
332 :
白馬青牛:2006/09/08(金) 23:19:59 ID:MczNXbTe
>>330 そうだったんですか、東国の圧勝だと思ってました。
334 :
白馬青牛:2006/09/09(土) 00:02:12 ID:CpXUGmet
>>328 学説に新しいも古いもない。むしろ最近の学者の方がフィールドーワークも
せず、文献の妄想世界に入り込んどるよ。宮本常一氏は全国を歩かれ、
調査された。東国、縄文賛美の空想主義史観者と比較されてもねえ。
>>329 東国は人海戦術。つまり兵力の動員数が優った。東国武士が、西行の
弓馬談義に感心し、平家の降人から戦術を学んだことから、
東国武士が、拙劣な戦闘技術しか持っとらんのは明らかなこと。
東国は専制的な主従制で西国は民主的な合議制。
>>330 五味文彦氏に限らず先入観が強い訳じゃ。西国の瀬戸内水軍でも、
海戦に強いと云えん。中国大陸の船自体が武器となる大型船に、
ぶちかまらされたら、瀬戸内の小型船など、ひとたまりもない。
むしろ、瀬戸内水軍は、敵船に乗り込み白兵戦を主体とする、
海兵的存在じゃろう。水野祐氏の日本は、騎馬も海軍も駄目。
日本の地域の差もあるが、歩兵の白兵戦だけが強い国とも云える。
>>331 その意見は、東国優先網野史観のまる写しのような文じゃのう。
>>332うし
レスは
>>325>>328>>330 気性の荒い馬の噛み付き攻撃もありなんだよ。
平坦も何も、馬場と較べてる。川の中にも馬を乗り入れて戦うんだし。
>>334うし
何を言ってもでたらめで返す。付き合いきれんわw西行w
コピペしかないな。
そんな事より黒人と喧嘩した事あるの?
ずっと気になってたんだが
【流鏑馬】
馬を真っすぐ走らせ、動かぬ的を射る。軽装。
動きとしては単純。当てれば良し、強弓も要求されない。
平坦な馬場だから足場も安心、天候もOK。
敵から反撃されない。
貴族や僧の娯楽も兼ねる。様式美が要求される。
・五味氏が述べる【東国武士団】
季節を問わず、昼夜の区別なく、悪所にも馬を踏み入れて合戦を行い
その日常は高度に訓練された戦士の生活であり、反面、西国の海戦には弱い。
『源平合戦と平家物語』上横手雅敬著(京都大)2001年
・平家物語の作者はネット裏で観戦している。どちらか一方をひいきにするのではなく、
源平の両方に公平な態度で書いていて、パッションがない。
・(歴史叙述の一形式である平家物語)確かにそこには史実が記されている。
しかし史実を記したといっても、平家物語は単なる記録ではなく、紛れもなく文学性を持っている。
・生まれながらに平家の御曹司として育った清盛は、保元・平治の乱を除けば、生涯を通じて
合戦らしい合戦を経験しなかった。
為朝は「清盛などがヘロヘロ矢」とあざ笑っているが(『保元物語』)、確かに一騎打ちでもすれば
坂東育ちの義朝にはかなわないだろう。
・合戦という事になれば、平氏は源氏に勝ち目はない。
平氏の率いる西国武士は、僧兵や山賊・海賊を相手にしてきた天朝の番犬であるのに対し、
源氏の基盤である東国では、合戦自体が目的であり日常茶飯事である。
というかもう 牛にマジレス=荒らしにマジレスと判断して
スルー
339 :
白馬青牛:2006/09/09(土) 01:41:37 ID:UD5j/LYz
>>335 噛み付き攻撃?ブラッシイか関東武士は?
コピーを毎度書いとるんはあんたじゃろう。
>>336 黒人をこずいたんが、何で気になるんかいの。黒人いう特定の人種に
劣等感があるんか?今日もTVで記者を殴った白人が捕まっとったが、
一般的にゃ、あの程度のもんじゃ。空手で云う裏拳を使わんと、
オーバー・スローのテレフォン・パンチじゃ。まあ、こっちも相手が
カバチたれた後の、相手が息を吸う瞬間を勝負じゃ、思うとるんで、
素手の場合は相手の歯がささって、拳に歯糞の毒が回っりよって、
ふくれてやれんわい、云いたい事もあったよ。頭突きも他人の毒が回るね。
喧嘩は汚いもんじゃ。道具を使うた方がええよ。
>>337 また、コピーで同じ主張を繰り返す。合戦自体が目的であり、日常茶飯事
云うんは、騎馬の戦闘を熟知せず、退却せず、思考停止で突撃する事か?
『北条五代記』
著者:三浦浄心。成立(※国史大辞典):元和年間(1615-24)
(徳川)秀康卿仰せけるは、関東侍は馬上にて達者を働く由聞き及びぬ。さぞ強き馬を好みつらんと。
朝倉犬也(北条旧臣能登守景隆,相州浦郷=現横須賀)承りて、関東の侍あながち強き馬を好まず。
ただ自力にかないたる馬をもっぱらに乗り候。
(略)
それ馬に乗りて遠路を行くは足を休めんため、軍中にて乗るは馬上にて弓・槍を用に立てんため
なるが故に、むかし関東にて戦場をいまだ踏まざる若き者は、広き野原へあまた伴い出でて、
敵味方と人数を分ち、旗をさし弓・槍・長刀おのれおのれが得手の道具を持ちて馬に乗り、
馬を試みんため鉄砲を鳴らし、矢叫びの声をあげて喚き叫ぶ時に、
勇んで進む馬あり、おくれて退り、驚きて横へきるる馬あり。
山へ乗上げ、岨の崖道を乗り、堀を飛ばせ、自由に働くようにと鍛錬いたし、先陣にぬきんで
駆引き達者にふるまい、勝利に得んことを専らにたしなみ候。
(略)
秀康卿聞こし召し、犬也も若き頃はさぞ馬鍛錬しつらん。昔の面影をそと学んで見せよかし
との仰せなり。
犬也承りて、愚老七十に及び馬上の振舞かない難く候。しかれども貴命辞し申すに
かえって恐れあり。御遊興にそといにしえを学んで御目にかけ候べしと、
(略)
馬も心あるにや後ろをしたい来るを、また打乗って一散に走らせ、槍を自由に使って
駆回るを秀忠卿御覧にあって目を驚ろかし、御感斜めならず。
犬也、お召しにてあるぞと呼びければ、馬を静め近く乗りよせ飛んで下り御前に候す。
(略)
>>339 あんたが黒人とやり合った事もないのに、日系人の部隊とか他人の例
だして黒人大した事無いと言ってるのが引っかかった。
例えば、ボクシングの試合見て負けた方に対して、自分でも勝てると思って
しまうようなタイプかと。
黒人全部強いと言ってるわけじゃないけどな
狂牛病のキチガイ牛にはあきれたな。
西日本が横社会?
ならなんで部落なんてもんがいまだにあるんだか。
東日本にはそれほどないのにな。
鎌倉時代に、東国の武士が各地に移住して(安芸の毛利とか)、
そしてまた、江戸時代に東国の武士が各地に移住したわけなんだが、
支配層が西日本系ってどういう意味?
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 14:29:43 ID:1ED+YG25
>>332 地盤とプレートを並列で書くことがおかしいとわかった?
まったくの別物を並列で書くということは言葉の意味を理解できていないと
いうことになると思われ
沢と谷との呼び方・使い方の違いがどうやったらフォッサマグナになるのか?
フォッサマグナは中央地溝帯であり地質学上の話なのだが
それがどういう流れで生態学に結びつくのかだろう?
それに沢と谷のリンク先は〜と言われていますと書かれていて
断言してないのに、うしはどうして断言的な言い方をするのか?
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 20:13:28 ID:MLZhUyBh
西日本人がそんなに優秀なら、
アングロサクソンやゲルマンやユダヤでも相手にしてろよ。
東日本にいる西日本人は、さっさと部落まみれの故郷に帰ってくれ。
346 :
白馬青牛:2006/09/10(日) 00:16:55 ID:wnegCjQ6
>>341 何で体が持たんのん?精神病か?
>>342-343-344
黒人とやり合った事もないと何で断言出来るん?ほいで日系人の部隊は、
黒人部隊とは喧嘩しとらんよ。しかも第二次大戦時、日系人が日系人の
部隊として編成されたように、黒人も黒人兵で編成された部隊じゃった。
第二次大戦時の黒人部隊は弱かったね。比較的に損害の低い地帯に
配備されながらドイツ軍の攻撃に黒人兵士は武器を捨てて逃走る始末。
インド兵の活躍で穴を塞いだ。ボクシングの試合?何じゃそりゃ。
わしゃは、試合で勝った人間とやり合うても負けるつもりはないよ。
生死を争う喧嘩に、格闘技も糞もあるまい。
被差別部落民も東日本的な固定社会が確立するまでは、自由民じゃった。
むしろ東日本の農奴は、主人の所有物じゃったろう。
西日本が支配者であったんも、北方新モンゴロイド系の拡散で明らかな
こと。歴史を考察するんに風土条件(人的要素と地理的要素)は欠かせん。
西日本の「谷」東日本の「沢」は、中国の華北の「河」華南の「江」と
文化領域を区分するんに指標となろう。大林太良氏も、列島東西の境界は
糸魚川〜浜名湖を移行地帯とみても、あまり苦情は出ないであろうと
される。戦前の民俗学者、加藤咄堂氏も三河からは関西の習俗とされる。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:48:39 ID:GtEkd/8F
一見、レスを返しているように見えるが、ただ知識をひけらかしているだけで的外れてる
歴史書と任侠映画が大好きなのはわかった
>>346ウシ
つ時間的制約。
相手が妄想牛だから。
高校野球板の糞コテのがよっぽどまとも。
全盛期のフォアマンとかより強いんだ!!スゲーw
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 01:48:51 ID:rx09PppN
牛スルーしようよ
ほっときゃ遠からずいなくなるだろ
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 02:03:34 ID:l1m5mJFx
でも牛さんがいないとスレが伸びないのよねw
史実から結論出ちゃってるんだし
俺は尾張の辺りだと思うよ。兵の強弱じゃなくてシステムの問題。
史板で武士論コピペ撒いたといたから、移るかは牛ちゃん次第。
ひとことだけ叫ばせてくれえー、たんざわーー!!!現住所から10km位北の土地ですた。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 05:11:55 ID:ea+yd5HM
ageるよ?
広島の恥だな
356 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 16:52:30 ID:aQNxsXPI
亀田は八百長だから和泉は弱い!
357 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 20:08:44 ID:0tCbiQEJ
藻とや弱いがピン子は強そう
358 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 08:39:00 ID:rxXvzF63
尾張でFA
359 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 18:07:27 ID:6WPSxryU
白馬青牛が移動しちゃったんで、すっかり過疎ちゃったね。
尾張は濃尾平野の恩恵を受けてかなり豊かだったと聞く。
やはり信長が天下を取れたのは、地理的条件が大きいだろうな。
360 :
人間七七四年:2007/02/28(水) 14:22:13 ID:I6GAyG1W
兵の強弱なんぞ地域でたいした差はないだろ
361 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 23:01:04 ID:J7db6/eZ
あ
362 :
人間七七四年:2007/04/07(土) 22:14:48 ID:qZo1Jnpb
飛騨がなかなか攻められなかったのは
天然の要害に守られているのが関係しているのですかね
363 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 02:27:33 ID:w5pFaQy1
飛騨宰相の徳の賜物
364 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 04:58:59 ID:sUpiXRwX
飛騨なんてとってもしゃあないって話しなわけで
365 :
人間七七四年:2007/04/08(日) 20:48:09 ID:0qAyzr10
飛騨には金山があるのでは?
内ヶ島氏は金山でかなり儲けていたようですし
366 :
人間七七四年:2007/04/10(火) 07:37:35 ID:Z6k17lM7
でも金山しか無いとも言える。
飛騨や伊賀は征服価値あるとも思えない。
大勢力に成長する可能性も無いし。
周辺支配が確立したら経済的に自立出来ない所だからおのずとなびいて来るんじゃないかな?
367 :
人間七七四年:2007/04/12(木) 01:38:09 ID:E68cnm9N
上杉(長尾)だね
何気に武田より強いよ
368 :
人間七七四年:2007/05/23(水) 16:55:57 ID:C9FVZ7i2
369 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 11:42:01 ID:gmH9Obsv
自分が1国持てるとしたらどの国がいい?
石高、経済力を考えたらやはり近江がいいかな。
370 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 11:43:49 ID:s/rM6FXO
アメリカ合衆国でFA
371 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 12:18:58 ID:NqBGFrNy
備前でいいだろ
372 :
人間七七四年:2007/05/25(金) 16:00:59 ID:eQ33ZoNU
じゃあ陸奥一国貰っていきますね
駿河
水田の代わりに茶畑を作りまつ
374 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 17:46:36 ID:F8Ih02ca
安芸がいいなぁ
375 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 19:36:23 ID:s5fI588x
武蔵以外の選択肢などなかろうて
376 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 21:59:22 ID:JMwfdBVy
金剛がいい
377 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 22:37:40 ID:hSj5uBaP
近江
378 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 22:50:28 ID:OeoSTuNR
群雄割拠、最強戦国武将はコレだ!
甲斐 武田
越後 上杉
薩摩 島津
三河 徳川
379 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 23:01:03 ID:r2ighoNz
相模
難攻不落の小田原城
380 :
人間七七四年:2007/05/26(土) 23:50:02 ID:F30FySLm
播磨はやっぱ弱いのかなぁ・・・地元なのに
円心の時は強かったのかな
381 :
人間七七四年: