【六分一殿から】戦国山名氏【交代寄合】

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1名無しさん@お腹いっぱい。
中国地方東部の覇者、山名氏のスレッドです

但馬山名氏、因幡山名氏どちらの話題も桶
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 15:24:49 ID:k+QE7e5u
山名豊国は悲惨
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 15:55:57 ID:Xbsq12FY
今名古屋にいるのはどちらの家系?
4右京太夫 ◆riQy7en7pA :2006/07/01(土) 16:17:23 ID:ponLR3FQ
六分一殿も満幸さまと氏清さま、御所さまの悪巧みに乗らはったのが運のつきどしたなあ。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 18:09:20 ID:dRdf1/mm
>>2
餓死するよりよっぽどましでは?
悲惨なのは勝算のない鳥取城に送り込まれ、
飢餓地獄を味わった吉川経家の方でしょう
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 18:53:49 ID:QcMfkAvS
豊国ってヘタレ武将扱いされてるけど
戦績は何にもないのか? 守護家として親父から家督相続しただけなん?
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 19:41:20 ID:vjLu0hGl
お前チンチンついてるのかっていわれた豊国たんハァハァ
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 00:01:49 ID:tg0hcli8
細川の子孫の有名人はたくさんいるのに、山名はさっぱりですな。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 08:12:17 ID:nyRaU4TD
豊国はけっこういろんな意味で出来る武将なんじゃない?
運だけじゃ生き残れないだろあの時代は。
てか祐豊−堯煕−堯政−恒豊の資料って少ないんだなぁ。
いちおー但馬山名家の宗家なのに。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 08:25:17 ID:SBFdqfNY
>>1
中国地方なんて表現を用いる国賊が山名スレを立てるな!!

中国だ。豊葦原中国。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 14:59:27 ID:aLQM7qzY
やまなっちは、滅亡しなかっただけでも
かなりの能力はあるね!
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 15:44:16 ID:o46pfAeC
四職の勝ち組度

細川 S
山名 B
斯波 E
赤松 E

結局時流に乗れるか乗れないかだな
山名は江戸時代以降も存続してるしいいほうだろ
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 19:19:54 ID:lnlwvsWJ
四職の組み合わせがおかしい
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 19:45:48 ID:1GNtSKXJ
>>6
権臣の武田高信を暗殺したり、武将としてもそれなりにしたたかだよ

>>12
名前すら出てこない一色はFかな
庶流はけっこう残ってるけど
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 20:23:00 ID:W4D0RCpG
>>12
三管領=細川、畠山、斯波
四職 =京極、山名、赤松、一色
覚え方は京都の山は赤一色ダ!!
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 00:26:53 ID:qGVa/i1b
>>14
岩松城主時代には毛利軍の侵入を撃退して
自ら敵兵の首を取ったりしていると伝えられる。

尼子、毛利、織田と時流を見るに敏なるは戦国大名向きだが
家臣団編成が守護大名的なままだったのだろう。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 02:50:16 ID:FZXBiYVZ
だれか秀吉時代の豊国たんの領地どこだか知らない?
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 09:26:45 ID:hq1+KSKR
一日も早く、雅子が皇室から駆除されるを希求す。

皇太子の妻である雅子は、跡取りを作ろうとせず、精神病を装ってぐうたらな生活をし、
挙げ句の果てにはオランダで療養するときた。

バカ面の娘の授業参観に行く体力があるなら、夜な夜な励んで男を産め。
音楽会に出て行く暇があるなら、まじめに公務しろ。

皇太子が繁殖能力を有しているうちに、新しい皇太子妃を迎え入れなければ、
我が国の「天皇制」は根幹から揺るがされることになる。

この期に及んでも、雅子は、ありもしない色気を駆使して、
女性に免疫のない皇太子をたぶらかしたり、娘の養育を盾に取って、
お心優しい皇太子を言いくるめるなど、実に罪深い悪女である。

日本国民は、この歴史上最も怠惰な皇太子妃・雅子を徹底的に糾弾し、
一日も早く皇室から追放すべきである。

なお、この際、万が一、皇太子が雅子の肩を持って、我が国のあり方を脅かす場合、
皇太子も皇籍を剥奪し野に追放されることやむなしとする。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 12:34:36 ID:FZXBiYVZ
誰か真の山名厨はいないのか?            


20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 16:26:49 ID:hWJUVOZw
豊国は寛永三年(1626)まで生き残ってるんだよね
交代寄合として但馬村岡六千七百石を領したんだから、完全に滅亡した家よりましでしょ

細川?
幽斎は京兆家ではなく、和泉上守護を継いでうまく時流に乗った存在
京兆家は跡形もなく消え去っちゃったし
京極没落していたのを信長に助けられ、更には松丸殿のお陰で大名になっただけだし

畠山は高家、斯波は完全にさよならだし、赤松は関ヶ原でさよなら
一色の分家は旗本になったが数代で没落

山名結構マシだ
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 19:45:49 ID:FZXBiYVZ
ちなみに但馬山名家も旗本で残ってるよ。
でも祐豊や堯煕って影薄いよなぁ〜。やはり凡将だからかな?
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 16:28:33 ID:3Xi8BDOk
>>21
祐豊は本来の因幡守護家の誠通を、攻め滅ぼしてるけどね
豊国の父豊定が因幡守護になれたのは、兄祐豊のお陰

だから他国と比べればなんとも言えないが、只の凡将ではないような

堯煕、堯政は大坂方についた先見性のなさ(言いすぎかな?)はどうなのかな
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 17:13:54 ID:Rs9zhSs8
堯煕、堯政親子は当時秀頼の家臣だったから仕方ないんじゃない??
まぁ堯政の子の恒豊君が家康に取り立てられただけでも幸せだよな。
実は豊国が家康に働き掛けたらしいけど。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 17:22:37 ID:3Xi8BDOk
ちょっと言ってみたかっただけです、申し訳ない

>実は豊国が家康に働き掛けたらしいけど
そうなんですか、豊国は堯煕の従兄弟ですからね
ありそうですね
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 17:28:49 ID:Rs9zhSs8
豊国って結構いいヤシだよな。
但馬山名をタヌキに頼んで再興させてるし、
村岡に6700石もらったときは昔鳥取城から自分を追い出した旧臣たちを呼び寄せたりしてるしさ。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 21:09:45 ID:oCIYcKoe
徳川は大事にした=名門
由良新田なんかもあるし
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 00:34:03 ID:Wst3irPI
特に源義国から出た、清和源氏の没落名門を厚遇したね
吉良なんか、世良田の系図を出した功で高家に列した
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 20:57:42 ID:Wst3irPI
>>25
それどころか武田高信の息子まで呼び寄せちゃってるから
人がよいのもほどがある。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 22:20:19 ID:Ovajhkwr
山名のブランドが通じる範囲がそれこそ落ちぶれた
旧家臣相手程度になっちゃってたってことでは
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 13:51:01 ID:HPo1UOz5
山名四天王

垣屋続成
南条宗勝
田結庄是義
八木豊信

徳川四天王や武田四名臣には負けません。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:11:39 ID:tf39Nwiy
山名家があんな状態で家名を残せたのは凄い事だと思う。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:38:25 ID:KojK1AQ9
豊国の江戸期に入ってからの逸話
コピベだけど許して頂戴

ある日、豊国が古い所々破れた羽織を着て家康の前に出ます。
家康の「禅高(豊国の号)、物持ちが良すぎるのも考え物だぞ」との言葉に、
豊国は「これはかつて足利義晴様よりいただいた物なのです」と答えました
家康はこれを聞き、「禅高は古い恩義にも背かない律儀者だ」と関心したといわれて


家康自身もすごい節倹家なんですけどね
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:47:59 ID:POqydG1r
山名四天王って
垣屋
太田垣
田結庄
八木
じゃなかったっけか?
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 17:03:41 ID:KojK1AQ9
そうみたいだね
垣屋に田結庄は対立してるし、
主君を守り立ててる感じはないね、この四天王
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 17:57:43 ID:POqydG1r
祐豊と堯煕のときには但馬山名家は分裂状態だったらしいしね。

てかタヌキもケチだよな。

どーせ与えるなら村岡みたいな僻地じゃなくてせめて出石とか豊岡を与えてあげればいいものを…
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 19:06:53 ID:RV2Qt1+M
このサイトいいですよ
↓オススメ
http://www.geocities.jp/wainsann_1985/
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 14:39:19 ID:4/7hER/w
>>35
天正三年(1575)の垣屋と田結庄の野田合戦ですか
織田派の田結庄是義はこの戦いで敗死したと伝えられる
ちなみに当時の毛利派は主家を含め、垣屋、太田垣、八木

その垣屋も豊続に続き、光成も主君に先んじて、秀吉に降っている
八木も同様
太田垣は比較的後まで秀吉と戦うが、居城が落城し没落
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 08:57:22 ID:jYIPKSA2
宗全以降豊国まで山名って全然語られないね
細川の方は結構いろいろなエピソード語られてるのに
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 15:55:24 ID:lWvccOQ0
垣屋続成は長生きでえらく現役期間が長いのな
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 05:26:19 ID:zXE1n4kD
政豊・俊豊・致豊・誠豊・祐豊・誠通・豊定
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 15:17:59 ID:z438m1Hw
>>38
すごく簡略にいうと、播磨、美作、備前を巡り赤松氏と激しく争い、最終的には破れ、
但馬と因幡に籠もっちゃったということ
中央に影響力があったのは、政豊まで

応仁の乱時には他に備後や石見、安芸などの守護でもあったがここらはあっさり失い
比較的後まで勢力があった伯耆もやがて失う
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 15:21:54 ID:b7GW1ncB
豊国と家康とのエピソードといえば、日之本六分の一を失った太主と称されたのがあったね
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 16:24:19 ID:z438m1Hw
そのエピソード知らないので、良ければ教えてください
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 20:32:58 ID:Man4tv76
>>41
山名澄之はがんばったほうかな?
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 20:36:29 ID:hsZNh6SG
澄之は尼子経久に追われちゃうな
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 23:17:38 ID:iRcDWxlC
山名澄之はどうなったの?
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 16:49:52 ID:a0oePZNo
不明だね、因幡にでも逃げたのかな?

ちなみに澄之の子に豊興、豊隆
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 17:49:21 ID:AHjEoA4W
一時は出雲進攻もしてるのに、山名方
49あぼーん:あぼーん
あぼーん
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 00:02:51 ID:1bouoFNb
侍所頭人(所司)は足利義稙の時代に終わってしまったみたいだ。
四職というが幕政に関与してた期間はわずかなんだな
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 06:53:31 ID:4hG+natp
但馬山名家で
祐豊〜堯煕〜堯政〜(清水)恒豊
の続きが分かる人いない?
あといつから山名に復姓したとか
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 11:27:41 ID:9OYjOJEo
ごめんわからない
旗本としてはずっと存続したのかな?
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 00:44:56 ID:6JdwM7Ix
武田高信って清和源氏?
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 15:41:44 ID:aCMKNkm0
安芸武田の庶流でしょ
家系図体系には載ってないけど
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 17:51:59 ID:oWmpDnKe
おれは但馬豊岡の出身だが、
小山の上に城あとがあるが、ここの城主は山名一族か?
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 19:40:22 ID:DA+Hrz+E
俺は豊岡市日高町の人間だけど、小山って今の豊岡高校裏の神武山のこと?
それとも新田小あたりのこと?
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:06:12 ID:vmpWJEta
>>54
稲葉民談記には
若狭武田の庶流と書かれている
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 05:07:28 ID:0Z5rozGH
山名豊弘っていたなぁ
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 12:22:20 ID:JKIBdTxE
>>57
そうですか、ありがとうございます

>>58
但馬守護祐豊の弟、最初仏門に入り、後に出家
因幡道竹城主となるが、因幡守護家と対立し、毛利家と結ぶ
永禄七年(1564)因幡の山名豊数に急襲され、討死
60あぼーん:あぼーん
あぼーん
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 16:30:49 ID:PepjP9zi
山名が衰えた原因は、政豊が赤松に敗れたからかな?
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 17:48:02 ID:fSU9u/xo
吉岡定勝が小さい城で秀吉から3回防衛したらしいんだが
図書館で兵庫県史見たけど見つからなかった(もしや兵庫じゃない?)
このスレにも名前が見つからなかった(もしや山名家臣じゃない?)
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 20:29:56 ID:fEmFvtnV
吉岡定勝 よしおかさだかつ ?〜?
因幡の国人。吉岡春斎の男。通称将監。因幡丸山城主。定は山名豊定の偏諱か。
1581年の因幡鳥取城攻めにおいては防己尾(つづらお)城に籠城し、
毛利方として激闘して秀吉軍を悩ませたが、糧道を断たれて自落した。

ここまでコピぺ

山名→吉川に移ったらしい
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 22:55:19 ID:S67b7Sga
石見亀井文書の秀吉書状に三度の敗戦を伺わせる記述がある(歴博所蔵)
取り敢えず、地上戦で推論できるのは
設楽原の馬防柵とか、九州攻めの根白砦での島津、宮部戦と似た攻防があったと十分に創造できる遺構が残っている。
質問は受け付けんから、学べ教えて君はくず、、、
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 23:46:20 ID:9V6WZK5y
>>63
どこのサイトもそんな感じで簡略化して書かれている
どう防衛したんか知りたいところだ罠

恐らく豊国が毛利についたから毛利方として、と考えられる

>>64
別に追撃して敗走させた訳じゃないし、最終的に落城させてるわけで
「敗戦」とはならんのだろう

因みに信ヤボでは生没年1932-1606とはっきり書かれていた
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 14:53:55 ID:ZZeon/Lu
待って、豊国は毛利に降ってないんじゃ?
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 19:56:08 ID:QeIxPwKP
何かその時代は毛利織田尼子残党とかに囲まれて流れが読めん
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 02:31:30 ID:PMMFp0nY
>>66
山中らの尼子残党を追い出すために毛利と結んだ。
降ったわけではない。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 15:15:03 ID:EPr7+mWz
豊国と尼子勝久は結んでいると思うのだが

もちろんそれ以前は、尼子と山名は仇敵だけど
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 17:19:56 ID:PMMFp0nY
豊国は、尼子、毛利、秀吉と時流にあった勢力とうまく結んでいる。
先を見る目はあるのに、人望がまったくなく、人がよすぎるのが残念。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 18:46:50 ID:PDI0cYC6
田結庄是義

烈風伝の顔グラや低能力から
農夫っぽい印象
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 19:07:39 ID:dnUinzFq
かつて自分を裏切った旧臣呼び戻したり同族を再興させてやったり…
ここまで人のいい大名っていないよなW

73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 20:26:34 ID:TzSd8HjO
>>70
秀吉ってさ、勢力の名前なんだ。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 00:15:54 ID:xeXSBGJ3
吉岡 定勝(よしおか さだかつ、天文元年(1532年) − 慶長11年(1606年))は因幡国山名氏の家臣。将監・安芸守との記録もある。

吉岡氏は南北朝以来、湖山池西岸を本拠とした国人領主で、代々因幡山名氏に仕えたが、定勝の代である1573年(天正元年)に因幡国に進出した吉川元春により本領を安堵された。
1581年(天正9年)織田信長の命を受けた羽柴秀吉による鳥取城攻撃の際は毛利氏に与し、居城・防己尾城に拠って羽柴軍を迎え撃っている。
秀吉軍の防己尾城攻撃は合計3回行われたが、定勝は湖水が入り組んだ地形を巧みに生かしたゲリラ戦法で、いずれの時も秀吉軍を撃退している。
特に2度目の攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印を奪取するほどの大勝だった。しかしその後は秀吉軍の長囲による兵糧攻めにあって落城する。
城を出た吉岡氏一族は帰農したとも、毛利氏を頼って安芸国へ去ったとも伝えられている。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B2%A1%E5%AE%9A%E5%8B%9D" より作成
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 16:37:06 ID:uFIsn5e+
>>72
元大名、今は気のいいお爺さん
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 18:18:06 ID:dAS2OvHI
なぁなぁ、だれか但馬山名家を語ろうよ↓
堯煕、堯政、恒豊の三代ってそんなにマイナーかな?
77名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 16:49:30 ID:NpIkDzPc
祐豊の方が豊定の兄だし、二人の父致豊は但馬守護なんだから、
本来豊国じゃなくて堯煕の方が本家なんだけどね
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 10:43:15 ID:GPUZ56rm
じゃ本家である但馬山名はどーなった?

豊国チャソのおかげで堯煕の孫の恒豊が大阪の陣後に旗本になったらしいが…

だが清水とかいう旧臣の養子という形で石高は僅か300石にも及ばない程度。
のちに山名に復姓したらしいがそこからの情報誰かしらね?
詳細キボンヌ
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 15:45:01 ID:ZsIQ2lOL
江戸幕府旗本人名事典. 石井良助監修 ; 小川恭一編著 原書房 1−4巻+別巻

でも入手(図書館でもいいけど)しないと、わからんかも
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 15:57:21 ID:tFnnQq9w
ところで時代は遡るけど、宗全の評価ってみなさんどう?
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 02:35:33 ID:mi9n9Phh
宗全はよく頑張ったほうだな。
祐豊も頑張ったほうだが運と先見の明がなかった。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 15:20:29 ID:0wDa9DoC
赤松に負けたのが痛かった
勝ったからって、勢力を伸ばせるとも思えないけどね
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 04:16:08 ID:fnBHmLSZ
祐豊が信長裏切ったのが痛す
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 04:22:57 ID:ha82ZbhK
山名は応仁の乱後は赤松と細川にネチネチやられた上、内部崩壊で衰退ってとこか
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 08:03:37 ID:fnBHmLSZ
いやぁ〜でも交替寄合で生き残れたんだからいいじゃん
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 17:33:47 ID:8pBxaMMO
細川は畠山より、山名が目障りだったでしょね
赤松を上手にけしかけたかな?
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 00:32:36 ID:VVGVj4W0
なぁなぁ、話変わるんだけど豊国が村岡に封地された頃には
どんな家臣がいたわけ??
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 16:40:02 ID:+QVYtvgO
三上氏や田結庄氏がいたらしい
89名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 22:03:38 ID:hpnnMFNr
三上って確か親族衆だよな?
垣屋氏の末裔は脇坂氏の家臣になってるけど他はどーなんだ?太田垣や吉岡や八木とか。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:37:53 ID:bJK4G1ZO
山名家って分家かなりあるよな?丹波夜久野とか。
みんな消滅したのか?
91名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 14:54:35 ID:mMKEspSl
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  (........../  )...ノ....ノ ) ソ ヾ............丶....ヽ
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.( 。 ・:・‘。c .(●  ●) ;”・u。*@・:、‘)ノ  /
( 。;・0”*・o; / .....l l... ... \ :。・;%:・。o ) <カイオウの毒ガスをなめたらあかんで
(; 8@ ・。:// ̄ ̄ ̄ ̄\.\.”・:。;・’0.)   \
.\。・:%,. )....|.  ̄ ̄ ̄ ̄  | ....(. o`*:c/
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   (ヽ  ヽ.... _- ..... ⌒.. ........ -_    ノ
    \丶\_.._....._.... ....._/.... /
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92名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 12:41:37 ID:52/hK/9k
たしか真田氏の配下に山名氏が居たと思うんだが、
やっぱり一族なのかな?
9392:2006/10/06(金) 12:44:47 ID:52/hK/9k
今ググったら出てきた

山名義季 やまなよしすえ ?〜?
真田氏家臣。上野下川田城主。1582年川田衆は多く北条氏に味方したため、その責任を取らされて所領を三分の二に減ぜられた。息子主水は1584年北条氏邦の沼田城進撃の際に禰津幸直に所属して戦ったが戦死した。
戻る
94名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 04:10:57 ID:5uXVF6Y8
山名家って但馬山名家が宗家にあたるんだね。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 05:33:44 ID:5hPZt0yW
>>93
山名氏って上野国山名郷が起源らしいから、古い時代に分かれた庶流かもね
96名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:51:50 ID:XuAX0Emd
幕末の時点で本家以外の庶流の家ってどんなのがあったんだ?
97名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 15:45:39 ID:ke2Z418q
>>95
山名宗家が山名郷から出たのは、時氏のころ、即ち南北朝期
時氏は初め新田義貞に従い、中先代の乱以後尊氏に従う
最初の守護職補任は、暦応元年(1338)の伯耆守護
このとき本拠を移した
98名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 21:55:47 ID:f8jS8HY8
山中幸盛を主人公にしたコミックが雑誌に載っていたが、
山名豊国が登場してないぞ! 不満だ。
99前田 ◆LIBERALCQY :2006/11/29(水) 00:40:37 ID:8sGR0KHV
100ゲットしちゃうよ。
100100:2006/11/29(水) 01:19:57 ID:VsXl9rNs
100
101名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 00:01:28 ID:gY13DU3z
NHKのニュースに大阪の天満警察署の署長出てたけど山名の子孫か?
名前が山名康晴だってさ
102前田 ◆LIBERALCQY :2006/12/01(金) 00:06:19 ID:u2tXPJ7v
それ芸名。
103名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 02:38:25 ID:mKFCUnqb
但馬山名家も誰か話題に出せよ
一応宗家なんだし旗本として数家残ってるんだし
104名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 11:33:22 ID:TZHnY0OE
豊国も血でいえば、但馬守護家だけどね
本来の因幡守護家(氏冬流)は誠通が但馬守護家に敗れ、
豊国の父豊定にとって替わられたかたちだから
105名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:28:58 ID:TP8SmyW0
但馬守護家も旗本として何家か生き残ってるんだな
山名マンセーの俺としては嬉しいよ(泣)
106尼子晴久:2006/12/13(水) 12:54:27 ID:ohvdyUHu
祐豊の所為で、因幡を支配しきれませんでした。
107名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:10:59 ID:C6DVSwIZ
生野銀山は祐豊が掘り出したんだね
108名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 04:43:56 ID:JYqdw5Bz
でも銀山見つけたせいで信長の糞野郎に…
109名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 02:48:54 ID:eVxJfC8d
まぁまぁいいじゃん。祐豊の子孫は武家として残ってるんだし。
110名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 05:23:25 ID:ETVKAwxd
山名マンセー(≧▽≦)ゞ
111名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 19:22:16 ID:6C1t4q7r
こんにちは。
私は山名宗全の子孫なんですが、こんなスレがあったなんてビックリです!
ちょっと嬉しい…
112名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/13(土) 19:44:52 ID:Pjx9xP1Q
>>111
家の家紋とかどんな感じ?
113名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/29(月) 03:36:42 ID:2V7tVn9m
111です。
家紋ですか…
家系図ひっぱりだして見てみたんですが、何がなんだか私にはよく分かりませんでした…
桐とか、他にも色々載ってました。
114名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 21:21:13 ID:mEhwHRUz
家系図?
どの辺りとつながっているんだろう
持豊から5、6代くらいの人物名を書いてくれないか?
115奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/06(火) 21:51:25 ID:kui/oT15
持豊┬師豊
    ├教豊
    ├是豊
    ├勝豊
    ├政豊
    ├時豊
    └豊久

どぞ。
116名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 22:04:14 ID:S/TdgnRT
山名家衰退の原因は応仁の乱ですか?
117名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 23:46:39 ID:mEhwHRUz
>>116
それもあるけど山名氏は乱後は中央から手を引き領国に帰ったから
うまくいけば戦国大名として成長する余地があったかも。
でも被官、国人をまとめきらないまま、赤松と抗争を繰り返して弱体化した。
118名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 05:37:19 ID:UV7l+KYH
伯耆山名家はどうなったんだ?五月崩れで滅んだのか?
119人間七七四年:2007/02/17(土) 21:00:35 ID:tz9k1+kv
応仁の乱では西軍の総大将であった山名家が、なぜ地方勢力に
落ちぶれたのか、詳しい方御教授お願いします。
120人間七七四年:2007/02/26(月) 14:41:47 ID:y+jTHkFb
>>119 詳述はされてにないけど、このスレで触れられてるのは下記のあたり、かな

>>41
>>61
>>80-82 >>84
121人間七七四年:2007/02/26(月) 20:56:45 ID:MCaam+3+
122人間七七四年:2007/03/24(土) 23:09:21 ID:RUMrYd0x
山名堯煕マンセ(´□`)
123人間七七四年:2007/03/28(水) 09:37:07 ID:cMhKqWcE
足利義晴に陣羽織を貰ったと聞きましたがそのとき何か幕府に貢献してたんですか?
124人間七七四年:2007/04/07(土) 20:42:28 ID:7NxTL2V+
今夜はヤーマナ!
本屋はヤーマナ!
125人間七七四年:2007/04/08(日) 14:12:05 ID:xXM1V+z8
赤松は嘉吉の乱で一度滅んだはずなのにしぶといな。
いつの間に山名と力が逆転したのか。
126人間七七四年:2007/04/08(日) 18:58:10 ID:PjbVB9PW
>>125
滅んだ? その認識は間違ってないか?
赤松貞村の一族もかなりの勢力だよ
127人間七七四年:2007/04/08(日) 20:27:29 ID:36g3q958
>>123
豊国の母に由来がありそうな感じ?
ttp://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x028.htm
128人間七七四年:2007/04/27(金) 14:06:35 ID:peIHCS8N
>>127
義材からもらったとwikiにはあるが
義晴からの方が自然だね
高国の娘といえば、北畠晴具の室がいる
129人間七七四年:2007/05/18(金) 14:56:48 ID:RKsBLI8T
>>125
応仁の乱後に赤松に敗れたのが山名にとって決定的な打撃
130人間七七四年:2007/05/20(日) 12:37:33 ID:qjwf3cGy
質問!!
1600年に最盛期の山名一族がいれば関が原で徳川の東軍に勝てたか?
131人間七七四年:2007/05/20(日) 13:06:30 ID:9VTPGq6a
>>130
大将が豊国ならたぶん無理w
132人間七七四年:2007/05/20(日) 13:16:09 ID:qjwf3cGy
誰だったらいいの?
133人間七七四年:2007/05/20(日) 13:30:54 ID:4grIwdC1
歴代の山名一族でも無理だよw
134人間七七四年:2007/05/20(日) 15:47:42 ID:p0QjJA47
西陣南帝なら勝てたかもね。
135人間七七四年:2007/05/21(月) 00:26:19 ID:ud4axjKS
>>133
六分一殿でも無理か…
136人間七七四年:2007/05/21(月) 02:04:53 ID:PB6MeXtU
西陣南帝に最盛期の山名一族がいれば勝てるはずだ。
137人間七七四年:2007/05/21(月) 14:24:39 ID:5erF2Tj1
時代が違うからなんとも言えないと思うよ
138人間七七四年:2007/05/21(月) 17:41:22 ID:Qplxu4tM
>>130
自称一族の得川家はどちらにつくのでしょうか?
139人間七七四年:2007/05/29(火) 22:53:40 ID:0qi/wrPn
てか豊国さんは東軍に従軍して功を上げたらしいがいったい何人の兵を率いたわけだ?
当時の所領なんて無きに等しいだろ?
140人間七七四年:2007/05/31(木) 09:06:01 ID:i0bRJXJA
応仁で敵対した山名細川が関ケ原では轡を並べて戦ったわけだ
ご先祖様もびっくりだなこりゃ
141人間七七四年:2007/05/31(木) 23:05:05 ID:3CDbbMiZ
>>140
細川元勝って関ヶ原出てたの?
142人間七七四年:2007/06/03(日) 17:42:35 ID:l8oRs4u6
関が原の件ですが山名宗全(持豊)や宗詮(祐豊)が大将だったら?
徳川勢は島津や大阪の陣の真田のように直線的に攻められるともろい面がある
山名勢は赤松討伐戦でみせたとおり、攻めだしたら直線的な猛攻が得意。
関が原では島津のわずか1000名ほどの軍勢に崩されそうになった徳川軍だが、
六分の一殿の山名であれば少なくとも1万5千、多ければ3〜4万ほどの軍勢が
家康の本陣に猛攻をかける。そうすればワンサイドで終わったかもしれない。
えっ、その前に家康は謀略を使うだろうって?・・・大丈夫!田舎者の山名勢には
謀略は通じない。
最盛期の山名勢は野戦では徳川勢に負けないと思う。
143人間七七四年:2007/06/04(月) 14:04:50 ID:iq4+XRr6
>>141
大坂城にいたんじゃないか?
144人間七七四年:2007/06/07(木) 21:19:37 ID:lWqVqmC/
山名は本当に強かったの?
145人間七七四年:2007/06/09(土) 14:56:40 ID:x8FiVB7S
強さは上杉並みか?
146人間七七四年:2007/06/10(日) 07:32:28 ID:TAoOeovH
なんで因幡山名と但馬山名は争い続けたのか…
147人間七七四年:2007/06/11(月) 02:21:52 ID:43qdJ/OX
どこの家でも一族ってのは後継者の座をめぐって争うもんだ
148人間七七四年:2007/06/15(金) 08:08:05 ID:5S6zX4US
武田信玄と戦ったらどっちが強かったのだろうか?
149人間七七四年:2007/06/19(火) 21:59:07 ID:XFbKOjrX
>>146
不仲だったのは豊治(因幡)vs誠豊(但馬)、誠通(因幡)vs祐豊(但馬)の2代だけだろ?
それ以外の時代は特に不仲でもなかったと思うが。
誠通の子の豊成も仇である豊定の子豊数が武田高信に追われたときも保護してるし。
150人間七七四年:2007/06/21(木) 10:17:00 ID:Tb+Cp7kQ
>>148
山名四天王VS甲陽四名臣

武功・名声・忠誠いずれにおいても山名四天王の敗北です
本当にありがとうございたした
151奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/21(木) 21:18:30 ID:/91k/a4B
武功は後付け多いから差っ引いてやってよ。
152人間七七四年:2007/06/21(木) 22:13:06 ID:YuLLeSbO
>>150
武功も名声も忠誠も山名四天王のほうが負けてるのに主家の存続に成功してるのは山名なんだよな。
こうしてみると甲陽四名臣って全然名臣じゃないよなぁ。
大名自身も、信玄・勝頼に比べて豊国が優れているとはどうみても……w
153人間七七四年:2007/06/22(金) 00:58:55 ID:+rv+4m+Q
運も実力のうち
154人間七七四年:2007/06/22(金) 19:37:55 ID:qOyO6DSR
鳥取城が豊国が城主の時は豊臣方の兵糧攻めを持ちこたえて吉川経家が城主の時は落ちた。


これも豊国が先を見越して備蓄をしておいたんじゃ無くて実はただの運だったんじゃ・・・w
155人間七七四年:2007/06/22(金) 21:36:17 ID:QKawwv5i
>>154
豊国は普通のことをしただけだぞ。
豊国の運がよかったのではなく、むしろ経家の運が悪かった。
主家の命令ではるばる鳥取城までやって来てみりゃ食糧が無えっつーんだから。
すぐに食糧の調達を部下に命じ、毛利家にも輸送を依頼したが、間に合わず……
合掌、というわけ。
156人間七七四年:2007/06/23(土) 02:58:56 ID:TkfOMpxw
何だかんだで上手いこと死地を脱した事は確か
157人間七七四年:2007/06/23(土) 11:30:40 ID:EcZ+osjH
>>156
豊国の鳥取城篭城のことか?
なら秀吉は降伏させることが目的だったから、
生死の境目ではあったが死地とは言えない。
降伏後も鳥取城主の地位に変わりはないし、
秀吉に豊国殺害の意思は無かったと言える。

しかし豊国はツイてたっていうこと自体は否定しないw
158人間七七四年:2007/06/23(土) 13:16:52 ID:qEuPlBK4
>>142
そうなのかな?
159人間七七四年:2007/06/23(土) 22:33:11 ID:lq9VmcvY
関が原では徳川との直接対決の前に黒田やら加藤やら福島やらが
立ちはだかるからそんなに簡単にはいかんだろう。
160人間七七四年:2007/06/25(月) 23:38:47 ID:8nVgwBG4
黒田,加藤,福島は最盛期の山名軍の敵じゃない!
161人間七七四年:2007/06/26(火) 02:32:53 ID:G36a08cw
そういや山陰の兵って強いのか?
越後や三河は強兵、尾張は弱兵 みたいな話はよく聞くが
162人間七七四年:2007/06/29(金) 21:19:05 ID:hUN3P1SJ
山陰の兵って強いと思う。
秀吉が侵入してきたときも小競り合いでは山名のほうが優勢だった。
当初は何回か撃退してるみたいだし。
163人間七七四年:2007/07/01(日) 13:17:43 ID:hzwcLHhH
じゃあ多少、将の資質がアレでもまとまった兵団として活用できれば
>>160の妄言もあながち嘘じゃなくなるかもなw
164人間七七四年:2007/07/02(月) 20:51:53 ID:GiL7j8P9
>>163
だから、最盛期の山名軍団を関が原の西軍にもっていきたかったのよ。
けっこう強いと思うよ。
165人間七七四年:2007/07/06(金) 19:11:52 ID:KWnVIIi7
山名四天王ってどんなにすごいの?
166関連スレ:2007/07/08(日) 02:45:43 ID:gGiGjyYQ
【四職家】一色一族を語る【丹後・若狭】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183829686/
167人間七七四年:2007/07/08(日) 19:08:10 ID:iCVBHJet
鉄砲など聞いたこともない連中がいきなり関ヶ原に出現したとしてどうなるのかね。
168人間七七四年:2007/07/12(木) 23:45:10 ID:/ezm6L7L
山名VS徳川
山名のほうが強かった!
169人間七七四年:2007/07/22(日) 18:40:12 ID:UTpnNmhb
>>165
俗にいう山名四天王は実は五家ある。
太田垣・八木・田結庄・田公・垣屋の五氏。
致豊・誠豊兄弟の家督争いの時、誠豊を奉じたのが垣屋を除く四氏。
垣屋は致豊を推戴したが誠豊派に敗れたため、1510年頃〜1560年頃は逼塞状態。
永禄頃より田公が衰退し、これに代わって垣屋が台頭した。
従って、16世紀前期の山名誠豊時代の四天王は太田垣・八木・田結庄・田公の四氏、
16世紀後期の山名祐豊時代の四天王は太田垣・八木・田結庄・垣屋の四氏となる。

太田垣…親毛利派。領内にある生野銀山を巡って一時山名祐豊と戦っている。
八木…親毛利派。垣屋氏と田結庄氏の抗争では垣屋を支援した。
田結庄…親織田派。垣屋氏と対立し、合戦に及ぶが敗北した。
田公…毛利氏と組んで因幡山名氏を苦しめた武田高信を矢田氏らと共に支援した。
垣屋…続成が没落した後は低迷。光成の時代に復興し、親毛利派として活躍した。

全然凄くないかもしれん。
170人間七七四年:2007/07/29(日) 21:29:27 ID:y+Zz0Wqx
雑兵(足軽)の集団・集中活用を初めて本格的に行ったのは
山名氏だという説が有るけど本当?
そういえば赤松討伐戦などではそんなような気もするし・・・・
本当なら山名はすごい・・・・・
171人間七七四年:2007/08/03(金) 12:49:28 ID:GmVCfvAb
山名祐豊の子の氏政って堯煕ってゆう別名あるけどなんて読むんだ?
てか名前としてはどっちが正しいんだろ?
エロい人教えて
172人間七七四年:2007/08/03(金) 18:28:23 ID:RU0kXlRe
>>171
常考して「たかひろ」だと思う。どっちでも正しいんじゃないか?
2つ3つ諱が伝わってるなんて珍しい事でもないし
173人間七七四年:2007/08/16(木) 16:37:38 ID:KeYHq0hG
山名って江戸期になってからかなり分家出してるよな?
豊国系で3家、祐豊系で3家くらいが旗本として分家したと思う。
ただ祐豊の子の堯煕、孫の堯政って秀吉に降ってから江戸期まで何をしてたんた?
調べようにも調べようがないんだけど
174人間七七四年:2007/08/24(金) 22:05:38 ID:PwV305dM
山名ってそんな有名な人っていた?
山名氏の地元なんだが、あまり有名な武将を知らない。
いたら教えてほしい。
175人間七七四年:2007/08/24(金) 23:52:42 ID:c6Qrh92c
山名持豊とか、豊国とか・・・
あとは近代だが山名義鶴も有名かな
176人間七七四年:2007/08/25(土) 09:33:29 ID:8Atp/Zw/
豊国は代表的な御伽衆だったそうだけど、あまりいい評判がないそうなんだよね。
177人間七七四年:2007/08/25(土) 20:23:02 ID:4Zj9iq1P
山名本家のお膝元、旧出石町での山名氏の知名度は皆無
山名祐豊や氏政親子なんてほとんど知られてない
江戸期の小出や仙石はそこそこ知られてるけどな
178人間七七四年:2007/08/26(日) 04:44:21 ID:NgO30kUv
豊国は好きだなぁ。
毛利と組んで兄豊数を追放したり一族の豊次らをブッコロにした武田高信の子を召抱えたり、
やはり毛利と組んで豊国を鳥取城から追い出した中村春次の子を召抱えてるからな。
いくら戦国の世の倣いとはいえ、肉親の仇・反臣の子を、
平和になったからって再び家臣に招いたりするかァ?w
お人よしすぎだろ……。
179人間七七四年:2007/08/27(月) 01:49:10 ID:2W191zD/
まぁ一説には鳥取城籠城戦も娘を人質に取られた豊国が
「家族が大事」
とか言って単身降伏しちゃったって話だし
まぁある意味戦国一のお人好しだな
180人間七七四年:2007/08/27(月) 20:22:29 ID:5U6SbxxU
>>179
織田信雄(常真)と気が合いそうだなw
181人間七七四年:2007/08/28(火) 23:46:40 ID:MilmGWK+
今川氏真、織田信雄、山名豊国は暗愚だけどお家は残してるよな
ただ豊国ってそんなに暗愚?
182人間七七四年:2007/08/29(水) 00:32:18 ID:gHbouOv0
豊国はもうちっと評価されてもいい気がする。
鳥取への侵攻を一度は食い止めてるわけだし、時代の流れに上手く
乗る力もそうだし、足利将軍から拝領した羽織を着て参上した逸話
も、彼の状況を把握するちからとも言えるのでは?

ただ、其の割に情けないエピソードが多い感じはするがw
183人間七七四年:2007/08/30(木) 01:10:34 ID:NbikEdbt
豊国はおひとよしなだけで、暗愚とまではいえないと思う。
尼子、毛利、織田、豊臣、徳川と時流をみる能力は確か
ただ主君としての人望がなかった
184人間七七四年:2007/09/04(火) 03:06:45 ID:dNmoK9sI
豊国にもう少し野望があれば城持ち万石大名になるのも夢じゃなかったはず
子孫は大名になれたけど
ただ尼子に始まって毛利、織田の二大勢力に挟まれた状態でよく家名を残したもんだ
近隣の丹後一色や丹波波多野は完全滅亡したんだから
185人間七七四年:2007/09/04(火) 07:03:06 ID:/RZfAlpA
そうかな?野望がなかったから生き残れたんじゃないかな〜
186人間七七四年:2007/09/05(水) 17:23:45 ID:EO8X8yzd
山名家って元々応仁の乱で有名だった家なんだ。知らなかったわ。

宗全の時の山名家って鳥取?兵庫?
スレ違いだけど、敵対した細川家は愛知?
187人間七七四年:2007/09/05(水) 18:01:08 ID:8nnUY8QY
源頼朝の頃から有名じゃボケ
少しは自分で調べろ
188人間七七四年:2007/09/05(水) 20:55:38 ID:evXt1E38
鎌倉時代は新田のほうが山名より有名だからしかたない気もするが
室町時代は山名ぬきには語れないだろ。山名知らないのが
この板にもいるんだな。
189人間七七四年:2007/09/06(木) 05:01:26 ID:nEvjJVmw
新田氏は頼朝挙兵時の去就を誤ってしまい、以後冷遇されてしまうが、
頼朝をはじめ源氏の年長者が死んだ後、義重は長老格として扱われた
しかし義貞の代には既に無位無官の小豪族
一方の山名氏は頼朝に積極的に協力し、
大内・平賀・加賀美らとともに御門葉として遇されている
190人間七七四年:2007/09/07(金) 00:28:04 ID:7mwGOaCv
おわ。我が祖先のお名前。なんだか嬉しい。
女系ですが吉岡将監定勝の子孫です。確かつづらお城が陥落し、一度毛利氏を頼って岡山?or広島?方面へ落ちたのですが、当地での扱いを不服として故郷へ帰って帰農したらしいです。
で、帰農した村で娘を嫁に行かせた先が、僕の母親の実家というわけでした。
もう博物館へ寄贈しましたが、昔は蔵に具足刀剣一式が揃っていたようです。槍だけは今でも居間に飾ってあります。刃の部分は錆びてボロボロになっちゃってますが。
吉岡家の墓守もうちがやっているはずです。
最近帰ってないので、お参りに行こうと思います。。。
191人間七七四年:2007/09/07(金) 08:33:04 ID:deADhMg4
ああ、そういえば吉岡家の一族は落城後県外(藩外)を移ったから鳥取には吉岡性が少ないんだっけ。
192人間七七四年:2007/09/07(金) 08:34:49 ID:deADhMg4
山名って宗全世代で兵庫にいた頃はかなり大物だったけど、
鳥取に移った頃はかなり落ちぶれてるよな。細川はずっと大阪なのに。

山名豊国だって、同じ中国の大名である毛利や尼子、宇喜多に比べると影が薄い。
193人間七七四年:2007/09/08(土) 03:42:15 ID:Om9L72ud
>>192
そりゃ分家の豊国が本家のように見られるんだから、落ちぶれてるに決まってるだろ。
194人間七七四年:2007/09/08(土) 18:34:32 ID:Wk6GW7+Z
但馬系の堯政が大阪の陣で戦死して子の煕政?が旗本の清水家を継いだ時点で山名嫡流は豊国系になったはず
煕政の子の中には山名姓で旗本に取り立てられたのもいたけどな
195人間七七四年:2007/09/21(金) 20:12:14 ID:bo9aHBhc
保守
196人間七七四年:2007/10/01(月) 17:12:49 ID:ythAeGTx
>>20
熊本の細川は細川奥州家の細川
藩祖の忠興が細川輝経の嗣子となり、家系上は幽斉とは別家となった
197人間七七四年:2007/10/01(月) 20:27:57 ID:bgv7/yC7
>>196
>>20自身わざわざ別者扱いしてるじゃねーかw
198人間七七四年:2007/10/10(水) 16:12:02 ID:oGz26LwK
あげ
199人間七七四年:2007/10/30(火) 00:36:55 ID:O8qfEOCX
南北朝時代に、山名時氏(墓所は倉吉市)は西国にある旧北条氏の守護地をうまく引き継いだ。
これを元に”六分一衆”と呼ばれるまでに勢力を伸ばす。
が、天皇家の謀略により味方同士で戦さを起こし、但馬・因幡・伯耆まで勢力を減退する。
室町時代に入り、嘉吉の乱の功績により、但馬山名氏は播磨も治める。特に、嘉吉の乱の張本
人・赤松氏の首を獲った伯耆山名氏は美作・備前を直接治めることにな
った。さらに山名時氏の時から侵略により事実上の領地であった出雲、同じく山名時氏の時か
ら関係の良好であった備中・備後・安芸も間接的に治めた。
伯耆山名氏の伯耆・出雲・美作・備前・備中・備後・安芸の支配は、その後、戦国期には
伯耆山名⇒尼子氏⇒毛利氏へ引き継がれることになる。
(伯耆山名氏の菩提寺は米子市日下)
毛利氏と尼子氏の対立は、結局、伯耆山名氏が造った国の支配権(=中国地区の覇権)をめぐるもの。
最近、地元で出版されたの歴史研究の資料によると、伯耆には戦国期に必要な守護代が西伯耆・
東伯耆・日野に南北朝(山名時氏)時代には既に他の地域に先駆けて存在していた、らしい。
ここからは想像だが、山名時氏が伯耆で始めた戦略的(侵略的)政治が戦国時代の始まりではないかと。
(ちなみに、日野は出雲から奪い獲ったものらしい)
そして、他の地区が戦国に入る頃には伯耆では戦国期は終わり、戦争をメシのタネすらする経済発展期
に入ったと考えられる。
200人間七七四年:2007/11/03(土) 17:43:43 ID:YI+D0r8C
>>199
日野はそもそも日野衆で独立的土豪集団っぽいから、
出雲から奪ったというより味方につけたって感じかもな。
201人間七七四年:2007/11/11(日) 09:14:32 ID:NPc18sz6
吉岡さんが湖山池一帯を領したのは、天神山から久松山に移転してからなの?
吉岡さんの父、春斎さんまでの居城丸山を蓑上山に移転って書いてあるから、
防巳尾城は羽柴勢との戦いで籠城に使ったんかね?
湖山池とか吉岡温泉はわかるけど、防巳尾城の鳥取市福井とか六反田とか、
どこやねん?思って調べたら、旭国際の湖山コースらへんだったのね。
202人間七七四年:2007/11/11(日) 09:34:01 ID:NPc18sz6
吉岡さんは戦闘班で育つよ!鷹狩りで教育係にもなるよ!今103。
豊定さんは政治班だけど、いつも早死にする…。南条宗勝さんは早く命令回数3になり易い。
譜代で即戦力で使えるのは、この三人と垣屋続成さんかなぁ。
あと、豊国タソは政治の成長めっちゃ早いよ!政治が100越えてから
鷹狩りとかでビシビシ鍛えたり櫓を何回も取らせたりしてたら、
大名になるころには命令回数5になってたりするw
中村春続さんも政治は成長が早い。垣屋光成タソは地道に政治を重点的に。
二上山城の石垣が可愛いよねハァハァ
203人間七七四年:2007/11/21(水) 08:47:26 ID:FKs0eSc9
武田高信って武田信玄の遠い親戚の一族?
204人間七七四年:2007/11/21(水) 11:22:41 ID:cyAGSrDp
>>203
ググレカス
205人間七七四年:2007/11/21(水) 15:35:25 ID:RvJ9ZRbd
そんな事も知らねえのか馬鹿!甲斐武田の分流じゃ。
206人間七七四年:2007/11/21(水) 20:52:54 ID:PCQ27g5G
>>203
一般的には若狭武田氏の庶流とされるから、信玄の遠い親戚と言えなくも無い。
一応通字は上総・甲斐・若狭・安芸の各武田氏と同じく「信」。
207人間七七四年:2007/11/22(木) 13:49:42 ID:fbzKkhfv
高信の話は>>57にも出てるね
208人間七七四年:2007/11/22(木) 14:09:03 ID:N/MLqvGj
家柄的には主人より上なのか
209人間七七四年:2007/11/22(木) 20:05:21 ID:jGuS3mhR
>>208
どう考えても主人のほうが家柄は上。
210人間七七四年:2007/12/10(月) 15:58:08 ID:mSCWZJAK
山名が急速に勢力を落としていったのは、赤松政則の策謀なんだって?
211人間七七四年:2007/12/12(水) 19:44:16 ID:B3K8Mndb
どうだろう?
赤松と山名は仇敵同士だから山名の凋落は赤松の活動のせいと言えなくもないが……。

政則自身は真弓峠の戦いの敗北で有馬・浦上といった重臣から一時的にとはいえ見放されてるし。
むしろ各地域の国人をまとめられず(備後や伯耆で顕著)、
その上因幡家と但馬家の内訌で勝手に自滅していったって観が強いけどな。
内訌そのものに赤松が具体的に加わったって話は聞かない。

内訌の発端は政豊が後継者であった俊豊を嫌って致豊を寵愛し、俊豊を廃嫡したこと。
俊豊派の重臣が致豊の弟である誠豊を擁立した連中と思われる。

要するに、山名の自滅じゃね?って話w
212人間七七四年:2007/12/16(日) 05:03:54 ID:Z0ZYxpRB
まぁそれでも豊国チャソが交代寄合になれたから結果オーライだよね

但馬の山名家も旗本として復活は出来たんだから
213人間七七四年:2007/12/18(火) 17:21:52 ID:d1K8VeVj
豊国が毛利にずっと付いて行ったらどうなったか、興味のあるところですね
あのタイミングで秀吉に降ったのは、良い判断だったと思いますよ
214人間七七四年:2007/12/31(月) 12:38:43 ID:U/n+27iU
>>20
跡形もなく消え去ってないよ京兆家。
足利義昭に仕え、細川昭元の名を賜り
のちに織田信長の妹を室にむかえ信長の義弟になっている。
そのさい細川信元(信良)の名を賜った。
自身も子も、織田豊臣政権家で山名豊国と同じような地位にあったと思われる。
江戸期は小藩とはいえ、家老なんだから
旗本の山名と比べても
そう遜色はないと思う。
215人間七七四年:2008/01/02(水) 02:10:24 ID:6UPAPqvV
>>20
斯波も完全にさよならしていないよ
信長の主人だった斯波義銀は、津川義近と名を改め
秀吉の御伽集になってるし
最上斯波氏は大大名じゃん
216人間七七四年:2008/01/02(水) 03:46:53 ID:6UPAPqvV
>>20
有馬赤松氏は大大名だし
京極高知は福島、黒田級の猛将
217人間七七四年:2008/01/03(木) 00:08:54 ID:5s8rhP6F
>>215>>216
もっともだ。山名一族で江戸期の大大名は、いないよなあ。
218人間七七四年:2008/01/06(日) 14:04:18 ID:decrHlGu
南部、伊達、佐竹、最上、結城(松平)、上杉、京極、小笠原、細川、島津
などなど室町の守護大名は近世大名になったのも多いよね
山名は旗本でしょ?
219人間七七四年:2008/01/06(日) 14:16:39 ID:h1wFRN3x
東北はぬるま湯だったから下剋上自体がごくわずかだったから名門が生き延びたって感じ。
そんな中では戦国期においては最上が一番滅亡の危機が高かったね。山形城のまわりは敵だらけ…最上義光がかなりがんばったな!
220人間七七四年:2008/01/22(火) 15:25:05 ID:RbCXyuTK
>>218
その中で正真正銘の三管領・四職は京極ぐらいでしょ
221人間七七四年:2008/02/07(木) 14:24:15 ID:/rftLgSZ
分家では細川が一番大きいかな。
222人間七七四年:2008/02/21(木) 14:47:07 ID:H+X1JPFM
和泉上守護家だね
223人間七七四年:2008/03/06(木) 13:57:08 ID:oECdRXfY
でも豊国の判断は良かったと思うな
224人間七七四年:2008/03/22(土) 15:59:33 ID:aobQpzIr
豊国は連歌が上手だったらしいね。保身にもうまく使えた。
225人間七七四年:2008/03/23(日) 14:15:15 ID:9t+XaQTd
高家待遇ぐらいはあってもよかったがな
226人間七七四年:2008/04/07(月) 15:22:37 ID:phuRxcLb
新田流だから邪魔だったというのは?
227人間七七四年:2008/04/21(月) 15:27:19 ID:tGGMeK0u
高家になってる顔触れを見ても 山名が一枚落ちるとは思えないな。
228人間七七四年:2008/05/07(水) 15:40:38 ID:7UZla2vC
赤松政則はなかなかの策士だね。
因幡では毛利二郎に反乱を起こさせ 伯耆でも国人を蜂起させと
裏で糸を引いているんだから。
山名政豊は逆に播磨を攻め 一時制圧するが 最終的には敗れてしまう。
229人間七七四年:2008/05/20(火) 13:31:28 ID:1hS0w+Pk
赤松との争いで力を落としたと思う=山名。
230人間七七四年:2008/05/22(木) 04:12:15 ID:BmDHS3XS
>>228
>因幡では毛利二郎に反乱を起こさせ 伯耆でも国人を蜂起させと
>裏で糸を引いているんだから。
これって裏付け史料あったっけ?
山名氏が京都から自分の領国に移るのは応仁の乱以降だから、
領国支配の強化を目指す守護とそれに反発する国人のよくある対立構図だと思うが。
231人間七七四年:2008/05/22(木) 16:46:11 ID:HKg3Dnp0
史料はわかりませんが 藤岡大拙という方の著作からです。
232人間七七四年:2008/05/22(木) 22:05:53 ID:BmDHS3XS
「地域別日本の名族 中国編」?
233人間七七四年:2008/05/25(日) 09:56:54 ID:6YQffD2I
政豊が煮えきれないせいだな
中途半端に幕府に忠実だったから結局細川と組んだ赤松に一歩先いかれたし、
力のある分家潰しもそこそこに息子廃嫡しようとして分裂を決定的にした
234人間七七四年:2008/05/26(月) 04:51:30 ID:aHm6tKx9
山名豊国の息子・豊政について
現在wikiに掲載されている事以外のことがわかりましたら
教えて下さい。
235人間七七四年:2008/05/26(月) 11:27:03 ID:ejMUNUX7
>>231
藤岡大拙は論文書くときと、通俗本書くときで内容の正確さが全然違うからなぁ。
一般書店に並ぶような本は適当に書き散らしてるので鵜呑みにするのは危険。
236人間七七四年:2008/05/26(月) 14:38:03 ID:4A2ZsEWS
>>232 とも言います。
>>235
いろいろ教えて頂きありがとうございます。
237人間七七四年:2008/05/27(火) 01:21:46 ID:O8yBWyKM
>>234
マルチポストする奴に答える義務も義理も無い。
自分で調べろボケ。
238人間七七四年:2008/05/31(土) 14:41:35 ID:/i/QqCd+
>>237
こういうこと書く奴に限って糞の役にも立たないんだよな
スルーもできんのか
239人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/05/31(土) 19:23:17 ID:05yfRDv6
>>238
マルチポストの対処がスルーなわけないだろ。
荒らしと同じ対処してどーすんだ。
240人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/01(日) 19:38:25 ID:tMlMWNYW
山名の末裔ですが・・・・
こんなスレあったんですね
241人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 20:45:46 ID:jmUhuzLc
>>240
名前に「豊」の通字があるの?
242人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/02(月) 23:26:37 ID:GjJqVWOA
>>239
どこにマルチポストしてあんの?
243人間七七四年:2008/06/16(月) 15:18:47 ID:uQWzF3dG
豊が通字といっても 持豊(宗全)が最初なんだけどね。
それ以前は氏や時が多いかな。
だが持豊の子孫は豊ばかり それだけ影響力があった方なんでしょね。
244人間七七四年:2008/06/16(月) 21:55:22 ID:6egX5DNI
山名は新田源氏なの?それとも足利家の血筋なの?両説あるようだが。
245人間七七四年:2008/06/17(火) 02:39:11 ID:qqsTzuTa
>>244
男系としては山名だが、母系として足利の血を引く、というのがよく見られる説だと思う。
多くの系図では山名の家祖義範は新田義重の子とするが、
足利義清(義康の子、義重の甥)の子とする系図もあったはず(「尊卑分脈」はどっちだっけか)。
山名氏は新田源氏とはいえ新田氏の総領権には服していなし、
足利義兼と行動を共にして頼朝から御家人に任じられているから、
新田源氏だけど足利氏一門扱いってことでいいんじゃなかろーか。
246人間七七四年:2008/06/17(火) 16:01:16 ID:htQFnRGs
>>245
なんとも複雑なのねー。
まあ足利と新田も同根つーたらそうだけど。
247人間七七四年:2008/06/28(土) 14:28:25 ID:dCiWEugv
山名はずっと足利に従っていたということかな
248人間七七四年:2008/07/09(水) 14:40:25 ID:2wGQrVaV
そうなるのかな
249人間七七四年:2008/07/16(水) 13:54:48 ID:SrRUqr/N
明徳の乱で叩かれたのに再浮上したのはすごい
250人間七七四年:2008/07/25(金) 18:06:56 ID:T75F28Tp
持豊のおかげだな
持豊が死んだ後はやっぱりパッとしなかった
251人間七七四年:2008/07/27(日) 01:21:35 ID:kL00hm6R
山名豊国と今川氏真におんなじ香りがするのは俺だけ?
・凡愚な武将として描かれる
・しかしその裏ではいい方針や判断を行っている
・一見滅亡したかに見えて生き残っている
・教養関係に長けている
252人間七七四年:2008/08/09(土) 15:25:40 ID:8aqWcygR
>>250
その通りだね
253人間七七四年:2008/08/13(水) 06:55:49 ID:iFwbgy2U
豊国はどうしようもない愚人と書かれてることもあれば、
義晴からもらった家宝を大事にしてる話とかもあるし、よく分からん人だ。
晩年は御伽衆をやってたんだっけ?
254人間七七四年:2008/08/16(土) 02:37:42 ID:kM48pW6l
豊国はやや有能レベルだけど節操のなさだけは一流というか
255人間七七四年:2008/08/25(月) 20:04:35 ID:UNqe3+eY
愚鈍なのかそれとも生き方が上手いだけで影が薄かったのか
豊国はどちらかのパターンなんだろうな
256人間七七四年:2008/08/25(月) 21:20:12 ID:rmJi+Gth
人となりまでは流石に分からんよなぁ。

いい判断したと好意的にも取れるし運が良かっただけと切って捨てる事も出来る。
257人間七七四年:2008/09/08(月) 16:05:07 ID:6GoAeBJl
時流に乗るのは上手かったといえるんじゃない
258名無し:2008/09/09(火) 04:51:47 ID:KfRVmM2i
祐豊の家系ってどんな感じなの?
259人間七七四年:2008/09/10(水) 20:34:52 ID:geJFhSxn
みんな豊国チャソの事ボロクソに言うけどさ、あの状態で家名残せたのは奇跡に近いだろ。
西に毛利、東に織田がいてどちらも動員兵力は数万。
対して豊国チャソは因幡の一部分で動員4千(うち半分は農民)←第一次鳥取城攻城戦
周囲の丹後一色、丹波波多野、因幡の武田、出雲の尼子なんかは完全滅亡したのに対して因幡山名家は
お伽話衆→交代寄合→幕末には大名
と家名残せたんだから上出来だよ。
但馬山名家も豊国のお陰で旗本で数家残ったんだし。
260人間七七四年:2008/09/10(水) 21:42:38 ID:r5GLhdHX
>出雲の尼子
完全滅亡はしてませんがなにか?
毛利の客分として幕末まで残ってました。
261人間七七四年:2008/09/10(水) 21:50:46 ID:q4JQeDWc
>>260
しかも尼子の嫡流なんだよなw
佐々木さんに戻ってるけど。
262人間七七四年:2008/09/10(水) 21:54:01 ID:geJFhSxn
>>260
すまん、「独立した武家として」っていれるの忘れてた。
したら波多野や越前朝倉や武田信清系なんかも生き残ってるしね。
263人間七七四年:2008/09/10(水) 22:04:09 ID:6DkyJ7mZ
>260
こういう細かい屁理屈馬鹿にはホトホトうんじゃりするわ
リアルでもKY極みなんだろな
264人間七七四年:2008/09/11(木) 09:19:42 ID:bZAHGySn
>>261
上月城で滅亡したのは傍流の人だったんだよなー

>>262
案外みんなしぶといのです

>>263
>KY
豊国と似たような感じで生き残っていたのでつい
265人間七七四年:2008/09/24(水) 15:17:57 ID:mdmLsuUA
山名は交代寄合で毛利客分の尼子とはちょっと違うけどね。
266人間七七四年:2008/09/27(土) 03:55:11 ID:D68452Mw
旗本としては大身でも、財政状況は厳しかったろうね。江戸まで遠いし。
267人間七七四年:2008/10/03(金) 14:59:33 ID:lPwGfVtd
参勤交代はしなかったんじゃないかな
268人間七七四年:2008/10/04(土) 02:09:08 ID:M3CDHS4R
>>265
>>267
参勤交代の有無はどっちが正しいの?
269人間七七四年:2008/10/04(土) 02:59:00 ID:sl0iffAo
旗本は基本的に江戸常在で、自身の領地に入ることなど
一生に一度あるかないかという場合も少なくなかったような
270人間七七四年:2008/10/04(土) 09:14:12 ID:G359Osug
交代寄合は旗本としては別格で、領地に滞在できたとか。
けど、あくまでも旗本なんで参勤交代で武威を示す必要が無いから、というか、譜代よりも明確な徳川の家臣だから華美にしたらまずいってのもあったのか、交代して江戸に上る時も普通に数人程度供を連れたくらいでサクサク来てたとか。

というわけで、一〜三万石程度の大名よりかは内所は良かったんじゃないかな?
ただ、役には就きにくそうだけど。
271人間七七四年:2008/10/11(土) 14:12:58 ID:Q095rThb
>>270 くわしくありがとうございます
272人間七七四年:2008/10/11(土) 23:51:57 ID:z1AHCRAR
交代寄合家って婿入ってて男系断絶ってマジ?
273人間七七四年:2008/10/12(日) 04:38:09 ID:Jj70H0/P
>>272
立花家・間部家から都合2回婿養子(娘婿)を取っているが、
血統断絶してしまった後北条氏などとは違い、
幸いにも女系で繋がっているので気にすることはない。

274人間七七四年:2008/10/18(土) 05:14:16 ID:mGKamS+j
豊国がタヌキ爺から七味郡に領地を貰う時
「但馬国気多郡国分寺か因幡国岩井か但馬国七味郡のうちどこがいい?」
って言われたのはマジ?
村岡の法雲寺で行われた山名奉賛会で聞いたんだけど。
275人間七七四年:2008/10/18(土) 05:26:50 ID:mGKamS+j
>>274
○→七美郡
×→七味郡
すまそ
276人間七七四年:2008/10/27(月) 15:49:42 ID:7cuBoGjv
>山名奉賛会で聞いたんだけど

何か凄いね。
277人間七七四年:2008/10/30(木) 22:39:46 ID:TUS+Erq0
>>274
因幡岩井ってのは豊国に与えるって話じゃなかったような…
ただ家康から但馬気多郡を、って話あったのは確かだね。
仮に気多郡入封なら国分寺地区か国府駅あたり(旧水生城、現長楽寺?)に陣屋を建てるなんて計画もあったようだし←加陽氏宛ての手紙
なんで村岡を選んだのかは不明だけど、もしかしたら但馬気多藩なんてのも出来てたかも。
278人間七七四年:2008/10/30(木) 22:56:25 ID:yZY6ag/N
斯波家が滅んだて書いてるけど、最上は斯波系統の家系

源義国の家系で足利氏の一門斯波家兼
長男・大崎
次男・最上・・・義光など
三男・天童 新田系の里見家に養子に入り天童を名乗る。
279人間七七四年:2008/11/03(月) 14:45:43 ID:YrZBDeei
旗本の方はあれからどうなったんだろう・・・
280人間七七四年:2008/11/06(木) 11:07:38 ID:brwdvg0I
>>279
どの旗本だよ?
281人間七七四年:2008/11/08(土) 04:36:20 ID:qOkrVdaC
>>278
それを滅んだと一般的に言うんじゃないの
282人間七七四年:2008/11/08(土) 15:53:27 ID:w+XFgYBi
守護大名家としての斯波は間違いなく滅んでいるしな。
283人間七七四年:2008/11/08(土) 20:03:08 ID:rBJ313fM
>>281
多くの名門が滅んでいる中、実力で戦国時代を生き残った。
江戸時代に、お家騒動で改易は戦国大名の軍事力と関係ない。
284人間七七四年:2008/11/08(土) 23:26:55 ID:qOkrVdaC
>>283
もういいや
285「!rekisi」:2008/11/09(日) 00:47:25 ID:UPiYKAxq
>>278但馬山名の旗本とか。調べてみたけど幕末まで存続してるかどうか怪しいし。
286人間七七四年:2008/11/09(日) 14:03:12 ID:q/r+CLkT
>>278
それでいうなら、武田も北条も滅んでないし、「平家滅亡」もないことになる。
287人間七七四年:2008/11/09(日) 14:53:15 ID:rewua3gO
鮭厨はマジ自重しろ
288人間七七四年:2008/11/09(日) 15:35:42 ID:fpLUCQGR
新田にいたっては征夷大将軍にw
289人間七七四年:2008/11/09(日) 15:52:50 ID:do0WDIHV
>>286
俺が言いたいのは、戦国時代を生き残れたかどうか
290人間七七四年:2008/11/09(日) 18:24:23 ID:rewua3gO
誰かこいつに説明できる強者はおらぬか
291人間七七四年:2008/11/09(日) 18:52:09 ID:do0WDIHV
>>290  >>286
いずれ滅びるんだよ。徳川家だって明治維新で滅んでる。
タイトルに戦国山名家て書いてるだろが。
292人間七七四年:2008/11/09(日) 19:11:46 ID:rewua3gO
最上がいるから斯波は滅んでないと言ってたり
突然スレタイは山名と言ってみたり

真性なのか
293285:2008/11/09(日) 20:30:41 ID:lb7T+dDH
訂正
>>280但馬山名の旗本とか。調べてみたけど幕末まで存続してるかどうか怪しいし。
294人間七七四年:2008/11/11(火) 07:22:47 ID:X5f27B0c
>>293
但馬山名系統だけで5家くらいに分裂してるからな
ただ今でも存続してる系統もあるにはある
山名一族会発行の本に但馬山名家の現当主さんが出てるし←村岡のお寺で買える
295人間七七四年:2008/11/18(火) 17:53:17 ID:eTx2Hw3f
>>294
仮にどれかでも男系で途中養子無しで存続してたら神
本当に会ったら畏れ多いですな
296人間七七四年:2008/11/18(火) 17:58:54 ID:vu+4blV7
鎌倉以来の名家だからなあ。歴史を考えるだけで気が遠くなりそうだ。
297人間七七四年:2008/11/19(水) 18:44:57 ID:kwTp6/34
>>296
天皇家の遠縁にもなるにね
298297:2008/11/19(水) 21:02:31 ID:kwTp6/34
>>297の修正
×:なるにね
○:なるしね
299人間七七四年:2008/11/19(水) 21:18:32 ID:kwTp6/34
山名禅高が出てるんだが読めない
ttp://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/syouzou/yz01/html/d01yz01a.htm
300人間七七四年:2008/11/26(水) 14:44:13 ID:5PrTFzTE
続英雄百人一首は誰がまとめたんですかね?

>読めない
読めませんよね。
301人間七七四年:2008/11/26(水) 21:04:00 ID:UixdAyRg
>>300
最後は何とか読めたんだが

春乃うらなり ですか
302人間七七四年:2008/12/06(土) 14:00:16 ID:bxQ5xhVn
春乃うらなみ か?
昔少し習ったが全く忘れた
303人間七七四年:2008/12/07(日) 22:18:52 ID:fdHBQWh/
埒があかないので話を変えますが
高信の子を召抱えてますがいつごろでしたっけ?
304人間七七四年:2008/12/07(日) 23:13:07 ID:8ofcghO7
たぶん数千石の交代寄合が下の武士や百姓はもちろん
上の大名将軍よりも絶対豊かでかつ地位もそれなり上手くいけば明治に立藩して華族の仲間入り
江戸時代でも領地の場所は相給などでもなくはっきり「ここは俺のもの」って明記
そのうえ立場上わりと自由に行動可能で大名のように経済的に無理して人数常に揃える必要もなし
さらには天下のお直参と江戸300年弱ではもっとも勝ち組だったと思う
次点は大商人だがこっちは打ち壊しや大名貸しの踏み倒し献金
はては押し込み強盗による皆殺しなどの危険がつきまとう
交代寄合にはその心配は一切ない
山名氏大勝利
305人間七七四年:2008/12/07(日) 23:47:05 ID:8ofcghO7
斯波→武衛→滅亡
   →最上→改易→交代寄合5000石
   →大崎→滅亡
細川→京兆→秋田家臣
   →典厩→滅亡
   →阿波→滅亡
   →和泉→熊本54万石
   →備中→毛利家臣
   →淡路→滅亡
   →奥州→和泉が吸収合併
畠山→河内→高家5000石
     能登→高家3000石
山名→交代寄合6700石
京極→高次系→丸亀5万石
     高知系→大名とか高家とか
一色→丹後→完全滅亡
     丹羽→三草1万石
     崇伝→旗本
赤松→旗本5000石
    有馬→久留米21万石
室町の名族ってこんなもん?
306人間七七四年:2008/12/08(月) 00:11:38 ID:2NCC4RdB
丹後一色と赤松嫡流以外はどっかの藩士におさまってるよ
細川の分家はホント分からんけど
307人間七七四年:2008/12/08(月) 00:38:47 ID:OuSA/34Q
チラ裏失礼。俺の先祖、某藩の藩士。
貧乏芋郷士だけどね(´・ω・`)
山名時氏のように立身して一族を繁栄させたいものだ。
308人間七七四年:2008/12/08(月) 04:13:55 ID:lMyJaT+E
>>303
典拠史料は不明だが、wikiには1601年とあるな。
藩士目録系の史料に載ってんじゃね?
正確に知りたいなら、全国山名氏一族会と連絡を取ってみるのもいいかもしれん。
これまたwikiだが、「山名家加封之時藩士格録人名」(明治元年1月)に子孫の名があるらしい。
wikiが正しいとは限らないが、史料名があるから調べやすいんではないかな?
309人間七七四年:2008/12/14(日) 09:11:26 ID:O7+aA02j
豊国は逸話豊富だけど豊定祐豊兄弟の逸話って何かある?
310人間七七四年:2008/12/22(月) 16:06:18 ID:QgHBP6md
祐豊は死のタイミングが・・・
311人間七七四年:2008/12/26(金) 19:49:43 ID:AO3lBs5o
>>310
討死説と病死説ですね、分かります
312人間七七四年:2008/12/26(金) 20:44:47 ID:xTX3YUyc
オラの先祖は山名家の馬術指南役だお
313人間七七四年:2008/12/27(土) 00:31:34 ID:FkPlUXh9
山名氏オチ無し意味無し
314人間七七四年:2008/12/27(土) 11:01:52 ID:oCmLH5/N
武田高信の子は案外長寿だな
仕官したほうだけど
315人間七七四年:2008/12/30(火) 13:49:46 ID:a5YYK+vc
ところで山名豊国の本は法雲寺HPから買える?
最近忙しくてそっちにいけない
316人間七七四年:2009/01/06(火) 17:41:38 ID:Vkron3e4
菩提寺がHPやってんだね
317人間七七四年:2009/01/16(金) 15:09:41 ID:CyMMIiM8
流石名門
318人間七七四年:2009/01/24(土) 19:57:17 ID:konMM4rj
豊国は1580年から1600年まで20年ほど所領を貰ってたか怪しい
もしかして猿公御伽衆時代は所領ゼロ?
319人間七七四年:2009/01/26(月) 20:45:28 ID:59hs+iX5
但馬は海がキレイで温泉も良い
320人間七七四年:2009/01/27(火) 04:25:23 ID:zZR7Y3Ni
山名や尼子が江戸期まで数カ国の大名やってたら
裏日本なんて呼ばれなかったかもね
321人間七七四年:2009/01/27(火) 04:37:45 ID:u6bganoq
>>320
裏日本って昭和になってからの呼ばれ方だろ。江戸期でも日本海航路は
重要な海運ルートだったし。
322人間七七四年:2009/01/27(火) 04:43:57 ID:zZR7Y3Ni
>>321
確かにそうだな、じゃあ山名や尼子がいても
結局裏日本か
323人間七七四年:2009/01/27(火) 20:29:44 ID:PPf5MbWE
>>320->>322
そしてその裏日本ももはや死語状態・・・

ところで山名豊国の本書いた人って鳥取城(久松山)の麓の高校で教師をしてたんだよね。
小坂博之氏は出版から30年以上たった今でもご健在でしょうか?

ついでにその山名豊国の本をネットで買えた人っています?
324人間七七四年:2009/02/06(金) 14:40:06 ID:aXEHuXWq
海運からみれば主流だったよね 日本海側が。
325人間七七四年:2009/02/07(土) 01:15:46 ID:fxhjWZJw
>>324
明治に入るまでの、日本海側の港湾都市の繁栄はすごいよね。
326人間七七四年:2009/02/07(土) 20:08:16 ID:sVUvR+yc
話ぶった切って済まんが

山名豊国って結局何人子作ってんの
名門新田源氏の出身で同族の里見は滅亡に対しこっちは今でも生き残ってる
豊臣の家臣だった一族を滅亡後旗本に仕立てたんだし
国に帰ることなく江戸で死んだんだっけ
はぬけとは決して言えない
神号も貰ってる凄い人
327人間七七四年:2009/02/14(土) 08:48:11 ID:93qD0XwF
>>305の山名の部分を増補してみた

山名→因幡→豊定送り込み→交代寄合6700石
   但馬→旗本
   伯耆→滅亡
328人間七七四年:2009/02/20(金) 15:17:20 ID:/VAr+jRc
血筋は但馬系なんだよね
329人間七七四年:2009/02/20(金) 20:40:15 ID:ecuNNGbk
山名四天王
垣屋・・・元毛利系。田結庄と散々争うも後に織田方に。
    岩井郡1万石を所領とするも関ヶ原で改易。ただ真田さんちみたいに
    子供は別々に戦ってたので三男は旗本。    
太田垣・・毛利系。芸但和睦の立役者。のち没落。
田結庄・・・織田系。垣屋親子と争い正福寺で自害。
八木・・・表面上は毛利系。豊国篭城時に秀吉の一隊となって戦う。のち旗本。
330人間七七四年:2009/02/28(土) 02:30:13 ID:RHpzkVhX
>>328
昔から但馬が本家&最大勢力じゃないの?
331人間七七四年:2009/03/08(日) 00:56:35 ID:RK5Wwngw
第一次鳥取城攻めの時の篭城費用が豊国持ちだったんだね。
332人間七七四年:2009/03/16(月) 15:46:19 ID:Kfzj+SlZ
>>330 惣領家は但馬守護家だけど、勢力的には因幡家も大差ないのでは
333人間七七四年:2009/03/20(金) 01:44:16 ID:Vka/cPba
因幡は戦国時代通じて分裂状態の上に、
但馬守護家に侵略されたりしてるが
334人間七七四年:2009/03/20(金) 12:56:44 ID:gTB6iVmI
>>332
因幡守護家は16世紀前期は但馬守護家と対立し、後期は武田高信の台頭で勢力は沈滞してる。
因幡に援軍送ったり丹波国衆と戦うなどしてる但馬守護家とは雲泥の差があるかと。
335人間七七四年:2009/03/20(金) 18:24:31 ID:B/digq0d
因幡守護家って結局全滅したんだっけ?それとも一部が残ったのかな?
336人間七七四年:2009/03/20(金) 19:37:01 ID:gTB6iVmI
>>335
血筋云々はさて置くとして、名門の山名家を存続させた豊国は因幡守護家だぞ。
337人間七七四年:2009/03/21(土) 21:47:51 ID:GYTgxzWX
>>336
ところで豊国のオヤジを見てくれ、こいつをどう思う?
338人間七七四年:2009/03/22(日) 00:42:23 ID:K9odhkx8
すごく…祐豊の弟です…
339人間七七四年:2009/03/22(日) 00:49:38 ID:K9odhkx8
というか山名祐豊が戦国大名として、
尼子をはじめとする周辺諸国と渡り合ってた事実が軽視されすぎ。

あと、山名豊定や豊数は但馬山名の先兵としての役割が強いため、
因幡地生えの武将とは言い難い。

ぶっちゃけ戦国期の因幡は、但馬山名と出雲尼子の草刈り場。
340人間七七四年:2009/03/22(日) 01:37:39 ID:Lb3Fw2a5
>>339
祐豊が戦国大名化していたというのはどうして?
守護大名として国人層に支えられていただけではないの?
341人間七七四年:2009/03/22(日) 11:44:18 ID:xrw23dQH
捉え方は人それぞれだと思うが、祐豊が生きてたうちは丹波に出兵してたぐらいだし。
守護はもらってたが、実質は戦国大名に近かったのでは?
豊国だって土豪娶ってるし(餅が詰まったほうの)

話はズレるが
10年ぐらい前、社会のドリル(のようなもの)に各地の戦国大名の位置が載ってて
因但の位置にちょうど山名って書いてあったな。
342人間七七四年:2009/03/31(火) 14:21:11 ID:DiElg/iF
守護大名からは一皮剥けてたわけか。
343人間七七四年:2009/04/01(水) 21:47:33 ID:55lHr6xq
某スレ(逸話紹介関係)では豊国がやる夫になってるんだがww
344人間七七四年:2009/04/01(水) 22:05:16 ID:gyBDUHEj
>>343
エイプリルフールだおね?わかってるお
345京雀 ◆saemonUiO2 :2009/04/02(木) 01:50:31 ID:GcJ2biyM
>>299
画像が不鮮明で一部文字が読みにくい箇所もありますが・・・

山名豊国は因幡国久松の城主にて毛利家に属してありしかど
羽柴秀吉中国攻の時同意せしかば家人ども毛利氏を放れしをうとみて
離散せしゆゑ 其身も頓て世を遁れ山家に住し法躰して禅高と号す
ある夜中 盗人大勢乱入して禅高を討んとせしを
鑓おっ取て老法師が手並を見せんと大勢にわたり合いどみ戦ひし所
禅高が妻 心利たる者ゆゑ物陰に身をひそめ衣服を多く持出し
賊の剣戟に投かけて□ふこと度々なれば 賊どもはたらき自由ならず
ただよふ所を禅高踏込で賊多く打取二人生捕て市中に引ければ
皆人 山名夫婦の者を誉恐れけるとなん
此哥は秀吉九州攻の時同伴にて長州あみだ寺においてよめり

山名禅高
名ばかりは沈みもはてぬうたかたのあはれながとの春のうらなみ
346人間七七四年:2009/04/02(木) 21:26:38 ID:6yL54CcA
>>344
ごめん、嘘じゃないんだ。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237483814/336-361

>>345
解読乙。
当時は相当な武勇の持ち主だったのかもしれないね。
しかし老法師も侮れないな。
347人間七七四年:2009/04/06(月) 00:19:02 ID:AeIvV8/C
世にレキジョが増えてきたとはいうけれど、山名豊国を
オタクっぽく語る女はいないと断言できるな
348人間七七四年:2009/04/06(月) 14:25:47 ID:+eMgrOH5
そもそも山名豊国の存在を知ってる時点でレキジョじゃなくてもはやマニアレベルだしな
先祖は教科書に出てるぐらい有名だけど
349人間七七四年:2009/04/15(水) 15:39:25 ID:Gp4qlMot
宗全さん一人だね。著名なの。あと明徳の乱。
350人間七七四年:2009/04/15(水) 23:36:40 ID:N7PIbVCe
山名時氏、氏清もそれなりに有名かと
351人間七七四年:2009/04/24(金) 13:56:27 ID:NBm3X/FE
大内弘世と同レベルの教科書には載ってる程度。
352人間七七四年:2009/05/01(金) 13:36:58 ID:holj5bPJ
宗全はわりかし有名
353人間七七四年:2009/05/02(土) 22:18:38 ID:h6HemACT
山名義鶴もそれなりに有名
354人間七七四年:2009/05/03(日) 14:26:09 ID:SXQ0N5Rv
山名は民社や共産の設立に貢献し、細川はわずか8ヶ月ながら首相に。
355人間七七四年:2009/05/03(日) 23:09:03 ID:7QdmXl/+
ていうか、室町時代に分数があったのか?
356人間七七四年:2009/05/03(日) 23:50:41 ID:NGAVX0Iz
古代からあるがな
357人間七七四年:2009/05/04(月) 20:23:43 ID:cCj+8mXG
戦国ちょっといい話9より

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/01(金) 11:14:07 ID:4bOhHmy1
織田有楽斎の述懐

あれは忘れもしない天正10年のこと。
6月2日未明、妙覚寺の外が騒々しい。
小者の喧嘩かと思うと、やがて木がはぜる音が地を這うように響いてきた。
何事かと外に出ると、本能寺の方角が火の海である。
仰天しておると、村井定勝からの知らせ。
惟当日向守謀反、攻め寄せられた兄信長は火の中で自刀したと。
本能寺に向かおうにも大軍にはなす術もない。
茫然とする間もなく手狭な妙覚寺では適わぬと、二条御所に慌てて逃げ込んだ。
10歳年下の主君で甥でもある信忠、その一党は、評定となる。
逃げ出そうにもすっかり囲まれている。信忠から尋ねられたが、
腹を切るとしか言いようもない。
寄せ手の光秀軍に手向かいながら、信忠は切腹、側近旗本、弟の長利までも皆後を追った。
遺体は御殿と共にすぐに火に呑み込まれていった。
自分も腹を切るつもりであった。遺体は燃やすつもりで薪を寄せ集めた。
ところがそこに敵兵がなだれ込んできた。
腹を切るいとまもない。とっさに薪の中に身を隠した。
誰も気づかない。助かってしまった。

薪の中で考えたのであるが、織田一族、皆が死に絶えてどうなろうか。
それこそ光秀の思うつぼである。
一人でも生き残れば、また運はめぐってくるというものである。

それにわしは兄からそれ程目をかけてもらった、というわけではないからな。
生き残ったおかげで陰口も散々叩かれたが、茶という瑞々しい世界が
わしには開けつつあったし、現に今花開いておる。
今思えば死に損なって良かったぞ。

ところどころ豊国さんとダブるのは俺だけ?
358人間七七四年:2009/05/14(木) 16:02:46 ID:2xtTCKom
豊国は腹は据わってそう。
359人間七七四年:2009/05/14(木) 19:21:48 ID:pMMSnyEC
腹以外が
360人間七七四年:2009/05/14(木) 23:01:52 ID:C42gDZ+X
そうはいっても長益は庶子だし気楽だろ。
豊国や氏真は名門の当主の立場だったし、
実際一国を仕切っていたからな。
361奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/05/15(金) 02:57:56 ID:c9E0qx5s
>それにわしは兄からそれ程目をかけてもらった、というわけではないからな

生き延びて信包と同格に昇っちゃったもんだから信長の同母弟扱いになってるな。
362人間七七四年:2009/05/16(土) 14:40:37 ID:CzbSSDIp
>>361
有楽の母さんって不明なんだよね確か
早死にした兄さんからそれほど目をかけてもらったわけでもないし

確か豊国は三男って聞いてるけど次男には誰が入るの?
363人間七七四年:2009/05/25(月) 15:04:49 ID:6RAsVGil
豊数は分かるけど。
364人間七七四年:2009/05/27(水) 20:44:49 ID:IhNglSuW
田結庄って結局村岡にいっても家臣になって
江戸にいる豊国の代わりに領国の政務を仕切ってたらしいけどホントか?
365人間七七四年:2009/06/05(金) 10:52:14 ID:QnXK88Cc
執事って書いてあるね。
366人間七七四年:2009/06/05(金) 19:34:03 ID:vUZ0q0R+
山名七郎、山名家嫡男の座から父ちゃんの尻拭いとして
傀儡城主に立てられて経家入ったらポイ。
そして経家死んだら一応負けたことになるので出雲に逃亡。
その後は実質知れず・・・悲しすぎるよこの人
367人間七七四年:2009/06/15(月) 16:03:30 ID:swGkGtc3
豊政の兄なのか?
368人間七七四年:2009/06/17(水) 17:04:33 ID:wK/IDG+0
そーいえば豊定→豊国→豊政の順にそれぞれ次男が家継いでるんだよな
369人間七七四年:2009/06/25(木) 15:56:53 ID:tZyHKSFC
豊定 豊数はどちからというと但馬なのか?
370人間七七四年:2009/06/25(木) 19:55:10 ID:oPnhd8GL
>>369
以下宗全以降の前提での話。

血統的には一応但馬系(政豊系)になる。
因幡は本来勝豊系だが、誠通の跡を政豊系の豊定が継いだ。
371人間七七四年:2009/06/25(木) 19:55:36 ID:UCZfd3xd
>>369
豊定は但馬系、嫡男の豊数はバリバリ因幡だな。
372人間七七四年:2009/07/04(土) 14:47:01 ID:5Tq4iELs
そこらがちょっと分りづらい
373人間七七四年:2009/07/05(日) 16:07:39 ID:APi/buAd
2006年7月ってハルヒ(アニメ版)が終わった頃か。
そしていまはけいおん!が終わった頃(一部では続いてるけど)。
このスレも過疎りまくる割には落ちずに3年持つもんだな。
374人間七七四年:2009/07/11(土) 08:48:56 ID:UTW5hDm1
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7560293
ところでこの動画を見てくれ、こいつをどう思う?
375人間七七四年:2009/07/13(月) 20:43:03 ID:oyPqtzG2
     
376人間七七四年:2009/07/18(土) 15:19:24 ID:PdXYd7f8
因幡も但馬系になったという事。
377人間七七四年:2009/07/24(金) 14:46:18 ID:luJNsfyS
山名は他にも系統あるよね?
378人間七七四年:2009/07/24(金) 20:51:53 ID:vpe/XAd2
>>377
主要な系統は但馬を本国とする系統で、
派生として守護系の因幡山名・伯耆山名・美作山名・備後山名などがある。
系統不明だが庶流と思われる複数の山名某は応仁の乱関係の記録に出てくる。
あと確か古河公方の家臣にも山名(上述の山名と同祖)がいたはず。
氏姫の供奉衆一覧で見た記憶がある。
他に各地にある「山名」という地名を基にした土豪級の山名氏も勿論いる。
379人間七七四年:2009/07/28(火) 08:44:03 ID:Ue818URU
山名って江戸時代以降養子入りまくりで男系でつながってるのは傍流ぐらいって聞いたけど本当?
380人間七七四年:2009/07/28(火) 20:49:51 ID:Eh71Z5Vm
>>379
豊国−豊政(豊国子)−矩豊(豊政子)−隆豊(福島正長子)−豊就(山名義豊子)−
豊暄(豊就子)−義徳(立花貞俶子)−義方(義徳子)−義蕃(間部詮茂子)−
義問(義蕃子)−義済(義問子)−義路(義済子)−以下略
このうち隆豊は血が繋がっていないが、他はすべて女系で繋がっている。
義徳・義蕃は共に妻を山名家の女子とする婿養子で、
それぞれの後継者である義方・義問の生母はその山名氏女である。
また四代隆豊は血の繋がりが無いが、隆豊を継いだ豊就は三代矩豊の弟の子なので、
結果的に幕末の山名氏も女系において豊国の血を引いている。

日本は伝統的に男系のみではなく女系による血統の存続も重視しており、
男系断絶をもって家系の終焉とすることの多い西洋とは血統の見方が異なる。
儒教の影響の強い中国・韓国でも日本と違って女系は軽んじられている。
日本人なら女系で繋がっている血統も男系同様尊ぶことを心がけよう。
歴史を学ぶ者ならなおさらにね。
381人間七七四年:2009/07/29(水) 11:02:59 ID:bgYePQ7a
>>378
有道姓山名氏なんてのが
382人間七七四年:2009/07/30(木) 10:30:00 ID:eGaIrMQy
元豊って名前が毛利元就にあやかった名前だと思わざるを得ない
豊国って名前が細川高国にあやか(ry

・・・俺この先大丈夫かな?
383人間七七四年:2009/08/05(水) 15:40:49 ID:oCCMar9Q
山名があやかるのは本来将軍なのにな。
384人間七七四年:2009/08/05(水) 21:28:46 ID:WHNoQ7nq
>>383
ex)持豊→義持
他にもあるだろうけど今は時間が無いのでここまでにしておく
385人間七七四年:2009/08/06(木) 23:34:17 ID:7OhOf/AV
山名さんのところは政豊以降は幕府からお声がかからずだったと思う
義昭との関係はどうだったか今ひとつ分からんけど
386人間七七四年:2009/08/07(金) 09:09:34 ID:J7k1qX3U
但馬本家が包囲網に加担してるがその裏では因幡は織田に寝返る準備を始めていた・・・
387人間七七四年:2009/08/08(土) 11:43:57 ID:S64ivuT4
但馬旅行行った時、山名関連史跡がぜんぜんわからんかった。
兵庫県は姫路と赤穂があるからなあ。
388人間七七四年:2009/08/08(土) 16:47:57 ID:kj31QM/e
>>386
因幡山名氏(豊国)にとって織田方(尼子含む)は味方で、
毛利は実の兄貴を殺した武田高信の後援者なんだから元々敵だ。
寝返るのも当然だわな。
389人間七七四年:2009/08/09(日) 11:43:33 ID:XnkvTDu8
>>387
村岡とか行ってみるといいかも

>>388
毛利に降伏するのも仕方なくっていう感じだな
高信は結局捨て駒にされて殺されちゃったんだけどね
390人間七七四年:2009/08/09(日) 11:44:59 ID:XnkvTDu8
山名豊国本の在庫ってどれぐらいなんだろうな?
品薄で後数冊かお寺のどこかに山積みのどっちかしか想像できないw
391人間七七四年:2009/08/13(木) 13:30:08 ID:vKa2b+d+
お寺の廊下に山積みに一票
392人間七七四年:2009/08/16(日) 00:44:48 ID:V3WT6qjn
そして1年当たり何冊売れてるのかも気になる
393人間七七四年:2009/08/24(月) 15:29:21 ID:sDwTSuNx
その噂の本ってどれだっけ?
394人間七七四年:2009/08/25(火) 01:07:29 ID:6HubseMR
山名宗全の本でたけど、
戦国山名にまで言及されてるのかな
395人間七七四年:2009/09/03(木) 15:23:04 ID:GQYvXcl2
何て本です?
396人間七七四年:2009/09/03(木) 18:38:15 ID:4MOMpRcG
397人間七七四年:2009/09/06(日) 07:03:53 ID:8ouEuOTt
取り扱えないくせに山名豊国の本があるのが謎だ
398人間七七四年:2009/09/08(火) 12:10:32 ID:tVjpTY4z
山名豊国ってかなり異色の武将だよな。
「可愛い娘が大事だから降伏しまつ」
って現代のサラリーマンか!!と。

それでいて秀吉や家康に気に入られて小禄ながらも幕末まで家名を長らえさせたのはすげーよ。
歴史は豊国をもっと評価すべきだな。
399人間七七四年:2009/09/08(火) 20:06:06 ID:n/HSDy6P
>>398
ちなみに新作天道では
統率21
武勇52
知略12
政治30

だそうです
道路建設のお仕事があって良かったなw
400人間七七四年:2009/09/08(火) 20:59:25 ID:SXLbol5L
>>398
まあ、毛利と織田、下賎の出来星の間で、名門山名が玉砕して何になる?と醒めたんだな。
同時に絶対に織田が勝つとわかっていた、ということでしょう。
ここらへんは、代々中央に関わってきた山名当主の眼というか。
別所長治や清水宗治も、カッコいいと言えばそうなんだけど…死ぬのはねえ。
401人間七七四年:2009/09/09(水) 01:14:28 ID:W88MT2cn
>>400
吉川経家なんかもっとかっこ悪い。
権力を見抜いて流れ、うまいもんを食うのがいいか
義を貫いて餓死するのがいいのか。
家臣も大変だったろうなw
402人間七七四年:2009/09/09(水) 13:23:24 ID:+JnMaAoH
あれは経家が城に入ったときには半ば勝負がついてたし、
何より経家自身は大名でないし、家族は国許に残していただろう
403人間七七四年:2009/09/09(水) 16:24:52 ID:2htS8uEt
>>400
松っちゃん忘れるなw

>>402
家族宛に「この一戦で吉川家の名誉は上がるでしょう」
っていう手紙を残したんだっけ?
404人間七七四年:2009/09/09(水) 19:08:56 ID:OymoGKJj
>>403
養子の吉川広家宛の手紙だね。

>>402
鳥取城に着いて兵糧蔵開けてびっくりしてすぐに兵糧くれって頼んでたもんな。
405人間七七四年:2009/09/09(水) 22:20:46 ID:05Qk+Zg3
そういえば円楽師匠のご先祖様は吉川経家と伺いましたが

>>403
と思ったら別だった
406人間七七四年:2009/09/12(土) 15:07:36 ID:4DHaxVSI
>円楽師匠のご先祖様は吉川経家と伺いましたが
円楽さん江戸っ子だよね
407人間七七四年:2009/09/12(土) 22:55:58 ID:McNpGh8d
鳥取藩士になった後明治に東京に移ったのこと
408人間七七四年:2009/09/13(日) 19:05:00 ID:g2A3yTAl
豊国はわずかな供を従えて降伏したらしいが
城内にまだ親織田派はいたのかな?
409人間七七四年:2009/09/17(木) 15:36:59 ID:gXAhL25r
尼子の残党とか鳥取近辺にもいたんだ
410人間七七四年:2009/09/17(木) 21:13:01 ID:oWExl32X
>>409
豊国の兄豊数が毛利派の武田高信に追い出されて以後、
因幡山名と尼子は毛利を共通の敵とする盟友関係だったからな。
尼子残党が豊国を頼って鳥取にやってきたのも当たり前っちゃ当たり前。
411人間七七四年:2009/09/19(土) 09:12:49 ID:WZxQkBHZ
でも仕方なく毛利に降りちゃう辺り(悪い意味で)人の良さが出ちゃったよな
強豪には従順忠実翻弄も重々承知といったあたりか
412人間七七四年:2009/09/19(土) 16:10:15 ID:uneRQjZi
秀吉キター! 娘が人質に取られたー! 降伏しよう……。
元春キター! 家臣「降伏しましょう」 降伏しよう……。
413人間七七四年:2009/09/23(水) 13:43:47 ID:BLfWaOEf
世渡り上手とみてあげよう。
414人間七七四年:2009/09/23(水) 16:11:52 ID:MIrhDsF7
>>32
足利将軍下賜の陣羽織は現在に伝わってないの?
415人間七七四年:2009/09/26(土) 10:31:30 ID:9Rv4vggh
>>414
確か法雲寺にあるはず
416人間七七四年:2009/10/03(土) 15:01:06 ID:BTR0Ok6P
法雲寺って博物館みたいだ
417人間七七四年:2009/10/04(日) 12:34:46 ID:/CweEkCi
>>416
まあリアル博物館があるぐらいですからね山名蔵っていう名前の
418人間七七四年:2009/10/08(木) 15:40:15 ID:luzpfPPX
山名蔵ですか
機会があれば行ってみたいです
419人間七七四年:2009/10/11(日) 21:14:46 ID:6yjw1nAS
毛利家に関しては渋々従ってたということでおk?
420人間七七四年:2009/10/13(火) 03:08:42 ID:ut3vPD0W
>>419
おk

毛利はかつては敵対した因幡山名氏に対して無碍な扱いも出来ず、
豊国が仇敵の武田高信の断罪を要求した際、
高信の救済を依頼しにいった塩冶氏の要求をのらりくらりとかわし、
豊国による高信誅伐を見てみぬ振りをした。
山名家臣らは芸但和議(毛利と但馬山名の同盟)もあって毛利に靡いたが、
豊国個人は毛利を信頼できない連中と思っていたんだろう。
421人間七七四年:2009/10/14(水) 00:20:52 ID:aPVDv0AG
山名スレで毛利という名前を聞くとどの毛利さんかちょっと迷うな
422人間七七四年:2009/10/14(水) 16:23:02 ID:gIRgrQJE
>>421
毛利といえば
@因幡の土豪
A元就一族
B豊臣家臣

こんなかでもAが確定的だな
423人間七七四年:2009/10/17(土) 15:46:12 ID:CzuecPbf
武田はどう?
424人間七七四年:2009/10/18(日) 17:17:11 ID:OXWTFaHk
>>423
因幡武田氏ですね、分かります
謀殺された奴の子供がちゃっかり家臣になったことで有名
425人間七七四年:2009/10/18(日) 18:15:40 ID:jpevwn45
安芸武田氏は山名にからむほどの勢力がなかったしな。
426人間七七四年:2009/10/19(月) 00:21:05 ID:+/hYbV6D
>>424
ちゃっかりとかゆうなw
本人は難色を示したが豊国のたっての願いで帰参した。
豊国のお人よしぶりを示す話だっつの。
427人間七七四年:2009/10/19(月) 22:50:09 ID:oelQHAnv
Wikipediaに面白い文章発見

>弘治2年(1556年)に山名豊国(母が細川高国の娘)が妙心寺(右京区花園)山内に移し、現在の「東林院」と改名した。

年 齢 考 え ろ
428人間七七四年:2009/10/19(月) 23:15:49 ID:Fo5+F98B
>>427
天文17年生まれだから、数え9歳か


・・・しかし、豊定とか祐豊が何らかの理由で豊国名義でそういう事業をしたかもしれんぞ
429人間七七四年:2009/10/20(火) 06:06:57 ID:k44r68e/
>>427がデマかどうかはわからんが、
寺伝の類ではわりとそういった無茶な話が公式設定にあったりもする
430人間七七四年:2009/10/20(火) 19:19:50 ID:+MeXkDp7
・上田原の戦いで信玄敗北
・長尾景虎春日山入城
・信長帰蝶と婚姻
・義輝と晴元が和睦して義輝入京
・榊原康政誕生
・本多忠勝誕生
・山名豊国誕生
・斎藤竜興誕生
・田中吉政誕生
1548年いろんなことが起こりすぎw
431人間七七四年:2009/10/29(木) 15:43:58 ID:xpd7rNOK
豊国若いのね
432人間七七四年:2009/10/31(土) 17:22:58 ID:16MUdxTV
経家の子孫の円楽が死んだが息子の名前が寛家(ひろいえ?)って言うんだな
433人間七七四年:2009/11/01(日) 20:24:34 ID:yQCx3kEI
経家は満25歳で自殺したのに、子供なんかいたのか?
434人間七七四年:2009/11/01(日) 23:26:58 ID:ga0eMYPm
>>433
嫡男には経実がいるが、庶子も含めれば2、3人いてもおかしくはない。
円楽師匠は三男の家好の子孫とのこと。
鳥取池田なら藩士録もありそうだし確認できそうなもんだが、どうなんだろうな?
藩士じゃなく名主とかか?
一応吉川経家の子孫というのはあくまでそう自称しているだけみたいだが。

>>432
円楽師匠の家柄の通字は「寛」ぽい。祖父が寛雅・本人が寛海・息子が寛家。
435人間七七四年:2009/11/02(月) 01:17:03 ID:Op0BTZRm
東京大空襲を契機に埼玉の農業高校に行ったのは有名な話
・・・となるとスレチになるので
武田高信の逸話でも探してみるか
436人間七七四年:2009/11/10(火) 15:07:27 ID:OEbZT7FW
なるほどそうなんだ。
437人間七七四年:2009/11/17(火) 15:34:42 ID:+SMjJw3i
吉川なのか
438人間七七四年:2009/11/24(火) 16:22:17 ID:P8FHPGjo
江戸期も山名家中に残った一族いるの?
439人間七七四年:2009/11/24(火) 19:39:24 ID:NN3aOnRC
>>438
おそらく居ないかと

山名氏全体で何だかんだいって1万石ぐらい石高ありそうだな。散在してるし。
440人間七七四年:2009/11/25(水) 00:19:17 ID:IhxV7680
山名さんって東大医学部卒の医者いるけど末裔?
441人間七七四年:2009/11/25(水) 20:00:04 ID:XjYS39Ka
>>440
某サイトによると山名さん自体日本には9500人居るらしくそのうちの末裔はせいぜい数百人程度だから末裔じゃない可能性が高い
442人間七七四年:2009/12/08(火) 22:13:38 ID:ZOwLCpnc
豊国もそろそろネタ切れか・・・
443人間七七四年:2009/12/12(土) 10:27:40 ID:CgOAAgHx
そういや京都に山名某という層化系の元国会議員がいますね
444人間七七四年:2009/12/12(土) 21:45:28 ID:NF0/lZXv
>>426
山名家の家中には、垣屋とかもいたみたいだな。

>>441
山名氏には一族の会があるし、そういう繋がりが有る人ならば子孫なんだろうな。
445人間七七四年:2009/12/12(土) 23:02:37 ID:/CudXQd1
そういや層化には北条某という伊達系の末裔がいましたね
446人間七七四年:2009/12/13(日) 00:41:53 ID:FiQ4Hgaw
>>445
小田原北条氏から出て、江戸時代に陣屋大名で生き残った
あの家系ですね。最後は仙台の血筋だったとは知りませんでした。
447人間七七四年:2009/12/13(日) 02:54:34 ID:gELdS9mm
>>445
伊達家の子息が堀田家に入り、その子孫が幕末北条氏を継いで明治天皇の側近になっているんだっけ。
で、その子孫が・・・ということだっけ
448人間七七四年:2009/12/13(日) 11:41:02 ID:qVbCOuOb
家名を汚すにも程があるな。
449人間七七四年:2009/12/13(日) 18:25:22 ID:Jz+5DQ6q
>>445
4代目会長だった故人のことか?
450人間七七四年:2009/12/15(火) 20:57:29 ID:oRnLCegG
3代目会長がアレなのは有名だよなw>層化
451人間七七四年:2009/12/18(金) 13:06:36 ID:jzmpQw1l
垣屋、太田垣、八木、田結庄の四家はスレ違いすか?
452人間七七四年:2009/12/19(土) 00:10:12 ID:/ehxlY2G
スレ違いじゃないと思うが、田公も入れてやれ
453人間七七四年:2009/12/21(月) 10:12:23 ID:L/4UlTzp
>>451
ややこしいが八木は朝倉(高清の息子新大夫安高)から分かれた一族。
その八木から越前朝倉(八木三郎高吉の息子九郎左衛門高景)が分かれた。
454人間七七四年:2009/12/21(月) 17:50:49 ID:HxNbbDmC
山名の家臣とかで鳥取に残ったのって吉岡ぐらいしかいない?
455人間七七四年:2009/12/21(月) 19:04:26 ID:ln0/mB8j
>>941
垣屋も山名家中にいたようで、山名義鶴の弟が垣屋家の養子になっているな。
456人間七七四年:2009/12/22(火) 15:16:35 ID:ubHjY6Y3
>>455
誰に当たるんすかね?垣屋家は越前守家(嫡流、筆頭)、越中守家、駿河守家の三つに分かれますが。
457人間七七四年:2009/12/23(水) 08:00:29 ID:A6FeRHFU
垣屋って西軍について改易した後に傍系が幕臣になってるんだっけ?
458人間七七四年:2009/12/31(木) 13:52:34 ID:DfSUZFK1
そうなの?
459人間七七四年:2010/01/08(金) 23:27:08 ID:GG2NlOlJ
山名豊国の辞世の句ってあるの?
460人間七七四年:2010/01/23(土) 12:18:56 ID:+S8YxuP5
全盛期の山名豊国伝説
・3日間で5人登用は当たり前、8人登用も
・先代の小姓登用を頻発
・豊国にとっての引き抜きは登用のしそこない
・あまりに登用しすぎるから女子も家臣扱い
・その女子も登用
・三回の登用で家臣がやっと一人増えたように見える
・豊国は本気を出したことが無い
・浪人を一睨みしただけで浪人が城内に飛び込む
・登用しても納得いかなければ知行あげないで帰した
・織田に降伏するだけで祐豊が泣いて謝った。心臓発作を起こす元春も
・篭城3ヶ月兵力1万人差家臣全員反対の状況から一人で降伏
・一向宗徒のヤジに流暢な鳥取弁で反論しながら「家 臣 や ら な い か」
・鳥取城篭城戦が始まった理由は豊国の浪人登用
・勝鬨を上げただけで5人家臣が増えた
・豊国は店先で日本刀を欲しそうに見ている子供に知行を与えた
461人間七七四年:2010/03/09(火) 01:17:51 ID:D/ksAv6o
Wikipediaに新着ページができたようです。

山名豊数
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%90%8D%E8%B1%8A%E6%95%B0
462:人間七七四年::2010/03/17(水) 23:51:31 ID:UqOr9wOS
日本史史料研究会から「中世後期戦国山名氏の研究」が
頒布されてますよ。おいらも最近購入しました。
本誌代2,000円でした。
463人間七七四年:2010/04/23(金) 07:15:26 ID:0YglKpay
豊国が秀吉時代に賜ってた領地は摂津のどこあたりで石高はどれくらい?
山名氏政(堯熈)は播磨の加古郡だっけか? 
464人間七七四年:2010/05/02(日) 06:26:54 ID:w2rZi5XS
実は新田と足利のハーフなんだよな禅高は

摂津国内数百石とかそんな感じじゃね?
465人間七七四年::2010/05/04(火) 00:42:55 ID:iwwnPk8h
>>462
日本史史料研究会研究選書3
渡邊大門著『中世後期山名氏の研究』 序 (9〜18頁)

第一章 戦国期山名氏権力と守護代(19〜57頁)

第二章 戦国期山名氏の発給文書について(59〜89頁)

第三章 戦国期山名氏の内書と副状(91〜121頁)

第四章 戦国期山名氏の官途授与と将軍(123〜138頁)

第五章 南北朝期における但馬守護  

        ― 長氏の動向を中心に ―(139〜157頁)

第六章 『山名家譜』所収の但馬国「円通寺文書」について(159〜171頁)
  
第七章 文明十五年における山名氏の播磨国侵攻について

        ― 十五世紀における守護権力の一考察 ―(173〜197頁)
    
付論一 山名是豊関係文書について  

        ― 花押形状の分析を中心に ―(199〜207頁)

 
付論二 早稲田大学中央図書館特別資料室所蔵

        山名氏関係史料について(209〜215頁)

    
付論三 宿南保『城跡と史料で語る 但馬の中世史』(217〜221頁)



結(223〜238頁)

     


初出・原題一覧(239頁)

     


あとがき(241〜242頁)



人名索引(T〜W頁)



466人間七七四年:2010/05/04(火) 07:07:41 ID:FqAnZsjm
>>465
おおーこりゃ詳細そうだ
467人間七七四年::2010/05/04(火) 09:38:59 ID:iwwnPk8h
−特別展−

戦国時代の守護 山名氏の城と戦い
開催期間 201年04月23日(金)〜2010年06月27日(日)
会場 兵庫県立考古博物館 特別展示室 概要 ◆主な展示品◆
T 山名氏と但馬
  山名時煕画像(県立歴史博物館・複製)
  山名持豊書状(東寺百合文書・京都府立総合資料館蔵・国宝)
  山名持豊願文(個人蔵・豊岡市指定文化財)
  山名持豊寺領安堵状(新温泉町楞厳寺・県指定文化財)
U 山名氏の城と城下 
  宮内堀脇遺跡出土品(館蔵)
  入佐川遺跡出土品(館蔵)
  袴狭遺跡出土品(館蔵)
V 山名氏の戦い
  坂本城跡出土品(姫路市教育委員会蔵)
  八木御里遺跡・殿屋敷遺跡出土品(養父市教育委員会蔵)
  場市遺跡出土品(館蔵)
  布勢天神山城出土品(鳥取市教育委員会蔵)
  山名誠豊立願状・山名政豊妙見社領寄進状(養父市・日光院蔵・県指
   定文化財)
  竹田城跡出土品(朝来市教育委員会蔵)
  出石城三の丸跡出土品(豊岡市教育委員会)
468人間七七四年:2010/05/15(土) 20:55:30 ID:Y8lHXrsM
行きたいけどこの頃忙しい・・・
469山名ファン:2010/05/17(月) 12:57:49 ID:FdH1t79/
渡邊大門の「中世後期戦国山名氏の研究」は、優れた研究内容だった。
それに、このボリュームで、たったの2,000円(別に送料290円)とは安い。
山名氏のファンならば、ぜひ読んでほしいものだと思うな。
日本史史料研究会HP⇒http://www17.plala.or.jp/t-ikoma/index.html
470人間七七四年:2010/05/19(水) 16:26:55 ID:Nmp9FeMb
>>468
おいらは来週行ってきます!
471人間七七四年:2010/05/20(木) 00:38:28 ID:VjC3EB5q
>>470
レポよろ
472人間七七四年:2010/05/27(木) 21:49:24 ID:ubkP+FPS
レポートと言うほどでもありませんが、「戦国時代の守護
山名氏の城と戦い」を見てきましたのでいくつか箇条書きに。

・JAFの会員証の提示で入場料が安くなるようです。
・図録は受付の向かいの喫茶店?のレジ横に平積み。
 税込999円(消費税の切り捨て計算なんでしょね)
・展示物は文書4〜5点くらいと人物像1点以外はほとんど
 発掘された遺物の展示。壁4面のうち1面はパネル展示。
 2つの城郭のジオラマがあったが、ちょっとお粗末。
 戦国史を考古学的に興味を持たない方は少々詰まらないかも。
 しかし「東寺百合文書」の山名宗全・国宝文書はなかなかお目に
 かかれないので見るチャンスだと思います。
・評価は中世城郭や考古学的には興味の無い方ですと5〜60点、
 興味のある方で75点くらいか。展示物も想像よりは少なかった。
                        以上

473人間七七四年:2010/06/20(日) 06:24:14 ID:uo+WdWcU
豊国が村岡に所領を得た時期に一門衆ってどんなのがいたんだ?
三上って確か一門衆だけど後に断絶してるし...
474人間七七四年:2010/06/22(火) 20:20:53 ID:2M/bCtrO
但馬系の本流は豊臣家臣だったが豊国のおかげで復興
数家に分かれた後断絶したところもある
豊国の子供は何家かに分かれたがよく分からん
江戸時代の山名といえば婿養子で女系でギリギリ繋がってるというイメージしかないから細かいところは不明
475名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 16:50:13 ID:T15kp8BT
>>299の被り物が気になる
476人間七七四年:2010/08/03(火) 07:30:16 ID:766l9W5Y
豊国ちゃんは関ヶ原で手柄を立てたらしいけど具体的にどんな手柄ぞ?
しかも秀吉政権下での所領って数百石だろ?
動員数が1万石で250人程度だから、豊国は出せて数人?
477人間七七四年:2010/08/08(日) 13:01:28 ID:rdKj/F1s
>>476
内応工作や情報・物資の提供、取り次ぎ役も立派な手柄でしょ?
478人間七七四年:2010/08/08(日) 23:14:18 ID:RKIEVczx
カンベエをけん制したのが大きな功績
479人間七七四年:2010/09/25(土) 22:14:00 ID:vwSP63nC
>>474
分家が旗本になったのは知ってる
480人間七七四年:2010/10/13(水) 00:50:50 ID:KZe0Pv0z
>>478
禅高が(家康に)派遣された意図を見抜いた如水にからかわれたってだけでしょw
481人間七七四年:2010/10/13(水) 00:58:58 ID:BeE7fV+b
>>480
ほんと、人がよすぎるよなw
482人間七七四年:2010/12/05(日) 01:08:10 ID:6lqYCWAn
六分一殿……11ヶ国だけど、どこどこよ? 但馬と因幡しか分からんw
483人間七七四年:2010/12/05(日) 12:34:47 ID:uef52jK7
但馬因幡美作備前備中備後伯岐
出雲石見播磨隠岐
484人間七七四年:2010/12/05(日) 18:47:06 ID:533qgprH
時義系以外の山名はどうなったの?
485人間七七四年:2010/12/06(月) 00:06:55 ID:dOu4cFGZ
>>483
ありがとう。
486人間七七四年:2011/01/29(土) 12:35:58 ID:3NJb1w0M
でも豊国ちん、なんで村岡なんて山奥に…
確か家康から因幡岩美(岩井)か但馬七美郡か但馬気多郡(国分寺)から選べって言われたんだろ?
487人間七七四年:2011/01/30(日) 15:23:00 ID:xNO4ihvc
>>486
但馬国気多郡国分寺だと気多郡南部約4000石だけど、宵田城(岩中城?)の再建・引き継ぎが条件だったみたいで財政的に厳しくなる。
(ただ水上城、別名長楽寺城を再建してもおkって話もあったみたい)

因幡国岩美郡岩井も郡内の内約5000石で岩井城(又は道竹城)の再建・引き継ぎが条件で、こちらも財政的に厳しい。

他に家臣の賀陽氏(もしくは加陽氏?)や同門の三上氏宛の書状(村岡の山名資料館蔵)だと、但馬国八木城4500石や竹田城5100石なんて提案もあったみたいだね。

大名ではないけど名族故に城(城全体なのか、居館部分だけなのかは知らん)を与えるっていうのは家康なりの気配りなんだろけど、5000石前後で城の再建・維持なんか厳し過ぎる。
5000石っていったら家臣数、末端含めても僅か125人だぜ?

だから城の維持が条件になく、築城なんかの必要もなかった七美郡にしたんだろ。
488人間七七四年:2011/01/30(日) 15:41:44 ID:zAEI+SOC
財政苦しいのに、かつて裏切られた武田の遺族とかまで召抱えるって・・・・

豊国自身は結局村岡の陣屋には入らなかったんだっけ?
489人間七七四年:2011/01/30(日) 18:56:26 ID:xNO4ihvc
>>488
秀吉時代の摂津に所領持ってた時から、財政難って訳ではなかったみたいだぞ。
たださすがに家康から所領宛がわれる時に
「数千石程度で城を再建・維持するか?」
ってなりゃ話は別だな。

豊国自体は国入りしてないみたいだな。
国は三上や植松とかの一門家老に任せて、自身は但馬山名や旧臣の取り立てに必死だったんだろ(笑)

まぁ人が良かったのは間違いないね、豊国さん(笑)
490人間七七四年:2011/01/31(月) 21:15:21 ID:yAZ0LyBy
>>489
摂津には所領どれくらいあったわけよ?
491人間七七四年:2011/02/01(火) 00:42:42 ID:aP7Uf6vI
>>487
宵田城は垣屋一族の城でもあったみたいすね。
楽々前城が本城みたいですけど。てか、あの谷一体
(弥布城、国分寺城、篠ヶ森城など)は垣屋の城だらけ
みたいですね。
492人間七七四年:2011/02/01(火) 03:10:37 ID:+31LV6Z5
>>491
旧竹野町の轟城も垣屋一族の城だね。
気多郡一帯が垣屋一族の縄張りだったから当たり前といえばそうなんだけど。
493人間七七四年:2011/02/01(火) 09:57:38 ID:BxKh0kUG
山名氏に限らず室町時代の有力氏族の末路は悲惨すぎる
494人間七七四年:2011/02/01(火) 20:55:44 ID:USHf43Rp
>>484
伯耆山名氏は時義流とはちがうとおもう。
495人間七七四年:2011/02/01(火) 21:00:18 ID:tsOvKgiX
武田息子は拾われるまで何していたの
報復と勘違いして逃げてもよさそうなのに
496人間七七四年:2011/02/01(火) 21:08:50 ID:RT6Mf4p2
>>493
細川「呼んだ?」
497人間七七四年:2011/02/02(水) 19:26:42 ID:eFEwdGpR
>>485
小早川秀包のところにいたっぽい
498遠江國人:2011/02/07(月) 12:42:27 ID:lgZxO7lx
地元の人間ではないので詳細は分からないんですが、山名氏の本拠
此隅山城に行かれた方、またはご存じの方いらっしゃいますか?
何か城の名残を示すようなものが遺っているんでしょうか?
夏場に可能なら訪ねてみたいと思っております。
499人間七七四年:2011/02/09(水) 19:05:14 ID:bkIugku7
>>387
姫路と赤穂は山名氏の遺構なんて無い。
あるのは但馬地区だ。
500人間七七四年:2011/02/19(土) 12:18:37 ID:UbZqia/q
>>498
此隅山城は、子盗山城や子盗城とも呼ばれてたようです。後に子守城ともなりました。
子盗みの響きが悪かったんでしょうな。
ところで因幡の布施屋形(誠通)の方に但馬の祐豊がちょっかい出してたんでしたっけ?
布施屋形の弱体化に伴い家来衆の鵯尾城主武田豊後守高信が主家と対立、合戦に及んだ
とも訊きましたが。
501人間七七四年:2011/02/19(土) 12:55:16 ID:GcRJ+izA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E7%94%B0%E5%9F%8E

宗全が築城した竹田城は凄いなw
502人間七七四年:2011/02/20(日) 23:53:26.50 ID:kHnLSYqG
最近再評価の兆しがある豊国さんだが運はやっぱり無いよね
いや、ある意味悪運は凄い気もするが
503人間七七四年:2011/02/21(月) 19:31:02.38 ID:azfjJbXo
生き残るだけの運は確かにあったけど一国一城の主になるのはなあ・・・
504人間七七四年:2011/02/22(火) 00:32:28.45 ID:DZRuD0xq
武田高信を潰すまでで戦国大名としての運は使い果たしたのね

いや、高信潰すだけでもすごかったと思うよ
505人間七七四年:2011/02/22(火) 09:19:56.25 ID:EXGz9SIq
四天王筆頭の垣屋氏は結果的に駿河守家が毛利方、越前守家と越中守家が織田方に分かれて
対立するようになってしまいましたね。同族争いは戦国の習いですが、まあこの場合は家を遺すための
「方便」なんでしょうけど。
506人間七七四年:2011/02/22(火) 09:35:28.91 ID:EXGz9SIq
>>504
武田豊後守によって布施屋形(誠通)は絶えさせられちゃいましたが、
但馬の本家(祐豊)的にはおいしかったんでしょうかね?
507506:2011/02/28(月) 20:07:26.29 ID:2oXfTNnU
武田高信は山城守でした。お詫びして訂正いたします。
508人間七七四年:2011/02/28(月) 22:00:39.54 ID:BvbXTa1v
三河守じゃなかったっけ?
509人間七七四年:2011/02/28(月) 23:48:57.55 ID:jX6gG0mC
交代寄合から寺社奉行になった山名因幡守豊就
510人間七七四年:2011/03/01(火) 02:04:44.64 ID:pnHJbwzv
>>508
上総真里谷武田氏は代々三河守ですね。因幡の高信もそういう時期があったのかも。
詳しくないんですみません。ちなみに武田氏の嫡流は代々伊豆守(頼朝公より賜りました)で甲斐は
途中までそうでした。
伊豆守を継いだのは、その後安芸→若狭になりました。若狭が甲斐源氏武田氏の本家と呼ばれるのは
このためだと言われています。山名氏のスレで武田は脱線でした。申し訳ありません。
511人間七七四年:2011/03/02(水) 01:25:28.02 ID:8nXZsH/t
>>509
近代の山名義鶴といい、時々面白い人物が出るな
512人間七七四年:2011/03/03(木) 10:13:31.73 ID:n1RhPxsm
>>508
武田三河守(右馬助)信長

武田三河入道恕鑑(三河守信保)

いずれも上総家ですね。
513人間七七四年:2011/03/14(月) 08:19:43.56 ID:eHFqMRit
豊国以外の逸話ってあるの?
514人間七七四年:2011/03/14(月) 12:56:56.07 ID:u3dFrZPP
祐豊、豊弘とか…
515人間七七四年:2011/03/14(月) 15:17:55.60 ID:QYwRH71i
>>513
政豊あたりは話題に出来るかもだが
誰も話題にはセンナ。
516人間七七四年:2011/03/27(日) 23:57:51.16 ID:GLHtue6A
豊国さんの嫡男は城主に担がれた後結局どうなったんだろ?
517人間七七四年:2011/04/16(土) 15:20:58.78 ID:gQPzvdZ5
隣国(赤松とか一色とか)との関係はどうだったのよ?
518人間七七四年:2011/04/22(金) 21:47:51.09 ID:Ud9LNDYy
>>501
竹田城を改修したのは、龍野赤松氏。
山名は関係ない。
519人間七七四年:2011/04/25(月) 21:33:20.36 ID:8rCsm7Fy
結局、福岡合戦で家が傾いたのかな山名は。

あれだけ長期間遠征かけて赤松を倒しきれなかったどころか最後、連敗で領地から叩き出される有様で。
520人間七七四年:2011/04/29(金) 09:50:50.19 ID:lTshcuEv
>>517
赤松とはかなり不仲だったw
521人間七七四年:2011/05/30(月) 23:53:43.00 ID:wrjG+g3k
つーか赤松と山名の対立が、同盟関係にあった山名宗全と細川勝元の仲を引き裂き、
それが応仁の乱の試合開始のサイレンになったようなもんだからなw
522人間七七四年:2011/07/16(土) 22:42:24.33 ID:Iznja9vx
赤松とは最悪、では一色とはどうだっただろう?
523人間七七四年:2011/07/16(土) 23:56:32.87 ID:Dpvaor8y
なして武田の息子引き取ったんだろ
殺しても晴らしきれない怨みあるろうに
524人間七七四年:2011/08/13(土) 13:07:41.14 ID:xPtr0wd4
山名豊定って案外空気
525人間七七四年:2011/09/25(日) 03:53:39.04 ID:mkWXZwgW
ノブヤボで四天王全員がなかなか揃わないのは残念
526人間七七四年:2011/10/23(日) 15:47:43.99 ID:keDdBY0T
豊国って本当に因幡出身なん?
527人間七七四年:2011/10/25(火) 20:18:14.15 ID:NgYZVq6E
ノブヤボDS2で新武将作成で山名軍団を作りたいんだが
誰をどのぐらいのパラメータで作っていいかわからない・・・
このスレの山名ファンのみんなちょっと知識を貸してくれ
528人間七七四年:2011/10/26(水) 01:02:12.29 ID:pnpZMyo1
>>522
西軍同士だけど、ほとんど因縁めいたものはないんじゃないかな

明徳の乱あたりまで遡れば何かあったかもしれないけど
529人間七七四年:2011/10/26(水) 02:53:34.19 ID:FWOIxSjs
>>523
HEIWAのためだよ
530人間七七四年:2011/10/27(木) 21:52:55.76 ID:UrVuJ+aQ
>>527
火間虫入道ってところで各作品の武将検索が出来るよ
531人間七七四年:2011/11/15(火) 14:22:47.70 ID:2jyMNXOP
山名豊国 慶應卒
532人間七七四年:2012/01/25(水) 05:34:57.06 ID:7rNO2rYN
豊国って黒官とは結構仲良かったんだっけ?
533人間七七四年:2012/05/08(火) 06:38:37.61 ID:LmW5kMm1
調べれば調べるほど有能だった山名豊国
534人間七七四年:2012/05/10(木) 00:09:11.85 ID:q7J9hIyb
>>533
研究の成果を列挙してみてくれ
535人間七七四年:2012/05/15(火) 15:34:19.55 ID:2RBDs4k/
しかし山名でまともに史料があるのが宗全とこの人だけってのもなあ・・・
536人間七七四年:2012/06/01(金) 18:27:28.06 ID:/Zt9oWAC
家康の山名家優遇は異常
ただし石高を除く
537人間七七四年:2012/06/01(金) 18:48:06.42 ID:Nr+pNUOq
まあ新田源氏だしな
538人間七七四年:2012/06/02(土) 03:22:34.45 ID:uvCk2sWG
じゃあ里見も優遇してやれよ…
539人間七七四年:2012/06/03(日) 08:27:08.85 ID:P4o9dyjQ
安房里見氏って地元の名族でも何でもない、足利成氏がどっかから連れてきた、
何処の馬の骨ともしれない里見氏だしなあ。
540人間七七四年:2012/06/03(日) 22:30:05.92 ID:jwAeVtdG
その点、落ちぶれていても四職家の家格を持つ山名は、
厚遇しておけばそれだけ相対的に徳川家の株が上がる。
541人間七七四年:2012/06/05(火) 14:16:05.28 ID:DxBzVauA
>>498
此隅山城
ttp://www.hb.pei.jp/shiro/tajima/konosumiyama-jyo/
確か秀吉に壊されてその後放置
542人間七七四年:2012/06/10(日) 20:13:12.91 ID:kdDzVEb+
山名氏が詳しく載ってるサイト
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/yamana.html
ttp://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/yamana.html
山名時氏、時義なんて知らなかった
やっとスレタイの意味がわかった
543人間七七四年:2012/06/20(水) 19:16:59.20 ID:YL9y+mDJ
時義は山名氏の全盛期の当主だが、知名度がひくすぎるな。
544人間七七四年:2012/07/05(木) 11:53:32.11 ID:wH4CqKkr
戦国大名山名祐豊も、織田信長の勢力が伸張してくると、1580年(天正8年)信長の重臣・羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍勢に取り囲まれ降伏後死去。祐豊の子山名堯熙は
降伏前に因幡へ逃げ助かる。その後堯熙は馬廻衆として秀吉に仕えることとなり、後播磨に所領を与えられた。

因幡では、山名豊定の子、山名豊国が秀吉を通じて信長に降伏したため、秀吉の家臣となった。その後、豊国は秀吉から因幡に所領を与えられ、御伽衆として迎えられた。
545人間七七四年:2012/07/15(日) 21:58:05.71 ID:QJmD3na/
延享にはいり因幡守豊就は、大番頭という将軍の警護隊長の役職に就いたことから、
ここに山名豊国以来の汚名をそそいだとみることができるのである。
のち、寺社奉行。大岡忠相の同僚
546人間七七四年:2012/10/06(土) 18:13:25.17 ID:gHk+/Mcp
落城してしばらくの間は鳥取周辺を納めてたみたいだけど
本能寺〜関ヶ原あたりまではどうだったっけ?

俺が見た本では摂津に200石って書いてあったけど・・・
547人間七七四年:2012/10/06(土) 20:51:33.16 ID:KHZFDmvZ
お情けとはいえ、但馬で村岡藩として幕末まで残ったのは名家だったからなんだろうな
548人間七七四年:2012/10/08(月) 10:04:23.70 ID:ucQTLqwW
山名分国は室町時代ですら「領土確保は実力次第」なんて嘯かれる、修羅の国だったらしいな。
549人間七七四年:2012/10/11(木) 15:59:15.79 ID:JAmuCoWR
官兵衛大河決定で、豊国登場はあると思いますか?
550人間七七四年:2012/10/12(金) 17:25:35.45 ID:aDbDyY1/
NHKが豊国ごときザコキャラ拾い上げるとでも思ってんの?
551人間七七四年:2012/11/19(月) 19:20:53.39 ID:BmN9jWDK
【速報】山名豊国登場決定

なお登場時間は10分にも満たない模様
552人間七七四年:2012/11/21(水) 10:00:31.00 ID:LGvazCHD
通字の「豊」は何に由来するんだろ?
553人間七七四年:2013/02/22(金) 00:05:50.88 ID:h/nRfqcL
wikipediaの山名時氏の項目の参考文献のところに

福田以久生『山名時氏』吉川弘文館 

とあるけど、この本、復刻されないかねえ。
古書店でも見た事無いぞ。
554人間七七四年:2013/03/04(月) 12:56:30.27 ID:4eaCf0u0
赤井直正のWikipedia観てたら疑問が
直正が信長に降って所領安堵を受けた後、攻めてきた山名祐豊を返り討ちにして居城に迫ったら
祐豊が信長に救援要請して光秀の丹波攻めが始まったと書かれていたが、
直正は織田方なんだから山名を討伐すべきだろ?
先に攻めてきたのは山名だし
555人間七七四年:2013/03/04(月) 17:19:05.33 ID:vlnqrE5s
>>487山名堯煕の子孫の家伝に、豊国は家康に鳥取城(他)をねだったが、分不相応とし
て却下されたという記述がある。

山名氏に縁の深い但馬とはいえ「氷ノ山」山麓の超々々僻地である七美郡は、まあ家康に
とってどうでもいいような魅力のない土地。それをあてがわれた。その程度の人物だった
のでは?。
あんなところ家康の他の旗本だったら喜ばないよw。
左遷だね。島流しとまでは言わないけれど。
家康が豊国を特別に寵愛していて但馬山名氏の後継者として認めていたのなら出石城を与
えていたんじゃないの?べつに豊岡平野周辺でもいいけど。

豊国の子孫の書いた御手盛りの記録や、その菩提寺の記録は、その家にとっていいように
書いてあるからねw。
556人間七七四年:2013/03/05(火) 14:31:18.66 ID:YDRh2t2P
そうそ
但馬山名氏の庶流で、因幡侵攻の先兵だった家系の豊国さんが山名の宗家を僭称したのは
何時ごろからなのっ?。

わかる方、おしえてくださいませっ。


山名堯煕さんや堯政さんが生きていたころから宗家を名乗っていたのっ?。

豊臣政権下では少禄どうしながら堯煕さんの家系のほうが石高が上だったらしいけど、
それでも豊国さんの家系の方が宗家を名乗っていたのかなあ?。

まあ、家系の上下に石高は関係ないんだけど。

豊国さんも但馬山名氏の血を引く高貴な血筋には違いないんだから、宗家宗家と叫ばな
ければカッコイイんだけど、残念だねっ。

但馬山名氏から、因幡に派遣されていた傍系の家系だからコンプレックスの塊の人生だ
ったから、家康に引き立てられて爆発したんだろうかっ?。

主従の立場から見ると、但馬守護家山名堯煕の家来だったのに豊国って。
557人間七七四年:2013/03/05(火) 18:41:18.99 ID:eDQgYjnn
>>554
虚実が入り混じってると思う。
荒木村重も、信長に任じられた摂津三守護の池田氏を乗っ取った後、
同じく三守護の和田氏を破って摂津を統一したのに、何故か服属と本領安堵を認められてるし。
558人間七七四年:2013/03/06(水) 00:16:59.33 ID:T0nP/Qil
>>556

そうだね。豊国の山名家は、尼子氏で例えると新宮党。

一族だけど但馬守護家の山名氏の臣下の家柄だね。

よく「山名は自分の子孫に限る」って言えたよね・・・どういう神経してんだろ・・・。

556がいうように血筋コンプレックスだったんだろうね・・・。
559人間七七四年:2013/03/06(水) 01:20:04.97 ID:wbkjgPy+
>>556
大坂の陣後じゃないかな?
560人間七七四年:2013/03/08(金) 18:09:53.13 ID:Ka+Shw7e
>>556「家系の上下に石高は関係ない」
そのとおりだと思います。
群馬県の岩松家は徳川家康から20石しか認めてもらってません。
山名堯煕の子孫よりも、鳥取豊国を家康が気に入っていただけです。
但馬の守護家よりも岩松家の方がかわいそうでした。
6000石だから山名家の本家だということも無いです。
561人間七七四年:2013/03/10(日) 15:15:32.44 ID:tEeiyzh/
>>555「鳥取城をねだったが却下」
実際には因幡一国と鳥取城を徳川家康に、ねだったが却下されたらしいね。
池田家と自分の軍功を比べて・・・上だと思ったんだろうか・・・・・・?。
562人間七七四年:2013/03/11(月) 08:54:51.89 ID:+zrc7jDP
560さん、じゃあ450俵や200石の堯煕流の山名氏は、石高だけでまさる
豊国流の山名氏より嫡流の家系ということでOKですね
558さんの、ゆいかたで言うと豊国って「鳥取党」みたいなかんじですかねえ

本家の但馬守護山名氏から、派遣された家来筋の家系なのに、堯煕の子孫を自分
と同じ山名氏の家来筋の清水氏の養子にしてしまって「自分の家系のみが山名氏」
だなんてヒドイですね。ヒド過ぎますね

かりに一時期、豊国の子孫が山名氏を中継ぎで継承したとしても堯煕の子孫が、
山名氏に戻った時点で、山名氏の庶流の地位に戻っているはずです

徳川家も、ずうーっと徳川氏を称していたわけではなく松平を名乗っていました

極論すると、堯煕の子孫が山名氏に復姓した時点で豊国の子孫は山名氏を称する
のを遠慮するべきだったでしょう

同じ山名を称することを許されていたとはいえ家来筋の血筋なんですから


足利の吉良家の庶家は、本家が吉良を称さない間だけ吉良を称しているというのに
563人間七七四年:2013/04/07(日) 14:00:45.51 ID:nlHdZ48x
但馬守護家の山名氏は大阪の陣で秀頼の近習勤めて討ち死にしたから
本来お家取り潰しのところ家臣筋の清水家の養子になることで血を繋ぐことだけは見逃してもらっただけだぞ
要するに新たな武家の棟梁である徳川家から山名氏として認められなかった家だ
何度も復姓の願いを出したけれど100年近く許されなかった

その時点で本家に最も近い山名氏は豊国流なんだから宗家筋がこちらに動くのは当然
宣伝しなくても普通に一族内で合意とれる話だろう
宗家筋が時勢によって嫡流以外に移るなんて武家でも公家でもありふれた話で実例なんかいくらでもある
そもそも山名氏は何度も嫡流以外に宗家筋が移ってきてる
564清水山名:2013/04/11(木) 23:42:53.84 ID:+YAG8CdY
>>563さんの仰る通りですね。 555~562は自作自演バレバレです。
山名の恥じです。情けない。
565人間七七四年:2013/04/12(金) 00:03:46.01 ID:RzP+cZ/z
やる気まんまんやね
566人間七七四年:2013/04/13(土) 16:38:48.17 ID:qQCtAIey
豊の字は山名氏中興の英主 山名持豊
567人間七七四年:2013/04/14(日) 09:42:22.57 ID:Kg3ZuIfT
山名義徳と山名義問の書幅を持ってるわ
日本史&骨董品好きなもんで。
多分、旧家臣の子孫とかが売ったんだろなw
568人間七七四年:2013/04/14(日) 13:37:55.05 ID:Kg3ZuIfT
あと但馬系ではないが山名師幸と宗幸の書状もある
官途名はともに摂津守になってるから伯耆国の日野山名系だと思う。
宛名は小林と蜂塚になってる。
出張、旅行の際は骨董屋をまわりまくっていろいろ見せてもらう中から見つけた
意外と骨董屋でも得意分野みたいなのが多少あって
それを外れると価値がいまいちわからなかったり安くなってることも多々あるよ。
まともに査定、販売されたら高値になって手が出ないから
掘り出しもの見つけた時は店主の手前、平静を装いながら心の中では叫んでるw
山名とは関係ないけど島根や鳥取を廻って入手した他のものは
武田元明の和歌懐紙とか
賛に「花翁宗心大居士」とある大紋姿のおそらく江戸期以前の肖像画
(掛け軸の巻止めにかすれているけど「南条殿」とあるので南条宗信か?)
などが大きな戦果かな
569人間七七四年:2013/04/14(日) 13:46:08.17 ID:lpkrl6Yz
日野山名って本来の宗家筋だっけ?
足利義満にボコボコにされる前の
570人間七七四年:2013/04/14(日) 22:08:19.71 ID:kxvMn8th
但馬、因幡、だけではなく六部一殿山名氏は全國に所領を持っていた 
強さと時勢、運で 室町、戦国時代をのりきり 江戸時代まで生き抜いていれば 
山名氏であるかぎり 山名宗家筋になる可能性は
どの山名家にもあったであろう
571人間七七四年:2013/04/18(木) 15:48:14.97 ID:QmNEcyP0
山名って新田の庶家だっけ?
どうだって良い程度じゃね?
保存しなきゃいけないほどの血統じゃないだろ?
572人間七七四年:2013/04/18(木) 17:57:07.82 ID:VUR/32tP
徳川が新田系名乗ってるからねぇ
573人間七七四年:2013/04/19(金) 08:21:35.07 ID:SOY+4opb
そうなんだよね。
山名事態は庶家だけど、徳川が新田系だからねぇ。
574井上河内守:2013/04/19(金) 23:15:55.32 ID:Hqhxq/B0
譜代大名の登竜門たる寺社奉行に薄禄6500石で就任したのは因幡村岡の因幡守豊就のみ。
575人間七七四年:2013/04/20(土) 01:16:30.83 ID:lW1O/lWu
大岡さん
576清水:2013/05/14(火) 11:34:44.16 ID:Clke9s8U
>>563
わかりました。
それでいいです。嫡流ではない、豊国流が宗家筋になった、でいいです
ありがとうございました
「本来お家取り潰し」のお家と、「一族内で合意」の一族

の意味がわかりません。お家は取り潰しになり?山名一族は他にいない?
ということで嫡流から宗家筋が豊国公に移ったという話ではないですか?

お家は取り潰しになったのか、お家は取り潰しにならなかったのか教えてください

取り潰しになったのなら、その時点でその山名氏は終わりですね

再興しない限り

お詳しい方と御見受けいたしましたので、豊国公が宗家になった年月日も教えてください

清水氏にたいするかきこみを見て悲しくなりました。わたしの一族のたくさんの清水さんも
悲しくなったといっていました

清水山名は悲しい家なんですね

ああ・・・そうでした山名氏と清水氏は全く別の家でした

ごめんなさい

養子に行って清水氏を継いだのだから山名氏の子孫ではないですね
577清水山名:2013/05/15(水) 15:09:31.16 ID:LiwwTER2
山名堯政で但馬守護山名氏は終焉でいいんじゃないですか。
清水を継いだ子は、但馬山名家旧家臣清水家の子孫です。
豊国様も山名氏の一族ではあるが、垣屋や太田垣と同格の但馬山名家旧家臣山名家の子孫です。
578人間七七四年:2013/05/16(木) 16:40:52.20 ID:BZMWTuPj
但馬守護家とは別の家でも山名豊国は名門にはちがいないからなあ。それで充分良いのでは。
江戸時代、衰微した山名一族のなかでは一番社会的地位も高いから山名氏長者にはなれる。
確かに但馬守護家を養子として正式に継承したわけでは無いから但馬守護家の末裔とはいえぬが。
579清水山名:2013/05/17(金) 14:49:46.15 ID:lBpHZMTI
清水家の家譜が数代さかのぼり山名氏の項目のウェキぺディアに掲載されているのが嫌です。
削除して欲しいです。
清水と山名は全く別の氏族です。
豊国様が但馬守護山名氏を継承したように書かれているのも全く違うと思います。
当時の誰の許可を貰って、誰の許しを得て但馬守護山名氏を継承したのですか。
一族の誰ですか。重臣の誰ですか。
何の根拠もありません。
徳川将軍家は名門山名氏の血を引く一族の一人として所領を与えて召抱えただけです。
清水氏からみても豊国様は名門だと思いますよ、山名氏一族なんですから。
でも、但馬守護有子山城主の清水氏の主君の山名氏ではないです。
豊国様は山名堯政から遡ること数代前の分流の因幡久松山城主の山名氏の子孫です。
うちとは別の家系ですが堯政の子孫のうちで清水から山名に復姓された血筋の方がおられ、
そちらが山名堯政の家を再興なされていますから、そちらが但馬守護山名氏の子孫といえるでしょう。
徳川家も御先祖が松平家の御養子に入られ何代も松平を称した後に復姓されました。
他の武家においても多々有ることです。
堯政の兄弟の血筋の方が継承したというのなら理解できますが、豊国様は遠過ぎます。
摂津200石から但馬6700石の33.5倍加増の戦功は凄いと思います。
六分の一殿山名氏の末裔うんぬんよりも戦国の武将として豊国様を評価すべきでしょう。

山名氏の宗家は今も但馬守護山名氏の末裔です、清水氏旧主家の。
580人間七七五年:2013/05/18(土) 10:32:53.14 ID:lKBlsbLq
山名豊国は但馬竹田城を赤松広秀から受け取っている「城受取り任務」から
そうとうの軍事力を持っていたはず
もし、赤松が抗すれば平定しなければいけないから「平定できなければ罰がくる」
関ヶ原の戦い前後の騒乱期に家康から任務を受けたのだから
武人として信頼されていたんだと思う!
それら戦功により領地を与えられた
七美郡以外にも竹田領も候補に入っていたはずだ
もし、そうなっていても格式からして、竹田城下に竹田陣屋を築くことになっていただろうが
しかし戦時に竹田城を使えることには変わりが無い!!
581人間七七四年:2013/05/18(土) 13:46:44.46 ID:hnW01ODx
垣屋恒総の因幡桐山城も可能性あった
582人間七七四年:2013/05/19(日) 13:39:15.81 ID:uazUPePE
豊国公は充ニ分に因幡岩井郡一万石の値打ちのある武将だ。
大名として浦富陣屋とかの名目で国境の名城桐山城を任される器がある。
交替寄合とはだいたいそのような役目の旗本だ。
但馬の僻村なんかに埋もれさてておくには惜しい人材だ。
山名氏の血を引く垣屋氏の後任としても同族だから最適。
ましてや、岩井郡は旧領だったんじゃなかったっけ?。
583人間七七四年:2013/05/20(月) 11:11:22.62 ID:HLcuHMK9
>>559
そうだね大坂の陣後だね
二代将軍 徳川秀忠の治世
七美に扶持を与えた当の家康は存命してたんだろうか
>>550
それは言いすぎだ
堯煕登場は有りえるが
584人間七七四年:2013/05/22(水) 12:16:28.37 ID:nXNmAL1b
山名豊国の器量からすると因幡一国8万9000石の値打ちは、じゅうぶんあると思われ
585人間七七四年:2013/05/23(木) 14:04:17.66 ID:vN2wE4+F
因幡岩井と但馬七美
選べたとしたら岩井のほーが良かったのでは???
平野だし、気分も開放的だし

赤松が作った竹田城周辺でも七美よりよほど開放的だよ
赤松が作った竹田城は天下の名城の一つだし
586人間七七四年:2013/05/26(日) 10:21:59.92 ID:PftsAZW9
>>584私もそう思うね。
戦国を勝ち抜いてきた山名豊国にはそれでも少ないくらい。
ところで御判御教書で足利家から正式に任命された因幡守護だったの豊国の山名家?。
587人間七七四年:2013/05/26(日) 15:55:12.81 ID:7ih3ZYdQ
>>559
大坂の陣直後
だとすると
山名豊国は67〜68歳くらいだね
当時としては、かなり高齢者
御隠居さまになってて普通の御歳ですものね
実質的には嫡子の山名豊政が惣領で当主だったんじゃない
東軍の山名豊政と、西軍の山名堯政って親交あったのかな
四代も前の血縁だし、親族とはいえないくらい遠いけど
588清水山名:2013/05/26(日) 19:30:01.97 ID:EnpM5kNd
>>576さん >>579 いや 博学な Wikiの安○様 あなたも しつこいですね

555から562 までと576 と577? 578? >>579 >>587
自作自演の書込み 恥じの上塗り。

清水山名家の系を何かと脚色 持ち上げ 家系自慢する 徳川家 酒井家 の名前を出し 権威付け?を それだけならまだしも 豊国の系を 逆恨みしてか 落としめる 見下す 下げすむ 貶す 様な書込みは、 清水山名一門の末裔は 世間の笑い者です。
2ch と wikiにも。 恥を知るべき。


世間に 清水山名一門の末裔の馬鹿さ加減 破廉恥さが知れ渡りました。恥知らずもいいとこ。 恥の上塗りは即刻止めて頂きたい。

清水山名一門の恥さらしをただちに 止めるべき。



清水山名氏一門の末裔で 歴史に詳しい 博学な ◯海様は 
豊国を 家臣 家臣の家系 家来筋と 盛んに書き込んで さげすみ 清水山名の家系の優位性を強調している が、
豊国は 祐豊の弟の家系 で、 娘婿 かつ 堯煕とは従兄弟で 義兄弟の間柄。 改姓した 時信より 祐豊 暁熙に近い。



但馬山名氏は堯煕の死去で 断絶。

wikiに 豊国は但馬山名を継承したとは 書いてない。
豊国の家系に移っただけ。徳川幕府も認めている。

清水山名は但馬山名の血筋では有るが、別の家。

恒豊は 姓を一時的に 清水 に変えた訳では無い。 清水家の養子になり 清水家の家督を相続した。 清水氏の 分家 支流の山名氏。

現に 寛永諸家譜では 清水山名氏は恒豊流清水氏の分家 支流 の 位置付け。
589人間七七四年:2013/05/31(金) 10:13:16.30 ID:e0Xt5Snq
通りがかりの者ですが・・・・・
588は何?なんのこっちゃ
基地外としか思われへんわ
590人間七七四年:2013/06/01(土) 13:00:25.29 ID:3J2IPsva
荒らしはスルーが一番
591清水山名:2013/06/02(日) 11:50:15.51 ID:gYs88KX7
斯波→武衛→滅亡
   →庶流→須坂藩1万石
細川→京兆→秋田家臣
   →庶流→熊本54万石
畠山→河内→高家5000石
   →庶流→高家3100石

一色→丹後→滅亡
赤松→播磨→滅亡
   →庶流→交代寄合?5000石
京極→北近江→丸亀5万石
   →庶流→高家1500石
山名→但馬→滅亡
   →庶流→交代寄合6900石
592ちちは但馬っ子:2013/06/03(月) 09:03:30.26 ID:fmGB5oph
山名氏も赤松氏も斯波氏も本家は滅亡してんだね。
一色氏は全滅?。
室町の三管領四職の庶流は、結構、高家や交替寄合いとして残ってんだね。
593人間七七四年:2013/06/03(月) 10:19:06.36 ID:vYNy9kg8
一色氏は式部家が大身旗本で存続
594人間七七四年:2013/06/03(月) 16:16:44.42 ID:2G/Sr4kw
山名庶流が江戸時代領有した村岡ふくむ七美郡は、但馬山名氏の領地(直割地)ではなく、
田公氏の領地だった
田公氏の一門は因幡守護代も務めたことがあった
595人間七七四年:2013/06/03(月) 22:11:40.47 ID:xGYmEEWa
豊国さんは、祐豊さんの甥で娘婿、故に義父子
堯煕さんとは、従兄弟で義兄弟

だからこそ、堯政さんが夏の陣で戦死したあとに、
遺児恒豊さんをひきとろうとしました
しかし、幕府の反対で断念
命をつなぐ為に、既に徳川家臣だった、山名旧家臣の養子にと助力しました

従兄弟で義兄弟の堯煕さんを庇護し、
その後、堯煕さんは、豊国さんより長生きされました
お墓は、京都 東林院、豊国さんのお墓の隣りにあるそうです

血を残すために、特に、豊臣対徳川の戦いでは
各武家では、親戚親子兄弟も対立して戦ったそうです
596人間七七四年:2013/06/03(月) 23:01:55.77 ID:xGYmEEWa
山名義範さんを大祖として、
同じご先祖様を持つ同族ですから
遠い親戚同志で仲良くできるといいなと思います
597人間七七四年:2013/06/04(火) 09:42:07.15 ID:CPJp8SBE
田公氏は村岡城をきずいて七美郡を治めた
598人間七七四年:2013/06/04(火) 12:01:57.57 ID:owjw/7l7
田公氏の領地だったんですね村岡って。
村岡は[六分一殿]但馬山名氏と、ぜんぜん関係ない土地なんですね。

村岡の山名庶流の山名豊国さんも学識が有りそうでスキです。
調べれば調べるほど有能だったとわかります。
歴代当主も豊国さんの血をひいて優秀な方が多いようにおもいます。
599清水山名:2013/06/04(火) 14:45:37.75 ID:NOhhgjYS
清水の先祖は山名義範では無い。別の家。
清水氏の分家 支流の山名氏。
先祖が違うから仲良くしなくてよい。
恒豊は清水の養子に行った時点で山名の庶流ですら無い。
山名豊国の子孫が唯一の山名氏。
そもそも山名豊定の時点で山名宗家。
山名宗家は豊定→豊国→豊政と継承された。
600ちちは但馬っ子:2013/06/04(火) 17:15:29.96 ID:EV09Ezbf
但馬山名氏の末裔の清水さん(清水山名さん??)と交替寄合いの山名氏庶流応援団さんたちって仲が悪くなってんだね。
他の三管領四職のおうちでもそうなの?、宗家争そいなんて有るの?山名氏だけ特別?。
そうそ593さん、ありがとうございます。
601人間七七四年:2013/06/04(火) 23:39:41.60 ID:VHTgQ41L
恒豊さんは、徳川の幕臣にならなければ、山名姓のままでいられたと思います
但馬、因幡以外の山名家は皆、幕臣ではありませんでした
 
特に戦国時代は、敗退する武家の家族が誘拐されて身代金を要求されたりする
事件が頻発したようなので、その事も恐れられたり
豊臣方との理由で抹殺されてしまう恐れもあったでしょう

但馬、因幡、その他全国の山名家そして旧山名姓の庶家すべてのひとにとって、
鎌倉時代の始祖山名義範公は大祖です
602人間七七四年:2013/06/05(水) 00:03:08.02 ID:4pHwuFlW
>>601
敗退する武家の家族 → 敗走する武家の家族(女子供)が誘拐されて実家等に
身代金を要求される事件 
603人間七七四年:2013/06/05(水) 10:31:35.22 ID:8XHPHwm/
>>600
斯波宗家 畠山宗家 細川宗家 一色宗家 赤松宗家 京極宗家なんて言わないでしょ末裔方普通

徳川家のような大族なら徳川御宗家とか徳川宗家と言ってもいいけど
ほぼ交代寄合家しかないのに山名宗家はないでしょ

交代寄合家御自身は、そんなことおっしゃらなかったでしょう
なんちゃって山名氏を集合させてなんちゃって大族になったから宗家(宗家筋)って言い出したんだろうけど
交代寄合家にとっても迷惑な話だろうね
なんちゃってと混ざっちゃってさあかえって名門度うすくなっちゃったね
604人間七七四年:2013/06/05(水) 13:14:29.98 ID:GM9QjOIX
>>601
同意見です
山名堯政の嫡男に山名堯豊(母は某藩某藩主家の女・あえて匿名)がいますが山名姓のまま
以降の子孫もその藩の藩士として江戸時代をすごされました

致豊 → 豊定 → 豊国 → 豊政 → 矩豊 → 交代寄合村岡山名氏(山名庶家)
誠豊 → 祐煕 → 堯煕 → 堯政 → 堯豊 → 某藩々士(山名嫡流で山名家督)

某藩某家臣の山名家が嫡流に当たると思います
話題の恒豊は嫡流に近い系統ですね
清水家に養子に入ったので以降の子孫は山名家一門ではないですが
605人間七七四年:2013/06/05(水) 15:59:22.41 ID:yMBy+2wW
>>601そう、恒豊さんは、徳川の幕臣にならなければよかった
そうすれば山名姓でいられた
堯煕は庇護し、恒豊は他家へと養子先を斡旋
豊政親子は恒豊をひきとって、どうしようとしたというのだろうか?
七美郡を全部あげる?
一石もあげたくないから家臣にもしなかったんじゃないのかな?
6700石ぐらいあれば養えるでしょ
幕府の許可もらわなくったって領内のどっかで
後世の作り話だよ
美談だねえ


山名豊国公はわるくないんだよ
606人間七七四年:2013/06/05(水) 17:07:11.71 ID:z8jFCMbw
刺青奥様ブログ!

http://blog.livedoor.jp/akajuban-ebisu/
607人間七七四年:2013/06/05(水) 23:30:07.78 ID:8pTQp1Cl
>>586本当の事書くとさ、みもふたもないんだけど
山名氏冬に始まる山名氏が因幡守護に代々任ぜられた山名氏で、山名豊定に始まる
山名氏(後山名氏の名称が適当)は因幡守護・・・的役割を、山名祐豊
から託されただけでさあ、簡単に言やあ因幡守護代(守護代的役割)なんだ
因幡守護の権利も根本は山名祐豊に有って豊定になどない
ごめんね、当たり前・・・のことを書いて
>>586は釣り?
608人間七七四年:2013/06/06(木) 00:45:03.95 ID:tWeY1NG5
連投すまん
山名豊定は代々の因幡守護家の山名豊成の代わりに守護権を行使しただけだから
田公氏の後任だともいえる
>>597田公氏と同等の家柄だから縁のある但馬七美郡村岡領を家康は与えたんだと思う
>>598当たらずとも遠からずなのかな
>>604恒豊の母より堯豊の母の実家の地位が高ければ嫡流といえるね
恒豊は後継ぎの大切な子じゃなかったから養子に出されたんじゃないの
常識的に考えて山名堯煕が山名の家督を継ぐべき孫を養子に出したりしないでしょ
親代わりの堯煕が養子に出したんだからその程度の出自なんでしょ
609人間七七四年:2013/06/06(木) 10:51:30.46 ID:/R9R7J30
但馬の朝来郡2万2000石の城持ちから七美郡67000石の陣屋に郡替えになった山名豊国

なんでだろう
610人間七七四年:2013/06/06(木) 21:42:58.70 ID:zaJrv/OC
>>609
諸侯から交代寄合に格下げされてたんだ
1/3の所領に減封、そして山奥へ左遷なんて一体何をしたんだろう
せめて1万1000石に止めておいてくれれば良かったのにと思う
朽木元綱の傍系末裔は福知山藩3万2000石
朽木家との差は全々ちぢまらなかったんだねえ
むなし杉る
611人間七七四年:2013/06/07(金) 08:21:59.25 ID:03GDTd1A
山名堯煕は豊臣方に就いたことへの釈明に徳川の有力者の元を駈けずりまわっておられたが
交代寄合家にチクられて全てパーになったらしいですね
一族の証言だから幕府は信用して、山名堯煕の山名家が幕臣として取り立てられる可能性がゼロ
になったんだと思いますよ
それでお終いです
弁護したくない一族だったんでしょうね
山名堯煕の山名家だったら5000石くらいの高家になってたんじゃないでしょうか
612人間七七四年:2013/06/07(金) 16:47:19.87 ID:LAEZhzeh
>>608

清水恒豊=山名煕政 母:家臣垣屋氏の娘
613人間七七四年:2013/06/07(金) 19:07:44.11 ID:6pLoRneu
>>599
村岡の近世山名氏の説だね祐豊から弟の豊定→豊国→豊政という流れが山名氏の本流というやつ。
豊定が因幡の守護で豊国も守護で堯煕はただの但馬の一地方の小城主ということになっている・・・。

山名豊国は但馬山名氏の分家の分家から立身出世したというのが本当なんだろうけど
近世山名氏の家譜では、そぉーゆぅーことになっている・・・・・。
堯煕の方が山名の支流で、もともと豊国が本家であったかのように。
614人間七七四年:2013/06/07(金) 23:23:42.68 ID:54hAd2Hq
>>604 さんの
某藩 とは ?
ご存知の方 ご教授 お願い します。
615ちちは但馬っ子:2013/06/11(火) 09:50:36.92 ID:ih3/gR//
一色氏について、もう少しくわしく教えてください。
616人間七七四年:2013/06/11(火) 13:33:40.29 ID:7jVu5Qhn
山名教豊の女が一色義春の正室になったことから関係がより深くなり
応仁の乱においては山名持豊(宗全)率いる西軍に一色家は属した
若狭武田と細川の連合軍がたびたび一色領丹後を侵すも隣国但馬山名からの援軍等により
これを撃退する
一色氏は一色満範の子の代で惣領家の義貫家から持信の兵部家・持範の式部家が分かれた

室町中期に惣領義貫家の血筋が完全に絶えたため兵部家が惣領家および丹後守護を継承する
も織田信長の没年とほぼ同時期に滅亡した

丹後で宗家の元、郡代などもしていたのこる式部家の子孫は徳川家康に仕え大身旗本として
存続でき、一色氏の主流となったが江戸時代なので自他ともに一色氏の宗家とは称さず
617人間七七四年:2013/06/12(水) 09:55:31.02 ID:vL+gx825
>>613豊定は但馬 因幡守護の山名祐豊から、分国の一つである因幡の経営を任されただけで
あくまでも分国因幡の守護は山名祐豊が掌握していたと思われる。

そうでないと但馬 因幡の統一にならない。

豊定は因幡の守護代的立場で、おさめていただけだと考えられている。

豊国も因幡の守護代的立場という建前で、旧因幡守護家に対しての正当性を確保していたと考えられている。

祐豊の嫡男山名堯煕が「但馬の一地方の小城主」云々
近世まで生きのびた江戸時代の大名家の系図は、大抵そのように書いてある。
あたかもその大名家が、室町戦国時代その氏族の宗家であったかのように記述
してあり到底信用できない。

豊定に始まる山名家は、但馬守護家山名氏の有力庶子家であり一門であるが、但馬守護山名家に
に取って代われるような家ではない。
618清水山名:2013/06/12(水) 13:41:51.17 ID:UhNNxZEV
豊国は祐豊の娘婿。
豊国は堯煕とは従兄弟で義兄弟の間柄。
よって山名氏宗家を継承できた。
619人間七七四年:2013/06/12(水) 21:24:13.14 ID:yB9LhWFe
>>618さん
同意見です。
武家山名氏として宗家を継承したのは、豊国公 だと思います。
620田公:2013/06/13(木) 09:32:47.92 ID:Yzkkpxnq
>>618>>619

ウチは因幡守護代の田公の末裔ですが、ウチの先祖も祐豊の娘を正室としています
垣屋と八木にも姉妹が行っています、他の家にも多々行っていますけど

男系でも山名氏に繫がりがりますし、ウチの先祖も山名宗家を継承できたということですね
621人間七七四年:2013/06/13(木) 13:44:05.44 ID:Zz8FWBv/
>>618>>619
守護大名や戦国大名が有力家臣たち(有力一門など)に自らの娘を降嫁させるのは
ごく普通の事。全国に、あまりにも沢山の例が有り、ことさらそれを強調(印象づけるために
調子を強めること)するのはおかしいですよ。かえって。あたりまえのことだから。
>>620
おきのどくです
豊国さんの御家もあなたの田公・垣屋・八木さんも武家山名氏として宗家を継承できません。
おおっぴらに公表しなければ罪にはならないので、自称宗家くらいな所で我慢なさってください。
男系で山名氏で、いらっしゃる?、尊い御血筋だと思います。
622人間七七四年:2013/06/13(木) 13:50:35.17 ID:iuegyTna
>>613 >>617
山名一族が認めないでしょう。

>>620
寛永重修諸家譜 では 「 堯熙 生国 担州。 出石の城に住す。
秀吉の代にいたりて、但馬を去って 浪人となる。 」となっています。
祐豊亡き後は、但馬山名氏は 滅亡状態であり、
豊国が家長となって然るべきだと思います。
623人間七七四年:2013/06/13(木) 13:59:04.75 ID:iuegyTna
>>622 です
訂正です
>613 >>617 を → >>620

>>620 を → >>613 >> 617 です
624人間七七四年:2013/06/13(木) 14:53:40.04 ID:iuegyTna
>> 611 さん

寛永重修諸家譜 では 「 堯熙 生国 担州。 出石の城に住す。
秀吉の代にいたりて、但馬を去って 浪人となる。 」となっています。
625人間七七四年:2013/06/14(金) 08:05:08.27 ID:4eokyw3J
>>622>>624ウザすぎやね。根性悪い人なん?。
626人間七七四年:2013/06/14(金) 13:56:19.77 ID:Wx72HkC1
>>622
まったく 同意見です。
627人間七七四年:2013/06/15(土) 09:25:45.44 ID:mOAtOfzy
>>625
まったく同意見です。
628人間七七四年:2013/06/15(土) 14:23:28.52 ID:79LH/Mmm
秀吉の時代
[山名但馬家(所司家)]
山名堯煕および山名堯政の親子:豊臣摂関家の近臣:禄有り


[山名氏一門の久松山党]
山名豊国および山名豊政の親子:浪人:無禄
629人間七七四年:2013/06/16(日) 13:46:05.34 ID:KJZg1sU0
>>622
豊国単独脱走後は 因幡山名氏は もっと滅亡状態であり・・・
そもそも家が違うのに家長ってオカシイよ(大笑い)
630人間七七四年:2013/06/17(月) 13:49:41.64 ID:2FjyX5Bn
但馬と因幡の話ばかりね
たしか伯耆や美作や備後にもいたよね山名氏
631人間七七四年:2013/06/19(水) 15:09:37.52 ID:EKuvOCl8
>>630
但馬山名の支族の久松山党の豊国は
本物の因幡山名でないので本物の因幡山名の話題もほしいよね
632人間七七四年:2013/06/20(木) 21:24:24.70 ID:1UKpjtxX
備後は戦国中盤頃、大内対尼子かと思いきや意外と山名氏の影響力が残ってるんだよね。
633人間七七四年:2013/06/21(金) 10:10:47.41 ID:iajQRZIp
備後山内氏 渡辺氏 上山氏 宮地氏 吉原氏 馬屋原氏 長谷部氏 有福氏 三吉氏
634福山市民:2013/06/21(金) 18:01:47.26 ID:6hoeeIcq
>>632の方
教えてください。
山名理興に追われた備後守護の山名忠勝(山名興氏 山名興之)の系図上の位置がわかりません。
山名誠豊の系統につながる人物でしょうか?。
出来れば父、祖父など代々の名前を教えてください。
635人間七七四年:2013/06/26(水) 12:50:23.69 ID:EgfgVBFI
山名誠豊の長兄で、父である山名政豊から廃嫡された山名俊豊の子孫と云われてるんだよね。
636福山市民:2013/06/27(木) 12:31:56.86 ID:LYhtJzPE
ありがとうございます。
そうなんですね。
俊豊の息子なのか孫なのかも教えていただけませんか。
637人間七七四年:2013/06/28(金) 21:13:05.00 ID:K5dcnsZn
一応、息子と云われてるんだよね。
638人間七七四年:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN ID:3DTXJT1M
山名豊国の娘、南の局。
豊国と同様、彼女も「山名氏中興の功労者」かもしれない。
彼女には、「薄幸の美少女」の萌えを感じる。
639人間七七四年:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:9a5eWJpy
守護大名は関ヶ原以降の近世大名とは支配内容が全く違う
六分一殿と呼ばれていた山名氏全盛期でも
直轄領は江戸期の基準に直せばせいぜい2,3万石ぐらいか
640人間七七四年:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:nN7FyAXZ
>>638
豊国さんが山名氏中興の功労者www

あんただけだよ言ってんの(大笑)
豊国さんて但馬守護職 六分一殿の分家の分家でしょ
ただの

本物の山名宗家が豊臣秀頼の近習だったんで、その当て馬に徳川から取り立てられただけじゃん


山名氏一族の中の成り上がり者

でしかないとお・も・う・よ


まあ、大名にも満たない石高だから

成り上がりまでもいかないんだけど。


>>639
2,3万石の大名は十数ヶ国の国の武士どもに、軍役の催促を促せないから守護の方が上だな。

豊国さんは守護でもなく戦国大名でもないが
641人間七七四年:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:nkBAQSAL
>>640
そんなふうに言わなくてもいいんじゃないの?。
因幡の久松山豊国は、確かに山名宗家の人間じゃないけど、
宗家から山名姓を称することが許された御一門衆なんだし。
でも、確かに中興ではないね。
642人間七七四年:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:tAovJ7Fz
山名ザコ国w
643人間七七四年:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN ID:B4fZfuwH
山名豊国さん、久松山豊国とも呼ばれてるんだね知らなかった

甲斐の穴山信君みたいな立場だったんだろうな、守護家の御一門衆で

主家と同じ名字が許されていたんだから
644人間七七四年:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:wUyT+BlN
>>641>>643そうなんですね。
豊国って但馬守護の山名宗家から、山名姓を特別に許されていたに過ぎないん
ですね。穴山信君同様、守護家の娘婿だし、一門でも特別の存在だったんでしょうかね。

徳川家康の戦略の一つとして、御一門衆の内の一家にしか過ぎないのに山名の主流のような、
あつかいに江戸時代初期はなったんでしょうね。きっと。


山名氏政(堯政)は、戦国大名で、さらに織田信長傘下の有力大名なのに世間の認知度は低いですね。
織田 豊臣時代には、豊国が山名氏政(堯政)の家臣の内の一人のあつかいなのに。
645人間七七四年:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:GWsaoCdO
a
646人間七七四年:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN ID:aOkdtdB5
>>640 ->>643 自作自演まる出し

先祖がたった 220年位しか 宗家面出来なかったのが
よっぽど 悔しいんダネ アホ !?

子供だね・・・・・ ○海さん
647人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:AZpCqiW7
>>646
ここまで自演か
648人間七七四年:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:E1g50Gm4
646の人が一番ア○だと思う

ア○ですね

こうゆうー書き込みは、やめてもらいたい
649人間七七四年四年:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:BRX0nSrt
>>646 と同じ意見

>>648 は無知 か、自演
>>640~ >>645 >>647 清水山名の跳ねっ返りによる 自演

久松山? 名前を名乗る事を許されてた? 安○

自身の首を締めいる事に気付いて 無い。
親や 先祖の顔に泥を塗って居る事に 気が付かない。
軽蔑こそされ 決して 尊敬はされない 事に。
遇われな人だ。 気が済むまで 自演をし、
恥を 世間に曝しなさい。
650人間七七四年:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:BRX0nSrt
>>649
脱字訂正 締めいる ⇨ 締めている

誤字訂正
誤 正
遇われ → 哀れ
651人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:yjFNBYc9
山名氏に興味があるので、夏休みに村岡に行ってみたがガッカリした。
村岡は豊国と豊国の子孫にだけ縁のある所だった。
豊国の家の本家の本家にあたる、六分一殿の山名氏(但馬守護職山名家)の遺跡は豊岡周辺や出石にしかなかった。


豊岡周辺と出石だけにして、村岡に寄らないで帰ったほうが良かった。無駄足だった。
652人間七七四年:2013/09/01(日) 21:04:52.68 ID:1AX7T/7e
>>651
ここで自分の無知をさらけ出して、なにがおもしろいんだ?
653人間七七四年:2013/09/02(月) 12:58:23.59 ID:oOVFiUv2
>>651
朝来市の大明寺や大同寺は、いい御寺だったよっ室町期からの歴史もあって
行ってみられては?
654人間七七四年:2013/09/14(土) 11:53:21.49 ID:gpn7M5BZ
山名四天王ってどれぐらい臣従してたの?
655人間七七四年:2013/09/21(土) 11:14:33.72 ID:aBWanRMu
布施屋形と鳥取城の武田氏はどんな関係だったんですか?
656人間七七四年:2013/09/22(日) 12:13:44.98 ID:AnC5gjXE
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
657大目付一色由良之助:2013/09/26(木) 23:08:44.33 ID:VmI1Q9ud
大目付一色由良之助
658大目付一色由良之助:2013/10/08(火) 21:30:05.11 ID:ntmFTFdv
>>655山名豊定は、但馬因幡守護の山名祐豊の弟で、兄の祐豊から因幡守護代を命じられた。

祐豊の後の因幡守護は、祐豊の子である山名棟豊・山名義親に継承された。

因幡守護代は豊定の後、豊定の子豊数に継承された。鳥取城の武田氏は因幡守護代の山名氏の家老
の家柄で安芸(若狭)武田氏の庶流とされる名門の武家。

武田氏は細川氏の与党の武家で、豊定の正室も細川氏から来ている。

家老の武田氏が増長し、主である因幡守護代義数を討ったので、義数弟の豊国が敵討ちをした。

因幡守護代家の継承者として豊国は勢力を蓄え、主家である山名祐豊家と肩を並べるまで勢いを増した。

豊国は因幡の戦国大名である
659人間七七四年:2013/10/12(土) 15:55:37.42 ID:f6J+iwBM
山名豊国はスゴイ戦国大名なんですね
守護代の家から一国を従える戦国大名になったといえば
織田信長や上杉謙信や三好長慶みたいなかんじかな?
山名祐豊の養子になれば上杉謙信みたいに主家を相続できたのにどうし
て養子にならなかったのかな?
守護代の山名豊国が希望しても
守護の山名祐豊が強く拒否したのかな?
四職・六分一殿家を相続してたらもっと名家だったのに子孫は
660山名:2013/10/13(日) 09:34:23.51 ID:R1aFqwQK
たとえどんな出自でも山名豊国は優秀な戦国の武将です。
徳川家康が朽木家並に取り立てたんだから武功があったんだと思います。
西軍や豊臣秀頼方に山名惣領末裔の山名堯煕・堯政親子がつく中、東軍徳川家康方
についたという山名豊国の感覚は素晴らしい。
ほぼ0石から6700石(合計7700石)にしてもらったのだから確かに凄いことですがねえ。
豊国が、どのような階級の山名氏であっても、魅力的な人物であったことには違い無いでしょう。
661人間七七四年:2013/10/13(日) 11:06:08.65 ID:0LyJbM37
山名氏にも、いろいろあるんだな

ふーん
662人間七七四年:2013/10/14(月) 10:17:05.37 ID:ixAryxgu
山名豊定を因幡守護に、但馬守護の山名祐豊が、任命したって。。。
よく書いてあるけど、山名豊定を因幡守護に任命できるのって将軍/管領だけでしょ?。
但馬守護の山名祐豊が、従兄弟(血縁上は実弟)の豊定を隣国の守護に任命したってウソだよねえ?。

山名祐豊の子の山名棟豊/山名義親は因幡守護に将軍家から任じられた確かな記録があるみたいだけど。。。
細川澄元/晴元/昭元流の京兆家にやぶれた細川高国の子孫の山名豊数兄弟が守護に任じられることなんてあるの?。
663清水山名:2013/10/17(木) 18:08:11.27 ID:3wc9QIbl
>>659 >>660 >>661 >>662 は 清水山名の自演
負け犬の 遠吠えとしか・・・。
664人間七七四年:2013/10/18(金) 23:22:00.32 ID:zFtlOqtL
6500石乍ら、大名役の寺社奉行に登用された因幡守豊就
665清水山名:2013/10/19(土) 07:50:37.85 ID:0L10hVTe
ということで
山名豊定豊数豊国が「因幡守護」に確かに任じられた証拠を
今からあげていきます
666人間七七四年:2013/10/19(土) 13:46:33.42 ID:QpwDBXlj
山名豊国ってさあ
初名の元豊は毛利隆元(毛利輝元)から元の字を貰ったらしいね
織田の手前・・・改名したらしけど。
667尼子晴久:2013/10/20(日) 00:51:23.07 ID:T5sMiW4L
尼子を吸収した毛利家なのだから伯耆と因幡にも守護並みの強い影響力を及ぼしていた筈です。
山名一族といえども出石の分家の分家程度の家だったら毛利氏から偏諱されますよ因幡国の国人なのですから。
徳川家康も今川義元から戴いて松平元康だったのだから何ら恥じることはないです。
668人間七七四年:2013/10/20(日) 18:50:03.39 ID:oO+QSzvh
山名は、但馬だけではないよね
但馬山名氏が、因幡山名氏を討ってからは、但馬山名氏だけが残ったよね
669人間七七四年:2013/10/20(日) 19:10:05.83 ID:oO+QSzvh
いろいろ言われている豊国も、但馬山名氏だよね
670人間七七四年:2013/10/21(月) 11:43:52.95 ID:SRib/Wnb
杉原氏と備後山名氏はつながってないの?
671人間七七四年:2013/10/21(月) 21:30:43.35 ID:suwtBcwJ
>>669
但馬山名氏というよりも但馬山名氏の庶流の山名氏に属する武士で

但馬のトナリの国の因幡で活躍してスゴク名をあげた人じゃないのかなあ
但馬には但馬守護の山名家が同時期に別に健在だし

系図上 二代も前の分家で因幡守護代だった家柄出なんだから但馬山名氏出身の人物とは呼ばないよね
672人間七七四年:2013/10/22(火) 19:37:48.17 ID:QOJQQhug
生野を上手く活用できたらまた違った道もあったのかも
673人間七七四年:2013/10/23(水) 14:03:20.38 ID:krecIUxn
>>669
因幡山名氏でないことは確かです。

私どもの家は、山名誠通の流れを汲みますが、豊国は系図に無いです。
誠通の一族の山名は代々因幡守護を世襲していたので、足利時代に屋形号を用いていました。

江戸時代に村岡の方の家系の方が、屋形号を使っておられたようですが
それは但馬守護として屋形号を使われたんじゃないですか!
因幡山名氏とは関係ないはずです。
674人間七七四年:2013/10/23(水) 21:58:47.14 ID:kNd8nEM7
秀吉死後のあかねちゃん(南の局)について
何か資料はありませんか?
675人間七七四年:2013/10/23(水) 22:29:33.83 ID:ZDy7FrTD
豊国の正室は祐豊の娘だよね
いつの時代も、女性は強いからね
676人間七七四年:2013/10/23(水) 23:12:27.79 ID:3i+lN05R
豊国の父 豊定は祐豊の弟だね
きっと 出石で一緒に育ったよね 豊国と祐豊の娘も幼なじみだったかも
677人間七七四年:2013/10/25(金) 12:01:45.61 ID:Hkbv6k+f
山名庶子家生まれの祐豊は但馬守護家の養子になって山名氏を継いだけど
豊定は、その祐豊から因幡守護代を命じられて、因幡山名氏の継承者(山名誠通の遺児)の
養育をしてただけですね
実の兄弟でも、家の格が違います
祐豊は誠通本人だけの征伐を命じ、因幡守護家の血筋を残すよう命じたと記録にあります

そのほうが因幡山名氏の家臣団や因幡国人の賛同も得られやすいし国が安定するでしょうからね

守護代だから因幡守護(格)の山名誠通の遺児の家臣

大山名惣領の祐豊からすれば、山名氏一門の因幡山名氏の家来筆頭が豊定ってところかな
678人間七七四年:2013/10/26(土) 12:11:25.02 ID:Z0Wa3Vy/
ふーん
じゃあ祐豊の娘は但馬守護家からオトナリのくに因幡の守護代の家に降嫁したんだね
きっと嬉しくはなかったろうな
同じ守護家クラスの家に嫁ぎたかったんじゃない?
まあほかの姉妹たちも山名氏の家来の垣屋や田公に嫁いでるみたいだし同じだけどね
679山名祐豊:2013/10/26(土) 13:08:21.87 ID:KLIsaCgU
>>677 >>678 まるで 見て来たような迷?解説
大事な 娘を嫁がせ 縁戚関係を 強固したいからじゃ。
豊国殿は 大事な 娘婿殿だよ。
第三者が、 とやかく言うな !

特に 恒豊の 末裔と 称してる 者ども。
豊国殿の 恩を 忘れて・・・。
逆恨み シオッテ。
情けない。 育ちが、解る。
出自云々以前の問題じゃ。
清水流山名と ワシとは 無関係。
680人間七七四年:2013/10/27(日) 22:06:10.52 ID:9G4VOpKk
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

祐豊きどりの、書き込みか・・・これでも(大笑)

アホ杉やねっ!
681人間七七四年:2013/10/27(日) 22:16:56.17 ID:9G4VOpKk
>>679
おバカだね。
祐豊様の名前で書き込むなんて最低。

この破廉恥ものめが。
682人間七七四年:2013/10/27(日) 22:31:05.39 ID:9G4VOpKk
>>679
清水流山名をどう罵ろうと関係ないが
山名祐豊の名を子孫でもない者が勝手に使うな!
683山名祐豊:2013/10/28(月) 16:03:48.63 ID:Qit+Cy3J
ワシの血を継ぐ者は、たくさんおるぞ
684山名宗全:2013/10/28(月) 16:44:46.89 ID:Qit+Cy3J
いまに続く ワシの子ども達も、 ぎょうさんおるわい。
685人間七七四年:2013/10/28(月) 19:05:51.88 ID:/sFKYj0R
あほくさ
686人間七七四年:2013/10/29(火) 10:03:10.45 ID:qtRcQQbT
大人になれよ
687山名宗全:2013/10/29(火) 10:56:24.91 ID:KL/c9Der
たわけ者めが!
己れのしていることを、よく省みるのじゃ!
ワシは、子ども達のことを いつも心配しておるぞ。
688人間七七四年:2013/10/31(木) 13:22:03.94 ID:i0xqeS+p
>>679
清水山名氏は清水氏の分家なんで山名祐豊さんとは確かに系図上無関係だね。

八木氏や垣屋氏や田公氏や山名豊国とかの山名支流小家と姻戚関係を結んだのは、
逆に守護家と家臣達の強固な関係が薄れていたからなんじゃないの?。

自領をまとめるので勢いっぱいで、他の守護家と姻戚を結ぶどころじゃなかったとか。

江戸幕府に但馬守護の本物の山名家が登用されなかったのは惜しまれるね。
河内畠山家のように江戸幕府に、とりなしてくれる人物がいなかったみたいですね。
山名嫡流の山名堯政は、江戸時代初期に武将としてあったみたいだけど落ち目の豊臣家
の家臣じゃあ仕方ないね。
山名豊国は、因幡山名家でも但馬山名家でもない山名一族の一人から、立身出世して
名を成した。たいした人物だよ。
豊国のおかげで、山名の名字は、かろうじて残りました。
豊国自体は悪くないんだろうけどでも豊国の子孫は堯政達を、自らを高くみせるため、たしかにおとしめ過ぎですね。
没落はしたかもしれないけれど、かつての主人の家だし、嫡系なんだから
豊国の子孫は堯政達に敬意は示さないといけませんね。

清水氏には敬意は示さなくていいとおもいますけど。
689山名宗全:2013/10/31(木) 16:37:11.64 ID:VN36xTYR
皆、子ども達じゃ

豊臣織田の天下統一の前に 子ども達は必死で生き抜いたのじゃ
いまとは違う。兄弟姉妹とて、どこへ敗走したかわからなかったじゃろ
それがわかるのだから、近しいのじゃ
先祖や親戚のことを、わるく言うものではない
江戸幕府の命によること、歴史は変えられんのだぞ
何度も言うとるが、己れのしてきたことを 省みるのじゃ
690人間七七四年:2013/11/01(金) 09:29:04.03 ID:F9TDPddW
>>688
河内畠山は但馬山名の山名堯政と同じく豊臣家に仕えていて秀頼の近臣だったらしいけど

徳川家に仕えていた畠山一門や旧畠山家家臣たちに強く徳川家に強く取り成してもらって

徳川家に仕官できて高家になれたらしいね

但馬山名にも、そんな忠義な一門や家臣がいたら山名が高家になっていたのにね

残念でした

足利の畠山でさえ高家になれたのだから但馬山名は高家間違いなしだっただろうに
>>679
あなたのおっしゃるとおり清水山名は但馬山名末裔ではないですね
691山名宗全:2013/11/01(金) 11:06:52.05 ID:Lqe6onqm
何度も言うとるが、歴史は変えられんのじゃ
家康殿のお心次第だったからの 数百年も前のこと
そのことで先祖や、ましてや親戚、いまに続く子孫をわるく言うなどとは
大間違いじゃぞ。
その前に、先祖の墓参りでもしてやれ。
692人間七七四年:2013/11/01(金) 14:26:21.72 ID:SpvVbQXO
>>590
そうですね。清水や清水流山名は、なんか分かんない清和源氏の末裔だよね、但馬山名氏の子孫とはいえない。

村岡の山名家も、どうやら因幡守護代?クラスの山名の子孫みたいだし因幡守護の山名氏の末裔ではない。
よくある戦国の理屈で、他国から進入した勢力が被侵略国の一部を支配したって感じですね。
>>691風に言うと「家康殿の御ちからをもってしても歴史は変えられなかった」になる。
江戸時代が今でも続いていたら徳川家論が通用し続けていたかもだけど。
両方とも、但馬山名氏や因幡山名氏じゃないんだから、山名庶流末端どうし仲良くすればいいんじゃないですか。
693人間七七四年:2013/11/08(金) 22:06:33.44 ID:481vvoS6
そんなにWikipediaの記述が間違ってるって言いたいなら修正しろよ
694人間七七四年:2013/11/09(土) 08:02:36.54 ID:6jPuCHai
そんなこと言ったら細川はもっとアレだぞ
系図の端っこの方にいたけど最終的に大出世した細川藤孝なんかは養子な上に落胤説あったぐらいなのに
本家本流の昭元は京都から遠く離れた東国でなんとか食い繋いだってレベルだし
695人間七七四年:2013/11/19(火) 18:48:49.19 ID:CTRCTQwU
山名一族会の会合で紹介された聞いた旧日高町国府の赤木家家伝読んでみた。
但馬山名家終焉(第二次但馬進攻→有子山籠城→祐豊没)の際の水生城攻防戦や垣屋家分裂なんかは興味深かった。
改めて思ったけど、あの状態じゃどう足掻いても但馬山名家が残る道はなかったろうな…
有子山城籠城にしたって祐豊自身が自在に動かせたのが雑兵含めて実質400いないとか衝撃すぎた。
696人間七七四年:2013/11/20(水) 09:32:21.50 ID:bdzflEzt
>>695
水生城って国府駅北側にあった長楽寺城?
確か垣屋家の城だったような…
ただ最近あの城は国府盆地にあった「御館」の後詰めの城説あるな。
垣屋続成系の続誠の存在もあるし更なる研究調査が待たれる。
697人間七七四年:2013/11/26(火) 18:39:28.17 ID:2IvLoukw
家康ちゃんも村岡だなんて山奥じゃなく、山名縁の出石か豊国縁の岩美岩井に封じてあげたらよかったものを。
ってさすがに出石は無理か…
山名家伝によれば旧垣屋領だった気多郡南部・国分寺6100石(現日高町あたり?)の話が本多平八を通してあったみたいだけど何故村岡…
698人間七七四年:2013/11/28(木) 10:50:15.03 ID:gvLfwaCD
>>697
後に国許一門衆の三上氏、海老原氏にあてた書状によりゃ
「但馬国分寺(結果的に水上代官所管理の幕領)は金山(かなやま)、海老原、若林の金山管理の幕領や寺社領のおかげで飛び地だらけになるから嫌だー」
的な事が書いてあるから、山名家側が嫌った可能性がある。
つか初めは因幡国岩井に1万石(今の岩美町ほぼ全域)という話があったけど、これは豊国が蹴ってるね。
せめて先祖の何分の一かでいいから大身になりたい、とか言ってた割には大名になりたくなかったくさい。
下の息子や残留した垣屋なんかの高録の家臣は次々独立させてるから、結果的には1万石前後にはなるけど。
699人間七七四年:2013/12/06(金) 10:58:47.77 ID:ph4c4HuJ
豊国って岩井郡出身なのか
えらい端っこだな
700人間七七四年:2013/12/06(金) 20:58:03.26 ID:7EvLPqWU
>>699 は、日本語の読解力が、不自由な可哀想人。
701人間七七四年:2013/12/30(月) 14:07:08.96 ID:9TTYgrfW
いよいよ官兵衛大河に豊国でるね(だいぶ先だけど)
702人間七七四年:2014/01/04(土) 07:19:10.59 ID:3cazRAkX
>>698
国許一門は海老原でなく海老名氏では?
あと家康に「ご先祖の何分の一かでいいから太守に云々」は創作だったような。
岩井や但馬国分寺の他にも関ヶ原前に養父郡八木城を提示されてたね。
まぁ君の言うように中瀬に明延、生野の幕領や一宮寺社領があったから飛び地まみれが嫌だったってのも一因でしょうな。

>>699
因幡岩井はかつて豊国が拠点にしてた。
恩志川築堤や新田開発なんかで領民からは慕われてたくさい。
703人間七七四年:2014/01/06(月) 18:22:03.96 ID:lFYwKWfR
>>701
徳川家康のパシリとしての、なさけない役としてでしょ?
それが嬉しいんだね。
704人間七七四年:2014/01/06(月) 18:52:04.04 ID:lFYwKWfR
>>697>>698
山名豊国は、六分一殿但馬山名の嫡流筋じゃないらしいから出石は無理でしょ
松平の本家筋とは別次元の家格だと思うよ、この家。

豊国の子孫は高家の下の方と、交代寄合に列せられたらしいけど
それとて、高家並と大名並の旗本っていうことで徳川家から高家にも大名にもしてもらえなかった
っていうことの証でしかない。

徳川家と同じくらいのレベルの名門の新田氏一門かもしれないけれど
村岡領主山名自身が思うほど徳川幕府からは厚遇されてないね。

関が原の戦いの武功を創作しまくったのに残念だったよね。
>>702
領民の子孫から直接聞いたが、先祖は慕うどころか重税に苦しんでたらしい。
705人間七七四年:2014/01/07(火) 00:13:41.83 ID:DhOIbIdT
>>704 又々 清水流山名の 豊国ちゃん 叩き ネガキャンが 始まった?
706人間七七四年:2014/01/07(火) 04:55:19.67 ID:V/SSPJbK
>>698
垣屋氏って、豊国公の家の家臣ではなくて、但馬守護山名家の家臣だよね元々。
豊国公が独立させたって意味不明。
>>701
小寺赤松の一族と見られていた如水への使者として、山名一族の豊国公を使わしたのは
家康の悪趣味がでた感じ。
>>703
旗本は徳川家のパシリが仕事なんだから、あえて書かなくてもいいでしょ!。
武力としては戦力外なんだから、おつかいくらいしなくちゃ給料泥棒になっちゃうじゃん。
主家の山名氏が豊臣家に就いて没落したのにくらべ、豊国公が徳川家家臣として生き残った
のはスゴイことだと思うよ。八木氏と同じくらい。

織田豊臣時代を禄無し諸国流浪で耐え、徳川家に拾ってもらうまでしのいだ我慢強い人だね。
>>702
吉良上野介義央と同じように、領民からは慕われていたっぽいっていう意味ですね。
確かに但馬地方住人の山名氏にたいする思いは深いものがありますね。
>>704
出石藩に封じられてたら但馬の国持ち大名として高い格式を誇れたかもしれない。
707人間七七四年:2014/01/08(水) 22:54:54.95 ID:3YRYPP9t
>>706 流浪した豊国に従った者は 田結庄 宮田 垣屋 上野 三上 浅田 多賀
708人間七七四年:2014/01/09(木) 22:12:27.48 ID:rBgdgYbL
そもそも六分一たって、平安以前からの豪族赤松の本拠地や、
室町幕府成立時の功労者の京極の領地を掠めとっただけなんだから
一時的に領地があったってそりゃすぐに無くなりもするだろ
709人間七七四年:2014/01/10(金) 17:52:39.01 ID:wqURR8ec
>>702>>704
旧岩井町が現岩美町に合併になる際に発刊された
「岩井町史あゆみ」
に旧庄屋格の竹内家文書からの引用があるけど豊国の功績として
恩志川氾濫による災害時の城米放ち→築堤、銅山の開発、戦禍から逃れてきた鳥取職人衆の保護(これが後の温泉細工の隆盛に繋がったとか)なんかがある。
重税なんか一言もないがソース頼むわ。
710人間七七四年:2014/01/11(土) 10:45:38.14 ID:XAFLIU/G
六分一殿なのに、明徳の乱で5000しか動員できない山名www
711人間七七四年:2014/01/11(土) 16:59:10.88 ID:W6kVvjZJ
>>710
その程度だから六分の一殿になれたんだろ
712人間七七四年:2014/01/18(土) 16:15:45.78 ID:/9UWS7lz
>>710
室町時代の総動員数は3万人ぐらいか?
713人間七七四年:2014/01/25(土) 17:40:40.14 ID:0cYND3XS
山名氏政の孫を清水氏の養子にして山名氏嫡流の但馬守護家を絶えさせたんだね
せっかく江戸時代初期まで続いてたのに、もったいない
禄を与えて家臣にするとか客将扱いで面倒看る気はなかったんだろうか

父が大坂城ないで豊臣家臣として徳川の兵を殺し自らも死んでるんだから
最初から聞くまでもなく
徳川旗本の養子にする許可なんか出る訳がないだろうに

家臣としてなら此のような例でも、他の大名家や旗本家では召抱えれた事実が数多くある
たぶん自分ちより上位の家系を完全に消してしまいたかったんだろうな
計ったのが本当に例のひとだったとしてだけどね
714人間七七四年:2014/02/08(土) 11:10:03.29 ID:2LSTZyaG
山名豊国は、山名の名を近世に伝えたのだから名将のうちにはいる人物だと思うよ

竹田城の主にまでなったのだから、戦国武将としてナカナカノやり手だ

他の山名が没落していくなか、一流の武家として残ったのは豊国の家だけだ
715人間七七四年:2014/02/08(土) 20:37:00.04 ID:b/uI9zj5
織田信雄は、織田の名を近世に伝えたのだから名将のうちにはいる人物だと思うよ

小幡城の主にまでなったのだから、戦国武将としてナカナカノやり手だ

他の織田が没落していくなか、一流の武家として残ったのは信雄と有楽斎の家だけだ
716人間七七四年:2014/02/08(土) 20:53:47.77 ID:6lQpSHJR
実際その2人は結構なやり手だ
717人間七七四年:2014/02/09(日) 00:27:27.57 ID:KWumv03d
>>716
無能で人畜無害だから生き残れただけだろ。
中途半端に優秀だったら難癖つけられて殺されてた。
718人間七七四年:2014/02/14(金) 12:10:29.39 ID:VrqC0nN0
>>713>>714>>715
豊国って竹田城主になってたの?あの有名な兵庫県の竹田城?
竹田城の歴史を調べてみたけど一切載ってないんだけどなあ

ていうことは赤松氏の兵を打ち破って城主に納まってたっていうことか
凄い武略を持ってたんだね
なんで城無しで万石以下の石高しかなかった村岡に左遷されたの?

有能だったからかなあ
優秀だったから村岡の陣屋に替えられたんだね
719人間七七四年:2014/02/14(金) 15:31:10.15 ID:XfKN6Jf/
>>717
江戸時代の藩主は全員無能ばかりだと信じて疑わない口ぶりだな
無能だから人畜無害なんて話はない
720人間七七四年:2014/02/15(土) 11:04:01.96 ID:tNBWw+TN
有能な山名豊国を竹田藩主にそのまましておくと
たちまちのうちに鳥取藩や出石藩や豊岡藩を併合してしまい
巨大勢力となることを恐れた徳川家康が村岡領に移動させたんじゃないの?
721人間七七四年:2014/02/15(土) 18:10:43.71 ID:uLOLnbXP
>>717
豊国公が無能で人畜無害っていうこと?。
>>719
無能だけど人畜に害があったってこと?。
>>720
だいたい竹田城の一円の領主だったって本当?。竹田城の歴史に書いてないよ全く。
722人間七七四年:2014/02/16(日) 07:02:28.70 ID:kFtrKN15
いったい何と戦ってるんだ
723人間七七四年:2014/02/16(日) 16:11:41.43 ID:v/7PZy6B
>>719
社会が安定すればするほど、飛び抜けて優れた人材は不要になる。
偶に優秀過ぎる藩主が現れても、幕府や家臣にしてみれば有害な存在なので「狂気」を理由に改易される。
724人間七七四年:2014/02/17(月) 14:18:42.54 ID:MFHiJmp2
>>718>>721竹田城主と書いてあるのは家伝書だけみたいですよ。
山名豊国が因幡守護、兄、父までも因幡守護と書いてあるのも家伝書だけみたいです。
時代からすると守護は足利義輝か足利義晴が御判御教書でもって任命するはずです。

この時代、因幡で勢力を持っていたのは尼子氏なので、将軍は尼子氏を因幡守護に任じたと
思われます。

ちからのない土豪を守護に任じたら将軍といえども任命責任を問われますから。
725人間七七四年:2014/02/17(月) 23:14:26.86 ID:vpc7NEsE
>>713 >>718>>721>>724
清水山名の自演
豊国タタキ ウンザリ
726人間七七四年:2014/02/18(火) 12:23:20.82 ID:K7wKvzNG
>>725
反論できなくて自演認定は負け宣言と同じですよ
727人間七七四年:2014/02/18(火) 17:04:54.68 ID:klsIa9O+
>>726
清水山名の自演
何回も何回も自演
ウザイ

反論? 負け? 何と戦っているの?
自論展開したければ
2chで匿名でコソコソではなく、
名を名乗って然るべき所で正々堂々と

例え正論でもこの様なカキコは相手にされない
728人間七七四年:2014/02/18(火) 17:12:04.22 ID:klsIa9O+
>>726 >>727だが
恨むなら 尭熙 尭政親子を恨め!!
729塩沢かのん:2014/02/20(木) 17:24:08.72 ID:a3mCyyNJ
>>726
そうですね反論できなくての自演認定は負け宣言と同じですよね
私も文章で確かな文献名を挙げて反論するべきだと思いますよ


当事者の家の文献以外がこのましいですね
2chはそんなばしょでもあると思われます
視させてもらっていてたのしいです


>>727
正論のようにもおもうので私は相手にしたいかなとも思います


私は山名豊国さんは立派な戦国武将の一人として認めています
戦国時代を生き延びて上級旗本になるのはたいへんなことです
徳川家の兄の血筋の家柄に山名家はなるので山名名字を名乗る
者を江戸幕府は優遇したのではないでしょうか?
豊国さんも徳川家康を新田一族と公に認めたのだとおもいますから
持ちつ持たれつというやつでしょう
山名家と徳川家互いに家柄を認めあったのでしょうね
互いに名門の山名家と名門の得河家として

>>山名清水
関東では新田の本流の岩松家よりも岩松家の家臣の家筋で
徳川家の家来に早くになっていた横瀬家が高家として優遇
されてたみたいです


武家の浮沈は運です


堯煕 堯政さんも豊臣家の恩を忘れない気骨のある武将
だったのだとおもいます


どちらかといえば豊国さんの方が優秀だとおもいますが


私は山名一族の方は其々に素晴らしいとおもいます
730人間七七四年:2014/02/24(月) 11:59:13.38 ID:ePp+bCou
>>275>>277
公平に見ていて清水山名の意見も一理有る。
山名勝豊の子孫の山名誠通の家が正統な代々の因幡守護の家。
但馬守護の山名家の亜流庶家筋の人々達が因幡守護に任じられるものだろうか・・?。
山名豊国は山名堯煕らを実力で越えて、但馬守護の継承を将軍家に認められたんじゃねの。
731人間七七三年:2014/02/26(水) 16:54:02.36 ID:ZIQ+uIGH
そうだね。一理有りますね。

代々の因幡守護家の生まれではないし、兄も父も因幡守護家の遺児の養育係として
但馬守護家から因幡へ派遣された山名氏みたいだし、継承したってよく書いてるけど
継承したのは養育係をだよね?。

しかし山名氏政より豊国は能力があったのは確実だよ。
氏政は、おぼっちゃまの末っ子みたいだし実戦経験もほぼ無いんじゃない?。
豊国は、但馬から他の国である因幡へ来たある意味新参者の武士なのに
因幡の主要部で勢力を張るまでになった。小さいとはいえ戦国大名といえる。
他国で家を成長させたのは、確かに、なみなみならぬ実力者の証しだよ。
732人間七七四年:2014/02/27(木) 13:55:19.10 ID:/OgH0XPu
山名厨には悪いが・・・
因幡は毛利輝元の領国で山名元豊(豊国)は傘下の武将の一人
但馬は織田信長の領国で山名氏政は、信長家臣の羽柴秀吉との(但馬の)共同統治者
733人間七七四年:2014/02/27(木) 17:16:19.02 ID:obojVfkz
村岡の家伝てぜんぜん史実とちがうよねえ?やっぱし。
山名氏政は秀吉の家臣となって但馬出石郡の領地の替地として
因幡八頭郡を与えられ私部城の城主だった。羽柴家による鳥取城攻めに氏政は
私部城から出陣しているもの。
氏政は武将としてそこそこ使えたってことだよ。
734人間七七四年:2014/02/27(木) 23:05:16.92 ID:6Htc52cT
>>732 >>733
氏政は木偶の坊 実権は佑豊が握っていた

作 構成 演出 ひとりで 何役?
735人間七七四年:2014/02/28(金) 12:37:15.45 ID:JYkb0huU
>>734>>730
ウザイ
堯煕は木偶の坊ではないぞ
736人間七七四年        :2014/03/07(金) 02:57:36.82 ID:ql7rIRYv
猫バス(雪像)、こどもたちが喜んでました。
ありがとう。
>>731
養育係りの家の出、かもしんないけど
最終的に総本家の堯煕よりも上位の地位になったんだからいいじゃん。
戦国時代に出自なんか、あんま関係ないと思うし〜っ。

しかも村岡城を貰ってる。村岡は陣屋という格式だけど実際は城なんだよね。
山陰道を眼下に見下ろす要害。
福岡も七美郡の出入り口となる要衝の地。
6700石の兵でも、これらの山城で山陰道の通行を制せられたら山陰の大藩でも
かなり足止めできたはずだね。
737人間七七四年:2014/03/08(土) 22:48:57.81 ID:b5Q4BLNu
山名豊国の子孫が集うスレはここですか?
738人間七七四年:2014/03/09(日) 16:41:14.26 ID:5DaTFWN+
>>737 清水山名
ひとを落しめ 自分を持ち上げ様と 自演する
サモシイ 卑しい 根性の人が 住み着いた場所です

清水山名が住み着く以前は マトモだったが
住み着いて オワタスレ
739人間七七四年:2014/03/10(月) 11:56:32.66 ID:Wjyvvmls
あと豊国の話ししかしない基地外もいるな
740人間七七四年:2014/03/10(月) 23:18:12.04 ID:UrT8eou5
>>739
張本人ですね
下品な 内容から 清水山名
741人間七七四年:2014/03/11(火) 12:53:18.32 ID:8AaGStuV
>>740
はい釣れました
俺は清水山名とか知らねえんだよ
戦国前期の山名氏や備後や石見、美作の山名氏の話がしたいのに豊国の話ばっかする基地外がいるっつってんだよ
742人間七七四年:2014/03/13(木) 00:47:01.84 ID:MhCzYik1
>>741
それが、 清水山名だよ
743人間七七四年:2014/03/13(木) 12:01:30.60 ID:dz2bSWWg
>>742
スレの最初の方から読んでみたんだが豊国信者と豊国アンチが居るのは分かった
で、どっちが清水山名なんだ?それともどっちも豊国の話ばっかりするから二人で清水山名か?
744太田垣:2014/03/14(金) 11:30:25.44 ID:5IOENfWs
>>741
そうですよね。わたしも、そう思っていました。本来の
因幡の山名氏の話がしたいのに、その話ばっかりです(溜息)。
745人間七七四年:2014/03/14(金) 15:55:23.68 ID:mbnN8+bl
豊国は因幡山名と違う。
但馬山名の一門、
というか但馬山名の因幡侵攻の先兵としての役割が強い一族なので、
因幡地生えの武将とはとても言い難い。

ぶっちゃけ本物の因幡山名の話をしようよ。
746人間七七四年:2014/03/14(金) 16:15:22.47 ID:uZcJXYi5
>>744
はい釣れました 清水山名
豊国は 但馬山名の人
747人間七七四年:2014/03/15(土) 13:20:14.50 ID:Dh7c/RZ1
>>746
但馬山名の人の居城がなんで鳥取城なの?
748人間七七四年:2014/03/16(日) 02:27:53.02 ID:CdY7y77F
なんJから来たンゴwwwwwwww
よろしくニキ―wwwwwwwwwww
749人間七七四年:2014/03/16(日) 11:18:10.93 ID:kfluLq/O
伯耆山名は尼子にあっさりやられすぎだろ
750人間七七四年:2014/03/16(日) 11:27:12.96 ID:sKKfNzsU
>>747
嫡流の但馬守護家の人の居城じゃないからじゃねえの
但馬には土地を分け与えてもらえない程度の庶子家だからに決まってんだろ
751人間七七四年:2014/03/16(日) 15:09:05.11 ID:zMyrorkW
内部分裂激しすぎ
752人間七七四年:2014/03/17(月) 17:58:59.51 ID:g3MvNLFF
>>736
猫バス?なんのこっちゃ?
山陰の大藩て・・・毛利家とか池田家のことなんかいな
753人間七七四年:2014/06/25(水) 08:40:14.25 ID:ZGIkpQsr
>>745
因幡山名の嫡流は布施屋形でよろしいんでしょうか?
後に鳥取城主になる武田国信は布施屋形の被官ですよね?
754人間七七四年:2014/07/11(金) 16:02:19.63 ID:PBdXt7Di
カツエさんの代わりに、「アカネちゃん」はどうだろうか。
素敵な萌えキャラができそう。
755人間七七四年:2014/07/11(金) 16:30:03.94 ID:NrJY6y4O
山名豊国の子孫、山名豊就が江戸城内の警護隊長大番頭に就任したのは驚きだ
756人間七七四年:2014/07/20(日) 22:00:26.09 ID:CMHZx4oW
>>749
地理的に月山富田城から他国を伺うとすれば、真っ先に伯耆を狙うのではないだろうか
757人間七七四年:2014/07/24(木) 11:31:53.64 ID:ST7gz415
あの 織田信長が明智光秀に殺られた。。真相は光秀本人のみぞ知る。。
秀吉に引き継がれた戦国の世、
そして天下統一への深淵なる残忍残虐。。
758人間七七四年:2014/07/24(木) 21:35:42.42 ID:S/qAexcu
家臣から追放された流浪の四職・山名豊国だが、故地の因幡国内に6000石貰えただけでも有難いことで、増して寺社奉行や大番頭
759人間七七四年:2014/09/04(木) 18:17:27.63 ID:7jPCpSvf
一色との微妙な関係
760人間七七四年:2014/09/05(金) 12:28:13.72 ID:JZ7mGrjo
いうほど微妙か?
だいたい仲良い印象だが
761人間七七四年:2014/10/04(土) 20:36:51.89 ID:gOvdvQiW
赤松氏と山名氏、どっちが勝ったのか?
762人間七七四年:2015/02/14(土) 14:02:19.56 ID:wfGW6gg4
宗全入道に決まっておる
763人間七七四年:2015/02/14(土) 15:52:46.92 ID:Pf6twV3B
山名って戦国期丹後や丹波にも出兵してたんだな。最近知ったわ
特に丹波の一部は領国化してたんだな。明智にやられたが
764人間七七四年:2015/02/18(水) 20:53:36.22 ID:7njAmZBf
山名氏政はナカナカの戦国大名であった。
明智光秀は当初山名氏政のチカラを借りて丹波に攻め込み丹波平定
しようとしたが大坂の本願寺攻めに織田信長から呼び戻されたという
経緯がある。
但馬山名氏は滅んだと低いレベルの史書には記述してあるが、信用の
おける書物には但馬因幡播磨の領主になった羽柴氏に仕えることにより
生き延びて豊臣氏直臣として家系をつないだと説明してある。
765人間七七四年:2015/02/19(木) 14:21:31.71 ID:1/ZtOgDM
>>763
福知山市夜久野地方のことかな?
山名氏政は因幡山名氏の支族(磯部山名家)の山名豊直に確かにこの地
を治めさせて統治していたね

豊直じゃなく康氏って書いてるものもありますね

祐豊 氏政は山名氏惣領として因幡山名氏本家の若者達もまた大切に育
てて因幡山名家の存続を保護していたようですね

他の家の存続を考える・・・惣領らしい惣領、真の惣領家のすがたです
766人間七七四年:2015/02/21(土) 10:00:55.80 ID:NvxjXrAD
>>765
福知山市大江地方のことかもですよ。
伯耆山名氏の支族(有道山名家)が福知山市北部の由良川河畔の有路
を本貫地にして京都の足利将軍家に仕えていたらしいです。
将軍家の近習の家柄だったので当主が在国していたかどうかは分かり
ませんが。
>>764
山名氏政の系統の山名氏嫡流は、滅んだように書いてあることが多い
ですが、大ウソですよね。
織田期にも因幡に領地が替わっても武家として残っているし、豊臣期
にも摂津に領地が替わっても武家として残っています。
比較的優秀な家臣団も持っていて、旗本級の武家としては有能だった
から残れたのではないでしょうか。
767人間七七四年:2015/02/23(月) 09:48:28.57 ID:pHyBxiTT
丹後。
福知山市大江町は丹波じゃなく丹後!。

石見(美作)。
有道山名は石見(美作)山名氏の支族。

まあ〜丹波も丹後も元は山名が守護だった国だから庶流多し。
一色守護下の丹後でも、山名庶家達は変わらず健在であった。
768人間七七四年:2015/02/23(月) 13:43:32.75 ID:KVtPa5ft
>>767
丹後の山名庶家教えてください
丹後の豪族や国人ってググってもほとんど出てこないんよね
769人間七七四年:2015/02/24(火) 19:38:44.61 ID:4lkW2GHB
>>767
山名満幸は丹後守護、山名氏清は丹波守護だったからその子孫?
奉公衆?の鹿野山名氏は丹後に本領があったと聞いたことあるけど

丹波の山名庶家は相当数あると聞いてる
山名氏清の御威光かな
丹後の有道氏は丹後を追われたあと山名氏政の家臣となって転封に
付いていったらしいね?
770人間七七四年:2015/02/24(火) 21:22:00.72 ID:UrYSXU9v
ビッ●カメラ札幌店

副店長、佐藤伸弦が暴行事件を起こしていました。
771人間七七四年:2015/02/25(水) 10:08:48.96 ID:Zj79rz4S
丹後加佐郡有道郷を給され幕府に仕えた山名氏があった!。
戦国時代になると有道城などを築き永らく勢力を維持していた!。
丹後国人の矢野氏が勢力を増して有道郷に侵入してきたが山名祐豊
山名氏政の助力を得て撃退。
この縁により有道を没収されたのちに有道山名氏は宗家に仕えた!。
因幡時代の氏政の家臣に有道氏、摂津時代の氏政の家臣に有路氏がある。
772人間七七四年:2015/02/26(木) 12:57:13.07 ID:MjFTjv9S
>>769山名満幸の直接の後裔というわけではないが「出雲山名氏」
というのがあるらしい
なんでも出雲守護山名満幸の守護代をつとめていた実弟の山名氏綱(満綱)の子孫らしい
馬来氏と名乗って京極氏や尼子氏の重臣となって生きながらえたらしい
近世は毛利家の家臣となったらしい
773人間七七四年:2015/02/27(金) 00:35:06.18 ID:TMBwaOvy
備後守護代に
犬橋山名と宮田山名
があるろー
774人間七七四年:2015/03/05(木) 11:01:37.39 ID:S51RZdx6
丹後の一色満信とおなじく
但馬の山名氏政は、足利義昭を奉じて上洛した織田信長から
軍事協力と上洛を依頼された記録がある

北近畿では有力な武将として信長からも認知されてたんだな
山名氏政はその後羽柴の与力の武将になったみたいだが
豊臣政権下でもそこそこの武家として生き残っていたみたいだ
775人間七七四年:2015/03/05(木) 13:01:59.48 ID:S51RZdx6
一色満信(義定)は長岡藤孝に暗殺されて滅んだけど、
山名氏政は羽柴秀吉の家臣化を完全に遂げられたから残れたんだよ
山名氏政は案外めさきのきく有能な人物だったのかも
776人間七七四年
同じ四職でも信長直臣の一色氏と、秀吉家臣信長から見ると陪臣の山名氏か