1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 20:49:06 ID:M4dBxHLD
実際、暗殺とかやっていたのかな
実質傭兵団だよね。
組織的大規模強盗集団
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 13:28:48 ID:k+QE7e5u
実際は強盗に毛がはえたようなもの
半蔵殿の働きあるのに伊賀衆は同心、甲賀衆が与力並みなのがわからぬ。
この扱いの違いは誰の知恵ぢゃ?
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 01:02:51 ID:/G43enYH
【甲賀五十三家 @】
山中氏……柏木三家
伴 氏……柏木三家
美濃部氏…柏木三家
黒川氏……北山九家
頓宮氏……北山九家
大野氏……北山九家
岩室氏……北山九家
芥川氏……北山九家
隠岐氏……北山九家
佐治氏……北山九家
神保氏……北山九家
大河原氏…北山九家
大原氏……南山六家
和田氏……南山六家
上野氏……南山六家
高峰氏……南山六家
池田氏……南山六家
多喜氏……南山六家
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 01:03:23 ID:/G43enYH
【甲賀五十三家 A】
鵜飼氏……荘内三家
内貴氏……荘内三家
服部氏……荘内三家
小泉氏 倉治氏 夏見氏 杉谷氏 針氏 小川氏 大久保氏 上田氏 野田氏
岩根氏 新城氏 青木氏 宮島氏 杉山氏 葛城氏 三雲氏 望月氏 牧村氏
八田氏 高野氏 上山氏 高山氏 守田氏 嶬峨氏 鳥居氏 平子氏 多羅尾氏
土山氏 山上氏 饗庭氏 長野氏 中山氏
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 03:04:39 ID:sUbnmtqA
>>4 足利と六角と甲賀衆でしょ?中央の諜報機関か治安警察みたいな印象
あるけど。信長も甲賀衆は用いてなかった?強盗なわけなくない?
徳川で落ちぶれてからは知らんが。
なぜ足利、六角と甲賀衆を同列に置く?
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 18:37:44 ID:sUbnmtqA
>>9 同列に置くわけではないけど、そもそも彼らの配下なんでしょ?甲賀衆って。
海賊の村上も九鬼も、
毛利と織田の配下だよ。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 00:38:11 ID:AeebkJ5u
忍者による城攻めは実在したのか?
甲賀、伊賀では無いと思うが、
島原の乱時、細川家の忍びが忍びの実態曝け出してるけどな。
>>8 > 足利と六角と甲賀衆でしょ?中央の諜報機関か治安警察みたいな印象
諜報機関的活動は主に南朝方が使っていたが
高野山。
伊賀、甲賀もやって無かったとは言い難いが。
治安警察は(そんな秘密警察見たいな物があるなら)
六角ではなく四職(京極、山名、赤松、一色)の下になる。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 14:23:09 ID:HPo1UOz5
甲賀忍者にはなぜ著名な忍者が輩出しなかったのか。
忍びで名が売れるのも、どうかと思うけどね。
集団で動くからじゃないの?
伊賀は三家を頂点とした、ピラミット型の支配体制。
甲賀はそれぞれの家ごとの独立体制。
だから組織的に大規模に動ける伊賀は、
その指揮官として、名前がどうしても出るんじゃない?
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 22:06:26 ID:GNV63mEE
秀吉は甲賀忍者を嫌っていたとしか思えない。
「梟の城」の中で司馬遼太郎は伊賀忍者に秀吉を狙わせ甲賀忍者を守備側に配しているが、
本当に秀吉が狙いたかったのは甲賀忍者だと思われるくらいである。
秀吉は天正十三年には甲賀の中心水口に明らかに甲賀忍者の監視役と思われる中村一氏を送り込んで、
甲賀にはじめての織豊系の石垣作りの本格的な城を築かせており、甲賀忍者の締め付けを図っている。
さらに雑賀攻めに際しては、甲賀武士に最も過酷と思われる水攻用堤防工事を命じ、
その工事遅れを理由に当時最も有力であった山中氏ほかの有力甲賀武士を次々と取り潰している。(これを地元では「甲賀破却」と言ってるらしい)
水口はただ単に交通の要所だからじゃないの?
中村が築城したわけではないし(大規模改修はしたが、もともと城はあった)、
それに完成するのは江戸幕府になってからだし(中村が国替えになっても、絶えず次の領主がその事業を引き継いだ)
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 17:55:55 ID:ZV58xkq1
家康は逆に甲賀衆と密接な関係を築いているね。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:01:02 ID:TOfKt/Mw
六角高頼が幕府軍大軍を相手に、二人の将軍、二度にわたる戦国大名集合に耐え戦い抜いたのは
伊賀・甲賀忍者のおかげである。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 02:05:02 ID:e01Hg6av
>>23 > 六角高頼が幕府軍大軍を相手に、二人の将軍、二度にわたる戦国大名集合に耐え戦い抜いたのは
> 伊賀・甲賀忍者のおかげである。
断定してるトコロがステキ!
あぼーん
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 21:23:54 ID:HOqz1wlt
手裏剣はどんな時に使われたのですか?
漫画や小説の忍者と実際の忍者は随分違うようですし。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 04:59:53 ID:zb2GuJkF
将軍用避難シェルターとしては、甲賀伊賀と朽木ではどちらの方が
信頼度が高いのだろうか
朽木
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 00:19:38 ID:XmsMv43/
和田惟政は忍者?
ニンニン
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 13:15:56 ID:AEwiLMBE
あげ
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 02:53:48 ID:L12ARF3w
伊賀衆は服部さん、百地さん、藤林さんの三家を頂点としてますね。
また中忍には伊賀崎道順や城戸弥左衛門など名前を残した忍びがいますよ。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 14:16:28 ID:WyuHws+e
甲賀にはサスケがいますがな。
藤林に有名どころは?
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 20:58:24 ID:FhAND6an
あげ
36 :
甲賀流:2006/12/13(水) 15:38:50 ID:Ty1B3MBU
甲賀53家 人(氏)じゃなくて集団(集落)の呼び名?甲賀地方の地図見たら面白い!
昔は 何たら村のどら衛門とか呼んでたし!
37 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 03:44:44 ID:77UMryXA
石川ゴエモン
38 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 17:02:51 ID:G05TiGzS
ようやく平成19年になりました
>>34 藤林長門守かな
ちなみに百地三太夫の戒名が『本覚了誓』、藤林長門守の戒名が『本覚深誓』と一字違い
伊賀地方では血縁でない限り、ありえない戒名
この二人は兄弟であったか、実は同一人物であったか
藤林一家は紀州流を称して萬川集海を書いたんじゃね?
41 :
影:2007/01/26(金) 23:47:44 ID:6+DZnCsb
今甲賀の派閥はまだ動かせるか?
伊賀服部氏は当初は足利将軍家に使えてたが、
故あって三河に流れて松平氏に使えたと聞いたが本当?
43 :
名無し:2007/02/10(土) 20:28:55 ID:J5lRtZwR
忍者はそれほど強かったとは思えない
戦いのプロである侍の方がまともに戦えば絶対強かったと思う
44 :
人間七七四年:2007/03/13(火) 19:53:34 ID:H6IFKeay
織田信長の軍勢により大虐殺を受けた伊賀忍者衆が江戸時代、
無足人という名のもとに下級武士に組み込まれる。
45 :
人間七七四年:2007/03/31(土) 22:51:07 ID:a8SMGOUS
46 :
人間七七四年:2007/05/06(日) 00:42:38 ID:ASY6ZRTh
47 :
人間七七四年:2007/05/09(水) 15:46:21 ID:Lh1wjHCV
>>43 一応、小説でもなんでも達人クラスの剣士には幻し惑しも死角からの飛び道具も効かないことに
なっております。
48 :
人間七七四年:2007/06/25(月) 22:06:28 ID:vuOQbddd
>>43 甲賀とかは正攻法で戦って勝てない相手に勝ってるわけで…
正面斬って戦わせても意味無いだろ。
49 :
人間七七四年:2007/06/26(火) 04:57:07 ID:yFMrQBud
50 :
人間七七四年:2007/07/30(月) 07:02:14 ID:cGWEWXjo
伊賀とか貧しい小国なのに、どうやって生計を立ててたんだろ?
51 :
人間七七四年:2007/08/28(火) 11:34:27 ID:VaWe3IRL
六角さんを匿ったのは甲賀だっけ。
>>50 自給自足w
52 :
人間七七四年:2007/09/02(日) 06:23:06 ID:u94EYNLS
>>50 普通に農業や商工業では?
都も近いことだし。
53 :
人間七七四年:2007/09/15(土) 22:44:07 ID:PRkZMV7e
でしょうね。
54 :
人間七七四年:2007/09/18(火) 18:37:10 ID:Xyuh//n2
行ってみたら意外と広かったね伊賀上野。街道の要所だし。
山地を抜けていくといきなり視界が開ける感じ。それなりの国力も有ったんじゃない?
ただ、服部川の水害の碑とかも有ったから農業収入は安定していなかったかもな。
元は琵琶湖だろあのへんの平地は?
55 :
人間七七四年:2007/09/26(水) 04:18:59 ID:4MxDBs5h
東大寺の荘園だよね、多くが。
56 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 20:18:04 ID:1JyP2kSH
そういや、戦国以前には伊賀に守護大名はいなかったの?
57 :
人間七七四年:2007/10/08(月) 22:22:13 ID:SIYRvKXr
水戸黄門の飛猿は「その道連れは伊賀の国、山また山の山里を、見下ろす山は忍びの里と〜」
なんて名乗ってたら忍者だってばれてしまうんじゃないか。
58 :
人間七七四年:2007/10/10(水) 01:45:40 ID:J3v1Ketc
「国人」と「地侍」は全然違うんだけどね。
59 :
人間七七四年:2007/10/11(木) 03:40:04 ID:7wH6b8ST
60 :
人間七七四年:2007/10/12(金) 21:31:56 ID:3gTDamhV
コロッケは陰陽師だった
61 :
人間七七四年:2007/10/18(木) 02:54:11 ID:KhUdDm7Q
62 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 13:05:45 ID:jmqfbEgR
半蔵正成が実際に統率してた伊賀同心て江戸以前は何やってた連中なの?
63 :
人間七七四年:2007/10/19(金) 14:49:49 ID:g/tbUtcZ
ふつうに物見だったのではないかな?
64 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 21:02:06 ID:ool6fj+q
65 :
人間七七四年:2007/10/20(土) 22:52:12 ID:KT9jlTwS
諜報活動とかするわけじゃなく普通の武士と変わらなかったのかな
66 :
人間七七四年:2007/10/22(月) 03:20:45 ID:G6oXl52q
>>65 国内での豪族間の話じゃないの?
伊賀国内ですら六角派、仁木派、北畠派、独立派に割拠していたわけで。
67 :
人間七七四年:2007/10/23(火) 21:53:51 ID:ecR+RGdv
68 :
人間七七四年:2007/10/26(金) 22:12:42 ID:Yls4GbIH
高倉神社【たかくら】(三重県伊賀市西高倉)
本社祭神
高倉下命【たかくらじのみこと】
倭得玉彦命【やまとえたまひこのみこと】
境内看板
高倉神社略記
祭神 高倉下命【たかくらじのみこと】
神武天皇東征の功神にして倉庫守護 延命長寿の霊験あり 七代の孫 倭得玉彦命この地に
移り住んで祖神を祀るを最初とする 東、西高倉地区の氏神なり
創建は古く垂仁天皇のころと伝え貞観三年(八六一年)従五位下の神階をうけ 国史見在社で
あります
現社殿は 天正二年(一五七四年)に伊賀国守護職仁木長政の造営
一間社流造りで桧皮葺の本殿を中央に右に八幡社 左に春日社と三社信仰を今に伝える古社
日本最古の補陀落寺町石の補陀落寺は 当社の別当寺であります
ttp://www.geocities.jp/miniuzi0502/near-j/takakkura.htm
69 :
人間七七四年:2007/10/28(日) 22:26:44 ID:KLlZDbs4
>>68 >伊賀国守護職仁木長政
仁木義視と同一人物?
--------------------------------------------------------------------------------
仁木義視(にき よしみ) ????〜????
○友梅
伊賀守護として、1571年織田信長の支援を受け、伊賀に入国。
しかし、国内に割拠する土豪をまとめきれずに、その反抗に遭い、1578年伊賀を追放され
甲賀に逃れた。
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/sn-dos/sengoku/l_ni.htm --------------------------------------------------------------------------------
70 :
人間七七四年:2007/10/29(月) 06:18:08 ID:6B1zTdfJ
信長の家臣団には「長政」の名があるね。
71 :
人間七七四年:2007/11/01(木) 06:16:15 ID:feGrzqCf
前々からの謎。
資料とか無いのかな?
72 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 01:36:44 ID:ih3i+fLd
仁木 長政 (にき ながまさ)
生没年不詳。
入道号友梅。いの「長政」は、「高倉神社棟礼」による。
伊賀の国中に威を振るい、阿べ郡・山田郡あたりを支配していたらしい(勢州軍記)。
永禄十二年(1569)七月、信長の北畠攻めに先んじ、滝川一益を介して信長に降る(新津秀三朗氏文書)。
次第に伊賀において力を失ったか。
伊賀国衆の一揆を押さえ切れず、伊賀は信長の手を離れる。
天正九年(1581)九月の信雄による伊賀攻めにより、伊賀はようやく信長の下に属した。
同十年六月、本能寺の変直後後に、伊賀で一揆が蜂起すると、これに対抗。。
早飛脚を立てて信雄に注進し、加勢を求めた(勢州軍記)。
73 :
人間七七四年:2007/11/04(日) 03:42:17 ID:s4Q+VV19
>>55 「悪党」と言われる連中が出現するまでは。
それ以後は惣村を支配する地侍がウジャウジャと乱立。
74 :
人間七七四年:2007/11/23(金) 19:55:38 ID:gz72uqxd
楠木正成とか?
75 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 16:13:25 ID:u7tQ8pSx
赤目対黒邪気
76 :
人間七七四年:2007/11/24(土) 16:16:47 ID:1n1/a2/g
ケムマキ家は?
77 :
人間七七四年:2007/11/26(月) 12:12:40 ID:9PeFD/4G
服部家は近衛家から分派したんだっけ?
78 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 21:32:03 ID:Ndu54Svm
伊賀つばがくれって創作?
79 :
人間七七四年:2007/12/12(水) 06:15:38 ID:VLdP5bQ5
80 :
人間七七四年:2007/12/24(月) 00:28:44 ID:7BFi+dPx
>>77 服部氏は「はとりべ」と読むらしく、秦氏の流れをくむ渡来人らしいけどね。
81 :
人間七七四年:2008/01/06(日) 19:23:05 ID:I3fcRx50
服部半蔵は忍者じゃないでしょ?
82 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 00:16:58 ID:JDOVgzSt
果信居士は?
83 :
人間七七四年:2008/01/11(金) 08:38:37 ID:BVfJZro/
>>82 誤字はともかく、ありゃ妖術師の類でしょ。
84 :
人間七七四年:2008/01/14(月) 12:15:50 ID:Gep1zv8q
>>81 忍者を配下に持つ者が必ずしも忍者である必要はないでしょ。
山岡道阿弥なんかも甲賀衆を抱えたけど忍者ではないし。
85 :
人間七七四年:2008/01/28(月) 02:43:30 ID:zB54yMYU
●山岡一族、近世へ
ところで、戦国末期の山岡氏に関して、諸系図によって人名が一定しないが惣領が景隆で
あったことは共通している。
景隆には景佐・景猶・景友らの弟があり、景友は園城寺光浄院の僧侶であったが還俗、
元亀三年(1572)、足利義昭から山城半国の守護に補任され、山岡道阿弥の名が知られる。
天正元年(1573)義昭が信長に反旗を翻すと、西近江で呼応し、近江の一向一揆を糾合し
て石山・今堅田に城郭を築いて呼応したが、あえなく落城、明智光秀の軍に降伏したようだ。
天正十二年(1584)、道阿弥は織田信雄に属して伊勢峯城に拠って秀吉と戦った。
のち、豊臣秀吉に仕えて御伽衆となり、関ヶ原の合戦では家康に随従して、北伊勢の諸城
を接収した。
戦後、その功で戦後近江に九千石を与えられ、慶長八年(1603)には常陸古渡一万石を領
する大名に出世した。
(以後略)
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/yamao_k.html
86 :
人間七七四年:2008/02/07(木) 22:58:46 ID:Stp6E0BB
やっぱり仁木氏でしょう。
87 :
人間七七四年:2008/02/14(木) 18:56:27 ID:p0kzpFr9
88 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 14:10:57 ID:P50WpQ86
守護というより在地の一領主だよね。
89 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 14:18:44 ID:IaJB1n9M
旗本に仁木家があったけど、綱吉が将軍に就任した際に
館林藩士から取り立てられた家柄。
伊賀仁木氏と関係があるかは不明。
90 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 04:35:17 ID:1l6EeZqh
館林の仁木氏ということは榊原氏の絡みでしょう。
榊原氏は仁木氏に系図を繋げているので。
91 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 18:22:27 ID:KQuhXRqb
>>90 ということはご本家さんはどこに行っちゃったんでしょうね?
現地に資料は残っているのかな。
92 :
人間七七四年:2008/04/08(火) 16:20:46 ID:zviEJtsc
93 :
人間七七四年:2008/04/29(火) 12:55:19 ID:lH/0zlc8
やはり百地丹波
94 :
人間七七四年:2008/05/08(木) 23:51:07 ID:oSVt6eTO
伊賀の亀井家の御子息をどなたかご存じないですかねー
すごく大きな館みたいな家だったらしいんだけど・・
昭和30年ぐらいから消息がわからないのですが・・ 古い話です。
亀井家には辻本家(これも大きかったらしい)に嫁入りした
辻本薫子夫人という方がいらして、御子息は亀井義明を名乗ったお聞きしてますが・・
もう、居られないかな。相当なお歳だろうし、なんでも豊臣氏からの縁者だったそう。
お役所の中にそのようなことが判るところがありますかねー。
亀井・辻本ともに伊賀地方の名士・有力者が多い名ですね。
名張市長も亀井さまだし、確か辻本という名もお歴々のなかにあったと
記憶しますが・・
本家は阿保大字羽根と聞きましたが、尋ね当たりません。
別の場所かもしれません。亀井さんの縁者さん、知人の方ご存じないかなー。
場違いですみません。
95 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 17:17:00 ID:yKID1kYE
知らんっての。
96 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 12:21:22 ID:UVJCm6AX
やはり風魔が最強。
97 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 16:04:52 ID:+FYAIIOb
やはり秋葉流
98 :
人間七七四年:2008/06/09(月) 16:31:14 ID:h1YinmG+
足利義尚の六角攻めのとき、甲賀の忍者軍団が将軍の陣を襲ったそうですね。
99 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 00:39:44 ID:KLEKcvjl
>>98 その時の傷が結果的に死期を早めたなんて説もあるけどどうなんだろ?
100 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 00:44:33 ID:0xVOOJrr
101 :
人間七七四年:2008/06/16(月) 12:33:04 ID:AAzJSweH
荒淫が原因じゃないの?
102 :
人間七七四年:2008/06/16(月) 12:41:22 ID:6egX5DNI
秀吉による惣国一揆の解体と地侍の追放で、大量に出た伊賀甲賀の浪人の多くが
後に大阪の陣で豊臣方として大阪城に入っているのはいろいろ面白い。
103 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 01:54:46 ID:NxQqKpgv
結果を知っている側からすると「何故、豊臣方に?」という目線で見てしまうけど、
浪人衆の数が、腐っても豊臣家という風潮を物語っている。
104 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 02:01:03 ID:cA0x6aWy
>>103 つーか、伊賀甲賀の連中なんてかつて討ち取った豊臣家からすれば潜在的敵対者以外の何者でもないだろw
実際大阪の陣の期間を通して、大阪城の内情は徳川方に筒抜けだったらしいし。それにはこういう連中の働きも
かなりあったんじゃなかろうか?
105 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 02:35:31 ID:mJEyKVK5
三重県では服部さんとか柘植さんってよく聞く苗字だよ。
珍しいとこでは百地さんも同級生にいた・・・
同級生の柘植さん(二人)はみんなに山賊wって呼ばれていたwww
あと伊賀地方出身者(在住者)を山賊の末裔とか子孫って呼ぶ人(高齢者)が多いかな・・・
106 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 22:26:52 ID:sbkjU1oS
>>104 しかし、敵味方言ってられないほど困窮していた下っ端もいるでしょ。
都なんかでも「ひょっとしたら大坂方が勝つかも」なんて噂が流れるほどだったし、
恩賞にありつこうという連中がいてもおかしくない。
107 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 15:53:04 ID:ZknS5CwN
勝った時のリターンを考えて形勢不利な側につく一山的なのが多かったんじゃね?
108 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 04:10:01 ID:S8rEVCU+
結果を知っている側からすればハイリスクに映るんだろうけど、
当時は徳川政権だってまだ盤石ではなかったのでは?
109 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 12:12:13 ID:9H4fJ14t
>>108 冬の陣まではそう言う妄想が出来たとしても、夏の陣にいたっては。
110 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 17:20:19 ID:Y6FBX2O4
>>109 でも、浪人は大坂しか居場所無かったよね。
だから抗戦を唱えてたんだろうし。
111 :
人間七七四年:2008/07/02(水) 18:35:19 ID:9xMeYvov
夢見る少女だったんだよ>浪人たち
一発逆転できれば俺も大名だぜ!と妄想してるような奴らだから浪人だったんだね
112 :
人間七七四年:2008/07/03(木) 03:13:16 ID:GLym0Sgv
>>111 ま、徳川に与したところでどこぞの大名家に仕官できるわけでもないし。
武士なんて既に飽和状態だったわけで。
113 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 05:22:18 ID:LXto4UcS
>>112 結局、彼らの末路はどんなものだったんだろうか?
114 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 15:15:09 ID:AlKY6CLr
>>113 在地に戻って帰農するか、都市に出て商工業者になるか、徳川の時代になって猛烈に推し進められた
開墾事業(50年で東海道の沿岸地域は地形が変わったそうな)に参加するか。
115 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 02:08:12 ID:8wtz8bSa
ま、それが順当でしょうね。
116 :
人間七七四年:2008/08/08(金) 14:01:02 ID:BX22Bbrz
117 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 17:42:17 ID:El3kx9KP
>>116 チョンの言うことは万事が「嘘」ですから。
118 :
人間七七四年:2008/08/27(水) 15:24:21 ID:H21+eIYP
age
119 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 14:35:12 ID:D5oAPjQx
まさに偽伝令w
120 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 19:31:23 ID:cskoEvRg
やはり義経流
121 :
人間七七四年:2008/09/15(月) 18:05:23 ID:UB3AVUgq
122 :
人間七七四年:2008/09/19(金) 19:34:01 ID:LS7TnCBc
>>114 甲賀衆の中には製薬業などに転身した者もいますね。
123 :
人間七七四年:2008/09/19(金) 20:04:40 ID:3vafLjj0
御近所同士仲の良かった伊賀と甲賀。
講談や小説などで、あたかもライバル、酷いのになると不倶戴天の敵であったかのように描かれるのは
どういう理由からなんだろ?
124 :
人間七七四年:2008/09/19(金) 20:58:40 ID:uyGK8xFr
125 :
人間七七四年:2008/09/20(土) 16:06:33 ID:qot11TNd
>>123 天正伊賀の乱において甲賀衆や、一部の伊賀衆が織田軍の先鋒を務めた
経緯があるからでしょう。
126 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 03:35:04 ID:nCR+AyEC
柘植や福地か。
対立と言えば、家康の伊賀越えでは伊賀衆同士が親家康、反家康に分かれているね。
127 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 07:44:44 ID:IWXXs9UV
128 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 05:55:54 ID:ByVI+pDC
>>126 そりゃ信長の同盟者だものね。
恨みを抱いている勢力がいたっておかしくはない。
落ち武者狩りというよりはそっちでしょ、家康が恐れていたのは。
129 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 20:55:39 ID:VDXFjHn8
130 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 11:22:08 ID:/p88S2Je
>>128 最大の功労者を服部半蔵とする説もあれば、茶屋四郎次郎とする説もありますね。
結局、どちらなのでしょうか。
131 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 11:39:55 ID:/o7fKIwi
結局は、家康の有能な主力武将が揃っていた事による、その場その場での状況判断の的確さと
ある程度の落ち武者狩りくらいなら跳ね返せる戦闘力が、伊賀越えを成功させた一番の要因だと思うよ。
132 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 13:07:26 ID:dCtDM6Lp
>>131 俄か従者になってくれた地侍たちの功績も認めてやらんと。
133 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 00:33:16 ID:RuVhJhZU
134 :
人間七七四年:2008/10/15(水) 00:41:09 ID:KByeIURS
赤影が最強!
135 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 09:13:49 ID:e6UY54EV
山岡道阿弥って後年、甲賀衆の知行込みで九千石を与えられているね。
でも、出自の点でも服部半蔵ほど忍びと関係が深いようには思えない。
何で甲賀衆を統率するようになったんだろ?
136 :
人間七七四年:2008/10/25(土) 18:48:58 ID:q/NBlruc
甲賀・伴氏の支流
137 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 06:41:21 ID:J/vThTRJ
支流で統率できるものなんですかね?
138 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 01:00:02 ID:hMjMpQ8z
支流云々よりも、実権を握っていたのが誰か?のほうが問題じゃないのかな。
139 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 23:38:43 ID:x6Je5ok7
140 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 21:54:51 ID:7SgAF5ZP
甲賀の方が勢力が乱立していたよね。
141 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 23:28:09 ID:N81C4NWc
水口には忍者はいなかったの??
142 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 03:51:18 ID:0vIZayDF
143 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 13:17:36 ID:ejflab0z
>>142 だな。
だから伏見城攻めの時に人質が取れた。
144 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 17:17:52 ID:1pqaF6yv
黒党まつり:敢国神社で忍術演武を奉納−−伊賀 /三重
伊賀市一之宮の敢国神社(太郎館学宮司)で23日、忍術などを奉納する黒党(くろんど)
まつりが開かれた。黒装束の忍者集団が忍術演武を披露し、祭りを盛り上げた。
黒党まつりは、伊賀服部一族の私的な祭りだったと伝えられており、95年に約450年
ぶりに復活した。
この日、伊賀流忍者集団「黒党」(黒井宏光代表)が、縄を使った生け捕り術や、鎖がま
を使った武術を披露。境内には、熱心にカメラを構える参拝客の姿が目立った。
黒党まつりに先だって、同神社の新嘗(にいなめ)祭もあり、地元の小学生2人が舞を
奉納するなどして、秋の豊作に感謝した。【金森崇之】
〔伊賀版〕
毎日新聞 2008年11月24日 地方版
ttp://mainichi.jp/area/mie/news/20081124ddlk24040136000c.html
145 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 02:02:38 ID:026bTT0+
ほとんどは江戸時代に出来上がったものでしょ?
146 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 01:55:54 ID:SS6ed8tx
>>145 しかし、伊賀・甲賀衆で江戸期に出世した奴っていないよね。
147 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 18:52:38 ID:QVJN6mSe
148 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 21:08:37 ID:pUk/uFcx
>>146 戦国に片足突っ込んでる感はあるが、そういう意味ではご近所だけど
幕府大目付まで出世した柳生宗矩が代表になるんじゃね?
149 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 03:48:47 ID:IX8EQfGs
150 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 06:52:18 ID:En/YMAf0
中村一氏は大名になったが、2代で断絶。
あとは明治まで信楽代官を務めた多羅尾氏ぐらいかな。
151 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 11:45:33 ID:kDpBfRZz
>>149 ご近所やいうてるじゃないですか。
というか、柳生も伊賀や甲賀の忍者束ねてる郷士とかとそう変わらないんじゃないの?
152 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 15:54:34 ID:IBEKTPJH
153 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 12:27:09 ID:LQtyLuhO
多羅尾半蔵
154 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 19:03:11 ID:Q9Dfr7jZ
影の軍団かよ
155 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 01:08:55 ID:1ELlCCk1
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156 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 23:15:42 ID:Fy7HLJUl
157 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 03:12:58 ID:c6j6whSB
158 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 15:19:38 ID:xGttFKmm
159 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 15:27:06 ID:xGttFKmm
160 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 01:19:25 ID:Erzl4ojq
何だかねぇ。。。
161 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 01:49:35 ID:FnUWgRJ6
>>151 >というか、柳生も伊賀や甲賀の忍者束ねてる郷士とかとそう変わらないんじゃないの?
その根拠は?
162 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 21:53:33 ID:NCN64zGa
違うでしょ。
163 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 03:44:37 ID:n3bkN3lB
根来忍者ってどうよ?
164 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 15:15:42 ID:yl0jzLox
165 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 23:57:25 ID:N8riY1fr
豊臣家に滅ぼされたのに、幕府転覆を狙う一党に与したりするんだよね。
166 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 08:50:48 ID:0mcq+SyO
そりゃ時代劇だもの
167 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 16:37:08 ID:9B1ZYY/z
柏木三家の伴氏は森忠政に召抱えられて普通に戦に出たりしながらいつの間にか家老のポストに就いてるな。
そのまま幕末まで働いてたようだ。
168 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 09:27:29 ID:nMLi432+
根来とか雑賀が忍者っていうのは後世の創作。
169 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 16:46:59 ID:VeZTkEFI
170 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 18:53:56 ID:AJIRKsxd
森に仕えてたのは伴惟安(右衛門尉)かな。
171 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 01:38:02 ID:YPaXxp1L
>>168 彼らを忍者にしたら日本中の地侍、僧兵が忍者になってしまう。。。
172 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 02:46:51 ID:TMf4bwM7
つーか戦国期の忍者なんて、後方霍乱やテロ、ゲリラ活動を担当する、文字通り雑兵に過ぎない
連中だったわけで。
173 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 21:19:46 ID:aEL7ZtC2
174 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:33:49 ID:RBcCZQ7L
>>173 そう言う存在に変な幻想をかぶせて語っちゃう事が問題かと。
175 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 04:22:18 ID:A3Thhkje
>>170 本能寺の変で森蘭丸、力丸、坊丸の討死を知らせ、妙向尼と忠政を安土から甲賀に
避難させて匿ったのは惟安の働きと言われているね。
後年、惟安、惟利父子は森家に仕えている。
>>172 >後方霍乱やテロ、ゲリラ活動を担当
これが本来的な仕事だしねぇ。
要は非正規戦、諜報活動などをこなせる人たちだろうから。
176 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 16:34:21 ID:BLosx1rU
では忍者とその他の地侍などとの区別はどうやってつけるべきなりや?
177 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 18:05:20 ID:T1N+awIW
>>176 いわゆる「忍者」は、所領を持たず金で雇われた連中だろ。
地侍などには小さくても自分の土地がある。
178 :
人間七七四年:2009/03/05(木) 22:05:45 ID:Plhrnb4y
>>177 上忍という存在が本当に存在したかどうかは分からないが、彼らが小土豪又は地侍層。
となると、下忍なんてのは半士半農、武士とも何ともつかないような連中なんじゃない?
179 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 14:44:47 ID:ltk2h41G
万川集海って歴史家の間ではどの程度の評価なの?
普通のゲリラ地侍と忍者の差ってなんとなく特殊技能の差のような気がするけど
はたして忍者にそんな特殊技能があったのだろうか?
どこまで創作でどこまで史実なのかはっきりさせたい。
180 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 23:29:40 ID:3USZoqf9
181 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 16:54:25 ID:vBbQwBq1
本当にそんなことできるんかよ?という内容も多し。
182 :
人間七七四年:2009/03/11(水) 12:26:50 ID:/jl5aX5n
忍者が顔バレしたり、活躍が大々的に報じられちゃ拙いよね。
183 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 12:58:50 ID:8r8zinZM
>>182 超有名なスパイってのはいないモンなぁ。
184 :
人間七七四年:2009/03/16(月) 01:15:43 ID:XEsNAcrP
すぐに捕えられてしまうでしょ。
185 :
人間七七四年:2009/03/17(火) 03:01:40 ID:MhIkFLuD
森田浄雲ていたの?
186 :
人間七七四年:2009/03/18(水) 17:18:21 ID:mmrbpdLF
187 :
人間七七四年:2009/03/20(金) 15:25:22 ID:xVFnuZH/
鎧がどこかに展示されていましたね。
188 :
人間七七四年:2009/03/20(金) 23:11:48 ID:xmoYoIrh
いったのはずいぶん前なので記憶あいまいだが
上野城にある忍者屋敷の説明では忍者≒火薬技術者的な説明されてた気がする。
どんでん返しや地下室などの仕掛けがあるのは研究室を隠すためとか
煙玉や狼煙などを忍者が使うイメージはその辺から来てると説明されてて妙に納得した覚えがある。
あとこじつけっぽいが雑賀、伊賀、甲賀、敦賀とかの賀がつく地名には山伝いに交流があり火薬技術を伝えたとか
たしかに伊賀甲賀を火薬技術の集積地ってすると雑賀(鉄砲)→伊賀、甲賀(火薬)→敦賀→北近江(鉄砲)ってつながりが出来る気もする。
加賀も加えると一向宗の影が見えてすげく興味深くないですか?
189 :
人間七七四年:2009/03/23(月) 13:45:02 ID:aDoh3T+7
柳生の場合、
1:親類に奥原や多羅尾なんかの忍者扱いされてる地侍や土豪がいる
2:関が原の時の後方支援
3:宗矩が大目付になったこと
あたりが一緒くたになった挙句、
創作作品での影響で忍者説が出ただけじゃね?
それに近い活動をしたことはあったかもしれないけど、
基本的に柳生(この場合だと石舟斎宗厳か)は武将になるんじゃないかな。
190 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 17:10:28 ID:5xh04OHV
新陰流の門弟が全国にいたので、そちらの方が有用だったのでは?
191 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 12:52:37 ID:3V/IMJIl
>>188 賀のつく地名云々は甲賀の忍者屋敷も同じ事言ってたな
192 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 20:23:16 ID:a3KP0vbl
>>190 それはどっちかといえば宗矩の代になってからだしなあ>全国の門弟
というか、戦国当時の剣術流派の師弟関係って
今思われてるほど強いものじゃなかっただろうし。
193 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 22:48:40 ID:9HrBdwQo
しかし、幕府のお墨付きってのはデカいと思うよ。
194 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 14:48:56 ID:vGFrkEc2
とりあえず・・・柳生は忍者じゃないよね?
195 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 16:26:53 ID:A+eQoqzd
後期宗矩以前は忍者でええと思う
196 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 16:39:08 ID:M50nh+dZ
そもそも忍者とか侍とかの身分自体がそうがっちりしてなかっただろ。
必要に応じて技能もってるやつを使った程度じゃない?
197 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 16:47:35 ID:A+eQoqzd
とはいえ、あえてでも分類しないと話が続かないでごじゃりまするがな
198 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 17:53:27 ID:L05OLb4I
そもそも忍者という身分なり役職があったわけではないから、区分できないよね?
199 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 10:52:32 ID:S6EeH1AX
200 :
人間七七四年:2009/05/03(日) 15:19:12 ID:XmkyAHok
200get
201 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 01:26:00 ID:X++4Onv1
【今度は忍者だ!】伊賀忍者のルーツは朝鮮半島 服部半蔵は新羅人の子孫
1 :名無し募集中。。。:2009/04/22(水) 08:53:32.07 0
新宿は元々韓国人学校があって東京駐在員がたくさん居住した地域だ。
今はこの一帯が看板だけでなく事実上、東京で最大のコリアタウンだ。行政区画で新宿区百人町にあたるこの地域と
韓国の縁が何百年かさかのぼるということを最近ある日本人の知人から知った。百人町という名前は
江戸時代にその近所に100人の幕府精鋭小銃部隊が住んでいたことに由来すると彼は説明した。
当時、徳川幕府の護衛兵として抜擢された三重伊賀の忍者らがこの一帯に居住していたと言う。
伊賀の忍者がツツジを植えてこの地域は江戸から20世紀初めまでツツジの名所でもあった。
これを記念して新宿区は1972年ツツジを区花に決め、今も毎年4月末「大久保ツツジ祭り」が開かれている。
伊賀の忍者はどうしてツツジを植えたのだろうか。文献によれば日本にツツジが広がり始めたのは
9世紀に入った平安時代と言う。知人はこのツツジが韓半島移住民を通じて入って来たと信じていた。
伊賀の忍者は韓半島移住民の子孫なので故郷をしのんで他郷の東京にツツジを植えたというのだ。
実際に伊賀で忍者の指導者を輩出して来た服部家は新羅系移住民である秦氏の家系として知られている。
伊賀地域には韓半島移住民が多かく、伊賀焼きというこの地域の伝統陶磁器や酒製造術なども一緒に伝来されたと言う。
1990年代中盤に復活して「忍者祭り」で有名な伊賀市の敢国神社の「黒党」という祭りは服部家の祭祀だ。
この祭りで祭る三大神の中で少彦名命は移住民の秦氏が祭った神で金山媛命は冶金術と関連が深い神だ。
鉄や冶金術が伽揶を中心に日本に伝わったことはよく知られている。
三重出身の忍者がすでに数百年前に大久保駅の近くにコリアタウンを作っていたということだ。
伊賀の忍者がツツジを名物として残したように大久保韓人通りが日本人の胸に良い韓国のイメージを
植える発信地になるように期待する。
http://news.hankooki.com/lpage/opinion/200904/h2009042002373984900.htm
202 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 01:28:51 ID:khgVVVot
>>201 伊賀には渡来人の子孫が多かったけどね。
だから何?としか思わん。
203 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 16:33:52 ID:kcmYImZn
忍者関連のスレに貼りまくってるな
204 :
人間七七四年:2009/05/05(火) 18:14:10 ID:g0Y5Yyyf
迷惑な
205 :
人間七七四年:2009/05/07(木) 01:51:19 ID:myivBdrf
実家のご本家が伊賀上野出身だわ。
206 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 12:26:23 ID:zeqM08nG
何でも半島発じゃないと気に入らないらしい。
207 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 13:14:15 ID:VMdfn97u
>>201 朝鮮人は病気。日本に関わって来んなクズ!
208 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 14:24:32 ID:k1c0W5Gy
209 :
人間七七四年:2009/05/28(木) 07:08:40 ID:5R4kqFwV
>>207 全く同感。
常に隣国への嫉妬や批判によってアイデンティティを保しかないってことは
自分らに何もないことを認めるようなもの。
210 :
人間七七四年:2009/06/11(木) 18:32:02 ID:HbE1upSO
そんなこと言ったら火病っちゃうよw
211 :
人間七七四年:2009/06/17(水) 14:50:15 ID:9ym19lHE
別に誇るほどのものではない
212 :
人間七七四年:2009/08/31(月) 17:20:02 ID:SwkCVJ41
誰もいないから手裏剣の練習してみる
∠. ̄~\/
.〜/ 【】【】【】 スッ
| l`・ω・l卍
ヽ  ̄ ̄つ
/ し─J
∠. ̄~\/
.〜/ 【】【】【】 シュッ
| l`・ω・lミ ―=≡卍
ヽ  ̄ ̄∪
/ し─J
213 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 23:56:25 ID:EFJDtvYZ
甲賀衆の基本的人事用法は下記のようになります。
「因口の間」
偵察する地域の人間になりすまし、情報収集をする。
「内良の間」
敵国の人間を味方に引き入れ、敵国の情報を収集する。
その第一は、女を使って敵の高官と関係を持たせる。
後に敵国の女であることをばらし、「内通を疑われれば今の立場を失う」と脅して利用する。
その第二は、広報にあたっている僧侶を買収して、利用する。
学僧のうち、もっとも優秀な僧は君主の子息の教育係につけられる教育者である。
次に優秀な人材は経済官僚として登用されて、国の運営に携わる。
また外交僧として他国との折衝にあたる。
それらに漏れた僧たちが読経、説法、よるべき寺に在籍できないような僧であれば、辻説法をおこない、読経し、民衆から食を恵んでもらうことになる。
当時、エリートと言われた学僧ではあるが、その階層における第一階層、教授枠、第二階層官僚枠に漏れた僧侶、広報枠の僧侶は、上位僧に対して、コンプレックスをもっていることが多く、反権力志向にはしることがった。
特に、最上位である教授枠に対する批判は、嫉妬と受け止められかねず、自らの自尊心を保護するために、一段上の枠である、官僚僧にたいして批判の声を上げることがある。
これら不満勢力を組織化してシステマティックに統合したのが一向宗であるが、このように、敵国内で、自分の実力にコンプレックスを持ちながら、自分の能力的劣性を認めることは自尊心が許さない虚栄心が肥大化した学識者に狙いをつけて、懐柔する。
その方法は、本来の目的である敵国の滅亡という目的を明かさず、まず、相手へ尊敬と美辞麗句で称賛した上で、自分たちの上の階層の僧侶、官僚僧を批判することが「正義である」と吹き込みます。
「今、この国に問題があるのは、官僚僧が腐敗してるからです。」
「あなたのような偉大な人が活躍できないのは、官僚僧が腐敗しているからです。」
「彼らを批判し、糾弾し、弱体化させることが、正義なのです。」
「彼らを失脚させ、あなたのような人が人々から称えられることが正義なのです。」
とそれらコンプレックスをもっている人たちの妬み心を「正義の戦い」と言い換え、嫉妬による暴走を激化させ、本人も気づかぬうちに敵国を崩壊に導きます。
この工作は、一向宗によって、三河で積極的に展開され、徳川家康はこの思想工作に大変苦しんだようです。
「反徳の間」
敵の工作員を買収して味方につけます。
また、敵に故意に寝返ったふりをして敵の内部に入り込み、情報を収集します。
また、味方に偽情報を流し、それを敵の密偵に聞かせ、敵に報告させます。
「死長の間」
自らの死によって情報を伝えることです。
(楠乃小玉 注釈:武田軍に捕まった徳川軍の伝令、鳥井強右衛が武田に寝返って嘘の情報を籠城する味方に伝えると約束し、実際には援軍が来ると籠城する徳川軍に伝えたため、武田から貼り付けにされた実例があります。)
そのほかには、自分の笠のひもに偽密書を織り込んだり、着物の中に偽密書を織り込んで、わざと敵につかまります。
最期まで口を割らず、殺されることによって相手を信用させ、偽密書が事実であると相手に信じ込ませます。
「天生の間」
敵国に潜入し、情報を収集して生きて帰る。
因口の間との違いは、因口の間は、相手の国の人間が言っていることをくまなく調査し、そのまま本国に送る仕事です。
その情報の重要性の分析は本国の上級の人間が行う。
天生の間は、相手国の経済環境や米の売買、武器、弾薬の売買、木綿の売買や武将同士の確執や出世や失脚など潜伏した偵察員が判断し、本国に危機的状況があれば本国に通報する。
この場合、情報を判断するだけの知的水準が要求され、貴重な人材であるため、できうる限り生還することが望まれる。
これが、甲賀衆の基本中の基本の活動内容です。
死長の間はめったに起こることではなく、敵に捕まったときのために、自分の着物に偽情報を縫い込んでおくとか、笠のひもに織り込んでおくということは、甲賀衆の心得であって、生きて帰ってこられれば、それにこしたことがないということです。
214 :
人間七七四年:2009/10/04(日) 23:58:17 ID:EFJDtvYZ
そもそも甲賀衆の起こりは源義経です。
この人は、近江源氏、通称山本義経です。
彼は鈴鹿峠で平家の物流を混乱させるため、ゲリラ戦を行っていたゲリラ戦のプロですが、彼を背後から支えたのが、京都の一部の神社勢力、中臣氏です。
平家から目をつけられるのを避け、その存在を隠すために、通称、カラス天狗と呼んでいたようです。
これは、源頼朝を支援する熱田神宮の意向があったように思います。
ちなみに、伊賀衆の起こりは楠正成。
楠正成の撹乱戦術と情報戦術を北畠氏に伝え、それを北畠氏が配下に伝え教育したのが起こりであると、当時の甲賀衆は認識していたようです。
本来は、志能便と書いて、物流業務に深く携わっていたようです。
情報収集はその業務の一部にすぎません。
中臣氏は、あくまでも資金援助や、教育、軍略の学習に携わっただけで、実際に偵察活動をしたわけではないです。
いわば、スポンサーみたいなものですね。
実際に活動していたのは、山本義経らです。
215 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 00:47:39 ID:/kv32cEV
しのびの種類
「郷導」
偵察先導部隊です。
土地の者を懐柔して使う場合もありますし、地形を偵察したり敵の位置を索敵したりして本陣に知らせます。
おもに地理的誘導を役割とする集団です。
「外聞」
密偵が集めてきた情報を集積し、分析し、判断を下します。
非常に高等な技能と修練と教育を必要とするので、誰でもなれるものではありません。
また、本当に的確な判断を下せる人材もそう多くなかったので、有能な人材は重宝されました。
「細作(密偵)」
実際に情報を探り、いろいろな情報を集めてくる実践部隊です。
「工人」
これは、戦場において撹乱工作をしたり破壊工作をする部隊です。
堤防に穴をあけて堤を決壊させたり、城で兵糧に火をつけて火災を発生させたり、暗殺もします。
この人たちの活動範囲は戦場限定で、その時だけ手裏剣をもったり、弾幕、煙幕をもったりして、黒ずくめにしている人たちです。
特殊部隊であり、工兵です。
この役職の人以外、黒ずくめの忍者の格好をする人たちはいなかったようです。
「盗人」
これは、風魔が得意とした戦法で、戦災孤児を集めてきて、小さい時から「お前たちの家族は敵国に残忍な方法で虐殺されたんだよ。」と教育し、ある程度育ったら、敵国に侵入させ、盗みや破壊工作を行わせます。
盗みや押し込みをする方は、自分たちが「被害者だ」と教えこまれていますので、どんなひどいことをしても、良心が痛みません。
大概は、役人に捕まえられ、処刑されてしまうので、使い捨てです。
甲賀衆や伊賀衆など偵察教育に非常に多くの金をかけて分析能力を身につけさせた人たちは、人材の無駄使いになるので、このような方法は使わなかったようです。
216 :
人間七七四年:2009/10/05(月) 15:10:24 ID:/5DZLeBq
217 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 06:28:36 ID:mk8NVeBq
戦闘要員じゃないんだよね。
218 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 22:48:44 ID:kPaMCeEV
近代以降の「甲賀忍者」像は基本的には想像の産物。
近世『甲賀古士」の創作した由緒や術法書はこれはこれとして
その歴史的文脈のなかで検討すべきものでしょ。
近世甲賀郡が五万石くらいの大名に一円支配されていたら
彼らも浮かぶ瀬があったでしょうに・・・。
『無足人」く゛らいにはとりたててもらっていたかな。
219 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 22:49:45 ID:kPaMCeEV
万川集海のほんとの成立年代をどこにするのかな?
220 :
人間七七四年:2009/12/27(日) 11:57:48 ID:KAqN0YFw
江戸期に入ってからだよね
221 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 09:31:19 ID:nq5tyEXz
忍者なんていませんでした。
222 :
人間七七四年:2010/03/14(日) 17:56:43 ID:Id9QTyD9
>>221 忍者ってバレた時点で忍者失格じゃないの?
223 :
人間七七四年:2010/03/14(日) 20:57:16 ID:LHKsnQOa
仮面付けとけばOK
224 :
人間七七四年:2010/03/20(土) 19:17:36 ID:bcCu8EJ7
225 :
月孔雀:2010/03/20(土) 22:21:07 ID:L5sp2GTD
日本猿と遊んでた方が、普通の忍者より凄くなるよ!by利政。
226 :
人間七七四年:2010/03/21(日) 07:31:57 ID:5JvWPWKP
アホか。
227 :
月孔雀:2010/03/21(日) 15:17:22 ID:UpDm/lQk
アホと呼ばれたので、お前は、馬鹿>226
228 :
人間七七四年:2010/03/27(土) 20:42:10 ID:kQQED6F0
229 :
人間七七四年:2010/04/04(日) 12:59:01 ID:DDp5fa67
藤堂高虎が好きなんで、関連の本読むと
伊賀者との関わりが相当濃いよね?
カッコいいっす。
230 :
人間七七四年:2010/04/04(日) 19:38:34 ID:Sa3KmiUT
>>229 あの地に藤堂家を配置した理由が理由だからね。
231 :
人間七七四年:2010/04/05(月) 17:18:57 ID:ius2db4G
伊賀者使って羽柴直江鍋島で日本分割
232 :
人間七七四年:2010/04/07(水) 22:41:03 ID:1S6izbl5
233 :
人間七七四年:2010/05/01(土) 17:42:48 ID:JiZ0Qiac
234 :
人間七七四年:2010/05/05(水) 01:46:32 ID:OLGXBNAZ
235 :
人間七七四年:2010/08/15(日) 07:47:17 ID:3y9ii+5H
保守
236 :
人間七七四年:2010/12/11(土) 02:27:30 ID:CQI+pKzj
ニンニン
237 :
人間七七四年:2011/01/27(木) 02:54:52 ID:RuAv67pa
age
238 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/08/14(日) 00:28:34.45 ID:eCGv2vYH
age
239 :
人間七七四年:2011/08/14(日) 14:30:34.80 ID:ksAF1Dig
服部出羽守が華麗に上げ
240 :
人間七七四年:2011/10/08(土) 18:35:14.86 ID:bewimx0q
服部氏はもともとはハタオリ部からきてたんだっけ
今風にいうとアパレル関係の業界の人ってことだな
当時の服飾業界の仕事を通じて全国からの情報が入ったんで情報系の
仕事にも進出して成功したってことだな
同じく楠流忍法の楠正成も運送屋の親分だったんで
同じようにそっちに行った口だな
甲賀忍者も近江の人なんで、近江商人で営業に回ってたんだろうな
上忍とか下忍とか考えたらみんなサラリーマンやら派遣だよな実際
そういえば服部さんとこの部下が日本で始めてストライキしたんだっけ
241 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 02:58:41.93 ID:VYeV+KKe
エレ片のノブヤボトークww
242 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 14:58:03.13 ID:XSeu9vrk
すみません、教えてください。
素朴な疑問です。
ぶっちゃけ、伊賀と甲賀はどっちが強いのでしょうか?
同じくらいとかは無しでお願いします。
243 :
人間七七四年:2011/11/13(日) 19:38:00.95 ID:fxuCLXth
強いってワケが分からないんだけど
これがゲーム脳か
244 :
人間七七四年:2011/11/14(月) 14:11:02.12 ID:CyQcLQ4P
伊賀、甲賀の10人勝負で、伊賀が勝ったので、
やはり伊賀忍者の方が強かったのでしょうか。
245 :
人間七七四年:2011/11/14(月) 22:09:46.52 ID:yTgKSqdf
多羅尾半蔵が華麗にあげ
246 :
月孔雀:2012/01/09(月) 11:49:17.00 ID:iD8EKR2+
くノ一の話しよーぜ
247 :
人間七七四年:2012/02/01(水) 19:33:38.27 ID:eOTVf2b5
ナンバープレート裏山
248 :
人間七七四年:2012/03/03(土) 21:49:33.72 ID:DoOd2IRv
te
249 :
誘致中:2012/03/13(火) 22:19:24.46 ID:lskFXV7e
250 :
人間七七四年:2012/03/16(金) 18:45:24.08 ID:zFlSJdye
>>246 伊賀は女は一生村暮らしか忍者になるしか道は無かったが
甲賀の女はわりと村から出て行けたらしい。というか
甲賀にはあまり抜け忍という概念が無かったらしい。
なので多分、伊賀の方がクノイチ多そうwww
当時の関所は女に甘かったらしいし、
甲賀の女はわざわざきつい忍者やらなくても
どこか他の村や街で幸せになれるw
251 :
人間七七四年:2012/03/16(金) 19:58:14.28 ID:to2zNuBT
>>242 >>244 普通に伊賀。個人同士の技量の差は知らないが規模が違う。
伊賀国は普通に国。甲賀は近江国の南のほんの一部分。
伊賀はいわば自治国であり、甲賀は近江国に従属していた郡。
伊賀丸ごとすべてが忍をやっていたかというとそこは疑問だけど
伊賀国は戦国時代に有力大名が居なかっただけで、20万石とも実は5万石とも。
対する甲賀は8000石とか9000石とか。格が違う。
近江一国(六角氏)と伊賀一国がいくさしてもどっちが勝つだろう?っていうレベル。
252 :
人間七七四年:2012/03/16(金) 20:08:36.21 ID:ePSZ0qnu
軒猿の女はどうなるんだろうな
253 :
人間七七四年:2012/03/16(金) 21:17:07.05 ID:VMaYQn5G
>>251 >伊賀丸ごとすべてが忍をやっていたかというとそこは疑問だけど
疑問も何も、ほんの一部だろ。
忍者の数を、甲賀と伊賀で比べないことには意味が無い。
254 :
人間七七四年:2012/03/16(金) 21:28:16.63 ID:FkUXzQIv
里の女は基本、村から出ないと思うよ。
禁止されてるわけではなく、出ていっても身寄りは無いわけで、野垂れ死ぬか野党に教われる。
抜け忍の概念があったとされる伊賀は論外として。
しかし基本、伊賀も女の仕事は忍以外にも沢山あった。
わざわざ忍やるやつなんてあんまり居なかったんじゃね?
ただ、関所は女を容易に通したらしいので歩き巫女を装い、敵地を偵察する女の忍は横行したようだ。
出雲阿国が忍者とされる作品が結構あるけど
これは彼女が歩き巫女だったからだよね。
歩き巫女っていうのはいわゆる女の旅芸人で普通は神社に所属しているけど
ほとんどが無所属で自称、歩き巫女。阿国も自称とされる。
旅芸人であり、旅芸人を生業として敵地を調査したため当然、容姿の良い者が選ばれる。
だから女忍者はある程度の容姿が必要だった。
これが、くの一=かわいい、だと思う。
255 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 22:35:04.76 ID:D63IkWHL
散所って結局なんなの?
256 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 22:50:28.16 ID:D63IkWHL
散所ってもてない男も受け入れてくれるの?
257 :
人間七七四年:2012/04/15(日) 23:58:25.08 ID:wUsxIH3N
>>251 伊賀は所詮、独立豪族
甲賀は望月を中心とした武士を形成してる
ゲリラ戦なら守った方が勝つだろうが、白兵戦なら甲賀の圧勝
ちなみに甲賀は中忍、下忍で上忍は棟梁のことな
258 :
人間七七四年:2012/04/16(月) 23:02:02.99 ID:Ebet/+0Y
http://megalodon.jp/2012-0416-2259-58/mainichi.jp/select/news/20120416mog00m040015000c.html 伊賀忍者:ワシントンで「忍術」披露 2千人が歓声
2012年04月16日
「日米桜寄贈100周年事業」で訪米している「伊賀忍者特殊軍団・阿修羅」が
14日(日本時間15日)、首都ワシントンで忍術パフォーマンスを披露、大歓声を浴びた。
ワシントン公演3日目を迎え「全米桜祭り」の屋外ステージに登場。計2回の公演に約2000人の観衆を集めたという。
同行している伊賀上野観光協会(伊賀市)の森本聡志・企画兼施設係長(32)が阿修羅の活躍をメールで伝えてきた。
それによると、桜祭りは、ホワイトハウス近くのペンシルベニア通りで開催。屋外会場は観光客でごった返した。
阿修羅のメンバーは武器を手に、激しい動きの殺陣を披露。
司会の合図で、「MIE!」「IGA!」の掛け声が一斉に響き渡り、盛り上がったという。
体験コーナーも特設され、約3000人が手裏剣打にチャレンジ。
森本係長は「あまりにも人が多く、写真撮影に苦労しました。
大変な盛り上がりで、幅広い年代にPRできた」と成果を伝えてきた。
阿修羅はワシントン到着後、日本大使館を表敬訪問。
13日夜(同14日)には、ホワイトハウス近くの国際スパイ博物館で2回公演。
会場はいずれも観客170人で埋まり、一つ一つの実演に大歓声が上がったという。.
259 :
人間七七四年:2012/05/18(金) 17:05:34.91 ID:3WSXixmY
いいね
260 :
人間七七四年:2012/06/03(日) 19:04:33.33 ID:4OmaneKu
「情報のやりとり」で時代を渡り歩いた人たち
261 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 02:39:58.95 ID:fvxs281x
ドラマでお馴染みの山中大和守俊房と山中内匠長俊は実在の人物
262 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 21:36:52.45 ID:BQ1uAtf3
甲賀郡中惣と甲賀五十三家
263 :
人間七七四年:2012/07/25(水) 00:18:05.03 ID:HoCnHXK8
ho
264 :
人間七七四年:2012/08/03(金) 21:39:50.16 ID:YfhUgoEk
伊乱記の第二次伊賀の乱で筒井方として登場する中ノ坊忠政は確たる資料で実在を確認できるのでしょうか?
どなたかお詳しい人お答えください。おねがいします。
265 :
人間七七四年:2012/08/05(日) 22:37:08.55 ID:zaJt+69H
多羅尾氏
266 :
人間七七四年:2012/08/08(水) 16:42:55.75 ID:2b3/cHzf
後北条も元は幕臣の伊勢氏だから風魔小太郎も伊賀から来たんじゃないの?
267 :
人間七七四年:2012/08/10(金) 16:38:32.94 ID:ZfC0qa9S
風魔は馬の流通に関わった商人集団だった可能性があるらしい
268 :
人間七七四年:2012/09/01(土) 14:37:16.33 ID:RtrZaDkD
269 :
人間七七四年:2012/09/12(水) 02:08:35.46 ID:TKVujguL
>>264 おそらく大和の筒井氏の重臣だった中坊氏の出自なんだろうけど
よくわからない
伊乱記によると、伊賀にも中ノ、或いは中ノ坊を名乗る一族が伊賀の
比土にいたらしい、もしかするとそこの出かもしれない
筒井定次の伊賀転封で筒井氏に同調した伊賀の土豪も多いからね
270 :
人間七七四年:2012/09/12(水) 02:20:32.82 ID:TKVujguL
伊乱記によると、永禄〜天正あたりまでの伊賀の惣国は
以下の十二人で運営されていたらしい
長田 百田籐兵衛
朝屋 福喜多将監
木興 町井左馬充貞信
河合 田屋掃部介
音羽 音羽半六
島ヶ原 富岡忠兵衛
依那具 小泉左京
比土 中林(村?)助左衛門(中氏、中ノ氏)
布生 布生大善
柏原 滝野十郎吉政
下阿波 植田豊前光信
西之沢 家喜下総
喰代(ほおじろ)の百地丹波、東湯船の藤林長門、千賀地の服部半三、
上之庄の森田浄雲といった万川海集や忍者もので有名な連中は
他国でも有名な傭兵供給源・傭兵家業の大家で、
国内では上記の国衆とは違った位置・階級に属していた人々だったのでは
271 :
264:2012/09/12(水) 04:59:07.90 ID:3Jvs7ct1
答えてくださる方いないと思っていたのですが、詳しい返答ありがとうございます。
272 :
人間七七四年:2012/09/23(日) 01:24:04.97 ID:OxDmu+wU
伊賀流忍術ってのは継承している特定の宗家がいるの?
なんか昭和になってからいきなり出てきた気がするんだけど。
273 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 07:57:40.24 ID:HcsweoUR
宗家なんてはなっから捏造じゃないかと思う。
甲賀の方の藤田西湖も、本物では無いし。
274 :
人間七七四年:2012/09/26(水) 07:14:36.82 ID:tePx4hkL
そもそも伊賀流甲賀流って江戸時代くらいに作られた言葉じゃない?
忍術は基本的には家伝だから、あえて名前を付けるなら◯◯家家伝忍術とかって名前になると思う
今甲賀流を名乗ってる川上先生のところは芥川家の忍術とか教えてるし本物じゃないかな?
武神館の方は九神流とか忍びが実際に学んでた武術を教えてるけど、それを以って忍術を教えてると自称するのはちょっとおかしい気がする
そもそも忍術って道場の中で学べるようなもんじゃないしな
275 :
人間七七四年:2012/09/27(木) 04:48:21.87 ID:W84SxMrL
>武神館の方は九神流とか忍びが実際に学んでた武術を教えてるけど、
んんん?どうやって忍びが実際に学んでたってわかったの?
それと川上さんはいわゆるニンジャトーを振り回してる動画があるんで
あの人もいつの時代にもいる自称最後の忍者だと思います。
276 :
人間七七四年:2012/09/27(木) 06:28:51.00 ID:tZN6jY6R
>>274 >忍術は基本的には家伝だから、
その根拠は?
流派化はしないと思うけど、親から子供に伝えるものということも聞いたこと無いけど。
277 :
人間七七四年:2012/09/30(日) 14:23:42.33 ID:qp8qkfvH
万川集海を回し読みしてたぐらいだから家伝なんて実際は無いね。
278 :
人間七七四年:2012/10/28(日) 05:39:52.60 ID:zH8rvbqk
ここに書き込む人は荒垣恒明についてどう思う?
279 :
人間七七四年:2012/11/01(木) 23:15:12.99 ID:nSc5cobd
「日本中世史の再発見」とか「定本北条氏康」に寄稿してる人だよね?
でも東日本の忍者の活動についてが主で伊賀・甲賀とは関係ないんじゃ?
280 :
人間七七四年:2012/11/06(火) 06:34:29.95 ID:Gq6FSvue
風魔・大藤は紀州の乱波ということがウィキに書かれていたが・・・
281 :
人間七七四年:2012/12/14(金) 09:19:32.02 ID:0stlBvxZ
伊賀甲賀は江戸時代に伝説化しちゃったから子孫も本当のところはよく知らなさそう。
忍具のひとつも残ってないところからして怪しい。
282 :
人間七七四年:2012/12/14(金) 11:41:34.62 ID:Fz+BDfNC
今も残ってるような家だと現場で働いてた者じゃなくて、
それなりの家の当主だろうしねえ。
逆にそういう道具はないのかも。
283 :
人間七七四年:2012/12/30(日) 13:18:16.15 ID:mAuHOuD1
百地家でさえ火縄銃しか残ってない。
284 :
人間七七四年:2013/02/05(火) 09:06:37.37 ID:5WtelUNt
285 :
人間七七四年:2013/02/07(木) 10:19:20.01 ID:jf6Jmx39
286 :
人間七七四年:2013/03/11(月) 16:29:10.23 ID:T/wb13GV
age
287 :
人間七七四年:2013/04/27(土) 15:42:10.21 ID:quLj3jQb
288 :
人間七七四年:2013/06/17(月) 17:12:22.14 ID:8UzqyucF
289 :
人間七七四年:2013/06/19(水) 17:03:12.22 ID:lC6fxldj
age
290 :
人間七七四年:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:FWuHPeaT
保守
291 :
人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:/9f3uyRY
うちの実家や近所の家の蔵の中には、刀や槍やらが未だ死蔵されているのですが
やはり、伊賀や甲賀の旧家の蔵にも武器が隠されているのでしょうか?
うちの実家エリアの場合、幕末維新の時代にも刀、槍にこだわった郷士の村なので、
武器が戦中、戦後を乗り越え温存されてたりしますw
292 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 17:35:15.58 ID:3NUZ1gsY
あげ
293 :
人間七七四年:2013/12/12(木) 00:35:56.99 ID:wD2SegPT
>>291 大有り。価値もわからず蔵に死蔵。
伊賀上野の城には寄贈された天正伊賀の乱の伊賀方のボス
藤林の鎧・槍が飾ってある。
伊賀越え時に家康を護衛した忍者郷士の鎧も飾ってあったな。
これは忍術博物館
294 :
人間七七四年:2014/01/23(木) 02:07:56.53 ID:scI1Eqtt
服部正就(三代目半蔵)の幼名って分からないかね?
通称が源左衛門なのは知ってるけど
295 :
人間七七四年:2014/04/13(日) 23:49:12.71 ID:pCzczq8y
age
296 :
人間七七四年:2014/04/14(月) 15:19:26.98 ID:ft6YNFbO
焼き上がりの風合いには、それなりに類似性があるけど、
土質の差はどんな?
あと、当時の窯業従事者数はどうだろ
人数によって、作陶規模も大体決まるんじゃないだろうか
297 :
人間七七四年:2014/04/14(月) 15:39:59.62 ID:fw8aaYxo
土質は同じ
規模は甲賀(信楽)の方が大
近代になって六古窯が提唱された際、
伊賀は信楽に内包する前提で数えられた
信楽と伊賀の差なんて、美濃と瀬戸の差よりも更に小さい
298 :
人間七七四年:2014/04/15(火) 17:00:18.18 ID:PrxT38aI
信楽は江戸時代に生産規模が大幅に拡大したことから、
戦国時代〜織豊時代における甲賀と伊賀の差は、今ほど大きくなったと思われる
まあ
>>297で言っている「差」は、生産規模の差じゃなくて、
製品の作風の差のことだろうけど
美濃と瀬戸の差を比較対象にしている点からして
299 :
人間七七四年:2014/05/01(木) 22:47:30.21 ID:C7WYkPwp
伊賀焼も信楽焼も同んなじ古琵琶湖層の粘土を使ってるわけだけど、某有名陶芸家曰く、信楽焼が土をそのまま使うのに対して、伊賀焼は土を一回濾してから使うらしい
したがって伊賀焼の方が表面の粒子が細かくなる
耳ありが伊賀焼で耳なしが信楽焼とか言うけど、最近はみんな結構自由に陶芸やってるからその限りではないらしい
300 :
人間七七四年:2014/05/05(月) 17:29:57.60 ID:TSNH5Qdx
忍者ってよりも伊賀も甲賀も特殊な武器を使ったり火縄銃の技量が高かったり
などの傭兵集団だったぽいけどな
根来とか雑賀なども同じようなもん
301 :
人間七七四年:2014/05/06(火) 00:12:08.57 ID:N+hPOIHO
忍び込んで偵察したり火をつけたりと根来や雑賀に比べりゃ十分忍者っぽいけどな
小説や漫画の忍者と比べてるなら知らん
302 :
人間七七四年:2014/05/09(金) 14:19:49.04 ID:ErhBzkBt
忍者と言えば苦無・シコロ・手裏剣等様々な鉄製の武具や道具を使うイメージがあるけど、これは伊賀や甲賀が鉄を豊富に産出できたからなのかな?
忍者に伝わる独自の製鉄技術なんかもあったのだろうか
303 :
人間七七四年:2014/05/09(金) 18:43:05.87 ID:tFfucZBG
その理屈だと備前あたりは特殊な武器の宝庫になってるな
304 :
人間七七四年:2014/06/26(木) 17:38:44.92 ID:o+KdMgMP
伊賀に赤目の滝ってのがあるけど、赤目って鉄鉱石のことらしい
近くに鍛冶屋って地名も残ってるし、鉄器を製造してたのは間違いないと思う
305 :
人間七七四年:2014/09/14(日) 16:25:10.90 ID:WmvRJlgP
age
306 :
人間七七四年:
武士が居住してたところには基本的に鍛冶に関する地名はあるが