【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】

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933人間七七四年:2007/10/17(水) 20:47:29 ID:P/LCw35m
トルコで原人の化石発見、6000年前まで生存の可能性も

http://wwwww.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1192619004/l50
934人間七七四年:2007/10/18(木) 19:52:37 ID:L4B92qKk
丹波亀山城なんだけど、豊臣秀勝が死んで小早川秀秋が入るまでの間
誰が城主だったかってわかりますか?
調べてみたんだけど、何人かいたってことしか分からなかった。
935人間七七四年:2007/10/18(木) 21:33:13 ID:ZoUCRCo0
そもそも秀秋は秀勝の後釜じゃね?
羽柴(織田)秀勝→豊臣(三好)秀勝→羽柴秀俊(小早川秀秋)
じゃなかったっけ
936人間七七四年:2007/10/22(月) 01:29:16 ID:9xQtMY78
937宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/10/29(月) 23:19:58 ID:+2dMG+kD
失礼した
938人間七七四年:2007/10/29(月) 23:42:01 ID:DAb/Mymy
武田氏関連ですが、武田義信には、正室今川氏との間に
女子がいたとのことですが、義信死後はどうなったのでしょうか?
また、義信には他に子女はいなかったのですか?
939人間七七四年:2007/10/30(火) 07:12:05 ID:IxOw7+Z5
そもそもその子の存在自体がいたのかいなかったのかはっきりしていないからな
嶺松院が駿河に帰ったのは義信死後だから、いたとすれば母に従ったんじゃないだろうか
義信派が一掃された状態でわざわざ義信の娘を嫁にしたいっていう家臣もいなかったろうし
940人間七七四年:2007/10/31(水) 17:36:43 ID:zKUjQInI
愛妻家で有名な武将を教えてください
どの小説でも奥さんがかわいそすぎる
941人間七七四年:2007/10/31(水) 18:23:19 ID:2DwdNNrM
側室だって妻だから一概にどんなのが愛妻家かってのが曖昧過ぎるな
ちょっと上で話題になってる義信なんかは正室一筋だったらしいね
弟の勝頼も身内にはとことん優しいな
942人間七七四年:2007/10/31(水) 19:06:51 ID:zKUjQInI
なるほど、ありがとうございます
武田一門は中々情に厚いですね。信玄はあまり良い話を聞きませんが。
側室の存在は忘れていました、中途半端な質問ですいません
943人間七七四年:2007/11/01(木) 17:11:47 ID:zvDlePfh
ファンタジー小説を書いているのですが、西洋騎士と対決する侍を登場させる事にしました
名前が思い浮かびません‥。
父:ヤマト国の王、かつて国内で多くの武将と覇権を争い勝利を得た
領土を増やす野望に満ちた人物。
息子:領土を増やすより戦いの中に自分の価値を見い出そうとする男

できれば史実にはないけどそれっぽい名前を教えてください。
944人間七七四年:2007/11/01(木) 17:25:22 ID:zvDlePfh
一応
獅向井王牙
獅向井竜児

小説ではではシムカイ王とリュウジ‥どう?
945人間七七四年:2007/11/01(木) 19:04:38 ID:PuUCx/pm
>>943
中二病臭いけど
尾川信茂
尾川時茂とかどうよ?
946人間七七四年:2007/11/01(木) 19:27:23 ID:zvDlePfh
>>944>>945ありがとう、他版でも募集したので選考に漏れても何かの形で使わせていただきます。
一応映画『天と地と』の武田と謙信がモデルなんです
今まで西洋史中心でしたが戦国時代スバラシイ!!!
947人間七七四年:2007/11/01(木) 19:39:19 ID:Y5NCeK/l
今、ひどい自演を(ry
948人間七七四年:2007/11/01(木) 20:11:28 ID:v3XrUiC8
甲陽軍鑑で悪名高い跡部勝資についてです
いろんな資料を見るとさも当然のように第四次川中島戦に名を連ねていますが
当時十五歳のはずです
同年の真田昌幸なども従軍説があることから年齢に関しては問題ないのですが
武田家中で、十五歳以下で侍大将になったのは甘利昌忠だけっていう話もありまして
こういう食い違いって、どういう風に検証してけばいいでしょうか
949中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/11/01(木) 22:48:58 ID:AhuD1Qnv
戦国遺文の武田全巻買え。妙法寺記と高白斎記なども忘れんな
あとは寺社の安堵状とか禁制とかも用意
で軍鑑との比較検討やりゃいいじゃん。そんなオナニーできねえつうんなら
柴辻でも笹本でも読んだらいいじゃんよ
950人間七七四年:2007/11/01(木) 23:03:52 ID:v3XrUiC8
軍鑑との比較検討って意味があるんですか?
なんか信憑性がないっていうイメージしかないんですけど
高白斎記は時期が合わないからいいかなとスルーしてました
もしかしたら跡部の父親とかの関連で記事があるかもしれないので金銭の問題もありますけど前向きに検討します
寺社の安堵状とかって、写しでも用意できるもんですかね?
951人間七七四年:2007/11/01(木) 23:30:08 ID:LZsrtrtQ
>>943-944の酷い自演にマジレスしてしまった>>945に泣いた。
952人間七七四年:2007/11/02(金) 18:25:02 ID:UnnVyXyH
お聞きしたいのですが、よく戦国大名(武将)同士が自分の息子や娘を
人質に出して同盟を結びますが、その場合の人質の扱いはどういうもの
なのですか?やはり大事な同盟の証なので大事に扱われるのですか?
昔戦国系の小説読んで気になったので...。よろしくお願いします。
953人間七七四年:2007/11/02(金) 23:08:21 ID:KtETW5PH
戦国時代の防寒着(特に戦場での)ってどんなものがあったのでしょうか?
頭巾くらいしか想像できないのですけど
手袋とかって結構あったんですかね?
954人間七七四年:2007/11/04(日) 22:41:54 ID:M5zdI+z4
大声で開城させた武将はだれですか?
955保守:2007/11/08(木) 11:41:02 ID:gz82mXDY
歴史が違う方向に行ってた場合の人物略歴
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152719747/
956人間七七四年:2007/11/12(月) 12:14:34 ID:iKKghFmC
史実の仙石権兵衛秀久は小田原攻めの際、「死ぬ覚悟で武功を立てる」という名目で、目立つ格好で戦闘に臨みました。
確かに味方からの目に留まるでしょうが、同時に敵からも目に付き、狙われる危険があります。
この辺りのきわどい一線、「必死の覚悟を見せること」と「本当に討死すること」の境界線について当時の武士たちはどのように計算していたのでしょうか。

あるいはその二つは重なり合ってグレーゾーンとなっていて、自らの技量で生き残る確率を可能な限り高められる、もしくは仮に死んでも名前が残ればいいとさばさば考えていたのでしょうか。
957人間七七四年:2007/11/12(月) 15:23:30 ID:e4qxHEea
>>956
仙石のように罪を得て追放された者は領内で再仕官などできない
まして主君が秀吉では殆どが秀吉の影響範囲であり
はっきり言って秀吉に許されなければ野垂れ死にするほかない
死んで元々と思って戦うしかないわけだ

そもそも大概身分が高いほど装飾は派手になる
それに反比例して身分が高いほど討ち死にする確率は低くなる
身分に比例して供廻りが増えるからだ
武将クラスは周りをがっちり固められてそう簡単に矢弾に当たるものではない
958人間七七四年:2007/11/12(月) 17:40:35 ID:vIkPCm0U
石田三成の苗字「石田」家の家系はこの人だけなんでしょうか?武将の苗字であんま聞かないので
959中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2007/11/12(月) 21:22:00 ID:XzpZyjyv
石田も脇坂もあの辺の地名だ
960宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/11/13(火) 01:34:49 ID:cmhSqRrb
>>958
相模の桓武平氏三浦氏一族の末裔や伊達家臣にも石田氏の名が見えます。
あとは壱岐にもあり、三浦氏の流れのようです。
961人間七七四年:2007/11/13(火) 15:02:20 ID:NZNzOnrK
伊達家には三成の子孫が身を寄せてたな
962人間七七四年:2007/11/13(火) 17:20:51 ID:0fY8blOz
>>959-960-961
レスありがとうございます
そうですか何はともあれ絶えてなくてよかった…と普通の感想です
963人間七七四年:2007/11/13(火) 21:36:00 ID:CPNnts0C
>>961
まじで?初耳
964人間七七四年:2007/11/13(火) 22:04:57 ID:BwZgo48e
真田と勘違いしてない? >>961
965人間七七四年:2007/11/13(火) 22:43:32 ID:x+ZaJTgR
ふと思ったんですが、一人っ子の武将はいたんでしょうか?
腹違い・種違いの兄弟姉妹もなしで、完全に一人っ子と言うのはやはり少ないんでしょうか
毛利輝元がそうかなと思ったんですが、姉か妹がいたっぽいですね
966人間七七四年:2007/11/13(火) 22:52:40 ID:V+AuPHls
>>965
秀頼?
967961:2007/11/13(火) 23:27:33 ID:NZNzOnrK
ご指摘の通り勘違いだった
申し訳ない…
968人間七七四年:2007/11/14(水) 00:25:14 ID:WrX90JB7
>>965
生まれた時代が微妙なところだが
上杉定勝

景勝はもうちょっと子作りに励んでも良かったと思う
定勝が若死にしたらどうするつもりだったんだろう
おとなしく徳川幕府に改易されるつもりだったんだろうか
969宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c :2007/11/14(水) 00:31:51 ID:xiU12E3h
早死にではなく、またある程度名将でありながら子が1人の武将は、
蘆名盛氏ぐらいしか思いつかない。
子は盛興1人だったはず。
970人間七七四年:2007/11/14(水) 01:44:43 ID:YS0unhai
なんか歴史のタブーに触れるような質問です
戦国時代の武将の多くは男色というのが普通だったようですが
その、なんとういうか愛し合う時はお互いの凸凹を使ったんでしょうか?
971人間七七四年:2007/11/14(水) 02:04:28 ID:iFwhej15
武田信玄は一向宗の本願寺顕如と親戚だったようですし、
信長包囲網でも一向宗と親密に協力しているようですが…
家臣にも一向宗門徒になった武将とかいたんですか?
972人間七七四年:2007/11/14(水) 20:22:18 ID:1S5EcjfI
>>970
他にどうやるんだ

>>971
わからn
教えてエロい人
973人間七七四年:2007/11/14(水) 22:39:25 ID:TqM4Djec
尼子晴久って一人っ子じゃなかった?
974人間七七四年:2007/11/14(水) 23:37:16 ID:+/O1fBMv
>>973
>早死にではなく、…
975人間七七四年:2007/11/16(金) 17:23:49 ID:1JLs23W9
再来年の大河の主役になるらしい直江兼続についてです
今までずっと景勝に対する直江は、武田勝頼に対する跡部勝資みたいな立場だと思ってたんですが
小説読んだり他の人の話を聞くと軍師?だと一般的には言われてるようで・・・
直江を軍師と言わしめる軍事面での活躍を教えてください
976人間七七四年:2007/11/17(土) 00:25:32 ID:TTazeYcy
新発田の乱鎮圧
長谷堂城からの撤退戦
977人間七七四年:2007/11/17(土) 01:42:24 ID:eVqc8AGM
>>975
軍事面よりも内政面での働きの大きい人ではあるな。
景勝時代の内政にかんしては大体が此の人が統括していた筈。
978カキコ:2007/11/18(日) 01:07:45 ID:MYUR4/dS
今日、初めて質問します。

・応仁の乱を起こした日野富子(8代将軍足利義政の妻)は公家の日野
家の出身だけど、彼の息子義尚が亡くなったあと日野家はどうなっ
たの?

・義尚以降の足利将軍は、公家の姫を娶ったりしなかったの?
979人間七七四年:2007/11/18(日) 01:27:02 ID:Wut8SjnG
>>976
「大河に出れるほど実績ない」と一部スレで叩かれているw
>>978
11代将軍義澄の妻も日野家。
その後は近衛家へ移った。13代義輝とともに殺された母の慶寿院とかそう。
日野家は江戸時代も存続している。

980人間七七四年:2007/11/18(日) 02:19:55 ID:OFp/hCmb
>>978
日野氏は江戸初期には輝資が当主。
義晴が慶寿院、義輝の正室が近衛前久の妹だったはず。

>>979
まあ、あのスレのアンチは半ば病気みたいなもんだからな。
なんつうか、どうあっても叩き台にしたいだけというか。
正直、他のスレッドにまともな住人が移って行った残りかすだわな。
981人間七七四年:2007/11/19(月) 00:50:25 ID:9FRChG9s
>>965
家康はそうじゃないか?
982人間七七四年
胤違いなら久松系が幾人かいた筈。
あと、広忠の後妻にも子がいたようないないような