戦国時代の頂点に立った3人のうち
誰が一番偉いかを考えるスレです。
根拠を示しながら自論を展開してください。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 02:53:07 ID:S6j/gD0Y
2げっちゅ
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 02:54:20 ID:K3vUa2iP
殿、お止めくださいw
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 02:59:57 ID:AmQWGbkW
野望チャンス!!
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 03:03:33 ID:QwkPPy2b
現実に250年続く政権を作ったという意味では家康だが、この三人の中では(目的実現途上で
後継者もろとも暗殺されて挫折という点を割り引いても)信長が一番偉いと思う。
秀吉はしょせん信長の政策の後継者に過ぎないし(なので日本統一後、その後のビジョンが示せず
豊臣家は結局滅んだ)三番手だと思う。
信長は当時の日本全土の戦乱の本質的な原因である既得権力(寺社勢力等の宗教勢力、関所、商業権益など)を
明確な意思の元破壊し、新たな制度(関所の撤廃、楽市楽座、軍制の士農分離、宗教勢力の政治への関与の
徹底的排除)を示しそれを実際に実行し中世日本を変えたという意味で時代の改革者だった。
本能寺は残念だったが、日本史に決定的な変革を起こし実行し、成功の道筋を付けたという点でこの三人の中では
抜きん出ていると思う。
まとまってないかもしれないがその点は御免!
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 07:05:38 ID:igoue7l5
織田家では、250年もの間、政権の座にいるのは不可能だと思う。
信長が居なければ、残りの2人は世に出るチャンスすら無かったはず!
第六天魔王様\(^o^)/マンセー!
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 08:59:30 ID:tEraFDTG
信長>>>超えられない壁>>>家康>秀光
9 :
BB ◆BBBBICrdXk :2006/06/11(日) 09:04:13 ID:agZvT/c3
信長は革命家、勝てるわけない
ロベスピエールが上かナポレオンが上か
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 09:44:37 ID:Si42QUsF
信長かなぁ。
家康は250年かけて日本を駄目にしたって気がするし。
家康個人の責任にするのは酷だけど。事の発端だからなぁ。
秀吉は、船長の居なくなった高性能船舶・日本丸で暫く遊び倒しただけって気がするし。
やっぱ信長だな。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 09:59:28 ID:838eNSGX
もちろん信長
信長が本能寺で死ななかったら世界の半分は日本語圏になっていた
13 :
VIPからきますた:2006/06/11(日) 10:10:01 ID:FxY2ByJg
家康は食あたりで死んだ人。
信長は本能寺で明智光秀という大たわけ物にに裏切られ殺される。
秀吉は病気により死ぬ。
信長>秀吉>ブッシュ>マッカーサー>農民>家康
だな
それはない
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 10:42:22 ID:UKV4iLNW
>>12ということはドイツ土産がひつまぶしになっていた可能性もあったわけだな。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 10:43:33 ID:uJCPtOFh
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 10:48:46 ID:UqW+J4KH
食あたりで死んだと思ってる馬鹿がいるのか
>>16 そう思う。
秀吉は天下人の器では無いし、家康は信長と秀吉の築いた基盤に乗っかっただけだ。
信長=ロベスピエール
秀吉=バラス
家康=ナポレオン
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 11:26:51 ID:rxEbHwiO
信長かな
美濃を落としてからの侵攻速度は脅威
21 :
200%お腹いっぱい:2006/06/11(日) 15:38:52 ID:/CdxP35v
20さんに賛成デス 信長が土を耕して秀吉が木を植えて、家康は実を食べるだけ。結局は秀吉と家康の2人の活躍は信長の努リょクがあったからだと思う。
土台を気づいたのは信長だからなぁ
ただ勢力を拡大するのと国を治めるのでは必要な才能が違うと言うことで
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 19:56:53 ID:7GPbHwYf
家康はどうしても好きになれないなあ。
人間くさすぎるのかな。
偉いと言う意味では信長は確かに偉いが、あの体制が長続きするとはとても思えない。
後このスレは家康を過小評価しているが、家康自信は信長政権末期、既に天下政治の
一翼を担っていた。安土城の本丸の最も近くに、最も広大な屋敷を与えられていた事からもそれは明らか。
おそらく織田政権が確立した場合、家康は足利政権における細川家のような、執権家のような存在になったものと思われる。
あ、家康の過小評価と一緒に、信長の過大評価も酷いね、このスレ。
信長の政権構想は足利幕府体制の枠をそれほど大きく出ていない。地方の与力大名と中央の側近官僚と言う体制。
秀吉もほとんどそれを踏襲している。この生ぬるい体制に抜本的な改革を行い、現実に対応して安定した体制を作ったのは
家康。これは織田、豊臣体制の中で現実に天下政務を獲った家康だからこそ、だろう。
信長にしろ、家康にしろ、一応武家の頭領からの天下人。
秀吉はドン百姓からのスタート。
成り上がり度、出世度を考えると秀吉が一番上に思えるが・・
信長、家康が秀吉と同じスタートだったとして、同じような天下人になれたのか・・
私には無理だったろうとしか思えないし
逆に秀吉が信長、家康と同じスタートだった場合、
天下が取れたかどうかは別にして、ある程度の成功を収めたであろうとは推察できる。
ゆえに、秀吉が一番ではないかとおもうのだが・・・
>>25 逆に秀吉が小大名スタートだったら、どんなに大きくなっても宇喜多直家クラス
だと思うよ。秀吉は効率的な織田家組織を、組織内部の人間として使えたことが、先ず何よりも大きい。
秀吉単体であんな組織は作れないだろう。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 21:45:24 ID:vGe0CY6Z
家康のあの中央の強い連邦制ってのはたいしたもんだと思うよ
豊臣期のまま固定したらイタリアとかドイツみたいなゆるい連邦国家になってたと思う
>>26 確かに秀吉単体であにような組織を作り上げることは明らかに不可能だと思う。
しかし秀吉が小大名からのスタートだった場合、それなりの成功を収めたであろう
事も充分に推察できる。伊達政宗クラスには成功していたと思うが・・
正宗みたいに周りの情勢に助けられてればな
中央に近い大名だったら小大名で終わってたろうな
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 05:19:42 ID:v/hfQZYK
指が六本あるって信長記に書いてあった気がするから秀吉に一票
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 17:56:04 ID:i5qATDn9
家康が嫌われる理由は、豊臣が手にした天下をそのまま横取りしたから。
秀吉の場合は、まだ織田は天下を手にしていない状態での天下取り。
>>24は信長の霊を呼び出して政策ビジョンを聞き出した人?
まさか統一過程の政権と統一後の政権をそのまま比較するなんて
おろかな真似はしていないと信じたいんだが。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 20:17:02 ID:AlKdm4S4
>>31 単に厨房にとって「長期政権を築き、磐石の国家体制を形成した」
よりも「有象無象を平らげて統一政権を作り上げた」の方が格好
よく見えるだけだと思う。
秀吉と家康なら統治体制や政策の対比が可能だし、おおよそ家康の
方が上だと言えるんだが(あくまで統治に関しては、ね)。信長は
全国政権築いてないし、体制的には織田家のスタイルを拡大させて
いっただけだから比較できないなあ。ま、全国統一できてない時点
で秀吉&家康より下、と乱暴に言うことは出来るかもだけど。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 22:00:02 ID:4C94u50R
信長は四面を敵に回してこれらをすべて下してきたんだよな。
母、兄弟、家老衆、妻の実家、今川、一向宗、北畠、機内の有象無象、比叡山、将軍家、妹の嫁ぎ先、朝倉氏、武田、上杉、毛利…
これだけ敵として内からも離反者が頻発してそれで勝ち上がっていくというのがすごい。
豊臣政権の「検地」や「刀狩」の全国実施が画期的、とよく言われるが、アレはやらざるを得なかっただけの結果。
戦国期にロマンを求める輩が「戦国時代には農業生産が飛躍的に伸びた」と馬鹿なことをいっているが、本当に生産量が伸びたのは
江戸初期になってから。室町期の生産量と、江戸初期の生産量の巨大な差の穴を埋めるため、調べもしないで「戦国期に生産量が伸びて
江戸初期にいたる」などと言われていたが、最近の研究結果では戦国期には農業生産は落ち込んでおり、豊臣期に入ってその落ち込みはピークに達している。
通説とは違い、内戦状態にあった国土はやはり荒れ果てており、人心がすさみ村落は荒廃し、農民人口も減っていた。
ここにおいて「刀狩」は治安維持のため、「検地」は、減少した生産量の中から、少しでも多くの税を「搾取」する目的で執行された政策なのである。
戦国時代を終了させた事で、秀吉政権は平和をもたらした、との考え方は全く間違いで、大規模な戦争こそなくなったが、小中の武装組織は未だ
我が物顔で諸国の庶民を震え上がらせていた。現在で言えばイラクのような状況だったのだ。そんな国内情勢にあったにもかかわらず、あえて外征を
行った秀吉と言う人物が、どれほど無軌道な独裁者であったか、と言うのは論を待たない。
日本国の平和は実際の所、この豊臣家の滅亡まで訪れる事は無かったのだ。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 00:33:00 ID:XrfveLKl
民衆にとって最悪なのは秀吉の時代だろうね、
年貢率も七公三民とか当たり前だったらしいし、
隠し田も暴かれるはもう踏んだり蹴ったり、
重税路線は江戸期まで続行でしょ
三公七民になったのは綱吉時代のしかも天領の一部
薩摩藩みたいに表高と実質が違うところはカツカツのまんま
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 01:01:36 ID:T9ZD9Ord
とりあえず
先見の明があり、常に最先端を行くのが信長
世渡り上手で、戦上手なのが秀吉
家臣を使いこなすのが上手で、時代の礎を作るのが家康
って感じかな
逆を言えば
敵を作りやすく、強引すぎるのが信長
晩年ボケて、後世に危険を残しすぎたのが秀吉
謀略で人を追い落とし、天下を盗み取ったのが家康
って感じか、まあそれぞれ長所と短所があってどれが一番いいとは決めにくいよな
「天下人」としては家康、「武将」としては信長、「庶民のロマン」としては秀吉かなぁ
>>37 つーか薩摩藩は特殊すぎ。あんな暴税とも言うべきでたらめな農民搾取をしたのはあの国だけだ。
(理由が関ヶ原の頃に確立させた臨戦態勢を継続させるため、と言うのもアレだが)
江戸期において薩摩の農村の貧弱さは有名で。知識層からは相当非難されている。
西南戦争で西郷軍に、薩摩の農民層が全く支援しようとしなかった(幕末、所謂平民層が藩のため立ち上がった
長州とは全く逆ですね)のは、こういう歴史が背景になっている。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 01:23:42 ID:mXnGfe9u
長州も税率高いし、一揆も頻発してたけどな。
>>40 その一揆を受け止めた上で、藩と農民層との利益のすりあわせが出来たからこその幕末の長州、
じゃないのかな?薩摩の場合は「一揆も出来ないほど農民が疲弊している」と、江戸時代ですら言われた国だし。
豊臣の祖である秀吉の比較対象は、源平の祖であって、
彼らの末裔(自称)である平信長や源家康ではない。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 12:29:13 ID:XrfveLKl
>>42 では源経基や平高望と秀吉とを比較した
結果何が出てきたのですか?
>>43 有力子孫の数では秀吉が敵う相手じゃないわな。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 22:12:19 ID:bOZN2biV
>>26 宇喜多直家? 秀家の親父?
何やったの?
>>45 岡山の半分くらいの領土は支配できる、って意味ジャナイカ?
とりあえず信長B型、家康O型で決まり。
秀吉は……たぶんAB型?
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/15(木) 11:15:06 ID:/x45z5ox
信長の血液型はA。
書状の血判から判明してる。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 00:50:25 ID:E669Ruea
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 18:30:02 ID:ZUBv9eIK
英雄が時代を作るのではなく、時代が英雄を作る。
夫々の天下人の才覚・個性と、時代が求めるものが合致したという事。
あれだけの偉業を成し遂げたのだから、三人は天才である事には間違いはない。
英雄が台頭した時代は、それぞれ情勢が異なる。歴史・時代的な役割も異なる。
単純に、誰が優れてるとかはいえない。
時代と英雄の対話の結果である。
52 :
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2006/06/16(金) 18:32:38 ID:FhFgP95p
l'´ ̄`l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`l
| | u |
| | ヽ / |
| :J | ● ヽ----/ ● |
... | | ヽ / |
. | | ヽ/ |
. | | J |
.. | | |
| \ ト、
ミ \ __ 、| |
(( ミ ミ \ ,.ミ'´ ̄ ̄`` `ヽ、| 力
ミ、 ミ \ i. ゙レ、 勹
| ミ、 ,' J l
L.___|_ l l { γ -─- 、
| l -、 ヽ ,. '´ ヽ
| ! ヽ ヽ ,.' ,、 ヽ
./´ ̄`V ,ヽ、 ,' ,' ; ,. ,: ,ハ :, , ヽ
/ 、 | / 、`ー 7! ; : ; /|/.|/ ヽi/! 「
./ i | / ヽ ヽ 〃 入 | ;:「 ーー- -―リj
!. ! / ヽ (`wi| _,. .__ lノ
`ー‐ゝ、 ' / ヽ___,.-‐'"⌒゙"'''ヽ ゚.:::.: ( .:::/へ
`ー--‐' ,. -‐'"´ ,,),, r―、 ノ.ノ ヽ
力 /"ー─------<二/ ´ヽ、-<r"/,ー、 丿
勹 { 〈 )、 Y `ゝ(_/_/./'
} `ー----------─一--‐'´ ̄´
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 19:02:27 ID:XUnzEaT/
信長・・曹操、高杉晋作、星野仙一、蒋介石、小泉、 久米
秀吉・・劉備、坂本竜馬、長嶋茂雄、毛沢東、角栄、 みの
家康・・孫権、木戸孝允、野村克也、ケ小平、中曽根、古館
野球監督ごときを並べるなよ…
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 21:35:44 ID:XUnzEaT/
秀吉→秀家→勝頼→義輝→宗茂→幸村→謙信→道雪→清正→左近→義弘→昌景→忠勝→利家→孫市→勝成→政宗→信長→道三→久秀→直家→直茂
↑ ↓
秀秋 家康
↑ ↓
義昭 信玄
↑ ↓
義長←義元←宗麟←元親←景勝←光秀←重治←隆景←兼続←三成←氏郷←吉継←昌幸←如水←早雲←元就←幸隆←高虎←氏康←義久←顕如←雪斎
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 21:41:16 ID:XUnzEaT/
秀吉→秀家→勝頼→義輝→宗茂→幸村→謙信→道雪→清正→左近→義弘→昌景→忠勝→利家→孫市→勝成→政宗→信長→道三→久秀→直家
↑ ↓
秀秋 直茂
↑ ↓
義昭 家康
↑ ↓
義長 信玄
↑ ↓
義元←宗麟←元親←景勝←光秀←重治←隆景←兼続←三成←氏郷←吉継←昌幸←如水←早雲←元就←幸隆←高虎←氏康←義久←顕如←雪斎
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 21:43:42 ID:XUnzEaT/
秀吉→秀家→勝頼→義輝→宗茂→幸村→謙信→道雪→清正→左近→義弘→昌景→忠勝→利家→孫市→勝成→政宗→信長→道三→久秀→直家
↑ ↓
秀秋 直茂
↑ ↓
義昭 家康
↑ ↓
義長 信玄
↑ ↓
義元←宗麟←元親←景勝←光秀←重治←隆景←兼続←三成←氏郷←吉継←昌幸←如水←早雲←元就←幸隆←高虎←氏康←義久←顕如←雪斎
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 21:48:39 ID:XUnzEaT/
秀吉→秀家→勝頼→義輝→宗茂→幸村→謙信→道雪→清正→左近→義弘→昌景→忠勝→利家→孫市→勝成→政宗→信長→道三→久秀→直家
↑ ↓
秀秋 直茂
↑ ↓
義昭 家康
↑ ↓
義長 信玄
↑ ↓
義元←宗麟←元親←景勝←光秀←重治←隆景←兼続←三成←氏郷←吉継←昌幸←如水←早雲←元就←幸隆←高虎←氏康←義久←顕如←雪斎
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 17:41:34 ID:D0NaUdfd
何だこれ
革新、日本まとめる信長=平和創造家康>>>>>>>>>>>秀吉くん
家康が豊臣の政権を奪ったのは秀吉が固い政権を作れなかったから。
子どもがいないから仕方がないってのは、言えないだろう。
やはり秀次を殺したのが失策か。
織田家ファンの俺としては、池田、羽柴、丹羽などを恨むが、
謀反を多発させたのが汚点。
丹羽はあとで切腹した様なので許す。
羽柴を信用してしまった、見る目がなかったのだけが失敗。
池田は、のこのこと家存続w
羽柴は、恩知らずなイヌ。
家康の簒奪は認めて秀吉は許さないってのはどうなんだろう。
本能寺の後、織田家相続を認められそうなのは信孝、三法師、あとは信雄ぐらい
だが、彼らが広大な、そして敵が多い織田家を纏め上げることが可能だったろうか。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 22:25:34 ID:Ys9iL/M7
秀吉の纂奪は認めて家康は許さないってのは
どうなんだろう、秀吉の死後、豊臣家の跡を
継ぐのは秀頼しかおらず彼が有力大名を抑え
て天下を治めることが可能だったろうか。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 23:46:26 ID:V/McvADb
>>61>>62 家康は簒奪(とはちょっと違うと思うが)後、平和な安定政権を作った。
秀吉は簒奪後、内政にかまけ豪奢の限りを尽くし無益な外征まで行った。
客観的に見ても秀吉のやったことというのは、内戦終結後の政権として、とてもじゃないが誉められた物じゃないと思うよ。
もう一つ、俺は個人的に、家康は乗っ取りではなく、「ほぼ」自力で政権を取った人物だと考えている。
その証拠に、例えば信長は、その政権内に、天下政治のブレーンとして、権力中枢に足利幕府官僚を大量に抱え込んでいた。
これは彼の政権構想が、足利幕府と大差なかったことを示している。その延長線上にある秀吉政権も、権力中枢は旧織田、足利官僚だった。
ところが家康だけは、ほぼ自前の家臣で、天下政権の官僚団を形成することが出来た。つまり家康とは、「戦に勝つ」「権力闘争に勝つ」事だけではなく、
徳川家としての政権担当能力を作り上げることを怠らなかった人物だといえる。
こう言う政権を「創る」(奪うのではなく)感覚を持っていた人物というのは、日本史の中でもこの家康と、源頼朝、大久保利通くらいではないかな?
どれも人気が低いのも共通しているがw
>>64(=24?)
統一前の信長の政権構想を勝手に想像して家康と比較するなというのに。
人材については単に信長は人材登用に積極的で家康はそうでもなかったという
だけに思えるんだが。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 19:53:46 ID:OLZlBhmw
>>65 どこがさ。家康も三河時代から積極的な登用を行ってるし
(秀吉のような常識はずれの出世はさせてないが)、北条を
始め、旧豊臣系の家臣も使ってる。
むしろ
>>64にいうなら「前政権の官僚機構を利用するのは
為政者として当然」ということだろうな。未来のビジョン
に関係なく、現在と未来をつなぐ為に現政治体制を築いた
有能な人材を利用するのは当たり前。
秀吉厨はどこいってもアホなのは諦めてます。
>>61 三法師を当主にし、家臣たちが支えていってほしかった。
利家が離脱しなければ・・・・・・権現坂の奇跡ktkrになってた
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 13:22:33 ID:XAXHzc1I
秀吉かなあ
てか最近の大河ドラマの秀吉、
悪かっこよくて魅力的すぎるよね
柄本も香川も
三人の誰が一番偉いかなんて考えるのがそもそも無意味だよな。
みんな担った役割が違うわけだし、何をもって偉いとするかの基準によっても違う。
余談ながら信長の過大評価は何とかならんかな。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 16:41:23 ID:5CBUcrxw
たしかに天下統一はしていないが、信長のこの
国のためにした数々の功績、後世への影響を思
えば過小評価されてるとも言える。
志し半ばで非業の死を遂げたというのが日本人には受けるんだろうなぁ。
信長は暗殺されて死んだ。
秀吉は明に勝てぬまま死んだ。
家康が一番でいいんじゃないか?
信長の遺業で称えられてしかるべきは宗教団体から武力を取り上げた事と、
明確に日本統一(地方分権などの分裂状態認めない)の意思を示したことだと思うが、
何だか小説じみた逸話をとりあげて神のごとく崇めるのが多いのは気になる。
>>74同意。行き過ぎた信長崇拝は勘弁して欲しい。見ていて痛すぎ。
日本人は、悲劇的な死に方をした人を好むからなぁ(除く、吉良上野介)
義経も楠正成も信長も龍馬も真田幸村も、人気のある人々はみんな「志半ば」で悲劇的な死に方だし。
秀吉や家康や頼朝や尊氏は、目標を達成して死んでいったから人気がないな。
秀吉、家康、尊氏。人気無いわけじゃないだろ。
まぁ頼朝が好きってのはなかなかいないと思うが。
家康は頼朝を尊敬し、大久保利通は家康を尊敬した。
こういうのはちょっと面白いね。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 01:16:59 ID:yKcsaf/h
>>77 というより、一種の軍事的な華々しさと自分を貫くという態度を
好むのではないだろうか。和をもって尊しとなす、集団を大切に
する日本人にはそういう意地と信念を劇的な行動で示す人が眩し
くうつるのかもしれん。
家康や頼朝は国家(政権)のために自我を捨てることのできた人で
大きな目で見ればこれも「意地と信念に生きる」人の範疇だが、
わかりにくいし堅実で地味な印象は否めない。
81 :
SUZUKIけいご:2006/06/22(木) 01:32:10 ID:2uRr2q5W
信長がBOOK- OFFを伝えたんだろ?
安土の御幸に天○を幽閉し
絶対君主制をとっていれば
今日の日本はど〜なっていたのか??
信長も幽閉するとかそんな自己満政治はしないだろ。
別に天皇に怨みがあるわけじゃないし。
あれだけドンパチしてた本願寺も武力を取り上げるだけで満足してた。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/22(木) 23:01:48 ID:c4rwt249
信長には圧政のイメージはないな
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 08:57:24 ID:h7FqJoIR
意外と詰めが甘い気がするのが信長だよね。
圧政はしてるイメージがない。
そこから秀吉、家康は学び取って甘いことはしないようにしたのかも知れんが
無茶する割に搦手は空けとく、そんな感じだね>信長
秀吉は目の前に目も眩む壁作っといて、勝手口から手を振ってるイメージ。
一番えげつないのが家康。
信長はそれが出来る段階じゃなうちに本能寺になっちゃったからね、何とも
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 11:11:47 ID:KZLLXSQg
誰か豊臣秀長(大和大納言 小一郎秀長)のスレ立ててくれ
秀長好きは結構多いはず
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 16:16:56 ID:QKyPy4tN
信長と家康は、甲乙つけがたいな。秀吉はどうしても一枚劣る。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 14:23:26 ID:XZv1qqjw
実戦指揮官としての力量を見れば信長かね?
稲生の戦いでは7百の兵で1700を撃破
桶狭間では2千で2万の敵を撃破
森部合戦では1600の兵で3千を撃破
天王寺合戦では1万5千の敵の包囲網を3千で突破
武勇でも突出してる
どうしようもない事態に陥った時の果断さと冷静さは段違いの凄さだ罠。
>>91 結論だけ言うのはアホのすること
思考のプロセスを書け
殿で窮地を救ったのは、秀吉だぜい?
それに秀吉の機動力は、戦国でも屈指。
金ヶ崎って秀吉の手柄だけにされてるけど
池田や明智も参加してみんなで支えたわけで
それをいったらそもそも武士階級ですらなかった秀吉を取り立てたのは信長なわけで
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 20:43:55 ID:uOmUiHbn
>>94 プロセスを書くと長いぞ。
まぁ、簡単に言えば、信長はパイオニアであって、行き詰った中世を
壊して新しい時代のグランドデザインを提示した。でも、現実にあわ
せるということができなかったために、途中で挫折した。
それを受けて、家康は信長のグランドデザインを現実に沿った形で
日本全体をハードランディングさせた。特に、評価できるのは独裁が
必要な戦時体制から、合議を中心とした平時体制にちゃんとシフトさ
せた点があげられる。その結果が、250年の平和だった。
両者に比べると、秀吉は信長のグランドデザインを引き継ぎつつも、
体制を変革をできずに、そのまま政権自体がつぶれた。信長と家康に
比べれば、どうみても1ランク下としか思えない。
秀吉の場合は他の二人に比べて出発点が著しく低いからなぁ。
最初からある程度のデザインを描き、そのための過程を想像できた二人と違って
まず「デザインを描ける地位」に上がるまでをデザインしなきゃならなかったから。
ルーでカレー作るのと、香辛料のブレンドから始めるのじゃまた違うだろうしな、と。
と言うか家康の排除に失敗しただけの気がする。
それだけ、家康がしたたかだったのだろう。
信長も家康もれっきとした武家の御曹司
秀吉は百姓の子。スタートラインではっきり差をつけられてるのに、初めて天下まとめたのは秀吉
秀吉の体制が続いていたら重商主義を押し進めていた。
交易によって現地の情報と人心収斂のノウハウを蓄積し、南洋に一大帝国を築いていただろう。
それを阻害して、日本近世史の扉を閉ざし、日本を中世もどきの社会に逆行させたのが徳川。
徳川幕藩体制は、支那の宋・明の中央集権への固執に匹敵するミスリード。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 21:40:29 ID:u/v06/Hj
家康がいなくても豊臣政権は続かないでしょ。
秀吉の晩年の行状、後継者問題、外征の失敗、
体制の不備、民衆への圧政、有力大名の存在、
家臣団の対立、etc… これだけ問題があって政権
が続くとは思えない。
特に外征の失敗は致命傷、明でさえこの戦が
滅亡の一因だとも言われている。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 21:48:24 ID:uOmUiHbn
>>101 よく見るバラ色の豊臣ホルホル路線だが、家康がいなかった場合の
豊臣政権で一番高い確率は、もう一度内戦状態の世だ。
家康がまとめあげたから関が原の一戦でケリがついたが、そうでなれ
れば、派閥を中心に野心のある外様大名がからんで、収集がつかなく
なったろう。
また、重商主義というが、貿易の利益をどうやって得るのか考えた
やつはまず見たことがない。いったい、何を売る気なんだ?
確かに、貿易は儲かるが、貿易で儲かることと貿易で国を成り立た
せることとは、まったく違う。重商主義が成立するには、売る物と
売る市場がないといけないが、売る市場を得ようとした秀吉は、
それに大失敗している。(唐入りでな)
空論だな。
3代ぐらいは続いたんでないかなあ。
家臣団の対立は家康の策謀つう面も大きいんだろうし。
ただ、ねねに子があればねえ・・・
豊臣政権が倒れて第2時戦国期に入ったら面白かった・・・って今の日本はないかw
国内の統一が遅れて外国勢力に蹂躙されてたかも。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 21:52:59 ID:uOmUiHbn
>>104 もし、豊臣政権が続いたら、足利幕府以下だった可能性がもっとも高い。
106 :
名無しの雑兵:2006/06/24(土) 22:12:57 ID:wZl5iuWM
>>103 やはりスイスの如く傭兵と武器をアジア諸国に売りさばく程度かな?
それをもって東南・東アジアの安全保障の担い手になるという可能性もあるかも
しれないが、どう考えても豊臣政権の能力では無理がありすぎ
江戸時代を参考にするなら鉱産物とか海産物かな?>売るもの
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 23:11:42 ID:uOmUiHbn
>>107 どんな国でも貿易で売るものはそれなりにある。
だが、貿易で国を成り立たせるには、国内資源がたくさんあるか、
今の日本みたいに工業製品を売るか、欧州の商業国家がそうであった
ように中継貿易をするかしかない。
このうち、資源はない。地理的な問題として中継貿易は無理だ。
だから、工業製品を売るしかないんだが、何を売るのか。
実際問題として、貿易を前提とした重商路線はオランダ・イギリスを
待たないといけない。戦国時代はスペイン・ポルトガルの時代だが、
要するに軍事力で降伏させて搾取するという貿易だった。秀吉の考えも
多分にそれに近いが、思いっきり失敗している。
この状態で、交易中心の重商主義が展開されるなんて、アホとしか思えん。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 23:22:42 ID:uOmUiHbn
まぁ、ついでに言っておくと、為政者の評価は天下を取ったこと
よりも、天下をとってから何をしたかの方で評価すべき。
というか、「最下級から天下を取ったこと」と「天下をとってから
何をしたか」の評価は、ちゃんと分けないといけない。
確かに、秀吉は逆境を跳ね除けてのし上がってゆく能力はすばらし
かった。だが、天下をとって、日本全体の政治をするという段階に
なると、二流とまでは言わないが、一流の下という程度でしかない。
それを言うと、信長もコワイ気がするなあ・・・
それに3人とも会社で言えば創業者で問題は2代目・・・いや3代目
の能力と家臣団(官僚)次第だからなあ。
豊臣政権が続いても結局鎖国になる可能性も高いし。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 23:39:30 ID:uOmUiHbn
>>110 まぁ、そういうことだな。
俺は家康をかなり高く評価しているが、その理由は、自分が死んだ後でも
ちゃんと稼動してゆく体制を残したことにあるから。
これは、普通はできないんだよ。
民主主義にしても、王や皇帝の個人的な資質であまりに上下するんで、
その害を少しでもなくそうとすることから出てきた。
家康は、封建体制でそれと同じことを実現してみせた。(利きすぎた
面もあるが)しかも、自分自身は独裁的な権力で政権を確立したにも
かかわらずだからな。
結局、戦時体制からどう平時体制?にランディング出来るかが問題で家康はその辺
凄かったからね。
戦時の功ある家臣をどう抑えるか・・・秀吉は、領地を増やす事でそれを成そうとしたのかもねえ。
失敗したけど。
信長は、もし統一がなったら・・・非情だろうな。
ばっさりとやろうとして・・・結局、クーデター起こされて倒れたりして。
でも直臣層に土地大盤振る舞いっていうのは信長が最初でしょ
越前一国とか丹波一国とか与えてる
少なくとも有能で裏切らない家臣についてはかなり優遇してるほうだけど
(光秀の土地取り上げ説は当時史料には根拠がないからとらない上でね)
どうなんだろう・・・統一がなってしまえば武功よりも官僚優遇しそうな気がするんだよなあ。
それと、末期?信長には病的と言ったら言い過ぎかもしれないけどちょっと精神的に病んでる
印象受けるんだよなあ・・・と、もの凄い個人的な妄想。
>>108 >資源はない。
当時の日本は、鉱物の一大産地じゃないの。
秀吉の子種
家康の長生き
交易は下手したら赤字になる可能性がない?
あと江戸末期みたいにレートの違いで鉱物資源持ち出される心配はないのかな
江戸末期と比べて西洋との交流は盛んだからその問題は少ないだろ。
貿易を本格的にするつもりなら下調べくらいするだろ。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 21:15:02 ID:M4dBxHLD
信長は統一してもすぐ早死にしそうだ
当時の50代は早死にだろうか。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 22:11:57 ID:M4dBxHLD
それもそうだが、三英雄では一番短命だったと思う。
気の短い奴ァ長生きしないだろうからなあ。
織田家は長生きの家系だけど
後、信長政権は信長が途中で倒れても信忠が受け継いでくれる安心感が有ったはず
実際は共倒れしちゃったから織田の迷走が始まる訳だが
江戸時代は評価していいよね
江戸時代に培った文化水準があればこその文明開化と殖産興業だもん
信長→秀吉→家康
この3人が、この順番で活躍してくれたお陰で
太平の世が続いたと....〆(・ω・` )感謝、感謝
信長は志半ばで逝ったおかげで
統一後の構想なんかは信長ヲタが妄想し放題。
信長だったら秀吉みたいな失敗はしない・・・
信長だったら家康みたいな詰まらない国づくりはしないと
しかし現実は家臣に謀反されてあぼーんという天下構想云々以前の大失敗
つまり信長では統一できても政権維持はできない、と?
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 03:26:44 ID:Q96yuQ0D
>>126 実際統一にこぎつけてないのでその器ではない、って意味じゃ?
>>125 おはよう〜♪(眠い
RG信長さんは天下統一後、自ら上皇になって〜息子の信忠は〜征夷大将軍!?って感じ♪
統一後、家臣団で一番待遇が良さそうなのは蘭ちゃんとキンカン頭おかしい&ハゲネズミ
普通に右大臣か関白だろ>信忠
征夷大将軍に価値などない
むしろ織田家の為の官位新設?
朝廷ぶっ潰しまでいくとはちょっと…
旧来の秩序の一段上に自分らを置くぐらいは考えそうだ>信長
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 13:19:37 ID:W/LIhH04
当時関白はそんなに価値ないでしょ、あれは
五摂家が記念になりたがるだけのもの
秀吉がなったから良く思えるだけ。
秀吉と同じように空いてるなら息子にやらせようはアリじゃない?>関白
関白に拘る人がいるけど信忠の話題は板違いですよ〜〜〜!!
信長が天下統一後は上皇になって法制度配置で終了で自己解決♪
次にハゲネズミと良家のお坊ちゃま家康君の話題しようよ!!ね!ね!
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 16:21:50 ID:RakSGV/H
香ばしいのがわいてまつねw
流石日曜日www
>>124 に賛同
秀吉と家康に信長の代わりは務まらなかっただろうし。
信長後・・・秀吉を抜かして家康が天下を取れることもなかったような気もする。
家康も秀吉の後だったから安定した政治体制を築けた気も・・・
信長(創業者)→秀吉(2代目社長、会社の発展に尽くす)→家康(3代目社長、社内体制の整備・リストラ)
という感じかな?
この3人死に方もロクでもないが死ぬまではもっと酷いな
信長は疑心暗鬼に陥ってるし(本願寺との死闘が変えたのかね)
秀吉はもう言うまでも無い・・ アルツハイマー、痴呆症でも何らおかしくない
家康は胃がんで死んだならマシだがもし本当にてんぷらの食べすぎで死んだのなら歴史上でもっとも惨めな死に方をした人物
江戸時代が再認識されてるとはいえそれでも・・
アンチ信長=武田厨、浄土真宗徒
アンチ秀吉=在日朝鮮・韓国人、キリスト教徒
アンチ家康=伊達厨、石田厨、真田厨、キリスト教徒
>>137 意地でも秀吉が嫌いになれなくするための悪質な決めつけだぞそれ。
しかし、ここで書く事じゃないけど・・・それぞれの武将ごとに親衛隊あんのね。
歴史好きってもっと流れとか大きな視点で見てるのかとオモテタ。
誰しもお気に入り人物なんて一人じゃないでしょ。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 23:17:17 ID:UE/lKZL8
信長厨=ロマンチスト
家康厨=リアリスト
秀吉厨=オナニスト
信長=拓人の前にしゃがむ柏木。
家康=柏木が拓人のベルトを外す。
秀吉=カチャカチャカチャカチャ
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 23:32:47 ID:dtWdAI9n
>>136 中毒症状の場合は、一気に悪くなってそのまま死ぬ。
小康状態にははらない。自覚症状が出たときの食い物が
たまたまてんぷらだっただけ。
胃癌といわれているけどな。
49と62と75
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 23:35:51 ID:dtWdAI9n
>>139 武将親衛隊と歴史好きは戦国ファンでも2つの方向だが、ここは三戦板の
雰囲気が多分にあるので、武将ミーハーが多いんだわ。
(それでも、歴史談義がしたくて三戦板から分離したんだが)
わざわざど〜も。
信長がいなければ、秀吉が歴史の表舞台に出ることはなかったろうし家康も天下を取ることは
なかった。
逆に言うと、秀吉と家康がいなかったら・・・信長は天下を目の前に出来たんだろうか?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 23:59:21 ID:UE/lKZL8
信長厨 信長公記ぐらいよんでいる
家康厨 歴史読本ぐらい読んでいる
秀吉厨 大河ドラマぐらい観ている
秀吉はすぐに叩かれてかわいそうだな。
学歴が全てじゃない世の中だと思うがゆえに。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 00:07:18 ID:od7auSBu
>>146 信長がいなければ家康は信玄と同盟を結び、信玄の死後天下を取る
今川から独立出来たのかな?
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 00:15:40 ID:od7auSBu
まあ、そういう可能性もあったということでw
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 00:18:53 ID:P3Qf5yt9
信長がいなければ信玄も駿河を手に入れられない。
今川義元の寿命次第な気がしなくもない。
戦国厨はIFが好きだよね
今川が上洛し幕府の後ろ盾となったら戦国は、まったく違う様相をみせてたんだろうな。
>>155 そりゃ、知的遊戯(?)としちゃ面白いものw
作品の二次創作みたいなもんよ。
>>155 掲示板やチャットだとどうしても一方的な押付けた意見になり荒れる元凶になる。
しかも日本人は疑問を持たないから鵜呑みにしてしまい差別や偏見の横行、変なアンチやそれに便乗する糞コテが表れる始末。
今の日本に血液型オタクが多いのが実例、血液型で人を判断する馬鹿が多くなっているのは事実。
これは疑問を持たず鵜呑みにして洗脳されてしまった良い実例だ。
性欲の強さでは誰が一番かな?
甲乙つけがたい
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 16:06:27 ID:tf39Nwiy
信長家康は趣味嗜好が女=子宮な感じがするなあ。
好色って意味ではやっぱ秀吉な希ガス
>>161 秀吉の性欲は好色というより汚らしいといった方が正しい。
他人の妻にも平気で手を出すし。
さらには、資金的に甘えさせるんならまだいいが、女を中心に派閥ができて
政治の混乱に繋がってるのに、欲望のままに溺愛するし。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 17:44:01 ID:vYjPjvXu
男を溺愛するのも混乱のもとだがなw
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 19:07:26 ID:RV2Qt1+M
秀吉は一発でもいいから男に掘られて、おとなしくさせたほうがよかった
>>165 秀吉の性格上それは逆。
彫られたとしても逆に目覚めてしまい厄介。
ハゲネズミを見つけたら時点で駆除が一番効果的。
個人的に恨みでもあるのかw
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 18:39:59 ID:cO9HgfV5
どうしても秀吉を消したいのか?w
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 23:44:57 ID:XDAa+/xH
つーか意味も無く何故笑ってる?面白くね〜し。
ハゲネズミに怨み何かね〜ら。
秀吉の攻略法を知りたいとカキコする人がいるから答えただけで私情を挟んでるのは
>>167>>168>>169アンタ達だろ。
頭堅くて融通が利かないし、固定観念ばっか押付けるから誰も来なくなってしまう。
しかもアンチになってまで固定観念を押付けに来るから非常に厄介。
ああ、お前のツマンネー固定観念押付けるな!!
お前が面白くても周りは不快なんだよ!!
お前が一番不快なのに気づけ
オマエガナ
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 20:54:05 ID:nm7l1U5K
【信長厨】 「信長の野望」から好きになった
【秀吉厨】 ドラマを観て好きになった
【家康厨】 秀吉厨のDQNぶりを見ていたら
いつのまにか…‥
他板でも粘着質な嫌われ者
>>176がノミみたいに何か言ってる?
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 11:42:35 ID:A+JjVS3Z
170 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/07/08(土) 00:14:28 ID:1cHLRTef
つーか意味も無く何故笑ってる?面白くね〜し。
ハゲネズミに怨み何かね〜ら。
秀吉の攻略法を知りたいとカキコする人がいるから答えただけで私情を挟んでるのは
>>167>>168>>169アンタ達だろ。
頭堅くて融通が利かないし、固定観念ばっか押付けるから誰も来なくなってしまう。
しかもアンチになってまで固定観念を押付けに来るから非常に厄介。
172 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/07/08(土) 00:28:48 ID:1cHLRTef
ああ、お前のツマンネー固定観念押付けるな!!
お前が面白くても周りは不快なんだよ!!
174 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/07/08(土) 10:43:20 ID:1cHLRTef
オマエガナ
177 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2006/07/08(土) 23:51:52 ID:1cHLRTef
他板でも粘着質な嫌われ者
>>176がノミみたいに何か言ってる?
>>177 おまえの方がよっぱど粘着質で嫌われものに見える。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 13:09:02 ID:EvSUPR2G
日本史における貢献度なら信長、家康>>>>>>>>>>>秀吉
だが、成り上がり度となると、秀吉>>>>>>>>>>>>信長、家康。
能力的には3人とも互角ってかおんなじようなもん。
信長も厨がいうほど革新的でもないし、家康もアンチが言うほど閉鎖的じゃない。
豊臣秀吉の朝鮮出兵は明王朝衰退の原因を作り上げた
秀吉は世界史に多大な影響を残したよ
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 13:20:17 ID:EvSUPR2G
天下取りの過程で比較してみよう。
信長 一、18歳の若さで家督を継ぎ、謀略を駆使して尾張国内のほとんどをまとめ上げた 15点
二、桶狭間合戦で、兵力差をものともせず勝利を挙げた。 10点
三、ほぼ互角の国力を持つ美濃を6年で併合した。 15点
四、上洛し、天下に号令をかけた。 20点
五、信長包囲網の超危機的状況を乗り越えた。 25点
六、石山本願寺を武力解除し、宗教戦争の根を絶った。 40点
一、幼少期、危行が目立った。ゆえ、一時家中が割れた。 −5点
二、信長包囲網にはまったのは、浅井を信頼しすぎたミス。 −10点
三、家臣の謀反により、その天下を失った。 −20点
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 13:33:49 ID:EvSUPR2G
秀吉
一、足軽から、いつの間にか織田家幹部に 25点
二、以後、数々の殊勲をあげ、筆頭幹部に 15点
三、毛利攻略戦で破竹の進撃 15点
四、信長死後、迅速な決断により天下平定 20点
五、次ぎの家康に繋がる天下政策を進めた 10点
一、必要政策だったとはいえ、外征により、自家滅亡の一端を作った −15点
二、晩年、残虐さや、危行、判断ミスが目立つように −5点
三、政権移譲のときのマズさ −10点
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 13:42:25 ID:EvSUPR2G
家康
一、自らの優秀さにより、虐げられていた今川でそれなりの地位を得る 5点
二、迅速な決断により独立 5点
三、一向一揆平定 5点
四、信長死後まで、遠江、駿河を平定 15点
五、信長死後、甲斐、品のを平定 10点
六、豊臣時代を、抜群の処世術で生き抜く 10点
七、関が原合戦勝利 20点
八、天下平定、260年の平和をもたらす 35点
一、小牧合戦、見方が原合戦なども、敗北の歴史 −15点
二、豊臣つぶしの過程が悪辣で、後世の悪評をこうむる −10点
三、
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 13:50:02 ID:EvSUPR2G
家康80点、秀吉65点、信長90点
個人的には秀吉が好きなんだが、秀吉の評価が低くなってしまった。
足軽→織田家幹部は35点くらいでいいかも。なにせ、日本の歴史でこれほど
までの出世は例がない。また、ミスが晩年に集中してることも考慮できるかな。
秀吉は天下人になったから凄いのである
しかし勝家もなぞの出身から、信勝家老-越前49万石の大身となった
農民から天下人になったから、出世では一番に評価できるが、
大出世人はほかにもいっぱいいるぞ。
覚えておけ?秀吉厨
煽ってる所すまんこってすが、大出世人と出世頭はまったく違うと思われますよ。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 16:35:45 ID:ihVA693b
大出世したからといって、それだけで評価する気にならんなぁ。
ヒトラーを尊敬できるかっていったらできんのと同じでな。
秀吉は晩年の暴虐がなければなぁ。
ちらほらと我が儘なところも随所に見られるし。
まぁパーフェクト人間なんてそうはいないけどね。
たんなる下克上の体現者や出世頭と、
日本を切り従えた覇者を同程度に見る。
まさに卓見といえよう
初めの2行と3行目は矛盾しているといえよう
皮肉では?
真面な反論出来ない日本人が粘着質に皮肉てるだけ。
それが2ch
織田家は重臣ほど前半生がよくわからん。
秀吉然り勝家然り、光秀や一益も。
佐久間や丹羽はまだましだけど。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:39:11 ID:TOfKt/Mw
創作が多いよね。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 17:28:17 ID:x0AsxsNt
モーニング娘。 信長
モーニング妾。 秀吉
モーニング嫁。 家康
モーニング姦。 家光
モーニング牝。 綱吉
メヤスバコ婿。 吉宗
「是非に及ばず、殲滅せよ」
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 01:19:54 ID:btZvbTzu
モーニング犬。 綱吉
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 03:25:51 ID:XABtNT6d
そもそも「偉い」ってのを判断する基準が曖昧すぎ
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 03:46:13 ID:XABtNT6d
総理大臣織田信長
無能官僚はクビ、公明党・層化は無力化、北朝鮮には他国と連携して圧力
民衆には人気だが、与党内で完全孤立
総理大臣豊臣秀吉
私利私欲に走る。北朝鮮に空気を読まず日本単独で攻め込む。
総理大臣徳川家康
安定政権・日本の景気回復。支持率は微妙だが、成果を出す。
北朝鮮には他国と連携して圧力。
あくまで妄想な
偉いのは家康。やはり平和な世の中の礎を作ったからね。
面白いのは信長。何か謎が多くて想像力を描きたてられる存在。
秀吉は・・・友達になるなら1番良い奴かも。
信長は油断した
秀吉は若い時にいぱ〜い子供作れなかった
家康は長生きした
秀吉って若い頃ならトモダチになっておきたい奴だが
権力を徐々に握っていくと顔色伺わんと何されるか分からない印象がある
>家康は長生きした
家康のしたことってこれに尽きる
それ以上でも以下でもない印象
偉いといってもそれぞれ方向性が違うと思うが
やはり秀吉はちょっと下かなあ。
信長の後釜に座っただけというかんじがある。
優秀な人物ではあるが偉人ではないと思う。
あぼーん
家康はこの二人の挟まれてるおかげで
普通っぽさがいい意味で個性になってるよな
おかげでもっとも長期の政権を実現したことから、
結局普通が一番だ、ということで、世の普通人の希望の星になっているのです。
本当は若い頃から非凡な才能をしめしていたのだけどね。
まあ、普通でもまして凡人でもないが、
3人の中では家康がもっとも常識人だったとは言えるかもしれない。
>>194 それだけ身分が低いのが取り立てられたって事なんかね。
江戸時代は平和とかいうが、よっぽど脳みそ沸いてるとしか思えん。
西欧列強がアジアを食い物にしてた時代、日本は引き籠り政策により
別天地のように荒らされずに済んだ事は無論評価すべきだが。
絶対的な支配階級が下層階級から250年も搾取し続けるシステムの
何処が平和なのだと。
農民に生まれた子はどれだけ才能を秘めていても一生読み書きもできないまま
支配階級に搾取され続けて一生を終える。
夢も希望も無いよ。
>>210 現代の価値観で語ってもねえ。
あんた歴史を論ずる資格皆無だよ。
こんな板来ないほうがいいんじゃない?
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 21:08:14 ID:gDC+Cwo8
>>210 >>211がすでに一刀両断しているが、俺も一言。平和と格差は両立可能だぞ。
「江戸時代は平等で公平」って意見に対してなら君の言うことは多少の説得
力を持つが、「江戸時代は平和」の対立意見としては成り立たない。
日本語やり直して来い、悪いことは言わんから。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 00:09:38 ID:h7Fku77y
人生五十年。下天のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり。
↑「くらぶれば」って今の時代でもそのまま読むのですか?
「くらべれば」って読む?
水を差すようだけど、「250年の平和の基礎を築いた」っていう評価も現代の価値観からの評価なんだけどな、
当時の価値観となると評価する人間の身分階層や立場によって変わるから何ともいえない。
江戸時代が平和だったって事に関しては異論はないが、
国民にとって良かったかとか現代より良いとかって話なら
江戸時代は良くないといわざるを得ないが。
江戸時代のイメージ
・意外と現在よりもずっと犯罪が少ない統制国家
・監視社会でありながら人情を尊ぶ時代
・差別を法制化している
・海外情勢に疎い
・在日がいない
現在より勝るところもあるな。
少なくとも今の北朝鮮よりはマシだろう。
>>216 江戸時代の暮らしを描いた小説やらドラマなんかの影響受けすぎ。
江戸みたいな都市部に住んでる町人とかならいいんだろうけど。
貧農や最下層の身分えたひにんあたりの生活なんか今の北朝鮮以下の扱いだぞと。
大体当時日本の日々の生活に事欠くような暮らしをしてる人間の割合がどれくらいか
わかって言ってるんかね?
当時識字率がかなり高かったという。
農民だって寺子屋行ってた子供も居るということだろ
普通あまりにも農民に余裕を与えないような政権ならもっと一揆とか
頻繁に起こって崩壊してしかるべきなんだが
島原から最後幕末の辺りになるまで大規模な農民一揆って無いんじゃないの?
暗黒期のごとく語るのもどうかと
現代の感覚でいうのは如何なものか、と思うよ
戦乱の世よりは、江戸期はマシでしょ、間違いなく
しかしながら例外もある
某国では、転封された旧領主を懐かしむ逸話がいくつもある
そんな圧政の国もあったけどね
識字率が高いコトは誇って良いこと
だって、日本人の基礎学力が高かったからこそ、半島や大陸のようにならず近代化に乗れた訳で
でもね、江戸時代の功績を全部家康換算にすること自体間違ってると思うんだけど
秀忠や家光(の側近)、中興の吉宗、田沼が居てこその江戸時代だろ
>>217 いや、農村部落も一部例外をのぞけば普通に暮らしていけるところが多かったらしいぞ。
うちは代々百姓で、ひいじいさんは幕末を生きた農民の一人だが、
維新後も幕政時代を懐かしんでいたし、その時代の殿様を尊崇していたそうだ。
本当に江戸時代がひどい圧制ばかりの暗黒時代ならこんなことはないと思うんだな。
薩摩と会津は暴政の行われてた地獄だろうけど
でも、当の圧政を受けてた農民が洗脳されて天国だったと思いこんでるからな
っていうかスレ違いだな
幸福と言うのは当人たちが決めることであって、よほど非常識な境遇
にない限り他人の口を出すところではない。我々現代人も未来人から
見たら「あんな不便な生活をして、狭い家に住んで、高い税金払って
なんて不幸なんだろう!」と言われるかもしれない。
そう考えれば我々が過去に生きた人々の暮らしを云々するのがいかに
間抜けなことかわかるだろう。
そりゃそうだね
>>224 同時代の相対評価すら間抜けと言うのか?
会津薩摩両藩とその他の藩では後者の方が農民の生活レベルは高いのはそうだろうし
「狭い家に住んで〜」なんて外国人から見た日本人のコトとして現代にもある評価だぞ
歴史的な評価に際しては過去に生きた人々の暮らしを云々するの間抜けでも何でもない、
当時の生活水準等の境遇を比較するっていうのはむしろ大事。
だからこそ250年の平和の基礎を築いたって点で家康が評価されたりするのであって、
一般的な大衆を指して「幸福云々は当人達の事だから当人で決める事」
なんてのは一般的には是であっても、歴史的には思考停止の類だろう。
しかし家康が民政家かと言われれば?なんだが
江戸時代に生きた人々の幸福云々はその地方の殿様の政策や、幕府の政策、突き詰めていけば当人達の
末のモノであって、それを家康の評価に結びつけるのはナンセンスだろ
家康の評価は「250年の平和の初代」としての評価(武家諸法度や禁中公家諸法度)であって、
そこに「250年の一般大衆」の評価をプラスするのはおかしい
江戸時代の民衆の話をするのに、家康の名前をそれほど出す必要はない。爛熟するのは家康の死後だし
真ん中三行目は蛇足
大名鉢植えと取り潰しでリストラは滅茶苦茶あったが徳川の天下は磐石になった
まあ痛みを伴う改革みたいなもんじゃね?
家康がやったことで民衆に良かったことは殆ど結果な気がする
吉宗とかはガチだと思うが
>>228 >家康の評価は「250年の平和の初代」としての評価
↑と俺が書いた↓
>250年の平和の基礎を築いたって点で家康が評価されたりする
にそれ程違いがあるとも思えんが?あくまで基礎としか書いてない。
それに家康が民政家かどうかには言及してないし、とにかく政権の基礎を築いたって点で、
>地方の殿様の政策や、幕府の政策、突き詰めていけば当人達の末のモノ
の土壌になってる、無論全てが家康に帰される訳では無いが、家康が関わってない訳では無い。
また江戸時代が民衆に優しい政治だったかについても言及してないのでヨロシク。
だから、民衆の話してるのに「基礎」の話をわざわざ入れる必要がないから蛇足なんだよ
そもそも民衆の話からしてスレ違いだが、会話の流れとしては家康の名前が話違いな訳だ
そこんどこヨロシク
>>231 おいおい民衆だけの話じゃないだろ、民衆の生活を比較して、
徳川幕府の政治はどうだったのか?という話だ。
そんでここは信長・秀吉・家康のスレ。
あとついでに書いとけば家康を出したのは単なる例えだ、
別に秀吉でも信長に置き換えてもいい。
こんだけ優しく日本語を説明してやってるのに分からないのか?
>>231の二行目を100回読み直してからもう一度レスしてくれ、僕ちゃん
世間一般の評価はどう見ても
信長>秀吉=家康
これを覆すのは難しい っていうか無理
信長は天下取ったわけでも無いのにな やっぱ壁があるか
秀吉も家康も信長の配下や事実上属国だったってのがあるからな
「今の」世間一般の評価だけどな
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 16:14:40 ID:VQ7NyOVp
信長→日本女好き
秀吉→金髪美女好き
家康→中国女ピーナ好き
信長→西洋・東洋・黒人女好き
秀吉→朝鮮・中国女好き
家康→日本の未亡人好き
つーか、徳川時代も今ほどじゃないが、階級還流の風通しの比較的いい社会だったのは
もう常識だと思ってたのが、まだそうでもないんだな。
幕府の親衛隊ともいえる旗本だって「旗本株」が売買され、商人や農民がそれを買って
いたんだぞ?
勝海舟なんて、そのじい様はめくらのあんま出身だったのは有名な話だろ。その孫が
幕府の新海軍の設立などという、重要な役割を担うんだよ?
さらに金がなくても能力さえあれば出身階級は問われずかなりの抜擢をされることも可能だった。
二宮尊徳は貧農の子と言っていい環境から小田原藩の実質的大蔵大臣、後に旗本として
天領の農政まで任される。ここまで派手でなくても、こういう例もいくらでもある。
ちなみにヨーロッパでは、政治、軍事に関れる人間は、1次大戦前まで「貴族、ブルジョア」に
限定されていた。
ついでに徳川幕府の農政について言うと、最新の研究では、徳川時代の年貢は、時代とともに
下がり続けていた、ということが証明されている。「封建的貧農史観」は、もはや完全に崩壊
しているのですよ?無論時代としての限界もあるが、幕府は各藩に対して「善政」を要求したし、
自らもその手本となるため、天領において「善政」を極力心がけていましたよ。
信長→身近な女
秀吉→格上の女
家康→格下の女
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 01:58:20 ID:+SRMfD9x
織田信長 の検索結果のうち 日本語のページ 約 1,300,000 件中 1 - 50 件目
豊臣秀吉 の検索結果のうち 日本語のページ 約 989,000 件中 1 - 50 件目
徳川家康 の検索結果のうち 日本語のページ 約 1,190,000 件中 1 - 50 件目
秀ちゃん乙wwwwwwwwwwwwww
羽柴秀吉 の検索結果 約 178,000 件中 1 - 100 件目 (0.17 秒)
まだ信長には届かないのか・・
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 03:01:56 ID:MYkhHule
自分の代でアボンヌした信長が称えられて、後継者を残せなかったといって
秀吉が低評価なのがかわいそうな感じがある。
戦争のセンスはあるね。
しかし本来兵を挙げる目的は平和にすること。
日本の頂点に立ったら永い平和を保たせるセンスが問われる。
後継者が残せなかったというか秀次殺したり自分で墓穴を掘ったから、
信長だって長生きして誰が見ても失敗という様なことをすれば、
評価は下がっただろう。
まあ、実際には部下に謀反起こされて殺された段階で大失敗な分けだが。
>>245 秀吉はむしろ評価高いだろ
晩年の老害や治世のまずさを知らずに死んだから
天下を家康に取られただけの偉大な人物ってのが世間一般の評価
最近は逆に過小評価されてる感がある>秀吉
朝鮮征伐がやたら取り上げられるのと秀次事件で一方的な加害者にされてるせいで
治世面とかをあんまりよく見られてない。
特に家康との比較は政権の成立過程や地盤とか条件が結構違うのに単純なセンスの差にされてるし。
まあいいだろ
いままでとことん担がれていたのだから
秀吉は薩摩から奥州まで直接軍事征服してるのがすごい。
以上、司馬史観でした。
>>249 治世面つうてもなあ。太閤検地とか刀狩、経済政策なんかは優秀だし、
大名時代の統治もおおむね良好だったみたいだけど肝心の政権統治機構
の樹立と維持に大失敗してるから帳消しにされてるってとこじゃない?
刀狩っつっても勝家の劣化コピーだろ
秀吉時代は治安が戦国時代よりも悪かったと聞くが
太閤検地にしても農民から搾り取るための政策だし、
刀狩にしても一揆を押さえつけるためなわけだし、
農民から見れば秀吉なんて敵でしかない。
大名から見ても朝鮮出兵で無茶させられた恨みもある。
やくざの親分が力だけで下を押さえつけてるようにしか見えない。
勝家の刀狩:取り上げた刀で農具に作り変え、民に配る。
民「話のわかる御人だなぁ」
一揆を起した者らには、「これからは農民として生きていくがよい」と悟ったという。
また、九頭竜川の船橋の鎖などにも使用し、おおきく商業が発展した。
秀吉の刀狩:取り上げた刀で大仏作りの材料にする
大仏の材料wwwwwww
民としては困るわなwwwwwwwwwwwwwwwww
そんなもんに刀パクられてwwwwwww
あの世まで救われますwwwwwwwwww
サルまねwwwwwwwwwwwwwwwwwww
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 22:40:01 ID:55WJ61Wy
信長:鳥山
秀吉:尾田
家康:富樫
>>253 勝家の劣化コピー×
信長の劣化コピー○
あれは信長の指示だからな
検地が農民から搾り取るための政策とはこれ如何に?
そりゃ税負担は軽いに超したことはないが、
NHKの受信料みたいなのが理想なのか。
社会保険庁の年金の如き、どんぶり勘定が理想なのか。
もっとダークな賄賂的なものが使える、腐敗体質が理想なのか。
理解に苦しむ。
>>258 指示は刀を取り上げろとまでしか
それ以降は手腕の見せ所で
まあ今までやりたい放題やってた奴らを言うこと聞かすには強引な
手を使う方が効果的だし趣旨としては悪くない。
ただ、どうも秀吉には足元以外が見えてなかったようで、地方民の
貧困とかを気にせず中央でバリバリ土木建築にいそしんだ。
徳川の「生かさず殺さず」ではなく明確に「貧民は死ね!」って
言う政治のやり方してたら瓦解もするわな。
地方民の管理は各大名の管轄、そもそも地方民が秀吉の圧政で苦しんだっていう事自体が珍説
天下普請は家康もまさに大名の力を削ぐためにやってるわけだが。
徳川時代良かったのは天領だけで、大名領は相変わらずの重税。
参勤交代なんて無駄遣い制度もあったな。
>>254 >秀吉時代は治安が戦国時代よりも悪かったと聞くが
ないない、大名同士の争いが激減して一揆も減少し国内の治安は確実に良くなってる。
>太閤検地にしても農民から搾り取るための政策だし
検地が農民に対して必ずしもマイナスかと言えばそうでもない、
当時の農民は地主・荘園領主・武士などの二重三重支配を受けていた小作人が多い時代であって、
検地によって小作人が農地の所有者兼耕作人という事を定められたのは大いにプラスになってる。
>刀狩にしても一揆を押さえつけるためなわけだし
一揆を押さえつけるのが悪いことなのか?治安維持に徳川だってやってるぞ。
>>261 >徳川の「生かさず殺さず」ではなく明確に「貧民は死ね!」って
>言う政治のやり方してたら瓦解もするわな。
豊臣政権は別に農民反乱で滅んだ訳じゃないんですが
>>264 豊臣政権時が一番、山賊などの類が多かったと聞くが
家康の場合は、諸大名に工事の費用を負担させたりしてはいるが、
不必要な工事とかしないからな。ちゃんと後々まで機能している
ものばっかで、むしろ驚くわな。
秀吉の場合は、金をドブに捨てるような使い方を諸大名の負担で
やるわけだから、たまったものではないよ。
しかも、最悪なのが外征に大失敗していること。しかも、当時の
優秀な軍団を持っていながら、大失敗。これじゃあ、民衆はたま
らんわな。
>>266 秀吉の行った無駄な工事挙げてみせてよ、それに対する家康との比較も載せて。
>>267 秀吉の時代には浪人も増え、七公三民(正確には三分の二が年貢)という重税のため農民も逃げ出すものが多く、
さらに大阪城築城をはじめとする過酷な賦役がそれに拍車をかけていたのは常識だから知ってるよね?
んで、増えた浪人や逃げた農民がなんになるかって言ったら山賊にでもなるしかないわけ
>>268 城で言えば、まず聚楽第。京での拠点として作ったのは問題ではないが、
秀次事件で壊すという、ふざけたことをしている。
次に淀城。妾の居城として城を一個作っている。
伏見城。秀頼を大阪城の当主にしたための隠居城で不用の城。
しかも、どの城も贅を尽くしたつくりな上に、聚楽第・伏見城の場合は、
城下に大名屋敷を作らせている。大坂だけなら、諸大名もどれだけ楽だ
ったかしれん。
一方の家康の作った城は、でかいの江戸城、名古屋城、大坂城、姫路城、
二条城だが、江戸城・大坂城・二条城は拠点として必須だし、他は日本の
幹線に沿ってつくられた戦略要塞で、実際幕末まで不用にはならなかった。
家康が私的に作ったのは、駿府城程度。
また、家康は秀吉がやったように、花見だ仮装パーティーだ黄金の茶室だ
なんて無駄遣いは全然していない。
>>269 >秀吉の時代には浪人も増え、七公三民(正確には三分の二が年貢)という重税のため農民も逃げ出すものが多く、
浪人が増加傾向なのは江戸時代以後、家光の代まで続く事で年貢の設定は各大名の管轄、
徳川時代になっても別に下がってないし、徳川の天領も当初は七公三民の設定。
それで徳川時代が山賊だらけだっていうとんな訳もなし。
>大阪城築城をはじめとする過酷な賦役
過酷と言われてるほどの工事を課してない、後の幕府もガンガン工事を行っており、
たいした違いはない。
>んで、増えた浪人や逃げた農民がなんになるかって言ったら山賊にでもなるしかないわけ
別の土地に住み着いて農業するとか町に入るって選択肢もありますが?、
農民は禁止の対象だったが山賊として討伐されるよりはリスクは低いし、
浪人に関しては特に規制は無い、幕府は禁止してだけどな。
>>270 >秀次事件で壊すという、ふざけたことをしている。
秀次事件の大きさを考えたらふざけた事でもないが、
それに大部分は伏見城に移築されている。
>次に淀城。妾の居城として城を一個作っている。
城を作った訳じゃない、修築しただけ。
おまけに地盤を整地して城下町を形成しており商業政策も兼ねている、
単なる愛妾の仮住まいじゃないんですけど。
>伏見城。秀頼を大阪城の当主にしたための隠居城で不用の城。
伏見は京都に置ける重要拠点ですが↑みたいな事本気で信じてるのか!?
そんで伏見は外交使節を応対する城でもあるし、街道設置と合わさって大いに経済を振興させた。
>城下に大名屋敷を作らせている。大坂だけなら、諸大名もどれだけ楽だったかしれん。
家康も各大名にバンバン賦役を課してます。
>江戸城・大坂城・二条城は拠点として必須だし、他は日本の
>幹線に沿ってつくられた戦略要塞で、実際幕末まで不用にはならなかった。
なんじゃそりゃ、二条城は今まで使用した伏見を廃棄してのもんだし、
名古屋城も大坂城も壮麗に造成して、その他にも息子の為に各大名に賦役を課してる。
>花見だ仮装パーティーだ黄金の茶室
秀吉の私財で行われたもんですし、経済的にはむしろ+。
貴方の言い分は全般的に家康には戦略価値を認め、秀吉には認めないダブルスタンダートなものですね。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 00:37:47 ID:YLUxlH4Z
>>272 いや、ダブスタは明らかにそっち。
>秀次事件の大きさを考えたらふざけた事でもないが、
京の中核城郭である聚楽第を単なる一事件で壊してしまうなんて、
単なる暴挙。そのために、伏見城なんて作らざるを得なかった。
>伏見は京都に置ける重要拠点ですが
伏見なんぞ重要拠点でもなんでもない。それは、伏見城があっさり
陥落した程度の城であったことからもわかる。経済振興なら、城な
を作らなくたって出来るしな。
>家康も各大名にバンバン賦役を課してます。
その諸大名に対する賦役が、家康と秀吉のどちらが無駄であったかどうかを
論じるんだったろ?
痛いところ突かれたからって、火病起こさないでくれよ。
>なんじゃそりゃ、二条城は今まで使用した伏見を廃棄してのもんだし、
>名古屋城も大坂城も壮麗に造成して、その他にも息子の為に各大名に賦役を課してる。
伏見と二条城では、全然場所が違いますがね。
京の拠点の聚楽第を秀吉が壊したから、二条城が必要になった。
大坂や名古屋については、城が必要でなかったことを証明してね。
>秀吉の私財で行われたもんですし、経済的にはむしろ+
税金を私的に浪費しているだけだろ。
大名行列で無駄遣いさせて大名の力を削いでたんだから、幕府も同じこったろ。
つか天下普請のパクリ。
さすが家康厨。冷静だな。
それにひきかえ秀ちゃん厨はというと。┐(´∀`)┌ヤレヤレですな
うむ、すぐ人格攻撃に走るところが家康厨らしいぞ。
で、徳川は大名行列で大名に出費させて、力を削いでいたと消防のとき習ったし、
wikiにも書いてあるけど間違いなの?
そう言えば家康の時代になっても、税率は七公三民のままだったと上に描かれていたが、徳川時代は
名目税率と実質税率との間に手加減を加えていた事は無視?
「生かさず殺さず」ってそういう意味なんだけどね。
で、羽柴は織田の天下および平和を簒奪したと聞くけど間違いなの?
それが原因でバチがあたったのかな?
>>273 >京の中核城郭である聚楽第を単なる一事件で壊してしまうなんて
秀次事件が単なる一事件!?豊臣政権の基盤を揺るがしかねない一事件だろ、
おまけに大部分を伏見城に移築したのは無視ですか。
>伏見なんぞ重要拠点でもなんでもない。それは、伏見城があっさり
>陥落した程度の城であったことからもわかる。
お前さんにとって重要拠点の定義は陥落する難度かよ、開いた口が塞がらん。
伏見は秀吉が京で政務を執行する場でありかつ外交使節を応対する場、
立派な重要拠点、そして城下町と街道を開発する事が効果の大きな経済振興政策である事を否定できない。
>その諸大名に対する賦役が、家康と秀吉のどちらが無駄であったかどうかを 論じるんだったろ?
おまえさんの言った>大坂だけなら、諸大名もどれだけ楽だったかしれん。
という言葉に対する反論だ、賦役を課される大名にとって楽も糞も関係ございません。
>伏見と二条城では、全然場所が違いますがね。
たいした距離でない上に、それまで二条城で豊臣政権を動かしてきたのだから
政務を執るには問題ない拠点で不自由は無く、おまけに二条城は殆ど上洛時の宿泊施設という域を出ない城、
>大坂や名古屋については、城が必要でなかったことを証明してね。
大坂城を前と同じ規模に、名古屋城はあんなに壮麗に築く必要はありません、
戦略目的ならね。
>税金を私的に浪費しているだけだろ。
それで豊臣が財政破綻を起こしたなら問題だが、起こして無いなら民間に金が回る
イベント事は経済振興政策となるんで経済的にはプラスです。
>>278 じゃあ豊臣政権に比べどの程度、どのように手加減をしていたのかを書いてみてくれ。
徳川厨のどこが冷静なんだww
秀吉は本能寺の変の段階で別にスーパーパワーでもなんでもなかった。
精鋭ぞろいの織田家重臣を抑えて天下統一したのは十分英雄的功績といえる。
家康は秀吉死去の時点でだれが見てもNo.1。格下の文治派を挑発してくびり殺しただけ。
簒奪という言葉はこっちにこそふさわしい。
>名目税率と実質税率との間に手加減を加えていた事は無視?
ほほう、今に残るあのいやらしい「裁量行政」は徳川が元凶やなw
すまん、秀吉厨俺が悪かった、謝る。
だから人様の前で恥ずかしいまねしないでおくれ。
若いんだから人生やりなおしきくよ?
しかし秀吉のことほんとに好きだねえ、その心意気や良し。
今現在世界中の行政機構で、裁量行政のない国を一つでも挙げてくれよ。むしろ裁量をしない行政の方が異常なんだよ?
豊臣政権というのは、その「裁量」を、農民に関してはしない政権だった(無論武士と大商人にはやってた)
検地によってはじき出された数字から、その税金分を強制的に徴収していたわけだ(そのための検地だからね)
よって不作の地域では、生産高より年貢の遼のほうが多い、という状況さえ生まれている。
徳川の農村政策は、良作、不作での実態に応じた(つまり必ずしも石高に対応しない)、現実に即した年貢行政を行い、他の大名にも
これを勧めています。
あと、ついでに言うけど、本能寺の段階で秀吉直属の軍勢は2万(与力は除く)。これは当時信長を除いて、日本最大の兵力の保持者でした。
しかもその全員が、毛利との戦いのため戦闘状態に入っていた(つまり召集、戦闘準備をさせる必要が全く無い)しかもほぼ無傷。
これがスーパーパワーで無くて何だと言うのかと。
勝家相手に局地戦で勝ったのも奇跡に近いよ。
大勝だったと厨共は騒いでいますが。
政治もヘボのくせに、まぐれ天下統一で日本がさびれた責任は大きいね。
三英雄は信長、勝家、家康でよくね?
徳川厨はどうして江戸時代の美点の全てを家康の功績だとするのか・・・w
>裁量云々
ネタに食いついてくんなよw昔の政治なんて、なあなあが当たり前なんだから。
税率を江戸時代と秀吉時代で比べるのは無理ありすぎ。江戸時代は「平時」で
秀吉時代は「戦時」。統治のための理念も全く違う。
また、税が安い直轄領も江戸幕府は800万石、秀吉は200万石。日本全体の
平均で見れば当然幕府時代の方が住みやすわな。
秀吉が本能寺の変時点でスパーパワーではなかったというのに徳川厨が
反論してくるのも凄いなww
秀吉死去時の家康のほうが100倍ぐらい楽だろ。算数デキマツカ?wwww
>>284 >豊臣政権というのは、その「裁量」を、農民に関してはしない政権だった
秀吉が検見法を採用してた事も知らんのかい、話にならん。
おまけに島原の乱の原因は不作でも税率を下げない圧政が原因だ。
>>288 >また、税が安い直轄領も江戸幕府は800万石、秀吉は200万石。日本全体の
>平均で見れば当然幕府時代の方が住みやすわな。
天領の税率が下がったのは1660年頃から、それまでは豊臣の時と税率は変わらんよ。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 04:41:23 ID:vmf63zUv
統治内容に限って言えば、信長が世に出るまでの日本はまさに最悪だった。
この世の不条理に弱者が一揆や宗教に走る気持ちも痛いほど分かる。
そこで信長の登場である。
・通行人から関銭徴収(関所税、馬銭、貨物銭など)をしてはならない。
・農民漁民に対して本年貢の他に、不当な課役を課してはならない。
これを自らの領地で信長は徹底させた。
領民が歓喜したのも無理はない。
さて、秀吉と家康である…。
続き
秀吉の時代・暴政で民が苦しみ滅亡する。
家康の時代・神の政治で真の平和を創る。
そして今の先進国日本
はいはい、秀吉すごいすごい。
でも大名の力を削ぐためにやった建築事業で結局
人心を失ったら元も子もありませんからwwww
所詮秀吉は乱世の英雄で治世の名君にはなれませんw
秀吉が不当に貶められてるのを正してるだけにしか読めないんだが
なんか基本的読解力にかける奴がいるねえ。夏だからなのか。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 18:08:49 ID:Hn30KhpC
2chの歴史系板での諸スレでは空気を察するに、秀吉が一番人気無いようなんだな。
信長はカリスマあり、家康は玄人好みするところが通ぶりたい気分の2chねらーの心をくすぐり。
秀吉は武将としては超優秀だが、君主としては微妙だったと思う。
理念がなあ。
あと信長と同じく残虐でも、信長は目的を遂行するため、秀吉は私利私欲ゆえ、と見られがちなようだ。
秀吉のモチベーションは向上心、欲ゆえだっただろうから不即不離なんだろうな。
秀吉厨がいることによって、人気がなくなっていってる。
秀吉厨なんてめったに見ないが。
アンチ家康やアンチ信長を秀吉厨と思い込んでるのか。
このスレじゃむしろ家康厨のアンチ秀吉が目立ってるじゃん。
>>284なんか典型的で家康を持ち上げたがい為に碌な知識も無いくせに
適当な事を書いてるし。
つーか最近家康厨って適当なこと書きすぎ
最近にかぎらず秀吉厨がまともなことを書いている
ことはほとんどないが、戦国板になってからはスレ
タイからしてしょうもないスレをやたら立てまくっ
ている、そしてすぐに過疎っている。
豊臣厨の元気ハツラツは今に始まったわけではないので。
華麗にスルーですよ。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 13:39:46 ID:AQjAqqR6
太閤検地は360歩を1段だったのを300歩を1段にしたインフレ政策、加えて隠し田も没収し、税率が同じでも前より多く年貢を取られ、生命線の隠し田を没収された、農民弾圧政策。
刀狩りも、今までは農民も刀差し自由で、国人領主とかも居たが、刀狩りで、農民は農奴も同然に。国人領主もあぼん。
ただし、この政策によって複雑で複数の権利が入り乱れていた領地が固定化し、武士と農民がはっきり区別されたので、一気に強力な支配体制が確立され、安定した税収が取れるようになった。
って学校で習ったぞ!
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 22:03:00 ID:TFb5MCR2
名古屋で行くべき場所教えて
功名だと
信長・・・精神異常者
秀吉・・・残虐ザル
家康・・・腹黒タヌキ
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:30:28 ID:C/9wh//x
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
豊臣家の税は重かったと思われ
1580年代半ばに山城・近江で百姓の過半が逃散し、片桐且元に逃げないように対応を命じる
1597年に裏作の麦からも収穫量のうち三分の二を納めるよう命じ(大名・寺社・公家領にも及ぶ)秀吉死後、百姓が迷惑しているとして五奉行が廃止した(以上、中公新書「秀吉の経済感覚」より)
ttp://www.m-network.com/sengoku/uta/uta02.html ここに秀吉に対する落書が六首載ってるが(それ以外にも四つ、計十首ある)じつは二年前の1589年にも同じように秀吉を批判する落首が聚楽第に落書きされ、関係者が磔になる事件が起きている
確か豊臣時代の記録を見ると、畿内であっても農村は相当疲弊しているのが見て取れるんだよな。
豊臣政権下で潤ったのは、一部の政権と繋がった大商人層だけ、というイメージがある。
壊す、捨てる、ががっつり豪快に出来るあたり信長はすごい
掃除とか得意そうだ
ちなみに私はこういう話のネタとして、良くも悪くも秀吉が好き
同じ時代に生まれなくて良かったw
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 19:40:28 ID:h7UK0iB6
>>313 信長が掃除したあと光秀ちゃんが
「ああ!それ捨てちゃダメだったのに!」
とブチ切れる様子を想像した
そこに本能寺の変の真相が隠されているのかもしれないな。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 11:25:19 ID:l7WMHPbN
秀吉安置は土木工事というだけで=亀井=悪とか構造改革スイッチが
入ってしまうんですね。資本主義なんて言葉もなかった時代なのにアホですね。
どっちだかなあ
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 01:29:39 ID:zOb8makD
まぁ、ある程度の年齢にならんと、家康がいかに権力を冷静に効果的に
抑制しながら使ったなんて判らんだろうからな。というか、そういう面
から評価するということも気づかないだろう。
家康ファンは家康の魅力がわからない人間は歴史の素人、お子ちゃまだと決め付けてる気がするな
自分は家康の能力・実績は認めるが戦国武将として全く好きじゃない
まあ今はそこまでなんでしょう
>>319 ちょっと違うな。家康ファンは、家康の実績や能力が理解できない連中は
子供か歴史がわからない連中だと思っているだけ。
それを踏まえた上で嫌ってんなら、それは単に好き嫌いの問題でしかない。
ただ、それが出来ているんなら、アンチにゃならんからね。
>>321 好き嫌いだといっているぞ。
まあ人は成長をする。
見守ってあげるのが良い。
>>322 いや、319は「家康ファンは家康が好きでない人間は子供だと思っている」と
言っているから、それは違うんだよと説明したのだよ。
>>318みたいな変な優越感を感じさせる書き込みを踏まえての書き込みだったんだけど的外れだったか?
まあ家康が信長・秀吉に比べて何と言うか、「通好み」みたいなところのある武将だというとこは間違いないでそ
隆慶一郎も「家康は悪女に似た魅力がある」と逝ってたな
自分はわかりやすい信長や秀吉が好きです
ま、わかりやすい方を好むのは精神年齢の低い証拠だな
ある程度になると信長や秀吉なんて目もくれなくなるんだけどな
ガキにはわからんだろうけど
通とかいっちゃってる時点でアレだろ
だったら南部家や安東家スキーならもっと通じゃねーか
ぶっちゃけ信長も秀吉も家康も、それぞれ役割も違えば、評価する基準も別だからなあ。
同一の基準で計ろうとすればどうしたって無理が出る。
しかし家康のよさは大人じゃないとわからない、的な事は、俺の知っている限り松本清張や海音寺潮五郎、池波も言っていたな。
個人的には信長秀吉は、最初に与えられたイメージが、時間がたってもそう変わらないが、家康については「再発見」をする事が出来る、
って感じがする。
中二病 信長大好き!!
高二病 秀吉大好き!!
大二病 家康大好き!!
背伸びして家康が好きだとか言ってるガキもいるけど
本当のよさってのは大人にならんとわからんもんよ
大人になっても歴史○本とか読んでる時点で・・・・w
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 19:59:27 ID:3ajN13Sb
信長の生涯には「理想」が輝いている。
秀吉は「成功」。
で、家康の人生からにじみでているのは「責任感」なんだわ。
大人になって、組織を背負っている人間に接し始めると、家康の
すごさって実感し始めるから。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 20:08:16 ID:e/+9MhAy
まぁいくら教えてやってもガキにはわからんもんよ
しかし俺は好き嫌いだなああ
信長だの家康だのは好きだが秀吉はなぜか好きになれないんだよなあ・・^^^
まあ好きだの嫌いだのじゃなく自分より前の時代にいきている手本があるのだからあ
学ばないと損なのよね^^^^幽斎はすごいよなーーーーー
戦国なんて知っても意味ないのだ
しかし逸話とかタメになるのよね。
創作でも良いのよねw時代の流れなんて覚えても意味NEEEEEE!!!
逸話の登場人物なぞただの教育するための俳優^^^ww
ID:VHj6ov+Lとか家康信者の評判を下げるためにわざと痛いこと逝ってるだろw
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 23:42:27 ID:R2SshgsX
妄想が始まった
生前一番官位が高かったのは秀吉だから
秀吉が一番偉い
↓
秀吉も家康も従一位太政大臣で一緒じゃないの?
家康は従一位 太政大臣 左大将
信長は一応右大臣?
秀吉は関白太政大臣
死後は秀吉家康は神で
信長は・・・
信長には明治天皇から賜った「建勲」がある
第六天魔王だから王号じゃんw
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 15:56:20 ID:XwnFxh7t
全ては桶狭間の戦いだろうな あと信長の運の良さ
に尽きるだろう
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 16:01:37 ID:XwnFxh7t
秀吉はあまり大きな戦争をしなかったから一番根性なしだと思う
その点信長家康の度胸は素晴らしいし高く買うべき
お前・・・・朝鮮出兵は?
>>345 このスレで言う「素人」っぽいんだが
大きな戦争をしなかったから根性なし(びびりとかチキンとか言う意味か?)って意味わからん
じゃあ最強のチキンは島津義久かな。
>>345の言い方だと。
今川氏真と島津義久が同等か
想像するに、キツイもんがあるな
>>278 >「生かさず殺さず」ってそういう意味なんだけどね。
亀レスだけど、まさに妲己だな。
だ が そ こ が い い 。
家康や秀吉だけいても、乱世は静まらない。
信長だけが、乱世を打ち砕けたと言える。
そしてその打ち砕かれた天下を再構成したのが秀吉であり、家康でもある。
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス
鳴いたら殺して食うつもりだけどな家康
353 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/21(日) 12:46:52 ID:j8fLR6DP
>>166 チョンうぜーぞ日本人じゃねーだろ?韓国帰れや!
秀吉の初期状態が厳しいという意見があるがこれは間違いである
確かに秀吉は農民の出身ではあるが信長がいなければ良くて下級武士のままだっただろう そして数多くの功を挙げ遂に大名になり中国方面軍という1軍を指揮することになった
そして本能寺の変が起きる この時点での有力大名は明智、柴田、羽柴の3つ この状態は決して不利ではない、秀吉の大名としてのスタートは播磨1国+中国方面軍と考えるのが妥当
石高で言えば80万石以上になる 80万石の状態から動かせる兵力はほぼ丹波のみの光秀と戦い、更なる大領土を手に入れた上で柴田と戦った
小牧長久手では池田など織田の中心格の助勢もありほとんど旧織田の領土を手に入れた状態だった
家康も同様に秀吉死後は関東250万石 ここから天下統一はさして難しくは無かったはずだ
3人の比較だが、ボケる前の秀吉が最高。
ボケた後の秀吉が最低。
信長は天才的な企画やさんだったけど、組織の長としての人心掌握に疑問。
家康は、成る程優れた家長ではあったけど、統治者として国家に新しいビジョンを示せなかったのが痛い。
ただ、戦国時代を戦乱によって国家が疲弊した時代と評価するなら、家康の超絶保守もむべなるかな。
地方の自治努力によって飛躍的な発展を遂げた時代と評価するなら、可能性を切り捨てた支配者と評価される。
羽柴秀吉は、軍事指揮官としては日本史上最強の指揮官だろう。
室町以降初の統一政権としては、検地身分の確立等短いボケるまでの時間評価すべき内政手腕も発揮している。
ただ、ボケてからがひど過ぎた
縁の下の力持ちって事で家康
家康ってこの三人の中だと格がやや落ちるだろ。
信長秀吉について回ってたら運良く天下が転がり込んできた人みたいな。
358 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 04:09:08 ID:rte1uNj0
信長と秀吉が神懸かり的なのは言うまでもないけど
家康って、こいつありえねーってレベルの活躍はないよな?
普通のことを普通に積み重ねていったくらいでね。
そしたら家康にとって都合が悪い人間がどんどん死んでくれて天下取れたわけだし。
家康厨は結果的に250年の平和を築いたから凄いって言うんだろうけど
家康が統治者としてやったことって、豊臣を潰しただけで、統治政策は秀吉のを
ほとんどそのまま受け継いでるだけだよな。
徳川政権が長く続いたのは何と言っても、秀忠家光が優秀だったおかげでしょ。
粗悪燃料じゃ燃えないんじゃないか?
>>358 家康を貶すんじゃなくて、
信長秀吉の「こいつありえねーってレベルの活躍」とやらを書き込んだら?
361 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 20:46:59 ID:P39bXxEx
クソ漏らし大名が関ヶ原以外でどれだけの重要な戦をしてきたっての???
桶狭間にびっくりしてあわてて三河に引き返したり、三方原、本能寺の変、幸村に本陣急襲されるなど逃げることが
多かったよねえクソ漏らしという武将は。
おまけに信長の死後、甲斐と信濃を掠め取ったというイメージしか浮かば
ないしねクソ漏らしは。(「逃げろ家康」という本を参考)
クソ漏らしマンセー共は、結局秀吉の機略などが羨ましいだけだろ?
秀吉の天下の統治の悪さばかりに焦点をあてて喚いててもみっともない。
信長死後織田家の内紛を、周囲の列強を監視しながら纏め上げるような
武将が過小評価されることはないね。
秀吉といえば、中国大返しからの山崎の合戦、しずがたけ、小牧長久手、
小田原戦など、魅力あふれる天下分け目の戦が数多い。
日本で始めて天下統一を果たすほど、全国レベルの視点で膨大な戦略を
繰り広げてきたこの男が一番だな。
まあ日本で始めて全国を統治しなければならないという大きなリスクが
あったかもしれない豊臣政権は。
362 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 21:05:15 ID:P39bXxEx
風雲児戦国覇王織田信長・・・・・桶狭間、稲葉山城攻略、姉川、長篠
太閤豊臣秀吉・・・・・・・・・・高松城攻略、山崎、しずがたけ、小牧長久手、小田原城攻略
クソ漏らし・・・・・・・・・・・関ヶ原だけ 爆笑!!
ちなみに大坂の陣は全くもって無駄な戦だよ、数多くの調略で豊臣家はすでに将軍家には逆らう
意思がなかったものを無理に攻めただけ
寺で無防備に寝込んでいるところを家臣に襲撃されたり
明が降伏したとの嘘を本気で信じ込んで日本国王にされるまで気づかなかったり
確かにこいつありえねーってレベルだな
364 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 22:00:18 ID:d6i3DPBa
お前こそ爆笑もんだ、長篠の戦いと高松城攻略あたりは良いとしてだ。
桶狭間→奇襲ではなく、進撃したら義元本陣があったってのが最近の定説
稲葉山城攻略→美濃三人衆寝返り済み
姉川→朝倉軍を押し返した徳川勢の加勢有り
山崎→細川・筒井といった光秀方と思われていた武将達が軒並み静観対する秀吉には織田方武将が協力、毛利と和睦して戻ってきたのは見事だが
戦いそのものは秀吉側のほうが有利だった
しずがたけ→光秀の領地も吸収し畿内をほぼ掌握した秀吉と北陸が本拠の勝家では地力が違う。おまけに前田利家が戦わずに撤退。
小牧長久手→ちょっと攻めたらすぐ降伏のおぼっちゃんが足引っ張ったが、秀吉方の有力武将が討たれ戦術的には敗北している
小田原城攻略→小田原引きこもり相手に20万も動員すれば誰でも勝てる
信長・秀吉だって、調略等の上で戦った例はいくらでもあるぞ
365 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 22:48:54 ID:5kp7IwAa
家康ってつまらない。確に天下を平定したのは凄いけど魅力が無い。だったらまだ忠勝や榊原の方が…w
366 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 23:31:53 ID:rte1uNj0
>>364 家康厨って一貫性がなくて何が言いたいのか分からないんだが。
有利な状態で戦っちゃいけないのか?全く意味不明。
家康の魅力はやる事、総てやって死んだ事。
これに勝る偉大な死はない。
家康は戦国大名としても有能だったが、
平和な時代への架け橋にもなった特殊な立場だからな
派手にドンパチやるだけがすべてでない事をよく知っていた
370 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 02:11:18 ID:Jlbxg87U
>>364 あのなあ、戦で勝つ為には有利な体制にまであらかじめ整えて
おくのは名将として当然の行為だろ、山崎にしろしずがたけにしろ畿内
の情報を的確に捉えて、いかにして政権をとっていくか考え抜いて勝ち
とった秀吉ならではの偉業だ。
信長や秀吉の軌跡がまぐれみたいに認識してるクソ漏らしマンセーは、
じゃあクソ漏らし武将の軌跡はこの2人よりすぐれている証拠でもある
っていうの?
小田原城攻略は20万動員したけど内部工作で落城させた為、周辺の住
民に被害はさして少なかった、徹底した兵糧攻めなど(新型の輸送方式
など、一大計略に及んだ)こんな計略が誰でも出来るっていうの?
あれれ?そういえば大坂の陣では、膨大にまで周辺住民にまで被害が及
んだよねえ。
364だけど、別に有利な状態で戦うなとか言ってるんじゃなくて、
数多くの調略でもうボロボロだったのに大阪の陣で攻めたって言われたから、信長・秀吉だってそういう事やってるぞと言いたかっただけ
兵の数が有利ではない状態での勝敗
信長 桶狭間 本能寺 1勝1敗
秀吉 文禄の役 慶長の役 0勝2敗
家康 三方ヶ原 小牧長久手 関ヶ原 1勝1敗1分け
373 :
名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/11(日) 17:33:03 ID:x4t4S8BD
家康は小牧でよく秀吉に勝てたよな。
そう考えると三方ヶ原からかなりの成長をしていたといっても過言ではない。
本能寺ってそもそも戦なのか
>>373 そりゃ三十前後の若輩から
脂の乗り切った40代半ばへ、だからねえ
秀吉というか若輩も若輩の秀次と池田恒興が相手だから信玄と比べれば数段落ちる相手だし、相手側にはミスがあった。
とはいえこれに付け込んで一気呵成に秀次&恒興を壊滅に追いやった手腕は見事だろうけどね。
>>372 信長秀吉は晩年に負けてるが、家康は晩年に勝ってる
信長のピークは桶狭間、秀吉のピークは賤ヶ岳、家康のピークは関ヶ原
家康は天性の才能では信長秀吉に劣るかもしれないが、
成長性ではこの二人の追随を許さない
378 :
メガトン ◆xfEWihaR6w :2007/02/11(日) 23:05:06 ID:VAbSRu84
>>371 おいおい小田原城はほとんど無血で落城だったの忘れたの?
それに信長秀吉のはまだ戦国が終わってない時、クソ漏らしは将軍家
が出来ることによって戦国は終了していたのを再び大規模な戦闘にま
で持ち込んだ悪逆者
豊臣が臣下の礼も転封も嫌だから玉砕してやると公言したので
望みどおりに玉砕を受け止めて倒しただけ
最後の最後で実はハッタリだったことが明らかになったが遅すぎであり
逆にその方が悪質な犯罪であるので万死に値する
豊臣厨は無垢な豊臣を家康が攻めたことにしたいだろうが
豊臣はフセインや金正日なみに協調性の欠落した孤立者であるのが事実なんだよ
何を言ってんだが・・・
家康厨は大義もない戦争を肯定するなど日本人の美徳とはかけ離れてるな。
知識がないから捏造妄想ばかりだし、その上異常なほど盲目的だからどうしようもないね。
381 :
メガトン ◆xfEWihaR6w :2007/02/11(日) 23:34:41 ID:VAbSRu84
>>379 そうそう、秀吉が小田原でやったように徹底して内部工作一つで大
坂城を無血開城なんて能力はなかったんだねえクソ漏らしには、ま
ああれだけの巨城を武力で落城させるに至って、周辺住民に対する
被害は相当なもの、秀吉の朝鮮出兵をとやかく言える筋合いではな
い罠wwwww
お前、あの当時豊臣側が将軍家というかクソ漏らしに対して、戦闘
をしかけるような動きが10数年の間あったと思ってるの?
豊臣の不穏な動きは全てクソ漏らしによる工作そのもの
豊臣厨は共産党が妄想する南京大虐殺みたいなことが大坂で起きたと信じて疑わない
和平を主張した人間をことごとく追放する狂った豊臣に肩入れして何が嬉しいのかね
>>382 バカ?
小田原城は無血開城、大阪は町ごと火の海なのは常識なんだが・・・
和平以前に大義もなしに戦を仕掛けたのは家康だしな。
384 :
メガトン ◆xfEWihaR6w :2007/02/12(月) 00:00:20 ID:vIlF30ni
クソ漏らしオタは都合の悪いことを棚にあげて、豊臣があ〜だこ〜だ
と喚くしか取り柄がないのかね?
淀が能無しなのは理解してるが、国内が平和の中アホみたいな大規模
な戦闘行為に対してはっきりと「正当な行為だった」と言えるの?
関ヶ原はともかく大坂の陣は明らかに無駄な戦闘
それは北条は最後で降伏したが豊臣は大阪城が燃えるまで降伏しないからだろ
それに戦争の結果としての焼け野原と妄想大虐殺を豊臣厨は区別できないの?
>>385 >それに戦争の結果としての焼け野原と妄想大虐殺を豊臣厨は区別できないの?
そのような書き込みがどこにも見当たらないんだが・・
お前が勝手に南京大虐殺みたいなことが大阪で起きたとか言ってるだけでな。
しかも自分が勝手に妄想してるだけなのに、豊臣厨が信じて疑わないことにしてるしな。
妄想大虐殺ってのは、お前の妄想の中で大虐殺が起こってるってことなのか?
虐殺なんてあるわけないでしょ
火の海といったって大坂が全て燃やし尽くされたわけではない
それを大げさに取り上げて豊臣を被害者に仕立て上げることに意味はない
家康の大義名分に無理があるというのは事実だろうが
豊臣がいつまでも臣下の礼を取らないならば倒すしか選択肢はないのも事実なんだよ
だから虐殺などとは家康厨が勝手に言いだして
勝手に豊臣厨があったと信じて疑わないということにしてるだけなんだが。
それに大義がない戦を仕掛けられたなら、仕掛けられた方はどう考えたって被害者だよ。
その糞みたいな戦で、かなりの民間人を巻き添えにしてるわけだしね。
少なくとも家康が信長や秀吉と比べて過大評価なのは確かだな。
大義はあるだろ、戦乱を終結させ平和を築くという。
大坂の陣がなければその後どうなっていたか正確にはわからんが、
少なくとも大坂城に多数の浪人が集まったのは確かだから
民情はまだ安定していなかった。
「国家安康」は単なるきっかけ。
豊臣が被害者にならないための努力を全くしていないのが問題だろ
臣下になるのも大坂を出るのも何もかも嫌だと突っぱね続けたら
戦による解決しか存在しないのがこの時代の不文律
虐殺に関してはメガトン ◆xfEWihaR6wとかいうキチガイが勝手に主張しているだけだろ
奴が豊臣厨に扮した家康厨なのかは知らんが最初に言い出したのはこいつ
391 :
メガトン ◆xfEWihaR6w :2007/02/12(月) 01:43:22 ID:BL9QF+5K
そうか、民衆被害が多い少ないはおいといて、クソ漏らしは最後まで
城攻めが下手なことに変わりはなかったからね、あれだけ内部工作し
てたんなら最後までそうすりゃ良かったものを。
クソ漏らしオタ共は、大坂の陣を愚行と認知されればクソ漏らしの格
が下がるとでも思い込んでるんだろうねえ、残念だけどクソを漏らし
てる以上は、どんなに品格良くみせたくてもクソ漏らし城攻め下手、
逃げて天下を取るといったイメージに変わりはないんだよ
>>390 >虐殺に関してはメガトン ◆xfEWihaR6wとかいうキチガイが勝手に主張しているだけだろ
「大坂の陣では、膨大にまで周辺住民にまで被害が及んだよねえ」
「周辺住民に対する被害は相当なもの」
見たところここまでしか言ってないが。
↑これをどう解釈すればこう↓なるんだ?
「豊臣厨は共産党が妄想する南京大虐殺みたいなことが大坂で起きたと信じて疑わない」
いずれにしても大阪の陣での家康は戦下手としか言いようがないし
元はそういう話だろ。信長秀吉に比べると格下だな。
394 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 07:44:05 ID:AxIlFxvw
てか、一番城攻め苦手なのは信長だと思うんだが・・・
調略済み(稲葉山城)とか弱小(小谷城)なら勝ってるけど、ちょっと詰まるとすぐ火をかけたりで突破してきてるだけじゃね?
小谷にしても、実際には曲輪に奇襲かけたの秀吉だったしな
395 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 08:02:01 ID:PykHo8g7
まあ、城攻めは相対的に相手が弱小レベルになってないと難しいでしょ?
普通に。それはともかく確かに信長は野戦のイメージが強いね。つうか家康
も大阪の陣ぐらいしかイメージないけど城攻めは。
396 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 11:33:38 ID:vpYzVW07
今川氏真&朝比奈泰朝が籠る掛川城、天野景貫が籠る犬居城を攻略しようとして痛い目に遭ってるからな>家康
どちらも最終的には退去させることに成功したとはいえ、この時の苦戦が
「家康は城攻めが下手」という風説の理由になってる気がする
397 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 17:28:36 ID:oQNsQ+pG
398 :
人間七七四年:2007/02/12(月) 18:28:36 ID:FtZzUBtm
家康って、小牧・長久手以外、自分が指揮した戦ではどうにもパッとしない印象がある。
内政上手いし、調略も上手いけど、将としては誰かの配下にあってはじめて能力を発揮するタイプに思える。
小牧・長久手も、実際は信雄が指揮取ったんじゃないかと疑っている。
大阪の陣も信雄が大阪城から引くまで仕掛けなかったし。
信雄は、まぁ、完璧政治オンチだけど、小牧・長久手の講和のタイミングは結構立派だったと思う。
399 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 02:39:05 ID:KuAXIzqZ
家康はどの局面を見てもほんとに普通で当たり前のことしかしてないし
単純に武将としての能力を比べたら長宗我部と同等くらいな気がするんだが
そんな普通の人が天下人になれたというのが家康の魅力なんじゃないの?
信長と秀吉は最初から最後まで天才的だから天下とって当たり前だけど
家康の場合は、地味な活躍を地道に積み重ねてたら、運も味方につけて
天下取れたという感じだな。
400 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 13:59:49 ID:p1OmrSfg
豊臣は転封で大阪城退去するのも完全に臣下になるのも嫌だと言うのなら、倒すしかないのは事実。
豊臣という看板を担ぎ出せば、後に平和を乱す戦乱を生み出す事が出来る。だからその看板の意味を無くす(臣従)かつぶす(滅亡)のどちからしかない。
最後まで降伏を拒絶して戦いを挑んできた以上、大規模な攻城戦となり城下に被害が出るのは仕方のない事とも言える。
まぁそこまで攻城戦が上手くなかったのも確かだろうが、いちゃもんつけてどさくさに紛れて外堀を埋めた手腕は見事。
大阪城は弱点の見当たらない巨城だったが、堀を埋められた事で弱点が生まれそれを補うために真田丸とかが作られた。
あと小田原が無血と言っているが、確かに大規模な戦闘は無くても20万もの遠征軍がいれば表面下での住民被害はかなりあったと思う。
401 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 14:27:28 ID:O0luD+Wk
臣下だった大名が、君主に俺の臣下になれとか言われてもな。
402 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 18:10:13 ID:KuAXIzqZ
>>400 俺のいうこと聞かないから言いがかりでも何でもぶっ殺す。
その際、一般人が何千人死のうが構わない。
家康の悪評ってのはこういうところから出てくるんだよな。
403 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 18:18:07 ID:KuAXIzqZ
秀吉もやってることは似たようなもんだけど
明智倒し、清洲会議からの流れで正統的に織田を乗っ取ってるし
小田原だけでなく、天下平定する際も、朝廷のお墨付きをもらい
四国九州関東奥州と、どこも最小限の被害しか出してないのは
戦術戦略全てにおいてやはり天才的と言える。
俺に天下をよこせと言って関ヶ原
俺の言うことを聞けと言って大阪の陣
これじゃイメージ悪いよね。
404 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 20:53:11 ID:B1SdXcs+
っていうか小田原城の支城まで無血開城だと思ってるアホが何でこんなに多いんだろう。
405 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 21:18:56 ID:IMxM3TQU
>>404 そんなこと思ってるアホはオマエだけだww
406 :
メガトン ◆xfEWihaR6w :2007/02/13(火) 21:19:40 ID:AtdpU7T+
>>404関東の北条領全域に渡ってどれだけの被害があったのかなあ?
結局小田原城はクソ漏らし領にすぐ隣接してたんだから、真田も上杉
も北関東〜東にかけては攻める必要なかったんじゃない?
407 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 21:31:12 ID:tgjBkQSP
>>406 いつも思うけど
お前よかったな、家康ほどの成功者が糞漏らしの逸話を残しておいてくれて
408 :
人間七七四年:2007/02/13(火) 22:43:25 ID:8FKdpaSo
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%8E%8B%E5%AD%90%E5%9F%8E 1590年(天正18年)6月23日,天下統一を進める豊臣秀吉の 軍勢,上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの連合軍1万5千に攻められ,
1日で落城した。当時,城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけ,八王子城内には,城代の横地監物吉信,家臣の狩野主善一庵,
中山勘解由家範,近藤出羽守綱秀らわずかの将兵の他,領内から動員した農民・婦女子を主とする領民を加えた約1000人が城内に立て籠ったに過ぎなかった。
豊臣連合軍は力攻めによる殲滅作戦を展開,城内の婦女子は自刃し,御主殿の滝に身を投げ,滝は3日3晩,血に染まったと言い伝えられている。
秀吉は残虐な男だね
409 :
メガトン ◆xfEWihaR6w :2007/02/13(火) 23:20:00 ID:AtdpU7T+
>>408それ、明らかに北条側の方がおかしいだろ、主な将兵は小田原城
へ逃げ込み、わずかな将兵と農民婦女子なんか動員してるんだから虐殺
して下さいみたいなもんじゃないのか?まあ北条方の戦いなんだろうけ
ど、豊臣側の虐殺に値するのかこれ?
410 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 01:30:53 ID:PZt57M5k
なんだかんだでこの3傑が大河ドラマとかで一同に揃うと燃えるな
411 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 09:47:09 ID:GFJy6eKD
個人的にアレなイメージないのって信長くらいか?
家康は、コテハンの馬鹿が言うようにお漏らし+てんぷらで乙という伝説的エピソード
秀吉は、大阪城にやってきた諸大名の奥方・姫様をレイプの性犯罪者
信長って焼き討ちとかあちこちでやって虐殺者って感じあるけど、戦国時代だし人殺しじゃイメージ悪くならんしな
412 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 15:53:52 ID:zVoOT6ir
家臣にブッ殺されてる時点でなぁ
413 :
人間七七四年:2007/02/14(水) 20:47:01 ID:6BzmFvBL
家康のてんぷらも秀吉の姫かどわかしも信用の置けない俗説に過ぎないが
信長=すげえな・・・
秀吉=すっげえぇぇ!!!!
家康=すごい。
415 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 18:13:44 ID:1masqCX8
私(メス)からみて誰が一番魅力ある生き方かというと
信長>秀吉>家康
家康の生き方は全然魅力的じゃない。
416 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 18:35:35 ID:NO8hR+zn
お前の意見なんて知ったことじゃねーよw
と思うけど結構そう思う人が多いのも事実なんだな
417 :
仙台藩百姓:2007/02/19(月) 18:47:36 ID:LqqlFlpa
信長は二枚目俳優タイプ
地位も名誉もあり容姿もよく自己中でも女に困らない
秀吉は人気お笑い芸人タイプ
顔は悪くても得意の話術で女にもてる
仕事で成功して金もある
家康はキャリア官僚タイプ
地位や名誉もある事はあるが面白くもなく華やかさもなくモテない
国家権力の影で援交とかしてるオッサン
418 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 20:45:25 ID:v0Jdivg9
419 :
人間七七四年:2007/02/19(月) 22:34:22 ID:Fwj1xuG/
キャリア官僚タイプは三成だろう
420 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 02:25:55 ID:4i9KDpaL
信長ヒトラー、秀吉ナポレオン、家康金日成だろ
421 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 06:19:04 ID:60hTYBHi
秀吉は海外ではJapanese Napoleonらしいな
家康はデブだったけどさすがに金日成は酷い
422 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 09:12:42 ID:/C0w67Nc
そのノリなら、信長はボカサ、秀吉はニヤゾフだろ
423 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 12:45:18 ID:1XE4uvTo
家康が嫌いで嫌いで仕方ない・・・
424 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 14:15:34 ID:2aFbhkeP
>>421 じょんいるは豚だけど、いるそんも豚だったんか?
425 :
人間七七四年:2007/02/20(火) 23:18:18 ID:E1OXOCrX
映像だと太ってるなイルソンも
426 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 03:50:48 ID:SfhGYpIM
でもくそ息子と違って、抗日戦線のリーダーだったんだよな
427 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 12:35:24 ID:WH8LljKa
軍事的才能で言えば
信長≧秀吉>>>家康
428 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 13:37:11 ID:ANYm6Ojo
429 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 14:47:13 ID:/u9eCiWc
金日成は金正日よりは遙かにマシだが、結局のところソ連の傀儡に過ぎないからな
430 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 20:36:34 ID:8YyPL5Gn
>>427 組織構築・運営&外交能力なら
家康>>>信長≧秀吉
戦法は戦術に、戦術は戦略に、戦略は政略に圧倒される
431 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 21:48:54 ID:XF7GSu4H
逆のような気もするが。
戦場で兵を率いて戦うなら、家康
戦局をみきわめて有利な戦場を造り上げるのが秀吉
強い兵、軍団をつくりあげるのは信長
な印象。
432 :
人間七七四年:2007/02/21(水) 21:59:14 ID:8YyPL5Gn
433 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 05:03:23 ID:0lbcgz1V
家康は戦略も政略もどっちも三傑の中では下の方だよ
434 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 07:08:41 ID:dEtiDo9w
一番、能力がないのが最終勝利者というのは、判官贔屓の典型ですな
435 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 10:38:10 ID:dEtiDo9w
>>433 更に言うなら、家臣に裏切られて殺されたり、死後に家臣がバラバラになるような組織では家康よりも政略に優るとはいえん。
436 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 12:05:17 ID:h7qougHx
少なくとも政略面には家康に譲れよ
家康が戦略が下手だとか言われる最大の所以は何より大合戦の経験が少ないからだろ?
家康はその分政略でカバーしきってるんだよ
437 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 12:46:26 ID:blS3JRV+
まぁ総合能力では
信長>秀吉>家康
だな。
軍事
信長>秀吉>家康
外交
秀吉>信長>家康
政略
信長>秀吉>家康
忍耐強さ
家康>秀吉>信長
家康はタナボタ親父。革新的なこと何もしてない。
438 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 13:21:49 ID:/GGOzl99
運の強さではぶっちぎり家康だろ。人生で一番必要なのは運だし。
439 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 15:57:28 ID:0lbcgz1V
家康が三傑の中で特に優れてた点を挙げてみようか
・寿命&健康
家康は当時としては珍しく70歳を超えてまで生きた長寿の人
彼は同時代のライバル達が全員死ぬまで生き残り、
その結果天下を掌中にすることが出来たが、
それを指してただ幸運だったというのは不当な評価だろう
彼は老いてからも日々鍛錬を欠かさず、
粗食に満足し、自ら薬を処方したという
この健康管理能力は我々も見習うべき
・体重
晩年の家康は自分で帯を締めれないほど肥満していたという
・後継者
当時の君主にとって優秀な後継者が居ることも名君の条件の一つだった
秀忠&家光は幕政に辣腕を振るい初期江戸幕府の権威を確立した名君、
彼らが居なくては幕府も早々に瓦解していた可能性が高い
また目立たないが晩年に生まれた義直・頼宣・頼房も地味に優秀
・古典的教養
茶みたいな新しい芸術には興味を示さなかった家康だが、
三傑の中では最も古典に親しんだ人物だった
関ヶ原後に吾妻鏡や貞観政要みたいな古書を復刻し、
それらは「伏見版」と呼ばれ現代に残ってる
その死後蔵書三千冊、所謂「駿河御譲本」は御三家に分与された
また能や香にも興味を示し、それぞれ玄人裸足の腕前だったという
ただ詩人としての才能は皆無だった
440 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 23:16:01 ID:cTkkX8CQ
>>431 まぁそれが一般人の認識。
一般的な認識では家康は関ヶ原合戦の人物と認識されているので、
すなわち合戦に強いようなイメージになる。
信長は長篠のイメージが強いから、鉄砲などを揃えたイメージになる
秀吉はというと合戦よりも刀狩りや検地の方が有名なため、
すぐに合戦とイメージをつなげられる人が少ない。
>>438 三人の中では一番運は悪いだろ。
441 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 23:27:33 ID:FFyLq0kU
>秀吉はというと合戦よりも刀狩りや検地の方が有名なため、
>すぐに合戦とイメージをつなげられる人が少ない。
そうかぁ?
中国大返しは秀吉最大の見せ場のひとつだし、一夜城や兵糧攻めやや水攻めなど、合戦もアイデア勝負なイメージが強いが。
442 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 23:35:10 ID:0lbcgz1V
太閤記では全部竹中半兵衛や黒田官兵衛の功績になってる
443 :
人間七七四年:2007/02/22(木) 23:35:38 ID:Edilwo+b
アイデア勝負なだけにそのアイデアが枯渇すると
朝鮮出兵みたいに自分では解決不能な泥沼に陥ってしまうのが秀吉の弱みなんだよね
アイデアが湧き出ているうちに止めておけばよかったと思うけど難しいのだろう
444 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 03:03:59 ID:4sEyVZTw
高松城と小田原城攻略 山崎の合戦 などは結構知ってる人多いでしょ
445 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 03:46:50 ID:FfMwOb5Z
>>443 というか晩年の秀吉は明らかにボケてただろ。
死ぬ寸前のボケ老人が布団の中で指揮を取るのはさすがに無理。
結局そうせざるを得なかったこと、つまり後継者に恵まれなかったのが全て。
後継者がいれば、朝鮮出兵だってなかったかもしれないし、あってももっと綺麗な終わり方だったろうに。
446 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 03:58:03 ID:Iet1f3it
晩年の秀吉が心身ともに衰弱してたのは事実だが、別にボケてはいなかったろ
唐入りの計画も一説には信長のものを踏襲したと言われてるし、
九州征伐が完了した時には西国の諸大名に海外遠征の準備を命じている
結果失敗こそしたものの自分は唐入りの計画が荒唐無稽なものだったとは思わない
みしろ明の援軍や朝鮮(一部)がよく戦ったと誉めるべきだろう
447 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 04:20:27 ID:qeyejegR
>>446 それを言うなら信長の評価も下がるべきだろ
448 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 04:22:40 ID:FfMwOb5Z
>>446 俺も朝鮮出兵自体は、当時としては極普通のまともな判断だったと思ってるけど
問題はその後だよ。朝鮮出兵はもはや家臣間の権力闘争の場でしかなくなってるし
明の降服などを本気で信じたり、結局、死ぬまで文治派に騙されたわけだしな。
ボケてなかったとしても、少なくとも相当に脳みそが衰えてただろうね。
豊臣の成人が一人でもいれば全然状況は違ってたのにな。
449 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 06:39:22 ID:msvXIcHn
若い頃は、あれだけ調略と補給戦を重要視し、それで戦さに勝ってきた秀吉なのに、唐入りに関してはまったくその冴えがみられない。
外交交渉はまったく杜撰だし、制海権を奪われて補給を断たれ大軍を現地で孤立させるなど、まるでかつての秀吉が敵にやっていたことを
そのままやられているかのようだ。
450 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 06:58:29 ID:us/NfzHP
結論
信長>秀吉>家康
451 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 07:14:30 ID:cJp2f6WM
24 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/01/03(水) 19:16:50 ID:ErGZzQq9
壬辰倭乱で李舜臣将軍が何万人の倭人を殺したか教えてほしい。
96 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/01/04(木) 05:00:38 ID:???
>>24 七年間の朝鮮役で李舜臣指揮を含めた朝鮮水軍と明水軍の攻撃による日本軍の戦闘死傷者総数は数百人から数千人の規模(最大でも五千人前後)と考えられます。
また李舜臣の攻撃で日本軍の補給や連絡が恒常的に遮断されたことはなく、極短期間の攻撃時間以外で補給連絡線の制海権を維持できたことはありません。
二次的な船腹不足に影響が無いとは言えませんが、海象による事故や寿命の自然減耗に比べるほど戦闘消耗は激しくありません。
97 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/01/04(木) 05:19:37 ID:???
>>24つづき
また日本軍には廻船補給計画は元々存在せず、例え朝鮮水軍が存在していなくとも陸上作戦的な海岸支配と技術的な海路開拓の問題によって漢城方面への海路補給が成立することは非常に困難です。
98 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/01/04(木) 05:32:13 ID:???
>>24さらに続き
李舜臣に対する評価は戦争指導指揮を行なっていたのが明であり、朝鮮独自の勝利ソースの少なさと李舜臣の属した派閥の評価から朝鮮内部で珍重されたこと、それの日本での江戸時代の受け売りと豊臣失政というレッテル貼りが罷り通った。
そして、明治以降のマハンの海上権力論を奉戴して海軍権益を拡充した帝国海軍の宣伝が原因となっています。
これが権威となり、詳細研究や先行研究批判が充実しないまま戦中に頂点を迎え、戦後の史観へ退凋します。
つまり李舜臣への幻想は朝鮮役という戦争全体の研究不足が原因となっています。
452 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 07:28:52 ID:SyP8MQ/g
453 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 07:33:03 ID:msvXIcHn
補給難で大軍が孤立したのも、外交が杜撰だったのもまったく事実だが。
454 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 09:30:34 ID:5AoT0JjA
>制海権を奪われて補給を断たれ
制海権は別に奪われてないけど。
455 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 09:38:10 ID:msvXIcHn
奪われていた時期があったのも事実だが。
456 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 09:48:03 ID:5AoT0JjA
>>455 そりゃ序盤だけじゃん。
ゲリラ戦法に対抗する布陣にしてからは日本軍の補給は半島までは滞りなく行えてた。
問題は、戦果が良過ぎて戦線が伸びまくった事と、占領下でのゲリラで
補給線がズタズタになった事。
あとは半島の国土が予想以上に貧しく、現地調達が困難だったってのもあるけど。
>制海権を奪われて補給を断たれ大軍を現地で孤立させるなど
この文章からは孤立した原因が制海権と言い切ってるわけだが。
457 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:05:06 ID:msvXIcHn
>この文章からは孤立した原因が制海権と言い切ってるわけだが。
原因のひとつにはあげているが、他に原因は一切ないなどとは書いていないぞ。
制海権を奪われていた時期(序盤以外にも)があったのも事実。
補給難に苦しんだのも事実。
大軍が孤立したのも事実。
それらは、往年の秀吉なら入念に気を配っていただろう、という意見を述べたまでだが。
458 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:10:56 ID:5AoT0JjA
後出しですか
459 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:17:51 ID:msvXIcHn
>>449をそのまんま解説しただけ(というか並べただけ)だが?
なにに絡んできているのかわからないな。
460 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:24:39 ID:5AoT0JjA
朝鮮本土の日本が滞った原因として先ず制海権を上げる事に違和感があったんで反論したんだが
間違いは間違いと認めようぜ
461 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:27:49 ID:msvXIcHn
間違いって何だ?
自分の説が絶対的に正しく、他は間違いだっていいたいのか。
違和感を感じるのはキミの自由だが、歴史を論じる態度として、それこそ間違っているといっておこう。
462 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:31:50 ID:5AoT0JjA
李舜臣のゲリラ活動は日本軍にさしたる影響を与えてませんが。
少なくとも、朝鮮の奥深くに攻め入った日本軍への補給の影響は皆無。
463 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:33:39 ID:5AoT0JjA
途中送信スマソ
俺の言った違和感ってのは、現在学説でも否定されている
李舜臣マンセーの韓国史観で論説を展開してるって事。
464 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:43:00 ID:msvXIcHn
だから〜、別に自分は李舜臣を絶賛しているわけでもないし、諸説あるのもそこそこは知っている。
だがそれらも未だ解釈のひとつと認識しているから、正しい間違っているで論じるのはそれこそ違和感を感じるんだわ。
新事実の発見により、明らかな事実誤認と判明されればそれもありだが、自分があげた「事実」は今のとこ事実として
認識されている。
それにどういう意味をもたせるか、どう解釈するかは個々人の考え方次第だろう。
キミの説もわかる。だが、それが絶対に正しいという姿勢には違和感あるな。
465 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:44:50 ID:5AoT0JjA
日本軍の朝鮮上陸拠点の釜山では、補給物資が滞ったという史実は全く無い。
これは九州からの物資、人的輸送が滞りなく行われていた事の証明になる。
李舜臣のゲリラ活動自体も小規模な船団のもので、大艦隊で釜山南岸を包囲して
補給線を遮断した事は一度もなく、散発的な攻撃で輸送船団が襲われる程度。
それでも連日襲撃をしていた訳では無いし、戦法を対ゲリラ戦に
対応したものに変更してからは、李舜臣のゲリラ活動回数が激減し、
日本軍の補給事情にさしたる影響は与えてない。
466 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:51:08 ID:msvXIcHn
>制海権を奪われていた時期(序盤以外にも)があったのも事実。
>補給難に苦しんだのも事実。
>大軍が孤立したのも事実。
これについて、事実誤認だというのなら承ろう。
キミの持論についてはもう十分。
467 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 10:57:59 ID:5AoT0JjA
>補給難に苦しんだのも事実。
>大軍が孤立したのも事実。
これは同意。
外交が杜撰ってのも同意。
468 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 11:00:25 ID:msvXIcHn
では唐入りの敗因は?
・そもそも無謀な戦さで勝てるわけなかった
・やり方がまずかっただけで、やりようによっては勝てる戦さだった
後者にしても、はたしてどこまでできたかってことになるが。
469 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 12:37:24 ID:Iet1f3it
横レスで悪いが
>>451は一体どこの誰の著書、もしくは論文が根拠?
470 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 20:50:14 ID:cJp2f6WM
朝鮮出兵における補給問題についての著書で自分が参考にしているのは
九州大教授の中野等著「豊臣政権の対外侵略と太閤検地」「秀吉の軍令と大陸侵攻」
また軍事史学通巻166号にも「豊臣政権下での兵站整備とその限界−−西欧との比較から−−」
という論文がある
>>451に書かれてることは上のとだいたい合一してるな。
471 :
人間七七四年:2007/02/23(金) 21:37:34 ID:yVvRVzNA
>>468 秀吉は朝鮮が自身の服属下にあると本気で信じていた節がある。
この前提がある限り、上手くいかないでしょうな。
472 :
人間七七四年:2007/02/24(土) 02:56:33 ID:8AlmDbbU
ID:msvXIcHn
>原因のひとつにはあげているが、他に原因は一切ないなどとは書いていないぞ。
こんなこと書いて恥ずかしくないのかコイツ
473 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 10:40:03 ID:RZj9vt3W
259 :人間七七四年:2007/03/02(金) 21:22:22 ID:7SuLxbl3
戦後の日本という国、マスコミやら教育者からすれば、
戦前、戦後を区別しなければ現体制の前の体制である徳川家康を評価できない。
戦後の敗戦からの平和志向からは朝鮮出兵した豊臣秀吉も評価しにくいだろう。
戦後は新しいものが求められ今までの権威を打破するという価値観の中で織田信長は高評価を得たんじゃないかな。
あとは司馬遼太郎という昭和を代表するような大衆作家が信長好きの家康嫌いだったのも大きいかと思う。
楠木正成の例でもその時代によって人気が出たり、下がったりがあるし、
マスメディアがそうゆう操作をすることもあるんじゃないかな。
474 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 13:24:37 ID:IgVcsZrp
秀吉、家康、勝家、光秀、一益・・・・・
彼ら一癖も二癖もある武将を使いこなせたのは唯一信長だけ
信長ほど清濁併せ呑む忍耐強さを有していた戦国人はいない
「鳴くなら殺してしまえホトトギス」というのは真っ赤な嘘
信長が地ならしをしてくれたお陰で秀吉、家康は天下人になれた
秀吉は武将としては疑いも無く有能だが、所詮は卑賤の成り上がり
信長が立案した戦略に従い駒としては有効に機能はしたが、
卓越した国家感など念頭に無く、秀長亡き後の迷走振りは無様そのもの
家康は信長死後潜在していた悪党の本性を現し、謀略家の才能を開花
だが所詮は既に完成された豊臣政権という体制を分裂させ、漁夫の利を得ただけ
人物の大きさからすれば信長は秀吉、家康を遥かに凌駕していた
475 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 13:40:48 ID:RZj9vt3W
明智光秀を飼いきれないからこその本能寺なんだけど・・・・
476 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 14:39:46 ID:IgVcsZrp
>>475 じゃあ、秀吉や家康なら光秀を家来として飼いきれたのか?
477 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 14:57:15 ID:ouRK7vih
秀吉は千利休として、家康は天海としてそれぞれ光秀を匿って重用したという俗説が有るなw
478 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 15:11:01 ID:RZj9vt3W
>>476 そういうifは無意味なんじゃないか?
秀吉に家康も家臣に命を取られるというミスはなかったということが史実なわけだしな。
秀吉だって本能寺の変に少しでも戦略を誤っていれば毛利と明智に挟み撃ちされるという状況が出来ていたし、
家康も伊賀越えに失敗していれば命はなかった。
本能寺の変は信長に降りかかった災難として有名だけど、この時同時に秀吉、家康も窮地に立たされてるんだよな。
これが運命の不思議なところで、本能寺を乗り越えたのは秀吉、家康で散っていったのが信長、光秀だったと感じる。
479 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 15:22:35 ID:9o7XiJVy
本能寺は、光秀を飼いきれなかったというよりあれは完全に信長の油断だろ。
直属の軍勢もなしに、まったく無防備で行動していたのだから。
480 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 17:13:04 ID:K9l5u+LL
>>479 油断というか幼児的な全能感だろうな
晩年の資料が全てそれを裏付けてる
481 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 17:26:44 ID:ouRK7vih
晩年の史料ってどこかから石を持ってきて自分の代わりに拝めとか逝ったという記述が有るフロイスの日本史か?
あれは眉唾だぞ
482 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 21:43:05 ID:ue9wMteU
>>481 老臣を裸一貫にして放逐
せめて、ある程度の所領は残してやれよ
483 :
人間七七四年:2007/03/03(土) 22:40:14 ID:K9l5u+LL
譜代の重臣である林や佐久間をどうこうできると思い上がった主君ゆえの謀反ですよ
武士は御恩と奉公の契約関係なのに、一方的にこの契約を破棄してしまう信長は
武士の棟梁として間違っていたとしか言いようが無い。よく信長を「近代的」と評する輩がいるが、
こと契約に関する感覚は前近代的に過ぎる。もし頼朝が信長を見れば、武士の法を懇々と
教え諭すだろう。
485 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 09:50:05 ID:g3491O1u
>>484 >もし頼朝が信長を見れば、武士の法を懇々と教え諭すだろう。
関東武士からもはや用済みと判断され暗殺された頼朝が、教え諭す武士の法って何だ?
486 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 12:33:58 ID:GKUPVIh6
御恩と奉公の契約関係ならば、報いた御恩の割りに奉公が乏しければ契約不履行として御恩を没収するのはわからんでもない。
487 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 14:22:54 ID:biVQ9SKQ
頼朝の目指した政権と信長の目指した政権は全然違うんだから、
別に頼朝に叱られても信長はどうも思わないだろう
頼朝を尊敬すること甚だしかった家康なら恐縮して聞くかも知れないがw
488 :
人間七七四年:2007/03/04(日) 17:22:48 ID:BEGmXaxH
佐久間は光秀が追放した説もあるし
林は邪魔以外の何者でもない
489 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 18:31:26 ID:uAapteq4
信長は生きてて朝鮮を制圧して欲しかった。
信長の戦なら家康も出陣せざるを得なかったろうし、秀吉も自分で在日…じゃなかった挑戦・監獄人どもを ぶちのめせた
490 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 20:33:23 ID:9zgPnV5f
>>489 秀吉を総司令官として現地へ派遣してたら成功して太郎ね
491 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 20:48:08 ID:uAapteq4
秀吉のことだから朝鮮の領主たちを次々と懐柔してゆくか…
あるいはコンプレックスのせいで徹底的殲滅戦に出るか
ひどい場合は朝鮮の傾国美女にうつつをぬかして戦線に遅れをとるか、
最悪は女と楽しんでる時に襲われて落命…
こりゃ主力は家康だわな。
492 :
人間七七四年:2007/03/05(月) 20:52:33 ID:wKYTBHrI
信長いるのにそんなことするわけねーだろ
493 :
人間七七四年:2007/03/09(金) 02:00:27 ID:3x8i5wzv
大規模な外征なら秀吉がやはりベストだろうな
家康は一万くらいの兵使わせたら割と強いけどそこまでの器じゃない
494 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 16:39:29 ID:0R9prjnM
海外遠征は信長か信忠が自ら出向くよ。
織田は大軍集結させる時は必ず二人のうちどちらかが総大将だから。
あんま家臣に心許してないんよ。つか二人とも家臣より戦上手いしな。
495 :
人間七七四年:2007/03/10(土) 23:58:48 ID:PZhJV5wA
496 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 04:55:17 ID:Md3ZYUbL
>>493 秀吉しか外征してないんだから比較しようがないだろ
497 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 13:56:37 ID:/hRII1Dc
>>493 ベストの秀吉であの体たらくということは所詮無謀な企てだった
つまり外征に手を出さなかった家康のほうが賢明だったことになる
あと、信長信者の信長なら成功していたという説は根強い
498 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 15:35:10 ID:a6/mw7n3
朝鮮なんてただでもいらねー
秀吉は失敗してよかった
歴史上あの国に関わって利があった国はない
499 :
人間七七四年:2007/03/11(日) 16:38:21 ID:0PQHP3rD
信長なら唐入り成功してたって主張してる人は、
信長がもし存命なら現地の総司令官は秀吉&家康になるから成功すると主張してるんじゃないか
清正&行長も悪くはないが、やはりこの二人には遠く及ぶまい
少なくとも秀吉なら補給を考えず無理に深入りして戦線崩壊することはあるまい
つーか信長が唐入りなんて馬鹿なことやるとはとても想像出来ないが。
501 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 07:02:39 ID:Xu4pqfme
強大な軍事力で国内を統一した後は、海外進出するのが世界史でいえば一般的。
日本は島国という特殊事情でそういう傾向が薄かったが、拡大路線からの方向修正は容易ではない。
502 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 09:28:15 ID:4B+JQXv8
>>500 信長は国内レベルの英雄だからな
信玄&謙信と同じクラス
503 :
人間七七四年:2007/03/16(金) 21:05:38 ID:lSOKQW+n
別に海外は明だけじゃないよ、当時南方にいた西洋勢力はまだアジアでは弱小だから、南方に進出すれば信長だろうが秀吉だろうが家康だろうが制圧出来たかも知れんぞ。
504 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 07:11:13 ID:+iu8hYTo
おいおい、信長=皆殺し作戦はセットだろうが(笑)
秀吉の失敗はボケてたという見方するならば、信長晩年の基地外
みたいな家臣や敵への仕打ちや、異常な新物好き振りを見てもま
ともな戦略をたてて朝鮮へ出るとは考えられないね。
どうせ朝鮮の義兵=本願寺みたいな連中っていう認識しかしない
と思うよ奴は
505 :
人間七七四年:2007/03/17(土) 07:24:48 ID:7tD4m2st
悪鬼のように征服地で虐殺を繰り広げたモンゴル軍が史上最大の世界帝国を作り上げたように、
他民族との戦いでは根絶やし作戦は割と有効だったりする
506 :
人間七七四年:2007/04/28(土) 23:15:06 ID:ww47kjLE
秀吉の一番の政策ミスは家康を殺さなかったこと。
劉邦みたいに簒奪しそうな香具師は全員殺しておけばよかったのにね。
507 :
人間七七四年:2007/05/08(火) 19:34:19 ID:eSk6RUkF
>>503 日本軍が国内空けて大陸以外に大遠征なんてしたら逆に西洋や明にやられる。
だいたいゲームじゃないんだから地盤を固めてない状態で遠征して国を滅ぼし
ても収益拡大にはつながらん。皆殺し&奴隷化して、日本人が移民するなら別
だが。
508 :
人間七七四年:2007/05/10(木) 07:42:41 ID:3+dp0zEV
信長が秀吉・家康を使って朝鮮を攻めてれば日本の歴史は明るかった。明智は国賊だ!
509 :
人間七七四年:2007/05/14(月) 14:03:24 ID:Mi9EkSPN
510 :
人間七七四年:2007/06/08(金) 06:56:00 ID:DcwfKkjk
織田から豊臣は領土を乗っ取り
徳川は豊臣から領土を乗っ取った
豊臣乗っ取られすぎwww
間違えた切腹してくる
513 :
人間七七四年:2007/08/21(火) 09:09:19 ID:++cWCtHV
朝鮮とこいつらの関係って一体何?
514 :
人間七七四年:2007/08/30(木) 23:04:28 ID:HUtetCJn
不明
515 :
人間七七四年:2007/09/08(土) 18:40:40 ID:GXfBdb8N
一番下からあげ
516 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 15:24:45 ID:6yJ2dPgh
家康の晩年のやつれ方は以上。
517 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 15:54:05 ID:dO572fY9
信長は秀吉の踏み台
秀吉は家康の踏み台
幕府開いた家康が一番
518 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 22:19:18 ID:st+VCvda
信長と家康は、武家出身。大なり小なり家臣もいた。秀吉は農家出身、それでいて天下人にもなりました。秀吉が一番だね!
519 :
人間七七四年:2007/09/27(木) 23:31:34 ID:+wxJLqgg
信長は一人で
秀吉は信長がいたから
家康は信長と秀吉がいたから天下取れたんだお!
520 :
人間七七四年:
信長も別にそこまで家はでかくない
ただの宝形
もう戦国三傑ばかりに注目する風潮をやめてくれ
恥ずかしいから