1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2006/06/11(日) 02:27:02 ID:TSyilnQQ 足軽を舐めるな!
2GET 雑兵の分際で何を申すか!!! ∧ ∧ 〜' ― ( ,,゚Д゚) < ゴニャァ!! し― し-J
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/11(日) 11:53:39 ID:rxEbHwiO
戦国当時の日本では足軽の圧勝じゃないの?
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/11(日) 21:51:07 ID:7GPbHwYf
舐めるなも何も 足軽の方が遥かに使えるでしょう。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/11(日) 22:11:27 ID:99SSQVCH
日本の在来馬は小さいからな。騎馬突撃などはできまい。 しかし、義経がやったのはなんだったのか?北畠顕家も似たような事 やらなかったっけ?
日本の在来馬が小さいのは江戸期の政策のため。わざと小型化した。 未だに間違った情報を鵜呑みにしてる人が多いんだな・・・
騎馬なんか無双でも使えない^^;
騎馬隊が隊列を組んで突撃をすれば足軽は陣形を崩されるだろうから騎馬が有利だが、 一対一の場合は足軽の方が有利そうだ。馬の足を薙ぎ払われて落馬すればほぼ終わりだし
>>6 そんな馬鹿なことが起こるかよw
じゃあ何で野生種まで小さいんだ。元々東アジア一帯の馬は小さい。世界を征服したモンゴル騎兵の
馬だって小さい。なので
>>5 日本の馬でも騎馬突撃は全然可能です。モンゴル人だってあの小さなモンゴル馬で騎馬突撃やって、アラブやヨーロッパの
体格のいい馬に乗った騎兵を蹴散らしていましたよ。
>>9 物凄い勢いで迫ってくる馬に向かって冷静に薙ぎ払える足軽なんてそうそういない。
槍衾
そんなもの現実にどれだけ出来るか
槍隊の正式戦法。 たたく、はらう、かまえる
>>14 足軽 vs 騎馬隊 だから、槍衾も戦法も実行できないよ
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/17(土) 17:05:52 ID:D0NaUdfd
騎馬隊はコストの面で問題がありそう
しかし戦国時代で騎兵突撃なんて事例があったか?
蒙古馬は日本の馬より、二まわり位デカイ。
戦国時代の馬がどんなもんだったのかは知らないが、 江戸時代や明治時代の馬よりは大きかったのは、 鞍とかを見てもわかるらしい
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/19(月) 18:31:54 ID:M+gh2jTq
大きさは実際はいろいろなんでしょ?
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/19(月) 21:21:53 ID:zETKgkyD
蒙古馬 中型馬 日本馬 中型馬
日本の馬はむしろ巨大。 手元の資料によると 派手な陣羽織を着た武将を乗せた黒い馬がジャンプして 胴丸を着込んだ人間の胴を蹄で踏み付けて真二つにしている。
グスタフアドルフのスウェーデン軍は騎兵の長剣突撃で有名だが、 そのスウェーデン軍の装備目録によると、騎兵用軍馬の体高は112〜133cmと日本馬より体格が小さいそうだ。 前列が短銃で斉射したあと、長剣を振りかざして突撃するという戦法で活躍した。 (昭和28年に、新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は129.5cm) これほど体格の小さい馬でも突撃は十分可能である。 また、モンゴル軍の軍用馬の平均体高は120〜130cm程度で、 モンゴル人はこの小型馬に乗り戦闘を行なったわけだ。
>>10 スウェーデン馬ほど小さくないとはいえ、
中世ヨーロッパの馬もせいぜい130cm台で、max142cmといったところ。
>>24 で言った鎌倉攻めの戦没者遺跡からは140cmの馬も出土している。
出土した中でもっとも分布数が多かったのは126〜136cmだった。
足軽も騎馬隊も人数あっての部隊だと思う。馬を狙って攻撃しても走り回って逃げられると思うし、猛スピードで単騎突撃しても、普通にかわされそうだし。 最期には騎馬上の武将が降りて白刃の勝負になると思う。常識的に
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/20(火) 14:08:07 ID:2Yrza+w7
>>23 そのエピソードで強大さを推し量るというのは無理がないか?
話をぶったぎるようで申し訳ないけど・・・ 戦国時代の人間の体格って今に比べれば一回りぐらい小さかったんでないの? 馬は、そんな大きくなくても大丈夫な気がする。
南北朝時代は馬上で物打ちしてたそうだから、騎乗しての戦闘もあったのだろう。 かといって、欧州のように騎兵として明確な戦術的運用があったというわけでもないし。
>>28 成人男性の平均身長は155cmだったそうだ。
食糧事情のせいでヨーロッパ人もせいぜい160cm程度。
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1088772345/ 323 名前:名無しさん@5周年[] 投稿日:04/07/08 10:03 ID:ZpVh1lqN
>>296 曹操は160cmぐらいです、大柄の武将が多かったので当時はかなり小柄だったの
でコンプレックスがあったと記述が残されている。
モンゴロイドでも、騎馬民族には長身が多かった。
満州族の昔の甲冑のサイズなんかを見ると推定190cm以上が多々あった。
332 名前:名無しさん@5周年[] 投稿日:04/07/08 21:16 ID:xmlXmxX0
>>323 その満州族とは八旗のことですか?
歴史系の板を見てると司馬の小説を引き合いにだして
「武士数十人でも一人の八旗にまるで太刀打ちできない」みたいな
事が書かれてるのですが。
オリエンタルでも中国でも、さらに馬が小さかった時代はチャリオットだからな。 日本は平地少ないし、戦が行なわれる(野戦ね)場所は、河原かナワテ位だから。 世界で言われてるほどの、威力は無いように感じる。
となると、騎馬というのは、本陣へ一気に攻め込むという戦法になるのかな? まあ、いくら武装していても馬が正面から突進してきたら普通逃げるだろうし。
西洋みたいに突撃で中央突破して指揮系統を分断したり、 側背を包囲して包囲を完成させる、なんて用兵はしてなかったかもね。 日本でも集団で乗り入れて敵の陣形を崩すことはしていたようだ。 長槍には「槍衾(やりぶすま)」という騎馬への防御戦法もある。 文字通り密集した数列の横隊で槍を隙間なく並べるわけだ。 騎馬が近づいてきたら、槍の柄で地面をバンバン叩いて脅す。これは動物に非常に効果的なのだそうだ。 そして膝をついた姿勢で槍の尾部に付いている、石突という尖った金具を地面に突き刺し、槍先を敵に向ける。 突き刺さる馬の衝撃は人間で受け止められるものではないので、こうするわけだ。 敵の騎馬が突っ込んできたら串刺しになる。
まぁ、そんな風な反撃が予想される状況では、馬で突撃なんてしないだろうけどな。 将棋で、いきなり飛車を敵陣に突っ込ませたりはしないのと一緒だよ。
岩国歴史美術館所蔵の川中島合戦屏風絵の、武田家の陣立図を。 江戸期のものなので本当にこんな隊形だったかっつーと・・・。 鉄砲隊は斜行隊形で槍隊の左右に配備されている。 鉄砲の装填時をフォローするために弓がセットになっているところは理に適っている。 足軽大将 鉄 .鉄 足軽大将 弓 鉄 鉄 弓 鉄 鉄 . 弓 鉄 槍槍槍槍槍槍槍槍 鉄 弓 . 長柄奉行 長柄奉行 . 槍槍槍槍槍 槍槍槍槍槍 . 槍槍槍槍槍馬印槍槍槍槍槍 槍 槍 槍 手筒 侍大将 手筒 槍 槍 .手筒手筒手筒 槍 槍 鉄弓鉄 鉄弓鉄 .槍 . 槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍 鉄弓鉄 鉄弓鉄 鉄弓鉄 鉄弓鉄 鉄弓鉄 鉄弓鉄 鉄弓鉄 鉄弓鉄 馬馬馬馬馬馬 足軽大将 馬馬馬馬馬馬 馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬
バカボンのパパのAAかと思った。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/24(土) 22:17:03 ID:RRkh3DAO
騎馬鉄砲隊って創作らしいね
騎馬に乗って突撃したかは別にして、 騎馬隊ってのが編成されてたからには有用性があったんじゃないか?
>>38 騎馬用の鉄砲、馬上筒は大量にあったよ。
江戸期の鉄砲教本にも、馬上から鉄砲を撃つための図解がある。
実際部隊として戦ったかは別として・・・
欧州では騎馬鉄砲は竜騎兵(馬上から撃った鉄砲の炎と煙のさまが、まるで炎を吐く竜みたいだったから)と呼ばれて活躍したんだけど、
日本ではそんな発達しなかったようで
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/25(日) 12:44:44 ID:ew4RemS1
伊達軍が大阪夏の陣でつかったというが
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/25(日) 14:01:09 ID:/6JjmeTk
>>41 使ったらしいけど、真田幸村に惨敗しているから
あまり効果が無かったのだろう
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/25(日) 14:03:21 ID:rtX6ZYB4
日本ほど火力重視の国は無いだろ
44 :
名無しの雑兵 :2006/06/25(日) 14:36:30 ID:UoIxL7+O
数百人単位の諸兵科部隊で編制される「備」には 単一兵科部隊は効果が薄いかと
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/25(日) 19:41:14 ID:cWjSpovU
アメリカインディアンは騎馬鉄砲上手かったらしいね
>>40 竜騎兵…なんてかっこいいネーミングなんだ
真田幸村に惨敗だってさ。
>>39 戦国時代の日本では一般的には編成されてないね。
龍騎兵が陣を組んだ歩兵に突撃して迎撃され壊滅したことがあったような。
>>50 それ以後竜騎兵は戦闘時は下馬して射撃する機動歩兵になってしまった・・・
ヨーロッパは重騎兵でもピストル撃ってから突撃したらしい
>>50 騎兵が陣形組んだ歩兵に正面から突っ込んで大打撃をくらうなんてことは、
古今東西良くあることだと思う。
>>51 30年戦争の頃は騎馬で突撃して至近距離で発砲し、
後は抜刀して戦闘するという戦術があったかと。
弓騎兵の方が強い気がするけど、 ヒット&アウェイに徹してたのかな。
>>53 そうだね。
初期は敵前まで接近して、馬上で射撃したら離脱してた。
弓は敵がしっかり守りを固めると効果的に被害を与えられないからね、 それで業を煮やして敵陣に近づきすぎると突撃で反撃されて、 たとえ機動力も兼ね備えた弓騎兵であっても、一気に敗れる可能性もある。 アルスーフでサラディンが獅子心王にやられたみたいに。 そうでなくとも、白兵戦に持ち込まれてしまえば単純に弓を持っている分だけ不利だし。 だから、飛び道具で戦を制したいなら、相手がしっかりとした守りを固めることが出来ず、 かつ白兵戦に持ち込まれないように工夫する必要がある。 或いは最初から白兵戦になった場合のことを前提に戦術を組むか。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/30(金) 22:56:26 ID:M4dBxHLD
騎馬鉄砲隊は世界各地にありました。カービン銃の和訳は騎兵銃。 もっとも、実際は馬上で撃つのではなく地上で撃つのが普通ですが。 伊達のは完全な一撃離脱専門の部隊だったららしいですね。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/30(金) 23:13:47 ID:2nWY+Ny5
大活躍しだすのはボーア戦争前後からかな? 寿命短かったけど。
火縄銃騎兵なら16世紀から普通に活躍しているよ。
16世紀に馬上でピストル射撃、即旋回離脱するカラコール戦術が生まれた 撃っては離脱、撃っては離脱のヒットアンドアウェイを繰り返す 17世紀には竜騎兵は下馬射撃に変わっていったが、18世紀でも重騎兵は突撃前に馬上で射撃していた
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/06(木) 12:47:26 ID:HPo1UOz5
騎馬鉄砲のネタ元はおそらく『常山紀談』あたりではないか? 大坂の陣からでも100年以上たって書かれたものしか 根拠がなくては、お話にならんだろ。 それに大坂の陣の伊達軍の編成は史料に残ってるから、 その中に騎馬鉄砲が無い時点で創作決定。 騎馬は騎馬、鉄砲は鉄砲という編成でしかないし、 まして騎馬武者は全軍1万8000のうち、600ほどしかいない
>>60 > 騎馬鉄砲のネタ元はおそらく『常山紀談』あたりではないか?
ただし、その記事に名前が出ている真田勢に加わっていた参戦者の一人は大坂の陣後に岡山の池田家に仕えている。
そして、その子孫は池田家で『常山紀談』の著者である湯浅常山と同僚(身分的に差があるかどうかは知らないが)にな
っている。
この記事にどのくらい真実があってどのくらい誇張があってどのくらい嘘があるかは今となってはわかりにくいが、一応
この子孫に取材した可能性があっても不思議はない。
とりあえず岩波書店は文庫で復刻キボン。
同時期のヨーロッパに騎馬鉄砲隊があったとは言っても、 日本で同じことが出来た根拠にはならないからねえ。 ただでさえ日本では騎馬の運用自体かなり少ないし。
>>27 非常に遅レスだが、おそらく
>>23 の言ってる資料とは歌舞伎者のあの人の本だと思われ。
騎馬隊は降りて戦ったとかその辺はとりあえず無視して 実際足軽がどれだけちゃんと陣形組まれてるか次第だろうな〜多分 槍衾だって多人数で範囲カバーしないと効果が薄いし士気が低けりゃ あっという間に崩れて乱戦になるからそうなったらもう(ry
一応率直な意見として、騎馬で突撃なんかされたら俺はまず逃げると思う。 もちろん槍衾もビビるけど。
つまり両方ともびびって逃げ出しまた再度陣形組みなおしての無限ループというわけだな すまん冗談だ
>>中世ヨーロッパの馬もせいぜい130cm台で、max142cmといったところ。 中世と言ってもいつ頃のことかはわからないから何とも言えないが 現在残ってる15世紀頃の騎馬用の甲冑から騎士の軍馬は160〜170cmあったと考えられている。
>>65 槍衾といっても、騎馬の突撃を完全に防ぎきるだけの槍衾を戦場に作ろうとおもったら、相当な数の足軽が必要だ。
実際にそんな大数による合戦は日本ではすくなかったわけで、やっぱり、騎馬武者が活躍する場面は多かったと思うよ。
>>62 騎馬鉄砲隊は無かったとしても、馬上から発砲するケースはあっただろうね。
小牧長久手で豊臣がたの坪内が馬上から徳川軍に発砲したなんて逸話もあるから。
>>68 それ以前に槍衾を作って対抗しなければならないような騎馬部隊が、
当時の日本にはほとんど存在しません。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/19(水) 19:44:00 ID:kmd/Tkpd
日本の戦国時代の騎馬隊というのは、足軽と騎馬が 混じっていたものだから、騎馬隊とはいわず、 混成軍というべき。 世界史上、騎馬隊というのはナポレオン〜ロシアのコサック 部隊が騎馬隊、もしくは騎兵と呼ばれている純騎馬兵のみの 軍としてできあがっていた。 それに、もしも武田騎馬隊が混成軍としてではなかったとしても 騎馬隊の役目としては諜報、偵察、奇襲が基本であり 大きな打撃力を持つに至っていない。 武田騎馬隊というのは奇襲や素早い攻撃によって混乱を招き 足軽によって敵を討ち取る戦法であったと推察する。 馬に乗りながら重甲冑を纏った相手に大きな打撃が与えられるとは 思えないのが理由
戦国時代の合戦は乱戦になることがしばしばあった。 そういうときは、編成時は騎馬と徒歩の混成でも いざ合戦になって一斉に駆け出したら、従者を置いてきぼりにして騎馬武者だけが突出するケースもあっただろうし その場の状況で騎馬武者だけが集まって攻撃かけることだってあっただろ。
戦術の基本は1番手に足軽、2番手に騎馬で 騎馬は敵が混乱や無力な状態になったとき一気に襲い掛かる らしい 確かに追撃を足軽でしても追いつかん罠
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/25(火) 10:48:14 ID:8jg1tlRP
>>67 西洋では馬車をひくのに都合が良い馬(大柄で馬力のある馬)の品種改良が
盛んだったようだから170a位の馬がいても不思議ではないと思う
銃器が本格的に普及する以前の 槍や刀で武装した歩兵と騎兵の戦闘がどんなものになるか 実証できないからキリの付かない議論がいつまでも続く
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/25(火) 15:59:48 ID:2k9pvRh3
競馬血統評論家(山野浩一)の本の中に 「大きな馬をつくるだけならサラブレッドでも一dを超える馬をつくる事は それ程難しい事ではない、難しいのは速く走るという高性能な馬を・・」 て書いてあるのだけど一dは大げさな話かも知れませんが(大きいだけの馬) をつくるのは難しい事ではないと言う話は生産者の人にも聞いた事あります。 べつに私は昔の馬が大きくても小さくても良いのです。 昔の人がドンナ馬に乗っていたのか?興味あるだけなんですけど
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/25(火) 17:29:47 ID:86m2/TQv
アリの巣コロリってあるじゃん。 蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。 邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。 そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。 そいつをマネして何匹も入る。 毒とも知らずにツブツブを運び出す。 一匹が一粒づつ。 いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。 黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。 一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。 せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。 蟻さんって働き者だなと思う。 俺も頑張らなきゃなと思う。 次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。 ほんとにいない。 探してもいない。 泣きたくなった。 このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・ それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。 信じるか信じないかはあなた次第です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Oda_Nobunaga ↑
【英語】信長はイタリアから3000丁の鉄砲を買って武田氏を破ったと書いてある。
(Nobunaga had purchased the 3000 muskets from Italy; Japanese muskets would have
pierced the armor but had less of a chance to kill)
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/25(火) 20:09:09 ID:OEQbxjmE
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/25(火) 23:43:26 ID:brj9uznT
At the decisive Battle of Nagashino, the combined forces of Nobunaga and Tokugawa Ieyasu devastated the Takeda clan with the strategic use of muskets. Nobunaga compensated for the musket's slow reloading time by arranging the musketeers in three lines. After each line fired, it would duck and reload as the next line fired. The bullets were able to pierce the Takeda cavalry armor (Nobunaga had purchased the 3000 muskets from Italy; Japanese muskets would have pierced the armor but had less of a chance to kill) 三段撃ちを書いてある。 微妙だ。。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 00:01:23 ID:AXlZmRnw
昔の人は小さいから 馬も小さくていいんじゃね? とテキトーに言ってみる
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 00:24:28 ID:HUBGLH3P
基本的に、騎馬兵ってのは今の戦車だと思えばいい。 馬の力を使えるんで、攻撃力が高いわけだから。 しかし、実際の機甲師団は戦車だけで構成されてない。 必ず歩兵がついている。 っつーのも、歩兵がついてないと戦車は意外ともろいんだな。 同じように、騎馬兵だけで部隊を構成しても、騎馬兵としての 弱点が強調されてしまって、意外と強くならない。 つまり、騎馬兵+歩兵で戦うのが、結局最強ってことになる。 日本の騎馬隊って言われているのは、基本的にこれ。 また、別に騎馬兵だけで構成すると、騎兵隊になる。こっちは、 機動力重視であって、今で言えば空挺団にあたる。 基本的に、奇襲に使う。 騎馬鉄砲がいたかいないか知らんけど、基本的に戦法は戦場に すばやく駆けつけて奇襲を加えて、相手が追いつかないうちに 逃げるというヒット・アンド・アウェーになるだろうな。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 11:24:23 ID:kReMEMU0
騎馬隊=珍走団 足軽=機動隊 をイメージしたほうがわかりやすいよ
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 11:42:07 ID:kReMEMU0
騎馬武者と騎馬隊、騎馬隊と足軽の連携プレーを混成部隊とごっちゃにしてないか? 騎馬隊という兵科は確実にあったはず。 なぜなら元親が馬、槍、鉄砲の運用について熱く語っている文書が残っているからだ。 騎馬隊の運用で降りるか乗ったままかなんてその場面で戦いやすい方を選択したろうね。
おまいら大河ドラマで見るような武田の騎馬隊が 競馬のようなスピードで突撃して来るんを想像してみろ 絶対ビビるはず つーか本物の馬見たことあるのか?予想よりは絶対でかいぞ しかも相手に見下ろされてビビらない人間はおらん 騎馬隊ってのは今で言えば時速30キロで走る身長250オーバーの力士集団ってところか 歩兵よりは強い罠
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 12:40:46 ID:si+p0RSL
槍衾最強
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 15:28:28 ID:qlsEToaJ
>>85 つれますか?
現代のサラブレッドと当時の軍馬は違うとこれほど(r
まあ馬に乗って突進されたらビビルだろうね。
でも槍の長さは足軽>騎馬
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 18:58:08 ID:wA3mNjbp
単純に考えて、 騎兵は、ある程度の地位のある上級武士。 一方の足軽は、下級の武士か農兵。 これで、馬が足軽に突っ込めば、身分が低く士気の低い足軽隊は当然瓦解する。 ビビらずに槍で集団攻撃できるほど、組織力があれば何とかなるかもしれないが、 士気の低い軍団ではそれは無理だろう。 あと、騎馬武者が馬上で武器を振り回して戦う必要は無い。 ただ、馬にしがみついて、相手を混乱させればいい。馬そのものが十分武器になる。 だから、突撃すれば落馬してしまうという心配はかなり減る。 日本の馬は小さいと言われるが、武将の方も小さいし、暴れ馬だったそうだから 馬力はあっただろう。 最悪、馬から下りて馬だけ突撃させても、相当な効果があっただろう。 こうなると、別に集団訓練が必要なわけではないが 集団訓練する事も可能。なぜなら馬を持っているのは農民ではなく武士だから。 土地から片時も離れられなかったわけではない。
今更素人考えを述べなくとも、
>>89 あたりが正解でしょう。
りょうすれ
ようするに戦国時代騎馬隊は存在しなかったが、馬が小さいから無理なんて ことではないよって話か。アジアの遊牧民の馬は日本の馬とそれほどかわら ない体躯だけど、歴史上、中国は兵力で劣る遊牧民に負け続けているわけ だもの。騎馬隊が存在しなかったのは、発想とか技量とか地形とか馬の数 とかが原因なんじゃないの。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/01(金) 23:35:43 ID:lmXrtZCP
火縄銃で弱い足軽の地位があがったという説と、 火縄銃は熟練者しか扱えないという説の2種類があるな。
熟練者しか扱えなかった火縄銃を足軽でも扱えるように組織を編成した。 それによって足軽の地位が向上した。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/13(水) 22:10:29 ID:7vVSJCFk
a
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/17(日) 20:51:35 ID:oxmR6Jfu
騎馬隊による電撃作戦って、戦国時代に例があるのかな? 桶狭間が該当するんかね。 中国だったら、行軍を二倍にして敵の後ろに回りこむ、とかよくある戦法だけど。
戦国時代の記述で敵陣に暴れ馬を突っ込ませて陣形を乱したってのがあったな。 騎兵の戦法は合戦時に馬から下りて時期を見て馬だけ突撃させる。 興奮状態に陥っている普段でも気性が荒い日本馬の操作は難しいと思う。
足軽の圧勝
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 11:14:55 ID:P49juRte
槍衾vs機動。通常なら足軽が有利
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 13:52:23 ID:5pV6fYiz
足軽は単数なのに何で騎馬は隊で複数なわけ?
勝てるわけないじゃん
>>82 ソ連のタンクデサント連想したら騎馬に付けられた足軽が可哀相になった
編成から死ぬまでの平均寿命が2週間くらいだったような…
>>101 同数なら槍衾じゃ抑えきれないぞ
足軽のほうが大人数で密集陣形組んでるところに散開した騎馬兵少数が無作為に突撃したら
そりゃ足軽有利だけどな
槍も弓も鉄砲も結局のところ足軽だろ。 槍足軽のみじゃなく、三種混成部隊でいけないか?
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/20(月) 13:02:28 ID:lAEpZo4s
足軽=軽装歩兵でおk?
日本には騎馬鯛なんて存在しないよ。
109 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/12(金) 17:17:31 ID:qA3pMiAM
足軽でふぁランクすか 手槍に置き立てを持たせればできるかな?
110 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/12(金) 18:38:34 ID:GPCqkGaG
確かに古今東西日本の軍隊に騎馬軍団なんて存在しない。常識です。例えば武田騎馬軍団五千が戦場に行く場合、何頭の馬が必要か?そこら辺りからでも実態が解るかも。
>>109 密集方陣はお命大事な素人と傭兵だからこそ発展したものだから
それ以外ではアホの陣形だぞ
>>110 そんだけの馬を飼うならその分歩兵を増やした方が10倍役に立つもんな
どっかの資料に武田軍の鉄砲隊が騎馬隊の比率を上回っていたってのがあったな 騎馬が全体の5%だったような気がした、2万の軍勢で1000頭の騎馬隊、まあこんな感じじゃないの 数よりも運用だろう。武田の騎馬軍団が隣国に名を馳せたのも運用面で他国より秀でた何かがあったんじゃねの 長篠の信長の鉄砲1000丁での運用も有名だけど、多くの武田の重臣が討ち死にしたのは追撃戦によるものが殆どで この追撃戦は鉄砲隊は出る幕もなかっただろう。 鉄砲隊は陣城へ突撃してくる武田軍の撃退と鷲ノ巣砦攻略に役立ったおかげで、後世に革命的だって言われてるぐらいなんだし
113 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/12(金) 22:45:03 ID:7PqH8ERo
武田より北条の方が騎馬の数が多かったこと。
114 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/12(金) 22:48:27 ID:IEFBcYPB
想像したらさ 騎馬隊1人と徒歩武者1人が戦ったら どう考えても徒歩の方が自由利いて強いと思うんだけど どうなのえろいひと?
>>114 人が突っ込んでくるのと馬が突っ込んでくるのどっちが怖い?
大抵の軍は騎馬一騎に数人の徒歩兵でバラバラに敵に当たるわけだろ 武田は騎馬だけ独立させ、巧みな馬術をもって敵陣の弱いところを かき回したりしたから強かったのでないかと想像してみる。 信玄より信長がやりそうな手法だが
117 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/12(金) 23:35:32 ID:Itqwp5/D
突撃するのには馬より牛の方がいいんじゃないの? とくに赤色の旗指物使っていただろう井伊や毛利相手には
118 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/12(金) 23:42:17 ID:7PqH8ERo
人が乗ると操れなそうだから 牛を単独で突っ込ませるといいかもね。 夜だったら牛の角に提灯ぶら下げて敵陣に突撃。 昼だったら牛の尻尾に軽く火をつけて突撃させる。 前者は早雲で後者は田楽だっけ?
武田の騎馬隊は合戦の決着が白黒つく頃に投入してたんだよ、野球でいうストッパーかな。 そうやって騎馬隊が出てくると終わりだと敵兵に印象づけてたんだとさ。 要するに勝てる時にしか使わなかったって事ですね。
120 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/13(土) 13:56:50 ID:bKt75v9Q
>>111 だよな。
当時の日本の馬運用技術を考えるとレベルの低さが解る。蹄鉄無し、去勢無し。俺なんか武田騎馬軍団虚構調べてるうちに人と馬の歴史にハマって武田なんてどうでもよくなった。150aの小人がポニーに乗ってツッコンできても怖くない。
121 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/13(土) 14:12:44 ID:QvAtThwm
馬に乗って移動する時は大体口取りの者が引っ張ってたみたいだし 1人で乗れもしないのに気性の激しい馬をありがたがって 昔の人は・・・
122 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/13(土) 15:35:04 ID:bKt75v9Q
去勢してないからやたら気性荒いし蹄鉄してないから長いこと走れない。50aの溝も乍も怖がって止まっちまう。鉄砲の音とかデカイ音でパニックに。ふ〜、使えね〜。ポニィ^^
123 :
名無し議論スレにて投票方法審議中 :2007/01/13(土) 17:24:23 ID:+mhOkqvx
日本は馬車が発達しなかった珍しい国だそうだ 1頭で馬車を引く時は去勢してなくても何とかなるかも?しれないけど 二頭以上で馬車を引く時は去勢しないオス馬を使うと馬同士で喧嘩するらしい モンゴルなどの遊牧民は優秀な種馬何頭かだけ残して去勢するか処分するみたい そうしないと勝手に種付けしてしまうから
DQNは乗り物が好きなんだよ
>>120 俺は体高80cm程度の猪が突っ込んできたらめちゃめちゃ怖いけどな。
127 :
人間七七四年 :2007/02/24(土) 15:10:08 ID:ELbRS3Fn
戦闘用の馬の調教法に詳しい方いますか? なんか、現代では完全に失われた技術っぽい・・
128 :
人間七七四年 :2007/02/24(土) 17:24:08 ID:gcxVC/lW
蹄鉄がない? 日本には馬用の草鞋が実在しましたが?
129 :
人間七七四年 :2007/02/24(土) 19:30:25 ID:uhOfiUhv
130 :
人間七七四年 :2007/02/24(土) 21:25:37 ID:2jrsLE7h
わらじwww
131 :
人間七七四年 :2007/02/24(土) 23:34:01 ID:kxvtvBWC
武田軍は戦国最強と言われるだけのことはあり、広野に炎が広がるかのようだ ったという(誤解の無いように言っておくと、これは決して蹂躙したというわ けではないのであしからず)。この強さの秘密はいったい何だったのだろうか まずは信玄の用兵術である。元寇以降、集団戦が日本に浸透していったとはい え、まだまだ「組織的」と呼ぶにはほど遠いものだった。それをいち早く取り 入れたのが信玄だったといえよう。まず「寄親」と呼ばれる部隊長を任命(大 抵武田譜代の重臣が就いた)、その下に同心衆、さらに下に被官などの下級武 士をおいた。これが武田軍団の主力であり、他には親族衆・近習衆・直参衆な どの旗本達、主に甲斐の国境警備の任に就いた津川衆や武川衆、御嶽衆など、 そして占領地におかれた外様の先方衆がある。駿河侵攻後には海賊衆がおかれ 、計53隻の軍船が武田水軍として組織されていた。これらに所属する武士は 知行地に応じて軍役が課せられており、一度合戦ともなれば定められただけの 人数の兵を引き連れ出陣せねばならなかった。信玄はこれを軍法・軍令をもっ て厳しく統制し、組織力を強めたのである。 これに前述の情報伝達機能が加われば、戦場での用兵が自由自在となる。実際、信玄の采配一つで兵が手足の如く動いたという。まさに臨機応変な作戦が可能なわけであり、北条軍の挟撃の危機にあった三増峠の戦いにおいて見事敵を撃退する事ができたのである
132 :
人間七七四年 :2007/02/26(月) 00:10:57 ID:/X2V+Wg5
私には何ぜ蹄鉄にそれ程こだわるのかよ〜わかりません? 競走馬でもトレセンに入厩する前の育成所のだんかいでは普通に裸足で調教してるし モンゴルなどの馬もほとんど蹄鉄つけてないらしい?(間違ってたらゴメン) 革の沓は日本でもはかしてたらしい 日本でも平安時代の昔から松脂に鉄の粉を混ぜて塗りつける 藁に人の髪の毛や馬の尻尾の毛を混ぜて丈夫にした藁沓を履かせるなど 明治初期に来た西洋人も日本人の技術にビックリしてたらしから? それと真っ赤に焼けた鉄を蹄に押し付けて(かたく丈夫にする)なんて 事は日本でも、かなり昔からやってたらしいょ 当時の蹄鉄は今日の軽量アルミ合金ではないでしょ? かなり重い鉄のスリッパみたいなヤツ(16世紀のヨーロッパの話) 当時の馬に(小さいの)に蹄鉄は必要ないのでは?
133 :
人間七七四年 :2007/02/26(月) 01:25:03 ID:mHLvBYTU
馬沓
134 :
人間七七四年 :2007/02/26(月) 04:32:35 ID:vhTM6tl7
槍兵のが強い。
135 :
人間七七四年 :2007/02/26(月) 10:23:50 ID:m5+o/D7O
つうか 古今東西 騎兵は まともに訓練を受けた歩兵集団と正面対決したら勝てない 騎兵が勝てるのは機動力を生かした側面からの打撃乃至陣形が崩れたっているときの突撃時のみ
136 :
人間七七四年 :2007/02/26(月) 23:39:08 ID:gvSeHTn5
つうか 当時馬に乗れる武将は基本的には戦わないだろ? 江戸時代の陣形図屏風(馬の博物館蔵)では 鉄砲、弓、槍隊の最後尾に騎馬隊が馬から下りて待機する ダイタイソーだったんじゃないか
137 :
人間七七四年 :2007/02/26(月) 23:59:56 ID:aGWEyaFM
百円SHOPみたいなこと言うなよw
138 :
人間七七四年 :2007/02/28(水) 01:43:51 ID:9OOoFVFL
>>135 ローマの重装歩兵はペルシャの軽装騎兵に惨敗したんだけど。
それに機動力を殺す戦い方で歩兵が優勢といっても無意味。
139 :
人間七七四年 :2007/02/28(水) 03:57:16 ID:keveJ+1k
そりゃそうだ 騎兵の利点は機動力だもん。 それを除いたら酷くコストがかかる的が大きくて装甲の薄いどうしようもないユニットだからな。 弓兵が弓を禁じ手にされたらおしまいなのと同じ。
140 :
人間七七四年 :2007/02/28(水) 17:47:52 ID:z0/5TbqQ
>>132 蹄鉄厨は現代の競争馬を基準に考えてるんだよ。
サラブレッドより小柄だから戦闘向きではないとか、サラブレッドでも全力疾走は数百M程度だから馬突撃は無理だとか、
こういう主張と同じ機軸。
141 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 03:17:06 ID:uSpMu824
>>78 遅レスですまんが、
【英語】信長はイタリアから3000丁の鉄砲を買って武田氏を破ったと書いてある。
何故にイタリア? イスパニアかポルトガルの間違いじゃねーの?
大体、当時はまだイタリアは統一してないでしょ。
べネツィアやジェノバの貿易船が日本に来航してたなんて聞いた事ないよ。
142 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 12:55:15 ID:JJfOxZ+r
>>60 三木合戦の中の平井山合戦(平山合戦とも)で別所長治側が
馬上鉄砲を使用してます。別所長治記には「近習の侍百五十騎
各返し合い馬上に鉄砲を持ち敵相五間六間に成る時一度に打ちける
程に秀吉方百五六十人馬より打ち落とさる」という記述がある。
ちなみに別所長治記は比較的信憑性が高い史料なので騎馬鉄砲が
あったのは事実かと
143 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 14:47:31 ID:TMMUSO2D
こんなスレがあったとは・・・。 「使用」と「戦略的運用」は違うでしょう。鉄砲騎馬が居たのは間違いない でしょうが、それが突発的か計画的だったのかと言えば、あまり計画的 に運用していた訳ではない様に思えます。それは、鉄砲騎馬と言う概念 が生まれたものの命中やコスト、或いはそれ以外の諸問題が解決不可で あり、廃れる以前に普及しなかったのではないでしょうか?これに関し ては鉄砲騎馬の優位性を認識した上でと言うわけではなく、元々鉄砲騎 馬と言う概念自体に欠陥があったのではないかと。
144 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 15:38:02 ID:EMSIAu5l
「使用」と「戦略的運用」ではなくて、普及していたかしていないか、でしょう。 戦略というのは簡単に言えば「国家の運営方針」であり、 戦闘に限って言えば、「戦争準備」「戦争遂行の基本方針」「戦争の継続と停止」のことを指します。 1兵科を取り出して戦略的運用、という言い方は普通しません。 日本においては騎馬鉄砲隊(ドラグーン)は戦国最終盤に現れたもので、 普及や戦闘における運用法を練る時間はほとんどなかったと思います。 しかし、それなりに計画的に運用されたのは確かでしょう。 馬上で使う鉄砲は通常の鉄砲とは違うもので、あらかじめ準備しておかないといけないものですし。
145 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 16:07:10 ID:TMMUSO2D
>>144 なるへそ、戦略とかの用語は細かい使い分けが必要な様ですね。
146 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 16:25:25 ID:VeyHkbHp
>>138 パルティアン・ショットを組織で出来る軽装騎兵は、火器の発達までユーラシア最強クラスだったしな
まあ地形が悪くて機動力が殺されたり、攻城戦だったりすると、あまり役にはたたないと思うけどね
147 :
142 :2007/03/01(木) 16:28:50 ID:JJfOxZ+r
>>143 私は
>>60 の「大坂の陣の伊達軍の編成は史料に残ってるから、
その中に騎馬鉄砲が無い時点で創作決定。」という部分に対して
創作ではないことを立証したまでであって、騎馬鉄砲の有効性や
計画性について言っているのではない。
計画的な実例としては大坂冬の陣の前田家の軍役を記した
「大坂出陣覚書」というものがあります。ここには
「馬上鉄砲 五十騎」と記述され、さらに馬上弓も五十騎
と記述されています。この馬上鉄砲、弓が実戦でどのように
運用されたかは知りませんが、もしかすると実験も兼ねた実戦
運用だったかもしれませんね。
148 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 16:50:22 ID:TMMUSO2D
一旦結論を出すならば、「戦国に於ける騎馬鉄砲の有用性、実証例を議論 するには難が在る為(戦国期ではどうも時間が無かった模様)、もう少し 後の時代の騎馬鉄砲から見る有用性を議論する」 アンド「あくまで戦国時代の条件の下に有用性を議論する」 この二つに絞られると思いますが、スレタイからして後者が適切ではな いでしょうか。もちろん騎馬の運用法を議論するのはこのスレに於いて も有意義なものではあると思います。
149 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 21:54:38 ID:j3OXY4dX
馬の博物誌(末崎真澄)によると鎌倉時代に流行した 流鏑馬、犬迫物、は室町時代には衰退し江戸時代徳川吉宗により再興された と書いてある 流鏑馬も戦国時代の実戦ではイマイチ・・・だったんじゃないのかなぁ〜 伊達の騎馬鉄砲隊もデモだったんじゃないの? ただし「馬は怖がりで馬の上から鉄砲ぶっ放す事なんて出来ないよぉ〜」 なんて話はナシね! 西部劇は説明いらんやろ? 北アフリカのモロッコの、お祭りなんかでも騎兵たちがバルブ馬(体高140〜150) に乗り、皆ライフルを撃ちまくりながら突進する!なんて事もやってる よほど怖がりな馬以外、音なんて慣らせば何とかなると思う。
150 :
人間七七四年 :2007/03/01(木) 22:42:18 ID:/iWGwdJy
西洋の場合 一時騎兵の主体となったカービン銃騎兵が 肝心の歩兵に対する衝撃力を失ってしまい 結局槍騎兵に回帰したとかって流れもあるが 全く存在しなかったってことはないと思うが 実戦で役立ったかどうかはかなり怪しいんじゃねーの
151 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 00:46:55 ID:o3mZMJpL
当時はヨーロッパでもテンプル騎士団が最強を誇り 十字軍としてヨーロッパから中東までを支配した そして真の聖杯とはマグダラのマリアのことである
152 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 01:36:18 ID:Ud7bcn6R
日本の戦は盾を持った奴が居てそいつを入れた三人か四人一組だったりしたの でしょうか?だとすれば鉄砲の出番は無いんじゃないでしょうか。 しかも鉄砲が普及すればするほど盾の有効性が増すという考えも否定できな いはずです。
153 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 02:46:20 ID:4Sc13ish
鉄砲の普及以降、一時期歩兵の重装甲化が見られましたが、 無駄と判りすっぱりとあきらめてしまっています。 銃弾を防げるだけの装甲を歩兵に持たせると身動きできなくなっちゃうんだね。 そこで鎧を捨てて機動性を重視するようになったんです。 日本の場合、鎧を捨てる前に戦国期が終わってしまったので、幕末まで甲冑が残ってしまいましたが。 ちなみに鉄砲の弾を防ぐための竹の束とかは歩兵装備ではないですよ。
154 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 04:24:48 ID:BK91rf5U
>>150 結局、銃兵で火力支援→砲兵で隊列に穴を開ける→騎兵突入
になってるしなwww
あれもこれも求めすぎて性能が追い付いてないから、中途半端な兵科になっちまった感
馬上銃なんて歩兵銃より射程と命中率が悪い(良くて同じな)んだから、馬上と地上から撃ち合いしたらどっちが上かなんて馬鹿でもわかる
逆に機動を活かして隊列を崩す為の側面攻撃に使うには決め手不足
突撃しようにも衝撃力ない、馬上から撃っても当たらない(銃歩兵からの反撃と相対的に見て)、停まったら狙い撃ち
結論としては、近世前期の集団戦では、馬に乗って機動性に特化した劣化銃兵にしかならなかった
一言で言うと器用貧乏ってやつだな
155 :
142 :2007/03/02(金) 08:25:33 ID:jOzUVrMB
西洋の事例を出してもそれが戦国期の日本にすべて当てはまる わけじゃないし、あくまで戦国期の日本に限定して話していか ないと本当の解決にはならないんじゃないの? 西洋で通用していたことが日本では通用しないことも、またその逆も あるわけですから西洋の事例はあくまで参考とするだけで、それを そのまま結論に結びつけるのは早計だと思います。
156 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 12:54:42 ID:Ud7bcn6R
>>155 しかし違いと言ってもそんなに無いですし、むしろ戦国より後期の方が
試行錯誤されているだろうし、そこで使い物にならないと言う事はやはり騎馬
鉄砲の有用性については否定せざるを得ないのでは。もちろん後期は騎馬鉄砲
対鉄砲を持った歩兵の戦いをメインにしていて、戦国には当てはまらない様で
すが。
157 :
142 :2007/03/02(金) 15:16:02 ID:F3zgbGnF
>>150 などのような事例を見ればたしかに有用性が低いとしか言わざる
を得ません。がしかし、それをそのまま戦国の日本に類推適用して結論
付けるのは早計ではないでしょうか?と上で私は言いました。
戦国の日本で騎馬鉄砲が使い物にならなかったと結論付けるには西洋の
事例などもある程度根拠にはなるでしょう。西洋の事例どおりに日本でも
使い物にならなかったということが事実だったとしても最終的には信憑性
の高い当時の史料(騎馬鉄砲を否定したもの)を提示しなければ決定打には
ならないと思います。そうしないと騎馬鉄砲は有効な戦術だと思っている人は
納得しませんよ。
158 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 16:57:50 ID:Ud7bcn6R
>>157 非常に難しい問題ですね。僕の頭の中では盾の存在がなかなか消えません。
159 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 20:18:12 ID:NIa2OiZo
>>157 あーいやー。わるいけどそれは逆だと思う。
近世日本において『騎馬鉄砲が有効な戦術だと考えられていた』資料の提出のほうが必要だと思いますよ。
江戸初期の各藩の軍編制で騎馬鉄砲隊を保持していた藩はそんなになかったはずです。
有効な戦術だと考えられていた場合、多くの藩でその部隊の維持が行なわれていたはずですし。
近世日本における騎馬鉄砲隊の非実用性は、純粋に数がそろえられないという点に尽きると思う。
騎馬弓兵が戦国期には主力たりえなくなったのと同じ理由ですね。
足軽の大量動員のせいで、軍内における騎馬武者の比率がぐっと低くなったせいで有効性が低くなっちゃったんだね。
160 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 20:20:43 ID:VN8ZnqvC
結局のところ 西洋の竜騎兵も日本の騎馬鉄砲も 兵科としての性格は全く一緒 チャリオットは騎兵に取って代わられ 盾が全身鎧の生産開始と共に個人用防具としてはほとんど見られなくなり 石弓・弓・スリングなどの遠戦武器は銃器の普及で廃れ 投石器・波状槌・攻城塔などの攻城兵器は大砲の発達で使われなくなり 機動部隊としての騎兵が自動車の一般化とともに姿を消していったように 洋の東西を問わず 兵器・兵科の興隆のパターンは大して変わらんわけで それを考えると騎馬鉄砲がまともに使える兵科足りえたかというのはかなり怪しいわな 史料が残って無くても別の事例・後世の事情から類推できることってのはあるだろう 結局 江戸期に日本の騎兵戦術の発達は全く止まってしまった事実は 戦国末期におそらく実戦投入されたであろう騎馬鉄砲隊に 戦術的有効性が(西洋と同じく)大して無かったということについての 一つの証明足りえるんじゃね
161 :
142 :2007/03/02(金) 21:18:23 ID:F3zgbGnF
>>159 どうして逆になるんですか?このスレで騎馬鉄砲が有効な戦術ではなかったと言っているのは
あなた達だけでしょう。私や他の人はただ単に「騎馬鉄砲は存在したよね」といったことしか
言っておりませんし、騎馬鉄砲はかなり有能な兵科だったとは一言も言っておりません。
私が言いたいのは、このスレで騎馬鉄砲を有効な戦術ではないと戦国時代当時の史料も提示せずに
類推解釈のみで結論付けようとする人が多いからそれは早計ではないのかということです。逆に騎馬
鉄砲は有効な戦術だったと主張する人が上記と同じことをしておれば同じことを言っています。
>>160 >結局のところ〜(中略)〜それを考えると騎馬鉄砲がまともに使える兵科足りえたかというのはかなり怪しいわな
さっきから上でも言っているように、それでは決定打に成り得ないんですよ。確実な証拠がない限り
いくら犯人がわかっていても逮捕することができないのと同じなんですよ。
>史料が残って無くても別の事例・後世の事情から類推できることってのはあるだろう
類推はあくまで拡大解釈にしか過ぎず、たとえそれが真実であっても決定打には成り得ない
と思います。
>江戸期に日本の騎兵戦術の発達は全く止まってしまった事実は戦国末期におそらく実戦投入された
であろう騎馬鉄砲隊に戦術的有効性が(西洋と同じく)大して無かったということについての
一つの証明足りえるんじゃね
江戸期と戦国末期の時代背景を考慮していますか?江戸期の日本と戦国期の日本の時代背景が一致しなければ
証明とはいえないのでは?
162 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 21:48:08 ID:VN8ZnqvC
>161 いや あなたは結局何が主張したいわけか? 騎馬鉄砲の有無については あっただろうと(そりゃ史料にも残ってんだから)いう点では一致してるよな んで 西洋において より大規模に運用された騎馬鉄砲隊は 結局戦術的有効性が薄かったため廃れたという事実を提示し 故に 日本のそれも同じ理由で途絶えたのではないかとと推測をした (もちろん戦火が途絶えたというのが一番なんだろうが、有効性が確認されていればまず廃れることはない。これは軍事の基本だろう) で これ以上のこと−−日本の騎馬鉄砲は西洋のそれとは違い、戦術的有効性があったとすることなり そもそも存在しなかったとするなり−−を証明せよというのは そりゃ悪魔の証明ってやつなわけで 日本戦国期の、実戦における騎馬鉄砲隊の運用法についてはほとんど真暗闇である以上、西洋の事情から類推する以外に手はほとんど残ってなく それを否定されたらこれ以上話進めようがない んで、結局あなたはどういう立場でもって異論を唱えてるのか 正直(そりゃ言うてることは確かに正論だが)現状では単に難癖をつけてるだけにしか見えないんだが
163 :
142 :2007/03/02(金) 22:20:37 ID:F3zgbGnF
>>162 私の立場はすでに述べているつもりですけど?
簡単に言えば確たる証拠がない以上、たとえ西洋の事例などを持ち出して
推測したところでそれが戦国期にも当てはまるとは限らない。よって戦国期
の日本における騎馬鉄砲の戦術的有用性は現時点では未知数である。簡単じゃなかったw
要するにわかりませんということですよ。
164 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 23:31:04 ID:BK91rf5U
A型の論理的な馬鹿って感じ
165 :
142 :2007/03/02(金) 23:32:57 ID:F3zgbGnF
スマンO型だw
166 :
人間七七四年 :2007/03/02(金) 23:55:11 ID:VN8ZnqvC
>163 いや だからそれじゃ話が進まないっつーか そこで終わっちまうんだって そりゃ それで良いっつんなら是非も無いが
167 :
142 :2007/03/03(土) 00:03:59 ID:U9civZxy
>>166 話が終わるも何も私はあなたの問いに答えただけですよ。
自分で聞いておいてその返答はないでしょう。
168 :
人間七七四年 :2007/03/03(土) 00:36:29 ID:ER1E1+Lv
だからさーーーーー こっちは西洋のあれこれを出して騎馬鉄砲の云々について考察をしたと そっちは西洋のうんぬんでは日本に当てはめられないとおっしゃる が それでこっちの意見を否定するだけして そっから話発展させてくれてねぇわけで 俺のの持ち弾は>162で言うてるように 正味もう弾切れなわけで このままだと話終わるのは当たり前じゃねーのと
169 :
142 :2007/03/03(土) 04:25:38 ID:U9civZxy
別に西洋の事例が100%当てはまらないとは言ってないんだけど。 まあそれは置いておいて、私も含めあなたも史料的根拠を示せない以上いつまで 経っても不毛な論争が続くだけ。それならば史料的根拠を示せる史料を誰かが見つ けるもしくは提示するまでは「西洋の事例では騎馬鉄砲の有用性が怪しいことから 戦国期の日本にも当てはまる可能性は十分高いといえる。しかし史料的根拠に欠け るため、たとえ西洋の事例どおりだったとしても未知数としかいえないのが現状」 とすべきだろうと思うが。 そもそも騎馬鉄砲のみについて論議するスレじゃないだろう。とりあえず一旦ここで 騎馬鉄砲についての論議は終了すべきじゃないの?
170 :
人間七七四年 :2007/03/03(土) 05:06:24 ID:AUC91ZVP
>>162 まぁあれだ。「憶測でモノを言うな」、「裏づけ資料がないのでなんともいえない」かと。
ごもっともな話。
騎馬鉄砲隊の有効性の是非については何の主張もなさそうなので、そもそも議論に加わっていないと考えた方がいいと思う。
ただ、議論内容の正否の判定をしただけというw
せっかくいいネタくれたのにお節介な上に野暮だよなぁ。
ここのカテゴリー『趣味』だから結論のでないグダクダな議論でも面白ければいいと思うんだが。
世の中そういった遊びもあるんだよ。
171 :
人間七七四年 :2007/03/03(土) 07:56:41 ID:XH8iAAk8
まったくだw そもそも、「決定打足りうる一次史料」が存在するのなら有用性云々の議論に発展することもないだろうに。 銃火器の有用性に異議を唱える者など居ないのと同じでね。
172 :
人間七七四年 :2007/03/03(土) 11:09:08 ID:0fF/urlq
ちょっと待ち!漫画のセンゴクとかクレヨンしんちゃんの劇場版とかでは、歩兵 は何人か一組で一組に付き盾を一個持ってたぞ!鉄砲が登場する前から弓矢が 在った訳だしソレをそっくり応用してもおかしくないんでないの? 相手が向かって来る野戦でも使ったのか、攻城戦でのみかどうかは分からんけど。 とにかく盾が頭から離れん!!
173 :
人間七七四年 :2007/03/03(土) 16:40:56 ID:0fF/urlq
アゲ
174 :
人間七七四年 :2007/03/03(土) 17:38:54 ID:2W44hkFB
175 :
142 :2007/03/03(土) 18:21:40 ID:ONPIHwnU
わかりました。それでは私はここから去るとしましょう。 それでは皆さん根拠の無い仮説に根拠の無い仮説を重ねて勝手に新たな 仮説でも作り出してせいぜい楽しんでくださいな。
176 :
人間七七四年 :2007/03/04(日) 04:29:47 ID:uD5Fqarr
>>175 ここでやっていることとはレベルが段違いだけど
歴史学者や考古学者がやっている議論や論争についても同様の煽りが使えるから
そういうのはやめた方がいいなぁ
177 :
人間七七四年 :2007/03/04(日) 05:30:56 ID:LRRZIq5a
>>176 イタチの最後っぺにつき合うとは、また人の良い御仁だ
178 :
人間七七四年 :2007/03/04(日) 06:32:26 ID:3vYqpCEB
っつーか 史学から推測と類推と仮定を使用禁止にしたら何の話もできなくなるだろーが と。
179 :
人間七七四年 :2007/03/04(日) 07:43:59 ID:77ce9lbq
騎馬鉄砲隊とはちょっと違うけど 短筒や馬上筒が大活躍した例があるよ。 島津では武士全員が短筒や馬上筒を標準装備してたんだ。 つまり士族全員が鉄砲射撃に精通していた、と言う事で… 関ヶ原における島津の撤退戦でこれが大活躍したんだ。 馬上で使用したのではないので、どちらかというと竜騎兵的運用なんだけどね。 十分な数をそろえて状況にあった運用をすればそれなりに使えたのではないかという事例。
>>179 それ、逆に言うと貧しいので鉄砲足軽を大量に揃える事ができなかったという事でもある
181 :
人間七七四年 :2007/03/04(日) 09:22:45 ID:1eVxExP4
>>178 142は元ネタとなる資料もなしに推測するのはヤメレ。だから推測や仮定を話すのなら何でもいいから元ネタを出せってことだろう。
182 :
人間七七四年 :2007/03/04(日) 11:20:09 ID:mR1/4nma
>>157 を参照
彼は推論や仮説を立てるのに必要な資料ではなく、仮説を立証するための一次史料を要求したのよ。
しかも
>最終的には信憑性の高い当時の史料(騎馬鉄砲を否定したもの)を提示しなければ決定打にはならないと思います。
と「悪魔の証明」を要求。
何人かが提出した仮説の元ネタとなる資料に対して
>別に西洋の事例が100%当てはまらないとは言ってないんだけど。
と認めるような記述も見られる。
要するに彼は「仮説」ではなく「正解」を要求してただけなんだな。
にもかかわらず
>>175 見たいな事を言ったら、そりゃーいじめられる罠。
175だけを単独で取り出すと181のように思うのはごもっともなんだけども。
……はっ、ひょっとして釣られてる?本人乙?
183 :
人間七七四年 :2007/03/04(日) 16:01:57 ID:3vYqpCEB
>179 そりゃ 数さえ揃ってれば一応の役には立つわな 戦はなんだかんだいうても数だからな けど 撤退戦における後衛戦闘ってのは普通の鉄砲足軽で代替可能な役回りなわけで わざわざ貴重な騎兵を鉄砲隊化してまで求める要素じゃないわけさ 結局のところ 竜騎兵は汎用性・射撃戦能力という点で歩兵に及ばず 故に 敵歩兵に対する攻撃力で騎兵に敵わないという中途半端な兵科だったからこそ 騎兵の主役になりえなかった
184 :
人間七七四年 :2007/03/04(日) 22:54:12 ID:/JAf+2ha
185 :
人間七七四年 :2007/03/04(日) 23:41:53 ID:1gFRKvsI
言葉足らず
186 :
人間七七四年 :2007/03/05(月) 02:15:39 ID:YxBmqh7p
>>185 突撃出来なかったんじゃないかと思う。
槍を持てば馬の首が邪魔で左右どちらかにしか突けなくて反対に回られると終わり。
刀では槍持った歩兵には無理。槍で隙間を開けず集団で突撃したとしても、相手の歩
兵が槍でバンバン地面を叩くと馬はびびったんじゃないか?音でびびらすって良く言
うけど(?)視覚的にもやられたらびびるはず。やっぱ側面からの不意打ちやソレをち
らつかせたりして使ったんじゃないかな?あと追撃とか。
正面から正々堂々となんて、ありゃ憧れに過ぎん。
187 :
人間七七四年 :2007/03/05(月) 02:53:09 ID:2HiN3S8A
そもそも島津は騎馬武者がほとんどいない 徒武者が基本編成 関ヶ原でも騎馬なんて侍大将クラスしか使ってなかったんじゃ?
188 :
人間七七四年 :2007/03/05(月) 03:19:57 ID:wKYTBHrI
>>186 言葉足らずどころか、知恵遅れだったのか
騎兵の正面突撃説に安価かけるかレス引用しろ
自分のイメージ(騎兵の正面突撃)を否定してるだけだろ
何を今更って感じでびっくりしたわ
189 :
人間七七四年 :2007/03/05(月) 07:22:48 ID:Yh0XceV+
>>187 そうなの?
島津貴久は、わざわざペルシャ馬を輸入していたんだろ?
それくらい騎馬に関心がある大名家なのに、騎馬武者がほとんどいないということは無いと思うが?
190 :
人間七七四年 :2007/03/06(火) 00:55:19 ID:YSwbOzMu
昔から騎馬武者について疑問に思ってた事なんだけど 生麦事件は少し時代が違うと思うけど 関が原の戦いの最中、徳川家康の前を馬に乗ったまま鼻前を横切った野村某に 「おどりゃ〜なめとるのきゃ〜」と言いながら斬りかかった話や 上杉謙信があらたに上杉配下になった成田長泰(武蔵忍城城主)が 馬に乗ったまま謙信を出迎えたため「無礼者!」て長泰を馬から引きずり降ろして おまけに烏帽子まで落とした! 「何ぼなんでも謙信やりすぎやがなぁ〜」と部下達はドン引きしたらしい などの話から戦国時代に馬に乗れる武将はかなり少数だったのでは? 関が原の戦いの時、石田三成と毛利、宇喜多が道端で出会ったらどちらが下馬するのか?
191 :
人間七七四年 :2007/03/06(火) 01:01:32 ID:7396NiWL
つ礼儀
192 :
人間七七四年 :2007/03/06(火) 01:22:23 ID:DPtGBRHZ
193 :
人間七七四年 :2007/03/06(火) 01:59:39 ID:Vers+gay
>190 何故その話から馬にのれる武将はryなんて推論が導き出されるのか 脳内連結どうなってんのよ 関ヶ原時なら 毛利輝元や宇喜田秀家は五大老のそれぞれ一角 三成はあくまでも五奉行の1人かつ公的には謹慎中の身 礼を払わなければならないのは謹慎関係なく鉄板で三成 となるくらい分からんか
194 :
人間七七四年 :2007/03/06(火) 02:29:44 ID:Eq5/jFMS
>>190 成田は騎乗礼を許された家柄なので、成田が騎乗礼するのは当然
事情を知らない(知って無くてはならない)関東管領殿はブチ切れ、暴行
事情を知ってる関東諸将はどん引き
それだけの話で、騎馬武者全般と絡む問題ではありません
195 :
くるるん :2007/03/06(火) 02:41:20 ID:U9l1HZkw BE:435935074-2BP(24)
『騎兵と歩兵の中世史』というのが面白いよ。 『今昔物語』、『平家物語』、『太平記』、『明徳記』に於ける 合戦の描写のみを比較検証して日本の騎兵の変遷を考察しているから 上記の史書の信憑性云々に関係なく、納得できたよ。
196 :
人間七七四年 :2007/03/06(火) 02:51:54 ID:DAdSPIL/
197 :
人間七七四年 :2007/03/06(火) 09:27:04 ID:ypj6g4WL
>>183 兵種の竜騎兵とマスケット銃装備の騎兵の行なうカラコール戦術がごっちゃなってない?
カラコール戦術の欠点は。>150や>154が書いているように打撃力や衝撃力が中途半端なんだ。
だから歩兵、騎兵、砲兵の諸兵科を協同させる戦術が考案されると完全に廃れてしまった。
一方竜騎兵の方は元々馬に乗って移動する乗馬歩兵で、馬は拠点確保や退却に使うもので馬に乗ったまま戦うことはなかったんだ。
後に騎兵としても運用されるようになったんだね。
その定義だとドラグーンマスケットやカービン銃で武装した軽騎兵や中騎兵を指すようになる。
竜騎兵の末は20世紀まで生き残っているよ。というか重火器の発達で彼らしか生き延びれなかったんだ。
>けど 撤退戦における後衛戦闘ってのは普通の鉄砲足軽で代替可能な役回りなわけで
>わざわざ貴重な騎兵を鉄砲隊化してまで求める要素じゃないわけさ
撤退戦時に兵科がどうとか言う余裕なんてないよ。使えるるものは使う。
ちなみに騎兵は本質的に撤退や撤退している敵の追撃に使ってこそ真価を発揮するので、
殿に騎兵をつかうのはけして悪い手ではない。
まぁ、島津が使った手は騎兵向きではないけどなw 死兵だし。
あと、ここで議論されている「騎馬鉄砲」が、「伊達家の騎馬鉄砲隊の使用したカラコール戦術」
のみを指しているのであれば完全同意。
ありゃー使えない。あくまでも過渡期の産物。
戦国ももう少し続いていれば、騎馬戦術で面白いものが現れたかもね。
198 :
人間七七四年 :2007/03/06(火) 19:07:03 ID:z5JLIZ2X
竜騎兵は、騎乗歩兵って事か? 武士と一緒だな
199 :
人間七七四年 :2007/03/06(火) 21:21:16 ID:e7ulVD6U
200 :
くるるん :2007/03/07(水) 14:38:41 ID:bclEzGBO
>>196 長くなるから要約するけど
『今昔物語』、『平家物語』では騎射戦闘の描写が殆どなんだけど
『太平記』では弓を射るときは下馬して、その後は打物騎兵としての描写が多い。
『明徳記』では、殆どが下馬戦闘の描写ばかり。
つまりは、封建制騎馬兵というのは戦場から消えていったという事。
その理由として、弓矢の性能の向上及び、戦の形態が拠点の奪取戦に推移していったことを
同氏は指摘してるよ。
>>197 >>戦国ももう少し続いていれば、騎馬戦術で面白いものが現れたかもね。
あげ足をとるみたいで申し訳ないけど、それは無いと思う。
201 :
人間七七四年 :2007/03/07(水) 20:17:37 ID:g87W38bP
202 :
人間七七四年 :2007/03/07(水) 21:15:21 ID:biVKVJ/J
203 :
人間七七四年 :2007/03/08(木) 00:10:02 ID:CHV+qJ9z
はいはい、板違い板違い
204 :
くるるん :2007/03/09(金) 13:13:01 ID:217faKZw BE:186829834-2BP(24)
205 :
人間七七四年 :2007/03/10(土) 01:08:07 ID:rQz1uNyJ
>>200 >つまりは、封建制騎馬兵というのは戦場から消えていったという事。
??
206 :
人間七七四年 :2007/03/14(水) 11:39:18 ID:zM2FQ10y
騎馬は隊形を組んだ足軽には突撃できなかった。
207 :
人間七七四年 :2007/03/22(木) 09:06:47 ID:0vHLVRPz
>>200 馬防柵があんだから、騎馬突撃もあるんだろ。
208 :
人間七七四年 :2007/03/22(木) 09:10:26 ID:0vHLVRPz
なんでだよ? 当時の武士は戦死することは最上の名誉で、討ち死には武士の本懐だった。 兎に角討ち死にすることを望む武士は多かったんだよ。 現代人から見たら無駄死にと呼べるようなものでもな。 特に君主の馬前での戦死は最上の名誉だった。 敵陣に騎馬突撃する逸話は幾らでもある。
209 :
人間七七四年 :2007/03/22(木) 09:19:29 ID:0vHLVRPz
>>190 急いでいるときは鐙をはずす。
そのとき一言、声を掛けるのが礼儀。
その礼儀に欠けると、後日、果し合いにとなる。
命よりも面子が大事だったんだよ。
命を惜しめば同僚から臆病者と散々言われる時代だったんだ。現代とは全然違う。
とにかく、当時の武士は短い命よりも後世に残る名を惜しんだ。武士の一分というやつだ。
一方で、名のない雑兵は命を惜しんだ。
戦国期はその命を惜しむ名もない雑兵が主力となった時代だったけどな。
中公新書の山本博文「武士と世間」を読んでみな。
210 :
人間七七四年 :2007/04/30(月) 00:22:03 ID:rTUH2ROD
211 :
人間七七四年 :2007/05/01(火) 01:02:00 ID:uL1Uczfc
坂の上の雲で書かれてるように、戦国時代の騎馬武者というのは「歩兵の指揮官が馬に乗っていた」 だけであって、戦力には含まれないのではと思うのだが・・
212 :
人間七七四年 :2007/05/01(火) 02:56:23 ID:DKk4+bea
213 :
人間七七四年 :2007/05/01(火) 02:57:14 ID:DKk4+bea
29 :人間七七四年:2007/04/07(土) 17:23:25 ID:D4ihqfOa 槍衾というのは隙間なく長槍の穂先を組み合わせた防御の構え。 長槍衆同士が激突すると、互いに長槍でぶったたくわけだがこれは槍衾とは言わない。 主に騎馬武者の突撃を防ぐために、上段中段下段に組み合わせる。 槍の石突は地につけることで、馬が突っ込んできても長槍が撓ることでこれを弾き飛ばす。
214 :
人間七七四年 :2007/05/01(火) 03:03:06 ID:DKk4+bea
戦国時代の備は、旗、長柄、鉄砲、弓、騎馬、小荷駄の兵種で構成されているそうだ。
川中島合戦図屏風の整然と整列した武田軍の備には、騎馬部隊が描かれている。
>>36 参照。
215 :
人間七七四年 :2007/05/01(火) 03:04:21 ID:DKk4+bea
216 :
人間七七四年 :2007/05/01(火) 16:18:32 ID:MYC8Wbbu
長槍を装備した密集歩兵が騎兵突撃に対する有効な対抗策になったのは事実だが、 それはあくまで士気が高く統率がとれていた場合。 心理的な要因で浮き足立ったりすると容易に突き崩される。
217 :
人間七七四年 :2007/05/01(火) 23:30:48 ID:iWxMQWI1
このスレでは日本馬には騎馬突撃に耐える馬格があったから騎馬隊はあった って話になってんのか? 馬格うんぬんより、士分の者にしか馬が行き渡ってないんだから、騎馬隊なんて 編成できないというのが常識だったはずだが?
218 :
人間七七四年 :2007/05/01(火) 23:54:08 ID:nFqeYx5S
>>217 欧州的な騎兵運用を白紙にした上で、日本の騎馬武者の戦い方を考えるべし
219 :
人間七七四年 :2007/05/02(水) 00:35:03 ID:9A9ExCJl
220 :
人間七七四年 :2007/05/02(水) 00:39:27 ID:6nWgVX99
信長の黒母衣衆・赤母衣衆、信玄の百足衆なんかは立派な軽騎兵といえるだろう。 騎兵のみの編成をしようとするとこんな風に有名なエリート部隊になってしまうわけで、 その手の重騎兵としての活躍の逸話などが残ってないのは騎兵突撃が無かったことの 証拠と思われる。
221 :
人間七七四年 :2007/05/02(水) 04:33:05 ID:uljoaEd9
>長岡藩の慶安3年3月制定の「御軍法」では士大将・さむらいだいしょう(=大組の組頭、家老が務めた)
>以下202騎の騎馬武者について、その持槍・持筒(鉄砲)等の武装・装備や兜の立物(飾り)や旗指物・服装等の出で立ち及び従者の定めを細かく規定した。
>また、足軽についても同様の軍装の定めがあり、戦闘の主力を担う鉄砲足軽隊については足軽頭(大組の士分)17人の統率の下に鉄砲30挺の隊2組、
>25挺の隊15組(鉄砲・計435挺)、合計鉄砲数531挺(士分の持筒等を合計した数と考えられる)である。
>他に弓足軽頭2騎以下、弓50張の弓足軽隊や長柄組と呼ばれる槍足軽隊があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E9%95%B7%E5%B2%A1%E8%97%A9#.E8.BB.8D.E5.88.B6 長岡藩では鉄砲5:2騎馬の割合だった模様
ただ、騎馬武者の馬上筒も含めての数のようだから、騎馬の割合はもっと増えるだろう
関ヶ原の島津軍なんかは騎馬武者のほとんどが馬上筒を装備していたようだ
222 :
人間七七四年 :2007/05/02(水) 04:38:12 ID:uljoaEd9
鈴木説のようなトンデモを信じてるのはもはやこのスレだけ 鈴木本人も騎馬隊はあったと言ってるようだが
223 :
人間七七四年 :2007/05/03(木) 14:49:21 ID:cEgPLDbl
自説を否定する鈴木氏は武田厨に謝れよ
224 :
人間七七四年 :2007/06/09(土) 22:59:35 ID:lX5qXH39
友人にあびるの知り合いがいるが この子、あまり評判良くないらしい 頭が悪い足軽女で、簡単に寝るんだって言ってた
225 :
人間七七四年 :2007/08/05(日) 21:29:09 ID:aTVRh6O9
騎馬はコスト面でどうなの?
226 :
人間七七四年 :
2007/09/08(土) 21:39:42 ID:tb4/au3A