245 :
名無しさん@1周年:
つまり、現実の対応における一回性、事件性と、対応パターンの繰り返しは
矛盾しないことだよ。
更に言えば、
>>243のような発想なら、科学としての政治学は必然性を説明可能と
なるようにも見えるけど、そんなに人間は単純ではない。
社会工学もそうだけど、変に科学志向で人間観、社会観がずれていると、
どうしても利口バカになりがちだからね。
246 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 20:36
分かりやすく言えば、対応パターンとは状況以前の基本的姿勢、プログラムであり
具体的な対応は状況に即したものとなることにより一回性を帯びるということ
>>242 でもそれだと何の説明もないことが不自然といえば不自然。
248 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 20:41
別の言い方をすれば、このような基本的姿勢、プログラムはアクターにより
異なるため一般理論化は困難であり、更に言えば有害ということ
249 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 20:43
もっとも、プログラムの内容を問わず、それ自体について一般的性格を述べた
ものが、組織論の最高峰であるサイモン・マーチの『オーガニゼーションズ』
250 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 21:46
>>245-264
すまん。頭が悪いんでよくわからん。
具体的な例をあげてくれない?
251 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 21:48
簡単でない現象を何とか簡単に理論化するのが
(社会)科学の役割だとおもうのですが・・・。
See, Essays in positive economics / by Milton Friedman
252 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 21:50
>>244 もしかして川人氏のようなばりばりの合理的選択論者だけが
”ポリサイ”と思われているのかな?
彼のような人はポリサイの中でも非常に少数派だし、
今ではかなり廃れているんだが?
253 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 21:51
あ、245-264でなくて245-246だ。すまん。
254 :
名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 21:56
>>251 それはそうだけど、バカな説明をしては本末転倒
255 :
252:2001/05/29(火) 21:57
あとポリサイにしても必然性を解き明かそうと
しているわけではない。
せいぜいある一定の時期における傾向だよ。
たとえば
「Aという特徴を持つ人物は他の条件が等しいならば
1955-91の衆議院選挙において、持たない人と比較して1.5倍
自民党に投票しやすい傾向を持つ。」といった感じに。
他の条件を操作し、かつ今までの政治学者が直感的に
述べてきたことを、具体的な数字として明らかにしたという点で、
優れていると思うんだけどなあ。
256 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 01:01
>>238 二つの閉鎖は何か関係があるのでせうか。
情報きぼんぬ。
257 :
歴史:2001/05/30(水) 01:29
歴史の叙述に理論などはいらん。歴史家の洞察力を信用してくれ。
258 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 03:24
>257
でも”進歩史観”というイタイ前例があるからなあ.
賢明で洞察力に富むはずの歴史学者が,
19世紀ドイツ出身のトンでも学者の大風呂敷を真に受けて
当時の日本をいかに分析するかで右往左往.
歴史家の最大の問題は,自らが拠って立つ理論・分析枠組を
明らかにしないことにより,
そこに潜む(かもしれない)偏見に無自覚となりやすく,
また自分の都合のよいアドホックな説明を平気でする人も
多いような気がするが.
だったらはじめから
自分は「A→B」と言う理論枠組に基づいて分析を行う.
ただし現実が理論が予想したとおりにならなかったなら
自分の理論は間違いであったと認める.
と明示するポリサイの方がマシじゃない?
つまりポパーの言う反証可能性を用意しなきゃ
だめということだよ.
259 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 15:10
age
260 :
歴史:2001/05/30(水) 16:18
>>258 歴史学(政治史・外交史、政治思想史もふくむ)は社会科学ではない。
それゆえ、反証可能性という概念にはむいてない。
261 :
世界@名無史さん:2001/05/30(水) 18:10
>>260 だったら歴史学者の発言は、文学者と同程度に
その学者特有の主観に基づくもので
他者の批判に対して正当化の根拠を持たないものなの?
だとしたら、現実の分析において彼らの議論が
権威を持つのはなぜなのだろう。
有名大学の教授だから?
262 :
歴史:2001/05/30(水) 20:10
>>261 >だったら歴史学者の発言は、文学者と同程度に
>その学者特有の主観に基づくもので
>他者の批判に対して正当化の根拠を持たないものなの?
そうかもしれん。
ただ、権威を持つ理由は有名大学の教授だからではなく、説得力がある
からだろう。
高坂の文章などまさにその典型ではないか。
今読んでも読み応えじゅうぶんあるぞ。
263 :
名無しさん@1周年:2001/05/30(水) 21:32
>>262 説得力があるための条件としては
文章構成が明晰であると同時に、、
その時代の主流の見方(悪くいえば読者の偏見)
から大きく離れられないのでは?
理論家がここから自由であると主張するつもりはない。
ただし「国際化が進展し貿易依存度の高い国は
国際競争の観点から福祉を削らなければならない」
という定説が実際にはまったく逆であることを
見事に証明したD.Cameronのような仕事は、
歴史家にとっては困難なのでないだろうか?
264 :
歴史:2001/05/30(水) 22:14
>>263 >その時代の主流の見方(悪くいえば読者の偏見)
>から大きく離れられないのでは?
必ずしもそうではないが、その傾向は否定しない。
クローチェは「すべての歴史は現代史である」とか
言ってた。いつの時代を叙述しても現代の価値観が
それに反映される。。
>見事に証明したD.Cameronのような仕事は、
>歴史家にとっては困難なのでないだろうか?
たとえば網野の中世史研究なんかは通説を打ち破るものだと
思う。日本は農耕社会であったという通説を打ち破り、さまざま
な職種の人々が住む多様な社会であったことを提示している。
だから、かならずしもあなたのいうとおりではない。
もちろん、歴史学万能とか、一人の歴史家の見方が万能だとは
思わないけど。