2 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 07:50:11 ID:KKv1hkvh
●例1、広開土王碑拓本に関して
江上説は「広開土王碑拓本は日本軍によって改竄されたものだ。」という韓国学会の主張(例、李進煕氏)を
全面的に受け入れる前提にされたもので、いわば「自虐史観」である。
しかしながら、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%96%8B%E5%9C%9F%E7%8E%8B%E7%A2%91 【碑文改竄説とその破綻】
結果的に2005年6月23日に酒匂本以前に作成された墨本が中国で発見され、
その内容は酒匂本と同一である旨の新聞報道がなされた。さらに2006年4月には
中国社会科学院の徐建新により、1881年に作成された現存最古の拓本と酒匂本とが
完全に一致していることが発表され[5]、これにより大日本帝国陸軍による改竄・
捏造説が成立しないことが確定し、倭が朝鮮半島に勢力を伸ばしていた事が証明
される結果と成った。
というわけで、江上説の「4世紀後半、騎馬民族によって征服された。」は倒錯した歴史観
であることが証明されている。
3 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 07:56:31 ID:KKv1hkvh
●例2、江上説の前提:
国宝「漢委奴国王印の金印」(1784年4月12日、出土)の考古学的価値の否定
(金印の「委」は「倭国(日本)」でないという前提)
http://www.st.rim.or.jp/~komatsu/kinin.html 1948年当時では「志賀島から出た金印は、蛇の紐通しがついている。蛇紐の金印はそれまで
中国本土はもとより、世界のどこからも発見されたことがなかった。そのため発見当初から近代まで、この金印は偽物ではないかという疑いが晴れなかった。」のだが、
「1956年に中国雲南省で前漢代の「てん(さんずいに眞)王之印」が発見され、これが蛇紐であったために、
疑問は一気に氷解した。漢代の印綬制度では、漢王朝に仕える諸侯(内臣)は、黄金印に亀の紐。
異民族の国家で
漢に臣従したもの(外臣)は、、北方民族には駱駝や羊の紐、そして東夷南蛮の王には蛇紐の金印が下賜された
ことが証明されたのである。
唐時代の辞書「翰苑」の巻三〇蛮夷の部が、太宰府天満宮に伝わっている。それによると、倭国の記事
の中に「中元之際紫綬之栄」とあって、紫綬の金印が光武帝より授けられたことが確かめられた・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%A5%B4%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E5%8D%B0 廣陵王璽との対応
1981年、中華人民共和国江蘇省揚州市外の甘泉2号墳で「廣陵王璽(こうりょうおうじ)」の
金印が出土した。それは永平元年(58年)に光武帝の第9子で廣陵王だった劉荊に下賜された
ものであり、字体が漢委奴国王印と似通っていることなどから、2つの金印は同じ工房で作られ
た可能性が高いとされる。
よって江上説「4世紀後半に国家成立」は全くナンセンスなものとして完全に否定された。
ひて
4 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/28(月) 08:01:26 ID:HKvQaPwn
コーカサス人といえば民族による種分けではなく、白人種一般を言う人種的区分である
が、白人種全般の昔の学説はインドアーリア族だとするものもあった。我は昔はインドア
ーリア族を白人種一派を言うとして来たが、今は、白人種を二種に分けて、どちらかと言
うとスラブ系やゲルマン系を含み、コーカサスを起源とするコーカサス人とラテン系やア
ラブやインドなどを含むインドアーリア系を白人種とする立場を採る。黄色人種における
ツングースはどちらかと言うと民族的分類で、人種としては黄色人種の源流とするのが近
頃の見方である。であるから、コーカサス人種は白人種であり、ツングースは黄色人種で
あるので此両者には 全く接点が無い。また、ツングースのギリアーク人などは千島列島
や樺太 に分布していたのであり、日本人が形成されるずっと前にアイヌ民族とは 多文化
的な多少の接触は在ったらしいが、混血は為されなかったようであ る。したがって、人
類流転の大昔のことをとやかく言わないまでも、古代 と感覚的に言われる時代に今の日
本民族と混合したなどとの事実は検証さ れたものは無い。
5 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/28(月) 08:04:49 ID:HKvQaPwn
人類を種わけするには、人種的と民族的との二つのものがあろうが、人 種と民族を
混同する誤りは犯してはならないことである。しかも、有史以 来に形成された民族的
区分を太古の昔に辿っても、様々混合あるもので意 味が無いことなのである。
我は人類学や民俗学をほんの少し齧ったことがあるのだが、学説はめまぐるしく変わ
っていることは分かるのだが、貴君が態々最後にあたか も日本民族の源流の一部として
ツングースを入れたのは、如何なる思いがあって のことなのか。態々我の史実の占めに
此一点を言ったのは如何してか!我は真に 疑問が湧いて眠れない。スレ立てする目的は
、様々在ろうが、是非ご回答願いた い。ツングースは極最近になって広く黄色人種の源
流と言うが津説が主力と言われるようになったも、例のウキペディア?の影響であると
思うのだが貴君は何れ と考えようか?ツングースとは一昔前までは、朝鮮半島の北方の
シベリヤや樺太、 カムチャッカ、千島列島に分布した民族とまでいえない人々のことを
言い、その中でも重に森林の大河で狩猟生活をしていた者達を言うと言うのが本筋で、
允か、 黄色人種の源流が総てツングースなどとの話は嘗て訊いた試しがなかった。史実
の捏造は様々な思惑で捏造されがちであるのだが、貴君は此ことを如何に考えようか?
6 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/28(月) 08:07:28 ID:HKvQaPwn
確か東夷伝か山海経に書かれていたと思うのだが、大部前の昔に、朝鮮半島は馬韓、
辰韓、弁韓と分かれており、馬韓にはタイガーに棲んでいた狩猟種族が移り住んだとの
記述を確か訳したことがある。そしてその種族は、背中の肉に棒を突き刺して、突き刺
した棒の両端に綱を架け、野太い丸太を引っ張ったと書いてあったのを訳したのだ。朝
鮮族にはツングースの血が濃く入っていることはどの学者も否定はしない。我等大和民
族には、何万年もの前の昔は別とし、ツングースが種族と認められたその時点からは一
切その血は入っていないのだ。
今の人類は総てホモサピエンスであることは、人種間の累代にわたる混血が可能であ
ることは証明されている。た とえば馬と驢馬を掛け合わせた騾馬は一代で終わってし
まうが、今の人類は白 人と黒人とが混血しても、ずっと子供を作り続けられるからだ。
人類は元々ホ モサピエンス一種であり、元を辿れば白人であろうが黒人であろうが総て
種は 一本である。問題は人種に限れば、人類を種分けする年代なのである。
余談だが、昔、日本が戦後から高度成長の時期に芸能界にロイジェームスと 言うトル
コ人がいたが、欧州人との混血だったのかもしれないが、肌は白く、髪は少し金髪がかり、
眼は青かった。
7 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 08:08:18 ID:KKv1hkvh
小沢、拓本に関しても国宝の金印にしても中国の学会ですら認めるものを
何ら科学的、考古学的検証なし1948年当時の朝鮮半島の学術レベルに迎合
して、否定する主張するっていうのは、もはや日本人のすることではないよ。
8 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/28(月) 08:10:38 ID:HKvQaPwn
我が若かりし頃は、黄色人種の起源をトルコ系に在るとして、モンゴル高原から今の
カザフスタン付近に分布していたトルコ系が西に行ってトルコ人となり、極東の最果て
に流れ着いたのが日本人などと言う説が多くの人に信じられていたのだ。つまり、黄色
人種の起源はトルコ系にあると言うことだったのだろう。
人種の種分けにおいて、どれが正しい説でどれが間違っているなどは、説が錯綜して
いるので素人が断定するのは憚れよう、我が言いたかったのはそう言うことではない。
話がとんで申し訳ないが、現今の人類であるホモサピエンスがアフリカに誕生し、そ
こから北上した一派がインドアーリア系人種や黄色人種となったと言う説が昔は粗一致
していた。白人種に限れば、インドアー リア系人種がコーカサスからより北へ上って
今の白人種と呼ばれる人た ちとなり、アジア地域に分布したのが今のインド人やアラ
ブ系の人たちになったのだと言う可能性もあろう。黄色人種が白人種とどの地域で何れ
の年代で分かれたか定説は無いと 思うが、何れ、アフリカ大陸から出て間もないこと
であろうと我は思う。
以上雑駁な人種に関する勝手で独善的な講釈を不遜にもさせて貰った。日本人のくっ
付き耳の確率がそんなに大きくなったとは驚きである。 どのくらいの割合で居るので
あろうか?しかし、我が言ったのは我の独善的視点のものであることを理解して貰いた
い。因みに、我は福耳である。
9 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/28(月) 08:13:23 ID:HKvQaPwn
さて、問題の核心はこれからである。我が指摘したのは二点であった。
一つは、人種と民族の種分けをごっちゃにしたことである。
コカーサス人と言う呼称には種族としての民族的意味合いも含むものであろうが、コカ
ーサス人は白人種である。一方、ツングースと言う呼称は数ある黄色人の種族の中の本と
一派でしかない。しかも、白人と黄色人種との分派は、有史以前の気の遠くなるような年
代のものである。
であるのに、コカーサス人とツングースが同一の血を持っているなどは全くの間違いで
ある。そんな昔にはツングースなどとの種分けするこ と自体に意味が無い。学者が指摘す
るツングースの概念は、ずっと年代が下ったものである。二つ目は、日本人の血の源流が
あたかもツングースにあるような誤解を生むような記述を何故したかと言うことである。
此れは黄色人種のなかでの種族同士の話となる。ツングースなどの概念は、人類が白人種
と黄色人種に分かれた時点からずっと時代が下った年代での数ある黄色人種を種族に分け
たほんの一派の概念として捉えるのが正しいものである。
一口にツングースと言っても、凄く広い概念で捉える学者も居るが、此れは黄色人種の
種分けをずっと古い年代に辿ったところでの、黄色人種=ツングースとするような広義に
捉えた概念と見る。
ツングースに関する学説の主流が何処にあろうと、黄色人種=ツングースなどの学説は
全く受け容れられぬものである。
10 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 08:14:18 ID:KKv1hkvh
「言語」分析はもはやまったく関係ない
江上説
・大和国家成立が「4世紀」は明白に間違いであることが「金印(1世紀)」に
よって証明されている。
・「4世紀後半に騎馬民族によって征服された」は広開土王碑文拓本や、その他の
資料によって全く逆の勢力関係(百済王の王子は人質だった。)ことが証明され
ている。
11 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/28(月) 08:16:05 ID:HKvQaPwn
昔の話ばかりで恐縮だが、昔、林久男と言う歌手が居た。眉毛が濃く眼に特徴のある歌
手であった。此人の血筋はアイヌに在ったかもしれない。アイヌ人は体毛毛髪が濃く、眼
が少し窪んで大きく、がっしりした体躯を持っている。どうも、我等黄色人種の多くの種
別とは離れた独特の一派であるかのような感じがする。その歌手はアイヌを歌った『オロ
チョンの火祭り』と言う歌で有名を覇した。
戦前内地の者は北方民族を一纏めにして『オロチョン』と呼んでいたのだが、『オロチ
ョン』とは、元々、樺太や千島列島などにも住んでい たオロッコやギリヤーク人等のアイ
ヌとは別種の極東のツングースの一派の種族のことを言う。これ等の種族とアイヌとの文
化的接触があった のは確かであろうが、日本人の血に流れる黄色人種の血には、南方系の
もあれば北方系の者もあるが、土台、オロチョンの血が混じっているなどとの説を訊いた
ことが無い。たが、朝鮮人には此オロチョンの血がかなり流れていることは確かである。
12 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/28(月) 08:22:52 ID:HKvQaPwn
民族間の文化の継承を端的に証明する決定的要因は、言語の同一性である。日本湖後の熟語
の殆どは歴史的に観て漢民族からのものであり、朝鮮語の語彙は全くと言ってよいほど無いの
だ。このことは決定的なものである。いい加減、自虐史観は禁止されるべきである。
13 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/28(月) 08:24:01 ID:HKvQaPwn
日本湖後の熟語→日本語の熟語
14 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 08:24:34 ID:KKv1hkvh
「4世紀」や「征服された」という江上説は科学的論拠、物証によって否定されている。
↓合理的、論理的説明におはまったくなってない。ただ、蓋然性だけで牽強付会してるだけ。
↓日本人と、おまえら半島人の科学的考察能力の差は、科学部門でのノーベル賞獲得数で、
↓歴然と証明されてるのだ。
↓ウザイ、在日,VANK
↓
>ID:HKvQaPwn
>11 :倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺
15 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 08:39:19 ID:KKv1hkvh
武寧王の前の代から、百済王の后は日本人から選ばれ、王子は日本で生まれた。
王子は即位するまで人質として日本で生まれ日本で育った。
江上説が正しいなら、征服側(朝鮮半島側)が被征服側(日本に)に皇太子を
人質に出すわけないだろうが。
朝鮮半島は当時、「金印授与」の対象としての国家形態をもってない。
だから金印も金印授与の記録もない。
古代での戦争というのは補給能力(継戦能力)がもの言う。
水稲耕作技術を持ってなかった4世紀までの朝鮮半島人が、紀元前4世紀以前
(ほぼ神武天皇の時代)から組織的水稲耕作に成功していた日本と戦争したって
勝てるわけないだろうがWWW
>503年 百済武寧王、倭国に遣使。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8
16 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 08:41:11 ID:KKv1hkvh
朝鮮のどっかの国が、金印授与されたのは何時だ?
17 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 08:56:23 ID:KKv1hkvh
カミ(八百万神)=カムイ(アニミズム)=縄文人(日本の先住民)の言語であって仮に
ツングース系言語だったとしても、縄文人(DNA,Y染色体,DE-D2)の遺伝子は中国、朝鮮半島で
見つからない。
縄文人は古モンゴロイドであって黄河文明、河北文明の騎馬民族(DNA,Y染色体,FR-O3)
ではない。
18 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 09:01:41 ID:KKv1hkvh
19 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 09:03:31 ID:KKv1hkvh
朝鮮半島の水耕稲作は三韓征伐後の4世紀以降ということがはっきりしてる。
日本での水稲耕作は紀元前4世紀には始まっていたことや、朝鮮半島で発見される稲の化石
から、朝鮮半島の水耕栽培は日本から輸入された稲でされていたことも最近の
DNA分析で明らかにされてる。
20 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 09:09:33 ID:KKv1hkvh
21 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 09:16:27 ID:KKv1hkvh
22 :
名無しさん@3周年:2009/12/28(月) 09:53:03 ID:KKv1hkvh
江上説での言語分類から死角
別スレ
261 :文責・名無しさん :sage :2009/12/20(日) 08:47:46 (p)ID:YrTGatoC0(5)
SOV型だのSVO型、そして膠着語の分類方法は、19世紀の西欧で考え出されたものであり
それで世界中の言語を大別するなど不可能。言語の近似性を探るには基礎語彙を徹底的に摺り合わせるしかない。
韓国の掲示板をたまに翻訳して読むのだが、朝鮮語とアルタイ語の類似性の記事が上がってた。
朝鮮語がアルタイ語と近縁であるだろうとの学者の期待に反し、合致した基礎語彙は「ゼロ」だった。
それは日本語も然りであり、膠着語であるとか、SOV型だとか、それはまったく言語の分類には役に立たない。
日本語は現在では「孤立した言語」とされているし、日本語と同系統と認められているのは
1800年ほど前に枝分かれした琉球語だけだ。
23 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/28(月) 10:32:28 ID:HKvQaPwn
石原慎太郎は元々多民族国家であり、『日本合衆国説』なる珍説を披露している。
石原なおてるも日本を多民族国家にすべきだと言っている。石原慎太郎は政治化になった以前から朝鮮族との関
りがあり、以前より我は『石原慎太郎朝鮮人説』を論証して来た。今でも奴は韓国系企業や朝鮮系を後ろ盾にし
て都政及日本の朝鮮族利権へ貢献度する活動ばかりしている。あの東京?銀行然り、築地移転の問題然り、奴に
は眼に余るチョン振りが目立つのだ。息子のなおてるも自民党超朝鮮族親派山崎派に鞍替えしている。因みに、
奴はあの小泉とは姻戚関係なのである。あのチョン親子は吊るされるべきである。
24 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 02:03:29 ID:H/DlKYu+
日本(人)は「多民族国家」というのは形質人類学から言ったら、まず間違いとは言えない
だろうね。ほぼ100%の学者が認めること。
例えば、日本人の遺伝子は数万年の時を経て、各人種が混血していることを示している。
DNAのY染色体で言うと、C3系(シベリア狩猟民族、数万年前)、DE-D2(縄文人、1万数千年前)
、C1(南方系、1万数千年前、インド起源、南九州・薩摩隼人族の先祖と関係あるらしい)、
FR-O1(台湾族、年代不明)、FR-N(シベリア、ツンドラ地帯系、年代不明),FR-O2b(弥生人、長江・稲作文明、
3千-6千年前)、FR-O3(黄河文明・漢族、時は江上説と同じだが征服者ではなく政治亡命者や技術帰化人・
千数百年前。主に百済滅亡後と考えられる。馬を戦争に使うというのは日本では大和朝廷が確立した後で、
天武天皇の時代・大宝律令時代あたりからで遣唐使によって取り入れた文化だ。極めて新しい文化。)
で、分布が多い順だと、DE-D2>FR-O2b>FR-O3>C1>C3>FR-N>FR-O1
で、長い時を経て代々、混血を繰り返してきた。
しかし「日本人のルーツ」は「天皇家の祖先」(征服者)の問題とは関係はあるにしても
また別問題だね。
25 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 04:58:10 ID:H/DlKYu+
そもそも、和風諡号を説明せず、漢風諡号だけで解説する学者や、「倭」を皇族名に充てる
学者は頭っから疑ってかかったほうがいいよ。
26 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 05:03:44 ID:H/DlKYu+
太安万侶って朝鮮人か中国人の帰化人の臭いもプンプンするんだよな
27 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/29(火) 05:20:45 ID:Xfe7o/YB
>>10 >・大和国家成立が「4世紀」は明白に間違いであることが「金印(1世紀)」に
>よって証明されている。
一世紀の金印は奴国に授与されたもので、
発見された場所も福岡県志賀島で、
一世紀頃に志賀島周辺の九州北部に奴国という国があったことを証明するだけで大和国家とは何の関係も見出せない。
大和朝廷の成立は考古学的に纏向遺跡や箸墓古墳の登場から三世紀半ばと見られている。
28 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 14:46:07 ID:H/DlKYu+
とにかく、小沢一郎、在日、韓国関係者は、後漢書に記述されることを隠し、意味を曲げて
いく。
1、当初は江上らは「倭と委は違うから、ここでの委は、日本ではなく江南地方の意味」
とう主張をしてた。
ところが後漢書倭伝等が後、明らかにされて、その冒頭に「倭在韓東南大海中」が示され
明白に「江南越人国は『東南の大海の中』ではない」ことが明らかになったので「この金印は
越人国への印綬だ」の説が崩れた。
2、それで今度は金印の「委奴国」を「単に倭の中の奴国」という意味だけで解釈がはじまった。
しかしながら、かの金印は、倭を「南界を極めた国」として「委奴国(後漢書では倭奴国)」の
王に対して与えたものだ。
光武帝の時代、金印を授けたのはこれだけである。それだけ「倭奴国は倭国の君主として国力がある」
と認められたからである。その後、三国の時代になって魏王は景初三年(西暦239年)卑弥呼が
勢力を伸ばせば卑弥呼にも印綬している。
ここで問題なのは、この時代の「倭の君主は誰なのか」というのが問題なのである。
光武帝の時代(紀元50年前後の時点)では、漢は「倭奴国が東南界を極めた倭の君主国
である。」 と判断したという事実が重要なのである。
「倭の中の一国でしかない奴国王だから、大和朝廷の君主ではない。」とはいえないのだ。
古代において「君主」とはいつの時代でも権力のトップであって、それはその地域で最も
力を持っていた者なのである。それが時とともに、変わっていくだけの話だ。
後漢書倭伝
「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也 光武賜以印綬
安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」
29 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 14:53:00 ID:H/DlKYu+
かの西暦100年前後の時代では、奴国も邪馬台国も「倭人国」の中の
諸国の一つなのである。邪馬台国はまだなかったかもしれないのだ。
30 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 15:24:32 ID:H/DlKYu+
安帝永初元年,倭國王帥升等獻生口百六十人,願請見
安帝永初元年:
西暦57年説と107年説と二通りあるようだが、どちらにしても
西暦1世紀前後では「倭国王」がいたことは中国が認識していた。
「『帥升』とは、第6代目の考安天皇ではないのか。」というのが通説。
31 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 15:25:40 ID:H/DlKYu+
訂正:考安天皇→孝安天皇
32 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 16:09:46 ID:H/DlKYu+
中華思想では東夷・南蛮・北狄・西戎は「化外の民」で、乱暴で教養のない
粗野粗暴な民、あるいは「人でなしの強盗殺人、略奪集団」として見下していた。
しかしながら、東夷だけには、別な面があった。
「倭は皇帝に対してとても従順で倭人は温厚な民」、という認識があった。
「東夷は紫庭(宮廷の裏庭)」という認識すらあったのだ。かの孔子でさえ、
中国の政治が乱れていることを嘆いたとき「九夷にいって棲みたいと。」と
さえこぼしたという逸話があるくいらなのである。古代ではそれだけ、
「倭は平和な国」という憧れがあったのである。
何故か?
稲の品種改良に成功してモンスーン地方だが、瀬戸内海などはもはや棲むには
海洋性気候で年中温暖で棲みやすく、南北に山脈があるから晴天の日が多く、
川からの水や湧き水が多かったから水稲耕作には極めて適していたからである。
つまり「衣食足りて礼節を知る(民)」だったのである。
33 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 16:17:13 ID:H/DlKYu+
小沢一郎、衣食足りて尚、礼節を知らず。
34 :
名無しさん@3周年:2009/12/29(火) 16:54:55 ID:H/DlKYu+
「倭國王帥升等(後漢書倭伝)」について
孝安天皇架空説:
「倭國王帥升等(後漢書倭伝)」=「倭国王の帥升等」と和訳
孝安天皇実在説:
「倭 國 王 帥 升 等」(升=飛の略字)
「ヤマト クニ オ シ ヒ ト
=大倭帯日子国押人命(古事記)
=日本足彦国押人尊(日本書記)=孝安天皇
35 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/29(火) 18:43:27 ID:Xfe7o/YB
>>28 >「倭の中の一国でしかない奴国王だから、大和朝廷の君主ではない。」とはいえないのだ。
同様に「倭の中の一国でしかない奴国王だから、大和朝廷の君主だ。」ともいえない。
なぜならば、その時代に大和朝廷が存在した証拠も何一つ見つかっていないから。
>>30 >西暦57年説と107年説と二通りあるようだが、どちらにしても
>西暦1世紀前後では「倭国王」がいたことは中国が認識していた。
西暦57年の方はただの「奴国王」、
107年の方は「(倭)面土国王帥升」でそれぞれ別人。
帥升が面土国王自身であったかただの面土国王の使いの名前であったかも分かっていない。
>「『帥升』とは、第6代目の考安天皇ではないのか。」というのが通説。
どこの大学の何という教授の説なのかはっきり書いてほしい。
36 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 00:39:10 ID:YJ8k4BDQ
一般的に、最近のWIKIは、民主党や社民党、共産党系の学者の「推論」は許すが、
自分たちと異なる歴史観は「自己研究」として抹消する傾向が強くなっている。
つい最近までは中学校、高校の教科書では「韓国側の主張と違うから日韓外交摩擦を避ける目的」
で竹島の問題が記されていなかった。福田内閣で初めて中学校教科書の学習指導要領に登場したが、
韓国は大騒ぎした。同時に小沢一郎は学習指導要領に記載したことについて、ニコニコ動画主催の
大学の講演で「教科書なんて陰でコチョコチョするのでなく外交の公式の場で正々堂々と主張
すればいい。」と言い放ち、それまでの自民党政権の外交を批判した。
(韓国政府は『日韓間に領土問題は存在しないから、領土問題で話合う場は必要ない。』と主張してる。
だから、「外交の公式の場」で竹島の問題について日本政府が韓国側に主張する機会、場は、事前協議
で韓国政府によって拒絶されるので、そういった場、機会は生成されるはずがない。
首相訪韓や小沢訪韓や、あるいは韓国首脳の訪日では、その事前協議で韓国側外務省は念を押してくる
からである。「竹島問題を出すなら来なくていい。(あるいは竹島問題を出すなら訪日しない。)」と
である。
小沢一郎は、それを知っていながら「公式の場で正々堂々と主張すればいい。」と自・公政府を批判
していたのだ。)
だが、今、民主党政権になって、「外交での公式の場」で一度たりとも竹島問題を韓国政府に主張した
ことがあるだろうか?
民主政権になった今年は、とうとう「自民党は竹島問題について何もしてこなかった売国奴。」と
批判していた民主党が政権をとったら、高校の学習指導要領では竹島問題を掲載することを
やめた。日教組員(在日の教員)らによる組織的な文部科学省へのアンケート投票に従って
である。
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/nation/CO2009122501000212.html 「竹島」明記避ける高校解説書 鳩山政権、韓国に配慮か
>>35 >「倭の中の一国でしかない奴国王だから、大和朝廷の君主ではない。」とはいえないのだ。
この論理なら。騎馬民族征服説なんてなんの科学的・合理的根拠もない。
広開土王碑文や日本書記での武寧前後以降の百済王族の人質の話で、騎馬民族征服説なんて木っ端微塵に粉砕されてる。
>西暦57年の方はただの「奴国王」、 107年の方は「(倭)面土国王帥升」でそれぞれ別人。
別に、「奴国王」と(倭)面土国王帥升」が同じなんて言ってない。
>帥升が面土国王自身であったかただの面土国王の使いの名前であったかも分かっていない。
分かるか分からないかはおまえの能力の問題だ。分かる人は日本人には多い。
おまえら在日や売国奴は「分かりたくない。」っていうだけのこと。
「日韓両国には領土問題はない。(竹島問題はない。)」と同じ嘘吐き屁理屈理だ。
「可能性」でなく、そもそも日本書紀での天皇名称での漢風諡号は漢書、後漢書をもとに編纂されたもの。<爆笑)
国史でのイロハの常識すらわかってないものが、日本国史を論じ、他人の主張を「珍説」としてる。
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%B8%A5%E5%8D%87 倭国王帥升等は「倭国王の帥升ら」ではなく、「倭の国王帥升等(クニオシヒト)」と
音訓混じりで読むべきという説もある(升は飛の略字と解釈する)。
この説だと、国王帥升等は、国押人命(クニオシヒトノミコト)と呼ばれた第六代天皇の
孝安天皇に相当することになる。
この説は、孝安天皇という諡号の由来について、後漢朝の孝安帝に朝貢した事跡を記念して
付けられた可能性を示唆している。
--60.36.95.85 2006年5月20日 (土) 14:13 (UTC)
安帝(孝安皇帝:106-125年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B8%9D_(%E6%BC%A2)
57年が倭国王でなく、107年だけが倭国王とはいえない。
中国から見て「倭国王」は遅くとも1世紀前後にはいた、というのが史実。
騎馬民族征服説(大和朝廷4世以降説)や、崇神天皇以降実在説を否定するのは
それだけで十分。
39 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 02:18:26 ID:cjxILWGE
日韓併合や竹島問題と同じで、この問題でも、戦後のドサクサ紛れに「自称・戦勝国民」に
なった韓国学会の主張によって、韓国側の主張に都合の悪い投稿は削除、妨害され、韓国側
にとって都合のよい主張だけが記載され、日本の国史は韓国政府機関(VANK等)によって
改竄、書き換えられようとしている。
それが、この騎馬民族征服説や、その背後で蠢く日本国史での改竄の動きである。
40 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 02:32:38 ID:cjxILWGE
孝安天皇が西暦1世紀前後(安帝の永初元年・107 年)の人だとすると6代前の
神武天皇は紀元前200-300年前頃となって現在、北九州で発見されてる最古の
水稲耕作の跡(水田跡)と大体、重なる。長江文明人が村単位とかで組織的な
水稲栽培が始めて即、天皇制とはいかなかったであろうから、水田跡よりは
新しくてもなんら不思議でない。
古事記、日本書記だけでは「寿命が異常に長くなってっる」ことでの矛盾(
時間軸での矛盾)を否定すれば、神武天皇(孝安天皇の6代前)は紀元前3世紀
前後となる。
41 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 02:35:20 ID:cjxILWGE
水稲耕作は集団組織的じゃないとできない、といわれてる。
42 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 02:37:35 ID:hg+CeMXO
43 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 03:40:26 ID:YJ8k4BDQ
>>42 当然だよ。
広開土王碑文問題だけでも、騎馬民族征服説は粉砕されてるよ。
天皇家が北方騎馬民族の種族なら、莫大な軍事費をかけて、わざわざ
(ワイ人として同族の)高句麗の侵入を排除したり、その侵入を防ぐために百済や
新羅を応援なんてこと、するわけない。
「ワイ人」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%8A 「百済」を建国した王は、当時は騎馬民族の北方民族のワイ人(の中の一部族の扶余族)
だと思うが、一般民衆は西暦3世紀頃までは、上記のような事情で馬韓など朝鮮半島は
殆どが百越人か、周以降は亡命漢人「亡命者、流浪の民」の執着場所だった。
百済の「済」とは「渡航者の終着点」という意味だ。サンズイがあるから海
からの移民とい意味だ。「百」は「多い」とか「様々」という意味。
しかし、おそらく紀元4世紀以前では「国家」の成立は成しがたかった。
街道・宿場町のような地帯だったと思えるな。
何故なら、気候が稲作に向かないなかったらである。朝鮮半島は寒冷で
あることと、例えば日本の瀬戸内海地方とは違って、朝鮮半島の山脈は南北
に走っているので、低気圧や前線の影響を受けやすい地形だから。
稲作にとって必要な日照を考えた場合、夏場に梅雨前線が日本列島から
北上してきて夏に梅雨前線が停滞しやすいから、古代米では栽培が向かない。
44 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 03:46:13 ID:YJ8k4BDQ
以上のような自然環境の背景があって三韓時代(西暦2世以前は)、まともな
国家形態は朝鮮半島では成立しえなかった。
つまり当時(三韓時代まで)は朝鮮半島は馬韓を経由した亡命集団の宿場街一帯
だったのだ。大陸では政変の度に、旧権力組織に対する血なまぐさい粛清などが
行われた。
また秦始皇帝の「兵馬桶」に代表されるように、古代中国では皇帝が死ぬと、
秦以前は多数の「殉死」が強制されたりしたからだ。兵馬桶はその殉死制度を
改めて人形を埋めた殉死風習の残滓と考えられる。
そういった時代では殉死でなくても、政権が変わるたびに、大量の難民、政治
亡命者が出たことは容易に推測できる。その逃亡は、おそらく山東半島がかなり
の重要拠点だったと思われる、山東半島の青島付近から朝鮮半島への海路は極めて
効率の良い海路だと思う。冬でも夏でも年中、帆船で速度が出やすい横風
なのだ。
夏の南風は風の影響で朝鮮半島北部に進路が寄せられても、黄海湾流が
朝鮮半島に近くなるにつれて強くなって船は南に流される。で、ちょう
朝鮮半島中央部、ソウルあたりに上陸できる。
冬は低気圧があっても朝鮮半島付近では、日本海、日本列島付近のように
発達しない。冬の季節風・北西風は青島から出帆して真東に向かえば、
帆船にとって最高速度の出る斜め後方からの風になる。
瀬戸内(なんと6000年前の稲の化石が見つかった。原産地は中国雲南省。)
の場合は、四国と中国に東西に山脈があって北風でも南風でも山脈で水分
を吐き出すから、瀬戸内は晴天の日が多くなって風もフェーン現象で
暑くなりやすから稲作しやすい。だが、海沿いで海洋性なので、それほど
ムチャクチャな気温上昇にはならないから住みやすい。海産物も豊富だから
古代の農耕文化人(弥生人)にとってはまさに別天地だったろう。稲作文化人に
とって、瀬戸内くらい「住みやすい場所」っていうのは世界中探してもちょっと
ないだろうな。
45 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/30(水) 05:53:13 ID:wwmxOR0i
>>37 >この論理なら。騎馬民族征服説なんてなんの科学的・合理的根拠もない。
>広開土王碑文や日本書記での武寧前後以降の百済王族の人質の話で、騎馬民族征服説なんて木っ端微塵に粉砕されてる。
騎馬民族征服説になんの科学的・合理的根拠もないことは、
奴国王が大和朝廷の君主であった証拠にはならない。
一世紀の奴国が大和朝廷なんてなんの科学的・合理的根拠もない。
>別に、「奴国王」と(倭)面土国王帥升」が同じなんて言ってない。
>>30は「西暦57年説と107年説と二通りあるようだが」と書いている。
これは同じ事件について57年説と107年説の二通りがあるといっているに等しい。
>分かるか分からないかはおまえの能力の問題だ。
自分が説明できないのを俺の能力の問題にして逃げるのはおまえの能力の問題だ。
>>37 >分かる人は日本人には多い。
日本人1億2000万人中の具体的に何%が分かっている?
世論調査でもして統計取ったなら数字を出せ。
>おまえら在日や売国奴は「分かりたくない。」っていうだけのこと。
おまえら大和国家主義者は「説明できない。」っていうだけのこと。
>倭国王帥升等は「倭国王の帥升ら」ではなく、「倭の国王帥升等(クニオシヒト)」と
>音訓混じりで読むべきという説もある(升は飛の略字と解釈する)。
>この説だと、国王帥升等は、国押人命(クニオシヒトノミコト)と呼ばれた第六代天皇の
>孝安天皇に相当することになる。
>この説は、孝安天皇という諡号の由来について、後漢朝の孝安帝に朝貢した事跡を記念して
>付けられた可能性を示唆している。
お、「という説もある」「この説だと」「可能性を示唆している」
とだんだん弱腰になってきたぞ。リンク先も見てみたが、
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%B8%A5%E5%8D%87
>>37 >2006/5/18のこの編集と2006/5/19のこの編集で、帥升=孝安天皇説が記述されています。
>しかし、5世紀南宋期に成立した『後漢書』に、東方小国の王の名が重箱読み/
>湯桶読みで記載されたとは、とても考えられることではなく、
>孝安天皇説は学説というよりもちゃんとした学術検証を経ていない単なるアイディアに過ぎないであろうと思われます。
>wikipediaはそうしたアイディアや思い付きを記載する場ではありませんので、
>とりあえずコメントアウトしておきました。特にご異論がなければ、
>1 週間後くらいを目途に当該記述部分を消去しておきます。
>どうぞよろしくご理解願います。--shimoxx 2006年5月19日 (金) 13:57 (UTC)
>削除に反対します。邪馬台国の項目にも珍説奇説のたぐいが記載されています。
>そしてwikipediaは推論を推論として書くことを禁じていません。また、
>この説は決して思い付きのたぐいではありません。
>孝安帝は倭から朝貢してきた人物を、国王に任命していないのですから、
>倭国王と読む解釈は不自然です。それに「帥升ら」と読む解釈では、
>国王自ら臣下を引き連れて、中国大陸まで朝貢に来たことになってしまいます。
>『後漢書』が何世紀に成立しようと、編者が参照したであろう古代の文献に、
>そう記載されていた可能性を排除するものではありません。
>--60.46.208.6 2006年5月20日 (土) 11:08 (UTC)
>>37 >他項目に珍説奇説が記載されているからといって、
>それを免罪符にしてしまってはwikipediaは珍説奇説百科事典になってしまいます
>(邪馬台国も非常に頭の痛い項目なんですけれどもね)。それはともかくとして。
>既にご承知とは思いますがwikipediaは自説を載せる場ではありません。
>「思い付きの類ではない」とご主張されるのであれば、孝安天皇説を唱えている研究者・
>論文が存在していることと思いますので、まずそれをご提示ください。
>その上で、孝安天皇説が学術研究の場で受容されていることが確認できれば、
>wikipediaに載せることを検討しましょう。ちゃんとした学術査読を受けていなければ、
>それは学説ではなく単なる思い付きやアイディアに過ぎないのです。それから、
>本ノートでの議論を終えないまま、コメントアウト部分を復帰されたことは非常に残念に思いました。
>読者へ誤った認識を与える可能性のある記述は、
>とりあえず消去するかコメントアウトするのがウィキペディアの慣習となっています。
>ご不満も多々おありと思いますが、本ノートでの議論が終わるまでは、
>どうぞコメントアウト部分を復帰させることなく、冷静なご対応をお願いいたします。
>--shimoxx 2006年5月20日 (土) 11:39 (UTC)
>判りました。頭ごなしに全否定されたように感じて、
>独断的にコメントアウト部を解除してしまったことはお詫びします。
>ただ孝安という諡号が後漢の孝安帝から採られていると言う事実は否定できないと思います。
>一応コメントアウトされた部分を、コピーして置きます。
日本国民は、安全保障の備という思想がなかった古代縄文人(DNA、Y染色体
DE-D2)や百越人(DNA、Y染色体FR-2種族・弥生文化人)が漢族や蒙古(元)族
によって肥沃で莫大な長江流域の稲作地帯などから追われ、四方に(チベット、
タイ、ベトナム、ビルマ、琉球、日本、台湾、韓国)に散らばるざるを得なかった
歴史を知り決して忘れてはならない。
我ら日本人の祖先である縄文人(日本人は、列島全般において広範囲、ほぼ均等に
約35%の確率で、縄文人の遺伝子を受け継いでいる。)は、大陸、半島では完全に
絶滅させられたことを我々、日本国民は決して忘れてはならない。
>>37-38 「学説というよりもちゃんとした学術検証を経ていない単なるアイディア」
「アイディアや思い付き」「珍説奇説」「ちゃんとした学術査読を受けていな」い、
としか扱われてねーじゃん。(w
>騎馬民族征服説(大和朝廷4世以降説)や、崇神天皇以降実在説を否定するのは
>それだけで十分。
「という説もある」「この説だと」「可能性を示唆している」
ってだけじゃ全然十分じゃねーな。
>通説は通説であって、特定のどっかの教授だけの話ではない。
結局出典すら出せないんだな。そういうのを通説ではなく「俗説」という。
>実在しなかった天皇の「朝貢」の事跡を後漢書などが記述するわけない。
そりゃそうだ。天皇じゃなくても実在した人の
「朝貢」の事跡なんだから後漢書に記述されている。
51 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 06:23:26 ID:LfMxKw4W
韓国政府、韓国学会、日本の売国学者、売国知識人、及び左翼、
ナリスマシ在日右翼(暴力団)は、戦後のドサクサ紛れを利用して
日本の国史を「古代からすべて、ワイ人が被害者」という歴史観を
構築するために、日本の様々な機関に潜入して日本の国史を改竄し
続けている。最近ではVANKを使い、様々な角度から様々な事柄で、
嘘の歴史のもとすいて、日本の歴史を隠蔽、改竄しようとしてる。
その代表例が
>>48を含む以下の事柄である。
・三韓征伐の否定
・広開土王碑文改竄説
・後漢書と日本書紀、古事記での都合の悪い部分の否定
・金印の否定
・倭国王帥升等の否定
等を利用して
崇神天皇以前での天皇架空説
騎馬民族征服説
↓
「もととも天皇家は韓国人なのだから参政権も土地も韓国人に譲れ。」
である。
の正当化である。
52 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 06:24:50 ID:LfMxKw4W
↓VANK工作員
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
>>38 >後漢書などに
>記述される事跡にもとづく天皇名を「実在しない天皇」というのはもはや支離滅裂だよ。
後漢書などに記述される事跡にもとづく天皇名を名付ければ
「実在した天皇」というのはもはや支離滅裂だよ。
>そうなら自分たちが拠りどころにした漢書、後漢書や日本書紀などは全て否定しなきゃ
>ならない。
証拠があれば肯定するし、なければ肯定しないまで。
全肯定か全否定どっちかしかないのはおまいらカルト信者。(w
>漢書等での記述を引用するなら、遅くとも1世紀前後において「倭王(大和朝廷、皇祖)」
>が実在したことは明白。
漢書等に遅くとも1世紀前後においての「倭王」の記述はあっても
「大和朝廷、皇祖」の記述は無い。
>まさか、騎馬民族征服説者って人類日本発祥説と人類朝鮮発祥説の二股説なわけか?(爆笑
騎馬民族征服説者は知らんが俺は人類アフリカ単一起源説を支持している。
54 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 06:37:48 ID:LfMxKw4W
後漢書否定なら、そもそも江上説は雲散霧消だ。アホ
↓
>>53
55 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 06:39:47 ID:LfMxKw4W
後漢書での倭王の存在の事実否定だけでなく、三十余国の連合国の盟主であった
「邪馬壹国(卑弥呼、三世紀・三国志魏書東夷伝倭人条)」の倭国王(卑弥呼)
への授印ですら否定して「大和朝廷は4世紀後半から」と、WIKIなどで言い張って
るのが、韓国学会工作員、韓国政府のプロパガンダ機関(VANK)や日本の売国学者,
売国知識人を含む売国政治集団だ。
56 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 06:44:22 ID:LfMxKw4W
↓我々日本人の科学的考察力や証明力と、おまえらの牽強付会、因縁つけ屁理屈論の
↓区別は、科学部門でのノーベル賞の数で国際社会は証明してるんだよ。
53 名前:Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/30(水) 06:25:01 ID:wwmxOR0i
>>38
だから何?アホ。
↓
>>54 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2009/12/30(水) 06:37:48 ID:LfMxKw4W
>後漢書否定なら、そもそも江上説は雲散霧消だ。アホ
>↓
>
>>53
58 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 06:50:07 ID:LfMxKw4W
「倭」は「ヤマト」(大和)と同義だ。アホ
とうとう、朝鮮カルト学説の人類朝鮮半島発祥説を唱えはじまった。
↓
>漢書等に遅くとも1世紀前後においての「倭王」の記述はあっても
>「大和朝廷、皇祖」の記述は無い。
59 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 06:54:43 ID:cjxILWGE
スレタイも理解できない、科学部門ノーベル賞ゼロの民族
↓
57 名前:Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/30(水) 06:49:03 ID:wwmxOR0i
60 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 07:08:47 ID:cjxILWGE
「朝鮮半島は古代からワイ人の国家だった。」なんて証拠はなに一つない。
そもそも、現代朝鮮半島人(高麗、李王朝の末裔らワイ人人種)は12世紀以前
の朝鮮半島の古文書は「都合の悪い古文書」としてすべて焚書した人種である。
そして、現代朝鮮人は、その焚書による歴史美化によって自己欺瞞して生きて
いる歴史改竄、嘘吐き人種である。
日本人は、決して、朝鮮半島人の「焚書」などによる嘘吐き文化、歴史改竄文化
を見逃しても、忘れてもならない。
61 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 07:21:09 ID:cjxILWGE
韓国政府機関、KCIAやVANKの狙いの一例
・三韓征伐の否定
・広開土王碑文改竄説
・後漢書と日本書紀、古事記での都合の悪い部分の否定
・金印の否定
・「ヤマト国王」・倭国王帥升等の否定
(国王が自ら、危険な数ケ月以上の船旅をして朝貢したという爆笑珍解釈)
・「ヤマト国王」・卑弥呼への授印の否定
等を利用して
崇神天皇以前での天皇架空説
騎馬民族征服説
↓
「もととも天皇家は韓国人なのだから参政権も土地も韓国人に譲れ。」
「日本人は古代から侵略民族だから賠償金を払え。」
の正当化である。
リンクを仰せつかったので、来て見たが
>>32に関しては興味深い
最近「そもそも倭(和)とは何か?なぜ和と称していたのか?」と
気になっていたのだが。
やはり「平和の和」で良いのだろうかな?
>>23 石原は昔の親日だった頃の朝鮮を知ってるので別に半島にアレルギーが無いだけだろ。
それにアメリカ合衆国に憧れてる世代なので、あの世代はそういう考え方する人は少なくない。
まずは常任理事国に成れるぐらいの影響ある経済大国になれと言ってるんだよ。
石原が嫌いなら耳をふさぐか、あるいは石原が不要になるぐらいの人物が居なければ。
>>21 日本にはお歯黒文化などがあるが、あれどうなんだろうか。
63 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 07:27:10 ID:zO6omn93
★ 政府紙幣を2000兆円刷れ
■今の日本のような対外的に借金がなく産業が強いか又は経済が伸張している国の場合■
★普通の国の場合★
お札を大量に刷って、為替介入にお金を使い外国に大金を貢ぐのはバカげている。
→お札を大量に刷って、政府の債務を帳消しにする。
→余ったお金で経済対策、大幅減税実施、内需型企業が復活、消費が回復し、急速に景気回復
→大量にその国のお金が出回るので、自国通貨安になり、輸出企業が復活
→お金の価値の変化は世界中でその通貨を持っている人全員に及ぶので、その国の政府債務の負担は全世界の
人が負う
★日本の場合★
なぜか、お札を刷って借金を返すとハイパーインフレになると、反日マスコミと反日評論家が牽制
→政府当局、マスコミが怖くてお札刷れず。その為、現実に、年々拡大している世界一の金持ち国家・日本の経済
規模に比べ、
マネーの供給量が常に不足しているので、巨大な需給ギャップが解消されず、デフレが止まらず円高も止まらない。
→止まらない円高を止める為に、お札を刷って、為替介入。
→介入で得たドルの価値が減る一方の為、日本はいつも大損、結果的に、刷ったお金はすべてアメリカの懐に入る
→日本の膨大な借金は残ったまま
→借金の為に、予算削減、需要激減、大幅増税・・・・で景気更に悪化 バブル崩壊後20年経っても景気回復せず
→膨大な政府債務は増税で返すことになるので、政府債務の負担は日本人だけが負う
【結論】
お札を2000兆円刷って、借金を1日で解消し、残りのお金で景気対策すれば、景気は1年で急回復 日本人は損しない。
お札を刷っても、為替介入に使えば、日本は他国に貢ぐだけで、日本人は他国の債務も負担していることになり大
損する。
★日本がバブル崩壊後20年経っても景気が悪いのは、お札を刷って借金を返すことをしなかったからである★
つまり★日本が政府紙幣を大量に刷って、借金を1日で解消し無い限り、未来永劫景気回復は来ないと言える★
★もちろん、日本がお金を刷るとハイパーインフレになるというのは、反日勢力のついた大ウソである★
今の日本のような対外的に借金がなく産業が強いか又は経済が伸張している国の場合、2000兆円刷っても
なんともない。アルゼンチンや韓国とは前提条件が違うのだ、その点を誤解している人が多過ぎる
>>17 縄文人はなにもDE-D2だけではないという事を理解するべきだ。
>>11 >此人の血筋はアイヌに在ったかもしれない。アイヌ人は体毛毛髪が濃く、眼が少し
>窪んで大きく、がっしりした体躯を持っている。どうも、我等黄色人種の多くの種
>別とは離れた独特の一派であるかのような感じがする
残念だが、これは単なるステレヲタイプってやつだ。
このタイプの形質は日本人に非常に多い。
>日本人の血に流れる黄色人種の血には、南方系のもあれば北方系の
>者もあるが土台、オロチョンの血が混じっているなどとの説を訊いた
民族としては混じってないが、人種としては祖先が同じというかようするに
縄文人集団のグループであるので人種的には近縁であろう。
65 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 07:44:36 ID:LfMxKw4W
>>64 C系も入ってるってことだろ。もっととも、それが縄文人と言えるかどうかは怪しいが。
66 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 07:46:41 ID:LfMxKw4W
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/3-9kennsi.htm 第五章 倭国出現
(9) 覇権の承認を求めた遣使奉献
『後漢書』倭伝は、『安帝永初元年(西暦107年)、倭国王帥升等献生口百六十人、願請見』とする。
倭国王が百六十人の生口(奴隷)を献上して、朝貢したとするのである。
この百六十人という生口の多さは、卑弥呼が魏に献上した生口十人、台与が献上した三十人に比べ桁違いに多い。はんぱな量ではない。
逃亡や反乱の可能性のある百六十人もの生口を、何千キロと離れる洛陽まで送り届けるのは、一大事業である。そのような大事業が、単なる中国王朝へのご機嫌伺いや、思いつきによる近隣外交の一つであるはずはない。明確な目的を持つ朝貢である。
中国王朝への遣使奉献の目的は、多くの場合、東アジアの盟主的な存在である、中国王朝に、覇権の承認を求めるものであった。
西嶋定生が提唱した、中国皇帝が冊書をもって、周辺諸国の王を承認するという、冊封体制(さくほうたいせい)の中で、王権の承認を求めたのである。
この107年の遣使奉献は、大和王権が、畿内を中心とする西日本に確立した覇権を、後漢王朝に認めてもらうための遣使奉献であつたと考える。
『魏志倭人伝』が伝える「その国もとはまた男子を以って王と為す。とどまる事七、八十年、倭国乱れ、相攻伐すること歴年」とする、七、八十年という期間の推定は、107年の遣使奉献と、倭国大乱の時期から導かれたとした。
したがって大和王権はここに始まる。
この王権が覇権を得たのは107年遣使奉献の少し前であろう。
もちろん研究者の中には、この107年の遣使奉献は大和王権ではなく、
九州あたりとする説も多い。
しかし次章「ホケノ山古墳の築造年代」で詳述するが、二世紀代の
奈良盆地に、日本列島最大規模の王権が存在しているのである。
67 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 07:52:38 ID:LfMxKw4W
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/4-1hokenoyama.htm (1)奈良盆地に出現する列島最大規模の古墳
2000年3月27日、大和古墳調査委員会はホケノ山古墳の調査報告を
発表した。
それによると、一緒に出土した土器や鏡の年代から、この古墳の築造年代を
三世紀前半とした。
ホケノ山古墳は、桜井市箸中に位置する全長約80m、後円部径約60mの前方後円墳
である。その西約200mには全長272mの箸墓があり、この箸墓より古い時代の築造
とされる。更に北西約1kmには東田大塚、纒向石塚・纒向勝山・纒向矢塚など、
全長90m前後の前方後円墳が存在する。いずれも後円部の径が60m前後で、
ホケノ山古墳と近い年代の築造と推測されている。
図は四世紀前半以前の墳墓を地域別に示す。墳形は正確でないが、おおよその
規模を表す。
古墳の築造年代の推定は誤差が大きい。一緒に出土した土器や鏡から築造年代を
推定するが、物指しとなる土器編年が必ずしも正確でないこと、また鏡の鋳造された
年代と、鏡が鋳造されてから副葬されるまでの時間差を、どのように考えるかによつて
研究者により開きがある。したがって三世紀代で50年、一世紀代で100年くらいの狂いが
あるかもしれないことを、承知していただきたい。
ただし図に示した箸墓の築造年代は、文献による推定である。『古事記』による崇神の
没年を西暦318年とし、崇神十年、箸墓築造の伝承を史実とみて280年ころとする。
また崇神陵と景行陵との間に取り違えがないとして、それぞれを320年代、340年頃とした。
話は少しそれるが、箸墓は卑弥呼の墓ではない。ヤマトトヒヒモソヒメの墓である。
何れ詳述するが卑弥呼とは二世代の年代差がある。
68 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 13:13:49 ID:LfMxKw4W
>>64 >残念だが、これは単なるステレヲタイプってやつだ。
>このタイプの形質は日本人に非常に多い。
>民族としては混じってないが、人種としては祖先が同じというかようするに
>縄文人集団のグループであるので人種的には近縁であろう。
何も言って無いのと同じ
遺伝子分布を無視して、単に顔形だけでいう旧世代形質人類学レベル/
これやっぱ、科学部門でノーベル賞は一個とれない人種レベル
69 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 14:34:59 ID:SSIUVfpS
騎馬民族説が歴史学会で否定されているのは事実だが、
全員
>>1と同一人物かは知らないが、このスレで一所懸命否定してる奴は、
ピントがずれているな。自分のオリジナルの見解か?
70 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2009/12/30(水) 14:37:51 ID:b7v+O7V7
だから何回も言っているように、何で日本語の語彙に全く朝鮮語が無いのだ。
71 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 14:48:04 ID:SSIUVfpS
騎馬民族征服王朝説は、騎馬民族集団(日本)が倭国を征服したという仮説だろ。
倭国がいつ成立したかを論じても意味はない。
72 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/30(水) 15:41:52 ID:wwmxOR0i
>>58 >「倭」は「ヤマト」(大和)と同義だ。アホ
「倭」が「ヤマト」(大和)と同義なのは日本語だけの話で、
後漢書書いた中国人には関係ない。アホ。
>とうとう、朝鮮カルト学説の人類朝鮮半島発祥説を唱えはじまった。
”誰が”朝鮮カルト学説の人類朝鮮半島発祥説を唱え、
”何が”始まったんだ?はっきり答えろ。
>>71 その通り。俺はその「騎馬民族征服王朝説」には何ら言及していない。
>>10の『・大和国家成立が「4世紀」は明白に間違いであることが
「金印(1世紀)」に よって証明されている。』に対して俺が、
一世紀の奴国が大和朝廷と同一であった証拠をだせっつったら、
「奴国が大和国家であることを認めない奴は騎馬民族征服説者だ!」
って発狂してるのがここの大和国家主義者。
73 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 19:34:17 ID:LfMxKw4W
計量言語学的な方法で、言語と言語との近さの度合いを測定すると、日本語はインドネシア語、
カンボジア語、台湾の高砂族のアミ語やパイワン語、ビルマ系諸言語など南方的な諸言語と、
「基礎語彙」において、確率論的に、しばしば偶然以上の一致を示す。
これに対し、朝鮮語、アイヌ語は南方的な諸言語と「基礎語彙」において偶然以上の一致を
示さない。
日本語、朝鮮語、アイヌ語の三つの言語の「基礎語彙」は確率論的に、相互に偶然とはいえない
関係を示しながら、このうちの日本語の「基礎語彙」だけが。南方の諸言語とも親近性をもつ。
これは、東夷伝の諸民族の中で、倭人だけが著しく江南的・東南アジア的な習俗をもって描きだされる
ことと軌を一にする。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku213.htm
74 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 19:38:54 ID:LfMxKw4W
中国古代の文献で「大和」とか「大和朝廷」という文字を使った文献はあるか?
↓
53 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/30(水) 06:25:01 ID:wwmxOR0i
漢書等に遅くとも1世紀前後においての「倭王」の記述はあっても
「大和朝廷、皇祖」の記述は無い。
75 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 20:04:17 ID:LfMxKw4W
>皇祖(天皇の祖先)の記述はない(
>>53 天皇家が渡来人だと仮定すると・・・
「『後漢書には、皇祖(天皇の祖先)の記述はない。』から、呉、越人などの古代中国人が
天皇の祖先とはいえない。」と断定する論理には科学的筋道はゼロだ。(蓋然性はあるから。)
「科学的筋道はある」と主張するなら、それは(天皇家が渡来人だとすると)「天皇の祖先という人類が朝鮮半島で
発祥した。」と仮定した場合だけで言えることだ。
そういった、自分たちが言ってることの意味が理解できないのかね?
小沢一郎や韓国政府プロパガンダ機関のVANK工作員らしきものは、
「騎馬民族が日本に4世紀に・・・」と、文献のない朝鮮中心主義の
歴史で4世紀の天皇(という人類)の祖先が朝鮮で発祥した。」ことにして
「文献のある漢書での記述(1世紀に日本に倭王がいた)」は事実でない。」と
主張してる。
=朝鮮半島人類発祥説以外のなにものでもない。
後漢書否定、日本書紀否定、古事記否定なら、なにを根拠に騎馬民族征服説など
出てくるんだよ?
76 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 20:07:39 ID:LfMxKw4W
後漢書に「大和朝廷」の記述はないから天皇とはいえない、というなら、
さて後漢書など中国の文献に「大和朝廷の天皇(王)」という記述があるのは、
どの天皇からだ。?(爆笑
77 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 20:28:00 ID:LfMxKw4W
奈良の2世紀前後の古墳群、と、これできまりだよ。
騎馬民族征服説(4世紀後半大和朝廷説)は木っ端微塵。
孝安天皇実在説:
「倭 國 王 帥 升 等」(升=飛の略字)
「ヤマト クニ オ シ ヒ ト
=大倭帯日子国押人命(古事記)
=日本足彦国押人尊(日本書記)=孝安天皇
さらには、奈良には、ホケノ山古墳以外に、2世紀前後の大古墳が五つもある。
3世紀前後の巨大古墳が三つ、箸墓(卑弥呼説あり)、伝崇神陵、伝景行陵もある。
78 :
名無しさん@3周年:2009/12/30(水) 20:55:26 ID:LfMxKw4W
>関係ない
なら、後漢書に何故こんな記述が出てくるわけないだろうが。
日本人朝貢団の発音を漢字で表音してる。使用漢字が「王」とか「師」というのは
貢ものが大規模だったから、「評価、好意」の意を表す。
三国志、魏書東夷伝倭人(魏志倭人伝)の「狗邪、卑狗、卑奴、狗奴」などの侮蔑、
貶める言葉とはまったく異なっている。
「倭 國 王 帥 升 等」(升=飛の略字)
「ヤマト クニ オ シ ヒ ト
79 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/31(木) 01:04:29 ID:LSzdt2MS
>>75 >「『後漢書には、皇祖(天皇の祖先)の記述はない。』から、呉、越人などの古代中国人が
>天皇の祖先とはいえない。」と断定する論理には科学的筋道はゼロだ。(蓋然性はあるから。)
>「科学的筋道はある」と主張するなら、それは(天皇家が渡来人だとすると)「天皇の祖先という人類が朝鮮半島で
>発祥した。」と仮定した場合だけで言えることだ。
>そういった、自分たちが言ってることの意味が理解できないのかね?
俺がいつ「『後漢書には、皇祖(天皇の祖先)の記述はない。』から、呉、越人などの古代中国人が
天皇の祖先とはいえない。」と書いた?証拠のコピペ貼れ。
>小沢一郎や韓国政府プロパガンダ機関のVANK工作員らしきものは、
>「騎馬民族が日本に4世紀に・・・」と、文献のない朝鮮中心主義の
>歴史で4世紀の天皇(という人類)の祖先が朝鮮で発祥した。」ことにして
>「文献のある漢書での記述(1世紀に日本に倭王がいた)」は事実でない。」と
>主張してる。
>=朝鮮半島人類発祥説以外のなにものでもない。
ここで言う人類を狭義で現生人類のホモ・サピエンスとした場合、
地球上の全人類の父系をさかのぼれば約6万年前のY染色体アダムにたどり着き、
このY染色体アダムに限りなく近いY染色体は現在、
西南アフリカのサン族とタンザニアのハザ族に残っている。
また母系をさかのぼれば約20万年前のミトコンドリア・イヴにたどり着き、
このミトコンドリア・イヴに限りなく近いミトコンドリアは現在、サン族に残っている。
http://joumon-juku.com/mandara/1_07.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2744746.html http://okwave.jp/qa/q2199536.html
81 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 05:17:09 ID:jPb4hNU7
天皇家が渡来人であると仮定して・・・
「皇祖の記述がない」(だから当時、大和朝廷の天皇はいなかった)って敢えて主張することは、
何を意味するかわかってないのか?
言外に「もはや1世紀において祖先のなくなってる世代だ」って主張することはなんだ?、
その自分の言ってる意味が理解できない、おまえの頭脳は、もはやどうかしてる。
↓
>俺がいつ「『後漢書には、皇祖(天皇の祖先)の記述はない。』から、呉、越人などの古代中国人が
>天皇の祖先とはいえない。」と書いた?証拠のコピペ貼れ。
↓の後漢書に「大和朝廷」という文字がないと大和朝廷でないといえる根拠は何だ?
↓おまえはその論拠はまったく示していない。
↓否定断定と肯定推論は「同様」でないんだよ。
35 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/29(火) 18:43:27 (p)ID:Xfe7o/YB(2)
>>28 >「倭の中の一国でしかない奴国王だから、大和朝廷の君主ではない。」とはいえないのだ。
同様に「倭の中の一国でしかない奴国王だから、大和朝廷の君主だ。」ともいえない。
なぜならば、その時代に大和朝廷が存在した証拠も何一つ見つかっていないから。
↓大規模な朝貢、奈良の2世紀の大古墳群の事実があっても「何一つない」のか?
>その時代に大和朝廷が存在した証拠も何一つ見つかっていないから
82 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 05:21:13 ID:jPb4hNU7
↓後漢書倭伝の話でなんで別な資料の言葉「倭面土国王」を更に「倭」を隠して
↓引っ張り出すのだ?
↓
>面土国王(
>>35 そもそも切り張り抜き出しだからまったく意味のないもにすりかえた詭弁。
ここでの「面土」は、倭の中の「一部の国の名」としての面土じゃない。
http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/xyz1106b.htm 「倭面(土)」とは、倭時人の特徴である「黥面(顔に入れ墨をした人、やまと人)」という意味。
「倭面(土)」は国というより文化人類学観点での「人種」を示す表現をしただけのこと。
「倭面土国王」は「顔に入れ墨した容貌が醜い人々の(やまと人の)国王」の意味
(上記サイトの解説者の補足。かの解説者は「土」を「国土」の意味としてるが、
ここでの文化人類学的な観点で言うなら、「土」とは、古代での意味は「容貌が醜い」
という意味もあるから、そういった意味だと、とるのがここでは自然。)
83 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 05:25:28 ID:jPb4hNU7
訂正:
倭時人→倭人
「倭面土国王」は「顔に入れ墨した容貌が醜い人々の(やまと人の)国王」の意味
↓
又は
「倭面土国王」は「顔に入れ墨した容貌が醜い(やまと人の特徴の)国王」の意味
>>65 あとNとかも。
縄文時代の北欧人の流入の可能性がある。
文化や形質的には東北〜道民、アイヌがNを強く受け継いでるんじゃなかろうか?
でもYAPグループとしてはアイヌには残らず、逆に本土人に残ってる。
まあつまり樺太から北海道、本土へと南下して入したという事なんだろうけど。
85 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/12/31(木) 05:50:33 ID:xRdBpHOw
>>73 日本人の基本集団であるDE-D2集団が南方からきたのは疑いようの無いことだ。
しかしじゃあ朝鮮やアイヌと関係ないかといえばそうではなくて、朝鮮は特に南半島は
倭人の言住していた、倭人の南方文化圏に属していた地域だしアイヌ民族も見た目は
北方民族というだけで、明らかに他の北方民族よりは人種的にも文化的にも和人と同じ
南方文化民族だ。(アイヌのほとんどがDE-D2であるというのが全てを物語ってるわけだが。)
86 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 05:53:40 ID:jPb4hNU7
CとかNとかいれて議論してったらあまりに話は枝葉末節に流れて複雑になりすぎだよ。
このスレのテーマは、天皇家のルーツなわけで日本人のルーツじゃないから。
訂正
朝鮮は特に南半島は倭人の居住していた倭人の南域文化圏に属していた地域だし
アイヌ民族も見た目や言語や風俗は北方民族に属するが、明らかに他の北アジア
民族よりも人種的・文化的にもともと南方系に属していた人々だとわかる民俗集団だ。
88 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 06:01:27 ID:jPb4hNU7
「4世紀後半にツンドラ地帯(FR-N)の住民が、九州に上陸して大和朝廷を
建国した。」なんて、それこそ荒唐無稽だろ。
ツンドラ地帯住民だったら「樺太犬」とかのソリ文化かもしれんが騎馬民族
とは到底いえないし。
89 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 06:03:40 ID:jPb4hNU7
↓寝言は寝てから言え。
>倭人の南域文化圏に属していた地域だし
90 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/12/31(木) 06:09:00 ID:xRdBpHOw
>>86 まあそうだが、日本の自然崇拝とかは実は北欧的であるって気づいておられるだろうか?
母音を使う言葉に関しても、日本語と北欧の言葉は共通してるんだ。
(たとえば「ノキア」とかって会社名があったり。)
日本の天皇のルーツをはっきり日本起源とする事ができないのは、日本人自身が
日本の成り立ちについてよく分かってないからであって日本の神道などの宗教観を
突き詰めればそれはD2集団じゃなくてむしろバイカル湖から流れてきたアイヌやインディアン
のようなC・N混合集団が原住民としてその根底にあったと考える方が自然ではないか?
91 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/12/31(木) 06:17:02 ID:xRdBpHOw
>>89 寝言じゃねぇよw
倭人ってのは中国沿岸部地域を拠点に極東アジア全域から東南アジア、インド南部にまで
渡航し貿易を返して栄えていた人々だよw
ここで言ってる騎馬民族ってのは、中国魏とかモンゴル系集団(突厥・鮮卑など)のことだろ?
こいつらはむしろ倭人ではなく漢人に属する連中だよw
92 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 06:17:02 ID:jPb4hNU7
魏志倭人伝で「狗邪韓国が倭の北限」と言ってるのに・・・
「南域」っていうことないだろうが・・・
>倭人の南域文化圏
倭人文化=南域文化
って言う意味が?
そんな紛らわしい「の」の用法を使うなよ。
93 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/12/31(木) 06:24:10 ID:xRdBpHOw
こう考えてみてはいかがだろうか?
日本や朝鮮や満州地域にはもともと住んでいたのは
自然崇拝をおこなうような狩猟系民族、そこに南方を中心に
活躍していた倭人との交流がありそしてそこに漢人やモンゴルなど
西域に精通した騎馬民族などの遊牧的な連中が覆い被さるようにして
この極東アジアは形成されていったと。
どうだい、そうして考えてみると天皇の起源がどこにあるかというのが
おのずと見えてくるだろ?
94 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 06:32:35 ID:jPb4hNU7
>>91 呉や越の文化に結局に似てるんだよな。稲作も。
蘇州や浙江省の文化ってそもそも、そういうもんだろな?
大河と、海岸をもって気候温暖で恵まれた海岸国だな。
95 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/12/31(木) 06:33:10 ID:xRdBpHOw
>>92 なら、紛らわしいのでそこの部分はあまり深く考えないことにしよう。
ところで、あなたは狗邪韓国ってどこにあったと思う?
>>93 そんな時系列順番だけでは、まったく分からないよ。
騎馬民族征服説も、そうでないのも、その順番は同じなんだから。
「漢民族」が入ってきたことについては同じ。
しかし、騎馬民族が「征服者(天皇家の祖先)」かどうかは別問題。
結論としての違いは、騎馬民族征服説かそうでないかは、
漢人の中の特に朝鮮族(ワイ人騎馬民族)が「征服者」かどうか、だから。
>>95 はっきりとした、境界はわかりっこおないだろ。
後の任那・伽耶地帯じゃないのかと思うけどね。
98 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/12/31(木) 06:43:36 ID:xRdBpHOw
>>94 さよう。
ここで大事なのは気候が温暖であるという点に尽きる。
そして海流の流からも、その地域や観半島南部、九州、台湾、沖縄で
倭人の文化圏ってのがあったんだろうと思う。(銅鐸は呉から来た文化だ)
しかし、今では呉や越という国が無いのでイメージする事が難しく
みな日本の起源は中国の北部か、朝鮮半島を日本の起源のイメージとして
強く持ってしまってる被害者が多く出ている。
狗邪と伽耶は発音が似てる
倭は、稲作文化人のとっては恵まれてた国なんだよ。
少数部族で来たら呉や越より恵まれていただろう。
特に瀬戸内地方はそうなんだ。
揚子江とか銭塘江とかから逃亡出国して日本に漂着した人たちが
瀬戸内海に住んだら、一種の海岸桃源郷だったろう。
101 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/12/31(木) 07:00:28 ID:bMNTDvy1
>>96-97 つまりあなたは騎馬民族の中に朝鮮人の祖先であるワイ人が
指揮する集団であったかというのが大事だというわけだが。
ここで私が言いたいのは、狗邪韓国、伽耶という言葉に関して。
この「狗邪、伽耶」って実は「フヨ」のことじゃないですか?
これはつまり半島南部の「韓国」がフヨ人=ワイ人に支配されてる状態を示します。
>>101 問題点は
1、騎馬民族が征服して大和朝廷を形成したかどうか?
2、大和朝廷ができたのは4世紀後半かどうか?
上記ニ点で是となれば江上・騎馬民族征服説は正しいとなる。
でも1も2も、どちらも明白に「是」とならない。
これがなんで「ワイ人(例:「フヨ」)っていえるんだよ。
↓
>この「狗邪、伽耶」って実は「フヨ」のことじゃないですか?
百済を建国したのはフヨかもしれんが、それ以前の三韓時代は明白に難民地帯
であることをものががたってるよ。
騎馬民族は日本に入ってきて大和朝廷にも強い影響は与えたし、大和朝廷成立後の
権力闘争に一役も二役もかったことはあるが、大和朝廷を建国した人たちではないし、
また大和朝廷は4世紀後半に建国されたわけでもないのは明らかだと思うね。
大和朝廷を建国した天皇は崇神天皇だったと仮定しても4世紀後半というのは明白に
間違いでしょ。
江上説登場の頃は放射性炭素年代測定とか、DNA鑑定とかってなかった
からね。
あと決定的なのは「三韓征伐」や「広開土王碑文拓本」を否定してたが、
それが覆されてること。これは4世紀末ー5世紀での日本と朝鮮半島の
の力関係で決定的だよ。江上説とは真逆な力関係だから。
104 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 08:05:36 ID:tEnbbAjj
蘇我氏のような騎馬民族は半島経由で来たのではなく
シルクロードから来た。
汚ザワは不勉強も甚だしい。
無知馬鹿丸出しw
これがなんで「フヨ」になるのだ?
フヨ族に「黥面」や水稲栽培の文化があるか?
↓
『後漢書』辰韓伝
辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。
(辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を
彼らに割譲したのだと自称する。)
『三国志魏書』辰韓伝
辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役來適韓國、馬韓割其東界地與之。有城
(辰韓は馬韓の東、そこの古老の伝承では、秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で、
馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している)
この後漢書の一節は、馬韓が辰(秦)韓より古いことも意味してる。
更に、弁韓人は先に南下(温暖地域を先取してたわけだから馬韓人、辰韓人より
古い移民集団だったことを意味する。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-sinkan.htm
馬韓、弁韓、辰韓では、辰韓が山岳地帯が多く最も自然環境が悪い。
馬韓最大、共立其種為辰王、都目支國、盡王三韓之地。其諸國王先皆是馬韓種人焉。
(馬韓が最大、その苗裔を辰王として共立し、都は目支国、三韓の地の大王である。
そこの諸国王の先祖は皆、馬韓の血族である。)
馬韓人知田蠶、作綿布。
馬韓の人々は農耕や養蚕を知っており綿布を作る。
常以五月田竟祭鬼神
(常に五月に田植えをし、鬼神を祭り)←長江文明だな
十月農功畢、亦復如之。
(十月の収穫祭もこれと同様である)←新嘗祭ともとれる
諸國邑各以一人主祭天神、號為「天君」。
(諸々の国邑には各一人「天君」と号する主祭天神がいる)←神社系統の大神主っていう感じだな。
其南界近倭、亦有文身者
(その南界は倭に近く、全身に刺青を施している者もいる。)
109 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 09:31:40 ID:FoUfpw7d
大和朝廷の権力闘争っていうのは先に夏との戦争でミャオ族が南下して追われて
(紀元前1600-1000年)戦後)日本に亡命した、百越人(呉や越の人)たち、どっちが先、
どっちが後かは知らんが、後で入ってきた呉越戦争(春秋時代紀元前6世紀)の影響を
受けた呉越人同士が複雑に絡みあいながら日本で「呉越の場外乱闘」を繰り返したって
感じもするんだよなあ。
邪馬台国はニ十数ヶ国(の部族)があったっていうから、亡命集団も、そのくらいあったと思うね。
夏(紀元前2000年くらい)から晋(西暦5世紀)までの長い間には、イロイロな政変劇が
あったはず。同じ稲作文明の長江文明民族でも部族によっては、それぞれの確執はあったろう。
http://www2.odn.ne.jp/nov.hechima/yayoijin.html BC5世紀 中国大陸の呉人が日本列島へ渡来
弥生人の渡来については諸説ある
中国大陸の春秋時代に(BC770〜403年) 呉越同舟の熟語で有名な呉国と越国は
長江の下流域に在って30年間ほど戦い BC473年に呉が亡びた。 呉人は海人出身
ですぐれた航海技術をもっていたので東シナ海を渡って日本列島の北九州へ亡命した。
このことは 中国史書に 倭人は呉の祖といわれている「太伯の後裔」であり 入墨
などの習俗で共通すると書いてあることなどからわかる。
また 両国の争いから出たもうひとつの有名な熟語に 臥薪嘗胆がある これは復讐
の念を忘れないことから生まれた言葉であるが 北九州へ亡命して来た呉人は この熟語
どおり 仇敵越へ復讐を誓い 越の情報を集めと軍資金を得るために中国大陸へ出かけて
交易をはじめた。
その北九州の根拠地が 現在の福岡市東区志賀島にあり そこにいた呉人集団が海人の
安曇族である。(これは「倭の奴国」民族だよな。きっと。)
110 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/31(木) 11:28:07 ID:LSzdt2MS
>>81 >言外に「もはや1世紀において祖先のなくなってる世代だ」って主張することはなんだ?、
俺がいつ「もはや1世紀において祖先のなくなってる世代だ」
って主張した?証拠のコピペ貼れ。そして俺が「『後漢書には、皇祖
(天皇の祖先)の記述はない。』から、呉、
越人などの古代中国人が天皇の祖先とはいえない。」
と発言したという証拠も無いということでよろしいな?
>後漢書に「大和朝廷」という文字がないと大和朝廷でないといえる根拠は何だ?
後漢書に「大和朝廷」という文字がないのに大和朝廷だといえる根拠は何だ?
>おまえはその論拠はまったく示していない。
議論では論拠を示す義務があるのは「あった」と主張する側だバーカ。
君が奴国が大和朝廷であった証拠を出せば済む話だ。
>>81 悪魔の証明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E >事実の有無に争いがある場合、多くの場合、「積極的事実」
>(ある事実が存在すること)を主張する者に証明をさせるべきであり、
>「消極的事実」(ある事実が存在しないこと)
>を主張する者に証明をさせるのは妥当でない場合が多いということを比喩的に表現した言葉
>事実の有無の証明が問題になる場合、ある事実がある(積極的事実)
>と主張する側が当該事実の存在を証明する必要があると解することが妥当であると理解されている。
>なぜなら、「あることの証明」は、特定の「あること」を一例でも提示すればすむが、
>「ないことの証明」は、厳密には全称命題の証明であり、全ての存在・
>可能性について「ないこと」を示さねばならないためである。すなわち、
>「ないことの証明」は「あることの証明」に比べ、一般に困難である場合が多い
>(検証と反証の非対称性)。この「ないことの証明」(消極的事実の証明)について、
>その立証の困難さから「悪魔の証明」という表現が比喩的に用いられている。
>例:アイルランドに蛇はいない。
>これを「いない」と証明する場合は、アイルランド全土をくまなく調査しなければならない。
>しかしそのような調査は実行不可能であり、困難である。一方、
>一匹でも蛇をつかまえたことを証拠に裏付けられれば、「いること」の証明は可能である。
112 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/12/31(木) 12:28:57 ID:bMNTDvy1
>>105 フヨは後に馬韓を支配したワイ系の人々だよ。
それが百済で狗邪韓国だと言ってるまでだ。
>>108 そこで言ってる馬韓の文化行事はまるで邪馬台国のようにも思う。
南海に近くって言うのは、半島沿岸部のことなのか対馬なのか
チェジュなのかは知らんが、今の日本と比べてもそういう文化の
影響が大きいという事は分かる。
113 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 13:52:50 ID:FoUfpw7d
>>111 >皇祖の記述はない(
>>53 (だから崇神天皇の皇祖はない)
「悪魔の証明」は「子供が居れば親はいる」のような同時証明の場合には該当しない。
子供はいるけど親は存在しない、という自然法則に従っていないことの不自然さ主張するなら
その不自然さの存在を証明する責任は、自然法則にしたがっていない不自然を主張したものにある。
日本書紀に記載される崇神天皇の皇祖の存在が虚偽だというなら、「虚偽の存在」について証明しろ
一、崇神天皇以前の孝安天皇等が史実でなく虚偽だというなら「虚偽の存在」を証明しろ
>倭面土王:顔面に倭風の刺青をして容貌が醜い(ナンセンスな化粧した)国王
(『翰苑』所引の『後漢書』)
>倭國王帥升等:ヤマトクニオシヒト
(後漢書倭伝、帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」)
孝安天皇(和諡号:日本足彦国押人尊、やまとたらしひこくにおしひとのみこと)は、
孝安皇帝(後漢の第6代皇帝)(に朝貢したから「日本足彦国押人尊、ヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト)
の漢風諡号は「孝安天皇」と名つけられた。
ニ、孝安帝に朝貢した「倭国王」が他にいるから、後漢書倭伝での「倭國王帥升等」(や倭面土国王:『翰苑』所引の『後漢書』)
は孝安天皇ではないというなら他の朝貢した倭国王の存在を証明しろ。
三、「孝安皇帝(後漢の第6代皇帝)に朝貢したから漢風諡号を孝安天皇とされた。」ことが間違いだと
と主張するならその「間違いの存在」を証明しろ。
後漢書書いた中国人がどんな漢字つかって天皇に充ててもそれを解釈するのは我々であって、
書いた人間は、もはや生きてないから、それこそ「関係ないんだ」、アホ
↓
>「倭」が「ヤマト」(大和)と同義なのは日本語だけの話で、
>後漢書書いた中国人には関係ない。アホ。
114 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 14:07:38 ID:FoUfpw7d
>>112 ↓意味不明だ(後漢書馬韓伝が書かれたときは三韓時代は終わって百済の時代
だったろうが、そときにも「狗邪韓国」があったかどうかは不明だ。)
>それが百済で狗邪韓国だと言ってるまでだ。
↓の、一、ニの時系列が曖昧で意味不明だ。
一、>フヨは後に馬韓を支配したワイ系の人々だよ。
(普通、この表現は
「フヨは後に馬韓を征服して百済を建国したワイ系の人々だよ。」
と言う。
ニ、
>フヨは後に馬韓を支配したワイ系の人々だよ
「建国なき支配だけのまま」なら、「邪馬台国文化はフヨの文化だ」と、すりかわったり、
あるいは、事情がよくわかってない読者に、そのように誤解させる論法とも受けとれる。
↓
>そこで言ってる馬韓の文化行事はまるで邪馬台国のようにも思う。
>南海に近くって言うのは、半島沿岸部のことなのか対馬なのか
>チェジュなのかは知らんが、今の日本と比べてもそういう文化の
>影響が大きいという事は分かる。
115 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 14:17:29 ID:FoUfpw7d
邪馬台国は3世紀の国。百済は4世紀末にワイ人によって馬韓が征服されて建国され国。
よって邪馬台国は、百済初期のワイ人支配層の文化ではない。
尤も、権力者が「わい人」になったからと言っても百済民衆の文化がワイ人文化になったか
どうかは不明。
116 :
113:2009/12/31(木) 14:23:25 ID:FoUfpw7d
訂正:刺青→入れ墨
>>113 >「悪魔の証明」は「子供が居れば親はいる」のような同時証明の場合には該当しない。
>子供はいるけど親は存在しない、という自然法則に従っていないことの不自然さ主張するなら
>その不自然さの存在を証明する責任は、自然法則にしたがっていない不自然を主張したものにある。
奴国も大和朝廷も国家であって生物ではなく、奴国が大和朝廷であるか否かは
「子供が居れば親はいる」のような同時証明には該当せず、
奴国と大和朝廷の同一性を肯定しないことは、子供はいるけど親は存在しない、
という自然法則に従っていないことの不自然さ主張していることにはならない。
自公政権の後に民国社政権が生まれることは自然法則でも何でもない。
>>113 よって、俺が
>日本書紀に記載される崇神天皇の皇祖の存在が虚偽だというなら、「虚偽の存在」について証明しろ
>一、崇神天皇以前の孝安天皇等が史実でなく虚偽だというなら「虚偽の存在」を証明しろ
>>倭面土王:顔面に倭風の刺青をして容貌が醜い(ナンセンスな化粧した)国王
>(『翰苑』所引の『後漢書』)
>>倭國王帥升等:ヤマトクニオシヒト
>(後漢書倭伝、帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」)
>孝安天皇(和諡号:日本足彦国押人尊、やまとたらしひこくにおしひとのみこと)は、
>孝安皇帝(後漢の第6代皇帝)(に朝貢したから「日本足彦国押人尊、ヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト)
>の漢風諡号は「孝安天皇」と名つけられた。
>ニ、孝安帝に朝貢した「倭国王」が他にいるから、後漢書倭伝での「倭國王帥升等」(や倭面土国王:『翰苑』所引の『後漢書』)
>は孝安天皇ではないというなら他の朝貢した倭国王の存在を証明しろ。
>三、「孝安皇帝(後漢の第6代皇帝)に朝貢したから漢風諡号を孝安天皇とされた。」ことが間違いだと
>と主張するならその「間違いの存在」を証明しろ。
を証明する義務は無い。
>>113 そういう君は結局、奴国が大和朝廷であることを証明できないんだな?
>後漢書書いた中国人がどんな漢字つかって天皇に充ててもそれを解釈するのは我々であって、
>書いた人間は、もはや生きてないから、それこそ「関係ないんだ」、アホ
結局、君が百レス以上使って長々と書き並べてきたことは、
全て君の脳内妄想と言葉遊びで史実とは関係ない、
ということでよろしいな?アホ。
120 :
「倭面上国王」”復帰”主義:2009/12/31(木) 16:27:27 ID:FoUfpw7d
『翰苑』所引の『後漢書』は「倭面上国王」となってるものを誤記として、
「倭面土国王」に書き換えて解釈するのが通説になってるようだ。
しかしそれは11世紀に表された通典(北総版)して後世において原文を
書き換えるという乱暴な手法ともいえるのである。
西暦1世紀前後と11世紀では風習、芸術、文化等に対する価値観は変わってると
見るべきである。
11世紀の文化的価値観を基準に、1世紀の価値観を図り、そうして「誤記」だと
決めつけることはあまりに愚かなことではないのか?
西暦1世紀頃までは、呉人などの風習である「入れ墨」は装飾、化粧として必需的な
ものだった蓋然性が高い。それは高貴な立場であればあるほど手の込んだ、手間暇かけて
金もかけて成されたったろう。当時の入れ墨は、一種の整形美願術だった蓋然性も高いと
思われる。
そうした呉等の風習を当然だと思ってる時代の後漢王朝では、そういった価値観があれば
「倭面上国王」(入れ墨が上品に成された国王)という表現であってもそれは、自然な
ことである。
しかし、11世紀頃になって「身体髪膚之れを父母に享く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり」
(儒教 孝経)
というような価値観が常識になって「刺青は不道徳、下品な行い。」、とされるようになって
いったと考えられる。
そうして「顔に入れ墨するのは下品なことだから、後漢書が誤記だろう。」として「倭面土国王」と
改竄する風潮が強くなっていったとも考えられる。歴史改竄の常識化はイクナイ。
121 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 16:36:56 ID:FoUfpw7d
どうにも思い込みのは激しい奴だね。
かの光武帝の金印の文字「委奴国」を「倭の奴国」と読むのは、戦後の
日本や韓国の学者だけで、中国の文献でそういった読み方をしてる文献は
俺は知らない。つまり「倭奴国=日本」又は「日本は倭奴国が元である。」
である。
俺の知ってる範囲では「倭奴国」という中国用語は「日本=倭奴国」又は
「日本の元は倭奴国」という用語が中国の文献殆どすべてそういった用法だよ。
どうにもならないヒトからコンクリート脳だな
↓
119 名前:Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2009/12/31(木) 16:19:26 ID:LSzdt2MS
>>113 そういう君は結局、奴国が大和朝廷であることを証明できないんだな?
>後漢書書いた中国人がどんな漢字つかって天皇に充ててもそれを解釈するのは我々であって、
>書いた人間は、もはや生きてないから、それこそ「関係ないんだ」、アホ
結局、君が百レス以上使って長々と書き並べてきたことは、
全て君の脳内妄想と言葉遊びで史実とは関係ない、
ということでよろしいな?アホ。
122 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 16:40:03 ID:FoUfpw7d
漢委奴国王印
中国文献の殆どの意味は「漢の倭の奴国の印」ではなく
「漢の倭奴国の印」だ。(この場合は「倭奴国=日本」)
123 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 16:49:58 ID:FoUfpw7d
『旧唐書』倭国・日本国伝
倭國者、古倭奴國也。
(倭国とは、古の倭奴国なり)
124 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 17:03:57 ID:FoUfpw7d
随書 倭国伝
漢光武時、遣使入朝、自稱大夫
(後漢の光武帝の時<25−57年>、遣使が入朝し、大夫を自称した)
安帝時、又遣使朝貢、謂之倭奴國
(安帝の時<106−125年>、また遣使が朝貢、これを倭奴国という)
。
125 :
名無しさん@3周年:2009/12/31(木) 17:15:22 ID:FoUfpw7d
『北史』 倭国伝
漢光武時、遣使入朝、自稱大夫。
(後漢の光武帝の時(25−57年)、遣使が入朝、大夫を自称する。)
安帝時、又遣朝貢、謂之倭奴國。
(安帝の時<106−125年>、また遣使が朝貢した、これを倭奴国という)
靈帝光和中、其國亂、遞相攻伐、歴年無主。有女子名卑彌呼、能以鬼道惑衆、
國人共立為王。無夫、有二男子、給王飲食、通傳言語。其王有宮室、樓觀、
城柵、皆持兵守衛、為法甚嚴。
(霊帝の光和中(178−184年)、その国は乱れ、互いが順番に攻伐しあい、
何年も君主がいなかった。卑彌呼という名の女性がおり、よく鬼道を以て衆を
惑わすので、国人は王に共立した。夫はおらず、二人の男子がおり、王に飲食を
給仕し、言葉を伝達する。その王は宮室におり、楼観、城柵、いずれも武器を
持って守衛し、法は甚だ厳しく為されている。)
126 :
124:2009/12/31(木) 17:17:16 ID:FoUfpw7d
訂正:随書→隋書
127 :
124:2009/12/31(木) 17:26:59 ID:FoUfpw7d
つまり、隋書でも唐書でも北書でも
「倭国王師碑升等」=「倭面上国王」の朝貢を「倭奴国」の朝貢として
、光武帝の金印の「倭奴国」と時と同じに扱っている。
「倭奴国」は光武帝の金印のときだけでなく、その後の「和国王師升等
(倭面上国王)」が王になってる国名として、「倭奴国=倭国=日本」
と言う意味でだ。
128 :
127:2009/12/31(木) 17:31:08 ID:FoUfpw7d
訂正
北書→北史
「倭国王師碑升等」→「倭国王師升等」
129 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2009/12/31(木) 20:42:44 ID:gngTxGJf
>「倭面上国王」
この「倭面上」って邪馬台、ヤマトじゃないのか??
どうなんだ?
130 :
名無しさん@3周年:2010/01/01(金) 01:26:58 ID:+b1l4yJX
>>129 安帝に朝貢した、倭面上国王=倭国王帥升等 ということは間違いない
で、
言語学者(発音研究家)からいうと「倭面上国王」は表音文字としての使用
ではないらしい。表意文字として使われてる。
つまり、文化人類学的に捉えるのが正解らしいね。「面」がキーだね。
(当時、今もかもしれないが)中国人にとっては「面」といえば、我々、
日本人が受けとめるのとは若干違うニュアンスを持ってるみたいだ。
倭面=倭人特有の黥面(入れ墨した顔)
「漢委奴国王印」の金印が発見された志賀の島一帯は、紀元前5世紀頃、
呉越戦争で敗れた呉の人が大挙して逃亡してきた島らしい。
そして呉や越の支配する海岸族の風習として「黥面分身」の習俗があったと
いわれている。
http://www.tees.ne.jp/~taichi/rekishi.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A 荘子によると、当時の越の人々は頭は断髪、上半身は裸で入れ墨を施していたという。
百越人の遺伝子といわれるDNA,Y染色体FR-2bは南琉球での分布濃度が濃い。
(「百越」という言葉は越を仇敵とする「呉の子孫」にはふさわしくないかも知れないが。)
結果としてはこの後漢書の部分としては「倭面上国=倭国・大和国=日本」だが、
邪馬台国ではない。
131 :
名無しさん@3周年:2010/01/01(金) 01:51:15 ID:+b1l4yJX
・日本最古の水田跡が紀元前450年頃、で呉の滅亡が、ちょうど同じ頃の紀元前473年頃
で、呉越戦争終結時(呉の滅亡)に重なる。
・古代倭人は、呉越河岸地帯部族の特有の刺青文化を持っていた
・DNA,染色体で、かなり濃厚な長江文明人の遺伝子分布が見られる。
・弥生人とは、新嘗祭を恒例行事とする稲作文化の長江文化であること
・中国の権力文化、外交文化を知っていて、高句麗とは違って極めて早くから
「朝貢外交」を繰り返した。
以上から言えることは「越による呉の滅亡」が、天皇家というか、倭国、
大和朝廷の成立、その後の権力闘争に極めて深くかかわっていると思える。
臥薪嘗胆
中国の故事成語である。紀元前6-5世紀の呉と越の国家間の戦争に由来する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A5%E8%96%AA%E5%98%97%E8%83%86 呉 (春秋、紀元前585年頃 - 紀元前473年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89_(%E6%98%A5%E7%A7%8B)
ちなみに中国では日本人を「呉の太伯の子孫」とする説があり、それが
日本にも伝えられて林羅山などの儒学者に支持された。
徳川光圀がこれを嘆いて歴史書編纂を志したのが『大日本史』執筆の動機
だったといわれている。
132 :
131:2010/01/01(金) 01:53:01 ID:+b1l4yJX
訂正
・古代倭人は、呉越河岸地帯部族の特有の刺青文化を持っていた
↓
・古代倭人は、呉越海岸地帯部族の特有の刺青文化を持っていた
133 :
名無しさん@3周年:2010/01/01(金) 02:10:42 ID:+b1l4yJX
もし、呉の滅亡が3月以降だったとすると、揚子江流域では移動性高気圧
が発生しやすく、更に黒潮暖流に乗った北東方向の日本列島方向への海路は、
海況が極めて安全で航行速度も効率がよい逃亡ルートだったのではないのかと
思える。日本でさえ「春の海、ひねもすのたり、のたりかな」の季節である。
周時代、かの孔子でさえ「東夷人(九夷)は従順で温厚だから行って住みたい。」
と喩えて治世の乱れ嘆いたことがあった。そういう情報が広くわたっている
なら、周の末裔である呉の支配層は「逃げるなら東夷だ。」となるのは必然だった
ろう。
134 :
名無しさん@3周年:2010/01/01(金) 05:32:57 ID:Rsc4+jHe
※ 江南人骨日中共同調査団(山口敏・東京国立科学博物館名誉研究員が団長)は、
江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代、十五体が前漢時代)
の頭や太ももの骨、 歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、
福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較。
結果、春秋戦国時代人と前漢時代人は弥生人と酷似。DNA分析では、
江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、
福岡県の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致した。
135 :
名無しさん@3周年:2010/01/01(金) 15:26:12 ID:Rsc4+jHe
江蘇省:春秋時代に「呉」といわれた地帯
136 :
名無しさん@3周年:2010/01/01(金) 16:50:20 ID:Rsc4+jHe
弥生時代の開始年代について
九州北部の弥生時代早期から弥生時代前期(年表参照)にかけての土器(夜臼U式土器・
板付T式土器)に付着していた炭化物などの年代を、AMS法による炭素14年代測定法によって
計測したところ、紀元前約900〜800年ごろに集中する年代となった。
・・・・・・
以上のように、夜臼U式土器・板付T式土器を使用していた時代は紀元前9〜8世紀ごろ、
すなわち日本列島の住人が本格的に水田稲作を始めた年代(夜臼T式)は、紀元前10世紀まで
さかのぼる可能性も含めて考えるべきであることが明らかとなった。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/news/index.htm やはり呉越戦争(春秋時代)より先に、ミャオ族が夏との戦争に負け、南下して長江流域を
圧迫した結果、揚子江や銭塘江から海に逃れた百越人の一部がいたことも物語ってる。
その他、古代中国では政変のたびに前政権一族は村ごと皆殺しなんてことは頻繁に繰り返され
たから、そういった政変時の血なまぐさい惨劇から逃れるために海外に逃亡した亡命者たちも
数少なくなかった、と思われる。
↓ただ年代(BC6世紀)は、やはり春秋時代というか呉越戦争の影響だと思うけどな。
菜畑遺跡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%9C%E7%95%91%E9%81%BA%E8%B7%A1 1980年-81年の発掘で、弥生時代前期の地層から、大規模な水田が営まれていたことを
裏付ける水路、堰、取排水口、木の杭や矢板を用いた畦畔(けいはん)が発掘され、
これは縄文時代後期、今から2500年から2600年前ぐらいに日本で初めて水田耕作による
稲作農業が行われていたことを実証するものと考えられている。
板付遺跡
http://inoues.net/ruins/itazuke.html
137 :
名無しさん@3周年:2010/01/02(土) 09:42:44 ID:G0l4ICwK
小沢一郎の亡国政策:
応用技術産業も政府補助で開発だけは日本で開発させ、大量生産システムが
成功したら、金融(円高為替)政策や税制(高率税制)で国際競争力を低下さぜ、
工場や技術を韓国や中国に排斥、移転させる売国亡国政策。
138 :
名無しさん@3周年:2010/01/02(土) 13:04:12 ID:sZ7w6og2
東洋大・柏原、こいつこそがDNA、Y染色体DE-D2の遺伝子とのハイブリットの特徴だ。
騎馬民族が渡来して文明伝播しました説は、強力な証拠によってとっくの昔に
転んでます。
大陸では馬の飼育には必ず去勢が伴います。一方日本では去勢はしてません。
馬を扱った経験のある人(道民さんとか)は、よくご存知だろうけど、馬の飼育に
去勢を導入するしないは、家畜としての馬の管理の死活を制する問題です。
よって大陸系騎馬民族が日本の開祖である説は、思わぬ方角からも却下されて
おります。よしなに
140 :
名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 06:03:18 ID:vZponByH
山陰地方の地名に多い「越」とは「百越人が移民した国」という意味では
ないのか?
山陰地方は「越の国」だ。「越浜」という地名があちこちに非常に多い。
これは「越人集団が漂着した浜」、という意味では?
「上越、越前、越後等等」、「越」との由来があることを伺わせている。
大国主命が衣食文化に極めて特化した皇祖として祭られるのも長江一帯や
江南地方文明を色濃く持った移住民だったからと言えるのではないのか。
しかし日本列島は、もともとの先住民の主体は縄文人である。縄文人は5000年
以上前から日本列島に広い範囲で住んでいた。
そこに、紀元前2000年頃から、中国大陸での政変等での惨劇から逃れるために
長江流域や江南地方の「百越」人が日本に渡ってきていたと考えるのが自然だ。
そのルートは
海路の場合はそのときの気候・海況(季節風や黒潮)や船長の航海技術、航海思想
によって大きく左右されたはずだ
1、揚子江や銭塘江の河口から海路で脱出して、琉球や九州西岸・南岸や九州北部、
九州沿岸の群島や山陰地方に漂着した場合。
2、朝鮮半島の南西部ー南部に漂着した場合
3、山東半島まで陸路か又は海岸伝いで青島あたりまできてから黄海に出て
朝鮮半島(馬韓一帯)に漂着した場合
陸路
4、陸路、遼東半島付近経由で朝鮮半島から南下
以上は仮説でなく、もはや遺伝子分布統計(DNA、Y染色体FR-02b)からも証明されてる、
といってよい。最近ではFR-02bでも更に分類されて、朝鮮半島で多く見られる
ものと日本のそれとは異なるとういう見解も出てきてる。
141 :
名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 06:07:04 ID:vZponByH
仮説
縄文時代ー弥生文化黎明期(ー周時代まで)
夏との戦争に負けたミャオ族が南下して長江一帯に住む百越人部落を圧迫した。
当時は戦闘文化を持たない温厚な農耕民族である百越人は土地を奪われやすかった。
更に、各王朝での政変劇の度に、次第に漢族などが南下して、百越人は土地を奪われ
四散した。
長江一帯、江南一帯といってもそれは非常に広い範囲を表す。日本に漂着、渡来した
百越人は、その中には後の春秋時代に「呉、越」と呼ばれるような異なる出身地、
出身村ごとに別々の集落をつくって住み始めた。
初期弥生時代(春秋時代・戦国時代)
呉が越によって滅ぼされたために大挙して江蘇省一帯の人々が海路、脱出し琉球や九州
に漂着した。朝鮮半島南部にも多く漂着した。
その他、戦国時代での政変劇のたびに揚子江一帯の海岸地帯に住んでいた人々は海路で
逃げ琉球や日本や朝鮮半島に漂着した。
中期弥生時代(秦・前漢・後漢時代)
戦国時代-秦の政変の惨劇から逃れるために漢族の避難民が朝鮮半島東側に移民した。
日本では呉出身の人は「越」に対する憎しみを持っていたが、先に漂着していた「越」人は、
何故、自分たちが「呉」にこれほどまでに怨まれるのかわからない。
で、だんだんと九州や瀬戸内から追いやられ山陰地方に終結していった。結果として、
山陰地方は「越」人系、九州、瀬戸内は呉人系の勢力範囲となった。越人は少数だったので
先住の越人、秦の漢人が多く住む秦韓(辰韓、
後、新羅)と手を組むことを考えた。馬韓、弁韓は呉人が多かったので九州一帯と交易した。
これが、紀元前5世紀-紀元前0年前後までの勢力構造だったのではないのか。
牙民族
143 :
名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 08:14:47 ID:HUWCrvZR
NHKの記紀解説、古代史・歴史解説でのごまかし。「なんでも韓国起源説」に癒着放送局
最近のNHKは小沢・江上説(騎馬民族説)と同様に、「なんでも韓国起源説」の
韓国学会に迎合して、弥生文化(水稲文化、長江文明人)の史実を隠そうとしてる。
文化人類学だけのこじつけ歴史解釈で、DNA分析分布統計など、形質人類学は
まったく無視してる。
「越の国」について
記紀では元は「越」の一字の表記だった。
↓
それを記紀の編纂者(関係者)らか、途中であちこちで表意文字として読み
「コシ」と訓読しはじまった。
↓
元明天皇の時代に「コシ」に漢字の当て字が始まり、それ以来、「香椎」や
「高志」などの二文字になった。
宮津市の「越浜」を「オッパマ」と呼ぶのは「オッ(エツ)」「ハマ」の略音
日本国中、あちこちにある「宮津」とか「神津」というのは「古代において皇祖、皇族が上陸した港」
という意味である。
補足:長江文明=百越人(DNA、Y染色体FR-O2b・日本人に広い範囲で分布する。
縄文人の遺伝子、DE-D2の次に濃度が高い)の文明
144 :
名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 08:18:10 ID:HUWCrvZR
元祖倭人(縄文人)、百越人、後期倭人(縄文人と百越人の混血)が
住んでいた朝鮮半島南部に後から侵略してきたのが朝鮮族だ。
145 :
名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 08:25:57 ID:HUWCrvZR
形質人類学を全く無視して、自己流のこじつけ文化人類学だけで、
地政学観点を日本と韓国だけで論説して、視聴者の視野を狭める
NHKの放送手法っていうのは、愚民化手法のファシズムだよ。
146 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2010/01/03(日) 10:13:14 ID:8TqzQe+k
だから、日本語と朝鮮語と共通語彙が全く無い。同系統の民族なら、語彙の同一性がある。
147 :
名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 10:23:27 ID:vZponByH
NHK、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を新羅製だと言い始めた。
かの仏像には楠が使われているが、朝鮮半島には楠は自生しない。
楠を使った木製彫刻仏像を朝鮮半島では造りようがない。
素材も表情も異なる手法の文化だ。
148 :
名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 10:26:11 ID:vZponByH
おそらく、外国人地方参政権のための布石としてなんだろうが、
文化歴史まで捏造してってなると、ちょっと許せないね
小沢氏は「”騎馬民族説”を直接聞いた」と紹介しただけで、
それが事実だと思うとは言っていないような・・・
単なるリップサービスじゃね?
150 :
名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 14:27:23 ID:vZponByH
NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
「越(州)」とは大宝律令(701年)が決めた国名だった。
大宝律令は天武天皇が西暦681年頃に制定の詔を発して西暦701年頃、
施行された。「越(州)」という国名は、この大宝律令で定義された国名。
その後に編纂されたのが古事記(西暦712年)や日本書紀(西暦720年)。
だから日本語として「越」の語源は古事記や日本書紀にあるのではない。
だから学術的には、何故、大宝律令で「越州」という言葉を使ったのか?
それが重大な問題になる。
記紀以後では「越」を訓読みして当て字していっただけの話だから、それに、
固執するのは間違いなのである。
151 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/03(日) 16:52:10 ID:ujKwbmVO
152 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 17:26:45 ID:FwBosOts
>>150 >NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
日本の方なら別に間違いではない。
153 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2010/01/03(日) 18:28:49 ID:8ZopFIhw
154 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/03(日) 18:34:42 ID:ujKwbmVO
>>153 だから、意見があるなら感想を聞かせてくれと・・・・
こういうサイトがま〜やたらとあるわけだが、あなたなら
どにのように反論されるかぜひ聞きたい。
155 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/03(日) 19:12:29 ID:ujKwbmVO
それと、当事の情勢図を貼っておく
百済で見つかったという前方後円墳は加羅国のものであった。
http://www.ican.zaq.ne.jp/euael900/images/photo/national_h/n09_map.jpg それと、俺が前に言った「伽耶」「狗邪」はフヨじゃないのか?といった説は撤回する。
ヤマトが実質的に支配していたという任那とは、安羅でありこれが狗邪韓国、金官伽耶国である。
これは加羅全体の中では対馬に近い一部の地域である。
また、当事の半島南部は百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓の6国に分かれていた。
ここで注目したいのは、秦韓と新羅が別にあるという事である。
新羅と秦韓はなんと別(!)
後の歴史では百済が加羅を、新羅が秦韓を滅ぼし統治し領土を拡大してる事を見ると
当時何が起きていたかがよく分かるであろう。
まあ実際は分からぬ事ばかりではあるが、すくなくとも「もともと百済と新羅は高句麗の属民」という
記述があったように、そして新羅の場合元は倭系の女王国であったとか倭人系の王が居たりと言うから、
要するにこのころにはすでに百済と新羅の支配者層がこのときすでにフヨ系の連中に支配されていた
という事を示すのではないだろうか?
>宋書 巻九十七 夷蛮伝 倭国
>興死弟武立 自稱使持節都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大將軍
>倭國王(中略)…詔除武使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事安東大將軍倭王
>倭王武の時代に宋から使持節郡督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王の称号を受ける。
156 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 ID:FwBosOts
>>153 >昔から日本でも「エツ」だ!
「エツ」は漢字の音読みで「越」
という漢字が日本に入ってきたときに古代中国語が日本で訛ったもの。
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
>出鱈目書き込むな気違い!
お、図星を突かれて発狂したか。
自説に都合のいい手がかりばかりあげつらいやがって、山古志
(やまこし)もコシオウ(胡四王、古四王、越王、巨四王、高志王、腰王、
小四王、小姓etc)神社も全部でたらめかよ。
157 :
1:2010/01/04(月) 03:30:42 ID:A02VV6xW
>>151 大和朝廷が「北方騎馬民族(ワイ人)によって征服された」は100%、ない。
「古代において、それまでの土着民(主に縄文人と弥生人・百越人の混在状態が渡来人に
よって征服された」ことが、あったけれど、それは北方騎馬民族(ワイ人)によってではなく
百越人(特に呉人)によってだ。そのはじまりを顕著に示すのが「漢倭奴国王印」だ。
志貨島は百越人の中の「呉」の人が渡来して住み着いた場所。(後、安曇一族と呼ばれる。)
そもそも西暦4世紀くらいまでの朝鮮半島は「政治的亡命者や漂流民」の「済(終着地)」
だった。まったくの「寄せ集め」地帯であって「国家」はない。漢王朝から見て、
地域名としては「三韓(馬韓、秦(辰)韓、弁韓」があっただけ。
日本に渡来した百越人とは:水稲文明人=弥生文明人=長江文明人、長江流域に住んでいた
諸諸の少数民族。日本に渡来したのはそのうち主に海岸地帯に住んでいた刺青文化の
海洋性民族。「呉人が九州を征服」の物証は金印に限らず
>>134が決定打。当時の呉人は越に
負けたとはいえ百戦練磨の連中だ。(続く
158 :
1:2010/01/04(月) 03:37:04 ID:A02VV6xW
>>151 (続き)
江上騎馬民族征服説は、終戦直後の「日本軍部完全悪徳説、皇国史観完全デタラメ説」
にもとづき、更に「広開土王碑文(拓本)改竄説」(日本陸軍大尉・酒匂景信がとった拓本
が改竄されている、という説)にもとづき、かの碑文を100%韓国学会に都合の良い解釈で
読むことによって成立する。
だが、かの拓本は改竄されてなかったことが証明された。それも決定打。韓国学会の碑文解釈は
メチャクチャ。
江上説は「鳩山一郎(鳩山由紀夫の祖父)」が汽車の中で、席を朝鮮人に譲らなかったという
理由で袋叩きにされたり、あの石原慎太郎が朝鮮人に街でスレ違うとき肩が触れたという理由
で、殴られても応戦できなかった時代。日本人が外国人に暴力を振るえば即、MPにしょっぴかれ
朝鮮人集団の偽証によって重罪にされる虞が高かった時代だ。
ただし、西暦4世紀前半、馬韓はフヨによって征服され百済が「建国」されたことは事実。
だがその後、百済王の4代目前後あたり(西暦5世紀中期頃)に(「三韓征伐」といっても良いかも
しれないし別にそう呼ばなくてもいい。)によって百済は大和朝廷の柵封国となったのも事実。
(広開土王碑文や、日本書紀、雄略天皇紀、武烈天皇紀参照、)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%96%8B%E5%9C%9F%E7%8E%8B%E7%A2%91 それ(5世紀後半)以来、百済は王子を大和朝廷に人質として差し出すようになった。皇太子は
即位するまでの間、人質として大和朝廷が保護。王の后は大和朝廷が決め、日本人から選ばれた。
武寧王も日本で生まれている。
ただし武寧王は王の子供ではなく王の弟の子供だったから生まれてすぐに朝鮮半島に返された。
「朝鮮半島の騎馬民族が征服者」なら、「人質」を出すとか朝貢なんてことしない。
(続)
159 :
1:2010/01/04(月) 04:14:08 ID:A02VV6xW
160 :
名無しさん@3周年:2010/01/04(月) 07:03:59 ID:A02VV6xW
161 :
158:2010/01/04(月) 07:07:50 ID:A02VV6xW
訂正
>だがその後、百済王の4代目前後あたり(西暦5世紀中期頃)に(「三韓征伐」といっても良いかも
↓
>だがその後、百済王の4代目前後あたり(西暦4世紀中期頃)に(「三韓征伐」といっても良いかも
162 :
1:2010/01/04(月) 12:17:17 ID:A02VV6xW
http://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo56.htm 俺は
1、↑に出てる図では、畿内、出雲系を春秋・戦国時代以前に渡来した元祖百越人(初期弥生人)
と考えている。
(主として紀元前2000年頃、夏と戦って負けて南下して長江流域に侵入したミャオ族による
百越人に対する圧迫。南下漢族による百越人に対する排斥によって渡来した。
紀元前1800年-紀元前600年)
2、倭奴国(邪馬台国など)の大和朝廷の源流は、春秋・戦国時代以後の渡来した呉人(江蘇省人)
によって形成された。(紀元前600年ー西暦である200年)
3、朝鮮半島への継続的な移民である百越人やワイ人、漢人地域(馬韓、弁韓、後、百済、任那・伽耶)と、
後(春秋・戦国時代以後)に移民した秦人(漢人)の地域(辰韓・秦韓、後の新羅)との軋轢に
よって生じた、大和vs高句麗、大和vs新羅の戦い
が大和朝廷成立時の神話や国際環境だったと思っている。
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。
ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F 歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。
ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85 脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。
ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。
■朝鮮人が認められない歴史的事実一覧
・弥生人が長江流域からやってきた百越系民族であること
・半島南部の先住民が倭人(=弥生人=百越系民族)であること
・新羅の建国時の宰相が倭人であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても倭人説があること
・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
・大和朝廷による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
・半島における文化的独自性の欠落(あらゆる分野での古典の不在)
・常に某かの国の属国として歩んできた歴史
・姓が中国文化の影響を受け、みずから改名し、中国語氏名であること
・朝鮮征伐が日本と明との戦争であったこと(李朝の軍は明の将の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われている)
・朝鮮通信使が実質的に朝貢使節であったこと(琉球の江戸上りと同じ)
・オンモン(朝鮮文字)がパスパ文字、契丹小字をもとにしたものであり、しかもカナより600年遅れて作られたものであること
・焼肉はモンゴルのパクリ!焼肉メニューはモンゴル語ばかり
・キムチは秀吉が朝鮮出兵の時に落とした唐辛子の種が増殖したのが起源
・テコンドーは日本空手をパクリ!そのままだとまずいのでキック特化にした
・中国の太極図案と五行八卦の中の四卦と陰陽魚が韓国国旗であること
・大韓民国の国名の民国は中華民国の民国の借用であること
・大韓民国憲法は、全て1948年に南京で制定された中華民国憲法を剽窃したものであること
・韓国の法律は、台湾の六法全書、「憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法」と全く同じであること
・中国原産の木槿(むくげ)の花を、勝手に改名し、無窮花として韓国の国花にしたこと
・朝鮮という国号は明の永楽帝が下賜したこと
・古代高句麗人と現代の韓国人は全く違う民族で高句麗は古扶余人で東胡の一部であること
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』
【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。
〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕
見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。
高句麗は、夫餘から出た別種である。(『旧唐書』高麗伝 :「高麗者、出自扶餘之別種也。」)
高句麗は本来夫餘の別種である。(『新唐書』高麗伝 :「高麗、本夫餘別種也。」)
という記述にもあるように、高句麗族はその起源伝説の類似点から、ツングース系と考えられる
扶余と同じ民族と見られることが多い[2]。史上でも扶余の流民を受け容れていることが記されているが、
民族を同一とするにたる明証はなく、墓制の違いを見る限りは扶余と高句麗との差は歴然としている[3]。
但し、『魏書』百済伝の百済王蓋鹵王の上表文には、「臣と高句麗は源は夫余より出る」
(臣與高句麗源出夫餘)とあり、当時の百済人は高句麗人を同種の夫余とみていたことになる。
なお、扶余族は他に、沃沮(東沃沮・北沃沮)・?・百済(王族)など朝鮮半島に広く分布していた。
wiki より
上記からも、高句麗はツングース系と確定している。当然、朝鮮民族ではない。
百済→王族は扶余族、倭人と混血 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに倭人出自説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人
渤海→ツングース系女真人
渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。
前12世紀〜前2世紀の箕子朝鮮は中国人の箕子が建国した中国人国家。
箕子朝鮮を滅ぼして前2世紀〜前1世紀の衛氏朝鮮は中国人の衛満が建国した中国人国家。
前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして朝鮮半島北部に前1世紀〜後3世紀に設置した漢四郡(楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡)は中国植民地。
百済と高句麗はツングース系民族の夫余族の国家。渤海は夫余族と靺鞨の国家。夫余族と靺鞨は中国・満州族の母体。
秦からの亡命中国人が前2世紀〜4世紀に朝鮮半島南部に建国したのが辰韓(秦韓)で、後に12カ国に分裂して、その一つの斯蘆国が新羅。
百済と高句麗を滅ぼしたのは新羅ではなく唐。唐は百済と高句麗の滅亡後に旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として半島全域を藩属国から羈縻州(中国国内扱いにした事を指す)にした。
このため一時的に朝鮮に「国」はなくなった。
朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱
「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
======== 偉大な韓国の歴史 ==========
10世紀 長白山が過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こす(リセット)
1010年 「契丹」に侵略される。首都開城が陥落。(キタン人化)
1013年から1019年まで継続して侵略される。 (キタン人化)
12世紀 「女真」の侵入。侵略。「金」に朝貢。 (満洲人化)
1231年 「蒙古」に侵略される。首都開城が陥落。国王江華島に逃亡
長い間、無抵抗の半島はモンゴル軍に蹂躙される。(モンゴル人化)
1247年 「蒙古」に再侵略される。しばらく蹂躙が続く。 (モンゴル人化)
1258年 雙城総管府を置かれる。翌年、王子を人質に降伏。(モンゴル人化)
国内には多くの蒙古軍人が駐留。 (モンゴル人化)
1270年 東寧府を置かれる。 (モンゴル人化)
反対派が済州島に移って徹底抗戦。1273年に鎮圧 (モンゴル人化)
1274年と1281年「元寇」(半島人主力で日本侵略。が、全滅(モンゴル人化)
1356年から1362年までの紅巾賊侵入により首都開京が陥落 (シナ人化)
1419年 「応永の外寇」 17000人で対馬を襲撃。船、家を焼き、住民を虐殺する。
しかし、少数の対馬軍に撃退される。
1592年 と1598年秀吉の「唐入り」 首都漢城が陥落(短期でヤマト化は無理)
1627年 「後金」に侵略される。平壌を超え、侵略されるが漢城までは来なかった。
しかし、国王は江華島に逃亡(満洲人化)
1636年 「清」に侵略される。首都漢城が陥落。清軍が、す早く江華島への道を遮断。
泥濘の中、朝鮮王仁祖は清の太宗に降伏、大清国属国となる。(満洲人化)
「屈辱の象徴」三田渡碑の移転決定
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/610163/ 韓国マイナー観光
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kikyo/1239/w-18.htm
各国教科書に見る朝鮮半島
http://bansensyukai.blog23.fc2.com/blog-entry-7.html ◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ オーストラリアの教科書
「朝鮮は近代に到るまで、その国内での抵抗に関わらず、中国と日本の属国だった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ インドの教科書
「朝鮮は永らく中国の属国だった」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
韓国と北朝鮮の国内でどれだけ洗脳教育をしても勝手ですが外の世界に出れば朝鮮半島は古代から下関条約まで常に属国。
これが世界の一般的な認識ということです。
統一新羅
http://www.memomsg.com/dictionary/D1096/390.html 統一新羅は、676年の朝鮮半島の統一から935年に滅亡するまでの新羅の事を差す。
この統一新羅、いわゆる新羅は、現在の韓国、朝鮮両国の共通の先祖の国家の初代といえる。
それ以前の国家は民族・言語・文化的につながりが薄い。当然、統一新羅の前身である新羅と統一新羅は連続している。
統一の過程で滅んだ、高句麗、百済は現在の韓国及び朝鮮とは連続性があまりない。
高句麗は実質的に後継国家として渤海があり、現在の中国東北部に小さく民族移動して国家を再建設している。
東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院 『朝鮮日報2007年6月4日』
http://www.chosunonline.com/article/20070604000018 公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」とし、
新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」と記述した。
また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。
東北工程・高麗も中国が建てた国『朝鮮日報2007年6月6日』
http://www.chosunonline.com/article/20070606000006 高麗について、「箕子朝鮮、高句麗に続き、中国が朝鮮半島に打ち建てた3番目の政権」と主張したところの、
吉林省社会科学院が隔月刊で発行する歴史雑誌『東北史地』の2007年第3号に掲載された「後唐の明宗が、高麗を建国した太祖・王建の族籍を明らかにした」と題する論文の存在が確認された。
この論文は、「王建は決して朝鮮半島の新羅人の子孫ではなく、中国・淮河流域から来た漢人の末裔」と主張し、
933年に後唐の2代目の明宗が太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国
177 :
1:2010/01/04(月) 18:42:59 ID:A02VV6xW
こいつはどこまでも頭の固い奴だね
「コシで固定」して報道する(つまりは古事記至上主義)は間違いなのだ。
↓
152 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 17:26:45 (p)ID:FwBosOts(2)
>>150 >NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
日本の方なら別に間違いではない。
178 :
1:2010/01/04(月) 18:48:53 ID:A02VV6xW
「コシ(高志)」で固定して解説や報道することは、本来の日本書紀の「国生み」に
使われてる「越州」概念(百越人、長江文明地域を暗示する蓋然性)をまったく、
なくしてしまうもので、それは視聴者の科学的考察の範囲を狭めることにしかならない。
179 :
1:2010/01/04(月) 19:37:31 ID:A02VV6xW
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
>「エツ」は漢字の音読みで「越」
>という漢字が日本に入ってきたときに古代中国語が日本で訛ったもの。
>一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
>「越」が当てられた。
これは倒錯歴史観
「越」は「国生み」で使われた国の正式な定義用語。
それに従ったのが日本書紀(国生み)であり、また大宝律令。
(大和朝廷は法案制定を歴史編纂より優先したから編纂時期は日本書紀が後になった。)
(ただ、大宝律令草稿時点では「国生み」の歴史はあたりまえで、編纂中の
日本書紀で初めの部分だったから、大宝律令は越州を分割して定義した。)
「越」は、越人によって「俺たちは越人です。」と(当時の発音がどうだったかはわからない)
漢字で自己紹介されたから「越(人の地域)」という地名になっただけ。
「コシ」は、その漢字として語義だけに固執した民間口語による呼称。
つまり民間人は「越」の漢字としての意味を知って、それで「コシ」と当てそれが伝承と
なっただけ。その「コシ」の伝承に充てた再変換漢字が「高志」(古事記)や「香椎」
(元明天皇の呼称とされる)
180 :
1:2010/01/04(月) 20:35:14 ID:A02VV6xW
1999年3月18日、東京国立博物館で
「江南人骨日中共同調査団(山口敏・東京国立科学博物館名誉研究員が団長)は、
江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代、十五体が前漢時代)
の頭や太ももの骨、 歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、
福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較。
結果、春秋戦国時代人と前漢時代人は弥生人と酷似。DNA分析では、
江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列
の一部が、福岡県の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致した。 」
という発表がされた。
つまり現代の江蘇省(春秋時代の呉)で発掘された百越人の一部族である呉人の人骨が、隈西小田遺跡
(大宰府一帯)で発掘された人骨と同じ部族のものであることが証明された。
そこからちょっと離れてるが、ほぼ北北西約20kmに「漢委奴国王印」が発見された「志賀島」がある。
そこは、つまりは「百越人」の一部族である呉人(春秋戦国時代の)が上陸したといわれる「香椎」の
地帯である。(香椎は元明天皇が「越」に対してつけた呼称らしい。)
http://www.geocities.jp/oden1947/kosi.html http://www2.odn.ne.jp/nov.hechima/yayoijin.html 越(高志、香椎)人地域が、結局は山陰地方と、よりによって志賀島一帯(博多)にあるのは何故か?
答えは簡単である、同じ人種である「百越人」の渡来人の地域だからである。
181 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/04(月) 22:34:11 ID:lY83b5MD
>>177-179 だからさ、
>>153の言う『昔から日本でも「エツ」だ!』
の根拠を君は何一つ提示できてないじゃん。
>「越」は、越人によって「俺たちは越人です。」と(当時の発音がどうだったかはわからない)
>漢字で自己紹介されたから「越(人の地域)」という地名になっただけ。
「漢字で自己紹介された」
と言うだけで実際に漢字で自己紹介したという当時の記録を出さない。
>「コシ」は、その漢字として語義だけに固執した民間口語による呼称。
>つまり民間人は「越」の漢字としての意味を知って、それで「コシ」と当てそれが伝承と
>なっただけ。その「コシ」の伝承に充てた再変換漢字が「高志」(古事記)や「香椎」
>(元明天皇の呼称とされる)
君が「民間口語による呼称」と軽んずる「コシ」
の方がよっぽど説得力あるから、
NHKも一般的な読み方であるそっちに従ったまでだろ。
日本の地名としての「越」の読み方は「コシ」で間違っていない、
ということで結論が出たな。
三国志東夷伝には「辰王不得自立為王」、辰王は自ら王となることができない、という奇妙な一節があります。
王族ではあるが外来者のために、その地では先住者の賛同がなければ王にはなれなかった・・という意味と解釈しておきます。
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/kf09.html 百済辰王家≠韓民族
百済王家は中国亡国の民の建国だ、百済八姓はいずれも中国亡国の民、百済王家の姓は余氏、百済扶餘氏ともいう。
もともとは夫慨の子が名乗った。呉人である。呉王家の姫氏、百済の木氏、倭の紀氏はいずれも同族。
いまの朝鮮人のルーツである新羅の土着人は半島から出ていないだろう。
百済と新羅は多民族国家。
百済王は夫余族。しかも后は倭人。だから混血を繰り返しているから後期百済王は実質は倭人。
高麗王がモンゴル帝国に征服されて以降、后や王族をモンゴル人から受け入れてモンゴル化した様に。
新羅王は3つの王家の内二つが倭人。
■百済(隋書 百済伝)
>「百済百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。」
(百済の先祖は高句麗国より出る。そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。)
■新羅(梁書 新羅伝)
>「新羅者、其先本辰韓種也。其人雜有華夏、高麗、百濟之屬」
(新羅、その先祖は元の辰韓(秦の逃亡者)の苗裔である。
そこの人々は華夏(漢族)、高句麗、百済に属す人々が雑居している)
現朝鮮人の祖先、すなわち穢族は、半島の新参者だよ。
大陸北方から流れ込み、倭人が開拓、文明化した新羅を簒奪した新入りの蛮族なんだよ。
唐に事大して半島を乗っ取った、卑劣な敵の穢族。
朝鮮人は半島に住んでいた古代人の子孫ではないし、その文化も継承していない。
異民族(倭人系)に対する蔑視と虐殺、文化破壊については、済州島の歴史を見ると良くわかる。
現朝鮮人が日本へ大量流入するようになったのは、近代に入ってから……特に昭和時代。
古代に日本へ渡来し、帰化した半島人は、現朝鮮人と赤の他人。別の民族だ。
弥生人は半島から来たわけじゃない。
古代の半島人≠朝鮮人
朝鮮人は半島の新参者。
朝鮮人の祖先は、大陸北方から流れてきた、エベンキ族などと近しい穢族であり、
日本と縁の深かった新羅を簒奪、百済を滅ぼし、唐に事大して日本人を半島から追い出した。
彼らは農耕や牧畜をしてたわけじゃない。日本に文化も伝えていない。
当時、穢族は半島で一番未開の後進的部族だった。
半島が立ち遅れ、支那や日本に追いつけないのは、この穢族の末裔だから。
現在、朝鮮半島にすんでいる朝鮮民族(ワイ族)は4世紀ころ半島北部から南下してきたワイ人の末裔である。
この事実を司馬遼太郎が作家・金寿達との対談で述べたとき、金は真っ赤になって怒り
「朝鮮人は半万年官庁船半島に住み民族移動なんかデタラメダ」とさけんだ。
司馬は「朝鮮人はリアエイズム(事実)の尊重を学ばないといけない」といった。
ウィキペディアの百済のページ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88 百済の中期には、高句麗の軍事的圧力に対抗するために和通したと記録されている、『日本書紀』の中には、領土を奪われた百済に任那の一部を割譲した記録や援軍を供出した記録、さらには倭朝廷に朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが数多く残っている。
また中国の『隋書』にも、新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、恒に使いを通わせ往来す。(新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來)という記述があり朝貢関係があったことをうかがわせる。
さらに、広開土王碑でも倭について、百済■■新羅を破り以って臣民と為す(「倭ロ<耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民」)という部分があり百済が辛卯年(391年)に倭によって支配を受けていたことも明らかとなっており主従関係が存在しており、
倭の重臣と百済との間で家臣上下に関わる席順の取り合いのエピソードも残されている。
これらのような記述が史実であるのかに関しては異論も多いが、友好的であったのは確かであろう。
また王族については、百済の王族は倭によってその婚姻が決められており中国ーツングース系と倭人との混血が繰り返された。基本的に百済王の后が倭人の中から選ばれ、その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として扱った。
187 :
1:2010/01/05(火) 02:39:25 ID:KYD4nBTw
俺が、いつ、どこで↓のようなこと言ったんだ
>『昔から日本でも「エツ」だ!』
俺が何故、「昔から日本でも『エツ』だ」を証明する必要があるんだよ?
俺は、昔(「国生み」時代)から「越(高志、香椎と呼ばれたところ)」と
されてきたところが
1、百越人の住み着いた所という蓋然性が極めて高いこと
2、「越」地帯には「騎馬民族の住み着いた証拠はない
ことを主張してるだけ。
屁理屈難癖、馬鹿野郎、ウザイ。おまえこそ日本書紀の「国生み」に記述される
「越州」が江蘇省語の発音で「コシ州」であること証明してない。
↓
181 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/04(月) 22:34:11 ID:lY83b5MD
>>177-179 だからさ、
>>153の言う『昔から日本でも「エツ」だ!』
の根拠を君は何一つ提示できてないじゃん。
188 :
1:2010/01/05(火) 02:55:17 ID:KYD4nBTw
↓こいつのレベルで主張するなら、大宝律令の編纂は古事記や日本書紀より先(古い)。
↓「大宝律令では『越』」を使っているから、元の地名は『越』(そのときの江蘇省人らの
発音はどうでもいい。後の稗田阿礼らが「コシ」と読んだだけの話。)」だ。」で十分。
181 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :
口語の通じない人間が「どこから来た」と自己紹介するとき、
当時の江蘇省人が漢字以外の何で自己紹介するんだ?(爆笑
↓
>と言うだけで実際に漢字で自己紹介したという当時の記録を出さない。
189 :
1:2010/01/05(火) 03:14:25 ID:KYD4nBTw
1、とにかく九州北部に渡来した、呉(「江蘇省」出身の百越)人が、
「高志」や「香椎」なんて漢字を使って手自己紹介したという証拠はない。
2、日本書紀によれば地名は山陰地方は「越」であり、九州は「筑紫」である。
3、「香椎」は、西暦8世紀になって元明天皇(西暦8世紀の人)が、そう読んだだけの話。
4、古事記編纂の時点で当時の縄文人や先住弥生人が「コシ」と発音してたから、それから
1000年以上も前に渡来した呉人(今の江蘇省一帯から渡来した人)が「コシ」と発音した
とはいえっこない。
5、九州北部から発見された人骨は縄文人以外では長江文明人の遺伝子を示し
騎馬民族の遺伝子は全くない。
190 :
1:2010/01/05(火) 04:09:20 ID:KYD4nBTw
191 :
1:2010/01/05(火) 04:17:10 ID:KYD4nBTw
越に滅ぼされた呉人が何故、九州(九夷)を目指したか?
宋書 楽志
>その中に、「白紵はくちょ舞歌」というのがあります。
>この「紵ちょ」というのは、呉(ご)地に産する織物です
>呉(ご)地に産する織物です。だから本来これ(楽志の舞)は、
>呉の舞であろうと書かれています
192 :
1:2010/01/05(火) 04:24:14 ID:KYD4nBTw
「宋書 楽志」、いいいねえええええ
「東、扶桑(ふそう)に造(いた)りて紫庭に游び、西、[山昆]崙(こんろん)に至りて
曾城(そうじょう)に戯る」
「扶桑は、東の方、日の出ずる所、湯谷に生えている」、という木の名です(山海経、淮南子等)
193 :
名無しさん@3周年:2010/01/05(火) 04:29:18 ID:lfkG0aSZ
●東洋史学者の江上波夫が唱えた学術上の仮説で、4世紀後半にユーラシアの騎馬民族が
日本列島に入り騎馬文化を波及させ、征服王朝を立てたという説。
正しいんでしょうに。(笑)
194 :
名無しさん@3周年:2010/01/05(火) 04:31:34 ID:lfkG0aSZ
SAPIOやら、ゾッキ本に触発されたナンチャッテ右翼やUFO小僧が多くて困るね。
195 :
名無しさん@3周年:2010/01/05(火) 04:34:15 ID:lfkG0aSZ
日本人は、千年規模で渡来人(朝鮮人)と混血しているし、
純粋な日本人(笑) など、どこを探してもいませんよ。
196 :
1:2010/01/05(火) 04:38:46 ID:KYD4nBTw
論旨、全く意味不明
日本語にってない
↓
193 :名無しさん@3周年 :2010/01/05(火) 04:29:18 (p)ID:lfkG0aSZ(3)
●東洋史学者の江上波夫が唱えた学術上の仮説で、4世紀後半にユーラシアの騎馬民族が
日本列島に入り騎馬文化を波及させ、征服王朝を立てたという説。
正しいんでしょうに。(笑)
194 :名無しさん@3周年 :2010/01/05(火) 04:31:34 (p)ID:lfkG0aSZ(3)
SAPIOやら、ゾッキ本に触発されたナンチャッテ右翼やUFO小僧が多くて困るね。
195 :名無しさん@3周年 :2010/01/05(火) 04:34:15 (p)ID:lfkG0aSZ(3)
日本人は、千年規模で渡来人(朝鮮人)と混血しているし、
純粋な日本人(笑) など、どこを探してもいませんよ。
197 :
1:2010/01/05(火) 04:45:50 ID:KYD4nBTw
昔(孔子)も今も、
「倭(=紫庭)に行って住もう」って、人モドキ鮮卑でさえ今でも
垂涎の的である倭に侵入しようしてる
「朝鮮(=鮮卑)に行って住もう」、って言う人はいない。
198 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/05(火) 20:11:09 ID:cGLFMrY1
>>187 >俺が、いつ、どこで↓のようなこと言ったんだ
このスレで『昔から日本でも「エツ」だ!』という書き込みがなされた証拠。
君と
>>153が同一人物で無かろうとこのスレで『昔から日本でも「エツ」だ!』
という書き込みがなされたという事実は動かないし、
君にとって都合が悪いらしい
>>153に俺が反論するのも勝手。
(※以下の文章は全て引用です)
>>153 名前:倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺 投稿日:2010/01/03(日) 18:28:49 ID:8ZopFIhw
>
>>152 >昔から日本でも「エツ」だ!出鱈目書き込むな気違い!
>
>>151 >チョンがほざくな!
>>187-188 >屁理屈難癖、馬鹿野郎、ウザイ。
いくら悔しいからってそうすぐ発狂しなさんなって。
>おまえこそ日本書紀の「国生み」に記述される
>「越州」が江蘇省語の発音で「コシ州」であること証明してない。
俺は「越州」が”江蘇省語の発音で”「コシ州」だなんて一言も言ってない。
よって「越州」が”江蘇省語の発音で”「コシ州」
であることを俺が証明する必要も無い。江蘇省と関係無しに
「コシ」と呼んでた証拠なら既に
>>156で挙げた通りだがな。
>こいつのレベルで主張するなら、大宝律令の編纂は古事記や日本書紀より先(古い)。
>↓「大宝律令では『越』」を使っているから、元の地名は『越』(そのときの江蘇省人らの
>発音はどうでもいい。後の稗田阿礼らが「コシ」と読んだだけの話。)」だ。」で十分。
「越」を「コシ」と読むのが間違いだという証拠になってねーな。
いい加減「越」を「コシ」以外に何と読んでたか証明してみせろよ。
>口語の通じない人間が「どこから来た」と自己紹介するとき、
>当時の江蘇省人が漢字以外の何で自己紹介するんだ?(爆笑
古代の日本海岸人が口語が通じなかった証拠は何か?
例えば当時アイヌ語を話していて口語が通じなかった可能性の高い東北のカイは、
畿内と東北の間の関東あたりに日本語とアイヌ語のバイリンガルが住んでいて、
通訳を務めたらしいという話は聞いた事があるが、
カイが朝廷に対して自ら漢文で「蝦夷」
と自己紹介していたという証拠にはならない。
また古代の日本海岸人が江蘇省出身だったという証拠も無い。
>>195 >>1や「倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺」
氏らここの大和国家主義者らは、「騎馬民族征服説に反論する」
というさも正論であるかのような素振りを見せておいて結局、
何でも「中華起源アル」という中華思想電波に終始してんだよな。
もちろん日本人が中国人と混血を重ねてきた事実を誰も否定してないし、
わざわざ捏造なんてしなくても中国が十分に凄い歴史を持った国だって認めるのに…。
201 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 00:18:21 ID:/8Ype3YM
とにかく「なんでも韓国起源説」は間違い。
在日、韓国人が牽強付会で固執するのは、劣等感意識を曝け出すだけ、
ということに気がつくべきだ。
能ある鷹は爪を隠す、のだ!!!
202 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 00:24:12 ID:/8Ype3YM
↓クドすぎる、この馬鹿、「コシ」なんてカタカナはもともと漢字にはないのだ。
↓「国生み」で出てくる国名より古い言葉はないから「国生み」なんだよ。
↓そんなこともわからんか。馬鹿すぐる。
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
203 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 00:35:33 ID:/8Ype3YM
日本書紀(国生み)で「越州」という公式な国(名)誕生
↓
呼称・俗名いろいろ派生
↓
「高志」もその一つ
っていうだけのことだ。
国名というのは権力によってつけられた正式名称であって
「俗名」ではない。古事記の俗名はどこまでも俗名でしかない。
204 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/06(水) 00:50:30 ID:szQYRKgA
>>202-203 で、結局「越」を「コシ」と読むのが間違いだという証拠は出せないんだな。
>「コシ」なんてカタカナはもともと漢字にはないのだ。
「越」なんて漢字ももともと日本には無い。
もともと文字の無かった日本語の発音を表記するのにまず漢字の当て字
(万葉仮名)が使われ、
後に万葉仮名が崩されたり略されたりしてひらがなやカタカナが生まれた。
>国名というのは権力によってつけられた正式名称であって
>「俗名」ではない。古事記の俗名はどこまでも俗名でしかない。
だから、君が「俗名」と軽んずる「コシ」以外の権力ある(笑)
読み方を君は一向に提示できてないじゃん。
権力の無かった庶民がそう読んでこようと、
それが今のところ一番説得力あるからNHKもそれに従ってんだよ。
205 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 01:52:53 ID:/8Ype3YM
くどすぎ。
馬鹿丸出し、カタカナもひらがなも漢字からできたんだよ。
お前が国(名)を生んだんじゃねーんだ、馬鹿野郎。
「国(名)」が生まれたのは日本書紀の「国生み」なのだ。
まーだ、わかんねーか。馬鹿野郎
↓
204 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/06(水) 00:50:30 ID:szQYRKgA
>>202-203 で、結局「越」を「コシ」と読むのが間違いだという証拠は出せないんだな。
>「コシ」なんてカタカナはもともと漢字にはないのだ。
「越」なんて漢字ももともと日本には無い。
もともと文字の無かった日本語の発音を表記するのにまず漢字の当て字
(万葉仮名)が使われ、
後に万葉仮名が崩されたり略されたりしてひらがなやカタカナが生まれた。
>国名というのは権力によってつけられた正式名称であって
>「俗名」ではない。古事記の俗名はどこまでも俗名でしかない。
だから、君が「俗名」と軽んずる「コシ」以外の権力ある(笑)
読み方を君は一向に提示できてないじゃん。
権力の無かった庶民がそう読んでこようと、
それが今のところ一番説得力あるからNHKもそれに従ってんだよ。
206 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 02:28:41 ID:/8Ype3YM
日本書紀は漢字で書かれてる。ひらがなやカタカナで書かれてるんじゃない。
国生みも含めて全て漢字だ。
国生み
イザナギ、イザナミはまず夫婦の仕事の最初に国を生んだ。
神生み
それから神を生んだ。
「国」が先で「神」が後に生まれた。これが重要なんだよ。
イザナギ、イザナミは、朝臣安萬侶や稗田阿礼よりはるかに「権威」があるわけでね。
その最も「権威」のあるイザナギ、イザナミは最初に「国」と「国の名前」を生んだんだのだ。
国の名前は「漢字」でだ。「越州」という漢字でだ。(爆笑
その意味がわらかんかねえええええ?
207 :
206:2010/01/06(水) 02:37:33 ID:/8Ype3YM
訂正
「国」が先で「神」が後に生まれた。これが重要なんだよ。
↓
「(日本列島の)国」が先で「(日本の)神」が後に生まれた。これが重要なんだよ。
208 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/06(水) 05:32:59 ID:szQYRKgA
>>205-207 >馬鹿丸出し、カタカナもひらがなも漢字からできたんだよ。
>日本書紀は漢字で書かれてる。ひらがなやカタカナで書かれてるんじゃない。
>国生みも含めて全て漢字だ。
カタカナやひらがなが漢字から出来たことも、
日本書紀が漢文で書かれていることも「越」の読み方が
「コシ」で正しいか否かと全く関係が無い。
>イザナギ、イザナミは、朝臣安萬侶や稗田阿礼よりはるかに「権威」があるわけでね。
実在した人間である朝臣安萬侶や稗田阿礼より宗教上の神々であるイザナギ・
イザナミに権威を持たせる君はもはや歴史学ではない宗教。
>その最も「権威」のあるイザナギ、イザナミは最初に「国」と「国の名前」を生んだんだのだ。
>国の名前は「漢字」でだ。「越州」という漢字でだ。(爆笑
何と、イザナギ・イザナミの実在を前提にしている上、
漢字伝来よりはるか昔のはずの彼らが漢字で国名を名付けたとか言い出したぞ。
こいつの電波は止まる所を知らない。
宗教の話なら宗教団体じゃないNHKには関係ねーな。
>その意味がわらかんかねえええええ?
普通にわかんない。(´・ω・`)
宗教の話は心と宗教板でどうぞ。
http://gimpo.2ch.net/psy/
209 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 06:20:50 ID:LBW3bsHD
んなことより森祐喜の毛髪検査の方が先だと思うが
>>160 確かにそのとおりだ、矛盾してる。
ありえないだろう。
>>162 >1、↑に出てる図では、畿内、出雲系を春秋・戦国時代以前に渡来した元祖百越人
>(初期弥生人)と考えている
朝鮮半島南部と、北九州、中国呉、百越と関係してたのは事実だろう。
これについては、魏志倭人伝などでの倭人の風俗とも矛盾しない。
http://yamatai.cside.com/yasumoto/image/noukou.gif 魏志倭人伝の和国は、騎馬民族的な様子が見られないのでそれは大事な要素だろうと思う。
しかし、問題なのは古墳時代になると、つまり卑弥呼以降の時代になるとどこからとも無く
急激に騎馬民族化がはじまり、どこの古墳を見ても騎馬民族にまつわる装飾や埋葬ばかりである。
これが朝鮮半島南部の、韓国の地域からも出没するからこの問題が提起されるわけで
要するにこの文化が一体どこから来たものなのかを判明させなければならないわけだ。
朝鮮の加羅(のちの百済相当する位置)に中流豪族の前方後円墳が多量に見つかり
九州北部との関係性が濃厚でありながらも、北関東に及ぶまで日本を中心とした騎馬民族
古墳圏が展開されてるという実態を完全に古代史として解明しない限り、この迷信の起源論(奇言論)に終わりは無い。
これからも都合のいいように政治利用され歴史捏造の道具となるだけであろう。
>>197 鮮卑と朝鮮人は全然違うだろ・・・・
211 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 12:33:28 ID:/8Ype3YM
↓古代日本は祭政一致国家だからおまえが嫌だっていっても、現実はそうじゃないんだ。
↓存在しなかった唯物史観で、国名を決められてもこまるんだ。
↓日本は思想、信教の自由がある国なんだ。
↓おめらの「唯物史観主義」者が西暦8世紀以前に書いた歴史書があるなら、それを出せ・
↓それがないなら思想板の共産主義のスレにでも行って唯物史観でほざいてろ。
↓そもそも古事記こそが日本書紀よりはるかに宗教色が強いんだよ。アホ
208 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/06(水) 05:32:59 (p)ID:szQYRKgA(2)
>>205-207 >馬鹿丸出し、カタカナもひらがなも漢字からできたんだよ。
>日本書紀は漢字で書かれてる。ひらがなやカタカナで書かれてるんじゃない。
>国生みも含めて全て漢字だ。
212 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 12:45:54 ID:/8Ype3YM
>>210 >しかし、問題なのは古墳時代になると、つまり卑弥呼以降の時代になるとどこからとも無く
>急激に騎馬民族化がはじまり、どこの古墳を見ても騎馬民族にまつわる装飾や埋葬ばかりである
「騎馬民族化」の意味不明
三韓征伐(か又は、広開土王卑文かどっちでもいい)が長期間の戦争が起きれば、科学技術は、
否応なく「交流(相手の長所を真似しあい)する。
>鮮卑と朝鮮人は全然違うだろ・・・・
俺は殆ど同じだと思ってるけどね。
ワイ人(朝鮮人)を蔑称して読んだのが「鮮卑」
倭人を蔑視して呼んだのが「倭奴」
213 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 12:54:24 ID:/8Ype3YM
そういう文句は朝臣安萬侶や稗田阿礼に言え
そうなら、おまえは、イザナギ、イザナミ以前の祖神すらを信仰した
朝臣安萬侶や稗田阿礼の書いた古事記だけを何故、信じるのだ?
それこそ、自己矛盾の典型だろうが?
↓
>>208 >実在した人間である朝臣安萬侶や稗田阿礼より宗教上の神々であるイザナギ・
>イザナミに権威を持たせる君はもはや歴史学ではない宗教。
誰が、いつどこで、日本書紀を、イザナギ、イザナミが編纂したって言ったのだ?
論理をスリ換えるな。馬鹿タコ野郎
↓
>何と、イザナギ・イザナミの実在を前提にしている上、
>漢字伝来よりはるか昔のはずの彼らが漢字で国名を名付けたとか言い出したぞ。
>こいつの電波は止まる所を知らない。
>宗教の話なら宗教団体じゃないNHKには関係ねーな。
214 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 13:07:10 ID:/8Ype3YM
↓この馬鹿、「権威」と「権力」すら区別がついてない
↓「国名」を決めるのは「権力(者)」であって、その権力者らが何を価値基準にして決めるか
↓は、その権力者が信じる「権威」を持つ(宗教などの)価値観、歴史観による。
↓他人の宗教などの基本的価値観や歴史観を、自己が好むと好まざるとにかかわらず、その、
↓普通の大人は誰でも、「基本的価値観がなければ、政治において(国名などの)意思決定はできない。」
↓ことを悟らなければならない。
↓そういったことがまったくわかってないこいつのような奴を欧米では「いつまでも紳士に
↓なれない未熟児や知能傷害の知恵遅れ児童」という
↓こういう奴は、基本的価値観を御都合主義で、毎日のように、コロこコロ変えるファッショ集団に多い。
↓
>Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
215 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 13:16:05 ID:/8Ype3YM
古事記(西暦712年)を編纂した稗田阿礼らより、自分たちの知りえたイザナギ、イザナミのほうが権威がある
と思ったから、日本書紀(西暦720年)の編纂者である権力者は、稗田阿礼らの主張を踏襲でせず、独自の調査
による国生みの歴史を書いた。それが史実。
216 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 13:21:17 ID:/8Ype3YM
>>210 倭奴の「奴」
鮮卑の「卑」
を足すと奴婢。
217 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 13:23:01 ID:/8Ype3YM
大陸で、縄文人を皆殺し絶滅させ、百越人を四散させた、
漢人の中華思想とは、そういうものだ。
218 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 15:29:08 ID:lwpFSgTd
このスレ最初から読んだけど、いまいち解せないので誰か教えて。
長江文明人の百越人の遺伝子は日本列島、ベトナム、朝鮮半島にしか残されていないって事は、
つまり、日本人とベトナム人と朝鮮人の先祖は同じって事じゃないの?
それが何で日本人が朝鮮半島を支配していた(もしくは暮らしていた)証拠になるの?
日本人と朝鮮人の人類学的なルーツは同じだから逆に言えば朝鮮人が日本列島を支配していた(もしくは暮らしていた)とも解釈できるわけで。
219 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 16:51:00 ID:/8Ype3YM
>>218 遺伝子は、長江文明人だけでないから全く同じとはいえないが、つまり「同祖」の
面はあるよ。
例えば、DNA Y染色体のFR-O2b系(長江文明人)では「ほぼ同じ」遺伝子だよ。
(FR-O2aのチベット人も近い人種)
(あと、日本人と朝鮮半島人だけの比較なら、どっちもFR-O3系を持ってる。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA 但し、最近は更に、精密細緻になって、FR-O2b-? の?に番号がつくような細分化
になってきて、朝鮮と日本のは違うっていうような分析結果も出てきてるそうな。
だから、天皇家が「騎馬民族」かどうか、という問題は別にして、弥生人(と稲)
は、これまでは朝鮮半島経由で日本に渡来したという説が通説になっていたが、
最近では、琉球経由かまたは海路で中国本土から直接来たという説が有力になって
きた。
最近のm人や稲のDNA分析からいくと、天皇家の祖先は弥生人なら、これまでは、
「全くの神話」とされていた神武天皇の紀元節(紀元前7世紀前後)も更に遡る
可能性が出てきた。
っつーか、戦後、とにかく「全くの神話」とされていた神武天皇の紀元節が極めて
現実味を帯びてきてると言える。そうして、それが朝鮮半島経由でなく海路経由の
蓋然性が高くなってる。そこで焦ってきたのが「なんでも韓国起源説病」の在日、
韓国人。特に日教組関係組織に入りこんだ在日関係の歴史関係学者たち。
海で生活したことがない人は、わからないだろうけど、4月以降、揚子江付近で発生
する移動性高気圧ってういうのは東シナ海を北東方向に渡る船乗りにとっては極めて
有利な海況だよ。俺は昔、ヨットやってたことあるから、移動性高気圧の有り難味が、
わかる。これから-5月(メイストーム)にかけて朝鮮半島付近で発生する爆弾低気圧
の発達の怖さも骨身に染みてわかってる。
220 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 17:15:38 ID:/8Ype3YM
上海あたりから海に出たらまず間違いなく対馬海峡あたりに流される。
九州に漂着するか済州島、朝鮮半島にいくかは、5分5分だろうな。
4月-6月ならかなり安全で効率の良い航路だね。風さえよければ東シナ海
は性能の悪い帆船でも1週間くらいで渡れるだろう。だから移動性高気圧の
発生と同時に出帆すれば、ほぼズート高気圧帯で来れる。風が弱くても黒潮
があるからね。
広州からだったかなりの長旅で、こっちは危険だわなあああ。慎重に、台湾
とか南琉球とか島づたいに、気象みながら休み休みでないと危ないな。
221 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 17:21:25 ID:/8Ype3YM
同じ百越人でも朝鮮半島に渡ったのは内陸に部族が多かったと思うね。
九州にわたった百越人は海岸沿いに住んでた海洋性の部族だと思うね。
222 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 17:29:35 ID:/8Ype3YM
梅雨前線の南側保って帆走すれば、クウォーターって言って、
帆船では最高に速度の出る風だ。おそらく性能の悪い帆船でも
平均対地速度で7-8ノットくいらいになるだろうな。
223 :
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/06(水) 19:38:37 ID:szQYRKgA
>>211 >↓古代日本は祭政一致国家だからおまえが嫌だっていっても、現実はそうじゃないんだ。
現代日本は政教分離民主国家だからおまえが嫌だっていっても、現実はそうじゃないんだ。
>↓存在しなかった唯物史観で、国名を決められてもこまるんだ。
存在しなかったカルト電波史観で、国名を決められてもこまるんだ。
>↓日本は思想、信教の自由がある国なんだ。
そうだ。
だからNHKはおまいらのカルト電波妄言をいちいち聞き入れる必要は無いんだ。
>>211 >↓おめらの「唯物史観主義」者が西暦8世紀以前に書いた歴史書があるなら、それを出せ・
おまいら「大和国家主義」者が、西暦8世紀以前に
・奴国が大和国家であること
・「越」の読み方が「コシ」ではないこと
・古代日本海岸人が他の日本人と口語が通じず、「俺たちは越人です。」
と漢文で自己紹介したという当時の記録
・古代日本海岸人が江蘇省から来たという当時の記録
・イザナギ・イザナミの実在を証明する当時の記録
・イザナギ・イザナミが漢字で「越州」と名付けたことを証明する当時の記録
を書いた歴史書があるというなら、それを出せ。
>↓それがないなら思想板の共産主義のスレにでも行って唯物史観でほざいてろ。
それがないなら宗教板に大和国家主義のスレでも立ててカルト電波史観でほざいてろ。
>↓そもそも古事記こそが日本書紀よりはるかに宗教色が強いんだよ。アホ
そもそもおまいら大和国家主義者こそがNHKよりはるかに宗教色が強いんだよ。アホ。
>>213 >そういう文句は朝臣安萬侶や稗田阿礼に言え
どういう文句を朝臣安萬侶や稗田阿礼に言うんだ?
俺は君と話しているつもりだが?
そして君は霊界と通信できるのか知らんが、
朝臣安萬侶や稗田阿礼は既にこの世にいない。
>そうなら、おまえは、イザナギ、イザナミ以前の祖神すらを信仰した
>朝臣安萬侶や稗田阿礼の書いた古事記だけを何故、信じるのだ?
「越」を「コシ」と読む証拠は古事記以外にも地名などに残っている。
朝臣安萬侶や稗田阿礼がイザナギ・
イザナミ以前の祖神を信仰していようがいまいが関係ない。
>それこそ、自己矛盾の典型だろうが?
俺の主張は理路整然としており何ら矛盾していない。
君こそはその場しのぎで嘘の上塗りを重ねるだけで支離滅裂だがな。(w
>誰が、いつどこで、日本書紀を、イザナギ、イザナミが編纂したって言ったのだ?
誰が、いつどこで、日本書紀を、イザナギ、イザナミが編纂したって言ったのだ?
>論理をスリ換えるな。馬鹿タコ野郎
論理をスリ換えるな。馬鹿タコ野郎。
>>214 >↓この馬鹿、「権威」と「権力」すら区別がついてない
>↓「国名」を決めるのは「権力(者)」であって、その権力者らが何を価値基準にして決めるか
>↓は、その権力者が信じる「権威」を持つ(宗教などの)価値観、歴史観による。
>↓他人の宗教などの基本的価値観や歴史観を、自己が好むと好まざるとにかかわらず、その、
>↓普通の大人は誰でも、「基本的価値観がなければ、政治において(国名などの)意思決定はできない。」
>↓ことを悟らなければならない。
で、結局君の信じる宗教などの基本的価値観とやらは、NHKを説得する
「権威」もなければ強制する「権力」も無かったって事だな?
>↓そういったことがまったくわかってないこいつのような奴を欧米では「いつまでも紳士に
>↓なれない未熟児や知能傷害の知恵遅れ児童」という
欧米のどこの国の誰が「イザナギ・イザナミが実在し、漢字で『越州』
と名付け、かつ『越』を『コシ』とは読まない事を信じない人は、
いつまでも紳士になれない未熟児や知能傷害の知恵遅れ児童」
と言ったんだ?具体的に個人名を出せ。
>↓こういう奴は、基本的価値観を御都合主義で、毎日のように、コロこコロ変えるファッショ集団に多い。
ああ、おまいら大和国家主義者とかな。
>>215 で、イザナギ・イザナミが実在し、漢字で「越州」と名付け、
かつ「越」を「コシ」とは読まないという証拠はまだか?
>>218 日本人、朝鮮人、ヴェトナム人に限らず、
世界中の全人類の人類学的ルーツは全て同じ約20万年前の東アフリカ。
229 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 21:12:10 ID:/8Ype3YM
昔の政権が決めた国名を民主主義なじないからって批判したってどうなるんだよ?
では古事記は民主主義だったのか?
大馬鹿屁理屈野郎
↓
223 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/06(水) 19:38:37 (p)ID:szQYRKgA(8)
>>211 >↓古代日本は祭政一致国家だからおまえが嫌だっていっても、現実はそうじゃないんだ。
現代日本は政教分離民主国家だからおまえが嫌だっていっても、現実はそうじゃないんだ。
230 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 21:15:05 ID:/8Ype3YM
↓馬鹿すぎて議論にならない。
↓「民主主義」で古事記の中身を替えようってことだ、
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
>現代日本は政教分離民主国家だからおまえが嫌だっていっても、現実はそうじゃないんだ。
231 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 21:15:47 ID:/8Ype3YM
↓馬鹿すぎて議論にならない。
↓「民主主義」で日本書紀も中身を替えようってことだ、
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
>現代日本は政教分離民主国家だからおまえが嫌だっていっても、現実はそうじゃないんだ。
232 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 21:24:18 ID:/8Ype3YM
昔の政治体制をいくら批判したって日本書紀に書いてある「国生み」
による国名(例;「越州」)は変えようがない。
そんなことも理解できない、もはや基地外
↓なんでこんなこと証明しなかきゃならないんだ?
↓基地外在日ウザイ、消えろ
↓来るな
↓
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
>奴国が大和国家であること (←「委(倭)奴国」を「奴国」とすりかえ詭弁)
233 :
名無しさん@3周年:2010/01/06(水) 22:17:48 ID:/8Ype3YM
あいつウザイ,「大和朝廷」について俺はとっくにソース示してる。
俺はとっくに
>>66で奈良の古墳群(陵墓)のソ−ス示している。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/3-9kennsi.htm http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/4-1hokenoyama.htm つまり簡単に言えば「大和朝廷」とは律令国家成立以前の古墳時代の奈良盆地政権のとこと
ヤマト王権
ヤマト政権(やまとせいけん)・ヤマト王権(やまとおうけん)・大和朝廷(やまとちょうてい)とは
、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王を中心として、いくつかの有力氏族が連合
して成立した王権である。基本的には律令国家成立以前の名称であり、飛鳥時代以降については通常、
大和朝廷と呼ばれる。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9 後漢書 倭伝
建武中元二年(西暦57年)
倭奴國奉貢朝賀・・・・・光武賜以印綬 =孝昭天皇=陵墓(ホケノ山、勝山、石塚の古墳のどれか)
安帝永初元年(西暦107年)
「倭 國 王 帥 升 等」(升=飛の略字)
「ヤマト クニ オ シ ヒ ト」 =孝安天皇=陵墓(同上)
尚、「漢委奴国王印」の読み方として「漢の倭の奴国の王印」
というは間違い。正しい読み方は「漢の倭奴国の王印」だ。
漢字用法の真意は、漢字文化の本家の人たちの文化、慣習を重要視すべき。
「倭奴国=ヤマト、倭、大和(古墳文化、奈良)」の根拠
(中国漢字文化の発祥地では「倭の奴の国」という意にはしてない)
『旧唐書』倭国・日本国伝
倭國者、古倭奴國也。
(倭国とは、古の倭奴国なり)
『随書』倭国伝
安帝時、又遣使朝貢、謂之倭奴國( ←これは「金印」の時のことではない)
(安帝の時<106−125年>、また遣使が朝貢、これを倭奴国という)
金印には「大王」の字がないから「大王」ではないとはいえない
卑弥呼に与えられたはずのものは「親魏倭王」の金印である
>>229-231 >昔の政権が決めた国名を民主主義なじないからって批判したってどうなるんだよ?
日本語でお願いします。
>では古事記は民主主義だったのか?
>大馬鹿屁理屈野郎
ではNHKは宗教団体なのか?
大馬鹿屁理屈野郎。
>↓馬鹿すぎて議論にならない。
>↓「民主主義」で古事記の中身を替えようってことだ、
馬鹿すぎて議論にならない。
君は「祭政一致」で現代日本の中身を替えようってことだ。
>>232 >昔の政治体制をいくら批判したって日本書紀に書いてある「国生み」
>による国名(例;「越州」)は変えようがない。
今の政治体制をいくら批判したって「越」が「コシ」
と読まれてきたことを示す地名(例;「山古志」「コシオウ神社」)
は変えようがない。
>そんなことも理解できない、もはや基地外
悔し紛れにいくら俺の悪口を言ってみせたところで、
俺を論破できないぞ。
>↓なんでこんなこと証明しなかきゃならないんだ?
日本語でお願いします。
>↓基地外在日ウザイ、消えろ
>↓来るな
俺に勝てないと見て遁走宣言か。
悪いがこのスレがdat落ちするまで俺はここに居座り、
占領統治を続けさせていただく。
236 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/07(木) 02:00:11 ID:pHDIk8Sx
>>219 >だから、天皇家が「騎馬民族」かどうか、という問題は別にして、弥生人(と稲)
>は、これまでは朝鮮半島経由で日本に渡来したという説が通説になっていたが、
>最近では、琉球経由かまたは海路で中国本土から直接来たという説が有力になってきた。
いや、朝鮮半島から来た倭人はたくさんいる。
だが、いまの朝鮮人とその半島から来た倭人が同じなのかといえばNOだろう。
半島経由で日本に来たのは呉の船団移民の韓人であり、いまの北京などを通って
朝鮮半島にたどり着いたO2bとは違うという事だ。(それがワイ系か?)
とにかく、精密な検査で違いがくるのはそのためなんじゃないか?
237 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/07(木) 02:22:38 ID:pHDIk8Sx
>>219 >これまでは朝鮮半島経由で日本に渡来したという説が通説になっていたが、
>最近では、琉球経由かまたは海路で中国本土から直接来たという説が有力になってきた。
>そこで焦ってきたのが「なんでも韓国起源説病」の在日、
>韓国人。特に日教組関係組織に入りこんだ在日関係の歴史関係学者たち。
こいつらは朝鮮総連、民潭という元朝鮮進駐軍の連中でGHQが去ったあとも
日本を監視してた連中だ。
>これから-5月(メイストーム)にかけて朝鮮半島付近で発生する爆弾低気圧
>の発達の怖さも骨身に染みてわかってる。
あんだけ近い半島だから、無知な日本人や学生は祖先が半島から来た事を安易に思い
逆にあそこまで離れた中国とは関係が無いと思い込んでしまってる。
しかし、実際は朝鮮と日本を船で渡るのは難しく、それこそ対馬を経由しないと無理で
元寇が失敗したのもそのせいだ。
実は騎馬民族説の最大の盲点はここでもあり、そもそも「騎馬民族支配説」とは「大陸続きによる侵攻が条件」である
のだが無知な日本人はその単純な矛盾すらも気づかずに「昔は朝鮮の騎馬民族に支配されて、その王が後の天皇だ」
と単純に解釈してしまう。
皇室に対する国民の妬み僻み嫉妬反骨心が逆に作用しているという面もあるがいずれにせよ
そうした基本知識を与えているのは教育と日教組なので教育改革がこれから行われない事には解決せんだろう。
また、最近では民法や公共に問わず教育に関した番組が製作され教科書やそうした学問の定説どおりの
ことしか放送できないので、騎馬民族説はメディアが広げた責任もあるだろう。
まことにバカらしい限りだ。
238 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/07(木) 02:33:57 ID:pHDIk8Sx
>>233 飛鳥、奈良時代は現在の奈良県を中心に権力が展開されてたが
倭の5王時代は現在の大阪・堺であったと思われる。
大化の改新の変革自体が、倭の5王時代の復古で打倒奈良飛鳥政権であったからだ。
それから、漢字の読み方だがもしかすると「邪馬台国」とあるように「倭奴」とは「ヤマタ・イ」
と読んでたんじゃなかろうか?
しかし、「奴」を嫌ってか「い」の発音が抜けた事で「倭」だけになり「ヤマト」になったのでは?
239 :
名無しさん@3周年:2010/01/07(木) 02:55:25 ID:WeoIbG9U
「倭」という漢字と「ヤマト」という読みはリンクしない様に思えるんだけど。
「倭」は「わたし」の「わ」という説は聞いた事があるけど。
>>239 >「倭」は「わたし」の「わ」という説は聞いた事があるけど。
その説、俺も聞いたことある。
241 :
名無しさん@3周年:2010/01/07(木) 05:27:22 ID:tHAuCsbd
なんだ、今度は訓読み抹殺か
「倭」は「わ」と読むし「ヤマト」とも読む。
読むものはよむ。実在園ものだ。
242 :
1:2010/01/07(木) 06:22:04 ID:tHAuCsbd
この「越」が先か「こし」が先かの論争は「(NHKの解説のしかた)コシと固定することは間違いだ。」
(
>>150)から始まってる。
別に俺は「和語に、コシと言う呼称はなかった。」なんて言ったことはない。
こいつ(Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw)は 、在日特有の「論理のすりかえ」を必ずと
いっていいほどやる。
俺は「越(州)」が「国名」の最初だと言ってるのだ。(当時、なんて読んだかは関係ない。)
山陰地方でも「宮津」の「越浜」のいうに「オッパマ」(エツハマの略音、訛り)
のようにエツと呼ぶことは普通。
古事記や日本書紀より先に編纂された大宝律令の越前、越中、越後を、「コシマエ」とか、
「コシナカ」とか「コシアト」と呼ぶなんて聞いたことないね。
「越州」の「越」を「こし」と固定するのは明白な間違いだ。
「(読みかたを)固定する」ことを「間違いでない。」ということも同様の間違いだ。
↓
>>152 >日本の方なら別に間違いではない。
↓また、日本書紀が「『こし』を越に当てた」なんて屁理屈こじつけ妄想でしかない。
↓何の証拠がある?
↓牽強付会そのもの。「越」という国名は「国生み」でされてるのだ。
↓それを当初のどう読んだかはわからないこと。
↓「こし」が「越」の前にあったというなら、そのあちこちにある「こし」の呼称は
↓何の意味だ?
↓「こし」があちこちあるのことについて、文化人類学観点として何の説得力もない
↓「和語に『こし』があったから」では理由にならない。
>「こし」という地方名が元からあった
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
243 :
1:2010/01/07(木) 06:24:05 ID:tHAuCsbd
>日本の方(
>>152 だとさ(プ
VANKあたりの工作員ってことは明白だな
244 :
1:2010/01/07(木) 06:30:35 ID:tHAuCsbd
反論できなくなったから、誤字に因縁つけてるだけ
>日本語でお願いします。(
>>235 「朝鮮進駐軍」の末裔であることで開き直った
自分たちが何を言ってるか、まったくわかってない。
竹島侵略に加えて、戦後、歴史改竄やってきた「朝鮮侵略軍」の工作員
↓
>日本の方(
>>152 >俺に勝てないと見て遁走宣言か。
>悪いがこのスレがdat落ちするまで俺はここに居座り、
>占領統治を続けさせていただく。
245 :
1:2010/01/07(木) 06:35:53 ID:tHAuCsbd
とにかく・・・
日本書紀の国生みでの国名である「越(州)」について言うなら「越」を「こし」と
固定して呼ぶのは明白な間違いだ。
「(読みかたを)固定する」ことを「間違いでない。」ということも同様の間違いだ。
↓
>>152 >日本の方なら別に間違いではない。
246 :
1:2010/01/07(木) 07:10:15 ID:tHAuCsbd
日本の神社神道での「神」の文化は、実在した人や獣が死んだ後に「神」とされ祀られる
文化という面が強いので、日本の神話を、ギリシャ神話のような次元で扱うのは大きな
間違いだ。
つまり「日本の神話」は多くは「実在した人の話」が時間の経過とともに喩え話とか
誇張されて後に残されたものが多い、という観点を決して失ってはならない。
例えば「江津市」は、「コウツ」(あるいは「コウズ」)とも読めるし「エツ」とも読める。
前者は「神津」の音読みを別な漢字の「江津」に再変換したものである。
この場合は「貴なる人(死んだ後は神)が上陸した港」という「コウツ、(コウズ)」である。
この呼称は、有名な神社で海岸沿いにあるところには「町名」などで多い。
後者は「越」の音読(漢風読み)を「江津」に再変換したものである。
もっとも「江津」場合は、両方の意味でしたとさえ、考えられる
247 :
1:2010/01/07(木) 07:29:51 ID:tHAuCsbd
248 :
247:2010/01/07(木) 07:58:30 ID:tHAuCsbd
249 :
名無しさん@3周年:2010/01/07(木) 12:14:21 ID:tHAuCsbd
朝鮮ヒトモドキ民族とは言葉は通じないから
251 :
倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺:2010/01/07(木) 14:02:24 ID:/qjR1WI1
何回も言うが朝鮮文化が大きな影響を与えたならば、何故朝鮮の語彙が日本語に全く見られない
のか!
252 :
名無しさん@3周年:2010/01/07(木) 17:12:04 ID:tHAuCsbd
日本の天皇家が何故、これほど長く続くかというと「毛並み」が、中国人から
見ても半端でない。
つまり天皇家の皇祖は、周王の外戚(周王の皇祖)の末裔という可能性も高い。
つまり、周王朝初代武王の曾祖父・古公亶父(ここうたんぽ)の長男(大伯)の
娘婿の末裔か、又は四男・虞仲(仲雍)の末裔くさい。
そうなら天皇家は騎馬民族の可能性はあるが、単なる騎馬民族ではなく
「呉」に下って水稲文化で且つ海洋民族化した人種という可能性もある。
人種は漢族なのだが、文化は長江文明と海洋文明に半農半漁の文化。
253 :
名無しさん@3周年:2010/01/07(木) 17:14:39 ID:tHAuCsbd
間違った、外戚でなく「女系」での名門中の名門。
254 :
名無しさん@3周年:2010/01/07(木) 17:35:33 ID:tHAuCsbd
第一仮説
神武天皇は周の初代皇帝・武王の曾祖父・古公亶父(ここうたんぽ)の長男(大伯)
の娘婿の末裔か、又は古公亶父(ここうたんぽ)の四男・虞仲(仲雍)の末裔くさい。
呉が越に滅ばされるとき(紀元前473年)、「紫庭」を築かんと九州(九夷)に亡命した。
命題
「筑紫」(=紫庭を築く)は何故?
何故、「倭人は黥面文身」が、これほど頻繁に中国の古文書に出るのか?
何故、孔子が東周に「道がない」と嘆き「九夷」を憧れたか?
ちょっと気がつかなかった。
孔子の晩年のときに呉が衰退して越に滅ぼされそうになっていったんだ。
(周:紀元前1046年ー紀元前256年)
(呉:紀元前585-紀元前473年)
(孔子:紀元前551−479年)
孔子という人は、呉とともに生まれて生き、呉ととものこの世を去った人だったんだね。
255 :
名無しさん@3周年:2010/01/07(木) 17:41:02 ID:tHAuCsbd
神武天皇の父か祖父(呉人)から見ても、古公亶父(ここうたんぽ)は、
20代(500年)くらい前の皇祖っていうことになるんだな?
神武天皇はおそらく孔子よりちょと後(10年-20年くらい後)の世代だな。
256 :
名無しさん@3周年:2010/01/07(木) 17:53:52 ID:tHAuCsbd
★「筑紫」(=紫庭を築く)は何故?
★何故、「倭人は黥面文身」が、これほど頻繁に中国の古文書に出るのか?
★何故、孔子が東周に「道がない」と嘆き「九夷」を憧れたか?
(の謎解き)
【「九夷」「紫庭(道が行われてる皇帝の庭)」への「孔子の憧れ」の答え】
◎『宋書』の楽志に、「白紵舞歌」というものがある。
◎その一節に「東造扶桑游紫庭 西至崑崙戯曽城」
◎(東、扶桑に造りて紫庭に游び、西、昆崙に至りて曾城に戯る。原文の「崑崙」は山へん付である。)
◎という下りがあるが、この「(白)紵」というのは「呉」(春秋時代)に産する織物であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF 周の初代皇帝、武王の曽祖父亶父には長子・太伯、次子・虞仲、末子・季歴がいた。季歴が生まれる
際に様々な瑞祥があり、更に季歴の子の昌(文王)が優れた子であったので古公亶父は「わが家を
興すのは昌であろうか」と言っていた。
【黥面文身の答え】
これを推し量って太伯と虞仲は季歴に後を継がせるために荊蛮の地へと自ら出奔した。周の者が
◎(黥面文身の答え)二人を迎えに来たが、二人は髪を切り、全身に刺青をして中華へと帰るに相応しくない人物として
これを断った。
髪を短く切るのは海の中で邪魔にならないように、刺青をするのは模様をつけることで魚に対する
威嚇となる。この二つの風習は呉地方の素潜りをして魚を採る民族に見られると言う。倭に関する
記述でも同じような風習を行っていることが見られ、これが元となって、中国や日本そして李氏朝鮮
までの朝鮮半島において、倭人は太伯の子孫であるとする説がある。
257 :
名無しさん@3周年:2010/01/07(木) 17:55:23 ID:tHAuCsbd
『梁書』諸夷伝(東夷条)倭
「自謂太伯之後」(自ら太伯の後裔と謂う)
『晉書』東夷傳倭人条に「自謂太伯之後」
http://www.windsnet.ne.jp/column_n/colum.php?day=20081020378 卑弥呼が死亡した後、男王を立てたものの国中が服さず、また彼女の宗女である「壹與」を立てた。
その彼女が中国に送った使節が出自について述べている史料がある。『晉書』東夷傳倭人条に
「自謂太伯之後」とあり、彼らが自ら「呉の太伯」の後裔であると云う。
同条には「泰始初遣使重訳入貢」とあり、外交をしているのであるから、単なる流伝を記しているのでは
なく、「大夫」が政府の正当性を主張する意味で公式に「太伯之後」を自称したとみられる。
『梁書』倭条では冒頭に「倭者 自云太伯之後 俗皆文身」とあり、倭王武が梁朝と公式に通行した
のであるから、倭国王自ら「太伯之後」と述べた可能性が高い。
また『北史』倭國条でも「自云太伯之後」である。恐らく、倭人自らその出自を公式に内外へ示したと
して、自称としてではあるがこれを認めている。
258 :
254:2010/01/07(木) 18:55:54 ID:tHAuCsbd
訂正:四男・虞仲(仲雍)→次男・虞仲(仲雍
259 :
254:2010/01/07(木) 19:52:00 ID:tHAuCsbd
神武天皇の時代(春秋時代の末期)の呉で、古公亶父(ここうたんぽ)から、
約20代(500年)くらいの末裔。呉の最後の王、夫差から更に、700年後の
卑弥呼の時代ってなると、もはや騎馬民族とは言えないね。
1200年間の揚子江の当りでいたわけだからな。もう長江文明人だ。
それと、何故、江南、上海、南京の連中は「南京大虐殺」で白髪三千丈に騒ぐのか?
も見えてくるね。
つまりは、江南地方人は日本の皇室に対してコンプレックス持ってる、としか
いいようがない。
周の先王(古公亶父)の子供(太伯、虞仲))の末裔の土地を奪った、から、その
強盗集団としての、倭人(呉人)に対する引け目があるんだな。
それを乗り越えたような胡耀邦みたいな人もいたけどな。一般的には違う。
周王一族に逆らい、周王一族を滅亡させ、呉の首都である南京を奪った「南蛮」
という引け目が彼ら越南人にはある。彼らの中華思想(東夷、南蛮、北狄、南蛮)は、
彼らにとっての呪縛ブーメランになってる。
>>245 >日本書紀の国生みでの国名である「越(州)」について言うなら「越」を「こし」と
>固定して呼ぶのは明白な間違いだ。
だったら「越」を「コシ」以外で読んでいた証拠を早く出してみろよ。
>「(読みかたを)固定する」ことを「間違いでない。」ということも同様の間違いだ。
「越」を「コシ」と読むことが間違いである証拠がないからだろ。
だから別に「間違いでない。」
>>242 >この「越」が先か「こし」が先かの論争は「(NHKの解説のしかた)コシと固定することは間違いだ。」
>(
>>150)から始まってる。
だったら「越」を「コシ」以外で読んでいた証拠を早く出してみろよ。
>別に俺は「和語に、コシと言う呼称はなかった。」なんて言ったことはない。
じゃ、「越」を「コシ」と読むのは間違いでないという事でよろしいな?
>俺は「越(州)」が「国名」の最初だと言ってるのだ。(当時、なんて読んだかは関係ない。)
関係ないなら、「越」を
「コシ」と読むのは間違いでないという事でよろしいな?
>山陰地方でも「宮津」の「越浜」のいうに「オッパマ」(エツハマの略音、訛り)
>のようにエツと呼ぶことは普通。
北陸地方・東北地方日本海側でも「山古志」や「コシオウ神社」のように
「コシ」と呼ぶことは普通。
>>242 >古事記や日本書紀より先に編纂された大宝律令の越前、越中、越後を、「コシマエ」とか、
>「コシナカ」とか「コシアト」と呼ぶなんて聞いたことないね。
そりゃ君が「越前」「越中」「越後」をそれぞれ訓読みで「こしのみちのくち」
「こしのみちのなか」「こしのみちのしり」とも読むことを知らないだけ。
「訓読み抹殺」とはまさしく君のことだ。
http://www.geocities.co.jp/NeverLand-Homeroom/2348/timei.htm >福井県北部・中部:越前(えちぜん)
>「越(こし)の国」が越前・越中・越後に分裂してできた。京に最も近いため、
>「こしのみちのくち」とも言われた。
>富山:越中(えっちゅう)
>「越(こし)の国」が越前、越後、越中に分裂して出来たもの。
>真ん中にあったため「こしのみちのなか」とも言われた。
>新潟:越後(えちご)
>元は「越(こし)の国」であったが、これが越前・越中・越後の三つに分裂した。
>この中で京から最も遠いため、「こしのみちのしり」とも言われた。
>越の国に関しては、京都へ往来する際必ず越えねばならないという意味からの由来といわれる。
264 :
名無しさん@3周年:2010/01/08(金) 03:37:53 ID:D+QnbGGl
265 :
名無しさん@3周年:2010/01/08(金) 09:43:35 ID:ykGNm6N5
「大和朝廷」は4世紀以降とかって言ってる連中が、
大和朝廷ができるまえに、なんで「京都に来るために」になるんだ?
自己矛盾もいいとこだ。
原因と結果を逆点させる朝鮮文化の特徴。
「越」より先に、その地名での呼称だったという証拠にはならない。
↓
>>263 「クシ(アイヌ語で「海を越えて渡ってきた人=アイヌの旧称」の意)の転」
「外来人が渡ってきた港」が全て「コシ」とは呼ばれていない。
一方、(「コシ」と呼ぼうが呼ぶまいが)、「越」の字や「コシ」の訓読み
のあるとこは、ほぼ100%近く、「百越人」文化のとこだ。
その事実を無視して↓こういうのを牽強付会という。これも科学部門でノーベル賞
を一個もとれない朝鮮半島人の特徴。
↓
>「クシ(アイヌ語で「海を越えて渡ってきた人=アイヌの旧称」の意)の転」
>から、「朝鮮半島・大陸から船で物を運んで越してきた地」とする説、
>果てはポリネシア語で「コチ」、KOTI(cut in two,divide,cut off)、
>「(出雲国から)分かれた(国)」とする説までいろいろある。
266 :
名無しさん@3周年:2010/01/08(金) 10:23:31 ID:ykGNm6N5
漢字の訓読みのしかたの話してんなんじゃないんだよ。ここのすスレは。
百越人で漂着した人は、先住民から漂着が認識されるまえに、自分が
百越人であることを知ってる。
だから、渡来した「百越人」は「百越人の住む場所」ということを部外者の
誰よりも早く意志表示できる。漂着現場を見てないものは先住民は「渡来人」
かどうかは、聞かないと確認できい。
だから「コシ」の呼称が文字としての「越」より早くなることはありえない。
どんなに早くても「コシ」の呼称は「越」に対して同時でしかない。
地名としての「コシ」が、「越」よりさきにあったという証明しろ。
漢字の訓読みのしかたの話してんなんじゃないんだよ。ここのすスレは。
大宝律令などでの「越」という地名の由来の話をしてんだ。わからない?
↓
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)(p)ID:FwBosOts(2)(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
とにかく、大和朝廷が、朝鮮半島の出身の騎馬民族に征服されたなんていうのは
嘘っぱちです。「広開土王く碑文」や「後漢書の弁韓伝、百済伝」で完全に
破綻してます。
267 :
名無しさん@3周年:2010/01/08(金) 12:05:13 ID:ykGNm6N5
呉音(江蘇省)、「エチ(越前、越後)」、「オチ」(越知)」、「オッ(パマ)」(越浜、島根)
(人名;尾知)
広東、「ウツ(宇津、山口)」「ユツ(油津、宮崎)」
漢音、「エツ((江津)」は北方漢族の発音
↓
>>263 >だったら「越」を「コシ」以外で読んでいた証拠を早く出してみろよ。
268 :
名無しさん@3周年:2010/01/08(金) 18:47:43 ID:ykGNm6N5
大宝律令で「越前、越後」などを決めたが、それを「エチゼン、エチゴ」
と呼ぶようになってることは、大宝律令以後の、中央や地方の権力者が
「呉の発音」をする人が多かったことを意味する。
269 :
名無しさん@3周年:2010/01/08(金) 19:41:26 ID:ykGNm6N5
3世紀後期において既に大和朝廷があった、という証明が確定。
桜井茶臼山古墳(3世紀末ー4世紀初)から81枚という国内最多の枚数で銅鏡が出た。
その中には、卑弥呼の朝貢使が持ち帰ったとする、正始元年(西暦240年)の年号が
入った三角縁神獣鏡が見つかった。
この古墳が卑弥呼の墓なのかどうかは、まだ分からないが、卑弥呼の使者が持ち帰った
鏡が出たことで、少なくとも3世紀においては既に大和朝廷があった、という証明には
なった。もともと、古墳の大きさからしてそうだが。
271 :
名無しさん@3周年:2010/01/09(土) 03:10:01 ID:wYpjGYiz
>>149 週刊新潮に記事が載ってたけど、小沢は「高名な学者の学説だから多分事実だと思います」みたいな事発言してるよ。
272 :
名無しさん@3周年:2010/01/09(土) 08:00:37 ID:wsM9zHvl
騎馬民族征服説を唱えない有名な学者もいっぱいいるよ。そっちの数のほうが圧倒的に多い。
マッカーサー司令部の下で「日韓併合」解消の措置がとられ、在日集団は「朝鮮進駐軍(
北朝鮮人・朝鮮総連ー同和ー韓国人=民団も含む)がマッカーサー司令部と同じく占領軍である
という主張)」を名乗った。
そうして「なんでも軍部悪玉説」とか「日本の歴史教育は全て嘘」を唱えはじめた。それに
反論した学者には、集団で大学の講義室に押しかけるという手法による授業妨害が繰り返された。
片山哲内閣に代表される社会主義者集団化した「寝返りコロリ教授会」に支配された大学は、
もはや学問の場ではなくなっていた。
「大学自治の原則」を唱える社会主義の法学者の説を盾にして、韓国学会の主張に反論した
ものが次々と授業妨害や教授室に集団で押しかける集団威圧を受けた。警察は「大学の自治」を
大義名分にして放置プレーだった。
「学問の自由」を守るべき「大学の自治権」は集団暴力による学問弾圧のための道具にされた
のである。
そういった風潮に迎合して、「保身」というより、「バスに乗り遅れるな」と積極的に韓国学会
の自己中心な学説に加担、迎合して、「いい思い」しようとする学者、文化人があらゆる分野の
学会で続出した。その一人が江上波夫である。
273 :
名無しさん@3周年:2010/01/09(土) 09:05:34 ID:wsM9zHvl
遣隋使、遣唐使を代表例として長い年月をかけて漢民族文化の影響を受け、漢文化中心
になっていった大和朝廷だったが、それでも「エチゼン、エチゴ、ウツ」など「越」を
「呉」風や「広東」風の発音で読む風習が残ってきたのは、大宝律令での「越前、越後」
などを呉音で読むべきことを代々の大和朝廷や、その後の武家社会も知っていたからだ。
というより、むしろ遣隋使や遣唐使は、大和朝廷が呉と密接な関係があることを留学して
漢人学者らから学んで帰ってきたのだ。
なぜなら隋でも唐でも、「倭の大王の末裔が大伯の末裔」と自己紹介したこと「呉は、
周王の子孫が建国した国、倭は太伯候の末裔が建国した国」の歴史観だったからは漢民族の
隋や唐の朝廷にとっては、その史実を隠す必要はまったくなかったからである。
つまりは「倭は周(漢王朝)の飛び地」ということでしかないからだ。
つまり共産主義政権ができるまでの中国は「倭国は周の太伯候(呉王族)の末裔が
建国した周の飛び地」という世界観を持っていたからだ。(今でも、そうかもしれない。)
「大和朝廷国家が太伯候の末裔が建国した国家」かどうか、という純粋科学的な真偽問題は別に
して、とにかく、そのような歴史観で日本、中国がともに古代から一致していれば、大宝律令
の時代以降の権力者たちが「越前、越後」を公式呼称として呉風に発音するのは当然なのである。
何故なら「周の王族」はいまだに「鼓腹撃壌の帝の舜に仕え農師をつとめた名門家」とされる
からだ。
共産主義体制の今日の中国社会でさえ「鼓腹撃壌」の世を築いた舜政権で枢要な職にあった周
家(姫家)は「天下泰平」を築いた「帝舜の薫陶を受けた尊敬される名門家」としての歴史評価
が高いからである。
共産主義体制の今でさえ、そうなのだから、遣隋使、遣唐使、大宝律令制定時代においては推して
知るべし。
呉の時代とともに生きた孔子は「中国では道がなくなったが、周の別の末裔が住む九夷(九州)
にいけば(そうではないだろうから)、九夷に行って住みたい。」と言ったことは、その後の
中国人にとっては、我々日本人が考えてる以上に、シナ人の世界観に影響を及ぼしていることも
物語っている。
274 :
名無しさん@3周年:2010/01/09(土) 09:43:12 ID:wsM9zHvl
これはもう、朝鮮半島人にとって、これ以上の屈辱的な倭への評価はない。
自分たちが崇め奉ってきた中国思想の最大の功労者・元祖が
I
孔子が「日本に行って住みたい。」なんて言ってたのおおおおおお
ま、ま、まさかあああ、えええええ、そんな馬鹿なあああ!!!!!
孔子の言は、韓国人などにとってそんなことは絶対にあってはならない、
ことなのである。
「世界の4賢」の孔子の言葉だから、もう決定的というか致命的というか、
どうにも否定できない。
できることは「どんなことがあっても永遠に葬り去りたい。」なのである。
もう、妬ましく妬ましく、悔しくて、悔しくて夜も眠れないくらいなのだ。
韓国政府、学会が全力を上げて抹殺したい歴史事実、それが以下の史実。
論語
「子曰・・・欲居九夷」(子罕第九)
◎孔子、九夷に居すを欲す。
「子曰、道不行、乗桴浮于海」(公治長第五)
◎孔子、(この国では)道行われず、海に浮かぶべし(海を渡って九夷に行って住みたい。)
と言った。
『隋書』東夷傳の倭
「九夷所居、與中夏懸隔、然天性柔順」
◎倭は・・・九夷の居るとこである。・・・その天性は柔順である。
『漢書』地理志の倭
「然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫。
樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」
◎然して東夷の天性柔順、外の三方とは異なる。故に孔子、道の行われざるを悼み、
説(も)し海に浮かばば、九夷に居らんと欲す。以(ゆえ)有るかな。
楽浪海中に倭人あり、 分かれて百余国をなし、 歳時をもって来たりて献見すと云う。
275 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/09(土) 12:25:31 ID:DWlmiTZv
>>249 鳥居って、すこし違うんだよ。
混ざってんのかも分からないけど、古神道的な
鳥居の原型は2本の柱信仰。
276 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/09(土) 12:28:11 ID:DWlmiTZv
277 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/09(土) 12:44:21 ID:DWlmiTZv
>>264 すまん、それは俺の勘違いだった。
百済は百済、韓は韓として存在して南下した百済に倭が土地を割譲したとかで
とにかくよく分からんが百済の王族がフヨ人であった。
辰王に関してはそこの紹介は面白いけど、どうやら亡命王族みたいだね。
そうしてみると日本の九州とか畿内も関係してんのかな?と思う。
日本が秦の末裔ってのもまんざらではないような状況は十分に考えられる。
ただ、天孫降臨とかはこの辺一帯の北アジア民族に共通する神話なので、実際
に支配階級が光臨したという考えは意味が無い。(これはアイヌですら神話として持ってる)
ただ、日本で天津神と国津神という宗教的な対立が過去にあったように外来移民系の
人と原住系民との間で争いはあったんじゃないかとは思う。
278 :
回帰 ◆XB7AjTRRiE :2010/01/09(土) 12:48:15 ID:DWlmiTZv
279 :
名無しさん@3周年:2010/01/09(土) 14:56:19 ID:wsM9zHvl
なんであろうが、昔の人は昔の人が信じる価値基準に従って行動した。
それを今の価値観を基準にして「そうであってはならない。」って数千年前
の人に文句を言っても、何もならない。
280 :
名無しさん@3周年:2010/01/09(土) 14:59:01 ID:wsM9zHvl
↓何を基準にして「原型」っていうの?
>鳥居って、すこし違うんだよ。
>混ざってんのかも分からないけど、古神道的な
>鳥居の原型は2本の柱信仰。
>>265 >「大和朝廷」は4世紀以降とかって言ってる連中が、
具体的にどの連中だ?はっきり書けやコラ。
>大和朝廷ができるまえに、なんで「京都に来るために」になるんだ?
知るかよ。俺は「コシ」の語源に京都は関係ないだろうと思っている。
>原因と結果を逆点させる朝鮮文化の特徴。
何でそこで朝鮮文化が出てくるんだ?
>「越」より先に、その地名での呼称だったという証拠にはならない。
「越」を「コシ」と読まなかった事を証明することも不可能。
逆に読んでいた証拠ならあるが。
>>265 >「外来人が渡ってきた港」が全て「コシ」とは呼ばれていない。
「外来人が渡ってきた港」が全て「コシ」とは呼ばれていないことは、
「越」が「コシ」とは読まれなかった証拠にはならない。
>一方、(「コシ」と呼ぼうが呼ぶまいが)、「越」の字や「コシ」の訓読み
>のあるとこは、ほぼ100%近く、「百越人」文化のとこだ。
>その事実を無視して
その事実ってどんな事実だ?
>これも科学部門でノーベル賞
>を一個もとれない朝鮮半島人の特徴。
何でそこで朝鮮半島人の特徴が出てくるんだ?
こういうのを牽強付会という。
>>266 >漢字の訓読みのしかたの話してんなんじゃないんだよ。ここのすスレは。
思わぬ横槍が入ってスレが自分の思い通りに進んでくれない気分はどうだい?
>百越人で漂着した人は、先住民から漂着が認識されるまえに、自分が
>百越人であることを知ってる。
>だから、渡来した「百越人」は「百越人の住む場所」ということを部外者の
>誰よりも早く意志表示できる。漂着現場を見てないものは先住民は「渡来人」
>かどうかは、聞かないと確認できい。
で、その渡来した百越人とやらはこの世に一人も残ってないんだから、
今更意思表示も出来なければ確認の取りようも無い罠。
意思表示した証拠が残ってない以上、君の妄想の範囲を出ない。
>だから「コシ」の呼称が文字としての「越」より早くなることはありえない。
>どんなに早くても「コシ」の呼称は「越」に対して同時でしかない。
もともと和語があって、後から漢字が入ってきた。
だから「コシ」の呼称が文字としての「越」より早くなることはありえる。
>地名としての「コシ」が、「越」よりさきにあったという証明しろ。
地名としての「越」が、「コシ」とは読まなかったという証明をしろ。
>大宝律令などでの「越」という地名の由来の話をしてんだ。わからない?
俺もずっと「越」という地名の由来の話をしてんじゃん。わからない?
284 :
名無しさん@3周年:2010/01/10(日) 03:34:29 ID:+yrZqHou
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw=基地外(チョン)
の証明
150 :名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 14:27:23 ID:vZponByH
NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
↓
152 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 17:26:45 ID:FwBosOts
>>150 >NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
日本の方なら別に間違いではない。
↓
177 :1:2010/01/04(月) 18:42:59 ID:A02VV6xW
こいつはどこまでも頭の固い奴だね
「コシで固定」して報道する(つまりは古事記至上主義)は間違いなのだ。
↓(それまでの主張で論理破綻して、今度は「固定」を抜いて、論理のすりかえを始めた)
199 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/05(火) 20:30:00 ID:cGLFMrY1
・・・・・・
「越」を「コシ」と読むのが間違いだという証拠になってねーな。
いい加減「越」を「コシ」以外に何と読んでたか証明してみせろよ。
↓
267 :名無しさん@3周年:2010/01/08(金) 12:05:13 ID:ykGNm6N5
呉音(江蘇省)、「エチ(越前、越後)」、「オチ」(越知)」、「オッ(パマ)」(越浜、島根)
(人名;尾知)
広東、「ウツ(宇津、山口)」「ユツ(油津、宮崎)」
漢音、「エツ((江津)」は北方漢族の発音
↓
283 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/09(土) 22:43:39 ID:9CyNVkKy
・・・・・
地名としての「越」が、「コシ」とは読まなかったという証明をしろ。
285 :
名無しさん@3周年:2010/01/10(日) 03:54:41 ID:+yrZqHou
↓まーだ、
>>266に対する返答になってない。
↓「『越(の漢字名)』より先に「コシ(の呼称)」が地名としてあった。」という具体的事例を
↓さっさと証明しろ。
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
263 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :
・・・・
「京都へ往来する際必ず越えねばならないという意味から」とする説の他、
「(角鹿の)坂を越した国」とする説、「久志(くし。国栖の別称)」から、
「クシ(アイヌ語で「海を越えて渡ってきた人=アイヌの旧称」の意)の転」
から、「朝鮮半島・大陸から船で物を運んで越してきた地」とする説、
果てはポリネシア語で「コチ」、KOTI(cut in two,divide,cut off)、
「(出雲国から)分かれた(国)」とする説までいろいろある。
286 :
名無しさん@3周年:2010/01/10(日) 04:44:04 ID:+yrZqHou
北九州、出雲、山陰地方が「呉」(エチ、オツは「越」の呉音)系統で九州の宮崎、熊本あたりは
「越」系(ユツは広東語)で瀬戸内も「越系」(ウツ)って感じてきたな。四国には何故か「呉」音
って感じるね。
どっちにしてもともと長江文明(揚子江文明)の百越(呉越)人だから「漢」人としての
発音である「エツ」の呼称は、古代ではまったくといっていいほど見られない。
よって、そこからも大和朝廷の初期は騎馬民族の「漢文化」でなく南方水稲文化の「呉越」文化
ということがわかる。
>>285 >↓「『越(の漢字名)』より先に「コシ(の呼称)」が地名としてあった。」という具体的事例を
>↓さっさと証明しろ。
ほらよ。
http://homepage1.nifty.com/saizou/news1.htm >【2001年】
>藤原京跡で最古の「調」の木簡
>「高志調」越国からか
>(2月22日)
>奈良県橿原市の藤原京跡で、7世紀中ごろに書かれた木簡が見つかった。「高志調」
>の3文字が書かれ、同県立橿原考古学研究所は「古代の物納税の『調』
>を示す最も古い木簡としている。高志は古代の北陸地方全体を範囲とした越国を示す可能性が高いと見られる。
>木簡は藤原京が造営される以前の7世紀中ごろのものと見られる。
>「高志」は、「越国」全体を指すかまたは「高志」地方を指すと考えられる。
>「先代旧事本紀」の中の「国造本紀」の中にヤマト政権の地方組織として若狭、
>高志、三国、角鹿の4つの国造(くにのみやつこ)が置かれたとされる。
>高志は新潟県の古志郡とする説もあるが、当時の新潟はまだヤマトから見ると辺境の地であり、
>国造本紀の記述の順番からいっても、福井県内と考えるのが自然。
>7世紀の藤原京関係の「調」に関する木簡は、若狭からのものは大量に見つかっているが、
>越前からはこれまでなかった。木簡が書かれたのは斉明天皇の時代と見られ、
>このとき東北日本海の蝦夷を討とうと阿倍比羅夫の遠征が行われ、
>越へ兵や食糧、船などの調達が求められた。それに関するものかもしれない。
288 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 08:03:19 ID:HKRETNrS
「頃」じゃだめだ。古事記編纂中時代のもので話にならない。
289 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 08:22:10 ID:HKRETNrS
1、誰が、いつ、どこで、どのように何を基準に「7世紀中ごろ」と判断したのだ?
2、そもそも藤原京っていうのは694年に遷都された京。
3、大宝律令は681年に編纂の詔勅が出されたが、それは永懲律令(651年)をもとに
編纂されてる。その木簡が「大宝律令や永懲律令より先に書かれた。」という合理的
根拠はまったくない。
おまえらの「科学部門ノーベル賞ゼロ文化」は朝鮮半島でしか通用しないんだよ、アホ。
↓
287 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
>7世紀中ごろのものと
290 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 09:19:34 ID:HKRETNrS
291 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 10:04:56 ID:HKRETNrS
>>288-289 http://www.bunkaken.net/index.files/topics/toku011.html >●「調」示す最古の木簡 藤原京跡 (奈良新聞 2月22日)
>奈良県橿原市和田町の藤原京跡で、7世紀中ごろの建物跡から、
>「高志調(こしのちょう)」の3文字を記した木簡が見つかった。
>調査していた県立橿原考古学研究所は22日、「古代の物納税『調』
>を示す最も古い木簡とみられる」と発表した。
>物納税の「調」は646年の「改新の詔(みことのり)」で整備されたが、
>本格的な施行は7世紀末の飛鳥浄御原令以降と考えられてきた。
>「調」の木簡として最古とすれば、大化改新(645年)後、
>早い時期から新しい税制が機能していたとみられる。
>県道の建設に伴い、約1300平方メートルを発掘調査。建物跡は7メートル
>(3間)四方の正方形で、方眼状に柱を立てる構造から、倉庫と推定できる。
>北端を削った溝に660〜670年ごろの土器が落ち込んでおり、それ以前の築造と分かった。
>木簡は長さ12.8センチ、幅2センチ。柱を据える穴の中で見つかった。
>「高志」は北陸地方の「超国(こしのくに)」を指すとみられ、
>「調」として運ばれた荷物に付けたらしい。
>645年の蘇我氏打倒後、孝徳天皇(在位645〜654年)は「改新の詔」
>を出して中央集権体制の確立に着手。「調」は税制の中核で、
>稲や絹を納めることを定めた。しかし、本格的な施行については、
>律令体制への足がかりが整う飛鳥浄御原令以降と考えられてきた。
(続く)
>>288-289 (続き)
>今回見つかった建物跡の周辺では、柵列の柱穴や時期の遅れる建物跡
>(東西11メートル、南北7メートル以上)も見つかっており、橿考研は、
>藤原京の造営以前から、開発が進んでいたとみている。
>和田萃・京都教育大教授(日本古代史)の話
>調の施行が斉明天皇の時代に北陸地方まで及んでいたことを示す重要な資料。
>古代の幹線道路に沿った地域で、重要な倉庫群があったのかもしれない。
>栄原永遠男・大阪市立大教授の話
>高志からの調に付けられた荷札だった可能性はあるが、律令的な
>「調」とみるのか、古い段階からある貢ぎ物を意味する「ツキ」であるかは判断できない。
>律令(りつりょう)制度がいつごろから成立したのか考えさせる史料だ。
>今回の調査地内ではまた、中世の井戸も見つかり、寺院に伴う基壇化粧石や
>「磚(せん)」と呼ばれるれんがが入っていた。塔跡などが出土した
>「和田廃寺」に隣接しており、関係が注目される。
>化粧石は半分だけ焼けており、建物が建ったまま焼けたことが分かる。
>磚は全体が焼けて表面が剥離(はくり)するなどしていた。
>『日本書紀』によると、敏達14(585)年、崇仏派の蘇我馬子が大野丘の北に塔を建て反対派の物部守屋が塔を焼いた。
>和田廃寺は位置関係などから、この塔跡と考えられてきた。しかし、
>奈良国立文化財研究所の調査で7世紀中ごろのかわらが出土。
>時代的なずれが明らかとなった。
>橿考研は「和田廃寺に伴う遺物と推定できるが、時代がはっきりせず、
>塔との関係はなんとも言えない」と話している。
295 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 15:16:30 ID:HKRETNrS
結局、わからないということだ。
>>289 >2、そもそも藤原京っていうのは694年に遷都された京。
藤原京が694年、ある日突然無人の荒野に出現したわけではない、
ということだろ。
>3、大宝律令は681年に編纂の詔勅が出されたが、それは永懲律令(651年)をもとに
>編纂されてる。
君の大好きな大宝律令の原文はとっくに散逸して現存しない。
散逸した大宝律令を継承して720年に養老律令が編纂されて散逸し、
797年に編纂された続日本紀、833年に編纂された令義解、
868年頃に編纂された令集解などに引用されている。続日本紀、令義解、
令集解などに残る逸文から復元された養老律令を元に復元された大宝律令は、
所詮孫引きでしかない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%9D%E5%BE%8B%E4%BB%A4 >大宝律令の原文は現存しておらず、一部が逸文として、令集解古記などの他文献に残存している。
>757年に施行された養老律令はおおむね大宝律令を継承しているとされており、
>養老律令を元にして大宝律令の復元が行われている。
>>289 http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/e_enkaku.html#SaiseiS >「大宝律令」の原文は完全に散逸しており詳細は不明です。ある程度の内容は
>「令集解〔りょうのしゅうげ〕」等に引用される「古記〔こき〕(天平10年
>(738年)頃に成立した大宝令全篇の私撰注釈書)」の逸文等から伺えるので、
>いろいろと復原も試みられているようですが、研究者間でそれぞれ相違があって、
>まだ決定版と言えるようなものは出ていません。
>「養老律令」は「大宝律令」に若干の内容修正・字句等の修正を施したに過ぎない、
>と言われています。「大宝律令」がきちんと復原されない限り、
>両者の比較についてはっきりした結論は出ませんが、いまのところ、
>「養老律令」における重要な変更点は全体(軽く1000条を超える)の1〜2%程度
>(約20ヶ所)に止まる、と了解していていいようです。
>「養老律」十巻は、原文のほとんどが散逸してしまっていますが、
>諸書に引用された逸文から復原が進んでいるようです。
>「養老令」十巻は、大部分が「令義解(養老令の公定注釈書)」や「令集解
>(養老令の私的注釈書の私的集成書)」の本文や注として残されており、
>「令義解」「令集解」から散逸している倉庫令・医疾令も、
>諸書に引用された逸文からほとんど復原されています。
http://www.digistats.net/doc/taihoh.htm >「残念なことに、この『大宝律令』の原文はおろか写本まで散逸してしまっていて、
>その全体像は逸文などから推定するしかないわ。だけど、『養老律令』の注釈書の
>「令集解」や「続日本紀」などからも条文の一部を知ることができるのは救いといえるわね。」
298 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 15:33:46 ID:HKRETNrS
かの木簡が、藤原京が遷都された後、8世紀になってから以前につくった土器に入れられていたという
蓋然性もある。
とにかく、その木簡が「『越』の漢字名の国名より「コシ」の呼称が先にあった。」という証拠には
到底ならない。
「越」の呼称は「オツ」「ウツ」もあって、小津神社・西暦5世紀や宇都宮神社、西暦4世紀で、藤原京では
較べものにならない。
「コシ」が地域名の語源なら「コシ」の呼称の4世紀以前の神社があってもいいはずだが、出てこない。
つまりは7世紀以降にしか出てこない「コシ」の呼称より、既に4世紀にあちこちに出てきてる「オツ」
とか「ウツ」と呼称された「越」の地域名のほうが古いことは歴然としている。
299 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 15:44:40 ID:HKRETNrS
科学的合理性がなく、とうてい断定できないことを牽強付会で「あてられた」
と断定するのは「非科学朝鮮文化」の特徴。そういった間違いを指摘されても、
執拗に己の非を認めないのが朝鮮半島人。朝鮮半島人とはまともな議論にはならない。
その木簡で、いくらムキになっても↓の証明にはならない。
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
300 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 15:57:13 ID:BFRtuUdP
これって、とっくに否定されてる学説なんだよね
301 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 16:05:49 ID:HKRETNrS
302 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 16:53:04 ID:HKRETNrS
依智=「越」の呉音
http://www.asagaotv.ne.jp/~mj-ktmr/pom25425etihata.htm 「西暦6世紀-7世紀初めにかけての古墳」
「依智秦氏」とは、呉(江蘇省)が滅んで越に征服されその後すぐ越も
滅んだ後の「越出身の秦氏」という意味。
秦氏は旧呉(南京ー上海)出身も多っかたから「越」を「エチ」と呉音で呼称した
春秋時代の「呉」と「越」の国境というのは上海の「松江区」と杭州市の中間
くらいだった。
古代の「呉越」は今の上海の「松江区」の南部あたりでは入り混じっていた。呉が
滅んだあとは越(呉音でエチ)は「中原」一帯に君臨したが、最終的に秦よって
滅ぼされた。
その過程で、日本に政治的亡命してた百越(呉越)人は多かったと思える。
漢人ではなく稲作文化・長江文明の百越人・弥生人だから「エチ」と呉音で呼称した。
>>289 >その木簡が「大宝律令や永懲律令より先に書かれた。」という合理的
>根拠はまったくない。
なぜそこで日本の地名の典拠を唐の永キ律令に求める?
中国の律令に記されていない地名は地球上に存在しなかった地名か?
そりゃおまいら大和国家主義者が中国起源ありきの末期症状的中華思想なだけだろ。
考古学的資料価値としては当時の生の記録の高志調木簡(一次史料)
>続日本紀=令義解=令集解(二次史料)>養老律令≧大宝律令(孫引き)。
おまいら大和国家主義者は中国起源説の捏造がバレるのが嫌だから、
木簡のような一次史料を出せない。なお、大宝律令の逸文に残る
「越」が「コシ」と読まれていた場合、高志調木簡と矛盾しない。
>おまえらの「科学部門ノーベル賞ゼロ文化」は朝鮮半島でしか通用しないんだよ、アホ。
京都教育大、大阪市立大、奈良県立橿原考古学研究所、
奈良国立文化財研究所などの調査・研究方法を
「科学部門ノーベル賞ゼロ文化」と言うのか知らんけど、
現に朝鮮半島に限らず日本列島でも通用しているし、
そもそも炭素14年代法はアメリカのノーベル化学賞受賞者ウィラード・
リビーが考えたんだ、アホ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%BC >ウィラード・リビー(Willard Frank Libby、1908年12月17日 - 1980年9月8日)
>はアメリカ合衆国コロラド州グランドバレー出身の化学者。
>炭素14を用いた放射性炭素年代測定法を開発した功績で知られ、
>1960年のノーベル化学賞受賞者となった。
304 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 17:15:37 ID:HKRETNrS
エチ、オチ、オツは「越」の呉風発音
ウツ、ユツは、「越」の広東風発音
そのような発音の神社、古い地名があれば「呉、越」と関連ある蓋然性が
高いと見ていい。
蓋然性の次元だけで言っても、どっちが先かとなれば藤原京の時代ー古事記
(8世紀)でやっと登場する「コシ」と、年代がほぼわかってる4世紀以前の
古墳呼称名や神社名の実存では勝負にならない。
漢字が違っても「越」の呉風や広東風で呼称してる古墳や神社などが、
いくつもあれば、もはや、それは「蓋然性(偶然の一致)」とはいえない。
>>298 >かの木簡が、藤原京が遷都された後、8世紀になってから以前につくった土器に入れられていたという
>蓋然性もある。
それでも九世紀の大宝律令の孫引きよりはまだ古い罠。
>とにかく、その木簡が「『越』の漢字名の国名より「コシ」の呼称が先にあった。」という証拠には
>到底ならない。
「越」の漢字名の国名を「コシ」と読まなかった証拠自体が無い。
よって「越」を「コシ」と読むことは間違っていない。
>「越」の呼称は「オツ」「ウツ」もあって、小津神社・西暦5世紀や宇都宮神社、西暦4世紀で、藤原京では
>較べものにならない。
>「コシ」が地域名の語源なら「コシ」の呼称の4世紀以前の神社があってもいいはずだが、出てこない。
>つまりは7世紀以降にしか出てこない「コシ」の呼称より、既に4世紀にあちこちに出てきてる「オツ」
>とか「ウツ」と呼称された「越」の地域名のほうが古いことは歴然としている。
小津神社や宇都宮神社と地理的越との関係を明らかにしない限り、
「越」を「コシ」と読まなかった証拠とはならない。
>>299 >科学的合理性がなく、とうてい断定できないことを牽強付会で「あてられた」
>と断定するのは「非科学朝鮮文化」の特徴。そういった間違いを指摘されても、
>執拗に己の非を認めないのが朝鮮半島人。朝鮮半島人とはまともな議論にはならない。
科学的合理性がなく、とうてい断定できないことを牽強付会で「中華起源アル」
と断定するのは「非科学中華思想」の特徴。そういった間違いを指摘されても、
執拗に己の非を認めないのが大和国家主義者。
大和国家主義者とはまともな議論にはならない。
>その木簡で、いくらムキになっても↓の証明にはならない。
大宝律令の孫引きや関係ない神社でいくらムキになっても、
「越」を「コシ」と読まなかった証明にはならない。
307 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 17:20:41 ID:HKRETNrS
「越」の漢字を明白に出して日本書紀の関連古文書からだよ。
証明しろって言われてること、まったくせずに、また何かで難癖つけて、
論理の転化したいわけか?
グダグダ屁理屈でくだ巻いてないで、さっさと証明しろ。
何も証明になってない。
↓
303 名前:Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/11(月) 16:53:43 ID:OrufgtVR
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
308 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 17:22:28 ID:HKRETNrS
朝鮮野郎はさっだと日本から出て行け。屁理屈と牽強付会ばっかでウザイ。
タコ野郎
↓
303 名前:Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/11(月) 16:53:43 ID:OrufgtVR
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
>>307 いくら悔しいからってそうすぐ発狂しなさんなって。
310 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 17:27:13 ID:HKRETNrS
誰が、どこで、何時、「越をコシとは読まなかった」と言ったんだ?
>>284のレスが流れたら、また論理のすり替えを始めた。うざす杉
↓
305 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/11(月) 17:17:13 ID:OrufgtVR
>大宝律令の孫引きや関係ない神社でいくらムキになっても、
>「越」を「コシ」と読まなかった証明にはならない。
307
>>310 >誰が、どこで、何時、「越をコシとは読まなかった」と言ったんだ?
じゃ、「越」を「コシ」と読んだNHKは間違っていなかったということで結論が出たな。
312 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 17:37:30 ID:HKRETNrS
大宝律令は日本書紀(西暦720年)で「越州」が定義された後に、その前提で
「越州を分割」するように発令れたものだ。大宝律令が、途中で消失とかしたからって
日本書紀(国生みでの「越州」)が否定されないかぎり(大宝律令で「越州は存在しない」
とされないかぎり)「越前、越後」等の分割定義以前の「越州」は、つまり681年以前に
あったということになる。そんなこともわからないか?
朝鮮アホ
↓
305 名前:Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/11(月) 17:17:13 ID:OrufgtVR
>>298 >かの木簡が、藤原京が遷都された後、8世紀になってから以前につくった土器に入れられていたという
>蓋然性もある。
それでも九世紀の大宝律令の孫引きよりはまだ古い罠。
313 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 17:47:59 ID:HKRETNrS
また、「『コシ』に固定して報道してたが間違いだよ。」と言ったことに反論してきたくせに
「固定して」を抜いて、執拗に論理のすりかえする。呆れた奴だな。
論理的思考がまったくできないってことだな。
おまえも同じようだが、「『コシ』で固定して」考えて報道したNHK(番組制作担当者)は間違いだ。
↓
311 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/11(月) 17:29:54 ID:OrufgtVR
>じゃ、「越」を「コシ」と読んだNHKは間違っていなかったということで結論が出たな。
150 :名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 14:27:23 ID:vZponByH
NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
↓
152 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 17:26:45 ID:FwBosOts
>>150 >NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
日本の方なら別に間違いではない。
↓
177 :1:2010/01/04(月) 18:42:59 ID:A02VV6xW
こいつはどこまでも頭の固い奴だね
「コシで固定」して報道する(つまりは古事記至上主義)は間違いなのだ。
↓(それまでの主張で論理破綻して、今度は「固定」を抜いて、論理のすりかえを始めた)
199 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/05(火) 20:30:00 ID:cGLFMrY1
・・・・・・
「越」を「コシ」と読むのが間違いだという証拠になってねーな。
いい加減「越」を「コシ」以外に何と読んでたか証明してみせろよ。
314 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 17:53:06 ID:HKRETNrS
証明できないんだから、謝罪できない奴は出て行け。
論理のすり換えと、屁理屈の牽強付会ばっかの荒らしでウザイ。
タコ野郎
↓
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
315 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 18:58:09 ID:HKRETNrS
316 :
名無しさん@3周年:2010/01/11(月) 19:03:39 ID:HKRETNrS
>京都教育大、大阪市立大、奈良県立橿原考古学研究所、
>奈良国立文化財研究所などの調査・研究方法を
だから、どうしたっていうの?
だから「コシ」は地名呼称が「越」より早かったって、どうして言えるんだ?
同研究所が、いつどこで「『コシ』の地名呼称は『越』より早かった。」って学術発表したって
いえるんだよ?
ウザイ、妄想やろう
↓
>「科学部門ノーベル賞ゼロ文化」と言うのか知らんけど、
>>316 >だから、どうしたっていうの?
>だから「コシ」は地名呼称が「越」より早かったって、どうして言えるんだ?
>同研究所が、いつどこで「『コシ』の地名呼称は『越』より早かった。」って学術発表したって
>いえるんだよ?
だから、どうしたっていうの?
だから「越」の地名呼称が「コシ」ではなかったって、どうして言えるんだ?
どこの研究所が、いつ「『越』の地名呼称は『コシ』ではなかった。」
って学術発表したっていえるんだよ?
>ウザイ、妄想やろう
悔し紛れにいくら俺の悪口を言ってみせたところで、
俺を論破できないぞ。
>>315 >↓これがどうして朝鮮半島人なんだ?
誰が朝鮮半島人だと言っているんだ?
>>314 >証明できないんだから、謝罪できない奴は出て行け。
>論理のすり換えと、屁理屈の牽強付会ばっかの荒らしでウザイ。
>タコ野郎
君が議論で勝てないからって、
俺は謝罪してやらないし出てってやらねーぞ。
このスレの存在が君にとっての苦しみでありつづける。
なーに、嫌なら見なきゃいいだけの話だ。
>>312 >大宝律令が、途中で消失とかしたからって
>日本書紀(国生みでの「越州」)が否定されないかぎり(大宝律令で「越州は存在しない」
>とされないかぎり)「越前、越後」等の分割定義以前の「越州」は、つまり681年以前に
>あったということになる。
現存する最古の日本書紀原文は奈良末期〜平安初期の写本・田中本で、
720年当時に作られたとされる原本はやはり残っていない。
というか君はそもそも歴史学の基本中の基本からして全く分かっていない。
「一次史料」の意味がさっぱり分かってないだろ。(w
また、「越州」を訓読みで「こしのしま」とも読める以上、
「越州」の表記例をいくら挙げたところで
「コシ」という読み方を否定する根拠とはならない。
日本語の不自由な君に何度でも教えてやるが、
日本語とはまず無文字の和語が先にあって、
後から漢字が入ってきてそこに当てられた。
321 :
名無しさん@3周年:2010/01/12(火) 02:00:39 ID:tFeJQdc9
日本書紀にせよ、古事記にせよ、ひらがなながなかった時代にどうしてふりがながあったんだ?
笑わせるな、屁理屈馬鹿野郎。
↓
>>320
322 :
名無しさん@3周年:2010/01/12(火) 02:11:16 ID:tFeJQdc9
↓ぐだぐだ屁理屈言ってないで「越」の漢字地名より「コシ」の地名が先だったという証明しろ。
↓>>317-
>>320、だからって↓
>>156を証明したことにはならない。
↓>>317-
>>320が最古の本ならおまえが証明してることは「コシ」の呼称は1371年以降っていうだけの話だ。
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
323 :
名無しさん@3周年:2010/01/12(火) 02:32:48 ID:tFeJQdc9
しつこく論理のすりかえやる奴だね
「固定するのはよくない」って言ってるんであって「コシとは読めない」
と言ってるんじゃないことは、既に二度(
>>284,
>>313)、言ってる。これで三度目だ。
おまえは日本文というか、日本語の筋道というはまったくわかってない。
悔し紛れに論理すりかえるな。馬鹿チョン
150 :名無しさん@3周年:2010/01/03(日) 14:27:23 ID:vZponByH
NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
↓
152 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 17:26:45 ID:FwBosOts
>日本の方なら別に間違いではない。
以下(
>>284,
>>313、参照)
同じ論理のすりかえ
↓
>>317 >から「越」の地名呼称が「コシ」ではなかったって、どうして言えるんだ?
311 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/11(月) 17:29:54 ID:OrufgtVR
>じゃ、「越」を「コシ」と読んだNHKは間違っていなかったということで結論が出たな。
悔し紛れに、いくら論理をすりかえても誰をも「論破」なんかできないぞ
↓
>悔し紛れにいくら俺の悪口を言ってみせたところで、
>俺を論破できないぞ。
論点のすりかえでしかない。
おまえは論理破綻すると、常套手段で、誰も言ってないことを言ったかのようにまた屁理屈始めただけ。
↓
>この研究所が、いつ「『越』の地名呼称は『コシ』ではなかった。」
>て学術発表したっていえるんだよ?
324 :
名無しさん@3周年:2010/01/12(火) 02:37:31 ID:tFeJQdc9
記紀(原本)が編纂されたとき、最初から「ふりがな」されていた、と主張するうわけね?(爆笑
↓
>>320
325 :
名無しさん@3周年:2010/01/12(火) 02:44:24 ID:tFeJQdc9
↓バカチョンの論理のすりかえの遍歴
152 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 17:26:45 ID:FwBosOts
>>150 >NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
日本の方なら別に間違いではない。
↓
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
↓
199 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/05(火) 20:30:00 ID:cGLFMrY1
・・・・・・
「越」を「コシ」と読むのが間違いだという証拠になってねーな。
いい加減「越」を「コシ」以外に何と読んでたか証明してみせろよ。
↓
283 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/09(土) 22:43:39 ID:9CyNVkKy
・・・・・
地名としての「越」が、「コシ」とは読まなかったという証明をしろ。
↓
>>317 >だから「越」の地名呼称が「コシ」ではなかったって、どうして言えるんだ?
>どこの研究所が、いつ「『越』の地名呼称は『コシ』ではなかった。」
>って学術発表したっていえるんだよ?
326 :
名無しさん@3周年:2010/01/12(火) 03:20:35 ID:tFeJQdc9
こいつの論理のすりかえは、
>>156からはじまった。
(
>>267,
>>290,
>>291,
>>298,
>>301,
>>302,
>>304で反論されて、論理破綻した。)
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
(以降、次次と主張、論理をすりかえていく)
199 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/05(火) 20:30:00 ID:cGLFMrY1
・・・・・・
「越」を「コシ」と読むのが間違いだという証拠になってねーな。
いい加減「越」を「コシ」以外に何と読んでたか証明してみせろよ。
(そして
>>267等で反論されて完全に破綻した、それで以降、↓論理のすりかえ)
>地名としての「越」が、「コシ」とは読まなかった・・・・(
>>283 (誰も、↑こんなことは言ってないが「悔し紛れ」に論理のすりかえを延々とやりだす。)
(つまり地名として「越」が先にあったという前提で、
>>156とは逆にとれるような主張をし始めた。)
↓
>地名としての「越」が、「コシ」とは読まなかったという証明をしろ。(
>>283 >「越」を「コシ」と読まなかった証拠とはならない。(
>>305 >だから「越」の地名呼称が「コシ」ではなかったって、どうして言えるんだ?(
>>317
327 :
名無しさん@3周年:2010/01/12(火) 05:29:22 ID:tFeJQdc9
おそらく、民主党工作員でNHKに潜入した韓国人だと思えるが、とにかく
Decide One's Fateの論理すりかえ荒らし、NHK擁護工作にはもうつき会わない。
NHKは昨年のJAPANデビュー以来(以前もおかしかったが)、歴史関係の番組編成部局は
顕著に韓国人に中枢を占領されてる、としか思えない。
とにかく、日本人と台湾人を貶めるようなことばっか言ってる。
328 :
名無しさん@3周年:2010/01/12(火) 05:32:51 ID:tFeJQdc9
NHKの悪辣な情報想さん、歴史捏造行為
1、「コシ」問題ばかりでなく、縄文人と弥生人(稲作文明)、その混血である
日本人の長江文明との関係にはまったく触れず、朝鮮半島以北との関係だけを必死に
報道してる。国民の視点を華南地方には振り向けさせないように「愚民化報道」してる。
2、台湾人を「漢族」と紹介したりする。
3、3日にも、まったくの正体不明の韓国の弥勒菩薩半跏思惟像を、日本の国宝彫刻の部
第一号である「宝冠弥勒」(広隆寺の木造弥勒菩薩半跏像)の原型として「日本の仏像は
新羅から贈られたもの。」という主張の「特種な主張の学者」だけの見解だけを紹介して
いた。
◎楠は朝鮮半島に自生しないから楠が部材として使われている広隆寺の宝冠弥勒が朝鮮半島製
ということはまずありえない。
◎韓国の金銅製弥勒菩薩半跏思惟像は、明治時代に日韓併合時に「新しく出土した」という
古物商が朝鮮総督府に持ち込んだもので、出土地域、製造年代、作者全て不明
のしろものである。当時の朝鮮総督府は、朝鮮文化を無碍にはできないということで
仕方なく買い取ったものらしい。極めて怪しいしろもので、日本の宝冠弥勒を模倣して
つくられた可能性が極めて高い。だから、日本の宝冠弥勒は新羅製っていうのは
朝鮮半島人特有の「因果逆転」の手法。
4、国王の冠
翡翠は朝鮮半島では産出しない。翡翠を散りばめた王冠を「朝鮮半島の文化」として
いたが明白な嘘である。「翡翠(玉)」を、最高の貴重品(金以上の貴重品)とする
のは中国文化であって、翡翠のとれない朝鮮文化ではない。朝鮮が中国文化を真似た
だけである。
5、エミレー梵鐘なる「東洋最大の梵鐘」の紹介で「大韓民国の銘がある」と紹介して
おきながら、いかにも昔につくられた梵鐘であるかのように紹介する。
観世音寺の音と較べていたが、韓国製の出来の悪い「事大主義」粗製の梵鐘を較べている。
梵鐘というのは澄んだ音は良い音とされているんだよ。技術が高くないと澄んだ音は
出せない。まして「大韓民国」時代に新羅は消えてなくなってるんだよ。(爆笑
NHK、まるでカルト教だな。
329 :
名無しさん@3周年:2010/01/12(火) 05:35:45 ID:tFeJQdc9
NHKの悪辣な歴史捏造行為、情報操作
6、NHK「坂の上の雲」で捏造と歴史偽造・12月27日放送で原作にない閔妃暗殺事件を取り上げ、
犯人を「三浦梧楼率いる日本人たち」と述べた。
あたかも司馬遼太郎が「三浦梧楼が率いる日本人たちが暗殺した。」ということを、
言っていたかのような、司馬遼太郎の歴史作品への日本国民の信頼度が高いことを
悪用して、韓国政府の主張で日本国民を洗脳するやりかたで明白な情報操作だ。
>>327 >おそらく、民主党工作員でNHKに潜入した韓国人だと思えるが、
じゃ、君は中国共産党工作員で2chに潜入した中国人かい。(w
>Decide One's Fateの論理すりかえ荒らし、NHK擁護工作にはもうつき会わない。
俺に議論で勝てないから遁走するんだろ。これで「越」を
「コシ」と読んだNHKは間違っていなかった、ということで結論が出たな。
悪いがこのスレがdat落ちするまで俺はここに居座り、
占領統治を続けさせていただく。
>NHKは昨年のJAPANデビュー以来(以前もおかしかったが)、歴史関係の番組編成部局は
>顕著に韓国人に中枢を占領されてる、としか思えない。
おまいら大和国家主義者は脳の中枢を中華思想に占領されてる、
としか思えない。
>とにかく、日本人と台湾人を貶めるようなことばっか言ってる。
おまいら大和国家主義者は日本人と朝鮮半島人を貶めるようなことばっか言ってる。
331 :
名無しさん@3周年:2010/01/14(木) 21:27:05 ID:Byy3pAaJ
332 :
名無しさん@3周年:2010/01/17(日) 09:51:08 ID:XAGCeU09
春秋時代・呉越戦争の後、呉は何故、滅亡したか?
「会稽の戦い」で勝ったボンボン育ち「友愛」精神の呉王・夫差は越の越王・匂銭が
平伏したと思い込んだ。
そうして夫差は「友愛」のもとに越の謀臣を信用した。ついには越の謀臣・范蠡の策略
にかかって呉の忠臣である伍子胥を処刑することになる。
その後、呉政権の中枢は越の謀臣だらけになっていって滅亡への道をましぐらに進む。
呉越戦争を日本韓国や日本中国の経済戦争に例え、范蠡を朝鮮半島の狗・社民、民主、
小沢一郎、鳩山由紀夫に例え、夫差を「友愛精神」に騙された日本国民多数・現内閣支持者に
例えると、帰化人だらけになってる日本の国会議員、次に外国人地方参政権法案にノホホンと
してる日本の道はまさにその道だ。
333 :
名無しさん@3周年:2010/01/17(日) 09:54:43 ID:XAGCeU09
↓外国人参政権を「韓国は日本の文化のルーツ」として
↓正当化する韓国KCIAの狗。小沢一郎の韓国「くの一」女秘書の一派。
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
334 :
名無しさん@3周年:2010/01/17(日) 09:56:33 ID:co/z9UD4
↓とうとう証明できず、論点はぐらかしの難癖だけつけてる。
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
>>333 >小沢一郎の韓国「くの一」女秘書の一派。
なぜか俺の女性説って時々出るんだよな。
336 :
名無しさん@3周年:2010/01/18(月) 16:51:07 ID:FNkfnYEp
弥生時代末期の4世紀、「中原」での覇権争いで騎馬民族文化との同化を果たした「秦氏」が
かなりの数で日本に渡来して、後、大和朝廷に徐々に影響していったことは各種記録から
明白だ。そういった意味で「騎馬民族」文化ととも呼べる人種(実際は長江の水稲農耕文明と、
黄河騎馬民族文明の、文化ハイブリッ族)が多数渡来したことは事実だ。
しかしながら「渡来した秦氏が多数、帰化した。」といったような記録があるように、それは
きわめて平和的であって、いくら、なんでも、いきなり征服っていうのは言い過ぎ。
「秦氏」といっても「依智(エチ)秦氏」だから「長江(江蘇省一帯)」文明人たちの同族で、
百越人の先祖の末裔らが、先に渡来してたことを知って「秦氏」は、横暴な振る舞いはしなかった
だろう、と思える。
337 :
自民と検察の刺客 産経=夕刊フジ、日テレ:2010/01/18(月) 16:52:30 ID:3X3370cx
自民清和会VS経世会。清和会と検察。
2008年自民党政権末期に任命されたのが樋渡検事総長と佐久間特捜部長。
2010年8月に定年を迎える樋渡検事総長
定年までに小沢を逮捕すれば自民党政権に戻せ、天下り先を用意すると確約があるのだろうか。
産経新聞=夕刊フジ、読売新聞、日テレは検察がリークしている情報を鵜呑みして書いているだけ。
検察は捜査中の情報を検察が有利な情報だけをリークしている。
例えば、「4億円の借入れの記載がなかった」と新聞やテレビで報道したが、
サンプロ出演中に郷原氏より官報に載っていたという事実。
その2、4億円がゼネコンからのお金が世田谷の土地購入代金に充てられていると報道があったが
98年に3億円、小沢の預金から引き出されている。つまり3億は確実に小沢の資産だと確定したということだ。それを検察は小沢から銀行名や支店名を聞いておきながら
ゼネコンからのお金だと決めつけてマシコミにリークしマスコミも確認もせず偏って報道し続けた。
小沢を政治的に抹殺することこそ官僚の利権が復活、維持、自民党政権の奪回に繋がると思っているようだが、
実際、小沢の秘書を逮捕したのに、自民党の支持率が下がっているという予期せぬ事態になるオチ。
民主党の支持率は55〜50%→平均45%とそこまで下がっていない。自民党と検察が民主党幹部を狙い捜査していることは薄々はわかっている
自民党と検察は輿石も狙い捜査する悪質ぶり、石川議員を国会開期を直前に逮捕する必要があったのか疑問だ。
予算成立妨害、選挙妨害をしているとしか思えない。
水谷建設と言えば、自民党の石原の方が疑惑あるだろ。数千万円
DOF女性説の発端。
ちゃぺる(J・ω・し) 5
http://mimizun.com/log/2ch/intro/life7.2ch.net/intro/kako/1152/11528/1152873056.html >791 :特厨非FAN ◆AntiT24WoA :2006/09/25(月) 01:44:39 ID:???
>
>>787 >>なんとなくだけど、Fateたまはバカレッドたんに雰囲気とか似てるかも?
>僕も、Fate女史には、
>バカレッドと親衛隊たんを、足して2で割ったような雰囲気を感じる。
>女史は、もとこ@愛について、どう思ってるのだろうか?(#⌒〇⌒#)
>>ほんとはもっとfateたんやバカレッドたんのコト知りたいんだけどナ
>僕の個人的な失敗としては、バカレッドと長期の友好関係を築くことに失敗したこと。
>彼は、本来、僕にとって、リアルも含めた親友になりえただけに、自治問題であまりにも長く争いすぎで彼の心を失ったのは、
>大失態だったと思う。
>>運営側に強制的に退会とかさせられたら、
>僕はちゃぺるたんを、弱小SNSに誘いたいと思っている。
>そこならmixi程その可能性はないでしょう。
>>そういったことは2chでもあり得るけど、InternetArchive やにくちゃんねるなどのおかげで
>>後からログを漁るのは容易だから。。
>僕の場合、ログが残ることが2chでの言動を抑制する最大の阻害要因になっている。
>特に社会的な論争に関わることと、個人の身の回りに関することは、後々ゼッタイに問題にならないように
>セーブしなければならない。
339 :
名無しさん@3周年:2010/01/19(火) 02:27:57 ID:ob+jsCaj
この、小沢が支持した「騎馬民族征服説」のスレで「韓国『くの一』女秘書の一派」っていうの
はKCIAのスパイのパシリの売国工作員っていうことであって、「女」ってういうことじゃないよ。
↓どこまでも頭が固い奴だね。「一派」という日本語を自分の思い込みでしか解釈で着ない奴。
335 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :sage :2010/01/17(日) 18:39:46 ID:kU69/KLM
>小沢一郎の韓国「くの一」女秘書の一派。
なぜか俺の女性説って時々出るんだよな。
340 :
名無しさん@3周年:2010/01/19(火) 02:33:44 ID:ob+jsCaj
341 :
名無しさん@3周年:2010/01/19(火) 02:42:26 ID:ob+jsCaj
↓論点をすりかえるな。
↓「コシ」とい地名の呼称が「越」より先にあった、っていう証明しろ。
152 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 17:26:45 (p)ID:FwBosOts(2)
>NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
日本の方なら別に間違いではない。
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)ID:FwBosOts(2)
>>153 一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
342 :
名無しさん@3周年:2010/01/19(火) 03:53:47 ID:ob+jsCaj
343 :
342:2010/01/19(火) 03:56:01 ID:ob+jsCaj
訂正:九州か参陰地方→九州か山陰地方
>>339 >この、小沢が支持した「騎馬民族征服説」のスレで「韓国『くの一』女秘書の一派」っていうの
>はKCIAのスパイのパシリの売国工作員っていうことであって、「女」ってういうことじゃないよ。
ほんとはスケベ心で勝手に俺を女と思い込んで、
性器しごきながらレスつけてたんだろ。(w)残念だったな!
>↓どこまでも頭が固い奴だね。
俺は誰にも媚びないし、妥協を許さない。
これからも俺は俺の信念を貫きつづけるのみ。
それに引き換え
>>10でいきなり
『・大和国家成立が「4世紀」は明白に間違いであることが
「金印(1世紀)」によって証明されている。』と飛ばしておきながら、俺に
>>27で
「大和朝廷の成立は考古学的に纏向遺跡や箸墓古墳の登場から三世紀半ばと見られている。」
と指摘され、結局
>>269で俺に妥協して「3世紀後期において既に大和朝廷があった、
という証明が確定。」と訂正し、議論では既に敗北してるにもかかわらず、
まだ変な意地だけは張りつづけているおまいら大和国家主義者は、
何の信念もないただの変節漢(ついでに変質者w)だ罠。
もうちょっと素直ならまだ”柔軟”と呼べるんだがなぁ。
>「一派」という日本語を自分の思い込みでしか解釈で着ない奴。
「一派」という日本語は着る物ではないぞ。己の日本語の不勉強を、
自分達の組織内でしか通用しない隠語という事にして逃げないように。
345 :
名無しさん@3周年:2010/01/24(日) 09:34:53 ID:dl3GOcIx
ぐだぐだ屁理屈。因縁つけしてないで、さっさと証明しろ。
インチキ、はったり野郎
↓
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)(p)ID:FwBosOts(2)(2)
>>153 一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
346 :
名無しさん@3周年:2010/01/24(日) 09:40:07 ID:dl3GOcIx
日本書記(国生み)で出てくる「越州」の「越」の地名より先に、
「こし」の地名があったという証明は、まったくできない。
↓
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
347 :
名無しさん@3周年:2010/01/24(日) 09:59:58 ID:dl3GOcIx
尚、「依智秦氏」の亡命、非難は後漢以前(紀元前4世紀ー西暦世紀)だから、本来は、
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtawは「こし」の地名呼称は紀元前3世紀以前にあったことを
証明しなきゃならない。
つまり、日本の「依智秦氏」は、紀元前3世紀での有名な「楚」の「項羽」や「劉邦」(後、
前漢を建国した漢の初代皇帝・武帝)の滅秦運動によっ日本に亡命や避難してきた人たちと
考えられている。
だから、どんなに遅くとも西暦4世紀頃の「古墳」がある地方での地方名や氏族名で、
「エチ(依智秦氏、愛智秦氏)」と呼称される「越」(エチ)の呉風発音があったことが
明白である以上、「こし」の呼称は3世紀以前にあったことを、↓こいつは証明しなきゃならない。
↓
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw
348 :
名無しさん@3周年:2010/01/24(日) 10:01:55 ID:dl3GOcIx
訂正:非難→避難
349 :
名無しさん@3周年:2010/01/24(日) 10:17:06 ID:dl3GOcIx
「本来は、Decide One's Fate ◆D/w5oCAtawは「こし」の地名呼称は紀元前3世紀以前にあったことを
証明しなきゃならない。」
での、「本来」とは、
↓の「こしが越より前に(元から)あった。」という断定である以上、「・・の可能性」ではなく、
「越(エチ)」が先あった可能性(西暦4世紀)より、明白、確実に、先にあったことを証明する証拠に
もとづかなければならない。
↓
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)(p)(p)ID:FwBosOts(2)(2)(2)
>>153 一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
350 :
名無しさん@3周年:2010/01/24(日) 10:39:00 ID:dl3GOcIx
訂正
漢の初代皇帝・武帝
↓
漢の初代皇帝・高皇帝
351 :
名無しさん@3周年:2010/01/31(日) 10:55:59 ID:s0rD7mfp
「新嘗祭」を年間の恒例行事、最重要の神事ごとにする文化は稲作・長江文化であって、
北方の「騎馬民族」の文化じゃない。
アイヌスレを探し出しては片っ端から長文連投で荒らして、
容量オーヴァーで埋め立てて廻る回帰。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1210821433/591n >591 名前:回帰ZERO-ネイションズアイデンティティ- ◆XB7AjTRRiE 投稿日:2010/01/30(土) 23:41:30 ID:kJD8Sy5d
>
>>590 >もうこういうやり取りしか結局行われないのなら、このスレは落としたほうがいいだろうな。
>日本人がちゃんと反省するべきところは反省し、アイヌを認めて正しい先住民族として
>なって行ってもらうためにもこういうスレはもはや邪魔すぎる。
>鳩山が他人事のようにアイヌを美化してるのは、危険な扇動行為である。
>アイヌの若者はちゃんと目を覚まして大人たちに対抗するべき。
>アイヌの共生観こそがこれからの世界モデルだなどという馬鹿なこと言ってる和人は
>落選させなければ世界が終わる。
>>349 >「本来は、Decide One's Fate ◆D/w5oCAtawは「こし」の地名呼称は紀元前3世紀以前にあったことを
>証明しなきゃならない。」
紀元前3世紀を基準にする理由が不明。紀元前3世紀当時に「東京」
という地名があったという証拠がなければ、東京は存在しない地名なのか?
>↓の「こしが越より前に(元から)あった。」という断定である以上、「・・の可能性」ではなく、
>「越(エチ)」が先あった可能性(西暦4世紀)より、明白、確実に、先にあったことを証明する証拠に
>もとづかなければならない。
紀元後4世紀の日本海沿岸に「越(エチ)」という地名があった可能性自体が不明。
よって紀元後4世紀を基準にする必要はない。
>>347 >尚、「依智秦氏」の亡命、非難は後漢以前(紀元前4世紀ー西暦世紀)だから、本来は、
>Decide One's Fate ◆D/w5oCAtawは「こし」の地名呼称は紀元前3世紀以前にあったことを
>証明しなきゃならない。
「依智秦氏」と日本の越との関係が不明。よって「依智秦氏」
とやらが亡命してきたのが紀元前4世紀だろうが3世紀だろうが、
「越」を「こし」と読むこととは何ら関係がない。
>だから、どんなに遅くとも西暦4世紀頃の「古墳」がある地方での地方名や氏族名で、
>「エチ(依智秦氏、愛智秦氏)」と呼称される「越」(エチ)の呉風発音があったことが
>明白である以上、「こし」の呼称は3世紀以前にあったことを、↓こいつは証明しなきゃならない。
君が紀元後4世紀頃の「古墳」がある地方での地方名や氏族名及び、
「エチ(依智秦氏、愛智秦氏)」と呼称される「越」(エチ)の呉風発音と、
地理的越との関係を一切証明しない以上、俺が「コシ」
の呼称が紀元後3世紀以前にあったことを証明しなきゃならない義理もない。
>>346 >日本書記(国生み)で出てくる「越州」の「越」の地名より先に、
>「こし」の地名があったという証明は、まったくできない。
日本書記(国生み)で出てくる「越州」の「越」の地名が、
「こし」ではなかったという証明を、君はまったくできない。
>>345 >ぐだぐだ屁理屈。因縁つけしてないで、さっさと証明しろ。
>インチキ、はったり野郎
自分では何も証明できないくせに、
悔し紛れにいくら俺の悪口を書き込んだところで見苦しいだけだぞ。
アイヌストーカーの回帰こそが当のアイヌにとってウザいことこの上ないだろう。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1210821433/595n >595 名前:回帰ZERO-ネイションズアイデンティティ- ◆XB7AjTRRiE 投稿日:2010/02/01(月) 18:03:33 ID:XkHaFpn+
>
>>593 >悪いな、おれは今の心配事がアイヌの存在が左翼とか国連とかの
>良い様に利用されてしまうことだけなんだよ。
>アイデンティティーの問題で沖縄はもうそれほど心配ないだろうが、アイヌだけは不安だ。
>アイヌが扇動に利用されたら「やっぱりアイヌはアイヌだった」とか「アイヌには悪い事をした、反省する」
>見たいな白々しい連中がウザイってだけ。
357 :
名無しさん@3周年:2010/02/02(火) 15:42:50 ID:6woGwxjR
日本書記(国生み)で出てくる「越州」の「越」の地名より先に、
「こし」の地名があったという証明は、まったくできない。 インチキ野郎
↓
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)(p)(p)(p)ID:FwBosOts(2)(2)(2)(2)
>>153 一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
358 :
名無しさん@3周年:2010/02/02(火) 15:46:50 ID:6woGwxjR
誰も、「越が『こし』より先にあった」という断定はしてない。蓋然性を言ってただけ。
おまえは「『こし』が元からあった。」と断定してんだよ。
論理をすりかえるな
↓
355 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :sage :2010/02/01(月) 18:54:10 (p)ID:KOvZT/Dc(4)
>日本書記(国生み)で出てくる「越州」の「越」の地名が、
>「こし」ではなかったという証明を、君はまったくできない。
359 :
名無しさん@3周年:2010/02/02(火) 15:53:57 ID:6woGwxjR
そもそも「日本の方なら別に間違いでない。」に何の科学的な合理性があるのだ?
自ら「私は日本人でない。」と暗示して日本人を見下した言い方の野郎だ。
朝鮮半島国の科学者は、科学部門でノーベル賞をいくつとった?インチキ野郎
さっさと半島に帰れ、ウザイ鮮野野郎
↓
152 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 17:26:45 (p)ID:FwBosOts(2)
>>150 >NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
日本の方なら別に間違いではない。
360 :
名無しさん@3周年:2010/02/02(火) 16:01:39 ID:6woGwxjR
2004年に「歴史問題」で意見が違う相手を殴って暴力事件を起こしていたのが
NHKの歴史番組のが韓国人ディレクター・田容承
●NHK歴史もの番組(日本と朝鮮半島2000年ET等)のディレクターが韓国人
スタッフを見るとディレクターが田容承(*)という韓国人。何故、日韓の歴史問題という微妙な問題を
韓国人に任せるのか。NHKはそこまで弛緩しきっているのか、あるいは朝鮮人にコントロールされている
のか。韓国人が偏狭なナショナリズムに染まった教育を受けているというのはよく知られた事実だ。
(韓国国定教科書URL =>
http://members.tripod.com/textbook_korea/fr_2.htm)日本の「自虐史観」
と対極の「誇大妄想史観」である。特に日本に関しては、お笑いではあるが、先進の韓国が何でも教えて
やったというふうに教え込まれているらしい。
また、日本を貶めるためには歴史の捏造もお手のものである。そんな韓国人に任せてしまったらどんな
内容になるかは容易に察しがつく。この番組は、後で疑問点を上げるが、まさに韓国人の言いたい放題
の番組であった。
(*)田容承(チョン・ヨンスン)という韓国人について以下のような記事があった。
(
http://www.asahicom.com/tvasahistory.htm)この番組でディレクターを務めた
田容承と同一人物だろうか。同一人物だとすると、NHKは暴力沙汰を起こすような人間を
ディレクターにしていることになる。
「2004.05.20 週刊新潮が報道ステーション関係者の暴力事件を暴露。韓国人ディレクター、
チョン・ヨンスン(35)が日本人ディレクターを酒席で殴打。取材に対して「揉め事が
あったのは事実ですが、たいしたことはありません」と開き直る。番組内での北朝鮮や
韓国に関する報道の仕方について意見が対立したことが暴行の原因」
361 :
名無しさん@3周年:2010/02/02(火) 16:04:44 ID:6woGwxjR
●韓国人の歴史歪曲
一時はノーベル賞候補といわれたES細胞の黄禹錫に限らず、韓国人の学者の中には平気で嘘を
つくものがいる。特に歴史に関しては、長年に渡って中国辺境の遅れた属国に過ぎなかったこと
へのコンプレックスの裏返しか、都合の悪い事実は認めず自国を祭り上げる。古代史のように物証
が少なく真偽のはっきりしない場合には、自国に都合の良い作り話を作り上げるのは容易いことだ。
近代史においても、韓国人が何とか隠蔽しようとしている歴史の一つに、韓国における近代資本主義
が日本の統治時代に始まったという事実がある。この事実はハーバード大学のカーター・エッカート教授
の精力的かつ精緻な研究「日本帝国の申し子」により明らかにされた。
19世紀末に朝鮮を訪れた英国の旅行家イザベラ・バードは、ソウル市街のあまりの「みすぼらしさ」に
それを描写するのもはばかられると述べた。そのような状態であった国が20世紀には経済発展を遂げた。
その原点はかれらの言うところの日帝時代にあるのだ。しかし、未だに韓国の歴史学者達はこの事実を
認めず、何とか日本の寄与を打ち消そうとしているらしい。
イザベラ・バードが見たソウル("Korea and her neighbors" より )
http://japansea1905.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/etv2000nhk-a97e.html
362 :
名無しさん@3周年:2010/02/02(火) 16:08:34 ID:6woGwxjR
田 容承
2004.05.20 週刊新潮が報道ステーション関係者の暴力事件を暴露。韓国人ディレクター、
チョン・ヨンスン(35)が日本人ディレクターを酒席で殴打。
取材に対して「揉め事があったのは事実ですが、たいしたことはありません」と開き直る。
番組内での北朝鮮や韓国に関する報道の仕方について意見が対立したことが暴行の原因。
意見の違いを暴力に訴え、反省の素振りも見せない、模範的韓国人による公正な報道番組
作りに、視聴者からの期待がかかる。
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
ディレクター
>>359 >そもそも「日本の方なら別に間違いでない。」に何の科学的な合理性があるのだ?
そもそも「中華起源アル」に何の科学的な合理性があるのだ?
>自ら「私は日本人でない。」と暗示して日本人を見下した言い方の野郎だ。
君は「所詮東夷に過ぎない倭奴如きに固有の地名なんてあるわけないアル」
と暗示して日本人を見下した言い方の野郎だ。
>朝鮮半島国の科学者は、科学部門でノーベル賞をいくつとった?
「越」を「コシ」と読むことが正しいか否かと、
朝鮮半島国の科学者が科学部門でノーベル賞をいくつとったかが、何の関係がある?
論点そらすな。
>インチキ野郎
悔し紛れにいくら俺の悪口を言ってみせたところで、
俺を論破できないぞ。
>>358 >誰も、「越が『こし』より先にあった」という断定はしてない。蓋然性を言ってただけ。
>おまえは「『こし』が元からあった。」と断定してんだよ。
>論理をすりかえるな
「越」も「コシ」も同じ地名をさしている。
よって「越」と「コシ」どっちが先にあったかを論じても意味はない。
>>357 >日本書記(国生み)で出てくる「越州」の「越」の地名より先に、
>「こし」の地名があったという証明は、まったくできない。
日本書記(国生み)で出てくる「越州」の「越」の地名が、
「こし」ではなかったという証明を、君はまったくできない。
366 :
名無しさん@3周年:2010/02/03(水) 07:53:05 ID:ktWMkTci
一、どっちが先かを言い出したのはおまえだ。
↓論理をすりかえるな
365 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :sage :2010/02/02(火) 20:59:10 (p)ID:OvfLHUK9(4)
>「越」も「コシ」も同じ地名をさしている。
>よって「越」と「コシ」どっちが先にあったかを論じても意味はない。
>156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 ID:FwBosOts
>一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
>「越」が当てられた。
二、誰も、「越が『こし』より先にあった」という断定も「越が『こし』でなかった。」
という断定もしてない。「『こし』で固定するのは間違い。」ということを言ってたのだ。
「越は『こし』でなかった。」≠「こしで固定するのは間違い。」(
>>150 なのだ。論理をすりかえるな。科学的論理性が理解できない科学部門でノーベル賞ゼロ個の朝鮮半島文化人
↓
>365 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :sage :2010/02/02(火) 20:59:10 (p)ID:OvfLHUK9(4)
>日本書記(国生み)で出てくる「越州」の「越」の地名が、
>「こし」ではなかったという証明を、君はまったくできない。
367 :
名無しさん@3周年:2010/02/03(水) 07:55:39 ID:ktWMkTci
田 容承
2004.05.20 週刊新潮が報道ステーション関係者の暴力事件を暴露。韓国人ディレクター、
チョン・ヨンスン(35)が日本人ディレクターを酒席で殴打。
取材に対して「揉め事があったのは事実ですが、たいしたことはありません」と開き直る。
番組内での北朝鮮や韓国に関する報道の仕方について意見が対立したことが暴行の原因。
意見の違いを暴力に訴え、反省の素振りも見せない、模範的韓国人による公正な報道番組
作りに、視聴者からの期待がかかる。
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
ディレクター
>>366 >一、どっちが先かを言い出したのはおまえだ。
一、どっちが先かを言い出したのはおまいら大和国家主義者だ。
>↓論理をすりかえるな
↓論理をすりかえるな。(※以下の文章は全て引用です)
>>150 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2010/01/03(日) 14:27:23 ID:vZponByH
>>NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
>「越(州)」とは大宝律令(701年)が決めた国名だった。
>大宝律令は天武天皇が西暦681年頃に制定の詔を発して西暦701年頃、
>施行された。「越(州)」という国名は、この大宝律令で定義された国名。
>その後に編纂されたのが古事記(西暦712年)や日本書紀(西暦720年)。
>だから日本語として「越」の語源は古事記や日本書紀にあるのではない。
>だから学術的には、何故、大宝律令で「越州」という言葉を使ったのか?
>それが重大な問題になる。
>記紀以後では「越」を訓読みして当て字していっただけの話だから、それに、
>固執するのは間違いなのである。
>>153 名前:倭人改め恐らく有史以来最大の人権主義者の好々爺 投稿日:2010/01/03(日) 18:28:49 ID:8ZopFIhw
>
>>152 >昔から日本でも「エツ」だ!出鱈目書き込むな気違い!
>
>>151 >チョンがほざくな!
>>366 >二、誰も、「越が『こし』より先にあった」という断定も「越が『こし』でなかった。」
>という断定もしてない。「『こし』で固定するのは間違い。」ということを言ってたのだ。
二、
>>150は、『「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違い』という事を言い、
>>153は『昔から日本でも「エツ」だ!』と断定している。それは、
中華思想に基づくおまいら大和国家主義者が初めに中国起源ありきで、
自分達が東夷と見下している日本人が固有の地名を堂々と名乗っていること自体が許せないからだ。
>「越は『こし』でなかった。」≠「こしで固定するのは間違い。」(
>>150 「こしで固定するのは間違い。」≒「越は『こし』でなかった。」(
>>150 >論理をすりかえるな。
論理をすりかえるな。
>科学的論理性が理解できない科学部門でノーベル賞ゼロ個の朝鮮半島文化人
中華思想に基づくおまいら大和国家主義者は、
このようにことあるごとに朝鮮半島人や日本人を東夷と見下している。
370 :
名無しさん@3周年:2010/02/03(水) 18:42:51 ID:PJyvqO4b
とっくに論破されて、本人も取り下げてるだろう好い加減。
371 :
名無しさん@3周年:2010/02/06(土) 23:15:36 ID:gqx7ULqH
カワイイは今でも此の説を信奉している(嗤)。
さて、そろそろ『「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違い』
という大和国家主義者どもの主張をまとめてみよう。
>>150では
『「越(州)」という国名は、この大宝律令で定義された国名。』と、
大宝律令を典拠とし、『日本語として「越」の語源は古事記や日本書紀にあるのではない。』
『記紀以後では「越」を訓読みして当て字していっただけの話だから、
それに、固執するのは間違い』とまずは記紀を否定してかかった。
>>150 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2010/01/03(日) 14:27:23 ID:vZponByH
>>NHK、「越」を「コシ」に固定して報道してたが間違いだよ
>「越(州)」とは大宝律令(701年)が決めた国名だった。
>大宝律令は天武天皇が西暦681年頃に制定の詔を発して西暦701年頃、
>施行された。「越(州)」という国名は、この大宝律令で定義された国名。
>その後に編纂されたのが古事記(西暦712年)や日本書紀(西暦720年)。
>だから日本語として「越」の語源は古事記や日本書紀にあるのではない。
>だから学術的には、何故、大宝律令で「越州」という言葉を使ったのか?
>それが重大な問題になる。
>記紀以後では「越」を訓読みして当て字していっただけの話だから、それに、
>固執するのは間違いなのである。
ところが
>>296-297で大宝律令がとっくに散逸して続日本紀(797年)での逸文、
令義解(833年)や令集解(868年頃)での養老律令(散逸)
からの引用からの孫引きしか残っていないことを俺が指摘すると、
今度は
>>312で『大宝律令が、途中で消失とかしたからって
日本書紀(国生みでの「越州」)が否定されないかぎり(大宝律令で「越州は存在しない」
とされないかぎり)「越前、越後」等の分割定義以前の「越州」は、つまり681年以前に
あったということになる。』と、
>>150で否定した日本書紀を都合良く典拠にし出した。
>>312 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2010/01/11(月) 17:37:30 ID:HKRETNrS
>大宝律令は日本書紀(西暦720年)で「越州」が定義された後に、その前提で
>「越州を分割」するように発令れたものだ。大宝律令が、途中で消失とかしたからって
>日本書紀(国生みでの「越州」)が否定されないかぎり(大宝律令で「越州は存在しない」
>とされないかぎり)「越前、越後」等の分割定義以前の「越州」は、つまり681年以前に
>あったということになる。そんなこともわからないか?
>朝鮮アホ
>↓
>305 名前:Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/11(月) 17:17:13 ID:OrufgtVR
>
>>298 >>かの木簡が、藤原京が遷都された後、8世紀になってから以前につくった土器に入れられていたという
>>蓋然性もある。
>それでも九世紀の大宝律令の孫引きよりはまだ古い罠。
日本書紀については俺が
>>318-320で、
原本は散逸して現存する最古の写本が田中本(奈良末期〜平安初期)
であることを指摘した。
日本書紀の同時代性の限界…794年前後
大宝律令の同時代性の限界…797年
このことからは「八世紀末以降は『越』表記が定着している」
ということぐらいしか分からず、NHKの(NHKに限った話じゃないが)
「コシ」という読み方を否定する要素はない。
375 :
名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 23:23:00 ID:zAI1Sfho
クドイ、屁理屈・ごまかし野郎。さっさと証明しろ。
↓
156 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :2010/01/03(日) 21:36:51 (p)(p)(p)(p)ID:FwBosOts(2)(2)(2)(2)
>>153 一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
「越」が当てられた。
374 :Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw :sage :2010/02/07(日) 02:09:02 (p)ID:Rw9jKJqk(3)
日本書紀については俺が
>>318-320で、
原本は散逸して現存する最古の写本が田中本(奈良末期〜平安初期)
であることを指摘した。
日本書紀の同時代性の限界…794年前後
大宝律令の同時代性の限界…797年
このことからは「八世紀末以降は『越』表記が定着している」
ということぐらいしか分からず、NHKの(NHKに限った話じゃないが)
「コシ」という読み方を否定する要素はない。
376 :
名無しさん@3周年:2010/02/09(火) 23:30:52 ID:zAI1Sfho
1、「元から、『こし』があって」と断定できること
2、「それに漢字の『越』が当てられた」と断定できること
3、「日本の方なら間違いでない」と断定できること
の論拠について、何の証明にもなってない。
↓
>>374 >一方で和語には元から「こし」という言葉があってそれに漢字の
>「越」が当てられた。 (
>>156 >日本の方なら別に間違いではない。(
>>152
377 :
回帰ZERO ◆XB7AjTRRiE :2010/02/11(木) 04:37:12 ID:kxA2IRAr
なんだ、まだやってたのか馬鹿ども
378 :
名無しさん@3周年:2010/02/11(木) 07:12:07 ID:QkAzQdqV
↓権威主義型ファシズム集団、反省の真似もできない猿以下の本性曝け出し
↓証明できないんで、IDd変えて罵詈雑言。
↓小沢民主党支持者のファシズム性格、独善、独裁指向の本性を剥き出しでメガ・ワロス
Decide One's Fate ◆D/w5oCAtaw →回帰ZERO ◆XB7AjTRRiE
377 :回帰ZERO ◆XB7AjTRRiE :2010/02/11(木) 04:37:12 ID:kxA2IRAr
なんだ、まだやってたのか馬鹿ども
379 :
名無しさん@3周年:2010/02/12(金) 20:05:20 ID:2sMausb/
日教組の薦めてきた日本の教科書は「朝鮮ファンタジー史観」と「半島劣化朱子学」をベースにした、日本の学童全てに「自虐史観」を植え込むための洗脳装置でした。
在日民主党が「大東亜友愛圏という名の韓日再併合」を推し進めるなか、「日本文化は全て朝鮮が伝えた」「中国が父、朝鮮が兄、日本が弟」という「日教組テーゼ」がいま崩されるわけにはいかないのです。
それゆえに朝鮮学派と日教組シンパは定説を覆す新説潰しに必死です。「台湾工作員の陰謀ニダ」とか(笑)。それが既に世界潮流の定説になりつつあるにもかかわらず、です。
「楽浪郡を代表とする北朝鮮への中国の進出。それと平行して朝鮮半島に居住していたという中国のいうところの倭人(朝鮮人は韓人と主張すると)は、実は所謂弥生人であった」
「平均的現代朝鮮人遺伝子の5割を占める所謂倭人の血は、紀元前に日本で低温耐性がついた揚子江原産ジャポニカ水稲を携え半島に渡った所謂弥生人(長江文明人)の物である」
これこそが新しい定説です。