1 :
名無しさん@3周年:
391 名前:名無的発言者[] 投稿日:2005/11/28(月) 10:54:00
南京大虐殺についてココまで突っ込んだ番組はそこまで言って委員会だけ
亜細亜大学 東中野教授「証拠として通用する写真は一枚もなかった」
大虐殺あった派 デーブファビョる、遙洋子もファビョる。
デーブが論破され、最後は「無かった」と意見が変わる。
ttp://up.arelink.net/up50/upload.cgi?mode=dl&file=239 パス:taka
↑
南京大虐殺などを初めとして、アメリカに対日経済制裁などを
決意させるに至った説得工作や国際世論操作としての
日本の残虐行為などはそのほとんどが中国国民党宣伝部の捏造です。
つまり日本は何も悪くなどなかったのです。
第二次世界大戦の連合国は、すべて中国に騙された被害者であり、
日本もまた中国の被害者だったのです。
2 :
名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 01:07:27 ID:ByWF3xC2
まるきり幻だったというのが現実だろう。
3 :
名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 02:14:22 ID:++ISS9TT
そうだね。
4 :
名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 03:24:21 ID:++ISS9TT
みんなで
>>1のビデオを見よう。
中国に騙されないように。
5 :
名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 08:58:32 ID:++ISS9TT
あげ
6 :
名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 14:08:42 ID:++ISS9TT
是非見て下さい
7 :
名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 14:41:54 ID:JefISpqw
中国国民党というと現在の台湾のことですね。
つまり、真の敵は台湾だな。
8 :
名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 16:02:35 ID:++ISS9TT
>>7 いえ、本来の台湾人も被害者なのです。
>>1のビデオを見ていただいても金美齢という台湾人の方が
語っていますが、中国国民党が大陸で中共に負けた後
台湾に逃げてきたんです。
寛容な台湾人はこれを受け入れてあげました。
すると、中国国民党は、こともあろうにその台湾人を虐殺し始め、
しかも、有能で台湾の支配層となる人々ばかりを狙って虐殺し、自らが支配者に収まったのです。
台湾人の9割は本省人といって元から台湾にいた人たち、
1割は外省人といって大陸から来た中国人です。
この1割が問題です。
後から来たのに日帝時代の遺産を全て国民党が接収してしまい、
国民党は今もなお理解しがたい経緯で莫大な財産を持っています
(これを政府で没収しようという法律を制定しようという動きもあるそうですが)。
そしてその資金力を活かして経済、マスメディアなどを掌握して、
今も国民党による支配の色が濃いのです。
親日派で有名な李登輝総統は国民党でしたが、その時も国民党内部から
何度もクーデターを含む外省人グループから狙われました。
最近の国民党党首馬英九は反日派なので、
それこそ戦中戦後の国民党のように反日捏造プロパガンダを行う可能性が濃厚です。
中国共産党はそうした日帝関連の「戦争犯罪」が、国民党宣伝部による捏造プロパガンダ
と知ってか知らずか、それに輪をかけて捏造、誇張、改ざん、歪曲を
繰り返していますので、まあ似たようなものです。
9 :
名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 18:55:31 ID:++ISS9TT
みなさん
>>1のビデオをご覧になってください。
南京大虐殺も日本の罪とされるものもほとんどがデタラメのプロパガンダ
だということが分かります。
日本は悪くなどなかったのです。
10 :
名無しさん@3周年:2005/12/19(月) 19:13:34 ID:JefISpqw
南京大虐殺は櫻井よしこ氏も認めている。
櫻井氏は、30万人とされる被害者数にだけ疑問を呈していて、
虐殺そのものは事実と断言している。
11 :
名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 10:05:18 ID:Acm1Bqj1
860 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/12/20(火) 09:30:20 ID:jYKwccTP0
>>855 最近じゃなくてずっと前からだよ。
フィリピンはアメリカの支配が始まったころには数十万の独立派の人間が
殺されてるのに日本よりもアメリカに恭順しているのはアメリカ側の教育の賜物だし、
蒋介石はひたすらアメリカ民衆に日本を悪者だといい続け、日米対決に
引きずり込もうと努力を続けていた。
弾を撃ち合い、人を殺しあうものが戦争だと思い込む、
程度の低い学校教育は日本の問題点。
12 :
名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 22:07:53 ID:Acm1Bqj1
みましょう。
13 :
名無しさん@3周年:2005/12/21(水) 06:57:25 ID:6RQGjOI5
14 :
名無しさん@3周年:2005/12/21(水) 10:42:42 ID:JBJXaFVp
アウトオゥリが言っている。
「重要なのは結果だ。戦いが終われば、勝者と敗者がいる。勝者は賞賛され、
敗者は言い訳をする。われわれが勝利した。それこそが重要なのだ。」
自ら戦争を選択し敗戦後60年たってなお、現実を直視できない敗者の言い訳は
誠にみっともないものである。
15 :
名無しさん@3周年:2005/12/21(水) 10:52:31 ID:PXR6u2ic
どう見ても今回のは泥
16 :
名無しさん@3周年:2005/12/21(水) 11:10:16 ID:MCCitx7e
>>10 戦争だ犠牲者が出たことを認めたのだ。
民間人にも犠牲者は出た、しかし市民に中国兵が紛れ込み、またゲリラとなって攻撃もした。
市民に犠牲者が出た原因は中国側の国際法無視の対応があった。
いわゆる「南京大虐殺」を認めたのとは根本的に違う。
17 :
名無しさん@3周年:2005/12/21(水) 11:19:05 ID:PXR6u2ic
>>16 今回の罪を負うのはブッシュ大統領以外いない
18 :
名無しさん@3周年:2005/12/21(水) 12:49:05 ID:tCSbEhex
19 :
名無しさん@3周年:2005/12/21(水) 17:09:08 ID:Rh6Gx/A5
20 :
名無しさん@3周年:2005/12/22(木) 01:50:51 ID:FffgJX2e
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」内で、
支那事変の発端となった1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、
北京守備隊支那国民党軍第29軍に潜入していた共産党地下党員
『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、
まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。
ちなみに人民解放軍総政治部発行ポケット版『戦士政治課本』には、
「七七事変は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って
党中央の指令を実行したもの」との記述があったとされるが、
この『戦士政治課本』の存在は確認されたものの上記の内容は確認されていない。
また、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、
当時共産党副主席だった劉少奇が「七・七事件の仕掛人は中国共産党で、
現地責任者はこの俺だった」と連合国側の記者団に語ったとされるが、
その証拠やそれに関する報道は未だ発見されていない。
しかしながら自慢したくてしょうがない気質の支那人の事。
『政治課本』や劉少奇が自信満々に語ったとしてもちっとも不思議はない。
この盧溝橋事件共産党陰謀説をまたも支那自身である北京電視台が自慢げに語り裏付けた形だ。
盧溝橋事件は、国際法や慣習に則ってちっとも侵略しようとしない日本に対し、
痺れを切らした支那共産党による謀略だったとはっきりした。
またその後(同年7月29日)に起こった人類史上稀に見る日本人居留民(朝鮮人含む)
への未曾有の大虐殺通州事件も、廬溝橋事件で引っ掛けても尚、支那不拡大方針を表明し、
国民党軍と停戦協定を結んでしまった日本に対し、
先の盧溝橋事件謀略をまんまと成功させた国民党軍に潜入していた
共産党地下党員によるものだと容易に想像できよう。
21 :
名無しさん@3周年:2005/12/24(土) 01:57:10 ID:bPvHhl27
我々はいつまで捏造プロパガンダを真実をして認めて謝罪していなければならないのですか?
22 :
名無しさん@3周年:2005/12/24(土) 16:38:20 ID:frvxubZj
中国共産党政権を倒して新しい政府が共産党政権の悪事を暴くようになった時に名誉が回復される。
中国共産党を打倒しよう。
23 :
名無しさん@3周年:2005/12/24(土) 16:39:41 ID:xku7LAD3
橋3湯はいけないな、強算刀ではなかったのだった
残念だが大連は第七 寒帯 に襲撃されるのも時間の問題か
24 :
反米愛国:2005/12/24(土) 22:52:41 ID:5SSZC4nw
安保破棄、主権回復、国軍再建
25 :
名無しさん@3周年:2005/12/24(土) 23:06:51 ID:ZsIDQ8Y5
>>24 >安保破棄?
あんた、北朝鮮の工作員?あんた、金正日に家族を人質に取られてるの?
26 :
名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 14:31:16 ID:L/nCB27Q
安保破棄して戦前のように軍備増強って事なら大賛成
27 :
名無しさん@3周年:2005/12/30(金) 18:45:49 ID:obeJU84P
www
南京大虐殺というのは東晋以来の中国歴代王朝による
南京大虐殺からのコピーで作った捏造です。
731部隊も中国軍が行っていた投毒攻撃、細菌攻撃などを日本人の仕業にしてしまったもので、
731部隊は元々給水部隊であり、中国の投毒、細菌兵器への防衛をするために
細菌研究などを始めたわけです。
中国入門75〜83ページ
174 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/01/24(火) 22:56:27 ID:1dDLIqJQ0
ゾルゲはマルクスレーニン研究所に所属、コミンテルン(国際共産党)
の仕事につく。1930年〜33年”社会学雑誌”特派員として上海で
諜報活動を行い、そのとき朝日新聞社特派員尾崎秀實(ほつみ)を知る。
1933(昭8年)一旦モスクワに帰り、日本派遣を命ぜられる。
ナチス党員に化け「フランクフルターツアイトゥング」紙の特派員
として来日。ゾルゲは日本での諜報活動網を確立すべく、慎重にメンバーを選定した。
メンバーの一人である尾崎秀實は後に近衛内閣のブレーンになる。
尾崎秀實は朝日新聞社の特派員として上海に駐在中に多くの左翼人士と交わり、
マルクス主義の信奉者になった。
朝日新聞社特派員尾崎秀實はアメリカ人左翼ジャーナリスト、アグネス・スメドレーを通じて、
ゾルゲと知り合った。
177 名前:太平洋戦争工作員朝日新聞社尾崎秀實[] 投稿日:2006/01/24(火) 22:59:55 ID:1dDLIqJQ0
1937年(昭和12年)の4月ごろから朝日新聞社の尾崎秀實は「昭和研究会」に入り、
「支那問題研究部会」の中心メンバーとして活躍していた。
この「昭和研究会」は軍部とも密接な関係を持って、 近衛新体制生みの親となり、
大政翼賛会創設を推進して、一国一党の軍部官僚独裁体制をつくり上げた中心機関である。
尾崎は「中央公論」14年1月号に「『東亜共同体』の理念とその成立の客観的基礎」を発表した。
これに呼応して、陸軍省報道部長・佐藤賢了大佐も、「日本評論」12月号に「東亜共同体の結成」
を発表する。
尾崎は、中国に親日政権を作り、それをくさびとして、あくまで日本と蒋介石を戦わせようとしたのである。
中国共産党は、蒋介石を抱き込み、尾崎グループは親日政権を作らせて、日本と国民党政権をあくまで戦わせ、
共倒れにさせて、日中両国で共産革命を実現しようという計画であった。
1940年(昭和15年)6月、近衛は本格的に新体制運動に乗り出す。
麻生久の社会大衆党、赤松克麿の日本革新党、中野正剛の東方会などの革新勢力を結集し、
前衛政党的な新政党を結成しようとした。
7月に第二次近衛内閣が成立し、10月に新体制運動の中核体として、「大政翼賛会」が発足した
180 名前:太平洋戦争工作員!!朝日新聞社尾崎秀實[] 投稿日:2006/01/24(火) 23:01:22 ID:1dDLIqJQ0
尾崎は国内世論を誘導するだけでなく、和平の動きそのものも妨害した。
蒋介石以下の国民党首脳部と親しい間柄にあった茅野長知は、
上海派遣軍司令官・松井石根大将の依頼により、昭和12年10月ごろから、日中和平に乗り出した。
昭和13年4月には即時停戦、日本の撤兵声明発表などの合意にいたった。
近衛首相も板垣陸相も承認して、この線で和平実現に努力することになった。
茅野は国民党政府と接触し、5人の代表を東京に派遣することとなった。
しかし、茅野が再び帰国して、交渉の結果を報告すると、板垣陸相の態度は急変
「支那側には全然戦意はない。このまま押せば漢口陥落と同時に国民政府は無条件で手を挙げる。
日本側から停戦声明を出したり撤兵を約束する必要はなくなった」という。
茅野が「それはとんでもない話だ。国民政府は長期抗戦の用意ができている。そんな情報はどこから来たのか」
と問いつめると、板垣陸相は、同盟通信の上海支局長をしていた松本重治が連れてきた国民政府の外交部司長
・高宋武から直接聞いたという。
松本重治は尾崎の年来の友人であり、共に「朝飯会」のメンバーとして近衛首相のブレーンともなった人物である。
186 名前:太平洋戦争工作員!!朝日新聞社尾崎秀實[] 投稿日:2006/01/24(火) 23:04:36 ID:1dDLIqJQ0
高宋武は、日本側に「国民政府はもうすぐ無条件降伏する」と伝え、
蒋介石には「中国があくまで抗戦を継続すれば、日本側は無条件で停戦、撤兵する」
という偽りの電報を打っていた。
こうした謀略によって、茅野の和平工作は水泡に帰した。
その後、高宋武、松本重治、尾崎秀實らによる汪兆銘政権樹立の動きとなっていく。
国民党副総裁であった汪兆銘は、蒋介石にコミンテルンの謀略に乗った抗日戦争を止めさせるよう願っていた。
尾崎秀實らは、その汪兆銘を担ぎ出して親日政権を作らせ、それを以て日本と国民政府の戦いを続けさせようというたくみな謀略をしくんだのである。
近衛首相は、事変が始まった後、早期停戦を目指してドイツを仲介国とする交渉を行ってきたが、昭和13年1月には新たな親日政権の成立を期待して、
「今後国民党政府を相手にせず」という第一次近衛声明を発表していた。
同年11月、近衛は日本・満洲・支那3国の連帯を目指した「東亜新秩序」建設に関する第二次声明を発表。
これは尾崎秀實らの「東亜共同体」構想そのものである。
まさに「見えない力にあやつられてゐたような気がする」という近衛の述懐通り、
近衛内閣は朝日新聞社尾崎秀實の描いた筋書きに完全に乗せられていたのである。
193 名前:太平洋戦争工作員!!朝日新聞社尾崎秀實[] 投稿日:2006/01/24(火) 23:07:45 ID:1dDLIqJQ0
朝日新聞社尾崎秀實は、当時の近衛の嘱託という立場を利用して政策決定に影響を加えた。
ゾルゲ・グループのもたらした情報はソビエトが対独戦を戦うえで不可欠であった。
ゾルゲには1964年「ソビエト連邦英雄」の称号が贈られた。
ゾルゲや尾崎秀実や日本共産党の戦前の反日活動が、反戦平和活動だったなどと言う
笑止千万なことをいう輩がいるようだが、彼らはソ連(コミンテルン)の野望のための下働きにすぎなかったのである。
朝日新聞社尾崎秀實の狙う「東亜共同体」とは、共産革命後に成立するソ連・日本・中国による「赤い東亜共同体」であった。
朝日新聞社および尾崎秀實には、革命後の「終局的な平和」のために、国民をだまして「人柱」にすることなど、なんともなかったのである。
近現代史の歴史が現代にも尾を引き、現実生活上も重要なので、
歴史教育において、従来は「近現代史まではいかずに
歴史の授業を終えるということが日教組との暗黙の合意だった」らしいけど、
これを独立に教えて、日本の立場に立ち、日本側を弁護する立場から、
>>28-33のようなことを教えていくべきではないのか。
南京大虐殺、731部隊などは捏造であり、
日中戦争とは国民党宣伝部により捏造したプロパガンダを欧米で流されて
対日参戦を煽られ、蒋介石が「日本とアメリカを戦わせれば良い」として
アメリカにその妻である宋美齢に盛んにロビー活動をさせたり、
またイギリスの謀略があったり、さらにはソ連共産党、中国共産党、
日本共産党の謀略によって国民党と日本とで全面戦争を余儀なくされるに
至るなどの側面があったわけだ。アメリカも太平洋戦争以前に実は対日参戦して
中国軍に紛れて日本軍と戦ってもいた。
ところが、日本での従来の教育は「日本軍部の暴走」「統帥権の独立」
といったことがいわれるばかりで、日本側の責任にもっぱらその戦争遂行の
原因力が求められた。しかし、実際にはそんなものではなかったわけだ。
そのへんを多面的に教える事こそ、歴史の学習であり、また後世に歴史の
学習を生かすということではないのか。
「日本軍部が暴走した」などという一面的な見方だけ教えてそれを
「後世に生かす」などということでは、馬鹿な国民が生まれてしまう。
歴史も国際政治も、それを国民が生かすには、多面的な当時の歴史背景を
明らかにされ、教えられる中で、あの戦争を捉えることが重要であろう。
また植民地支配などはフランス、イギリスなどではその肯定的役割を
教えるようになり、さらには欧米では「歴史的必然論」が主流であり、
つまり日本は何ら悪いところなどないのに、日本はなぜ自国の歴史を自虐的に教えるのか。
日本の教育は、あくまでも日本の国益を擁護する立場に立つべきだ。