文藝春秋 > 2013年11月号
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/870 大型企画
歴史の常識を疑え
教科書ではわからない
この国の見方が変わる?新しい日本史20
「弥生人」の大量渡来はなかった 片山一道
読書倶楽部通信
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/index.html たかちゃん、「インディアンの言葉」を読む。
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/indianhyousi.html ちはやぶる・し - zaq.home.ne.jp
http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/indian155.html (吉本)『古事記』に、ヤマトタケルが東国へ遠征してきたところ、海が荒れ、オト
タチバナヒメが海に飛び込んで海を鎮めるという話がありますね。そこのところで、
オトタチバナヒメが「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」
という歌を詠んで飛び込むのですが、この「さねさし相模」の「さねさし」というの
は、どういう意味か全然わかっていないんです。アイヌ語に、陸地がちょっと海の方
へ突き出た所という意味で「タネサシ」という言葉があって、僕は、「さねさし」は
アイヌ語の地名じゃないか、というふうに考えました。
つまり相模もちょっと出っ張った所ですから、そこに昔、アイヌあるいはそれに近
い人たちが住んでいたときに地形から「タネサシ」というふうに言われていた。それ
をもうひとつ重ねて「さねさし相模の小野に燃ゆる火の」とした。「さねさし」とい
う枕詞はアイヌ語だとするのが一番もっともらしいのじゃないか、そこのところで、
柳田国男の地名の考え方にちょっと接触していくのです。
柳田は、アイヌ語の地名は自然の地形をそのまま名づけた所が多いのだという。な
ぜアイヌ語の地名が残っているのかというと、それは単にそこにアイヌ人が住んでい
たからではなくて、アイヌ人またはそれに近い人たちが住んでいたときの地名があっ
た所へ、後から移り住んで来た人間がいる。先住民たちを完全に駆逐してしまったら、
その地名はなくなってしまう。そこで地名が残っているということは、アイヌ人たち
と後から来た人間たちとが共存状態であったのだろう、というふうに柳田は言ってい
ます。
つまり、アイヌ語の地名という問題はそういう意味でとても大切なことになってき
ます。先住民と後任の人とが異なった人種であっても、共存していたか、駆逐してし
まって新しい地名をつけたか、またはこの「さねさし相模」みたいに、枕詞の形で残
したか−−そういうふうに分けると微妙にいろんな段階があって、それはとても重要
なことだなと、たしか『地名の研究』の中で言っているんです。
(『日本の原像』 梅原猛・吉本隆明)
○
吉本隆明の説明からは、枕詞「さねさし」は、アイヌ語が元であることが、十分にありえると
思われる。
「ちはやぶる」や「しらぬい」が、アイヌ語でないとは、言えないのではないだろうか。
日本の土地に先住民(縄文時代人)がいて、後からやってきた人(弥生時代人)たちが、それ
を駆逐していった。
だが、完全に駆逐してしまったら、それ以前の言葉は残らないはずだ。
ある時期では、共存しながら生活していた時代もあったのではないか。
やがて、先住民の言葉が、枕詞として残ったり、駆逐されて新しい言葉に変わったり、あるい
は、弥生時代人の話し言葉や地名の中に、無意識に取り込まれていきながら、日本語が形成
されてきたのではないだろうか。僕が知っている限りでは、山口県にも、アイヌ語に似た地名
が、いくつか存在している。
【人類/遺伝子】アイヌと琉球は縄文型…日本人の遺伝系統、ゲノム解析で裏付け/東大など
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1351740540/ 【考古】土器で魚を煮炊き 世界最古の痕跡を日本国内で発見
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1365648494/l50