【考古】元寇船の底板、二重構造 粗製乱造でなかった? 琉球大調査

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1一般人φ ★
 13世紀の元寇(げんこう)の舞台となった長崎県松浦市の海底遺跡「鷹島神崎(こうざき)遺跡」(国史跡)で、
昨年見つかった元軍の沈没船の再調査をしていた琉球大と同市教委は10日、沈没船の底板が二重構造に
なっていたと発表した。

 韓国・新安沖や中国・泉州沖で引き揚げられた同時代の中国船には見られない特殊な構造になっているという。
一方、陶器やレンガが散乱した場所の土砂を取り除いたところ、二重になった底板が見つかった。

 これまで、元軍壊滅の原因については、大量の船を急造したため簡易な構造になり、衝撃に弱かったとの
見方もあったが、調査を主導した琉球大の池田栄史(よしふみ)教授(考古学)は「これまでに見たことがない構造。
丁寧な組み方をしており、粗製乱造ではなかったのでは」と見解を示した。

▽画像 元軍の沈没船の底板。右上の内装用と見られる板と二重構造に(10日、長崎県松浦市沖の水深21mで)=川口正峰撮影
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20121010-848811-1-L.jpg

▽記事引用元 読売新聞(2012年10月10日16時53分)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20121010-OYT1T00774.htm
2名無しのひみつ:2012/10/11(木) 23:44:35.59 ID:Kbb2PMZH
チーナは元寇侵略で日本に謝罪と賠償はしたのか?
3名無しのひみつ:2012/10/11(木) 23:44:41.74 ID:TUMGocDr
1例をもって全てとする愚
4名無しのひみつ:2012/10/11(木) 23:52:05.42 ID:LPPQLptj
元に征服されて弁髪姿の朝鮮人は、率先して日本へ侵略したそうじゃないか。


5名無しのひみつ:2012/10/11(木) 23:54:52.21 ID:29rPku81
シナに謝罪と賠償を
6名無しのひみつ:2012/10/12(金) 00:05:54.20 ID:MG7vY54b
弁髪姿は満州族=清朝の風習な訳だが・・
何でウヨってこうも間抜けなんだ
7名無しのひみつ:2012/10/12(金) 00:06:16.81 ID:Oka1LDOa
>元寇
ややウソ。朝鮮人が元朝をたきつけて、日本に侵攻するが、大失敗。
8SBT:2012/10/12(金) 00:09:31.89 ID:PbHL7mDb
こんな感じでUFOの残骸が海底から見つからないかな。
ノルウェイのはどうなったのだろう。
9名無しのひみつ:2012/10/12(金) 00:11:14.68 ID:+R9aypSa
>>7
しかも3回もな(笑)

鎌倉幕府が対応した2回と思っている奴が多いが
10名無しのひみつ:2012/10/12(金) 00:13:20.16 ID:SSonSQcv
13世紀すでに密航船の技術が。
11名無しのひみつ:2012/10/12(金) 00:19:15.07 ID:+0uasCYn
竜骨いれたの中国が最初じゃないか?
12七つの海の名無しさん:2012/10/12(金) 00:30:54.13 ID:PJ7ZBYRy
これはこれでいい。
更に発掘・探索して
事実に基づいて歴史を記述するようにしましょう。
13名無しのひみつ:2012/10/12(金) 00:32:57.88 ID:XND/BS48
連合軍だからクオリティの高い船もあったのだろう。朝鮮人に作らせたのが安物の乱造品
で中国の商船利用のものはちゃんとしていたんじゃねえの?元には船は作れなかったはず。
14中国人:2012/10/12(金) 00:40:47.90 ID:awpNV7mx


>>2 はいはい、すみませんでした!

15名無しのひみつ:2012/10/12(金) 00:44:27.48 ID:llTA9ES2
友好なんて笑える


笑えるわー
16名無しのひみつ:2012/10/12(金) 00:44:43.22 ID:27F9D3O4
世宗王のころ、日本人の船を拿捕したときに、水漏れしないことに驚いたと李朝実録に
わざわざ記されているくらいだから、朝鮮の船はまじめに作っても沈むのが常識なんだろ。
17名無しのひみつ:2012/10/12(金) 00:50:13.86 ID:1eJM03cM
>>13
元の記録からみると高麗の軍船は比較的残存率が高く、
中国側からの船は比較的残存率が低い。
というか記録面からみると

文永の役 → 上陸戦闘で橋頭保を確保するに至らず撤退
弘安の役 → 上陸もままならず船に切り込まれ敗北、近海で2カ月援軍待ちしているうちに台風に遭遇

っつーところで、これが今の教科書的な見方。
これが、

戦前 → 当時の寺社勢力が喧伝していた「神風」が、国家神道により公式化される
戦後 → 一時左翼的勢力の政治的嗜好で「島国のチビが大陸の騎馬民族に勝てるわけがない」という考えから台風による幸運扱いになる

という経緯で最近まで残ってた。
右翼と左翼が仲良く同じことを唱えていたという例。
18名無しのひみつ:2012/10/12(金) 01:11:35.04 ID:wtjA23rT
19名無しのひみつ:2012/10/12(金) 01:24:44.65 ID:1eJM03cM
>>6
> 忠宣王(1308年 - 1318年)以降の高麗世子は禿魯花(トゥルカク、turqaq)として元の宮廷で育てられ、
> ……父の死後、高麗王に任命されるのが慣例となる。忠烈王以降の高麗王の母は、みなモンゴル人となった。
> また、胡服辮髪の令(1278年)を出したほか、一切の律令制定と発布は元朝の権限とされた。
> 以降の王は元の宮廷で育ち……高麗貴族の間ではモンゴル文化が流行した。

辮髪は東北アジアに広く見られる風習で
高麗はモンゴルの属国時代に辮髪令を出してる。
20名無しのひみつ:2012/10/12(金) 01:28:41.97 ID:yvbEvhVy
今の韓国人のDNA鑑定すりゃ、
大抵父系はモンゴリアンだろ?
哀れっちゃ哀れだな。同情はしないけど。
21名無しのひみつ:2012/10/12(金) 01:30:56.84 ID:o0SQ080d
皇帝フビライは、部下の朝鮮人に住民に手荒なことをしてはいけないと
厳命したのだが、まるで伝わっていなかった。
対馬では日本の住民を狩り集めて手のひらに穴を開け紐を通して
連行した。
日本侵略をフビライに強く進言した者は、当時の朝鮮人である。
彼らは当時より大陸を逃げ去り島国日本を占拠したかったのである。
この二度にわたる日本侵略が失敗して元朝の寿命は相当短くなったのである。
国費の乱費、消耗につながるのだから当然であった。
敵対する鎌倉幕府がかなり消耗したのも事実。
22名無しのひみつ:2012/10/12(金) 01:31:53.66 ID:ECA/TCm3
馬まで乗せて日本へ来るワケだから、そりゃあ粗造品は使わんだろう。
23名無しのひみつ:2012/10/12(金) 01:35:30.45 ID:IHDtEWp/
急造の船体材料に生木使ったから漏水対策で二重底にしたんじゃね
船内にイキナリ水柱が立つよりジワリと湿ってきた方が塞ぎ易いだろうし
24名無しのひみつ:2012/10/12(金) 01:51:32.84 ID:U3GYQWvj
江南(元宋)製だろう。
朝鮮製もあるがそっちはどうかな?
25名無しのひみつ:2012/10/12(金) 02:03:14.11 ID:+R9aypSa
>>24
ガンダムスタイル?
26名無しのひみつ:2012/10/12(金) 02:19:20.37 ID:4j/mnmW/
高層ビルでも粗製濫造できるんやで?

構造技術と、品質は、違うんやで?
27名無しのひみつ:2012/10/12(金) 02:36:28.03 ID:M1XdeZwO
>>1
オイオイ、いいのか?
下朝鮮は、元寇という侵略行為をごまかす為に

「元を欺いて倭人を救う為にわざと船を沈む様に乱雑に船を造ったニダ」

ってマジで言ってるんだが・・・

28名無しのひみつ:2012/10/12(金) 02:53:41.54 ID:+KrrpmwD
共産主義が絡んでなけりゃ結構いいもん作れるんじゃないの
29名無しのひみつ:2012/10/12(金) 03:33:22.08 ID:FcONSBdJ
以前の教科書には神風なんていう無根拠の怪しげな言説が書かれてたりしたな
妙な思想の臭いがするわ
30名無しのひみつ:2012/10/12(金) 04:09:05.44 ID:iZKFTLuO
今でも苦戦した事にされてるぞ

弓の射程も日本側の方が長いのに
31名無しのひみつ:2012/10/12(金) 04:16:28.84 ID:hOpghikG
>>6
ウヨは妄想で捏造しまくるからチョンと同レベルだよ
相手にしない方がいい
32名無しのひみつ:2012/10/12(金) 06:15:08.61 ID:ANjoQFem
鎌倉幕府が滅んだのも江戸幕府が滅んだのも外国のせいだよね。
まあ、世界中の平和な国がそうやって外国に滅ぼされてるわけだけど。
33名無しのひみつ:2012/10/12(金) 06:22:12.43 ID:s8bwdf29
事社会教師もこの事例に限っては
もし負けていたら日本は〜
とか仮定論調 多用しすぎだと思う

認めろ全力で台風に2度も突っ込んだバカな民族だったと
34名無しのひみつ:2012/10/12(金) 06:23:48.58 ID:Ey5sGvu8
>>31
自己紹介乙
35名無しのひみつ:2012/10/12(金) 06:32:32.51 ID:nhhOU7VZ
>>32
鎌倉幕府の場合はずっとずっと遠因だけどなぁ。
というか、元寇はほとんど関係ない。
元寇で戦ったのはほとんどが九州の御家人だし、鎌倉幕府に謀反した奴らも
全く元寇にゆかりもない近畿、関東の奴らばっかだし。

肝心の九州の御家人たちが討幕の中心になったのなら、説得力ある説だけど。

貨幣経済についていけない武士が多く出たことと、北条氏の専制が武士の不満を募らせたこと
が鎌倉幕府の滅亡理由だな。

あ、今気付いたけど、北条氏が専制になったのは元寇で権力を集中させたからだから、
そういう意味では確かにそうかもな。
36名無しのひみつ:2012/10/12(金) 06:38:41.71 ID:nhhOU7VZ
>>33
一度目の文永の役は台風じゃないよ。12月近い時期だったし、台風は来ない。
元軍は日本で苦戦して撤退する際に、玄界灘で暴風雨にあった。

玄界灘は危険な海だと知られていたし、もっとも避けなければならない「夜間での出航」
をしてしまったのが元軍の命とりだった。
普通に荒れている海を一番危険な「夜に」無理矢理出航して損害を出した。
37名無しのひみつ:2012/10/12(金) 06:55:12.91 ID:SBPpghCH
>>32
江戸幕府が滅んだのは、外国の影響は学校で習う歴史のような関係ではないよ

幕府はアヘン戦争のことを世界で3番目くらいに良く知ってたから、こんな時に内戦なんてやってたら清の二の舞になるって分かってた
だから本気の内戦を起こさないために自分たちが引いたの 全権力を差し出してまで

もちろん維新派の後ろには外国勢力というか、世界中で戦争で儲けてる人達がバックにいた様だけど、
その連中がどういった類の連中なのかまで、幕府は知ってた可能性は高いけど、歴史の教科書読む限りは維新派はほぼ全く知らなかったとしか思えない
38名無しのひみつ:2012/10/12(金) 07:09:34.27 ID:uFNElPY4
南宋船か
39名無しのひみつ:2012/10/12(金) 07:25:31.82 ID:KKWoBccG
>>37
250年↑の歴史を投げ出してまで日本を維持しようとしたくらい、日本対世界を意識できてたのは、さすが250年↑に渡って日本をまとめてただけのことはある権力なのね

維新派も、外国をよく知る藩の出だったと思うから、対外国は意識してたと思うけど
40名無しのひみつ:2012/10/12(金) 07:38:33.52 ID:wtjA23rT
41名無しのひみつ:2012/10/12(金) 07:39:29.61 ID:vQq/t1RJ
元寇もチョンが元を焚き付けたんだよな
42エラ通信:2012/10/12(金) 07:52:11.55 ID:+1jl8/ZU
日本への侵略をよしとしない平和を愛する朝鮮人が手抜きしたから、
大量遭難があった、とほざく朝鮮人と朝鮮人に関係する知識人が、
口を開けなくなったな。
43名無しのひみつ:2012/10/12(金) 08:36:14.80 ID:wbSgJdII
高麗に高度な造船技術があった理由がわからないな。宋船なら普通にアジア諸国と往来があった
からわかるんだが 高麗は海洋国家じゃないし遠洋に出ることなどなかったはずだろ?沿岸漁業
しかしな国で二重底を作るのかね?
44名無しのひみつ:2012/10/12(金) 08:55:21.80 ID:JZsof7OG
>>1
『日中韓2000年の真実』(扶桑社新書)にも船が粗製だったことが、
朝鮮側文献にしたがって書かれてる

朝鮮文献が違うのか、
一例をもって万例としてよいのか
今後の研究で明らかにしてほしい
45名無しのひみつ:2012/10/12(金) 09:15:02.19 ID:eObpQOYN
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          ,-─ 、
         /愛 国\ 
       /|/-O-O-ヽ|\ 
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   /_ト このスレには ∠_\
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  `ー─────────── ´
46名無しのひみつ:2012/10/12(金) 09:17:38.38 ID:6VU1r5Cn
>>43
主に台風で被害を受けたのは南宋船。
4000隻が数百に、高麗の方は台風に備えていたので7割程助かった。
47名無しのひみつ:2012/10/12(金) 09:21:33.51 ID:TRn/UZR3
朝鮮人だって少しはまともな奴もいるだろw それだけのこと
48名無しのひみつ:2012/10/12(金) 09:34:37.32 ID:58Y9BLN1
なんで、琉球と思ったら、せんせの大学か。
49名無しのひみつ:2012/10/12(金) 09:40:35.37 ID:4608IYkC
たまたま粗製乱造じゃなかった船が残ってたんだろ
50名無しのひみつ:2012/10/12(金) 09:53:15.26 ID:hP1emtn8
そもそも粗製乱造だったら日本に到着する迄に大半が沈むだろ
兵士と武器と食料をたんまり積んでるから
どうしてこの程度の事すら分からん
51名無しのひみつ:2012/10/12(金) 10:06:48.43 ID:CyP/tdPN
中国帝国主義打倒の象徴だね。
中国人、朝鮮人は自らの過去を直視せよ!
52名無しのひみつ:2012/10/12(金) 10:14:55.97 ID:6GOsTe/b
二重構造=粗製濫造で無い証にはならないだろ。

同時代の二重構造船と較べて質を語るべきじゃないのか?
53名無しのひみつ:2012/10/12(金) 10:32:39.14 ID:x1Ael+34
そういう本来なら丈夫な構造してたのだから
簡単に沈むわけが無い。とは限らんしな
どっかの国の最新鋭の軍艦ぽいものとかでもガワがそう見えるだけで
性能には色々疑問符ついたりするしね
54名無しのひみつ:2012/10/12(金) 10:43:48.61 ID:nhhOU7VZ
13世紀の造船技術では2ヶ月近くも海洋を漂い続け
台風を受けたら、まともに耐えられるわけがない。

元寇で日本に攻めてきた軍船は、当時の技術力では
最新の造船技術で造られた船だった。
ただ、時代が追い付いていなかった。それだけのこと。
55名無しのひみつ:2012/10/12(金) 10:59:26.81 ID:dFCC/0bH
wikipedia の元寇を読んだが、すげー戦いだったんだなw
勝って良かったよ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/元寇
56名無しのひみつ:2012/10/12(金) 12:02:07.76 ID:BUeYe6w6
>>43
民間の船を接収したんじゃねーの?
外海で貿易した船があるのなら、輸送用の船が足りなくて
民間の船パクったとか。
それなら、一部の船にきちんとした船が混じっていても不思議ではない。
57名無しのひみつ:2012/10/12(金) 12:09:09.04 ID:eolLsvEx
船はウリ達が造ったニダ!
58名無しのひみつ:2012/10/12(金) 12:57:40.04 ID:sy3lrM2P
>>17
天皇中心の見方をすれば真逆だがそれ以外で見れば
極論思考、自己中で交戦的な全体主義者というおなじようなもんだろ
戦前右翼と戦後左翼って戦中軍人には天皇を看板にした共産主義者みたいのもいたし。
59名無しのひみつ:2012/10/12(金) 13:15:36.18 ID:WKrMBRTG
ごく一部のよくできた船が現存するんじゃね?
ぼろい船は木片にまでバラバラになって流失
60名無しのひみつ:2012/10/12(金) 13:26:20.89 ID:sfNXV3cF
単に二重にしないと浸水が止まらなかっただけでは
61名無しのひみつ:2012/10/12(金) 14:22:56.77 ID:2VwPD5LU
粗製乱造でも、スペースは必要だから
武器や食料、水等も積み込む場所として下を倉庫代わりにしてただけじゃないのか?
62名無しのひみつ:2012/10/12(金) 14:40:49.82 ID:nhhOU7VZ
そもそも、粗製乱造説が妄想だけで広まっていたからな。
根拠なんて無かった。

自分らが乗る船を粗製乱造するわけがないのはちょっと考えれば
わかることなんだが。
それに出来栄えのチェックが無いわけがない。
チェックを受けて粗製だったなら、クビライは何らかの指示を出した
はずだが、そんな指示も記録には無い。

むしろ、なんで粗製乱造説のようなトンデモ説が広まったかの方が謎。
63名無しのひみつ:2012/10/12(金) 14:50:54.54 ID:F05xjEqe
そりゃあ元寇を撃退できたのは、高麗人たちが元に反抗するという意味で手抜きの船を作ったからだ
日本人の武勇による物ではない、ありがたく思え
と、元に日本侵略を唆したくせに、それを摩り替えるため
64名無しのひみつ:2012/10/12(金) 14:53:48.09 ID:1eJM03cM
>>62
>>17にも書いたけど
戦後の一時、左翼的勢力の政治的嗜好で
「日本が大陸軍に勝ったことはあってはならない」
「閉鎖的で遅れていた日本が大陸の騎馬民族に勝てるわけがない」
とする考えから、台風による幸運扱いになった、という時期があって、
すると先進工業力を持っていた大陸勢力の船が簡単に沈んだという矛盾があり、
そこから粗製乱造説が出てきた。
直接的根拠はもちろんない。

戦後になって高麗のつけた記録で、
日本侵攻の経費で窮乏している云々というのがあって、
粗製乱造論者はそれを引いて、当時の高麗の国力では粗製乱造云々と言っていた、
というのが大まかな経緯。
65名無しのひみつ:2012/10/12(金) 14:56:26.83 ID:1eJM03cM
>>63
それも戦後の経緯だね。
韓国内の嗜好として、日本に対して優位でなければならないという嗜好と
豊臣時代の朝鮮侵攻を批判してた手前、元寇での侵略意図が都合が悪く、
折衷案としてそういうのが出てきた。根拠はやはりない。
66名無しのひみつ:2012/10/12(金) 14:57:29.63 ID:p8i58swN
粗製だろうと鉄板二重底だろうと当時の技術で作った船が
台風直撃すればなんだろうと沈むわ
67名無しのひみつ:2012/10/12(金) 15:04:05.74 ID:nhhOU7VZ
この粗製乱造説がアホらしい説なのは、新造船で成り立っていた東路軍の被害が
軽微で、旧南宋の軍船を転用した江南軍の被害が甚大だったことを無視していることだ。
新造艦に乗っていた高麗兵の生還率は7割を超えていた。

つまり、新造した船ほど被害が見受けられないということは、粗製乱造説は成り立たない。
単に江南軍の被害が甚大だったのは、粗製乱造だったからではなく旧南宋の軍船をそのまま
転用したことによる船の劣化によるものだ。

まあ、あれほどの大軍を日本に派遣するには南宋船の転用は避けられない必然的な
ものだったと思うけど。
68名前をあたえないでください:2012/10/12(金) 15:35:40.20 ID:f6BRyBYb
まあ、いずれにせよ日本が勝利した事実は消せない
69名無しのひみつ:2012/10/12(金) 16:41:43.43 ID:ymoZrP8o
元寇以前にも、新羅や高麗が何度も九州に襲撃を仕掛けてきていて、
朝鮮が古代から敵性勢力だったことを、きちんと教科書に乗せるべきだな。
70名無しのひみつ:2012/10/12(金) 17:02:23.18 ID:t36rb2Yp
南宋は、普通にインド洋航路でインドや中東まで船が交易で行き来していたんだから、

それなりの外洋船の建造技術はあるだろう
71名無しのひみつ:2012/10/12(金) 17:07:05.78 ID:NhznAkz1
まあ列強諸国の蒸気船でも嵐に遭えば沈む時は沈むんだからそんなもんなんだろう
72名無しのひみつ:2012/10/12(金) 17:46:42.26 ID:YhaHcteL
元寇の時代の人々は今の中国人とは全然違う民族だろ。
常識的に考えて海を超えて隣国に攻め入ろうってのに軍艦を適当に作るわけがないだろう。

今の中国人は高速道路や高層ビルを地盤工事なしで発泡スチロールで作るし、
海を超えて隣国に攻め入ろうってのに飛行機乗らない空母をゴミ船改造して適当に作ったりしてるけどな。
73名無しのひみつ:2012/10/12(金) 20:33:05.56 ID:F05xjEqe
> 今の中国人は高速道路や高層ビルを地盤工事なしで発泡スチロールで作るし、

それにしてはビルが倒壊したというニュースを聞かんけどな
74名無しのひみつ:2012/10/12(金) 20:55:57.01 ID:HyuD0EJ2
台風直撃ならどっちにしろ沈むだろ。鎌倉時代だぞ。
75名無しのひみつ:2012/10/12(金) 21:28:24.39 ID:B3lb+yIi
昔の中国はマシだったんだろうなぁ

やっぱり文革で識者を殺しすぎたんだよ。
クメールルージュも同じ道をたどったんだな。。。
76名無しのひみつ:2012/10/12(金) 21:45:46.87 ID:6qY11Yf9


朝鮮の歴史書、高麗史の1272年(元宗十三年)三月の条の記を見れば、

惟彼日本 未蒙聖化 故発詔。使継糴軍容 戦艦兵糧 方在所須。
儻以此事委臣 勉尽心力 小助王師。

思いますれば、あの日本は、未だに元皇帝様の徳による導きを受けていません
それ故に詔を発して、軍容を整えて、戦艦兵糧 を用いましょう
もしも、この事を臣である私に、お任せくだされば、心力を尽くし励み、
そして王師を、微力ではありますが、お助けしたいです


明らかに高麗の世子 ェ(しん、後の忠烈王)自身が元の皇帝フビライ に日本への遠征を願いでてますね

77名無しのひみつ:2012/10/13(土) 01:37:25.38 ID:6UcR6ERl
朝鮮が創生乱造してくれたおかげもあって勝てたとか
サヨ歴史書にあったが、おおぼらだったってわけか。

物的証拠ないことを堂々と述べないでほしいよな。
78名無しのひみつ:2012/10/13(土) 02:05:33.01 ID:vs/qkyZk
2重にしないとマトモに航行出来なかった可能性もあるから
2重底だから高品質とは限らないだろうな。

でも2ヶ月も海上に居て嵐にあって沈んだのだから、当時の船としては
悪い部類には入らないんじゃないか?
79名無しのひみつ:2012/10/13(土) 13:18:32.59 ID:PCwilQag
竹崎李長って、元寇の絵巻の特定部分切り抜きで物凄く不当な評価されてるよな。
80名無しのひみつ:2012/10/13(土) 14:01:14.56 ID:YZOF9Gks
相変わらず、何でも右翼に結び付けて火病る朝鮮籍はガチキチだなw
ちなみに、朝鮮の造船技術が未熟だったのは事実。杉材無使用とか、生木無使用とか鉄釘無使用とかw
そういう技術でどんな影響が出たかっていうと、船足が遅いとか、船内が異様に蒸すとか、
寿命が極端に短いとか。つまり、粗製濫造以前の問題であり、生き残っても大した事はできない船だった
81名無しのひみつ:2012/10/13(土) 14:03:09.93 ID:YZOF9Gks
>>80訂正
生木無使用 ×
生木の使用 ○

対馬襲った時にかっぱらった和船を参考にウリナラ船改良しようとか、
帰化した日本人に船作らせて競争したら大負けしたとか、伝説は結構多いw
82名無しのひみつ:2012/10/13(土) 16:29:23.62 ID:6VKPkCTr
>>73
グーグル先生に 中国 ビル っていれて出てくる予測検索の4個目の項目押してみ
83名無しのひみつ:2012/10/13(土) 18:45:49.29 ID:b/Hs16l6
>75
時期による。
中国は大陸だから定期的に外部から侵略されているから。
84名無しのひみつ:2012/10/13(土) 19:09:43.85 ID:paWzC1vZ
船がまともだったってことは結局、元寇を追っ払ったのは神風でもなんでもなく武士の戦闘力ってこと。
台風のない時期に攻めてくればいいだけなのにそれをしなかったのはそういうことだ。
85名無しのひみつ:2012/10/13(土) 21:12:07.66 ID:GzOPbH2N
>>79
竹崎季長(たけざき すえなが)ね
教科書とかでバカみたいに名乗りを上げて矢で撃たれて殺された
とか、無茶苦茶な解釈でかなり貶められてる人。
86名無しのひみつ:2012/10/13(土) 22:11:57.69 ID:jWa1BF79
荒天だから勝てたのではない。
荒天の時に上陸を強行するようなアホが相手だから勝てたのだ。
87名無しのひみつ:2012/10/13(土) 22:59:47.54 ID:UaL3qRTF
>>85
竹崎季長って戦功を挙げたのに恩賞がなくて直訴したんで、
後に幕府への不満がたまるきっかけの例として紹介されてなかったっけ
88名無しのひみつ:2012/10/14(日) 02:12:47.95 ID:cB7pMUc8
>>86
違うよ。武士の奮闘で勝てた。

元軍が朝鮮を出航したのが5月3日。で、台風が8月1日。
なんで朝鮮を出航してから3カ月も海上にいたかというと
6月8日に起こった志賀島での戦いで元軍が陸上から叩き出されたから。
89名無しのひみつ:2012/10/14(日) 05:45:55.13 ID:F2NOz4kk
まあ、大規模な渡海作戦なんて、今でも大変なのに、当時はなおさら

台風がなかったとして、十数万の大軍で強攻すれば、やりようによっては、一時的に大宰府を占領するぐらいはできたかも知れんけど、
鎌倉幕府だって、十万人ぐらいは軽く動員できるわけで、本州から増援が到着すれば兵数の優位はなくなる

実際は、その十数万の大軍も、まともに九州に上陸して橋頭保を築くことすらできずに、海の上でぐずっていたわけだし
90名無しのひみつ:2012/10/14(日) 05:53:48.74 ID:uZlxQ0EA
船べりに手に穴あけてつるされてた日本人もいっしょに沈んだんだろな。
91名無しのひみつ:2012/10/14(日) 06:24:57.26 ID:xX/28odQ
>>75
今の中国の大人は紅衛兵世代のキチガイばかりだからな
92名無しのひみつ:2012/10/14(日) 06:42:48.11 ID:2TU+Eeur
>>17
確かに台風のおかげで勝てた、ラッキーだったと教わった。
しかし台風のシーズンに2ヶ月も沿岸にいたら運なんかに関係なく
台風に遭遇するわな。

で、なんで台風のシーズンをねらって攻めてきたかというと、元
旦の日に戦勝を祝って皇帝の威信を内外に示せるように、という
ことらしい。

93名無しのひみつ:2012/10/14(日) 09:25:58.50 ID:cB7pMUc8
>>89
>台風がなかったとして、十数万の大軍で強攻すれば、やりようによっては、一時的に大宰府を占領するぐらいはできたかも知れんけど

どう足掻いても無理やと思う。九州の現地武士団だけで苦戦していた元軍が無理矢理突入しても
大宰府はおろか、浜辺の現地軍を蹴散らす力さえないと思う。

元寇防塁もあるしね。ちなみに元寇防塁は一度も戦闘の舞台となっていない。
大河ドラマ北条時宗では、なぜか元寇防塁で戦闘が行われるなど捏造されていたけど。

さらに元軍に都合の悪いのは、本州の本隊6万騎が長門まで来ていた。
強行突入なんてしたら、元軍エンドだよ。
94名無しのひみつ:2012/10/14(日) 09:38:10.59 ID:jQ3pjRbt
山がちな日本ではモンゴルお得意の騎兵も活用できないし
当時の技術では数万の兵を海外に派遣するだけでも莫大な負担が生じる
しかも荒れやすい日本海を越えて兵站維持するとなるともう無理ゲーのレベル
日本側から有力者の裏切りがあって、橋頭堡を提供してくれるとかいうことがない限り
日本遠征は台風の有無に関係なく失敗以外にありえなかった
95名無しのひみつ:2012/10/14(日) 09:54:26.84 ID:A9odP8vp
モンゴル製
96名無しのひみつ:2012/10/15(月) 21:05:05.03 ID:Aggb4mLf
>>94
そもそも馬が大した数来てないらしい。
しかも兵力の大半は騎馬民族じゃない。
97名無しのひみつ:2012/10/15(月) 21:38:47.25 ID:chHGgF+P
>>6
ネトウヨ連呼厨=在日ネトウヨって
何でこんなに無知で馬鹿なの?www
おつむの程度が知れるわwwww
98名無しのひみつ:2012/10/15(月) 21:49:18.56 ID:/lURoqcu
>>96
馬鹿なこと言っちゃあいけない。
馬の数は当時の資料には書かれていないから不明だし
主力の蒙漢軍は2万5千もいた。もちろん、蒙漢軍の蒙とは
蒙古兵のことだから大半が騎馬民族じゃないというのは嘘。
大半が騎馬民族。
99名無しのひみつ:2012/10/15(月) 22:36:17.65 ID:G20Ix0aY
モンゴル帝国、特にフビライはかなり臨機応変

南宋を攻めるに当たって、湿潤な江南ではモンゴルの騎兵では不利と判断し、
モンゴル人の騎兵は少数に留め、漢人(旧金領にいた漢民族)部隊を主力に据えて、
南宋を滅ぼすことに成功している

だから、日本を攻める時も、早い段階で騎兵の不利を悟って歩兵主体に切り替えるぐらいのことは、
できたと思う

まあ、それでも日本の、九州の一部だけでも占領するのは不可能だっただろうけど
100名無しのひみつ:2012/10/15(月) 22:42:28.86 ID:Pd50c1b9
>>98
素直に読んだところで…なんでそれで >大半が騎馬民族 になるんだ!?

だいたい元寇のときに馬の大量輸送なんてできたわけないだろJK

主力は蒙古に負けた非騎馬民族なわけだし。
どこのカビ生えたアホ研究室のクズ学生か知らんが、全般的に意味不明
101名無しのひみつ:2012/10/15(月) 23:22:28.66 ID:ctax/BNJ
>>92
素朴な疑問として2ヶ月も数万の大軍が船の上で生活できるのか?
そんなにいたら、食料はもちろん水にも困ったろう。兵糧攻めに
されてるのと状況は変わらないぞ。
102名無しのひみつ:2012/10/15(月) 23:35:39.53 ID:Aggb4mLf
じゃあますます馬なんか大した数いないな。餌ど〜すんのさ?
103名無しのひみつ:2012/10/15(月) 23:47:11.94 ID:/lURoqcu
>>101
歴史は妄想で語るものじゃあないんだよ。
日本側の資料『八幡の蒙古記』によると蒙古兵の特徴を
「鎧かろく、馬に、よくのり、ちから、つよく、命をします、豪盛勇猛、自在きはまりなく」
と言っている。蒙古兵を見たことがない日本側の資料に「馬によくのる」と書いたあるのだから
馬を多く連れてきた事は間違いない。
104名無しのひみつ:2012/10/15(月) 23:47:49.33 ID:/lURoqcu
訂正
>>101

>>100
105名無しのひみつ:2012/10/15(月) 23:48:03.41 ID:OrBxUjc2
こうして冷静に考えると嵐が来る前に上陸阻まれて援軍待ちしてる間に自滅したんじゃないかと
思えて仕方ないんだが学者さんたちはなんでそんなこと言わないんだろう。
106名無しのひみつ:2012/10/15(月) 23:59:35.54 ID:atOu6UZ0
NHKの大河ドラマひどかったよなぁ
命令されて朝鮮王が驚いたシーンがあったのをみてビックリしたわ
あとまるで、、従わなかった鎌倉幕府が悪いようなことまでいって
NHKは左翼か朝鮮かしらんがそうとうやられてるよな
外国のプロパガンダに汚染されてるから契約をもうとめようかなぁと本気で検討中
107名無しのひみつ:2012/10/16(火) 00:12:52.24 ID:ysowDqpK
>>105
学者はそう言ってるよ
ふるい教科書に基づいた知識でいる人が多いと言うだけで。
108名無しのひみつ:2012/10/16(火) 04:59:32.09 ID:Zq9NzTMG
>>103馬によくのりは馬に乗るのがうまいって解釈もあるって説を唱える学者もいるから。
間違いなく証拠として残ってるのは蒙古軍に疫病がはやって船の中は病人だらけだったって事
109名無しのひみつ:2012/10/16(火) 09:51:54.76 ID:OoZkLdb8
>>108
疫病が流行ったのは船内に元軍が押し込まれていた弘安の役の話。
陸上戦だった文永の役では兵が疲れきっていたとしか軍兵の様子はかかれていない。
高麗史「忽敦曰、兵法小敵之堅、大敵之擒、策疲乏兵、敵日滋之衆、非完計也、不若回軍』復亨中流矢、
先登舟、遂引兵還、會夜大風雨、戰艦触岩多敗、?堕水死、到合浦、」

モンゴル人の総司令官・忽敦は、疲れきった兵を用いて増強され続ける武士団と戦い続けてしまっては
捕虜となってしまうと判断して撤退したことがわかる。
110名無しのひみつ:2012/10/16(火) 10:20:54.00 ID:9BfgVrtk
でもメイドインコリアでしょ
111名無しのひみつ:2012/10/16(火) 10:34:09.62 ID:KLwA0fae
>>110
だが、ブランドマークは、「蒙古」印だ。
112名無しのひみつ:2012/10/16(火) 12:35:23.49 ID:8NucMOgU
まあ実際は為朝が弓矢で全て撃沈したんだけどね
113名無しのひみつ:2012/10/16(火) 16:52:58.17 ID:HXY8Pmto
>103
よく乗る は上手に乗るであって、沢山乗る じゃないんだけど・・・
114名無しのひみつ:2012/10/16(火) 16:57:46.76 ID:OoZkLdb8
>>113
馬にうまく乗るということは馬に乗っていたということなんだが…
115名無しのひみつ:2012/10/16(火) 17:00:34.58 ID:OoZkLdb8
一般的な蒙古兵の特徴を挙げている中に「馬によくのる」と蒙古兵を見たことが無い
日本側が言っているのだから蒙古兵が馬を沢山連れてきていることに何を疑う必要が
あるのかわからない。
116名無しのひみつ:2012/10/16(火) 17:01:29.27 ID:jMBwvTPR
だからそれだけじゃ数の多寡はわからんだろう
馬に乗ってるやつは上手だったとしか言ってないんだから
117名無しのひみつ:2012/10/16(火) 17:07:56.68 ID:OoZkLdb8
>>116
そんなはずがあるわけない。蒙古兵の特徴をあげるのにわずかしかいない馬上の兵士を
挙げて「馬によくのる」とわざわざ挙げるだろうか。

もう一つ決定的証拠がある。同じく八幡の蒙古記には元軍は上陸を終えると馬に乗り
旗を揚げて攻めかかってきた」と書いている。
「十月廿日未明より、蒙古陸地に、おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻めかゝる」
これは完全に軍全体のことを言っているのであって、ごく少数のものを捉えて言っている
のではない。
118名無しのひみつ:2012/10/16(火) 19:37:06.09 ID:rI0lg58S
横から悪いんだけど、馬を運んできたとしたら侵攻してきた兵力の全体数が少なくならない(´・ω・`)?
119名無しのひみつ:2012/10/17(水) 07:14:53.34 ID:gid7V3Wl
言うほど完全に軍全体か?
120名無しのひみつ:2012/10/17(水) 08:38:59.46 ID:ewlSYjUv
あんな時代にあの程度の舟で馬大量輸送なんかあるわけ無いだろ
121名無しのひみつ:2012/10/17(水) 09:07:57.16 ID:y39cuQ2X
>>120
海路でヴィジャヤ朝に侵攻したときの陣容が軍船500艘で兵7万、弘安の役のときは
軍船4400艘で兵15万だから、馬をかなり連れてこれるだろ。
122名無しのひみつ:2012/10/17(水) 09:08:30.71 ID:j9Bi4ZOu
>>120
馬の餌と水を運ぶのは無理だよなぁ、どう考えてもw
123名無しのひみつ:2012/10/17(水) 09:12:38.84 ID:j9Bi4ZOu
>>93
>さらに元軍に都合の悪いのは、本州の本隊6万騎が長門まで来ていた。

助かったな、幕府。

六万騎も戦闘に参加してたら...恩賞で鎌倉幕府は、新田を待つ事無く一瞬で飛んでたwww
124名無しのひみつ:2012/10/17(水) 09:26:45.36 ID:NdS86E1r
本州はブリテン島より大きい面積世界7位の島だし九州だって台湾より大きい
人口密度も非常に高い
伝統的に軍事偏重の武家政権だしさすがの元でも侵略は難しかっただろうな
125名無しのひみつ:2012/10/17(水) 12:01:20.83 ID:GLmU0d4f
長門に元軍が上陸したとの説があるが。
本州の本隊6万騎は長門で元軍と交戦したかもしれない。
http://www.geocities.jp/ochappy_l/genko/zentei/saikai.html
126名無しのひみつ:2012/10/17(水) 12:04:40.63 ID:GLmU0d4f
九州は北からの侵略には地形的に有利だ。
大宰府(水城)の関門を突破しないと南に進軍できないが、水城も防塁とならんで整備されただろう。
127名無しのひみつ:2012/10/17(水) 13:01:48.65 ID:aPit28IV
何にせよ、本気になった日本人は怖いということだ。
128名無しのひみつ:2012/10/17(水) 14:03:51.13 ID:c9weAiau
元が騎馬軍主体に攻めてきたとか思ってる池沼が一匹がんばってるなwww
129名無しのひみつ:2012/10/17(水) 17:03:46.24 ID:MkoWxNMb
>>103
すると今度は馬のエサどうしてたんだって疑問が湧く。
飼葉もろくに与えられず痩せ細っていく馬を順番に殺して
兵士の食料にしていたのか?
130名無しのひみつ:2012/10/17(水) 17:37:21.36 ID:r5JF9juB
>>127
違う
日本を本気で攻め落とすなら、太平洋戦争の米軍並みの総合力がないと無理だって事
131名無しのひみつ:2012/10/17(水) 19:05:08.63 ID:GLmU0d4f
つい最近まで、日本は九州くらいの島国だと思われていたから元軍の想定外の抵抗を受けたということだろう。
132名無しのひみつ:2012/10/18(木) 00:33:32.79 ID:HsjSmCzM
しかし根拠を出してる人間に何の根拠も持たない思い込みだけの
ヤツが池沼よばわりとはw
133名無しのひみつ:2012/10/18(木) 00:56:49.51 ID:U4iPSo35
自演乙
134名無しのひみつ:2012/10/18(木) 08:41:26.36 ID:Tm1HZI4g
馬の大量輸送なんてウィリアム征服王や十字軍が普通にやってるんだが。
元軍は十字軍以下だったってことでOK?
135名無しのひみつ:2012/10/18(木) 11:26:52.15 ID:AxwthOHk
>>134
メシ食うからあんまり持って行きたくなかったからあんまり連れてかなかった
136名無しのひみつ:2012/10/18(木) 12:57:21.93 ID:qzifnH7i
>>134
ウィリアム征服王は海賊、元軍は本体が山賊みたいなものだから航送が得意でなかったというのもあるかも。
137名無しのひみつ:2012/10/18(木) 13:20:33.55 ID:48iC7Kh/
エサはどうしたんだって疑問には答えないのな。
戦術ばかり語って兵站を語れないのは素人。
138名無しのひみつ:2012/10/18(木) 13:48:49.06 ID:acBZ978y
>>137
固定した地域で放牧やってたならサイレージした牧草があるでしょ
遊牧民は草に合わせて移動するからそういうのがないので知らんけど
139名無しのひみつ:2012/10/18(木) 16:01:22.47 ID:7ZNs3qEI
そんな程度で二ヶ月も持つのかよ
140名無しのひみつ:2012/10/18(木) 17:55:32.51 ID:SNP1EnAw
そんなサラブレットじゃないですし
なんでも食うような馬なんだろ
141名無しのひみつ:2012/10/18(木) 18:31:58.86 ID:9nXXqEbe
1頭当たり1日20Kgの餌と40Lの水が必要だが
当時の船の積載量がどれだけあったんだろうな
142名無しのひみつ:2012/10/18(木) 20:21:31.48 ID:NQl5W5HE
wiki程度のものでも
「テュルク・モンゴル的な騎馬兵の部隊がどれだけ派遣されたかについては不明な点が多い。」
としてあるね
橋頭堡を確実に確保するまでは騎馬を主戦力として投入する気はなかったんじゃない?
143名無しのひみつ:2012/10/18(木) 22:51:15.33 ID:npp5nyRW
こんな大規模に海渡ったの始めてだろこいつら
144名無しのひみつ:2012/10/18(木) 23:27:06.76 ID:0KdJCBTO
>>143
二度送って失敗は言い訳できない
それも大船団
145名無しのひみつ:2012/10/18(木) 23:40:13.79 ID:11n08Amk
>>120
あの時代なら馬の大量輸送とか余裕だぞ。
同時代の十字軍が元寇の10倍〜20倍の距離を馬の大量輸送してたし。
倭寇ですら1500頭を超える馬を船に乗せて対馬海峡渡ってるのに、
世界帝国のモンゴルに出来ないはずがない。
146名無しのひみつ:2012/10/19(金) 00:51:04.39 ID:DLKhDsSj
>>144
誰が言い訳した?馬鹿なの?
147名無しのひみつ:2012/10/19(金) 01:26:02.54 ID:fr5bK7FQ
>倭寇ですら1500頭を超える馬を船に乗せて対馬海峡渡ってる

>倭寇ですら1500頭を超える馬を船に乗せて対馬海峡渡ってる

>倭寇ですら1500頭を超える馬を船に乗せて対馬海峡渡ってる


どこから突っ込めばいいのか・・・
148名無しのひみつ:2012/10/19(金) 02:39:50.02 ID:c9j6UHEK
>>147
高麗史1380年9月に倭寇との戦闘で馬1600頭を押収した記録があるんだよ。
そもそも馬を船に乗せて渡海するなんて大昔から普通にやってて全然特別なことじゃない。
騎馬部隊の渡海侵攻だって紀元前から記録がある。
日本でも藤原純友の乱から源平合戦や南北朝の戦いでもやってるし。
あと元寇の13世紀当時、インド洋交易でアラビア半島からインドへの最大の輸出品が馬だ。
149名無しのひみつ:2012/10/19(金) 05:09:52.18 ID:742CV8bb
九州でモンゴル兵のやってた騎馬戦術って有効なの?
150名無しのひみつ:2012/10/19(金) 09:26:56.52 ID:uBzLz6XK
狭い船倉に何か月も閉じ込めたらお馬さんがカワイソウ。
151名無しのひみつ:2012/10/19(金) 10:56:31.61 ID:R8MfMx8J
倭寇というのは、実際には半島の住民が大部分だろ。
152名無しのひみつ:2012/10/19(金) 11:03:04.59 ID:FjuLJooK
>>148
エチオピア産の馬を南インドに輸出とかね
153名無しのひみつ:2012/10/19(金) 11:53:37.57 ID:XIyomxQW
元寇に馬を連れてこなかったとか言ってた奴が論破されまくりワロタw

本当は元が日本ごときに負けるわけがないという日本蔑視思想から
馬は連れてこなかった=連れてきたら勝てたと言いたいのが見え見え。
実際は普通に馬を連れてきていましたとさ。
154名無しのひみつ:2012/10/19(金) 12:06:25.92 ID:c9j6UHEK
>>150
聖王ルイ9世の十字軍なんて1248年8月にマルセイユで馬を船に積み込んで、翌年の1249年5月に
エジプトで騎兵を前面に強行上陸してるんだから、比べれば元寇なんて全然マシ。
ピサロがインカ帝国征服した時も騎兵は大活躍してるけど、その馬なんて船で大西洋渡ってるんだし。

>>151
高麗を襲った前期倭寇は完全に日本人だよ。
太平記にも「賊船の異国を犯奪事は、皆四国・九州の海賊共がする所なれば、帝都より厳罰を
加るに拠なし」って書いてある。
日本人のやってることだからって、当時大宰府にいた今川了俊が高麗に対倭寇のための軍を駐屯
させたりもした。
155名無しのひみつ:2012/10/19(金) 12:59:20.96 ID:InkFXMD3
>>150
弱ったりストレスで暴れたら
ウマーにされるんだろ
156名無しのひみつ:2012/10/19(金) 17:31:01.61 ID:/tTs3kj1
この話題を知り合いに話したら水漏れするたんびに木を打ち付けていったから二重になったんだろって言ってた
ワロタ
157名無しのひみつ:2012/10/19(金) 18:57:59.74 ID:R8MfMx8J
>>154
前期倭寇に限れば日本らしい。しかし、南朝の正規軍が倭寇をやっていたという説がある。
だとしたら、「和寇ですら」とはいえないだろう。
馬は半島で調達したとかではないのか。
158 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(5+0:8) :2012/10/19(金) 19:00:54.45 ID:ypOc0rDP
勿論アクエリオンを発見して欲しいですよ!?♪。
159名無しのひみつ:2012/10/19(金) 21:26:27.74 ID:gpo7dbP3
>>153
連れてきた馬の規模の話だと思ってたよ
160名無しのひみつ:2012/10/19(金) 23:13:57.65 ID:fr5bK7FQ
>>153
お前がレッテル貼りしたようなヤツそのものが存在しないのだが・・・
161名無しのひみつ:2012/10/19(金) 23:37:46.97 ID:M1PLkeJr
>>153 >元寇に馬を連れてこなかったとか言ってた奴

捏造する人間のいうことは信じられません
162名無しのひみつ:2012/10/20(土) 02:56:59.55 ID:qaCQmnco
インカ帝国と日本比較するんか
163名無しのひみつ:2012/10/20(土) 07:45:54.26 ID:FYM66UoM
馬の規模の話だが、どちらにしても「馬が大した数来てないらしい」というのは
根拠無しなことに変わりは無いないし、日本側の記録に馬にのって攻めかかってきた
との記述があることや海上の馬の大量輸送が十字軍その他の例から可能だったということ
元が日本遠征用に済州島を馬の牧場化してる点から見ても、「馬が少なかったに違いない」
ということに拘る必要性がわからないな。
164名無しのひみつ:2012/10/20(土) 08:01:05.00 ID:/Nd3Nb8D
捏造&自演がいまさら何つくろっても議論に参加する権利無しだな
165名無しのひみつ:2012/10/20(土) 08:10:29.80 ID:FYM66UoM
まあ、まともに反論できないから、つまらないレッテル張りで個人攻撃してるんだろうが
歴史板でもないスレでまともな議論を求めるのは無理か。
思い込みばかりで歴史を語られても困るしな。
根拠は無くても、信じたいことを信じたらいいよ。
166名無しのひみつ:2012/10/20(土) 08:50:54.48 ID:9vezxoGi
つか高麗兵って馬に乗れるの?
167名無しのひみつ:2012/10/20(土) 11:09:04.01 ID:3Kx7WMG4
普通に戦って普通に勝っただけ
当時最強の元を力で打ち破ったんだよ
168名無しのひみつ:2012/10/20(土) 11:17:08.37 ID:rVxGvJZd
元てモンゴル帝国の頃から軍の渡海は経験無いのでは?
169名無しのひみつ:2012/10/20(土) 11:45:11.65 ID:JeglpIZ2
三別抄との戦いで珍島と済州島に2回やってる。
しかも元寇の中核部隊が。
文永の役は3回目の渡海作戦だったわけで立派に経験豊富な部隊だよ。
170名無しのひみつ:2012/10/20(土) 12:24:14.50 ID:No6Pakfg
>>165
客観的にみて、レッテル貼りやったのはオマエに他ならなくね?
しかも根拠とかいってるのは直接証明するもんじゃないしな。
戦国時代の日本で鉄砲が大量使用されてたから、
同じ時代のスラウェシ島の原住民が鉄砲大量使用しててもおかしくない、
本質的にはその程度のことしかいってない。
171名無しのひみつ:2012/10/20(土) 13:42:11.48 ID:FYM66UoM
>>170
>戦国時代の日本で鉄砲が大量使用されてたから、
同じ時代のスラウェシ島の原住民が鉄砲大量使用しててもおかしくない、

君が全く俺のレスを読まずに感情論だけで反論していることがわかった。
君にわかりやすいように説明してあげよう。
まず、日本側の記録には八幡の蒙古記によると「十月廿日未明より、蒙古陸地に、
おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻めかゝる」とあり、蒙古軍が馬を上陸させ
せめかかってきたことがわかる。さらに蒙古兵の特徴を「馬によくのる」ともある。
日本側が初めて蒙古兵を見た感想なのだ。
これは、文禄・慶長の役で明・朝鮮側の記録に日本側が鉄砲多く使用して戦っていたことが
記されているのと同じことであって、
「戦国時代の日本で鉄砲が大量使用されてたから、
スラウェシ島の原住民が鉄砲大量使用しててもおかしくない」という戯言とは
全く違う蒙古軍と対峙した側の証言なのであり、信用できるものだ。

それを裏付けるように元側の資料『高麗史』には日本遠征用に派遣された蒙古軍の6千人に
一人あたり馬3頭を付け計1万8千頭もの馬が元から高麗へ派遣されていた。
高麗史27卷-世家27-元宗3-12-69-1271
「今計正軍六千人所帶馬率以一人三匹爲計則凡一萬八千匹一匹日支五升自十月至明年二月則當用上朝碩十三萬五千」

で、「馬の海上輸送するのは難しいから少ないに違いない」というのも、ウィリアム征服王や十字軍の馬の海上輸送の
例もあり元軍が馬を輸送するのが難しく少なかったというの根拠がない。
これだけ蒙古軍が多くの馬を日本遠征で使用した証拠があるのに対して、否定派の根拠は「難しそうだから
少なかったに違いない」程度の憶測での反論しかない。どちらが、信憑度が高いかは一目瞭然だな。
172名無しのひみつ:2012/10/20(土) 15:31:57.12 ID:rVxGvJZd
>>171
ついでで悪いんだけど、その高麗に集積された一万八千頭のうちどれくらいが投入されたかの資料はあるかしら
173名無しのひみつ:2012/10/20(土) 16:17:15.82 ID:BvB61v0A
一万八千の騎馬兵っていうと関ヶ原の合戦クラス?
それよりも多い?
174名無しのひみつ:2012/10/20(土) 16:37:48.23 ID:EJFvrbNT
>>173
関ヶ原の両軍を足したくらいかな。
関ヶ原では馬の数についての厳密な記録はないが
東西両軍合計15万人くらいで、
当時の編成では兵力の10%程度の乗馬があったので
おおむねそのくらい。
175名無しのひみつ:2012/10/20(土) 17:26:49.86 ID:TqnqoGmJ
元寇にかんして朝鮮に感謝しろみたいな主張する日本人がいるのが不思議。
176名無しのひみつ:2012/10/20(土) 18:02:52.60 ID:JeglpIZ2
>>173
秀吉の九州征伐よりもちょっと少ない。
秀吉の時はスケールがでかくて兵30万人の兵糧と馬2万頭の飼料1年分を神戸から船で輸送してる。
船の輸送力って凄いね。
177 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(7+0:8) :2012/10/20(土) 18:06:44.52 ID:l24fnJ8g
当然挑戦には感謝するよ!?♪。
178名無しのひみつ:2012/10/20(土) 18:28:53.96 ID:7WeFnYcr
しかし2重船底の船をあの数急速建造…
そりゃ半島禿山だわ。
179名無しのひみつ:2012/10/20(土) 18:47:45.87 ID:ce1yupl3
>>178
スペインやブリテンほどじゃないだろ
180名無しのひみつ:2012/10/20(土) 18:50:23.40 ID:lOj9Lbvm
なんで植林しないの?
181名無しのひみつ:2012/10/20(土) 19:17:18.04 ID:TqnqoGmJ
>>180

植林した端から伐採するやつが居るから。
それなら他人が植林したのを伐採した方がお得って結論になる。
182名無しのひみつ:2012/10/20(土) 19:24:37.37 ID:lOj9Lbvm
しかし木ってのは簡単に盗めるもんじゃないよ
183名刺は切らしておりまして:2012/10/20(土) 19:44:49.21 ID:w1k4ynkD
ハイ・ロー、ミックスはよくあることだし。

うがった考えかもしれんが、指揮官の座上する船はそれなりに作りが良いはず。
184名無しのひみつ:2012/10/20(土) 20:01:18.76 ID:EJFvrbNT
山林に個人の所有権が設定されるのはかなり近代の話で、
近世までは山は村の共有地で村人が適当に入って(合法的に)伐ってたんだよ。
需要が多いときには多くの山が禿山になった。
合法的に「共有地の悲劇」が起きたってわけ。

日本では領主が村に植林と伐採可能本数の割り当てをしたから維持されたが、
それでも戦国・幕末・戦後に過剰伐採で禿山化した歴史がある
いま杉林が多いのは戦後に過剰伐採したのを成長の早い木で穴埋めした名残。

朝鮮半島は領主が山林管理をしなかったうえに寒くて燃料需要が多かったので、
基本的にほとんどの山が禿山化した。
http://megadaigo.com/?p=2324
http://megadaigo.com/?p=2310
禿山でなくなったのは、建材が鉄筋コンクリになり燃料が輸入になって以降。
http://img.4travel.jp/img/thumbnails/1012/2440/album/1/7fdf976bbae18943bbe43aafd9034d57.jpg
185名無しのひみつ:2012/10/20(土) 20:10:26.10 ID:ce1yupl3
♪禿山に緑の木を植えて
   ハングル教える小学校
       街には電車が走る♪
186名無しのひみつ:2012/10/20(土) 20:21:00.60 ID:GLSdojjX
> ID:FYM66UoM

「おっかあ馬馬!」
「ああ馬馬」

これで満足だろ?
187名無しのひみつ:2012/10/20(土) 20:48:51.50 ID:o4Mbvxzj
>>171
で、そんだけの馬の数か月分のエサはどうしたの?
飼葉ってめちゃくちゃスペース取るんだけど。
いつになったら答えてくれるの?
188名無しのひみつ:2012/10/20(土) 22:39:22.98 ID:FYM66UoM
>>187
元史によると、文永の役での元軍の船団900艘の構成のうち大型船の「千料船」が300艘
派遣されたことがわかる。当時の1 料=522.6?ほどで千料だと500キ?以上になり
1艘あたり200〜300人ほど収容できたそうだ。
で、300(船)×300(人)すると「千料船」300艘には6万人は収容可能だった。
ところが、文永の役での元軍の兵力は2万数千〜4万程度にすぎない。
ということは、文永の役当時の千料船には相当な余裕があったということだ。
これらの点からも船内にスペースが無い云々はでたらめであり、実際は馬を収容
するスペースがあったと考えられる。
それと、馬のエサ云々は資料には無いのでなんともいえない。
これは馬だけに限ったことではなく、文永の役における元軍の兵糧事情などは
『元史』や『高麗史』などの元側の資料にも無いことなので現代の我々が
知る事は不可能だ。
189名無しのひみつ:2012/10/21(日) 01:00:29.26 ID:nIFwy/T4
訂正
300(船)×300(人)→300(船)×200(人)
190名無しのひみつ:2012/10/21(日) 01:31:16.21 ID:Qf3VgMQq
粗製濫造なんて説がいつから語られてるんだって−の?そんなん始めて聞いたわな。
なんか焦点でもないものを、まるで今まで焦点だったかのように事実を作り替える欺瞞言葉遊び論法みたいな書き方だな
この手のやり口は、邪馬台国奈良説やら馬鹿サヨ系学者の印象操作っぽい奴でよく見るんだけど?(笑
191名無しのひみつ:2012/10/21(日) 02:45:55.14 ID:CF8QNRMk
まず、ありもしない仮想敵をこしらえて、
「俺はそいつらと戦ってきた歴戦の論客だ(キリッ」
ってかw
192名無しのひみつ:2012/10/21(日) 21:26:55.41 ID:kwaKV0Ay
>>188
なんだか散々ご苦労さんだけどさ、
肝心の「元寇の元軍が馬を大量に連れてきた証拠」は
何一つ提示してないよな?単なる豆チを好きなように想像解釈してるだけ。
193名無しのひみつ:2012/10/21(日) 21:34:47.25 ID:ovjJrUsm
>>192
元、高麗、日本の三方の歴史書で馬が目立つ、馬が多い、という記述を挙げているのだから十分だと思うが。
歴史書は書いたものの視点で描かれるのが常なので、
立場の違う人間が直接見聞きしたもので一致があればかなり確実とみなすのは
文献学的な歴史調査では普通のこと。
194名無しのひみつ:2012/10/21(日) 21:41:10.17 ID:ovjJrUsm
元史、高麗史、八幡愚童訓、蒙古襲来絵詞、
このあたりをひいていて「豆知識」はないわ。
八幡愚童訓はランクが落ちるが
残りは豆どころか一次資料の一つだよ。
195名無しのひみつ:2012/10/21(日) 21:46:00.26 ID:BSaGSuOX
指令書とか出てこないと駄目だわな。
朝鮮出兵とかは秀吉の命じた軍備の内容が
文書で残ってるからこそ正確な把握が可能なわけで。
間接的な証言や船の遺骸程度じゃ如何ともしがたい。
196名無しのひみつ:2012/10/21(日) 21:51:45.74 ID:BSaGSuOX
蒙古襲来絵詞には確かに元軍の馬が描かれているが
ほんの数頭だからな。圧倒的な元軍歩兵・弓兵の数が
目立って、むしろほとんど馬連れてこなかった証拠に見える。
(俺は決め付けはしない。素直に見た感じを述べてるだけ)
197名無しのひみつ:2012/10/21(日) 22:02:38.44 ID:ovjJrUsm
>>196
蒙古襲来絵詞では元軍自体が数える程度しか描かれてないよ
元史、高麗史では馬匹は兵力の1割程度だし
比率としては蒙古襲来絵詞はあってる

あまり頑強な証拠ではないのは同意できるが、
「馬を連れてきていない、連れてこられるはずがない」
という意見に比べれば遥かに証拠に富む意見だとは言える。
198名無しのひみつ:2012/10/21(日) 22:07:23.50 ID:kwaKV0Ay
>>194
なぜ豆知と揶揄されたかも読み取れない池沼さんでした
199名無しのひみつ:2012/10/21(日) 22:26:06.94 ID:ovjJrUsm
>>198
乗った人数の計算とかは知らんがなとしか。上の人とは別人だし。

「馬が来たはずがない」という主張が
豆知識人間よりよほど頭の悪い奴というだけの話。
200名無しのひみつ:2012/10/21(日) 22:33:27.28 ID:kwaKV0Ay
>「馬が来たはずがない」という主張

はどこにも無いよね。
以前そういうレッテル貼りしたヤツが約一匹いたようだが・・・
201名無しのひみつ:2012/10/21(日) 22:52:07.67 ID:ovjJrUsm
>>200
めっちゃ言うとるがな

>>96 >>100 >101 >>102 >>120 >>122
> 馬の大量輸送なんてできたわけないだろ
> あの程度の舟で馬大量輸送なんかあるわけ無いだろ
> 馬の餌と水を運ぶのは無理だよなぁ、どう考えてもw
202名無しのひみつ:2012/10/22(月) 02:00:35.11 ID:ow1BNSZn
>>190

小和田てつお静岡大学元教授
203名無しのひみつ:2012/10/22(月) 02:02:21.32 ID:6NXKU0zA
「馬の大量輸送なんてできたわけない」がどうして
「馬が来たはずがない」に脳内変換されるのか。

日本語を初等からやり直すことを切に勧める。
204名無しのひみつ:2012/10/22(月) 02:21:44.29 ID:NzeEzsEa
大量って区切りは何処から?って話にもなるな
一万人の一割分の千頭もいりゃ十分大量な気はするけど
205名無しのひみつ:2012/10/22(月) 05:13:26.53 ID:9a+erMJc
最強の元を打ち破った日本最強!ってオナニーしたいだけだから
206名無しのひみつ:2012/10/22(月) 05:24:48.09 ID:tt38faH7
結局馬が大量に来たって騒いでだやつの根拠だって十字軍がやった実績があるだの直接的な証拠でもないし、なにか文章で何頭船で運んだとか合戦のときに騎馬隊が描かれているとか出てこないとね。出来れば複数
207名無しのひみつ:2012/10/22(月) 05:28:26.29 ID:y2+fFHZ2
>>205
戦前まで「神国日本最強!」が公式見解で
そのあと戦後に揺り戻しで「日本最弱!」が根拠なく大流行したんだよ。
んで、この20年でやっとこ先入観なしに資料ベースで話が出来るようになったところ。

もともと中国側・朝鮮側の文献には戦って負けたという記述があるのに
今まで神風が信じられてきたのがおかしいという話。
208名無しのひみつ:2012/10/22(月) 05:32:56.99 ID:y2+fFHZ2
>>206
蒙古襲来絵詞
http://i.imgur.com/dgBSH.jpg

高麗史27卷-世家27-元宗3-12-69-1271
一人あたり馬3頭を付け計1万8千頭の馬が元から高麗へ派遣されていた。
209名無しのひみつ:2012/10/22(月) 06:50:28.66 ID:R89JTdxT
結局日本に来た証拠は無しかい(-.-;)
210名無しのひみつ:2012/10/22(月) 07:17:44.50 ID:RVz1L8cs
ゲーム脳の奴多いなぁ。
モンゴル帝国はモンゴル高原を出た時点で他民族連合軍だっつーの。
そもそも、モンゴル帝国は騎馬だけが強くて世界征服なんかできるわけないだろ。
遊牧民民族は人口が農耕民族より圧倒的に少ないのに。
モンゴル帝国の真骨頂は他民族の使い方がうまいことだ。

そもそも、騎馬軍団だから山が苦手〜海が苦手〜なんて言ってたら城攻めや水軍国家の南宋を
滅ぼせるわけないw
211名無しのひみつ:2012/10/22(月) 08:23:35.50 ID:h9MNpD37

この件に興味が湧いたので調べてみたら、蒙古襲来絵詞だと
蒙古軍の騎乗率は13%で、八幡の蒙古記での劉復亨の供回りの騎乗率が
約19%だから3万もの大軍のち3600〜5700頭は上陸していたことになる。
日本側は総大将の少弐景資すら500騎しかいない日本軍相手だと騎馬数でも
圧倒していただろう。
それも、激戦地は平地の福岡平野だった。
蒙古軍は兵力、騎馬数が恐らく日本側より上で絶好の戦場を得てなお侵攻に失敗した。


212名無しのひみつ:2012/10/22(月) 09:03:40.07 ID:UgifDCcU
>>64
「日本が大陸軍に勝ったことはあってはならない」
「閉鎖的で遅れていた日本が大陸の騎馬民族に勝てるわけがない」

後者は分かるが、前者は本当なの?
当時、戦前の教育の反省で過度に国の過去をたたえるべきでないとする姿勢はあったと思うけど、これはいいすぎでは?
証拠がほしい。
213名無しのひみつ:2012/10/22(月) 13:38:51.70 ID:V1SsoRKd
横槍だけど今でこそインターネットがあって世界中と話できるからいいけど
当時はそういう情報統制は普通にあったと思うよ
214名無しのひみつ:2012/10/22(月) 14:08:30.10 ID:ow1BNSZn
>>212
小和田元教授は粗製乱造とサンベツショウの海上ゲリラ戦のおかげで日本は勝ったとの主張だった
215名無しのひみつ:2012/10/22(月) 14:13:30.26 ID:qxiyOedy
×朝鮮人の作業ボイコットや反乱などで粗製乱造になり台風で沈んだ。
〇しょせん朝鮮人の作ったものなのでしっかり作ったけど台風で沈んだ。
216名無しのひみつ:2012/10/22(月) 16:56:51.92 ID:y282QZp0
>>215
最高級の質感と機能性ニダ無償修理付きニダ

217名無しのひみつ:2012/10/22(月) 17:00:01.46 ID:KuOsWkm2
人間の数のたった1割で大量も無いもんだw
阿呆が一人キチガイ踊りしてただけ
はい、解散〜
218名無しのひみつ:2012/10/22(月) 17:17:13.08 ID:RVz1L8cs
おいおい、たった一日で5千頭も上陸させてたら大量だろうw
お前みたいに論破されてるのにキチガイだのなんだの言ってる奴はみっともねえし。
219名無しのひみつ:2012/10/22(月) 17:25:50.80 ID:+LDe2xah
少なかったらしいに根拠が無いってだけの話だろ
220名無しのひみつ:2012/10/22(月) 18:08:42.87 ID:vvVxuNRm
>>217
こういう人が、某かの権力を持って教科書とか書いちゃうと
恐ろしいことになるんだろうな。
221名無しのひみつ:2012/10/22(月) 20:17:54.53 ID:KuOsWkm2
ありもしない「従来の通説・偏見」をでっちあげて
それと戦う俺カッコイイってオナニーレス書きまくってる奴のほうが
はるかに頭おかしいし、第三者から見ても痛いよ。
222名無しのひみつ:2012/10/22(月) 23:28:15.65 ID:A2ShODAs
>>211
当時の日本の平野部は樹木が無いところだと、田んぼとか
湿地ぽいところが多かったんじゃなかったっけ?
雨なんか降ったら、ぬかるんで馬を走らすの大変そう
223名無しのひみつ:2012/10/23(火) 11:55:51.64 ID:l02rVlis
このスレすごいな

ここまで一次資料やら比較資料あげられて完膚なきまでに叩きのめされてるのに、
理解力・国語力・論理力が壊滅的に無いがために完敗してることすら解らず、
挙げ句勝利宣言して逃げるとか、まさに奇跡的存在だわ。

こういうのが『これが真実の日本史だ!』とかいって俗説ぶち上げちゃうんだろうな。


蒙古兵は殆ど馬は居なかった派、の方のことですがね。
224名無しのひみつ:2012/10/25(木) 23:18:51.99 ID:2Fjw8W7V
どうせならモンゴルの馬を捕獲して品種改良に使えたらよかったのに
225名無しのひみつ:2012/10/25(木) 23:32:26.51 ID:E/58820h
>>208それは日本に来た証拠じゃないでしょ半島に馬が移動しただけで
あと計算してみたなんて書いてる人のも単なる予想の範囲でしかない
日本側の文献で馬が何頭位上陸したとかあればわかるけど、直接証拠がなく推論だけじゃねぇ
226名無しのひみつ:2012/10/26(金) 03:32:19.66 ID:YZg297hy
>>224
蒙古馬って品種的には木曽馬とほとんど一緒だよ

>>225
>>208は日本遠征目的で高麗に配属された部隊が1人3頭の馬を所持する騎馬部隊だったという史料なんだが
227名無しのひみつ:2012/10/26(金) 09:01:27.79 ID:NaGjnaLp
>>226だからね、用意をしたって書いてるだけで海渡ったわけじゃないでしょう。
それにこういった文献で一番気を付けてなきゃならないのは数字を誇張して書くって事、だから専門家が調べるときは数多くの資料を総合してから説明なり発表なりする
特に攻められた日本側の資料があれば一番いい、すり合わせが出来るから。皆さんが議論するにしても資料がないから水掛け論にしかならない
228名無しのひみつ:2012/10/26(金) 09:10:45.54 ID:NaGjnaLp
連投すいません、もう1つ疑問なのは日本が勝ったんだからもし馬5000頭で攻めてきたのなら日本側はもっと誇張して相手は馬10000頭で攻めてきたが粉砕したみたいな事を書きますよ。
これはこの時代でなく今日まで戦争に勝った側は行ってきた事。
日本側にそのような文献がないのが不思議でならない
229名無しのひみつ:2012/10/26(金) 09:18:05.63 ID:r0I89peR
>>228
元寇は資料が少ないので有名なのだが。
文永の役がどういう戦況だったのかも不明なのに、敵の馬の数だけ明確に
わかるわけがないだろ。

それも、文永の役なんてたった一日での出来事だ。交戦した武士も少なかったろうし
まともに元軍を見たものは少なかったろう。だからこそ、文献が少ないとも言える。

それに当時の武士は、敵の様子がどうだったかより、「どれだけの敵を討ち取ったか
どれだけ傷を負ったか、どれだけ郎党に戦死傷勳が出たか」の味方の様子に注目するのが普通。

元寇に参加した武士の文書で敵側の様子を触れているのは皆無だが、味方の勲功は細かに記されている。
230名無しのひみつ:2012/10/26(金) 09:30:43.16 ID:5VcfmU+v
元寇でそれなりに数がわかるのは船の数くらいだな。
あと上陸戦で撃退して海上に引きこもられたので
日本側は元軍の人数はまったく把握していないと思われ
231名無しのひみつ:2012/10/26(金) 09:40:48.65 ID:r0I89peR
>>227
日本側にもちゃんと資料があるだろ。

211 :名無しのひみつ:2012/10/22(月) 08:23:35.50 ID:h9MNpD37
この件に興味が湧いたので調べてみたら、蒙古襲来絵詞だと
蒙古軍の騎乗率は13%で、八幡の蒙古記での劉復亨の供回りの騎乗率が
約19%だから3万もの大軍のち3600〜5700頭は上陸していたことになる。

航空写真で敵の馬を数えたわけでも無い日本側が、むしろ全体の馬の数どうの〜書いてる資料など
あっても信頼できない。それに比べて、蒙古襲来絵詞などは、自分が見える範囲の元軍の騎馬数を
記したり描いているのだから、ちゃんと、その場にいてだ元軍の騎乗率が15パーセントほどと
確認した武士が描かせたものなのだから、全体の馬の数がどうの言ってる資料より信頼性が遥かに高い。
232名無しのひみつ:2012/10/26(金) 09:52:35.86 ID:ywoshcDR
蒙古兵には殆ど馬は居なかった派の流れ

船に馬が乗るはずが無い(結論ありき)

証拠を出せ

正史に書いてあるだけだ、現地を見た奴の記録じゃない

現地の記録といったって数が書いてあるわけじゃない

元が用意した船や元から派遣された軍団の記録であって実際に日本に来た数字じゃない

現場で騎兵が何人出ろ、という命令書があるなら納得してやらないでもない ←いまここ!
(中世の紙によらない軍団の軍機書類が出たら宇宙開闢なみの奇跡)

命令書があるからといって部隊が素直にしたがったとは言えない、戦絵図か写真を出せ

絵図や写真は再現であって実際の現実をとらえたものではない、映像を出せ

映像は再現であって実際ではない、捏造されている!
俺を現地に連れていけ!この目で蒙漢軍をしかと見るまでは納得せんぞ!!
233名無しのひみつ:2012/10/26(金) 12:44:46.86 ID:QLCZXMDr
このスレの本論はモンゴルの船は粗製乱造だったのかじゃないのか?
それに関して粗製乱造説の論者である小和田教授の名前をだした俺が無視されて馬の話ばかりだなんて。

オルフェーブルは日本側ですかモンゴル側ですか?
サラブレッドは軍馬にするには足が弱いらしいが。
234名無しのひみつ:2012/10/26(金) 13:35:26.05 ID:YZg297hy
モンゴルの船は粗製乱造だったって説もモンゴルは馬を連れてなかったって説も根っこは同じ。
要するに根拠なんて無関係で日本がモンゴル帝国に圧勝したって事実を認めたくないだけ。
元寇の結果、アジアでは日本のモンゴル帝国に対する軍事的優位が確定し、日本からの攻撃が怖くて
モンゴル帝国の住民は海岸近くで安心して暮らせない状態になるのに。
235名無しのひみつ:2012/10/26(金) 20:14:39.55 ID:jS8MgK/f

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236名無しのひみつ:2012/10/26(金) 20:48:00.53 ID:b7OdEDv0
むしろ文永の役に総戦力40000ほどで何をしに来たのかの方が気になる
237名無しのひみつ:2012/10/26(金) 21:00:52.65 ID:ikrfR78T
まぁ元寇は一つの教訓だな上陸作戦は現代においても、かなり難しい戦略だ
238名無しのひみつ:2012/10/26(金) 21:27:16.23 ID:ywoshcDR
>>236
戦う前に文書のやりとりがあるが、大カアン親筆の内容が、
「おまえら東海の小国がイキがってピーチクパーチクやってられんのも偉大な俺樣の慈愛だから感謝しろよ」
「おまえら俺らが中国乗っ取ったこと知らないみたいだから1回だけチャンスやるよ、今のうちに子分になれ」
「寛大な俺樣はおまえらが俺らに何も挨拶無かったのは見なかったことにしてやるから。痛い目見る前に大人の判断しろよ?」
って内容だからな。
40000で占領できるつもりだったんだろ。

実際の日本は挙国一致したら15万の大軍をだせる強国だったわけですが。
239名無しのひみつ:2012/10/26(金) 22:03:45.61 ID:r0I89peR
>>237
日本側は文禄の役で余裕で上陸に成功してるよ。
元寇にしても、元軍は一旦は上陸を終えてから海に叩き落されている。
240名無しのひみつ:2012/10/26(金) 23:50:08.93 ID:2VzYNhx4
>>239
唐入り 日本が朝鮮に攻め込んだ
元寇  モンゴルが日本に攻め込んだ

朝鮮人を相手にすればよかった日本と、日本人を相手に為なければいけなかったモンゴルを同等に語るのもどうかと。
241名無しのひみつ:2012/10/27(土) 04:31:10.15 ID:7PlkkLFm
>>236
総戦力40000ほどって2000キロの航海の後で上陸作戦やってビザンツ帝国を征服した第4回十字軍の
約3倍の兵力だよ。
13世紀の世界基準なら大半の国は余裕で征服できるはず。
元のジャワ遠征軍なんて船500艘、兵5000人だぜ。
242名無しのひみつ:2012/10/27(土) 11:37:10.70 ID:5TBGfuuk
元は文永の役の軍の規模から考えれば、初めから日本を舐めてかかっていないな。
4万もだしているところをみると、日本の軍事力をなんらかの情報で得ていたのかも
しれない。

しかし、元が想定していた以上に日本の軍事力は強大だった。
だからこそ、モンゴル人元軍総司令官クドゥンは「わが軍がこれ以上、頑強に
戦っても、増え続ける武士団の前では捕虜になってしまう。撤退するしかない」と
判断したことが高麗史に載っているけど、即元軍が逃げ帰ったのはこういった背景が
あったんだろうな。
243名無しのひみつ:2012/10/27(土) 11:44:59.51 ID:5TBGfuuk
それに文永の役の6年前には、クビライは「私が欲することは南宋と日本を討つことのみだ。」と
発言してるな。

クビライの中では文永の役の6年前から既に日本は、南宋に匹敵する敵と認識していた
可能性もある。
244名無しのひみつ:2012/10/27(土) 19:51:28.91 ID:NDF2niGP
>>241
当時の軍事力は穀物生産力に比例する。
だから麦主食圏を標準的とすると、米主食圏は格段に強い。
それは播種量に対する収穫量にあらわれていて、麦は2倍、米は5倍とれる。
日本は米のエキスパートで、戦国時代には6倍、江戸時代には8倍、現代は11倍とれる。
現代においては麦も改良により増産されているものの、連作障害のない水稲に比べるとやはり劣る。

そのために、1600年前後には、小田原や大阪で20万超を動員し、途方も無い量の銃を用い、
世界最強の重装弓騎兵だったサムライを含む日本の軍に対し、
30年戦争では45000〜60000と格段に兵力に劣り、打撃力にも劣る軍しか西洋では動かせなかった。

西洋と東洋の兵火力は5倍の差があると見るべき。
245名無しのひみつ:2012/10/27(土) 20:03:05.73 ID:NDF2niGP
播種量と収穫量の比率、0が一つ抜けました すいません。
いまは110倍以上です。
麦は25〜35倍らしいですから格段ですね

人間一人養うのに、日本では8e必要で、ヨーロッパでは1f必要なのだそうです。
246名無しのひみつ:2012/10/27(土) 20:14:41.26 ID:Tm6syBS8
>>244
麦っても小麦大麦とあるだろ

あと兵力動員を考えるなら非農業性余剰人口の数、
すなわち一人当たりの生産性のほうが重要という側面もある。
一人当たり生産性が高ければ非農業性余剰人口が賄えて常備軍が編成可能になるんで。
247名無しのひみつ:2012/11/03(土) 00:52:20.15 ID:nkvSHxHb
三別抄の残党によるゲリラ戦があったという主張は論ずるに値する?
248名無しのひみつ:2012/11/03(土) 20:50:35.42 ID:bYW18H/f
NHK
249名無しのひみつ:2012/11/03(土) 23:09:07.16 ID:ntG4Ve46
このスレ面白いなあ。
元寇が無かったらご先祖が土地を貰う事も無かったんだろうな
250名無しのひみつ:2012/11/11(日) 01:17:46.14 ID:BQMX+mms
これ沈んだ船の見つかった数が少なすぎないかな
実は嵐が来て沈んだってのがウソで、鎌倉武士にフルボッコにされて逃げ帰ってたりして
で、そのまま日本に撃退されたと史実に残すとバツが悪いから嵐で沈没しちゃった、ということにした可能性はどうなんだろう
251名無しのひみつ
800年くらい前の海に沈んだ木造船なんだが。