生命とは@物理板

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1ご冗談でしょう?名無しさん
生命とか意識って、物理的に言うと何なんでしょうか?
2自己複製するロボット:2001/05/21(月) 05:38
あっしは生命体なんですかね?
3ご冗談でしょう?名無しさん:2001/05/21(月) 05:41
全体的に見れば物理で語るのは非効率的な事象です
4ご冗談でしょう?名無しさん:2001/05/21(月) 08:53
生命は物質でできています
5ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/21(月) 12:22
6田中洸人:2001/05/21(月) 13:33
7ご冗談でしょう?名無しさん:2001/05/21(月) 13:38
田中くん他にやることないの?
8ご冗談でしょう?名無しさん:2001/05/21(月) 20:36
とりあえず、「意識は科学で解き明かせるか」 (ブルーバックス)、
「心は量子で語れるか」 (ブルーバックス) を読んでください。


9ご冗談でしょう?名無しさん:2001/05/26(土) 15:57
生命は心がキーワードか?
10:2001/06/02(土) 21:33
私は、自分の意志で増殖するようになったら生命と言えるので
はないかと思うので、「自己決定」と「自己増殖」がキーワード
だと思います。
生命に心が必要だとすると、ナメクジが生命を持つかどうかは怪しい
のではないかと思います。
私の感覚からすると、ウイルスくらいまでは生命体だと思うのですが、
構成原子の数でいうと下手なウイルスよりデンドリマーとか巨大分子の
集合体のほうが多かったりするんですよね。たしか。
ただし、自己増殖するものが生命だとすると、全自動のロボット工場
とか、コンピューターウイルスみたいなものまで生命の定義に入って
しまいます。
ものの本質を追求してやまない物理板の皆さんに聞きたいのですが、
生命の本質って一体何なのでしょうか?
11ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/03(日) 01:34
久しぶりに考え事して、少し気分がよいです。
答えは出なかったけど。
12ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/03(日) 04:21
参照
http://cheese.2ch.net/test/read.cgi?bbs=life&key=977422835

生命という言葉には定義はない。好き勝手言えば良い。
しかし、本質という意味では
もともと人間が見て『なんか生きてる感じがするなあ』というもの
テキトーに指して「生き物」だとか「命」だとか呼んで来たんだから
その「感じ」こそが本質といえる。
もちろんこの「感じ」は時代と共に変化するし人によって違う。
生態系の中では生き物同士が互いに相手を認識して積極的に応答していかなければならないので
動物には必然的に「生き物っぽさ」を感じる直感が進化の過程で組み込まれてきた。
人間になると博物学的に似たもの集めて分類したり出来るけど大元の直感が
進化のデタラメで獲得した直感なんだから当然、論理的な定義なんてむりだわな。
デカルトのころは機械時計にさえ生き物っぽさを感じたものさ。
13ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/03(日) 04:49
生命とは宇宙です。
14自己組織化するロボット:2001/06/03(日) 23:50
>>12
生物板でもやってますね。面白かったです。
今までの議論を追うと、「生物かどうか」の基準は
 -核酸を中心とした自己複製機構を持つ: 生物
 -それ以外: 生物じゃない
というところにあるという印象です。
ウイルスは自己複製機構が閉じていないから、いわゆる「生物」ではないと。
上の話は、いわゆる分子生物学のセントラルドグマ(というか作業仮説?)
でしかないと思います。偏見かもしれませんが、「生物」って言葉はもう半分
専門用語なんで「生物」について議論すると最終的に必ずそこに行き着いて
しまうような気がします。

向こうでも出てきてますが、サイバーな世界とナノテクが合体すると、
核酸を使わない自己複製機構ができてもおかしくないと思います。そういう
ものは伝統的な「生物」と遺伝情報の持ち方が違うので、日常語を使って
「生命体」とでも呼ぶしかないようなものになるのでは?と思います。
そういう背景があることを認めた上で、生命ってなんでしょう?

話を具体的にするために、仮に、私が自由に巨大分子を操れる装置を使って
分子の自己組織化を研究していたとします。
ある条件のもとで、巨大分子がまるで意思を持っているかのように集合・離散
を繰り返し始めたとしたら、私は人工生命を作り出したことになるでしょうか?
私はそんなことはしてませんが、例えば、巨大分子系でカオス的な化学反応
(ベローソフジャボチンスキー反応とか)を研究している人がそういうことを
言い出すのはありえる話。
1514:2001/06/03(日) 23:56
>論理的な定義なんてむりだわな。
生命と思えるかどうかについては、おおまかな規則性があるはず。
16ご冗談でしょう?名無しさん:2001/06/10(日) 03:23
その規則性は「生物」と思えるものを先に集めて並べておいて
あとから規則性を探そうとして眺めた結果得られるもの。
中学あたりで動物と植物の違いは細胞壁、葉緑体、液胞とか習ったりするが
これなんぞまさに初めから動物と植物を分けておいてあとから違いを抽出した結果の羅列に過ぎず、
単細胞の原生生物には例外的なやつがいっぱいだ。

動物が生物を認識する直感としての生物感の規則性を抽出しようとすれば
「進化の過程で認識する必要が生じた対象」ぐらいのことしか言えない。
板壁の節穴の模様が顔に見えて仕方なかったり、
風で転がるゴミが虫の走る動きに見えてドキッとすることがあったりするように
脳の認識機能として動きに反応したり目鼻口に似たパターンが顔に見えたりする仕組みがある。

自己増殖という観点で注目するなら「自己増殖体」とでも呼べば良いし
ほかにもエネルギー代謝の観点やら情報処理の観点やらいろいろある。
直感的には「それらの属性を全部もつ物」を生物と呼びたくなったりするものだから
その一部がかけていたりするヘンなやつはグレーゾーンになったりする。
それぞれの観点でそれぞれの呼び方を使った方が用語としてはすっきりする。

ウイルスだって宿主のシステムを単に「ウイルスにとって都合の良い環境」と捕らえるか
あるいは外部からの供給が必要な必須栄養素だととらえれば
ほかの生物となんら変わらないという見方も出来る。
生態系ではみなが相互に依存しあっているしね。

「有機化合物」という概念は元々生物由来物質という観点で始まったが
合成可能になると結局、主として炭素を含む多様な化合物という観点で
大まかなまま使われるようになったという経緯も面白い。

無機的な人工の自己増殖機械とか、
DNAセントラルドグマを使わないような自己増殖体が出来るようになったら
あくまでもそうした「挙動の観点で」生物と呼んでも良いだろうし
異星にそういうものが見つかったらきっと生物と呼ばざるを得ないだろう。
我々とは由来を全く異にするそれはDNAを基礎とする地球の生物とは明らかに異なることも十分考えられるが
DNAを定義に含めてしまえば「DNAが無いから生物じゃない」と言わねばならなくなる。

議論の際にいちいち「○○の観点で」という注釈をつけたり、
観点ごとに別の呼び名を使うのが妥当だろう。
「知能」だって人間が知能を感じる対象ぐらいの意味しかないという
チューリングの見解はじつに至言だ。
17
>>16
詳しい説明ありがとうございます。確かにその通りでした。
生命というのが経験的な概念である以上、生命観というのは具体的な
事例の積み重ねによって固まってくるものなわけですね。
生命を持つものと持たないものを分ける客観的な基準があると便利
だろうな、と思ったんですが、どだい無理な話でした。

あと、説明を読んでいてやっと気が付いたのですが、生命ってのは
生命現象ってくらいだから、「ものの理」ではなくて「ことの理」
なんですね。
構造ではなくて機能のほうが本質なのでした。
機能を語るのに構造的特長を挙げていくと、博物学になってしまっ
て本質は出てこないわけで。(昔、養老孟子の本にもありました。)
生命を物理で語るのが非効率的な理由が、少し納得できた気が
します。