現代物理学には「相補性」という考え方がある。素粒子物理学での自然法則では、観測によって 得られたいかなる知識の一片といえども、その知識にとって相補的となるもう一方の知識の損失 という対価を支払って始めて得られる、という考え方である。 ハイゼンベルクの「不確定性原理」という名前や、素粒子の位置と速度は同時に決定できない、といった ことなら今や高校生でも知っている知識である。しかし、相補性という概念が指し示す内容、また それが示唆する世界を十分知りえる人間は、どれだけいるだろうか。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 13:45
現代物理学における相補性の考え方は、粒子と波動など、昔から相対立すると考えられていた概念 を応用した際に生じる矛盾が、単に外見的なものに過ぎないことを証明した。しかし同時に、エネ ルギー量子の発見以来、物理学は、自らが原理的には全世界を理解することができるという主張を 諦めざるを得なくなってきている。観測者または観測手段が観測される系に決定的な干渉を与える とする現代の素粒子物理学と、ニュートン以来の古典物理学の切り離され孤立した観測者との間に は基本的な差がある。古典物理学における観測者という意味は、観測される系に対して影響を与え ないような観測者ということでは必ずしもないが、対象系に対するその影響が必ず決定可能な補正 操作によって除去できるような観測者、ということである。 ところが素粒子物理学の自然法則は、決定不能な形で観測されることになる。こうした観測者と被 観測者との間の制御不能な相互作用は、観測の過程で常に起こるが、それによって、古典物理学では 前提とすることのできた現象間の決定論的構造が破壊される。つまり、ある複数の手段のうち、どれを 取るかは観測者にまかされているような相互に背反的な選択肢について、観測者がどれかを選んだ とき、まさにその選択によって干渉を受けてしまうのである。この選択は、その本質において非自 動的な事象であるという意味では、人間に予言不能かつ制御不能な結果をもたらす小宇宙における 創造や変性にも比較できるものかもしれない。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 13:46
古典物理学に代表される科学は、新しく、専門的で、定量的で、数学的な記述の可能な思考法をも とにしている。それゆえ17世紀前半まで西洋で支配的地位を誇っていた錬金術に代表される、定性的で、 象徴的な描画で表現される伝統とは真っ向から対立するものであった。前者は現代の科学技術が指 し示す通り進歩と発展の象徴であり、後者は中世の暗い退廃的なイメージが指し示す通り迷信の象 徴のようである。しかし両者の境界はそれほど単純なものではなく、ふたつの相反する精神の型と いう観点から見ると、陰と陽のように不可分で、相補的なものであるように思われる。ひとつは部 分どおしの間の定量的な関係を本質的なものと考える態度、もう一方は全体の定性的な不可分性を 本質的なものと考える態度である。 例えば美の定義について両者をそれぞれ適用すれば、前者の美とは部分と部分の間の正しい整合で あると定義でき、後者では美とは部分には言及せず、美とは物質的な現象を通して輝く「ひとつ」の永遠 の輝きであると定義できる。我々の世界観のより大きな統一のためには、これら相互へ認識を深め、 双方を融合してこそ全体像が理解されうると思われる。しかしながら、特に後者の考え方は、我々の 経験への理解に当てはめる場合、「定量的・数学的」記述に変えて「象徴図形的」な図形を材料に、「再現可能な 客観的事象」に変えて「一回性の強い、内的な体験と自然の外的な過程との統一と、それを含む全体性の保持」 を捕らえなければならないため、現代の我々の思考法からは大きく外れている。この全体性とは、大宇宙 (マクロコスモス、世界を差す)と小宇宙(ミクロコスモス、人間の内面を差す)との類比の中に含まれ、 科学技術の誕生とともに失われはじめ、現代においてはほとんど失ってしまったものである。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 13:46
現代物理学では相補性の導入により、従来のかたくなな科学的態度を軟化させ、世界観のより大きな 統一のために小さな一歩を踏み出したと見えなくもない。しかしながらこれも、古典物理学に見られ る「因果的な、再現可能な(実験可能な)事象」に変えて「統計的な、把握可能な事象」を扱っているに過ぎず、 定量的・部分的な考え方からはとうてい脱却できてはいない。法則に従って生起する事象は再現可能 なもののみに限定され、ここに物理的事象の本質的一意性が現れる。従って完全に一回的な事象を物 理学で扱うことは不可能であり、統計的に扱わざるわ得ない(ニールス・ボーアとW.パウリは、この型の自然 法則に「統計的対応」と名づけている)。それでは、本質的に一回的な、統計的に扱うことが不可能な事象 に関して、科学技術はいかに対応できるのだろうか。 一回性がすべてであり、統計的処理が不可能なもののうち最大のものは「歴史」である。素粒子の運動 などは空間的に統計処理が可能だが、歴史は時間の不可逆性・観測者の(同一時間、同一空間における) 単一性という意味で統計的扱いが不可能である。さらに歴史における観測者とは、そこに住む人間、生 きとし生けるもの、文明、世界そのものであり、観測者が事象に与える干渉は恐らく最大のものである。 すなわち観測者の行動が逐一、「相補的に」観測系に影響を与えて歴史的知識を得、経験を積むにつれ、 それにともなって「相補的な」もう一方の歴史的知識を損失し、「相補的であるもうひとつの」歴史的経験 は永久に失われていく、という対価を支払っているのである。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 13:47
得られた知識がその知識の獲得者に対して与える反作用は、その知識の獲得者の意図にとどまらないひ とつの状況を惹き起こす。なぜなら、その反作用と結ばれた経験の完全性のためには、それがその知識 の獲得者に対して従わざるを得ないような力を持っていなければならないはずだからである。 科学技術は世界の発展のため、世界を統べる法則の理解のため、数限りない進歩を行ってきた。しかし その進歩のひとつひとつが、相補性により観測系である歴史に影響を与え、その反作用として、自ら歩 まざるを得ない道を敷き、歩まされ続けているのである。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 13:47
科学技術の本質は進歩と発展であり、それは文明の青年期、壮年期には善なる行進に見えるが、文明が 黄昏時を過ぎたとき、明らかにそれは老衰の進行と似ている。身体各部の代謝機能は衰え養分は失われ るが、癌細胞の進行はなお続くる進歩が善なるものであった以前とは異なり、進行はすなわち死に近づ くが、科学的思考に代表される発展的・定量的・部分的態度にはこれを止める力はない。生命を誕生させ 世界を育むのは常に黎明的な力であり、科学技術は無から生命を創り出したことは未だかつてないのは 象徴的である(ゲーテがファウストにて創り出したホムンクルスは、その発生は科学的様式ながら、その 存在は精霊に近いのも象徴的である)。黎明の力は本来、曖昧で、象徴的で、観測者の体験と不可分で一回性 が強く、内的な体験と自然の外的な過程との統一に重きを置く、宇宙と一体の全体的な知に基づくもの であった。古来、人はこれを神と呼び、精霊と呼び、自然と呼び、天上の智慧と呼び、教えと呼んだ。 現代ではこの生命の起源を、宇宙的・起源的・歴史的観点から、地球的な精霊信仰、すなわち「ガイア」として 再認識する動きがある。それは単なる生物の集合的としての認識から巨大なアニミズム信仰の対象とし ての認識、既存の信仰対象の希薄化に伴う新たな信仰対象としての認識に至るまで、さまざまな捉えら れ方をされており、まだ固まった姿はない。しかし人は多かれ少なかれ、そこにこれまでの科学技術・ 発展史上主義への反省と、新たなる活力の源としての期待を寄せているようにも思われる。しかしなが ら、科学技術に象徴される人間文明の発展と、ガイアの存在そのものが相補的なものとしたら、文明の 発展が始まったその日から、ガイアの姿は失われ、文明に陽があたるほど、ガイアは影になっていくのである。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 13:48
科学的知識が産声を上げる以前には、これと相補的な知識として、定性的で象徴的な描画で表現される 知識体系、錬金術が存在していた。これはその存在的立場からガイアと相補するものではなく、したが って、世界を網羅する全体的な世界構図を完全には失っていなかった(それを読解する能力を、現代の我々 が失っているのである)。中世思想史をひも解くと、錬金術ばかりでなく、太陽中心的な信仰の考え方 もまた、知識の信仰過程が、その知識の獲得者の体験する宗教的な変性経験と強く結びついていること がわかる。錬金術的な中世の考え方は、その内面的体験を幻想的に表現する象徴(シンボル)と、占星術 に代表される宇宙の惑星運行を表現した記号系を通じて、はじめて理解できるものである。我々の時代 ではそうしたシンボリズム(象徴と記号)の可能性が奇妙な考え方になってしまっているため理解がむずかしい。 だが、錬金術のシンボルとユング心理学における元型の概念が同時に果たす役割の理解から精神分析学 に新たな展望が開けたように、科学的機能と宗教的機能を同時に果たすようなシンボル(象徴、記号)こそが、 人間の化学文明とガイアとの間を橋渡しする役割を担うものだと期待できるだろう。 そのシンボルが人間文明の永続的繁栄を指し示すものか、ガイアの意志により人間文明の終焉を指し示 すものか、それとも人間文明とガイアの共存の道を開く鍵となるかは定かではない。第一者ならば人間 文明の地球上(もしくは宇宙)での完全なる環境との融合、もしくは生物の覇者としての完成となるで あろうし、第二者ならば、科学技術の生んだ最終破壊兵器がソドムとゴモラを焼き払ったメギドの炎と なるであろう。第三者ならば、そのシンボルはいかなる道を我々に指し示してくれるであろうか。 未完 参考文献 C.G.ユング/W.パウリ、「自然現象と心の構造」海鳴社 河合隼雄/村上陽一郎 訳。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/02(土) 14:01
あー。 あの管野さんがどっかのゲームで書いた文章ね。 彼の物理知識は大学教養レベルなのでどうでもよし。 それを使って知らない人を煙に巻くセリフを吐くゲームをつくってくれ。
6-三行目 ×癌細胞の進行はなお続くる進歩が善なるものであった以前とは異なり 〇癌細胞の進行はなお続く。進歩が善なるものであった以前とは異なり
10 :
元信者 :2000/09/03(日) 03:17
1は菅野信者?
11 :
Fermion :2000/09/03(日) 03:50
こ、これは、にちゃんねるらしからぬ投稿じゃ! # レスつけづらい(笑)
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 13:00
これってゲームシナリオなんですか? 最近のゲームって凄いですね。
布教ご苦労 **************終了***************
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 14:04
面白いかもしれない。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 14:04
でもこれ「エクソダスギルティー」をプレイしないと テーマ不在でよくわからないかも。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 14:07
ほとんど上の内容は読んでないんですが 科学の進歩に対する一般大衆の「懐疑」なんてのは、近年になって 初めて出てきた感覚ではなくて、昔からあったんじゃないのかな。 例を挙げるのは面倒なので略すけど、、、 そろそろ哲学者も自然科学の先端を理解した上で、 「これはいい」「これは(道徳的に)間違っている」と発言するように なってほしいと思う今日このごろである。
17 :
16 :2000/09/03(日) 14:09
…って何か元ネタがあるんかいな。 真面目に答えたらあかんの?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 15:27
同じ作者の菅野ひろゆきさんの YU-NOの因果律理論は面白かった記憶がある。 サターンでプレイしましたね。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/03(日) 15:30
別に脱帽する程か?
21 :
>17 :2000/09/05(火) 01:04
エロゲーオタ(現役中学生)がちょっとアカデミックな気分に浸ってみたい一心で立てたスレッドです。
22 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/11/19(日) 12:55
23 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/11/19(日) 13:32
なんか、大学や高校の受験国語に出てきそうな文章だ。 「○○は何を指すか。文章中から抜き出して○字以内で答えよ」 っつうやつ。
24 :
はてはて :2000/11/20(月) 00:56
ミンコフスキーの世界観を勉強しましょうよ。
25 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/11/20(月) 01:02
バークレー司教
4→6行目 ×理学で扱うことは不可能であり、統計的に扱わざるわ得ない 〇理学で扱うことは不可能であり、統計的に扱わざるを得ない
27 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/11/27(月) 13:47
>>22 おれは材料工学専攻していたけど、設定資料集の論文の座屈理論はかなり正しい。
物体が変形するときの微笑区域での理論を知らないと、あの数式は書けないよ。
あれは、たくやが、他の並列世界へジャンプするときの限界値を
物体変形の数式化に当てはめてて面白い。
剛体機構とか、弾塑性座屈や有限要素法などの知識がないと単なる単語の組み合わせ、
訳わかんない文章になっちゃう。
どこまで勉強したのか知らないけど、少なくともこのへんの知識は持ってると思う。
なんとなくだけど、時系列が崩壊する様をこれらの現象と用法になぞらえて表現したということかな?
よくもまあ、こんなの思い付いたな。
28 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/12/04(月) 11:39
>>27 その理論用語ですが、私は菅野のシナリオの理論用語は逆に萎えてしまいます。
物理を説明するために列挙している数式は、みてると恥ずかしくなってしまう
くらい安っぽいものです。菅野のゲームはユーノとか凄く面白くて好きなので
すが、その世界観を説明するのに変にリアリティーを求めるのではなく、SF
小説によくあるように世界を構築してる物理は概念だけで説明したほうが、
ぼんやりしていていいのでは・・・と思いますね。
不確定世界の探偵紳士・・・ このタイトルを何故つけたのか。 先に、ミントと悪行は現世において死んだと書きましたが ●ユーノ的、並列世界を取り入れて考えると 淳子自身は、事象移動する、あるいはさせる力を持っており 悪行が息絶える間際に、あやめが生きる可能性の世界を作り その、あやめが生きる世界を作った結果 カオスの矯正によって、悪行とミントは死んだのではなく 別の世界へと事象移動して生きたか・・・ でも、ミントの最後を考えると死んだ(事象の外へ飛ばされた) ように思えるんだよな。 このタイトルをつけたのは、何故なのか? 不確定性原理凅・冪=h と関連あるんですかね・・・ あくまで、ユーノ的に考えた場合ですが。
プレイステーション版エクソダスの根底に流れる相補性は、 ボーアの量子力学を核としたテーマで、 観測によって得られたいかなる知識の一片といえども、その知識にとって 相補的となるもう一方の知識の損失という対価を支払って初めて得られる、 というエネルギー保存がシナリオに敷衍されてる凄い構成なんです。 簡単に言うと、一方を取ると、もう一方は取れない、ってことです。 位置と運動量を同時に決定できない不確定性原理なんかが相補性なんですけどね。 最終的にこの作品はね、文明と自然という2つの哲学を、相補性で語ってるんですよ。 ライター市場は広く厚くも、量子論を文明論に敷衍したのは、恐らく菅野氏が初めてだと思うわけ。 例えばレイナとアイ、どちらを取る?というエピソード1つ とってみても、このテーマをもってシニカルに描けるわけ。 アーレスはガイアに選択を迫られる。 スィーは文明を取るか、自然を取るか、選択を迫られる。 ラーライラもそう。両方は取れない。必ず選択を迫られるの。 リリーヌも、命という対価を支払って、アーレスの愛を得るわけ。 キャラたちは必ずどちらかを選んで、もう片方を失ってるんですよ。 普通のライターさんには、この構成は絶対にできんだろうと思うの。
エクソダスギルティーは未プレイですが、YU-NOの事象素子まわりの 理屈は、はまった覚えがありますね。エッチゲーのつもりで、SS版YU-NOを 購入しましたが、良い意味で、期待を裏切られました。 例えば絵里子がワープ直前に「レイノルズ数が10の3乗をこえている!」 なんて言うシーンがありますが、まーた適当な専門用語で煽ってからに、 ってシナリオライターを、こてんぱんにしようかと、思ったぐらいで。 でも、ちゃんと後のシナリオで、素片を事象素子と名付け流体力学を適用 させる、という理屈が提示されて「おおっ」と思った覚えがあります。 虚数空間を走る光子というのは、実際の理論物理では、存在が予測されて る概念です。時間は可逆、歴史は不可逆という、時間と歴史を切り離した 考えには、かなり打ちのめされました。
YU-NOで述べられる科学というのは、仮説・実験・観測・考証のプロセスを経る手法の概念です。 実験は、必ず観測をして、結果を考証しなくてはならない。つまり科学は、人間の観測能力を、 決して超えられない。相対論や、ハイゼンベルグの不確定性理論などは、実験から観測者の影響 を排除できない、という点で、自然科学が取ってきた手法の限界を表すものです。 人間が人間であるかぎり、科学にはおのずと限界が生じるということですね。 無限に発展することは絶対にありえない、というが菅野氏の論理です。 ただ、メタ観測系というのは、理論物理学では存在するし、科学の発展がこれで阻害されるかどうかは、 少々疑問ではあります。このへんは菅野氏の意見に反論かな。 そこでYU-NOという作品では、菅野氏は客観的な観測系、すべての実験系 に対して客観視できる観測系を仮定して、これを<神様>と位置づけたのですね。 確かにこんなことができる奴は神様だと思いましたから。
2年くらい前、管野(YU-NO)批評みたいな同人誌を見かけたので、 買ってみたところ大半がくだらない内容だったのですが、 その中で一人だけ論理的に矛盾点を 指摘していた人がいたので、コイツスゲェーなぁ・・・と思いながら読んでいました。 具体的には"400年周期の仮説""双子岩"などの矛盾が挙げられていて、 一応の納得ができたので、作品に対して若干萎えた記憶があります。 (といっても、批評の厳密な考証はまだしてないです) 同時に、この中で、 「この程度の稚拙な話で感動できる人の気持ちがよく分からない」 とあったので、この批評に対して大幅に萎えた記憶もあります。 さすがに一部抜粋しても相当長くなるので、適当に要約してみます。 (以下、抜粋&要約)
「考古史料としての双子岩に関する若干の考察と それに付随するいくつかの問題点について」 まず、物語の中で扱いが統一されていない、双子岩にはめ込まれている文字盤の 問題点に触れてみる。喫茶店で『LEGACY』の内容についての説明をしたときには、 文字盤の作られた時期は西暦400年前後と述べられているのに対して、澪が双子岩 に対する自説を述べる場面においては400年前となっている。それぞれを検証して みると、澪が「文字盤=暗号」の可能性を示唆したときに、たくやは現実味のない 説と否定している。その理由が「400年前に暗号などありえない」というもので、 澪もその妥当性を肯定している。しかし、教科書の時代区分で言えば、400年前と いうのは安土桃山時代にあたり、その時代に暗号が存在しないことが無検証で妥当 と言いきれるのだろうか。このように「400年前」説は論理に重大な矛盾を内包し ている。「400年前」説を勘違いと見逃して「西暦400年前後」説を正式なものとし ても、暗号の存在を完全に否定はできないし、作中人物に、うるう年や西暦のうん ちくを語らせておいて、同場面内において「大まかな時間」についてさえも統一 されていないのは、由々しき問題である。
次に広大の説と双子岩の関連について。 彼の説によると「高ノ天原族」と名づけた民族の秘密が境町に眠っているという。 しかし『LEGACY』の内容説明を見る限り、その民族の存在を証明するのに必要な作 業はまったくなされていない。仮に『LEGACY』の目的を「400年周期の仮説」の提案 だと限定しても、その民族の存在自体が仮説の重要なファクターである以上、それ に対する考察の欠落した『LEGACY』は論文としては欠陥品である。論文が不十分で あるため、学会にて重要視されずにいたのも当然だが、双子岩に関する研究に関し て言えば、広大説を否定する学会の見解も数多くの矛盾を孕んだ奇妙なものとなっ ている。作品中では、広大説が黙殺されていたために双子岩については十分な研究 がなされていないことになっているが、双子岩に刻まれた銘文が西暦400年前後の ものであるならば、少なくとも、金石学の立場から既に研究されていて当然であり、 わずかながらになされている研究においても数々の問題が散在している。歴史書では、 双子岩の中の鉱石の一つを「放射能測定」を用いて岩の生成された年代を測定した ところ、人類の文化の存在すら危ういはずの約8千年前のものと結論がでたため、 人工物であるわけがないということになっている。
36 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/12/05(火) 09:24
それからここに出てくる、「放射能測定法」という曖昧な単語を考察してみる。 文意から年代測定法の一つを推測されるが、『LEGACY』の中で記述されている 「放射性測定や炭素の同位体の測定法」がそれであるとする。これも正確な 考古学用語とは言い難いが、恐らく「放射性炭素測定法」だと思われる。この 方法で測定できる年代は基本的に動植物が生命活動を終えた時期であり、 岩石のような不含炭素史料を直接に生成年代を測定することは不可能である。 さらに大きな問題は、その測定法で特定した年代のほうである。 たとえ、岩石の生成年代が特定されたとして、それ以降に人の手によって 加工されていないことの証明にはなりえない。 (以下長々とこんな感じのが続くが、疲れたので略) こうして改めてみると、矛盾というより間違い探しですね。 スミマセン読みにくくて・・・。 文体とかいじったんですが、繋げようとすると無理が生じるので・・・。 あと改行もよく分からないので、ゴメンナサイ。
事象素子という概念はかなり新しかったよな。虚数空間を走る光子という概念だったか。 菅野ゲーのYU-NOはバイブルになってるな。 反物質は対消滅する概念で、イマジナリー空間を走るフォトンを、 因果律コントローラが関知して、 スナップスルー現象を引き起こす、というのが今川"菅野"理論だったかな。 スナップスルーは起きあがり座屈のことだから、空間転移に使うのは厳密に正しくないと思うけど 菅野は座屈という概念を、じんわりでなく一挙に、という意味での形容詞として使ってたから、 あれでいいんだと思う。 工学的な考証よりは、フロイトやユング的な見地まで踏み込んだ功績を評価したいな。菅野は。 そういう意味で、EGとかも評価高いんだよな。 素粒子物理学の自然法則は、決定不能な形で観測される系に干渉を与えますから、 そのために観測に先立つ現象と後継する現象との間の因果関係に変更を加えることになるじゃないですか。 この点に着目して、相補性を語った功績はあると思います。ここまでシナリオを語れる人はいないでしょう。
菅野のEGにおける科学理論をまとめると下記になる。 1.一回性が全てであり、統計的処理が不可能なもののうち最大のものは「歴史」 2.歴史は時間の不可逆性、観測者の単一性という意味で統計的扱いが不可能。 3.更に歴史における観測者とは、そこに住む人間、生きとし行けるもの、 文明、世界そのものであり、観測者が事象に与える干渉は恐らく最大のもの。 4.すなわち観測者の行動が逐一、「相補的に」観測系に影響を与えて歴史的 知識を得、経験を積むにつれ、それにともなって「相補的な」もう一方の 歴史的知識を損失し、「相補的であるもう一つの」歴史的経験は永久に 失われていく、という対価を支払っている。 YU-NO的でもあるんだけど、相補性を導入して、さらに論理の発展がEGにはある。 で、EGは理論物理よりはむしろ、典型的なアニミズムだったと 考えてるんですよね。平たく言えばガイア教だと。 文明の発展が始まったその日から、星の姿は失われ、 文明に陽が当たるほど、ガイアは陰になるってくだりは、 偶然相補性になったんじゃないかなと。 逆に言うと、この結論が先にあって、相補性につなげたんじゃないかと思ってます。
しかし自分は相補性まずありきで、シナリオの構成したと思ってる。 得られた知識がその知識の獲得者に対して与える反作用って言い方してるんだが、 その知識の獲得者の意図にとどまらない一つの状況を惹き起こすのね。 なぜなら、その反作用と結ばれた経験の完全性のためには、それがその 知識の獲得者に対して従わざるをえないような力を持っていなければ ならないはずだから。 科学技術は世界の発展のため、数限りない進歩を行ってきたが その進歩の一つ一つが、相補性により観測系である歴史に影響を与え、 その反作用として、自ら歩まざるをえない道を敷いて歩まされ続けている。 これが未来編の人類と、ガイアとの確執。 最初から考えないと、こうもうまくつながらないと思うのだけどなぁ。 偶然だとしたら、それはそれで凄い才能だと思うのだよ自分は。 ●宿題・文明とガイアの相補性がアニミズムと断定されちゃうのは異議あり。 歴史の相補性から解き明かしてみよ。
40 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/12/07(木) 09:54
宿題やってきたので、いきまっせ。EGの設定資料集読みましたよ。 菅野さん相変わらず突っ走ってるなぁというのが感想ですね。 まず相補性の定義から。 ボーアが提唱した量子論の一つで、一方が決定されると、一方が決定されない。 ハイゼンベルクの「不確定性原理」や、素粒子の位置と速度は同時に 決定できないアレです。 菅野氏はEGという作中で、これを次のように言い換えている。 観測によって得られたいかなる知識の一片といえども、その知識にとって 相補的となるもう一方の知識の損失という対価を払って始めて得られる。 これを文明とガイアという2つの相反するカテゴリーに当てはめて、 文明論をぶちかましたのがEGです。 僕はこれをアニミズムと捉えたんだけど、なぜならば、 ガイア論自体がアニミズムとして認知されている典型的な存在だから。 ガイアはそもそも星自体を大きな一つの生物ととらえる考え方ですが、 これは次第に精霊的な存在へと変貌していったというのが僕の認識。 で、偶然として、相補性がそこにすっぽり当てはまったんじゃないかと。
人間界でも自然界でも、時間は常に一定方向(つまり過去から未来) へと流れていきます。 例えば私が今、隣においてある安物のコロンを床に全部滴らしたとします。 一度滴らしたら、いくら待っても元には戻りません。 もちろん中身を買ってきて入れ直せば元に戻ったようには見えますが、 これでは時間の流れが逆になったわけではありませんよね。 粉末状のポカリスエットを溶かしておいて、いざ飲もうとしたときに急に水と 粉が分離することもありません。(まさかないですよね?) 一般的に、すべての事象において時間というものは常に一定の向きに 沿って流れていきます。過去と未来を入れ替えるのはちょっとできそうにありません。 この特徴を、「時間の非可逆性(または非対称性)」とよんでいます。 そして、この非可逆性こそ我々が最も日常的に、最も感覚的に捉えている 「時間」の明白なものです。 YU-NOでは時間は可逆である、となっていますし、実際にゲーム内では それを実践しています。 しかし私達はこれを実際には経験したことがありません。(ないですよね?) 「あれはゲームだから」なんて言ってるようではアマイですよ。 どちらかというと物理学上においては(物理の法則においては)、 どんなものでも過去と未来を入れ替えることは可能なんです(!)。 もちろん、相対性理論だって量子力学だって可能です。 どういう事かと言いますと、物理にはなんでも基本方程式があります。 その基本方程式のなかの時間の符号を反対にしても法則は成り立ちますし 時間を反転させた方程式での結果も、現実の世界に何の変哲も無く起こりえるのです。 一般論として、自然現象を示すような物理法則は、時間の可逆性をもっているのですが、 実際にはそのようなことは起こっていません。 (もしかしたら起こっているのかも知れませんが。)
例えば、道路で砲丸キャッチボールをしたとします。 単純に、砲丸のことだけ考えてください。 砲丸の運動は、ニュートンの運動の方程式に従った動きをします。 そのときの初期条件(砲丸を投げるときの位置、速度)が解れば、 これを運動方程式に当てはめて砲丸の運動を完璧に求めることができます。 詳しい式などは省きますが、ある時点での初期条件(運動状態)がわかれば運動方程式は 砲丸のその後のことまで正確に教えてくれます。(ある時点というのは、計算するトキには 最初に投げるときが一番決めやすいの ですが、運動方程式の解法においては初期条件は どこを選んでもかまいません。) つまり、ある地点での砲丸の運動状態がわかれば、 運動方程式にあてはめて「その後」砲丸がどのように飛んでいくか、 または「それ以前」どのようにして飛んできたのかがわかります。 古典力学を使ったので、シンプルすぎて不満もあるかと思いますが、これで恐らく過去と 未来を入れ替えるという大変そうなことが、物理学上では意外と簡単なんだなぁと解って ただけたかと思います。 このように、時間の流れる方向をどうしようと法則は成り立ち、 砲丸(別に砲丸とは限りませんが)の運動は、時間に対して可逆だということになります。 ビデオで時計を撮ったとします。これを巻き戻ししながら見てみると、針は反対向きに回っ ているように見えます。 また、時計の中の歯車を逆に回るように作っても、物理の法則に破綻はありません。 これは単に日常生活で見ないだけであり(床屋ではあるけど)、まんま時間に対して 可逆だということになります。 詳しく言うと、物体を構成している原子そのものに注目していけば、それらがどの向きに動 いていようが運動法則には抵触しません。 ただし、この場合は時間の可逆性・非可逆性のパドラックスを解く鍵になります。
さてさて、17世紀末〜18世紀初めにかけては、彗星がどのような動きをしているかは 天文学の大きな問題点であったといわれています。 ハレーさんと言う人は、1682年に地球に接近した彗星に注目しました。 ハレーさんは過去の天体観測記録をひっぺがえしていろいろ調べたら、 その彗星が過去に何度も観測されていることに、気がつきました。 そこでニュートンの力学を使って彗星の運動を計算し、 それが平均で76年の周期で細長い楕円軌道を描くことを示しました。 な〜んだ、関係ないな、と思わないでください。じつはかなり関係があるのです。 どういうことかというと、彗星に働く力(概ね太陽からの重力)はそのままとして、 運動方向(速度)を逆向きに計算すると、計算結果は過去の記録と一致したのです。 つまり、過去の出来事を正確に描き出すことが出来たのです! これは、砲丸キャッチボールを逆向きにしたことと本質的に同じですよね。 天体の方向などはどっちを向いてても運動の法則は成り立ちます。 原則的には初期条件(この時間はいつでもかまわないのですが)と運動の法則さえ 与えられれば物理法則のなかでは時間の方向、つまり過去と未来を区別するのは意味が ないということになります。うわ〜、恐い。 ちなみにこの彗星の名前はもうお解りですよね。そう、ハレー彗星です。
頭が混乱しないように簡単なイメージでまとめると、物理学で物体の運動を扱う場合、 空間座標(通常、3次元x、y、z)の中に時間座標(皆さんの好きな時間軸ですね。 通常、t)を用意して、これらによって構成される4次元空間(x、y、z;t)に質量(通常m) を指定した物体を入れてやるというハナシです。 x,y,zが場所(どこか)で、tが時間(いつ)っていうわけです。 そこで何が起こるかは、運動方程式で解いてやればわかることになります。 今までの説明では、いっさいゴマカシなんてなかったのですが、物理法則に現れる時間と、 日常的な時間の間には凄まじいくらいの大きなギャップがあります。 というか、時間の観念として最も重要な要素の非可逆性が霧散してしまったのだから とんでもないハナシです。 なんだかYU-NOのハナシからかけ離れてしまったような気もするのですが、 元ネタの元ネタの元ネタくらいのハナシになるかなーなんて。
物語を成立させるための疑似科学な論理のアクロバット的展開にここまで入れ込むかぁ。
ま、嫌いじゃないがな。
>>41 本気で逝ってるのなら、病院逝け!
それだけじゃ何だから
物語として時間論やるつもりなら量子力学の多世界解釈をつかったものがここ数年の流行.
46 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/12/30(土) 20:13
工学系ですが、座屈理論はかなり厳密なものです。 少なくともちゃんと勉強しないと、あのような応用はできません。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/12/30(土) 21:20
流体力学と量子力学を統合するのはいいけど、 その場合、「レイノルズ数」はどう定義されるのか? 事象に「粘度」も「流速」もないと思うが?
48 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/12/31(日) 15:38
age
49 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2000/12/31(日) 21:12
菅野さんモエ〜
>>1 -7
ああ、なんか論文のような文ですな
YU-NOはプレイしましたが、時間は可逆、歴史は不可逆という
概念はかなり新鮮でしたね。
51 :
名無しさんだよもん :2001/01/02(火) 01:11
スレ違いなのか微妙だが、 YU-NOの『並列世界構成原理』の下巻って、何について書かれているのだろう?
52 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/02(火) 04:29
>>41 まあ只の一般人が反論するのは恐れ多いんだが・・・。
時間を向きに置きかえるのはかなり無理があーるような・・・。
向きっていうか、整数の範囲だろうか?整数には+も-あるが
整数は無限ではなくて範囲が決められてて有限。言い替えると
可逆は限られる。つまりそれが、時間は可逆、歴史は不可逆って
いう事なんでしょう。で、その時間と呼べる範囲はどこまで?
我々の周りに流れてる時間を具現的に立証可能?と、言っても
菅野が言う通り、人間がその範囲を超えて研究する事はできないから無理。
という結論になる。ところで、菅野が言う時間を-させるというのが現象が
スナップスルーという事なんだろうか。
>>47 レイノルズはあれだよほら。ドラえもんがタイムマシン操行させると
周りがぐにゃ〜っとなってるでしょ。アレの事だよ。
53 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/02(火) 06:19
54 :
No_Z :2001/01/02(火) 11:34
象牙の塔
55 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/02(火) 23:19
なんやようわからんが、以前YU−NOやってて、 ドラゴンボールでトランクスがタイムマシンで 未来からやってきて歴史を変えてしまうっていうのに 非常によく似ているなと思った。 あれも並列世界の概念だよね?
56 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/03(水) 00:43
>>55 全然違うというかそうでもないかもっていうか。ドラゴソボールは
セル消滅後、終盤アレアレ?って感じだったな
漫画の解釈はどうでもいいとして、理論的な話が聞きたいな
57 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/03(水) 02:09
>>41 ネタにしちゃ面白くないな。
その投げた砲丸の着弾地点が確率でしか表せないのが量子力学だろうが。
58 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/03(水) 02:29
ドラえもんで、野比太に宿題を押し付けられたドラえもんが1時間後や2時間後の自分を呼びつけて手伝わせていたが、こういうのはどうなるんだろう? ちなみに呼びつけた当のドラえもんは、1時間後、2時間後に呼びつけられることになるので、結局仕事量は変わってなかったり……。
59 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/03(水) 02:29
ドラえもんで、野比太に宿題を押し付けられたドラえもんが1時間後や2時間後の自分を呼びつけて手伝わせていたが、こういうのはどうなるんだろう? ちなみに呼びつけた当のドラえもんは、1時間後、2時間後に呼びつけられることになるので、結局仕事量は変わってなかったり……。
60 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/03(水) 12:55
>>50 スタートレックならよく使ってそうな話題だね。
61 :
55 :2001/01/03(水) 18:26
>>56 う〜ん・・あの漫画の世界観も行き当たりばったりで
構成されているので理論はないに等しいと思うんだけど、
ただトランクスが登場してからセル編が終了するまでの間だけは
なんとなく・・・って思っただけです。
62 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/04(木) 12:51
この法則って割とメジャーなのにだれも触れないので、私が勝手にかたりたいと思います。 知ってたらごめんなさい。 エントロピー(ΔS)について :これは、系(システム)における状態の、秩序性、複雑さをあらわす量です。 例えば、液体が気体になるとき、乱雑さが大きくなりますよね。簡単に言えばそんなもんです。 ちなみにこの時、エントロピーの仕事量はT・ΔS で、ΔS=87KJ/mol・Tで求まります。 片付いている部屋が散逸するのも、ご飯を食べてうんこをするのも、エントロピーがちゃんと働いている証拠です。 ※系(システム)物質やエネルギーの集まりのユニットのこと。孤立系、開放系とがあります。 エントロピーの法則=熱力学第二法則、物質(エネルギー)は、常に部分的高エネルギー状態から、 全体的低エネルギー状態へと拡散しているコト。その状態。 よーするに、「錆びる」「腐る」「ちらかる」&「時間が過ぎ往く」
64 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/05(金) 12:07
ある並列世界に元々いた人物と別の並列世界から来た同じ人物が、 同じ並列世界にいるってことはありうるかな。カオスの矯正とかで飛ばされちゃって、ダメだったか。 移動(移行?)の手段(現象?)により違ったかな。 タイムマシン(BACK TO THE FUTURE参照)に乗り明確な日時を自分が指定出来る場合、 過去あるいは未来の自分を目の当たりにすることが出来る(本当か?)が、本編の主人公は、 リフレクターデバイスの作用により本人の知覚や意志に関係なく並列世界を行き来している... 本人にその意識がない場合その世界(パラレル=ワールド)は、常に真の世界である。 したがってそこには、主人公しか存在しない(出来ない?!)。 ...しかし、難しい理論だよね...過去に戻るのではなく、歴史という事実が書き足される... 雰囲気だけは、なんとなく解るんだけど(笑)
65 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/06(土) 05:06
ホーキングは、時間順序保護仮説を立てましたが 多世界解釈をすれば、過去に戻るとき、同じ世界に戻るのではなく シュレーディンガーの猫の解釈の一つである並列世界を取り入れて 似たような並列世界に戻ると考えれば(YU-NOというゲームで表現されていた) タイムマシンも可能であると思いますが、どのように思われるでしょう。
ん〜?シュレーデインガーの猫って確立の話しで並列世界が同時に存在しているわけじゃないだろ? 死んでる猫か生きてる猫のどちらかであって、生きながら死んでる猫の存在は当然否定されるし 生きている猫の世界と死んでいる猫の世界が両方存在するような話しも当然おかしい。 そういう解釈で(もう物理の世界じゃなくて哲学の世界だが)並列世界が存在するならタイムマシン よりも前に同じ時刻の並列世界があるのかどうか、それからそこに移動する事ができるのか考えなけ ればいかんと思う。
シュレーディンガーの猫の解釈の一つに多世界解釈(死んだ猫の世界、生きた猫の世界) というがありますが、実際のところどうなんでしょう。 量子の世界(ミクロ)と猫の世界(マクロ)では、違うでしょうし・・・ 不確定性関係△E△t〜h/2π を考えると、時間にも不確定さがあるということですが、逆行はできるのかな?
>シュレーディンガーの猫の解釈の一つである並列世界を取り入れて >似たような並列世界に戻ると考えれば(YU-NOというゲームで表現されていた) 状況は2種だが実際には仮定であって、現実は1種だ。 確認できないから云々ってのはなぁ。 >猫の解釈の一つに多世界解釈(死んだ猫の世界、生きた猫の世界) 明らかに間違っている。 もしそんな理論でタイムマシンが作れるんなら「もしもボックス」も作れそうである。
因果律とは自然に関する因果の法則であり、因果とは原困と結果に規則的なつながりのあること、 原因と結果とが一定の原則に従って継起することをいう.この語はインド思想に由来しており、 自然現象や人間の行為とその結果についての因果関係を論ずることはインド思想全体を通じて著しい 特色の1つとなっている.輪廻の思想が確立するにおよんでは、人間の善悪の行為が次の生涯における 幸・不幸を決定する要因であると見なされ、インド思想は仏教も含めて全て輪廻における因果を 道徳理念の基本ににおくようになった.これは過去の行為の決定性に重点を置けば一種の宿命論になるが、 未来の生涯を規定するものが現在の自己であるという観点から見れば、個人の道徳的責任を強調する 努力主義の倫理観となる。ほとんどの思想体系はこの2種が交錯して成り立っているが、森羅万象を全て一者 (神)が司るといった西洋思想とはやや趣を異にする.しかしこれも一者(神)が全ての因果律を支配し、 すなわち全ての事象の原因系となり、人は神の恵みを享受する結果系ととらえれば、西洋思想をも大きな 因果律の系に組み込むことが可能である.
今日では因果律とは主に自然科学上の諸法則を指すようになり、因果応報といった概念上の意味 あいはやや薄くなった。自然科学は実験による証明を行って初めて価値あるものとなるから、 実験可能な諸法則(例えば万有引カの法則など)は自然科学の発展にとって極めて重要な因果律で あったと言える.しかし因果応報や輪廻といった因果律は科学の目で捉えることはできず、 従って自然科学の特質からその中に取り込めずにいた.だが古来、特に東洋において、人はこれら の因果律を自らの内的観察、もしくは直感に基づいて既に知覚していた。自然科学は客観的証明 可能事実に関しては揺るぎない基盤を築いたが、これらの点については大幅な遅れをとっていたのだ。
※ アインシュタインの相対性理論やハイゼンベルグの不確定性原理などは、 実験から観測者の影響を排除できないという点で、自然科学がとってきた手法の限界を示すものである 故に我々は、これまで自然科学が乗り越えられなかった壁を越えていくため、実験による仮説の証明と いった手法が敢えて取らない。あくまで数学的、理論的考察、物理的洞察から、因果律と世界の謎を解 き明かしていきたいと思う。完全なる理論であれば、いつか必ず証明される日が来るものと信ずる。
因果律は原因系から結果系へ流れる。時間は過去から未来に流れる。 時間を河の流れになぞらえて考えることが出来る。原因系から結果系へと流れてきた因果律は、 さらに下流の因果系となり、液体素子が移動していくように因果律は伝達される。 我々はこの液体素片を事象素子と名付けた。すなわち因果律の流れとは、事象素子の川を渡って 因果律が伝達されることを指すのである。 因果律が流体であるのならば、我々の知る流体の持つ特質を因果律が持っていると考えるのは 自然だろう。周知の通り、液体(例えば水)には層流と乱流があり、層流は安定した規則的な運動、 乱流とは強い非線型性のある、分子レベルよりはるかに大きいレイノルズ数Reとよばれる不安定力 と安定力の比(もしくは慣性項と粘性項の比:平均流の速度と粘性により決定される無次元数) で表される(Re>103で乱流、水の流れなどはほとんどの場合は乱流)。 そこで因果律にも、層流状態と乱流状態を仮定してみよう。
因果律の層流状態と乱流状態(事象の層流的発現)とは、因果律がその系全体を支配する諸法則 (場の方程式)に従って伝達されていく(事象が発現しにくい)状態であり、現観測点から遠く離れた 事象の発現も比較的簡単に見渡せる。先に示した世界像の基礎方程式がその系を支配する場の方程式であり、 領域の境界条件を与えることによって、系内の因果律の伝達は決定される(それ故、先に示した基礎方程式 は因果律の層流状態のものである)。 それに対し因果律の乱流状態(事象の乱流的発現)とは何か。これは我々の知る乱流の性質を考えれば明ら かになろう。乱流は様々な大きさの渦をその流れの中に含み、1番大きい渦は流体力学的不安定により発生し、 平均流から運動エネルギを奪う。一番大きい渦もそれ自体不安定で、より小さい渦になり、運動エネルギを 渡していく。だんだんと小さくなった渦は、最後には粘性散逸により壊され、熱に変わる。それ故乱流を維持 するには、どんどん運動エネルギを供給しなければならない。
76 :
名無信者さん :2001/01/07(日) 07:15
>>71 -75
YU-NO本からのコピペね。
まあ、よくもまあこんだけ設定したものだよ>菅野さん
ゲームシナリオ自体も面白かったしね。
DESIREでは最初に「この悠久の螺旋から助け出してくれるのは誰」というテロップが流れます。 この話、実はよく考えるとどういう世界なのか分からなくなってしまいます。普通の人間は時間に 対して、一定方向にしか進みません。つまり、時間軸に対して等速直線運動をしています。 もちろん、時間というのは、慣性系によって異なりますから、そう単純ではありませんが。 つまり、過去から未来に向けて動き続けているわけです。タイムマシンでもない限り、後戻りはできません。 我々は、過去から未来へとのびる1本の曲線上を動いていると考えてください。 ところが、DESIREに出てくるティーナは違います。ティーナは時間のループの中にいるのです。 つまり、過去から未来へ、そして過去へというループを繰り返しているのです。これがテロップに出てくる 「悠久の螺旋」ですね。ティーナは次のような流れをたどります。 ・・・→アルに海岸で助けられる→デザイアの研究室で機械が暴走→アルと2人だけのデザイアで何年か過ごす →ステラドヴィッチが追いかけてくる→30年ほど前のロシアに飛ばされる→ステラドヴィッチと結婚・研究 →デザイアへくる→デザイアの研究室で機械の中へ突き落とされる→12歳のティーナに戻る→アルに海岸で助けられる→・・・
このループって始まりがないわけです。つまり、ティーナという人間は世界ができたときから このようなループにいるということになります。意味が分かりませんか? もう少し簡単にいって みるようにしましょう。このDESIREの世界は完全なる決定論的世界でなければおかしいのです。 微分方程式というものを知っているでしょうか? 微分方程式は十分な初期条件と方程式があれば、 一意に解が定まります。もし、宇宙の現象がすべて微分方程式で書き表すことができるとすれば、 宇宙はできたときから宇宙の終わりまでのすべての現象が決まっていることになります。私がこうして、 パソコンに向かっていることも、あなたの今日の夕食も・・・。DESIREの世界はそういう世界なのです。 特にDESIREの世界はところてん的世界といってもいいかもしれません。たとえていうと、時間の流れという ホースの中を絶えず水が流れている状態です。世界が誕生したときからホースに水が流れ続けているのです。 ホースの中を世界という一つのボールが通り過ぎるのではないのです。
なぜなら、もしそんな宇宙ならば、ティーナが30年前に戻るという現象が起こり得ないからです。 30年前というのはもう過ぎ去った現象ですから、ボールが通り過ぎてしまえば、そこにはなにもないのです。 だから、絶えず水が流れていなければなりません。 もう少し難しくいうと、連続体的世界というべきものでしょうか? 連続体というのは数学でいうところの実数と同じ濃度を持った集合ですが。切れ目がないということを 意味していると言っていいでしょう。微分積分の本などを読むと実数の連続性と稠密性というのが書いて あります。詳しくはそれを見てください。さて、この連続体的世界というのは、時間軸上に世界が稠密に 並んでいるという状態です。現在の前には、現在より少しだけ前の世界があり、のその間にも、無数の世界 があります。それらの世界が、徐々に前に動いていっているのです。その断面が、我々の見ている世界という ことになります。 ティーナの時間はデザイアからその30年前がくっついて時間が閉じていることになります。 だから、ティーナという存在はどこかで生まれたのではなく、世界ができたときからすでに存在が規定されているのです。 もし、ティーナがどこかで生まれたとすれば、その生まれる前は、このループがなかったわけです。 すると、デザイアというプロジェクトもできないわけですし、マルチナ(=ティーナ)も当然いません。 すると、アルがデザイアを訪れることもないですし、アルがティーナとであるわけもないのです。 すると、いつまで立ってもループが生まれることはなく、矛盾を生じてしまいます。だから、世界の最初からティーナの 存在は規定されていたわけです。よって、DESIREの世界は決定論的宇宙論ということになります。
80 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/09(火) 13:35
age
81 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/09(火) 15:43
どうでもいいが本当にコレ、エロゲーなの? ちゃんと抜けるの?
>>68 YU-NOの理論はもっとはっきりしていて、各時点で歴史が分岐しており、
可能性の低い未来は消滅していくということになっています。また、バクスターの
「時間的無限大」のように最初の監視者のような存在もいます。
(誰かはクリアした人には分かるでしょう!!)。
また、平行世界もなかなかおもしろい作り方になっています。つまり、自分が今いる
Aという世界からBという世界に移動したとします。このことはYU-NOの世界では
光速以上の速度を出す(虚数方向に進む!!)ことによって可能となります。
さて、Bの世界で自分が自分に出会うということはあるのでしょうか??
YU-NOの世界では、そのようなことは起こりません。ゲームの中でも出てくるのですが、
AからBに移ると、他の世界CからAに他の自分が移動して、Bにいた自分はDへいってしまう、
という仕組みになっています。質量保存ではないですが、保存則が働いているようです。
83 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/10(水) 01:20
エロゲーですが抜けません。 エロシーンはなくていい、というか積極的にいらない。
84 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/10(水) 11:49
YU-NOというゲームをやってないひとにはわからないかもしれないけど YU-NOでの時間をさかのぼる行為は 既存のタイムマシンでもないし、シュレーディンガーの猫の多世界解釈でもない あえていうなら並列世界なんだよね 時間は可逆だが歴史は不可逆というYU-NOの基礎部分を知ってないと ぎろんできないよね P.S. エロだけがエロゲーにあらず
SS版は抜けます。 井上喜久子の悩ましい喘ぎ声を聴くだけでも買う価値はあるかと。
86 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/11(木) 03:50
あげ
私はまず、並列に、そして無限に存在し、因果律の流れを運ぶ道として存在する固有のエネルギー体 を「事象」と呼び、その各々の歴史を「世界」と呼び、それらを統合して「並列世界」という呼称を 与えることにしたい。我々はみな、この並列世界上にいると考えられるのだ。 [リフレクターの動作原理] リフレクターの動作原理を説明するため、私はここに「事象素子」という粒子を仮定しなくてはなら ない。それではこの事象素子とはいったい何だろうか?私はこれを虚数(imaginary)空間を走る粒子 と定義し、我々の住む現実(real)空間でいう光子1つ分にあたる反光子と仮定した。 リフレクターから常時放射されているこの事象素子が、対象事象の固有事象スペクトルに合わせて放射。 対象事象では、事象スペクトル共振によって、事象素子の反射波が励起され、リフレクター側へと返っ てくる。こうして、リフレクター側の発信波と対象事象からの反射波が干渉することにより、事象素子 の波〔事象密度波〕に節と腹が形成されることとなる。 節→事象密度の最も小さい部分。すなわち「可能性の薄い世界」 腹→事象密度の最も高い部分。すなわち「十分可能性のある世界」 事象密度波の干渉をコントロールし「節」を現世界(現事象)に、「腹」を対象事象(隣の並列世界) に設定すれば、現事象→対象事象へと移行しやすい「因果律の流れ」が、事象空間に形成されることに なる。この事象密度による不安定な系が形成されたのち、因果律エネルギーを対象事象に指向させる。 これにより人工的な事象衝突(Event Shock)を起こさせれば、系の不安定性を利用して、現事象から対象 事象への「事象の飛び移り座屈」が発生し、現事象から、対象事象へと一挙に移行することができる。 すなわち、これが異なる並列世界への移行となる。ここでこの〔事象密度〕の定義を、より厳密にしておく ことにより、この仮説の信憑性を高めようと思う。
[事象密度の定義] リフレクター内部に存在する測定器は、事象素子と呼ばれる粒子を速度Vで放出、対象物に衝突して 跳ね返る速度vを測定し、1/2m(V-v)^2(mは事象等価質量)から、対象に吸収された因果律エネルギーを 測定し〔因果律エネルギーの吸収関数〕を決定する。ここでいう因果律エネルギーの吸収関数とは、対象の 事象密度と事象素子の物性で決定される関数のことである。 また、この〔因果律エネルギーの吸収関数〕はtによる時間変化も含んでおり、これは事象スペクトル変換に より分解され、対象とする事象(何が起こるかの周波数のようなもの)にあたるスペクトルの値が、 求める〔事象密度〕であると定義する。しかし実際の並列世界には莫大な「可能性」が存在するので、 測定した事象スペクトル値を逐一、現事象(現実)と比較して事象密度を修正・更新し、ダーウィンの自然 淘汰説にもとづいて、リフレクターは、対象事象に関する事象密度を選択していくと思われる。 また、リフレクターの動作にも限界があり、どの世界へも自由に行けるものではない。 ある世界の事象密度ρが極めて高い場合、その限界半径(1/ρ)内に近づけば、これを回避する手だてはない。 この限界半径を〔事象のシュバルツシルト半径〕と呼び、回避不能の状況を、私は「運命」と呼ぶことにする。
[世界構成の仮説] 並列世界がどのように構成されているかを考えるのは容易なことではない。私は今までに〔単純並列型〕 〔並列・直列型〕〔ピラミッド型〕〔クラインの壷型〕〔分散ネットワーク型〕〔Es型〕と6つの仮説を立てて きたが、ここではもっとも信憑性の高いと思われる〔ピラミッド型〕に言及し、これをもってリフレクターの 仮説の信憑性を高めたいと思う。このシステムは、現世界に対し3つの世界を定義できる。 1つ目は「現世界を構成した原世界」 2つ目は「現世界と同等の存在可能性を持つ並列世界」 そして最後に「現世界を原世界とし、現世界での存在可能性が分裂(運命が分裂)することにより形成される従属世界」 この3つである。現世界の行動により派生・形成される世界は、全て従属世界であり、一般に言われる 「並列世界」とは、現世界から従属世界を並列に見渡したものを示す。従属世界間のみの移動は、 レガシーで記載した〔単純並列型〕−〔部屋数無限固定型〕モデルに沿うが、従属世界から現世界に影響を 及ぼす移動(従属世界から現世界への層を昇る方向の移動)は、層を移る移動に比べ、1オーダー高いエネルギー が必要となる。事象をさかのぼるのは、多大なエネルギーを必要とする。 (1)上層への移動 従属世界(i+1層)から現世界(i層)に移動する場合「従属世界からいなくなる」すなわち 「自分のいる従属世界が消える」訳であるから、移動にはi+1層全ての従属世界形成エネルギーが必要である。 (2)下層への移動 「現世界から新たな従属世界を作り出す」ことと等価である。移動には、1つの従属世界の形成エネルギーが 必要となる。
従属世界の形成・消滅エネルギーEは、拡張アインシュタイン則(E=mc^2)が適用でき、以下のように定義 することが可能である。 E=ΣM(ρ,φ,H,t){C(ρ,φ)}^2 M:次元等価質量の総和 ρ:事象密度(現世界で起こる事象の確立密度) φ:事象ポテンシャルの総和 H:次元の保有空間の総和 t:次元の保有時間の総和 C:事象素子の速度の総和 またこの形成・消滅エネルギーEは、現世界のみの系に適用することもできる。 この場合、事象密度・事象ポテンシャルが至るところで一定であると仮定すれば、 _ _ C(ρ,φ)=c(高速) _ _ M(ρ,φ,H,t)=m(物体質量) これから、E=mc^2が成り立つ。光速を超えられないという事実は、現世界最大の因果律である。
>>87 〜
ハハハハハ、管野という人はSFオタクじゃなくて
理系出身なんですか?
しかしシュバルツシルト半径って・・・
僕の理論だと量子レベルで完全に一般相対論が破綻します。
数学的にあってるという理由で存在している理論があるようですが
力ずくで理論を作り上げようとするほど泥沼にはまっていく気が・・。
こんな事言っても馬鹿がほざいてるとしか思われませんけど。
繰り込みという操作を取り除く
という事はすごい事なんでしょうかね・・
自分でもよくわからないんですが
このまま自分だけの叙事詩として秘めておきます・・
数学ってまだまだ不完全ですね・・・
93 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/11(木) 21:28
94 :
93 :2001/01/11(木) 21:29
95 :
91 :2001/01/11(木) 23:55
いやぁ、これは・・ いろいろな意味で凄すぎてコメントできない・・(^^; 物理学だけでなくなんだか ダーウィンからショーペンハウエルまで出てきてる。 因果律というとプリゴジンのような非平衡から拡散するような モデルが思い浮かぶが・・ しかし”「elf監修 この世の果てで恋を唄う少女YU-NO 完全ガイド」 に掲載された論文をweb上で見やすいよう、転載したものです。” って随分凝ったことをするもんだね。 科学に夢を抱く者が現れるなら良い事だろうけど。
96 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/12(金) 00:07
事象素子の『平均流の速度と粘性』がイメージできない。 これらのパラメータが、結果系が予測しやすいか予測しにくいかを 決定するということなんだろうけれど。 ところで、イマジナリー空間って虚数空間のこと? そんなところで動力学って使えるんですか?
自然科学が扱う自然法則は統計学上の真理であり、我々が巨視的物理量を扱っているとき、 それは完全に成立する。我々は、主にこれを(我々の系内でいう)因果律と呼んでいる。 しかし、これが極微量の領域においては通用しないことはハイゼンベルグらの近代物理学に よって既に明らかになってきているのは周知の通りである。 自然法則についての概念の根底には哲学的原理として因果性が横たわっている。 事象同士のつながりには、因果的なものが接着剤として働いているという説明原理である。 それでは、非因果的なものとは何だろうか。それは自然法則のカテゴリーに含まれない、 統計学上捨てられる事象−事象間のつながりのないもの、すなわち一回性の偶然が挙げられる だろう。我々は人生における様々な局面において意識的もしくは無意識的に、様々な選択をする。 (もしくは様々な事象に出会う)。これらのほとんどは1回きりのものであり、それらの選択/事象 の背景にはほとんどの場合、因果的なものは見受けられない。すなわち、我々は偶然に様々な道 を歩み、偶然に様々な事象を観測するのである。これは非因果的な事象のつながりと言えるのでは ないだろうか。 この問いには科学的手法では答えられない。なぜなら科学の扱う自然法則は、上に述べたそれ自身 の定義から、統計学上の例外である偶然を扱うことができないからである。
こういった例がある。ある日昼食に魚を食べる。その日誰かがたまたま、誰かを「四月の魚」にする (エイプリルフールでこけにする)習慣について話す。同じ晩、自分の論文中に魚に関する記述を書く。 ある患者が、印象的な魚の絵を数枚見せてくれ、別の患者は大きな魚の夢を見たことを報告する。 (ユング著「自然現象と心の構造」)。ユングはこれを意味のある偶然の一致、つまり非因果的連関 の事例と呼んだ。ユングはこれを、因果的な連鎖とは別の、意味ある連鎖と考えた。 同じような事例をフロイトも報告している。ただしフロイトはこれらの偶然の一致を、無意識領域の 記憶として説明した。我々の行動は、我々の知らない因果律以外のものによるのではなく、自我が失 った記憶を無意識が持ち続け、我々が無意識の記憶に従って行動した結果、自我にとって因果的にと らえられない事象のつながり、すなわち偶然の一致が生じたと考えたのである。 この「偶然の一致」に対する我々の回答は何であろうか。我々はこの回答に用いる駒を既に述べた。 これを用いれば、我々の結果は自ずから明らかとなろう。
我々の結論では、全ての事象発現は因果的である。しかしこれは、ユングを放棄してフロイトに与する ものではなく、そのどちらも正しい、とするのが最も近いであろう。フロイトの事例では、事象同士 には無意識が知るところの、明らかな因果関係がある。だがユングの場合、本人が無意識の記憶を知覚 できない以上、因果律の立証ができない。 ではユングの場合、何か別の必然性が彼にその行動を起こさせたと考えるのは正しいのだろうか。 正しいのである。概念的に考えると、この場合ユングは1つのノイマン世界となっており、領域境界から 明らかに事象ポテンシャルの流入を受けている。ユングの述べる因果律とは彼の「系内の」因果律であり、 事象ポテンシャルの流入を受けている以上、系内の因果律は完全には通用しない。そしてユングのいう 意味ある連結、すなわち非因果的連関とは、系内に流入した事象ポテンシャルにより系内に新たに生成 された因果律(外的要因による因果律)そのものなのである。 それでは、フロイトの場合はどうであろうか。この場合もフロイトはノイマン世界となっており、事象 ポテンシャルは自らの無意識から流入する。彼の知らなかった因果律は彼の無意識からの事象ポテンシ ャル流入で生成された内的要因による因果律因果律であり、フロイトはこの新しい因果律を自らの系内 に取り込むことにより、事象同士のつながりを因果的にとらえることができたのである。 こういった例からわかるように、因果律は絶えず変容を繰り返し、変化の中には当事者に知覚されない 場合も多い。ならば領域全体で知覚されない因果律、すなわち領域内では誰も知らない事象の発現 (領域内の何の事象とも連関しない事象の発現、必然的に領域外で発現)が存在するのはむしろ当然である。 これは我々が選んだ選択肢の中の他の可能性であり、我々はこの領域外の事象発現領域を、世間一般の 呼び名にならい、並列世界と呼ぶことにする。
100 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/15(月) 05:50
菅野さんって、もしかして設定ヲタク?
101 :
カンノ :2001/01/15(月) 07:39
ADVで科学ヲタとストーリーテラーが融合されてるのがスバラシイです
102 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/01/27(土) 22:14
age
103 :
名無信者さん :2001/01/31(水) 11:59
イマジナリー空間を走るフォトンという 設定に萌え萌え
104 :
名無信者さん :2001/02/04(日) 22:52
>>99 ではじめて「並列世界」という名前が定義されたのよね
105 :
名無しさんだよもん :2001/02/05(月) 17:32
よくわからないけどきみらすごいね
ガイドによると96年12月に発売されたらしい。 これは驚いた。Win95が出た翌年の末。 最近だと(怪しいのも含めて)こういった理論の啓蒙書が 文庫でたくさんあるが、当時はあまり無かったと思う。 相対論ぐらい。相対論の啓蒙書は妙に多かったなあ。
菅野は狂人か天才かのどちらか。
ショーペンハウアーが言った言葉に次の様なものがある。 『我々の世界像は、知性が外から与えられる諸印象を、時間・空間・因果律の形式に いなおすことによって形成される』・・・と。 つまりだ、君は時間と空間をすべる諸法則を知っているだろう。 ニュートン力学に始まり、量子論、そして相対論などだ。 これらの法則には、決定的なファクターが欠けている。因果律だ。 科学にはな、決定的な欠点というべきものがある。 私達の国・・・日本も含めたオリエントでは、例えば因果応報とか、輪廻とか呼ばれる 概念があるだろう。これらの因果律は、科学の目で捕らえることはできず、 したがって自然科学の特質から中に取り込めずにいたのだ。 この国では古来からそれらの因果律を自らの内的観察、もしくは直感に基づいて既に知覚していた。 因果律というのはな、原因系から結果系へと流れる、ある種の観念のことだ。 時間をも包含する系のことだ。・・・ま、とにかく因果律とはそういうものだ。 上流から下流へ流れる流体のように、因果律も考えることができる。電圧なんかもそうだ。 電位差の高いところから、低いところへと電流は流れるわけだ。因果律も同じだ。 原因系から結果系へと流れてきた因果律は、さらに下流の原因系となり、あたかも流体素片が 移動していくように伝達される。川の流れのように。そこで我々はその流体素片を、事象素子と名付けた訳だ。 因果律の流れとは、事象素子の川を渡って、因果律が伝達される事を言う。 事象素子というのは事象科学で光子の反物質、イマジナリー空間を走るフォトンと定義している。 事象ポテンシャルの高いところから、低いところへと流れる流体素片のことだ。拡張流体力学を当てはめる。
並列世界とは、原因系から結果系が次々と生み出されていくその過程を意味する。 世界が次々と形成されていくってわけだ。原因系が存在している限りな・・・。 想像は難しいが、1つの木構造を考えて欲しい。あたかも根が土の中に張り巡らされるように・・・。 事象科学ではこの木を観念的にとらえることを要求する。「ブリンダーの木」と呼ばれるものだ。 原因系の事象に、あるファクターが与えられることにより、その下方には結果系の事象が成形される。 生成された結果系の事象は、さらにその下方にできるであろう事象の原因系となり、様々な事象を 生み出していくことになる・・・。その原因系の事象に別のファクターが与えられれば・・・ 当然、その原因系から、違う結果系の事象を生み出すという事だな。しかし勘違いしてはいけない。 事象というのは時間のことではない。例えば、君が過去に戻ろうとした事象があるとする。 君がどのような行動を行なうかで、事象が様々に分岐する。君が過去に戻ったという事象・・・ そして戻らなかった事象だ・・・。時間をさかのぼったという事実も、この1つの事象に含まれてしまう。 時間をさかのぼったという歴史が、この「ブリンダーの木」に、単に記されるだけでしかない。 「ブリンダーの木」とやらは、黙々と事象を生成し続ける・・・人間が何をやろうとも。 時間をさかのぼることが、歴史を繰り返すことと同義でないのが、理解できたかな。
歴史とは「ブリンダーの木」に記される事柄と、そう定義している。この宇宙のあらゆるものは、 事象をたどっていけば、同じ所へ帰すると言われている。ただ、どの程度のレベルまでさかのぼれば、 同じになるのかは、わからない。 かなり簡略化されたツリー構造を見たに過ぎないが、ある事象レベルを過ぎると、事象の連続化現象が 起きている。大局的に見て同じ事が、何度も繰り返されている。 文字どおり、歴史を繰り返しているという事だ。因果律の伝達速度と事象粘性が、ある比を超えたところで、 因果律の流れが不安定になる。これを因果の渦という。因果の渦とはある原因系が、因果律の流れにおいて、 それ以外の結果系からくるものを言うんだ。原因が・・・それ以後の結果から導かれるってこと。 原因系AがBを生成し、BはCを生成する。ところがCは再び原因系Aを生成する。 A→B→C→A→B→・・・と続いていく。あくまで簡略化したモデルでの話だがな。 細部はかなり複雑で、その挙動はカオス的だ。だが大局的にみて、渦をまいている。 何度も何度も、ほぼ同じ歴史を繰り返していると言える。この「ほぼ」というのは、因果にも慣性力が 働くということだ。ただ、積み重ねられ、繰り返されている歴史は、それを巧みに回避しているのだな。 その辺がかなり微妙なんだ。つまり、毎回毎回、危機的状況が生まれて、それを回避するという 歴史があるってこと。その繰り返しが行なわれている。
111 :
名無信者さん :2001/02/12(月) 21:54
わかりまへん
112 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/02/18(日) 01:02
>>108 -110
これはYU-NOの中で、絵里子先生が、主人公に事象を解説するシナリオですね。
いちおう口語にはなってんですが、今もチンプンカンプンです。
もはや理解できてるのは菅野先生だけでしょう(笑)
なぜこのスレが放置され続けてるか。 毎回毎回文章が長すぎて誰もケチつける以前に 書きこみのチェックすらする気になれないからだ。 したがって、物理板住人は批判する時は一応元の文章を 読んでから批判してるのだろうと推測ができる。
皆様ご苦労さまです
115 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/02/20(火) 13:03
作中でこの世界観を最も理解している人物が、文系の親父ってのはどうよ。
116 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/02/21(水) 08:46
age
117 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/02/22(木) 16:06
いまから理系大学にいこうかなぁ……。
118 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/02/23(金) 13:07
大学いかんでも独学でやれるでしょう。
119 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/02/23(金) 13:34
独学だと、途中から相対論覆し始めるから・・・。
120 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/02/23(金) 15:44
ゆーの
定期sage
うーん、アカデミック。
まだまだ。
125 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/03/27(火) 10:54
菅野は、哲学や民俗学、心理学にも詳しいんじゃないかな。 相補性は量子論の基礎だからなぁ。 理工系だとまず最初に学ぶ概念なんだよね。
126 :
名無信者さん :2001/03/27(火) 11:52
流体力学を何故知っていたのかが気になる。 扱ってる内容としては、教科書の最初の方だけみたいだけど。
127 :
素数さん :2001/03/29(木) 08:42
相補正と言えばM・C・エッシャーなんか思い浮かぶなあ 無調音楽(12音音楽)文脈における音群の12音総体内における相補性(コンプリメント)、 音群の因果律、序数的(オーディナル)な要素と基数的(カーディナル)な要素の変換群。 このあたりが面白いぞ。
128 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/03/29(木) 09:41
そういえば坂本龍一が「オペラ」っていうことでガイアをテーマにしてた
129 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/03/30(金) 11:04
>108 デカルト西欧的・科学的・物質的な考え方の基本とは、確かに時系列を潰しもしくは断面切断して カーディナルに捉えようとするものだといえるでしょうね。これが西欧的な認識法だといえる 東洋的認識法はもっと柔らかい。
130 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/04(水) 07:54
>>1 -7
これはエクソダスギルティーのシナリオに出てくる
ティティのお父ちゃんの手記だよね。
YU-NO以上にチンプンカンプンです。
わかってらっしゃるのは、シナリオ書いた菅野先生だけでしょう。
131 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/04(水) 07:55
ドリームキャストで発売されるみたいですね>えくそだす このあいだの日曜日、電気屋でチラシもらってきました(^^; なんだかまたまた凄そうなゲームデス
132 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/04(水) 07:57
133 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/04(水) 07:59
>扱ってる内容としては、教科書の最初の方だけみたいだけど。
教科書の最初ではないぞ。
>>132 を書くためには、かなり深い知識と応用力が必要だ。
134 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/04(水) 09:03
オレはドキュソだと思うぞ? いや、あんたが(藁)>133
>133 ご苦労さまです。
136 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/08(日) 22:56
菅野先生に、いつか直木賞を狙った理系小説を書いて欲しい。 「パラサイト・イヴ」(書いた人の名前忘れた)並みのものが できるかも。
理系小説…ふつうSFって言わないか?
138 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/09(月) 16:42
>>137 同意いたします。
初めて聞きましたね(笑)
理系小説とは・・・
139 :
136 :2001/04/10(火) 22:19
>>138 >>137 悪かったよお、俺が悪かったよう・・・・・・・・
それとも、海野十三の時代みたいに「空想科学小説」って書いたほうが
良かったのかよう・・・・・・・
あんた悪いやつじゃないな>136 俺も嫌いじゃないけどさ、板違いなんだ…
>>136 パラサイトイブってそんなにすごい設定だったの?
いや読んだ事ないだけど。ミトコンドリアが意志を持つとか
かなりアホっぽい内容じゃなかったっけ。
142 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/12(木) 16:08
並列世界ってなんじゃ?ってことが、この世界観の肝だと思う。 つまり、「事象ポテンシャルのフラッグ数がE=mc^2を超えている」ということを どう解釈するか?ってことでしょ、要は。 僕なりの解答は、「事象ポテンシャルは、並列世界の物理量としてふさわしくない」 ってのが結論。アハラノフ・ボーム効果みたいに、事象科学を考えると 事象ポテンシャルの方が物理量として本質的であるんだけど ご存知のように、事象科学は、非局在(非局所)の理論。事象ポテンシャル から曲率が出てきてしまうのは、まさにこの非局所性が理由だと思うわけ。
143 :
132人目の素数さん :2001/04/12(木) 23:29
>事象ポテンシャル 何それ、勝手に作るなよ >フラッグ数 ?????????
144 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/13(金) 07:04
おまけにもひとつ >事象科学 ???? 自称科学じゃないのか?
145 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/14(土) 13:16
散逸構造論 レイノルズ数で流体の乱流度が測れるそうですが、 ガイア仮説(地球の大気組成が一定)は、何で計れるでしょうか?
並列世界解釈こそが正しい量子力学の理解だとおもっているのですが、それは、 「世界の分岐」なり「波束の収縮」なりが、なぜ、ミクロなちがいがマクロ化した時点で起きるのか、 という問いにたいしては、並列世界解釈は整合的な解釈を提示し得ているのにたいして、 コペンハーゲン解釈は何も答えないからです。並列世界解釈は、わたしたち人間の五感で捉えられる マクロの世界においては、一つの場所に存在できる物体はあくまでも一つであって、ちがう二つ以上 のものがダブッて存在するということはできない、という経験的事実に合致しています。しかし コペンハーゲン解釈者たちは、もともとシュレーディンガー波動方程式の中に波束の収縮という 出来事は想定されてはいないにもかかわらず、波束の収縮という事件をでっちあげて、なぜ波全体の うちの一部分だけが残るのか、その他の部分はどこに行ってしまったのか、という疑惑の真相を、 隠滅してしまいました。左様な、並列世界を隠滅し、この世界を一つしかないものとして捉える コペンハーゲン解釈の「波束の収縮=波動関数の崩壊」という考え方は、如何にも奇妙です。それに、 物質波は観測されれば色々に違ったエネルギーをともなった運動量や位置に観測される可能性が あるのだから、波束を一つの系と捉えるならば、観測は観測される運動量や位置の違いに応じて、 系のエネルギーの総量を変化させてしまうことになるから、「事象の数だけ世界がある」とする 並列世界解釈ではなしに「多数の可能性の中の一つだけが実現する」というコペンハーゲン解釈でいくと、 拡張アインシュタイン則(E=mc^2)に反することになってしまいます。
物理の話なら、もっとオペレーショナルな実証主義的話にしないとなぁ どうやって見るんですか?どうやって感知するんですか? でも、コペンハーゲン解釈が実証主義として批判され挑戦をうけているわけだから、 それも無理かもなぁ。実証主義的な話になれば、コペンハーゲンで問題ないことは わかっているんだから。
自分という系が物理的に決定されているとして、 それが外乱を受けているかどうかを考えれば自分のすることが決定されているかどうかすぐわかるだろ。 自分の外にはなにもないというのならすべて決定されているし、 そうでなければ決定されていないということでいじゃない。
この間、『量子力学の基本原理』(デヴィッド・Z・アルバート)を読みました。 その本を信じるならば、単純並列型解釈と部屋数無限固定型解釈で異なる結果が出るような 実験が(少なくとも理論上は)存在し得るんだそうな。 さらに言えば、クラインの壷型解釈をとると、不確定性原理に反するような結果も起こり得るという。
この世からみて、選択されて残ったものは波束の収束であろうと、並列世界解釈であろうと 同じなんじゃない? この世で起きること、解釈できること、という観点では何の差もないと思うけど。 それより、世界構成の仮説/ピラミッド型解釈だとなんでその選択がこの世に残ったのか、 どうやって説明するんだろう。この世でおこったデコヒーレンスがきっかけだったら、 その後のことをなんで別の世界に託さなければいけないのか、一貫してないじゃないかという疑問がある。 それより、原因系から結果系が次々と生み出されていくとき、いったいいくつの世界ができるのかな?実無限? それぞれの物質世界を作るのに、エネルギーはどれだけ必要なんだろう? (無限集合はいくら集まっても無限集合だから、もう気にしない?) その世界って、選択された量子条件以外は全く同じ宇宙なのかな?量子コピーはできないはずだけど、 事象の分岐は物理的な(この世の)現象じゃないから気にしなくていいのか・・
>いったいいくつの世界ができるのかな?実無限? YU-NOの設定資料集にそこラ変のことは書いてある。
並列世界構成原理と量子力学は関係ありません。 (不確定性と混同されているかもしれませんが) (不確定性と並列世界は全くの別物です。) (なぜなら、観測されると事象が一つに収束するからです。)
153 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/18(水) 14:21
●−−−−−● \○/ あ | げ /\
>並列世界構成原理と量子力学は関係ありません。 関係あります。 量子力学の観測問題で波束の収縮を取り入れない考え方で 多世界解釈というものがあります。 ここで並列世界構成原理とは量子力学の多世界解釈に基づいた考え方だと思います。
多世界解釈と並列世界構成原理とはまた違うのでは! だって、並列世界構成原理って、事象素子と呼ばれる粒子が対象事象の固有事象スペクトルに 合わせて放射され、対象事象では、事象スペクトル共振によって、事象素子の反射波が励起され、 リフレクター側へと返っていき、そして、リフレクター側の発信波と対象事象からの反射波が 干渉することにより、事象素子の波〔事象密度波〕に節と腹が形成されることとなって、世界が 分岐していくんでしょ? 多世界解釈では観測器も含めて不確定性の中に考え収束(収縮ではありません)を回避している話だけど。
156 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/18(水) 16:46
ときどきいますよね。質問しに来るのはいいんだけど、何質問してんだか全然わからない学生さん。文学の学生と話してるみたいな気になるよね。
157 :
ぶつる名無しさん :2001/04/18(水) 17:38
構ってやってください。 自分の考えを披露したい年頃なんで。
158 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/18(水) 19:25
本当に自分だけの頭で産み出したものならまだいいんだが。朝永さんの学生で、「場が紫色をしている」って言い出したやつが居て、まわりはみんなキの字かと思ったけど、朝永さんだけニコニコしてそいつの言うこと聞いてたって話があるよね。あっ、板がちがうか。
159 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/18(水) 20:37
>155・・・きみは根本的に勘違いしている 155の書いている 飛び移り座屈の原理は他の並列世界へ移る時の理論であって それが直接、多世界解釈を否定するものではない。 YU-NOの多世界解釈と歴史や時間についての考え方は 実際にこのゲームをやって、なおかつ設定資料集数式をある程度把握した 上で議論しないと、話にならないでしょう。 とにかくゲームをしてもらわないと理解できないし 大学の基礎的な物理を学んでない人にはキチンと理解できていないと思う
とりあえず他でやってもらえませんか? SF板もしくはゲーム系の適切な板で行われるのが 適切な内容だと思われますが。 /ていうかはっきり言って何言ってるのかわけわかんねーよ。/ もし「本気で」物理的にこのゲームの設定を語りたいなら 既存のオカルト板か、一応要望中の革命科学板のどちらか で話を展開してください。
現在は一瞬のうちに過去となり!誰もがいつかは死に! 運命は人智を越えて荒れ狂う!それが当然といわんばかりに! 私はそんなこの世の全てを憎む!熱力学第二法則を憎む!
すべての事象またはその要素が因果的にしか成り立たないとしたら、 それはつまり限りなく相対主義的な考え方ですね。 因果律を突き詰めていくと、この世は相対的にしか成り立たないことになる。
>因果律を突き詰めていくと、この世は相対的にしか成り立たないことになる。 それは、ちょっと違うのでは? 因果律とは自立的な原因が派生的な結果を引き起こす、ということです。 確かに原因自体が一つの結果として見られ得るが、それはそれ自身が引き 起こす結果とは「別の」結果、別の事柄です。 因果律の相対性については、菅野ひろゆき『世界構成原理に関する一考察』に例が出ています。 ある日、昼食に魚を食べる。その日誰かがたまたま、誰かを「四月の魚」にする (エイプリルフールでこけにする)習慣について話す。同じ晩、自分の論文中に魚に関する記述を 書く。ある患者が、印象的な魚の絵を数枚見せてくれ、別の患者は大きな魚の夢を見たことを報告する。といった趣旨です。つまり非因果的連関な概念として、偶然性、蓋然性と関連するが、 決して単に相対的なものではない。我々の行動は、我々の知らない因果律以外のものによるのではなく、 自我が失った記憶を無意識が持ち続け、我々が無意識の記憶に従って行動した結果、自我にとって 因果的にとらえられない事象のつながり、すなわち偶然の一致が生じたと考えたのです。
>>148 そうじゃなくて、全ての事象発現は因果的って事じゃない?
業子力学や事象科学は領域全体で知覚されない因果律、すなわち領域内では誰も知らない事象の発現は
ノイマン世界に支配されているって言ってるの?
メイアの考え方は仏教に影響を与えたインド哲学あたりからその多くを由来しているのでは? 事物をファウスト的に説明するという方法論はまんざら間違ってもいない。
167 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/22(日) 02:01
---、_,ー-ュ、ヽ))ヽ ノ)ヽ、,, -,,,,、,,、 -‐'⌒ヽ) ヽヽ ノ)) ソヽ '")), ⌒ヽ、`ヽ))ヽr'⌒ヽ)))ノノヽ,))ノヽノヽ'""ヽノ r -‐'""`ヽ )) ))))ヽ '""`´` ` ''"~ ミミ γ´ ))) )) '"" '""` ミ ,('´⌒)`` v))ノノ))ノ`ヽ)ノ,、 ,, // ´⌒ ミミ √´三、'ミミミ ``"" `ゝメ乂ヽ)))v'' (//レリ""'''' ー-'''ヾ ミミミ /彡 彡⌒ `'``'' '´´´ 三ミ ミ 、ミミ ヾミ 菅野め…なかなか r '´" 彡' ,, ミミ、 ,ミミ やりおるわい {彡 彡 ,,,,, -ー'' ``` ''''``` ミミ、 ミ ー、 `ヽ 三 ''' ''''' """"""" ''''''' ````'''``' '''''' ' -、、 ミ ミ γ'彡 三 ,,, ,,,,,,,,, ,,,,,,,,,,,,,,,, 、、、、、、 iミ 、ミ {彡 ニ三 ´ ,, '''````´''''' ` '' '''' ''' ' ```` )ミ ミミ ,{彡三二 ノ彡 '''' "" ''''``''''' ''' '''''' - ''''`` '''''''''''''~'~~`、 、,,.1ミ ミミ [ミ三三三彡 ;: ,=二二ニュ、 ;:'´ 〃 `i ゝ二ニ二`ヾヾ '' `ヽ1ミ ミミ {L三三彡 ,k'<、ッッッッ;:;,_、 ;: y';::;';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;゛゛'、" ミ、ミ ミ ``ト三 彡'´" .,)vン'´二ニ)ヽ'、<'´ ) ( :::::;;;;r‐一- 、ニ)`ヽk)v' )ミミ ヽヽ ミ ノミ ,, "',、ニ'ノ(ヽ 0.ノ'ヽ')`",ー-ー、ーニくヽ 0ノ´)`>),、__rー"ミミ ヽヽミ /リノ ル'、. ,, '' ` ri,,ニri,irirソ 、 ,`rrーニー ,,"j_,,、 ' }ミ 、, ミ .√リ リ{ | '´ ' """ ン' ゛ _,,、 ""'''' ミ ソミ 、ヽ )) リノ'、 ,'"" -‐''ノ ヽ三三ミミニ ミ ノミミ ヽ `ヽ__ミミ' ,、、 -= '' " : , , ーニ== ソ、ヽヽ 川川 リル"、 ;;;::::;;;;;;;;; : ,、 、_ミミミ }、ヽヽヽ ヽ]}} リ ミミ ;::::;:::: ノ,、ュ r、.ヽ、_ 三 7 )}ヽ 、,,ミ, ' ./ ,,:: | l;: ; \ニ 三 / ノノ))、 (ミミ、 / .L::| '.,,,,、 .|;:; ; \ニ ニ i ))))) ノミ 、 / _, 'ヽ、___,r'r-ノ、 iニ、 リ ))))) ノミ 、 ノ ,, , ,,, ,,,,,.`'ー'ソ,,、、,,,,, 、,,、,,rュ、ヽ '''' リ ノミミミ "ノメソノメレメメ))リ((リンメリ、メリ)メソリ'`、 Λ ノン'´入、,,, リソ((メリソノl メノVハリノ)リノ,)メリソノノリ"リ ミソミ リノ) ヽ二ニ'" `ー ヽ::::::::::::::::::::::::::::/'''" ヽ" / ノリ`ヽリ \'''"" , '''''''''''''''''''''''''''' '' ' 、 ノ/ リ))ノリ ヽ'' ´ ̄ ̄` レ' ノノ ヽ、__::;;;;;;;;;;;;;;;;;;::: _ ノ´  ̄ ̄ ̄ ̄
>>130 ティティのお父ちゃんの手記はこっちだよ。上のは元設定。
相補性と呼ばれる仮説のジレンマを、ここに記そうと思う。
相補性とはすなわち、観測によって得られたいかなる知識の一片といえども、その
知識にとって相補的となるもう一片の知識の損失という対価を支払って初めてえられる
という考え方のことである。科学技術は世界の発展のため、世界をすべる法則の理解のため、
数限りない進歩を行なってきた。しかしその進歩の一つ一つが、相補性により観測系である
歴史に影響を与え、その反作用として自ら歩まざるをえない道をしき、歩まされ続けている
としたらどうだろうか。科学技術の本質は進歩と発展であり、それは文明の青年期、壮年期
には善なる行進に見えるが、文明がたそがれ時を過ぎたとき、明らかにそれは老衰の進行と
似ている。身体各部の代謝機能はおとろえ養分は失われるが、ガン細胞の進行はなお続く。
進歩が善なるものであった以前とは異なり、進行はすなわち死に近づくが、科学的思考に
代表される発展的・定量的・部分的態度にはこれを止める力はない。
生命を誕生させ世界をはぐくむのは常にれいめい的な力であり、科学技術は無から生命を
創り出したことは未だかつてないのは象徴的だった。考古文学者のゲーテが創り出した
ホムンクルスは、その発生は科学的様式ながら、その存在は精霊に近いのも象徴的なのだ。
れいめいの力は本来、あいまいで、象徴的で、観測者の体験と不可分で、一回性が強く、
内的な体験と自然の外的な過程との統一に重きを置く、宇宙と一体の全体的な智に基づくものであった。
古来、人はこれを神と呼び、精霊と呼び、自然と呼び、天上の知恵と呼び、教えと呼んだ。 旧世界ではこの生命の起源を、宇宙的・起源的・歴史的観点から、より広義な精霊信仰、旧世界の 言葉グ=アーイヤとして認識していた。それは単なる生物の集合的としての認識から巨大な アニミズム信仰の対象としての認識、既存の信仰対象の希薄化に伴う新たな信仰対象としての認識に 至るまで、さまざまなとらえられ方をされてきた。しかし人は多かれ少なかれ、そこにこれまでの 科学技術・発展至上主義への反省と、新たなる活力の源としての期待を寄せているように思われる。 しかしながら、科学技術に象徴される人間文明の発展と、グ=アーイヤの存在そのものが相補的なもの としたら、文明の発展が始まったその日から、グ=アーイヤの姿は失われ、文明に陽があたるほど、 グ=アーイヤは影になっていくのである。科学的知識が産声を上げる以前には、これと相補的な知識 として、定性的で象徴的な描画で表現される知識体系、錬金術が存在していた。 これはその存在的立場からグ=アーイヤと相補するものではなく、したがって、世界を網羅する 全体的な世界地図を完全には失っていなかった。それを解読する能力を、我々が失っているのである。
太古の思想史をひも解くと、錬金術ばかりでなく、太陽中心的な信仰の考え方もまた、知識の信仰過程 が、その知識の獲得者の体験する宗教的な変性経験と強く結びついていることがわかる。錬金術的な 考古思想の考え方は、その内面的体験を幻想的に表現する象徴(シンボル)と、占星術に代表される 宇宙の惑星運行を表現した記号系をつうじて、初めて理解できるものである。我々の時代ではそうした シンボリズム(象徴と記号)の可能性が奇妙な考え方になってしまっているため理解がむずかしい。 だが、錬金術のシンボルと心理学における元型の概念が同時に果たす役割の理解から精神分析学に新たな 展望が開けたように、科学的機能と宗教的機能を同時に果たすようなシンボル(象徴、記号)こそが、 人間の科学文明とグ=アーイヤとの間を橋渡しする役割を担うものだと期待できるだろう。そのシンボルは 伝説となり今も語り伝えられている。それが人間文明の永続的繁栄を指し示すものか、グ=アーイヤの 意志により人間文明の終えんを指し示すものか、それとも人間文明とグ=アーイヤの共存の道を開く鍵と なるかは定かではない。人間文明の永続的繁栄を指し示すなら、文明の宇宙における完全なる環境との 融合、もしくは生物の覇者としての完成となるであろう。大いなる意志により人間文明の終えんを指し示す のならば、人類の英知の生み出した大いなる遺産が、ソドムとゴモラを焼き払ったメギドの炎となるであろう。 そして最後の可能性、人間文明とグ=アーイヤの共存の道を考えたとき、そのシンボルはいかなる道を我々 に指し示してくれるのであろうか。その答は、人類のみ、人類であるがゆえに、回答不能であることも また確かなのだ。
菅野の肩を持つわけではないが、 多世界解釈なら、事象の連続化現象を説明できるというのはどうだ。 何か判断した時点で世界が分岐し、 (世界が分岐した時点で判断が行われというべきか?) この世界へきた自分は、自分の判断でそうしたという記憶が残る。 別の判断をした自分は別の世界で同じように考えている。 確率のみに左右されるコペンハーゲン解釈で、 事象の連続化現象が説明できるだろうか。
『神はさいころを振らない。』 アインシュタインの有名な言葉ですね。 私もそう思います。世の中のすべてのものには法則があると。 しかし、量子力学ではまだまだわからないことは沢山あります。 あまりにも運動というものは複雑すぎるのです。 でもすべてがわかってしまうと面白くないでしょうね。 わからないことのほうが大切なのかもしれません。
われわれの過去はひとつしかなくて、事象は決定されていないのだと思う。 つまり世界は時間の進行に従い、渦を伴ってランダムに変化していくのではないだろうか。 確かに過去のある時点での分岐により、並列世界的な世界が想像できる(もしくは存在している) かもしれないが、現時点の世界において、別の世界は無関係である。また、並列世界に別の 物理法則が存在すると考えるのは飛躍しすぎで、全ての世界に共通する普遍的な法則があるはずである。 ただ、その法則は偶然に作用されるある流れを持っており、事象を完全に予測することは不可能な理論となる のではないだろうか。同時に、過去はひとつしかありえないが、過去を完全に決定することもまた不可能で あろう。アインシュタインは神はサイコロを振らないとの信念を持っていたようだが、全ての事象を説明 できる理論が完成したとしても、それはある渦を伴ったものになると思う。
実は物理法則なんて、存在しないんだよ。全てはランダム。 「並列世界」。世界は分岐する。 さらに並列世界解釈を延長させると、量子力学だけではなく、 単純な物理的運動も、すべてランダムと言える。 無限にある並列世界は物理法則が破綻する世界だらけなんだけど、 ありとあらゆるパターンのランダムが存在するから、その中の一つは、 今私たちが感じている現実と一致するものが一つは「必ず」存在する。 「必ず」だ。必ず。 だから私たちは物理法則が一致する世界から永久に逃れられない。
私は菅野さんの言っていることが何となくわかるような気がします。 つまり、本来、この世は事象の連続化現象をランダムに生み出しているだけで、 そのほとんどは、大局的に見て同じ事が何度も繰り返されているだけの不安定な世界だと。 しかし、中にはそれらを巧みに回避している世界もあって、因果律の伝達速度と事象粘性が、 ある比を超えて、不安定になった因果の渦が、原因が・・ある事象レベルで、それ以後の結果が導かれた 世界。因果にも慣性力が働いて、ただ、積み重ねられ、繰り返されている歴史は、それらを巧みに 回避していると。でもそれは、本来のこの世の(ブリンダー)分岐=リフレクター分岐とは、 何ら無関係なファクターに過ぎない、といった意味合いなのではないかと思います。よくわかりませんが。
176 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/04/30(月) 16:23
陽電子の存在はあるのだから、 反光子はあってもおかしくないと思われる・・
反物質と、陽電子は意味が違うんでない?反物質は対消滅する概念だったと思ったけど。 スナップスルーは起きあがり座屈のことだから、 空間転移に使うのは厳密に正しくないと思うのだが。
イマジナリー空間を走るフォトンを、因果律コントローラが関知して、 スナップスルー現象を引き起こす・・ 菅野は座屈という概念を、じんわりでなく一挙に、 という意味での形容詞として使ってたから、あれでいいんだと思う。
>>168 俺はバカだから、死体の手帳に書いてあることの10分の1も理解できなかった。
そして、ただ単純に、べらぼうに進歩する科学に対し、人知はまるで追いついていない。
と言いたいのかと解釈した。とても勉強になったっス。ありがと。
>座屈理論 起きあがり座屈だね。
182 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/04(金) 14:09
これはニュートンとか購読してれば概要くらいわかるようなもんじゃないのかね? >座屈理論
ニュートンって、あなた・・ あれは一般向けの、ビジュアル主体の科学雑誌でしょ。 あんなの読んだって何の足しにもならん。 まあ最近の流行とか、学説の進展具合のチェックくらいはできるけど。 時事性は高い雑誌だからね。それだったらNature読むことをお勧めする。
剛体機構:よくわからない。検索してもヒットしなかった。 弾塑性座屈:金属などの柔らかい物の塑性座屈?阪神淡路大震災の橋脚が云々・・ 有限要素法:現在もっとも広い分野に利用されている数値解析法で、 この分野で基礎となるのは、 変分法と呼ばれる数学である。(以下略)
185 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/09(水) 13:05
ういっす。 並列世界の可能性ね。 おもしろそうだ。
純粋な数学的定数(ユークリッド空間でのπとか、eとか)は必然があって その数値なわけだから、並列世界で違うとは思えない。 しかし、重力定数とかプランク定数、光速度などの物理定数は観測結果を 元に求まっているわけだから、並列世界で同じとも言い切れないし、今後も これまでも不変であった保証も無い。 (これまで不変だった証拠はあるかも…あるいは?)
菅野さんいうところの並列世界解釈が絵里子先生の説明に出てきた「因果の渦」ならば、 数学的に数学的対象が実在しているという証明を考えればかんたんなのでしょうが、、、 ただ、よく知られている、自然数の構成方法がヌルと集合の外延性をもちいて行われている 其の方法を考えてみると、自然数の実在から、必然的に並列世界は実在するような気がいたします。 ゲーデルが死の間際だかに残した「神の存在の証明」が、役に立ちそうな分野ですね。 この問題の討論は、「時間と空間をすべる諸法則」に繋がりそうな、まさしく物理の話に連なりそうで、 博覧強記の菅野さんに期待しています。
この世界の微細構造がそうであるか如何にかかわらず、ペンローズのツイスター理論 で実用に足る微細構造を表現できるなら、別のツイスターのアレンジで構成された宇宙 という存在もまた可能性としては否定できない気がする。 そんな世界だと重力定数とかプランク定数など存在すら怪しい可能性あり。 光速まで無限の速度を持ってたら、相対性理論もあり得ない。 因果律即時伝播宇宙だ(笑 あ、そんな宇宙はツイスター理論でも表現できないのか? そもそも、ツイスター理論ってすでに否定されてる?
今、フリッチョフカプラ著「新ターニングポイント」 を読んでます。 誰か読んだ方いますか?
190 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/16(水) 13:06
ショーペンハウアーの『存在と苦悩』は読んだぞ。 「音楽の形而上学」なんかは、ようわからんけどスゴイと思った。
ツイスター理論とは複素空間を展開して、、、といった感じなのでしょうか? あまりにも自然数からの基礎付けと離れていてなんともいいようがないですね。
「コンタクト」というSF小説で、カールセーガンが πの中に意味のあるメッセージが含まれている描写をしていた 小説ではπの解のなかに連続した0と1が並びそれが円形を表す と、言うくだりだ。(詳しくは読んでみてねん) つまり、こうした超越数のなかに、何かのメッセージを織り込むとしたら 宇宙の構造を決定した「何か」でなければできないことであると。 たとえば、二次元世界から三次元世界は観測できない。観測者の構造が 上位の次元を観測するように出来ていないから。 しかし、三次元の落とす影は二次元でも観測できる。 それは、自在に大きさを変化させる奇異な存在として観測されるはずだ。 同様に、四次元の存在は、三次元に対して立体の影を落とす。 詳しくは判らないが、それは、立方体の中に立方体が浮いている形に なるそうだ。
人の数だけ世界があるんだからな。 物理法則も人の数だけあるんだい。 なかにはニュートン力学を否定する人もいるから、そんな人の世界との接点は大変だ。
194 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/18(金) 14:36
よく考えたら、 「純粋な数学的定数(イマジナリー空間でのπとか、eとか)は必然があって その数値なわけだから、平行宇宙で違うとは思えない」という発言に反応されてたんだった。 数学的概念であるという点では意見の一致を見ていると思う。 んでも、その必然性について意見が分かれているのだろうと思う。 これらの数値はイマジナリー空間上でユニークな値として導かれる概念に過ぎない。 言い換えるなら、特定の条件を××と呼ぶと定義しているだけだ。 そしてイマジナリー空間自体は位相空間論で厳密に定義されている概念だから、別の宇宙 でも必然的に同一性は保証される、と考える。 したがって、別の宇宙でも同一であるイマジナリー空間上の概念であるπなども同一で あると結論する。 イマジナリー空間という言い方が気に入らなければ位相ベクトル空間、もしくは 「連結で局所compactな分離された完備距離空間の直積距離空間(きょーかしょから ほとんどコピペっちゃった…間違ってる?)」と呼んでくれ。ま、更によく考えたら、 上記の位相空間が通じない空間である平行世界もあり得ないとは 言い切れないか…想像もつかないが…
量子力学の多宇宙解釈の元ネタとなった実験により、 世界は平行宇宙に分岐するという解釈ができます。この分岐数は無限大に近い数です。 仮に分岐数を"無限大に近い"ではなく、"無限大"であると仮定します。 数式にするのは困難ですが、分岐数が無限大となることで、 世界観のエントロピーも無限大となります。 このことから予想されるのが、この世を表す宇宙の幅・高さ・奥行き、次元数、時間、 空間に存在する物=粒子(あえて粒子と言う)の個数、粒子の状態、 ・・などなどは、無限大のエントロピーにより逆算すると全て不特定で、 並列世界の数は無限大となります。
定期sage
197 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/26(土) 16:47
ディリクレ世界とは、我々の世界のように因果律が完全な形で作用する世界。 ノイマン世界とは、様々な方向から因果が流れ込み、干渉しては消えてゆく世界。 ノイマン世界では次のようなことが起こります。 ・存在していたはずの人間が消える(質量保存の法則の破綻) ・時間を逆行して過去の自分に干渉できる(相対性理論の破綻) ・未だ発現していない事象を予見し、遠く離れた地点で友人の死を関知する(共時性の出現)
こういうのを衒学的とかいうんだろうな 中途半端に頭いいから、こういう議論にハマッてしまう。
エントロピーの法則とは、つまり熱力学の第二法則――エネルギーは1つの方向のみに、 すなわち使用可能なものから使用不可能なものへ、秩序化されたものから無秩序の方向へと変化する――のことです。 「永久機関」というものをご存知でしょうか。 外からエネルギーを加えることなしに一度動かしたら永久に動きつづける機械、 のことです。その昔、レオナルド・ダ・ヴィンチによって様々な企てがなされたそうですが、 結局それは不可能であることが証明されました。エントロピーの法則によると、 不可逆的な無秩序の増大が物理的に運命づけられているため、閉鎖系の中で永久運動は ありえない、ということになるのです。
物語中に「レイノズル数」という言葉が出てきますが、これは『不安定力(慣性)と 安定力(粘性)の比を表す数値』です。絵里子先生によると、「因果の渦」とは、 「因果律の伝達速度と事象粘性が、ある比率を超えたところで、因果律の流れが不安定になる。これを因果の渦という」 それはつまり、レイノズル数(Re)がある一定数を超えたところ(Re>103・・らしいです)で、 その流れが不安定な乱流状態になり、渦が発生する、ということです。 その渦に巻き込まれた因果律は、あたかも船が渦に巻き込まれたかの如く、ぐるぐると回り続けます。 その一周が、いわゆる「8000年周期」です。渦というものはそれ自体では放って置くと徐々に 小さくなって行きます(エネルギーが小さくなる)。
201 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/30(水) 08:38
レイノルズ数・・・ ところで、カオスの矯正って何?
202 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/30(水) 08:56
くそスレあげんな
>>201 世界の許容する範囲でのみ事象の転換が起こる。
起点と終点を限られた中で事象を操作するってことだと思います。
205 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/31(木) 15:56
相補性と量子論を、かみ砕いてシナリオに導入したエクソダスギルティーが 本日発売! 祝あげ!!
206 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/05/31(木) 15:57
ドリームキャスト、最後の大ヒット作品になるか?
もういいかげん他でやれや・・・
どうもよくわかりません。 やはり、基礎論がらみでもっと基礎的な議論をしましょう。
今は超対称性を入れて10次元 超M理論で11次元
定期sage
213 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/06/16(土) 12:13 ID:T1BVwqlw
後のシナリオで、素片を事象素子と名付け流体力学を適用 させる、という理屈が提示されて「おおっ」と思った覚えがあります。 虚数空間を走る光子というのは、実際の理論物理では、存在が予測されて る概念です。時間は可逆、歴史は不可逆という、時間と歴史を切り離した 考えには、かなり打ちのめされました。
エントロピーは時間軸とともに増大の方向に向かう、だな。 しかし、私の知っているこの熱力学第二法則の解釈は 最大の状態数をもつ状態になり易いということだけだ。 もっと進んだ物理学では何か根本的なことがあるのか?
吸収放出も含めて物理現象はエントロピー増大の傾向にあることは知っている。 私が知りたいのは吸収放出確率とエントロピーの関係だ。
216 :
:2001/06/18(月) 17:59 ID:???
多世界解釈なんてどうせ哲学の域だろ。 物理でぎろんできねぇだろ。
多世界を第4の方向ベクトルと見ると、納得できそうです。
定期sage
219 :
ガ :2001/07/03(火) 13:04 ID:11uDYjjU
「波動関数の収斂」なんて、複数の観測間の相関を計算するよりも、 観測結果を条件に追加して問題を再設定する方が計算が簡単になるという 計算テクニックにすぎない。(観測相関を計算すれば必要ない) そんなものを物理現象だと錯覚して考えられた 「コペンハーゲン解釈」や「多世界解釈」に何の意味がある? (元の意味は関係ないと言うことなら退散)
>>219 おまえいいかげん板違いなスレ上げるのよさない?
それは物理の話というよりも、論理学の可能世界論とほぼ同じ事かな? つまり「真」とは、それが可能な世界が一つ以上存在するという考え方。 たしかそんな感じ。
因果律と決定論的世界観を混同されても困ります。 また、そうでなくても未来の事象を完全に予言する事は 原理的にも不可能であり、それゆえ自由意志というものを 物理法則と分離して定義する事は不可能です。
なんかウチのモンがエライ迷惑かけちまって・・・(^^;;
かわいそうな人(達)だからそっとしておいてあげてくださいね。
あ、そういえば、
>>125 あたりで「管野は民俗学や哲学・心理学に詳しい云々」
というのが有りますが、あれも概論レベルなのであまり熱くなるのもどうかと。
しかしこういうスレを物理板に立てる人については、教育学や社会学の分野から
関心がわかなくも無いですね。あ、プシ科のお医者様の方が先でしょうか?(藁
ゲームは面白いですから機会があればやって下さいな。
では失礼します・・・
224 :
:2001/07/06(金) 14:08 ID:???
つまり、 存在に時間と空間は不可欠って言う直感はわかります。 しかし時間軸を想定すると、我々が時間軸を動いていることになる。 あるいは、うごかされているのか? 存在とはその場合、静的なものですか? 一分前の私と今の私をつなげるものってなんですかね。 いや、時間を点として捕らえるのがまちがってるのかな? 意志とは、自己存在の証明ですか?
>一分前の私と今の私をつなげるものってなんですかね。 存在と時間はつなげるという時間軸の発想自体時間を線的に捕らえている。 かといって時間は点の集合体なのかと言うとそれもおかしな気がしますね 時間は常に意識にもたれかかっているものなので・・
何で今更『有と時』?(笑
227 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/07/22(日) 00:32 ID:ZidK3zBQ
age
228 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/07/29(日) 19:53 ID:waU9ktjk
age
定期sage
並列世界は、時間軸の存在を仮定したときの、 例えです。科学的に可能かどうかの問題ではありません。
「客観時間」によって常に修正を余儀なくされる「印象時間」の従属性の問題かと。
Cs(セシウム)時計は、たしかSI単位系の基準に使っているんだよね。 「メートル原器(たしかこれも消えたんだよな・・)」と 同レベルで、なんら原理的なものじゃない。
つまり、菅野さんにいわすと、世界(宇宙かな)の存在自体に 時空がセットになってるっていうのは、乱暴?あるいは勘違い?
>>233 うん、時空と物質、それが全て、ってところじゃないかな。
自然科学的な時間とは、説明する為に創出された概念。 観測を行う際の計測基準の一つ。
人類にはこれまで二つの思考原理が提示された。 第一はアリストテレスの『論理学(オルガノン)』であり、第二はベーコンの『ノウム・オルガヌム』である。 しかし、第三のものが第一のものよりも前から存在していた。 ウスペンスキー著『ターシャム・オルガヌム』は、まず我々が世界について何も知らないという事実から出発する。 世界を外的・客観的世界と、内的・主観的世界に区分する。 彼はカントの「我々は世界を我々の知覚に合わせて認識する」という有名な命題を基にしている。 カント哲学の核心である「現象と物自体」の命題を真の意味で発展させる思想はカント以後登場していない。 フィヒテ、シェリング、ヘーゲルはむしろカントの命題を避けて独自の観念論を発展させた。 我々が世界を三次元であると知覚するのは、我々の知覚器官が三次元性を認識するようにできているからである。 その証拠に、犬や猫、馬のような比較的高度な動物は世界を二次元に知覚し、蛇のような動物は世界を一次元のものとして知覚する。 二次元の知覚存在は、我々三次元の知覚存在が「静止している」とみなすもの、 すなわち「曲線」や「角度」といったものを「運動」として知覚する。 そして、二次元存在にとって「立体」という概念は「時間」として認識される。 すなわち、動物にとって「立体」とは静止した存在ではなく、 (我々にとっての過去、現在、未来という瞬間と同じように)その時その時に立ち現れる一時的な現象でしかない。 こうしたことが起こるのは、動物は「立体」という「概念」を持たないからである。 人間も世界を「平面」としてしか知覚できず、「立体」としては見ない。 にもかかわらず、人間が三次元性を把握できるのは、人間は「立体」という「概念」を持つからである。 「時間」とは静止したものとして知覚することのできない「空間」のことである。 従って、四次元の観点から見れば、我々が「時間」として知覚するものは、静止した空間の一座標となる。 それは、我々が「立体(三次元性)」として認識するものが、二次元の観点からは「時間」として知覚されるのと同じである。 宇宙には我々が考えるような意味での「時間」は存在せず、「永遠の今」のみが存在する。
有限な命を生きる者は、その有限性の中に束縛されてあることに ある種の圧力を感じる。その「ある種の圧力」とは時間のことである。 無限を生きる神に時間はなく、もともと命のない物質たちにも時間はない。 物理学に時間変数tが出てくるのは、物理学が 人の心の生み出した世界観のひとつだからであって、 この宇宙が,それ自体に時間変数tを含んでいるからではない。 時間を生み出しているのはわれわれの生命なのだ。 世界を美しいと感じるのも、 死を宣告された命をわれわれが生きているからである。
238 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/08/08(水) 21:05 ID:gfqnl8rw
あげとくよ
239 :
ご冗談でしょう?名無しさん :2001/08/17(金) 17:10 ID:SkosVl..
よくわかんない
sage
『並列世界構成原理』の下巻って、何について書かれているのだろう?
事象素子の『平均流の速度と粘性』がイメージできない。 これらのパラメータが、結果系が予測しやすいか予測しにくいかを 決定するということなんだろうけれど。
菅野たんの書いた論文いまつるっと読んだけれど、菅野たんって やっぱりすごいや。
僕の理論だと量子レベルで完全に一般相対論が破綻します。
245 :
ご冗談でしょう?名無しさん :01/09/07 11:26 ID:9puIjBTg
246 :
かずひろ :01/09/07 22:19 ID:0z82J4t.
>>244 のゆう通り
相対論と量子力学はつきつめていくと矛盾が生じます。これはどちらかが間違っている事を意味します。マクロの世界では相対論の勝ち。ミクロでは力学の勝ち。
247 :
Funnyman :01/09/07 23:58 ID:Vd/NOfz2
>>246 ていうかこの世に完全な理論なんてないでしょ?
物事にはすべからく適用範囲というものがあります
248 :
132人目の素数さん :01/09/15 11:33 ID:bkrmCenQ
数学板から来ました。 スレ違いと言わず、マジで知りたいのですが、 物理的な(物理学上の)現象や法則の中で、 素数が素数としての意味を持って登場する例ってあるんでしょうか。 お願いします。
・物質の起源 保存則がある以上、たどれる。 (宇宙論STでは、たぶん)ビッグバン以前はわからない。 というか、わかりようがない。 ・時空と物質 たしかに、、時空ぬきの物質、物質ぬきの時空って どっちも意味不明だよねえ。。 たぶん、普段は「時空に物質がある、それでいい」に しちゃってるんじゃないかな。。 ということは、両方あって初めて存在という概念が可能になるのか。 しかし切り離すことになにか意義があるんだろうか。
1.時間と空間は観測者の立場によって混合するから不可分の存在 2.時空と物質は不可分の存在。真空というのはなにもない空間ではない。 エネルギーを与えればそこから物質を生じるし与えなくても常に粒子の 生成と消滅を繰り返している。 3.したがって、時空(時間・空間)のないところ(?)はこの宇宙には存在しない 4.生物的な時間の長短感覚の話は物理と分けて考えろせめて生物屋を呼べ 5.でも時間が一方向に流れることは脳の作る意識と関係あるのかないのかわからん 6.過去が現在も存在する(時空連続体として確固としたそんざいである?) かどうかは疑問だ。古典的(相対論及びそれ以前の世界観)では過去も未来も 事象は確定的だが、量子論的には(状態を表す方程式は確定しているが) 不確定性により、未来がわからないのと同じく過去の情報も失われていく。 だが、結局どうなのかは現段階ではわかるはずもない。仮にタイムトラベルが 不可能だとわかれば、少なくとも過去は「現在」のような形で保存されている ことはないと言っていいだろう。行けないものはあるとしても意味がない。 7.人間の記憶とか、生物的な問題を語りたいなら物理的な時間のことはちゃんと 整理つけた上でひとまず脇に置いておこう。一緒に考えようとするのは時間の 無駄だし記憶のありようなどから物理的な時間のありようを推測するのも 限りなく無駄に近い。
ゲーテは、光と闇の境界線にこそ「色」は存在すると考えていた。 光と闇の境界の部分にだけ、あざやかに色が並ぶことを、ゲーテは発見した。 「色彩は、なかば光、なかば影である。そして、光と闇の結婚である」 観測するものと観測されるものが、一体となったときに初めて、自然が本当の姿を現す。 実時間と虚時間の境界の部分に立体化された空間と物質が表象する。 ゲーテの思想は、量子力学者によって、再評価されている。 不確定性原理を発見したハイゼンベルクは、こういっている 「ゲーテがニュートンを攻撃したのは、深い意味があった。 もし、ゲーテに非難すべき点があったとすれば、ニュートンにとどめを刺さなかったことだ」
シュタイナーは「時間は逆にも流れてる」って言ってたような。
シュタイナー系の時間論には、時間が逆向きに流れる 例として、「意志が実現する過程」を想定しているようです。 つまりこういうことです。 ある人が、有るところへ行こうとする。その時、既にその人の意志は現地に あるわけです。この現地の意図が、肉体を引き寄せると考えるわけです。 コーヒーを飲もうとしてカップに手を伸ばすのも、カップから手が伸びると考える のです。そうすると人の一生もまた、その人の意図(カルマ)によって 引き寄せられているということになるわけです。 これはたとえば、川の流れにたとえられます。 水の粒子からすれば、川上から川下に流れて行くわけですが、 これを川岸の一点から観察すると、川下から川上 に遡ることになるわけです。 今見ている水は、今の水であり、 10分後に見る水は、10分前の水であるからです。
254 :
248 :01/09/18 18:32 ID:JMoDiwfs
age
フリッチョフカプラ著「新ターニングポイント」を読んでます。
「脳神経系なしには高等生物はいかなる行動もできず、 かつ脳神経系以外にはそのようなものはない」ということです。 客観的に観測できるあらゆる行動が、脳神経系から説明できると。 1.かつては、脳は何かぐちゃっとした、役にも立たないものと思われていました。 2.(光学)顕微鏡と複合レンズの発明により、高等生物は細胞からなっていること、 脳内にはニューロン(神経細胞)とグリア細胞があることがわかりました。 3.現在では、ニューロンが脳内の情報処理・伝達の中心であること、 グリア細胞はその意味ではサポートにすぎないことがわかっていますが、 グリア細胞についてはまだ不確定なところがあります。 4.ニューロンの分子レベルでの構造は非常に詳細にわかっています。 その動作についても同様です。 5.数世紀前から、脳に障害(損傷)のある患者の研究で 大脳皮質の機能局在(特定の部位が特定の機能に対応)がわかってきました。 6.解剖学的に、領野(部位)間の神経結合の流れがどうなっているのか、 詳細な地図が完成しています。 7.ニューロンの配置や結合は非常に規則的で、誰でもほぼ同じ構造がみられます。 8.電極による観測・刺激で、個々のニューロンと行動との関係付けができます。 9.fMRIやPETによる計測で、生体の脳を直接観測できるようになりました。
〜相補性 雑感〜 「日常の直感に反する」そんなイメージで、意識(→概念)の相補性を考えてみたのですが# 〜「ない」と「ある」〜 (または) 〜「ない」がない言語がないわけではない?〜 「ある」が単独では成立しない(歴史的にも、意識システム上でも) と今のところ(笑)考えていこうとしていますので。(でも虚をつかれるアイデアですね#) 少し論点がずれるかもしれませんが、「りんごがある」といった時、 どんな「意味」を考えますか? もちろん、「文脈」が必要になりますが、例としてそれを入れますと、 「(青森県には、他に何も特産品はないが)りんごがある(じゃないか!)」 (青森のみなさま、すんません。事実ではございません。) 「(さっきまでなかったはずなのに、机の上に)りんごがある。(誰が置いたのかな?)」 「(ここに、他でもない、一個の)りんごがある。(これをこれから・・・)」 「(この世界には)りんごがある。(他でもなく、このりんごというものを哲学してみたい)」 「(Aにはみかんがある。Bにはみかんではなく)りんごがある」 5つの例にはいずれもあえて、「ない」を文脈として入れましたが、 私には、「ない」のない文脈が可能かどうか自信がありません。 「ある」の意味が「具体性」を持って浮き上がってくるためには。 また、何の文脈もなくただ「りんごがある」というのは、「意味」がないはずです。
神は存在しない。 少なくとも我々人類に影響を及ぼすことはない。 何故ならば、仮に神がこの世に何らかの力を加えることができるとしたら、 エネルギー保存の法則が成り立たないから。 逆に、エネルギー保存の法則が成り立っていれば 神は存在しないといえる。
260 :
ご冗談でしょう?名無しさん :01/10/15 12:50 ID:JJY8ksw3
そういや、菅野ひろゆきさんの論文に「哲学をしない練習」なんてのがあったな。
“停止したT粒子にある一定の加速度ベクトルを加え、そこから放射される 波長の極めて短い電磁波に似たエネルギーを取得する装置”ってなんですか。
263 :
ご冗談でしょう?名無しさん :01/11/02 10:01 ID:ZsQP6Hjp
そもそも並列世界の構造とは、階層構造である。 その層のうちわけは とかくポテンシャルエナジ−の高さによって決まるとのことである。 ではそのポテンシャルエナジ−とは何者ぞという疑問がわく。 そこでエネルギ−について考えてみる。 エネルギ−とは 位置エネルギ−、運動エネルギ−、電気エネルギ−など人に至っても 生命を維持するためにエネルギ−を作っている。 エネルギ−の名前はそれぞれ違うが、エネルギ−を語る上で忘れてはならないものがある。 電子である。エネルギ−=電子ではないが、電子の移動にこそ エネルギ−の発生する原理がかくされている。 話を戻し、電子に注目する。 ここでの電子とはミクロの世界の住人だと考えてくれていい。 量子の体系ではミクロ、マクロという言葉を使う。 ここでのミクロとは目に見えない物と考えて いい。 鉄(鉄の原子)は見えるからマクロ、だけどそれ以上細かくすると目に見えな くなる。 だからそこからミクロと考えてくれても差し支えない。 ミクロの世界にはミクロだけに通用するル−ルがある。それが不確定性原理である。 デルタ運動量 * デルタ位置 = プランク定数 この式だけだと何を言っているかよくわからないと思う。 補足説明すると、運動量が決まると位置が決まらず、位置が決まると 運動量が決まらないというものである。 どっちか定まるとどっちかが定まらないというものである。 ここで注目したいのは時間というファクタ−が何の関係もないことである。 つまりある時間の量子(電子と仲間だと考えて良い)の位置 が時間に依存せず どこにでも存在しうるのである。つまり過去にも。 量子なら過去にもさかのぼることができるのである。 ここでポイントになるのがリフ レクタ−の役割である。リフレクタ−は 時間を戻せる装置の意味合いで使われていた。 そしてそれを発動することで主人公がだんだん消滅しその時間軸から消えるのである。 つまり彼はミクロの段階まで分解され、量子となって時間軸をさかのぼったと考えられる。 リフレクタ−は物質を量子に分解し、さらに再生させるデバイスである。 この理論が時間軸移動の理由である。 現代でもこれが応用され実社会でも これが可能かどうかタイムマシ−ンの研究に役立っている。 さて並列世界のポテンシャルエナジ−の決定についてのべよう。 つまりどうやって世界が決定しているかだが抽象的表現でゲ−ムでは語られている。 あれでは納得できない方が自然なのでここに補足する。 著者の予測の部分がはいるがその真偽は各個人の読者の判断にまかせる。 ここに仮想としてファクタ−量子というものがあるとする。 これはその時間軸に存在するさまざまのイベントによる フラグ立ての数値が入る箱だと考えてほしい。 そこには無数の可能性が秘めている。 主人公の行動(イベント)がさまざまに数値変換(量子エネ ルギ−)となって ファクタ−量子に情報として蓄えられ、それがあるポテンシャルエナジ−より 高くなったらよりエネルギ−の高い並列世界に遷移する。 このファクタ−量子の情報によりどこに行くか決定すると思われる。 この考えも基本は量子であり、ボ−アの電子配置モデルがそれに該当する。 研究が進み、いつの日か現実世界も仮想の並列世界と理論上一緒であり、 ファクタ−量子なるものが見つかる とよいものである。
264 :
ご冗談でしょう?名無しさん :01/11/02 18:46 ID:hzo5Pqw0
age
265 :
ご冗談でしょう?名無しさん :01/11/10 16:04 ID:RcjbxXu2
あげ
266 :
ご冗談でしょう?名無しさん :01/11/11 14:21 ID:If1rnf/n
>>263 >ポテンシャルエナジ−の高さによって
励起状態の階梯ってこと?
クォークの世代みたいな?
原子核物理といえば有馬朗人氏ですな。有馬が死んだら終わるよ。 有限多体系という特化した系を解ける人間が居なくなるのは困りますね。
268 :
ご冗談でしょう?名無しさん :01/11/19 19:20 ID:s51gV4l6
>>267 別に有馬さんじゃなくても解けますよ。ご心配なく。
原子核って何を目標に研究を続けてるのか 他の分野の物理屋には、さっぱり分からないんだもん。 そもそも当事者も分かってるのかなあ。
本発見。 David Deutsch, The Fabric of Reality:The Science of Parallel Universes-And its implications,1997. 林一訳 『世界の究極理論は存在するか 多元宇宙論から見た生命、進化、時間』 (朝日新聞社)¥2900 量子力学、認識論、計算理論、進化論の4本の糸の織物(Fabric) で、 万物の理論を構成しようという、とんでもない大風呂敷(にも思える)
>272さんのあげたドイッチェの本を読んだことがあります。 本が見つからないので、大雑把なことしかいえないけれど、 彼は、乱暴に言うと、「物理学>数学」と主張していますね。 脳にせよ、計算機にせよ、数学がそこに表象(represent)される ならば、物理過程が必ず絡んでいるのは当たり前のこと、 などというふうに捉えると単純過ぎるかな。
>273 僕も本屋でチラッと読んだんですけど、数学の目標は 数学的真理ではなく、そこからもたらされる数学的説明だ。 とかいってた気がします。なんか、この本は科学における 「説明」をものすごく重要視してましたよね。 難しそうだったけど、買っとけば良かった・・
274さんの記憶は正確。「数学の目標は数学的確実性ではないし、 そうではありえない。まして、確実であるにせよそうでないにせよ、 数学的真理ではない。数学の目標は数学的説明であるし、それでなければならない」 (222頁)とあります。 "因数分解"によって量子計算機のハードウェアが具対化した ってエピソードがいいね
量子計算といえば、ショアが因数分解を多項式時間で解けることを 証明してネヴァリンナ賞をとった。 宇宙論というより天体物理だけど、N体の重力多体の相互作用による 銀河とか惑星系の形成問題などは今は、某GRA○Eとかいう逆自乗 法則計算専用(?)機を使って計算している。 この重力体系の計算を量子計算ですると、一気に現実的計算時時間で 計算可能な系を飛躍的に増大させることは出来るのか? などは個人的にずっと気になっている問題。
まるで生命の源DNAを模したかのような二重螺旋を描く、 ティーナとマルチナの世界線。究極の進化を目指して生体の変換を促し、 加えて時空間の転移をも行おうとする、マルチナの設計になるDESIRE。 この二つの存在の共通項にただならぬものを感じました。
278 :
ご冗談でしょう?名無しさん :01/12/30 13:53 ID:x2e7jae7
今までの量子論を突き詰めるだけじゃなくって、粒子の解釈を辞めて 波動力学に移行したような、概念的な大転換があって、それから21世紀の物理といえる ような新しいものが生まれるのではと思う。 それを一人でやったという意味では、相対論はやっぱすごい。 アインシュタインは宇宙人と思ってしまう。
「何か」と干渉しないと答えが出ないから、それは多世界にひろがる自分自身と干渉してるんで あろうというのが、多世界解釈派のいうところの「量子コンピュータが完成したら、多世界解釈の証明になる」 っていう理屈。ちなみに、コペンハーゲン解釈派は別に多世界解釈でなくても説明は出来ると言っています。 (内容忘れた)
280 :
ご冗談でしょう?名無しさん :01/12/30 17:26 ID:hJphzShv
原子核物理はここ数十年の間、大きな発見がないから 今何か大きな仕事すればまたこの分野に火がつくと思うけど。
多世界解釈って確率的選択肢が現れるたびに宇宙が分裂するらしい。 エヴェレット解釈っていうらしいんですがわかりやすく説明お願いします。 いわゆるパラレルワールドって奴ですか?そんなものがあるなんてどうやって 証明したのでしょうか。
『超空間』という本を読みなさい。すべて書いてあるから。著者はミチオカクという 人です。かなり分厚いぞ。でも、現代物理学のほぼ全てが書いてあったかな。 「宇宙の分裂」とエヴェレット解釈(多世界解釈)の「多世界」とはまったく関係無い。 エヴェレット解釈の下で、宇宙が分裂するなどという解は出てこない。
284 :
ご冗談でしょう?名無しさん :02/01/24 15:37 ID:sZl+54gz
うちゅう は バランス のみだ そこに ふかさとして の リズム がある。 くうかん が そくど を もつのであって ひかり が そくど を もつのではない。 ぶっしつ は ひかり を めざし ひかり は ぶっしつ を うみつづける。 せいめい も うちゅう も ぜんたいとして じぞくしている。 そんざいとは ちょっかん の だいめいしである。 げんご は はどう の ていちゃくである。
死んだら身体は腐敗して長い時を経てカエルやウサギ あるいは人間に生まれ変わるかもしれない 魂は一体どこにいくんだろ? オレは死後の世界を構築するような宗教や思想は許せない 生きるってことは自分の死後を考えることだと思うし
死んだら身体は腐敗して長い時を経てカエルやウサギ あるいは人間に生まれ変わるかもしれない 魂は一体どこにいくんだろ? オレは死後の世界を構築するような宗教や思想は許せない 生きるってことは自分の死後を考えることだと思うし
輪廻転生も生物学的に見れば有機物の循環と考えることができますね。 あなたが蛙に生まれ変わるまで @あなたが野垂れ死にして体が腐り始める Aハエが卵を産み、蛆が腐った体を食べる B成虫になったハエを蛙が食べる C蛙は卵を産む D卵がかえっておたまじゃくしになる あっ、蛙じゃないじゃん。おたまじゃくしじゃん。
十九世紀、イギリスの物理学者ジェイムズ・クラーク・マクスウェルは ある系の粒子の平均運動エネルギーは温度となって表れるということを示した。 つまり、冷たい水の水分子の多くは、熱いお湯の水分子の多くより ゆっくりと動いているというわけだ。もしこの二つを混ぜ合わせると、 それらの運動エネルギーは二つの中間ぐらいの大きさになるだろう。 これが熱平衡であり、こうなったらガスコンロにかけるなどして 暖めてやらない限り、永遠にこの温度にとどまることになる。 これを別のいい方で表すと、「エントロピーの増加」といえる。 エントロピーとは常に無秩序へと向かう方向性のことで、 こうなったら外部からエネルギーを加えてやらない限り この状態から梃でも動こうとはしないのである。 ここから示唆されることは、われわれの宇宙もいずれはこのような 熱平衡、つまりもは何も生まれず、創造されない世界へ逝きつくだろう。 宇宙は終わるのである。 エントロピーは絶対に減少しない(外部からエネルギーを加えてやらない限り)。 エントロピーは増加しかしないのである。これを肝に命じて欲しい。
さて、二つの水槽が細い管でつながったものを想像して欲しい。 一方には熱いお湯が、もう一方には冷たい水が入っている。 ここで細い管に取り付けられた仕切板をはずせば、 熱いお湯は冷たいほうへ、冷たい水は熱い方へ流れ込み、 いずれは熱平衡に達することになるだろう。 ここでマクスウェルはある悪魔を想像した。 このような熱平衡にある状態でも、非常に熱い分子(エネルギー の大きい分子)と、非常に冷たい分子(エネルギーの小さい分子) が混在しているが、もしこの悪魔がいたずらをして熱い分子たちを右側に 冷たい分子達を左側に集めたらどうだろうか? 右の水槽の水はお湯となり、左の水槽は冷水となるだろう。 これは無秩序から秩序ある状態へ向かったことを示している。 エントロピーが減少したことになる。 先ほどの宇宙の例でいえば、再び何かが生まれるという 希望が戻ってきたことになる。 もし人間がこの悪魔の技を手に入れることが出来れば、 人間は万能を手に入れたも同然だろう。石油がなくても温まることが出来るし いくらでも電気を生み出すことが出来る。エネルギー問題は解決したと思える。 ところが実はマクスウェル(と私)はとんでもないまやかしを やったことに注意して欲しい。。 悪魔の存在はいんちきである。なぜなら、魔物自体も二つの水槽の系に 入れてやらなければならないからである。二つの水槽がどれだけ秩序だった としても悪魔は必ずそれ以上のエネルギーを費やしているのである。 というのは二つの水槽の間で減少したエントロピーは、悪魔がより大きなエン トロピーの増加以ってして行ったことなのである。つまり悪魔+二つの水槽系 のエントロピーは結局増大していることになる。
これが「マクスウェルの悪魔」である。結局は何の意味もないことなのであるが、 マクスウェルはエントロピーというものを考えるときには何に注意するべきか、 ということを言いたかったのだろう。 「ラプラスの魔」に出てくるマクスウェルの悪魔も結局はエントロピーの虜なのである。 確かはスターだったような気がするが。
291 :
ご冗談でしょう?名無しさん :02/02/27 05:38 ID:678Rc33P
あげ
292 :
ご冗談でしょう?名無しさん :02/02/27 08:01 ID:5WVugElg
納期を確定すると品質が不確定に 品質を確定すると納期が不確定に 価格を確定すると販売数が不確定に 販売数を確定すると価格が不確定に
>>292 正しい。正しい。ここに書くべき言葉を見つけられない。
294 :
ご冗談でしょう?名無しさん :02/02/27 14:26 ID:Ute0VLZ6
>292 経済学的にも正しいな。価格と販売数の両方をコントロールすることは出来ない。
295 :
ご冗談でしょう?名無しさん :
02/03/28 03:12 ID:80IdpsA0 UP