これからの忍者がどうなるのかよくわからないのですが
忍法巻物帖にもあるように
忍法帖は対荒らしものとの認識でやってましたし
荒らしを何とかしたいという人が忍者になったの人がほとんどだと思います
じゃあ自分や依頼者が何とかしたい荒らしは水遁対象なのかと
>>520 >自分が荒らしと感じたからといって必ずしも他人が荒らしと感じるとは限らない
というのはおっしゃる通りでどういうものを荒らしなのか?という認識が必要になってきます
私は「誰が見ても荒らし」であれば水遁対象にできると考えてました
ルールのとおりに狭く解釈して
「誰がみても不快かつ迷惑な機械的な連続投稿」
で、そうであることを説明できることです
(説明できなければいけない)
執拗に追うことはしなくても水遁は効果がありました
常駐板との問題にもからんでくるんですが
常駐している人には荒らしと認識されていてもそれ以外の人にはそう見えない場合もある
これは仕方ないけど対象外なんですよね
そこまで排除しようというのは潔癖ということになってしまうと思う
私は自分で撃たないで依頼所にもっていったことがあります
やっぱり却下されました
撃たなくてよかったと思いました
板に入れ込んでくると懲らしめてやりたいんですよ
荒らしであれ何であれ自分にとって不快な投稿を繰り返す奴に
「水遁ザマア」っていう気持ち
確かに危ないかもと思います
行き過ぎた荒らしも困るけど
板を自分の思い通りにしたくなるような入れ込み過ぎも
だから荒らしは不快だけれども
不快がすべて荒らしとは限らない
ってことを肝に銘じておかなければと思ってました
私なりの自制です
水遁で懲罰的な側面はあったと思います
それを依頼者(住民)も望んでいたのではないでしょうか?
懲らしめてくれっていう依頼者の気持ちに応えてお互い
すっきりさせてた部分も大きかったんじゃないかと思うのですが
これから懲罰じゃないとするならそれを住民側も(に)
よく理解する(していただく)必要があると思います
一つ大事なのは依頼する側が本当に正しいと言えるのかと
一つ対処してもらえた事で、あれもこれも水遁ザマーしてやろうぜみたいな傾向になっていく…
例でいえば頼まれてもいないのに勝手に自分には関係ないケースなのに
荒らしだから罰しなければならないと思い込み、住民に断りもなく勝手に水遁依頼に持っていくようなケース
これなんかはその典型でしょう
術実行者は本当に困って依頼してきた人なのか、単にザマミメしてやりだけの人であるかを見極め
あえてこの程度ならスルーして下さいねってはっきり言ってあげる勇気も必要だと思う
もっともそういう人たちはいわれても性懲りもなく二度も三度も以来を繰り返すだろうけど
他の人たちがこんな程度では対応してくれないんだって意識をもつきっかけになる可能性もあるのだし
ザマーしてやりたい一瞬の快感を求めるあまり
これもあれもと依頼のための依頼になってしまってる人たちが多すぎるように思う
傍目にはむしろそういう人たちも荒らしと同類ではないかと思えることがしばしばある
依頼者 = 必ずしも正義ではない
このことを疎かに軽く考えて欲しくはないです