【神々の深き欲望】 今村昌平 【楢山節考】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1この子の名無しのお祝いに
今村昌平監督を語ろう!
2この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:22:31 ID:1/0dOfxt
今村昌平監督が死去 2度のカンヌ最高賞

 「楢山節考」「うなぎ」でカンヌ国際映画祭のパルムドール(最高賞)を2度受賞した映画監督の今村昌平(いまむら・しょうへい)さんが30日午後、東京都内の病院で死去した。
79歳。東京都出身。自宅は東京都渋谷区代々木3ノ39ノ4−406。
葬儀・告別式の日取り、喪主などは未定。
 1951年、松竹大船撮影所に入社。その後、日活に移り、58年「盗まれた欲情」で監督デビューした。
「にっぽん昆虫記」「神々の深き欲望」「復讐するは我にあり」「黒い雨」などの意欲作を発表。
人間の業や欲望を重厚なタッチで描いた。
 「楢山節考」(83年)と「うなぎ」(97年)でカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得。
最高賞を2度受賞したのは日本人監督では初めてで、世界でも4人目だった。
(共同通信) - 5月30日16時59分更新
3この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:25:33 ID:1/0dOfxt
今村 昌平(いまむら しょうへい、1926年9月15日 - 2006年5月30日 )は、映画監督。
東京都出身。筑波大学附属高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。
後期はヨレた作品が多く「今平も終わったな」と観客を失望させる事も多かったが日本で最も影響力のある映画監督の一人である。

『楢山節考』(1983年)と『うなぎ』(1997年)で、日本人で初めてカンヌ国際映画祭で二度グランプリ(現・パルムドール)を受賞した。
同じ功績ではアメリカのフランシス・フォード・コッポラ監督など4名がいる。
なお、『楢山節考』を出品した時はカンヌ映画祭を欠席し、『うなぎ』の時は出席はしたものの受賞作を発表する前に帰国した。
名作・川島雄三監督「幕末太陽伝」や浦山桐郎監督の「キューポラのある街」の脚本家でもある。

1975年、横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)を開校し、校長をつとめた。
三池崇史・金秀吉・佐々部清・本広克行・李相日などの映画監督、鄭義信などの脚本家・芥川賞作家阿部和重などの人材を輩出した。
4この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:26:22 ID:1/0dOfxt
【受賞歴】

1979年、日本アカデミー賞監督賞(復讐するは我にあり)
同、ブルーリボン賞監督賞
同、キネマ旬報賞監督賞
1989年、日本アカデミー賞監督賞(黒い雨)
同、キネマ旬報賞監督賞
1997年、日本アカデミー賞監督賞(うなぎ)
同、毎日映画コンクール監督賞
5この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:28:18 ID:zxypTJOK
>>1
先立ってるが・・・

追悼 今村昌平
http://that4.2ch.net/test/read.cgi/rmovie/1148977256/
6この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:28:26 ID:1/0dOfxt
製作
1967.06.25 人間蒸発  今村プロ=ATG=日本映画新社  ... 企画
1968.10.05 東シナ海  今村プロ  ... 企画
1974._._ 勾魂艶鬼 From the Underworld  福星影業有限公司  ... 企画
1975._._ 中国超人インフラマン 中國超人 THE SUPER INFRAMAN  ショウ・ブラザーズ  ... 企画
1976.10.23 青春の殺人者  今村プロ=綜映社=ATG
1981.06.22 ユリ子からの手紙  今村プロ
1986.04.26 君は裸足の神を見たか  ATG=日本映画学校  ... プロデューサー
1987.08.01 ゆきゆきて、神軍  疾走プロ  ... 企画


監督
1955.03.18 愛のお荷物  日活  ... 助監督
1955.05.29 あした来る人  日活  ... 助監督
1955.09.16 銀座二十四帖  日活  ... 助監督
1956.02.19 風船  日活  ... 助監督
1956.07.31 洲崎パラダイス 赤信号  日活  ... 助監督
1956.08.28 わが町  日活  ... 助監督
1956.10.31 飢える魂  日活  ... 助監督
1956.11.28 続・飢える魂  日活  ... 助監督
1957.07.14 幕末太陽伝  日活  ... 助監督
1958.05.20 盗まれた欲情  日活
1958.07.29 西銀座駅前  日活
1958.11.18 果しなき欲望  日活
1959.10.28 にあんちゃん  日活
1961.01.21 豚と軍艦  日活
1963.11.16 にっぽん昆虫記  日活
1964.06.28 赤い殺意  日活
1966.03.12 エロ事師たちより 人類学入門  今村プロ
1967.06.25 人間蒸発  今村プロ=ATG=日本映画新社
1968.11.22 神々の深き欲望  今村プロ
1970.06.03 にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活  日本映画新社
1979.04.21 復讐するは我にあり  松竹=今村プロ
1981.03.14 ええじゃないか  松竹=今村プロ
1983.04.29 楢山節考  東映=今村プロ
1987.09.05 女衒 ZEGEN  東映=今村プロ
1989.05.13 黒い雨  今村プロ=林原グループ
1997.05.24 うなぎ  ケイエスエス=衛星劇場=グループコーポレ...
1998.10.17 カンゾー先生  今村プロ=東映=東北新社=角川...
2001.11.03 赤い橋の下のぬるい水  「赤い橋の下のぬるい水」製作委員会
7この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:29:23 ID:1/0dOfxt
脚本
1956.02.19 風船  日活
1957.07.14 幕末太陽伝  日活
1958.07.29 西銀座駅前  日活
1958.11.18 果しなき欲望  日活
1959.10.06 地獄の曲り角  日活
1959.10.28 にあんちゃん  日活
1962.04.08 キューポラのある街  日活
1963.02.24 サムライの子  日活
1963.10.13 競輪上人行状記  日活
1963.11.16 にっぽん昆虫記  日活
1964.06.28 赤い殺意  日活
1966.03.12 エロ事師たちより 人類学入門  今村プロ
1968.04.13 ネオン太平記  日活
1968.10.05 東シナ海  今村プロ
1968.11.22 神々の深き欲望  今村プロ
1970.06.03 にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活  日本映画新社
1981.03.14 ええじゃないか  松竹=今村プロ
1983.04.29 楢山節考  東映=今村プロ
1987.09.05 女衒 ZEGEN  東映=今村プロ
1989.05.13 黒い雨  今村プロ=林原グループ
1997.05.24 うなぎ  ケイエスエス=衛星劇場=グループコーポレ...
1998.10.17 カンゾー先生  今村プロ=東映=東北新社=角川...
2001.11.03 赤い橋の下のぬるい水  「赤い橋の下のぬるい水」製作委員会


原作
1958.07.29 西銀座駅前  日活
1968.10.05 東シナ海  今村プロ
1981.03.14 ええじゃないか  松竹=今村プロ


出演
1983.10.29 生きてはみたけれど 小津安二郎物語  松竹
2000.12.02 三文役者  アリゴス・フィルム=オセアニック  ... 証言者
2001.12.08 ロスト・メモリーズ 2009 LOST MEMORIES  インディーコム  ... 史学者
8この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:31:02 ID:EdwJhEkO
最期の巨匠逝く・・・か。合掌。
9この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:31:12 ID:1/0dOfxt
映画監督・今村昌平氏が死去

 「にっぽん昆虫記」「楢山節考(ならやまぶしこう)」「黒い雨」など数々の秀作を残し、カンヌ国際映画祭で2度、最高賞に輝いた映画監督の今村昌平(いまむら・しょうへい)氏が、
30日午後3時過ぎ、亡くなった。79歳だった。

 告別式の日取りは未定。喪主は妻、昭子(あきこ)さん。

 東京都出身。早稲田大卒業後、1951年に松竹大船撮影所に入社。
その後、日活に移って58年に「盗まれた欲情」で監督デビューした。
「にあんちゃん」(59年)、「にっぽん昆虫記」(63年)、「復讐(ふくしゅう)するは我にあり」(79年)など、
バイタリティーあふれる作品を次々と発表。
井伏鱒二の小説を原作とした「黒い雨」(89年)では、広島県の山あいの町でひっそりと暮らす被爆者たちを重厚なタッチで描き出した。
(読売新聞) - 5月30日17時6分更新
10この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:33:41 ID:1/0dOfxt
<訃報>今村昌平さん79歳=映画監督

 「楢山節考」「うなぎ」で、カンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを2度受賞したほか、「にっぽん昆虫記」「黒い雨」などバイタリティーあふれる作品で知られる
映画監督の今村昌平(いまむら・しょうへい)さんが30日午後3時49分、転移性肝しゅようのため東京都渋谷区の病院で死去した。
79歳だった。葬儀は未定。
 東京生まれ。早稲田大卒業後、1951年松竹に入社し、小津安二郎監督の助監督を務めた。
日活に移り、58年「盗まれた欲情」で監督デビュー。「豚と軍艦」(61年)や、「にっぽん昆虫記」(63年)、「『エロ事師たち』より・人類学入門」(66年)など
「重喜劇」と称した作品で人間の欲望と愚かさ、たくましさをユーモアを交えて力強く描いた。
 83年の「楢山節考」で最初のパルムドールを受賞。
原爆後遺症に苦しむ人々を追った「黒い雨」(89年)では毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞した。
 97年「うなぎ」で2度目のパルムドールに輝き、同映画祭史上4人目の快挙を達成した。
米9・11テロをテーマに世界の映画監督が競作した、02年のオムニバス「110901/セプテンバー11」で撮った短編が遺作となった。
 75年、日本映画学校の前身となった横浜放送映画専門学院を設立して、初代校長に就任、後進育成にも力を入れた。
長男は映画監督、脚本家の天願大介さん。
(毎日新聞) - 5月30日17時25分更新
11この子の名無しのお祝いに:2006/05/30(火) 17:42:05 ID:86KMVzA0
2つもスレが立ってしまっているが、こちらの方がコピペされた情報が詳しい
ですね。
今平さんも近年はだいぶ弱っているとは聞いていましたので、今さら驚きは
しませんが、最後の最後までよく撮りましたよ。
12この子の名無しのお祝いに:2006/06/20(火) 00:10:25 ID:OmxH4IoH
今 やってるよね??
おばあちゃんと見てる。過激だね……
13この子の名無しのお祝いに:2006/06/20(火) 00:26:16 ID:G3ql7y3x
うなぎ」の冒頭の寝取られシーン萌え〜
寺田千穂さん最高!
14この子の名無しのお祝いに:2006/06/20(火) 03:48:18 ID:kqrbuv5p
赤い橋の下のぬるい水 は70代の人間が撮ったにしてはパワーのある映画だ
15この子の名無しのお祝いに:2006/09/15(金) 21:28:29 ID:CyNg4YZD
保守
16この子の名無しのお祝いに:2006/09/16(土) 10:48:52 ID:do1qEdtt
トートトト トンガラシ
17この子の名無しのお祝いに
「神々の深き欲望」がピークか。
本人はイマイチとの評価の「復讐・・」は良かったけど、あとは明らかにパワーダウンを感じる。
どんどんどんどん、小さく感じるんだ。
抽象的でスマソ。