【シビけるところが】広沢虎造(二代目)2【コマツ村】
1 :
虎吉 :
2008/02/22(金) 22:19:35
2 :
虎吉 :2008/02/22(金) 22:20:31
スレたてたよ。 こんなんでよかった?
3 :
重要無名文化財 :2008/02/22(金) 23:40:57
ありがとうございました!!待ってました! ∧_∧ 麦湯どうぞ・・・ ショボーン (´・ω・`) シュッ (つ と彡 ./ / ./ / ./ / / / / / /// / ツツー / 旦 / / ./
4 :
虎吉 :2008/02/23(土) 22:06:21
どうもw ちなみに師匠の名前は「ひろさわ」ではなく「ひろざわ」と読むのが 正式なのでしょうか。 芦川淳平氏がそう呼んでいました。
6 :
虎吉 :2008/02/24(日) 07:35:47
虎ファン(タイガース)の「虎キチ」と師匠(井上晴夢)の 「虎吉」を掛けてます。w 初代虎造も虎吉の名前を継いでいますね。 ちなみに初代虎造の声は小沢昭一氏の『日本の放浪芸5』で 聴くことが出来ました。
桂三枝が落語の「タクシー」で三十石うなってんのな。 ちょっと面白かったw
8 :
虎吉 :2008/02/24(日) 18:14:18
へー。 池田の落語ミュージアムで桂三枝師匠の楽屋部屋を再現してあるんだけど、 部屋奥中央に非常に目立つように秋葉大権現が祀ってあった。 どうしてなのか知りたい。
9 :
虎吉 :2008/02/24(日) 18:21:15
ちなみに私虎造ファンですけど別にタイガースファンではないです。 (分かりにくい書き方でしたが)
10 :
重要無名文化財 :2008/02/27(水) 15:03:43
会社の後輩にウソをついてバレた時、 「ウソは方便、ところによると宝になる。 お釈迦様のついたウソは、方便といって宝になったんだ!」 と言ったら 「だから何なんすか?」と不思議そうな顔をされた。
そりゃそうだ。 テメェのついた嘘を「方便」だとぁ、こりゃまたメデテェ野郎だな。
12 :
虎吉 :2008/02/27(水) 18:27:17
浪曲は結構仏教の話が出て来るんですよね。 『佐渡情話』『壺坂零験記』『唄入り観音経』なんかそうですよね。 そこが面白いところです。 しかし「方便」というのは本来はお釈迦間様の教えを分かりやすく 手っ取り早く教えることなんですよね。 あの話は、巷によくある俗信仏教ですねー。
方便は、難解な論理をわかりやすく導くための「手段」であって 嘘ではない。これを曲げて捉えて悪用したのが層化。
14 :
重要無名文化財 :2008/02/28(木) 10:52:27
俺はよく財布忘れて会社に行っちゃうことがあるが、 そんな時のキメ台詞は、 「逆さに振っても鼻血も出ねぇ、石橋で転んでもチャリンと音のするもんがねぇ」 って言って金を借ります。
で、礼状一本よこさない。
16 :
重要無名文化財 :2008/02/28(木) 19:01:22
借りるときに、お蝶さんには「ありがとうございます」って言ってあるからね。
17 :
虎吉 :2008/02/28(木) 19:40:20
ったり前だ、えゝお前さん字が書けねぇ。 ってこういう虎造師匠の悪びれないキャラは最高。
18 :
重要無名文化財 :2008/02/28(木) 20:52:27
はい、泳ぎもダメなんで、簀巻きにされ、川に投げ込まれそうになった時 泣いてしまいました・・・
19 :
重要無名文化財 :2008/02/29(金) 20:15:22
久六とおしゃべり熊とのやりとりって大好きです。 一応、親分と子分の関係なのに、 熊五郎の方は、まるっきり久六のことを馬鹿にしていて、 まるで落語を聴いているみたいで。
20 :
虎吉 :2008/02/29(金) 21:08:36
この親分を粗末にするパターンは大政と次郎長でも繰り返されますよね。 え次郎長。 熊五郎のこのどっちの味方なんだかわからない、面白がり屋で浮き浮き した感じは、本座村為五郎や法印大五郎にも通じる「メフィスト的人物」 の流れと平岡正明氏は言っています。
21 :
重要無名文化財 :2008/03/01(土) 11:25:12
次郎長が石松のあだ討ちメンバーを大政に書かせるシーンですね。
書いたからどうしたぃ!
23 :
虎吉 :2008/03/01(土) 19:29:38
>>21 そうそう、それそれw
ああいうすっとぼけて同じ事を何度も言わせるような
やりとりって、落語にも出てくるのでしょうか。
何か参考にしたものがありそうですか。
24 :
虎吉 :2008/03/01(土) 21:54:52
三代目虎造『勝五郎の義心』を聴いてみた。 三代目には申し訳ないが、あらぁ、こんなんなっちゃうんだぁ。 普通の浪曲になっちゃってる。 師匠のように節にスピード感がなく、語りに間がない感じ。 キャラが立ってないなぁ。 虎造師匠はやっぱり特別だなぁ・・・。
26 :
虎吉 :2008/03/02(日) 20:03:42
なーるほっどー なんでぇ大阪つまんねぇところだと思ったが 三日いてみてびっくりしちゃったんですね。w 師匠も。 いわゆる上方漫才でしょうか。 具体的に誰のどの話が似ているとか分かります?
27 :
虎吉 :2008/03/02(日) 20:19:50
三代目虎造師匠の発声はどちらかというと 初代東家浦太郎師匠に似てる。 と思ったら、親父さんが東家派の人だったんですね。
三下奴でもあるね。 繰り返しパターン。 「嫌ならよせ!」
いわゆる吉本新喜劇ですよ
30 :
虎吉 :2008/03/03(月) 08:53:38
調べてみたら吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」が1959年創設ですから、 どちらかというと虎造師匠よりも後の時代ですよね。 参考にしたとしたら、やはりその元になった上方漫才の方でしょう。 エンタツ・アチャコとか? (花菱アチャコは吉本ヴァラエティ創生期メンバーらしいですし。)
考えなくてもわかること。ネタにマジレスすんな。
32 :
重要無名文化財 :2008/03/03(月) 16:06:18
まあまあまあ親分、ちょっと待ってくんなぁ こんなもん切ったってしょうがねえや、ちょっと待ってくんな!
うるせぇ、政! ズバッ!!
34 :
虎吉 :2008/03/03(月) 19:55:03
でゃーありがてぇと思ったけれど、 ネタかYO! まぁ吉本や漫才はむしろ浪曲を取り入れた方なんでしょうな。 ちなみに吉本ヴァラエティの初演が「アチャコの迷月赤城山」。 (そういうことが分かったから感謝してますよw) 虎造師匠のケレンどころはやはりブレーンの落語家司馬龍生の 知恵が大きいでしょうかね。 三十石船の京・大阪・江戸っ子の掛け合いは、落語『祇園祭』 がヒントだとか。
35 :
虎吉 :2008/03/03(月) 19:56:33
>>28 ありますねー。w
淡々と繰り返してツッコミという点では、
「おい下足の札貰ってるんじゃねぇやい」も似てるかも?
他にも、とぼけて繰り返すパターンは、
法印大五郎の「えーと、今月は何月でしたっけねぇ」
石松の「国さんの家は、まだ七八丁はあるんでしょう?」
石松「今日は何日でしたっけね?」「あそう、明日は?」「明後日は?」
と思い当たるだけでも結構見られますね。
神田の生まれよ
酒飲んだら虎狼の石さんが江戸っ子に「馬鹿」と言われて 笑って済ましたのが不思議でならない。
かといって血煙三十石船というのも物騒
39 :
重要無名文化財 :2008/03/04(火) 19:53:37
おめえ、小遣いやろうか!えっ、あんのか、そうかい
40 :
重要無名文化財 :2008/03/04(火) 20:30:29
親の譲りの「五字忠吉」、人を切って穢れていたが、 研ぎ師にかけて白鞘になり、すっかり清めが済んだ。
41 :
虎吉 :2008/03/05(水) 00:09:15
42 :
虎吉 :2008/03/05(水) 00:12:15
43 :
虎吉 :2008/03/05(水) 00:19:36
次郎長さん、実父は船乗り、養父は米問屋。 どちらの親に刀ぁもらったのでしょう。
やっぱ「新刀鍛冶・池田鬼神丸」でしょ。
~\それから親分、聞きたいのは、 私は知らないけど、 天保時代の侠客で 赤城の山の吹き颪、国定村の親分で 長岡忠治と言う人は〜
46 :
虎吉 :2008/03/28(金) 19:07:49
桂三枝師匠の『真心サービスおじんタクシー』聴いてみた。 広沢瓢之助というタクシー運転手が浪曲をうなる場面で虎造節の モノマネをします。三枝師匠はとても器用ですね。浪曲師の声マネも 虎造節も上手です。面白いですね。 三枝師匠の落語まともに聴いたのは初めてかもしれない。
47 :
虎吉 :2008/03/29(土) 14:56:04
三遊亭圓歌師匠の『浪曲社長』も聴いてみた。 こちらは虎造節に相模太郎節が少し混ざった感じ。 落語家さんの浪曲どれも上手ですね。 他にも浪曲をネタにした落語って結構あるんでしょうか。
48 :
重要無名文化財 :2008/03/30(日) 00:26:43
柳亭燕路五代目の「チンチロ花嫁」 古今東西噺家紳士録という落語CD-ROMに収録。 落語家にこんなに見事に虎造節を唸られたら浪曲師もたまらんな。
49 :
48 :2008/03/30(日) 00:36:30
wiki読んだら浪曲脚本も書いてたらしいな。 誰のどの演目書いたかまではわからんが
51 :
虎吉 :2008/04/01(火) 06:45:32
>>48 どうもありがとう。
五代目柳亭燕路師匠『チンチロ花嫁』聴いてみた。
少し雲右衛門がかった、なるほど見事な浪花節ですね。
Wikiによると五代目柳亭燕路師匠は元々義太夫だったそうな
ので、浪曲師に負けないぐらい喉が良くて当然かもしれませんね。
しかし解説にこれはレコードの企画物で「浪花節は東家楽浦。」
とありました。本人ではないのかな。(脚本は正岡容)
他にもこの師匠の浪花節落語に『ハラキリたぬき』『リレー泥棒』
『あわてちゃいかん』というのがあるそう。
古今東西噺家紳士録には、他にも初代橘家蔵之助『滑稽浪花節』
というのが収録されていました。こちらもレコード企画物で
少し雲右衛門節入ってます。
52 :
虎吉 :2008/04/01(火) 06:45:55
>>50 その二点もぜひ聴いてみたいです。上方落語の人はやはり関西の
浪花節を好むのでしょうね。
秋斎の「水戸黄門漫遊記」はダイソーCDで100円であったよ。 黄門様が関西弁なのが笑っちゃうw 石屋のジンベエがおもしろい。
54 :
虎吉 :2008/04/14(月) 21:31:09
55 :
虎吉 :2008/04/15(火) 06:50:10
荒神山観音で伝統の火渡り 鈴鹿
2008年4月8日
吉良の仁吉の「荒神山のけんか」で知られる鈴鹿市高塚町の荒神山観音寺で7日、
伝統の火渡りがあった。仁吉の碑そばの奥之院前では、修験者が護摩木を燃やし、
ほら貝を吹き鳴らした。火勢が弱まったところで、炭を平らにならし、おはらい
をした後、希望者が素足で歩いた。雨の中、子どもからお年寄りまでが参加し、
火渡りをしながら手を合わせて無病息災や家内安全を祈願する人もいた。
同寺では幕末、地元の神戸の長吉と桑名の穴太徳が縄張り争いをし、長吉側につ
いた吉良の仁吉が火縄銃で撃たれて死亡。境内には浪曲の広沢虎造が建てた碑が
ある。(酒井直樹)
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20080408/CK2008040802001834.html
56 :
虎吉 :2008/04/16(水) 21:08:18
58 :
虎吉 :2008/04/27(日) 10:42:05
それ見ました。うまいですよねぇー。 美空ひばりさんの七色の声はどこか虎造師匠に通じるものが あると思っていましたが、やはり虎造節を出し物にしていた ひばりさんの師匠の川田義雄氏の影響でしょうか。 あのyoutubeの次郎長シリーズは、画像といい妙なシュール さに笑ってしまうのですが。
59 :
重要無名文化財 :2008/04/29(火) 23:11:32
60 :
虎吉 :2008/05/03(土) 14:27:49
61 :
虎吉 :2008/05/06(火) 14:09:59
62 :
57 :2008/05/06(火) 19:09:12
>>58 音程っていうか音感やないですかねえ。
話芸全般、落語にしても浪曲にしても。
「次郎長三国志」 めちゃくちゃ面白そうw
63 :
虎吉 :2008/05/06(火) 20:28:46
二人は発声方法が似てると思ったんですよね。 発声部位を喉の前と奥で自在に行き来させる感じが。 「七色の声」と言われる所以かなと。
今、「次郎長三国志」村上元三を読んでるが、面白いなこれ。 映画も楽しみだ。
65 :
虎吉 :2008/05/18(日) 22:03:45
映画『兵隊やくざ』見てみた。 勝新太郎扮する大宮二等兵は元やくざだがその前は浪曲師。 自分の上司を助けるためにわざと傷だらけになり、上司に「馬鹿だな」と言われて 笑って虎造節をうなりながら去っていきます。 そよと吹く風 無常の風ぇー 決して上手くはないが、雰囲気がありました。
66 :
虎吉 :2008/05/31(土) 15:16:47
ライブいいね。素人でも笑うところがよくわかるw
68 :
重要無名文化財 :2008/06/19(木) 14:09:27
カラオケで上司が「人生劇場」を歌った時、 吉良の仁吉の名前が出てきて、なんか嬉しかったなぁ〜 もう一回歌って下さいって頼んじゃったよ〜 同席していた同僚の女の子が、 「だれ?ニキチって?」って聞いてきたから、 「兄弟分との義理のために、カミさんと別れたんだぃ!」って言ってやったら、 「エーッひどい!自分勝手なやつ」だと。 フフッ、所詮女には分からねぇ男の世界のことさっ!
男友達との約束より彼女とのデートだろ、常考。
70 :
重要無名文化財 :2008/06/20(金) 14:30:01
仁吉は次郎長一家の中では兄ぃ株なんですか? 三十石船の中では名前は出できませんでしたが。
仁吉は次郎長一家の乾分じゃなくて兄弟分。
72 :
重要無名文化財 :2008/06/20(金) 15:56:20
ということは、二十八人衆の中には入ってこない?
清水の二十八人衆のメンバーは諸説あるが、仁吉は入ることが多い。 これは、仁吉が若い頃に3年ほど次郎長の元で働いていたから。 おそらく、その頃に「二十八人衆」というのが言われていたんだろう。 仁吉はその後に吉良へ帰り、自ら吉良一家を興した。
74 :
重要無名文化財 :2008/06/20(金) 16:36:42
なるほど、有難うございました。
二十八人衆って言ったってベスト10に入らないとガリガリ亡者だから。 きびしいっす
小川の勝五郎は、なんで最初から深見村の長兵衛さんのとこに行かなかったんだろうな。 久六なんかより確実に金貸してくれそうなのに。
77 :
重要無名文化財 :2008/06/23(月) 09:35:47
次郎長に恩や義理があったのは久六だったからでしょう。 義理を返すのは当然の“世界”でしょうから。
78 :
重要無名文化財 :2008/06/23(月) 10:17:45
すぐ貸してもらえたら話にならないじゃないか
80 :
重要無名文化財 :2008/06/23(月) 19:03:51
ベスト10じゃ、鳥羽熊までだぞ! ちゃんと途中で思い出した喜妙院常五郎まで入れてやれよ。 あっ!石松もか・・・
つーか、奇妙院常五郎って全く話に出てこないよな?
82 :
虎吉 :2008/06/29(日) 21:57:49
83 :
虎吉 :2008/06/29(日) 22:13:45
最期でたのむわ
CDはもういいからDVDになるような映像はないのかよ 映画以外の
秋公開の映画「次郎長三国志」は面白そうだな。
87 :
重要無名文化財 :2008/06/30(月) 15:17:28
次郎長役は誰ですか?
89 :
重要無名文化財 :2008/06/30(月) 19:45:07
ほほぅ、蛭子さんが保下田の人か。 だけどあとのキャスティングはいまいちだなぁ。 映画は楽しみだけど。
新作は次郎長三国志のどの部分の映画化なの? 旧作は東宝で9部作、東映でも4部作だったんだけど。
91 :
虎吉 :2008/07/12(土) 15:13:16
92 :
虎吉 :2008/07/12(土) 15:21:58
93 :
虎吉 :2008/07/12(土) 16:41:52
映画「山のあなた?徳一の恋」公開
http://blogs.yahoo.co.jp/se16laulea/archive/2008/04/05 「虎造の浪曲で「国定忠治」忠治の報恩という浪曲がある。その表題附に
猛虎一声吼え来る
狩人これを撃たんとす
あまた獣の危きより
飛び来たりたる羊めが
狩人前にたたずんで
弾丸に当たって身は倒れ
ほかの獣を救うてやる
羊はわれを知らぬという
その意味もって 唐土(もろこし)に
羊の下に我と書き
義という文字が出来たという〜
今回、映画「山のあなた?徳一の恋」にこの浪曲の一節が挿入されている。
このようなメジャーな映画に採り上げられる事により、
ひとりでも多くの方々に浪花節を聴いて頂ければ、嬉しく思います。
2008年5月24日(土)ロードショー
http://www.yamano-anata.jp/ 」
このブログを書いているのは昭和39年生まれ、
虎造師匠のお孫さん?
山のあなは挿入されてないの
95 :
重要無名文化財 :2008/07/15(火) 00:07:15
初めて書き込みしますが お蝶の焼香場に保下田の久六がこなかった訳は石松が話していますが とくなめのしょうたろうは何故こなかったのでしょう 以前から疑問に思っていました お教え願えれば幸いです
後に石松を殺しに来た久六の乾分3人が常滑正太郎の世話中と 言ってますね。 実際は分かりませんが、浪曲のストーリーでは久六同様に 常滑正太郎も同業から嫌われる存在だったのでしょう。
97 :
重要無名文化財 :2008/07/15(火) 12:31:21
寺津のと敵対していた。
98 :
重要無名文化財 :2008/07/15(火) 19:39:01
寺津のと敵対していた。 97氏 ありがとうございました 以前から疑問に思っていたのですが 調べる手がかりも無く そのままにしていました 手がかりが出来ましたので少し調べてみます ありがとうございました
99 :
重要無名文化財 :2008/07/17(木) 14:45:39
>>86 2時間足らずの映画だと、話がはしょられちゃって、つまらなそうな気がする。
一度でいいから、虎造の浪曲に忠実な脚本で、映画でもドラマでも見てみたい。
100 :
虎吉 :2008/07/17(木) 21:08:14
確かにそういうのないですね。しかし面白いかどうか。 浪曲は本来形の決まった脚本的なものではないので そもそも無理があるかも。
101 :
重要無名文化財 :2008/07/20(日) 14:26:51
過去の次郎長モノの映画やドラマで、 一番、キャスティングがハマってたのは誰でしょうか? また今現在で、キャスティングすると、次郎長や石松は誰が合うでしょうか? 個人的には、映画での石松役では、萬屋(中村)錦之助が、イメージ的に合っていたように思います。 今なら、獅童にやらせてみたい。 それとドラマでの、竹居のドモ安は、高品格がハマリ役だった。 肝心の次郎長だけど、みんなカッコ良すぎて・・・。 あえていいなと思ったのは、片岡千恵蔵なんだけど。
102 :
重要無名文化財 :2008/07/20(日) 16:50:09
ハマコー
>>101 マキノ雅彦(津川雅彦)監督の
次郎長三国志の公開が近いのを知ってての呼びかけか?
104 :
英五郎 :2008/07/25(金) 19:26:41
甥のヨメさんは欧州で育って大人になってから日本に帰ってきた。 そのせいか日本文化にえらくはまって歌舞伎なんかが大好きになった。 2代目虎造を聞かせたら案の定どっぷり。 今時その歳で浪曲好きな女は日本に10人といないだろう。 戦前と戦後の虎造節を教えてやる計画。 そうすりゃ日本でたったひとりだ。
105 :
虎吉 :2008/07/25(金) 23:01:37
やっぱり虎造師匠は本物ですねぇ。
106 :
英五郎 :2008/07/25(金) 23:36:32
戦前の関西節の名残がある虎造の吉良の仁吉は覚えている。 10代の頃祖父さんのレコードを擦り切れるほど聞いて覚えた。 これは甥のヨメさんに教えられる。 比較する戦後の虎造がわからない。 出だしはこうだ、 ”伊勢で名代の青砥山、人渾名して荒神山で 二十八を一期として、義侠のために倒れたる 歳は若いが大立者よ、吉良の仁吉の苦心談” 聞かせどころはこうだ、 ”鬼を焼いて酢で食うような男だが、この時ばかりは思わず涙 ここで涙を流しては、神戸の人に済まないとて 落ちる涙を瞼で止める” こんな戦後の吉良の仁吉はCDとかカセットとかどんなのがあるのだろう? 詳しい人教えてやっつくれい、頼むぜ。
映画「虎造の荒神山」は面白いよ。
108 :
虎吉 :2008/07/26(土) 17:12:41
ぜひ見たいですね。 どうやったら見られるかな。 (荒川区立図書館にはあるようだが) 監督の青柳信雄氏にはほかに 『次郎長意外伝 灰神楽の三太郎』 という作品もあるんですねw
DVDの「歌くらべ荒神山」と「清水の次郎長伝」 アマゾンで注文した。 お盆休みに見るの楽しみ(*´∀`)
110 :
重要無名文化財 :2008/07/30(水) 19:31:53
>>101 次郎長は、文太。30年ぐらい前のね。
お蝶は、今なら、壇れい。
111 :
虎吉 :2008/07/31(木) 00:40:39
次郎長はいかりや長介さん のイメージを持っていたけど なぜかと思ったら顔が似てんですね。 石松は勝新さんかな。 これは実際に役をやったみたいですね。 見たことないですけど。 どちらも既に故人ですが。
112 :
英五郎 :2008/08/06(水) 00:27:40
>>101 そうだなぁ
次郎長:柄元明
お蝶 :西川峰子
大政 :竹内力
小政 :竹中直人
石松 :松本人志
七五郎:山本耕史
お民 :辺見えみり
大瀬半五郎:堺雅人
次郎長は國村隼がいい。
114 :
重要無名文化財 :2008/08/06(水) 00:47:16
神田っ子は誰がやるの。
爆笑太田。
116 :
重要無名文化財 :2008/08/06(水) 01:07:45
>>114 出川 哲朗
浜っ子だが薄っぺらなところが江戸っ子にぴったり
117 :
重要無名文化財 :2008/08/06(水) 10:58:21
118 :
重要無名文化財 :2008/08/06(水) 21:34:32
故人だけど、いかりや長さんが次郎長にはピッタリだと思うんだよなぁ。 もちろん28人衆にはドリフの面々を筆頭ににやってもらってさ。 今となっては実現不可だけど、俺はその面子で見たかったなぁ。。
119 :
重要無名文化財 :2008/08/07(木) 08:47:30
120 :
重要無名文化財 :2008/08/07(木) 16:16:39
>>118 長さんは、シビアな演技ができるからいいかもしれないけど、
他のメンバーは、どうでしょう?
コメディならいいかもしれないけど。
121 :
重要無名文化財 :2008/08/07(木) 21:09:09
>>120 俺が思うのは次郎長に長さんで保下田の久六に注さんが思いついたんだよね。
あとは加トちゃんあたりはなにかやってくれそうだけど、他の面子は確かに厳しいね。
122 :
虎吉 :2008/08/07(木) 21:33:42
確かにドリフのメンバーだと、『三下奴』とか『灰神楽三太郎』になっちゃいますねw しかし長さんは、あれは浪曲師の声ですよね。
123 :
重要無名文化財 :2008/08/08(金) 10:44:57
>>121 「お蝶の焼香場」のところで、
床下で盗み聞きして帰ってきた久六の子分・熊五郎と久六とのやりとりの場面なら、
荒井注・久六、熊五郎・志村けんor加藤茶で、なんとかなりそう。
124 :
重要無名文化財 :2008/08/08(金) 19:45:44
>>122 おっしゃるとおり!!! >浪曲師の声
確かに虎造節の次郎長伝しか聞いたこと無いから、次郎長は長さんと思ったんだよね。
だけど、ドリフがやるんだからコント調にはなっちまいますなぁ。
>>123 いいねぇ、あの二人にはおしゃべり熊は適役ですなぁ。
俺は為五郎に加トちゃんが良いかなと思ったんだけど、おしゃべり熊のがずっと良いね。
125 :
英五郎 :2008/08/11(月) 08:03:25
誰が良い、と言うよりこの配役もあるんじゃないかはどうだろう。 本来やくざもんなんだから、極道のくるった所を演じられない者は駄目だ。 長さんはその点次郎長の乱暴さはちょと無理だろう。 ドリフの面々は喜劇やるんなら良いだろうが、まったく不向きだなぁ。
じゃハナ肇ならいいんじゃね
127 :
英五郎 :2008/08/11(月) 13:13:23
>>126 おぉ次郎長にハナ肇はありうるなぁ、演技は上手かったしドスもきかせられる。
128 :
英五郎 :2008/08/11(月) 13:20:43
豪華絢爛たる配役なら、次郎長に勝新。 梅に鶯、松に鶴、勝新には田宮だな。 田宮は大政より石松か。
漫画の話でスレ違いかもしれないけど、 「イブニング」連載の「喧嘩猿」が 浪曲の語りのよさをうまく 台詞にしている。 話は異説・森石松伝的な感じ。 まだ始まったばかりだけど、 面白くなりそう。
131 :
重要無名文化財 :2008/08/13(水) 00:14:32
132 :
重要無名文化財 :2008/08/14(木) 10:46:59
>>128 若い頃の勝新なら、石松が一番合ってそうな気がする。
で、大政が三船敏郎あたり。
肝心の次郎長が思い浮かばないんだけど・・・。
133 :
虎吉 :2008/08/14(木) 12:14:11
広沢虎造の次郎長、聞いてみようかと思ってCD調べたら先代と二代ってのがあり、 どっちも同じ顔写真が載っていたりする・・・・・別人?
一緒。
石松は森繁以外考えられん。
中村錦之助の石松も良かったけどな。 森繁の石松はドモリなのが異色。
138 :
重要無名文化財 :2008/08/18(月) 09:30:27
石松のドモリ、片目はフィクションだからねぇ。
139 :
重要無名文化財 :2008/08/19(火) 01:54:41
バカはほんとうなの
140 :
重要無名文化財 :2008/08/19(火) 09:59:26
金毘羅さまへ行ったのは事実で、 次郎長の名代で行くぐらいだから、バカではなく、 一家の中でも幹部クラスだったと言われてますね。 ちなみに、片目は、同じ子分の中の豚松の逸話を参考にしたとも。
141 :
虎吉 :2008/08/19(火) 22:24:57
それにしても次郎長が石松をわざわざ一人で代参に行かせたのは 不自然で、実は陰謀であったという説もある。
要出典
143 :
重要無名文化財 :2008/08/20(水) 10:20:53
金毘羅に納めた刀は、五字忠吉じゃなくて、井上真改。
張子の虎三か。ひさしぶりに来月契約しよう(・∀・)
146 :
英五郎 :2008/08/22(金) 13:33:03
>>141 実在の石松は次郎長の親戚の男の子で、子がないので養子にした。
18くらいで病気で死んだそうだ。
特に何の話も残っていない。
金毘羅代参があっても石松ではない。
石松のキャラは桶屋の仁吉の実話から作ったらしい。
147 :
重要無名文化財 :2008/08/22(金) 19:06:15
>>146 ということは、金毘羅代参は、鬼吉のエピソードってことですか?
「もってけよ〜」 「いらね〜よ〜」
「お前入れ〜」 「大きいやい、馬鹿野郎」
150 :
英五郎 :2008/08/24(日) 13:43:44
>>147 おっと桶屋の仁吉じゃなくて鬼吉だった。
金毘羅代参だって三十石船だって話の中身はフィクション、お話だ。
けれど石松のキャラ作りに鬼吉の性格が使われたと言うことらしい。
それにしても次郎長一家の記念写真を見るとみんなそろって凶暴な顔だなぁ、
さすが893だ。
151 :
英五郎 :2008/08/24(日) 13:49:40
152 :
英五郎 :2008/08/24(日) 14:11:21
153 :
英五郎 :2008/08/24(日) 14:34:02
鬼と相撲とりそうな奴ばっかり
おかめ〜。 ひょっとこ〜。
156 :
重要無名文化財 :2008/08/25(月) 14:27:56
>>151 これは穴太徳と荒神山の手打ちの時に撮られたといわれている写真ですね。
吉良の仁吉が写ってないのが残念。
写ってたら幽霊だ
>>ここに掲載してある写真の無断転載・転用を禁じます。 って書いてあるけど、この人がこれらの写真の著作権や肖像権を持ってるの?
159 :
重要無名文化財 :2008/08/26(火) 09:36:48
血煙荒神山〜は、かなり史実にのっとった話なんでしょうか?
160 :
英五郎 :2008/08/26(火) 14:39:57
161 :
重要無名文化財 :2008/09/02(火) 10:16:02
>>160 人生劇場の歌詞に「吉良の仁吉」の名前が出てくるわけがわかりました。
今月の時代劇専門chは次郎長祭りで、虎造が見られるね。 それにしても、ヒストリーチャンネルのアニメの冒頭で 息子の山田二郎さんがちょこっと出てるけど、 MBSでやってたときは出てなかったと思うんだが・・・ 朝5時半の放送だったから見てた人いないだろなぁ
観た観た。短い割に主題歌とエンディングは長いよねあれ(笑) 虎造って凄い人なのに音源が少ないね。新宿のタワーレコードに問い合わせ したら一枚も無かった。出てる音源も年代とか記載していないんだよね。
うん、虎造節の本編は短いなw でもって最後の歌を歌ってるのは声からしてたぶん宮川泰じゃないかと。 新宿タワーって、そりゃ無いのは当然だよ。渋谷タワーでも微妙かと。 浪曲や浪花節って、過去の産物だから今どき売れないっていう認識だし。
165 :
虎吉 :2008/09/14(日) 09:17:55
演歌などをたくさんおいてる店に行くといいんじゃないかな。 東京で、たまたま山野楽器の銀座本店に寄ったら 浪曲・落語などけっこう置いてあった気がする。 試聴もできた。
情報ありがとうございます。 演歌が充実してるとこですか。行ってみます。 浅草上野とかもありそうですね。
167 :
虎吉 :2008/09/17(水) 20:47:11
映画「次郎長三国志」観て来た。 とてつもないクソ映画だった。 これから観ようと思ってる人は金をドブに捨てるつもりで行きましょう。 ホントにクソでした。
kwsk まぁ配役とか見ていたら疑問符が10コぐらいつくのは確かだけど。 じっちゃん天国で泣いてるかもね。
全編コメディタッチである。 シリアスさは皆無。 次郎長とお蝶のラブロマンスってところ。 中井の次郎長→貫禄なし。剣術が上手いだけで、お蝶とイチャイチャするだけ。 岸部の大政→存在価値なし。セリフ棒読みの大根。 温水の石松→ヒョロすぎで弱そう。演技は○。 笹野の法印→同上。 近藤の桶屋→まあまあ。 北村の小政→小さくない。終始浮いてる。 木下の鶴吉→印象なし。 佐藤の黒駒→印象なし。 竹内の三馬政→竹内ワールド全開で◎w 蛭子の久六→論外。 女性陣は総じて良かった。 高岡、木村は◎。 真由子も頑張ってた。 まぁ、レンタルDVDでおk。
なるほど、レポ乙です! 一徳は演技定評あるのに棒読み? 雅彦カントク曰く、 ぴっちり横分け鼻デカ兄さんの起用理由は一見二枚目だけど根は三枚目だから、だと。 蛭子も意外な人が裏切るという起用理由らしい。ぬっくんも頑張ったとは思うがイメージじゃないしね。 携帯メールで依頼したら何かの間違いですかって、ぬっくんが返信したとかw 時専chで昔の次郎長三国志やってるけど、コメディタッチはあっても作りは軽くないのが、さすがって思う。 何だか映画宣伝見る限り、ノリが軽そうで、金払ってまで見に行く気はしないね。 そうじゃないと興業的に成功しないという判断が製作側にあったんだろうとは思うが、 金引っ張ってきても、あまりにも奇を衒い過ぎたキャスティングや作風では こうした時代劇もんはかえって萎えるようにも思うな。 日本映画界の問題の根深さを垣間見たというか、再認識させられるねぇ。
172 :
重要無名文化財 :2008/09/24(水) 16:26:26
虎造はどなたがやったんです?
173 :
虎吉 :2008/10/11(土) 01:33:22
>>141-142 どこで読んだか、調べがつきました。
矢野誠一『森の石松に会う』という本で物語風に紹介されてました。
この文の初出は「オール読物」(00年12月)ですが、この説自体は
結城昌治『森の石松が殺された夜』という小説として「オール読物」
(69年3月)で最初に発表されたそうです。
発表当時週刊誌が取り上げ、テレビ局は著者と次郎長ファン・
郷土史家・研究者を対決させる企画を行ったらしい。
熱かったんですね。
174 :
虎吉 :2008/10/11(土) 18:11:33
肝心の理由ですが、 石松のように頭は悪いが親分の命令に実直で腕っぷしのいいのは、 次郎長親分が売り出すときには何かと頼りになるが、地位を築いて 近代的な組織として機能し始めると、頭が固くて逆に足枷になる。 そこで一人で行かせて... ということらしいです。
175 :
重要無名文化財 :2008/10/13(月) 02:02:46
都鳥は親分が差し向けた刺客かよ
浪曲名人選 七 広沢虎造 本座村為五郎 前・後編を100均で買ったきた 今から聞こ
大創はもう無いんでしょ
>>177 あるよ
ダイソーで今日買ったよ
国定忠治もあったよ
ほんと?情報ありがと! でもダイソーって店によって品揃えがマチマチなんだよなぁ。
180 :
虎吉 :2008/10/30(木) 09:55:15
181 :
虎吉 :2008/11/01(土) 10:31:09
182 :
重要無名文化財 :2008/11/13(木) 10:58:03
>>180 それを書いたのは俺なんだが、虎造を虎三と誤植してしまった。
図書館で借りてきた次郎長伝「石松三十石船道中」と「石松の最後」を、
3日続けて聴いている。
今も聴いている。
もちろん、ダビングした。
ガキの頃は大して興味は無かったんだが、この頃は妙に懐かしい。
一緒に借りてきた、志ん生の「芝浜」「粗忽長屋」はまだ聞いてない。
183 :
虎吉 :2008/11/14(金) 00:37:28
今度東京へ行ったら、 新宿区立歴史博物館にぜひ寄ってみますよ。w
最後も誤植
185 :
虎吉 :2008/11/15(土) 13:27:16
186 :
虎吉 :2008/11/15(土) 13:40:27
広沢虎造 秘蔵浪曲名盤集(吉良の仁吉完結編)ってのゲットしたぜー 今手に入る5枚組のやつじゃなくて、 9枚組みボックスセットの奴な
188 :
虎吉 :2008/11/25(火) 06:34:30
9枚組みCDがあるんですか? 以前売られていたのは十本組のカセットでしたね。
次郎長外伝「次郎長外伝 大瀬の半五郎 前・後」のCD持ってるんだけど、 この続きってないんでしょうかね? 兄の又五郎が殺されて、これからが良いとこって時に終わっちゃうから モヤモヤする。
190 :
虎吉 :2008/12/13(土) 00:41:59
私も聴きたくて、大瀬半五郎物のまとまった音源ときどき探してるんですよねぇ。 古い資料には大瀬半五郎のエピソードがレコード数枚に跨って 出ていたことが伺えます。 平岡正明氏の本では、大瀬半五郎外伝は 「大瀬村の兄弟」 「五蔵の悪だくみ」 「血煙草加宿」 「五蔵殺し」 の四編。 話自体は『水滸伝』が下敷きになっているとか。
代官の息子なんだっけ
三遊亭白鳥3 「哺乳類だってねぇ」「パンダの生れよ!」… 擬人化落語の代表作のひとつ 『仁侠流山動物園』では、廣澤虎造先生ばり(?)の自慢の咽を聞かせてくれます。 そして、20年近くも前に作ったという『シンデレラ伝説』は、しばらくお蔵入りしていたそうですが、ギャグを練り直しての復活となりました。
ふぅん。
ふぅん・・はぁん・・・・・・あ・・駄目・・・
195 :
虎吉 :2008/12/30(火) 08:02:27
広沢虎造[二代目] 二代目 広沢虎造 全集 コロムビアミュージックエンタテインメント 発売日 2009/02/18 商品番号 COCJ-35401 POS 4988001090106 メディア CD12CM ジャンル 純邦楽 税込価格 \18,000 ※未発売新譜 *収録時間は実測データのみを反映しております ▼コメント 初CD化音源収録 来年2月発売だそうです。
196 :
重要無名文化財 :2009/01/03(土) 17:10:44
正月早々、神棚に白い紙を貼らなきゃならないのは面倒くせぇ
香典が3112両2分も集まるんだから我慢しろ。
マキノの「東海一の暴れん坊」を観た。勝新の石松も良かったが 森繁の石松は最高だった。
199
200
1000
202 :
虎吉 :2009/01/18(日) 14:28:51
特別セール品『廣澤虎造生誕百年記念特別企画新篇浪曲傑作選』
新篇 浪曲傑作選(カセット11巻組 本、解説書付)
定価21,000円(税込)のところ、特別価格 13,000円
(税込、送料込、代引き手数料は別途300円かかります))
総理大臣の代わりはいても、虎造の代わりはいないとまで言われた希代の名浪曲師・廣澤虎造。
その天才の生誕百年(1999年)を記念して特別に企画されたのが、この《新篇浪曲傑作選(カセット
十一巻組)》だ。いづれも一世を風びした名作至芸が全二十席という豪華版。しかも、どの曲も名人
達の絶頂期・昭和三十年代に録音されたまま協会に眠っていた秘蔵の音源からなる初音源収録。
まさに待望の傑作選だ。
廣澤虎造の森の石松全集の他に二代目重松、伊丹秀子、富士月子など、この全集にしかない
懐かしい浪曲師が入っています。
特別付録として虎造含め六人の浪曲カラオケと廣澤虎造の一代記の豪華本がついています。
http://isamido.web.fc2.com/sale.htm 虎造師匠の音源はこれまでと同じもの、
付属の本は吉川潮氏の「江戸っ子だってねぇ」と同じものだそうです。
三味線カラオケが面白いと思ったのですが、これは2〜3分ぐらいのさわりの
ところを三味線弾きの人が吹き込んで、以前販売されていたものらしいです。
イサミ堂さんのおじさんと電話でお話しました。
志ん生みたいなしゃべり方をされる方でした。w
浅草が感じられました。
203 :
重要無名文化財 :2009/01/28(水) 18:38:58
会社の近くにある居酒屋のマスターが、店内のBGMに『虎造』をかけてたんで、 「マスター、浪曲好きなの?」って聞いたら 「最近、よく聞くんだよ」って言うんで、 「文久二年の三月の半ば、いずこも同じ花見時、桜の花は満開で、人の心も春めいて・・・」 って、ひとくさりやったら驚いてた。 今度、『三十石船』のさわりをやって、何かサービスしてもらおうかなって、セコイ考えを持ってます。
いやぁ、俺がマスターなら間違い無くおごるね。 まぁビール一杯とか、ウィスキー1ショットぐらいだけど。 俺も三十石船の始めのところが好きなんだよ。 なぁんとなく良い気持ちって言われるとこっちまでワクワクするもんね。 確か閻魔堂の堀のところで釣りするときも、おんなじフレーズだったと思うけどさ。 嬉しいよね。リアルで虎造ファンに遭遇すると。 ちなみに俺の場合は、うちの奴の婆ちゃんが虎造好きで合うんだ。 長生きしてほしいと思ってる。
「三州寺津間之助、西尾の治助、見付の大和田友造…」なんてやってたら 隣に本物のヤクザがいたというオチ。
206 :
虎吉 :2009/01/29(木) 00:34:32
文久二年の三月の半ば いずくも同じ花見時 桜の花は満開の 人の心も春めいて チャラン なんっとなく〜いい気持ちぃッ ポーン まこっとに素晴らしい導入部ですね。 文久二年は桜田門外の変、寺田屋事件、生麦事件などがあった年で 実は日本は大変なことになってた。 伏見には寺田屋があったけど、石松はのんびりしてるね。w
桜田門外の変は万延元年だったと思うが。
208 :
虎吉 :2009/01/30(金) 23:18:41
「坂下門外の変」の間違いでした。 万延元年は3月18日改元なので、 「桜田門外の変」は正確には、安政7年(3月3日)のようですね。
209 :
虎吉 :2009/01/30(金) 23:50:35
いやいや文久二年は、遣欧使節団として福沢諭吉なんかが ヨーロッパに出向いた年だったと聞いて、へーと思ったのを思い出した。 後からWikipediaで寺田屋事件なんかを知った。 虎造師匠のおかげで文久二年に妙に反応するようになった。w
210 :
重要無名文化財 :2009/02/02(月) 17:05:43
@都鳥一家が隠れている本座村為五郎の家に次郎長一家が入ってきたところ、 A都鳥一家が飲んでる追分宿・青木屋に入ったところ、 それぞれ、この後の話って音源とか残っているんでしょうか? 続きがどうなのか気になってしょうがないんですが・・・
212 :
重要無名文化財 :2009/02/02(月) 17:55:14
早々に有難うございます。 少し、胸のつかえが取れました。
為五郎の悪事は入手しにくいなどと言われてるけど CD屋やホームセンターでも結構見かける
途中で終わるんだよ。
>>213 「為五郎の悪事」はどこでも売ってる。
その続きのこと言ってるの。
216 :
重要無名文化財 :2009/02/03(火) 18:40:25
どなたか詳しい方教えて下さい。 2代目は初代?先代?どちらなんですか?それと、旅行けば〜の台詞の題名も教えて下さい。
ややこしいのですが、広沢虎造は三代います。 初代虎造は後の三代広沢虎吉。 二代目が世間一般に有名な虎造。 三代目は近年まで存命でした。 で、世間に音源が出ている虎造は、ほぼ100%二代目虎造です。 初代、三代の音源は皆無と言ってよろしいかと。 CDに「初代」「先代」などと書かれてますが(間違いも多い)、全て二代目 だと解釈してください。 >旅行けば〜の台詞 これはいろんな話で出てきます。 主に、次郎長ないし石松が旅に出ている話の冒頭では「旅行けば〜」が聞けます。
218 :
虎吉 :2009/02/03(火) 22:47:33
219 :
虎吉 :2009/02/03(火) 22:49:02
>217 >主に、次郎長ないし石松が旅に出ている話の冒頭では「旅行けば〜」が聞けます。 お、そんな法則があったのか。
>>216 清水次郎長伝の「勝五郎の義心」に出てくるよ。
221 :
重要無名文化財 :2009/02/05(木) 13:40:47
旅行けば、駿河の道に茶の香り 流れも清き大田川、若鮎おどる頃となる 松の緑の色もさえ、遠州森町良い茶の出どこ、娘やりたやお茶摘みに ここは名代の火伏せの神、秋場神社の参道に産声上げし快男児 昭和の御世まで名を残す、遠州森の石松の苦心談のお粗末を 不便ながらも伝えます うろ覚えなんだけど、何かちょっと違うような・・・
虎造の場合、 若鮎→わかあい 火伏せ→しぶせ になるんだよなw
お茶摘み→お茶汲み 秋場→秋葉 不便→不弁
いや、「お茶摘み」は合ってるだろw
225 :
虎吉 :2009/02/05(木) 22:49:30
改めて聴き直してみた。
「旅行けば〜」で始まるのは、うちのテイチクのCDでは以下。
「名古屋の御難」
「お蝶の焼香場」
「石松三十石船道中」
このうち「三十石」が
>>221 に近いけど最後が
「遠州森の石松を 不弁ながらも伝えます」だった。
「不弁」というのは雲右衛門師匠が言い始めたんでしたっけ。
226 :
虎吉 :2009/02/05(木) 23:47:57
違う、「不弁ながらも〜勤めま〜す〜」だった。 このへんはしっかり覚えていたんだが。
おこわを食べて汁粉を食ってあんころ餅を食ってぜんざい食ってあべかわ食って団子を食って、 んでニコニコ笑ってる天下泰平な奴がいくらも家にいるじゃねぇか!そいつらやってくんねぇ!
228 :
重要無名文化財 :2009/02/06(金) 01:31:33
217さん、情報ありがとうございました☆叔父に2代目の詰め合わせ13枚CDセットを購入してあげたのですが、旅行けば〜が入ってなかったらしいんです。 初代のレコードを聞いていたらしくCDと少し言葉の読み方も違うって言われちゃいました。 悲しいです(;_;) また探してみます!
>>228 それはおかしい。
13枚CDセットの音源に「旅行けば〜」のフレーズが入ってないわけないし、
そもそも「次郎長伝」を浪曲にしたのは二代目虎造。
初代が「次郎長伝」をやってるわけない。
つーか、初代虎造のレコード聞いてたって、その叔父さんは100歳とかか?
230 :
重要無名文化財 :2009/02/06(金) 03:18:55
同じ節で√駿河路やー、というのもあったような
231 :
虎吉 :2009/02/06(金) 07:27:46
>>227 食い物がなぜか妙にうまそうに聞こえるのが
虎造師匠の魔力のひとつですねぇ。
232 :
虎吉 :2009/02/06(金) 07:41:43
>>228 13枚セットというなら、最近出たエーアールシーのやつだろうか。
これはいきなり語りで始まるものが多く、そもそも節で始まるものが少ない。
テイチクで「旅行けば〜」で始まる同題のものを聴いてみても
確かに「旅行けば〜」ではなかった。
このCD、「金毘羅代参」はテイチクのCDのコピーで、最後の部分
にテイチク「三十石舟」の一部を付け足して、編集してある。
ちょっと、あれだなぁ。
233 :
重要無名文化財 :2009/02/06(金) 12:05:57
『代参』のお仕舞いの方なんですが、 石松が大政に諭された後、すぐに「その夜は休む明けの朝、早から起きる石松は・・・」と続くパターンと 石松が次郎長の前で詫びながら“方便”をばらしちゃう部分が挿入されているパターンのモノがありますよね。 あれは後の編集なんでしょうか? それとも単純に、虎造が時間の関係で、はしょっちゃったんですかね?
>>233 寄席でやってた人はそういうの自由自在ですから。
>>232 >これはいきなり語りで始まるものが多く、そもそも節で始まるものが少ない。
>テイチクで「旅行けば〜」で始まる同題のものを聴いてみても
>確かに「旅行けば〜」ではなかった。
なるほど、それは知らなかった。
節がなかったら浪曲の意味がないよなぁ…。
236 :
虎吉 :2009/02/06(金) 22:36:51
>>233 あれは編集じゃなくて、虎造師匠の裁量でしょうね。
落語家さんもそうだけど、プロとしては話を長くしたり短くしたりというのを
ある程度自由にできなきゃ。
方便をばらすのは『滑稽浪曲集』のシリーズに入ってますね。
あの大政のオチは、真似てやっても妙に気分が高揚して大好きです。
テイチクのパターンしか聞いたことがない人はぜひ聞かれたし。
237 :
重要無名文化財 :2009/02/07(土) 16:46:53
私はネットで13枚セットを購入したのですが、ダイソーで売ってるのもあるみたいなので一度買ってみようかと思います☆もしかしたら旅行けば〜が聞けるかもしれない!
238 :
重要無名文化財 :2009/02/07(土) 16:50:18
.
239 :
重要無名文化財 :2009/02/07(土) 17:00:33
.
240 :
重要無名文化財 :2009/02/07(土) 18:11:11
.
241 :
重要無名文化財 :2009/02/08(日) 21:09:55
今、手に入る全集ではどれがお薦めなのでしょうか。 また13枚セットと16枚セットって大きく違うのでしょうか。 母が愛聴していたダイソーのがイカレてしまったらしく、 2月の誕生日にプレゼントしてやりたいなあと思っています。
242 :
重要無名文化財 :2009/02/09(月) 01:13:21
ダイソーに売ってなかったぁ┐('〜`;)┌どなたか大阪府の方売ってるダイソーご存知ないでしょうか。
243 :
重要無名文化財 :2009/02/09(月) 01:19:56
232さんCDは今手元にないのでどこのメーカーかはよくわからないんです。 でもいきなり語りから入ってました。 すごい、よくご存知なんですね! 色んな情報ありがとうございました。 叔父のレコードがあるのでこの際レコードの本体を買ってみようかなとも思います。 そしたら旅行けば〜が聞けますもんね。
244 :
虎吉 :2009/02/09(月) 06:59:50
CDなら、現在ではテイチクの16枚CDが入手しやすく定番ですよ。
>>225 のタイトルに「旅行けば」は入っています。
「石松金毘羅代参/石松三十石船道中」のタイトルが
虎造師匠の代表的な演目。
この2月にはコロンビアからも全集が新たに発売されるようです。
やっぱ外題付けは無いと、浪曲の感じ出ないよね。 旅ぃ〜ゆけば〜ぁ〜ぁ 駿河のぉ〜道ぃ〜にぃ〜 茶のぉ〜ぉ〜香り〜 俺は一番これが好き。
246 :
重要無名文化財 :2009/02/09(月) 10:31:43
その夜は休む明けの朝、早から起きる石松は、 うがい手水で身を清め、仕度なして表へ出る またぐ敷居が死出の山、雨だれ落ちが三途の川、そごと吹く風、無常の風 これが親分、兄弟分との一世の別れになろうとは、 夢にも知らず石松は、清水港を後にする ちょっと悲しくなる節ですが、ここも好きです。
247 :
虎吉 :2009/02/09(月) 19:10:11
私もそこは虎造師匠の節の中で一番の出来だと 個人的には思っています。 そよと吹くぅ〜風ぇ、ですな。
話し相手が 偉いのよぉぉぉぉぉぉ〜
249 :
重要無名文化財 :2009/02/10(火) 10:57:25
誰だい!?その次郎長の話し相手ってのは!
遠州森町宿屋のせがれよ
251 :
重要無名文化財 :2009/02/10(火) 13:39:40
おめえ、小遣いやろうか!あんのか、そうかい
お茶の香りの東海道 清水一家の名物男 遠州森の石松は 素面の時は良いけれど お酒飲んだら乱暴者よ 喧嘩早いが玉に瑕 馬鹿は死ななきゃ治らない
253 :
重要無名文化財 :2009/02/10(火) 15:30:18
小遣い、やんなくて良かったよ!
254 :
虎吉 :2009/02/15(日) 17:23:47
秘蔵盤 二代目 広沢虎造浪曲全集
ALBUM 2009/02/18 Release
COCJ-35401-10
¥18,000(税込)
全詞章(文句)付
(別冊152ページ)
“旅行けば駿河の国に茶の香り”や“寿司を食いねえ”“バカは死ななきゃ
なおらない”など名文句、名調子で一世を風靡した二代目 広沢虎造師の没
後40年、いま新たに甦る魅力の虎造節決定盤!
(一)「清水次郎長伝」より 次郎長名古屋の御難/次郎長と勝五郎
(二)石松と勝五郎/次郎長と長兵衛
(三)怒りの石松(お蝶の焼香場)/次郎長の決意
(四)久六 次郎長への悪だくみ/次郎長の計りごと
(五)次郎長一家殴り込み/次郎長の代官斬り
(六)新版 石松三十石道中
(七)石松と身受山鎌太郎/小松村の七五郎/次郎長と為五郎
(八)追分三五郎/追分宿の仇討
(九)荒神山の血煙り
(十)荒神山の血祭り(お菊の縁切り)/夕立勘五郎/「雷電と八角」より
http://columbia.jp/prod-info/COCJ-35401-10/ いよいよ今週発売。
新味があるのは(六)と(十)でしょうか。
「全集」というには抜けが多くて、ちょっと物足りないかも…。
255 :
虎吉 :2009/02/15(日) 21:24:59
没後40年ていうのはおかしいな。45年のはず。
256 :
重要無名文化財 :2009/02/16(月) 09:52:39
虎造の次郎長伝(久六と熊五郎のやりとりだったかな?)のなかで、 「富沢町・・・」という地名が出てきますが、これは何のことでしょうか? 「人形町末広」の場所かなとも思ったのですが、 実際に「人形町末広」があった住所は少し違うようですし。
なんか、飛んでっちゃうと富沢町の語呂合わせで出てくるんだよね。
258 :
虎吉 :2009/02/18(水) 22:09:54
浅草はイサミ堂のおじちゃんから電話が来た。 ・ 「しろさわとらぞう」 って言ってた。w
江戸っ子だってね
260 :
重要無名文化財 :2009/02/23(月) 17:42:24
三州寺津間之助、西尾の治助、 見附の大和田友蔵、藤枝長楽寺清兵衛、伊豆の大場の久八、 富士郡宮島利蔵、宝飯郡の雲風亀吉、御油の玉屋の源六 なんてったら、すごいからなぁ
あと三年経ったら、このスレにもいい親分ができますよ。
一宿一飯でお世話になります。
為五郎の録音はもう残ってないの? 残ってるけど遺族がらみで発売できないの?
ハナ肇のしかないでしょうね
265 :
重要無名文化財 :2009/03/11(水) 09:18:38
石や、すまねえがちょいと使いに行ってきてくれ えーどこまで行ってきやしょう 讃岐の金毘羅様よ この清水から讃岐の金毘羅様までどのくらいの道のりがあるでしょう? 片道百七八十里、往復四百里とみたら近かろう 行って帰ってどれくらいの日数が掛かります? まあ急ぐ旅じゃねぇ、途中見物をしながら、三月あったらゆっくりだろう へぇーこりゃあとんだお使い用があるもんだな。 俺はまた使いへ行って来てくれっていうから、隣に釘抜きでも借りに行くのかと思ったが、 三月の使いとは、驚きました。 嫌か? いえ、嫌じゃねぇ。何の用があって行くんです?
帰り方がわからない。
267 :
重要無名文化財 :2009/03/12(木) 09:39:50
帰り道だろ?
依田伝説 ・いつでもどこでも浪曲を謡わずにいられない。 ・小中学校時代は劣等生で、通知表の成績はほとんど1だった。 ・修行時代、あまりにも熱心に碁盤に石を並べて勉強したために碁盤の線が ほとんど消えてしまった。 ・プロ入りした時のインタビューではほとんど喋らず、のちになぜあの時 喋らなかったのかを聞かれて「バカがばれるのが怖かった」とコメント。 ・18歳で名人リーグ入りの最年少記録を達成。 ・世界最強のイ・チャンホに大きく勝ち越してた時期があった。 ・NHK杯で三連覇。 ・NHK杯の収録にたびたび遅刻したことが原因でディレクターとの関係が こじれ、NHK杯の出場を辞退したことがある。 ・趙治勲名人から四連勝で名人位を奪う。名人奪取を決めた一局では解説・検討陣 が誰も気づかなかった見事な捨石作戦を成功させ、以後、捨石名人の異名をとる。 ・一時、健康のためにチャリンコで棋院まで通勤していたが、クルマに轢き殺され そうになりチャリンコ通勤を断念。 ・趣味は、毎日約五時間を費やす公園での散策 ・小林覚九段が傷害事件を起こした際に、罰として便所掃除を提案。 ・ヒカルの碁の倉田のモデル。 ・ヒカルの碁を読んでいる途中で、塔矢名人とsaiのネット碁に自分の棋譜が使われ てることに気がつく。同時に塔矢名人が負けることもわかってしまった。 ・買い物でお釣りが計算できない。 ・ガスコンロが使えない。 ・神田の結婚祝いにはキャベツ丸ごと持って登場。 (「赤提灯」の歌詞から、本気で栄養があると思っていたため)
・オランダ人の少年から「アルファベットでサインを書いて欲しい」と頼まれたが、 「Yoda」のスペルまではわかったものの「Norimoto」の部分に自信が持てず、 「ここで恥をさらすわけにはいかん」と考えて結局断った。 ・中国に行った際に、乗る予定だった飛行機が墜落。 ・ファンの人が握手してもらうのをためらうほどボロボロヨレヨレのスウェット姿で コンビニに現れ、漫画ゴラクを買う。 ・清水次郎長伝、森の石松などを全て暗記しているだけでなく、オリジナルの 浪曲までつくるほどの熱の入れよう。浪曲師への転向も視野に。 ・本因坊リーグのプレーオフで蘇耀国八段に勝ち、本因坊位の挑戦者に決定。 ・囲碁の指導をしている民主党の小沢一郎代表から「あなたが本因坊を獲ったら、 ボクは総理大臣になることを約束する」と言われ、本因坊を獲る約束をする。 ・本因坊戦直前にNHKの番組で意気込みを聞かれて「高尾君には申し訳ないけれど、 獲らなくちゃならない理由があるので獲ります」と、本因坊奪取を宣言。 ・その本因坊戦に一勝四敗で敗れる。さらに高尾本因坊から「依田さんの敗因は 浪曲疲れ」と指摘される。
270 :
重要無名文化財 :2009/03/14(土) 00:05:34
詳しいね。
271 :
重要無名文化財 :2009/03/17(火) 18:49:11
272 :
重要無名文化財 :2009/03/20(金) 14:33:52
エロイ人って誰?
273 :
重要無名文化財 :2009/03/20(金) 15:39:18
エロイ人=272
274 :
重要無名文化財 :2009/03/24(火) 22:02:09
272って誰?教えてエロいしと
津本陽の「清水次郎長」を読んだ。 史実に即して書かれているので、意外な発見も多く楽しめた。 石松が代参して殺されたのは、文久2年ではなくて万延元年のようだ。
276 :
虎吉 :2009/03/26(木) 23:02:36
へー面白そうですね。 Wikiによると、津本陽氏は本名「寅吉(とらよし)」と言って わっしとよく似た名前ですな。w
>>276 次郎長に興味があるなら読んで損はないと思う。
以前、「なんで石松に代参させたんだろう?」と思ってたんだが、
どうやら次郎長は痔持ちで、長旅が出来なかったようだ。
278 :
重要無名文化財 :2009/04/01(水) 14:55:34
尾張のお先手、槍組の小頭、槍をとったら山本流の使い手、山本政五郎。 武家を嫌ってやくざになって、次郎長の子分。体が大きいから、清水の大政。 これが一番だな! やっぱりあいつには敵わねえな、 あの野郎、槍を使いやがるからなぁ。 俺はまるっきり槍を知らねえ、やりっ放しだからね、俺は。 二番は? 浜松の魚売りの倅。おとっつぁんに患われて食うことができない、しじみを売って親孝行。 お上から三度褒美を頂いたが、十三の暮れにおとっつぁんに死に別れて 何とかヤケだってんで、ばくち打ちになって次郎長の子分。 体が小さいから、人が馬鹿にしていけない。 こういう稼業は馬鹿にされちゃあ、男になれない。 今日から剣術を習おうって、並大抵の剣術じゃあダメだって、居合い抜きを習った。 山椒小粒でシリリと辛い、大きな喧嘩は大政だが、小さい喧嘩は小政に限るって、 小政が二番だな! あの野郎、手が早ええからなぁ
279 :
重要無名文化財 :2009/04/06(月) 16:14:53
三番は? 千住の草加の在の大瀬村の村役人の倅、大瀬半五郎だね あいつは利口だからね、
280 :
虎吉 :2009/04/08(水) 00:44:54
津本陽「清水次郎長」読みました。 お馴染みの親分衆がたくさん出てきて浪曲の話の背景が 良く分かりますね。 ただ次郎長が断酒したという話は出てこないですね。 (出入りの前は必ず酒宴になっているw) 次郎長の人となりを表す重要なエピソードだと思うけど。 次郎長の小説・実録ものの書籍が紹介されていたので、 以下に紹介しておきます。 矢田挿雲「清水次郎長」(大13) 村松梢風「正伝清水の次郎長」(昭2) 小笠原長生「大豪清水次郎長」(昭11) 小島政二郎「次郎長日向」(昭12) 村上元三「次郎長三国志」(昭27) 子母沢寛「駿河遊興伝」(昭33) 「大豪…」では日露戦争で有名な広瀬武夫海軍中佐が次郎長を訪ねた エピソードが語られているそうです。 他に三代目お蝶の談話をもとにまとめた西村文則「侠客寡婦物語」 (明治)、比較論として江原素六「辰五郎と次郎長」(明治) などもあるようです。
281 :
重要無名文化財 :2009/04/08(水) 14:59:33
リアルな次郎長を知りたいのであれば、 江崎惇の 「誰も書かなかった清水次郎長」 「真説 清水次郎長」 「ドキュメント 明治の清水次郎長」 なんかを読むといいですよ。 子分のエピソードなども書かれています。 ※追分三五郎(架空の人物)が作られた理由など。
282 :
虎吉 :2009/04/08(水) 22:46:46
283 :
虎吉 :2009/04/22(水) 01:51:38
「呑みねぇ 呑みねぇよ呑みねぇ 呑みねぇ おっ寿司を食ぃねぇ寿司を もっとこっちへ寄んねぇ 江戸っ子だってね」 「神田の生まれよ」 「そうだってねぇ」
284 :
虎吉 :2009/04/26(日) 16:49:28
285 :
虎吉 :2009/04/26(日) 16:53:13
286 :
虎吉 :2009/05/02(土) 13:40:24
>>280 この三冊図書館で見てみました。
三冊に一部内容に重複もあるようですね。
石松は実在、追分三五郎は架空の人物とのこと。
内容に津本陽氏『清水次郎長』の元ネタと思われるものもありました。
また時間を見てじっくり読んでみます。
287 :
虎吉 :2009/05/02(土) 13:47:19
288 :
虎吉 :2009/05/05(火) 11:41:38
後日談。 『誰も書かなかった清水次郎長』を古書で手に入れました。 印鑑の入った著者のサインと次郎長生家による立派な「次郎長」サインが入ってました。
289 :
重要無名文化財 :2009/05/07(木) 10:29:34
20年ぐらい前、どうしても「誰も書かなかった清水次郎長」を手に入れたくて、 色々探したんですが、見つからず、著者の電話番号を調べ、 ダメモトで、江崎先生宅にお電話したら、ご本人が出られて、 「そんなに欲しいならあげますよ」と、タダで送ってくれました。 嬉しかったなぁ
ははぁ、良い経験をされましたな。 俺は虎造関係無いけど、長男が生まれたときにクレーンのミニカーが欲しくてさ 実車のクレーン作ってるメーカーに電話して、販促用の奴を売ってくださいって頼んだら 差し上げますって言ってクレーンのミニチュアと帽子とTシャツ送ってもらったことがあります。 当時2才くらいだった長男に玉掛け合図を教えて、二人で玉掛けごっこやってました。 スレ違いスマン
291 :
虎吉 :2009/05/07(木) 22:39:53
20年前とは虎造ファンとして大先輩ですね。 良い経験をされましたねぇ。
292 :
重要無名文化財 :2009/05/21(木) 15:32:22
虎造の興行(権)をめぐっては、昔、随分血生臭い事件があったんですね。 それだけ儲かる興行だったという証拠なんでしょうけど。 まあ、いまだに芸能界とヤクザの関係は取り沙汰されてますが。
293 :
重要無名文化財 :2009/06/01(月) 13:29:37
広沢虎造・秘蔵浪曲名盤集(吉良の仁吉完結編)を買った方、戦前の録音だそうですが、 聴いてみてどんな感想を持たれたか教えてくださいませんか? 良い出来ならば、ぜひ入手したいと思いますので、よろしくレポートお願いします。
294 :
虎吉 :2009/06/02(火) 23:10:54
『秘蔵!広沢虎造名盤集』はテイチク16枚組CDの良い 補完になっていると思います。 ・「血煙荒神山(蛤屋の喧嘩)」(44'32") ・「血煙荒神山(神戸の長吉)」(44'34") はテイチクと重複していますが、こちらの方が録音状態がいいです。 収録時も後と見えて、声に太さがあります。 ・「吉良の仁吉」(13'58") これも重複していますが、こちらの方が音が少し悪いです。 ・「仁吉男の歌」(40'04") ・「吉良の仁吉(荒神山最後の場)」(13'54") ・「最後の荒神山」(25'36") これらの話はテイチクに含まれていません。 録音状態はノイズが入り少し悪いです。 以上「吉良の仁吉完結編」です。 個々のタイトルの付け方が分かりにくいですね。 ちなみにこれでも話は完結していません。 「さてこの玉屋の玉吉が、この場においてどう納まりをつけるのでしょうか。 最後の荒神山のお粗末でございます。」で終わります。w
295 :
虎吉 :2009/06/02(火) 23:12:47
以下は「蔵出し傑作選」です。 ・「石松若き日」(27'29") 完全に独立した話だと思います。テイチクの流れでどこに入るのか 分かりません。録音状態はノイズが多くかなり難点があります。 ・「七五郎懺悔・追分宿の仇討ち」(10'47") はテイチク「追分宿の仇討ち」の続きで次郎長一家が切り込む場面です。 録音状態は少しノイズが入ります。 私自身は虎造師匠の清水次郎長伝は石松伝が最高で、それ以外は 荒神山の話ももう一つ盛り上がりに欠けるかなと感じています。 以上参考にしてみてください。
296 :
293 :2009/06/03(水) 21:50:41
>>294 >>295 虎吉さん、丁寧なレポート有り難うございます。とても良い参考になります。
ところで、現在発売中のボックスセットはCD5枚組だそうですが、過去に販売された
カセットテープのセットは10巻組だったそうですね。そちらには、CDのセットには
無い話も含まれていたみたいです。以下に演目の案内
(一)石松若き日
(二)石松の恋
(三)明月清水港
(四)@弥次喜多石松に会うA七五郎懺悔・追分宿の仇討ち
(五)@次郎長と羽黒の勘六A玉屋の玉吉
(六)血煙荒神山(蛤屋の喧嘩)
(七)血煙荒神山(神戸の長吉)
(八)@荒神山の血煙(仁良の義侠)A吉良の仁吉
(九)仁吉男の歌
(十)@吉良の仁吉(荒神山最後の場)A最後の荒神山
この演目の組み合わせを考慮すると、カセットテープ10巻組を捜して購入した方が
得かもしれないですね、どれも聴いてみたいし悩ましいところです。
297 :
虎吉 :2009/06/05(金) 10:25:54
そのカセットも少し欲しくなってきました。w 今一番聴きたいのは大瀬半五郎の話ですけど。 そのうちiTune Storeでも聴けるようになるといいです。
虎造のテープって図書館行くと結構あるよね。
あるけど音質が劣化してひどい ヤフオクで買ったレコードも妙なとこで切れてるしろくなもんじゃなかった ちゃんとしたレコード会社から出てないもんは視聴用くらいにしか使えない みたいね
300 :
虎吉 :2009/06/12(金) 23:36:30
ワッハ上方資料室には虎造師匠を含め浪曲のテープがたくさん 置いてあったよ。
301 :
重要無名文化財 :2009/06/14(日) 00:33:17
iTunesストアのこれ↓ >浪曲をお手持ちのi-potで聴ける! iPodだろ。いかにも時代に乗り遅れてる感じの間違い方で萎えます。
302 :
虎吉 :2009/06/14(日) 02:34:04
それを言わないでw
山下達郎はipodで浪曲聴いてるみたいね。 達郎氏本人は米若とかそっちが好きみたいだけど、奥さんのまりやさんが虎造贔屓らしい。 以前自分の番組で言ってた。
何気なくテレビ見てたら「酒飲みねぇ寿司くいねぇ」なんてやってる。 驚いて新聞見たら「次郎長三国志」だって。 そのままずっと見てたけど、セリフがまるっきり虎造の浪曲。 台本が虎造の浪曲なんだろうな。 ヤクザもんの話をする舟客がダチョウ倶楽部で、江戸っ子がせんだみつお。 おもしろかった。 あとで調べたら1991年のテレ東新春12時間ドラマだった。 1時間ずつ再放送してるのね。 最初から観たかったorz
お前さん、大事な人の役を誰がやってたか忘れてやしませんか、ってんだ。
客人すまねぇ。 石松役は梨本謙次郎って人だ。 正直知らん俳優さんだった。 あと、石松1人じゃなくて関東綱五郎(宅麻伸)も一緒に旅してた。 次郎長はその話に出てこなかったが高橋英樹。
307 :
重要無名文化財 :2009/06/21(日) 03:15:55
他に浪花節スレあるけど、スレ分けるほど需要ないよね。 個人的には次から統一してほしいな。情報が分散しないで済む まあ次スレって何年後になるかわかんないけどw
ペース落ちてるしなw あと4年はかかるだろw
309 :
重要無名文化財 :2009/07/07(火) 18:25:36
こう暑いと、湯ぅで絞った手拭に、麦湯が飲みたい。
手拭は飲めないだろう
311 :
虎吉 :2009/07/07(火) 22:18:44
オレは柳の下で鮒釣りがしたい。
柳の下は地べたに根っこが入っている
313 :
虎吉 :2009/07/08(水) 08:12:54
テイチクの次郎長を2枚ずつぐらい、図書館で借りています。母が喜んでおります。
315 :
虎吉 :2009/07/09(木) 01:23:30
317 :
虎吉 :2009/07/11(土) 15:37:39
そうとも言えない。 私は図書館で初めて虎造師匠を聞いてぞっこんになり、 そのあとテイチク全部揃えたから、図書館は逆にいい プロモーションになっているかも。 図書館には、大抵全巻揃ってないのもミソw
>>314 が買ってくれないのでテイチクは喜んでないと思う
319 :
虎吉 :2009/07/11(土) 21:47:53
や、これはテイチク社員さんでしたか。w どーも。
320 :
重要無名文化財 :2009/07/15(水) 09:38:13
図書館に虎造があるのか?いいこときいた。多謝
,-======-、 |n_j_ij__j__ji_j| (´・ω†) ,ノ゙゙゙゙゙ハヽ、 `〜ェ-ェー'
誰だい、てるてる坊主にタライかぶせたのは。かわいそうじゃねぇか。
323 :
重要無名文化財 :2009/07/30(木) 11:18:39
ぞうきんのおしぼりで麦湯の季節となりました。
324 :
重要無名文化財 :2009/07/30(木) 11:44:54
本座村為五郎・・・いいところで終わっちゃってるんだよね。
325 :
重要無名文化財 :2009/08/03(月) 18:07:02
静岡の清水一家が振り込め詐欺で・・・
326 :
重要無名文化財 :2009/08/12(水) 12:36:44
石さん、故郷の森が大揺れだぜ
327 :
重要無名文化財 :2009/08/15(土) 23:22:15
今更ですが、いいですね
328 :
重要無名文化財 :2009/08/23(日) 14:04:15
25日からBS2で次郎長三国志5本放映
329 :
重要無名文化財 :2009/08/29(土) 13:48:24
石さん、比例区に出馬
330 :
重要無名文化財 :2009/09/06(日) 14:07:08
ナニがナニして、 なんとやら〜
331 :
重要無名文化財 :2009/09/26(土) 22:02:01
TVKで2代目虎造の清水の次郎長伝がアニメでやってるね。 浪曲って初めて聞いたけど、面白いね。
332 :
虎吉 :2009/10/03(土) 11:00:25
新九狼(しんくろう)さんが面白いブログを開設されました。
「桜の花が咲く頃大阪八軒家浜で虎造浪曲コンテストを開こう。」
http://ameblo.jp/osaka-torazo/ 水路の発達した大阪はかつて水の都と言われました。近年大阪の水辺の賑わいを取り戻そうという気運が高まり、有名な八軒家浜船着場も復活開港しました。この八軒家浜で、皆様の協力のもと二代目広沢虎造師匠の浪曲コンテストを開くための活動を実況するブログです。
読めばわかると思いますが、新九狼とは私です。w
皆さんぜひ訪れてみてください。
テーマは「浪曲による社会貢献」です。
333 :
虎吉 :2009/10/03(土) 11:04:35
私、虎造節保存会でお手伝いをさせていただくことになりました。
その虎造節保存会が開催を予定している第一回虎造節全国大会の日程が
決まりましたのでお知らせします。
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第一回浪曲虎造節全国大会
出場者募集
日 時:平成22年9月23日(木・祝)
場 所:東京浅草・木馬亭
主 催:虎造節保存会
問合せ:虎造節保存会
〒791-2103 愛媛県砥部町高尾田1173-4
tel090-5140-8826 fax089-957-1155
メール
[email protected] プロの三味線をバックに木馬亭で唸れ!
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曲師は澤村豊子師匠が引き受けてくださっています。
私も唸ってみたいです。
虎造節ってのはなんだい。 浪曲じゃねえのかい。 それとも虎造のものまね会かい。 おれはまた虎造節ってのは広沢虎造自身の節回しを賞賛して使う言葉かと思ってたぜ。
そうでしょ。 質問の意味がわからねぇ。
だから虎造でもないやつが虎造節をものまねする大会なのか って聞いてんだ。
だったら虎造節全国大会じゃなくて 虎造節そっくりものまね全国大会だろうがって話をしてるんだ。 虎造でもないやつが虎造節を名乗ったら不当表示だろうが。 ジャロに言いつけるぞ。
宝塚歌劇のメンバーでもないやつが 宝塚歌劇公演って興行やったら詐欺だろうが。 違うか?
義太夫はたしかに義太夫さんの節回しがいいってんで義太夫節といわれて ついにはそれがジャンルの名称にまでなった。 しかしおれは虎造節が音楽の一ジャンルにまでなったなんて話はついぞ聞いたことがないぞ。 バカ言っちゃいけねえよ。 いまだかつて虎造以外に虎造節があってたまるけえ!
兄さん威勢がいいね。
神田の生まれよ
>>336 当たりめぇだろが。
死んだ虎造が出てくるわけねぇだろ。
つーか、上の文章を理解してるか?
本家「虎造節」を後世に残す為に、虎造好きが集まって「虎造節のモノマネ」
を披露し合おう、ってのがこの大会の趣旨だろが。
難癖つけてる意味がサッパリ分からねぇよ。
馬鹿は死ななきゃ直らない
>>342 だったらものまね大会ってちゃんと表示しろ。この詐欺師め!
虎造は「虎造節」を商標登録しときゃよかったんだ。 そしたら自分の死後自分の「虎造節」をつかってこんなあこぎな商売されることもなかっただろうに。 草葉の陰で泣いてるよ。
おまえは「ショパン・コンクール」は「ショパンものまねコンクール」だろ! って言いたいわけか?w
SMAP公演! てポスター立てといてそれがSMAPそっくりさん大会だった っていうのは十分あこぎな商売だと思うがな。 それとおんなじこったろ。 なんでそっくりやものまねをタイトルに入れないんだ? だってそうなんだろ? 虎造節じゃないんだろうが。 虎造節のまがい物大会なんだろ? だったらそう書けよ。 人間正直に世の中渡ってくもんだぞ。 金さえ手に入れば人のふんどしでもなんでも利用しようなんて畜生のやることだぞ。
美空ひばりのそっくりタレントがひばり節公演なんて看板掲げたら 世間はどう言うかな。 そんな人の道に外れたやつは世間からたたき出されるに違いない。 常識ってもんを考えろよ。 たかがにせもの大会のくせに虎造節全国大会だあ? 今草葉の陰で虎造がどう笑っていいか笑いように困ってるじゃねえか。
もう言ってることがヤカラじゃねーかw 「おお!虎造が出るのか!」なんて日本中の誰が思うんだよw
まあせいぜいそのにせもの大会とやらをがんばって 世間の皆様から笑いものになるがいいさ。 ひさびさにおれも大いに笑わせてもらったぜ。
>>349 そんなこと誰が思うか?
バカじゃねえのか?
おれがそういう事を思うやつが出るから心配してるとでも思ったか?
お前日本語わからないのか?
おれがなにを言ってるのかほんとにわからないのか?
虎造が出ると誤解される心配をしてこんなこと書いてると本気で思ってるのか?
こんなバカは初めてみた。
おれの書いた文章を百回読み直せ!
虎造が演ずるからこその虎造節。
この尊厳をお前は泥まみれにしようとしてるから怒ってるんだろうが。
虎造を尊敬している態度でないから怒ってるんだ。
「これから私がやるのは虎造節です」
どの面下げてそんなことが言えるんだ。
虎造がやるからこその虎造節。
それを真っ向から否定するやからを許すわけには行かない。
何度も言うが虎造以外に虎造節はない! 百歩譲って生前虎造が自分の後継者として虎造節という名前を使っていいと 免許皆伝してものがいるのならおれも認めよう。 虎造の名前を継いだやつの話をしてるんじゃねえぞ。 虎造節という名称を使うことを当人が認めたんならっていう話だ。 そうでもないのにただの浪曲好きのものまねやろうがこれが虎造節でございだなんておこがましいってんだよ。 へそで茶を沸かすぜ。
民謡の世界で「○○節全国大会」なんてのがよくあるな。 それはわかる。 ○○節ってのは唄の題名であって特定の一人だけの専売特許じゃないからな。 その唄を対象に全国大会というのはなんの不思議もない。 しかし虎造節ってのは大勢の共有財産ではないぞ。 虎造一人のものだぞ。 虎造が虎造節という流派を起こして虎造節を弟子たちに伝えていた とかいうなら話はわかるが、そんな話は聞いたことがない。 弟子が居たとしても虎造節を名乗ったなんて話は聞いたことがない。 弟子ですら名乗らないものをどこの馬の骨だかわからねえやつがこれが虎造節でございだとお? 虎造節全国大会だとお? 虎造は生前そんなことに虎造節という名称を使うことを許したのか? 死人にくちなしで死んじまったらもうこっちのもんだってか? 文句の一つも悔しかったら言ってみろってか? そんな態度は虎造を尊敬する態度ではないと思うがな。
だが虎造節が商標登録してない以上、たしかに犯罪ではないかもしれないな。 うまいとこに目をつけたもんだよ。 商売うまいねお前さんは。 大いにやったらいいよ。 ついでに虎造節を商標登録して大いに儲けたら? やるなら最初にやらないと意味ないよ。 他人に取られたらそれでおしまいだからね。 こんどそのにせもの大会やるんだったらいい機会だ。 こんなもんは既成事実が効いて来るからね。 全国虎造節協会でも作って既得権だっていって独り占めにしちゃいな。 健闘を祈るよ。
キチガイ降臨。
>>355 議論に反論できない打ち負かされたやつの言う台詞はどこのスレでも同じだなw
広い世の中たずねて見ても〜♪
358 :
虎吉 :2009/10/04(日) 00:24:45
すごい、2chみたいだ。w
確かに「虎造節」という言い方はあまり聞かないね。
また保存会といっても、いったい何を保存するかは曖昧ですね。
民謡でも何でも形を保存したとたんに形骸化して、保存じゃなくなるのは
よくある話ですし。
実態はやはり
>>342 さんが言うように、
虎造好きが集まってとにかく二代目虎造の浪曲を唸りたいってことでしょう。
八木会長の熱意に免じて、どうぞ大目に見てあげてください。w
359 :
虎吉 :2009/10/04(日) 00:28:54
それより八軒家浜の復活を祝って、大阪で虎造浪曲コンテストをやりましょうよ。 大阪名物押し寿司を食べながら、皆さんもぜひ参加してください。
ことわる
361 :
虎吉 :2009/10/04(日) 09:22:01
まぁそう言わずに。w
362 :
虎吉 :2009/10/04(日) 09:23:04
じゃあ何か、俺がこんなに頼んでもどうしても嫌か?
惚れた女のせいで鼻が落ちたと思いねぇ
「もう勘弁ができねぇ!」と(ry
365 :
虎吉 :2009/10/04(日) 15:00:05
ことわる
367 :
虎吉 :2009/10/04(日) 20:12:24
まぁそう言わずに。w
368 :
虎吉 :2009/10/04(日) 20:13:44
じゃあ何か、俺がこんなに頼んでもどうしても嫌か?
| | | |⌒彡 | |冫、) おい小政、早く見ろ。おもしれえな。 | |` / | | / | |/ | |
石松は身受山行く前に、鮒鮨も食ってるぜ。
371 :
虎吉 :2009/10/05(月) 22:44:45
へ〜、おらぁ聞いたこたぁねえが、おめぇその話知ってるか? やってみな。
ことわる
373 :
虎吉 :2009/10/06(火) 20:32:28
じゃあなたは、鮒鮨については絶対に語らないでください。 八軒家浜にも絶対、何があっても来ないでください。w
ことわる
375 :
虎吉 :2009/10/06(火) 21:58:23
そっか。w
おめえの指図は受けねえよ
377 :
虎吉 :2009/10/06(火) 23:36:55
なんか必死だな。
378 :
重要無名文化財 :2009/10/07(水) 18:10:07
理はことわりと読む
浬はきょりを表す
380 :
重要無名文化財 :2009/10/07(水) 18:42:46
これすなわち水掛け論
381 :
重要無名文化財 :2009/10/07(水) 23:20:00
初心者ですいません 次郎長伝で三味線の女の人が、いちょ〜ッと言ってますが、どんな意味なのでしょうか
まあ上で難癖つけてるみたいに見える人いるけど、一理あると思うよ。 彼みたいに具体的に言葉にまではならなかったけど、聞いたとき違和感は感じた。 「虎造の口演がCDになってる時点で、虎造節はもう保存されてんじゃねえか」と。
で、もっと言えば どうせ保存会を名乗るなら、虎造はもう居ないから弟子になるのは無理だけど 有志の方々に必死になって人材探してもらって、みなさんで協力して鍛え上げてもらって 広沢派を継ぐプロの一人でも出すの目標に活動して、 そこまでやって初めて「保存会」と名乗れるんじゃないの。 (息子さんやお孫さんも居るんだし広沢を継ぐのは筋道的にも問題ないよね) 虎吉さんはこのレスを会長さんに見せてあげてください。 浪曲界は人材を待ってるバヤイじゃないでしょう。どうぞ人材を発掘していってください
384 :
重要無名文化財 :2009/10/08(木) 01:09:31
>>381 掛け声です。
すごいの聞きたかったら三門博の唄入り観音経とかおすすめ。
>>385 あんた寅吉でしょうが。
自演バレバレですよ。
バレたら逆切れ即レス鸚鵡返しw
388 :
382 :2009/10/08(木) 15:36:40
>>385 違います。何か私間違ったこと言いましたか?
何が面白くなかったのか知らないが、この程度の意見の一つも受け入れられないで、
自演かどうかの話に持って行ってるようじゃ話にならないね。
何が義理人情浪花節だ、何が保存会だよ
389 :
382 :2009/10/08(木) 15:40:41
大体今の浪曲協会からは、なんの粋も感じられないね。 イエス玉川師の芸風が気に入らないからといって協会から追い出した お偉いさんがいるらしいじゃないか。くだらないと思うねえ
円朝落語保存会などなくとも円朝の落語は保存されている。 価値があれば文化なんてもんは必然的に保存されるんだよ。 つまり保存会なんつうもんをつくらなきゃならないようなもんは保存する価値のないものと相場が決まっている。 勘違いするといけないから言っておくが虎造の浪曲が価値ないとはいってない。 いんちき虎造節は価値ないといってるだけ。
391 :
385 :2009/10/08(木) 16:01:09
>>388 =上の方のおれ
俺は別に「保存会」の肩持ってるわけじゃねーよ。
と同時に「保存会」のやってることがおかしいとも思わん。
あ、俺は「虎吉」ってコテでもねーぞ。
あくまで、単なる虎造好きの第三者だ。
>何か私間違ったこと言いましたか?
正しいとは思わん。
>この程度の意見の一つも受け入れられないで
正しいと思わないお前の意見を何故受け入れなきゃならん?
お前が延々と述べている「虎造でもないのに虎造節を騙るな」という
批判そのものが当を得ていない。
虎造の浪曲を「虎造節」と呼ぶことに違和感はないし、全国の虎造ファンが
「虎造節」を競い合う大会を「虎造節全国大会」と名乗るのもまた同。
そもそも、勝手に虎造の気持ちを代弁してるお前は何様だと。
別人だっていってるだろこの妄想野郎。
393 :
382 :2009/10/08(木) 16:31:08
>>391 >>382-383 のどこが正しいと思わんのだ
どこが虎造の気持ちを代弁してるのだ。そんなつもりはない
言っとくが俺は上の難癖坊ではない
虎造の浪曲を「虎造節」と呼ぶことに違和感はないが、虎造でもないやつが虎造節をかたる(いつわるという意味の方)のは違和感ありあり。
たかがものまね大会を虎造節全国大会などとは片腹痛い。
おれの言いたいのはそれだけ。
>>382 はそのいんちき大会自体は否定してないみたいだぞ。
言ってることが違うんだ。
同一人物なわけないだろ。
自演だなどと妄想はやめれ。
396 :
重要無名文化財 :2009/10/08(木) 16:45:35
うるせえ野郎がきやがったなぁー
ましてや「保存会」だとお〜w ぷっわぁはははははwww それはギャグで言ってるのかあ? 「長嶋茂雄保存会」っていうから長嶋にまつわるグッズを保存したミュージアムでもつくるのか と思ったら、みんなで長島の打撃フォームとか守備フォームとかをまねっこする大会だってよ。 しゃれでやってんのかと思ったら、 それが文化を保存することだとほんとに信じて疑わないらしい。 もう大笑い。 そんな感じだな。
長嶋茂雄の打撃フォームや守備フォームは長嶋茂雄がやるから意味がある。 他のやつがやるとしたらものまねやギャグとしての意味しかない。 そんなもんは他人が保存したって文化遺産としての意味はない。 虎造節も同じこと。 虎造がやるから意味があるんだ。 なんでそれがわかんねえんだ?
どうでもいいけど、一人で大勢のフリするの辞めようよ。 バレバレなんだし。
別人だって言ってるだろカス
忠治二人
402 :
382 :2009/10/08(木) 18:35:37
いろいろ浪曲に関する文献を読んできた上での俺の解釈は、
たとえ素人のモノマネでも「虎造節」「米若節」「雲月節」という表現は
ちょくちょく見られ、誤りではないと解釈してる。
それをやることに意義はあるかどうかは別として。
そこが上の方の奴と意見が違う部分。
が、普通に「虎造節」というと一番最初に意味するのは虎造自身の節であり
>>382 のように解釈したのを責められる覚えはない。
真っ先に「虎造節=他人のモノマネ」だと解釈できるほうがおかしいと思う。
まあそれはそれとして、どうせ保存会を名乗るなら素人が集まって
モノマネしあって、それで保存した気になって終わりではなく、
志高く、プロを出すところまで目標にやってほしいと言ってるだけ。
しかし内容と関係ない、自演かそうでないかとか
一生懸命全然関係ないほうに話持ってこうとしてるキチは一体何なの?
そいつが肩持ってる会というだけで応援する気なくすぞ。
>>402 ○○節を○○当人以外に使うのが誤りの用法だなんて誰も言ってない。
虎造節を虎造以外に使うのは違和感があるといってるんだ。
もっというとおこがましいって言うこと。
片腹痛いってこと。
もういいって。 一人でウダウダと。
405 :
382 :2009/10/08(木) 18:52:27
↑うっとうしい 仮にレス止めたところでお前に何が語れるのかと
竹本義太夫以外に義太夫節という言葉を使うことはなんら問題ない。 義太夫という言葉はもはや竹本義太夫個人の歌いまわしという意味を離れて一般名詞として通用している。 しかし「虎造節」は廣澤虎造を離れて存在するという世間のコンセンサスはまだない。 だとしたら虎造以外に虎造節という言葉を使うとしたらそれは物まねという意味以外にはないではないか。
だからモノマネ大会でいいじゃねーか。 虎造節全国大会=虎造のモノマネ大会。 なんかおかしいか?
408 :
382 :2009/10/08(木) 19:00:45
だからモノマネで相違ないだろう
だったらものまね大会って言えよこの不当表示野郎。
「ひばり節全国大会」なんて看板掛けたら茶番だろ。 それが普通の人間の感覚だろうがって言ってるんだ。 「ひばり節保存会」なんて名乗ったら世間の笑いのもだろうがって言ってるんだ。 恥を知れ恥を。 ものまね大会はものまね大会って名乗るもんだ。 ものまね愛好会はものまね愛好会って名乗るもんだ。 それがまっとうな人間の感覚だって言ってるの。
ひばり節なんて名乗ったらクレーム付けられるかもしれないぞ。 虎造節だってクレームつけようと思ったら付けられるかもしれないくらいのレベルだ。 人が大目に見てくれるからってあまりこぎたねえ真似しない方がいいって言ってるの。
412 :
382 :2009/10/08(木) 19:07:58
不当表示とまではいかないだろ 確かに虎造に対して畏敬の念というか謙虚さはまったく感じられんがね まあ遺族まで絡んで納得してるんだから別にいいんじゃねえの
ファンは納得しねえ
414 :
382 :2009/10/08(木) 19:15:27
虎造がもし生きてたら「うるせえ、こまけえんだよお前らは」と 俺らのほうが怒られると思うよ、江戸っ子だから
>>412 あんた寅吉でしょうが。
自演バレバレですよ。
/) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!! / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
417 :
382 :2009/10/08(木) 19:22:22
何で寅吉が保存会に異を唱えてんだよw
>>417 お前別にいいんじゃねえのって言ったろうが。
いいんじゃねえのってのは意を唱えるとはいわねえぞ。
/) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!! / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
421 :
382 :2009/10/08(木) 19:26:59
「別にいいんじゃねえの」は モノマネ大会が全国大会を名乗ってることについてだろ 活動がそれだけなのに保存会を名乗んなとは一貫して言ってるが
/) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!! / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
423 :
sage :2009/10/08(木) 20:19:19
先月末で会社をクビになったが、家族に言い出せず 日中行き場がなくて、町のインターネットカフェで 初めて2chを見て、このスレッドにたどりついた。 今日はそんな私のカキコ記念日、誠惶誠恐頓首頓首
スレ違い
425 :
重要無名文化財 :2009/10/09(金) 10:10:38
なげえ話が短くってすんじまう、これを唱えてザックバランってんだ、なぁおい
結局どこで何やるんだかわからねぇよ
/) ///) /,.=゙''"/ / i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!! / / _,.-‐'~/⌒ ⌒\ / ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\ / ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \ ,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| | / iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
428 :
虎吉 :2009/10/09(金) 20:21:27
かつてない盛り上がりようだ。w
ちなみにおれは「虎吉」ですよ。
「虎造節保存会」という名前には賛否両論あるようですね。
前にも書いたけど、私もその本当に意味するところは不明です。
会長さんはあまり細かいこと考えてないと思う。
だから、あまり突っ込まないであげて。w
しかし皆さんが熱い気持ちを持っているというのがよく分かって、
とても嬉しいです。
>>383 おれ自身がそれを目指してると言ったら?
でも別に保存会に育ててもらおうとは思っていないし、
また「広沢」を名乗る気もなくて、もっと発展させた新しいものを
やろうとします。
新しい時代を作りますよ!
429 :
虎吉 :2009/10/09(金) 20:31:40
430 :
383 :2009/10/10(土) 00:07:00
虎吉は何歳? 応援してるよ
個人情報は伏せておいた方がいいよ。
保存会とかの名称も出しちゃってる事だし特定されるかもしれない。
>>383 は探りを入れてきてるんだろう。
ちょっと危険だと思う。
どういうやからか分からんぞ。
432 :
重要無名文化財 :2009/10/10(土) 00:18:57
うわ〜!2ちゃんって怖いですね。 応援してるだなんて言ってうっかりそれに乗っちゃうとなにがあるかわからないですもんね。
433 :
383 :2009/10/10(土) 01:55:19
いずれ公に出ると宣言したこの人は何歳くらいの人かな?と純粋に興味持つことが 探り入れてることになるの? まあ本当に軽い気持ちで聞いたまでで、別に答えなくていいけど。 よくわからんが敵視されてるのはよくわかった。 確かに個人情報を出さないほうがよかった ブログ晒して保存会に出入りしてること公表したのも、うかつだったね。 何も問題は起きないとは思うけど。
くわばらくわばら
年齢を聞いたら次は住所氏名ですね。 で、そのあとはクレジットカードの暗証番号と・・・。 気をつけようっと。
こんな野郎がこのスレでとかく近頃騒がれる。あぁ世も末になったもの
虎吉の自演がウザい
438 :
虎吉 :2009/10/10(土) 09:09:28
>>383 ありがとうございます。応援してくださいね!
生まれは、虎造さんが亡くなられたより後です。
メタリカを聴いて育った世代です。
75歳くらいから人気が出た、広沢瓢右衛門さんより全然若いので
時間はたっぷり。w
439 :
虎吉 :2009/10/10(土) 09:11:29
440 :
虎吉 :2009/10/10(土) 09:22:41
たぶん、書き込んでいるのは383さんともう一人の人ぐらいしかいないと 思うんだけど、もう一人の人って、何かどうしちゃったんですかね。w
441 :
重要無名文化財 :2009/10/10(土) 12:05:46
自演のくせしてwww
442 :
重要無名文化財 :2009/10/10(土) 12:07:46
年齢言いたくないなら言いたくないって言えばいいだけなのに 個人情報だの詐欺だのそんな自演までするこたあないだろw
443 :
虎吉 :2009/10/10(土) 13:04:39
何でそんなに必死なの。w
自演隠蔽に必死乙w
だからオレは真似事がしたいと言ったね。
449 :
重要無名文化財 :2009/10/14(水) 02:43:40
三味線を選ばないのが虎造
虎造始めにいろんな浪花節聴いてわかったが、 虎造って実は浪花節としては異端なんじゃないか? 声自体も独特なら声の出し方も独特で、節も独特な雰囲気が出てる。 語り口も独特で凄みや色気もあれば、可愛げもありケレンも行ける。 最強だね。すごいオリジナリティだわ。 妾が何人も居たというのもいい。
>>449 三味線は選んだんでないの?
美家好姐さんとお化けのハナちゃんと佐々木伊代子ぐらいじゃないかと思うけど。
「江戸っ子だってねぇ」の中にも違う曲師使ったら、トチられて酷い目にあったエピソードがあるよ。
452 :
虎吉 :2009/10/17(土) 17:57:37
>>450 よく異端と言われてますね。
虎造さん、正直声も大きくないし、節回しも上手い方じゃないと思う。
東京にいたころ、どこでも弟子入りを断られたらしいけど、
やはり声に原因があったかもしれません。
で、よくある話ですが、その短所を逆手にとって、
独自の工夫をされたのが成功の要因だと思います。
逆に教科書のような浪曲の正統というと、
私は初代東屋浦太郎師匠が頭に浮かびます。
会場でマイクを使うようになったのが虎造にとってラッキーだったんだよね。 小さな声でも通用するようになった。
おめえさんバカに詳しいようだから聞くんだが 虎造の出し物ん中で一番すごいのを知ってるかい?
そら知ってらい。
虎造さんも寿限無とか紺屋高尾やったんだろうな。
やってねえよ
それはそうと虎造の相撲ネタ「雷電初土俵」面白いよ
八尾ケ嶽 VS 雷電 血染めのナントカ
二番は?
オカメの金太
三番は?
山岡鉄扇
4番は?
うるせぇな、下足の札もらってんじゃねえぞ。
なんだお前さん詳しいようであんまりくわしくないね
だってそうじゃねえか お前さん、かんじんかなめの虎造一番のすごいやつがあるでしょうってえの
そいつを知らなかった。 じゃその一番すごいのってのはなんでしょう。
クレヨンしんちゃん雲黒斎の野望
人を呪わば穴二つってえことを知ってるかい?
473 :
重要無名文化財 :2009/10/23(金) 14:40:35
購入したやつは問答無用で全員会員登録ってなによそれ。 あやしい宗教団体と同じ商法だろうが。 ひでえな。
普通商品購入に際しての個人情報は商品売買以外には使用しないってのが当然じゃねえのか? それを無理やり会員にして個人情報を流用するとはな。 これじゃ他にも流出される心配すらあるぞ。
398 名前:重要無名文化財[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 16:50:51 長嶋茂雄の打撃フォームや守備フォームは長嶋茂雄がやるから意味がある。 他のやつがやるとしたらものまねやギャグとしての意味しかない。 そんなもんは他人が保存したって文化遺産としての意味はない。 虎造節も同じこと。 虎造がやるから意味があるんだ。 なんでそれがわかんねえんだ?
「商品買ったやつは無理やり会員にするぞゴルァ!」 っていうから怪しい団体だと思われる。 「会員限定商品を販売します」 といえば何の怪しいこともない。 なぜそうしないか。 つまり正真正銘怪しい団体だから としか言いようがない。
買った人全員会員登録ってのは、買った人は入会費免除ってことだろ。 良かれと思ってやってるだけじゃね? まさか「買ったら最後。問答無用で強制加入」みたいなニュアンスでとるアフォが居るとは・・・
だってそう書いてるだろw
買った人が入会拒否できるなんてどこにも書いてない。 買うには個人情報が必須。 これじゃ怖くてとてもじゃないけど買えない。
>>「浪曲カラオケ 石松三十石船道中」をご購入の方はすべて虎造節保存会会員として登録させていただくことになりました。 「すべて」としかかいてない。 すべて! なんとすべて!! これのどこが「入会希望の方は入会費免除します」というニュアンスなの?
しかも会費無料といいながら、今後必要になった時はあらためて徴収することもありえるみたいなことが書いてある。 これじゃ恐ろしくて購入などできない。 しかも会員登録だけ書いてて脱会などについてはなんら言及がない。 あやしい宗教団体と同じ手口?
483 :
虎吉 :2009/10/23(金) 19:23:47
>>477 そうですよ。めちゃくちゃ怪しい団体です。w
いまどき虎造なんていうのも。
そこ確かに突っ込みどころですね。
実は、オレもそれは変だなと思っていて、会長にメールしました。
もともと入会費とDVDはそれぞれ5000円で別だったんですよね。
でオレなんかは最初に1万円払ったわけだけど、それではちょっと
高すぎると思われたのか、半額でいいですということになって、
途中から5000円でどちらもOKとされたんです。
で、WEBでの説明はDVD買ったら会員になりますとなってるわけ。
ただこれだとDVDだけ欲しい人には押し付けがましいのは確か。
逆に入会したらDVDを進呈しますとしておけばいいわけで、
そうした方がいいですよ、とはメールしておきました。
オレの印象としては、怪しいというよりも、
あまり「考えていない」という感じなんだが。
>>478 さんみたいに暖かく見てあげてください。
484 :
虎吉 :2009/10/23(金) 19:25:20
で、カラオケDVDですが、オレは三味線の研究のために買ったので すごく役に立ったんだけど、 これで浪曲の練習・実演をするのに実用的かどうかは・・・ ま常識で考えてください。
考えてないんじゃ困るんだよな。 そんな商売やられたんじゃ。 結局素人商売ってことだろうけど、それじゃ無責任ってもんだろ。 いくら素人とは言えそれで金をやり取りするんだから。 そういうとこあんたからも厳しく言っといてくれよ。
486 :
虎吉 :2009/10/23(金) 19:56:52
本人には伝えておきますね。 ただ、あんまり厳しく言ったら会自体をやめちゃうと思うよ。 商売というより、持ち出しの方が多いと思うし。 オレは中身はどうあれそういう活動をしようという気持ちにお金を 出したんだよね。 活動を支援してあげようという気持ちがなければ、関わらないほうがいいと思う。 たぶん損した気分になるよ。
だからお遊びならお遊びでやれつうの。 他人様からたとえいくばくかでも徴収するんならそりゃもはや商売なんだつうの。 そういうとこなあなあで仲間内の感覚でやってたら絶対破綻するつの。 仲間内の金のやり取りだってこじれたら大変なことになるってのに 赤の他人から金取っておいていい加減な対処してたら泣きを見るぞ。 なんつうかほんと甘いいい加減な考えで運営してるんだなその会長ってやつは。
趣味の商売っ気抜きの同好会的な集まりなんだから っていうのは、なんらいいわけにもならないのよ、現実に金が絡んできたら。 そういうことで崩壊してしまう団体ってのはいくらでも存在する。 全部自腹切る覚悟でないなら、トップは金銭的なことにいい加減な人間にはやってもらいたくないわな。 登録だの個人情報だのにもいい加減な対処が予想されるな。そういう感覚のトップだと。
政治家の後援会にその会員名簿そっくり渡したりしてな。 「何で悪いの?」とか言っちゃってwww 自分が会長だと会に関することはもう全部自分の物だって思っちゃうやつって昔は当たり前だったからな。 最近でこそそんなことしたら叩かれるようになったけど。
490 :
虎吉 :2009/10/23(金) 21:21:45
あなたのようなしっかりした方にぜひ会長をやってもらいたい。
虎造以外に虎造節なし!
なにが保存だ。笑わせちゃいけねえぜ。
赤の他人が保存なんかできるもんかよ。
>>398 を100回読み返せ。
492 :
虎吉 :2009/10/23(金) 21:55:41
また、あなたか。w
悪いか
虎吉と
>>478 俺と、もう一人の、
三人しか本当に居ないんだなwこのスレ
495 :
虎吉 :2009/10/23(金) 23:51:21
ね。もう同じパターンの繰り返し。w
ガタン ピシツ 誰もつけて来てねえな。
498 :
虎吉 :2009/10/24(土) 21:19:20
>>458 虎造師匠『雷電初土俵』聴いてみました。
土俵周りの描写がこなれていて、言葉がとても粋でいいですねー。
あぁしかし、勝負の途中で「ちょうど時間に」なっちゃったよ。w
これしかないのに。
続きはどこで聞けるやら。
499 :
虎吉 :2009/10/24(土) 21:40:12
>>469 お、ひとつあった!
虎造師匠の愛国浪曲
『男の魂ぃ』!w
[ひとつあった!]って一番すごいのがふたつとあってたまるけえ!
「聴いてみました」って、 よくそんな思いついたみたいに次々超レア音源見つけてくるな・・・ 雷電初土俵の続きは多分無いでしょう。 興味をピークまで引きつけておいていいとこでスッと終わらせるのも 浪曲のお決まりのひとつだわな。聞いてる側としては憎たらしい演出だがw あとレア音源としては忠臣蔵とか水滸伝とかあるわな 映画の挿入曲も何点かあるな
浪曲に限らず講談でも歌舞伎でもそうだけど、日本の芸能ってストーリー主体じゃなくて いかに客をわくわくさせるかって事の方に重点が置かれてるような気がするな。 歌舞伎のストーリーなんて現代演劇の感覚から見たらむちゃくちゃだもんな。 たいてい話の途中で終わっちゃうし、なんなのそのストーリーは?ってのばっかし。
503 :
虎吉 :2009/10/24(土) 23:07:49
504 :
虎吉 :2009/10/24(土) 23:11:31
>>502 浪曲の進行って30分アニメとかに引き継がれている気がしてるんだよね。
オープニング曲があって、途中挿入歌なんかがあって、
ちょうどいいところで「つづく」となって、エンディング。
岡本玉治って、そのコンピレーションに入ってるのと ローオンレコードから出てたバラ売りのテープしか知らんわ。 両方とも広沢駒造とのカップリングだし、内容も全く同じだと思う。 なんとも言えん味のある芸風。 他のも聞いてみたいんだが全く見当たらん。
506 :
虎吉 :2009/10/25(日) 16:13:54
507 :
虎吉 :2009/10/25(日) 16:19:24
>>505 小沢昭一さんのCD「日本の放浪芸」の『語る芸〜浪花節の源流』の巻の
冒頭が岡本玉治さんでした。さわりでしたけれど。
このCDはデロレン祭文とか浮かれ節とかも面白いですよ。
508 :
虎吉 :2009/10/25(日) 16:22:28
>>500 そんなもの考えろってんじゃねぇやい。
っていう突っ込みを期待したんだけど。w
一般に評判が悪い「愛国浪曲」ですが、聴いた人います?
愛国浪曲ねぇ、九割方ダメな出来なイメージ たぶん探せば変なの(いい意味で)もあるんだろうけどな 金が持たないよ
次郎長好きです。 今持っているのは以下のものなのですが、抜けはありますか?? 何をもってして全巻と言うのか分からない・・・ 次郎長と法印大五郎(秋葉の火祭り) 次郎長出立(秋葉の火祭り) 秋葉の仇討ち 名古屋の御難 勝五郎の義心 長兵衛の義侠 お蝶の焼香場 久六とおしゃべり熊 久六の悪だくみ 次郎長の計略 大野の宿場 代官切り 大瀬の半五郎(1)〜(7) 外伝 名月清水港 前編後編 石松金比羅代参 石松と三十石船道中 石松と見受山鎌太郎 石松と都鳥一家 石松と七五郎 閻魔堂の欺し討ち お民の度胸 石松の最後 本座村為五郎 前編後編 追分三五郎 追分宿の仇討ち 七五郎懺悔 石松若き日
改行が多すぎたorz 続きです 蛤屋の喧嘩 神戸の長吉 吉良の仁吉 仁吉男の唄 荒神山最後の場 最後の荒神山 清水三下奴 善助の首取り 鬼吉の喧嘩状 次郎長と玉屋の玉吉(其の一・其の二) 外伝 清水港義侠伝 前編後編 抜けている話はありますでしょうか? 途中で終わるのはいくつかありますが、過去レス読んで無いものもあると知りました。
512 :
虎吉 :2009/11/03(火) 15:17:30
一般的にはそれで大丈夫じゃないかな。 テイチクだと冒頭の秋葉山のエピソードは4話分の長さですが。 タイトルの付け方の違い、細かいエピソードの追加などありますから 完全に把握するのは難しいですよね。
ご回答ありがとうございます! 秋葉山〜代官切りまでは途切れなく繋がっているので大丈夫だと思います! 安心したやら残念やら・・・続きが聞きたい・・・
>>510 石松の恋
弥次喜多・石松と会う
次郎長讃岐の旅
515 :
虎吉 :2009/11/07(土) 11:40:00
まだまだあるんですねw そういえば、『弥次喜多〜』は見かけたことがあります。
516 :
重要無名文化財 :2009/11/07(土) 14:46:38
えーと
517 :
重要無名文化財 :2009/11/07(土) 14:50:53
518 :
虎吉 :2009/11/07(土) 22:36:14
>>514 そっか
>>296 ですね。
これ10巻組はカセットだけだと思ったらCDもあるんですね。
>>517 その映画大好きです。またぜひ見たいですねぇ。
SP盤でしか出てない音源ってどれくらいあるのかな
520 :
虎吉 :2009/11/08(日) 21:49:27
昨日たまたま「広沢虎造 戦前SP完全復刻盤集」という10枚組のCDが手に入りました。 それぞれ話は短くなっていますが、SP盤でしかない話というのは入っていませんでした。 後半の巻はスタジオ収録盤ですが、『代参』は例のごとくテイチクと同じでした。w
521 :
重要無名文化財 :2009/11/10(火) 16:54:32
>>500 一番すごいのがふたつある
ありがてえな!
522 :
森のいちもつ :2009/11/14(土) 17:27:56
初めまして、浪曲初心者です。 しゃれでダイソーの広沢虎造のCDを買ってみたらすごく面白くて、以来通勤の時車の中で毎日聞いています。 それにしても浪曲の面白い所は、登場人物は皆アウトローなのに常に「人として正しく生きる」と言う事を 大事にしており、そう言う生き方を「かっこいい」と聞き手に思わせるところですね。 「人として正しい行いをしなさい」という物語は世界中にあると思いますが、浪曲の場合それを笑いあり 涙ありの娯楽にしてしまい、聞き手もそれをお金を払ってまで喜んで聞いている。 こんな文化は日本だけじゃないでしょうか。 まだまだ判らない事だらけですが、時々おじゃまさせてください。
軽々しく日本だけだなんて言わない方がいいぞ。 世界は広いからな。 井の中の蛙は恥かくぞ。 なんの根拠もなくこれに関しては我が国が世界一だの唯一だの 最古だの起源だのいう民族にろくなのはない。
少なくとも物語を語ってエンターテインメントとする芸能は中国にあることは知っている。 世界中どこにだってあるだろそんなもん。
次郎長三国志の三国志とはどこのものかってのを考えればすぐわかること。 この場合の三国志とは歴史書の三国志ではなく三国志演義のこと。
ことわる
お民さん、こいつらどうにかしてくれ
おことわりだね
530 :
重要無名文化財 :2009/11/17(火) 10:09:45
>>522 まあ浪曲の部分はフィクションが多いというかほとんどだけど、
義理人情に生きるという所は、日本人好みなんだろうね。
ただ少なくとも次郎長に関しては、晩年、山岡鉄舟と縁を持ってから、
色々と人のためになることをやってる。
「次郎長モノ」がドラマ化や映画化されるのは、その辺が単なる“ヤクザもん”とは違うということが
認識されているんじゃないのかな。
もっともっと、ハマって下さい。
531 :
重要無名文化財 :2009/11/18(水) 16:55:12
>>517 昨日見てきました。
動いている虎造を見るのは初めてだったので、結構感激しましたが、
三十石舟のシーンで、千恵蔵扮する石松と、虎造扮する江戸っ子のやりとりの寿司が、
押し寿司じゃなくて巻き寿司を食っていたのには、少しガッカリ。
1940年制作ですから、太平洋戦争が始まる前の作品なんですね。
532 :
虎吉 :2009/11/18(水) 23:05:38
そうでしたか。 三十石船もあんなに立派じゃありませんよ。w
533 :
虎吉 :2009/11/18(水) 23:07:13
『SP復刻盤! 清水次郎長伝 大全集 二代目 広沢虎造』
というCDが発売されていますね。
昭和の初期、日本全国を一世を風靡した二代目広沢虎造の、全盛期とも云える戦前の
SP音源の中から、彼の十八番ともなった清水次郎長伝と、その外伝を復刻しました。
「次郎長流れ旅」「大浪曲 清水次郎長伝」「追分三五郎」は清水次郎長伝の本筋とも
云える作品で、戦後スタジオ吹き込み盤とは又一味違った名調子と、この盤でしか聞
けない名文句を披露してくれます。
さらに外伝「吉良の仁吉」の物語では、世に出た広沢虎造作品を完全収録。初めて清
水次郎長・外伝“荒神山”の顛末、吉良の仁吉の壮絶な死と、その通夜のシーンが収
録されています。
◎CD8枚組全30曲
◎美麗歌詞ブック付
【発売元】(株)テイチクエンタテインメント
http://familyclub.ne.jp/shop/ProductDetail.do?pid=82699 オレはひょっとしてテイチクさん
>>519 に踊らされてるかなw
534 :
重要無名文化財 :2009/11/20(金) 14:36:34
>>532 あら、三十石って、そんなに大きくないんですか?
535 :
英五郎 :2009/11/20(金) 19:56:51
>>533 お前さん大分詳しいようだからおれぁ訊くんだけれど、吉良仁吉の戦前のSP
版は祖父さんのを聞いて覚えた、どっか関西節が残ってた,で、関東節になり
きったそれの戦後版を聞きたいと思ってるんだがそれはなんだろ?
戦前のはこう始る、
「伊勢で名代の青砥山、人あだ名して荒神山で、二十八を一期として
義侠のために倒れたる、年は若いが大立者よ、吉良仁吉の苦心談,
不弁ながらも努めましょう」。
そっから後は例の神戸長吉がきて阿濃徳との出入りの話、義兄弟のために仁吉
は恋女房のお菊と別れることとなって、お菊は涙の愁嘆場。
戦後の神戸の長吉、 吉良の仁吉、 仁吉男の唄 のどれだろ?
げ、関西節の虎造を知ってる大先輩が出てきた
537 :
虎吉 :2009/11/21(土) 00:41:44
538 :
虎吉 :2009/11/21(土) 00:44:20
>>533 その外題付けはコロンビア「秘蔵版二代目広沢虎造浪曲全集」
『荒神山の血煙(四)お菊の縁切り』(13'40")
と同じですね。
その戦後版は同CDの
「荒神山の血煙(三)お菊の縁切り」(26'47")
に収録されています。
テイチク16枚組み最後に収録されてる『吉良仁吉』(13'20")も
聴いてみたら上の(4)と同じようです。
「清水次郎長伝蔵出し傑作選」『吉良の仁吉』(13'58")
も似ています。
伊勢で名代の荒神山 二十八を一期として
義侠のために倒れたる 年は若いが大立者よ
吉良仁吉の苦心談 不弁ながらも努めましょう
これも戦前SP盤でしょうか。
戦前と戦後は発声が違いますね。
ちなみに
>>533 の文章はコピペですよ。w
インターネットで他のどこにも出ていない情報ありがとうございました
540 :
英五郎 :2009/11/21(土) 10:05:01
>>538 おおかっちけねえ、さすがだね虎吉っつぁん、キーワードは「荒神山の血煙」、「お菊の縁切り」
か、よしきた探してみる。
>戦前と戦後は発声が違いますね。
うん、昔は宴会の余興で浪曲をやる奴が結構いたんだが、さすがに戦前版をやるのはいなかった
なぁ。
70過ぎのばあさん芸者ならちったぁ違いがわかるかも。
541 :
重要無名文化財 :2009/11/24(火) 11:30:33
>>537 「胴の間のところ、畳一畳ばかり借り切って・・・」って、そんなスペースあるように見えないっすね。
まあ、厳密に畳一畳分ってわけじゃなくて、「二人分」って意味だな。 弁当食ったり酒飲んだりする為に二人分の船賃を払ったってこと。
石松、体デカいからかよ?
544 :
英五郎 :2009/11/27(金) 11:48:52
テイチクの吉良仁吉完結編(カセット10本)を買って聞いてみた。 私が聞いた祖父さんのレコードはこのなかの「吉良の仁吉」とほぼ同じだった。 ただテイチクの音源の方が少し古いと思う。 この中味を詳しくした戦後の演し物が「荒神山の血煙(仁吉の義侠)」となるのがわかった。
545 :
英五郎 :2009/11/27(金) 12:42:52
>>543 昔っから起きて(座って)半畳、寝て一畳と言ってる。
一人分つまり半畳(90cm四方)じゃあぐらをかいて脇に荷物を置いたらいっぱいだ。
で、押し寿司と徳利を脇に置いてゆったり食って飲もうとするなら、もう半畳つまり
二人分の席が要るとこういうわけ。
546 :
英五郎 :2009/11/27(金) 12:55:21
>>543 うんそうだろうね、石松っつあんには大政だって小政だってかなわねぇ日本一だってんだから
さぞかし鬼を焼いて酢で食うようなガタイだったろう。
つまり半畳の一人分じゃもともと窮屈だったんだろうな。
それにしては、勝五郎に「小僧さん」なんて言われてるぞw
548 :
重要無名文化財 :2009/11/27(金) 15:43:11
指はおっそろしく太いし、釣りに来て力持ちをするぐらいだから・・・
549 :
英五郎 :2009/11/28(土) 11:18:05
石松っつぁんのいた幕末は日本の男が1番小柄だったころで、なんと平均身長157cm。 だから5尺5寸もあれば大男ってことになる。 戦前の家なら鴨居の高さが5尺6寸〜5尺7寸。 だから今の人はすぐに頭をぶっつける。
「小僧さん」と図体のでかさは別に矛盾しないだろ しかし見た目がイカツイ上に、メシはよく食うし 片目がつぶれてんのか、すげえワルそうだな
551 :
虎吉 :2009/11/29(日) 16:20:11
石松の片目が悪いのは生まれつきで、親父さんの因業だって話が 『石松の恋』に出てたね。
552 :
虎吉 :2009/11/29(日) 16:21:45
553 :
重要無名文化財 :2009/11/29(日) 17:51:00
映画やドラマだと帆を張った大きい舟のイメージがあるね。
山本山のCMのイメージだな
555 :
重要無名文化財 :2009/11/30(月) 16:39:07
どなたか、「大阪本町橋の名物、押し寿司」の画像なんて持ってる方、いらっしゃいます?
もう喰っちまってないよ
557 :
虎吉 :2009/11/30(月) 21:55:35
558 :
重要無名文化財 :2009/12/01(火) 09:18:33
>>556 いくら「飲みねぇ食いねぇ」ったって、人ってもんは遠慮するもんだよ!
559 :
重要無名文化財 :2009/12/02(水) 14:55:43
560 :
虎吉 :2009/12/02(水) 22:42:03
すしを食いねぇ、すしを。もっとこっちぃ寄んねぇ!
「神田の生まれよ」 「聞いてねえよ」
「さっきから聞いてりゃ神田神田って言いやがる。こっちはねぇ、お前の出身なんざどうでもいいんだよ」
金毘羅様に納めた五字忠吉は実在するんかな? 次郎長の使用した刀って意味で。
564 :
虎吉 :2009/12/04(金) 03:59:36
「かな」だの「だろう」という言葉は人を疑るよ。 で、実際に金毘羅様に納めたのは「五字忠吉」ではなくて「井上真改」 だと以前話題が出てたような。w
565 :
重要無名文化財 :2009/12/04(金) 10:27:52
以前、刀に詳しい人に「次郎長の刀は、五字忠吉か井上真改らしい」って言ったら、 「忠吉はまずない。真改は可能性はあるけど、両方ともヤクザが持てる刀じゃないよ」と笑われました。 「じゃあ、石松の池田鬼神丸は?」って聞くと、 「それも怪しいなぁ〜」だって。 ちょうど先日の「なんでも鑑定団」で、井上真改が出てきてたけど、勝海舟が持ってたらしいね。
よく考えたら「親の譲りの〜」ってのもおかしいよね。 船頭の実父、米問屋の養父がそんな名刀を持ってたはずないし。 浪曲に出てくる、所謂「売り出し中」の次郎長が忠吉だの真改だの を持ってたとは考えにくいが、晩年の次郎長なら山岡鉄舟なんかと 交流があったから、名刀を送られたなんて話もあったのかもね。
井上真央に三千百十二両二分
568 :
虎吉 :2009/12/05(土) 08:33:22
569 :
虎吉 :2009/12/05(土) 08:34:53
570 :
英五郎 :2009/12/05(土) 19:07:22
え〜私めは刀剣趣味で居合なんかもやりますんで、ひとくさり。 刀は庶民でも所有できました、ただ差すのは式日とか旅の時にだけ脇差しが1本許されていました。 で、893は基本的には旅姿で長脇差し1本で建前を保ったわけです。 だから出入りの時のスタイルは旅姿な訳です。 武士は江戸中期より経済的に苦しく、一方富裕町人は豪華脇差しを買ったり作らせました。 893の主立った者は武士より金廻りの良い者も多く、名刀を持つ者も珍しくなかったと思います。 五字忠吉も井上真改も幕末にはかなり高い刀になっていましたが、所詮新刀で、古刀の1流刀には とても及びませんでした。 金比羅様に何を納めたかはわかりませんが、たかがその奉納の旅の石松っつあんに鎌太郎が小遣い 30両を包むんですから、刀が百両以下のチンケなものであるはずがないでしょう。
571 :
虎吉 :2009/12/05(土) 20:14:57
なるほど、旅姿はそういうことだったのですね。 英五郎親分としては、では刀は何(新刀、古刀)で、いくらぐらいのものだったと推定されますか。
572 :
英五郎 :2009/12/06(日) 08:18:49
>>571 まず次郎長が母方に養子に行った先の米問屋から450両(今なら少なくとも1千万円)も持ち
出して吉原に居続けたりしたんですから相当裕福な商家だったのでしょう。
五字忠吉(初代忠吉、肥前国忠吉とか肥州住忠吉とか五字で銘を切る事が多かった)の1本
くらいはころがっていてもおかしかないわけで。
金比羅様の宝物殿には次郎長奉納といわれる忠吉が飾ってあるそうですね。
金比羅様には奉納の国宝、重美クラスの刀剣や甲冑がごろごろあります。
次郎長が奉納金50両も添えたんですから、久六を斬ったのは本当に忠吉の脇差しだったかも。
ただ有名な刀はほとんどが偽銘です。
正宗や虎徹なんかは9割9分偽物です。
肥前の忠吉は江戸初期から九代続くが、刀がメチャ安くなった現代でも初代の忠吉の大刀は
300〜1000万円で、脇差しはその半値。
幕末に刀は急騰したけれど五字忠吉で今の百万円くらいだったらしい。
ここは次郎長スレでも刀すれでもねえんだが?
スレ違い
576 :
英五郎 :2009/12/06(日) 20:48:42
>>573 へっ?じゃあ何の話をしろと、虎造の妾の話とかか?
虎造スレで何の話したらいいか人に聞かなきゃ分からないのかい。
578 :
虎吉 :2009/12/06(日) 23:19:53
579 :
虎吉 :2009/12/06(日) 23:29:23
>>572 英五郎親分、ありがとうございます。大変勉強になります!
実際に「忠吉」といわれるものが奉納されてるんですね。
(昔金比羅様行ったけど宝物殿は行かなかったなー。)
またぜひ行ってみます。
しかし、五字忠吉が今の百万円だとすると四十五両以下の計算になりますね。
581 :
英五郎 :2009/12/07(月) 10:21:05
>>579 >しかし、五字忠吉が今の百万円だとすると四十五両以下の計算になりますね。
うん、ただこれは明治初期の売買の一例で、刀は出来によって数倍変わるから脇差しで2、30
両の忠吉も2、3百両の忠吉もあったのでしょう。
それでも当時の新作刀は一流大刀で10両程度だからずいぶん高い方です。
ただ2、3千両も珍しくない古刀の一流刀にはとても及びませんが。
スレ違いやめれ
583 :
重要無名文化財 :2009/12/07(月) 11:14:51
英五郎さん、もう一つついでに教えて! 池田鬼神丸はどのぐらいの価値でしょうか?
584 :
英五郎 :2009/12/07(月) 13:59:07
荒らしやめれ
586 :
重要無名文化財 :2009/12/07(月) 16:16:23
>>584 早々に有難うございます。
都鳥の連中を前に、「この新刀鍛冶池田鬼神丸がものを言うぜ!」ってくだりが好きなんですよね。
「甘塩のサンマ」だの「お前たちみんな肩の所から平らになっちゃう」ってところ。
首切り人が認めるほど斬れ味抜群だったんですね。
↓これとかもスレ違いになんのかな?「お前の会社の話は虎造と関係ない」とか
>>10 名前:重要無名文化財 投稿日:2008/02/27(水) 15:03:43
会社の後輩にウソをついてバレた時、
「ウソは方便、ところによると宝になる。
お釈迦様のついたウソは、方便といって宝になったんだ!」
と言ったら
「だから何なんすか?」と不思議そうな顔をされた。
589 :
英五郎 :2009/12/07(月) 21:04:04
>>588 虎造と言えばまずは次郎長伝だ、だから次郎長伝に少しでも絡みがあればスレ違いなんかで
あるものか。
気に入らないのならスルーすればいいんだし、代わりに自分がドンピシャの話題を出せばい
いわけだから。
それも出来ないでスレ違いだなんて言ってる
>>582 はまぁ基地外だろう。
ましてあらしは自分のくせして
>>585 とは嗤わせる。
少しでも絡みって、刀のうんちく延々かたることが虎造すれにからみがあるってのか。 だったら刀の歴史からなにから延々語ってこのスレ埋めろや。
ただいまからこのスレは刀スレ。 刀の話以外はすれ違いだぞ。 刀の話に対してすれ違いだというやつはキチガイだそうだ。
↓以下刀の話。
刀の話に文句つけるやつは刀の話がスレ違いでないと言い張ったやつに言え。
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 刀の話まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 愛媛みかん |/
富沢町三丁目に飛んでっちまえ
俺は刀よりCBRのが好きだな。
597 :
英五郎 :2009/12/07(月) 23:21:48
ごちゃごちゃ言ってないで、このスレにドンピシャの話題を盛んにだしゃ良いだろ。 なにぃ思いつかない? 家に帰っておとっつあん呼んでこい。
虎造の話すれば刀の話をした事になるんじゃね? 虎造といえば次郎長伝だろ。次郎長と言えば刀。 普通に今まで通りスレ続行で大丈夫です。
↓以下刀の話。
ことわる
刀の話しろよ
しろって言うとしないんだな、このへそ曲がり。
刀の話を妨害するやつはキチガイ
↓以下刀の話。
605 :
英五郎 :2009/12/08(火) 00:56:33
次郎長の話もスレ違いってんだからたまげる。 893の話なら博打と出入りが中心だろ。 博打だってオイチョかぶやチンチロリンもあるが、やっぱり手本引きだろ。 出入りも刀よりも斬り合いの話の方が重要だ。 893のしきたりも重要で、いろいろある。 で、そんな話はスレ違いって言うんだろ。 だから虎造スレで何の話をしろってんだ? 虎造の女の話ならいくつか知ってるが。
606 :
英五郎 :2009/12/08(火) 01:12:59
刀の話刀の話って言うが、今まで書いたのは入門書レベルの話で、刀の蘊蓄と言う ほどのことではない。 いくら自分の趣味じゃないから詳しくないからと言って、知らない知識にであって オタオタしたり反感を持つ理由って何だ?
>>606 このスレには、虎造本人の話題から少しでも逸れた話をすると
難癖つける石頭が一人いるんですよ。
ちょっと頭がアレな感じの人なので気にせずスルーしてください。
だから刀の話しろよ。 なにスレ違いしてやがんだ。
虎造なんかどうだっていいだろ。
刀どうしたんだ!かたな! お前らの知識はそれっぽっちでもうネタ切れか? でかい口きく割にはたいしたことねえな。
↓以下刀の話。
しろって言うとしないんだな、このへそ曲がり。
明日の朝までに刀の話で1000までやっつけとけ。 楽しみにしてるからな。
おれは寝る!
なw
>>608-614 これ全部一人で書いてるんですよw
馬鹿の番付があったら大関になれるよw
どうしたんだ、ゴルァ! いい加減にしろよお前ら。 お前らが刀の話したいって言うから、ならしろよって言ったんじゃねえか。 何でしねえんだよ!
しろって言うとしないんだな、このへそ曲がり。
618 :
重要無名文化財 :2009/12/08(火) 09:34:56
>>615 こういう切り替えしいいねぇ、
ちゃんとセリフが使われてる。
因果な稼業
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 刀の話まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 愛媛みかん |/
あなたのやっている方法は刀の話をストップさせるいい方法だと思います。 現にぴったり止まりましたからね。 でももういいんじゃないでしょうか。 他の話題まで止まっちゃいましたから。 今後刀の話が出てきたらまたやればよろしい。 私も協力します。
622 :
重要無名文化財 :2009/12/08(火) 13:47:47
馬鹿は死ななきゃ治らない〜
623 :
英五郎 :2009/12/08(火) 14:09:58
そう言えば井上真改も出てきたが、これも新刀で江戸初期。 幕末には大阪正宗と持ち上げられて、初代忠吉よりは少し高めだったろう(現在はかなり 忠吉より高い)。 だから次郎長の奉納刀に「忠吉はないだろうが真改はあり得る」と言うのはちょっとおかしい。 また模擬刀に忠吉だの鬼神丸だの真改だのの写しと謳って販売しているが、形からして全 く似ても似つかない物ばかりだ。
624 :
重要無名文化財 :2009/12/08(火) 14:21:14
何かの本で、「金毘羅様に次郎長が奉納した井上真改」と キャプションの入った写真を見た覚えがあるんですが・・・ 調べてみます。 でも、そんな写真があること自体、おかしいことなんでしょうか?
よっしゃ〜! もっと刀の話しろ! 虎造なんかどうでもいい!
626 :
英五郎 :2009/12/08(火) 16:02:07
>>624 いや次郎長の金比羅奉納が本当なら、忠吉も真改もあり得ると言うことです。
最近の神社も寺も商売上手で、何かで有名になった話を取り入れるのは上手だから、
どこまで本当なのかなかなかわからないです。
でも出来るだけ調べてください、期待してます。
そうだそうだ!もっと刀の話しろ! 虎造なんかの話したら承知しねえぞ!
>>626 そもそも、石松の存在自体が作り話ですからねぇ。
子分に金毘羅様へ代参させたってのも真偽の程が明らかじゃないし。
大人気となった虎造の次郎長伝にあやかって、関係ない刀を「これが
次郎長の奉納した刀ですよ〜」なんて感じで客寄せに使ったのかも。
虎造なんて言葉出すな!
630 :
英五郎 :2009/12/08(火) 19:16:06
そうだそうだ!もっと刀の話しろ! 虎造なんかの話したら承知しねえぞ!
632 :
虎吉 :2009/12/08(火) 21:03:23
すごい、2chを満喫してるね。w
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 刀の話まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 愛媛みかん |/
634 :
英五郎 :2009/12/09(水) 11:29:51
虎造は芝で生まれて神田で育った江戸っ子。 だからといって駿河の住人の次郎長や石松が江戸弁しゃべるのはちとおかしい。 下谷の生まれの新門辰五郎がしゃべるんならおかしかないが。 隣の根岸で育った親父は76歳で亡くなる一生で、べらんめえを使ったのはカンカンに怒った 時の2回こっきり。 江戸弁は下町の職人なんかの下品な言葉だから、下町育ちの江戸っ子は恥じて使わない。 もちろん山の手の江戸っ子は全く使わないし使えない。
>駿河の住人の次郎長や石松が江戸弁しゃべるのはちとおかしい それを言っちゃおしまいでしょw 演者の言葉で喋るのが浪曲なんだし。 日吉川秋斎にしても、水戸黄門が関西弁で喋るからおもしろい。
636 :
英五郎 :2009/12/09(水) 15:19:09
>>635 >日吉川秋斎にしても、水戸黄門が関西弁で喋るからおもしろい。
へえ〜ったまげたねどうも。
>それを言っちゃおしまいでしょw
>演者の言葉で喋るのが浪曲なんだし。
そうなんかなぁ?
例えばね、江戸落語をやる落語家は地方生まれならまず江戸弁勉強するでしょ。
大阪落語なら大阪弁を。
だれか戦前の虎造の赤穂浪士や国定忠次の音を持ってる人は教えて欲しいんだが、どうだった
んだろ?
つまり初め関西節的だった虎造は全く売れなかったそうで、声は小さいし節は地味、関東節
とは真逆だったからで。
で、マイクの発達に乗じて節は渋さで売ることにし、台詞は江戸落語の歯切れの良さにする
と。
つまり虎造の世界がここに誕生したわけだと思ってきたんですがね。
つまり次郎長にも石松にも江戸弁しゃべらせちゃえと。
落語に関して言うと、純粋な「江戸落語」なんてのはほとんどない。 9割方の落語噺は関西発祥。 大阪で作られた噺を江戸に持ち込み、江戸風に改変した。 浪曲における関西節、関東節の違いがよく分からないんだけど、 別に「関西弁でやるから関西節」ってわけじゃないでしょ? 京山幸枝若は基本関西弁だけど、話によっては威勢のいい 関東弁もうまく使い分けてたな。 関西節はケレンの要素が濃いって感じかな? 虎造はケレン味を出すのが苦手だったんじゃないかね。 で、登場人物を「ヒーロー」的にカッコ良く仕立て上げたと。 それが受けたんじゃないかな。 ちょっと取りとめのない文章になった。 すまん。
これをとなえてざっくばらん
639 :
重要無名文化財 :2009/12/09(水) 17:25:24
関西節、関東節の違いは、三味線や節のところでわかります。 タンカとか話の運び方は関西と関東の芸風の違いってとこじゃないでしょうか。
>例えばね、江戸落語をやる落語家は地方生まれならまず江戸弁勉強するでしょ。 先代の林家正楽は、埼玉弁(こんなのあるのか?)が直らなかったから紙切になったらしいね。 全然関係ない話だけど・・・
刀の話どうしたんだこのやろ! 真面目にやる気あんのか!
しろって言うとしないんだな、このへそ曲がり。
糸氏七刀だろが
>>634 次郎長や石松の言葉はぜんぜん江戸弁ではないぞ
三十石に出てくる江戸っ子も江戸弁風だか江戸弁ではない
玉川勝太郎の次郎長を探して聞いてみろ。完全に江戸弁だから
いやわからん。「”俺の思ってる”江戸弁」に訂正させてくれ 本物は聞いたことがないんだ
ちなみに「”俺の思ってる”江戸弁」ってのは志ん生。 勝太郎の次郎長も、虎造よりそれに近かったからそう思ってるだけ
すれちがいやめろやお前ら 刀の話はどうしたんだよ。
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 刀の話まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 愛媛みかん |/
あんにゃもんにゃ奴
もっと刀の話しろ! 虎造なんかどうでもいい!
しろって言うとしないんだな。 耳が逆さについてんじゃねえのか?
秘儀刀封じ成功してますね。 がんばってください。
ひをかせ!ひをかせ!
きりりーきりりーきりりー
まだ大関が発生しているな
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 刀の話まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 愛媛みかん |/
3回まわってこんにちは
はい、こんぬつは
刀キチは今日は定休日?
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 刀キチまだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 愛媛みかん |/
刀キチはどうしたんだよ。 刀の話なんかどうでもいい! 刀の話なんかの話したら承知しねえぞ!
刀キチってのは刀の話ばっかりするやつのことだろ
↓以下刀の話。
↑東海道ではあんたの噂で大変。 小さな子供が子守唄で歌ってるらしいよ。
↓以下刀の話。
刀の話を妨害するやつはキチガイ
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 刀の話まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 愛媛みかん |/
久々に覗いてみたら、うるせえ野郎がきやがってるねぇ、 確かに馬鹿の番付で言えば大関になれるな。
刀の話を妨害するやつはキチガイ
虎造スレなのに延々刀の話ばっかりするから当然こういうやつを呼びこむことになる。 しかもすれ違いと指摘されても面白がってわざとやってる。 これじゃ荒らしてくださいといってるようなもんだ。 自らが招いた災難だな。 もうここは虎造スレとしては終了。 刀スレとしてやっていくしかない。 全責任はおまえら自身が負うべき。
待ってました
>>672 おまえがいなきゃみんな平和にやってるんだよw
675 :
重要無名文化財 :2009/12/15(火) 01:44:03
>>672 たかが10本20本の刀の投稿があっただけでこりゃなんだ。
どこにもいるんだなおかしいのが。
676 :
重要無名文化財 :2009/12/15(火) 01:49:38
>>672 スレ違いだと大騒ぎするたあわらわせる。
そう言うのならてめえが虎造の蘊蓄をたっぷりやりゃいいだろう。
なんにも出せねえじゃないか、うすらみっともねえ奴だ。
☆ チン マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 刀の話まだ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | 愛媛みかん |/
>>676 >>672 には「スレ違いだと大騒ぎする」なんてどこにもないてないぞ。
目悪いんじゃないの?
「すれ違いと指摘されたやつが大騒ぎ」ならそうかもしれないけどな。 全然逆だろ。
>>679 訂正
×どこにもないてないぞ
○どこにもかいてないぞ
刀の話を妨害するやつはキチガイ
↓以下刀の話。
570 名前:英五郎[] 投稿日:2009/12/05(土) 19:07:22 え〜私めは刀剣趣味で居合なんかもやりますんで、ひとくさり。 刀は庶民でも所有できました、ただ差すのは式日とか旅の時にだけ脇差しが1本許されていました。 で、893は基本的には旅姿で長脇差し1本で建前を保ったわけです。 だから出入りの時のスタイルは旅姿な訳です。 武士は江戸中期より経済的に苦しく、一方富裕町人は豪華脇差しを買ったり作らせました。 893の主立った者は武士より金廻りの良い者も多く、名刀を持つ者も珍しくなかったと思います。 五字忠吉も井上真改も幕末にはかなり高い刀になっていましたが、所詮新刀で、古刀の1流刀には とても及びませんでした。 金比羅様に何を納めたかはわかりませんが、たかがその奉納の旅の石松っつあんに鎌太郎が小遣い 30両を包むんですから、刀が百両以下のチンケなものであるはずがないでしょう。
肥前の忠吉は江戸初期から九代続くが、刀がメチャ安くなった現代でも初代の忠吉の大刀は 300〜1000万円で、脇差しはその半値。 幕末に刀は急騰したけれど五字忠吉で今の百万円くらいだったらしい。
古来から武器としての役割と同時に美しい姿が象徴的な意味を持ち、 美術品としても評価の高い物が多い。古くから続く血統では権威の証として 尊ばれていた。また武家政権を背景に「武士の魂」として精神文化の支柱として機能した。 その特徴は、"折り返し鍛錬法"で鍛え上げられた鋼を素材とする点と、 刀身となかご(茎、中心)が一体となった構造である。 茎には刀身を目釘で柄に固定する目的の孔(目釘孔)が設けられている(稀に奉納用の刀などで 目釘孔がないものもある)。また、日本刀は諸外国の刀剣類と異なり、 外装品(拵え)とは別に刀身自体が美術的価値を発揮していることを以って最大の特徴である、と言える。
689 :
英五郎 :2009/12/15(火) 12:08:24
893も長脇差しと呼ばれたり、出入りを多くしてた割には次郎長伝でも出てくる刀 は忠吉だの真改だの鬼神丸だのわずかだ。 国定忠次にだって小松五郎吉兼なんて村雨と同じく架空の刀くらいだろう。 だから刀の話なんてすぐに尽きてしまうわけだ。 スレ違いだなんて大げさに騒ぐんなら3百や5百もレスが続いたら言えば良いのに。 それに虎造と言えば彼自身より彼が作った世界の方が重要なわけで、それにからむ 話題はもともと全部スレ違いなんかであるものか。
さすが英五郎親分! 仁義を欠いておりやした、かにしてやっておくんなさい。
691 :
重要無名文化財 :2009/12/15(火) 12:29:36
清水の、初めて会ったがいい気性だ。今日から兄弟分になろう。
刀は目標物を断ち切るための道具であるが、武器として造られた物は刺突も可能な先端を持つことが多い。 さらに刺突の効果を増すために、刀の先端部分、鋩(きっさき)から刀身の半分以上を両刃にした造り(「擬似刀」という、 剣として扱う分類法がある)を有するものも存在し、日本でも小烏丸のような鋒両刃(きっさきもろは)造りの刀が見られる。 小烏丸は初期のものだが、この造りをした刀は後にもまれにみられる。 だ が、刀は「突き」に徹すると「斬る」には向かなくなる。効率よく物を斬る為には反りが深く、 刃渡りが長いほうが向いているのに対して、突くためには反りが無く刃渡りが短いほうが向いている。 例えば突くための武器である槍は、長いとされる「大身槍」の基準が1尺(30センチ)である。
青銅や鉄などの強靱な金属素材の精製、加工技術の発達により、 ナイフや鉈の様な道具から長い刃を持つ剣や刀が生まれた。 日本においては中国から伝わった直刀を基に、平安時代の頃から独特の反りをつけた 「太刀」と呼ばれる刀が製作されはじめ、武人の一般的な武器となった。 また、アジア諸国では、11世紀から13世紀頃にかけて、馬上での斬り合いに適したペルシャのシャムシールや インドのタルワールのような反りのついた刀が生まれている。
日本において両刃・片刃という意味は刃物の刃先を作るときの形状を指し、 片面のテーパー(斜めに落とす形状)で刃先を造った刃物を片刃といい、 両面からのテーパーで刃先を造った刃物を両刃というが、 本項の両刃・片刃は刀身に刃(は)と背(峰ともいう)を持つ物を片刃とし、 刀身の両方に刃が付いた主に線対称な形状を持つ物を両刃としている。
日本刀(にほんとう)は、日本固有の製造法によって作られた刀剣類の総称。 刀剣類は、日本では古墳時代から作られていたが、一般に日本刀と呼ばれるものは、 平安時代末期に出現してそれ以降主流となった湾曲した刀のことを差す。 寸法により刀(太刀・打刀)、脇差(脇指)、短刀に分類される。広義には、長巻、薙刀、剣、槍なども入る。
>>スレ違いだなんて大げさに騒ぐんなら3百や5百もレスが続いたら言えば良い
古来から武器としての役割と同時に美しい姿が象徴的な意味を持ち、 美術品としても評価の高い物が多い。古くから続く血統では権威の証として尊ばれていた。 また武家政権を背景に「武士の魂」として精神文化の支柱として機能した。 その特徴は、"折り返し鍛錬法"で鍛え上げられた鋼を素材とする点と、 刀身となかご(茎、中心)が一体となった構造である。茎には刀身を目釘で 柄に固定する目的の孔(目釘孔)が設けられている(稀に奉納用の刀などで目釘孔がないものもある)。 また、日本刀は諸外国の刀剣類と異なり、外装品(拵え)とは別に刀身自体が美術的価値を発揮していることを 以って最大の特徴である、と言える。
>>3百や5百もレスが続いたら言えば良い
古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。 例えば、埼玉県の稲荷山古墳や島根県の古墳時代前期を代表する出雲の大型方墳である造山古墳からは 鉄剣、大刀が出土している。 稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣にはワカタケル(雄略天皇)に仕えた功績を記念して 471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは朽損しているが、 島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、 黄金色の柄をもち刀身さえも古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。
すれ違いは3百や5百レスが続いたら。 それ以下はすれ違いにあらず。
刀の話を妨害するやつはキチガイ
703 :
英五郎 :2009/12/15(火) 14:21:26
あのよ、日本刀の入門の文章をキリハギして投稿したり、それを自演でヨイショししている馬鹿、 女の腐ったような奴だ。 誰の眼よりそう言う情けない自分を見ている自分の眼が辛くはないか?
別に? だってすれ違いは300か400続かないとすれ違いじゃないらしいよ。
すれ違いじゃないものをアップしてるんだから別に問題ない。 すれ違いは300か400から。
え〜私めは刀剣趣味で居合なんかもやりますんで、ひとくさり。 刀は庶民でも所有できました、ただ差すのは式日とか旅の時にだけ脇差しが1本許されていました。 で、893は基本的には旅姿で長脇差し1本で建前を保ったわけです。 だから出入りの時のスタイルは旅姿な訳です。 武士は江戸中期より経済的に苦しく、一方富裕町人は豪華脇差しを買ったり作らせました。 893の主立った者は武士より金廻りの良い者も多く、名刀を持つ者も珍しくなかったと思います。 五字忠吉も井上真改も幕末にはかなり高い刀になっていましたが、所詮新刀で、古刀の1流刀には とても及びませんでした。 金比羅様に何を納めたかはわかりませんが、たかがその奉納の旅の石松っつあんに鎌太郎が小遣い 30両を包むんですから、刀が百両以下のチンケなものであるはずがないでしょう。
刀の話を妨害するやつはキチガイ
スレ違いだなんて大げさに騒ぐんなら3百や5百もレスが続いたら言えば良いのに
↑誰の言葉?wwwww
肥前の忠吉は江戸初期から九代続くが、刀がメチャ安くなった現代でも初代の忠吉の大刀は 300〜1000万円で、脇差しはその半値。 幕末に刀は急騰したけれど五字忠吉で今の百万円くらいだったらしい。
自分のすれ違いを指摘されたら人を基地外扱いする癖に まさか他人のすれ違いだけ糾弾するなんて恥知らずな行為はしないよねwwwwww
俺たちはこいつを甘く見ていたようだ。 どうやら横綱級のキチガイのようだ。
すれ違いは300か500くらいやってからすれ違い ↑誰の言葉かなあ??????
俺はいってないよ。 どこぞの基地外がそう言ったんだよ。 基地外に逆らうと怖いから俺も従わざるをえないよwwww
>>714 自分の行為が気違いじみてることを自覚してないから
他者からキチガイだと言われてるんですよ。
その辺はお分かりですかね?
刀の話をしたいなら「自分の言葉」でレスしなさいよ。
コピペを貼りまくるのはあなたの意見じゃないでしょう。
スレ違いだなんて大げさに騒ぐんなら3百や5百もレスが続いたら言えば良いのに。
(
>>689 英五郎談)
「すれ違いは300とか500とかから」英五郎談
つまりあっしのしていることはすれ違いではない。
ということはスレに合致しているということ。
文句あるやつは
>>689 に言え。
で、刀の話まだ〜〜〜〜〜?
鎌倉時代初期の日本刀は平安時代末期とあまりかわらない姿をしているが、 鎌倉幕府による武家政治の体制が確立し、刀剣界が活発になっていく。後鳥羽上皇は御番鍛冶を設置し、 月ごとに刀工を召して鍛刀させ、上皇自らも焼刃を施したといわれ、積極的に作刀を奨励した。 中でも備前の刀工則宗が有名である。この時期には山城国の粟田口派、備前国の一文字派が新たに興った。
鎌倉時代中期になると、実用性を重視した結果、身幅が広く元幅と先幅の差も少なくなり、 平肉がよくついてくる。鋒は幅が広く長さが詰まって猪首(いくび)となり、質実剛健の気風がよくでている。 この頃から短刀の制作が活発になり、作例がしばしば見うけられる。この時期の短刀の特徴としては、 反りがないか(刺刀:さすが)、わずかに内反り(棟が研ぎ減ったと考えられているか あるいは元から筍反:たけのこぞりと呼ばれる筍造:たけのこずくり)になっており、 茎は反りのないものと振袖形(ふりそでがた)がある。この時期の有名な刀工として、 山城の粟田口派の国友、則国、国吉、吉光、国安、同国来派(らいは)の国行、来国俊、 二字国俊(銘字を「来国俊」でなく単に「国俊」と切る)、大和国の当麻派「国行」、手掻派「包永」、保昌派、 千住院派、備前国の福岡一文字派、少し遅れて吉岡一文字派、長船派の光忠、その子長光、 備中国の青江貞次一派が存在する。
また、鎌倉幕府では、作刀研究推進のため、各地から名工を招聘した。 主な刀工は、山城国から粟田口藤六左近国綱、備前国から福岡一文字派の助真、 国宗派の国宗、京伝、大和伝の流れを汲む新藤五国光等と言われている。特に新藤五国光は、 従来の山城伝伝統の精緻な地鉄の上に、大和伝に見られる沸働きの強い作風を確立し、 事実上「相州伝」の祖と言われている。その弟子には行光、国広がおり、行光の弟子に越中則重、 岡崎五郎入道正宗が知られている。備前伝が「匂出来」で知られる一方、相州伝は「沸出来」である。
こりゃ何を言っても駄目だな。 畜生並みの脳味噌しか持ち合わせてないらしい。
すれ違いじゃないものをアップしてるんだから別に問題ない。 すれ違いは300か400から。
百歩譲ってたとえすれ違いであったとしても自分がすれ違いしたときは それを指摘されても相手をキチガイ扱いしすれ違いをやめようともしなかった癖に 他人のすれ違いを糾弾できる筋合いかと問いたい。 百万遍問いたい。
刀の話を妨害するやつは基地外 おまえらがそう言ったんだ。
bbexciteのコピペはしつこいな 虐げられてきた怨念で何年でも粘着するからな 醜いおばさんなんだろうな
728 :
重要無名文化財 :2009/12/15(火) 16:08:32
泣きべそかきながら、必死にコピペしている姿が目に浮かぶ・・・
>>726 の続き
刀の話はスレ違いではないとも言った
なあ言ったよな?
730 :
重要無名文化財 :2009/12/15(火) 17:07:08
おう!俺も聞いたぜ。
一人相撲w
ということで刀の話しろやゴルァ!
>>731 こっちだって喜んでもらえるようにいろいろ気を使って書いてんだ。
ただの基地外と思うなよ。
おまえらだって面白いから見てるんだろうが。 違うか。 面白くなかったらわざわざこんなとこ見にこないだろうが。 虎造のj話なんかちっとも出てこないんだぞ。 いまここにいる奴らは俺の書き込みが目当てだろうが。 それ以外に何がある?
基地外見物して面白いか。 木戸銭取るぞこのやろ。
で、ただ見てるだけじゃなくて合間合間にお前らも適当に合いの手いれろや。 俺ひとりで連投だと書き込めなくなっちゃうからな。 頼むよ。
頼むつってんだろ! ああこれはもうだめかもわからんね。 これがOKでも次はもうだめだろ。
政治的時代区分では室町時代に包含されることの多い南北朝時代は、 刀剣武具史ではあえて別な時代として見るのが一般的である。 この時代の刀剣は他の時代と違い大太刀・野太刀といった大振りなものが多く造られている。 すでに述べた通り、この時代は相州伝が各地に影響をおよぼしている。 刃文は「のたれ」に「互の目乱れ」(ぐのめみだれ)を交えたものが良く見受けられ、 古来より一大勢力であった備前国においても、当時長船派の棟梁格であった兼光一派の作にも、 伝統の丁子乱れ(ちょうじみだれ)ではなく、互の目乱れが見られ、後の長船一派の刀工へ影響を及ぼしている。 この時代の太刀は、元来長寸の大太刀であったものを後世に磨上げ(すりあげ)・大磨上げ(おおすりあげ)されて 長さを調整され、打刀に造り直されているものが多い。 天正年間に織田信長等の戦国武将が、秘蔵の太刀を多く磨上させていることから、 室町末期の磨上を「天正磨上」と呼び非常な名刀が多い。またこの時代には小太刀もいくらか現存しており、 後の打刀を連想させるものと思われる。
室町時代初期には備前国で「小反り」と呼ばれる一派が活躍した。主な刀工は長船政光、秀光、師光等である。 続く応永年間には、備前長船盛光、康光、家助、経家などの名工が輩出した。これらは応永年間に作られたものが多いので、 世に「応永備前」と呼ばれている。応永備前の特徴は、鎌倉時代の太刀を狙った腰反りがつく優美な姿である点にある。 また、嘉吉の変で、室内戦闘用に鎬作りの短い刀が求められたため、所謂脇差の製作が行われた点も重要なポイントである。 太刀から打刀、脇差の二本差しスタイルが生まれたのはちょうどこの時期である。 応永備前の打刀(2尺3寸前後)、脇差(1尺5寸前後)は非常に姿が良く、江戸時代に大名が美しい拵えを作るために珍重された。 この頃、たたら製鉄技術が一段進歩したと言われ、大規模な製鉄場跡が見られるようになる。
お疲れ様ですm(_ _)m
どうだ!俺を基地外扱いした連中!参ったか! 俺はそんじょそこらの基地外じゃないんだぞ! 包茎で短小で、実は童貞なんだぞ。ざまーみろ!
↑お分かりだろうがにせものだ。
(室町中期以降、日本刀は刃を下向きにして腰に佩(は)く太刀から、刃を上向きにして 腰に差す打刀(うちがたな)に代わってくる。なお、太刀・打刀とも、身に付けた時に外側になる面が刀身の表で、 その面に刀工銘を切るのが普通である。したがって、銘を切る位置によって太刀と打刀の区別がつく場合が多いが、 裏銘に切る刀工もいる。) 太刀:備前長船祐定(青貝螺鈿拵)。室町時代の太刀。平和な時代が始まったため刀剣の国内需要は低下したが、 明への重要な貿易品としての生産も行われるようにもなった。そして応仁の乱によって再び戦乱の世が始まると、 膨大な需要に応えるため、足軽など農民兵用に「お貸し刀」(貸与される刀)などの粗悪な「数打物」と呼ばれる 粗製濫造品が大量に出回るようになった。戦国時代に入ると刀剣生産が各地で行われ、特に祐定を名乗る刀工だけでも 60名強揃った備前国と、兼「某」を名乗る刀工が活躍した美濃国が生産拠点の双璧である。 他には、豊後、三原、大和、加賀、越中、駿州が知られている。寛正年間から火縄銃が普及する天正頃まで、 片手打ちの刀(2尺前後)が多い。また、合戦に明け暮れる武将は、己が命運を託する刀剣を特注することもあった。 これら「注文打ち」には名刀が揃っている。重要文化財に指定されている「長船與三左衛門祐定」の永正年期作は、 注文主の栗山某の美意識を反映してか、元から中ほどまで中直刃で、中から先まで互の目乱れを焼き、 従来にはない感覚の異色の名刀である。同時代の著名な刀工としては、 備前の則光、在光、賀光、祐光、勝光、宗光、清光、春光、治光、幸光等。美濃の兼定、兼元、兼常、兼房、兼先、兼道、 兼則、兼若、氏貞等が挙げられる。他地方では、相州綱広、千子村正、高天神兼明、豊後平鎮教、平安城長吉、手掻包真、 加州行光、宇多国宗、波平某等々。その他無名の刀工を含めると、第二次世界大戦時より刀工の数が多かったものと思われる。
しかし、南蛮貿易による鉄砲の伝来によって、合戦の形態から、刀剣の姿まで急速な転換を迎える事になる。 まず鉄砲に対抗するため甲冑が強化された。 また大規模な合戦が増えたため、長時間の戦闘に耐えるべく、従来の片手打ちから両手で柄を握る姿となり、 身幅広く、重ね厚く、大切先の刀剣が現われ始めた。この姿が豊臣秀吉による天下統一後にも受け継がれ、 豪壮な「慶長新刀」体配を生み出す土壌となった。 一つ刀剣史上注記すべき点としては、長らく続いた備前長船一派が度重なる吉井川の氾濫で天正末期に壊滅したことがある。 これによって備前鍛治の伝統は一時休眠状態となった。そのため、各地の大名は量産体制のある美濃の鍛治をこぞって お抱え刀工に採用した。この点は「新刀」を語る上で非常に重要なポイントとなる。
刀剣史では、慶長以降の作刀を「新刀」として、それ以前の「古刀」と区別がされている。 違いは地鉄にある。従来は各々の地域で鋼を生産していたため、地方色が強く現われた。 しかし、天下が落着いたことにより、全国にある程度均質な鋼が流通するようになり、 刀剣の地鉄の差が少なくなったため、基本的に新刀の地鉄は綺麗である。 新刀の祖は梅忠明寿と言われており、その弟子に肥前国忠吉がいる。 備前鍛治が壊滅状態に陥った事もあり、京都に近い美濃国から京都、近江、越前、尾張、大坂へと刀工が移住していった。 中でも京都に入った兼道一族は、全国を転々とし京都堀川に居住した国広一派と技術交換含め、 新刀期の技術的基礎を築いた。諸国の刀鍛治は両派のいずれかに入門し、身につけた技術を全国へ伝播していった。 即ち、新刀の特色としては、美濃伝の特徴である「鎬地に柾目が流れる」ものとなる。 徳川家康が越前下坂康継をお抱え工としているが、康継も美濃伝を受け継いでおり、一部地域を除いて、 文字通り美濃伝が主流となった。これが新刀初期の実態である。
やっと新刀が出て来ました。待てば海路の日和あり。いつしか咲いたよ見事な花。 待ちくたびれて鶴じゃないけど首が長くなっちゃった。
うるせえな新刀新刀って。 いくら新刀っていったっていいのはそれくらい、あとは十把一束のガリガリ亡者ばっかりだよ。
江戸時代に入り、朱子学の発想に基づく風紀取締りを目的として、武家の大小差し(打刀、脇差)の差し料の寸法、 町人等の差し料の寸法が制定された。特に武家の大小差しの新規需要が多く、 寛永から寛文、延宝にかけて各地の刀鍛治は繁栄し、技術水準も向上した。一方で幕末までの間、 普段差しを中心に用いられる短刀の作刀は急激に減る。江戸初期に活躍した各地の著名刀工は以下の通り。 北から 仙台・国包、会津・政長、兼定、江戸・越前康継(初、2代)・江戸石堂是一(初代)、 相州・綱広、尾張・伯耆守信高(初代)・政常・氏房、加州・兼若、越前・下坂一派(忠国・重高・包則)、 京・堀川派(国路・国安・国儔)・三品派(金道・吉道・正俊)、大坂・親国貞、紀州・重国・紀州石堂正俊、筑前信国派、 福岡石堂一派(守次、是次)、肥前・忠吉一派(初代・忠廣)、薩摩・波平一派等である。 寛文頃から江戸での鍛刀も盛んになるが、元和、寛永時期においては、京都、越前、美濃が中心地であった。
武家文化の中心である江戸においては、幕府お抱え刀工である越前下坂康継一派が大いに活躍し、 また、石堂(いしどう)と呼ばれる備前鍛治の末裔を名乗る刀工、室町期の法城寺(ほうじょうじ)派の末裔を名乗る 刀工、武州土着の下原鍛治も出現し、お互い技量を高めた。また、天草の乱以降平和な時代が続き、寛文頃になると、 剣術が竹刀による稽古中心となった影響で、竹刀に近い、反り浅く伏せごころで小切先詰まる刀が求められた。 この姿を寛文新刀と呼び、江戸時代の刀剣の姿の代表である。寛文新刀の中心地は江戸であり、 その武骨な姿が武芸者に好まれた。主な刀工としては、江戸越前康継(3代)・石堂是一(初、二代)・和泉守兼重、 上総守兼重・大和守安定・法城寺正弘・八幡平高平・そして特に著名な長曾祢虎徹、奥里、奥正がいる。少し後れて、 石堂派から日置光平、対馬守常光がいる。
商業の中心地の大坂には、近郊から刀工が次第に集まってきた。 同時代の著名な刀工としては、三品派(親国貞・国貞(二代)・吉道・河内守国助)、 紀州から移住した大坂石堂派(康広、多々良長幸)、地元の助廣(初代、二代)、粟田口一派(忠綱、国綱)がいる。 これらの刀工集団の作を大坂新刀と呼び、新刀の中でも特に区別される。その特徴は地鉄にあり、 地鉄の美しさは新刀内でも群を抜く。背景には大坂の商業力と、古来より鋼の産地である備前、出雲、伯耆、播磨を 近辺に控えていることもあるだろう。そして美しい地鉄の上に華やかな刃文を創始した。特に有名なのは、 大坂正宗と賞される国貞(二代)井上真改の匂い沸深い直刃と、助廣(二代)津田助廣が創始した涛瀾乱れ。 中には「富士見西行」「菊水刃」と呼ばれる絵画的で華美な刃文も登場したが、 保守的な武士からは退廃的だと忌避されるものもあった。 また、元禄以降太平の世になると新たな刀の需要はなくなり、 刀を作る者も殆んどいなくなった。中には武芸者が特注打ちで流派に即した刀を鍛えさせているがごく少数である。 その中でも粟田口忠綱二代の一竿子忠綱は刀身の出来、彫りともに優れている。
刀剣の需要が衰退する一方で、鐔(つば)、小柄(こづか)、目貫(めぬき)、笄(こうがい)などの刀装具の装飾が発達し、 これらの装剣金工の分野にも林又七・志水甚吾を代表とする肥後鐔工、京透かし鐔工、山吉兵等の尾張鐔工、 江戸の赤坂鐔工・伊藤鐔工、全国に散った京正阿弥一派と言った鉄地を細工する鐔工だけでなく、 町彫りの祖と呼ばれる横谷宗aを始め土屋安親、奈良利壽、濱野政随等、従来の後藤一派の伝統から離れた 金工職人に殊に独創的な名工が生まれた。 刀剣は消耗しないものの、刀装具は各々時代の流行に合わせて変化し (一方で登城差しなど掟に縛られた拵えもある)、刀装具の反映に反比例するが如く、鍛刀界は衰退していく事となる。
ちょwwwおまえら一日で100レスも伸ばすなw
お前の指図は受けん
随分伸びてるなぁと久々に覗いてみたら、キチガイが発生してたんですね・・・
刀の話を妨害するやつが基地外だそうだよ。
あんたも決して刀の話はスレ違いなどとはいわない方がいい。 そんなことしたらすぐさま基地外認定。
くわばらくわばら
↓以下刀の話。
759 :
重要無名文化財 :2009/12/17(木) 15:42:09
どうでもいいわぁ
どうでもいいなら出てくるな。( ゚д゚)、ペッ
キチガイ、ネタ尽きたのか?w
お〜い!基地外〜!だれかが呼んでるぞ〜! 刀の話妨害するやつは基地外とか言ってる基地外の仲間が〜!
↓以下刀の話。
>>762 おまえだよキチガイw
分かってるくせにw
刀の話妨害するな
黒船来航前夜の安永前期。黒船来航を待たずして度重なる飢饉、貨幣社会の台頭による商人の肥大化等により、 武家の衰退が顕著となり、社会の変革の風を人々が意識・無意識に感じ始めた。 そんな時代に出羽国から江戸へ上り、鍛刀技術を磨くものが現れた。 安永3年に正秀と銘を改めた川部儀八郎藤原正秀、即ち新々刀の祖と呼ばれる 水心子正秀(すいしんしまさひで)の登場である。 これより 明治維新までの時代を「新々刀」と区分する。 特徴としては、製鉄技術の更なる進歩により綺麗な鉄が量産されるようになったため、 地鉄が無地に見えることがある。後期には洋鉄精錬技術も取り入れられ、更に無地風の地鉄が作られた。 地鉄の変化と焼入れ技術の低下からか、総じて匂い口が漫然とするものが多い。また逆行するが如く、 色鉄を用いたり、無理に肌を出した刀や、古作の写しものが出現する。姿は各国でまちまちであるが、総じて身幅広く、 切先伸び、反りのつくものとなる。
新々刀初期に、鎌田魚妙という侍が「新刀弁疑」という著書で、名刀の条件に、沸匂深い作を主張し、 大阪新刀の井上真改、津田助廣を褒め称えた。そのため新々刀初期には江戸時代前期の津田助廣が創始した 華麗な涛瀾乱れを焼くのが流行した。しかし本科と比べると、地鉄は無地調で弱く、刃は鎬にかかるほど高く焼き、 そして、茫々とした締まりのない匂い出来で、斑沸つく作が多い。実用刀とはほど遠いと感じた正秀は、 鎌田魚妙の説に疑問を抱き、実用刀剣の復古、即ち鎌倉時代・南北朝時代の刀剣への復古を唱えた。この復古運動は、 後の勤皇思想が盛んになりつつある社会情勢と響きあい、各地の鍛治と交流し(相州伝、備前伝の秘儀を学ぶべく弟子入りした)、 同時に大勢の門弟を育てた。卸し鉄など様々な工夫を凝らし目標とする鎌倉・南北朝期の地鉄作製を試みるも、 たどり着くことはなかった。これは今日でも同様である。
正秀の弟子は全国各地へ散り、文字通り新々刀期の刀工のうち、正秀の影響を受けていないものは 皆無と言って良いほどである。著名な弟子に大慶直胤、細川正義、加藤綱俊がおり、各々正秀と同様、多くの門人を育てた。 正秀一派が活躍する一方で、信州に鬼才が生まれる。はじめは大阪新刀の流れを汲む尾崎一門の河村寿隆に作刀を学び、 侍になるべく江戸へ出、幕臣であり軍学者であった窪田清音に才能を見出され、各家伝来の古名刀の写しを作る。 彼こそ、江戸期を代表する刀工となった源清麿である。私生活に問題があり、長州に隠遁したり、鍛刀せずに大酒を飲み、 当時の著名刀工固山宗次と飲み比べ合戦を行ったエピソードは有名である。 源清麿は初銘を「秀寿」と切り・「環」・「正行」・「清麿」と推移する。四谷に住んだため「四谷正宗」の異名を持つ。 古作の現物を見て写しを造り腕を磨いたため、正秀一門の写し物とは姿、出来が大いに異なる。特に左文字写し、 志津兼氏写しを得意とした。地鉄も他の新々工とは一線を引き、鍛え肌美しく力強い。また、焼き刃は古作の如く、 盛んに金筋を交える。しかし、多額の借金(鍛刀の前受け金)を残し42歳で自殺した。弟子に栗原信秀、藤原清人、鈴木正雄がいる。 藤原清人と栗原信秀は、師匠が自殺した後、残された約定の鍛刀を引き受け、借金を返したという逸話を残している。
水戸勤皇派による天狗党事件、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変等あり、 諸国でも佐幕派と勤皇派が入り乱れて闘争が行われるようになる。時代環境に合わせて、 江戸初期以降、作刀数の少ない短刀の需要、長大な刀を好む武士も増え、作刀が再び繁栄を始めたところで 明治維新を迎える。明治6年(1873年)に仇討ちが禁止され、明治9年(1876年)3月28日に警察官・軍人以外は 帯刀を禁止する廃刀令が出されたことにより、日本刀は急速に衰退してしまった。
明治6年、ウィーンで開かれた万国博覧会に日本刀を出品。 国際社会に日本人の技術と精神を示すものであった。しかし廃刀令以後は新たな刀の需要は殆んどなくなり、 当時活躍した多くの刀鍛冶は職を失った。また多くの名刀が海外に流出した。それでも政府は帝室技芸員として、 月山貞一、宮本包則の二名を任命。伝統的な作刀技術の保存に努めた。 一方で西南戦争における抜刀隊への評価から、日本陸海軍が将校の主要兵器として軍刀を採用し続け、 サーベル様式の軍刀拵えに日本刀を仕込むのが普通となり、さらには日露戦争における白兵戦で近代戦の武器としての 日本刀の有効性が確認され、また昭和に入り国粋主義的気運が高まった事から、 陸海軍ともにサーベル様式の軍刀拵えに代わり鎌倉時代の太刀拵えをモチーフとした、 日本刀を納めるのにより適した軍刀拵えが開発された(しかし同時に、軍刀として出陣した古今の数多くの刀が 戦地で失われることともなった)。
キチガイ必死w
刀の話ができればそれだけで結構
満州事変以後、軍造兵廠や一部の各機関の研究者は拵えだけでなく刀身においても兵士の装備としての可能性を追求した。 例えば満州の厳寒に対応した「振武刀」や海軍が使用したステンレス鋼の日本刀(「耐錆刀」)など、各種の軍刀が研究された。 日本刀の材料・製法を一部変更したものから、日本刀の形態を模した工業刀に至るまで、様々な刀身が試作・量産された。 これら特殊軍刀々身は「昭和刀」「新村田刀」「新日本刀」などと呼称され、物によっては従来の日本刀よりも (俗に名刀と呼ばれる刀であっても)武器としての資質において勝るものも数多くあったという。 悪品だったという俗説も未だ根強いが、これらはあくまで悪徳業者の販売した粗悪刀等で、一部を除き (初期や末期には粗悪品が見られる)妥当な評価ではない。鋳造説、造兵廠製刀身は粗悪品説に至っては論外である。 これらは将校准士官(軍刀初め軍装品類は私物として自費購入であった)には安価で惜しげなく使える刀身として重宝され、 下士官兵には官給軍刀(九五式軍刀等)として支給され、大量に実戦投入された。 本来の「戦いの武器としての日本刀」という観点では、各特殊軍刀々身は近代技術を取り入れられて完成された日本刀となり、 肝心の実用性に於いては究められたものの、見た目の美的要素は皆無な物が多く(関の半鍛錬昭和刀の様に 双方を兼ね備えた物もある)、今日では製造方法の上からも、日本刀の範疇には含まれない事にはなっている。 しかし最近になり、刀剣界では今まで見向きもされなかったこれらの軍刀にも人気が出てきており、同時に研究家や 収集家の新たな発見や偏った俗説の否定等、再評価の声が高くなっている(軍刀#刀身・軍刀についても参照)。
太平洋戦争(大東亜戦争)降伏後、日本刀を武器であると見なした連合国軍最高司令官総司令部により刀狩が行われ、 蛍丸を始めとした数多くの刀が遺棄・散逸の憂き目にあった(熊本県のように、石油をかけて焼かれた後海中投棄された例もある)。 また、「刀があるとGHQが金属探知機で探しに来る」との流言も飛び交い、土中に隠匿して、その結果刀を朽ちさせ駄目にしたり、 回収基準の長さ以下になるように折って小刀としたり、日常生活に使えるよう鍛冶屋に持ち込み鉈や鎌、 その他日常用の刃物に改造したりと日本刀の価値を貶めた例は枚挙に遑がない。GHQに没収された刀の多くは 赤羽にあった米軍の倉庫に保管され、占領の解除と共に日本政府に返還された。 しかし、元の所有者が殆ど不明のため、所有権は政府に移り、刀剣愛好家の間でこれらの刀剣は「赤羽刀」と呼ばれている。
一時は日本刀そのものの存続が危ぶまれたが、日本側の必死の努力により、登録制による所有が可能となった。 日本刀自体には登録が義務付けられており、登録がなされていない刀は、警察に届け出た後審査を受ける必要がある。 所持に関しては銃刀法による制限を受けるが、所有については許可などは必要なく、誰でも可能である (条例により18歳以下への販売を規制している所はある)。なお、購入などの際には、登録証記載の各都道府県教育委員会へ の名義変更届が必要である。 今日では日本刀は武器ではなく、居合・抜刀といった武道用の道具、絵画や陶器と同格の立派な美術品であり、 その目的でのみ製作・所有が認められている。現在では、本来の武器としでは無く、美術品としての価値が高いものである。 世界の刀剣の中でも日本刀は、美術品としての価値が高く、国宝、重要文化財、重要美術品に指定されている。 日本刀独自の鍛錬により、さまざまな、刀姿、刃文、帽子、茎形、銘を鑑賞する、いわば鉄の芸術品である。 その美術品としての価値は、その特色をよく理解しなくてならない。日本刀の鑑賞の歴史は古く、千年以上の歴史がある。 事実、名刀と言われる日本刀は、実際に武器として、使われたものはあまりなく、日本刀の名品といわれるものは、 千年以上の時を経ても健全な形で残っている。現代刀に関しては、刀匠一人当たり年に生産してよい本数の割り当てを決め、 粗製濫造による作品の質の低下を防いでいる。しかしその一方で、一部の刀匠を除き多くの刀匠は本業(刀鍛冶)だけでは 当たり前ながら作刀需要が少ない為に生活が難しく、かと言っては上述の本数制限もあり無銘刀は作刀出来ず、 武道家向けに数を多く安く作りその分稼ぐという事も出来無い為、他の伝統工芸の職人と同じく数々の問題を抱えているという 事も理解しなくてはならない。 そのような状況の中でも現代の刀匠も、美術品としての日本刀の作刀を、さまざまな形で現代に伝えている。
776 :
重要無名文化財 :2009/12/18(金) 10:41:29
777 :
776 :2009/12/18(金) 10:49:55
まあ今更ながら、虎造はよく言ったものですなぁ 「馬鹿は死ななきゃ治らなぁい」
刀の話を妨害するのは基地外だそうだよ。 俺が言ったんじゃない。 文句あるなら言ったやつに言え。
刀は目標物を断ち切るための道具であるが、武器として造られた物は刺突も可能な先端を持つことが多い。 さらに刺突の効果を増すために、刀の先端部分、鋩(きっさき)から刀身の半分以上を両刃にした造り (「擬似刀」という、剣として扱う分類法がある)を有するものも存在し、日本でも小烏丸のような鋒両刃 (きっさきもろは)造りの刀が見られる。小烏丸は初期のものだが、この造りをした刀は後にもまれにみられる。 だが、刀は「突き」に徹すると「斬る」には向かなくなる。効率よく物を斬る為には反りが深く、 刃渡りが長いほうが向いているのに対して、突くためには反りが無く刃渡りが短いほうが向いている。 例えば突くための武器である槍は、長いとされる「大身槍」の基準が1尺(30センチ)である。
青銅や鉄などの強靱な金属素材の精製、加工技術の発達により、ナイフや鉈の様な道具から長い刃を持つ剣や刀が生まれた。 日本においては中国から伝わった直刀を基に、平安時代の頃から独特の反りをつけた「太刀」と呼ばれる刀が製作されはじめ、 武人の一般的な武器となった。 また、アジア諸国では、11世紀から13世紀頃にかけて、馬上での斬り合いに適した ペルシャのシャムシールやインドのタルワールのような反りのついた刀が生まれている。 中国においては、片手に一振りの刀を持つ単刀術と、同じ大きさの刀を持つ双刀術などが主流。関連:中国刀 ギリシャでは紀元前10世紀には緩やかに湾曲した内側に刃を持つ、内反りのコピシュ(κ?πτω)と呼ばれる刀が 使われていた。またそれとは別にエジプトやメソポタミアのコピシュは斧刀とも呼ばれるショーテルにも似た S型に張り出た湾曲の形状である。 さらに紀元前7世紀頃からは鎌のように湾曲し、弧を描いた刀身の内側に刃を持つハルペー(ハルパー)と 呼ばれる刀が使われていた。 これは鎌のように相手に引っかけて引き切る武器でギリシャ神話の英雄ペルセウスが メデューサの首を切り落としたのもこのハルペーである。 また、この形状をした刀には振り下ろした際に相手の盾に 遮られないように曲げられたエチオピアのショーテルのようなものもあり、これらは斬る相手を先端部分で 刺す様な使われ方をする事が多く、両刃のものを有しているものもある。 西ヨーロッパでは鎧の発達によりあまり刀は発展せず、かわりに刺突用の剣が発達した。 しかし、16世紀頃銃によって重い鎧が廃れた事で、騎兵隊の身につけたサーベルなど、刀が見直される事となった。 刀に対応する言葉もなく、全てソードとして分類される。
カットラス(Cutlass)は湾曲した刃を持つ剣である。舶刀。刃が湾曲している側が鋭利になっている。 湾曲しているのは、 切ることを重視したためである。 刀身が短く、船など狭い場所での使用に向く。海賊映画によく登場するように、船乗りが好んで使ったが、 その他にも歩兵やマムルーク(中東の騎兵)もよく使用した。 また武器であるとともに、農業用の道具でもあり、カリブ海や中米の熱帯雨林やサトウキビ畑の収穫時にも使用される。 同じ用途で、中南米の原住民が使うマチェーテという鉈もある。
柳葉刀(りゅうようとう)とは、中国武術で使用される中国刀の一種。 分類的には、「短兵」と呼ばれる剣、刀、斧、錘、鞭、鉤などの片手持ちの武器の中でもっとも有名なものといえる。 片刃で湾曲した片手刀で、日本刀などに比べ、刃の幅が非常に広い。 重量と遠心力をつけ斬りつけることにより 威力を発揮する。 この型式の刀剣を、日本国内では(特に漫画やゲームなどのフィクションで)「青竜刀」「青龍刀」と呼称しているが、 厳密には青龍刀とは、小説『三国志演義』で有名な武将、関羽が愛用したような、薙刀に似た長い柄の先に 青龍の刻まれた大刀である青龍偃月刀を指す。
日本刀(にほんとう)は、日本固有の製造法によって作られた刀剣類の総称。刀剣類は、 日本では古墳時代から作られていたが、一般に日本刀と呼ばれるものは、平安時代末期に出現して それ以降主流となった湾曲した刀のことを差す。寸法により刀(太刀・打刀)、脇差(脇指)、短刀に分類される。 広義には、長巻、薙刀、剣、槍なども入る。 刀を作る職の者を「刀工」、「刀匠」、「刀鍛冶」という。
古来から武器としての役割と同時に美しい姿が象徴的な意味を持ち、美術品としても評価の高い物が多い。 古くから続く血統では権威の証として尊ばれていた。また武家政権を背景に「武士の魂」として精神文化の支柱として機能した。 その特徴は、"折り返し鍛錬法"で鍛え上げられた鋼を素材とする点と、刀身となかご(茎、中心)が一体となった構造である。 茎には刀身を目釘で柄に固定する目的の孔(目釘孔)が設けられている(稀に奉納用の刀などで目釘孔がないものもある)。 また、日本刀は諸外国の刀剣類と異なり、外装品(拵え)とは別に刀身自体が美術的価値を発揮していることを以って 最大の特徴である、と言える。
786 :
重要無名文化財 :2009/12/18(金) 12:16:57
泣きべそかきながら、必死にコピペしている姿が目に浮かぶ・・・
悔しかったら止めてみろwwwwwwwww できる訳ないよな。 てめえで刀の話はスレ違いではないと言ったんだし。 スレ違いは500からとも言ったんだからな。 くやしいかwwwww
おれを止めることすらできずに悔し涙に暮れながら 地団駄踏んでるおまえらの姿が眼に見えるようだぜ。
人を貶めるとこういう事になるってことをよ〜く覚えておけ。 てめえでてめえの首を締めて虎造スレで虎造ネタを書くこともできずに 指をくわえて見ていることになるんだってことをな。 ひひひひひひひひwwwwwwwwww
虎造スレを潰した元凶はお前ら。 虎造スレなのに刀の話に終始し スレ違いを指摘されても無視し あろうこととか相手をキチガイ扱いする始末。 しかしその結果はてめえでてめえの手を縛る結果に。 ほんとバカのやつことは間が抜けてるな。
訂正します。 ×やつことは ○やることは
↑おれってこういう事には妙に律儀w
793 :
重要無名文化財 :2009/12/18(金) 12:48:28
泣きべそかきながら、必死に自分を正当化している姿が目に浮かぶ・・・
で、刀の話はもう終わったのか?終わってねぇならさっさと始めろや、200でも300でも。
お前の指図は受けん
>>794 これも訂正
×書いてるのは
○かいてるのは
落ち着けよ!でもってまず涙を拭け!涙を!
>>796 まだ遊んでくれるやつがいて良かったな。それで涙は拭いたのか?
800 :
重要無名文化財 :2009/12/18(金) 15:00:20
あとわずか200も書けばこのスレは終わってしまう。 また次のスレでもコピペしろや。 みんなおもしろがってんだよ、人間どれだけバカになれるかってな。 まっ10スレも消費すればまた元に戻るだろ、そんなのスグだよ。
801 :
重要無名文化財 :2009/12/18(金) 15:16:13
>>790 >虎造スレなのに刀の話に終始し
ちがうだろ、虎造の次郎長伝に関連した刀の話だろ。
そう言うのをすれ違いとは言わないんだよ。
お前もせめてなんか関連したコピペをしろよ。
このままじゃただのバカだぜ。
だれも残念だなんて思ってないって。
すれなんざいつでも作れるからな。
粘着するんなら3年くらいはしろよ。
そうすりゃ誰もいなくなって、メデタシだ。
それ行け。
これからがお馴染み未来の刀のお話し。鬼が笑いように困るの一件 ちょと一息ねがいます。
803 :
重要無名文化財 :2009/12/18(金) 15:47:47
あいやぁ〜ヒドい状態ですね。 虎吉さんや英五郎さんはもう見てないかなぁ? 神田伯山について知ってたら聞きたかったんだけどなぁ。 虎造の「次郎長伝」との違いとか、音源は残ってるのかとか・・・。 もしご存知でしたら宜しくお願いします。たまに覗きにきますので。 ・・・嫌な思いをされそうでしたら結構ですよ。
三代目伯山ならCD出てるよ。 「講談名人名演集」ってので。 って書くと、また馬鹿の大関が「すれ違いだ!虎造の…、いや刀の話をしろ!」 なんて言いそうだなw
伯山も講談もすれ違い。
おめえら虎造の話ができなくなってさぞかし嬉しいだろwwwwww なんたってスレ違いの話のほうが虎造の話するより好きらしいからな。 おれはただその手助けをしているだけ。 ありがたいと思え。
虎造の話ができなくなってさぞかし本望だろうよwwwwww
よかったよかった
809 :
重要無名文化財 :2009/12/18(金) 16:57:39
>>804 情報有難うございます。
早速出てきましたね、大関が(笑)
「コロムビア股旅・時代物シリーズ」ってCDでも伯山が聞けるな。
スレ違やめれ
刀は目標物を断ち切るための道具であるが、武器として造られた物は刺突も可能な先端を持つことが多い。 さらに刺突の効果を増すために、刀の先端部分、鋩(きっさき)から刀身の半分以上を両刃にした造り(「擬似刀」という、 剣として扱う分類法がある)を有するものも存在し、日本でも小烏丸のような鋒両刃(きっさきもろは)造りの刀が見られる。 小烏丸は初期のものだが、この造りをした刀は後にもまれにみられる。 だ が、刀は「突き」に徹すると「斬る」には向かなくなる。効率よく物を斬る為には反りが深く、 刃渡りが長いほうが向いているのに対して、突くためには反りが無く刃渡りが短いほうが向いている。 例えば突くための武器である槍は、長いとされる「大身槍」の基準が1尺(30センチ)である。
古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば、埼玉県の稲荷山古墳や島根県の古墳時代前期を代表する 出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣にはワカタケル (雄略天皇)に仕えた功績を記念して471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは 朽損しているが、島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、 黄金色の柄をもち刀身さえも古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。 7 - 8世紀以降の刀剣には原形を良く留めているものが多く、四天王寺の「丙子椒林剣」(へいししょうりんけん)や 「七星剣」(しちせいけん)、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」(きんぎんでんそうのからたち)などが知られている (湾刀完成以前の直刀には「太刀」ではなく「大刀」の字をあてる)。推古天皇が「馬ならば日向の駒、太刀ならば 呉のまさび」と詠んでいるように、この時代、呉(中国南東部の総称)の刀が最良とされていた。 が、日本の鍛冶職人の水準も上昇してきた。正倉院では唐太刀と呼ばれる海外からの渡来品と共に、 唐様太刀と呼ばれる国産の直刀も保管されている。また、平造り・切刃造りの直刀、蕨手刀(わらびてのかたな) といった国産の剣も現存している。
平安時代初期の刀剣の遺品は乏しく、作風の変遷や、いつ頃どのようにして日本独自の湾刀が形成されたかについては、 学問的に十分解明されていないが、承平天慶の乱などが発生した平安時代中期以降(10世紀ころ) 従来の直刀に代わって騎乗時に扱い易い刀身に反りのある蕨手刀(彎曲刀)が使用されるようになった。 これは長らく苦しめられた東北との紛争で俘囚が騎乗しながら使用していた蕨手刀が影響しているとみられる。 また、平造り・切刃造りに代わって、刀身の断面が長菱形である「鎬造り」(しのぎづくり)の刀剣が造られるようになった のもこの時代である。「鎬造り」は平造り・切刃造りより頑丈で斬りやすいとされている。 以上の変化の過渡期にあたるのが柄が刀身と共鉄の毛抜形太刀や、鋒両刃(きっさきもろは)造りで 反りのある小烏丸(こがらすまる)である(小烏丸は古伝書には大宝年間(8世紀初頭)の刀工「天国」(あまくに)の作とあるが、 実際の制作は平安中期と見るのが定説となっている)。毛抜形太刀は、藤原秀郷所用と伝える伊勢神宮のものが著名である。 柄に毛抜形の透かし彫りがあることからこの名がある。
政治的時代区分では室町時代に包含されることの多い南北朝時代は、 刀剣武具史ではあえて別な時代として見るのが一般的である。 この時代の刀剣は他の時代と違い大太刀・野太刀といった大振りなものが多く造られている。 すでに述べた通り、この時代は相州伝が各地に影響をおよぼしている。 刃文は「のたれ」に「互の目乱れ」(ぐのめみだれ)を交えたものが良く見受けられ、 古来より一大勢力であった備前国においても、当時長船派の棟梁格であった兼光一派の作にも、 伝統の丁子乱れ(ちょうじみだれ)ではなく、互の目乱れが見られ、後の長船一派の刀工へ影響を及ぼしている。 この時代の太刀は、元来長寸の大太刀であったものを後世に磨上げ(すりあげ)・大磨上げ(おおすりあげ)されて 長さを調整され、打刀に造り直されているものが多い。 天正年間に織田信長等の戦国武将が、秘蔵の太刀を多く磨上させていることから、 室町末期の磨上を「天正磨上」と呼び非常な名刀が多い。またこの時代には小太刀もいくらか現存しており、 後の打刀を連想させるものと思われる。
古来から武器としての役割と同時に美しい姿が象徴的な意味を持ち、 美術品としても評価の高い物が多い。古くから続く血統では権威の証として尊ばれていた。 また武家政権を背景に「武士の魂」として精神文化の支柱として機能した。 その特徴は、"折り返し鍛錬法"で鍛え上げられた鋼を素材とする点と、 刀身となかご(茎、中心)が一体となった構造である。茎には刀身を目釘で 柄に固定する目的の孔(目釘孔)が設けられている(稀に奉納用の刀などで目釘孔がないものもある)。 また、日本刀は諸外国の刀剣類と異なり、外装品(拵え)とは別に刀身自体が美術的価値を発揮していることを 以って最大の特徴である、と言える。
鎌倉時代中期になると、実用性を重視した結果、身幅が広く元幅と先幅の差も少なくなり、 平肉がよくついてくる。鋒は幅が広く長さが詰まって猪首(いくび)となり、質実剛健の気風がよくでている。 この頃から短刀の制作が活発になり、作例がしばしば見うけられる。この時期の短刀の特徴としては、 反りがないか(刺刀:さすが)、わずかに内反り(棟が研ぎ減ったと考えられているか あるいは元から筍反:たけのこぞりと呼ばれる筍造:たけのこずくり)になっており、 茎は反りのないものと振袖形(ふりそでがた)がある。この時期の有名な刀工として、 山城の粟田口派の国友、則国、国吉、吉光、国安、同国来派(らいは)の国行、来国俊、 二字国俊(銘字を「来国俊」でなく単に「国俊」と切る)、大和国の当麻派「国行」、手掻派「包永」、保昌派、 千住院派、備前国の福岡一文字派、少し遅れて吉岡一文字派、長船派の光忠、その子長光、 備中国の青江貞次一派が存在する。
おっ、涙は拭き終わったか!? ガンバレ!ガンバレ!
お前の指図はうけねえつってんだろ。 そっちこそ涙拭けよ。
てめえでてめえの足踏んづけて転んでざまあねえや。 二度と虎造の話はできねえからな。 自業自得だ。 呪うならてめえの馬鹿さ加減を呪え。
821 :
神 :2009/12/19(土) 02:17:27
>>820 今日中に1000まで書き込め
これは命令だ
繰り返す
今日中に1000まで書き込め
これは命令だ
>>820 池沼ぽいから語尾にレレレのレーをつけてほすいナ
823 :
重要無名文化財 :2009/12/19(土) 02:34:33
いけぬま、ってなんですか?
824 :
重要無名文化財 :2009/12/19(土) 02:59:17
>823 2chは初心者か?
〃 i, ,. -‐ r' ィ=ゝー-、-、、r=‐ヮォ.〈 / ! :l ,リ|} |. } / .や . {. | ′ | } l レ-、{∠ニ'==ァ 、==ニゞ< | ら !∩|.}. '"旬゙` ./''旬 ` f^| | l(( ゙′` ̄'" f::` ̄ |l.| | な . ヽ.ヽ {:. lリ | . }.iーi ^ r' ,' ノ い !| ヽ. ー===- / ⌒ヽ . /} \ ー‐ ,イ l か __/ ‖ . ヽ、_!__/:::|\ ヽ
粘着はほっといて浪花節スレ行こうぜ、みんな 浪花節自体が閑古鳥なんだから、虎造単独スレ立てる以前の話で 情報が分散しないほうがいい もうこのスレも終わりだし、浪花節スレで統合して次スレは無しを提案
三代目をきぼう
828 :
重要無名文化財 :2009/12/19(土) 11:16:24
>>626 10日程なのに、随分と遅レスになっちゃいましたが(苦笑)、
どうも井上真改の写真というのは、私の勘違いだったようです。
私が見たのは、昭和28年に発行された「次郎長巷談」(山雨楼主人・著)という本で、この本文には、
「万延元年四月石松を選んで金毘羅さんに代参せしめ、久六を切った井上真改の一刀を奉納することとした。
・・・・・・そこで面白いのは、此井上真改に就て、次郎長研究家の一人が、金毘羅大権現に参詣した序に、
社務所に行って聞合せたが、次郎長の奉納刀は見当らぬと云つたそうだ。
ところが最近同神社の宝物館には次郎長奉納(石松代参)の刀剣が立派に陳列されて居り、
然もそれが五字忠吉の在銘だと云うことである」
と書かれており、口絵にはその宝物殿に陳列されている写真が掲載されてます。
尚、あとがきでは、この写真について
「金毘羅神社の宝物である次郎長奉納の五字忠吉は、峯野正民氏が苦心の撮影」
と書かれていました。
本文で、井上真改と書かれていたため、その口絵写真もそうだと思い違いしていたようです。
ただ、「見当らない」と言っていたものが、いつの間にか陳列されていたというのは、
>>628 さんの言うとおり、虎造の「次郎長伝」人気にあやかって、宝物の中にあった別物の五字忠吉を
引っ張り出してきたのかもしれないですね。
ちなみに展示されているのは“白鞘”じゃないんですよ(笑)
虎造の話なんかするなよぼけ。 せっかく刀の話で盛り上がってるのに なにかんがえてやがんだこのやろ。
虎造のとの字も言っちゃなんねえ。
>>826 おう!そうしてくれ!
それで目的は達成だ。
よく分かってるじゃねえか。
>>821 お前の指図は受けん。
俺をお前の思うとおりに動かせると思ったら動かしてみろこの蛆虫野郎。
上等じゃねえか
じゃ止められるもんなら俺を止めてみろ
お前の指図は受けん。 つまり「どうぞどうぞ」
838 :
重要無名文化財 :2009/12/19(土) 12:55:20
>>829 何か気に障ったようで、どういうお方か存じませんが大変失礼しました。もうここには来ませんのでご安心を。
ああ安心
よ〜し、もうみんな出て行け。
そして誰もいなくなった後も、一人寂しくコピペを貼り続けるキチガイ。
おお上等だ。一人で必死に張り続けてやるよ。 どうせ俺はキチガイだからな。
↑とうとう開き直った。
本当は虎造のことなんか何も知らないキチガイ。
気が付くと刀の歴史に詳しくなっているキチガイ。
847 :
重要無名文化財 :2009/12/19(土) 14:21:15
いつの間にか、刀の鑑定家として「何でも鑑定団」に出てるキチガイ。
848 :
重要無名文化財 :2009/12/19(土) 14:23:42
>>845 今、必死になって「虎造」について調べてコピペしようとしているキチガイ。
石松の眼帯とかいくらくらいするんだろう。
そしてまた自分の書き間違いを訂正して、「俺って律儀www」って満足するキチガイ。
>>849 実際の石松は、隻眼じゃないので、本物の眼帯はありませんよ。
なんて真面目に書くとね、きっと出てくるんですよ、大関がw
852 :
虎吉 :2009/12/19(土) 16:16:59
>>803 虎造師匠の伝記小説によると、実際に習ったのは神田伯山先生の弟子
神田ろ山先生の方だったそうですが、こちらも講談名人全集で聴く事ができます。
伯山先生のしぼった発声はかなり浪曲的ですね。
浪曲師も講談師もやっぱりあの「声」に私は惹かれますねぇ。
それから
>>843 は偽物。
騙されるな。
ほんとちょっと目を話したすきに何されるかわからん外道どもだ。
855 :
重要無名文化財 :2009/12/20(日) 01:05:57
>>853 ,854
あれもこれもスレ違いだって言うが、あんたの認める虎造関連ってどう言う話なのさ?
そしてまたこのスレ始まって以来あんたは虎造関連の話は1行も書いてないのはなぜ
なのさ?
スレ違いやめれ。 刀の話しろや。
>>855 それはね、お前が虎造関連以外の書き込みだけが俺の書き込みだと思い込んでるからさ。
858 :
重要無名文化財 :2009/12/20(日) 12:38:01
>>857 例えばどのレスがあんたの書いた虎造関連なんだ?
個人が特定されないのが2ちゃんの特質。 その手には乗るか。
訂正 ×個人が特定されないのが ○個人の発言が特定されないのが
特別にひとつだけ教えてやろう。
>>858 は俺の発言だ。
いやいや
>>862 こそニセモノだ。
みんな騙されるな。
実は
>>1 から
>>863 まで全部おれが書いてたんだよ。
意外でしょ。wwwwwwwww
↑当然ながら偽物だ。
ということで誰が本物で誰が偽物かわんなくなっちゃったでしょ? そういうもんだよ2ちゃんって。 2ちゃんで質問して答えが正しく帰ってくるなどという幻想は捨てた方がいいよ。 怪我しないうちにひよっこは引っ込んでな。
↑にせもの。
868 :
858 :2009/12/20(日) 13:13:32
>>866 よく分かりました。
おれさんも頑張って虎造スレを潰してくださいね。応援しています。
869 :
858 :2009/12/21(月) 08:45:39
どうとぼけようとお前さんが虎造関連のレスを一つも書いてないことだけはよくわかった。 もともとが荒し専門で、たまたま覗いたこのスレでなんかいちゃもんつけて待ってました とばかりに荒らしているのだと言うことだけはよくわかった。 そう言う自分を情けないと思う自分の眼によく耐えられるな、それだけは感心する。
一つだけ確かなことは、基地外は一人だけということか。
>>870 最初にスレ違いくり返したやつとそれに同調しておれをキチガイ扱いしたやつの最低二人はいる。
さてと・・・
軍刀(ぐんとう)とは、世界各国で軍用に供された刀剣類の総称である。 儀丈や礼装、指揮用として使用された刃のつけられていない模擬刀身仕込みの指揮刀・儀礼刀・短剣類も軍刀に含められる。 特に日本の場合、軍人の帯刀(佩用)は廃刀令で認められており、最初期は西洋式サーベルやサーベル拵(こしらえ 刀の外装のこと)の日本刀等まちまちであったが、西南戦争の抜刀隊に対する評価や日本人古来の刀に対する認識等から、 日本刀の刀身を改造して西洋風のサーベル形式の外装にいれて佩用されるのが普通となった。 その時代や戦場等場合にもよるが、基本的に軍刀を佩用出来る軍人は士官(将校)及び准士官であり、 それ以外では陸軍騎兵・輜重兵・憲兵等の特定兵科や本部勤務・営外居住の一部の 下士官兵(所謂、帯刀本分兵)も該当する。 昭和に入ると、日本式物品の称揚や実用的観点から半太刀拵になる等、バリエーションも非常に様々である。
基本的に帯刀本分兵の軍刀は官給品であったが、将校の佩用軍刀は拳銃同様に官給品ではないため、 階級に見合う刀剣を自前で購入する必要があった。これにより、軍刀としての基本形は定められていたものの、 あくまで「私物」のため、将校各個人の嗜好や趣味により実に様々な拵や刀身の軍刀が存在した (もっとも、一部の軍刀に興味のない者や財力が乏しい新任の少尉等は偕行社や水交社販売の所謂吊るしの 既成品軍刀剣を購入することもあった)。中には単に普通の日本刀の拵を軍刀として改造した物も多く存在する。 また前述の通り官給軍刀が支給されていた一部の下士官兵にも、財力、地位のある者や外地前線にいる者は将校と同じく 私物として誂え軍刀を佩用する事は多々あった。 軍人以外では警察、警察消防、鉄道省(院)や総督府といった省官庁等に勤める官吏や、有爵者等にも常勤・正装時の佩刀の定めがあった。 基本的に、銃が主流となってからは廃止・儀礼化する傾向にあり、第二次世界大戦当時の時点で軍刀を兵器として 運用していたのは、日本軍とその他幾つかの国のみであった。現在は各国とも、軍刀は完全に儀仗(刀の礼・抜刀礼)や 正装時といった儀礼時専用の装備となっている。
脇差(わきざし・わきさし)は、主兵装(本差)が破損などにより使えない時に使用される予備の武器を指す。 現在は日本刀の打刀(うちがたな)の大小拵えの小刀(しょうとう)をいうことが多い。 刺刀から発展し、古くは太刀の差し添えとして使われていて、打刀と同じ刃を上にして差す。 江戸時代武家諸法度の第一次改正により、武士の正式な差料が大小二つの刀を差すようきめられ、 大刀(だいとう)を本差、小刀(しょうとう)を脇差として装備することになった。 この時、脇差は刃渡り1尺(30cm)以上2尺(60cm)未満の物とされ、これにより小刀の需要はかなり増えたとされている。 このときの脇差、つまり小刀の刀装には通常、大刀と異なり小柄(こづか)はつけるが笄(こうがい)はつけない。 従って、打刀の鍔で刀身を通す中心穴(なかごあな)の他に笄櫃と小柄櫃の二穴が開いているのが 大刀の、小柄櫃のみの一穴のみ開いているのが小刀の鍔である。
なお、脇差は百姓、町人ら、非武士身分の者にも届け出があれば携帯を許されていた(→打刀も参照)。 このため侠客の抗争などにも長脇差と称し大刀と同じ長さの打刀が使用された。 また、上意討ち・無礼打ちの際討たれる理不尽を感じた者は両者にどのような身分差があっても 脇差ならば刃向かうことが許された。むしろ討たれる者が士分の場合、何も抵抗せずにただ無礼打ちされた場合は 国家鎮護守・外敵制征圧を担う軍事警察力である武家としての『不心得者である』として 生き延びた場合でもお家の士分の剥奪、家財屋敷の没収など厳しい処分が待っていたため 無礼打ちする方・受ける方双方命懸けで望まねばならなかった。そのため上司が上意討ちをする場合、 まず討つ相手に脇差を持たせてけしかけ、刃向かわせてから即座に斬る、という場合もあった。 また、幕末期には大小差しにおいても長いものが好まれ、新選組局長近藤勇の書簡にも 打刀とほぼ同寸のもの(長脇差)がよいとされている。 二天一流などの二刀を使う諸流派には、その奥義として間合いの外から脇差を投げ、 相手が対応する間に接近して切りかかるというものが多く伝承されている。 小刀(こがたな)は小さい、或は小型の方刃の物を言う。
フッフッフッ、どうやら俺様の刀の知識には、誰もグーの音も出ないらしいな。 基地外を怒らせると、こーなるってことが分かったか? しかも全員で、俺一人をよってたかっていじめやがって!
頭がパーの奴にグーは出せねーだろ。
>>878 ↑お分かりだろうがコイツはニセモノ。
品のなさですぐ分かる。
本物のキチガイ登場w
>>881 自分で登場する時に「○○見参!」とかよく言うよな。
鎌倉時代初期の日本刀は平安時代末期とあまりかわらない姿をしているが、 鎌倉幕府による武家政治の体制が確立し、刀剣界が活発になっていく。後鳥羽上皇は御番鍛冶を設置し、 月ごとに刀工を召して鍛刀させ、上皇自らも焼刃を施したといわれ、積極的に作刀を奨励した。 中でも備前の刀工則宗が有名である。この時期には山城国の粟田口派、備前国の一文字派が新たに興った。 鎌倉時代中期になると、実用性を重視した結果、身幅が広く元幅と先幅の差も少なくなり、 平肉がよくついてくる。鋒は幅が広く長さが詰まって猪首(いくび)となり、質実剛健の気風がよくでている。 この頃から短刀の制作が活発になり、作例がしばしば見うけられる。この時期の短刀の特徴としては、 反りがないか(刺刀:さすが)、わずかに内反り(棟が研ぎ減ったと考えられているか あるいは元から筍反:たけのこぞりと呼ばれる筍造:たけのこずくり)になっており、 茎は反りのないものと振袖形(ふりそでがた)がある。この時期の有名な刀工として、 山城の粟田口派の国友、則国、国吉、吉光、国安、同国来派(らいは)の国行、来国俊、 二字国俊(銘字を「来国俊」でなく単に「国俊」と切る)、大和国の当麻派「国行」、手掻派「包永」、保昌派、 千住院派、備前国の福岡一文字派、少し遅れて吉岡一文字派、長船派の光忠、その子長光、 備中国の青江貞次一派が存在する。 722 名前:重要無名文化財[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 15:53:56 また、鎌倉幕府では、作刀研究推進のため、各地から名工を招聘した。 主な刀工は、山城国から粟田口藤六左近国綱、備前国から福岡一文字派の助真、 国宗派の国宗、京伝、大和伝の流れを汲む新藤五国光等と言われている。特に新藤五国光は、 従来の山城伝伝統の精緻な地鉄の上に、大和伝に見られる沸働きの強い作風を確立し、 事実上「相州伝」の祖と言われている。その弟子には行光、国広がおり、行光の弟子に越中則重、 岡崎五郎入道正宗が知られている。備前伝が「匂出来」で知られる一方、相州伝は「沸出来」である。
平安時代初期の刀剣の遺品は乏しく、作風の変遷や、いつ頃どのようにして日本独自の湾刀が形成されたかについては、 学問的に十分解明されていないが、承平天慶の乱などが発生した平安時代中期以降(10世紀ころ) 従来の直刀に代わって騎乗時に扱い易い刀身に反りのある蕨手刀(彎曲刀)が使用されるようになった。 これは長らく苦しめられた東北との紛争で俘囚が騎乗しながら使用していた蕨手刀が影響しているとみられる。 また、平造り・切刃造りに代わって、刀身の断面が長菱形である「鎬造り」(しのぎづくり)の刀剣が造られるようになった のもこの時代である。「鎬造り」は平造り・切刃造りより頑丈で斬りやすいとされている。 以上の変化の過渡期にあたるのが柄が刀身と共鉄の毛抜形太刀や、鋒両刃(きっさきもろは)造りで 反りのある小烏丸(こがらすまる)である(小烏丸は古伝書には大宝年間(8世紀初頭)の刀工「天国」(あまくに)の作とあるが、 実際の制作は平安中期と見るのが定説となっている)。毛抜形太刀は、藤原秀郷所用と伝える伊勢神宮のものが著名である。 柄に毛抜形の透かし彫りがあることからこの名がある。
古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば、埼玉県の稲荷山古墳や島根県の古墳時代前期を代表する 出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣にはワカタケル (雄略天皇)に仕えた功績を記念して471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは 朽損しているが、島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、 黄金色の柄をもち刀身さえも古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。 7 - 8世紀以降の刀剣には原形を良く留めているものが多く、四天王寺の「丙子椒林剣」(へいししょうりんけん)や 「七星剣」(しちせいけん)、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」(きんぎんでんそうのからたち)などが知られている (湾刀完成以前の直刀には「太刀」ではなく「大刀」の字をあてる)。推古天皇が「馬ならば日向の駒、太刀ならば 呉のまさび」と詠んでいるように、この時代、呉(中国南東部の総称)の刀が最良とされていた。 が、日本の鍛冶職人の水準も上昇してきた。正倉院では唐太刀と呼ばれる海外からの渡来品と共に、 唐様太刀と呼ばれる国産の直刀も保管されている。また、平造り・切刃造りの直刀、蕨手刀(わらびてのかたな) といった国産の剣も現存している。
政治的時代区分では室町時代に包含されることの多い南北朝時代は、 刀剣武具史ではあえて別な時代として見るのが一般的である。 この時代の刀剣は他の時代と違い大太刀・野太刀といった大振りなものが多く造られている。 すでに述べた通り、この時代は相州伝が各地に影響をおよぼしている。 刃文は「のたれ」に「互の目乱れ」(ぐのめみだれ)を交えたものが良く見受けられ、 古来より一大勢力であった備前国においても、当時長船派の棟梁格であった兼光一派の作にも、 伝統の丁子乱れ(ちょうじみだれ)ではなく、互の目乱れが見られ、後の長船一派の刀工へ影響を及ぼしている。 この時代の太刀は、元来長寸の大太刀であったものを後世に磨上げ(すりあげ)・大磨上げ(おおすりあげ)されて 長さを調整され、打刀に造り直されているものが多い。 天正年間に織田信長等の戦国武将が、秘蔵の太刀を多く磨上させていることから、 室町末期の磨上を「天正磨上」と呼び非常な名刀が多い。またこの時代には小太刀もいくらか現存しており、 後の打刀を連想させるものと思われる。
889 :
重要無名文化財 :2009/12/21(月) 15:15:38
木刀(ぼくとう)は、木で日本刀を模したものである。武術では、木太刀(きだち)ともいう。 日本の剣術で形稽古に使用するために作られ、剣道、合気道においても素振りや形の稽古で使用される( 実戦に用いられることもある)。海外ではbokken(木剣)という呼び方のほうが一般的である。 螺鈿、彫刻など装飾された観賞用のものも市販されている。 一般に販売されている木刀は日本刀の形状を模したもので、ひろく流通しているものは土産物屋で見られる通り、 反りを打たせてあって断面が扁平な楕円型が多い。材質は赤樫や白樫が多いが、黒檀、すぬけ、枇杷などの 高価な素材のものもある。なお、赤樫は軽いが強く打ち合うと折れやすく、鉄刀木のような、 硬い木材は強く打ち合った際にささくれが生じやすい。
太刀(大刀)だけではなく、小太刀、鞘木刀、薙刀、槍、鎖鎌、実手、着剣した銃など 小太刀術、居合術、薙刀術、槍術、鎖鎌術、実手術、銃剣道においてもそれぞれの武器を木で模したものもがある。 現在は、様々な事情で作成が困難であるため、専門の木刀職人に流派独特のものを注文することが多い。 稽古人数が多い一部有名剣術流派のものは市販されている。 長さを大太刀に近い長さにした素振り用の木刀や、天然理心流剣術のように長さは変えず、 通常の真剣以上の重さにし、太く作る事で、正確な手の内を鍛える事等を目的とした、鍛錬用の木刀も存在する。 現在は、「樋」と呼ばれる、刀に彫る溝をつけた木刀なども手に入れる事ができる。 剣道用の市販品については竹刀と同様長さが固定されており、鍔と鍔止めは刃先からつける。 工芸品としての木刀は、8割〜9割が宮崎県都城市において製造されている。 示現流や薬丸自顕流では柞(ゆす)の木の枝葉を取り、適当な長さで切り、乾燥させたのみで 一切加工しない木刀を使用する。また打ち込み練習の相手用に長木刀(ながぼくと)というかなり長いが同じく 無加工の柞製の棒に太い紙縒り製の鍔を取り付けた木刀を用いる。
日本の剣術では形稽古は専ら木刀を使って稽古をしている。 また居合術併伝ではない流派などで鍛錬用木刀で日本刀も取り扱いできるように稽古する。 江戸時代初期あたりまでは木刀で打稽古が行われていたが、頭部を打てば生命に関るなど非常に危険なため、 打稽古は後に登場した竹刀に移行した。 剣道では剣道形の際に使用する。 抜刀術、居合道では入門直後の初心者は木刀で稽古し慣れたら直ちに模擬刀で稽古する。 極一部の居合術流派(江戸時代以来の流派)は鞘木刀で稽古をしている。 全国各地の歴史的建造物・史跡などの観光地の周辺の土産物店で土産物として木刀が販売されている。 主に修学旅行の児童・生徒の土産物を期待しているとされる。 初めて観光地で木刀が販売されたのは福島県会津若松市の飯盛山で、白虎隊をモチーフにした白虎刀とされる。 白虎刀がたいへんよく売れたため、製造会社が各地の観光地名が入った木刀を全国各地の観光名所に売り込んだため 全国で販売されるようになった。
洞爺湖の木刀も現在はかなりの人気がある[2][3]。中でも30年以上前から記念文字手彫りサービスを行っている 洞爺湖の「越後屋デパート」では、漫画『銀魂』の主人公「坂田銀時」がその柄に洞爺湖と彫られた木刀で戦う ストーリーで人気が集まり、同店の木刀が全国からの注文が急増している。 同店の「木刀に文字を彫るサービス」は数年前まではここでしか行っていなかったサービスであるので 越後屋デパートが最初であるといえる。(お客の目の前で文字彫りを行うのはここだけである) 第34回主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)が開催された際には洞爺湖町を訪れた外国人も多数購入している。
895 :
重要無名文化財 :2009/12/26(土) 07:57:56
おう、おめえの蘊蓄話なんてどうだっていいんだよ、こうなったら。
「日本刀」は元来、海外からみた場合の呼称である。古来の日本では「刀(かたな)」、もしくは「剣(つるぎ)」と呼び、 「日本刀」という呼称を使っていない。 「日本刀」という呼称は、北宋の詩人である欧陽修(おうようしゅう)の「日本刀歌」に見られる。 この詩の中で、越(華南)の商人が当時既に宝刀と呼ばれていた日本刀を日本まで買い付けに行くことや その外装や容貌などの美術的観点が歌われている。「日本刀歌」の本題は日本刀ではなく、 中国では既に散逸してしまった書物が日本には存在しているということを嘆いた詩ではあるが、 日本刀の美しさが、平安時代後期 - 鎌倉時代初期に既に海外の好事家などにも認められており、 輸出品の一つとされていたことを示している。 「日本刀」という名称が、日本人にとっての一般的名称として広まったのは幕末以降のことである。 その理由として、幕末以降、西欧に流出して評価が高まった日本の絵画が従来の西洋の絵画と区別して 「日本画」と呼称されるようになった事に対応して、西洋の刀剣に対して日本刀という呼び方が定着した。 それ以前は「打刀」(うちがたな)或いは「太刀」という呼称が一般的であった。
日本刀は、政治・経済・文化・風俗・習慣など、その時々の歴史的要因とあいまって変貌を繰り返してきた。 古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば、埼玉県の稲荷山古墳や島根県の 古墳時代前期を代表する出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。 稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣にはワカタケル(雄略天皇)に仕えた功績を記念して 471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは朽損しているが、 島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、 黄金色の柄をもち刀身さえも古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。 7 - 8世紀以降の刀剣には原形を良く留めているものが多く、四天王寺の「丙子椒林剣」(へいししょうりんけん)や 「七星剣」(しちせいけん)、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」(きんぎんでんそうのからたち)などが知られている (湾刀完成以前の直刀には「太刀」ではなく「大刀」の字をあてる)。推古天皇が「馬ならば日向の 駒、太刀ならば呉のまさび」と詠んでいるように、この時代、呉(中国南東部の総称)の刀が最良とされていた。 が、日本の鍛冶職人の水準も上昇してきた。正倉院では唐太刀と呼ばれる海外からの渡来品と共に、 唐様太刀と呼ばれる国産の直刀も保管されている。また、平造り・切刃造りの直刀、 蕨手刀(わらびてのかたな)といった国産の剣も現存している。
平安時代初期の刀剣の遺品は乏しく、作風の変遷や、いつ頃どのようにして日本独自の湾刀が形成されたかについては、 学問的に十分解明されていないが、承平天慶の乱などが発生した平安時代中期以降(10世紀ころ) 従来の直刀に代わって騎乗時に扱い易い刀身に反りのある蕨手刀(彎曲刀)が使用されるようになった。 これは長らく苦しめられた東北との紛争で俘囚が騎乗しながら使用していた蕨手刀が影響しているとみられる。 また、平造り・切刃造りに代わって、刀身の断面が長菱形である「鎬造り」(しのぎづくり)の刀剣が造られるようになったのも この時代である。「鎬造り」は平造り・切刃造りより頑丈で斬りやすいとされている。 以上の変化の過渡期にあたるのが柄が刀身と共鉄の毛抜形太刀や、鋒両刃(きっさきもろは)造りで 反りのある小烏丸(こがらすまる)である(小烏丸は古伝書には大宝年間(8世紀初頭)の刀工「天国」(あまくに)の作とあるが、 実際の制作は平安中期と見るのが定説となっている)。毛抜形太刀は、藤原秀郷所用と伝える伊勢神宮のものが著名である。 柄に毛抜形の透かし彫りがあることからこの名がある。
平安時代後期、特に武家勢力が活発になった前九年の役や後三年の役あたりから武家の勢力が増大し、 これに伴い太刀が発達し、通常これ以降の物を日本刀とする。良質な砂鉄がとれる雲伯国境地域や備前国と、 政治文化の中心である山城国・大和国などに刀工の各流派が現れてきた。このころの日本刀は 馬上決戦を中心に考えられた太刀が主体である。源頼光が大江山の酒呑童子を斬ったとされる 「童子切」(伯耆国の安綱作、国宝)やキツネ に合鎚を打たせたという伝説のある「小狐丸」(山城国の三条宗近作、 第二次大戦時に焼失)などがこの時期を代表する日本刀である。 「童子切」の作者である雲伯国境の安綱は古伝書には時代を9世紀初めの大同年間(806年頃)とするが、 現存作品を見る限りそこまで時代は上がらず、平安中期、10世紀末頃と見るのが刀剣史では通説となっている。 安綱のほか、山城(京)の三条小鍛冶宗近、古備前友成などが、現存在銘作のある最古の刀工とみなされる。
年の始め月の始めシの始めから、神棚に白っ紙を貼ったような静けさですね。 新年あけましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
鎌倉時代中期になると、実用性を重視した結果、身幅が広く元幅と先幅の差も少なくなり、 平肉がよくついてくる。鋒は幅が広く長さが詰まって猪首(いくび)となり、質実剛健の気風がよくでている。 この頃から短刀の制作が活発になり、作例がしばしば見うけられる。この時期の短刀の特徴としては、 反りがないか(刺刀:さすが)、わずかに内反り(棟が研ぎ減ったと考えられているか あるいは元から筍反:たけのこぞりと呼ばれる筍造:たけのこずくり)になっており、 茎は反りのないものと振袖形(ふりそでがた)がある。この時期の有名な刀工として、 山城の粟田口派の国友、則国、国吉、吉光、国安、同国来派(らいは)の国行、来国俊、 二字国俊(銘字を「来国俊」でなく単に「国俊」と切る)、大和国の当麻派「国行」、手掻派「包永」、保昌派、 千住院派、備前国の福岡一文字派、少し遅れて吉岡一文字派、長船派の光忠、その子長光、 備中国の青江貞次一派が存在する。
室町時代初期には備前国で「小反り」と呼ばれる一派が活躍した。主な刀工は長船政光、秀光、師光等である。 続く応永年間には、備前長船盛光、康光、家助、経家などの名工が輩出した。これらは応永年間に作られたものが多いので、 世に「応永備前」と呼ばれている。応永備前の特徴は、鎌倉時代の太刀を狙った腰反りがつく優美な姿である点にある。 また、嘉吉の変で、室内戦闘用に鎬作りの短い刀が求められたため、所謂脇差の製作が行われた点も重要なポイントである。 太刀から打刀、脇差の二本差しスタイルが生まれたのはちょうどこの時期である。 応永備前の打刀(2尺3寸前後)、脇差(1尺5寸前後)は非常に姿が良く、江戸時代に大名が美しい拵えを作るために珍重された。 この頃、たたら製鉄技術が一段進歩したと言われ、大規模な製鉄場跡が見られるようになる。
太刀:備前長船祐定(青貝螺鈿拵)。室町時代の太刀。平和な時代が始まったため刀剣の国内需要は低下したが、 明への重要な貿易品としての生産も行われるようにもなった。そして応仁の乱によって再び戦乱の世が始まると、 膨大な需要に応えるため、足軽など農民兵用に「お貸し刀」(貸与される刀)などの粗悪な「数打物」と呼ばれる 粗製濫造品が大量に出回るようになった。戦国時代に入ると刀剣生産が各地で行われ、特に祐定を名乗る刀工だけでも 60名強揃った備前国と、兼「某」を名乗る刀工が活躍した美濃国が生産拠点の双璧である。 他には、豊後、三原、大和、加賀、越中、駿州が知られている。寛正年間から火縄銃が普及する天正頃まで、 片手打ちの刀(2尺前後)が多い。また、合戦に明け暮れる武将は、己が命運を託する刀剣を特注することもあった。 これら「注文打ち」には名刀が揃っている。重要文化財に指定されている「長船與三左衛門祐定」の永正年期作は、 注文主の栗山某の美意識を反映してか、元から中ほどまで中直刃で、中から先まで互の目乱れを焼き、 従来にはない感覚の異色の名刀である。同時代の著名な刀工としては、 備前の則光、在光、賀光、祐光、勝光、宗光、清光、春光、治光、幸光等。美濃の兼定、兼元、兼常、兼房、兼先、兼道、 兼則、兼若、氏貞等が挙げられる。他地方では、相州綱広、千子村正、高天神兼明、豊後平鎮教、平安城長吉、手掻包真、 加州行光、宇多国宗、波平某等々。その他無名の刀工を含めると、第二次世界大戦時より刀工の数が多かったものと思われる。
青銅や鉄などの強靱な金属素材の精製、加工技術の発達により、ナイフや鉈の様な道具から長い刃を持つ剣や刀が生まれた。 日本においては中国から伝わった直刀を基に、平安時代の頃から独特の反りをつけた「太刀」と呼ばれる刀が製作されはじめ、 武人の一般的な武器となった。 また、アジア諸国では、11世紀から13世紀頃にかけて、馬上での斬り合いに適した ペルシャのシャムシールやインドのタルワールのような反りのついた刀が生まれている。 中国においては、片手に一振りの刀を持つ単刀術と、同じ大きさの刀を持つ双刀術などが主流。関連:中国刀 ギリシャでは紀元前10世紀には緩やかに湾曲した内側に刃を持つ、内反りのコピシュ(κ?πτω)と呼ばれる刀が 使われていた。またそれとは別にエジプトやメソポタミアのコピシュは斧刀とも呼ばれるショーテルにも似た S型に張り出た湾曲の形状である。 さらに紀元前7世紀頃からは鎌のように湾曲し、弧を描いた刀身の内側に刃を持つハルペー(ハルパー)と 呼ばれる刀が使われていた。 これは鎌のように相手に引っかけて引き切る武器でギリシャ神話の英雄ペルセウスが メデューサの首を切り落としたのもこのハルペーである。 また、この形状をした刀には振り下ろした際に相手の盾に 遮られないように曲げられたエチオピアのショーテルのようなものもあり、これらは斬る相手を先端部分で 刺す様な使われ方をする事が多く、両刃のものを有しているものもある。 西ヨーロッパでは鎧の発達によりあまり刀は発展せず、かわりに刺突用の剣が発達した。 しかし、16世紀頃銃によって重い鎧が廃れた事で、騎兵隊の身につけたサーベルなど、刀が見直される事となった。 刀に対応する言葉もなく、全てソードとして分類される。
昨日の「ジロチョー」、虎造節聞けましたね
いや、おれは聞いてないぞ。
鎌倉時代初期の日本刀は平安時代末期とあまりかわらない姿をしているが、 鎌倉幕府による武家政治の体制が確立し、刀剣界が活発になっていく。後鳥羽上皇は御番鍛冶を設置し、 月ごとに刀工を召して鍛刀させ、上皇自らも焼刃を施したといわれ、積極的に作刀を奨励した。 中でも備前の刀工則宗が有名である。この時期には山城国の粟田口派、備前国の一文字派が新たに興った。 鎌倉時代中期になると、実用性を重視した結果、身幅が広く元幅と先幅の差も少なくなり、 平肉がよくついてくる。鋒は幅が広く長さが詰まって猪首(いくび)となり、質実剛健の気風がよくでている。 この頃から短刀の制作が活発になり、作例がしばしば見うけられる。この時期の短刀の特徴としては、 反りがないか(刺刀:さすが)、わずかに内反り(棟が研ぎ減ったと考えられているか あるいは元から筍反:たけのこぞりと呼ばれる筍造:たけのこずくり)になっており、 茎は反りのないものと振袖形(ふりそでがた)がある。この時期の有名な刀工として、 山城の粟田口派の国友、則国、国吉、吉光、国安、同国来派(らいは)の国行、来国俊、 二字国俊(銘字を「来国俊」でなく単に「国俊」と切る)、大和国の当麻派「国行」、手掻派「包永」、保昌派、 千住院派、備前国の福岡一文字派、少し遅れて吉岡一文字派、長船派の光忠、その子長光、 備中国の青江貞次一派が存在する。
なお、脇差は百姓、町人ら、非武士身分の者にも届け出があれば携帯を許されていた(→打刀も参照)。 このため侠客の抗争などにも長脇差と称し大刀と同じ長さの打刀が使用された。 また、上意討ち・無礼打ちの際討たれる理不尽を感じた者は両者にどのような身分差があっても 脇差ならば刃向かうことが許された。むしろ討たれる者が士分の場合、何も抵抗せずにただ無礼打ちされた場合は 国家鎮護守・外敵制征圧を担う軍事警察力である武家としての『不心得者である』として 生き延びた場合でもお家の士分の剥奪、家財屋敷の没収など厳しい処分が待っていたため 無礼打ちする方・受ける方双方命懸けで望まねばならなかった。そのため上司が上意討ちをする場合、 まず討つ相手に脇差を持たせてけしかけ、刃向かわせてから即座に斬る、という場合もあった。 また、幕末期には大小差しにおいても長いものが好まれ、新選組局長近藤勇の書簡にも 打刀とほぼ同寸のもの(長脇差)がよいとされている。 二天一流などの二刀を使う諸流派には、その奥義として間合いの外から脇差を投げ、 相手が対応する間に接近して切りかかるというものが多く伝承されている。 小刀(こがたな)は小さい、或は小型の方刃の物を言う。
青銅や鉄などの強靱な金属素材の精製、加工技術の発達により、ナイフや鉈の様な道具から長い刃を持つ剣や刀が生まれた。 日本においては中国から伝わった直刀を基に、平安時代の頃から独特の反りをつけた「太刀」と呼ばれる刀が製作されはじめ、 武人の一般的な武器となった。 また、アジア諸国では、11世紀から13世紀頃にかけて、馬上での斬り合いに適した ペルシャのシャムシールやインドのタルワールのような反りのついた刀が生まれている。 中国においては、片手に一振りの刀を持つ単刀術と、同じ大きさの刀を持つ双刀術などが主流。関連:中国刀 ギリシャでは紀元前10世紀には緩やかに湾曲した内側に刃を持つ、内反りのコピシュ(κ?πτω)と呼ばれる刀が 使われていた。またそれとは別にエジプトやメソポタミアのコピシュは斧刀とも呼ばれるショーテルにも似た S型に張り出た湾曲の形状である。 さらに紀元前7世紀頃からは鎌のように湾曲し、弧を描いた刀身の内側に刃を持つハルペー(ハルパー)と 呼ばれる刀が使われていた。 これは鎌のように相手に引っかけて引き切る武器でギリシャ神話の英雄ペルセウスが メデューサの首を切り落としたのもこのハルペーである。 また、この形状をした刀には振り下ろした際に相手の盾に 遮られないように曲げられたエチオピアのショーテルのようなものもあり、これらは斬る相手を先端部分で 刺す様な使われ方をする事が多く、両刃のものを有しているものもある。 西ヨーロッパでは鎧の発達によりあまり刀は発展せず、かわりに刺突用の剣が発達した。 しかし、16世紀頃銃によって重い鎧が廃れた事で、騎兵隊の身につけたサーベルなど、刀が見直される事となった。 刀に対応する言葉もなく、全てソードとして分類される。
基本的に帯刀本分兵の軍刀は官給品であったが、将校の佩用軍刀は拳銃同様に官給品ではないため、 階級に見合う刀剣を自前で購入する必要があった。これにより、軍刀としての基本形は定められていたものの、 あくまで「私物」のため、将校各個人の嗜好や趣味により実に様々な拵や刀身の軍刀が存在した (もっとも、一部の軍刀に興味のない者や財力が乏しい新任の少尉等は偕行社や水交社販売の所謂吊るしの 既成品軍刀剣を購入することもあった)。中には単に普通の日本刀の拵を軍刀として改造した物も多く存在する。 また前述の通り官給軍刀が支給されていた一部の下士官兵にも、財力、地位のある者や外地前線にいる者は将校と同じく 私物として誂え軍刀を佩用する事は多々あった。 軍人以外では警察、警察消防、鉄道省(院)や総督府といった省官庁等に勤める官吏や、有爵者等にも常勤・正装時の佩刀の定めがあった。 基本的に、銃が主流となってからは廃止・儀礼化する傾向にあり、第二次世界大戦当時の時点で軍刀を兵器として 運用していたのは、日本軍とその他幾つかの国のみであった。現在は各国とも、軍刀は完全に儀仗(刀の礼・抜刀礼)や 正装時といった儀礼時専用の装備となっている。
912 :
重要無名文化財 :2010/01/14(木) 16:12:48
だからおれは聞いてないつってるだろ
日本刀は、政治・経済・文化・風俗・習慣など、その時々の歴史的要因とあいまって変貌を繰り返してきた。 古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば、埼玉県の稲荷山古墳や島根県の 古墳時代前期を代表する出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。 稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣にはワカタケル(雄略天皇)に仕えた功績を記念して 471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは朽損しているが、 島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、 黄金色の柄をもち刀身さえも古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。 7 - 8世紀以降の刀剣には原形を良く留めているものが多く、四天王寺の「丙子椒林剣」(へいししょうりんけん)や 「七星剣」(しちせいけん)、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」(きんぎんでんそうのからたち)などが知られている (湾刀完成以前の直刀には「太刀」ではなく「大刀」の字をあてる)。推古天皇が「馬ならば日向の 駒、太刀ならば呉のまさび」と詠んでいるように、この時代、呉(中国南東部の総称)の刀が最良とされていた。 が、日本の鍛冶職人の水準も上昇してきた。正倉院では唐太刀と呼ばれる海外からの渡来品と共に、 唐様太刀と呼ばれる国産の直刀も保管されている。また、平造り・切刃造りの直刀、 蕨手刀(わらびてのかたな)といった国産の剣も現存している。
基本的に帯刀本分兵の軍刀は官給品であったが、将校の佩用軍刀は拳銃同様に官給品ではないため、 階級に見合う刀剣を自前で購入する必要があった。これにより、軍刀としての基本形は定められていたものの、 あくまで「私物」のため、将校各個人の嗜好や趣味により実に様々な拵や刀身の軍刀が存在した (もっとも、一部の軍刀に興味のない者や財力が乏しい新任の少尉等は偕行社や水交社販売の所謂吊るしの 既成品軍刀剣を購入することもあった)。中には単に普通の日本刀の拵を軍刀として改造した物も多く存在する。 また前述の通り官給軍刀が支給されていた一部の下士官兵にも、財力、地位のある者や外地前線にいる者は将校と同じく 私物として誂え軍刀を佩用する事は多々あった。 軍人以外では警察、警察消防、鉄道省(院)や総督府といった省官庁等に勤める官吏や、有爵者等にも常勤・正装時の佩刀の定めがあった。 基本的に、銃が主流となってからは廃止・儀礼化する傾向にあり、第二次世界大戦当時の時点で軍刀を兵器として 運用していたのは、日本軍とその他幾つかの国のみであった。現在は各国とも、軍刀は完全に儀仗(刀の礼・抜刀礼)や 正装時といった儀礼時専用の装備となっている。
政治的時代区分では室町時代に包含されることの多い南北朝時代は、 刀剣武具史ではあえて別な時代として見るのが一般的である。 この時代の刀剣は他の時代と違い大太刀・野太刀といった大振りなものが多く造られている。 すでに述べた通り、この時代は相州伝が各地に影響をおよぼしている。 刃文は「のたれ」に「互の目乱れ」(ぐのめみだれ)を交えたものが良く見受けられ、 古来より一大勢力であった備前国においても、当時長船派の棟梁格であった兼光一派の作にも、 伝統の丁子乱れ(ちょうじみだれ)ではなく、互の目乱れが見られ、後の長船一派の刀工へ影響を及ぼしている。 この時代の太刀は、元来長寸の大太刀であったものを後世に磨上げ(すりあげ)・大磨上げ(おおすりあげ)されて 長さを調整され、打刀に造り直されているものが多い。 天正年間に織田信長等の戦国武将が、秘蔵の太刀を多く磨上させていることから、 室町末期の磨上を「天正磨上」と呼び非常な名刀が多い。またこの時代には小太刀もいくらか現存しており、 後の打刀を連想させるものと思われる。
明治6年、ウィーンで開かれた万国博覧会に日本刀を出品。 国際社会に日本人の技術と精神を示すものであった。しかし廃刀令以後は新たな刀の需要は殆んどなくなり、 当時活躍した多くの刀鍛冶は職を失った。また多くの名刀が海外に流出した。それでも政府は帝室技芸員として、 月山貞一、宮本包則の二名を任命。伝統的な作刀技術の保存に努めた。 一方で西南戦争における抜刀隊への評価から、日本陸海軍が将校の主要兵器として軍刀を採用し続け、 サーベル様式の軍刀拵えに日本刀を仕込むのが普通となり、さらには日露戦争における白兵戦で近代戦の武器としての 日本刀の有効性が確認され、また昭和に入り国粋主義的気運が高まった事から、 陸海軍ともにサーベル様式の軍刀拵えに代わり鎌倉時代の太刀拵えをモチーフとした、 日本刀を納めるのにより適した軍刀拵えが開発された(しかし同時に、軍刀として出陣した古今の数多くの刀が 戦地で失われることともなった)。
918 :
重要無名文化財 :2010/01/14(木) 18:18:48
ワーイワーイ、ちょっと突っつけば、ちゃーんと基地外が出てくる!楽しいなぁー
よかったな
青銅や鉄などの強靱な金属素材の精製、加工技術の発達により、ナイフや鉈の様な道具から長い刃を持つ剣や刀が生まれた。 日本においては中国から伝わった直刀を基に、平安時代の頃から独特の反りをつけた「太刀」と呼ばれる刀が製作されはじめ、 武人の一般的な武器となった。 また、アジア諸国では、11世紀から13世紀頃にかけて、馬上での斬り合いに適した ペルシャのシャムシールやインドのタルワールのような反りのついた刀が生まれている。 中国においては、片手に一振りの刀を持つ単刀術と、同じ大きさの刀を持つ双刀術などが主流。関連:中国刀 ギリシャでは紀元前10世紀には緩やかに湾曲した内側に刃を持つ、内反りのコピシュ(κ?πτω)と呼ばれる刀が 使われていた。またそれとは別にエジプトやメソポタミアのコピシュは斧刀とも呼ばれるショーテルにも似た S型に張り出た湾曲の形状である。 さらに紀元前7世紀頃からは鎌のように湾曲し、弧を描いた刀身の内側に刃を持つハルペー(ハルパー)と 呼ばれる刀が使われていた。 これは鎌のように相手に引っかけて引き切る武器でギリシャ神話の英雄ペルセウスが メデューサの首を切り落としたのもこのハルペーである。 また、この形状をした刀には振り下ろした際に相手の盾に 遮られないように曲げられたエチオピアのショーテルのようなものもあり、これらは斬る相手を先端部分で 刺す様な使われ方をする事が多く、両刃のものを有しているものもある。 西ヨーロッパでは鎧の発達によりあまり刀は発展せず、かわりに刺突用の剣が発達した。 しかし、16世紀頃銃によって重い鎧が廃れた事で、騎兵隊の身につけたサーベルなど、刀が見直される事となった。 刀に対応する言葉もなく、全てソードとして分類される
柳葉刀(りゅうようとう)とは、中国武術で使用される中国刀の一種。 分類的には、「短兵」と呼ばれる剣、刀、斧、錘、鞭、鉤などの片手持ちの武器の中でもっとも有名なものといえる。 片刃で湾曲した片手刀で、日本刀などに比べ、刃の幅が非常に広い。 重量と遠心力をつけ斬りつけることにより 威力を発揮する。 この型式の刀剣を、日本国内では(特に漫画やゲームなどのフィクションで)「青竜刀」「青龍刀」と呼称しているが、 厳密には青龍刀とは、小説『三国志演義』で有名な武将、関羽が愛用したような、薙刀に似た長い柄の先に 青龍の刻まれた大刀である青龍偃月刀を指す。
平安時代初期の刀剣の遺品は乏しく、作風の変遷や、いつ頃どのようにして日本独自の湾刀が形成されたかについては、 学問的に十分解明されていないが、承平天慶の乱などが発生した平安時代中期以降(10世紀ころ) 従来の直刀に代わって騎乗時に扱い易い刀身に反りのある蕨手刀(彎曲刀)が使用されるようになった。 これは長らく苦しめられた東北との紛争で俘囚が騎乗しながら使用していた蕨手刀が影響しているとみられる。 また、平造り・切刃造りに代わって、刀身の断面が長菱形である「鎬造り」(しのぎづくり)の刀剣が造られるようになった のもこの時代である。「鎬造り」は平造り・切刃造りより頑丈で斬りやすいとされている。 以上の変化の過渡期にあたるのが柄が刀身と共鉄の毛抜形太刀や、鋒両刃(きっさきもろは)造りで 反りのある小烏丸(こがらすまる)である(小烏丸は古伝書には大宝年間(8世紀初頭)の刀工「天国」(あまくに)の作とあるが、 実際の制作は平安中期と見るのが定説となっている)。毛抜形太刀は、藤原秀郷所用と伝える伊勢神宮のものが著名である。 柄に毛抜形の透かし彫りがあることからこの名がある。
刀剣史では、慶長以降の作刀を「新刀」として、それ以前の「古刀」と区別がされている。 違いは地鉄にある。従来は各々の地域で鋼を生産していたため、地方色が強く現われた。 しかし、天下が落着いたことにより、全国にある程度均質な鋼が流通するようになり、 刀剣の地鉄の差が少なくなったため、基本的に新刀の地鉄は綺麗である。 新刀の祖は梅忠明寿と言われており、その弟子に肥前国忠吉がいる。 備前鍛治が壊滅状態に陥った事もあり、京都に近い美濃国から京都、近江、越前、尾張、大坂へと刀工が移住していった。 中でも京都に入った兼道一族は、全国を転々とし京都堀川に居住した国広一派と技術交換含め、 新刀期の技術的基礎を築いた。諸国の刀鍛治は両派のいずれかに入門し、身につけた技術を全国へ伝播していった。 即ち、新刀の特色としては、美濃伝の特徴である「鎬地に柾目が流れる」ものとなる。 徳川家康が越前下坂康継をお抱え工としているが、康継も美濃伝を受け継いでおり、一部地域を除いて、 文字通り美濃伝が主流となった。これが新刀初期の実態である。
924 :
重要無名文化財 :2010/01/14(木) 22:49:51
作業の手が止まっているぞ 怠けてないでさっさと蘊蓄書けや、コラ
おめえの指図は受けねえよ
Wir haben die traurige Nachricht erhalten, das Joachim Miesbauer, ein Grundungsmitglied unseres Vereins und langjahriger Wikipedia Mitarbeiter im Bereich Biologie unerwartet am 24. Oktober 2009 von uns gegangen ist. Als Organisator des ersten Treffens der Wikipedia-Autoren des Fachbereichs Biologie und zahlreicher Treffen der Wiener Wikipedianer hat er viel zur Vernetzung der Wikipedia-Mitarbeiter beigetragen. Wikimedia Osterreich ware ohne sein Engagement nicht moglich gewesen.
Werden Sie Mitglied und unterstutzen Sie den Verein so dauerhaft! Sie konnen dem Verein entweder als aktives oder als Fordermitglied beitreten. Der Mitgliedsbeitrag fur naturliche Personen betragt laut gultiger Beitragsordnung 20 Euro pro Jahr (ermasigt 15 Euro); fur juristische Personen (Fordermitgliedschaft) gilt ein Mindestbeitrag von 100 Euro.
У овом оде?ку ?емо Вам обезбедити информаци?е потребне за контактира?е по?единаца или одре? ених положа?а. Уколико Вас занима уопштена диск уси?а о Викимеди?и и ?еним про?ектима, молимо се при к?учите неко? од наших ?авних ме?линг листа или ИРЦ канала.
Задужбина Викимеди?а не поседу?е готово ништа од садржа?а Викимеди?иних са?това ? он припада по?единачним доприносиоцима. Ме? утим, готово сав матери?ал ?е могу?е слободно користити без посебних дозвола под условима дате лиценце под ко?ом се та? садржа? налази. Погледа?те НПП о кориш?е?у за дета?на об?аш?е?а.
924 名前:重要無名文化財[] 投稿日:2010/01/14(木) 22:49:51 作業の手が止まっているぞ 怠けてないでさっさと蘊蓄書けや、コラ
901 名前:重要無名文化財[sage] 投稿日:2010/01/07(木) 00:29:11 明けましておめでとうございます。
873 名前:重要無名文化財[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 12:04:44 さてと・・・
害吉もとうとうネタ切れか・・・合掌
933 名前:重要無名文化財[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 18:52:31 害吉もとうとうネタ切れか・・・合掌
935 :
重要無名文化財 :2010/01/16(土) 00:18:31
|____ \□ □ / / _____ / / |_____| / / / /  ̄ (⌒ ⌒ヽ ∧_∧ (´⌒ ⌒ ⌒ヾ ( ) ('⌒ ; ⌒ ::⌒ ) ( ̄ ̄ ̄ ̄┴- (´ ) ::: ) | ( *≡≡≡≡≡三(´⌒;: ::⌒`) :; ) / / ∧ \ (⌒:: :: ::⌒ ) / / / \ \ ( ゝ ヾ 丶 ソ / / ( ̄) | |\ ( ̄) ヽ ヾ ノノ ノ / ( ノ ( | | \ ノ ( ⊂- ┘( ) └--┘ ( ) UUUU UUUU
935 名前:重要無名文化財[] 投稿日:2010/01/16(土) 00:18:31 |____ \□ □ / / _____ / / |_____| / / / /  ̄ (⌒ ⌒ヽ ∧_∧ (´⌒ ⌒ ⌒ヾ ( ) ('⌒ ; ⌒ ::⌒ ) ( ̄ ̄ ̄ ̄┴- (´ ) ::: ) | ( *≡≡≡≡≡三(´⌒;: ::⌒`) :; ) / / ∧ \ (⌒:: :: ::⌒ ) / / / \ \ ( ゝ ヾ 丶 ソ / / ( ̄) | |\ ( ̄) ヽ ヾ ノノ ノ / ( ノ ( | | \ ノ ( ⊂- ┘( ) └--┘ ( ) UUUU UUUU
937 :
sage :2010/01/16(土) 00:55:14
高木?
938 :
sage :2010/01/16(土) 00:59:08
>>937 いいえ、志村けんです。
を〜い!しむらぁ〜うしろ!うしろ!w
937 名前:sage[] 投稿日:2010/01/16(土) 00:55:14 高木? 938 名前:sage[] 投稿日:2010/01/16(土) 00:59:08 >>937 いいえ、志村けんです。 939 名前:重要無名文化財[****] 投稿日:2010/01/16(土) 07:54:37 を〜い!しむらぁ〜うしろ!うしろ!w
941 :
重要無名文化財 :2010/01/16(土) 10:08:20
( ゚∀゚)o彡゜うんちく!うんちく!
941 名前:重要無名文化財[] 投稿日:2010/01/16(土) 10:08:20 ( ゚∀゚)o彡゜うんち食う!うんち食う!
__,,,,、 .,、 /'゙´,_/'″ . `\ いつも俺様のUntikUを応援してくれるファンのみんなに : ./ i./ ,,..、 ヽ . / /. l, ,! `, ビッグでスペシャルなプレゼントだ .| .,..‐.、│ .| (´゛ ,/ llヽ | 今日は俺様自慢の宝刀を特別大公開! ヽ -./ ., lliヽ .| /'",i" ゙;、 l'ii,''く .ヽ 切れ味バツグン、3分もたずに逝っちゃうよ!! / ...│ ゙l, l゙゙t, ''ii_ :.! : /.._ / ヽ \\.`゙~''''''"./ .|-゙ノ/ : ゝ .、 ` .`''←┬゛ l゙ /.r ゛ .゙ヒ, .ヽ,  ゙̄| . | ./ l ”'、 .゙ゝ........ん l / ヽ .`' `、、 .,i゛ .l| ! ''''v, ゙''ー .l、 |l゙ .il、 .l .ヽ .¬---イ .ll゙, ./ ! ,! .!!...!! ,,゙''''ー .| l.",! .リ | l":| .〜''' ,. │ l; :! .|'" ...ノ,゙./ │ l: l「 ! . ゙゙̄ / ! .| .| ! ,i│ | :! .l. } ,i'./ | :! .| :| . / .| :! | ;! " .| :! ! │ │ :!:| ,! i ,! :! , .l, / .l゙ ! :! | , l. | .| :, : v'" .! |'i .ヽ, ./ :! .ヽ _, _/ / .l ゛ ._/ :l゙
/⌒'\ ( ,i::::::::::::i ./⌒\ 〉ノ:::::::::::| | ○゜ i ) ) /;/:::::::::::」/.〉 / ___.i;;.i::::::::::::i/ ..: .', / <<943 ./ ヾ .|;;i:::::::::::/.. ..;;〉.」 .__ .\|;.i:::::::::/ / ...;;/ _ノ\i_) i:::::::/ ...;;/ //  ̄ .|; i:::::/ / ..;;/ __.|;_i::/ ...;;/ ___/ .....;;/ .|;; i ...;;イ ノ;; ,.‐ ;;-.;i /;;; /' '' ;;;X |;; ;i;;.. 〜 ;;| X〜 ;i;;; ;;,. ;;;/ ヽ;;__\_;;/
蘊蓄がちんこなくしてカマ太郎
>>946 これでよくね?
蘊蓄の珍宝なくして身受山
946 名前:重要無名文化財[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 02:33:23
蘊蓄がちんこなくしてカマ太郎
947 名前:重要無名文化財[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 03:25:04
>>946 これでよくね?
蘊蓄の珍宝なくして身受山
949 :
sage :2010/01/17(日) 20:59:10
玉に金の字の付いたのが金多摩様のお守り
949 名前:sage[] 投稿日:2010/01/17(日) 20:59:10 玉に金の字の付いたのが金多摩様のお守り
それを背中いしょって…
多摩袋を高ッかく端折って…
アメダス(AMeDAS)とは「Automated Meteorological Data Acquisition System」の略で、 「地域気象観測システム」といいます。雨、風、雪などの気象状況を時間的、地域的に細かく監視するために、 降水量、風向・風速、気温、日照時間の観測を自動的におこない、気象災害の防止・軽減に重要な役割を果たしています。 アメダスは1974年11月1日から運用を開始し、現在、降水量を観測する観測所は全国に約1,300ヶ所あります。 このうち、約850か所(約21km間隔)では降水量に加えて、風向・風速、気温、日照時間を観測しているほか、 雪の多い地方の約290か所では積雪の深さも観測しています。
浪曲初心者です。 皆様に教えていただきたいのですが、清水次郎長伝の 鬼吉の喧嘩状という演目で次郎長と黒駒勝蔵が一触即発になりますよね。 玉屋の玉吉が仲裁を諦めたその後の喧嘩のくだりが見当たらないのですが 収録されたCDはあるのでしょうか? もう1つ疑問なのですが、血煙荒神山以降は次郎長一家が登場せず全然関係 無い話に思えるのですが・・・特に蛤屋の喧嘩など。 以上よろしくお願いします。
もし音源があるのなら、わっちも聴いてみたいです。
>>954 の富士川べりの喧嘩。
映画なんかじゃ勝蔵は不倶戴天の敵役ですが、浪曲ではどんなだろう…。
くらやみ代官文吉とかも出てくるのかしら。
三十石船、通せる人いる?
なんでぇ、藪から棒に
余計なお宝払って1畳ばかり買い切ってあたりでもう怪しい
960 :
英五郎 :2010/02/09(火) 21:53:56
>>957 通せないんなら虎造ファンとは言えない(きっぱり)。
なんとかヤケだってんでヤクザになって次郎長の子分。
オレはやりっぱなしだからな。
詰まりながらも、小遣いやらなくてよかった、までいけました♪。 これなら虎検4級くらいかしらん…。
964 :
重要無名文化財 :2010/02/12(金) 08:07:07
平安時代初期の刀剣の遺品は乏しく、作風の変遷や、いつ頃どのようにして日本独自の湾刀が形成されたかについては、 学問的に十分解明されていないが、承平天慶の乱などが発生した平安時代中期以降(10世紀ころ) 従来の直刀に代わって騎乗時に扱い易い刀身に反りのある蕨手刀(彎曲刀)が使用されるようになった。 これは長らく苦しめられた東北との紛争で俘囚が騎乗しながら使用していた蕨手刀が影響しているとみられる。 また、平造り・切刃造りに代わって、刀身の断面が長菱形である「鎬造り」(しのぎづくり)の刀剣が造られるようになった のもこの時代である。「鎬造り」は平造り・切刃造りより頑丈で斬りやすいとされている。 以上の変化の過渡期にあたるのが柄が刀身と共鉄の毛抜形太刀や、鋒両刃(きっさきもろは)造りで 反りのある小烏丸(こがらすまる)である(小烏丸は古伝書には大宝年間(8世紀初頭)の刀工「天国」(あまくに)の作とあるが、 実際の制作は平安中期と見るのが定説となっている)。毛抜形太刀は、藤原秀郷所用と伝える伊勢神宮のものが著名である。 柄に毛抜形の透かし彫りがあることからこの名がある。
刀剣史では、慶長以降の作刀を「新刀」として、それ以前の「古刀」と区別がされている。 違いは地鉄にある。従来は各々の地域で鋼を生産していたため、地方色が強く現われた。 しかし、天下が落着いたことにより、全国にある程度均質な鋼が流通するようになり、 刀剣の地鉄の差が少なくなったため、基本的に新刀の地鉄は綺麗である。 新刀の祖は梅忠明寿と言われており、その弟子に肥前国忠吉がいる。 備前鍛治が壊滅状態に陥った事もあり、京都に近い美濃国から京都、近江、越前、尾張、大坂へと刀工が移住していった。 中でも京都に入った兼道一族は、全国を転々とし京都堀川に居住した国広一派と技術交換含め、 新刀期の技術的基礎を築いた。諸国の刀鍛治は両派のいずれかに入門し、身につけた技術を全国へ伝播していった。 即ち、新刀の特色としては、美濃伝の特徴である「鎬地に柾目が流れる」ものとなる。 徳川家康が越前下坂康継をお抱え工としているが、康継も美濃伝を受け継いでおり、一部地域を除いて、 文字通り美濃伝が主流となった。これが新刀初期の実態である。
基本的に帯刀本分兵の軍刀は官給品であったが、将校の佩用軍刀は拳銃同様に官給品ではないため、 階級に見合う刀剣を自前で購入する必要があった。これにより、軍刀としての基本形は定められていたものの、 あくまで「私物」のため、将校各個人の嗜好や趣味により実に様々な拵や刀身の軍刀が存在した (もっとも、一部の軍刀に興味のない者や財力が乏しい新任の少尉等は偕行社や水交社販売の所謂吊るしの 既成品軍刀剣を購入することもあった)。中には単に普通の日本刀の拵を軍刀として改造した物も多く存在する。 また前述の通り官給軍刀が支給されていた一部の下士官兵にも、財力、地位のある者や外地前線にいる者は将校と同じく 私物として誂え軍刀を佩用する事は多々あった。 軍人以外では警察、警察消防、鉄道省(院)や総督府といった省官庁等に勤める官吏や、有爵者等にも常勤・正装時の佩刀の定めがあった。 基本的に、銃が主流となってからは廃止・儀礼化する傾向にあり、第二次世界大戦当時の時点で軍刀を兵器として 運用していたのは、日本軍とその他幾つかの国のみであった。現在は各国とも、軍刀は完全に儀仗(刀の礼・抜刀礼)や 正装時といった儀礼時専用の装備となっている。
青銅や鉄などの強靱な金属素材の精製、加工技術の発達により、ナイフや鉈の様な道具から長い刃を持つ剣や刀が生まれた。 日本においては中国から伝わった直刀を基に、平安時代の頃から独特の反りをつけた「太刀」と呼ばれる刀が製作されはじめ、 武人の一般的な武器となった。 また、アジア諸国では、11世紀から13世紀頃にかけて、馬上での斬り合いに適した ペルシャのシャムシールやインドのタルワールのような反りのついた刀が生まれている。 中国においては、片手に一振りの刀を持つ単刀術と、同じ大きさの刀を持つ双刀術などが主流。関連:中国刀 ギリシャでは紀元前10世紀には緩やかに湾曲した内側に刃を持つ、内反りのコピシュ(κ?πτω)と呼ばれる刀が 使われていた。またそれとは別にエジプトやメソポタミアのコピシュは斧刀とも呼ばれるショーテルにも似た S型に張り出た湾曲の形状である。 さらに紀元前7世紀頃からは鎌のように湾曲し、弧を描いた刀身の内側に刃を持つハルペー(ハルパー)と 呼ばれる刀が使われていた。 これは鎌のように相手に引っかけて引き切る武器でギリシャ神話の英雄ペルセウスが メデューサの首を切り落としたのもこのハルペーである。 また、この形状をした刀には振り下ろした際に相手の盾に 遮られないように曲げられたエチオピアのショーテルのようなものもあり、これらは斬る相手を先端部分で 刺す様な使われ方をする事が多く、両刃のものを有しているものもある。 西ヨーロッパでは鎧の発達によりあまり刀は発展せず、かわりに刺突用の剣が発達した。 しかし、16世紀頃銃によって重い鎧が廃れた事で、騎兵隊の身につけたサーベルなど、刀が見直される事となった。 刀に対応する言葉もなく、全てソードとして分類される。
基本的に帯刀本分兵の軍刀は官給品であったが、将校の佩用軍刀は拳銃同様に官給品ではないため、 階級に見合う刀剣を自前で購入する必要があった。これにより、軍刀としての基本形は定められていたものの、 あくまで「私物」のため、将校各個人の嗜好や趣味により実に様々な拵や刀身の軍刀が存在した (もっとも、一部の軍刀に興味のない者や財力が乏しい新任の少尉等は偕行社や水交社販売の所謂吊るしの 既成品軍刀剣を購入することもあった)。中には単に普通の日本刀の拵を軍刀として改造した物も多く存在する。 また前述の通り官給軍刀が支給されていた一部の下士官兵にも、財力、地位のある者や外地前線にいる者は将校と同じく 私物として誂え軍刀を佩用する事は多々あった。 軍人以外では警察、警察消防、鉄道省(院)や総督府といった省官庁等に勤める官吏や、有爵者等にも常勤・正装時の佩刀の定めがあった。 基本的に、銃が主流となってからは廃止・儀礼化する傾向にあり、第二次世界大戦当時の時点で軍刀を兵器として 運用していたのは、日本軍とその他幾つかの国のみであった。現在は各国とも、軍刀は完全に儀仗(刀の礼・抜刀礼)や 正装時といった儀礼時専用の装備となっている。
太刀(大刀)だけではなく、小太刀、鞘木刀、薙刀、槍、鎖鎌、実手、着剣した銃など 小太刀術、居合術、薙刀術、槍術、鎖鎌術、実手術、銃剣道においてもそれぞれの武器を木で模したものもがある。 現在は、様々な事情で作成が困難であるため、専門の木刀職人に流派独特のものを注文することが多い。 稽古人数が多い一部有名剣術流派のものは市販されている。 長さを大太刀に近い長さにした素振り用の木刀や、天然理心流剣術のように長さは変えず、 通常の真剣以上の重さにし、太く作る事で、正確な手の内を鍛える事等を目的とした、鍛錬用の木刀も存在する。 現在は、「樋」と呼ばれる、刀に彫る溝をつけた木刀なども手に入れる事ができる。 剣道用の市販品については竹刀と同様長さが固定されており、鍔と鍔止めは刃先からつける。 工芸品としての木刀は、8割〜9割が宮崎県都城市において製造されている。 示現流や薬丸自顕流では柞(ゆす)の木の枝葉を取り、適当な長さで切り、乾燥させたのみで 一切加工しない木刀を使用する。また打ち込み練習の相手用に長木刀(ながぼくと)というかなり長いが同じく 無加工の柞製の棒に太い紙縒り製の鍔を取り付けた木刀を用いる。
満州事変以後、軍造兵廠や一部の各機関の研究者は拵えだけでなく刀身においても兵士の装備としての可能性を追求した。 例えば満州の厳寒に対応した「振武刀」や海軍が使用したステンレス鋼の日本刀(「耐錆刀」)など、各種の軍刀が研究された。 日本刀の材料・製法を一部変更したものから、日本刀の形態を模した工業刀に至るまで、様々な刀身が試作・量産された。 これら特殊軍刀々身は「昭和刀」「新村田刀」「新日本刀」などと呼称され、物によっては従来の日本刀よりも (俗に名刀と呼ばれる刀であっても)武器としての資質において勝るものも数多くあったという。 悪品だったという俗説も未だ根強いが、これらはあくまで悪徳業者の販売した粗悪刀等で、一部を除き (初期や末期には粗悪品が見られる)妥当な評価ではない。鋳造説、造兵廠製刀身は粗悪品説に至っては論外である。 これらは将校准士官(軍刀初め軍装品類は私物として自費購入であった)には安価で惜しげなく使える刀身として重宝され、 下士官兵には官給軍刀(九五式軍刀等)として支給され、大量に実戦投入された。 本来の「戦いの武器としての日本刀」という観点では、各特殊軍刀々身は近代技術を取り入れられて完成された日本刀となり、 肝心の実用性に於いては究められたものの、見た目の美的要素は皆無な物が多く(関の半鍛錬昭和刀の様に 双方を兼ね備えた物もある)、今日では製造方法の上からも、日本刀の範疇には含まれない事にはなっている。 しかし最近になり、刀剣界では今まで見向きもされなかったこれらの軍刀にも人気が出てきており、同時に研究家や 収集家の新たな発見や偏った俗説の否定等、再評価の声が高くなっている(軍刀#刀身・軍刀についても参照)。
商業の中心地の大坂には、近郊から刀工が次第に集まってきた。 同時代の著名な刀工としては、三品派(親国貞・国貞(二代)・吉道・河内守国助)、 紀州から移住した大坂石堂派(康広、多々良長幸)、地元の助廣(初代、二代)、粟田口一派(忠綱、国綱)がいる。 これらの刀工集団の作を大坂新刀と呼び、新刀の中でも特に区別される。その特徴は地鉄にあり、 地鉄の美しさは新刀内でも群を抜く。背景には大坂の商業力と、古来より鋼の産地である備前、出雲、伯耆、播磨を 近辺に控えていることもあるだろう。そして美しい地鉄の上に華やかな刃文を創始した。特に有名なのは、 大坂正宗と賞される国貞(二代)井上真改の匂い沸深い直刃と、助廣(二代)津田助廣が創始した涛瀾乱れ。 中には「富士見西行」「菊水刃」と呼ばれる絵画的で華美な刃文も登場したが、 保守的な武士からは退廃的だと忌避されるものもあった。 また、元禄以降太平の世になると新たな刀の需要はなくなり、 刀を作る者も殆んどいなくなった。中には武芸者が特注打ちで流派に即した刀を鍛えさせているがごく少数である。 その中でも粟田口忠綱二代の一竿子忠綱は刀身の出来、彫りともに優れている。
tes
明治6年、ウィーンで開かれた万国博覧会に日本刀を出品。 国際社会に日本人の技術と精神を示すものであった。しかし廃刀令以後は新たな刀の需要は殆んどなくなり、 当時活躍した多くの刀鍛冶は職を失った。また多くの名刀が海外に流出した。それでも政府は帝室技芸員として、 月山貞一、宮本包則の二名を任命。伝統的な作刀技術の保存に努めた。 一方で西南戦争における抜刀隊への評価から、日本陸海軍が将校の主要兵器として軍刀を採用し続け、 サーベル様式の軍刀拵えに日本刀を仕込むのが普通となり、さらには日露戦争における白兵戦で近代戦の武器としての 日本刀の有効性が確認され、また昭和に入り国粋主義的気運が高まった事から、 陸海軍ともにサーベル様式の軍刀拵えに代わり鎌倉時代の太刀拵えをモチーフとした、 日本刀を納めるのにより適した軍刀拵えが開発された(しかし同時に、軍刀として出陣した古今の数多くの刀が 戦地で失われることともなった)。
政治的時代区分では室町時代に包含されることの多い南北朝時代は、 刀剣武具史ではあえて別な時代として見るのが一般的である。 この時代の刀剣は他の時代と違い大太刀・野太刀といった大振りなものが多く造られている。 すでに述べた通り、この時代は相州伝が各地に影響をおよぼしている。 刃文は「のたれ」に「互の目乱れ」(ぐのめみだれ)を交えたものが良く見受けられ、 古来より一大勢力であった備前国においても、当時長船派の棟梁格であった兼光一派の作にも、 伝統の丁子乱れ(ちょうじみだれ)ではなく、互の目乱れが見られ、後の長船一派の刀工へ影響を及ぼしている。 この時代の太刀は、元来長寸の大太刀であったものを後世に磨上げ(すりあげ)・大磨上げ(おおすりあげ)されて 長さを調整され、打刀に造り直されているものが多い。 天正年間に織田信長等の戦国武将が、秘蔵の太刀を多く磨上させていることから、 室町末期の磨上を「天正磨上」と呼び非常な名刀が多い。またこの時代には小太刀もいくらか現存しており、 後の打刀を連想させるものと思われる。
なお、脇差は百姓、町人ら、非武士身分の者にも届け出があれば携帯を許されていた(→打刀も参照)。 このため侠客の抗争などにも長脇差と称し大刀と同じ長さの打刀が使用された。 また、上意討ち・無礼打ちの際討たれる理不尽を感じた者は両者にどのような身分差があっても 脇差ならば刃向かうことが許された。むしろ討たれる者が士分の場合、何も抵抗せずにただ無礼打ちされた場合は 国家鎮護守・外敵制征圧を担う軍事警察力である武家としての『不心得者である』として 生き延びた場合でもお家の士分の剥奪、家財屋敷の没収など厳しい処分が待っていたため 無礼打ちする方・受ける方双方命懸けで望まねばならなかった。そのため上司が上意討ちをする場合、 まず討つ相手に脇差を持たせてけしかけ、刃向かわせてから即座に斬る、という場合もあった。 また、幕末期には大小差しにおいても長いものが好まれ、新選組局長近藤勇の書簡にも 打刀とほぼ同寸のもの(長脇差)がよいとされている。 二天一流などの二刀を使う諸流派には、その奥義として間合いの外から脇差を投げ、 相手が対応する間に接近して切りかかるというものが多く伝承されている。 小刀(こがたな)は小さい、或は小型の方刃の物を言う。
古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば、埼玉県の稲荷山古墳や島根県の古墳時代前期を代表する 出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣にはワカタケル (雄略天皇)に仕えた功績を記念して471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは 朽損しているが、島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、 黄金色の柄をもち刀身さえも古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。 7 - 8世紀以降の刀剣には原形を良く留めているものが多く、四天王寺の「丙子椒林剣」(へいししょうりんけん)や 「七星剣」(しちせいけん)、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」(きんぎんでんそうのからたち)などが知られている (湾刀完成以前の直刀には「太刀」ではなく「大刀」の字をあてる)。推古天皇が「馬ならば日向の駒、太刀ならば 呉のまさび」と詠んでいるように、この時代、呉(中国南東部の総称)の刀が最良とされていた。 が、日本の鍛冶職人の水準も上昇してきた。正倉院では唐太刀と呼ばれる海外からの渡来品と共に、 唐様太刀と呼ばれる国産の直刀も保管されている。また、平造り・切刃造りの直刀、蕨手刀(わらびてのかたな) といった国産の剣も現存している。
ウンチくん
明治6年、ウィーンで開かれた万国博覧会に日本刀を出品。 国際社会に日本人の技術と精神を示すものであった。しかし廃刀令以後は新たな刀の需要は殆んどなくなり、 当時活躍した多くの刀鍛冶は職を失った。また多くの名刀が海外に流出した。それでも政府は帝室技芸員として、 月山貞一、宮本包則の二名を任命。伝統的な作刀技術の保存に努めた。 一方で西南戦争における抜刀隊への評価から、日本陸海軍が将校の主要兵器として軍刀を採用し続け、 サーベル様式の軍刀拵えに日本刀を仕込むのが普通となり、さらには日露戦争における白兵戦で近代戦の武器としての 日本刀の有効性が確認され、また昭和に入り国粋主義的気運が高まった事から、 陸海軍ともにサーベル様式の軍刀拵えに代わり鎌倉時代の太刀拵えをモチーフとした、 日本刀を納めるのにより適した軍刀拵えが開発された(しかし同時に、軍刀として出陣した古今の数多くの刀が 戦地で失われることともなった)。
室町時代初期には備前国で「小反り」と呼ばれる一派が活躍した。主な刀工は長船政光、秀光、師光等である。 続く応永年間には、備前長船盛光、康光、家助、経家などの名工が輩出した。これらは応永年間に作られたものが多いので、 世に「応永備前」と呼ばれている。応永備前の特徴は、鎌倉時代の太刀を狙った腰反りがつく優美な姿である点にある。 また、嘉吉の変で、室内戦闘用に鎬作りの短い刀が求められたため、所謂脇差の製作が行われた点も重要なポイントである。 太刀から打刀、脇差の二本差しスタイルが生まれたのはちょうどこの時期である。 応永備前の打刀(2尺3寸前後)、脇差(1尺5寸前後)は非常に姿が良く、江戸時代に大名が美しい拵えを作るために珍重された。 この頃、たたら製鉄技術が一段進歩したと言われ、大規模な製鉄場跡が見られるようになる。
基本的に帯刀本分兵の軍刀は官給品であったが、将校の佩用軍刀は拳銃同様に官給品ではないため、 階級に見合う刀剣を自前で購入する必要があった。これにより、軍刀としての基本形は定められていたものの、 あくまで「私物」のため、将校各個人の嗜好や趣味により実に様々な拵や刀身の軍刀が存在した (もっとも、一部の軍刀に興味のない者や財力が乏しい新任の少尉等は偕行社や水交社販売の所謂吊るしの 既成品軍刀剣を購入することもあった)。中には単に普通の日本刀の拵を軍刀として改造した物も多く存在する。 また前述の通り官給軍刀が支給されていた一部の下士官兵にも、財力、地位のある者や外地前線にいる者は将校と同じく 私物として誂え軍刀を佩用する事は多々あった。 軍人以外では警察、警察消防、鉄道省(院)や総督府といった省官庁等に勤める官吏や、有爵者等にも常勤・正装時の佩刀の定めがあった。 基本的に、銃が主流となってからは廃止・儀礼化する傾向にあり、第二次世界大戦当時の時点で軍刀を兵器として 運用していたのは、日本軍とその他幾つかの国のみであった。現在は各国とも、軍刀は完全に儀仗(刀の礼・抜刀礼)や 正装時といった儀礼時専用の装備となっている。
鎌倉時代中期になると、実用性を重視した結果、身幅が広く元幅と先幅の差も少なくなり、 平肉がよくついてくる。鋒は幅が広く長さが詰まって猪首(いくび)となり、質実剛健の気風がよくでている。 この頃から短刀の制作が活発になり、作例がしばしば見うけられる。この時期の短刀の特徴としては、 反りがないか(刺刀:さすが)、わずかに内反り(棟が研ぎ減ったと考えられているか あるいは元から筍反:たけのこぞりと呼ばれる筍造:たけのこずくり)になっており、 茎は反りのないものと振袖形(ふりそでがた)がある。この時期の有名な刀工として、 山城の粟田口派の国友、則国、国吉、吉光、国安、同国来派(らいは)の国行、来国俊、 二字国俊(銘字を「来国俊」でなく単に「国俊」と切る)、大和国の当麻派「国行」、手掻派「包永」、保昌派、 千住院派、備前国の福岡一文字派、少し遅れて吉岡一文字派、長船派の光忠、その子長光、 備中国の青江貞次一派が存在する。