高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk 高槻放送協会 ◆WnAThkQEpk
滋賀県における公共交通機関の維持整備に関する計画について
諮 問 昭和56年 1月29日
答 申 昭和57年 4月 6日
改定諮問 平成 6年 7月 6日
改定諮問理由
前回の昭和57年答申以後昭和62年4月に国鉄改革が実施される等鉄道を巡る状況が大きく変化し、
交通サービスの高度化、高齢化社会の進展、環境・エネルギー問題等交通を取り巻く制約条件が健在化する等様々な社会変化が起こっている。
こうした状況の変化や課題に対応し、効率的な公共交通機関の維持整備を図り、新たに中長期的な展望に基づく公共交通機関の維持・整備のあり方を示すため。
改定答申 平成 7年 6月 9日
改定答申内容
滋賀県を大津湖南交通圏、甲賀交通圏、中部交通圏、湖東交通圏、湖北交通圏、湖西交通圏の6つの交通圏に分け、
滋賀県の公共交通の維持整備についての重点目標と計画を含め、
それぞれの交通圏の公共交通の維持整備の基本的方向と進めるべき主な施策について提言している。
〇大津湖南交通圏
・琵琶湖博物館等の整備が進められている烏丸半島における湖上アクセスの検討。
・滋賀県の中心地域として住宅開発が進んでおり、これに対応したバス路線の新設や運行回数の増回を進める。
・JR石山駅周辺等渋滞によりバスの機能が低下している地域については、バス優先レーンの設置やバスロケーションシステムの導入等を図る。
・大阪・京都方面との連絡強化のため、JR東海道本線の輸送力増強及び京阪京津線の京都東西線への乗り入れを行う。
・びわこ・京阪奈・大阪線(湖東・大阪線)構想の実現に向けた需要喚起策の検討を行う。
・本交通圏の北部地域(米原駅と京都駅の中間付近)における新幹線の新駅の設置について検討する。
・びわこ空港が整備された場合には、県内主要都市からのリムジンバスやタクシーといった公共交通機関によるアクセス整備を図る。
〇甲賀交通圏
・JR草津線の増発、増結、行き違い設備の新設等による輸送力増強を図る。
・JR草津線沿線の住宅開発に合わせバス路線の新設・運行回数の増回を図る。
・近江鉄道及び信楽高原鉄道の機能強化を検討する。
・びわこ・京阪奈・大阪線(湖東・大阪線)構想の実現に向けた需要喚起策の検討を行う。
〇中部交通圏
・JR東海道本線の高速化や通勤ライナーの増発等輸送力増強を図る。
・近江鉄道本線・八日市線については、ピーク時の増発や快速列車の運行等が行えるよう設備投資を図る必要がある。
・びわこ空港が整備された場合には、臨空地域の開発計画に合わせたバスによるアクセス整備を検討する。
〇湖東交通圏
・JR東海道本線の高速化や通勤ライナーの増発等輸送力増強を図る。
・近江鉄道本線について、ピーク時の増発や快速列車の運行等が行えるよう設備投資を図る。
・山間部等の需要減少地域ではバス輸送の維持を図るため、地方バス路線維持費補助金制度や自治体による支援を検討する。
〇湖北交通圏
・乗換抵抗の軽減のため、JR北陸本線・湖西線の交流区間の直流化と今後の需要に応じた北陸本線の増発を図る。
・JR東海道本線の米原駅以東について名古屋、岐阜方面との連絡強化のため増発、高速化等を図る。
・山間部等の需要減少地域ではバス輸送の維持を図るため、地方バス路線維持費補助金制度や自治体による支援を検討する。
〇湖西交通圏
・今後の需要の動向に対応してJR湖西線の増発、快速運転の実施を図る。
・福井方面との連絡強化のため、JR湖西線とJR小浜線を結ぶ今津・上中線構想を検討する。
【「青に変わらない」 制御盤も異常 安全確認せず】
1991年5月14日。その日は、朝から抜けるような五月晴れだった。
信楽高原鉄道の列車運行を担当する里西孝三主任は午前八時十分ごろ、滋賀県甲賀郡信楽町の信楽駅に出勤した。ロッカー室で制服に着替え、いつものように駅務室で、会社から貸し与えられた懐中時計をNTTの時報に合わせた。
春の交通安全運動の一環として、近畿運輸局の係官がこの日、安全対策などの査察に来ることになっていた。泊まり明けの職員から、係官が昼前に信楽駅に到着する下り列車で来ることを知らされた。
午前十時十分、貴生川発の下り列車(三両)が定刻より約三分遅れて信楽駅一番ホームに到着した。満員に近い約二百五十人の乗客があった。改札口南側の臨時集札所は混雑し始めた。
県立陶芸の森で開催中の世界陶芸祭のために特別に設けられていた。連休後の平日にもかかわらず陶芸祭は連日、人気を集めていた。
到着列車は、折り返し午前十時十四分貴生川行き上り列車として発車する予定だった。車庫から一両増結され計四両編成となった。里西主任は、列車を出発させるためホームの先に立っている信号機を青にしょうと、駅務室にある制御盤のテコを倒した。
二、三度テコを倒したが、出発信号は青に変わらなかった。
上り、下りの列車の進行方向がわかる制御盤の盤面には、なぜか下り列車が信楽駅方向に向かっていることを示す表示灯が点灯していた。
下り列車はいま信楽駅に到着したばかりだ。次にJR草津線から高原鉄道に乗り入れるJR臨時列車「世界陶芸祭しがらき号」は、貴生川駅を発車する前だ。信楽駅に向かって走行する列車がない以上、点灯するはずがない。
里西主任は、駅務室とホームの間にいた上司の中村裕昭業務課長に、異常を伝えた。中村課長は制御盤を見て、信号設備工事会社から派遣されていた八木沢守係長を呼ぶように言った。
八木沢係長はこの時、臨時集札所で乗客の切符を集める手伝いをしていた。「きょうはアルバイトが少ないので」と頼まれ、列車を降りる客に応対していた。制御盤に下りの表示灯が点灯しているのを見た後、信号機を点検するため、電気設備のリレー室に急いだ。
信楽町役場に年金の書類を出した後、一両目で発車を待っていた信楽町牧、無職辻キサさん(74)は、運転士が「しばらくお待ち下さい」と車内放送するのを聞いた。
駅員らは列車と信号機の方を行き来し、ばたばたしていた。「三、四人の駅員さんが何か心配そうな顔をして話をしておられましたが、内容まで分かりませんでした」
時間は刻々と過ぎた。だが、出発信号は青に変わらない。里西主任はこの時、中村業務課長から「腕章を出せ」と怒鳴られた、という。トラブルで信号機が使えない場合には、代わりの運行方法として、腕章をした人間が運転士とは別に乗り込むことになっていた。
里西主任は駅務室の用品箱から、腕章を取り出して中村業務課長に渡した。腕章を受け取った別の職員、中村業務課長、近畿運輸局の係官を出迎えに行く奥村清一常務らが列車に乗り込んだ。
午前十時二十五分ごろ、貴生川行きの高原鉄道の上り列車は赤信号のまま、定刻より十一分遅れて発車した。だが、発車前に、行き違い場所の小野谷信号所に職員を派遣して、対向列車の位置などの安全確認はされないままだった。
JR臨時列車「世界陶芸祭しがらき号」は、定刻より約二分遅れの午前十時十八分、世界陶芸祭に向かう乗客ら716人を乗せ、貴生川駅を発車していた。
JR京都駅のホームは軽装の夫婦連れら世界陶芸祭を楽しみにする乗客であふれていた。
JR臨時列車「世界陶芸祭しがらき号」(林光昭運転士)は、あっという間に乗客で埋まり、定刻より五分遅れの午前九時三十分に始発の京都駅を発車した。
「三両目に乗ろうとしたが乗れそうになく、二両目、一両目と前に進んだ。車内は身動きが自由にできず、すし詰め状態だった」と城陽市の会社員。定員の約二・五倍の乗車率だった。
世界陶芸祭号は、草津線の貴生川駅から信楽高原鉄道(単線)に乗り入れ、水口町の小野谷信号場で、先に待避線に入って停車している高原鉄道列車を右手に見ながら、その間に通過し、信楽駅に到着することになっていた。
大津駅を過ぎたころ、乗客の中に気分が悪いと訴える中年の女性が二人あり、車掌室で休んでいたが、うち一人は草津駅で降りた。
草津線などの運行管理をする亀山CTCセンター(三重県亀山市)では、陶芸祭号が遅れていることを知り、午前九時四十四分ごろ、遠隔操作で下り方向の走行を優先させる「方向優先テコ」を作動させた。
方向優先テコを操作すれば、小野谷信号の上り出発信号を赤にし続け、上りの高原鉄道を停車させておくことができ、予定通り行き違いが可能となる。
貴生川駅に到着した世界陶芸祭号は、停車時間などの短縮でやや遅れを回復。定刻より約二分遅れの午前十時十八分発車、信楽高原鉄道に乗り入れた。依然、超満員で七、八人の乗客がホームに残った。
【「いつもと違う…」 高原列車の姿 待避線になし】
午前十時二十五分ごろ、上りの高原鉄道列車が赤信号のまま発車した信楽駅では、里西孝三主任が急いで駅務室に戻り、制御盤に赤信号で発車したことを示す「誤出発ランプ」が点灯しているかどうか確かめた。
赤信号で発車すると、線路上の検知装置が、小野谷信号所の下り出発信号を強制的に赤にする。下りの世界陶芸祭号は、小野谷信号所内で停車して正面衝突は防げるはずだった。
里西主任は誤出発ランプの点灯を見るのは初めてだった。しかし、信楽駅の制御盤では小野谷信号所の信号機の状態は分からず、本当に作動しているか不安があったという。
「信楽指令、感度あれば応答せよ」。発車して間もなく、駅務室の無線機に、列車に乗り込んだ中村裕昭業務課長からの声が飛び込んできた。「八木沢係長を呼んでくれ」
世界陶芸祭号は午前十時半ころ、小野谷信号場にさしかかった。先に待避線に入って停車しているはずの高原鉄道列車の姿はなかった。
林運転士は、高原鉄道を三十回あまり往復していた。上り列車が到着していない時もあった。その時の下り信号は赤だった。
だが、この日は青信号だった。「いつもと違うかなと感じたが、上り列車は何かの事情で信楽駅に止まっていると思った」。青信号だったので通過した。
沿線は新緑が鮮やかだった。信楽駅まであと五・六キロ。ゆるやかな下りから、カーブになった。時速五十四キロ前後。
その時、高原鉄道列車が目の前に現れた。「だめだ」。林運転士は非常ブレーキをいっぱいにかけて目を閉じた。
白色ボディーの高原鉄道列車と、肌色の世界陶芸祭号の先頭車両が、空に向かって山のように盛り上がっていた。
信楽駅を高原鉄道列車が発車する直前に、列車が行き違う小野谷信号場に行くよう指示された高原鉄道の神山昇主任は、倉田富司施設主任と二人で白色軽トラックで信号場を目指していた。JR世界陶芸祭号と行き違いさせるポイントを切り替えるカギを手にしていた。
国道307号に出て間もなく、右手に列車の前部が盛り上がった高原鉄道の車両が目に飛び込んだ。
「列車が脱線している」。倉田主任は軽トラックの無線で信楽駅へ叫ぶように通報した。午前十時四十分ごろだった。線路に近づくと、車体の前が空に向け45度の角度で折れ曲がったJR世界陶芸祭号があった。「衝突しとる!けが人もいる」。二報を入れた。
昼前に到着予定の近畿運輸局の係官に説明するため、信楽駅事務室の自席で、踏切など安全対策案を考えていた山本長生施設課長は「頭の中が真っ白になった」。
直後、事故の列車内は不思議なほど静かだった。
甲賀郡消防本部の上村光男さん(43)と堂山吉広さん(40)は、三階建てほどの高さに傾斜したJRの先頭車両の前部に入った。約五十人の乗客が車両の底に折り重なっていた。
乗客の手足が座席にはさまり、人の重みで引っぱり出せない。「早く助けて」。小さな声が、むこう側で何度も消えていった。「みなさん、体力も気力もすでになかったのだと思います」
車両は鉄板が厚く、切断は難しい。国道側と山側の窓にロープを張り、上から順に救出するしかなかった。救助作業は難航、時間との闘いだった。白いヘルメットがまたたく間に血で染まった。
高原鉄道の運転席から、淵本繁運転士=当時(51)=の遺体を収容し、救助作業を終えたのは、日付が変わった十五日午前零時を過ぎていた。
死者はJR30人、高原鉄道12人。重軽傷数は合わせて614人。大惨事だった。
【11日前にも「赤」発車 誤出発装置 正常に作動】
91年5月14日の大惨事で、信楽高原鉄道も、列車に乗っていた奥村清一常務や中村裕昭業務課長ら職員五人の命を失った。
事故後まもなく、信楽高原鉄道が、事故が起きた11日前の「5月3日」にも赤信号で発車していたことが、滋賀県警の調べ分かった。
14日と同じく、3日も、信楽駅の上り出発信号が赤から青に変わらず、上り列車は赤信号のまま発車した。
3日は、赤信号の発車を検知して対向列車側の信号を強制的に赤にする「誤出発検知装置」が正常に作動。JR世界陶芸祭号は待避線がある小野谷信号場内に停車し、事故には至らなかった。
「5月3日」の模様を関係者の供述や証言でたどると、次のようだった。
3日に信楽駅で列車の運行担当をしていたのは、14日とは別の運転主任だった。3日午前十時十四分発の貴生川行き上り列車を発車させるため、ホームの前方にある上り出発信号を青にしようと駅務室の制御盤のテコを倒した。だが信号は青にならなかった。
「えらいこっちゃ、信号が出やん」。運転主任は大きな声を上げた。信号設備工事会社から派遣された八木沢守係長は外出していて、その場にいなかった。
信号を使えない場合、代わりの運行方法として、発車以前に行き違い場所の小野谷信号場(無人)に駅長役の職員を派遣。信楽―小野谷間に対向列車がないことを確め、信楽駅の運転主任と電話で打ち合わせた後、発車させなければならないことになっていた。
「小野谷に、だれか人をやらんと」と運転主任が話すと、中村課長から「人がおらんやないか。だれを行かせるんや」と言われたという
連休さなかの祝日。信楽町で開催中の世界陶芸祭は、一日で約四万二千人の入場者があり、信楽駅も大混雑していた。3日は、奥村常務も改札の手伝いをしなければならない忙しさだった。
列車は定刻より十分遅れて赤信号で発車した。中村業務課長は小野谷信号場のポイントの切り替えなどのため乗り込んだ。
対向列車の信号を強制的に赤にする「誤出発検知装置」が正常に作動しても、信楽駅では、小野谷信号場の信号機の状態は分からないシステムになっている。運転主任は、世界陶芸祭号側の信号が間違いなく赤になっているか、不安だった。
運転主任は小野谷信号場に行こうと、マイカーに乗った。道路が空いていれば十分ほどで行ける。だが、「自分は運行責任者で駅を離れてはいけない」と思い、途中で駅に引き返した。「居てもたってもいられない気持ちでした」。その時の気持ちを、運転主任はそう証言した。
だが、発車する前、ホームにいた中村課長から小野谷信号場に行くように依頼されたという職員の供述もある。
この職員は、小野谷信号場の安全確認のため車で向かったが、陶芸祭人気で国道307号が渋滞して前へ進めず、駅に戻った。中村課長に改めて相談しようと引き返したところ、列車はすでに発車していたという。
高原鉄道列車が発車して約十五分後。運転主任は、中村課長から小野谷信号場に着いたと電話を受けた。小野谷信号場の世界陶芸祭号側の下り信号が、赤になっていたのだと分かり、ほっとした。
惨事が起きた5月14日、運転主任は泊まり明けで信楽駅構内でポイント清掃をしていた。大惨事となった二度目の赤信号発車について裁判で、こう話した。
「3日に誤出発装置が働いたので、働くと思っていました」
なぜ、14日は誤出発装置が正常に作動せず、小野谷信号場の世界陶芸祭号側の信号が「青」になってしまったのか。
信楽高原鉄道が導入した信号システムは、万が一、赤信号で列車が発車しても、線路上にある「誤出発検知装置」を踏むと、信楽駅と小野谷信号場を結ぶ回線の電流が切れ、対向側の信号を強制的に赤にし続け、対向列車を停車させる仕組みになっている。
91年5月3日も、赤信号で発車したが、この装置が正常に作動したため、間一髪で惨事を免れた。しかし、事故当日の5月14日は、この装置が作動せず、対向車両側の信号は「青」だった。
原因は何なのか。捜査の目は、事故当日、信楽駅の電気設備室で信号機のトラブルを点検中だった、信号設備工事会社から派遣されていた八木沢守係長に向いた。
滋賀県警は、運輸省交通安全公害研究所の鉄道技術評価研究室長に信号システムの鑑定を依頼した。そのの結果、「人為的な配線が行われた可能性が非常に高い」ことが分かった。
大津地検は、事故から一年七カ月後の九二年末、誤出発検知装置の回線接続を誤操作したとして八木沢係長や、電気設備など鉄道施設を担当する山本長生施設課長、列車運行担当の里西孝三主任の信楽高原鉄道の三人を、業務上過失致死傷罪などで起訴した。
【装置の理解不十分 増員もなく増便に対応】
「増員もされず、信号の専門家が補充されることもなく、社内には信号システムのことをちゃんと理解できている人はだれ一人いないような状態でした」
信楽高原鉄道の運転主任の一人は、裁判所に提出した書面で、当時の高原鉄道の社内状況についてこう述べている。
信楽高原鉄道は、国鉄分割民営化で廃線の岐路にたち、滋賀県や信楽町などが株主になり、87年に第三セクターで発足した。
事故当時、高原鉄道の常勤職員は、奥村清一常務や中村裕昭業務課長、山本施設課長ら二十人で、旅行センターを除くと、鉄道関係職員は十七人だった。列車運行の責任者である駅長役は、四人の運転主任が交代で務めていた。
奥村常務は信楽町職員出身で鉄道にあまり詳しくなく、運輸業務は旧国鉄で運転の助役をした中村課長が支えていた。山本施設課長は旧国鉄では一貫して線路の管理などに当たる保線区に所属していた。
91年4月20日からの世界陶芸祭の開催に伴い、高原鉄道は、主催者の滋賀県などから輸送力アップを要請される。
信楽駅から貴生川駅までの十四・七キロ(単線、約二十三分)を、それまでは一日に十五・五往復だったのが、陶芸祭の期間中は、JRの乗り入れを含めて一日に二十六往復に増便された。
信号システムや行き違い場所の小野谷信号場は、輸送力アップに対応するために新設された。
陶芸祭直前の91年3月、信号システムの説明会が、二回にわたり信楽駅で行われた。
工事会社の説明が終わった後、運転主任は中村課長に「わからなかった。どうして取り扱いするのですか」と聞くと、中村課長も「わしも分からんのや。(工事会社に)個々に聞いてくれ」と答えたという。
この信号システムの新設工事の現場監督をしていたのが八木沢係長だった。高原鉄道の要請で、八木沢係長は高原鉄道に世界陶芸祭期間中、常駐することになる。
八木沢係長は裁判でこう述べている。
「私は信号装置の専門家ではなく、そのことは派遣を要請された信楽高原鉄道の関係者も承知されていました。作業については記憶が定かでなく、私は列車を出発させないよう要請しており、(高原鉄道が)信号を無視して出発することまで予測できませんでした」
【「伝えた」「聞かぬ」優先テコ設置】
行き違い場所の小野谷信号場で、JR世界陶芸祭号の下り出発信号が「赤」にならなかった理由は、信号設備工事会社から派遣された係長が信楽駅構内の電気設備の回線を誤操作した可能性が高いとされ、信楽高原鉄道の専門家不在が浮き彫りになった。
では、大惨事の発端となった信楽駅の上り出発信号はなぜ、「青」にならず「赤」になってしまったのか。
滋賀県警の捜査は、草津線などの運行や貴生川駅の信号を扱うJR亀山CTCセンター(三重県亀山市)に設置されている遠隔操作の「方向優先テコ」に向いた。
方向優先テコは、草津線から乗り入れるJR列車の到着が遅れた場合に、下り方向の走行を優先し、小野谷信号場の上り信号を赤にし続け、上り列車を信号場に停車させておくことができる。
事故後、この方向優先テコの設置をめぐって、信楽高原鉄道は「知らされていなかった」と主張。一方、JR側は「連絡した」と話し、双方の言い分が食い違っていることが分かった。
世界陶芸祭の開催に伴い、高原鉄道は信楽駅と小野谷信号場、JRは貴生川駅と亀山CTCセンターの信号システムの工事を受け持った。工事はそれぞれ別々の業者に発注された。
事故の前年の九〇年九月、信号システム導入について、信楽高原鉄道とJRの打ち合わせ会議が大阪のJR西日本本社で開かれた。
信楽高原鉄道は山本長生施設課長、中村裕昭業務課長、下請けの信号設備工事会社、基本設計を担当する会社の部長、JRは電気部信号通信課、運輸部管理課、亀山CTCセンターなどの担当者が出席した。
「行き違い場所の小野谷信号場の上り出発信号を抑止(赤)にする機能が欲しい」。JR西日本側はこう要望した。
JR世界陶芸祭号など貴生川発の下り列車が遅れた場合、信楽発の上り列車が先に貴生川駅に到着すると、高原鉄道ばかりでなく、草津線のダイヤにも影響するためだ。
JRの要望に対し、高原鉄道の下請け設計会社の部長は「小野谷信号場は高原鉄道の設備なので、JRさんが扱うのはおかしいんとちがいますか」と言ったという。
会議中、信号に詳しくない信楽高原鉄道の二人の課長からはあまり発言がなかったという。
会議から数日後、高原鉄道側は、信楽駅内に方向優先テコと同じ作用をする「抑止ボタン」を設置する図面案をJRに送った。
図面を見たJR側は「この案は具合が悪い。JR側で操作できる方がベター」と、内部で方向優先テコの設置を決め、高原鉄道に連絡することにした。
JRの担当者は「(設計会社部長に)電話をし、方向優先テコを設けるので、抑止ボタンはいらないと伝えた記憶がある。(電話の相手は)信号設備工事会社の部長だったかもしれない」としている。
しかし、高原鉄道側の設計会社部長は、電話は受けていないという。信号設備工事会社部長も「JRから抑止ボタンを取って下さいとはいわれたが、方向優先テコをつける話は聞いていない」と証言している。
「言った」「聞いていない」。方向優先テコの設置の経過をめぐって、いまも双方が真っ向うから裁判で争っている。
さらに捜査で、JRと連絡をとらずに、信楽高原鉄道が別の信号工事をしていたことが分かった。この工事が、方向優先テコを含んだ信号システムを変化させ、信楽駅の信号を「赤」にし、事故を誘発していく。
大惨事は、これから信楽駅を出発する上り列車の信号が「赤」だったことから始まった。なぜ「青」にならず「赤」になったのか。
滋賀県警の調べで、信楽高原鉄道が無認可で信号システムの変更工事を行っていたことが明らかになった。
この変更工事で、信号機の連動が当初より変わり、さらにJR亀山CTCセンター(三重県亀山市)の方向優先テコを操作する時期によっては、信楽駅の信号が「赤」になることが分かった。
変更工事は、運転士の一人が、列車の運転をスムーズにするためにと、信号機の色の表示について要望したことがきっかけだった。
「安全サイドの変更やから、やりたい」。世界陶芸祭の運用開始が約一カ月後に迫った九一年三月五日、信楽高原鉄道の運輸担当の中村裕昭業務課長から、山本長生施設課長はこう頼まれたという。
山本課長は、近畿運輸局への認可申請をするまでに間に合わないと考え、反対したという。
しかし、変更工事は、その三日後に行われた。新設された信号システムに対する指定検査機関の検査合格を受けた当日だった。
「3月5日」から変更工事着手までの経過を供述や証言でたどると、次のようだった。
5日に高原鉄道から信号システムの変更工事の要望を聞いた信号設備工事会社の部長は、機器の移設や材料を手配する時間的余裕がなく、信号装置メーカーに高原鉄道の要望を伝えた。
メーカーの担当者は変更案の図面を作り二日後、高原鉄道に送った。翌日、図面が下請けや孫請け…と渡される過程で、工事関係者の間の連絡が不十分なまま工事が行われたという。
変更工事を知った信号設備工事会社の部長は「びっくりして、何でやったんだと(工事関係者を)叱った」と証言している。
図面を作ったメーカー担当者は「あくまで案で、口頭でもいいから、近畿運輸局に即、申請すべき」と信号設備工事会社の部長に申し入れたという。
結局、高原鉄道が「手続きをする」ということで、話がついたとされる。
JRが設置した方向優先テコは、もともと貴生川発の下り列車が遅れた場合に、下り方向の走行を優先し、小野谷信号場の上り信号を赤にし続け、上り列車を信号場に停車させるだけだった。
ところが、この変更工事で信号システムが一部変わった。方向優先テコを操作するタイミングによっては、下り方向の走行を優先する作用が小野谷信号場を超えて、信楽駅の信号機にまで及ぶようになったというわけだ。
配線の変更工事をした業者は「手続きがとられていなかったことは事故後知った。元に戻せと指示されたら、二時間もあれば十分でした」と供述している。
運転の安全の理由で行われた変更工事が、結果的に信楽駅の「赤」につながったとは、事故後の捜査で分かるまで、だれも知らなかった。
高原鉄道は、近畿運輸局への認可も受けず、JR側に変更工事を知らせていなかった。だが、高原鉄道側は「JRの方向優先テコの設置を聞いていれば、あの時の『信楽駅の赤信号』の原因は分かったはず」と主張する。
これに対し、JRは「方向優先テコの設置を伝えているし、(もともと付けることになっていた)貴生川駅の方向テコと機能は同じだ」と、双方の言い分がぶつかりあい裁判で争っている。
JRは、近畿運輸局への届けをせずに方向優先テコを設置、高原鉄道も無認可で変更工事をしたとして、両鉄道会社と担当者が九三年、鉄道事業法違反で略式起訴され、罰金刑を受けている。
【見落とされた「予兆」】
世界陶芸祭に合わせ、新しく導入された信号システムではあったが、信楽高原鉄道、JR双方の打ち合わせや連絡が十分でなかったことが、事故の遠因として浮き彫りになった。
信楽高原鉄道列車は、単線の路線を赤信号で発車するという、やってはならない危険性を、なぜ、いとも簡単に踏み超えたのだろうか。
91年5月14日と同じように赤信号で発車した「5月3日」は、線路上の誤出発検知装置が正常に作動し、惨事には至らなかった。
本来、検知装置は列車が万が一、間違って赤信号で発車した場合、安全なように設置されたものだ。
高原鉄道の運転主任は「誤出発装置が働けば、対向(世界陶芸祭号)の信号が赤になるということが頭の中にありました」と述べている。システムへの過信、油断があったのだろうか。
「定時運転に一番神経を使います。遅れると、行き違い列車や接続列車も被害を被る。列車の遅れでお客さんの商談が失敗したと聞いたこともあります」。高原鉄道の運転士の一人はこう話す。
鉄道は、交通機関の中でも特にダイヤ順守を求められる。定時運行が乗客の信頼の礎であることは、昔も今も変わらない。