1 :
名無し野電車区 :
04/01/20 12:13 ID:K0pavJPP 蒸気機関車がどんどん輸入され、鉄道がどんどん増え、 ダイヤ改正の度にハラハラドキドキしたあの頃。 国民全員が驚きの目で見つめてたよね。 新しい話だとキリがないので、明治9年までって事で。
2ゲット!
沿線ではよく十五代様が写真を撮っておられましたね。
一号機関車は島原鉄道に逝ってから復元の上 博物館逝きでした。
5 :
しいなん :04/01/20 13:59 ID:LodNe/eQ
1000いかなそー(藁 漏れが小学2年のときに社会科見学で小平駅に行ったときに 駅長「日本で最初に鉄道が走ったの知ってる人、いますか?」 漏れ「明治五年新橋、横浜間です」 と言ったらその場にいた全員(3クラス)がへぇ〜を連発していた。 漏れるはげんきかな?
6 :
名無し野電車区 :04/01/20 16:26 ID:McHlSOMx
新橋−桜木町だろ
激しくワロタ 名スレの悪寒
>4 それは無理、15代様は静岡に謹慎していて。東京まで出てこれない。 静岡まで開業したのが明治22年の事だから、写真を撮ったのは その後の話。
9 :
名無し野電車区 :04/01/20 16:41 ID:McHlSOMx
これを語るには、奥中山氏に登場してもらうのが一番
ネタ元になる資料が限られてるからな〜 話題が発展する余地があるんだろうか。 とりあえず190形(原型)はどういう意図で導入されたんだろうか、 とネタ振り。
奥中山氏よか先に登場しました(^^)
>>6 ソレを云うなら汐留〜桜木町
>>11 単なる員数合せとか言ってみる
最初の3年って、ちょうど200年前 トレビシックのペニダーレンとかしか ないんじゃないかとおもいまつが
奥中山はまだか! オカマスキー殿に先に越されたぞ。
大いなる旅路 TV版だれか持ってないか? これ見れば語れる
18 :
名無し野電車区 :04/01/22 01:56 ID:6q6+0k9R
1435でなぜ作らなかったのか? イギリスだってそれの方がカマをそのまんま日本に持ってこれるからメリットが多いはず。
20 :
しいなん :04/01/22 14:12 ID:+zGymanq
>>16 文章の書き方からして多分、16歳くらい。
>>19 イギリスの植民地の物をそのまま持ってこれるんじゃなかったか?
21 :
しいなん :04/01/22 15:17 ID:+zGymanq
>>19 も少し日本の鉄道の歴史を勉強しろよ、、、ハヅカシイ
>>22 >>19 は歴史を踏まえているからこそ、植民地でもない日本への導入についての素朴な疑問ではないか?
24 :
しいなん :04/01/22 16:45 ID:+zGymanq
>>23 イギリスにとっては植民地程度の扱いだったのかな?
25 :
鈴木光太郎 :04/01/22 17:44 ID:35IBRR0N
26 :
しいなん :04/01/22 18:55 ID:+zGymanq
明治9年までってことだけど、それまでの間に開業当初の10両以外の機関車が 導入されたりしたのだろうか?
27 :
しいなん :04/01/22 19:14 ID:+zGymanq
>>26-27 阪神間の開業に際してM6年に下記の4形式12両が輸入されてます
2, 4号→D1→5000 (B1)♯スチュアート
14, 16, 18, 20号→E1→7010 (C)キット損
6, 8, 10, 12号→A4→120 (1Bt)ロバートスティヴン孫
22, 24号→B1→1290 (Ct)万人具ウォー弗
なお上記のうち18, 20号はM8年に2Bに改造されてD2→5100 (2B)となる
M9年にはこの増備版D4→5130 (2B)が6両キット損で造られて升
従ってM9以前の官設鉄道の釜は京浜間の10両と合わせて全部で28両で舌
>>19 >>20 自分のほうから「国土も狭いし、狭軌でいいよ」って言ったんだよ。
後から「あれは俺の失敗だった。俺が狭軌でいいって言っちゃったんだ。」 とは大熊重信の言である。
漏れが大熊に助言した。
32 :
名無し野電車区 :04/01/23 19:31 ID:3yCpRo6T
1号機関車って、流転の末、島原鉄道で最後の活躍をしたってほうとう?
大隈は125歳まで生きられると妄想してた。
>>29 「国土が狭い」って云っても英本土よか広いワケだし
建設費にしたって枕木と砂利が少し余分に要るくらいでしょ・・・
標準軌にしたところで欧米並みの釜が造れたワケではないですケド
>>31 反省汁!!
>>32 流転って云っても官鉄の中ですケド
京浜間→阪神間→半田(武豊線)→大阪入換→島原鉄道
んで買い戻す際に「鉄道省のどの機関車でもいいから交換に」ちゅーコトで里帰り
>>34 >「鉄道省のどの機関車でもいいから交換に」
交換した機関車は何でしょうか?
標準軌ならミカイが走っていたかも。至極残念でつ。
36 :
35 :04/01/24 11:09 ID:w7Zzn0H/
しかし、狭軌で設置してしまったからこそ、今の新幹線があるのかもしれない。 そう考えると、すべて罪だけと片付けるのはいかがなものか?とも思う。
>36 漏れもそう思う いきなり標準軌なら車両限界がイギリス規格、今の在来並になりかねないし 新幹線も有り得なかっただろう。 そのかわり満鉄が広軌になった鴨w
>>35 茄子ミスウィルソン製600形656とのコト
ソースは川上本デス
39 :
鈴木光太郎 :04/01/25 08:41 ID:QaUBgGxo
川上本では1号機関車は不調だったという、資料が挙げられてます。 或いは当時は1機関車1専任機関士だったので、運転手との相性が悪かったのか? 半田への転出は営業第1線から落ちこぼれたのか、 それとも、1形式1両では使いずらくてしょうがなかったのが理由か?
40 :
名無し野電車区 :04/01/25 11:46 ID:L+g0w2SZ
>>37 いや、仮に車両限界が現在来並にしても高速別線というやり方で新幹線
は出来てたと思われ。それに改主建従だったら、今の我田引高速道路
という思想も無かっただろうし。漏れは最初に狭軌を採用したことも、その後
標準軌に改造よりも新線建設を優先したことは日本鉄道界、ひいては
交通界全体の間違いであったと確信している。
41 :
名無し野電車区 :04/01/25 13:10 ID:Ts1nOVsW
現在の輸送力と需要を考えとき、狭軌の致命的な欠点は見つからない。歴史は変えようもないし、 どういう評価をするのは各人勝手だが。 しかし、狭軌を単純に失敗だったと決め付けるのは、こどもと同じ。 狭軌だからこそ、それをバネに戦後大いなる発展してきたのも事実。 新幹線の単独建設は、設計の自由度があるなか信頼でき、大量輸送で、かつ高速で走れるというメリットをもたらしている。 狭軌でも山岳路線の多い日本で、いかにスピードアップさせるかを常に考え、技術開発をし、数々の名車両も生んでいる。 思いだけで、現実の狭軌を否定するのは避けてほしい。
42 :
名無し野電車区 :04/01/25 13:26 ID:66HjZq98
>>41 >狭軌だからこそ、それをバネに戦後大いなる発展してきたのも事実。
そういう考え方は、過去の失敗を正当化するための後付けの理由で
賛成出来ない。
>>42 そういう考え方は、過去の失敗を正当化するための後付けの理由で
賛成出来ない。
そいう感情で、自分で論理展開するわけでもなく物事を片付けるのは賛成出来ない。
いきなり標準軌でも車両限界が今の在来並で線形および車両技術が現実と同レベルなら 現実とさほど違わない時期に輸送力限界に達するので どのみち別規格の高速別線(新幹線)は出来たでせう(仏蘭西TGVのように) あと狭軌の致命的な欠点は横からの外力に弱いコトで 橋梁上で強風により転覆したコトは多々有り(勢田川、餘部、葛西・・・) 印度の広軌(と三角屋根)はモンスーン対策が主眼デス ソネ教授などは電気技術(モーター)の進歩でゲージは狭くてもイイようなコトP誌に書いてたが 外乱要素を全く考えない机上の空論と言うべきモノ
まあ、一人前に自前で鉄鋼が造られたのが20世紀初めなんだから…
46 :
しいなん :04/01/25 21:48 ID:LkMqwwQy
まぁ、ゲージの話をするスレではないのだが
160名機の悪寒
48 :
鈴木光太郎 :04/01/26 19:55 ID:fAa8aQLj
まあ、トレビジックといっても、初代でなく、3代目の指導で機関車を作ったのだから…
まー鉄道開業時のハナシにゲージ論は付き物なワケだが
>>47 まー鉄道開業時点では名機と言っていいワケだが
50 :
しいなん :04/01/26 22:09 ID:HX/C2YSb
>>49 >まー鉄道開業時のハナシにゲージ論は付き物なワケだが
そうかもしれないけど、せっかく1が超限定してSLのスレを立ててくれたので
それに沿って話す方がいいかなぁって。
しかし、
>新しい話だとキリがないので、明治9年までって事で。
で、スレタイが「蒸気機関車最初の3年を語るスレ」
これって突込みどころ?(藁
>>50 「最初の3年」だとM5から足掛けでM7まで、丸三年でもM8までってコトで砂
まー1,2年違っても大勢に影響無いワケだが
ついでにA4も名機の悪寒
>>51 するってーとM13開業の幌内鉄道の話はこのスレではできないと・・・
53 :
鈴木光太郎 :04/01/27 00:41 ID:UGJHxxNi
路線的には新橋、横浜間 京阪神間のみ。 日本鉄道、幌内鉄道を除外。 計画路線の話として、東京、近畿間鉄道は海岸線(東海道)経由でなく、 内陸線(中仙道)経由という時代が「最初の3年」でしょうか?
>>50 なんだかんだで96が51年まで生き残ったのを逆にもじったんじゃないか?
マジなところ、蒸気機関車がどんどん輸入され、鉄道がどんどん増え、ちゅーのは 日清戦争に勝って以後のハナシなので 「最初の30年」つまりM35までってコトではダメでせうか・・・
56 :
しいなん :04/01/28 01:14 ID:nYUIxLyP
>>54 もじったとは?
>>55 んー
>>1 に出てきてもらいたいよね。どういう意図でこのスレタイなのか?って(藁
57 :
名無し野電車区 :04/01/28 03:02 ID:YmOcOT37
『ディーゼル機関車最初の3年』を語る方が遥かに難しいね。
58 :
1 :04/01/28 13:06 ID:Roqau2e5
∧∧ ∧∧ / ,,゚Д゚ヽ/゚Д゚,, ヽ, …… / ヽ, (________) ∧∧ ∧∧ ∧∧ (;/⌒ヽ, /゚Д゚,, ヽ/゚Д゚,, ヽ, …… ,/ ヽ / ヽ, (____) (________) ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ (;/⌒ヽ, /゚Д゚,, ヽ/゚Д゚,, ヽ/゚Д゚,, ヽ ・・・・・・・ ,/ ヽ / ヽ, (____) (___________ ) ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ (;/⌒ヽ, ズズ... /゚Д゚,, ヽ/゚Д゚,, ヽ/゚Д゚,,ヽ ,/ ヽ __/ ヽ, (____) (_____________) ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ Σ (;/⌒ヽ, チュルン /゚Д゚,, ヽ/゚Д゚,, ヽ/゚Д゚,,ヽ ,/ ヽ ____/ ヽ, ( ___________________ ) ヌヲー!!!!! ∧∧ チュルルル… ∧∧ ∧∧ 、 (#/⌒ヽ, 、 、 ./゚Д゚,,V;゚Д゚ヽ∧∧丶 ,/ ヽ _n_n__/ ゚∀゚ヽ ( __________________)
59 :
名無し野電車区 :04/01/28 14:19 ID:SNVaief+
明治村の9号機は古そうですね。 これって新橋−桜木町間を走ったカマでしょうか?
60 :
名無し野電車区 :04/01/28 16:48 ID:mn36PoDe
ペルリが持ってきたライブスチームは、紀元前の話でつか。 佐賀藩も、すぐまねしてつくったとか。
61 :
鈴木光太郎 :04/01/28 18:13 ID:PDweR3cQ
>>60 裏付けを取った資料ではないので、絶対確かとは言えませんが、
http://www.catskillarchive.com/rrextra/porter.Html 上記ページの中間よりやや上に以下の記述があります。
「locomotives to Japan?save only for the "quarter-scale"
Norris engine that Admiral Perry had brought to Yokohama
in 1854, thus making the Japanese immediate railway enthusiasts.」
これによれば、「ノリス機関車の1/4模型をポーターが作った」
という意味合いになります。
>>61 "save only for"は"except only for"と同義、つまり「〜を除いては」だから
「ペリー提督が持ち込んだノリスの模型を除いては日本で最初の米国釜のメーカーだった」
つまり義経一族のコト
>>62 12号機は明治7年ですか。これが現役というのはすごいですね。
昔、西武山口線にコッペルがいたな。これも明治の初め頃のカマ?
志んばしの機関車方から聞いた話だが9号機はどうも具合が悪いらすい。 ほとんど動いていないで人間でいえば死んだようなものだとかと言っていた。 そこで9号機の製造所の名前から動かなくなった機関車のことを「あぼんしている」とも言っているらすい。 何年か後にはこれが流行り言葉になる悪寒。
で!結局このスレは明治何年までの話しをすればいいのか?
68 :
名無し野電車区 :04/01/29 19:51 ID:6ynziQf5
「大いなる旅路」でも出てきたと思うけど、 士族の駅員と、平民の客との窓口でのやりとりは面白かったな。 客「あの〜。手形を一枚売って頂きたいのですが・・」 駅員「うむ。売ってつかわす。シテその方いずこへ参る」 客「へえ、横浜まで参りとうございます・・」 駅員「上等・中等・下等とあるが、いずれにいたす」 客「へえ、どれでもいいんでござんすが・・」 駅員「バカ者!どれでもいいではわからぬ!下等なら下等とハッキリ申せ!」 客「ひぃ〜、下等を一枚お願いいたしやすぅ〜」
TV版・大いなる旅路は売ってないのかな? あれは名作中の名作 当時、家庭用ビデオなんかなかったし・・・ もう一度見たい
TV版はにたことなーい。
71 :
名無し野電車区 :04/01/29 21:12 ID:2xQqKcY0
加悦鉄道の2号機関車も相当古そうじゃが このスレドの範囲内かのう?
72 :
しいなん :04/01/29 21:43 ID:af+f538O
>>67 >>71 適当に話しているうちに収まってくればいいかなぁ。
ダメなら
>>1 が出てきて苦言を呈すでしょ(藁
>>65 旧頚城2号が1911年製、旧井笠1号が1913年製デス
>>66 9号は1912年ボォルドウィン製、米国製は概して粗製濫造の傾向が有り升
>>68 JRになるまでは似たようなもので舌(--#
>>71 加悦2号機は阪神間開業時のNo.12で1873年ロバァト・スティヴンソン製デス
>>73 でも九州鉄道154は「隠れた」名機の悪寒 M32でひとまず良しと言うことで
75 :
66 :04/01/30 00:56 ID:Yz0ylDTb
>オカマスキー氏 明治村の9号ではなく190になった9号でし。
>>75 190になった8, 9号はダッブス製
亜盆再度は台湾に渡った6, 7号デス
77 :
66 :04/01/30 08:07 ID:uJfGxGFN
あ、失礼しました。 あぼーんは6,7でしたか(汗
78 :
71 :04/01/30 23:16 ID:HoT4iKKR
>>73 ありがトンでつ。
>>28 でageられた中の1両だったわけですね。
ロバート・スチーブンソンといえば「ジキル博士とハイド氏」とか「宝島」の作者の方が有名ですが
あのロケット号をつくったジョージ・スチーブンソンの息子さんですな。
79 :
71 :04/01/30 23:17 ID:HoT4iKKR
>>79 絵師の観察力を信頼すればという前提ですが、英国古典機同様、明るい色で塗られていた可能性は
大いに有り升
この絵の釜はのちの190のような・・・(双合の片割れ)
あと真鍮製のスチィムドォムカバァは全機ぢゃなひですケド
あぼーん再度、♯スチュアート4号などは確実(川上本などを見てチョ)
1号は当初スチィムドォムが無かったので時代考証は滅茶苦茶
バッファービームのオレンヂバァミリオンは英国のプラクティス(警戒色)でせう
81 :
71 :04/01/31 22:41 ID:8Y9XiHP5
>>80 レスありがトンでございます
>絵師の観察力を信頼すればという前提ですが、英国古典機同様、明るい色で塗られていた可能性は
>大いに有り升
今まで錦絵の描写などいい加減なものだとばかり思っておりましたが、
本当にあんなにぎやかなものだった可能性があるとは仰天しました。
明治人が初めて出会った鉄道が黒づくめの機関車の牽く列車か
色とりどりの機関車が牽く列車であったか想像するとずいぶんイメェジが異なり
ちょっと楽しい気持ちになりますた。
1号機関車も現在の姿は原形と違うというのも知らなかったので
勉強になりましたです。(↓このページの写真を見てびつくり)
ttp://homepage1.nifty.com/tukahara/okajoki/1go-kikansha.htm
よく現場では、「アカエンジン」とか「アオエンジン」言われていたそうだから。 アカは塗ってあったんでしょう。アオは「ロシアン・アイアンブルー」ロシア鉄板 の表面の色なんでしょう。 関西鉄道の4-4-0「追風(院6000)」アルコ製は、機関士の間では「アカエンジン」 と呼ばれていた。 また多くのアメリカ製のカマは輸入当時の写真見るとボイラージャケットにはロシ ア鉄板の青黒い色のようだ。
>>11 >とりあえず190形(原型)はどういう意図で導入されたんだろうか、
>とネタ振り。
・・・にマヂレスします
1870年の機関車発注時点では南アもニュージーランドもゲージは4ft8-1/2inで
3ft6inは世界にノルウェーしか無かった
んでダッブスは同地に売り込みを図るべく当時のパテントに沿って
勾配用双合式(1B+B1)のサンプル1セットを造っていたのでせう
ところが同地ではベイヤァピィコックが市場を支配していたコトも有って売込みはシパーイ
んでたまたま日本から来た引き合いに「渡りに船」したものと桃割れ
85 :
鈴木光太郎 :04/02/01 17:02 ID:6NmPYVwq
>>63 理由不明のアクセス規制で遅れてしまいましたが、
>>61 は私の英文解釈間違いでした。失礼しました。
86 :
奥中山真幸 :04/02/02 00:49 ID:ClCtuh2C
オモロイスレが建ちましたねえ。 気付いたのが遅かったんで、そのうち参加しまひょ。 撮り鉄としては日本鉄道紀要が欲しくなりました。
87 :
名無し野電車区 :04/02/02 00:56 ID:0Jhu68aP
古い写真を見るとバラストが盛り上がって枕木など見えません。 ポイントのリードレールの所だけ掘り下げてあったりします。 軌道の構造がまるっきり違っていたんじゃないでしょうか。
>>86 皆さん待ってたようですYo!
>>87 軌道の構造は英国式の双頭レールをチェアーで保持するモノですケド
レール面近くまで土砂を被せるのは英国植民地(熱帯)のプラクティスで
理由はシロアリ被害の予防とされて升
(日本では必要無いコトが後に判明)
89 :
名無し野電車区 :04/02/07 02:14 ID:2IEMECIU
最初は品川〜横浜で仮開業。
お召し列車も横浜→品川で仮運転
91 :
名無し野電車区 :04/02/08 22:01 ID:gKQlfoF6
>>34 今見たから悪阻レスだが、「鉄道省のどの機関車でもいいから交換に」なんて
適当なこと言うなよ。
「鉄道省のこういう機関車が廃車予定ですが、この中からどれでも合った物を
どうぞ」だろうが。@F誌2002/1
>>92 「」内はおのつよし著「日本の鉄道100ものがたり」からの引用デス
95 :
92 :04/02/09 20:05 ID:wlhxXx+b
>>93 おっと一応元ネタがあったのね。スマソ
でもF誌2002/1には鉄道大臣から島鉄社長への手紙の原文が載っている。
当該部分を引用すると
「(略)省にて左記機関車を車籍台帳から削除するに当たって若し此の中か
らでも適当な代償車が得られるならば(略)」
となっている。
>>94 ボイラーは蒸気ドームを付けたトキに中心を上げてますケド、太さはそのままのようです
川上本の写真に物差を当ててサイドタンクの高さとの比率で見てみました
原型はボイラ下辺がランボードよか下ですケド、煙室戸ハンドルを缶中心に見立てて・・・
>>95 ご教示有難う御座います
>>96 なぜボイラーを上げたんでしょう?
火室や灰箱の容積を増やすため?
98 :
鈴木光太郎 :04/02/10 00:29 ID:WCt8HaUc
或いはボイラーと主台枠の間に隙間が無いと内側にある弁駆動装置の調整が面倒、という理由 はあるでしょうか?
99 :
鈴木光太郎 :04/02/10 00:47 ID:WszM9S5D
100ゲット
>>99 「モンテズマ」ですね。この機関車の軌間は36インチ(914mm)です。
この写真では青黒色と言うよりは青灰色に近い色ですね。実際青黒とか青灰
とかアメリカの当時の機関車の事を書いた本でもその表現方法はまちまちです。
鉄板を加熱して出てくる色がその色に近いとも聞いたことがあります。
>>97 火室をいじった記録は無いので灰箱の容積および風戸面積の増大が主眼と桃割れ
1号は「旅客列車の牽引に適さず」とのコトで、おそらく蒸気上りが悪かったのでせう
灰箱も小さくて英炭なら良くても和炭だとすぐに満杯になってしまったトカ・・・
>>98 弁装置のメンテはピットに入って下からするものと桃割れ
>>100 >鉄板を加熱して出てくる色がその色に近いとも聞いたことがあります。
別名「火色返し」とも云います
鉄を310〜320℃に過熱したトキの酸化皮膜は淡青色〜青灰色と成ります
102 :
鈴木光太郎 :04/02/10 23:39 ID:B3o+QB5U
>>101 「弁装置のメンテはピットに入って」→とは思いますが、1号機関車の下側は
覗いてみると、弁慶のスケスケに比べてずっと込み入ってるので想像で書きました。
ロシア鉄に関して
"American Locomotives-an Engineering History 1830-1880"に僅かな記述があり、
「ロシアアイロンは外板にするとリッチで輝く。The finish was often a silver grey,
but was also available in shades of green or brown. 」
とあります。
当時、このような綺麗な薄板を作る技術が米国には無く、
ロシアにあったと思われますが、その典拠が今、見つかりません。
103 :
100 :04/02/11 00:41 ID:VHQOU/VK
オカマスキー・鈴木光太郎両氏ありがとうございます。 アメカマ好きの漏れもHOでロシア鉄色を再現しようと米国のモデルレイルローダー当た りの過去記事で調べても総て仕上がりの色が違うと言う状況で、本国でも確かな色は判 らないようです。 またアメリカでも当時は鉄の良いものが生産出来ず、かなり遅くまでロシアからレール も輸入していたと聞いた事があります。 なんでもロシアは良い鉄を産出し良い加工鉄を昔から生産し輸出していたそうです。 たしか日本でも鉄道創業当時にロシアからレールを輸入していたはずでは?
104 :
100 :04/02/11 00:49 ID:VHQOU/VK
ついでにロシアは鋳造技術が優れていたそうで、少し話はずれるがモスクワ クレムリン宮殿にある「王様の大砲」と言う鋳造製の大砲はその大きさや、 精度の高さからロシアの鋳造技術の高さを物語っているとのこと。 確か大砲の製造が日本の江戸時代だったはずだが
>>101 > 1号は「旅客列車の牽引に適さず」
これはどのような理由からでしょう?
106 :
鈴木光太郎 :04/02/11 07:40 ID:6p2RsSPU
>>105 "私の蒸気機関車史上"P8に、汽車監察方F.C.Christyの記述、として
「」の内容が書かれてます。
>>107 の補足
貨物列車よか旅客列車のほうが運転速度が高い分、時間当り蒸発量が大きいコトが要求されます
また駅ごとの停車時間が短いので灰落しなども不如意のコトが多いワケです
つーコトで蒸気上りが悪く灰箱の小さい釜は旅客用には特に不適
109 :
鈴木光太郎 :04/02/11 12:18 ID:MWq++GNO
>>109 う〜む、地色はグリーン系で青みは空の反射ですか・・・
>無塗装のボイラー外板は錆びなかったのか?
鉄の表面に四三酸化鉄Fe3O4の酸化膜を付けておくと
錆はそれ以上地金の中には進みません・・・とものの本に書いてあったとキオーク
>97 ボイラーの位置が低くて整備がめんどくさかった。 ってなんかにあったが・・・ソース忘れた >105 小型過ぎたってことじゃないの? 軽便鉄道クラスのカマに初列車でさえ11両つなぐような幹線じゃ力不足
112 :
鈴木光太郎 :04/02/12 01:03 ID:b/e7Vfcs
>>110 Fe3O4の酸化膜→ありがとうございます。
Kyle Wyatt氏の投書中には「>deep red」なんてのまでも出て来ますねぇ。
>>111 >小型過ぎたってことじゃないの?
イヤ、1号は2〜5号より寸法的には大きくなって升
項目 1号 2〜5号
シリンダー: 305mm×457mm 305mm×432mm
缶圧: 8.4kg/cm2 8.4kg/cm2
全伝熱面積: 52.5m2 48.9m2
火床面積: 0.84m2 0.70m2
整備重量: 23.41t 21.69t
買ってきたばかりの中華鍋やフライパンは、 ますガスコンロでカラ焼きして、全体が青く変色するまで加熱します。 すると表面に強固な酸化膜が形成されるため、 非常に錆にくくなります。 ただし家庭用のガスコンロでは火力が弱く、十分に加熱できないので、 昔は焚き火の中に投入したりもしました。 今はテフロンが普及したので、カラ焼きという作業を 知らない人が増えました。 酸化膜が形成された状態の鉄の色を確認するだけなら、 釘か何かをコンロであぶってみるといいんじゃないでしょうか。 ただし、コンロの火力ではけっこう時間がかかるのと、 温度が上がると表面に付着したゴミや油が燃えて 白煙が盛大に出てくるので、換気には注意した方がいいでしょう。
6200名機のお燗!
>>115 D9は元のD6(→5500)がすでに名機ですから
117 :
名無し野電車区 :04/02/17 11:58 ID:9kxq6EpL
あげ
A8名機の御棺!
>>118 A8もロンドン北西鉄道LNWRのラジアルタンク2-4-2がベースに有りますから
8100も名機のお母?
>>120 サー、どうでしょうか?!
アメ釜だったらD12(6400)とか・・・
D9とかA8とかは成功した先行形式をベースとしてます米
つまり市場で実証済みの設計well proven designが元にあるワケです
つーコトで当方が名機の第一条件とする「設計上著しい不具合の無いコト」はクリヤーしてるワケで
>>121 亜米利加のメーカーでは日本向けの機関車を製造するにあたって、既存の同クラス
機関車の設計図面を日本向けに手直して造ってくるから、すごく当たったと言うの
も少ないが、大きく外れたと言うのも少ない、安定し、使い易く、メンテし易いカ
マが多いと聞いたが?それが亜米利加型の強み?
123 :
名無し野電車区 :04/02/21 06:34 ID:jceDwPQN
age!
>>122 >すごく当たったと言うの
>も少ないが、大きく外れたと言うのも少ない
紳士服で言うと英国釜が銀座の英国屋、米国釜が青木とか小中とか云ったところで砂
>安定し
不整な軌道への追従性が高いというイミでしたらその通りかと <<バーフレーム、イコライザー、ボギートラック、ビッセルトラックなど
>使い易く
和炭のようにイパーン的に低質な石炭にも適応するとか <<大火床面積、ロッキンググレートなど
英国釜に比べると広くて密閉性の高いキャブとかでしたらその通りかと
>メンテし易い
亜米利加スティヴンソン弁装置は弁調整と弁のメンテが英国釜のようにピットに入らずとも
外側から出来るのでその通りかと
別なコトを調査中に、腹書房の「蒸気機関車設計図面集」に山陽鉄道33形(→院6050)の ピストン弁付きシリンダーの図面が載ってるのに気付きました ピストン弁の中心軸は台枠内面よか僅かに内側デス
150が近々さいたまに引越しするそうな、7105も善光もご同伴
127 :
鈴木光太郎 :04/02/24 19:50 ID:D5xG1eEf
>>126 館長様。
善光は、出来ればピットから拝める、展示でお願いします。
横ッチョから見ても、弁装置などメカがぎっしりで、よくわかりません。
128 :
126 :04/02/24 23:57 ID:idMp/23T
>>127 釜の足回り拝むフリして人間様の足回り拝む不届者が居るためピットは造りません
130 :
鈴木光太郎 :04/02/26 03:29 ID:po7t5Xtt
>>129 それじゃあ、機関車ファンとして、の喜びが半減しまする。
一応ちょっとくらいは、いいんじゃないかと、思ってたんですが。
>>130 >喜びが半減しまする。
釜の外回りと足回りと両方拝めなくて半減するのか
釜の足回りと人間様の足回と両方拝めなくて半減するのか
どちらでせう
132 :
鈴木光太郎 :04/02/28 04:32 ID:9XmmQsxI
機関車や人間様の内側式クランク回りに興味があります。 ところで、10形、ヨークシャー製1Bは青梅に保存、と、書いてあります。 前回青梅に行った時は興味が無くて、気づかなかった。
>>132 A2(110)は切開の上雨ざらしなので煙管はボロボロで羊歯が生え
シリンダーには雨水が溜まってボウフラが沸いて保存とは名ばかり
この際青梅の釜も全部大宮に集結しては如何なものかと
A2は性能が悪かったと聞いたがの・・・ 駄作機の悪寒
>>134 性能が悪かったので早くから現役を退き教習用(切開)となって生き長らえたワケです
136 :
名無し野電車区 :04/03/02 11:19 ID:vujfTetI
ホシュアゲ
137 :
名無し野電車区 :04/03/05 10:27 ID:TYshT8DE
再び
138 :
鈴木光太郎 :04/03/08 01:17 ID:s0arnpoA
同時代のニュージーランド関連で書くと、 1863年、Avonside製2-4-0機関車、5フィート3インチゲージで開業、失敗 1864年、オーストラリア製機関車、木製レールで開業、失敗 (1868年、日本、明治維新) 1872年、Vulcan Foundry製フェアリー機、1067mmゲージで開業、成功 (1873年、日本、1067mmで開業) かな?
140 :
鈴木光太郎 :04/03/10 03:04 ID:chRzksM+
>>139 こちらのパソコンに問題があるのかも知れませんが、ご提示のサイト
見ましたが、サムネイル写真が開きません。
で、1067mm機について勝手に書きます。
フェアリー、Rose、Josefin、バルカン、動輪径3'9"
C、0-4-0、タンク、John Brodgen & Son's製、?年
F、0-6-0、サドルタンク、英国7社製、1870年、88輌
H、0-4-2、タンク、フェル式軌道用、1878年
K、2-4-2、ロジャース製、1877年、(初の米製)
T、2-8-0、ボールドウィン製、1880年、6輌
Q、4-6-2、ボールドウィン製、1901年、「パシフィック」の語源?
W、2-6-2、タンク、1889年、(これ以後おおむね国内産)
(蛇足ですが、X、4-6-2、1067mm用4気筒ドグラン機、58輌、国内生産はご立派。)
>>140 >フェアリー、Rose、Josefin、バルカン、動輪径3'9"
・・・は同HPではクラスEとのコト
バルカン製はJosephine(製番637)しか載ってない
動輪径は39"だから3'3"、同形を亜盆再度でも6両製造
他にフェアリーはクラスB(亜盆再度1874製2両)が有ります
>C、0-4-0、タンク、John Brodgen & Son's製、?年
・・・はサドルタンク(のち0-4-2に改造)でダッブスとニールソンで1873年に合計16両
>F、0-6-0、サドルタンク、英国7社製、1870年、88輌
・・・は1872年とのコト
あとクラスXは4-8-2で1908年登場、自力設計
のちに飽和4気筒複式から過熱4気筒単式に改造して1957年まで使用
どこかの国は全然威張れません
142 :
鈴木光太郎 :04/03/10 10:32 ID:FYEGIUHa
>>141 別の資料見つけました。
「Avonside製2-4-0機関車、5フィート3インチゲージ」は
「1862年製造、同年開業」1067mm改軌以後オーストラリアに売却
フェアリーに関して私の資料では、
1872年、バルカン製、2輌、動輪径3'9"、Rose,Josephine
1874年、Avonside製、2両、動輪径3'3"、当地最初のワルシャート弁。
1875年、Avonside製、3両、一部の動輪3'3.75"、Snake,Penguin,Albatross
です。
「C、0-4-0、タンク、John Brodgen & Son's製」は輸入業者名かも知れません。
「X、」は別の資料では「AB」とあり形式名の改変があつたのかも知れません。
当方の資料は古いので、最新の資料の方があてになります。
143 :
鈴木光太郎 :04/03/10 17:40 ID:k90+5U2u
初期の機関車の石炭は国内製だったのでしょうか? それともわざわざ英国製? 潤滑油は国内製菜種油だったのでしょうか? (牛脂はなくても菜種は日本に沢山あったはず)
>>142 ニュージーランドの釜を本格的に調べたくなりましたが
バルカン、あぽん再度のその時代の製番一覧、判りませんかね・・・
145 :
鈴木光太郎 :04/03/11 00:21 ID:hEbAmpJN
>>143 北海道も常磐も商業的に採炭してないしヤマから船に運ぶ手段も無いので英炭かと
潤滑油は???
147 :
鈴木光太郎 :04/03/13 23:55 ID:nRtMLCYb
>>146 ありがとうございます。
今、思い出したが、北海道、茅沼炭鉱は官鉄より早く線路を敷いてます。
(ただし、動力は畜力)
まあ、汐留まで海上輸送するほどの規模には満たないんじゃないかも知れませんが。
茅沼は明治二年だっけ?
149 :
鈴木光太郎 :
04/03/15 20:59 ID:aK0Byn0Q >>148 JTB"全国鉱山鉄道"によれば、明治2年、1869年。
英国人技師の指導で開業だそうです。762mmゲージ。