1 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:
1、自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ、これこそ実に善く説かれたことばなのである。
2、症候は公のコミュニケーションからは排除された、禁断の欲望のシンボルに連なる公のテクストの断片
なのである。
3、広い意味でとれば、想像界とは、休むことなき自己の追求、自己は統一されているという物語を支える
ために、次から次へとおのれに似た複製を取りこみ、融合しつづける動きのことだ。
4、共同体は全員一致して、身を守ることができないだけでなく、復讐を企てることが全くできない犠牲者
を血祭りにあげる。
5、そんなことを繰り返しても彼は決して捕まらないのだと、そういうタイプの人間がいるのだと、知っていた。
6、“敵”の力が強くなる前に、反逆の芽は事前に摘んでおかなければならない。それが、とどのつまり、
「治安維持」であり、「公安活動」なるものの本質である。
7、死者の帰還は、伝統のテクストの中にはその死者の場所がないということを意味している。ナチスに
よるユダヤ人大量虐殺とソ連の強制収容所という二つの大きな外傷的出来事は、二十世紀における
死者の帰還の典型的な例である。その犠牲者たちの影は、われわれが彼らを正しく埋葬するまで、
すなわち彼らの死という外傷を歴史的記憶に組み込むまで、「生ける死者」として執拗にわれわれを
付け回す。
2 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/20(月) 20:08:01
8、アガンベンは、ギリシア以来の「ゾーエー(動物的な生)」と「ビオス(人間的な生)」にまでさか
のぼりながら、「生権力」の対象が「動物的な生」であることを取り出している。もっとも、アガンベン
自身はこの「動物的な生」(「剥き出しの生」)を、ファシズムにおける強制収容所のうちに見出している。
9、1971年合衆国で試みられた「テレビ=ヴェリテ(真実)」なる実験的な番組は、パノプティコン的な装置を、
高度に完成された状態で実現した興味深いのは、さながらテレビ・カメラが存在していないかのように
この家族を撮影することができた、という番組制作者たちの錯覚である。ディレクターは、「彼らはまるで
われわれがそこに存在していないかのごとく生きた」と番組の勝利をうたいあげた。
10、彼らは私とはちがう。彼らは膨大な数の力を持っているが、私はひとりだ。彼らは科学的なアプローチ
をする力を持つが、私にその能力はない。彼らは、たいていの人間から話を引きだす力の側にいるが、
私にそんな権力はない。結局、私にはまるでなにもないのだ。
11、ある政府が自分流の理想社会やユートピア社会(特定の人種や階級や宗教や性的志向の人だけが住む
資格がある)を建設しようと思ったときに起こるジェノサイドがある。そうしたジェノサイドの首謀者
の多くは、自分たちは「ネズミやゴキブリ」といった「害虫・害獣を駆除」し、国を「浄化」している
のだと主張する。
12、石打の刑と人を奈落に突き落とすという行為は祭儀的殺人のとても広く普及した形式です。それは全員が
参加しながら誰も責任を負わずに済むという死刑の形態なのです。誰一人犠牲者と直接的な関わりを持ち
ません。それこそは全員による死刑の執行であり、まだ闘争的ミメーシスを阻止するような中央権力も
司法制度もない時代、共同体を団結させる一つの方法だったのです。犠牲者と接触して身を汚すことなく、
距離を保ったうえで、全員が刑の執行に参加できるような仕組みが必要なのです。これこそ制度としての
国家の起源です。
13 経済の議論は、所得や消費などのフロー量を中心として行われることが多い。
しかし、ストック面から経済を見ることも重要である。
4 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/21(火) 21:26:52
14、「かなたに墓の島がある。沈黙の島が。そこにはわたしの青春を葬った墓標の列がある。わたしはそこへ
生の常緑の葉飾りを供えに行こう。」
15、「たいていはね、刑事に張り付いていると何かしら洩らしてくれるもんなんだ。当たり障りのないネタを、
犬に餌をやるような気分で投げてよこすわけだ」
16、彼はより多くのヒントを必要としていた。より多くのパズルのピースを求めていた。しかし誰もそんな
ものを与えてはくれない。親切心はここのところ(あるいは恒常的に)世界に不足しているもののひとつ
だった。
17、ぼくには何のかかわりもないことなのさ、きみがあそこで身を滅ぼそうが、滅ぼすまいが。
18、「そいつはおまえ次第さ。おまえが自分の生涯をどうしようと、おれの知ったこっちゃないからな」
19、「こう言っちゃなんですが、あなた以外の人々は誰もあなたのことなんか気にもしちゃいませんよ。
ほんとうに」
20、「『愛の反対は憎しみやない。無関心や』言うやろ」
21、愛とは、そのときどきの相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。
5 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/22(水) 19:53:02
22、象徴秩序の中にカオスを回収しつくすことはできない。未だ象徴秩序に包摂されざる部分、そこからはみ
出した過剰なる部分、バタイユの言う「呪われた部分」が、常に残っている。「冷たい社会」は、周期的な
祝祭における常軌を逸した蕩尽によってこの過剰なる部分を処理し、そのことによって日常における象徴
秩序の安定性を維持していると言っていいだろう。一時的にカオスを導き入れ、顕揚することによって
祓い清めてしまうしかけとしての、ハレの時空。
23、主体はつねにイデオロギーが物質的な存在を獲得する装置や儀礼に対する最小限の「内的な距離」を
維持する――主体のこの外部性に対する姿勢は、つねに「私はそれではない」(私の真の自己はこの
ばかげた機構には依存していない)というものである。
23-2、私の存在の最も内奥の核を表すラカンの用語が対象aであるのなら、この対象a、秘密の宝、アガルマは、
イデオロギーの至高の対象/目標である――「私の中に私自身以上のもの」があって、それは私の外部的な
象徴による規定には還元されえない、つまり他者にとっての私には還元されないという感覚――と主張する
ことに根拠があるのではないか。この私のパーソナリティのとらえがたい、表現しがたい「深み」の感覚、
他者にとっての私に対する「内面の距離」は、象徴の装置に対する想像の距離の典型的な形態ではないのか。
24、集団は無限に拡大しつづけることはできないし、それを支える共同幻想は各人の私的幻想を完全に吸収する
ことは決してできない。各人に分有された共同幻想は超自我および自我となり、共同化されずに残った私的
幻想はエスを構成する。
25、ラカンは、「無意識は、大文字の他者の語らいである」と無意識を定義する。
25-2、フロイトの描いたあの糸巻きの中に、ラカンは子供の「デレリクシォン」を見て取った。「デレリクション」
は、孤独、それも神の恩寵から見放された状態としての孤独を表わす言葉である。本書ではしばしばそれを
無力な受難と呼んできた。鏡像段階論に描かれた未発達でばらばらな身体状態に苦しむ乳幼児も、やはり
この「デレリクシォン」の中にいることであろう。
6 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/23(木) 14:56:13
26、わたしが「わたし」と言うとき、わたしは「ほかの誰でもないこの個人としてのわたし」のことを思って
いるが、実際には「ほかの誰でもないこの個人としてのわたし」を言い表すことはできない。なぜなら
「わたしとはわたし以外の誰でもない」、とは誰でも自分について言えるからである。
これは、われわれは「わたし」という言葉によっては決して「自分自身」のことを指すことがきない、
というパラドクスだ。
27、言葉のやりとりによって通じ合うわれわれの世界を、ウィトゲンシュタインにならって「言語ゲーム」と
呼ぶなら、「言語ゲーム」とはまさしくそのような構造を持った場所、つまりこのような読み換えが無限
になされる場所のことなのである。そのことによって、世界の独在的本質が消えてなくなるわけではない。
しかし、それは世界の中にはけっして現れず、それについて人と語り合うことはけっしてできないのだ。
28、世界はシニフィアンに覆われている(象徴界)。それゆえ世界は形式化可能である。そして現実界、
「不可能なもの」はその世界が形式的決定不可能性に陥った地点に顕われる。
ラカンによると『盗まれた手紙』における手紙は、「対象a」あるいは「ファルス」、すなわちそこで
現実界が顕われる逆説的シニフィアンとして解釈される。「対象a」とはジジェクの表現を借りれば、
象徴界の直中に空いた欠如(ゲーデル的決定不可能性)の「実体化 embodiment」、いわば主体の穴を
塞ぐものを意味する。
28-2、固有名は確定記述の束に還元されない。言い換えれば固有名にはつねに、ある剰余が宿っている。
7 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/24(金) 15:15:38
29、犠牲者が共同体から生まれるように、共同体は犠牲者から生まれる。犠牲者と共同体との関係はさまざまな
差異と価値(共同体の内部か外部かによって区別される、生/死、善/悪、真実/虚偽)の母型であるので、
超越的である。
29-2、デリダの脱構築の対象は、シニフィアンに究極的に依存しないシニフィエを表現するシニフィアンの能力
を信頼する制度としての書物である。
29-3、エクリチュール、書記素を支配する閉鎖と排除は、供犠の犠牲者の運命に対応している。ジラールが
文化的制度の土台的出来事とするものを、デリダは言語のシニフィアンの出来事としているようである。
29-4、パルマコンとしてのエクリチュールはギリシャ文化のなかのパルマコス、つまり、暴力的に排除される
ことによって共同体を浄化するスケープゴート、供犠の犠牲者と構造上、機能上類似していることを
デリダは示す。
29-5、デリダにとって、エクリチュールは「起源の代補」、言語の起源である標記ないし排除された構成員を
表現するものである。
8 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/24(金) 18:23:54
30、ぎおんし
31、わがは
32、つれづ
33、はるはあ
34、めろ
9 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/24(金) 21:45:06
>>8 なんか、国語教師みたいな出題だね。
30、平家物語
31、夏目漱石「吾輩は猫である」
32、吉田兼好「徒然草」
33、清少納言「枕草子」
34、太宰治「走れメロス」
10 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/24(金) 23:16:12
35、他のすべての排除に先行し、狂人・子供・劣等人種の排除よりも根源的な排除がある。それら全ての
排除に先行し、それらのモデルになり、近代文化の「合理性」の土台になる排除がある。それが死者と
死の排除である。
36、カオス=ポレーモス=ドゥブル……は、非差異または無差別である。それは差異の抹消である。それを
レヴィ=ストロースの用語を用いて言い換えれば、不連続(ディスクレ)としての秩序の解体、つまり
連続(コンティニュイテ)である。バタイユは、連続を死とよぶ。第二形態は、暴力と闘争と死の形態
である。
36-2、摸倣欲望の発動のためには、「傷つけられる」という条件が必要である。
37、私はひどく傷ついていた。ひどく胸が痛くて、ひどく辛かった。ひどく、痛かった。まるで心から流血
しているようだった。
38、自然は人間を苦痛と快楽という、二つの主権者の支配のもとにおいてきた。我われが何をしなければなら
ないかということを指示し、また我われが何をするであろうかということを決定するのは、ただ苦痛と
快楽だけである。一方において善悪の基準が、他方においては原因と結果の連鎖が、この二つの王座に
つながれている。
39、われわれもまた枯葉と同様に自然法則に従うしかないというのであれば、われわれの動きは自然法則に
縛られている。しかし、もし自然法則に従った動きしかできないというのであれば、「自由な行為」
ということも私には虚しく思える。それはけっきょくのころ操り人形の見た幻影にすぎないのではないか。
40、われわれ―ということは生きているものすべて―は、プログラミングを行ったディジタル・データベース
を増殖させるようプログラムされた生存機械なのである。
41、ミームは、良い考えや、良い旋律、良い詩でもあり得る。模倣によって流布してゆくものはすべて、体内の
複製やウイルス性の感染によって流布する遺伝子と同様に、ミームなのである。
>>9 文章長くても読んだことなかったら当てようがないから
逆に数文字でもわかるような問題はどうかな? と思ったw
童話や昔話の真ん中を抜き出したりしても面白いかも?
12 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/25(土) 05:53:21
マンガの文章からどのキャラのセリフか当てるスレ
とか、
歌詞の一部から曲名を当てるスレ
とかのスレを立てると面白いかも。
歌詞の一部から〜は、すでに別の板で見た事があるし、よくスレがのびていた。
>>11 多くの人に分かりやすい問題としては、小中高校の国語で扱われている作品になる
のかな。青空文庫にあるような作品もいいかもしれない。
複数の引用文に何らかのメッセージをこめて出題するというのもいいかもしれない。
13 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/25(土) 08:09:46
42、ベンヤミンの「模倣能力」は、ベンヤミンの最も固有な問題であるアレゴリー認識、すなわち始源の
存在布置(コンステラツィオーン)(星座)とその破砕された「断片」としてのアレゴリー(廃墟)
のあいだの本質的な照応―それはいつか始源のコンステラツィオーンが復元される可能根拠ともなる
――につながる。
42-2、ラカンにとっての<無意識の言葉>は、オリジナルなき代理物であり続けるシニフィアンなのである。
42-3、多くの弟子たちがこのフロイトの二大欲動論を拒絶し、タナトスを攻撃性の概念に格下げして、
エロスの支配下に置こうとする中、これを自らの理論に積極的に取り込み、体系化していった人に
メラニー・クラインがいる。
42-4、彼の弟子達にとり、反復脅迫なり死の欲動といった後期の思想は、とうてい受け入れ難いものだった。
こんな考えを受け入れてしまえば人間を調和と統合のうちには描けなくなてしまうというのがその
理由である。そこで彼らはこれらの概念を棚上げし、攻撃性という脱価値化した概念で置き換えて
しまう。こうしておけばエロス一元論のもと、どんなに激しい攻撃性でもエロスの名のもとに退治
することができるというわけである。
14 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/25(土) 08:35:34
42-5、異人は共同体という意識と一対のものである。ここでいう共同体とは地縁、血縁などにもとづく社会
のみを示すのではなく、意識のレベルにかかわる概念である。つまり共同体とはなんらかの仲間意識、
「内」の意識として存在するのであるが、それは「よそ」そして「外」という意識の対極としてのみ
存在しうるのであり、「内」を保持するためには、「外」を絶えまなく産出し続けていく機構が必要
となる。異人とはそのような機構の産物である。
42-6、人間は社会秩序を作るためには、一人の人間を犠牲にする(この人間が共同体のメンバーであっても
「異人」であってもかまわない)。誰でもよい一人の人間を犠牲者に仕立てあげること――これが社会
秩序形成の原理である。これを第三項排除とよぶ。したがって、第三項排除とはスケープ・ゴート形成
と同じである。
42-7、山口は、ヴィクター・ターナーの仕事に触発されて「周縁性」の象徴的な意味を論じた。
そこでは、貧乏人やアウト・カーストなどの構造的劣者が弱者なるがゆえの聖性をもつという構図が
語られる。
42-8、パルマコンは元来の薬学的意味を越えて広く隠喩的に用いられる。とりわけ、既成秩序に反抗する
人間、既成の共同体的価値からはみだす精神の境位を指し示す言葉としてパルマコンが用いられる。
ごく抽象化していえば、特定の社会秩序や共同体から排除され、周辺に位置づけられる人間・事物・
事態はすべてパルマコン的である。
42-9、「異族迫害の心理」というものはどんな共同体にも存在する。共同体周縁の任意の犠牲者にさまざま
の不幸な出来事の責任を押し付けてこれを供犠に捧げて穢を祓う習慣(魔女狩り、粛清、異端審問等)
は人間がいるところにはどこにでも見られる。けれどもあえて反「ユダヤ」主義と称名される以上、
ユダヤ人には単なる「異族」という以上の何らかの特性が認められなくてはならない・
反ユダヤ主義文献の全部に共通するのは「ユダヤ人がその社会で支配的な擬制(律法、倫理、貨幣、
国家、等)を媒介にして、人間本来のみずみずしい生命の流露をせき止めている」という告発である。
15 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/25(土) 08:40:37
42-10、精神分析学の祖ジークムント・フロイトもまたル・ボンやタルドを受けたかたちで独自の考察を行って
いる(『集団心理学と自我の分析』1921年)。そこでフロイトは、「同一視」(タルドの「模倣」に
よく似ている)や「ほれこみ」という概念を用いて群衆の心理の解明を試みている。あるいは、20世紀
に入るとこのほかエミール・デュルケムやマックス・ウェーバーといった社会学者もまた、集団とその
指導者というテーマのなかで群衆現象に対面している。
さらに前出のオルテガ・イ・ガセット(『大衆の反逆』1930年)を経て、第二次大戦後では、アメリカ
合衆国の社会学者デビッド・リースマンの『孤独な群衆』(1950年)というすぐれた群衆分析の書が
生まれている。ここでリースマンは、産業社会(資本制社会)の展開によって生みだされた「他人志向」
という概念を提出している。ある点でタルドの「模倣」を継承し、発展させたともいえるこの用語で、
リースマンは、他人の動向にたえず細心の注意を払わずにいられぬ模倣欲望の肥大した現代の群衆的
個人を分析してみせた。
42-11、自発的服従をいかに効果的にうみだすかが、権力の支配秩序の根幹のテーマだということにもなる。
ルイ・アルチュセールの「国家のイデオロギー装置」という概念が重要なのは、この問題に結びついて
いるからである。アルチュセールは、単に国家を抑圧装置とのみみなす考え方をしりぞけ、私的な領域
で機能し、人びとの無意識に訴えかける「国家のイデオロギー装置」の機能に注目したのである。
それは「学校」「家族」「情報」「文化」といった様々なレベルで機能するものであり、権力の論理・
規範を人びとの精神のうちに無意識のうちに内面化する装置である。
そして、このような自発的服従を生むイデオロギー装置のうちで最も重要性をもつものこそ、近代以降
の社会のなかでは「学校制度」だということになるだろう。ものの考え方、感じ方、日常の動作、行動
様式、といった様々な領域において子どもを支配し、訓練し教育する最も効果的な基盤だからなので
ある。
42-12、囚人は監視者の姿を見ることができないようになっている。ここで囚人は他の囚人とたちきられ、常に
監視者に姿をさらしているが、自分の方から監視する人間を確認できないようにされている。
フーコーは、拘留されている者が<見られている>ことを永続的に自覚する状態をつくりだすところに
この一望監視装置の特徴を見いだしている。
回答してみる……が、はっきり分かるのは1つしかない。
>>1 1 本は分からんけど、釈迦の説いた言葉にそんなのがあったような?
5 はっきりとは覚えてないけど、見たことのある文。たぶん伊坂幸太郎じゃないかな?
>>4 14ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語った』
ついでに、出題してみる。
比較的易しめのはず。
43 「アフガニスタンから、お帰りになりましたね」
44 どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑ってくれ給え。
45 「でもいちばんよかったことは家へ帰ってくることだったわ」
46 人間は生まれながらにして自由であるが、しかしいたるところで鉄鎖に繋がれている。
47 「口は達者らしいな」「飲けるほうだ」「酒のことではないッ」
48、かつては、患者が幻覚や妄想を語る時の態度や語調は、内容が途方もないのに、それに比べて深刻味が
ないといわれていました。しかし、患者にいわせれば、発病時の恐怖に比べれば幻覚や妄想は物の数では
ないということです。
49、確かにきみの話は非常に論理的だった。しかし、一方ぼくはきみを、珍しい論理的な妄想を抱く狂人だと
思う気持ちも抑えきれない。
50、男性の不安定性と哲学とは直結している。犯罪者も、自殺者も、精神病者も、性的倒錯者も、ひきこもりも、
圧倒的に女性より男性のほうが多い。哲学者も、疑いなくこうした反社会的グループの一員なのである。
8-2、『啓蒙の弁証法』が書かれたとき、アドルノとホルクハイマーの念頭にあったのは、「文化産業」と
「ファシズム」に対してどう対決するか、ということである。「一種の新しい野蛮状態」であるこの
二つを、彼らは「啓蒙の弁証法」の帰結として提示しようとする。
51、『アンチ・エディプス』の英訳のために書かれた「序文」(1977)において、フーコーはこのテクスト
に関する特異な見方を提示している。フーコーによれば、『アンチ・エディプス』は反ファシズムの
書である。
52、生と死の二大本能論によれば、人類の社会・文明は、人類が死んでゆく途上で(生きてゆく途上で)死の
本能に逆らって、生み出しつくり上げ、組織づけてゆくエロス(生の本能)の産物である。
53、「ろくでもない権力者ほど、民が武装するのを恐れるからね」
3-2、現在左翼のほとんどの理論家から支持されているミシェル・フーコーの理論では、国家権力とは、
誰が社会に包含されるべきで誰が社会から排除されるべきなのかをコントロールする、拘束の担い手
である。フーコーのモデルでは、国家権力は社会の中心から行使される。いっぽう権力への抵抗は、
社会の周縁から、象徴界での適切な同一性をもたないひとびとによっておこなわれ、この構図が変化
することはない。権力闘争は、中心化された国家の権力に抵抗する周縁の存在を巻きこむ戦いとみな
される。
54、追放とか破門とか人権剥奪とか法的保護の停止とか、要するに国内的対敵宣言のさまざまの形――過酷な、
あるいは穏便な、直接適用され、あるいは特別法にもとづいて法律の形で効力を発する、むきだしの、
あるいは一般的表現のかげに隠された――が存在するのである。この内敵宣言は、国家の敵と宣言された
相手の出方次第で、内乱のきざし――すなわち、内部的に平和であり、領土内がまとまって、外部からの
浸透を許さない、組織化された政治的単位としての国家が崩壊するきざし――となる。
55、「私、あなたの為に言ってるのよ。誰かあなたの為に何か言ってくれる人、他にいる?どう?そういう
こと言ってくれる人、他にいる?」
「いない」と僕は正直に言う。一人もいない。
56、職場での秘密を誰に話し誰に話さないかによって、ウチワとヨソモノの区別が分かれるということである。
どのような職場でも、上司にとって、ある秘密を部下の誰に話し、誰に話さないかというパターンができ
あがっている。そして何人かで秘密を共有し、そのグループ以外には漏らさないことによって、その
グループは同志的な結合関係をもつ。これがウチワである。それ以外の人間はヨソモノであり、警戒の
対象になる。
57、個人の群れは、愛によって結びついて心理的な集団となる。その結びつきによって、指導者は集団を
支配するようになる。
58、孤立しているということは、他のいっさいから切り離され、自分の人間としての能力を発揮できない
ということである。
59、関係欲求が充足されないと、たとえ生理欲求がよく充足されていても、脳活性は上がらない。
60、愛があるところ、そこには義務的掛かりあいはありません。
>>17 43 緋色の研究(コナン・ドイル)
>>18 46 社会契約論(ジャン=ジャック・ルソー)
いずれも正解。
残りは3問
44 どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑ってくれ給え。
45 「でもいちばんよかったことは家へ帰ってくることだったわ」
47 「口は達者らしいな」「飲けるほうだ」「酒のことではないッ」
出題を追加。
61 「平太よ。また塩小路などを、
62 親譲りの無鉄
63 ゆく河の流
64 いづれの御時に
65 私は、その男の写真を三葉
回答者のいないクイズはイヤなんで、易問を並べたつもり。
61は少し難しいかもしれないけど、まあ大丈夫かな?
>>22 61、吉川英治「新・平家物語」
62、夏目漱石「坊っちゃん」
63、鴨長明「方丈記」
64、「源氏物語」
65、太宰治「斜陽」
66、だいたいにおいて、世の皆様方は、私を指さしてアハハと笑うほどに暇ではないのだ。誰も路傍の石
のことなど気にとめないのだ。
67、孤独というのは、ただ単にひとりでいるということだろうか。それとも、自分がいて他人がいるのに、
その間の関係をうまく築けないことをこそ、「孤独」と言うのだろうか。
68、わたしは一人で少しだけホテルの近辺を散歩し、目についたカフェで休んで、こうしてあなたにせっせ
と手紙を書いてます。まるで無人島から、瓶にいれてメッセージを送るみたいに。
69、僕は終夜営業の喫茶店に入ってコーヒーを飲んで本を読みながら始発の電車を待つことにした。
70、様々な種類の人々が深夜の「デニーズ」で食事をとり、コーヒーを飲んでいるが、女性の一人客は彼女
だけだ。ときどき本から顔を上げ、腕時計に目をやる。
71、彼には、人が、何にもあれある行動をしようとすると、必ずそれに付随しておこる、あの涙が、別れの
悲しさが、譴責が、よろこびが欠けていた。彼にはつまり、彼を他の人間たちに結びつけ、彼を重厚に
するあの無数の関連が欠けていた。
72、彼の全生涯は、自分自身への愛なくしては隣人愛も不可能だということを示す実例、また自己憎悪は、
どぎつい利己主義とまったくおなじものであり、結局はまったくおなじ恐ろしい孤立と絶望を産み出す
ものだということを示す実例となりました。
58-2、自分を愛しすぎるのではなく、愛さなすぎるのである。いや実際のところ、彼は自分を憎んでいるのだ。
そのように自分自身にたいする愛情と気づかいを欠いているのは、彼が生産性に欠けていることの一つの
あらわれにほかならないが、そのおかげで、彼は空虚感と欲求不満から抜け出すことができない。当然
ながら彼は不幸で、人生から満足をつかみとろうと必死にもがくが、自分で自分のじゃまをしている。
自分自身をあまりに愛しすぎているかのように見えるが、実際には、真の自己を愛せず、それをなんとか
埋め合わせ、ごまかそうとしているのである。
73、直指人心とは端的にいえば、そうしたもろもろのフィルターを払拭して、ありのままの自己を見つめよ、
という意味である。
74、「見性成仏」を漢文風に読めば、「性を見れば仏と成る」となるだろうか。性とは人間の本性・本心の
こと。見の字は「あらわす」とも読むことがでいるが、「みる」と読んでも「あらわす」と読んでも、
要は、人間の本性を自覚すれば、仏(真理に目覚めし人の意)になるという意味である。
75、いっさいの虚飾が消え去ったありのままの自己を知ることこそ悟りの境地であり、仏性の自覚にほか
ならないのである。
間違えた。
73、直指人心とは端的にいえば、そうしたもろもろのフィルターを払拭して、ありのままの自己を見つめよ、
という意味である。
73-2、「見性成仏」を漢文風に読めば、「性を見れば仏と成る」となるだろうか。性とは人間の本性・本心の
こと。見の字は「あらわす」とも読むことがでいるが、「みる」と読んでも「あらわす」と読んでも、
要は、人間の本性を自覚すれば、仏(真理に目覚めし人の意)になるという意味である。
73-3、いっさいの虚飾が消え去ったありのままの自己を知ることこそ悟りの境地であり、仏性の自覚にほか
ならないのである。
74、本当の読書は、単に表面的な知識で人を飾り立てるのではなく、内面から人を変え、思慮深さと賢明さ
とをもたらし、人間性に深みを与えるものである。
5-2、「大体、おまえはいつも轟のおっさんが持ってきた小難しい本を読んでるじゃねえか。こういう時こそ
頭を働かせろって」
75、「何故、太宰がこれほど愛されているのか、それは、読み手が太宰の作品の中に自分の悩みや痛みを見る
からよ。ああ、この気持ちはわかる。自分もそうだった。この人は自分と同じだ……本を読んでそんな
ふうに思ったことがあるでしょう。太宰の作品には、そんな共感を呼び起こす魔法があるのよ。
誰だって、理解されたいし、自分をわかってほしいと思っているわ」
>>23 >>24 正解。
61から65のテーマは
>>8-9でした。
残り2問。
45 「でもいちばんよかったことは家へ帰ってくることだったわ」
47 「口は達者らしいな」「飲けるほうだ」「酒のことではないッ」
24-2、公認されない形で表わされる集団の「エス」の表現形式は「小児的」とならざるを得ない。
76、ラカンの言う「大文字の他者」、すなわち言説を中心とした記号的世界としての「象徴界」を統括する
「象徴的他者」は、比喩的にいえば、植民地を支配する帝国主義の言説を司る中心であり、観念として
の帝国それ自体となる。被植民地的主体は、隅々まで、この帝国主義的な他者の監視と凝視のまなざし
に曝され、かつ刺し貫かれることになる。先のラカンの理論とのかかわりで言えば、「小文字の他者」
が周縁化された植民地の被支配者で、「大文字の他者」が中心化された植民地支配者であるという二分法
77、象徴的(幻想的)な意味や価値をはぎ取られて、裸の形であらわれる想像的他者。
78、「君は思念のみが存在し、表現が根こそぎもぎとられた状態というものを想像できるか?」と羊博士が
訊ねた。
79、大文字の他者の法に従属していないとき、「私法」や主従関係に頼ることで、公的権威の喪失を埋め
合わせしがちである。そのような人は、主人に対してすすんで奴隷になったり、支配的なものに対して
すすんで服従したりすることで、リビドーの満足を得る。
80、生命の危機とかそのくらいのモティベーションがないと誰も進んで言葉なんか組み合わせようとは思わ
ない、大人になってから外国語を勉強することを考えてみろ、外国語を習得しようとするのは追い詰め
られた奴だけだ、オレ達の祖先がやったのは、もちろんそれには気が遠くなるような長い時間がかかった
にせよ、外国語の習得なんかじゃなくて、言語の創造だ、そんなことをやった奴は誰だ?狩りだろうが
炎を囲んでのだんらんだろうが言葉なんか要らない、じゃ、誰だ?死刑囚や奴隷達だろうとオレは思う、
あるいは生まれつきからだが不自由だったり弱かったりして狩りに参加できなかった奴らだ、基本的に、
弁明が必要で、その弁明だけで死から免れるっていう連中だ、それが言語の起源だと思う、モノガタリの
起源でもある、マゾヒスティックなんだ
出題者はトリップを付けた方がいいよ
81、監視の描写に用いられる表現は、しばしば「ビッグブラザー」や「パノプティコン」に言及するが、
これらの語から、適切にも、権力の問題が提起される。
81-2、ジェレミー・ベンサムの監獄建築案は、囚人に、自分はすべてを見通す看守の視線の下にあると思わ
せるというもので、しばしば、電子的に強化された社会的監禁の一種の原型と考えられている。
81-3、何らかの理由で周縁に押しやられたり外側に排除されたりしていない限り、社会への参加とは、一般に、
自分たちの日常生活を追跡・モニターするメカニズムに能動的に関与することなのである。
81-4、情報社会が監視社会であるとすれば、そのことは、ハイテク警察国家への接近を意味するのだろうか。
81-5、ドゥルーズの「管理社会」の概念を例に取ろう。彼はこの語を「規律社会」との対比で用いて、人々
を囲い込み封じ込める境界や障壁に代わって、コンピュータが人々を追跡するようになったことに
焦点を向ける。
81-6、国民国家は、外へ向けては対外的な安全保障の維持、内へ向けては国内の安寧の確保を目指した。
かくして、国外諸勢力や内敵となる恐れのある人物に対しての諸種の諜報活動とともに、行政統治
および治安活動という平行的なシステムが成立した。
81-7、コンタクト管理のソフトウェアによって、ユーザーは、接触対象者の氏名・住所・誕生日や、最近
交わした会話やメッセージの内容を管理できる。
81-8、監視を社会の秩序形成の中心手段にしていく。この電子環境が、選別のプロセス、囲い込みと排除の
プロセスを自動化し、そうして、それを社会的分類の機構に仕立てあげる。人々が適切な便益を享受
できたり、的確な宣伝資料を受け取れたりすること、これが一つの成果である。もう一つは、ステレオ
タイプ・差別・社会的差異が強化されることだ。
81-9、室内でコンピュータの前に座れば、インターネット上でのプライヴァシーに気を遣わねばならない。
いずれにせよ、何らかのモニター装置からは逃れられない。
81-10、パノプティコン的想像界という影の世界の中に監視を追い求めていくと、生身の個人からなる現実
世界そのものが霧散したように見えてくることだ。
81-11、スーパーパノプティコン的分類が、適格性やアクセス権を判定し、囲い込み、排除するべく、執拗に
選別・モニター・類別化を行うにつれて、監視は、次第に、社会的分割を強化する強力な手段となって
いく。
82、「カーニバル」はこうして抑圧された社会的享楽のための噴出口となる。ユダヤ人迫害、集団レイプ……
83、「あなたが彼女に頼まれて――目的はどうあれ――彼女のためにデータをとってやった、もしくはその
方法を教えてやったということはありませんか?」
77-2、「マインド・レイプ」概念は、セミナーにおいて、全く見知らぬ人たちの前で、自分の内奥の秘密を
打ち明けてしまうことが、事後的に及ぼす心的障害を示唆している、それは単にこの秘密告白の行為
のみを指すのでなく、セミナーの非日常体験と現実との接合の困難を広く物語る心的障害を示唆して
いるように、私には思われる。
84、しかしレベル2の僕は何かのマニュアルにそったような設定しかおもいつかないのだ。
85、これはゲームじゃない。生きるか死ぬかの戦場の恐怖はこんなものでは済まないのだ。
86、ユーモアは人生の潤滑油――そんな言葉をどこかで読んで以来、俺はこの怠惰な日々を抜け出せたら、
不幸な人々をユーモアで救おうと考えた。勿論、無料で。
元気良く外に飛び出ると、早速、苦悩で今にも自殺してしまいそうな人を捜す為に走り出した。
65番斜陽じゃなくて人間失格じゃね?
ていうか他の難し過ぎだろ
87、あのー波動挙の威力はどの程度か教えて下さい!
38 :
30:2010/09/26(日) 22:39:22
すみません、出題者が解答を間違えるという失態をやらかしました。
>>24>>37 65 人間失格が正解です。
斜陽も人間失格も似たようなもんだけど
88、めしどこか たのむ
40 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/27(月) 06:29:18
11-2、ジェノサイドの歴史はたいてい記録されていないので、はっきりしたことはわからない。なぜなのだろう?
ひとつは、歴史はいつも勝者によって、生き残った者によって書かれるからだろう。もうひとつは、人は過去
を葬ったり、トラウマになった出来事を心から追い出したり、「見て見ぬふり」をしたりして、考えなくて
すむようにしているからだろう。
11-3、先住民から見たそうした歴史観は、植民地主義とジェノサイドが強く結びついていたことを明らかにした。
11-4、ひどく民族主義的な考えをあおる社会。自国を美化し、他国を悪し様に言う社会。思想や宗教や表現の
多様さを認めない社会。そういった社会では、ジェノサイドが起こる可能性は高い。
11-5、加害者はジェノサイドを内戦や国内の武装勢力との戦いの一部だと主張するが、これもまた大量殺害の
刑事責任を逃れる、つまり罰せられないようにするための言い訳にすぎない。加害者の政府は被害者と戦う
ことで国を守ると主張するが、被害者は非武装の民間人だ。
11-6、同じようなレトリックは、加害者の政府が被害者の殺害を正当化するときに使われる。ジェノサイドの
被害者のことを「テロリスト」「テロリストの支援者」と呼んで、殺害を正当化しようとする。
11-7、アメリカ政府は言葉巧みにある国々を「悪の枢軸国」と呼ぶが、ジェノサイド的な虐殺を誘発する
憎悪のプロパガンダと同じように聞こえる。
11-8、加害者が刑罰を恐れていたら、これほどたくさんのジェノサイドは起こらなかっただろう。
11-9、「人権」とは、誰であろうが、どこに住んでいようが享有するいくつかの基本的な権利、つまり道徳的
権利や法的権利をさし、いかなる個人もいかなる国家も奪うことはできない。わたしたちがそうした権利を
享有しているのは、わたしたちが人間だからだ。
11-10、ユダヤ人はすぐにスラム街にある塀に囲まれたゲットーに押しこまれた。
11-11、ドイツ占領下のポーランドでユダヤ人はまずゲットーに移動させられたが、塀に囲まれたゲットーは
町から孤立していた。
11-12、ルワンダの国連平和維持軍司令官ロメオ・ダレールのもとで働いていたブレント・ビアズリー少佐は、
「白人の西欧諸国が、ルワンダやダルフールのジェノサイドに対して何の行動も起こさないのは、アフリカ
人の死を白人の死と同じように受け止めていないからでしょう」と語った。
11-13、「彼ら」対「わたしたち」の宣伝活動が功を奏した結果、被害者と自分たちを同一視しなくなり、
被害者の人間性を認めなくなったからだ(逆に、傍観者が被害者と親しければ親しいほど、助けようと
行動を起こす)。たぶん傍観者は被害者のことを動物や犯罪者としてしか見ていないのだろう。被害者
の姿が傍観者の目にそんなふうに映るように加害者は望んだのだ。また傍観者は、被害者を一掃して
しまえば国や自分自身の問題を解決できると思いこんでしまうのだろう。
11-14、その根底にあるのは、「彼ら」を人間と思わなければ死んでも良心の呵責を感じなくてすむ、という
考えだ。
11-15、ジェノサイドでは、誰にでもわかるような憎悪の言葉が使われる。被害者やブタやネズミのような動物や、
ゴキブリのような害虫にたとえられる。相手のことを人間と思うと殺せないが、動物や害虫と思えば殺せる
のだろう。
89、フロイトの考えの特徴は、ひとりの人間を集団のように見ることでした。
24-3、対象からずれたさまざまなイメージが、フロイトがエスと呼んだところのものを構成する。わたしの
考えによれば、エスは本能やリビドーの貯蔵庫ではなく、むしろイメージの貯蔵庫である。別のところで
私が使った表現をここでも使うなら、イメージとは私的幻想であり、エスとは私的幻想の世界である。
エスの幻想は私的幻想である。エスの幻想の世界に住んでいるかぎり、各人のあいだにいかなるつながり
もあり得ない。その状態は、いわば、それぞれ勝手な空想に耽って自慰をしていて、おたがいに相手には
無関心な男と女のようなものであり、さっきの譬えをもう一度使えば、それぞれ酔っ払って自分だけの
内的世界に閉じこもり、てんでんばらばらな夢を追っている兵士たちのようなものである。この兵士たち
をまとめて、あの高地を奪取する統一作戦に向かわせなければならない。
90、「キャラバンと砂漠は同じことばを話していました。だからこそ、砂漠はキャラバンが横切ってゆくのを
許してくれるのです。それはキャラバンの一歩一歩をテストして、時間どおりにいっているのか見ています。
そしてもし時間通りならば、僕たちはオアシスに行けるはずです」
「もし、われわれのどちらかが、そのことばを理解せずに、個人的な勇気だけでキャラバンに加わっていたら、
この旅はもっと困難なものになっていただろう」
難易度はどのぐらいがいいのかな・・・
ひらがなが多い本からの引用なので読みやすく変換してあります。
91-1
「年越しの餅や魚は買ってこられなかったんじゃ。」
91-2
「いたた、いたたっ。こりゃたまらない。」
鬼は苦しくて、大騒ぎ。
91-3
あっちからもこっちからも「うちの嫁に来てくれ」と言われるのに、
娘は誰にも「うん」と言いませんでした。
それにはわけがありました。
91-4
のんきな猫は、ねずみのところへ行って、
「やい、ねずみ。神様はいつ挨拶に来いと言ったっけ?」
と聞きました。
>>43 日本の児童文学か絵本かな。
読んだ事のある作品ではない。
92-1、前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民
との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の
惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定
する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の
代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる
原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を
愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持
し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め
たいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する
ことを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則
は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の
責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
92-2、第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は
武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
92-3、第11条【基本的人権の享有】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのでき
ない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
92-4、第12条【自由・権利の保持義務、濫用禁止、利用責任】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、
国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
92-5、第13条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉
に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
92-6、第14条【法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界】
1すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は
社会的関係において、差別されない。
2華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これ
を受ける者の一代に限り、その効力を有する。
92-7、第17条【国及び公共団体の賠償責任】
何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その
賠償を求めることができる。
92-8、第18条【奴隷的拘束及び苦役からの自由】
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させ
られない。
92-9、第19条【思想及び良心の自由】
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
92-10、第21条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】
1集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
92-11、第23条【学問の自由】
学問の自由は、これを保障する。
92-12、第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
1婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、
維持されなければならない。
2配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律
は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
92-13、第25条【生存権、国の生存権保障義務】
1すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
92-14、第26条【教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償】
1すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育
は、これを無償とする。
92-15、第27条【勤労の権利・義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止】
1すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3児童は、これを酷使してはならない。
92-16、第28条【勤労者の団結権・団体交渉権その他団体行動権】
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
92-17、第29条【財産権】
1財産権は、これを侵してはならない。
2財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
92-18、第31条【法定手続の保障】
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
92-19、第32条【裁判を受ける権利】
何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
92-20、第33条【逮捕の要件】
何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪
を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
92-21、第34条【抑留・拘禁の要件】
何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁され
ない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその
弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
92-22、第35条【住居侵入・捜索・押収に対する保障】
1何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の
場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、
侵されない。
2捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
92-23、第36条【拷問・残虐な刑罰の禁止】
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
92-24、第37条【刑事被告人の権利】
1すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続
により証人を求める権利を有する。
3刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼
することができないときは、国でこれを附する。
92-25、第38条【自己に不利益な供述の強要禁止、自白の証拠能力】
1何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とする
ことができない。
3何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
92-26、第40条【刑事補償】
何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を
求めることができる。
92-27、第97条【基本的人権の本質】
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの
権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託され
たものである。
92-28、第98条【憲法の最高法規性と条約・国際法規の遵守】
1この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の
全部又は一部は、その効力を有しない。
2日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
92-29、第99条【憲法尊重擁護の義務】
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
>>53 正解。
引用するために読みなおすと、日本国憲法はやっぱり美人だと思った。
7-2、形式からして「抑圧的」であり「全体主義的」であること、その真実の主張は一連の修辞学的文彩の
効果にすぎないこと
93、幼い頃に溺愛され、必要なときにも叱られず何でも許されたという人では、都合の悪いことはすべて人の
せいにして、ちょっとでも傷つけられると過剰に反応し、相手に復讐しようとする。
93-2、自己愛人間は、相手を愛するからその人とつき合うのではなく、自分の自己愛をみたすためにつき合う
ということが言えます。
94、権威主義的哲学においては、平等の観念は存在しない。
95、おのれの「高さ」を自覚できるためには、つねに参照対象としての「低い」ものに側にいてもらうことが
必要です。結局、自己超克の向上心を持ち続けようとするものは、「そこから逃れるべき当の場所」で
ある忌まわしい「永遠の畜群」をはっきりと有徴化し、固定化し、「いつでも呼び出し可能な状態」に
しておくことを求めるようになります。
96、自己対象は誇大自己の欲求を即座に満たしてくれるものであり、乳飲み子にとっての母親のオッパイの
ようなものである。「自分のもの」であり、自分の思い通りになる対象である。その期待が裏切られる
と怒りが生じ、それを思い通りにさせるか、さもなくば破壊しようとする衝動にかられる。
97、だがこれほど死にそうだというのに、俺は無視され放置されていた。
3-2、対象aは、言うまでもないが、余分な対象、構造の中に場所を見つけることのできない対象である。
77-2、男性を自己より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留めおこうと
するのである。このような対象を、ラカンは「対象a」とよぶ。
25-3、我々が始めにそれであった無力な受難が、もし今でもまだ世界の中に残されているとしたら、それに
対象aという名前をつけることにしよう。
98、<大文字の他者>は個人の実質であり、個人はその中に自分自身を見出す。<大文字の他者>は、個人の
存在全体の基盤である。
98-2、「理想自我」は主体の理想化された自我イメージを意味する(こうなりたいと思うような自分のイメージ、
他人からこう見られたいと思う自分のイメージ)。<自我理想>は、私が自我イメージでその眼差しに
印象づけたいと願うような媒体であり、私を監視し、私に最大限の努力をさせる<大文字の他者>であり、
私が憧れ、現実化したいと願う理想である。超自我はそれと同じ媒体の、復讐とサディズムと懲罰をとも
なう側面である。この三つの術語の構造原理の背景にあるのは、明らかに、<想像界><象徴界><現実界>
というラカンの三幅対である。理想自我は想像界的であり、ラカンのいう「小文字の他者」であり、自我の
理想化された鏡像である。自我理想は象徴界的であり、私の象徴的同一化の点であり、<大文字の他者>の
中にある視点である(私はその視点から私自身を観察し、判定する)。超自我は現実界的で、無理な要求を
次々に私に突きつけ、なんとかその要求に応えようとする私の無様な姿を嘲笑する、残虐で強欲な審級で
あり、私が「罪深い」奮闘努力を抑圧してその要求に従おうとすればするほど、超自我の眼からすると、
私はますます罪深く見える。
今度はひらがなをそのままで。
>>44 話に地域差がありますから、どこを出すかが難しいですね
91-1-2
ばあさまがいうほうを見ると、とおざかっていく、かさをかぶった人ぴとが見えました。
91-2-2
なにをするのやら? と見ていると、そのはりを 麦わらのくきにさして かたなにして、
「これから 京のみやこにでかけます。」
と、いいだしたのです。
91-3-2
よめさんは そういって、ぱっと きもののすそをまくって、
「ブーッ、ボン!」
と、一ぱつ へをこきました。
91-4-2
「二日、正月の二日ですよ。」
ねずみは、すました顔で いいました。
「そうか、二日だな。」
ねこは、「おれが一ばんだあ」と、よろこんで かえりました。
>>57 読んだ事ない作品で分からない。
一冊の短編集からの引用で、91の後の数字は短編ごとに分けられた数字なのかな。
29-6、無意識の構造は、ジャック・ラカンが主張するように、差異化機能のある言語に似ているという
よりも、フィリップ・ソレルスが『ルネ・ジラールを称えて』でからかって述べているように、
リンチに似ている。
2-2、無意識は「疎外された心的実体」を表しているのだ。
2-3、無意識を「飼いならす」という修正主義の身振り、つまり、社会規範に従って構造化する自我と、
自我に対立する無意識の衝動
2-4、強迫的な反復のリズムに従って、この無意味な儀式に参加し、情緒的に貧しくなっていく。自我の
解体は、ナルシシズムと、その集団としての派生物を強化する。
7-3、「超自我は無意識的なエスについて自我よりも多くを知っている」。
したがって、無意識は野蛮で無法な欲動の「貯水池」であるという通常の考え方は捨てなければなら
ない。
98-3、無意識は、自我によって飼い慣らされるべき野性的な欲動の保護区ではなく、外傷的な真理が声を
発する場所なのである。
99、フロイトは前期と後期とでは考え方がかなり違っていますが、一貫して人間の無意識に関する心理学
を展開し続けました(もっとも、後期のフロイトは無意識とは言わずに、無意識をエスと呼ぶように
なります。エスとは英語で言えば、Itで、漠然とした「それ」というような意味です)。
99-2、「いじめ」の真犯人が「超自我」であることから、「超自我」のもっている恐い側面がおぼろげに
理解されたのではないかと思います。
>>57 91-1 笠こ地蔵の話
91-2 一寸法師の話
91-4 十二支の話
だろうし、たぶん絵本だとも思うんだけど、そこから先は難しいねえ。
同じ話が、多くの作者によってあちこちの出版社からいっぱい出てそうだし。
引用元は一冊なんです
タイトルそのものは難しいと思うので、方向性があっていれば正解のつもりです
漢字に注目すると何か見えてくるかもしれません
>>60 各話自体は正解です
91-5-1
火は どんどんもえて、茶がまは どんどんあつくなる。
「ぶんぶく ぶんぶく、あついったら あつい。」
茶がまは 手をだし、足をだし、ぴょんと いろりから とびだしました。
91-5-2
「となり村のおしょうさんが、茶がまを ほしがっています。もっていって、わたしを売ってください。」
子だぬきが くりかえし いうものだから、くず屋さんも その気になってきました。
97-2、「要するに健全な恋愛をするためには、まず誰よりも自分自身を愛さなきゃダメってことなのさ」
16-2、「僕には一人の友達もいない。ただの一人もです。そしてなによりも、自分自身を愛することすら
できない。なぜ自分自身を愛することができないのか?それは他者を愛することができないからです。
人は誰かを愛することによって、そして誰かから愛されることによって、それらの行為を通して自分
自身を愛する方法を知るのです。僕の言っていることはわかりますか?誰かを愛することのできない
ものに、自分を正しく愛することなんてできません」
58-2、聖書に表現されている「汝のごとく汝の隣人を愛せ」という考え方の裏にあるのは、自分自身の
個性を尊重し、自分自身を愛し、理解することは、他人を尊重し、愛し、理解することとは切り離せ
ないという考えである。自分自身を愛することと他人を愛することとは、不可分の関係にあるのだ。
100、自信とは、自分に対する肯定的感情です。つまり愛の一種です。では、どうすれば自分を愛することが
できるでしょうか。がんばって立派な社会的地位を得ること?そうではありません。それは過程に
すぎません。自分を愛せない人が、それでも自分を愛するためには、まず他人から愛されなければ
なりません。そして他人から愛されるためには、他人を愛さなければなりません。
自分を愛することができない人は、しばしば他人を愛することもできない。ならば、どうすれば他人
を愛することができるのでしょうか。難しいことですが、決して不可能ではありません。愛すべき
他者との出会いを遠ざけないようにすることです。他者との親密な関係抜きでは、なかなか安定した
自信は回復できません。
64 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 16:03:57
101、扉が開くというのは、それまでその扉によって連続性を奪いとられていたふたつの空間が連結する
ことを意味する。
95-2、「二つの部屋の敷居のところには、番人が一人職務を司っていて、個々の心的興奮を検査し検閲
して、気に入らないことをしでかすとサロンには入れないようにいます。」
フロイトはこの番人の機能を「抑圧」と名づけました。
95-3、他者とことばを共有し、物語を共作すること。それが人間の人間性の根本的条件です。精神疾患
の治療とは、まさにこの人間の基本に問題をかかえる人々をコミュニケーションの回路の中にふた
たび迎え入れることをめざしているのです。さて、私たちがすでにかなり踏み込んでしまったこの
人間の「社会化」プロセスこそ、「エディプス」と呼ばれるものなのです。
95-4、レヴィ=ストロースによれば、メッセージの交換を行いうることは「人間」であるための必須
条件です。したがって精神分析の目的は、とにもかくにも、問いかけと応答の往還の運動のうち
に分析主体を引きずり込むことにあります。
80-2、人間はコミュニケーションする動物だってよく言われるけどそうじゃないのね、コミュニケーション
が人間なのです、コミュニケーションそのものね
95-5、フーコーはその最初の学術的主題に「狂気」を選びました。彼が最初にめざしたのは「歴史から
排除され、理性から忘れ去られたもの――狂気――に語る機会を提供すること」でした。
95-6、身体刑は、受刑者の終わりない苦痛と絶叫のうちで、王の「政治的身体」が神聖不可侵であり、
王国は永遠不滅であるという確信を王と臣民が喜びとともに分かち合うための儀式でした。
95-7、「オープンソース」というのは、世界の成り立ちについて私たちに何ごとかを教える可能性の
ある情報は、無条件かつ全面的にアクセス可能でなければならない、という考え方のことです。
そろそろ漢字的に使える話がなくなってきましたので
これで本の題名のキーワード出なければ晒しますね
>>62 正解
91-4-3
「そんな なし、へでも おとせる」
「なにをいうか、ほらふき女。へで なしがおちるくらいなら、くろうはしないわ」
「そんなの かんたんじゃ。」
「なしの実おちたら、反物ぜんぶと 馬までそえて、おまえにやるわい」
※後書きによると、嫁が屁で何をするかは話によってかなり差があるようです。
66 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 20:51:15
102、われわれが他人にうまく伝えることのできないような感情・情動をいだいたり、精神の病をわずらったり、
あるいは文学的な文章を書いたりするのは、われわれ語る主体が、記号・意味システムからあふれ出る
ような過剰をかかえているからなのだ、と彼女は考えるにいたった。こうした語りえない<過剰>のせいで、
われわれは苦しみ恐れるとともに、また激しい歓びと快楽をも獲得する。
クリステヴァが1960年代から今日まで一貫して追究してきたのは、このような言語・記号システムに
のらない<過剰>を理論化すること、<名づけえぬもの>を名づけ、言語化するというひじょうに困難な、
なかば不可能な試みであったといってよい。
101-2、「その映像は極めて断片的で混沌としており、そのままではとても意味をなさない。そこで編集
作業が必要になってくる。そう、まさに映画の編集作業ですな。イメージの集積を切ったり貼ったり、
あるものをとりのぞいたり、いろいろと組みあわせたりするわけです。そして筋をとおしたひとつの
ストーリーに組みかえる」
「ストーリー?」
「それほど不思議なことではないですな」と博士は言った。「優れた音楽家は意識を音に置きかえる
ことができるし、画家は色や形に置きかえる。そして小説家はストーリーに置きかえます。それと
同じ理屈ですよ。もちろん転換するわけですから、真に正確なトレースではないですが、意識のおお
かたのありようを理解するには実に便利です」
103、「教養」には、じつは、それをそなえた者のみを一人前の人間と見なして、そうでない者をより低く
見る排他性、差別性が本来、顕著にそなわっている。
1-2、これ(慢心)によって『自分は勝れている』と思ってはならない。『自分は劣っている』とか、また
『自分は等しい』とか思ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想せずにおれ。
104、ドイツ人であること、ベートーヴェンの同国人たることの酩酊感で、ドイツ人を酔わせることもできる
だろう。こうすることで、船倉係の末までも、酔わせることができるだろう。これは確かに、船倉係
からベートーヴェンを作り出すよりは、やさしいに相違ない。
1-3、何ぴとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして
怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
69 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 21:54:57
70 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 22:16:34
550 名前: アソハ゜ソモソ35号 ◆A35.Sjl.DA 投稿日: 03/01/15 23:47
チョソ氏ね
716 名前: 投稿日: 03/01/16 00:03
さっき、在日の自宅の監視映像で、在日が 座りションベンしてたけど、なんで??? 立ってやらねーの?
730 名前: 投稿日: 03/01/16 00:05
>>716 竿が見えるとヤバイらしい。だから座って隠しながらやっているのだと思われる。
758 名前: 投稿日: 03/01/16 00:09
>>730 モザイクとか、カメラの角度変えるとか、
見せないでしているようにするとか工夫は有ると思うけど。
770 名前: 投稿日: 03/01/16 00:10
>>763 でも、副作用で脳みそが溶けるようだな わら
771 名前: 投稿日: 03/01/16 00:11
>>758 ションヘ゛ンしている様子がわかるようにしないといけない。
しかも露骨に。だからああいう形になった。
840 名前: アソハ゜ソモソ35号 ◆A35.Sjl.DA 投稿日: 03/01/16 00:27
おあやおやおやしみなさい! 明日朝は冷えるから風邪引かないように!>>ALL
最後に在日、半島人、チョソは逝ってヨシ!!
915 名前: 投稿日: 03/01/16 00:56
>>907 それに自己愛過多型の妄想障害がプラスされた感じ
http://news2.2ch.net/liveplus/kako/1042/10426/1042639705.html
71 :
相談:2010/09/28(火) 22:20:08
72 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 22:23:02
74 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 22:52:09
48 ::2008/02/07
48階 公開処刑場
641 ::2010/03/23(火) 20:44:53
641階 在日日本人に対する人民裁判を行う広場
674 ::2010/04/04(日) 05:07:53
674階 知的能力に基づく正しい差別とコミュニケーションの不在に賛成する人の会
682 ::2010/04/07(水) 23:21:44
682階 反玲奈傾向のある者を粛清する会
683 ::2010/04/07(水) 23:25:07
683階 パノプティコン
684 ::2010/04/07(水) 23:28:06
684階 精神的苦痛を与え続け、被害者の主張をサラ金CMと言う会
690 ::2010/04/08(木) 00:18:39
690階 コミュニケーションしたくない文章ブスの住処
697 ::2010/04/10(土) 00:52:37
697階 外患誘致、内乱、およびそれらの陰謀を企んでいるとして被害者を死刑へ運ぼうと共謀する会
722 ::2010/04/18(日) 05:32:40
722階 言語的記憶の中枢を破壊する虐待ルーム
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1199601651/
75 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 22:53:44
76 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 22:55:13
723 ::2010/04/18(日) 05:42:55
723階 AA(警察アート)職人がかかない相関図作成会
┏文部科学省━総務省━外務省━法務省━公安調査庁
┃ ┃
警察軍・政府軍━━通信傍受法━━警 察 破防法適用
┃ ┃ ┃
【家 族 会】━━個人情報公開━━死刑賛成━━検察庁
┃ ┃ ┏━┓ .┃ ┃
┃ ┗━━━┫監┣━━━創価学会叩き━家宅捜査
AA職人━しぃ虐待┫視┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ・ ┣━━アンチ2ch 政府・警察メディア
タラヲ氏ね ━━━┫放┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃置┣━━2ch関連サイト消滅 ┃
韓国叩き━━━━┫対┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┏━┫象┣━━警察右翼━監視カメラ設置
ばぐ太 Z武叩き ┗┳┛ ┃ ┃
┃ .┃ ┃ ┃ ┃
削ジェンヌ━玲奈━雑賀壱━西村博之━2ch━情報解析
759 ::2010/09/08(水) 23:45:47
759階 AA(警察アート)職人がかかない相関図作成会
┏削ジェンヌ━ばぐ太━ドラえもん━山形浩生━影の人
┃ ┃
警察軍・政府軍━━通信傍受法━━警 察━━アソパソマソ
┃ ┃ ┃
【家 族 会】━━個人情報公開━━死刑賛成━━検察庁
┃ ┃ ┏━┓ .┃ ┃
┃ ┗━━━┫監┣━コリア基地外殺せ━家宅捜査
【玲奈】 ━しぃ虐待┫視┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ・ ┣━━チンシュッ 政府・警察メディア
朝日新聞━社民党┫放┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃置┣━━━━━AA職人 タラヲ氏ね
家族会左派━━━┫対┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┏━┫象┣━━警察右翼━監視カメラ設置
【山崎】 ナオ ┗┳┛ ┃ ┃
┃ .┃ ┃ ┃ ┃
大久保━━━松田━コーラ━北赤十字━2ch━情報解析
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1199601651/
77 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 23:45:43
105-1、父が超自我、子が自我に対応するのにたいし、母はエスと対応することになる。フロイトによれば、
自我も超自我も、発生論的にはエスから分化したものであるとされる。
105-2、前エディプス期の心的体制は、<一次的ナルシシズム>と呼ばれる。
105-3、アブジェクシオン abjectionとは、いまだ対象 objet とならずに一体化している母という前=対象
abjet/abject となって棄却されること、を意味している。
通常のフランス語の用法では、アブジェクトは「おぞましい、唾棄すべき、卑劣な」の意味の形容詞
であり、アブジェクシオンはその名詞形として「おぞましさ、汚辱、卑劣」といった意味で用いられる。
クリステヴァは、abject や abjection の接頭語 ab に着目し、語源を汲みあげるかたちでこれらの
語を用いたのである。ab は「分離、遠隔」を意味する接頭語であり、abject/abjection は、「分離
すべく=投げ出されたもの」ないし「分離すべく=投げ出すこと(棄却すること)」と解される。それ
にたいして、対象 objet の ob は、「対立、反対」の意の接頭語であって、本来、「面前に対立する
かたちで=投げ出されたもの」が「対象」というものなのである。
アブジェクト abject と同様の意味で用いられる abjet という語は、objet と abject にひっかける
かたちでつくられた造語であり、「いまだ対象となっていない、分離すべき、おぞましき前=対象」
という意味がこの一語のなかに圧縮されている。
78 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/28(火) 23:47:48
105-4、否定性すなわち棄却のメカニズムを<前=対象の母>の棄却として語ることにより、棄却の舞台が、
前=エディプス的体制である一次的ナルシシズムと、そこに生ずる原抑圧に限定されることになった。
105-5、クリステヴァの語彙を用いれば、愛とは意味生成性である、ということになる。愛は、自己から
分離されたものとしての対象の定立に関わる意識を生成し、語る主体、言語、ル・サンボリック
(記号象徴体系)を生成する。したがって文化・歴史を生成するとされるのである。
105-6、クリステヴァの精神分析理論、<アブジェクシオン>や、<想像的父>や、メランコリーの理論
には、クラインの理論との親近性が認められるのではないかと思われる
36-3、第三項排除とは、任意の誰か(ユニーク性をもつ個人ないし集団)を周縁的存在にするだけでなく、
しばしば秩序外にたたき出しさえする。下方排除とは、アブジェクシオン(abjection)である。
4-2、徹底的におぞましい状況(アブジェクシオン)のなかに、自覚に向かう契機がある。バタイユ的弁証法
はこの点にある。だからこそ、バタイユは、誰よりも早く、ヒロシマ・ナガサキとアウシュヴィッツの
悲劇を、最も重要な経験とおさえ、それらをかけがえのない思想の対象とし、それらを思想的に生き抜く
決意をした。
>>75 基本はスレ当てだが、それは出題のしやすさからであって
結構変則問題出てるよ
>>61 漢字に注目すると、か。
思いついたのは、小学校低学年向けの教材。
教科書や学校で使う副読本だと後書きは無いだろうから、市販の音読教材か何か。
81 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 08:25:33
106、外傷神経症における反復強迫は、死の欲動のある種の顕現である。言い換えるなら、それは「本源的
マゾヒズム」としての死の欲動である。
107-1、人間には、意識の支配を超えた、無意識の繰り返し=反復がある。ひとたび、ある外傷的な体験を
持つと、何らかのきっかけでその外傷時の状態に逆戻りする傾向を持っている。
107-2、フロイトはこうも述べている。「神経症には心的外傷を引き起こした体験状態への固着がある。神経症
患者は心的外傷を体験した状況の中にそのまま置かれていて、その状況を解決しないために、時間の
流れが止まり、その状態がいつまでも心的現実性を持って、現在、そこに存続し続けるかのような状態
に陥る」。
107-3、フロイトによればこの反復強迫は、受身で強いられた外傷的な体験を自分のコントロール下で能動的に
やり直そうとする意図を持つという。次項で述べる道徳的マゾヒズムの研究は、無意識に不幸を繰り返
す人々の宿命を明らかにしたが、彼らは、宿命神経症とか、運命神経症と呼ばれる。彼らもまた、過去
の受け身で加えられた外傷的体験を、能動的な形での繰り返しを通してコントロールできるようになろ
うとするのだが、結局はまた同じ外傷体験の繰り返しになってしまう。これらの人々からフロイトは、
反復強迫の何か運命的な力を実感したようである。
82 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 08:27:15
107-4、フロイトは、みずから不幸、災厄を求めるかのように行動する人々に注目し、その心の層に、本人も
気づいていない無意識的罪悪感に由来する自己処罰心理が潜む事実を明らかにし、この心性を道徳的
マゾヒズムと呼んだ。
107-5、この罪の意識から罪を犯す人、その背後にある罪悪感の潜在、その罪悪感を正当化するために罪を犯す
ことなどの指摘は、フロイトによれば、ニーチェの『ツァラトストラかく語りき』にも述べられている
という。
107-6、これらの無意識的罪悪感に由来する自己破壊衝動の研究は、反復強迫、そして「死の本能」論へと発展
した。
107-7、そもそも人類は、自己中心的な原始的衝動を自然から与えられているが、その利己的な破壊衝動が親
たちのエロス(愛情)によって中和され、社会性のあるさまざまな欲求へと転化されるならば、愛情
豊かな内面的なモラルが発達するはずである。
83 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 08:29:59
108、マゾヒスムに何ものかが欠けているとするなら、それはいささかも自我ではなく、超自我の方である。
57-2、超自我は、エスから発した欲動のうち攻撃的な成分を無意識的罪責感として自我に押しつけてくる。
57-3、生の欲動も死の欲動も、根源的には自己自身に向かっている。生の欲動に関しては一次ナルシシズム
である。死の欲動については、一次マゾヒズムである。人間というものは、根源的にナルシストである
と共に、根源的にマゾヒストでもある。自己に向かう死の欲動はこの上なく危険なものであり、攻撃的
行動によってある程度外に放出しなかれば、無意識的罪責感として自我を責め苛み、食い殺してしまい
かねない。
58-3、マゾヒスティックな人は自分で決定をくだす必要がないし、危険をおかす必要もない。彼はけっし
て一人ぼっちにはならない。しかし、彼は独立しているわけではない。人格が統一されていない。
いわば、まだ完全には生まれていないのだ。
109、マゾヒズムは、「罪深い」行為への誘惑をもたらすものであり、これがサディズム的な良心の呵責に
よって贖われるか(これはロシア人の性格類型に多くみられる)、運命という強力な両親の力による
折檻によって贖われることになる。この両親の代理による処罰を引き起こすために、マゾヒストは
不合理なことをしでかし、みずからの利益に反して行動し、現実の世界において開かれている輝かしい
展望を破壊し、最終的には自己の生存そのものを滅ぼさざるを得なくなるのである。
110、実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧がほろびる。
生ずることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己をととのえよ。
111-2、明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一していない人には明らかな知慧が
ない。精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。
84 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 08:32:01
ミスった。
110、実に心が統一されたならば、豊かな知慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな知慧がほろびる。
生ずることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな知慧が生ずるように自己をととのえよ。
110-2、明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。精神の安定統一していない人には明らかな知慧が
ない。精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、すでにニルヴァーナの近くにいる。
85 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 09:12:24
98-4、女性も強姦される幻想を抱くかもしれないと示唆した瞬間、次のような反論が飛んでくる。
「それは、ユダヤ人は収容所でガス室送りになる幻想を抱いているとか、アフリカ系アメリカ人は
リンチされることを幻想している、と言っているのと同じだ」。
111-1、死の現実的出来事は想像界のものである。この想像界が象徴的無秩序を創造するところで、加入儀礼
は象徴的秩序を再建する。
111-2、死の禁止を創出すると同時にこの死の禁止を監視する審級、つまり権力を創出することによる。
死者と生者の連合をくじき、生と死との交換を破壊し、死から生を分離し、死と死者を禁制でうちのめす
こと、それこそまさに社会的管理の出現のための第一の要点である。死がもはや自由にされず、死者たち
が、生全体の未来の監禁を待ちうけながら監視下におかれる場合にはじめて、権力は可能になる。これは
根本的な掟であって、権力はこの掟の門の守り手である。
86 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 10:16:18
98-5、ユング心理学では、私を取り巻く他者はすべて私自身の人格の、自分が否認した部分の外在化/投射
にすぎないとされる
98-6、女は放っておくと自己破壊的な怒りに身を委ねる危険性があるので、好意的な男性の支配によって
女自身から守られねばならないということだ。つまり、「私の中にあって、私には抑えることができ
ない、過剰な自己破壊的欲望から、私を守って」。
55-2、「あなたを呼んでいたのはあなた自身なのよ。私はあなた自身の投影に過ぎないのよ。私を通して
あなた自身があなたを呼び、あなたを導いていたのよ。あなたは自分の影法師をパートナーとして
踊っていたのよ。私はあなたの影に過ぎないのよ」
112、「おまえ、独り相撲って日本語知ってるか?」
「ヒトリズモー?」
「そうだよ、独り相撲。自分のマワシをとって暴れてんのさ、おまえは」
113、この妄想はお前のもので、お前が自分で閉じた世界だ。
110-3、戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。
114、他者との真の関係とは、他者は別の自分でしかなく、自分を愛するように他者を愛さねばならない
ということをわれわれに納得させてくれるような関係である。そうであってこそわれわれは、性的・
経済的・政治的暴力の制限を承服できる。おわかりのようにフロイトも同じ理由から、社会が攻撃性
を禁圧するのを正当と認めた。しかし、フロイトは、社会がこの禁圧を社会の成員間の攻撃性だけに
限定し、社会の外側にいる人たちに対する攻撃性は自由に発散させたといって社会を非難した。この
非難は、閉鎖社会をつくる国家に対しても、身分差をつくる支配階級に対しても向けられている。
>>80 「学年」が出たので正解。
偕成社の「日本のむかしばなし 二年生」でした。
この形なら未読の人でも当てられるのではと思ったが調整が難しいですね・・・
88 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/29(水) 22:37:51
>>87 その本から引用した意図は何?
自分の子ども用に買ったのが手元にあったから?
小学2年生でも分かる問題として出して、分からなかったら
小学2年生以下だと言いたいってこと?
6-2、本来、犯罪を一件でも少なくするには、それは何とも遠回りであるが、人間の尊厳を損なうような
ことを、社会からできるだけなくしていくことである。
それにはまず、社会の中からいわれのない差別や偏見をなくすことである。そして、ひとりひとりの
人間が自尊心を傷つけられることのないような、最低限の生活基盤やそれを支える経済状況を保障する
ことである。回り道ではあるが、根本的な解決方法はそれしかない。
ところが、01年4月の小泉内閣の登場以降は、“構造改革”という名の従業員のクビ切り断行や社会
保障費の削減など、露骨に国民の下層部分を切り捨てる施策を取っている。つまり、「勝ち組はその
まま半永久的に勝ちつづけ、負け組は二度と浮かび上がれない」という「二極分解」を、意図的に
どんどんと進めているのである。
6-3、要するに、統治権力は犯罪を増やす要因を作っておきながら、その一方で「じゃあ、急増した犯罪を
未然に防止するためにジャンジャン監視カメラを設置していきましょう」と煽っている。何のことは
ない、「マッチ・ポンプ」をやってるだけなのだ。
6-4、このエム・シーサーを警察は導入済みであることに加え、多少のハッキングの知恵があれば、対象者の
電子メールを覗き見ることはいくらでもできる。「サイバーテロの監視」と称して、国民の電子メール
の傍受はもちろん、個々人がどんなWebサイトにアクセスしているのかを監視することは、技術的には
十分可能である。
6-5、それゆえ、こっそりと私たちのインターネット通信の監視を行っている可能性はあるし、また、既に
現実にそれを行っていたとしても、現段階では、内部告発がない限り、われわれはそれを検証する術が
ないのである。
115、95年5月17日、今の「格差社会」を形作る決定的な報告書が発表される。それは日経連が出した「新時代の
『日本的経営』」。この報告書で日経連は、これから働く人を「長期蓄積能力活用型」と「高度専門能力
活用型」、そして「雇用柔軟型」に分けましょうと提言した。要するに幹部候補生の超エリート正社員と、
高度なスキルを持って企業を渡り歩く有期雇用のスペシャリスト、そしていつでも使い捨てにできる激安
労働力、という3つに働く人を分類しましょうという提言だ。
116、その竹中平蔵を評する際、「新自由主義」という言い方をすることが多いのですが、果たしてこれは
正しいのでしょうか。私は、とんでもない褒めすぎだと思います。というのは、彼の進めた規制緩和策
というのは、ありていに言うと「競争のための前提を全部取っ払おう」という話だからなのです。
117、主権論者からすれば、ある出来事について誰ないしどの機関が責任を持ち、どの法を適用するかをきちん
としなければ、誰も責任をとらない無責任状態になるか、弱肉強食の自然状態になってしまうのである。
118、「『小さな政府』って国家権力が小さくなるからいいんじゃないのって考えると思うんですが、逆です
よね。国家権力が小さくなるのではなく強力にある。福祉や社会保障は切り捨て、端的に警察・軍事が
強くなっていくのだと考えればいいのでは。社会保障を必要とする『弱者』など経済競争には必要ない。
つまりお荷物。だから社会保障などなくしてしまえ。別に死んでもいいし。歯向かうようなら容赦なく
とり締まっちゃう、弾圧しちゃうってことですね。小さな政府の本質とは、だから『病気しようがケガ
しようが失業しようが食えない賃金だろうが知ったことじゃない。なんとかできないなら迷惑かけずに
死んでくれ』ということでしょう。」
119、今、この国では自己責任論が社会の隅々まで、人の心の中にまで蔓延している。そこにあるのは、
「能力形成をして、競争に勝ち抜いて大金を得るのも自己責任」「競争に負けてホームレスになり、
餓死するのも自己責任」という身も蓋もない考え方だ。
120、私が考えているのは、貧困の状態は「溜め」がない状態だということです。「溜め」を具体的にいうと、
お金がいっぱいあるのは、金銭的な「溜め」があるということです。それから頼れる人間関係があるのは、
人間関係の「溜め」があるということです。それから、生きていりゃそのうちいいことがあるのだと思える
のは、精神的な「溜め」があるということです。
逆に、こういう「溜め」を失った状態が「貧困」という状態だと思います。
121、彼らとどんなに対立しようと、「最低限、餓死しないことが保障されなくてはいけない」ということ
では、一致できると思います。親が亡くなって真っ先に餓死の窮地に立つのは、引きこもりの人だと
思います。すでに、そういう状況で亡くなった人がいます。フリーターはお金を借りたり、デパ地下で
試食をしまくるなど、食べる手段がある。
「引きこもりの人は、いかに生きさせるかではなく、いかに死なせないかというレベルまできている」
と言う精神科医もいます。
122、現代の自殺は個人の問題ではなくて、社会の中に3万スポット、そこに嵌ってしまうと自殺に追い込ま
れる場所があるということなんです。これをなくしていく。あるいは嵌ってしまった人が這い出せる
仕組みを作っていくことが、自殺者や遺族だけでなく、スポットの手前にいる、同じ社会で生きている
私たち自身のためにもなると思う。
未読の人でも当てられるもの
→本の特徴を当ててもらうのはどうだろう
→手元にある本の中から当ててもらえそうな特徴があるものは?
で、これになった。
計算ドリルの文章問題ぐらい思い切ったほうがよかったのかな
>>88 あと、後のヒントほど
小学2年で習うであろう漢字が使われている箇所を意図的に選んでいます。
もし興味があるなら確認してみてください。
94 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:39:29
123-1、「生きものはどのようなしかたで言語活動をもつか?」という問いは、「剥き出しの生はどのような
しかたでポリスに住みついているのか?」という問いに正確に対応する。
123-2、本書の主人公は剥き出しの生である。すなわち、聖なる人間(homo sacer)の、殺害可能かつ犠牲化
不可能な生である。我々は、この生が近代の政治において果たしている本質的な働きを求めようとした。
123-3、剥き出しの生はこの政治の内に例外という形で、つまり、排除によってのみ包含される何ものかという
形で、捉えられたままだ。
123-4、例外関係は、一つの締め出し関係である。実のところ、締め出された者は、単に法の外に置かれて
法と無関係なものとされるのではない。彼は法によって締め出され遺棄されるのであり、生と法権利、
外と内が混同されるこの境界線に露出され危険にさらされるのである。
95 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:40:39
123-5、主権者とは、暴力と法権利のあいだが不分明になる点であり、暴力が法権利へ、法権利が暴力へと
移行する境界線だ、ということである。
123-6、プラトンが関心を寄せているのはむしろ、主権を構成する、暴力と法権利の一致である。
123-7、暴力と法権利とを一体としている還元不可能な結びつきを容赦なくあばいたことで、ベンヤミンの
「暴力批判論」は、主権に関するあらゆる探究に必要な前提となっており、この前提は今日もまだ乗り
越えられていない。
123-8、「長いあいだ、主権権力の特権的特徴の一つは、生殺与奪権だった」。『知への意志』の終わりに
見られるこのフーコーの断言はまったくありきたりなものに聞こえる。
96 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:41:51
123-9、締め出された者の生は、動物と人間、ピュシスとノモス、排除と包含のあいだの不分明の境界線、
一方から他方へと移行する境界線なのだ。人間でも野獣でもない狼男はまさしく、その二つの世界の
いずれにも属することなく、とはいえ逆説的に両方の世界に住みついている。
123-10、締め出されたものは、排除されるとともに包含され、解き放たれるとともに捉えられる。
123-11、犠牲に関するバタイユの思考が両義性をもつものであることを示し、犠牲に依拠しようとする
あらゆる誘惑に抗して「犠牲化不可能な実存」という概念を断固として肯定したのはジャン-リュック・
ナンシーの功績である。
123-12、今日のように、自然的な生が全面的に都市に包含されているときには、そのような境界線は、
これから見るとおり、生を死から隔てる不明瞭な境界のさらに先へと移動し、新たな生ける死者、
新たな聖なる人間をそこに同定するようになる。
123-13、「価値のない生」(ないし「生きられるに値しない」生)という新たな法的範疇は、少なくとも
外見上は異なる方向を向いてはいるが、ホモ・サケルの剥き出しの生にちょうど対応するものである。
123-14、近代の生政治においては、主権者とはありのままの生の価値や無価値に関して決定する者である。
97 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:43:13
123-15、死刑囚や収容所の住人は、ある意味では、気づかぬうちにホモ・サケル、つまり、殺人罪を犯さず
に殺害できる生と同じものになっている。死刑宣告と死刑執行のあいだの隔たりは、収容所の構内の
ように、人間の身体がその通常の政治的立場から解かれてしまう時間外かつ領土外の境界線を引く。
例外状態においては、この身体は極端な波乱へと遺棄される。
123-16、収容所はまさしく、これまでに地上で起こったなかでももっとも絶対的な非人間的条件が実現
された場にほかならない。
123-17、ナチが権力を掌握して、1933年2月28日に「人民と国家の保護のための政令」を布告し、個人の
自由、表現と結社の自由、住居の不可侵性、文通と電話通信の秘密に関する憲法の条文を無期限で
宙吊りにしたとき、この意味では、ナチは、すでに先行する政府が強化済みの実践を継続したにすぎ
ない。
123-18、主権権力の起訴は、例外状態について決定することができるということであるが、その例外状態
が規範的に実現される構造こそ、収容所なのである。
123-19、その空間では、通常の法的秩序が事実上宙吊りにされ、残虐なことがなされようがなされまいが、
そのことは法権利にではなく、暫定的に主権者として振る舞う警察の礼節と倫理感覚だけによって
決まるのだ
98 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 21:44:25
123-20、この探究を続けるうちに、暫定的結論として浮かんできたテーゼが三つある。
1 原初的な政治的関係は、締め出し(外部と内部、排除と包含のあいだの不分明地帯としての、
例外状態)である。
2 主権権力の基礎的な働きは、剥き出しの生を始原的な政治的要素として、また自然と文化、
ゾーエーとビオスとを明確に区別する境界線として生産するというものである。
3 西洋の生政治的範例は今日、収容所であって、都市(国家)ではない。
124、受けた印象は、生ける屍―もっと厳しくいうならば、生かさず殺さず、何も知らさずという感じ
だろうか。魂ははじめから干からびていて、日々の時空をただ凝視すべく運命づけられているのだ。
いい加減しつこいよバカ
sageでやれブタ野郎
100 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 22:19:04
101 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/09/30(木) 22:28:05
76-2、アメリカにおけるデリダの翻訳者であればこその批判だが、スピヴァックは、そもそもある地域
において、最も差別化された位置におかれた者は、自らの現状について語る言葉を持っていないこと
を明らかにした。
102 :
16:2010/10/01(金) 02:01:56
ヒント追加。
45-2 「にんじん! にんじん!」
47-2 「おれの本心は、平和主義だ。おれは元来、平和を愛する人間だからね」
>>91 120は「もやい」の湯浅さんの発言でしょうね。
しかし本のタイトルが判らない。
104 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/10/11(月) 17:23:14
対談っぽいから宮台と神保のトークオンデマンドの貧困特集かな
105 :
16:2010/10/13(水) 02:08:29
さらにヒント追加。
45-3 「あたしをコーデリアと呼んでくださらない?」
47-3 「ううむ」「何が、ううむだ。
107 :
16:2010/10/14(木) 02:56:57
未解答問題が多すぎて番号が判りづらいな
125でいいのか?
125 ぶどう酒のビンがある。コルク栓がしてあるのだが、あいにく栓抜きがない。
ビンを割らず、コルクにも穴をあけないで、中のぶどう酒を飲むには、どうしたらよいか。
111 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/10/23(土) 20:29:24
126、タナトスは無意識においてさえ、心的生の中で与件として示されることはありえない。フロイトが
その見事なテクストの中で語ったように、それは本質的に沈黙している。
4-3、ハイデッガーやウィトゲンシュタインと同じく、バタイユも「沈黙」の真理を強調する。「沈黙」の
世界がもつ豊穣で無限な奥行きに想像力をもってついていくこと、これ以外に「至高性」に到る道
はない。沈黙の真理を切り捨てたこれまでの「文化形成」(ホモ・デメンス)の否定は、沈黙せる
ものの復権とともに始まる。
4-4、バタイユが本領を発揮する領域は、人間の経験を根源において規定してはいるが、とても実証的には
処理できない「沈黙の」領域である。
25-4、無力な受難として、他者の語らいを身に受けているだけの存在は、同時に、私の言表の真実性を
支える現実存在でもある。そうした存在は、過去における他者の語らいの中に埋もれている。他者
の語らいの中で、その対象として存在を享受していた私の現実が、他者の語らいを通じて見出され
なければならない。私が、そういった現実であり得るなら、私はそのとき、もう何も話さず、ただ
他者の語らいのざわめきに、耳を澄ますだけとなり、自分が生きているか死んでいるかを、もう
問わないだろう。
127、エスには、自我に対して愛や憎しみを表明するいかなる手段もない。エスは自らの望みを言うことが
できない。エスは統一した意志をもっていないのである。エスの中ではエロスと死の欲動が闘って
いる。一方の欲動が他の欲動に対してどのような手段で防衛するかは、すでに明らかにした。エス
は無口で強力な死の欲動の支配下にあり、死の欲動は休息を望みつつ、快感原則の指示に従って平和
を乱すエロスを終息させようと望むと考えることができる。
112 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/10/24(日) 03:57:48
22-2、教育機構こそ近代社会の前進運動ないし差異化過程の最も有効な整流器のひとつであることを、
知らないはずがない。その見事な機能ぶりは、「偏差値信仰」がかくも広汎な広がりを見せるまでに
なった現在、むしろ見なれた光景の一部となってしまっているが、共同体の解体と近代社会の形成に
あたって、近代の「国家のイデオロギー装置」(アルチュセール)の中核としての教育機構による
上昇志向の注入がいかに大きな役割を果たしたかは、例えば桜井哲夫の労作(「知の位階制」
『中央公論』56年2月号)によって示された通りである。
22-3、グラムシのヘゲモニー論を承けたアルチュセールが、公的領域に局在する国家の抑圧装置と並んで、
私的領域の隅々にまで浸透する国家のイデオロギー装置を見出して以来、国家装置を社会の全域と
外延を共にするものとしてとらえる道が開かれていたのである。ドゥルーズ=ガタリやフーコーの
展開しつつある権力の微視的分析は、この道をさらに遠くまで切り開いていくものと言えるだろう。
22-4、流れの加速器・制動器としての役割以上に、私的領域の隅々にまで浸透しつつ日常的に働いている
整流器としての役割りを強調すべきであろう。それは、アルチュセールのいう国家のイデオロギー装置
(AIE)が果たすのとほぼ同じ役割である。
22-5、パノプティコンは、国家の抑圧装置のひとつとしての監獄の形態的モデルである以上に、国家の
イデオロギー装置の機能的原理を示すものであると考えていいだろう。
128-1、取り込みという原理から出発して、フロイトは軍隊や教会における「集団」形成のメカニズムを
分析した。彼は取り込みのメカニズムを「対象を自我理想の位置に置くこと」と定義している。
この場合、対象は自我に取り込まれてその上位の審級におかれ、それが下位の審級を反省的に監視
する。こうした分析は、私たちを直ちに、アルチュセールによる国家のイデオロギー諸装置の分析
へと導くだおる。アルチュセールにおいて、対象の取り込みはイデオロギー的呼びかけの内面化に
相当する。国家のイデオロギー諸装置によるイデオロギー的呼びかけを内面化することで、主体は
支配的イデオロギーと同一化する。そしてこの同一化によって、主体は服従化されたそれとして
「独りで歩む」のである。
128-2、権力は社会体に遍在するミクロな「装置」によって担われ、それが権力に従順な主体を生産し
再生産する。こうした「装置」はアルチュセールにおいては「国家のイデオロギー諸装置」、
フーコーにおいては「規律権力」、ドゥルーズ=ガタリにおいては「エディプス的家族」と
名指される。
113 :
16:2010/10/24(日) 20:20:12
ラストヒント、これで答えが出ないようなら正解を晒します。
47-4 三国は、晋一国となった。
114 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/10/25(月) 17:39:07
115 :
16:2010/10/26(火) 03:14:35
>>114 正解です。
吉川英治の『三国志』でした。
116 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/11/02(火) 21:50:42
129-1、「だからつまり、二人で彼を監視しましょう」
「はあ?」
「私は、彼が私と一緒に居る時しか彼の時間を把握出来ないでしょ。彼が会社に言っている間、もしくは
仕事が終わった後、何をしているのか分からない。だから、あなたが彼と一緒に居る時間を、報告して
欲しいの。互いに掴める情報を、報告し合いましょう」
「つまり、今日は何時から何時まで一緒だった、というような情報を交換するという事ですか?」
「それだけじゃなくて、明日はどこに行く、とか、明日はだれと打ち合わせがある、とかそういう、彼
から聞いた事も全て。私たちが力を合わせれば、彼の事をより把握出来るじゃない」
129-2、プライバシーていうの侵害ていうのプライバシーて何なのどういう事そんなものないよ私にそんなもの
ないよそんなものない事に気付いてよ早く早く早く何なのなにどういう事私なに死んでるの?
130、いま述べた職場の人間関係には次のような心理が見られる。
まず第一に、職場での秘密を誰に話し誰に話さないかによって、ウチワとヨソモノの区別が分かれる
ということである。どのような職場でも、上司にとって、ある秘密を部下の誰に話し、誰に話さないか
というパターンができあがっている。そして何人かで秘密を共有し、そのグループ以外には漏らさない
ことによって、そのグループは同志的な結合関係をもつ。これがウチワである。それ以外の人間は
ヨソモノであり、警戒の対象になる。
職場の中でこのような内輪のネットワークがつくられるのは、夜のお酒やマージャン、ゴルフなどの
つきあいの中である。昼間は会社で何事もないような顔でつきあっているが、重要事項の多くは、
根回しや決定が事前にこのネットワークによってウチワの中で決められている場合が多い。
こうした場合、権力者側のウチワの中に属する者と、ヨソモノとしてこの情報網からはずされる者とに
分かれてしまう。
117 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2010/11/03(水) 21:11:22
131-1、適度のスポーツは頭の働きをよくするのに必須の条件でなくてはならない。血のめぐりというが、
頭は体の一部である。体の血のめぐりをよくしないで、頭の血のめぐりだけよくしようというのは
無理な註文であろう。
131-2、頭の中で考えているだけではうまくまとまらないことが、書いてみると、はっきりしてくる。書き
なおすとさらに純化する。ひとに話してみるのもよい。書いたものは声を出して読めば、いっそうよろ
しい。
131-3、「あの人の行動はまるで、マッチ・ポンプだ」といったとする。これは一方では火をつけ煽って
おきながら、同時に、他方では自分でそれを消化しようとしているようなことをしたときに、こまかい
説明抜きで実際をわかりやすく伝えることができる。
131-4、ちょっと考えると、籠城している人の方がいい論文を書きそうであるが、実際は人とよく会っている
人の方がすぐれたものを書くようだ。
132、元から引っ込み思案の性格のため、こういうときに気軽に相談できる友だちもいない。
133-1、「あまり上等でなかった多くの魔女たちが、そうやって自分自身の創りだした妄想に取りつかれて
自滅していきましたよ」
133-2、笑いって不思議だ、といつもまいは思う。これでちょっとした感情のしこりなんかはあっというまに
解けてしまう。
121 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2011/11/16(水) 17:10:23.74
>>118-120 君レスの仕方が変だよ 分かりにくい
問題番号とレス番号を混同するのよくない
もう出題ないのか
123 :
( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
小説家には達筆が多いと聞いていたが、ファックスで送られてきた清水君の字は見事なマンガ字だった