1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2001/01/30(火) 22:40
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/30(火) 22:43
厨房諸君の質問でも、真面目で具体的なものなら誰かが答えてくれるじゃろう。 いや、なるべく答えてやって欲しい。
3 :
伍長 :2001/01/31(水) 01:40
「生理心理学」スレで、以前の「心理学と生理学」スレが「名作」として紹介されていました。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=962090396 読み直してみたらけっこう面白かったのですが、私を名指しの質問に対して、考えるのも答えるのも大変そうだったので、失礼は承知で逃げていたことを思い出しました。
長い引用なりますが、以下のような議論が行われていました。
で、旧スレがやや停滞気味なので、これまでの旧スレの内容を踏まえて短くコメントしつつ、議論の蒸し返しを狙ってみたりする。
>6 名前:3投稿日:2000/06/28(水) 16:00
>3(クオリア)は、とりあえず、生理学だけでは説明できんよ、
>という例として出しただけなので、特に深い意味はありません。
>神経科学なり生理学なりは、認知機能を実現する「基盤」を
>明らかにしてくれるし、生体的に実現不可能なモデルを立てるのを
>防いでくれるが、「心」なり認知なりを理解するのは無理では、
>というのが私の考え。どっかで、ハードの構造をソフト(情報)に
>置き換える作業が必要でしょうねぇ。この問題は、分析科学では
>無理かなという印象がありますが、かといって、複雑系の理論に
>乗るかどうかも疑問。
この人は、旧スレに参加されていたのでしょうか?
神経生理寄りの認知屋さんではなさそうですね。以後のレスを読んでもちょっと気になる人ので、意見を聞いてみたい。
>7 名前:すずらん投稿日:2000/06/28(水) 17:12
>(前略)
>ネットワークの特定の時空間パターンと心理状態(認知、運動、感情etc)
>を対応させれば問題は解決、一件落着っていうのは単純すぎますかね??
はい。単純すぎるでしょう(下記参照)。
4 :
伍長 :2001/01/31(水) 01:41
>16 名前:3投稿日:2000/06/30(金) 14:53 >(前略) >ニューロンパターン1が心的状態1に、ニューロンパターン2が心的状態2 >に対応してることがわかったとして、ニューロンパターン1と2が >同時発火したら、心的状態1と2も同時に起こるんでしょうか? >ニューロンパターン1と2が混ざると、パターン3となって、別の心的状態3を >生み出すことも考えられるます。こうなると、「事象を分けてゆく」という >分析科学のパラダイムには乗ってこなくなりませんか? これは刺激性制御の問題だと思うので、「対応」は常に不完全。外部からの分化強化次第で変化する可能性が常にある。 だから、当然「別の心的状態3」はあり得る。 しかし、「分析科学のパラダイム」には乗れると思う。 >18 名前:すずらん>16投稿日:2000/06/30(金) 16:14 >例えば、1、悲しい気持ち、2、楽しい気持ちを表すニューロン発火 >パターンが分ったとして、1,2が混ざった時(3)どういう心的状態か >これは、実験しないと分らない、3の時に被験者に「どんな気持ちでした?」 >とでも聞いて、統計を取って見る。現時点ではなんとも言えない・・・。 上記の如くですので、有意義な実験だとは思いますが、ただこれだけでは「将来の時点においてもなんとも言えない」のではないかと。どうしてもシャクター(フェスティンガーじゃなかったです)の実験を思い出してしまう。 >それに心的状態を伴わない発火パターンについても問題が残っている。 >昨今の研究から『脳の機能局在』が分かってきて、視覚であれば色(パターン1)、 >形(2)、動き(3)、方向(4)などに情報が分解されている。それらの >パターン1、2、3、4はどのように結合されて意識に上るのか(統合(結合)問題)? >パターンの統合あたり(意識を考慮に入れない)の出来る研究から進めるのが >建設的かなと思います。 これはいいかもしれない。
5 :
伍長 :2001/01/31(水) 01:43
少々飛びますが、 >44 名前:3(たしか)投稿日:2000/08/24(木) 15:48 >(前略) >まず、私はなんでも生理的現象に還元されるとは、思っておりません。 >(中略) >行動主義の人が環境と生体の相互作用に興味があるのはわかるが、 >そもそも強化のプロセスだって、神経基盤なければ成立せんでしょ。 >強化子の性質と行動の関係は心理学で、そのプロセスが心理学でない >というのは、なぜ? >説明のレベルが変わる というのと、あれもこれも正しいと言う を >混同していませんか? 環境と生体の相互作用というレベルでの解釈と、 >その相互作用の基盤となっている生理的作用というレベルでの解釈は、 >問題設定が異なるだけで、どっちも成立するでしょう。 旧スレの60または96番まで、および202番ぐらいまでの議論に相当しますね。 >心理学の独自性を持てというのは、その通りだが、例えば強化の神経 >プロセスの解明なんてのは、心理学者以外に思いつきそうもない >題材と思うが。手法の独自性と、問題意識の独自性とがあるんじゃ >ないでしょうか? 旧スレ240番のリンク先の脳科学者がまさにそれをやっているらしいので、心理学者以外にも思いついた人がいたのは非常に喜ばしい(と、今になってちょっと感動)。
6 :
伍長 :2001/01/31(水) 01:45
>50 名前:3(たしか)投稿日:2000/08/24(木) 19:01 >確かに認知系の人には、内部にしか興味がない人は多いですね。 >ですが、行動主義の人は、内部に「まったく関心がない」ように見える >んですが、どうなんでしょう?思想的には徹底的行動主義は、内部課程 >も扱う筈ですが、学会にせよJEABにせよ、あいかわらず刺激性制御ばか >りで、個体内部について考察したものは、ほとんどないような気がしますが。 旧スレ全体、特に後半部分、例えば213以降、あるいは264以降などはどうでしょうか。 JEABでも、“private event”や“privacy”や“inner”で検索したら出てくるかもしれない。 今やってみたら、“private event”で1件、あとはダメ。“private”なら7件でした。(泣) Behaviorism誌や、Verbalナントカ誌の方ならけっこうありそうだけど、どうなんでしょう? 58 名前:マル心同投稿日:2000/08/25(金) 10:23 >>最終的に生理現象だけで説明しきれるかしきれないかを >>現段階で否定しきれるのは何で? >(中略) >人間行動のシステムにおける生理系は,環境からの入力(経験)を >環境への出力(行動)へつなぐ媒介系だよね. >環境入力なしに媒介系だけの力が行動を規定してしまうようなことは >全くないか,あっても稀でしょう? >確かに,媒介系が消滅とか損傷したりすればシステム全体が >崩壊するから,媒介系としての生理系は人間行動には不可欠な要素 >だから,無視はできない.でもそのことと「生理現象だけで >説明しきれる」ことは,全然違うよ. >具体的なひとつひとつの人間行動も,もちろん媒介系としての生理系が >なければ決して生起しないけれど,個々の行動が実際にどういう状態で >発現するかは入力としての環境の現有構造や,現有構造に影響する >過去の構造に依存するよね. そのとおりだと思います。で、次の61へ。
7 :
伍長 :2001/01/31(水) 01:48
>61 名前:3(たしか)投稿日:2000/08/25(金) 13:44 >(前略) >「(行動主義者は)内部にまったく関心がない」と書いた理由ですが、 >例えば、同じ 弁別刺激が提示されたときに、種、個体、また個体の経験 >によって、それに対する反応が異なることがよくありますよね。その時点 >だけ見ると、環境に対する生体の反応が一定しないわけです。「内部の >観察困難なプロセス」の影響がでてるわけですね。このとき、環境変数の >分析として、「過去経験」や「動機付け水準」で説明すると思います。 >さて、では、この説明でこのプロセスについて何がわかるんでしょう? >「過去経験」がどのように個体内部に蓄積されて、どのような刺激に >よってその蓄積経験が発現して、多くの過去経験の中からどの経験 >に従って行動するのか。環境刺激の分析では、わからないと思います。 旧スレの議論全体で、やっと回答の一部ですね。 私が放置して逃げざるを得なかったことを察していただければ幸いです。 >62 名前:3(たしか)投稿日:2000/08/25(金) 13:49 >生理学の知見は、このような問題を考えるとき、非常に手助けになります。 私もそう思います。私には、「私的事象」というのが実際にはどういうものなのか分からないですから。 ただし、旧スレでの私の発言でお解りのように、「心」の問題については、生理学の知見はやはり補完的なものだろうと思います。 つまり、「私的事象の弁別には言語共同体による間接的な分化強化が必要である」という環境との相互作用の問題(あるいは「“私的事象の弁別”=言語(的)行動」の問題)にこだわりたい。 少なくとも、「心はどこにあるのか?」「心とは何か?」という偽問題は解消されたと見なしたいけど、どうでしょうか?
8 :
伍長 :2001/01/31(水) 01:55
>工学系の認知屋さんは、生体ではありえないような概念をバシバシ導入 >してきますが、心理系としては、実際に生体が行っているプロセスを >知りたい。しかしクオリアの問題もあるので、生理学だけではおそらく >解明できない。で、お互いに利用し合うというという感じですかね。 そういうことだと思います。 >行動屋と認知屋も補完しあうものなんだから、協力すればいいんです >が。どっかのスレに認知行動療法の話がありましたが、行動研究と >認知研究が分裂してる限り、認知が行動に、行動が認知に与える影響 >は、なかなかわからないでしょうねぇ。 行動屋(特に行動分析派)をなかなか理解しようとしない認知屋にも大いに問題はあるが、 私は、どちらかというと行動屋の責任の方が大きいかもしれないと思っています。 >65 名前:すずらん投稿日:2000/08/25(金) 18:34 >クオリアの説明 >(中略) >これが標準的な視覚についての解釈ですが、哲学者はこの最後の過程 >を問題にします。 >なぜ、あるニューラルネットの発火パターンが『この灰色の感じ(クオリア)』 >を私たちの意識に上らせるのか?と・・・。 これがまさに旧スレのテーマだったわけです。 これが七氏の言う「実在感」であり、私が言うところの「私的事象に対する言語的な弁別反応」(=自己意識)だと思います。 >これについて、クリックさん(脳科学者。昔DNAでノーベル賞を貰った人) >「クオリアの問題はしばらくほっとくしかない」と言ってます。 神経生理レベル「だけ」では永久に無理。 「ほっとくしかない」なんて言わずに、脳の外、身体の外に目を向ければ、必ずしもそうではない。 (長々とコピペばかり失礼しました)
9 :
前スレにレス :2001/01/31(水) 02:39
キリンについての生物学的な研究者に対して 「あなたはそれがキリンの全てだと思っているが、 考えても見なさい。『キリン』という語は様々に 変容し、定まるところが無い。ある時は首の長い 動物を指すが、キリンビールの柄もある。キリン という語にまつわる言語理解、何故それをキリンと 呼んだのか? という立場からすれば、貴方の言う キリンの生態や遺伝子など、無意味とは申しません が、あまりに瑣末な理解と言わざるを得ない」 とか言ってみたりする。やっぱこれって詭弁でしょ。 だいたい、心理学での心の研究ってのは、「心が 痛む」等の文学的表現の是非まで踏まえなければ 出来ないもんなのか?
10 :
前スレにレス :2001/01/31(水) 02:40
>>274 > [例]:ケガをしている(公的事象)ときに、「痛い」という言語反応が自発されれば、言語共同体はそれを強化できるので、やがて話し手は、痛み(私的事象)があるときに「痛い」と言えるようになる。
全く同じ事が、表情筋の緊張やその他の身体動作に対しても成立しますね。
[例]:ケガをしているときに、眉間を歪めて頬の筋肉を下降させる特有の表情筋動作が自発されれば、表情知覚共同体はそれを強化できるので、やがて顔面表現者は、痛み(私的事象)があるときに特有の表情を出来るようになる。
こういう事象を例示していったその先に、例えば「感情の問題はつまるところ表情筋が存在するからだ」とか、
「犬の心の存在理由は自在に動作する尻尾である」とった論が生成されれば御満悦なんでしょうか?
私には、心の問題(に限った事では無いが、このスレでは心なので)は、その問題を議論する上での表現形態自体の
問題に還元可能とは思えないのです。問題は寧ろ、表現形態ではなく、表現されたその内容にある。
11 :
前スレにレス :2001/01/31(水) 02:40
>>313 > 「悲しい」という言葉がある感覚を指示すると考える。
> しかし、感覚は他人と比較することは不可能であるから、利用することができない。
利用する事が出来ないのは、感覚ではなくて、感覚と言語との
結び付き(ここでは、"ある感覚"と"悲しい"という言葉との関係)で
あるという議論も可能ですね。
この場合、
> よって、「悲しい」という言葉をある感覚を結びつけようとするのではなく、
> 「悲しい」という言語行動が発せられた状況、つまりその時の行動、周囲の反応等の集合として捉えるべきだ。
>
> ところが、脳至上主義の考えだと、ある感覚は何らかの手法を用いて定義することが出来得る
そうはならずに、"悲しい"という言語表現よりも、感覚をより厳密に弁別可能な
別の手段を用いるべきだ、という考え方もありますね。
例えばそれは、脳内の感覚受容部分や、その伝達先等の物理的反応を計測するという
ものなのかも知れません。
言語表現形式に拘る事で"心"の日常用語により近い理解を得るというのも一つの
方法でしょうが、別の弁別手段を用いて心の問題をより科学的に再構築する
のもまた一つの方法であり、前者と比較して後者が非難される様な筋合い
のものでは無いと思うのですが…。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 02:49
>>7 > つまり、「私的事象の弁別には言語共同体による間接的な分化強化が必要である」という環境との相互作用の問題(あるいは「“私的事象の弁別”=言語(的)行動」の問題)にこだわりたい。
> 少なくとも、「心はどこにあるのか?」「心とは何か?」という偽問題は解消されたと見なしたいけど、どうでしょうか?
その点については旧スレにて「言語共同体によらない分化強化も否定出来ない」という結論に
至ったと思われます。
さて、そうなると、偽問題解消?
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 02:57
あと、専門バカのせいで気づかない人が多いようなので 念の為指摘。 旧スレの後半でずっと続いていた問題の核心は、「脳内部の 構造で心が解明可能だ」という主張自体にあるのではなくて、 その主張への対抗が、一にも二にも"言語"の問題のみであった 点ですよ。 伍長などへの反論は「言語以外に不可能という根拠」を迫る ものであって、その大半は別に脳が全てという主張に賛同して いる訳ではない。 ところが、伍長の様な人は、自分への反論者をことごとく 「脳がわかれば全てわかると思っている無知」と故意に 矮小化してみせて議論を紛糾させて来たというのが真相。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 03:17
↑日本語読メナイ猿ガイル
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 05:55
>>9 こらこら、君こそ詭弁だぞ。
伍長氏(だけじゃない)が言っているのは、
キリンの研究をしている生物学者が、「キリンを見た人が何を感じ、
何を思い浮かべているか? キリンという語やキリンビールの柄は
なぜ生まれたのか?」などの問題に対して、
「キリンの生物学的研究のみから答えを出すのだ」
と主張したとしたらそれはおかしいだろう、ということだ。
これもあまりいい例えじゃないが。
>>10 伍長氏は本当に「還元可能」と考えているのかな?
言語共同体が実際に分化強化できるのは、私的事象に対してではなく、
公的事象に対してなのだ、ということを言っているにすぎないと思うんだが。
>>11 特に異論はないが、最後の部分は君の被害妄想。
だれも非難などしてないよ。その意義を認めた上で、
脳至上主義、あるいは「神経生理帝国主義」を非難したんだよ。
>>12 >「言語共同体によらない分化強化も否定出来ない」という結論
確かにその可能性は伍長氏自身も認めていたし、俺もそう思う。
ただ、想像してみたんだが、そのような形で弁別反応が生じたとしても、
すぐに言語共同体に取り込まれて、修正されてしまうんじゃないかな。
だから疑似問題は解消されたと見ていいのではないかと思うんだが、
んー、確信はない。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 06:00
>>13 「神経生理帝国主義」vs「絶対的言語中心主義」(言語帝国主義ではない)ではあったし、
やがてvsよりも、「言語共同体による分化強化」の問題に絞られてきたたことも確かだが、
伍長氏がはじめの方で述べていた「機能と機構」の問題のうち、
「機能」の問題を論じていたのだから、伍長氏にしてみれば「絶対的言語中心主義」になるわな。
「神経生理帝国主義」(機構のみですべて分かるという立場)への対抗の意味もあったし、
「なぜ言語にこだわるんだ?」という厨房の質問もあったしな。
ただ、「機能と機構」の問題を設定したときも、「まず言語ありき」ではあったな。
この辺がはじめの頃のマルシンド氏と違うところだ。
>伍長などへの反論は「言語以外に不可能という根拠」を迫る
>ものであって、その大半は別に脳が全てという主張に賛同して
>いる訳ではない。
そうか?
「その大半」は神経生理帝国主義者によるものだったと記憶しているが。
>「言語以外に不可能という根拠」を迫るもの
については、あまり芳しい反論はなかったぞ。俺もいろいろ考えたんだが。
ウィトゲンシュタイン関係の哲学屋による反論については、
伍長氏は結局納得していたようだが。
俺は決して納得していないけどな。あれは哲学的詭弁じゃねえのか?
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 06:26
おお、新スレ早々盛り上がるのはけっこうなことじゃ。 一言だけ指摘しておくが、 >10 >心の問題は、その問題を議論する上での表現形態自体の >問題に還元可能とは思えないのです それは哲学書に出てくる「論理行動主義」というやつじゃと思う。 随分と奇妙な行動主義じゃよ。 行動主義的心理屋の中には、論理行動主義者はおらんのではないかな。 >16 >あれは哲学的詭弁じゃねえのか? ワシもそう思ったぞ。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 07:06
「詭弁」かどうかは、それが詭弁であることを論理的に 指摘できるかどうかで決まる。「詭弁じゃねえかと思う」 というだけなら、単なる難癖だし、どう詭弁かを指摘できないなら 論理的には負け。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 07:23
しかしすでに2ちゃんねるの外では決着のついている問題を ていねいに教育する伍長氏の姿勢には感心とある種の「あきれ」(藁.
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/31(水) 08:47
>>19 決着のついているというのが、「脳の機能で心は全て説明出来るというのは
錯誤である」という事ならば納得ですが、「脳の機能で説明できない心の
全容は、全て言葉から生じる」ですとか、「言語習得前の赤ん坊や、言語
能力の無い動物には心や意識といったものは一切存在しない」とかいった
意見については、到底決着はついていないと思うのですが?
21 :
旧441 :2001/01/31(水) 15:32
情けのある方(親切な方では決してありません)に教えてもらった旧スレを読んでみましたが、 何が問題であるのかが少し分かった気がします。でも、説明はできませんが・・・。 なんか、言語と条件づけってすごいんだなっていうのが素人の感想です。 (読みが甘いとかいわないで) オペラント条件づけっぽい話がたくさんなされていたような気がしますが、レスポンデント の方はどうなんでしょう?的外れな質問でごめんなさい。初学者にはこのような質問が精一杯です。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/01(木) 00:22
>18 それもそうだな。じゃあ質問に切り替えよう。 人のいい伍長氏は納得したようだが、旧スレの301について。 現実にはあり得ないことを仮定し、その仮定から導き出される結論として 私的言語は存在しない、だから、私的言語を否定するには共同体を 持ち出さなくてもいいのだ、ということで本当にいいのか? 俺にもそう読めるんだが、そうだとしたらそれは哲学的詭弁じゃないのか、 と疑ったわけだ。 現実にはあり得ないことを敢えて仮定しなければならないということの 意義がわからない。 旧スレ302氏(俺じゃないよ)の2つの疑問についても知りたいので 教えてください。
23 :
伍長 :2001/02/01(木) 01:31
15氏がすべて答えて下さったので、「還元」についてだけ。
>>10 >心の問題は、その問題を議論する上での表現形態自体の問題に還元可能とは思えない
もちろんですよ。
まず、脳至上主義なら、心=脳なのだから、心の問題を脳の問題に「還元」していることになりますよね。
一方、私が述べてきたのは、15氏の言うとおり、
>言語共同体が実際に分化強化できるのは、私的事象に対してではなく、
>公的事象に対してなのだ、
ということ(私的事象の弁別の成立問題)なので、私的事象の問題を公的事象の問題に「還元」しているわけじゃない。
ですから、
>「感情の問題はつまるところ表情筋が存在するからだ」とか、
>「犬の心の存在理由は自在に動作する尻尾である」とった論
は帰結しないと思いますけど。
17氏の御指摘のとおり、「心的用語の意味とは身体的行動のことである」といったヘンテコな行動主義があるらしい。哲学書に出てくる「行動主義」というのは大抵がコレかその変種みたいです(でも、ワトソンもそう考えていたのかな? よく知らないけど)。
なお、10氏の事例における「顔面表現者」の「表情筋動作」はオペラントのようなので、それは言語行動ですよ。現にそのような「表情筋動作」も、コミュニケーションの手段になっています。よい例を挙げて下さったというべきです。
(だからといって、「痛み」の意味は特定の「表情筋動作」のことだ、とはならない)
24 :
伍長 :2001/02/01(木) 01:36
>>20 >決着のついているというのが、「脳の機能で心は全て説明出来るというのは
>錯誤である」という事ならば納得ですが、
でも、そう考える人は専門家の中にも多いらしい。
>「脳の機能で説明できない心の全容は、全て言葉から生じる」ですとか、
>「言語習得前の赤ん坊や、言語能力の無い動物には心や意識といったものは
>一切存在しない」とかいった意見については、到底決着はついていないと思う
「言語習得前の赤ん坊や、言語能力の無い動物」という、いわば「境界線」上の問題については、「判断保留」に近いと考えて下さい。
しかし「境界線」は存在しないだろうと思っているので、極めて未分化な“言語的”行動はあるかもしれない、だとしたらそれを「意識の萌芽」と呼んでもいいかもしれない、とは考えていますよ。
ミミズには無理だと思いますけど。
>>21 >レスポンデント
特に私的事象において重要な役割を担っていることは間違いないでしょうが、私にはよく分かりません。
ある程度詳しい人はいるんじゃないかとは思いますけど。
25 :
部外者 :2001/02/01(木) 09:49
ハードウェアとソフトウェアという、別々の側面を同時に議論しているね。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/01(木) 10:50
↑ 「心」について,そういう区別が実際に可能か, 可能なら何がハードウエアで,何がソフトウエアなのかについて 定まった見解がないからだよ. また,コンピュータ以外のもの(たとえば人間,こころ)の機能も すべてハードウエア/ソフトウエアという二項対立で説明/理解できるという 考え自体が過度なコンピュータアナロジーだという意見も 当然あり得るだろうね.
>>1 >そろそろ認知屋の出番ではないかと思うが、いかがかのう?
>生理屋、コンピュータ屋、臨床屋、哲学屋、その他諸々もよろしくのう。
うーん。認知屋さんその他にどういう意見を求めておられるのでしょう。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/01(木) 15:21
ここで論じられているように興味があるような人間は 認知屋や生理屋にはならんじゃろう. 認知や生理の研究をある程度極めてからこの手のことに 興味持つ人はけっこう多いようだが,そういう人はここには来ないじゃろう.
29 :
>27 :2001/02/02(金) 02:51
認知屋その他が, 今の議論の細部を検討するもの. 今の議論の先を展望するもの. 今の議論の出発点に戻って再検討を加えるもの. 今の議論とは全く別の視点で考察するもの. あるいは, 生理屋の新たな反撃. コンピュータ屋のデジタル思考. 臨床屋の夢物語. 哲学屋の詭弁. 行動屋の内輪もめ. ドキュン厨房の煽り.
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/02(金) 22:08
>>26 ハードウェアー:多様な遷移可能な状態と多様な可能な出力があり、
入力の種類に応じて、多様な可能な状態と出力の、多様性が制約される物理機構。
ソフトウェアー:入力によって、物理機構の状態の多様な可能性が制約された状態。
ハードウェアーは、入力と以前の状態によって、可能な以後の状態と出力が制約される。
とすれば、コンピュータと、プログラムやデータとの関係だけに限らず、
自動販売機と、コインやボタンに対する機械の状態との関係にも、
脳と、外界からの入力に対する心との関係にも、無理なく当てはめられると思う。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/02(金) 22:20
確かにコンピュータアナロジーには、コンピュータを鏡にして 人間を見てしまい、錯誤に繋がるリスクがあるけどさ、 言語中心主義の行動屋の議論も神智学モドキに墜ちるリスクが あったりしないかね?
32 :
伍長 :2001/02/02(金) 23:32
>神智学モドキに墜ちるリスク どういうことでしょうか?
>>29 このスレで議論されてることって、認知屋だからこう考えるとか
臨床屋だからこう考えるとかいう話じゃないような気がします。
まあいいや。
ところで
>>26 そんな「ハードウェア」「ソフトウェア」の定義なんて
聞いたことありませんが。
失礼。33の「そんな「ハードウェア」「ソフトウェア」の定義なんて 聞いたことありませんが」は26じゃなくて30に。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/03(土) 06:04
>28 ワシの文体の真似をしおって。おぬしも爺か。 この文体になるまでどれほどの紆余曲折があったことか。 >31 >18のコメントがそのままあてはまるのう。 >「神智学モドキに墜ちるリスクあったりしないかね?」というだけなら、 >単なる難癖だし、どのように神智学モドキとなるかを指摘できないなら >論理的には負け。 >33 同感じゃがの、認知屋に聞いてみたいのじゃよ。 ところで>9〜13は言ったきりで逝ったきりなのか? 威勢がよかったわりには呆気ないのう。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/03(土) 11:33
第2老人板化が進んだな
37 :
YES/ENTER :2001/02/04(日) 04:55
喜怒哀楽 ようはアッパーかダウナーかだろ、もしくはその混合。 脳内麻薬の分泌量で心は決まるんだよ! 感情なんて薬理効果だね! 脳内麻薬 ドバドバ!!
38 :
OFW :2001/02/04(日) 08:59
>>23 (伍長さん)
>10氏の事例における「顔面表現者」の「表情筋動作」はオペラントの
>ようなので、それは言語行動ですよ。現にそのような「表情筋動作」も、
>コミュニケーションの手段になっています。
質問ですが、「顔をしかめること」を言語行動と考えていますか?
私はコミュニケーションを手段に応じて、言語的と非言語的に分類して、
表情、身振り等は非言語的コミュニケーション行動(行為)としています。
もちろん、それを「おまえ、顔をしかめて、腹でも痛いのか?」と言う
ことは言語的ですが。
もしそうなら、言語行動とコミュニケーション行動の区別は何でしょう?
記号(シンボル)は言語よりも広いということですが、確かに言語を広く
定義する立場もあり得ます。たとえば、ベンヤミンは「存在者の内、伝達
可能な存在を言語と呼ぼう」といった再広義の言語観を持っていたようで
すね。
余談ですが、右翼が良く使う「肉体言語」「行動言語」という言葉は、
「心が余る(むしろ足りない?)ため、言葉を肉体で代用する」とも言え
ます。彼らは疎外された共同体に住むため、公的(むしろ私的?)事象が
多過ぎる、なんちゃって。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/04(日) 17:02
議論も収束してきたみたいなので、シロウトですが横レスしてみます。 伍長さんの、心を機能と構造の両面から捉えるというもので満場一致だと思います。 でも、僕にはあと「命」というものが重要だと思えるのです。 例えば、人が老衰で死ぬ場合、死の直前と直後では脳の構造に変化はない ですよね。もちろん、環境も変化がありません。でも、死後心は消失します。 周りの環境がどうなろうが死体は反応しません。 (詳しく知らないのでお医者さんに、「餓死」「窒息死」「溺死」などの死の定義も 聞いてみたいですが。) つまり、個体に「命」がある時だけ「心」は存在できるのではないでしょうか? 語弊を覚悟で言うなら、「命」と「心」は密接な関係があるのではないかと思うのです。 (といっても、脳の大事さは分かっていますよ。) 「命」ってなに?「生きてる」ってどういう事?という事に想いを馳せてみたら 良いのではと思いました。 それも、盲目的な神信仰者やなんとなく二元論者のように「思考を停止した人」ではなく 二元論に懐疑的で無神論者で唯物論者それでいて学者の立場を弁え オカルトに逃げない「思考する人」。 そういった人が「命」ってなに?という疑問にぶつかっていく方が 「命」というものを神聖化せず良いと思うし、 もしその秘密が解き明かされたら「命」の部分が補完された また違った「心」の議論ができるのではないかと思います。
40 :
39 :2001/02/04(日) 17:02
(続き) でも、それって生物学じゃないんですよね。 「生」ってなあに?と聞いて「生き物」を見せられ、「死」ってなあに?と聞いて「死体」を 見せられても意味がない。 僕が言ってるのは、「命」とはこういうものだ!、と死体を生きかえらせ、 また肉の塊に生命を吹き込むような「命」のメカニズムの解明だから。 (生きかえらすのが無理なら、なぜ無理なのかが分かればそれで充分だけど) どこかの権威のある天才さんが神智学や神学を使わずに 「命」の秘密を解き明かしてくれたらいいなと思っています。 (でも、「命」って物理的になんの取っ掛かりもないのよね…。) 話題をそらしてしまってすいません、…だけどなんか前スレの後半はもう モグラタタキみたいな状況になってたのでこういうのも息抜きに良いかな、と(笑)
>>33 前のは失敗、こんどはうまくいくと思う。
ハードウェアー:多様な遷移可能な状態と多様な可能な出力があり、
入力と(以前の)状態の、性質に応じて、
多様な可能な(以後の)状態と出力の、多様性を制約する物理機構。
ソフトウェアー:入力の性質に応じて、
ハードウェアーの多様な可能な(以後の)状態と出力の、多様性を制約する、
ハードウェアーの(以前の)状態。
多様な可能性を制約するとは、多様な可能性に対し選択すること。
ハードウェアーとソフトウェアーとの違いは、制約または選択する働きが、
物理機構の性質であるのか、物理機構の状態の性質であるのかの違い。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/04(日) 18:53
議論に合わせて用語を再定義してしまったら 議論にならないだろうがゴルア。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/04(日) 22:33
クオリアとは何ですか。
44 :
伍長 :2001/02/05(月) 00:44
>>38 (OFWさん)
「顔をしかめる」ことが、
a)言語共同体の他の成員のオペラント行動を介した強化によって
b)形成・維持されている
c)オペラント行動で
d)強化をもたらすオペラント行動は
e)その言語共同体特有の行動随伴性のもとで習得されたものである
ならば、それは言語行動です(『行動分析学入門』の定義ですが)。
ジェスチャー、ウィンク、道しるべの設置、押印などと同様に、
>>10 氏の事例はこの定義にあてはまると思われます。指差したり、のろしを上げたりすこともそうです。
スキナーの言語行動の定義は幅広いのですが、社会的行動が必ず言語行動であるとは限りません。
例えば、明らかにオペラント行動で、しかも社会的行動と呼べるような行動であっても、行動内在的随伴性(強化が自然に行動に随伴する随伴性)によるものであれば、それは言語行動ではないということになります。
また、蜜蜂のダンスをコミュニケーション行動と呼べたとしても、オペラントとは言えないので、これも言語行動ではないと見なしてよいと思います。
45 :
伍長 :2001/02/05(月) 01:01
>>39 ,40
物理・化学的な生命現象を営んでいる生体が環境と接触して相互作用を行っている状態を「行動」(レスポンデントを含む)と呼ぶなら、「心の謎」は、「行動の謎」レベルで生じた「生命現象の謎」の一つである、とも言えるかもしれませんが・・・。
「命って何?」という貴方の問いは、「核酸」「分子」レベルの問いではなく、「行動」レベルの問いのようです。「命の命らしさ」つまり、下記のクオリアの問題のようです。
>>43 「赤の赤らしさ」という言い方でよく説明されていますが、結局は、「実在感」「気がしている」「私的事象に対する弁別反応」という、これまでここで議論されたものと同様のものであると考えます。
46 :
39 :2001/02/05(月) 17:00
伍長さん、レスありがとうございます。 >「心の謎」は、「行動の謎」レベルで生じた「生命現象の謎」の一つであると言える はい、その通りだと思います。だから「心」を知りたければ、その前提である 生命=「命」についてもっと知ろうとする必要があると思うのです。 >「命の命らしさ」つまり、下記のクオリアの問題のようです 自分がどれだけこの言葉を理解できてるか分かりませんが違うと感じます。 「生きてる気がする」という心の問題ではなく、「実際問題として生きてる事実」が 必要という考えです。 伍長さんは、心身二元論者になる構成過程を詳細に説明して下さりました。 で、伍長さん自身は一元論に転向したという事でしたよね。 でも、それって「命が実際に続いていた」という事が前提ですよね。 二元論者の時に死亡してたら、二元論者で生涯が終わってたわけです。 赤ん坊は自分が「生きている」という意識はないと思いますが、 成長し環境の中から二元論を学んだり、また逆に一元論になったりする。 これらは、「命」が続いて学んでいってると言う事が前提です。 つまり、人間は実際に「命」が続いていたからこそ今の自分があるという事です。 「気がする」という問題は、僕はあまり重要視していません。 「生きている(『命』がある)」という事実です。 (当事者(物)が「命」というモノを意識下に置く事ができてるかは問題ではありません。 だから、どんな生き物だって「心」はあるんじゃないかなと思います。 人間のように高等じゃないかもしれませんが。)
47 :
39 :2001/02/05(月) 17:01
(続き) >「核酸」 だから、こっちの方が近いのかなと思います。 でも、「命」ってなに?と問うて、「生き物」を見せられ、「核酸」を説明され 「命」がない事はどういう事かという意味で「死体」を見せられても、 僕は納得できないと思うのです。 「だから、『命』ってなんだよ」と言いたくなる。 (ここで教わった「カテゴリー錯誤」ってやつですか?) 僕が言いたいのは失血死した死体に血を流し込み 「さあ、生きかえらして下さい」という事で 窒息死した死体に酸素を送り込み 「さあ、生きかえらして下さい」という事で 精巧な肉の塊に「命」を吹き込む事です。 「命」というモノのメカニズムを知りたいのです。 そこに「心」というモノへの答えもあるのでは、と思う者なので。
48 :
>39 :2001/02/05(月) 18:21
生命とはエントロピー減少系。 恒久的なエネルギーの流れの中で、 分子の相互作用が生みだす エネルギーの「よどみ」のようなもの。 では、ダメ??
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/05(月) 21:05
言語行動をとる行動主体には心があるというのは、心についての 研究結果として判明したり理解された事実では全くなくて、寧ろ、 「心とはそういうモノである、と考えて、心を研究しよう」という 心理学サイドからのアプローチの表明、もしくは心理学に於ける 心の定義に過ぎないのではないですか? 一方で脳生理学者が心と脳の知的活動として心を定義するのも、 彼らのアプローチに沿った定義に過ぎないし、これはどちらが 正しいとかそういう問題では無いと思うのですが。 しかし何故に、行動主義心理学者は、自分達が正しくそれ故 脳生理学者や認知心理学者が誤っていると主張するのでしょう?
50 :
通りすがりの27 :2001/02/05(月) 22:12
>>49 ここまでの話は「脳科学者や認知科学者が誤っている」という
話ではなく、「『心』が身体のどこかにある」といった考え方
などが誤っているという話だったと理解していますが。
脳科学者のすべてが「『心』が身体のどこかにある」とか
考えているわけじゃないし、行動主義心理学を学んだ人の
中にそういう考え方の人がいるかも知れませんので
> しかし何故に、行動主義心理学者は、自分達が正しくそれ故
> 脳生理学者や認知心理学者が誤っていると主張するのでしょう?
などという書き方は無用な混乱を招くだけだと思いますが。
>>50 そだね。
単に「脳至上主義」が間違っているということをネタにしながら、
議論が進んできただけだものね。
52 :
伍長 :2001/02/06(火) 19:07
しっかり読めている人が多いのは心強いのですが・・・
>>49 >心理学サイドからのアプローチの表明、もしくは心理学に於ける
>心の定義に過ぎないのではないですか?
貴方が御存知ないだけで、必ずしもそうではないのですよ。哲学や社会学の中にも類似品は多いのです。
弁証法屋さんのOFW氏がよい例です(哲学サイドではどうなのか質問してみてはいかが)。
また、「機能」とそれを支える「機構」という別レベルのアプローチがあるということは当初からの前提であり、これは皆の立場の相違にも関わらず、ほぼ「満場一致」(
>>39 )で同意されているようです。
さらに、「脳生理学者」ではなく、「脳至上主義者」は間違っていると主張しているのです。
そもそも、行動屋以外でもこれまでの議論に賛意を示す人が多かったのは何故?
新参の方々もおられるかもしれないので・・・
>脳生理学
全ての脳科学者が「脳至上主義者」ではないでしょう(と思いたい)。
このスレでは、「心」という日常語が存在するという事実から出発し、人々が持つ「心」概念の成立過程を「機能」面から探ることで、心身問題を議論してきました。
「機構」の話、「脳」の話はその先でよい、と哲学屋さんも言っていましたが、そろそろその話になってもいい。
>認知心理学
批判めいたことは誰も言ってないはずだし、そもそもあまり話題になっていない。
話題になってないから、1氏も私も認知屋さんに呼びかけているわけです。
「どーでもいいことだが」スレで、これまでの議論の先の部分に興味があるという人(たぶん認知屋さん)もいました。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/07(水) 02:18
これまでの議論を簡単にまとめてくれませんか?
54 :
ゆきオヤジ :2001/02/07(水) 11:58
>>53 読んで損はないよ。
私も卒論で忙しくって宿題になりつつあるけど。
要約するには内容が濃すぎる…。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/07(水) 11:59
昨日読んだ本に「ほんとに理解したいなら要約するな」と 書いてあったよ.要約すると(要約の質が悪くても)理解した気に なっちゃうからね.
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/07(水) 14:32
>>55 > 昨日読んだ本に「ほんとに理解したいなら要約するな」と
> 書いてあったよ.要約すると(要約の質が悪くても)理解した気に
> なっちゃうからね.
質問,この文章自体が,あなたが昨日読んだ本に書かれていた
「理解した気にさせる質の悪い要約」そのものの見本ですか?
「要約するな」と書いてある本を真に受けながら要約する,
冗談のようなお人がこの世におられることに激しい笑撃を受けました.
57 :
39 :2001/02/07(水) 17:24
>48さん う〜ん、だから、「命」ってそういう存在です、じゃなくてなんでそういう 存在なんだろうというメカニズムに対しての疑問と疑問を持つ事の必要性です。 伍長さんの言葉では、 「『心の謎』は、『行動の謎』レベルで生じた『生命現象の謎』」 と言う事だそうですが、逆から読めば(無意識レベルも含めばの話ですが) 「『命』あるものは『行動』し、その『行動』の原動力が『心』である」※ で良いのではないかと考えます。 「命」=「心」(語弊があるなら⊃とか)と仮定してもいいのではないでしょうか。 でも、もちろん脳は重要だと思いますよ。 (この考えは、時代と逆行してる考えかもしれないけど) だから、「命」を知ろうと努力する気概は必要だと思えるのです。 ※このスレでは、「心」は「行為・環境・経験・脳構造」などに依存するという 一元論が話の本筋なので、「行動」と「心」を別ける必要はないですけど、 別けないと分かりづらいので。 「命」の謎を書いてみますね。(本などから受け取った情報が大半ですが) 「命」は、雄と雌の性行為から生まれるのがほとんどです。 (単為生殖は、前提条件の統一ができなくなってしまいますが分かりません。 細胞分裂は、人間の体内でも起こってるから別に良いでしょう。) 人間の場合、受精が「命」の発生点で、女性の子宮内で肉体が 形成されるまで待って、この世(良い言葉が見つからない…)に出でて、 何事もなければ老衰で死んでいく。
58 :
39 :2001/02/07(水) 17:24
(続き) ある思想家が、「『命』とは撃ち出された弾丸のようなものだ」と言ってました。 途中で遮蔽物にでもぶつかると(事故など)、 そこからうんともすんとも言わなくなります。 ロボットは違う。ロボットは、燃料切れたら入れてやれば動きだすし、 壊れたらその部分を交換してやればいい。 人間は、餓死を燃料切れとするならば、死亡した後食べ物詰め込んでも駄目。 部分的な交換はできるけど、「命」がある事が前提。死亡した後、 「ここが悪かったのですね。交換しましょう」と交換しても動きださない。 (当たり前の事ですが、「命」がないモノと「命」があるモノとの違いです。) 「命」を生み出すには、また弾丸を発射(受精)する必要が 今の時点ではあります。謎です。 神智学者や宗教家だけではなく、全ての学者が「命」について想いを馳せる時が 来てるのでは?と思います。 そして、「命」というモノの説明を、シャーマンと呼ばれる人達の独占物としないで (それは、選民思想になり不幸ですよ。乞う方も乞われる方も。 また、信憑性に関しても疑い出したらキリがないし。) 学者が一般市民レベルに白日の元に曝して欲しいのです。 何度も言ってますが、それが、「心」の解明にも繋がると思いますので。 もう、くどいので(同じ事3回)横レスは終わりにしますね。 以上、学者の方々がこっちに目を向けてくれたら良いなぁ、 というシロウトの願望でした。
横レスにレス。
>>58 (=39)
> 人間は、餓死を燃料切れとするならば、死亡した後食べ物詰め込んでも駄目。
「餓死=燃料切れ」という仮定自体が不適切だと思います。
ヒトの身体は死因が何であれ、死ぬと全身にわたって非可逆的な
変性を起こします。ロボットにおいてこれに対応するのは、
その構成部品全般にわたって腐食、破損してしまったような
状況になるはずです。
そこまで壊れてしまったロボットに燃料だけ補給しても、
部分的に部品を交換しても正常に動作しないでしょうね。
60 :
39 :2001/02/08(木) 00:11
言われてみればその通りですね。 ロボットのエネルギー切れは、「タンク(電池)が空になった」という事だけですが、 餓死と言うのは「死」という言葉が入ってるように、生から死の状態に 移行する事でした。勉強になりました。 で、死ぬと一気に腐敗すると…。 エントロピー減少系、非可逆的存在か…。
61 :
伍長 :2001/02/08(木) 00:27
>>53 カンタンに要約するのはカンタンです。
とりたてて複雑怪奇な事柄を論じていたわけではありません。
【A】:「心はどこにあるのか?」「心とは何か?」等は偽問題であり、「カテゴリー間違い」の一例である。
【B】:この偽問題を解消するためには、「なぜ人は、『心』のような心的用語を使えるようになるのか? 二元論に陥らずに答えよ」と問うべき。
【C】:その答えは、「機能」と「それを支える機構」の2方向からのアプローチによってもたらされる。
(以上、旧スレ前半)
【D】:脳研究は後者の中心であるが、脳レベル「だけ」で語ろうとする「脳至上主義」は間違っている。
(旧スレ全体)
【E】:「クオリア」「心の実在感」「(心が存在しているような)気がしている」などは、機能的には「私的事象に対する弁別反応」と見なされる。
【F】:「私的事象に対する弁別反応」は、言語共同体による分化強化によって間接的に形成・維持される。
【G】:ゆえに、「私的事象に対する弁別反応」は、定義上、言語行動的な性質を持つ。
(以上、主に旧スレ後半)
基本的にはこれだけです。
多くの人が、心身二元論か心脳一元論のどちらかに「逝って」しまうのは、【A】と【F】を理解しそこなうからだと思われます。
なお、上記の【B】の問いは、
【B'】「私的事象に対する弁別反応は、
(1)如何なる要因がどのように関わっているか?(主に機能面からのアプローチ)、
(2)どのような仕組みがそれを支えているのか?(主に機構面からのアプローチ)」
という問いに変換されるでしょう。
63 :
生理学徒@もうすぐPh.D :2001/02/08(木) 08:21
>心脳問題 あのなつかしき、「YS氏の某哲ボー」を覚えて居られる方も居られるので しょうか。・・・・(遠い目)。 しかしながら、NET議論としては面白いこの問題も、冷静に考えれば単なる カテゴリーエラーですよね。議論の中枢は結局の所以下のようなものじゃな いですか? 悩める人:「嗚呼、私の心の謎!それは永遠に解明されることのないものなのだ!」 生理学者:「心配せずとも宜しい、あなたの心はあなたの脳味噌にありますよ」 心理学者:「打倒生物帝国主義! 生理学者は心理学の領域に口を出すな! 心は 現象であって決して物質に還元されるようなものではない」 工学者 :「まあ、まあ。あなた方は頭が固い。いいですか、Xを脳味噌、Yを頭蓋骨 とすれば、嗚呼何と面白き!X+Yの振る舞いは十分、人間らしいと言えるでしょ」 悩める人:「私の心は、私だけのものだよ。脳味噌を開けても、私の心は見えないし、 他人に、私の心の中で起きている事柄も判るはずもない。そして、工学者が作ってき た、そのでくの坊は、どう見ても私の友達には成れそうもない」 セラピスト:「そうそう。あなたの心はあなただけのもの。私があなたの悩める心を 慰めてあげましょう」
64 :
>>61 :2001/02/08(木) 17:20
こんなとこに書いてないで、 がっかいで発表したら。
65 :
心の場所は・・・ :2001/02/08(木) 17:35
だいたい心臓の上あたりにあって 松果体につながってます。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/08(木) 17:59
>64 こういうことは「研究の前提になること」で、 学会では研究そのものを主に発表する。 ここで伍長氏が書いているようなことは まともな心理学研究者なら研究以前に考えているべきことで、 学会で発表するようなことではない。 (まあシンポジウムやワークショップでとりあげるのは面白いかも)
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/08(木) 19:42
>伍長さん 旧スレの274のスキナーの4つの説明の 出所をもう少しくわしく教えてください。
68 :
OFW :2001/02/09(金) 00:18
<現象学風の対話> 「心はどこにあるのか?」 「何でそんなことを聞くのか?それは意味のない問いだ。」 「しかし、私には確かに『心』と呼ばれる何物かがあるように思われる。 そして、その在りかを探したいと思ったのだ。」 「あなたは『心』という言葉で、いかなる存在を考えているのか?」 「それは、皆が使っている普通の意味で言っている。テレビCMから大臣ま でもが『心が大事、心がすべて』と言う、あの存在のことだ。」 「どの存在か?」「ここ(と言って自分の胸を指差す)にもあると言える。」 「心は目に見えるのか?」 「いや、見えない。それは心で感じることができるだけだ。」 「心が心を感じる、というわけか?」 「そうだ。ただし、自分の心を感じることしかできないし、他人に心がある というのは類推でしかない。」 「では、あなたは自分の心は確かにあると思うのか?」 「私の心は確かにある。もし心がなければ、感覚、知覚、感情、意欲、欲望、 認識など全て虚妄ということになる。心ある存在だからこそ、精神的な 働きが可能なのだ。」 「ところで、あなたはどこにいるのか?」 「バカなことを言うな。あなたの目の前にいるのが私だ。」 「しかし私にはあなたの身体は見えても、心は見えない。あなたは本当に そこにいるのか?」 「本当だ。私は私の体の中にいる。」 「それでは、あなたは身体に乗り移った幽霊のようなものか?」 「あなたは私の身体を外から見るだろうが、私にとっては、私は私の身体と 一体であり、むしろ私の身体は私の心の中にあると言うほうが、より適切 だろう。私の心は世界のすべての存在を写している鏡のようなものだ。」 「先ほどとは異なり、身体より心のほうが大きいということか?」 「うーむ。それは現実の私と表象の私との分裂というやつだな。」
69 :
伍長 :2001/02/09(金) 00:22
>>67 ↓元ネタはコレ。名論文だと思う。
The operational analysis of psychological terms. Psychological Review, 1945, 52, 270-277. (in Cumulative Record. 3rd ed. 1972, Appleton.)
↓コレの Chapter 5 の中にも同様の記述あり(p.130以降)
Verbal Behavior. 1957, Appleton.
『行動分析学入門』(産業図書)の第21章「言語行動」の中にも簡単な要約あり(p.283-284)。
70 :
生理学徒@もうすぐPh.D :2001/02/09(金) 01:45
>(まあシンポジウムやワークショップでとりあげるのは面白いかも) まるで理論心理学会の何年か前、船橋でやった奴みたいじゃない。 M木K一郎とか、K木とか来てたんでしょ。
71 :
生理学徒@もうすぐPh.D :2001/02/09(金) 01:51
何れにせよ、私には何が面白いのかこれっぽちも判らないな。その時の シンポジウムも、ぜんぜん話がかみ合ってなかったらしいじゃない。 (ちょっとした不手際でそのシンポジウムは見逃した。残念)。 結局の所、「カテゴリーエラー」である事につきるでしょ。クオリアを つつき回したところで、なんかの時代錯誤のセラピーじみた事になるだ け。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 07:02
理論心理学会って場所がだめ. こういう話題は「理論専門家」じゃなくて 実践研究やってる人間が議論しないと面白くない. 実践研究だけやっててこういう問題に全然興味が もてない(重要性がわからない)奴らもだめだけどね.
73 :
72 :2001/02/09(金) 07:04
俺もいちおう他人からは理論系研究者と見られるようだが 理論心理学会は一日も早くつぶすべきと思っている.
74 :
生理学徒@もうすぐPh.D :2001/02/09(金) 10:33
>>72 この問題に関して、どこら辺が重要で、どういった議論が生産的なもの
なのか説明してくださいよ。
結局の所、科学の網にすくい取ることが出来るのは客観的な事実でしか
無いわけだから、私秘的な「私がここにいるという感じ」などという
ものを対象に出来るはずもないじゃないですか。「それは科学の不備」
とか、「新たな解析手段があるはずとか」いうのはナンセンスで、不毛
だと私は思うんですがね。
>理論心理学会つぶせ
まあ。話のネタにはなりますな。真面目にやってる人にとっては、
不愉快な代物かもしれないですけどね。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 11:25
「理論心理学」は必要だし、重要だけど、 「日本理論心理学会」はいらない、ってこと。 あと、生理学徒氏へだけど、 心理学の本来の目的が「科学である」ことだったら あなたのいう通り。でも心理学の本来の目的が 「こころというものについての学問」であるなら、 「こころ」を問題にできない(あなたは実質的にそう言った) 「科学」という枠組みに囚われる必要なんかない、っていう 極論だって成り立つ。 あなたと科学論をするつもりはないけど、 たとえばこころを言語行動ととらえて、その範囲で いちおう「科学」の枠組みでとらえようとする行動分析学の 立場にたって論じている伍長氏に対して、 あなたの問いはどんな意味があるかな? そして、あなたのような科学枠組み優先論をとると、 非常に狭い「通常科学」の枠組みから外れるものには、 すべて「不可知論」の立場をとらないといけなくなる。 自分達の「科学」でどうにかできないものは、すべて 宗教や形而上学に任せておけば良い、と言う考え方。 そういうのを「専門バカ」というのじゃないの。 理系に血液型性格判断やオカルトを信じている人が以外に多いのも そのせいだと思うよ。
76 :
生理学徒@もうすぐPh.D :2001/02/09(金) 11:42
どうも。 >「科学」という枠組みに囚われる必要なんかない 厳密科学の網にすくい取ることができるものは、この世に比較的少ない のはご承知の通り。そして、そこからこぼれたものは知らないよという のは75さんのいうとおり無責任というものかもしれない。 しかし、「広義の科学」・・・定義に関する議論を始めたくはないですが 、一定の高等教育を受けた人に対し、最低限の客観性をもって議論が可能 な枠組みという事でどうですか(具体的にはNature誌上での議論が可能 というあたり)・・・にすくい取ることが出来ないのなら、それは学問的 に無意味で不毛でしょう。 >たとえばこころを言語行動ととらえて、その範囲で >いちおう「科学」の枠組みでとらえようとする行動分析学の >立場にたって論じている伍長氏に対して、 伍長氏の著作などは拝見していないのでどうとも言えませんが、それは 既存の心理学の枠組みとはどう異なるのですか?
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 14:21
↑ なんだよ、過去スレ読んでないんじゃないか。 旧スレとこのスレをもう一度最初から きちんと読んでから議論して下さい。 あと、心理学を一から勉強しろなんてことは言いませんが、 社会学にしろ、文化人類学にしろ、人文社会科学が あなたが「学問的に不毛」と思うところの広大な分野を どのように「広義の科学」に取り込んできたのかについて、 せめて基礎知識程度のことは自分で勉強してから来て下さい。 ある分野(あなたにとっては生理学)でいっぱしの科学者に なったからといって、他の分野の科学についても専門家と同じ 基礎知識や理解力を身につけたわけではありません。 あなたは心理学や、それに関連する議論については、この板に 出没する厨房となんら変わらないのです。 あなただって、心理学の博士課程終わったくらいの人間に 生理学のある理論の価値とか、生理学の基本的概念について講釈されたら 笑うでしょう?
78 :
生理学徒@もうすぐPh.D :2001/02/09(金) 15:16
>旧スレとこのスレをもう一度最初から >きちんと読んでから議論して下さい。 そんなこと言ったら、もう誰も議論参加出来ないでしょ。ざーっとは 見たよ。熟読すべき内容でもないでしょ。(熟読させたいのなら、 Refするか再掲してくださいな)。 >せめて基礎知識程度のことは自分で勉強してから来て下さい。 基礎知識はあるつもりなんだけどな。 >生理学のある理論の価値とか、生理学の基本的概念について講釈されたら >笑うでしょう? 別に笑いはしないよ。「科学」という学問のすばらしいところは、別に何かの 碩学や継承者じゃなくても誰でも参加可能という所だね。一定の主張や仮説が 基本的に誰によってでも批判・検証可能だからこそこれだけ発展してきた訳 でしょ。 そして、「学問」として成立するためには、基本的に一定の理解力がある 人間に、その面白さ、意義を十分説明可能じゃないといけないでしょ。そ の点、学問を職業とする人ならば誰でもそういう義務を負ってるわけだよ ね。 その点宜しく頼むよ。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 16:05
>熟読すべき内容でもないでしょ。 この言葉で、別に議論に参加したかったのではなく、 単にケチをつけて自尊心を高めたかっただけだと言うことが わかる。残念でしたねえ。邪魔だから早く帰って自分の仕事してね。 D論の審査はもう終わったのかい?
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 16:35
対立しているのみる方が傍観者としてはおもしろいです。
81 :
名無しさん :2001/02/09(金) 17:25
ロボットスレから来ました。 心はロジックで動いているものです。 人間の尊厳などといって心を唯一無二のもののように扱う考え方も またロジックでありそのロジックそのものが心です。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 17:28
>>81 違うよ.
…って説明を始めようと思ったが,ロジックを違う意味で使ってるかもしれん.
ちょっとロジックに定義を与えてみてください.
83 :
名無しさん :2001/02/09(金) 17:43
だから論理ですよ。法則。 ただし人によって法則の差異はありますが、 1個人に絞る場合、ある入力に対しての効果は予測可能で、 だからこそ心理学も成り立つ。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 18:24
>>83 OK,でも「法則」の英訳は "rule" だね.
それはそうと君は今,前半で問題になっていた「環境」を
思いっきり無視する発言をしてしまったことによって,
ターゲットになる危険性を抱え込んでいることに気づいたかい?
前スレの前半を一通り目を通してごらん.
自分の意見が多くの厨,おっと失礼,多くのおりこうさんたちによってすでに発言され,
しかも既に反論がない状態に追い込まれている様子を目の当たりにできるから.
85 :
生理学徒@もうすぐPh.D :2001/02/09(金) 18:39
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 18:45
バカ(藁
87 :
名無しさん :2001/02/09(金) 18:48
うんだから、自分の好きなもの(このスレッド)を汚された(と感じた)ことに対して -> ターゲットとみなし攻撃する これこそが心の動きであり、自己の欲望にもとづくロジック。 あなたが憎悪するパターンに私がひっかかった。 それだけの事。
88 :
名無しさん :2001/02/09(金) 18:48
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 18:58
↑ これは外部からの解釈だろう? その「ロジック」が人のなかのどこかに「実在」すると 言えるのか,っていうことも考えてよ. ロボットにあるロジックを「実行」させるためには まず制作者がそのロジックを持っていて,それに合わせた プログラムを組むわけだよね.でも,それが実行されたときに 「ロボットがそのロジックを持った」と言える? むしろ制作者のロジックに基づいてロボットが動いた, ということだよね.ロジックは行為者の内部にではなく, (人間の場合は行為者自身の自己認知も含めた)行為の 認知者によって解釈されるものです.
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 19:00
つまり,ロジックは「心の動き」そのものではなく, 心の動きについての認知的枠組みのひとつです. 心を持つものがすべてロジックを持つ必要はないし, ロジックが心の要素であると考える必要もないです.
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 19:35
はいはい,わかったわかった(苦笑). 早くそのロジックとやらを実装して人工知能を実現してくれよ. ロジックまで分かってるんだろ? あと一歩じゃねーか. プロトタイプくらいは作って見せてくれよ. 理系の板だと「じゃあ作れ」って言われるから,こんなところにきて 大法螺吹いてるんだったりしてね.あはは,まさかね(笑).
92 :
89-90 :2001/02/09(金) 19:38
>91 おいおい,わかったわかったじゃなくて 俺はそのロジック野郎に反論しているんだよ。 ちゃんと読んでくれよおおおおおお!!!!
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/09(金) 22:18
心ってシステムなんでしょ。 違うんでしょうか。 変に文学的な人がいますね。哲学はただの遊びです。 脳の生理的機能に依存しすぎる人もいる。 脳の生理的機能から逃れたがっている人もいます。 なんでもっと全体をシステムとして見ないんですか。 門外漢からみると変です。非効率的です。 なにか間違ってます?
94 :
伍長 :2001/02/10(土) 00:38
>>74 (生理学徒さん)
あなた方が「心」の問題に正面から取り組むつもりなら、進むべき王道は、
弁別反応の弁別刺激となるような「私的事象」を特定し、その物理的特性を明らかにすると共に、
そのような弁別学習の際の脳内現象の詳細を解明すること、であって、
これがド真ん中の直球ではないかと思います。
そのためには、オペラントの形成・維持・消去過程の生理現象全般についての知識も必要でしょう。
さらに、レスポンデントの古典的条件づけも関係している筈ですので、その生理学的解明も必要。
周辺部分を含めて、やるべきことは山ほどあるでしょうが、充分に科学の網ですくい取って研究できると思いますけど。どこまで可能かはともかく。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:18
95 名前:すずらん投稿日:2001/02/10(土) 07:27
どうも、修論一応提出したのでまた復帰します・・・と思ったのですが、
議論が収束しつつありますね。まず初めに私の立場ですが、基本的に
コネクショニストです。ニューラルネットワークモデルが専門です
(ちなみに物理上がり)。ここでは完全に野党のようですが、あえて与党に挑戦♪
私の話はまた元に戻ってると感じられるかも知れませんので、議論する余地無し
と思ったらそう言ってくれれば止めます。まず、私は「心は脳の一部である」
と主張します。ただし、ここで私が言う「心」とは「認知、感情、学習・思考、
記憶、(運動制御)」です(多分伍長さんとは心の定義が違うのだと思う)。
これらがどのような「機構」で実現されているのか?という問題が私にとっての
主題です。したがって、「心」と言う言葉の実際の用法には興味はありません
(伍長さんはこちらに興味があるように思われるのですが?)。
取り敢えず、『主観的体験(クオリア)』の問題に絞ります。私自身のこの問題に
対する、現時点での回答は「クオリアの問題はあるが、現時点では難しすぎる。
取り敢えず、そこは『ニューロンの発火状態に随伴させましょう』(多分認知・生理
の主流の立場)」というものです。それでは早速・・・
あなたの目の前にあるキーボードを触って下さい。次にそこから指を離して
ください。この時に、指先の「感じ方(クオリア)」が変わったはずです。
これが、クオリア問題(現在心脳問題で最も重要と思われている)の全てです。
そしてこれがどのような「機構」で生じるのかと言う事が問題なわけです。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=974569037&st=274&to=274&nofirst=true ↑で伍長さんが述べられた事と対応させると、
「キーボードを触る(公的事象)」→「指先に何か感じる(私的事象)」
という事です。この間に横たわる限りないギャップ。これが、『クオリアの問題』
です。この問題について、「行動分析学」は今のところ無力です(と言って実は
認知のアプローチも今のところ無力)。つまり、この問題は
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=974569037&st=336&to=336&nofirst=true ↑で、動物屋さんがおっしゃっているように、一見「永久にわからない」問題の
ように思えます。どうしてこの問題に対する回答が
>>8 (伍長さん) 「私的事象に
対する言語的な弁別反応」(=自己意識)になるのでしょうか?「私的事象」
そのものが、どのような「機構」で生じるのかと言うのが問題なわけです
(注:決して、「私的事象」がなぜあるのかを問うている訳ではない!)伍長さんは
「クオリアの問題」を勘違いしてるとしか思えないのですが(実は七氏もそうだと
思うのだけど・・・)?
もう1つ『クオリアの問題』を明示するために思考実験です(有名すぎるかな?「色盲科学者メアリーの話」F.Jackson,Epiphenomennal qualia. Philosophical Quarterly,32,127(1982))。
視覚についての神経生理学上の知識を全て持っている科学者メアリーがいたとします。
ただし彼女は色盲です。彼女がある被験者に赤い色を見せる実験をします。
そして彼女は被験者を目の前に次のように説明します。
「あなたが、今赤色が見えたのは○○の神経に信号が入り、△△の神経細胞が反応
したのです。それによりあなたには赤色が見えたのです。」
被験者いわく
「えぇ、信号がそのような過程を経たのは良く分かりました。しかし、先生その
説明のどこにも私に見えた『赤色』が入ってないじゃないですか!」
さて、メアリーは赤色を知っていると言えるのでしょうか(当然言えない)。
まさにこの問題が「クオリアの問題」の本質です。どうでしょうか、伍長さん
分かっていただけたでしょうか?ちなみに私は、伍長さんが書かれている
「心的なものが確かに存在しているような気がする」が何をさしているのか
理解できません。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:19
96 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 11:27
>>52 > このスレでは、「心」という日常語が存在するという事実から出発し、
脳至上主義者の言説が日常語からの乖離している点が批判可能なのはわかるが、
「動物には心は無い」という言説もそれと同様に日常語としての「心」からは
既にかなり乖離していると思うが。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:20
97 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 11:32
>>50 > ここまでの話は「脳科学者や認知科学者が誤っている」という
> 話ではなく、「『心』が身体のどこかにある」といった考え方
> などが誤っているという話だったと理解していますが。
「『心』が身体のどこかにある」といった考え方などが誤って
いるという意見も、前提とする『心』の定義次第に過ぎないって
いうのが
>>49 の文意だと思うけど。
仮に「心とは脳‐神経組織による情報処理プロセスの総称である」
と定義すれば、心は脳内に存在するとは言えなくもない。
(『プロセス』は局在しないと詭弁を呈することも出来るが。)
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:20
98 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 11:35
>>52 > 貴方が御存知ないだけで、必ずしもそうではないのですよ。哲学や社会学の中にも類似品は多いのです。
類似品の多少の問題でなく、「『心』の定義自体が異なる学問間で
結論が違うことに対して正誤判定なんて無意味だろ」ということでしょ。
それともあなたは「社会学の中に類似品があるから正しい」とか下らん
党派志向を披露したいのでしょうか?
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:20
99 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 11:39
>>61 > 【D】:脳研究は後者の中心であるが、脳レベル「だけ」で語ろうとする「脳至上主義」は間違っている。
機能だけで論じる心理学者が機構だけで論じる脳至上主義を批判するこの不思議。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:21
100 名前:通りすがり投稿日:2001/02/10(土) 11:51
>>75 > たとえばこころを言語行動ととらえて、その範囲で
> いちおう「科学」の枠組みでとらえようとする行動分析学の
> 立場にたって論じている伍長氏に対して、
> あなたの問いはどんな意味があるかな?
心を言語行動と捉えて議論されても、心を脳での情報処理と
捉えて議論されるのと同様に、「私や他人の中に実在すると
感じられて止まない『心』」とは既に別物という感じがしま
すね。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:21
101 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 11:54 ↑ それはあくまでも「感じ」。 その「感じ」というものも「言語行動」。 たのむから過去レス読んでくれ。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:22
102 名前:50投稿日:2001/02/10(土) 13:13
「通りすがり」という名前を使っている人がいるようですので
発言番号で行きます。
>>97 私の50で言いたかったことは後半の
>>50 >> しかし何故に、行動主義心理学者は、自分達が正しくそれ故
>> 脳生理学者や認知心理学者が誤っていると主張するのでしょう?
>などという書き方は無用な混乱を招くだけだと思いますが。
という点です。49氏の書き方では、このスレは「行動主義心理学者vs脳生理・
認知心理学者」の論争のように読めますが、このスレはそーゆーことじゃなくて
「『心』が身体のどこかにある」という考え方に同意する人としない人の
論争なんじゃないんですか? ということ。
>仮に「心とは脳‐神経組織による情報処理プロセスの総称である」
>と定義すれば、心は脳内に存在するとは言えなくもない。
>(『プロセス』は局在しないと詭弁を呈することも出来るが。)
あなたがこのスレでどういう立場をとるのかはあなたの自由です。
私だって伍長氏に全面的に賛成しているわけじゃない。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:22
103 名前:>101投稿日:2001/02/10(土) 13:15 君こそ、読んで、理解した方がよさそう。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:22
104 名前:すずらん投稿日:2001/02/10(土) 15:40
>>100 私は個人的には、『日常言語として使われている心』には興味はありません
(と言うことはこのスレに関係ないって事かも(笑))。
そして、それについて「心はどこにあるのか?」という疑問はナンセンスだと思います。
また、『クオリア問題』も(それにだけ)こだわる必要はないと思ってます(実は最も気になる問題ですが)。
現時点では、生産的なことが生まれる匂いがしないから・・・。この意見は、
>>74 (生理学徒@もうすぐPh.D)さん
と似ているんですが、ただ私は『「それは科学の不備」とか、「新たな解析手段があるはずとか」
いうのはナンセンスで、不毛だと』は思っていません。
むしろ、「(現状の)科学の不備」で「新たな解析手段があるはず」だと思ってます。
ただ、その具体的方法はさっぱり分からないと言う立場です。
とりあえず、現状で出来るとこからやっていくしかないと思ってます。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:23
105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 19:10 >すずらん殿 結合主義(connectionism)スレでご指名です。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:23
106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 20:11
>>101 そういう説明事態が、心理学派内のドグマに過ぎない。
日常語の「心」とは既にかけ離れたもの。
そもそも心理学って「日常語としての『心』」に依拠する学問なの?
Psycologyはpsycoに依拠する学問で、心理学とは別物か?
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:24
106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 20:11
>>101 そういう説明事態が、心理学派内のドグマに過ぎない。
日常語の「心」とは既にかけ離れたもの。
そもそも心理学って「日常語としての『心』」に依拠する学問なの?
Psycologyはpsycoに依拠する学問で、心理学とは別物か?
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:24
107 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 20:16
>>101 感覚それ自体も言語行動なの?
痛覚のある全ての生き物には心があるっていうのが心理学の結論か?
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 05:25
108 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2001/02/10(土) 20:22
>>95 すずらんさん、ありがとうございます。
私が実感する「心の実在感」問題は、すずらんさんが紹介してくれた
クオリア問題に集約されているみたいです。
少なくとも「言語共同体で強化可能な言語行動を行うものにしか
心は存在しない」→「何故ならば、心とは、言語共同体で強化可能な
言語行動であるからだ」などのトートロジーを弄くっていても問題の
核心には全く近づいていないことはよく判った。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 06:54
スレがコピペばかりじゃが、どういうことじゃ? それはともかく、 >すずらん氏 だいぶトーンが変わってきておるな。 言っておることはよくわかるぞ。 ただ、「機能」と「機構」の両方からのアプローチが必要なわけじゃ。 あんたが紹介してくれたメアリーさんと被験者さんの問題こそが 伍長氏やワシらが言ってきたことじゃぞ。 >96から100 >106から109 あんたは困ったお人じゃの。 たぶん9から13のお人と同一人物じゃろう。 読んでいるわりには大事なところがまるで読解できておらん。 敵意丸出しで攻撃する前に、自分が誤読している可能性を考えなされ。 そうすればつまらぬ敵意も弱まって、目が見えるようになる。 反論があるなら、すずらん氏を見習って紳士的にやりなされ。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 08:05
旧サーバのファイルを新サーバに移した作業が原因なのか、 旧サーバにあった「心ってどこにあるの?2」の、 確認できたものの中では107から113までのレスが消えてしまったみたい??
>あんたが紹介してくれたメアリーさんと被験者さんの問題こそが >伍長氏やワシらが言ってきたことじゃぞ。 うむ、これと似たような言葉が、伍長氏と爺様が 何度も繰り返しているのだが、合点がいかない。 これだけ、皆が納得しないのは どうも、行動学のなかでもまた特別な 特殊方言を使っているに違いないと思ってしまう。 言語ってやつは、意味逆転しているのが多いからな、なんて・・・。 伍長氏及び支持者の方々も門外漢が納得できる 言葉使いを再検討することも必要な気もする。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 09:14
自分が理解できないのは 常に相手の言葉遣いのせいなのかよ。 >特殊方言を使っているに違いないと思ってしまう。 自分が知らない言葉はすべて特殊方言かよ。 「皆が納得しない」って、納得してないのは自分だろ。 このスレくらい「門外漢は納得しない」スレでいいじゃない。 自分が門外漢だと分かっているなら他のシロウト向けのスレへ行け。
>>113 本当に、そう思うなら蛸壺学会でやってくれ、迷惑だ(怒
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 09:51
『よくある錯誤』 (1)機構から研究する脳生理学的アプローチによって捉えられるのは 心のある側面だけである。 - 真 (2)機能から研究する行動主義心理学的アプローチによって捉えられるのは 心のある側面だけである。 - 真 ↓ (3)この両面を合わせると、心の全貌が明らかになる。 - 偽 部分と部分を合わせても、それが全体かどうかは判らない。 - 真
116 :
115 :2001/02/11(日) 09:56
>>110 あなたが誤読と称するすれ違いのそもそもの原因は、旧スレの最初の
方で「日常語としての心」「機構だけでは心の全体はわからない」など
の批判が先ずあり、その対案として心理学を掲げる論者が居たところに
あるのではないでしょうか?
最初からそんな大風呂敷なぞ掲げずに、「行動主義心理学者は己の
学問的見地から、あくまで心の一面を捉えているに過ぎない。その
点では脳生理学者と同様、心の全体について知った風な口を聞く立場
にない。」と言えば誤解は完全に消失するのでは?
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 10:05
>>113 あら、このスレは「心ってどこにあるの?」という、誰もが
抱く疑問に答えるスレッドではありませんでしたか?
素人はそんな疑問を持つ方が不遜である、と?
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 10:28
>>117 ホントは「わからん」と正直に言えば良かった話なんだよ。実際わからんのだし。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 12:51
>114 あなたが一番迷惑だよ. この人たち,ほんとに何とかしてくれよ. ここはまがりなりにも「学問版」なんだし, 初心者,心理学以外の専門家でも自由にスレはたてられる. かなり狭い興味の人だけがディープにやってるスレが 自分に理解できなかったり,興味持てなかったら それは無視して新しいスレを立てればよろしい. すべてのスレが「誰にでもわかりやすい」必要なんかないのだし,第一ここは2チャンネルなのだ. 蛸壷スレもあり,シロウトスレもあり,それらが共存するのが ここの良さじゃないの. また,スレがたった時の主旨と,それが進行する間の 主旨が食い違っても,今の議論を尊重するという慣習で これまでやってきてる.「もともとこのスレッドは」みたいな ことを言ったら,ほとんどのスレは成り立たなくなる. 「このスレの内容に興味が持てない」とか「お前らがなんでそんなに 面白がってるのかわからない」とかいうレスはする必要ない. そんなスレには関わらなければいいんだ.
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 13:40
>>119 といいつつ、114時点でのこのスレの進行具合にケチを
つける貴方って人は・・・。(微笑)
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 13:43
ていうか、
>>119 は、問題の核心
> 部分と部分を合わせても、それが全体かどうかは判らない。 - 真
あたりが注目されない様に、あたかもこのスレが不届き者に
荒されたかのような方向に話題を持っていきたいから、隙間に
ちょいと挟まっただけの単発1行レスに過剰反応しているんでしょう。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 13:48
↑ その問題が「問題の核心」だと思っていることが すでにスレの問題意識や進行がまったく読めてない証拠なのに。 ひとりでやっててくれ。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 13:53
>>122 これが問題の核心だと気づかない貴方が他のスレに行ってくれ。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 13:54
この人はもうどうにもならないから、みんなで他のスレに行こうよ.
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 13:59
>>124 でも、脳生理学批判とかぶち上げて行動主義心理学優位を主張したら
結局は同じ展開になりますよ。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 14:01
あなたが来なけりゃ同じ展開にはならないよ(藁
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 14:11
行動主義心理学優位論に納得出来ないレスは1人だけの手によるものではないでしょうに。。。
128 :
127 :2001/02/11(日) 14:13
おっと、こう書くと114と同一人物と思われてしまうのかな。。。
勝手に仲間にしないでくれ
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 14:15
>128 あまりにやりすぎ、大爆笑。 そろそろやめろよ。俺もやめるから。 皆さんすみませんでした。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 14:20
やめるってこのスレを?
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 14:20
それもまたよし。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 14:22
このスレに限らず、この問題の議論は常にこういう 絶望的な乖離の中に吸い込まれていくんだよな。 専門家間の議論でもそうなんだから。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 14:25
神学論争と同じでしょう。実態をつかめないから定義論争になってしまう。定義論争はいつでも底無し。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 14:30
では Q.心ってどこにあるの? A.板違いです. ということで □□■■■■■□■□□□■□■■■■□□■■■■□■□□□■□■■■■□□□□ □□□□□■□□□■□□□■□■□□□□□■□□□□■■□□■□■□□□■□□□ □□□□□■□□□■■■■■□■■■■□□■■■■□■□■□■□■□□□■□□□ □□□□□■□□□■□□□■□■□□□□□■□□□□■□□■■□■□□□■□□□ □□□□□■□□□■□□□■□■■■■□□■■■■□■□□□■□■■■■□□□□
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 14:34
今日の格言 「類は友を呼ぶ」
137 :
OFW :2001/02/11(日) 14:50
(新サーバ移行に伴い、カキコが2つ消えたので、再アップします。)
いやあ、レスは流れる、心は揺れて、どこに行く…。
>>93 >心ってシステムなんでしょ。
「システム」という概念は、対象を機能−構造複合体として見る概念装置
ですが、概念の対象は客観的であっても、概念化の働きは主観的ですから、
心の働き自体は「科学的・客観的説明」によっては十全的に理解できない、
という事情があります。心的システムという場合、その実在的な構成要素
は何か、がまず問われるべきです。有機体システムなら細胞、器官、組識
となるが、心的システムの場合、それは何でしょう?
>哲学はただの遊びです。
哲学は真理に向かう不断の対話、弁証です。ウィトに掛ければ「言語ゲー
ム」(Sprachspiel,language-game)という、言葉(ロゴス、理性)
に依拠した、まじめな遊び、という所かな。
>非効率的です。
効率(パフォーマンス)とは経済的な概念であり、有用性と価値をどこに
おくかによって異なるでしょう。
138 :
OFW :2001/02/11(日) 14:51
>>95 (すずらんさん)(横レス?失礼)
>どのような「機構」で実現されているのか?という問題
機構(Mechanism、機械論)とは唯物論の故郷ですが、機械論的な説明
可能性が問題のすべてではないでしょう。有機的自然の場合、「何のため
に?」という根拠の問題は残ります。その主観性(主体性)こそがクオ
リアという(偽)問題の源泉でもあるのでしょうね。
>彼女は色盲です
当然ながら、生まれつき赤色視物質を欠いている人に赤の弁別は物理的に
不可能であり、視物質は(ニューロンと同様に)必要条件です。しかし、
「見えている」という経験は「誰にとって?」という主体の設定抜きには
解明できない事柄です。それは客観を対象化する主観の成立です。見ると
は実在ではなく対象的な活動であり、それを対象とする場合、反照的な認
識態度(主体の客体化、現れと実在の二重化)が要求されるのです。クオ
リア(実在感)成立の十分条件は、世界(世界とは現象の総体を言います)
全体にまで広がるでしょう。それは活動的自己を表象する働きと言えます。
その物質的基礎として、「ニューロンを感知するニューロン」という回帰
的な機構があることは否定しないが、それはあくまで必要条件であり、
生体と環境との相互作用およびそれ自身への関係がなければ、作動しない。
たとえば、現象学に「赤の表象は赤くない」という有名な言葉があります
が、ニューロン発火という電気信号自体に色はついていない訳で、それは
統合化されたニューラルシステムにおいて、感覚器官としての網膜上の
視覚細胞からきたという位置情報から、「色」刺激として弁別されている
わけでしょう。そして、さらに弁別作用自体を弁別する働きとなれば、
統合作用自体を代表(表象)する刺激とその感受系、すなわち世界全体を
写す(前レスでの「マップ」)ような、パブロフ流の「第2信号系」のよ
うなものが必要でしょう。その場合、その中心表象として「主体」表象が
生成する、と言えます。それは明らかに、言語表象(代理物)であり、
世界の中に位置する現実の主体が、記号的存在(「他の主体」)として対
象化される(現れる、意識化される)のでは?
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 15:07
動物も持っているマップ機能の話をまた蒸し返すのか。
140 :
伍長 :2001/02/11(日) 19:52
えーと、
>>119 >「もともとこのスレッドは」みたいなこと
を敢えて言わせてもらいます。
>>127 他
私の主張が「行動主義」だと捉えられていますが、そう捉えられてしまって「行動主義vs○○○」という図式になるのが嫌だったから、旧スレ(中盤すぎまで)ではあえて行動主義的主張を抑えていたつもり。
「機能と機構」というマルシンド先生の設定に沿って、「機能と機構」はそれぞれこういう形で別個に論じられるだろうという話でした。行動主義者ならずとも概して同意してくれたのは、話の流れが穏当だったからだと思う。
そして「機能」面ではこうなるだろうという話になったのは、脳至上主義的な七氏の反論に対して再反論という形になってから。私自身はそれほど行動主義的な再反論だとは思っていないし、他の同調者たちも同様だったんじゃないかな。
>>50 氏(
>>102 )の言うとおりだと思う。伍長=行動主義者というイメージから離れて見てもらえないかなあ。
旧スレ後半の「私的事象に対する言語的な弁別反応」という表現は行動主義的かもしれないが、表現を変えれば、現象学的にもなる。
弁証法屋さんのOFW氏(
>>138 )が、
>現象学に「赤の表象は赤くない」という有名な言葉があります
を持ち出して、同じような説明をされているでしょう?
(ところで、これって誰の言葉でしたっけ? メルロ・ポンティ?)
すずらんさんへのレスは、また後刻。
141 :
>112 :2001/02/11(日) 19:55
>どうも、行動学のなかでもまた特別な >特殊方言を使っているに違いないと思ってしまう。 伍長氏らが使用しているテクニカルタームはほんのごくわずかで, 「弁別」「般化」「分化」「強化」ぐらいだね. それらは特殊方言ではなく,心理学科の学部生レベルの基本タームなんだよ. 「随伴性」は行動分析独特のタームだが,これは気にする必要ないと思う. 心理学は幅が広いので,各分野の基本タームを「正確に」理解していない 心理学徒がいることはあり得る. ただ,まともな心理学徒なら自分の無知を承知している. 伍長氏は素人さんで,爺様は元心理学徒の一般人だそうだが, 彼らがここで使用しているタームの用法は,まあ正確だと見なしてよい. 「弁別」や「般化」ならさすがに誰でも分かるだろうと思いたい. もちろん伍長説が正しいかどうかとは別問題. 学習・知覚屋の俺から見れば,けっこういい線行ってると思うよ. とても参考になってる. この先を知りたい俺としては,まだ物足りないけどね.
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/11(日) 22:30
>>137 他者にも存在すると思われる心を、その人間内部に(脳内部とまでは
言わないにしろ)存在するシステムと仮定しても、それはそれで構わない。
143 :
>140 :2001/02/11(日) 22:33
>「機能と機構」というマルシンド先生の設定に沿って、「機能と機構」はそれぞれこういう形で別個に論じられるだろうという話でした。行動主義者ならずとも概して同意してくれたのは、話の流れが穏当だったからだと思う。 心がどこにあるのかという問いからスタートしたのに、個別に論じられれば良しとする方向に行ってしまった事が"大風呂敷広げておいて収集をつけられない"ことの原因にはなっているでしょうね。要するにスレのタイトルと議論の中身がチグハグなんです。
144 :
伍長 :2001/02/11(日) 23:10
>143 >要するにスレのタイトルと議論の中身がチグハグなんです。 それは言える。 でも、 >収集をつけられない とは思わないな。けっこう楽観的です。 特に、立場の違うOFWさんやすずらんさんのレスを読んだあとは。
145 :
伍長 :2001/02/11(日) 23:11
>すずらんさん
修論提出おめでとうございます。お疲れさまでした。
さて、爺様の言われるように、以前の貴方とは少し違う。
あと一息で歩み寄りが出来そうな気がするので、頑張ってもう一押ししてみる。
>>95 >どうしてこの問題に対する回答が
>>8 (伍長さん) 「私的事象に
>対する言語的な弁別反応」(=自己意識)になるのでしょうか?
これは旧スレ後半でかなり詳しく説明しました。機能面からの回答ですね。
動物屋さんも、結局は、「私的事象の弁別には言語共同体が必要だ」という結論を渋々認められたようです(まだ半信半疑のようですが)。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psycho&key=974569037&st=365&to=365&nofirst=true >「私的事象」そのものが、どのような「機構」で生じるのかと言うのが問題なわけです
>(注:決して、「私的事象」がなぜあるのかを問うている訳ではない!)
そうですね。貴方の立場ではそうなります。
前者が機構面からの問いで、後者が機能面からの問いになるわけです。
OFW氏(
>>138 )の言うように、「機構」を必要条件、「機能」を十分条件と見てもいいかもしれない。
>伍長さんは「クオリアの問題」を勘違いしてるとしか思えないのですが
>(実は七氏もそうだと思うのだけど・・・)?
いや、私も七氏も勘違いしているわけじゃない。ただ、七氏は機構面「だけ」で回答可能だと考えていた。
>「色盲科学者メアリーの話」
この話は何度か読んだことがあります。詳しい内容は忘れましたが、すずらんさんの紹介を読む限りでは、「機能面で説明すべき現象と機構面で説明すべき現象とが混在していること」に注意を呼びかけているのだと解釈すべきだと思います。メアリーさんが脳至上主義の比喩でしょう。
ですから、爺様の言われるように、この事例はむしろ私たちの主張を補強してくれるものじゃないかという気がします。OFW氏138も参考になる。
(続く)
146 :
伍長 :2001/02/11(日) 23:15
(続き)
>「心的なものが確かに存在しているような気がする」が何をさしているのか
まず、「気がする」が弁別反応なのだということが重要なのですが、
その際、弁別されている筈の私的事象はどのようなものか? covertな弁別反応とはどのようなものか?
こういう問いになって始めて、「機能を支える機構」を論じられるし、「何をさしているのか」という問いに意味が出てくるわけです。さもなければ何を研究しているのか分からない筈でしょう?
私が
>>94 で書いた「進むべき王道」を、すずらんさんは進むべきだと思うし、実際にそうしようとしているはずです。
それが出来るのは、御自分の研究が「心」の問題と「機能」的に関係している筈だ、ということを貴方自身が「知っている」からです(さもなければ何を研究しているのか分からない筈)。
ではなぜそれを「知っている」の? 「心」という語の日常用法があるからでしょう?
貴方自身が日常用法から出発して、謎は脳という「機構」の中にあると結論した。
>>104 >ただ、その具体的方法はさっぱり分からないと言う立場です。
以前と違って随分と弱気じゃないですか。
でも、「機能」面に興味を持ってくだされば、それを支える「機構」面をどのように研究したらよいか、かなり見えてくると思いますし、出来ることは山ほどあると思いますけど。
旧スレ240の脳科学者(松元氏)だってそうなんじゃないかな。
(続く)
147 :
伍長 :2001/02/11(日) 23:23
(続き)
OFWさんの説明(
>>138 )は難解だが、いいことを言っていると思う。
>その物質的基礎として、「ニューロンを感知するニューロン」という回帰
>的な機構があることは否定しないが、それはあくまで必要条件であり、
>生体と環境との相互作用およびそれ自身への関係がなければ、作動しない。
(中略)
>そして、さらに弁別作用自体を弁別する働きとなれば、
>統合作用自体を代表(表象)する刺激とその感受系、すなわち世界全体を
>写す(前レスでの「マップ」)ような、パブロフ流の「第2信号系」のよ
>うなものが必要でしょう。その場合、その中心表象として「主体」表象が
>生成する、と言えます。それは明らかに、言語表象(代理物)であり、
>世界の中に位置する現実の主体が、記号的存在(「他の主体」)として対
>象化される(現れる、意識化される)のでは?
パブロフ流の「第2信号系」のようなものだけでは足りないけれども、考え方はそういうことです。
簡単に言うと、「赤刺激」の感覚or反応(OFW氏の言う「弁別作用」)と、「赤刺激の感覚」に対する感覚or反応(OFW氏の言う「弁別作用自体を弁別すること」)は違うというわけです。そして後者は言語的性質を持つはずだと。
これを理解しそこなうと、
>>108 氏のように、
>感覚それ自体も言語行動なの?
>痛覚のある全ての生き物には心があるっていうのが心理学の結論か?
などという誤読が生じる。あるいはメアリーさんのようになってしまう。
もちろん、単純に両者を分離して研究できるかどうかはわからない。
あるいは、動物屋さんが旧スレの上記レスの最後に、
>1) 個体内で、2つの処理系統を持てないのか。
>2) fA(x)とfB(fA(x))のズレは問題にならないのか。
>という疑問が残る。
と書いておられますが、私もこれ(特に(2))を読んで「なるほど」と思いました。
しかし、研究(脳科学の)方向は見えてくるんじゃないかなあ・・・
148 :
93 :2001/02/12(月) 00:23
>>137 博識な方からレスをいただき過分に存じます。
門外漢というよりど素人なので見当違いのことを書くかも。
許してください。
>心的システムという場合、その実在的な構成要素は何か
脳の微細構造の単位での処理で、すでに感覚イメージの萌芽のようなものが発生しているのではないか。
それを統合して見た目上ひとつにまとめあげている仕組みが気になります。
>効率(パフォーマンス)とは経済的な概念であり、有用性と価値をどこにおくかによって異なるでしょう。
学問の探求はいかに無駄に見えても無駄なものはない。しかし、ある目的を遂行するためには効率を考えるべき。
149 :
すずらん :2001/02/12(月) 02:07
それにしても、爺さん(?)、OFWさん、伍長さんetc皆さんレス
ありがとうございます。感謝です♪自分みたいな物を知らないが、
血気だけは盛んな若輩ものに関って下さるとは・・・。恵まれてんなぁ俺。
>>110 確かにトーンが変わってるかも・・・。まだまだ途上の学生なもんで
勘弁してください(笑)。一応、過去スレ全部読んで話をつかんでみたり
(おかげで学校泊り込みになってたりして(←バカ))、修論の序論で
自分の考えをまとめる機会があったので、前と少し変わってる可能性はある。
早速・・・。
>メアリーさんと被験者さんの問題こそが伍長氏やワシらが言ってきたことじゃぞ。
その繋がりが、私にはどうしても見えないんですが?というか、
「私的事象(=クオリア?)」は外部から近づけないと言っているように
思えるのですが(
>>339 )??『クオリア問題』においては、
「『私的事象(クオリア)』に外部からはホントに近づけないのか?」
というところが主要な論点な訳ですよね?それを初めから「近づけない」
と仮定して話を進めてしまっては『クオリア問題』の本質には近づけない
と思います(その先の話なのですかね?)。
150 :
すずらん :2001/02/12(月) 02:10
>>137 -138(OFWさん)
残念ながら、OFWさんのレスを不完全にしか読解できません
(俺が読解力ない可能性は高い・・・国語苦手でしたから(恥))。
したがって部分的にレスします。
>機構(Mechanism、機械論)とは唯物論の故郷ですが、機械論的な
説明可能性が問題のすべてではないでしょう。有機的自然の場合、
「何のために?」という根拠の問題は残ります。
もちろん「何のために?」は残るんですが、根拠の問題を科学的に
解こうとはあまり思ってない。例えば、原子レベルの粒子の運動は
シュレーディンガー方程式というものに従いますが、
「なぜ従うの?」と聞かれたら、残念ながら「自然がそうなっている」
としか答えられない。科学は「Why?(なぜ)」ではなく、
「How?(どのように)」に答えるほうが得意な気がします。
「クオリア問題」についても澤口さん(北大)なら
「Why?は進化論で答えなさい」というかも知れませんが、
私の見解では「進化論」はハードサイエンス(物理、化学、分子生物学)
とは言えない(ちなみに宇宙論も・・・)。クオリア問題は「歴史」
を含まないので、検証(反証)の土壌に乗る(ハードサイエンス)
だろうと推測してます。
>その物質的基礎として、「ニューロンを感知するニューロン」という回帰的な機構
この意見は七氏のものです。私は「ニューロンを感知するニューロン」
が何を言っているのかいまだに理解不能です。
>たとえば、現象学に「赤の表象は赤くない」という有名な言葉が
ありますが、ニューロン発火という電気信号自体に色はついていない訳で、・・・
この、「ニューロン発火という電気信号自体に色はついていない」
は全く同じ意見です。従ってこれ以降に書かれてあることが重要な
のでしょうけど、私には理解不能・・・もう少し分かり易く翻訳して
下さるとありがたいです。
>血気だけは盛んな若輩ものに関って下さるとは・・・。恵まれてんなぁ俺。 あんたの書き方がはっきりしていて気持ちがいいからだよ。 それに、なんだかんだ言ってもみんな脳科学には興味津々なんだよな。 がんばれよ。
152 :
すずらん :2001/02/12(月) 02:35
>>144 -147(伍長さん)
どうもありがとうございます♪まだ、修論チョコチョコ手直ししてるんです
けどね。早速・・・。
>>前者が機構面からの問いで、後者が機能面からの問いになるわけです。
なるほど、「Why?」に迫ろうとしているんですね・・・。でもそれは、
「ハードサイエンス」には乗ってこないだろうなぁ・・・。
>まず、「気がする」が弁別反応なのだということが重要なのですが、・・・
この部分で伍長さんが重要な事を言っている気はするのですが、
『弁別反応』がハッキリ理解できない・・・。また、『気がする』っていうのも、
いったい何を意味するのでしょうか??例えば、「赤い物」を見たときに
私に見えるのは「その独特の赤」(実際言葉で言い表せない)が見える訳で、
別に「赤が見える気がする」とは思いません。
>>ただ、その具体的方法はさっぱり分からないと言う立場です。
>以前と違って随分と弱気じゃないですか。
そのつもりはないんですが、実際アイデアがないんですよね(全く)。
ニューラルネットの状態から、『主観的体験(クオリア)』へのギャップ。
その間に物質的な介在系が見当たらない訳ですよ・・・。今のところ
どう考えても、「物質の世界」と「主観的体験の世界」を別々に想定して、
対応づけるほうが楽なんですよね(実際そういう仮定の元で研究してるし・・・)。
『心脳随伴説』と言うらしいんですけど、私的にはこの考え方は「二元論」
の枠組みを逃れてない気がして嫌です。脳内小人の問題も残りますし・・・
(それで、無限後退する・・・最悪)。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/12(月) 02:54
心って、有形物なんですか? どこにあるのかと問うところを見ると、形があるようだ。 だったら、かんたんじゃないか、それだよ。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/12(月) 03:05
>>153 それについての議論は全スレを参照のこと。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/12(月) 03:06
間違えた。×「全スレ」→ ○「前スレ」。
156 :
すずらん :2001/02/12(月) 03:08
>>147 (伍長さん)つづき
>簡単に言うと、「赤刺激」の感覚or反応(OFW氏の言う「弁別作用」)と、
「赤刺激の感覚」に対する感覚or反応(OFW氏の言う「弁別作用自体を弁別すること」)
は違うというわけです。そして後者は言語的性質を持つはずだと。
それはそうだと思います。と言うことは、伍長さんは「主観的体験(クオリア)の問題」
(前者の問題)を真正面からは取り上げていないと言うことでしょうか?
「弁別作用」の意味をハッキリと身に付けてないので、不完全な理解かも
知れません。
ところで、話はずれますが、
>>5 (伍長さん)
>>心理学の独自性を持てというのは、その通りだが、例えば強化の神経
>>プロセスの解明なんてのは、心理学者以外に思いつきそうもない
>>題材と思うが。
まさに、その通りで「強化の神経プロセス」について有名な仮説に「ヘッブ則」
(心理学者ヘッブが提案)があります(ちなみに手前味噌ですが、この仮説に基づいて、
現在のニューラルネットワークモデルの学習則は提案されています)。
しかし、実際にこの仮説はまだ証明されておらずいわゆる「シナプスの可塑性に基づく
学習機構の解明」は分子生物学者が目を血走らして研究してます
(ここで、顕著な研究成果は間違いなくノーベル賞)。
この仮説に基づいて、「古典的条件付け学習」や「オペラント条件付け学習」
の神経機構を明らかにしようという研究はさんざん行われていますよ
(塚原さん(惜しい人が亡くなられてしまった(日航機の事故))、久保田さん(霊長類研)、
オールズさんetc分子生物専門の人がいたら間違いを訂正して下さいね)。
157 :
ついでに横レス :2001/02/12(月) 03:28
OFW氏の「弁別作用自体を弁別すること」≒伍長氏の「私的事象に対する弁別反応」≒クオリア。
と考えよう。
私的事象は外部からは近づけないが、比較的一貫して公的事象が伴うから、
それを通じて「間接的に」、私的事象に対する弁別反応(≒クオリア)を形成できる。
それには言語共同体による強化が必要だから、
その弁別反応は言語行動の一種と見なしていいんじゃないか、というわけだな。
俺としては最後の部分は留保したいが(みんなもココに違和感があるんだろう),
まあ、定義次第だからなあ。
・・・でも、そんなに難しいかな?
>私に見えるのは「その独特の赤」(実際言葉で言い表せない)が見える訳で
でも、その感覚を「その独特の赤」とか「言葉で言い表せない」と翻訳してるじゃないか。
翻訳前の、言葉で言い表せない『何か』も、伍長氏の定義では言語行動の一種になる。
俺もそれを言語行動と呼ぶにはちと抵抗があるので、別の名前を考えた方がいいかも。
って、すでに「認知」って言葉があるか。でもなあ・・・
こうして形成された弁別反応(クオリア)自体も私的事象だから、
外部からは接近できない。
しかし、その成立過程は機能面からの科学的研究に開かれている。だから、
弁別反応の対象となる私的事象Aも、弁別反応自体(=私的事象B≒クオリア)も、
機能中心の心理学(特に行動分析)からは困難だが、
機構中心の脳科学ならかなり特定可能ではないか、頑張れすずらん、
というのが上の伍長説の眼目だと思う。
(ということで、オヤスミすずらん)。
おっと、いま
>>156 を読んでわかった。
>伍長さんは「主観的体験(クオリア)の問題」(前者の問題)を
>真正面からは取り上げていないと言うことでしょうか?
違う違う、クオリアは「後者の問題」だぞ。
158 :
生理学徒 :2001/02/12(月) 17:13
伍長様、レスありがとう御座いました。サーバ移行でレスが消えました。
伍長氏:旧スレ62-63
>「心とは何か」「心はどこにあるのか」という問いに対して、
>「心とは○○である」とか「心は□□にある」と答えても、所詮は不毛だ
>と思う。
(中略)
>偽問題となるのを避けるためには、
>「なぜ人は,『心』のような心的用語を使えるようになるのか?
>二元論に陥らずに答えよ。」と問うべき
という発問から発しているのだから、
伍長氏:
>>388 >【F】:「私的事象に対する弁別反応」は、言語共同体による分化強化によ
>って間接的に形成・維持される。
というのはある意味トートロジックな「説明」に過ぎないのではないでしょう
か。つまり、
フライデーが「心」という言葉が使えるようになったのはロビンと出会って、
何かに付け、「心」「心」と繰り返され、今ではフライデー自身、「心」が
存在することをロビンに報告するし、面倒な問題が発生したときは「心」の
問題だと言う。そういうフライデーを見て、今やロビンはフライデーに「心」
があると信じる。
・・・という事ですよね。ここで私が【F】を科学の網にすくい取ることが困難
だと思う理由は、
結局の所、フライデーにおける「私的事象に対する弁別反応」の成立は、フライ
デー自身の報告かロビンの直感に頼る以外に無いわけですよね。(もし、他に
あるのなら教えてください)。そのような内観報告と「言語共同体による分化強化
による維持・形成」の因果関係をどうやって検証するのでしょうか?
159 :
生理学徒 :2001/02/12(月) 17:43
私の意見はすずらんさんと殆ど同じだと思いますが、 >クオリア問題は「歴史」 を含まないので、検証(反証)の土壌に乗る >(ハードサイエンス) だろうと推測してます。 とは残念ながら思いません。しかし、客観化されたクオリアも「クオリア」で あると譲歩してくれるのならそれは不可能ではないでしょう。また、将来的には 失われたクオリアを外部から発生させることも可能になるでしょう。 実際既に、視覚が失われた人の視覚野を直接電気刺激して疑似視覚を生み出すこと が可能です。メアリーさんにも実際、脳性理学者が信じるところの「赤」を 見せてあげることが出来るでしょう。
160 :
生理学徒 :2001/02/12(月) 18:22
結局の所、 Q.「赤い感じとはどういうことか?」 これを科学が説明できないのは当然な事で、「赤い」という主観的事象に 「どういうこと?」という客観的説明を求めること自体無意味であるという ことですよね。私は、これは科学の不備でも何でもなく、単なるカテゴリー エラーだと思います。 科学がこれに答えられるとすれば、上の問題を下のような問題に変換する必 要があるでしょう。 Q1 「赤い」という感じの脳神経系における表象はどんなものか? Q2 それはどのようなアーキテクチャーにより達成されるものか? Q3 そのような表象を脳内で行う事の生理的意義とは何か。
161 :
伍長 :2001/02/12(月) 19:25
>>158 (生理学徒さん)
それは言語共同体内の成員同士によるやりとりの事例です。このやりとりを通じてフライデーをはじめ人間は言語を学ぶ。
また、【F】はあくまで基本的な行動原理から演繹的に導いた結論なわけですので、「フライデーの内観報告」が「言語共同体による分化強化によって形成・維持されている」というのも演繹的結論です。
しかし、内観報告が外部の諸変数(言語共同体からの働きかけ)によって制御されるという多くの実験的事実(例えば旧スレ266,366のシャクターの実験)から、経験的かつ帰納的に支持されると見てよいかと思います。
>フライデーにおける「私的事象に対する弁別反応」の成立は、フライ
>デー自身の報告かロビンの直感に頼る以外に無いわけですよね。
んー、この表現は曖昧です。その成立には4つの可能性があります。旧スレ274,275を参照して下さい。
これ以外の可能性があれば、私も是非知りたいのです。
>>160 以下の問いを加えて下さい。
Q4 生体と外部環境との如何なる相互作用が、そのような脳内現象をもたらすのか?
Q5 生体と外部環境との如何なる相互作用が、「赤い感じとはどういうことか?」etc.のような問いを生じさせるのか?
162 :
伍長 :2001/02/12(月) 19:28
>>157 >違う違う、クオリアは「後者の問題」だぞ。
そうなんだけれども、これはすずらんさんの書き間違いでしょう。
>>152 (すずらんさん)
>ニューラルネットの状態から、『主観的体験(クオリア)』へのギャップ。
>その間に物質的な介在系が見当たらない訳ですよ・・・。
それは生体の外にあるんですよ。いや、正確に言うと、生体と外界との相互作用か。
(OFWさんがもっと易しい言葉で非行動主義的に説明してくれるとありがたいんだけど・・・)
>どう考えても、「物質の世界」と「主観的体験の世界」を別々に想定して、
>対応づけるほうが楽なんですよね(実際そういう仮定の元で研究してるし・・・)。
それだと、「物質の世界」は扱えるが、「主観的体験の世界」は扱えないということになりそう。
少なくとも、後者をどう扱っていいか分からないということになる。
まるで、生理学における方法論的行動主義(暗黙の内に二元論を認めている)みたい。
くどいようですが(どうもココが皆さん決定的に分かりにくいらしいので、上手く説明できない自分が歯痒いのですが)、
前者は、赤を見たときに生じる身体内反応(or単なる受動的処理)(=私的事象A)。
後者は、その身体内反応に対するcovertな弁別反応(=私的事象B ≒クオリア)。
両者とも私的事象ですが、後者の成立・維持には言語共同体が必要になる筈です。
しかし、両者とも「物質の世界」の事象であることに変わりはありませんから、脳科学は前者だけでなく後者をも扱える。「ガンバレすずらん」というわけです。
ますますシャクターの実験がヒントになると思える今日この頃なんですけど・・・
>『心脳随伴説』と言うらしいんですけど、私的にはこの考え方は「二元論」
>の枠組みを逃れてない気がして嫌です。脳内小人の問題も残りますし・・・
上記のごとく、同感ですね。哲学書で解説されている「心脳随伴説」は二元論的な匂いがプンプンします。
でも貴方は「心脳同一説」論者でしょう? こちらの方がいさぎよいとは言えるけど・・・
163 :
生理学徒 :2001/02/12(月) 19:36
結局、伍長氏の言いたいのは、
我々は「心」という言葉を使うことが出来る。これは、本来、私的事象を客観化する
奇妙な言語(弁別?)だ。こうした私的事象の客観化は、我々が言語共同体を持つこ
とで可能になる。即ち、個々が私的事象を言語化し、それを共有することで初めて、
私的事象を客観視出来るようになる。こうして初めて私的事象の弁別が可能になるの
だ。
という事だと理解しています。しかし、こうしたアプローチに対する疑問は、
Q.「私的事象に対する弁別反応」をどのようにして客観化するか?(
>>158 )
・・・と言うことに尽きると思います。即ち、「私的事象に対する弁別反応」の成立は
単に本人の内観報告を基準とするか?それとも他人の判断(
>>158 ならロビンの判断)・・・チューリングテストのようなもの・・・なのかという事です。
何れにせよ、個人の「私的事象に対する弁別反応」の成立と言語共同体による分化強化
との因果関係を証明しようとするためには、発達心理学っぽい研究になってしまうので
しょうけれど、「私的事象に対する弁別反応」の成立を証明する説得力のある指標が存
在しない限り、あまり有意義なアプローチになるとは思えません。もし誤解してるのな
ら教えてください。
164 :
生理学徒 :2001/02/12(月) 19:50
>>161 >Q4 生体と外部環境との如何なる相互作用が、そのような脳内現象をもたらすのか?
>Q5 生体と外部環境との如何なる相互作用が、「赤い感じとはどういうことか?」etc.のような問いを生じさせるのか?
「意識(心?)」に関する疑問であるのならQ5は重要な疑問ですね。即ち、
Q.「赤い感じを感じている」という「メタ認知」はどのような過程で成立し、それを
実現するシステムとはどのようなものか?
という事ですね。しかしながら、私は伍長さんとは異なって、そうしたメタ認知能力は
別に人間だけに限定されるものだとは思いませんが、(もちろん、動物は言語化出来ま
せんね)。
165 :
生理学徒 :2001/02/12(月) 20:28
166 :
1の1 :2001/02/12(月) 20:31
ふとした疑問をかきこんで忘れていました。 スレがこんなに育って、活発な議論がなされている ことに感動しています。感動はこころでかんじるものかな? それとも頭=記憶で認知するものかな?
167 :
生理学徒 :2001/02/12(月) 20:37
神経・認知科学によるConsciousness研究としては、 Atkinson AP, Thomas MS, Cleeremans A Consciousness: mapping the theoretical landscape. Trends Cogn Sci 2000 Oct 1;4(10):372-382 Gisiger T, Dehaene S, Changeux JP Curr Opin Neurobiol 2000 Apr;10(2):250-9 Computational models of association cortex. あたりが良い道標かと思うのだけれどどうだろうか?後者は すずらんさんとかは既に読んだかな?
169 :
>163,164 :2001/02/13(火) 06:25
なんだ、実は興味があってちゃんと読んでおるんじゃないか。 上の方での他の人との掛け合いを拝見するに、 頭の固いただの脳至上主義者じゃないかと疑っておった。ゴメンネ。 >Q.「赤い感じを感じている」という「メタ認知」はどのような過程で成立し、 >それを実現するシステムとはどのようなものか? これが伍長説の「私的事象に対する弁別反応」の機能と機構じゃろうから、 基本的な問題意識はまあ共通じゃな。 しかし、 >「私的事象に対する弁別反応」の成立を証明する説得力のある指標が存 >在しない限り、あまり有意義なアプローチになるとは思えません。 と言い切ってしまうなら、>75氏の言い分をワシも繰り返したくなる。 いや、75氏の言うようなことまで言わずともよい。 >156のすずらん氏が紹介してくれた例にもあるように、 脳科学者はオペラント強化の脳過程の研究などというのをなぜ行う? ヘッブ則の研究者は、単なる「ハトのキーつつき」だけに関心があるのか? 違うじゃろう。 オペラント強化が人間行動の基本原理の一つかもしれないという 大きな仮説があるからじゃろう。それと同じじゃよ。 伍長説も>161で御本人が言うように行動原理から演繹した理論的仮説じゃ。 たしかにこの仮説そのものを直接検証するのは難しかろう。 じゃが周辺または搦め手から攻めることはできるじゃろうし、現にしておるとも言える。 あるいはこの仮説から新たな群小仮説を導いて「指標」を設定し、 脳科学的に研究することもできるじゃろう。 「ナンセンスで不毛」なんぞと決めつけず、可能性を考えてみてくれんかのう。 >151氏と同じで、ワシも脳科学に興味津々じゃからな。 伍長仮説全体がナンセンスだと言うなら身も蓋もないが。 ん? 「身も蓋もない」は誤用か?
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/13(火) 14:04
>>162 > それは生体の外にあるんですよ。
「それは生体の外と行動主義心理学では仮定しています」の
間違いでは?
断言したいなら客観的に証明可能な証拠を出すべきだが、所詮は
主観に関する問題。
171 :
生理学徒 :2001/02/13(火) 14:11
>>169 >>「私的事象に対する弁別反応」の成立を証明する説得力のある指標が存
>>在しない限り、あまり有意義なアプローチになるとは思えません。
>と言い切ってしまうなら、>75氏の言い分をワシも繰り返したくなる。
>いや、75氏の言うようなことまで言わずともよい。
けれども、
「私的事象に対する弁別反応」の成立を言語共同体による分化強化であると
実証していくのに、片方の指標が本人の内観報告やチューリングテストじゃ
あまりに説得力がないと思うよ。
やるなら、Wernicke失語 と意識状態との関連とか・・・・既にそういう研究
は沢山ありそうだけれどね。
しかし、問題を「感覚の感覚」=意識(心?)の成立にとるのなら、その原因
を言語にとる必然性はあまりないと思うけどな。もし、生物が全くの白紙の状
態で生まれてくるのなら、伍長氏の言う如く、言語共同体などからのフィード
バックが無い限り、感覚の感覚を得ることはないかもしれないけれど、そうした
能力がビルトインされて生まれてくる可能性もあるわけだよね。実際そうだと
思うけれど。
またひとつ面白そうな総説発見しました。
Annu. Rev. Neurosci. 2000. 23:557-578.
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/13(火) 14:12
>>163 もう一つ疑問なのは
> こうした私的事象の客観化は、我々が言語共同体を持つこ
> とで可能になる。即ち、個々が私的事象を言語化し、それを共有することで初めて、
> 私的事象を客観視出来るようになる。こうして初めて私的事象の弁別が可能になるの
> だ。
という時の私的事象とは誰の私的事象なのか?ということです。
私的事象を言語化せず共有化してもいないある個体が存在し、
そこに観察者である人間が一方的に「どうみてもこの存在は
心を持っている」と感じた場合、その生物固体は心を持つと言
えるのか?という問いには、やはりその個体自身による言語行動
が必要ですか?それとも「心」という私的事象の弁別が既に可能
となった観察者の判定は有効ですか?
173 :
生理学徒 :2001/02/13(火) 14:36
>>172 >>163 は私の勝手なサマライズなので、伍長氏の発言を直接引用する
方が良いと思います。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/13(火) 16:07
>>173 せっかく要約してあるので、引用させていただきました。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/13(火) 20:39
>>171 >問題を「感覚の感覚」=意識(心?)の成立にとるのなら、その原因
>を言語にとる必然性はあまりないと思うけどな。
>もし、生物が全くの白紙の状態で生まれてくるのなら、伍長氏の言う如く、
>言語共同体などからのフィードバックが無い限り、
>感覚の感覚を得ることはないかもしれないけれど、
>そうした能力がビルトインされて生まれてくる可能性もあるわけだよね。
その可能性を過大評価しすぎるのが言語能力生得説論者にありがちな勇み足.
それだと「私的言語」は簡単に生じてしまう.
そうではなく,「感覚の感覚」を生じさせる能力は生得的にビルトイン
されているに違いない(だから全くの白紙ではない)が,
それを比較的一貫して維持するには共同体からの働きかけがなければ
現実的には無理だ,というのがウィトゲンシュタイン以降の論者たちの
だいたいの共通見解.
伍長氏もさんざん説明したのに,お気の毒ですな.
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/13(火) 22:13
このスレを読むと、どのようにして行動分析学が影響力を低下させたかが よく分かるね。 >171 >「私的事象に対する弁別反応」の成立を言語共同体による分化強化であると >実証していくのに、片方の指標が本人の内観報告やチューリングテストじゃ >あまりに説得力がないと思うよ。 同感。私的出来事の強化随伴性って、記述するのは 現実的には無理だ、というのがスキナー派以外の論者たちの だいたいの共通見解。ってとこじゃないの?
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/13(火) 22:58
>176 全然ちがう。 たぶんこんな感じ↓ (1)「私的出来事の強化随伴性って、実験的に検証するのは現実的には困難だ」 というのがスキナー派の論者たちのだいたいの共通見解。 間接的なアプローチを取らざるを得ないと考える。 ↑意気込みが空回りしている。 (2)「私的出来事の言語ゲームって、科学的に検証するのは現実的には不可能だ」 というのがウィトゲンシュタイン派の論者たちのだいたいの共通見解。 科学的なアプローチは不可能だと考える。 ↑哲学的詭弁による飛躍がある。 (3)「私的出来事のメタ認知って、ある程度は実験的に検証できる」 というのが認知心理学の論客たちのだいたいの共通見解。 直接的なアプローチがある程度は可能だと考える。 ↑部分的な勘違いによる思いこみがある。 (4)「私的出来事のメタ認知って、生得的に備わっている」 というのが昔のチョムスキー派の論客たちのだいたいの共通見解。 実験的に検証すべき問題ではないと考える。 ↑妄想による決めつけ。(ただしこれは違うかも) たぶん(2)が一番正解に近いんじゃないの?
178 :
すずらん :2001/02/14(水) 01:03
なんか、盛り上がってる・・・でも週末修論発表あるんですよね。
>>157 >「私的事象に対する弁別反応」≒クオリア
>違う違う、クオリアは「後者の問題」だぞ。
>162(伍長さん)
>前者は、赤を見たときに生じる身体内反応(or単なる受動的処理)(=私的事象A)。
>後者は、その身体内反応に対するcovertな弁別反応(=私的事象B ≒クオリア)。
ここが大問題だと思うのですが・・・。問題を整理したいので例をあげます。
Ex,視覚についての思考実験(時間ごとに書きます)
1、「赤」を見たときの「赤」を表す波が網膜に入る。
2、この波が「赤」に反応する細胞を通して活動電位として神経回路網伝わる。
3、私たちに「赤」が見える(と言うか意識に上る)。
4、私たちが「赤」を見たと認識する(言葉を当てる段階)。
こういう流れだと思うのですが、この前提が伍長さんと違うような気がします。
私の考え方は1が公的事象、2が私的事象Aで、3が私的事象B(クオリア)です(4はあまり気にしてない)。
伍長さんの考え方は1公的事象で2が私的事象A、3,4は分けられない事であり
両方を私的事象B(クオリア)とする、という事でしょうか??
確かにこの3,4が分けられるか分けられないかというのは重要な問題だと思いますが、
これは脳を基準にすれば分けられると思っているのですがね。
179 :
すずらん :2001/02/14(水) 01:06
>>159 -160(生理学徒さん)
>客観化されたクオリアも「クオリア」であると譲歩してくれるのならそれは不可能ではないでしょう。
この「客観化されたクオリア」が例えば、「赤を見たときのニューラルネットの活動状態」のようなものであれば当然譲歩出来ません(でも対案はないのですが・・・)。このように問題を変えるならば現在の脳科学の枠組みで十分解決可能だと思います。
>Q1 「赤い」という感じの脳神経系における表象はどんなものか?
>Q2 それはどのようなアーキテクチャーにより達成されるものか?
>Q3 そのような表象を脳内で行う事の生理的意義とは何か。
これらは現在の脳科学の枠組みで解決可能だと思います。D.Chalmers(
>>167 )に言わせれば、「やさしい問題」という事になりますよね(なんせ彼はバインディング問題をやさしい問題と言いましたもんね)。
>>168 、
>>171 論文紹介ありがとうございます♪私は意識(の神経機構とその計算論)
には興味津々ですが、現在のところそれを直接研究してません
(学位取得段階でその問題に取り組むのはリスキーすぎる・・・)。
とりあえず、ニューラルネットモデルの計算理論みたいなことを
やってます(初歩的なものですが)。だいたい、日本で意識の
神経機構やその計算論みたいな事を行っている研究者っているのでしょうか
(絶対、研究費貰えなそうなんですが)?
180 :
伍長 :2001/02/14(水) 02:30
>>163 私の考えは
>>169 の爺様や
>>175 氏とだいたい同じ。
>>172 >その生物固体は心を持つと言えるのか?という問い
は偽問題で「カテゴリー間違い」だと思っているので、その限りでは私にはあまり興味はありません。
ただ、「そのような問いを人はなぜするのか?」という問いなら興味はあります。
>>177 大笑いしてしまいましたが、仕方ないので(1)は認めましょうか。(苦笑)
(2)は概して正しいみたいです。
(3)は少し違うような気がする。
「部分的な勘違い」って何のことだろう?
共同体不要説みたいなものなら、認知心理学者にもタカ派からハト派まで様々でしょうから、一概に言えないんじゃないかな(何がタカ派で何がハト派だ?)。
(4)は私にはよく分かりません。(4)じゃなくて、チョムスキーがよく分からない。
>>すずらんさん
>>178 の3と4を区別できて(これはある程度ならできるような気がする)、なおかつ3に「いっさい」言語共同体が関わっていないことが判明したら素晴らしいと思います。
私にはここが一番興味ある謎だし、もちろん、そのときは私の負けを認めます。
というか、大発見となって、哲学者が興奮するんじゃないかと思う。
ぜひ研究費を取ってやってみて。
181 :
生理学徒 :2001/02/14(水) 11:21
とりあえず。
>だいたい、日本で意識の 神経機構やその計算論みたいな事を行って
>いる研究者っているのでしょうか (絶対、研究費貰えなそうなんですが)?
川人さんは超メジャーだよ。
http://www.jst.go.jp/erato/project/kgd_P/kgd_P-j.html 日本が誇れる数少ない研究分野のうちの一つだし、この手の研究の中
では結構お金を持ってると思うけどな。
Curr.Opin.Neuro.Biol 9: 718-727 (1999). に総説がある。日本で
研究している人でピンでここに総説を載せられる人は殆ど居ないと
思うよ。
最近の興味深い研究の極大雑把な概略を説明すると、不良設定問題
ってやつだよね。要するに、手を林檎の所まで伸ばすという運動を
脳がプログラムする過程を考えるんだね。そうすると、腕の自由度
は非常に大きいので、外部情報からのフィードバックだけでこの運
動を達成しようとすると、えらく大変な事になるんだ。(一意に求
めることは出来ないし、時間もかかる)。
一方、脳はこの問題をどのように解決してるかというと、林檎と、
腕の内部モデルを既に持っている訳だね。それで、視覚情報を元に
それを修正して腕が動けるようにするというわけ。実際、その後の
色々な実証的研究からこうしたモデルの正当性が示されつつあるよ。
同様な不良設定問題は視覚情報からの三次元認知でも指摘されてる
即ち、網膜で得られる情報は二次元的なので、そこから三次元情報
を得ようとすると、同様な不良設定問題にぶつかってしまうんだ。
にもかかわらず、生物が外界の三次元情報を得られるのは、生物が
生得的に外界の三次元情報を持っているからと考えられている。こ
れについても実証的研究が進んでいると思うよ。
182 :
名無しさん@どっと混む :2001/02/14(水) 12:03
細かいことだけど、どうしても気になるので突っ込んでおく。
>>181 > 生物が外界の三次元情報を得られるのは、生物が生得的に
> 外界の三次元情報を持っているからと考えられている。
「生得的に外界の三次元情報を持っているから」?
そんなこと言っちゃっていいの?
正確な説明を書くのは面倒だろうと思うけど、中途半端に書くんなら
いっそ書かないほうがいいんじゃないの。
言っちゃ悪いけどスレの本題とは関係ないんだし。
184 :
生理学徒 :2001/02/14(水) 13:34
>>183 そのとおり、めんどくさいんで見逃してくれ。要するに、
本来不良設定問題であるはずの二次元情報からの三次元情報の推定の
ため、外界からの情報だけでなく、生得的にもっていると推定される
であろう隠れた初期設定を混入させているという事。
185 :
生理学徒 :2001/02/14(水) 15:25
先の不良設定問題の例は、生物が生得的に外界を理解する鍵を持って生まれて
くる例としては適当だと思うけどな。あと「腕を伸ばす問題」で重要なことは、
この時、生物は自分を客観化するモデルを作っていると言うこと。
>>180 伍長氏
>>178 の3と4を区別できて(これはある程度ならできるような気がする)、
なおかつ3に「いっさい」言語共同体が関わっていないことが判明したら素晴
らしいと思います。
「4」はもちろん、言語を持った生物にしかできないので省くとして、少なくとも
「感覚の感覚」はサルくらいでもあるのじゃないかというのが最近の流れだと
思う。
例えば Chalmers 先生の最近の論文(下で全文読める)で取り上げられている
サルのbinocular rivalryとその時の、V1,IT領域からの記録は必見。
http://www.u.arizona.edu/~chalmers/papers/ncc2.html 原著は
http://www.pnas.org/cgi/content/full/94/7/3408#B3 で読める。また
大雑把に説明して怒られると思うけどW)、要するにまだ意識下にないと思われる
V1における表象では、左右両方の目の像が存在するが、より高次の(注意の及ぶ
範囲と思われる)TIでは、サルが実際に存在すると報告した方の表象のみになっ
ているという結果。
上の論文は色々議論を巻き起こしているので色々文句がある人は、自分で読んで、
かつ、論文など紹介してくれ。
186 :
生理学徒 :2001/02/14(水) 16:15
>>175 >それを比較的一貫して維持するには共同体からの働きかけがなければ
>現実的には無理だ,というのがウィトゲンシュタイン以降の論者たちの
>だいたいの共通見解.
に関しては、
>>177 さんと同じ意見かも。だいたい、175に関しては、
Wernicke失語 という良い例があるんだから、「何度も」実証性のない
意見を「説明する」暇があったら、調べてみたらよいのに。
しかしながら、「感覚の感覚」や「意識」は別に言語と関わりは薄い可能
性が大だと思うよ。Crick大先生W)が下でほのめかしているように、
Crick F, Koch C: Consciousness and neuroscience. Cereb Cortex 8:97-107.
限りある計算資源を有効に活用するため、重要性の薄い情報をカットする
システムという事で良いんじゃないかな(また大雑把でごめん)。要するに、
ある程度以上の集中神経系を持つと、「感覚の感覚」なしには計算量が発散
しちゃうんだろうね。
おかげで色々勉強できたよ。>ALL
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/14(水) 18:12
そういえば心が存在しない事を数学的帰納法で証明 してた奴がいたな(w
188 :
じゃいらす :2001/02/14(水) 18:52
>185
暗に意識がある段階=注意が影響を及ぼす段階
と考えているようだが、
V1で注意による発火頻度の変化が生じるのはほぼ間違いない現象といえる。
V1が意識下と簡単に導くのは危険。
Roelfsema PR, Lamme VA, Spekreijse H.
Neuronal synchrony does not represent texture segregation.
Nature. 1998 Nov 26;396(6709):362-6.
>>184 生得的という単語が問題なんでしょ。
誰がそんなことを行ってるのかソース希望。
後、
>>181 視覚情報によっての修正制御は
フィードバック制御ということになり、直前の文章と相反する。
色々ききたいことは多かったが、かなり流れていっちゃてるので。
生理学徒は生理学やってるにしては
引いてくる論文がちょっとかわってるな?(笑
いったい専攻はなんなんだ。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/15(木) 00:18
>生理学徒氏
面白そうな話だとは思うけど、少し違和感を感じる。
それと、俺も「生得的」っていう言葉が安易に出てくるのがなんだかなあと。
>>184 >外界からの情報だけでなく、生得的にもっていると推定される
>であろう隠れた初期設定を混入させているという事。
書き換えれば、
「生得的にもっていると推定されるであろう隠れた初期設定(機構)だけでなく、
外界からの情報の入出力(機能)も必要」という旧スレからの当たり前の話じゃない。
>>178 の3が成立するのは脳内だけの話か外界からの情報が必要なのか?という点では、
どうやら脳内だけでは駄目なんだろう?
要は3が成立してしかも維持されるためには外界からの情報は必要なんだから、
それを前提にした上で、脳内では何が起こっているのか?
外界からの情報とは何か? 共同体からのものなのか?
というような話なわけでしょ。
>>186 >175に関しては、Wernicke失語 という良い例があるんだから
あのー、ウェルニッケ失語と私的言語の問題がどう関係しているわけ?
190 :
伍長 :2001/02/15(木) 02:01
>>185 他(生理学徒さん)
>少なくとも「感覚の感覚」はサルくらいでもあるのじゃないか
未分化なものなら私もあり得ると思ってます。ただ、それを生じさせる機構は生得的に備わっているだろうが、それが外界と無関係に生じるなんてとても思えないということです。
つまり、
>>189 氏の
>要は3が成立してしかも維持されるためには外界からの情報は必要なんだから、
>それを前提にした上で、脳内では何が起こっているのか?
>外界からの情報とは何か? 共同体からのものなのか?
>というような話なわけでしょ。
ということです。
私も、「生得的」と何度も言われると、「うーん」となりますが、それほど違和感を感じているわけじゃない。
もっとも、話が専門的になってそろそろついていけなくなっているということもあります。
やはり、「大雑把な説明」では、素人には何のことやらよくわかりませんです。
とりあえず私も、ウェルニッケ失語と私的言語の関係を簡単に解説してくださると嬉しい。
191 :
生理学徒 :2001/02/15(木) 08:31
>ウェルニッケ失語と私的言語 私的言語との関連は少しおいておくW)。しかし、「感覚の感覚」の 維持強化に言語共同体からのフィードバック云々というのなら、 言語機能が様々に壊れた人の症例をチェックすれば良いでしょ。 ・・・・って、こういう考察は既に腐るほどあるんじゃないの? #Wernicke失語と私的言語については生理学徒としては、立ち入り #たくない領域だなW)。皆で自由に哲学的議論をしておくれ。
192 :
生理学徒 :2001/02/15(木) 09:27
あと、 >ジャイラス氏 無論、 >暗に意識がある段階=注意が影響を及ぼす段階 >と考えているようだが、 とは考えていない。大雑把に書いたんで誤解されたと思うんだけど、 V1はより高次のフィードバックを受ける領域ではあっても、意識の 領域じゃないっていうのが最近の結果でしょ。 あと、 Roelfsema PR, Lamme VA, Spekreijse H. Neuronal synchrony does not represent texture segregation. Nature. 1998 Nov 26;396(6709):362-6. は、関係ないじゃん。例の、同期発火が同一オブジェクトの表象で あるかどうかとかいう仮説に関する議論でしょ。ただ、これに関し ては、まだ色々と議論があるんじゃない? >生得的 タームが刺激的なようでW)。要するにモデルのヒントを持って 生まれてくるという事だよね。
193 :
じゃいらす :2001/02/15(木) 09:57
>生理学徒氏 ごめん。まちがい。 Medline でLamme[AU] AND Nature[SO] とやるとなぜ間違えたかおわかりいただけるだろう(笑 Roelfsema PR, Lamme VA, Spekreijse H. Object-based attention in the primary visual cortex of the macaque monkey. Nature. 1998 Sep 24;395(6700):376-81. まああとついでにこれとかね。Lammeばかりですまんが。 Lamme VA, Super H, Landman R, Roelfsema PR, Spekreijse H. The role of primary visual cortex (V1) in visual awareness. Vision Res. 2000;40(10-12):1507-21. >V1はより高次のフィードバックを受ける領域ではあっても、意識の >領域じゃないっていうのが最近の結果でしょ。 まあ、リファを間違えた私も悪いが、 V1の中でのlateral connectionで、かなり複雑な処理をしている というのが最近の結果であるといえるのでは? Crickの98年のあのレビューから後で、V1に関しては かなり色々新しい発見がなされている。そもそも98年のレビューということは かかれている内容自体は最も当たらしい知見で96年当時くらいのものなんで、 (97年の論文は早くても96年ころに実験が行われたものであると考えると) ちと古い前提があると思われる。 その1つが注意の効果がV1に現れるかどうか。 fMRIでもV1には注意の効果が現れることは示されている。 本当にV1プロパーでやってなければFosterやFreeman、 De Angelsとかの論文をおっていけというのは重箱の隅つつきに等しいかもしれんが。
194 :
じゃいらす :2001/02/15(木) 10:17
分割した意味がなくなった・・・(笑) 生理学徒氏があげた例の3次元情報に関しては、 生得的に2次元→3次元への制約条件を、 生得的にはもってないんぢゃないの? 少なくとも私はそう思っていた。 もし川人論文などで生得的な制約条件の保持が示唆されているのだったら リファが知りたいなと思ったのです。
195 :
知覚屋 :2001/02/15(木) 12:38
生理学徒氏の
>>181 には、「生得的」という言葉をはじめ他にも気になる点は
あるのだが、
>>184 を読む限り少なくともこのスレでは細々としたことを
書くつもりはなさそうなので、あまり噛みついても仕方ないんでないかな。
自分が最初に噛みついといて言うのもなんだけど。
それにしても「感覚の感覚」とやらの弁別と、
>>181 で挙げられている例が、
議論の上でどうつながっているかわからない。まさか「感覚の感覚」の弁別も
181の例のように不良設定な問題であると言いたいわけ?
そうならばなぜこの問題が不良設定になるのか詳しく説明するべきだと思うし、
そうでなければ私の感想は
>>189 氏と同じ。
196 :
じゃいらす :2001/02/15(木) 19:11
本流からはずれそうになってすまそ。
>>95 不要設定問題はカワトミツオの紹介のついでにでてきただけでは?
で、「感覚の感覚」には言語共同体からのフィードバックが必要という議論に対して、
じゃあ、入力段階での言語処理に障害を呈するWernicke失語患者で
「感覚の感覚」があるかどうか調べたら?
(だって言語によるフィードバックがないでしょ?といいたいわけだ)ということを
生理学徒氏はいいたいんぢゃないか、
と私は感じた。妥当性は今は問わない。
いかがでしょ?>生理学徒氏
197 :
じゃいらす :2001/02/15(木) 19:12
198 :
189 :2001/02/15(木) 20:09
ということは、Wernicke症に限らずだが、 機能を支える機構に異常があれば、 正常なフィードバックが効かない。機能が正常に働かない。 しかし生まれてから一度も言語共同体に属さなかった人間じゃないわけだから、 いっさいのフィードバックがないわけじゃないし、異常な機能は働く。 それだけの話で、私的言語の問題とは少し違うでしょ。 つまり「感覚の感覚」には共同体からのフィードバックは不要だという論拠にはならない。 機構の異常が正常なフィードバック機能をどのように妨げているかという問題だな。 そのとき、異常な「感覚の感覚」が生じているとかさ。
199 :
じゃいらす :2001/02/15(木) 21:48
だから、Wernicke失語の例をあげるよりは、 先天聾をあげるほうがまだ妥当。 しかし、手話や文字による言語の習得は可能なので まだ厳密ではない。 既出だと思うがヘレンケラーを考えるのがさらによいのだろう。 またここでいわれている「言語」が 身振り手振りや、しぐさ、視線なども含めてよいのかも疑問。 すると言語体系をもっていないが、カテゴリー弁別が可能で、 社会生活を営む動物でも「感覚の感覚」が生じる可能性がある んぢゃないかなと思う。 このへんは是非聞きたい。>詳しい方々 過去すれ長すぎるからもしかしたら既出なのを忘れてる(OR見逃してる) かもしれんが、 それは新規参入者のためにも是非再活性化の意味で 参照レスをあげて欲しいです。
200 :
OFW :2001/02/15(木) 23:24
レスの流れが早いので、遅れレスですが…。
>>139 >動物も持っているマップ機能の話
「マップする自己を含む世界をマップする」とは、無限の運動とならざる
を得ない。それは自己言及(参照)と自己対象化の過程です。
>>150 (すずらんさん)
>もう少し分かり易く翻訳して下さるとありがたい
キーワードは「現れ」(Existence)ですが、これは現象学の根本概念、
というより、実在(Real being)と現象(Phenomenon)の区別
とは経験的・客観的科学の大前提でしょうね。
「現れ」とは「なにものかが現れている」ということであり、それは客観
的な実在がそれ自体ではなく、見かけ(仮象)を通してのみ、主観に与え
られるということです。「あるがまま」とは「現れるがまま」のことであ
り、決して素朴実在論者の言うように客観的実在が直接与えられているの
ではない、ということ。客観性の概念とは「主観によらない、それ自体で
存在すること」で、主観的とは「客観的に存在しない」ということでしょ
うが、客観性−主観性の区別はたとえば3次元の物体とその2次元的な見
かけとの区別を例に考えれば、分かりやすいでしょう。
立方体はどの方向から見ても裏側は決して見えないわけで、客観性とは
超視点性むしろ無視点性と言える。立方体は多様な見かけから「再構成さ
れた」対象として初めて客観的なものです。逆に言えば、客観的な3次元
世界においては、主観的な見かけは、どこにも存在しないでしょう。
視点の<原点>は見る主体の身体ですが、世界を対象化する主体自身は
決して世界の中には存在しない(位置を持たない)以上、「見ている主体」
を客体的に指示するためには、記号的な反照存在(視覚では写像的絵画)
が必要となるわけです。(フーコーの引いた例のベラスケス「ラス・メニ
ーナス」(宮廷の侍女たち)のように)。同様に「赤く見える」とはそれ
自体主観的な感じ(受容)であり、決して客観的実在ではない。それは表
現によって、「この対象の赤」として、初めて外化、客観化できる。
201 :
生理学徒 :2001/02/15(木) 23:31
>>196 については、ジャイラス君の言うとおり。Wernicke失語に関しては、
「生成・維持」に必要という事なんだから、言語習得後でも
良いんじゃない?と言うこと。・・・っていうか、やっぱりこれは既に、
古い話題みたいだね。少なくとも、記憶と失語という観点からの研究は
既にある模様。また、先天的に(感覚・運動)言語能力のない(=Wernicke
)少女の症例についても記録がある様子。某、MLでも既に議論があった様子。
今日は時間がないのでまた今度ね
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/16(金) 00:26
>>198 > つまり「感覚の感覚」には共同体からのフィードバックは不要だという論拠にはならない。
証拠云々を言うなら「感覚の感覚」には共同体からのフィードバックが必要だという論拠もないではないか。
(言語共同体からのフィードバックが「感覚の感覚」の発現に寄与し得るケースをいくら並べても、「必要」
である証拠にはならない。)
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/16(金) 00:29
>>199 逸話的事実で学説の是非を判断するのは科学的とは言えない。
204 :
じゃいらす :2001/02/16(金) 02:23
>>200 脱力するわ。君といい、生理学徒といい。
まあ、生理学徒は専門外の所に口をつっこんでるだけかもしれないという
可能性を信じてたいけど。
206 :
伍長 :2001/02/16(金) 02:41
>>199 (じゃいらすさん)
>またここでいわれている「言語」が
>身振り手振りや、しぐさ、視線なども含めてよいのかも疑問。
なぜでしょうか?
人間は音声言語を発達させましたが、そうじゃない異星人を想定することもできる。
>すると言語体系をもっていないが、カテゴリー弁別が可能で、
>社会生活を営む動物でも「感覚の感覚」が生じる可能性がある
>んぢゃないかなと思う。
そうなんです。
すでに高度な言語共同体が出来上がっていて、その中にドップリと浸っている人間の場合は、どうしてもその影響が強すぎて、未分化な(と言って良いのかな?)レベルの弁別反応の研究が難しくなると思うのです。
人間以外の高等動物なら・・・・とアイちゃんたちに想いを馳せてみたりするわけで。
207 :
伍長 :2001/02/16(金) 02:52
>>199 (じゃいらすさん)
なお、旧スレを「ヘレン」で検索したら、350, 353, 410, 412,でした。
また、「動物」や「猿」で検索するとたくさん出てきますが、関係のありそうなのは、
199, 200, 292, 296, 329〜332〜365, 375, 387, 407〜412, 435,など。
複数の専門家が登場して盛り上がったのが、332〜365。
ついでに「共同体」で検索したら、93が初出で、135, 213,と続き、266以降は続出。参照レスを挙げるのは困難です(私の責任か・・・)。
ですから、93以前の議論は「共同体」に触れずに成立していた。
>>204 (じゃいらすさん)
生理学徒さんは論点が分かっておられるようだし、そんなに変じゃないと思うけど。
ただ、やっぱり共同体を過少評価していると思うんだなあ。
ところで、じゃいらすさんの御専門は?
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/16(金) 05:53
生理屋や知覚屋が増えたおかげで問題点が収束されつつあるように思えるぞ。 ワシが言ったとおりじゃろうが。 要するにこの問題の困った点は、 「人間は否応なく言語共同体に取り込まれてしまう」 ということじゃろう。 生まれながらに「機構」に障害のある人も、後天的に障害を患った人も、 人間社会に連れ戻された野生児も。 人間だけでなく、アイやワシューもかな。 言語共同体による分化強化なしに、 つまり、 (A)環境側からの(言語共同体とは無関係の)何らかのフィードバックにより、 あるいは、 (B)生体内部の事情のみに基づき、 「私的事象に対する弁別」(クオリア、感覚の感覚、etc.)が成立したと仮定する。 じゃが、いったん成立した弁別は、 常に共同体の要請?によって修正を迫られることになりそうじゃ。 「機構」に障害がある人も、何らかの形で「異常な」弁別をするよう要請されたり、 別の形の「異常な」弁別へと修正を迫られたりするじゃろう。 この要請を完全に拒否して弁別を「維持」することは出来そうにないとワシは思う。 以前にも伍長氏か他の誰かが書いていたと思うが、皆の衆、どうじゃろか。
209 :
生理学徒 :2001/02/16(金) 10:39
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/16(金) 12:38
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211 :
じゃいらす :2001/02/16(金) 22:21
>伍長氏 博士は心理学でとりました。 知覚実験やってました。 現在は別領域で仕事してます。
>>209 =生理学徒氏
>力の入れすぎだってW)。
力の入れすぎざんすか。はふ〜
こっちだけ力んでても仕方ないし、この質問でひとまず終わりにしますわ。
指導の合間に気が向いたら答えてね。
>>185 で紹介してるLogothetis et al.の仕事(binocular rivalryのアレ)、
ただ「必見」としか書いてありませんが、どう評価しておられます?
213 :
198 :2001/02/17(土) 00:28
>>199 (じゃいらす氏)
同じ事なんじゃないの?
ヘレンケラーもウェルニッケ失語の患者も自閉児も、
共同体の中で生きているわけでしょ。
ヘレンケラーは旧スレの>412の説明でいいと思う。機能的にはね。
もっと詳しく知りたい俺には物足りないけどさ。
ウェルニッケ失語や自閉症のほうは、
>>208 の言うとおりだと思うし。
214 :
臨床屋 :2001/02/17(土) 01:43
問題点が収束しているところに,臨床屋の夢物語的レスで申し訳ない。先に謝っておきます。(弱)
>>199 >>またここでいわれている「言語」が
>>身振り手振りや、しぐさ、視線なども含めてよいのかも疑問。
>>207 >人間は音声言語を発達させましたが、そうじゃない異星人を想定することもできる。
「言語」は分化した反応の一形態に過ぎないのでは?共同体側が弁別して,分化強化できれば良いのだったら,という条件付きですが。
手話などを含む「言語」は細分化された記号体系だから,より細かい分化強化ができる。
「心」という機能を高次に発達させるためには,この細分化と,前に話の出ていた対象化という記号としての性質が必要なのでは?
215 :
臨床屋 :2001/02/17(土) 01:48
乳児は外界に適応するための生得的なメカニズムをもって生まれてくる。行動論的に言えば,生得的な強化刺激かもしれない。
生後数十時間で顔の動きの模倣ができることや選好注視,初期の運動反応などはその例だと思います。
>>208 での(A)(B)にあてはまるのでしょうか。
ここで乳児には「私的事象への弁別反応」がすでにあると仮定します。しかし共同体とは無関係な知覚・運動の成熟だけで(もちろんこれをベースにしているんですが),その後の高次の心的機能を説明することはできるんでしょうか?
う〜む。無理だと思う。
自閉症児の場合は,知覚の問題が非常に大きい(刺激の一部分に過剰に注意を向ける,特定(主に人から)の刺激が嫌悪的に働きやすい)。
「心の理論」欠如の話は,まさに共同体(人・社会)からの刺激が強化として機能していなかったり,公的事象の弁別がうまくいっていないことで生じてくる問題なのではないでしょうか?
214では,言葉が足りないですね。 身ぶりも視線も分化反応であれば,言語と同じという意味です。
217 :
じゃいらす :2001/02/17(土) 05:40
>>213 障害の程度(感覚失語<<ヘレン(聾+盲+唖)
フィードバックの制限の程度によって
「感覚の感覚」の分化の程度が変化するのでは?
学習のチャンスの減少および、同時性が甘くなり強化が弱くなる?
ただしこの場合感覚の入力自体に制限がおこってしまうが。
(後天性感覚失語<<先天性失語)
また、先天的障害を含む発達過程におけるこのての障害と
成人後の障害では「感覚の感覚」に対しての意味が異なってくる
先天性の場合、「感覚の感覚」は未分化になる可能性が高い
と考えるのも妥当では?。
218 :
厨房 :2001/02/17(土) 08:57
ちょっとシモの例で質問します。 尿意を感じてトイレへ行く、というのは古典的条件づけによるもの ですけど、では尿意を感じてがまんできるようになるには何が必要 なんでしょうか? 赤ん坊じゃない子供が「おしっこが出る」と告げるのは尿意を弁別 できているってこと ですよね。でも、それを我慢できるってのは、どういうプロセスを 経て可能になるんですか? あと、ここまで書いてみて、 「トイレ行動により人間の自己意識は成立した」という仮説を 立ちあげてみたくなった僕はドキュソ決定で逝ってよしですか?
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/17(土) 11:03
>>218 トイレに行くこと自体が、尿意を我慢することを伴う。
古典的条件付けを意識がないと規定するのは、
作業仮説であって真実(証明されたもの)ではない。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/17(土) 13:02
出そうな尿を出さないで身体を移動する,という 行動をしてる時に「尿を我慢している」という意識が生じる (「尿意を我慢する」ということはできないだろうから,藁) からといって,出そうな尿を出さずに身体移動することが 「尿を我慢する」という意識に由来すると言う証拠にはならない。 単に行動に意識が随伴しているだけで,因果関係があるという 証拠はないし,因果関係を前提にしない説明もできる。 たとえば尿意を感じていても仕事や他の目的で それを忘れていて,気がついたら漏れそうだった小便を 2時間も忘れてた,みたいな経験はないかい? 古典的条件づけによる夜尿治療でも, 別にこどもが「おしっこしたいから起きる」という 意識に基づいて行動しなくても,目は覚めるし おねしょもしなくなる。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/17(土) 13:05
>219 作業仮説が必ずしも真実ではない,と言うのは確かだが, その作業仮説と対立する,その作業仮説よりももっともらしい 仮説も存在せず,またその作業仮説を否定できる根拠も とくにない時には,その作業仮説が真実に近い,と仮定するのが ふつうだし,他の道はない。 それを「作業仮説だから真実でない」と批判するのは 少なくとも科学者としては単なる難癖の類い。
222 :
213 :2001/02/18(日) 00:58
>>217 そういうことでもいいんでないの?
>>218 >尿意を感じてトイレへ行く、というのは古典的条件づけによるもの
なんで?
つーか、なんで219〜221はこれを突っ込まないんだよ。
223 :
厨房 :2001/02/18(日) 04:42
トイレ行動は一般的な共同体の要請
ということでもありここでのテーマを考える上でいい材料かな
と思って振ってみたのですが、唐突すぎましたかね?
>>222 >なんで?
トイレにいくことを親が子供にしつける時には古典的条件付け
を使うのではないかな、と私が思ったからです。
224 :
厨房 :2001/02/18(日) 05:13
すいません。
唐突というよりも、
言葉があまりにも足りなかったことに気づきました。
>>218 の質問は、
おむつをしていた赤ん坊が、どのようにして
「尿」を我慢して
トイレに行き排尿できるようになるのか?
トイレに行かなければ排尿してはいけないということは、
共同体の要請という面が強いので、
古典的条件付けによるしつけ以外にも、もっと本人の
自己意識の発達が関わっていて、それはもしかするとあらゆる
共同体の人間の
自己意識の基礎をなしているものではないだろうか(仮説)
という意味です。
まあ、ちょっとバカっぽい仮説です。
おもいつきなんで軽く流しちゃって下さい。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/18(日) 06:10
「トイレにいくこと」を親が子供に「しつける」のは、 オペラント条件づけじゃな。
226 :
生理学徒 :2001/02/19(月) 01:25
少し時間が出来たので・・。 >不良設定問題・脳内三次元モデルは生得的か? 不良設定問題のポイントは、その脳による解が唯一の(想定しうる)解では ないということ。そして、この解は常に正しい解でもない。よって、様々な 錯視が生まれたりするわけだよね。(そして、その錯視が一致している)。 従って、何故に、そうした恣意的な解に学習の結果皆たどり着くのか?・・・ と考えれば、その解は生前用意されているからという答えが最も自然だよね。 実際、三次元認識に関わるシステムの発生に関しては幾つか既に研究もあるで しょ。もちろん、生後習得されるルールもあるわけで、そういうのが個人差に 繋がるわけだよね。 まあ、恣意的な世界認識とその内部モデルおよび、その裏付けとなるアーキテ クチャーという点でもっとも一般的な例は、色認識の話だよね。これについては 書籍も多いので一々説明はしません。 >失語に関して 手振り身振りはどうかとか、話が発散しているが、Broca's area が死ねば、 手振り身振り、表情の認識なども出来なくなる。・・・というのは、それほど 批判のある知見じゃないと思うけど? Broca's areaとミラーニューロンと、 言語については・・・続く。
227 :
生理学徒 :2001/02/19(月) 02:03
ミラーニューロンってのは、下参照。 Trends in Cognitive Sciences 2000, 4:455-462 より。 Recent data suggest that this type of automatic imitation behavior is supported by a 'mirror-neuron system', first identified and characterized in the monkey brain. Rizzolatti and co-workers 36 observed that the monkey premotor cortex contains 'mirror neurons' that discharge both when the monkey executes hand actions itself and when it observes the same action made by another monkey or the experimenter. This mirror-neuron system was assumed to match action observation and execution and thereby to play an important role both in action imitation and in understanding the meaning of actions made by other subjects. The mirror-neuron system could thus form an important link between a sender and receiver of a motor-act-based message. ....These results strongly suggest that the Broca's region, the human counterpart of the monkey mirror-neuron area F5, acts as an orchestrator for the human mirror-neuron system. According to Rizzolatti and Arbib 43, the precursor of the Broca's area might have played a crucial role during evolution of interindividual communication by orofacial and hand gestures, and might even have formed the gestural basis for the evolution of speech production. Subjects with autism are impaired in mindreading and imitation skills. Avikainen et al. 44 thus tested the possibility that the mirror-neuron system of subjects with Asperger syndrome (AS), a mild autistic disorder, would not function properly. All subjects failed in theory-of-mind tests that probed the subject's ability to understand other persons' mental states 45.
228 :
生理学徒 :2001/02/19(月) 02:20
上の話に興味を持ったら、何はともあれ下は必読。色々議論は あるだろうが、強烈に面白い。 Giacomo Rizzolattia and Michael A. Arbibb "Language within our grasp " Trends in Neurosciences 21:188-194 (1998)
229 :
生理学徒 :2001/02/19(月) 03:12
これと言語能力についてはまたこんど。
230 :
じゃいらす :2001/02/19(月) 09:32
>>226 227-228の引用文献紹介はありがたいが、
(これはマジで)
226はどういうリアクションを期待してるわけ?
間違い探しか?正解探しか?
231 :
生理学徒 :2001/02/19(月) 13:44
>226はどういうリアクションを期待してるわけ? >間違い探しか?正解探しか? え?何か聞いてたんじゃなかったっけ?W)。疑問があるならどうぞ。 ま。議論は既にWEB上においても全て「ガイシュツ」の様だよね。ここでの 議論とその混乱は、前述のPsyche-Dで数年前に交わされている。日本でもね。
232 :
知覚屋 :2001/02/19(月) 13:55
ごめん。書きこむの止めにするって言ったけどやっぱり気になるので。 >従って、何故に、そうした恣意的な解に学習の結果皆たどり着くのか?・・・ >と考えれば、その解は生前用意されているからという答えが最も自然だよね。 みんな同じような環境で生活しているという点を考慮しなくていいの? 念のため断っとくけど、私ぁ「生得的な影響は存在しない」と言いたい わけじゃないからね。
233 :
じゃいらす :2001/02/20(火) 00:38
うーん。この板にとっては私は邪魔者かもしれん・・・ と反省してます。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/20(火) 01:00
>生理学徒 コピペや論文紹介ばかりじゃなく(これはthanksだが)、 何が言いたいのかを自分の言葉で語ってほしい。 この方面に疎い畑違いの人もいるんだから。
235 :
生理学徒 :2001/02/20(火) 01:14
ええと。 結局の所、こうした議論は何処かのちっぽけなリフレインかもしれないけれど 、それはそれで色々すべきことがあるよね。 まあ。こうしたところでは、ユニークな(?)理論の主張より、文献の紹介や その解釈についての情報交換の方が遙かに有益だよね。ゆる〜く議論していけ ばいいんじゃない? ・・・もっとも、ユニークな理論唱道者が居なければ、皆のモチベーションも 上がらないので、「言語→意識」論者にはもうちょっと頑張って欲しいな。
236 :
生理学徒 :2001/02/20(火) 01:20
>>234 >自分の言葉で語れ。
なるほど、その通りなんだけど、
>>228 に関しては、俺の拙い
説明を聞くより、この総説を読んだ方がはるかに面白いよ。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/20(火) 02:16
何なんだよ、偉そうに。 これじゃあ皆のモチベーションを下げてるだけだな。 「畑違いの人」のことも考えてコピペの概説ぐらいはしてやれよ。 今までの学習屋中心の議論が発展しそうだったじゃないか。 せっかく知覚屋も数人いるんだしさ。 伍長説だって大筋ではよくある考え方でしょ。 確かに問題もあると思う。 「言語」を幅広く考えすぎ。 「言語→意識」理論じゃなくて、 「共同体→意識」理論でもいいんじゃないの? ただ、「言語→意識」理論も「共同体→意識」理論も、 別にユニークでも何でもないでしょうに。 それを知らない生理学徒こそもっと頑張りな。 議論も説明もする気がない(する能力がない)なら 始めからグダグダ偉そうに言わなきゃいいんだ。
238 :
生理学徒 :2001/02/20(火) 18:08
>ただ、「言語→意識」理論も「共同体→意識」理論も、 >別にユニークでも何でもないでしょうに。 >それを知らない生理学徒こそもっと頑張りな。 ええとねぇ。「ユニーク(?)」って成ってるでしょ。あと文脈を読まないとね。 ご要望に応えて、ざーっとミラーシステムについてまとめるよ。あくまで概略な ので、疑問のある人は原典に当たってください。 ・ミラーニューロン ミラーニューロンは前運動野と呼ばれる、特定の運動を準備する部域で見つかっ た。当初は、掴む、捻る、叩くなどの特定の運動を引き起こさせるときに特異的に 発火するニューロンとして同定。特定の運動を準備する段階で働いているニューロン であると考えられた。 しかし、その後、それらのニューロンは、他のサル及び実験者がそれらの動作を行っ ている時にも発火することが判った。即ち、実験者が掴む、捻る、などの動作を行って 見せるだけで、同様な動きに対応したニューロンが発火していたのである。よって、 それらをミラーニューロン(猿まねニューロンだね)と名付けた。 ・その想定される働き。 このシステムの役割として現在指摘されているのは、「運動の表象」。すなわち、 他の運動を表象するのに単に、その動きを追うだけでなく、それを「理解」するために 自分に置き換えて、(このスレッドにあわせた物言いだと、公的事象を私的事象と照 らし合わせて(?))、いるものだと言うこと。 これと関連して興味深いのは、denial syndrome という疾患。この疾患では、通常 半身の麻痺を引き起こすが、一定の患者は、その半身の麻痺を否定するだけでなく、 他の患者の麻痺をも否定するという事。即ち、この場合、ミラーシステムの疾患に より、自分及び他人の運動の表象が壊れていると推測される。 ・Broca's areaとの関連 このシステムが興味深い点として、このミラーニューロンが見つかった領域が、ヒト では、所謂Broca's areaという部分にあたるということ。Broca's areaは古典的に、 言語運動に関連する領域と考えられており、この領域が破壊されることで、運動失語 が生じる。最近の研究では、この領域は、やはりサルの場合と同じく、運動表象に 関わる部分であると考えられており、失語症の多くが顔の表情の読みとり能力、及び ジェスチャーの認識能力の欠失をも伴うという知見と一致している。 (ちなみに、この領域はサルにおいても、吠えたり唸ったりする為に使われる領域とは 異なっている)。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/20(火) 19:55
>238 解説どうも. でも,どうもよくわからんな. 面白い話ではあるが,結局あなたは何が言いたいわけ? 読んだ限りでは,これまでの議論を補強するものとしか思えんが. 「機能を支える機構」の話だってことじゃないのか?
240 :
アスリート名無しさん :2001/02/20(火) 21:06
241 :
生理学徒 :2001/02/21(水) 04:14
生物学の視点から意識(感覚の感覚)を考えるならば、重要なポイントは Q. それはなぜ存在するのか? という点だろうね。それに対する大まかな答えは既に存在していて、だい たいのコンセンサスを得ていると思う。即ち、クリックが指摘するように、 A. 限りある計算資源を有効に活用するため、不必要な感覚情報を行動決定 回路に送り込んではならない。そのため、一度、感覚を表象し、「重要」な 情報のみをより高次な回路に送る必要があるから。 と言うことなんだと思うな。実際、離散神経系なら何の問題も発生しないん だよね。刺激に対して、周辺神経系からの少量の情報の統合を元に出力する のなら感覚を一度何処かに表象する必要は無いわけで、事実、集中度の低い 神経系を持つ動物では、全ての神経入力を集約させるなんて事をせず、すぐに 出力してしまうわけだよね。そういったシステムの方が、速く、ローコス トなんだよね。 ところが、集中度が高まって、大量の情報が中枢に押し寄せるようになると より強力な情報の取捨選択システムが必要に成ってきたんだろうね。所謂、 『ゾンビ』システムだと、何処かの段階で、計算量が発散してしまうんだと 思うな。 ・・・という事で、「感覚の感覚」という点に限るのなら、「言語」に必然性 は認められないと思う。事実、言語を持たない動物でも感覚を表象し、そこ から一定の感覚情報に注意を当ててその他の入力を遮断するという事ぐらいは やってるわけだよね。(そういうデータはある様子)。よって、「言語化されない 意識」というものが(「意識」の定義として認められるのなら)、言語を もたない動物にもあるだろうね。
242 :
生理学徒 :2001/02/21(水) 04:15
しかしながら、 Q.「感覚の感覚」は如何にして共有されうるのか? という疑問に関しては「言語共同体による分化・強化」というような 作業仮説も有効だろうね。.......余談だけれど...... ....一般に、「感覚の感覚」の成立さえも言語共同体を前提とするとい う考え方は、あまりにも、人間が「白紙」の状態で生まれてくることを 仮定しすぎていると思うね。実際、赤ん坊から物心が付くまでは、人間が 人間であることを学習するにはあまりに短い時間なんだよね。... ....(余談終わり)。 しかし、上の疑問に対しても、以下の点は注意すべきかもしれないね。 ・感覚の感覚の自由度の低さ。 先に述べたように、外界の物理現象に対して、人間の内部表象システムは 極めて恣意的な表象を行う。こうした、恣意的で自由度の低い表象システム を共有することで、我々は、クオリアを共有する事が容易になるのではない か?という考え。 ・「感覚の感覚」を作る一般則の共有。 先のミラーニューロンの存在する場所が人間では言語運動に関する領域だ という事は極めて示唆的。即ち、そこは、外的事象を内的事象と対応させ る場所で物事を「名指す」能力を生み出す場所という事。それを遺伝的に 共有することは感覚の感覚を共有する上で重要だろうね。
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/21(水) 04:49
>>241 -242
えっと、いちおう計算機屋です。
> ところが、集中度が高まって、大量の情報が中枢に押し寄せるようになると
> より強力な情報の取捨選択システムが必要に成ってきたんだろうね。所謂、
> 『ゾンビ』システムだと、何処かの段階で、計算量が発散してしまうんだと
> 思うな。
このようなことで「計算量が発散する」とする意味がわかりません。
計算機の演算処理は Logic に従って人為的な処理を行うものなので
出力したい「目的」によっては計算量が爆発してしまうことがありえます。
しかし、神経系のようなあくまでAutomaticに処理が行われるものに関しては
「計算量が発散する」ようなことはありえません。
実際、ほぼ無限に近い物体間の万有引力を計算機でシミュレートすることは
事実上不可能ですが、現実ではその「計算」は一瞬で終わります。
個々のニューロンはその性質に従って「動作」するだけなので、
無限の物体間の万有引力と同じで、有限の刺激を受け取る神経組織からの入力で
どれだけ「情報」が入ろうと、ほぼ自動的にその状態は決定されるはずです。
つまり、もし計算量が発散するようなことがあるとお考えならば、
何らかの目的がありそれに従って動作させられているということになります。
では誰が脳の目的を定めているのでしょうか?
もしそのような脳の目的を定める「脳の支配者」を仮定するならば、
その「支配者」こそが心的装置の動作の真の決定者ということになり、
あなたの神経組織至上主義は破綻してしまうように思えます。
この部分に合理的な説明をお願いできるでしょうか?
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/21(水) 07:02
知覚屋に生理屋に計算機屋か。 良いではないか。 やはりワシが言ったとおりじゃろう(などともう一度自慢していいかの?) >241,242 待て待て。 その「感覚の感覚」とか「感覚の表象」とは何ぞや? 心、意識、クオリア、赤の赤らしさ、メタ認知、実在感、何でも良いが、 そうゆうのとは違うような「感じ」がするぞ。 ワシのこの「感じ」はあんたの言う「感覚の感覚(表象)」なのか? とは言うものの、「計算量の発散」などと言われては、 一般人のワシにはようついていけんようになったのう。 伍長殿もそうか? それに確定申告の時期じゃしのう。たしか3月15日までじゃぞ、皆の衆。 「鬱だ死のう」と言いたくなるのう。難儀なことじゃ。 もっとも皆の衆は給料取りか学生か。ええのう・・・
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/21(水) 11:24
おー確定申告は私も頭痛の種だ. 今年は本が売れて喜んでいたら大変なことになった. 宇津だし脳.
246 :
生理学徒 :2001/02/21(水) 15:32
>つまり、もし計算量が発散するようなことがあるとお考えならば、 >何らかの目的がありそれに従って動作させられているということになります。 ざーっと書いてるんで、出来れば文脈とか、REFとか読んで貰えるとありがたい んだけどね。 もちろん、計算機屋さんがいうとおり、Neuronは動作してるだけで、誰かが計算 してる訳じゃないよね。その通り、多体問題を解くのは難しいけど、心配しなく ても、太陽系の運行に支障はないよね。計算量の発散というのは、比較の問題で、 ・「ゾンビ人間」が、人間らしく振る舞おうとした場合の計算量 なんだよね。具体的に示せとか言うのは止めてね。正直なところ、脳の計算原理 は誰も知らないので、計算量は求められないんだよね。 しかし、こうした直感を多分、多くの研究者が共有してるのは幾つか理由がある よ。それは、主として、 「生体のNeuronの動作というのは基本的に非常に遅くて、ノイジーだという事」かな。 高等生物では、これを乗り越えるのに、Neuronの数を増やすことで対抗している よね、また、数が増えてくると、逆にノイズを利用しちゃったり出来るんだよね。 ところが、より高次のNeuronまで数を増やそうとしても限界があるので、色んな システムを作って、高次に必要性の低い情報を送らないようにしてるんだよね。 認知屋さんが色々調べてる注意のシステムというのもそういうことだよね。本来、 注意の資源というのは沢山あったほうが、聖徳太子みたいになれるので良いんだろ うけれど、厳しく制限されているのは、高次の負荷を押さえてるんだよね。
ていうか、「ゾンビシステム」とか「ゾンビ人間」って何なんだよ。 googleやinfoseekで検索しても関連ありそうなページ引っかからねぇぞ。
>>246 仕方ない子、順番に行くね。
241によれば、
> Q. それはなぜ存在するのか?
> A. 限りある計算資源を有効に活用するため、不必要な感覚情報を行動決定
> 回路に送り込んではならない。そのため、一度、感覚を表象し、「重要」な
> 情報のみをより高次な回路に送る必要があるから。
「それ」つまり意識はニューロンの自動的な動作のラッパーとして設定されており、
それは「情報量」を削減するために存在する、とあります。しかし、
> ・「ゾンビ人間」が、人間らしく振る舞おうとした場合の計算量
などというものを考えるのであれば、誰が「人間らしく振舞う」ことを脳に
要求しているのか、明らかにすることが求められます。
つまり、あなたの主張していることをまとめるのならば、
1 人間らしく振舞うためには、情報量の削減が必要である。
2 情報の削減のために、脳は意思らしきものを持ち、人間らしく振舞おうとする。
これがおかしいことは理解できるでしょうか?
あなたも認めていることだと思いますが、人間らしく振舞わない「ゾンビ人間」にとっては
「情報量」の削減は必要ないわけですから…。
ま、こういうのを一般には「循環論法」と呼びますね。
たぶん「最新のパラダイムは情報だ!」とかどっかのくだらない言説に踊らされて、
狭い知識を元に珍説を編み出してみたんでしょうけど残念でした(笑)。
くだけた口調が好きらしいから、こっちの言いたいことを率直に言っちゃうと、
あなたの生理学一本槍の知識では
> Q. それはなぜ存在するのか?
の問題について、回答を偉そうに垂れる資格がないってことです。
他についての講釈は枝葉末節、どーでもいいっす(笑)。
249 :
243 :2001/02/22(木) 03:18
>>247 おそらく「刺激」を入力にして「反応」を出力と見たときに、
「意思」を通さずに決定がおこなわれる状態をさして「ゾンビ」と呼んでいるようです。
250 :
アホですいません。 :2001/02/22(木) 05:44
例えば、無痛人間とかはどうなんでしょうか>ゾンビ。 といっても無痛症?の症例がどんなものなのか知らないので 漠然としたイメージだけなんですけど、痛みを感じないという 症例ならば、いわば痛みの(実質)クオリアがないといえるの でしょうか?
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 06:14
>248(243) とりあえず、あんた自身の立場をはっきりさせてくれると面白いと思うが。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 08:12
空模様を眺めていたら、雲の様子とその後の降雨との関係に 次第に気づいて、空模様の弁別能が高まりました。 それは占いに発展しました。 この場合、空が言語共同体の主要成員なの?
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 08:15
お腹が痛いときに、その後下痢になるのとならないのと、 症状の違いがあったので、次第に症状と関連付けながら 何種類かのお腹の痛みの区別が明瞭になってきました。 胃腸が言語共同体の主要成員?
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 08:17
言語共同体が先ずあり、その共同体に沿った「感覚の感覚」が 生じるだけだとすると、文明は生じなかったかも。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 08:25
>>237 > 「畑違いの人」のことも考えてコピペの概説ぐらいはしてやれよ。
> それを知らない生理学徒こそもっと頑張りな。
ダブルスタンダード?
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 10:19
>252 「空模様」とか「お腹の痛み」みたいな 認識自体が言語共同体の存在なしに 成立しないだろうよ.
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 11:10
>>256 本当にそう思ってるの?
赤ちゃんが母親の顔覚えるのも言語共同体??
258 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 11:41
>ゾンビ どうせ検索するのなら、「zombie」じゃないとダメかもね。でも、この 話、このスレに居る人ならみんな知ってると思ってたけど? >1 人間らしく振舞うためには、情報量の削減が必要である。 誰がそんなこと言ったのかなぁ?議論とかしたいのなら、もう少し落ち着いて やってよ。つまらないよ。 ま。何れにしても、こういう話にしたところで、別に新しくは無いでしょ。
259 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 11:50
>>256 最初から定義が混乱してたんだよね。「言語化されない意識は
意識とは言わない」という立場をとる人が、「意識とは言語共
同体....」という主張をするのは当たり前だよね。でもそれは
当たり前すぎる主張かもね。
260 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 13:00
あんまり関係ないけど、最近、ネズミでも夢を見る事が出来るらしい という話があるよね。ニューヨークタイムスにも記事が載ってた。 NyTimes January 24, 2001 If Lab Rats Dream, They Seem to Dream of Mazes By ERICA GOODE Neuronにも新しいのがある。しかし、まだうちでは読めない(涙)。 Kenway Louie and Matthew A. Wilson Temporally Structured Replay of Awake Hippocampal Ensemble Activity during Rapid Eye Movement Sleep Neuron, Vol. 29, 145-156, January, 2001 総説では Gary R Sutherland and Bruce McNaughton Current Opinion in Neurobiology 2000, 10:180‐186 Memory trace reactivation in hippocampal and neocortical neuronal ensembles あたりが読みやすいか?
>生理学徒 258 >>1 人間らしく振舞うためには、情報量の削減が必要である。 258 >誰がそんなこと言ったのかなぁ?議論とかしたいのなら、もう少し落ち着いて 258 >やってよ。つまらないよ。 おいおい、もう逃げに入ってる? 246>・「ゾンビ人間」が、人間らしく振る舞おうとした場合の計算量 というのはまさにこれだろ? そろそろ化けの皮がはがれてるんだから、他人の論文で相撲を取るのやめたら?
262 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 17:00
>>261 逃げでも何でも良いよ。
『「ゾンビ人間」が、人間らしく振る舞おうとした場合の計算量 』は恐らく
莫大なものになる。(突っ込むとしたら「人間らしい」って何だ?って
所だよね。ま。そこはさらっと流してよ)。
というのが、何で
>1 人間らしく振舞うためには、情報量の削減が必要である
・・というように成っちゃうのかな?ゾンビシステムでも十分な
計算資源があれば良いわけでしょ。しかし、そういうのは経済的じゃない
ってだけ。
神経の集約化に伴って発生する、高次エリアの処理能力の限界に
関しては、他の解決法もあったんだろうね。しかし、我々の祖
先は、たまたま、注意と意識というシステムを選んだのだろうとい
うこと。
>他人の論文で相撲を取るのやめたら?
ここで、他人の論文を紹介したり、その解釈を話したり、あり得る可能性
を話したりする以外に何するっていうのかな?W)。
>>262 「高次エリアの処理能力を必要とする」理由がそもそもヘンでしょ。
経済的な理由なら「人間らしく振舞う必要」なんて初めから無いんだから。
本当に自分の間違いに気づいていないのかな? それとも、ネタ?
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 17:57
>>263 生理学徒氏は、我々のご先祖様(どのレベルかは不明)に、
注意と意識というシステムが発生したと言ってるのであって
「人間らしく」などと言うのはお門違い。
自分の説とごっちゃにしただめよ。
>生理学徒 >どうせ検索するのなら、「zombie」じゃないとダメかもね。 zombieで検索しても、ゲームとか映画とかのページばかりだっつーの。 >でも、この話、このスレに居る人ならみんな知ってると思ってたけど? おいおい、一体どういう人たちが読んでると思ってんだよ。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 19:20
盲腸で右下腹部痛がある。 これも、言語共同体が必要か?
267 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 19:37
>zombieで検索しても、ゲームとか映画とかのページばかりだっつーの。
そりゃそうだね。consciousness & zombie で調べないと。
総じて
>>264 さんの言うとおり。「人間らしい」という言葉をもうすこし
詰まらない言葉に代えておけば、「人間と同程度の情報処理能力」ってな事
になるのかね。まあ。前述のクリック先生の総説でも読んでみてよ。クリック
先生はゾンビ話のような非科学的な仮定は下らないって言ってるみたいだけどね。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 20:08
>266 言語共同体がなければ,それを「右下腹部痛」と認識することはできない. たとえば,幼児は胸部の痛みと腹痛を区別できないことが多い. お腹痛い,といっていても実際の患部はかなり広く分布する. これが親などとの会話,体外からの刺激と位置を示す言語の 対提示などによって徐々に痛みの位置を弁別できるようになる. 言語共同体による訓練がなければ体内の痛みを 体のどこかに定位することは困難と考えるのがふつう. もちろん,怪我や痒みなど手や足を使って感覚の位置を 確認できる場合はその限りでないけどね. だから,犬やネコには腹痛と頭痛の区別がない, あるいはそもそも体内の痛みをどこかに定位するという 経験自体が存在しない可能性がある.
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 20:09
>>252 ,
>>253 ,
>>254 ,
>>257 ,
>>266 まったく、今さら人を脱力させる馬鹿なレスばかりつけるんじゃねーよ。
第一部の始めから読み直せ。アホ。
「公的事象の単なる弁別」と、
「公的事象を弁別している自分自身の私的事象を弁別すること」と、
「私的事象に単純反応している自分自身の私的事象を弁別すること」とが
一緒くたになってるんだよ。
しかし、このレベルの厨房は多いんだろうな。
こいつらには無理だから、考えるのは諦めた方がいい。
>>259 混乱させてるのは君でしょう。
それにしても、これが生理屋の一般的な「意識」観なのかね?
俺には「機能を支える機構」の話としか思えないね。
知覚屋たちの意見を聞きたいんだけどな。
>>260 ネズミにも夢を見ることができるっていうことなどは、
たしかにあまり関係ないよ。
自分が夢を見ている(見た)ってことを認識できるのはなぜか
ということを問題にしているわけだ。
270 :
269 :2001/02/22(木) 20:13
>>268 さすがにそこまでは言い切れないんじゃないのか?
271 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 20:17
大まかな話をするとまた、各方面の認知屋さんに怒られるかも知れないけれど、 要するに 感覚情報(たくさん)→#注意のフィルター#→ワーキングメモリー(ちょっぴり) という事でよいのかな?例のマジックナンバーじゃないけれど、我々が、一度に 扱えるオブジェクトの数は限定されてるんだよね。(その理由は、多分、先に述べた とおり、高次の処理の限界があるからだろうと思うけど)。そのため、注意とか 意識とかめんどくさいシステムを作って、高次で混乱しないようにしてるんだろうね。 ある研究によれば、我々を含めた霊長類は二つのシステムを持っているという事だよ。 通常のシステムと緊急用のシステムだね。緊急用のシステムは、野球のボールを打っ たり、テニスでレシーブをしたりするときに使うもので、そういうことをやった人なら 判ると思うけど、それらは、「ボールが見えた」という意識なしにボールを打ってしま うわけだよね。 実際、情報をフィルターするためには、(シナプスを何段階も経なくてはいけないわけ で)、時間がかかるわけだ。緊急時には高次に送る情報をあらかじめ限定してしまうの だろうね。そしてフィルターなしに送ってしまう。その結果、速い動作が可能なんだろ うけれど、例えば、ズボンのチャックが開いていても気づくことが出来ないんわけだね。 あり得ない仮定かもしれないけれど、「ゾンビシステム」というのは、バットでボール を打つように、全てをこなすことが出来る存在なのかもしれないね。 ....上の話では、主として意識を注意の分配システムとして見たわけだけど、何か他に も機能は想定できるんだろうね。そこら辺はご随意に突っ込んでください。>各位
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 20:22
>268 >言語共同体がなければ,それを「右下腹部痛」と認識することはできない. >たとえば,幼児は胸部の痛みと腹痛を区別できないことが多い. 疾患に応じて痛みの部位特異性はあるとおもうが、 これも言語共同体が必要か? 心筋梗塞などは、今まで左胸部痛を経験したこともないのに、 大方、左胸部痛を訴えるんだけど、これも言語共同体による 強化が必要なの?
273 :
269 :2001/02/22(木) 20:35
>>271 そういう話なら別に怒らないよ。
だから何なんだ、とはツッコミたくなるが。
>>272 少なくとも、痛みの部位を「認識」するには共同体が必要だろうな。
心筋梗塞の例は般化で説明つく。
毎回毎回いちいち共同体が強化してやらなくちゃ弁別できないと思ってるのか?
274 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 20:47
>>269 煽りじゃなくマジに聞くんだけど。
「感覚の感覚を言語化できるのは、言語共同体の分化強化によるものだ」
っていうのは、そんなに面白いこと?どういうところが面白いのか
素人でも判るように説明してよ。
あと、
>言語共同体がなければ,それを「右下腹部痛」と認識することはできない.
>たとえば,幼児は胸部の痛みと腹痛を区別できないことが多い.
>お腹痛い,といっていても実際の患部はかなり広く分布する.
>これが親などとの会話,体外からの刺激と位置を示す言語の
>対提示などによって徐々に痛みの位置を弁別できるようになる.
これは、逆の可能性は非常に高いよね。つまり、痛みの場所はハッキリ判るけ
れど、それを伝える言語能力および、医者の質問を理解する言語能力に欠ける
からという事。
そして、痛む場所がそもそも判らないのか、それともそれを伝える(または
言語的に定義する)能力に欠けるのか、どうやって区別するのだろうか?
というのが最初の疑問だった。
275 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 20:55
>
>>272 >少なくとも、痛みの部位を「認識」するには共同体が必要だろうな。
痛みの部位を「言語化」するのには、共同体が必要というなら判る。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/22(木) 21:03
>>268 感覚を定位させているのは筋肉につながる神経なんだ。
だから、臓器が痛くなった場合はそれと連携する
筋肉に痛みを感じ、とんでもないところがいたくなったりするんだよ。
277 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 21:11
感覚の感覚という事で言えば、視覚・痛覚・味覚とかいう言語化される 感覚じゃなくて、通常あまり言語化されることのないけれど、極めて重 要な感覚、体勢感覚とかを考えてみれば良いでしょ。 知っての通り、体勢感覚を失えば、自分の体がどのような状態にあるのか 判らなくなって、連続的でスムースな運動は出来なくなる。現在、自分の 体がどういう状態にあるのかちゃんと「気づいて」(感覚の感覚がある 状態)いる必要があるわけ。これは動物でも同じ事。 確かに、自分の状態がどういう状態にあるか、言語化するためには、言語 共同体が必要なことは当たり前。しかし、自分の状態に気づいて、連続的で スムースな動きをするのに、言語は関係ないでしょ。動物でも、または、 先天的に言語能力(運動・感覚両方)が欠けた人でも、疾患無く運動でき る訳だよね。
278 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 21:13
もちろん 体勢→体性 ね。
279 :
生理学徒 :2001/02/22(木) 21:51
でもまあ。 「感覚の感覚を言語化するには言語共同体の分化強化が必要だ」 なら納得だね。当たり前という感は拭えないけど。 具体的に、子供に林檎を見せて「リンゴ・リンゴ」と繰り返す、 すると、オウムが答えるように出はなく、「それ」を「林檎」と 名指す事が出来るようになる。 伍長が言いたいのは、言語化されない「それ」を「林檎」と名指す 機能とは一体なんだってな事が言いたいんでしょ。そういうときに 生理学者がミラーシステムがどうのこうのと言い出すと、「それは 機能を支える機構にすぎない」と来るんだけど、じゃ一体、「機能」 の研究って何? 単に今まであるような発達心理的な子供の言語習得過程の研究じゃ ないんでしょ。それともズバリそのもの?
280 :
伍長 :2001/02/23(金) 02:53
話が専門的になっていたこともありますが、仕事も忙しくなり、おまけに私も確定申告をやらなければいけない(今も書類を整理していた)ので、すっかり御無沙汰しております。 ただ、ちょっと気になってきたので・・・ >>生理学徒さん。 どうも基本的なところで勘違いをされておられるのではないかと思えてきました(私の理解不足なら失礼)。 貴方が挙げられている例のうち、そのかなりの部分は、「心」「意識」「クオリア」etc.の問題そのものではない(間接的には大いに関係しますが)ように思われます。 また、貴方の言われる「言語」は、高度な文法システムを持つ言語に限定されているのでは? 私が旧スレで述べたのは、 「『心』etc.の問題は、『私的事象の弁別』が中心問題であって、それは言語共同体による分化強化によって形成・維持される弁別反応となるだろう。そして、それは定義上、言語行動的な性質を持つ」 ということです。だから、例えば日本語で明確に言語化できる必要はない(が、結局は言語化できるでしょう。その気?になれば、何らかの形で)。 共同体とは無関係に形成・維持される可能性があるなら知りたい(無いわけではない)が、貴方が説明して下さったことのうち、いくつかの部分は、これと直接関係があるのでしょうか?(上の方で知覚屋さんが同じ事をおっしゃっていましたが、ようやく意味がわかってきたような)。 とりあえず、爺様の予言?が当たって多方面から参加者が増え、議論が進んでいるのは喜ばしいので、学習屋さん、生理屋さん、知覚屋さん、計算機屋さん、臨床屋さんだけでなく、バリバリの認知屋さんの登場も期待します。私はしばらく積極的参加はできませんが。 (自宅で不動産所得が生じている場合、その所得が得られる部分の不動産面積をどのように計算すればいいのか? 固定資産税額をどのように分けたらいいのか? 金融公庫への返済分をどのように分配したらいいのか? なんてことで悩んでいました。気が狂いそうです。ま、図面持参で税務署へ行って訊けばいいんだけど、仕事が忙しくてその時間がなかったりする・・・)
281 :
239 :2001/02/23(金) 06:14
どうやら基本的なところでお互いに食い違いがあるってことかな.
ただ俺は,伍長氏への違和感は僅かだが,生理学徒氏にはより違和感を感じる.
伍長氏の場合は,
>>280 >そして、それは定義上、言語行動的な性質を持つ
というのは,無理すれば分からないわけじゃないんだが,
じゃあその「目に見えない私的な弁別反応」(だよね?)とは
どういうものなんだろう?
それを解明するのは生理屋の仕事だってことか?
生理学徒氏の場合は分かりにくいんだが,
1)○○語のような複雑な文法体系を持った言語だけを「言語」と見なしているらしい.
2)
>>271 でけっこうまともなことを言っているのに,そのあとで自己矛盾に陥っている.
すなわち,
>>271 >それらは、「ボールが見えた」という意識なしにボールを打ってしま
>うわけだよね。
これは当たり前なんだけど,
ところが,
>>277 >しかし、自分の状態に気づいて、連続的で
>スムースな動きをするのに、言語は関係ないでしょ。
271が正しいのに,277では「自分の状態に気づいて」と言っている.
「気づいて」いなくたってできるわけだよね.
修正すると,
「ボールが見えたという意識」なしにボールを打ったり,
「自分の状態に気づくこと」なしにスムースな動きをすることは,
そりゃできるよね.言語は必要ない.
282 :
239 :2001/02/23(金) 06:23
でもそういうことではなくて,スムースな動きをする・しないに関わらず,
「自分の状態に気づく」とか「ボールが見えたという意識」とかを
伍長氏は(俺を含めた他の人も)問題にしたいわけなんだよね.
>>279 >言語化されない「それ」を「林檎」と名指す
>機能とは一体なんだってな事
あえて揚げ足を取らせてもらうけど,「それ」と言語化しているよ.
「どう表現したらいいのか分からないけどこの変な感覚」でも,
「どこが痛いんだか自分でもよく分からないけどとにかくどこかが痛いようだ」でも,
なんでもいいんだが,こういうときの「感覚(の弁別)」,「意識」,
あるいは「意識化された感覚」を,問題にしてるワケだよね.
>>279 >「機能」の研究
生理寄りや計算機寄りの一部の認知を除き,
臨床を含めた心理学の各分野の研究がそうだろうな.
動物屋氏の研究なんかが核心に近いとは思うが,
それでも確かに「そのものズバリ」は難しいだろうとは思うよ.
だからこそ生理学徒氏らの「機構」の研究が必要なわけだよね.
>>244 >心、意識、クオリア、赤の赤らしさ、メタ認知、実在感、何でも良いが、
>そうゆうのとは違うような「感じ」がするぞ。
>ワシのこの「感じ」はあんたの言う「感覚の感覚(表象)」なのか?
どうやら,それも「感覚の感覚(表象)」だし,
そうじゃないものも「感覚の感覚(表象)」だということらしいね.
と,素人さんにも何とか分かるようにまとめてみたつもりなんだが,
どうなんだろうか?>生理学徒氏.
>不動産所得 ひょっとして資産家なのか? 税理士はついておらんのか? 羨ましいかぎりじゃが、早めに税務署へ行って相談した方がいいぞ。 そのほうが税務署(最近は親切じゃ)のウケがいいし、 遅くなると混雑して、待ち時間がやたらと掛かるからのう。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/23(金) 09:36
>これは、逆の可能性は非常に高いよね。つまり、痛みの場所はハッキリ判るけ >れど、それを伝える言語能力および、医者の質問を理解する言語能力に欠ける >からという事。 最初はみんなそう考える. では,私的事象が弁別できていないことと, 弁別できているがそれを言語的に表現できないことを どう区別できる?区別できないけど,違うはずだ,では議論にならない. そして,言語による弁別がない状態で,人が私的事象を 弁別できている,というのは具体的にどういう状態? かくして議論は振り出しに戻る(藁 >伍長さん 税務署は最近は昔なら信じられないほど 親切だよ.必要経費とかも領収書だけ持っていけば 向こうで書類作ってくれるしね. 早い方がいい,というのは全く同感. 3月にはいるとどんどん雰囲気悪くなる. 仕事をちょっと切り上げて税務署に行くことを薦めるよ.
285 :
じゃいらす :2001/02/23(金) 13:54
このスレ勢いあるなぁ。久しぶりにみたらだいぶ進んでる。 >生理学徒氏 ミラーニューロンと言語の関係を履き違えておられる。 失語の定義も不正確。運動失語については大うそでしょ? 運動失語のヒトは表情認識や言語理解できるよ。 あと計算量が増大して云々のところは 神経系は冗長性を減少させるというBarlowの話をしたいんではないの? 意識の問題は「言語系」と「非言語系」に分離して考えられるのではないかな? 言語的制約による高次機能の制限は存在するし (例えばフランス人が計算が苦手なのは、フランス語で数字の音節が多いからだといわれている。 逆に、中国・日本などは数字の音節が少ない) 一方で、感覚失語患者も非言語的な方法で物語の記述などができると報告されている。 入力および処理に関わる脳領域が人の場合、言語系・非言語系 で分離しているのに対して、 情報の保持に関しては両者が共通のメカニズムを利用しており、 トレードオフの関係にあるというのが、ヒトのワーキング・メモリーの研究の成果ではないかな?
286 :
生理学徒 :2001/02/23(金) 14:02
話がちょっぴり生産的に成ってきたのは嬉しいけれど、残念ながら 私の方も忙しくなってきました。どうやら、来年度は日本とおさら ばらしいので、いろいろゴタゴタし始めたんですな。 #既に海外でPDをやっているという人、またはやったという人、 #何か、これだけは、忘れがち(及び悔いを残しがち)なので、 #日本にいる間にやっておけと言うことはありますか?何か #いろいろ忘れてる気がするんだよね。 あと、話をより生産的にするために、持続的に議論に参加する人は 固定にしてくれるとありがたいんだけどなぁ。厨房の煽りとごっちゃ になっちゃうんだよね。
287 :
生理学徒 :2001/02/23(金) 14:32
あと、なんか主張を振り回すときは、その出典も明らかにしてよね。 世の中、データ・学説が対立してるのは当たり前なんだから、誰の どういうデータ・理論を元に言っているのか明らかにしないと生産 的にならないんだよね
288 :
生理学徒 :2001/02/23(金) 15:34
まずは、ジャイラスくん
>ミラーニューロンと言語の関係を履き違えておられる。
>失語の定義も不正確。運動失語については大うそでしょ?
まあ。上のRefとか読んでよ。判りやすくするために、ちょっといい加減な
物言いとかしてるけど、上の話に私が何か付け加えたものはないよ。まあ
色々読んで勉強してみてよ。面白い論文とか(総説の方が良いな)、
(心研とかはやめてくれW))あったら教えてちょうだい。
>あと計算量が増大して云々のところは
これも上で妙な厨房が暴れて、話が脇にそれたけど、別に目新しい話でも
ない。また、現在の所、厳密科学の俎上にのせられる話でも無いことは
先に断ったとおり、どえらい先生が総説で書くから何とかなるんだね。
で、結局
>>285 では何が言いたかったの?
289 :
生理学徒 :2001/02/23(金) 16:34
>>281 まず、悪いんだけど、ボールを打つ話は孫引きなんだよね。原典は書籍で
どうも手近にはなさそうなんで、そのうち暇が出来たら調査しておくよ。
(暇がある人やってください)。
そういう前提でレスをすると、
>2)
>>271 でけっこうまともなことを言っているのに,そのあとで自己矛盾に陥ってい
>る。
はん?矛盾してないと思うけど。ボールを打つときは、感覚の感覚は存在しない
訳だよね。そして、「ボールを打つ」というのは、何度もボールを打つ練習を繰り返す
事で、限定的な情報入力に対して、限定的な反応が出来るようになるという
事でしょ。あらかじめ限定された情報にしか対応できないから、限定的な動きしか
出来ないわけだね。自分の状態への「気づき」がないから、微調整が効かなかったり
怪我したりするということ。
よって
>「自分の状態に気づくこと」なしにスムースな動きをすることは,
>そりゃできるよね.言語は必要ない.
「自分の状態に気づくこと」無しにスムースな動きは不可能でしょ。例えば、腕を曲
げるとき、自分の腕がどの程度曲がっているか「気づくこと」無しに腕を曲げられる
わけ?(バットは気づかなくても振れるぞってな馬鹿な突っ込みは止めてくれ)。そ
れともやっぱりこれも「気づく」というタームのレトリックの問題なの?W)
そして、問題は
>1)○○語のような複雑な文法体系を持った言語だけを「言語」と見なしているらし
>い.
ここだね。「それ」の部分でも同じだけど、単に煽りたいだけなら他の板に逝った方が
良いね。上でも言ったように問題を「感覚の感覚の言語化」って限定してるでしょ。具
体的な例も挙げて。
さいぜんから述べているとおり、
「感覚の感覚の言語化は言語共同体による分化強化による」
ってな事で、一体、何をどう調べたいのか明らかにして欲しいね、その場合「言語」
という定義もご不満なら自分で明らかにしてよ。問題とそのアプローチを示せない限り
『生理屋がやってるのは単なる「機能の機構」を調べてるだけだ』というのは単に
私的事象の弁別だねW)。
290 :
生理学徒 :2001/02/23(金) 16:38
という事で、問題を明らかにしておいてよ。上で述べたように今後 忙しくなる予定だから、単なる煽りは「カレンダーに×をつける」とか WW)の方法でやってくれるとありがたいね。
>>290 >問題を明らかにしておいてよ。
あんたは『問題を「感覚の感覚の言語化」って限定してる』んでしょ?
あんたが出てくるまでそんなコトは中心的な争点じゃなかったと思うがな。
争点が一致していないことが一番の問題点じゃないの?
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/23(金) 19:57
だからさー,感覚の感覚の言語化っていうからには 言語化されない感覚というものが本当に可能か, 感覚自体が言語と入れ子に構造化されていることを 否定できるか,ってはなしせなばならんだろー. あーあ.
293 :
じゃいらす :2001/02/23(金) 22:56
>生理学徒氏 ネタでアホ学生を演じてるのでなければ、 君が一番素人の厨房てきなことをいってるってことだよ<285でいいたいのはさ PD先でほされんなよ。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 00:53
ここの住人の皆さんに聞いてみたいんだけど、
>>289 >「自分の状態に気づくこと」無しにスムースな動きは不可能でしょ。例えば、腕を
>曲げるとき、自分の腕がどの程度曲がっているか「気づくこと」無しに腕を曲げられる
>わけ?
↑これに同意する人はどのくらいいますか?
つまり、スムースな動きをするには、自分の腕の曲がり具合などをフィードバック
する必要があるけど、これを「気づくこと」と言っていいのかな?ということ。
「別にいいじゃん」っていう人って、心理学徒の中にもけっこういるような気がするけど、
皆さんはどう考えますか?
A「別にいいじゃん」
B「よくない」
C「その他」(できれば具体的に)
で回答をお願いできますか?
できれば「○○屋」と署名してコメントをくださいませ。
ちなみに俺(知覚系学習屋見習い)は、B「よくない」派だけど。
295 :
学習ー認知半々 :2001/02/24(土) 01:10
>>294 B「よくない」
相当複雑な動きでも、手続き記憶になっちまえば、意識化すると余計に
上手くいかなくなる。筋から脳へのフィードバックは当然あるが、
「気づく」ってのは遺憾。
脳へのフィードバックを全部「気づく」にしたら、サッケードも
「気づく」ことになる。と、知覚屋にふる。
296 :
294の補足 :2001/02/24(土) 01:12
すずらん氏の
>>178 >Ex,視覚についての思考実験(時間ごとに書きます)
>1、「赤」を見たときの「赤」を表す波が網膜に入る。
>2、この波が「赤」に反応する細胞を通して活動電位として神経回路網伝わる。
>3、私たちに「赤」が見える(と言うか意識に上る)。
>4、私たちが「赤」を見たと認識する(言葉を当てる段階)。
を参考にすると、
>>289 の「自分の腕の曲がり具合などをフィードバックしている状態」を、
A「別にいいじゃん」派は、この3に相当すると考えていて、=「気づいている状態」。
B「よくない」派は、この1,2に相当すると考えていて、「気づいている状態」は3,4.
ということかな?
297 :
294 :2001/02/24(土) 01:18
>>295 さっそくのレスをありがとうございます。
他の皆さんも(非心理学徒の素人さんも含めて)よろしくお願いしまーす。
興味あるでしょ?
298 :
伍長 :2001/02/24(土) 02:25
>>294 ,
>>296 私(学習屋系素人)は、もちろん、B「よくない」派です。
私も最近は、A「別にいいじゃん」派の方々はけっこうおられるんじゃないかという気がしてきたので、このアンケートの結果には興味があります。なるべく答えてあげて下さい。>ALL
(七氏はA派だったのだろうけど、すずらん氏はどっちだったんだろう? それと、「言語」や「共同体」に文句を言い続けていた人とかは?)
>>283 ,
>>284 これは御親切にどうも。
この週末にとりあえず整理して、週明けに税務署へ行って指導を受けてこようかと思います。
299 :
元学習屋、いまはただの爺 :2001/02/24(土) 06:45
B「よくない」じゃ。
300 :
料理屋(=厨房) :2001/02/24(土) 08:42
Bなんですけど、 例えばリモコンでテレビをつけた時、テレビはリモコンの 赤外線に「気づいた」わけではない、という言い方ではダメで すか?
301 :
理論屋 :2001/02/24(土) 09:11
わたしもBです. 行動主義者でなくても,ギブソン派もBだよね.
302 :
理論屋 :2001/02/24(土) 09:30
あと、これを「気付く」といって問題があるかどうかには 行為者自身としての認識か、観察者の認識かという 視点の問題も絡むでしょう。観察者から見ればフィードバックが 有効に機能している状態を「行為者は気付いている」と呼ぶことには これといった問題はない。しかし、それが行為者自身の意識における 「気付き」と同義かどうかというと、違うでしょ、ってことです。
303 :
生理学徒 :2001/02/24(土) 11:54
>つまり、スムースな動きをするには、自分の腕の曲がり具合などをフィードバック >する必要があるけど、これを「気づくこと」と言っていいのかな?ということ。 何か要するに、またレトリックの問題になってきたようなきがするんだけど。皆さんは 腕の曲がり具合を「気づかない」わけ? >脳へのフィードバックを全部「気づく」にしたら、サッケードも >「気づく」ことになる。と、知覚屋にふる。 「脳へのフィードバック」(?)から「気づいてる」状態を分けるものはなに?
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 12:09
>皆さんは 腕の曲がり具合を「気づかない」わけ? それを「気付くようにする」ことはできるけど, 常に気付いているわけではない.あなたはスキーをする時に 体の関節や筋肉すべてがフィードバックに反応していることを いちいち「気付きながら」スキーをする? フィードバックの成立と気付きは「随伴」しているだけで 気付きがフィードバックを成立させてるわけではない. >「脳へのフィードバック」(?)から「気づいてる」状態を分けるものはなに? それが言語/言語的共同体だよ.生理学徒さんもわかってきたじゃない.
305 :
知覚屋 :2001/02/24(土) 12:24
B。論外です。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 15:50
>>304 > >「脳へのフィードバック」(?)から「気づいてる」状態を分けるものはなに?
>
> それが言語/言語的共同体だよ.生理学徒さんもわかってきたじゃない.
おいおい。信念と事実関係とは区別しろよ。気づいている状態を分けるものが言語共同体っていうのは
あなた(及び、あなたが属する学派)で支持されている仮設に過ぎない。
この区別を能の機構に求める学問分野も別にあり、そちらはそちらで研究が進んでいる
のだから、どちらが正しいかは最終的に何らかの実証がなされるまでは判らない。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:03
その、「能」の機構に求める「仮設」というのを あなた前にも持ち出しまたが、具体的な内容を説明しませんでしたね? 説明はできないが、他の説もあるのだから、その説を主張するのを やめろというのは、都合が良すぎます。 >どちらが正しいかは最終的に何らかの実証がなされるまでは判らない。 そんなことは子どもでもわかる当たり前の話です。 でも、主張もされない説、紹介もされない研究が ある説に対する反論になるわけもないでしょう。 あなたがすべきなのは、人の主張を「別の主張もあるから それが正しいとは決まらない」と批判することではなくて、 自分の主張をし、その主張に基づいて人の主張を 具体的に論駁することだと思いますがいかが? それができないのであれば黙りましょう。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:09
簡単なことなんだよね。
>>252 -253の「天候の変化と関連するような空模様の弁別」や
「下痢になるかならないかで異なる腹の痛みの弁別」等が
言語共同体による強化無しには到達不可能であるならば、
その様な知識体系‐つまり文明を全く発達させていない
段階の人類(或いは人類以前)の構成員は、共同体から
その弁別を強化される機会を持てない以上、いつまでたっても
弁別出来ない。すると、その構成員がいくら世代交代を経ても
弁別出来ない。
人類は弁別についての知識体系を自ら習得、蓄積する事は
全く出来ない。
というのが、伍長なんかの到達すべき結論なんだよね。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:11
>>273 > 少なくとも、痛みの部位を「認識」するには共同体が必要だろうな。
> 心筋梗塞の例は般化で説明つく。
「般化で説明つく」から何だというのだ?
共同体が必要だと主張するには、必要である論拠を示さないと無意味。
「共同体が必要だと仮定しても説明つく」といくら言っても
「でも、共同体は不要という説でも説明つくよ」と言われた
ら終り。
共同体が無いと痛みの部位が認識出来ないという論拠を出しなさい。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:12
> 最初から定義が混乱してたんだよね。「言語化されない意識は > 意識とは言わない」という立場をとる人が、「意識とは言語共 > 同体....」という主張をするのは当たり前だよね。でもそれは > 当たり前すぎる主張かもね。 「当り前」というか、つまりそれはトートロジーなんだよ。 つまり、最初の仮説のところに戻ってきてしまい、全く進展 していない。何ら論証されていない、ただの仮説。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:27
>>307 前にも出したあなたって誰だ?ところで、あなたが求めるものは
生理学徒さんが既にさんざん出しており、御覧の通り肝心な
ところで有効な反論をしている人はこのスレには皆無。
(肝心なところというのは、「言語共同体が『必要』とは限らない
根拠となる生理学上の知見」に対する否定的根拠のこと。
これが無い限りは「言語共同体による強化の『必要』性は
主張できない。)
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:31
つまり、「言語共同体による強化が必要となる事例もあるのだ」 という論拠や事例をいくら並べても、そうでない事例を否定し ない限り「気づいている状態を分けるものが言語共同体」など とは言えないってこと。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:48
あのなあ、そうだったらすべての仮説がそうだろう。 同じことがたとえば生理や脳機能を根拠とする仮説にも 言えちゃうだろう? だったら議論そのものが否定されるよ。 複数の仮説が提出され、その間に議論が生じるということを 否定しているんだから。反論のための反論をしているあいだに 自分の論理が壊れちゃってるのに気付けよ。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:54
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:56
>>313 しかし、脳生理学方面からの知見に対する有効な反論は別に
このスレには出ていないよ。「そんな事いったらお互い様だろ
ゴルァ」と言いたいのだろうが、全然お互い様ではない。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 16:59
>312 証明とか反証とかの基本的仕組みが分かっていないようで. 仮説の主張には「それが正しかった例」を列挙するだけで十分. 仮説がふたつある時は,それぞれが「正しかった例」を争い, より包括的だった方が勝ち. 「十分な否定的根拠」をあげるということは,現在の科学が 用いている論理の中では不可能.たとえば312は 「言語共同体による強化が必要になる事例」の実在を すべて否定できるかな?あなたはそれを相手側にだけ求めて いるんだよ. 否定できないから正しい,あるいは,他の説を否定できないから その説が正しいとは言えない,というのは血液型性格判断などの トンデモ科学がよく用いる論理だね(藁
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:06
それから「仮説に過ぎない」ものがその正当性を 独善的に主張することは科学的議論ではよくあることだし 何の問題もないが,ある仮説に対して「絶対そうだとは 言い切れないだろうオマエ」みたいなことを言うことは 無意味.そんなことはあまりに当たり前で,それを前提に 議論をしているのだから.
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:06
>>316 あなたはこのスレの流れを理解していないね。
> 「言語共同体による強化が必要になる事例」の実在を
> すべて否定できるかな?
などといっているが、そもそも誰がそんな事をしようとしているの?
生理学徒氏にしても、言語共同体による強化が必要ではないと考えられる
事例を提示することで言語共同体至上主義的考え方に反論している訳で
あって、別に神経至上主義的な「言語共同体の全否定」はしていない。
このスレで他の説を全否定しようとしているのは言語至上主義者だけ。
他の人は、その至上主義に反論しているだけであって、別のものを
至上だと主張しているのではない。そこを読み間違えないように。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:08
↑ そう考えているのは反言語至上主義者だけ. ますます血液型論争にそっくり.
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:09
科学における論争というのはドグマとドグマの対決. 双方が絶対性を主張していく中で事実への近似値が齎されるもの.
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:09
もう少し補足しておくと、
>>316 > 仮説の主張には「それが正しかった例」を列挙するだけで十分.
> 仮説がふたつある時は,それぞれが「正しかった例」を争い,
> より包括的だった方が勝ち.
この議論の内容が「言語共同体による強化なり生得的な脳の機構が
意識のあり方に影響を与える事例」の量や質で競うものである限り
はあなたの意見は正しい。
が、ここでの伍長などの立場はそうではなく、「言語共同体以外の
全否定」であり、そこが争点。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:13
>>319 反言語至上主義≠神経至上主義
ここが大事。他の因子を真っ向から拒否する○○至上主義者は、
>>316 が言うような自分の仮説が有効な事例を並べるだけでなく、
他の仮説が無効である論拠も提出する必要がある。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:14
だったら反証例を出すべきなのはやっぱりあなただよ. 今日自分の書いたことをもう一度冷静に読んでみな.
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:17
>322 だから,他の仮説が無効である根拠なんて 提出できるわけないでしょ.どうしてそんなこともわからないのかな. 事例っていうのはすべて特殊なんだから, 特種例としての反証がいくらあっても全体を反証することはできないの. 一方立証は特種例がひとつでもあれば,あとは 確率論になるわけでしょ.
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:19
反証例を出すべきなのは、伍長氏。 出す相手は生理学徒。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:20
>>324 根拠は事例ばかりとは限らないんですよ。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 17:24
以上は、大風呂敷を広げながら
>>289 に有効な反論を返さない一部の固定ハンさんへの
宿題を明確にする為の発言です。
>>289 > 問題とそのアプローチを示せない限り
> 『生理屋がやってるのは単なる「機能の機構」を調べてるだけだ』というのは単に
> 私的事象の弁別だねW)。
328 :
生理学徒 :2001/02/24(土) 17:26
>>303 >>「脳へのフィードバック」(?)から「気づいてる」状態を分けるものはなに?
>それが言語/言語的共同体だよ.生理学徒さんもわかってきたじゃない.
しかし、言語/言語共同体の概念とは明示的なものじゃないんでしょ。それは、何らかの
客観的な基準により区分できるものじゃなくて、少なくともこのスレで語られる
「言語」というのは、形而上学的な概念なんだよね。(そうじゃなければ、そろそろ
明らかにしてください、分野によってタームの定義が異なるんだから、当たり前とかは
言わないでね)。
そしたら、そういう概念を元に、少なくとも科学法則(広義の科学でも)を作るのは
徒労だよ。実証どころか反証さえ不能じゃない。まあ。私はこのスレのおかげで色々論文も読めたし、勉強できたので良かったです。
BBSだとちょっとヒールなキャラの方がレスを集めやすいので、そうしたキャラにした
けどそれで気を悪くした人が居たら謝るよ。
329 :
生理学徒 :2001/02/24(土) 17:57
まあ。NETで自分の説の「主張」とかしてもせんなきことだよ。せいぜい出来るのは 他人の論文や実験結果の紹介とその他の論文との関係の議論や解釈に関するもののみ。 fjとか、哲ボーとか見てきたけど、2chの議論を見るに更にそう思った。fjとかの 時代は結構、素人と玄人が混じり合って、古き良き時代を作っていたけど、最近は、 NETの大衆化でそうも行かなくなってきたみたいだね。学問系ML・WEBは、存在してい ても最近は大抵、学会構成員以外は排除していたりするしね
330 :
元学習屋、いまはただの爺 :2001/02/24(土) 18:37
>>318 ,
>>321 ワシらが「言語至上主義」であったことがあるか?
あんたは前にもそんなことを言っておったが、それは違うぞ。
そう誤解されても仕方ないところもあるが、事実はあんたの認識とはまったく逆じゃな。
脳は「機構」で、共同体は「機能」の話じゃ。
機能の話をしていたら、それは脳で説明がつくという。無理じゃ。
こういうのを脳至上主義と言う。
機構の話をしていて、それは共同体で説明がつくと言っているようなものじゃ。
これが言語至上主義じゃろうが、だれもそんなことは言うておらん。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 18:39
おれは生理学徒氏の議論はけっこう好きだったんだけど, 心理学者の癖に生理学の助けを借りなきゃ行動主義や ウイトゲンシュタイン的な言語観に反論できない奴らの 情けなさにも笑ったね. >反証例を出すべきなのは、伍長氏。 >出す相手は生理学徒。 なんで「おれに反証例を出せ」って言えないのかね. つまりは自分達は伍長氏に反証例を要求できるほどの 議論はしてない,ぜんぶ生理学徒氏におまかせ,ってことでしょう. だったら心理学なんかやめろよ(藁
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 18:57
>>308 >簡単なことなんだよね。
そのとおり。
その簡単なことが解らないやつ(オマエモナ)がいる。
not A but B
こんなことは何も行動主義者やギブソン派でなくたって同意するだろうよ。
アホらしい。
生理学徒以下の馬鹿が約1名(
>>321 他)が相変わらず五月蠅いね。
>>327 そんなことは複数の人たちがとっくに答えている。
君はあの温厚な伍長氏をいつも不自然に貶めようとしているけど、
何か恨みでもあるわけ?
>>331 俺もそう思う。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/24(土) 20:37
今日は特に盛り上がってるね。アンケートはヒットだったね。 >325 >反証例を出すべきなのは、伍長氏。 >出す相手は生理学徒。 他の人が言っているように,それは逆。 そして,(心理学徒ではなく)生理学徒氏が反証例を出した。 興味深い事例もあったが,結局は「気づき」説がその根拠であったため, 呆れた知覚屋その他の各方面からボコボコにされてしまった(が本人はそう思ってない)。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/25(日) 00:23
なんだか、みなさん傲慢だね。 心理学徒のいってる事は、そんなにバカか? パラダイムの違いでいいではないか。
335 :
アンケート実施委員会 :2001/02/25(日) 02:07
>>334 心理学徒じゃなくて生理学徒だよね?
やっぱ「気づき」説はマズイっしょ。
いちおう、ちょっと整理しておきましょうか。
A「別にいいじゃん」派
(1)「脳へのフィードバック」状態=「気づいてる」状態。
この場合、少なくとも論理的には特に困難は生じそうもないよね。
共同体は不要だし、人間のように脳の性能次第では高度の意識を獲得できそう。
(ただし、意識の共有化?には言語共同体は有効かも、と生理学徒氏。)
B「よくない」派
「脳へのフィードバック」状態≠「気づいてる」状態
この場合、「脳へのフィードバック」状態と「気づいてる」状態を分けるものは何か?
という問題が生じるので、
(2)言語共同体を想定すればこの問題は解消されるとする立場がある。
(3)言語共同体を想定しなくてもこの問題は解消できるとする立場もあり得る。
B(2)への反論者は、自分がA(1)の立場なのかB(3)の立場なのかを
自覚する必要がありますよね。
A(1)の立場は、各方面の各派によって否定され、not A but B 状態。
A(1)を名乗りたくても遠慮している人はいると思うんだけど、
現状では、B(3)の立場とはどういうものかという1点が論点かな。
336 :
アンケート実施委員会 :2001/02/25(日) 02:10
B(2)の論拠は伍長氏や爺氏(どちらも素人。藁)たちが前スレで述べているので、
>>309 〜
>>312 のような反論者は、
「言語共同体が『必要』だとする、心理学・哲学上の知見に基づく論理」を否定し、
B(3)の可能性を代案として提出したいところ。
御覧の通り、有効な反論と具体的な代案を提出できた玄人はこのスレには皆無。
>>308 のような見当違いのすり替え・言いがかりばかりが横行し、
期待された生理学徒氏も、A(1)の主張によって(今のところは)墓穴を掘った?
内心ではA(1)やB(3)の立場だと自認しながらROMしている人は多いと思うが、
有効な反論も具体的な代案も思いつかない。
>>331 の言うとおり。
俺もそうか。
337 :
アンケート実施委員会 :2001/02/25(日) 02:14
盛り上がりついでに、新アンケートです。
>「脳へのフィードバック」状態と「気づいてる」状態を分けるものは何か
という問題において、B(3)の立場をとる人は実際にはどれくらいいます?
いまは代案がなくてもいいから、とりあえず名乗り出てくれませんか?
@:B(2)。
A:B(3)。
B:B(2)+B(3)。
C:その他。
こんな感じでどうでどうかな。今度こそ意見が分かれるのでは?
ただし、誤解して文句を言う人のために念のため言っておくけど、
脳の活動が前提としてあるということは当然ね。
それでも文句のある人はAかCにして下さい。
>>294 みたいに、○○屋と署名してコメントをよろしく。
俺はBかなあ。
B(2)は認めるが、「言語」共同体までいかなくても、
「非-言語的」なレベルの「生活」共同体みたいなものを想定すれば
B(3)もあるんじゃないかという気がしているんだよね。
すずらん氏の
>>178 (
>>295 で引用)の3と4の違いみたいな・・・・
でも自信なし。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/25(日) 02:35
>アンケート実施委員会 そのまとめでは,何が言いたいのかわからん.
>>338 ああん、せっかく2時間もかけて書いたのにぃ。
どうせまだ見習だよーだ。
今日は遅いから寝るもんね。
誰かうまくまとめておいてね。(はーと
340 :
元学習屋、いまはただの爺 :2001/02/25(日) 06:43
>>337 さてさて、ちと困ったぞ。
「生活」共同体か。
そういうことであるならワシもBかもしれんが。
伍長氏はそれも「言語」共同体だと言うかもしれんし。
そう言われればそうかもしれんとも思えるし。
選択肢をもう少し何とかせにゃならんかのう。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/25(日) 12:56
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/25(日) 12:59
>>335 > 現状では、B(3)の立場とはどういうものかという1点が論点かな。
旧スレもそうだったけど、その認識に到達しそうになると言語至上主義者が
話題を変えるんだよ。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/25(日) 13:01
>>336 > 「言語共同体が『必要』だとする、心理学・哲学上の知見に基づく論理」を否定し、
> B(3)の可能性を代案として提出したいところ。
ミラーニューロンの話あたりから、その点で俄然面白くなって来たのに、
専門用語ウザイというクレームが続いて…。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/25(日) 13:03
>>340 「言語」の定義次第では、集落を形成するものなら下等動物でも
言語共同体に属することになってしまうし。
この辺の話も旧スレで既に指摘されてるのに、逃げてる人がいる。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/25(日) 13:15
>>335 「生活共同体」なる論点も出てきたので、分類を増やした方が良いと思う。
というのも、脳生理側から見ている人達の中には、気付き自体に機構が存在
すると仮定している人もいるから。そこで↓
A「別にいいじゃん」派
(1)「脳へのフィードバック」状態=「気づいてる」状態。
この場合、少なくとも論理的には特に困難は生じそうもないよね。
共同体は不要だし、人間のように脳の性能次第では高度の意識を獲得できそう。
(ただし、意識の共有化?には言語共同体は有効かも、と生理学徒氏。)
B「よくない」派
「脳へのフィードバック」状態≠「気づいてる」状態
この場合、「脳へのフィードバック」状態と「気づいてる」状態を分けるものは何か?
という問題が生じるので、
(2)言語共同体を想定すればこの問題は解消されるとする立場がある。
(3)言語共同体以外の共同体を想定してもこの問題は解消できるとする立場もあり得る。
(3)共同体自体を想定しなくてもこの問題は解消できるとする立場もあり得る。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/25(日) 13:17
↑最後のは(4)の間違い。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/25(日) 13:30
>>304 > それを「気付くようにする」ことはできるけど,
> 常に気付いているわけではない.あなたはスキーをする時に
> 体の関節や筋肉すべてがフィードバックに反応していることを
> いちいち「気付きながら」スキーをする?
フィードバックに反応しているものが全て気付きを伴う訳では
ない、という指摘には同感なんですが。
例えば、棒と箱があり、天井からバナナがぶら下がっている時、
ある動物が解決策を模索するとする。この時の様々な動作には、
気付きを伴わないと達成出来ないタイプのものが多数含まれる
様に考えますが、その点はいかがでしょうか?
言語共同体による強化を経ていない個体は、どんなに知能の高い
生物種でもこの種の作業は不可能なのでしょうか?
もし不可能なのであれば、文明社会が常にその構成員に
先行していなければならないことになってしまうのですが。
348 :
アンケート実施委員会の厨房 :2001/02/25(日) 18:59
我慢できないので煽らせてね。
>>342 〜
>>344 おまえ一人がウザイんだよ。
ありもしないことをでっち上げて中傷するのが楽しいか。
この常套手段にはみんな呆れてんだぞ。
マトハズレの文句や泣き言しか言えねえんなら黙って消えろ。
>>331 をよく読んで恥を知れっつーの。
>> 現状では、B(3)の立場とはどういうものかという1点が論点かな。
>旧スレもそうだったけど、その認識に到達しそうになると言語至上主義者が
>話題を変えるんだよ。
バーカ。
旧スレで、俺やおまえみたいな厨房にも分かるように問題を整理し、
この認識を「明確に」提出してくれたのは、
おまえの言う「言語至上主義者」の伍長自身だろうが。
おかげで厨房のおまえにもこの論点が重要だとはっきりわかったんだよ。
俺もだけどな。
この論点にそって代案や事例が提出され、残念ながら却下され続けてるんだよ。
否定側に回っているのは伍長だけじゃない。俺だってそうだ。
否定するためにやっているわけじゃないんだぞ。
本当に「言語共同体なしの可能性」があるのか知りたいからやってんだ。
いつもは否定する側の俺が「生活共同体」を持ち出したのもそのためだ。
持ち出した以上は批判に晒されるのは当たり前だろうが。
バカ。ボケ。アホ。
349 :
アンケート実施委員会の厨房 :2001/02/25(日) 19:19
大変失礼しました。
>>345 ,346
それでもいいです。
>>347 「洞察」が行われる条件を調べてみると、
いくつかの行動をレパートリーとして持っている必要があるらしい。
箱を持つ、箱を移動させる、箱の上に乗る、箱の上に乗って物を取る、
棒を持つ、棒を使って物を叩く、等々。
これらをあらかじめ学習させておくと、ハトも簡単に「洞察」をする。
このときハトやチンパンジーが、
各行動を連鎖させれば目的に達することが可能だという「気づき」を
持っていたって言えるのかなってこと。
肯定的な人も多いようだけど、俺はこれだけでは断定できないと思う。
脳で情報処理が行われて「洞察」が生じたことは間違いないわけだけど、
「気づき」とか「意識」とかとは違うんじゃないかって気がする。
>>302 氏の指摘が重要だと思うんだな。
生理学徒氏の言う「気づき」ならOKなんだけどね。
350 :
OFW :2001/02/25(日) 21:09
どもお久しぶりです。テーマが心から意識の方に向っているようですね。
>>345 >「脳へのフィードバック」状態≠「気づいてる」状態
最初の例で言えば、気づく時の対象は「腕がどの位曲がっているか」で
はなく、「今私はどの位腕を曲げているか」でしょうね。つまり、それは
「自己認知」であり、対象的意識は自己意識と不可分でしょう。
自然現象は確かに気まぐれですが、自然的連関の中に人間の意志が介在す
ると、まさに気まぐれ(恣意あるいは自由)そのものとなり、原理的に
予測ができなくなる。人間はそこに「他者の心」という原因を見て、それ
が如何なる自然的機構で動く機械なのかを科学的(物理的、生理学的、
心理学的)に調べようとするが、自由な他者は常に自然を超えてしまう。
全く、意識を持つとは、自然から自由になることで、科学者泣かせです。
>>347 (横レス失礼)
>例えば、棒と箱があり、天井からバナナがぶら下がっている時、ある動物
>が解決策を模索するとする。
もしバナナが天井からぶら下がっていることが、自然界において常態なら、
サル程の知能がない動物でも解決できるでしょう。それは試行錯誤による
成功例とその遺伝的継承(適応と進化)として、(程度の差はあれ)生物
界にはありふれた本能的かつ学習的な捕獲行動ですね。
しかし、それが実験者による人為的なテストなら、サルが“天井−バナナ
において”実験者の意図に気づくかどうか、がポイントでしょう。
コミュニケーション行動の場合、「他の主体」を考慮せずには行動をうま
く調整できないが、それは実在しない。それに気づき、対象化するために
は、象徴的・記号的存在によるしかないでしょう。心とは「あたかも実在
するかのような」という性格(仮象性)をもつ存在です。そして、象徴は
自然的連関を超えた恣意的・自由な連関を表現するためには、なくてはな
らない媒体です。「記号に他者の意図や感情を読む」、これが本来の気づ
きであり、働く自己に気づくのは、その反照(ミラー?)ではないか?
351 :
伍長 :2001/02/26(月) 02:04
とりあえず、新アンケート
>>337 の選択肢を、
>>345 のように、
B(2)言語共同体を想定すればこの問題は解消されるとする立場がある。
B(3)言語共同体以外の共同体を想定してもこの問題は解消できるとする立場もあり得る。
B(4)共同体自体を想定しなくてもこの問題は解消できるとする立場もあり得る。
と考えると、たしかにこれは困りましたな・・・。
いや、「気づいている」という状態(何というか、「維持」が成立していて、しかもすぐに外言語化できるような状態?という感じがしてしまう)に限定されているようなので、やはり人間の場合は共同体に取り込まれているということもあり、B(4)は無しだと思います。
>「非-言語的」なレベルの「生活」共同体みたいなもの
うーん、そういうのは私も想像してみたことはあるんですけど・・・
ただ、「言語行動」という言葉を幅広く使っていることに違和感を感じている人が多いようなので、妥協してもいいかも知れない。
ただ、「気づいている」っていう弁別の状態は、私の語感だと、上記のようにかなり「分化」の程度が高い(つまり、より「言語的」な)感じがするのです。
保留、もしくは、B(2)+B(3)にしておこうかとも思いましたが、一応、B(2)にしておきます。
(「言語至上主義」でも別にいいんだけど、できることなら、誰かが言っていた「言語中心主義」ぐらいで勘弁してほしい)。
352 :
伍長 :2001/02/26(月) 02:08
>>350 (OFWさん)
この洞察実験の場合、チンパンジーやハトが「実験者の意図に気づく」ことを想定する必要はないと思いますけど。実験者とのコミュニケーションの実験じゃないんだから。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/26(月) 04:28
やっぱり,「気づきと解釈される行動」と「行為者自身の意識」を きちんと区別すべきだな.バナナを台に乗って取ったチンパンジーに 「洞察」があった,というのは観察者の解釈に過ぎないもん. というか,観察者に「洞察」の行動的定義があって,それに合致した 行動をチンパンジーが示した,というだけのことかも知れない. 同じ問題は人工知能やロボット研究における「知能」についても言えるよね. 制作者側が「これが知能だ」と解釈できる行動を達成した機械には 知能がある,とされる.しかし機械の内部に「知能」と一対一対応する 何かがあるわけではない....
「言語共同体」から先に話を進められないのけ? 実験結果による証拠固めはで きないのけ?
355 :
生理学徒 :2001/02/27(火) 16:16
どうも。ちなみに、 >「脳へのフィードバック」状態=「気づいてる」状態。 とは誰も言ってないよ。内分泌系や瞳孔調節まで「気づいてる」とはさすがに 言わない。一応、awreness ってな意味だったんだけどね。何度も言うように、 殆ど自分で用語や理論などを創作しないようにして書いてきたんで、上のRefでも 読んでください。 あと、アンケートってどんな意味があるの?誰のどういう意見・結果に基づいた ものなのかをハッキリREFして下さいな。皆の印象を語り合ったところで、議論 は前に進まないと思うんだけどな。 それで、結局、このスレの「言語」というのは、客観的に区別できる概念じゃな いという事で宜しいのかな?....という事ならばこれ以上、議論が生産的になら ないと思うので、わたしはここらで離脱します。
>生理学徒氏 「参考文献を示しておくからここでは詳細な解説はしない、 不審な点があったら文献を読め」 というのがこのスレでのあなたのスタイルのようですが、このスレの 読者は必ずしも示された文献を読むための基礎知識を有しているわけ ではないでしょうし、そもそも文献を容易に手に入れられる立場に いるとも限らないでしょう。 文献の詳細についての質問に「文献を示したんだから読めよ」としか 答えないのはあなたの自由ですが、同様に他の参加者にはあなたの 希望するスタイルと違う方向で書き込みする自由があると思います。 それが気に入らないならそんなスレ無視すりゃいいじゃないですか。 以上、あなたの「ヒールなキャラ」とやらで気を悪くした人より。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/27(火) 22:33
>このスレの「言語」というのは、客観的に区別できる概念じゃな >いという事で宜しいのかな? あれ?区別してるんじゃなかったの? どっかでちゃんとした定義が紹介されてたと思ったけど。 それに、内語みたいなのは行動レベルでは測定できなくても、 神経生理レベルならその指標ぐらいは測定できるんじゃないの?
358 :
生理学徒 :2001/02/27(火) 22:58
>以上、あなたの「ヒールなキャラ」とやらで気を悪くした人より。 まあまあ。そう根に持たないように。ここは2chでしょ。だいたい、理不尽な 事は言ってないと思うけどな。 >読者は必ずしも示された文献を読むための基礎知識を有しているわけ >ではないでしょうし、そもそも文献を容易に手に入れられる立場に >いるとも限らないでしょう。 解説しろとの仰せに、出来うる限りの努力はしたつもりなんだけどね。 (しかし、そのような解説の挙げ句、「脳へのフィードバック」=「気づき」 というような、野蛮な理解しか生まなかったとしたら、もう私は降参しますW)) それに文献もすべて、最寄りの大学図書館にビジターで入ればコピー 出来るでしょ。Natureなら、個人で読者になっても良いし。しかも、 総説とかは素人でも読みやすいものばかりだったと思うけど。(しか も、日本語文献での紹介は殆ど無いと思うので、それなりに有用じゃ ないかな)。 >希望するスタイルと違う方向で書き込みする自由があると思います もちろんそういう自由はあるよ。しかし、一応、ここは学問板でしょ。 「どんな風に思うか」とか「こんな事を聞いたことがある」とかじゃ、 有効な議論に成らないよね。 WEBからでも色んな文献が手に入る訳だし、「誰のどういう議論はこう いう点で間違っている」とか「彼のこういう実験はこういう点を加えれ ばより有効だ」ってな議論ぐらいしないと心理板とは言えないんじゃな いかな。これなら、哲学板で「W」を一緒に読んだ方が良いんじゃない? まあ、兎に角、邪魔者は消えますW)。続きをどうぞ。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/27(火) 23:30
>>358 >そのような解説の挙げ句、「脳へのフィードバック」=「気づき」
>というような、野蛮な理解しか生まなかったとしたら、もう私は降参しますW)
>>303 >皆さんは腕の曲がり具合を「気づかない」わけ?
>「脳へのフィードバック」(?)から「気づいてる」状態を分けるものはなに?
ということは、
「脳へのフィードバック」(?)=「気づき」
ということか。
結局、
>(?)
が重要だったワケね。
ふーん。
360 :
OFW :2001/02/27(火) 23:39
>>352 (伍長さん)
>この洞察実験の場合、チンパンジーやハトが「実験者の意図に気づく」
>ことを想定する必要はないと思いますけど。
少し先走り過ぎたかな。趣旨はいわゆる「洞察」と「気づき」(意識)は
区別した方が良いのでは、ということです。
上にも書かれているように、日常的にも多義的な用語は、定義次第でどう
とでもなるという面があるのは致し方ないが、「本質的な定義」は確かに
存在する。「洞察」とは「必然的な関係の理解」のことでしょうから、ま
さに事態・状況の本質を直覚(直接認知)すること。その場合、それが意
識的かどうかは問わないでしょう。本質とは現象(現れ)を超えた、その
底にある同一性ですから、チンパンジーが行動でその直覚を表現すること
は、やはり洞察と呼べる。直接的には何の関係もないと思われる複数の
事物、たとえば天井−バナナ、箱、棒の間に、合目的的な連関を立てるこ
とは、バナナの高さ=箱の高さ+身長+棒の長さ、という計算をすること
ではなく、その場の全体的な布置関係を対象化できること、いわば「場の
再構成力」とでも言える、ゲシュタルト的な認知ではないかな。それは始
めは試行錯誤に基づくだろうが、まったくのランダムというより、場の安
定化に誘導された方向づけが存在しそう。そして、傍らに転がっている棒
が箱に上った手の位置に来れば、全体の配置がぴったりと符合することを、
棒がない場合についても(あたりに棒がないかと探す動作等により)
理解している事を示すならば、それが本質直観という洞察ではないか。
まさに、心とは、対象が実在しない場合に示される構想力(想像力)の
働きでしょう。「棒は、『伸びた手』を表わす記号(タクト?)である。」
因みに、上記の空想に参照すべき元ネタがあるかと問われて、『文芸批評
の原理』(I.A.リチャーズ)と言ったら、生理学徒氏に怒られるかな?
>>359 んじゃ、
「脳へのフィードバック」≠「脳へのフィードバック」(?)
かよ。
だったら、その2つを分けるものは何よ?
>(?)
っていう「記号」だってぬかしたらしょうちしねえぞ。ゴラァ
362 :
伍長 :2001/02/28(水) 01:24
>>360 (OFWさん)
そういうことであればOKです(と思う)。
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/28(水) 04:58
>(?)
についてだが、
>>294 の
>つまり、スムースな動きをするには、自分の腕の曲がり具合などをフィードバック
>する必要があるけど、これを「気づくこと」と言っていいのかな?ということ。
を受けて、
>>303 生理学徒氏
>何か要するに、またレトリックの問題になってきたようなきがするんだけど。皆さんは
>腕の曲がり具合を「気づかない」わけ?
と、例の問題発言。
つまりこの時点での生理学徒氏は
>>294 の A「別にいいじゃん」派であり、
氏のレトリック?では、「脳へのフィードバック」=「気づき」
と、この段階では見なしていたわけだ。
氏が何を言いたいのかよく分からず半信半疑だったわれわれも、この発言で、
氏がやはり基本的な勘違いをしているのだということを確認した(と思った)。
364 :
363 :2001/02/28(水) 05:00
ところが、
>>295 学習ー認知半々の
>脳へのフィードバックを全部「気づく」にしたら、サッケードも
>「気づく」ことになる。
を受けて、
>>303 生理学徒氏
>「脳へのフィードバック」(?)から「気づいてる」状態を分けるものはなに?
という問いかけの中で、わざわざ
>(?)
を付けている。
伍長陣営以外?の、知覚屋、認知屋その他からも思いもかけず否定されたので、
本人も自分の「気づき」レトリックが少々まずかったと理解し始めたのだろう。
ここですんなりと「気づき」レトリックの非を認め、皆と同調した上で、
再度ミラーニューロン等の話題を続けてくれれば非常に面白かったのだが、
残念ながら生理学徒氏は科学論やNET論へと話題を変えてしまった。
365 :
363 :2001/02/28(水) 05:04
その前後で厨房が暴れたりしたために皆の注意が逸れていたが、
生理学徒氏は突然
>>355 で、
「脳へのフィードバック」状態=「気づいてる」状態 だとは言ってない、
と、遅まきながら宣言している。
総合すると、現時点では、
「脳へのフィードバック」≠「脳へのフィードバック」(?)=「気づき」
ということらしい。
だとしたら、彼もまた
>>294 の B「よくない」派であって、
われわれとの対立点は「無い」?
かくして、「言語/言語的 共同体」の有無という始めの論点に戻る。(藁
生理学徒氏は本当は
>>351 のB(4)派のようだが、
当初のA(1)説?を支持すると思われる証拠は、
じゃいらす氏や知覚屋氏や伍長氏やアンケート委員会氏やその他の人たちが
おそらく同様に考えているように、
必ずしもB(4)説を支持する証拠にはならないのではなかろうか。
しかし生理学徒氏はこれを修正または再解説しようという気はなく、渡米準備に忙しい。
だから、
>(?)
の正体は謎のままである。マジで残念である。
366 :
363 :2001/02/28(水) 05:31
ちなみに、 伍長氏はB(2)派。 爺氏とOFW氏はB(2)またはB(3)派? アンケート委員会氏はB(3)派。 生理学徒氏と名無しの厨房氏はB(4)派? じゃいらす氏、知覚屋氏、理論屋氏、学習ー認知半々氏、料理屋氏などは不明。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/28(水) 07:37
「言語共同体」という時の「言語」の定義が不明確で範囲も曖昧、 おまけに、言語以外のフィードバックも意識の存在に手を貸す 可能性は否定出来ない、言語以外のフィードバックには、自然現象 のように意志を介さないものも可能性としては含んでいる。 となると、わざわざ「言語共同体」というタームで意識や自我の概念 を論じるのではなく、生物個体というシステムに対する、環境変数 全般というタームで十分ですよね。オッカムの剃刀で「言語共同体」 という概念は削がれるべきです。
368 :
Osage :2001/02/28(水) 07:41
心は次元の違うところにあるのです。三次元の空間には存在しません。
369 :
347 :2001/02/28(水) 07:55
>>355 > >「脳へのフィードバック」状態=「気づいてる」状態。
>
> とは誰も言ってないよ。内分泌系や瞳孔調節まで「気づいてる」とはさすがに
> 言わない。
まあ、確かに、内分泌系や瞳孔調節も含めて
> >「脳へのフィードバック」(?)から「気づいてる」状態を分けるものはなに?
>
> それが言語/言語的共同体だよ.生理学徒さんもわかってきたじゃない.
とは言えませんよね。言語共同体からの強化次第で自分の瞳孔調節を
「気づいている」状態になるとは思えませんからね。
ただ、それはこのスレとはあまり関係ない。
370 :
347 :2001/02/28(水) 08:00
>>349 > このときハトやチンパンジーが、
> 各行動を連鎖させれば目的に達することが可能だという「気づき」を
> 持っていたって言えるのかなってこと。
> 肯定的な人も多いようだけど、俺はこれだけでは断定できないと思う。
> 脳で情報処理が行われて「洞察」が生じたことは間違いないわけだけど、
> 「気づき」とか「意識」とかとは違うんじゃないかって気がする。
347は、「スキーをやってるとき手足の位置を一々『気づく』とは限らない」
点を受けてのものです。ここでの高度な連携動作には、自分と対象物の
位置関係や、手足の位置、棒の位置などの「気づき」(awareness)無しに
は不可能なのではなかろうか、と。
これは、以前出てきた「マップ機能」とも絡んだ話なのですが、
言いたいことは、様々な外部からのフィードバックによるマップ
機能の強化は、自己認識と大きく関係しており、且つ、その強化
は必ずしも「言語」的なフィードバックを要するとも思えない、
という事です。(どちらかというと、身体動作の方がより重要と
思われる。)
371 :
厨房B(4)>347とその仲間達 :2001/02/28(水) 08:21
> もし不可能なのであれば、文明社会が常にその構成員に > 先行していなければならないことになってしまうのですが。 俺も「言語共同体」話の最初のころから気になってた。 自他の区別やら体の痛い箇所やら、言語共同体からの言語的フィードバックが無いと強化されず定着もしないとすると、一番最初にその概念を共同体に持ちこんだ個体は、どうしてそんなことが出来たんだろう。 自身は、その概念を一切言語的なフィードバックにより強化されていないのに、どうしてそんな概念を自覚し、それを言語的に表現できたんだろう。 言語が常に先行しなければならないと考えるB(2)論者の想定する「文明の成立過程」を、アウトラインだけでもいいから知りたい。
お腹の「シクシク」した痛み、「ずきずき」した痛み, etc.の使い分けが 全然理解出来ない私ですが、お腹の痛みという私的事象を弁別することは 出来ます。 その理由は、痛みと同時に生じる身体反応の違い…吐血する、下痢する、 熱が出る…との関連付けにより強化されたんだと思います。 肝心なのは、同時に/連鎖的に生じる様々な事象を、根拠無しに取り敢えず 因果関係を伴うものとして認識してしまうような我々の認知機構にある のであって、言語的なフィードバックかどうかは二の次だと思うの。
373 :
From U.S.A :2001/02/28(水) 11:58
Excuse me gentle men, it's out of the topic, but I desperate to know one thing. If I want to pursue such studies that you guys are discussing, which major should I study? Emphasize cognition or cognitive neuroscience, physiological psychology, sensory psychology or something else? I'm really sorry to use English, sure it can bother you. but now I can type only English. sorry.
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/28(水) 12:09
>373 ここで議論していることを探究したい,ってのが本当だったら, 哲学(分析哲学,心の哲学など)を主専攻にして認知心理学,生態心理学あたりを 副専攻にしたらどうだろう.アメリカの大学でしょう?
375 :
From USA :2001/02/28(水) 12:17
>>374 Thank you. It would be a great idea,
but I want to study psychology that is
based on "hard" sciences.
376 :
374 :2001/02/28(水) 12:41
>375 これからの心理学に「ハードサイエンス」の知識は 絶対必要だけど,それだけでもダメだと思うよ. だったらcognitive sciencesに属してその中で心理学的なことを やりながら,ecological psychologyやphilosophy(of Mind)を 副専攻すればいいかなあ.そっちではそういう人が今はとにかく たくさんいるようだからさ.
>>374 I really appreciate you.
I'd like to keep touch with you,
but 2ch is not for personal matter.
If you happen to have time to send E-mail to me,
please give me E-mail.
378 :
374 :2001/02/28(水) 15:08
2ちゃんでメールアドレス出すのは危ない! 変なメールが来ても俺だと思わないでね!
>>368 Osage さん
同意 ( あなたわ `` 驚くべき仮説 '' さんなのかな ) .
と言うよりも 3D空間 ( ユークリッド空間 ? ) の認識わ
心によって行われている でしょう .
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/28(水) 18:45
>>367 >おまけに、言語以外のフィードバックも意識の存在に手を貸す
>可能性は否定出来ない、言語以外のフィードバックには、自然現象
>のように意志を介さないものも可能性としては含んでいる。
そのとうりだとは思う.
>となると、わざわざ「言語共同体」というタームで意識や自我の概念
>を論じるのではなく、生物個体というシステムに対する、環境変数
>全般というタームで十分ですよね.
ところが現実には,人は否応なく言語共同体の中で生きているわけだから,
その共同体とは全く無関係に,自然現象的な環境変数によって意識の成立や
定着が可能なのかどうか,ということが重要.
無理だと思うし,これは認めるべきでしょう.
>>370 (347氏)
>様々な外部からのフィードバックによるマップ
>機能の強化は、自己認識と大きく関係しており、且つ、その強化
>は必ずしも「言語」的なフィードバックを要するとも思えない,
ではその自己認識はなぜ成立し定着したのか?となれば,
上記のごとくじゃないかなあ.
>>360 (OFW氏)の
>趣旨はいわゆる「洞察」と「気づき」(意識)は
>区別した方が良いのでは、ということです。
に同意.
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/28(水) 19:01
>>371 (厨房B(4)氏)
このスレの流れを追っていけば誰もが感じる疑問だよね.
そもそもの始まりはどうだったのか.意識が先か,言語が先か,共同体が先か,
>言語が常に先行しなければならないと考えるB(2)論者の想定する
>「文明の成立過程」を、アウトラインだけでもいいから知りたい。
例えば霊長類の群れなどではすでにその萌芽らしきものはあるんだが,
それが発展・定着し,さらに他の個体へと伝播するとなると・・・
おサルの脳がもう少し良ければ,分かることも多いだろうね.
「猿の惑星」化するおそれもあるが.
私としては、共同体≧言語≧意識 の順かな.
だから私は,B(3)またはB(2).
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/28(水) 21:34
>>380 >ところが現実には,人は否応なく言語共同体の中で生きているわけだから,
>その共同体とは全く無関係に,自然現象的な環境変数によって意識の成立や
>定着が可能なのかどうか,ということが重要.
>無理だと思うし,これは認めるべきでしょう.
人は否応無く、「自然現象的な環境変数と共同体による人為的な言語(的)
フィードバックの混在した環境の中」で生きているのですね。
ですから、どちらか一方を中心に据えて他方を捨象してしまう
「典型的な言語中心主義的世界観」には無理があるように思えます。
勿論、自然現象的な環境変数のみに偏った世界観にも…。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/28(水) 21:51
>>381 > 例えば霊長類の群れなどではすでにその萌芽らしきものはあるんだが,
その萌芽というのが、既に意識を伴うものになっているかどうかが
判別できないと、そこから先に理解が進みませんね。
ニューロンにしろ生態観察にしろ、この点で何か御存知の方、カモン。
384 :
>380 :2001/02/28(水) 21:58
>無理だと思うし,これは認めるべきでしょう. いや、その「無理だ」という意見が、何等かの研究の結果、 事実として確認された事項ではなくて、特定の学派が掲げる 研究上の前提事項に過ぎないように思われ、そこが論点なの ですよね。異なる前提事項で異なるアプローチもある。(脳研究 の人とか。) だからといって「各々が研究の果てに自分の信じる仮説を証明 出来るかどうか、その時になってみるまでどちらが正解か判らんさ」 と言ってしまったら、このスレの意義はもはや無いのであって、 各学派の人達は、なぜその仮説を正しいと考えるのか、その論拠なり 実験によって得られた事実なりを紹介し合うことで議論を戦わせると 面白いのにぇ。
385 :
>380 :2001/02/28(水) 21:59
>無理だと思うし,これは認めるべきでしょう. いや、その「無理だ」という意見が、何等かの研究の結果、 事実として確認された事項ではなくて、特定の学派が掲げる 研究上の前提事項に過ぎないように思われ、そこが論点なの ですよね。異なる前提事項で異なるアプローチもある。(脳研究 の人とか。) だからといって「各々が研究の果てに自分の信じる仮説を証明 出来るかどうか、その時になってみるまでどちらが正解か判らんさ」 と言ってしまったら、このスレの意義はもはや無いのであって、 各学派の人達は、なぜその仮説を正しいと考えるのか、その論拠なり 実験によって得られた事実なりを紹介し合うことで議論を戦わせると 面白いのにぇ。
386 :
考える名無しさん :2001/03/01(木) 03:05
>>385 >その「無理だ」という意見が、何等かの研究の結果、
>事実として確認された事項ではなくて、特定の学派が掲げる
>研究上の前提事項に過ぎないように思われ
いや,前提事項ではなく,ごく少数の基本原理から演繹された結論(仮説)ですね。
用いられた基本原理があまりも少数であるため,平易になったかわりに,
概論しか語られていないために細部の欠陥を指摘しにくいという点はありますが,
少なくとも伍長氏は論拠を(不満もありますが)かなり詳しく述べているので,
批判に対して開かれているとは言えます。
ただ、心理学徒ではない者からみても,旧スレでの論旨は一応理解できるし,
それなりに筋は通っているようです(言語一元論的な発想も珍しくありません)。
しかし,伍長氏の結論が理論的な仮説でしかないということもたしかですね。
実験で直接検証するとなると,人間を被験者には使えないでしょう。
誕生後に共同体とは無関係に成長する乳幼児群を設けるわけにはいかないし。
類人猿では脳の処理機能が足りないだろうし。
結局,理論的に妥当な仮説を提出し,そこからさらに演繹的に導出されるいくつか
の小結論が実験的に確かめられれば,元の仮説の妥当性が高まる,
というような間接的な道しかないのではないかと思います。
脳生理側にしても事情は同じで,脳やコンピュータの研究が進んで,共同体なしに
「私的事象の弁別」が可能だと言えたとしても,それが「いわゆる意識」と同じ
ものだとは言えず(詳細は省略),さらに演繹が必要です。
だから,心理側にしても生理側にしても,あるいは哲学側にしても,
いかにして整合的な仮説を演繹できるかという理論家としてのセンスが必要です。
少なくとも,このスレの議論は理論的トレーニングとしての意義があると言えますし,
理論レベルで議論を先に進めることは可能でしょう。
なお,議論の内容を(賛否は別として)理解している人は少なくないようですし,
脳科学や分析哲学や現象学を調べてみようと思った人もいるのではないでしょうか。
2chのような匿名掲示板もまんざら捨てたものではないと思いました。
ただ,伍長説に対抗できる代案を提出できる人がいないのはその限界かもしれませんが。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/01(木) 09:20
>>386 伍長氏への有効な反論が出てこないのは、伍長氏の言う言語の
範囲が不明確というのも理由にありそうですね。
人間以外の群生生物を例示して、こういうのはどうかという
疑問を誰かがぶつけると、「それも言語だ」と来る。
一体どこからどこまでが言語なのか…。
結局、言語の範囲をどこまでも広く取ればB(2)で構わないが、
言語の範囲を狭く取れば、B(3)の様な非言語的共同体も併せて
想定する必要が出てきてしまう。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/01(木) 09:27
>>381 > そもそもの始まりはどうだったのか.意識が先か,言語が先か,共同体が先か
これに対する、各スタンスに応じた「あるべき回答」はこんな感じでしょうか?
B(2)意識が言語より先ということは、絶対に有り得ない。
B(3)意識が言語より先という可能性は認めるが、共同体より先という事はあり得ない。
B(4)意識が共同体に先行して全く問題が無いが、言語との関係は不明。
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/01(木) 09:35
> 結局,理論的に妥当な仮説を提出し,そこからさらに演繹的に導出されるいくつか > の小結論が実験的に確かめられれば,元の仮説の妥当性が高まる, > というような間接的な道しかないのではないかと思います。 (中略) > だから,心理側にしても生理側にしても,あるいは哲学側にしても, > いかにして整合的な仮説を演繹できるかという理論家としてのセンスが必要です。 演繹的に仮説の妥当性を示していくだけでは、反証可能性も無く 証明されず、従って他の仮説を退ける力は無い。 すると結局、「私の仮説では、この様な現象と整合性がよく、ここまでの 妥当性が検証されています」とお互いに報告し合うだけで全く交錯する 事の無い自慢大会になってしまう危惧が…。
390 :
言語中心主義とは :2001/03/01(木) 11:42
仮説-検証モデル これはとりあえずその地点でのモデル化を目指す方向を取るようだけど、 クーンを引用するまでもなく、未来から見れば常に古臭く間違ったパラダイムに基づく。 常に切り捨てられる運命のモデルを永遠に作りつづけるわけだね。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/01(木) 11:58
>>381 >私としては、共同体≧言語≧意識 の順かな.
なるほど。意識が芽生えるより先に言語を使いこなせている状態が
あった訳ですね。
そこで疑問なのが、「感覚の感覚」「自分という存在の自覚」に
ついても、共同体→言語→意識の順での成立が可能かどうか、と
言う事です。
>伍長氏への有効な反論が出てこないのは、伍長氏の言う言語の >範囲が不明確というのも理由にありそうですね。 つーか、この伍長って人、世間的常識のことしか言ってない。 生まれたときから人間は「言語共同体」に囲まれているわけで、 それに意識が規定されているのは当然でしょうな。 べつに「反論」を期待するような説でもないよ。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/01(木) 12:35
>392 そうかもしれないが,世間的常識のことを みんなが文章に書けるわけではないし,世間的常識でしょう なんて冷笑するやつに限って,その常識を論理的な 文章に書くことなんか全然できないものだ.
>伍長氏への有効な反論が出てこないのは、伍長氏の言う言語の >範囲が不明確というのも理由にありそうですね。 伍長氏の言ってることは 「我とは即ち空より出ず。空とは即ち我を四囲するもの也」 という、心理学と言うより東洋哲学か禅問答のようなものでしょう。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/01(木) 17:14
ペンローズさんは今何をやっているんだろう?
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/01(木) 17:58
それにしてもすごいですね、このスレ。また、移動するのにもすぐって感じですね。 前のスレよりも内容が濃いスレが多いし。 傍観者の感想でした。
>世間的常識でしょう >なんて冷笑するやつに限って,その常識を論理的な >文章に書くことなんか全然できないものだ. 「あるものがヒトであるならば、それは気持ちがいいと感じることをする傾性が高い」 伍長が言ってることって、この程度のことでしょう。 だから、なんなの?つーかんじだね(笑)
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 07:33
↑ 典型的初学者厨房(藁
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 07:42
>398 そうでもない。行動主義の限界を言い当てている。397に同意。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 07:52
↑ そりゃあなたも初学者レベルと言うだけのこと
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 07:54
で,行動主義以外の心理学は 「行動主義の限界」より先に進んだのかな? 「先」ではなく「横」に進んだだけじゃないかなあ(藁
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 08:05
ライルに言う「傾向性」の記述より(本当の意味で)先に進んだ 心理学なんて,実際には存在しないと思うけどなあ.
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 14:56
伍長さんの説にはどうも内観上の違和感を感じます。 たとえば、言語として聴覚的言語を考えた場合、 意識=音ということになります。 これはおかしくないですか。 内観では音に変換される前の何かを感じているような気がします。
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:03
「内観上の違和感」だって? このスレは100年以上の心理学の歴史を 全部遡って解説し、納得させないと議論できないのかあ?
>「内観上の違和感」 しかし、伍長説の根拠も「内観上の整合感」以上のものではない。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:21
>意識=音ということになります。 >これはおかしくないですか。 うん、おかしいよ。 だれもそんなこと言ってないんだから。 あんたは初学者以前。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:24
>「内観上の整合感」 そうね。整合的だもんね。
>そうね。整合的だもんね。 オ○ム真理教では、アサ○ラの理論が「内観上の整合感」を勝ち得ていた のと同じだね。これは伍長教かな。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:31
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:32
>アサ○ラの理論が「内観上の整合感」を勝ち得ていた ほう。
それにしても、旧スレの議論の欠陥を結局だれも指摘できずに、 単に「内観上の違和感」で終わりとはね。 それならそれでいいんじゃないの? そういうレベルの板なんだろうから。
>それにしても、旧スレの議論の欠陥を結局だれも指摘できずに、 言語教では「言語」はほとんど宗教的な概念なんだから、批判不可能でしょ。
それにしても、旧スレの議論の欠陥を結局だれも指摘できずに、 単に「内観上の違和感」「宗教だから批判不可能」で終わりとはね。 それならそれでいいんじゃないの? そういうレベルの板なんだろうから。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:42
>言語教では「言語」はほとんど宗教的な概念なんだから、批判不可能でしょ。 伍長氏の目的は「説明」であって、何らかの科学理論をうち立てる 事じゃなかったんでしょ。だから当たり前。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:43
>>413 「批判」とかいっても、反証可能性のない議論を批判することは無意味。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:45
ついに「宗教」扱いか。(藁 負け組の見苦しいこと・・・
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:46
最近、インターネットとか見てると、なんか新しい理論とか発見してしまう 人が増えてるけど、伍長もそういう人の一人なんだろうかね。少なくとも、 伍長を彼らから区別する手段はあんまりなさそうだ。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:48
>ついに「宗教」扱いか。(藁 >負け組の見苦しいこと・・・ 反論も出来ないので、無意味な勝利宣言で締めくくるのか。哀れだな。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:48
反証可能性はあるんじゃないんですか? 現にB(3)やB(4)の可能性は指摘されている。 問題なのは、その先を整合的に論じることのできる人がいないだけなのでは?
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:50
>417 別に新しい理論でも何でもない。 伍長説=スキナー説でしょ。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:51
>>419 でも「言語」ってなに?という色んな人からの質問に一度も答えて
いないよね。なんか良く判らないもので理論を作っても批判不能。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:52
>418 おいおい、反論できないのは反伍長側だろう。 事実をねじ曲げることしかできないのは哀れだね。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:53
>伍長説=スキナー説 スキナーって・・・、古すぎ。古びた教科書の理論をそのまま主張されてもね。 何か新しい展開があったのならともかく。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:54
>>421 どこかで答えてるよ。
行動分析学の定義だったらしいけどね。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:55
>>422 反論できないのと「反証不能」を区別できない厨房発見。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:55
その古すぎる理論に誰も反論できなかったのも事実。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:55
>424 でも、その定義がまたあやふやだったんでしょ。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:57
>>426 反論できないのと「反証不能」を区別できない厨房その2発見。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:57
本当にあやふやだということをきちんと指摘した人もまた誰もいない。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:58
>429 こういうゴミレスばっかりじゃ探す気にもなれないよね(自爆)。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 15:59
>>429 「あやふやなのを指摘できない」のと「反証不能」を区別できない厨房その3発見。
432 :
おい、 :2001/03/02(金) 16:00
おまえら数人で何chatやってんだ。 どっち側でもいいから、少しはまともな議論をしてくれ。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:01
>どっち側でもいいから、少しはまともな議論をしてくれ。 まともな議論はもう終了しました。今はその感想を語り合っているのです。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:01
>>431 他
「反証可能性」の意味を理解できない厨房その4発見。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:03
436 :
おい、 :2001/03/02(金) 16:05
>>433 そうか。
じゃあ、伍長説は反証不可能、反伍長側は能無しばかり。
どっちもどっちだっていうことでいいのか。
434=敵前逃亡
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:07
>>435 「反証可能性」を云々する君が説明しなさい。御意見拝聴。
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:08
>>436 ここで「言語教」集会が行われてたんだけど、数人の暇な科学者が
なだれこんできて、反対演説をぶったんだよね。だけど、ヤジを
飛ばされて彼らは退散したというのが真相。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:09
435=438 お互いに知らない述語の説明をなすりつけあってる典型的厨房発見。
441 :
合掌 :2001/03/02(金) 16:11
この名スレも、ついに厨房同士のchatの場となったか。 最後の断末魔だな。(W
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:13
>>441 マジな話。そんなに名スレだったかは、疑問。この板としては上出来だった
かもしれないけれどね。ふさわしい終わり方ではある。
443 :
おい、 :2001/03/02(金) 16:15
444 :
合掌 :2001/03/02(金) 16:17
>>442 いや、オレは名スレだったと思うよ。マジで。
いろいろ考えることができた。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:18
>いや、オレは名スレだったと思うよ。マジで。 ここのレベルが低いだけだろう。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:24
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 16:24
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 17:39
それでもこのスレはこの板の中ではもっとも ましなもののひとつだったんだよ。それがここ しばらくの厨房バブルで崩壊したんだよ。 あーあー、残念でした。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 17:40
とかいっててもまた伍長氏が戻ると何ごともなかったかのように まったりとした議論に戻る。ここはそういうスレ。
450 :
伍長氏ではないが :2001/03/02(金) 18:51
>「言語」の定義。 「言語」よりも「言語行動」の定義が先。しかも重要。 (1)個体Aのオペラント行動aが,他者Bのオペラント行動bを介した強化によって 形成・維持され,しかも, この形成・維持に付加的随伴性のみが関わって,行動内在的随伴性は関わらない場合, 個体Aのこのオペラント行動aを,「言語(的)行動」と呼ぶことにする。 (杉山他.1998.を簡略化) (2)個体Aの言語行動aによって生み出されるもののうち,他者にとって弁別刺激と なるものがあるが,その弁別刺激が,特に, 「個体Aに強化をもたらすオペラント行動bを他者が自発する際の弁別刺激」(分かりにくいか) である場合は,そのような弁別刺激となりうる刺激群(特に音声や文字)のことを, 一般に「言語」と呼んでいる。 (3)上記のようなやりとりが相互に行われる集団を,「言語/言語的共同体」と呼ぶ。 伍長氏は(1)と(3)を問題にしていて,(2)はほとんど問題にしていないのだが, 厨房諸君に限らず,そのことが分からずに(2)のことばかりを思い浮かべる人が多そうだ。 だから「言語」という言葉に違和感を感じるのは仕方ないんじゃないかな。 このことを念頭に入れた上で、旧スレ全体を読み直してみると, 少しは違った読み方ができるかも知れないね。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/02(金) 21:30
>450 具体的な例で説明していただけますか。 例えば、「りんご」だったらどうなるの。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/03(土) 00:43
>450 要するに、上の方で「言語」の定義が曖昧だと言われているけど、 そうでもないということですか? しかも「言語」よりも「言語行動」を考えろということのようですが、 それはなぜですか? 伍長氏は自分でも「言語行動を幅広く捉えている」というようなことを 言っていましたが、これは(1)の定義が幅広いといういみですか? 幅広いのかどうかよくわからないのですが、なぜこれを「言語行動」とよぶのですか? >付加的随伴性のみが関わって,行動内在的随伴性は関わらない というのはどういうことですか? こういうことが分からないのはやっぱ厨房ですか?
どうでもいい話ばっかだな。本題にもどれ。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/03(土) 14:26
>>392 >生まれたときから人間は「言語共同体」に囲まれているわけで、
>それに意識が規定されているのは当然でしょうな。
意識の有り様が言語共同体に影響を受け、ある面で規定されている
という話と、伍長氏が紹介する行動主義の主張とには乖離があります。
伍長氏が言っているのは、言語共同体無くしては意識というものは存在
し得ないということです。
しかし、382が言うように人間は「自然現象的な環境変数と共同体に
よる人為的な言語(的) フィードバックの混在した環境」に囲まれて
いるわけで、実際の人間を観察しながら「これは言語共同体によって
規定されています、自然現象的な環境変数とは無関係です」とか、
あるいはその逆だとか分離して論じることは出来ないのです。
実際に分離した環境下で育てる実験でもしないかぎりは。
分離できないなら、分離しないまま「環境変数全般」の
フィードバックに対する生物個体の反応として扱えば良い
事で、敢えて検証不可能な分類項を追加するのは無駄です。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/03(土) 14:32
痛みと、それに次いで生じる様々な身体反応→痛みの弁別→弁別された 痛みに応じた処置、等の例では、他者Bの代わりに身体反応が強化させて いる訳ね。 この種の「言語」的ではない環境変数によって、意識と見なされるものが 生じるかどうかを考えてみたい。感覚の感覚や、自他の区別、自分の存在 の自覚、などなど。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/03(土) 15:17
シロウトの疑問です。 言語共同体が先か、人間が先かという疑問を感じます。 言語共同体が人間の精神を作る。 良く分かる話ですが、ハジメの人間はどうだったんでしょうか? 日本神話では、イザナギ・イザナミの物語、 キリスト教では、アダムとイブの物語、 進化論では、原人ですか? ハジメの人間の世界(環境)は、言語共同体がなかったはずですが (無人島に投げ出された赤子のように)、言語共同体を獲得しました。 という事は、精神は環境に100%依存しているわけではなく、言語共同体を 創作する力が人間の生命というものの中に内在されているのではないかと ふと思いました。 言語共同体が先か、人間が先か、これを考えてみると面白いかもしれません。
現在316.134Kbです。 そろそろスレ移転のご用意をお願いします。 スレ移転の前に、誰か「第2部」を相応にまとめてください。 まとめが出た後の移転を望みます。
第2部のまとめ 煽りと厨房、しろうとと新顔のデジャブ的議論に 意味のある議論がごく微量含有されていました。
>それでもこのスレはこの板の中ではもっとも >ましなもののひとつだったんだよ。それがここ >しばらくの厨房バブルで崩壊したんだよ。 君のような愚か者が自分の「無知」と「頭の悪さ」を棚にあげてさんざん煽ったからな(藁
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/03(土) 16:39
素朴な疑問なんだけど、 どうして私的事象の弁別の説明が意識の問題の解決になるのですか。
461 :
アンケート実施委員会 :2001/03/03(土) 17:03
>>460 旧スレを読みましょう。
>>455 >痛みと、それに次いで生じる様々な身体反応→痛みの弁別→弁別された
>痛みに応じた処置、等の例では、他者Bの代わりに身体反応が強化させて
>いる訳ね。
>この種の「言語」的ではない環境変数によって、意識と見なされるものが
>生じるかどうかを考えてみたい。感覚の感覚や、自他の区別、自分の存在
>の自覚、などなど。
そのとうりだし、伍長氏もその可能性を考えてくれと呼びかけていたのに、
一人か二人の厨房が、この可能性の吟味もせずに、
伍長説はあり得ない、馬鹿げている、としつこく繰り返すばかりで、
批判の根拠も満足に示せないし、代案はなおさら示せないわけなんだよ。
代案を提出した人に任せっきりで、しかもそれを吟味しようという姿勢が全くない。
誰かが吟味して問題点をあぶり出すと、今度はそれを「ヤジ」だと言う。
俺が「生活共同体」を言い出し、別の人が「自然現象的な環境変数」に言及したら、
それに無条件に便乗して、相変わらず吟味しようともしない。
アホ厨房がレスするたびに脱力しているのはじゃいらす氏だけじゃないだろう。
このアホ厨房(一人なのではないかと思う)には本当に消えてもらいたい。
誰かヤツのIP抜いて黙らせて欲しいよまったく。
>461 つべこべ言ってる暇があるなら、おまえ自身が吟味しろ。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/03(土) 17:57
アンケート実施委員会 = じゃいらす 自作自演ウザイ
465 :
読者 :2001/03/03(土) 18:52
そもそも、最初から議論が循環してるだけだよね。あと、無意味な 煽りと馬鹿馬鹿しいオルグ活動があるだけ。もうスレは立てなくて 良いと思うが。
466 :
読者 :2001/03/03(土) 18:56
まとめとかするのなら、ここに書き込まないで、どこかのジオかどっか のサイトにまとめてくれ。また無意味なオルグ活動とか煽りとか、ルサ とかで流れるだけだ。
467 :
名無しさん@1周年 :2001/03/03(土) 19:03
誰か「第2部」を 「相応に」 まとめてください。 まとめが出た後の移転を望みます。
468 :
450 :2001/03/03(土) 19:53
>>452 >要するに、上の方で「言語」の定義が曖昧だと言われているけど、
>そうでもないということですか?
曖昧と言えば曖昧かもしれないが,上の方で「曖昧だ」と言っている人が考えている
ような意味で「曖昧」だというわけでもないと思うよ。
>しかも「言語」よりも「言語行動」を考えろということのようですが、
>それはなぜですか?
とても重要で良い質問。このスレ第二部の問題点でもある。
実は伍長氏は
>>450 の(2)「言語」をほとんど問題にしていないのだよね。
本人がこの点をはっきりと言ってなかったんじゃないかと思うので,そのために無用の
混乱をもたらしているとも言える。
「言語」は聞き手(言語受容者と言った方がいいか)にとって刺激として機能するので,
じゃあ,意識が「言語」ならどういう「言語(刺激)」なんだ?って考えてしまう。
あるいはそれを聞き手(言語受容者)の立場に立って考えがち。
でも「言語行動」の方は話し手(言語産出者と言うべきか)の行動(反応)だよね。
旧スレで問題になった「(私的事象の)弁別」は「弁別反応」のことだったでしょう?
これが(1)の定義により,「言語(的)行動」ではないかと伍長氏は考えるわけだね。
これを「前提」だと誤解している人がいるが,386氏が言うように「結論」だよね。
旧スレではこの結論に至る過程の説明が(賛否に関わらず)面白くて盛り上がったのに,
今は結論だけが一人歩きしてる。しかも,「言語行動」よりも「言語」に拘る人が多い。
(1)の定義に「言語」という言葉が出てこないということは考えてみる価値ありだよ。
>伍長氏は自分でも「言語行動を幅広く捉えている」というようなことを
>言っていましたが、これは(1)の定義が幅広いといういみですか?
発話としての言語行動に限定されないということだね。
469 :
450 :2001/03/03(土) 19:54
>なぜこれを「言語行動」とよぶのですか?
こういう(1)の定義がまあ妥当じゃないかと思っている人たちがいるわけだね。
蜜蜂のダンスは含まれないが「身振り」などの非言語的コミュニケーションは含まれる
ということなので,意見もあるだろうが,定義としては別にいいのではないかと思う。
伍長氏が「私的事象の弁別反応」=「言語(的)行動」と言うときは,この定義のこと
だと考えないといけない。氏は説明していたんだが,理解されていたとは言い難い。
とにかく,私が理解する伍長説のポイントは,(2)の「言語」にあるのではないね。
>>付加的随伴性のみが関わって,行動内在的随伴性は関わらない
>というのはどういうことですか?
ごめん。説明が面倒なので,
>>451 氏とともに,杉山他『行動分析学入門』産業図書
などの書籍を参照して下さいな。
>>455 >この種の「言語」的ではない環境変数によって、意識と見なされるものが
>生じるかどうかを考えてみたい。感覚の感覚や、自他の区別、自分の存在
>の自覚、などなど。
「言語」的ではなくて「言語共同体」的と言うべきだし、上の「行動内在的随伴性」
が関わる場合はどうかという問題もあるのだが,あなたの問題設定はとても正しい。
本当はこれが旧スレからの宿題で,現スレのテーマになるべきだったんだよ。
生理学徒氏の登場後しばらくはとても面白かったんだが,残念ながら「気づき」問題
でおかしなことになってしまった。
新スレは期待できそうかというと,人材不足の観があってチト悲観的だが。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/03(土) 21:52
>「気づき」 妙なサマライズとアンケートによって話の方向がおかしくなっちゃった んだよね。あれはマジだったのか、煽りだったのか?
>>471 >妙なサマライズとアンケートによって話の方向がおかしくなっちゃった
はて?
363から366のサマライズのことかな? あれは俺だが、どこが「妙」なのだろうか?
アンケートにしても、別に煽りじゃないでしょう。
生理学徒氏と知覚屋・認知屋たちとが何となく噛み合っていなかった理由が、
あのアンケート(1回目の)ではっきりしたと思うが。
話の方向がおかしくなったのは、
生理学徒氏の「気づき」観(A1)が他の人たちのそれ(B2,B3,B4)とズレていたためなのだから、
それを修正してもう一度参加してほしいと思っているよ、俺は。マジで。
実際に氏はA1からB4に修正したと俺はみているので、もう少し噛み合った議論ができるんじゃないかと思うんだけどね。
この板の行動主義者たちは,そう大したこと言ってもないのに, やけにヨイショし合いますね。なにやら異様に感じるのは私だけかしらん?
>実際に氏はA1からB4に修正したと 残念だけど、それはないよ。さすがに、A1のような事を言ってる人は世の中に 居ないでしょ。前にも言ったように、「脳へのフィードバック=意識」という 認識があまりにすさまじかったので、一気に徒労感が出ただけ。 >もう一度参加してほしいと思っている 残念だけど、そろそろ色んな学会があったり忙しいしので皆さん頑張ってくだ さい。
>>473 その[すさまじい認識]を君が持っているらしいとみんなを驚かせたのは君自身だぞ.
そもそも君の書き方が良くない.はじめからB4なら,
>>303 はおかしいし,
どっちにしろそれ以前の主張が本題とずれていることが多かったということに気付けよ.
気付いてはいるんだろうけどね.
「あれはまずかったから,
>>303 は訂正して,それまでの主張を○○と修正する」
と言えば済むのに.(笑)
475 :
>>461 :2001/03/05(月) 20:32
前すれ読んだけど、 273で天下り的に 「実在感」=「気がしている」というのは、自分の私的な反応(たぶん感覚刺激となる)に対して さらに弁別反応をするということ(だけではなかろうが)と考えることにします とあるだけでなぜ意識の感じと私的反応の弁別が=なのか説明がないです
476 :
B4厨房 :2001/03/05(月) 21:47
「私的事象の弁別には言語共同体による間接的な分化強化が必要である」 という説の論拠がいまいち不明確です。相変わらず。 さほど高等でない動物でも、時系列で近い複数の事象は関連付けて認識 する事が出来るので、例えば「自分の行動」→「環境側の作用」から学習し、 同じ失敗を避けたり同じ成功を繰返したり出来ますね。 では、「感覚<私的事象>」→「環境側の作用」という時系列的に連続する事象 から学習して感覚(私的事象)の弁別は可能なのではないか?と思うのだけど、 実際これを禁止する原理原則や実験的事実は何等無い訳です。 また、「感覚<私的事象>」→「身体反応(の感覚)<私的事象>」という時系列的 に連続する事象からの学習か弁別能が強化されるなら、公的事象と関わりの無い 『全くの私的事象』について、独力で弁別が可能になる可能性もある訳です。 で、実際のところ、「赤い光から得られる視覚刺激と温感」→「火傷」等から、 火の赤さを(強烈な印象を伴って)弁別出来るようになったり、「特定の部位の痛みや 特定の種類の痛み」→「特定の身体反応」から、痛みの弁別が出来るようになったり するということがあっても、特に問題無い話。 で、生得的に持っているらしいミラーニューロンの作用についても、 同様の事が起きるかを考えてみると…。
>「脳へのフィードバック=意識」
判りにくかったのなら仕方がないね。(
>>303 )。しかし、上のような
脳とその機能に対する曖昧極まる概念しか持ってないとしたら、学部も
卒業できないよ。そもそも「脳へのフィードバック」ってな言いよう
この前まで塾で教えてた大学受験生でさえ使わないよ。実際、気が遠く
なった(マジで)。
結局、異文野交流はなかなか進まないということだね。
>生理学徒
で、その「脳とその機能対する曖昧極まる概念」とやらを訂正してやる
気はないんだろ。やれやれだぜ。
だいたい「来年度は日本とおさらばらしい(
>>286 )」うえに「そろそろ
色んな学会があったり(
>>473 )」して忙しいんだろ?
こんなところで油売ってないでさっさと消えな。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/06(火) 01:12
みなさーん また〜りと行きましょう。 仕切り直しの 新スレきぼーん!
481 :
伍長 :2001/03/06(火) 02:22
お久しぶりです。
(一週間遅れで書類を整理できたけど、明日、税務署へ行けるかどうか(泣)。)
>>475 うん。そのとおりなんですが、これは心理学というよりは哲学的な問題でもあるので、OFWさんの
>>138 や
>>200 あたりの説明ではダメでしょうか?
いや、ダメだろうな。私自身よく理解できないんだから。
ある実在Aを対象化?する場合、非Aとの区別がなされている必要がありますよね。
「○○を意識している」という事態も同様でしょうから、「○○」と「非○○」との弁別ができないと、「○○」を意識していることにならないと。
そして、単に弁別しているだけのその状態が所謂「意識」かというと、違うと思うんですよね。
しかも、人間の場合、その弁別を維持(定着)させるだけの役割を果たしているのは何かとか。
うーん、これは次の
>>476 の問題か。
>>476 (B4厨房さん)
おお、問題点の指摘が極めて明瞭・的確で、他の方々の参考になるまとめだと思います。
>では、「感覚<私的事象>」→「環境側の作用」という時系列的に連続する事象
>から学習して感覚(私的事象)の弁別は可能なのではないか?と思うのだけど、
>実際これを禁止する原理原則や実験的事実は何等無い訳です。
そのとおりだと思います。
>また、「感覚<私的事象>」→「身体反応(の感覚)<私的事象>」という時系列的
>に連続する事象からの学習か弁別能が強化されるなら、公的事象と関わりの無い
>『全くの私的事象』について、独力で弁別が可能になる可能性もある訳です。
同様にそのとおりです。
482 :
伍長 :2001/03/06(火) 02:24
>「脳とその機能対する曖昧極まる概念」の訂正。 まあ、高校生物の教科書くらい読み直してみてよ。行動学に関するマニアックな ジャーゴンを人に押しつけてるんだからそのくらいは勉強しても良いでしょ。
484 :
じゃいらす :2001/03/07(水) 02:38
私は実はこっそりA(1)の可能性を信じている。 ただし、AとBシリーズは背反ではないでしょう。 脳へのフィードバックという言葉は私も最初違和感を感じたが、 reafference(再帰性求心情報)と解釈すれば別におかしな用語ではないと思った。 再帰性求心情報は大雑把にいって環境フィードバックと同義。 再帰性求心情報と外因性求心情報の違いは、 神経系が前者はフィードバック情報であることをしっているということらしい。 でもどのように神経系に実装されているのかは謎。私が知らないだけかもしれん。 ここでいえるのは、会話のキャッチボールにおいて 相手の発話と自分の発話は同じ音声であっても処理のされかたが違うということ。 このような仮定は、運動性(ブローカ)失語が説明で使われる。 運動性失語患者は、他人の発言や表情は認知できるし、発話意外の方法で コミュニケートできるのに、自分は意味不明の発言(例えば、「タン」としか言えない) しかできず、しかし自分の意味不明の発言には気づかない(らしい)。 これは環境フィードバックの処理系だけが障害されるからと考えるとよいように思われる。 A(1)を誰も支持してなかったのでちょっと残念に思って書いてみた。
485 :
B4厨房 :2001/03/07(水) 08:11
まとまらないままデータ量は増えていくね…。
取り敢えず、提起されたまま持ち越された問題は言語共同体説の論拠が不明確な
箇所。
1. 「私的事象の弁別=意識」の論拠。
これについては
>>475 で指摘されたばかりで、次スレ以降での話題ですね。
2. 言語共同体説以外の可能性
「気づき」問題に於けるA(1),B(2)〜B(4)-a,b分類で言う、B(4)-a的視点
からの指摘は既出なので、それは
>>476 にまとめました。
B(2)は他ならぬ言語共同体説。なので残るのはA(1), B(3), B(4)-b。
3. 「言語」及び「言語行動」の範囲、その必須条件
疑問が投げかけられるが、問題点がいまいち不明確で議論になってない。
486 :
B4厨房 :2001/03/07(水) 08:12
私としては、3が重要だと思います。 ある個体aが得る言語共同体からの間接的なフィードバックは、共同体の他の 成員から与えられる「言語」的刺激を受取り、それを共同体に「言語」的な 反応で対応出来るから。しかしそれは、与えられる刺激が「aにとって言語的」 であれば良い訳で、その成立要件次第では他のものに代替可能かも知れない。 例えば、言語として受け入れられる為の条件が、単純な規則性を持った信号で、 且つ公的事象に応じた変化をするものであれば良し、という事になると、プログ ラミングされた機械によるものや、自然環境のある種の現象でも代替可能に なってしまう。
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/07(水) 15:33
>>486 ちょっと誤解がある.
個体aが他の成員から受け取る刺激は,[言語]的なものである必要は[全然]ない.
個体aの[言語]的な反応を強化する強化子は[非言語的]なもので良い.
ただ[他の成員のオペラント行動を介した強化]であれば何でもよい.
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/07(水) 15:58
>>487 そうなんだけど、ここで問題になっているのは「タクト」でしょう?
タクトを強化するのは、「言語」的な般性強化じゃなかったの?
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/07(水) 16:13
>>488 タクトを強化するのは確かに般性強化子だということになっているが,必ずしもそれが言語的である必要はないんじゃないかな.
[注目]はどうかな?
とにかく,ここで問題なのは弁別刺激と反応との関係なので,
反応と強化子との関係は,[他の成員のオペラント行動を介した強化]ということが満たされていれば,
それでいいのではないかと思う.
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/07(水) 17:17
どうして1が解決してないのに2や3の話をするんだ。 どう考えてもおかしいだろ。
491 :
ははは。 :2001/03/07(水) 19:05
やはり、言語の定義が気になる。 進化論的に分類すると以下のような感じになりそう。 (1)記号言語 一語で表現でき、意味をあらかじめ内包したもの。 例)ギャーオ(ふざけんな、こら) →たいていのほ乳類や鳥類、赤ちゃんも使用している。 同種内あるいは多種の動物にも有効な時も多い。 (2)欲求言語 2単語以上を組み合わせて、新しい意味を創れる。 例)ニャーオ+ドアを見る(ドア、開けろ) →コミュニケーションを行う動物は収得できることが多い。ガキも使う。 (3)人間言語 2単語以上で統語法を用い、関係性や時制を表現できる。 例)うちの猫は腹が減ると、ニャーとなくはずだ。 →たいていの人間は収得できる。一部類人猿は議論が分かれる。 ここでの論議では、前記言語の中でどの段階で私的事象を弁別し強化していると 評価できるかということだと思うが、どうよ。 ちなみに人間言語の発達においては、物には名前があるという事に気づくことが ブレイクスルーになり一気に言葉を喋りはじめるということです。 この説だと、当然、言語発生前に意識があるということになりそうですが。
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/07(水) 23:02
>>491 やはり「言語行動」と「言語」を区別してほしいな。
話し手(言語産出者)にとっての「言語行動」と
聞き手(言語受容者)にとっての「言語(刺激)」とが同じものにされてるように思える。
問題になっているのは,話し手(言語産出者)にとっての「言語行動」のほうなので,
もう一度
>>450 ,
>>468 ,
>>469 を参照してみてくれ。
おそらく伍長氏も賛同してくれると思う。
しかし定義の段階で理解が得られないのならば,この先議論を進めても,
この線での発展は困難のような。
水を差すつもりはないのだが。
493 :
B4厨房 :2001/03/08(木) 01:15
>>487 なるほど。ではB(2)的立場から見た刺激の要件は
[他の成員のオペラント行動を介した]ものであれ
ば良いのですね。ところで、結果的に個体aにとって
同じ作用を果たす「他の成員のオペランド行動を介さない」
刺激って存在し得ると考えますか?
これも次スレの話題にどうぞ。
そうそう、忘れてました。
4. B(2)の見地から、意識、共同体、言語の成立順序、
成立過程を論じるべし。また、それに対する問題点を
A(1),B(3),B(4)各立場から指摘し、代案を提示するべし。
これも次スレへの持ち越し。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/09(金) 03:07
「赤には独特の赤らしさがある。」と言いたくさせるもの とクオリアを定義したとき、 伍長説ではクオリアの存在をどう説明しますか。
495 :
名無しさん@1周年 :2001/03/09(金) 20:04
現在、342.225kbです。 容量オーバーで、dlできなくなりますよ。 新スレのご用意を。
496 :
OFW :2001/03/10(土) 01:53
どもお久しぶりです。メチャ忙しかった仕事も成功裏に完了したので、また
議論に参加できるようになりました。
>>475 >なぜ意識の感じと私的反応の弁別が=なのか説明がないです
「私的反応(或いは私的事象)」とは何でしょう。それは、古来から「心」
或いは「主観性」と呼ばれ、現代現象学では「内部知覚」(ブレンターノ)
と呼ばれた対象に対する、心理学的な表現でしょう。それは、身体内の何
らかの生理学的な過程を実在として持っているが、その心理学的内容とし
て、所謂「志向性」と呼ばれる運動様式を表現している。
つまり、それは対象的な活動、つまり対象を設定(措定)し、それに向か
うという有機体固有の運動様式です。そして、その運動自体を対象化する
運動を「意識化」と呼ぶのでしょう。むろん、運動の主体は実在(存在)
せず、現実的なもの(働くもの)というカテゴリーに属します。
感覚とは初発の行動であり、対象的行動は感覚の現実化(外化)であると
言えますが、その直接的連関を分離して、言語により媒介化(間接化)す
るのが「意識化」の働き、でしょうか。
「人間以外の動物も対象に関係する。しかし、人間は関係に関係する」
(マルクス)つまり、自己に関係できるのは、人間だけだということ。
>>476 (B4厨房さん)
>「感覚<私的事象>」→「環境側の作用」という時系列的に連続する事象
>から学習して感覚(私的事象)の弁別は可能なのではないか?
まさにそこがポイントです。
時系列は「感覚→環境側の作用」ではなく、「感覚←環境側の作用」です
から、動物がその“客観的”因果関係を学習できたら、科学者になれる。
行動分析学の優れた点は、従来の「行動の原因としての心」という実体
概念を廃棄して、「行動の結果による強化」という記述的な概念を導入し
たことでしょう。「心」とは過去にあったものではなく、未来に向う現在
の活動(その志向性)です。
497 :
ミック :2001/03/13(火) 02:09
498 :
名無しさん :2001/03/14(水) 00:01
爺さん、新スレ立ててくれよ!
499 :
春休み対策 :2001/03/15(木) 15:37
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/03/16(金) 14:59
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/11(月) 21:58
第3部?
age
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/06/23(土) 18:54
みんなわかってて書かないだけじゃない? 隣り合う黒白どれか一組取り除いて帰納法で一発じゃん
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/03(火) 05:05
粛清
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/03(火) 07:00
粛清
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/03(火) 13:06
君のポケットの中さ!!
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/11(水) 05:28
昔を懐かしんであげ。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2001/08/01(水) 23:26 暇なんだね・