心ってどこにあるの? ・・・第2部じゃぞ

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137OFW
(新サーバ移行に伴い、カキコが2つ消えたので、再アップします。)
いやあ、レスは流れる、心は揺れて、どこに行く…。
>>93
>心ってシステムなんでしょ。
 「システム」という概念は、対象を機能−構造複合体として見る概念装置
 ですが、概念の対象は客観的であっても、概念化の働きは主観的ですから、
 心の働き自体は「科学的・客観的説明」によっては十全的に理解できない、
 という事情があります。心的システムという場合、その実在的な構成要素
 は何か、がまず問われるべきです。有機体システムなら細胞、器官、組識
 となるが、心的システムの場合、それは何でしょう?
>哲学はただの遊びです。
 哲学は真理に向かう不断の対話、弁証です。ウィトに掛ければ「言語ゲー
 ム」(Sprachspiel,language-game)という、言葉(ロゴス、理性)
 に依拠した、まじめな遊び、という所かな。
>非効率的です。
 効率(パフォーマンス)とは経済的な概念であり、有用性と価値をどこに
 おくかによって異なるでしょう。
138OFW:2001/02/11(日) 14:51
>>95(すずらんさん)(横レス?失礼)
>どのような「機構」で実現されているのか?という問題
 機構(Mechanism、機械論)とは唯物論の故郷ですが、機械論的な説明
 可能性が問題のすべてではないでしょう。有機的自然の場合、「何のため
 に?」という根拠の問題は残ります。その主観性(主体性)こそがクオ
 リアという(偽)問題の源泉でもあるのでしょうね。
>彼女は色盲です
 当然ながら、生まれつき赤色視物質を欠いている人に赤の弁別は物理的に
 不可能であり、視物質は(ニューロンと同様に)必要条件です。しかし、
 「見えている」という経験は「誰にとって?」という主体の設定抜きには
 解明できない事柄です。それは客観を対象化する主観の成立です。見ると
 は実在ではなく対象的な活動であり、それを対象とする場合、反照的な認
 識態度(主体の客体化、現れと実在の二重化)が要求されるのです。クオ
 リア(実在感)成立の十分条件は、世界(世界とは現象の総体を言います)
 全体にまで広がるでしょう。それは活動的自己を表象する働きと言えます。
 その物質的基礎として、「ニューロンを感知するニューロン」という回帰
 的な機構があることは否定しないが、それはあくまで必要条件であり、
 生体と環境との相互作用およびそれ自身への関係がなければ、作動しない。
 たとえば、現象学に「赤の表象は赤くない」という有名な言葉があります
 が、ニューロン発火という電気信号自体に色はついていない訳で、それは
 統合化されたニューラルシステムにおいて、感覚器官としての網膜上の
 視覚細胞からきたという位置情報から、「色」刺激として弁別されている
 わけでしょう。そして、さらに弁別作用自体を弁別する働きとなれば、
 統合作用自体を代表(表象)する刺激とその感受系、すなわち世界全体を
 写す(前レスでの「マップ」)ような、パブロフ流の「第2信号系」のよ
 うなものが必要でしょう。その場合、その中心表象として「主体」表象が
 生成する、と言えます。それは明らかに、言語表象(代理物)であり、
 世界の中に位置する現実の主体が、記号的存在(「他の主体」)として対
 象化される(現れる、意識化される)のでは?