2 :
咀嚼途上者:2007/09/06(木) 05:14:53
900でdat落ちしたのでとりあえず建てた。
前スレのdat落ち前に「羊」氏が書き込んだ考えは
興味深かった。
前スレは過去ログに入ってしまい、にくちゃんねるも休止状態なので
前スレラスト付近の「羊」氏のレスを引用しておく。
891 名前:羊[] 投稿日:2007/08/26(日) 15:43:09
話は変わりますが、マゾ、サド的な人とは自分に自信のない人なのかなと。
両親の価値観から否定的なメッセージを受け入れ自信がなくなっていった人だと思います。
人生で経験する快感のエネルギーは人類の基本的財産で、人間からこれを奪うと
結果として・持つもの持たざる者・との間に大きな分裂が生じて。自分の
権力を示すさまざまな形の快楽から、自慢するためのトロフィーに至るまでの
上流階級特有の快楽に対して労働階級はねたみ。ある人間の喜びが否定されて、
それが他の人間の喜びとなっていることに気づけば、革命を生み出すと思います。
あるいは、弾圧さるかで。したがって、大衆の生きる力や目的の合理化された活用
手段である・道徳律・は意図的な価値観の歪みから機能することになり。・人生の苦しみが
地獄のようであればあるほどそのほうびとして、もっと天国に近くなる・といったような幻想
が提供される。喜びと苦しみの歪んだ関係は、道徳的に歪んだ社会環境を生み出しました。
そこでは苦痛が喜びにつながるようにしました。この苦しみと狂った状態の中で代替される、
少なくとも臨時的に免れる嗜癖は、禁断の誘惑に勝つか負けるかという、致命的で反社会的な
ゲームとなってしまう。けれども人間は気高くて、要求もしないのに生まれてきた自分の存在に
対しての、永遠の葛藤にあって。その気高さは、つかみ所のないミラーハウスのような世界において
人間の唯一の支えとなり、人生そのもののプロセスに対する信頼を生でいるのですね。
895 名前:羊[] 投稿日:2007/08/27(月) 22:21:09
マゾ、サドの人は幼児期の時や子供の時ものすごく精神衛生状よくない環境に生まれ、
親自身が子供や人に対する理解が少ない為に、子供に対して無責任で尊重しない言動で
子供はそのあまりにも自分を大切に評価し尊重しない言動から親への仲間意識がなくなり
親は何かあるたび攻撃してくると、勘違いしてしまい、
本当は親は攻撃してるのではけではなく自分の欲求に対して協力してほしいと
メッセージをだしているだけなんだけど。
その表現や欲求があまりにも強すぎると
子供は評価を求める為に親を理解したわけでもないのに
利己的な意味で協力し親に求めていた評価や関心を寄せられると安心するとゆう形をとってきたのがマゾ。
サドも同じく親が適切に自分に対して評価尊重されてないと勘違いして
もっと自分をしっかり見てと何事にも攻撃的になり
周りの人や親を認めさせることで安心する形がサド。
とゆうわけでどちらも人を利己的にコントロールしようとしているわけなので
人生はいつも不安と緊張がある。
人が自分が思ったようにコントロールできるかいつも心配で仕方がないとゆう事になる。
その人が何かをきっかけに自分自信や能力があると確信すると
その人は自立的になり健康的に生きられる。
すべては自分自身に対する自己評価しだいなんだと思う。
本当の意味で自分の事が大好きで、人に対して寛容に生きていく事が幸せと自己実現につながると思います。
900 名前:羊[] 投稿日:2007/08/30(木) 02:38:17
人間の行動の根元は劣等感だと思います。
人であるとゆうことは、ある劣等感を所有していることを意味していて、
それがそれ自体を克服するように前進させようといつも圧力をくわえている。
人生の根本法則は、欠陥や不適切なことを克服する法則であると思います。
その解決方法が上記895で書いたように周りに対して理解力不足で
より劣等感が高まる事が続くとアドラーでゆう、劣等感コンプレックスがでてきて
自己決定自己責任を放棄して、支配・依存・周りをコントロールして、
どうやったって自分の劣等感を克服しようとする試みがサド・マゾ・だと思います。
健康的である人はその劣等感を自立的に解決しようとする人、つまり支配・依存しないで・目の前の課題を解決しようとする人。
劣等感それ自体は異常ではないです。
劣等感があるので、人類という場所にあらゆる改善が生まれます。
たとえば、科学それ自体は、人間が自分の無知を感じ未来を拡げる必要を感じたときにのみ可能であるわけで、
正常な劣等感と劣等感コンプレックスの違いは、単に程度の問題であって質の問題ではない。
劣等感が誇張された感情の場合望ましくない性格の特性がでてくる。
例えば恥ずかしがり・臆病・過度の依存傾向・言いなりになる服従傾向・
さらにずうずうしさや衝動性・頑固さ・反抗的態度などのような何らかの補償傾向を伴っているサド・マゾ傾向の衝動に結びつく。
そのどれもが、最終的に、無視されているという誇張された感情から極まってなっていくと思います。
愛の反対は無関心って、マザー・テレサが言ってました。
周りに対しての無関心が人生を生きづらくしているのかもしれません。
より深く人を理解していたら戦争なんてなかったと思います。
謙虚になってもっと人や周りを理解する事が大切なのかもしれません
そうすればもっと人類や地球にとってみんなが建設的に役に立つ解決がでると思います。復讐とゆうサイクルもなくなるし。
6 :
咀嚼途上者:2007/09/06(木) 05:23:37
引用のうち、>4-5は、咀嚼途上者がかってに改行させてもらった。悪しからず。
7 :
咀嚼途上者:2007/09/06(木) 05:34:04
8 :
E・フロム 引用:2007/09/06(木) 21:29:05
「正気の社会」(中央公論社・世界の名著“ユング・フロム”より)
人間は、動物的存在の特徴であったかっての自然とのつながりを失ってしまっている。
…
人間は、理性も想像力もともにもっているので、…自分の無力さと無知、
自分が生まれたことも死ぬことも孤独であることを知っている。
…たとえ、すべての生理的欲求が満たされたとしても、正気で居るためには
この孤立と個別化の状態を、脱出しなければならない地獄として経験するだろう。
…生活する他人と結びつき、関係をもつという必然性は、避けえられない欲求であり、
それを満たすことによって人間の正気が保たれる。
9 :
E・フロム 引用:2007/09/06(木) 21:29:47
この結びつきを手に入れるには、いくつかの方法がある。
人間は、ある人間、ある集団、
ある制度または神に服従することによって、世界との一体化をこころみることができる。
…
自分よりも大きなものや物体の一部になることによって、個別的存在の孤独さにうちかち
自分のしたがう権威との同一化を経験する。
孤独を克服するもうひとつの可能性がある。
世界を支配する権力をもち、他人をかれ自身の一部分にし、
さらに他人を支配しておのれの個別的な存在にうちかつことによって、
自分と世界とを結びつけようとすることができる。
10 :
E・フロム 引用:2007/09/06(木) 21:32:36
服従にも支配にも共に見られる共通の要素は、
結びつきという共生的 symbiotic な性質である。
そのどちらに属する人間も、まとまりと自由を失っている。
つまり、彼らはたがいによりあいながら孤立して生きており、
親しさを求める欲求を満たしながら、
しかも自由を求める内心の力や自信のないことを悩み
さらに強制的な関係から当然生じてくる
意識的・無意識的な敵意にいつも脅かされている。
11 :
E・フロム 引用:2007/09/07(金) 08:24:22
服従的(マゾヒズム的)な情熱にしろ、支配的(サディズム的)な情熱にしろ
これらを実現してみても、とうてい満足にはいたらない。
こういう情熱は、自己推進的なダイナミズムをもっていて、
どんなに服従や支配(所有や名声といってもよい)をわがものにしても
同一化し結びついたという感じが十分には起こってこないので、
さらにもっと服従や支配を求めることになる。
…
こういう情熱は、結びつきの感じをたもとうとしながら、まとまりの感じをぶちこわしてしまう。
こういういずれかの情熱に駆られたひとは、現実に他人にたよるようになる。
つまり、自分の個性的なありかたをおしすすめるような事はしないで、
かれに服従するひとやかれが支配するひとに依存する。
12 :
E・フロム 引用:2007/09/07(金) 20:53:49
自分を世界と結びつけ、しかも同時に、統合感と個別感を得ようとする人間の欲求を満たす
唯一の情熱がある。
それがすなわち、『愛情』である。
愛情とは『自分自身は切り離され独立したままで』自分以外のだれか、
なにものかと結ばれることである。
愛情は、共感し共有する経験であり、自分の内心の動きをなんでもあらわにしてよいのである。
愛情を経験すれば、幻想の必要がなくなってしまう。
つまり、他人や自分のすがたを拡大させる必要がなくなる。
というのは、強い共感と愛情という現実があれば、個別化された存在にうちかつことができるとともに
愛の行為をかたちづくる積極的な力の担い手としてみずからを経験できるようになるからである。
13 :
SM初心者:2007/09/08(土) 11:03:27
それなら愛のあるSMなら未来はあるのですか?
14 :
没個性化されたレス↓:2007/09/08(土) 11:14:01
愛があっても無くても未来はある。
15 :
没個性化されたレス↓:2007/09/08(土) 11:34:10
いつでも未来はあると思うけど。SM自体に自由はないと思うから、それで満足は
あっても、内からくる喜びはないと思う。食欲と同じで、満足は一時だけみたいな。
16 :
没個性化されたレス↓:2007/09/08(土) 11:37:10
永遠の満足などない。
17 :
E・フロム 引用:2007/09/08(土) 12:05:38
>13 お答えになるかどうかわかりませんが、それではもうすこし引用を続けます。
この先はSMじゃなくて愛情論だったので引用をやめたのですが。
引用元は>8です。(というか、まるきり同じ頁(p252)の続きです)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大切なことは、どういう性質の愛かということであって、何を愛するかということではない。
愛情は、人間が仲間同士と協同一致する経験にも存在すれば、男女の恋愛にも、
子どもに対する母親の愛情にも、また、人間である自分自身への愛情にも存在する。
いいかえれば、愛情は、結びつきという神秘的な経験のうちに存在する。
愛の行為において、わたしは全体と一つになりながら、しかも、わたしはわたし自身であり、
独自の人間、切り離された人間、有限の人間、死すべき人間なのである。
事実、孤独と結合というこの両義性から、愛は生まれ、再生する。
18 :
E・フロム 引用:2007/09/08(土) 12:07:16
愛情の経験では、二人の人間が一体となりながら、
しかも同時にいぜんとして別の二人であるという逆説的な現象が起こる。
この意味で愛情は、ひとりの人間だけにかぎられるものではない。
もし、わたしが、たった一人の人間を愛して、ほかのだれも愛さなかったり
ある人間への愛情のために、わたしがますます仲間から疎外され、遠ざけられるとしたら
ある点でわたしはこの人間にひきつけられているかもしれないが、それは真に愛しているのではない。
「わたしはあなたを愛してる」といえるとしたら、
それは「わたしはあなたのうちにある人間性のすべてを愛し、生きているすべての愛する。
つまり、あなたのうちにあるわたし自身をも愛する」 ということになる。
この意味での自己愛は、利己主義とは相反するものである。
利己主義は、事実、自分へのどん欲な関心であり、
それは自分への本当の愛情がないことから生じ、本当の愛情がないことの補いとなっている。
逆説的にいえば、愛情は、わたしをもっと強く、幸福にしようとして、わたしを独立させる。
しかも愛情は個別性がしばらくなくなったかのように見えるくらい、わたしを愛するひとと一体にさせる。
19 :
E・フロム 引用:2007/09/08(土) 12:09:01
愛することによって、「わたしはあなたである」という経験をする。
このあなたとは愛する人間であり、他人であり、生けとし生けるものである。
愛情を経験することにのみ人間らしいあり方の唯一の答えがあり、ここに正気がある。
わたしが愛してるというのは、他人の成長と幸福を心配していることであり、
つまり、積極的にそれに関与していることであり、たんなる傍観者ではない。
わたしには責任があり、いいかえれば、かれ(かのじょ)の欲求や、
かれ(かのじょ)の表現できないことや、表現しないことにたいして もっとこたえようとする。
わたしがかれ(かのじょ)を尊敬するとうのは、かれをあるがままに、客観的にながめ、
わたしののぞみや恐れのためにかれ(かのじょ)をゆがめないことである。
わたしはかれ(かのじょ)を知っており、
わたしは、かれ(かのじょ)の外面をつきぬけて存在の核心にまでふれ、
わたしの存在の外面にさからっても、存在の核心、つまり中心から自分自身をかれ(かのじょ)に結びつけているのだ。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------
(すみません。これ以上続けてもどんどんスレ違いになりそうなので、このへんでやめておきます。
「かれ」のあとの(かのじょ)は私がかってにつけました。 なにかヒントになれば幸いです。どうも失礼しました。)
20 :
没個性化されたレス↓:2007/09/08(土) 12:43:36
21 :
SM初心者:2007/09/08(土) 13:24:23
お返事ありがとう御座います。
以前こちらのBBSで
「…死に向かう行為を望むSMに未来はない…」って書き込みを拝見して
SMの行為を続ける事はいけない気がして。。
愛についての探求をしていきます
22 :
咀嚼途上者:2007/09/08(土) 15:10:28
>>19 愛について考えるのはこの文脈なら別にスレチじゃないよ。
俺も前スレか前々スレで「心理学のプロ」氏に
あなたのいう愛とはなんなのかとしつこく質問した覚えがあるw
引用部分でフロムの書いてることは心理学というより詩に近い気がする。
23 :
没個性化されたレス↓:2007/09/09(日) 06:51:03
前スレは何で900で消えたんだ?
咀嚼途上者さん。削除された原因は何だい?
24 :
咀嚼途上者:2007/09/09(日) 09:08:47
>23
いや、俺もわからんのだよw
羊氏の最終書き込みが8月30日(木)で俺が書き込みしようとして
dat落ちしてて書き込みできないことに気がついたのが
ちょうど一週間後の9月6日(木)。
羊氏の書き込みは面白かったので誰かカキコするだろうと油断してたw
(俺は羊氏の考えに多少異論があるので、
慎重に考えてて脊髄反射カキコはする気になれなかった)
どこかで4百何kbを越えるとdat落ちの対象になるというのを読んだ覚えはあるんだが、
このスレは長文が多いから、落ちたときの容量は481kbだ。
ただ、一週間ぐらいは無レスでも大丈夫だろうと思ってたんだが。。。
板ごとにdat落ちの基準が違うとも聞いたことがあるので正確なところはわからない。
誰か、正確なことを知っていたら教えてもらえると助かるのだが。。
(何kbを越えると、どのくらいのペースで保守が必要になるのか?)
ま、削除ではないと勝手に思ってるだけなのかもしれないがw
また途中で落ちるようなら、dat落ちの心配がないしたらばあたりに板建てて
独り言でもしようかな、と思ってて準備中だ。
このスレはけっこう中身がややこしいので(俺のせいだがw)
どんどんレスが伸びるスレじゃないしね。
(前スレも建てたのが昨年の8月で落ちたのが今年の9月と一年がかりのまったりスレだった)
25 :
咀嚼途上者:2007/09/10(月) 05:57:16
>>5(前スレ900)
>周りに対しての無関心が人生を生きづらくしているのかもしれません。
>より深く人を理解していたら戦争なんてなかったと思います。
>謙虚になってもっと人や周りを理解する事が大切なのかもしれません
>そうすればもっと人類や地球にとってみんなが建設的に役に立つ解決がでると思います。
>復讐とゆうサイクルもなくなるし。
この部分に関してだけとりあえず異論を。
たとえば国家・法・宗教 といった吉本隆明でいうところの「共同幻想」は
ひとりひとりの人間の考えや精神の総和 ではない。
そういった単純な足し算ではなく、共同幻想は個体の持つ幻想とは質的に異なる
と理解したほうが本当に近いと思う。
単純化していえば、たとえば3人でとりきめてあるルールを決めたとする。
で、一人がそのあと、考えを変えてルールの廃止、あるいは変更を求めたとしても
そのルールに賛同してあとからはいった4人目・5人目・・・N人目がまったくとりあわなければ
もはや、決めた時は自分が納得して決めたルールの欠陥が見つかったとしても
自分個人の意志ではもうそれは動かない。
すでに、そのルールを改変するための別のルールやとりきめが別の数人たちによって
付加されていたり、あるいは、誘われてそのルールの作成にはまったく関与していないで
そのルール共同体に参加している者もいて、ルール自体が独立した幻想領域として機能している場合もある。
いったん共同幻想が生じれば、
それを変更するのは、個々人の理解力の深化といったものだけではできなくなる。
他の共同幻想をもった集団との関係や、共同幻想独自の形式主義(法律・戒律など)など
共同幻想それ自体が支配的に、個人を制圧し、
新しい参加者(つまり赤ん坊)は、それらを空気のように、超自我に刷り込まれることにもなる。
ま、
すくなくとも、共同性の問題はそれほど簡単じゃないよ。といいたいわけだ。
26 :
咀嚼途上者:2007/09/10(月) 22:13:57
乳首やクリトリスに針を刺す のと 目玉に針をさす
この間に性的サディズムとして線はひけるのだろうか?
27 :
咀嚼途上者:2007/09/12(水) 12:50:27
市民SM実践者から見れば、まったくナンセンスな設問に見えるかもしれない。
しかし、心理学初心者氏が引いてくれた
DMSのサディズム定義からすればこれらは区別されない。
●性的サディズム●
A.少なくとも六ヶ月間にわたり、犠牲者に心理的または身体的苦痛(虐めを
含む)を与えて自分を性的に興奮させるという行為 (現実のもので、擬
似的なものではない)に 関する、強烈な性的に興奮する空想、性的衝動、
または行動が反復する。
B.その人が性的衝動を行動に移している、またはその性的衝動や空想のため
に、著しい苦痛または対人関係上の困難が生じている。
28 :
羊:2007/09/12(水) 18:00:50
>>25 確かに、ルールや法律・国家を、個人の力で変えるのは簡単じゃないし困難だと思う。
周りのルールを変えるのは無理に近いし、手に負えないことだと思うから。最終的に誰かではなくて
自分自身だけしか変えられる人はいないと思うよ。
29 :
咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:12:03
>>28 個人の力でできることは「言葉」を発することだけだと思う。
それと、
制度や共同幻想といったものの仕組みをきちんと解析して
その欠陥や不都合を、解析的・論理的につきとめてみせること。
仕組みがわかれば、変え方も見えてくる「可能性」がある。
実際には、革命というのは産業革命やIT革命のように
非政治的なところからやってくる。
30 :
咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:23:01
自分自身を変えるのは「経験」か「言葉」しかないと思う。
意図して自分を変えるには、自我ではなく超自我、つまり価値観を変えるしかない。
「経験」によって変わる場合、その変わり方は自分ではコントロールできない。
(コントロールできるのはその経験の消化の仕方の部分だけ)
できるだけ自分の望ましい方向に変わりたいのであれば
「言葉」しかない。
言葉によって刷り込まれた超自我(外からくる価値観・倫理的な審判基準)を
逆に批判できるほどの言葉をもつこと。
31 :
咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:25:55
経験(体験)によって自分が変わるのは瞬時だが
言葉によって自分を変えるには時間がかかるし忍耐もいる。
まずなによりも良い言葉をさぐりあてること。
32 :
咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:27:59
良い言葉をさぐりあてるには
良い疑問をもつことがとても大事だ。
33 :
咀嚼途上者:2007/09/13(木) 04:43:22
>>羊氏
「劣等感」でサディズムをもうすこし詳しく説明できるのなら聞いてみたい。
結局は心理学のプロ氏がいっていた「自己評価」にいきつくような気がするのだが。
34 :
羊:2007/09/14(金) 21:06:57
サド、マゾは表裏一体
劣等感が高まると優越感コンプレックスがでてくる、これは劣等感を変装
させた一つのテクニックで、他の人より良いとか上だというある偽りの信念
を表現した形。その行動は、根深い劣等感を隠しているにすぎない。
人がもっとも気にしているのは自分の価値への問題だと思う。
35 :
没個性化されたレス↓:2007/09/14(金) 22:28:13
メディアが駄目な男性をやたらとアピールしてマゾ的な男性を無理矢理製造していると思う。
36 :
咀嚼途上者:2007/09/15(土) 08:52:56
>>34 劣等感がサドにいくか マゾにいくか
羊氏のいう変装(偽装)をとるか とらないか
その別れめにあるのは何なのだろうか?
>>35 メディアがマゾという言葉を喧伝したことで
そういうのもアリなんだな、と、
基本的にはあまり強い素質をもっていない人も、そういう世界に触れやすくなったのかもな。
37 :
羊:2007/09/15(土) 11:17:57
サド・マゾは表裏一体だと思う。サドの中にもマゾがいて、状況によっては
マゾになったり、サドになったりする。
変装をとるとらないかは、自己責任があるかないか善悪の判断の理解の度合い
かもしれない。マゾ・サドの人が自己責任・善悪を理解していれば、変装をとらない
かもしれない。けれど、その変装がまったく馬鹿げたことだと理解しているのに、どうしても
そうゆう態度をしてしまう人は、心理的に苦しい状況だと思う。頭で理解している事と、やっている
ことが矛盾しているから。
38 :
咀嚼途上者:2007/09/15(土) 14:12:33
>羊氏
性の場面における自己責任とはなんだろうか?
サディズム・マゾヒズムという性的志向を持つ者も
社会的善悪くらいは心得ている。
善悪の理解とはなにか。
超自我に刷り込まれた倫理観は理解の問題ではない。
まさに、親・社会・制度からのすり込みそのものだ。
そこに性的倒錯者と性的健常者(これはあくまでもフロイト的な意味でだけ納得できる概念だが)
反社会性人格でもなんでもいいが、その手の倫理不在とはまったく違う。
というのが俺の考えのひとつだ。
さらにいうと、サディズムとマゾヒズムが強く固定化されず、
共在する場合は、「サドマゾヒズム」として
サディズムやマゾヒズム以外にもうひとつの分類を建てる、
という流れもあるようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0
39 :
咀嚼途上者:2007/09/15(土) 14:18:53
投稿の時、消えた部分があったようなので。
>そこに性的倒錯者と性的健常者との差異を見るのは
↓(訂正・補足)
性的サディズムや性的マゾヒズムと
サディスト的性格マゾヒズム的性格とを混同していないだろうか。
性的倒錯者と性的健常者(?)は
「反社会性人格」と名付けられているたぐいの、倫理不在とはまったく違う。
40 :
没個性化されたレス↓:2007/09/15(土) 15:19:04
こんなアホみたいな分け方されたら
6:4 4:6とかの割合のときどうすんだよ
41 :
咀嚼途上者:2007/09/15(土) 19:24:39
6:4と4:6が固定されてなくて
ころころ変わるようなら、サドマゾヒズムということになるんだろうね。
(ウィキの筆者じゃないから、たぶん、としかいえないが)
42 :
羊:2007/09/15(土) 21:26:46
性的サド・マゾは愛情問題の解決に失敗していると思います。
異性の力を過剰に評価していて。劣等感をもっており、コントロール
して満足を得て愛情問題を解決できたと勘違いしているのかもしれません。
自立した人は、愛情問題を自立した対等関係で、解決できた人だと思います。
43 :
咀嚼途上者:2007/09/15(土) 22:57:30
愛情を持てない相手には勃起しないという男性がいる。
つまり愛情も性の次元では
性的ファンタジーの中のひとつにすぎないという言い方もできる。
このファンタジーの源泉は親との関係にある。
「男性サディズムは、幼少の頃に母親からの拒絶や父親に刃向かえない家庭環境
など攻撃性や愛情希求願望が抑圧された結果ともいえるのではないか?」
これは前スレで「心理学初心者」氏が書いていてかなり納得したレスだ。
つけくわえるなら、親と子の関係だけでなく、
男親と女親との関係も子供に伝わるのだと思う。
>42
>異性の力を過剰に評価して、劣等感をもっている
たいへん面白い見方だと思う。
母親や父親との関係を絡めて考えれば、むしろ、
過剰に評価したがっている、とも見えるね。
そのことによって、補償を得ようと。
44 :
羊:2007/09/15(土) 23:55:08
極度な劣等感が正常に適応することを恐れている。過去に勘違いして傷ついた
事がトラウマとなり、異性や人への仲間意識をなくしてしまい。安全な方法つまり
自分は何も相手に協力しよう思わないで、私的な満足とゆう動機のみでコントロールして
人生の課題に取り組んでいるんだと思う。勇気をもって他者に利他的で信頼感をもち失敗をしても
自己責任で人生の課題に取り組む事がいいんだけど。その勇気がくじかれているんだと思う。
ピーター・ドラッカー
「もっと困るのは、この理性万能主義者の後には、必ずと言ってよいほど、その真理は自分が体得
したという者が出てくる。真理を体得した自分が、真理そのものであるとの主張です。
レーニン、ヒトラー、ルソーがそうだったし、フランス革命におけるロベスピェールだとか、
ダントンだとかもそうだった。
いずれも自分は真理を掴んだ、体得したと思った。そこで、その真理に従わない者を強制収容所に
入れる、ギロチンにかけるなどの義務が生じた。権利ではなく、義務が生じた。ものすごく危険で
あるというのがドラッカーの考えです。
彼自身は何であるかというと、イギリス及びアメリカの正統保守主義であるということで、こちら
は明日に向かってコツコツ進んでいく。
そして、問題の解決には万能薬を求めず、現場で問題を解決していく。」
46 :
咀嚼途上者:2007/09/16(日) 08:17:24
>>45 レーニンじゃなくてスターリンだろ
ヒトラーの主張は単なる民族主義であってそこに優生学を絡めただけの話。
ルソーの考えにはオリジナルの部分がきちんとある。
ドラッカーが単なる実務的な分析者にすぎず思想音痴であることがよくわかる引用だ。
47 :
咀嚼途上者:2007/09/16(日) 08:24:25
>>44 個人哲学としてはわかるが
あまりにも、倫理的な断罪感が過剰すぎる気がしないでもない。
私的な満足のレベルは個人幻想の中では当然だろう。
自己責任で人生の課題に取り組む、という部分を社会的活動の意味でいってるなら
性的倒錯志向の者でも、仕事をきちんとこなしてるものはいくらでもいる。
理想主義と実体分析とを混同させると、倫理的な啓蒙主義に陥る。
48 :
咀嚼途上者:2007/09/16(日) 08:58:55
>羊氏
>47は単なる咀嚼の感想にすぎないんでねw
カキコはしなくても羊氏のレスに共感を覚えている者もいるかもしれない。
気にせず、書きたい内容を書いてくれ。
(ま、そんな当然のことを偉そうにわざわざ言う筋合いもないのではあるが)
49 :
羊:2007/09/16(日) 13:22:27
人生には3つの課題があって、仕事・交友・愛[恋愛 結婚]。
だいたいの人は、仕事・交友はうまくクリアしてうまくやっていても、とりわけ
愛の課題は、仕事・交友と違って小さい時から人生で身近に、愛の問題への対応を
見る機会がすくないし経験もしないから、興味や注目があつまりやすい。それで恋愛本など
が売られる事が多いし、特に愛の問題の話しに注目・興味があつまりやすい。
50 :
咀嚼途上者:2007/09/16(日) 19:37:03
その考え方は
無職・無友・無愛の状態にある者への抑圧にはならないのかね?
ま、劣等感があらゆる行動の原理になるというのなら
劣等感を深めて行動を促すという策にはなるのかもしれないが。
「働かざる者喰うべからず」で鬱や身体状態、老齢者を
心底では劣等者として見下しながら「救済」を提唱する類の啓蒙主義的ヒューマニズム。
俺は、無職・無友・無愛の状態にあっても
人生の価値は等価だと思っている。
すくなくともそういう倫理を作らないと、
現在のこの共同体の状態はもたなくなってきていると考えている。
51 :
咀嚼途上者:2007/09/16(日) 19:37:43
(と、感想を独り言w)
52 :
咀嚼途上者:2007/09/16(日) 22:52:41
前スレで感心したレスがある。
322 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 08:15:38
稚拙な意見になってしまいますが…。
過保護な母親に服従してきた子供にとって、母親から自立することは
母親から見捨てられる危機感に酷似しているように思えます。
普通ならばそれは自然に起こることなのですが、
服従によってでしか愛を感じられないようになっている子供は
自ら危険(反抗により親の保護を失う可能性)を犯すようなことはしません。
つまり、反抗期を許されないのではなく、反抗期という発想に至らない。
(若しくは反抗することに恐怖を覚える)
良い子でありつづけた子供がいくら自分の中の引き出しを探ったところで
「反抗期」には鍵が掛けられているので、素通りしてしまいます。
私自身反抗期というものを経験しておりませんので、
引き出しの中身が何であるのか、未だに理解できません。
幼い頃から「個」を殺してきた子供にとって「個」は未知の状態であり、
自分には無いものなので他人の「個」(反抗期による親との分離)も理解できないのでしょう。
存在していないのと同じです。
そうすると必然的に、他人のイメージが曖昧になります。
なので自分のイメージが曖昧であることにも疑問を持たず、
環境に順応し、自立の機会を見失います。
53 :
咀嚼途上者:2007/09/16(日) 22:53:20
324 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 13:00:10
私の知識は全てが独学で、このスレと自らの経験を基にしたものなので…
偏ったものであることを前提にお聞き頂けると幸いです。
私が先ほど「親への服従」と言った行動は、乳幼児期に親から受ける世話などの延長の類ではなく
親に与えられた「良い子」という、親が子供に抱く理想への、脅迫的な憧れと、恐怖であり、
その「型」の中に自ら収まることで愛されようとする行動です。
個を抑制され続けてきた子供は、親に与えられた「己の在り方」(親が理想とする良い子)を盲信し、
それ以外の己(自由・本来は個であるべき己)を否定してしまう為に、
「型」に嵌らない己は愛されないものであると信じ込みます。
それは無意識の親の支配であり、子供は「良い子」という外郭で自らを形成するようになるので
その分、中身は空洞の、意志薄弱な主体性のない人間が出来上がります。
そうするとその子供は、常に「己を定義してくれる存在」がなければ
自らの方向性を見失うのと同時に、自らの存在価値(良い子)をも失うことになるのでしょう。
(この時期に反抗期に目覚めなければ、子供は親から自立することが困難になる)
54 :
.:2007/09/16(日) 22:54:11
325 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 13:01:56
そこで問題になるのが、
親によって与えられた理想の己(型)と、曖昧なイメージでしかない(或いは封印された)己(個)との間に存在する、埋まらない溝です。
理想の己(=親・他者が望み、愛する己の姿)に近づこうとすればするほど
結果として己を偽ることになり、思春期を迎えた子供は葛藤を迎えることになります。
(そもそも「自分」が無いのに、偽りの自分が存在し続ける)
これらの葛藤を和らげてくれるのが、新たな支配者の登場ではないでしょうか。
55 :
.:2007/09/16(日) 22:54:42
326 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 13:04:14
初めから「個」を殺し親の理想(という脅迫)に支配されるのと、
自ら「個」を捨てた上で新たな支配者に服従するのでは、その意味合いが全く違うような気がします。
新たな支配者というのは、子供の中で長年培われた「良い子」を破壊し、埋もれていた「個」をも破壊した上で、
子供が最も恐れる自由を奪い、不安から解放します。
また、未熟な母親を目の当たりにしてきた子供にとっては、接点が母親より少ない分
「白馬の王子様」としての要素(親・支配者としての完璧さ)を多く含む男性(父親に抱く幻想)の方が、支配者としての条件を満たしているのではないでしょうか。
ただマゾヒズムが性的倒錯である限り、男性はその対象に女性を求める場合が殆どなので、
母親に不足していたものを補完するために女性を選ぶのではないかと思います。
(私は女性ですので、申し訳ありませんが漠然として推測でしかありません)
また、己の内にある母親を罰する行為というのも、新鮮な意見で興味深いです。
母親が落とした影響を新たな支配者が罰し、矯正(調教?)することは即ち
母親からの一時的な分離を促す行為でもあるような気がします。
56 :
.:2007/09/16(日) 22:55:14
327 名前:305[sage] 投稿日:2006/10/21(土) 13:06:29
また、このような葛藤を抱えながら肉体的な性の目覚めを迎えてしまったら
愛し方を知らない(愛されたことのない)子供が他者を認め、愛せるはずがありません。
未だ未熟な子供は愛されることを望みます。それが歪んだ形で現れたものが、マゾヒズムの開花なのだと私は考えます。
マゾヒズムの根底に自己否定と無価値感が存在するのであれば、
肉体的にも精神的にも最も直接的なかたちでマゾヒストを「求める」サディストの「支配」は、
母親にいつか見捨てられるかもしれない(自立しなければならない)というマゾヒストの不安を拭い、
愛として錯覚させ、倒錯した性癖を植え付けるのに十分なのではないでしょうか。
57 :
咀嚼途上者:2007/09/16(日) 23:00:10
この305氏自身がマゾヒストなのかどうかは知らないが
こういった過程でマゾヒズムという性嗜好を得た者には
サディストはできないだろうと予測される。個を奪われているのだから。
(サド・マゾ裏表一体論に対する疑問として)
58 :
咀嚼途上者:2007/09/16(日) 23:28:54
サディズムからマゾヒズムへの一時的な転化は
比較的容易に起き得るかもしれない。
攻撃対象が不在になった時、攻撃衝動が自分に向けられる。
対象が現れれば再び、攻撃は対象に向かう。
対象への攻撃意欲が薄れた時にはまた一時的に自己への懲罰で衝動を埋め合わせる。
(あるいは間に合わせるw)
だが、元々、305氏が書いたようなプロセスでマゾヒズムを得たものは
かんたんに転化するには「間に合わせ」ではすまない契機が必要に思える。
このあたりをもうちょっときちんと詳細に考察できないと
サドとマゾは裏表などといわれても納得できないのだ。
サド→マゾへの転化は比較的簡単にありうるが
その逆は簡単にはあり得ない。
(自分がしてほしいことをする、というS行為は単に偽装されたマゾヒズムに過ぎない)
59 :
◆INDIA.gtog :2007/09/17(月) 02:02:31
>サド→マゾへの転化は比較的簡単にありうるが
>その逆は簡単にはあり得ない。
ありえる
大抵の人は両面持ってるってことを忘れてはならない
60 :
咀嚼途上者:2007/09/17(月) 10:40:40
>59
どのような過程で両面を得るのかを
きちんと説明したまえ
61 :
羊:2007/09/19(水) 02:50:59
>>50 共同体で生きているかぎり、協力して生きる事が大事だとゆう事。
人と人は支えあって、協力、助け合わなければ生きていけないわけ
だから、それには、他者への関心、友愛、協力を学ばずして、人は
生きていけないとゆう事を伝えたかっただけで、義務的な課題として
伝えているわけではないです。もちろん、すべての人生の価値は等価だと
思うし、平等だと思うよ。
62 :
咀嚼途上者:2007/09/19(水) 11:55:11
>>61 すべての人生の価値は等価だ というのは
「もちろん」などとかんたんにいえるような生やさしい倫理ではない。
ほんとうは恐ろしい思想なのだ。
女子高生コンクリート殺人の加害者と被害者の人生の価値を等価とみなす
ほんとうに心底そう思えるか?
宅間と彼に刺し殺された子供達の人生は等価で平等か?
これらの問いに「もちろん」などと簡単に答えられるのか?
胸を張って声高にいえるのか?
俺はこの恐ろしさを十分判ってるがゆえに、
簡単にこの考えを「積極的」に主張する気にならず、
消極的な場面で(防衛的な意味で)しか今まで使った事がない臆病者だ。
>協力し合って…助け合わなければ生きていけない
すこしアレンジするだけで「滅私奉公」になる。
「孤立」してでも主張するものは生きていけない。
共同体はいつも暖かいわけではない。
公私の区別が理念的にはっきりさせられていない風土で
そのような倫理は、かんたんに滅私思想と結びつく。
63 :
えす:2007/09/19(水) 14:30:12
共同体の中で個が失われるのが怖いから、ねじれた形で主張の叫びが出る。
その一つがSMなんだろうな。自分一人で個は発見出来ないって事はほとんどの人が感覚的にわかっているから。
深刻なサディストにだってマゾヒストにだって、愛も夢も希望も常識も理性もある人は多い。
個を求めるのは人なら当たり前だ。
誰かを救う事で自分も気持ちよくなれる。ちょっとボランティアにハマる人に似てるかもしれない。
ねじれているけど。
64 :
没個性化されたレス↓:2007/09/19(水) 17:39:34
S=あまり考えず、感情とその場の空気のみで行動 >>リア充に多い
M=考えて行動、相手に気を使う行動 >>弧系に多い
リアが弧に陥るケースも多々見られる。
65 :
咀嚼途上者:2007/09/19(水) 18:46:38
>>63 共同体の中に埋没している自分が、
主人公(Sは支配者として、Mは徹底的に「見られる」ものとして)になる場として
SMがある、ってことかな?
(ま、俺のこの解釈だと、 恋愛だってそうだ、
ってことになってしまうのからすこし違うのかもしれんが・・)
実践SMとは別に、性的ファンタジーとしてのSM(小説・映画など)には
共同体の抑圧(通俗倫理や権力)を具現するMがお仕置きの対象となって
一時的に小さな解放感を得る、というパターンも多いね。
「個」に対する感覚は欧米とアジアではどうも違う気がしてしかたがない。
明治になって漱石はまさに日本に「個」はいかに成立するか、ということで悩みまくり、
昭和の前半には再び、公が個を徹底的に抑圧してアジア型全体主義に舞い戻った。
これは、公のさらに上に人格神がいて、神と個々人が直接契約をするキリスト教と
カーストを認める仏教との違いに起因する気がする。
これは、よた話だが、
アメリカのBDビデオのパターンのひとつで
機械でにディルドウを取り付けて挿入したまま放置するのがある。
この時、画面からSはいなくなりMだけが、機械に責められ(?)ている。
まさしく、個として、Mは自足してしまう。
人間に責められるのではなく、機械に陵辱されているというところに
性的ファンタジーが発動するのだろうが、日本のビデオでは、あまり見かけたことがない。
(志摩紫光で類似のは見たことあるが、パターンとして普及する、とまではいかなかった)
些細な話だが、ここでも、個を重視する欧米と関係重視のアジアとの差な気がしないでもない。
ボランティアにはまるのはMだ。と心理学のプロ氏が書いていたね。
ネット知り合いのボランティア関連の女性に、
マゾとボランティアとの共通ワードは奉仕、と書いたら妙に感心されたことがあるw
66 :
羊:2007/09/19(水) 18:58:59
問題に対して、解決策を考えるほか建設的な状況はないと思う。
人生に対して責任感をもって生きる事が大切だと思いました。
67 :
咀嚼途上者:2007/09/19(水) 19:05:12
68 :
咀嚼途上者:2007/09/19(水) 19:23:39
>>66 問題に対して、解決策を得ようとするなら
問題を正確に理解するようクール(ニュートラル)に分析する努力が欠かせない、と思う。
努力をしたから正しい解決策が得られるかどうかはわからないがね。
なにを人生において大事と思うかは個人の自由だし、
個人の人生哲学としてアドラー的なものは有効なのだろう。
>異性の力を過剰に評価して、劣等感をもっている
こういった分析・洞察こそが、次の解決を生むのだと思う。
69 :
sage:2007/09/20(木) 09:34:37
遺伝は?
70 :
咀嚼途上者:2007/09/20(木) 13:24:58
性格の基本は
胎内期から3才ごろまでの間の生育歴で骨格ができる、
と今のところ「俺は」考えてるがね。
倒錯者の子供は倒錯者というような
遺伝子決定論は、犯罪者の子供は犯罪者の素質があるというような
表面的で単純で根拠のない主張を生みやすい。
この手の遺伝子決定論的な考えは、家系・血筋などという
少し考えればまったくばかばかしい優越・劣等の差別化を支持するだろう。
これは体制護持の利益(既得益)が絡んでいるので、共同体内部では根深い。
狼や豚に育てられた子供達の記録を読んでも、
生育歴・環境(特に、親、あるいは親代理との関係)が決定的な要素だ、
と俺は思っている。
前スレでは「心理学初心者」氏が、
記憶遺伝子というようなことを言っていた。
その後、展開はなされなかったけれど、彼は違う考えを持っているかもしれない。
71 :
咀嚼途上者:2007/09/20(木) 13:31:40
PCでいえば
HDやメモリや処理速度といった「スペック」は遺伝するだろうが
そのHDの中に何が書き込まれたり保存されたりするか、その内容は直接的な遺伝ではない
ということだ。
72 :
咀嚼途上者:2007/09/20(木) 13:41:25
政治家の子供は政治家、タレントの子供はタレント
というのは一種、階層化の問題であって
遺伝子の問題ではない。
日本で再び階層化が進んでいることから
たとえば、医者の息子が医者になれないと、他に行き場所がなくなり
強いストレスと不安から殺人を犯すことなる。
医者の息子が殺人者、というのは遺伝子の問題か?
73 :
305:2007/09/20(木) 16:37:37
私のレスが引用されていたので、少しお邪魔致します。
>>57 >>58について
>サド→マゾへの転化は比較的簡単にありうるが
>その逆は簡単にはあり得ない。
私もそう思います。
SとMの構造を考えれば自然なことではないでしょうか。
先日、サディストの男性と話す機会がありました。
彼は「奴隷には言わないが自分のMの部分も自覚している」と言っていました。
サディストである彼の中にも少なからずMの部分はあるのです。
それがMと関係を結んだ後に得た共感であるのか、潜在的に所有していた感覚であるのかは解りません。
言えるのは、自身のマゾヒズムを自覚しながらも彼はサディストであるということです。
対する私はマゾヒストですが、Sの心理というものは解ってもそれに「共感」するのは難しいと感じました。
生身である人間は白黒はっきり分けられるものではないものの、
これこそが「個」を失ったマゾヒストと、サディストの決定的な違いでしょう。
74 :
305:2007/09/20(木) 16:39:26
SMを行う上で奴隷へと自らの意思を通達し、
彼(或いは彼女)の機微を汲み取って操作する必要のあるSは、Mに「共感」出来なければなりません。
つまりSはMの状態を知っているのです。
中には、余りにもSM行為に集中してしまうと自分がMになったような錯覚すら覚える、という方もいます。
このように S と M の間にケーブルがあるSが何かを切欠にMに転化したとして、
不思議なことはありません。
一方、Mはどうでしょう。受動的なMは全てが自己完結することになります。
ナルシシズムに囚われた者が自己から他者へ興味を移すのは、快楽の場において、容易ではありません。
Mの視点は「己」に執着しているので、そこから動きづらいのです。
彼らが服従する主の姿(像)ですら、実際は、己の中にあるのですから。
75 :
咀嚼途上者:2007/09/20(木) 23:33:04
>73-74 お久しぶり。
あいかわらず305氏のレスは明快に整理されてて読みやすいですね。
SがMを内包している、という部分は一度えす氏の感想を聞いてみたい処ですなw
既出かもしれないが、フロイトのマゾヒズム関連の論文はちくま文庫で
手にはいりやすくなってる。(フロイト全集は一冊4千円以上してたが、こちらは千円台)
S・フロイト「自我論集」 ちくま学芸文庫 1200円
〃 「エロス論集」 〃 1300円
「自我論集」にはフロイトの重要なマゾヒズム考察論文が集められている。
「エロス論集」には男性・女性の問題、ナルシシズム関係の論文が載っている。
で、自我論集の最初に載っている論文には305氏の分析と似通った部分がある。
(いずれ、引用してみようと思っている。
E・フロムの「引用者」氏が引用をやめたあとの部分も
「愛とサディズム・マゾヒズム」に関して興味深いのでいずれ)
たぶん、305氏の方が理解・整頓は早いだろう。
(我が薄ければ、その分他の言ははいりやすいし
人の意向を察知することも慣れてるはず、という勝手な思いこみw)
76 :
305:2007/09/22(土) 08:47:36
>>75 お久しぶりです。
私が意見できることはとても少ないので、
皆さんの書き込みを拝見しながら勉強させて頂いておりました。
ご紹介頂いた論文も興味深いです。
心理学を「かじっている」とすら言えない私なので、どこまで理解できるのか不安もありますが…
是非、手に取ってみたいと思います。
77 :
咀嚼途上者:2007/09/23(日) 18:02:24
>305氏 まだ見ているとは思ってなかったので反応があって実は少々驚いた。
(ほとんどの人はプロ氏がカキコしなくなった時点で離れたと推測してたのでw)
とりあえず、
「自我論」(ちくま学芸文庫)
に載ってる最初の論文「欲動とその運命」から
サディズムからマゾヒズムへの転化(逆転)のプロセスに関する部分の抜き書き。
(様式はフロム引用者さん(くん?)の方式で)
サディズムとマゾヒズムの対立では、このプロセス(方向転換)は次のように記述できる。
(a) サディズムとは、他者を対象として暴力を加え、力を行使することである。
(b) この対象が放棄され、主体自身に置き換えられる。
方向が自己に転換されるとともに、能動的な欲動目標が受動的な欲動目標に転換される。
(C) 新たな他者が対象として求められる。
目標が転換されたため、この他者が主体としての役割を果たさなければならない。
この(C)の段階がいわゆるマゾヒズムである。
マゾヒズムにおいても、本来のサディズムの道を通じて満足が得られる。
しかしそのために、受動的な自我は空想によって
[主体によって暴力をくわえられていた]最初の対象の位置に置き換えられ、
最初の主体の位置は他の対象が占めるようになることが必要である。
段階(b)の想定が無用なものでないことは、
強迫神経症におけるサディズム的な欲動のふるまいから明らかになろう。
ここでは、新たな他者に対する受動的な態度は発生せず、
自己の主体に対して転換が行われている。
この転換は段階(b)で終わるのである。
加虐欲から、マゾヒズムではなく、自虐と自己処罰が生まれる。
能動相の動詞が受動相に転換することなく、再帰的な中動相*に転換するのである。
*(訳注)
ギリシア語では、
能動相と受動相の他に中動相という動詞の態があり…
中動相の重要な機能は…動作の対象が自己に戻る態を示す。
たとえば洗うという動詞では、子供の顔を洗う場合は能動相
自分の顔を洗う場合は再帰態の中動相を使用し、
他者に自分の顔を洗われる場合には、再帰態の中動相と同じ語形の受動相を使う。
語形が同じであるから、中動相であるか受動相であるかを判断するのは読者である。
80 :
咀嚼途上者:2007/09/23(日) 18:38:50
前スレで参照していたサーシャ・ナクトと
本家フロイトの大きな違いは、
サディズム→マゾヒズムへの間に「自虐」という段階を認識していることだ。
これは、かなり重要だ。
自虐とマゾヒズムを直接的にイコールとしないというフロイトの明察から
より、深いサディズムとマゾヒズムの関係に関する認識が得られる。
自己が自己を責める部分に「鬱」を当てはめていたナクトは
この、自虐から性的な快感部分を抜いて解釈していたことになる。
(この論文でのフロイトの原則は、快・不快原則だ。
フロイトがなぜこれほど真剣にマゾヒズムを追求したのは
マゾヒズムが快・不快原則に反しているように見えるためで
心理学でもっとも深くまじめにマゾヒズムの問題を考えたのはフロイトだ。
以後の心理学は、フロイトの「性」を嫌い、SM問題をを一種の「応用問題」に縮小させている)
81 :
咀嚼途上者:2007/09/23(日) 19:00:47
ところで、この攻撃性から始まるマゾヒズムの場合、
最初の攻撃部分はどこにあるのか。
たとえば、M男性の場合は、
普通に男性の性行動として自然に「能動相」として行われる性交が
その代理を果たしている場合があると思う。
俺がネット上でなかよくさせてもらってるあるM男性の場合、
中年を過ぎてMになり、Mが進むにつれて「性交」欲がおおはばに減退したそうだ。
ではM女性の場合は、どうなるのだろうか。
305氏のような場合、攻撃性はどこにある(あった)のだろうか。
すくなくとも、前スレから引用したレスを読む範囲では、
他者への攻撃性は表にはあらわれることを抑圧されていたようだ。
とするとそれは、たとえば成績の上昇とか、
学級委員的な立場だとかそういうものに転化されていたのかもしれない。
または、親からの無形・有形の圧力が、
そのまま超自我として自分を責める自虐段階から、
その責める役割を他者に代行させることで、鬱の構造を転化させるマゾヒズムへ
急速に固定化されたのか。
ここに、という、60年代にフェミニズム系精神科医たちが
政治的に抑圧した(「マゾヒズムの発明」の説明による)「女性マゾヒズム」の問題
は以前として残っている。
下から3行目 「という」 は消し忘れ。脳内削除を宜しく。
さらに、フロイトの 中動相としての自虐という考えを
305氏>73-74のS男性に当てはめると、
内包されているのはマゾヒズムではなく自虐だ、となる。
自虐から、他者による自我へ責めを受け入れるかどうかは
「個」を譲るか譲らないかという問題になるのではないか。
したがって、自虐まで空想が進んだとしても、=マゾヒストとはならない。
あくまで、他者による責めの受動=快感という構造がなければ
マゾヒズムとはいえないことになる。
補足すると、引用部分はきちんと読めば、
サディズムの心理はまったく掘り下げられていない。
引用された部分は、あくまでマゾヒズムの構造だ。
このあとの部分でフロイトは、
(C)段階まですすんだからといって(a)(b)が消滅するわけではない、と述べている。
つまり、SとMが同在するというのは、マゾヒズムの構造の中にあるのであって
サディズムの中にあるのではない。
これは、自殺願望が転化して殺人を犯す者がいるからといって
すべての殺人者に自殺願望がある、という事を意味しないのと同じだ。
時効が成立して、死刑にならないとはっきりした時点で告白する殺人者もいる。
(すべての自殺者の中に殺人願望が「必ず」潜んでいるかどうかは、
このスレでは考察しきれない)
>74レスの
「余りにもSM行為に集中してしまうと自分がMになったような錯覚すら覚える」
というのは、フロイトの(b)段階=自虐段階 を考えるとわかりやすくなる。
その場合、責め手が「自分」であることが重要で
その場合にのみ、自分に責められているMと自分がシンクロする。
他人に責められているMを見ていても自分とそのMがシンクロするならば
もうマゾヒズム段階、ということになるだろう。
(この場合でも、責めているSと自分が同一化された上で
Mにシンクロするなら、まだ自虐段階だ)
以前えす氏が言っていた「おらおら暴君型」は (a)段階のみのS
「似非牧師型」は (a)段階に(b)が加わったS
という解釈も可能かもしれない。
したがって
「SもMも持っている」 というのは
実は「マゾヒズム」の構造であって
(純)サディズムについてはあてはまらないことになる。
問題はナルシシズムと関係する(b)自虐に関して
SもMも共通することがある、ということだ。
ここに裏表一体論という誤解が生まれる。
それは結局「マゾヒズムの側」から言われているのであって
だからこの論を唱える者は(純)サディズムを等閑視している場合が多い。
自虐において、フロイトは
「受動相」と同時制をもつという「中動相」 としたが
よく考えてみると、ここには責める自分と責められる自分という
能動と受動が混在・同在している。
ここにおいてSは心理的労働を解除される。
なぜなら責められているのも自分であるので観察や推測の必要がなくなるから。
自虐においては主体は
責める自己と責められる自己、能動と受動を往復することになる。
その時、自虐の幻想ははたしてどちらに偏るのだろうか。
案外、Sの方が責められる自己に力点を置くのかもしれない。
相手が自分であるから、Sは相手の自我に対する陵辱を行うための種々の
心理労働を解除されすることがなくなってしまうからだ。
逆にMは、能動相を他者にゆだねることができなくなり、能動相に偏るのかもしれない。
あるいは、それぞれの空白を他者との同一化させることで、
自分を演らせ的に他者の幻想に置き換えるのかもしれない。
その場合、能動性を他者に同一化させるのか、受動性を他者に同一化させるのか?
自虐の場合、外的刺激を受けるのは、受動性としての自分であるから
受動する自分を他者と同一化させるというのは考えにくいが。
こうしてみると「自虐」領域はかなり興味深い領域だ。
(疑問)
自虐と自傷との差異
そしてナルシズムと自虐の関係。
自虐はナルシズムを亢進するのか、
ナルシズムを減退させる儀式としての自罰なのか
あるいは、疲れやストレスによって自我が重く感じられる時
それは性的快感に転化させる儀式なのか。
89 :
えす:2007/09/27(木) 11:43:36
自虐は自分の心の中だけで行われる。
自傷はなんだかんだで、見て気づいてくれる相手を必要としてる。
実は自傷の方がSM的だね。
相手不在のSM的ゲームなんだけど、気づいてくれる人が現れたら無理矢理自分の世界に引き込みたいって願望を潜ませてる。
片や自虐の方は、簡単に言ってしまえば過剰な反省。
だから、外に何かをあまり求めてはいない。
こんな感じかな。いろんな人を見てきて、自分はそう感じてる。
90 :
えす:2007/09/27(木) 12:03:58
あと、SがMを内包してるって話。
もちろんSは、Mの気持ちを考える場合「もある」。特に似非牧師型の場合はね。
でもMによっては、自分の事なんか全く考えないで自分勝手にメチャメチャにされたい、
自分の人間性を完全に無視されたいってタイプもいる。理解出来なくても、いる。
そんなMにぴったりのパートナーはどんなSだと思う?
そんなSには(かなりの暴君型)、Mを内包していたらなれないんじゃないかと思う。
個人的にはそっち方面は好きじゃないけど。
その日の気分なんかでSとMの役割を変えられるのは、
ただのプレイとしてのSMなんじゃないかな。
以前言った、笑いながらのSMが。
俺が思うSMの怖さと快楽性の根源には、『もう帰れない感』が重要な要素で。
だから基本、例えMの気持ちがわかっているSでも、Mになる事は出来ない。
もしなったとしたら、もう帰れないんじゃないかな。
えす氏
>>89 おもしろい。
自傷というのは他者へ向けての「表現」なわけだ。
かたや 自虐は、自己完結的(当たり前といえば当たり前だがw)な単なる「行為」。
過剰な反省 という観点もおもしろい。
しかもこの場合性的な行為(儀式?)であるから
自罰とみせかけた快感行為への転化で
短時間で反省を放散(あらゆる性行為がそうであるように一回一回の仮完結だが)できる。
自虐と自傷の差異をそういう形で弁別するなら、
Sと暴力の差異もある程度の弁別が可能になる気がする。
S行為は相手を必要とする「表現」なのであって、
自己満足的な暴力ではない、という風に。
(時間の都合で、90はまた改めて、刺激された部分をかきたい)
>90 は4つの問題が骨太に整理されてるのでいっぺんに全部反応はしきれない。
SがMを内包してる、と305氏に話したS男性のケース。
これは、フロイトの3段階説を受け入れると、
実際にはMを内包しているというより、自虐段階を内包している、ということになる。
コレは依然としてサディズムの段階の内にある、とフロイトは見なしている。
>79 「加虐欲から、マゾヒズムではなく、自虐と自己処罰が生まれる。」
そして、M段階(フロイトで言うと>78(C)=「自己の主体に対する転換」)に進んだ場合、
フロイトは「総量」という考えを出している。
能動性から受動性への転換による欲動の変換と、
自己自身への欲動の方向転換は、欲動の動きの「総量」にかかわるものではない。
こうした欲動の転換プロセスが非常に広範なものであったとしても
(*咀嚼者 つまりかなり強いドンデンだったとしてもw)
新しい受動的な方向とともに、
転換される前の能動的な欲動の方向が、ある程度は共存するのである。
(覗き見→露出という)窃視欲動について確実なのは
欲動のすべての発展段階、すわなち自体愛的な前段階
(*咀嚼者 サディズムにはこうした前段階は欠けている、とフロイトは言っている)から
能動的(覗き見)および受動的(露出)な最終段階にいたるまですべての段階が
互いに共存しうるということである。
サディズムはMを内包しているのではなく、
自己自身へのサディズムまでは含み得る。ということだ。
そして、マゾヒズム段階(他者による嗜虐受動)にまで至れば、
量の多寡はあるにしろ、すべての要素が共存しうる。 と、フロイトは洞察している。
サドマゾヒズムというのは、結局マゾヒズムの中に含めてしまうこともできる。
サドもマゾも併せ持っているというのはマゾヒストであってサディストではない。
ここに>90の3番目の問題を絡めることができる。
>その日の気分なんかでSとMの役割を変えられるのは、
>ただのプレイとしてのSMなんじゃないかな。
最近おもしろい表現を聞いた。 「ロールプレイとしてのSM」
素直に感心した。市民主義SMと俺が何度かいっていたものと同義だが、
こちらの方が射程の角度が広い。
これに絡めて、快楽主義の延長としてのSMということがある。
ここでサディズム・マゾヒズムの話をしていて何度か、
違和感を感じたことがあるが、それは
普通の性行為に飽き、より強い刺激、快感を得るという目的でSMに触れる
というタイプが増えてきた、ということに起因していることがようやくわかってきた。
それらはまさにロールプレイとしてのSMであって、
性交の延長、バリエーションとしてのSMなのだ。
最初からSMという形で性的ファンタジーをはぐくんできたSM者と
快楽主義の延長としてのSM行為を行う者とが混在して
同列で語られているところに混乱があるのだ。
また、自分自身で勘違いしている場合も多い。
性愛の倒錯としてのサド・マゾヒズムと
性愛の発展・延長・変形・としての快楽主義的SM。
後者が笑いながらのSMだ。
心理学のプロ氏や心理学初心者が心理学として対象としていたのは前者であり
だからこそ、SM者も関心を持ったのだ。
>90 [Mによっては、自分の事なんか全く考えないで自分勝手にメチャメチャにされたい、
自分の人間性を完全に無視されたいってタイプもいる。理解出来なくても、いる。]
これは、心理学のプロが言っていた
自己放棄、(裏返しの自己執着)といった分析だけでは理解できないのだろうか。
ま、なんにしろ、
そういう人は人生のどこかの時点で強いトラウマを得ていることは確かな気がする。
(幼い時の性的虐待、あるいはレイプ経験など)
さらに、そういうタイプは、以前言っていた外向型・内向型とは別なのだろうかね?
「もう帰れない感」ってのはなんとなくニュアンスとしては伝わるんだが、
「もう帰れない感」が基本だと、Mの気持ちがわかっているSでも、Mになる事はできない。
という部分についてもうすこし、説明してもらえないだろうか。
(ところでこのログは今57Kbで、この板の下の方を見てみると同じ50Kb台スレッドで
9ヶ月無レスで圧縮=dat落ちしてないスレがあった。
やはり400KB過ぎから限界の512KBまでの間が危ないようだ。
だからといってここが同じくらい無レスでdat落ちしないという保証はないが。。
つまり、返事は急がないでもけっこう、といいたい訳だがw)
>>96 君は女に浣腸されて脱糞した経験があるか?
ないならば一度してみな。
マゾヒズムの気持ちがわかるぞ。
1.多くのマゾヒストは即自性の殻に閉じこもる。
2..「私」を捨象した「理」をとれず代わりに「知識」や「形式主義」で代用する。
幾人かの例外を知っているが、大半はこの2つのどちらかだ。
特に 1 をさして、プロ氏は自己執着と呼んだ。
多くの女性もまたこの特徴を持っている。
あの、きわめて優秀な尊敬すべきシモーヌ・ヴェイユですら
最後は、イエスとの一体化を夢見る宗教性に捕らわれていった。
女性の性は、破瓜の痛みに始まり、出産の痛みで完結する。
これが、動物性としての女性の物語だ。
ここに、S・ナクトは女性マゾヒズムの問題をおいた。
これは、破瓜の痛みから快感への通路を経て、出産経過の痛みから
最終的に出産の快感を得るという古典的な図式だが
ある程度の普遍性がないともいいきれない。
女性マゾヒズム 男性マゾヒズム 女性サディズム 男性サディズム
それぞれにそれぞれの物語がある。
これらを通底するものと、通底できない断線。
川に溺れていて川の全体を見通すことはできない。
プロ氏はまた別のところでは
自己実現としてのS ということをちらっと言った。
マズロー的に言えば、
マゾヒズムは帰属欲求や承認欲求を満たすことはできても
自己実現欲求は満たせない。
どのくらいの試練に耐えたかは、Sの承認・評価に依るのであって
創造的な自己実現とはいえない。
(成長動機はある適度満たされるかもしれないが)
ではなぜ、Sに自己実現的な要素が成り立つかと言えば
そこに「個」があるからだ。
自己実現は、他者の評価を求めない自立的な欲求だ。
帰属意識や自尊欲求だけでは、満足は得られない。
それをサディズムを結びつけた時、
プロ氏はSには個があることを認めたことになる。
別に、だからSがエライといってるわけでも何でもない。
そこには断線があるということだ。
普通の意味できちんと個を持った男性マゾヒストも知っている。
彼は女王から「あんたはサディストだ」と言われたこともあるそうだ。
しかし、やはり彼はマゾヒストだ。
これは、フロイトの総量の説明でようやくはっきりした。
>78(C)段階まで発展してしまった者は、Sや自虐を内包しつつも
まさに「もう帰れない」のかもしれない。
SはSの部分で孤独だ。
MはMの部分で弱く依存的で不安定だ。
これは、生育歴と関係している。
この関係づけを発見し最初に整理したのもフロイトだ。
マゾヒズムに関し多くの心理学者・精神分析家のなかで
フロイトがもっとも真剣に対峙し考え抜いたと俺には思える。
104 :
咀嚼途上者:2007/09/29(土) 23:36:29
ラカンがマルキ・ド・サドに関する論考を書いているとどこかで読んだが、
翻訳はでてるのだろうか?
105 :
没個性化されたレス↓:2007/09/29(土) 23:39:24
どこかにでてるよ
106 :
没個性化されたレス↓:2007/09/30(日) 00:11:32
>105 kwsk
>106 これのようだ。
http://www32.atwiki.jp/lacan/pages/12.html マルキ・ド・サドの自由と道徳の矛盾に関してカントの道徳論を絡めた論考がされてる。
3−4は特に面白いが、残念ながら5−7はまだ作成中で8−11が先に試訳されている。
しかしここで語られている道徳とサディズム(というかマルキ・ト・サド)の問題は
非キリスト教の日本に済む我々にとって必須で切実な文脈とは感じられないが、
とはいえ、大変面白い部分が所々ある。
このスレッドで道徳(格率)とサディズムの問題にまで話が及ぶかどうかはわからないが。
test
SMは鬱を未然に転化して、防御・予防している。という側面がある。
しかし性欲を減退させたロールプレイやただのファッション的SMで予防効果は期待できない。
110 :
ゆう:2007/10/08(月) 04:20:38
流れを無下にしてしまいそうだが
失礼を承知で意見を仰ぎたい。
過去のいじめや虐待経験なんかから
その経験を反芻(もしくは克服)したいという前提からの被虐欲求はマソヒズムと言えるのだろうか。
また オスカーワイルドなどの退廃主義者に見られる破滅希求(自分を破滅させる者だからこそを愛してしまう傾向)はマソヒズムと捕えていいものだろうか。
どちらも、蹴り落とされた経験もしくは状態からの自己の尊厳回復という自己目的の意味合いのものかと思うのだが
ただそれと片付けていいものか迷いがある。
よければ意見をお聞きしたい。
>>110 マゾヒスト女性に、レイプ経験者や父親からの性的虐待経験者がいるのはたしかだが、
その逆(そのような経験者が必ずマゾヒズムを得るかどうか)はわからない。
いま読んでる最中のフロイト「マゾヒズムの経済論的問題」に次のような一説がある。
『マゾヒズム的な拷問は、空想されたものにせよ、実行されたものにせよ、
サディズムの残虐な拷問のような陰惨な印象を残すものではない。
マゾヒズム的な空想の顕示的な内容においては、罪責感が表現されることがあるが、
この場合に暗黙に想定されているのは、
空想の主体はなんらかの罪を犯しているのであり(罪の性格は不確定なままである)、
さまざまな苦痛と拷問の手続きによって、それを贖(あがな)わなければならないことである』
論文ではこのあと『幼児期の自慰との関係が潜んでいる』とされているが
いじめ、虐待経験から、それをむしろ自分のせいだと思いこんだ場合も
意識的には無意識的にか、内向した罪責感が生じることはおおいにあると想像できる。
そこから、マゾヒズムに至る道筋にはいくつかの仮説が考えられる。
(1)「言い間違いをしたものがおなじ言い間違いをわざと重ねる、という説をどこかのサイトで読んだ。
(なんという機制なのか思い出せないが)
これに似たような、不作為になされた自己体験を、こんどは作為的に行うことで
主体的な行為にすり替えて、傷をごまかす、というような機制。
(2)あるいは、フロイトが書いているように、体験を自分の過ちとして罪責感を持っている場合、
それを責められ、苦痛を与えられ、その儀式を通して罪を贖い浄化を得ようとする衝動。
(3)苦痛な体験を快感に転化することで、過去の傷を変質させようとする衝動。
など。(これらのうちのどれが正解か、あるいは別の正解があるのか、今の俺にまだ判断する力量はない)
ワイルドについてはよく知らない。
ググって見るかぎりあまりマゾヒズムとの関係はないようにみえる。
ただ、同性愛者のネコであればそこにマゾヒズム的要素は見いだせる可能性はある。
破滅希求というのは、どういうものを指すのかもいまいちわからないが、
たとえば、戦後の自己破滅型と言われた作家達(太宰や安吾や田中英光や)に関しては
時代の世相というものとの関係が大きい気がする。
破滅型というのは、実際には通俗的な道徳や世相に対する抵抗・抗議的な衝動ではないのだろうか。
ワイルドという作家がそれとおなじかどうかは、読んでないのでわからない。
(基本的に、どうもジッドにしろジュネにしろ同性愛系作家はあまり性に合わない。美学に傾きすぎているような印象)
以上、俺の現時点での考え。
(フロイトの「マゾヒズムの経済論的問題」には道徳的マゾヒズムという概念が登場してるが
まだ、読んでる最中なので)
113 :
咀嚼途上者:2007/10/09(火) 22:27:56
>110の質問に関して他の意見や考えが出てくるかもしれないから一度ageておく
>>咀嚼途上者さん
レスが遅くなってしまってすみません。
ご紹介頂いた論文、是非手に入れたいと思い本屋へ赴いたのですが
マイナー(?)すぎたのか置いてありませんでした…。残念です。
通販の方が良さそうですね。
サディストの中にあるのは自虐。
SM表裏一体論に違和感を感じていたので、なるほど、と納得しました。
これで矛盾が解決しました。
115 :
305:2007/10/12(金) 18:58:35
名前を忘れました。305です。
根拠も何もない意見ですが…
レイプ経験を経てMになる、というのは、単に
自らのM性を抑制していた・無自覚であった女性が、レイプによって引き金を引かれMになった
ということではないでしょうか。
種がなければ花は開かないように思えるのですが…。
116 :
咀嚼途上者:2007/10/13(土) 00:40:33
>>115 レイプ経験者がみなMになるわけではないから、そういう気もする。
他者の欲望の「部分(対象)」になる。というのがレイプとMの共通点といえば共通点だが。
マゾヒズムの場合は、先に自分自身のマゾ的ファンタジーが先行しているのが大きな違い。
もうひとつ、明示的であれ暗黙的であれ、同意の有無は大きい。
(ファンタジーの中では「無理矢理」もあるだろうがもちろん実際のそういう経験とはまったく違うだろう。
ファンタジーの「無理矢理」は羞恥の乗り越えを相手にゆだねるに過ぎない)
ただ、そうでない場合(予めM種をもたない女子が、その経験を引き金にMになった場合)があると仮定すると
>111に加えて
(4)疑似レイプ的な行為の回数を増やすことで、
最初の、悲劇的な体験を「 何十分の一(ワン・オブ・ゼム)に減らし、
薄めようとする「経済論的」衝動が働く。
という仮説も追加しておきたい。
ファンタジーとしての被レイプ願望は、引っ込み思案と性欲の合体ではないだろうか。
もういちど>115
Mの種を持っている女性の場合、
無自覚に(あるいは、人によっては意識的に)
そういう状況に自分の身を置きやすくする、ということがあるかもしれない。
(これは、被レイプ経験者全体のことを言っているのではない)
羊氏の>42に関連して。
そういえばえす氏が前スレで面白いことを書いていた。
----------------------------------------------------
<前スレ621 投稿者 えす氏>
『S女もM女も、結局は『自分(女性)より強い男性(父性)に〜』って前提があって成り立つのかな?
単に主従的関係と言っても、行為中は一時的なシュミレーションな訳で、
その場合『下克上』の快感もありうると。』
-----------------------------------------------------
自分(女性)より強い男性(父性)という劣等感コンプレックスがS・M女の前提にある、
というのは>42に通じるところがある。(えす氏の言い方の方が倫理的抑圧を含まずクールだが)
>42をふまえれば、
男性S/Mにも女性(母性)は崇高(崇高であるだろう)という前提があって成り立つのかもしれない。
男Sの場合は、そこを崩す快感、または、崇高ではないという怒り(失望)
(どちらにしてもその無様さを確認して安心したいという願望)
男Mの場合は、崇高さへの帰属、あるいは失望からの回復としてのS女崇拝
(まぁMの場合は男であれ女であれ最終的には自己完結的なのだが)
>111(1)は 『自我論』(ちくま学芸文庫)「快感原則の彼岸」でフロイトは
「反復強迫」と呼んでいる。
「快感原則の彼岸」でフロイトは外傷神経症を分析している。
PTSDなどというと比較的新しい概念に思いがちだが
戦争で負け知らずというイメージだったアメリカ社会が
ベトナムで初めて心的外傷を真剣に取り上げはじめたというに過ぎないのであって
ヨーロッパではとっくの昔に心的外傷(トラウマ)神経症、戦争神経症・災害神経症として
研究されていたという事だ。
俺はどうもアメリカ心理学が信用できない。薄っぺらい。
122 :
咀嚼途上者:2007/10/19(金) 08:17:29
アメリカ心理学は、中身より
個人の心の傷に対する手当てをきちんと行おうとうする社会的雰囲気に分厚さを感じる。
123 :
没個性化されたレス↓:2007/10/27(土) 00:44:35
124 :
没個性化されたレス↓:2007/10/27(土) 12:59:27
こういう自分の倒錯欲求を職業にしてるのは昇華というの?
125 :
咀嚼:2007/12/19(水) 02:49:16
[昇華](wiki)
「社会的に実現不可能な目標・葛藤や満たす事が出来ない欲求から、
別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること。
例えば、満たされない性的欲求や攻撃欲求を芸術という形で表現することは、昇華と言える。」
↑で重要なのは「満たされない欲求」という部分だろう。
マルキ・ド・サドが刑務所送りになったのは街で拾った乞食女性を鞭で打った、という程度で
彼が自分の小説で描いたような事をもし実際に行えば、単なる刑務所送りではすまなかっただろう。
彼の小説は「満たされない願望」が昇華された結果といえる。
縄師は何か満たされていないだろうか。職業化する、プロになるというのは
昇華の概念にとって一次的な問題ではないように思う。
(需要と供給があれば風俗関連の技術も職業になる。ソープ嬢のローションテクニックのように)。
昇華では「欲求の抑圧」の方が重要なポイントだと思われる。
wikiでは「劣等感コンプレックス」などを念頭において非性的な表現をしているが
フロイトははっきり「性的欲動」の抑圧が無意識に潜り込んで、
脱性化された形で再び表層に顕れることを昇華と呼んでいる。
もちろん「抑圧」のあるなしが大きなポイントになっている。
>124 そういったことを参考に自分で答えを出してくれ。
126 :
咀嚼:2007/12/19(水) 02:50:04
ところで、縛りとはなんだろうか。
しめ縄にたとえた者もいる。日本の縄の面白いところは外国風の手錠や鎖と違って
あの複雑な縛りは、被縛者の協力(無抵抗)がなければ成立できないことだろう。
被縛者は、肉体を縛られることによって、外界のなにから結界を張られるのか。
自ら縛りに協力する(身を任す)ことによって、世間的な常識や正常さからの切断を望むのではないか。
しめ縄というアナロジーを使えば、それは超自我への結界を張る(張られる)ということかもしれない。
127 :
咀嚼:2007/12/19(水) 03:46:15
>125 訂正する。
フロイトにもういちど当たったところ「抑圧」は自我理想によるものであり、
昇華は、性的欲動が非性的な目標へ「逸脱」すること、となっている。
後日あらためて、原文を引いてきちんと訂正させてもらう。┏○
リストカッターがリストカットするのと一緒だろ
129 :
咀嚼:2008/01/03(木) 18:41:08
明けましておめでとう (とこんなスレで言ってみるテスト)
以下『昇華』についてのフロイト原文引用(『エロス論』ちくま文庫中山元 編・訳)
「潜在期においても小児の性的な興奮は存在しているが、
エネルギーの全部あるいは大部分が性的な用途から逸らされ、他の目的に向けられる。
性的な衝迫力を性的な目標から逸らし、それを別の目的に向けるプロセスは昇華と呼ぶに値する。
この昇華によってすべての文化的な営みのための大きな力が確保されるというのは、
文化史家の一致したした意見である。
われわれはさらに、個人の成長においても同じプロセスが作動していることを付け加えたい。
このプロセスが始まるのは、幼児期の性の潜在期であると考えられる。」
(性理論三編 より)
ところで、このあと翻訳者は、誤解を招くような註をつけており、俺もそれに惑わされた。
『*昇華とは、性欲動の倒錯的な要素が禁圧され、それが性と関わりのない分野、
特に文化的なものの想像に利用されることである。フロイトの文化理論では、
文化的なものを想像するためのエネルギーは性的な欲望を抑圧することによって生まれることになる。」
↑
これは後のフロイトの文をも参照すると正確な註とはいいきれないように思える。
130 :
咀嚼:2008/01/03(木) 18:41:50
フロイトは同論文の後半でもういちど昇華について述べている。
「“昇華”というプロセスによって、素質が異常であった場合の第3の(*1.性的目標倒錯 2.抑圧)帰結…
複数の性の源泉から生じた過剰な興奮が、
他の領域に『流れ出したり』(括弧は引用者)『利用される』ことがあり、
それ自体は危険な素質であるにもかかわらず、心的な能力が著しく向上するばあいがある。
芸術活動の源泉の一つはここにある。」
たとえば、ミケランジェロが女性の裸身を描くのにも、男性の裸体を参照したこと
あるいは、サドの小説など、
必ずしも、性的欲望を無意識領域へ潜り込ませて『症状』を引き起こす『抑圧』というより
性欲の他領域への『流れ込み』『利用』を昇華としているフロイトの概念は
転化という言い方をしてもいい捉え方で、必ずしも抑圧によるものとは考えていないように思える。
まぁ、このスレを訪れる人間にはあまり興味がわかない部分かもしれないが、
たとえば、実行することで犯罪となるようなS行為などを、映画や絵や小説に
転化して昇華することもアリだという話。
131 :
咀嚼:2008/01/03(木) 21:04:02
思春期の少女が不良に惹かれる というパターンは
親・学校・メディアなどから注入された超自我が関わっている。
不良の存在は、
別の基準、反(脱)超自我(自我監視への抵抗・あるいは解放)という幻想を与える。
同じく優等生・運動能力の高い者・芸術家などに惹かれるパターンも、
能力の高い性的他者、あるいは常識はずれ・感性主体・コスモポリタン的な自由、といった幻想を受けとることで
親・教師、通俗的な社会メディアなどが刷り込んでくる倫理・規範(超自我)から
(部分的)解放を得たい という欲求に基づいている。
子生み・子育てによって「生命連鎖の一部」となり社会システムと結びついた親からの自立。それは
「親以外の性交可能な個体」とのむすびつき欲求 を得るために必要な成長過程といえる。
与えられた超自我 とは異なるマージナルな世界を象徴する他者(という幻想)
に惹かれるというのは、思春期という発達過程にすぎない。
(たとえば、この「過程」を「すべて」と思い早婚する女性が早々に離婚したりすることが多いのは
自立のためのスプリングボードに過ぎなかった「過程」のための幻想から必然的に醒めるからだろう)
そういった「反・超自我」というポジション
(不良や、常識を壊す存在としての芸術家)を外部から与える存在。
そのような存在と同系列の色彩をSMに「発見」する場合もありえる。
SMが反倫理・脱倫理という幻想を重要視するからだ。
思春期を過ぎても依然として、不良(っぽい男)・能力の高い男
そしてSMに惹かれる女性は
自分に刷り込まれた(あるいは侵入してきた)
超自我との折り合いがつかない部分が、残存し続けている という可能性が高い。
男性は
女性性(母性)からの分離(性的対立)という、女性にない過程を辿ることで「男性になる」
女性は最初から女性であるから
母親からの分離に性的対立とは別の心理過程が必要となる。
マージナルな対象への憧れはその別の心理過程のひとつではないだろうか.
女の子の方が男の子より成長が早いのは
母親から性的分離という過程(葛藤)が省略されているからだろう)
138 :
.:2008/01/14(月) 15:30:58
.
139 :
咀嚼 (自分用メモ):2008/01/14(月) 15:33:53
“虚構の世界における 男と攻撃性” 原 忠彦 思索社
「米国社会の特徴として論ぜられる…(マーガレット・)ミード「男性と女性」…
女子は、その生き物としての経験から、容易にかつ確実に自己の社会の他の同性と同一化させ、その役割を身に付ける。
しかも,彼女が体得しなければならない役割は、幼児に密接な関係にあった自分の母親からそれを受け継ぐことになる。
したがって女性の一生は、役割収得の面で非常に安定したものになるわけである。
「男性は、その性に与えられる役割の収得を、
幼児に最も密接な関係にあった母親から自己を切り離すことによってのみ獲得することができる。
しかも彼は妊娠出産といったような自己の性に関する確実な認識の手段をもたない。
それゆえに彼は,一生のある時期に、自分が男性であることを意識的に断言し、定義する必要にかられる。
そして、それは、女性が実行することを許されないようなある種の行為を行う権利と能力を男性に与えることによって獲得されることになるといわれる。
これが有名なミードの「男女の差は文化的に男性が手によって作られる」という論の根拠である。
141 :
咀嚼 :2008/01/14(月) 16:41:22
マーガレット・ミードという人は文化人類学者で心理学とは別の観察から
性的役割の収得という概念を導き出しているようだが、
現在では、アメリカでも日本でも
>>139で書かれているほど
女性の役割が安定している、とはいえないように思う。
ただ、母親との性の同一性から、女性性というものを受け継ぐことで
男性のように母親と異なる性的分離、という葛藤を経ない、というのが一般的だろう。
(同性愛の問題はここでは置いておく)
いずれにせよ、母親という胎〜乳〜幼児にとって最も重要な他者との性的一致、不一致に
性の対立の起源を求める、という括り方だけを盗れば、ここでは十分だ。
142 :
咀嚼 :2008/01/14(月) 18:53:35
SMを性的対立・闘争の観点からみかえせば
つねに対立・闘争の不安がつきまとっている。
サディストの執拗な反復は、そこに由来する。
悦びは痛みを与えること自体から来るのではなく
痛みを与えても受容・服従することを確認することで
不安が瞬間的に払拭されることから悦びが生じる。
143 :
咀嚼 :2008/01/14(月) 18:55:54
ただし、上記は、SMからフェティシズムを抜いた部分について、だ。
サディズムとSMは異なる。 SMには種々の要素が複合されているからだ。
144 :
.:2008/01/16(水) 05:37:25
.
145 :
咀嚼 【SMとサディズム・マゾヒズム】:2008/01/16(水) 05:47:37
サディズム・マゾヒズムとSMとのもっとも根本的な違い。
吉本隆明は人間の幻想領域を
自己幻想(個) 対幻想(性別関係・家族) 共同幻想(社会・国家・法など)に分けた。
SMは対幻想の領域。
サディズム・マゾヒズムは自己幻想の領域。
146 :
没個性化されたレス↓:2008/01/18(金) 22:53:54
>>140ちょっとちょっと、M・ミードの説は嘘八百だったって数年前にわかったの知らないのかなー?
あれは、現地の聞き取り相手のクソガキ(女)が冗談で言った子とだよ。
既に公に発表されているが?
147 :
咀嚼:2008/01/19(土) 07:55:24
>>146 それはミードの人類学の説の話。その程度のことはググって知ってる。
「性の対立」という「概念」を検討するうえではまったく関係がない。
「性の対立」は実際の男女の有り様(日本の)を自分の頭で考えてみることだ。
誰が正しい、とか、間違ってる、なんてのは党派的な思考だ。
大事なことは自分の頭で考えることだ。
148 :
咀嚼:2008/01/19(土) 08:10:08
大島清は生殖生理学なる分野を標榜している人だが、
「性がここまでわかってきた」でこう書いている。
「(性的)逸脱は多彩である。しかし逸脱するのは、たいてい男だ。
さまざまな原因が考えられるが、@ペニス勃起幻想
A母親という異性に育てられるために「性の自己認識」に問題を起こしやすい。
B子育て機能をもたないため充実感に欠ける。
C時間が短く、パターンも単純なオーガズム
といったあたりに、逸脱の理由がありそうだ。
男は、女が女であるよりも、ずっと不確実にしか男らしくないといえる。
それは生命の始まりの性分化のときからそうだし、生まれ落ちてからもそうだ。
男は、しょせん女性という基本型を変異改造したものに過ぎない。
性逸脱しやすいのもとうぜんといえる。」
このAでもいいのだ。
ものを自分で考えるヒントはどこから得てきても抽象化・概念化するレベルでは関係ない。
このスレは学会で自説を発表して一定のステイタスを得たいといった類の処世・打算とは無縁だ。
たんに、ホントのことが知りたい。というのが「基本」。
149 :
咀嚼:2008/01/19(土) 08:20:41
「性の対立」という概念で面白いのは、
本質を「女」と見ていることだ。
ここから、
前スレでの「男のサディズムは母親への復讐」というテーゼを
もうすこし拡げて考えてみる視野を得られる可能性がある。
また、フロイトの「ペニス」幻想「エディプス・コンプレックス」という
父親(男)主体の発達段階の考え方とすりあわせてみると、
サディズム・マゾヒズムに対して新しい照明が得られる可能性がある。
(この辺り、思考中。但「ゆっくり」w)
もちろん、何かその辺りについて
>>146に考えがあるのなら、謹んで聞かせて頂く。
150 :
咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 11:43:32
フロイトの去勢コンプレックスを「性の対立」から考えてみる一例。
母性=女という自然性(なぜなら、赤子は他の性を知らないのだから)から
男児は女性に自分と同じペニスがついていると勝手に思いこんでいる。
ある時(個々によってきっかけは違うだろう)女性にペニスがないという事を知った場合、
それを俄かに自分の母親へ当てはめることはできず、
その女性は、たまたま、なんらかの理由でペニスを失った(去勢された)と思うことで
自分を納得させようとする。
つまり、ペニスを持たない女性を、なんらかの理由で罰を受けて、去勢されたと解釈する。
しかし、これはホントだろうか?
自分の経験を振り返ってみると、たしかに、女性器というものに気味の悪さを感じたことは確かだが。
151 :
咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 11:48:09
その女性は、たまたま、なんらかの理由でペニスを失った(去勢された)と思うことで
自分を納得させようとする。
↓
つまり、ペニスを持たない女性を、なんらかの理由で罰を受けて、去勢されたと解釈する。
ここの部分に飛躍があるような希ガス。
必ずしもすべての男児がそのような解釈をするとは限らないだろう。
ただ、「不気味な印象」を保持し続けるだけ、
あるいは女性器というのは、なにか病気によってペニスがなくなった、という解釈もありうるだろう。
そういった印象は、女性への性的臆病さを生むのではないだろうか。
152 :
没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 14:43:22
>>150 お宅様は息子をお持ちの母親ですか?
男の子というのは、2〜3歳になるとお風呂で母親に聞いてきます。
お母さんにはちんちんがないの?と。
多くの母親はこう答えます。
あなたは父さんと同じ男の子だからちんちんがあるんだよ。
お母さんは女だから無いんだよ。
>ペニスを持たない女性を、なんらかの理由で罰を受けて、去勢されたと解釈する。
世間を知らない子供が、なぜ罰を受けて去勢という思考になるのでしょうか?
その思考の前に女と男の違いを見て、聞いて知っているんですよ?
>女性への性的臆病さを
これは一部の女性恐怖症(怖い母親に心から甘えられない)の男だけが持つ感情でしょう?
一部の男の事例のみで判断したら、心理を見誤いますよ。
153 :
咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:08:22
>>152 ここは「サディズム・マゾヒズム」がなぜ発生するか、その内実はなんなのか、を考えてるスレ。
そして、その「なぜ」を解くためにいろいろな「仮説」を考えている。
サディズム・マゾヒズムを得る男子はそのような母親との会話がなかったのかもしれない。
仮にあったとして、そのことを、「子供」がどう「受け止めたか」は別の話だろう。
そして、>150はフロイトの仮説を、性の対立という観点から見直してみた「仮説」
俺自身が、フロイトの「去勢コンプレックス」や「エディプスコンプレックス」は
すぐには飲み込めない考えだと感じている。
しかし、それを「性の対立」=母親という性からの分離によって男性というジェンダーを得る
という視点から砕いていけば、多少は自分にも引き寄せられるかもしれない、という事。
>一部の男の事例のみで判断したら、心理を見誤いますよ。
すべての男に共通する心理を考えているわけではない。スレタイを読み直してください。
154 :
没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 15:15:50
155 :
咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:16:03
〔仮説〕 (いちいちつけるのはめんどくさいから今後はつけないがw)
女性器への関心を性的関心として受け入れられない場合、
性的な関心は、直接的な性交渉から逸らされる。
これが、ある種の性的嗜好異常に結びつく、という「可能性」
サディスムの場合、それは、女性器への嫌悪感を克服するための
儀式である「可能性」。
156 :
没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 15:17:07
>すべての男に共通する
違います。
サディズム・マゾヒズムを得る男子の中の一部という意味です。
157 :
咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:18:47
>>154 最初の一行
→「フロイトの去勢コンプレックスを「性の対立」から考えてみる一例。」
158 :
咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:27:11
>>156 我々はすべてのサディストをひとりひとり検証するわけにいかない。
ひょっとしたら、サディストにいくつかの分類が必要になってくるかもしれない。
サド・マゾヒスト という範疇も俺はまだ捨ててない。
たとえ個々の事例にすぎないとしても手がかりが必要なのだよ。
159 :
没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 15:31:06
160 :
咀嚼 【性の対立】:2008/01/19(土) 15:35:23
>159 >158
サディズム全体を説明できる原理を持っているのなら傾聴する。 以上。
161 :
没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 16:05:09
あるにはあるが、私の説ではないので書けません。
162 :
没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 16:24:39
とりあえず、
<サディズム・マゾヒズム>
サディズム sadism というのは、
フランスの貴族であったサドに由来するもので、異性の相手を
虐げることによって性的快感を得ることである。
マゾヒズム(masochismのドイツ語読み) というのは、
異性の相手から身体的・精神的な苦痛を受けることによって
性的満足を得ることで、オーストリアの作家ザッヘル・マゾッホの
描く人物がその典型的なものであるとし、精神病学者エビングが
命名したものだとされている。
まではOKかな?
163 :
咀嚼 :2008/01/19(土) 17:09:48
>>161 自説である必要はない。人の説なら誰の説かを書いて、紹介すればいい。
自分の中で消化できてるのなら自分の言葉に置き換えて語ればよい。
(すくなくとも俺はそうしてる。次にフーコーの説を紹介する予定だ。
ここは議論の場ではない。なにがホントかを探り、考える場。そのヒントを求める場。
そのよすがとなるなら、誰それの説として書き込み、疑問がでた時に
それに対する答えがその人物の説の中にあるのなら紹介すればいいし、
なければ、自分で推測を書けばいい。あるいは沈黙すればよい)
>>162 >>1 それと、いちいち人の相づちを求める必要はない。
(別におしゃべりがしたい訳じゃない。それがここの流儀だ。)
164 :
咀嚼 :2008/01/19(土) 17:16:49
ついでだが
>>1に書いた通り、仮コテで充分だが、
複数レスを書き込む場合は一応コテ推奨ではある。(文脈が辿りやすくなる)
165 :
没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 18:10:31
確か、コリン・ウィルソン(w)だったと思うが
サディズムは性行為への理由付けに過ぎないみたいな事を書いてた
子供の頃に、親父の本棚にあった本で学んだ知識だw
ゴールに性行為があると考えて、普通は通常の愛情表現のプロセスでゴールに届く。
しかし、何らかの理由で通常の愛情表現が苦手な人が、サディズムやマゾヒズムに走るのではないかと
ここで元実験屋の発想だが、SM好きと、そうじゃない人の性体験を比較して見ると面白いと思ってた
おそらくSM好きは、体験数が少なかったり、初体験が遅かったりする結果が出るのでは無いかと
通りすがりの、SM好きな童貞の意見です
166 :
咀嚼 :2008/01/19(土) 18:36:09
>165
ここで、いろいろなことを考えてるとアンケートを取りたくなることが本当に多い。
残念ながら、あまりにも参加人数がすくなすぎて、
充分な母数は得られそうもないがw
(そのため、あちこちのブログを見て回ったり、コメントやメルの交換をしたりして、
ある程度のデータを蓄積するようにはしている。別にそれが目的ではなく
SMについて話し合うこと自体が楽しいということもあるがねw
したがって、この場ではあまりおしゃべりの必要を感じていない)
愛情表現が苦手というより、愛そのものが苦手という者もSM好きには多いかもしれない。
体験数がすくなかったり、遅かったりするのが、SM好きの結果なのか原因なのか、
考えどころではある。
性行為にいたるプロセスとしての儀式、というのはあり得る。
ただし、SMに沈殿してる者(あるいは時)には、性行為自体を忌避する傾向もでてくるようだ。
コリン・ウィルソンは殺人百科を読んだことがある。
なんだか、ものたりない人だ、という印象だw
167 :
没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 20:20:48
そのような本を読んだからと言って、読んだ人間が全てそのようになるとは限らない。
とすれば、そのような本を読んで影響を受ける人は、本の内容の『何か』?に共感できる部分をその人は持っていた事にならないか?
もしそうならば、持っていた共感できる部分はどこで身についたのか?
たいていの場合、親との関係、
性的嗜好については特に幼児期(8歳くらい)までの
親を含む重要な他者との関係が大きく脳のマッピングに影響する
という説を読んだことがある。
169 :
没個性化されたレス↓:2008/01/19(土) 22:40:01
170 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 00:40:58
心理学には興味がある程度という通り掛かりの素人です
私は基本的にMですが
Mにもただ痛めつけられるのが好きなタイプと主人に尽くすのが好きなタイプがいると思います
これはSも同様に。
両者の性質は似て非なるものだと思っているのですがこの違いについてはどう思われますか?
私もSMとは母子・父子関係の再現だと思っています
>>165 16歳で処女を捨てたヤリマンは例外でしょうか
171 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 04:15:36
池田小事件の前には、テレビでよく精神病のヤラセ番組が報道されていた。
あれはエキストラによる演出なんです。
172 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 14:43:53
>>170 尽くすかと痛めつけられるかは、
親からの仕打ち、親への渇望時のあなたの親に対して
いい子になって目を向けてもらったのか?
罵倒の中で目を向けてもらったのか?の関係の違いで
表現に違いが出ているだけだと思います。
173 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 14:50:46
SM好きには性体験豊富というか誰でも良いという人も多いです。
174 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 15:56:11
>>168 実際には自我の芽生える思春期直前までの年齢でしょうね。
多くのヒトの子供は、通常最初に母親の手によって育てられます。
ヒトの生まれ持った能力は、吸う・握るのみ。
それ以降の能力は、近場の人間を模倣して身につけて育ちますので、
最初に出会った母親の影響を一番大きく受ける事になります。
その影響を基本の1として、ヒトは試行錯誤して行動をとるのだと思います。
175 :
咀嚼途上者:2008/01/20(日) 17:50:30
>>174 説の原文を。大島清『性がここまでわかってきた』
「性心理発達にともなう脳への刻印を「ラブマップ」(性意識の脳地図)と呼んでいるが、
土台はもちろん胎内でつくられ、性欲中枢の形態的変化は四歳まで続き、
ラブマップはさらに八歳まで環境の修飾を受ける。
成長環境という文化的な因子が、脳の性分化という生物的な変化に影響を与えるのだ。
性の逸脱は、このラブマップの歪みに原因がある。
ゆがみの原因はなにか。
家族がバラバラの家庭崩壊、過保護、
お医者さんごっこに代表されるセックス・リハーサルを頭ごなしに押さえつける性抑圧的教育
――すべてラブマップを歪ませる。」
「SM・バラバラ殺人など異常な視覚刺激を与えるビデオ・テレビの氾濫」
「八歳までに刻印された刺激の強い視覚記憶は、消えることなく、性意識に暗い影を落とす」
(前スレで心理学初心者氏がことあるごとに、両親のセックスを見たこと、を
しきりに言っていたが、このあたりのことを指していたのかもしれない)
176 :
咀嚼途上者:2008/01/20(日) 18:10:19
>>170 苦痛系と奉仕系の違いが何に由来するか。
被虐のファンタジーが肉体的被虐ファンタジーなのか、精神的被虐ファンタジーなのか、
そういったファンタジーの違いはどこで分岐するのか。
残念ながら、まだ、そこまで網目を細かくして掬える説明原理を手に入れてないので
手探りで考えていくほか無い。
ストレスのありかたのような気もする。
具体的な環境ストレスを抱えてると(あるいは抱えた経歴があると)苦痛系のような
ドラスティックな刺激による忘却を求めやすくなる気もする。
精神的被虐願望は、イイ子と世間から見られている自分と
実際には性欲や欺瞞に満ちていると自己認識している部分のギャップをストレスとしている、とか。
あと、偶然かもしれないが、俺の知ってる苦痛系は酒飲みが多いw
肉体的にアルコールに強いことと、苦痛=快楽への脳内の再配置が容易になりやすいこと、とに
何か関係があるのか、ないのか。
それを調べることは俺の手には余る。ヒマと環境が整っている研究者の論文の種にでもして欲しいところだw
>私もSMとは母子・父子関係の再現だと思っています
これについてもうすこし、感じてることを語れないかい?
177 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 19:52:30
>>175 両親のセックスというのは、他人のセックスを見るのと違う感情が背景にある事を押さえて考えるといいよ。
178 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 19:55:51
>>175 誰もが皆、そのような刺激物を見て歪むわけではないよね?
歪むには、その土台が必要なんだよ?
その土台が何であるかが答えだ。
頑張ってね!
179 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 20:03:59
>>175 >土台はもちろん胎内でつくられ、
もちろん胎内?(笑)
あなたは子供を産み育てたことがありますか?
子供はまっさらで生まれてくるんですよ。
180 :
咀嚼途上者:2008/01/20(日) 21:28:36
>>179 おまえは ともかく まず一行目を読む練習をから始めろ。
話にならん。
181 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:37:28
話にならんと思うあなた様がおかしいという事も大いにありえる
M・フーコーのSMに関する発言。
前のスレッドでは、「マゾヒズムの発明」に引用されている文しか紹介できなかったが
大元の文章(対話)全体を見つけたので、差し挟んでおく。
引用するからといって、その文章に帰依しているわけでも
全面同意しているわけでもない。
ただ、考えるためのヒントを得るきっかけとして紹介している。
「文脈」を読む力もなく、その程度のことすらわからんバカがいるようなので、予め断っておく。
フーコー:SMに関する発言の前提部分の引用
M・フーコー「フーコー・コレクション5(性・真理)」ちくま学芸文庫
「(西洋において)異性愛は、
少なくとも中世から、つねに二つの軸,,(男が女を誘惑する言い寄りの軸、そして性行為そのものの軸)
にそって捉えられてきました。
ところで、西洋世界の異性愛文学の本質は、もっぱら恋愛の言い寄り(cour)を,
すなわちまず第一に性行為そのものに先行するものをあつかってきました。
知的かつ文化的洗練の作品いっさい...は、つねに宮廷=言い寄り(クール)の方を向いていたのです。
このことは、そのものとしての性行為が、
文化的そして美的な観点から相対的に低く評価されているということを説明しているのです。」
「ギリシャ人にとって、男同士の言い寄りは、男女間の言い寄りよりも重要だったのです。
(ソクラテスとアルキビアデスを思い出してください)
しかし、キリスト教的西洋文化が同性愛を追放したために、
同性愛は全エネルギーを性行為そのものに集中してしまうのです。」
「<2人の人間のあいだの関係の本質は、一方がもう一方に隷属するかどうかである>
と何世紀ものあいだ見なしてきた文化において、
双方の関心と好奇心、双方の大胆さと操作のいっさいは、相手に屈辱を強い、
ベッドに一緒に入るよう強いることにありました。
性的出会いがきわめて容易で頻繁になった今では(そしてこれは同性愛の場合でもあるわけですが)
複雑な事柄は事後的にしか生じないのです。
愛を交わしたのちにはじめて相手に対して,,,
「ところでお名前はなんでしたっけ?」と訊ねる自分に気づくわけです。」
「したがって、異性関係においては
言い寄りによってかくもみごとに誘導されていたエネルギーと想像力のすべてが
性行為そのものを強烈にするのに貢献すべく努めるような状況を、
われわれは前にしているのです。
今日、性的行動のあらゆる内的可能性を探索しようとする、
新しい性的実践の技法が発達しています。」
187 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:43:31
「 同性愛者にとって、
性行為があまりにも容易で達成可能なものとなってしまったがゆえに、
それはたちまち退屈なものとなる危険をはらむようになってきました。
だからこそ、刷新するために、また
性行為がもたらす快楽の強度を高めるヴァリエーションを導入するために、
可能な限りのことをしているわけです。」
189 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:46:00
根本的に西洋の男女と日本の男女では違うので何のヒントにもなりません。↑
190 :
咀嚼:2008/01/20(日) 21:47:10
>>188の最後の部分が、
前スレで引用した「マゾヒズムの発明」の中のフーコー発言の一部。
続く、同性愛に関する部分のラストも、同じヴァリエーション。
「同性愛者にとって、
性行為があまりにも容易で達成可能なものとなってしまったがゆえに、
それはたちまち退屈なものとなる危険をはらむようになってきました。
だからこそ、刷新するために、また
性行為がもたらす快楽の強度を高めるヴァリエーションを導入するために、
可能な限りのことをしているわけです。」
192 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:49:34
で、あなたは最終的に何が目的で心理学を?>咀嚼さん
ここから先がSMに関する発言。
「私は一般に、サド・マゾ現象の方がはるかに驚くべきものだと思います。
なぜ驚くべきものかというと、
性的関係はもろもろの神話的関係を通じて練り上げられ、開発されているからです。
サド・マゾは、苦しむ男(女)と苦しませる男(女)とのあいだの関係ではなく、
主人と、その権威が行使される者との間の関係なのです。
サドマゾ実践者たちの興味をそそるのは、その関係がルールに従っていると同時に
開かれているということなのです。
一人が負け、他の一人が勝ちうるという意味で、それはチェスのゲームに似ています。
主人が被害者側の苦痛の欲求や欲望に応えられないことが明らかになった場合、
主人が負けることもあります。
同様に、奴隷が主人からの挑戦に応じられないとき、
あるいは挑戦に応じるのに耐えられないとき、奴隷が負けることもあります。」
「もろもろの規則と解放性とのこうした混合は、絶え間ない新しさを、絶え間ない緊張を
そして絶え間ない不確実性を導き入れることによって、
性的関係の強度を増大させる効果を持っているのです。
こうしたものは、たんなる性の消費には欠けているのですが。
こうしたことをする目的は、身体のすべての部分を性の道具として使う
ということでもあります。
実際には、それは「動物は交尾のあと悲しげである」という有名な文句につながっています。
同性愛においては性交がすぐにおこなわれるので、問題は次のようになります。
「悲しさの攻撃に対してなにができるのか」ということです。」
196 :
咀嚼:2008/01/20(日) 21:54:20
(以下は同性愛に関する考察が続くので略)
以上。
197 :
没個性化されたレス↓:2008/01/20(日) 21:59:09
セックスを中心に考えないほうがいいと思うよ。
セックスは単にあるものの代わりのアイテムの一つだと思うよ。
198 :
没個性化されたレス↓:2008/01/21(月) 20:50:06
>それは「動物は交尾のあと悲しげである」
↑これは、これを唱えた人の自分のセックスの投影だろうね。
実際、悲しいのではなくイタイ!顔だと思う。
動物の場合、無防備になるセックスは始終危険が伴うので短時間で確実に妊娠させるために、性交痛の刺激によって排卵がおきるのは有名な話。
199 :
咀嚼:2008/01/26(土) 05:17:59
>170
>私もSMとは母子・父子関係の再現だと思っています
近親相姦の禁止によって無意識下に抑圧された関係願望だけなら
サディズムやマゾヒズムという発現のしかたでなく
普通の甘えでいいことになりそうなものだ。
SやMとして発現するのなら(たとえばインナーマスター)
親子関係の再現は もともと
そのようなもの(支配・被支配)として親子関係が存在していたということになる。
200 :
咀嚼:2008/01/26(土) 05:23:07
前スレで心理学のプロが繰り返し言っていたこと>「親の偽愛」
201 :
咀嚼:2008/01/26(土) 05:35:28
ただ、それだけでは網目が大きすぎる。
(網自体は全体をひっかける大きさを有していると思うが)
具体的な個々の性が、大きすぎる網目の間からこぼれおちてしまう。
それは、羊氏の劣等感コンプレックスという網もおなじことだ。
サディズム・マゾヒズムへの特殊化。
サディズム・マゾヒズムの間の分岐点。
せめてそれくらいは網目を縮めなければ、個々の具体的な場面が掬えない。
202 :
咀嚼:2008/01/30(水) 06:18:59
>SMとは母子・父子関係の再現
これがずっと心にひっかかっている
単純に無意識に潜り込んだ母子・父子関係の再現という事なら普通の恋愛でいい。
やはり、それは「歪んだ再現」なのではないのか、と思えてならない。
それはそれで本人達が安定するならかまわないのだが。
たいていの場合、Sの求める再現とMの求める再現はどこかですれ違う。
203 :
咀嚼:2008/01/30(水) 06:20:13
そもそも理想化(インナーマスター)自体、充たされなかった関係の残像なのだろう。
hatenaでアンケートでもとったらどうですかー?
205 :
咀嚼:2008/02/02(土) 15:44:41
インナーミストレスはグレートマザーか。
では“サディスト”にとってグレートマザーとはなにか。
グレートマザーが抑圧者であると感受された時、
痛めつけ、屈辱を与え、屈服させ、疑似支配のクオリアが
ドーパンミンを誘発する。
バッキーの17年懲役者にとって女はそういう存在だったのだろう。
ロールプレイとしてのSMではあの後味の悪さは生まれない。
206 :
咀嚼 :2008/02/02(土) 15:50:24
男児がある時期もつ残酷さは、心の理論に近い。
動物に向かうことが多いことがその近似性を表している。
母性的なるものからの性の分離と、その残酷衝動とは関係があるという想定。
☆
208 :
咀嚼:2008/02/02(土) 15:56:49
直接的な肉体への暴力と言葉による暴力。
この間に、心の理論を置いてみることは興味深い。
第3者への暴力の誇示と、直接対象に向かう暴力との間の淵。
第3者への暴力の誇示は、幼児的な心の理論の乗り越えではある。
だからそれはなくならない。 その者にとって必要な過程だから。
209 :
.:2008/02/07(木) 22:14:25
.
210 :
.:2008/02/17(日) 12:50:29
フーコーは徹底してフロイト的な方法を拒否して性を考える
211 :
咀:2008/03/01(土) 09:02:08
●フーコーの私的要約
同性愛がバリエーションを求めて常に「新しい快楽の開発」を求めるのと比して
SMの場合、
権威とその権威を行使されるもの
(必ずしも最初から「服従する」もの、とされていないことにフーコーの理解度が示されている)
サディズム側からの要求とマゾヒズム側の欲求の緊張感のある勝負の中で
新しい責めと可変なルールの緊張感の中で、
神話のなかの犠牲者のようにマゾヒストは「身体のすべての部分を」性の道具として差し出す。
身体のすべての部分を性の道具として使う(差し出す)のは
同性愛的な「新しい快楽の開発」よりも
性的関係の強度を増大させ、性的関係を「神話的関係“化”を通じて練り上げ開発」するため。
(ちょっと読み損なうと、
>>195の「身体のすべての部分を性の道具として使う」が「新しい快感の開発」と結びついて
フーコーがSMをただの快楽主義と言ってるように誤解してしまう畏れがある)
212 :
咀:2008/03/01(土) 09:26:24
神話的な関係とはなにか。
フーコーが同性愛について語った「友愛」とは対極にある非人間的な関係、
つまり絶対的な神(権威)と神の恣意(権威の行使)を受けるもの という
疑似神話としての性的な関係。
いつものごとく、フーコーはきちんと押さえるべき処は押さえているように思える。
そしていつものごとく、押さえただけで通り過ぎていく。
なぜ、男と女は神話的関係を求めるのか。
フロイトを避けたいフーコーのモチーフは俺にはない。
母子(父子)関係の不全の揺り戻しとして神話的な強度を求めるのではないのか?
213 :
咀:2008/03/01(土) 09:29:53
乳児にとって生存に必要な栄養を与える者として絶対的な位置をもつ母(母代理)と
幼児期に、道徳権威を代行する不可解な他者として父。
このふたつのいずれか、あるいは両者とも、との関係が不全なまま
思春期の性器期を迎えた時、親を充分に卒業しきれず、
満たされなかった絶対者への信頼を、性的対象となる者の中に求める、とするのは
あまりに単純すぎるだろうか。
すくなくとも、指標的な仮説の一つとして使えなくはないだろう。
フロイトにおいては 能動性=男性 受動性=女性
中期フロイトが述べている他の対立としては 愛と憎しみ の対立がある。
憎しみの起源は 自己の恒常的な安定状態に対する外部の刺激に対する防御意識がある。
愛は、快感を与える対象の受け入れ・同一化。
愛→憎しみは、
受け入れた(同一化した)対象が自己内部を攪乱しはじめ、不快をもたらす時に起きる。
憎しみが愛に先行するのは、同一化して内部に取り込むことへの畏れ。
(対象を受け入れ同一化までしてしまったあとで、それらが不快をもたらすようになると
それらを再び、外部へ追い出すには大量の心的エネルギーを要する。
したがって、愛 の予感をもたらすものへは、用心深く、憎しみが先行する場合が多い)
サディズムのスイッチを入れるということは、いったん愛を棚上げにすることだ。
SMは退行への教育のように感じる。
教育が、
導き手が自立を目指して子供を導いていく
のに対し、SMは、
導き手が依存を目指してMを導いていく。
要は自立したくないんだと思う。
Sは万能感を得ようとしてMを殺していくわけか。
217 :
咀:2008/03/09(日) 15:18:34
>>215 はえす氏の言う「教師型S」
自立したくない または 自立に疲れている
依存はSMに限らず、普通の愛情関係でも
たとえば「独占」を通じて起きるような希ガス。そして恋愛依存が生じる。
>>216はえす氏の言う「暴君型S」
Mの「独立心」を殺していくんだろうな。
218 :
咀:2008/03/10(月) 22:15:55
(マゾヒストが本来持っているはずのサディズムの行方に関する思いつきだが)
サディズムは昇華しやすいのではないだろうか。
攻撃性・征服欲・同情なき能動性は、表現や勉学や競争に転化するのが、
受動性・被虐欲より容易に思える。
充分にサディズムを非性的活動に昇華したあと
マゾヒズム欲動のみが残る、という仕組み。
マゾヒズムの昇華というのは、なかなか思いうかべにくい。
良き臣下となることだろうか。奉仕職に就いて尽くすということだろうか。
マゾヒストの多さは、
マゾヒズムの性エネルギーの昇華が行われにくい事の証左ではないか。
マゾとは、「真曽」が語源であります。
「真曽」とは、木曽義仲のことであり、
真に木曽義仲であるという意味です。
負けるに決まってるのに、なんで、
義経の味方するんだよ。ということから、
「真曽」がマゾとなり、海外で広まったのであります。
次に、サドですが、これは実に簡単であります。
「佐渡」ですからね。
「佐渡」とは、あの新潟県に属する「佐渡島」であります。
ここには、過去、流刑者が多く流されました。
攻撃的な血を持つ野郎共であります。
攻撃的な性行動であります。
そこから、「サド」という言葉ができたのです。
ちなみに、マルキドサドとは、
丸木戸佐渡という佐渡島にかつていた日本人の名であります。
220 :
没個性化されたレス↓:2008/03/29(土) 05:47:01
<比喩>的思弁
服は自己保存欲動からすれば寒冷への対処であるが、現代では文化でもある。
つまり文化としての服は性欲動の昇華でもある。
われわれは性交時、脱衣する。
おなじように、いったん性欲動の昇華から 再度脱衣するように性欲動へ戻る運動を
仮に『脱昇華』と呼んでみる。
よくいわれるスイッチがこれに相当する。
成人にとってはむしろ脱昇華のほうが重要かもしれない。
222 :
咀:2008/04/13(日) 13:07:13
愛は性欲の昇華か それとも特定の対象への性的ファンタジーの固定か
223 :
咀:2008/04/20(日) 07:05:55
性倒錯の発生は履歴をさかのぼれるとしても
性倒錯の持続は脱昇華(昇華の遡及)過程になる。
つまり性欲の幼児帰りだ。
224 :
咀:2008/05/06(火) 18:14:49
フロイトがサディズムについて触れるときには
そのサディズムの内容は
「支配欲」「残忍欲」「攻撃性(能動性)」 の関数として表される。
「性欲」
を加え
この四つの中の何と何の関数なのかで サディズムの性格は変わる。
小学校2年生の俺から言わせてもらえば
SEX自体SMっす
226 :
没個性化されたレス↓:2008/05/15(木) 13:24:19
,
精神医学とは。フロイト信者とは何か。
その実態は非科学にしてドンデモかつ狂信的カルト宗教である。
ある種の病的神話を現実のものである信じる教団である。
実証実験を目的に信者間でマインドコントロールと洗脳実験を繰り返し、フリーセックスに病んでいる教団である。
228 :
咀:2008/05/16(金) 19:43:35
精神医学に限らず医学は
経験的な知識の集成を土台にした実践「学」であって科学ではない。
(なかには自分を科学者だと勘違いしてる医者もいるようだが)
フロイトは、経験的な観察から
「心には構造がある」という認識を得て、ひとつの「仮説体系」を作ろうとした。
サディズムマゾヒズムの問題を考えるにあたってそれは「参照」すべき価値がある。
他にもサロン談義レベルを超えて
参考になる考えを披瀝している者がいるのなら大いに参考にするし、
今までもそうしてきた。
残念ながらいまのところ脳生理学は
「座」のおおざっぱな指定にしか到達していないように見受けられる。
死の本能やエスの問題は、細胞学と無関係ではないので
多少の勉強はしているが、直接的にサディズムマゾヒズムとつなげるには
まだ無理がある。
(以上。 コピペにマジレスカコワルイ w)
229 :
咀:2008/05/16(金) 19:51:40
フロイトは後期に
サディズムを死の本能と結びつけている。
死の本能自体は、細胞のアポトーシスに結びついてエス化する、と考えれば、
フロイトが考えていたほど「沈黙」はしていないのかもしれない。
フロイトのサディズムは、支配欲と破壊欲の2本立てになっている。
しかし、死の本能で、破壊欲、あるいは征服欲で説明できるかもしれないが
支配欲を死の本能から直接導き出すには、なんらかのバイアスが必要になる。
(あるいは説明できない)
230 :
咀:2008/05/16(金) 19:52:40
征服欲で→ 征服欲を
231 :
咀:2008/05/17(土) 07:05:41
支配欲は対象を大なり小なりモノ視する傾向を生む。
ここでサディズムとフェチの通底する生地が生まれる。
この針が振れすぎると、対象のモノ化に特化されて
サディズムからフェティシズムへの移行が生じる。
フェティシズムにおける破壊は対象をモノとしてしか見ないから生じるのであって
支配欲や征服欲から破壊が生じるわけではないように思える。
232 :
没個性化されたレス↓:2008/05/17(土) 23:32:09
僕は女性が性的本能を剝き出しにして動物へと変貌させることが好きなのです。
だから女性を辱めて魂の解放を導くのか、
僕を辱めさせることによって女性の魂を解放するか、
それが好きなのです。
233 :
咀:2008/05/18(日) 11:26:15
>>232 「欲望とは 他者の欲望への欲望だ」
J・ラカンという人の有名な言葉だがそういう感覚だろうか。
魂を解放するため辱めが必要になるのはなぜだろう。
234 :
没個性化されたレス↓:2008/05/20(火) 16:59:43
>>咀
使い古された言葉だが。
「ここはお前の日記帳じゃないんだ、チラシの裏にでも書いてろ、な?」
という感じ。チラシの裏とは言わないまでm、自分でHP作ってそこで書いとけばいいじゃん、って感じ。
他スレと比べて、なぜこのスレでは貴方以外の書き込みが極端に少ないのか。少しは考えてね。
自分はこのスレを2からROMってますが、
保守してくれるのでありがたいと思ってます。
プロ氏やさ氏などの書き込みを待っているんですがねえ。
236 :
没個性化されたレス↓:2008/05/22(木) 21:23:57
>234
面白くなければ見なければいいじゃん。
ただ、それだけのこと。
俺は咀嚼氏の考察は貴重だと思う。
プロ氏やえす氏の書き込みにもインスパイヤーされてるけどね。
237 :
咀:2008/05/25(日) 17:06:02
「心理学初心者」氏「305」氏「羊」氏 からも俺はインスパイアされてる。
「プロ」氏はおととしいっぱいでレスをやめた。
年度を区切ってレスを停止したやり方から考えて復帰する可能性はないだろうと俺は思ってる。
マゾヒスムに関して言いたいことは全部言い切ったんじゃないだろうか。
最後のあたりはマゾヒズムについて語ることに飽きたので
自由と日本社会について書いている、と俺は感じた。
親の偽愛によって傷つけられた自己、という主題はマゾヒズムによく適合していたけれど
その裏返しとしてのサディズムというのは、十全な説明ではなかった気がする。
俺がやっているのは保守というより
主役(たち)が去ったスレで、主役(たち)がつみ残した事の残務処理に近い。
考えてみると「他者の欲望を欲望する」というのは
フェティシズムの場合、そのままでは当てはまらないのではないだろうか。
(解説本しか読んでないのでラカン本人がどう言ってるかは知らないのだが)
どういう文脈で言われたにせよ
「他者の欲望(へ)の欲望」とフレーズそのものはかなり多くの場面に適合すると感じられる。
特にサディズムとフェティシズムを切り分けるとき、
これのあるなしが基準のひとつにできそうな気がする。
個人的に一番強く印象に残ったのは彼が最初に書いた
「親の放任・過保護」がサディズム・マゾヒズムを生み出す、という部分だ。
過保護(そして虐待)が種々の心理的問題を作り出すというのはよく聞くが
放任というのは不勉強にしてはじめて聞いた。
父親の放任・母親の過保護。というのは(程度問題だが)わりとよくある環境な気がする。
(逆は父親の性的虐待・母親のネグレクトということになり、こちらは一般的とはいえない)
それがどうやってサディズム・マゾヒズムに結びつくのか。
プロ氏によれば、まずそれは自己評価の低さとなり、それがあらゆる問題を引き起こすという
説明だったと理解している。
過保護とは、母親ができなかったことを子供に押し付ける偽愛であり、
子供はそれを敏感に無意識で感じ取り、ほうとうに愛されているという実感を持たずに育つ。
そのため媚を売ったり服従したりすることでなんとか生存していこうと勤める。
その結果、自己評価が低くなる。
自己評価の低いものは、性的な状態としてはマゾヒズムということになる。
放任は、俺の理解ではサディズムを生み出す。
父親は最初の抑圧であり、超自我の原型をなす。
(母親の「禁止」は倫理や自己審判というより、もっと生命に近いところ、つまりエスに食い込む)
父親という最初の敵対者(ある意味で社会)・権威が不在であれば、自分でルールを作っていくほか無い。
「俺ルール」に対する制限がない(薄い)状態で野放しであれば
性的にはサディズムという形に近くなる。
興味深いのはフェティシズムだ。
これは放任のなかで、
遊び相手が人ではなくモノだったり動物だったりしたことの残滓ではないだろうか。
242 :
咀 :2008/06/07(土) 23:42:33
このスレのdat落ちを見届けた時点で俺は去る。(次スレを立てる気はない)
なにか思いつけば書き込める間は書き込む。
むろん何か「サディズム・マゾヒズムに関する考え」があるのなら誰が何を書こうと勝手だが。
プロ氏でわかりにくかったのは「自己」と「偽愛」だ。
彼の「自己」は、あるときは自己実現の自己であり
あるときは、ユング的な自己だった。
つまり「自己」というひとつの単語に複数のニュアンスをもたせていたので
そのとき、そのときで「自己」の内容が微妙に違っていた。
同様に、偽愛 というのもわかるようんでわかりにくかった。
それでは「ほんとうの愛」とは何か、ということをしつこく聞いたが
やんわりと無視されたため、ニュアンスで受け取るほかなかった。
そういったわかりにくさにもかかわらず皆が惹かれたのは
それらの考えが血肉化されていて、彼の中でよく通っていたからだろう。
彼のなかには何かに対する怒りがあった。 おそらくは親だと思うが。
あの時期、彼はほかのスレにも書き込みをしていた。
(記憶では嫉妬関係のスレだ)
だが、見事に無視されていた。
彼の考えは背後にある種のふくらみがあるため、
単発レスではわかりにくかったせいだろう。
246 :
咀:2008/06/08(日) 14:54:47
一般に サディストは念と理が結びつきやすく
マゾヒストは情と快が結びつきやすい
これはそれぞれ、放任と過保護からやってくる。と考えれば筋は通りやすい。
ちなみに、フェティストは情と行動が結びつきやすい。
247 :
没個性化されたレス↓:2008/06/15(日) 03:27:44
スレ違いでしたらすみません。質問です。
SとMが互いに身近に存在・意識しなければSかMであるという事は定義されないのでしょうか?(精神面の話です)
私の知人にもの凄く悲観的で自虐的な思考の人がいます。一つの悩みがでたとすればその先の先まで悪いほうに妄想し出口のない状態で自分を苦しめています。そしてそれを口にだしアピールしてきます。
アドバイスをしても彼女は全く理解できないようです。私も悲観的な方なのですが、そこまで意味のない出口のない思考を繰り返し不幸だとアピールする彼女の事が理解できません。
前にどこかで自分を苦しめる思考をする人はMだと聞いた事があります。しかし彼女はそんな事を意識していないと思いますし、他者にS的なものを求めているわけでもないです。(真相心理はわかりませんが)
どう思いますか?
私は特別詳しくないので正しいかわかりませんが。
SかMかということはおいておいて、自虐的な思考は癖になるみたいです。
誰でもそう癖つけられたらそうなってしまうような気がします。
彼女がアピールするのは、そうやって不安を解消するパターンになってしまっているからではないでしょうか。
249 :
咀:2008/06/22(日) 16:35:50
悲観主義も楽天主義もS/Mと直接関係はない。
ペシミズムというのは、自虐というより自己防衛の一種ではないだろうか。
期待を手痛く裏切られた経験から来るのか、親を見ていてそうなったのか解らないが。
無責任な楽天主義に比べれば罪は軽い気もするが
周囲にとっては鬱陶しいかもしれない。
社会というのは行動が歯車をまわすので、
無責任な楽天主義者の方が、被害を撒き散らしたとしても、重宝される。
マゾヒズムにとって「同意」は本質的だ、それが暗黙的であっても。
奴隷契約というのはたとえ両者の合意があっても
現代日本で法的な有効性を持たないが(事故が起きたとき情状酌量の参考程度にはなる)
マゾヒズムの儀式としては高い意味を持つ。
たとえば特攻といったものと比較すればよくわかる。
特攻兵士は権力から自死を要求された。
そのとき彼らは自分の死の意味(意義)を改めて自らの心のうちで構築せざるを得なかった。
それは積極的な同意とはまったく異なる。
マゾヒズムは、自身で自身を責める代わりに他者に自身を責めさせる。
この「他者」の引き込みが、自虐とマゾヒズムの境界をなす。
外国のボンデージでも広く受け入れられている日本の「縛り」は
マゾヒスト側が受け入れておとなしくしていない限り不可能な儀式だ。
マゾヒストはおとなしく縛られている段階で無言の同意を与えている。
サディズムにとって相手の同意が本質的であるかどうかは微妙だ。
屈服させ、支配する、という幻想にとって、同意が本質的に重要かどうかは別の話になる。
実際にことを行うにあたっての安全性(法的な意味でも、実際上の意味でも)の保障・担保としての同意、
自分の攻撃性をどこまで受け入れるか、というゲームの賞品としての同意、ということになるのではないか。
SMという文化・プレイで、同意は必要条件だろう。
それがなければSMは単なる虐待や傷害に過ぎなくなる。
実際に、サディズムという言葉は、虐待や障害と同義に使われることが多い。
今回の秋葉の加藤の行為ですら報道でサディズムという言葉を使っている解説者がいた。
残念ながら、今の俺のレベルではこれを完全に否定しさるサディズムの本質定義がうまく作れていない。
もちろん加藤の行為をサディズムとはまったく思わない。
しかし、それをテレビで解説していた椰子(誰かは忘れた)に対して
どのくらい説得できるかというと、なんとも情けないことになる。
その解説者も被害者がマゾヒストであるなどという馬鹿なことはさすがに言うまい。
そこには同意など微塵も存在していない。
だがサディズムにとって相手がマゾヒストであるかどうかは一時的な問題ではない。
(だからこそ「調教」という言葉がある)
SMという文化・プレイの範囲内で話をすませるのなら事は簡単なのだが。
「相互の同意」(暗黙的であれ明示的であれ)のないものは
文化・プレイとしてのSMとは呼ばないから。
253 :
咀:2008/06/22(日) 17:29:15
一時的(×) 一次的(○)
いつも妄想で満足しつつ、時々現実のパートナーがほしいと考えるM女です。
Mの私にとって、そこに同意があるという時点で幻想は崩壊する。
「自分が求めてるからこそ、相手は合わせてくれてるのではないか」
という疑いを持つようになる。
自分は常に逃げようとする側でありながら、
相手が自分を逃がそうとしない瞬間に感動と癒しを得る。
現実は寂しい。
誰も自分に強い興味をもたず、私自身も誰にも強い興味を持たない。
なぜなら環境は流動的で、誰しも「その場限り」の付き合いだから。
自由で孤独。
自信も確固とした信念もないままガードレールも標識もない道をふらふらと歩いてるみたい。
その反動で「執着」と「師」は私にとってとても大きな魅力を持つ。
それでも、現実の恋愛では同意がなければどうにもならない。
だから、現実ではあえてSM要素のない相手とともに
もたれかけあう喜びを味わってみたいと思う。
255 :
咀:2008/06/23(月) 00:33:52
>>254 妄想の中の他者は現実の他者ではなく、幻想の他者=自分(の願望)だから
妄想の内容と無関係に、妄想に興奮する時点で自身が同意していることになる。
SM空間でのパートナーとの関係は、
フーコーの引用にあったように一種のゲーム(ロールプレイ)だ。
Mが覚めればSの負け。 そこにリアルプレイでの相性というものが発生する。
相性が合わなければ、孤独は増幅する。それが怖くて夢想に収まるのではないか。
テスト
>>254 >自分は常に逃げようとする側でありながら、
>相手が自分を逃がそうとしない瞬間に感動と癒しを得る。
自分もこういう場面に興奮します。現実でやられたら頭にきますが。MでもSでも。
259 :
没個性化されたレス↓:2008/07/02(水) 05:13:49
加藤の話はやめようよ。
260 :
没個性化されたレス↓:2008/07/02(水) 06:13:19
あぼーん
262 :
没個性化されたレス↓:2008/07/03(木) 06:01:55
浣腸が好きです。
263 :
没個性化されたレス↓:2008/07/03(木) 19:53:23
条件付の愛情や受け入れ
→本来の自己を抑制し、かなり低い自己評価 感情の抑制や鬱積
行動が受容される 自己の存在の受け入れ 自己抑制の開放 感情開放
行動を束縛される 極限状況という免罪符 自己抑制の開放 感情開放
感情を吐き出すことを許される環境を設定
自己束縛からの解放 鬱積した感情の開放
自己をそのまま受け入れられる喜び
→カウンセリング等
sは能動的に自己解放、mに設定した環境が受け入れられる喜び、mに必要とされる喜び
mは受動的に自己解放、sが設定した環境で自己解放できる喜び、sに必要とされる喜び
設定によって自己解放を目指す
自己の体験した開放感を味わってもらいたいと思えばmがsに
受動的自己解放を望めばsがmとなる可能性も
264 :
没個性化されたレス↓:2008/07/03(木) 20:43:26
サド、マゾと破滅願望は生育歴に大きく関係があると思う。
265 :
没個性化されたレス↓:2008/07/05(土) 06:28:29
浣腸されて興奮する人。
浣腸する人間が設定した環境で自己解放できて喜んでる?
浣腸する人間に必要とされて喜んでる?
266 :
没個性化されたレス↓:2008/07/06(日) 06:19:56
>>264 サドはいじめられっ子
マゾはいじめっ子
267 :
没個性化されたレス↓:2008/07/06(日) 06:50:02
次から次と破滅的行動を取る人って、マゾなの?
一見破壊していてサドっぽいが、実は自分を破滅させたいマゾなのかなと思って
必要とされたいからM女なのかもしれない。
自分を支配する絶対的なSという存在によって安心するというか。
支配しているのはマゾのほうかもしれないけど。
269 :
没個性化されたレス↓:2008/07/07(月) 15:56:48
浣腸されて脱糞するところ見られて喜ぶ人。
何でなの?
人間として一番恥ずかしい姿を見られてるわけだろ?
何で?????
270 :
305:2008/07/08(火) 00:09:22
こんばんは。
お久しぶりです……とすら言えないほどにご無沙汰しておりました。
サディズムはマゾヒズムより昇華しやすい(愛情によって満たされる)というのを、今、身をもって体験しています。
私の主は少年期に母親との接点が薄かったと聴いておりますので、
サディストの原因が親の放任によるものであるというのは、やはり正しい(多い)事例なのでしょうね。
(ちなみに私の母は過保護でした)
271 :
305:2008/07/08(火) 00:21:51
>>268さん
M女は自身に対する認識が不安定なので、故にそれを固定する存在を求めるのでしょう。
マゾヒズムが手段であるというニュアンスで受け取ってしまうと、違和感を感じます。
でも、支配、というかたちで強烈に求められることによって
安寧を得るというのは、間違いないでしょうね。
272 :
なつ:2008/07/09(水) 02:10:53
>>咀さん。
まだいたんですね。ある意味感動です、懐かしい故郷に戻ってきたみたいな。
でももう過去には戻れないですけど。
時には視点を変えて物を見てみるのもいいかもしれません。
物を観察するとき右から見たり、左から見たり、上から見たり下から見たりしますが、
「時間を越えて」見てみるのもいいかもしれません。過去から見たり、未来から見たり、です。
たくさんの書物を読んで、知識を仕入れ、とても謙虚で真摯な方だと思う。
ただ、知識って大事だけれど、自分自身の直感や身体で感じる「何か」をわかりづらくしてしまうときもある。
「SMの心の仕組みについて”理性的な”答えをだしたい」という望みが叶うかどうか、私にはわからないけれど、
咀さん自身の答えを見つけ出すことはできると思います。
一つだけ言っておくと、世の中の有名な心理学者と言われてる人たち(文学者とかでも)あまり深く掘り下げ過ぎなくてもいいと思う。
私は心理学は科学ではないと思っているし、
様々な著作物はそれを書いた著作者たちの「個人的な」エピソードから逃れられないので、
ある意味、著作物は著作者たちの自己満足と思い込みと屁理屈の塊なのです。
それを一つ一つしらみつぶしに読んで、「何を言いたいのか」「どういう意味なのか」解析する事には、
どれだけの意味があると思う?
あなたがこれからも、様々な書物を読んで自分なりに考えをまとめたいと言うなら、それはそれでかまわないと思う。
273 :
なつ:2008/07/09(水) 02:11:30
だけれど、例えば「加藤なんとか」って心理学者、彼は存命なのかどうかわからないけれど、著作はうんこみたいなものです。
個人的な恨み節が根底にあって、その思い込みとエネルギーが強すぎて怖いくらいです。
そのために、人々の共感を呼ぶのかもしれませんが、そんなちっぽけな爪の垢みたいな思想に惑わされるのはやめましょう。
「プロ」って人もしかりです。お子様です。
文章の見せ掛けの整合性にだまされないで。
あなたは、なぜこのスレッドにいるの?
人の文章を解析するのも十分したし、これからは「なぜ自分がここにいるのか」、「なぜSMについてそんなに固執するのか、これから何をしたいのか」
自分の頭で考えてみたら?
人の事は解らないけれど、自分のことは自分が一番知っているはずです。
自分自身の声に耳を傾けないから、変な理屈を求めたくなります。
274 :
没個性化されたレス↓:2008/07/09(水) 18:28:12
>272-273 なにえらそうに人に指図してんの? ウザ
275 :
没個性化されたレス↓:2008/07/10(木) 12:11:23
最近は知らないけど、アメリカのエリートはジョギング好きだそうな。
ジョギングでは、肉体酷使によって脳内麻薬が分泌されるそうな。
ただ、個人差があるらしい。
マゾヒストって、エリートに多いイメージがあるけど、
肉体酷使のみならず頭脳酷使が、心地よいんだと思う。
実は俺もエリートだけど・・・マラソンは嫌いだが、
ぶっちゃけ頭脳酷使が好きなマゾヒストだ。肩凝るけど。
縛られて鞭で打たれて、顔面を踏みつぶされると屈辱感で、
何故か興奮する。
でも、同時にサディストでもある。彼女を目隠しし、
浣腸して、必死に耐える表情を見ながらヤルと興奮する。
俺がイク前に彼女が漏らすハプニングがあると、
彼女の羞恥に満ちた表情は最高!
また、この際、何故か彼女の便は汚いとは思わない。禁忌の世界に
浸っている悦びか、愛情か、不明だが。
276 :
没個性化されたレス↓:2008/07/11(金) 16:54:00
>>275 続きだけど、まとめると、マゾヒストの快感は、肉体的にも精神的にも、
苦しみによって、脳内麻薬が放出されるためだと思う。
先祖がサルだった頃から、絶えず飢えの苦しみ等に苛まされ、
身に付いてしまった習性じゃない?
サディストの喜びは単純に「支配欲」「征服欲」だと思う。
人間もサルの頃から、群れの中で「ボス」の地位を目指していた
から、当然だと思う。
277 :
没個性化されたレス↓:2008/07/12(土) 07:41:16
昨日若いナースに浣腸されて勃起した。
惨めな自分に興奮した。
278 :
没個性化されたレス↓:2008/07/13(日) 06:58:31
支配欲=Sですか?
ならば支配欲とはどこからどこまでを言うのでしょうか。
279 :
咀:2008/07/13(日) 15:25:57
>>270 こんにちわ お久しぶり。
確かに愛が苦手なSというのは多い。
だからそういう意味での昇華という現象が逆に起こりやすいような。
結婚した知り合いのSMカップルでは、S男の方がいつのまにかMもやるようになってた。
心理学的な意味での昇華(性欲の脱性化された文化行動)では
Sは、直接的な表現になりやすい傾向があるように思う。
最近話題の日本画家・松井冬子の絵もそういう昇華の匂いを感じる。
知り合いのSがやってる小説サイトや、以前紹介したS女の妄想小説も
残酷妄想がかなり直接的に表現された昇華物になってる。(まぁ筆頭はサドだがw)
Mの作品は、もっとニュアンスが複雑な印象だ。
280 :
咀:2008/07/13(日) 15:41:15
>>267 そういうのをフロイトは「道徳的マゾヒズム」と分類してる。
( 「マゾヒズムの経済的問題」(「自我論」ちくま文庫) )
281 :
没個性化されたレス↓:2008/07/15(火) 08:07:42
>>278 「支配欲=S」・・・?かぁ…。俺個人は、肉体酷使・頭脳酷使で、
何とも堪らない充実感を得るので、脳内麻薬分泌型マゾヒスト、と自覚してる。
でも、彼女の両手を後ろ縛りして膝立てうつぶせにして、大反対の悲鳴の中で
浣腸する行為は「苛メッ子」の楽しみを感じる。しかも、人体の恥部の象徴を
犯すことで「征服感(支配感?)」がある。また、一般常識でも「変態行為の
シンボル」だけに、禁忌を侵している悦びがある(中学生が敢えてタバコを吸う等、
校則を破る痛快さ、みたいな?)。
意外と興味深い現実だけど、彼女と「浣腸プレイ」迄行うようになると・・・、
彼女内部では大革命ながらも、羞恥心に酔って、ハマる女性が大多数なんだよねー。
それにしてもこのスレは難しいね。
誰かわかりやすくまとめてほしいものだ。
283 :
没個性化されたレス↓:2008/07/16(水) 16:01:17
>>278 女に浣腸されて喜ぶ男は?
征服されて喜んでるってこと?
支配されて喜んでるのかな?
284 :
没個性化されたレス↓:2008/07/17(木) 13:42:27
>>278 看護婦に浣腸されて、出したウンコ見られて勃起する男は?
285 :
没個性化されたレス↓:2008/07/19(土) 06:57:16
若い美人ナースよりも、不細工な婆ナースに浣腸される方が勃起するのはなぜ?
>>279 愛が苦手、とは、
甘えたり、受け止められることに不慣れということでしょうか。
SはMに対してこれでもかと与えるのに
その逆は?
Mはすべてのベクトルが自分へ向いてしまうのに。
サディズムは愛情を確認する行為であるから、
激しくなるほど複雑化するのではなく、程度が増すのだと思います。
目的が、どこまで受け入れて貰えるかということだから。
287 :
澪子:2008/07/19(土) 18:56:48
サディズムはサド、マゾヒズムは谷崎くらいしか思い付かないのですが
後者に死の匂いをつよく感じます。
Mにとってそれは終着であり、Sにとっては
生命の結果である印象…。
288 :
没個性化されたレス↓:2008/07/20(日) 14:10:20
谷崎は、破滅型の典型的マゾヒストだね。
俺も一時期谷崎を読みまくったよ。
SでもMでもある俺としては・・・、
複雑だけど、性欲満々でMな気分のときは、
平常心では「絶対に嫌なこと」を敢えてされたくなる「破滅願望」がある。
俺はホモじゃないが、ガキの頃変質者にケツの穴をいじられたトラウマがある。
そのせいか、三島由紀夫の世界で「ゲイM」に衝動的に魅力を感じることがある。
289 :
没個性化されたレス↓:2008/07/21(月) 05:08:38
ホモSMと言えば
小説「007カジノロワイヤル」。
290 :
没個性化されたレス↓:2008/07/23(水) 12:02:05
291 :
澪子:2008/07/23(水) 22:03:31
>>288 こんばんは。初めまして。
谷崎といえば、そして美に対する傾倒と、絶対的な崇拝・でしょうか。
彼の作品に登場する支配者(その役周り)にとって、美は手段と口実でしかなく
弱者・服従するものにとっては美こそ本質。
姿形に対する過度な称賛は、逆にSを不在にしてしまうようにも思われます。
破滅を望むのはMの性でしょうね。
過去のトラウマを繰り返し、甘美なものとして認識することで
乗り越えようとするのでしょうか…。
292 :
没個性化されたレス↓:2008/07/25(金) 15:16:43
夏休みなので、来週から一か月間ヨーロッパをバックパック旅行に逝きます。
SМ大国ってったら、ドイツ、スイス、オランダだと思うので、余裕があれば
冷やかしてみます。フランクフルトのレーバーバーンとか。
でも、あっちのSМの、「肉感」「残酷」なイメージは、殺されそうでキモいです。
日本的な「精神的屈辱感(浣腸プレイ等)」をテーマに、ヒマだったらサーチしますね。
293 :
咀:2008/07/31(木) 21:52:21
>>286 たぶん俺と貴女で愛のイメージが違う
愛は2体間で無防備(性も含めて)に近づくことを含むので
元来、用心深く、心を開くのに時間がかかるSには苦手な者が多いと思う。
(ただしS女にこれがあてはまるかどうか自信がない。
S女とS男は同じ構造ではないと思っているので)
294 :
いちm女:2008/08/18(月) 22:29:47
私は誰にも愛されずに育った。
これだけならいくらでもとまでは言わないまでも、
それなりにたくさんいるし、全員がMになるわけじゃない。
私がMになったのは、自分を見てくれる「視線」への渇望から。
幼い頃母は自分可哀想の人で、常に私からの同情を欲した。
私は大きくなってから、自分をかまってくれる人がほしくなった。
「誰も私などいらない」この固定概念で
いつも相手の懐に飛び込めない。
今はよくしてくれてるけど、これは私が相手を必要としてるからで
私が遠慮したら、あるいは私に失望したらすぐに相手は離れていくだろう。
だから私が嫌がっても、泣いても逃げても捕まえててくれる人がほしい。
私を離れていかず、捕まえててくれる人がいたらどんなにいいだろう
295 :
いちm女:2008/08/18(月) 22:33:32
私のすべてを知ってほしい。
きっと逃げてくと自分を見せるのをおそれる私のうわっつらを
強制的にはがしてほしい。
安心させてほしい。
でもこんなこと言えない。
きっとみんなそう思ってる。
私だって、男からこんなこと要求されたら激しく萎える。
きっと男からみたって同じだろう。
だから言えない。
296 :
いちm女:2008/08/18(月) 22:40:10
しつけられたい。
小さい女の子みたいに、ペットみたいに、
あるいは所有物みたいに扱われたい。
対等なんてリアルだけでおなかいっぱい。
対等でいなきゃいけないなら男なんていらない。
どんな風にしつけられたいか。
普通の親が子供にするみたいに「自立へ向かう躾」じゃなくて
「依存へ向かう躾」がされたい。
「お前は僕に媚びることだけ考えていればいいんだよ」って言われたい。
そう、私は依存がしたい。
依存したくてしたくてたまらない。
でも相手も私に依存したいと思ってるかもしれない。
私が思ってるんだから、相手も思ってるだろう。
そしたら私同様、相手も相当うざいと思うだろうな。
だから言えない。
自分から言えないなら強制的に依存させてほしい。
拘束して、躾て、依存しないならお仕置きしてほしい。
297 :
いちm女:2008/08/18(月) 22:44:37
なぜ依存したいか?
一人じゃ生きられないから。
なぜ一人じゃ生きられないか?
自分の見識、決断に自信がないから。
努力さえも承認無しじゃ出来ない。
「無駄な努力して…迷惑だな、早く辞めてくれないかな」と思われてる気がして。
絶望的なまでの自信のなさ。
結局幼少時の環境にいきつく。
私は親からいつもけなされ、学校でも恥ばかりかかされた。
298 :
いちm女:2008/08/18(月) 22:48:04
どうすれば回復する?
やはり欲望を満たすこと。
満ちたい。満ちれば回復していくはず。
しかしそれはSMが回復に導くのではない。
いや、SMが導くには導くが、導く本質は愛だ。
承認され、必要とし必要とされることが
いつも一人じゃないと、私を手放さないでくれる人がいると思えることが
心の傷をうめていくのだ。
299 :
没個性化されたレス↓:2008/08/19(火) 00:39:20
う〜む深いですねぇ
でもんなんとなくわかるような気がするよ
今の社会は甘えを許さない社会だからねぇ皆甘えたいんだよ
支えあいたいんだよきっと。絶望なまでの自信のなさrってのは
俺もだなぁ、あきらめたいよ。そっちの方がらくだから
俺はそんなに簡単に割り切れるほど大人じゃない。が社会はそれを
周りはそれを必要としないんだよね
いちm女さんも甘えたいんでしょそういう場面に本当に素直になれる
場面がすくなかったんじゃないかなぁ俺はそうだよ
だから、甘えたいんだそしてそれを受け入れてくれる人が
欲しい。おとこは引っ張るものなんていってる奴がいるけど
毎回そんなんじゃおとこも疲れるよ
ほんとに愛してくれる人みつかればいいね
でもその前にあなたも人を愛さなきゃね!!
俺もししてた奴には散々裏切られたから、今では何も信じれないよ
綺麗な友情もドラマみたいな愛情もいまでは何も感じない
むしろ否定的 でも信じたいけどね
M女ですが、プレイの最中は常に冷静です。
どんな辱めを受けても、もう一人の自分が第三者の目から見ているような感じです。
自己愛のあまりの強さゆえだと思いますが、酷いことをされてる自分が好きなんです。
痛みが快楽につながるわけではありませんし、Sという自分を支配する絶対的な存在に依存したりもありません。
しかしそこに愛があることが大前提ですのでSMと実生活を混同してただのDVになることはありません。プレイはプレイとして、です。
ただ酷いことをされてる自分が可哀想でなおかつ美しいと感じるんです。
異常なまでの自己愛のせいですが、決してM女になったことを後悔はしていません。
>>300 そういう人もいるんですね。珍しいのか普通なのかは自分にはわからないですが。
>>292 何か収穫があったら教えてください。
いちM女さんの素晴らしく整理された発言に感動。観念論を脱したリアルかつ
本質的内容が素晴らしい。SMの本質に対する考察が、SやMの幸福に繋がら
なければ、ただの知識自慢か議論したい人間の自慰くらいにしかならない。
いちM女さんの発言は、SやMの幸福につながる確かな希望を含んでいると思いました。
なんでやねんwww
>>302 知識や探求を否定するなら学問板にいる必要なし。
相談板かSM板でも逝けやヴォケ
305 :
没個性化されたレス↓:2008/09/18(木) 04:02:50
306 :
没個性化されたレス↓:2008/09/21(日) 05:34:12
307 :
咀嚼者:2008/10/19(日) 14:45:00
サディズムは超自我の問題だ。
超自我の過剰が自らをもて余して性の場面に侵入しサディズムとなる。
むろん超自我の内容は人によって異なる。
したがって、どのような超自我が、どのような性的幻想を抱くかは異なる。
ただし、超自我は、別に脳機能に本来備わっているものではなく
後天的に獲得されるものであるから、文化と深く関係する。
従って、同一文化で生存しているものに
同じパターンの幻想が強く訴えかけることは充分あり得る。
逆に言うと、文化的なパターンがサディズム幻想を触発する。
サディズムは学習されて獲得される。
アシュレイ・モンターギュが「暴力の起源」で主張しているとおり
攻撃性は文化的学習によって得られる。
攻撃本能というものはない。
幼児が一見残酷な振る舞いをしたとしてもそれは攻撃本能ではなく
単に同情心の未発達−共感幻想の未獲得に由来する。
彼は好奇心に駆られて虫の羽をちぎる。
生命や他者は彼・彼女の自体的な意識の中で価値を得ていない。
それはサディズムとは異なる。
超自我は後天的に文化の中で個の中に刷り込まれる。
親・身近な他者・テレビドラマや漫画、小説など。
超自我の獲得の元が高級な文化である必要などまったくない。
むしろ低俗、通俗的なほうが、未熟な精神には入り込みやすく
また根付きやすい。そしてそれはきわめて強固に個に取り憑き支配する。
「自己評価が低い」とは何か?
そもそも、どの自己がどの自己を「評価」するのだ?
超自我が自我を、自我の振る舞いを、あるいは自我の無為を評価するのだ。
「心理学のプロ」は自己評価には「普通」と「低い」しかなく
「高い」はない、と言った。
超自我は減点方式だからだ。
それは罰するのみで報償は与えない。
倫理や美意識は、全うされているときには沈黙し(というより遂行の原点座標となり)
欠如した時にのみ厳しくイエローやレッドを出す。
これが、過剰な超自我の様態だ。
超自我は個の社会的判断基準となるため、
それが弱いものは従属者として他者の判断をもって自らの判断を代行させる。
サディストは特に超自我が強い。
サディズムが自虐を含むというのは
己の自我を超自我が罰するということは
強すぎる超自我に自ら疲れ、
自我の側に立って休息するということだ。
罰を受ければ超自我はひとまず判定の過程を終了する。
だが、他者がサディストの超自我を代行することは
強すぎるサディストの超自我にとってかなり強い抵抗をもたらす。
自己を自我のみの存在と見なし、超自我を他者に預けるマゾヒズムは
明らかに別のステップを必要とする。
過剰な超自我という言い方は
厳格な超自我という言い方に変えてもよい。
それはある意味、その個自体にとってもやっかいな負担でもある。
自我と超自我が不調和であること。
サディストに欝になる者が多いのはそのせいだ。
それでは、マゾヒズムは「自我の過剰」なのか?
それについてはまだなんら考え(確信)を得ていないが
その可能性はある、とだけは言える。
愛は、防御の解除だ。
しかし、すべての人間に対して防御を解けば
そのものは社会的な損失を被る一方になるだけだ。
そこで、「特定の相手」にのみ防御を解除する(防御の過程に入る)。
防御とは超自我の監視を外すということに等しい。
だから、超自我の強いサディストは愛が苦手なのだ。
さて、超自我の内容、超自我の質、というものは
社会的淘汰にも関わる。
通俗文化が刷り込んでくる倫理は、
そのまま、社会的淘汰の武器となる。
強すぎる超自我を持てあまし、あるいは
強すぎる超自我に疲れ、
超自我を色情化することによって休息を得ようとするサディズムが
反倫理的な幻想を好むのは当然ということになる。
それはある意味、人工的な淘汰に対する反撥や抵抗を含む。
だが、それもまた、彼の超自我となる。 やれやれ…。
超自我という観点からサディズムを見れば
多くのことが解けることはわかった。
マゾヒズムの依存は、
超自我を他者に預けることで自我だけが残ることが要因となる。
ナルシシズムの問題はまだ不明な部分が多い。
今回の文脈からするとナルシズムは、高い自己評価、ということになる。
いままで書いたことと相容れない。
(仮の考えとして)
ナルシズムは
超自我が自我に喰われた状態かもしれない。
超自我が自我と溶融し、他者への関心が縮小することで
倫理基準、社会的美意識も縮小し(あるいは発展せず)
ナルシストは自己だけの世界へと進む。
316 :
咀嚼者:2008/10/19(日) 18:21:05
ふむ。
>>313 (防御の過程に入る)→(防御解除の過程に入る)
317 :
咀嚼者:2008/10/19(日) 18:37:48
愛の関係は、
対がそれぞれの扉から武装を解いてひとつの部屋に入り
(という幻想を共有し)後ろ手で扉を閉めて完成する。
基本的に閉鎖的なものだ。
特定の対象を選択し、無防備を突き出す。
誰にでもこれをやれば、傷だらけになる。
イエス・キリストのように。
愛は閉じた扉を再び世界に向かって開き、
相手を防御的攻撃(あるいは攻撃的暴挙)することで終わる。
318 :
咀嚼者:2008/10/19(日) 18:39:06
愛は自我だ。
超自我を阻害しなければ成立しない。
319 :
咀嚼者:2008/10/19(日) 18:41:42
(言葉が足りないな)
愛の担い手は自我だ。
脳に愛の座はない。 好き嫌いは防御であり、愛とは異なる。
320 :
咀嚼者:2008/10/19(日) 18:57:14
キリストは余計だったな…
キリストの(キリスト教の)説く愛は、自我の愛ではなく
倫理化された愛であり、超自我化された擬愛だ。
あるいは、受け身を絶対化したマゾヒスト的な愛、かもしれない。
いずれにせよ、今回の文脈の「愛」は
キリスト(教)的な「愛」概念とは別のものだ。
サドに鬱が多いのは確かでしょう。
一応Mの私は、S側の人に対して一種の同情心みたいなものを感じます。
孤独に見えるから、救いたい。なんだか信用されてない気がする。
私だけじゃなく、誰も信用していないような。
目に見える形で拘束されて、相手が私を信用できるなら、私にとってもそれは
この上ない幸せのように見えて、憧れています。
昔関係を持ったSの方は、「人を監禁することでその人の心まで動かせるか」
といった題材の映画にとても興味を持っていたようです。
彼もまた、自分が普通ではないと自覚して、それについて悩んでいるような人でした。
322 :
没個性化されたレス↓:2008/10/29(水) 12:36:46
今日初めてこのスレ見つけて、いきなり流れ読まずに書き込みます。
サディズムは治るのでしょうか?
もういい加減子供を生まなきゃいけない年齢なのに、普通の性行為が出来なくて、少しずつ真剣に悩み始めました。
私はサドですが、とりあえず
>>321の言うサドの定義には一つも当てはまってません。
楽観主義、平和主義ですし、人の心を束縛したい訳でもありません。
苦痛の声、表情を見たいだけであり、対象は老若男女問わず。動物でもいいんです。
そんな自分が嫌でたまりません。
普通の女として、性行為を子供産んで育てて、普通の幸せを掴みたいです。
治るものならどうか教えて下さい。
>>322 なぜ自分は苦痛の声、表情を見たいのか、を考えてみたら?
324 :
没個性化されたレス↓:2008/11/10(月) 04:17:46
マゾについてwikiで調べてたのですが
自分を過度に抑圧して生きてきて「ここは自分が我慢をすればいい」というような場面が多くあったから、こういうマゾ的性質になるらしいのですが
しかし性に結びつく関係性がわかりません
なぜ? なぜ性的に?
このマゾ性質になる多くの人が、ちょうど性について興味を示す時期までに、体験したから? あるいは重なるから?
だれか教えてください
325 :
没個性化されたレス↓:2008/11/16(日) 15:50:48
単なる脳細胞と伝達物質の
関係で決定されているものでしょうね。
SMに限らず精神病と言われてるもの全般は。
そしてそれらの大元は遺伝子工学的な話できまるもの。
心だとか精神だとか言っても、所詮は脳の話であり、
脳の設計は遺伝子に記述されてますので。
夢を壊してごめんなさいw
サドマゾヒズム的な親からはサドマゾヒズム的な子供が生まれるっつー、
古典的なお話が、実は科学的に証明されつつあるのが現代です。
幼少期の経験等も脳細胞の構築や伝達物質の分泌と無関係でわありませんが、
根本原因は大元の設計図です。それによって形状や量が決まりますので。
326 :
没個性化されたレス↓:2008/11/16(日) 15:53:18
具体例:
脳内物質セロトニンを体質的(脳質的?)に多く分泌する人は鬱になりにくい。
セロトニン伝達能力の高い脳構造の人は鬱になりにくい。
>>325 具体的に脳の何野でどういう伝達物質によって
サド・マゾが決まるか、説明してみろよ。
>>327>>328 ん?
wikiを見る限り、
>>325の言ってることが正しいと思うぞ・・・
おまえら、もしかして心や精神と脳が別物だと思ってんのか?
どんどん遺伝子工学や脳機能学が発展していくと、確実に遺伝子レベルでの
差別が始まるだろうね。
ま、痛いとこつかれて悔しいんだろうけどな。
331 :
没個性化されたレス↓:2008/12/05(金) 02:10:48
332 :
没個性化されたレス↓:2008/12/05(金) 02:35:38
たぶんおんなじ脳みそでも生い立ち(記憶)で性癖は変わる
333 :
没個性化されたレス↓:2008/12/05(金) 02:38:08
>>325それはしつけの怒り方とか、後天的な物だと思う。
虐待児の親が虐待されてた的な
334 :
没個性化されたレス↓:2008/12/06(土) 05:15:26
335 :
没個性化されたレス↓:2008/12/09(火) 13:21:52
336 :
没個性化されたレス↓:2008/12/25(木) 07:39:53
若い美人ナースよりも不細工なババアナースに浣腸される方が勃起する。
なぜだろう?
337 :
没個性化されたレス↓:2008/12/28(日) 17:59:10
心理学とかあまり知らんけど
相手が美人だとコンプレックスが強すぎて萎縮するんじゃ?
338 :
没個性化されたレス↓:2008/12/30(火) 06:37:56
ちょっと違うな。
339 :
没個性化されたレス↓:2008/12/30(火) 09:24:23
>>325 私たちは「意味の世界」に住んでいます。「意味関連の体系」の中に住んでいます。
そして、そういう「意味の世界」は生まれた後にしか作り上げる事は出来ません。
遺伝子の中に「机」という意味や「赤信号では止まらなければならない。」という意味が
書き込まれている訳ではないでしょう。
精神病や神経症はそういう意味の世界の障害だと思いますから、遺伝子よりも後天的な
文化の方が大きな意味を持つと思います。
人間が赤ちゃんの頃、母親の保護を盲信し、その支配に全面的に服従している状態が
長く続く。人間に共通であるこの条件が、「被虐的な歓び」であるマゾと深い関係がある
ような気がする。
342 :
咀嚼:2008/12/30(火) 22:27:56
人間の脳は未完成なまま生まれてくるので、生誕後も環境の刺激を受けながら発達する。
ある時期に必要な刺激がないとその部分は発達しない。
社会的環境も、母と子の間の関係も、脳の発育に影響を与える。
動物に育てられた子供の言語野は通常の生育をした人間と異なる事が確認されている。
高度な文化空間で暮らさなければならない現代人にとって
環境刺激(むろん乳幼児にとってもっとも重要なのは母子関係だ)と学習が
その人間の対人能力や性向に大きなパーセンテージを占める。
さらに重要なのは、人間は自然な育ち方をしない。
人工環境の中で生育する。現代の人工的な環境には様々な刺激がある。
特に思春期に受ける刺激は、アマゾンの奥地で暮らす自然人と
種々の文化装置に接して過ごす人間と都では大きく異なり
それがその人間の性的ファンタジーを形作る、と考えることは
単純な機械的唯物論者が期待するような観念論ではない。
つまり
>>340に賛成だw
しかし
>>341のように母子未分化の状態を「支配と服従」と見るかどうかには
異見もあり得ると思う。
343 :
咀嚼:2008/12/30(火) 22:47:25
赤子の泣き声は一種の武器だw
344 :
没個性化されたレス↓:2009/01/04(日) 05:35:59
年下の女に甘えるための武器は?
345 :
没個性化されたレス↓:2009/01/11(日) 08:17:08
ちんぼうのでかさ。
346 :
没個性化されたレス↓:2009/01/13(火) 02:22:59
旦那のSM好きに困って、ここをちとのぞいた者です
ここまで読ませていただいた限りで思ったのは
>>342 どっちが正しいとか間違ってるとかでもないような・・・。
遺伝子が個人の能力以外にも、
>>325の言うように人格にも影響する
事が解明されつつあるって事ならば、
先天的な要素と
>>340の言う後天的な要素があいまって、
個人の性格が形成されていくって事では?
同じような環境でも、後天的な影響って個人差って多少なりともありますし
どちらの要素が大きいか、統計とって証明しない限り
断定してしまうのもどうかと・・・って、
こんなん言ってると議論にならないかorz
いかなる視点からSMを解釈するか。それぞれの立場があるだろう。
心理学を少しかじった人間の立場からすると、やはり「自尊心」が最重要問題
であるとして、ここで提起しておくべきであろう。
そもそも自尊心は、「普通か低い」の二種類しかないと考えられる。
ここが重要なポイントだ。
自尊心が強いとか高いという言葉自体は普通に使われている。だが、実際
私に言わせれば、「自尊心=プライド」が高いのではなくて、それはむしろ、
自分の自尊心が低いことを隠すために過剰にアピールする必要性が増している
ので、彼らは一見するとプライドが高いように見えるが、実際には自尊心が低い
ために大声を出したり人前で人を支配するような役を率先してやったりする。
自尊心が低いという共通の「病」であるにもかかわらず、その症状が違う
のである。一般に自尊心が低い人は、自分に自信がなく、いつもおどおど
していて、さして自分が悪くもないのに謝ったりする。
「自分は駄目」だと思っているのが基本的な姿勢だ。これがチャーリー・ブラウン型
である。
もう一つは、上で述べた内容とは全く正反対のことなのである。
「自分ほど偉い人間はいない」という態度で、いつも堂々としていているが、
自分の間違ったことを指摘されるとすぐさま憤慨するのである。こちらはトラブル
を起こしやすい傾向があり、前者よりもこちらのほうが犯罪者になりやすい人格
である。
サディズムやマゾヒズムの心理学的な要因として
@自尊心の欠如
が、考えられる。自尊心が欠如しているとその欠けている部分を「何か」
で補わなくてはならなくなる。そのため、「何かしら」に(異常)執着した
り、異常行動をとったりする。
摂食障害や強迫性障害、依存症(物質・嗜癖)やフェチズムなどの性嗜好
異常などの患者にもしばしば自尊心の欠如が見られる。そんなわけで、サディ
ズムやマゾヒズムも当然含まれる。
自尊心が欠如していると、必要以上に重い盾や鎧を身に付けなければ
ならなくなる。そうして自分を守ろうとする。そうしなければ自我が崩壊するからだ。
そんな状況から脱却しようと、攻撃にでるか、とにかく耐えて変わらず
受け身になるか、それが結果的に(性的)快楽になるかどうかで、サディズムや
マゾヒズムが形成されていくのではないかと(一つの要因としては)考えられる。
350 :
咀嚼:2009/01/16(金) 19:53:42
一応俺も
>>309で自尊心ではなく自己評価の問題として書いたことはある。
とりあえずAを待つ。 ところで お久しぶり、でいいのかな?
かなり久し振りになりますね。
自尊心が低いということは当然ながら自己評価も低いということになる。
自己成就予言という言葉があるように、自己評価が低い人は自ら自己評価を
下げるような行動を取る。なぜマゾの世界に入っていくかというのは、
自尊心が低い=自己評価の低い自分であり続けるために自らのめりこんでしまう
ということなのだ。
もう少しいえば、罰している自分や罰せられている自分に(性的)快感を
覚えるのは、自尊心が低い=自己評価が低いということと、そしてそれを
自己評価が低い自分を守ろうとする力が働くために、実際には自分とは関係
なくても「自分がいけないんだ」とか「自分のせいだ」とか必要以上に他者支配
したりというようになったりする。
彼らは自己評価の低い自分に対して依存しており、それを克服ではなく、
逃避という形でサディズムやマゾヒズムが形成されていくように見える。
352 :
咀嚼:2009/01/17(土) 18:17:49
以前と比べれば寂れてるので気楽にやってくれぃ。
自己評価の低さは親の刷り込みだろうかね?
刷り込みというのは生物学用語だから、心理学でどういう言葉を使うのか知らないが.
ノーベル賞を受賞した動物行動学者コンラート・ローレンツが命名した
「刷り込み」のことか。
自己評価が低くなる原因は何だろうか?
自己評価が低いということは、劣等感が強いということと切っても切れぬ関係
にあると思われる。劣等感が強くなればなるほど自己評価も低くなるのが普通
だ。劣等感が強ければ強いほど、それを隠すために強がる必要性も増す。劣等
感を克服するためにサディズムに逃避しようとする。劣等感が強ければ強いほ
ど、駄目な自分を罰するためにマゾヒズムという快楽に逃避しようとする。
@自尊心の欠如=自己評価が低い
A孤独
B抑圧
Cサディズム幻想・マゾヒズム幻想
D逃避
355 :
咀嚼:2009/01/18(日) 17:52:36
>>353 ローレンツの発見(雛が孵化した後、最初に見た「動く物」を親と思いこむ)のような
厳密な意味ではなく、「思い込み」といった緩い意味だけどね。
というより「思いこまされる」「植え付けられる」の方が近いか>刷り込み
自己評価が低いというのには、確かに色んな要因が個別にあるんだろうな。
M女にはレイプ経験者や、虐待経験者もけっこういる。
>>354が@以下のリストだね。
D逃避 というのは「ガス抜き」というのを含んでると俺は思う。
というより特にある種のSにとっては重要なガス抜きで、
それをしないとかなり危ないことになるタイプの者がいるのは確かだ。
一覧を眺めて俺があれこれ想像するのと、実際にあんたが考えてる内容は違うだろうから
時間、余裕がある時に語ってくれればありがたい。
ただ、以前よりここの時間の流れは遅いw
俺もあの頃のように貼り付いてはいないから、かなり反応が遅い可能性も強いけれど。
私は自分がMなのかSなのか分からない。
「すみません」が口癖で自分を責める性質はM的だと思う。 けれど、性癖や男性に対する態度はSだ。
自分に対してもSで徹底的に自分を追い詰める。
そして、自分自身を追い詰めて安心しきる。
私を支配下に置きたがる男性に対してもMっぽく接しながらも最終的にはコントロールしてしまう。 いつの間にか立場が逆転。
「私を虐めていい人は…」みたいな変な理想があって、
それに沿わなかったり、表面的に強がっても口先だけの男には手痛い仕打ちをする。
でも、絶対者である誰かに支配されたくて蔑んでもらいたくて仕方ない。
357 :
没個性化されたレス↓:2009/01/19(月) 23:27:16
サディズムは加虐性依存症、マゾヒズムは自虐性依存症、と捉える。
自分が加虐することによって自分の快楽を得ようとするのが真性サディズム。
自分が加虐することによって相手を満足させようとするのが奉仕サディズム。
自分を自虐することによって自分の快楽を得ようとするのが真性サディズム。
自分を自虐することによって相手を満足させようとするのが奉仕マゾヒズム。
最初はMのように演じ、ある時からSになるっていうのは、最初は良い子を
演じていて、それを抑圧しようとするためにSに転じるのだと思う。
358 :
没個性化されたレス↓:2009/01/21(水) 00:33:18
サディズムの形成
生物学的次元・社会心理学的次元
遺伝的な素質ないし世代間伝播・生まれもった性格
トラウマ・暴力性・(無視など含めた)児童虐待・アタッチメントの欠如・
いじめ・その他社会心理学的次元
孤独がより一層、悲しみや怒りを増長させる。
悲しみ・怒り・憎悪・復讐心の抑圧や逃避。
性への関心とともに性と復讐とが結びつき、性的サディズムが芽生え始める。
性的サディズムの繰り返しにより、より強固なサディズムが形成される。
しかし、なぜ復讐心と性的なものと結びつける者とそうでない者がいるのか
はよくわからん。それにそういった境遇にあっても、どこかで立ち直れて
(性的)逸脱までいかないこともある。難しいですね。
論文すら読んだことがない上、性嗜好に関する専門書ってのは心理学の本の
中でも少ないジャンルに入りますからね。自分のケースは生活環境も大きな
要因となったと思いますね。自分自身を「人間失格」と自称するくらいです
からMなんだけど、Sになることもよくある(ハード系は無理だけど)。
特に学校を卒業してからはね。
男性で基本的にM(一応Sもある)という人は、基本的に年上女性が好きなのかな?
359 :
没個性化されたレス↓:2009/01/26(月) 04:40:13
浣腸されるのが好きです。
360 :
没個性化されたレス↓:2009/01/27(火) 22:44:24
〇心理考察〇
はじめに
「子供は親の背中を見て育つ」とよく言われるが、親が子供の人格形成に与え
る影響については昔から色々なことが言われている。だが、どの程度影響を受
けるかは個人差が大きいと思われるのでその辺も考慮する必要がある。
このことを前提として以降話を進めていくことにする。
〇心理考察〇
はじめに
「子供は親の背中を見て育つ」とよく言われるが、親が子供の人格形成に与え
る影響については昔から色々なことが言われている。だが、どの程度影響を受
けるかは個人差が大きいと思われるのでその辺も考慮する必要がある。
このことを前提として以降話を進めていくことにする。
ボダおんなのSM妄想でしょ
363 :
咀嚼:2009/01/28(水) 00:18:52
人間が生きていくために必要なものは、空気とか酸素とかそういった物質
だけでなく、心理的な精神的な支柱となるものが必要である。私たちが生まれ
た時から、自尊心や様々な感情を持って人間は生まれてくる。そして親はあら
ゆる感情の種をまくのである。
サディズムやマゾヒズムとなる者は、しばしば親によって人格の一部を
破壊され、自分の心の中にネガティブなイメージを植え付けられてしまって
いると思われる。
言い換えると、自己に対するネガティブなイメージが、サディズムや
マゾヒズムを生み出す要因となる。そして自己に対するネガティブなイメージ
を作り出す要因として@自尊心という感じになる。
小さい時から親からしっかりと支えてもらったことがなく、むしろ心や身体
を傷つけられていたり、過大な期待をかけられ、そのために、心の健全な成長
が妨げられ、その結果としてその症状としてサディズムやマゾヒズムを生み出
す要因になりうる。
自己に対するネガティブなイメージが定着するようになると、自分が生きて
いることへの苦しみや自分自身に価値を見出せない苦しみを抱えるようになる。
それを解消するための道具としてサディズムやマゾヒズムが生み出されること
もある。
自己に対するネガティブなイメージが内在化して固定化すると、自分に価値を
見出すことが困難になるため、破壊願望が強くなると考えられる。人から
愛される自信がなく、そしてどんな愛情表現も不十分のように感じて、
通常のセックスでは満足できず、サディズムやマゾヒズムの世界に入るので
はないか。その方が自分が生きているという実感が得られるためにではないか。
367 :
没個性化されたレス↓:2009/01/29(木) 05:41:29
小さな子どもは生活の大部分を親に依存している。親が怒るのは自分が何か
悪いことをしたからだろうと感じるのが普通である。自分に対してどんなに
理不尽な怒りを向けられたとしても、小さな子どもは自己主張することはでき
ないので自分の感情をB抑圧せざるを得ない。
もちろんこういうことは誰でも体験することではあるが、こういう体験が
日常的かつ執拗に行われている=それはすなわち虐待ということが重要で
ある。
こういう場合には、自分自身に対してポジティブなイメージを作ることが
困難で、落ち着いた自己像をつくることが難しくなる。そして、内面の
葛藤からのD逃避としてBサディズムやマゾヒズムへの幻想へと走るという
プロセスである。
サディストというのは、相手を無防備にすることで快感を得る人たちである。
つまり性的サディストは、相手を無防備にすることで性的快感を得る人たち
である。逆にいえば、相手を無防備にしないと性的快感を得られないという
ことである。相手を無防備にして完全に支配しないと気が済まない。性的に
興奮しないのである。
サディストは相手を拘束する行為を好む。相手が自由に動けなくなること
と、自分次第でどうにでもなるという支配感や優越感から性的に興奮をする。
子供時代に@自尊心がひどく傷つけられ、A孤独な少年時代を過ごし、
B抑圧された感情や押し殺した自分の感情からの解放を求めてC性に対する関
心と相まって性的サディズムへの幻想へと走り、D逃避するために実際に性的
サディズム(倒錯)を起こす。
たとえ乳幼児でも、この社会は自分をどう扱ってくれるか、人間たちはど
う扱ってくれるかということを感じ取っていく。「人間不信」という言葉が
あるが、小さい時から重度の人間不信に陥っている人は人生の初期に、ひどい
扱いを受けていた可能性も考えなくてはいけない。
小さな子どもは時間の多くを親(特に母親)と過ごす時間が長く、子供の
健全な成長、特に安定した情緒を育む時間であり、親が子供の人格を大切に
しているのであれば、基本的には世の中の人たちは自分を受け入れてくれる
という安心感が得られるだろう。幼稚園や小学校に上がって友達もできれば、
より安心感を増すことになる。そしてポジティブな自己像を作ることができ
る。
しかし、小さい時からいつも不安と緊張の連続で、苦しみや悲しみだけの
時間を過ごした子供はポジティブな自己像が持てず、ネガティブな自己像を
形成していく。そして彼らは内心では、自分は世の中に受け入れられていない
感じがつきまとっており、それが復讐としてサディズムを生み出したり、
諦めの中でマゾヒズムを生み出したりする。
親に虐待(簡単に定義すると、日常的かつ執拗にひどい言葉や暴力で攻撃
することや無視や放置といったものまで含む)されて育った子どもは、
心の奥底では腹に据えぬ怒りを抱えている。煮え立つような怒りを抱えて
いる。殴られたり、侮辱されたり、脅かされたり、さらに自分のことはすべて
自分のせいだといわれて怒りを感じない人間はいない。
しかし、子供にはその怒りをどのように処理したら良いか分からず、しば
しば抑圧する。もちろんその場で怒りをあらわにすれば、また親は烈火の如く
怒る。そうして心の内面に激しい悲しみや怒りを抱えて生きることになるが、
場合によってはそれが、サディズムとかマゾヒズム(あるいは双方)といった
問題から精神医学的、犯罪学的な問題をも抱える要因となると考えている。
373 :
没個性化されたレス↓:2009/02/01(日) 16:18:55
374 :
咀嚼:2009/02/01(日) 16:47:08
>>371 ある幼児虐待経験者たちのスレッドで
「愛され育った人は信じられる揺るぎないものが
その人の芯にできるから潰れたりしない」
という趣旨の言葉を読んで深く印象に残っている。
(掲示板は残念ながら閉鎖してしまったが)
では逆の場合、
つまり、愛を実感できずに育ってしまった人間はどうすれば良いのか
それがずっと内臓の奥に潜んだ問いとして俺には残っている。
あるいは、両親を深く尊敬している、という青年が、
実行すれば死刑になるような性的ファンタジーを綴っているのも見たことがある。
こちらの勝手な希望として
仮コテ(レス番コテでもなんでもいい)をつけてもらえると
遡って読むときにありがたいんだが、
むろん、名無しの方が書きやすいというのであればそれで結構。
興味深く読ませてもらっているという事だけ伝えたかった。
375 :
没個性化されたレス↓:2009/02/02(月) 05:23:24
家族の一人がアルコール依存症になると、その影響は少なくても3代以上
にわたって影響を及ぼすと言われる。サディストやマゾヒストのような場合
にも、その親を分析することも重要事項となる。もちろん本人のサドマゾが
両親の養育と無関係である場合もあれば、両親が立派な人間だと信じていたい
あまり、子供時代にどんなやりとりがあったのかを抑圧している場合もある。
素質性性的サディズムやマゾヒズムか...。
サディストもマゾヒストも、心理学的に考えられる要因として自己愛の破壊
という共通の、そして最重要テーマがある。
すでに述べたように、
@自尊心の欠如と劣等意識の増加=自己愛の欠如
A孤独
B抑圧
C幻想
D逃避
という過程を伝えたが、もっと深く追求していけばたくさんの言葉が並べ
られるだろう。
「愛を実感できずに育った人間はどうすればいいのか」
「自己愛を破壊された子どもがそのまま成人したような場合はどうすればい
いのか」ということでよろしいか?
また難しいことを(笑)
378 :
咀嚼:2009/02/03(火) 06:22:04
>>377 むずかしいことを考えるための学問板 (笑
人生相談的な意味ではなく、
理路的にどのような道筋が考えられるか、
というスタンスだな、ここの場合。カウンセリング道場ではないしw
379 :
没個性化されたレス↓:2009/02/04(水) 05:16:09
380 :
咀嚼:2009/02/04(水) 07:34:15
もちろん、
>もっと深く追求していけばたくさんの言葉が並べられるだろう。
にも期待してる
>370においてサディズムを
>支配感や優越感から性的に興奮
としているが、破壊衝動というのはどうなるんだろう。
実は、俺自身、それは勘定に入れてなかったんだが
やはり攻撃・破壊(たとえば、皮剥、切断、針刺しetc)というジャンルも
確実に「サディズム(加虐性欲)」という言葉の中に含まれている以上
そこもきちんと定義できないとサディズムを把握したことにならないと
最近は思ってるんで聞いてみる。
381 :
没個性化されたレス↓:2009/02/06(金) 09:20:41
その破壊的な行為も
カタルシス作用になるのでしょうか。
382 :
没個性化されたレス↓:2009/02/07(土) 13:37:25
ぶっかけるのが好きな人はSなんでしょうか?
383 :
咀嚼:2009/02/07(土) 14:22:32
>>381 そうかもしれない。ものを壊してすっきりするってのは
たとえば主婦が茶碗をなげつけてすっきりしてカタルシスを得たりw
日常的にもありうるよな。
ただ、そういったすっきりを人間相手に行うこと
特に、それによって性的な興奮をすること、ということになるのは
どういう心の仕組みなんだろう? ということを考えるのがこのスレ。
君も質問だけじゃなく、自分でも考えてみて、何か書いてくれればありがたい。
(ただし、反応が返ってくるとは限らない。そんなこと気にする必要ない)
ここは自分の考えを勝手に述べあうスタンスだと、俺は勝手に思ってる。
なにかヒントになるようなレスがあって、
それから引きずり出された考えを書いてみることはある。
数年前にここにかかれたことにひっかかったまま
答えがでないまま棚に置いてある疑問も多数俺はもってる。
疑問をもつことが「考える」ということだ。
(できれば、でいいがsageてほしい
俺自身はあまり気にしてないが
ageられると書き込みしづらいという人もいるようだ)
あぼーん
385 :
没個性化されたレス↓:2009/02/07(土) 16:07:08
386 :
没個性化されたレス↓:2009/02/07(土) 21:22:07
>それによって性的な興奮をすること、ということになるのは
どういう心の仕組みなんだろう? ということを考えるのがこのスレ。
破壊衝動により得る性的快楽。
心理学的に解釈すれば認識のゆがみや、抑圧と孤独が原因といわれますが、
浄化と発散+快楽の正当性のような気も・・。
先天的か、それとも後天的か。
本能的な欲求に思考(ストーリー性、感情)が加わると、
肉体の現象(痛み)を快楽に変換してしまい
制御不可能になる。
マンネリズムからの回避、抑圧からの浄化と発散、
ひとはエンドルフィンを誘発させるためにあえて苦痛な行為をする。
行為そのものよりも想像に依存しているのではないだろうか。
387 :
卒業:2009/02/07(土) 23:34:06
●性的サディズムとは何か●
少なくとも6カ月以上に渡って、動物や自分以外の他者に対して、心理的ま
たは身体的苦痛を与えたり虐めたりすることによって、自分を性的に興奮さ
せる行動または衝動または空想が反復されること。
●性的マゾヒズムとは何か●
少なくとも6カ月以上に渡って、他者から虐められる、縛れれるなどの苦痛
を受ける行為によって、自分を性的に興奮させる行動または衝動または空想
が反復する。
という感じで定義してみる。
あぼーん
389 :
咀嚼:2009/02/08(日) 22:01:34
>>386 性的ファンタジーと幼児期の体験はどう結びつくのか。
こういうフロイト的な問いは
現代心理学では無意味なのだろうか。
認知療法というのはそういうこととは無縁なのか。
脳生理学の研究者には、たとえば痛みの受容に関しても
「心理的装飾」の役割を考える人をよく見るね。
(あくまで著作を通じてしか知らないけれど)
>>387 心理学初心者氏かな?
390 :
咀嚼:2009/02/08(日) 22:03:55
391 :
卒業:2009/02/08(日) 22:24:37
387=377 コテをつけた
サディズムもマゾヒズムも、死への欲動が働いているといえる。その死への
欲動が自分に向かうか他人に向かうか、両方かということである。もちろん
両方向かう場合でもサディズムとマゾヒズムで程度が違うこともよくあるこ
とである。
392 :
卒業:2009/02/08(日) 23:05:04
今はなんとなく自分を分析してみたい気持ちになっているので、誠に勝手な
がら(いつものことだが)書かせていただく。
すでに述べた性的サディズムと性的マゾヒズムの定義だが、私自身もこれに
当てはまる。重症のような場合には、合意のない性行為を行い、犯罪と結び
つく場合もあるが、こうしたケースは稀であり、多くは合意がなされていて
合法的に行われているのである。人間以外の動物に危害を加えて性的に興奮
する事例も日本であるようだが、欧米に比べれば依然低い水準にあると言っ
て良い。もちろん性犯罪者≠性的サディストではないが、そういう診断は
でなくても、そういう傾向があるとは言えるし、それも個人で程度は違う。
個人的な事情を事例にとってみたい
393 :
咀嚼:2009/02/09(月) 00:57:38
394 :
咀嚼:2009/02/10(火) 00:54:42
>卒業氏
くれぐれも無理はしないでいい。自己分析に伴う苦は俺も少し解るから。
395 :
卒業:2009/02/10(火) 23:08:50
すべての人間は女性から生まれる。胎児の分まで妊娠中の女性は栄養を
取って静養していなければならない。また、妊娠中にアルコールやたばこ
のような有害物質を摂取することは避けるべきだという考え方が浸透している
ものの、実際には妊娠中にも関わらず妊娠前と同様に続けていることも多い
のも事実である。
脳の形態学的な異常や量的な異常、脳波の異常の有無ということにも関心
はある。男性の超男性化に関わるアストロゲンなどの物質や脳の中でも、
一般的に言われるように、前頭前野の部位が(脳科学的・心理学的に)機能
低下することor異常によって攻撃性が強くなり、その中には性的サディズ
ムとなる場合もある。
70歳過ぎたじじいに「性的サディズム」があり、彼は女性(どんな相手でも
というわけではないが)を見つけると、やってしまうという奴がいると聞いた。
診断名だけで原因などはわかわらないのでこれ以上述べることはできないが、
男性にサディズム(もちろん性的サディズムも含める)が優位に多いという
ことは何を意味するだろうか?
男性は攻撃的な性格を持って生れ、女性は受動的な性格を持って生まれる
と言われるが、実際どうなんだろうか。
396 :
卒業:2009/02/11(水) 22:35:30
そもそも攻撃とは何だろうか?攻撃には身体的な攻撃と精神的な攻撃とが
ある。あるいは、暴力とは何だろうか?暴力には身体的な暴力と精神的な
暴力がある。
一般に男性は女性よりも攻撃的だと言われる。だが、それは厳密にいえば
違う。男性も女性もあまり変わりがないように思う。
ただ、男性の方が身体的な暴力が優位に見られ、女性の方は精神的な、そ
してはっきりとわかりやすい場合もあれば、非常に陰湿であることも多い。
どこの国でも殺人事件は男性の方が圧倒的に多く、日本では8:2の割合
である。凶器は銃や刃物といったように相手と対面して直接的に犯行に及ぶ。
「力ずくで」という言葉は女性はほとんど使わないことからもわかるように、
男性は怒りの感情を力ずくで何とかしようとして身体的な暴力がしばしば
利用されている。
女性の場合には、毒物犯罪や放火犯罪が弱者の犯罪と言われるように、力
ずくで何とかしようとするのではなく、相手を見て、契機を見計らってから
実行する。多くの女性は怒りの感情を力ずくで示すことは難しいため、その
場では何もなくても、色々な手を駆使して(女性でも簡単に殺害できるよう
な手段)復讐を遂げる。女性は男性から身も守るためにその場で怒りを爆発
させては勝ち目がないということを人類の歴史の中で教えられているので、
後から後から復讐をじわじわとやるような、そういう傾向がある。
「女の復讐は怖い」と言われるのは、そういった側面からうかがい知ることが
できる。例えば女性の職場を見ても、直接他人を攻撃するというよりは、
陰口を叩いたり、陰湿ないじめが起きたり、ストレートな表現をしない(で
きない)傾向にある。直接刃物のみで殺害する心理と睡眠薬を飲ませてから
殺害する心理とではやはり違うものであるが、ここではその心理分析について
は割愛ということに。
397 :
卒業:2009/02/11(水) 22:55:16
かなり本道から逸れているように見えるが、性的サディズムは男性に優位に
見られるという現象は、殺人事件や強姦事件で男性に優位に見られるように
僕個人的には無関係ではないと考えているからこそ何度も書いてきた。
一般男性は、怒りや憎悪を「力ずく」で何とかしようとする傾向にある。
人間の歴史を見てみてもわかるとおり、力ずくで何とかしようとしてきた
から、21世紀になっても紛争や戦争は絶えない世界となっているのである。
(性的)サディズムの背景には「力ずく」で相手を抑え込みたいという欲求
がある。(性的)サディストは表面的には優しく振舞っていていても本人が
意識しているかどうか別として、力ずくで相手を支配したいという欲求が非
常に強い人間なのである。
性的サディズムは、対象は自分よりはるかに弱い相手に限定されるという
特徴がある。相手を支配して攻撃するためには自分の方が強くなくては話
にならない。それでいて相手を拘束することによって相手を無抵抗・無防備
にすることによって快感を得ていく。逆にいえば相手を無防備・無抵抗に
しなければ性行為ができないということではないか。
398 :
卒業:2009/02/12(木) 00:19:27
(性的)サディズムは、すなわち超男性化である。自分自身が非常に低い
者であるために、相手を無抵抗な状態にしなければ付き合うことができない
のである。人間は基本的に、自分と近いレベルの人と付き合う傾向がある。
なぜなら自分が傷つくこともなく付き合いやすいからである。相手があまり
格上でも格下でも普通は長続きしない。それは恋愛とか性愛に限った話では
なく、友達や同僚の場合でも同様だ。
相手を拘束したりいじめたりすることで快感を得るというのは裏を返せば、
そういう相手でないと付き合うことができないほど自尊心が低い者である
ということの証明となる。
もちろんすべての(性的)サディズムに自尊心の欠如が見られるというわけではないが、そういうことが考えられるとま
でにしておく必要があるだろう。
男性は身体的な暴力や物理的な破壊としての「攻撃性」を非常に強く持って
いる。だから男性が怒るときは、大声や罵声、殴打といった形になって現れ
やすい。
女性が殺害するような場合もいきなり大量出血に至るような殺害方法では
なく、薬物を使用したり放火といったように、手を加えて殺害する傾向に
ある。猟奇殺人が女性には圧倒的に少ないことからも女性は被害者に直接
手を加えるという傾向は少ないと考えらる。
もちろん女性事情として男性に比べて手間をかけなければ殺害する
ことが難しいと言うことがベースにあり、相手が同性の女性であっても
やはりいきなり包丁で面と向かって刺すというよりはやはり一工夫してから
殺害するほうが女性の立場からするとやりやすい。
男性は力ずくでやろうとする傾向があるからSに走りやすい。
女性は力ずくでできない傾向にあるためMになりやすい。
SとM両刀使いの場合、力ずくでなんとかしようとするも何度も失敗を
繰り返しているのである。Sなろうとするが、Mにいき、また挑戦してSに
なろうとするとまたMに戻るという繰り返しによって両刀使いが生まれる。
私会うたびに殴られてたけどだんだん快感になってきて暴力ないと寂しいよ
特に殴られた後のセックスがたまらない
400 :
咀嚼:2009/02/12(木) 18:21:42
401 :
咀嚼:2009/02/12(木) 18:24:17
>>399 それは半分くらいは脳の仕組みで説明できる。
痛みに対して緩和のため出される脳内物質はエンドルフィンを誘発する。
ただそこにも「心理的装飾」という未知のブラックボックス要素が入ってくるが。
402 :
399:2009/02/12(木) 21:04:26
>>411 痛みを和らげるエンドルフィンが出てるとか知らなかったぁ!だから殴られるとなぜか気持ちよくて癖になるんですね。毎回泥酔の時殴られるから感覚麻痺してて…いつも顔や頭や体を拳で何発も殴られます。相手の本気を感じるし絆を確認できるので嬉しいです。
403 :
399:2009/02/12(木) 21:05:41
404 :
咀嚼:2009/02/12(木) 21:19:09
βエンドルフィンがさらにドーパミンを誘発 ってな仕組みらしい。
ずいぶん昔に調べたんで正確さは保証できないよw
同じ経験を繰り返すと回路がつながりやすくなるのは確か。
封建的な帝政ロシア時代、下層階級で亭主が女房を殴るのは
ごくごく当たり前のことと承認されていたらしい。
アメリカへ移住したロシア女が、結婚したアメリカ人の亭主に
「なぜ私を殴らないの?私を愛してないの?」と訪ねたエピソードが
『マゾヒズムの発明』に載ってる。
断って置くが、DVを肯定する気はない。
ここは学問板だから倫理的な判断は保留する、というだけだ。
DVのいきつく果てについては多くの事例がある。
最終的には首吊り自殺した女性の話もリアルで間接的に聞いてる。
相談するなら、ここではなく経験者たちのスレッドなりサイトにいきたまえ。
これ以上は場違いだよ。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
408 :
咀嚼:2009/02/12(木) 22:27:17
>>402 >>404追加
ただしそこから自己分析をしてみせるならここでもかまわない。
「サンプル」として読む。
409 :
卒業:2009/02/15(日) 23:59:00
個人的なことだが25日に国会図書館に行く予定なので、そこで興味深い
資料が得られたら報告する。
410 :
咀嚼:2009/02/16(月) 18:22:22
411 :
没個性化されたレス↓:2009/02/17(火) 18:00:07
弱体化した自己の強化。
復習。
同一願望からの支配。
虐待。
412 :
411:2009/02/17(火) 20:20:48
>>389 性的幻想は現実からの逃避で、
本能的な欲求の抑圧からの破壊性の肥大化であり、
単純な性的願望からくるものではないと思います。
認知療法は再体験により認識のゆがみを正すだけのこと。
残念ながら人間は絶対的な自由はうまれながらにして保障されてはいない。
しかし、思考の方向性は幼児期に決まる。
与えられるべきものが得られなくても肉体を保持する本能ははたらく、
エネルギーの方向性の違いなだけで、抑圧が強いと破壊的な衝動に駆られる。
虐待を正当化するつもりはまったくない。
しかしそのような破壊性や加虐性欲は
無意識に弱体化した自己を再生しようと試みている行為ではないだろうか。
脳内麻薬を過剰に誘発させることにより、バランスをとる。
矛盾しているようだが、人間は破壊と生長の本能を同時に抱えている。
413 :
咀嚼:2009/02/19(木) 19:31:23
>>412 たいへん面白い。
卒業氏が
>>369-370 で書いてることとかなり重なる気がする。
>性的幻想は現実からの逃避
>本能的な欲求の抑圧からの破壊性の肥大化
この場合、本能的な欲求というのは
破壊とか攻撃性とかを指すのだろうか?
破壊衝動の抑圧が、逆に性的幻想の中で
破壊性を肥大化させるという理解でいいのだろうか
それとも、別に攻撃性や破壊性ではなくても
「抑圧」それ自体が「破壊的な衝動」を産むというふうだろうかね?
なかなか明晰なレスをする方にお見受けするのでついでに伺いたい。
卒業氏は
>>395-398で
男女の性差について語っているが411氏はその辺なにか考えがおありか?
俺は現代の心理学が男女の性差について無視して
対社会的な「人間一般」についてだけ分析することに不満を持っているので
訊いてみた。
414 :
411:2009/02/20(金) 01:32:01
>>413 >この場合、本能的な欲求というのは
破壊とか攻撃性とかを指すのだろうか?
本能的欲求=誰しも生まれながらに持つ成長の意思、存在の肯定。
男女の性差は脳の構造上、心理的にも当然違いはあると思います。
左脳寄り症状は攻撃性が外側に向かい、右脳寄り症状は内側に向かいやすい。
攻撃性(痛み)を快楽に変換しようとする行為はどちらも共通。
抑圧と孤独からの自己救済が歪んだかたちであらわれている現象。
415 :
咀嚼:2009/02/21(土) 19:25:19
>>412 >与えられるべきものが得られなくても肉体を保持する本能ははたらく、
>エネルギーの方向性の違いなだけで、
>抑圧が強いと → 破壊的な衝動に駆られる。
↑
俺が勝手につけた矢印の部分に
>>386の
「浄化と発散+快楽の正当性」 が働いているということでいいかな?
「エネルギーの方向性の違い」これは「幼児期に決まる」「思考の方向性」
の方向性という意味かな?俺のアタマが悪くてもうひとつわからない。
>破壊性や加虐性欲は
>無意識に弱体化した自己を再生しようと試みている行為
この
「無意識に弱体化した自己の再生」ってとこは何度読み直してもハッとする。
>人間は破壊と生長の本能を同時に抱えている。
これは「対他的な破壊」と「自己身体の成長」か
それともフロイト「死の本能」と関係した何かだろうか?
>>414 >本能的欲求=誰しも生まれながらに持つ成長の意思、存在の肯定。
これはマズローの5段階欲求と関係ある?
>男女の性差は脳の構造上
内臓も違う。>子宮の存在の有無。
この内臓の違いも心理に与える影響は大きいと思う。
416 :
咀嚼:2009/02/21(土) 19:28:01
新参です
ガチでかなりのSとM両方、しかもバイです
研究のため質問とかありましたらどうぞw
ちなみに♂21さい(´・ω・`)
肉体的苦痛にはほとんど興味なし
418 :
没個性化されたレス↓:2009/02/22(日) 05:05:26
419 :
咀嚼:2009/02/23(月) 02:00:52
>>417 @親(またはそれに代わる重要な他者)との心理的な関係はどうだったか
ASスイッチ・Mスイッチはそれぞれどういう心理状態の時にオンになるか
B対象の性別によってSMスイッチは変わるのか
つまり男に対してはM,女に対してはSというような。
C人を愛したことはあるか
420 :
ゆっきぃ:2009/02/23(月) 19:13:53
>>419 遅くなってすいません!
@基本的には憎しみの感情が強いですね
できれば関係を断ちたいほど嫌いです
AS、Mともに気分がよいときそういう気持ちになります
逆に憂鬱だったり悩みが延々と続いていると
そういう気持ちにはなりません
B変わりません。男でも女でもいじめたいしいじめられたい
C恋愛感情=「愛した」なら答えは「ある」です
子供や兄弟を大切に思うようなことが「愛した」なら答えは「ない」です
421 :
咀嚼:2009/02/24(火) 00:02:04
>>420 悪いがその程度じゃ何の参考にもならない。
たとえば@について、もっと具体的になぜそれほど憎むのか
長文連投で書いてみる気はないかな?
むろんカウンセリングなんかする力はまったくないし、する気もない。
純粋に好奇心だ。君が真剣に書いてもそれでどうこうなるものでは
まったくない。単に読むだけしかしない。なんならここの過去スレ用に
借りたしたらばの掲示板に専用スレッドを建ててもいい。
422 :
咀嚼:2009/02/24(火) 00:06:18
そして俺は君が自己分析の苦痛に喘ぐことになっても
一切責任は負うつもりがない。君が自分から申し出たことだ。
冷たいようだが、勘違いされたくないので書き添えておく。さらに
君の書き込みは無視して、今までテーマの流れを続けたりもする。
基本的には対話より、自分の考えを述べるのがここのスタンスと
勝手に考えてるのでね。
なんかムカつく!イヤな性格だ
イライラする
なにが咀嚼だよ
こういう難しい漢字使いたがるやつってだいたい
見栄っ張りが多い
多分、分析してる自分をかっこいいって思ってんだろ
あー笑える引きこもりのくせに
咀嚼!土下座しろ!ぼくに謝れゴミ!
428 :
咀嚼:2009/02/24(火) 00:36:11
>ゆっきぃ
気分を害したなら謝るよ。
すまなかった。
>>419 何か因果が見えてくるかもと思ったので横からレス
年齢24 女 サドマゾどちらも
@親(またはそれに代わる重要な他者)との心理的な関係はどうだったか
放任で否定的。残酷。子供のころはいつも不機嫌だった。
親元を離れていくにしたがって、自由を持余した。不安になった。
S的願望は幼児のころからあったが、M的願望はこの頃、思春期すぎてから。
性癖の男女差と関係ある?わからない。
具体的な妄想の内容は、
S:当時大嫌いだったキャラを仲間の前で性的に辱める。
M:主人に自分の持つもの全て壊され完全に支配される。
同じ類だと思う。
子供の頃、私はよくキチガイと言われていて
振り返ってみると確かにそう思う。
今でも統合失調症の話を読んだりすると、あのときの感覚を思い出す。
成長するにしたがってS的願望はなりをひそめたが
同じようにキチガイなおそろしい観念も消えていった。
ASスイッチ・Mスイッチはそれぞれどういう心理状態の時にオンになるか
怒っているとき、不満な時にSになる。不安な時にMになる。
B対象の性別によってSMスイッチは変わるのか
弱者に対してS、強者に対してM
C人を愛したことはあるか
弟や子供への愛情はあるけど、恋愛の愛情を持ったことがない。
ラブストーリーも理解できない。嫌悪も感じないけど、何もわからない。
ごめんなさい、ぼくが悪かったんです
みなさん気にせず追究してください
ROMってます
431 :
没個性化されたレス↓:2009/02/24(火) 15:36:27
あなかた
432 :
ドエム:2009/02/25(水) 20:41:43
藤原のりかさん、菊川怜さん、井川遥さん、安めぐみさんにタバコやめろといわれたら
その日からやめる。^^
433 :
没個性化されたレス↓:2009/02/25(水) 22:59:30
434 :
卒業:2009/02/26(木) 18:10:25
性的サディズム・性的マゾヒズムは、対人コミュニケーション能力の一つ
であり、愛情表現の一つである。誰でも時には、目隠しプレイをしたり、拘
束プレイをすることはあるかもしれない。しかし、性的サディストや性的マ
ゾヒストはそういった行為(相手をいじめる・いじめられることによって性
的快感を覚える)が日常的に繰り返され、性目的が種の保存ではなく、破壊
に向けられているということである。
性の目的は種の保存であり、ノーマルセックス以外何物でもない。それよ
りも、サディズムやマゾヒズムに関心がある人は、本来の性目的とは異なる
性行為なので、異常とか病気という風に言われる。確かに彼らの性目的は
「破壊」であり、破壊によって性的快楽を得ようとするのは、正常とは言え
ないと私自身も思っている。ノーマルセックスは破壊ではなく、共存である。
共存を求めるセックスと、破壊を求めるセックスという風に分けて考えてみた。
435 :
卒業:2009/02/26(木) 18:12:17
国会図書館で資料は発見できなかったので、また違う方法を試みる。
436 :
卒業:2009/02/26(木) 19:09:09
性的サディストも性的マゾヒストも、性的に自立していないとでも
言おうか。精神的に自立していないのは確かである。というのも両者
共に、相手なしでは性行為ができない。言ってみれば「共依存」の関
係にあると言っていい。相手は、性的サディストか性的マゾヒストか
に限定されるという、限定的な対人能力しか持たず、しかも破壊する
破壊されることによって相手との対人関係を保とうとするあたりが、
正常ではないと思われる。
性的サディズムや性的マゾヒズムは、個を破壊する・破壊されることに
よって性的快楽を得るが、その破壊の後に何が残るかと言ったら、また
しても破壊なのである。破壊によってしか愛することができないのであ
る。
共存共生のために性行為をして性的快楽を得る場合には、共生関係を築
き、新しい命の誕生という種の保存という性目的が達成される。
437 :
咀嚼:2009/02/28(土) 17:46:11
>>ゆっきぃ 謝罪を受け入れてもらった事に感謝する
>>429 ひとつだけ聞きたい。「弱者」にはこどもも含まれるのだろうか?
答えたくなければもちろん答えなくていい
438 :
咀嚼:2009/02/28(土) 17:53:08
こどもが「泣くこと」「怒ること」について最近考えている。
卒業氏の
>>364-366 >>369-372 に関してトレースしてみたいことはその観点からだ。
まだ煮詰められていないが、幼児期からさらに遡って
乳児期にサディズム・マゾヒズムの根元を見る
拡張もできる気がしてきているので。
赤ん坊に関して、泣くことが武器だ、と書いた自己レスがきっかけとなった。
さらに
たとえば口唇期性欲とは、食物の破壊によって得る快感とも言える。
乳児に関しては快感原則ではなく不快原則で生きている、という考え方も
最近知った。もうちょっと心調がよくなれば、いずれレスしてみたい。
「怒る」ことと「泣く」ことは、表現方法が違うだけで、その根底にある
ものは似ているような気がする。
440 :
咀嚼:2009/03/02(月) 21:46:51
>>439 俺もそう思う。問題は
>その根底にあるもの←まさにこれだ。
何か考えがあるなら聞かせて欲しい。
こどもが泣くのは、
・自分の欲求したことが通らない(他者に矯正される、否定される)
=自分の欲求とそれに対する世界の審判が噛み合わない
=不満
こどもが怒るのもまた同様に、
・自分の欲求したことが通らない(他者に矯正される、否定される)
=自分の欲求とそれに対する世界の審判が噛み合わない
=不満
だから、ではないのですか?
精神が未熟なほど生な衝動がそのままに発露する。
満たされない自分の欲求がどうしようもなく堪え難く、留め(理性)解消する(経験)術もないため、
外へ向かって暴れだす。
咀嚼さんが武器と呼ぶ「泣く」行為と、幼いがゆえの「怒り」の爆発は
根本は不満からくるものではないかと思います。
(親に叱られ反省している涙などはまた別)
ただ、乳児期は生きるための「不満(不快)」“だけ”を訴える行為であった
「泣く」という信号が、発達した、ということでは?
と、飛び入りでレスしてみます。
このスレは長寿ですね。何故か戻ってきてしまう。
このスレの305ではない305ですが、もし覚えている方がいらっしゃいましたら
多分咀嚼さんくらいでしょうか。
以前、Sは愛が苦手だ、と言われ
例題として、
・それではなぜ私(M)が主(S)に愛されたのか
を、考えてみました。
言い換えれば、
いままでに数十人の女性(ノーマル嗜好の女性・純粋な恋人も含む)と関係を持った男性が、
実際に身体の自由を奪うか、或はそれを想像することでしか得られなかったオーガズムを
なぜ得られるようになったのか。
(身体的な自由を奪わずとも満足に至るようになったのか)
支配という愛(依存)の確認から、無償の愛(安定した愛)に変質したのは何故なのか。
スレを遡ると気になる一文がありました。
・Sは無防備な人間を愛するものである。
Sの入口は確かにここ。
……しかしそれは、真の愛情(母が子に抱く無条件さのような)とは明らかに別物です。
可虐行為は痛みによる見返り(服従=依存という愛)を求めるもので、
互いにSとMであり続ける以上、関係は相互依存から発達しません。
悪循環から抜け出す手段は、あくまで平等を前提にした愛情であって
上でみなさんが何度も述べていらっしゃるように、支配・被支配の行為は逃避に他なならない、
枯渇は更なる枯渇を呼び、根本の満足には至りません。
こどものころ不満足を感じて混ぜ物(歪んだ認知)で補った土台(愛情の経験)を、
同じ混ぜ物(本来求める愛情を擬装した愛情)で何度も塗り固めたところで、
中身の脆い塔が高くなるばかりです。
逃避が救済になる時期はSMは救いであるが、
まず認識を正す努力をしなければ本当の救いはない。
(休憩……)
子どもにとって、泣くことは表現しやすいが、怒ることは表現しにくい。
まして自分の親に対しては特にそうだろう。怒ったところで仕返しされる
ことを恐れて、泣くことしかできない。泣くという表現の裏側には怒りが
隠されていると考えた方がいいかもしれない。だから精神分析で、クライ
エントの怒りを吐き出させると、もの凄い勢いで泣き崩れるという話を聞い
たことがある。
447 :
卒業:2009/03/08(日) 01:32:13
性行為における性的サディズムについて
448 :
卒業:2009/03/08(日) 21:57:20
性的サディストの家庭は、中流家庭かむしろそれ以上で起きやすい?
性的サディストは、平均的な知能かむしろそれ以上であることが多い?
性的サディストは、世間並の職業についている?職歴は貧弱?
性的サディストの分類についても考察してみたいです。
449 :
卒業:2009/03/08(日) 23:06:43
私が、20歳を過ぎてから自分の性別が曖昧になり始めた。孤独を埋めたい
と思った。
もともと早漏であり、巨乳輪フェチは前からあったが、服装倒錯や性的Sや
Mを実際にしてみたくなった。今では、自分の部屋で女性が着る下着を着て、
制服とかメイドとかナース服を着て女装して、自分で縛って動画やDVDを
見て、女性と同一化してオルガスムに達するパターンが一番快感である。
女性の性器にはほとんど関心がない。通常の性交には興味がない。だから
アダルトDVDを見ても、通常後半に性交シーンがあるが、その部分はいつも
飛ばしている。
その一方で、女性をいじめるとか凌辱プレイも好きでローソクを使わない
程度のSMが好きである。女性を全裸にして拘束や緊縛プレイをするよりも、
(完全着衣ではない状態も含む)着衣のままでしたほうがいい。
服は、自分がMになっている時と同様に、ナース服やメイド服・セーラーなど
の制服が良い。ただ縛るものよりも、見た目を綺麗に縛らないとだめである。
Sの時は当然男性と同一化している。Sの時もMの時も、行為そのものだ
けでなく言葉も大事である。言葉責めも大事である。
450 :
卒業:2009/03/08(日) 23:12:52
●生い立ち●
〜劣等感に満ちた少年時代〜
451 :
卒業:2009/03/13(金) 02:57:44
俺はただ自由になりたかっただけなんだ
452 :
卒業:2009/03/14(土) 00:06:02
しばらく沈んでます
453 :
没個性化されたレス↓:2009/03/14(土) 11:49:02
>>441-445 305氏(確かにこのスレでそれをコテにするとおかしなことになるw)
このスレでもレスしてるから判る人には判ると思う。
もちろん俺の中にはしっかりインプットされてるが。
(この際今スレ用にスレハンをつけてはどうだろうか)
怒りは不服の表象だと。泣きも不服の表象だと。
俺は、こどもにとって、泣きと怒りは「存在の主張」だというところから考え始めた。
これは心理学というより文学的だな。
(休憩)がすんだ後のレスを密かに期待しておくよw
>>452 卒業氏
自己分析は受け入れるための「体の準備」が必要だと最近知った。
きちんと逃避するのも大事だと思う。
455 :
没個性化されたレス↓:2009/04/03(金) 03:50:24
456 :
卒業:2009/04/17(金) 10:19:19
性衝動には3種類あり、ノーマルとサディズムとマゾヒズムがある。もちろん
一人の人物がそれぞれを共有しているわけである。
サディズムの基本的な特徴として拘束がある。そして身体的拘束と心理的拘束
がある。
そしてもう一つが、道具の使用である。拘束用具はもちろんのことSM行為
にはたくさんの道具が使われる。
性的サディズムの強度は、この2つがどの程度のものなのかで大体見当がつく。
サディストの多くは男性である。男女の比率で言えば9:1以上かもしれない。
人間には、性欲・食欲・睡眠欲・金銭欲・支配欲という欲求(基本的欲求)
がある。性的サディズムや性的マゾヒズムには、性欲と支配欲が密接に関わ
っていることは明らかである。性欲と支配欲が異常であるために引き起こる
と言ってもよい。
では、なぜ性欲と支配欲に異常をきたしたり、コントロールできなくなった
りするのだろうか。
それは脳と心の問題にあるのであろうが、心理学の視点からすれば、心の問題
に視点を置くべきであろうし、私は脳について門外漢であるから脳については
今後誰かから情報を得られれば幸いである。
458 :
卒業:2009/04/20(月) 22:02:40
性的サディズムは、心的外傷そのものよりも、心的外傷による幻想による
ものだと思われる。彼らは、心理的・情動的・性的な欠損を埋めるために
そのような行動している。
また、彼らは性的サディズムを空想し、その積み重ねが実際に性的サディ
ズムへと駆り立てられていく。自分自身の幻想によって性的サディズムが
形成されていく。
性的サディストは、暴力的性幻想の中にいるといってもいい。
人間は現実世界で適応できなかったり、まったくコントロールできなかった
りすると、逃避したり、自分でコントロールすることができる空想や幻想の
世界へと入っていくことがある。しかし、性的サディストはその世界に入り
こんだままその世界に永住しているようなものである。
459 :
卒業:2009/04/20(月) 23:06:19
性的サディストの中には性的不能であったり、自分の性的能力に自信が
ないという者が多い。もちろん性的能力に自信がない自信が持てないから
こそ性倒錯を起こすのだが、ノーマルセックスができる人もいて実際に
体験をしたことがある人もいる。
サディスト全般そうだが、人を物化し、相手を自分の所有物であるかのよう
に扱い、はたから見ていると残虐行為のように見える。しかし、同意の上で
成り立っている場合は犯罪ではなくSMとして成立する。
男性は女性を物化し、自分の所有物であるかのように扱う。快楽殺人系など
を見ていてもそうだが、相手を「モノ」化し、自分の所有物として楽しむ。
相手を呑みこもうとするのである。
サディストの対象となるのは、自分より弱い者であることが大前提となる。
弱い者というのは、一般に子供や女性という抵抗力が低い相手が対象となる。
サディストは無意識における内面での葛藤をコントロールすることが出来ず、
自分よりも弱い相手を意識的であれ無意識であれ探して見つけて、相手を支
配し、コントロールしようとする。
だが、他人をコントロールしたがるのは、自分自身をコントロールできない
という証拠である。自分自身の「ある部分」がコントロールできないから、
他人をコントロールすることによって逃避・否認・投影・同一化といった
心理機制を使って、自分自身の問題を結果的にごまかしていることになる。
461 :
咀嚼:2009/05/08(金) 19:52:12
イジめは本来劣等感の裏返しだ。(家庭の貧しさや容姿・能力etc)
劣等(と自分が思っているもの)の防御のため先制攻撃をする。
これに復讐の快感が加わる。 支配は、おまけ−ある意味「景品」だ。
ごまかしの部分はどちらかというと初源の劣等感のほうにあるのではなかろうか。
だが、たとえば、
ある者が自分は仮面を被っていると感じているとする。
すると彼・彼女は、人もまた仮面を被っている、と猜疑する。
彼・彼女は人の仮面を剥ぐため、痛みを与えたり、あるいは切ったりして
相手の仮面を剥がそうとするかもしれない。
極端になれば(願望として)切り刻んで中身を見たい、
内臓まで晒させて、ようやく安心できる(できそうな気がする)ところまで進むかもしれない。
この場合、糞尿もまた内臓と考えていいかもしれない。
462 :
咀嚼:2009/05/08(金) 19:55:18
血も内臓の一部、と彼・彼女には映っているのかもしれない。
463 :
咀嚼:2009/05/08(金) 21:02:29
サディストの鬱率の高さを考えると、
起源として“劣等(感)”だけでは説明できないかもしれない。
そこで“疎外(感)”(これは優等生にも起きうる)を付け加えてみる。
劣等感や疎外感を支配や攻撃によってごまかし
ある時、根本の問題に直接突き当たると、鬱が発生する。
マゾヒズムと違ってサディズムに直接的な肉体的快楽はない。
最終的には性行為によって発散するほかない。
筋肉的な行為(縛ったり鞭打ったり)それ自体は赤ん坊の
自体愛的な快感(筋肉運動の快感)であって直接性的な快感ではない。
マゾヒストの場合肉体的痛覚が、補償作用として快感物質を呼び寄せる
というメカニズムがある。
サディズムはマゾヒズムより非肉体的−技術的−精神的だ。
マゾヒズムの反復が、ある意味、麻薬(脳内麻薬)作用だとすれば
サディズムの反復の根本にあるのは「不安」ではないだろうか。
○[不安とエロスが出会う場所としてのSM]
不安とは常に未来に関わるなにかだ。
不安の解消は、現在を行動で埋めて、危惧される未来をつねに現在で置き換える。
エロスは現在であると同時に未来でもある。
それは性行動であると同時に性想像でもある。
不安とエロスは“未来”への想起においてクロスし、現在を作る。
○[単相と往相]
S:他者への片道切符 M:自己への片道切符
ならばSとM両方のスイッチを持っている者は往復切符をもっているのか。
疑問。 Sが片道切符なら、そこには対象となる性への攻撃性
いいかえればなんらかの怨、潜在した怒りのようなものが存在しているはずだ。
怨・怒りの対象である性から攻撃をうけることに甘美は生じない。
甘美が生じるとすれば、自虐化された自己愛が必要となる。
往復運動をするということは、Sの時、他者(対象の性)への攻撃による発散と
そのことへのすりこまれた罪悪感を、罰によって解除することを繰り返すという亊なのか。
465 :
没個性化されたレス↓:2009/06/16(火) 04:45:32
マゾって歪んでる自己愛者が多そう
467 :
没個性化されたレス↓:2009/06/17(水) 05:05:46
468 :
没個性化されたレス↓:2009/06/18(木) 05:11:36
469 :
没個性化されたレス↓:2009/06/19(金) 04:37:05
悪いか?
470 :
没個性化されたレス↓:2009/06/19(金) 06:42:09
竹下総理考えすぎ
471 :
没個性化されたレス↓:2009/06/23(火) 05:02:38
何で?
472 :
没個性化されたレス↓:2009/06/25(木) 05:14:31
痛くないと、苦しくないと本当の自分をさらけ出せない気がする
474 :
咀嚼:2009/07/05(日) 20:09:25
>>466 歪んでない自己愛があるのかね?
(むろん幼児期の第一次ナルシシズム−自体愛は除く)
475 :
没個性化されたレス↓:2009/07/27(月) 04:24:43
そうなんだよね。
476 :
没個性化されたレス↓:2009/08/02(日) 07:07:47
477 :
咀嚼:2009/08/14(金) 18:52:36
>>473 その「本当の自分」とは何なのだろうかね?
マゾヒストは日常で仮面を被っている率が高い、ということだろうか?
あるいは、性的な自分 ということだろうか?
(別に
>>473でなく、誰に答えてもらってもいいが)
478 :
新参 ◆gEyXV.Ems2 :2009/08/18(火) 00:54:39
>>477 サディスト・マゾヒスト共に普段は仮面を被っている(性的趣向然り、攻撃的あるいは嗜虐的な性格然り)人がほとんどなんじゃないですかね。
私の個人的な感想だと、両者共に普段は感情を抑制してる人が多い気がする。普通の人よりかなり無感動無関心というか…。
それを解放できるのが唯一、加虐下・被虐下に置かれてる時なんだと思います。
通りすがりが長々すみません。
479 :
没個性化されたレス↓:2009/08/20(木) 18:46:04
>>473 自分の思い描いた苦痛の与え方とか苛め方とかをしてもらえないと満足できないんでしょう?
ていうか、腹が立つのでは?
480 :
没個性化されたレス↓:2009/08/20(木) 18:50:40
サディズムの特徴は相手を「物」扱いするって所にあるのではないでしょうか。
人間は誰しも自分が「主体」ですから、誰でも相手を「客体」=「物」として扱っている
と言えば、そうなんですが・・・。
サディストって性的な場面で特に強く相手を「物」扱いするような気がするのですが・・・。
481 :
咀嚼 :2009/08/20(木) 20:23:33
>>478 俺の個人的感想では
>普段は感情を抑制してる人が多い
というのは、確かにサディストには当てはまる気がする。
しかしマゾヒストでは当てはまらないケースが多々ある気がする。どうだろう?
482 :
咀嚼:2009/08/20(木) 20:40:05
>>480 それについては考え中のことがある。
サディズムとフェティシズムとの境界はなんだろう?ということだ。
縄師なんかはどちらかというと女体&縄フェチな気がする。
そもそも、フェティシズムを下着や皮へのフェチを主体とする「生命のないものへの固着」とする定義では、
たとえば虫フェチなんかに当てはまらなくなってしまう。
定義を「感情を表さない対象への性的執着」と変更すれば
たとえば、部分フェチ(巨乳フェチ・尻フェチ)も虫フェチも含むことができる。
だが、表情フェチというものを想定してみると、その定義もいまいち当てはまらなくなってしまう。
たとえば「泣き顔」フェチ「苦痛顔」フェチだ。
相手をモノ扱いする、ということのは、支配や攻撃というより「泣き顔/苦痛顔」フェチなんじゃないか。
そこで、二行目の疑問につきあたり、今、思考停滞中なわけなのだが。。。
>>482 まず、性倒錯とはどういうモノか?
とりあえず「大人の異性とのセックス(=性器と性器の結合)以外の
方法でしか性的快感(=満足)を得られない」状態と定義してみましょう。
この定義でいけば、サディズムやマゾヒズムでも、セックスに至らず嗜虐や
被虐のみで性的快感を得るなら、はっきり性倒錯に入るでしょう。
でも、それがセックスを伴うあるいは最終的にセックスが目的となれば、
はっきり性倒錯とは言えないかもしれませんね。一応、大人の異性と
セックスできるなら、正常の範囲と言ってもいいかもしれませんね。
でも、フェティシズムははっきり性倒錯ですよね。相手と一人の人間として
直接的な関係を持っていませんものね。これは、相手を「物」として扱うと
いうのではなく、相手不在なんですね。相手を「物」にしているのではなく、
「物(というとやや語弊がありますが・・・)」が相手なんですね。
>>483 サディズムは、性の相手を「物」化してしまいます。
それに対して、フェティシズムは、物を相手にしています。
女自身ではなく、ハイヒールや下着などの物に性欲が貼りついたり、
女の身体の一部だけ(例えば、胸だけとか指だけとか・・・)に
性欲が貼り付いたりしています。
フェティシストの性の対象はフェティッシュと呼ばれますが、フェティシストは
自己のナルチシズムをそのフェティッシュに貼り付けています。
ライナスの毛布みたいにね。
485 :
咀嚼:2009/08/21(金) 23:19:24
やはり書いてみるもんだ。
>>483-484のおかげですこし考えが展開した。
重要なのは「物」の部分ではなく「化」の方かもしれない。
フェチというのは、最初から「相手が不在」なのではなく、
相手を「不在化」させるという過程を経て物に到達するのではなかろうか。
(実は、俺はフェチがよくわからないんで推測で書いてるんだが,,)
下着や皮は、それをつかった相手を「不在化」させ物に転化することによって
はじめて性的対象になるんじゃないだろうか。
ライナスの毛布は、
母親を不在化させた物、転化した母親なのではないだろうか。
(そういえばフロイトはフェティシズムを「失われた母親のペニス」だと書いていたっけ)
だからとりあえずフェティシズムの定義は
「相手を不在化させて、物に転化すること」となるんではなかろうか。
サディズムの場合の「物化」は、
その「変化」、人→もの へ変化(転化ではなく)させることの方に
力点があるんではないか、と。
>>485 フェティシズムは口唇リビドーと、サディズムは肛門リビドーと関係があるという話を
聞いた事がありますが・・・。
口唇リビドーの特徴は「自己色情」で肛門リビドーは「半自己色情」だと言いますね。
口唇リビドーは自分の中で完結している感じですかね。「自己色情」ですから
相手不在ですよね。そして、肛門リビドーは半分自己色情(=半分、相手不在)的
なんですね。
487 :
没個性化されたレス↓:2009/08/23(日) 07:35:49
浣腸マニアって肛門リビドーと関係あるの?
488 :
没個性化されたレス↓:2009/08/23(日) 19:48:26
489 :
咀嚼:2009/08/24(月) 21:10:32
>>486 なるほど。
つまり物「化」するってことは食ったり、嘗めたり、吸ったりするためか。
俺の記憶では、サディズムは肛門期への退行・固着だとフロイトが書いていた。
フェチに関してもたぶんフロイト先生発信。(確認できたら、改めてレスする)
口唇期は受動性の時期であり、ろくに物もつかめない乳児が唯一、
自在に(能動的に)使える口で他者(主に母親の乳房)と生(=性)的な接触をする、
という感じだった記憶だ。
この時、性感の主体は「(口を通じて)入れること」だ。
肛門期には、「(肛門を通じて)出すこと」が、性感とつながる。
この「能動性」に着目してフロイトは、
能動性ー攻撃性ーサディズムとつなげてた(ように思う)。
(糞便は赤ん坊からのプレゼント=能動性、とも書いてた記憶がある)
後半の「自己色情」は初耳だ。
オリジナルは誰か、思い出せないかな?
490 :
没個性化されたレス↓:2009/08/25(火) 19:29:11
>>489 >後半の「自己色情」は初耳だ。
>オリジナルは誰か、思い出せないかな?
オリジナルかどうかは分かりませんが、私は岸田秀の本でこの言葉を見ました。
491 :
咀嚼:2009/08/25(火) 22:52:59
フロイトの「フェティズム」を見たが口唇期のことには触れてないな。
むしろ、去勢コンプレックスと結びつけているから
フェチをサディズム期よりあとの段階に想定してる感じだ。
したがってフェチ=口唇リビドーがフロイト発信かもしれん、は撤回。
まぁ、それとは別に
フェチ=物「化」→「食う」 という想定は面白いかもしれない。
骨を食った宮崎とか酒鬼薔薇、人肉食の佐川一政とか。
これはフェチに入るんだろうか。
>>490 なるほど。
いかにも岸田らしい「ざっくり」した言い方だからたぶんオリジナルなんだろうな。
(唯幻想論を途中までと、『マゾヒズムの発明』の後書き
くらいしか読んでないから詳しくは知らないが,,)
ところで、マゾヒズムは何色情的ということになるのかな?
というか、その《○○色情的》が岸田マゾヒズム論の中心概念なのだろうか?
492 :
没個性化されたレス↓:2009/08/26(水) 06:43:07
493 :
没個性化されたレス↓:2009/08/29(土) 18:25:13
>>491 岸田秀は、フェティシズムは口唇期から肛門期への移行がうまく行かなかった人がなると
書いていたと思います。
マゾヒズムはサディズムと同じ、半自己色情的だと書いていましたね、確か。
494 :
咀嚼:2009/08/31(月) 19:59:38
>>493 口唇期から移行がうまく行かず自己色情が残るというなら
自己色情というのは自己愛より自体愛に近いイメージなんだろうかね。
うむ。。ググってみると自己色情はフロイトから取ったようなこと書いてあるな。。
あまり質問攻めにするのも申し訳ない気がするので尋ねるが
「性的唯幻論序説」というのを買えばそのへんの亊はでてるのかな?
ググってみると「サディズムの起源」という論文も岸田にはあるみたいだが
それも載ってるかい?
495 :
305:2009/09/04(金) 09:51:33
お久しぶりです。
少し休憩……するつもりが、あれから全くスレを覗いていなかったので、
今朝、今年の3月以降のやりとりを拝見しました。
(折角レスをつけていただいたのにいつもこんな感じで申し訳ないです。)
その中でも気になる一文が、
「Sは感情のコントロール、抑制が利く・Mは効きにくい」。
両者とも仮面を被っているというご意見もありましたけれど、
その場合のMの冷静さ・無感動さというものは、内で殺しているもの・抑制しているものが
行き場を求めうねっている気がします。
抑制しているものを隠すための装い=仮面です。
対してSは、自らが身を置いている環境の中で、目的を達成するにはいかなる役割が最適か、
抑制しているものをいかに発散(昇華)させるかという、外側へ向けた外側からの選択。
仮面=役割。
ただ、酷く単純に考えるとしたら、
平常無感動であったり淡々としている・外部からの精神的刺激に反応を示しにくいのは、
単なる防壁であるようにも感じます。
防御反応が長年層を重ねていって築かれたものが、「防壁」、というイメージです。
496 :
305:2009/09/04(金) 10:09:02
……Mの装いとしての、この淡々とした、抑制の効いている常態を克服するには、
低い自己評価を普通の状態に正すしかありません。
自己評価が低いからこそ、自由にのびのびと意志を発信したり、表現することができないのです。
Sの方は、これを克服すると表現するのは違う気がします。
手段なのですから。
Sの側で着目すべきは、仮面を手段にしてたどり着こうとする目的の方です。
彼らの支配から感じるのは不安です。
満足とは、安心した状態でなければ得られないもの。つまり彼らは、常になにか(誰か)を疑い(信じきれず)にいるために、
支配することで試し・猜疑を抱く余地のない無防備を作り出して安心しているのです。
そこで漸く、性的快楽を「覚えられる」までに漕ぎ着ける。
497 :
305:2009/09/04(金) 10:23:39
既に過去に何度も纏められていて、重複する内容ではありますけれど……。
自己評価が正常になれば仮面は外れます。
正当な自分を前に出しても恐れる必要がなくなれば、
仮面など必要なくなるのですから。
……かといって、それでMやSの性質が根本から拭い去れるのか否かというと、
最近は無理な気がしています。
自分を愛することができるようになれば、他人を愛することもできるようになり、
破壊が目的ではない種の保存=ノーマルなセックスでも満足を得られるようになる。
(ありのままを愛せるのなら支配する・される必要もない)
しかし、それは机上の考察であって、
愛を覚えるにつれ程度こそ軽くなれど、身に刷り込まれた感覚は消えて行くのか?
Sならば、肉体的刺激が少ないから消えて行くのでしょうか。
Mは難しい気がします。
305改め、兎に致しました。宜しくお願いします。
***
纏まらないので、気になることを箇条書。
・サディズム、マゾヒズムは治癒(矯正)されるものなのか。
・上記について可能であるならば、「治癒(矯正)された」とする境界線はどこか。
・サディスト、マゾヒストの「物」に対する反応、「物化」による反応(フェチ)(相手不在、半不在)
・Mの自己破壊衝動
そんなに難しく考えなくてもいいか、と思う時期と、
ぐるぐると考え追求し、解明を求める時期の差が激しいです。
今は知りたくてたまりません。
……ということで、浅学ながらお邪魔させてくださいませ。
499 :
没個性化されたレス↓:2009/09/04(金) 22:27:35
>>494 「性的唯幻論序説」には「サディズムの起源」は載っていません。
「性的唯幻論序説」は「人間は本能の壊れた動物である」という所から出発して
人類においては性に関するすべての事は幻想に支えられていて、それらはすべて
文化の産物であるという視点から、「性欲の発明」や「性差別の起源」や
「恋愛と性欲」や「資本主義と性」といった性に関するいろいろな問題について書いてある本です。
私の持っている本の中では、「サディズムの起源」は
青土社の「二番煎じ ものぐさ精神分析」という本に載っています。
500 :
咀嚼:2009/09/05(土) 00:36:54
>>495 「Sは感情のコントロール、抑制が利く・Mは効きにくい」
スレッド内検索でその文が見つからないんで
俺の
>>481を一行にまとめたwと勝手に解釈してレス。
「仮面」をもちだしたので本来の疑問がずれてしまったんだが、
俺が聞きたかったのは、痛くされないとだせない「本当の自分」て何? ってこと。
あまりMが仮面を被ってるという風に感じたことはない。
むしろ335=兎氏が書いたような
「行き場を求めうねって」能動的に動く人が多いという印象を持っている。
そのために小さなトラブルを引き起こすことも多く、
プチトラブルをあれこれ起こすことで更に自責感を強める人が
(特に女性M)に多い気がする。
でもまぁ、
隠蔽としての仮面、と、防御(防壁)としての仮面 という分け方は面白いと思う。
隠蔽することで防御するという見方もあるだろうが、
Sの場合は隠しているというより
不安に対する防壁として遮断していると見ることもできるし。
501 :
没個性化されたレス↓:2009/09/05(土) 00:40:42
502 :
咀嚼:2009/09/05(土) 00:51:03
>>496 自己評価云々というのはカウンセリング系の人がよく使う基準だが
しかし、その基準は本来の性的マゾヒスムの分析というより
マゾヒズム「的」性格の分析が主体な気がする。
矢幡洋はいちおう区別しているが
性的マゾヒズムと性格的マゾヒズムを同一と見なし、
両者を混同させる場合も多いと最近思う。
むろん、両者が被ってる場合もあるだろうが
マゾヒズム性格の持ち主が性の場面ではサディストだ、という場合もある
と俺は思ってる。(その逆も)
>>497 [種の保存=ノーマルなセックス]というのはそれこそ「机上の基準」であって
実際にはそういう意味で正常な人間などおらず、
大なり小なり誰でもみなアブノーマルだ、ということはフロイトもはっきり書いている。
人間は本能ではなく「大脳で」セックスする、
というのは脳関連の本ではもう一種の常識としてしょっちゅう見かける認識だし。
>>498は簡単じゃないんで後日。。
503 :
咀嚼:2009/09/05(土) 01:11:06
504 :
没個性化されたレス↓:2009/09/06(日) 03:58:46
>>503 「続ものぐさ精神分析」は持っていないので直接確認した貰わないと
ちょっと私には分からないですね。私、その本持ってないですわ。
505 :
咀嚼:2009/09/06(日) 08:08:37
>>504 二番煎じは古書しかないみたいだな。
もしよかったら「サディズムの起源」の論旨を紹介してもらえないか?
506 :
兎:2009/09/06(日) 11:01:13
>>500-502 ありがとうございます。
レスを頂いて、私の中から抜け落ちていたもの、足りないものを思ったので、
大分遅くなりましたが以前お勧め頂いた本を購入してみました。
507 :
兎:2009/09/06(日) 11:55:24
>>500 痛くされないと出せない本当の自分、
というのは、Mの視点から見ると、
単純な答えの方がすとんと腑に落ちます。
当然ながら性の部分は日常に置いて秘められるべき側面ですが、
深刻な(強度な・重度な?)マゾヒストの場合、日常へ浸出しうるほどのそれを隠し、生活することは
自らの本質を隠蔽し、人目を欺いているような心地になる場合があります。
レスをつけてくださった方が、本当の、という言葉を選んでいる時点で、
己の中で「マゾヒストであること」が占める比重が非常に重いように感じられますし、
全体としての自分をみたときに、マゾヒストの自分が及ぼす影響が強いのでしょう。
本来ならば、性的場面ではない、日常生活における人間的な自分も「本当の自分」であるのにも関わらず、
そうあることに対してのマゾヒストである部分からの反発、半ば人権を放棄した奴隷的扱いを求める欲求が、
自らの不自然なありかた(Mであるのに「人間」として生活している)に違和感を募らせ、
Mとしてではない人間の生活感を持った日常を、本当の自分ではない(本性ではない)、
偽りではないにしろ、本当の自分を内包する上辺であると感じるのです。
それに加え、Mは性において受動に徹しますから、
痛みを与えられないとさらけ出せない、という感覚は、
同じ(?)Mとしても、ごく自然に「ああそうだな」と頷ける部分があります。
508 :
兎:2009/09/06(日) 12:02:16
……と、最後は私的な共感になりますけれど、
(そしてこれもまた感覚的な意見になりますが、)
そうやって隠している「本当」が大きければ大きいほど、重度であるだけ、
自らのマゾヒズムに罪悪感を持つ方が多くなる気がします。
或いは、自分が二つに分裂するような苦痛。
509 :
兎:2009/09/06(日) 12:48:37
>>507 人目を欺く、というより、自らを欺いているのかもしれない、と
今思いました。
>>496 じっくり読み返してみると、このS分析はかなり鋭い。
(自分なりにトレースしてみると)
Sの目的は、自分に対し相手が攻撃しないことを保証された状態を造ること。
(その手段として「主従関係や「縛り」がある)
さらに言うなら“責め”は相手の攻撃性消滅(または放棄)を確認する行為であり、
“誓約”をさらに引き出す儀式でもある。
つけ加えるなら、
Sの不安の元にあるのはなんらかの形での「疎外」経験ではないか、
というのが俺の仮説だ。
防壁は自分側からだけではなく外部側からも造られたのではなかろうか。
そして最後の部分
「そこで漸く、性的快楽を「覚えられる」までに漕ぎ着ける。」
は特に面白い。
うん。次々複数の考えが浮かんで、今はまとまらないくらい面白い。
>>473が、すぐではなく後からじわじわ来たときと同じだ。
せいぜい自虐くらいまでしか感得できない俺はこのレスを目にしたあとも
数日間この表白が含んでいるものをうまく感受できなかった。
(だから質問することにしたわけだが)
そして
>>507-508を読んで、さらに考え込むことになった。
うむ。よくまとまらん。出直す。
*ポップアップ用俺メモ(暫時留保レス)
>>498 >>507-509
511 :
兎:2009/09/06(日) 21:52:29
+α――痛くされなければ、苦しくなければ晒せない本当の自分とは?
(あくまで私的な感想です)
他者(親、或いはそれに準ずる親密な他人)が定めた「己のありよう(型)」に
幼少期より過度に縛られつづけているMにとって、その無意識に染み付いた日常的な脅迫は
まるで刺のある蔦のように、精神に絡み付いて離れないものです。
そのため、不要なまでに己を正そうとする(敢えてこのような言い方をします)不眠不休の「思考」を
遮断する手段として、苦痛が挙げられるのかもしれません。
堪え難い苦痛は人間を動物にします。
つまり痛みによって、
理性的な思考を、感情による拒絶、諦め、悲しみ、怒り、或いは悦楽、そういったものが上回ります。
否が応でも、脅迫的偶像から、感覚の人間まで引きずりおろされるのです。
外部からの視線ではない、内部からの感覚に身を委ねること。
それこそがMにとって、精神のバランスを保つために必要不可欠な
開放感であるように感じられます。
皮膚下を巡る痛みの充満=過度な思考の停止=自由を縛るものからの開放
512 :
兎:2009/09/06(日) 21:53:28
疑い、怯える余地もない程に、無防備になりたいのかもしれませんね。
苦痛そのものに支配され身体の自由を奪われるということは、
自分はあるがままでありながら、尚且つ相手にとって望ましい形になるということです。
自ら律さずとも、サディズムという愛(錯覚?)を受け取れるということ。正にMが望んでいることです。
SとMの線が考察するのは、ここですね。
513 :
兎:2009/09/06(日) 21:57:48
×考察 ○交錯
うーん、お恥ずかしい。これだから携帯はいけません……。
514 :
兎:2009/09/06(日) 22:14:27
苦痛や羞恥が「本当の自分」(自分の正体)ではないのです。
しかしMにとって重要なのは、感じたままを、
いかに「ありのまま」表現出来ているか。
制限された自分ではないか。
痛みに愉悦する自分というのも、確かに「本当の自分」ではありますけれど、
(痛み=快感、という脳と体の回線については、体感としては知っていてもよく解りませんので)
心理学的(?)視点からみるのであれば、それは問題のすり替えであるように感じます。
>>507 (1)
最近テレビタレントが、Mであることを自己肯定し公言するケースが増えている。
彼・彼女らの内部でも「本当の自分」は鞭打たれ卑しめられている自分、なのだろうか?
もともと人前に自分を晒すことで生活しているわけだから
一般人と同一線上で考えるわけにはいかないかもしれないが。
>マゾヒストである部分からの反発 >Mであるのに「人間」として生活している
こういう感覚は「主従SM」という形式を宗教化している感じがする。
しょせん「主従」といったって個人間の遊び
(法律的にもリアルな階層関係にも根拠のない対幻想の中だけででのイリュージョン)
にすぎないのに、それを過剰に観念の中で神聖化させる、
不可能であるに決まっているのに、自分が「良い奴隷」ではないことを
しきりに反省し、エゴマゾなどという言葉に悩まされたりする。
そういう転倒した印象を、主従SM信奉者(特に女性)に感じることは多い。
たとえば連合赤軍事件では、「共産主義化」が足りないと批判し合い
最後には「共産主義化」するための総括(リンチ)が始まった。
社会から閉ざされた規律・倫理は、外部不在の中(内部)ではエスカレート(倒錯)しやすい。
共同性の中にはいった時、人は誰だって、
個人としての自分とは異なった位相に移行する。
それは当たり前のことだ。(対幻想と共同幻想の位相の違い)
特に“公”の元では“私”を捨てさせる圧力の強い日本はそうだ。
(日本人は皆マゾヒスト、という論文もあるらしい。>中久喜雅文)
>>507 (2)&
>>508 ひとつは「恥」のあり方ではないか、と思ったりする。
ヨーロッパでは、マゾヒストであることを逆に誇ってみせる女性論客がいる。
日本では、マゾヒストであることは「格好悪いこと」だという感覚が強い。
(だから、お笑い芸人は平気で告白できる)
衣服をまとうことが慣習化されている社会では人前でのヌードは「羞かしい亊」であるが
アマゾンの裸族たちでは、それは単なる「当たり前」の日常にすぎない。
露出(人前でのヌード)は、日常からの解放(非日常感)のシグナルになる。
ストリーキングではそれは平和的な反抗声明、仲間内を目当てにした仲間意識の確認として行われる。
マゾヒズムの行為としての露出は“強制”が条件になる。
実際に人目にヌードが触れる必要は必ずしもない。
行為者たちの中で、自分たちの対幻想が社会から隔絶されていることが確認できればいい。
衣服をまとったままの「首輪姿」で歩く、でも露出が成立する。
恥と非日常(社会からの断絶)があればいい。
それは生活という日常からSMという非日常空間へ“引き籠もる”イニシエーションでもある。
大事なことは、社会から閉ざされた特異な約束事の空間(SM)にいるという認識だ。
主従SM者たちが、男尊女卑や女尊男卑の封建制度への逆行を主張するとき、
その錯誤は、対幻想と共同幻想の区別がついていないことを意味する。
ものすごく、見当違いのことを書いてるように見えるかもしれないが、
[自分が二つに分裂するような苦痛]もまた、
対幻想の片方である我、と、
共同幻想の中にいる我、とは位相が異なる(異なっているのが当然)ということが
うまく掴まえられていないところから来るような気がしたもので。。違和感があればどうぞ。
(メモ)
>>496 >>498 >>509 >>511-514
518 :
没個性化されたレス↓:2009/09/09(水) 02:16:25
>>517 対幻想の片方である我、と、
共同幻想の中にいる我、とは位相が異なる(異なっているのが当然)ということが
うまく掴まえられていないところから来るような気がしたもので。。違和感があればどうぞ。
吉本が、対幻想と共同幻想の位相の矛盾ってことで
父親と息子で、なおかつ上官と部下。
こうした二重の役割を負わされると葛藤が起こる。
そんな例をあげていたた・・・という記憶がある(出典は忘れた)。
でも[自分が二つに分裂するような苦痛]というのは、
共同幻想と対幻想という以前に「自己幻想」があるわけで
たいていの人は、ネトウヨとかマルキストとか新宗教の
信者のように共同幻想に没入したり
ストーカーやラリ男・ラリ女のように対幻想に没入したりすることで
自己幻想の不安定さを緩和しようとするのが、フツーじゃなかろうか?
SMってのは、あくまで[ズレの非常に大きな]対幻想
そう考えているのだが・・・
519 :
咀嚼:2009/09/09(水) 21:52:02
俺は対幻想を “性“を媒介にした関係と捉えている。
かたや共同幻想では“性別”は捨象される。
だから父親と息子(男と男)の関係は、上官と部下(無性)の関係と共存しうる。
吉本が共同幻想論でしめした対幻想と共同幻想の矛盾例は
穀母(神)として選ばれ部落内の女性が、祭りの中で殺害されて皮を剥がれ
穀母の息子(神)に選ばれた男性のからだに、その皮をかぶせる、という例だ。
引用すると
「殺害される穀母もけっして対幻想の性的な象徴ではなく、共同幻想の象徴である。
これらの女性は共同幻想“として”対幻想に固有な〈性〉的な象徴を演ずる 矛盾 を
おかさなければならない。 したがって自ら殺害されることによってしか演じられない役割である」
つまり、〈母〉という性でありながらそれ自体で共同幻想であるというのは矛盾であり
したがって、一度母〈性〉としては殺害されて、ようやく、共同幻想となる。
「上官と部下」は性を捨象した関係(共同幻想)だから、親子関係(対幻想)と“絶対矛盾”はおこさない。
親族企業などではありふれた現象だ。息子の側に対幻想の甘えがあれば
自己幻想の中で葛藤はあるだろうが、対幻想と共同幻想の矛盾ではない。
文脈を勘違いしてるか、
あるいは対談相手のいったことを 吉本が言ったと記憶がすり替えられてるのでは?
(この部分はスレチなので、別レスにしておく)
520 :
咀嚼:2009/09/09(水) 21:55:10
>>518 >「ズレの非常に大きな」対幻想
ズレというのは何のズレなんだろう?
>>517は言葉足らずのようなので補足。。
>人権を剥奪された人間
これは対幻想(性の関係)の中に無性の共同幻想をむりやりもちこんでいるので
矛盾を起こす。兎氏の女〈性〉が捨象されているから。
質問だけど、
日常生活で引き裂かれた感覚になるとき、相手が女性でも男性でも同じだろうか?
相手が女性の場合は相手が男性の時より軽いんではないかというのが
「理屈」の上での推論なんだが。
522 :
兎:2009/09/09(水) 22:21:18
思いもよらぬ方角から入ってきたメスに目から鱗です。
私の一方的な視野では乱雑に散らかしておくことしかできなかったものが、すっと整頓されたような。
けれどまだ全体から受ける印象がクリアになった感じがするだけで、
私のものとして整理できておりませんので
(もしかするとやっぱり散らかっているかもしれない?)、
少し時間をください。
>>505 岸田秀の文章は9ぺーじに渡っています。この文章は巻末に参考文献などは
載っていませんから論文ではありません。岸田秀は自分の文章を「雑文」だと
言っています。
9ページをまとめるのは荷が重いので、とりあえず前の方から少しずつまとめて書いてみます。
人間の幼児は、他者と自己の区別のない「自己=全世界」という世界に住んでいる。
そのうち他者(=自己ならざるモノ)を発見するが、それは「自己≠全世界」の発見であり、
「限定された自己」の発見を意味する。すなわち、そもそも他者は全世界であった自己を
限定するモノとして現われる。
そして、自己とは幻想であってそれを支える現実的・実態的な基盤はどこにもなく、
他者による限定を押し留めないと自己は無に帰する畏れがある。だから、自己を確立し
自他をはっきりさせるために、この限定を押し返していかなければならない。
この、限定を押し留めようとする企てが「サディズム」である。
まず、前段の内容はこんな感じです。これは Google で
岸田秀 "サディズムの起源" 不分明
のキーワードで検索してヒットするページ
「b・エリック・ホンブルガーエリクソン・・・・・・」
の上から1/4あたりの所、「肛門期サディズムの起源」のタイトルで書かれている
8行ほどの文章が、岸田秀の「サディズムの起源」の最初の1ページの文章とほぼ
同じ内容です。この部分は岸田秀の文章をそのまま持って来たモノだと考えて
間違いないと思います。
525 :
咀嚼:2009/09/16(水) 19:32:54
>>524 ありがとう。
サディズムの起源は、他者の侵入への防御だと。
「起源」に対する説明として、その理路は一応判るんだけど
それだけじゃ、アバウト過ぎる気がしないでもない。
「性的唯幻論」は買った。
(まだ最初の部分しか見てない。図書館から借りてる本優先なので)
フェチに関しては載ってないみたいだ。
古本屋の店頭に、岸田の対談本が200円で出てたので
それも買った。巻頭の対談のテーマがフェチだった。これもまだざっと見ただけ。
取り急ぎお礼まで。┏○
526 :
兎:2009/09/16(水) 20:39:31
>>521 改めて考え直してみると、引き裂かれる苦痛、というのは、
私自身の罪悪感の強さである気がしてきました。
すべてひっくるめて私自身であるものを、マゾヒストである側面を強烈に否定して(恐れて)
自らから剥離させようとするせいかもしれません。
だから、自ら否定し、捨てようとした部分が、とりのこされ
「引き裂かれた」と感じるのでしょうね。
もし公の場において発現したとして、その場合は微弱な痛みで、
やはり一人でいるときが多いと思います。
仕事場や友人などの前では、当たり前ですがそれに対する「私」がありますから。
公の場で私のマゾヒズムが疎外感を感じるときは、
単にそれが影響力を増しているときで、気分の問題なのかもしれません。
潮の満ち引きのように。
だめですね、これだけ私情が絡むとスレの趣旨から逸れてしまって(笑)
お勧めしていただいた本が届きましたので、それを読みながら
客観的に見る目を養えたら……と思います。
ここで質問してもいいんだろうか…
スレタイ検索をしたけど、それっぽい場所が見つからない
自分が最近Sな気がしてならない
ボロボロにされるのが好きな人を見ると、どんどん壊したくなってしまう
女なのに、男を支配したいってのはおかしいんだろうか
というか、Sだったらこんな風に悩まないだろうか?
猟奇系のエロマンガとかも好きだし(逆に一般的な恋愛漫画も好きだけど)
一体自分はなんなのか解らなくなってしまった
殴ったり苦しめたり(肉体的でも精神的でも)苦痛を味わってる顔を見ると
もっと苦しめてみたくなる
…相手がいないから出来ないし、実際実行は出来そうもないけど…
サドの小説には海が出てこない
誰か言ってた
530 :
没個性化されたレス↓:2009/09/23(水) 06:20:36
531 :
没個性化されたレス↓:2009/10/01(木) 04:16:35
浣腸
532 :
没個性化されたレス↓:2009/10/03(土) 05:02:28
浣腸
533 :
没個性化されたレス↓:2009/10/21(水) 04:42:55
出過ぎた行動や言動が目障りで見る者に不快感を与え、
メディアから姿を消す理由十分な中川翔子24歳は、
来年25歳であり、アイドルとしては古株の域に入ったと言える。
その中川翔子のアイドル、タレントとしての在り方は古臭くなりつつあるのが現状であり、
ファンや批判的な人間の声に耳を傾け変化しようと、試行錯誤し、努力した痕跡がみられない。
また読書家らしい中川翔子は、多くの本を読んでも人間性に変化はない、それは単なる自己満足でしかなく、
来年25になろうと言う年齢にしては幼稚でモラルに欠けた人格を晒して平然としているのは脅威。
一見謙虚に見える態度と何一つ変化しない実態との落差は、自分の在り方について切実に考えた事が無い事を物語っている。
中川に対する批判的な声は止むことは無く、その批判の質はもはや中川に変化を期待するものではない。
古く、滑稽になるいっぽうの中川を土台とし、
中川にかわるアイドルまたはタレントに入れ替え排斥しろと言う世間の要求であると解釈できる。
存在自体が人として疑問を持たれる中川翔子は、訂正すべき間違いの一つとしてメディアから排斥されて然るべきであり、
中川と似通った性質をもつ同類以外にとって無用の長物でしかなく、物事の中心になり、人前に出るに相応しい人間ではない。
利益を優先させ、様々な悪影響の元となる中川を起用し、野放しにする組織は諸悪の根源と言え、唾棄すべき存在だ。
奇妙な造語と、理解しがたい行動、そして得意の虚飾と虚言に満ちた自身のブログで興味を引きつけ、
人の無知や心理を利用し、自分の利益に利用する様は詐欺師の類と言ってよいし
芸能界に、いつまでも無気力にしがみつく姿は見るに堪えないものだ。
この中川と起用する組織のあざとい営業活動が見せる数値がどれ程だったとしても、
取るに足らない事であり、存在価値の証明にはなっていない。
鯛は頭から腐る。中川翔子の有様は組織のリーダーたる人間が下の手本になりえていない事を証明している。
そんな得体のしれぬ組織が作り出す泥沼から脱却し、疑いの目を向ける必要性があるのは間違いない。
535 :
没個性化されたレス↓:2009/11/23(月) 21:52:52
初めまして30代マゾです。
フェチは、衣類・匂い・肛門・豊満・母乳とか、たくさんあります。
何で自分がこうなったのか原因を知りたいです、
生い立ち、家系など。性倒錯を招いた原因はどこにあるのか。
ヒントをよろしく頼みたいです。
536 :
没個性化されたレス↓:2009/11/28(土) 08:06:40
過疎
俺はSだと思うが、俺にとってサディズムとは「屈辱を与えること」だ。
調教によって相手の人格を崩壊させ、奴隷化して屈辱を与えることが俺のサディズムを満足させる。
強姦も屈辱を与える手段であり、性欲を満たすための手段ではない。
538 :
没個性化されたレス↓:2009/12/06(日) 22:59:37
>>537 何でも、ヒントは生い立ちです。引金となるエピソードがあります。
私も。
自身の異常行為に苦しんでいます。
共に紐解いて、心理の根源を探り当てようではありませんか。
見つければ、半分は治ったようなものです。
539 :
没個性化されたレス↓:2009/12/20(日) 06:05:31
540 :
没個性化されたレス↓:2009/12/29(火) 08:08:24
>>535SMクラブで働いていた者です。
700人ぐらい接客しましたが、生い立ちが関係ないとこで
マゾっ気が出てきたという人のほうが多かったよ。
母乳は聞かないけど、衣類・匂い・肛門・豊満にグッとくる人なんて
毎日見てたし、普通だから気にしなくていい。
うんこ食べるようになったら気にしてください。
542 :
没個性化されたレス↓:2010/02/13(土) 05:30:45
森田美由紀さんに浣腸したい。
543 :
没個性化されたレス↓:2010/02/13(土) 06:27:49
544 :
没個性化されたレス↓:2010/03/13(土) 18:56:13
.
545 :
没個性化されたレス↓:2010/05/03(月) 12:07:44
マゾっ気って誰しもちょっとくらいはあるんじゃないの?
546 :
没個性化されたレス↓:2010/05/04(火) 01:58:29
↑オマイだけ
みんなも遠藤周作のSM死小説に感化されるとイイヨー
548 :
没個性化されたレス↓:2010/06/01(火) 04:18:11
結城彩雨がいい
俺、酷いSで酷いMみたいなんだが…
案の定家庭崩壊してた。
今は独り暮らしだが後遺症みたいなもんだろうか?
なぜか人を愛することも出来ず、イチャつくカップルを見ると嘔吐してしまう。
リストカットは跡が残るから辞めたが、腕に針を刺す癖が治らない。
誰かがあり得ないほど残酷な目に遭う様子を想像するとゾクゾクする。
どうしようもない。
因みに、人に虐められたい訳じゃない。主に自虐が酷い。
ゲームやっててクリア出来なかったら腕に思いっきりなんか刺すとか
550 :
没個性化されたレス↓:2010/08/20(金) 06:23:34
まるごとニュース北海道の気象予報士
加藤眞奈美さんに浣腸してもらいたい。
551 :
没個性化されたレス↓:2010/08/21(土) 04:01:33
一人でSになったり、Mになったり、多分情緒不安定でしょう。母親に認められて育ってない。
552 :
没個性化されたレス↓:2010/08/21(土) 16:04:09
支配したい=支配されたい みたいな
553 :
没個性化されたレス↓:2010/08/21(土) 22:24:20
斎藤は2
554 :
没個性化されたレス↓:2010/08/24(火) 06:16:08
まるごとニュース北海道の気象予報士
加藤眞奈美さんに浣腸してもらいたい。
555 :
没個性化されたレス↓:2010/08/31(火) 04:45:52
諸尺
556 :
没個性化されたレス↓: