1 :
没個性化されたレス↓:
れほど人間が溢れ返っている。しかしこの人間は欺瞞、冷酷、残忍を極める無数の行為を絶える事なく平然と我々にもたらして来た。歴史が証明する通りにである。今現在も我々はその人間の渦中
に己の身を投じなければ生きては行けない。 それ故人間は、宗教なるものの持つ漠然とした安堵感に寄り添い、すがって生きて来た。 しかしこれは欺瞞、冷酷、残忍である人間それ自身が「作
り出した」ものに他ならない。これを"信ぜよ≠ニ誘い、或いは自らそこへ飛び込み"信じる≠ニは一体どう言う事なのか。 信じられる理由、信じる事の価値は何であるのか。「自己の中で探求す
るもの」と言う答えでは霧に包まれた道を歩いて行く様である。霧は次第に濃霧となり己の立ち位置さえ見失う事にはならないのか? それともいつか豁然として晴れ、一点の曇りも無い地へ辿り着けるのであろうか?
知らねーよ。
シラネーヨ
↓キンタマ、狸、捏造
6 :
没個性化されたレス↓:2006/09/09(土) 20:55:04
なに?
宗教学者、岸本英夫による定義「宗教とは、人間生活の究極的意味を明らかにし、人間問題の究極的解決に関わると人々によって信じられている営みを中心とした文化現象であり、その営みとの関連において神観念や神聖感を伴う場合が多い」