1 :
没個性化されたレス↓:
3 :
没個性化されたレス↓:2005/06/08(水) 02:35:21
>>2 どうしても本スレがコピペ資料スレになってしまって議論とかしたいのに
出来ないという声が有ったし自分もそう思ったので作りました。
必要なら皆さんが来て存続するでしょうし、そうでないならネットの海の底に
沈むだけですからしばらく見て見たいと思います。
4 :
没個性化されたレス↓:2005/06/08(水) 15:35:50
明晰夢ってある意味トランス状態かな?
トランクス
6 :
没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 16:23:51
>>4 確かにそうかも、夢の中では誰を主体に見ているか分からない
自分としてみているときも有れば他人になっているときもあるし
映画のように見ている第三者の場合もある。
自分としてもおきているときより自分としての意識が希薄だし
時間の感覚もないし
7 :
没個性化されたレス↓:2005/06/10(金) 00:50:31
きっと、これがまともにみえるようになっているのには、
あと100年はかかるだろう。はたしてなにがまともである
べきなのか、はたしてこれから100年進めていったとき、
それがどういう形になっているものなのか、誰も想像でき
ない。まったく変わっていないかもしれないし、こういう
かたちとしてはすでに消滅しているかもしれない。それが
可能性であり、未知ということなのかもしれない。
8 :
没個性化されたレス↓:2005/06/10(金) 01:02:10
>>1 >>3 コピペをしたものです。
みなさまにはご迷惑をおかけしました。
もう、あの白けた辛気臭いスレは沈みました。
ここは場所も雰囲気も違うので、きっとうまくいくでしょう。
気持ちを切り替えていきましょう。
これは本来、誰のものでも、特別なものでもありません。
わたしもじぶんが特別とは思ってません。
興味があるひとだれもが自由に語るべきものです。
だれかの所有物にしてしまうことは、
こういうものに反するもので、つまらないことだし、
間口を閉じてしまうことです。
9 :
没個性化されたレス↓:2005/06/10(金) 01:04:40
もうコピペはしませんのでご安心ください。
あのスレが沈んだことで、厄払いされました。
あれはさっさと忘れてしまいましょう。
10 :
没個性化されたレス↓:2005/06/10(金) 20:47:46
>あのスレが沈んだことで
沈んでねぇーよ。
あっちで書け!そして1000になったら自分専用のスレを勃てなさい。
>>10 もう容量オーバーであそこは書けないんですよ
うそだと思ったら書きこんでみること
12 :
没個性化されたレス↓:2005/06/10(金) 22:40:01
じゃ、自分で立てろ。
>>12 そういうおまえは何様だよ
その口調からしてどうせ共感者ねえだろ
余計なちょっかいはよせ
14 :
没個性化されたレス↓:2005/06/11(土) 16:58:34
>そういうおまえは何様だよ
ヨン様。
>>14 くだらないことやっていることに気づいたほうがいいぞ
自分に関係ない他人のことにかまけているやつに、
ろくなやつはいない
ここでのことは無駄だった
自分は文学とか芸術の人間であったし
17 :
没個性化されたレス↓:2005/06/11(土) 19:05:16
じゃ書き込まないでください。
宮元啓一 『インド哲学七つの難問』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062582554/ 著者はインド哲学を専門とする研究者だが、「正統的」
インド哲学研究者たちは、インド思想史研究でなければ
ならないとし、ひたすら調査、整理、陳列のみを心がける。
著者はそれに飽きたらず、伝統的なインド哲学と対話し
ながら、自ら<哲学>しようとしたのが、この本だという。
常識的仏教観、伝統的釈迦像の虚構を撃ち破る内容で、
従来の著名な仏教学者の説を覆すような内容が目立つ。
かなり野心的な試みをしているようで面白い。
仏教でいう、「止(サマタ)観(ヴィパッサナー)」、止とは
集中統一のことであり、それによって禅定に入ったあと、
観つまり現象観察に入る。この二つのモードが瞑想である。
著者は、釈迦が説いたのは「無我」ではなく「非我」である
という。
彼が出家した当時に流行していた苦行と瞑想は、輪廻から
離脱するために「感情と思考の停止」を目指していた。しかし、
そうした欲望を止めることを極限まで取り組んだ彼は、止め
ればすぐに元に戻ってしまうため、ついには無駄な試みだと
気づいたという。
そして、真の目覚めには、より根本的な生存欲を消滅させ、
そこから離脱する「智慧」を認識することが必要だと悟った。
その方法は「瞑想」する以外にはなく、しかも「感情や思考の
停止」ではなく、「徹底的に感じて思考する瞑想」でなければ
ならないことに気づいたという。
釈迦が仏陀になる前に修得したものが「サマタ」にあたり、
ミャンマーの仏教がなぜ「ヴィパッサナー」だけを説くのか、
さらに後期密教がなぜ性を扱うのか、「サマタ」が釈迦の
オリジナルではないからだ。
むしろヴィパッサナー、徹底的に感じて思考する瞑想に
ある。それは、いま・ここ・自分の意識に起こっている現象、
そして最終的には、あらゆる心身内外の現象を、あるが
ままに判断することなく目撃する、観想するということだ。
そうして、その実態を見抜いていく。そうして深い洞察が
生じてくるという。
やっぱり、これは西洋哲学とは異質だ。超越しているところ
がある。
結局、自分でやってみないと、どういうことかわからない
ところがあるのは否めない。医学的によくわかってくるまで
は判断保留しておくのが賢明かもしれない。そこが医学的
な瞑想研究にじつのところ期待しているところなのだ。
はっきりいって、ルートの違いはあるにせよ、ほかにも色々
なルートなりプロセスがあると思うし、これがすべてとは
思ってない。リアリティは多元的だからだ。
この宮元啓一というひとの解釈は哲学的なものであり、
仏教学的には賛否両論もあるようだ。自分としても、
どうもピンとこないところもある。
禅定による三昧(瞑想の極致)は単なる生理的、心理的
な現象、涅槃は超越的な真理の世界、プラトンでいうイデア
界のような世界ではない、と考えているふしもあるようだ。
こういうものは自分にある体験、その理解できる範囲で、
良くも悪くも、簡単にバイアスがかかってしまうものだと
思う。
自分としてはユング的な体験があるということを含みいれ
る解釈で、整合性を考えなければならないという、個人的
な問題がある。そういう意味で、それをふまえている、
トランスパーソナル的な解釈や方法論に、危うさと強みを
感じているところもある。
いずれにせよ、仏典解釈だけでは、こういうことはらちが
あかないところもありそうだ。
> これまで日本の仏教学者たちは、口をそろえて、ゴータ
> マ・ブッダが何を解いたのかは文献学上は確定できない
> と強調してきた。しかし実際は文献学的手法によって、
> 成立がたいへん古い仏典はほぼ確定されており、それら
> は一貫した体系をもっている。これによって99.9パー
> セントの確立で、ブッダの教えといえるものを抽出できる
> という。
> にもかかわらず多くの仏教学者が、金口の説法は確定
> できないという。確定されてしまうと、自らの宗派的な
> 信に合致する「正しい仏教」が紛糾されることを恐れるか
> らだという。
> また、たとえばゴータマ・ブッダは輪廻説を否定したとする
> 論文も忘れたころに出現し、仏典で輪廻を説く箇所はみな
> 後世の付加によるものとされるという。日本の仏教学者の
> 最大の問題点の一つは、インドに生まれた仏教を、インド
> 思想のなかで捉える努力をほとんどしなかったことだと
> いう。もし仏教誕生の土壌となったインド思想界から出発
> するなら、輪廻思想こそが最重要である。
宮元啓一『ブッダが考えたこと』によれば、ブッダの教えは
「輪廻説」を前提としなければ理解できなという推論のようだ。
23 :
没個性化されたレス↓:2005/06/11(土) 22:52:50
>>18-22 ここは『議論用』スレです。
コピペをしたいなら他にスレを立てて書き込みなさい。
もう一度いいます。ここは『議論用』スレであって
長文を書き込むスレッドではありません。
いい加減にしなさい
疑問におもったのは、ブッダの目覚めの内容についてだ
った。そのための方法は、「思考停止を目指す瞑想」では
なく、「徹底的に思考する瞑想」だという。ブッダのいう
智恵とは、徹底的に分析的な知識のことである。けっして
「無分別智」ではないというのだ。
でももしそうだとすれば、それは分析的な知識として言葉に
よって表現できる。そして、それを読んで内容を理解した
ものは、誰でもブッダの境地に達することができてるはずだ。
現実はそうではない。
著者は、別のところで、ブッダの「わたくしが知ったこの真理
は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、微妙であり、
思考の域を超え・・・」という言葉を引用している。この境地
がそういう性質のものとはとても思えない。
>24
ここは『議論用』スレです。
コピペは厳禁です。
コピペをしたいなら他にスレを立てて書き込みなさい。
もう一度いいます。ここは『議論用』スレであって
長文を書き込むスレッドではありません。
いい加減にしなさい
宮元啓一『インド哲学七つの難問』によると、本当の『自己』
とは何か?
まず、インド哲学における自己論の基礎を築いたヤージュ
ニャヴァルキヤ(紀元前8〜7世紀)の説が紹介される。
それによれば、自己は、環境のなかにあるけれども、環境
とは異なるものであり、環境をその環境たらしめているもの、
環境を「内から照らし出す」ということだ。自己は、心の作用
と心と身体と環境とのなかにあるけれども、それらとは異なり、
それらを「内から照らし出す」ものである。仏陀の五蘊(心身
の五要素)非我説も、この説を正統に継承していおり、のち
のインド哲学全般に見られる説である。
認識主体が認識対象になりえないというこの説は、不二
一元論(幻影論的一元論)の開祖シャンカラも受け継いで
いる。「認識しようとする欲求をもつものこそが認識主体」
であり、「認識主体に属する認識しようとする欲求は、認識
主体を対象とすることはありえない。なぜなら、認識主体を
対象とするとすると、認識主体と、認識主体を認識しようと
する欲求は、無限後退にするという論理的過失に陥るから
である」。
すなわち、認識主体が認識されたとすれば、それはもはや
認識対象であるから、それを認識する主体が別になければ
ならない。結局、どこまでいっても、認識主体はつねに私たち
の背後に廻り続け、けっして認識はされない。こうして自己は、
私たちが知りうるものの中には、けっして入ってこない。
そして私たちが知りうるものの総体が世界であるなら、自己
は「世界の外」にあることになる。
トッド・ファインバーグ『自我が揺らぐとき』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/400005449X/ によると、
> 自己の維持にはたくさんの脳の領域がかかわっていて、
> まとまりのある自己が存在するほうが奇跡としか思えない。
> さらに両半球が分断されても心の統合が維持れている
> 不思議。脳は神経解剖学的にきわめて多様であるにも
> かかわらず、統合された「わたし」を生み出す。しかも、
> 自己を形成する主観的な体験に対応する統合された均質
> な実体は見当たらない。脳の構造がこれほど多様なのに、
> それぞれの「内なる」視点には、主観的な意識が統合
> されたひとつのものとして映るのか。この疑問の回答を
> 求めることが現在の脳研究の中心的な課題となっている。
> 私が、腕を上げようと思って腕を上げる。そのとき「内なる
> 私」が行動を発する場所として体験されている。その「私」
> が、意識的に意志を遂行して腕を上げる。そして神経内科
> 医が、その「意志」の源泉を私の脳のなかに探し求める。
> だが行動の源である中心地、統合と統一の物理的な所在地
> はどこにも見つからない。命令をくだす「私」という「最高
> 司令官」神経細胞は脳にはない。運動システムには、ギル
> バート・ライルの有名な言葉で言えば「機械の中の幽霊」
> は存在しない。統一的な意志の源泉となる場や階層構造
> のトップは存在しない。運動の階層と同じように知覚の階層
> でも、物質的な「最上部」はないようだ。自己という観点から
> 見ると、私は「いま・この」私のなかにある統合された人間
> として自分を体験している。神経科学は「機械の中の幽霊」
> を発見できない。ホムンクルスも、内なる統合された「生物
> 的な魂」も見つからない。
一切の知覚は、「自己」という「統一的な場」において経験
される。痛みは、私の痛みとして「自己」という場において
経験される。それは、誰の痛みでもなく、紛れもない「私」
の痛みだ。痛みという知覚は「自己」という場に統一されて
いる。一切の知覚を統合し、統一する場がなければ、痛み
もかゆみも、寒さも暑さも、うまさもまずさも、美しい音楽も
耐え難い騒音も、私の経験とはなりえない。にもかかわらず、
入力される一切の情報を統合する「最上部」はないという
のだ。
だとすれば、入力も出力もいったいとこで統合されて、「私」
の知覚や運動になるのか。
> 心のエッセンス、意識と自意識は、物質的な脳の「部分
> の総和」を越えている。これは、非物質的な心が物質的
> な脳の多くの部分から「創発」するを意味する。生物に
> おける創発とは、階層的に編成されたシステム(有機体)
> において、複雑なそれぞれのレベルが下位のレベルとは
> 違った真に新しい特性を生み出すときに起こる。創発は
> また、予測不可能であり、階層構造の下位レベルについて
> 完璧な知識をもっていても、高位レベルでどんな特性が
> 創発されるかを予測できない。その意味で、創発された
> 特性は「部分の総和よりも大きい」。
> 創発理論のもう一つの重要概念は「制約」である。人体
> の各器官は、細胞を制約して酵素を分泌させ、人体は
> 消化器や呼吸器を制約して、生命維持に必要な機能を
> 行わせる。この関係は相互的な場合が多く、例えば肺が
> 呼吸しなければミトコンドリアの細胞呼吸を制約している
> が、ミトコンドリアは、酸素からエネルギーをつくることで、
> 肺呼吸に寄与している。
> 次に重要な概念は、非還元性、つまり創発システムに
> よって創られた総体は、単純に構成要素の特質によって
> 説明することも、構成要素に還元することも出来ないと
> いうこと。
31 :
没個性化されたレス↓:2005/06/11(土) 23:24:56
>>25 下手に警告するより他の人が議論してスルーしていったほうが
イイ(・∀・)とおもいますよ。そのうち某氏も議論に参加してコピペを
やめるかもしれないし。
ところで政治学にトラパの思想を応用してみたいのですが
なにかいい文献とかは無いでしょうかね?
創発(エマージェンス)理論が高位レベルと低位レベルとの
間に見る関係は、アーサー・ケストラーの「ホロン」理論を
思い起こさせる。
生物の進化の過程においては、確かに「創発」が生起して
いると思われるが、しかし、これは還元主義的な科学の
考え方とは相容れない。
ある種の実体が別種の実体にほかならない、椅子は分子
の集合にほかならないという「存在論的還元」は、科学の
重要な考え方でである。物質は、一般に分子の集合にほか
ならず、また身体の運動は、神経の筋の生理学に還元され
るのである。
この考え方からすれば、「心が脳の創発である」という創発
理論は、「科学ではない」とされるであろう。
> 分離脳の研究者ロジャー・スペリーは、心は物質的な脳
> から生じる創発的な現象であると主張した。心は物質的
> な脳の「部分の総和以上」のものであり、脳の肉体的な
> 限界を超えている。統合された「わたし」は脳全体の神経
> の階層構造の頂点にあり、それゆれ心は脳には還元で
> きないし、脳のような物質的な存在ではない。一方、心は
> 物質ではないが、脳に物質的現象を引き起こすことがで
> きる。したがって非物質的な心は物質的な脳との因果
> 関係をもっていて、脳を制約するとスペリーは言う。
ファインバーグは、これに対して「脳や自己の物質的な頂点
は存在しない。心が脳の頂点に現われるという考え方には
何の根拠もない」と言う。脳の活動のすべてが物理的に
「ひとつになる」ような場所は脳には存在しないからだ。
では、脳が物質で心が非物質なら、非物質である心はどの
ようにして物質である脳をコントロールするのか。
ところで、「脳が物質で心が非物質なら、非物質である心
はどのようにして物質である脳をコントロールするのか」と
いう問いに対しては、『バイブレーショナル・メディスン』の
リチャード・ガーバーが、全く違う答え方のヒントを出して
いるような気がする。
それが 「肉体/エーテル体接触面の存在」 という仮説で、
この仮説は、間接的にはかなり証明できるものと思われる。
しかし、この仮説が心脳問題についてどれだけ適用できる
かどうかは、ガーバーは一切論じていない。
36 :
31:2005/06/11(土) 23:40:56
>>34 ありがとうございます。(・∀・)
いいですね参考にしたいと思います。
今までの政治学って大半は細分化を基本としているので
どうしてもそういった還元主義の中で見落としてしまうところがあると思うのですよ
そこでまぁ何かいいヒントは無いかとトランスパーソナルの分野で探して
いるわけなんです。
他にも最近のネットワーク科学、社会ネットワーク論とかもいいですね
細分化ではなくつながりから性質を見てゆくという点ではトラパに通じる
ところがあると思います。
こうしてファインバーグは、「分割可能な脳と統合された総体
としての自己という内的な感覚との矛盾」を解き明かす、ほか
の方法を探究する。
デカルト、スペリー等が、心身二元論を唱える理由は似通
っている。統合された心、「内なるわたし」、一体性をもった
自己が、脳の分散した各部からどのように構築されるかを
説明しようとした。そして最終的には、心は物質である脳に
還元できないという結論を出した。
ファインバーグはこの心の統合という問題に、心は脳が創
り出す意味と目的の入れ子式階層構造である、というひとつ
の回答を提案した。「内なるわたし」が入れ子式の階層構造
であるために、脳の分散にもかかわらず、自己と心は主体的
に統合されたものであることができる。
ファインバーグは、心と脳を同一視できないという。その理由
は、意味、目的、そしてひととしての存在の絶対的な個別性
にある。心は主観的で個人的であり、それゆえに心と自己は
脳に還元できない。
38 :
没個性化されたレス↓:2005/06/11(土) 23:46:52
>>34 そのページ仏教やケンウィルバー的思考で社会を見ている部分も
あるけどプロ市民ちっくなルサンチマン色もあるね。。。onz
《「内なるわたし」が入れ子式の階層構造であるために、
脳の分散にもかかわらず、自己と心は主体的に統合された
ものであることができる。》というファインバーグの主張が、
明確なものであるとは思えない。
どこかに「トートロジー」が隠された主張であるような印象
を受ける。
ということで、、『バイブレーショナル・メディスン』のリチャー
ド・ガーバーの、「肉体/エーテル体接触面の存在」という
仮説のほうを推しておきたい。
この仮説は、間接的にはかなり証明でき、こういう答え方
のほうが正しいかも知れないからだ。
リチャード・ガーバーは、西洋医学と世界の代替療法や
宗教的癒しの伝統、超心理学の統合的研究にもとづいた
「エネルギー医学」による治療体系を構築し、米国における
統合医療の推進者として活動するとともに、内科医として
その革新的な知見を自身の臨床にも応用。ミシガン州
デトロイトのウェイン州立大学で代替医学の教鞭をとって
いる。
物質的身体や微細エネルギー身体を含む普遍的エネル
ギーは、その振動率、すなわち周波数 が、基質としての
発現の仕方と密度を決定している。ひじょうに低い周波数
で振動する基質は、いわゆる「物質」として発現し、超光速
で振動するものは「微細質」 となる。「物質」も「微細質」も、
周波数(波動)という観点から統一的に理解させる。
個体発生の過程で一個の受精卵から分裂した細胞は、
役割を決められてそれぞれ目的の場所へ迷わず移動する。
だが、どうやって自分の行くべき場所を見つけるのか?
それには物理学における『場』が関与しているという。まず
『場』が形成され、その鋳型に沿って発生が進むという。
それを認めると物質としての身体の他に『場』で形成された
鋳型の身体すなわち「微細エネルギー場」を認めることに
なるわけだ。
豊富な実証的なデータに基礎付けられた細部の精緻な
理論化だろう。それがもっとも成功しているのは、ホメオ
パシーの解明の部分だ。
ホメオパシーでは、薬物の濃度を水で希釈すればする
ほど、その効果が増大する。これは、通常の医学では全く
説明のつかないことだ。しかし、必要な周波数の微細エネ
ルギーを患者に供給し、身体を刺激するこ とで、共鳴に
よるエネルギー移動がおこって、バランスが回復すると
考えれば、ホメオパシーによる治癒はひじょうにうまく説明
できる。分子レベルでの粗大な性質が希釈によって切り
離され、微細エネルギーとして純粋になればなるほど、
微細エネルギー場からの治癒効果は増大する。肉体と
微細エネルギー体との不整合部(アンマッチ)が病変部
であると指摘している。
「肉体/エーテル体接触面」やエーテル体レベルを暗示する
実証的データの豊富さと、その理論の説得力は充分だと
感じる。以降、肯定的、否定的、どちらにせよ、この本を
踏まえることなしに代替医療の分野を語ることはできない。
それほどに重要な本になるだろう。
ケン・ウィルバー『アートマン・プロジェクト』、志向性から
入ろう。
> 身心ケンタウロスの内発的意志は、志向性とも呼ばれる。
> 志向性とは、意識と無意識、認識と動能の両者に通じ、
> 包含する次元である。志向性の認識的側面は、ヴィジョ
> ン・イメージと呼ばれる。そしてヴィジョン・イメージの動能
> 的側面(意志すること)が、志向性だとも言えよう。そして、
> 両者とも、ケンタウロスと呼ばれる身心の高次の統一性
> を源泉としているのである。
ヴィジョン・イメージは分かりにくいが、それはケンタウロス・
レベルの成熟した空想であり、まちがいなく言語に先んじ、
しかも前言語的ではなく、超言語的なものであるという。
> ヴィジョン・イメージは、さまざまな洞察や顕神の世界で
> あり、それは、実存的領域から超個的な領域への橋渡し
> として働く。これは、ケンタウロスのレベルだけではなく、
> より高次の諸レベルにとってもきわめて重要な認識モー
> ドであり、抽象的な観念ではなく、深層イメージと観想が
> 種々の超個的瞑想に用いられるのもそのためである。
> イメージ、シンボル、神話といったものは、精神(サイキ)
> の無責任な創造物ではない。それらは、もっと隠された
> 存在様式に光を当たるという要求に応え、またその機能
> を果たす。
ヴィジョン・イメージは、精神分析が言うような抑圧された
無意識の表現ではない。言語や論理的理性に先行し、
知的な方法では近づくことのできないもっとも深いリアリティ
の諸側面を明らかにしてくれるものである。
> フルに現在のなかに生きるという能力は、ケンタウロス
> の領域の最大の特徴であり、高度に発達したパーソナ
> リティ群の特徴である。高度に発達した存在を研究して
> きた発達心理学者たちがほぼ全員、口をそろえるように
> して「不確かさの許容と、現在のなかを強烈に生きる能力
> とが、成長のもっとも高度の段階に見られる二側面であ
> ると報告するのも驚くにあたらない。
> ただし、ケンタウロスのレベルは、超言語的ではあるが、
> 超個的なレベルではない。つまり、言語や粗い概念、
> 粗い自我を超越してはいるものの、存在自体、個的な
> 傾向、あるいは覚醒時の心理的生理的意識までは超越
> していない。通常の空間および時間形態に支配された
> 最後の段階ではあるが、そうした形態があるということ
> には変りないのである。
こうした説明を読むと、ケンタウロスのレベルとは、ロジャ
ーズなど人間性心理学の人々が「十分に機能する人間」
などの概念で指し示していた人間のあり方と、ほとんど重な
っているのに気づく。
> 超言語的、超概念的ケンタウロスこそ、ベルグソンのいう
> 「直観」やフッサールの言う「純粋直観」の本源であろう。
> ベルグソンやフッサールが、ケンタウロスよりさらに高次の
> 諸領域を見たことを否定しないが、彼らの哲学がケンタウ
> ロス特有の志向性、ヴィジョン・イメージ、直接的な知覚
> 把握といったリアリティをもっとも鮮やかに反映していると
> 感じる。
そういう視点からフッサールを読み直して見る必要がある。
> 発達心理学的な段階を追って「意識の初歩的根源」、
> 「テュポーン的自己」、「メンバーシップの自己」、「心的
> ―自我的領域」、「ケンタウロスの領域」と記述が進め
> られてきた。
> しかし、そのすべては、伝統的な心理学が「粗(グロス)
> 領域」と呼ぶものに属し、それを超えたところには微細
> (サトル)領域と元因(コーザル)領域が広がっている。
> 粗領域(仏教用語では、ニルマーナカーヤ(応身)は、
> 通常の覚醒時の意識領域であり、粗い物理的身体と
> その構築物である通常の時空間に基盤をおき、それを
> 中心に展開するあらゆるレベルからなる。
通常の時空間に属するこれまの段階をすべて「粗(グロス)
領域」=応身(おうじん)として一括し、
いよいよサトル領域やコーザル領域に突入する。
> 粗領域を超えた世界は、オーロビンドによれば次のよう
> に語られる。「ふつうの人間は、自分自身の外側、自分の
> 意識の外部にある世界と触れながら、心と諸感覚(粗い
> 身心)の中で生きている。意識が微細化すると、それは
> はるかに直接的に事物と接触するようになる。つまり、
> 事物の形や外面的影響だけでなく、それらの内部にある
> ものとも接触をもつようになる。ただし、まだその度合い
> は小さい。しかし、意識はさらに書く大することも可能で
> あり、まず世界内の広範な事物の宇宙と直接的接触を
> もちはじめ、次にはいわばそれらを内包する――自分
> 自身のなかに世界を見るといわれるように――形となり、
> ある意味でそれと同化するようになる。自己の内に万物
> をみ、万物の内に自己を見る‥‥‥これを普遍化(宇宙
> 化)という」。
> 多くの聖者たちによれば、「われわれの覚醒時の心性の
> 背後にはより上位の広範な意識の諸相があり‥‥‥われ
> われは変則的にそれを自覚することがある」のである。
> つまり、粗領域を超えた最初の段階とは、微細(サトル)
> な世界にほかならない。
いわゆる至高体験とは、上位の意識の諸相への、一時的、
変則的な接触なのである。
> 上位微細の上には元因(コーザル)界が広がっており、
> 唯識派では、阿頼耶識、キリスト教神秘主義ではプネウ
> マ、一般大乗仏教用語では、ダルマカーーヤ(法身)領域
> にあたる。
> 微細領域において、自己は元型的神格のなかに溶解
> する(禅定仏などとして)。下位元因領域に入ると、今度
> はその神格―自己が、みずからの根源であり本質である
> 最終―〈神〉のなかへの消え去る。
> 次にここ上位元因領域では、その最終神―自己が、同様
> にそれ自身の初源基盤へと還元される。〈無形性〉のなか
> へと溶け去るのである。一つ一つのステップは意識の増大
> であり、また〈自覚の強化〉であって、それは最後に一切の
> 形態が〈無形性〉の内の完全かつ根底的な解放へと回帰
> するまで続いていく。
これが元因領域である。
> 上位微細以降、時間そのものがいわば蒸発し、元因領域
> に至るとただ〈時のない永遠〉だけがある。それはひとつの
> 欠如、喪失、不在としての無時間性ではなく、時間的、空間
> 的範疇にはおさまりきらない〈光輝〉の超充満状態である。
> 正確には時間そのものが消失するのではないし――意識
> が消えて真っ暗闇になるわけでもない。それはむしろ、
> 〈超越〉状態にあって(微細および元因)、時間が永遠の
> 〈現在〉の内に解消するとともに、それ(永遠の現在)を通じ、
> またそのなかから流れつづけるということでもある。
無時間性である。
> 自己は、しだいに現行の構造と「脱同一化」して、次に
> 浮上するより高次の構造に「同一化」していく。自己は、
> その下位構造との排他専一的な同一化から離れていく
> と言ってもよい。その構造を放棄するのではなく、ただ
> それ以上その下位構造に対して排他専一的に同一化
> しなくなるのだ。
> たとえば、身体は成長の初期段階においては自己感覚
> の「全体」をなしていた(身体自我)。が、心が浮上し発達
> するとともに、身体は全的自己の単なる一側面、一部分
> となった。
> 同様に、微細(サトル)レベルが浮上するとともに、心と
> 身体は、新たな、より包括的な自己の単なる側面、
> ないし部分にすぎなくなる。
> 一つひとつの成長形式は本質的に同一で、それは超越
> の形式であり、また発達の形式でもある。潜在意識から
> 自己意識をへて超意識へとゆるやかな曲線をたどり、
> そもそもの始めからずっと存在しつづけていたあの「統一
> 性(ユニティ)」、時間のなかをすすむ魂の出発点であり、
> 終着点でありつづけてきたその「統一性」だけが残る。
> そうした地点まで、それはとどまることを知らない。
ウィルバーは、無意識をあらかじめ与えられた静的なもの
ではなく、発達するダイナミックなものととらえる観点に立
って、五つの基本的なプロセスの類型を概観する。
その五つとは、基底的無意識、古代的無意識、潜在的無
意識、埋め込まれた無意識、発現無意識である。
> 基底無意識とは、将来いつの日か、想起をとおして発現
> しうる可能性をもった潜在性として存在する深層構造の
> すべてである。身体から心(マインド)、霊(スピリット)、
> 粗(グロス)、微細(サトル)、元因(コーザル)に至るあら
> ゆる意識に付属する、全人類に与えられたすべての深層
> 構造は、基底無意識のなかに包含されている。これらの
> 構造は、無意識ではあっても抑圧されてはいない。生ま
> れてこのかたまだ意識に入ってきていないからである。
> 発達ないし進化は、深層構造の基底無意識からの階層
> 的変容もしくは開花の連続からなっている。もし、基底
> 無意識がすべて発現してしまえば、存在するのは意識
> だけである。すべてが全者として意識的になるのだ。すべ
> ての潜在性が実現された結果は、アリストテレスがいう
> ように「神」なのである。
フロイト的な無意識と抑圧の概念とは、まったく違う。むしろ、
人間の発達、進化の潜在的な可能性のすべてという意味で、
フロイト的な無意識とは逆の意味といってよい。ウィルバーの
発達理論の、文字通り「基底」となっている無意識といってよい。
> 古代的無意識は、個人的経験の所産ではない。それは、
> 祖先と同じような形で世界を経験し、また対応する素因も
> しくは潜在性なのだ。つまり古代的な深層構造である。
> それゆえ、最初から無意識的であっても、抑圧されては
> いない。それは、基底無意識から浮上するもっとも初期の
> 原始的諸構造を含んでいる。
> フロイト自身、個人的無意識と古代的無意識を区別する
> 必要があることに気づいた。クライアントの症状、夢、空想
> を分析する際、現実の過去の体験や個人的空想の所産
> であるものと、生まれてこの方、個人的に体験されたこと
> がないにもかかわらず、非人称的な古代遺産をとおして
> 意識に入ってくるものとを区別することは重要である。
> 前者は分析的に、後者は神話学的に扱うのが最良である。
フロイトが「系統発生的遺産」と読んだ古代的無意識は、
ユングがゆくゆく元型と呼ぶものに対応する。ただし、それ
らをどう理解するかは、両者でまったく意見が違うようだ。
いずれにせよ、ユングだけでなく、フロイトも、そしてウィルバ
ーもそのような無意識の存在を確認していたのである。
> 潜在的無意識とは、個人の生涯において、かつては意識
> 的であったが、現在、自覚から締め出されているものをさす。
> 抑圧された潜在的無意識とは、意識に浮上して表層構造
> をもったにもかかわらず、意識的構造と両立しないために、
> 強制的に無意識に抑圧もしくは押し戻される基底無意識の
> 側面である。抑圧された潜在的無意識の個人的側面は
> 影(シャドウ)である。
> 影が抑圧されるおもな理由の一つは、それが、自我と両立
> しえない本能的衝動を背負った古代的無意識の乗り物に
> なるからである。
ここではじめて馴染みの深い、フロイト的な意味での無意識
が登場する。それにしても、これが無意識構造のほんの一部
でしかないということに注意しよう。そして、無意識の類型が、
全体としてウィルバーの理論にどのように構造的なかかわりを
もっているかを理解することが大切だ。
> 身体を所有していることを悟った瞬間、子どもはもはや
> 単なる身体ではなくなる。自分の身体を自覚し、超越し、
> 心をもってそれを見つめ、単なる身体ではありえない。
> 同様に、大人は自分が心をもっていることを悟った時点
> で、単なる心ではなくなる。心を超えた微細領域から心
> を知覚しはじめるのだ。それらの時点に達する以前は、
> 自己は、それらの構造と独占的に同一化していたため、
> それらを自覚できなかったのだ。自己がそれらの構造
> を見ることができなかったのは、自己がそれらの構造だ
> ったからである。言い換えれば、発達の各レベルにおい
> て、人は「見る当体」をまったく見ることができない。観察
> する構造は、観察している自分自身を決して観察するこ
> とができない。
これが埋め込まれた無意識である。
少なくとも、ヴィパッサナー瞑想で、つねに自分のこころの
働きに自覚的であるとするなら、「心」への無意識的な同一
化から脱する度合いが深まるのだ。
> 自己が、言語的な心の構造と独占的に同一化している
> 限り、その構造を自覚できない。同一化を壊さないうちは、
> それを自覚できないというのが、排他専一的な同一化の
> 性質である。つまり、すべての排他的専一的同一化は、
> 無意識的な同一化なのである。これが「埋め込まれた
> 無意識」の意味である。
> たとえば、フロイトのいう超自我は、「埋め込まれた無意識」
> の一例である。それは自己として埋め込まれているために、
> 自己はそれを全面的に見ることも、正確に見ることもでき
> ない。それは無意識的ではあるが抑圧されていない。
> それは抑圧するものであり、他の要素を無意識に送り込み
> ながら、自らは本質的に無意識にとどまる。
言語的な心、つまり思考によって成立するわれわれの心。
たとえば、小学生の低学年なら、おそらくそうした心に排他
的専一的に同一化しているだろう。そういう自分を相対化
して見ることはほとんどありえないだろう。しかし、思春期と
なると話は別だ。自分を客観的に見つめる心が芽生える。
自意識が芽生える。しかしそれは、他者の目を気にし、他者
の目から自分を客観視しているだけかもしれない。
通常の大人が、たとえば怒り来るって相手をののしってい
るときは、自己に専一的に同一化し、怒り狂う自分を客観的
に眺める視点は、おそらくないはずだ。しかし、しばらくして
落ち着いてあのときの自分を振り返るとき、自己を見つめる
もう一つの自己がある。怒った自己に自覚的である。
では、言語によって自己中心的な思考を続ける心をたえず
客観視する視点を持ち続けるとどうなるだろう。そんなときに
こそ、自己は構造的に、心への排他的専一的な同一化を
脱しつつあるのかもしれない。
> たとえば、プレローマから身体自我、心的自我へと進化
> した人の場合、以前として基底無意識のなかには、微細、
> 元因領域の深層構造が存在する。発達サイクルのいか
> なる時点であれ、基底無意識からまだ浮上していない
> これらの深層構造は、発現無意識と呼ばれる。自我の
> レベルにいる者にとって、下位微細、上位微細、下位元因、
> 上位元因は発現無意識である。それらは無意識的では
> あるが、生まれてこのかた抑圧されたことはない。
> 微細・元因の発現無意識は、古代無意識といくつかの
> 共通点を持つが、両者の違いは、古代無意識が人類の
> 過去であるのに対し、発現無意識は、人類の未来である
> ということである。
これが最後の発現無意識である。
> 大半の瞑想や無意識に関する説明には、発達論的ない
> し進化論的関心が欠如している。つまり瞑想を、むりやり
> 無意識のなかに入り込んで、抑圧されたいやな事態を
> 逆転させる方法とみなす。しかしこれは瞑想にとって二義
> 的な問題である。
> 本来の瞑想とは、唯一の統一が存在するようになるまで、
> あらゆる潜在的可能性の実現に向けて、またあらゆる
> 基底無意識が意識として開花する時点に向かって、次々
> により高い秩序をもった統一が自然の流れにしたがって
> 花開く開花である。
> 瞑想とは、進化であり、超個的な領域へ向かっての変容
> である。超個的な領域は、実は発現無意識の一部であり、
> 瞑想はその発現を単に加速するにすぎない。
瞑想には、確かに個人的な抑圧を開放する機能があるが、
それは瞑想にとって本質的な働きではない。
基底無意識は、発現無意識とほぼ同じ文脈で使われてい
る。おそらく同じ事態を基底という面から見るか、それが
発現するという展開の面から見るかの違いだろう。
いずれにせよ、それらは抑圧された無意識ではない。
抑圧されたものの解放ではなく、もともと基底にあったもの
の発現、開花と言う側面こそが、瞑想にとって本質的なのだ。
そして、それは成長であり、進化でもある。
瞑想は進化を飛躍的に加速する。
57 :
没個性化されたレス↓:2005/06/12(日) 01:30:21
名にこれ、、
また長岡技術工芸大学かなんかの教授(S.H.だっけ?)の日記コピペ>?
リン・マクタガート『フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』
では、これまでばらばらに進んでいた科学上の研究を、
整合性のある全体にまとめることで、神秘主義、代替医療
などで語られてきた世界観に科学的な妥当性を与える
試みである。
量子物理学のいくつかの方程式で、つねに差し引きゼロ
として無視されてきた項、それはゼロ・ポイント・フィールド
と呼ばれ、モノとモノのあいだの空間における微妙な振動
の海であった。もし、物質のもっとも基本的な性質に、この
ゼロ・ポイント・フィールドを含めて考えるならば、私たちの
宇宙の奥底に存在するのは、エネルギーに満ちた海、
巨大な量子場だと理解した科学者たちがいた。
量子物理学者ならだれでも、ゼロ・ポイント・フィールドに
ついて十分承知している。不確定性原理によれば、いか
なる粒子もまったくの静止状態に止まることはなく、あら
ゆる原子内物質と相互作用をしつづける基底状態のエネル
ギー場(フィールド)によって、つねに運動状態にあること
が示唆される。このことは、宇宙の基本的な構造が、既知
の物理法則によっても消すことのできない、量子場の海
であることを意味している。
59 :
没個性化されたレス↓:2005/06/12(日) 01:49:02
彼らが提供した証拠は、私たちすべてが、その存在の基盤
において、たがいにも、世界とも結びついていることを示して
いた。彼らは科学的な実験を通して、宇宙全体を流れる生命
力のようなもの(集合的無意識)が存在する可能性を示した。
ゼロ・ポイント・フィールドの存在は、宇宙のあらゆる物質が
波動によって相互に結びついており、その波動は時間と空間
を超えて無限の彼方にまで広がり、宇宙のある部分をそれ
以外のすべての部分と結びつけていることを暗示していた。
ゼロ・ポイント・フィールドはもしかすると、中国で古代からエネ
ルギー場に似たものとして記述される生命の力、すなわち
「気」などを、科学的に説明しているだけなのかもしれない。
ゲリー・シュワルツ(現、米国アリゾナ州立大学の心理学、
神経学、精神医学教授)の「シュワルツの仮説」によると、
「私たちの住むこの世界は様々なシステムにより構成され
ており、それらすべてのシステムは、なんらかの情報を発
したり受け取ったりしている。その情報のやり取りのなかで、
システムに記憶が宿る」
もしかしたら、ここでいう情報の発信と受信、とくに情報の
記憶を可能にしているのがゼロ・ポイント・フィールドなのか
も知れない。
ウィルバーは、それまで多くの心理学の学派が入り乱れて
いたところに、ある種の全体的な見取り図を提供した。その
理論の中心に位置するのが「意識のスペクトル」である。
彼の意識のスペクトル理論の特徴は、さまざまな宗教や
心理学の理論を部分真理を語るものとしてとらえ、それぞれ
の部分を折衷的に足し合わせて人間のこころの階層構造
的な全体像を浮かび上がらせたということである。
『アートマン・プロジェクト』は、発達心理学的な見地から
「意識のスペクトル」を捉えなおしている。様々な思想流派
が語るところを部分真理とみなして、それらを総合し、全体
的な見取り図を描くという方法は、ここでも見事に生かされ
ており、とくに超個や超意識の領域でのその成果は、瞑想
に関心を持つものが、からなず参照しておく必要があるもの
と感じた。
「超個や超意識の領域は、実際に、いくつかの異なったレ
ベルに別れている(下位微細と上位微細、下位元因と
上位元因など)。これらの区別をすべて自覚している宗教
はほとんどなく、だいたいは一つか二つのレベルを「専門」
とする。」
もし、上に述べられたことが事実で、個々の瞑想の流派が、
ある特定のレベルに対応するのだとすれば、ウィルバーの
見取り図を文字通り受け止めるのではないにせよ、それを
参考にすることは計り知れない意味をもつ。いままでは全体
の「見取り図」すらなかったのだから、そこに説得力のある
「見取り図」が導入されたことが、森の中の歩行に迷う私たち
にどれほどに大きな援助となることか。
63 :
没個性化されたレス↓:2005/06/12(日) 02:04:09
>某氏
頼むから隔離スレに言ってください。
あっちならスレが落ちない限りコピペ出来る趣旨なのだからさ。
あんたはコピペ発言をするあるかもしれないが、俺らは
あんたの発言を見て不愉快になりたくないんだ。
64 :
没個性化されたレス↓:2005/06/12(日) 02:39:40
トラパは具体的問題解決に役立ちます。
66 :
没個性化されたレス↓:2005/06/12(日) 09:01:12
主客合一
「認知療法と臨床仏教カウンセリングとの相違性」
http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-rinbutu2/fl-rinshouzen/rinshouzen-ku.htm 認知療法と仏教、禅は、苦の原因・構造、治癒の方針が
類似している。しかし、相違点も多い。仏教は深さが異なる。
ここでは、相違点を簡単に記しておく。
仏教のさらに深い「中道」の修行のレベルになると、「認知
のゆがみ」を治す技法とは、相当大きな相違があるであろ
う。認知療法の専門家であっても、それだけでは、禅、仏教
の指導者になることはできないであろう。認知的技法も
行動的技法も、この前の段階とは異なるものが用いられる。
菩薩や仏のレベル以降になると、ほとんど類似性はないと
いうことになるだろう。そこでは、自己を残して言葉で対象的
に思考される方法ではない直覚で真の自己を悟る。見性
体験だけではない。見性体験したといっても、それだけでは、
微細なエゴイズムは残り、また、他者を救うことができるわけ
ではない。他者の苦悩を知り、救う方便を修習する。仏教の
修行はまだ続く。
結局、似ているのは、「心の病気」になる原因、構造、その
治療技法の段階である。臨床心理学やカウンセリングの
段階であろう。特に、宗教的な苦悩は認知療法では扱うこと
は困難であろう。
そもそも、宗教的な苦悩ってのは、治療対象じゃないでしょ。
トランスパーソナル心理学って心理学って言う名前では有るけど
内容的には総合的な思想だよね
「現代日本の仏教=課題」
http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-rinbutu1/fl-nihonzen/gendaizen-mondai.htm 仏教や禅で、現代人の問題が解決するはずがないと思う
人も多いであろう。それは、無理もない。従来、日本の禅や
仏教(実践も学問も)は、心理療法(病理臨床の領域)および、
種々のカウンセリング(成長、社会貢献の領域)に貢献でき
る部分を十分に研究、実践してこなかった。
道元禅師は、この段階のことも、体系的に整理せず、各所に
断片的に説いている。道元の研究も、これからであり、苦の
解決のための臨床的な仏教、心の病気のような病理的な苦
の治療のための臨床的な禅、および、健常者の問題解決・
成長のためのカウンセリング的な禅の研究は、日本では全く
未開拓であり、今後の研究と実証的な応用はこれからのこと
である。欧米では、医学や臨床心理学の分野への禅の活用
は、やや、先行しているので、日本は、今後、輸入するので
あろうか。禅や仏教のある日本であるのに残念なことである。
現代の禅や仏教は、坐禅(固定観念などの修習を含む)の
心理療法の側面が見捨てられてきた。それを、仏教の専門家
ではない欧米の精神科医、心理療法家が抽出してきている。
日本でも、仏教学者ではない精神科医の安藤治氏が拾おう
としている。
ジョン・カバット・ジン氏の日本版の「禅セルフカウンセリング」
の動きもある。これも、禅僧、仏教学者、禅学者ではない人が
中心となって推進しようとしている。有田秀穂教授(東邦大学
医学部)のセロトニン神経の活性化と坐禅の関係の研究も、
仏教学者ではなく、医学者からの、坐禅の意義の証明の研究
である。腹式呼吸法は、医学の現場で用いられている事例が
散見される。
心理療法の宝を、教団も学者も注目しなかったが、認知行動
療法との類似性もあって、禅のカウンセリングの側面は、これ
から、仏教学者ではなくて、他の分野(医学や心理学)の人たち
が、研究していくであろう。
欧米では、禅や瞑想を心理療法や心身症医学に応用する
研究が熱心に行われてきたのに、日本では、全くといってよい
ほど、研究されてこなかったのは、精神科医、花園大学教授、
トランスパーソナル心理学/精神医学会代表の安藤治氏の
証言である。
「瞑想を応用した心理療法=欧米の新しい潮流」
http://www.geocities.jp/bukkyoucouncelling/fl-rinbutu2/oubei-andou.htm 禅や瞑想の心理療法への貢献について、安藤治氏(花園
大学教授、精神科医)によって、豊かな内容が報告されて
いる。
安藤氏は、仏教、釈尊の教え、釈尊の座禅や瞑想について
語っているに違いない。現代の坐禅は、その大切なものを
見失ったが、釈尊の仏教や釈尊の坐禅には、慈しみや、
苦のカウンセリングの智慧が含まれていた。それを再発掘
すべきである。それを教えてくれるのが安藤氏の慈悲である。
これが、現代人の心理療法にも応用できるのである。欧米
の精神科医、心理療法家は、正しく、そこを見てきたのであ
る。そこを日本の僧侶も学者も見過ごしてきたのである。
心理療法の好きな人々は、心理学を専攻する。その人たち
は坐禅が好きではない。心理療法と坐禅の二つを好きになる
人が日本には極端に少ない。ここに、日本の問題がある。
坐禅や瞑想のすぐれた意義を熱く語る安藤氏の言葉が多い
のであるが、先を急ぐことにして、今回は、これだけにとどめる。
(なお、安藤氏の本書には、仏教のそのような部分を応用した、
日本での心理療法については記載がない。日本では今後の
課題としてある。紹介されているのは、みな、欧米の例である。)
日本の西洋科学への賞賛やその結果は、しばしば西洋の
それらを超えたものを生み出しており、またそれと同じように、
多くの西洋人が日本人以上に日本やアジアの文化のなかに
ある深い哲学や瞑想実践などに尊敬の念を示しているの
です。
科学に熱い視線を寄せる日本の人々は、しばしば科学と
瞑想は相容れないものと考えますが、それは誤った姿勢の
ように思えます。現代、非常に数多くの西洋人が日本そして
アジアのもっとも重要な世界への貢献として瞑想やそれに
関連したさまざまな哲学的理解に注目しているのです。
たとえば、禅は、他の瞑想実践と並んで、西洋の人々や
西洋の文化、学問に深い影響を与えており、熱心に研究
する価値のある対象とみなされてきました。ここ20年間の
間に、1000を超えるほどの科学的文献が公にされ、その
心理学的、身体的効果とともに、多くの心理学的、身体的、
生化学的作用が探求されてきました。
そして、トランスパーソナル精神医学やトランスパーソナル
心理学のような新しい研究分野が現れ、瞑想的な諸実践
から生じる重要な体験の意味についての研究が盛んに
なされるようになってきています。
しかし、驚くべきことには、こうした研究は日本ではほとんど
なされておらず、いままでの有意義な成果も日本の学者
たちにはほとんど知られないままになっているのが現状
です。それゆえ、瞑想研究の豊かな成果を日本の学者たち
の手元に届けることで、必ずや重要な貢献をなすにちがい
ありません。
著者、安藤治博士は、このような本を著すのに最適の
人物です。彼はまた、私とともに、米国で一年余りの間、
トランスパーソナル精神医学、として瞑想研究に従事して
きました。加えて、安藤博士はまた、瞑想研究にとっては
かけがえのないものとしてますます強く認識されるように
なってきた、重要な資質をも有しています。と言うのも、
安藤博士は彼自身が瞑想を実践している方だからです。
この領域においては、科学者でありながら、実践家でも
あることが大変に重要なのであり、西洋にもたらされた
瞑想というすばらしい贈り物のために、日本からの計り知れ
ない恩恵に、西洋の科学、文化が少しでも報いることが
できればと願っています。
ロジャー・ウォルシュ
(カリフォルニア大学アーヴァイン校
精神医学/人間行動学教室、精神医学・人類学教授、
日本トランスパーソナル心理学/精神医学会顧問)
「時々ではあったが、外来診療の折に、瞑想、いわゆる
新々宗教と言われるところで、ある種の宗教的実践を
行った人たちが多かったように思うが、によって精神的
に不安定になり、精神科の扉をたたく人たちに出会う
ようになった。彼らのなかには、精神病とは判断できない
人々、伝統的な精神医学の枠内では理解できない人々
にも出会った。
それまでは、仕事とは異質のものと捉えて、完全に切り
離して考えていた。そうした関心や体験は、生き方に
大きな影響を与えるものではあったが、それは個人的な
問題であって、仕事とは関係がない。いやむしろ、それら
を仕事のなかに少しでも持ち込んでしまうことは許され
ないことだと考えていた。
だが、トランスパーソナル心理学に出会って、その考え方
は変化した。決して精神医学とは無関係ではないという
こと、むしろそれを知ることによってこそ精神医学の幅を
広げることができるのではないか、ということを強く主張
していたからである。」
安藤治
『私を変えた「聖なる体験」』
安藤治
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393361105/ 人生のゆらぎの時に突然起こる不思議な体験、それには
どんな意味があるのか。人をどう変えるのか。
深くて大きな愛の体験、クンダリニーの覚醒、至高体験、
神秘体験、瞑想の精神医学的研究で高い評価を受けた
精神科医が自ら聞き取った興味深い実例の報告と考察。
この一種オカルト的な内容が不思議に思えないところが
不思議です。多分誰にでも、そういえば・・と思える、科学
や言葉では説明できない体験があるのではないでしょうか?
自分はおかしくなってしまったのか?と思われるような体験
が実は、誰にでも起こり得るものなのだとわかります。
安藤治氏も、わかってる人だということだ。ユング、ラムダス、
ケンウェルパーなど、トランスパーソナルを理解する上では
外せないところもしっかりと押さえてある。
『瞑想とユング心理学』
オダージンク 湯浅泰雄、是恒正達、安藤治(翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4422111930/ 瞑想のとき、内的世界には一体なにが起こっているのか。
独自の瞑想コンプレックスの概念を駆使し、西洋の錬金術
の伝統、ユング心理学から、東洋の瞑想的伝統、禅へと
繋げる。ユング心理学の知見をもとに、瞑想のプロセスと
その心理的体験がはじめて明らかにされる。
フロイトもユングも、瞑想と接点があったことは、瞑想の
精神医学にも書いてある。
やっぱり、実践なり体験なりをほんとにしてしまうと、ユング
的な思考を抜かすことはできないということだ。どうしたって
最初にユングにぶち当たることになる。そこを抜かすことは
できそうにない。なぜならユングは内的世界の西洋心理学、
そのコア、インターフェイスにあたる位置だからだ。そこでは
ウィルバーを越えているところもある。ユングが説明可能に
した、その文化的貢献は、やはり大きいと感じる。それに
よって成立している部分が大きい。必ず通過することになる
はずなので、そういう要素を否定しているということは、
よほど思弁的で部分的だと想像できる。
ユングがわからないと、ほんとうの人間の心理は永遠に
わかることがないだろう。
はっきりいって、ユング的なことは時代に関わらず、
誰にでも起こりえる。何度でも起こりえる。
ユングがあれば理解できるようになる。
人間の心理というのは、そもそもオカルトそのものだ。
S.H.氏のHPって何処?もしこの連続コピペ嵐が引用しているサイト
が分かってそこに連絡すれば、奴はコピペできなくなるじゃん
こんなところに勝手大量にコピペされていちゃぁ相手も2ちゃん側に
言ってIP割り出しとかしてもらえるでしょ?
もし、研究者とかどっかのHPの管理人本人がコピペしているのならば
祭り確定だし。
わざわざコピペ用のスレッドがあるのにここに執拗に書き込んでくる
なんてただこのスレッドを荒らしたいか、トラパが嫌いで妨害したいか
コピペ元が嫌いかのどちらかなんでしょ
たとえば脳と心の関係という古くからの問題について、
かつて脳生理学者は、脳内部のどこかに記憶が保存され
ているのではないかと考え、その場所(エングラム)を
突きとめようとしたが、この努力は成功しなかった。ペン
フィールドやエックルスは晩年、心は脳とは別の存在と
考えるべきではないか、という見方に至った。心理学から
いえば、記憶とは無意識の問題である。
一般にはあまり知られていないが、ベルクソンやユングは、
この問題は心(意識―無意識)の側からもアプローチできる
問題だと考えていた。ここで彼らの意見の詳細に立ち入る
のは避けるが、ベルクソンは、脳は身体行動に必要な記憶
を選別して無意識から引き出すスイッチのような役目をして
いる、と考えている。記憶の全体を構成する無意識の心的
領域それ自体は、本来脳から独立したものと考えるべきで
ある、というのが彼の主張である。
ユングは、先にふれたように超常現象を考慮に入れて、
集合的無意識の次元における心のはたらきは「超光速」
の強度をもつ、と考えていた。
彼はこう言っている。
『心そのものは延長のない強度(unextended intensity)
であって、時間とともに動く身体(に付随したもの)と考え
るべきではないでしょう。心は(身体における)小さな
広がりからしだいに無限の強度まで上昇してゆくもので
あって、たとえば光の速度をこえて、身体(の条件)を
無視してしまいます。……こういった説明は非常に思弁
的なもので、とても認められないでしょう。しかし超常
現象というものも同様にまったく奇妙なもので、異常な
ハイジャンプを必要とします。……こういう見地から見る
と、脳は変換所のようなもので、そこでは、心それ自体
のもつ無限な張力ないし強度が、知覚できる振動数、
つまり(身体の)“広がり”にまで変換される、というわけ
です。逆に、(体外離脱のような)身体の内面的知覚が
消えてゆく場合は、徐々に起こる“心化”(psychification)
によるもの、つまり延長を犠牲にした強度(の増加)と
説明されるでしょう。』
86 :
著者:2005/06/13(月) 00:39:27
メールをいただいてこのトピを覗きに来ました。
とりあえず、今回は無断転載の警告だけに留めますが、
これが無視された場合、出版社と協議の上で
しかるべき法的手段をとりたいと思います。
87 :
没個性化されたレス↓:2005/06/13(月) 02:26:44
>>86 おお ありがとうございます
本人に警告してもらうに勝るものは無いですな
あぁもっと早くから講じておくべきだったね
特定の著者というよりブログのコピペのような・・・
89 :
没個性化されたレス↓:2005/06/13(月) 20:05:13
心々循環の活動は、固定された物理的空間・時間の
なかでのみでしか実証できない科学では捉えきれない。
これが霊性という一定の宗教的・神秘的な価値判断を
含むことは事実で、まだまだ試行的な段階のものでもある
ことも事実だろう。一般的に広くは受け入れにくくて当然の
もので、多くの人が今、これだけにことさらこだわることも
無理があることだろう。
科学もまた、人それぞれに捉え方の違いがあるもので、
それはそれで、そこに神秘やロマンを見出すこともできる。
科学の方法論が有効な領域は広いし、科学が多くの、
共有できる真実を発見してきたことも事実だ。
ようはそれを行う人の人間性、存在や意識の持ちようが
すべてであり、これだけが神秘だとか、これだけがロマン
だとか、本来、なんとか主義のような、そのようなある立場
なり営みだけに限定されるものではないものだ。科学もまた、
宇宙や世界の神秘を取り扱っていると見ることもできるし、
そこに霊的な行為を見出すこともできるものだ。重なり合う
ところは多いはずなのだ。
こういうことを認めなかったり理解しない人であっても、その
人なりの感受性で、科学に神秘を見出している人はいるし、
その人が霊的に高い存在であることもあるだろう。見かけや
形式だけでは判断できない。
それが理解されればいずれ、これもまた知のひとつのあり
かたなのであると、広く自然な理解がされていくことになる
ことだろう。そういう多くの人が注目するような時期がきたら
きたでのことで、自然の流れで受け入れられることだ。
ということで、万人が科学だけにこだわることがないように、
これもまた、万人がことさらこだわることはない。それぞれ
関心や経験の違いというものがあり、経験したことがない人
や、それを積極的には望まない人もいるだろう。一般的に
広くは受け入れられていない以上、多くの場合、横道に
それることさえあるかもしれない。それはそれで大いに理解
できることだ。それもまた、自然な流れで受け入れられる
ものへと成熟したとき、受け入れられることがあるかもしれ
ない、と考えればいいのだ。ことさらこだわっても仕方ない
のだ。
芸術や文学や宗教など、現代ではそこですら他と文化的に
無関係とはいかず、その本来性なり本質を見失った、顕著な
思弁的形式化や合理主義的表層化、そうした衰退という現状
を見出すことはあっても、もともとはそこに、その表現としての
肥沃な土壌があり、精神活動を生かす十分な素地がある
はずなのだ。そういったもののある種のものには本物の体験
にインスピレーションを受けたものも少なくなく見出すことが
できる。そういうものすら、もはや表面的な技巧だけが注目
され評価されがちで、なかなか生きたものとして浮上してこない
のが現状だが、それが本物であるなら、人の心を打つことは
できる。そういう感受性を深めることが必要だと思えるのだ。
それを自ら体現できるようになったとき、自ずからそれは
広く理解されることもあるだろう。ということで、ここにはもう
こないのである。
オーストラリアの研究者達は、76人のチベットの僧侶達
を対象に、「錯視の実験」をおこなった。
まず、それぞれの目に対して競合するイメージが提示され
る「視野闘争」の実験において、単一の物や考えに対して
その注意のすべてを振り向ける、「1ポイント瞑想」の技術
を習得した僧侶達は、この切り換えを減速させ、さらには
完全に停止させることさえもできた、と報告している。一人
は5分間にわたって抵抗することができた。
また、渦巻ドットのパターンの中である静止したドットを、
同じ画像中の他の静止したドットが見えなく感じられるまで
見つめる、「動きに誘発された盲目」の実験では、普通は
わずか2.6秒しか維持できないが、僧侶達の場合、平均
4.1秒間、最も経験豊富な瞑想者達は12分間以上に
わたってその状態を維持した。
なおこれは最近の「Nature」の記事である。
『意識の再編―宗教・科学・芸術の統一理論を求めて』
最後にこの本だけ紹介しておきたい。渡辺久義という
京大名誉教授の方で、英文学が専門の方である。
この本は、ダーウィニズムなど、科学主義を批判し、ただ
排除するのではなく、その対象領域がいかに限られている
かを明確にし、そこに価値観を扱う人文学が明らかにしよ
うとする世界観のベースを提供してくれる。
デヴィッド・ボーム、アーサー・ケストラー、『キリンの首』の
フランシス・ヒッチング、ベルクソン、ラヴジョイ、ウィルバー、
エックルス、シュタイナー、気功など広範に取り上げられて
おり、はっきりいってこの方は、かなりこの面に「通じている」
人だと思われる。とくに進化論に力を入れているところが、
かなり意欲的だと思われる。
この方は1996年にアメリカで起こった進化論運動である
「インテリジェントデザイナー(ID)論」を日本に広める、その
第一人者になるかもしれない。なぜなら、日本にその学会
を設立することを計画しており、また、海外の文献を勉強
中で、その翻訳をするつもりだというからだ。
ということでもうこない。たまたま情報が入っただけだ。
フリードリッヒ・ニーチェ 『キリスト教は邪教です!』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062723123/ ・本来の神の姿をゆがめたキリスト教/キリスト教が破壊
したローマ帝国/十字軍は海賊/「原罪」にダマされた
哲学者たち/「進歩主義」は間違った思い込み/多様な
文化を認めないキリスト教徒/キリスト教は「引きこもり」
/平気でウソをつく人たち/ウソばっかりで二〇〇〇年
/イエスとキリスト教は無関係
・仏教の素晴らしいところ
『西洋の価値体系を徹底批判』
松原隆一郎(東大教授)
『憎悪の宗教―ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる憎悪」』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896918797/ 東大インド哲学博士課程修了。文学博士。
「敵を愛せ」、愛する以前に敵が存在する。「左の頬も差し
出せ」、相手に罪を重ねさせる。イエスの「平和ではなく、
つるぎを投げ込むためにきた」という発言。それらはみな、
ユダヤ・キリスト・イスラム、自分のまわりに「敵」を認める、
砂漠という厳しい環境で生まれた一神教、「ヤルダバオトの
宗教」に共通する特徴なのだ。
ヤルダバオト、それはグノーシスにおいて、唯一創造神を
詐称する不完全な存在、旧約聖書の人格神だ。その神は
妬む、試す、裁く。当時のローマの知識人の目から見ても、
迷信で有害な教えに見えたという証言もちゃんとある。
異端とされたグノーシスの方が、よっぽど現代的で理性的
に見える。
知識それのみでは、単なるエゴしか生まない。それは最後
まで『あなた本人だけを助ける』のがその動機であるべきだ。
誰かのため、人々のため、組織のため、というふうにすり
替えることはできない。そういうものが、これまでに幾多の
宗教戦争を生み出したからだ。世界でもっともその回数の
多い宗教は、キリスト教とイスラム教だ。それはこの宗派が、
個人の成熟よりも、「組織的な団結力や他人への影響力や
強引な愛」を押し付けた結果だった。それらはルサンチマンが
強烈で、復讐を好む「憎悪の宗教」である。信仰する人間は
平和を愛すと考えがちだが、宗教戦争がいかに多いかを
知っておくべきだ。
キリスト教も一見「愛の宗教」のようだが、仏教の無際限の
慈悲ではなく、「聖なる憎悪」を隠しもつ。十字軍、異端排斥
に魔女狩り、スペインのインディオの大虐殺、ローマ教皇の
ナチス・ユダヤ人虐殺黙認、北アイルランドのカソリックと
プロテスタントの抗争、そしてイスラム教のタリバンによる
仏像破壊。互いが嫌悪や排斥をしあっている。聖なる憎悪、
それは一神教にあまねく認められる、排除の原理なのだ。
精神には二つのかたちがあるのかもしれない。
異質なものを排除する精神と、
異質なものをも取り込んでゆく精神だ。
唯一神しか認めない一神教と、
空において多くの神々が共存する多神教だ。
矛盾をたくさん抱えているのに、たまたま普及してしまった
宗教。それをどう理性的に納得するかという問題が生まれ、
そのために複雑でアクロバティックな教理を構築し、一大
文化遺産というべきものにまで発展してしまった宗教。
人は、自身に欠陥があることを知り、それを認めたとき、
初めて他者に対して寛容になれる。
著者は、宗教の「欠点」を指摘することで、
彼らに「寛容」になってもらいたかった。
だからこそ、あえてこうまでしたのだ。
<完>
こういうものは議論したり絶対視するというより、おおまか
な「西欧近代思想や唯物論を超えるパラダイム」がありつつ、
それに同意なり共感する人たちが、個人個人で体験なり
実践なりをして、それぞれおのおのがさまざまな別々の道を
辿りながら、個人個人で理解した範囲において、文学的・
芸術的・宗教的な表現をしていくことが向いていると思える
ことだ。
そういう場を確保していくことは、癒しにおいてはホリステ
ィック医学、進化論においてはインテリジェントデザイン論、
こうしたものも、前からあったシェルドレイクなどに始まる
ニューサイエンスの流れが、いよいよ本格化してきただけ
だと捉えられるが、とにかくこれまで見てきたように、これか
らいろいろな方面において、噴出するかのように表面化し
てくることになるだろう。
それは少なくとも時代の傍流としては、そこにおいて統合
へと向かう、「ルネッサンス」のような現象として起こりつつ
あると捉えることができる。そういう文化的運動として捉え
れば、トランスパーソナルに限らず、どれも同じ時代のひと
つの細々とした流れを、同じ共通した「気分」として把握する
ことができることがわかることだろう。
自分は、表現者が表現において表現の自由を訴えるような
その意味以上に、直接は社会と結びつけるものではない。
それほどごく個人主義的であるべきといえるし、そこからの
個性化なり脱個人性なりというのが、こういうものの基本だと
考えている。そういう意味では、社会性は社会性としてまっ
たく関係ないものだ。こういう不寛容な、集団主義的な掲示板
での議論には、まったく向いていない。まずは、こういうもの
に適した場所において、語られていくことになるだろう。
日本はこれまで、ほんとうの文化の多様性ということについ
て、あまりにも免疫が足りなかった、といえるだろう。しかし
ながらアメリカに比べれば、一神教の原理主義のようなもの
はきわめて少数派なのであり、人文学などでは、その面での、
やたら面倒なだけの一神教的な文化的なハードルがある
わけではない。ただ、その反面ともいえる、科学主義信仰の
ほうが逆に根強いだけなのだ。つまりこと日本においては、
ただただ、その思い込みすぎていた科学主義の部分を、
ちょっとバランスよく緩めるだけで、禅や仏教など、瞑想的
な伝統への移行自体は、受け取る準備のある人には、
比較的容易にスムーズにいく日本人が実のところほとんど
なのだ。これほどほんとうの意味で、いい意味で、無宗教の
多い先進国はなかなかない。ただ、現世利益的な民間
信仰が、科学主義に対して投影されすぎているだけなのだ。
はっきりいって、それをうまく緩めて、思い込みを解除し、
ちょっとした空間を確保するだけでいい。
109 :
没個性化されたレス↓:2005/06/18(土) 12:39:21
スレ主が全然書き込まないから荒らされるんだと思われ。
110 :
没個性化されたレス↓:2005/06/18(土) 12:56:35
トラパ支持者の頭がいかにおかしいのかよくわかるから、このスレはたいへん有益。
もっとも、ここで説得するつもりはない。
そういう意味では、前スレを心理学板に立てたのは間違
いだったと今では思っている。癒し板にもトランスパーソ
ナルスレはある。他なら、こうまでは煩くなかっただろう。
それだけ、ここの文脈とは相性が悪い、ということになる。
心と宗教板を見れば、禅も仏教もある。また別に神社仏閣
板というのもある。組織宗教を無条件で肯定するものでは
ないが、本当の日本は、それだけ本来、多神教的で豊富な
風土をもっている。それを知ることが大切だし、日本各地に
観光をすれば、おのずから見る目も変わってくる。
そうした豊富な宗教板の「心理学バージョン」としてここと
比較して見てしまうと、ここはあまりにもバランスが悪く、
排除的だということがわかってしまう。ヒルマンのいう一神教
心理学だけが、あまりに幅を利かせすぎて、それがほかに
対してあまりに狭量な態度しか取れなくなっているのが、
問題といえる。宗教に多神教が現れているように、心理学
にもそれに対応して、多神教心理学があるだけだと、本来
ならそう、共存することができるものだ。
>>111 トランスパーソナル心理学を排除しているんじゃないよ。
あなたのようなおかしな人がいることが迷惑だと思っているだけ。
俺はトランスパーソナル心理学が好きなので、
はっきり言ってあなたのような人間の存在は迷惑。
113 :
没個性化されたレス↓:2005/06/18(土) 13:13:18
>>111 トランスパーソナル心理学の最大の問題点はね、
トランスパーソナル心理学自体の問題よりも、
あなたのように、他人との対話スキルを持っていない人ばかりが集まって
一方的にものを言い自己満足しているということだ。
そこを肝に銘じておけ!
トランスパーソナル心理学をやっている者のほとんどは、
トランスパーソナル以前にまずはパーソナルなものからやり直せ、
という状態であることは周知の事実。
トランスパーソナル支持者は、前個を超個と勘違いしている者ばかり。
このスレでの態度を見るとよくわかる。
西洋の宗教は、本来は体験の次元にインスピレーションを
受けただろうものを、文化や経験や習慣や信念や教理の
次元で、教条的・原理主義的(利用可能性ヒューリスティク
ス)として、あらゆる事象の解釈をそれに即してそのまま文字
どおりにしか想起したり受け取れないような、そういう特殊な
体系の文化遺産となってしまっており、実践に基づく反証シス
テムのないものは、どうしてもそういうスタティックなものに
なってしまうものなのだろうが、書いてあることを字義通りに
真に受けることは、とてもおすすめできない。それを真に受け
れば真に受けるほど、なにかが逸れてきて、なにかが違って
きてもおかしくない。それほどに一神教的な独特の文体の
スタイルというものは、毒といえる副作用が大きいはずだ。
魔女狩りや原理主義が存在するのがその証拠だ。すでに育ち
の中でそれを強固に条件付けられてきてしまった人は、
ご愁傷様、としか言いようがない。無理なことだろうが、その
悪い面を、真に受けすぎないでもらうことを祈るしかない。
否定はしないが、君子危うきに近寄らず、であり、自分には
それこそが、原始仏教でいう「無記」としておきたいことだ。
それだけの歴史があるのだから、それに全面的に準拠なり
依拠して受け止めて理解してなければ間違っているのだ、
などとことさらにかまえたりするのは、厳しいようだがそういう
ものではないと思っている。
今は良くも悪くも、仏教的に表現すれば「末法の時代」かも
しれない。最初は、理論も実践も正しく伝達されている時代、
次に、理論も実践も形だけになって本質が拡散していく時代、
最後に、ついにただ理論だけが残って混乱する時代、それ
が末法の時代だ。ようするに、理論と実践が結びついていな
ければ、時間とともにそれ自体に慣れてしまい形骸化すると
いう、制度疲労やエントロピーの法則を、のちに表現したもの
だろう。
「悟った」と考えてよさそうだ。東洋的にも認められてる。
もちろん簡単ではなく、子供のころから修道院などで40年
も瞑想してきて、どういうものすごい段階を辿ってきたかが、
平明に書いてある。まったくキリスト教のバックグラウンド
だけで説明されているが、それを超えてしまい、実のところ
仏教や禅を知らずして同じプロセスをたどったという、ほと
んどありえない異例なケースになっている。しかも女性で、
力になれた師も存在しなかった。
他人に真似できるかわからないが、知っておいて損はない。
「東西の瞑想者に」と贈られているので、これが東西の
瞑想的伝統の、その橋渡しのヒントになるかもしれない。
ある段階で自己を超えて進むには、相対的な観念を捨て
なければならないところもある。聖テレサや十字架の
聖ヨハネも知っていたらしいということだが、十字架の
聖ヨハネは、当時スペインで異端審問が厳しかったため、
書くのをためらったところもあったということだ。トマス・
アクィナスも、神学大全を書き上げたがそのあと、突然
神との出会いを体験してからは一切沈黙し、断筆している。
キリスト教の文献は神学的な限界があり、体験していけ
ば、それだけ読んでも断片的で詳細な説明が欠けている
とわかるようだ。神学者でほんとうの最後の段階まではっ
きり書いているのは、エックハルトだけだ。
まず、「自己と神との合一」から始める。そうすれば、自己
が失われても神の中に失われるだけで恐怖がない。次に、
自己が神の沈黙の中に永遠に消失したとき、仏教でいう
「無我」に入り、万物と一体になる。そして最後に、「それ」
に達する。もちろんこれは神秘体験における説明だ。精神
医学の文献も調べたそうだが、このプロセスと比べられる
ものは何もなかったということだ。
ということで、これは瞑想などの修養における長いプロセス
での神秘体験でのことで、ロバーツはそれを「流れを渡る」
と表現しているが、そこにおいて宗教というのは、それに
適合する説明原理なり理論モデルの違いなのであって、
実際面では、宗教の違いにこだわるべきではない、と言え
る。その共通認識のもとに、互いに協力することが理想的
だということになる。
ということでこういうことは個人的なのでここにはあわない
し、もうこない。
「流れを渡る」には段階があり、それが宗教では、中間段階
が軽視されていたり、他の段階のものが混同されていたり、
している、そこにおそらく混乱があるということだ。似たような
ものでも、違いがあるということだ。ルートもいくつかあると
思われる。
こういうものは、あらかじめ自分のなかにある枠組なり理屈
によって理解しようとするのではなく、本物の体験者と感じら
れるものの、その体験独特のある種の論理に即して、体験
のまま受け入れ、そのストックを蓄積していくしかない。
バーナデット・ロバーツを読めばわかるが、不可知なりにも
どういうものか、体験の違いを具体的に自分の言葉で説明
できている人は、それが現時点ではわからないにせよ、
傾聴するに値するということだ。
はっきりさせたかったら、それは自分で瞑想してそこまで
体験するしかない。それがなければいくら知識が豊富でも
実際の体験者のようにはわかることができない。最初は
知識が必要であっても、最終的には体験はそれをことごと
くこえていくことになる。
よって瞑想の道は危険をともなう。既知のものにとどまって
どこにも行かないほうがよっぽど安全なことはたしかなのだ。
その安全をあるていど確保しないとその先に行けないこと
もたしかだ。その意味で最初から否定するのは違うし、
それを超える必要もある。どっちにしろ、危険はあるし、もと
もとまったく危険のない生はない。
先の先でいずれ「道のない川」を渡ることになるわけだが、
その対岸に渡るためにはどういうルートにせよその川を渡る
ことになるし、道がその川岸で終わってしまうからといって、
さらなる対岸がないわけではないのだ。
これは内面の見えない次元を語っている。そういう風に、
こういうことを「感覚的な現実」に一意に対応させて単純
かつ安易に類推して結び付けないことが大切だと思って
いる。そこまで単純じゃない。
やっぱり体験としかいいようがないそれ独特のものをもっ
たものなのであり、それについてはそれ独特の説明なり
表現しかしようがないだろう。そういう内的次元を語って
いるわけで、それに即してそのまま受け止めるしかない。
内面が一次的なものであり、外面は二次的なものだとい
っていいだろう。(普通の)精神医学や心理学とは同一線
上のものを語っているわけではないことは、なんらかの
波動がわかるひとであれば、そこは勘違いしようがない。
他人や知識に振り回されすぎないことだと思う。波動とい
ってもどういうことを指しているかわからない人にはわから
ないだろうし、それがわかってきたからといってそれだけ
ではどうということでもないのだ。そこまで体験していて、
かつその把握が適当でないかぎりは、多かれ少なかれ、
人は平面的に思い込んでいるところはあるだろうし、それ
は仕方ないことだといえる。自分も自分の体験以外は、
わかっているわけじゃない。
ウィルバーも、本の波動からして、少なくともまったく頭だけ
で書いている人ということはありえない、ことまではたしか。
ということで、ますます縁のない他人に関心がなくなって
きたので、もうここには来ない。やたら他人ばかりを気に
しすぎないことが大切だとおもう。その時間が無駄だからだ。
いろいろ読んでいるが、調べたかぎり、こういうことは哲学
においては現象学の本を一押しするような人なら、科学を
疑ったうえでの理解がある(人もいる)ということだ。そういう
人というのはそんな感じを読む文章から明らかににおわせ
ている。
また、西洋哲学の体裁としては、禅の純粋経験にもとづく
西田哲学などの京都学派、というのがある。
というより、もっと宗教の伝統に当たっておいて損はない。
原始仏教、中観や唯識の大乗仏教、インド思想・ヴェーダ
ーンタ、チベット仏教、中国や日本の禅仏教など。
伝統医学としては、アーユルヴェーダやヨーガなどのインド
医学、チベット医学、気功や鍼灸などの中国医学、それを
引き継いだ日本の漢方医学など、
とにかく「世界」を広くとることが大切だ。
「汝の自己から離れ、神の自己に溶け込め。さすれば、
汝の自己と神の自己が完全に一つの自己となる。神と
共にある汝は、神がまだ存在しない存在となり、名前
無き無なることを理解するであろう。」
「もし私が存在していなかったらば、「神」も存在しなかった
であろう。神が「神」である原因は私なのである。もし私が
無かったら、神は「神」でなかったであろう。」
エックハルト
最後まで行ってしまった人は、特定の宗教をこえてしまう。
700年残ったのは、それが深い瞑想体験と思索に裏付け
られており、彼と同じくらい深い体験をしている者であれば、
それが真実であることがわかったからだろう。
「人間は一本の葦、しかも世界で一番もろい葦にすぎない。
しかし、考える葦だ。人間を滅ぼすのに宇宙はわざわざ
武装などとるまでもない。殺すのには一吹きの風、一滴の
雨で十分だ。けれど、たとえ宇宙が人間を滅ぼそうとも、
人間は、自分をつぶすものよりも高貴だ。なぜなら、人間
は自分が死ぬことを心得ており、自分を支配する宇宙の
圧倒的な力を知っているのに対して、宇宙はそのことを
何も知らないからだ。」
パスカル
「空のレベルからいうと、人類が滅びてもちっともかまわない
と言える。」
ウィルバー
禅やタオが、一本の草の無力さ、無言、沈黙、なされるまま
にただ『いる』ことを教えてくれる。
エックハルトは、「手放す、捨てる、放下する、捨離する」と
説く。仏教も、修行の過程において徐々に捨てていく。経典
やブッダの言葉さえも放下していく。すべて捨て切ったとき、
無であるところから自由な働きが生じ、根源に落ち着く。
エックハルトは、我意、神すら捨てる。仏教者も、ブッダの
言葉、経典に導かれながら、やがて、その文字に執着せず、
仏をも捨て、自身がブッダの示したものになりきっていく。
いや、もともと、自分にあったもの、すべての人の共通の
根源だったと、そう、心底自覚できる。
「神聖さの基礎は、行為ではなく、むしろ、ある存在だ。
というのは、行為でわれわれが神聖になるのではなく、
我々が行為を神聖なものとすべきだからである。行為
がどれほど神聖であろうと、行為で我々が神聖になる
のではけっしてない。我々自身が神聖であり、ある存在
を持つ限りにおいて、食べることであろうと、眠ることで
あろうと、目が覚めることだろうと、その他何であれ、
あらゆる自分の行為が神聖になるのだ。」
エックハルトの言葉は、仏教や禅と通じる。
<完>
133 :
没個性化されたレス↓:2005/06/20(月) 18:10:25
独りよがりを正当化するのがトランスパーソナル心理学であることは明らかですな。
ここに来ながら「他人が関係ない」とか言う矛盾。
パーソナルからやり直せ!
>>133 関係ないのにここにあえてきて決め台詞をくりかえすだけ
のあなたの行動にも矛盾があるし、ここと関係なさそうな
あなたと関係ないのは確かでしょう。
>>133 そこまで言えるほど、あなたが独りよがりじゃないとも
思えませんけどねぇ。あなただってあなたの立場に即して、
それがあなたなりの正当化のかたちになっているんです。
>>133 なにか不満があるなら、あなたからほいほいと生産的な
ネタをふっていけばいいんです。どうせその結論ありきで、
それ以外さして書くことはないんでしょうけど。
>>134 >関係ないのに
>関係なさそうな
じゃあ「関係ある」ってのはどんな人だよ。w
あんた何の関係者なのか?
>>135 少なくとも人の話は聞きます。あなたにも応対してます。w
コピペを繰り返すようなこともしません。
>>136 この結論だけでもトランスパーソナル心理学の是非に関わる大きな問題だけどな。
138 :
没個性化されたレス↓:2005/06/20(月) 19:57:18
>>134-136 俺はさ、いちおうこの業界の関係者に知り合いが結構いるんだけどさ、
トランスパーソナル心理学をやる者は独りよがりが多い、
パーソナルレベルのことが解消できていない人が多い、というのは、
暗黙の事実として普通に流通しているんだぜ。
そういうことも知らずに恥ずかしいよな。
こっちはさ、裏では公然と言われている事柄をきちんと教えてやったのにね。
>>138 >独りよがりが多い、パーソナルレベルのことが解消でき
>ていない人が多い、というのは、暗黙の事実として普通
>に流通しているんだぜ。
開き直った言い方になってしまうようだが、トランスパーソ
ナルに限らず、霊的なものっていうのは、多かれ少なかれ、
そういうなんらかの実存的に問題を抱えた人がよりによって
寄り集まってくるところはある。宗教は宗教で批判している
ところもあるが、こういう唯物論的な風潮にあっては、そう
いうものはただでさえバイアスがかかって通常要求される
より必要以上に厳しい要求水準で見られがちなわけで、
あえてやる人が確率的に少なくなるわけで、そうなると、
その結果、それをあからさまに擁護していこうとする人とい
うのは、そういう不利な環境との相互作用から、人格形成
において、独りよがりになりやすかったりするのも、仕方ない
ところはある。環境がそれだけで完結していない以上、ある種、
社会のひずみが現れているといっていいところもある。
伝統がないだけに、叩きやすいところもあるし、宗教のほうが
ファナティックで融通がきかないところもある。こういうものは
時期的にまだ実験的、試行的な要素が強いし、勝手に好きに
やっているような人以外、おすすめできない。
140 :
没個性化されたレス↓:2005/06/20(月) 21:33:19
>>139 言っていることは分からなくもないけどね。
トランスパーソナル心理学の源流となったマズローは、
実社会のなかで自己実現している人たちをモデルにその体系を作ったわけだろ。
実社会のなかで、他人との協調のなかで、倫理と価値を重んじつつ、
自然とトランスパーソナル的なものを実現している人というのは結構多いんだ。
翻って、トランスパーソナル心理学に集まる人たちというのは偏屈なばかりで、
自然な自己実現など、ほとんどできてない。
これは目的と実際とが逆転しているということなわけで、
トランスパーソナル心理学その存在価値が問われるような重大な問題だ。
実際にトランスパーソナルやってる奴ってのは、
ここでコピペを繰り返したり、
>>134-136のようなくだらねー反論するような輩ばかりだろ。
トランスパーソナル心理学がやろうとしていることはいいんだが、
そこに集まる人間にはクズが多い。これも公然の事実として言われてるんだぜ。
>>140 あなたが不満を溜め込んでいるのはわかった。
実際そのとおりの面はあるだろう。
それだけ、ほらみろと言わんがために見てみぬふりの傍観
者でいながら、最後になって白々しく登場して、そういう決め
台詞だけはしっかり放つ人が多いということだ。
あなたがそこまで言えるわりには、ここの人たちだって
偏屈で、こういう立場を尊重しているわけではない。あなた
だって、その態度に自然な自己実現が現れているとは
とても思えない。トランスパーソナル的なものを自然と実現
している人がいるから、外側から他人事のように批判して
無くなっちゃってもいいや、と言っているだけだ。多かれ
少なかれ、他人事なら平気で厳しく言えて、自分にはそれ
よりずっとずっと甘い、そういうずるい態度のところは
持ち合わせている。
>>140 はっきりいって、あなたにしろこっちにしろ、どっちもどっち
だと思っている。自然に自己実現できている人は、そもそも
こんなところなにげにウォッチして、気にしてたりしない。
それだけこの掲示板にしろ、他人は平気で叩けて、尊重
しているわけでもない、単に他人にあまりに狭量にしかなれ
ないだけの、極端な人ばかりだということだ。鏡のような
もので、決してこちらばかりがひどいわけでもないとは
思っている。
>>140 自分だって自分に集中しているわけではないのに、やたら
他人のことはずばずば言うし、平気で足を引っ張る人はいる。
むしろあなたやこの掲示板を見て、自分はこうなっちゃおし
まいだな、と反省したくらいだ。
誰しも自分の立場のことはあまり見えないもんだ。それぞれ
がそれぞれなりの自己正当化に明け暮れている面はある。
むしろそこに気づいて、これからの自分の「反面教師」には
することにはなるだろうが。
>>140 あなたみたいな自分本位の効率がすべてしか考えること
ができない人ばかりだと、おもしろいと思うか? あんた
だって、トランスパーソナルを自分で築いてきたわけでも
なければ、それをまともにしようと自分の人生を張って努力
しているわけでもないのに、その成果をかすめとって現実
離れした自然に自己実現している人が多いという理想論を
語るわりには、むしろ足を引っ張るように、勢いにまかせて
クズだとか言いたい放題、公然の事実とか、証明しようも
ない悪印象の錯覚を増幅させようとしているだけだろ?
それでいて、やろうとしていることはいいと思うんだが、も
ないと思うぞ。結局は、足引っ張って、傷口に塩を塗るよう
なことをしているだけだろう。
>>140 あなたの場合、一かゼロか、みたいな感じだろう。
反対するものは反対されるものを強くする。
これも当然の道理なんだろうな。
>>140 はっきりいって、あんたの言っていることは、一人の人間が
できることに対して、あまり現実的なことを言っていない。
自分を棚に上げて言うのは簡単だ。そういう意味では、
ここは自分本位に得意げに語るだけで、たいした人間性の
人はいない。
>>140 理想と現実は違って当然だ。あんたの立っている現実と
トランスパーソナルをやっている人の現実もちがうだろう。
そこを想像できない時点で、あなただって人のことは
言えないはずだ。
>>140 結局、口ではいくらいえても、本当に協力するつもりの人は
いない。仮に人生を張ってこれをやっているのなら、あなた
の発言にもそれなりの説得力がでてくると思うが、そうでも
ないのに、なにやら私情らしき私怨まで、こちらにあてつけて
ぶつけてきてるだろう。
結局、あんたのなんらかのストレス発散のための奮発剤に
このタイミングをこれぞといわんばかりに、ネタとして利用
しているだけなんだよ。
あんたが関係者とどうかは知らないが、事情も知らない人
に対して、いきなりそういう言い方するのは、あんたのいう、
「あんたにとってのあんたに対しての一方的な協調性」に
おける、あんたの倫理と価値だけで言っているからなんだ
ろうが。
>>140 あんたの場合、自分と違う考え方を許容できないし、気に
いらないだけだと思っている。ほかのスレッドにおけるあな
たらしき粘着な発言を読んでいからだ。改行位置と、口調
で明らかにわかる。そういう風に、この人はどういう態度か
それなりにレスポンスは確認して、学んでいるつもりだ。
結局、あんたは批判ありきで、あまりこれに対して前向き
で生産的なベクトルでは共感がないことは確かだと思って
いる。そういうタイプの人ほど、積極的に干渉してきて妨害
してくる、そういう意固地性があることも認識してはいる
ことだ。
ひとつの物の考え方だけしかないと思っている人はいる。
誰も別にこっちは、共感しない人にまで押し付けようとは
していない。そこまでの無理はしていない。そこをいちいち
断っておかなければいけないのか?
>>140 この心理学板をよくじっくりと閲覧して、どれだけあなたの
いう理想的な人物像が見つけられるか、よく考えてみる
ことだな。それこそ無理な理想論を一方的に他人にだけ
投影してないか?
自然にトランスパーソナルな自己実現をしている人もいる
というところまでは正論かもしれない。そういう発想は浮かび
やすいものだろう。が、あんたのやりかたは、そんなに
正当じゃないとは思うがな。
ここは臨床なり、その立場を考えもしないで叩くだけ叩いて
貶めておきながら、それでいて自分の無理な理想論で無理
な要求ばかりは他人に要求するずるい人が多い。そうやって
ストレス発散のネタにしていいて、そういう風潮をよかれと
開き直っている、尊敬のかけらもわきやしない、どうしようも
ない人が大半だ。それで尊重もなにもない。
927 :没個性化されたレス↓ :2005/06/18(土) 23:15:29
それを修士卒の現場作業員として救ったのが臨床心理士。
医師だって所詮は現場作業員。アカデミズムとは全く関係ない。
930 :没個性化されたレス↓ :2005/06/18(土) 23:20:02
だからさ現場作業員のドカチンが偉そうに赤ポスついて
日本の心理学界を滅茶苦茶にしたのがさらに国家資格ができた
ことで正当化されてしまうからヤバイといっているんだよ。
ちなみにおれは発達教育領域で一応博士ももってるけどな。
931 :没個性化されたレス↓ :2005/06/18(土) 23:25:30
言いたいことはわかるが、 そんなら自分とこの行く末を
どうにかしろよ。学校心理士やら臨床発達心理士やらLD
教育士やら、各学会てんでバラバラに資格立ち上げちまって。
どう収拾つけるのよ。歴史を遡ると、実験系含む教育や
発達の方が大きな顔してたんだからな。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1113569537/ 心理学自体、みんな自分勝手で、これだけテンでまとまって
いないのが現実のようだが? 自分は他人のことを言えない
と最初から思っているが、こういうのを読んでいけば、誰だ
って「厭世観」に満ち満ちた書き込みをプットアウトしたくなる
と思うがな。トランスパーソナルだけ言えることか?
>>140 最初はその気もなかったわけではないが、幸いながら、
自分は少なくとも心理学なり精神医学なりをやることは
なさそうだと思っている。そういう世界の住人ではない
ような気がしているので、知りたくもない余計なことを
書いて邪魔をした感はある。
あんたが心理学専攻でこういう現状に嘆いている立場
だというなら、同情の余地も沸いてもくるがな。おそらく
この板を読んで、好感をもてなくなる人がほとんどなのが
当然だろうし、本人たちも半ばそれを望んでさえいるよう
な傲慢的で独善的な人が多いようだ。この板自体、ある
種の「厭世観」に強く支配されている場なのはたしか
だろう。思わずして、それを掘り起こすようなまねをして
いるかもしれない。
よほど、こっちからでは見えてこないような複雑な事情が
あるんだろうな。であるならば、外部から、言いたい放題、
かきまざるだけかきまぜてしまったようで、それに無自覚
で無邪気にプットアウトしていたことは、悪い、と思っている
が。現状においてはあまりプラスに働かない、そういう
燃料を投下してしまったということになるだろうが。正直、
あんたがどういう立場でどういう不満を持っているのか、
それほど想像できるわけではない。
>>140 自分はこの板がそれほど好きではない。
いやむしろ嫌いだとさえ思っている。
人間性のタイプとしても自分とは異質だからだ。
>>140 いま風邪を引いていてそれほど気分がいいわけではない。
言いたい放題かかせてもらっているが。
よほど自分と違う考え方を許容できない人格らしいが?
文学板とか、どのスレとはいわないが、いろいろな板を
みたほうがいいよ? こっちより自由な発想なり思考をして
いる人はいくらでもいるんだから。
あんたは価値観が狭すぎる。
155 :
没個性化されたレス↓:2005/06/21(火) 13:19:49
病気だな。
age
>>140 心理学のように、心に対してまできっちりとした物の道理を
通そうとしてしまう、心に対してまで科学的方法論を適用する
というのは、どこかものの見方を非常に狭量なところにゆが
めるのではないかと、そう思っている。
なぜなら、ほかにくらべて非常に細かいことでいちいちスト
レスを溜めている人が多いからだ。それであえて燃料を
投下して試してみたところはあるかもしれない。
>>155 こういう自分と違う考え方を認められずに、
真の意味での対話が出来ない人がほとんどだろ?
>>155 ここの連中の態度のとりかたが嫌いなんだよ。そう思う人
は絶対いると思うぞ。現実では絶対近づきたくないタイプの
連中ばかりだ。でも幸いなことに、もっと視野を広げて、
自分と合うタイプの人間というものがだんだんわかってきた
が。だからこれは捨て台詞になるだろうがな。
自分と相性の合わない連中とは付き合わないことだ。それ
だけが人生を健やかに過ごす。たったひとつの処世術。
なまじ協調性などと、他人におせっかい焼いたり口だしする
やつに、ろくなやついない。いい影響を与え合わないもの
とは相互無視することだ。
ここの連中は非常に不器用で態度を切り替えてしか対応
できない。同じようなやつらばかりだろう。どうしてそうなる
のかがよくわからないが。はっきりいって同じ人間とは思え
ないところがある。
ここを異常視するまえに、もっとほかのまったく違う価値観
の板をのぞいてみたほうがいいよ? ここまでのものは
ほかの板はないはずだから。それほどに多様性が無くて
均一すぎる。心理学の枠組みだけを借りてしか世の中の
物事を考えようとしない人みたいだ。こうなっちゃうのか?
こんなんじゃ自分の枠組みに適合しないものはなんでも
自分のいいようにレッテル貼るだけなんだろうな。
ここの連中はあまり言っていることをそのまま信用しない
ほうがいい。ねちねち陰湿で、日本の村社会に典型的な
ものがある。自分はそういう道を歩むつもりはない。
第一、トランスパーソナルというのは、そういうところから
精神を解放しよう、という「気分」をもちあわせているわけで、
いちいち迎合するのは、こういうものとしては間違っている
ところもあるわけだ。
むしろ、現代人がここまで閉塞したことをかんがえみれば、
よっぽどトランスパーソナルの必然性がわかるんじゃないか?
>>140 自分がここにきたのはそもそもの間違いであったし、自分
を正当化するつもりはないが、それだけあえて自分が飛び
込んでみて「ある問題」が見えてくるものがあったという
ことだ。こういうものは他人の立場に立てないとわからない
ところがある。
http://web.archive.org/web/20010616213145/http://www69.tcup.com/6905/jatp.html 検索したものだが、これを読んでみたほうがいいぞ。
>あくまで「自分の設定した目的に照らして成功しているか」
>が問われるべきであって、ラグビーをやろうとしている人間
>に対して「ハンド!」と叫ぶようなトンチンカンな「批判」が
>あってはなりません。
よく自覚できていないかもしれないが、パーソナルうんぬん
というのは、下手をすると、なにを話しても、それをなんでも
ある病的な解釈だけに引き下げて、いちいち出発点にまで
戻してしまうだけの、そういう抑圧と邪魔と制止に働くだけの、
そういう抜群の説得力で麻痺させられてしまうレトリックにも
使われてしまいやすいと思っている。一見もっともだが、なん
でもそのパーソナルに引き戻されては、なにも伝えられない
ところもある。この板がまずかったんだろうが。
>臨床の立場からもウィルバーの発達階層論への疑問が
>述べられたことは心強いものでした。やはり、個の確立と、
>個→超個という「世界空間の拡大」は別種の系列に属する
>というパラダイムの方が実際の心的現実に適合するのでは
>ないかという私の感覚は、ますます確かめられたような気が
>します。
たしかに、自我の肥大とか、勘違いしやすい落とし穴という
のはあちらこちらにあると思うが、そういうものが競合する
かのように受け取られて語れなくなってきたのはなぜか、
という問題意識も同時にあるはずなのだ。
それだけ、科学主義の干渉なり妨害による、こういうもの
の目に見えない抑圧メカニズムなり抑圧フィールドというの
は、近代的自我によって、一帯に張られているものなのだ。
自己実現にしても、それだけ効率重視、本質軽視という
ものが進んでるところはあると思う。
はっきりいって科学主義の人に限って積極的に妨害して
くるのはなぜか、ということだ。そういう心性があるわけだ。
結局、科学というのはそれだけ強力なイデオロギーになっ
てしまっているということだ。
もはや臨床ですら、脳の生理的状態に還元できなければ、
不要みたいな、悪い意味での、削減的な思考しかできなく
なってきてるだろう。
自分にとって必要ないからといって、文化的なものの必要
性を奪うことはできないはずだ。そこに鈍感で傲慢な人が、
科学に対する信仰なり強化によって、振りかざすことがエス
カレートしてきた。
一元化されすぎて、その人にとって無駄とみなされたもの
が駆逐されてしまってるだろう。
どうしてそこまで、一元化しかなくなってしまったのかという
ことだろう。科学をやっている人には、こういうことはおもし
ろくないのは当然だろうが、おもしろくないからといって
他を否定していいわけにもならない。
無視くらい出来ないのか?
場所を選ばないこっちにも問題はあったとは思っているが、
それに自分で自覚できれば、少しは理解を示すこともでき
るはずだが。そうでもなく一かゼロかみたいな発想しか
しないから、駄目なんだと思うが。
「人間が人間的領域の中で定められた原理以外のいか
なる原理をも知ろうとしないならば、人間は自己自身を
知ることもやめる。高次の原理を否定した結果は、ここ
に人間が宿命的に、低次の、超人間的ではなく没人間
的な原理に隷属するにいたる。」
エリオット
人間が人間的領域の中で定めた原理以外のいかなる
原理をも知ろうとしない、その行き着いた先は、疑いもなく
共産主義だが、きわめて興味深いのは、北朝鮮の公定
思想である「主体思想」といわれるものだ。この思想が
興味深いのは、それが典型的な唯物論であることだ。
「主体思想」は以下のように教える。
「人間は物質的存在であると同時に社会的存在である。
もちろん人間も物質的存在ではあるが、単なる物質的
存在ではありません。人間は最も発達した物質的存在
であり、物質世界発展の特出した産物であります。」
これがすべてではないはずだ。そこにストレスを感じて、
他の考え方を許容できなくなってきたとすれば、それは
もう北朝鮮のそれの心性に近くなってきたわけだが。
まあ、中世よりは現代のほうがましだろうが、それでも、
画一化の均一化が進みすぎているのも、確かだろう。
あまりに無駄のない効率を重視しすぎたために、
まったく新しいものや精神的な余裕が生まれにくくなって
きている、そういう閉塞的な風土が強固になってきただ
ろう。
だからあえて挑発的にでたところもある。
自分は自分が絶対とは思ってない。
一見とんでもないことを、あえて言ってみて、
それが言ってみたものとして通じないところもあったと
思うが。結局、唯物論だけだと、人間精神にそれ以外の
発想や余裕がどんどんなくなっていくのは事実なのだ。
なんでも都合の悪いものは脳内に還元されて、
そういうものと社会性に還元されてしまうのだ。
そこに北朝鮮的なネットワークが形成されてしまう。
自我の肥大は違うだろうが、精神の豊かさというのは、
心理学が許容するよりは融通が本来利くものなのだ。
まあ、自分が言っても説得力がないだろう。
ということでもうここにはこない。
それだけ近代的知性なり近代的自我なりに、
精神の余裕がなくなってきているのは事実だ。
自分でも閉塞感を感じている人もいるだろうが、
それは自分の内面なり自分の考え方を変えていくしか
ないわけで、すべてあなたの心の置き方から生じている
はずだ。他人にあたりちさらないこと。掲示板を見すぎ
ない。他人に重きを置きすぎると、ストレスがたまり、
北朝鮮のようになっていくはず。
自分は自分なりの北朝鮮的な閉塞感を感じている。
わがままや増長や万能感や勘違いもあるだろうが。
他人は関係ない。
自分も、うらやましいだろ?的に煽ってる、そういう意地悪
なところはあっただろうが、それは反省してる。
結局、臨床にしても相性はあり、そういうキャラクターとして
の生き方しかできない、そういうその人に適しているという
ものはある。それを見極めて、そういう他の生き方を尊重
することは大切のはずだ。
その人が選んだ道なんだから、それを科学がどうのといって
切り捨てることが平気でできているだろう。同じ人間として
見ていないわけだ。
自分も一方的だったと思うが、それだけここは一面的で
ひどいところがあるからだ。そこに目には目を的に反応した
ことはまずかったと思うが、きづいてもらうために、わざと
やったのかもしれない。
自分で選んだ道なら、他人の選んだ道もある。
それだけここが独断的だということだ。
これが自覚できないし反省できないとしたら終わってる。
はっきりいって、ここに臨床の人はいないんだろうが、
そういう人が読んだら、どう思うんだろうな?
結局、心の領域に科学が踏み込んでしまったことは、
暗黒時代の序曲だったということだ。これは間違いない。
その流れを誰も止めることはできないということだ。
西洋心理学自体、なかったほうがもっと精神の自由を
感じる未来があったかもしれない。仮定の話をしても
しかたないが、もう北朝鮮的なフィールドを人類は起動
させ、悪いかたちで、張り巡らせてしまったのだ。
それを止められるものは誰もいない。
実験心理学が与えた近代的自我という「人間観」と
「社会性」において、その背後にある強力な唯物論的な
影響力を、臨床心理学が後始末しているうえに叩かれ
てもいる、という悲惨なネガティブフィードバックがある
のかもしれない。
そういう意味では心理学全体が、とまらない強力な
唯物論的イデオロギーを起動させてしまったのかもしれ
ない。
それを止められるものは誰もいない。
まあそれを悪者扱いするのも酷だと思うが、もう唯物論
というのが、泥沼になっているところはある。それはもう、
一部の文学や哲学や芸術などがせいぜい問題視できる
くらいを除いて、どうにもできないものなのかもしれない
のだ。少なくとも今は。
ものすごく気分が悪くなってきた。
もうここにはこないし、ここの人の思うようにも絶対ならない。
そしたら終わりだと思っている。
自分はあくまで自分に適した、楽しく面白い道を選ぶ。
といっても、一般的な意味ではないが。
もっと自分を豊かに深めないとどうしようもない。
むしろ逆に、ここに洗脳されて、自分としては逆にパーソ
ナルがきつくなりすぎてしまったのだ。それだけは勘違い
ではなく、間違いないことなのだ。
自分としては、その唯物論的な部分をもっと緩めていか
なければならない。
はっきりいって、ここの連中がそれでよしとしているところ
がどこか既知外じみているように見えるわけだ。
それだけ相性というか住む世界の違う人間だったわけだ、
自分というのは。
ようは本来、もっとまったく異質のアーキテクチャーの資質
だったのに気付いていなかったということだ。
それがどういうものかはここには書きやしない。
そういう相性を見極められないと悲惨だということだ。だか
ら心理学が合っている人間は、自分に迷わず、相性の違う
他人に迷惑かけないことだろう。
言っても分からないだろうが、現代はアーリマン的なものが
まだまだ非常に強い時代で、それによってバランスを崩す
人もおそらくおおいということなのだ。
だから自分を見極めるのは自分でなければならない。
182 :
没個性化されたレス↓:2005/06/21(火) 15:22:12
もっと書いていいよ。
このスレ全部埋まるまで、一人で書き続けてください。
ここは自分と違う人間というものにあまりに理解がない人間
が多すぎる。そういう狭い世界で生きているし、これまで
そういう狭い世界しか通ってこなかったんだろうが。それは
それで安定した人生ではあるんだろうが、それがすべて
ではないし、そういう世界しか知らないだけに、あまりほかの
価値観に対する想像力というものがあまりに欠けている
ところがあるだろう、ここは。
そういう人たちによってあまりにも精神の余裕が駆逐されて
いる、そういうアーリマン的な時代気分が支配していると
思っている。
自分だってもっと社会常識的にふるまうことはできるわけ
だが、そうなっていないのは、ここがあまりにも異常にみえて
しまい、それがなぜかと思ったからだ。
こうしてここに書いているそばから、ほかのスレッドで
ストーカー的なここに重なる嫌がらせの書き込みを投入
しているのが、ここを支配する集団心性だということだ。
自分の心性が自分のいらぬ泥沼な現実を作っている
のに。そういうことに気付いてよかった・・・。そして、
それに気付いてしまったここの人は、ご愁傷様です。
はっきりいって科学のためとか、世間のためとか、社会性
がどうのとか、そういう単位でしか考えられなくなっている。
人間を一種の「規格」としてしか捉えられないわけだろう。
それはそれでかなり特殊だと思うが。いくら多数派であって
もそれでそれより外の範囲まで支配するほどの権限が
一部の心理学だけに特権的にあるだろうか。パーソナル
がどうのなんていわれたら、むしろなんであんたなんかに
規定されなければならないんだ、という反発は当然くる。
人間が「静的な箱」的な発想に支配されているわけだ。
心理学それ自体の実験方法なりの価値が、そのまま科学
的人間観として規定してしまう。
あまり心理学者などというものは、尊敬できるもんじゃない。
はっきりいって、心理学者なんてものは、科学の知性の
光ですべての叡智を照らしだすみたいな野望を抱いている
つもりでいるのかもしれないが、実際はろくなこと考えて
いないし、それが向かう方向にもろくな人間観はありはし
ないだろう。少なくともそれだけに支配されていれば。
まあここまで悪口をいわれたら嫌がらせもしたくなるだろう
が、はっきりってここをじろじろ見ている人たち、本気で
自分の人生を見つめなおしたほうがいいよ。ほかにやる
ことないのがおかしいよ。
それを内在化したその先にあるのは、自分をじろじろ見つ
める薄気味悪く青白い、ある種自虐的な機械的な人間、
ということになる。それが悪いとはいわないが、そういう人間
というのは、けっして自我が消去されているわけではなく、
むしろ自我が強固になっていき、やたら他人にもそれを
当てはめていきだすことだ。大して優れたミームなんか
じゃないのは、この板を観察していれば、その行く末を
洞察できるはず。
もっとも、人格的な人間もいるだろうが、こんなところには
きていないんだろうし、ここがよっぽどそういう没個性を
謙虚で敬虔と履き違えた、自分をじろじろ見つめる心性
だけで支配しているということだ。
なにかどこかで間違えているとしか思えない。
他人にそれが向かう時点で、なにか駆り立てられている
ところがあるということだ。そういう生き方もあるんだろうが、
他人に向かうところで、なんらかのキャパシティ的な欠陥
が生じてくるということだ。
というわけでそういう道は否定しないが、どこかその行く末
にたいして疑問がぬぐえないのはなぜだろうか。自分は
科学をやることはないだろう。
それだけがすべてじゃないのに、ここではそれがすべての
世界だということだ。
その世界を見て分かったことがあったし、自分の問題もそれ
とまったく関係がないわけではない。
はっきりいってこの世界で浴びた毒気というのはそうとうな
ものだ。ここはようするに悪い意味でのサバイバルの世界
だ。そういうアングロサクソン的でもあるある種タフな人間
でないと、こういう毒気を帯びた殺伐とした世界は生きて
いけない。だって反応でわかるだろう。まったくもって硬質
で乾いた世界だ。
それに必要以上になにかに駆り立てられている、そういう
焦燥が感じられる。ある種の完全主義から抜け出せなくな
って行き詰って自滅しかねないような、そういうものはある
と思うが。そういう狩猟的で野性的な世界ではあると思う。
他人を許さないところがあるし、そういう強迫観念に支配
された人たちでもある。自分の住む世界とは違う。もしこれ
に慣れるのが唯一の世界だとしたら、それは相当荒涼とした
砂漠のような世界になるだろう。他人にたいしてじろじろと
見つめて、自分の枠組みと違うと、突如、直情的で単純な
知性による発奮が起こる。
そういうところがある。
どんなに迎合しようとしても、やっぱり自分は科学とはまっ
たく関係ない人間だったし、それだけは誤解してもらいたく
ないと思っている。だからここまで書けるのだ。
科学をやっている人間というのは、例外が見逃せなくて、
そういうものを見つけると気になってしかたないわけで、
そこでどうしても権威を振りかざしたくなるわけだ。ほかを
ノイズとしか受け取れない、そういうストレスがでてくる。
ようは科学というのは、外側からロマンを感じているうちは
いいが、進歩主義、結果主義、成果主義、効率主義、還元
主義、競争主義、客観主義、そういう機械論的世界である
ことには変わりないわけだ。それがフィットする人間もいるし、
それがフィットしない人間もいる。科学というのは唯物論な
ので、その基本は変わりはしない。そしてその文体も、
やはり科学の硬質な文体になっていく。
そういう分析の飢えや渇きというのは限界がないだろう。
その知性的なストレスが他人に向かっていくところもある。
徹底的に分析しないと気がすまない。そして少しでも精神
の自由があるものを見つけると、それを駆逐していきどん
どん滅ぼしてしまう。そういう植民地主義的なところが面白
いほどでてくる。ようは、外に外へと、解体へと向かって
いくだけなわけだ。
やはりそれはどう考えたって特殊なものには違いないわけ
だ。
ようはそういう人というのは、他人を分析しようとしていて、
最初から相手を決めてかかっているわけだ。自分が見え
ていないし、それが自分の思い込みに合わないから腹が
立っているのではないか。
こちらが誤解させてしまったのかもしれないが、それだけ
思い込みが激しいところがある。ようはこういう人間だと
はじめから決めてかかっているのだ。そこまでなにか書いた
わけじゃない。
そういう人がいるから、それに対してどうしてここまで?
と思っただけだ。ほかじゃそうはならない。それだけここが
特殊だということだろう。
こんなに既知外じみた場所、正直経験したことがないし、
他だとほんと違う。なぜここはこんな風にしかなれないん
だろうか?それがトランスパーソナルとして、社会の膿
として現れている面もあるのではないか?
そう思ったりもする。
それほど狂気に満ちている。
結局、なんとか自分の枠組みに当てはめようとして、
他人を問題視して、自分を正当化しようとしているところ
があるわけだ。
それだけ自分に自信がないか排他的になっている
ということだ。だからこうまで悪口の連続でしか返せない
ということだ。
異質だよ、ここは・・・
正直、こんな残酷な目にあったことはじめてだ。
これでどう仲良くできると思うんだ?
自分も悪口いっているし、人のこといえたもんじゃない。
反省はしている。だがいくらなんでもこれはやりすぎだろう。
こんなにひどい世界みたことない。どうしてここまでクール
になれるんだろうか?自分はそこまでクールにはなれない。
もうここには来ない。はっきりいって人格的な人には謝り
たいとは思ってる。でも自分はそんなに強くないし、もの
すごい弱いところがあるとわかった。それに比べたら
ここはほんとうに殺伐とした世界だ。いくらなんでも監視
社会みたいでおかしくなりすぎてしまってる。まさかここ
まで人間がなってるとは、これまで思っていなかったから
だ。まだ見ている人も執念深すぎる。
自分はほかだともっと違う人間性がでる。でもここだと
他人に影響されて全然駄目だ。こういう掲示板みている
だけで、鬱になってしまう。もう元気がない。迷惑かけて
すまなかった。もうこない。
でもここには同情してくれる人はいないし、冷たい世界。
取り乱してわるかった。誰だってこんなことに巻き込まれば、
収集なんてつかなくなるし、おかしくなる。それがまったく
わかってない人が多い。
よくここまで他人に残酷になれるんだろうか?そこまでタフ
にならなければ、駄目な世界なのか?と疑問がでてきた
だけなのに。ここまで厳しいとは思わなかった。
いくらなんでももっと寛容な人間ばかりだと思っていたし、
そういうものを求めてしまったということだ。
自分こそが甘かった。
悪口いってすまなかった。これまで書いたことは間に受け
ないでくれ。そんなに本気で書いていたわけじゃない。ただ
ここの人たちよりもずっと割り切れていなかっただけだ。
それがわかった。
立ち直れるかはわからないが、もうこないつもりだ。
ここまで追い詰められた人間もいないだろう。なんと
残酷な世界だろう。
ここに書いたことは演技と受け取ってくれ。大体、他人の
気持ちなんて分かる人はここにはいやしない。人間の心と
いうものを、もっと違うものとして思い込みすぎていたの
かもしれない。いい思いしなかったひとにはすまなかった
と思っている。自分はもうこういうことに関わるつもりはない。
ここは他人を病人としか見ないし、人間として見ない。
他人の悪口をいいたかったわけじゃない。ただそれだけ
あまりにも相性が悪かっただけだろう。
おそらくここの誰もがこっちと相性があわなく感じても
おかしくない。
もう自分はこういうことに興味をもつのはよす。なにかここ
の人がそれを聞いてにやけるだろうと悔しくてたまらなか
った。どうせ分かりやしない。
まさかネットが、他人のことをこうまでじろじろ見ている、
そういう客観的な世界とは思わないだろう。
なんらかのバーチャルなテレビ映像のように考えて
しまっている。
そんなに単純じゃないはずだ。
自分がうるさい存在になっているのはわかる。だからもう
ここには来ない。だがわかってもらいたいのは、少しでも
ここを変えたかったということだ。共存するような世界に。
それが通じなかったのだから仕方ない。
自分の落ち度もあった。他人が見えていなかったのだろう。
しかしながら、ここまでひどい現実があるとも思わないだろう、
普通の人間は。
病人扱いされて病人になりそう。心配かけたことはすま
なかった。もうここは人間扱いされないので消える。
ひどい世界だと悪口もいいたくなる。
197 :
没個性化されたレス↓:2005/06/21(火) 17:47:18
ひょっとするとある特定の個人に当てているのかもしれんが
ある人物だとするならこれで終いにしておく。もう赤の他人だ。
お互い干渉無し。ただどこぞのだれかに威圧的に接され精神をズタズタにされ
望んでもいない事を脅迫的に押し付けられた事を
寝ても覚めても差別的に扱われた空しさを持っている人間もいると言う事を心にとめておいてくださいね。
これで永遠に無関係だ。手を引く
ここを監視している人というのは、
どうしてそこまで残酷になれるのだろうか。
成長しない人間っているんだな
空しくなった
>>197 あなたを傷つけたことはすまなかったと思ってる。
自分も精神的にズタズタにされた。
もうこういうことには関わることはないだろう。
自分のほうが間違っていた。
それを認めるのがこわくて正当化していた。
ネットは言葉の凶器だと思ってる。
立ち直れそうにない。
>>200 ん?別人か?俺は二レスしかしていない。
>>200 まるで俺が100%悪いようだ…
取り合えず俺も苦労した・・・
ま、もう無かった事だそうなった。
0だ。何の因果も無い。全てを忘れて生活してくれ。
俺も忘れる。お互い会わないほうが良い
最後に。はじめ私はあなたを尊敬していた。博識なあなたに。
しかし時が立つにつれ心に引っかかるものがありいろいろ後で考えてみたり
悩んだりした。決して決め付けて掛かったことではない事だけは主張しておく。
>>202 かなり病的だった。自分の間違いを認めるのがこわかっ
た。それほどに分析されて、人間あつかいされなくて、
恐くて、自分を守るように、自分をどんどん悪いほうに悪い
ほうへと追い込んでいった。ここにいてしまった、注目
されてしまった、そういう自分がなによりこわかった。
だから、偽物の自分を作って、自分を閉じて、ごまかして
いた。自分の問題は自分が一番わかってるつもりだ。
ここに書いたことも気にしないでくれ。全部他人の言葉の
受け売りで、自分の心にもないようなものだ。もう同じ
ようなことは書けないだろう。それだけのものだから
忘れてくれ。それだけガラスの傷つきやすくて、心に問題
を抱えていることは認める。作った自分、偽物の自分
だった。注目されるのが恐かった。だからそれで正当化の
自己防衛に明け暮れていただけだ。自分を守っていた
だけだ。他人を傷つけるつもりではなく、弱い自分を
守っていただけだ。それも機械的に。心の壁をつくって。
こう書けば、どうしてこうなっていたか、心ある人には、
わかるだろう。心理学をやっている人に悪気はない。
ほんとは相手をしてほしかったし、なにか影響をあたえた
かったのかもしれない。子供のように、ユートピアを描いて
いて、それを投影してた。無理をしてた。それだけ自分が
ここにいるいて、こうなってしまったのがこわかった。
他人をきづつけたくなんてなかったから。だからそれを
認めるのがこわくて、それが正しければごまかせるだろう
と必死にごまかしてた。
205 :
ムラ:2005/06/21(火) 18:20:25
と俺を呼んでいたものもいるだろう。
心当たりありますか?取り合えず自己開示しておく。
>>204 お互い干渉せず、会わずでこれから自分達を磨いていくしかないですね。
人生長いですし。あなたもいろいろ大変な目にあったのは私も心得ていますし。
私も謝ります。ごめんなさい。
ではこれで全てを忘れて終わりです。
>>あなたもいろいろ大変な目にあったのは私も心得ていますし。
訂正→少しはわかっている。ほんの少しだが。に訂正します
全てを知っているような発言は気が引けるんで
>>203 本気にしないでくれ。なにか根本的な錯誤があったし、
もうこういうことに興味持つつもりもない。これへの関わり
かたが、自分は間違っていたし、こうなってしまった自分
にも大いに疑問をもっている。他人がいってたことももっと
もだった。たぶん自分はなにかを背負おうとしていたん
だろう。自分にはまったく背負えないものを。心にもない
ことしかここには書かなかった。他人をきづつけるだけの。
それほどこわかった。だから逆の行動にでてしまった。
自分は生きた心地がしなかった。自分の勘違いを認める
のがこわくて、どんどん自分を追い込んでいったのだ。
なにかをごまかすために。自分がこわかった。自分じゃ
ないようで。傷ついて、傷ついて、傷つけていた。自分の
行いが招いていた。たぶん一生忘れられない後悔する
ことになるだろう。もうこれにも関わらないし、こういうことも
間違っていた。自分が正しいとはってない。すべてをなに
もかも甘くみていた。言っていることもわかる。自分のほう
が間違ってた。自分が、こわかったんだ。なんでこうなって
しまったのかって。嘘をついて、その嘘が本気にされて。
それで嘘に嘘を重ねて、どんどん違う自分を演じていた。
たぶん分からないだろう。ほんとは毎日、そのギャップに
苦しんでいた。なんでこんなに注目されたんだって。
まるで見世物のようだったからだ。そういう人に対してどん
どん敵意が増してきたんだ。そうでない人には傷つける
つもりはなかった。
もう敵意は無い。十分だ。
209 :
没個性化されたレス↓:2005/06/21(火) 19:28:23
昨日
>>140を書いた者だけどな。
今日来てみればこの有様だよ。w
もう指摘するまでもないが、
「トランスパーソナル心理学に集まる人には、パーソナルな問題が解決できていない人が多い」、
という見方の妥当性をますます強化する内容だったね。
そっちは、俺のこういう言い方に傷ついたとでも言うのだろうけど、
俺はそういうゲーム(交流分析の用語ね)っぽいやり方に乗る気はないから。
そういうやり方が通じる相手にやってくれよ。
まあ、ひとつだけ。
>その態度に自然な自己実現が現れているとはとても思えない。
だから何?
俺は俺を生きているだけで、「自己実現してます」なんて事は言っていないし、
そもそも、それを目的にするつもりもない。
「自己実現」してなければ駄目、という考えも持ってない。
そんなことを考えている暇があったら、毎日の雑事をきちんと生きてろ。
>>209 アンカーつけないとわからない。
誰に言ってる?17時だいの連投してた奴か
相手はひとりなんじゃないの?
ID無いと混乱するな
age
自分は心理学とかそういう説明原理の世界だけを生きる
ことはないだろうし、そういう説明原理の対象として便利な
コンパクトな枠組みに適合させて扱われるつもりもない。
結局人は、自身の説明のなかで適合するように、思い込み
たいように思い込もうとする確信が強いし、それによって
ささいなものでもきりなく拡大させてしまっているところが
ある。そういう人に対しては、互いにだろうが、きりのいい
ところで諦めるか、自分から場所を選ぶかしかない。その
割り切りこそが、唯一の処世術といえる。
偶発的、脈絡的、場所的、社会心理的なものが大きいと
感じる。ある錯覚がもののはずみで偶発的に他人に与えら
れてしまって、あるいはそれを裏付けたい周囲によって
過剰な人物像が確信として形成されてしまって、自分も
それを意識してしまうこと、なまじその過剰な注目を拡散
しようとし、収拾をつけようとしてしまうことで、なおさら確証
バイアスを強めてしまうという悪循環、思い込みの呪縛。
そういう見えない集団心理があり、それがここではほか
よりも強い、または強まってしまったということがわかった。
そういうものに気付いてしまったところもある。
一人の人間には限界があれば、ある世界を生きたいから
生きているというところはだれしもかわらないことだ。多数派
が正しいとも思わない。それをまったく無視するのは不自然
だといえても、それがすべてではない。そういう世界をある
他人を貶めるかたちによって正当化させすぎなければいい、
もしくは自覚的になればいいだけなのだろう。ある事例もしく
はある時期だけにしぼればいいものの、それを一般化して、
すべて開き直れたらおしまいだからだ。そういう確信をもたず
に、どれだけ躊躇する余地を持てるかなのだろう。
すべての人が心理学を専攻という形で通るわけではないし、
それとはまったく違う見方や考え方をする人なんてこれまで
いくらでもいたし、それはこれからもなくなることはないだろう。
そこに割り切れる余裕がもてないなら、現になりたっている
その世界の全体において、自分と違うと感じる他人になりきっ
て、そのまま理解する想像力を拡げていくしかない。そこから
より包括的に判断するもの、これまではできもしなかった
包容力が自分の中に育ってくると信じるしかない。
ただ状況の不安定さのなかでたまたまここに居合わせて
しまっただけに、叩かれやすかったにすぎない。それはたま
たまはまっただけ、と表現するに本来は近いもので、さして
そこに意味を認めたくもない。
なにごとも過程からはじめて学びとるしかないもので、
その誤解なり、どう思い込まれているか、を解くつもりも、
解きほぐそうとも思わない。現実ではそれをふまえて、
自分に適した道なり場所なり世界なりを選んでいくだけ
の話だ。
つまらないことで、自分で諦めもつかなければ、他人も
諦めがつかなかったから、ここまで続いてしまっただけ
なのだろう。それだけつまらないことだ気づくしかないし、
そういうつまらないことにこだわるだけのつまらないゲーム
からは卒業したい。
実際には、そこには違う説明の仕方や考え方があると
いうだけで、それだけで自分と違う立場そのものを完全
に否定しきれることはない。結局はその人のことはその人
のことなのであり、その自分を自分で良い方向に高めて
いくしかないからだ。
一言で言えば、注目されたくなかったし、本当の自分など
というものはまだないので思い込まれたくも、知ったつもり
にもなってほしくないので、他人のほうから執着を手放す
形で忘れてほしい、ということになる。
いまだここに対する反応が続くだろう。
それだけ他人にネガティブかつ持続的に関わる暇な人の
存在の多さにこそ、グロテスクに捉えて驚くべきことだ。
ということで、自分がことさらおかしいなどとは自分で思っ
ているわけじゃない。それは自分が正しいと開き直って
いるという意味ではなく、おかしかったところがこれまで
あったとして、そこにいつまでもとどまることがなにもプラス
にならないと分かるからだ。
あくまで自分というものは、自分で自分を高めていくよう
なものでしかないのであって、他人によって自分の正しさ
を高めていくようなところがあるのならば、それは例外なく、
横道に逸れ始めていると思っていいことだと分かるのだ。
自分で自分を高めていくその基準は、これじゃだめだとも
これでよしとも思わない自分の今の現実において自然体
でありつづけ、固定的にこだわりすぎないこと。
他人にこだわりすぎてしまうことは、なにより自分のために
ならない。余暇においてまで、そういう他人事ばかりに割い
ている時間ばかりになりはじめたら、それだけつまらない
ことに割けるだけの、それだけ自分に与えられていた本来
は自由な余暇の時間、そこにおいて一方で見つけうるであ
っただろう世界や自然の美しさなり、そういったものを発見
する選択の機会を、余暇において結果的にはたしかにそれ
に選択的に割いてしまった事実のあるその自分のネガティ
ブな思考なり時間のぶんだけ、見逃し、見過ごしてしまった
ということになる。そういう思い込みに支配されていること
に気付き、せっかくの余暇においてまで自分から割いてし
まうことのなかった、自分から執着するべきでもない自分の
簡単な選択によって十分取り除きうるネガティブフィード
バックに気付くことが、精神の自由を知るということだろう。
その結果、自分の立っている場所とはちがう他人にまで
過干渉することで、自分の正当性を高めたと思っても、
その時間を他の選択のしようによっては、自分で自分を
自分において高めるのにもっとさけただろう時間として
とらえれば、それは他人を貶めることで自分を成り立た
せている構造に自覚できていない事実を証明するもので
しかないので、その点では、関わってしまった以上は、
その関わりというのは、どっちもどっちになってしまうわけ
だろう。
自己の認識を適合させた、と他人を征服することに満足
したとしても、自分が成長することを肯定するならば、その
他人だって他人は他人で成長していくため、その満足は
満たされることがない。
例外なく、余暇における他人に対する無視の無さ、諦め
の悪さは、自分の余暇という精神の自由においてまで、
他人に支配されてしまっている、という事実の現れにほか
ならない。
つまりある他人をある形で説明することは、そういう現象
をむしろ自分の観念のなかにおいてこそ想起することを
好んで選択した、そういう自分の現実を説明することに
ほかならない。それが悪いわけではないし、それに気付か
ないのも人間だが、それに気付くことができ、自分でどう
いう内的現実を選ぶか選ばないかを選択できることもまた、
精神の自由の事実であるのだ。
他人を貶めるということは、自分の内的現実がそういう
貶められた観念で支配されているという、自分を貶める
ことにしかならず、むしろそういう自分を吐露してしまった
ことにもまた、恥ずかしい、と感じてもおかしくないわけだ。
そういう単純な原理、思い込みに、どこまで自分で自分に
気づき、脱することによって、自分で自分の質をほんとうの
意味で高めていくことができるかでしかない。
自分こそ正しいし、自分には無駄が少ない、と考えている
人は多いが、そう考えること自体、つまりそういうこと自体を
あえて考えすぎいる正当化の行為なり思考、それ自体の
不毛や無駄や矛盾まで、気付いている人は少ない。
誰しも、自分だけは例外的にそれを免れていていると思っ
ているし、他人を説明することで実は自分を説明している
ところは持ち合わせている。それは単なる事実だろう。
そこまで徹底すれば、今ここの自分の現実があるだけで、
無駄も何も無いし、どのようなどれほど自分と違うと思える
立場であれ、現になりたっている以上は、その他人の立場
を貶める無駄な抵抗は低減する。他人に対してそこまで
極端に力点がかってくるはずもないし、かかりすぎないはず
だ。
そういう意味では、ある人のある時点のある立ち位置
によっては、トランスパーソナルに疑問をもつことも当然
とはいっても、それは無視するにとどめるしかないこと
だろう、としかいいようがない。それは、他の心理学にも
伝統がないのと同じくらいの時点から、それもまた、細々
とながらも脈々と続いてきだけの一連の一続きの流れ
はあるということは認めるしかない事実なわけだし。
それはいくら多数派ではないにせよ、調べれば、もう
100年にわたる歴史的事実として、記録から辿れるもの
なわけで、それを伝統というなら、それはそうだろう。
そしてそれが参照する霊的伝統には、ものすごい長さ
の歴史と伝統が続いているものがあり、それは日本の
伝統の一部でもある。それがどうこう、というのではなく、
単なる事実として、無視するのはあまりに近くて不自然な、
歴史的事実ではあるだろう、という、それだけの単純な
ことなのだが。まさに灯台下暗しなそれを守り、再生させて
いく、そのために心理学として研究しましょうよ、ということ
さえ見失わなければ、それほどおかしなことにはならない。
ブッダの心、高い次元のものを見失わないことが大切と
いえる。それを単に通そうとするのではなく、自分の内面
にこそ見出していくしかないことだ。
そういう意味では、他人に心の道理を通そうとすることが
第一の原理になってしまうことは、間違っていることだ。
いくら批判してみたところで、それは外側から様子をうか
がうものでしかなく、よく調べていけば調べていくほど、
全体のほんの一部分にしか当てはまらないことが、分か
ってくるようなものでしかないし、単なる広く大きな意味
での文化の違い、文化の選択の問題で、現にどちらも
成り立って共存しているのがこの世界である以上、無駄
な抵抗でしかないことも事実なのだ。
自分にとってはその程度の認識であり、ようはどっちに
しろ、まだこだわりというものがないというだけのことなの
だ。
これに中途半端に関わってろくな目にあわなかった。
それはあくまで自分の問題だろう。だからトランスパーソ
ナルと自分とは最初から関係なかったのだ。
よくわからないが、おそらく、同じ心理学という言葉が使わ
れているのが、引っかかってくるものなのだろう。パーソナル
な心理学もそれをすべてとしない限りはプラスになる知識が
むしろ多いし、そこには重なってくる部分もないとはいえない。
また実験心理学と臨床心理学では、その目的とするものが
違う以上、それ自体、かなりの剥離が必然的に出ている
ようだ。これは現実的には簡単に埋められるものではまだ
ないのが実態というところなのだろう。
ある人が、心理学じゃない、とか、科学じゃない、というとき、
それだけその意味するものが狭く捉えられていることを意味
する。それ自体が、西洋的な特殊な思考法なり発想の産物
なのだから、そこからはみ出してくるものも当然あってしかる
べきなのに、それがまったく意味も価値もないかのように
錯覚させて、躊躇を問わず否定することを正当化してしまうと
なれば、それはいささか物騒な心性だと認識できることだろう。
どうつながってくるかわからないものもあるのだから、
それがわからないうちから不安がって切り捨てるというのは、
知の探求においては愚かしいことだ。
これも学会の名称からして、西洋的な意味での心理学では
ないと思われる。心理学/精神医学、とか、トランスパーソナ
ル学、となっており、本質的に心理学だけに収まっていない
ものがあるのだろう。
それより大きく霊性研究というのがあって、そこでもトランス
パーソナルの成果も織り込まれているのは、ちゃんと調べれ
ばわかることだ。そういう人文学的な研究において適切な
理解がなされるべきことだろう。
そういうことで、こちらにむかってトランスパーソナルうん
ぬんをどうこうぶつけられても、それ自体は無駄なことだと
いえる。なぜなら自分はトランスパーソナルとは関係ない
のだから。それを代表していることはないだろう。
自分はたまたま通りすがって泥沼にはめられてしまっただけ
のことなのだから。
トランスパーソナルをどのようにしたらまともに評価しうる
かといえば、それはまともな人文学的研究からだろうと
思っている。それがどういうものかはそういうものをどん
どん読んでいけばわかるようになってくるとしか言いよう
がない。
自分の見る目なりセンスなりを磨いていくことしかない
はずだろう。質を質のまま扱うのだから、それそのものの
質に即したその質の論理にそのまま乗っていかないと、
その良し悪しは判断できないものなはずだ。
そこを割り切らないと、むしろ逆に、人間の全体性にとっ
ては、どこか非常にゆがんだものになる。
それは文学や芸術や哲学や仏教と同じで、それ自体の
質で判断されていくしかないだろう。それは価値判断を
含むので、科学的に良し悪しを判断できないし、そう判断
すべきものではない。科学的にのみ判断してしまったら
ろくなものは残らない。
トランスパーソナル精神医学というのも科学ではなく、
クオリティオブライフ(QOL)という質の知識の集積、そう
いった人文学的資質を要求するところが、実のところ
大きいと思っている。
もっとも物質主義的な現世利益的な方向性とは合わない
ところもあるだろう。霊性というのはそういうものからどう
してもはみ出るところがあるもので、それが物質主義的な
現世利益的な方向性と完全にマッチしてしまったら、それ
は科学としては王道ではあっても、人間の深まりとはまた
別のものに成り果ててしまうだろう。
>746 :考える名無しさん :2005/06/19(日) 00:46:33
>実証と、深化に耐えた科学はいまや、他のジャンルに
>もその勢いで手を伸ばしている。科学がなぜ、ここまで
>広がり、なぜ哲学がここまで廃れたかを一度考えてみ
>るとよい。そして哲学の議論の中に、科学用語や方程式、
>理論が乱踊している、この皮肉の根底は何かを、一度
>じっくりと見られよ。
>754 :考える名無しさん :2005/06/19(日) 05:06:46
>理系の連中が哲板に必死になってカキコしている事
>自体が全てを語っているんでしょう。とにかく意地に
>なってますな。逆はないのに。そういえば学生時代の
>生物学教授は哲学への憎しみをむき出しにしてました。
>「わけの分からん事ばっかり書きやがって」と
こういう、自分は科学をやっているから、ほかは滅びてし
まってもいいという論理は、自分本位の考えだろう。
やはり、マズローはマズローであって、それは人間性
心理学という、別の心理学である。その階層の上に
トランスパーソナルのすべてがあるなら、それと別には
いらないはずだろう。そういう上昇志向の強迫観念が、
むしろこういうことには逆効果とさえ思い始めている
ところがある。
ユングやグロフからの流れも大きいし、ウィルバーも、
ウォッシュバーンも、それぞれに違うところがあるとわか
ってきたからだ。研究というのはそうした偏見にとらわ
れず、既存の観点を再検討していくというところもある
のだから。
それに、マズローが言ったから、それがすべてか全否定
かというのはおかしい態度だろう。ユングが言ったから、
それがすべてか全否定かというのもおかしい態度だ。
それぞれ部分的には批判されるところもあるし、適合する
ところもあると考えればいい。排他的に現実的にある
ものを全否定することはない。
そういうバランス感覚を具体的かつ詳細にはどうやって
とっていくかということも、いろいろな知の蓄積からわか
っていくしかない。それが研究というものだろう。
トランスパーソナルをやっている人などと、見える一部の
部分だけをとった人格批判をもって、その全体の信頼性
を疑えるというのは、現実の知に対する自殺行為であり、
真に他人を尊重したものにはなりえないだろう。
237 :
没個性化されたレス↓:2005/06/23(木) 14:28:31
おまえ、戯れ言もいいかげんにしろよ。
>>236 >トランスパーソナルをやっている人などと、見える一部の
>部分だけをとった人格批判をもって、
どんな批判も「一部の人のことだ」と言えば簡単に言い逃れできるね。
かなりズルイやり方だな。
あのね、トランスパーソナル心理学について公然の事実がいろいろと言われるのは、
単に一部だけではなく、それだけ強い傾向が見られるということであるし、
トランスパーソナルの関係者たちがそれに危機感を持っているということでもあるんだよ。
トランスパーソナル心理学というものが、実際に危なげな傾向を持っているという事実は、
何度も言うが、それ自身で大きな、大きな問題なんだよ。
そういう現実に向かい合わないで、一般的な理屈や自分の印象をダラダラ書き連ねて
批判から逃げようとするんじゃないよ。
はっきり言えばな、
お前のような人間が、トランスパーソナル心理学の発展にいちばん邪魔な存在なの。
一般論じゃないよ。「お前」のことだ。
他人を尊重?
くだらないことしかしないのに、それで尊重してもらおうという性根が卑しい。
少しはわきまえろ。
そこまで一枚岩ではないし、そうすべきでもないものだろう。
なまじ芸術系や宗教系や人文系をやっている人のほうが、
もともとそういう玉石混交のなかで捉えていって然るべき
ことはわかっているはず。安定した規格、とか、そういう類の
ものあれば、それだけでいいわけではないわけだ。
なまじそういう分野についてはただ消費する側に立っている
人のほうが、そういう分野については、結局は自分のなかに
ある解釈での態度しか出てこないし思いつかないという、
危ういところもあるはず。
トランスパーソナルの学会だって、宗教系の人はちゃんと
付いているのだから。その人たちがチェック機構として、
霊的次元について判断していくはず。
結局は、霊性に関わる専門家の本はどんどんたくさん出て
きているのだから、最初は独りよがりだろうと、それがトラブル
メイカー的な起爆剤として閉塞感の極まりの時代において
点火できればいいわけだ。それにあわてて、活性化すれば
いいだけだろう。そうすれば、良いものというのも比率が高く
なってくる。
239 :
没個性化されたレス↓:2005/06/23(木) 14:44:06
>>238 「そのうちよくなるさ」かい?
現実に向かい合って、現実に問題を解決していかなければ
そんなことは起きないの。
トラパな人にありがちな現実逃避・勝手な未来予測を見せつけられたね。
240 :
ゾイド乗り:2005/06/23(木) 14:54:53
あなたが、このテストを気に入ることを約束します。ちょっと考えて答えてね。
終わったら、あなたは笑みがこぼれすっごく幸せになることを保証しちゃうよ♪
ちょっとした楽しみ。だからきちんと問いに従って。ズルはしてはダメ。クイズを始める、前に、お願い事をつくって下さい。
注意>>読みながらクイズをやること。
問いは4問。 もし、終わる前に最後の答えをみたら、このテストの意味はなくなってしまいます。
だから、答えをみようと先走らないで。。。 ゆっくり画面を下にズラした一問づつやって、ペンと紙を用意してその答案が必要になります
偽りのないクイズで、本当の自分を知るでしょう。
>>1、あなたの好きな順に下記の5つの動物を並べて下さい。
>>>牛、虎、羊、馬、猿>>>>
2、次の単語に1つづつイメージを表現して下さい。
>>>犬、猫、ねずみ、コーヒー、海
3、次の色でイメージする異性人物(相手もあなたのことを知っている人に)を書いて下さい。
>>>さっと書いて考え直さないこと>>>>
黄色、オレンジ、赤、白、緑
4、最後にあなたの好きな数字と週のうちで好きな曜日を考えてください。。
いいですか、考え直すのは今ですよ。。。。 >>>では、解答にいきます
1、あなたの人生の優先順位について
牛、キャリア、職業 虎、プライド 羊、愛 馬、家庭 猿、金
>>>>2、
犬、あなたの人格について 猫、パートナー ねずみ、敵 コーヒー、SEXのさま 海、人生
>>>3、
黄、あなたを決して忘れない人 オレンジ、あなたが密かに好きな人 赤、あなたが、本当に好きな人 白、あなたのことを好きな人 緑、あなたが今後人生でいつも思い出す人
>>>4、あなたはあなたが答えた数字分これを知らせなければなれません。するとあなたの願い事はあなたの言った曜日にかなうでしょう。
>>237 あなたの言っていることは不安感をただ煽りたてている
だけで具体性がないだろう。あなたに何があったかは
わからないが、関係者を代弁するくらいなら、もっと具体的
に書いてくれないか?その程度の抽象度でしかない限り、
こちらと同様、たんなる傍観者としかいえないだろう。
公然の事実とか言われても、認められている人には認め
られていることで、そういう立場の違いとしか言いようがない。
別にあなたに尊重してもらうつもりもない。
こういう人が一体なんなのかわからないが、ここまで興奮
したり焦りを感じたり余裕がないほうが、一種の狂気である
といえる。たしかにこちらは多大な迷惑的な誤解を広める
のに多大な貢献をしてしまったかもしれないが、それはそれ
だけ、周囲にこういう反応があったからだ。そういうことに
ついて想像できるはずもないし、それに対するとまどいは
あるだろう。
>>237 自分が世間知らずなのは認めるし、こういうものにあから
に賛同しているわけではない。
まあ、こういうものが余剰産業的で、ごくごくごくごく少数派
に属することは認識しているし、それほどに謙虚な意識の
なかで、必死に取り繕っただけだが。
自分はこれでも、大して理解しないうちに関わってしまった
ために、そのあと調べたりして、必死に取り繕って、必死に
これを擁護してきたつもりだ。
>>239 >「そのうちよくなるさ」かい?
>現実に向かい合って、現実に問題を解決していかなけ
>ればそんなことは起きないの。
>トラパな人にありがちな現実逃避・勝手な未来予測を
>見せつけられたね。
だから現実といっても、いろいろなスケールなり、いろいろ
な問題があるはずでしょう。ひとそれぞれ役割があるわけ
で。別に、現実的に生きている人を、貶めているつもりは
ない。ただその中に、こんこんと湧き出る泉があるんだ、
ということを知らしめることはできるかもしれない。
一寸の虫にも五分の魂、という言葉がある。どのような
立場の人にも、それが成り立っている以上は、なんらかの
見えない次元での役割というものがあると考えておいた
ほうが、ちょうどいい。どういう人にせよ、その人の現実を、
現実的に生きているはずなのだ。これにしたって、霊的な
問題が解決されて助かったという人もいるんだろうから。
けっこう地道に現実に向かい合って、現実の問題を解決
できるところもあると思うが。
いまの自分はたいしたこといえない役不足なのはしかた
ない。それもどうせ、今日でここから離れることだから、
関係の無いことなのだ。
これは、まだ生まれたばかりの、よちよち歩きの、あてども
ない子供のようなものだろう。
あるいは自分こそが、まだまだその程度の未熟な精神年齢
なのだからしかたない。
自分には現実というものは現実としてちゃんとある。そこを
勘違いしてもらいたくないことだ。これとされほど関係ある
ような人生をいま歩んでいるわけじゃない。
ネットはネットだったのから、忘れてもらいたいことだ。
ということでこれに直接関係ないということでは、お互い様
かもしれないし、そういう意味では周囲に迷惑を撒き散らし
ただけの、あまり面白いとはいえない結果しか出てこなか
ったことは認めるしかない。なにもなかったと、ひとまず、
忘れるしかしょうがない。
どうせここでがなりちらしている人に、これをやっている人は
いないだろう。これをやっている人はもっと現実的に冷めて
いるところもあるんだろうし、えてしてこういうものはなまじ
半端に関わってしまって、周辺あたりにいる人ほど、なんらか
の感情があって熱くなっていたりするものだろう。自分も
そうだったから、自分に対して反発する人もベクトルは違う
だけで、同じようなものなのだと、想像できる。
こういうものは半端に関わることはおすすめしない。そう
いう半端な距離感で関わってしまうことが、一番本人に
とって無駄なだけで悲惨なところもある。よほど必然性の
ある流れでないと、これに関わらないほうが良い。
これに文句言っている人にせよ、過去によこしまな妄想で
これに興味をもって関わってしまった、というなんらかの
後ろめたい過去なりがあって、それでこっちにこんなに感情
的になってきてるのかな?と思える点では、変わりない。
そうでなければ、こんなに感情的にもなれないだろう。
適切な距離感覚でこれに関われている人間もいるわけで、
これは個人個人の世渡りの感覚なり、出会い方の運不運の
問題もあるだろう。
そういう意味では、自分もネガティブな出会いをしてしまった
感は否めない。
ネガティブかポジティブか、そういうどっちに転ぶか両極端の、
そういう要素があるようだ。
世の中にはどうしても不器用な人間というものが存在する。
それはこれを叩いてくる人と、これを持ち上げてくる人だ。
どっちも、自分の人生を生きれていなくて、なにか他人を
むさぼるのに、必死になりすぎているところがある。それは
自分が実際にそれにはまったことで、十分すぎるくらい
わかってしまったことなのだ。
ということで、自分としては持ち上げもしないし、叩くことも
しない。そういうゲーム自体から抜け出して、二度とここの
人たちとも距離を置きたいと思っているだけだ。
トランスパーソナルとか、心理学とか、そもそもそういう次元
だけから、自分が抜け出していきたいと思っている。
本当にまともにしたい人は、叩くこともせず、持ち上げること
もせず、自分のフィールドのなかで然るべき仕事をし、それ
をこれに結び付けていくことだろう。
はっきりいって、こっちをどうこうしようと注目してくる人が
暑苦しいだけだ。誰に何をいわれようと、自分はいつまで
たっても、その人たちの思うようなかたちで反応したりは
しないし、それに影響を受けるつもりはない。
この心理学板で関わったすべての人から今回のことで
どういうかたちでもなんらかの影響を受けないこと。それ
だけは自分がこだわらなければならないことだと思って
いる。自分としては、ここでのつまらないすべてのことを
もう忘れて、後に残さないことが大切だと思っている。
いつまでも未練たらしくぐちぐち他人のことを頭の中に
残していることこそが、ほんとうにくだらないことだ。他人
なんてどうせ自分の思い通りにはならないのだから。
だから今回のことは忘れてもらわなければしょうがない。
自分もどのような意味でも今回のことは影響させようと
思わない。
そういう意味では、自分は今回のことでなにも学んだつ
もりはないし、成長したつもりもない。むしろ逆に囚われて
しまっただけで、新しく知ったこともなかったし、無駄な
ことだった。時間の無駄だったばかりか、下手にここに
巻き込まれて、退化してしまっただけの部分が多かった。
これに巻き込まれるまでのほうが、よっぽど頭が冴えてて、
普通だった。それだけ縁のない他人に関わること自体が
無駄の多いことだと痛感したのだ。
むしろそういう壮大な無意味さとでたらめさがあるんだ
ということこそを、恐れずに認めきったことで、やっとなに
かを抜け出して成長したといえる。
はっきりいって今回のことは、トランスパーソナルとも自分
とさえも、なんの関係もなかったといえる。それがなにかの
関係や意味があるのだと、勝手に理由づけを始めたこと
にこそ、不幸があっただけだということだ。
すべては他人が注目しすぎたことにこそありもしない妄想
的なものの拡大の原因があったといえる。注目している人
にこそ、どういう妄想をしていたのか自分に問うべき。
250 :
没個性化されたレス↓:2005/06/23(木) 17:33:13
「トランスパーソナル心理学をやる者は独りよがりが多い、
パーソナルレベルのことが解消できていない人が多い、というのは、
暗黙の事実として普通に流通している」。
これ以上に具体的な事実があるかよ?
事実は事実。立場が違ったところで変わらない事実。
傍観者かどうかなんて関係ない。
言い抜けすることでその事実から逃れられると思うな。
勝手な想像で長々と書くな。
「抜け出したい」と思うのならもうここには来るな。
だらだらここに居る時点で説得力なし。
トラパーって完全にオカルトやんけ
ケン・ウィルバーってインテリに相手されてないだろ
ソニーのAIBO開発責任者を務めた天外伺朗(おそらくペンネーム)氏は、
ケン・ウィルバーを支持してるようです。
アサヒの書評サイト(BOOKSアサヒ)で、ウィルバーの「統合心理学」の
書評を寄稿してました。
http://book.asahi.com/review/tengai.html ちなみに、天外伺朗には茂木健一郎との共著や、堺屋太一から推薦を
受けたりもしています。
まぁ、どう見るかは人それぞれでしょうけど。
このスレみてると、人格的に問題のある人がトラパにハマってることは
事実のようだし。
もっと上を見ることですよ。
どの人であれ、トランスパーソナルは自らの人文学的研究
の一部として、やられていることなんです。それは結節点の
ようなもので、それだけを見てしまうと、自ずから限界があっ
て当然なんです。ようは、そういうものについて語るための
人文学的なストックがない、もしくはそういう領域については
非専門で消費してきた人ほど、まるでまったくとりとめもない
ように見えて、不安になるということです。これを受容する
ためには、人文学的なフットワークなりセンスこそが、かなり
必要になってきますね。そういうものです。そういう道を
通ってきてる人こそが、本来、読めばいいようなものです。
ウィルバーの「統合心理学」だって読みましたよ。書いてある
ことは、文学や芸術の理論など、人文学的な色彩の強い
体裁のものですよ。そっちの知識が要求されるといっていい。
これは心理学というより文化創出、人文学の再生という色合
いが強いですね。そう理解してしまったほうがいい。
現代において、いかにそういうものの本当の価値が理解
されなくなり、軽視され、不当な扱いを受けているか、という
ことでしょう。それがデカダンスな、質の低下を招いている
ところもあるんです。まあ、人のことは言えませんけどね。
自分は明らかに、トランスパーソナルどうこう以前に、人文
学擁護の立場に立っていることを、痛切に自覚しましたけ
どね。こういうことをやりたい人は、人文学へ行くことをおす
すめしますけどね。心理学も人文学的なセンスも持ち合わ
せているかと思いきや、少なくともここはそうではなく、自然
科学のそれに向かう志向性が強いようですけどね。
人文学では、トランスパーソナルに限らず、死生学とか、
スピリチュアリティ研究とか、生命倫理とか、そういうプロ
ジェクトとして、こういう領域周辺にはフォーカスが当たり
つつあることです。たとえば、シュタイナー教育にしたって
オカルト的なものの、教育学などでは公然と扱われている
わけですから。筑波にもそういう人はいますよ。建築学にも
シュタイナーは出てきます。ようは、縁のない人とは無理
に関わらないことです。価値を扱うには、ある種、オカルト
的な考え方に踏み込むことは不可避なわけですから。
まあ、これはたんなる叙述であって、なにがいい、とかいう
価値判断ではありませんけれどね。そういうものは、つねに
問い続けていることが健全でしょう。
自分のささやかな精神生活をいかに豊かにしていくかが
大切なことなんです。科学もいいですが、その周辺だけに
とりつかれていたら、精神的に貧しくなってくるし、殺伐と
していきます。
こういうものは、人文学で専門にやっている人が、客観的
なスタイルで精緻に扱うことに慣れており、冷静になれる
ところがあり、健全なところもある、と感じることです。もっとも、
そこにも玉石混交があり、ほんとうに質を吟味する必要が
ありますが、それは自分で深めていくしかないことです。
問題は、どうして科学の心性が、マッチョに偏ったものに
なってしまったのか、ということでしょう。
まあ、関係ない人には、最初からどうでもいいことのはず
ですけれどね。ではこれにて。
258 :
没個性化されたレス↓:2005/06/24(金) 13:08:15
やはりもう誰にも止められないのだろうか。
どうしてそう思うのだろうか。
気にかかる所ではある。
確証があるのだろうか。
それとも流れに乗ってしまったのであろうか。
259 :
没個性化されたレス↓:2005/06/24(金) 13:39:59
トラパー信者=独りよがりのチンカス
260 :
没個性化されたレス↓:2005/06/24(金) 14:16:44
あなたがそのチンカスであることにまだ気付いていないらしい。
そういった点は上でさんざん述べている。
261 :
没個性化されたレス↓:2005/06/24(金) 20:31:37
262 :
没個性化されたレス↓:2005/06/24(金) 20:34:11
トラパーにハマる奴=馬鹿なチンカス
>>258 意味がわかりませんが、私は入り口を示したまでです。
こういうものは、あれかこれか、という発想じゃないと思い
ます。まったく、性質がちがうと思いますので。ただ、ちゃ
んとした神学研究にはこういうものもあり、これはこれで
評価されているものです。知っておいて損はないものです。
もっとも、「知らぬが仏」という言葉もありますし、人それ
ぞれですが。絶対視と排除性が強いと、信教の自由で、
ついついこういうところばかりに目が寄っていきがちなの
は仕方ないですけどね。まあ、思い込みがちなものを、
歴史的に相対化するのも、大切なことかもしれません。
>>260 この人は違うひとですね。
>>258 はっきりいって、どれが正しい、なんてわかるわけない。
こういうものは好みでしかないでしょう。どれも正しくても、
自らのワークに適切に結びついてなければ、ただの道楽
になってしまうでしょう。だったら関わらないほうがまし
ともいえるし。ある種、人生と同じで、自分にとっての賭け
の部分はあるものでしょう。ただ、自分に取り組まないで、
他人に取り組んでしまうのは、いささか感心しませんけど
ね。ま、人のこといえたもんじゃないですけどね。こういう
ものはまだ、その点、気楽なんでしょうけど。まあ、こういう
ものは読み物として嗜んでいる人はそんなに少ないわけ
じゃないでしょう。気張ることはないもんです。
>>258 結局、確証とか、そういう「外部に証明(否定)してやる」
という形に力点を置いてしまうと、こういうものはマッチョに
なってしまって、おかしくなってしまうということです。心理学
にしてもそうで。自分はもう、そういうつまらないことには
係わり合いになりたくないもんですね。もっと実存的なもの
でしょうから。その実践(ワーク)をしたとき、医学的効果・
臨床的効果というのは、積み重ねることはできてもですね。
それはあくまで解決するためのもので、それをもって、
むりやり説得するためのものではないでしょう。
>>258 まあ、そういう体験があるということが、臨床的なリアリティ
として扱われてくるとなると、とても怪しげで、面白くなさげ
なところがあることは、想像できますが。
まあ、仏教の人は、こういうものはもともと異端でもなんでも
なく一体のものなわけですから、むしろその点では、とくに
とまどう部分はなくスムースに感じるはずですが。この学会
の置かれている某禅学系の大学は、瞑想の実践やアメリカ
禅センターへの留学が、もともとカリキュラムに織り込まれ
ているくらいですから。まあ、ごくごくマイナーですけれどね、
こういうものはやっぱり。安定した規格的なもの、とは必ず
しもいえないところがあるし、無理して受け入れなくていい。
それではこれで。
何回目だよ。
どういうことかというと、シルクロードから東周りに向かった
キリスト教というものがある。
神道学者の鎌田氏によると、キリスト教がどういう宗教な
のかには昔から非常に関心を持っていたそうで、最近は
初期キリスト教には大乗仏教の影響があったと思っている
そうだ。ネストリウス派やそれ以前のエッセネ派も、大乗
仏教やインド思想との交渉関係でのインパクトを抜きには
語れない。ネストリウス派というのがあり、これは西方
キリスト教を指してエジプト化している、つまり、マリアは
イシスだ、神の子の思想はシャーマニズムだ、と批判して
いる。この地帯でイスラームがのちに生まれそこにはスー
フィズムという神との一致を目指すワークもある。また東方
キリスト教もこの派あたりから生まれている。それは中国
に伝わり、景教と呼ばれている。また、ギリシャ正教、 ロシア
正教という、ギリシャからモスクワまでのラインもあり、ここ
からあらゆる神智学が出現している。それはインド思想や
キリスト教思想やエジプト思想を、よりユニバーサルな次元
で統合していこうとする運動だった。空海は長安に渡った
とき、景教の文献を読んでいて、その痕跡は日本にも残って
いる。そこから聖徳太子の菩薩的なものと景教の関係も
でてくる。
つまり、こうした世界史なり人類史の、より大きな流れで
捉えられることから、「イエスは菩薩である」という統合的な
観点を出す人はいる。言い換えると、「グノーシス的な高次
の作用によって賦活された霊的人間である」ということだ。
アメリカのトランスパーソナル心理学研究所でも教えられて
いて日本にも広まっているエニアグラムは、グルジェフが
西洋に持ち込んだ。彼はトランスパーソナルに影響を与えて
いる人物である。グルジェフのシステムは、東方キリスト教の
中に埋め込まれた秘教的キリスト教に見出せる(ボリス・
ムラヴィエフの『グノーシス』)。また、グルジェフが、「有史
以前のエジプト人は、キリストが生まれる数千年前にすでに
キリスト教徒だった」(『グルジェフを求めて』)といったのも、
先の流れを把握すれば、真意がなんとなくわかってくる。
また、ナグ・ハマディ文書だが、ユングや、フィリップ・ディック
は、これに直接的な影響を受けている。それを知らない
グノーシス的思想としては、ハンス・ヨナスの『グノーシスの
宗教』は、ハイデッガーなどの実存思想にそれを見ている。
中沢新一の『はじまりのレーニン』は、ロシア革命のなかに
それを見た。グルジェフもロシアである。笠井潔氏はそれに
ついてシモーヌ・ヴェイユのほうがグノーシス的だと評したそう
だが、これも同じ実存主義系である。実存主義系の文学の
起源を辿ると、ドストエフスキーにたどり着くが、その土台は
東方キリスト教である。中沢新一の『東方的』は、人間の精神
の高次元性について書かれている。
こうしてグノーシスは、一方でナグ・ハマディ文書という形で、
一方でロシア正教に内蔵される形で、保存されており、その
解読者が現れることによって、深い精神性の世界が復活
するようになっているのかもしれない。
もちろん、もともと仏教などの東洋の伝統もある。
また、日本の神道、中国のタオ、オーストラリア・アボリジニ
のドリームタイム、ネイティブアメリカンのグレートスピリット、
そうした共通感覚というものもある。
ずいぶん大雑把な見方だろうが、とりとめもなさそうなもの
なだけに、薄まった表面だけをさらうのではなく、このような、
一貫した流れで捉えていくよう努力することが大切といえる。
だいぶ見通しがよくなったと思う。
あと、ドイツ神秘主義のエックハルトの『エックハルト説教集』
は読んでおいて損はない。心の自由と平安の問題、苦しみの
中でもなおそれを高く超え出た在り方、「離脱」が説かれる。
ユングは、エックハルトを、「自由な精神の木に咲く最も美しき
花」だと評した。
こういうことは人文系の、どんどん読んでいく人は、けっこう
知っている人が多いことだと思う。なまじ知らなすぎるから
バランスを崩すということになる。
こういう比較宗教的、比較思想的ことは、特定の信仰から
入ってしまうと、なかなか安易には出来ないことではあると
思うが。
世俗的な毒気を浴びすぎた。はっきりいって、もう特定の
自分に関係あると思った興味のあるソースしか見ていない。
そんなに他人を意識しているわけではない。自分としても、
自分が高められているとは思っていない。自分を意識的に
高めることになるだろうと思う。
もうここは見ない。このままいいかげんさっさと忘れる
しかない。世俗にまみれすぎた。しばらく沈潜したい。
私のこれからの人生はすべて予測不可能である。
だからあなたも自分の人生こそを見つめることだ。
>>280 きっと伝わらないと思います。やっぱり、
たくさん知れば、それだけいいわけじゃないんです。
こういうものは、形じゃないし、言葉じゃないんです。
重要なことは、むしろ、シンプルな有様なんです。
簡素で、静寂さがあって、自然体であればいい。
それを言葉で言い切ってしまうと、勘違いされがちなんです。
すぐに理由探しとか解釈探しを始めてしまう。
強迫観念に駆り立てられている人が多いですから。
だから、きっちり分けたほうがいいということなんです。
なまじ余計なことはしないで、
これまで通ってきたままのほうが、ずっといいですよ。
ようは、どれでもいいんです。
>>280 ここはあまりに殺伐としすぎているでしょう。
ここは男性ホルモンの分泌が強い世界です。
ここを普通だと思ったらおしまいですよ。
私は案外現実的なので、なかなかこういう場所に
染まらないし慣れないようですけれどね。
染まれば染まれたで、違和感無いのかもしれませんが。
普通の人は書いてあることを真に受けないほうがいいし、
自分から見ないほうがいいです。
ここに染まってよしとしてしまうと、
あまり心に良くないということがわかる。
それだけその場その場の影響は受けやすくはありましたね。
自分はもう、ここでのことは忘れますけどね。
こういうことは、なかなか伝わる気がしませんしね。
あまり他人のことを言いたくありませんが、
ここは気持ち悪い人が多いです。
ここだけ見ているとまったくわかりませんけどね。
そういう意味では、まんまと、はめられました。
>>280 ほかの板はまた、全然違うことが驚きですけどね。
この違いがいったいどこからくるのか、
自分には最後までわかりませんでしたけれどね。
きっと見えない、独特の文化があるということなんでしょう。
それにしてもここはすごいと思ってますけどね。
たぶん全員でなく、一部にそういうことに共鳴する人がいて、
その人の余暇に占める頻度が多いんでしょうけど。
そういうことしかすることのない人もいるのかなと、
思ってしまいますけどね。こういう世界もあるんだなと。
勉強ではありましたね。
こういう掲示板は精神的にタフなひと以外、読まないほうがいい。
私はネット自体、疑問ですけどね。
大したことでもないのに、増幅していくようなところがある。
沸いてくる人たちはなんなんですかね。
こんなところばっかり見ていると、
人間嫌いになっておかしくないんじゃないですかね。
他人のことをじろじろ見ている人の、
薄気味悪さ、気持ち悪さを感じてしまった。
ここに疑問をもった人は素直に見ないほうがいい。
あまり現実の反映というより、
ここはなかでも特殊すぎる人たちが集まるんでしょう。
まあ、あんまり他人のことは言えないですが、
そう感じるんだからしかたない。
自分はまだまだ、そこまでスレた人間じゃない。
かなり純粋ですよ、自分は。
結局、自分のことはなにひとつ書かなかった。
匿名掲示板では、他人を信用してないんです。
ここはジャングルみたいなものだと思ってますね、正直。
そこに気付けない人が多い。それだけ磨耗してしまったのか。
自分はアート的なものを目指している人間でしたね。
あまり霊性とは、関係がなかった、のかもしれない。
有用性でしか推し量れないとなると、
話もかみ合わないでしょうね。
もっと有意義なところを見つけていますし。
あまりにいいだけに、ここには絶対書きません。
ここに姿をあらわしていたのは、
それだけ一部分です。
これからはもっと、人と場所を選んでいくつもりです。
ここで出会ってしまった人とは、
少しも分かり合いたくないんだ、ということが、
どうしてもわかってもらえなかった。
その気遣いこそがほしかったのに。
本当に最初から嘘しか書いてなかったことが、
どうしてもわかってもらえないようです。
それが苦しくて辛かったですね。
人間、そういう推量に確信をもたないほうがいい、
と思った。
人と場所、両方を選ぶことが大切なんですね。
同じ人でも場所が違えば自ずから違う表し方をしたい。
この場所ではどうしても出会いたくない、というものはある。
そしてそれが三者関係よりもこじれてしまったとき。
そうなると人間、とにかく嘘を重ねてごまかしますよね。
そういうシチュエーションでしたね、これは。
それをどうしてもわからない人が多い。
そういうもんですかね。
結局、人間なんてなんだかんだ分かり合えるとか、
逆に独りよがりだなどといいながらも、
誤解に立って誤解を重ねながら生きているようなところは、
どうしてもあるんだ、ってわかりましたね。
分かり合えるんだ、ということがすでに、
分かり合えないんだという不安から始まってしまっていて、
分かり合えなくしている。
そういう意味では、自分にとっての、
分かり合えるトポスを探すことです。
自分は見つかってますけどね。
そういう人と場所での時間を大切にすることですよ。
ここは自分には合わなかった。
ただそれだけですね。
まあ、この場所というよりも、
有用性の強迫観念に支配されすぎないことですね。
それは一種の、役に立たない病ではある。
自分もそれに、まんまと巻き込まれていた。
なにが大切かということが、逆にわかりましたね。
力まないこと、緩むこと、っていうんですかね。
まあこういってもすぐに変換して塑形してしまう。
だから通じないんでしょうね。
自分は他人を無視することを覚えましたね。
一字一句そのままに受け取らないこと。
自分の考えを押し付けすぎないこと。
これは大切なことですね。
ここに書いていることも自己満足ですから。
どのように解釈されてもかまわない。
誤解はするもんですから。
時と場所、人と場所を選べば良いんです。
ここは残念ながら自分の場所にはならなかった。
それだけのことでしたから。
すぐに説明してしまうことを止められない人となると、
そこでは、信用しあわないほうがいいとわかりますね。
とくに敏感な人は、分かり合おうとしないほうがむしろいい。
予想を裏切り続けて突き放すことじゃないですか。
他人と分かり合えてないことを信用すること、
そういう姿勢は人間、大切ですね。
それが結果的に分かり合えることになる。
いままで分かり合えると思っている人で、
ろくな人はいなかったですね。
むしろ分かり合えないと言い切れる人こそ、
そうあることで根底では分かり合えることを信じている
人なんだということがわかる。
そういう信用と洞察は自分にはありますけどね。
まあ、これがどういうことを言っているのか、
ここでは通じなくてかまわないですけど。
伝えたくないんだ、ということを伝えたいところもある。
ここでは分かり合いたくない、ということは人間ある。
ここはプライベートでもなんでもないですからね。
言葉を記号としてしか扱わないし、
道具的に反応したり扱おうとする人が多い。
そうなると自分もそうなる。
自分はわかっているという確信を
固定しやすい人が比較的多いようですね。
これは自分のなかでは発見だった。
たしかに、そういうタイプもタイプですよね。
人間ウォッチングをするつもりもないですけど。
自分にはもっと静寂にいることが必要だった。
書きすぎてしまいましたね。
あえてついつい書いてしまうところもあった、か。
無視することって必要ですね。
そういうものがないと、人間生きていけない。
知性の限界を知っている人っていうのは、
あまり消耗するところがないし、
極端なところがない感じがしますね。
小さな親切、大きなお世話という言葉をこれほど
痛感したものはなかったですね。
他人が注目しなければ、こうもならなかった。
そういう意味では、世俗離れが進んで、
人間嫌いになりましたね。
人間に絶望することの大切さを知った。
他人を知ろうとする、心配しようとする人こそが、
一番他人をこじらせることがわかった。
こういう人とはこういう場所では分かり合いたくない、
というのはある。それはその分かり合いたくない
ということを伝えるしかないですね。
とにかく、どうとも思われたくないというのはある。
他人を分かろうとしないこと。
これは大切ですね。それは人間の美徳でもある。
そういうものがないと駄目ですね。
共感しようといっても、探ろうとするのは、
天と地ほども違いますからね。
そんなものはどこにもありはしないのだから。
共感というのはもっと、放っていく、ところがある。
そういうものがなくて、
解釈になってしまう人は、
共感ということがわかってないんじゃないか。
自分はけっこう人を見る目や洞察力はありますけどね。
それをあえてここで出さないところもある。
分かろうとするってのはかなり野性的ですね。
共感といっても、
それを解釈としてつかもうとすると駄目になる。
もっと、静かに放っていく、ところがある。
そういうことの大切さなんですよね。
しかもまた、その放っていく、というのを
行動的に捉えてしまうという罠がある。
そうではなく、そのままなにもいじらないということで。
そういうことって大切ですね。
それがルーチンなり観察になってしまうと、
もうどこか違う。
そういう人とは分かり合える気がしないし、
分かり合ってはいけないところもある。
これだけ気付くと、自分を見つめるでもなく、
自分でいつづける余裕のもてる人って大切ですよね。
普通の人はすぐに相手のことを勝手に考えて
いじってしまう。心配するでも心配しないでもなく、
ただ自分を見失わないことの大切さ。
他人がこうだと思って、こうしようと思ってしまわない。
そういう人を大切にしたいもんです。
はっきりいって、ここで叩かれているような人のほうが、
よっぽどそういう人格の良さがあるので残念だ。
唐突な発想に思いがちとはいえ、
こういうことはメルヒェンをほんとうに味わえる人、
純粋な自分を残している人は、
そういうものっていうのは機微としてわかるところが
あるでしょうね。
そういう意味では、ほんとうに良い人というのは、
どういう人か、自分にはわかりますけどね。
自分はあえて、嫌われようとしていますけどね。
さらし上げ
こういうこともここでは書きたくないんですね。
こうかくとまた、いじる人がいるのが思いつく。
しかもどういじるのかも、選択肢として思いついてしまう。
そういうところに嫌気が差してますけどね。
この場所はじぶんにとって鬼門でしたね。
来るときに来るようなところではまったくなかった。
自分はここでこうなる必然性はなにもなかったですね。
だからもうどういう人か分かっているというのは
幻想でしょうね、残念なことに。
意地の悪い人間っています。
というか、意地の悪いところを手放すことの
なくなった人というのが正解で。
自分はまだそういうのは影響を受けているだけで、
簡単に手放せるものですけどね。
ほんとうの自分ではない。
なんでもレトリックにしてしまう人っています。
それ以前の言葉を発しない人。
ここは自分は来るべきではなかったし、
他では他で、ほんとうの自分になれているわけですからね。
ここがそれだけ他人をいじる人しかいないんです。
なにか幻想なのに考えて設定して、
そこに対してぶつけてくるような人が大半でしょうここは。
そういう迷いのない割り切りも、
そういう時期とはいえますけどね。
住む世界が違う場所に来てしまった。
そのせいでまったく大したこと無かったのに、
勝手にいじられてしまっただけで。
そういう意味では、単なる場所の問題で、
自分がおかしいとは思ってませんけどね。
ほかではほかで、違う本来の自分でいるわけで。
結局人は、不安を作って安心したいところもある。
そういうところはありますけどね。
ただ、それにもつまらないものと深いものがある。
そういう意味では、こういう生き方をしたら、
自分にとっては間違いなく間違いになるな、という、
ものは間接的にわかったことは幸いですけどね。
ほんとは間違ったものなんてなく、
単なる相対的な程度のものですけど。
なにが自分にとって本質的かということもわかった。
それはここに書かないし、書いても意味がない。
しょせん、他人とは違うわけで、
その違いだけでどちらがいいとはいえないのだから。
それを悟ってしまえば、
他人のことは気にならなくなるものです。
面白いことに目を向けるべきですね。
あえてこうしなければならないと追い込んでいくと、
ろくなことにならないですよ。
これは間違いないことです。
そういう意味では自分の時間を大切にするべきです。
ネットなんてかかわってもろくなものはない。
しょせん、他人は他人です。
分かれるんだ、分からせられるんだ、という、
小さな親切大きなお世話が、
たくさんの苦を生み出してしまう。
余計な他人に関わらないことです。
ずっとわけのわからないことを言っている。
そう思うのは悪いことだ、という思い込みこそが
悪いことなんです。言葉じゃないから。
分かり合ってもしょうがないような他人とは、
分かり合わないことですよ。
そういう人はそういう人なんだと、
あきれて放っておくしかないってわかりましたね。
もう自分にはここにきて他人と関わってしまったことが、
大きな間違いだとわかりましたから。
他人との関わりうんぬんなどと、
それ以前の場違いの問題だったんですから。
それだけのことでしかない。
まさに小さな親切大きなお世話しかなかった。
勝手に思い込まないことって大切です。
思い込んだ分だけ、つまらないものが増えるだけ。
どれもこれも、最初からなかったものが。
これまで関わったすべての人と、
自分とは関係なかったんですね。
それを無理に関わろうとしたからこうなった。
たまたまいあわせただけで、
意味なんてなかった。
それなのに意味が生まれて、くだらないことです。
目的も意図も必然性も、なにもなかった。
そこで手放してくれない他人がただただいただけ。
おっせかい。ろくなことがない。
誰に向けていったのかすら定かではないし
誤解されている。それが受け取られているという錯覚。
そしてまた、こうしたことにもまさに意味があるという
錯覚。すべては錯覚なのに。
そしてそう錯覚と表現することにも特別の意味がない、
と表現することにも特別の意味が・・・無限ループ。
こうしてすべては散らばっていく、塵芥のように。
さようなら、つまらない世界。
さようなら、他人というこだわり。
さようなら、ここで他人とちゃんと関わらなければならない、
他人に示さなければならないという、強迫観念。
さようなら、意味を求める他人。
さようなら、結論を求める他人。
さようなら、解釈を求める他人。
さようなら、なにかコメントせざるをえないという不毛な執着へ。
さようなら、考えることに忙しい、賑やかな他人。
さようなら、自分のこだわり。
さようなら、このつまらない注意と注目の場所。
分かってほしくないということが分かってほしいということ
しか分かることがないということを分かってほしい。
最初からここで他人とわかりあうつもりもなかったし、
わかりあいたくもなかったし、なにも自分のことは
本当のことは書きはしなかった。だって最初から、
他人が見ていたこと、そしてこういうことはずっと、
自覚していたのだから。ここまでのすべては、どこ
まででたらめにするかという、試行錯誤の連続と抵抗
がすべてだった。それほどに分かり合いたくなかった。
ここでは。
嘘しか書いてないことと、分かり合おうとしなかったこと、
それだけがじぶんにとってのただひとつの誠意だった。
それほどに分かり合えていないこと、本当の自分がここ
で知られていないことには、自信がある。自分に才能が
あるとしたら、それを隠せる裏読みの深さだと思っている。
それほどに、自分が反映されていない確信だけはある。
文章もわざと作っている。
世界一、誠意のある詐欺師だったといえる。すべてを
100%、他人のニーズに合わせて作っただけだったの
だから。これをほんの片手間で適当にやっていたこと
だけが、自分にとって後悔のないことだった。それほどに、
自分は自分なりの誠意をここで突き通したつもりだ。
自分ともこのスレッドとも、なんの関係もない人物だった
のだ。なまじ普通の人のほうが近いくらいに、自分は
そこから遠いとも言えた。いや、そういえることすら不自然
なほどに接点がなかった。それを分かっているつもり
などとライフヒストリーを勝手に総合して構成してしまった
人には、ほんとうに作り話の設定なのに信じてしまうほど
にやってしまって後悔はしている。それほどになにもかも
作り物だった。そしてそれに相手をし、意味を見出し、
それを手放さなかったのはすべて他人のほうだった。
よく考えればどれもこれも作った範囲におさまっているのに。
現実となにか関係あると思い込まれて残念だった。ここの
人と自分は接点も感じないし、どの人ともなんの感情も
なかったのに。
ここで一度も自分を出さなかった自身はある。それだけ
変幻自在にごまかしていただけった。誰かに思い入れも
残していない。このまま忘れてしまうよりほかないようだ。
すべてわざとやっていた。意味がないことも、意味があり
げに見えることも、でたらめにうそをかいていた。それだけ
が自分にとって、誠意のある対応だった。もちろん、
でも実は90%くらいはほんとうで10%の嘘がなどという
ことまで織り込んでいたほどに、最初から意味のないこと
をやっていた自信がある。他人もおそろしいほどに自覚
していたし、おそろしいほどにでたらめに意味の無いことを
していただけだった。そのことだけがおそろしいのだ。
意味の無いのに意味が出たことが恐ろしかった。そうした
影響はすべてゴミになってしまったといっていい。影響を
受けてしまった他人が悪いとしかいいようがない。これでも
影響が意味をもたないように誠意と努力をしたのにも
かかわらず、意味がでてしまったし、それがこれからの
自分とはまったく関係ないものになってしまった。
ここがおかしいのは、おかしくしてごまかしているという
ことまでごまかしているほどに、ごまかししかないからだ。
かといってそのごまかしがすべてなほど、ごまかしきれて
いないわけでもないくらいには、ごまかしきれている。
心理学とも現実とも自分とも関係がなかった。それなのに
手放してくれなかった、関わろうとしてしまった、他人。
それによっておかしくなってしまった。
すべてはなにかネタを探して飢えていた人が起こした
混乱だった。それ以外、ほんとうはなにもなかった。
そろそろ忘れてもらうしかない。これ以上はもう誰かに
協力することはできない。誰にも協力できないほどに、
もともと関係ない人物だったのだから。だからなにもない
ように見えておかしくない。接点がそれだけないの
だから。他人とのかかわりをどうにか突き放すことしか
考えていなかった。しかしながらなにか自分と関係が
あるという錯覚、意味があるという錯覚を、手放す人が
なかなかいなかっただけなのだ。
他人のためと他人はいう。でももともと関係ない他人は
他人でしかない。そこまで他人のわずらわしさを感じて
しまうと、なおさら世俗離れした自分の道を見失わない
ことこそが自分には確からしいと思えてくる。ここでのこと
は自分には関係あるともいえなければ関係ないとも
いえない。せめて自分は泥沼にはまらないよう、自分に
無理のない道を選ぶことに迷わないようにしたい。他人は
他人。その他人にあれこれ言うほど、接点があるわけ
でもないのだから・・・。
関われもしないかかわりのない他人とかかわりすぎた
ことに、不幸と苦しみが合った。この不毛さだけは忘れず、
二度とくりかえしたくない。これほどに関係のないかか
わりがあるとも思わなかった。忘れてしまおう。そこに
意味を認めたところで、前には進まないのだから。
時間の無駄にますます他人やらが不毛に思えてしまった。
縁のないかかわりをこれほど見せ付けられることもない。
関わるべき他人と関わらない他人がいることがわからない
かぎり、きっと手放してはくれないだろう。それほどに、
他人と関わることには不幸と苦がある。これほどには他人と
関わってしまっては人間いけないものなのだろう。
そういう意味では他人とかかわりすぎてしまった。
なんという、無駄なことだっただろうか。むやみには関わ
らないほうがいい。他人の他人たるゆえんをいやという
ほどに味あわされてしまった。そこにはものすごい疲れ
があった。他人なんてたにんなのに、どうこうしようという
のがどうかしていたのだった。
他人との係わり合い、その原理がいっぽまかりまちがうと、
そこにはなんという閉塞感と不幸がそこにあるのだろうか。
一人になること、人を選ぶこと、他人を気にしないこと。
そのことの大切さを感じる。
他人が他人にどうこうできるということこそが、間違った
前提だったのだ。どうこうするほどのものがなかったのに
そのことでどうこうなってしまっただけだったからだ。
なんたる不毛。他人との関わりという不毛。関わるにも
吟味しなければならないものがある。やたらめったら
関わってしまうとろくなことにならない。
他人をあれこれ想像することの、小さな親切大きなお世話、
すべてはそこから苦と不幸が生まれる。あまりにもあまり
にも関わりすぎてしまった。関わりすぎてしまったのだ。
やっと、しがらみから抜け出せそうだ。しがらみによって
こそ、おかしくなっていた。そのことによってこそ、おかしく
なっていたのだ。やっとすべてを捨てて、誰にも不確定
な、そういう未知の空白へと進むことが出来る。それを
他人には予想することはできないのだから。
なんでも問題視してしまう、狂った他人へ、さようなら。
自分は一番、健全すぎました。
こんな暑苦しい関わりを経験した人なんていないだろう。
それだけでも、これだけのことを書くだけの理由がある。
すべてでは関わりすぎたことがすべてだったのだから。
自分は、他人を無視できる人間になりたい。
狂っていたのは自分ではなかった、このネットだったのだ。
自分の現実とはあまりにも関係が無かったのだから。
あまりにも場所が悪すぎただけだったのだから。
これからは狂っていないように見える他人を大切にしたい。
この場所にはいなくても、ほかにはたくさんたくさんいた。
それに気付いてよかった。ほんとうによかった・・・。自分に
合う人たちのところへいこう。これ以上、関わりたくもない
のに無理して示し合わせることももう限界にきているの
だから。これだけ関わってしまった以上、一生関わらない
ようにしよう。これは他人ではなく自分への言い聞かせ
なのだから。さようなら。自分の中の、いらなかった要素。
手放さなかった他人、関係の無かった他人、さようなら。
思い切ってくれなかった、割り切ってくれなかった他人、
でももうさようなら。こんなに反応がつづいた狂気の世界
からやっと目が覚める。ここに関わる世界のほうが狂っ
ていたのだから。いや、この場所がくるってしまった。
たったそれだけなのだから。この狂気から抜け出すだけ。
誰にももともと指図されることはなかったのだから。
こんな狂気がこの世界にあったなんて知らなかった。
どうしてこうなったのか、狂気としか思えない。これほどに
狂気をみたことはなかった。この経験そのものが狂気
だった。なんたる狂気。自分だけが正気。
これほどに注目した人はもうこのことを忘れるよりほか
ないだろう。あまりに恥ずかしすぎて。それほどに恥ずか
しい狂気を見てしまった。この目でしっかりと見てしまった。
なんたる狂気。もう忘れるしかない。とても受け入れる
ことはできない狂気を見てしまったのだから。これほどの
恥ずかしい狂気を見たことは一度もない。
自分はもうこれを認識している人の存在そのものが恥ず
かしいものとしか感じられなくなってしまっている。それ
ほどに、恥ずかしいことだと思っている。
だから忘れたい。
もともと自分から注目を集めるつもりはなかったのだから。
注目を集めた人が恥ずかしいと思うしかない。
正直、ここまで大人げないとは思わなかった。まさかこん
なに。むしろここで叩かれているような人のほうが立派。
なんたる逆転。
ろくな人がいなかった。自分もろくなことがなかった。
もう忘れるしかない。たまたまの通りすがりなんだから。
人間、ここまで狂わされるとは思わなかった。
ここに書いてあることを本気にするなんてどうかしてる。
まったくわかってない。そこまで真面目な人間じゃない。
不真面目な人間だった。だからもう消える。
これまでこんなに真面目な人がいるとは思わなかった。
自分はもともとアート系できてるから。そういう世界の
人間とはまったく違っていた。間違った場所に寄ってしま
いそこから抜け出せなくなってしまったのだ。自分は
常識外れのほんとうの変わり者だと自覚してしまった。
そういうノリで来てしまったから。それほどまでに、
自分とは住む世界が違った。
人間、住む世界はそんなに簡単には変えられない。
それだけ無理はできないことだとわかってしまった。
自分は真面目な人間じゃない。残念なことだった。
これからは不真面目さを生かせるようにしたい。そうで
ないと自分が狂ってしまうからだ。
真面目な人間だと思われてしまったことが辛かった。
おそらく、ずっと違う世界のノリできてしまったからだ。
だからここまで食い違うのだろう。まただからここまでは
食い違わない人もまたいるのだろう。相手が自分ほど
真面目な人間ばかりではないということに気付くこと、
そういう発想があまりここの人には無かったようだ。
それほどにここの人たちは狂気を感じるほど真面目で
普通だった。世の中にはそんなに真面目な人ばかり
ではない。真面目になろうとしてゆがんでしまった。
本来の自分らしさを戻すのに遠回りになってしまった。
それではそろそろ自分の本来あるべき場所へと戻る。
やはりそこが一番らくだからだ。本来の自分をそのまま
出せばいいだけなのだから。ここはそれほどに本来の
自分が出せなかったし、出さないでなにか役者になって
いた。きっとそれほどに過剰な目立ちたがり屋なのだ。
これほどの目立ちたがり屋もいないかもしれない。
それほどに自分はアート的な人間だと思っている。
パフォーマーといえばいいか。真面目におかしなことを
やってしまうだけの、それだけ甘かったところもある。
そういう人もいるものだと、わかってもらうしかない。
もともと科学とかこだわるほどの人間じゃないことは
わかってもらえればいい。だから自分としてはそんなに
客観性だとかにこだわるような癖はもっていない。
それを哲学としてどうこうというのも、自分にとっては
真似の部分があって、自分にはどうも合わないところが
ある。そういう合わないことばかりここではやっていた。
こうしてかいていても、自分はほかのひとと「構え」が
まったく違うようだ。
自分はもっと、ほかの違うことばかりにやたら詳しい。
本来そこで目立ちたかったが、こういう知識はまったく
なかったほうだ。ほんとうの自分はここでは出しようも
ない。それほどに一般的でない人物だったといえる。
期待に沿えず申し訳ない。
真面目な人にこれ以上迷惑はかけたくない。真面目では
ないからだ。これとも関係がない人間だった。
他人になれるわけがない。やはり。自分は自分でいく
しかない。さようなら。
あれこれ他人にレッテルを貼る人が苦手ということかも
しれない。そういう人というのはこれまであまりであった
ことがなかった。他人は他人、ふうん、そういう人間が
自分の周りには多い。
自分の周りをとりまく人脈とは、あまりにも住む世界が
違ったといえる。これを説明しようとおもったら、時間が
いくらあっても足りない。住む世界が違いすぎた。
これがどう違うか、説明しきれない。それほどに違う。
だからほんとはあまりピンとこないところもある。
惑星が違うようにも思えてしまうくらい。
ある意味、ここの人を内心馬鹿にしているふしもあった
ことは認めたい。いまでは反省している。
自分はあまり、気張っていないところもある。
それではさようなら。あまりここは真面目に書いてない。
書き散らしてしまった。見てほしくなかったから。
自分は被害者だったとおもってる。
それでは。
やあ。ここに居たのか。
幽霊。
俺だよ、俺。
あんたやっぱおもしろいな。
どこにいったか分かんなくなったがやっと見付けられてうれしい。
>>366 自分のやりたいこと、自分のことがわかっている人は、
周囲の期待にあわせて、いくらでもちゃらんぽらんな
道化を演じても、簡単に自分のことは表面に出さないし、
そのレベルでは他人に動じないところは持ってますよ。
ワイドショーみたいに移り行く他人の世事ばかりに時間
を消費してないんです。あくまで裏ではちゃんと自分の
ことをやっているんですよ。そこが自分がない人には
わからないところなんです。他人にふりまわされると、
あなたも損を見ますよ。
368 :
没個性化されたレス↓:2005/06/27(月) 03:04:36
トランスパーソナルっていかにも健全じゃない奴がハマリそうな学問だなwwwwwwwwwwwww
オカルトだしwwwwwwwwwwwwwww
たかが他人に言われることなんて、そんなことははじめ
から予想できることでしかないんです。他人や自分の、
多少の失敗くらいで、動揺したり怖気づいていたら、こう
いうものは吸収できませんよ。重要なものはそれを克服
した先にあるのですから。ほとんどの人はそこから進め
ませんからむしろ都合が良いんです。それをやぶって
いけるのはごく少数、それはいつの時代にも変わりない
ことでしょうね。そう思ってなければやってられませんよ、
オカルト的なものは。
自分のやりたいこと。分かりません。
自分のこと。分かりません。
期待?分かりません。
表面?内部?分かりません。
動じない?影響されない?分かりません。
自分のこと。誰のこと。自分のやるべき事。分かりません。
自分がいる。どこにいる。ここにいる。ここはどこだ。分かりません。
振り回すのが得なのか。振り回されると損なのか。分かりません。
健全。私は健全なのか。分かりません。
371 :
369:2005/06/27(月) 08:28:46
8分後のレスポンスですか、あなた病んでますね。自分
はもう、そういう言葉遊びに付き合うつもりはありません
けどね。なにかあなたにとっての、ほかのおもしろいこと、
みつけたらどうですか。
372 :
没個性化されたレス↓:2005/06/27(月) 08:39:50
>>371 自分へのレスポンスはみな同一人物だと思ってるの?
同じ人間がずっと張り付いて監視しているとでも?
あなた、立派な妄想持ちですね。w
トラパ語る前に、まずは病院に行けば?
369にレスぽんすしたわけではないが、ま、いいか。
ま、やんでるって言えばそうかな。体は健康だろうけどね。
狂ってるよ。ほとんどの人は。熱中症じゃあないが、熱中病とでもいおうか。
狂人は幸せそうだ。狂いたくて狂えるもんじゃない。狂っているものを
責めることもできない。狂ってる者がいるから成り立ってる世の中。
狂っているがうまーく出来てる。まるで狂っていないかのように。
自分とは異質だ。ま、いいか。
374 :
369:2005/06/27(月) 13:44:07
ではこれで。そのまま続けててください。私はカウンセラ
ー志望でもないので、そういうものは相手できません。
こういう事象を引き寄せてしまった自分にも責任があると
思ってます。
なんでいきなり369と名乗ったのか?惹かれる所ではある。
しかし、それはそれでいいか。
続けるときりがなさそうに思えるのはあなたと似ている所ではあるかもしれない。
私にカウンセラーが必要だって?そんなものは必要ない。と思っている。
ではこれで。
まあ、こういう所に日記じみたことを書き連ねるのは他人の視線を渇望して
いるのかもしれないし。私は何をしたらいいのかが分からないわけで。
こんなことに重要性を感じてはいないのだが、果たしてどんなことが
大切だというのか。それを探しているとも言えるし、暇つぶしとも言える。
選択肢は数多くあるように思えてたった一つの轍に沿うしかないのかもしれない。
どうして私がこんな事をしているか分からないからだ。こんなにも無意味とも
思えることしかすることがなかったのだろうか。
もしかすると本当の重要なことが知ることに達したらこんなことはしておらず
そっとしまっておくのかもしれない。そんな意味ではみなさん大事なことを
見失っているか、忘れているのか、隠匿しているのかなのだろう。
私はあなたがた、あるいはあなたのように知性はない。これは劣等感である。
しかし、またそのようになりたいわけでもない。それが重大なことなら
それを望むが。そんなことは分からないわけで。
まあ、これしか進む道がなかったのなら、これはこれで重要なことの連続とも
言えなくもない。カウンセラーなんて知らない。どんな職業なのか。
聞いてるだけなのなら私は犬に話しておこうとしよう。
何か熱中するものが欲しいと思ってもいるが得ようとして得られるものでも
なさそうだ。それを知っているならとっくに得ているだろう。
結局何か分からないままに行動しているようだ。
分かっていたらそれをしないのかもしれない。
共鳴するのは良いことなのかもしれない。しかし、それも限度が必要だろう。
反発することも必要だろう。他人の必要性はそこにあるのかもしれない。
377 :
没個性化されたレス↓:2005/06/27(月) 16:30:45
他人の必要性をいくら口で言おうが、
あなたのやり方そのものが現に他者不在なの。
いいかげんにしろ、偽善者。
自分のことは自分が一番知らないのかもしれない。
私がどんな理由でこんなことしているというのか。
逆に私は私以外のものについてなら知ることが出来るのかもしれない。
いや、実際そうなのだろう。
他人のことなら知ることが出来る。断片的に。ただし、身近な人に限るが。
あなた達のことはほとんど知らない。文字の情報だけだから。
こういった所で身近な者達は大切な存在である。レッテルを貼ってくれるから。
的確に。
私は文字情報にも還元できるのかもしれない。私の思いは文字の繋がりだから。
私という存在を文書として残せるかもしれない。その文書に表題を付けたら
私と見間違われるかもしれない。結局私は居なくとも良かったのだろうか。
いやしかし、それがそこにあっただけではその効力がない。私は他人にレッテル
を張る義務があるのだろうか。
私は何も知らないようで。教えられるしかないようでもある。
自力で知ろうか。しかし、情報もなくして知る術もない。他人に教えられようか。
しかし、他人が私の何を知っているというのか。
私の知るべきは許容力かな。
そういった所ではカウンセリングも大切な要素のようで。
少しばかりの提案をしてくれればそれは大きなきっかけになるようである。
犬じゃあその役割は果たせなくもないが、期待できなさそうである。
そういう面ではトランスすなわち瞑想(といっていいのだろうか)も
やはり大きな期待も出来なさそうである。やはり材料となるものが必要のようだ。
まあ、内にこもれば疑惑が絶えない。
ではこれで。
380 :
369:2005/06/27(月) 17:55:27
ここは結局、心理学という枠組みにだけおさめたいという
人が多く、なんでも平面的な世俗のレベルに引き下げて
しか捉えられない、それが本当の意味で広めることを支持
している人であればいいのだが、なんだかんだ理由を
つけて、共感しているわけでもないのに干渉する口だけは
うるさい嫉妬深い他人へのおせっかいが多く、自分もそれ
が群がるための格好の誤解を撒き散らしてしまったことで、
相手をするのに時間を浪費したという多大な失敗がある。
それにいちいちまともにかかずりあっていると、いろいろ
面倒があると自覚しているので、そういうものに配慮して、
もうここにはあえて書かないし、もうすでにほかのもっと
適する場所を選んで参加したり書いていったりしている。
読むだけでいままでの理解の深さがまったく違っていく、
そういう書物というのはたくさんある。自分もすでにだいぶ
変わってきたところはある。そういうものはこれに限らず、
若い人では、意欲的に読んでいっているようだ。それは
アマゾンで検索してても痛感する。これだけシェアされつつ
ある時代はないのだろう。結局、自分で知っていくしかない
し、知っていかないかぎり、こういうものは他人にいくら
不満があっても、自分で納得いくところまでいかないものだ。
そういう精神的なものは、自分でどんどん吸収できる人、
なおかつセンスのある人なら、自分で整理していけるはず。
これに限らず、個人でブログでやっている人はいる。
381 :
没個性化されたレス↓:2005/06/27(月) 18:17:44
こっちはそちらの詭弁につきあうつもりはない。
繰り返すが、あなたのやり方そのものが「現に」他者不在。
こっちはそれを繰り返し指摘しているのに、
そっちは「この場は…」「あなた方は…」ばかり。
要するに、話を逸らしている。
言い逃れするんじゃない。
もう一度言う。
「あなた」のやり方そのものが現に他者不在。
こっちがどうだろうと、これは変わらない事実。
早くその事実を認めろ、この偽善者!
お前のような人間がトラパに関わることが、
トラパにとっての最大の不幸であることを自覚しろ!
382 :
没個性化されたレス↓:2005/06/27(月) 18:23:06
問題はあくまで「あなた」。
問われているのは「あなた」。
この場のことやこの場の人たちのあり方をズラズラ書くことで、
そのことから逃げようとするな。
事実を早く認めろ。
事実も認められない奴がトラパをやるな。
383 :
没個性化されたレス↓:2005/06/27(月) 18:24:18
あと、要点をまとめて簡潔に書け。
くだらない長文垂れ流しをするな。無意味で迷惑だから。
384 :
369:2005/06/27(月) 18:39:11
ものの見方というのは二つに分けることもできるだろう。
最初から何かの目的なり用途を設定して、特定の型に
はめこんでいこうとする解釈的な見方と、ただ無性に知り
たいと思う純粋な気持ちだけを原動力として知ろうとする
省察的な見方、というものだ。ただこれは、まだ哲学の
範囲の考え方だと思う。
そして、瞑想を、内観心理学の類推で考えている人がい
るようだ。心理学はその反省から生まれたところもあるから
それも無理はない。かなり分かりやすい一般的な考え方
であり、自分もすでにそれを通過している。
トランスパーソナルからすれば、瞑想と内観心理学のそれ
はそもそも観察の方法が違うということになるだろう。
自意識過剰な近代理性の置き方のまま、ほんのちょっと
内省してみただけでは、それは逆効果にもなってしまう。
だから瞑想は自己流に捉えて、半端な理解では安易に
やらないほうがいい、やるならそのまえに瞑想研究のような
かたちで知的にアプローチしておいたほうがいい、という
のが前に自分が通過したことだ。
わかった違いをいえば、意識の流れの内容を追うのでは
なく、意識が流れているという様子をただ観察するような
ものなのだ。それがヴィパッサナー瞑想と呼ばれている
ものだ。それにも段階がある。
385 :
没個性化されたレス↓:2005/06/27(月) 18:50:36
>>384 で、その一般論が、
「お前の姿勢は他者不在そのもの」という個的事実とどんな関係があるの?
何を言っても一般論ばかりで、「お前自身」の話にならない。
やったところで口先ばかりの自己省察。
正にその態度こそが、トラパ信者によく見られる他者不在の態度である、
という批判もあるんだよ。
心あるトラパ関係者は、そのことを危惧している。
トラパの否定者ではなく、トラパの関係者こそが
お前のようなやり方を批判してるんだよ。
お前自身がトラパの発展の足を引っ張ってるんだよ。
そんなことも分からずに何をやっているんだ?
トラパ信者には本当にダメ人間が多いな。お前を見てつくづくそう思うよ。
386 :
369:2005/06/27(月) 19:13:01
ではこれで。
387 :
369:2005/06/27(月) 19:38:30
もうこういうCMCで、フレーミングに巻き込まれるつもり
はないですね。そういうものの波及することの恐さを知っ
てしまったんで。プライバシーは誰にでもある。無条件に
他人を信用すべきではない。なんと言われようと、感情
論にこれ以上巻き込まれれるわけにはいかない。
自分は自分でどんどんやっていける人間だと思っている
ので、たかがネットのことで、他人にいちいち説得したり
説明する気にはどうしてもなれない。ヴェーダーンタ的に
いえば、ジュニャーニに偏っているところがあるという
のはわかっていることではある。もっとも人にはそれぞれ
適性というものがあるので、一つの方途にこだわること
はないと思っている。
388 :
369:2005/06/27(月) 20:10:54
その論法でいえば、385氏自身が、いやもう一人の
女性のほうも、どこの馬の骨ともわからない他者不在
ということでは同じといえはしないだろうか。よく読んで
みると、そういう指摘というのは、この匿名掲示板その
ものの、各種の罵倒の無責任さそのものの特徴にこそ、
よくあてはまってしまう。所詮、それが匿名掲示板の
距離感覚なのだと割り切れないで、熱くなっていること
がどうかしている。いさかかCMCに重きを置きすぎ
ではないのだろうか。
トラパの関係者というが、学会も二つあるし、そういう
ものを取り巻く、現実の状況がどういうものなのかは、
しらない。それを抜きに、あなたの私的な感情をこちら
にぶつけられても、こちらの存在をなんらかの投影として
うまく利用して叩くことだけがしたい人としか想像でき
ないのは事実だ。あなたが関係者をあなた自身を明か
さないまま代弁できるとしたら、こちらも自身を明かさ
ないまま紹介することもできるだろう。それだけをもって
信者として、語られるいわれもないということになる。
389 :
369:2005/06/27(月) 20:50:18
そんな一方的な態度で詰め寄られても、こういうネット
というコムニタスな空間においてであっても、現実と同列
に考えて熱くなりすぎてしまう、あまりに無粋な人もいる
のだな、と思うしかない。そこまでネットに重きを置いて
いない人もいる。現実とはきっちり区別すべきところも
あるし、自分はその恐さがわかってからは、現実とネット
とは100%切り離している。自分でそこが一致しないよう
気をつけているのだから、そこに誠意な態度もない。
これに関する興味のもちかたが一つ出なければならない
と勝手にそれこそモノロジカルに決めて、通りいっぺんの
批判をするばかりなのは、結局そうすることで間口を狭め
るだけで、回りまわれば下手すると自分の首を絞めるよう
なことにもなるのではないだろうか。逆にこういうものに
必要なフレキシビリティやフラジリティが、ともするとスポ
イルされて、それ自体、結局はパーソナルがどうのとか、
あなたのような既存の価値観に乗ったイデオロギー化が
強化されるだけに終始してしまうだけという、こうした差異
化がまったく無効化されてしまうという危惧のほうがよっ
ぽど感じるように思えるのだ。その意味でも、385氏の
硬直した狭量な距離感覚には白けさせるところもあるし、
まったく同意するわけではないのだ。
390 :
369:2005/06/27(月) 22:15:34
真摯にお付き合いしたい相手と、お近づきになりたくなく、
あくまで丁重に尊重しつつ距離を置きたい相手というもの
は、どの人にしろあるものだ。特にそこに際限のきかない
ネットであれば、そこには一定の距離の置き方というもの
が自ずから生じるだろう。ここではそれを切り分けること
は難しいし、そういう無理難題を一方的に押し付けない
こと。現実のことなんてなにも書いてないのですから。
391 :
369:2005/06/27(月) 22:26:37
ここは大人気ない人が多い。いやむしろ、普段は抑圧
しているらしき鬱積した感情的なものが露骨に発露しや
すいのがCMCの気をつけなければならないところとい
える。自分がいつその標的にさらされるかわかったもん
じゃないのだ。自分はネットだけに重きを置いていないし、
そういう一歩引いた冷めた視点で、目の前の事象をただ
眺めるところは必ず残している。そしてなおかつ、プライ
バシーに対する意識にもかなり敏感になっている。そう
いうフィルターなりバリアーは、こういうネットでは油断
することなく持ち続けているべきものだと思う。自分は
それほど巻き込まれたつもりはなく、ほんの片手間に
配分していたくらいの感覚はかなりあるつもりだ。
392 :
369:2005/06/27(月) 22:34:52
なんだかんだいっても他人ばかりに気を取られない、
かなり要領の良い人間だと思っている。進んでいること
はなにもかも同時並行的に進んでいるからだ。ここが
良くも悪くもサイコドラマ的に覇気をつけるリズムとして
活用されていたくらいの神経の図太さすらあった。キー
タイプもあまり考えないでクールにドライに片手間でやっ
ているし、その一方でいろいろ吸収もできている。自分
はそういうことができる人間なんだと驚いてすらいる。
そういう意味ではたかがネットのことだと真に受けない
ほうがいい。これ自体は、なにも現実に関わっていない
恐れすらある。それほどにネットに重きを置いてない。
393 :
369:2005/06/27(月) 22:49:40
迷惑をかけたらしきところはあるが、どうしても他の人より
はネットに現実味を置くことができないということらしい。
これ自体は井戸端会議程度の意味しか持たないだろうと
いう感覚がどうしてもつきまとうからだ。だから正直、ピン
とこないところはある。他の板でもけっこう淡々と情報交換
はしていた。そういう感覚がなければおそらくやってられ
なかっただろうから。そういう安易さには反省している。
その点での舌なり口なりが滑りやすい変わり者ではあった
とは思っている。だがやはり、ネットはネットだろうと思う。
他人が必ずしもそうではないということはわかった。文句
があるなら、そういう人は自分の現実に集中してほしい。
394 :
369:2005/06/27(月) 23:04:14
もうこういう他人のはけ口に利用されるつもりはない。
割に合わない散々な目にあったからだ。もっとも自分は
恐ろしいほどクールなところを持ち合わせているという
ことがわかった。そういう天然なところはあるのだろう。
こういうことに興味や疑問があるというなら、『彼岸の
時間』あたりを読んでみるといいことだと思う。人類学の
本だが、こういう感覚というものもあるものなのだなあ、
と思う。自分はもうこういうものを50冊くらいは読んで
いる。それをここで書くつもりはない。
それではいいかげんこれが潮時である。
395 :
369:2005/06/27(月) 23:40:27
※ここに書いてあることは現実とは関係ない
396 :
369:2005/06/28(火) 00:00:19
おそらく対象がこれでなければ、これほどばかげたこと
にはならなかったと思っている。そういう文化的なものが
たまたま抜けてて無差別になっていて読めなかったため
に、つまらないことに巻き込まれただけと、自分では認識
している。それほどまでに、自分にはどうとでもなること
でしかなかったといえる。これに関わるとも限らない。
これがすべて、なんてことはまったくないからだ。それは
他の人にしてもそういうものだと思うが。なんだかんだい
っても、他にも蓄積してきたことや興味のあることはいくら
でもあるわけで。それをこれ見よがしにひけらかして開陳
する人もいないだろう。単なるネットなんだから、そこで
これを背負うわけにもいかないし、ここだけに重きを置い
ているなんてわけでもまったくない。そういう感覚はまっ
たくない。他の人も、プライバシーにだけは注意したほう
がいいと思う。
397 :
369:2005/06/28(火) 00:07:00
自分はトランスパーソナルだけでなく、心理学以外の
分野にどういうものがあるかも、よく知っている。そう
いう広い視野を持っている。どちらかというと、ここは
その一部、いや現実とも関係するかわからないくらい
でさえあるといえる。かといって、それほど一概にこれ
を邪魔したつもりもない。むしろ下手に無駄に奉仕し
すぎて失敗したとさえ言えるだろう。これ以上はこちら
に詰め寄っている人に問題があると思っている。
398 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 00:18:48
改めて繰り返す。
あなたの態度こそが、トラパ信者によく見られる他者不在の態度そのもの。
それが、あなたの現実。認めなくてはならない現実。
言い逃れでは逃れられないもの、認めるしかないもの、それが現実。
こちらはあくまで現実を指摘しているのであって、
それを「私情をぶつける」という形に矮小化するのはただの逃げ。
あなた、こういう矮小化ばかりしてるね。
都合よくネット上のことと現実とを二分化しているが、
これまた、ただの逃げ。どちらもあなたという人間を反映する現実。
あなたがいくら言い逃れを垂れ流しても、
トラパ信者がいかにおかしな人間であるかが誰の目にも明らかになるだけ。
トラパの価値を認める自分としては、これはたいへん不本意。
不本意だが、それがトラパの現実。
あなたのような人ばかりがいる、それがトラパの現実。
「もうこない」「潮時」と書くのなら、本当にもう来るな。
実際にここに来ている時点で、お前の言っていることはすべて破綻している。
再度繰り返す。
実際にここに来ている時点で、お前の言っていることはすべて破綻している。
399 :
369:2005/06/28(火) 00:21:13
済んだことをいつまでも引きずることが悪いのだろう。
被害者意識は捨てることだと思う。そういう意味では、
これだけにこだわることもないだろうし、ここに来る
つもりもない。見ず知らずの赤の他人がストーカーして
くることのおそろしさというものがよく分かった。こう
いうところというものは、実のところ、いったいどこの
誰が見ているのか、わかったもんじゃないのだ。そう
いうところでいかにももっともらしく言う人に気を許さ
ないことが大切だと思う。
400
401 :
369:2005/06/28(火) 00:30:41
398、あなたみたいな思い込みの激しい人がいるから
そう見えるだけのことなんですよ。これは何度いっても
わからないことなんでしょうね。それだけ人間の思い
込みのすごさっていうものは、痛感しましたね。けっこう
幻想ですよ。でなければあえてここまでは書かないで
しょうね、逆に。こういうものというのは、おかしなものを
自分に引き寄せやすいところがあると思う。いろいろな
ものを投影してくる人がいるので、むやみに書けない
のだ。そういう意味では自分自身がこれと距離と置く
のに苦労してます、あなたのような人の投影から、ね。
402 :
369:2005/06/28(火) 00:37:28
まさかここまでとは思わなかったということでは、ここ
で未知の経験をしてますよ、自分は。思ったことをその
まま書いているだけですよ。それが奇妙に見えるとし
たら、おそらくそれだけあなたが断片から思い描くそれ
が、なにか理想的で現実離れしているんでしょう。それ
が気持ち悪いから、ついつい相手してしまいましたけど
ね。けっこうそういうもんですよ。そういう他人が勝手に
描く想定なり予期なりが持つ、その生理的な気持ち
悪さというものはなんなのか、きっと分からないでしょ
うね。自分のプライバシーに異物が進入してくるような
違和感っていうんですかね。
403 :
369:2005/06/28(火) 00:40:20
そういう意味では、ここは病んでいる人が多いですよ。
というか、いちいちつまらないことで大きなさざなみを
立てる人が多い。そういう多産的な小さな物語なりを
誘発しやすい誤解を招いてしまった失敗というのは
あります。それを繰り返さなければいいわけですけどね。
404 :
369:2005/06/28(火) 00:42:35
人間模様というか、そういうドラマの哀愁は身にしみ
ましたけどね。思わぬ生々しさを見てしまった。そういう
ものと関わりすぎて、入れ込みすぎても、人間だめな
んでしょうね、やっぱ。
405 :
369:2005/06/28(火) 00:48:23
自分はこれから、そういうものとは一定の距離はおき
ますよ。どういう風にかは書くわけがないですけどね。
はっきりってどう書くにせよ、それはいろいろな想像を
かきたててしまう人がいるので好きにしろとは思って
いるわけですけどね。それほどに注目が集まってしま
った、不用意に集めてしまった失敗は感じますよ。
406 :
369:2005/06/28(火) 00:53:29
この一度の失敗ではきだしてしまったつもりですけどね。
リセットしきった感じはある。あなたのような人の思い込み
を引き離すのに苦労していますが、それも相手にしなけ
ればいいだけだった。まあそれほどに気持ち悪かった
わけですけどね。その顔の近さの気持ち悪さはわからない
でしょうね。ほんとに気持ち悪いものです。
407 :
369:2005/06/28(火) 01:01:17
まあある意味、世間知らずではあったので、こういう人も
いるんだなと、いい勉強ではありましたけど。自分はあまり
これにこういうかたちでは関わるべきでもなかったとも
思える。むしろそう言い切ったほうが、本来の自分に自由
になれますからね。
408 :
369:2005/06/28(火) 01:04:27
そういう意味では、なにが遠回りか、というようなことを
考えさせられましたね。その答えはおのおのの価値観
なり、人生観によって、違うことでしょう。
それではこれで。
409 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 01:19:31
>>401 >あなたみたいな思い込みの激しい人がいるから
>そう見えるだけのことなんですよ
事実の指摘を、個人の思いこみに矮小化して、
それから逃れようというのがあなたの戦術なわけだ。
どんな指摘も、自分に対する粘着だの攻撃だのと解釈すれば、
真の事実に向かい合う手間を回避できるね。
トラパ信者にありがちなやり方だよ。それを知らしめる意味ではこのスレもいいね。
「トラパ信者は独りよがりで他者不在」というのは、
前に書いたように、トラパ関係者の間では普通に言われている事柄。
こっちは、公然の事実となってることをここで書いているだけ。
なんでそんな単純な事実を、いろいろ言い逃れして認めようとしないのかねえ。
疑うのなら、何かの機会にトラパの先生にでも直接聞いてみな。
「トラパ信者は独りよがりで他者不在だという指摘がありますが、どうですか?」とね。
「そんなことはない」と言いきれる人はまずいないと思うよ。
こちらは、一応はトラパの未来を信じている人間なんでね。
あなたのように、トラパを言い訳に使うような人がいる限り、
トラパは結局ダメになるなあと思うよ。
410 :
369:2005/06/28(火) 11:29:49
もうここはレスを読んでいないで書いている
おそらくユング研究のようなタイプの人がここに来ても、
このくらいの齟齬があっておかしくないと思っている
それだけ誰かの鬱憤を一手に引き受けてしまった倦怠感だ
その意味では自分はこれに巻き込まれて収拾をつけざる
をえなくなった以外、ことさらの落ち度があるとは思って
いるわけではない、若気の至りとしか思うしかないからだ
はまった状況があまりにも特殊で粘着で異常すぎた
それに調子を狂わされないほうがおかしいと気付いた
それだけ不要な縁がからんでの対話は消費するだけだった
自分は心理学とはまったく関係なかったと言っておきたい
場違いだったと、そう言い切ってしまったほうが、
むしろ面倒でないとわかったからだ
無理に結びつけて関わろうとしたのが間違いだった
自分の心性とはまったくかみあわない異質なものなのだ
もしあながちそうではないと感じるのなら、
それはディレッタントとしての資質はあるからだろう
関係ない分野であっても、それなりの知識はあるからだ
あくまでパフォーマーとして演じてはぐらかしていたわけで、
それほどCMCでまで誠実な人間というわけではない
自分はどうしてもボヘミアン的なところが拭い去れないわけだ
つまり芸術とか文学とか、そういう文学青年的なものを
ただ志向してしまうし、具体的に現実だの社会だのと、
そういう風には、気張ることができないところがある
そういう体育会系の人とは、まったくソリが合わないのだ
これはどうしようもない確信として定まってしまったことだ
徹底的に、打ちのめされるまでに、痛感させられたといえる
もはや自分に、それ以外の道がありそうには思えない
他はノイズであり、自滅覚悟で、そこに集中していくのみだ
そういうところがあるなりに、少し襟を正せばいいだけのことだ
411 :
369:2005/06/28(火) 11:31:14
自分は独りよがりな人間だと思う
そこに開き直って突き進むしかないところがある
そこにしか原動力がないからだ
よほどのことがないかぎり、これに直接関わるのは
面倒なのでよすことにしたい、自分は文化系なので、
多少の横道くらい笑い話にできるし、社会がどうのとか、
体育会系のノリが一番、適性に合わないのは事実だ
こうあるべきなんだ、みたく、教条的に見ず知らずの
他人にまで押し付けられるつもりはない
自分にはそれがすべてにはなりえないし、
そもそもネットは無責任なので、あまり責任も感じない
いずれにしても、縁の遠い世界と関わりすぎる
わずらわしさをいやというほど味わった
なにも心理学が悪いわけではなく、それが天性なり、
適しているなら、迷うことはないだろう
自分はカルチャーとして興味があっただけだとわかった
これからは自分の道にのみ集中したい
どういう人と関わってしまったら、自分を生かせないで
スポイルされるのか、おそろしいほど痛感した
相性や適性や個性やタイプを見極めること、
これほどに、なにより重要だと思うことはない
412 :
369:2005/06/28(火) 11:57:57
独りよがりにならないと駄目な人間というのは存在
するのだろう、せめて他人に迷惑かけないなりにも、
あくまで自分を突き通すしかない それがまわり
まわってなんらかの形をもたらすことになるからだ
結局のところ、自分ほどのロマン主義者もいないの
かもしれない、むしろ逆に、そこに開き直れていなか
ったことが、中途半端さをもたらしていたということだ
これまでの人生でももう、すでにいろんなものを
読んできたつもりだが、思い返すほどに、そういう
傾向が随所に見られ、科学などにも興味をもちつつ
も、何度も何度も、そこに戻っていることがわかるし、
色々なものが結びつきうるということがわかる、魔女
の宅急便で、目に映るすべてのことはメッセージ、
というフレーズが流れたことが、いまふと心の中に
浮上してくる、これはどういうことなのか、それを比喩的
・文学的に表現すれば、守護霊なりハイヤーセルフ
なりの導きを感じることは否めない。そういう深いもの
を自分は吸収していくことが必要だし、それが結果、
それは内的成長をもたらすだろうということだ。
413 :
369:2005/06/28(火) 12:39:14
そういう導きや契機というものは、だれしも存在するもの
だろう。本来、どれがどうとか、そういう定まったものでは
なく、それぞれに、それぞれおのおのの、使命なり役割
というものがあるということなのだろう。その意味では、
形にとらわれないところもあるだろう。臨死体験のように、
まったく関係ない人にも、突然啓示が現れることもある。
それは宗教とか心理学とか表現するより、本来、霊性と
呼ぶべきものなのだ。
イギリス文学の代表ともいえるシェリーの詩に、「星を
求むる蛾の想い」、というものがある。つまり中世にあっ
て、そういう「魂の希求」というものがあった、という
ことだ。ヘンリー・ソロー、ヘルマン・ヘッセ、文学のなか
にこそ、さまざまに表現されてきたということはやはり
軽視できないし、こういうものの価値を本当の意味で
探求しようと思ったら、そういう文学的価値への共感を
深めることとも無縁でいられないのだろう。
414 :
369:2005/06/28(火) 12:58:51
自分はこれにかぎらず広くスピリチュアリティ研究に
ついてどういう人があたっているか、紹介することも
できるがそれはもうやめた。自分にはもう、そういう
余計な時間はない。そういうことに興味のある人は、
自分で調べることができるだろう。そもそもここが
場違いだったということなのだ。
あまりお世辞にもここが心地よい場所とは思って
いない。いろいろと妨害が入ってくるからだ。そういう
ものは場所さえ選べば、わけもないことでしかない
のだ。それだけ場所を吟味していきたい。
415 :
369:2005/06/28(火) 13:09:29
はっきりいって相性が悪いものの妨害が入るところで、
注意を集めてしまい、そこで何かを書くということは、
ものすごく不自然になる、大変なことなのだ。それほどに
所詮他人というものはそういう他人の立場を想像できも
しないで平気で傍観者として何か諭したつもりになった
自分がその立場になってしまったらできもしない無理
難題を一方的に他人には押し付けることができる、そう
いう意味での自覚は難しいもののようで、それぞれが
それぞれにおのおのの自分の言いたいこと、自分の
言い分を言うだけというものが結局のところなのだ。
そういうことについてはもう見放して逃げ切るしかない。
それがネットというものだといえる。それについて自分は
どうとも思わないし、時と人と場所、TPOを選んでいく
必要があるだけのことだからだ。どうせ匿名なのだから、
ここで他人に聞き分けて、現実と結びつけたところで、
むやみやたらにいらぬ人間関係に消費するだけで、
どうしようもないことだ。それほどに自分は過酷な環境
にさらされすぎてしまったからだ。
416 :
369:2005/06/28(火) 13:18:22
そこまで厚かましいものになると、もはや人間は呆然
とするだけで、後悔しようもないものだ。ただただどうし
ようもない奔流に翻弄され、なずすべもなくなすがまま
に振りまわれる一部の仮身とでもいうべきものを、
さらに淡々と眺める自分がいるだけだろう。それに
ついて心理学的に病理化なり個物化してグロテスクに
とらえることも、まったくくだらないことに思えてしまう
だろう。そういうものに辟易してしまったところもなくは
ないのだ。ようは、面倒なことには係わり合いになり
たくない。自分のキャパシティをまったく超えているから
だ。それがどうしてもわからない自分勝手な人が多い。
そこまで見ず知らずの他人にまであなたが役に立てる
と思わないでほしいことだ。はっきりいって、これまで
見聞きしたことでまったく目新しいものはなかったし、
改めて学んだこともなかった。書物や、限定された間柄
から得ることのほうがよっぽど多いものなのだ。こう
いう係わり合いには自分から関わり過ぎないことだと
いえる。ただただ互いに消費するだけでそれこそ益が
ないからだ。
417 :
369:2005/06/28(火) 13:20:30
自分は一般的な偏在する人間でも、身体が何体もある
わけでも、なんでもないのだ。自分は自分であり自分の
道しか選び取れないものなのだ。それをなにか託そう
とする思い上がりにふりまわされたのだ、という辟易する
気持ちばかりが大きいのだ。これはどうしたってぬぐい
されないものなのだ。
418 :
369:2005/06/28(火) 13:27:53
抽象的にいろいろ矛盾することしか書かないから余計
いろいろな思い思いの想像をかきたてられおのおのが
おのおののものを投影してファンタジーを思い描いている
のかもしれないが、それはそういうものを引き離したい
からにすぎず、見ず知らずの人にまで、自分の思いへと
誘導して、自分の思うように諭せるなどと思わないことだ。
自分はここでのそういう勘違いに取り込まれたストレス
だけがものすごいだけの話でしかない。はっきりいって、
ここでのことは現実にはなにも関係しなかったことだ。
本来、なんらかのこういう村社会なりのオリエンテーション
なりイニシエーションの物語として、それにそってなにかを
演じるつもりも付き合うつもりもなかったことだ。はっきり
いってこういうプライバシーに関わるネットにおいてまで、
そういう態度を脱しきれない人には、それこそ、あきれ
返ってしまうばかりだ。普段自分がいえないことを、こっち
をかっこうのトリガとして言いたいということなのだろうが、
そういう世間話なり井戸端会議なりに付き合うほどには、
自分はお人よしではないということだ。これは反抗期でも
なんでもなくて、だれでもおもう、正直なストレスでしか
ないことだろう。
419 :
369:2005/06/28(火) 13:38:19
詭弁を弄するつもりはないが、独りよがりでない人間
など一人も存在しない。人間というのは所詮、孤独で
独りよがりにしかなれないものだからだ。人間にできる
キャパシティを度外視して、誰かに一方的になにかを
要求することはできない。結局はおのおのがおのおの
を見極めることだからだ。とどのつまりは自分はこれと
周囲が思うようなかたちでは直接の関係があるわけ
じゃない。そういうことをこっちに言ってくるのがどうか
している。そういうことを受け入れること自体が、もう
キャパリティをこえてしまっているからだ。自分はもう、
こういうものになんの収拾もつけられない。周囲がこれ
を忘れてもらうしかないことだ。こんな厚かましい経験
を呼び寄せた自分にも責任があるが、それは偶然
ふざけたようなものでしかないので、本来どうしようも
なかったことでしかない。考えれば考えるほど、枠に
はめようもないことだったのであり、自分はそこに
ストレスを感じているのだ。枠にはめようもないのは、
それだけ自分が変わっているからではなく、そもそも
それほどに偶発的なおふざけでしかなかったからだ。
420 :
369:2005/06/28(火) 13:43:51
はっきりいって、これに不快感を感じてストレスを感じて
いるのは、自分のほうだ。プライバシーがあるのであり、
そこで100%分かり合うなんてことはない。他人とは
思うようには分かり合えないところがあるということを
残しておくという、サバサバしたところは、普通は持ち
合わせていなければならないだろう。そんないちいち、
感情を立ててたらやってられないからだ。はっきりいって、
自分はそこまで万能ではないし、普通の人間はそこまで
の環境で正常な状況対処能力もなにもないことだ。
421 :
369:2005/06/28(火) 13:53:12
はっきりいって身勝手に感じたのは、こっちもそうだ。
こっちばかりが最初から完全を求めるべき善意のなにか
でなければならないとある種の「すこやかな」人物像を
求めてさえいるようだ。そういう美徳なりを逸脱しすぎた
ところもたしかにあるだろうが、それはそれだけのストレス
があったのだから仕方ない。あくまでここでの他人の思い
思いの思いの押し付けへのストレスだ。たとえいくらどう
いうものをやろうとそんな聖人のような人はなかなか
いやしない。こういうものに少しでも関わったからといって、
それが特別、最初から普通以上で聖人であることを求め
られるということは単なる理想論でしかなく、現実味はない
と思っている。そういう厚かましい期待を寄せられるくらい
なら、誰でも腰が引けて白けるところはあるだろう。
自分はそこまで「あるべき期待にそった人物像」としては
これに興味をもたず、周囲の枠組みは適合しにくかった、
ということだ。そもそもそういうものこそが幻想であると
言っていいだろう。結局、体験は体験であり、それを
想像したものとはまったくもって違うものなのだから。
422 :
369:2005/06/28(火) 14:00:26
自分は体験はしたが、いまはそのつながりを失っている
ところもあるし、自分は自分としてそれなりの必然性を
もって、いまの自分なり、自分の価値観なりがあるもの
なのだ。その複雑なライフヒストリーをここで解きほぐして
みせるつもりもない。そういうワイドショー的な謎解き
なりに協力するつもりもない。はっきりいってここで自分を
見失うほど興奮して感情的になっている「道徳的」な人
には、それこそさすがにもうほとほど冷め切って、白け
きっているところも、なきにしもあらずなのだ。それこそ、
熱くなるところはここしかないの?と言いたくなるのだ。
423 :
369:2005/06/28(火) 14:04:48
誰しも現実的な部分も持ち合わせていれば、うんざり
するような他人とは真面目に対応するつもりもない
ということだ。本音をいえば、そこまで馬鹿では実の
ところないからだ。そんなクリアカットにプロファイリング
されるような対象にもされるつもりは誰しもないだろう。
はっきりいって、余計なことに巻き込まれたのはこっち
だったし、そういう影響なり妄想なりを、こちらこそ
振り切るのに苦労しているのだ。横道以外のなんでも
なかったといえるからだ。自分でも妙に迎合して媚びて
いたことが馬鹿らしく思えてしまったのだ。
424 :
369:2005/06/28(火) 14:27:12
ネットは現実とは関係ないし、そういう現実的な関係を
こういうネットで持つつもりもまったくないことだ。そういう
コムニタス的なところをきちんと保持していないと、どう
してもうまく回っていかないところがある。ネットに現実を
持ち込んでも神経がまいってやってられないからだ。
さらに、こういう誰に向かって受け取られるかもわからない、
そういう無限定な場所では、まさに相手も狂気になるので
あり、どういう態度もとりにくい、というのが実際だろう。
そういう意味で、そういう特性を考慮に入れない、身勝手
な人がほとんどだ。これは誰に向かって言っているという
ことでもないし、そういう特定が効きにくい異常な状態なのだ。
それを自分で意識、自覚し、プライバシーに敏感になって
いるところははじめからあったことだ。
それを考えないで、おのおのがおのおのに無理難題を
押し付けてきているのだから、こんな馬鹿らしいことはない。
425 :
369:2005/06/28(火) 14:32:16
だからあなたが、こちらを理解するつもりがあるのなら、
こちらに話しかけないでほしいということなのだ。それは
偽善であって、それがいかなるありがたい諭しであろう
とも、そこに感銘を受けるような余裕のある状況でも
なければ、現実とは関係ないことだったのだ。
はっきりいって、そこまで自分だけを一方的に犠牲にで
きる人はいない。言うこと聞かせる、そういう男根主義的
態度でいる人には尊敬の念もわかないし、ソリの合わな
い人というのはどうしてもある。尊敬すべき人と、そうで
ない縁のない人を、こっちもきっちりとTPOで仕切りなおして、
選ばなくちゃいけない。それが真に真摯であるべきこと
だからだ。だからここでのことはばっさり現実と切っておく
必要がある。そもそもネットはコムニタスであって、その
つもりでしかなかったからだ。こういう状況では、なんら
そういう切りわけができないということだ。それが理解
できなければ収拾がつきようもない。頭で考えればこう
いうことはわかるはずなのだが。
426 :
369:2005/06/28(火) 14:35:43
こんなネットという現実とは関係のないどうでもいいよう
なところで、あらかじめ他人の描く、矮小なスモールワー
ルドだけに押し込められたくもないだろう。
それはそれ、これはこれ、分けなきゃならないところは
やっぱりわけなければ、どこか滑稽なものになってきて
しまう。自分としても、他人に押し付けられてまでその
期待をここで体現できるわけもないし、それはまったくの
無理難題ということだ。
だれがなんと言おうとも、ここでのことは現実とはまったく
関係がないことなのだ。思い込みの押し付けにしかなら
ないということなのだ。
427 :
369:2005/06/28(火) 14:38:13
ここまで聞き分けのない人ばかりだとどうしようもない。
自分はこれが現実とは結び付けていない。そういう
結びつけこそが、迷惑でこまることのはずなのだが。
誰だって、ネットのことはネットのことで、そんなに現実
に反映させるところはもっていないと思う。ネットは
ネットでしかないし、それを結びつけすぎるのは危うい
ところがあるからだ。。
428 :
369:2005/06/28(火) 14:47:40
ネットで、他人のプライベートにまで踏み込もうなどと
いう真似は、決して絶対にしないことだと思う。自分は
ここでの他人がどういう人物だろうが言い返すことは
しても詮索するつもりもないからだ。きっとそういう人は
こちらに自分がなにかを諭せるなどと、ついにはあり
がちで世間的な発想で多大な大きな勘違いが過ぎて
しまったんだろう。変わった人、などと言われても、
誰しも他人の想像に収まらないだけの複雑さはある
のだから仕方ない。
自分はどこだ? プライベートをさっさと教えろ!
こんな狂気の沙汰の阿鼻叫喚な光景もなかなかない。
そういう意味ではネットのことを現実に引きずるのはよし
たほうがいいと思う。自分はまったく切り離して引きずる
つもりはないし、あくまでスクリーンのことはスクリーンの
ことでダイレクトに影響を受けるのは危ないところがある。
そういうのを真に受けているとやってられないところが
ある。いくら不真面目でもそこだけは後悔しているところ
で、きっちりしなければならないと思ったところなのだ。
そういうこまったひとはもういい加減目を覚ましたほうが
いい。馬鹿にせざるをえない。
429 :
369:2005/06/28(火) 14:52:22
自分は現実ともこれとも、そんなに関係ないからここ
まで平気でいられるということなのだ。そういうものは
成り行きだと思っているし、他人にここでどういう関わる
いわれもないからだ。それは成り行き上、かかずり
あってしまったというだけで、今ではほとほと余計な
厄介ごとに関わってしまったもんだと辟易しているのだ。
今の自分には片手間にディレッタント的にしか関わる
接点がどうしても見出しようもないことだし、だれしも、
そうやって広い視点でバランスを取りながら取り入れて
いくべきことだと思う。これだけを見ていたら、どこか
余裕が無くなってしまう。はっきりいって今回のことを
自分のこととしてまったくなにも学んでいない狂気の
沙汰の人が多い。
430 :
369:2005/06/28(火) 14:55:17
なにもこれを軽視したりしているわけではない。そうでは
なくてむしろここに対する注目が重過ぎるということなの
だ。もう自分はこれを信じているとか、なんらかの時代を
左右するかのように考えてしまっているだろう。そこまで
の影響力はネットになんか存在しない。
431 :
369:2005/06/28(火) 15:01:20
はっきりいってそういう必死さというのは馬鹿らしく
思えている。そこまでこっちに言われたら、こっちは一体
どうすればいいということなのだろうか?それだけの
期待なり重きがその人にはここに持っているということ
らしく、それを自分は邪魔してしまったということなのだろう
が、そんなものを背負えない。こういうネットを見ている
人というのは、そこまではいない。むしろ少数派といって
いい。そのなかでも特殊な人たちが集まっているという
共通認識があると思う。
432 :
369:2005/06/28(火) 15:07:31
他人のことをいいながら、自分にとってはここは片手間
だったことは反省している。ここはあまりにも余裕のない
人がどういうわけか多い。たかがネットだろうし、ほかの
板というのは、けっこうちゃらんぽらんに放任主義で
機能しているようだが、ここはそういうかたちでは機能
しないということなのか。普通の人はここに限らず、
ブログなり、広く読んだほうがいいと思う。といっても
自分は、ひとまずそういうものはもう見ていないし、
もうここもレスを見ないで書いている。ネットからは距離
を置くつもりだからだ。
433 :
369:2005/06/28(火) 15:12:59
考えれば考えるほど、ここの人たちの原理なりには
疑問が多い。ほかの板よりよほど無理のあるところが
あるといえそうだ。自分はそれをかきまぜてしまった
といえる。もうこれ以上これに関わるつもりもない。
自分は自分を生きたい。ここの人は他人のお世話が
好きというか、他人に口出しすることののめりこんで、
さらにはつんのめってしまう、ということのようだ。
自分にはそこまでのものはない。
434 :
369:2005/06/28(火) 15:20:18
自分はここに書いてしまったことだけがほとんどの間違い
でしかなかったとしか思っていない。他にもっとうまく
書いていれば、それはまったく注目の対象にはならな
かっただろうことだろうからだ。いや、実際ほかでは
うまくやっている。かといってここでそれをこうやって書く
こと自体、ここの人たちに気を使っていない、ということに
なるようだ。それほどに無視せずにはいられないところ
がこちらにあるのなら、それは十分遠慮しなくてはならない
ことだろう。自分がここを離れればいいということだからだ。
そういう面で疑問があり、自分は意地悪なところがあっ
たかもしれないということだ。しかしながら場所がここでは
なければ、これほどでもなかったこともまた事実だろう。
比較的、イレギュラーに対する許容性の少ない場所とは
いえるだろう。そこにも質の良し悪しはあるだろうが、
そういうものが評価されるようなものではなさそうだ。
そういう相性というものは、あるものなのだ。
435 :
369:2005/06/28(火) 15:31:22
はっきりいって、自分はそこまで気張った生き方をして
きてはいないし、押し付けてくる価値観にそれほどピンと
来るわけでもない。かといってそういう価値観を否定
するつもりもない。それはそれで有用だとは思っている
からだ。ただそれがすべてではないだろうと思うくらいだ。
それだけ相性が悪いものだと思うしかない。となると、
自分はこれにも関係がない、ということになるだろう。
はっきりいって、一人の人間にできることには限りがある
し、いくらこうあるべきだといっても、それをすべての人が
真似できるわけでもないことだからだ。自分は自分に
合った生き方をするしかないし、それはやっぱり他人の
影響で変えるようなものでもない。自分で好きで選んで、
それを選んでいない人にまで、それを押し付けすぎなけ
れば、それほどおかしなことにはならない。そこにあまり
にも狭量で、聞き分けのない人もいるということだ。
436 :
369:2005/06/28(火) 15:52:40
はっきりいってネットがどうのこうのがそれほど切実な
ものとも思えない。真面目な人間にちょっかいを出して、
意地悪(いたずら)をしてしまった、ただそれだけのこと
だからだ。そこまで腹を立てられても、そういう人もいた
のだな、と思うしかないだろう。いちいち細かいことに
神経質な人につきまとわれると、それこそ気が狂って
しまうということだ。ここまでの融通の利かないところも
ないだろう。ある種ここは、寒々しいまでの光景がある。
自分だけはそういう価値観だけにこれから固着して
それがすべてのようになってしまわないよう、これから
は気をつけるばかりだ。自分はボヘミアン的なところが
あるので、ここの人たちよりも細かいことにはさほど
重きを置いていないところがあるのだ。それよりも
自分の道が追求できているかのほうが、よっぽどに
死活問題になってくるからだ。
まあ、いずせにせよ、自分は自分の世界を追求すれば
いいだけのことだ。自分くらいの変わり者など、いくらでも
いるものだし、それがいいもわるいもない。調子が狂って
しまったが、自分の内なる調子を回復すればいいだけ
のことだ。耳障りなノイズだけに囚われていたら、それ
こそ自分の一生を台無しにしてしまうからだ。自分はほか
の人とは、価値観において重きを置いているところが
まったく違う。それは相性だからしかたないし、別に、
他を尊重していなかったりするわけではない。むしろここ
の人たちのほうがよっぽど、他に不寛容で無理解で、
狭量なところがあるはずだからだ。
437 :
369:2005/06/28(火) 15:59:18
だから自分は、そんなには他人からあれこれここで
言われる筋合いもないと思っているのだ。ただただ、
場所が悪かったために、そういう人たちがこうあるべき
ということからはみ出るものの標的になっただけだと
いう被害者意識すら感じている。自分には自分の役割
というものがあり、歩んできた道も、おそらくはここの
ひとたちとはよっぽどに違うものだということなのだろう。
いずれにしても、自分には多少の横道なんてものは、
まったく大したことではないのだ。
もっと重要なことはいくらでもあるからだ。こうしなければ
ならないとか、自分にできないことまで、いちいち本気に
なって考えているわけでもない。それほどにデタッチメント
と受け取られるにはおおげさだが、社会に直接いコミット
メントするような志向性はまったくないのだ。文化的な
ある表現なりヴィジョンに興味があるのだ。
438 :
369:2005/06/28(火) 16:18:09
はっきりいってあれかこれかという発想しかできない人と
係わり合いにあってそこに調子を合わせてしまうと、自分
までそういう調子になって調子を崩すということがある。
自分に他人の影響を受けやすいところがあったことは、
それなりの反省点ではあるのだ。
ということで、何を言っても時間の無駄なのだ、ということ
がわかっていただけたと思う。それほどネットにおいて
まったく見知らぬ人に対してまで聞き分けのいいほどに、
お人よしの人間ではないのだ。自分は現実的な影響を
与えたつもりもない。単なるネットのフレーミングでしか
ないと思っている。それに後悔や反省はあっても、
プライバシーまでどうこうされるつもりもないのだ。自分は
これを代表しているわけでも信者でもなんでもなく、ただ
それほどにネットを気にしてなくて重きを置いていない
だけなのだ。はっきりいってここまで言われる筋合いも
ないと思っているので、そういう意味では腹立たしいところ
が大きく、それほどここでは低姿勢に出る余裕があるわけ
でもない。TPOを仕切りなおさない限り、こういう場所
では乱雑に書き散らすしかないのが、もう限界なのだ。
それほどに、面倒なことに巻き込まれたと思ってる。
頭がいかれてるなw
440 :
369:2005/06/28(火) 16:29:05
自分はこれに関係があるというより、思想や文学や芸術
や文化として興味があったといえる。そういう人というのは
自分はけっこう知っているつもりだ。自分もそういう人
としてこれに共感を寄せているくらいが本来だったのだ。
そういう暖かく見守るという姿勢もあっていいはずだ。
自分としては、現実なり社会なりに結びついているわけ
ではないのだ。ネットはネットであり、現実は現実である。
心ある人からすれば独りよがりといわれても、独りよがり
な人がいないと、文化というものは成立しないものなのだ。
そういうものをどれだけ許容できるかが文化の豊かさとも
いえるところがあるからだ。もっとも見かけだけで明らか
に貧しいものもあるが、とにかく、文化というものはその
人の好みや主観というものが介在するところもある。
他人の勢いに押されて調子を崩しただけで、ネットはネット、
プライバシーはプライバシーだということは不退転の決意で
揺らぐことはないし、他人に影響されるつもりもない。
441 :
369:2005/06/28(火) 16:30:28
>>439 これは自分なりの撃退のつもりなのだ。
その過激さに対して釈明も配慮もない。
早くあきれていなくなってほしいだけだ。
そして自分も去るだけのことだ。
442 :
369:2005/06/28(火) 16:46:32
自分は、思想というか、よくちゃんと開き直れば、文学
や芸術や文化に興味があったのだった。それだけの
ことだったのだ。そういう広いもののなかで、これから
いろいろと吸収していくことになるだろうと思う。視野狭窄
になることこそが、こういうものでは命取りになるからだ。
現代の潮流というのはこれだけではないし、もっと引いた
視点を確保して、自分なりに語れるようになっていかな
ければならない。もちろんそれだけにこだわっているわけ
でもないが、いずれにしろ、心理学とは違ったわけだ。
自分はあまり大した野望なり、成果主義があるわけでは
ない。自分をどうしたら拡げられるか、ということがまず
ありきなのだ。それがなくして、なにか体験があったとして
も、それをうまく位置づけて語れる自信がないからだ。
そして、これについては、さしあたってこういう動向もある
のだな、くらいの、ひとつの文化的潮流としてありのまま
に受け止めているだけで、それ以上に肩入れしたり、入れ
込んだり、背負ったり、邪魔したり、同一化したりしている
つもりはない。
実際のところ、これだけにこだわっていないわけだ。
あくまで文化的なものに興味があっただけなのであった。
ここでの発言が現実と取られる必要もないのだ。
443 :
369:2005/06/28(火) 16:56:03
そしてそういう人というのは自分だけでもないし、自分が
なにかそういう人の代わりにあれこれ言われるつもりも
ない。そういう自分の役割を見定めることが必要だった。
そこを見定めていれば、誰かに付きまとわれることもない
といえる。やはりそういうデタッチメントな部分は、どうし
ても残しておかないと、簡単に巻き込まれてしまうところ
もあると思っている。そういう意味では、信じているとか
いうわけではなくて、自分は邪魔するでもなく冷めている
部分はあると思う。
こういうものでなんらかの不満があること自体はそれほど
悪いことではない。それは自分なりに克服していくことで
あり、あまりこういうネットで他人に関わるつもりもなかった
ことだったのだ。ということで結論としては、自分はあまり
これに関係あったわけでもなかったのが正直なところ、
ということになってしまった。それについて責められても、
なんらかの影響を与えてしまった、としか言いようがない。
444 :
369:2005/06/28(火) 17:03:57
ということで、いささかクールでドライな言いようになって
しまうが、自分はここで現実のことについてなにか書いた
つもりもないし、それほどにこれやネットに入れ込んでいる
わけでもない。
ここでのことに誠意だとか、真に受けてしまうことこそに
問題があるといえる。ネットはネットでしかなく、そこに残る
ものはなにもないのだ。それよりも、死んでからも自分に
残るようなものとは一体なんだろうか、といったような仮定
をしたほうが、自分に後悔しないし、有意義だと思う。
それが豊かなものであれば、回りまわれば、自分を高めて
いくことになるだろうからだ。他人をいい意味で気にしない
ことだ。それほど気張るつもりもない。
人それぞれ、自分の関心分野というものは違うのだから。
445 :
369:2005/06/28(火) 17:15:31
そういう意味では、自分はそれなりにこれからは襟を
正してやっていくことではある。そしてそれは、今回の
ネットなり他人とはまったく関係ないことなのだ。現実
の反映なんて嘘であり幻想でしかない。あまり他人の
ことを真に受けないことではないだろうか。
そういう余裕のない気張り方でいると、日常生活に
美しいものを見出すそういう余裕すら消えうせてしまう
ということは前に言ったと思う。それこそその人にとっ
てもったいないことだと思う。結局そういう余裕の無さ
が自分さえよければいいということになり、文化を衰退
させるし、回りまわって自分の首をしめるようなことに
しかならないわけだ。どれだけどうでもいいような時間
において余裕を見出せるか、ということのはずだ。
他人にすがるのではなく、自分で自分を高める。そう
いう発想でいれば、おかしなことにならない。
>>441 :369:2005/06/28(火) 16:30:28
それを狂信的と言うんだな。
447 :
369:2005/06/28(火) 17:30:08
魂の交感、ということが、芸術や文学、文化の主題の
ひとつであることは確かなことなわけだ。
宗教芸術なり仏教芸術というもののなかには、素晴ら
しいものもあり、むしろそういうシンボリズムのなかに
こそ、宇宙の真理の、なんとも言い尽くせぬ奥深さが
表現されているとすら言えるわけだ。
嘘だと思ったら、ユングの曼荼羅を見てみるといい。
あれほど素晴らしいものもなかなかない。魂の深みを
知れば、ああいうものが自ずから内から湧き出てくる
という事実を知ることが大切なのだろう。
そういうふうに、真に、いと高きものをもたらすことが
できたとすれば、それは人々の心に残りうるものなの
だ。それは脆弱な基盤の、いとはかなき一回性の
機会のなかにこそあるかもしれないが、それはそれで
ささやかなる美しさなのだ。
ユングにしても、自分にはそういう関心があったのだ。
448 :
369:2005/06/28(火) 17:56:34
真の魂の深みに触れた、そういう類の美術的なものと
いうものが、いかに素晴らしいものになりうるか、それが
よくわかったと思う。ユングのそれを見れば、それはどん
な人であろうと、それはそれとして評価しうるものだ。
それをいくら還元しても還元しきれない、そういうなんとも
言いようのない深み、内的な普遍性がある。それは
考えてそうなったわけではなく、魂の働きと形容すべき
ものの表れともいえるからだ。だからこそ、そこにリアル
な、宗教的いや霊的な価値があるのだ。
多摩美の横尾忠則氏とかも、UFOを見たとか、そういう
体験をしている人だ。
それは表象であり、審美的、文化的なものとして価値を
見出すこともできるのだ。もっとも、あくまで崇高な体験に
インスピレーションを受けた人が素晴らしい美術を生み
出すとしても、その逆は真ではないことは注意していただ
きたい。いくら審美的に好ましいからといって、それだけで
は霊性とはまた別であることも確かだろう。いずれにしても、
美術というものは多かれ少なかれ、魂の表れとして見て
いかないと価値が成立しない。
そういうものというのは、現代において一番、時代の
すべてを取り入れやすく、もっとも先に進んだところがある
と思っている。進んでいれば、新しければいいといいたい
わけではなく、そういうところには魂の深みもまた表現し
やすいということが言いたいわけだった。言葉だけだと、
どうしてもすぐに狂信的とか、先走りされるのみだ。
449 :
369:2005/06/28(火) 17:58:24
ということで、書いているうちに、死ぬほどくだらなく
なってきたので、もうここにはこない。自分の魂の感覚
なりを深めればいいだけのことだからだ。そういう
直観なりは大切にすればいいと思う。それはなにかに
限定されたものでもないと思うからだ。
450 :
369:2005/06/28(火) 18:26:44
芸術的な表現というものは、かなり高い、形容しようの
ないものにまで、うまく漸近できるだけの可能性がある
とは思っている。宗教ほど胡散臭くなく、直観的な
説得力というものがあるからだ。
世界遺産である、竜安寺の石庭にしろ、そういう禅の
境地というものは、箱庭療法に通じるものがある。
無印良品にしろ、日本の禅というのは普遍的に通じる
ところもなきにしろあらずだろう。自分は建築のほうにも
詳しい。シュタイナー建築やオイリュトミーも知っている。
そう考えるとますます芸術というものは精神の自由が
あるものなのだなと思う。自分は生き方が根本的にまち
がってた。変なところによって、根本的に人間がスレて
しまったのだ。これほど腹立たしいこともない。これ以上
は横道に入るわけにもいかない。
はっきりいってそういう媒体(メディウム)となりうるものを
中途半端だと思い込んで軽視してしまっているようでは、
精神文化は衰退するということになる。そういう意味では、
自分はこれに限定してしまうつもりもなく、広く芸術など、
役に立たない精神文化にこそ注目しているということだ。
そういう自由な精神において、いかにこういういざこざなり
ごたごたなりがわずらわしかったか理解されたと思う。
451 :
369:2005/06/28(火) 18:39:07
はっきりいって余計な人とはむやみに関わりあわない
ほうがいいと思う。逆にその人のスレた価値観なりに
洗脳されるからだ。自分はそこまでまだ大人ではない。
ピュアなところまで洗脳されるわけにはいかないのだ。
思い返しただけでも恐かった。赤の他人なのだから。
なんでこうも他人に係わり合いになるというのだろうか。
精神的に行き詰まりそうになった。そういう人というのは
ほんと、他で息抜きなりしてもらいたいものだと思う。
自分はまだまだそこまでスレるわけにはいかないのだ。
ほんと芸術というのは、人類の文化の極みだろうと
思っている。魂のレベルから立ちなおさせてくれる、
息を吹き返してくれるような潜在力がそこにひかえて
いるといっていいからだ。そういうものを受け入れる精神
の余裕がなくなったとき、魂の深みも忘れ去られてしまう
ことにもなりうるだろう。そんなことは、あえてここでいう
までもない、あたりまえの視点だったのであった。
なんだかんだ言いつつも、自分はこのあいだもそういう
ものは吸収していたのだから。
いずれにせよ、自分には精神のリハビリが必要のようだ。
お人よしが過ぎたということだ。赤の他人なのだから。
452 :
369:2005/06/28(火) 18:49:24
思い返しただけでも、その傲慢さには腹立たしく思えて
きた。一体何様ということなのだろうか。そんなにネット
の混乱くらいに集中するほうがおかしいだろう。他人への
おせっかいが過ぎる。ありがた迷惑もいいところ。そんな
にいちいち細かいことに神経質になっても仕方ない
だろう。そういうものが精神の芽をつぶすんだろうな、と、
ものすごく警戒した。そういう人とは敬してお近づきに
なりたくないものだ。自分で自分を豊かに深められない
ほうが悪い。もしそれが豊かで深まっていれば、他人に
ここまで関わることもないだろうからだ。あんまり見ず
知らずの他人のプライベートに踏み込むことを共感なり
教化なりのつもりだと傲慢に安易に思い込まないことだと
思う。こっちとしてはそういうものがここでは求めていない
ことなのだ。そういうのはいかなる口実をつけたところで、
ほどほどでなければ、単なる下世話な詮索でしかない
からだ。そういう意味ではここまで詮索することには、
腹立たしく思っている。自分はそこまで意味を持たせて
いないからだ。はっきりいって北朝鮮と同じようなものを
感じるわけだ。
ますます自分は自分らしい道を追求しなければどうし
ようもないということだ。この無駄で見切りをつけて、
自分を取り戻さなければもうどうしようもない。他人なり
のストーリーにそってここで道化を演じるつもりもない。
453 :
369:2005/06/28(火) 19:00:20
それに他人に去れなどと、ここで指図されるつもりもない。
そういう見ず知らずの人の態度によって、ここを去るわけ
ではない。もっと適した場所があると、自分で見つけて
自分を決定したから去るのだ。ここの村社会なりのしきたり
なりで去るわけでもない。ほかにはほかの、そういう世界
があり、ここには単に適さなかったから場所を移すだけの
ことなのだ。そして他人に影響を与えたことについて、
なにも未練は残していない。ネットはネットであり、現実と
関係がないからだ。同情や共感などなんらかの感情を
ここに重ねるつもりもない。そういうこと自体が、ここに
対して卑下したり馬鹿にすることに通じるからだ。あくまで
対等の、匿名のコムニタスの関係として、この書き込みは
あったということだ。それが現実を反映しているとは限ら
ない。自分は芸術系であり、根本的に変わり者で生きて
きた。普通の人とは感性が違う。ここまで他人に合わせた
ことは、実のところない。それだけの無理をしてみたが、
やはり自分の柄ではないということが確信できたという
ことだ。これだけ言えばもう十分だろう。瑣末な事象に
これ以上気を取られるつもりはない。自分は自分の道が
どうしてもあるということだ。それはこことは関係がない。
454 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 19:07:06
こんなネット上での書き込みひとつで不安定になって、
長々文章を垂れ流さなくてはならないとしたら、
もうそれ自身で「パーソナルな問題を解決できていない」そのものだ。
トラパを語るなら、まずそこをどうにかしてからにしろ。
前個のレベルのくせに、超個のレベルを語るな。
455 :
369:2005/06/28(火) 19:09:02
匿名の掲示板では対等でありつづけ現実に結びつけ
たりして迎合しないこと、それこそが自分にとっての誠意
なのだ。他人に聞き分けないこと。それが自分にとって
の誠意あるこだわりなのだ。
なんと言われようが別になんとも思わないし動じないし
かまわない。狂信者でいいと思っている。いやむしろ
狂信者でなければならないのだとさえ思っている。それ
を前向きな原動力に転化していくことが自分にはできる
からだ。自分にはそれだけのものがある。
そういうことで、ここには用が無かったということだ。
自分が独りよがりな狂信者といわれても、他人よりまとも
なところがあることは変わりないと思っている。それを
ここでは表現しきれないだけで、これ以上他人にかまう
つもりもない。真に接するべき有意義な相手を吟味して、
尊敬できる方と、そうでない方を、きっちり分けていく
ということだ。それがここではキャパシティをこえている
ということで、誰にも平等に反発しなければならないのだ。
むしろそれこそがこちらにできるせめてもの誠意である
からだ。この確信に揺らぎはない。
456 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 19:12:43
>なんと言われようが別になんとも思わないし動じないしかまわない
じゃあ反論するなよ。w
こんなところに居続ける時点で、お前の行動がお前の言葉に反してるんだよ。
つまりお前の言葉は空虚でしかないということだ。
なにかを思っているし動じているから、
これだけダラダラ書いて言い訳するしかないんだろ。
いいかげん嘘をつくのはやめろ。
トラパがどうこう以前に、単に「お前は嘘つき」、それだけだ。
457 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 19:14:10
>狂信者でなければならないのだとさえ思っている。それ
>を前向きな原動力に転化していくことが自分にはできる
>からだ。自分にはそれだけのものがある。
お前にはそんなものはありません。
その事実を早く認めろ。妄想は捨てな。
458 :
369:2005/06/28(火) 19:15:28
>>454 結局他人をそうやって卑下したり命令口調になるもの
に対しては、それを歩み寄るものはいないということだ。
大体これを語っているわけではないということは何度も
強調してきたわけだし、これを経由しなければそういう
領域を語ってはいけないわけでもない。あんたみたいに
他人をそうやって何度も同じレトリックで邪魔するよう
ではまったく意味がないということなのだ。むしろ逆に
なにかを強化してしまうだけだということに気付いたから
だ。あんたに命令されなければならない道理はないはず
だ。あんたはこれをやっているわけではないのだろう
から対等だろう。あなたのように聞き分けの無い人に
対してはこちらもあくまでもしつこくしつこく何度も何度も
聞き分けるつもりもない。別に不安定でもない。精神は
極めて安定している。それだけしつこく言っておかない
と、あんたのような人が絶えないからなのだ。
459 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 19:17:53
>結局他人をそうやって卑下したり命令口調になるもの
>に対しては、それを歩み寄るものはいないということだ。
お前自身に当てはまるな。w
というか、事実の指摘を「卑下」と受け取るようでは終わり。
>精神は 極めて安定している。
お前の文章を読んで、精神が安定している人の文章だと思う人がいるのかい?
笑わせるのもたいがいにせえよ。
460 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 19:20:00
>それだけしつこく言っておかない
>と、あんたのような人が絶えないからなのだ。
こっちも、ここではっきりさせておかないとね。
トラパに集まる人間の多くが、あなたのように「おかしな」人間ばかりである、
という事実を明確に示さないと。
461 :
369:2005/06/28(火) 19:26:04
>>456-457 そのとおりで、自分は嘘つきだと思っている。なにひとつ
ネットでは正直には書いていないからだ。また、そんな
ものはない、ということに同意してみてさえいい。いずれ
にしろ、嘘つきということになるのだから、どっちでも
いいことでしかない。自分はどうでもいいのらりくらりとした
ことを書いて跳ねつけることしか書く気になれないのが
誠実な心境であるし、それに対して、あんたの存在がどう
だろうと、そういうものに関心が向かないのもまた、誠実
な心境なのだ。それほどにどうでもいいことだったといえる。
関わるべき他人と、関わらない他人というものがある。
そこに平等な対応もなにもない。あんたに対して平等に
対応しないこと、それが真に大切な出会いにつながる
からだ。
ということで、ここに重きを置いていないことがわかって
いただけだと思う。重要なことはその先にあるからだ。
なぜ赤の他人にまでこうも関わらなくてはいけないの
だろう。それよりも大切な時を大切にすべきなのだ。
それはあなたにしてもそうなのだ。
ではさようなら。
462 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 19:32:58
はいはいさよなら〜w
463 :
369:2005/06/28(火) 19:42:44
>>460 はっきりいってこういうものに集まる人間の多くが、
自分のように「おかしな」人間ばかりであることはもはや
疑いようがないものだと思う。それが一般的なものならば
自分ひとり「おかしな」ひとがちょっとおかしなことをやった
くらいでは、それは100が101に増えたようなものでしか
なく、なんの意味もなかった見過ごすべき事象として受け
とってもいいことになる。
むしろ「まとも」にしようと気張ったことに間違いがあった
ということだ。自分としてはいい意味で「いい加減」にやっ
てないと、やっぱりやってられないアバウトな人間だという
ことなのだ。それを見極めなかったことに、バランスを崩
しておかしくなったところがある。もっと肩の力を抜くべき
人間だからだ。はっきり事実がどうだろうと、どうでもいい
ことなのだ。過ぎたことに執着しているわけじゃない。
464 :
369:2005/06/28(火) 19:59:01
自分は「おかしな」人間であると思っているし、それに
開き直ったほうがむしろ自然体になれるということなのだ。
それほどに普通というほど普通なわけでもないからだ。
はっきりいって、他人に暗示をかけられておかしくなって
いたという、ある種、集団洗脳にかかっていたともいえる。
もちろん自分にとっては、ということだが。こうやって
いちいち言っておかないと、なんでも自分本位に極論
でしか捉えられない人というものはいるものなのだ。
ただ押さえるべきところを押さえるだけしか、頭に無いし、
ここでのことがどうとか他人がどうとか、もはや自分には
ノイズにしかなっていないのだ。申し訳ないが、縁がなさ
すぎた。ここでのアドバイスがいい意味でプラスになった
などと、厚かましくその温情を受け取るつもりもない。むしろ
逆にマイナスだったことだからだ。いまもまたそういう暗示
に他人にかけられようとしているという警戒をもっている
くらいだ。いずれにせよ、もはやどういう「ありがたい」
お言葉がここに投げ込まれようとも、それはどうでもいい
ことなのだ。それによっていまさら改めたところでそういう
ものでもない。自分はそこまでまだ大人ではないしスレて
いるわけでもないからだ。ピュアでフレッシュなところを
失うわけにはどうしてもいかないからだ。自分のものという
のは別にあるからだ。はっきりいって自分はちゃらんぽらん
な駄目人間だし、これがどうにせよ、心理学がどうにせよ、
実のところそんなことにことさらこだわっているわけでも
ない。そういう観念自体が自分には余計なことなのだ。
他人の集団主義的なイデオロギーの代表であるかのよう
に、ここでそれを左右するかのように考えて、配慮する
つもりもない。はっきりいっていわゆる普通の人というもの
が自分のどこをどう普通だと思っているのかわからないが、
そういう言葉遊びはどうでもいいのだ。
ではこれで。
465 :
369:2005/06/28(火) 20:12:57
それでは、ここの人たちはせいぜい、正常に、まともに、
やってててください。自分は別に、世相の反映になった
つもりもまったくない。最近の若者はなどと、右往左往
することこそが、ほんとに暇人的で馬鹿らしくてあほらし
いことだ。そういうものはプラトンの時代からあったもの
なのだから。それをいまさら退廃もなにもないということ
だ。はっきりいって、ここでうんぬん言っている人は、
他人のこと言えたもんじゃないと思っている。そういう
人といつまでも付き合うつもりもないのだ。自分はそこ
までは腐ってないし、暇ではないのだ。自分ははっきり
いって他人がどうだろうと気にならないしどうとも思わ
ない。いい意味で無関心なのだ。それほどどのような
人に対してもことさら変質的に興味がわくわけでもない。
それより面白いことはあるからだ。結論から言えば、
ここでのことは自分にはなんら意味がなかったという
ことになる。そういう徒労感しかない。自分はますます
自分を見失うわけにはいかなくなっただけだ。他人の
言葉なども、どうしてそこまでのことがこの人は確信が
もてるのか?超能力者なのか?と思ったが、いまと
なってはどうでもいいことだ。自分はうさんくさい人間
であり、嘘とか事実とか、あんまりこだわっていない。
それは思いたい人が勝手に思えばいいことで、それ
が事実とも限らない。そういうこと自体がくだらなく思え
てきたからだ。
466 :
369:2005/06/28(火) 20:29:39
自分は自分を深めるようなそういう道を歩むだけの
ことで、その結果それがよきものをもたらすとすれば
これ幸いということでしかない。あまりこういうものを
まともだの事実だの証明だのと、片意地を張って
気張ることこそが、あほらしく思えてしまったという
ことだ。
それより自分は、フィクションとしての表現なりで伝わ
ればそれでいいわけなのだ。美しいものを味わいたい、
そしてそれを自分でも生み出すなり知らしめるなり
伝えたい、というささやかなものなわけで、しかもまた
それが霊性という主題でなくてもさほどかまわない
というわけなのだ。わかるひとにわかればいいわけで、
またそれでどうということもないのだ。
最初からなんらかのスモールワールドに限定して
しまうことこそが、視野狭窄で結果的に冴えない表現
になってしまいがちにも思えるからだ。
などと、他人に説明するつもりもないし、ここに書か
れたことが嘘であってもかまわないわけだ。どうでも
いいことなのだ。
トランパスレ...おわってる
諸富のトランパ入門でも買ってきて読んだ方がいいや
>>467 トラパ信者のおかしな戯れ言を読まされるより
そっちのほうがずっと意味がありますね。
469 :
369:2005/06/28(火) 20:52:37
その教訓を与えることまでが織り込まれているのだよ。
ふふふ。
470 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 20:57:26
>>469 本当にトラパが必要な人というのはね、
お前のようなクズ人間に教訓をもらわなくても自ら求めるんだよ。
くだらない自惚れしてるなよ。
しかしお前、ユングいうところの「自我肥大」そのままだな。
相変わらずトラパ以前の前個人間。
トランスパーソナルというと、V.E.フランクル、ケン・ウィルバー、諸富祥彦、
菅靖彦、吉福伸逸などが有名みたいですが、初学者ならやはり諸富祥彦
の入門書から入るのがいいのでしょうか?
あと、吉福伸逸って、なんて読むんでしょ?
472 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 21:13:41
「よしふくしんいち」です。
ついでながら
トラパなんぞに入門しないことをお勧めします。
吉福伸逸は初学者にはお勧めしないな。
あっちへ行きすぎてるところがあるので、判断がつかない人は危険。
諸富祥彦が無難。
1日中張り付けまくってるんだし、
トラパうんぬんより精神の病でしょう、これは。
心理学板じゃなくて、メンタルヘルス板に行くべきだな、
メンヘル板なら優しく聞いてくれる方も多いだろうに、
こんな場所で無駄なことを。
下手に悟りとかそういうものに大真面目に近づくと、
分裂症状起こしたり、元々持っている素質が出てしまうらしいね、
禅病というのもあるし。
475 :
369:2005/06/28(火) 21:59:15
>>470 他人を四の五の言うより、あなた自身に取り組むべきでは
ないですか。もうある意味達観しましたよ、自分は。自分の
生き方というものにね。魂の世界はそこまで型通りとは
いきません。心理学というものはあくまで便宜的に思って
おいたほうが、もっとらくになれますよ、あなた自身がね。
自分は心理学から入るということが、そもそも鬼門だったと
いうことなのです。それをどう心理学の用語でくくられても、
そういう心理主義的な発想自体が、もう息苦しいわけで。
何度言っても何度言ってもそれがわからない聞き分けの
ない意固地な人がいるわけでしてね。まあ、少なくとも、
あなたのようにそれを濫用する人とは、それだけお近づき
になりたくないということなんですよ。心理学それのみに
おさまっていたらこうした視野狭窄的な発想なり態度しか
出てこなくなってしまうとなると、これはそれだけではどう
かな?と思ってしまうわけでしてね。そもそも自分は心理学
というわけではなかったわけでしてね。
476 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 22:06:35
>>475 >他人を四の五の言うより、あなた自身に取り組むべきではないですか。
だから、それはお前に対して当てはまる言葉。
投影してるんじゃねえよ。
> 視野狭窄的な発想なり態度しか出てこなくなってしまう
これは、トラパ主義者のほうにずっと顕著だ。現実問題としてね。
というか、心理学というものに対して自分が投影をしていることぐらい気付け。
それから言っておくが、
>>470はいつもの俺ではない別人。
>>470のように感じるのが普通ということさ。
477 :
没個性化されたレス↓:2005/06/28(火) 22:06:59
というか、トラパの話をするのに邪魔だから、お前消えろ。
478 :
369:2005/06/29(水) 00:51:09
>>476-477 あんたに命令されるつもりはない。わんわんほえる
ステップをいちいち踏むくらいなら、無視してあんたから
ネタをふればよろしい。それができなければあんたの
存在自体がここにおいてきな臭いネタでしかないという
ことになるだろう。こういう風に「消えろ」としかいえない
ような、あまり面白いともいえない好戦的な人間に限っ
て都合よく話したいふりしながらそれ以上進めるわけ
でもないだろう。偉そうに躍り出るくらいならハンドル
つけてどんどん進めることだ。まさにああいえばこういう、
他人にいちいちくってかかることしか能がないほど、
非生産的で大人気ない人しかいないのか。そういう
エゴのぶつかり合いに関わるつもりはない。険悪な
ムードに油をそそぐことしかできないのなら、あんたの
言っていることにもまったく説得力は生じないという
ことだ。でしゃばりだけのでしゃばりなんて誰も読みたく
もないだろう。いいかげん無視しろよな。
479 :
369:2005/06/29(水) 00:57:27
ここは男根主義的で幼児的で、皮肉にも、あんまり
人のこといえるほど精神レベルの高い人間はいない
だろう。他人に言えないレベルなのは変わりない。
正直失望している。自分のほうはまだ自分で至らない
ところを認識しているだけましだということだ。それ
でもここの連中を反面教師にしているし、また、これに
関係しているわけでもなければ、他人に去れなどと
命令されて去るつもりもない。もしこれに反論がある
なら、自分の態度こそで自分の精神レベルがそれ以上
であることを示すべきじゃないか。それなのにここの
連中といったら、まったくもって男根主義的な態度しか
とれやしない。これでどっちもどっち以外のなにもあるか?
ここからまったく無視して潔く進展させるか、もしくは、
また同じことを繰り返すかだ。もう書かないから、もし
話がしたいというなら、ここから50レスくらいは進めて
それを示せば、すべてがまるくおさまることだろう。
480 :
369:2005/06/29(水) 01:21:56
他人のことばかりで、自分が抜けているのはここの
連中も同じ。トラパ主義者がどうのだとか、こっちに
言っているのか、どこかに聞かせているのやら、そう
いう不満しか出てこないのがどうかしている。トラパ
うんぬん以前に、これからはこういう場そのもの、
こういう非生産的なものに関わりあいたくないもの
だと思っているわけだ。自分はこういうろくでもない
ものを見せ付けられて、現実ではこういう人とは
お近づきになりたくないものだな、と思っているくらい
でしかないのだ。それ以上になにか得るものがある
わけでもない。自分のほうがこういうことをここでは
ともかく、これからは回避できると思っているだけ
まだましだと思っているわけだ。大体、こういうあまり
に男根主義的な場所で議論なんか戦わせても、
それこそろくなものはない。ろくでもない男根主義的
な連中にかぎってどこかしからそそくさとしゃしゃり
でてくるのが関の山といった様子だろう。もうそういう
一歩引いた冷めた視点で見てますよ、ここというもの
は。もちろん自分がその例外として免れているつもり
もない。ただ辟易するまでの本音を書いているだけだ。
君子危うきに近寄らず。自分はこれからはもっと
貴族的にふるまいますね。
なるほど、
自分の行動が異常、頭も異常なことは、自覚してるわけだな。
それを他人に言われるのは、嫌だと。
482 :
369:2005/06/29(水) 02:32:32
>>481 こういうやりとり自体に、意味や価値を認めてない。
不平・不満をこっちに言ってこない。はっきりいってここの
男根主義的なノリには、それこそ心底、ついていけない
ところがある。合わせてみようとしたが、そういうものとは
根本的にタイプが違うし、ソリが合わないのだ。ここは不快
な場所でしかないため、こっちも、硬直した態度しか取る
つもりはない。
今、なぜシュタイナーなのか?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1101528634/ ((((( グルジェフ考察 )))))
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1099151763/ 哲学板のほうがずっとこういうものを超えて面白いものが
でてくるぞ。間口は広い。場所を選べばいいだけなのだ。
フェミニズム論なりジェンダー論に踏み込むつもりもないが、
こういう家父長制的な、なんの面白げもないことを平気で
言ってくる、そういうシャレの通じない白けたコミュニティだけ
に染まりきってしまって、そういう狭い世界だけで、まともに
そのペースに巻き込まれていたら、ほんとつまらないこと
になるだけ。いちいち他人のおせっかいに義理立てして
かかずりあうこともない。不毛なものは不毛なものなのだと、
クールに断ち切ることだ。そうでないとらちがあかないのだ。
483 :
369:2005/06/29(水) 02:45:03
住む世界が違うということだ。よってここの流儀に沿う
つもりはないし、他人に関わりあうこともここでは意図的
に遮断している。なぜなら他でならこういう面倒なこと
にはなっていないからだ。それほどにここは白けさせる
ものしかないということだ。ここの家父長制的なあまりに
融通がきかない構造なりが悪いだけだ。そういうものに
巻き込まれたんだという感慨しかない。こっちはそれに
まともに誠実な態度を返して去るつもりもない。無神経に
後味の悪さを残すばかりで、このままさっさと去るだけだ。
それほどにつまらないことに時間の浪費をしただけで、
どうでもいいことなのだ。
484 :
369:2005/06/29(水) 02:49:04
ここは結局、板の全体でモノを考えているようだという
ことだ。そういう単位でしかなにも動けないし書いていけ
ない不器用な人ばかりらしいということだ。そういう
あまりにも「しょぼい」としかいいようのない「しょうもない」
構造があるんだな、という感想しか、わきやしない。
文学板なり哲学板なりはもっと活発で、こういう白けた
空気にはなっていない。それだけのことだ。
485 :
369:2005/06/29(水) 02:50:40
それだけのことであり、これ以上ままごとに付き合って
いるつもりもない。ではこれで。
486 :
369:2005/06/29(水) 03:01:02
このくらいやっておけば、つまらないことにこだわる、
しょうもない連中には、いい薬になることだろう。ほかの
文学板なり哲学板なりは、ネットはネットという感じで、
オカルト的なものありので間口広くやっているんだから。
大体、ここだけ現実を反映しすぎているらしいことが
滑稽でおかしいだけだろう。それだけ家父長制的というか、
つまらない村社会的な構造にこだわっているというだけ
のことなのだ。その秩序なりを回復するためにここで
一芝居ぶちあげるつもりももうない。それに対して自分
は無神経であり、ことさらの意味を認識するつもりもない。
ここがどうだろうと勝手にやればいいことだ。人のこと
言えないが、ここはあまりにも因習的で、つまらないこと
にこだわりすぎる、心の狭い、さもしい連中が多い。
そういうノリについていけないのだ。
487 :
369:2005/06/29(水) 03:11:24
もっと広く、世界を見たほうがいいと思う。ということで
いい加減にさせてもらう。こっちを引き離さないのは
いったいどっちなんだ?ということになってきてるからだ。
別に学問的な心理学なりに関わってるわけでもない
んだから自分は。その流儀に沿うつもりも、ここでその
土俵に乗って議論を戦わせるつもりもない。ただただ
場所が違ったということが言いたいだけだ。もともと
関係なかった。「タイプとしての根本的なソリが生理的
なり直感的に合わなかった」ただそれだけなわけで、
そこに理由も何もない。無視できないほうが悪いだろう。
言いたい放題、書き散らして、もうさっさと去るだけだ。
相性が悪いということ。心理学とここで関係をもっても
どうしようもないこと。これはどうしても分かってもらわ
なければならない。現実は現実。関係ないことなのだ。
488 :
369:2005/06/29(水) 03:21:40
これだけマシンガンのように書いたということはいい
加減このへんにしておきたいということなのだ。もう
はっきりいってここはもう、らちがあかないからだ。
こういう狂気の沙汰のような神経質な空気が形成
されてること自体がどうかしてる。そこまで自分は
神経質ではない。はっきりって他ももう読んでいる
わけではないし、現実と結び付けているわけでもない。
ただただ、ソリが合わなかっただけということだろう。
哲学板にはオカルト的なものが平気でたっている。
それだけネットと現実は本来関係がないということ
だろう。ここがどうかしすぎている。北朝鮮の全体主義
的な人民服を喚起させる、そういう面白げのない
口調の人が飛び出してくるだけだろう。このくらい
マシンガンのように叙述しておけば、もう下手にあれ
これ詮索して書いてこないだろうと思っているわけだ。
他人をおかしいなどと言うが、他の板には、いくら
でももっとおかしい人はいるだろう。そういうところも、
自分はネット自体、それほど身近でもないのだ。
そういうわけで、ソリが合わないことがわかっていた
だけたと思う。
489 :
369:2005/06/29(水) 03:29:23
ネットでこういう関係を作ってしまったこと自体、自分
にはまったく不本意なことでしかなかったので、いまと
なって冷静に考えてみれば、ただただ腹立たしいだけ
なのだ。こっちや、こっちの存在を利用して、なにか
トラパがどうのだとかいちゃもんつけてこないこと。
自分はそれを背負うつもりもないし、現実と結びつけ
てそこまで気張ってこれに関わったつもりもないのだ。
それを誠意がないと言われようと、もともと人間的に
ソリが合わなかっただけで、それ以上の意味はないし、
ここの連中の家父長制的な、偉そうな態度がただただ
気に食わなかったくらいのことでしかない。はっきり
いってなんかもこういうノリ自体が、お付き合いしたく
ないなというものを感じさせる、自分とはちがうところが
あるわけだ。他ではこうも感じないだけに、ここにそれ
だけの特徴があることは間違いないことなのだ。
490 :
369:2005/06/29(水) 03:35:06
ということで、ここで取り巻く心理学というもの自体が、
自分ととてもソリが合わないものであるなということは
どうしようもないものなのだ。誰もが心理学を専攻する
わけでもないし、専門家だろうと、心理学をなんら学ん
だことがない人はいるだろうし、また違った立場の
人はいることにはいることだろう。それをここの連中は
馬鹿にするのだろうが、別に心理学に関わらなくとも、
生きていけるわけで、もっと深いものもある。心理学を
経由するだけが発想のすべてではない。パーソナル
うんぬんここで言われる筋合いもない。
491 :
369:2005/06/29(水) 03:40:53
自分は心理学の奴隷になるつもりはないし、他の学問
をやっている人にしてもそれはそうだろう。心理学を
選んだ人だけがそれに従属すればいいだけだ。
>>482 なるほど、シュタイナーにグルジェフと来たかw
頭の中見えてくるよ。
硬直とした態度でも何でもいいけど、
ウザイなら自ら消えるのが掲示板の暗黙のルールなんじゃ?
議論に負けて逆ギレしたにしか見えないが。
つらつら文章流して「わかってくれ、俺が諭してやらないと」という行動は、
患者が医者に対してやってるようにしか(ry
もしかして通院してる?
493 :
369:2005/06/29(水) 03:44:32
心理学は法学でも神学でもない。いささか越権行為的
な驕りが過ぎるのではないか。そういうことで、自分は
あくまで他人にここでパーソナルうんぬんだとか社会性
うんぬんだとかそう言われたところで邪魔されようもない
ことをいちいち諭されるつもりもない。あくまで場が白ける
ようなことしかもう書くつもりはない。
>ここで取り巻く心理学というもの自体が、
>自分ととてもソリが合わないものであるなということは
>どうしようもないものなのだ。
心理学の話しをしたくないなら、他に行きなよ。
板違いだからここに来るな、と。
495 :
494:2005/06/29(水) 03:48:07
おっと、資料を去らせちゃいけないか。
496 :
369:2005/06/29(水) 03:51:13
>>492 あくまでモノのたとえということで、それだけここが、
つまらないことにこだわっているということだけが言い
たかったにすぎない。あんたは医者ではないのだから
診断のような真似をしないでもらいたい。それに決して
あんたのその性格なりにユーモアなりウィットに富んだ
ものを感じさせるわけでもない。自分は精神的な問題を
感じたことは人生で実のところ一度もない。大きな
病気をしたこともない。それほどに安定したものがある。
そういうダイアローグ自体に、うそ臭いものを感じるし、
相手するつもりもない。はっきりいってそういう態度しか
出てこないところに馬鹿にしているところもないでは
ないのだ。自分はそこまでつまらない人間でもない。
>あんたは医者ではないのだから
>診断のような真似をしないでもらいたい。
と、いいつつ語ってるし、
なかなかおもしろいなw
一つでなく、
シュタイナー&グルジェフ出した時点で、だいたい解るものだよ。
じゃ、おやすみん
499 :
369:2005/06/29(水) 04:00:51
ということで、一言でいえば、こういうでてくるもの
すべてのノリ、心性、精神性なりというものが、自分の
ものとはまったくソリが合わないということで、それ以上
でもそれ以下でもないということなのだ。ほんと偉そう
なわりに、人間的な実質の伴わない、まったく自分に
自覚をもたない人が多い。そのために、それでなにが
心理学なの?と多くの人に、相対的に多大な反感を
買っているところ多いのではないかと、老婆心ながら
指摘しておきたいのだ。ここの人は他人との接し方が
あまりにも通り一遍すぎる。ちょっと身の振り方考え
直したほうがいい。これでは感性が死んでもおかしく
ない。まあこれほどめためたに他人に悪口をいわれて
誰も気分良くする人なんていないからこういう反応も
当然だとは思っているが、自分もそこまでお人よしでは
ないということで。それではこっちの相手をするくらい
なら無視して続けること。自分はこれで去るのだから
もうこれ以上、こちらに返事することもないのだ。
とにかくもう無視して続けるかさげてしまうこと。それが
できないというならそれまでのことだ。
500 :
369:2005/06/29(水) 04:19:39
もうこういうルーチンワーク的に医者とか出てくる時点
で、人間寄りというよりは科学寄り、心理学というのは
あくまでも徹底的にロジック優先なのだな、と思う。
もうそれは結局、科学ということでしかないんだろう。
それはそれで非常に有効な一つの見方なのだろうな、
とは思うが、自分にはそういう立ち位置ではないと
痛感させられてしまった。それだけが今後に行かせる
ことなのだ。お互い縁がなかったのだ。仕方ない。
自分はやはり、そっちの世界の人間ではまったくない。
そういう風に擦り寄ろうとしてみたこともあったが、そう
見えたとしたら、錯覚なり幻想ということになるだろう。
かといってトラパがどうのというわけでもない。もう
いちいちそういうプライベートを吐露する気にもなれない
ということなのだ。自分は精神の自由を自分なりの
仕方で再発見していきたいと希求するばかりだ。
気分的にそういうものもあったが、あまり即物的に
色物的に、精神的な世界を安易に受け取りたいわけ
でもない。とにかく縁がなかったので、これ以上関わり
あっても不要な摩擦が増えるだけでしかないのだ。
ものごとにはTPOというものがあり、仕切りなおさなけ
ればどうしようもないものはある。ということで自分は
もうここで他へ移るしかないということだ。これ以上
こちらの行動についてとやかく言われる筋合いもない。
>>471です。
>>472-473 レス、ありがとうございます。
トラパに関わるには、思想免疫(?)のようなものが必要なのかなと
いうことがわかりました。
興味を持ってしまったので、諸富氏の入門書にだけざっと目を通して
見ようかとは思っていますが、周囲のノーマルな人のアドバイスにも
耳を傾けながら気をつけることにします。
502 :
没個性化されたレス↓:2005/06/29(水) 07:32:28
>>500 >ルーチンワーク的に医者とか出てくる時点で、人間寄りというよりは科学寄り
いや、単純にお前には医者が必要だろ。w
スピリチュアルな事柄と、単純な病気との区別というのは
トランスパーソナル医学でも重要な問題だ。
医者が必要なときには必要なの。ただそれだけのこと。
そういう区分を明確にしようという気もなくトラパを語るとなると、
お前のダメさかげんがまたひとつ明らかになりましたな。
もともと、トランスパーソナル心理学を語るのではなく、
トランスパーソナル心理学を使って自分を正当化するのが369の目的。
トランスパーソナル心理学の理解は最初からいいかげん。
504 :
没個性化されたレス↓:2005/06/29(水) 08:34:57
369は、心性だ精神性だ人文だ、などとほざいているが、
要するに、認めたくない現実を認めないための口実。
心理学や科学について、なんの根拠もない偏見ばかり一方的に語り、
自分に都合よく話を捏造している。
排除的な思想を持っているのはどっちだか。
トランスパーソナル心理学が、その信者によって現実逃避の手段として使われていることも、
関係者の間ではずいぶん指摘され問題視されてきたことだ。
369はそういう狂信者の典型例。
トランスパーソナル心理学を一から学び直せと言いたいね。
トラパに下手にはまるとダメになることのよい実例ですね。
反面教師としては確かに役立っているかもね。w
>>504 >自分に都合よく話を捏造している。
>排除的な思想を持っているのはどっちだか。
いや、本人は真剣だから、
捏造してるなんて思いもよらないだろうね。
トランスパーソナル心理学を一から学んでもさらに悪化するだけなので、
義務教育から、と言うほうが正解だね。
506 :
没個性化されたレス↓:2005/06/29(水) 12:46:22
このスレの奴って文章が冗長なのが多い
>>505 >トランスパーソナル心理学を一から学んでもさらに悪化するだけなので、
>義務教育から、と言うほうが正解だね。
それもそうだ。
少なくとも、トランスパーソナル心理学から頭を離すことが必要だろう。
スピリチュアルな領域は、別に魂的・文学的な部分だけではなく、
父性的な精神性を強調したり、ロジックや現実性を重要視したりする部分もある。
文学的な部分ばかり強調して、その他の部分を排除する369は、
偏った理解、都合のよい解釈をしているといわざるを得ない。
パーソナルな思いをぶつけるのにトランスパーソナル心理学を悪用してるだけ。
369の書いていることは、
トランスパーソナル心理学の立場から見ても穴だらけ。
369はまるでダメ、こうなったら終わり、ということを理解するところから
トランスパーソナル心理学は始まる、と言ってもいいかもね。
その意味ではよい資料だったかも。
508 :
没個性化されたレス↓:2005/06/29(水) 17:51:06
ウィルバーってどうよ?
509 :
369:2005/06/29(水) 22:23:58
>>502 話しかけないでくれ。そんな、誰でも言えるような
解説を聞かされたくもない。人格批判への悪用の恣意性、
その無粋さや品性の問題を言っている。もっと端的に
言えば、”あなたは面白い人間ではない”、ということだ。
>>503-504>>507 だから、関係なかったと言っているし、こっちから切り
離そうとしているからだ。それを済んだことを愚痴愚痴、
冗長な文章を垂れ流しているのはあんただ。このあと
どう言い張っても、体言止めなど、独特の言い回しから、
こっちにつっかかってからんでくるのは、限りなく一人、
あくまで個性のない、同一人物であると決め付けておく。
関係者を代弁するイメージ戦略によってなんらかの
あなたなりのイメージ流布の刷り込みなり洗脳なりを、
回数の繰り返しによって強化しているだけで、言っている
ことは毎回同じだからだ。あなたがこれと絡んでどういう
過去を持っているのか知らないが、そういう益にもなら
ないフォークロアをここでわざとらしい自作自演でまで
聞かせられたくもない。
510 :
369:2005/06/29(水) 22:37:22
>>507 わざとらしい自作自演で問答を演出しているようだが、
だからいつまでも香ばしいその未練なり余韻なりを
残すかのように、こっちをあんたのつまらない講釈に
利用しないでくれないか。こっちからすでに言っている
ことさえ、あなたは改めてその地点より前に戻して、
繰り返している。それはつまり、しつこいだけだろう。
それを止められないということは、あなた自身の過去
なり、この場がもつ、意地の悪さなりの問題なわけだ。
この場との兼ね合いで、バランスを取るために強調
していることでさえ、あらかじめ明示的にいちいちそう
言っておかなければ、こういうありきたりの、あらかじめ
型にはめようとするだけの、つまらないじめじめした
説教なりしかでてこなくなり、いちいちすりこまれてくる
のかと思ったら、まったく、この人はこういう批判ばかり
が先にくる構造の人なんだな、と、こういう風に心理学
として専売特許化なり個物化されて利用されるのも
どうかなとも負うわけで。こっちがもう切り上げると言って
いるのになおこっちを資料などと利用しているのも、
関係者を代弁するかたちで誰に聞かせているのやら
これみよがしに陰湿的なことを残しているあんたも
あんたなわけだ。
511 :
没個性化されたレス↓:2005/06/29(水) 22:41:32
>>509 「誰でも言えるような解説」程度のことすら理解してない奴がほざくんじゃねえよ。
話しかけられるのが嫌なら書かずに黙ってろ。
聞きたくないのならここを読むな。
そうすりゃ、そのうちお前のことなど、みんな忘れるから。
くだらない思いこみに満ちた病的な文章の垂れ流しは迷惑だ。
あなたは面白い人間ではない?
そりゃそうだろうな。
お前自身が認めたくない本当のことを指摘するんだから、
お前にとっては面白くない人間だろうさ。www
お前が現実をしっかり認めればすべて終わりなんだよ。
いつまでも拒否するから終わらないだけだろ。
それだけのことだ。
512 :
369:2005/06/29(水) 23:07:37
こういう人が寄ってくるんだろうな、ということが重々
わかっていたからか、あまりネタのとっかかりになるよう
なことを極力書きたくないわけだが、田口ランディの
作品のことにしろ、こういう霊性的なものの、そういう
ものを許容する器の窮屈さなり、それを取り巻く状況その
ものが抱えている独特の歪みなり、日本的世間がもつ、
出る杭は打つ的な魔女狩り的心性の陰湿な風潮なりと
いうものには、大いな疑問をもっているところもあるわけだ。
まあ、自分としてはそれをどうと思うわけでもなく、ただ、
あまりこういういざこざ自体に、もう巻き込まれたくない、
お近づきになりたくない、と思っているわけで。
ともかく、そういうある種下品なまでの独特の饒舌な意地
の悪さを持っている、ある種の合理主義者というのは、
自分としてはこれから見習いたくない反面教師にもなり
うると感じているわけで。
>そういう益にもならないフォークロアをここでわざとらしい自作自演でまで
>聞かせられたくもない。
>わざとらしい自作自演で問答を演出しているようだが
>これみよがしに陰湿的なことを残しているあんたも
>あんたなわけだ。
被害妄想にまで逝っちゃってるのね、重症だわな、こりゃ。
本当に医者に行くほうがいい。
それにしても、ルーチンワーク、フォークロア、用語の使い方がちょっと変だなw
話しかけられるのは、面白いからであってそれ以上でも以下でもないと
思うぞ。
それよりトリップ付けない?
514 :
369:2005/06/29(水) 23:16:58
>>511 しょせん無駄なことを、なにか必死に吠えているが、
こういう人になっちゃおしまいだな、そう思い返す。
こういう人のこういう余裕のない世界というのはずっと、
こういう人の世界なのだろう。それについて自分は
あまり、気にかかるわけでもない。
それでは。
515 :
369:2005/06/29(水) 23:25:06
>>513 >話しかけられるのは、面白いからであってそれ以上で
>も以下でもないと思うぞ。それよりトリップ付けない?
こういうずいぶん急ぎがちな文章が出てくるんだろうな、
と思ってもいたわけだ。けっこうどう出てくるかシミュレート
できてしまうので、自分は淡々とやってて力が入ってない。
それよりこれから自分をアート的に深めていけばいいだけ
だからだ。他の人も他人をどうのこうのいうより、自分を
深めることだと思う。それはどういう道とか限ったものでも
ないはずだ。
ここは鬼門だったし、興味あるわけでもなかった。こっちに
つっかかってくる人の世界と縁がありそうにもないからだ。
516 :
369:2005/06/29(水) 23:54:21
あまり霊性だの心理学だのうんぬんこだわってそれで暗い
方向にいくくらいなら、精神の世界というものは、素直に
ファインアートなりに結びつけたほうが、有効で健全で自由
かもしれないよ、とは言っておく。
霊性というものに、そのままあからさまに関わってしまうと、
こういう人たちがどこからともなく沸いてくるからだ。そういう
世間的ないざこざなり摩擦なりに遭遇しやすくなる。世の中
にはそれなりにどこかしら我慢なり無理なりをしてて自分で
自分を追い込んでしまってる人が多いのか、それを下手に
煽ったり刺激してしまうと、不公平なまでに、その鬱憤の
はけ口なり標的にされやすい。これは経験則として、かなり
有効だとおもっているので参考に。
心理学とか分析なり還元なりの志向のものに交差してくる
と、神経質で教条的な人が寄ってきやすい。そこでどこか
どんどんおかしくなってくるところもある、と思っているわけだ。
そういうものは学会とかそういうよほど限られたところでない
限り、こういうところではどんどんウォッチャー的な人が寄って
きてこういうことになる、という行動傾向がある。心理学の
人にうらみもないが、これは事実なのだから仕方ない。
517 :
369:2005/06/30(木) 00:15:35
共感するような人は、ブログとかでやることだと思う。
そこなら自由になる。そもそもここは共感するような人が
来るようなところじゃない。ここに染まってまで無理に
「健全であろうとする力み」のもとで議論を戦わせるよう
なことをしてしまうと、結局のところそれはどうしても
「言葉でない霊性そのものの状態」からは遠ざかっていく
しかないからだ。根本的に、構造的に、そういう無理を
抱えているところなのだ、と思っているわけだ。
それほどに霊性というものは、私秘的で静寂主義的な
ところがあると思っている。そうなので、やはりこういう
他人を意識したような合理的理性的な批判の先立つ
ところだと、どうしてもストレスフルなある種の緊張の
もとに置かれるわけで、誰しもポジティブになりにくい
ところがあるわけで、そこで言葉によってどうあれこれ
四苦八苦してまともにしようとしたところで徒労であり、
加算的(ポジティブ)なものが積み重なってくるものなの
かな?と思っている。心理学は心理学、霊性は霊性
なのだと、きっちり分けた空間を確保してやるような
ものだと思う。どうしても、こうあるべき的な言葉になっ
てしまって、角の立ったものになる。
そもそも体験そのものは私秘的なのでそれを吐露する
のも危険で難しいところがあると思う。そういう意味では
深層(そんなものはないと主張する人もいるだろうが)
に関わるものは、議論にしないほうがいいところもある。
解体されるだけだからだ。もっとアート的に感じていく
場を選んだほうがいいと思う。まともにしようという力み
がもう、どっちに転んでも裏目に出てしまうところがある。
518 :
没個性化されたレス↓:2005/06/30(木) 00:22:44
ま、369はほっとけ。
ただのクズだから。
改めて言うまでもなく、すでに誰でも分かっていることだけどさ。
病気と霊性との区別もつけられない程度だから。
369がやっている独りよがりの言動と、
トランスパーソナル心理学がやっていること・やろうとしていることとは
最低限、明確に区別しておく必要がある。
トランスパーソナル心理学は、それなりにきちんとした学問。
369のようなただの偏見垂れ流し・自己完結の屁理屈とは全く違う。
クズはほっといて、トランスパーソナル心理学の話をしましょう。
519 :
没個性化されたレス↓:2005/06/30(木) 00:28:36
精神世界=宗教
>こういうずいぶん急ぎがちな文章が出てくるんだろうな、
>と思ってもいたわけだ。けっこうどう出てくるかシミュレート
>できてしまうので、自分は淡々とやってて力が入ってない。
そりゃ有名になってくると、模倣が出て来るからな、
次スレは369専用スレを立ててあげたいし。
>それよりこれから自分をアート的に深めていけばいいだけ
これがアートなのかw
ニューエイジ思想に共感持ってる?
行動がニューエイジな方そっくりなのだけど。
521 :
369:2005/06/30(木) 00:43:14
こういうものは、ただパーソナルの克服だとか、近代
合理主義的に納得しうる「形」でパフォーマンスすれば、
それだけでまともになるのかわからない。それその
ものはとどのつまり、四角四面な、他人への人格批判
になってでてくるしかないようだからだ。
そしてそういうものをここでこっちにしつこくぶつけて
くるような強情的な人がいるかぎり、ここはそういう危険
な場所なことは変わらないことなので、ほんとに共感
してて心ある人は、そもそもこの場に近寄らないほうが
いいよ、と言いたいのだ。
結局は、体験の場で、体験しているときがもっともリアル
なものでもあるからだ。それはその人がその場で納得
すればそれでいいと思うし、それをむやみやたらに
あからさまにその外にパフォーマンスすることはそれが
善意であっても批判であっても、どっちにしろ危険だから
注意したほうがいいよ、と思う。
522 :
369:2005/06/30(木) 01:45:44
そうなんです。自分はこれに関係なかったんです。
精神文化の衰退、ある種の余剰のなさのある世間的な
風潮に疑問を持っていたわけで、アートの認識なり価値を
高めたいという意志で、アートから入っていった。そして
そういうもののインスピレーションの源泉として精神文化
そのものを復興し、アートにもっと形式的でない息を吹き
込みたいと思った。ウィルバーの統合心理学も、注目した
のは文学と芸術の理論のところだ。そこでこういうものに
はむしろ間接的に関わっていて、主には文学や芸術に
関わっている専門の人のほうに中心があった。また、
シュタイナー建築とか、環境空間的な閉塞感をいかに減ら
して、そこに精神性なり人間性なりの息を吹き込むかと
いう視点もあった。よって、心理学については、むしろ、
よりによって環境心理学の本だけ読んでいた。スピリチュ
アル・ルネッサンス、のようなことを期待していた。
そういう、アートという視点で受け取られないと、まったく
わけのわからない、複合的な関心としてあったわけだ。
それを、トランスパーソナルに投影して思いのたけをすべて
ぶちこんでしまったことに、すべての誤解と失敗と間違いが
あったと思っている。自分でもトランスパーソナルに興味が
あるのだと自分に言い聞かせて無理に思い込んでたし、
勘違いしてたわけだ。
523 :
369:2005/06/30(木) 02:23:00
それを独りよがりといえばそうだが、病的扱いされる
つもりもない。自分は自分なりに、アート的なヴィジョン
なりアイディアというものが、それなりにいろいろとある。
そういうクリエイティブな原動力に端を発していたという
ことでは、トランスパーソナルとは直接、関係なかった。
どうしても自分の本来のカタチというものと、違和感が
拭い去れなかったからだ。
しかし、これにしたって芸術療法的なところはあるだろう
し、そういうアート的な精神の機微や深みを捨象なり軽視
して、操作的に捉えていくようだとなると、どこか本来の
精神文化の再興という本質を見失って、それこそどこか
精神性とはかけ離れた、貧しいものになってくると思う。
自分はそういう問題意識だったわけだが、関係なかった、
というわけなんでしょう。
そういう意味では、自分としてはもう、むやみにこういう
ものを他人に説得するつもりも関わるつもりもありませんね。
そこに「格」を付けようとしたり、ロマン主義的なものを
批判なり排除するという反動的なポーズで、従来の心理学
の構造がまったく変わらないまま、「自分は合理主義を
こえているんだぞ」的に「一線を画して」いこうとするのも、
それ自体、他人の心に響かない、空しいところを感じて
しまったのだ。自分に、そういう矛盾を感じてしまったという
ことがある。
524 :
369:2005/06/30(木) 03:48:12
ほかにも長文を用意してしまったが、やっぱりプライベート
なこれからについて、定まったことを書くつもりもない。
なにしろ、今回のくだらない一件で、生々しい世俗的な
直接の人間関係のあれこれの一切が、うんざりするほど
煩わしいと感じてしまったし、自分はそういうものを一手に
背負える器でももともとまったくない。
役に立たなければならない的な強迫観念的な方面から、
大きく転換しうるところが出てきたということだ。
他人のことにかまいすぎる人がほんとに多い。赤の他人の
浴びなくてもいい邪気を浴びすぎた。いくら善意でも真剣
なつもりでも、ありがた迷惑もいいところだった。そういう
過剰な神経質性こそが、つまらない生き方だと思う。そして
もう、そういう他人をどういう言うのも馬鹿らしい。
これからの人は、他人に左右されないで、真にもっと自分
を見つめてみることですよ。他人の価値観で自分に言い訳
して左右されてしまうと、あとあとどこかで無理がでてきて、
気張ったところがでてきてしまい、他人に口うるさくなって
きて、あとあと後悔することになる。どうあるべき、とか、
それぞれなんだから、それこそが不幸の元ですよ。
自分に言われたってどうしようもないものなのだ。
525 :
369:2005/06/30(木) 04:18:42
本来、仏教というものは、そういう何が苦を生み出すか
ということに、鋭い洞察があったと思いますよ。
そしてそれをまた、強情的・固定的・執着的に捉えない
ことこそが重要なわけでしてね。そういう意味では、
ここはほんとには、そういうものをわかって体現しては
いない人が多いですよ。
そういう意味では、宗教というのはいらないんです。
よほど必然性のあるなにかが、自分のなかにあるのでも
なければ、無理にはいらないんです。ようは、どれがどう
のとか、これはこうとか、他人がどうのとか、こうあるべき、
いうことではなく、そういう態度自体、それそのものが
葛藤を増やしているんなら、総和としては、まったくもって
プラスマイナスゼロ、元の木阿弥、五十歩百歩なんで
あって、そういう人が「ロマン主義だから独りよがり」とか
そういう固定観念こそで、ストレスをためているとするなら、
それこそ、それを抱擁できないその人の態度こそがまた、
なにより継起的にその人の中の葛藤を再起させるもの
になっているわけでして、そういう人に、ほんとは他人を
「パーソナルがどうの」といえるものでもないんですよ。
526 :
369:2005/06/30(木) 04:18:56
無関心なりノータッチくらいなら力みがないが、「ロマン
主義は無駄」とか疑惑なり否定が力んでくる、そういう
外部に向かう縮減思考がまったく固定化してしまって、
あからさまな自身のなかの力みで、あちことに弾圧なり
反発のレスを投入していっているのなら、もはやその
観念こそが無駄であり、執着なり葛藤につながっている
わけで、それは「他人と自分は中身が違う」ことをただ
示すのみで、他人に向かう限り解決にもならないし、
五十歩百歩で、意味がないわけでしてね。
ロマン主義だから、それだけで特別独りよがりだとか、
どうのということもないんですよ。もっとラディカルな次元
でそういう観念が固定しすぎるほうが、独りよがりかも
しれないわけでしてね。それはそれで意義のあるもの
だったりもして、中途半端だから邪魔という観念のほうが
よっぽど部分的な理解で邪魔だったりもすることがある。
そういうことについて、不器用な人はもうちょっとよく
考えてみるといいですよ。
527 :
369:2005/06/30(木) 05:01:21
自分はむしろ、ロマン主義的なものを、どうしたら素晴ら
しく豊かに質よく深めていけるのか、という関心がある。
なぜなら、霊性、つまり宗教の元のインスピレーションと
なっているもの、体験というのは、どれにしろ、多かれ
少なかれ、ロマン主義的だと思っているし、どのレベルに
しろ、それそのものの玄妙なるところを直接的に表現
しようとするなら、おのおのの個性的にならざるをえない
人間それぞれに独特の変換の仕方によって、それは
きっとやはり、なんらかの人文的な表現にしかならざるを
えないところがあるので、ロマン主義だからそれだけで
中途半端ですべて駄目なのだ、ということはなく、問題は、
どういうロマン主義がもたらされうるものであり、どれが
どういうものなのか、というようなことで、それをどれだけ
豊穣に多産的に深めていくことが人間にできるのか、
ということも大切だろうと思っているわけだ。そしてそれは、
あまり頭だけで論理だけで考えすぎるものでもないところ
もある。独りよがりというなら、原始仏教くらい徹底している
のでもなければ、どの宗教にせよ、独りよがりで弊害は
ある。それは個性であって、文化であり、ある形をとる
かぎりは、多かれ少なかれ、それはロマン主義的なんだと、
極論では言えてしまう。そういうものはフィルターの違いで
あって、質の違いである。よほど明らかに極端に低いもの
でもないかぎり、さほど排除しあうものでもない、という
理解に達することこそが、大切なのだと思っている。
528 :
369:2005/06/30(木) 05:20:57
ということで、ロマン主義的にのみとどまっているという
批判はあるにせよ、そういう要素はどこまで深めていった
ところで、あくまでも体験というのはそういう性質として
現れて来るものなわけで、むしろそれの深さがどうなのか、
という持っていきかたなり尺度のほうが有効だと思うのだ。
そして、一足飛びに、迷妄であるロマン主義をまたいで
こえればいいんだ、というノリの楽観的な確信がありすぎ
てもまた、そこにはそれで、ありがちな落とし穴にはまる
ものがあるのではないの、とも言いたいことだ。結局は、
バランスなのであり、ホリスティックな原理で考えていかな
ければならないところは、変わりないわけだ。最初から
「ロマン主義だから駄目」というふうなある種の食わず嫌い
での青白く貧弱な、功利主義的衛生思想だけに取り付か
れてしまって、こういうものをまともにしようと思っても、
そこまでバッサリいかないアナログ的な性質がつきまとう
のも事実なわけで。それなら鼻から除外してしまうのは
精神が貧しくなるだけで、そういう極端な削減主義という
ものは、どれほどの必須だというのかな?という発想も
あるわけだ。
ということで、もうここにはこない。
529 :
369:2005/06/30(木) 06:00:56
あと自分は、ロマン主義が必須だといっているわけでも
ない。たしかに瞑想研究なり精神医学なり、そういう
「漂白剤的」な見方をしていけば、そういうものはなんでも
かんでも結局はとどのつまり既存の世界観で病理化して
いきたい誘惑なり野望にかられてしまうものだ。
ものが見えないだけに、それだけ想像力をかきたてられ
るものがあり、それだけ良きにせよ、悪しきにせよ、
猜疑心にかられた、陰謀論的・幻想論的・両極端的な
発想にばかり結びつきやすい。
しかしそれは、むしろロマン主義的に理解すればこそ、
的確に深めうる洞察があり、人間自身で克服しうるもの
でもあるのだ。はっきりいって、定められた生老病死だけ
が、それも仙人なら多少はどうにかなるかもしれないが、
人間にとってどうにもならない運命なだけであって、それ
以外のものというのは、あまり恐れるものは実質的にない。
むしろ人間の想像力が、実質以上に恐れるものへと増幅
してしまうし、増幅したがっている、という実情がほとんど
なわけで、それだけの実質が実際に背後にあるわけでも
ない。むしろ逆に、ほんとにレベルの高い強烈なものほど、
そういう人間の想像力で収まってこない根本的な変容が
あるわけで、むしろそういうものこそがいきなり下手に
来てしまったとしたら、ノックアウトになってしまうということ
なのだ。それに比べたら、ユング的なロマン主義から余裕
を持って落ち着いて深めていったほうが、まだまだ健全で
得るものが大きいはずですよ、いうことなのだ。あんまり
そういうところで踏ん張ったところで、どうなるものではない
と思う。人間の想像力ほどには、恐れるべきものもない、
どっこいどっこいなところはある。肉体という限定も持って
いる人間のほうが、アドバンテージが大きいのだ。
530 :
369:2005/06/30(木) 06:38:42
そういう意味では、メンタルボディ(精神体)を仮定した
ホリスティックな発想というものは、こういうものをかじっ
ていけば、そのあちらこちらに出てくるわけだし、こと
こういうものには、あまりにも独自的なものの象徴なわけ
で、それは実際、そういうものこそが必要でもあるし、
有効なので、あくまで必要だと言いたいものの、精神と
物質の優位性が転倒する必要性はあまりないと思って
いる。つまりそれがさしあたっては説明概念でも、
それなりに有効であればそれでかまわないわけだ。
なんとなく受け入れていればいいわけで、実際的には
こだわらなくてもいいものだ。
自分はそれとは別に、アートのほうにこそ興味があった
だけなのであり、霊性が第一義ではなかったといえる。
だから、この場所にしても、違和感があったということだ。
心理学なり精神医学なり、そういう専門家があたって
いくことは邪魔するつもりもないし、尊重したいことだ。
そしてそれは「問題解決」という「スタイル」に必然的に
なるものなのだと思う。それはそれで着実で有意義な
仕事になることだろう。
自分はそれとはまた違ってアート的になるのだろう。
531 :
没個性化されたレス↓:2005/06/30(木) 07:16:50
>>521 >こういうものは、ただパーソナルの克服だとか、近代
>合理主義的に納得しうる「形」でパフォーマンスすれば、
>それだけでまともになるのかわからない。
誰も「それだけでまともになる」なんて言っていない。
トランスパーソナルをやるなら、パーソナルの克服くらい前提だ、
というだけのことだろ。
>そしてそういうものをここでこっちにしつこくぶつけて
>くるような強情的な人がいるかぎり
「トランスパーソナルはパーソナルの克服が前提」というのは
トランスパーソナルの理論上・実践上で大事な事実であり知見なんだから、
あくまで主張し続けるのは当たり前だろ。
むしろ、それに理屈をつけてないがしろにするお前の態度のほうがおかしいのだ。
粘り強く重要な事柄を主張していくことと、単に強情であることとを、
お前はなんの根拠も示さず、印象論であっさり同一視してしまう。
様々な実践者たちが、自分たちの経験のなかで必死に手に入れてきた事柄を
お前は簡単に否定するつもりなのか?
そういう部分が、「独りよがり」だと言っているのだ。
こちらは決めつけているのではなく、それなりの根拠を持ってこれを指摘しているのだ。
532 :
没個性化されたレス↓:2005/06/30(木) 07:18:27
>>523 >トランスパーソナルとは直接、関係なかった。
だったらお前はトランスパーソナル的なものに無関係な人間なんだろ。
まあ、パーソナルなものすら解決していないんだから、
トランスパーソナル的なものに無縁なのは最初から当たり前なのだ。
それなのに、わかったふうにトランスパーソナル心理学のスレに口を出すな。
>>523 >ロマン主義的なものを
>批判なり排除するという反動的なポーズで、
で、お前はロマン主義的なものが
ナチズムにまで到ってしまった歴史的事実について
少しでも頭をめぐらせたことはあるのかい?
ユングだって、そこが不用心だったから一時期ナチズムにも近づいたんだろ。
ロマン主義的なものへの批判の蓄積が、
例えばウィルバーの前個・超個という区分へと結びついていることをどう思うんだ?
ちょっとでも知っている人ならみな吹き出すような
浅薄かつ都合のよいロマン主義理解を垂れ流すんじゃないよ。
533 :
没個性化されたレス↓:2005/06/30(木) 07:18:37
正直に告白する...。
「 1 レ ス も 読 ん で な い 」。
534 :
没個性化されたレス↓:2005/06/30(木) 07:19:30
例としていくつか取り上げてみたが、こういうふうに話を微妙にずらして、
なんの根拠もない命題をもとに、意味のない屁理屈に持っていくのが369のやり方だ。
すべての書き込みについてこれを指摘できる、と言っても過言ではない。
おかしい点が多すぎて指摘しきれないぐらい。
そう思うのは俺だけじゃないはずだ。
トランスパーソナルについて真剣に考えたいのであれば、
369みたいな、自己正当化に利用するだけのずるい人間になってはダメ。
トランスパーソナル的なものに対し、もっと真摯かつ誠実であれと言いたい。
535 :
369:2005/06/30(木) 07:20:50
ということで、場違いだと割り切ったとたん、気まずさ
なり恥ずかしさなりがむしろ募ってきた。自分に向き合
っているのはまったく違う意味で要求されるような、
そういうたぐいの厳しさだということをあらためて痛感し、
思い直したからだ。それはもっともっと孤独な性質の
ものになるだろう。そういう意味でこのタイミングでこう
いうことがあったのは、横道であり試練であり立て直し
ということだったのかもしれない。こういう無駄道で
ありがちなすべてのバリエーションなりレパートリーを
ここにおいてほとんどすべてやりつくしてみたという
ような感慨がある。一度誰かが言ってみたらどうかな
というような臨界点のようなものをだ。そのことで無駄
なものがすべてみそぎのように削ぎ落とされ、本来の
自分に立ち直らせたものはあったのかもしれない。
まだまだ道は長い。他人への余計な動揺なり気兼ね
なりをもう、ここでいいかげん断ち切らないといけない。
そうでないと、自分のことをまるで見失ってしまうこと
にもなりかねないからだ。他人の温情はいまの自分
にはあまりにも重過ぎるし余計すぎる。いちいちそう
いうものを背負おうとして真に受けると、駄目になって
しまう。これ以上はあれこれここでなにを書いたところ
でどうにもならないことについて、考えるわけにもいか
ない。自分は自分、はっきりいって一度海外旅行でも
行かないとまったくやってられない気分なのだ。
まだまだ吸収すべきものはたくさんある。こんなところ
で人間の想像に収まりうるそういうスモールワールド
に小さくまとまってるわけにはいかないのだから。
宗教を信仰してるなら、
宗教板行けばいいんじゃね、こんな場所で油売ってるより、
そっちの方がいいだろ。
あー気持ちわり。
>>535 要するに、また一段と思いこみが進行したってことね。w
病気の人に病気を指摘しても悪化させるだけ、というのがよくわかるわ。
538 :
369:2005/06/30(木) 08:00:12
>>531 >様々な実践者たちが、自分たちの経験のなかで必死に
>手に入れてきた事柄をお前は簡単に否定するつもりな
>のか?そういう部分が、「独りよがり」だと言っているのだ。
否定しているように読めるとしたら、それだけあなたが
「独りよがり」な態度しか取れないということなのだろう。
だからそこまで粘り強く言ったところで、それはあなたが
実践してあなたがそこまで変わっていなければ、こうして
あなたの態度のこの表れから分かるように、そういう
なにか違うものになってくるのであり、意味を持たないこと
もまた事実なわけだ。いくら事実だろうと、それをあなた
自身が実践してそこまで確かめることでおのおのがそれ
を直接確認するという反証システムを提唱していることも
また事実なわけで、それを抜きに、「もう俺は知識として
わかったんだから、あえて実践せずとも、それを使って
他人を独りよがりだの、議論のうえで説き伏せて良いんだ」、
という単純な言葉だけの議論で説伏しはじめてしまうと、
それこそ心理学の権威を使った教条的なものになって
しまうわけで、それがあなたのその、あまりの余裕のなさ
539 :
369:2005/06/30(木) 08:01:44
なり硬直さなりに表れていると言って良いのではない
だろうか。そういう興奮した議論がもう、権威で押し付ける
なにかもう違うものになってしまうわけだ。これを本来の
禅に置き換えてみたら、こうも権威主義的な硬いものには
ならないはずだろう。ようは西洋心理学で捉えられることで、
こういう風に議論を戦わせるというぶつかりになってしまう
のなら、それはもう違った心性が入ってくることで、柔らか
さがスポイルされるところもあるのかな?と思ってしまう
わけなのだ。大体そういう禅ほどにまで整備されている
わけでもないだろう。そこに元の文化が捨象されたなにか
硬さがでてくるのかと。そういう実践なりの裏づけのない
段階でレトリックだけを戦わせるくらい、排他的に捉える
べきでないことも事実なのだ。
540 :
369:2005/06/30(木) 08:16:23
>>531 >こちらは決めつけているのではなく、それなりの根拠を
>持ってこれを指摘しているのだ。
しかしながら、その根拠は、あなたが自身で実践すること
で証明することなのだ。そしてその根拠で他人を説得する
のではなく、あなた自身の存在が根拠となることで、他人が
説得されることがただあるのみなのだ。
その根拠ははたして、実践していない段階でほかの歩み
を行う人にまで、他人を「独りよがり」だのと断罪するために、
まるで従来の心理学のように、積極的に行っていくたぐいの、
そういう論理だけで説得するための根拠なのだろうか。
あなたが実践と結びついていない以上は、さしてそういう
路線上に乗せて、他人を無差別に断罪する必然性はない
わけだろう。そうして物事の道理が逆転してしまえば、
精神性はなくなり、そういう物質性だけになり、違うものに
なるのは理解できるだろう。
根拠というが、やはりこういう人が出てきてしまう以上は、
その根拠の「大元」にこそ、敬意を払うことも必要なのでは
ないか。あなたはそれを借りてそこまでしていいのか?
これは自分への反省でもあった。
541 :
369:2005/06/30(木) 08:32:58
>>532 >だったらお前はトランスパーソナル的なものに無関係な
>人間なんだろ。
ということはあなたは関係あるのだろうか。そこまでこれを
代弁できるとしたら、それだけの切実ななにかがあると
いえるのだろうか。あなたはただ、他人を断罪していきたい、
ただそれだけなのではないか、と思えるのだ。どうしてこう
仕切り屋ばかりが出てくるのだろうか。こういう人がこれ
を抑圧したいとは思っていても、自分で体現するようには
見えないからだ。はっきりいって、こういうものは、自分の
実存を賭けるくらいの覚悟がなければ、安易に根拠などを
持ち出して、関係あるなんていえないもんですよ。それだけ
ほんとうの関係者そのものというのは、それなりに切実な
ものが背景にあれば、人生も賭けているわけですから。
あなたの場合そうではなく、あくまで従来の心理学の立場
なのにその同型構造のまま、ここに躍り上がって、他人を
断罪する欲求があるだけでしょう。はっきりいって、ここの
そういう体質には失望しているというわけなんです。
これまでの反省から、もっと無関係な、広く霊性的な立場
に移行しつつ、そこから自分が発言しつつあるようにも
思えてくる。どうも、表向きの型がいくらまともでも、そこに
内面なり実質が伴ってくることは、もっと難しい自分への
取り組みがたたあるだけだと思っているからだ。はっきり
いって、切実なものがないものがこれを代弁して論破する
という品性というのは、いくらそこに正当性があっても
どうかと思うし、自分への反省としても、自分はもうこれに
関係があるなどとはおこがましくも言えないというわけだ。
近道もない。
542 :
369:2005/06/30(木) 08:54:18
>>532 >で、お前はロマン主義的なものが、ナチズムにまで到っ
>てしまった歴史的事実について、少しでも頭をめぐらせた
>ことはあるのかい?
その時代を生きたものでしか、わからないところもある。
それは一回性の歴史であり、むしろ当時の見えない集団
主義的な力学に原因を見てもいいのではないだろうか。
それにそういうものなら、魔女狩りだってそれはそれで
陰惨なものはあったと思うが。因果関係をどのように見て、
どのように解きほぐしていくかで、見方は変わるものであり、
むしろオールオアナッシングな均一的な背景があったこと
にこそ、問題をみてもいいわけだ。
>例えばウィルバーの前個・超個という区分へと結びついて
>いることをどう思うんだ?
だからそれを軽視しているのではなく、むしろそれを自分で
実践することを重視しているだけで、そこまでの構造なりを
自分のものとしないかぎり、絵空事とは言わないまでも、
もはや違う機能になりつつあるだろう、ということなのだ。
そこまでの構造を自分のものとすれば、その区分が具体的
にはどのように違って、どのように感じられるのか、それなり
に自分の言葉で語っていけるだろう。そうしたとき、それを
照らし合わせるなり、他人が納得することもあるというだけ
の話だ。そういう意味では、自分はそういう区分がどういう
風に違うのか、実感として知らないし、自分はまだそういう
文脈に乗れるものを持っていないので、その点では無関係
なのだ。ウィルバーはどちらかというとそういう文脈になる
はずだ。また、そういう次元との「接触」だけでも、単にトラ
ンスパーソナルは使われることもあると調べた限りでは
認識している。
543 :
369:2005/06/30(木) 09:37:04
>>534 >トランスパーソナルについて真剣に考えたいのであれば、
>369みたいな、自己正当化に利用するだけのずるい人間
>になってはダメ。トランスパーソナル的なものに対し、
>もっと真摯かつ誠実であれと言いたい。
これは否定しない。
体験らしきことを書いていたとしても、同じ体験をする
までは、他人には無意味なノイズでしかないので、
まったく信じないことをおすすめする。それほどまでに、
考えるだけでなく、実践とも結びつかないとまずい。
知識としてそうあるだけでは不十分であり、その意味で、
真摯かつ誠実といっても結局は自分への取り組みなので、
これまで述べてきたように、どこか違う意味でのそれに
ならないよう、とにかく自分への取り組みありきなのだ。
そこから、芸術療法なり、箱庭療法なり、そういうものを
切り捨てよう、といわんばかりの狭量さも、なくなってくる。
そういう「広い心」になってくるわけだ。
自分は宗教、特にほかと競合的な教義を不可欠と考え
たり誇大視する必要はないと思っているが、もっと核のところ
に内的に敬虔な人に対する敬意については、こういうもの
に関わるかぎり、やっぱりあって損はないのではないか、
と思い始めている。少なくとも明らかに明白な高い聖人を
想うことに限れば、それ自体に助けられるということはやはり
あるだろう。それとこれが、競合するわけでもない。これ
はそういうことに対して、その人を尊重してなんとも言わ
ないところもあるのだ。食わず嫌いをせず、そういう人とも
仲良くできる訓練をすると良いし、それで理解が深まること
があってもいい。
>体験らしきことを書いていたとしても、同じ体験をする
>までは、他人には無意味なノイズでしかないので、
体験をしたのですか?
よければ教えてもらえれば。
545 :
369:2005/06/30(木) 16:34:43
>>544 だからそういうものは教科書を読んだほうがいいですよ。
ユングよりとんでもないことはいくらでも載ってるんです。
もっと宗教的なものがね。そうものがレパートリーとして
入っていないから、ここまで権威主義的な態度しかでて
こないだけであってね。プレトランスというのは「発達を
援助するため」という、加算的・包括的・抱擁的なもので
あって、それが教科書に占めるところも決して少ないわけ
ではないし、ユング派的な心理療法に負うところが多い
ことは変わりないわけです。たとえば、「個性化する自我
の元型としてのキリスト」ということが教科書に出てくる
ものなわけでしょう?それ自体をとって、まとももなにも
判定するわけではないわけです。そういうことに、逐一、
シンタックス的に、拒否反応なり拒絶反応を受ける人たち
にありがちな、「少しでも個性あるものを最初から刈り
取って撲滅したい衛生主義的な魔女狩り病」に疑問を
もっていたわけで、そういう集団主義的な病理なり心性
こそ、それこそ克服するなり抜け切っていない人が、
その過程での解決法だけを持ち出して、「まともに見せ
よう」とかいうこともないわけでしょう。そういう人が実際、
これに関わるのかな?というと、それはまったくそうでは
ないわけでしょう。それはそれで、卑怯な態度ではある
わけです。
546 :
369:2005/06/30(木) 16:54:43
>>544 むしろそういう、扱うものの、「一般的な観念や通念として、
他人にどうまともに見えるか」という、言ってしまえば「たん
なる見栄えの問題」の次元で、例えば、「ユングだから駄目
なんだ」、などとシンタックス的に判断するような、むしろ
そういう近代的偏見によって削減・蔑視されがちなものを、
受け継いでいき、取り扱っていくものなんだこれは、という
ことなんでしてね。その点では、ほかと食い違うところが
あって当然なはずなんです。その体験での過程で、本人が
問題を抱えたときの発達の援助ということなんです。それを
使って他人をあらかじめ裁定したり、一部を扱うことを削減
していくのは、物事の順序が逆になっていて、間違っている
わけです。そしてこういうものは、やりたい人がやればいい
のであって、こうしなければならない、と押し付けられるもの
ではないのです。他人のプライベートに踏み込んで、
こっちにいちいちしつこく言ってくるのがおかしいんです。
それ自体がファシズム的なものがあるわけでして。
547 :
369:2005/06/30(木) 16:59:49
>>544 自分への取り組むのまえに、他人を最初から決め付けて
しまう態度、他人のプライベートを詮索したり踏み込んだり
干渉したりすることこそが、監視ファシズム的なんですよ。
548 :
369:2005/06/30(木) 17:11:16
そういう意味では他人のプライベートを詮索して支配
したい、という人が寄ってくる社会状況にもそれなりに
異常な執着心なり変質性を感じてもいいくらいなんです。
それが度を過ぎると、どこか余裕のない歪んだものが
でてくる。そういうものは、回りまわれば自分の首を
しめていくことにもなりうることですよ。
それにこういうものはやりたい人がやればいいので
あって、それをやってからおのおのが取り組めばいい
ことなんです。間口で他人が言えることではないんです。
>>545 書かれてあることが難しくて、よくわかりません、
キリストを見たのでしょうか?
550 :
369:2005/06/30(木) 17:47:29
そういう意味ではもう、ここにはお近づきになりたく
ありません。こういう男性ホルモン的な心性のところに
自分も影響されて染まっていた、ということだったから。
そういうものを下手に意識して、そういう土壌で議論を
戦わせるようなことをしてしまえば、それはおのずから、
そうでない心性でも、そういう心性になってくるところ
がある。
そういう世界はそういう世界として成り立つことは
否定しないながらも、そうでない世界のほうが馴染む
ものもある。それはたとえば文学や芸術、そういう
要素の質を高めていくことが好ましいものです。
たとえば諸富先生がいるとして、それをまったく同じ
ように真似ることのできる人はいないわけです。通っ
てきた道が違うわけですから。振り返って、大まかに
これこれこうだ、ということがただ言えるかもしれない、
ということだけでしてね。
はっきりいって、こういうものは個性なり相性なんて
ものは、どこまでいってもなくならないものです。平均
的なもの、均一的なものを、ただむやみやたらに他人
を考えないで押し付けなければいい。そういう個性的
なものが気に入らない、気に食わない、役に立たない、
無駄という人もまた、その人の「個性」なんでしょう。
>他人のプライベートを詮索したり踏み込んだり
>干渉したりすることこそが、監視ファシズム的なんですよ。
いえ、私は個人的に知りたいだけです、どのような世界が広がっているのか、
私の周りの小さな世界から、もっと大きな世界を覗いてみたいのです。
ただ知りたいだけなのに、そういう言われ方をされたら傷つきます。
396さんは、少しかたくなすぎではないでしょうか?
552 :
369:2005/06/30(木) 19:40:56
そういう意味ではもう、ここにはお近づきになりたく
ありましぇ〜ん。こういう男性ホルモン的な心性のところに
自分も影響されてパンチパーマということだったから。
そういうものを下手にゲットして、そういう土人でアフロを
戦わせるようなことをしてしまえば、それはおのずから、
そうでない心性でも、そういう欽ちゃんになってくるところ
がある。
そういうカツラはそういうカツラとして成り立つことは
否定しないながらも、そうでない世界のほうが馴染む
ものもある。それはたとえば文学や芸術、そういう
要素の質を高めていくことが好ましいものです。
たとえばウイッキー先生がいるとして、それをまったく同じ
ように真似ることのできる人はいないわけです。通っ
てきた道が違うわけですから。振り返って、大まかに
これこれこうだ、ということがただ言えるかもしれない、
ということだけでしてね。ねぇ〜ったらぁ!
は、はっきりいって、こういうものは母性なり母乳なんて
ものは、どこまでいってもなくならないものです。平均
的なもの、均一的なものを、ただむやみやたらに土人
を考えないで押し付けなければいい。そういうカトちゃん禿げカツラ的
なものが気に入らない、気に食わない、役に立たない、
無駄という人もまた、その人の「ドリフ」なんでしょう。
>>552 意味わかりませんよ、ふざけてらっしゃるのでしょうか?
554 :
369:2005/06/30(木) 20:36:46
ようはおのおのがおのおのの想像で、こっちに自分が
「こうあるべき」と考えている「カタチ」を託そうとしてしまう
んでしょう。その自分との差分から思い思いの枠組みに
敷衍した「理由探し」を始めてしまう。そういう「余計な
おせっかい」に巻き込まれてしまったということです。
自分にとっての無理難題をつきつけられ、それによって
時間を浪費してしまった。
自分は芸術や文芸、そういうものを内面的な心理学の
援用で読み解く、というような文化的興味だったわけで。
比較思想・比較文化的に視野を広げたいというのが
あっただけで。それは「人類の文化とは何かを問いたい、
見出したい」という純粋な興味なわけで、「こうあるべき」
や「こうするべき」と考えている人と一致するべくもない。
必ずしも、スピリチュアリティが第一義ではなかった。
そういうスピリチュアリティ研究としては、宗教心理学や
宗教社会学、そういう分野のほうがフォーカスなりピント
が合いやすいところがあり、ほかにも文化人類学、
医療系での接点があるわけです。それが「フィールドに
接したもの」とはいえる。
自分はもっと、「ランドスケープデザイン」的に見てしまう
ところもある。中沢新一と、YMOの細野氏の、『観光―
日本霊地巡礼』というものがある。神社をめぐり、「観光」
という言葉に、「光を観る」というような、より深遠な意味
を込めているわけなのだが。
こういうものは、気張らないほうが健全ですよ。
555 :
369:2005/06/30(木) 20:55:28
>>551 >いえ、私は個人的に知りたいだけです、どのような世界
>が広がっているのか、私の周りの小さな世界から、もっと
>大きな世界を覗いてみたいのです。ただ知りたいだけ
>なのに、そういう言われ方をされたら傷つきます。396さん
>は、少しかたくなすぎではないでしょうか
だからそれは、こっちにしても同じことが言えるでしょう。
「ただ知りたい」以外にありますか?
それを「こうあるべき」とか、実利主義・心理主義・成果主義・
現実主義・道具主義・社会主義にいちいち転化していき、
「ある形をもとに他人を加工」しようとする人がいるでしょうが。
それが裏にある時点で、それは引き出しのようにストックを
引き出そうとする、そういう発想に基づいたもう口実になって
しまっているにすぎないんですよ。そういう自身の生理的
欲求なり欲望なりに、素直に気付くべきですよ。分析なり
解明というものの。
それが悪いと言っているわけではないですが、勝手に
傷ついたふりをしてナイーブに言われてもですね、けっこう
狡猾な羊の皮を被ったなんとやらという人はいっぱいいる
わけで、たとえばあなたが、ここでどれだけあなたの
スモールワールドをさらけだせるかということと同じですよ。
はっきりいって、「大きい・小さい」という比喩もまた不適当
なんですけどね。深いという尺度にどれだけ気付けるかが、
あなたの精神に余裕をもたらしますよ。
556 :
369:2005/06/30(木) 20:56:01
>>553 それは加工した明らかに偽物のコピペでしょう。
ではもうこない。
こういう掲示板というものとやらに書き込みするのは大変勇気がいるというか
原動力がいるというかためらいを乗り越えなければ出来ないようになってきた。
ご苦労様です。ねぎらわれるのは疎まれるかもしれませんがある種の羨望が
あるのだろう。体力、精神力がおありのようで。私はばててしまうもので。
最終まで楽しみです。展開を予測しているのでしょうか。それを自分で作って
いるのでしょうか。まあ、私としては予期せぬ方向が望ましいですね。
それでは。
>>528 名前:369 メェル:sage 投稿日:2005/06/30(木) 05:20:57
> ということで、もうここにはこない。
>>556 名前:369 メェル:sage 投稿日:2005/06/30(木) 20:56:01
> ではもうこない。
>>557 蛮勇というものもあるんだよ、とだけ言っておく。
560 :
369:2005/06/30(木) 21:23:01
>>551 当初は、心理学ってどうよ?ってふざけてただけなん
ですから。それをなんですか?追い詰めるようなこと
ばかり刷り込んでくる人によって、集団催眠で自分を
見失ってただけなんですから。まさかここまでそういう
ものが自分に及ぼすショック的影響というものがある
とは思いませんでしたけどね。言葉というのは一種の
暗示なんでしょう。
結果的には、自分はむしろその状況で、ついでだから
ここではぐらかしていたといえるでしょうね。ようは、
「はたして自分は自分以外の誰かになれるのだろうか」
という風に、わざと自分以外になりきって、「それが
どうか」ということを試していた。けれども結局、どうしても
違和感が拭い去れなかったということなんです。
そしてまたこういうと、人生や社会にまでスケールを
引き伸ばす人がいるから面倒なんです。そこまで単純
なわけがありません。
心理学的にいえば、あなたの言っていることは、「自己
イメージ」なり「認知マップ」なりを想定しているのかも
しれませんね。あなたにもそうしたものはあるはずでしょう。
自分はもっと、表現なりをコアにしたいところがありまして。
重心のようなものは誰しもあるものです。それに上位互換
も下位互換もないわけなんです。
>>560 369さんの言葉は、どうも難しすぎてよくわかりません。
何を言ってるのか、よくわからないんです。
私たちは霊性を高めたいと思っているはずです。
スピリチュアリズムが大切なこともよくわかってます、
しかし、難しすぎます。
もう少し具体的な簡単な言葉でお願いできますか。
562 :
369:2005/06/30(木) 21:52:33
>>557 >こういう掲示板というものとやらに書き込みするのは
>大変勇気がいるというか原動力がいるというかためらい
>を乗り越えなければ出来ないようになってきた。
ここが特殊なんですよ。自分はここほどでもないところ
はいくらでも知ってますから。そういう意味ではもう
来ませんね。場所を選んでます。
注意したほうが良いですよ。私はプライベートなんて
誠実に書きませんから。そしてそういうものだと思って
ネットの情報なんてそのまま信用しないことなんです。
それでは、これ以上はさすがの自分としても、自分を
台無しにしかねないものになるので、ここで去る。
自分はここを解釈ゲームのように考えている人には
そのつもりはないと言っておきたい。むしろそういう
ものを背負いたくないわけだ。はっきりいってそういう
風に考えてしまっている人が、それがどうしてなのか、
自分の心理に不思議がったほうがいいと思う。
ほんとにではこれで。
563 :
369:2005/06/30(木) 22:12:44
>>561 >私たちは霊性を高めたいと思っているはずです。
>スピリチュアリズムが大切なこともよくわかってます、
だから、ピュアマインドを持ってる人は、ここはやめた
ほうがいいですよ。自分で自分を高める、そういう
場所をえらんだほうがいいですよ。
自分はそれそのもののには直接コミットしてない
んですよ。終始、アートということですから。
ここはとどのつまり、もう「大人」になりきった場所なん
ですよ。そういう割りきりがあって、趣味が別にある。
それが合理主義ということなんです。それはそれで
いいんです。これ以上かかずりあう時間もないし、
そうしたところで、なんでも「ピーターパンシンドローム」
とか、そういうスモールワールドな心理学的枠組みで
捉えられてしまうわけでしてね。そこでたとえば児童
文学的な世界を取り上げてみたところで、それはポジ
ティブなフィルターを通されてこなくて当然ですよ?
ということなんです。猜疑心ばかりにまみれた、そういう
色物見物の餌食になるだけです。
あなたにしても、小悪魔的な思惑が見え隠れしてない、
とも言い切れないわけで。
>>563 私はどんな人でもポジティヴな霊性があると信じたいと思ってます。
369さんは悲観的に見られているのでしょうか?
>自分はそれそのもののには直接コミットしてない
>んですよ。終始、アートということですから。
このあたりがよくわからないんです。
アートであるということはとてもよく解るのですが。
ここの人達はネガティヴだということですね、ネガは嫌ですね。
>あなたにしても、小悪魔的な思惑が見え隠れしてない、
>とも言い切れないわけで。
そんなに大変な場所なのですか、ここは?
なんだか嫌ですね。
高貴な真実にまとわりつく下品な心理が。
565 :
369:2005/06/30(木) 22:50:32
>>561 ようは、漠然と「高めた」といっても、それをあなたが
具体的な現実でどう表現するのか、ということなんです。
そして私は、良質のアートの追求として捉えていくと
深められますよ、と言いたいわけなんです。
霊性を高める努力はしています。
それをどう表現すれば良いのでしょうか?
どう深まるのかが、まだよくわからないんです。
それがどうトランスパーソナルのスキルとなっていくのかが、まだわかりません。
567 :
369:2005/06/30(木) 23:25:19
>>564 >369さんは悲観的に見られているのでしょうか?
包括性ということでは、現在の「霊性の認識」については
悲観的に見てますよ、かなり部分的で一面的にしか見る
ものを現代人は持ってないんです。自分の認識も含めて、
その限界を大きく感じてしまったわけで、だから霊性その
ものとは距離を置きたいわけなんです。ここにしても。
普通のままでいて深められているということはない。
>ここの人達はネガティヴだということですね、ネガは嫌
>ですね。高貴な真実にまとわりつく下品な心理が。
もうこういう「ネガかポジか」という理解からして、浅いという
ことなんです。
>>567 >ここにしても。
>普通のままでいて深められているということはない。
どのようなことをすれば良いのでしょうか?
霊性のすべてを見るには、たとえば祈りをするとか必要なのでしょうか。
私は単純に考えてしまうので。
>もうこういう「ネガかポジか」という理解からして、浅いという
>ことなんです。
ネガやポジと言うのは間違いでしょうか、
私はネガはネガだと思います、ネガな人々が真っ当な人に邪気をぶつけて
平気なのは、見ていて寂しさを感じますね。
569 :
369:2005/06/30(木) 23:42:58
>>566 だから自分は霊性とかトランスパーソナルとか、それが
すべてではありませんから。他人に「すがる」のが間違
ってるんです。
はっきり言って、あなたのその歩み寄りかたは誘導尋問
みたいなものだと思っているわけで、鼻から疑いの目が
恥ずかしいほどチラチラしていて、あまり肯定的に認識して
いないことは、わかることですから。ようは、一面的に
「あれかこれか」とクリアカットにいくと思っているわけなん
です、おそらく。あまり霊性に対して、自分なりに抱いた
自己実現として何かに投影してこだわっていくのは
おすすめしませんね。
そういう風にしか捉えられない人がいるし、霊性というもの
をすぐに具体的ななにかに結び付けないと気が済まない、
そういうバランス感覚の取れない人が多いようなので、
自分はそれにもう巻き込まれたくないんです。
570 :
369:2005/06/30(木) 23:57:14
>>568 >どのようなことをすれば良いのでしょうか?霊性のすべて
>を見るには、たとえば祈りをするとか必要なのでしょうか。
別にこういうものは無理にはやらなくていいと思っている。
やらなければいけないという強迫観念でやるのではなく、
成り行きで配剤されるところはある。
>私はネガはネガだと思います、ネガな人々が真っ当な
>人に邪気をぶつけて平気なのは、見ていて寂しさを感じ
>ますね。
だからそれが予断を許さないものになるともはや断罪と
いうことになってしまい、そういうあなたの楽観的すぎる
確信が危ないんですよ。常に相手の気持ちに立って共感
するようつとめることも大切なんです。中道ということです。
>>569 369さんはなんだか、疑い深い人ですね。
ここの人達と同じじゃないですか?
私は私の霊性の磨き方をしようとしているわけで、
それでいいんじゃないのでしょうか?
私の思う霊性はあなたの思う霊性と違うのかどうか知りませんが、
それは私は私の思いにおいてそれが正しいので、とやかく言わないで
いただきたいです。
私は369さんが、霊性の磨きにおいて、トランスパーソナルを
どのように活用しているのかを知りたかったわけですが、
どうもここでは無理なようですか。
572 :
369:2005/07/01(金) 00:08:12
>>568 自分はあなたほどの強い確信はもてないし、確信が強け
ればいいとも思っていない。かなり謙虚と、自分でいうの
ものなんだが、常に問い続けているようなところは必要だと
思っている。今の自分の認識が十全だとは、まったく思っ
てないんです。近道もないし、日々これ学びですよ。
やっぱり広く人間の営みを知るということは、それだけ
視野が広がるところはありますから、自分でこうだと決め
ないで、今ある現実を大切にすることなんです。
573 :
369:2005/07/01(金) 00:29:58
>>571 >369さんはなんだか、疑い深い人ですね。ここの人達と
>同じじゃないですか?
そうなんです。ここの人達というものがこういうものなのだ
と知ったことで、防衛反応で、すっかり疑い深くなってしまっ
たんです。
>私の思う霊性はあなたの思う霊性と違うのかどうか知り
>ませんが、それは私は私の思いにおいてそれが正しいの
>で、とやかく言わないでいただきたいです。
とやかく思い込まれて言われているのはこっちですよ。
自分はそれに対して巻き込まれてた。あなたはどうも
一方的で因果のめぐりというものを考慮できないよう
で・・・。
自分は特別霊的とは思っていない。普通のままでいれば
それは誰しも普通だろうと思っているだけだ。はっきりいって、
体験があったくらいや、ことさらの実践もなしに、自分の
やっていることは他人の行いより霊的なんだとか自己正当化
するのは危ないと思ってる。ほとんどの争いなんて、そう
いうレベルのものだと思っているからだ。
ともかく、こういうものを実践すると、精神性が自ずから湧き
出てくると捉えればいい。持続性のあるものもあり、人生を
変容させてしまうということだ。
574 :
369:2005/07/01(金) 00:40:18
そういう意味では、それ自体は霊的でないものを、
霊的というのは危ないところはある。
自分が霊的な存在になってそれを表現するのは
いいのだが、自分がすでに霊的であると思いこんで、
それをこれが「正しい」んだと言ってしまうのは自己
欺瞞に陥りやすいのだ。そして、こういうものについて
「羨ましい」とか妬んだり、押し付けたりするのも
不自然だろう。そういうバランス感覚を持つことこそが
大切なのだ。やりたい人がやればいい。
>>573 つまり、369さんは霊的体験や実践は経験しておられないということでしょうか?
場合によっては霊的体験も霊性の向上には必要だと思いますが。
ところで、トランスパーソナルについての話はしないんですか、
私はそのためにここに来たのに、
あまり意味の無い話しばかり見るので、おもしろくないです。
ここの人達は無視して、トランスパーソナルについて話しませんか。
>一方的で因果のめぐりというものを考慮できないよう
>で・・・。
私はここでの369さんについては知りませんよ、
トランスパーソナルと無関係な人々と争いがおこってるとしかわからないですので。
それを、私に解れというのは無茶じゃありませんか。
私はとにかく、トランスパーソナルについて話しができれば、それでいいんです。
神聖なものについて学びたいだけですから。
577 :
369:2005/07/01(金) 01:02:09
>>571 >私は369さんが、霊性の磨きにおいて、トランスパーソ
>ナルをどのように活用しているのかを知りたかったわけ
>ですが、
仮に、霊性に自分が取り組めば、という仮定の話にして
おきますが、それ自体は活用しないんです。存在のあり
ようがよりよく変容していくことはあっても、表現にインスピ
レーションを受けることはあっても、そこにことさら執着し
ないんです。功利主義的に「役に立たせよう」と気張って
しまうと、どこかおかしくなってくるところがある。
「その人の存在が他人を励まし癒す」というのが理想的
でしょう。そういう意味では、ここはそういうことを体験しに
くい場所ですよ、とはいえることだ。もっとも、”急いては
事を仕損じる”という言葉もあり、それは老成的な段階
として考えておいてもいい。ライフサイクルは色々ある。
578 :
369:2005/07/01(金) 02:28:34
>>575 >ところで、トランスパーソナルについての話はしないんで
>すか、
自分には関係なかったということです。
別に、自分のことも書いてないです。ネットですから。
もうここには来ません。それでは。
>>578 >もうここには来ません。それでは。
何回目だよ。
580 :
369:2005/07/01(金) 03:04:50
ここは自分のこと書いてない。プライバシーがある。
予想以上に他人のことを見ている人というのはいる。
あまりネットでの他人は信用してない。
581 :
369:2005/07/01(金) 03:07:33
けっこう監視してるような人はいますよ。
582 :
369:2005/07/01(金) 03:09:16
ネットはあまり信用しないほうがいい。
個人情報とか除きたいような誘導尋問的な
腹探りしている人が結局すべて。
583 :
369:2005/07/01(金) 03:12:24
最近の若者はとかの題材にしている人も多い。
これからは関わりあいたくないものだと思う。
584 :
369:2005/07/01(金) 03:39:31
トランスパーソナルうんぬんよりそういう見えないところ
でのあまりに分かりやすい連鎖反応がでてきたのに
驚いた。そういう感情むきだしの大人げない大人って
多いのだなと思う。自分はそういうものを知ってしまった。
肯定否定以前に、これに下手な関わりはするもんじゃ
ない。プライベートなもので、それを広めることもない。
自分はこれからはもっと、他人なり世間なりの、そういう
混乱なりになるべく巻き込まれることなく、もっとうまく、
穏やかに生きたいものだなと思う。もともとそういう争い
ごとは向いてない。自分からストレスの種を増やすよう
なことはしたくない。自分に損だと思う。
585 :
369:2005/07/01(金) 03:52:50
はっきりいって、ここもなんか屁理屈のようなものを、
わざとこねくりまわしてのらりくらりとのらくっていただけ
という自覚はあるし、本気でなにか本音なりを書いて
いるつもりもない。自分でわかってやっている。
霊性というものはまだ、もっとひそやかなるものですよ、
やっぱり。それでいい、と言い切れない人は、他人に
期待を託すのではなく、他人に批判を要求するでなく、
自分で広めるなり、まともにするなりすることですね。
見かけ以上に厳しいところもあるし、あくまでマイナー
なので、面倒ごとに巻き込まれやすい。
いまはまだまだ個人ブログなりでやるのが正解だと
思う。そこから大したことないし自由にいく。
586 :
369:2005/07/01(金) 04:09:23
ようは、あからさまにするのは、普通よりもさらに必要
以上の要求水準がかかり、プライバシーを度外視してまで、
他人からの面倒な要求なり干渉なり詮索なり因縁をふっ
かけられやすい。
プライベートでやるのが正解。ここなどネットの情報におど
らされるのも、プライベートまでをスポイルしていくところが
ある。すべて含めて、なにより自分に損になる。
それより、他人に口出ししたり、逆に自分に合わない価値観
にとらわれないで、ただただ自分の本来むいてることに
忠実に、自分を深めることだと思う。あまり他人に迷惑かけ
たり、関係ない人と係わり合いになるようなことはしない
ほうがいい。
ようは自分に無理はしないこと。これだけ押さえておけば
自然体でいけるし、あまりおかしなことにはならない。
>>578 >自分には関係なかったということです。
>別に、自分のことも書いてないです。ネットですから。
>もうここには来ません。それでは。
私はきちんと私のことを書いています、
日々のいろんな場所で気付き、学ぼうと、謙虚な気持ちでいるつもりです。
トランスパーソナルも私にたくさんのものを気付かせてくれるものとして、
さらに霊感得て、霊性の向上に努めたいと思い学ばせてもらおうと思っているところです。
私は真摯な気持ちで学びたいと思っていますので、
トランスパーソナルの話しをすることも無い、ここで霊性の向上を努めることもしないのであるなら、
ここで何をしているのでしょうか、私には皆目わかりません。
人が自分のことを書いてるのに、自分のことを書かないというのは、あまりにも非常に失礼な態度です。
>>580 >>581 >ここは自分のこと書いてない。プライバシーがある。
>予想以上に他人のことを見ている人というのはいる。
>あまりネットでの他人は信用してない。
>けっこう監視してるような人はいますよ。
それが気になるのでしょうか?
別に正しいと思ってやることに、他人の目か気になることは、
無いと思います。
隠さないといけないプライバシーとは、私にはよく解りません。
ありのままを書いて、ありのままを見せているだけで、
それに対する批判は、今まで一度も経験したことはありません。
どんな人に対しても、真摯な態度で臨めば、何も諍いなど起きることはありませんよ。
396さんは少し臆病で勇気が無いことを、言い訳にしていませんか。
ちなみにこれに対する返答は必要ありません。
このことは、396さんが一番良く解っていると思いますから。
588 :
369:2005/07/01(金) 17:49:18
>>587 あなたは素知らぬ顔である意味のストレートさで、多勢
に無勢の先頭に立って、腰やらに腕を組んで、他人への
断罪が平気でできてしまう人のようですね。自分はすべ
てわかっている、といわんばかりに。そうあなたは正しい。
そしてあなたのその確信を惑わすなり迷わすつもりも
ない。あなたの「どんな人」というのも例外のあるもので、
多勢に無勢であなたが有利だという自信の表れであって、
そのポーズをもって、あなただけが正しいということもない
わけですしね。そういう構図をキャラ立てさせられても
ですね、人はつねに移り行くもので、あなたの想定する
なんらかの健全すぎるまでの一貫性が、そこまで単純とは
限らないわけです。失礼というが、自分のことを書いてい
る、と「言った」からといって、自分のことを結局はそれほど
あなたがこちらに要求するほどにはディテールとしては
書かれていないのが事実で、それはポーズとして自分の
ほうがこんなに誠実なんだ、というポーズということであっ
て、それをこっちにこれみよがしに断罪するかのように、
ぶつけられてもですね、たしかにあなたは相対的には
それだけ誠実なんでしょう。そしてそれを疑っているわけ
でも迷わすつもりもない。ただやはりそこまであなたに
裁かれ判断されるつもりもないと言うだけです。他人に
対しては理想論、自分に対しては安全地帯、それをまっ
たく考慮しないで私はなおもここまで他人に追求できるん
ですよ、というあなたの誠実さはよく分かりました。そして
それを皮肉に思うつもりもない。依然、こちらのプライベート
を追求されたり、他人の偶発性や気持ちを考慮せず、
そこまで断罪する人も、これからはお近づきになりたくない
わけですしね。
589 :
369:2005/07/01(金) 18:01:57
>>587 あなたは、自分の安心を他人の態度で要求したい、それ
より本当には、他人を信用することはできないのでしょう。
もしそうではないというなら、保留することですね。
しかしながら、あなたの自己紹介は、ずいぶん後付式
ですね。相手の様子を見て、材料をそろえたうえで、
ほうらきた、と言わんばかりに、自分はあなたの落ち度
よりもこんなに真摯なんだ、という叙述を立ち上げて
しまってる。
まあ、しかしながら、あなたの霊性の向上を祈ることは
やぶさかではありませんよ。では。
590 :
369:2005/07/01(金) 18:22:57
>>587 >私は真摯な気持ちで学びたいと思っていますので、
>トランスパーソナルの話しをすることも無い、ここで霊性
>の向上を努めることもしないのであるなら、ここで何を
>しているのでしょうか、私には皆目わかりません。
あなたにしてもそれはそうでしょう。「学びたい」と思う
なら、格好の他人の落ち度なりを自分との比較で、
固定的にそれがあるかのように、同定していきながら、
自分の正しさの材料に利用して「学ぶ」のではなく、
もっと自分をまだ体験としてはそれをわかっていないんだ、
自分の認識は十全ではないし、保留することも大切だ、
という予断のない謙虚さのなかにおいて、本に向かって
学ぶことですよ。そもそもあなたがここで「学びたい」と、
他人に自分を「プッシュ」していくようなことが先立って
しまっているその欲望なり余裕のなさに、もっと冷静に
なれる訓練が必要ですよ。人を責める時間があったら、
あなた自身を深めないと、もったいない。どうしても自分
で実践するまえに、自分が貶めやすい対象を標的に
とらえて、それによってあなた自身を立てる欲望が
大きいようですね。しかしながらそれだけではただの
ありがちな経験則であって、それをあえて霊性と言われて
も、それはあなたの欲望なりの正当化なわけです。
目には目を、的な、あなたが思っている霊性なり、その
誠実すぎる誠実さにしては、ずいぶん露骨で悪趣味な
方略においてではなく、どんな理由なり口実なりがつけ
られようとも、やはり第一に自分に向かうべきことなん
です。
自分はここがすべてではないので、ここで何をしている
のかあなたにとやかく言われる筋合いもないわけです
しね。
591 :
369:2005/07/01(金) 18:37:03
>>587 あなたのその「正しさ」についてどうこう言うつもりもない。
いくら正しいと思ったからといって、それをむやみやたらに
押し付けすぎないことです。大切なのはポーズじゃない
んです。あなた自身が問い続けることが大切なんです。
割ってはいるようで申し訳なくも思うが、
私は弥勒氏に同感する所は大きい。冷静に霊性を高めていこうとするなら
以前いっていた?ように放っておくのが良いのだろうか。
同意の意思表示はあなたには必要なかろうが、私の衝動的な意志表現は
押さえ込むのが自他共に向上のプロセスになるのだろうか。
とりあえず、私にいわれる筋合いはないかもしれないが筋道通っていますよ。
うーん。黙認。
あ、それから霊性ってどんなことなんですかね。
593 :
369:2005/07/01(金) 18:39:37
>>587 あなたの矛盾は、ここでなにかを他人から学ぶなり
他人に「学ばせる」ことが自分にはできるんだ、と思っ
ている、その傲慢さではないでしょうか。
それがなければ、こうも他人を責められないはず
ですから。
594 :
369:2005/07/01(金) 18:48:10
自分はここでいえることは、もうここにはこない、という
ことだけです。「自分が正しい」と思っているわけでも、
ここでは「意味がなければならない」とか「役に立てられ
なければならない」とか「他人の無理難題にすべて
応えられる」とか、思っていないんです。それほどの意味
を付与するつもりもないんです。
それではほんとうにこれが最後です。
>自分はここがすべてではないので、ここで何をしている
>のかあなたにとやかく言われる筋合いもないわけですしね。
このスレのログを読みましたが、あなたは他サイトのコピペを繰り返し、
>>86 >とりあえず、今回は無断転載の警告だけに留めますが、
>これが無視された場合、出版社と協議の上で
>しかるべき法的手段をとりたいと思います。
を見たとたん、自らの長文を書くようになりましたね?
つまりこのスレッドで迷惑行為をしていることは、自覚してますね?
自覚していてもしてなくても、ここを見るどのような人でも、
あなたの行為は迷惑行為にしか映らないので。
これ以上するのなら、しかるべき場所に通報するしかありませんが、
よろしいでしょうか?
それでも良いと思うのなら、どうぞお続け下さい。
スピリチュアリズムに理解を示す方だと思っていたのに、非常に残念です。
ああ、申し訳ない。同感なんて出来ないんですよね。
微妙なずれはどうしようもない。いや、微妙にずれていなければ
自分も他人も区別も付かない。そういう意味では同感なんて出来ないし
私は私の感じ方しかないわけだ。ここで同感なんて発言すること自体が
ずれを生じさせている証であるわけか。うーん、曲解。
あなたの意見は私の意見として受け容れておきますよ。それが同調でしょう。
違いますか?いや、そうなのだ。自分がそう思えばいいことだ。
そうでしょう?いや、問いかけることは私の意見でないことになってしまう。
そうだな。うん、そうなんだ。もう、ひとには聞かない。
597 :
369:2005/07/02(土) 22:24:32
>>592 おそらく想像されてるより「普通」なんですよ、自分は。
もともと克服すべき課題も、問題も、なにもなかった。
むしろ逆に、ここに来てから、勢いに巻き込まれるかのように、
調子を狂わされていったんです。正直なところ、振り返って
みれば他人事のように、こういうことにもともと興味がなかった。
ここでのことはあまり印象に残っておらず、
そのあいだも淡々と、自分の本来の道があったということです。
結果、みそぎのように、無駄なものが削ぎ落とされた。
それほどに、成り行き以外、なんの関係もなかった。
ほとんど関わってしまった義理での、後始末的処理だった。
だからここは、周囲の望む物語消費に参加させられて、
道化を演じさせられ、むしろ退行なり逆行なりのプロセスを
辿らされた閉塞だけがあった、という感慨だけですね。
ほんとは、さほど興味ないんです。
598 :
369:2005/07/02(土) 22:47:25
あまり、ここの人たちは大人とは思ってませんね。
自分のほうがむしろ、熱血ドラマに乗り切れないものがあり、
もっとアート的に、さめた目で付き合ってたところはある。
ずっと普通に日常生活をこなしてたわけですから。
そういうタイプの、変わり者だったようですね、自分は。
妙な、アート系できてしまった。
そんなものなんですよ。
ネットって、適当に書いても、真に受ける人は多いです。
>>595 >スピリチュアリズムに理解を示す方だと思っていたのに、
>非常に残念です。
正直なところ、読んだことがないのでわかりません。
大体こんなもんだろう、みたいに適当に付き合ってました。
そしてまた周囲の人も、読んだことがなくて、
ここから何かを得られると思っていた幻想だけがあった
だろうことなので、おあいこ的なもんなんです。
599 :
369:2005/07/02(土) 23:01:02
>>595 まあ、ここまで本人としては、今回書いてたことが、
さほど本人に関係も影響も感じてなかったというと、
なんだか悪いので、
いつか暇をみつけて気が向いたら読んでみますよ。
いまはそこまで背負える器でもないのでね、やはり・・・。
600 :
369:2005/07/02(土) 23:19:04
この板は自分とは縁がなかったし、
自分にはあまり役立たないことでしたね。
前向きに素直に忘れようと思う。
ここでのこともさほど印象に残ってないし、
自分の中で大きい比率ではなかった。
もともとふざけただけでここにはなにもなかったし、
引っかかるものがなかったとわかってしまった。
これは正直な実感なので仕方ない。
それについて無理に自分の中からなにか
感想文をとりだろうとしても、しょうがない。
ほかはあまり読んでないし、
読みたいところだけ読んでいた。
これだけ付き合ったのだからよしとしましょう。
とくに後悔も執着もない感じですね。
淡々としてて心残りがない。
それなりに「すっきりした」ところはある。
変わり者ではあったんでしょうね。
これからそんな自分を楽しんでいけるように
するとしますか。それでは、
もうここに来ることも見ることもないでしょう。
ではでは。
601 :
369:2005/07/02(土) 23:25:37
まあ、自然体で今を楽しむことじゃないですか。
あまり細かいことにこだわってもしょうがない。
自分も自分を楽しめるものがはっきりした。
自分らしさを大切にすることですかね。
みなさんももっと前向きになったほうがよいですよ。
それではもう、ここは見ることないでしょう。
自分に楽天的に集中していきます。
602 :
369:2005/07/02(土) 23:30:07
みなさんもあまり暗いことばかり考えずに、
つまらないことは忘れて、前向きにおねがいしますよ。
まあ、いいかげんしつこいんで、
このへんで・・・。
603 :
369:2005/07/02(土) 23:32:09
この掲示板は自分には暗すぎるんで、
もう距離はおきますね・・・もともと向いてなかった。
604 :
369:2005/07/02(土) 23:33:39
まああまり他人の価値観にとらわれないことですよ。
自分で自分に合ったものがわかっていれば、
他人を気にすることもない。では。
605 :
369:2005/07/02(土) 23:38:27
あとここ以外ではもうこういうことは書かないので
念のため。どうもここだと調子がくるうのでね。
自分はあまり、他人のこと気にしないで淡々と忘れる
タイプなので、みなさんも気にしないで良いです。
では。
606 :
369:2005/07/02(土) 23:49:18
あと、ここにこれまでかいたすべてのことは、
自分に関係あるわけでも、本音とか気張ったもんでもないので、
リセットしてくださいね。人はどんどん移り行く・・・
607 :
369:2005/07/02(土) 23:51:57
すべてはこれから。これからが大事なのです。
608 :
369:2005/07/03(日) 00:10:33
ちなみに自分は、こういうことに興味があったとも、
思われたくない。正直、
そこまで入れ込んでいたつもりも自信もないからだ。
むしろ他人に入れ込まれてて抜け出せなかった。
自分は平気で、他のことに興味が移れる。
そうなので、あまり他人にはこれ以上、
これがすべてのような人物とか、普通とは違う人とか、
これに結び付けてあれこれ思われたくないのだ。
やたら変質的に他人のことをあれこれ想像する人はいる。
自分はそういう人達よりも、ずっと普通だと思ってる。
そういうその人の幻想に取り込まれるのは気持ち悪い。
もっとバランスの取れたところはほかにある。
それほどにほんとは普通。
そもそも、こういう掲示板にくるような人間でもなかった。
それほどに、もののはずみ以外、
もともと、普通っぽい人間だと思ってる。
609 :
595:2005/07/03(日) 00:13:09
では、通報させてもらいますね。
610 :
369:2005/07/03(日) 00:18:43
自分はここでは無理をしてたと思う。
無理のない自分というのは本来もっと普通なんですね、
これが・・・けっこう人の幻想に取り込まれるのって
気持ち悪いことです。ここは妄想的で変質的な人が多い。
自分はもともと、もっとシンプルでまともな人。
ここ以外だったらこうはならないし、
普通の人とこそ、むしろ普通に付き合えるタイプ。
そういう問題を感じたこともないんですね。
なんか問題を無理してでっちあげていた。
それほどにやっかいなことにまきこまれただけだった。
611 :
369:2005/07/03(日) 00:21:35
そういう意味では自分はほんと、
真面目でまともな人間ですよ。
それだけにここでこうなったことにはショックが大きい。
自分でもよくわからなかったところはある。
612 :
369:2005/07/03(日) 00:23:26
>>609 あなたみたいな人がいるのがこまるんですよ。
自分はあなたみたいな人をストーカーのように感じます。
613 :
369:2005/07/03(日) 00:26:09
>>609 それがほんとにあなたの霊性なんでしょうか?
あなたは一体、何を求めているのか、
自分には分からないんです。
ああ、ネットってこわい。
下手なことすると寛容力のない狂信的な人が来る。
もうここには二度とこないでしょう。
614 :
369:2005/07/03(日) 00:29:42
>>609 正直、あなたがどうしてそこまで思うのかよくわかりません。
自分はあなたにどういうかたちの迷惑を与えたのか?
あなたにとって、なにが競合するんでしょう?
なにが矛盾なのか?
自分はそんなに矛盾することはないです。
もともといろんな人が共存するのが世界ですから。
そう考えると、不寛容すぎますよ。
悪口言われたくらいで、大人げない。
もう来なければいいんですね?
それがあなたにとって邪魔にならないのなら、
もう去ります。
これ以上あなたに悪口をいうとまずいので、
そうでずね「自分が間違ってました」これでいいですか?
これであなたは済むんですね?
はっきりいってあなたはスピリチュアリズムとはいうが、
それがどういうものなのか言ってないでしょう
それを説明してくれませんか?
615 :
369:2005/07/03(日) 00:34:54
まあ下手な人にどういういうとどうなるのかわからない
ところが経験なので、やっぱりそれを聞くのはよしますか。
まあもうやめときますが。
あまり自分は教条的ではないので、
どうしてここまでこだわることがあるのかわからない。
そういう意味では、
こういうことに近寄りがたいところも感じたわけです。
どうしてもはっきり言ってこない人ばかりで。
よほどこういう霊性というものに鈍感か?
まあスピリチュアリズムと言われたら、
それがどう定義されているのかわからないですけどね?
自分が思っているのは日本文化でこれまで
生活の中で接してきたものですから。
それほどに普通なんです。
616 :
369:2005/07/03(日) 00:38:43
自分はそれほどに健全なつもりでしたけどね。
他の人のほうが不自然に宗教的に感じてしまうくらいで。
ただふざけたことは自覚してますが。
はっきりいってそれほどに本来は普通だと思いますけどね。
まあこれ以上はしつこくいうのはやめときますけどね。
はっきりいって、こんなことにまきこまれたことはない。
この掲示板だってそんなに普通なのか?わからない。
自分の感覚のほうがおかしいのか?
なにがすれちがっているのか?
617 :
369:2005/07/03(日) 00:42:22
まあ自分はあまり真面目ではなくて、
不真面目な人がよほど気に入らない人にここで
出会いすぎたということだと思ってますが。
これまでの人生では、わりとそうではなかった。
まあそういうことでしょうね。
それにあらかじめ気付けというのが無理なわけで。
その混乱に収拾がつけるのが難しいということですか。
それほどに自分は普通だと思っていて、
ここでは普通じゃないと思われてしまった。
そういうギャップをどうしようかという混乱だったわけで。
それほどにここは余裕がないものがあった。
はっきりいって想像はしてなかった。
これが不思議ですね。
618 :
369:2005/07/03(日) 00:50:29
>>609 あなたって、言葉足らずだからなぁ。
冗談も通じないのだろうか?
なにがそこまで気に障るのか?
はっきりいってここまでなにかこだわっている人には
出会ったことがなかった。
それがなんとなくわかってはきたかもしれない。
もしあなたがそんなに感情的なら
失望しますけどね。
せっかく忘れようと思ったのに、まさかこうくるとは?
はっきりいってあなたの考えていることがよくわからん・・・。
619 :
369:2005/07/03(日) 00:58:24
はっきりいって、
自分はここでふざけすぎたとは思っているが、
済んだことであって、
そんなに迷惑かけたつもりもないと思ってる。
まあ迷惑かけたんだと自覚するしかないですね。
それなりにみんなもバランス感覚がもててきて、
慣れてきたのかな?と思ったのだ。
それで心残りなく、
忘れてもらえばいいやと思ったわけだ。
そういう気を使っていることが
理解できないで文字通り受け取られているのか?
はっきりいって自分はネットのことだし、
ここはそんなに見ている人も特殊だと思ってるので、
実感わきませんけどね?
やっぱり自分はむしろ他人を信用しすぎている
のかもしれない。
これからはここにはくるつもりもない。
どういう風に見られているのかわからないですからね。
ほかではまったくこういうことがないわけで。
それほどに誤解にはじまってしまったと思ってる。
だからいくら言われても、どうにもならなかった。
どっちにしても嘘しかつきようがないからだ。
面倒なことに関わってしまったのだ。
620 :
369:2005/07/03(日) 01:07:42
自分は被害者だった。
その意味では十分、被害を受けている。
それをこれ以上責められるつもりもない。
はっきりいって自分はいじめられているとすら思ってる。
さんざんここで多勢に無勢で悪口を言われていたからだ。
それに言い返してしまっただけだ。
まさかここまで不寛容で硬い人ばかりとは思いません
でしたけどね。そういう意味では諦めてる。
ここで自分のわがままを通そうとも思ってないわけで。
場所違いだったということが分かってもらえれば良い。
正直といわれても、恐いですしね。
もうネットはやらないですね。
ここでもうむやみに書くつもりもない。
書けば書くほど、知らない人の脅威に遭うからだ。
プライベートも賭けないのも無理ないし、
それを聞き分けない人の存在も不気味なわけです。
その気持ちがわからないとしたら
もうそれまでということですね。
もう一方の人は気持ちがわかるようなのに残念。
はっきりいって「話せば分かる」人もいれば、
「ある形で話さないと分かってくれない」人もいる。
そういうことなんでしょうね。
これはもうどうにもならないので仕切りなおすしかない。
こんなことに遭遇したことがないので、
混乱していると言うことだけわかってもらえればいい。
自分はもう忘れるし、
ここにもうこなければ普通にやれるからだ。
どこか迷宮に入り込んでしまっただけなのだ。
621 :
369:2005/07/03(日) 01:11:28
こんな迷宮があるとは思ってなかったし、
あまり自分でもどうしてここまでなったか、
よく理解も整理もついてないですけどね。
今回のことについてさほどおどろかずに受け入れてくれ
ている人もいたために、調子に乗ってしまったということか。
そういう人もいれば、これを無神経とおもうひともいる。
これからは気をつけるとしかいいようがない。
混乱しているのはこっちもだからだ。
ただ距離を置くしかないだろう。
それがわかってくれないとしたら、残酷なんでしょうね。
622 :
369:2005/07/03(日) 01:16:22
そういう意味ではこういうネットというのは残酷な
ところはある。そしてそれが他人事なら平気で麻痺
している人もいる。そういう興奮しやすい状況に
騒動でまきこまれて標的になると、あなたもこういう
ことにならないとは限らない。せいぜい気をつける
ことですよ、明日はわが身、と思って。
自分はもうネットだからって気軽には書きませんね。
こういう面倒なことに巻き込まれてしまうこともある。
そしてそういう普通ならわかるはずの心境をわざとか
読みとらないで、ねんちゃくしてくるひともいる。
普通だったのに。
はっきりいってこのネットに慣れている人のほうが
けっこう特殊だと思いますよ。自分はそこまでなれて
なかったですから。そういうときにこうなったのだから、
こんな人はなかなかいないと思うし、他の人だって
同じような不運にあえばこうなってもおかしくないでしょ?
それがわからないひともいるのかと。
623 :
369:2005/07/03(日) 01:19:06
そういう意味では、わかってほしいことがあるとしたら、
自分は普通だったのだから、これ以上面倒なことに
感じないくれ、ということですね。迷宮にどんどん入り
こんでしまっただけなのだから。
こういう動揺なり混乱におちいることは、あなたでも
十分ありえますよ。それを同情できない人は、偶発性
とかがわかってないんでしょう。
それほどに自分にとってはこういうネットでどんどん
おかしなことになった以外、もともと普通だった。
だからものすごく後悔してるし、それをぼやきたくなる
のは当然なのだ。
はっきりいって被害者だからだ。
624 :
369:2005/07/03(日) 01:21:25
そういう意味では忘れさせてほしいですね。
どうしてこうなったのか、自分でもよくわからないから。
それを忘れさせてくれないことが、ここでずっと
続いていて、それをどうにかしようとどんどん泥沼に
入って、疑心暗鬼になっていたのがこれだから。
誰だって人間不信になりますよ、こんなことになれば。
ネットに気をつけているのは、その当事者になって
しまったからですしね。
625 :
369:2005/07/03(日) 01:27:42
そういう意味では自分がこわいですね。
はっきりいって。
ただ場所が悪かっただけだと思っているが、
それを読めなかったことが。
あまりに気を許す過ぎたとしかいいようがない。
自分も甘いところはありますからね。
もうこうやって書いていても、誰かがのぞいて
いるんだって、疑心暗鬼になってるわけで。
そういう意味では、不安を感じて恐いがゆえに、
どんどん泥沼なことを書いてしまってますよ。
もうはっきりいってもう面倒なことは書かずに
これで忘れるしかない。それしか解決しない
ようにおもえるのだ。いろんな人がでてくるから。
ということで、すべてのひとが満足するような
ことは無理ということを理解してくれなければ
ならない。それが難しくて続いたんだから。
ということでここで自分はネットはもうここへの
反応がつづいてるのをしっててもそれはみない
ですね。自分でもそれをよんでその陰湿さに
傷ついてここで書いてたわけですから。
ここの人ほど自分は残酷にはなれない。
そしてそれをこうやっている自分もそれが悪口
とうけとられて泥沼なのでもう書かない。
626 :
369:2005/07/03(日) 01:33:16
はっきりいって自分は傷つきやすい人間ですね。
他人がここまで他人のちょっとした手違いを責めて
陰湿な悪口をいえるとか思ってないですから。
しかもそれに開き直って平気でいられるほど、
自分はあまり割り切ってなかった。自分はそれほど
本来ここには向いてなかった人間だった。この
掲示板はよほどなにかの信念があるとか、よほど
気が強くてタフな人しかうまく渡り歩けませんね。
自分はまだそういうものがちゃんとしてなかった
タイミングでものすごく運が悪いときによりによって
ここにこんなふうに巻き込まれて悪夢をみた。いま
でもそれが自分でも整理ついてない。それほどに
周囲の反応とかに傷ついてたから。
だから自分を守るのが必死で、正直、余裕がない
のだ。他人を信用できなくなったし、自分は自分で
もう切り上げて、自分を立ちなおさせるしかない。
どうせ他人なんて自分の気持ちは分かってくれ
ないし、他人の不幸な状況は考慮してくれないの
だから。自分をネットから守って、自分で自分を
立ちなおさせるしかない。
627 :
369:2005/07/03(日) 01:41:50
そういう意味ではネットって他人って残酷なもんだと
思ってる。もっとやさしい思いやりと寛容のある人と
付き合っていくのが自分に合っている。こういう場所
でもまだそういうもんだと思える人もいるのかもしれ
ないが、自分にはここもまだまだ厳しいものがある。
自分にとってどういうところなら合うのか、それはもう
だいたいわかってる。ここは自分には好戦的すぎる
場所だった。そういうのに向いてない人もいる。
それほどに、こういう硬いところは向いてなかった。
自分はもっとへたれなところがある。それをそうでない
と無理をしすぎたと思ってる。
あまり議論とか向いてない。ここにきてから、みんな
がみんな、こういう風にしなければだめなのかと思い
込んでしまった。でもそうではないと思いたい。
自分はもっと柔らない方面でないと合わないのだ。
そこに硬いものがまじりすぎて無理をしてしまった。
そういうことだと思ってる。そういう硬いものを真似て
みたが、無理があった。
628 :
369:2005/07/03(日) 01:51:27
自分は何度も何度も繰り返しているが、自分は正しい
ことを証明していくってことは無理なんだと思った。
これまでそういう道でこなかったからだ。そこに悲劇が
あった。相性でなかったからだ。あまり自分が正しい
とか思わないし、他人の正しさも疑ってるつもりもない。
それを軽視するつもりはなくて、否定するつもりもない。
それはようするに、正しいとは違う尺度なのだろう。
それがどういうものか、自分にはよくわかってるつもり
なのだ。そしてそれはどうしても正しいという価値観には
ならないし、ならなくていいとさえ思ってる。
そしてそれをここで書くのが間違ってた。
629 :
369:2005/07/03(日) 01:59:29
自分はここでそれがなんなのかどう結びつくのか
と思っていたのかもしれない。その結果、むすびつか
なくていいんだ、と思ったと言うことだ。それを
責められてもしょうがない。だって自分でもわからない
まままきこまれていたのだから。自分で自分が
わかったのに、関係なかったの、と逆切れされても
最初からそれがわかっていなかったのだから、
そう言われてもしかたない。自分でも迷っていたところ
があって、それで関係ないとわかったことを、怒られ
てもしょうがないだろう。最初から関係ないとわかって
たわけじゃなくて、巻き込まれてしまって、それで、
やっと割りきりがついたのだから。
それをなんで関係ないのにあなたがいるんだ!って
怒る人がいるわけだ。
だからそれはまきこまれてからわかったことなんだ。
それを、あんたはこういう人で駄目なんだな、とか、
散々他人の価値観について悪口なり人格否定にちかい
ことをここで言われているわけなのだ。
冷静に考えたら、そんなものに耐えられる人間のほうが
いないんじゃないだろうか?
>>613 名前:369 メェル:sage 投稿日:2005/07/03(日) 00:26:09
> もうここには二度とこないでしょう。
?????????????
631 :
369:2005/07/03(日) 02:03:56
自分は霊性とかトランスパーソナルとか科学とかに
関係あるんだ!って思い込んでいたことは事実なのだ。
でもそれは全然関係なかったんだとわかってきた。
そうしたら、それがわかって決心がついてきたところで、
トランスパーソナルについての要求がきたり、あんたの
価値観がどうのとか、霊性について質問がくる。
そしておまけには、変態趣味があるのだとか、信仰審問
や人格批判などを問いただされるようなことにまで至っ
てるわけだ。
自分はびっくりした。
他人になれるわけがないでしょう。
632 :
369:2005/07/03(日) 02:05:04
ここは余裕がないひとが多い。
迷っててやっと自分がわかったことさえ、わからないというか。
633 :
369:2005/07/03(日) 02:09:52
自分はこういう混乱にまきこまれて、
自分の価値観や自分がこれまで通ってきた道という
ものがほんとにこれでいいのか?と思うことになり、
自分を見失いかけてて、迷ってたわけだ
はっきりいって、こっちのことをオタクとか病気とか
言う人がいるが、自分はそういうタイプじゃない。
変わり者かもしれないが、そういうタイプでない
という意味では普通系とはいえるとおもう。
634 :
369:2005/07/03(日) 02:20:01
はっきりいっていろんなレッテルをはってくる人がいる。
あえて自分で言うならこれまではアート系できたとしか
言いようがない。それだけは誤解されたくないのだ。
もっと地味にやってきた。
そしてオタク趣味はない。そういう人との親和性がある
わけじゃない。
635 :
369:2005/07/03(日) 02:22:58
足りないところはあるが、
自分は自分なりの美学なり価値判断では、
それなりに真面目なところもあるので、
ここがそういう自分をまったく出せないだけで、
そこは勘違いしないでほしい。
あんまりこういう場所では得意になれなくても、
それで全人格を判断されたらこまるわけだ。
それはこれから自分が表現していくことで。
これに応えろ。
>>613 名前:369 メェル:sage 投稿日:2005/07/03(日) 00:26:09
> もうここには二度とこないでしょう。
637 :
369:2005/07/03(日) 02:27:44
やっぱりこういう論理でどうこう言うのは向いてない。
そういうのでははっきりいって弱いし、
あんまりそういうことばかり考えているとおかしくなるので、
自分は正しいとか、得意にもなってないわけだ。
そこで妙に感化されて、横道にずれてしまった。
638 :
369:2005/07/03(日) 02:37:41
>>636 だからもう来ない。
ただいろいろ妄想する人が気持ち悪かっただけだ。
自分はそこまで単純でもないし、まとも的。
他人に惑わされて理由探しに狂わされて、
逆にこんなになった。
悲惨だった。
>>636 もう20回は書いてるw
ニューエイジ臭プンプンのヴィパッサナー瞑想を始めて、
少し瞑想体験を得たと思ったところで、
ここの人達より真実を体験してるという態度で入ってきたから、
偉そうな態度と思われて、叩かれただけだろ。
まぁ、寝ずに1000まで書き続ければいいんじゃない。
640 :
369:2005/07/03(日) 02:49:11
よほど何かを仕立て上げたい人にとっては
格好の、注目をあつめるネタを提供してしまった
そう思っているだけだ
自分は媒体でしかなかったのに
もうそういう、若者なりを自分の食い物にする人には
共感できないし、自分はそういう大人にはならない
自分はもっと、地味系、普通系ではある
そしてそこに探られるような理由も原因も無い
ほんらい、こういう形で目立ちたいわけでもなかった
たんなる若気の至りだった
自分はこだわるところはこだわるが、
それが普通の人とはまったく違うところだし、
ここでは自分が出せなくて当然だと思う
それについて、全人格を判断されたくもない
>>636 だからもう来ない
あまりにもしぶといというか、続ける人はいたから
いつまでも違和感があった
自分はそこまで考えてやってたわけじゃないし、
他人とこだわるところが違うだけだ
641 :
369:2005/07/03(日) 03:05:23
>>639 自分はそういう
ニューエイジ風?に染まりかけてたのかもしれない
そういう危ない落とし穴はあるとおもってる
こういうものは中途半端にかじったりはまってしまうと
あまり得るところがないところもある
というか、自分はこれがすべてにはなりえない
どうも自分の心が浮き立たないところがあったからだ
こうしなければならないと思い込んでた
けれども、もともと自分はこういう地道なタイプではない
もっと違うところでないと地道になれないのだ
それをそういう真面目さではないのに、
なにか他人の役に立たなければと背負い込もうとしてた
けれども無理すると自分に後悔することになるし、
自分はそういう大義名分の柄じゃない
もっと地道にクリエイティブしていくことになるだろう
642 :
369:2005/07/03(日) 03:09:00
自分に無理をするとろくなことにならない
自分はアート系でないと地道になれないし覇気が出ない
そこに気付いただけでも、起死回生だった
道を誤らないで済んだといえる
643 :
369:2005/07/03(日) 03:10:02
自分の道をあやまると自分を生かせないし悲惨
だから自分に無理してこういうことはやらないほうがいい
よほど真面目な人ならこだわりもないのだろうが、
自分はそこまでオールマイティではない
644 :
369:2005/07/03(日) 03:15:55
>>639 自分はあまり真実とか気張らないことにしてる
究極の真実でなくても自分が集中できることなら
いいや、その成り行きでピンときたらもうけもんだ、
くらいに思ってる
そうでないと、こだわればこだわるほど、余裕の
ないことになる
はっきりいって、自分のことは真実だ!とかなまじ
こだわってると、にっちもさっちもいかないからだ
他人に余裕をもてなくなる
自分は他人の真実は否定しないが、自分は真実
とは思われなくてかまいませんね
そういうものはあらかじめ決まってるもんだと思う
とほんと寛容さがなくなってくる
645 :
369:2005/07/03(日) 03:21:15
はっきりいって真実にこだわりすぎると、危ない
他人がその真実に適合しないとわかると、
そこでまったく他人に寛容になれなくなるようだ
ところがこれまでの経験上、
そこには必ず「例外」なり「外」があると思ってる
例外の無い法則は無い、と思ってる
だからほどほどでないと、だめと思ってる
646 :
369:2005/07/03(日) 03:31:22
そういう意味ではもうここにくるつもりない
ここはこれが正しいって信じすぎてるところがある
だから寛容になれないところもあるのかなと
どちらかというとここは科学オンリーと思っておいた
ほうがいいですね
だってもう、霊性とかいっても、
信仰とか教義みたいに捉えてる人がいる
そこに対して絶対的になってる
そういうものと競合してくると少なくとも考える人が
いるようですね
ここはそういう宗教じみた人がいる
そういう意味ではそういう正しいっていうのは
自分は馴染みませんね
けっこうこれはややこしいところがある
自分はそこまで気張ってないところがあるのでね
647 :
369:2005/07/03(日) 03:50:00
まあニューエイジ的な?間違いってのはあっても、
そこまで教義的に絶対的なものってあるのか?と思う
スピリチュアリズムとかそういう宗教的なものだと捉えると、
人それぞれのものですしね、そういう文脈もどうなのか?
あまり自分はここで、もうそういうことにこみいった、
つっこんだことは議論したくありませんけどね
こういうものは普通に、科学的な瞑想と思ったほうが、
健全なんじゃないですかね?
それで効果のようなものがあるんならいい
自分は正直、それより正しい、っていうのはよくわからない
どういう態度をとればいいのかわからないのだ
失礼があったことは謝りたいし、
自分は変に気張って邪魔していたところもあると思う
自分が正しいと思っているわけではないし、
他人の正しさを否定しているわけではない
648 :
369:2005/07/03(日) 03:58:52
あまり、正しい、とかなってしまうと、
宗教論争になってしまって恐いもんがある
他人がなにか正しいと思い込んでいると、
否定された、と思われてしまうのだ
こういうものはそう思い込まないでくださいね、
としか言いようが無い
そして自分はなにかのものを否定するつもりもない
というか実際あるものを否定しようがないくらいで
あとここで嘘をついてて誠実じゃないと怒るが、
なにがほんとかわからないところはあるでしょうからね
まあ、ここにしつこくいることに怒るんでしょうが、
それはもう消えることなんでね。
自分はこれに関係なかったと、最近になってわかった。
それを怒られてもしかたないんでね。
はっきりいって、叩かれることばかりがあって、
こういうものは難しい。
自分はもっとフィクション的だった?のかもしれない。
649 :
369:2005/07/03(日) 04:03:10
そしてあまり自分はわからなかったのだから、
それについてあまりに悪意があったと思われるとこまる
ただ言ってみたというか、
悪口言われて言い返してたくらいなのだから
自分としてはあまりもうここで他人の悪口をいうつもりも、
こういうものを正しいとか事実として押し付けるつもりも、
ないですね
そうしないと誠意が無いものかと思ったから
はっきりいって逆に荷が重かった
自分には背負えない重荷にはまってしまったから
650 :
369:2005/07/03(日) 04:09:05
自分はこれをほんとにまじめにやるつもりの人を
邪魔するつもりもなかった
またこういうものを疑う人に押し付けるつもりも
なかった
むしろ被害妄想にかられていた、そしてその反応
からまた、被害妄想が増幅していった、結局、被害
妄想にとりつかれていた
そういう意味では、これをまともにしようという人の
言い分のほうが正しいのかもしれない
そのひとがかりにこれをやっているのではなくても、
自分もあまり他人のことなりを言えたもんじゃない
そういう意味では、必死に擁護しなきゃと思った
つもりでも、逆にありもしない被害妄想なりで、
逆に邪魔ばかりをしていた自覚はある
自分はなんか思い込みすぎてたし、自分で無茶な
ものを背負おうとしてたようだ
651 :
369:2005/07/03(日) 04:11:40
結論としては、自分は、邪魔ばかりしていて、
何もプラスになってなかったといえる
なんか説得しようとかまともにしようということが、
泥の上塗り?にしかならないものになっていて、
むしろ邪魔ばかりになっていたようなのだ
はっきりいって、自分がこれに貢献したつもりない
むしろ気まずい空気ばかりを広めたことになる
それだけはごまかしようがない
それはむしろ、ここで無理に正当化しないほうが
いいようだ
652 :
369:2005/07/03(日) 04:13:18
自分はなにか見えない敵と戦おうとしていた
それは自分のなかの被害妄想的なものもあった
そういう意味では、関わり方が不真面目で
間違ってた
653 :
369:2005/07/03(日) 04:16:46
そういう意味じゃ、邪魔しただけなので謝りたい
それを認めると、まったくの悪意だったんだと思われ
るようで恐かった。だから擁護しようと?あるいは
正当化しようと、間違ったかたちでがんばってたようだ
自分がいいたいことは、
どっちにしろ悪意は無く、
ただやりかたが間違ってたと言うことだ
それを指摘されていた面もあったと思う
654 :
369:2005/07/03(日) 04:18:48
はっきりいって、こわかった
敵か味方か、とかそういう判断をする人がいたからだ
はっきりいってそういう風に解釈されるから、
ここまで続いてしまった
自分は悪意はなかったが、
他人の判断に振りまわれたと思ってる
自分はまだ判断できないので、
判断されてもこまる
655 :
369:2005/07/03(日) 04:19:59
その不安だけでやめることができなかった
656 :
369:2005/07/03(日) 04:23:32
結局どういう人なのかとか詮索される
自分は無害で悪意がなかったといいたい
自分じゃなくて、他人にふりまわされたと思ってる
自分ではよくわからなかった
他人のせいではないが、
自分でも最初はわからなかった
結果、関係ないとわかってきた
657 :
369:2005/07/03(日) 04:27:22
ここは他人を支配しようとしたり
他人を試したり他人を責めるひとしかいなかった
監視されてるようなところもあった
だからこわかった
そうではない、人の出来た人もいた
自分はそういう人をこれから見習う
658 :
369:2005/07/03(日) 04:41:53
自分は今回のことがあって逆に徹底的に人間不信に陥った
心理学に癒しを求めていたところもあったが、
それが自分の精神の根底から、ことごとく打ち砕かれた
心理学はそういうものとはちょっと性質がちがった
ちょっとどころか、
むしろそういうものには一番、否定的でさえあった
ショックだった
これほどの皮肉が、
この広い世の中の一体他のどこにあろうか?
659 :
369:2005/07/03(日) 04:46:16
心理学で自分の精神を探求しようとする人は多いだろうが、
そうしたファインアート的な、甘い幻想を見るのはよしたほう
がいい。心理学という言葉自体からは、そうした発想がむしろ
自然に、どうしてもわいてきてしまうところがある。ここに大きな
罠がある。
心理学をよく知らないでよくある思い込みのままその門を
くぐってしまう人ほど、この世の中で悲惨で不幸な経験を
する人はいないのではないだろうか?自分で調べない人も
わるいのだろうが、そうしてある意味だまされてしまった人の、
その嘆きと悲しみを想像すると、それはいかばかりのもの
だろうか?人生に絶望しても、人格が崩壊しても、おかしく
ない。これほどのイメージとのギャップでの悲惨を経験できる
ところもないのだろう。
自分はそういうショックに打ちのめされただけといえる。
はっきりいって、心理学の門を叩いてしまう、それとひとたび
関係をもった人に、犠牲者は少なくないのだろう。幸せに
感じるよりも、よっぽどその比率は多そうだ。なんとなく分か
ってはいても、これほどとも思わないひとがやはり大半なの
だから、心理学だけはよくちゃんと調べてからのぞけ。それが
私ができる唯一のアドバイス。自分は理系ではないから、
こういうことはあたまがおかしくなるわけで、バランスを崩し
まくった。これほどのギャップのあるものも、存在しない。
心理学、それは調べてないと、人生を台無しにすることも
ありうるチョイスだ。自分はもう、心理学にそういう甘い幻想
は見てないし、アート的ものとしても、期待しないようにしてる。
660 :
369:2005/07/03(日) 05:01:20
そういうことでは、自分はもう心理学にそういうアート的な
ものを期待すること自体が間違っている、と思うことにした。
期待するのが間違ってる。そういうものではないのだから。
いくら心理学と付いていても、文学とかのほうが近いところ
もあるというか、ここが臨床系と別れていないところが、
無理のあることのように思えてる。そういう残酷的なここの
構造的欠陥なり環境的な問題をなんとかしないと、どうにも
ならない悲惨さはある。まったく水と油のものが衝突する
ところがあり、それほどに、この板は一緒になっててそこに
数々の不毛な不幸が生まれてる。自分もそれに大打撃と
いっていいダメージを受けた。自分はそれをどうにもできる
わけでもないし、ここは科学的なんだと去るしかない。
臨床系というのは、非常に不利だし、自分は心理学とか
もうかかわりたくない。他人に悪口とか罵倒とかいわれ
たくないから。自分は被害者的だったので、もうあまり立ち
直れそうにない。自分にはこういうぶつかりあいは厳し
すぎた。関係あったわけでもないし。
661 :
369:2005/07/03(日) 05:13:17
自分はやっぱり思い込んでた、心理学について。その思い
こみなりこだわりが常識として先立ってしまってた。しかし
それはあまり違ったと思ってる。自分は心理学にないものを
求めていたようだった。
悲惨だった。
そういうことで、自分はこのダメージから立ち直れそうに
ないので、心理学とかかわることもないだろう。自分は
心理学で正しさを追求するほどタフな人間じゃなかった。
心理学はこわい。精神的によほど頑丈な人しかやれない
武道的なものだし、自分はそういうのはまったくない。
自分はそういうのは向いてなかったし否定してもいない。
もっとアート的なものなだけだったから。そしてそれも、
心理学に向けるものではなかった。自分はここにくるまで
はもっと本来の道だった。心理学にたいして期待をして
しまったのが横道だった。
その間違いに不幸があった。
662 :
369:2005/07/03(日) 05:21:08
自分はこれと関係あるとか、
なにか目的があったとかなにが正しいとか
思われてたのがしんどかった。
自分はそういう役に立つということとは
ちょっと違った。役に立たなければと思うほど、
どんどんおかしなことになった。
自分のこれまでとは違ったから、
自分の価値観に迷うところがあった。
自分を見失いかけた。
もういいかげん見放してもらうしかない。
ここばっかり読んでたら、
どんどん落ち込んで、どんどん暗くなって、
どんどん頭がおかしくなってきた。
あまりポジティブに考えられなくなって、
どんどん疑り深くなってきてしまったのだ。
あまり積極的になれなくなってきたんだ。
663 :
369:2005/07/03(日) 05:25:18
だから自分は心理学がどうこうとか、
そういう発想が向いてないのでもう忘れさせてほしい。
正直、ここは地獄だった。
まともに対応しようとまともになろうとするほど地獄だった。
それが向いている人はいいようなのだが、
自分ではちょっとプラスにならないものがあった。
ここにどっぷりつかってしまうとなると。
はっきりいって逃げたかった。毎日不安だった。
ここで悪口とか言われて傷ついて人間不信になった。
664 :
369:2005/07/03(日) 05:27:47
洗脳されて、それ以外のほかの人生が見えなくなった
ような感じだった。
それ以外の人生が否定されるというか。
きっと相性ってある。
ここは自分の相性じゃなかった。
かなり自分には宗教的で、自分とは合わなかった。
これ以上自分はいじめられたくない。
これまでもずいぶん苦しんだから。
665 :
369:2005/07/03(日) 05:29:24
だからもう、これ以上書かないでとか、
ここを気にして不安にさせるのはやめてほしい。
書かないでといわれるほど、
気にしている人がいるほど、
なにか書かないと不安になった。
ゲームのように解釈の結論とか言っている人がいるほど、
自分もなにか書かなければならないと、
やめられなくなった。
いまでもその不安はある。
666 :
369:2005/07/03(日) 05:37:30
ここではあらゆる不安と絶望と体験した。
あまりに悪口をいう人がいるので、
人生をポジティブに考えられなくなった。
自分はそういうものには耐えられない。
自分をここまで責めるものにも耐えられない。
よってここから去るしかない。
同情も、血も涙もでてこないサバサバ乾いた世界で、
余り自分はこういうノリには耐えられないからだ。
もっと自分に適した場所をえらびたい。
だからもう自分へ不安を与えるのはやめてほしい。
その不安で離れられなくなったのだから。
ここは不安と詮索だけだった。疑心を感じた。
この掲示板が、そういうところだからしかたない。
人間不信にもなった。
ここはやっぱり厳しい世界ではあると思う。
その厳しさは他とは違う責められるなにかがある。
悪意はないのだろうが、自分は自分の人生が否定され、
自分が裁かれ責められているように感じた。
それも被害妄想かもしれない。
667 :
369:2005/07/03(日) 05:44:02
自分はもっと人生を肯定的に考えるところがあった。
それなのに自分はここでありもない原因探しや理由探し
によって狂わされていった。
もうここには来ない。
ここは自分にとって居心地もよくないし、
ここはやっぱり攻撃的で武道的で意地の悪い人が
たくさん標的を見つけてあつまるところ。
自分はもうここには来ない。
はっきりいって、サバサバしたドライな人が多い。
硬いというか。柔らかさが出しにくい場所。
他人に厳しすぎるというか。遊びや余裕が無いのだ。
それを悪口いってもしょうがない。
自分がそういうもんを招いた落ち度はあるし、
自分も悪口いってしまったのがわるい。
しかしここは不安の連鎖で、それがとまること無かった。
一度も安心したことなかった。
自分には別世界の、殺伐としたところだった。
それに影響を受けてしまった。
けれどももう、ここに来るつもりはないし、
忘れて、本来の自分に戻りたい。
それを戻らせないないで、監視の不安を与える人が悪い。
ああ見てるんだ、という不安でここまで続いた。
668 :
369:2005/07/03(日) 05:48:31
自分は論争とか論戦とか、そういうのは向いてない。
そこまで野性的じゃないからだ。
そういう好戦的で野性的で疑い深い人とはちがった。
はっきりいって自分と違いすぎて、
自分はここでは自分をまもるために悪口しかいえない。
ここで自分をゆるめたら、他人に批判されてしまう。
他人に自分が全否定されてしまう。
そういう不安に支配されてしまったから。
はっきりいってここは恫喝するような人が多い。
なにからなにまですべてひっくるめてこわかった。
669 :
369:2005/07/03(日) 05:59:49
自分はもう、こういうところでそういう恐い人を、
煽ったり刺激したりするつもりはない。
ただただ関わりたくないだけだ。
これまでの人生で、
ここまで他人に否定的な人とは、
あまり関わったことがなかったといえる。
甘かった。
自分にはまだまだステップがある。
自分はここにこうしてきたことは、
人生で一番の後悔になるかもしれない。
それを忘れることしかもうできない。
それを忘れさせてくれない人が多いが、
それを忘れるしかないのだから。
悲惨だった。
たぶんこういうことと関係をもたないくらいでないと、
自分はもう、立ち直れそうにおもえない。
実際もう、関わらないかもしれない。
それほどに傷ついた。これだけ傷つけば十分だった。
心理学というのはよほど特殊な人でないと理解できないし、
やらないものだと思ってる。自分にはよくわからない。
670 :
369:2005/07/03(日) 06:02:36
こんなに傷ついたことも、
こんなに他人から責められたことも無かった。
忘れさせてくれない人ばかり。
だから続いてしまった。
671 :
369:2005/07/03(日) 06:09:25
自分には戦場のトラウマでしかなかった。
いろいろな人がいろいろな理由をみて責め立てる。
そんなものはなかったのに。
ネットだったので、はっきりいってすべて適当だった。
なのにそういう人物だと本気で思われて、
そういうショックを受けた。
きっとこの断絶は埋められることの無いものだろう。
ここまでものすごいものは経験したこと無かった。
まだ立ち直れない。ショックがものすごかった。
それについてもう自分は悪口を言うつもりも無い。
はっきりいってこれほどの人間不信を見せ付けられる
人もいない。自分はもう、他人に見放してもらって、
この絶望のショックから立ち直らせてもらうしかない。
672 :
369:2005/07/03(日) 06:19:55
こんなに他人に注目され執着する人がいるなんて、
思いもしなかったのだ。
はっきりいって、世間知らずだった。まだ信じられない。
自分は注目されるつもりはなかったし、
あまり読んでなかったから。
はっきりいってここに来てから
ものすごい人間不信を経験してる。
そういう意味では病んでしまったところはある。
ここにはそういうあたりまえのものにまったく共感できない
同情も無い血も涙も無い人が寄ってくると思って、
疑心暗鬼しかなかった。それほどに現実感が狂うほどの
体験をしてしまった。
自分はもうここでのことに整理なんてつかない。
なんだかんだいって、だいぶ集中できなくなっていたし、
忘れるしかないからだ。
もし、これ以上、自分のことを見放して忘れてくれない人が
いるとしたら、それだけこの世界が絶望に満ちて悲惨なもの
だと考えるしかないのだろう。自分はそれほど打ちのめされ
たからだ。
なんでもかんでも条件付で裁く人が多い。
自分はそういうことについて不平不満をいうつもりはない。
すすんで明かりをつけるしかないからだ。
673 :
369:2005/07/03(日) 06:26:51
一言で言えば、自分は甘かった。甘すぎた。
しかしながら、他人の悪口も、それはまた厳しいものでもあった。
そしてそれによるショックも計り知れないものだった。
いまもまだ引きずっているからここまでおかしいわけで。
それがまったく伝わらない、察してくれないようなのも、
ますます人間不信に拍車をかけていった。
はっきりいって、こういうところで、他人の悪口を言う人が
これほど多いとは思わなかった。
自分はそれに影響を受けたし、きてはいけないときにきた。
674 :
369:2005/07/03(日) 06:35:13
何度も何度もいうと自分はもうここに来ないといっている。
それなのに来てしまうのは、ほかで反応があって、
それに違和感と不安があって打ち消したくなるからだ。
それがわかってくれない人が多い。
それほどに悪口をいわれて注目されることが不安なのだ。
来てほしくないならもう無視してほしい。
それくらいしてもいいのではないだろうか?
675 :
369:2005/07/03(日) 06:38:42
はっきりいって他人のそういう理由探しや病理化なり
誇大視によって、自分はそれを引きずってここまで
離れられなくなった。それだけで、
自分はここにくるまでアート系では普通だった。
それがわからない人というのはそれまでだろう・・・。
自分はここが悪いとはおもってないが、
ここで狂わされたし、他人の悪口だけでここまで
おかしくなったのだ。それまではまったく普通だった。
それがまったくもって、理解できない人がいる。
はっきりいって他人ってあくまで赤の他人なんだなあ。
って思った。
676 :
369:2005/07/03(日) 06:41:32
ということでもうほんとに来ないから、
これ以上自分をおかしくさせないでほしい。
周囲がおかしくしてるところはる。
自分はけっこう普通だったのに。
これ以上自分をこじらせないでほしいと思う。
みんなが悪口いわなければこうも自分は
おかしくならなかったんだから。
もうべつにうらんでないからいじめないでくれ。
ここはもうこないから。
どこまで苦しめればいいんだ。
もうここはこない。
677 :
369:2005/07/03(日) 06:48:17
はっきりいって、自分はこんなにいじめられたことない。
ものすごいトラウマとショックを受けた。
他人って悪口とか責めるものなのだなあと思った。
被害者ずらするのかというが、
自分はものすごい精神的被害をおった。
これはもう忘れさせてもらうしかないようだ。
ここは他人に不安を与える人が多い。
もう自分で自分を励ますしかできない。
そういうなんとか立ち直ろうとしている自分が。
678 :
369:2005/07/03(日) 06:52:58
これ以上誰かに責められたり悪くいわれたくない。
自分はもう・・・・立ち直るしかない・・・のだから。
他人にレッテルを貼られるほどおかしくさせられる
つもりない、自分はもともと普通だったんだから。
自分の弱さをここでは克服できるわけもない。
はっきりいって他人への不安しかここにはない。
ここをネタにする悪意のある他人ばかりだからだ。
自分はこれほど責められてはどうすることもできない。
他人というのは他人なんだなあ。はあ。
679 :
369:2005/07/03(日) 06:53:12
自分はもうここで悪口を読む勇気もない。
だからもうこの外でまだ悪口があっても、
それをもう読むつもりない。
それに洗脳されたら自分にポジティブイメージが
もてなくなって、絶望と失望で前に進めなくあるから。
しょせん他人なんて赤の他人。
自分は自分ですから。他人に迷惑かけるつもりもない。
ここまで他人に注目されることに耐えられる人間でもない。
もともと周囲の目は気にするほうだからだ。
来てほしくない面倒だとおもってるならもう無視してほしい。
はっきりいって性格の悪い人の多いネット。
そういうものがダイレクトに出てくる。
自分が標的になったら誰だってきズ付くよ。
680 :
369:2005/07/03(日) 06:54:56
ここで、どうせあんたなんてこんなもん、
とか負の暗示をこれでもかと浴びせられた。
ここはそういう他人を貶める、
自分にポジティブになれないのろいをかける人が多い。
自分はそれから自分を守ることしかできなかった。
しかしそれももう間違っていたのでよすとする。
681 :
369:2005/07/03(日) 07:04:03
はっきりいってこうやって他人の悪口とか本音を言うのも
自分にとって特にならないのでよすけどね。
はっきりいってそこまで言われたら、
誰だって悪口で自分を守るしかないもんだから。
そんなに精神的につよいわけもない。
はっきりいって人間関係に消耗して人間嫌いの人間不信。
いまはもうそれを克服することを考えるしかない。
考えればかんがえるほどすべて逆だった。
ここにくるまでのほうが楽天的でまったく普通だったの。
ネットとか掲示板にきてすべてが狂って地獄に入った。
これを理解できない人のほうがどうかしてる。
それだけのことなのに、ものすごい病的扱いされた。
ここに寄らなかったら、普通でしたよ。
だからこれ以上の時間の浪費なんてできないし、
いいかげん責めたりするのはよしてくださいね・・・。
682 :
369:2005/07/03(日) 07:07:50
はっきりいって、トラップにはまってズタズタになった気分。
はっきりいって人間、そこまで最初から完璧なんて
求められませんから。そんなことされたら狂うにきまってる。
誰だって、失敗の一度や二度はあるんだから。
それを責めたりするのが、ひどいことで立ち直れないことだと思う。
自分はここにきて、むしろ逆にネガティブどんどん行った。
まあ自分は、他人を恨みませんけどね。寛容だから。
不平不満をいうよりも、すすんで明かりをつけますね。
それが他人と多少、違うことはあってもね。
そんなことでいちいちとまどったり自分はしない。
683 :
369:2005/07/03(日) 07:17:24
自分はあまり他人に悪口はいわないですけどね。
恨みを買うにきまってるから。
ここまで悲惨な目にあって、うらまない自分がすごいと思う。
自分はそういう意味では耐えたところもある。
ここまで悲惨な目にあって、耐えられる人もいない。
仕切りなおせば、いずれここで平気で話せるのかもしれない。
けれども、いまの自分にはトラウマがすごいので。
それを思いやれるほど無視できる人もここにはいない。
それだけせちがらい状況に耐えられるほど強くない。
これほど他人にいじめられたら普通は耐えられない。
それほどに当事者にしてみれば精神的ショックがすごい。
684 :
369:2005/07/03(日) 07:20:22
それがわからない人もいるというか、
まあ他人の悪口をいう気にもなれない。
無視してもらうしかありませんよ、ここは。
自分がいくらこれを背負おうとかこれを邪魔したくないとか、
どうじたばたしたところで逆効果にしかなりませんから。
それはわかるでしょう。
自分はそういう器もないし、他人の期待は背負えない。
はっきりいって、真摯な人につめよられても、
けっこう残酷なものがありますよ。自分は万能じゃない。
だからもう自分になにか責めるのはやめてくださいね。
関係なかった勘違いでしかなかったんだから。
685 :
369:2005/07/03(日) 07:25:00
はっきりいってけっこう残酷なものを感じてますよ。
それがわからない人が多いんですかね。
自分は万能な聖人君子でもなんでもないので。
それを向けられることがどれほど酷なことか。
はっきりいって、そんなにすぐにはそこまで言われる
ほど人間は完璧にはなれませんよ。
そういう人って言うのはなかなかいないはず。
自分と入れ替わったらその人はどれだけ対応できるのか?
そう思ったら、もっとこっちの気持ちもわかりますよ。
自分はもうこれ以上に責められるつもりもない。
けっこうしんどいですよ。忘れてくれませんか。
もう来ないので頼みますよ。祈るしかありませんよもう。
686 :
369:2005/07/03(日) 07:29:45
ここはますます他人を追い込むような考えない人が多い。
結局自分は自分ですから。
それをどう言われても、やっぱり簡単に他人は生きられない。
それはどうしてもわかってもわらないと?
それでもまだ責められるというのか?
他人の価値観はあるのだろうが、いくら言われても
それを真似できるかというと難しいでしょうが。
万人が簡単に自分を真似できると思っている人がここは多い。
自分は無理は出来ませんから。
はっきりいってほんと、ここにきてから脱線しただけすよ。
それまでがいかに自分を見失わなくて普通だったか。
687 :
369:2005/07/03(日) 07:35:17
自分はどう言えば満足なのかもうわかりませんから。
自分は自分、それしかできないのでしょうがないでしょう。
そしてそれは、これとは関係なかった。
ちょっと無理して調べてあげただけですよ。
ボランティア的だった。
それだけでも十分他人への貢献ではあった。
そして自分はもうそれで済んだし十分だった。
自分は「これについては」媒体でした。
自分は自分を見失ってたので、元に戻ります。
ここまで書いてもまだなにか理解できないひとがいるのか?
もうはっきりいって人間不信、悪口は聞きたくない。
自分はなんとか立ち直って軌道修正することしかかんが得てない。
自分はなにかの矛先にされてほんとしんどかった。
陰口とか聞かされたくもなかったから。
688 :
369:2005/07/03(日) 07:41:28
自分はもうこれ以上、自分の生き方について否定されたり、
人格否定なり、そういうものを聞きたくないわけだ。
だからプライベートも書きたくないっていっているのに、
あなたは誠実じゃないとか言うわけでしょ?
それはもう、それを考慮しないとしたら、虐待ですよ。
ものすごいイジメに遭ってると表現していいはずですから。
まあ同情してもらうつもりもないし、恨みませんから。
自分はここまでしつこくつきまとわれるとは思わなかったので、
ものすごく不気味に思ってるだけです。
自分は普通なので、ここまで他人にくるわされたくない。
はっきりいって現実的なものにもノータッチですね。
今回のことで、そういう責任的なものに怖気づいてしまったし。
自分は自分なりの成長という努力はありますから。
それを否定されても、自分は自分を生きるしかないし。
そういう辛らつなものに自分は耐えるしかない。
689 :
369:2005/07/03(日) 07:48:46
はっきりいってこれはいじめに近い。
個人情報を要求詮索されて陰口になってるわけですから。
それがあってかなり苦しめられたわけで。
ここまでのことができる人もいるんですね。
いくら傷ついたとしても、自分はもっと傷ついてる。
いまはもう、そういうことに傷心して、
なんとか周囲の悪口がどうにかならないかなと思ってるが、
いくら経っても無視してくれないし、
誠実じゃないと個人情報をおどしてくる感じでもあるし、
もう考えれば考えるほどひどい人たちばかりだこりゃ。
現代社会もここまできたのか・・・・。
自分はもっと穏やかで平和的な人間ですから。
そういう人はこういうところにこないほうがいい。
すべてにすべて、傷つくことになるから。
690 :
369:2005/07/03(日) 07:56:53
ここは他人の気持ちがわからない冷徹な人は多い。
自分もそういう風になってましたけどね。
こういう他人にあくまでもしつこくつきまとって悪口いうより、
無視してくれて、自分を高めたほうが理想的ではありますけどね。
自分はほんと、ここでひどい目にあったと思ってる。
それについて他人をうらむつもりもない。
もうすべて、忘れるつもりなんだ。そうでないと耐えられないから。
ここでこうかいていることにも責められるつもりない。
おまえは逃げるのか、とか勝手に勘違いされたくもない。
自分には自分の道があるだけだし、
ここでこれ以上、他人にかまわれても、処理できないし。
691 :
369:2005/07/03(日) 07:59:56
よほど注目されて異常視されたことだけが失敗だっただけ。
まあ煽ることとか刺激をすることはするもんじゃないですね。
はっきりいって甘く見てたし舐めてた。
他人の目を気にせずに好き勝手やりすぎてたのは認めてる。
けれども、ここでそうなっただけで、普通だった。
それほどにここでのこと狂わされたものはあった。
それ以外になにもありはしないのに。
ほんとそれがわからないひとがどうかしてる。
ここに書いたことも、そういうひとたちにこまったことだった。
692 :
369:2005/07/03(日) 08:02:59
自分は自分でそんなに問題もなかったし普通だったわけで、
そこまで悪口いわれることもないですよ。
そういうものがあるとわかって、
自分はもうこれもふくめて邪魔することしかできないとわかって、
もう自分をここではもてあましているだけですから。
自分ははっきりいってこれに関係ないし、
その関係ないことについて、責められるつもりもないし、
あれこれ関係ないところまでネタにされるつもりもない。
ほんとこの掲示板の周囲を読むと、
ここに対してそれだけの反応なり悪口がかかれるんですよ。
693 :
369:2005/07/03(日) 08:06:00
それを読めば、こっちがこれだけ書くのもわかるんです。
まあ、いくらなんでもここまで書くと、
どんどん自分が異常に見えて、そういうことが正当化されてしまうんで、
もうここには来ませんけど。
はっきりいって、こうやって他人を気にすることすら病理かするでしょ?
それは、まさにそういう人の悪口に巻き込まれたからでしょうが?
いちいち異常視する人がいるが、
自分が原因になってると自覚したら、そこまで思わないもんですよ?
それはすべて、ここに巻き込まれたからなわけで
もうちょっと客観的に見たほうがいいですよそういう人は?
自分は十分、そういう人たちに苦しめられてます
そしてこんなに注目されると思ってるほど、
そんなに自覚があったわけでもないんだから・・・・
若気の至りって自分でもこわい
694 :
369:2005/07/03(日) 08:08:58
まああんまりここやって偉そうに書くと、
自分が一番偉いと思ってるんだろ?とか言われるんで、
はっきりいってここの異常な状況でこうなった・・・
どういう態度をとっていいかわからないわけでね。
他人がじろじろ監視してあちらこちらになにが異常だとか、
理由なり原因探しをしているかと思う、
まさにそのことに原因があるだけでして。
自分はそれをわかってもらって、
いいかげん忘れてもらいたいだけで。
まさかこんなことに巻き込まれるとは思わない。
被害者ですよ、自分は。
それを同情してもらって、いいかげん忘れてもらうしかない。
695 :
没個性化されたレス↓:2005/07/03(日) 08:11:15
「いくら経っても無視してくれない」って、
お前が無視して出ていけばそれで全て終わりだろ?
自分から書いておいて、それが批判されると被害者だあ?
被害者意識、自意識過剰もたいがいにしろ。
369のこの行動はもう充分にスレ荒らしだな。
369は人格的にも問題あり、という判断をしても、すでに決めつけという段階じゃない。
まあ、369が書けば書くほど、
「トランスパーソナル心理学にはパーソナルな問題を解決してない人間が多く集まり、
パーソナルな問題の言い訳にそれを利用している」
という公然の事実が、ここでも明らかになっていくだけのことだ。
俺はそれでいいんだけどさ。w
696 :
没個性化されたレス↓:2005/07/03(日) 08:12:13
まあ、ちょっとまとめると、
アートだの文学だので済むなら、トランスパーソナル心理学は最初からいらないんだよ。
霊性とひとことで言っても、その中にはいろいろある。
ただ単に混乱しているだけのもの、自己中心的なもの、悪意のあるものから、
創造的で高い境地のものまでがある。
その区別をきっちり行い、問題のある状態を見分け、
よりよい方向に霊性の発達を持っていけるような方法を考える、
それがトランスパーソナル心理学の本質的なパラダイムだ。
俺はそこをずっと指摘しているわけだな。
対して、アートだの文学だのは、必ずしもこの区別をつける必要がない。
ただ単に耽溺しているだけでも成りたつものなのさ。
ロマン主義的なものの最大の問題点は、ウィルバー的な観点で言えば、
単なる破壊的な非合理と、創造的な衝動との区別が曖昧なまま、
両者を一緒くたに評価してしまったことだ。
ロマン主義的な潮流がナチスに結びついた真の理由もここにある。
ロマン主義についてちょっと尋ねてみたのも、
このへんのことをどこまで意識してやっているのか判断するためだったが、
369は結局は「時代による」みたいなことしか言わない、つまり、
今現在も問われるべき問題として考える意識がないことは明らかだった。
369は、ただ単に混乱してる。そしてそれを正当化している。
これがすべてでしたね。
さあ、こんな人はおいといてトランスパーソナル心理学の話をしましょう。
369は、自分の宣言通り二度と来るなよ。
697 :
369:2005/07/03(日) 08:13:24
はっきりいって、自分は巻き込まれただけで、普通。
そんな最初からなんでも用意できてる人もいない。
そんなに偉そうな態度も、ここ以外の掲示板では
取ってなくて、とても丁寧に応答できてるわけで。
ここだとどうも他人が異常視する期待に応じるかのように、
こういう防御的に裏目のあることしか書けないんですね。
これは不思議。
それだけここの掲示板の人が意地悪で、
自分もそういう意地悪に意地悪くなってるんです。
なんか他人の態度で人間の態度って対応
してるんですかね?それほど状況に依存してるのか?
そういう意味ではこういう異常な状況でこうならないほうが
おかしいんです
じぶんはもうむやみに、こういう状況にはまりたくない
まさかこんなになるとは思わなかったから
だから、自分の宣言通り二度と来るなよって。
699 :
369:2005/07/03(日) 09:30:33
>>696 >よりよい方向に霊性の発達を持っていけるような方法を
>考える、それがトランスパーソナル心理学の本質的な
>パラダイムだ。俺はそこをずっと指摘しているわけだな。
そこまでわかってる人がやってくれることを祈りますね。
そういう人はいないと思ったから。そこで擁護しようという
気持ちばかりが焦っていた。自分はまだ、こういうものに
ついてはあまり批判的には弱かったし、性格的にも甘く
見やすいところはあったのかもしれない。どうしても、
厳しく見るべきところでも、厳しく見れないところがあった。
それだけまったくの無理解だと思っていたから、とにかく
擁護しようという気持ちが強かった。最初から、あなた
くらいの理解者がいるとわかったら、きっとここまでの
無駄なこともなかっただろう。それほどに、まったくもって
否定的な風潮に焦っていた。それで、そうものに対抗心
があったことで、冷静になれなかったのが原因だった。
自分は被害妄想があったのか、そうした状況に立ち向か
わなければならないと、なぜか思い込んでしまったのかも
しれない。こういうものに下手して関わってしまったせいか、
とんでもないものに関わってしまったもんだと後悔したり
混乱してた。でもそれはすべて自分の思い込みだった。
700 :
369:2005/07/03(日) 09:50:17
思い込みが思い込みを呼び寄せていた。パニックに陥って、
自分はどうにかしなければと思ったが、どうにかするほど、
どんどん逆になっていった。自分はこういうものへの
無理解によって被害妄想が強まってた。だからあなた
くらい理解のある人がいれば、こういうこともなかったと、
いまは思い直してる。それほどに、つまらないことで
こだわって、つまらないことにとらわれていたようだった。
自分は混乱してはまり込んでしまったのがすべてだったし、
それを引っ込みが付かなくなってそのまま正当化もしてた。
はっきりいって自分が守らなければおしまいなんだ、
くらいに焦ってたからだ。けれども、これをまともにしよう
という人が自分以外にここにいることがわかったので、
それがすっかり冷静になれてきた。自分でも後悔してるが、
あなたにいま言われてそういう落ち度を認めるしかない。
701 :
369:2005/07/03(日) 09:50:53
>トランスパーソナル心理学の話をしましょう。
ということで自分はここまで疑心暗鬼が増していたばかり
だったが、ほんとにこれに対する理解者がいることが確認
できたことで、それで気が済んだ。それほどに自分しか
これを理解し守るものはいないんだと、危機感を持ってた。
はっきりいって、他の人は、これを撲滅しようとする、
そういう敵にすべてが見えたし、そこから擁護しないと、
地球の未来が滅亡するくらいの必死さで勘違いしてた。
そういう人は依然いることだろうが、それほどに、危機的
状況を思い込んで、自分が背負おうとしてたようだ。
そのために、とにかくどうやってでもなんとかこれの正当性
を認めさせよう、という気持ちが先立ってた。そのために、
色々と無茶な説得法をあれこれ思いついては見せてた。
どうやったら信じるか、どうやったらまともに見えるか、
どうやったら気に入られるか、小細工をひねくりだしてた。
幼稚で、無駄なことだった。それほどに勝手に危機感を
思い込んでしまった。そういうわけでもうまともな話を邪魔はしない。自分はとに
かく、悲観的な疑心暗鬼にさいなまれてた。被害妄想で、
人間不信におちいってた。このままではおしまいくらいに。
でもそれはきっと、思い込みで、被害妄想が多かった。
幼稚な発想に囚われてた。
あなたの書き込みでもうこない。
702 :
369:2005/07/03(日) 10:02:35
自分はこれに関わるかわからないが、ここでとんだ、
邪魔と迷惑しかまきちらすことはできなかった。
とんだ、醜態をさらしたといまではおもってる。それ
ほどに、余裕が無かった。焦燥感にとりつかれてた。
でもいまは、なにもかもこだわらなくなった。
自分が自信で問題を呼び寄せているところもあった
からだ。それが解決して、言い訳もすることなくなった。
だからもう、こないことができそうだ。
ついでだから、最後まで書きなよ。
>自分はそういう
>ニューエイジ風?に染まりかけてたのかもしれない
>そういう危ない落とし穴はあるとおもってる
>こういうものは中途半端にかじったりはまってしまうと
>あまり得るところがないところもある
きみは、もう十分染まってるんだよ、落とし穴にはまりこんでいるの。
クリエイティヴ、悪意、邪気、アート、心理学、
すべて、一般的に通じる意味ではない一部の小さな世界でしか通じない意味での
特殊なイントネーションで言ってるのであって、
その意味合いをここに持ってきても、通じないのは当然なの。
はまりまくって、全てをその世界観で見てしまっていて、
君や君の好きな本に書いてある「真実の世界の姿」の解釈を、
そのまま言ってるだけで、
外の世界では、それは通じないことに気付いてないの。
アートも「すべてはアート」本で書いてあるままを、
そのまま受け売りで言っているだけの特殊な世界でしか通じない意味であって、
本当に芸術家がどうやって、
どういう思いで作品を作っているのか解っているのなら、
そう軽々しくアート、アート、とは言えないだろう。
ファインアート的とかわかって言ってるなら、
現在のニューヨーク、ソーホーあたりでどういう動きが起こっているか、
知っているはずだが、何も知らないだろう。
理解してるなら、今みたいな文章を書くはずない。
アート、アート、と言いたいなら、
少なくとも、新日曜美術館を毎週続けたうえで言え。
706 :
369:2005/07/04(月) 05:05:30
>>704 あなたの言っていることこそ、
どこかきな臭い観念にまみれていてよくわからない。
よほどあなたは、こういうものにはまりがちな
ニューエイジとやらのコンプレックスなりをこれまでの
経験則から蓄積なり形成してきているらしいが、
そこまで単純でもない。そういう本は、読んだことが無い。
ここはあなたのような人の目があって、その餌食に
なりたくないから、鼻から真面目に書いてないんです。
これはむしろ、そういうのを先読みして「つくったそぶり」
ですらあって、べつに現実と対応しているわけじゃない。
わざと、こんなもんだろ?とふざけてやってるところは
ありますよ。ああせよこうせよと、余計なおせっかいで
指図されたくないだけですよ。
いずれにしても、もうこない、といえば十分だと思う。
ほんとのプライベートをネタにされるつもりもないし。
それではいいかげん、失礼いたしますよ。
もうアートとか、ここに関係ないこと書かないでください。
迷惑かけたことももうあやまってます。
それでは。
707 :
369:2005/07/04(月) 05:27:41
これは、若気の至り、といえば十分なものだったと思う。
これ以上、世間の暇な人につまらない詮索されて、
足を引っ張られるほうが、むしろ迷惑をかけるものになる。
ネット上での人間関係に、いちいち情を残したところで、
その人の自己満足でしないわけで、まったくしょうもないし、
もはや、こういうものにかまけるお節介の問題だと思う。
自分はこれをきりに、ネットは卒業しますね。
あまりネット上のことなんかにこだわったりかまけてしまって、
自分の時間を浪費しないほうがいいですよ。そこに期待なり
幻想なんて抱いたって、しょせん現実とは違い無駄でしかなく、
簡単に裏切られるものでしかないんだから。ここの人は
よっぽど、ネットが自分に占める割合が大きいと見える。
自分はそこまでいちいち没入なり感情移入してない。
もっとネットテキストでなくて、自然とかに眼を向ければ、
他人の些細なことがきになったり、ケチつけないだろうし。
まあ、もうこういうつまらない迷惑をかけるつもりはないのだ
から、そういいさえすれば、これで十分でしょう。それで
満足しないのがどうかしてる。
708 :
369:2005/07/04(月) 05:55:54
あんまり自分の手に余る余計なことを考えたり、
他人に気を取られないほうがいいですよ。
そういうものは、なにより自分に損になります。
自分はもう、気持ちを切り替えていくので、
邪魔しないでください。ここももう、見ること無いでしょう。
迷惑がかかることもありませんから、ご安心を。
個人的には今回のことはすべて忘れます。では。
709 :
369:2005/07/04(月) 06:36:29
自分はあまり他人に自分の価値観を押し付けたり
余計なことは言わないですね。
その人に合わないものだったら責任取れないから。
そのせいで逆切れされてもこまりますしね。
面倒の元になる。そういう意味では、
これもよほどやりたい人にしかおすすめしませんね。
なにごとも、その人に合わなければ悲惨になる。
それを他人がどうこういいすぎも、面倒の元になる。
自分は自分で見極めてるし、
それを他人にどうこう言われるわけにもいかない。
それに下手に影響を受けたことで、
あとあと他人のせいにしたくないからだ。
それでは。
>>710 おまいもしつこい。もうそういうのはやめとけ。
来ないって言っているだから。
>あなたの言っていることこそ、
>どこかきな臭い観念にまみれていてよくわからない。
>よほどあなたは、こういうものにはまりがちな
>ニューエイジとやらのコンプレックスなりをこれまでの
>経験則から蓄積なり形成してきているらしいが、
>そこまで単純でもない。そういう本は、読んだことが無い。
それは、お前がものを知らないだけだろう?
ケン・ウィルバーは元ニューエイジムーブメント
(カウンターカルチャー同義)のリーダーとされていた人物だし、
現在トランスパーソナルに関わっているメインの人間も、
元々1970年代前後にはニューエイジムーブメントに
関わっていただろう。
ニューエイジムーブメントはケン・ウィルバーの
語っているように、情報化社会到来のある意味勘違いだった。
その後、ニューエイジ運動をしていたメインの人間は
トランスパーソナルに移り、ニューエイジには残りカスが
残った。
トランスパーソナルにとってはそれは恥部であり、汚点でも
あるので、それらが語られることは無い。
しかしトランスパーソナルの周囲には絶えず、
ニューエイジ思想の影がまとわりついている、
必然的に ニューエイジ的=前個的 なものになってしまうわけ。
トランスパーソナル的なものに興味を持った人間は、
まず、トランスパーソナル周囲に群がる一見手軽に見えるものに
最初に安易に手を出してしまう。
ソシアルダンス入門などと違ってそれが決定的なミスになる。
それらは、ねずみ講や新興宗教などで使用されている、
暗示や心理誘導(洗脳)などの手段と同じものが
使われているからな。
厄介なことに最初に出会ったものを正しいと思い込んで
しまうんだな、それらの方が安易で気楽で、
今までの自己中で我侭な自分のままでいられるからな。
それらが自ら自分を「ニューエイジである」と自ら語るものは、
今どき少ないだろう。
社会的な問題を起こす宗教団体の多くがそれらの流れにあることは、
自ら解っているんだし。
お前が読んでる50冊の本の中にも、ニューエイジ的なものは
あるわけだ、
しかしそれを区別する認識眼は、お前にはないだろう?
なぜなら、それらの持つ思考パターンや言葉づかいに
非常にお前が影響受けているのが見えるのに、
その影響を否定する、それがまさに罠にはまっている証拠。
もし、ここの文章が全く演技であるなら、お前は凄い才能の
持ち主だよ。
わざわざ胡散臭い言葉を、胡散臭く語り、自分の嫌がっている
観念そのままを、今まで触れたことも無いのに、自ら創造する。
その才能があるなら、トランスパーソナルの旗手になれるな。
普通の奴なら、真面目に書いても真面目に書いてなくても、
こいつヤバイと思われるような表現ををわざわざ好んで
使わないからな。
で、今まで 全てはアート アート
とさんざん言ってきたのはお前だろう、言った言葉の
責任くらい持て。
>自分はもう心理学にそういうアート的な
>ものを期待すること自体が間違っている、と思うことにした。
>もっとアート的なものなだけだったから。そしてそれも、
>心理学に向けるものではなかった。
>自分はここにくるまでアート系では普通だった。
書けば批判される事を思慮無く書いてしまう事が前個的だと
言われてるだろう。
ものを知らずに書けば,批判されて当然、
普通は知らないものの前では、謙虚な態度でいるもの。
それを安易な手段(安易で手軽な本)で知ったつもりに
なってるから、批判される。
幼児のように机にぶつかって痛いと喚いても、
机が悪いんじゃないの、自ら歩いてきたお前の責任なの。
つまにここから逃げて、逃避して行き付く先は、
トランスパーソナル周辺の前個的な集団
(ニューエイジ的グループ)しか無いだろうと思うだけだ。
まぁ、お前がそれで良いならいいが、
固まれば、もっと頑強に妄信化していくだけだから、
お前が新事態のは宗教なのだから、
関係無い場所に顔出して、迷惑かけることをするな。
日本には、信教の自由はあるが、布教の自由は無い。
>自分はあまり他人に自分の価値観を押し付けたり
>余計なことは言わないですね。
ここでさんざん自分の価値観押しつけておいて、
それはないだろ〜w
50回以上「もう来ない」と言い続けて、
それを信じる奴などいないだろう。
>>714 もうほっといてやれよ。これだけ他人に罵倒されたら、
誰だってそうなって無理も無いところはあるぞ。
考えてやれよ。やつの気持ちも理解できないではない。
他人がそこまで決め付けるもんじゃない。
これ自体、あんまり興味あるわけでもなさそうだし、
やつはどう見ても、なんも知らなかった普通のやつ。
周囲が注目するからって、適当に書いてただけさ。
もう忘れるって言ってるんだし、
そうやって決め付けて責めたところで意味無いだろ。
だからやつも怖気づいて、だらだら続いてたんだろうしさ。
それだけのことじゃんか。
もうやつに迷惑かけたりいじめんな。
俺はやつに同情したよ。どう見ても普通のやつ。
あと、他の板になら、ああいうやつはいっぱいいる。
それに比べたら、たぶん知らないに等しいんじゃないかな。
やつはおっちょこちょいで、ここに書いたから叩かれたわけw
イレギュラーは弱みを見せると叩かれる、
これはなんでも同じ。
やつはもう見てないかもだが、
まあ、次からはそういうニューエイジ系のことは素直に、
オカルト板なり、癒し板なり、
人生相談板なり、占いいたなりに書くこったな。
ローカルルールにあるとおり、ここは学問板だから、
参加するならそれなりの専門知識が要求される。
単純に場所をわきまえないから、
隙があればそこを突かれてこう叩かれるわけ。
やつにはまだまだ早かったってこったな。
そういうことをいちいち言って止める、
そんな親切なやつもいない。
間の抜けたやつは見世物になっていじられるのがオチ。
それが嫌だったら、
今度からは周囲の様子から自分で気付くようにすることだ。
その場に適した話題なのか、きちんと場の空気を読む。
言葉足らずでなく、相手と普通にコミュニケーションを取る。
そういう基本をきちんとやれていないから、
叩かれるだけのことだ。
今回はさすがにやつからすれば無理のあることで、
同情してやるところはあるが、
やつはやつでまだまだあまりにも幼稚で未熟すぎる。
もし読んでたら、これに一度でこりて、ちっとは成長しろよ。
まあ、十分にこりてそうだけどな。
まあ、この板も、
夢分析だかエニアグラムだか、
スピリチュアルカウンセラーだか能力開発だかと、
今もそういうスレばっかり絶えず立ってて
上がっている状況があるわけで、
やつだけ言えない状況なんだけどな。やれやれだ。
俺は半ば諦めの心境にもなっているけどね。
まあ、心理学といっても、
中には胡散臭くなりやすいものもある。
だからみんな危惧するところはあるわけだ。
特にここは学問板だから、
一般にイメージされるものとは違う。
それなりに詳しい専門的な人が多いわけで、
不勉強で混乱があるなら、当然口を出す人もいる。
これからは注意すること。
723 :
没個性化されたレス↓:2005/07/05(火) 06:30:21
ん、今度は自演か?
ちげーよw 別人。
>>696 >ロマン主義的な潮流がナチスに結びついた真の理由も
>ここにある。
そいつじゃないが、それは因果関係として
なんら根拠が示されておらず、強引な結びつけ
といわれて仕方ないんじゃないかな。
臨床上の問題と、それ自体の有効性は、
その臨床のなかで評価されるべきもので、
そういう拡大解釈した言い分は、
ともすると何でも都合のいいように印象操作できて
しまうので、あまりフェアではないとは思う。
そういう歴史を指摘して不安感を煽るだけでは、
それこそ心理的諸問題の解決にはならない。
きっちり分けるべきではないかな。
例えば、ユングがナチスに協力してユダヤ人迫害に加担した
なんてことは、明らかに誤解だ。
この点は、ユング自身が「バーリー博士に応える」のなかで
弁解しているし、それは、
バーバラ・ハナ『ユング、その生涯と仕事──伝記的回想』、
アニエラ・ヤッフェ『ユングの生涯と仕事から』が
詳しく論じていることで、それはわが国でもすでに、
平田武靖、河合隼雄らによって紹介されてきたことだ。
誤解のきっかけとなったのは、
クレッチマーがヒトラーに反発して降りた『精神療法中央誌』
の会長をユングが引き受けたことで、
バーリーにいわば加担者だと因縁を付けられたからだが、
「バーリー博士に応える」でユングが述べているように、
会長の職に就いたのはユダヤ系医師を救済するためで、
実際に彼は、そのためのさまざまな努力をしていた。
ユングは自分の名誉のためにクレッチマーを追い出し、
ナチスの片棒を担いだなどという疑惑も、
当時の時点ですでに国際的名声を博していたわけで、
ユングにはなんのメリットもなかったことだ。
『中央誌』へのナチス・マニフェストの掲載も、
ユングの眼をぬすんでなされたことだ。
このことは、日本のユンギアンは、
それなりに反論してきている。
むしろ逆に、大きな注意をしなければならないのは、
反ユダヤ教の政策によって生じてきた、
デマ・プロパガンダ・偏見・ステレオタイプの類なのだ。
ユダヤ人へのホロコーストは、
第二次世界大戦時のときだけではなく、
それ以前にも、ロシアなどで、何度もあったことだ。
そもそも反ユダヤ主義とは、
プロテスタントの宗教改革者ルターが確立したものだ。
ちなみに、オーソドックスな「心理学」という言葉自体は、
ルターの協力者であったメランヒトンが造語している。
ヒトラーは、反ユダヤ思想を利用して、
ユダヤ人迫害を行ったわけだ。
『ローマ教皇とナチス』によると、
ナチスが勢力を拡大していく時代、
ローマ教皇だったピウス11世は、熱心な親ドイツで、
ナチスのユダヤ人ホロコーストを知っていながら、
決して公然と批判することはなく、
終戦後もユダヤ人に対して謝罪をすることがなかった。
彼が批判していれば、
ナチスもやめざるを得なかったかもしれない。
なぜ世界中の教会が強く要望していたにも関わらず、
ローマ教皇は沈黙してしまったのか、と書いてある。
第二次世界大戦後、ローマ教皇は、
こうした反ユダヤ主義の責任の一端が
キリスト教会による煽動にあると認めて謝罪し、
イスラエルの主席ラビと和解している。
一方、プロテスタントは未だに謝罪していない。
第二次世界大戦後、ローマ・カトリック教皇は、
「これは私たちの責任です。
なぜなら私たちが、ユダヤ人への憎しみを教えたからです。
私たちだけが真理を持っていると言って、
ユダヤ人を排除しようとしたことが間違いだったのです」
と、言った。
先日亡くなったヨハネ・パウロ二世も、
イスラエルを訪問し、ホロコースト記念館に行った。
そこで、教皇は初めて、
ユダヤ教会堂の中のユダヤ人を前にして、
「皆さんは私の兄上です。昔も今もそうです。
そして私たちは同じ家族の一員です。」
と言い、その上で、正式に過去のカトリック教会の
ユダヤ人に対する態度を謝罪した。
「あなたがユダヤ教を信じるのもカトリックを信じるのも
自由です」
このように、キリスト教でもカトリックのほうは、
最近では割と柔軟で、積極的に宗教間の対話を
繰り広げていて、間違った過去を反省し、
優れた宗教に育ってきている。
世界平和を探る上で、宗教間の共存は不可避だが、
カトリックとユダヤ教はうまく共存している。
もともとユダヤ教は改宗を迫ることもないし、
他の宗教と上手く共存することはできるのだ。
その意味で、やや選民思想なところがある以外、
そんなに問題のある宗教ではない。
問題は、キリスト教でもプロテスタントのほうで、
ユダヤ人に謝罪を表明したことがなく、
ユダヤ教排斥の動きがいまだにある。
というように、ロマン主義の注意点はあれ、
そこでナチスの問題をあげつらうということになるなら、
むしろもっとほかの、無数の切り口がありうるわけだ。
そうである以上、部分だけをあげつらうのは、
フェアではないというわけだ。
>>725 >そいつじゃないが、それは因果関係として
>なんら根拠が示されておらず、強引な結びつけ
>といわれて仕方ないんじゃないかな。
ドイツ・ロマン主義とナチズムとの結びつきは、
すでに歴史家の間では常識的な事柄だよ。
これを指摘する資料は数多くあるはずだ。いったい何を言っているのか?
ユングとナチスにしても、あなたの参照している研究は一時期前のもの。
ユングのナチスへの直接的関与は否定されているが、
近年では、ユングがナチスへの心情的な親近性や
ユダヤ排斥感情を一時期持っていたことを示す内輪の証言も出てきて、
ユンギアンの中からもユングの行動に対する批判が出るようになっている。
「フェアではない」などと言うほうが、歴史的事実に対して甘すぎ。
ロマン主義とナチズムとが現に結びついた以上、
その関連について徹底的に考え抜くことは重要なはずだ。
「悪い奴はもっと他にいるじゃん」みたいな責任逃れをするべきではない。
ナチスの心理みたいなことは、むしろ、
ユング研究者の林道義が「心の不思議を解き明かす」で
ユング心理学の元型による補償作用によって、
説明を試みたりされているようだ。
それによると、
当時のプロテスタント的なところに問題があるようだ。
むしろ、ユンギアンの本を読むことによって、
的確に指摘しうるところもある。
詳しいことは、「心の不思議を解き明かす」を読むといい。
>>730 そういった歴史の表面を選択的にあげつらうのでは、
どのような切り口でも語れてしまう。
むしろ集団心理を徹底的に考え抜かないと、何も語れない。
『心の不思議を解き明かす―ユング心理学入門』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569617069/ この河合氏とともに代表的な日本のユンギアンである、
林道義氏の著作を読まれたい。
ユングは、ナチスのような妄想に人々が熱狂するのは、
人間が持つ元型的イメージのなせる業であるという。
「毒には毒をもって征する」という言葉もある。
ロマン主義的なものは、むしろ、
ユング心理学を適切に知ることによって克服できる。
>>731 その本はとっくに読んでいる。
ユングによるナチス研究は、専門のナチス研究者の間では無視されるか批判されている。
それこそ、「ユングの指摘は事態のほんの一面にすぎない、
それでナチスを理解するには無理がある」ってね。
「ユンギアンの本を読むことによって的確に指摘しうるところもある」というのは
ユング派の自己満足にすぎない。
おかしな擁護をせず、もっと事実をきちんと見つめるべき。
>>732 >そういった歴史の表面を選択的にあげつらうのでは、
>どのような切り口でも語れてしまう。
>むしろ集団心理を徹底的に考え抜かないと、何も語れない。
「歴史の表面を選択的」?
繰り返すが、ドイツ・ロマン主義とナチズムとの結びつきは、
すでに歴史家の間では常識的な事柄。何が選択的なのか?
ナチス研究の専門家にしてみれば、ユングのナチス集団心理の研究こそ、
事態の一面を極端に肥大化させた理解であり、選択的な内容なのだ。
トランスパーソナル系の擁護者ってのは、
どうしてこうも事実を無視した選択的持論を言いたがるのかね?
>ロマン主義的なものは、むしろ、
>ユング心理学を適切に知ることによって克服できる。
そう簡単な話か?
ユング心理学が、ロマン主義の問題点の克服に役立つとしても、
それだけで克服できると考えるのなら、それはユング心理学の過大評価だ。
>>735-736 おっ、確かにいま読んでみたら載ってるね。知らなかった。
http://www.spinavi.net/ あとここで色々と、スピリチュアル研究についてリアルタイムで更新されてくるので便利だった。
かなりオープンに開かれてて、盛り上がっているみたい。
このサイトは、「宗教と社会」学会(
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jasrs/)のプロジェクトとして、
「スピリチュアリティ研究」というのが立ち上がってて、それと関係あるのかな?
ここからも、それと関わっている、とても有用なサイトに辿れるみたいだが。
いずれにしても、ここにきて、かなり表立って大量のスピリチュアル研究が噴出してきた感じだなぁ。
宗教学や宗教社会学あたりから、「スピリチュアリティ」をタイトルにした研究の本がかなり出てきつつある。
そういう時代の流れが出てるんだなぁ、と思ったよ。
まあ、あいつがいなくなったので、ここも健全になりそうだよ。
>>738 いまちょっと読んでみた。
ネット恋愛とか、漫画バガボンドとかが、
スピリチュアリティの観点で語られていたのが興味深かった。
宗教社会学だとこういう研究がやれるのね。
しかし、霊性もついに、ここまできたかぁ。
かなり自由に語れるようになってきたように思う。
霊性って、なんなんですかね?
自分にはまだちっとも実感がわきません…(^^;
まぁ、でも、そういう流れってあったんですねぇ…。
まったく知らんかったです。
そういう概念って自分には目新しいんで、
こんなのあったんだ、ってまだ聞きなれなくて…。
これだ!って実感されうるものなのだろうか。
どうやら、そのようなもののようですね。
743 :
没個性化されたレス↓:2005/07/07(木) 15:44:36
ケン・ウィルバーってどうよ?
744 :
没個性化されたレス↓:2005/07/07(木) 15:47:42
インテグラルVSトランスパーソナル
親子対決。
746 :
没個性化されたレス↓:2005/07/12(火) 19:49:50
冷静。
747 :
没個性化されたレス↓:2005/07/13(水) 01:37:04
トラパー信者って恥ずかしくないの?
748 :
没個性化されたレス↓:2005/07/14(木) 01:37:07
トランスパーソナル心理学の安藤先生について教えて下さい!
749 :
没個性化されたレス↓:2005/07/14(木) 13:13:16
マジ頂上体験とか言って恥ずかしくないのか?www
747=749
751 :
没個性化されたレス↓:2005/07/14(木) 18:58:44
どこでも言うやつは、恥ずかしい思う。
747=749=751
752 :
没個性化されたレス↓:2005/07/14(木) 21:59:46
頂上体験=宗教用語
それを学問(科学)に見せかけて使ってる詐欺師=トラパー信者
トラパー信者=危ないカルト宗教家
>>752 私の霊的判断(サニワ)では、
homepage3.nifty.com/yahoyorodu/
この方をおすすめしておきます。
この方を信用して、この方を入り口にするのが無難でしょう。
体験的にも、知識的にも、どちらでもわかったうえで、
かなり的確に率直に書いているところがある。
日本ではまだまだこういう人はほとんどいないということです。
かなりナマのことがわかっていて、それを書いてもいる。
知識でないあからさまな体験をしているらしい人のわりには、
稀有なまでに、一般的なバランスを保っていることです。
あきらかに、まともに体験をしてしまってるにも関わらず、
一般的なバランスを崩していないといったほうが正確か。
まともに体験をしてしまい、なおかつそれを書くというのは、
現代ではそれほど難しくエネルギーのいることになってます。
>頂上体験=宗教用語
>それを学問(科学)に見せかけて使ってる詐欺師=トラパー信者
たしかに体験自体は心理学とはまったく関係ないです。
どこまでも関係ないです。それほどに普通の論理や知識の理解が、
まったく役立たない。なんともならない。まったくだめ、
ということです。餅は餅屋。結局、霊性そのものを理解するなら、
ユングなんかも半端で邪魔になるなら、こだわらなくてもいい。
それほどに一般的な心理学はこういうものには役立たない。
日本にはもともとふんだんな霊的文化がある。
そういう宗教的なものを研究していったほうが自由でいいです。
結局、心理臨床なんかも、積極的にはおすすめしません。
知っている範囲では、人類学、医学、生物学者の人とか、
自然科学的なほうで、こういう体験をしている人が多い。
えてしてそういう心理学的でない方面の人にかぎって、
霊的に高いレベルの人もいる。
なまじそういう心理学と関係ないことやってたほうが、
余計な、雑多な、世俗的妨害が入りにくくていいです。
それほどに心理学の世界というのは、霊性には役立たない。
これは残念ながら事実なのでしょうがない。
また来たか?w
396キタ
心理学否定論者って考え方が偏っていてコワい人多いと思うんだけど気のせい?
あ、根拠なしスマソ…。
理系だと専門分野以外は無知であるとわきまえていて、
わからないものはわからないとはっきり言う。
そしてわかる場合は、
一般人にわかるよう相手がちゃんと理解できるように
中学生でもわかるとこから説明 してから徐々に本題に入る。
それも、むしろそうして説明することに
純粋な好奇心と興味を持ち、目を輝かせて語る。
一般人を馬鹿にして諭してやる、とか、
勝手に自分を他の専門なり理系の仲間に加えたり、
詐欺師みたいなことで煙に巻いたりはしない。
理系は本人が、何を研究しているかが問題になる。
そして、それを研究している研究者を評価する。
心理学では、個人の評価を心理学の評価であるか
のように一般化したり、勝手に専門外までをも
代弁してしまう傾向がある。これは明らかな錯誤だ。
心理学って、一般と特殊の違いを解からず、
一般人(その分野を専門としない者)に対して、
自分の専門分野でなくてもノウノウと話してないか?
精神分析にしても、それが専門の人を勝手に
自分に権限があるかのように代弁して、平気で偉ぶる。
そして、一般を馬鹿にして、優越感に浸る。
心理学の人って領域をわきまえず態度ばかりでかいから、
けっこう他分野の人から嫌われているよ。
何もそこまで云わなくても…。
理系も文系も仲良くシレ。
というか、
>>753-757 の頭が変なだけでは?心理学だけでなく他の分野の理解も無茶苦茶だし。
こういう方がちょっと心理学をかじって他の分野で「心理学から見れば」と、
言うから嫌われるんじゃないの?
>私の霊的判断(サニワ)では、
審神者(さにわ)とは、巫女の言動を客観的に判断する役割をする者を
言う言葉であって、
一人で独自に解釈したことを勝手に言うことではありません。
半端な理解で、聞きかじりの言葉を使わないように。
だから…、
>頭が変
とか云うなぁ!
「科学と宗教の統合」なんてマジ21世紀的でワクワクするような壮大なプロジェクトを論じる場なのになぁ…。
まぼろし追うなよ。
さあ、夢を語れ!
>>764 >頭が変なだけでは?
あんたに言われる筋合いもない。
>嫌われるんじゃないの?
心理学自体が他分野から嫌われているから、どうでもいい。
>一人で独自に解釈したことを勝手に言うことではありません。
>半端な理解で、聞きかじりの言葉を使わないように。
いいや、使うことある。大体あんたこそ何様なんだ?
だれがどう使おうが勝手だろう。そうやって専門外なのに
指示しようとする態度が傲慢だよね。
心理学自体は世俗的なので、まったく役立たない。
これは事実だから仕方ない。
766の言うとおり、「科学と宗教の統合」が基本テーマ。
トラパは「精神医学」と「宗教思想研究」の人が中心。
心理学はそこにおいて「口煩く妨害してくる存在」であり、
結局のところ「不要(邪魔)」な感があり、飛ばしていい。
心理学の傲慢的な干渉なり発言権なり専売特許から、
心を解放する「気分」がある。「野」にあってこそのもの。
あえて過激に言うなら、「日曜日ごとに教会で説教を
聞くという習慣を、神と直接遭遇しないようにするための
予防接種のようなものだと気付いた人びと」(by日本
ホリスティック医学協会副会長)が、内なる神を求め、
日本の禅なりに取り組むもの。
東洋系、仏教系なので、いちいち口うるさく口出しして
くるようなら、西洋の心理学とは無理して関係しなくても
まったくかまわない。
河合氏(ユング)も数学出身、ミンデル(POP)も物理学
出身、医学(理系)と仏教(文系)、おもしろいほど心理学
畑を飛ばした人に理解がある。口煩く邪魔してくる西洋
心理学を飛ばす気分が強い。
諸富先生も、教育学で博士取ってて、
臨床心理学からすると特殊な道は通ってるようだし、
専門外の教員とかにはうけているようだが、
アカデミックな心理学畑ではうけてない。
よくよく調べると、心理学とはあまり関係ない。
そういうイレギュラーで非主流なものだと理解し、
割り切るしかない。それでいいし、それが健全。
「住み分け」という発想。宗教文化の違い
のようなものと考えるしかない。
そういうものなので、アカデミックな心理学の中に
居場所を求めようなんてのが堕落の始まり。
これは心理学とついててまぎらわしいが、
仏教としての仏教的な(臨床)心理学なので、
普通の意味の心理学としてはまったくアカデミックでない。
臨床心理学というのも、ここではともすると心理学
でないと批判されるようだ。そういう定義からすると、
科学でも心理学でも、まだない、ということだ。
まだまだそこにこだわる風潮が強い以上、
よく知らずに無理して結び付けると面倒だということだ。
そこは誤解しないようにしておく必要もある。
これは臨床心理学と精神医学と仏教の中間のような、
非常にイレギュラーで特殊な位置にある。
まだこれが位置づけられる場所なんて存在しない。
これはこれ、まったく別個のモノ、と、思うしかない。
これはまだ同好会的なんだ、と認識すれば、
文句もでないだろう。
臨床ではあっても、普通の意味の学問でも科学でもない。
アカデミックではまったくないということだ。
心理学畑ではなく、教員にうけるようなものだ。
何度も繰り返すと、これは、ここの人たちが定義し、
あくまでこだわる狭い意味での、学問でも心理学でも
科学でもない、ということだ。サイコセラピー同好会
としか言いようが無いものと考えてもらうと、
まだ面倒が無い。そういう段階だということだ。
ここの人たちがあまりに意固地なので、仕方が無い、
ということなのだ。
772 :
没個性化されたレス↓:2005/07/16(土) 07:23:39
とはいうものの、来年の夏にやるらしい「第7回学術大会」
は、もしかしたら大きな意味をもつかもしれない、という
ことなのだ。
「国際サイコセラピー会議イン・ジャパン」という国際学会で、
トラパの顧問であられる、自律訓練法で有名な、佐々木
雄二先生を代表し、5日間にわたって同時開催されるのだ。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jatp/taikai07anounce.html http://www.the-convention.co.jp/06icptj/japan.html これは、日本心理学会、日本精神神経学会、日本心理
臨床学会、駒沢大学、WHO世界保健機関(予定)、
厚生労働省(予定)、文部科学省(予定)、が「後援」に
なっている、ものすごいものなのだ。
サイコセラピーに関わるありとあらゆるまでの臨床心理学や
精神医学の、トラパをふくむ、24もの学術団体が参加するし、
それこそ西洋と東洋、世界各地のサイコセラピーの関係者が
一同に集まり、諸学派間で学派をこえて対話される、
英語(通訳)交じりの、国際学会なのだ。
そこで、日本トランスパーソナル心理学/精神医学会をふくむ、
6団体のサイコセラピー系学会の、年次大会まで、やって
しまうということなのだ。そこでは、米国トランスパーソナル
心理学会の会長が、来日予定でもあるということだ。
まさに、「癒しの革命」「癒しの祭典」になりそうなのだ。
773 :
没個性化されたレス↓:2005/07/16(土) 08:40:25
>>765 >だから…、
>>頭が変
>とか云うなぁ!
文体とクセで状況理解しようよ、
そうやって餌を与えるから、ほら。
国際サイコセラピー会議
楽しみだね。
この分野の研究、誤解を恐れずに言ってしまえば、NASAの宇宙開発と同じくらい夢のある事業だと思うんだけど。
ニューエイジが、失った何かに気付く日が来れば…。
775 :
没個性化されたレス↓:2005/07/18(月) 04:21:47
天外伺朗、茂木健一郎 『意識は科学で解き明かせるか』
天外伺朗、瀬名秀明 『心は何処に宿るのか』 (近刊)
天外伺朗氏が
いろいろな自然科学系の人と対談して、
量子力学と東洋思想の結びつきとか、
散々言ってきてる。
大衆規模で、
「第二の河合」というに匹敵する役割を担っているし、
多大な影響を与えてる。
文句があるなら、天外伺朗氏にいうことだな。
115 :没個性化されたレス↓ :2005/07/16(土) 12:26:31
撒き餌を撒いて
釣られている自覚のないサルを釣るのが心理学板の楽しみです。
松永君はもうこないよ
>>778 トラパの諸富氏とも、インターネットTVで対談したことある。
天外氏は、ウィルバーに凝ってるらしく、
いろんなところでそれを紹介してる。
780 :
没個性化されたレス↓:2005/07/19(火) 22:30:05
量子論と深層心理を重ねて考えることが
ほんとに可能なのか?
論理的に破綻してないのだろうか?
天外氏の著作は実際の人生経験に照らされて
書かれていることもあり言葉に力があって、どの著作も非常に感動的で、読書体験としてはとても
充実した良質な時間を過ごせるんだけど、こと「論理」に関しては疑問を感じる。
ユングの共時性に対して無批判に受け入れていたり。
>>781 たしかにここは「謙虚」でないやつが多い。
掲示板で、どうでもいい御託ならべる暇あったら、
自分のことをやったほうがいい。
他人の悪口ばっかりいってやつは心がすさんでる。
オレはあんまりここはトラパ向きじゃないと思うね。
書くのは自由だろうが、波動が悪すぎる。
癒し板とかをおすすめしとく。
オレは去る。
こういうことをやるのは自由だろうが、
まあ、慈愛があれば大抵のことは問題ない。
それはこれに限ったものでものでもない。
無限定的な愛のなかにいればいい。
あと、ちゃんとよく調べたほうがいいんだろうな。
天外氏もアマチュアだから多少、
誇張したところはあってもおかしくない。
そこにこだわらなくてもいいだろうし。
本質ってのはなにかってことだし、
それは自分の中にあるんだろうしな。
あとこの板はあまり合わないかもしれないな。
オレはもう距離を置くよ。
いずれにしろ愛があればたいていのことは問題ない。
迷惑かけてすまんかった
もう心理学板そのものにこない
パトリック・グライユの『両性具有―ヨーロッパ文化のなかの
「あいまいな存在」の歴史』は、フランスで2001年に出版された
もの。著者はパリのウェスレヤン大学の教員で、18世紀の
奇形概念についての論文で博士号を取ろうとしている。この
著作は、主に18世紀フランスにおける”両性具有”をめぐる言説
を、大まかに整理して列挙したもの。
キリスト教社会において、”両性具有”がどのように理解され、
迫害されたか、というのが良くわかる。
本書の特色は、この第3部、「審問」の存在でしょう。両性具有
者たちが現れる、17〜18世紀フランスの裁判記録からはじまる。
非西欧人には理解しにくいが、両性具有者の存在と結婚は、
キリスト教にとっては、重大な問題となっていたようです。
そのため、彼らの「結婚」が、しばしば法廷で裁かれる対象と
なりました。「あいまいな存在」は脅威であるのか、排除しよう
という動きが支配的でした。
第2部は「医学」。大概の場合、医学者たちが比較的寛容で
あるのと対照的なのは、どこか興味深い。
日本では、杏林大学医学部の山村尚子氏による論文、「臨死
体験─終末医療における意義の検討」(「日本老年医学会雑誌」
35巻、103-115ページ、1998)が注目すべき労作となった。
意識状態が、Japan coma scaleで300の昏睡に陥った38人に
対し、蘇生回復後に問診したところ、14例(37%)に臨死体験
を認めたというものである。
これまで日本では学術的なアプローチによる臨死体験研究が
ほとんどなかったため、これが画期的な成果となった。
報告された体験は、超越型、自己観察型、フラッシュバック型、
の3型で、「トンネル体験」は認められなかった。臨死体験者
では死に対する不安感や恐怖感が緩和していることなど、
興味深い結果が得られている。
これを足がかりにして、日本でも本格的な「臨死体験」研究が
始まってもおかしくない。
ターミナルケア(終末医療)という概念を世界に広めたのは、
エリザベス・キューブラー=ロスである。
「私は医学・薬学系の研究者が臨死体験に興味を持ってくれる
ことを大いに期待している。脳の時代と喧伝されるいまこそ、
臨死体験はしっかりとした学問的な基盤に立って研究される
べきであろう。
オカルトをオカルトとして退ける時代は既に終わった。
何らかの興味深い現象がそこに存在しているのは事実であり、
科学者はそれを嘲笑したり無視するのではなく、積極的に
アプローチしてゆく必要がある。科学者というものは、本来その
くらいの好奇心と探究心がなければならない。
次世代の脳科学のブレイクスルーは”臨死体験”が担う、
私はそんな気がしている。いずれにせよ、私たちの目の前には
広大な未知の領域が横たわっている。それを眺めているだけ
でわくわくしてくるではないか。探検隊の人員に制限はない。
誰もが未踏の地を目指せばよいのだ。」
瀬名秀明
792 :
没個性化されたレス↓:2005/07/24(日) 16:56:01
そこまで恨み、憎しみを、棄てきれないんだねぇ。
転移
トラパー信者=異常人格者
だな
796 :
没個性化されたレス↓:2005/07/31(日) 04:03:30
俺はケンウィルバーの意識の段階でいうとしたらサイキックまで行ったな。
しかしサイキックの意味がわからない。
ケンウィルバーの意識の段階ってどこまでが妄想なの?
テキスト『トランスパーソナル心理学/精神医学』、
よくできた教科書だと思います。
これをしっかり勉強することです。
798 :
没個性化されたレス↓:2005/08/06(土) 05:31:09
行動分析学に評価できるところがあるとしたら、
スキナーの「罰なき社会」である。
1979年、慶應義塾大学と日本学術振興会の招聘により
来日したスキナーは、当大学から名誉博士号を授与される
際に行なった日本心理学会大会での講演がある。その
タイトルは、「The non-punitive society」であった。いかに
スキナーがこの問題を重視していたかが分かるであろう。
この講演で彼が言うように、これまで人類はさまざまな苦難
を農学、医学、工学というテクノロジーにより克服してきた。
そして人生の苦難も、「正の強化子」を用いた行動修正の
可能性を示し、それを教育に適用することで、行動のテクノ
ロジーによって、苦難を克服していくことになる。スキナーは
そう、ポジティブな心理学のヴィジョンを提示した。
私はそれが正しいと信じている。
罰によっては、なにごとも解決することはできない。むしろ、
正の強化を基礎とした、いくつかの選択可能な場面を設ける
ことで、より適切な問題の解決が得られるのである。選択
可能性は、行動分析に重要な視点であり、映画「時計じかけ
のオレンジ」に込められたスタンリー・キューブリック監督の
メッセージとも一致するものといえよう。スキナーもこの講演の
なかで、それを例示しており、印象深い映画である。それ
ほどに選択行動研究の重要性を示している。これを心に銘じ
ておきたいものである。
行動分析学を信条とする者、行動分析学を奉ずる者がその
理想とすべき理念である。
800 :
没個性化されたレス↓:2005/08/06(土) 20:16:08
それは間違いです。
罰も必要です。
もちろん性の強化も必要です。
そういうことです。
スレ違いです。どうぞ
802 :
没個性化されたレス↓:2005/08/08(月) 00:15:17
ちなみに皆さんはどの段階まで行ってるんですか?サイキックですか?サトルですか?コーザルですか?
803 :
没個性化されたレス↓:2005/08/14(日) 23:57:57
800age
804 :
没個性化されたレス↓:2005/09/07(水) 19:27:34
こー猿
>>802 鈴木大拙先生に20年間師事しました。現在(68歳)。
君は?どこら辺の段階かね?
805 :
没個性化されたレス↓:2005/09/15(木) 21:20:06
吉福 伸逸さんの「トランスパーソナルとは何か」が
増補改訂版になってるようですけど、ひょっとしてあまり変化がなかったりします?
買い換える必要はないかな…?
806 :
没個性化されたレス↓:2005/09/22(木) 17:42:52
そしてケンウィルバーの著作が軒並み絶版になり、親書の翻訳もなかなか進まないよ。
近作インテグラル心理学が翻訳、出版されたらトランスパーソナル関係のいろんな活動に影響があると思うんだけど、どうなるんだろ?
807 :
没個性化されたレス↓:2005/09/22(木) 18:30:59
あげ
808 :
没個性化されたレス↓:2005/10/03(月) 18:14:02
ケン・ウィルバーって何で日本の知識人とかに相手されてないの?オカルトだから?
809 :
没個性化されたレス↓:2005/10/05(水) 22:45:22
オカルトなんて言葉を簡単に使ってはいけないよ
810 :
↑:2005/10/06(木) 00:38:41
論理的に語ってください
早すぎたからな。
現代物理がようやく科学という枠組みから追試しはじめている。
812 :
没個性化されたレス↓:2005/10/22(土) 23:42:00
813 :
没個性化されたレス↓:2005/10/23(日) 00:44:17
814 :
没個性化されたレス↓:2005/10/29(土) 09:51:24
犬入歯は日本じゃ普通すぎるんだろうな
いまどきニューエイジサイエンスの話題とは
816 :
没個性化されたレス↓:2005/12/04(日) 19:15:58
ウィルバーの新刊出ましたね。
ウィルバー理論ではアボリジニのドリームタイムとかネイティブアメリカン
とかはどういう扱いなんだ?中沢新一はゾクチェンに通じる、みたいなこと
言ってたけど。
820 :
没個性化されたレス↓:2005/12/23(金) 21:41:23
800age
822 :
没個性化されたレス↓:2005/12/24(土) 15:41:09
ケン・ウィルバーって結構凄いと思うけどあまり評価されてないな
823 :
没個性化されたレス↓:2005/12/24(土) 18:20:01
トラパの研究者として大学に就職することできますか?
日本じゃ無理じゃね?あるとしても凄くマイナーなとこだと思う。
825 :
没個性化されたレス↓:
意識の進化論といったものが、19世紀の社会ダーウィニズムの所産をこえた
普遍的な考えとなるのか、少し疑問はあるのだけれど、日本の論壇ではスルーされすぎ。
いまだ、フランスやドイツの影響が強いのでしょう。
ホワイトヘッドの思想も西田哲学と似ているが、ハイデッガーに比べると、不思議なくらい人気ないですよね。
難解だからだろうが、ハイデッガーだって難解だからな。
結局クラシックでベートーベンが日本人に人気あるのと同じじゃないの?w