トランスパーソナル心理学

691没個性化されたレス↓:2005/06/08(水) 22:21:46


 日本の西洋科学への賞賛やその結果は、しばしば西洋の
 それらを超えたものを生み出しており、またそれと同じように、
 多くの西洋人が日本人以上に日本やアジアの文化のなかに
 ある深い哲学や瞑想実践などに尊敬の念を示しているの
 です。

 科学に熱い視線を寄せる日本の人々は、しばしば科学と
 瞑想は相容れないものと考えますが、それは誤った姿勢の
 ように思えます。現代、非常に数多くの西洋人が日本そして
 アジアのもっとも重要な世界への貢献として瞑想やそれに
 関連したさまざまな哲学的理解に注目しているのです。

 たとえば、禅は、他の瞑想実践と並んで、西洋の人々や
 西洋の文化、学問に深い影響を与えており、熱心に研究
 する価値のある対象とみなされてきました。ここ20年間の
 間に、1000を超えるほどの科学的文献が公にされ、その
 心理学的、身体的効果とともに、多くの心理学的、身体的、
 生化学的作用が探求されてきました。
 
692没個性化されたレス↓:2005/06/08(水) 22:32:41


 そして、トランスパーソナル精神医学やトランスパーソナル
 心理学のような新しい研究分野が現れ、瞑想的な諸実践
 から生じる重要な体験の意味についての研究が盛んに
 なされるようになってきています。

 しかし、驚くべきことには、こうした研究は日本ではほとんど
 なされておらず、いままでの有意義な成果も日本の学者
 たちにはほとんど知られないままになっているのが現状
 です。それゆえ、瞑想研究の豊かな成果を日本の学者たち
 の手元に届けることで、必ずや重要な貢献をなすにちがい
 ありません。

 この領域においては、科学者でありながら、実践家でも
 あることが大変に重要なのであり、西洋にもたらされた
 瞑想というすばらしい贈り物のために、日本からの計り知れ
 ない恩恵に、西洋の科学、文化が少しでも報いることが
 できればと願っています。

 ロジャー・ウォルシュ
 (カリフォルニア大学・精神医学・哲学・人類学)
 
693没個性化されたレス↓:2005/06/08(水) 22:56:17

『トランスパーソナル心理学と発達の見方』
http://www.wako.ac.jp/hattatsu/soturonopen2002/99d105kamei.pdf

発達心理学も、関係ある。
694没個性化されたレス↓:2005/06/08(水) 23:12:36

率直に、自分としては、心理学はあくまで外側から学ぶに

とどめたい。これはまだまだ思想でしか扱いにくい。本来の

心理学らしい心理学ほど、心理学では「心理学じゃない」

というが排除がつよいという、皮肉な逆転がある。
695没個性化されたレス↓:2005/06/08(水) 23:14:49

縦割りがあるので、なかなか互いに相容れていないし、

逆にいえば、その構造があるために、ウィルバーみたいな

統合的志向性は扱いにくい、という現実的な状況がある。

これは10年やそこらでどうこう変わるものでもないだろう。
696没個性化されたレス↓:2005/06/08(水) 23:32:13

臨床や、発達なら、結び付けやすいといえる。現在のオー

ソドックスな心理学というのは、行動の予測と統御という、

きわめて機械論的なパラダイムに立っており、なまじ自然

科学よりも無駄とも思える科学主義にこだわっており、

それが大したこととも思えないが、どういうわけかそうある

ことに過剰な自信と自負をもっているらしいので、そっと

しておくことが無難である。狭量で硬直したものがある。
697没個性化されたレス↓:2005/06/08(水) 23:41:43

いずれにせよ、<こころ>というのは構成概念であり、

素朴心理学、と考えられている。外面として共通するとされる

表層しか扱わないのであり、方法論上のこだわりもあるのか、

それ以上の考察に積極的なわけではない。内面は扱わない。
698没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 00:05:06

内面というのは、イメージや夢や無意識、心的エネルギー、
コンプレックス、魂的なリアリティだが、学問としては、ユング
の系統において、一番あからさまに顕著に語られている。

あとは、意外なところで、気のコミュニティ、その周辺の東洋
医学すべてが、実は心的エネルギーを扱っているのであり、
臨床とも接点がある。これは、ノンローカルな心を扱ってる。

それ以上の、ものすごいディープな領域もある。それは、
仏教学や神学やトランスパーソナルの思想になる。

いずれにせよ、考えれば考えるほど、オーソドックスな
心理学ほど、本来の心を排除しているという、皮肉がある。
心ではなく行動を扱ってる。生態学に近い。そこを勘違い
して心理学に妙な期待を抱かなければ、不幸になることは
ない。
699没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 00:40:12

鍼灸というのも、刺激による生理的活性化とか、科学的な
裏づけで説明するものもあるが、あれも気の次元にアクセス
している。微細身体(サトルボディ)というものがあり、これは
誰でも簡単に気感として感じられるようになるもので、それ
からやればわかるものだ。経絡やツボというのも、気の次元
のネットワークやチャネルで、西洋医学とは対応してない。
鍼灸というのは、肩こりなどの不定愁訴とされるもののほか、
精神的な意外なものにも、かなり劇的な効果がでる。つまり、
心的エネルギーなのだ。

このツボを指でたたく簡易的なものとして、精神療法に応用
したのが、「TFT(思考場)療法」と呼ばれるものだ。ほかにも
イメージ点を操作するものもある。

こういうものも、生物フォトンの変化を計測していけば、その
相関関係から間接的に、作用メカニズムが同時追跡して
いけるものだ。ウィルバーも分かってると思う。

とにかく、実体的であることは、体験すればわかる。
700没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 01:31:06

それはそれで、特に鍼灸は効果があると実感したわけだが。

瞑想というのは、無意識を緩めていく。そうして拡張していく
もののようだ。といってもこういうものは、そこまで体験しない
と、これまでの経験上、言葉だけではどういう感じのものが、
まさにそれにあたるのかはわからない。

やぱり、瞑想が基本だということだ。

「無境界」というセラピー論も、ずいぶん面白いことが書いて
ある。ああいうのも、現代人には有効なはず。
701没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 02:15:13

やっぱり、
心理学板に立てたのが無理があったよな、と思う。

いってみればこれは、
ドイツ文学、ロマン主義みたいな要素もあるわけで、
それと科学なんて、相性が悪すぎる。
ウィルバーは、もっと現代的に努めてると思うが・・・。
それでもそういうヴィジョンはあるわけだ。

水と油みたいなところは、やっぱりあるのだ。

それくらいの相性、価値観の違いなんて、
世界にはいくらでもある。現代の日本がそれだけ
単一的なだけなのではないだろうか。

ここの文脈に、無理してあわせようということが、
土台無理な話だったということだ。

意識が、あるかないか、とか言っているんだから。
イマージュを深めていくようなものじゃない。
702没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 14:26:35

あまりこういうことに固執するのはやめたい。
いい加減、病的だと思われるからだ。

唯物論的な世界観で説明できないことはなんでも
脳内の妄想だとしか受け取れない人がほとんどだ。
そういう二元論でしか考えたりできない限界がある。
とくに心理学では人間がいかに自身の心理に自覚
できてないかを疑うことを義務付けられている。
そのわりに自身の寄って立つ基盤だけは疑わない
というパラダイム的限界がある。であるから、その
基盤から変則的事例と表現されるものについては、
ほかの説明原理も担保していく必要があり、トランス
パーソナルのように専門化せざるをえない。そういう
ものは、それだけ珍しいことには間違いない。
703没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 14:27:46
私から言わせれば、脳内の妄想のほうが珍しいもの
であり、実感も興味もわかないわけだが。そういうもの
の一部も、超心理学でわかった特性や、トランスパー
ソナルでわかった変性意識の世界を知れば、より高次
の説明原理で統合的に理解できるところはあるかも
しれない。トランスパーソナル以外は、次元性の違いが
なく、基本的には平坦に捉える説明原理しか持って
いない。そういう高次の統合は、最初からあきらめて
いるので、そういう説明に積極的ではないところがある。
ニュートン的世界観ですべてを考えようとするか、
それを包括した上でアインシュタイン的世界観にふみ
こんで考えることもするか、その違いといえる。もっとも、
質的にこえているところはあるため、その例えが妥当
だとは思えない。
704没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 14:39:22

そういう結論が見えてる議論はらちがあかないので、
素直に思想として自分でやることだとおもう。はっきり
いって、トランスパーソナルだけでも、それをちゃんと
究めようと思ったら大変な、そういうものにはなって
きてる。

もう数十年の蓄積があるので、海外には文献もたく
さんあるようだ。それを歴史的に追跡するだけでも、
もはや専門的にやらなくてはならない段階にはきて
いるようだ。

深めようと思えばキリがないところはある。

自分としてもとんだ時間の無駄をしてしまったという
ことだ。ほかに見るべきところはたくさんある。気分
転換に興味あるほかを読んでいたら、だいぶ気分が
変わった。やっぱり、同じ興味を共有する人と探求
することだ。みんな熱心に興味持ってるし、それが
有意義といえる。
705没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 14:55:36

興味のある同好者が、理科系と文科系をこえ、あから
さまに超心理学などを、熱心に議論できる場が次々に
生まれている。そういう時代になっている。インターネット
もある。それだけでもありがたいと考えるべきだった。

「新しい科学的真理が勝利を収めるのは、
 反対者を説得して新しい光が見えるように転向させること
 によってではない。ゆくゆくは反対者が死に、
 新しい考え方に馴れた若い世代が育ってくるからである」
 マックス・プランク

きっと、ここは自分が興味をもつべきものに他人も興味
をもってくれなく、ほかの興味にひかれていく人が、気に
なってしかたがないのだろう。他人の興味に干渉しない
と自分の興味が維持できない(またはそう思い込んで
いる)不健全な構造になっていると思われる。それを
一言で言えば、嫉妬感情、ということになる。
706没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 15:15:28

ほんとに自分に熱中している人は、他人なんて気になら
ない。大体、ネットでうんぬんウォッチしている習慣がある
時点で、その人というのはどこかおかしいところがあると、
それに気づくことだったといえる。井戸端会議と本質的な
大差はない。

世界はもっと豊穣だ。

自分をどこか無理している人は、他人におなじ無理をさせ
ないとそれが正当化できないのではないかと不安になる。
そうして自分の正当性をあちこちに探し、あちこちに必要
以上に他人へと発露させようとする。そういう過剰な滑稽さ
の矛盾に、本人は気づいていないところがある。

自分もここの特殊性に洗脳されかけ染まりかけていた。
真に受けてると息が詰まるだけだ。トランスパーソナルの
先駆者たちと、新しいジェネレーションを見ていればいい。
自然や、芸術や、思想など、新しい空気を取り入れることだ。
707没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 15:40:24

こうやるべき、と思ってやるとろくなことがない。

人にはタイプがあり、人それぞれ違う。

肩の力を抜いて、自分の本来のことをやることだ。
708没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 15:42:53

自分の興味を抱いたその直観を信じることだ。

相性を見抜かないと、どうしようもない。
709没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 15:58:09

心理学だけが唯一の心の説明ができるという錯覚から
抜け出すことだ。心を取り扱わないといっておきながら、
心は行動であると意図的にミスリードしているところがある。
精神世界への科学的探求を、妨げているところがある。
710没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 16:03:06

その「平坦な世界(フラットランド)」からなんとしてでも
抜け出さないと、精神世界は見えてこない。

なにごともトライアンドエラーはある。
だからといって、探求できないわけではない。

そういうフロンティアを目指すチャレンジャーも
一定の割合ではいる。
711没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 16:45:44

「考古学」のようなタイプの役に立たない純粋研究に
ロマンを抱けない人は、こういうことには共感できない。
そういうフロンティアの知見に感銘を受けるかどうかだ。

これは現代考古学の特徴と似ている。そう考えれば、
なにをやろうとしているかが俄然、わかりやすくなる。

エジプト古代文明において、ピラミッドが高度に数学的な
設計をもっており、それは大地のエネルギーを増幅し、
魂を天界へと運び上げる、史上最大のモニュメントだった、
と聞かれてそこに想像力を働かせ、ピンとくるかどうかだ。
それがピンとこないと、ただの未開人の不可解な徒労
としか思えなくなる。エジプト考古学は、不可侵な計測
技術によって、旧来のイメージを刷新していった。

生物フォトンの研究で、電荷の場所が中国医学の場所
と一致していたと聞いて、驚きを感じるかだ。現代におい
て、新しく発見される未知のものも出てくるはずだ。
712没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 17:09:20

いくらでも既存の常識的な固定観念が刷新される可能
性は眠ってる。そういう可能性に心をオープンでいられ
るかだ。

ユングだって、「意識の考古学」の側面はある。意識の
スペクトルとは、「発掘しうる地層」に他ならないのだ。
そういうイマジネーションがその原動力になる。考古学
のように、それは現在形でありうるのだ。

「ディスカバリーチャンネル」を見れば、前世記憶や古代
シャーマンをテーマにしたものだってある。日本と違い、
アメリカの番組は、それに真正面から真剣に取り組む。

前世問題では、アイスランド大学超心理学教授のハラ
ルドソン、シャーマンでは、超心理学者クリップナー、
トランスパーソナル精神医学者グロフ、一線の研究者
ばかりだ。体外離脱の実験もある。

たまに批判的な意見も入るが、全体としてはこうした
「意識のフロンティア」の探求に対し、かなり好意的な
製作態度をしている。
713没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 19:13:23

日本ではここまで真面目な体裁の番組はなかなかない。
例外的に、森達也のテレビ作品があると思っている。

こうしたテーマを専門的に語れる、日本の専門家がまだ
あまりいないということだ。



1905年、「トランスパーソナル」という用語が登場したのは、
哲学者・心理学者ウィリアム・ジェイムズの講演記録だそうだ。

1942年、ユングの翻訳家たちが、ユングのドイツ語の
訳語に、この「トランスパーソナル」を使用し、これに追随
するものとなったそうだ。

1960年代半ば、人間性心理学の非公式の集会にて、
グロフは、マズローやフランクルとともに、「トランスパーソ
ナル」という用語を提案したという。

1968年、人間性心理学同好グループは、「第四勢力」
としてこれを宣言したという。
714没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 19:16:19

1977年、ボストンで「トランスパーソナル心理学会」が
初めて国際会議として開かれ、回を重ねるごとにその関心
領域を拡げていったという。

1978年、第4回国際会議の際に、心理学の枠組みを超え、
「国際トランスパーソナル学会」(ITA)が発足したという。
この中には、フリッチョフ・カプラ、フランシスコ・ヴァレラ、
カール・プリブラム、デヴィット・ボーム、エリザベス・キュプラ
ー・ロスなど、さまざまな専門家が集まり、その中心人物が、
自ら禅を体験したケン・ウイルバーだったという。

1979年、コルドバ・シンポジウム「科学と意識」を受けて、

1984年、筑波大学で「科学・技術と精神世界」と題された
日仏協力シンポジウムが開催され、デヴィッド・ボーム、
ライアル・ワトソン、カール・プリブラムなど、が集まったという。

その頃、日本では吉福伸逸氏を中心に、菅靖彦氏、岡野
守也氏が、共同でトランスパーソナルの翻訳本を精力的に
出していった。彼らの多大な貢献がなければ、今ほど浸透
しなかったということだ。
715没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 19:25:45

1985年、国立京都国際会議場で、「第9回、国際トランス
パーソナル学会」が「伝統と科学の融和」と題されて開催
されたという。当時まだ日本では「トランスパーソナル」という
言葉はあまり知られていなかったにもかかわらず、ユング派
の河合隼雄氏が中心になったおかげで多くの関心を集め、
日本における本格的な紹介への足がかりとなったという。
この会議には、ヴァレラ、キュブラー・ロス、グロフなど、
多数が参加したという。

 『宇宙意識への接近―伝統と科学の融和』
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393366042/
 河合隼雄・編、吉福伸逸・編

これを機に、しばらくはまだまだ時期早尚という困難な面が
続いたが、日本でも主要な理論書の翻訳によって、その実践
も行われてきたという。

1991年、筑波大学で日中友好の「気のシンポジウム」が
行われ、その流れで「人体科学会」や「気の科学」が始ま
ったという。
716没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 19:47:42

1990年、第9回「日本心理臨床学会」で、日本のアカデ
ミズムでの、初めてのトランスパーソナルの発表があった。
満員になり、手応えは十分だったという。

1992年、「アメリカ心理学会」において、第32部門の人間
性心理学会の活動のなかに、トランスパーソナルの分野が
組み入れられている。

1994年、アメリカのトランスパーソナル関係者が提出した、
「心理宗教的」ならびに「心理的霊的」の項目が、「アメリカ
精神医学会」の、「DSM-IV」に収録されている。

1996年、「日本トランスパーソナル学会」の第1回創立
会議が、南伊豆で開催されたという。



ここまで発掘するのが大変だった。なかなか情報がまとま
ってない。微妙な年代としては、間違っているところがある
かもしれない。

アメリカのトランスパーソナル心理学会の会員数は、1990
年代初めに、約3000人になっている。すでに、四半世紀に
およぶ歴史や発展があるということだ。
717没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 19:59:37

注目されるべき、数々の知見が積み重ねられており、
わが国でも、本格的に取り組む必要性がますます高く
なってきた、ということだ。

一応、100年前から、ちゃんとした流れがあるわけだ。

アメリカでも、まだまだ「ものすごくマイナー」なことは
確かだろうが、アメリカ心理学会にも、組み入れられて
いるし、アメリカ精神医学会のDSMにも組み入れられ
ている。その意味では、「公式」ではある。

こういうことを日本の心理学の人では、「まったく知らな
かったらしい」あるいは「知っててもあえて言っていない」
というのは、どこか不自然というか、信じられない話だ。

とくに、1985年に、日本でかなり大きなイベントがあっ
たらしい、というのは驚きだ。

河合隼雄氏が中心だったとは。これを日本の心理学者
で知らないひとはいないはず。
718没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 20:26:52

日本のトランスパーソナルは、アメリカにこんなにも遅れ、
やっと上陸してきたという状況なんだから。

これほどあまりにも免疫がなさすぎるのは問題がある。
それもこれも、言っていないことが問題だといえる。もっ
とも、最近になっては、言われてくる傾向にあるようだ。

これからは、超心理学すら、中村先生や、石川先生が、
メディアに登場して、顔を出していくということもあるんだ
ろうが。

意識に限らず、アメリカの「ディスカバリーチャンネル」で
取り上げるものにはみな、「フロンティアへの探検」に
対する、大きな興味というものがある。これはアメリカの
文化の懐の大きさ、長所にもなりうるところだ。奥地を探検
するのと、意識のフロンティアを探検するのを、同じ目線
でとらえているわけだ。この点、「未知」に対する感性が、
日本より健康なところもある。

日本は「北海道」などを除いて、未知が少ない。そういう
国土に住んでいれば、そうした想像力が沸きにくいのも
無理はない。

探検もせずに、「・・など大したことない」「・・などあるはず
ない」などと、最初から決めつける人々ばかりだと、フロン
ティア・スピリットは完全に失われてしまう。
719没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 21:24:25

きっと、考古学とか人類学の人とかなら、
こういう価値観は素直に共感しやすいんだろうが。

そういうものに似ているとはいえる。
720没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 21:32:38

そういう研究では、もっと役に立たないものはいくらでもある。

それに比べたら、臨床的効果もみとめられるものだ。
721没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 21:36:41

まああまり説得するつもりはない。

やりたいひとがやればいいものだ。
722没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 21:42:38

ロマン主義だ、などと批判されがちだが、

そういう意味では、遠くを想像することは大切だといえる。

それは宇宙であり、古代であり、同時に今でもある。

永遠、ということかもしれない。
723没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 21:46:33

そういうまなざしを、一方では忘れないことだろう。

永遠の空間、永遠の時間、永遠の今、

それがトランスパーソナルということかもしれない。
724没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 21:57:05

古いものが、新しくよみがえることもある。

あまり他人の狭量な考えに左右されると、

精神の余裕がなくなってしまうものだ。
725没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 22:09:36

はあ、自分も免疫がなかっただけということだ。

調べれば調べるほど、

昔からあって、それなりにうまくいっているものだったとは。

これを取り越し苦労といわずしてなんといおうか。

ありもしない不安に取り付かれていただけといえる。
726没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 22:23:22

結局、人間というのは、思い込みの産物ということだ。

勝手に妄信的に思い込むから、おかしくなる。

思考が入りすぎるから、おかしくなる。

そういう意味では、宗教というのは、おすすめできない。

もっと静謐(せいひつ)にとりおこなうべきものだ。
727没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 22:32:04

神社の、奥深い静かな森の、砂利のなかの足音だけが鳴る、

肌寒い朝もやを想像すればいい。

そういう感性こそ、日本的なエッセンスの良いところだと思う。

そういうものを見過ごしがちだったといえる。
728没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 22:36:45

大きな神社の気場というのは、非常に清々しいものがある。

鹿島神宮であり、熱田神宮であり、出雲大社でもある。

出雲大社は行っていないが・・・。

雰囲気というのもあるものの、こまかい気感として、

ここにはなにかある、というのが明瞭にわかるようになる。

ものすごく浄化されるようなこともある。
729没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 22:47:23

神社で、森で儀式を執り行うということは、

そこに細かい存在作用が降りてきて介在するものだ。

それが本物かは感覚としてわかるものなのだ。

最初に居合わせたときに感じたときは、驚いた。
730没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 22:52:34

今まで、そういうものは形式がすべて、と思っていたからだ。

まさか現代にまで、そういうものがライブなものとしてあるとは。

それを感じてか、執り行っている人はいるということだ。

本物の神社というのは、そのまま開かれているにも関わらず、

ものすごく浄化された場だと感じるわけだ。
731没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 22:55:23

そのよさが、ひとたび、わかってしまえば、

宇宙のほんとうの奥行きというものは実感として

得られるものなのだ。

そうしたら言葉だけの思い込みが全然、

ピンとこないものになる。
732没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 23:03:59

そういうものを一度も感じたことがない人というのは、

それはいくらなんでも思い込みだと疑ったほうがいい

のではないだろうか。
733没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 23:17:03

自殺しようと川に飛び込んで奇跡が起こって助かった、

とか、聞いたこともある。それで宗教に結びつくのは、

どうもピンとこなかったが、たぶん本当の話なのだろう。

そういう体験に裏付けられていない、条件付けだけの

独善的な信仰というのは、どこか本物でないように

思えてしまう。宇宙中心でなければならない。
734没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 23:23:23


人間の道理をこえているところもある。
 
735没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 23:36:14

そういう奇跡、臨死体験というのも、酸素の欠乏とか、

なんらかの脳内機序もその過程にはあるものなのかも

しれない。ただ、その体験の内容によっては、あきらか

にそれ以上の次元の、創造的な、価値あるものもある。

それは特定の宗教に寄らず、起こることもある。それを

病理化するしかなくて、進化の副産物のような色物扱い

して、はたしてそれでいいのか。そういうものはそういう

もので、次元が違うものとしてあるのではないか。
736没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 23:43:35

ま、臨死体験なんて、下手すれば戻ってこれないわけで、

そういうものを万人が体験できるわけではないのは確か。

そういうものを興味本位で読んでも仕方ないところはある。

やっぱり純粋に、大きな神社の、本物の清浄なる気場を

感じとるということが、一番、間違いがないところがある。
737没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 23:54:29

神道というのは清浄なるものがある、と、直接的には

感じるものがある。あまりそこに余計な宗教的背景なりを

付着させているつもりはない。さしあたってはオープンに、

気場を浴びてみるという、直接的な味わい方もあるという

ことを言いたかっただけだ。気功をやって気感がわかる

ようになってから、そういうことに詳しい人に案内して

もらえば、それなりにわかるものだと思う。
738没個性化されたレス↓:2005/06/09(木) 23:56:44

まあ、ほんとのところ、トランスパーソナルがどうこうという

より、それを知るよりまえから、霊的なるものとの接点は

あったわけで、ほかにこれというものがなかったという以外、

これに肩入れする理由があるわけでもないのだ、が。

一番、中立的で緩やかに感じたから、というのもある。
739没個性化されたレス↓:2005/06/10(金) 00:03:37

そういう体験をしない限り、これに関わって、あまり得する

ことがあるわけではない。トランスパーソナルというのは、

そういう体験に痛切なるものがある人が、なんらかの

ボランティアとして、宗教を超えて、やっているという面も

あるような気がする。体験的のない人が、これに関わって、

なにかその意義がつかめるとは思えない。
740没個性化されたレス↓

はっきりいってほかにこれといったものがなかっただけで、

これがすべてと思っているわけじゃない。こういうものは、

とかく学問的にやれば遠回り的な印象を受けるのはしかた

ない。ただ、それだけ、学問的にやるものがほかにない

ような気がするのだ。それだけでも貴重なものはある。