1 :
没個性化されたレス↓ :
04/10/01 12:59:26 びっくり!
ニダ
そんな名前の本、あったっけな。
4 :
没個性化されたレス↓ :04/10/02 02:57:04
うーん、難しいスレだ。
精神波、せーのっ、ガクッ
>>3 進化発生学って本あるけど、そんな本あんのか?
エピジェネティック・ランドスケープって?
他の用語に置き換わるんじゃないか?この言葉?
主体でも客体でもない両者の出会いによって進む全体。。
ホーボー放浪する、論議の旅にゃ〜。このスレ立てた方もどうぞにゃ〜。
精神発生学というものに直結するわだいになるかどうかは分からないがにゃ、既に
>>9 > 主体でも客体でもない両者の出会いによって進む全体。。
とかいう、ミョーに関係ありそうなレスもあることじゃから、失礼するにゃ。
ひとこと、侵入蛮族を代表してお詫びするにゃ。さあてと、フロでノボセて、朝の鳥の声を聞く。しんみり。
全スレからです
>>995 (海の廻廊さんのレス)
>自由はあると思うのにゃ。決定論か非決定論という関係でもにゃ、ワシは基本的に非決定論だと思っているにゃ。
>スキナーみたいな人ですら、最晩年の論文では、随伴性を「気ままな」ものだと言っておってにゃ、そこに、偶然性、
>非決定性を言っておるようにも思うのでにゃ。
私はスキナーの晩年の著書『楽しく見事に年齢をとる方法』を読んだことがあります。
あの本でスキナーが、「老後をすばらしく演じてみてください」と書いてたことを思い出します。
それまで私は、スキナーを「人生は演じさせられるものだ」と考えている人と思っていましたから
それは驚きでした。
私は旅に出る時間です。これで、失礼します。
(’▽’)ノシ<ばいばい
そうだにゃ、あの本にゃ。懐かしい本だにゃ。旅か。いいにゃあ、ワシもすぐ出歩きたくなるのでにゃ。おー・るぼわーる。
皆さん、おつかれさま。いい加減に少し寝たらいかがでしょうか?では、では、にゃおん。
おはようございます。昨夜はなにか凄いことになっていたようですね。 台風一過という印象ですよ。ここにたどりつくのに少し苦労しました・・・ 『人はなぜ心を求めるか』の著者の、アフォーダンス・オペラント一体論の より進んだバージョンは、 先の行動分析学会実行委員会シンポジウム 知覚知覚知覚知覚知覚行動行動行動行動行動 で、ご本人が、かなり明確に論じられていたのではないかと思います。 シンポジストは、ギブソン正統派の境先生、かの鹿取廣人先生との、お3人でした。 企画および司会は、言わずと知れた佐藤正哉先生です。 ご参考まで。
ジャック・デリダのでぃこんすとぅらくしょんを悼みます。その崩壊のあとに我らまた新たなる家を建てん。
しばし黙祷。 ありがとうございました。
前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1095160273/986 同じ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1095160273/998 986 名前:没個性化されたレス=ナホウドリしゃん↓[sage] 投稿日:04/10/10(日) 05:38:20
>おおい、おおい、そうなのかにゃ?では、明らかにまだ語っていないことがあるはずにゃ!
私が言っていないことですか・・・
すぐに思い浮かぶのは、
自由意志が存在するという感覚が、私の世界があるという感覚を支えている(と関係している程度かもしれません)
のではないかという。なんだか、ぼやーとした気持ち。
「自由意志あり、故にわれの世界あり。」でしょうか。
そして、自由意志など無いと考え出すと、なんだかさびしくなること。ですか。
998 名前:俺[sage] 投稿日:04/10/10(日) 06:07:07
>>995 自由ってのが偶然性・非決定性という意味だったら
自由は間違いなく存在するよね。
俺は意思の方にこだわりたい,っていうか
「自分は自由に行動している」という感覚の根拠みたいな
ことね。
ワシもこのお二人のフィーリングはよく分かる気がするのだがにゃ。。だが、ワシの身勝手な生き方で言うとにゃ、
ワシが自由意思を持って、何かをすること X を望んだとしよう。
そこから、ワシが自分の自由意思を行使したと快く思うのはどういうときなのかというとにゃ、
X が成功裏に終わったときなのだにゃ。もし 自由意思をもって X をしたとしても、
その X が失敗だったら、ワシはおそらく、ワシ自身の自由意思を半分意固地で誇り、半分嘆くだろうにゃ。
もっと重要なのは、自由意思をもって X をせんとしたにもかかわらず、環境の中の何かの邪魔に合って、
不可能であったとときにゃ。そのとき、ワシは自由意思を快く感じるだろうかにゃ?いや、自由意思の感覚
そのものを感じるかと聞いてもいいにゃが。ま、これは、ワシの生き方からの単なる憶測だがにゃ。
前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1095160273/994 994 名前:ナホウドリ[sage] 投稿日:04/10/10(日) 05:56:35
>>992 > 顔文字しぇんしぇいもどこかでチラッと触れておられたようにゃが、意思と関係して志向性とかの問題があるにゃ。
> ワシは、そういうモノも実は、言語によって仮想されたものではないかと疑っておるところがあるにゃ。
> というか、認知と言語の関係のようにだにゃ、意思も言語的な何かが、そう表現することを要請しておるのかも
> しれんと思うにゃ。この世迷言を考える上で知りたいことはにゃ、DOとCAUSEの関係でにゃ、
> DOを分解してCAUSEだけで表わすことはできないのか、ということにゃが。ボケ思考かにゃあ?
以上の発言と自由意志との関係。
もうすこし、解きほぐして、説明してもらえると、ありがたいです。
後で、と言ったのだがにゃ、書き方が悪いのもあるので少し補足するとにゃ、
ここで、「認知と言語」と書いておるのは、前スレ871で
> > 英語話者にはそのような認識ができない,というわけではないので,これも言語の認知
> >からの自律性を示しているにゃ
> そういうのを「言語の認知からの自律性」と言うのかにゃ?ふむふむにゃが、ワシには逆に
> 認知の言語依存性というふうに見えてしまうのにゃが。偏見かにゃ?ん、待ってくだされにゃ、
と書いたこととも関係するにゃ。意思というものを前提として置くことにワシは?を持っているにゃ。
しかし、「意思」を言語分析の中で使うことには文句がないのにゃ。つまり、意思というのはある意味で
言語的人間理解の中に埋め込まれたものであって、言語のないときには、特に「意思があるにゃあ」
なんぞと実感することもないと思うのにゃ。では、なぜ、言語の中では意思が具体性を持つのかと
言うとにゃ、それは、第三者の行動を引き起こした意思について素早く説明し、また、推測するために
有意義であることが多くある(すべてではない)からだと考えるからにゃ。ナホウドリしゃんは、生まれた
ときから、あるいは、言葉を覚えたての頃に、自らの自由意思を感じただろうかにゃ?
>>22 スキナーも自由意志は言語行動の問題として分析されるべきとか
書いてたような気がする。スキナー自身じゃなかったかも。
俺もそう思う。
ただ,なにかを自由意志の結果と考えて,それを好ましく
思うことにはなんかの適応的意味があるんだろうとも思う。
廻廊さんが言うように結果が大事だというのもよくわかる。
随伴性がとても自然な時には行為者は自由意志を感じる,
みたいなこともスキナーの考えにあったような。
>>24 >
>>22 > スキナーも自由意志は言語行動の問題として分析されるべきとか
> 書いてたような気がする。スキナー自身じゃなかったかも。
> 随伴性がとても自然な時には行為者は自由意志を感じる,
> みたいなこともスキナーの考えにあったような。
にゃははは、それじゃにゃ!だが、そうスキナー先生ばかりにお出ましいただくと、アレコレうるさかろうて。
このことは、志向性にまつわる事どもの多くが類似だと思うのにゃが。。
> 俺もそう思う。
> ただ,なにかを自由意志の結果と考えて,それを好ましく
> 思うことにはなんかの適応的意味があるんだろうとも思う。
感情というものの特質でもあるかもにゃ。満足感、達成感とかだがにゃ。感情の適応的意味だにゃ。
それ以外にも意味があるかもしれんにゃ。
> 廻廊さんが言うように結果が大事だというのもよくわかる。
「勝てば官軍」みたいな意味では困るとして、この「結果感情」の意義ももう少し掘り下げんと
フロイトやロジャーズふうの癒される感じには到達できないのかもにゃ。共同幻想を暴く科学と
暴いた上で、それを上手に、人間的世界に組み込んでいくこと。
どこかで少し前に出てきたような気もすることだがにゃ。
>>25 > フロイトやロジャーズふうの癒される感じには到達できないのかもにゃ。共同幻想を暴く科学と、(ここに点!)
>>23 とは違うが、言語と心理学的な問題(行動など)との関わりを考えているワシにとって
以下のことも指摘しておくかにゃ。
前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1095160273/875 875 :海の廻廊 :04/10/09 19:58:13
> でも、このEsっていうのは、タダの形式主語なのかしら?なんだか違う気がする。
> It is raining.のときは、it は形式主語なのかしら、それとも、意味の上ではthe weather?
> なんかねぇ、そういうふうに概念化できる何かであるような気がするんだけど、
> よくわからなくて気持ちがわるいわ。
うにゃ?そこだと思うにゃ!ワシが気に入ったのは。ワシはそのその何かが<状況>だと
思ったにゃ。ちょうど行動の始めから終わり(delimiter)までの時間(おそらく物理的ではない)で
区切った環境・有機体相互作用の歴史、つまり、<状況> にゃ。これは、とてつもなく
ワシには嬉しい考え方だと思うにゃ。スレッドの経緯からはずれとるかもしれんがにゃ、ワシの
経緯からは、一つ目のゴールだと思うのにゃ。
と
前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1095160273/1000 1000 :海の廻廊 :04/10/10 06:08:25
そうだにゃ、ある<状況>nがある。そして、その<状況>nがステップ・ジャンプして<状況>n+1になる。
の<状況>はワシの痴呆脳の中では合同(ないしは相似)のことにゃ。
んんん?そうやって、みんな、どこかでつながっていくのかしら、前スレの内容全部とかも? 参ったにゃお。前スレの部分部分で同じような解説が必要なものもあるかもしれないですわ。
にゃにゃ、そんなにはにゃあ。すべてとは行かんがにゃ。 それに、それぞれの部分にはそれぞれの意味があり、また、全体としても別の意味がある。 ワシの意味もあれば、皆しゃん方それぞれの意味もあるじゃろうな。 というのが、ゲシュタルトもどき理論であるにゃ。にゃはは。
31 :
没個性化されたレス↓ :04/10/10 13:22:46
しどうあげ
例えば、仮にここに、下図のような断面を持つ板があって、その右側の辺は三角形に尖っているとする。 X ---------------------- > ←− a ---------------------- Y このとき、a の方向からまっすぐに、その鋭角的な辺に、何か流動体を吹きかけたとする。その流動体の 流れを極めて細くできたとする。このとき、この流動体がXとYのどちらに転ぶかを考える。流動体は おそらくぶつかってXへYへと進んでいき、この板周辺に多少の空気抵抗があれば、渦を作るだろう。 カルマン渦とか言われているものだ。そこがchaoticだとか言う人もいる。エア・リード楽器のリードでもある。 てなことを、つい書いてしまったのはにゃ、このスレのちょっと前にエピジェネティック・ランドスケープとかいう 語がチョロリと出ていたからでにゃ。進化論をうんうんするつもりは、今のところワシにはないが、 選択というモノが、効果や合理性だけで生じるとも思えぬと考える人もあるのだにゃ、と思ったわけにゃ。 行動の選択というのも、効果だけでなく、そこにどうしようもなく確率的なことも含まれるのかにゃ? とか言う話をすると、大変そうでにゃ、これは、あらかじめ煙幕を張っておるのにゃあ〜
>>32 > 例えば、仮にここに、下図のような断面を持つ板があって、その右側の辺は三角形に尖っているとする。
> X
> ----------------------
> いたいたいたいたいたいた> ←− a
> ----------------------
> Y
HTMLになってスペースが消えてしまってたにゃん。
ちょっと進化とも関連してくるんだけど、 私はつい先日まで、「環境の媒体の性質」と「生物の形態」は不可避的に 対応しており、それ故に外界は実在すると信じることができる、と考えていた。 つまり粘度の高い水中を一定方向に移動する生物は、進行方向に対して 流線状の形態を持たなければならないが、粘度の低い空気中を移動する 生物にはそのような拘束はない、とかそういったことね。 しかし、このスレを読んでいて、結局、環境媒体の性質(これもアフォーダンスを 産み出す)に適応した行動を選択した生物のみが、その環境媒体に適応した 形態形成を促進することになって生き残れたのだろう、と考えるようになった。 つまりどの行動を選択すれば生き残れるかは、選択するその時点では 分からないが、実は決まっているのだ、ということね。 しかし、それでも、選択するその時点ではそれが分からないが故に自由なのだ、 と思うけどね。
まだダメだったかにゃー。
>>32 > 例えば、仮にここに、下図のような断面を持つ板があって、その右側の辺は三角形に尖っているとする。
> X
> ----------------------
> いたいたいたいたいたいたい> ←− a
> ----------------------
> Y
HTMLになってスペースが消えてしまってたにゃん。
>>34 > ちょっと進化とも関連してくるんだけど、
> 私はつい先日まで、「環境の媒体の性質」と「生物の形態」は不可避的に
> 対応しており、それ故に外界は実在すると信じることができる、と考えていた。
> つまり粘度の高い水中を一定方向に移動する生物は、進行方向に対して
> 流線状の形態を持たなければならないが、粘度の低い空気中を移動する
> 生物にはそのような拘束はない、とかそういったことね。
美しい例えだにゃ。
> しかし、このスレを読んでいて、結局、環境媒体の性質(これもアフォーダンスを
> 産み出す)に適応した行動を選択した生物のみが、その環境媒体に適応した
> 形態形成を促進することになって生き残れたのだろう、と考えるようになった。
ふむにゃ。
> つまりどの行動を選択すれば生き残れるかは、選択するその時点では
> 分からないが、実は決まっているのだ、ということね。
> しかし、それでも、選択するその時点ではそれが分からないが故に自由なのだ、
> と思うけどね。
このことはワシの場合2つに分けて、つい考えてしまうにゃ。
1)分からないが、実は決まっている
2)分からないし、決まってもいない (これは「選択」という言葉の意味合いの違いかもしれないが)
決定論云々は以下の論文をご一読あれ。
http://www.behavior.org/journals_BP/1999/Slife.pdf 哲学上、決定論には次の4つがある。
1) metaphysical determinism
2) metaphysical probabilism
3) scientific determinism
4) functional interdependency
不正確を覚悟で要約すると、
「実は決まっている」というのは1。
「確率論的に決まる」というのは2。
「決まっているという前提で研究を進めよう」というのは3。
「因果関係で物事を説明するのではなく、事象間の関数関係を記述しよう」というのが4。
スキナー自身の著作でもこの1から4が混在していることが混乱と誤解の原因だとか。
環境媒体の性質に適応した行動にも非常に多くの選択肢があって、 今までに出現したさまざまな生物がさまざまな選択肢(方法)を選択して きただろうが、未だに一度も選択されたことのない方法もあるかも知れない。 また、現在我々が見ている世界は進化の結果ではなく、あくまで進化 進行中の過程に過ぎないので、今は存続していてもいずれは滅亡する 運命にある生物も多数生きているだろう。人類もそれに含まれているかも 知れない。 たとえばクリオネは流線型の形態を取って移動する行動を選択しなかった。 クリオネは実はいつかは絶滅することが運命づけられてる種かも知れないが 今はそれは分からない。しかし、少なくとも数万〜数千万年は存続することを 可能にする選択肢であった、ということはできる。
「決まっていないという前提で研究を進めよう」はどこに入れればいいのだろうかにゃ? また、この4つは、どういうレベル、あるいは、何ついての決定・非決定なのかという問題もあるかにゃ。
>>38 美しい。永い時間を旅する気がする。
>>36 > このことはワシの場合2つに分けて、つい考えてしまうにゃ。
> 1)分からないが、実は決まっている
> 2)分からないし、決まってもいない (これは「選択」という言葉の意味合いの違いかもしれないが)
実は下図の例は、普通はaの位置がランダムに上下しなくても(確率的になるので)いいのだが、
板が上下にランダムに動いているときを考えることもでき、その両方をあわせると、
>>36 に書いた2)の場合が
起きるのではないかと考えていたにゃ。板の動きは環境の側の揺らぎ・突発的変化とみることもできるnya.
> X ↑
> ----------------------
> いたいたいたいたいたいたい> ←− a
> ----------------------
> Y ↓
>>37 これって以前「Behavior」だったジャーナルだよね。
サンクスコ!
>>40 となると、>38をもじって
生物の行動に適応した環境媒体にも非常に多くの選択肢があって、
今までに存在したさまざまな環境がさまざまなアフォーダンスを提供して
きただろうが、未だに一度も提供されたことのないアフォーダンスもあるかも知れない。
と言うことも可能。
ふむにゃ。
分かっていないでする選択というのは、選択なのかにゃ?また、 分かっていないでする選択には、自由意思は関与したと感じるのかにゃ?
分かっている、いないというのは、イツの時点で決定可能なのかにゃ?あるいは、 分かっているという表現が、この選択に際して妥当なものなのかにゃ?
環境も揺らぐということの典型的な例は「会話」。 一方の話者の発話は選択された行動であると同時に、 もう一方の話者に対するアフォーダンスでもある。 両者は常に揺らぎ続ける。
>>37 > スキナー自身の著作でもこの1から4が混在していることが混乱と誤解の原因だとか。
くだらん物議を醸したくはないのにゃが、ワシがスキナーを読んでいて時々不安に感じたのは、
このことかもしれないにゃ。確率現象に対して、彼は余り多くのことを語らず、区別せずに去った?
>>46 > 環境も揺らぐということの典型的な例は「会話」。
> 両者は常に揺らぎ続ける。
おそらく、両者自身の揺らぎだけでなく、両者の接する接し方の中にも揺らぎがあるのではないかにゃ?
「出会いの揺らぎ」
Aの揺らぎ −− 出会いの揺らぎ −− Bの揺らぎ みんなユラユラしてくるね (^^) 行動の実験系では、どれが主に揺らぐようにして検討されてきたのかしら?
Aを環境とし、Bを有機体としてかにゃ?
それって、一部、偽問題?(^^)
にゃは
その辺の問題は、上掲書の著者と評者の間で食い違いがあった点の一つらしい。 p348−349 8.17.2 確率的因関係 など
確率的因果関係でやんした
だいたい、あの種の実験系で検討していて、完全決定論だと考えるほうが奇妙なのかもにゃ。 スキナーも、記述主義の時代や、CAUSALITY強調の時代、など、その点については考え方に 変遷があるのではないかにゃ。決定論論調の揺らぎというかにゃ。 完全決定論では、superstitious behaviorなど、どう説明がつくというのかにゃ? それこそ、みんなユラユラしてくるね、だにゃあ。しかし、それでこそ、先に進めるのだがにゃ。 揺らぎのないシステムは進化し得ない、とでも言うかにゃあ・・・
「決定論的」と「決定論」は違うと思うよ。 あるいは決定論的に予測するのと原因論的に 決定論をとるのも違う。スキナーの決定論は 「ツール」な感じがする。 たしかに哲学的にはそのへんスキナーは曖昧だ。 でも曖昧だから融通無碍で面白いとも言える。 まあその点は精神分析と似てるんだけどな。
>>56 > 「決定論的」と「決定論」は違うと思うよ。
どのようにかにゃ?
> あるいは決定論的に予測するのと原因論的に
> 決定論をとるのも違う。スキナーの決定論は
> 「ツール」な感じがする。
そうかもにゃあ。言い得て妙なり、にゃ。
> たしかに哲学的にはそのへんスキナーは曖昧だ。
しかし、随所に確率的としかとれない<書き込み>があるにゃ。ただ、論断するときには
強く当たるために、完全決定論的な言い方をしていたのかもにゃ。
スキナーは表現するときに、レトリックを多様した書き方をするので、それが影響力を持つときと
物議を醸すときがあったような気がするにゃが。多くの論文・著書でそういう箇所が散見されるにゃ。
だから、確率論やj決定論の場合に限らず、行動分析”理論”全体においても、その種の誤解が
生じていると思うにゃ。行動分析がここまで来た現在、それらは、もう少し明瞭にされねばならない
と思うにゃが。
> でも曖昧だから融通無碍で面白いとも言える。
> まあその点は精神分析と似てるんだけどな。
それが強さというわけだにゃ。
心理学者同士の会話ではどうしても思弁的な方向に 傾きがちなのはある程度仕方がないと思うけれども、 以前、私(ミルク)が提案したミクロな確率的事象とマクロな 決定論をつなぐ神経細胞の自発発火に関するマルシンド氏と 私の間での議論をご存じの方もいると思うが、結局あの時は ケンカ別れみたいになってしまった。 その時に廻廊さんのような方がおれば、こうはならなかった という気がするね。
にゃ、だんだん、チャットみたいになってきよったにゃ (^^) まぁ、心理学は文魂理才である面があって、タマシイはやはり文系かもしれないからにゃ。 しかし、こういうところだと図も使いにくいし、データもグラフで示しにくくて、それをとりまとめて 話そうとすると、好みも手伝って思弁的になるのかもにゃ。当人は思弁的でなくて、具体的な データとかをイメージしながら話しているのだとは思うがにゃ。 そんなことがあったのかにゃ。まぁ、今後どうするかはお二人次第だがにゃ、違いがあることは わかっているが、どこかで同じ興味を共有している気もするにゃ。 どうも、2chは、遊びも必要だし、また、独特の煽りで事を進める面もある。また、どうしても 仮面舞踏会的な面もある(うみねこしゃんはオープン好みらしいがにゃ)し、誰かと誰かが 話していても思わぬところからチャチャ入れが起きるでにゃあ。また、時にはアツイ論争も 必要なのだとも思うがにゃ。それががッチャングチャグチャ〜になりやすいところが、2chの チョットナーというところだにゃ。もっとも、いい修行だという見方もあるが〜 はは、ワシがいてもダメだったろうし、これからも分からないにゃ。ワシもけっこう喧嘩っぱやい のでにゃあ。かえって、もっと大騒ぎだったりしてにゃ。ま、なるべく、うまく行きたいもんだにゃ、お互いに。 なんにゃー、昨日の今日で、妙にシンミリしてしまったにゃ?!
ワシの人間観(?) 烏合集散 人は集まって散り、散っては集まり 空の空なるかな もって、袖触れ合うひと時を大切に、クソ投げあう時も大切に にゃははははははは(笑)
クソ爺は死ね!
てなもんかな・・・
昨夜は神経細胞の自発発火についてまったく言及しなかったのですが、 それが発生する原因をハイパー・サイクルのような細胞内での酵素化学 反応に求めるわけです。で、それは確率的な事象であり、その結果現れる 自発的な行動も本来は確率的なのではないか。しかし、それよりも、 自発的な行動は先行刺激の有無にかかわらず発生するところが重要だ ということ。、 そのsuperstitious behaviorは自発的な行動と、その結果帰還してきた 刺激との間の妙な随伴関係を認識してしまったせいではないかと考える のです。
少しばかり分解してかんがえてみるかにゃ。
>>63 経細胞の自発発火
それが発生する原因をハイパー・サイクルのような細胞内での酵素化学
反応に求めるわけです。で、それは確率的な事象であり、
具体的にどのような化学的過程が自発発火の仕組みを提供できるのか、ワシは
現時点ではよくわからないにゃが、それをひとまず分かったとして、自発発火する細胞Aを
得たとするにゃ。神経細胞は基本的に伝達素子なので、必ずもう一つ神経細胞があるはずにゃ。
うまくすると、2つの神経の結合形式によっては、今度は2素子でサイクリックな発火が
得られるかもしれんにゃ。実際のところ、多くの生理学者はどちらかというと複数細胞による
自発リズムの形成に傾いている気もするにゃ(例えば、心筋のサイクルなど)。
さて、高等動物の脳では、こうした2細胞ペアは星の数ほどあるわけで
それらが、どのように絡んでおれば、最初の自発ペアの出力が、こうした星の数ほどの神経の
活動に埋もれずにいられるかが知りたいところだがにゃ、それも可能だとしようかにゃ。
いずれにせよ、そのような自発発火の繰り返しが確率過程である可能性は低いはずはないにゃ。
脳の中には、睡眠と覚醒、あるいはサーカディアン・リズムのような周期的活動を形成する
仕組みがあるわけにゃが、それ(睡眠覚醒サイクル担当細胞群)が、機能して、自発ペアの
活動が実際の行動になるのを抑制しているのか、あるいは、また、自発ペア自体の
サイクル活動を止めてしまったのか、寝ている動物は自律的な身体活動以外には目立った
自発的行動を示さないにゃ。どちらなのか、あるいは、自発ペアと睡眠・覚醒細胞との関係は
どのようなものが考えられるかは、おくとするかにゃ。
> その結果現れる
> 自発的な行動も本来は確率的なのではないか。
実際にはさらに膨大なシステム部分を経由して行動に至るにゃが、ミクロにモノを考えると
こうした中間部分の仕組みが解明されないと、それが行動につながるとは言いにくいにゃ。
実際のところ、かってエックルスは、脳の中に意思が宿ると考えて、探したが成功するに
至らなかった。しかし、仮に、よりマクロに行動を見るならば、自発的な行動が生起することは
十分納得できる。
しかし、その場合、よりミクロな部分についての具体的な仕組みの保証が 得られていない時点では、マクロな行動のレベルから<急に>始めねばならないというのが 分析的な科学の生き方かもしれんにゃ。ワシは、学問が説明できる事実関係のレベル、あるいは、 説明するために利用できる事実関係のレベルを飛び越して色々考えるのは好きなのにゃが、 仕事として、また、科学として人に提示するためには、そのレベルの「うっかり超越」はしないように すべきだと思っておるにゃ(思考遊戯としては、いつも、踏み外しとるがにゃあ)。 > しかし、それよりも、 > 自発的な行動は先行刺激の有無にかかわらず発生するところが重要だ > ということ。、 もし、上のようなゲンミツさを要求するならば、例えば、上の自発的行動は、その行動のレベルから スタートすることになるにゃ。ワシも、自発性というものはお道徳概念ではなく、生物学的概念で あると思って色々考えてきたのだがにゃ、どうも、最近、このレベルでの「自発」ということが??に なってきた気がしてにゃ。例えば、ウミネコしゃんが、上の幾層かのレベルをうまくつなぐ理屈を 示してもらえれば安心できるにゃ。それは実験的事実でなくても理論的でも具体性があれば 問題ないにゃ。
> そのsuperstitious behaviorは自発的な行動と、その結果帰還してきた > 刺激との間の妙な随伴関係を認識してしまったせいではないかと考える > のです。 これは、用語の表面的ニュアンスが違うにせよ、大筋、superstitious behaviorの成立過程を 言い表していると思うにゃ。ただ、そこで、心理学のような重箱つつき科学では、この 「妙な(これ、雰囲気わかるにゃ!)随伴関係」の実体にどのような要因が含まれているか、 また、例えば「関係を認識する」ということの具体的な過程がどのようなものかが分からないと 次に進みにくいのにゃ。こうした言語的な説明は、実は、この説明レベルより上の、つまり より高次のレベルの表現方法・解析方法であって、そちらを行動から説明したいというのが おそらく一般的な心理学の行きかたでにゃ、というか、現在の科学的研究の基本の一つだにゃ。 しかし、その一部は、前スレでも出ていたが、言語のほうからより低次のレベルの説明が可能な 場合もあるかもしれないにゃ。しかし、それはどこまでやっていいのかはまだ分かっていないにゃ。 というふうに、話は実は非常に複雑なわけにゃが、こういう各レベルに含まれる問題を ある程度理解しながら、レベルを超越して行ったり来たりして考えてみるのは無駄ではないし、 楽しいことだと思うにゃ。しかし、いつも、こうしたレベルの明確さを保たないとにゃ、例えば、 単一神経細胞の発火は「意思」の力によるというような空想にはまる危険性があると思うにゃ。 (エラソーに言うが、ワシなんかショッチュウはまっとるにゃが。) で、この程度分解してから、空想の翼を天翔させるにゃ。自由にレベルを行き交いしてみて くれるかにゃ?うみねこしゃんなら、できる素養を持っておられるはずにゃ。
つまり、現状では、細胞レベルから各レベルを全部つなげて自発行動まで つなぐことができていないので、 行動は自発するものとして、 検討を始めるということで、 行動は自発すると決まっている! というところから始めるのではない、と考えねばなるまいにゃ。 もし、ミクロー>マクロの順で説明を求めていくのならばにゃ。 しかし、その逆もあるだろうにゃ。 つまり、マクロ→ミクロの順で説明を求めていく、という方略だにゃ。 ミクロー>マクロ も ミクロー>マクロ も両方かなり可能だと思うにゃが、 両者を混ぜこぜにすると結局何も分からなくなるにゃ。
>>64 >>63 はあくまで筋道をポンポンポンと並べただけで、
詳細にやるならまだまだできるけれど、私は今はあまり
時間がない。
ひとつだけ反論しておきますね。
>実際のところ、多くの生理学者はどちらかというと複数細胞による
>自発リズムの形成に傾いている気もするにゃ(例えば、心筋のサイクルなど)。
複数細胞であれ自発リズムを形成するためには、その複数細胞のすべてが
黙っていたのではリズムなど発生しないでしょう。何もないところからは何も
発生しないのです。だから、その複数細胞のうちの少なくとも一部はとにかく
自発的に活動できなければならないはずであることは火を見るより明らかでしょ。
それも一部の細胞が自発発火すると言うと、またその発火する条件を示さなければ
ならないなる。であれば、まずはすべての細胞は自発発火する性質を備えていると
考えてみることから始めたらどうか、ということです。
行動レベル以上で考えた場合、この自発的行動というのは、それなり明瞭かというと、そうでもないにゃ。 先行刺激によって突き動かされないことというのを「自発」と普通言うようなのだがにゃ、しかし、 その行動というのは、我々人間でもそうだが、それ以外の動物でも、「先行刺激がない」ということを 立証するのは極めて困難なのだにゃ。これは、行動の問題に限らず、「〜がない」という証明は {〜がある」より遥かに困難なのが普通だと思うのにゃ。 また、先行刺激だけでなく、先行行動というものも当然考えねばなるまいな。我々の行動は ある意味で連続した行動のストリームでにゃ。となると、今問題にする行動Aが自発的行動であるためには その前のA-1, A-2, A-3と言ったこうどうの<せい>で行動Aがおきたのではないということも 言わねばならなくなるだろうにゃ。 と、ここまで、くると、ある行動を「自発的」と言うのは意外に難しいことなのにゃ。前にも書いたが、 ワシ自身、自発的行動ということを(あるいは、行動の自発性ということを)前提にしてアレコレ 言っておったわけだがにゃ、それが、はっと気づくと、根拠は意外に薄弱なのにゃ。かといって、 細胞1個から始めるわけにもいかない。となると、行動ストリームのきり方をどこかで大転換しないと いけないのか、ということになるわけにゃ。で、おおいに悩むわけにゃ。。
>>68 > 複数細胞であれ自発リズムを形成するためには、その複数細胞のすべてが
> 黙っていたのではリズムなど発生しないでしょう。何もないところからは何も
> 発生しないのです。だから、その複数細胞のうちの少なくとも一部はとにかく
> 自発的に活動できなければならないはずであることは火を見るより明らかでしょ。
> それも一部の細胞が自発発火すると言うと、またその発火する条件を示さなければ
> ならないなる。であれば、まずはすべての細胞は自発発火する性質を備えていると
> 考えてみることから始めたらどうか、ということです。
うむ、そうだにゃ。したが、では、なぜ、例えば、心筋細胞のリズム形成は単一細胞から
考えていないのかということが問題になると思うのにゃ。おそらく、それは、隣り合う細胞A
と細胞Bの<境目>が問題でにゃ、細胞AとBの間の化学的・電気的インタラクションが
つまり関係が引き金になると言うことらしいのにゃ。フリップ・フロップも基本的に2素子
構成で、そういう発想があるのかとも思うのだがにゃ、ワシにもよく分かっていないにゃ。
>>68 >
>>64 >
>>63 はあくまで筋道をポンポンポンと並べただけで、
> 詳細にやるならまだまだできるけれど、私は今はあまり
> 時間がない。
いや、そこなのにゃ。皆ある程度時間がないにゃ。そこで、切るレベルを設定してるというのが
現状かと思うのにゃ。これは、本当はトータルにやらねばならないのだが、個々の研究者の
現実生活もあれば、限界もあるわけにゃ。ワシなんかはだから狭い世界に住んでるといつも
思うにゃ。だから、ときどき、brain-stormingみたいに突発的に考えてみたいにゃ。
そういう意味では、2chもなかなかいい場所かなと思ってるにゃが。
>>68 > またその発火する条件を示さなければならないなる。であれば、
> まずはすべての細胞は自発発火する性質を備えていると
> 考えてみることから始めたらどうか、ということです。
おお、そうにゃ!そこがチョー大切なことにゃ。レベルは違うのだがにゃ、
行動についても同じ論理で、行動を検討するというレベルが可能になっているのだと思うにゃ。
行動の自発性の条件は、ひとまずおいて、ということでにゃ。
レベルが違うが、同型の発想があるにゃ!
>>71 廻廊さんや大学の研究者は考えているだけでも年金や給料を
もらえるのかも知れないけれど、私は食っていくための仕事も
しないことにはおまんまの食い上げですじゃ。
分かってくだされ。
>>73 頑張ってくだされにゃ。暇な折にはまた突発アイデア頼みます。
>>72 は忙しいとこ来て頂いた
成果だと思うのでにゃ。ありがとさんにゃ。
ここかにゃ.. しかしお二人ともえらい勢いでビクーリにゃ
顔文字先生、こちらも宜しくおねがいしまあす!
いやあ、昨夜は、スペシャル・トンデモ・グッド・ナイトでしたにゃ。また、宜しくですにゃ。
>>57 ある対象を研究する時に,理論的立場としてその現象が
決定論的に定まっていると考えるのが「決定論」,でも
そういう立場をとらなくても「研究のひとつのツール」と
して「決定論的」な枠組みをとることができる,という
程度の意味。
スキナーも含めて,心理学者はやはり人文科学者だと思う。
人文科学の特徴っていうのは常に自らを問うこと。
最初の分析対象は常に自分であって「自然現象」という
客体ではない。それは「自己分析」という形をとる場合も
あるし,研究者としては常に自分たちの方法を批判的に見る
という形になる。だから方法論争は文系の華だ。理系では
そうではないね。
後は雑談だけど,理系の大学にいてまわりを理系だけに 囲まれていると,自分の文系的思考システムにも気づくよ。 俺はまずすべてを自分の問題として考え,自分がどういう 立場でその問題に対処するかを考える。また,つねに 自分の行動について内省的で,自分の行動の理由や意図を 他者に説明することを重視する。仕事でもそうするのが 当たり前と考えている。 でも理系の連中から見ると「お前はどうしてそんなに自分の 話ばかりするのだ」ということになる。俺にいわせれば 「自省もろくにしないでよく仕事ができるな」と思う。 教育とか訓練というのは恐ろしいものだよ。
>>79 > ある対象を研究する時に,理論的立場としてその現象が
> 決定論的に定まっていると考えるのが「決定論」
決定論的って?
>>81 先行する変数が定まれば後続の変数が定まるということ。
また,その定まりにおいて確率論をとらないこと。
なんてのでどう?
確率論的決定論は?
>>82 > 先行する変数が定まれば 後続の変数が定まるということ。
この辺り↑に一義(一意)的というのを入れると、意味が違う?
>>83 その中間(笑。
>>84 これも「一義に」と「一義的に」で違う気がする。
とりあえず一義に決まるとみなして〜,っていうのと
本気で一義に決まるものだと考えるかの違い。
決定論とか一義性とか一対一対応とかが心理学で
でてくるときはみんな「とりあえずそうみなす」こと
で実験や調査などのデータ収集に持ち込む,という
ツールなんじゃないか? ほんとはもっと曖昧なんだけどね〜
っていうエクスキューズが常につくもので....
でも,どこかのスレでドナ氏も絡んで論じられていたけど, 心理学者の多くは「今はわずかの先行変数しか測定したり 制御したりできないけど,それがどんどん増えて行けば いつかは完全な予測が可能になって〜」とか考えてる気もする。 俺は絶対にそうはならないと思うけどね。 もちろん,多くの先行変数を分析に投入できるように なること自体は明らかな進歩だと思うけど。
>>79 > スキナーも含めて,心理学者はやはり人文科学者だと思う。
にゃ、スキナーはかなりそうだと思うにゃ。 ところでワシは文系的かにゃ? (と問うのが文系かもにゃが・・)
> 人文科学の特徴っていうのは常に自らを問うこと。
この見方は面白いにゃが、となるとにゃ、科学を分類するなんてことをした場合にゃ、その区分基準は
まず最初に、自らを問うか、対象を問うか?
となるのにゃ?それとも、
対象を問うことが自らをも問うことに、すぐになってしまうか否か?
かにゃ?それは例えば、生物学者が自らも生物であり、心理学者が自ら「心理」を持ち、の反面、
地質学者は少なくとも現時点では自分は地質ではなく、ロケット工学者は自らがロケットではない、という
ことによるのだろうかにゃ?分子生物学は方法論を問うことが多いのはそのせいだろうかにゃ?
宇宙科学というか量子力学などは自らの方法論を問うことだけで成り立っているようにも見えるんだがにゃ。
こういう基準で考えると、言語学はどうなるだろうにゃ??言語学者も言語使用者だという点では自問のはず
なのだがにゃ、哲学が自問の最たるものだとして、ワシは言語学はそれとも違うように思うんだがにゃ。
対象の精度というか、細かいところまで検討しないと分からないか否かというのも関係あるかにゃ?
ワシはまだ心理学の精度が(心理学なりに)あまりに粗いような気がよくするのだがにゃあ・・
また、科学が技術を与えるかどうか、というのも区分基準のような気もするが。
> だから方法論争は文系の華だ。
というのはよくわかるにゃ。しかし、方法論に関心ゼロという連中もいる。
> 理系ではそうではないね。
というのが、むしろ工学系ということではないのかとも思ったにゃが。
>>86 > でも,どこかのスレでドナ氏も絡んで論じられていたけど,
ドナ氏はどうしたのかにゃ?ひばりくんの話の頃にはおらしゃったがにゃ。
> 心理学者の多くは「今はわずかの先行変数しか測定したり
> 制御したりできないけど,それがどんどん増えて行けば
> いつかは完全な予測が可能になって〜」とか考えてる気もする。
ワシは、極論するとにゃ、その「先行」という概念がどうもイマイチいいのかと思っとるにゃ。
それは時間的な先行なのかにゃ?
> 俺は絶対にそうはならないと思うけどね。
ま、どちらかと問われれば、ワシも同調せざるをえないにゃ。
> もちろん,多くの先行変数を分析に投入できるように
> なること自体は明らかな進歩だと思うけど。
ワシは、極論するとにゃ、その「先行」という概念がどうもイマイチいいのかと思っとるにゃ。
それは時間的な先行なのかにゃ?
(2度も聞くほど、ワシの頭が薄いのか、それとも、それだけ聞きたいのかにゃ・・)
「先行」ということの定義はどうなのかしら?あるいは、「先行している」ということの証拠は何?
にゃ、おはようさん。それが知りたいのにゃ〜
つまり、ワシはにゃ、時間が気になるから、「先行」ということがわからなくなるのだがにゃ。 普通なら、それは、時間の「前」だから、それなら問うまでもないことにゃ。したが、 時間にあれこれ疑問を持つとだにゃ、それに載っかている「先行」もよう分からなくなるのにゃにゃ。
例えば、「AがBに先行」しているということの一つ(全部じゃないけど)が、逆に、因果関係みたいに 「AがBを決定している」ということなのかしら?でも、決定するって何を言えばいいの?にゃん、難しい。
私は文系と理系を分けることにまったく意義を感じないけれども、 少なくとも私が関心をもつことは、この世界が、この宇宙がどのように できているのか、であって、誰それがどう考えたかなんてことには 興味がないんだ。 リズムに関して、リズムを形成する複数の細胞がすべて黙っていたら そもそもリズムなど発生のしようがないのに、このことも分からない 廻廊さんもちょっと・・・というのが正直な感想。 1年前にNHKで放映されたアッテンボローの「哺乳類・大自然の物語」と いうドキュメンタリー番組で、気温が氷点下20℃近く環境がきわめて安定な カナダの洞窟内部でコウモリをサーモグラフィで観察していると、コウモリの 体温が急に上昇したかと思うと活動を始める様は私には驚異だった。この 活動はコウモリの内部から開始される、と考える以外にどう考えるというのだ?
>>92 それはワシも考えるのだがにゃ、それだけなのか、とも思うにゃ。おそらく、今、
チシャ猫しゃんが指摘したことは、量子力学なんぞの世界では問題になっておると思うのにゃ。
>>93 > 1年前にNHKで放映されたアッテンボローの「哺乳類・大自然の物語」と
> いうドキュメンタリー番組で、気温が氷点下20℃近く環境がきわめて安定な
> カナダの洞窟内部でコウモリをサーモグラフィで観察していると、コウモリの
> 体温が急に上昇したかと思うと活動を始める様は私には驚異だった。この
> 活動はコウモリの内部から開始される、と考える以外にどう考えるというのだ?
面白い話だにゃあ。ワシは、それはそれで文句はないがにゃ、それでも
「コウモリの内部から」ではなくて「コウモリから」だとは思うがにゃ。
サーモグラフィーって完全受動型なんだっけかにゃ?
また、方法論にしようと考えているのかしら?
>>96 いや、事実関係はいいのだがにゃ、うみねこしゃんが「どう考える」というのでにゃ、
そうなると、考え方の問題が入っていると思っただけだにゃ。
>>95 見てないんですか? じゃ、NHKに行って見せてもらいましょう。
サーモグラフィはごく表面の温度しか測定できない。
だから、コウモリの体温が環境温度と同じというのは本当は誤りで
これは単に毛皮の表面温度を測定しているに過ぎない、とは思う。
しかし、それでも体温は相当低くなっているのは間違いがない。
おそらくその温度でもコウモリの体液は凍結していないのだろう。
事実は一つなんだろうけどにゃ、こうして、捉え方が一つでない、ということも事実ではないかにゃ。
>>98 > サーモグラフィはごく表面の温度しか測定できない。
> だから、コウモリの体温が環境温度と同じというのは本当は誤りで
> これは単に毛皮の表面温度を測定しているに過ぎない、とは思う。
つまり、そこにはまだ「内部」はないにゃ?
> おそらくその温度でもコウモリの体液は凍結していないのだろう。
そう思えるにゃ。代謝は強度に下がっていても、そこには何かが確かにありそうにゃ。
それは何だろにゃ?
>>100 だから酵素化学反応の連鎖=代謝経路の活動が継続されているんだよ(笑)
「先行」の話は?
>>101 >
>>100 > だから酵素化学反応の連鎖=代謝経路の活動が継続されているんだよ(笑)
それも文句はないにゃ(笑)
>>103 だったら先行刺激など無関係に、生物は先行刺激の来る前から
自発的に活動しているんじゃないか(笑)
>>102 いや、ここにも「先行」の問題はあると思うのにゃ。むき出しの形ではないがにゃ。
ほらにゃ(笑)
言わずもがなのことを言わせるでないぞ
>>104 >
>>103 > だったら先行刺激など無関係に、生物は先行刺激の来る前から
> 自発的に活動しているんじゃないか(笑)
にゃはは。そこでだにゃ、今関心があるのはにゃ、
サー土竜フィーで検出された体温上昇の先行条件が
「酵素化学反応の連鎖=代謝経路の活動」だということでいいか、という点だにゃ。
体温上昇中も「酵素化学反応の連鎖=代謝経路の活動」は維持されておるので、同時でもあるにゃが。
>>108 >「酵素化学反応の連鎖=代謝経路の活動」だということでいいか、という点だにゃ。
確かにその辺は不思議ですよ。しかし、それでも、活動は内部から始まっているはずだ、
ということだけは否定できない。
>.>108 ワシからにゃ。
>>109 確かにその通り、否定はできないにゃ。否定するつもりもなくてにゃ、ただ「文系的に」気になるのだということかにゃ。
つまり、from inside it か from it かという問題と「先行」問題の辛みだにゃ。
うみねこしゃんの例はいつも面白いにゃあ。
細部に囚われて全体を見失ったらダメだ。 私は心理学者同士の議論を聴いているとよくこういうことを感じる。
にゃははは、そうだにゃ。自戒せんといかんにゃあ。
「俺」氏は私が話し出すと黙り込むんだね。面白いのう・・・
もしかして、俺=うみねこ だったりすると、天下は大騒乱よな
がはは
さて、食うための仕事に復帰するか・・・ と言うと、俺氏がここに復活すると。
がははは
2chらしくなってまいりますた
>>92 >例えば、「AがBに先行」しているということの一つ(全部じゃないけど)が、逆に、因果関係みたいに
>「AがBを決定している」ということなのかしら?でも、決定するって何を言えばいいの?にゃん、難しい。
私の思考が、私の行動を決定している。これが自由意志ですよね。
私の思考が、私の行動に先行している。
<思考>と言うと、曖昧なんで、<「宣言文」を産出する>と表現しようかとも思っていたのですが つまり、「私は手を上げる」という宣言文を産出した後、私の手が上がったら <私は、手を上げることができる>と言えるんじゃないかと考えたのですが。 つまり、「宣言文」→宣言文どおりの行動 が自分が自分を制御できるという感覚を生み出すのではないかと。 廻廊さんが、自由意志と言語を繋げようとしていたのは、この辺りにあるのではないかと 私なりに思ったのですが、どうでしょうか?
あら、ナホウドリさん、御旅行からお帰りなさい。
>>120 >
>>92 > >例えば、「AがBに先行」しているということの一つ(全部じゃないけど)が、逆に、因果関係みたいに
> >「AがBを決定している」ということなのかしら?でも、決定するって何を言えばいいの?にゃん、難しい。
> 私の思考が、私の行動を決定している。これが自由意志ですよね。
> 私の思考が、私の行動に先行している。
そうですね。その場合、思考が行動と同時とか(廻廊おじさま風)とか、思考は行動の結果かもしれない
とか、あるいは、思考も行動なのかもしれない、とかいうのはどうなります?教えてくださいね。
>>121 > <思考>と言うと、曖昧なんで、<「宣言文」を産出する>と表現しようかとも思っていたのですが
そうか、なるほどですね。でも、<思考>はそれ以外にもあるような気がする・・・
> つまり、「私は手を上げる」という宣言文を産出した後、私の手が上がったら
> <私は、手を上げることができる>と言えるんじゃないかと考えたのですが。
この「言える」というのは「感じることができる」ですか、言い換えると?それとも、
「手をあげることがデキル」のデキルと言うことがデキル、ということですか?書いてて自分でわからなくなりましたけど。
> つまり、「宣言文」→宣言文どおりの行動
> が自分が自分を制御できるという感覚を生み出すのではないかと。
なるほどー。
旅は楽しかったろうかにゃ? > 廻廊さんが、自由意志と言語を繋げようとしていたのは、この辺りにあるのではないかと > 私なりに思ったのですが、どうでしょうか? にゃ、全くそうだにゃ。したが、それは、ある程度、いわば個人内の問題だろうと思うのにゃ。つまり、 > つまり、「宣言文」→宣言文どおりの行動 > が自分が自分を制御できるという感覚を生み出すのではないかと。 なぜ、そういう 「宣言文」→宣言文どおりの行動 が「自分を制御できるという感覚(感情?)」を 生み出すのかという点にも関心があるにゃ。もしかすると、そこに他人が絡んでるにゃ。 そこで、ワシは、顔文字先生にDOとCAUSEの関係、DOをCAUSEの組み合わせに分解するような 考え方はあるのじゃろうか、と聞いたのにゃ。
だとしたら、そこにはやはり「会話」か、でなくても、他の人による「描写」が入ってきますよね?
にゃ、そのとおりだとワシは思うのだがにゃ。 人AとB 文AとB treeAとtreeB で、そのtreeBの葉っぱ一枚の意味を treeAが、あるいは、その葉っぱが決定してしまうというかにゃ。 「決定」まで行かないまでも影響するというかだにゃ。 ま、違うと考える人もいるだろうにゃ。
>>121 > つまり、「宣言文」→宣言文どおりの行動
> が自分が自分を制御できるという感覚を生み出すのではないかと。
思い出したのにゃが、ワシの知っているバリ張りの行動分析の先生がにゃ、
実にかなり以前から(おそらく”性格的に”)こういう人でにゃ。すぐ宣言するにゃ。
宣言すると、他の人もそれを聞いておるから、拘束力が出てくるにゃ。
こういうのは、おそらく行動療法というか行動分析の応用面でかなり前から利用されとるにゃ?
話をお邪魔するつもりはないのだけれど、今読んでて気になったこと: CAUSEって決定論的なのかしら、現実で、あるいは言語の分析でも? それと、おじさまが決定まで行かないが「影響する」と書いている「影響」はCAUSEなのかしら?
にゃはは、キビシイにゃあ。
私はそこになんだか因果知覚みたいな話が入っているような気がするの。 つまり、<意思>DOES<行動>だと最初に言うのはDOESした本人ではないのじゃないかって。
にゃ、それは同感だにゃ。
ある言明の証拠はその言明の中にあるのか、外なのかという問題かもにゃ。
>旅 道連れにした友に感謝します。 >その場合、思考が行動と同時とか(廻廊おじさま風)とか、思考は行動の結果かもしれないとか これは、情動におけるジェームズ=ランゲ説とキャノン=バード説の論争を思い起こさせられますね。 どちらが先であれ・同時であれ、われわれは、思考が先だと感じてしまうのではないかと そんな気がします。。。。。。。。。 そうそう、思考が後になった場合の説明として、無意識という(便利な?)言葉を使う人もいますよね。 潜在的な意志があったのだから、その行動は起きたのだと。 >あるいは、思考も行動なのかもしれない、とかいうのはどうなります?教えてくださいね。 それは、廻廊さんの考えですよね。思考=行動という考えは理解し切れていません。 思考=言語行動(言葉の産出)でよければ。。。 >この「言える」というのは「感じることができる」ですか、言い換えると?それとも、 >「手をあげることがデキル」のデキルと言うことがデキル、ということですか?書いてて自分でわからなくなりましたけど。 感じることができるから言える。あれれ。混乱するのでここでの「言える」=「感じることができる」ということで >なぜ、そういう 「宣言文」→宣言文どおりの行動 が「自分を制御できるという感覚(感情?)」を 他人ですか。。。ふと思ったのですが。 ここでの「宣言文」を、「自分への命令文」とすると広がりますね。 同一行動であっても、<「他人への命令文」→命令文通りの他人の行動>は、 <「自分への命令文」→命令文通りの自分の行動>よりも達成が難しいことが多いですよね。 まして、それを音声化しなかったら、他人への命令文が達成されることはまず無いでしょうね。 <私は私の体を動かせるが、私はAさんの体を動かせない><私とAさんは違う>というのを思い出します。
>>132 > >旅
> 道連れにした友に感謝します。
にゃ、恋路かにゃ?
> >その場合、思考が行動と同時とか(廻廊おじさま風)とか、思考は行動の結果かもしれないとか
> これは、情動におけるジェームズ=ランゲ説とキャノン=バード説の論争を思い起こさせられますね。
今は懐かしき、だにゃ。しかし、ワシは21世紀の心理学はまた感情論に戻ると思うにゃ。
> どちらが先であれ・同時であれ、われわれは、思考が先だと感じてしまうのではないかと
> そんな気がします。。。。。。。。。
確かにそうだにゃ。問題は、それが何故かということにゃ。答えが出そうで出ない、気持ちの悪い状態が今のワシにゃ。
> そうそう、思考が後になった場合の説明として、無意識という(便利な?)言葉を使う人もいますよね。
にゃは、フロイトかにゃ。しかし、思考は意識されているのではないかにゃ?言語化されている限りは?
> 潜在的な意志があったのだから、その行動は起きたのだと。
それは言うまでもなく、いわゆる「後付け」だろうにゃ。
> >あるいは、思考も行動なのかもしれない、とかいうのはどうなります?教えてくださいね。
> それは、廻廊さんの考えですよね。思考=行動という考えは理解し切れていません。
まだ、そのことはワシも全然十分ではないと思っているにゃが。
> 感じることができるから言える。あれれ。混乱するのでここでの「言える」=「感じることができる」ということで
言えたから感じたと分かるということもあるかもにゃ。単なるアゲアシとりにゃが。 (つづく)
> >なぜ、そういう 「宣言文」→宣言文どおりの行動 が「自分を制御できるという感覚(感情?)」を > 他人ですか。。。ふと思ったのですが。 > ここでの「宣言文」を、「自分への命令文」とすると広がりますね。 にゃにゃ、話がビミョーなところに来たにゃ。そうなのかにゃ?ナホウドリしゃんが言っている「宣言文」は 「記述文」ではなくて、命令文だったのかにゃ? > 同一行動であっても、<「他人への命令文」→命令文通りの他人の行動>は、 > <「自分への命令文」→命令文通りの自分の行動>よりも達成が難しいことが多いですよね。 深い分析だと思うにゃ、とってもにゃ。ワシは他者依存度が高いらしくってにゃ、どちらかというと逆のようにゃ・・・ ワシは自分を拘束できんのでにゃ。(するつもりもないがにゃ→超自我が欠けとるのかもにゃ。にゃはは。にゃ、逆だったかにゃ) > まして、それを音声化しなかったら、他人への命令文が達成されることはまず無いでしょうね。 > <私は私の体を動かせるが、私はAさんの体を動かせない><私とAさんは違う>というのを思い出します。 なるほどにゃ、確かに音声や表情や何にせアウトプットが必要だにゃ。で、この場合、また、 > ナホウドリしゃんが言っている「宣言文」は「記述文」ではなくて、命令文だったのかにゃ? に戻るにゃが。その辺はどうだろうにゃ?
なんだか聞いていると、廻廊おじさまもナホウドリさんも、行動を言語的に分析しているって感じがするわ。 スキナーは、言語を行動的に分析しようとした人だったんでしょう?
にゃは、それは痛いとこだがにゃあ。したが、スキナーも言語の外には出られん(お釈迦さんの5本指の中)から、 スキナーも、ことによると行動を言語的に分析するのを好んでおったのかもしれんがにゃ。
別にわたしも行動分析の人じゃないんですけどね、ふふふ。
>>132 >にゃ、恋路かにゃ?
(笑)
>思考は意識されているのではないかにゃ?言語化されている限りは?
あ!フロイトの無意識は置いておきましょう。。。
>>136 >にゃにゃ、話がビミョーなところに来たにゃ。そうなのかにゃ?ナホウドリしゃんが言っている「宣言文」は
>「記述文」ではなくて、命令文だったのかにゃ?
記述文と命令文と宣言文。廻廊さんの定義(それらの比較)はどのようなものですか?
>><「他人への命令文」→命令文通りの他人の行動>は、
>><「自分への命令文」→命令文通りの自分の行動>よりも達成が難しいことが多いですよね。
>ワシは他者依存度が高いらしくってにゃ、どちらかというと逆のようにゃ・・・
>ワシは自分を拘束できんのでにゃ。
逆?「他人からの命令文」→命令文通りの自分の行動?
その雑誌って前にもでてきたけど、実体はSQABで、 サポートがCambridge Center for Behavioral Studies?
>>141 > >思考は意識されているのではないかにゃ?言語化されている限りは?
> あ!フロイトの無意識は置いておきましょう。。。
にゃ、それは以下のことにも関係するようにゃが。
>
>>136 > >にゃにゃ、話がビミョーなところに来たにゃ。そうなのかにゃ?ナホウドリしゃんが言っている「宣言文」は
> >「記述文」ではなくて、命令文だったのかにゃ?
> 記述文と命令文と宣言文。廻廊さんの定義(それらの比較)はどのようなものですか?
にゃ、そんなに深く考えてはおらんかったがにゃ、スキナリアンならば、
命令文 マンド
記述文 タクト
宣言文 自己へのマンド?
とか言うかもにゃ?違うかにゃ?
> >><「他人への命令文」→命令文通りの他人の行動>は、
> >><「自分への命令文」→命令文通りの自分の行動>よりも達成が難しいことが多いですよね。
> >ワシは他者依存度が高いらしくってにゃ、どちらかというと逆のようにゃ・・・
> >ワシは自分を拘束できんのでにゃ。
> 逆?「他人からの命令文」→命令文通りの自分の行動?
にゃにゃ、ワシのポカだったにゃ。読み間違っておったにゃ。ワシはこう読んでしまっていたのにゃ?
> >><「他人カラの命令文」→命令文通りのジブンの行動>は、
> >><「自分への命令文」→命令文通りの自分の行動>よりも達成が難しいことが多いですよね。
>>142 CCBSは応用系(Behavioral Technology Todayとか)、
哲学系(Behavior and Philosophyとか。上で紹介されてるのはこれ)、
社会思想系(Behavior and Social Issues)が中心だから、
実験急進派のSQABとは直接のつながりはないんじゃないの?
いや、Behavior and PhilosophyのエディターたちがSQABメンバーが多いし、 出版関係がCCBSと書いてあるのでさ。CCBSとはNevinでつながっているのかな、と。
SQABが実験急進派というのは嘘だろ?連中はほとんど理論大好き人間だよ。
>>143 >にゃ、そんなに深く考えてはおらんかったがにゃ、スキナリアンならば、
お分かりかも知れませんが、私はスキナリアンじゃ無いですよ。念のため。無所属系です。
>命令文 マンド
>記述文 タクト
>宣言文 自己へのマンド?
>とか言うかもにゃ?違うかにゃ
私は以下のようにしましたから
>>132 >「宣言文」を、「自分への命令文」とする
そうですね、そうなりますね。
以下の解説をお願いできますか。
>>136 >> >なぜ、そういう 「宣言文」→宣言文どおりの行動 が「自分を制御できるという感覚(感情?)」を
>> 他人ですか。。。ふと思ったのですが。
>> ここでの「宣言文」を、「自分への命令文」とすると広がりますね。
>にゃにゃ、話がビミョーなところに来たにゃ。そうなのかにゃ?ナホウドリしゃんが言っている「宣言文」は
>「記述文」ではなくて、命令文だったのかにゃ?
>なるほどにゃ、確かに音声や表情や何にせアウトプットが必要だにゃ。で、この場合、また、
>> ナホウドリしゃんが言っている「宣言文」は「記述文」ではなくて、命令文だったのかにゃ?
>に戻るにゃが。その辺はどうだろうにゃ?
命令文、記述文、宣言文というのは言語行動のformに関する分類なので、 functionに着目する行動分析の枠組みには相応しくないかもしれない。 命令文がマンド、記述文がタクトである例がたまたま多いに過ぎない。 多重機能性(multipule function)も考慮にいいれるとなおさら。 例えば、窓の近くにいる人に対して「この部屋、暑いよ」と言うのは、 形式上は「この部屋は暑い」ということを記述するタクトであると同時に、 窓を開けてもらうことを期待する偽装マンドでもある。 違う分野では、パフォーマンス・マネジメントで 「従業員に対するフィードバックは強化子か?弁別刺激か?確立操作か?」 ということがむかし議論になったが、フィードバックはformであって、 機能は一意的に決まらないという結論になったことがある。
>>148 >
>>143 > >にゃ、そんなに深く考えてはおらんかったがにゃ、スキナリアンならば、
> お分かりかも知れませんが、私はスキナリアンじゃ無いですよ。念のため。無所属系です。
それはわかっとるつもりにゃが、スキナリアン用語のほうが、この場合、通じるカナとつい思ったにゃ。
すまんせんにゃ。因みにSQABの連中はある意味スキナリアンではないにゃ、論文などから見るとにゃが。
ワシは、隙アリにゃんでにゃ。 さてと、マジメに:
> 以下の解説をお願いできますか。
> >なるほどにゃ、確かに音声や表情や何にせアウトプットが必要だにゃ。で、この場合、また、
> >> ナホウドリしゃんが言っている「宣言文」は「記述文」ではなくて、命令文だったのかにゃ?
うむにゃ、今、ナホウドリしゃんの考えていることの奥を考えて見たのだがにゃ、ワカランかったので、
それはおくとして、上を解説するとにゃ(解説になるかどうかにゃが):
>>129 でチシャ猫しゃんが、
> つまり、<意思>DOES<行動>だと最初に言うのはDOESした本人ではないのじゃないかって。
と書いていたがにゃ、
<意思>DOES<行動>だと最初に言うのはDOESした本人ではなくて、むしろ他人だと思うにゃ。
人が育ってくる中で(言葉もあれこれ育つ中で)にゃ、他人の側からの認識として
「ああ、誰々ちゃんは、今、これがシタイのね」とか「シタカッタのね」とか言うと思うのにゃ。これは記述で
あって命令ではないにゃ。それが次第に、どういったら早いかにゃ(あまり正確ではないが)「内化」されて
子どもが自分の行為をするときに「〜シタイ」と言うようになる。そうすると、他人が「ああ、そう、わかったわ」
と笑ってわかってくれるにゃ。これが続くと、次第に自分でも「〜シタイのかな・・」と思うようになるにゃ。
しかも、そうやって「〜シタイ!」と言ってから、実際にスルと、周囲がその行為のための状況を準備して
おいてくれたりして、うまく事が運びやすいこともあるだろうにゃ(この辺は他者への自分の行為の宣言文?)。
そして、その辺りに、自分の「〜シタイ」が、達成感というか、そういうものになるキッカケがあるのではないか、とにゃ。
だから、そこには命令文がないにゃ。
>>149 >命令文がマンド、記述文がタクトである例がたまたま多いに過ぎない。
ありがとうございます。ここで勘違いしていました。
>>149 > 命令文、記述文、宣言文というのは言語行動のformに関する分類なので、
> functionに着目する行動分析の枠組みには相応しくないかもしれない。
> 命令文がマンド、記述文がタクトである例がたまたま多いに過ぎない。
> 多重機能性(multipule function)も考慮にいいれるとなおさら。
> 例えば、窓の近くにいる人に対して「この部屋、暑いよ」と言うのは、
> 形式上は「この部屋は暑い」ということを記述するタクトであると同時に、
> 窓を開けてもらうことを期待する偽装マンドでもある。
どうやら、スキナー本格派もいるらしいにゃ。functionという点も大切で、面白い話にゃが、
今は、この「命令文、記述文、宣言文」は文法用語としては使っていないと思うのにゃ。
えー、また誘導されて来ましたが、ここって何のスレにゃ?? 前回は動詞の概念構造やら非人称受身のハナシで、また生成の出張所ができたのかと思ったけど。 とりあえずmand/tactによる幼児の言語獲得の議論は、正直なハナシ脱力したにゃあ… クッキーを「クッキー」といってゲットすれば、かかる言語行動が強化されてmand能力獲得、 犬を「ワンワン」と正しく指示できれば、「えらいねー」とかいって母親にほめられて、tact能力獲得、 基本的にはこれだけにゃ。泣きそうになったにゃ… 現在は、スキナリアンに対しては一定のリスペクトをしてますがにゃ。 まあ、関係ないハナシなので、このへんにしときますにゃ。ではまたにゃん。
>>151 >
>>149 > >命令文がマンド、記述文がタクトである例がたまたま多いに過ぎない。
> ありがとうございます。ここで勘違いしていました。
にゃ、何の勘違いかにゃ?ワシは気づかんかったがにゃ。
>>153 > えー、また誘導されて来ましたが、ここって何のスレにゃ??
ほー、おいでじゃにゃ。いい天気ですにゃあ。
少なくとも、言語獲得の話ではないにゃ。それはだいぶ昔の話かと。
むしろ、意識獲得の話といったほうが今の話題にはあってるかもしれないにゃ。
?
にゃ?大袈裟かもしれないかにゃ?まあ、大袈裟だとしてもいいにゃ。いずれにせよ、今、 ナホウドリしゃんが宣言文といったとき、わしはそれが宣言なのか、意識なのかと聞いたようなもんでにゃ。 それで、無意識とも切り離せないとちょっと思っていたにゃ。 もう少し言えば、自分の行為に対する記述はどこからくるのか?また、それと「意思」とやらはどう関わるか、 てなことを、比較的、気楽にオシャベリしていますのにゃ。
>>150 宣言文が先にありきですか。
>>157 >それが宣言なのか、意識なのか。
>自分の行為に対する記述はどこからくるのか?また、それと「意思」とやらはどう関わるか
考えてはいるのですが・・・・
宣言文と宣言と意識。これの比較をお願いできますか?
ナホウドリさんの宣言文は、文法的宣言文(そんあものあったっけ?)だったのですか? それから、その宣言文は「意識」みたいなものとは直接関係しないものとして出てきたの?
>>159 >文法的宣言文(そんあものあったっけ?)だったのですか?
宣言文は、formなどどうでもいいとさえ思います。
宣言文と行動の概念一致が重要かと
>その宣言文は「意識」みたいなものとは直接関係しないものとして出てきたの?
関係しています。勢いで宣言文=意識だと言いってしまいたい気分です。
formという概念は文法用語のつもりで使ったんじゃなかったんだけどな。 宣言文のほかにも罵倒文、賛辞文、悲嘆文、驚嘆文、・・・ まあ、いくらでも作れるわけです。
>>158 >
>>150 > 宣言文が先にありきですか。
すまんがにゃ、マジメに聞くのでシツコイようだが堪忍にゃ。この「先にありき」というのは
主に、何の先かにゃ?
>
>>157 > 宣言文と宣言と意識。これの比較をお願いできますか?
宣言はちょっと多義的(行動、宣言文、宣言内容・・・)なので、どういう意味かわからなかったにゃが、
宣言文がナホウドリしゃんでは命令的だったと思うにゃ。ところが、(こりゃワシがいかんかにゃ)
>>150 で
> おいてくれたりして、うまく事が運びやすいこともあるだろうにゃ(この辺は他者への自分の行為の宣言文?)。
と書いたのは、周囲の人に「これから〜しますから、よろしくご配慮のほど」みたいな意味で言ったのだがにゃ、
ここで、宣言文という語を使うと話が混乱するにゃ(実はワザとだったにゃが)。そこで、それについては消去!
また、ワシが意識と単に言ったときは、おそらく「〜と気づいている」とか、「認識している」に近くて、
行為を成すときの意思ではないという意味合いかにゃ。
>>160 >
>>159 > >文法的宣言文(そんあものあったっけ?)だったのですか?
> 宣言文は、formなどどうでもいいとさえ思います。
そりゃ、formとかは、今、ちょっとほっといてにゃ。細かいことを言うと大筋の話ができなくなるにゃあ?
チシャ猫しゃんは、form論者をクサシタつもりだったのにゃろ。
> 宣言文と行動の概念一致が重要かと
> >その宣言文は「意識」みたいなものとは直接関係しないものとして出てきたの?
> 関係しています。勢いで宣言文=意識だと言いってしまいたい気分です。
いやs、そうかと思っておったわけにゃ。したが、アホウドリしゃんがそれを命令的意味で使うようだったのでにゃ。
ワシが重要だと思うのはにゃ、ナホウドリしゃんの宣言文が命令的か記述的(ワシの意識的に近い)か、という
点でにゃ。少なくとも、ワシはそれが知りたいにゃ。
>>162 >
>>160 > 言語化されない意識はないということ?
どなたか存ぜんがにゃ、この問題はもう少し後にしませんかにゃ?
>>158 > >自分の行為に対する記述はどこからくるのか?また、それと「意思」とやらはどう関わるか
> 考えてはいるのですが・・・・
今、今日の、この場面での、ワシのスタンスは、それが他人からくるという立場だにゃ(そうしておくにゃ)
宣言と最初に書いたのはワシだったかにゃ!それはすまんことしたにゃ。
al・ba・tross先生のご登場で、ちょっと動揺したにゃ。宣言(「文」ないs)は消去にゃ!
>>163 >この「先にありき」というのは、主に、何の先かにゃ?
命令文の先です。宣言文の経験から命令文を使うようになれる。
言い過ぎれば、宣言文だけで、命令文は無くてもどうにかなる。
>>164 >したが、アホウドリしゃんがそれを命令的意味で使うようだったのでにゃ。
>ワシが重要だと思うのはにゃ、ナホウドリしゃんの宣言文が命令的か記述的(ワシの意識的に近い)か、という
>点でにゃ。少なくとも、ワシはそれが知りたいにゃ。
>>162 ともかかわりますが、宣言文は、記憶に残っていなければなりません。
流されてしまうものだったら、振り返ることはできません。記録的と表現してはいけないでしょうか。。。
では、少しゆっくりと。コーヒーでもいかが?
あらら、」また、出遅れ、余計なお世話でした。ぺこり。
先行ってのは,「論理的に先行」にすぎないと思うよ。 だからモデル依存。まあ普通モデル立てる時には 時間的な先行を「イメージ」するだろうが,そりゃ あくまでもイメージで(笑。
あ,これは「先行変数」という時だけに限定して言ってる。 他の場合は知らん。
>>167 >
>>163 > >この「先にありき」というのは、主に、何の先かにゃ?
> 命令文の先です。宣言文の経験から命令文を使うようになれる。
ちょっと待った、にゃ。もう一度。ナホウドリしゃんの宣言文は命令文ではなく、また命令要素を含まないにゃ?
> 言い過ぎれば、宣言文だけで、命令文は無くてもどうにかなる。
という場合の宣言文とはどういうものにゃ?
>
>>164 >
>>162 ともかかわりますが、宣言文は、記憶に残っていなければなりません。
> 流されてしまうものだったら、振り返ることはできません。記録的と表現してはいけないでしょうか。。。
宣言文を記録的とするにゃ?他のものだったらすまんせんがにゃ。
>>170 > 先行ってのは,「論理的に先行」にすぎないと思うよ。
> だからモデル依存。まあ普通モデル立てる時には
> 時間的な先行を「イメージ」するだろうが,そりゃ
> あくまでもイメージで(笑。
>>171 > あ,これは「先行変数」という時だけに限定して言ってる。
> 他の場合は知らん。
了解でーす。
廻廊さん、私は誘導されている気がします。 廻廊さんが見据えていることを教えてください。
>>175 > 廻廊さん、私は誘導されている気がします。
にゃ、ワシは誘導しとらんと思うにゃが。周囲でする物音はほっておいてだにゃ、
ナホウドリしゃんは、宣言文から命令をはずしたのかにゃ?
> 廻廊さんが見据えていることを教えてください。
ワシの見解は、まず、
>>150 の
> <意思>DOES<行動>だと最初に言うのはDOESした本人ではなくて、むしろ他人だと思うにゃ。
以下なのにゃ。
宣言文は、「〜する」で十分です。命令「〜せよ」である必要は無いと思います。 (すみません。この違いの、重要性を点で理解できていません。。。)
>>177 > 宣言文は、「〜する」で十分です。命令「〜せよ」である必要は無いと思います。
了解にゃ。
> (すみません。この違いの、重要性を点で理解できていません。。。)
話’(点で話にならない、かにゃ?悪いジョークはこのくらいにしてにゃ←自分でやってるんだろうが!)
細かい点かもしれんのにゃが、命令だとすると命令者がいる(少なくとも、どこかに)と思うにゃ。
そうなると、また、その命令者を探すことになってしまうような気がしてにゃ。
「〜する」であれば、およそ、
>>150 の最後の段落がワシの考え方にゃ。
つまり、意識の中の「意思」がらみの「〜する!」は他者由来だということなのにゃが。
関係するかもしれないがにゃ、ワシが「志向性」とかいうときは、時にもよるが、
「何々を欲しがる」
ことではなく、むしろ
「『何々を欲しが(ってい)る』と思うこと」
みたいな意味で使っているにゃ。
それに習えば、上の話も、
「『何々する!』と思うこと」
が他者から来て内化されるものなのだにゃ。正確を期すればにゃ。
だから、言語的だって言われるのです(笑)。私はそれが好きですけどね。
>>178 > 細かい点かもしれんのにゃが、命令だとすると命令者がいる(少なくとも、どこかに)と思うにゃ。
> そうなると、また、その命令者を探すことになってしまうような気がしてにゃ。
自己フォローするとにゃ、上のように考えると、そこに、無意識だの何なのと、「主体」探しが
始まるのではないかと思うのにゃ。
馬?ワシは馬だったかにゃ。はにゃ、変換機能ってどうも好きに馴れんにゃあ。すまんせん、にゃ。間違いにゃ。
>>178 >命令だとすると命令者がいる(少なくとも、どこかに)と思うにゃ。
>そうなると、また、その命令者を探すことになってしまうような気がしてにゃ。
>意識の中の「意思」がらみの「〜する!」は他者由来だということなのにゃが。
>>180 >「主体」探しが始まるのではないかと思うのにゃ。
「主体」ですか。主体は私も想定していません。
「宣言文」→「宣言文通り行動」だけでいいと思います。
It rains.
ああ、「記述文」→「記述文どおりの行動」だけで、自由意思が感じられるかということです。
>>170 > 先行ってのは,「論理的に先行」にすぎないと思うよ。
> だからモデル依存。まあ普通モデル立てる時には
> 時間的な先行を「イメージ」するだろうが,そりゃ
> あくまでもイメージで(笑。
これは雰囲気的にはわかるのだがにゃ、すごく、いや、マジで(笑い)。
ワシがチョーこだわり人間であるために、この場合も「論理的」ということが木に生るにゃ。
「論理的に先行する」というのは、実際的に(具体的に、whatever!)どういう場合なんだろうかにゃ?
それは、時間的に先に何かに注目しておったということかにゃ?それとも、独立変数みたいなことかにゃ?
他に、「論理的先行」を規定するものは何があるんだろうにゃ?ま、ただのbrain-storminだがにゃ。
>>184 > ああ、「記述文」→「記述文どおりの行動」だけで、自由意思が感じられるかということです。
そうにゃ、すっきり。で、そこで、自由意思のフィーリングだがにゃ、それは、
「記述文」→「記述文どおりの行動」 が可能になったとき、その状況に付随する感情だと思うにゃ。
おそらく、その感情の素も他者が承認したとか、協力したとか、状況が良かったとか、と無縁では
ないと思うのにゃ。少なくとも、人が「自由意思が大事」というときには、そういう感情的にプラスの
要因があるからで、それが無いときは、自由意思を感じないし、むしろ不快な事実が生じれば、
「自由意思」はむしろ業(ごう)であって無い方が楽だと感じる気がするにゃが。
>>185 > ワシがチョーこだわり人間であるために、この場合も「論理的」ということが木に生るにゃ。
柿の実ですか?(^^)
> 「論理的に先行する」というのは、実際的に(具体的に、whatever!)どういう場合なんだろうかにゃ?
> それは、時間的に先に何かに注目しておったということかにゃ?それとも、独立変数みたいなことかにゃ?
> 他に、「論理的先行」を規定するものは何があるんだろうにゃ?ま、ただのbrain-storminだがにゃ。
私は、そこに、確率的な問題が入っているかなぁって感じがします。
>>187 >
>>185 > > ワシがチョーこだわり人間であるために、この場合も「論理的」ということが木に生るにゃ。
> 柿の実ですか?(^^)
にゃはは、ワザとじゃよ。柿の馬い季節だにゃ。
> > 他に、「論理的先行」を規定するものは何があるんだろうにゃ?ま、ただのbrain-storminだがにゃ。
> 私は、そこに、確率的な問題が入っているかなぁって感じがします。
にゃ!それは鋭いにゃ。
?
ままま、もう少し待ってくれますかにゃあ?ワシとしても、この話は重要案件でにゃ。 頼みますにゃ。
|’▽’)ノシ<私、クールダウンさせてもらいます。頭、いっぱい、いっぱいになっちゃった。 | ミ サッ
お、ワシもにゃ。ちょっとal・ba・tross先生の前で上がっとるかもしれんにゃ。ちょっと、ブレイクにゃ。
外は秋ですわ。
なんだかなぁ。
なんですねぇ。
ことば遊びも、ボケ予防には役立つかもな
そうですねぇ。
発生と創発の違いは?
なんですか?
なんですねぇ。
だめだこりゃ
だめですねぇ。
昨夜はアホ院生しかいなかったみたいですね。
そうですねぇ。
昨晩は静かだったね。
そうですねぇ。
理由あり?
どうですかねぇ。
何にでも理由はあるでしょうねぇ。
そうですねぇ。
連休が終わったんでしょう。ゆっくりしましょう。
そうですねぇ。
人生ってなんですかねぇ?
秋ですねぇ。
ワシはにゃ、『行動の文法』というのを考えていたのにゃ。 それについては、錯綜した問題があるだろうがにゃ、考え方もいろいろでにゃ、 1)行動の文法が言語の文法を作る 2)行動の文法は行動を理解する上で言語の文法が投影されたものに過ぎない 3)行動の文法と言語の文法は同型で、共通の基礎を持つ こう考えるときも、ワシはそこに確率的な要因を無視できんにゃが、 それについてもいろいろ意見はあるだろうにゃ。
言葉遊びで言えばにゃ、おそらく、他にも『意識の文法』とか、『感情の文法』とか あれこれシリーズもんがあり得るだろうにゃ。中には幻想であるに過ぎないものもにゃ。 しかし、今、そういうものをアレコレ考えた場合、それらは、LAYERを成しているのか、 それとも、皆、別々の山を成しているのかにゃ。ほにゃらら、にゃが。
おっと、忘れとったにゃ。 4)言語の文法が行動の文法を作る もありかもにゃ。
生物板見たにゃ〜w
そうにゃ、無論、こういうのもありだったにゃ: 0)行動には文法などない (偽問題である!) 1)行動の文法が言語の文法を作る 2)行動の文法は行動を理解する上で言語の文法が投影されたものに過ぎない 3)行動の文法と言語の文法は同型で、共通の基礎を持つ 4)言語の文法が行動の文法を作る > こう考えるときも、ワシはそこに確率的な要因を無視できんにゃが、 > それについてもいろいろ意見はあるだろうにゃ。
>>220 > 生物板見たにゃ〜w
これは疑問形かにゃ?
すまんせんがにゃ、ワシは今日は夕方までは岩転がしでにゃ、宜しくですにゃ!
顔文字先生、以前、「言語能力は生得的か」スレで 行動文法について語ってませんでしたっけ? 遠くのものをとるよりは近くのものを手に取る、とかそういう話だったような・・・
>>224 > 遠くのものをとるよりは近くのものを手に取る、とかそういう話だったような・・・
ちょっと解説してもらえる?
>>225 1年くらい前なので細かい話は覚えていない。
過去ログ読もうにもdat落ち。ごめん。
廻廊さんのいう行動の文法の多くはアフォーダンスの文脈で 扱われてきたんじゃないかな。もちろん、言語にも大いに関係する だろうけど。
え、そうなの?アフォーダンスのどういうところと関係があるのか、イ マイチわからないんだけど。
>>226 361 名前:(´∀`)[] 投稿日:01/11/23(金) 01:29
>>273 重ねての丁寧なレス、ありがとにゃ。
ブルームフィールドは生成が登場する前に幅をきかせていたアメリカ構造主義言語学の代表格で、
彼らの関心はまさに仰る
>「言語行動が生み出した言語が、聞き手にとっての言語刺激となって聞き手にどう
>作用し、それが話し手にどう返ってきて、話し手の言語行動にどう影響を与えるか」
といったあたりで、直接観察可能なものに対し S→R という「説明」を与えようとしていたのにゃ。
しかし、言語行動の基盤には言語能力・言語知識があってこれを支援していなければならず、
こちらをほったらかしにしてなんの行動か、知識自体はどっから来るのか、この問題に対しては
S→R ではロクな答えが出てこないではにゃいか、というのがチョムにとっての reasonable doubt
だったと想像するのにゃ。つまり「言語獲得の論理的問題」に対してはスキナーなりブルーム
フィールドなりは答えられないというわけにゃ。そしてお話を伺ってると、なるほどこの問題は
スキナーのagendaには最初からなかった、ということらしく、批判はこの「見落とし」に向けられて
いる、というように理解できると思うのにゃ。
>生成文法理論の関心事とは全然ちがうでしょう
安直にゃが、相補的といったほうがより建設的な話しができると思うのにゃ。
とりあえずチョムのV.B.書評から引用しとくにゃ。
It is not easy to accept the view that a child is capable of constructing an extremely
complex mechanism for generating a set of sentences, some of which he has heard, or that
an adult can instantaneously determine whether (and if so, how) a particular item is generated
by this mechanism, which has many of the properties of an abstract deductive theory. Yet this
appears to be a fair description of the performance of the speaker, listener, and learner. If this
is correct, we can predict that a direct attempt to account for the actural behavior of speaker,
listener, and learner, not based on a prior understanding of the structure of grammars, will
achieve very limited success.
680 名前:虚無好き[] 投稿日:01/12/26(水) 01:37 しばらくは細々とチョム理論に関する論評をやるにゃ。 わたしはそのためには、自然科学の基礎論にまでたちかえる必要があると考えてるにゃ。 というのもチョム理論が、そもそもハゲシク間違っている可能性があるからにゃ。 で、そのまえに、679の不備を補足しておくにゃ。 能力 ability という語には、学習や訓練を通じて獲得されたという、 わたしからみれば、やや通俗的な「含み」があるにゃ。 これが、外国語の会話や、音楽や絵画の創作は能力であるのに、 無自覚に形成された認識や行動を能力とよぶには抵抗があるという、やや不当な状況もうまれるにゃ。 実際には、みずからの能力に無自覚なまま、行動として遂行するということもおこってくるにゃ。 (相貌認知のばあいは、なぜ識別できたかという本人の言語報告はあまり役にたたないのにゃ。) というわけで、これから能力というときには、これらを含む「一般的能力」ということにするにゃ。 そしてさらに、「能力におけるゼロ」とは何かというのが、今回の問題にゃ。 たとえば「わたしには絵が描けない」と思っているひとが多いけどにゃ。 通俗的には下手だといわれている絵、たとえば 斜めから見ているのに口がまんまるのコーヒーカップ、 同じく斜めの壁に、大きく真正面から描かれたドアの絵、 棒状の肉体からぐにゃぐにゃと伸びている腕のある身体像、 これらは絵を描く能力の「不在」の例というより、ひとはもともと 「理解したものから」描くということではないのかにゃ? これら「ヘタクソな絵」は、物をいかに理解しているかを表現しているのにゃ。 結論するにはまだ早いけどにゃ、このことからいえるのは、 いわゆる「能力」の無が、なんらかのデフォルト値をもっているのではないかという仮説にゃ。 そして「能力を得る」と考えられていたものが、じつは、素朴に何かが付加されるというより、 このデフォルト値の変容であるという、関数概念に準ずるパラダイムを提供してくれるにゃ。 ここではまだ、このデフォルト値が生得的であるかどうかには触れないにゃ。 今日はここまでにゃ。じゃにゃ。
曲好き、じゃない、虚無好き翁あたりが、解説者としては適任?
>>229 ありがと。
そのものズバリではないけど、その前後にあるはず。
心理学徒が生成用語について質問していたあたり。
その質問者のコテわかる?
名無しだったと思う。
めんご。ちょっと呼ばれてた。生成用語がなんだかわかる?
駄目だ、ゆっくり読み直さないと、それがどこだかわからないや。 文脈が読み取れないところがあって。非力ですまん。
それでも、昔のを読める人がうらやましいわ。。。
だめみたい。。
>>229 にコピペしたのの前辺りは、虚無好きさんの「内」「外」なしとアフォーダンスが
関係あるとかの話があって、後ろの方だとGTとかいうのの話がある。
それ、なんとなく関係ありそうだからコピペしておくな。
379 名前:逃走派[] 投稿日:01/11/24(土) 00:15 梶田優氏とは上智大学の先生で、DTと言うのはDynamic Theoryの略。動的文法理論と 呼ばれている考え方を指しています。チョム生成の場合は、378の顔文字先生が言って いる通り、習得段階のどの言語能力も1つの「言語」であり、データとUGのすりあわせ によるパラメター値の固定による所産と捉えられています。が、動的文法理論では、 そのような文法観では言語の様々な領域に見られる「周辺的」現象を旨く取り扱え ないとして批判、中核的現象から周辺的現象まで含めて一律に扱う目的で、発達の前の 段階の文法を漸進的に拡張して次の段階の文法へと発達させていくような言語習得モデルを 提唱しています。このモデルでは、UGの中には文法発達のためにどのような拡張様式が 可能で、どのような拡張はありえないかの指定が含まれています(一方のチョムスキー生成 ではそのような文法発達様式についての指定はUGには含まれない)。例えば、ある段階の 幼児の文法知識をGnとすると、(動的文法理論での)UGに指定された拡張様式に従って、Gnを、 幼児に与えられる言語データに基づいて拡張してG1+1を出します。それの連続によって 最終的に成人文法ができあがる。Gnの内容、Gn+1時点での幼児に与えられる(というか 幼児が取り込める)言語データの内容、それにUGに指定されている拡張方法によってG1+1 が変わるので、最終的に出てくる文法はきわめてグロテスクな形をすることになります (例外とかが山ほど付帯条件的にくっついた規則集合とかの点でグロテスク、だが それゆえに「周辺的」現象も取り込めている)。ではあるが、発達の段階、 段階を追っていくと、その各段階ではきわめて制限されたエレガントな拡張様式に従っている。 とだいたいそんな感じの理論です(うまく伝わるかどうか分かりませんが)。以前、 言語板の「生成文法批判」スレで紹介したことがありましたが、どこらだったか忘れた(笑)。
動的理論を生得性の関連で見るとどんなことが言えるか・・・あまり新しいことは言えないかも。 動的理論でUGに属しているとされている「拡張様式」が、(i)言語固有のものであるのか、 (ii)実は他の認知発達でも用いられるものと同じで、たまたま言語に適用しただけのもの であるのか、の問題は真剣に取り組まれていないと思います。さらに拡張が始まる 一番最初の文法知識G1にどのようなものを含めるのか。(a)非常に簡単な知識 (例えば動物でも使っていると思われるような極めて単純な命題的知識のみ)なのか、 あるいは(b)チョムスキー生成理論的にいろいろな言語固有の諸制約を含めた知識なのか。 (ii-a)の組み合わせだったら、いわゆる「反チョムスキー派」に親和的。 (i-b)の組み合わせだったら、チョムスキーよりさらに強力な生得論者とみなされるだろうと 思います。
うーん、あんまり言語プロパーになると困るな。。
>>229 > 「言語獲得の論理的問題」に対してはスキナーなりブルーム
> フィールドなりは答えられないというわけにゃ。
> 安直にゃが、相補的といったほうがより建設的な話しができると思うのにゃ。
> If this
> is correct, we can predict that a direct attempt to account for the actural behavior of speaker,
> listener, and learner, not based on a prior understanding of the structure of grammars, will
> achieve very limited success.
>>230 > いわゆる「能力」の無が、なんらかのデフォルト値をもっているのではないかという仮説にゃ。
> そして「能力を得る」と考えられていたものが、じつは、素朴に何かが付加されるというより、
> このデフォルト値の変容であるという、関数概念に準ずるパラダイムを提供してくれるにゃ。
> ここではまだ、このデフォルト値が生得的であるかどうかには触れないにゃ。
> 今日はここまでにゃ。じゃにゃ。
>>241 > いる通り、習得段階のどの言語能力も1つの「言語」であり、データとUGのすりあわせ
> によるパラメター値の固定による所産と捉えられています。が、動的文法理論では、
> そのような文法観では言語の様々な領域に見られる「周辺的」現象を旨く取り扱え
> ないとして批判、中核的現象から周辺的現象まで含めて一律に扱う目的で、発達の前の
> 段階の文法を漸進的に拡張して次の段階の文法へと発達させていくような言語習得モデルを
> 提唱しています。このモデルでは、UGの中には文法発達のためにどのような拡張様式が
> 可能で、どのような拡張はありえないかの指定が含まれています(一方のチョムスキー生成
> ではそのような文法発達様式についての指定はUGには含まれない)。
> それゆえに「周辺的」現象も取り込めている)。ではあるが、発達の段階、
> 段階を追っていくと、その各段階ではきわめて制限されたエレガントな拡張様式に従っている。
> とだいたいそんな感じの理論です(うまく伝わるかどうか分かりませんが)
とかは、なんとなく、おもしろそうだけど。行動のほうはあんまり構造的な話がないのかな?
ま、とにかく、植民地ではない話を期待するけどな。
あら、で、行動の文法っていうことを中心にすれば、何が来てもいいと思うけど。 他にも、生物板や進化スレもあるから、重複しない範囲なら、なんでもいいんじゃないかしら。
>>245 植民地になるかそうでなくなるかは
君たちがどれだけ議論に絡めるかで決まる。
自分は議論に参加しないで自分たちにわかるような
議論だけしろというのはあまりに勝手な話。
>239 ちゃんと読めますよ
347 名前:(´∀`)[] 投稿日:01/11/21(水) 17:36
>>345 残念ながら違うのにゃ。俺の書き方がまずかったにゃ?
>語彙の意味⊂統語論 という入れ子構造を想定し、むしろ外側が内側を決定する
は俺の個人的な見方で、チョム派でも多くの人は基本的に
>語彙の意味→統語論
の立場にゃ。あるいは「意味」の部分はとりあえず保留しておいて「語彙→統語」にゃ。
へぇ、そうなんだ。
32 名前:(´∀`)[] 投稿日:01/11/09(金) 19:54
にゃ、ROM中心にゃが、あまりにアホアホなこと書くとツッコミ入れるにゃ
おー、こわ。
>「生得的な言語能力」なんてひとまとめにするのはおかしいと思うんだな
まったくそのとおりにゃ!
チョムはじめ、生成派の誰一人そんなことは言ってないのにゃ。
言ってるのは無知と誤解を振りかざす似非生成批判者だけなのにゃ。
おー、こわ。(笑)
なんだか、ようわからんでコピペしてるので、お疲れました。この辺で。
おれ、「世界に触れるってナニだ」の800以降が読めないやー。 気が付いたら、こっちだった。。。。
思い出したけど、廻廊おじさまの「行動の文法」は主にシンタックスなのかしら? それとも、セマンティックス?また前にも何処かでいったような疑問で申し訳 ないのだけど。 そもそも、行動主義の人たちって、行動のセマンティクスを研究していたみたいな ところがあるのかしら(厳密な意味ではなくてですけど)?それとも、目に見える ということを強く意識していたのだから、シンタックスだったの?(これも厳密な 意味ではない、猫頭的疑問です。)
お、猫的問題意識だな
にゃお。
こんな本があったことを思い出してにゃ。もう、すっかり内容もおぼつかないのだがにゃ。 W・ヴント 身振り語の心理 福村出版 1985 となっとるにゃあ・・ 原典は無論もっと古く、かの『民族心理学』第一巻『言語』(1900)第二章の訳とあるにゃ。 今更、今の先進的言語学や進化科学にとっては屁みたいな本かもしれないがにゃ、 なんか、紙が挟まっとったり、dog-earもあるしで、ワシも読んだもんらしいにゃ。 章 1 身振り語の発達形態 2 身振り語の基本的形態 3 身振りの多義性と意味の変化 4 身振り語の構文 5 身振り語の心理発達 この4章の構文には、A(形容詞)SVOがtree状に書かれているにゃ。SAOVA’(付加的限定) というのもあるにゃ。その次の節は、チシャ猫しゃんの好きなインディアンの身振り語の 語順について書かれている。そして、その次の節が、身振り語構文の心理的成因にゃ。 全体として手話に似たモノが多く検討されとるにゃ。 ま、今となっては、いろいろ??が多いのだろうがにゃ、ところどころには、アリストテレス ではないがにゃ、今も、ふむ、と思うような見解も出てきておったようだにゃ(dog-earしとる)。 しかし、こういう問題はそういう時代、つまり、心理学の揺籃期からの問題だったという ことだけが言いたかったにゃ。それと、身振り語に構文を考える発想というものが古くから (おそらくブントなどより遥か昔から)あったのだなあと、今更ながらに思ったにゃ。 2章に日本が出てくるにゃが、これが笑えるのにゃ。ナポリ人の顔と指の仕草に触れた後: 日本で広く行きわたった身振り、それは歯の間に人差し指を挟んで同じく貧しい顔つきを 伴っているが、これも同様にもともとは「飢え」を表現した。しかしながら、それは「願望」 という一般的な概念を獲得するようになり、こうして象徴的身振りになっている。 どうやら日本人は貧しい民族だったようにゃ(笑)。飢えの仕草から「願望」にゃ。 これを挙げて、だから、行動の文法なのだ!と言いたいわけではないのだがにゃ。昔話にゃ。
こんな古い本見とったら眠くなってしもうたにゃ。ちょっと休憩にゃ。
にゃにゃ!今、書き込んだら画面が更新されて、どえらい量のコピペにゃらあるにゃ! サンクスにゃあ。もっとも、どうつながっておるにゃか、まだよくわかんがにゃ。 ワシの「行動の文法」なんて、どっかにふっとんでしまいそうにゃあ。
258 :
没個性化されたレス↓ :04/10/12 21:57:37
んなものは仮想にすぎない。
へえ、インディアンていろんな人に関心持たれるのねぇ。私、移住してインディアンの人たちと 暮らしたいかも。もっとも、今では、昔どおりの生活なんてないのかもしれないけれど。
ところで虚無好きしぇんしぇいが、ギブソンに触れて、ギブンソンが「内外」を否定すると いうか回避するというか、そういう態度で自身の生態光学を考えていったという話があったようにゃが、 それは、その後どうなったのだろうかにゃ?ギブソンとスキナーの相性がいい部分というのは そういう点かもしれんのだがにゃ、もう一つワシが思うのは、ギブソンもスキナーも「環境」「世界」と いうもののほうに法則性の起源を求めている点も関連することだろうにゃ。 しかし、スキナーはもっぱら細かな環境・有機体相互作用の部分を見ておったわけにゃが、 ギブソンはむしろ、世界の「構造」と有機体の位置や姿勢などとの相対関係に関心が深かったのかにゃ、 ともかく世界の、特に、物理的な「構造」に強い関心があったようだにゃ。そういう世界の構造は おそらくスキナーにはあまり顕著ではなく、それが、ある意味では、現在になって、スキナリアンにとって 魅力なのかもしれないがにゃ。
スキナーの言語に関する話は、当然言語的行動としてのマンドやタクトが出てくるわけにゃが、 そういうものが交互作用するときに、実に重要な働きをしているのが弁別刺激だにゃ。ある人たちは 弁別刺激をとらえながら行動が生じてくる様を、アフォーダンスを捉えるということではないかと 言うようにゃが、そのままストレートに同じでもないと見えるのにゃ。 弁別刺激はもともとは意味も何もない刺激だったものが、行動に対する影響力stimulus controlを 持つようになって、弁別刺激に「成る」わけにゃが、行動の実験系ではともすると、弁別刺激は 手掛かり刺激みたいに、元から、行動に有益な情報を与えるように思われがちにゃが、そこは 違っておって、そう「成る」というところが経験論的なところだにゃ。では、弁別刺激に「成る」刺激は 何でもよかったかということが問題になるだろうにゃ。ランプが点いたり消えたりすることを例に とれば、それは、特に、あらかじめ環境の中で意味が無かった刺激のようにも見えるわけにゃ。 ところが、実際の生活の中で弁別刺激になるものの一部は、何か元から世界の中で意味を持って おるものが多いようにも思えるのにゃ。例えば、スキナー箱の中のレバーは、元から押し下げやすく できてるにゃ。しかも、これは箱の中に「突き出て」おるにゃ。突き出ておって、触りやすくなっとる ことは否定できないわけにゃ(触れる確率は高いにゃ)。このレバーは、操作する道具にゃが、これも 実は弁別刺激の一つに成り得るにゃ。こういう弁別刺激は、ランプとは一味違うにゃ(もっとも、 ランプも見えやすい、という特性を持っておって、壁の染みとはえらく違っておるにゃ。
つまり、そこには元から「機能的何か」が含まれていると思うにゃ。そして、おそらくレバーのような 刺激は元からアフォーダンス的な要素を色濃く持っているだろうにゃ。それは、決して有益だとは限らんでにゃ。 というのはレバーはただ邪魔者でしか無い場合もあるからにゃ。 だがにゃ、スキナーのもっと重視したのは、弁別刺激が行動の可能性(それは実は強化による条件づけの 枠組みの中では、ごく当然のように、強化される可能性でもあるにゃ)を与えるという点だったにゃ。 これも行動や刺激意味が獲得されるということからは当然の行き方だにゃ。そして、これが、レバーの 意味を有益なものに変えてしまうという訳にゃ。これはこれで大切なのにゃが、 ワシが、今、大切だと思うのは、そういう強化ループの中に、アフォーダンス的な問題は元から入っていたし、 今後はもっとそれが顕著になっていくだろうという点でにゃ。 さてと、それだけなら、別に「構造」だの言わんでもいいわけにゃが。 (おそらく、まだ続く)
歳には勝てんでにゃ、今日は、秋のせいか、どうも、テンポがスローでにゃ、お若い盛りの 皆様方には、くっとろくてかなわんとは思うにゃが、どうせ、ワシの書くもんなど、読んでる 人もそういないだろうからにゃ、秋の気長でいくにゃ。
>>263 そして私の言いたいことは、廻廊さんが
>>260-262 で書いたことは
生物が自発的に活動してこそ初めて意味を持ってくるということだよ。
ここで、ランプにゃらレバーにゃらが、餌につながるという点だがにゃ、これはいわゆる contingencyなわけにゃが、そして、行動的文脈ではcontingencyがピカピカ光って見えるために どうしても他の見方がしにくくなるにゃが、実は、ランプやレバーが餌を出す行動を指し示すと 言えば、それは結局レバーを押す行動をどうこうする話になってcontiongencyの一部なわけにゃ。 したが、角度を変えて見てみるとにゃ、レバーが餌を出すという仕組みは、世界の仕組みの 一部、世界の構造の(小さいがにゃ)一部でもあるはずなのにゃ。レバー無しでは餌が 出てこないという事実、レバーは上には押せないという事実、餌が無ければ食べられない という事実、これらは、それ自体は物理的な仕組みであって、行動も糸瓜もないものでは 無いだろうかにゃ?つまり、行動的に見ればcontingencyでも、その一部は見方を変えれば、 明らかにアフォーダンスだと言いたくなることなのにゃ。 行動分析の文脈では、経験論・獲得論がいわば「図と地」の図であるわけにゃが、その地の ほうにアフォーダンスが脈々とあるわけにゃ。だから、アフォーダンスをそのまま弁別刺激だと 考えるのは、それ自体はいいとしてもエラクもったいないし、また、余りに狭隘な問題意識だと 思うのにゃ。
また、もし、contingencyとaffordanceが図と地のように、スキナー箱に存在するのであれば、 (これをワシは勝手に、contingency-affordance aspects of one situation,、ふざけてCAAOS キャアオスと呼んで読んでいるにゃ) その図を見ることによって成り立ってきた行動分析の枠組みは、このことを見直せば、 もっと広いものに成りえるということにもなろうにゃ。そして、おそらく、マンドやタクトのような 言語行動の行動的分析も、基本的にオペラントのcontingency図にノッカッテいるのであれば、 当然、contingencyの方だけをみるという制約にはまっているだろうから、どこかに狭さが ある可能性は高いと思うのにゃ。それを再考すれば、これもまた大きく広がりえるとも 思うのにゃ。一部では、実はそうなってきているというのがワシの現状分析だがにゃ。 CAAOSに気づいておるかどうかは別だがにゃ。 むろん、ここまでは、論理的な考察に過ぎんでにゃ。その先を具体的にせねば、 何にもならんだろうにゃ。しかしまだ論理的に考えておける問題が残っておるにゃ。 (おそらく、おそらく、まだ続く)
>>264 >
>>263 > そして私の言いたいことは、廻廊さんが
>>260-262 で書いたことは
> 生物が自発的に活動してこそ初めて意味を持ってくるということだよ。
無論、オペラントは自発的行動だと行動分析では主張しているのでにゃ、
自発は大前提にゃが、うみねこしゃんの自発とはどういうことで、どう
つながるのかにゃ?
>>264 行列のできるパン屋の話をしているときに「小麦農家がいてこそパンがある」
といちゃもんをつけているような気がするのですが・・・
>>267 >無論、オペラントは自発的行動だと行動分析では主張しているのでにゃ、
>自発は大前提にゃが
なんかうまく丸め込まれたような気分だが、酵素化学反応から
神経細胞の自発発火云々は、その自発的な行動が発現する
仕組みを説明するもの、という位置づけになる。
>>268 ワシがこんな幻想曲を自己満足で奏でておるのはにゃ、生成にゃら言語学の
教えを受けようとする以上は、どういう問題意識によって、そういうことに
関心をおっているのかを示すのが、礼儀だろうと思うからなのにゃ。
いちゃもんも皆結構ではないかにゃ。それもまた図と地であってにゃ、
地が光れば図がまた浮き立つというものだとワシは思うにゃが。
気持ちは分かるがにゃ、何を言わんとするかを聞いてからでも良いのではないかにゃ?
>>269 >
>>267 > >無論、オペラントは自発的行動だと行動分析では主張しているのでにゃ、
> >自発は大前提にゃが
> なんかうまく丸め込まれたような気分だが、酵素化学反応から
> 神経細胞の自発発火云々は、その自発的な行動が発現する
> 仕組みを説明するもの、という位置づけになる。
それはわかっとるにゃ。それから、今のところまでのステップを埋めるアイデアが
うみねこしゃんにはあるのではないのだろうかにゃ?
では、続きを書く前にしばし、話でもするかにゃ?どぞ!
>>271 それが行動の系列はS→O→Rではなく、生物はまず自発的に行動し
その結果帰還してくる情報を処理するという系列で行動している、という
説明になる。アフォーダンスもこの処理の結果として生体によって
把握されるものだと考える。
>>272 いや、悪いけどもう落ちる。
続きをどうぞ
心理学の入門的事実(図と地)を、心理学的アプローチのことに適用してみせるところが とっても面白いですわ。他に、すぐ言うことが見つからないので、感想文でぇす。
>>268 では、パンの味見をした御感想などいかがかにゃ?
>>273 > それが行動の系列はS→O→Rではなく、生物はまず自発的に行動し
> その結果帰還してくる情報を処理するという系列で行動している、という
> 説明になる。アフォーダンスもこの処理の結果として生体によって
> 把握されるものだと考える。
なるほどにゃ。S→O→Rという図式は行動主義でも受け容れられとるがにゃ、
ワシは、この一方向矢印主義を前にクサシタつもりだったのだがにゃ。
十分に説明が足りておらんとは思って反省はしとるにゃが、なかなか、
こういうレスの形ではうまく行かんもんだにゃ。どなたか良い書き方が
あったら頼みますにゃ。
明らかに、この種の矢印表記は、行動のありかた、自発的行動ということの
意義を損ねていると、ワシは今、確信したにゃ!
ちょっと前ににゃ、ワシが自発性ということに疑問を呈したわけだがにゃ、 それは、どうも、今の枠組みでは、自発性は生きておらんという意味合いも あったにゃ。行動分析では、オペラントを自発する行動と捉えるにゃ。 したが、もし、S→O→Rという前後関係を前提にするのであればにゃ、どこかに 矛盾が生じてもおかしくないように思うのにゃが、どうだろうかにゃ? 前スレの終わりのほうでも、また、ここでも時間の問題や、 顔文字しぇんしぇい発のdelimiterに絡んで書いたと思うのにゃが、 時間が連続してS→O→Rと流れるのでは、自発は難しいというのが、 ここ数日のワシの心証でにゃあ。 今夜はナホウドリしゃんは、また旅に出ておられるんかにゃ?
CAAOSって、今まで余り問題にされてこなかった問題なんですか、心理学や行動分析とかでは?
さあて、どうかにゃ?そうでもないとは思うのだがにゃ。面と向かってキャアオスなんて ふざけとるのはワシだけかもしれないにゃ。chaosのモジリのつもりなんだがにゃあ。 で、これは、CAAOSでそのSはsituationだから、まだ、ほとんど環境設定側だにゃ。 少し疲れたでにゃ、ちょっとワシは休憩にゃあ。
>>261 1.
> 弁別刺激はもともとは意味も何もない刺激だったものが、
> 行動に対する影響力stimulus controlを持つようになって、弁別刺激に「成る」
2.
> 実際の生活の中で弁別刺激になるものの一部は、
> 何か元から世界の中で意味を持っておるものが多い
2は弁別刺激というよりも寧ろオペランダムのような?
もっとも、弁別刺激とオペランダムの境界もグレーだが。
アフォーダンスでは1と2は区別されるの?
ランプが弁別刺激としても、「ランプがレバー押しをアフォードした」とは言わないよね。
>>281 >
>>261 > 1.
> > 弁別刺激はもともとは意味も何もない刺激だったものが、
> > 行動に対する影響力stimulus controlを持つようになって、弁別刺激に「成る」
> 2.
> > 実際の生活の中で弁別刺激になるものの一部は、
> > 何か元から世界の中で意味を持っておるものが多い
> 2は弁別刺激というよりも寧ろオペランダムのような?
そりゃ、行動という、あるいはcontingency図の中ではオペランダム(操作体だったかにゃ、訳は?)
ではあると思うにゃ。しかし、例えば、contingency図の中でも、オペランダムは弁別刺激でも
ありえるにゃ。例えば、四角いレバーと丸いレバーが左右で出たり入ったりする場面を考えてにゃ、
その、どっちに出るかわからん丸レバーを押すと餌が出るという場合は明らかに弁別刺激にゃ。
レバーがひとつしか無い場合も、細かくみればレバーは弁別刺激<としての>機能も
あるはずではないかと思うにゃが。
> もっとも、弁別刺激とオペランダムの境界もグレーだが。
そうにゃ。行動分析の魔術の一つは、弁別刺激・オペラント・強化子が機能的定義であるためか
(物質としての定義ではないために)、いろんなものが順次弁別刺激になったり、強化子に
なったりしてしまうのにゃ。この辺りは、ややこしさを感じさせるし、物的思考になれた人
たちには不愉快かもしれんのだがにゃ。しかし、その融通が利くところが本質であるわけで、
そこは大切だにゃ。
> アフォーダンスでは1と2は区別されるの?
それは、おそらく、「アフォーダンスを学習する」というような言い方ができるかどうかに
かかっとるだろうにゃ。これはウッカリ言えないことだと思うにゃ。そこに、アフォーダンスは
元から有意義か?という論議が入るだろうからにゃ。
> ランプが弁別刺激としても、「ランプがレバー押しをアフォードした」とは言わないよね。
にゃはは、いいとこ突くにゃ!いかんかにゃ、言っては?
椅子が座ることをアフォードすると言ってもいかんのなら、そうだがにゃ。
>>282 > 椅子が座ることをアフォードすると言ってもいかんのなら、そうだがにゃ。
いえ、それはいいでしょう。座るという行動は椅子がないとできないのですから。
レバー押しにはレバーがないといけないが、ランプは必要ない。
ふむにゃ、それはそうだにゃ。しかし、座るのに椅子も必要ないにゃが。
ま、厳密に考えるとアレコレあるわけではあるがにゃ。にゃはは。
レバーの方が椅子に近いとは思うにゃ。そんなとこで堪忍してもらえるかにゃ、今のところは? もう少し詰めた話はおいおいできたら、したいと思っておるにゃ。
アフォーダンスって、物体に本来的に備わっている「道具性」のようなものだよね。 椅子でなくても、段ボール箱もビールケースも座るという行動をアフォードできる。 物体の形状と、それがアフォードする行動の間にはある種の必然性がある。 しかし、上の場合のランプとレバー押しの結びつきには必然性は無い。 この恣意性は、言語や刺激等価性にも結びつく。 「2ちゃんねる」という文字は、日本語話者には「にちゃんねる」という発声に対する 弁別刺激になるが、その結びつきは恣意的なもの。 (ていうか、「「2ちゃんねる」という文字は「にちゃんねる」という発声をアフォードする」はあり?) こういうことを考えていくと、本当にアフォーダンスは弁別刺激と同じなのか、 よくわかんなくなってくる。乱文すまそ。
では、少し私が代わって、絡みましょうか? 印象では、レバーとランプでは違う感じがするのだけれど、それは、もしかして 私たち人間の側の捉え方も入り込んでいるのかしら? 逆に、ギブソンのアフォーダンスそのものは生態光学じゃないけど、光的だったのなら 直接的効果を持たないものもあるんでしょう?直接的効果をアフォーダンスとするのは むしろ、有意義派、効果派なのではないんですか?
ううむにゃ、そうだにゃ。そう考えると分かりやすいかもしれないにゃ。実は アフォーダンスというのも、いろいろあると思うのだにゃ、種類が。 (というか、種類分けは、有機体側、あるいは状況に依存して分けられるのであって、 環境側では、別に、どっちと分けてるわけではないだろうにゃ。)
それも、CAAOS的なのかもしれませんね。確かに難しそう。でも、面白いです。
まあ、うっかりするとカオスになってしまいそうだにゃ。にゃはは。 さて、今日はここまでにするかにゃ。話が妄想過ぎて、客人が皆帰ってしまったかもにゃ。 にゃははははうう・・・
え、もうおしまいですか?構造とかの話はまだみたいだけど。
そうなのだがにゃ、それを始める前に、もう少し、せっかくのコピペなんぞを 勉強させてもらおうかと思うのにゃ。それに、それを始めると、また、朝までにゃんにゃん になってしまいそうでにゃあ。
そうですね、まん丸笑顔先生も虚無好き先生もお忙しいようだし。では、私も、コピペ眺めしますね。
>>252 > 思い出したけど、廻廊おじさまの「行動の文法」は主にシンタックスなのかしら?
> それとも、セマンティックス?また前にも何処かでいったような疑問で申し訳
> ないのだけど。
ううむにゃ。ワシにはどこまでがシンタックスで、どこからがセマンティックスか、よくわからない
ところがあるのでにゃ、この質問にはお手上げにゃ。
> そもそも、行動主義の人たちって、行動のセマンティクスを研究していたみたいな
> ところがあるのかしら(厳密な意味ではなくてですけど)?それとも、目に見える
> ということを強く意識していたのだから、シンタックスだったの?(これも厳密な
> 意味ではない、猫頭的疑問です。)
そうだにゃ、どうも、初期の行動主義とその名残では非常に物的操作主義だったのでにゃ
それがどちらに該当するかによるだろうにゃ。スキナリアンといわれる人たちにおいても
シンタクティックな印象のある人と、セマンティックな印象のある人がいると思うにゃ。
ワシは、以前、S→O→Rで、一方向矢印的に考える人たちをシンタックス的だと揶揄してにゃ、
そうでなくて、もっとS→O→Rを構造化して考えるほうをセマンティックだと思っていたにゃが、
顔文字しぇんしぇいの話を聞いていて、どうも、この種の揶揄は一部でしか通じそうもないと
考えが変わったにゃ。
チシャ猫サマリを利用させてもらうにゃ。
>>244 >
>>229 > > 「言語獲得の論理的問題」に対してはスキナーなりブルーム
> > フィールドなりは答えられないというわけにゃ。
> > 安直にゃが、相補的といったほうがより建設的な話しができると思うのにゃ。
そう願っておるし、顔文字しぇんしぇいという人のそういうところにワシも甘えてるにゃが。
> > If this
> > is correct, we can predict that a direct attempt to account for the actural behavior of speaker,
> > listener, and learner, not based on a prior understanding of the structure of grammars, will
> > achieve very limited success.
この問題は今夜もほんの少し考えて書いてみたにゃ。
>
>>230 > > いわゆる「能力」の無が、なんらかのデフォルト値をもっているのではないかという仮説にゃ。
> > ここではまだ、このデフォルト値が生得的であるかどうかには触れないにゃ。
話はそれとるにゃが、生得的か否かは重要問題だろうがにゃ、しかし、既にそのスレで諸賢が
語り明かした問題であることと、ワシとしては、自発性にゃら、行動の方の構造問題がもう少し
明らかにできていないと、とても論議できる立場ではないかと思っておるにゃ。それは、進化についても
同じでにゃ、今のところ、現状での問題を考えることを優先したい気もするにゃ。それで済むかどうかは
分からないにゃが。
>
>>241 > > そのような文法観では言語の様々な領域に見られる「周辺的」現象を旨く取り扱え
> > ないとして批判、中核的現象から周辺的現象まで含めて一律に扱う目的で、発達の前の
> > 段階の文法を漸進的に拡張して次の段階の文法へと発達させていくような言語習得モデルを
> > 提唱しています。このモデルでは、UGの中には文法発達のためにどのような拡張様式が
> > 可能で、どのような拡張はありえないかの指定が含まれています。
> > それゆえに「周辺的」現象も取り込めている)。ではあるが、発達の段階、
> > 段階を追っていくと、その各段階ではきわめて制限されたエレガントな拡張様式に従っている。
発達の段階という点には多少関係したいと思うにゃ。しかし、この話と真っ向から組むには、ワシは
全然役不足の痴呆老人だにゃ。ただ、ここに言われてることが、「言語の文法」「行動の文法」や
「意識の文法」といった各文法の相互関係を考える上では、あるいは便利なのかなとは感じるにゃ。
勝手な憶測だがにゃ。
うっかりしてると、
32 名前:(´∀`)[] 投稿日:01/11/09(金) 19:54
にゃ、ROM中心にゃが、あまりにアホアホなこと書くとツッコミ入れるにゃ
こうなりそうで、あー、こわ、にゃ、ワシもー。にゃははは。
>>268 行列のできるパン屋に成りたいにゃア、ワシ。焼きたてのパンの香り、大好きにゃ。
300
にゃ、大切なものを見逃しておったにゃ。難しいこと言うにゃあ(^^)
>>287 > アフォーダンスって、物体に本来的に備わっている「道具性」のようなものだよね。
いや、それは、有意義派の考えが強いと思うにゃ。ワシはそういうほうが好きなのだがにゃ、
しかし、おそらく、そうではないと思うにゃ。
> 椅子でなくても、段ボール箱もビールケースも座るという行動をアフォードできる。
大地はどうにゃ?急でない坂道はどうにゃ?道具性を元から持ってはいない気がするにゃ。
しかし、それもまた、地球という自転球体の上に安定して存在できるという効果があるとも言えるかもにゃ。
> 物体の形状と、それがアフォードする行動の間にはある種の必然性がある。
それはそうだにゃ。その辺りはギブソンの流れの中でもいろいろありそうにゃが、そこで、
大問題になるのは、その「必然性」という言葉だと思うのにゃ。それは「可能性」では
いかんのだろうかにゃ?この辺りになると、ワシもアフォーダンス概念との違いがよく
わからなくなるにゃ。で、もって、可能性でよしとして、それをふざけてナフォーダンスとでも
呼ぶならばにゃ、ワシが関心を持っているのは、そのナフォーダンスだとは言えるかもにゃ。
> しかし、上の場合のランプとレバー押しの結びつきには必然性は無い。
必然性はない、しかし、可能性はあるにゃ。必然性とは何かだにゃ、おそらく。そこにまた
決定論や因果論が顔を出すのだろうと思うにゃが。
> この恣意性は、言語や刺激等価性にも結びつく。
そうにゃろ?
> こういうことを考えていくと、本当にアフォーダンスは弁別刺激と同じなのか、
違うと思うのにゃ、厳密には。少なくとも、現状の弁別刺激概念では、だがにゃ。
>>301 > > この恣意性は、言語や刺激等価性にも結びつく。
> そうにゃろ?
だからこそ、アナロジーとは何かを、あらかじめ考えておいたにゃが、その
前スレが沈んでしまったとなると、ちと手間が増えたかにゃ。やれやれ、にゃ。
あら、また、前スレを謎のメイン・テーマにつないだんですね?どこまで準備してるんだか。。。
にゃはは、そんなに用意周到なら、もっと中身がありそうだけどにゃ。
謎のメイン・テーマ?もう、謎はないと思うがにゃ(少なくとも、今しばらくは)。
>>221
もしかして。。。なぜ、精神は発生したか?なんて言わないでくださいよー。 そろそろ、寝ます。いい夢を。
にゃ。
>>249 > 347 名前:(´∀`)[] 投稿日:01/11/21(水) 17:36
> >語彙の意味⊂統語論 という入れ子構造を想定し、むしろ外側が内側を決定する
> は俺の個人的な見方で、チョム派でも多くの人は基本的に
> >語彙の意味→統語論
> の立場にゃ。あるいは「意味」の部分はとりあえず保留しておいて「語彙→統語」にゃ。
にゃ、そうだったのかにゃ。外側(統語論)が内側(語彙の意味)を決定するにゃ?
それは、実に興味深いにゃあ。詳しく知りたいものだにゃ。
しかし、現在でもそうなのかにゃ、チョム派の多くの人たちも?
それと、ワシが今までこのスレや前スレなんかで再帰という言葉を使ったとすれば、
それは、この「入れ子構造」だったにゃが。無論、一重ではなく、二重三重ににゃが(まっこと蛇足にゃ)
ネストだにゃ。
ワシは、超徹底的原理主義者が大好きにゃ。
しかし、意味が統語論に⊂というのは一見不思議な気もするがにゃ。 ワシのような素人にゃ、異質なものを⊂で集合にしてるような気がするわけでにゃ。 しかし、それが可能であるとすれば、実に素晴らしいことだにゃ。 非常に小さな構造(?)単位があるのだろうにゃあ。興味深々、にゃ、津々にゃ。
>>309 なら、行動は常に内発的に(自発的に)生じると主張する私のことも
好きなんでしょう。エッチ。
しかし、よくよく考えても、生物はまず行動し、その結果還ってきた刺激を
情報として処理しており、その行動の基盤は生物学的事象である、という
考え方は強力ですよ。
たとえばアフォーダンスにしても、S→O→Rで考えている限り、「直接知覚」とか、
>アフォーダンスって、物体に本来的に備わっている「道具性」のようなものだよね。
という妙な考え方に陥ってみたり、フレーム問題から逃れられなくなったりするのですが、
上のような考え方をすればこれらの問題は起こらなくなります。
たとえば
>椅子でなくても、段ボール箱もビールケースも座るという行動をアフォードできる。
>物体の形状と、それがアフォードする行動の間にはある種の必然性がある。
このことは、まず行動し、その結果還ってきた刺激を情報として処理して「座れるもの」を
理解することは生物(人間)の発達のきわめて初期に成立するので、いったん成立した
後はその物体を一瞬見るだけで座ることをアフォードするかどうかを判断できるように
なるからだ、と考えることができる。
椅子のアフォーダンスのひとつの反証として今思いついたこととして、小学1年生の
時に使用していた椅子(その当時はもちろん座ることをアフォードしていた)を高学年に
なってから久しぶりに見た時には座ることをアフォードするとは思えない(たとえば
小さすぎて腰が入らないので座れない)、ということがあげられます。この場合、椅子という
物体の側は何も変化していないのに、人間の側の身体が大きくなったという変化のために
アフォーダンスが変化したことになるでしょ。
なんかね、「アフォーダンス」などと殊更にいうのは 馬鹿らしいように思えてくるんですけど・・・
>>312 >
>>309 > なら、行動は常に内発的に(自発的に)生じると主張する私のことも
> 好きなんでしょう。エッチ。
なんにゃ、うみねこしゃんはそういう趣味だったのかにゃ。参ったにゃ。(^^)
内発的(自発的)について考える人はみな好きだがにゃ。
> しかし、よくよく考えても、生物はまず行動し、その結果還ってきた刺激を
> 情報として処理しており、その行動の基盤は生物学的事象である、という
> 考え方は強力ですよ。
それは、スキナーのオペラントがなぜこれまで生き残ってきたかというのと
似ておるにゃ。スキナーは、おそらく当初はS→O→Rという一方向矢印主義から
出発したのかもしれないにゃが、そのうち、S→Oの矢印をまず切断したにゃ。
そして、いわば S(O→R) 的な考え方を明示して、Oが自発的に発するする行動を
オペラントとしたのにゃ。しかし、その点はいかにスキナーが主張し、フォロワーたちが
理解しても、なかなか(今に至るまで)十分に世間さまには理解されていないようでにゃ。
それが今も行動主義の中にも、いや、スキナリアンの中にも残っているにゃ。
ま、いずれにせよワシはS→O→Rという図式は早晩殺さにゃいかんと確信してるにゃ。
それなり、素晴らしいものではあったのだがにゃあ。SORを使うなら、今は、
S←O→Rか、S(O→R)あるいはS(←O→R)てなところが、心理学的現状かと思うにゃ。
ただし、SとOとRという区別は、前にも書いたようにねじれておって、奇妙な区分ではあるにゃが。
(つづく)
また、スキナーの強化の概念はあきらかにフィードバック的なニュアンスを持ち、 バイオフィードバック研究の底流にもあったはずでにゃ。翻訳すれば 自発的行動が環境に対して引き起こした効果(行動の結果)によって、有機体の 次の行動が強く影響される とでもいうものにゃ。その効果が強化刺激であってにゃ(大雑把に言うと)。 また、スキナーは確かに文人的人間ではあったが、オペラントと強化の関係を 自然淘汰というか選択淘汰というか、いずれにせよ、オペラント行動は結果によって 選択されると考えていたようにゃ。ただし、これはまだ非常に狭い範囲、つまり、オペラント とは何かを解説する上での方便として考えられたのであって、行動の結果以外に 行動を制約するものがあるか否か、という話は、スキナーの第3世代に引き継がれたと 思うにゃ。 従って、ワシは言葉のニュアンスを除けば、うみねこ理論はきわめてスキナー的とも 見えるのにゃ。問題は、そこに「情報として処理する」というような表現が入っている点を どの程度具体的に示してもらえるかどうかで、ワシの態度も変わってくると思うにゃ。 > たとえばアフォーダンスにしても、S→O→Rで考えている限り、「直接知覚」とか、 > >アフォーダンスって、物体に本来的に備わっている「道具性」のようなものだよね。 > という妙な考え方に陥ってみたり、フレーム問題から逃れられなくなったりするのですが、 > 上のような考え方をすればこれらの問題は起こらなくなります。 上のどの部分がそうなのかにゃ?知りたいにゃ。「直接知覚」というのは、おそらく一種の 方便でもあるにゃ。つまり、S→Oにせよ、フィードバックにせよ、そうした環境の刺激が 「知覚の原因」になるとか、受動的に知覚されるといった、自発性・能動性に逆行する 論理や、あるいはまた、そういう刺激を解釈するという間接性に対して文句を言いたかった ところから強く主張されたと思うにゃ。下でも「処理」という言葉が出てくるわけにゃが、 今はそれを感覚的に受け取っておくにゃ。これは、ワシが前に書いたレベル問題に 関係するので、おそらく下手に触ると、チョー思弁的、水掛論世界になってしまいかねないのでにゃ。 (まだ、つづく)
> このことは、まず行動し、その結果還ってきた刺激を情報として処理して「座れるもの」を > 理解することは生物(人間)の発達のきわめて初期に成立するので、いったん成立した > 後はその物体を一瞬見るだけで座ることをアフォードするかどうかを判断できるように > なるからだ、と考えることができる。 大雑把に言えば、発達初期にそういう「学習」が起きて、それ以降、それがあたかも自明に なる、ということにゃ?そうであれば、ワシの思いともあい通じるところがあるのだがにゃ。 そこで、ワシにとっての問題はにゃ、 > 椅子のアフォーダンスのひとつの反証として今思いついたこととして、小学1年生の > 時に使用していた椅子(その当時はもちろん座ることをアフォードしていた)を高学年に > なってから久しぶりに見た時には座ることをアフォードするとは思えない(たとえば > 小さすぎて腰が入らないので座れない)、ということがあげられます。この場合、椅子という > 物体の側は何も変化していないのに、人間の側の身体が大きくなったという変化のために > アフォーダンスが変化したことになるでしょ。 この例はけっこうよく使われる例なのにゃが、アフォーダンスがそうやって変化したとき、 かって幼少のみぎりに得た「アフォーダンス原型」がいかに働いて、状況が変わって アフォーダンスが変わった今も「一瞬見るだけで座れない」という判断につながるか ということだろうにゃ。また、実際にそうなるかどうかも問題でにゃ。ワシは先日、用で ある小学校に行ったのにゃが、子どもたちが座っているので気楽に教室の椅子に 腰掛けようとして、もう少しでひっくり返りそうになったでにゃ。にゃはは、年寄りだでにゃあ。
>>313 > なんかね、「アフォーダンス」などと殊更にいうのは
> 馬鹿らしいように思えてくるんですけど・・・
そうだにゃあ。
まぁ、アフォーダンスもギブソンが自分の考え方をまとめ、理解してもらうために
編み出した方便でもあるかもにゃ。それを認知のどうのという文脈で、奇妙に実体化
するのはギブソンも喜ばんだろうにゃ。アフォーダンスはJJギブソンのアフォーダンスで
あって、それ以外のものではないのかもにゃ。しかし、便利なので、ワシも使っている
わけにゃ。したが、それが「用語」というものの役割であり、また、同時に
「いつかは破棄されるか、さらには発展変化する」という宿命のものでもあろうかと
存ずる次第でにゃ。
なんか話が尾も白くなってきたかにゃ。
で、ワシは悪ふざけして、ナフォーダンスとか言っとるのにゃが、今朝、驚くべきことに メールが来ておって、「ナフォーダンスのほうがアフォーダンスである」というご意見だったにゃ。 読んでおる人がおって、しかも、メールしてくれるとは恐れ入ったにゃ。
>>312 > なってから久しぶりに見た時には座ることをアフォードするとは思えない(たとえば
> 小さすぎて腰が入らないので座れない)、ということがあげられます。この場合、椅子という
にゃ、腰の大きさだったにゃ。ワシが言ったのは、椅子の高さだったにゃ、よくある例は。
ワシは背の高さでこけそうになったので、腰の大きさでではなかったもんでにゃ。つい
読み謝っておったにゃ。工学より光学のほうをイメージしとったにゃ。すまんせんにゃ。
こんな感じかにゃあ、SORという、やや心配な記号で、 ちょっと一所懸命にお絵描きするとにゃ。しかし、今一にゃが。 また、例によって、うまく表示されるかどうか自身がないにゃが。 <---------- ↓ ↑ ↓ <----- ↓ ↓ ↑ S(←O→R)→C (C: coonsequence) Cによって、Rの起き方と、Sの捉え方が影響される。 前者を行動の結果による知覚変貌、後者を行動の結果による行動変貌とでも しておくかにゃ。それが<別の>過程かどうかは今は考えていないにゃ。 また、矢印は作用の方向を示し、そのままでは時間的継起を意味しないとするにゃ。 (Copyright→海の廻廊@にゃはは本舗)
こんちはー。 廻廊おじさまが意図したように、私の画面でも表示されているか不安だけど、 もし同じであれば、面白いと思う。 でも、何かの本で見たのとよく似ている気もするのよね。 そのOから出る2本の矢印が重なるような場合が知覚・行動一環なのかしら? それとも、RがCに結びついて初めて、2本が重なるのでしょうか? あるいは、また、Cに結びつかないうちに既に?
にゃあ、いい天気だにゃあ。秋風吹いて天高く・・・
>>321 > もし同じであれば、面白いと思う。
ありがとさんにゃ。図がないと、どうもピンと来ないもんでにゃ。
> でも、何かの本で見たのとよく似ている気もするのよね。
にゃにゃ、そうかにゃ。にゃはは、ソレとは別ものだでにゃ。通底してるかも、にゃ。
> そのOから出る2本の矢印が重なるような場合が知覚・行動一環なのかしら?
そう言いたくなるにゃが、その「重なる」というのは、どうも詩的に過ぎるのでにゃ、
むしろ、RからSに連続的にかかる小さめのループのほうがアフォーダンス的かと
思っておるにゃ。にゃ、それは、ナフォーダンスの一部に過ぎんので、今は、あんまり
主張せんでおくにゃ。
> それとも、RがCに結びついて初めて、2本が重なるのでしょうか?
重なる必要はないと思うのにゃ。Cから同型操作として帰ってくるのでにゃ。
> あるいは、また、Cに結びつかないうちに既に?
これは、上でアフォーダンス<的>と書いた小アフォーダンスだにゃ。
>>322 > 重なる必要はないと思うのにゃ。Cから同型操作として帰ってくるのでにゃ。
えええええ?
おっと、言い過ぎたかにゃ。にゃははは。
325 :
没個性化されたレス↓ :04/10/13 14:26:51
海の廻廊さん
長い解説をどうもありがとうございます。私も頭の整理に役立ちました。
しかし、廻廊さんに直接メールが来るとは、知っている人は知っているん
ですね、廻廊さんの正体を。私は知らないけれども、私もお名前を
知っている先生なのかも知れませんね。
前にも言ったけれども、私が関心をもつことは、誰それがどう考えた
ということではなく、この世界はいったいどうなっているのか、ということ
なんです。
さて、まず行動しその結果帰還してきた情報を蓄積していくと考えるのであれば、
R(Response)は使ったらおかしいでしょう。最近知ったのですが、私と
同じように考えている人は他にもいて
たとえば
http://www.sciencedirect.com/science?_ob=ArticleURL&_udi=B7581-4D0WDPJ-C &_coverDate=08%2F31%2F2004&_alid=209339000&_rdoc=1&_fmt=&_orig=search
&_qd=1&_cdi=12913&_sort=d&view=c&_acct=C000050221&_version=1&_urlVersion=0
&_userid=10&md5=7b1129764b9236c3cea02a4a220abd12
ではActionという言葉が用いられていますね。(URLが長すぎるので2chは受け付けなかったけれど、、
改行を削除して入力してください)
> たとえばアフォーダンスにしても、S→O→Rで考えている限り、「直接知覚」とか、
> >アフォーダンスって、物体に本来的に備わっている「道具性」のようなものだよね。
> という妙な考え方に陥ってみたり、フレーム問題から逃れられなくなったりするのですが、
> 上のような考え方をすればこれらの問題は起こらなくなります。
この中で、「調節知覚」に関しては廻廊さんの
>>315 をそのまま受け
入れるとして、「物体に本来的に備わっている「道具性」のような
ものだ」という考え方が妙だというのは、
>>312 にも書いたように、
あくまでそれは物体に備わっているのではなく、生体が認知する
ものであるということ。そしてその認知が可能になるのは、生体から
見て単に受動的にやってくる刺激ではなく、自発的に行動した結果
帰還してくる刺激によって初めて認知されるものだということ。
フレーム問題に関しては、私は「我々は情報を処理して行動する(つまりSOR)」
と世間で普通に言われている考え方から生まれる擬似問題だと言うこと。
だいたい、我々一人ひとりには自発的に行動した結果帰還してくる情報
「しか」手に入らないのですよ。読書や講義から情報が手に入るのも、
読むという自発的な行動があって初めて可能になること、注意して聴くという
生体側の自発的な活動があって初めて可能になることなんですよね。
>>326 > 長い解説をどうもありがとうございます。私も頭の整理に役立ちました。
いや、こちらこそ、にゃ。
> しかし、廻廊さんに直接メールが来るとは、知っている人は知っているん
> ですね、廻廊さんの正体を。私は知らないけれども、私もお名前を
> 知っている先生なのかも知れませんね。
にゃ、ワシは単なる無名の田舎爺でにゃ。誰にも知られておらんと思うのにゃが。
メールはいわゆるフリー・アカウントからでにゃ、差出人は「ご存知よりの者より」
となっておって、またまた、ビックリだったにゃ。世の中、誰がどういうふうに物を
見聞きしとるんか本当に不思議にゃ。匿名は2ch内だけではないようだにゃ。。
> 前にも言ったけれども、私が関心をもつことは、誰それがどう考えた
> ということではなく、この世界はいったいどうなっているのか、ということ
> なんです。
これはワシも同感でにゃ。人名は一種の弁別刺激に過ぎんと思っておるにゃ。
したが、人名を挙げるのは、その人名からアレコレたどってもいけるかにゃ、と。
まぁ、文献代わりかにゃ。およそ、偉大な仕事をした人は仕事において偉大では
あっても、人自身が偉大とは限らんもんでにゃ。人を尊敬するというのは人生の
問題ではあっても科学の態度ではないと思うにゃ。
> さて、まず行動しその結果帰還してきた情報を蓄積していくと考えるのであれば、
> R(Response)は使ったらおかしいでしょう。
にゃはは、そのとおりにゃ。Responseは受動的な応答なので他の用語、まぁ、一般的
すぎるが、自発の意味を含めて、行動とでもいうのがより良いとは思うのにゃが、それを
変更するとおそらく、SやOも変更せにゃいかんと。ま、暫定的な図式だと笑うておいて
くだされにゃ。また、「蓄積」という点は、ちょっと保留にゃ。基本的に、蓄積がなければ、
行動の変化は起きようがないのにゃが、その蓄積の形が微妙だと思うでにゃ。
> ではActionという言葉が用いられていますね。
ずーっと以前からワシは「行為」という言葉が好きだったのにゃが、どうもアレコレ余分な
意味がありそうでにゃ、使えずにいるにゃが。Action−perceptionは前にも、うみねこしゃんが
書いとった語だにゃ。これは綺麗だと思うにゃが。前にも書いたがにゃ、ヴァイツゼッカー
なども、神経病理的な問題意識でゲシュタルトクライスということを言っておって、これが
最近、運動制御などの関係でも注目され直しておるにゃ。そこにも、また、アフォーダンス
「有効性」一派が絡んでおるようにゃ。事象関連電位か、懐かしい話だにゃ。確かにCNV
の時代から、そこには、能動性の問題があったと思ったにゃ。
>>327 > 入れるとして、「物体に本来的に備わっている「道具性」のような
> ものだ」という考え方が妙だというのは、
>>312 にも書いたように、
> あくまでそれは物体に備わっているのではなく、生体が認知する
なるほど、そういう角度からだったかにゃ。反対はせんのだがにゃ、こういう考え方は
どうにゃろ?つまり、「物に備わっている」のでも「生体認知する」のでもなく、
アフォーダンスは、物と生体との<関係>として動的に存在する
それを知覚するのは生体の能力が存在しなくてはならない、とにゃ。ギブソンは最初の頃は
「物」に備わっているという雰囲気が強かった(それでも生体を無視してはいない)が、
次第に今度は生体側が知覚するということを濃厚に言うようになって亡くなった。
そこで、その時点の後継者に、それをさらに有機体内に求める傾向を強めた者が出た。
これは揺らぎだと思うにゃが、穏当なのは上に書いた「関係性」としてのアフォーダンス
だと思うにゃ。ま、ワシのナフォーダンスでもいいにゃが。
> ものであるということ。そしてその認知が可能になるのは、生体から > 見て単に受動的にやってくる刺激ではなく、自発的に行動した結果 > 帰還してくる刺激によって初めて認知されるものだということ。 これも、これ以下も、基本はすごく同意にゃ。「道具性」というような考え方が出てくるのは アフォーダンスに拠ってその後に何らかの効果(おー、椅子にすわれたにゃ!)があって、 そこから生じる感情的なものの影響だと、ワシは思っておるにゃ。つまり、一時的では ないが、二次的には無視できんフィーリングだとにゃ。周辺事情だにゃ、まあ。 どうも、つい長くなってすまんせんにゃ。歳のせいか、つい、歴史物語風になって しまうにゃあ。
>>329 > アフォーダンスは、物と生体との<関係>として動的に存在する
> それを知覚するのは生体の能力が存在しなくてはならない、とにゃ。
これなんですけど、ただの関係性なんですか?配置とか、そういった?
それも興味深い、特に、行動実験の場面などでそれを考えると面白いかな、って
思います。でも、それだけだと、つまらない雰囲気なんですけどー。
>>331 >
>>329 > > アフォーダンスは、物と生体との<関係>として動的に存在する
> > それを知覚するのは生体の能力が存在しなくてはならない、とにゃ。
> これなんですけど、ただの関係性なんですか?配置とか、そういった?
にゃ、そうだにゃ。やはり、アフォードする関係性だにゃ。にゃは。アフォードという語を
考えると、それはそもそも、〜をするだけの金と時間があるとかいう意味だったにゃ。
この場合は、人が主語になるにゃ。
しかし、ちょっと別の意味もあって、強いて訳せば「自然の結果として〜を与える」
という意味もあるにゃ。その、「自然の結果として」というのが、ギブソンのニュアンス
だろうと思うにゃ。この場合は、多くの場合は、物、ないし、事態が主語になるにゃ。
なぁ、チシャ猫しゃんや、このaffordという動詞、より中性的ではあるが、どこか
CAUSEに似てやせんかにゃ?
「〜させる」ではなく「〜可能性を与える」ということにゃが。
ワシは、行動の文法の場合は、CAUSEではなくてAFFORDか、あるいは、
もっと単純な一般性の高い動詞を中心にすえたいと思っておるにゃ。
にゃあああおんと、チョーびっくりです! 今日は随分と驚かされる話題がポロポロと出てきますねぇ。 すごく面白いです!ドキドキしちゃったわ。 あ、もしかして、さっきのビックリと今のビックリはどこかでまた つながってくるんですか??? うわ、答えは要りません!
うにゃ?そうだったけかにゃ。
アフォーダンスの概念は幼児の言語獲得を論じる場合にも実に有益にゃろが, ただ与えられた言語環境に受動的に晒されるのではなく,幼児側に環境に積極的に 働きかけそこから「意味」を引き出すようなメカニズムが備わっていなければ 言語獲得はあり得ない,というのが生得説のいわんとするところ,と言ってもいいにゃ この幼児側のメカニズムだけ強調し過ぎると極端な生得説となって批判を浴びる わけにゃが,実際には >アフォーダンスは、物と生体との<関係>として動的に存在する とほぼ同義と思われるにゃ
>>338 「物」を有意味な物にするのはあくまで「生体」であるので、
私には正直なところ、
>アフォーダンスは、物と生体との<関係>として動的に存在する
は詭弁としか思えんとですたい・・・
こんばんは、まん丸笑顔先生。
>>338 > アフォーダンスの概念は幼児の言語獲得を論じる場合にも実に有益にゃろが,
アフォーダンスのどういうところと言語獲得がつながってくるのか不勉強でわかりませんが、
環境の物理的成り立ちのようなものですか、それとも、他者との交互作用のような?
> ただ与えられた言語環境に受動的に晒されるのではなく,幼児側に環境に積極的に
> 働きかけそこから「意味」を引き出すようなメカニズムが備わっていなければ
ここだけ伺うと、獲得説のようにも聞こえるのですけど、違うとすれば
「意味を引き出す」というあたりですね?でも、そこには交互作用があるのでしょ?
> >アフォーダンスは、物と生体との<関係>として動的に存在する
> とほぼ同義と思われるにゃ
言語獲得あるいは使用を何らかの形でアフォードするものがあるということですか、
環境の側に?それは世界の構造なのかしら、それとも、行動を制約するもの?
あるいは、制約をアフォードするものがあるのかしら、何か?
ま,そうなのにゃが,生体が有意味にできるような構造を物のほうが有しているからこそ, 有意味にできる,とも言えるかもにゃ
>>339 >
>>338 > 「物」を有意味な物にするのはあくまで「生体」であるので、
そうだと思うのですけど、アフォーダンスはそれ自体は有意味ではないわけでしょ、
生体なしでは?
> >アフォーダンスは、物と生体との<関係>として動的に存在する
というのは、意味づけ前のものということではないのかしら?
341>339 ですた
生体が有意味にできるような構造って、何か簡単な例があります? あったら是非、教えていただきたいです。
環境というと漠然とするにゃが,幼児が最初に経験する言語刺激(一次的言語資料) と幼児が元から持っている生得的言語知識(UG)の相関の中から母語文法が 生じると見るわけで,この場合の一次的言語資料やその供給者を環境と考えれば ということなのにゃが >ここだけ伺うと、獲得説のようにも聞こえる これは生得説ではなくて,という意味かにゃ? なーぜにゃ,どーしてにゃ(間寛平風に)
>>344 私の掲示板にも書いたことですが、都会に迷い込んだサルにとっては
電信柱は高所に逃げるための「足がかり」、看板や出っ張りは身を隠す
ための「遮蔽物」として見えているでしょう。人間が意図したこととは無関係に、ね。
>>345 > 環境というと漠然とするにゃが,幼児が最初に経験する言語刺激(一次的言語資料)
> と幼児が元から持っている生得的言語知識(UG)の相関の中から母語文法が
> 生じると見るわけで,この場合の一次的言語資料やその供給者を環境と考えれば
> ということなのにゃが
ああ、なるほど。ご教示ありがとうございます。ところで、上の「相関」という言葉なんですけど
統計的(というわけでもないかしら)に近いような関係が生じる、つまり、言語資料とUGの間は
関連付けが生じる、という意味合いですか?その場合に、その関連付けは、一種の知覚、あるいは
認知のような「感じてわかる」ことでしょうか。そこに、もっと、例えば行動的なやり取りが含まれるなら
下のような印象(獲得っぽい)を受けるんですけど。
> >ここだけ伺うと、獲得説のようにも聞こえる
> これは生得説ではなくて,という意味かにゃ? なーぜにゃ,どーしてにゃ(間寛平風に)
ん、もしかして、すりあわされてできた言語は、幼児の「中」ではなく、幼児と世界の「間」に
できるんですか?ちょっと抽象的になってしまった・・・
間寛平さんて、面白いし、魅力的ですね。
>>344 乏しい一次的言語資料の中に,母語文法を獲得するに足る情報が入っているにゃが,
その情報は幼児側が生得的知識と突き合わせることでしか情報にならない,といった意味にゃ
主体側からの働きかけにも十分ウェイトを置かなければならない点を見ると,やはり
アフォーダンス理論とも違うのかもにゃ(ドテ
>>350 >
>>344 > 乏しい一次的言語資料の中に,母語文法を獲得するに足る情報が入っているにゃが,
> その情報は幼児側が生得的知識と突き合わせることでしか情報にならない,といった意味にゃ
「突き合わせる」ですか・・・まるで、暗号とキーみたいですね。(^^)
> 主体側からの働きかけにも十分ウェイトを置かなければならない点を見ると,やはり
> アフォーダンス理論とも違うのかもにゃ(ドテ
学習ですよ、きっと (^^) というのは悪い冗談ですけど、主体側からの働きはアフォーダンスの
場合でも必要なのだと思うんですけど。
つまり、そういう「関係」になって初めて、アフォーダンスと接し、知覚することになるので、
「関係」になる、なってみなければ、ある意味ではアフォーダンスは、生体側には「無い」とも言える
と思うんですけど。この「接してみなければわからない」という点が何か大切なことみたいなんです。
結果性というか・・
廻廊風に言えば、 一次資料がUG以降の言語をアフォードする というような意味でいいのかしら?
なんにゃ、チシャ猫しゃん、置いてきぼりかにゃ。ワタシ、待ーつわー、ずっと待つーわ、じゃにゃ。
にゃはははは。二人の客人はまるで一陣の秋風のようだったにゃ。
>>350 > その情報は幼児側が生得的知識と突き合わせることでしか情報にならない,といった意味にゃ
ありがとさんですにゃ。
> 主体側からの働きかけにも十分ウェイトを置かなければならない点を見ると,やはり
> アフォーダンス理論とも違うのかもにゃ(ドテ
チシャ猫しゃんが言ってくれたのようなのだがにゃ、ギブソンのアフォーダンスは触覚を
イメージすると分かりやすいと思うにゃ。つまり、触覚は物に触った、その瞬間に成立するので
あって、物の例えばザラザラ形状は、触ったときに触覚として(感じられて)意味を持つ
というように考えると思うのだがにゃ。
じゃあ、私、待つわ。待つのは慣れっこ。
うみねこ先生だけ真実をみておられる あることの説明なんていくらでもこしらえることができる
357 :
探検隊 :04/10/13 23:19:03
キミたち、いつからこんな話をコソコソやってたんですか? 時々来てザッと眺めるだけの身にとっては、ageてくれなきゃ分からんじゃないか。 おまけにこのタイトルだ。下にある限り読もうという気になれないではないか。 週末に時間ができたら始めから読ませてもらうが、 なるべくageて書いておいてくれよ。
発生学すら知らない心理学徒にはピンとこないタイトルだからな。 生物板で立てるべきだな。
>>278 >今夜はナホウドリしゃんは、また旅に出ておられるんかにゃ?
|’▽’) そ〜〜・・・
|’▽’)<昨晩は旅。今夜はROM。ナフォーダンス?私は、ナホウザンス。
| ミ サッ
では、終了にしましょう。
そうだな。 事実がすべてだ。 それを無理に説明しようとして迷子になる。
>>356 かえって、うみねこ氏の品位をさげるよ。それとも、それが狙い?
>>358 経緯をよく読んでからコメントしなさいな。ナントカ学以前の問題だよ。
>>357 アゲルとゴミが増えるからね。今夜みたいに。
>364 偽問題?
たぬきそば
五目鮨
はるまげどん
蛆虫ころころ
2chマンセー
ひょうろくだま
糞レス
赤恥
カレーライス
無知
なつかしき2chへ
低能世界
お楽しみ
どてかぼちゃ
死の世界
科学以前
呪い
集合無意識
ゴミタメ
死の恐怖
殺意
よどみ
1000
腐敗
争奪
見よ
非生産的
惰性
崩落
↑↓→ロバ←
無意味
400
鉄槌
死を
この世界は、人間さまがいるからこそ意味がある
荒廃
下品
井の中の蛙
浪費
時間
無
黙示録
エントロピー
屑
穢土
必ず
報復
退廃
総攻撃
断末魔
記憶
永劫
追放
途絶
>>421 もうここに来なくて良いですよ。誰からも相手にされていません。
書き込むだけ無駄です。見るだけにしてください。
ホミノイド発達と脳の機能進化の問題をやりましょう。
今、ディーコンを復習しています。
蹂躙
無価値
爆裂
無用
あがき
>>346 >人間が意図したこととは無関係に、ね。
人間が意図した用途とは無関係な「道具性」によるもの、ということですよね。
そして、顔文字先生の
>>341 につながると。
にゃ、これはどうじゃ。2,3時間目を話すとこの有様かにゃ。参った、参った。 若いもんのエネルギーには勝てんにゃあ。いろいろ考えようと思っておったにゃが、 どうも、このまま行くのを喜ばん人も多いようだにゃ。ま、それも成り行きにゃが。 ワシもなんにゃ、やる気喪失といったところかもにゃ。れっせ・ふぇーるだにゃ。 前スレ、前々スレあたりから、陰に陽にご援助いただいた方たちには深く御礼 申し上げるにゃ。ま、もうちょいと大切な話が残っとたがにゃ、この勢いでは いろいろと難しそうだと思うにゃ。ヤーメタというわけではないがにゃ、しばし 考えさせていただくことにするにゃ。(とか言って、明日にはまたやってるかも しれんがにゃ) 結果的に何も言わんで消えるのも申し訳ないと思うので、 一応、御礼申し上げ、状況の詳細を分析などしながら、しばらくワシは静観するにゃ。 ありがとさんにゃあ〜。いやぁ、参った、参った。にゃははははは。
と、廻廊爺は海の波間にとぼとぼと消えていったのであった。とかにゃ。にゃははは。
にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー 耳を澄ますと言葉以前の音が聞こえてくるにゃー
全部ひっくるめて自演臭い。
にゃ,廻廊しゃん,合い言葉はマターリにゃ 急がずマターリおながいするにゃ(ぺこり
この板の数少ない「専門家」であるはずの院生がゴミ化している。 自分の知らないことは拒否するんじゃなくて面白がらなきゃ 研究者として大成しないよ。 廻廊氏も顔文字氏,うみねこ氏その他も2,3日したら 何もなかったかのように再開してください。俺は読んでるよ。
私は今、骨粗鬆症治療薬の鎮痛作用という、自分にとってまるで 畑違いの分野の総説を訳しているんだが、こういう仕事も関心が 持てなければ続けられるものではない。この辺、若い人にも 分かってほしい。 残念ながら、今日は私は脳のCT検査を受けに行くので、ここでの やりとりはお休みだ。
そうだ、今夜あたり、私が数年間ほど取り組んだことのある 放射状迷路実験の話をしようか。これなら心理の専門家にも 直接的な関心が持てるはずだ。
顔文字先生、ありがとうございました。
チシャ猫、また、今度な。
??
なんだかなあ
俺らは院生じゃねえよ、ボケ
小学生だな
基地外は黙ってな、な、いい子だから
妄想を並び立てても妄想にしかならないな
そうなんですねぇ
もっと地に足をつけなきゃな 風船みたいにフワフワしてるから つっつかれてすぐ破裂するんだ
>>451 学問の問題を比喩で語るのは素人向けに説明するときだけ。
学術的な議論を比喩で揶揄したつもりになるのはただのバカ。
地とはこの場合になにをさすのか、その2者が相同であると
いうことはなにによって保証されるか、足とはこの場合に
なにをさすのか、その2者が相同であるということはなにに
よって保証されるか、風船とはこの場合になにを......
453 :
没個性化されたレス↓ :04/10/14 10:49:19
そんなことより、うみねこは病気治療に専念しな 前よりも分裂病がもっと進行しているようだぜ
>>453 ほんとに院生ですらないようだなあ......
他にたくさんあなた向けのスレあるでしょ。
細部をあーだこーだ言うのが学術かよ
>>455 そうです。細部をあーだこーだいうのが学術です。
もちろん、それだけが学術ではないけれど、
細部をおろそかにするものが学術と呼ばれることはありません。
行動厨は氏ね
452みたいな奴しかいないから爺さんは消えたんだな のこのこでてきて説教たれやがって まだ批判のほうが重要だ
鉄板にでもいきな
うぜえんだよ、おまいらは
ここに行動厨やもどきはいらねえよ
科学づらされると吐き気がするぜ
まあ昼と夜で参加者が分かれてるスレも面白いのでは? しかしこんな時間にみんなどこから書いてるの?
お前はよ?
行動厨がどこにいるの?
うざいだと? ロム猿はそれしか書きこめねぇのか ユビークワエッテ読むだけにしてろ
糞でもして死ねよ
このスレでは1行レスを読み飛ばすと 意義のある知識や面白い議論を読むことができます。
そんなもの、どこにもありゃしねえわな
字の読めない人にはどんな大きな図書館もゴミの山です。
図書館?文章にもなっていないダラダラ並べるのが図書館か
早漏は氏ね
フランス語の読めない人にはフランス語の文献は文章に見えません。
自分が理解できないものには沈黙しましょう。 理解できない以上、それが有意義かそうでないかを 自分が判断することはできないのだから。
フランス語だかなんだかしらねぇが、言語植民地はいらねえな
おまえこそ黙れよ
フロイトの誤りをまねているだけ 便利な言葉をよせあつめてもそれは、人間が仮想した幻想 神経学生理学的事実の積み重ねだけが最後には残る
植民地とは強いものが弱いものから奪取するものです。 自分の弱さをそんなに強調しようとする意図がわかりません。
価値ないことで大切な心理板を汚すんじゃねえよ
神経だぁ?おまえに神経なんかあるのは、ヴぉケ!!
>>478 そんな低レベルの話をいまごろされても....
言葉遊びが心理学なら、どこにでも心理学はあるさ
>>480 結局心理学初学者みたいなヤシが素人を愚弄して
自尊心を高めるという目的のためには
大人がまともな議論をしようとするスレは邪魔なんだね。
心理学板自壊の理由はそれか。
理論や実験は便所ででもやればいいのだ
というかそんな話題を今頃振る気になった478の蛮勇に脱帽
おいおい482のロム猿が高等なお話をしてくれそうだぞ
便所を改造した暗室で知覚の実験やってる人は実在した。
ほーかいしてるのはお前らの頭のほうさ
うみねこは黙れ!
まあ、苦しくなってカバは逃げたのさ
じゃあ、人工知能のはなしか進化論でもやれよ
さ、どぞー!ここから進化スレな。生物板にするか。
心理学うぜえ
せいぷつ板に言語スレ立てた先生のほうが 事実を基にした空想でまだ面白い 呼んでくる
そして、人類は滅びロボットだけが残る。
そうしろ、お前だろ、それ?
心理板は解体!領土は生物と言語が分けるってのは、どうだ?
いいね、それ賛成
いっかいぶっこわさないとダメだわ
呼び込みしかできない奴ばかりか、ここは
奪構築
スレ自分で立てられないような奴らが偉そうなこと言うから 心理板はこうなるんだよ。猛反省を要求する!
心理板なんかいらねぇよ。
生物学的心理学がここを占拠する!
お前はPでも立ててな
どーせ、何立てても持ちゃしねえと思うがな
爺さんよ、いい加減めんどくさいからって こういうやり方はどいかな?
いずれにせよ、最後ににやにやして出てくる奴を見届ければ、騒動の癌因わかるさな
これはこれで面白い。
>>512 2ちゃんで一般的な推論法則はたいてい正しくないよ。
出たい奴がそういうこと言うんだよな
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 浄化! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
おまえらまだ気づかねーのか? 本気だったら逃げたりしねーよ うみねこ先生や○とかもまだいるんだぜ
では、うみねこ大先生にご登場いただきまほー
フランスかぶれの捨て猫か?
うみねこ先生が未来を作るのだと思います。
迷路でもなんでもいいから、心理学板にカキコしな。
ところで教育心理学会はどうなったんだ?
なんだ、コテもいるんか
冒険隊がくると荒れる法則
526 :
没個性化されたレス↓ :04/10/14 16:07:36
コテ関与をごまかす方策
527 :
没個性化されたレス↓ :04/10/14 16:46:31
528 :
没個性化されたレス↓ :04/10/14 17:08:25
今週のネーチャン,ではにゃくてNatureから,うみねこしゃん向きかにゃ Nature 431, 859 - 862 (14 October 2004); doi:10.1038/nature02966 A general mechanism for perceptual decision-making in the human brain H.�R.�HEEKEREN1, S.�MARRETT2, P.�A.�BANDETTINI1,2 & L.�G.�UNGERLEIDER1 1�Laboratory of Brain and Cognition, NIMH, 2�Functional MRI Facility, NIMH, NIH, Bethesda, Maryland 20892-1148, USA Findings from single-cell recording studies suggest that a comparison of the outputs of different pools of selectively tuned lower-level sensory neurons may be a general mechanism by which higher-level brain regions compute perceptual decisions. For example, when monkeys must decide whether a noisy field of dots is moving upward or downward, a decision can be formed by computing the difference in responses between lower-level neurons sensitive to upward motion and those sensitive to downward motion. Here we use functional magnetic resonance imaging and a categorization task in which subjects decide whether an image presented is a face or a house to test whether a similar mechanism is also at work for more complex decisions in the human brain and, if so, where in the brain this computation might be performed. Activity within the left dorsolateral prefrontal cortex is greater during easy decisions than during difficult decisions, covaries with the difference signal between face- and house-selective regions in the ventral temporal cortex, and predicts behavioural performance in the categorization task. These findings show that even for complex object categories, the comparison of the outputs of different pools of selectively tuned neurons could be a general mechanism by which the human brain computes perceptual decisions.
なんと言ってもうみねこ先生はMRIの大家ですから。
↑古いな、それしか知らんもんな。
↑ 新しいのを解説してみ
budget-aided kinetic activityだっけ、それ?
いや、違うと思った。確か、angle-harnessed orietationだったかと。
最初、パッチ・クランプとIC組み合わせてやろうとして、うまくいかなかった。
そうそう、無謀だよね。いくら可塑性があるからってね。
岡崎とMITが組んでやろうとした?
それそれ、ずいぶん後退したのに落ち着いたもんだね。1970くらいに戻った?
ううん、1968。thin film technologyの走りだよ。
neuronなんかよりgliaのほうがよほど再生能力が高いことをすっかり忘れてた。
はははは、それそれ。
なんだかなぁ 内容が無い様
UCのR・ドレフュスというオッサンがshock-absorbing membrane作ってみたけどダメだった。
バークレイ?
うん、今はLAだけど。
NIMHなんかにもコネあったのかな?
まぁ、お役所だから、いろいろ。
今は、Na channelとglutamate recepterのcomplexのほうがフィットするだろうとか言ってる。
おぇ、それ、あまりに・・・
そうだろ?dorsal quotient navのほうがいいと思うよな。
いけねぇ、マイクロ・ピペット、5,6本引いとけって言われたんだ、また、後で。
まだ、あれ、やってるのかよ。俺はまだしばらくいるから。
なるほど、やはりそうであったか。 すべてあいつだったか。
555
したり顔すればするほど馬鹿が見え
557 :
没個性化されたレス↓ :04/10/15 02:35:49
多重コテハンすれか?
ごめん、もう落ちた?例のやつ、アミノ酸20−30らしい。
まだー。遠心待ち。それじゃ、流しにくいやんか?
そうなんだが、コレのご下命だから・・ さっきのって薄膜にIC布って、その上に神経培養するやつだろ?
そう。今でも使ってる?バカ高だったけど
最近見ない。関係ないけど、2ちゃんてserialRAMって感じせえへん?
へへへ、する、する。仕組みは簡単だけどなかなかだよな。情報構造と人間の処理の間隙わかってる。
そ、あ、終わったみた。お前、何時?
完徹らしい。お互い大変な
実験の待ち時間が暇なのは分かるが、その時の雑談にこのスレを使うなよ・・・
おー。しかし、あんなんでも学習するんだな、ちょっと驚き。Fetz覚えてる?青い目の青年
Harv/MITの?あいう仕事ないと、上のもなかったよな。だめだ、後で。
をーい,廻廊しゃんとチシャしゃん,見てたら生成スレに来るにゃ
言ってるよ
ミネルヴァの梟は、どこへいったのですか? もう、飛んできてくれないのですか?おーい、おーい。
たいした業績もあげず、社会や学問の新しい流れにも対応できず、 「科学的だ」というプライドだけが一人歩きしているのが 日本の実験系心理学だと、さる大先生がおっしゃってました。
>>572 そういう言葉は実験心理学に実際に携わっている研究者が
真摯に受け止めるべきことで、高校生や初学者がその言葉を
一緒に聞いて嗤っているとしたら、そいつは終わりだね。
「よし、自分はそうならないようにしよう」と思うのならいいのだが。
言葉には発せられる対象、受け取るべき対象というものがあって、 それに該当しない者が受け取ると誤解されかねん。 言葉を発する側も十分注意した方がいいのかも知れない。 少なくとも、どういう対象に向けて発した言葉かを明記した 方がいいかも知れない。 とくに2chのように、どんな人物が聞いているのか分からないような 場では。
深いお言葉だ ロバが生物板荒らすから報復されるんだ 謝罪シル
やぁ、終わったー!これから寝るよ。レベル・インジケータ下がりっぱなしだけどさ。
え、これから?俺は、一眠りして、これから再開だよ。何も言わずによく働くロボットがほしいよな。
はは。でも、相手は生き物だからなあ。例の、23個に確定だってさ。
ほんと、電荷は?
それが、なんだか揺れてて、困ってるよ。構造が不安定というわけでもないんだけどな。
ふーん、2重だったりしないよな?ははは。じゃ、また後で。
どうやらアホが一人で荒らしとるらしいな
↑
ところで、お前のとおころのボス、あいかわらず、数値微分でいいと思ってるみたい?
寝かしてくれよ。そういうわけじゃないんだが、一日中、式を書き散らしてる。一応、実験とかは細かく分かってるからいいようなもんだけどさ。
へ、じゃあ、数値解じゃないの考えてるわけ?そりゃ、電波ますます近しか。
廊下がうるさくて目が覚めてもうた。数値解じゃ理論にならんないじゃん。でもさ、23をびったし予測していたのがスゴイと思った。
そうかぁ?ソレ、理論なんかなくてもだいたい推測できた気もするが。現場からずれると理論、その後は水掛、人間関係抗争ばかりで、先に進まなくなるのがオチだと思うけどね。好き好きだけど。
ま、それはボス同士でやればいいことで、当座おれらには関係ない感じだな。バインディングのほう、結果出た?
まだ、つーか、出た結果で混乱してる。そもそも、結合って、結合するものが明確だから言えるというのは、夢だとはわかったよ。グラフの点が2つに分かれるんだけど、それがまた・・
osscillophore?
うげっ、それはないとおもうけど・・・言われたら自信なくなった。
アテナイはある意味冷酷な女神だったからね
ぇ、何、それ?
違う違う、ここの人みたい。俺じゃないよん。ちょっと時間変だけど、餌してくるー。
わからないことはミンナ脳化してくるね。というか、今までもずっと脳化してきたのだった。 脳はどんどん科学されていく。素晴らしい進歩だ。しかし、そこでみつかる事実はいつも <世界の鏡としての脳>を徐々に明示することばかり。脳の奥に私はいたか? 魂に求めたと同じように果てしなく、人は脳の奥へ奥へと自分を探し認めていくらしい。 しかし、それは三面鏡の幾重にも奥深げに見える世界と同じ、自分はそこにはいない。 鏡像の中に実体を求める夢をみるのは、科学の進展の中の深層構造を見誤っている。
まず初めに宇宙ができて、つまり、世界が最初にあって、そこに生命が生まれたのだ。 生命の中に世界が生まれたわけではない。生命の中に世界が生まれたと信じるのは 自由だが、現在の科学はそれを否定してきた歴史でもある。生命が生まれたのが、 海であろうと水を伴なった土くれの層の間であろうと、生命は世界の中に生まれ、そして 今もなお世界の中に生きている。最初の生命が水泡のようなものだとすれば、生命の 起源は水泡の内液と外液を隔てるために膜が生じたときからだ。膜は外液と内液の物質 交換代謝を通じて生命を形作ってきた。 次第に膜は厚く層を成すようになり、そこに環状線のような神経を持つ生物が生まれた。 膜の中を縦横に走る神経はやがて層を成し分厚くなって脳となった。しかし、そうなっても、 また、今も、脳は外胚葉性のものであって、膜によって包まれた内部の中に突然ポワアン と浮かんで出たわけでもなければ、今も浮かんでいるわけではない。そもそも、消化器官が 内にあるというのも構造的にはおかしな言い分なのだ。口は空気に接して空気を飲み、 物を食す。食物は消化器を通って再度排泄される。しかし、どうだ、球に通した一本の通した 蟻の穴はどう曲がりくねっても、外につながっているではないか。 生命は基本的に、世界とインターフェイスする膜にあるのであって、膜に囲まれた内液の 中に浮かんでいるのではない。脳が外肺葉から捲くれ込んで身体の中に埋め込まれたから といって、そこに、別の生命が生まれたわけではない。突然変異も世界の中の、世界と 接する生き物であるという性質を覆すことはない。覆すような突然変異を信じるのはそれも 自由だが、それを信じることは地球の真ん中にブラックホールが生じると信じるのと 同じくらい奇想天外ではないのか?
外胚葉性の、世界とのインターフェイスの中にある脳にも構造はあり、層があり、 また、脳にも内側と外側は解剖学的に存在し、それが各感覚器官や運動器官に つながっている。その意味では、脳は明らかに、「直接世界には接していない」。 だが、それは脳という器官にとってであって、生物にとっての<内>だろうか。 相変わらず、生命は脳というインタフェイスで世界と接していると言えるのでは ないか。そこで、脳がかって内液と外液を隔てた膜に由来することを思い出し、 視覚的にイメージするなら、脳の意味づけも自ずと見えてくるはずだ。 生命とはその膜の<内側>なのか、それとも、<膜そのもの>なのか。生命に おいて生じる活動である行動も、大きく考えれば内外液の交換代謝の一部で あり、基本的に世界と接することによって成立している。ならば、その起源を 内液に求めず、世界の側、環境の側に求めるか、あるいは、世界に接する ものとして、その接し方の中にあると考えるべきではなかったのか。
無論、これらのことは夢物語に過ぎぬ。科学の目標は、神話を構成することではない。 行動の科学は、膜の代謝として位置づけられた後で、それを踏まえて、如何にして (どのように)具体的に、行動が世界と接するかを問うことでなくてはならない。それは、 単なる<世界→生命→出力>という単純な順序で成り立つものなのか、それとも、 世界を能動的に感じる機能も深く考慮に入れて、もっと立体的な<構造>を持つもの としてとらえねばならないのか。今いったん時間順序を捨象して、機能的関わりのみを 再考することで、その、<行動の順序>ではない<行動の構造>を見つめようと 思う者がここにいる。
つーか、「居た」だな、やっぱ、そりゃあ
まぁな、場所を選ぶべきだった
>>603 たしかに。想像力欠如の実験系心理学者しかいないところではね。
605 :
没個性化されたレス↓ :04/10/16 13:36:37
永遠の言語遊戯がお好きなら哲学板がよろしい そこから抜け出たいのならここにいればいい 単純なことだ
科学だとか客観性だとかいうことも立派な言語遊戯だよ。 研究者ならきちんと相対化しろって。
科学だとかを論じとるのは哲学者が主だが?
おー、いけいけ、どんどん。
頭にカビのはえたガキが心理学者づらしているここでは、という意味だろうが。
臨床もダメ、実験もダメの無駄飯食いどもの巣だろうがよ!
ケチつけるしか能のないクソ蛆虫ばかりかよ?
本当におまえら心理学やってるの?嘘ばっかしじゃねえか。 ここでだけ心理学ヤッテルって面ができるやつばっかりかよ?!
中にはまともな奴もいるのに、それにコビリツイテは自分の無能をさらしてる のがスキなんだろうがな。
ブジブジ言いたいなら、自分たちでケツの嘗めあいでもしな。
おー、いけいけ、どんどん。
まったく、振っといてやると食いついてくる。降ってやらなきゃ食いつく勇気も無いか。 こっちが騒ぐとスルスルと蛇みたいに近寄らず、ちょっと甘い顔をするとハイエナみたいに寄ってきやがって。
心理学者としての知識や経験もなく素人の愛嬌もない。 クズ院生がこの板のガン。素人とアカポスだけの板にしろ。
院生だけだとはとても思えないな。大学教員の中にも相当クズが多そうだぜ。
心理学はやるものではなく、 他の研究のために利用する道具として捉えるのが 賢い人です。
昨日の「実験中粘着」なんかアカポスだと思うよ。間違いない!
じゃあ、お前から率先して皆の道具になれ。
>>619 漏れの場合は心理学そのものを研究対象にしてるんだが
職業としては心理学者ということになってしまう。
コテが入ってるんだから、そりゃそうだろうよ。
624 :
没個性化されたレス↓ :04/10/16 14:40:09
また、カスの欠片にもならねえのがいるしな。。こういうときを待ってましたとやってきやがる。
その辺のド素人のガキかと思うのが院生で、院生程度かと思うのが教員かよ、え?
クソのふたにもならねだけじゃなく、クソの始末もできねぇで、そこかしこに 垂れ流すやつらばかりらしいな。
どうやら、土曜日はだあれもいねえみたいだな。あるいは、いても、いないのと同じ奴らばかりか。
そこで、キンタマ、ゴムみたいにのばしてるんじゃねえよ!
>>605 > 永遠の言語遊戯がお好きなら哲学板がよろしい
> そこから抜け出たいのならここにいればいい
> 単純なことだ
おまえこそ、鉄板の上で焼け死ね、どあほ。
>>606 > 科学だとか客観性だとかいうことも立派な言語遊戯だよ。
> 研究者ならきちんと相対化しろって。
相対化?なんだ、それ?お前の頭みたいに早退するんかよ?
>>632 単純に勉強不足。それじゃ最近はマスター入試にも受からない。
きやがったな、それしか言えねぇのか。何年生きてもそれっぱっちか?
キーボードくらい正確にタッチしろよ。
きやがったな、それしか言えねぇのか。何年生きてもそれっぱっちか? もうすこしマシなこといえねえのかよ!
こういうヤシが学会のポスターセッションあたりでは おどおどと不安そうに突っ立ってるんだよな。
きさまもちゃんと、タッチしな。へたりこんでねぇで。腰があるんならば、だがな。
>>622 おお、それならすでにやってるぞ。
もうじき心評に載る見込み。
クソにもならねぇ、そんなもnじゃあ。がっかりだぜ。他になにかないのか?
腐れ評論ばっかり書いてるやつしかいねえのか?
腐れ評論も書けないヤシなら藻前も含めてたくさんいる。
ぷはははは、お前の頭は完全に後退してるぜ。心理学が聞いてあきれるや。
>>644 よくわかったな! 最近は女房も驚くほど薄いよ。
もうちょっと、お子チャまランチでねえこと書けんのか、くず。
>631 意味がわかりません おそらくあなたもわからず書きこんだのでしょうけど
字もよめねえか。
それとも、頭がねえのか。それらしいな。
ID導入の期は熟したなあ。
じゃぁ、説明してみろよ。「相対化」って言葉で独りよがりするな。オナニーやろうが。
>>650 > ID導入の期は熟したなあ。
それは大賛成だ!!!!!!
お前誰だ?
クソだろ。おお、クソだよ、お前らみたいなクソ!
>>651 どっかの学会でも同じようなこと吠えてるバカ親父がいた。
ずっと年下の院生あたりにも白い目で見られてたよ。
心理学者を自称してて信頼性と妥当性を説明しろってヤシいたら
藻前だって白い目で見るだろ? そのレベルだよ。
クソ投げあう奴らはみんなクソ、一緒にまとめておれと一緒に地獄にでもいこうぜ!
そんなに白い目がこわいんなら、まともなこと言ってみろ、チビ!
詭弁で逃げよう!
学者なら自分なりの詭弁論理学も持たないとね。 詭弁と言われて困ってるようじゃダメ。
軟便のまちがいだろ、あほう!
詭弁も使えんくずばかりだな、ここは。
ホエホエ〜
くくくくく、それだけしかいえねえか?間抜けザル
あ、不等号じゃなくて「く」なのか?
くくくくく、それだけしかいえねえか?
わすはカバだす
くくくくく、それだけしかいえねえか?まねっこのおぼっちゃん。
>>663 こいつが38歳大学教員だったりしたらイヤだなあ。
?
カバだか、土手カバチャだかしらねえがな、言いたいことを言え。ほぇーばかkり言ってないで。 ホぇー頭課、お前。
>>668 >
>>663 > こいつが38歳大学教員だったりしたらイヤだなあ。
おまえは、何歳の大がくどべ教員だよ?おお、いやだ。っそれとも、毛もはえないがきっコかあ
??!
カバは死んでろ。
死んでろ。
死んでてね、ぼく。
>>655 >
>>651 > どっかの学会でも同じようなこと吠えてるバカ親父がいた。
> ずっと年下の院生あたりにも白い目で見られてたよ。
> 心理学者を自称してて信頼性と妥当性を説明しろってヤシいたら
> 藻前だって白い目で見るだろ? そのレベルだよ。
そういうことこそが、説明し更新していく、基本なのだよ。おまえらは
既製品の基本を後生大事にお守り申し上げろや。
若いくせに頭にカビはすなっていうの!
それとも、もう更年期障害か、その頭は?はあ?
つまらねぇなぁ。ちっとも運動した気がしねえなぁ、カスばかり相手にしてたんじゃぁ。。
くくくくくくくくく、不統合頭め、何を言うかだ。
詭弁〜、きべーん、京都名物、詭弁弁当はいらねえええかああ?
詭弁便器
そういうのを馬鹿の言葉遊びっていうんだよな。脱力したよ。
心理学に限らず研究者なら詭弁が京都名物ってのは かなり笑うところだと思うけどなあ。残念!
私が思うのは、こういうのが↓、この板の質を下げている張本人だと思う。
まことしやかなことを言っているようだが、実は何もできないし、考えられない。
655 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:04/10/16(土) 15:19:34
>>651 どっかの学会でも同じようなこと吠えてるバカ親父がいた。
ずっと年下の院生あたりにも白い目で見られてたよ。
心理学者を自称してて信頼性と妥当性を説明しろってヤシいたら
藻前だって白い目で見るだろ? そのレベルだよ。
そういうことこそが、説明し更新していく、基本なのだよ。おまえらは
既製品の基本を後生大事にお守り申し上げろや。
↑ と言いたくなるのがわかる気がする。
655みたいな奴は新しいものを作ることとは完全無縁なベルトコンベア人間だろうと思う。
>>688 > 心理学に限らず研究者なら詭弁が京都名物ってのは
> かなり笑うところだと思うけどなあ。残念!
おまえに言葉遊びといったわけではなかった。。
そうだ、そうだ!
しかしどうしてHのキーだけこんなに汚れるのかなあ。
しすぎ。
shiとかchiとかにけっこう使うからじゃないの?
また、ケチ虫かよ。いつまでも、後ろばかりみてるんじゃねえよ!
前だけ見てると後ろに誰もいないのに気づくのが遅れるよ。
なんだ、気づかずに置いていかれたのは↑お前だったらしいな。10分もさらされてやがるぜ。 キンタマ忘れるなよ、持っていくの。
>>699 698で終わりにさせれば美しかったのに......
美しさなんかクソに求めてどうするのだ?!
わははははは。
クソにはクソの美しさがあるよ。君もそれなりに美しいよ。
あのね、ぼくたん、「君」という字は、自分を指すときに使う字じゃないんだよ。
わはははははは。ワロタ。
煽り下手だね 素人さんたちですね
↑ ぷはははははは。
>>597-600 は回文バカのカバだな?
190 名前:没個性化されたレス↓[] 投稿日:04/08/28(土) 12:26
風船になって宇宙に浮かんでいる夢を見た。マッハ15のスピードなんて言っていた時代は過ぎた。何もかもが
超音速で過ぎていく。だが、自分はただの泡のようだった。不思議と孤独は感じなかった。泡の内も外もあまた
降り注ぐ星でいっぱいだったから。星は言葉だった。自分の言葉なのか宇宙の言葉なのかはわからないが、
みな自分にやさしかった。目が覚めるとワニ皮の旅行かばんをもってタラップを降りていた。宇宙港もアトランタ
並みに巨大化して、うっかりすると行き先の違う歩く廊下に乗ってしまいそうになる。数日前まで帰っていた故郷は
荒れていた。多くのカバが飢えて死に、人も夜遅くまで争い続けていた。神はいないのかと、あるカバが聞いた。
すると、誰も口を開かないのに「神は幻想だ」という声が聞こえた。そうかもしれぬ。あの有様を見れば。心も神も
いない世界でどうやって生きていけばいいのだろう。ふと、夢を思い出した。マッハもフロイトも夢を愛した。カバは
風船になる夢を愛そう。己が内と外に等しく美しき星々をちりばめ、その光波のまにまに浮かんだ薄膜カバが言葉の
星々を抱擁する。そこにはもはや孤独はない。そうだったのだ。孤独は内なる心から生まれるものに過ぎなかった。
孔だらけの薄い膜を通して、星々は流れ出し、流れ入る。果てしない光のざわめきの中にこそカバの未来がある。
わはははは、その通り。誰も俺の馬鹿話につきあってくれそうもないから、クソして寝る。
そうしな。
心理学板って、昔からこうなのか?余りにも内容が酷い。 本当にここに心理学の研究者や院生、学生がいるのだろうか? いるとすれば、一体、どういうつもりでいるのだろう? ほとんど堕せーなのだろうか? このスレはまだ中身がある気がするが、 死んでしまっているみたいだし。
本当に酷い。
どうしようもない・・・
先行きゼロ。
なるほど、ここまで考えていたわけか。それjからどうしたのだ?
721 :
没個性化されたレス↓ :04/10/24 00:53:28
おそらく相当数の死者が出ていると思われる道路崩落現場の映像は衝撃的だった。 土の中に埋まっている車がいくつも見えるのが、まるで土の流れの中に沈んでいるようだ。 日が昇り事態が把握されるにつれて、自然の力の巨大さが明らかになるだろう。 人知、人力、及びがたし。
いわば町が町ごと移動し、その町と町、村と村とがお互いに遠ざかり、それらを つないでいた道が引きちぎられ、そこら中に、小さなフォッサ・マグナができたかのようだ。 まるで我々が確固たる物だと信じていた大地が、ただの薄皮だったことを思い知らされる。 巨大な流動体の上に束の間、動かずにいただけの薄皮だったことを。
724 :
没個性化されたレス↓ :04/10/24 01:02:48
725 :
没個性化されたレス↓ :04/10/24 02:51:26
阪神大震災の加速度の1.5倍ほどもあった強烈な地震。道を砕き、家を押しつぶした力。 100メートルもの距離にわたって、深いところでは10メートルも崩れ落ちた道。道路から 1メートル近く飛び出したマン・ホール。布キレのようにバタバタと振り叩かれた我々の大地。
726 :
没個性化されたレス↓ :04/10/24 02:56:22
心などというものにウツツをぬかす以外にも我々のすべきことがあるということだ。
728 :
没個性化されたレス↓ :04/10/24 02:58:32
すまないが、このスレ以外のスレで、やってくれないかい? このスレは、良スレであり、今は停滞しているが、復活する可能性もあるのだから。
それはすまなかったな。精神がカタストロフィの中から生まれると思っただけなのだが。
731 :
没個性化されたレス↓ :04/10/24 03:09:00
>>730 それは、面白そうですね。
私の発言は、浅はかでした。
「
>>721-725 は、このスレに関係ない話題だ。何かのコピペだろー」と勝手に決め付けてしまいました。
よくよく読むと面白い。
>>727 >心などというものにウツツをぬかす以外にも我々のすべきことがあるということだ。
これは、こころなど追うな、行動を行えと解釈してよろしいのでしょうか?
いや、私もこころに振り回されるのは嫌いなたちなんで、ちょっと共感するところがあります。
また、このスレは、「精神がカタストロフィの中から生まれると思った」
というような、アイデアを受け入れ、洗練させるスレでもあるのですから。
(ただ、私にはそれを洗練させる腕はありません。。。少し前までは、上手な道先案内人がいたんですが)
>>729 の発言は撤回します。
どうぞ、続けてください。
>>「精神がカタストロフィの中から生まれる」
「ここでの精神とは何なのでしょうか。」という質問を思わずしたくなるのですが
私の経験では、いきなりこの質問は御法度なんですよね。
さて、カタストロフィですが、
辞書で調べると
(1)自然界および人間社会の大変動。変革。
(2)劇や小説の大詰め。悲劇的結末。破局。
ですね。
安直な質問ですが
幸せの中では精神は生まれないのでしょうか?
それとも、730さんは
カタストロフィの中から生まれる(幸せの中から生まれる精神とはちがう)特別な精神が存在すると
考えていらっしゃるのでしょうが?
また、その精神が、
>>727 心などというものにウツツをぬかす以外にも我々のすべきことがあるということだ。
という730さんの懸念を生み出す要因になっているのでしょうか?
(ためしに、私が道先案内人をやってみます。
私は根性ないので、途中で逃げ出すかもしれませんが。)
ああ、私の行っていること(
>>734 )が、
こころにウツツをぬかすことかもしれませんね。
わたしはこころにウツツを抜かしたくないのに、ウツツをぬかしてしまう。
こころ中毒になってしまっているみたいです。
しばし、災害の状況を注視したいのだが(地下で1.5メートルのズレが起きたとか)、 カタストロフィーというのは、不連続ということではないのかな? 昨日あったものが今日あるとは限らないという。 あなたも好きかもしれない時間の不連続も含めてだが。
>>735 心にウツツをぬかすのには色々あるだろ。
1)自分がカマッテもらいたい奴が人をカマオウとする
2)皆、身体を使い汚れる仕事(3Kだか)を嫌い、心は3Kではなさそうだと思い込む
3)社会は重荷だらけだが、心だと、なんだか自分ひとりでなんとかできそうに思える
・・・・
>>734 > さて、カタストロフィですが、
> 辞書で調べると
> (1)自然界および人間社会の大変動。変革。
> (2)劇や小説の大詰め。悲劇的結末。破局。
数学的意味もあるだろ?
> 幸せの中では精神は生まれないのでしょうか?
1)幸せなら精神は要らないのかも。あるいは「精神」なんてものについて考えない。
2)豊かで暇だから日本人が心について考えるというのは嘘。
日本人は幸せだとは感じていない。
そもそも精神は余剰だったのか必要だったのか?
うわ、開いてみたらたくさんのレスが、あわあわ。
>>736 >カタストロフィーというのは、不連続ということではないのかな?
>昨日あったものが今日あるとは限らないという。
>あなたも好きかもしれない時間の不連続も含めてだが。
同じ世界は二度とない、時間と共に変わっていく。
ジェームズは「意識の流れ」と表し、意識を常に変化し続け、二度と同じ意識はないと考えた。
を思い出すな〜・・・?あれ、これは連続性か。
再考
>昨日あったものが今日あるとは限らないという。
これは、存在していたものがなくなる・途切れてしまうという意味でしょうか。
存在していたものがなくなるから、精神は生まれる?
できれば、もっと詳しい説明を
>>737 なんだか、自虐的。。。
>>738 >数学的意味もあるだろ?
それは?
>1)幸せなら精神は要らないのかも。あるいは「精神」なんてものについて考えない。
少年犯罪が目に付く昨今、こころの教育の充実が叫ばれていますね。
幸せではないから、「精神」が重要視されるという一例でしょうか。
ん?もしかしたら、ここでの「精神」は、こころの持ち方、心構えといったものですか?
>2)豊かで暇だから日本人が心について考えるというのは嘘。
>日本人は幸せだとは感じていない。
これまた、なんだか自虐的。気の持ち方ですよとぼやかしたくなります。
ふと思ったのですが、「こころ・意識・精神」といたような概念がない文化はあるのでしょうか。
廻廊さんは、「私」がない言語を探していましたね。
わたしは「こころ」という単語をもたない文化があるのかが気になります。
概念というものは、強力です。ある概念を知り、世界の見方がガラット
変わってしまうという体験は、日常茶飯事です。
もし、「こころ」という概念が存在しなければ、どのように世界が見えるのでしょうか。
>>739 >>そもそも精神は余剰だったのか必要だったのか?
この質問は宙に浮いている気がします。
どのような目的において必要なのか、不必要なのか?という疑問が浮かびます。
意識が発生しなければ心という概念も生じなかったのかもしれないな。 意識と行動はお互いに割って入り、お互いを不連続にしていないか? 行動は「意識の流れ」のアナロジーで把握できるのか?
日本は病んでいるという認識は譲れない。
>>741 >
>>739 > >>そもそも精神は余剰だったのか必要だったのか?
> この質問は宙に浮いている気がします。
> どのような目的において必要なのか、不必要なのか?という疑問が浮かびます。
強く、一般論として、尋ねたのだが。つまり、すべての目的において。というか
「目的」と言えば、もう余剰という考え方は消えるのではないか?
少なくとも、ここには3人以上の人がいるようだ。 #「みんな俺だよ」と言うなよ。言ったら殺す。
みんなお前だよ
ははははは。729さん、どうする、こういうの?
頭のよく回る論理シニストは貴重だとは思っているんだが、 なかなか素顔では相手をしてくれそうもないからなぁ。
ふうわぁ〜、眠い。ここ、空いてる? 空いてたら、しばらく寝かしてくれるかな。 立ってられないほど眠いもんでさ。
ん? 誰か来た? あれ、空耳かな、夢かな。ぐー。
ふうわぁ〜、退屈で眠い。 世界の終焉というのは、この退屈からはじまるのかなー。 ふうわぁ〜。Zzzz
753 :
没個性化されたレス↓ :04/10/26 23:38:14
はふぅ〜〜〜
やっぱり、こちらのほうが寝心地がいい。ふうわ〜、ネムネム。
>>742 >意識が発生しなければ心という概念も生じなかったのかもしれないな。
>意識と行動はお互いに割って入り、お互いを不連続にしていないか?
>行動は「意識の流れ」のアナロジーで把握できるのか?
なにか、核心とする考えをお持ち名ようですね。
まず、意識とこころの差異を教えてもらえませんか。
「意識」・「こころ」のどちらかだけの解説でもいいです。
(大雑把でも、あいまいでも結構です、あなたの考えを理解するヒントをください)。
(ちなみに、私は、意識・こころ・精神を分けません。
理由は?う〜ん。どれも似ているし、同意で使われること多いし、違いがいまいちわかんないし
考慮すべきこと増やすと頭がパンクするし。てか、よくわかんないし。ああ。。。)
>>743 >日本は病んでいるという認識は譲れない。
私も、日本は病んでいると思います。そして、日本はいい国です。
私はこの認識を譲りません。特に後者!
>>744 >「目的」と言えば、もう余剰という考え方は消えるのではないか?
目的が変われば、必要であるか必要でないかが変わります。
目的を定めずに「〜は余剰*か」と論じることは
問題を定めずに、答えがあっているかあっていないかを論じるようなものです。
(*「余剰=必要でない部分(・量・もの)」としました。)
>強く、一般論として、尋ねたのだが。つまり、すべての目的において。
一般論、、、例えば、「幸せになるには、精神は必要か?」としましょう。
幸せになるには、幸せを感じなくちゃいけないよな〜
あれ、幸せ「を感じる」ことって、一般に精神の役割の一つとされるものか。
では、「現社会で長生きするには、「〜を感じる」ことは必要か?」
うむ、必要だね。論じるまでもなさそう。あれ?私は、ごまかしてる?
>>745 >少なくとも、ここには3人以上の人がいるようだ。
私には、ここまでの議論で2人以上の人の書き込みがあるように感じます。私と私以外の人(たち)の書き込み。
あなたには、私(729)とあなたとあなた以外の人(たち)の存在が確認できるのですね。
自分以外の人がコテハンだと、予想される最少参加人数が増えるのですね。
さらに予想される最高参加人数がへりますし。いろいろ便利そうです。
あなた(がた)も、(臨時)コテハンを名乗ってもらえませんか?
>>746 (ロボさん)
私の中では、真実ではありません。
>>727 わらい。
>>748 私は論理的ではありません。。。念のため。
>>○さんとその他
電子掲示板の寝心地や電子掲示板の中での深呼吸、どのような感じなのでしょうか?
>>757 の訂正
訂正前
>>746 (ロボさん)
私の中では、真実ではありません。
訂正後
>>746 (ロボさん)
>みんなお前だよ
私の中では、真実ではありません。少なくとも、私以外と私以外の2名以上の人がいます。
追加
>>743 >日本は病んでいるという認識は譲れない。
そうそう、「病んでいる」は、カタストロフィとつながっているのでしょうか?
>>730 「精神がカタストロフィの中から生まれる」は、インパクトがあり忘れられない言葉です。
私のレスの訂正だけで、このスレを生めてしまいそうです。すみません。
>>758 訂正前
私の中では、真実ではありません。少なくとも、私以外と私以外の2名以上の人がいます。
訂正後
私の中では、真実ではありません。少なくとも、私と私以外の2名以上の人がいます。
>>732 俺もしばらく見てなかったのと、ちょっと前に書いたから、なんだかわからなくなっている。
ただ、俺が何か書いて、あんたがレスしてくる、その合間合間に、誰か別のやつが書き込んで
いるようでさ、あんたゴッチャにしているかも。と言いながら、俺の思ってたことに似たところが
あって、俺も混乱気味なんだけど、まあいいか。誰かさんには悪いが、レスしてないみたいだから
適当に俺の考えを書くよ。俺のだと思うのにはHHHHとか付けて、俺のじゃないのにはXXXXと
つけておくけど、両方に適当にレスするな。テキトーに解釈してくれ。
HHHH
>
>>727 > >心などというものにウツツをぬかす以外にも我々のすべきことがあるということだ。
> これは、こころなど追うな、行動を行えと解釈してよろしいのでしょうか?
> いや、私もこころに振り回されるのは嫌いなたちなんで、ちょっと共感するところがあります。
以前、どっかで書いたことなんだけど、最近、やたら心の何とかという言葉ばかり聞くから、
嫌になってるわけだよ。そういうものをイジイジ触るよりは、何かもっと世間様を変えるものに
賭けたほうが生産的に思ってるわけ。それに、どうも「心」という言葉というか概念というかが
不明瞭だと思うのさ。そんで、あんなこと書いたわけ。まぁ、それに、心理学ではないけど、
心理学には関係ないわけではない立場だから、もう少し、しっかりした哲学というか論理というかで
「心」を扱っていくわけには行かないのかと思っているんだな。
行動を行え
というのは禅宗の行みたいだが、ま、そういう雰囲気かな。
> また、このスレは、「精神がカタストロフィの中から生まれると思った」
> というような、アイデアを受け入れ、洗練させるスレでもあるのですから。
> (ただ、私にはそれを洗練させる腕はありません。。。少し前までは、上手な道先案内人がいたんですが)
それって、海の廻廊だろ?このスレの。チシャ猫もいるし。ま、それで、俺も釣られてまた来たんだが、なんか
妙に閑散としてるので、しょうがないから、時々、覗いてたわけ。
XXXX
>
>>736 > >カタストロフィーというのは、不連続ということではないのかな?
> >昨日あったものが今日あるとは限らないという。
> >あなたも好きかもしれない時間の不連続も含めてだが。
これは俺んじゃないと思うけど、最初にカタストロフィーとか書いたのは俺だから言うと、
特にジェームズなんか意識して言ったわけじゃないが、そう言えば、ジェームズっていうと、昔の人だが
心理学にとってはアレコレ大切な人物だったかと思い当たる。
> 同じ世界は二度とない、時間と共に変わっていく。
> ジェームズは「意識の流れ」と表し、意識を常に変化し続け、二度と同じ意識はないと考えた。
> を思い出すな〜・・・?あれ、これは連続性か。
二度同じものがないとしても一つの流れなら連続だろうけど、意識っていうのは、しょっちゅう外界の
出来事に引っ張られているわけだろ、それでもって、その外界の出来事は(あるいは、その出来事との
出会いは)不連続じゃねえか?となると、意識も一本じゃないだろう?アマゾン川か石狩川みたいに
いっぱい枝分かれする。その支流の発生は上のように起きるから、その意識の流れは不連続じゃねぇ?
ジェームズもstreamsと複数で言ってたように思うが記憶違いかもしれないけど。
HHHH
>>734 > >>「精神がカタストロフィの中から生まれる」
> 「ここでの精神とは何なのでしょうか。」という質問を思わずしたくなるのですが
> 私の経験では、いきなりこの質問は御法度なんですよね。
そうかい?俺が書いたのは、そんなに精密な意味合いじゃなかったんだな。日頃、何にも
問題なく暮らしているときは、俺はほとんど身体だけで、精神なんて感じないし(いつもかも?)
考えもしない。それが気になるのは、なんかに引っかかったときだけだからさ。
> 安直な質問ですが
> 幸せの中では精神は生まれないのでしょうか?
だから、上のような意味ではそうだろうな。でも、幸せってなんだかわからないから、これも困るんだが、
幸せの中でだって精神は生まれるんだろう。ただ、それは、不幸なときよりボケているように(アホという
意味ではなく、精細度が低いというか)思うんだよな。たださ、これも、精神ていうのが曖昧だから、
全体として曖昧な話なわけだよな。
HHHH
>>741 >
>>737 > なんだか、自虐的。。。
そうかなあ。何か嫌なんだよな、最近の日本の心問題意識ってどっか変だぜ。
HHHH
>
>>738 > >数学的意味もあるだろ?
> それは?
そりゃ、言うまでもないけど、トポロジーがらみのカタストロフィーだよ。多分、俺よりhayateの
方が詳しいと思う。俺はどうも、クラインの壷とか考えると頭がひん曲がるんだよ。
さっきの意識の話と関係あるかと思うが、カタストロフィーって言うのは、そうだな、ほら、
ハワイのパイプライン(波乗りする大波)の上を滑ってくるとして、波の先端に来てそのまま前に行くと
谷底にバシャっと落下するだろ、そういうふうに、連続・連続で来て不連続になるっていう話。
→
==*
→ → / *
/ ↓ ただし、3次元だけどな。
−−−−−−
意識っていうのも、枝別れなんかはそういうふうに数学的にモデル化できるんじゃないか、と思う。 ただし、これは、波側=意識側のモデル化で、そこに、気を引くような世界の側の出来事が 含まれるモデルじゃない。含むようなモデルはえらく大変になると思う。 > >1)幸せなら精神は要らないのかも。あるいは「精神」なんてものについて考えない。 > 少年犯罪が目に付く昨今、こころの教育の充実が叫ばれていますね。 「こころの教育」ってなんだろうな?なんだか、お仕着せみたいな気がする。そうでなくても 社会不適応になった奴を無理やり、つまり、社会が正しいかどうかわからないのに、社会適応 させようとしてるような気がして嫌なんだよ。不登校児は弱くてダメ人間なのか? 今みたいにお受験でベルトコンベアみたいな教育に付いていけないほうが正常じゃないのかよ? 他にもいろいろある。やたら親に見離された子どもがいるし、俺の妹の近所の小学校なんて 3割だか4割だかが母子家庭っていうクラスもザラだそうで、それって正常かって聞きたいよ。 > ふと思ったのですが、「こころ・意識・精神」といたような概念がない文化はあるのでしょうか。 俺は、それは言語の問題だと思うんだな。チシャ猫が何か言いそうだが、言語のない文化って いうのがあるかい?言語を持たない人間がいるか?っていう疑問だし、言語がないのを文化と 言うか?っていうのでもある。 > 廻廊さんは、「私」がない言語を探していましたね。 みたいだな。その辺はようわからん。それが何で大切なのか、俺には見えない。 > わたしは「こころ」という単語をもたない文化があるのかが気になります。 単語なら言語でしょ? > もし、「こころ」という概念が存在しなければ、どのように世界が見えるのでしょうか。 これは半分は当たってるかな。ネズミにだって世界は見えてる。だが、おそらくネズ公は「こころ」 という概念なんて持っていない。人間もネズ公と同じレベルで世界を見る時だってある。 だが、そうでないときもあって、それは言語的だと思うんだがな。
XXXX
>
>>739 > >>そもそも精神は余剰だったのか必要だったのか?
これは俺んじゃない。よくわからないよ。既に誰かがレスしてるの読んだが、それでもわからん。
要するに「精神は必要だった」というようなことらしい。それも、余分ではなく。おそらく、それは
俺が言ってたような日本がどうの世間がどうのじゃないだろうと思う。
もしも、その誰かが廻廊爺さんなら、効率とか経済性とかが言いたかったんじゃないかな、きっと。
何ではっきり出てこないのかわからないが、まぁ、ここって色々疲れることもあるからなー。
廻廊爺さんの言うことは面白いし、俺も似たこと考えるので混乱するんだが、でも、
幾つか全然違うと思うこともある。それを聞くかなと思ってたわけ。
その後は俺は書いてないと思った。○が来て(こいつは俺のダチなんだが)寝ていたみたいだが。
あんたの言うように、寝るってどういうことよ?なんだけど、あいつはいつもそういう調子。
ま、答えを聞いてみたら?意外にそういう時は詰まらんことしか言わないが。
あいつもなんか、変で、寝てるかと思うとぐわーっと仕事するタイプだけど、今日もどっかで騒いでたよな。
今はきっと爆睡中だと思うけどね。
まだ(あるいは永久に?)廻廊爺さんが帰ってきてないみたいだから、たまに来るよ。じゃあな。
あんた、ナホウドリさんかい?
2004年10月29日(金) イラク戦後民間人10万人死亡=多くが米軍の爆撃で―医学誌調査 (時事通信) 【パリ28日】28日出版された英医学誌ランセットは、2003年3月の米軍などによるイラク攻撃の結果、 その後約10万人のイラク民間人が余分に死亡、このうち半分以上は暴力により殺されたとの推計を掲載した。 この推計は、米メリーランド州ボルチモアのジョン・ホプキンス大の専門家が無作為に抽出した33の地域に ある988のイラク人世帯へのインタビューなどに基づいて算出した。 インタビューを受けた世帯は、2002年1月以降の家族内の死者数とその原因、死因が暴力によるもの ならばその時の状況、などを聞かれた。 その結果、イラク戦争前には275の出生と46の死亡があり、死因の大部分は心臓発作や慢性病で、 暴力が原因で死んだのは1人だけだった。これに対し、戦後では366の出生と142の死亡があり、 51%に当たる73人が暴力により亡くなっていた。また、21人は1歳未満の幼児だった。 死者の増加の原因の大部分は暴力であり、 暴力による死の多くは米軍などによる爆撃によるものだった。〔AFP=時事〕
さまざまな、しかし、多くは無駄な、なくてよかったはずの死を悼む。
まず、レスが遅いことをお許しください。
それから、物分りが悪いことも、お許しください。
それから、頓珍漢な発言ばかりな点も、お許しください。
それからそれから、これから1ヶ月は、ある行事の準備のために
私は、返信できません。御了承ください。
そして、くだらないと思ったら、是非、無視してください。
>>762-765 意識の連続性について
―川の水は流れ流れ、絶えず流れて、しかも常にそこに存在し、常にあり、終始同一であり
しかも瞬間瞬間に新たであった。
ヘッセ(著)・高橋健二(訳)『シッダールタ』より
意識の不連続性と分離の問題ですが。私は以下のように考えました。
1.意識を同時に二つ以上感じることはできない。あなたの意識は、常に一つです。
2.あなたの意識は外界だけではなく、あなたの身体にも引っ張られているはずです。
あなたの身体が急に別物に変わることはない。あなたの身体は連続性をもって徐々に
変わっていくのです。
3.意識と身体は切り離せない。
4.意識は連続した身体をよりどころにして連続性を保つことができる。
以上のことから、あなたの意識は一つであり、連続しているといえる。
(意識と身体が切り離せるならば私の主張はおじゃんなのですが。)
連続性で思ったのですが、そもそも、不連続は存在するのでしょうか?
(実は、わたくし、世界に不連続性が存在するというアイデアを理解できておりません。。
不連続=何者にも影響されない・流れに乗っていないということではないのですか?
そんなもの(こと)ってあるのですか?)
もし存在するのならば、自由意志・自発を不連続に求められそうですが。。。
>>762-765 ―さて,今日,子どもたちに[生きる力]をはぐくもうとするとき,
我々が取り組まなければならない最も重要な課題の一つは,[生きる力]の礎とも言うべき,
生命を尊重する心,他者への思いやりや社会性,倫理観や正義感,美しいものや自然に感動
する心等の豊かな人間性の育成を目指し,心の教育の充実を図っていくことであります。
文部大臣小杉隆「幼児期からの心の教育の在り方について」より
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/chuuou/toushin/970801.htm 心の教育ですが、これはなんだかんだいって思想教育だと思います。
(私は政治とか思想とか社会性とかいうものは苦手です。)
言語関係の問題ですが。
回文さんの言語の定義を聞いておきたいです。それを踏まえて
以下の問題について、私なりに考えてみたいと思います。
(いや〜私に処理できる問題じゃそもそもなさそうだけど。。。)
1.文化と言語(文化の定義を少し考えてみました。「文化=複数に共有された後天的な
行動様式」浅すぎますか?)
2.言語を持たない人間がいるか?(人であるなしは遺伝子で決めますといった
レベルの話ではなさそうですもんね)
3.概念と言語
4.世界観と言語(私(A)はねずみ(B)と完全に同一な視点には立てないといったレベルの
話ではないですよね。)
(それから、私が「こころという単語」を求めたのは、“単語”が観察可能なもの
であるからです。その程度です。)
>>766 >あんた、ナホウドリさんかい?
はい、私はナホウドリでした。廻廊さんがいなくなり、なんだかナホウドリと名乗る必要性が
なくなったような気がしたので、名無しになり、729になりました。
>○が来て(こいつは俺のダチなんだが)寝ていたみたいだが。あんたの言うように、
>寝るってどういうことよ?なんだけど
いや〜、本当に電子掲示板で眠るって変ですよね。どうやって寝ているのか不思議で
たまりません。(’▽’)ノ<いや、まじで!
>廻廊爺さんの言うことは面白いし、俺も似たこと考えるので混乱するんだが、でも、
>幾つか全然違うと思うこともある。それを聞くかなと思ってたわけ。
チシャ猫さん、顔文字先生、俺さん、ウミネコさん、いろんな人と廻廊さんの対談を。
あれれ?
>>771 の訂正
>廻廊爺さんの言うことは面白いし、俺も似たこと考えるので混乱するんだが、でも、
>幾つか全然違うと思うこともある。それを聞くかなと思ってたわけ。
是非、みたいです。お二人の対談。
チシャ猫さん、顔文字先生、俺さん、ウミネコさん、いろんな人と廻廊さんの対談も。
是非、再び。
訂正です(とほほ)。
>>767-768 口げんかで済ませられたらと思う。がんばれ言語!がんばれ論理学!
いつかまた,マターリと,にゃ
必ず。
しね?
779 :
没個性化されたレス↓ :04/11/10 16:43:06
>>769 > それから、物分りが悪いことも、お許しください。
> それから、頓珍漢な発言ばかりな点も、お許しください。
みんな同じだろうな、そりゃあ。でも、それでいいと思うけど。
> それからそれから、これから1ヶ月は、ある行事の準備のために
> 私は、返信できません。御了承ください。
ま、頑張ってくださいな。
>
>>762-765 > 意識の連続性について
> ―川の水は流れ流れ、絶えず流れて、しかも常にそこに存在し、常にあり、終始同一であり
> しかも瞬間瞬間に新たであった。
> ヘッセ(著)・高橋健二(訳)『シッダールタ』より
へえ、この本読んでるヒトもいるんだなあ。思想というより詩だと思っている本の一つだけど、
俺も好きだよ。「おーむ」だったっけ、真言みたいな<言葉>を繰り返すところがあったよな。
ここでいう意識は、ブラフマンだったかの世界宇宙の意識と一体化した個人の意識だろ?
つまりは悟った者の。そういう境地になってみたいものだが。
ナホウドリさんの「意識」という言葉は、上の引用でもそうだし、下のでもそうだけど、
自己意識みたいなものに近い印象を受けるな。それなら、身体に関わっていて当然だと思う。
のまで飽食社会の奇麗事にされている気がするのさ。
>>781 の最後の行は間違いだー。。
> 1.意識を同時に二つ以上感じることはできない。あなたの意識は、常に一つです。
> 2.あなたの意識は外界だけではなく、あなたの身体にも引っ張られているはずです。
> あなたの身体が急に別物に変わることはない。あなたの身体は連続性をもって徐々に
> 変わっていくのです。
> 3.意識と身体は切り離せない。
> 4.意識は連続した身体をよりどころにして連続性を保つことができる。
> 以上のことから、あなたの意識は一つであり、連続しているといえる。
その意味では、これは首尾一貫してるよな。だけど、俺が言ってるのは、むしろ、外界の出来事への
意識でさ、志向性と言おうが何と言おうがいいんだが、出来事の突発性についていく、出来事を
意識の無いようにする、というような意味での意識を言ったんだ。それと、ナホウドリ意識とは
重なっているのかもしれなし、そうでない部分もあるだろうと思うんだが、どうだろうね?
> (意識と身体が切り離せるならば私の主張はおじゃんなのですが。)
その手の意識は宗教体験に任せておきたいな、俺としちゃあ。
> 連続性で思ったのですが、そもそも、不連続は存在するのでしょうか?
> (実は、わたくし、世界に不連続性が存在するというアイデアを理解できておりません。。
いや、そりゃ、言い始めればキリがなさそうな議論になるよな。そんなに深い意味で
言ってるわけではなくて、アナログとディジタルくらいの意味だよ、俺が言ってるのは。
実数と整数でもいいけどさ。
> 不連続=何者にも影響されない・流れに乗っていないということではないのですか? > そんなもの(こと)ってあるのですか?) 事物がどうなっているかは、まぁ、わからないんだが、少なくとも、それを捉える側としては 連続的な捉え方と不連続な捉え方はあると思うよ。ただ、「何者にも影響されない」ことが 不連続というのはよくわからない。影響としては連続でも、事象としては不連続というのは あるんじゃないかい?そもそも、何かが「起きる」というのは、無かったものが生じることだと 考えれば、不連続じゃないのかと思うんだが。 > もし存在するのならば、自由意志・自発を不連続に求められそうですが。。。 俺は、どうも、意思とか自発とかいわれてもピンと来ないところがあるんだが、 「何者にも影響されない」ということを不連続の証拠とするならば、自由意志も自発も 不連続じゃないと思うよ。無から生じるとは思えないからさ。だが、何かからの影響が あっても、「選択」があれば、そこには不連続があり、自由はあると俺は考えるんだが。 不十分かな、自由意志尊重派のヒトにとっては?
>>770 > 言語関係の問題ですが。
> 回文さんの言語の定義を聞いておきたいです。それを踏まえて
カバと呼んでくれ。「回文さん」はどうも。。。
> 1.文化と言語(文化の定義を少し考えてみました。「文化=複数に共有された後天的な
> 行動様式」浅すぎますか?)
どこでレベルを切るかだろうけど、地理的な環境だって文化にはなるだろうし、いろいろだろうなあ。
> 2.言語を持たない人間がいるか?(人であるなしは遺伝子で決めますといった
> レベルの話ではなさそうですもんね)
狼に育てられた子どもは結局まともには話すようにはならなかったんだろ?だとすれば、
人間の脳があっても言語に繋がらない場合もありってことかと思っていたが。だが、そういう
例を論じるのは俺にはあまり関心が持てないんだよ。ごく普通に、まあ、ヒトは言語を使ってる
という意味で言ってるわけ。
> 3.概念と言語
概念だけでなく、色々な物の形状・色などなんかでも、結局は言語的に把握されているわけだろう?
概念というのは言語の入り口みたいなものから、高度に組織化された抽象的なものまであると思う。
俺が関心を持つのは、概念と事例の関係かな。フルーツは概念、リンゴは事例。リンゴもまた概念、
その一個が事例。というようなことだ。
> 4.世界観と言語(私(A)はねずみ(B)と完全に同一な視点には立てないといったレベルの
> 話ではないですよね。)
それは、チシャ猫の個人的問題(というか感覚的問題)だと思うな。クワインの翻訳不可能性
みたいなことも関係するだろう。個人的な意識のあり方とかにも絡むだろうし。
> (それから、私が「こころという単語」を求めたのは、“単語”が観察可能なもの
> であるからです。その程度です。)
その雰囲気はわかる気がするけどさ、単語はあくまでも、観察可能な何かを指し示すもので
あって、それ自体が<見える>というふうには俺は考えないが。もちろん、言語学なんかで
言うときには、単語は<見える>ものとして扱えるから、学が成り立つんだろうけど。
>>771 >
>>766 > >あんた、ナホウドリさんかい?
> はい、私はナホウドリでした。廻廊さんがいなくなり、なんだかナホウドリと名乗る必要性が
> なくなったような気がしたので、名無しになり、729になりました。
別にどうでもいいことだけどさ、このスレの前後関係について言えば、ナホウドリのほうが
明示性があって、いいと思っただけ。言語の問題にすぎないか。
> >○が来て(こいつは俺のダチなんだが)寝ていたみたいだが。あんたの言うように、
> >寝るってどういうことよ?なんだけど
> いや〜、本当に電子掲示板で眠るって変ですよね。どうやって寝ているのか不思議で
> たまりません。(’▽’)ノ<いや、まじで!
黙っているっていうような意味。あるいは、ときどき目をさましたみたいに出てくるっていうか。
電気酸素呼吸とかいうようなもんでもあるんだろ。がははは。これも、言語の問題だー。
> >廻廊爺さんの言うことは面白いし、俺も似たこと考えるので混乱するんだが、でも、
> >幾つか全然違うと思うこともある。それを聞くかなと思ってたわけ。
> チシャ猫さん、顔文字先生、俺さん、ウミネコさん、いろんな人と廻廊さんの対談を。
なんだか、みんな退いちゃったみたいだなあ。そういう時期なんかなあ。なんだか、
俺みたいなのが書き込みしても意味がないみたいな気もしてくるよ。
>>770 >
>>762-765 > ―さて,今日,子どもたちに[生きる力]をはぐくもうとするとき,
> 我々が取り組まなければならない最も重要な課題の一つは,[生きる力]の礎とも言うべき,
> 生命を尊重する心,他者への思いやりや社会性,倫理観や正義感,美しいものや自然に感動
> する心等の豊かな人間性の育成を目指し,心の教育の充実を図っていくことであります。
> 文部大臣小杉隆「幼児期からの心の教育の在り方について」より
これはさ、美文だと思うわけ。それだけが宙に浮いてて現実感がない。どんな社会だって
ある種の思想は教育していくと思う。ただ、それが、空文の押し付けで、現実社会の実態を
見逃しているか、いや、目をそらすために機能するようなら、欺瞞だと思うんだよ。なんだか、
心というものまで飽食社会の奇麗事にされている気がするのさ。
>>782 > 意識の無いようにする、というような意味での意識を言ったんだ。それと、ナホウドリ意識とは
ぷぷぷぷぷ、内容だった。
カバ、お前もう少し素直にやったらどうぜよ?
>>771 > >○が来て(こいつは俺のダチなんだが)寝ていたみたいだが。あんたの言うように、
> >寝るってどういうことよ?なんだけど
> いや〜、本当に電子掲示板で眠るって変ですよね。どうやって寝ているのか不思議で
> たまりません。(’▽’)ノ<いや、まじで!
あんたも眠くなる、ほーら、眠くなる。電子掲示板でなくっても、掲示板で寝るのは変ではあるが。
まあ、人生旅ってことぜよ。旅の途中だと、駅の掲示板のわけの分からん置き書きも、
何とはなしに懐かしい故郷のような気がするもんでよ。まぁ、いいじゃっね。
789 :
没個性化されたレス↓ :04/11/13 22:51:36
なんだ自演きもいぞ
貴様のキンタマもきもいぞ。
791 :
没個性化されたレス↓ :04/11/13 22:53:21
???
↑お前の頭の中か?
でむぱ。
↑お前の頭の中か?
↑お前の頭の中か?
そうだよ。
797 :
没個性化されたレス↓ :04/11/14 14:09:53
全ては脳内幻想
唯脳論
799 :
没個性化されたレス↓ :04/11/14 19:01:51
↑馬鹿
800
801 :
没個性化されたレス↓ :04/11/14 21:45:00
800age
802 :
没個性化されたレス↓ :04/11/15 00:32:46
結局、なんなんだ? わざと迷路に入って、無駄に時間潰してる。
ふふふふ、自己言及の極み。
804 :
没個性化されたレス↓ :04/11/16 08:45:17
800age
805 :
没個性化されたレス↓ :04/11/17 02:58:34
800age
806 :
没個性化されたレス↓ :04/11/20 12:23:30
800age
807 :
没個性化されたレス↓ :04/11/20 14:20:12
はあー
808 :
没個性化されたレス↓ :04/11/23 19:01:49
800age
わかってないなあ。
812 :
没個性化されたレス↓ :04/11/29 01:11:46
800age
813 :
没個性化されたレス↓ :04/12/07 23:59:10
800age
どうやら、このスレも終わりのようだな。
海の廻廊はもう戻らないのか?
816 :
没個性化されたレス↓ :04/12/08 02:04:05
お手アゲ
817 :
没個性化されたレス↓ :04/12/08 15:08:11
・2chで書き込み数 第2位
・笑いが好きで煽りが嫌い優しいVIPPER
・りんごジュース
・書籍化予定あり。面白スレッドの強力ラインナップ
・就職しない価値がある
・優しい仲間があなたをお待ちしています
それがVIPクォリティ
http://ex7.2ch.net/news4vip/
多重ループ理論
??
820 :
没個性化されたレス↓ :04/12/11 01:41:52
800age
(’▽’)<御無沙汰してます。
合格する気満々で受けた受験に失敗しまして、さらなる受験の準備をしているところです。
12月中旬には帰ってくると書いておりましたが、無理に成りました。ひゃ〜
バカのカバさん〜約束を果たせないことをお許しくださいませ〜
それでは、皆さん!いいお正月を〜バイバイキーン
>>788 ○さん〜ふぁ〜ねむねむ。ここは、確かに懐かしく暖かいところだ・・・・zzz
822 :
没個性化されたレス↓ :04/12/18 11:53:09
何の受験かは知らないが、まぁ、何にせよがんばりんしゃいな。 試練があって、人生は先に進むわけで。 来年があることを祈りつつ。
823 :
没個性化されたレス↓ :04/12/22 21:07:19
800age
824 :
没個性化されたレス↓ :04/12/25 08:47:40
メリー・クリスマス!ほーほーほーほー!世界が平和になるように!!!!!
826 :
没個性化されたレス↓ :04/12/25 21:10:01
800age
827 :
没個性化されたレス↓ :04/12/27 19:47:50
10000人以上が一度に死ぬ。大自然の驚異と、人間の無力をまた思い知る。 我々にできることは限られている。科学全能感にみちた20世紀が終わり、 21世紀は、科学が全欧ではなく、限られたなりに進めるべきものであることが 痛感される世紀になりそうな気がする。地球の天災周期からも・・・
828 :
没個性化されたレス↓ :04/12/27 19:48:42
それのほうが健全なのかもしれない、科学としては。しかし、高い教訓だ。
830 :
没個性化されたレス↓ :04/12/29 00:11:06
800age
831 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 00:33:32
危険なガスが発生している!
832 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:12:49
なんだこの糞スレは。
833 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:13:53
それだけ。
834 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:19:22
宇宙人はテレパシーで人間と交信するんだぞ。 どういうことかわかるか? 言語の壁を超越してるんだ。そう、イメージの交信だ。 これはこれからの人間の課題だよ。
835 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:20:38
宇宙人に宜しくな。
836 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:22:31
海の廻廊は死んだって噂だが?
837 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:22:51
誰、ソレ?これ、あれ。
死んじゃいないぜよ。ねむねむ。
奴は死んだYO。 72才だった。
840 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:32:57
727歳のまちがいだろ?
841 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:35:43
707だろ?ボーイング。
病気だった。 お見舞いに行くと、病床でここの話を聴かせてくれてたんだ。
843 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:37:03
ロボも死んだって噂だが?
844 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 01:37:31
あんまり人の生き死にをネタにするんじゃないぞ。
>>842 本当ならどういう話を?
846 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 10:51:00
遠国のようなところだって言ってた。
847 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 10:51:24
ち、違った。天国だった。
848 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 10:52:53
で、別の天国に行ったわけか?
つまらないぞ、お前ら。
850 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 12:22:55
72?
851 :
没個性化されたレス↓ :05/01/13 12:24:42
ナニ?
黙れ、オームども。
853 :
没個性化されたレス↓ :2005/07/29(金) 23:54:41
夏厨真っ盛り、新スレラッシュ。 落ち回避、age保守! しかし、このスレのおもしろい基地街どもは どこに消えたのかね。
854 :
没個性化されたレス↓ :2005/08/05(金) 20:42:19
800age
いるお。
856 :
没個性化されたレス↓ :2005/08/15(月) 00:05:38
800age
なんだか、上の方が騒がしくなってきたようですね。 おもしろそうですが、私はついて行けないので、こちらから観戦させてもらいたいと思います
858 :
没個性化されたレス↓ :2005/12/17(土) 18:49:10
856
860 :
没個性化されたレス↓ :2005/12/23(金) 21:58:51
800age
861 :
炎太 :2005/12/23(金) 22:56:18
そうだね
そうかな?
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