生態学的リアリティーw?
つーか、↑どういう意味だよ さぱりわからん
偽問題だね。 生きていることが、すでに世界に触れていることである。 ということは、世界とどうかかわるか? を問うことだね。
4 :
没個性化されたレス↓ :04/09/21 09:52:56
4様が、なニダとは同じ民族なのかと4げっと
なんだ、これ?誰もみてないよ!
触れると見るは同じか、違うか?
なぜ物の重さとそれを持ってみたときの感じとを並べて比較するのか? 物理量と心理量はパラレルでいいのか?
心理量を物理量に似せて測るのは正しいのか? いや、そもそも心理量という「量」はあるのか?
一方は物であり、他方は物を持つことであるなら、それはまさかパラレルではあるまい。
本当に我々はそんなふうに物理量を心理量と対応させて生きているのか? それで、世界に触っていることになるのだろうか?
>>3 > 偽問題だね。
> 生きていることが、すでに世界に触れていることである。
ネズミにおいてはそうかもしれないが、人間ではそうではないかも。
我々は「騙された脳」の半透明の膜のおかげで世界には接していない。
このスレ、私に触りたい人が始めたんでしょ?やーね。
んもう、はやく触りなさいよ。 けっこう、狩り高よ (^^)
借りたかってなあに?私確かに狩りはするわよ。爪があるから。
では、せっかくのご招待ですから、こちらにパオを移動いたしましょう。
話はいよいよ佳境に入り、世界に触れるとは何かが論じられることになるでしょう(?)
言語版とは関係ないわけではないけれど、代理戦争とかそういう類のスレでは
決して決してありません。こっちでも、こっちなりに素敵な話ができるのか、
それともやっぱりダメなのか。それをちょっとだけ試してみるのも御一興。
以下は前スレ
行動主義者の脳と臨床心理士の心
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1095928748/ の宣言文です:
=================================
行動主義者は完全にではないにせよ脳は要らないと言う傾向にある。
同じように心も要らないと言う傾向にある。行動主義者は何も要らないのだろう。
臨床心理学では脳や心は要るのか。無いなら心理もないだろう。臨床心理では
いろいろな物が肯定され、概念は豊饒の限りを尽くしているとも言える。
どっちがアホか?
=================================
そして、実は、この前スレの前身打撲スレが、ここなのでした。再帰は巡る。
さぁ、お立会い!(で、このスレの次スレがあれだから、、、あれれ、ループ?)
それもよし、輪廻転生、永劫回帰、ニーチェも仏陀も鰯の頭もみな友達だ!
池のめだかが出たところで、さあ、再出発です!
そうでしょ? 遺伝子の作用なんだし
む、これは難問のようじゃぞ。
前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1095928748/ >>978 より、ちっとだけ転載しておくにゃ。これをテーマとするというわけではないにゃ。
>>857 きっちりしたまとめをありがとにゃ。一部、疑問もあるけれど、大筋、ここまで
読み込んでくださればいうことなしにゃ。大感謝にゃ。
> 740あたりから、何度か読んでみたのですが、およそこんなことかな(憶測)と:
> 問題はAとBがアナロガスである(似ている、アナロジーになる)ことを否定するための
> 条件は何かということなのでしょう。
ワシは特に顔文字しぇんしぇいのことをどうこう言うのではないにゃ。語り口につい憧れて
マネしただけにゃ。ご不快の由あれば、陳謝するにゃ。そんなことで感情的になるような
御仁だとも思えんがにゃ。
ここで、サマリに感謝して、以下の話を続けてもいいしにゃ。あるいは、全然違う話題でも
構わないにゃ。ナラティブの続きも面白そうにゃ。
> ここで、コーヒー(?)ブレークが入り、その後、顔文字アナロジー氏が、そういう分析は
> ともかく、全体としてAとBがアナロガスであるという印象を持つためには、何が
> 必要かという(分析ではなく総合として)疑問を出され、そこで、
> 1) AとBを<扱う扱い方>をそれぞれα、βとするとき、AとBが実際には似ていなくても
> αとβが似ていると、AとBが似ていると感じられる場合がないか
> 2) AとBの要素が<あらかじめ>決定されている場合もあれば、何らかの理由から
> 結果的に、その要素aないしbが新しく付け加わって、結果として<似ている>ことになる
> 場合はないか
> というようなことがあったのかと思います。この場合、1)と2)は必ずしも独立ではなく、
> 2)のようなことが起きるのは1)を経由して起きる場合もあるのではないかと、私は感じます。
> その一例が強化の場合ではないかという意見もあったようです。
思ったんだけど、違っていたらごめん 前スレで出てたプラセボ効果って、もしかして、アナロジーの仲間じゃないか?
それから、21の1)の前に0)として再帰で論議されたのを入れておいてくれる? 0)AとBの直接比較 1) AとBを<扱う扱い方>をそれぞれα、βとするとき、AとBが実際には似ていなくても αとβが似ていると、AとBが似ていると感じられる場合がないか 2) AとBの要素が<あらかじめ>決定されている場合もあれば、何らかの理由から 結果的に、その要素aないしbが新しく付け加わって、結果として<似ている>ことになる場合はないか 0)は我々からみると A と B という物、オブジェ、客体、目的語だろう?ところが 1)は我々自身の、A と Bそれぞれに対する意味づけというか関わりというかだよね? そうすると2)はかなり別物?
どうでもいいけどって言って、どうでもいくないことを言う、あれですか?
はあ?
analogy
T 類似, 似寄り 〔between, to, with〕
a forced analogy こじつけ.
draw an analogy between two things 二者の類似を指摘する.
have [bear] some analogy with [to]… …にいくらか類似している.
U 類推, 類推による説明; 類推法
by analogy 類推によって.
on the analogy of… …の類推により.
V 〔生物〕 相似 (参照: homology U).
語源
ギリシャ語「比例」の意
analogous(形容詞)
analogize(動詞)
analogizeについては
━ 【他】
〈…を〉類推する, 類推的に説明する.
━ 【自】
T 類推する.
U 〔…に〕類似する 〔to, with〕.
がある。
>>23 の
0)はanalogousで
1)はanalogizeか?
少し、というか、かなり違うと思う。 1)のαとかβはanalogizeじゃない。 何でも動詞的なものなら、作用を引き起こすものならいいんじゃないか。 そのαやβの一つとして、analogizaがあってもおかしくはないが。 でも、そうなると話はうんと厄介だよな。
28 :
没個性化されたレス↓ :04/09/28 10:35:38
みなさああん、少し言語っぽくなりすぎてません?
29 :
没個性化されたレス↓ :04/09/28 10:37:24
え、そうかな?全然、言語のこと考えてなかったけど。。
心と心を見ること、っていうアレですよね? 『人はなぜ心を求めるか』の。
はあ?
似てはいまつな
問題にされてるのは、 AとBがアナロガスでなくても αとβがアナロガスだと、なぜかAとBまでアナロガスに見える、ってことよね?
なるほどですね。 しかし、Aとα、Bとβは分離可能なのだろうか?
だからね、そこを考えてるんじゃないの!
分離できる、分離できてると思うのが幻想?
そこんとこあたりが、唯脳、唯心の始まりかね。
お、元スレ復帰か? 行動主義者の脳と臨床心理士の心
どうでもいいけど、この一連の話って理屈だろ?いわば哲学というか 科学じゃねえよな、実験的に確認できそうもないだろ
あなた、誰?実験だけが科学じゃないわよ。
>>39 バカの行動主義者が言いそうなことだな。じゃぁ、臨床心理は実験できるのかな?
臨床心理に実験なんているかよ。治りゃいいんだ。
しかし、そうだとしても、闇雲にセラピストの主観で行くというのでは駄目だよな。 こうしたら、こうなるかな?と少しずつ考えて確かめながら行かないと。 それはある意味で実験だろ?
言語学だか論理学だかには実験はいらねえだろうけど、心理学には どのみち「お試し」がいるんだよ。それがなければ心理学じゃない。
実験言語学ってなかったっけ?
スキナーの行動分析では理論的な言語分析も大切だとしています。
>>45 それは、脳機能との関係で言語の実現を考える領域で、チョムスキーが
自分では手をつけない、ややダーティな科学領域だと思う。言語自体の
実験ではないよ。少なくとも現状では。
何にゃ、今日は妙に静かだにゃ。祭りの衆はいないのかにゃ?
まあ、それはよいとしてにゃ、
>>39 それがどっこい、そうでもないにゃ。αとA、βとBの関係はただの連合(リンケージ)では
ないのでにゃ、むしろ、ソレこそ動詞と目的語、パックマンとパックンチョの関係なわけにゃ。
だから、レスポはともかく、オペラの図式にそのまま当てはまるにゃ。
だからして、行動分析オタクの世界で、今関心を持たれていることの一つは、実験的な
言語理解だと言っていいにゃ。違うかにゃ?
集合とか再帰とか言うだけで震え上がって、論理学にゃ哲学にゃと騒ぎ立てる単細胞には
わからんかもしれないがにゃ。
>>33 ここ言われとることはだにゃ、α=βのときに、人間はAとBをアナロガスに感じるという
ことにゃ。しかも、もしかすると、それは人間だけではない可能性も色濃くあるにゃ。
>>23 の2)のような場合は、その逆と言ってもいいかもしれないにゃ。
α=βでA=Bとなるだけでなく、世界の側、環境の側の要因としてAやBに関わるものが
あるはずにゃ。それを仮に、△と▽とする(つまりにゃ、例えば、△がAを、▽がBを、
生き物に与えるとする)とだにゃ、△=▽のような場合にもA=Bという印象を我々が持つ
可能性も大いにあるにゃ。
α→A←△ β→B←▽
で、α(生き物側)も△(世界の側)もAに関係あって、そのAと同レベルのBとAとの関係を
決めている可能性のことなのだがにゃ。分かってもらうには、もう少し時間と手間が要るじゃ
ろうにゃ。もっと極論するとだにゃ、αと△、βと▽の関係が重要で、AとかBとかは、実は
その関係に当てはまる変数に過ぎないのかもしれないにゃ。
言ってることがわかるかにゃ?どうにゃ?わっからねーだろうにゃー。帽子あるかにゃ?
前スレ857のマトメヤです。フィードバックありがとうございましたです。
こういう論議の行き方もたまには面白いです。
>>48 のお話は気が遠くなりそうな展開です。
ついつい言語イメージで読んでいたのですが、これは心理学の実験パラダイムに
乗せることができるということと理解しましたが、それでOKですか?
なかなか、恐ろしい話かもしれないと思いました。
他方、このようなことを動物でも考えられるとするのであれば、当然なのかも
しれませんが、コレは、脳と世界の関係の仕方、あるいは心理学なら、心と世界の
関係の仕方なのですね?こんな点から考えて、サルやネズミの実験まで
行くのでしょうか?そこで、脳の研究も成される?ひととおりならぬジャンプが必要に
思えて仕方ありません。
それと、このスレに前スレが闖入してくる前、6〜11)あたりに、
物理量と心理量の話が先触れみたいにあるのですが、その関係も
αとAの関係のように思えてきてしまいます。これも別種の穴路地ですかね。。
そうかにゃ、それはありがとさんにゃ。にゃが、これは単に、過去の知見や考え方を 整理してみとるだけでにゃ、何も恐ろしいとかそういうことではないにゃ。これから やるべきこともあるだろうがにゃ、もう既にやられておることも多いと思うにゃ。 つきあってもらってるついでに、こんなのはどうにゃ? α→A の関係をもう少し細かくするにゃ。例えば、 α0→α1→α2→A つまり、Aに対する関わり方は、おそらく「その前」があるのだろうからにゃ、このように 前へと遡及できると考えることもできるはずにゃ。そこでの問題はα0というような 出発点になるようなホムンクルスがいるかどうかということにゃ。『前へ』と書いたがにゃ、 これは時間的なのか空間的なのか両方あるだろうにゃ。α1くらいが大雑把に運動野だ とするとにゃ、α0を探すわけにゃ。しかし、本当の0点は見つかりそうもないにゃ。 逆に例えば、上の空想的関係は、 (α0→α1→α2)→A とか (α2(α1(α0)))→A とかでもあり得るはずにゃ。そうなったとき、我々は脳の中に昔懐かしきホムンクルスを探す 必要はあるだろうかにゃ?さらに観念奔逸するとにゃ、この関係は、Aにいたる→までを入れ込んで、 (A(α2(α1(α0)))) とか (α0(α1(α2(A)))) ではいけないのだろうかにゃ??
ったく、わからん!ここは何をやってるんだ?記号並べゲームか?
『薔薇の名前』っていう小説ありましたっけ?エーコとかいう記号論の人の?
にゃにゃ?驚くべきちょっかいにゃ。ショーン・コネリーがなかなか良かったにゃ。
ふふふ、
>>50 は意味深なんだけど、なんか嘘書いてるんじゃありません?それじゃ、まだ、
ホムンクルス探しから抜け切れないみたいだけど?
にゃにゃにゃ?それはまた、小憎らしい突っ込みにゃ。
ねえ、どうしてホムンクルスが出てくるのだ? そんなの要らないんじゃ?脳が要らないように。 それとも、わざと問題を複雑にしてるのか
もちろんにゃ。ホムンクルスなしで済ますにはどうするかを言っとるわけにゃ。
すみません。私はまだどうも、付いていけていないみたいです。
>51 ことば遊びさ おまえさんもくわわれよ
そんなことはないと思うにゃ。 脳科学だの進化だの、あれこれ新しい道を探っている時代にゃ。 何があっても可笑しくないにゃ。ワシが了解でないのはにゃ、 そういう新しい道を探るときににゃ、ガイドになるような論理が十分でない状態で、 ほにゃらら言っているのではないか、という点なのにゃ。
62 :
没個性化されたレス↓ :04/09/28 22:16:15
>58 もぎくんの 脳内幻想といふ書物を読みな
じゃあ、59は何なの?
クォリア教徒だな! なんでクォリアから出発して、新しいホムンクルスになるんだ?
そうにゃ、その辺の理屈がどうもワシには承服できかねるにゃ。
最新の本では何か新しい展開があるんですか?
ったくだな、そのクォリア教徒はどうして、マッハのようなところから出発して 脳科学をやりながら、マッハとは似ても似つかないホムンクルスに行くのかな?
関係ありそうな本を見つけてポイントするのは大切にゃが、ポイントだけでは 論議にならんのではないかにゃ、62の中の人?
いやさ、お富!
ぶ、これまた、チョー古いネタにゃ。歳は幾つにゃ?バルどーより年寄りだにゃ?
蝙蝠安ってのもいたっけな。
にゃ、馬鹿にしとるつもりはないにゃ。若い頃のバルドーは最高にゃ。 ひばりくん、顔負けにゃ。
バディムって生きてるんですか、まだ?あの監督のちょっとHな映画って、なかなかよね。 そうそう、彼だったか、見込みのありそうな女優を鏡の部屋に閉じ込めて、 毎日の動きのすべてを自分で気にするようにさせたのって。毎日、何処を向いても自分が 見えてるって壮絶。鏡の国のアリスどころじゃないわよね。自己に反射する世界。
あ、違った、世界に反射する自己。
にゃ?謎をかけとるのかにゃ?
ふふふ、わかってるくせに!
ううわっからねーーーーーーーー!
そう言えば、鏡に映る自分が認識できるロボットは可能かっていう研究してる 工学系の人たちがいましたね。
ほー、前スレで3D世界で自分がわかるロボットの話が出て、それっきりになっていたにゃ。
鏡といえば、ダーウィン、ワロン、ラカンですか。
その変異詳しい精神分析の御仁はおらんかにゃ?
変異ですかね?
にゃ?お、いかんにゃ。進化のこと考えすぎにゃ。 その辺に、だにゃ。
ま、いずれにしても世界に触るのは難しいことにゃ。にゃあ?
お、もう11時にゃ!かぼちゃのバスがなくならんうちに移動開始にゃ。
おお、いい月が出てるにゃ。なにやら怪しげに赤いにゃ。チシャ猫時にゃ?
/∧_/∧ <<``ДД´´;>> // \\ ⊂⊂(( ヽノヽノつつ しし((_))
像がブレとるぞ!
そして、消える。
君は可愛いボクの化け猫 赤いリボンがよく似合うよ だけど時々爪を出して ボクの心を悩ませる 化け猫のサンバ、サンバ、サンバ ボクの恋人は変な猫 化け猫のサンバ、サンバ、サンバ 猫の目のように気まぐれよ ラ・ラララララ・ラ〜ラ
ソレの時にしては、退屈な夜だったわね。ピンボケ猫と童謡だけ。
>>49 > それと、このスレに前スレが闖入してくる前、6〜11)あたりに、
> 物理量と心理量の話が先触れみたいにあるのですが、その関係も
> αとAの関係のように思えてきてしまいます。これも別種の穴路地ですかね。。
物理量と心理量という区別の仕方って、いつ頃からあるのかしら?
物質世界と精神世界みたいな分け方ってギリシャ時代からなの?
身体と心、脳と心、みな似たものみたいだけど違いってあるの?
どのみち、<何か>の<あっち>と<こっち>なんでしょうけど、
そういう感じって誰にでもあるのかしらね。
私なんか小さいときは、世界を見るこっち側じゃなくて、世界の中で遊んでた。
それがいつの間にか、世界に向き合うこっち側に来てる。ふっと考えると
とても不思議よね。どうして、こっち側にいるんだろう?いつの間に、
あっち側から追い出されたんだろうって。
お尋ねだったけど、私はクォリアって何だかよくわからないの。だから
クォリア教徒でもない。けれど、言葉以前の感覚ってあると思うのよね。
世界を理解するとか考えずに、世界にまみれているほうが幸せじゃないかって
いつも思ってる。言葉なんか手に入れて人間て幸せになったの?
心も同じじゃないかしら。こっち側っていう感じって心があるって感じと同じ。
ある意味じゃ、心に閉じ込められているような気さえする。小さくて裸で
水遊びしていたような頃には、こんな境目なんてなかったのに。
最近、右のおっぱいのところが少し硬い気がして違和感がある。もとから
バルドーのようじゃないから、いつもどおりなのかもしれないけど、
なんだかこうやって身体中が硬くなって、どんどん感覚がなくなるのかな。
死んで海の底に沈んで葬られると、言葉も心もなくなって静かなのかしら。
究エニの756だな、お前の性格。それが世界に触れるのを妨げてるんだよ。 756 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:04/09/12 00:22:57 演技性の性格の特徴 いつでも、他人の関心を惹こうとする。自分が注目の的になっていない状況は 耐えられない。常にまわりの人の愛情を求める。 自分の感情を芝居がかった態度で表現する。その感情はめまぐるしく変わることが多い。 感情が豊かで印象的だが、正確さや具体性に欠ける話し方をする まわりにいる人を過度に理想化したり、その反対に、過度に貶めて評価する傾向にある
世界に触れるって名ニダ
まあね、きっとそう。
>>54 > ふふふ、
>>50 は意味深なんだけど、なんか嘘書いてるんじゃありません?それじゃ、まだ、
> ホムンクルス探しから抜け切れないみたいだけど?
自己フォロー。
>>50 > 逆に例えば、上の空想的関係は、
> (α0→α1→α2)→A とか (α2(α1(α0)))→A
> とかでもあり得るはずにゃ。そうなったとき、我々は脳の中に昔懐かしきホムンクルスを探す
> 必要はあるだろうかにゃ?さらに観念奔逸するとにゃ、この関係は、Aにいたる→までを入れ込んで、
> (A(α2(α1(α0)))) とか (α0(α1(α2(A)))) ではいけないのだろうかにゃ??
この括弧のくくり方がおかしいと思います。おいかしいというか、動詞と目的語が区別できていない。
生成で顔文字師がこんなことを言っていました。
518 名前:(´∀`)[] 投稿日:04/09/09 01:04
>>510 ここは昔の生成文法使ったほうが分かりやすいと思うので、あえて時代錯誤的なこと書くにゃが、
たとえば動作を表す動詞 V があって、それが主語 Subjと目的語 Obj の2つの名詞句を関係づけるとするにゃ。
ここでできあがる構造は [ Subj [ V Obj ]] (語順は無関係)という階層性を持っており、またこの階層性に
基づいて Subj がその動作を行う側として解釈され、Obj が動作を受ける側として解釈される、というのは
特定の動詞、特定の言語の事情ではなく、おそらくすべての人間言語に普遍的に成立する特性なんにゃろ、
というわけだにゃ。
それから、逃走派氏がこんなことを言っていました。
604 名前:逃走派[sage] 投稿日:04/09/10 22:32:57
どう してそのような真理条件が出てくるのかが問題になります。そんとき、統語構造
に忠実に計算していく仕組みが明示化されると、超気持ちよくなります。昇天し
ます。そこらへんの快感を求めてあれこれやってるのが、自然言語に近い論理学
というか、形式意味論だと重い鱒。それによると、例えば「食べる」は二項述語
の関数として捉えられ、次のような語彙的指定を与えられる。
λxλy (yがxを食べる)
これは関数で、ようするに最初のxに一番近いのを代入し、次にでてきたのをyに
代入していくということで意味計算が進みます。[Taroo-ga [pan-o tabe]]-taの
場合次のように計算が進みます(時制要素は省略)。
参考になりますか?
やっぱり、言語か。。。
うーん、そうでもないと思うのよね。 だけど、私としては、今は、世界に触る話がいいな。 世界に触られる、というのでもいいけど。
宇宙が人間を押しつぶすときも、 人間を殺す宇宙より人間の方が高貴である。 なぜなら、人間は自分が死ぬことを知っており、 宇宙が人間よりはるかに強力であることを知っているからで、 宇宙はそのことを何も知らない パスカル 考える足
足ってのがいいぜ、実に。だが、何だ、これ?
>>104 知るというのは結局のところ生き物ないし人間の能力というか営みで、
もとから自然界・世界にはないものだろ?それがないからといって、
特に人間が偉いわけではないと思うな。パスカル一流の人間賛歌。
いや、その、世界の側から触って来たりしないっていうことが言いたかったんよ。 それだけ。
足で触るんだな、え?
どこをだよ?
↑ すぐ、こうなる。。。
まだ夜じゃないわよ!
2chはいつでも夜さ
>>112 暗いな〜。2chって夜になると隣の千紗さんていうお化けが出るんだってね?
私、千紗さん・・・あなたの後ろにいるわ・・・
素っ裸で、肩の辺りからスッパリ斬られた刀傷があって、妙に青白く 長い髪がさわさわと鳴って、すーっと近づいてきたかと思うと、人を通り抜けていく・・・
ぞ〜
>>116 それから、振り向きざま、にーっと笑って口を開き、「私のパンツ返してよ!成仏できないじゃない。」
たはははは。
↑ バカの高笑い
全然、面白くねえんだよ!
そうかな、そうでもないと思うぜ・・・
2chの昼と夜か。。
言語でもなし、生得性でもなし、何を目的として、このスレは続いているのだろう? 脳の問題に深入りするでもなし、心の問題に話が行くとも思えないし。
自己嫌悪?
違った、自己顕示?
それも今いちだな。。
今日は夜のセッションなし?台風来てる?
まだ。いつもより風あるかなっていう程度だよ。
こっちは雨は降ってるが風はないようだ。
心理板でマジスレ連続ってのは、もうとっくに終わってるのかな・・・
書き込みが止まってしまい、このまま同定されるとかなわないし 転がし上手な先生、諸賢には勝てないので率直に書きます。 タイムスタンプ見ろよタイムスタンプ。 僕が確認できた猫嬢?の最古のレスは8/3でした。 仮に僕がここにいたとしても、8/3の時点では本人申告のプロフィールを 信じ込んでいたから、あんなレスが出来るわけないでしょう。 ほのぼのの過去ログを読み返すと、進化論で説明しろというレスがあったから Sociobiologyに関心があることを知っている別の人がいたんでしょう。 それこそお前だと言われたらもうどーしようもないですが。 (ログを読み返すと、信奉者を名乗りつつ、UOCvs.LSE論争(代理戦争)を知らなかったり おかしなところがありました。でも、今だから言えることです) 3代目ゴキブリが真に恐怖したのは、卓を囲んだおっさん・おばさん達。なんであんなところにいたんだ? 荒らしの心理スレでも牽制するようなレスが散見されたので どーせゲラゲラ笑って見てたんでしょ?エンターティナーの本懐につきるけど 切腹後もつつきまわすのだけは勘弁願いたい。 この夏は画像蒐集に夢中だったので、昼間にここや言語板を荒らす余裕などなかったです。 これでいいですか?>祭りの人達 雑魚拝 #別の方達だったら、きちがい扱いされるだろうけど、これでいい加減ご容赦ください。
????
にゃにゃにゃにゃ〜ん!今夜は深夜放送にゃ。思わぬ仕事が舞い込んで徹夜にゃ。
でもって、合間に書き込むにゃ。
にゃ、今日は少しは風が吹いとったみたいだにゃ。ま、どうせすぐに温低に変わるにゃ。
悪ガキどものイタズラにもならんイタズラは気にしなさんにゃ。
でも、健康診断くらいはしとかんと万が一のことがあってもいかんにゃ。
>>96 > 物理量と心理量という区別の仕方って、いつ頃からあるのかしら?
> 物質世界と精神世界みたいな分け方ってギリシャ時代からなの?
> 身体と心、脳と心、みな似たものみたいだけど違いってあるの?
このあたりは、心理学史の世界かもにゃ。それとも、ヤマモト氏の本ではないにゃが
『心の発見』とでもいう本が要るのかもにゃ。もう誰か書いてるにゃ?書いてないなら
次ワシがチャレンジするかにゃ。
> 世界を理解するとか考えずに、世界にまみれているほうが幸せじゃないかって
> いつも思ってる。言葉なんか手に入れて人間て幸せになったの?
疎外感かにゃ?言葉も人間の働きの一つであってにゃ、不快なこともあるのにゃが
それをどうすることもできんのにゃ。一旦、言葉に染まってしまった以上は、
言葉で生きていく以外に道はないにゃ。言葉が嫌になったときには、空でも見ながら
山にでも行くにゃ。あるいは、禅寺にでも行って坊主に殴ってもらうにゃ。
海はときに悲しうていかんにゃ。ウミネコもよう鳴きよるからにゃ。
>>100 > この括弧のくくり方がおかしいと思います。おいかしいというか、動詞と目的語が区別できていない。
なるほどですにゃ〜。考えてみれば当たり前のことにゃが。そう考えるのを妨げるものがあるとすれば、
次のような点だろにゃ。
>>101 どなたか知らんにゃが、大変ありがとにゃ。関心持ってもらえるだけで幸せにゃ。
> たとえば動作を表す動詞 V があって、それが主語 Subjと目的語 Obj の2つの名詞句を関係づけるとするにゃ。
> ここでできあがる構造は [ Subj [ V Obj ]] (語順は無関係)という階層性を持っており、またこの階層性に
> 基づいて Subj がその動作を行う側として解釈され、Obj が動作を受ける側として解釈される、というのは
> 特定の動詞、特定の言語の事情ではなく、おそらくすべての人間言語に普遍的に成立する特性なんにゃろ、
> 例えば「食べる」は二項述語
> の関数として捉えられ、次のような語彙的指定を与えられる。
> λxλy (yがxを食べる)
> これは関数で、ようするに最初のxに一番近いのを代入し、次にでてきたのをyに
> 代入していくということで意味計算が進みます。
そうなのにゃが、それは言語の分析においてはそうなのだろうと思うがにゃ、ワシの関心のあることは
少し違うのにゃ。そんな話ばかりしていてもスレの埒あかんのにゃが、行きがかりにゃから書くとだにゃ、
そのとおり、言語ではSubjや食べる者が必要にゃ。チシャ猫しゃんが聞いとったかもしれんがにゃ、
主語のない言語というのはないもんかにゃ。英語のような主語の比較的はっきりした言語でも、
日記なんぞ書くときには主語を書かないにゃ。動詞と目的語とその他にゃが、主語は要らないにゃ。
要らないというか、書かないにゃ。それは、日記書いてる自分がその主語であることが分かって
いるからにゃ。どこぞの書店主みたいに自分のことを苗字で呼んだりはせんもんにゃ。
主語というのは例えば、スキナーなんかではないのにゃが、誰かさんと誰かさんが麦畑、で
話しておってにゃ、どちらからどちらへなのかを明確にしなければならないから必要なのだと
ワシは勝手に思っとるのにゃ。いろいろな動作の方向とかにゃ。にもかかわらず、向き合って
話しているときには、結構主語が省略されている場合も(特に日本語ではにゃ)多いにゃ。
言葉の上の主語に頼らんでも通じる、別の主語があるからだろうにゃ。ま、言語は省略の
名人じゃから、難しい話はせんがにゃ。とにもかくにも、主語のない言語がワシは欲しいのにゃ。
主語が実はあって省略されてるだけ、という意味ではなくだにゃ、主語のない言語は可能なのか と、ついつい思うのにゃ。主語ありで話をする癖がついてしまってからというもの、人間はロクな ことをせんようになったと思っとるにゃ。 つまりだにゃ、主語の発生は、自己の発生とも密接な関係にあるにゃろ?誰かが禅問答にゃと 言っとったがにゃ、昔々その昔、はるか遠くの国に竜樹という偉い人がおったにゃ。この人の 考えでにゃ、「根本中頌」と呼ばれるものがあるにゃ。 例えば、ワシらは I live. と言うが、それは違うと言うのにゃ。むしろ、I なんというモノは もともと要らんもんでにゃ、liveあるいはlivingだけでよかったものを、いろいろな活動を 考えていくうちに、speakingしたり、lookingしたり、pakkunchoingしたりなどがあってにゃ、 それらに<共通する何か>を人間は考え出し、それを I にしたと言うのにゃ。そうなってからは 主語が重要になり、そちらが重要になったのにゃが、そのおかげでにゃ、活動・行動のほう、 つまり〜ingの理解が損なわれたと考えるわけにゃ。そもそも、世界には自己なんぞと いうモノは存在しなかったのを人間が作ったとにゃ。つまり、I はある意味では、もともと アナロジーの産物だったのかもしれないのにゃ。 そこには魂やらの出発点があるのにゃし、内側に何かがなければ気がすまんという時代が 人間に訪れたのにゃ。しかも、おそらく、そこには時間や偶然性という問題が絡みこんで いるのかもしれんのにゃ。 その意味ではにゃ、言葉がワシらを世界から切り離しているというのは正確ではないにゃ。 主語が、ワシらを世界から切り離しているのにゃ。どうにゃ、リッパな宗教にゃ?にゃが、 ワシは宗教は信じとらんのでにゃ、その考えだけをいただきたいと思っとるにゃ。 だからにゃ、主語のない、動詞と目的語を区別した(しとらんかった、と突っ込まれたがにゃ)だけの 言語を作れんのかと妄想しとるのにゃ、最近特ににゃ。平和のためにもにゃ。 脳は実体にゃが、脳が I であるというのは妄想だとワシは思うのにゃ。心も、もしそれがただの I の代用品なら無用な門だと思うにゃが。。
>>132 実はワシはこの御仁についてはコマっておるにゃ。どう読み返しても意味がようワカランのにゃ。
こういう空間のことじゃからにゃ、何かの誤解があってもしょうがないと思うにゃが、それにしても
わからないことばかりにゃ。猫とあるのはチシャ猫しゃんのことかにゃ、それとも、昔々の色違いの
猫さんかにゃ?2chは動物園と見えて、同種の動物があれこれおるようで、種だけではどうも
区別がつかんのにゃ。
書き込みが止まる止まらんもワカランし、UOCvs.LSE論争(代理戦争)とかSociobiologyとかも
全然ワカランにゃ。
> 信じ込んでいたから、あんなレスが出来るわけないでしょう。
あんなスレというのも、少なくともワシにはワカランのにゃが、これを明示してくれればにゃ、
少しは理解できるかもしれないにゃが。どうも、そのことを気にしておられることは推定できるにゃが。
> 3代目ゴキブリが真に恐怖したのは、卓を囲んだおっさん・おばさん達。なんであんなところにいたんだ?
の3はF3で、進化スレF3のことにゃ?実はそこはあんまり難しい話でにゃ、よく読んでいないもんにゃから、
これまたピンと来なくてにゃ。
ま、とにかくだにゃ、話をしに来られるのは歓迎にゃが、分かるようにしてもらえないとホットクことしか
できないかと思うにゃ。すまんがにゃ、そういうことで理解してもらえんかにゃ?宜しくにゃ。
うみねこタソだつたか。
ワシはウミネコは悲しいと言うのにゃ! もっとも、連中は風に乗って人間のすぐ側までやってきて愛嬌を振りまきもするにゃ。 まるで、ウミネコの波か風の中にいるようになるにゃ。
にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー
耳を澄ますと言葉以前の音が聞こえてくるにゃー
とうとう秋がきたみたい。
私の低気圧も昨夕でけじめ。気分を取り戻してがんばろう!!!
>>134 > このあたりは、心理学史の世界かもにゃ。それとも、ヤマモト氏の本ではないにゃが
> 『心の発見』とでもいう本が要るのかもにゃ。もう誰か書いてるにゃ?書いてないなら
> 次ワシがチャレンジするかにゃ。
きっと既書があるんでしょうね、そういうの。でも、期待してます。ヤマモト氏には
恨み言はないんですね?ある関係かと思ってた。
> 一旦、言葉に染まってしまった以上は、言葉で生きていく以外に道はないにゃ。
> 言葉が嫌になったときには、禅寺にでも行って坊主に殴ってもらうにゃ。
いいかもしれませんね、でも残念なことに、禅寺まではちょっと遠すぎて。。
滝の行にでも行ってみようかな。
> 海はときに悲しうていかんにゃ。ウミネコもよう鳴きよるからにゃ。
海は好きなのだけれども。。にゃーにゃーって私も猫かと思っていたけど、
>>140 の指摘するようにウミネコもいいかも。ハンドルを考えてあげました:
ウミネコの廻廊
貝楼というのが海市と同じ意味だそうです。偕老じゃ可愛そうでしょうし、海老も
ううむですから、ちょっと意味が不明だけど、廻廊に。
コテ張ってやっている人って偉いなと思います、最近。大変だと思うもの。
どのみち正体不明で行くのなら、目印なしのほうが美しいし、楽かと。
つまり、主語なし、なら、主語なしでも、通じる言葉があって、誰が?より何言ってるか?の方が
大切かなって。主語なしなら、追われることも少ないし。
そんな気がする秋の午後。明日は明日の風よ、吹け。
>>136 >>137 主語なし、いいですねー!そういう人工言語でどこまで可能なんでしょう?
> つまりだにゃ、主語の発生は、自己の発生とも密接な関係にあるにゃろ?誰かが禅問答にゃと
> 言っとったがにゃ、昔々その昔、はるか遠くの国に竜樹という偉い人がおったにゃ。この人の
> 考えでにゃ、「根本中頌」と呼ばれるものがあるにゃ。
インドって行ったことがない。ナーガールジュナの生きてた時代に行ってみたいな。
> その意味ではにゃ、言葉がワシらを世界から切り離しているというのは正確ではないにゃ。
> 主語が、ワシらを世界から切り離しているのにゃ。どうにゃ、リッパな宗教にゃ?にゃが、
そうかーっと思った。なんだか、とてもスッキリした気になれました。
そうか、それなら言葉を愛せるのか、と。
> だからにゃ、主語のない、動詞と目的語を区別した(しとらんかった、と突っ込まれたがにゃ)だけの
突っ込んでませんてば(^^)
雑魚さんて、誰だか私もよくわからないけれど、猫が私のことなら、もしかして あのことかしら?くらいのことはあるんですけど、特にすごく不愉快だったわけじゃないし。 あんまり思い当たらない。また、気楽に話したいけどな。 私が女か男かなんてどうでもいいと思うから。そう言えばね、こういうところって、 話題が時には男性的なものに偏ってしまうでしょ、だから嫌になる女の子も いるだろうけど、逆のタイプもいると思う。ここにいて、女なんだけど、男言葉 わざと使ってるひともいると思うの。ときどき、ふっと感じる。 こういうところのオゲヒン・ネタが女向きじゃないとか、あるいは、話が理屈っぽく なると、こりゃ男だな、って思うのって、どういうか男の人の側の傲慢よ、きっと。 女だっていろんなのがいるんだから。 大人しくしてれば、いい気になるんじゃねえよ、おんどりゃー、頭勝ち割ったろか?! って言ったっていいけど、私はよしとく。いろいろよ、いろいろあって面白いの。
おっと、それでも反射の部分は未解決ですよーだ。
150 :
没個性化されたレス↓ :04/09/30 18:24:48
お腹すいたから、ご飯屋さんに行ってきまーす! そうか、雄の孔雀も着飾ってばかりじゃダメなんだ。ふふふ。
>大人しくしてれば、いい気になるんじゃねえよ、おんどりゃー、頭勝ち割ったろか?! >って言ったっていいけど、私はよしとく。いろいろよ、いろいろあって面白いの。 ○○先生でしたら、もう返す言葉がないです。長きにわたって遊んでいただきましたから。 モノの見方が確実に広がったし、現在やっていることにもつながりました。感謝してます。 でも6月以降は本当に書いてない。 で、猫連(先生含む?)の方達。 同定されると非常にむかつきます。分かっていたら、あんなからみ方はしません。 もっとストレートにいくはずです。だいたい気楽に話した記憶がありません。 蛆虫ころりん、転がされておしまい。 ネットワーク恐るべし
152しゃんは、どんなことに関心を持っとられるにゃ?
>>152 > >大人しくしてれば、いい気になるんじゃねえよ、おんどりゃー、頭勝ち割ったろか?!
> >って言ったっていいけど、私はよしとく。いろいろよ、いろいろあって面白いの。
これは一般論です。誤解を招いたのでしたら、すみません。
私が悪いのかもしれないわ。私ね、生成にお邪魔したとき、ほとんど勢いだったでしょ、 それで見知らぬところだったから、実はかなりおびえて虚勢を張ってたの。そのときね、 出迎えてくれた人たちがいて、珍しく私のこと女らしいって認めてくれたの。それで つい、そういう人たちに甘えてしまって、やり過ぎちゃったのかもしれません。ぺこり。 悪い癖なんだ、それ。怖がりの意地っ張り。だから、そのときのことだったら謝らなくちゃ いけないと思う。でもね、なんだか楽しい人だなっていう気持ちは今も変わらない。
私ね、たいてい孤独。心理学や言語学に直接関係してないし。でも、生成のときや 今ここにくると、話聞いてくれる人が何人かいるから、すごく救われてる。同じような 人ってけっこういるんじゃないかしら。。。違うでしょうか?
えと、日記帳はよそで 意味わかるよな?
さてとにゃ、152しゃんが帰ってくるのを待ちながら、話を続けるかにゃ。反射の問題が突っ込まれて まだ未解決というとこだったにゃ。前のところでにゃ、世界に反射する自己、自己に反射する世界と いう謎かけがあったにゃ。これをワシなりに考えてみるとだにゃ、そのまま受け取れば、世界の 構造や状態を自己が把握する、あるいは受け止めるとき、それらの像が自己に映し出されるということにゃ? さらにその逆は、例えば自己の<中>の出来事が世界に投影されたり、やったことが世界に反映される ということがあるにゃ。そして、そういう相互作用のどちらの方向にも言語がかなり絡んでいるにゃ。 ところが、前にも書いたように、もし、自己というか、I じゃな、そういうものが幻想なのだという竜樹しゃんの 考え方をとると、こうした相互作用の捉え方も変わるのではないか、と思っとるにゃ。その場合、 そのにあるのは相互反射の関係なのだろうかにゃ?反射という言葉のイメージは光が鏡で反射して どうのというイメージにゃ。それゆえ、自己も世界もお互いに空間を隔てて立ち尽くしとる感じにゃ。 だが、これもそうなのか?と疑問視するのにゃ。むしろ、その関係は、相互接触に限りなく近い ブルーじゃないかと思うにゃ。 接触にゃ。 その接触面で、何らかの相互作用が生じると考えるならばにゃ、その相互作用は光ではなくてにゃ、 言ってみればαとか△で書いたような、「関わり」「作用を与える」操作のようなアクティブなものの 相互作用にゃ。それを反射という言葉で表現するのは美しいのにゃが、光的なイメージではない と思うのにゃ。いわば、パックマンという動詞が幾重にか重なった操作の群のようなものが、そこで お互いに何かを投げ合って接触するのにゃ。あんまり、具体的イメージが湧かないかもしれないがにゃ、 言葉ではこれで精一杯にゃー。 だが、言えると思うのはにゃ、指摘されたとおり、そういうものの接触である限りは、動詞が含まれて いなければ話にならんのにゃ。その動詞が食っていく飯が必要なのにゃが、それが実は実証科学的に 見ようとするならば、とてつもなく大切になってくるのかと思うにゃ。誰か、何でもいいから感想聞かせて くれるとドーンと嬉しいにゃ。例えば158しゃんなんかはどうだろうにゃ?
>>159 おっと、しまったにゃ。
> いなければ話にならんのにゃ。その動詞が食っていく飯が必要なのにゃが、それが実は実証科学的に
名詞
にゃ。
>>158 2ちゃんねるは、どのみち少数の人間の日記帳よう、藁合わせるな
いや、ちょっと腰の骨を折ってやろうと思ってな
藁合わせるな、それを言うなら、話の腰を折って、だろうが、あほう 朝から2chするやつはビョー気だぜ
おまえはよ?
夜からずっと2chさ、あほう〜
いや、たすけ舟の一種だったのかも。
何〜?
168 :
没個性化されたレス↓ :04/10/01 08:41:15
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、あほうだな
169 :
没個性化されたレス↓ :04/10/01 08:44:21
あ、ほう?
170 :
没個性化されたレス↓ :04/10/01 08:45:11
くそ、よりにもよって、朝からこんな奴らと。。。
171 :
没個性化されたレス↓ :04/10/01 08:48:04
ネタの練習は他でやんな。
寝た暖簾、宗派帆かでやんな?
好くい洋画ない。。
どうわまれえええええええええ!
童話稀え?
聴いてもいねーのに、うぜー個人的な話なんかするな そんな蛆ムシだから学問に不向きなんだよ 自己板で誰かにかまってもらえ
はははは、こればっかり。どうせ、何も読んでやしないのに。
語る阿呆に、見る阿呆、同じアホなら語らにゃ損ソン。
語らにゃシャンソン!
中身無き戦い。。。
あら、怒られちゃったわね。 でも、さびしいの。 話を聴いてほしかっただけなの。。。それだけよ。。 心理学なんてどうでもいいのかもね。 こころと体は相反するものね。。。
それから、それから?
なあんだ、それだけでおしまいなの?せっかく、お仲間が増えたかと思ったのに。 持続力がない人ってつまらないわ。もっと、続けてほしいのにな。
みんな一発やったらおしまいなのさ。
ふううん、淡白な人多いのね。
というか俺、体力ない・・・。
知力もな
おまえら、露出ネタに釣られ過ぎ
>>151 > お腹すいたから、ご飯屋さんに行ってきまーす!
> そうか、雄の孔雀も着飾ってばかりじゃダメなんだ。ふふふ。
ピーコックっていう古い言い方あったよな、大昔。
中間言語をどの程度のものと考えるかによるだろうが、私は中間言語は、それを介する ことで英語→日本語だけでなく、他のどんな自然言語にも変換できるものでなければ ならないと考える。この意味で「中間言語」は2001氏の言う「言語理解の本質部分」に 相当するだろう。それが記号処理で扱いきれないかどうかは、私にはまだなんとも言えん。 ただ、約10年前だったかに翻訳をしていてこんな経験をしたことがある。ある薬剤の 治験報告書で「・・・5年間生存率は20%であった。このすぐれた生存率は・・・」と続く 文章に出くわしたのだ。マシンによる翻訳システムならなんら引っかかることなく そのまま訳出してしまうところだが、私という人間の翻訳者はここで長い間引っかかって しまったのだ。5年間生存率は20%、つまり、80%が死ぬというのになぜ「すぐれている」 などと言えるのか? 報告書を何度読み返しても手がかりがない。そこで、当時はまだ 広く行われていなかったウェブ検索を行ってみて、どうやらこの種の薬剤の一般的な 5年間生存率は10%にも満たないことが分かった。つまり非常に成績が悪いのだ。その 中では20%の生存率でもすぐれていると言えるということだ。それでやっと納得した。 つまり背景知識(データベース)を得て初めて納得できたということだ。面白いもので、 機械翻訳システムはこの背景知識がなくても難なく訳出してしまっただろう。しかし、 それでもまだ突っ込みたいことがある。90%が死ぬより80%が死ぬ方がすぐれている、 ということを機械は理解するのだろうか? ちなみに問題の疾患はALS(筋萎縮性側策硬化症)だった。現在でも効果的な治療薬が なく、患者は人工呼吸器で延命させていることは周知。
さぁ、出ますか、持続力!?
間違いだとしたら、なぜ、ここに?
うみねこ っていうコテが哲学・人口知能とかにいたんだ。
中身は関係ないみたいだね、どうも。
195 :
没個性化されたレス↓ :04/10/01 14:34:27
」脳と仮想「 茂木 健一郎 (著) 書評をモトム
買って来たとこ。おそらく、また、同じような内容かと思うが、 何か新しいことあるの知ってる人居たら、知りたい。
クォリアちゃんだよ。
198 :
没個性化されたレス↓ :04/10/01 14:38:58
誰か上のほうで、脳内現象と混ぜて、脳内幻想とか書いてたね。意味ありげ?
200 :
没個性化されたレス↓ :04/10/01 14:41:17
200
201 :
没個性化されたレス↓ :04/10/01 14:50:41
>>198 はいな。ただし、今、2chするほど多忙なので4,5日後になりますが。
そちらも、おしえなさいな。
>>194 > 中身は関係ないみたいだね、どうも。
でも、このあたりは少し関心あるね。
>>190 > 中間言語をどの程度のものと考えるかによるだろうが、私は中間言語は、それを介する
> ことで英語→日本語だけでなく、他のどんな自然言語にも変換できるものでなければ
> ならないと考える。この意味で「中間言語」は2001氏の言う「言語理解の本質部分」に
> 相当するだろう。それが記号処理で扱いきれないかどうかは、私にはまだなんとも言えん。
>>197 もうクォリアちゃんじゃないみたいだよ。
>>202 なんで、2chする ほど 多忙なのですか!暇ってことでしょ?
>>205 いや、多忙性ストレスと同一性分散で2chしてるような・・
憂さ晴らしっていうんですかー?
クォリアというのは、数量化できない、言語化できない質感である。
マッハの「感覚要素」の類似品?
そんなこたぁ、誰でも知っている。サルでもわかるクォリアだよ。
いや、サルにしかわからないのかも。
茂木はサルかよ?
サル@息子
なんかねー、「感覚要素」と「志向性」とが混じってるんだけど、 それにまた、『生物から見た世界』も混じってて氏一流の混交文なんだけどね。 今ひとつはっきりしないのだが、幻想っていうのは個体あるいは脳の側が作り出す ものだよね、ところが、この本では、個体の側が作り出すというより、 環境世界の側のロジック(?)かなんかのおかげで、つまり世界側の構造かも、 それが志向性によって、脳内に写像されるというのかな、そうなるということらしい。 それを仮想と名付けるということかな。 それから、おそらく感覚要素に分解されない世界内事象(物)がそのまま コピーされるという(つまり、感覚の統合者は脳内にいないのだが)、そういう 綱渡り論理展開みたいでさ、それに、なんだか、すっかり物書き的になってる。 感覚的・印象的に攻めようというつもりのようなんだけど、そのアプローチは 成功していないと思う。文学評論化してしまっているような・・・ どこかしら、たしかに、にゃーにゃー氏の書いてることに重なる部分はあるんだけど、 散文的過ぎるとこが多くて、うまく比較できない。にゃーにゃー氏の方も、まだ、 肝心のところは言っていないし。 というのが、ちょっとROM脱出人の感想ですな。
志向性ってフッサール的な現象学の?
多分ね。幻想でなくて仮想なんだというあたりが、そういうつもりなんじゃないかな。。
世界と言うか現実の側に力点があるのか?意識とか脳とかより?
意識は別格だと思うのだけど、やや、現実よりかなー。でも、現実がまとまって 分解されずに立ち現れるというのか、その辺の理屈が明確でないような。。 よく分からないんだけど。僕なんかはむしろギブソン的な理解の仕方を この人がもっと知って詰めていけば、方法論が見つかるようにも思う。 でも、そういう詰めがないかな。。あんまり実験的な具体性が見えないね。
認知言語学会で話した中にこんなことがあったみたいぜ。 「ミラーニューロン」として当初報告さ れた神経細胞は、むしろより一般的に 「コンティンジェンシー」(contingency)を表現していると考えた方が良いように 思われる。ここに、 「コンティンジェンシー」(偶発性)とは、二つのイベントが 因果的連鎖のよ うに固い対応関係を持って起こるのではなく、様々な要因を 反映して、完全 には予想できない形で起こることを指す概念である。ランダムに 起こるとい うわけではなく、むしろ、何らかの関係性を能動的に見いだせるような 緩い 関連性を持った形で起こるのが、人間が日々相互作用する環境に内在する 性 質である。 「コンティンジェンシー」を発見し、有効に対処する認知プロセスの能動 的な構築を通して世界を構造化する。ミラーニューロンを含むそのような 「コ ンティンジェンシー」構築の能動的プロセスの先に、言語が現れると考える。 これ、もしかしてスキナーのコンティンジェンシー、あるいは、さらに、ルーマン だっけか、そういう人の言ってるコンティンジェンシー、あるいは例の 『臨床行動心理学の基礎 人はなぜ心を求めるか』の偶果性とつながって いるのかも。
錯視がどうの、とかいう話?
contingencyなら、実はにゃーにゃー氏の狙いどころと似てるのか?
なんだよ、流行なのか?
流行と言うか・・・イロイロな人が同じようなことに気づき始めているんだけど、 どれもまだ最終的なところには行っていないというかかな。その講演(?)内容 は、偶果性の説明とチョー似てる。
Contingency再認識の兆候?行動分析屋いるか、ここに? いたら何か言えよ!
>>218 > 人間が日々相互作用する環境に内在する
> 性 質である。
環境に内在するとしているわけだが、それがどうやって脳に再構成されるか
はっきりしない。Contingencyの捉え方が、『人はなぜ〜』と少し違う。
なに、もぎって、行動主義者だったのか?認知屋かと思ってたぜ。
>>224 この点では、むしろ茂木の言っているcontingencyは
従来型の行動分析の人たちのcontingencyの考え方だよ。
『人はなぜ〜』の方が、違う考え方を出してる。
その『人はなぜ〜』とかいう本は、志向性について何か書いてる?
書いてるよ。人はなぜ心を求めるか という終章がほとんどそれ。 でも、フッサールというよりデネットを下敷きにしてるかな。わざと? 面白いのは、志向性が 条件付けられたものである かもしれないというアイデア。 ちょっとビックリ・シャックリだけど、行動分析の文脈では当然かも。 そうなると、志向性のベースにもcontingencyが置かれることになる。 これまたビックリ・シャックリ。
すみません。ミラー・ニューロンて何ですか?
自ら行為すること(運動)と他者の行為を見ること(認識)を結びつける ニューロン Gallese V, Fadiga L, Fogassi L, Rizzolatti G. Brain 119, 593. (1996) アクティブ・タッチとかさ、そういうのの並びだよ、ぐぐれ、ヴォケ
茂木氏の言ってるコンティンジェンシーは必ずしも強化の随伴性(偶果性?)ではないと思うぞよ。
アクティブ・タッチで思い出したが、その本の著者、行動分析学会のシンポで 知覚と行動の一体化みたいな話していた。
ひぇー、茂木講演でもこんな話があったみたい。 言語機能を脳内機構として見た場合、もっとも重要な要素は、 前節で議論したような認識における志向性が、 運動における志向性と有機的に結びつくことである。
どっちが先?講演とシンポ?
どっちが、って両方とも前から書いてることだったんだろうから、 順番は関係ないよな、特に。 一応、行動分析学会9月上旬、認知言語学会は9月中旬。 よくある偶然。
話の主旨も違うと思う。
ま、両方とも言葉遊びな
話つまんないから酒飲みに行こうぜ
239 :
没個性化されたレス↓ :04/10/01 19:03:00
人がどうこういつたなんてゆうレポートはいらん てめーの主張をウンコみてーに ブリブリはきだせ そいすりゃ、蛆どもが集まって宴だ
↑ 蛆1 だが、もっともだ。
ビミョーに盛り上がってまいりますた
で、このスレはナニについて話すスレ?
なんかわからないが、言語絡みで、知覚・行動と世界とそれから何だけか、アナロジーとか?
ナニが世界に触れるかどうか
ナニってナニかよ、ぎゃはは
ゴミの多い前スレから読み取りナ
脳もだ
ナニ?これって途中でスレ変わってる?
簡単なことをむづかしく考えるのは、飛べない蛆虫の証。
蛆が集るほどの話じゃないよ。分からないやつにはクソ以下。
とりあえず、 生態学的リアリティーとはナニ?
にゃにゃ、ワシが肉体労働に勤しんどる間にずいぶん励んどるにゃ。予想外にゃ。
というかだにゃ、かえってワシの話がしやすくなった面と難しくなった面があるにゃ。
後者のほうが大きいかもにゃ。用心して話をせんといかんかもにゃ。
『脳と仮想』は文学的にゃ。
『人はなぜ〜』はこういう問題と方向を予想していると思うにゃが、まだ、予想に過ぎんにゃ。
茂木氏がそうい講演をしたとしてにゃ、どうもまだ先が見えん気がするにゃ。
行動分析学会はワシは入ってとらんで知らんがにゃ、その御仁は言語心理学ではないにゃ?
それとも、言語に関わるような話にゃ?どうにゃ?
>>232 と言っても、ワシも主に言語の話をしてるわけではないにゃ。
ワシはせっかくこういうスレタイのスレが立ったのにゃら、「世界に触れる」で行こうと思っただけにゃ。
もっとも、それは行動主義者の脳要らずと臨床心理士の心無しと無関係でないにゃ。 > 前スレ
ワシが関心を持ったのはにゃ、茂木氏が「鏡のアナロジー」ではなく「コンティンジェンシー」と
考えるべきだと言っている点にゃ。
>>159 (ワシにゃ茂木氏ではなくにゃ))
> その接触面で、何らかの相互作用が生じると考えるならばにゃ、その相互作用は光ではなくてにゃ、
> 言ってみればαとか△で書いたような、「関わり」「作用を与える」操作のようなアクティブなものの
> 相互作用にゃ。それを反射という言葉で表現するのは美しいのにゃが、光的なイメージではない
> と思うのにゃ。いわば、パックマンという動詞が幾重にか重なった操作の群のようなものが、そこで
> お互いに何かを投げ合って接触するのにゃ。あんまり、具体的イメージが湧かないかもしれないがにゃ、
ここでにゃ、果たして茂木氏の言っとるコンティンジェンシーが何かということだにゃ、問題は。
どちらかと言うならにゃ、ワシの考えは偶果性のほうに近いと思っとるがにゃが、正直、
よく分かっていないにゃ。上でアクティブな操作というようなことをワシが書いてるのは、
志向性に似せて書いておるにゃが、やはりこれも志向性とは違うと思うのにゃ。
α、A、△なんぞを使ってその辺の事情を言語チックにしておるのがワシのお遊びの要点にゃ。
そのお遊びを解く鍵のヒントでも出そうかと思って追ったのだがにゃ、予想外に話が進んでしまっているので、 ちょっと、言いえぬことは言わぬが花とウィトゲンシュタインを洒落こもかと思ったにゃ。ま、おしゃべりな ワシのことにゃて、すぐ、しゃべってしまうかもしれんがにゃ。 茂木氏が、言語構造の再帰性よりも志向性のほうが重要だというのはいいがにゃ、では、志向性を リスト構造のように数学的に話せるかにゃ?そういう話は一般文学書みたいになっている『脳と仮想』 では、うまく描き出せないと思うのにゃ。それとも、他に何か面白いことを言っとるかにゃ、他のところで? まぁ、とにかくにゃ、上のような話が認知言語学とやらと関係するのか、しないのか、もうちょいと 勉強に励まんとワシには分からんにゃ。そうであってもなくっても、ワシにはそれほどのことでは ないように思っとるにゃ。もしかすると、チシャ猫しゃんあたりは違うかもしれんがにゃ。今日は まだクシャ猫しとるのかにゃ? そんなとこにゃ。今、ちょいとな、大きな岩を山の向こうまで担いでいく仕事をしとるでにゃ、 また、後でにゃ。 ああ、ハンドルにゃが、ちょっとだけ使わしてもろたにゃ。が、使い続けるつもりは今のところ ないにゃ。今回は御礼代わりにゃ。
追加にゃ。 こういう発想のあり方はにゃ、何というかにゃ、皆が考えることにゃ。だいたい、そんなことは 竜樹の昔から言われておったことにゃ。それをどういう形で落ち着けるかが、今の問題にゃ。
>>226 これはどういうことを言ってるにゃ?どこが違うにゃ?
ワシには今ひとつ読めていないようにゃ。教えてくれるかにゃ?
ひとつ、聞いていいですか?主語のない言語と書いておられたのは、志向性と絡んだ話?
鋭い突っ込みにゃ。しかし、今はちょっとダメにゃ。岩を運ぶ時間にゃ。 それはまた後で、にゃ。
>>252 > とりあえず、
> 生態学的リアリティーとはナニ?
これを邪魔したかもしれんにゃ。こっちも面白そうにゃから、続けておいてくれるにゃ?
蒟蒻、今夜食う
翻訳不可能性 クワイン
どコンニャク蛙
蒟蒻問答
本薬師寺
翻訳支持!
わははは、解決黒頭巾登場!!
隠密検視
あんみつ姫(古イ?)
赤禿げ白剥げ
拝 一刀
タクト(記述言語)と知覚を絡めた話だったので、 多少は言語的だったのでしょうね。 オペラまでタクトみたいな性質があると言ったほうがいい とかいう話もあったので、言語行動だけじゃなく、 行動全般の話でもあるようでした。
>>256 predetermined contingencyとconsequential contingencyを分けているので
たぶん有機体側のそれと、環境側のそれを区別する点(完全な分離ではない?)と、
決定論の放棄ではないか、と。茂木氏の論調では、ギブソンのように、
contingencyが環境・世界側にあるようですが、これはむしろスキナー的。
ここ自体は誰が立てたスレかわからないのですが、 生態学的リアリティーというのは、ギブソン的な世界の捉え方では、 世界と有機体の間に、余分な変換や再構成がないとも言えるので、 それならば、リアルだということか、と。
つまりは、生態学的というのは、有機体が世界の中にいるのであって、 世界を感受したり、認識したりしているのではないということでしょうかね。
ぎひひ、漏れの言わんとしたのは、猫のクチのリア入りテーだよ、ヴォケ
〜〜〜〜〜〜〜浄化〜〜〜〜〜〜〜
JOKER?
○ちゃん?
性態学的な、な
Ф
〜〜〜〜〜〜〜浄化〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜浄化〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜浄化〜〜〜〜〜〜〜
おまえら、露出ネタに釣られ過ぎ
絵文字ばかりしてないで、モノホンとやってこい!
中にいるのであって、認識したりしているのではないということですな
>>1 すべては、人間の知覚能力によるイリュージョン
赤外線などは、人間にはリアルに認識不可能である
そんなもの認識する必要あるかよ?お宙の果ての星が100個こけても俺には無関係だしぃ 蒸し器と同じだしぃ
蒸し器
無意識だよ、ヴォケがっ
>>289 認識できないものはイリュージョンにもならないのでは?
蒸し器もイリュージョンにもならんし
そういうのは、認識の限界といういよりは、認識しないほうが効率的なんでしょうが?
無意味なものを意識なんかしても意味はないとギブソン先生は言っておられるぞね。
イリュージョンということでお終い 終了
落ちにもなっとらんわ
人間と世界はイリュージョンでつながっているだけ
好きやなー、で、どういうイリュウジョンや?
300
↑ 遺留John
2chは世界最大、世紀最大のイリュージョン。で、そこで俺らはツナガッテル。
なんか、こう、ずぅわ〜っと寒い
みんな一緒に死のう!一度に皆死ねば、世界もなくなる
相依性だな
>>305 なくなりません
人間の認識可能な世界が消えるだけです
コウモリさんの世界は存在しつづけます
世界が存在するという認識を蝙蝠がするのか? 「世界」というものがあるのか、その場合?
それは唯我論です!
由衣がロン?
それは唯物論です!
外界の情報が、そのままの状態で認識されることはありません 事実を一度五感に分解して脳に取り込み、神経系で処理できる要素だけをもう一度再構成するのです その再構成されたもののうち、意識化されるものがイリュージョンです
それはもう一昔二昔前の生理学ですよ
ミラー・ニューロンの価値がわかってない奴がまだいるな?
世界に触れるってオナニーだ
ミラーニューロンって模倣だろ? それがどうした?
鋭いな。ミラー・ニューロンはそういうのも区別するかもね。
もほうつく海
つまりだな、自分がヤッテルのと、五感だかなんだか知らんが、 見てる外界の他者がヤッテルのとに同様に反応するということはだな、 それが回路的に反応している可能性は捨てきれないが、 内と外の境界は崩れたということだ。
ま、最近は、そういう自己認識関係のニューロンがおお流行りなのだ。 自己認識は免疫だとかいう話はもう古いかも。
それと志向性だのサリーとアンの課題だのをツナゲル話もある。 ま、レイによってまだ仮説。仮想かも。
つまり、ナニがいいたいの?
ナニが痛いの?
人間がしていることは、人間の五感を通しても認識可能ですよ それがどかしたのですか? それとも、コウモリさんがエサをとるために超音波をだしているのを目撃したら、 ミラー・ニューロンが活動するでしょうか?
>>320 確かに、大流行のようにゃ。自分の身体のある部分を、自分で触ったのと他人が触ったのを
区別するニューロンとかもあるようだにゃ。だがにゃ、そういう単一神経単位で、そういう振る舞いを
するものがあったからといって、それ自身が「区別」したり「同一視」しとるわけではないにゃ。
ニューロンはあくまで素子に過ぎんのにゃ。それなのに、その種のニューロンをついつい擬人化して
こういう機能をもったニューロンを見っけちゃったよんとかいうのは、少々単純すぎると思うにゃ。
そういう擬人化は日本ではすぐ起きるようでにゃ。素子をプロセッサーと勘違いするのは日本人
らしい奇妙なアナロジーにゃ。Brain Researchなんかでも、その単純さで撥ねられた例は
ありそうにゃ。
>>312 > 外界の情報が、そのままの状態で認識されることはありません
> 事実を一度五感に分解して脳に取り込み、神経系で処理できる要素だけをもう一度再構成するのです
> その再構成されたもののうち、意識化されるものがイリュージョンです
この話が古いというのはにゃ、例えば、物体Aが運動しとるとき、このような分解・再構成説をとるならにゃ、
Aの色、形、運動軌跡、その他が分離知覚されて、脳の中で再構成されてAが動いたと分かるという
ことになるんかにゃ。しかし、マッハではないにゃが、運動だけとっても相対的で(見ている者の身体
と相対的で)にゃ、そこには、見ている者の位置や別の運動の情報もあるはずにゃ。これらの
情報がすべて別経路で脳に到達してそこで総合されると言うことになるわけにゃ。
しかし、そうでもなさそうだとする仕事は増えているにゃ。既に、それぞれの経路を伝わる情報が
あらかじめ、見る側の情報をコードしておったとしたらにゃ、それは、もはや別々ではないとも
考えられるからにゃ。まぁ、ワシは大脳生理学なんチャラには弱いのでいい加減なこと言っとるわけ
だがにゃ。
>>274 ありがとさんにゃ。少し考えさせてもらうにゃ。
今夜の虫ちゃんたちは、いつもより少しエスプリが利いとるようだにゃ。少しだけにゃが。
猫いじりは、もしかするとにゃ、後がコワイかもしれんにゃ。しらないにゃー・・・
>>275 これについても、ありがとさんにゃ。そのことなら読んでわかっとったにゃ。
にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー 耳を澄ますと言葉以前の音が聞こえてくるにゃー
>>306 > 相依性だな
お、竜樹を読んどる人がいるにゃ。世界は狭いにゃ。
ももんがー
マジンガー
トラファルガー
シュレディンガー
ハンガー
このボケがー
>>260 今、気づいたがにゃ、これはワシに仕事くれるということにゃ?残念にゃがワシは訛った日本語しかできんのにゃ。
昔は、日本語版ナンタラいう雑誌の翻訳アルバイトしたこともあったがにゃ。痴呆症でもうダメにゃ。
それでもよければ、ここにメールしてくだされにゃ。→
[email protected] そうでなくて、ここでニャーニャー鳴いとらんで、早く家に帰って死ぬにゃ!というなら、重ねてありがとさんにゃ。
それとも、同じで、ちゃんとした仕事せいということならにゃ、もうワシはジジーだからにゃ、ゆっくりするにゃ。
とりあえず、偽問題
ほう某自慰先生だったのか
面白き哉、文は人なり。
善哉、善哉。
世俗の表現に依存しないでは、究極の心理を説くことあたわず 不完全に見られた空は、知慧鈍きものを害す
快哉、快哉。
345 :
没個性化されたレス↓ :04/10/02 08:42:02
偽問題です
upa~-da~
空哉、空哉。この世はすべて偽りの問いから成り立つと観よ。
upa~-da~
経堂幻想
ウーパー・ルーパーだあ!
金閣寺炎上
諸行無常
どんぶらこっこ
お猿の過誤や
ほいさっさ
夢まぼろしのごどくなり
upa~-da~
358 :
没個性化されたレス↓ :04/10/02 10:23:21
359 :
没個性化されたレス↓ :04/10/02 11:31:06
最近確信しつつある 全ては自発からはじまると
オペラントじゃねえのw
オペラントというのは自発という意味じゃないよな、 もとは操作。効果を産むもの。それと自発とはどう関係するのかな?
>>362 そんなこと知ってるよ。オペラントじゃねえの?
誰かがどこかで言って居ったが、自発するという言葉は不思議な言葉だにゃ。 例えば、「有機体Aが行動Bを自発する」と言うたらばにゃ、「自発する」は他動詞にゃ。 例えば、「C君が自発的に勉強する」と言うたらばにゃ、形式的には「自発的に」は副詞にゃ。 その場合、この副詞は、何が自発的だと言うのかにゃ?C君か、勉強するか、どちらにゃ? 例えば、有機体Aではなくて、 「行動Bが自発する」と言うたらばにゃ、行動B自体に 「意思」とか主体性はないはずだからにゃ、この場合の「自発する」の意味は上2例とは 違うことになるにゃ。自動詞という形式的な違いのことではないにゃ。 それでよいのかにゃ?
それとも、これは可笑しいのにゃが、こういうのもありかにゃ?自動詞として 「D君が自発する」 どういう意味になるのにゃ〜?自家発電とか言わないでくれんかにゃ、頼むにゃ。
こういうのは「自発」という語の 意味 の問題だろうかにゃ? それとも、形式と意味の関わりにおいて論議されるべきことかにゃ? むろん、言い換えはできるにゃ。 「行動Bが有機体Aにおいて自発する」 だにゃ。これと366の 「有機体Aが行動Bを自発する」 とは同じか、違うか、どちらにゃ?
>>359 どうも、ワシまで誰かに自発させられておるような気がしてきたにゃ。
>>367 > 「D君が自発する」
これは、人だと変な気がしますけど、湧いて出るようなものなら
それほど変ではないみたいですね。
>>368 > 「行動Bが有機体Aにおいて自発する」
これも上と同じようなヌアンスで、「自然発生する」みたいな意味でとれば問題ないみたい。
「自然発生する」かにゃ、なるほどにゃ。 しかしにゃ、行動は自然発生するものなのかにゃ、一体全体?
するみたいだよ
373 :
没個性化されたレス↓ :04/10/02 20:47:20
自家発電
そしてまた、太郎と次郎と花子の 宿題のなすりつけあいの議論になるのかにゃ… いろいろかン換えてみたけどにゃ、ここでは、論議することはできんと判断したにゃ。 これが最後の書き込みにゃ。皆様ありがとうにゃ、そしてごきげんようにゃ。
そうだな ことばあそびの蛆虫だらけだもんな 鉄板にきなよ 多分、既にいってると思うが
リバースにゃ! 別れ言葉は嘘ぴょんっ!にゃ、無論にゃが。 爺は忙しくて死にそうになるほど暇でにゃ。にゃはにゃはにゃー。 しかし、先人はなかなか美しい別れの言葉を残したのだにゃ〜 にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー 耳を澄ますと言葉以前の音が聞こえてくるにゃー
しね!
おっ! 二代目か
お出迎えでごんす。
偽問題です。 言葉以前の音ではなく、 ただ音が聞こえるだけです
正しく、それは正しいにゃ。ただ、音が聞こえる。そのとおりにゃ。 しかし、その「ただ」から心理学は生まれたのにゃ。
ただ音が聞こえるだけではいけないの?私はそれでいいような気もするわ。
それはにゃ、結局、選択の問題にゃ。「ただ」生きるのもよし、「ただ」を問うのもよし、にゃ。
いまいち、意味不明です。 意識の注意がむかなければただの音です。 注意がむいた「ただ」ではない状態が心理学のはじまりです
意識の注意とは何にゃ?注意が向かないものは無いのかにゃ?
にゃっほー 数日前からROMさせてもらってるにゃ 374しゃんは,以前生得性スレで世話になった人だろうと睨んでたにゃが, 虚無しゃんのコピペが出たので間違いない,にゃw 面白いから無理しない程度に続けてホスイにゃ〜 言語学ぽいネタになったら俺もなんか書かせてもらうかも知れんけどにゃ
三顧の礼をもって歓迎するにゃ。ご本家筋は大事にしなければいかんからにゃ。
389 :
没個性化されたレス↓ :04/10/02 21:53:18
あなたたちがフランス語を聴いても ただの意味不明な音です しかし、私には意味ある内容としてこころに響きます
へぇー、そうなんだ・・・
>>389 Reforme ta conduite en regardant celle des autres.
さあにゃ、ワシらの一族はいつも長続きセンでにゃ、たいてい、一代限りにゃ。 ワシはワシ、先代は先代にゃ。進化はある日突然やってくるにゃ。
A vos marques. Prets? Partez !!
まあ、なんと言うかにゃ。掛け声をかかったことだからにゃ、ゆ〜っくり走るかにゃ。
>>376 > そうだな
> ことばあそびの蛆虫だらけだもんな
> 鉄板にきなよ
> 多分、既にいってると思うが
ありがとさんにゃ。しかし、「きなよ」と「いってる」というのは、ちょっと整合性が悪い気もするにゃ。
ご自身が長く留守にしてでもいたように聞こえるにゃ。
Het is vals probleem!
何処の場所で人がしゃべっているのか、ということはいつもワシが気にする点にゃ。 いつの時点で話しているのか、という点もにゃ。まぁ、いいにゃ、それはまた別の話にゃ。
どうやら、今夜は大陸をあげて騒いでいるようにゃ。イチロー、万歳にゃ!
400 :
没個性化されたレス↓ :04/10/02 22:19:26
400
Психологией будет поведенческая наука
↑ Tout fait nombre !
いいから! ここは一応日本だよ。
うみねこ=ミルクたんが、いま哲板に来てるね
何にゃ、どこにゃ?
406 :
没個性化されたレス↓ :04/10/02 22:35:11
>>401 Вы не говорите ничего
変ねー。。。
ふーん、猫もいるのかぁ。セスナ機はときどき心理板に飛んできてた人かしら。 で、この情報源はロボ ットが好きな人なんでしょうね。
シリルのほうがネットワークの相性がいいのかな。。
まったく人間はすばらしい! 気高い理性! 無限の能力! 姿といい動きといい、なんと明快でみごとなことか! 行動力においては天使に、知力においては神に近い! 人間は天地の精髄、 万物の鑑ではないか!
しかし、疑問題まで日本語を忘れたとは、晩夏の夜の夢じゃにゃ。。
いやー、なんだか知らんが、チョー2ちゃんねるらしい展開だなぁ
415 :
没個性化されたレス↓ :04/10/02 23:04:05
精神遅滞児は鏡像に対して、他者に対するような遅延反応を示す場合があり、 精神異常者はしばしば鏡像を自己と認知しなくなり、それが他者であるかのように ふるまったり、鏡の後ろに手を伸ばしたりする
赤んぼなら皆そうだよ。ひとつ、教えてくれ。 ここでの遅延反応とはどの意味だ?
猫もそうよ。chatのほうね。あれ、これもいけないわね。ネズミと追いかけっこする猫ね。
精神異常者の具体的病名も知りたいですね。
先天盲の人の開眼手術後もそうにゃ。
で、それはどういうことにつながっていくのだ?
子猫のときはそうだったが、今では鏡に興味を示さんようになった。 猫に鏡。豚に真珠。鏡は何も与えてくれないから、すぐに興味を失う。
ちょっと前の反射かどうかの話?
スキナーはハトで自己認知の実験やったそうにゃ。
心とはいかなるものを言ふならん 墨絵に書きし松風の音
水に書きし歌
スキナーの実験の面白いところは、身体の一部を認識したのか、それとも自己を認識したのかを 問いかけているという点だね。
そうにゃ?ワシはむしろ、鏡使用の経験があれば、ハトでもイヌでも「自己認知」と言われるような スポット特定行動ができると指摘いた点じゃと思ったがにゃ。進化のどうのではなくだにゃ。
ミラー・ニューロンはどうだったんでしょうか。
話が複雑になりそうだにゃー。。。
開眼手術後の人は、スキナーのハトのように振り返ったりして、 自分が自分だと分かるようになったかというとにゃ、服や手、手に持っているものから 自分らしいとは思うようになったそうにゃ。 しかし、自分の顔についてはなかなか認識できるようにならなかったそうにゃ。 目が見えないときに聞いたり触ったりしたものについては、詳しく説明したりせんでもにゃ、 すぐにそれが何々だと分かった割には顔は分からなかったにゃ。 自分の顔を詳しく触ってみたりはしないものなのかにゃ。
実はワシはにゃ、この話を読んで、どここしばらく話してきたような操作・関わりの群という イメージを持ったのにゃ。自己がわかってから自己の一部がわかるというのは、大人の 一種の幻想でにゃ、もともとそういう統合された主体などというものは無いか、不完全で あるのだと思ったわけにゃ。つまり、そこにも主体が無いにゃ。 正確な言葉は忘れたがにゃ(痴呆が進んでおるにゃ)、竜樹も全くと言っていいほど 同じことを言っとるにゃ。行為があって行為者が初めてあるのだとにゃ。竜樹の場合は さらに続けて、不可思議なことを言うにゃ: 行為者において行為の働きがある、とにゃ。 インドの人はなかなか鋭いと思うのにゃ。
どうもまた、ワシは誰かに自発サセラレとるにゃー。ま、それに住すべしにゃ。
脳についてもだにゃ、ワシはアナロジーで言うのにゃが、脳は高度なプロセッサー だとしてもにゃ、ソレが統合者であることはもちろん統合する機能を持っとるなどと いうのは噴飯ものだと思うのにゃ。それぞれの操作・関わりの群の実行モジュール (モジュールという言葉も今一にゃが)の連合体であるとすればにゃ、どう考えても そこに主体が現れるとするのはおかしいにゃ。基本構造は散在神経系の梯子では ないかと思っとるにゃ、人間のようなコートーな生物でもにゃ。他の人たちはどうにゃ?
難しい話はわからん。 分離脳みたいに、左右の脳が独自に意志をもっていて、 それを一つに統合する機能があんだろ?
確かにそういう面白そうな話はいっぱいあるにゃ。しかし、その場合、統合しているのは左右をつないでおる 連絡だにゃ?そうなると、そのような左右連絡網が「等号者」なのだろうかにゃ?むしろ、そこには統合者は おらんでもいいような気もするにゃ。仮に「意思」なるものを話しついでに認めたとしてもにゃ、左右で異なる 意思があって、それを左右がお互いに「知らない」と困るだろうがにゃ、ちょっとでも知っておれば、一見、 統合されたように見えるのではないのかにゃ?4輪駆動車でも左右が連絡しあっているわけにゃが、 統合者を考える者はあまりいそうもないにゃ。つまり、この場合も基本構造は梯子ではないかと感じるにゃ。
>>434 うむ。。。個人の集まりである集団に主体があらわれるのか。
国民の集まりである国に主体があらわれるのか。
社会学心理学ではどうなるんだろうね。
まだ、あるにゃ。赤ん坊のときには、同側であっても自分の手と足が同じ胴に くっついておることや、「自分」の一部であることをどうも分かっておらんらしいにゃ。 自分で自分の足を握って離してもらえなくなり泣いたりするそうにゃ。 分離脳なんかの例でもにゃ、ご存知じゃろうがにゃ、「他人の手症候群」というのが あるにゃ。無論、それは左右の連絡が大人になってから損なわれたからだがにゃ、 赤ん坊はもっと分離しておって、バラバラの脳を持っとるように見えるのにゃ。 それが「統合される」のは生後の発達過程で新しい神経連絡が生じるせいなのかにゃ?
国の自我か。国さんは自我を感じますか? しかし、国民と国民のつながりとニューロンとニューロンのつながりでは、結束力が違うよな。 宗教団体とかなら、団体に自我を感じたりするのかな・・・あ、一神教とか、団体の自我かな。
>>437 お、集合無意識の世界かにゃ?ラカンとかいう論者が言っておることには、乳児は
自身も他者との関係もバラバラで分断されたものとして感じるにゃが、それを
「バラバラの身体の地獄」だと言うにゃ。それゆえ、統合を「求めて」他者と関わる
ようになって、初めて自己が確立するとかいう話だったかにゃ?
他者の身体は外からは統合されておる理想でにゃ、それに憧れ焦がれて それを自分の自己の原型とするとでもいうわけにゃ。
集団にはルールってのが生まれるよな。ルールってのが集団の自己統制感かもしれないな。 ここはばらばらだが、ルールができて、集団は(それなりに)一定の傾向で進んでいく。
それは、システム進化かにゃ?
>>442 この考えでワシがどこか違うと思うのはにゃ、そのルールが集団内でできるということと
その集団が「統合されて」他の集団と渡り合うということの違いを十分言っていない点だにゃ。
自律的なシステムの生成は面白い話なのだがにゃ、まぁ、誰かみたいのハイパー・サイクル
みたいな話は化学物質の溶液中では可能でも、人間のような生物やその人間くさい集団では
どうも期待薄ではないのかと思うにゃ。逆にもっと広い、それこそ、言われておるような
国とかの場合は、マクロに捉えるならば、あるいは、そういうこともあり得るかとにゃ。
だがにゃ、人間の「統合」と国の「統合」は基本構造が違うと思うにゃが。
つまり、他者の問題にゃ。あるいは、他者との間の相依性にゃ。
ウミネコの廻廊さんは、少しrepostとらないと腰が曲がるわよ (^^)
はにゃ、そうにゃー。爺には立ち話は疲れるかもにゃあ・・・
生物の問題と社会のような集団の問題とはどこまで同じなのだろうかにゃ? そこに言語的な共同体が存在する点が違うのかにゃ?知りたいところだにゃ? 442しゃんはどうにゃ?
>>447 conversations sur l'oreiller, svp? (^^)
なんにゃろ?ワシは言うたようにフランス語はダメにゃ。 もう爺でにゃ、若いひととそんなことしたら、朝起きられんにゃ。ご勘弁にゃ。
>>444 >人間の「統合」と国の「統合」は基本構造が違うと思うにゃが。
人間を動かすのはニューロンの集団。
国を動かすのは人間の集団。
1.マクロになるほどシステムの複雑性が増す。もち複雑性では、人間<国
2.国の中の人間は、個々が著しくちがうし、最終目的も違う。個々人間が自分の遺伝子を残すことを目的としている。
一人の中のニューロンは、最終目的もみな同じ。残すべきもの(遺伝子)が共通している。
2が大きいかも、集団を形成する個々の関係の作り方がまったく違うね。
国は、個々の利害関係を考慮したルールを形成しなきゃいけないもんね。
人間のニューロン集団には、利害関係なんてないもんね。
こりゃ、ルールの本質が著しく変わってかもしれない。
ありゃ、ぱにくってるよ。すまんじいさん。おつむがちいさくて。
>>450 あら、わたしも446でtなんか叩いてたから、そろそろ、お仲間かしら。それは困ったにゃあ(^^)
>>448 ニューロンの長期増強・長期抑制。これを生む仕組みってのが、ニューロンの利害関係・共通言語になりえるか?
>>451 > 2.国の中の人間は、個々が著しくちがうし、最終目的も違う。個々人間が自分の遺伝子を残すことを目的としている。
> 一人の中のニューロンは、最終目的もみな同じ。残すべきもの(遺伝子)が共通している。
確かにそうにゃ。反論ではないがにゃ、そこに目的が同じ、皆が同じように動くという前提は
必ずしも正しくないと思うのにゃ。生物はショッチュウ自分の中でお互いに「逆らって」いるというか
どこかで「はずれて」しまうことも結構多いと思うにゃ。病気とか考えるとだがにゃ。
> 2が大きいかも、集団を形成する個々の関係の作り方がまったく違うね。
> 国は、個々の利害関係を考慮したルールを形成しなきゃいけないもんね。
これはこれで分かるにゃ。おそらく、いわっしゃるところの意味での利害関係については全くそうだにゃ。
> こりゃ、ルールの本質が著しく変わってかもしれない。
そこは重要な点だと思うにゃ。
したが、下の一点だけについては、たいしたことではないかもしれんがにゃ、文句があるにゃ。
> 1.マクロになるほどシステムの複雑性が増す。もち複雑性では、人間<国
つまり、集団とその構成要素との関係なのにゃが、集団がマクロになったときにはその要素も平行移動して
マクロになるにゃ。そうすると、少なくとも、要素と全体の関係は必ずしも、集団が大きい方が複雑とは
言えんのではないかにゃ?人間の身体の複雑さを考慮した国とかいう話になれば、そりゃ恐ろしく
複雑に違いないがにゃ。スキナーの理想の国は、個人と個人の相互作用といういわばミクロの世界を
そのまま世界に延長できるということなのだろうかにゃ?それとも、例えば、集団にもオペラがあって、
集団の行動が強化によって変化するようなイメージだったのかにゃ。ワシにはその辺りはまだ??にゃ。
>>453 難しいことをいう御仁がいるにゃ。
spreading depressionとかlong-term potentiationかにゃ?ワシは最近の仕事はフォローして
居らんのでにゃ、どういう仕組みが想定されとるのか、ご教示願えるかにゃ?glutamateと
膜の関係とかかにゃ?
ひぇえええ〜
何にゃ?新型の虫しゃんかにゃ?
>>454 >生物はショッチュウ自分の中でお互いに「逆らって」いるというか
>どこかで「はずれて」しまうことも結構多いと思うにゃ。病気とか考えるとだがにゃ。
お互いに「逆らっている」
人を構成する同一遺伝子の有機体たちに、統一性が必ずしもあるとはいえないということはわかりました。
では、それらの統一性のなさを生むものは何なのでしょうか?
そこに、同一遺伝子の有機体たちの利害関係は存在しないのでしょうか?
にゃ、有機体という言葉をずいぶんと拡張して使っとるようにゃ。それも面白いかもにゃ。 > そこに、同一遺伝子の有機体たちの利害関係は存在しないのでしょうか? この点については、正直、あまり考えたことがないにゃ。利害関係という言葉の 指していることにもよるように思うにゃが。同一遺伝子と言ってもにゃ、それが 実際の細胞や器官になるときにはにゃ、すべてが発現するわけではないと違うかにゃ? そうなると、実際の発現としてある「有機体(?)」の間で、相互に違和感があって トラブルが起きることは可笑しくはないだろにゃ。器官発生の仕組みなどを見る限りは どうも競合や争奪があって、その上で最終形態に落ち着くのではないかにゃ。 そのとき、どの勢力が勝ちをおさめるかは、必ずしも、その要素同士の力関係だけで 決まらずに、その要素が集まっておる、より大きなまとまりの環境にも大きな決定権が あるのではなかろうかにゃ。いわっしゃることを理解していないかもしれないがにゃ。
460 :
没個性化されたレス↓ :04/10/03 01:41:33
ロボ出番だよ。
つーかよ、単純に考えろよ 単純に考えられんやつはなにやっても無駄
つーかよ、単純に考えろよ 単純に考えられんやつはなにやっても無駄
つーかよ、単純に考えろよ 単純に考えられんやつはなにやっても無駄
蛇足にゃが。 ワシが459のようなことを考えるのはにゃ、例えば、器官の発生がにゃ、器官にあらかじめ プログラムされた情報だけで完成されると考えていいのかについて疑問を持っとるからにゃ。 よく引かれる例としては、眼球の形成と眼球と脳との間の神経連絡の形成とか、足の<素> を部分的にあるべきではないところに委嘱したような場合の例だにゃ。どうも、これらの場合には 相手を考えながら発生が進むと考える方がわかりやすい気がするにゃ。さらには、相手だけでなく、 眼球と脳、足と脊髄だけでなく、もっと大きな身体全体の状態とか、あるいは更に、その個体全体が 今現に置かれている環境とかも関わっているはずではないかと思うのにゃ。古い考え方かも しれんがにゃ。ワシはそこから離れられんような気がするにゃ。 もっとも、コレは、三毛猫になる遺伝子を持った受精卵を、雌の黒猫の胎に移して育てたら、 三毛にならなかった、ソレ!胎内環境が大切じゃ〜というようなトリッキーな話とは少し 違うにゃ。三毛猫の雄は少ないにゃ?そっちが利いておったとかいう話にゃ。
ワシも単純であるつもりにゃがあ。。。ワシの単純な考えの基本はにゃ、 システム決定の決定因子がシステムの内部にあるようなシステムには あまり関心をもっておらんということかと思うにゃ。内部にもっとるシステムも あって当然だがにゃ、どうも、面白く感じられないにゃ。
要するに趣味の問題にゃ。学問は趣味だと思うにゃ。
>>465 >>464 有機体の行動を決定するのは環境にあると
有機体の行動を決定するのはこころにあるを統合したいということですか?
>>467 答えにくと言おうか難しい質問だがにゃ、ワシが何かを目指しておって、それを
宣言しているのではないことは分かってもらいたいのだがにゃ。
確かに
「有機体の行動を決定するのは環境にある要因である」
というのと少しだけ違うことを考えておると思うにゃ。したが、それは、
「有機体の行動を決定するのは心である」
とを統合することではないにゃ。今、御身しゃんがにゃ、「有機体の行動」と
いわっしゃったが、そこをもう少し考え直すべきではないかということにゃ。
「有機体の行動」というのはスキナーの本のタイトルでもあると思ったがにゃ、
そのタイトルからずーっと時間が経って、その中でスキナーもしろいろと
話を展開してきたわけにゃ。そして、その中で次第に、有機体空論を明確に
してきたと思うのにゃ。そもそも、スキナーの狙いは「有機体の行動」では
なく「行動」だけじゃったのではないかにゃ?「有機体の」という言葉を「行動」
の前に付けると、その途端に行動は有機体の成すものになり、有機体という
主体が必要になり、そこで主体をいわないでおこうとするなら、「自発する行動」
というような表現になってくるにゃ。だからにゃ、ワシは「有機体の行動」という
タイトルをこれからの未来編にするには「有機体の」を捨てるべきだといいたいのにゃ。
そうしさえすれば、環境か脳か、あるいは環境か行為主体かといった、それこそ
疑問題を乗り越えられると思うのにゃ。そのヒントが竜樹ではないかとにゃ。
ワシなら、「有機体にオケル行動」という題を選びたいわけにゃ。
にゃ、偽問題だったにゃ。ははは、参ったにゃ。
やはり、自発なのね
つまり、英語では不適当文だと思うがにゃ、
I am living.
ではなくてにゃ、ただ、
living
か、あるいは、
living at I
にゃ。atの後だからmeだろ!とは言わんで欲しいのにゃが。。。
逃走派しゃんの書かれておったλ関数では、このatはどうすれば表現できるのだろうにゃ?
ワシは、それが知りたいと思っているにゃが。
>>366 >>368 で、 「行動Bが有機体Aにおいて自発する」と書いたような場合にゃが。
私においてパンを食べる eating bread at I
の場合にゃ。一般に場所を表わす副詞句はどうなのかでもいいがにゃ。
>>470 自発はないと思うにゃ。ま、言葉の、それこそ、遊びだがにゃ。どうでもいいにゃ。
>>468 難しくてぐるぐるします。
「有機体の行動」:有機体が行う行動
「有機体にオケル行動」:有機体を通って発せられる行動
約するとこんなもんですか?
>>473 にゃああ、遅くまで付き合ってもらってすまんにゃ。ありがとうにゃ。
> 「有機体の行動」:有機体が行う行動
こっちは正にそのとおりにゃ。したが、
「オケル」は「通って」ではないと思うにゃ。
通るとするならば、また、何処から来なすったかにゃ?と無限後退することになりそうでにゃ。
だから、言い換えるのはチョー難しいのにゃが、強いて言うならば
有機体という場所と時間において
ということかもにゃ。
>>474 ちょー難しいです。質問ばかりに成りますが許してください。
>「有機体にオケル行動」:有機体という場所と時間における行動
有機体は状況ですか?有機体は環境ですか?
行動の位置が漠然としている気がします。行動がなんか宙に浮いているみたいです。
ことばの罠におちいってんのよ
>>475 御身しゃんは細かく考えてくださっとるにゃ。ワシが言っておるのはにゃ、我々人間が
行動というモノを捉えるときの問題でにゃ、行動がワシらとは離れてどうなっとると
感じ思うかは、まぁまぁ、人それぞれにゃ。行動を科学するという角度からのものだと
思ってもらってもいいにゃ。
> >「有機体にオケル行動」:有機体という場所と時間における行動
> 有機体は状況ですか?有機体は環境ですか?
状況と環境は違う意味かにゃ?
> 行動の位置が漠然としている気がします。
そうだろうかにゃ?正に正にここに問題の核心があるように思うのにゃ。なぜ、
行動を何かに対して位置づけるのにゃ?むしろ、行動そのものに、他のものを
位置づけるべきではないのかにゃ?ワシは、この意味では顔文字ご本家しゃんが
すべてを言語の軸(座標)に位置づけようとする気持ちがよく分かる気がするにゃ。
言語はまさに歴然と我々のところに在って、位置や存在が曖昧かにゃ?否にゃ!行動もにゃ!
> 行動がなんか宙に浮いているみたいです。
そうだろうかにゃ?実際的に、今何をしているかということは、脳や意識がどうなっておるか
ということよりも遥かに具体的ではないのかにゃ?実際の話として、脳や意識が
関心を持たれるのは、行動の実現者・修飾者としてではないのかにゃ?
(無論、脳自体に、その構造や、要素の機能自体に関心を持つ理学者があって当然
それが本来の姿だと思うがにゃ)
つまり、ワシらは、行動に関心を持つ故に脳にも意識にも関心を持っとるのではないのかにゃ?
(無論、意識自体に関心を持つのも構わないがにゃ、それでも、それは行動と関連付けずに
存在すら証明できんのではないかにゃ?)ワシはただ昔気質の行動主義者と同じことを
いってはいないと思うのにゃ。
>>477 >(無論、脳自体に、その構造や、要素の機能自体に関心を持つ理学者があって当然
生理学者 生が抜けとったにゃ
>>476 そうかもしれんにゃ。
基本的には、竜樹も似たことを言っとるにゃ。いずれワシらは言語に相依的だとにゃ。
さて、アホ話に皆もう寝てしまったろうから、ワシもネンネコするかにゃ。 海の夢でも見ながらにゃ。
481 :
没個性化されたレス↓ :04/10/03 03:35:29
>>480 ▽’)ノシ<おやすみ〜
以下をよくよく考えて私も寝ます。
>行動そのものに、他のものを位置づけるべきではないのかにゃ?
>実際の話として、脳や意識が関心を持たれるのは、行動の実現者・修飾者としてではない
>のかにゃ?
>無論、意識自体に関心を持つのも構わないがにゃ、それでも、それは行動と関連付けずに
>存在すら証明できんのではないかにゃ
>ワシはただ昔気質の行動主義者と同じことをいってはいないと思うのにゃ。
>状況と環境は違う意味かにゃ?
同じです。言い換えをしただけです。キニシナイでください。
とっぷうーーん。
あやすみなさい。ウミネコさま。ねこ。
とっぷうーーん。ざー。
487 :
没個性化されたレス↓ :04/10/03 10:24:01
ようわからん自説やな 主体から行動を切り離してでうすんねん 主体が大切だべさ
>>487 お前は誰だ?お前においても、その言動は切り離されているではないか?
そうでないなら、主体として顔を見せることだな。
つまり488は翻訳すると、 わしは馬鹿ですということなのだな?
そうだよ。
ワハハハ、ワロタ
A: I am foolish. B: Oh? "I" am foolish? A: Nope, I meant YOU are foolish! B: Oh? You meant YOU are foolish?
ドナルド・ダックはアヒルだよん♪
A: "I" am foolish! B: Oh? You are foolish? A: Nope, You are foolish! B: Oh, yes, "you" are.
グーフィーは犬なのに犬を飼ってて散歩に連れて行ってるんだよ♪ グーフィーは二本足で歩くのに、飼い犬は四つ足で歩くんだね〜♪
同じ犬なのにどうして区別するんだろうねぇ?
えええい、謎掛け合戦はやめい!
にゃ?そうかにゃ?必ずしも言葉遊びとも思えんにゃ。
昨夜は、雲に乗って世界の果てまで行ってきたもんでにゃ、ネムネムにゃあ〜
五本の大きな柱で世界は終わっとるみたいにゃ。境界というのは簡単なものにゃ。
>>487 > 主体から行動を切り離してでうすんねん
> 主体が大切だべさ
ワシは主体から行動を切り離すなどとぜーぜんぜんぜん言ってはおらんつもりだがにゃ。
そう聞こえたのならばにゃ、説明が悪かったかにゃ。
主体とかいうものにオイテ、と言っとるだけでにゃ。そういう言い方すると切り離したと感じるのは
何故なのかにゃ?むしろ「主体が行動する」と言うほうが「主体」と「行動」を区別し切り離しておるにゃ。
いずれにせよ、主体だけになったら意味はないだろにゃ。主体とか脳とか意識とか
なんでもいいがにゃ、それらで、餌を食うたり、物を見聞きしたり、ドアを開けたりできるのか?
と言っとるにゃ。まず、生きていることから始めたらいかがかにゃ?と言っとるにゃ。
生きることを支える構造がどうの、感じ方がどうの、世界観がどうのではなくてにゃ。
しかし、前スレやここでの話を聞く限り、主体が大切だと真っ向から主張する者は
あまりいないようではないかにゃ。ラカンも新型認知も行動主義者どもも皆そう言うことを
なぜか避けとるにゃ。487しゃんは、その意味では貴重な御仁かとは思うにゃ。
I の話だがにゃ(犬山のチンプのアイには I はあったのか忘れたがにゃ)、
強勢があるかないかで、どうして、AになったりBになったりするのかにゃ?
自閉症では同語反復が症状の一つみたいにゃが、彼らにとっては、
「他人ないし相手がI と言う」こと「自分がIと言う」ことの違いが明確でないのかにゃ?
A: 私はあなたが好きです!!!
B: 私はあなたが好きです。
A: え、君も?うわ〜い、じゃあ相思相愛だね。よかったにゃあ、ほんと。
B: 君も相思相愛でよかったにゃ。
なんにゃ、いろいろと似た顔しとる先輩や同時代人がいるようなのでにゃ、しばし、 この痴呆老人をはっきりさせるために、チシャ猫製ハンドルを使っておくにゃ。 しかし、なんで廻廊なのかワシにはようわからんがにゃ。 怪老という意味でとっとくにゃぁ。にゃぁ。にゃぁ。にゃぁ。にゃぁ。
>>497 >>498 これは秀逸だにゃ!これこそグーフィーを主体化(擬人化)しているにゃ。
グーフィーも犬なのに、区別して、大事に扱っとるにゃ。
グーフィーも四足で走ったらどうか?とワシは言いたいにゃ。
503 :
没個性化されたレス↓ :04/10/03 14:12:05
うーぬ、ロジックではなく、レ・トリックでしね。
では、503氏のロジックを披露してもらおう!
だめじゃねえ?そいつこそ、トリック・スター。
具体的テーマは?
ははは、これこれ。もう少し美味しい餌に食いつくように。
ワシは、「君の心的現実においては」という言葉が気に入っておるにゃ。 とくに「おいては」がにゃが。
>>508 翻訳の問題はもう一人のうみねこしゃんにゃ。中間言語のにゃ。
GABAがイイ〜
あら、GABOB?
本家膿ねこでも呼んでくるかな。
クワインだよー
うみねこ爺さん同士馬が合いそうだな。 お互いピンボケでな。
ねことうまが会ってどうするんだろうね。ど馬にゃーん?
なるほど。 人工知能スレのセスナ機と機会仕掛けの猫は同一人物で、 特に後者はヤンチャなロボそのものだね。
それこそ、チョー同型かも。
まあまあ、遊びじゃから2chは、基本的に。
しかし、どこに行っても同じようなことを言い、また、言われているんだな・・
まあまあ、オフザケじゃから2chは、基本的に。
亡くなった白黒猫さんていうのもいるのねぇ。猫だらけだけど、なかなかいいこと言ってるわ。
機械仕掛けの猫とは大違い。例えば、
105 名前:亡くなった白黒猫[] 投稿日:04/09/11(土) 12:07:27
>>99 >機械仕掛けの猫
内と外の境界線は、存在してるように、ヒトが錯覚している。
表現を変えると、脳にそのように考える制約があると思う。
前スレでも同じことを書いた人がいたと思うが、ヒトの学習は制約(又はルール)
によって外界から得られる情報を収束・均衡させ、得ていると考えているのが心理学や認知科学の主流
勿論、これだけのモデルでは説明できないが、このような学習システムが存在することは確かだと思う。
ゆえに、「誰か?」の問いは遺伝子という答えに行きつくのではないかと思う
これ以上は、生得論に行きつき、二元論に議論が変わったりするのが毎度のパターンだけど
111 名前:亡くなった白黒猫[] 投稿日:04/09/11(土) 13:30:25
>>73 迷いは「自己との対話」という構造から生まれてくるものだと思う
自己との対話が自己認識を生成し「意思」という産物を作り出しだしたのではないか?
と直感的に感じる。自己認識と意思は別物か同一かはわからん
コミニュケーションは元来、他の個体との情報交換や異性を獲得するためにあったのに、どうようなトリガー(環境)があって
自己とコミニケーションをとるというシステムが生み出されたのか、
それが「意思」や「魂」、「クオリア」といった概念をブレイクスルーするキーになるように思う。
主に脳の空間認知と言語処理との機能の物理的な「近さ」から偶発的に生み出されたと書かれたような本を読んだこともある
一度均衡した学習内容・処理された内容が再び発散されるのが、「自己との対話」たけで起こるのかは疑問だが、
関係していることは間違いないように感じる。
ほー。
なかなかいいにゃー。
しかし、みんな、とてもマルチ・タレントなのね、びっくり。
哲板はレベル高いよ むかし心理板にいたコテたちもちらほら出没してるし
で、こっちはただただクソの投げ合い。誰かさんみたいな。
隣の芝の青さ見ていてもにゃー。こっちでも種を撒き、苗を植えるにゃ。
あっちに喧嘩売りにいくか? それとも、猫どもを呼んでくるか?
自分でクソ投げにいってりゃいいよ。
萎え
を飢えるにゃ
にゃーにゃー病の予防と撲滅に、コンドームを使いましょう。
間に何か挟んでクチャクチャするの嫌いよ。直接がいいわ。
一応、 〜〜〜〜〜〜〜浄化〜〜〜〜〜〜〜 しておく。直接もいいけど。
人間の能力範囲内での直接は可能だが これだってよく考えれば直接ではないよな 結局脳味噌に情報がいってからだもんな
あら、私みたいな脳なしでもクチで感じるわ〜
んじゃ、脳味噌ぶち壊して口だけで生きてみろ変態野郎
脳はないんだから、壊せないわ。 それに不思議の国の時代からチシャ猫は口だけで出ているのよ。 クソ投げ専門のクソ野郎〜!あひゃ、つい言っちゃった。
おまえみたいに現実逃避して世界と向き合わないホモ野郎は 早いとこ精神科にでもいって薬貰って来い
あら、私をホモ・サピエンスにしてくれるの?有難う〜。 お前こそクソばかり投げてないで、クソしてきな。あひゃ、また、いっちゃった〜
このようにここではことば遊びやネタでしか返答が返ってこないのは みての通りです
ほんとうにそうね、いやーねぇ。
終了 続きは、人工知能スレであいましょう!
にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー
かくて、日曜日も特段の変化なく陽が沈むのであった。
にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー
今夜は静かですね。
>>555 もちろんログも責任を持って管理しますよ。
近々MIT関連で面白いネタが手に入りそうなんですよ。
公開できるのは早くても2-3年先になるかもですが。
週刊クォリアかよ。クォリアは日記や週刊誌まであって忙しいな。 リンク貼るだけでなく、面白い話の一つでもしたら、購読するかどうか考えるけどな。
まぁ、駆けつける前にも来てたらしいが。 宣伝だけするようじゃ、まだまだガキだな、きっと。
ミルクだもんーん
ミンスキー先生とは昔々mailinglistで出会ってオシャベリして以来ご無沙汰だが、元気してるのかな?
なんだ、阿呆踊り、久しぶりだな〜 風のたよりに、のこのこ、やってきたか?
しばらく滞在する。聞かせてもらうだけだから安心しろ。 礼儀として聞いていることを言っておくべきかと。
お前らしくもないな。
誰とも知らぬものに言われる筋合いはない。沈黙する
はは、どうせ自演だろ?
よせ、やめろ。
?
今朝も静かですね。
どんな天信翁さんかしらないが歓迎するにゃ。
もっとも、そこまで礼を尽くされると、いよいよワシは慎重になるにゃ。
「亡くなった白黒猫」しゃん自身の書き込みではないだろうがにゃ、面白そうなので
ちょっと書くにゃ。
>>524 > 105 名前:亡くなった白黒猫[] 投稿日:04/09/11(土) 12:07:27
>
>>99 > >機械仕掛けの猫
> 内と外の境界線は、存在してるように、ヒトが錯覚している。
異議なしにゃ。
> 表現を変えると、脳にそのように考える制約があると思う。
> 前スレでも同じことを書いた人がいたと思うが、ヒトの学習は制約(又はルール)
> によって外界から得られる情報を収束・均衡させ、得ていると考えているのが心理学や認知科学の主流
> 勿論、これだけのモデルでは説明できないが、このような学習システムが存在することは確かだと思う。
異議なしにゃ。
> ゆえに、「誰か?」の問いは遺伝子という答えに行きつくのではないかと思う
これはワシは評価できんにゃ。
> これ以上は、生得論に行きつき、二元論に議論が変わったりするのが毎度のパターンだけど
ははは、全くにゃ。
> 111 名前:亡くなった白黒猫[] 投稿日:04/09/11(土) 13:30:25
>
>>73 > 迷いは「自己との対話」という構造から生まれてくるものだと思う
> 自己との対話が自己認識を生成し「意思」という産物を作り出しだしたのではないか?
> と直感的に感じる。自己認識と意思は別物か同一かはわからん
違うが同根かもにゃ。
> コミニュケーションは元来、他の個体との情報交換や異性を獲得するためにあったのに、どうようなトリガー(環境)があって
> 自己とコミニケーションをとるというシステムが生み出されたのか、
大切な疑問にゃ。
> それが「意思」や「魂」、「クオリア」といった概念をブレイクスルーするキーになるように思う。
なるほどにゃ。にゃが、「魂」はどうでもいいにゃ。「クォリア」はそれだけなら、それだけにゃ。
クォリアの、あるいは、クォリアから、何か?が問われるにゃ。
> 主に脳の空間認知と言語処理との機能の物理的な「近さ」から偶発的に生み出されたと書かれたような本を読んだこともある
> 一度均衡した学習内容・処理された内容が再び発散されるのが、「自己との対話」たけで起こるのかは疑問だが、
上で、トリガーについて触れてるならばにゃ、
脳の空間認知と言語処理との機能の物理的な「近さ」だけを言うのはなぜかにゃ?
とにもかくにも、こういうしっかりした意見を持っとる御仁がいるとは楽しみだにゃ。
>>538 > 人間の能力範囲内での直接は可能だが
> これだってよく考えれば直接ではないよな
> 結局脳味噌に情報がいってからだもんな
そう思っても不思議ではないにゃ。非常によくある感じ方だと思うにゃ。
しかし、そこで、どうして脳まで情報が行くと
「直接」ではないことになるのかにゃ?脳は、感覚器と切り離されているのかにゃ?
違うだろうにゃ。どうにゃ?
チシャ猫しゃんは口が脳なのかもにゃ。にゃにゃにゃ。
>>555 せっかくGo!Go!Go!をとったのだから、「自発性」とかについて何か言ってもらえるかにゃ?
>>572 > 上で、トリガーについて触れてるならばにゃ、
> 脳の空間認知と言語処理との機能の物理的な「近さ」だけを言うのはなぜかにゃ?
おっと、わざわざ、
> 「自己との対話」たけで起こるのかは疑問だが、
と書いてあったにゃ。失礼したにゃ。
ウミネコの廻廊さんは言語学者で生成派の(´∀`)先生でしょ? 私をお忘れ? 私もあまり時間がないのでお遊びしている暇はないんよ。 違うなら違うと言ってね。 それから、亡くなった白黒猫氏は認知科学プロパーであって、彼自身の 考え方ではないと思うよ。私は彼にはあまり興味ない。
>>573 > チシャ猫しゃんは口が脳なのかもにゃ。にゃにゃにゃ。
ニヤニヤ笑いは私の専売だと思ってたのにナ。まぁ、いいにゃあん。
>
>>538 > しかし、そこで、どうして脳まで情報が行くと
> 「直接」ではないことになるのかにゃ?脳は、感覚器と切り離されているのかにゃ?
口が脳かどうかはわかりませんけど、昔から女は子宮で考えるっていうものね。
「直接」という言葉を考えるときに、解剖学的にとるのか、それとも機能的にとるのか
一文字一句ごとに構造を考えるのか、それとも、構造全体でひとつの機能と考えるのか
っていうことかしら?これってトポロジー的発想かも?
それとも、シンタックスかセマンティックスかってことですか?
>>575 > ウミネコの廻廊さんは言語学者で生成派の(´∀`)先生でしょ?
どうして、そう思うにゃ?よく話を読みもせんで憶測するからかにゃ?
顔文字しゃんはご本家すじにゃが、ワシは顔文字しゃんではないにゃ。
それから、虚無好きしゃんでもないようにゃ。ま、憶測することは自由にゃが。
> 私をお忘れ? 私もあまり時間がないのでお遊びしている暇はないんよ。
ワシもないにゃ。
> 違うなら違うと言ってね。
最初っから言っとると思うがにゃ。
> それから、亡くなった白黒猫氏は認知科学プロパーであって、彼自身の
> 考え方ではないと思うよ。私は彼にはあまり興味ない。
興味がないのは、そうだろうにゃ。では、誰自身の考え方にゃ?
>>576 > 口が脳かどうかはわかりませんけど、昔から女は子宮で考えるっていうものね。
にゃにゃ、チシャ猫しゃんは子宮は持っておったのかにゃ?
シングルでも子宮は考えるのにゃ?
> 「直接」という言葉を考えるときに、解剖学的にとるのか、それとも機能的にとるのか
> 一文字一句ごとに構造を考えるのか、それとも、構造全体でひとつの機能と考えるのか
> っていうことかしら?これってトポロジー的発想かも?
そういうことにゃ。
> それとも、シンタックスかセマンティックスかってことですか?
それは、ワシの問題ではないがにゃ、討論するのは自由にゃ。
>>577 > > 違うなら違うと言ってね。
> 最初っから言っとると思うがにゃ。
そでしたか。それじゃさよなら。顔文字先生にあったらよろしくね。
>>578 > にゃにゃ、チシャ猫しゃんは子宮は持っておったのかにゃ?
> シングルでも子宮は考えるのにゃ?
シングルだから考えるのだわ。まぁ、いいけど。
ミルクって美味しいかしら?おなか減ってきたにゃお。
>>579 > そでしたか。それじゃさよなら。顔文字先生にあったらよろしくね。
「直接」会いに行けばどうかにゃ?いつでも待ってるにゃ。
また、暇を持て余したら、いつでも来るにゃ。ケチな伝令のおかげで
ご足労かけたにゃ。
今日はワシは血圧が高いようにゃ。しばらく岩運びでもして疲れてくるにゃ。
>>582 > 「直接」会いに行けばどうかにゃ?いつでも待ってるにゃ。
会いに行きたいけれど、私は顔文字先生の所属もお名前も知らないから
どうすることもできないよ。なんなら、上であげた掲示板から辿ると
私のメアドが分かるから、メールで教えてほしいな。
ぱくっ
ちょっと前のことですまんがにゃ、
>>481 > >状況と環境は違う意味かにゃ?
> 同じです。言い換えをしただけです。キニシナイでください。
これが本当にそうなのかワシは少しばかり気になっとるにゃ。
単にワシの好みの問題かもしれんがにゃ、環境という語はどこか静的にゃ。
状況のほうが、変化とか歴史とかを含むような気がするにゃ。
進化論などでは、環境は歴史込みだろうかにゃ?
ま、言葉の遊びに過ぎんがにゃ。
588 :
没個性化されたレス↓ :04/10/04 14:35:18
>>587 そうでもないかもしれません。
[環境]にどこまで変化を組み込んで話をするかで
環境と有機体の関係・相互作用の考え方は変わるようにも思います。
環境が変化するものであるなら、当然その変化は有機体絡みなのでは?
状況はむしろ環境と有機体の交互作用の総体と、環境および有機体の
静的な特性もさすと考えると、整理できるでしょう。
もっとも、環境にしても有機体にしても、ある交互作用以前、もしくは、
交互作用など全くないときに起こした変化は、どこに置かれるべきかは
はっきりしませんが。
ちょっと質問です。
>>589 > もっとも、環境にしても有機体にしても、ある交互作用以前、もしくは、
> 交互作用など全くないときに起こした変化は、どこに置かれるべきかは
> はっきりしませんが。
これって、環境や有機体が関わり合っていないときは、それぞれ自律的に動いていると
いうことなのかしら?
ええと、おっしゃる意味が今ひとつわかりませんが・・ 自律的というのは,変化の仕方がですか?
>>587 鋭い指摘!
状況は時間も含んでいる感じがしますね。時間軸を含んだ4次元。
環境は物質の空間、3次元。
後付になりますが、確かに、
>>475 を書いたとき
環境には時間が入らないような気がしたため、状況という言葉も書いておいたんです。
しかし、質問に答えるときには、その違いをさほど重要とは考えておらず
同じだといってしまいました。
他にどういうことについて「自律的な」という可能性があるのか、よくわからないのですけど。。。 環境の中の変化も自律的で、有機体の中の変化も自律的な場合っていうことかなって? そして、自律的な2つのシステムが出会ったときに、それぞれの自律性とは別の何かが 起きるという。。。 ですか?
>>593 ええ、だいたいそういう意味でとらえていただければいいです。
変化の仕方がですかと聞いたのは、自律的な移動というものも
考えられるかな、と。つまり、有機体が移動して環境と接する
のならばですが。
移動というのはちょっとおかしいですが接し方を有機体の方でも
多少は選べるのかな。
>>594 あ、そうか。接し方の選択権なんですね。そこまでは考えてみませんでした。ども。
>>592 わかるのだけど、ほんとうにそうなのかしら。それだと、環境とは接することが
できなくなることはないのかしら?
?
うわっ、ビックリした!何ですか?間違ってます?
聞きたかったことが舌足らずだったかしら、ラング・ド・シャは短くて。。 環境が静的なものだとすると、つまり、動かないってことでしょ? だとすれば、有機体がいくら押しても動かないんでしょ?それって関わりに なるのかなーって、思っただけなんですけど。深い意味はなくてt、大筋では 592さんと同じように感じてはいるんですけど。 それに生き物の方では時間が経つのに、環境の側では経たないのかしら。 その辺もなんかわからない。592さんはいかがですか?
むうう
むうう ってどういうこと?
6 0 0 む う う
>>595 わかりにくいたとえなんで、?ならスルーしてください。
状況は歴史を時間軸できった塊。4次元のまま。前後関係まで考慮します。
環境は歴史を時間軸できった断面。4次元だったものを見やすいように3次元にしたもの。その瞬間を考慮します。
ま、オカシなひと。ふふ。参りました。
>>603 あ、切って、次元を減らしてみただけということなの。
それって綺麗だわ、とっても。
ビックリは私だってば。だって、観てるだけのあほうどりさんが
突然出てくるんだもの。あほうどりさん、今のでいいでしょうか?
>>604 > ま、オカシなひと。ふふ。参りました。
これは むうう さんへね。
むうな 飯を探す時間。
飯?
寿司
箸
菓子
もしもしご飯ですよ
なんだか不思議なことになつて参りまつた
>>598 真昼ちゃん、相変わらずキラキラと細かいこと言っとるな。
しかし、なんだ、せっかちな娘っ子(?)だわな、一面。
えー?あれれ? そうなんです。どなたか知らないけど、飛び出すな猫って急には止まれない。 誤射多謝クシャ。ぺこり。
事故には気をつけましょう。
なんで無理していろんな言葉こしらえて語るのかな?
んにゃ?少しばっかり微妙な話になっとるようにゃ。
どうもワシは今朝から頭がシクシク・チリチリしていかんにゃ。なんにゃろか。
大筋の話と小筋の話が入り乱れているような感じにゃが。
1)時間の問題にゃ
>>592 > 状況は時間も含んでいる感じがしますね。時間軸を含んだ4次元。
> 環境は物質の空間、3次元。
> 後付になりますが、確かに、
>>475 を書いたとき
> 環境には時間が入らないような気がしたため、状況という言葉も書いておいたんです。
やはり、そうかにゃ。似たようなことが並べて書いてあると気になる性分でにゃ。
アナロジーが好きにゃが、同時にアナロジーされるものの違いがが気になるというわけにゃ。
では、なぜ、そういうことが気になってたのかにゃ?そこが知りたいところだにゃ。なぜかにゃ?
>>592 >>589 > [環境]にどこまで変化を組み込んで話をするかで
> 環境と有機体の関係・相互作用の考え方は変わるようにも思います。
ありがとさんにゃ。
やはり、そういうふうに考えるのが普通なのかにゃ。問題はどこまで組み込んでいいのかだにゃ?
それとも逆に、どこまで組み込まんでいいのか、だにゃ。いずれにしても、どちらに時間を振るかという
ことは確かに大きな問題のようだにゃ。時間が問題というよりは、どちらに時間性を持たせるか、にゃが。
2)どこまで細かくにゃ?
> 環境が変化するものであるなら、当然その変化は有機体絡みなのでは?
そうであるものにワシらは関心があるにゃが、そうでないものもあるだろうにゃ。
> もっとも、環境にしても有機体にしても、ある交互作用以前、もしくは、
> 交互作用など全くないときに起こした変化は、どこに置かれるべきかははっきりしませんが。
環境の側(物の世界の側)は確かに自律的に動いているのかもにゃ。しかし、生き物の側の
変化が環境と関わることなく起きるというのは少なそうだにゃ。しかし、これも、どういう変化かに
関わってくるだろうにゃ。自律神経系支配のものかどうか、といった粗い意味でもにゃ。
つまり、自律的か、相互作用的かを考える上で、どこまで問題を細かく考えるかという
レベル問題が存在するにゃ。
>>593 > 環境の中の変化も自律的で、有機体の中の変化も自律的な場合っていうことかなって?
これも同じことにゃ。有機体の自律性と環境のそれとは同じではなさそうにゃ。
3)何と何が接するにゃ?
>>593 > 環境の中の変化も自律的で、有機体の中の変化も自律的な場合っていうことかなって?
> そして、自律的な2つのシステムが出会ったときに、それぞれの自律性とは別の何かが
> 起きるという。。。
にゃにゃ、出会った時ということにポイントがあるにゃ?そこは大切かもしれないにゃ、ふむむにゃ。
有機体の自律性と環境のそれとは同じではないとしても、異なったシステムの「出会い」で何かが・・・
うにゃ?チシャ猫しゃんは、また、カタストロフィーをたくらんでるにゃ?ふうむにゃ。。
いろんな意見があって、細かく見出すと、それぞれ微妙に違っているようにゃ。
しかし、その微妙な違いが大切な気がすごーーーくしてきたにゃ。今日のワシの頭ではダメかもにゃ・・
4)時間の問題にゃ(2)
>>603 > 状況は歴史を時間軸できった塊。4次元のまま。前後関係まで考慮します。
別にこりゃあ時間で切る必要はないのではないかにゃ?何か意味ありにゃ?
> 環境は歴史を時間軸できった断面。4次元だったものを見やすいように3次元にしたもの。その瞬間を考慮します。
ΔTじゃにゃ、問題は。時間は瞬間なんにゃろか?おそらく身近ながらもおそらく、ある持続を考えねばならんにゃ?
それとも、やはり瞬間かにゃ?
いずれにせよ、その瞬間かΔT内で捉えるまで、その「3次元」とやらでの相互作用を細かく切り取れるかどうかが
今度は問題になるにゃ。いつもの、行動単位の問題にゃ。
>>598 > 環境が静的なものだとすると、つまり、動かないってことでしょ?
> だとすれば、有機体がいくら押しても動かないんでしょ?それって関わりに
> なるのかなーって、思っただけなんですけど。
> それに生き物の方では時間が経つのに、環境の側では経たないのかしら。
こりゃ、確かに鋭いにゃ。当たり前のことでもあるにゃが。。というかだにゃ・・・
そうにゃ!昔の心理学の実験でにゃ、動物は時間が測れるかというのがあったにゃ。
スキナーのような精密な仕事ではなくてにゃ。DRLだったか一定時間おいてから
行動せんといかんようにしておくとにゃ、ネズミが時間を測ったようにうまく行動するにゃが、
それは箱の中にある物体にかじりついたり、隅に行ったりしながら時間を「測って」いる
ようでにゃ、その物を捨ててしまうと時間が狂ったにゃ。
お、もしかすると時間の問題は1)2)3)4)を考え合わせると竜樹に近づけるかもしれんにゃ。
つまり時間は・・・
>>594 > 移動というのはちょっとおかしいですが接し方を有機体の方でも
> 多少は選べるのかな。
>>595 >
>>594 > あ、そうか。接し方の選択権なんですね。そこまでは考えてみませんでした。ども。
なんにゃろ、これは?接し方??
微妙に違う角度と問題があるものでにゃ、言い残し、答え残しがあったら指摘して欲しいにゃ。 どうも、今日は頭が硬くなっとるにゃ。何が邪魔しとるんかにゃ・・・
>>605 あほうどりって、おれ?おれ、あほうどり・・・
次元を減らす出いいです。
>>620 >状況と環境を分ける。なぜ、そういうことが気になってたのかにゃ?
>>622 >別にこりゃあ時間で切る必要はないのではないかにゃ?何か意味ありにゃ?
例えば、フランス革命という集団行動を説明するとき、
便宜じょう、その周辺の時間を切り取って(その時代の状況を使って)説明しますよね。
便利だから、ただそれだけです。
>問題になるのは行動の単位。
時間軸でスライスしたら、行動は完全に環境になってしまいますね。
行動は、エネルギーの動きでなくてはならないと思います。
何にゃ?あほうどりが2羽になったかにゃ。それで思いだしたがにゃ、
>>569 の あほうどり 信天翁 al・ba・tross 氏は何を?したのにゃ?
さっきから気になっていたのはそれにゃ。
>>626 > あほうどりって、おれ?おれ、あほうどり・・・
御身しゃんではなさそうにゃ。
> >別にこりゃあ時間で切る必要はないのではないかにゃ?何か意味ありにゃ?
> 例えば、フランス革命という集団行動を説明するとき、
> 便宜じょう、その周辺の時間を切り取って(その時代の状況を使って)説明しますよね。
歴史マニアかにゃ??
> 便利だから、ただそれだけです。
便利さかにゃ・・・ しかし、時間で切り刻むのが便利なのかにゃ。場合によりけりかもしれんにゃが。
> >問題になるのは行動の単位。
> 時間軸でスライスしたら、行動は完全に環境になってしまいますね。
どうしてにゃあ?意味ありげな話にゃ。
> 行動は、エネルギーの動きでなくてはならないと思います。
フロイトみたいなことを言っとるのかにゃ?
説明が難しいです。頓珍漢なことを言っているのかもしれません。 ウミネコの廻廊さんが教えてください。 空想です。 今時間をとめてください。 さて、時間が止まった世界で行動はありますか? これまた、空想してください。 あなただけ、動いています。 さて、あなたの目の前で、固まっている人に行動はありますか?
にゃにゃ、思ったとおりの人のようだにゃ。いい質問だと思うので、しばらく考えるにゃ。
仮に、それが偽問題だとしてもにゃ、考える意味は大いにありそうにゃ。
まるで、相対性理論みたいで、マッハを思い出さされたにゃ。 よーく、よーく考えてみるからにゃ。
そのうち、なぜだかわかってくるよ。
ワシは個性がないにゃあー。にゃはははは。
今夜はワシの馬鹿さ加減をおおいに学んで、実に嬉しいにゃ。 笑い虫が取り付いたと思うだろうにゃぁ。ったく、そうにゃ。にゃははは。
同じ時間になお動き活動する影があるのだにゃ。感激にゃ。
>>640 わたしも起きてるんですが。
正直
>>638 が怖くて、今までコメントできませんでした。
どうなったんですか?
いや、なんでもないにゃ。ワシの個人的(?)問題にゃろ。怖いことなんか何もないにゃ。楽しいのにゃ。 人が見ると、電波って怖いかもしれないがにゃ。 ところで、今、心理学、言語学、哲学と、色々な板の、この時間帯の書き込みを一つ一つ読んで 回っていたところにゃ。頑張って生きとる人々を見ににゃ。今までも、一つ一つのレスで??と思う レスがあってにゃ、それが一体なんにゃろと思っていたのだがにゃ、それがさあーっと雲が晴れた ような気がしたのにゃ。気のせいであると思うのだがにゃ、それなりに合点がいくことでにゃ。 このスレでもにゃ、??誰にゃ?と思うことがいくつかあってにゃ。それも氷解した気がしたにゃ。 ワシも頑張らんといけないと思ったにゃ。明日は、来るのがおそくなると思うにゃ。他のことしながら、 なほうどり しゃんの問題を考えてみるにゃ。およその答えは決まっているにゃが、表現を考えんとにゃ。 本当にいい問題を出してくれて、ワシは嬉しいのにゃ。いろいろと批判してくだされにゃ。是非にゃ。 ¬をNotのNとしてにゃ(NANDのNみたいに読むとにゃ) ¬あほうどり → なほうどり と読めるにゃ。
廻廊のおじさま、やっぱり可笑しいわ、今夜は。
>>634 チシャ猫しゃんも起きとったかにゃ。人生は不思議だと思うにゃ。
あんたもワシくらい生きておったら、きっと、こんな経験をするんだろうにゃ。
もう、調子いいのかにゃ?
ちょっと、昼間のイジメが効いてるけど。おかげで眠れなかったの。だけど、 廻廊のおじさまが、大笑いなのでなんだか私も少し楽な気持ちになれたみたい。 ベッドに戻ります。また、明日。
ほにゃ。
なほうどりしゃんも、また明日にゃ。いいかにゃ? にゃ、今日だったにゃ。時を忘れておったにゃ。
>>645 ’▽’)ノシ<おやすみなさい。
いい夢を
>>646 ’▽’)ノシ<おやすみなさい。
いい夢を見てください。
なほうどりしゃんも。
651 :
没個性化されたレス↓ :04/10/05 06:52:41
あやしい。
なにがじゃねん?んどりゃー
?
すみません。n・al・ba・trossさんて、al・ba・trossさんのNOT番ですよね。 私のクシャ猫みたいなものでしょうか?それとも、ただのお遊び? いえ、お答えは期待してません。沈黙すると言われたのですから。 ?は聞き耳マークですよね?確かに言葉ではないかもしれないけど。。 いらっしゃることを気にしながら書き込むのって、少し緊張します。
?
>>630 この問題が何を見たものかわからないのだがにゃ、答え方としては幾つかの種類が
あるように思うにゃ。その種類ごとに書くと大変そうなのでにゃ、うち2,3種類を適当にミクスチャするにゃ。
いずれにせよ、今、便宜のために、私(I)と誰か(X)がいるのだとしようかにゃ。
> 今時間をとめてください。
ということは、時間は「今」止まるのにゃ。これ自体にも問題はあるにゃ。
時間が止まって後(これも変にゃが)振り返ることもないので、「今」は相変わらず「今」のままで、
過去も未来も存在しない(時間が止まっていなくても、存在するかどうか分からないがにゃ)。
とすると「今」は消滅するにゃ?
時間が止まっていなければ観察者であるはずの I も観察される X も止まった以降は、
観察することもされることもないにゃ。従って、そこには行動はない(ように思えるにゃ)。
しかし、そこには条件を考えることができるにゃ。
それは時間がその先(これも奇妙にゃ)ずっと止まっているならば、という条件にゃ。
仮に、また止まっていなくなった(動き出した)としたら、そこには「今」が相変わらず在って、
何事もなかったように物事は進んでいくだろうにゃ。しかし、この場合も「時間が止まった」ことは
誰も知らないし、実際止まったりはしていなかったと言いえるにゃ。
行動がある幅の時間内に成立するとすれば、
止まっていた間(これも可笑しいにゃ)には行動は存在し得なかった(過去ではないがにゃ)ことになるにゃ。
結局、時間がすべてにおいて(I においも X においても)止まるなら、止まらなかったことになるにゃ。
> さて、時間が止まった世界で行動はありますか? 行動の前に考えると、時間が止まった世界が存在しないにゃ。時間が止まらないというのではなくてにゃ、 止まっている間(これも可笑しいにゃ)は誰にも何にも把握されたり何らかの結果を持ち得ないので 時間が止まった世界は存在しないにゃ。故に、行動は存在しない!(と言い切りたくなるがチョットマテにゃ)。 上では、時間が止まった→観察するものも止まっているという順序が基本的了解としてあったにゃが、 仮にそうでなく、観察する行為がある → 時間が動く という関係だったとしたら、観察する行為が <<生じれば>>時間は依存するにゃ。この場合、時間を止めるとは観察者が一人もいない、 あるいはいかなる観察行為も存在しないということではないのかにゃ。そう書けば、ならば 観察行為は自発するものであろうという考えが生じるにゃ。しかし、行為が自発する、つまりは 生じるのであれば、無かったものが在るようになるのであり、無かった状態はどこに行ったのか? という問題が出てきてしまうだろうにゃ。それが「過去」に在ったといった途端に時間を想定してしまうにゃ。 というように、おそらく、時間が先か行為が先かという問題は無限ループになるだろうにゃ。数多ある 時間逆説のようにだにゃ。いわば、ゼノンの飛ぶ矢の中に我々がいるような話かもにゃ。
さて、次の場合にゃが、 > あなただけ、動いています。 ということは「あなた」は観察することもできるにゃ。そして、明らかに「あなた」<とともに>時間はあるだろうにゃ。 上でも考えたように、観察することができるなら、時間は存在し、そこで観察している者<について>も時間はあり、 にもかかわらず、その観察行為の対象 X <について>だけ時間がない、という設定をしているわけにゃ。 > さて、あなたの目の前で、固まっている人に行動はありますか? つまり、観察する側と観察される側の時間が異なるよりももっと驚くべきことにゃが、片方<について>だけ 時間がないということにゃ。これ自体がおそらく不可能だろうがにゃ(なぜなら、観察行為は観察されるものの 変化や存在を必要とするが、時間が止まった世界は存在しないから、この観察者は<無>を観察する、つまり 観察できないにゃ。<無>というモノがあるわけではないからにゃ。) ここまでは、上の場合と似てる視点で考えるとにゃ、そのまま、固まっているひと X <について>の時間が 止まっているということを想定しているわけにゃが、上で考えたように止まっていないようになった(動き出した)なら、 あたかも観察者にとっても X は一切止まることなく普通に動いていたことになるだろうにゃ。上で書いたように X <について> 時間が止まっているとき、 I は X を観察できないからにゃ。 この場合にも、時間が止まった→観察するものも止まっているという順序が基本的了解としてあったにゃが、 仮にそうでなく、観察する行為がある → 時間が動く という関係だったとしたら、どうなるかにゃ?X<について> 時間を止めることは不可能にゃ、観察者が観察しておるからにゃ。 要するに、時間は行動を規定するものではなく、また、行動も時間を規定できず、ただ、相依性として 行動があるときに時間があり、時間があるときに行動があるという、いわば相関関係のようなものだけが 可能なのにゃ。これは、おそらく、竜樹的時間論を、ワシが、問題に合わせて複雑にしたものにゃ。
と、今、食後に渋茶を啜りながら、いい加減に組み上げてみた話にゃが、おそらく、「ははは、そりゃ、 ここが勘違い!」みたいな点があるはずだろうにゃ。何か、面白いオチを聞かせてもらえるにゃ?
因みにワシはトラパ・マンじゃないからにゃ。
>> 今時間をとめてください。 >ということは、時間は「今」止まるのにゃ。これ自体にも問題はあるにゃ。 言語(哲)学的にもたいへん興味深いにゃ,にゃ?
お早いお着き、感動的にゃ。
>>664 > >> 今時間をとめてください。
> >ということは、時間は「今」止まるのにゃ。これ自体にも問題はあるにゃ。
> 言語(哲)学的にもたいへん興味深いにゃ,にゃ?
これは疑問文かにゃ?それとも、そうかもにゃ? かにゃ? かにゃかにゃかにゃか見つからない
どう興味深いかご教授いただけるかにゃ?
あのコかな、このコかな、あれ違うかな、かなかなかなか見つからないッ というのは誰の歌だったかにゃ? 二ール・セダカとか坂本九の時代だったかにゃ?口ずさんでおったがにゃ。忘れてしまったにゃ。
667 :
没個性化されたレス↓ :04/10/05 22:55:39
わかったようでわからない。 わかったことにしてしまえ。 そんなあいまいな人生。
>>626 > 時間軸でスライスしたら、行動は完全に環境になってしまいますね。
誰の行動かにもよりますか?スライスの幅にも?
他人の行動は環境だ、ボケ
off context
>>665 翻訳すると,「興味深いです,よね?」的付加疑問なのにゃw
「今時間を止める」と,「時間は(10分後ではなく)今止まる」,という推論がなりたつのはどうしてか,
ということにゃ
使役文における上位事象と下位事象の独立性に関わるのだけどにゃ,たとえば「XがYを止まらせる」と
「XがYを止める」はどちらも,「Yが止まる」という出来事をXが引き起こすという構造をとるにゃ
[ X CAUSE [ Y STOP ]]
この場合,CAUSEする時点とSTOPする時点が同時である必要があるかないかで差がでるにゃ
「今,列車を30分後に止まらせる」→30分後に止まるように今することが可能
「*今,列車を30分後に止める」→不可能
つまり,「止める」の場合は上位事象と下位事象が同時でなければならないのにゃが
(cf. >時間は「今」止まるのにゃ),どうして廻廊しゃんにはそれが分かったのか,に答えるのも
言語学の仕事なのにゃ
坂本Qといえば,新八犬伝だにゃ,俺の世代的にはにゃ
「閑話休題,本日これまで」にゃ
>>671 > 使役文における上位事象と下位事象の独立性に関わるのだけどにゃ,たとえば「XがYを止まらせる」と
> 「XがYを止める」はどちらも,「Yが止まる」という出来事をXが引き起こすという構造をとるにゃ
> [ X CAUSE [ Y STOP ]]
[ X STOP Y ] どうしてCAUSEを外に出したのだろうかにゃ?第一事象としては、
[ Y STOP ] とが同列で、X CAUSEは1桁上ではないのかにゃ?
>>671 > 坂本Qといえば,新八犬伝だにゃ,俺の世代的にはにゃ
> 「閑話休題,本日これまで」にゃ
そうであるのなら、ワシの方が、イタズラに齢を重ねたのだにゃ。
美輪明宏がまだ丸山で「誰も〜」とかを「夢で会いましょう」で歌ってたにゃ。
寅さんが毎回出ておってにゃ。
もっとも、その事象が、ワシにとって何時なのかはわからないままだがにゃ。
>X CAUSEは1桁上ではないのかにゃ そうしたつもりにゃが? つまり,他動詞stopは自動詞stopを使役化したもので,[ Y STOP ]という出来事をXがCAUSEする, 即ち,CAUSEの主語がXで補部が [ Y STOP ]にゃ ずれると思うにゃが,treeで示せば /\ X /\ CAUSE /\ Y STOP
したが、
>>630 原文には30分後は入っていないにゃ。それを入れることで違いが明確になるわけにゃ?
では、逆に、それがない原文のままの時には、そういう違いはない、とは言えないのかにゃ?
ボケ爺の言うことやから、そのつもりで聞いてくだされにゃ。
>>674 > >X CAUSEは1桁上ではないのかにゃ
> そうしたつもりにゃが?
> つまり,他動詞stopは自動詞stopを使役化したもので,[ Y STOP ]という出来事をXがCAUSEする,
> 即ち,CAUSEの主語がXで補部が [ Y STOP ]にゃ
> ずれると思うにゃが,treeで示せば
> /\
> X /\
> CAUSE /\
> Y STOP
ワシが教えてもらいたかったのは、だから、時間もずれるのかにゃ?ということにゃったのにゃが。
これ以降、ボケ爺との意味をなさない論議を、一般に、 にゃあにゃあ論議というようになったのにゃ、になりそうにゃが。。
もしももしもにゃが、CAUSEが入ると時間のダブつきを許容できるとするならばにゃ、 行動とその結果の間にも時間のダブつきが許容され、無時間的な、行動・結果ユニットは 存在し得ないことになるのだろうかにゃ・・・ふうむ、困ったにゃ。それはCAUSEだけの問題なのかにゃ。。
>それを入れることで違いが明確になるわけにゃ? にゃ.原則,上位事象と下位事象が同時である必要はないにゃ >それがない原文のままの時には、そういう違いはない 違いに気付きにくいにゃが,言われてみれば気付くわけにゃん? >だから、時間もずれるのかにゃ? 一般に上位事象と下位事象は同時とは限らんにゃ John caused Mary to die on Sunday by stabbing her on Friday. では,Maryが死んだのと,死ぬ原因をJohnが作ったのは同時ではないにゃ 同様に「XがYを止める」がx cause Y to stop の意にゃら,こういう 時間差が起きてもよさそうなのに,それはないと分かることが「興味深い」にゃ あんまし本スレと関係ないから,俺は本日これまでにゃ 失礼したにゃ,続きドゾー
今、レバーを30秒後に押す
今、レバーを30秒後に押させる 主語は違うにゃ・・・ 主語が2つで桁一つ上がり、かにゃあ・・
それが「わかる」というのは、この場合はどういうことだろうかにゃ??
>>679 > >それを入れることで違いが明確になるわけにゃ?
> にゃ.原則,上位事象と下位事象が同時である必要はないにゃ
間接性にゃ??
> >それがない原文のままの時には、そういう違いはない
> 違いに気付きにくいにゃが,言われてみれば気付くわけにゃん?
認識論的にゃ??
> >だから、時間もずれるのかにゃ?
> 一般に上位事象と下位事象は同時とは限らんにゃ
> John caused Mary to die on Sunday by stabbing her on Friday.
> では,Maryが死んだのと,死ぬ原因をJohnが作ったのは同時ではないにゃ
> 同様に「XがYを止める」がx cause Y to stop の意にゃら,こういう
> 時間差が起きてもよさそうなのに,それはないと分かることが「興味深い」にゃ
ふうふむにゃ。
> あんまし本スレと関係ないから,俺は本日これまでにゃ
> 失礼したにゃ,続きドゾー
いや、いい刺激になって、勝手にもう続けとるにゃ。サンクスにゃ。
??は自問自答にゃ(自答のまだない)。
>>679 > にゃ.原則,上位事象と下位事象が同時である必要はないにゃ
> 一般に上位事象と下位事象は同時とは限らんにゃ
それはわかっとるつもりにゃが。それでも、事象に上位下位が区別されるときには
時間のずれが許容されるのだにゃ。上位下位という本来なら無時間であっても
よさそうなレベルの区別に、いつの間にか時間が入り込んでもワシらは当然と感じる
何かを持っとるわけかにゃ??ふううむ、これは興味深深にゃ。
にゃ?
顔文字しぇんしぇいのおかげで、スレが膨らんだにゃ。嬉しいにゃ。
>>671 >
>>665 > 翻訳すると,「興味深いです,よね?」的付加疑問なのにゃw
ネスパ ネスパ? ね?
むにゃ?その場合にも時間が入ってもいいことになるにゃ??ふううむ、ふううむにゃ。ボノボノ風?
階層が上がるだけではダメで、やはりCAUSEでなければいかんのかにゃ。また、ゆっくり考えてみるにゃ。
自問自答も泣く子にゃ勝てぬ・・誰か、そこで、CAUSEは志向性的ですか?って 聞いてくれると面白いのだがにゃ。それは、また、別の機会の問題かもにゃあ。 偽問題です!かにゃあ。使役というのは実体があるにゃ??とかだがにゃ。
因果知覚が言語に入り込む?
にゃにゃ!それも竜樹に聞いてみるかにゃ。
Q1今時間をとめてください。
さて、時間が止まった世界で行動はありますか?
Q2あなただけ、動いています。
さて、あなたの目の前で、固まっている人に行動はありますか?
ウミネコさんの答(理解できているとは思えませんが)を使って、私なりの考えてみました。
行動ってのは、運動に含まれる。(どうしてこのような考えを私は持っているのでしょうか。
私の概念の発祥は、なぞだらけです。そうそう、ウミネコ廻廊さんの行動の定義って、どこかに書いてありましたっけ?)。
運動は物質の位置が時間と共に変わること。
運動からを時間の流れを抜いたら、物質の位置しかのこらない。
物質の位置だけでは、運動ではない。同様に、運動に含まれないものは、行動でもない。
時間の流れがなければ、行動はない。時間の流れがない行動は、ありえない。
これにより、Q1のこたえは、時間が止まった世界では、行動はない。
Q2も同様に、時間の流れのない世界の目の人には、行動はない。
では、私には、その人はどのように見えるか、
時間が止まっている世界から光が目に飛び込んでくることなんて
ない。つまり、その人の世界から獲られるものはなく、その人の世界は、私にとって無である。
疑惑の発言に逝きましょう
>>626 「時間軸でスライスしたら、行動は完全に環境になってしまいますね。」
この発言のとき、私の中にあった考えは
「時間がない行動は、なんなのかない。それは環境である。物質の位置だけならば、環境とするしかない。」
というものでした。
しかし、この「物質の位置だけならば、環境とするしかない」という考えは
かなり頓珍漢です。自分でもフォローする言葉が浮かびません。。。
694 :
没個性化されたレス↓ :04/10/06 01:15:32
竜樹って何だ、くたばりぞこない。
>>693 > ウミネコさんの答(理解できているとは思えませんが)を使って、私なりの考えてみました。
うみねこさんは、ほれ、すぐそこにゃ。夜遅くまで起きとる仲間らしいにゃ。ワシは怪老だそうでにゃ。。
> 行動ってのは、運動に含まれる。(どうしてこのような考えを私は持っているのでしょうか。
> 私の概念の発祥は、なぞだらけです。そうそう、ウミネコ廻廊さんの行動の定義って、どこかに書いてありましたっけ?)。
書いておらんと思うにゃ。それが最後の問題かと思っておるでにゃ。定義は実は後から来る、というのがワシの行動論にゃ。
運動というのはちょっと気になるにゃが、今は、それで行くかにゃ。物も含めて運動として考え直すのもいいかもにゃ。
> 運動は物質の位置が時間と共に変わること。
> 運動からを時間の流れを抜いたら、物質の位置しかのこらない。
> 物質の位置だけでは、運動ではない。同様に、運動に含まれないものは、行動でもない。
> 時間の流れがなければ、行動はない。時間の流れがない行動は、ありえない。
> これにより、Q1のこたえは、時間が止まった世界では、行動はない。
> Q2も同様に、時間の流れのない世界の目の人には、行動はない。
> では、私には、その人はどのように見えるか、
> 時間が止まっている世界から光が目に飛び込んでくることなんて
> ない。つまり、その人の世界から獲られるものはなく、その人の世界は、私にとって無である。
まぁ、そんなとこかもにゃ。うまいにゃ。しかし、
> 時間の流れがなければ、行動はない。時間の流れがない行動は、ありえない。
これは同語反復に聞こえるにゃが、違うにゃ?現時点で、と、可能性にゃ?
いずれにしても、その辺りがワシのとは異なっとるような気がするにゃが。
> しかし、この「物質の位置だけならば、環境とするしかない」という考えは
> かなり頓珍漢です。自分でもフォローする言葉が浮かびません。。。
この場合の環境は無時間環境だにゃ?ワシが気になるのはにゃ、そういうものは
上の論議でも触れたがにゃ、本当は無いのではないか、という点かにゃ。
>>695 >> 時間の流れがなければ、行動はない。時間の流れがない行動は、ありえない。
>これは同語反復に聞こえるにゃが、違うにゃ?
不要な繰り返しでした。
>現時点で、と、可能性にゃ?
どういう意味なのでしょうか?
>ワシが気になるのはにゃ、そういうものは
>上の論議でも触れたがにゃ、本当は無いのではないか、という点かにゃ。
そうなると、行動の定義に時間を含める必要はないということになりましょうか?
さてさて、ずっと、気になっているのですが、ウミネコ廻廊さんは、昨晩、何を悟られたのですか?
>>696 なほうどりハンドルは止めかにゃ?
>
>>695 > >> 時間の流れがなければ、行動はない。時間の流れがない行動は、ありえない。
> >これは同語反復に聞こえるにゃが、違うにゃ?
> 不要な繰り返しでした。
であるならばにゃ、
> >現時点で、と、可能性にゃ?
は削除していいにゃ。「ない」「ありえない」という反復が何かを意味しとることが、比較的
多い人かにゃと思っただけにゃ。環境と状況のようにだにゃ。
> >ワシが気になるのはにゃ、そういうものは
> >上の論議でも触れたがにゃ、本当は無いのではないか、という点かにゃ。
> そうなると、行動の定義に時間を含める必要はないということになりましょうか?
にゃにゃ、そう言うつもりはないにゃ。
>>626 > 時間軸でスライスしたら、行動は完全に環境になってしまいますね。
ということの続きで、
> 「時間がない行動は、なんなのかない。それは環境である。物質の位置だけならば、環境とするしかない。」
が出てきたので、それならば、時間よ止まれ!をした時の環境のことかなと思ったにゃ。だから
行動と時間を無関係だというような話とは関係がなかったはずにゃが。
> さてさて、ずっと、気になっているのですが、ウミネコ廻廊さんは、昨晩、何を悟られたのですか?
にぇと、特に何もないにゃ。笑い虫が取り付いたのにゃ。躁病みたいなものにゃ。あるいは、<無>を悟ったにゃ。
つまり、何も悟っていないにゃ。忘れてくだされにゃ。むにゃむにゃ、そろそろオネムかもにゃ。。
>>697 >なほうどりハンドルは止めかにゃ?
気に入っています。
>>693 > 「時間がない行動は、なんなのかない。それは環境である。物質の位置だけならば、環境とするしかない。」
奇妙な文のままでの引用を見ることは辛いのですね、ここで訂正しておきます。
「時間がない行動は、なんなのかない」は、「[時間がない行動]なんかない。」です。
「時間軸でスライスしたら」というのは、時間軸のない3次元であったらという意味だったんですが、説明が足りなすぎますね。。。
>時間よ止まれ!をした時の環境のことかな
そうです。
>むにゃむにゃ、そろそろオネムかもにゃ。。
’▽’)ノシ<おやすみなさい。すばらしい夢を見てください。
了解にゃ!ハンドルは無理強いしてはいないにゃ。人それぞれ自由にゃと。 なほうどり 改め ナホウドリしゃんもにゃ(^^) -- ナンにゃ、若者のメール交換みたいだにゃ。 ではでは、にゃ。
なおお
何が竜樹だ。シュレデインガーとブラックホールと相対性理論子ども版じゃねえか
コントロール・パネルの「時間」を開けて、 「小刻みに」か「なし」を選択してください。 あとは自動的にもとに戻ります。
訂正 「時間」じゃなくて「時計」の間違い
でも、それだとアニメが動かなくなっちゃうんですけど。
れれ、そうか?とまるのはシステムだけのはずなんだけど。
何GHz?
8
あんまり早すぎると、コンパネの設定誤動作するのかも。
わ、設定がもとに戻せなくなっちゃった!
操作の不可逆性が時間なの?
ちゃうて、時計はもとにもどせるよ
年齢なんてアテになるもんか
いい初秋の、明るい陽射しだわ。時の経過を感じる季節。
ちょっと前のことですけど、
廻廊おじさまが知りたがってたこと:
>>471 > つまり、英語では不適当文だと思うがにゃ、
> I am living.
> ではなくてにゃ、ただ、
> living
> か、あるいは、
> living at I
> にゃ。atの後だからmeだろ!とは言わんで欲しいのにゃが。。。
> 逃走派しゃんの書かれておったλ関数では、このatはどうすれば表現できるのだろうにゃ?
>
>>366 >>368 で、 「行動Bが有機体Aにおいて自発する」と書いたような場合にゃが。
> 私においてパンを食べる eating bread at I
> の場合にゃ。一般に場所を表わす副詞句はどうなのかでもいいがにゃ。
というのと、昨夜の「上位事象・下位事象と時間の問題」とは、何だか関係するみたい?
たぶん、副詞(句)は、ある動作事象と同レベルで別の、あるいは、一つ上のレベルで
動作事象を<形容する>ものとして扱われるんじゃなかったかしら(古い?)
こういう構造化では、いつも、<動>が<静と>して定式化されるような気がします。
これは、項数が基本的に2だということから来る限界なのかしら?それとも、もっと
他の理由があるのかしら?
個にゃんこ的にはね、こんな印象がありますわ:
副詞は現在進行する動作への言及だけど、形容詞は動作完了した事象
(いわば、ナホウドリさんの提起された、固まった)への言及になるのが普通だから、
その2つの扱いは違う。それをなんとかしなければいけなかったのじゃないかしら?
?
え?また?弱っちゃうなぁ。。 多分、このことだと思うのだけど: > その2つの扱いは違う。それをなんとかしなければいけなかったのじゃないかしら? 文法家さんたちも、普通の人もよ。だって、結局、言語媒介ですもの。 認識の限界は自分も引き受けなければいけないんじゃない?
?
こっちも、?
顔文字先生 その節は失礼いたしまいた。ぺこり。
>>674 > ずれると思うにゃが,treeで示せば
> /\
> X /\
> CAUSE /\
> Y STOP
ポケ猫頭で急に気になったのだけど、こういう構造の表記の仕方(再帰的リスト?)って
○ ○
/\ /\
動作 物事 主語 動作
だったりするのだけど、○はただのノードですよね?とても便利なポインタ結合の道具。
でも一番上のレベルの○は何か意味があるのかしら?
あれれ、○がずれちゃた。三角形の頂点にあると思って見てくださいませ。
>副詞は現在進行する動作への言及だけど、形容詞は動作完了した事象 たとえば John came home safely. (安全な方法で帰宅した) John came home safe. (帰宅したので今や安全であった) のような違いがあるにゃ 副詞は動作自体の様態,形容詞はその動作の結果としての状態を表しておるにゃ
わぁ、速い!
>>723 > John came home safely. (安全な方法で帰宅した)
> John came home safe. (帰宅したので今や安全であった)
すっごく納得!
> 副詞は動作自体の様態,形容詞はその動作の結果としての状態を表しておるにゃ
このとき、再帰リストでは違いがないんですか?
>○はただのノード つーか,構成素どうしが結合してできる新しいまとまりにゃん 句構造規則でいえば S → NP VP (文Sは主語であるNPと述部であるVPに書き換えられる) というのは,名詞句NPと動詞句VPをくっつけて文をつくるということに等しいにゃ >一番上のレベルの○ は文全体にあたるにゃ
丁寧なご教示感謝しまあす。
>>725 > >一番上のレベルの○
> は文全体にあたるにゃ
文全体か。。 またまた素人質問しちゃいますけど、こういう構造って、あ、
今、聞かないほうがいいかな。でも、やっぱり、止まれない。。
こういう構造で、会話を表記した例ってあるわけですよね?あるいは、
文がいくつかあるような場合です。
当たり前だにゃ、ってことでしたら無視してくださいな。
>>723 > John came home safely. (安全な方法で帰宅した)
> John came home safe. (帰宅したので今や安全であった)
この美しい例は現在形でも同じことですか?
John comes home safely. (安全な方法で帰宅する)
John comes home safe. (帰宅するので今や?安全である)
>>725 > 副詞は動作自体の様態,形容詞はその動作の結果としての状態を表しておるに
さすがに最小限の言葉で的確に表現されますね。
しかし、
> >一番上のレベルの○
> は文全体にあたるにゃ
単文レベルを一番上のノードとしてしまう辺りが言語学のひとつの限界という
気もします。
> John came home safe. (帰宅したので今や安全であった) safeの前に前置詞が足りないような気がする・・・
>こういう構造で、会話を表記した例 文全体といったのは,1つの文の全体ということにゃが,会話(とゆーより談話かにゃ) はそういった文がさらに集まったもんだにゃ 文どうしがどうくっついているのかと,1つの文内の構成素どうしがどうくっついているのか になんらかの類似点があるのかも知れんにゃが,それほど形式的な議論はできないだろうにゃー たとえばにゃ,1つの文内で, A, because B というのと Because B, Aというのがあるにゃん 原因と結果のどっちを先に言うかの選択にゃが,談話レベルでも,同じような自由度があるにゃ 談話レベルの構造は「情報構造」として語るほうがすっきるするけどにゃ
>>730 > 文どうしがどうくっついているのかと,1つの文内の構成素どうしがどうくっついているのか
> になんらかの類似点があるのかも知れんにゃが,それほど形式的な議論はできないだろうにゃー
> 談話レベルの構造は「情報構造」として語るほうがすっきるするけどにゃ
なるほど
>現在形 副詞・形容詞の違いは同じにゃが,現在時制だと習慣的に解釈しないと意味的におちつかにゃい >単文レベルを一番上のノードとしてしまう辺りが言語学のひとつの限界 言語学といってもいろいろあって,談話レベルの分析もちゃんとやっておるにゃ 生成は文レベルの文法にゃが,それさえやればよいというものではないのにゃ
はじめまして、うみねこさん。
>>728 >
>>725 > > 副詞は動作自体の様態,形容詞はその動作の結果としての状態を表しておるに
> さすがに最小限の言葉で的確に表現されますね。
そうよね。尊敬しちゃう。でも、様態と結果って、すごく心理学的だわ。ただ、
顔文字先生のは、ちゃんと時間をぬいているみたい。
> しかし、
> > >一番上のレベルの○
> > は文全体にあたるにゃ
> 単文レベルを一番上のノードとしてしまう辺りが言語学のひとつの限界という
> 気もします。
言語学の限界じゃないと私は思うけどな。
>>731 わかりました。
>safeの前に前置詞が足りない ( ゚Д゚)ハァ?
私のバージョンはこれだったわけ: > 個にゃんこ的にはね、こんな印象がありますわ: > 副詞は現在進行する動作への言及だけど、形容詞は動作完了した事象 > (いわば、ナホウドリさんの提起された、固まった)への言及になるのが普通だから、 顔文字先生のはこれ: > > 副詞は動作自体の様態,形容詞はその動作の結果としての状態を表しておるに > John came home safe. (帰宅したので今や安全であった) safeの前には普通はいらないんじゃないかしら。 でも、こういう表現て分かりやすいのだけど、どこか口語的というか。。
>>734 > >safeの前に前置詞が足りない
> ( ゚Д゚)ハァ?
翻訳者が言語学者に笑われてもた・・・
しかし、
>>735 も指摘するように、なにか口語的というか、ね・・・
>帰宅したので今や安全であった
違いが分かるように回りくどく訳したんだけどにゃ
フツーは「無事帰宅した」でいいのにゃが,それは帰宅の方法が無事なものであった
(制限速度守って運転したとか)といってるのではなく,帰宅した時,無事な状態で
あったということを表す点でsafelyと違うにゃ
>>716 > living at I
> 私においてパンを食べる eating bread at I
これも言語学的に興味深い見方にゃ,また後でなんか書くにゃ
>>724 > > 副詞は動作自体の様態,形容詞はその動作の結果としての状態を表しておるにゃ
> このとき、再帰リストでは違いがないんですか?
構造のつもり。
>>727 > この美しい例は現在形でも同じことですか?
> John comes home safely. (安全な方法で帰宅する)
> John comes home safe. (帰宅するので今や?安全である)
つまり、再帰リストでは時間は、<一般的に>どう扱われるのかが知りたくて。。
>>736 > しかし、
>>735 も指摘するように、なにか口語的というか、ね・・・
なんなのでしょうかしら?そのフィーリング?
John leaves the window open.
すんまへん。前置詞+safeという用法はないみたいね・・・
>
>>716 > > living at I
> > 私においてパンを食べる eating bread at I
> これも言語学的に興味深い見方にゃ,また後でなんか書くにゃ
超期待ですわ!
つーか,フランス語の達者なチシャしゃんなら思い当たるフシないかにゃー? ヒントはfaireにゃ,にゃ?
>>739 > すんまへん。前置詞+safeという用法はないみたいね・・・
fromみたいな前置詞はどなのかしら?とつまらないこと思ってしまう私。
このsafeは形容詞?副詞?
>>742 > つーか,フランス語の達者なチシャしゃんなら思い当たるフシないかにゃー?
> ヒントはfaireにゃ,にゃ?
CAUSE的なのじゃなくてですか?
なんか、もはや心理学板の話題ではないね・・・
>>740 後に続くレスがついたら考えます(笑)
Comme vous voila fait! って言われそうだから、私も勉強してみます。 実際、Comme vous voila fait! だわね。。うふ。
>>745 Cela fera mon affaire. Mais, mais, si, si...
あは、se?
それでまた、BB論争かしらぁ。 あんまり、こればかりやってると廻廊おじさまにクシャかな?
>>737 > >帰宅したので今や安全であった
> 違いが分かるように回りくどく訳したんだけどにゃ
> フツーは「無事帰宅した」でいいのにゃが,それは帰宅の方法が無事なものであった
> (制限速度守って運転したとか)といってるのではなく,
分かってると思うんだけど。だって、<結果>の重みこそ、次の最大のテーマだから。
> 帰宅した時,無事な状態で
> あったということを表す点でsafelyと違うにゃ
with being safeなのかしら?
す、すかす、なんだ、これ?
754 :
没個性化されたレス↓ :04/10/06 19:55:05
>1 生態学的リアリティって、 マルシンド先生の創った用語だね 質的進化論に書いてるよ
thank the robot and knock it
topological robot?
>>754 スレをざっと目を通してもよく分からないんだけど、
マルシンド氏の生態学的リアリティとは要するにどういうこと?
アフォーダンスと関係ありそうだけど。
茂木氏は「脳と仮想」で複数の感覚モダリティが一致することをもって 我々はリアリティを感じるのだというようなことを書いているが、 それとの関係は?
276 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:04/10/01(金) 22:59:59 ここ自体は誰が立てたスレかわからないのですが、 生態学的リアリティーというのは、ギブソン的な世界の捉え方では、 世界と有機体の間に、余分な変換や再構成がないとも言えるので、 それならば、リアルだということか、と。 277 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:04/10/01(金) 23:02:01 つまりは、生態学的というのは、有機体が世界の中にいるのであって、 世界を感受したり、認識したりしているのではないということでしょうかね。 319 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:04/10/02(土) 00:57:15 つまりだな、自分がヤッテルのと、五感だかなんだか知らんが、 見てる外界の他者がヤッテルのとに同様に反応するということはだな、 それが回路的に反応している可能性は捨てきれないが、 内と外の境界は崩れたということだ。 325 名前:ウミネコの廻廊[sage] 投稿日:04/10/02(土) 01:27:54 > 外界の情報が、そのままの状態で認識されることはありません > 事実を一度五感に分解して脳に取り込み、神経系で処理できる要素だけをもう一度再構成するのです > その再構成されたもののうち、意識化されるものがイリュージョンです この話が古いというのはにゃ、例えば、物体Aが運動しとるとき、このような分解・再構成説をとるならにゃ、 Aの色、形、運動軌跡、その他が分離知覚されて、脳の中で再構成されてAが動いたと分かるという ことになるんかにゃ。しかし、マッハではないにゃが、運動だけとっても相対的で(見ている者の身体 と相対的で)にゃ、そこには、見ている者の位置や別の運動の情報もあるはずにゃ。これらの 情報がすべて別経路で脳に到達してそこで総合されると言うことになるわけにゃ。 しかし、そうでもなさそうだとする仕事は増えているにゃ。既に、それぞれの経路を伝わる情報が あらかじめ、見る側の情報をコードしておったとしたらにゃ、それは、もはや別々ではないとも 考えられるからにゃ。まぁ、ワシは大脳生理学なんチャラには弱いのでいい加減なこと言っとるわけ だがにゃ。
>>758 一致するという考え方は、ギブソン的ではないと思いますが。
では、マルシンド氏の生態学的リアリティについての解説を待ちましょう。どなたか?
561 名前:没個性化されたレス↓[] 投稿日:04/09/08(水) 15:30
なんだ?
真昼のチシャ猫?
ついでだから菊が、心理学ってなんだ?
562 名前:真昼のチシャ猫[sage] 投稿日:04/09/08(水) 15:39
心理学が何か?そんな難しいこと全くわからない。教えてくれる?
563 名前:没個性化されたレス↓[] 投稿日:04/09/08(水) 15:43
わからなくてもいいから、答えろ
心理学ってナニダと思うのか?
565 名前:真昼のチシャ猫[sage] 投稿日:04/09/08(水) 15:46
こわいのねぇー。でも、こういうタッチもいいかも。
心理学=ナニダ じゃないとは思うけど。そうだな。。
世界に触る学問
ていうので、当座、堪忍して。あなたのナニはどんなの?
567 名前:没個性化されたレス↓[] 投稿日:04/09/08(水) 15:50
本気か?
おいらのナニに興味があるのか?
暴れん坊将軍のマツケン様だ。
569 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:04/09/08(水) 15:52
ナニに触る学問
570 名前:真昼のチシャ猫[sage] 投稿日:04/09/08(水) 15:53
>>567 やだ。ぽッ。私のはネコよ。口だけ残るの。
それから、生成文法総合スレ <12> で、チシャ猫が(´∀`)に遊んでもらった中でも、「世界に触る」が出てきた: 14 名前:真昼のクシャ猫[sage] 投稿日:04/09/13(月) 23:08:18 > 人間の場合は、ある程度言語を通して世界を知覚しており言語はまずもって感覚器官である、と思うのにゃが そうですね、言語は人間にとって世界を知る感覚器官であると言っていい。言葉抜きにして 人間的な認識は一つも可能にはならないのかもしれない。しかも、言葉は人間にとって効果器ですらある。 赤ちゃんが世界を触る触り方に言葉を受け容れる原形・土壌があるのだと、今のところ私は思う。 あるいは、人類最初の言語使用者は、世界を直に触るところから、そうでないところにジャンプした。 赤ちゃんは世界に触っているか?そう、難しい問題ね。触る主体もできていないのに、「誰々が何かに触る」 なんて当人には考えられないし。でも、それを見ている誰かが言うのよ:「ああ、触った触った」って。そして そういう言葉がミームじゃないけど子どもの中で育つようになる。種を撒いたのは言葉のある世界のほう。 私はそんなふうにイメージするし、考える。私も赤ちゃんも世界に触っているのに、言葉が間に挟まって 邪魔している。そういうふうにさえ思うことがある。だから、言葉が最初からあるなんて地獄みたいだとも。 「私は知覚する」と言うべきではない「私は、私において他者が知覚する」と言うべきだ。 −−めるろぽんてぃ 15 名前:(´∀`)[] 投稿日:04/09/14(火) 03:39:44 >「世界に触る学問」 見方によってはすべての学問は俺らの世界との関わり合いの上に成り立つもんにゃから、別に心理学だけを そう呼ぶ必要もないと思うにゃ。チョムは物理的とか化学的とか心理的とか言語的とか、全部世界の諸相を 暫定的にそう呼んでるだけだと言うけどにゃ。 >言葉を覚えてしまったアイの世界は変わってしまったでしょうか 言語相対性的なこと言うと、言語によって世界をある一定の方法で切り取るわけにゃから、新しい切り取り方、 概念化ができるようになったのかも知れんにゃが、アイがほんとに「言葉を覚えた」といえるのかどうか、 ギブソンを問題にする意味はありそうだが・・
要するに、まだ、マルシンド理論とギブソンはそれほど話し合われていない。 といったところらしいな。
>>754 > 質的進化論に書いてるよ
とはナニだ?
うみねこはこういう経緯についてどう思う?
オゲヒンネタを今頃持ち出さないでほしいなぁ。でも、そのおかげで生成に迷い込まされて とてもいい勉強になったのを考えると、よかったのかもしれないわ。 うみねこさんは、ギブソンや茂木『脳と仮想』については、どういう意見をお持ちなのかしら?
前スレ 行動主義者の脳と臨床心理士の心 にも関連するものがあるが、これ一例な。
660 名前:没個性化されたレス↓[] 投稿日:04/09/25(土) 19:40:53
>>652 脳が世界の構造を写す鏡だとしても、そのまま写せるとは限るまいな。
大雑把な進化論は、そういう複雑な世界へ適応することではなく、
突然生じた非従来的なものが結果的に適応的だったので生き延びたということか。
だが、そこには特に世界の構造を写すということは必要ではない。
ただ、非従来的なものの突発が結果として適応的だったという論理だけしかない。
もっと重要なことは、間違いなく世界を写せるかということ。
そこには失敗や、どうしても写せないような制限があるだろう。だから、
世界のコピーを脳が保持することはそんなに重要ではないのだ。
むしろ、写せない状態でも適応が起こることが大切だな。
703 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:04/09/25(土) 21:13:54
世界認識もその担い手たる言語も再帰性を持っているとして、
一体全体、そのどこから、主体という感覚が生じるのかは、ワシも関心あるにゃ。
前スレ 行動主義者の脳と臨床心理士の心 にも関連するものがあるが、これ二例めな。
715 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:04/09/26(日) 11:13:34
世界を縮約するという試みは古くからあったが、
詩的な香りを漂わせながら近代的な挑戦をしたのはウィトゲンシュタインだった。
しかし、彼はその前期で挫折。
>>651 ではないが、数体系のなかで似た試みを展開したゲーデルは
縮約の限界にたどり着いて(というか可能な限りの縮約によって)
縮約の破綻を決定付けてしまった。
世界を、その微小な部分に過ぎない個体の脳が縮約できるなどとは
二人とも全く考えもしなかっただろう。すべての集合を再帰的に含む
全体集合を、その小さな部分集合に縮約できるはずもない。
それは宇宙をその卵に戻せると思うようなものだ。
二人の挫折が新しい理解を予想させるだろうか。二人は形こそ違え、
言語に執着したのは何故だったのか?
以上、コピペ・マン、疲労しました。。
今夜は爺のほうのにゃーにゃーウミネコは出ないのか?
廻廊おじさまは、高血圧でダウンしてるとか。。。
『人はなぜ〜』の著者は某大学院で「人口無能論」というのをやってた形跡があるが、 うみねこの仲間か?
ににゃにゃにゃ、なんだか複雑な展開になとるにゃー。
>>772 これこれ、チシャ猫しゃん、ワシを勝手に殺さんでくれにゃあ。参るにゃ。にゃはははははは。
しかし、当たらんと言えども遠からじ、でにゃ、今まで、酒かっくらって来たもんでニャ。久々に呑みすぎかもにゃー。どうも現実の人間どもは生臭くっていかんにゃー。
なもんで、長続きせんと思うがにゃー、
>>749 > それでまた、BB論争かしらぁ。
> あんまり、こればかりやってると廻廊おじさまにクシャかな?
ワシはかまへんでーがにゃにゃ。おおいにやってもらえると嬉しいにゃー。特に、
>>737 > > living at I
> > 私においてパンを食べる eating bread at I
> これも言語学的に興味深い見方にゃ,また後でなんか書くにゃ
については、宜しくおねがいすあすにゃ、顔文字しえんしえう¥い。でもって、なんやろ?と思ってにゃ、faire と se で検索したら、にゃんと、
サルトルの実存主義にぶつかってしむたにゃ、ええとにゃ
en faisant se faire 成すによって自らを成す 作るによって自らを作る
かにゃ。異様に、竜樹に似とってからに、びっくりしたにゃー。自己生成かにゃ、これ?
んから、
>>761 > では、マルシンド氏の生態学的リアリティについての解説を待ちましょう。どなたか?
たのんますにゃ。ワシも前から知りたいと思っとったにゃが、だあれも教えてくれないよーにゃあ。他になんかあったにゃ?ああ、コピペありがとにゃ。歴史過剰にゃがにゃー。にゃはははあ。
うぷっ・・
oo,sounya んにゃ?言い忘れとったがにゃ、アフォーダンスについてはスレがあるにゃら。 ワシとしてはにゃ、ギブソンもスキナーも、んで、おそらくチョムスキーも、似たところを持っとったと思ってるにゃ。 どういうところかというとにゃー、いずれも、世界に何か重要なルールやら仕組みやらあってにゃ、 生き物の方はそりゃあを汲み取って(と言うてもにゃ、脳内コピーでは能ないがにゃ)生きとるという雰囲気から出発しとるにゃ。 それがしばらくするとお、世界と生き物の接点にゃあに関心が移っとる気がするわけにゃー。にゃ?チョムスキー先生は違うかにゃ。 んでもいってにゃ、ワシはその接点ちゅーか接面ちゅうかに、アナロジーや上位・下位事象のズレにゃあたら、んから、 自己再帰たらがにゃ、たあらたらカンドルとも思ってるにゃ。だからにゃー、それ、生態学的とかとにゃ,nnnya, その、 se faireだかにゃ ともエライつなガットると思っっとるわけでにゃぁ、その、つまり、そこんとこいが大切にゃと思うのにゃ。したが、 漠然と言うとるばかりじゃにゃ、ニッチもサッチモ、トランペットもふけんもんじゃから、計算できるようにゃレベルでにゃあ、 考えられるようにせにゃいかんおにゃないかということなのにゃ。分かってくれるかにゃー。でもって、うぷっ また、明日にすryにゃあが。ぼうえにゃ・すえぃにゃあ、や。
778 :
没個性化されたレス↓ :04/10/07 02:19:58
アル中あげ
行動分析は質的研究である に関係ありそうなのがあったぞ。
224 名前:バカのカバ[] 投稿日:04/08/04(水) 22:01
>>214 >>215 見る側の志向性を離れた「本質」とは何か?そんなもんありか?
見る行為はいつも何らかの状況に埋め込まれているから、そこを離れるなんざ神話神話。
はるか、プラトンのイデェの世界やな。
225 名前:没個性化されたレス↓[sage] 投稿日:04/08/04(水) 22:02
猫タソ、ひさびぶりだなぁ
780 :
rgrgrg :04/10/07 10:22:39
fgffbf
ロゴかよ?
LOGOって言えば、あのグラフィック・カーソルの亀(タートル)も、 ある環境を歩き回る生き物だよな。亀に環境内の物を知覚する 機能を持たせたようなゲーム(ロボットをプログラムする)があったよな。 そういうのと、生き物とでは、知覚の仕組みは違うのかな?
>>782 面白そうね、それ。そのソフト自体を知らないから、よくわからないけど、
知覚を感覚とする(物の存在や特性をセンスする)
知覚をもっと能動的なものとして扱う(世界に触ってつかむ)
にするかで大きく違うような気がします。
>>775 >>777 なんだか、廻廊おじさん、壊れてるみたいですよ。それでも、さすがに言いたいことは
言っているみたいだけど。長生きしたかったらお酒は控えめに、ね。
>>775 > サルトルの実存主義にぶつかってしむたにゃ、ええとにゃ
> en faisant se faire 成すによって自らを成す 作るによって自らを作る
> かにゃ。異様に、竜樹に似とってからに、びっくりしたにゃー。自己生成かにゃ、これ?
へえへえへえへえ、ね。
se faireが顔文字先生の答えかどうかわからないけど、英語のhaveみたいな使い方?
ちょっと心理学的かなという例文を見つけたので引いておきますね。
Un bruit se fit entendre. 音が聞こえた。
音にオイテ、聞くことが、生じた(なされた?) とでも無理やり訳すと、ちょっと興味そそられる。
自己ふぉろー。 > 知覚を感覚とする(物の存在や特性をセンスする) > 知覚をもっと能動的なものとして扱う(世界に触ってつかむ) 環境内に在って(つまり環境の外から見ているのではなく)動き回るのだから、 物体との位置関係は刻々と変わるわけでしょ。そういう位置関係の 表現の仕方って、幾つも幾種類もあるでしょう? こういうふうに簡単化して、ギブソンの生態学的リアリティって考えていけないかしら?
もう一つあるわ: 物体と生き物の位置座標を局所的にするか広域的にするか? 生き物を原点(0, 0)とするのか、別のところに世界の原点があるのか? とかよね。
世界原点座標値と生き物原点座標を変換するのかしら?生き物は? それとも、生き物には世界原点座標なんて関係ないの? 例えば、チョムスキー、ギブソン、スキナーの考え方はどうなのかしら?
>>779 > 見る行為はいつも何らかの状況に埋め込まれているから、そこを離れるなんざ神話神話。
という懐かしいカバさんの「埋め込まれている」ってどういうことなのかなぁ?
もう、おフランス、たくさん。日本語でやってくれ
あららじゃ、最後に一つだけ: 私、フランス語の生成文法的な本て知らないんだけど、 例えば、 Un bruit se fit entendre. なんかは、リスト構造で示すとどうなるのかしら?itselfと同じ扱い?
カバはいないのか?もぐってるなら出て来いよ
>Un bruit se fit entendre. これにゃんかも実に生成文法的なトピックなのにゃが,ここで言語学のハナシ 続けるのもどうかと思うので,レスはしばらく控えるにゃ かわりにといってはなんにゃが,似たような例文過去ログから拾ってきたのでドゾー 653 :(´∀`) :04/02/28 03:33 英語では The glass breaks easily./*The mountain sees easily. みたいに、表層主語がaffected argumentである、 または事象構造的にdelimiterになっている場合だけ中間構文が可能であるということはよく知られているにゃ。 他方、フランス語の中間構文にはこのようなaffectedness constraintはかからないことも知られているにゃ。 La Tour Eiffel se voit facilement de ma fenetre. '*The Eiffel Tower sees easily from my window.'
>>792 > >Un bruit se fit entendre.
> これにゃんかも実に生成文法的なトピックなのにゃが,ここで言語学のハナシ
> 続けるのもどうかと思うので,レスはしばらく控えるにゃ
そうですか。。。
では、また、私の方から出向いて教えを乞えばいいでしょうか?
そうなると今度は、生成スレの方たちにご迷惑ですから、困ったな。
ちょっと考えます。
> かわりにといってはなんにゃが,似たような例文過去ログから拾ってきたのでドゾー
ありがとうございました。se faire以外にも、seをとるものも多いし、また、se以外にも
似たような機能的位置を持つものもたくさんありますよね。しかも、たいてい、
短い語。
では、また、宜しく。びあんと(心)
隠れ参加はどうなるのかな?
あはちしまかよふちとりのなく聲に いくよねさめぬすまのせきもり
にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー
にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー
にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー
?
阿呆鳥、置いていかれとるで〜
廻廊翁は今夜も飲んだくれとるのかにゃ 他に書き込みないのにゃら,ちょっとだけ書いとくにゃ > > living at I > > 私においてパンを食べる eating bread at I ある行為自体と,その行為を行う者(→これは行為者Agentという意味的概念であって, 主語という文法関係とは別物なのにゃが)は構造的に切り離されるべきであり, 行為者抜きの行為自体がまずある,というのが廻廊翁のもともとの論点ではなかったかと 思うのにゃが,生成ではまさにそういう分析がとられとるにゃ 簡単なのでいうと John broke the window というのは,「窓が割れる」という事象とJohnがそれを引き起こすという事象に2分されるにゃ 上で使役構文の分析だしたにゃが,これが使役の意味を持つ動詞一般に拡張されるわけにゃ 構造としては [ John CAUSE [ the window BREAK ]] みたいになっていて,他動詞breakはCAUSE-BREAKの組み合わせにゃ こっから John が主語化すると John broke the window になるにゃが,John CAUSE の 部分を欠く構造 ,つまり下位事象たる[ the window BREAK ]だけが生成されることも可能でにゃ, この場合はthe windowが主語化して The window broke という自動詞文になるにゃ 「主語抜き言語」というのは想定しにくいのにゃが,本来主語となるべき行為者を欠き,別の 要素が主語になるような表現ならいろいろあるのにゃ.
英語ではムリにゃが, it was danced 式に,誰が踊ったのかを述べず,踊るという行為がなされたと いうことだけ述べる表現を持つ言語もあるにゃ チシャ嬢の >Un bruit se fit entendre. では se が論理的な主語の役割をしていて,un bruitという表面上の主語はentendreの 目的語である,と分析されるのがふつーだにゃ 俺が最初faireを出したのも使役文との関係があったからで,英語の John made Mary read a book はフランス語だと [ John faire read a book to Mary ] みたいになるにゃろ Johnが強要した内容「メアリが本を読むこと」は [ read a book ] が [ to Mary ] において生じる ことだともとれ, > > 私においてパンを食べる eating bread at I と似てるにゃろ,にゃ?w
805 :
没個性化されたレス↓ :04/10/08 02:15:39
800age
>>792 先生へ
表層主語がaffected argumentというのは
おおまかに意味がつかめるきがするんですが、
>または事象構造的にdelimiter
ってのがちょっとわかりません
事象構造におけるDelimiterというのを詳しく説明していただければありがたいのですが。
刻々と変わる自分の世界と世界の世界。 リアリズムの一端は時が握っている。
こそばゆい言葉を書いてしまった。。。 私は行動の定義がほしいです。 ウミネコ廻廊さん。未来の然る後にお願いします。
おはようございます。 あれれ、廻廊おじさま、来てません?こまっちゃうな、もう。 すみません、まん丸笑顔先生、ありがとうございます。すっごく面白そう。 うみねこさんも。 ちょっと探してきます。 #なんで私がドタバタしなきゃいけないのかなー。でも、もしかすると私って秘書むきかしら? #そんなこと言ってないで、探しに行かなくっちゃ。
あれ、ごめんなさい。ナホウドリさんだった。ぺこり、ぺこり。
舞台回しはいいから、次行け!
>>806 >Delimiter
一般に事象・出来事はその終結点(terminal point)を持つものと持たないものが
あるにゃ.言語学でいうtelicityのことにゃが,たとえば
John walked.
John walked to the station.
下はJohnが駅に到着した時点でこの行為が完結するという意味で,「駅」が
終結点を明示しているのに対し,上はそのような終結点を持たず,ただJohnが歩いた
と述べるに過ぎないにゃ.このように出来事を区切って,ここまでをもってその出来事の
範囲とする,というのをその出来事をdelimitすると言うにゃ.
上例だとto the stationがJohn walkedをdelimitしている,delimiterである,と言えるにゃ.
>>792 にゃが
John broke the glass. ではthe glassが壊れた状態に変化した時点がこの出来事の終結点
という意味で,目的語the glassがdelimiterになるにゃが,
John saw the mountain. では同じ意味でthe mountainはdelimiterにはならないにゃ.
Johnが見ようが見まいが,the mountainが状態変化を起こすわけでもなく,いつまで
見たのかをthe mountainによって測定することはできないからにゃ.
>>809 このスレも最近は目を通しているけれど、急に名指しされたら
びっくりするがな。
ここは「ウミネコの廻廊」という困ったハンドルを使うおじさんが
いてはるので、はっきりと区別してちょうだいな。
>>813 しかし、顔文字先生はあちこちでよぉ頑張ってるなぁ。
言語学そのものに顔を突っ込むとちょっとうんざりするけど、
この辺りまでならよぉ分かります。
廻廊おじさま、まだきてませんね。おかしいなあ。どうしたのかしら。
>>804 > 英語ではムリにゃが, it was danced 式に,誰が踊ったのかを述べず,踊るという行為がなされたと
> いうことだけ述べる表現を持つ言語もあるにゃ
これって、どこの国ですか?そんな言葉を使う文化ってどんなのかしら。とても興味があります。
それでも、it was「式」にならないといけないのですか?誰かを特定しないのなら、There was dancing.
とかではダメなのかしら。そうでなければ、Danced. だけでは。その後で誰かが聞いたら、主語付きで
He danced. とか Danced was he. とかじゃあ?
> チシャ嬢の
> >Un bruit se fit entendre.
> では se が論理的な主語の役割をしていて,un bruitという表面上の主語はentendreの
> 目的語である,と分析されるのがふつーだにゃ
表面上と論理的とを分けるのはわかるのですけど、その「論理的」というのは構造的ということなのかしら。
se なんだけど、最初私もピンと来なくて困った記憶があるの。で、結局は、強調構文なのかな、と
感じたときから段々わかるようになってきたんだけど、まん丸笑顔先生が面白い話をいっぱい
見せてくださるうちに、また、なんだかわからなくなっちゃったみたい。
> 俺が最初faireを出したのも使役文との関係があったからで,英語の
> John made Mary read a book はフランス語だと [ John faire read a book to Mary ]
faireは一般的な「作用点確定語」みたいなものかしら、ただのCAUSEではないような気がするのは
気のせいかしらね。だからseとは相性がいい?CAUSEとは何かが違うって感じなのよね〜
> > > 私においてパンを食べる eating bread at I
> と似てるにゃろ,にゃ?w
なるほどー。この辺については私があんまり言わないでおきますね > 廻廊おじさま、大遅刻よ。
また、おフランス出て行け、って言われるの嫌だから、ほどほどにするのだけど、でも 世界に触れるとも関係すると思うのは、フランス語と英語とでは文が生まれる生まれ方が 何か違う気がするの。英語だと、リスト構造に比較的(全部ではないにしても)フィットする ようなのだけど、フランス語は、リストにしようとすると、語という単位を考え直さないと いけなくなる気がする。リスト要素を右につないでいくのではなくて、あらかじめセットに なってるような(だから基本的には1語なんだろうけど)の中に、変数だけ後から 入れられるようになってるような。どこか、昔、話した「連続的な言葉」みたいな。 フランス語って、表現力があって、しかも感覚に流されない論理的な言葉だとも 思うんだけど、それは、何かを感覚的に受け止めて雰囲気を出す要素があって、 それから論理的な要素が出てくるようになってるのじゃないかしら。話す人の 顔を見ていると、そういうこと感じるのだわ。感情的な何かを示す顔つき、 思い返したように論理的になる顔つきがシームレスに入れ替わる感じ。 ウミネコの廻廊さん、まだですか??
もしかして(というか当たり前なのかも) faire って、CAUSEやmakeというよりは、 do なんじゃないかしら。Do だからこそ、myselfとかにつながりやすい? Doはドーナッツのドじゃなくて、行動という意味でね。
にゃーにゃーにゃー、すんませんでしたにゃー。本当に申しわけなしにゃ。 実は、なかなか無地かしい問題があれこれ出とると思うてにゃ、いつの間にか 長考しとったにゃ。そうしたら、電車を乗り過ごしてアフリカまで行ってしまってにゃ (嘘こけ?) ついでにアフリカゾウの耳の大きさを測ってきたにゃ。大きな耳の直径と長いという 象の鼻の長さとどっちが長いか?にゃ。インドゾウではさほど耳が大きくないのに なぜアフリカゾウはあんなに大きいのかにゃ。とか、いうことうを考えてきたにゃ。 それから、アフリカゾウの鼻は、あれは感覚器官かにゃ、それとも運動器官かにゃ? 鼻で触診しておったかと思うと、ワシをぐいとツカミよってにゃ。感覚と運動とどっちが 先なんかにゃ、ワシをつかんだような場合には。世界を触るのは感覚かにゃ運動かにゃ? で、もって、そこでゾウに遊ばれておったら、帰りの銀河鉄道に乗り損ねて、 迂回してワシントン経由で帰ってきたにゃ。アメリカはエライ騒ぎでにゃ、ワシも ついでにデモに加わってきたにゃ。なにせ、 ある男がおって、その男が経済力もないのに大きな鉄砲を持っておる 振りをしておって、そこで、警察を気取る輩が、怪しいから調べさせろと 言うたら、その男が自尊心が強くて、「無い物はないんだ、だから捜査不要」 と虚勢を張った。そこで、自称警察は血が頭に昇って、血からづくで家に 押し入り、仲間も無駄に失い続けながら、その男の家族も殺し続けて、 さて、結局、その鉄砲は出てこなかったわけにゃ。そん時に、自称警察は 「あ、すまんかったな、鉄砲なんて無かったわ。誤解だった。がははは。 でも、お前が捜査を妨害するからいかんのだ」と言うとるという事件でにゃ。 これは、警察だか強盗だか分からんと言う好例でにゃ、ワシは強盗だと 思うとるで、デモにちょっと加わって、にゃーにゃーにゃーにゃー言って 来たのにゃ。法律というものを自分だと思う者がワシは嫌いでにゃあ。 んでもって、やっと帰り着いたら、どうにゃ、なかなかの話になっとるではないかにゃ! 本当に皆様方のおかげ様さまにゃ。で、個別のことに、ゆうっくり触れていくにゃ。
820 :
没個性化されたレス↓ :04/10/08 12:54:52
しどうあげ
>>803 > 廻廊翁は今夜も飲んだくれとるのかにゃ
にゃ、そうではなかったのだがにゃ、まぁ、酒みたいにヒツヨウなことしとったにゃ。
せっかくのお話聞かせてもらっとるのに、すんませんにゃ。まっことにゃ。
> ある行為自体と,その行為を行う者(→これは行為者Agentという意味的概念であって,
> 主語という文法関係とは別物なのにゃが)は構造的に切り離されるべきであり,
意味的行為者と文法的主語は違うというわけにゃ。これを「構造的に切り離すべき」というんは
両者の構造がそれぞれにあり、まずは切り離して考えて、それから関連を考えるという意味ですかにゃ?
この辺りから、この後も読んでにゃ、ワシは生成文法とか深層構造とかいう話をどうも
誤解しとったのではないかと思い始めたのにゃ。基本的にはワシの不勉強から来るものにゃが。
つまりは、言語には文法というアスペクトと意味というアスペクトがあるにゃ?
> 行為者抜きの行為自体がまずある,というのが廻廊翁のもともとの論点ではなかったかと
まったく、そのとおりにゃ。したが、この「抜きの」というところが、ちょと微妙なのにゃ。
行為者と行為とを切り離せるかというと(切り離すべきかというと)それは違うと思うのにゃ。
そこには明らかに関係があるはずなのにゃが、まずは、行為を見んといかんにゃろうという
含みもあるにゃ。したが、
サルトルだかの [ en faisant se faire 成すによって自らを成す 作るによって自らを作る ]
は標語であって主語をもっとらんのは明白にゃ。では、意味の上での行為者は考えられるの
だろうかにゃ?行為者は誰でもよくて特定されるヒツヨウもなく、これはある種の法則を述べて
いるのかもしれんがにゃ。このような例では、両方とも(行為者も主語も)ないのやろうかにゃ?
> 思うのにゃが,生成ではまさにそういう分析がとられとるにゃ
にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ、ドッカン、ブーン、ドーンにゃ!驚きにゃ。
それこそが、非常に重要で根本的なことのように思えるにゃ!これが生成の常識である
ならばにゃ、それはとてつもないことだと思うのにゃ。
>>803 > John broke the window
> というのは,「窓が割れる」という事象とJohnがそれを引き起こすという事象に2分されるにゃ
後学のために教えてもらいたいのだがにゃ、顔文字しぇんしぇいは、ここでも「事象」という
言葉を使っとられるがにゃ(前には事象構造という言葉もあったかにゃ?)、これは、
上の意味構造とは違うにゃ?事象の構造というあたりは、行動的に見ても分かりやすいにゃが。
ワシは、文法構造のほうが行動の構造と対応付けられるのかと思っていたかもしれんのだがにゃ。
> 上で使役構文の分析だしたにゃが,これが使役の意味を持つ動詞一般に拡張されるわけにゃ
> 構造としては [ John CAUSE [ the window BREAK ]]
> みたいになっていて,他動詞breakはCAUSE-BREAKの組み合わせにゃ
一つの語を二つの意味要素に分解したと言ってよいかにゃ?それとも?
また、ここで、ワシが強く興味を持つのは、生成では、自動詞よりも他動詞(CAUSEなど)の
方が重要なものとしてみなされるにゃ?もしも、もしも、そうならばにゃ、このCAUSEの問題は
行動の問題とも深くかかわってくる気がするにゃ。
> 「主語抜き言語」というのは想定しにくいのにゃが,本来主語となるべき行為者を欠き,別の
> 要素が主語になるような表現ならいろいろあるのにゃ.
なぜ、そういう置き換えがおこるのだろうにゃ?
>>792 > 653 :(´∀`) :04/02/28 03:33
> 英語では The glass breaks easily./*The mountain sees easily. みたいに、表層主語がaffected argumentである、
> または事象構造的にdelimiterになっている場合だけ中間構文が可能であるということはよく知られているにゃ。
> 他方、フランス語の中間構文にはこのようなaffectedness constraintはかからないことも知られているにゃ。
> La Tour Eiffel se voit facilement de ma fenetre. '*The Eiffel Tower sees easily from my window.'
この点は、おっとそうだった!と思った点でにゃ。行動の持続時間という問題を思い出さされたにゃ。そして、
その感覚は、以下の、丁寧な説明のおかげ様でもっと強まったにゃ。
>>813 >
>>806 > >Delimiter
> 一般に事象・出来事はその終結点(terminal point)を持つものと持たないものが
> あるにゃ.言語学でいうtelicityのことにゃが,たとえば
> John walked.
> John walked to the station.
> 下はJohnが駅に到着した時点でこの行為が完結するという意味で,「駅」が
> 終結点を明示しているのに対し,上はそのような終結点を持たず,ただJohnが歩いた
> と述べるに過ぎないにゃ.このように出来事を区切って,ここまでをもってその出来事の
> 範囲とする,というのをその出来事をdelimitすると言うにゃ.
つまり、行動にもイロイロな種類があって画一的に考えていいのかどうかがいつもエラク
問題になると思うのにゃ。ただ、それは「行動の持続時間」という時間の問題というよりは、
まさに、顔文字師の書かれたように、行動においてもto the stationがあるかどうかという
点がおそらく最高度に重要なのにゃ。この場合は、あたかも到達した場所がそれを示して
いるわけにゃが、これは、他の視点から見るならばにゃ、「駅に着いた」という結果であり、
それが何かしら行動の意味とつながっておるにゃ。あるいは、それを行動分析の輩の
言葉で言うならばにゃ、「効果」と捉えられるかもしれないということにゃ。そして、それに
関して、顔文字大師がいみじくも、下で「測定」という言葉を使って下さっとることが、
ワシのこのフィーリングを実に実に強めたわけにゃ。
> Johnが見ようが見まいが,the mountainが状態変化を起こすわけでもなく,いつまで
> 見たのかをthe mountainによって測定することはできないからにゃ.
もし、こうしたdelimiterの問題が、構造同士の変換(?)において重要なのだとしたら、
それは、一方で自動詞と他動詞の問題にも絡むだろうかにゃ?walkは本来自動詞にゃが、
walk to the stationはある意味では、他動詞的な意味をもっとるのではないだろうかにゃ?
アフリカゾウの耳はなぜ大きいか、そして、鼻は感覚器官か運動器官か?とも、
すぐにではないが、遠くで関わってくると思う問題にゃ。
>>804 > 英語ではムリにゃが, it was danced 式に,誰が踊ったのかを述べず,踊るという行為がなされたと
> いうことだけ述べる表現を持つ言語もあるにゃ
> チシャ嬢の
> >Un bruit se fit entendre.
> では se が論理的な主語の役割をしていて,un bruitという表面上の主語はentendreの
> 目的語である,と分析されるのがふつーだにゃ
> >Un bruit se fit entendre.
これも、こういうふうにしか言えんものなのかにゃ?しかし、誰かが聞いとらにゃあ、「音」は
無いだろうから、基本的には、誰かが「聞こえた」のではないのかにゃ?これは、ワシの
お願いきいて〜きいてよね〜に対して、顔文字しぇんしぇいからヒントが出て、チシャ猫しゃん
が探してきてくれたにゃが、この文と、ワシの関心をつなげるとすればにゃ、
se faire は、この場合、音が鳴った とは意味が違うにゃ。そこに誰かに「聞かしめた」
というニュアンスが入っておるにゃ?おそらく、顔文字しぇんしぇいはそういう観点から(も)
話をするのを好まれるだろうにゃ。それは、
> Johnが強要した内容「メアリが本を読むこと」は [ read a book ] が [ to Mary ] において生じる
> ことだともとれ,
> > > 私においてパンを食べる eating bread at I
> と似てるにゃろ,にゃ?w
という、スグレモンの例ともつながっているわけにゃが、この場合はMaryが明示されるにゃ。
しかし、上の例では、漠然となっておってにゃ、JohnのCAUSEの対象としてのMaryが、
あるいは、もっと言えば、Maryにオイテreadを生じさせるという「効果」を持っているのとは、
違うわけにゃ。ならば、「音が聞こえた」はむしろJohn walked.に近いと思えるにゃ。
<話の重要な点>はにゃ、少なくともワシには2つあるにゃ。
行動の作用点(作用が及ぶ対象の点)ということが、delimiterの話でワシには重要に見えてきたのだがにゃ、
それと、行動の起始点というものもあるのだと思うのにゃ、んでもって、そのとき、その起始点は
普通には主語として明示されるが、表面的には明示されなくても意味的な行為者も考えるらしいにゃ。
明示される主語、意味的な行為者なしの言語はどうにも考えられないとすべきかにゃ?
>>807 > 刻々と変わる自分の世界と世界の世界。
> リアリズムの一端は時が握っている。
ナホウドリしゃんは文学者でもあるにゃ〜。
この「世界の世界」という不可思議な再帰的表現は実に面白いにゃ。
もっとも、そこで、「時」こそ問題とすべきと言うことを指摘されとるわけだろうがにゃ、
ワシにとっての時間とは、どうしても、行動とともにある時間なのでにゃ。
また、自分と世界を分離する、つまり、そこに2つの世界を前提とする考えが
あると思うのにゃが、ワシ自身は、そこにも問題を感じるのにゃ。
自己というシステムと世界というシステムが出会って行動が生じるという
2システム遭遇論にゃが、そう考えたときに、どうもシステムの境界が
仮想されるように思えてくるのにゃ。本当にシステムは2つなのかとにゃ。
1つではないのかと。
そして、それは、ナホウドリしゃんの「未来の然る後に」という不思議な謎賭け言葉
とも関係するかもしれん(時間との関係でだがにゃ)し、また、「行動の定義」という
ことにも関わるはずだにゃ。ワシは、ここでやたらコードーコードーと言っとるわけでにゃ、
その意味ではワシの「行動の定義」を示さないで話をするのは片手落ちではあるがにゃ、
前にも触れたことにゃが、恐ろしく基本的なことを言うとにゃ、
ワシは行動を、あらかじめ定義できるものとしては考えんのにゃ。
しかし、これだけは言えると思うのはにゃ、上でも顔文字しぇんしぇいに教わりながら
アレコレ書いた中に、少しは、ワシなりの行動の見方を示してはいるとにゃ。
ワシは心(頭?身体?)のどっかで思うとるにゃが、行動というのは実は
概念としては未決定の概念であり、その概念自体が、それこそ、delimiterではないが、
ある終点に到達したときに、より明確に定義可能になると思うのにゃ、しかし、それでも
まだ、行動は未決定のままだと、にゃ。では、いつ決定されるのか?それは、すでに
時間論争の中でも思ったことにゃが、人が死んだときにゃろか、とにゃ。
>>814 >
>>809 > このスレも最近は目を通しているけれど、急に名指しされたら
> びっくりするがな。
> ここは「ウミネコの廻廊」という困ったハンドルを使うおじさんが
> いてはるので、はっきりと区別してちょうだいな。
すみませんにゃ。先輩がいるとは思わなかったもんでにゃ。チシャ猫命名によるので、
そのうち、漢字で海猫廻廊とでもするかにゃ。。あるいは。。ま、もうしばらくご猶予のほどにゃ。
>
>>813 > しかし、顔文字先生はあちこちでよぉ頑張ってるなぁ。
まったくにゃ。このドバニャ―ンなエネルギーは一体何処から沸いてくるのにゃろ??
尊敬の極みにゃ。アル中爺とはエライ違いやにゃ。
チシャ猫しゃんの
>>817 > もしかして(というか当たり前なのかも) faire って、CAUSEやmakeというよりは、
> do なんじゃないかしら。Do だからこそ、myselfとかにつながりやすい?
> Doはドーナッツのドじゃなくて、行動という意味でね。
Doは気に言ったにゃ。にゃが、それをどう具体的に考えていけるかにかかっとるにゃ。
進化スレからちょっと拝借したのにゃが、 106 名前:(´∀`)[sage] 投稿日:04/10/07(木) 22:44:57 >実体がいくらmessyであってもそれをelegantにモデル化することはできる たとえば「 S→R 」も実際に関与するいろんな現象を捨象した簡潔なモデルにゃろ このS→Rは、昔々の行動主義のことかにゃ?あの時代には、elegantなモデルと いうよりは、せいぜい、実体的に実験的に捉えられるものが、こういうものしか なかったとも言える気がするにゃ。そして、これは粗造りのモデルだったにゃ。 だから、そこから、もっと別のS→O→Rとかも生まれたがニャ、それもまた、 既に役割を終えつつあると、ワシは思っとるにゃ。 S→RもS→O→Rも、 基本的には2システム論だからにゃ。 関係ないS→Rだったら、まっこと、赤恥青恥にゃが〜。
にゃ、すまんがにゃ、また、秘密情報部員が来よって、ちょっと失礼するにゃ。 世界は動いとるにゃあ。
> 刻々と変わる自分の世界と世界の世界。 > リアリズムの一端は時が握っている。 私は「現実味」という意味で「リアリズム」という言葉を使いました。 >もっとも、そこで、「時」こそ問題とすべきと言うことを指摘されとるわけだろうがにゃ、 「時間の経過」も問題になる程度です。一つの視点として。 >ワシにとっての時間とは、どうしても、行動とともにある時間なのでにゃ。 >真実は1システムであり、境目など存在しない。 これは私も感じることです。二つの境目を探していくと二つの境目がなくなってしまう。 ただ、私の感じる世界と、その突き詰めて考えて出てくる結論とは食い違うのです。 「私だけの世界(引いて見ると個人個人の世界です)と、皆に共通した世界私がある。」 これが、私の感じる世界です(現実味のある世界です)。 私の現実感です ・私を私が触ったときと、Aさんが私を触ったとき、同じところを触られても感じ方が違う。 私とAさんは私の中(私の世界)では違うものだ。 ・私とAさんは子猫じゃれている。私は猫の目が青いといった。Aさんもうなずいた。 私とAさんは同じ世界を見ている。 ・私は「この子猫が可愛いといった」だといった、でもAさんは「そんなに可愛くないよ」といって首を振った。 Aさんも自分の世界を持っているのではないか。
>>829 自己フォローをば
>・私を私が触ったときと、Aさんが私を触ったとき、同じところを触られても感じ方が違う。
>私とAさんは私の中(私の世界)では違うものだ。
もっと単純なのがありますね。
・私は私を動かせる。私はAさんを動かせない。
私とAさんは違うのではないか。
リアリティ:現実味
リアリズム:現実味を現実とすること
>>825 の後半「行動の定義について」を(その前のレスも参照しながら)読み取ろうとしています。
しかし、つかめません。時間がかかりそうです。
個々の行動に、その位置と始点・終点を与えられたらな〜と、ぼんやり思います。
>>829 > 私は「現実味」という意味で「リアリズム」という言葉を使いました。
生態学的リアリティではないのかにゃ?(半分、冗談にゃにゃが)
> >もっとも、そこで、「時」こそ問題とすべきと言うことを指摘されとるわけだろうがにゃ、
> 「時間の経過」も問題になる程度です。一つの視点として。
どのような点で問題になるのか教えていただけるかにゃ?
> >ワシにとっての時間とは、どうしても、行動とともにある時間なのでにゃ。
> >真実は1システムであり、境目など存在しない。
> これは私も感じることです。二つの境目を探していくと二つの境目がなくなってしまう。
ふむ、にゃ。その無くなった辺りから逆にたどって、境目が明確になるのはどうして
なのかを考えて行くのではいけないかにゃ?ワシが最近思うストラテジーはそういう
辺りなのにゃが(まだ、空想の域を十分出てはいないがにゃ)。
> ただ、私の感じる世界と、その突き詰めて考えて出てくる結論とは食い違うのです。
これはナホウドリしゃんの「感覚」と[論理」の違いということでよろしいかにゃ。
> 「私だけの世界(引いて見ると個人個人の世界です)と、皆に共通した世界私がある。」 > これが、私の感じる世界です(現実味のある世界です)。 チョット待ってくだされにゃ。「世界私」というのは「世界の世界」と「私の私」が対をなし その中間的な感じでの「世界私」かにゃ?やっぱり、ナホウドリしゃんは?と一見見えて その実、意味があることを書くのが巧みだにゃあ。逆に「私世界」もあるにゃ? いずれにせよ、「世界私」とはどういう感覚のものなのか、文学的にでも雰囲気を説明 してもらいたいにゃ。ううむ、実に微妙な表現にゃ。ハイデッガーやらを思い出すところが あるにゃ。世界・内・存在とかにゃ。一方で、他我問題のように、ウィトゲンシュタインの 他人の痛み問題も絡んでくるにゃ、必ず。にゃ?さらには、そこに現象学的な問題も 背景にはあるんだろうにゃ?ふうむ、ふうむ、にゃ。ゆっくり話を伺わんと、ワシのほうが 失速しそうだにゃ。 で、少しばかり、サイドから恐る恐る触らせてもらうにゃ: > ・私を私が触ったときと、Aさんが私を触ったとき、同じところを触られても感じ方が違う。 > 私とAさんは私の中(私の世界)では違うものだ。 ミラー・ニューロン絡みかにゃ。あるいは、ギブソンのアクティブ・タッチ?それとも、自己(非)認識ニューロンにゃ? ナホウドリしゃんにはおそらく無用にゃが、他の人でも関心あるかと思うので書いておくとにゃ: Gibson JJ Observations on active touch. Psychol. Rev.69:477−491 1962 などなど Iwamura Y, Tanaka M, Hikosaka O, Sakamoto M Neuroscience Letter 186:127-130 1995 などなど
後者は例えば、手が何かを触ること(触覚)に応じて活動が変化するニューロンでありながら、 自分の身体に触ると活動変化しないものがあったという話にゃ。いろいろな意味で懐かしいにゃ (無論、ワシの仕事ではないにゃが)ギブソンのは言うまでもなく、知覚は受動的ではなく 能動的だとする彼の考え方を如実に示す論文の一つにゃ。つまり、触られることと触られること の関係というか。あるいは、触るということは実は物に触られることかもしれないにゃが、 これは、相手が物であるときと人であるときでは違うかもしれないにゃ。 だがにゃ、こうしたことどもと、ナホウドリしゃんの 私とAさんは私の中(私の世界)では違うものだ。 という、チョー縮約文では意味がどうしても違うように見えるにゃ。解説してくれるにゃ? > ・私とAさんは子猫じゃれている。私は猫の目が青いといった。Aさんもうなずいた。 > 私とAさんは同じ世界を見ている。 それは、前にも出てきたことにゃが、意見の一致がそのまま同じ世界を見ていることでいいのかにゃ? 「青い」という言葉のレベルでは同じ世界かもしれないにゃが、もし、その「青さ」を比べ始めたら、 同じ世界ではなくなるのかもしれないにゃ。クォリアかにゃー、これ?それだけではないにゃ。 > ・私は「この子猫が可愛いといった」だといった、でもAさんは「そんなに可愛くないよ」といって首を振った。 > Aさんも自分の世界を持っているのではないか。 意見の不一致じゃな。そのとき、人(「私」)はAの(中に)別の(Aの)「私」を感じるということかにゃ? サリーとアンの問題で、サリーがアンの箱を開けに行けば、観客はそうだ!と思うにゃが、実際は サリーは自分のカゴを開ける。見ていた観客(子ども)は??と感じるにゃ。なんでだ?ボールは箱の中 じゃないのか?なんでサリーはカゴを開けたのか?で、そこで、 > Aさん(サリー)も(観客である私とは違う)自分の世界を持っているのではないか。
考えなくてもできるフォローを >>世界私 うち間違いです。。。すみません。 皆に共通した世界私がある→皆に共通した世界がある
あら、お帰りなさい。また、すごい量で読むのに2,3日かかりそう。私の 「音が聞こえた」には少し、コメントが少ない気がしますよー。(ちょっと不満)えへ。
>>831 > もっと単純なのがありますね。
> ・私は私を動かせる。私はAさんを動かせない。
> 私とAさんは違うのではないか。
簡単かにゃ?ま、確かに、子どもが母親から離れていく時には、
あれー、お母さんは私と同じに動かない〜
が、あるじゃろうにゃ。しかし、「動かせない」は、見ているだけではない点でもっと複雑なのかも
しれないにゃあ (^^)
>>832 > リアリティ:現実味
> リアリズム:現実味を現実とすること
また、何か奥があるかにゃ?
>
>>825 の後半「行動の定義について」を(その前のレスも参照しながら)読み取ろうとしています。
> しかし、つかめません。時間がかかりそうです。
行動の定義をしてはいないにゃ。行動のどういう点に関心を持ってるかだけわかってくだされば
十分にゃ。
> 個々の行動に、その位置と始点・終点を与えられたらな〜と、ぼんやり思います。
行動は基本的に連続にゃ。これは顔文字しぇんしぇいも確かチシャ猫しゃんに言っておった。
ただ、それでは、困るだろうにゃ。その位置はわからんが、始点・終点は、考えることが
できるように思うがにゃ。しかし、これは、ここまで話が広がってしまったので、もう少し
後にならないと話し合えそうもないかもにゃあああ。
>>836 > 考えなくてもできるフォローを
> >>世界私
> うち間違いです。。。すみません。
> 皆に共通した世界私がある→皆に共通した世界がある
あら、私も今、そこ読んで唸っていたとこだったのにな。でも、
そういうの作ってみてもいいかもしれないって思ったわ。
深読みの廻廊爺ね。にゃあ?
実は、忘れていたわけではないにゃが、顔文字しぇんしぇいにチシャ猫しゃんが 「会話」の構造表現はないのか?と質問したとき、顔文字しぇんしぇいは、それを 「談話」に変えて答えてくださっとるにゃ。その回答は、しかし、「会話」とも取れる 内容でにゃ、しばし、考えさせられたににゃ。チシャ猫しゃんは前回のお付き合いから 押しても駄目かにゃと思って、「わかりました」とか殊勝なこと言っておったがにゃ、 ワシは、この問題は、おそらく、今のナホウドリしゃんの世界と私とも関わることを チシャ猫しゃんは聞こうとしたのではないかと思ってるのにゃ。つまり、 Aさんの発言が一文だったとき、それには構造と意味があるにゃ。 ところで、それに対して、答えたtかコメントしたBさんの文にも構造があるだろうにゃ。 そこで、文Aと文Bの各要素の間(つまり、Aのtree、Bのtreeを超えた)要素間の 関係が、会話の意味を把握するには必要にゃろ?ということは、2本の木が 枝と枝をかざしあい、葉と葉を接触しあうような、そうして、相手の要素に おいて意味が確定するような関係があるのではないか、と続くわけにゃ。 これは、むしろ、スキナー学派の問題かもしれないがにゃ、それを考えると ちと、いろいろと面白いことがありそうにゃ。
>>833 >生態学的リアリティではないのかにゃ?(半分、冗談にゃにゃが)
この言葉を意識して書きました。
生態学的リアリティを、身近な表現に直して見ようとしたのです。
的外れな表現だったでしょうか・・・
>> 「時間の経過」も問題になる程度です。一つの視点として。
>どのような点で問題になるのか教えていただけるかにゃ?
1.時間を感じることができる(と私は感覚的(≠論理的)に思っている)。
2.ゲシュタルトには、時間も関与しますよね。
繰り返すと、時間そのもの知覚・感覚と、時間が影響するや知覚・感覚がある。
以上のことから時間の経過も生態学的リアリティにかかわってくる。
>>833-835 >> ただ、私の感じる世界と、その突き詰めて考えて出てくる結論とは食い違うのです。
>これはナホウドリしゃんの「感覚」と[論理」の違いということでよろしいかにゃ。
私の書いた3+1つばかりの例文は、私の感覚的解析で、ウミネコ廻廊さんの行った指摘は、論理的解析。
論理的解析を否定しているわけではありません。ただ、私の感覚を理解してもらえればと思い書きました。
おっと訂正にゃ:
>>835 > 能動的だとする彼の考え方を如実に示す論文の一つにゃ。つまり、触られることと触られること
触ることと触られること
にゃったにゃ。
ひゅーーい、私のネコ頭がはちきれるわー。
私が自分の感覚を思わず書き連ねてしまったのは、
>>833 >ふむ、にゃ。その無くなった辺りから逆にたどって、境目が明確になるのはどうして
>なのかを考えて行くのではいけないかにゃ?ワシが最近思うストラテジーはそういう
>辺りなのにゃが(まだ、空想の域を十分出てはいないがにゃ)。
このストラテジーを理解していなかったからではないか。
ウミネコ廻廊さんのやり方にピンときてなかったからではないか(繰り返しです)。
今は、そう思います。
>>841 >
>>833 > >生態学的リアリティではないのかにゃ?(半分、冗談にゃにゃが)
> この言葉を意識して書きました。
> 生態学的リアリティを、身近な表現に直して見ようとしたのです。
> 的外れな表現だったでしょうか・・・
にゃ、そうではないにゃが、ワシの見ているギブソンとは少し違うようにゃ。しかし、
ギブソンも考え方が変遷している部分があるようでにゃ、その辺りは、専門家が
いないと調整できないかもしれんにゃあ。もう少し読み直して考えてみるにゃ。
> >> 「時間の経過」も問題になる程度です。一つの視点として。
> >どのような点で問題になるのか教えていただけるかにゃ?
> 1.時間を感じることができる(と私は感覚的(≠論理的)に思っている)。
> 2.ゲシュタルトには、時間も関与しますよね。
> 繰り返すと、時間そのもの知覚・感覚と、時間が影響するや知覚・感覚がある。
> 以上のことから時間の経過も生態学的リアリティにかかわってくる。
にゃるほどにゃ。細かいところにきたわけにゃ。したが、そこでワシが第一印象で
いい加減に物をいうとにゃ、知覚には時間が必要だという点には同意にゃが、
の時間がどの程度の細かさで言っておる時間かということを考えないとにゃ、
前の時間よ、止まれみたいな話でにゃ、レベル違いを混同する危険性が出て来はしないかと
恐れるにゃ。また、逆にこうも言えるにゃ、もし時間感覚があるとして、それは
時間が本当にあることの(実体としての時間だがにゃ)証拠なのかという点にゃ。
仮にいま、ある図形を見るとするにゃ。当然、部分部分を目は追いかけながら、
そこに全体としての(あるいはそれ以上の)ゲシュタルトを知覚するにゃ。
このとき、部分部分を追いかける時間は、ミリセカンドのオーダーにゃが、そこに
ゲシュタルトを知覚するのはもう少し長いオーダーかもしれんにゃ(過去まで入れれば)。
この場面設定で、物を見ながら目を動かしていったとき、そこに時間は感じられるにゃ?
時間を感じ始めるには、量的な(ミリセカンドかどうか)こともあるにゃが、他にも何かありそうにゃ。
> 私の書いた3+1つばかりの例文は、私の感覚的解析で、ウミネコ廻廊さんの行った指摘は、論理的解析。 > 論理的解析を否定しているわけではありません。ただ、私の感覚を理解してもらえればと思い書きました。 例文?お、言語かにゃ?(grin - Chishire?) 分かると思うにゃが、それだけでここまで言えないとも思うにゃ。 ワシのも、チョー感覚的分析でにゃ。極めて非論理的だと思っとるにゃ。。。。
お取り込み中のところ、ご飯ですよ(^^) ← 私は、ね。 grin? そうそう、不思議の国のアリスではgrinだったかも、悪魔の半月笑い。
>>847 ’▽’)ノシ<はい、飯の時間と考える時間。私もとります。
>>846 > 例文?お、言語かにゃ?(grin - Chishire?)
また間違っとった。Cheshireだったにゃ。
このハンドルにゃが、cat only grinnedで、grinという行動だけ残る猫だにゃ?
さっき、はっと気づいたにゃ。ううむにゃ。何を考えとるのかにゃ・・・?
>>849 >
>>847 > ’▽’)ノシ<はい、飯の時間と考える時間。私もとります。
では、では、また、宜しくにゃ!
忠告しといてやるけど、もう、あまり残りがないぜ。スペース。
わけがわからんようになってまいりまつた
関係ないけど、顔文字の「にゃ」の使い方と、アル中爺の「にゃ」の使い方は違うようだ
にゃからにゃんでにゃんのにゃ
虚無好き再会か
>>852 おお、ありがとさんにゃ。
ワシとしてはPart2があってもなくても、どちらでもいいと思ってるにゃ。
どのみち、この種のテーマは永遠に続くだろうと思うのでにゃ。
ただひと時だけでも意味はあるとにゃ。
海は永遠だろうかにゃ?ワシはそれを心配しとるにゃ。
にゃーにゃーにゃーにゃー どっぷーん ざー
耳を澄ますと言葉以前の音が聞こえてくるにゃー
500KBまで書き込めるんだけどまだ248KB
しゃてと,どこまでいってたのだっけかにゃ
そうそう
>>821 >意味的行為者と文法的主語は違うというわけにゃ
もちろんにゃ
it seems that 〜
とかの it も主語にゃが明らかに行為者ではないにゃ
もうちっと言語学的に面白い例だと
Dogs frighten John
John fears dogs
上のDogsは主語にゃが,行為をするわけではなく,単にJohnは犬を見ると
怖いというJohn側の心理的変化の原因を述べているに過ぎないにゃ
(→ここはチシャしゃんのDOと密接に関係するにゃ)
また下のJohnもそういう心理状態の所有者というだけで,行為者ではないにゃ
>まずは、行為を見んといかんにゃろ
個々の発話例においてどこを「見る」かは,話者次第・状況次第で,行為者無視で
行為だけを見ることも可能,それをドイツ語impersonal passiveみたいに言語表現として
表せる場合もあれば,英語みたいに不可能な場合もあるにゃ
英語話者にはそのような認識ができない,というわけではないので,これも言語の認知
からの自律性を示しているにゃ
>>822 >事象の構造というあたり
俺の立場としては,まず文の統語構造があり,それが後ほど意味解釈を受けるということ
なので,文のある部分が事象(出来事)を表す場合にそれを事象構造と呼んでるにゃ
統語構造と事象構造を含め意味構造は同型ではないにゃろが,できるだけ似たもので
あるほうが構造→意味の写像がしやすいので,フツーの事象分析でとられているような
面倒な論理学的表記は抜きにして考えたいのにゃが
で,事象を表す典型的な統語範疇は動詞句VPにゃが文sentenceはこのVPを中核にして
さらにその上にいくつかの別の範疇の層を持つと考えられており
>文法構造のほうが行動の構造と対応付けられるのかと
行動自体の構造なのか行動を言語化した場合の構造なのかはビミョーにゃが,文というよりは
VPの構造が行動の(言語的)構造だと見ていいのかもにゃ
>一つの語を二つの意味要素に分解したと言ってよいかにゃ
そのとおりで,伝統的に語彙分解 lexical decomposition とか呼ばれてるにゃ
にゃが,俺の見方は逆で,人間は複数の抽象的な要素(意味的かどうかはビミョー)を組み合わせる
ことで語をcompositionしているのではないにゃろか
>生成では、自動詞よりも他動詞(CAUSEなど)の方が重要なものとしてみなされるにゃ?
どっちが重要というより,自・他の交替,両者の関係が重要なのだろにゃ
で,一番単純な見方は同じ共通成分がまずあり,それにCAUSEがつけば他動詞,つかなければ
(あるいはCAUSE以外のものがつけば)自動詞,というものにゃ
>なぜ、そういう置き換えがおこるのだろうにゃ
この「なぜ」にはいくつかのレベルがあってにゃ,個々の発話で見れば,話者が強調したり視点を
置きたいものが文主語として選ばれるにゃ
John kissed Mary / Mary was kissed by John
とかにゃ
で,こういう表現の多様性を保証するメカニズムは「なぜ」あるのかという意味の「なぜ」には最終的
には答えられないと思うにゃ
「どういう」メカニズムなのか,については生成がいろいろ言ってきてるけどにゃ
why 問題はhow問題と違い,目的論的答えを要求するので,上のような話者の意志とか志向性に
言及できるレベルのハナシに限定されるにゃ
>>823 >一方で自動詞と他動詞の問題にも絡むだろうかにゃ?walkは本来自動詞にゃが、
>walk to the stationはある意味では、他動詞的な意味をもっとるのではないだろうかにゃ
厳密にはだいぶ違うのにゃが,まあ,自他の問題と無関係ではないにゃ
(言語学では同じ自動詞walkにも実は2つあって,というハナシになるにゃ)
>>827 了解にゃー
>>818 >
>>815 > ドイツ語とかにゃ.ここの
>
http://www.nthuleen.com/teach/grammar/passivexpl.html > 下のほうの impersonal passive のところに例があるにゃ.
これ読み忘れていましたー。すみませんでした。私、ドイツ語は苦手なので、ゆっくり
読んでいます。読みながら、ふと思ったんだけど、ドイツ語圏の人とね、お話しするとき
(なんと英語で)感じたことなんだけど、ドイツの人って何か硬い感じなのかと思って
いたんだけど、日本人と違って、流れるように、というのかな、変化に任せるというのかな、
固定観念が意外に少ないんだって感じたことがある。それに、ここでの話と関係するかも
しれないんだけど、ドイツ人て、誰が?より、何をする?した?の方が優先してるっていう
感じがあった。
日本人は心とかって名詞になって物になってしまうけど、ドイツ人は少し違うかも。
ながああああーい名詞も作るの好きだけど、そういえば、あれこそ、ホピ族じゃないけど
流れるような語なのかもしれない。
すごい雨。
>>827 > S→RもS→O→Rも、
> 基本的には2システム論だからにゃ。
この意味を簡単に解説してもらえますか?
なんにゃ。布教活動のスレか。 いちおう記念パピコ。
やっぱり、There was dancingが英語なのね。 There is dancing going on at the party. が Es wird auf der Party getanzt. と言えるのがドイツ語。 これって、きっと廻廊おじさまは気にいるだろうな。 でも、このEsっていうのは、タダの形式主語なのかしら?なんだか違う気がする。 It is raining.のときは、it は形式主語なのかしら、それとも、意味の上ではthe weather? なんかねぇ、そういうふうに概念化できる何かであるような気がするんだけど、 よくわからなくて気持ちがわるいわ。 もう、うろ覚えなので不確かなんだけど、食事に行く行かないっていうときに、 そのドイツ人の男の子が It will go! って言ったことがあるような気がする。 で、it? って聞いたら、にこっと笑って、肩に手を回して、ヤー、it will go WEって。
>>862 > もうちっと言語学的に面白い例だと
> Dogs frighten John
> John fears dogs
> 上のDogsは主語にゃが,行為をするわけではなく,単にJohnは犬を見ると
> 怖いというJohn側の心理的変化の原因を述べているに過ぎないにゃ
そうなのかしら。まん丸笑顔先生の仰りたいことはわかると思うのだけど、
犬がJohnにバウワウって吠え掛かったときは、どうなのかしら?
> (→ここはチシャしゃんのDOと密接に関係するにゃ)
どういうふうにかしら?まだ、よくわかっていません。
にゃんか、にゃんにゃん族化してきそうな様相だにゃ。うみねこしゃんもよく顔を出してくれるみたいにゃから
いい加減にワシのハンドルも変えないと失礼かもにゃ。命名者のチシャ猫しゃんには悪いが、ネコを
はずしていくことにするにゃ。にゃん語ご本家が大接近みたいでもあるから、にゃにゃにゃも変えたほうが
いいのかもしれないにゃが、なかなか話しやすい言葉でにゃ、これはそのまま行くにゃ。したが、
話の中身が違うやろうから、何とかなるだろうと思うにゃ。
>>862 > (→ここはチシャしゃんのDOと密接に関係するにゃ)
これはワシも教えてもらいたいにゃ。やさしくにゃ。
> 個々の発話例においてどこを「見る」かは,話者次第・状況次第で,行為者無視で
> 行為だけを見ることも可能,それをドイツ語impersonal passiveみたいに言語表現として
これは大変面白い話だったにゃ、確かに。ワシはゲー国語は苦手じゃから、大したこと言えんがにゃ、
生育歴的にはドイツ人の教育方針の中で生きてきたものでにゃ、もしかすると、そういう考え方が
知らずに沁みついとるのかもしれないと思い返してみたにゃ。
werdenは生成する(顔文字しぇんしぇい大喜び!?)という意味合いだとすれば、その生成されるものが
興味深いにゃ。ドイツ人は、チシャ猫しゃんではないがにゃ、どこかにカタストロフィックな思考を
抱えているように思うのにゃ。ムゥオワーッと出てきたと思うと、突然、平然と無に変わる。
これは、行動ということを考える上では、面白いかもしれんにゃ。
『するとなるの言語学』は面白いだろうかにゃ?どなたか概要を教えてもらえるかにゃ?
(つづく)
> 英語話者にはそのような認識ができない,というわけではないので,これも言語の認知
> からの自律性を示しているにゃ
そういうのを「言語の認知からの自律性」と言うのかにゃ?ふむふむにゃが、ワシには逆に
認知の言語依存性というふうに見えてしまうのにゃが。偏見かにゃ?ん、待ってくだされにゃ、
「言語の認知からの自律性」と「認知の言語依存性」は同じことだったかにゃ。。
>>863 >
>>822 > >事象の構造というあたり
> 俺の立場としては,まず文の統語構造があり,それが後ほど意味解釈を受けるということ
> なので,文のある部分が事象(出来事)を表す場合にそれを事象構造と呼んでるにゃ
なあるほどにゃ。それは上の話とも関係あるにゃ。
> 統語構造と事象構造を含め意味構造は同型ではないにゃろが,できるだけ似たもので
> あるほうが構造→意味の写像がしやすいので,フツーの事象分析でとられているような
> 面倒な論理学的表記は抜きにして考えたいのにゃが
前半は理解したと思うにゃが、「フツーの事象分析」とはどういうことなのかワシにはよく分からなかったにゃ。
> で,事象を表す典型的な統語範疇は動詞句VPにゃが文sentenceはこのVPを中核にして
> さらにその上にいくつかの別の範疇の層を持つと考えられており
了解にゃ。このVPという単位(?)が興味深いところだにゃ。例えば、形容詞を中心にではなく動詞
だったのか、それは当たり前のことなのだろうがにゃ、ワシには面白く感じられるにゃ。
(つづく)
> >文法構造のほうが行動の構造と対応付けられるのかと > 行動自体の構造なのか行動を言語化した場合の構造なのかはビミョーにゃが,文というよりは このビミョーな所については、もう少し考えさせてもらいたいにゃ。 いずれにせよ避けては通れん問題だろうとは思っとるがにゃ。 > VPの構造が行動の(言語的)構造だと見ていいのかもにゃ ワシがずーっと関心を持っていたのは、そのことにゃ!「いいのかも」のレベルでも嬉しいことだなにゃ。 > >一つの語を二つの意味要素に分解したと言ってよいかにゃ > そのとおりで,伝統的に語彙分解 lexical decomposition とか呼ばれてるにゃ > にゃが,俺の見方は逆で,人間は複数の抽象的な要素(意味的かどうかはビミョー)を組み合わせる > ことで語をcompositionしているのではないにゃろか 「抽象的な要素(意味的かどうかはビミョー)」というところがチョー・ビミョーだにゃん。 意味的でもなく、語の単位でもない、抽象的なモノ??それは、「操作」のようなものかにゃ? > >生成では、自動詞よりも他動詞(CAUSEなど)の方が重要なものとしてみなされるにゃ? > どっちが重要というより,自・他の交替,両者の関係が重要なのだろにゃ > で,一番単純な見方は同じ共通成分がまずあり,それにCAUSEがつけば他動詞,つかなければ > (あるいはCAUSE以外のものがつけば)自動詞,というものにゃ 了解にゃ。 (つづく)
>>864 > >なぜ、そういう置き換えがおこるのだろうにゃ
> この「なぜ」にはいくつかのレベルがあってにゃ,個々の発話で見れば,話者が強調したり視点を
> 置きたいものが文主語として選ばれるにゃ
> John kissed Mary / Mary was kissed by John
> とかにゃ
強調するということは、視点を置きたいことではないかにゃ?他者を考えてのことならば、尚更にゃ?
いわば、それは、なんにゃ、「意識のカーソル」とでも言うべきものかにゃ?
> で,こういう表現の多様性を保証するメカニズムは「なぜ」あるのかという意味の「なぜ」には最終的
> には答えられないと思うにゃ
にゃははは。それは、ワシのお願いした「なぜ」を超えてるにゃ。ワシはhowで十分でありますにゃ、先生!
ワシも、そのレベルの「なぜ」はもっと別の問題だと思っているにゃ、おそらくにゃが。
そもそも、因果律ということ自体にワシは疑問を持つように最近なってしまっているのでにゃ。
> 「どういう」メカニズムなのか,については生成がいろいろ言ってきてるけどにゃ
> why 問題はhow問題と違い,目的論的答えを要求するので,上のような話者の意志とか志向性に
> 言及できるレベルのハナシに限定されるにゃ
ううむにゃ、そこまで、来ただけでも、恐るべきことにゃ。尊敬の目(ピッ
>
>>823 > >一方で自動詞と他動詞の問題にも絡むだろうかにゃ?walkは本来自動詞にゃが、
> >walk to the stationはある意味では、他動詞的な意味をもっとるのではないだろうかにゃ
> 厳密にはだいぶ違うのにゃが,まあ,自他の問題と無関係ではないにゃ
そのレベルの粗さで受け止めてもらえれば幸いにゃ。ワシのような痴呆頭ではにゃ、ボーっとしか
モノが考えられんもんでにゃ。お付き合いいただいてることだけでも、号泣するほど嬉しいにゃ。
(まだつづく)
> (言語学では同じ自動詞walkにも実は2つあって,というハナシになるにゃ) 聞きたいにゃ、が、聞くと大変だろうにゃあ。。
>>865 > 日本人は心とかって名詞になって物になってしまうけど、ドイツ人は少し違うかも。
その点はやや保留があるにゃ。おそらく、ドイツ人の考える「物」と日本人のそれとは同じでは
ないのだろうがにゃ、ドイツ人はそれこそ自分の精神のようなもの以外は、全部、物化して
見ているようでもあるにゃ。自分の身体とかもにゃ。
>>868 > やっぱり、There was dancingが英語なのね。
> There is dancing going on at the party. が Es wird auf der Party getanzt. と言えるのがドイツ語。
> これって、きっと廻廊おじさまは気にいるだろうな。
おおいに気に入ったにゃ。ほとんど、マンセー!にゃ。
> でも、このEsっていうのは、タダの形式主語なのかしら?なんだか違う気がする。
> It is raining.のときは、it は形式主語なのかしら、それとも、意味の上ではthe weather?
> なんかねぇ、そういうふうに概念化できる何かであるような気がするんだけど、
> よくわからなくて気持ちがわるいわ。
うにゃ?そこだと思うにゃ!ワシが気に入ったのは。ワシはそのその何かが<状況>だと
思ったにゃ。ちょうど行動の始めから終わり(delimiter)までの時間(おそらく物理的ではない)で
区切った環境・有機体相互作用の歴史、つまり、<状況> にゃ。これは、とてつもなく
ワシには嬉しい考え方だと思うにゃ。スレッドの経緯からはずれとるかもしれんがにゃ、ワシの
経緯からは、一つ目のゴールだと思うのにゃ。
>>866 >
>>827 > > S→RもS→O→Rも、
> > 基本的には2システム論だからにゃ。
> この意味を簡単に解説してもらえますか?
上の<状況>の話とも関係すると思うのでにゃ、その前に、ちょっと、サッパー・ブレイクにゃ。
>>869 >
>>862 > > 上のDogsは主語にゃが,行為をするわけではなく,単にJohnは犬を見ると
> > 怖いというJohn側の心理的変化の原因を述べているに過ぎないにゃ
> そうなのかしら。まん丸笑顔先生の仰りたいことはわかると思うのだけど、
> 犬がJohnにバウワウって吠え掛かったときは、どうなのかしら?
アゲアシとってないで、肝心な
> > (→ここはチシャしゃんのDOと密接に関係するにゃ)
> どういうふうにかしら?まだ、よくわかっていません。
をよくよく聞いてほしいのだがにゃー。(grin) 助動詞かにゃ?
>>867 > なんにゃ。布教活動のスレか。
> いちおう記念パピコ。
おお、1000人目のお客にゃ。ド嘘にゃ。にゃん語のそもそもの発祥地、噂のお人にゃな。
歴史的人物の。まぁ、通り過ぎてくださるだけでも光栄と思わんといかんだろうにゃ。始めましてにゃ。
何度か、なぜか、人違いされたみたいでにゃ。ワシは田舎の飲んだくれアル中爺で、
痴呆だというのににゃ。よほど、人々には「にゃ」の印象が強かったのだろうと思った次第にゃ。
>>866 >
>>827 > > S→RもS→O→Rも、
> > 基本的には2システム論だからにゃ。
> この意味を簡単に解説してもらえますか?
2システムというのは、環境システムと有機体システム。それぞれが<独立>していながら、交互作用する。
これなら簡単かにゃ?少なくとも、ギブソンや後期のスキナーはこういう2分法を拒んだと思うにゃ。
S→Rのときは、自発的行動なんぞというモノは考えられていなかったにゃ。
そこでは、Sは環境の、Rは有機体のものだったにゃ。(但し、Sを環境内の物か、刺激作用かは今はおく)
書き換えると、S(環境)→R(有機体)だったにゃ。これはこれで、スッキリしとったと思うにゃ。
しかし、それだけではいかんということになってS→O→Rが出てきたのだろうがにゃ、それはそれで、
いろいろな役割を果たしたと思うのにゃ、心理学の歴史の中ではにゃ。これも、環境と有機体を2つに分け
入力(S)と出力(R)のように考えている限りは、環境からOに入力し、Oから環境側に出力するのだろうにゃ。
だがにゃ、最近、ワシはいろいろと妄想に悩まされるようになったのにゃ。まず、この
S→O→R
という書き方自体が気になり始めたのにゃ。RはOの一部ではないのか?とかだにゃ。例えば、S(環境)→R(有機体)
と同じように書こうとしたら、どうすればいいのかにゃ?S(環境)→O(有機体)→R(有機体)にゃ?あるいは
S(環境)→O(有機体)→R(環境)にゃ?他にもありそうにゃ。
またOは、受動的でもあり能動的でもありかにゃ?RはS→RのRと同じかにゃ?
Oというのが曲者だと感じ始めたにゃ。S→Rのときにはまだ明快だったことが、S→O→Rにした途端に、
ネジレタ構造になってしまったと思うのにゃ。Rとは別にしたOとは一体何にゃ?
更にだにゃ、見なければ見えぬ というようなことや、知覚の能動性、知覚=行動一環といったことを考え始めると
もはや、このS→O→Rは、矛盾を抱えているだけではなく、一般図式としても役に立たんようになったのだと思うのにゃ。
心理学を知らん人たちがS→O→Rというのを見たらどう思うかにゃ?SがOに変わりOがRに変わる、とか
S→O→Rという順序で、モノが(あるいは情報が)流れていく、と? 生き物の図式かにゃ、これは?
>>879 廻廊おじさんは無駄な言葉が多すぎて、かえって全体として
何を言いたいのかが掴みにくい、と私は感じています。
S→RやS→O→Rは要するに、生体は刺激に反応する、という
考え方で、これに疑問をお持ちなのでしょ?
私も同じで、私は生体がまず自発的に行動し、その結果還って
きたフィードバック情報を処理しているのだと考えているのですよ。
これを言い表すうまい言い方を最近知りまして、
それがAction Perception Paradigm、というわけです。
従来のSORに相当するのは"Perception Action Cycle"。これが
神経科学においても未だに踏襲されているらしいのです。
虚無しゃんはブランク長すぎで時差ボケなとこが残ってるにゃ
ナガーイ目で見てやってくれにゃw
ちなみに
>にゃん語のそもそもの発祥地
は事実誤認があるにゃw
>>868 >It is raining.のときは、it は形式主語なのかしら
純粋な形式主語(つまり意味を一切もたず主語の位置を埋めているだけの「虚辞」)
というのとは違うということになってるにゃ
John never drinks without eating
It never rains without pouring
*It never appears that John is angry without appearing that he is hungry.
without〜という表現を許す点でむしろJohnに近い,とかにゃ
>>875 > > There is dancing going on at the party. が Es wird auf der Party getanzt. と言えるのがドイツ語。
> > これって、きっと廻廊おじさまは気にいるだろうな。
> おおいに気に入ったにゃ。ほとんど、マンセー!にゃ。
ふふ、やっぱりねぇー。
> > でも、このEsっていうのは、タダの形式主語なのかしら?なんだか違う気がする。
> > It is raining.のときは、it は形式主語なのかしら、それとも、意味の上ではthe weather?
> > なんかねぇ、そういうふうに概念化できる何かであるような気がするんだけど、
> > よくわからなくて気持ちがわるいわ。
> うにゃ?そこだと思うにゃ!ワシが気に入ったのは。ワシはそのその何かが<状況>だと
> 思ったにゃ。ちょうど行動の始めから終わり(delimiter)までの時間(おそらく物理的ではない)で
> 区切った環境・有機体相互作用の歴史、つまり、<状況> にゃ。これは、とてつもなく
これを探していたんですか?でも、<状況>だけなら、それほど新しいことでもないと思うんだけどな。
そうか!時間とか、相互作用とか、そういうことを含めて考えるのにいい設定を探していたと
いうことなら、すごく、わかる気がするわ。アナロジーとか再帰とか能動的知覚とかも皆
扱いやすくなるということなのかしら?具体的にはまだまだよくわからないけど。
>>850 > このハンドルにゃが、cat only grinnedで、grinという行動だけ残る猫だにゃ?
> さっき、はっと気づいたにゃ。ううむにゃ。何を考えとるのかにゃ・・・?
だから、集合のない集合要素。
ニヤニヤ笑いのない猫ならザラにいるけど、猫のいないニヤニヤ笑いなんて!ってアリスが言うの。
>>877 > 犬がJohnにバウワウって吠え掛かったときは、どうなのかしら?
にゃ,いいこと言うにゃチシャしゃんは
ではDOのハナシに入ろうかにゃ
もう一度 John broke the window を考えるにゃが,これには John に意志や主体性が
あるか否かの曖昧性があるにゃ
わざと割ったのか,遊んでいて偶然割ってしまったのか,とかにゃ
しかしどちらも割れる原因がJohnにあることは同じなので,原因が意志を持つ場合を
特に行為者と呼べばいいと思うにゃ.つまり
原因+意志=行為者
にゃ.ここで原因をCAUSEで表すこととし,意志のほうはDOで表すことにすると,
上の曖昧性は
[ John CAUSE [ the window BREAK ]]
[ John DO [ John CAUSE [ the window BREAK ]]]
と,さらにもう一層,DO構造があるか否かの問題ということになるにゃ.
意志は生物,特に人間に典型的に認められるので,主語が無生物の場合はこのような
曖昧性は見られないにゃが,犬の場合,多少擬人化して人間を怖がらせてやろうという
意志がある,という想定をするにゃら,チシャしゃんのいうような曖昧性が生じるにゃ
ちなみに John broke his right arm にゃら,Johnはフツー骨折という経験を意図すること
なくしたという「経験者」にゃが,医療費目当てでわざと自分で骨折する「行為者」と
しての解釈もできないことはないにゃ
を,シンクロしとるにゃw
885 :
没個性化されたレス↓ :04/10/09 23:08:47
とある先生は、行動をこう定義してる B=f(S−R,s−r) 反応は自発反応と誘発反応の2種類があり、 行動というのは顕在的S−R反応、内潜的s−rの測定の結果、 関数式として表されるものであって、個々の反応は観察できても行動は観察可能なものではない
もったいぶってもしゃーねわな ソースだよん 今日講演したみたいだわな ttp://www.cnc.chukyo-u.ac.jp/users/jabt2004/kaicho.htm
>>880 >
>>879 > 廻廊おじさんは無駄な言葉が多すぎて、かえって全体として
> 何を言いたいのかが掴みにくい、と私は感じています。
そ、そりゃ、すまんにゃ。今日はまだ酒飲んどらんにゃが。
> S→RやS→O→Rは要するに、生体は刺激に反応する、という
> 考え方で、これに疑問をお持ちなのでしょ?
ま、基本的にはそうにゃ。
> 私も同じで、私は生体がまず自発的に行動し、その結果還って
> きたフィードバック情報を処理しているのだと考えているのですよ。
ホーム・ページとか読んだにゃ、部分的にだがにゃ。ワシがうにゃうにゃわからんことを
言っておるのはにゃ、そのフィードバックという考え方にも?があるからなのにゃ。
一般的なフィードバック・システムで考えるならばにゃ、フィードバックも、結局のところ、
あるシステムへの入力であるのではないかにゃ。出力を制御するように働くとしても、
やはり、それは、従来の入力の一つとして考えるのではないにゃ?そして、そう
考えると、結局、そのフィードバック情報を処理し整理するような<内側>が必要に
なると思うのにゃ。そのような<内側>の整理システムは、結局、もう一人の
ホムンクルスではないのだろうかにゃ?
言いたいことをはっきりさせるために言うとにゃ、上のような場合のフィードバックは
有機体の<中>で起きることかにゃ?それとも<環境>の側でかにゃ?
> それがAction Perception Paradigm、というわけです。
> 従来のSORに相当するのは"Perception Action Cycle"。
Gestaltkreis(知覚・運動一環)というのをご存知かな?ヴァイツゼッカーという医師・哲学者の概念にゃが。
マトゥラーナのオートポイエーシスはお好きみたいにゃが、それにも近いかもしれんがにゃ。
>>881 > 虚無しゃんはブランク長すぎで時差ボケなとこが残ってるにゃ
> ナガーイ目で見てやってくれにゃw
はにゃにゃ?ワシは虚無好きしゃんではないにゃが、また、混同しておられるにゃ?
> ちなみに
> >にゃん語のそもそもの発祥地
> は事実誤認があるにゃw
そりゃ、すまんにゃ。では、事実関係はどうだったのかにゃ?
>>887 >言いたいことをはっきりさせるために言うとにゃ、上のような場合のフィードバックは
>有機体の<中>で起きることかにゃ?それとも<環境>の側でかにゃ?
有機体の<中>で起きることに決まっているではありませんか(笑)
私はそのつもりで用いています。
>>886 そのURL、アクセスできないんですけど。
中京大学と言うからには認知科学系統なんだろうなぁ。
>>889 残念だがにゃ、ワシはそうは思っとらんのにゃ。
>>883 >
>>877 > > 犬がJohnにバウワウって吠え掛かったときは、どうなのかしら?
> にゃ,いいこと言うにゃチシャしゃんは
えー、そうですかぁ?
> ではDOのハナシに入ろうかにゃ
> もう一度 John broke the window を考えるにゃが,これには John に意志や主体性が
> あるか否かの曖昧性があるにゃ
> わざと割ったのか,遊んでいて偶然割ってしまったのか,とかにゃ
確かに。まるで、心理学みたいな気がしてきた(^^)
> しかしどちらも割れる原因がJohnにあることは同じなので,原因が意志を持つ場合を
> 特に行為者と呼べばいいと思うにゃ.つまり
> 原因+意志=行為者
> にゃ.ここで原因をCAUSEで表すこととし,意志のほうはDOで表すことにすると,
> 上の曖昧性は
> [ John CAUSE [ the window BREAK ]]
> [ John DO [ John CAUSE [ the window BREAK ]]]
> と,さらにもう一層,DO構造があるか否かの問題ということになるにゃ.
きゃは、すごく面白いですねぇ。事実関係をメタ的に意図する!と考える。ドキドキする。
> なくしたという「経験者」にゃが,医療費目当てでわざと自分で骨折する「行為者」と
「行為者」と「経験者」というのはよく使われる言い方ですか?
すごく面白くて気絶しそうなのだけど、気になることは、この「意図」「意思」の有無の判断だと
思うんですよね。心理学の中でも、意思を認めて考えるかどうかでは意見が分かれるみたい。
、
少なくとも私の場合は >Gestaltkreis(知覚・運動一環)というのをご存知かな?ヴァイツゼッカーという医師・哲学者の概念にゃが。 このような思弁的なことではなく、細胞内で生じている生化学反応、酵素化学的反応を考えると 当然の帰結という感じなのですが?
>>884 > を,シンクロしとるにゃw
シンクロナイズド・スウィンギングかしらぁ。
896 :
没個性化されたレス↓ :04/10/09 23:45:46
うみねこ先生のように神経科学的基盤にもとづく解釈のほうが、 形而上学界で遊ぶの回廊自慰よりも信用できる
>>897 我には残された時間があまりないのじゃ。ゴホゴホ・・・
900
今日は見かけは参加者が多いようだにゃ。結構なことにゃ。
で、ワシがフィードバックはどこで起きるかと聞いたのはにゃ、
何が信頼できるとかできないとかまでいかない話でにゃ、話を続けるためにまず、聞いておいたのにゃ。
で、話を続けるとだにゃ、
>>894 > 少なくとも私の場合は
> >Gestaltkreis(知覚・運動一環)というのをご存知かな?ヴァイツゼッカーという医師・哲学者の概念にゃが。
> このような思弁的なことではなく、細胞内で生じている生化学反応、酵素化学的反応を考えると
> 当然の帰結という感じなのですが?
ワシも一頃生理学や生化学関係の仕事していたのでにゃ、少しはまだ覚えておると思うのだがにゃ、
細胞内で生じる反応は、細胞外の、細胞環境とは無縁かにゃ?
>>901 もちろんさまざまな物質が出入りしていますよね。その中には
エネルギー源となる物質も含まれている。
しかし、私は生命を構成する実体は酵素群の方にあると思うのですよ。
その酵素のセットが生化学反応を循環させることで、細胞を生命として
存続させていると考えるのです。
もちろん、酵素群=酵素のセットは細胞内に存在するものです。
>>902 >
>>901 > もちろんさまざまな物質が出入りしていますよね。その中には
ということは、外も絡んでおるわけにゃ。
> エネルギー源となる物質も含まれている。
> しかし、私は生命を構成する実体は酵素群の方にあると思うのですよ。
> その酵素のセットが生化学反応を循環させることで、細胞を生命として
> 存続させていると考えるのです。
酵素であるからには、それが作用する物質があるわけにゃが、その物質は
全部、自給自足ではないわけにゃ。つまり、その酵素の活動に仮にフィードバックのような機構が
あったとしてもにゃ、そのループの中に外来の物質がなければ生き物は生きられんだろうにゃ?
物質だけでもないと思うのにゃ。そもそも、生命というのはにゃ、外部の環境と交換し合って
生きとるわけだろうからにゃ物質は大切だがにゃ。それだけではタリンだろうにゃ。
環境の物質の組成は、細胞の生存によって、頻繁に変えられていくにゃ。例えば、神経細胞の
例でもにゃ、ナトリウムやカルシウムの濃度の変更や、それこそlong-termなんとかでは
ないがにゃ、カリウム濃度も絡んでくるにゃ。そして、そういった物質はまた、神経細胞を
とりまくようなグリア細胞によっても代謝されるにゃ。
ワシが有機体の外にフィードバックがあると感じるのはそんなこともあるにゃ。したが、有機体、
つまりは一個の生物の場合にゃ、そうした環境での変化もまた、フィードバック・ループに
含まれると思うのにゃ。今、ワシが石を投げたとするにゃ。石が柿のみに当たって落ち、
ワシに当たったとするにゃ。しまった、投げる方向を間違ったにゃとワシは分かるだろうがにゃ、
そのときの一連の変化は、明らかにワシの、次からの石投げ行動には影響するにゃ。
そして、このフィードバック・ループは明らかにワシの外の出来事にゃ。むろん、それを
見聞きし、痛がるのはワシで、そういう一連の行動がわしの中に取り込まれたと考えることも
できるだろうがにゃ、それは、また、別の問題だと、ワシは思うのにゃが。
これは、基本的に見方の相違でにゃ、うみねこしゃん風の見方もあるとは思うのだがにゃ、 ワシは、環境側の変化ということに大きな関心を持ってるにゃ。で、その違いを踏まえて やっと論議ができると思うのにゃが。
例えばだがにゃ、一頃バイオフィードバックというものがはやったことはご存知だろうにゃが、 バイオフィードバックは、生体内で起きるのかにゃ?そこにフィードバックする実験システムが あるとするとにゃ、その実験システムの変数設定は、有機体内ではないと思うのにゃが。 どうだろうかにゃ?
さっきのvoid linkはわかったかにゃ?差分定義でできた行動定義みたいで面白そうにゃが。
>>905 > 今、ワシが石を投げたとするにゃ。石が柿のみに当たって落ち、
> ワシに当たったとするにゃ。
ここまでが行動した結果帰還してきたフィードバック情報ですね。
> しまった、投げる方向を間違ったにゃとワシは分かるだろうがにゃ、
これがそのフィードバック情報の処理そのものですね。
> そのときの一連の変化は、明らかにワシの、次からの石投げ行動には影響するにゃ。
当然です。
しかし大事なことは、それはすべてあなたが(自発的に)石を投げたことに始まる。
> そして、このフィードバック・ループは明らかにワシの外の出来事にゃ。むろん、それを
> 見聞きし、痛がるのはワシで、そういう一連の行動がわしの中に取り込まれたと考えることも
> できるだろうがにゃ、それは、また、別の問題だと、ワシは思うのにゃが。
おっしゃることがよく分かりません。
>>885 > 個々の反応は観察できても行動は観察可能なものではない
というのは、スキナーのオペラントの定義でもそうなっておったと思うにゃが、
そのSたらR、sたらrやらがワカランと、チョー・ケージ冗学になってしまうのが
ワシの頭でにゃ。すまんが、もうちょい、ザッハリッヒに教えてほしいにゃが。
>>907 治療に用いられる、いわゆるバイオフィードバックでは目標とされていることがある。
そのための変数設定は確かに当の有機体の外部で設定されることです。
しかし、私の、自分の脳波の周波数を自ら変えることができたという経験では
そのような変数は外部から何も設定されていません。自分が自分の脳波の
周波数を変えようと思ったこと自体が私の内部で決定されたことなのです。
>>909 >
>>905 > > 今、ワシが石を投げたとするにゃ。石が柿のみに当たって落ち、
> > ワシに当たったとするにゃ。
> ここまでが行動した結果帰還してきたフィードバック情報ですね。
情報だけではないにゃ、行動も入っとると思うがにゃ。
> > しまった、投げる方向を間違ったにゃとワシは分かるだろうがにゃ、
> これがそのフィードバック情報の処理そのものですね。
と、うみねこしゃんは考えるわけにゃ。
> > そのときの一連の変化は、明らかにワシの、次からの石投げ行動には影響するにゃ。
> 当然です。
> しかし大事なことは、それはすべてあなたが(自発的に)石を投げたことに始まる。
これも、誰も否定していないと思うがにゃ。そもそも、オペラントはある意味では自発なのにゃ。
問題は、その自発と有機体の関係がどうかという点なのにゃ。
> > そして、このフィードバック・ループは明らかにワシの外の出来事にゃ。
> おっしゃることがよく分かりません。
ループの中に、環境内の出来事が含まれているということは了解してもらえるにゃ?
それとも、それらもすべて、情報になってしまうので、そういう出来事は2の次だと考えるにゃ?
酵素のとっての作用対象の物質が細胞外にある場合のことだがにゃ。
913 :
没個性化されたレス↓ :04/10/10 00:35:29
うみねこ先生の剃刀のほうが切れ味よろしい。
>>911 >
>>907 > 治療に用いられる、いわゆるバイオフィードバックでは目標とされていることがある。
> そのための変数設定は確かに当の有機体の外部で設定されることです。
了解してもらえたにゃ。
> しかし、私の、自分の脳波の周波数を自ら変えることができたという経験では
> そのような変数は外部から何も設定されていません。自分が自分の脳波の
> 周波数を変えようと思ったこと自体が私の内部で決定されたことなのです。
それは、フィードバック・システムなしで変えられたのかにゃ?確かに、そういう
研究では最初、装置が必要でにゃ、そのときにもすべて、どのように脳派を
帰るかも自分で決定できたのだろうかにゃ?
したが、そういう経験をした後で、今度は装置なしでも
(というのはちょっと語弊があるにゃ、脳波は測定せねばならんからにゃ、
脳波測定以外のフィードバックをやめて、と言っとおく)
人はいったん脳波を変化させることができるようになってしまうと、フィードバックなしでも
それができるようになることも知られておったはずにゃ。そうなった場合は、また、それで
話が次の段階に進むわけだがにゃ、その前は装置なしではいかんにゃろ?
>>913 本当にそう思ってるの、あなた?面白いひと。
916 :
没個性化されたレス↓ :04/10/10 00:47:03
>>915 >本当にそう思ってるの、あなた?面白いひと。
うん、そうだよ。
さびれ切れ味なくなって、何が言いたいのか伝わってこないんだよ。
>>912 >それとも、それらもすべて、情報になってしまうので、そういう出来事は2の次だと考えるにゃ?
はい、そう考えます。
>酵素のとっての作用対象の物質が細胞外にある場合のことだがにゃ。
それも酵素を自発的に放出した結果を細胞は見ている、ということになる。
>>914 >そうなった場合は、また、それで
>話が次の段階に進むわけだがにゃ、
はい、では次の段階に進めてください。
>その前は装置なしではいかんにゃろ?
これはもちろんそうです。
にゃ、では、もっともっと具体的に例をドバニャーンとあげて考えるかにゃ?こればっかりも やってられないのだがにゃあ。まあ、話をするんだからにゃ、それもいいかもしれないにゃ。
>>918 急いで考えなくても構いませんよ。私は待っています。
以前、マルシンドと話した時よりはよほどワクワクする展開です。
>>918 やるのでしたら、それこそ私の掲示板でお願いできません?
他の方にも迷惑ですし。
ここでよろしい
無限ループの置き場所はどこでもいいからね。
>>917 >
>>912 > >それとも、それらもすべて、情報になってしまうので、そういう出来事は2の次だと考えるにゃ?
> はい、そう考えます。
うむ。これはこれで一つの立場だと思うにゃ。だがにゃ、出来事がどこで実際に起きたのかを
認めてくれたことは忘れないでいてくれにゃ。装置とか酵素媒質とかの位置と変化にゃ。
そこにワシのこだわりがあるのだからにゃ。それを否定されると話が続けられんでにゃ。
> >酵素のとっての作用対象の物質が細胞外にある場合のことだがにゃ。
> それも酵素を自発的に放出した結果を細胞は見ている、ということになる。
それをセンスするセンサーがあると考えるのだにゃ?それとも、センサーはなくて
濃度勾配のような仕組みを考えるのにゃ?
>
>>914 > >そうなった場合は、また、それで
> >話が次の段階に進むわけだがにゃ、
> はい、では次の段階に進めてください。
そうなったとき、多くの人が脳波感覚とかいうものを感じたと報告するようになってにゃ。これは、
そもそも、脳内にはいわゆる意識化可能な感覚器官がないことからするとにゃ、脳の状態を
センスしたものとは考えにくいと言われておるにゃ。むしろ、脳の<外>、つまり末梢の状態を
感じてのことだと理解されるにゃ。さて、ここで、上の細胞にもセンサーがあるかということとの
関係が出てくるにゃ。
> >その前は装置なしではいかんにゃろ?
> これはもちろんそうです。
そこをワシはフィードバックの一部が外にあると言っておるにゃ。
そういう言い方を認めてくれるかにゃ?
>>923 > うむ。これはこれで一つの立場だと思うにゃ。だがにゃ、出来事がどこで実際に起きたのかを
> 認めてくれたことは忘れないでいてくれにゃ。装置とか酵素媒質とかの位置と変化にゃ。
ちょと待った。出来事がどこで実際に起きたのかは本当は分からないのですよ。そこで起きたと
思っているだけでね。
> それをセンスするセンサーがあると考えるのだにゃ?それとも、センサーはなくて
> 濃度勾配のような仕組みを考えるのにゃ?
もちろんセンサーがあるんです。濃度勾配をセンサーは感知するんです。
> そうなったとき、多くの人が脳波感覚とかいうものを感じたと報告するようになってにゃ。これは、
> そもそも、脳内にはいわゆる意識化可能な感覚器官がないことからするとにゃ、脳の状態を
> センスしたものとは考えにくいと言われておるにゃ。むしろ、脳の<外>、つまり末梢の状態を
> 感じてのことだと理解されるにゃ。
かも分からないですね。私が経験したことは実にpreliminaryな実験からですから。それは否定しません。
> そこをワシはフィードバックの一部が外にあると言っておるにゃ。
> そういう言い方を認めてくれるかにゃ?
まだ分かりません。すみませんね、物わかりが悪くて。
>>922 > 無限ループの置き場所はどこでもいいからね。
確かに無限ループになりそうな話ではあるのだがにゃ。それぞれの考えを具体的に
つめることなしには、それこそ、ループからは抜けられんと思うとるがにゃ。
そもそも、この問題は、システムを内側中心にみるか外側中心にみるかという
水掛論なのだがにゃ、ワシが、2システム論の限界というのは、この水掛論の
原因がにゃ、内だ外だという捉え方をするところから来ていると思っているにゃ。
しかし、最初からそう言ってもしょうがなかろうからにゃ(言ってはいるんだがにゃ、実際は)
フィードバック・ループの内外問題から行くカナと思ったのにゃ。
>>924 バイオフィードバック実験が盛んにやられた時代は古いですからね。
> 脳内にはいわゆる意識化可能な感覚器官がないことからするとにゃ、脳の状態を
> センスしたものとは考えにくいと言われておるにゃ。むしろ、脳の<外>、つまり末梢の状態を
> 感じてのことだと理解されるにゃ。
この辺のことを、今の技術でやってみてどうなるか、に私は興味が沸きます。
>>925 完全に内側なのは結局心的実在だけだよなあ。
それだけに心的実在というのは究極に実在だあ。
でデカルトに戻る無限ループ。
>>924 >
>>923 > > うむ。これはこれで一つの立場だと思うにゃ。だがにゃ、出来事がどこで実際に起きたのかを
> > 認めてくれたことは忘れないでいてくれにゃ。装置とか酵素媒質とかの位置と変化にゃ。
> ちょと待った。出来事がどこで実際に起きたのかは本当は分からないのですよ。そこで起きたと
> 思っているだけでね。
なるほどにゃ。それはそれなりの考え方にゃ。では、酵素の活性も外の物質なしで動くというのも
もしかすると気の迷いだろうかにゃ?
> > それをセンスするセンサーがあると考えるのだにゃ?それとも、センサーはなくて
> > 濃度勾配のような仕組みを考えるのにゃ?
> もちろんセンサーがあるんです。濃度勾配をセンサーは感知するんです。
どのようなセンサーにゃ?濃度勾配による物理的(というか力学的)、受動的な仕組みではないわけにゃ、
センサーという以上は。
> > そうなったとき、多くの人が脳波感覚とかいうものを感じたと報告するようになってにゃ。これは、
> > そもそも、脳内にはいわゆる意識化可能な感覚器官がないことからするとにゃ、脳の状態を
> > センスしたものとは考えにくいと言われておるにゃ。むしろ、脳の<外>、つまり末梢の状態を
> > 感じてのことだと理解されるにゃ。
> かも分からないですね。私が経験したことは実にpreliminaryな実験からですから。それは否定しません。
少なくとも、脳は自前で分かっているわけではなくて、ここでも外の情報を使っておるにゃ。もし、ここで
架空設定じゃがにゃ、身体が無かったら、こういうことは起きんだろうにゃ。
> > そこをワシはフィードバックの一部が外にあると言っておるにゃ。
> > そういう言い方を認めてくれるかにゃ?
> まだ分かりません。すみませんね、物わかりが悪くて。
いんにゃ、構わんにゃ。それを見事に伝えるために、ワシはこのスレでずっと考えとるわけでにゃ。
>>926 > この辺のことを、今の技術でやってみてどうなるか、に私は興味が沸きます。
確かに昔にゃ。しかし、今は応用段階であれこれ医療の世界でも使われとるようにゃ。
ま、それも古い機械使っているようだがにゃ。
ところで、」今、うみねこしゃんが、「新しい技術」と言ったのは、なにか具体的なものを
想定しとるのにゃ?
実はワシは、うみねこしゃんの考え方や、今までの仕事や関心について興味を持っておるにゃ。 出所は違うのにゃが、いろいろと似たことに関心を持ってきたようなのにゃ。だから、ゆっくりと お付き合い願いたいと本気で思っておるにゃ。そのためには、今夜の出会いは有意義にゃ。 少し、急ぎすぎておるかもしれんで、それはいかんなとは思っておるにゃが。 そんなことで、かえって誤解を増やしたくはないと思っておるにゃ。
>>928 >では、酵素の活性も外の物質なしで動くというのも
> もしかすると気の迷いだろうかにゃ?
かも分かりませんよ(笑) 所詮はアッセイで測定しているだけですから。
ま、これは冗談ですが。
> > もちろんセンサーがあるんです。濃度勾配をセンサーは感知するんです。
> どのようなセンサーにゃ?濃度勾配による物理的(というか力学的)、受動的な仕組みではないわけにゃ、
センサーそれ自体も酵素ですよ、細胞膜表面にくっついてる。膜を貫通して、中でcAMP系とつながって
いるんでしょ。詳細は私も知りません。
>原因がにゃ、内だ外だという捉え方をするところから来ていると思っているにゃ。
これはよく聞く批判ではある・・・
では内外という捉え方をしないとどうなると?
>>929 時間的解像度の向上したfMRIとか、磁気を脳表面に与えて
認知がどう変化するかを見る機械(名前をど忘れ)。
>>930 分かりました。末永くおつきあいしてください。
最近の臨床機器はますます検査担当者と被験者が別室に分かれて 分析することしかできなくなっていますよね。 これは困ったものです。
>>931 >
>>928 > >では、酵素の活性も外の物質なしで動くというのも
> > もしかすると気の迷いだろうかにゃ?
> かも分かりませんよ(笑) 所詮はアッセイで測定しているだけですから。
> ま、これは冗談ですが。
にゃはは。アッセイの度に結果が違っておったりしてにゃ。
> > > もちろんセンサーがあるんです。濃度勾配をセンサーは感知するんです。
> > どのようなセンサーにゃ?濃度勾配による物理的(というか力学的)、受動的な仕組みではないわけにゃ、
> センサーそれ自体も酵素ですよ、細胞膜表面にくっついてる。膜を貫通して、中でcAMP系とつながって
> いるんでしょ。詳細は私も知りません。
詳細が問題だという気もするにゃが。つまり、そのセンサーが受動的であるのか、それとも、やはり
<自発的>であるのかという点は興味深いと思うのにゃ。かりに自発的だとするとにゃ、それは
細胞周囲の物質濃度とかによってではなく、細胞内の<何か>によって始められるのだろうにゃ。
そこがわかるとチョー面白そうにゃ。逆に受動的だとするとにゃ、そこからたどって、感覚知覚も
受動的になるのだろうかにゃ(急ぎすぎにゃが)?能動的という言葉はワシも好きなのにゃが、
これがどうにも不可思議な言葉だと思えてならんのにゃ。その自発ということに、うみねこしゃんも
関心を持ってとられるようだからにゃ、その辺をゆっくり話したいと思うのにゃが、いかがかにゃ?
いろいろあるだろうがにゃ、暇を見つけて突っ込んで欲しいのにゃ。
> >原因がにゃ、内だ外だという捉え方をするところから来ていると思っているにゃ。
> これはよく聞く批判ではある・・・
> では内外という捉え方をしないとどうなると?
にゃ、そこだがにゃ。それをここで考えているにゃ。それを今、言語の問題に助けを借りながら、
また、行動というものの分析で分かっていることも考え合わせて、そこを捉えることを
望んでおるにゃ。ワシにもワシなりの考え方があるのでにゃ、それもゆっくり提示して批判して
もらえると嬉しいにゃ。
>>933 >
>>929 > 時間的解像度の向上したfMRIとか、磁気を脳表面に与えて
> 認知がどう変化するかを見る機械(名前をど忘れ)。
はは、今、大流行の仕掛けだにゃ。そうかなと思ってはいたがにゃ。
一頃、言語の問題もそういう形で検討しようという動きが増えたがにゃ、今はどうにゃろ?
>
>>930 > 分かりました。末永くおつきあいしてください。
よろしくだにゃ。
>>934 > 最近の臨床機器はますます検査担当者と被験者が別室に分かれて
> 分析することしかできなくなっていますよね。
> これは困ったものです。
まったくにゃ。そこにもアクティブな相互作用があって然るべきにゃ。ま、時と場合によりけりだがにゃ。
なんにゃ知らんが、あれこれ、ちょっかいと、援護射撃があったようだにゃ。 どちらもありがとさんにゃ。
これで、いったん、休憩でしいですか?
>>935 > これがどうにも不可思議な言葉だと思えてならんのにゃ。その自発ということに、うみねこしゃんも
> 関心を持ってとられるようだからにゃ、その辺をゆっくり話したいと思うのにゃが、いかがかにゃ?
> いろいろあるだろうがにゃ、暇を見つけて突っ込んで欲しいのにゃ。
これは私の掲示板でも書いていることなので、今のうちに言っておきましょう。
流動性のある媒体の中でmobilityをもつこと、これは大事なことですが、
究極の原因はやはり化学反応性ということになると思います。これは、
この宇宙に最初から備わっている、この宇宙の性質でしょう。
> にゃ、そこだがにゃ。それをここで考えているにゃ。それを今、言語の問題に助けを借りながら、
> また、行動というものの分析で分かっていることも考え合わせて、そこを捉えることを
> 望んでおるにゃ。ワシにもワシなりの考え方があるのでにゃ、それもゆっくり提示して批判して
> もらえると嬉しいにゃ。
私でも力になれるようでしたら・・・
>>939 > これは私の掲示板でも書いていることなので、今のうちに言っておきましょう。
> 流動性のある媒体の中でmobilityをもつこと、これは大事なことですが、
> 究極の原因はやはり化学反応性ということになると思います。これは、
> この宇宙に最初から備わっている、この宇宙の性質でしょう。
ハイパー・サイクルみたいな話しかにゃ?ま、今度にするかにゃ。
> > にゃ、そこだがにゃ。それをここで考えているにゃ。それを今、言語の問題に助けを借りながら、
> > また、行動というものの分析で分かっていることも考え合わせて、そこを捉えることを
> > 望んでおるにゃ。ワシにもワシなりの考え方があるのでにゃ、それもゆっくり提示して批判して
> > もらえると嬉しいにゃ。
> 私でも力になれるようでしたら・・・
大いににゃ。宜しくにゃ。
>>938 > これで、いったん、休憩でしいですか?
チシャ猫しゃんや、ちょっと早かったようだにゃ。結局、誰が正しいかということより、何が正しいかが
ドイツ風かもしれんにゃ。ワシは勝つことよりも、見つけることを愛しているつもりにゃ。したが、
時には、嵐のように狂うこともあるかもしれんがにゃ。ま、年よりはそのエネルギーがなくなっておるにゃあ。
一本、とられたみたい!はあぁい、了解。
ハイパー・サイクルって、そんなこと言ってるんですか? やだなぁ・・・
違うのかにゃ?では、どんなことだったかにゃ?
>>943 いや、私はハイパー・サイクルの考え方をよく知りませんから、
すでにある考え方ならつまらないな、と・・・
にゃ、そうかにゃ。てっきりそうかと思ってたにゃ。すまんせんにゃ。 ハイパー・サイクルというのは今詳しく説明できるほど覚えておらんのだがにゃ、 幾つかの物質を溶媒に解かしておいてだにゃ、ほっとおくとにゃ、そのうちの 例えばAとBが反応してにゃ、Xという物質ができたとするにゃ。今度はそれが、 別の物質Dと反応してにゃ、というふうに次々進んでいくにゃが、最初に入れた 物質の組み合わせによっては、まるでクレブスみたいにサイクルを(繰り返し)を 始めるという話だったと思うにゃ。いわゆる複雑系とかの流れのスタート点かにゃ。 いわゆる一般システム理論の一つだったかと思ったにゃ。
ワシは、物質レベルではこういうこともあるのかなとは思っておって、それは否定するつもりは ないのにゃ。しかし、このレベルと有機体の行動というレベルをつなぐのはおそらく大変難しい 仕事になるだろうと思ってにゃ。ワシはそんなレベルではとてもやっていけないと思うので、 チョー・マクロにいくかなと考えておるわけにゃ。
>>945 なるほど。S.カウフマンもその系統ですね。
なんか、結局、皆たどり着く考えは似たり寄ったりなのかなぁ・・・
しかし、トンデモなこと言っても始まらないしなぁ・・・
そういう人もおったような気がするにゃ。いずれにせよ、難しい話だったにゃぁ。 だいたい、今という時代はにゃ、違うところで違い人が同じようなことを違う角度から 考えておって、その間で十分に意見交換ができていないと思うのにゃ。せっかく、 皆が思いついているならばにゃ、いいとこを整合的につなげて、それぞれの領域で いいことしたいと思うのにゃが。だから、うみねこしゃんの考え方も聞きたいと思うのにゃ。 ま、ともかくも宜しくにゃ。SORのことだけどにゃ、言い方が回りくどいとは思うのにゃが、 それなり、一つ一つ気になることを書いたと思うのでにゃ、これまた宜しくにゃ。
はい、では今日はおやすみなさい。 ・・・・・・・・・・・どこかで打ち切らんと止まらないみたいだ・・・
>>919 > 以前、マルシンドと話した時よりはよほどワクワクする展開です。
これを見逃しとったにゃ。マルシンドしゃんとやらはどうしておられるのかにゃ。
生態学的リアリティーの名付け親だと聞いたのでにゃ、話が聞けたら嬉しいと思ってたわけだがにゃ。
また、今度でも、間接的にでもいいから、その辺も教えてほしいにゃ。
にゃははは、今時の若いもんの携帯メールみたいだにゃ。それでは、ここで。
>今という時代はにゃ、違うところで違い人が同じようなことを違う角度から >考えておって、その間で十分に意見交換ができていないと思うのにゃ。 これは私も感じるなぁ。 しかし、私は今まで書いてきたようなことに基づいて、今の人工知能研究に イチャモンを付けているのだが、ここはまだなかなか通じないみたいだが・・・ しかし、皆似たり寄ったりなことを考えているのなら、もうこの辺で放置して 私もクオリアの方に行くかな・・・
なんだにゃ、まだ眠っておられんにゃ?
>>952 > しかし、私は今まで書いてきたようなことに基づいて、今の人工知能研究に
> イチャモンを付けているのだが、ここはまだなかなか通じないみたいだが・・・
それも面白いかと思っておってにゃ。アルゴリズムというものに自発性にゃら、
偶然対処性にゃら考えるということにワシも基本的に難しさを感じてはいるにゃ。
しかし、最近の人工頭脳研究の動向はあまりフォローしておらんので、うっかり
首を突っ込むと、ここ以上の赤恥青恥になりそうでにゃ。ウズウズはしながら、じっと
こらえているところにゃ、いや、マジで。(ん?誰かの口調がまた伝染しとる)
> しかし、皆似たり寄ったりなことを考えているのなら、もうこの辺で放置して
> 私もクオリアの方に行くかな・・・
そんなにクォリアが魅力的かにゃ?ワシも多少は面白いと思ってはいるがにゃ。
どうも、その先に進んでいけるかどうか不安でにゃ(これはワシの個人的方向づけのせいにゃが)。
ところで、顔文字しぇんしぇいのチョー魅力的なお話だがにゃ(痴呆頭をスイッチ・バックするのが難しい・・・)
チシャ猫しゃんは揚げ足取り以上のことを聞いておったのだにゃ。ワシはまたアホにゃあ。
>>883 > にゃ.ここで原因をCAUSEで表すこととし,意志のほうはDOで表すことにすると,
> 上の曖昧性は
> [ John CAUSE [ the window BREAK ]]
> [ John DO [ John CAUSE [ the window BREAK ]]]
これは素晴らしい切り口だと正直思ったにゃ。。
> と,さらにもう一層,DO構造があるか否かの問題ということになるにゃ.
しかし、「あるか否か」と書かれておるのは、ないという意見もあるということかにゃ?
> 意志は生物,特に人間に典型的に認められるので,主語が無生物の場合はこのような
> 曖昧性は見られないにゃが,犬の場合,多少擬人化して人間を怖がらせてやろうという
> 意志がある,という想定をするにゃら,チシャしゃんのいうような曖昧性が生じるにゃ
この点にゃが、行動分析学派はどちらかというと、「意思」というものを前提するのを嫌うようにゃ。
それは、いろいろ理由があるのだろうがにゃ(例えば、人と犬を区別するのは困るとかにゃ)、
意思という形で話せば、実に通じやすく効率的に話が進むにゃが、ならば、犬にも意思があるか?と
いった問題と直結するようにゃ。
顔文字しぇんしぇいもどこかでチラッと触れておられたようにゃが、意思と関係して志向性とかの問題があるにゃ。
ワシは、そういうモノも実は、言語によって仮想されたものではないかと疑っておるところがあるにゃ。
というか、認知と言語の関係のようにだにゃ、意思も言語的な何かが、そう表現することを要請しておるのかも
しれんと思うにゃ。この世迷言を考える上で知りたいことはにゃ、DOとCAUSEの関係でにゃ、
DOを分解してCAUSEだけで表わすことはできないのか、ということにゃが。ボケ思考かにゃあ?
クオリアに関し、液体窒素で凍結した金魚はクオリアを持ち得ない はずだというのは、すぐに量子力学を持ち出したがる物理学者を 攻撃する上で私はやはり強力な武器だと思うんだよな。 しかし、かといって案があるわけでもない。周辺を回るばかりで 本丸に行けないという感じ。
>>955 > クオリアに関し、液体窒素で凍結した金魚はクオリアを持ち得ない
瞬間凍結した金魚は確かに面白い話にゃ。
> はずだというのは、すぐに量子力学を持ち出したがる物理学者を
> 攻撃する上で私はやはり強力な武器だと思うんだよな。
この量子力学を持ち出すというのは、何について持ち出すということにゃ?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1087816811/365 365 名前:俺[sage] 投稿日:04/10/10(日) 02:58:56
生態学的リアリティーってさ,俺はリードの
「アフォーダンスの心理学」を読んで,あの本の
鍵概念がそれだと思って,書評にもそう書いたんだよ。
で便利な言葉だからいろんなところで使ってたの。
ところが出典を問われてリードですよ,って言おうと
思ったら,リードのどこを見てもそんな言葉出てない。
とても困っている。ほんとに洒落にならない。
とある本の脚注によると,「実際に生きている個人(個体)に
とって,実際に生きている環境や時間の中で有意味であるような
事物や現象が,生態学的リアリティを持っていると考えることが
できる。」だって。これももちろん俺が書いたのだが,
なんだかよくわからないにゃ。
おじゃましますね しゃんは嬉しいコピペをあっちとこっちにしてくれたわけにゃ。サンクスにゃ。
おかげさまで少しスッキリして、よく眠れるかもしれんにゃ(逆に、目が冴え冴えするかもにゃが)
生態学的リアリティというのはマルシンドしゃんとかの造語と聞いておったにゃが、俺さんのだったんかにゃ。
俺さんとは何度か偶然行き会って話したことがあるにゃ。出所はともかくも
>>957 > とある本の脚注によると,「実際に生きている個人(個体)に
> とって,実際に生きている環境や時間の中で有意味であるような
> 事物や現象が,生態学的リアリティを持っていると考えることが
> できる。」
つまり、環境の中で生きていく<ため>に有意味な事物・現象にゃ?つまりは、アフォーダンス類似の
ことで、それを知覚してリアルな生き方ができるということではないのにゃな。ワシは、そっちかと
思っておったにゃ。こりゃまた、アフォーダンスの話になりそうにゃが、少なくとも、アフォーダンスは
<ために有意味>であるとは限らないモノだとするのがギブンソン正統派の意見のようにゃ。したが、
奥しゃんの(知覚学習屋さんの)エレノアは、どこかで「有意義な」とか「有益な」とか書いてるようでにゃ。
その辺りから、ギブソンのアフォーダンスが知覚派と認知派に分かれたのかもしれないにゃ。
生態学的リアリティのほうは「有意義」派かにゃ?それは、アフォーダンスを知覚した後で何が起きるかにも
関わっていると思うのにゃが。つまり、その結果うまく運んだ場合には、そこで初めて「有意義」となるのだ
と思うのにゃが、アフォーダンス自体はもっと中性的というか環境と有機体の配位のようなものであると
ワシは思うにゃ。もっとも、ここで、知覚した<後でいい結果が起き>と書いたわけにゃが、その<後で>
が実は問題だと思うのにゃ。そもそもアフォーダンスというのは主に環境の要因だとすればにゃ、おそらく
有機体の運動というか行動に従って非常に連続的に変化するはずでにゃ、そのどの時点を<知覚した>
と考えるべきかがチョー難しいことになると思うのにゃ。実は、これは、ナホウドリしゃんとかと時間に
ついて話したときにもワシの頭の中にあって、行動の単位とか知覚との関係で重要にゃ。
しかしだにゃあ、2ch世界はいろいろな人がおって驚くにゃが、また、その人たちが実は〜で、と いう話もたくさんあるようでにゃ、まるで仮面舞踏会で恋人探しをするというか、歌舞伎の だれだれ、実は、誰々が〜チョンチョンみたいで、訳が分からんときがあるにゃ。ま、それも 一興なのにゃが。ここでもワシのポリシーは、言ってることと行動を第一にするという ことかにゃ。それで、騙されても法然上人に従いて地獄に落ちるとも後悔せず、にゃ。
盛り上がっているので、(外れな私の意見)書き込めずにいました。
どうも、落ち着いたようなので、書き込ませてもらいます。
以下は「私の世界(引いてみると個々の世界)と皆に共通した世界がある」という私の心的現実について。
>>835 >> ・私を私が触ったときと、Aさんが私を触ったとき、同じところを触られても感じ方が違う。
>>私とAさんは私の中(私の世界)では違うものだ。
>という、チョー縮約文では意味がどうしても違うように見えるにゃ。解説してくれるにゃ?
私による私へのタッチとAさんによる私へのタッチ。その二つは、私には違って感じる。
(大きな違いでは)私が握ったときには、握られた腕の感触と握った手のひらの感触を感じる。
Aさんが握ったときには、握られた腕の感触だけ。
私がAさんの腕を触った。私はAさんの腕を触られた感触は感じない。握った手のひらの感触は感じる。
>私にとって、私とAさんは違うものだ。
>> ・私とAさんは子猫じゃれている。私は猫の目が青いといった。Aさんもうなずいた。
>> 私とAさんは同じ世界を見ている。
>それは、前にも出てきたことにゃが、意見の一致がそのまま同じ世界を見ていることでいいのかにゃ?
>「青い」という言葉のレベルでは同じ世界かもしれないにゃが、もし、その「青さ」を比べ始めたら、
>同じ世界ではなくなるのかもしれないにゃ。クォリアかにゃー、これ?それだけではないにゃ。
心理学者や哲学者は真の一致なのかを疑うかもしれませんが、私は大きくなるまで疑ってきませんでした。
私「あれも青い?これも青い?それも青い?」
Aさん「うん。うん。うん。皆青いね!」
私「ね(^▽^)ルンルン」
>>958 論点がいっぱいありすぎてどれから手を付けてよいかわからんよ。
また,このスレの流れも止めたくないしね。だから短く書くよう
努力してみる。
俺の問題意識(っていうか俺が読み取ったリードの問題意識)は
心理学が対象とすべきリアリティとはなにかということだ。
科学はすべからくなにかのリアリティをとらえようとするわけだが
心理学にとってのそれは生態学的なリアリティであるべきだ。
心理学が培ってきた方法論(の少なくとも一部)はそれを
研究者の手から奪っていないか,と。そういう文脈ではからずも
生み出してしまった言葉。
その「俺」って人が○震度だよ まだ、これから構築されていく概念なんだね そのうち辞書にのるだろうな
つづき
>>835 >> ・私は「この子猫が可愛いといった」だといった、でもAさんは「そんなに可愛くないよ」といって首を振った。
>> Aさんも自分の世界を持っているのではないか。
>意見の不一致じゃな。そのとき、人(「私」)はAの(中に)別の(Aの)「私」を感じるということかにゃ?
>サリーとアンの問題で、サリーがアンの箱を開けに行けば、観客はそうだ!と思うにゃが、実際は
>サリーは自分のカゴを開ける。見ていた観客(子ども)は??と感じるにゃ。なんでだ?ボールは箱の中
>じゃないのか?なんでサリーはカゴを開けたのか?で、そこで、
→サリーと私は何か違う。
その子は、成長(経験と成熟)しながら、理論を見つけていくのですよね。
こう見ると、私の書いた理論の発見は、経験による発見ですね。
>> ・私は私を動かせる。私はAさんを動かせない。
>> 私とAさんは違うのではないか。
そうそう、私だけでは、私の世界と世界の世界は区別できないそうにないですよね。
私の世界があるのは私以外の皆様のおかげです。
>>846 >ワシのも、チョー感覚的分析でにゃ。極めて非論理的だと思っとるにゃ。。。。
私はちょ〜ちょ〜ちょ〜〜〜〜感覚的ですにゃ。
私の心的現実についての話は、この書き込み止めたいと思います。
私しかフォローできない話題ですし。。。
つぎは、時間ですかにゃw(にゃーおいらには無理〜ROMかにゃ)
にゃにゃ、ワシの睡眠奪取して記憶再生を調べようとしてるにゃ (^^) ま、今日は静かな夜でにゃ、ゆっくりバス・タブにつかりながら返事するにゃ。
俺はアフォーダンスは関係的ではあるが本質的には物理学的な 実在で,その存在とそれが知覚され実際に利用されるかどうかとは 無関係と考えている(教条派ギブソニアン)。その意味で アフォーダンスが常に生態学的リアリティを持つわけではない。 しかし生態学的リアリティは知覚されたアフォーダンスによって 構成されているだろうし,そういう意味である個体にとっての 生態学的なリアリティを構成しているのはニッチとアフォーダンス だろうね。 後半の論点については境先生が「アフォーダンスはオペラント 条件づけの弁別刺激だ」と書いていた。俺もそう思う。 だったら時間の経過はとても重要。運動とか時間の経過を 重視するのもギブソンの特徴だけど問題が巨大すぎて短く書けない。 でも「そこでスキナーですよ」とは言っておきたい。
にゃにゃにゃ、フロで一杯やりながらと思って、オールド・ファッションドを作ってきたら、 また書き込みが増えてるにゃ。げに恐ろしきは2ch心理板の皆様方にゃ。 #徹夜でにゃんにゃんした若き日々を思い出すにゃあ〜
あらあ、おじさままで、そんなこと言って。報告しちゃうから。
にゃ、さてと、本来ならナホウドリしゃんが先なのにゃが、ちょっとわけありで後にさせてもらうにゃ。
>>961 >
>>958 > 論点がいっぱいありすぎてどれから手を付けてよいかわからんよ。
実はワシもだにゃ(^^)ワシとしては自分の問題をひたすら追っかけているつもりにゃが、あれこれ
アナロジー心が働いてしまってにゃあ。ところで、ワシは別にこのスレのホストではないからにゃ、
勝手にお話してくだされや。あったりまえだのクラッカーにゃが、一応。
> また,このスレの流れも止めたくないしね。だから短く書くよう
> 努力してみる。
気配りサンクスにゃ。しかし、適度に止めてもかまわないにゃ。必要なものはまたいつか顔を出すにゃ。
>>962 > その「俺」って人が○震度だよ
まあ、それはいいにゃ。ありがとにゃ。
> まだ、これから構築されていく概念なんだね
> そのうち辞書にのるだろうな
生態学的リアリティかにゃ?そうなるのも時間の問題だろうかにゃ。あるいは、既に?
>>961 > 科学はすべからくなにかのリアリティをとらえようとするわけだが
> 心理学にとってのそれは生態学的なリアリティであるべきだ。
> 心理学が培ってきた方法論(の少なくとも一部)はそれを
> 研究者の手から奪っていないか,と。
なるほどにゃ。それはワシも感じるにゃ。もっとも、今は、それを求める声が大きくなっているとも思えるにゃ。
それはそれで、夢を抱かせるのだがにゃ。他のアプローチや問題が山積してる中で、どれを
とるべきかは確かに難しいことだにゃ。ワシの生き方は、「私の勝手でしょ」かにゃ。どのみち、田舎に
すっこんどって何もしてない老人だから、関心のあることぐらい好き勝手に考えさせてもらおうとかにゃ。
これからの人たちは、自ら選ぶということを大切にしてもらいたいにゃ、何事も。
>>965 > 俺はアフォーダンスは関係的ではあるが本質的には物理学的な
> 実在で,その存在とそれが知覚され実際に利用されるかどうかとは
> 無関係と考えている(教条派ギブソニアン)。その意味で
> アフォーダンスが常に生態学的リアリティを持つわけではない。
合意にゃ。境しゃんの本を素晴らしいというからにはそうにゃろ。
> しかし生態学的リアリティは知覚されたアフォーダンスによって
> 構成されているだろうし,そういう意味である個体にとっての
> 生態学的なリアリティを構成しているのはニッチとアフォーダンス
> だろうね。
ふむにゃ。
> 後半の論点については境先生が「アフォーダンスはオペラント > 条件づけの弁別刺激だ」と書いていた。俺もそう思う。 それはカタニアもそう書いているし、結構、そう書いている人はいるようだにゃ。問題はそうだとして、 弁別刺激だとしてだにゃ、そのままオペラントと整合性を持てるようにできるかどうかにゃ。さっき、ワシが 結果と書いたのは強化のことにゃ。アフォーダンスとしての弁別刺激と強化を結びつけること、それが 目下のワシの最大関心事なのなのだがにゃ、そこにはどうしても、そういう複雑な関係を整理し、明示する 方法が必要だと思うのにゃ。 > だったら時間の経過はとても重要。運動とか時間の経過を > 重視するのもギブソンの特徴だけど問題が巨大すぎて短く書けない。 そりゃ、まったく、その通りにゃ。 > でも「そこでスキナーですよ」とは言っておきたい。 ナラティブではなくかにゃ?(悪い冗談にゃ、赦されたしにゃ) スキナーは確かに方向性を示して死んだと 思うにゃ。死ぬ前にも、そういうことをあれこれ考えておったようにゃ。ただ、今の行動分析の枠組みで それがきちんとできるかどうかについて、ワシは少しばかり考え方が違うかもしれないにゃ。違うかどうか 分からないにゃが、それも、結果次第かと思うにゃ。 因みに、ここで言語に絡んであれこれ考え、教えてもらっていることもにゃ、弁別刺激に絡むのは わかっておられるだろうにゃ。 ワシも学びたいことがいっぱいあるでにゃ、どうかまた気が向いたときには宜しくにゃ。
その弁別刺激・アフォーダンス論て、私の好きな『人はなぜ心を求めるか』でも論じてあったと思うわ。 おじさまと共通点があるみたい。これも、また偶然の一致ね、きっと。そこにベイズ定理が絡むのよね?
あのにゃあ、チシャ猫しゃん、ありがたいのにゃが、もう少し後でその話にしようにゃ。頼むでにゃ。
なんでだ?
夜が明けて煽りがたかる前に、早めに次スレを作られてはいかがですか。
こんな定式化はどう? (SD*H_t)R→C→H_t+1 強化履歴(H)が蓄積された有機体が、弁別刺激(SD)のもとで 反応(R)を自発することで随伴事象(C)が起こり、 それはその有機体の強化履歴(H)を更新する。
佐々木氏もアフォーダンスの発見は「学習」だと言ってた。
学習だとすればアフォーダンスはオペラントでも
強化子でもないだろうから弁別刺激だろ。
それをオペラント条件づけに組み込むこと自体は簡単だと
思う。ただ単にアフォーダンスという「もの」をまるごと
マクロに切り取って強化随伴性の中に入れちゃえばいいだけ
だから。ただ,それがアフォーダンスを,あるいは
アフォーダンスと生体の関係を分析したことになるのか?
っていうのが廻廊さんの問題意識なんだろうな。
それは難しい。わからん。でもそのうちなんとかなる。
>>972 ほんと!? 斜め読みしかしてなかったから見てみるよ。
サンクスコ。
>>976 そうそう,俺が「簡単だ」と書いたのは
まさにそのようなイメージで。
>>960 > 盛り上がっているので、(外れな私の意見)書き込めずにいました。
いや、実はさっきナホウドリしゃんは来てられんのかにゃ?と、もう少しで書こうと思っていたにゃ。
が、色々考えてやめておいたのでにゃ、書いてくださって、安心したにゃ。
> 以下は「私の世界(引いてみると個々の世界)と皆に共通した世界がある」という私の心的現実について。
> 私による私へのタッチとAさんによる私へのタッチ。その二つは、私には違って感じる。
> (大きな違いでは)私が握ったときには、握られた腕の感触と握った手のひらの感触を感じる。
> Aさんが握ったときには、握られた腕の感触だけ。
これはその通りにゃ。その、私とAさんの違いを、一人の中で(つまりAさんなしに)体験できるのが赤ちゃんにゃ。
つまり、「私」がまだ完全ではないからだがにゃ。
> 私がAさんの腕を触った。私はAさんの腕を触られた感触は感じない。握った手のひらの感触は感じる。
> >私にとって、私とAさんは違うものだ。
これもそうだにゃ、その通り。では、Aさんと握手したとき、私が感じることとAさんが感じることにはアナロガスな
ものはないだろうかにゃ?ワシはそこに何かとてつもなく大切なことがあると感じているにゃ。
> 心理学者や哲学者は真の一致なのかを疑うかもしれませんが、私は大きくなるまで疑ってきませんでした。
> 私「あれも青い?これも青い?それも青い?」
> Aさん「うん。うん。うん。皆青いね!」
> 私「ね(^▽^)ルンルン」
ふふふふ、微笑ましいにゃあ。それは、一種、ピアジェの自己中心性とも関係あるかもにゃ。それだけではなく、
言語の持ってる機能の一つなのかもしれないにゃ。「青」と言えば、また、「青」と聞けば、その語のレベルでは
同一であって、その指しているものすらも同一に感じてしまう。しかし、実際はそうではないにゃ。言葉を批判的に
受け取れるようになることも必要なのだろうにゃ。(だが、またまた、これがピアジェの自己中心性に戻って
来るのかもしれないがにゃ、今はおくとしようかにゃ)
>>963 > その子は、成長(経験と成熟)しながら、理論を見つけていくのですよね。
> こう見ると、私の書いた理論の発見は、経験による発見ですね。
それをワシは大切だと思うのにゃが、あるいは、そのような経験を経ずに分かることがあるかもしれんとも思うにゃが。
> >> ・私は私を動かせる。私はAさんを動かせない。
> >> 私とAさんは違うのではないか。
> そうそう、私だけでは、私の世界と世界の世界は区別できないそうにないですよね。
> 私の世界があるのは私以外の皆様のおかげです。
そうなのにゃ!まったくそうなのにゃ。それと、空間だにゃ。他者以外にも環境世界も必要なのだにゃ、きっと。
> 私はちょ〜ちょ〜ちょ〜〜〜〜感覚的ですにゃ。
> 私の心的現実についての話は、この書き込み止めたいと思います。
それはお任せにゃが、ワシは興味深く読ませてもらってるにゃ。まだ、うまく言えないがにゃ、そして、おそらく
ナホウドリしゃんが言っていないことで、ワシの問題に関わることがあるような気がするにゃ。
> 私しかフォローできない話題ですし。。。
おおい、おおい、そうなのかにゃ?では、明らかにまだ語っていないことがあるはずにゃ!
> つぎは、時間ですかにゃw(にゃーおいらには無理〜ROMかにゃ)
上の「私の心的現実」の中にも時間は入っておるのと違うかにゃ?
>>976 > こんな定式化はどう?
> (SD*H_t)R→C→H_t+1
> 強化履歴(H)が蓄積された有機体が、弁別刺激(SD)のもとで
> 反応(R)を自発することで随伴事象(C)が起こり、
> それはその有機体の強化履歴(H)を更新する。
んにゃ?これは『人はなぜ〜』の著者の偶機理論そのものみたいだにゃ?
正確には、それをベイズの確率更新と重ねた理論じゃにゃ。これ書いたの誰にゃ?
>>977 > 佐々木氏もアフォーダンスの発見は「学習」だと言ってた。
それは結果を考えるとこまで含めるからだろうにゃ。
> 学習だとすればアフォーダンスはオペラントでも
> 強化子でもないだろうから弁別刺激だろ。
それは少し単純化しすぎだと思うにゃが。。。
> だから。ただ,それがアフォーダンスを,あるいは
> アフォーダンスと生体の関係を分析したことになるのか?
> っていうのが廻廊さんの問題意識なんだろうな。
まぁ、そうだにゃ。
>
>>972 > ほんと!? 斜め読みしかしてなかったから見てみるよ。
それはワシも保証するがにゃ、その本でもまだ超えられないところがあるのをここで考えていると
いうのがワシのスタンスだがにゃ。
ったくにゃあ、このスレは突然火を噴いたようになるでにゃあ、ワシはもう死にそうだにゃ。 だが、まだ、ワシは、アフォーダンス・オペラント結合までもう少し時間が欲しいにゃがにゃあ・・・ ベイズの定理 事前確率を事後確率に転じるのが強化だというような話であったにゃ、そう言えば。 しかし、あれはなかなかに難物じゃぞ〜。
あの偶機理論にとって、刺激・知覚と行動、その結果の関係が、従来どおりの行動分析学の枠組みに 入りきらんのではないかという心配があると思うのにゃ。それは、そういう随伴性構成項目の間の 奇妙な距離でにゃ。それをもっと緊密にせんと、うまく行かないところがあるのにゃ。 おそらく、それは (SD*H_t)R→C→H_t+1 でも同じだろうかと思うがにゃ。上の+1だがにゃ、強化履歴だけの更新で済むわけではないだろうにゃ? それでは、偶機理論でオペラントの確率が更新されるところまで行かないとおもうのだがにゃあ。ま、いいか、にゃ。
>>980 >いや、実はさっきナホウドリしゃんは来てられんのかにゃ?と、もう少しで書こうと思っていたにゃ。
>が、色々考えてやめておいたのでにゃ、書いてくださって、安心したにゃ。
ありがとうございます。私は、自分は的外れな迷惑な書き込みをしているのではないかと
おもっていたぐらいで。。。。
>>981 >そうなのにゃ!まったくそうなのにゃ。それと、空間だにゃ。他者以外にも環境世界も必要なのだにゃ、きっと。
その通りだとおもいます。
>> 私の心的現実についての話は、この書き込み止めたいと思います。
>それはお任せにゃが、ワシは興味深く読ませてもらってるにゃ。まだ、うまく言えないがにゃ、そして、おそらく
>ナホウドリしゃんが言っていないことで、ワシの問題に関わることがあるような気がするにゃ。
>おおい、おおい、そうなのかにゃ?では、明らかにまだ語っていないことがあるはずにゃ!
私が言っていないことですか・・・
すぐに思い浮かぶのは、
自由意志が存在するという感覚が、私の世界があるという感覚を支えている(と関係している程度かもしれません)
のではないかという。なんだか、ぼやーとした気持ち。
「自由意志あり、故にわれの世界あり。」でしょうか。
そして、自由意志など無いと考え出すと、なんだかさびしくなること。ですか。
>上の「私の心的現実」の中にも時間は入っておるのと違うかにゃ?
どういう意味でしょうか?私の意図しない解釈がありそうですね。
言うの、早すぎでしたか?もう、だいぶ煮詰まってきたかなと思ったんですけど。 言語関係と並行して進んで行っても面白いかと思ったんですけど。。。 その方が、廻廊おじさまの問題意識がより具体的にわかってもらえるような気がして、つい。。
>>983 >ほぇ〜・・・
あくびでしょうか。もう、寝ましょう。
ま、こうなってきたのだから、それこそ、チシャ猫しゃんではないが、レッセ・フェールじゃにゃ。 ワシはワシの道を行くにゃ。(^^)
>>989 >
>>983 > >ほぇ〜・・・
> あくびでしょうか。もう、寝ましょう。
んにゃ、まだにゃ。朝までニャンニャンだにゃ、もう、ここまで来ると。
>>986 > ありがとうございます。私は、自分は的外れな迷惑な書き込みをしているのではないかと
> おもっていたぐらいで。。。。
ワシにはそう思えんがにゃ、全然。
>
>>981 > >そうなのにゃ!まったくそうなのにゃ。それと、空間だにゃ。他者以外にも環境世界も必要なのだにゃ、きっと。
> その通りだとおもいます。
嬉しい合意にゃ!
> >上の「私の心的現実」の中にも時間は入っておるのと違うかにゃ?
> どういう意味でしょうか?私の意図しない解釈がありそうですね。
にゃ、まあ、次のこととか、その他もあるかもにゃ。もう少し整理せんとワシもすぐには言えないにゃ。
顔文字しぇんしぇいみたいに、いつでもどうぞう! みたいにはなかなか行かんもんだにゃ。
> 自由意志が存在するという感覚が、私の世界があるという感覚を支えている(と関係している程度かもしれません)
> のではないかという。なんだか、ぼやーとした気持ち。
> 「自由意志あり、故にわれの世界あり。」でしょうか。
> そして、自由意志など無いと考え出すと、なんだかさびしくなること。ですか。
その問題は、顔文字しゃんへのレス
>>954 > 顔文字しぇんしぇいもどこかでチラッと触れておられたようにゃが、意思と関係して志向性とかの問題があるにゃ。
> ワシは、そういうモノも実は、言語によって仮想されたものではないかと疑っておるところがあるにゃ。
> というか、認知と言語の関係のようにだにゃ、意思も言語的な何かが、そう表現することを要請しておるのかも
> しれんと思うにゃ。この世迷言を考える上で知りたいことはにゃ、DOとCAUSEの関係でにゃ、
> DOを分解してCAUSEだけで表わすことはできないのか、ということにゃが。ボケ思考かにゃあ?
で、少しだけ触れ始めているのにゃ。
しかし、これも偶果せいだにゃ。こんなにまで、色々な話ができるとは本当に思っておらなんだにゃ。 皆々様方のおかげさまさまにゃ。めるしー・ぼく。だんけしぇーん。しぇしぇやにゃあ。 人ありて我あり、かにゃ。いや、マジで。
>>992 > 顔文字しぇんしぇいもどこかでチラッと触れておられたようにゃが、意思と関係して志向性とかの問題があるにゃ。
> ワシは、そういうモノも実は、言語によって仮想されたものではないかと疑っておるところがあるにゃ。
> というか、認知と言語の関係のようにだにゃ、意思も言語的な何かが、そう表現することを要請しておるのかも
> しれんと思うにゃ。この世迷言を考える上で知りたいことはにゃ、DOとCAUSEの関係でにゃ、
> DOを分解してCAUSEだけで表わすことはできないのか、ということにゃが。ボケ思考かにゃあ?
以上の発言と自由意志との関係。
もうすこし、解きほぐして、説明してもらえると、ありがたいです。
自由意思ということだがにゃ、ワシは意思はちょい疑問視するがにゃ(それも言語上ではいいのかもしれん程度だがにゃ) 自由はあると思うのにゃ。決定論か非決定論という関係でもにゃ、ワシは基本的に非決定論だと思っているにゃ。 スキナーみたいな人ですら、最晩年の論文では、随伴性を「気ままな」ものだと言っておってにゃ、そこに、偶然性、 非決定性を言っておるようにも思うのでにゃ。
>>994 > 以上の発言と自由意志との関係。
> もうすこし、解きほぐして、説明してもらえると、ありがたいです。
スマンが、もう少し待ってくだされにゃ。ただ上のレスでも書いたがにゃ、意思と自由とをいったん分けて
考えるというのがワシのスタンスだということだけは言えるにゃ。
>>985 強化歴とか弁別刺激とかオペラント条件づけの
主要概念って,「それがそれとして操作できること」に
よって定義されてるから,一般化された数式とかに
入って行くと現実と乖離しやすいのではないか。
強化歴とは強化歴として実験的に操作できるものすべて,
弁別刺激とは弁別刺激として実験的に操作できるもの
すべて,なんだよね。その内容的な性質とかはおそらく
スキナリアンにとってはそれほど重要じゃない。
どこかに「刺激であるものはすべて弁別刺激になりうる」
みたいなことも書いてあった気がする。
+1みたいのも,実際に何かを1個たす,という話じゃ
なくて,単に概念的な繰り返しで,その繰り返しの
説明されない内容が実際にはものすごく豊かなんだと思う。
眠いから何書いてるかわからん。意味ないと思ったら
スルーして。
>>995 自由ってのが偶然性・非決定性という意味だったら
自由は間違いなく存在するよね。
俺は意思の方にこだわりたい,っていうか
「自分は自由に行動している」という感覚の根拠みたいな
ことね。
まあお休みです。誰か1000ゲトして。
>>997 >
>>985 > 強化歴とか弁別刺激とかオペラント条件づけの
> 主要概念って,「それがそれとして操作できること」に
> よって定義されてるから,一般化された数式とかに
> 入って行くと現実と乖離しやすいのではないか。
それは、正しい教訓だと思うにゃ。したが、ときには乖離せんといけないかもしれんとも思っているにゃ。
ま、できれば、実験事実と整合であるような理論化が欲しいところだがにゃ。
> 強化歴とは強化歴として実験的に操作できるものすべて,
> 弁別刺激とは弁別刺激として実験的に操作できるもの
> すべて,なんだよね。その内容的な性質とかはおそらく
> スキナリアンにとってはそれほど重要じゃない。
> どこかに「刺激であるものはすべて弁別刺激になりうる」
> みたいなことも書いてあった気がする。
それはそうだがにゃ、式の途中で、急に相対的な概念に移行するのも、いささか変かと思って聞いたのにゃ。
> +1みたいのも,実際に何かを1個たす,という話じゃ
> なくて,単に概念的な繰り返しで,その繰り返しの
> 説明されない内容が実際にはものすごく豊かなんだと思う。
そうだにゃ、ある<状況>nがある。そして、その<状況>nがステップ・ジャンプして<状況>n+1になる。
> 眠いから何書いてるかわからん。意味ないと思ったら
> スルーして。
にゃ、ワシもほとんど夢の中にゃ。後はオボロ〜にゃ。にゃはははは。
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